縁を伝って、よじ登る (並木)
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原作前
0話 始まりの終わり


後半軽いグロ描写注意です。
“◇”で場面転換をしています。


 

 男がボールを奪い、シュートを打つ。その繰り返し。たった1人の単調な動作で試合は終わろうとする。

 最後、彼しかその力を奮えない化身が現れると、スタジアムはそれだけで熱狂に包まれた。

 

 彼──古会(ふるえ)(あらた)は、浮かない顔で控え室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 選手を辞めた新。彼には今、嬉しいニュースが2つあった。

 

 1つ。妻── 季子(きこ)との子供が出来たこと。

 2つ。彼が監督を務めるチームの、フットボールフロンティア決勝進出が決まったこと。

 

 新が監督をするためには、選手時代より努力が必要だった。

 相手の選手の情報収集。どれほどの脅威になりうるか、最悪の場合まで考える。

 新古問わず必殺技や戦法の研究は欠かさず行う。

 部員の健康管理とメンタルケアも忘れない。

 

 その甲斐(かい)あって、彼の指導する中学校はフットボールフロンティア本選出場の常連となった。

 けれども、決勝まで行くのは数えるほど。

 次の相手は25年の不敗伝説を誇る帝国学園。不安半分、期待半分だったが、教え子たちを見て不安は消えた。

 モチベーション、パフォーマンス共に最高。懸念(けねん)は試合まで1週間あることだ。それまで何も起こらないことを願った。

 

 「古会監督──いえ、上官!」

 

 教え子に話しかけられる。新は何かあったのかと心配になる。

 

 「正月(まさつき)、お前昨日までそんな話し方じゃなかったよな? どうした?」

 

 「その……帝国学園の制服を見たら、軍隊ってかっこいいなぁって……。あの、もしかして、ボク変です?」

 

 「ああ!」

 

 照れくさそうに笑う正月は、無慈悲な肯定に顔を(うつむ)かせた。

 

 「うう……今日のボクは忘れてください。どうしよ、クラスでも家でもあの話し方でした……。そうだ監督、何だか今日は機嫌が良さそうですね。何かありました?」

 

 「帝国学園とお前らが戦えるのが嬉しくてな。本当に強い凄いヤツらばかりだから、勝っても負けても良い経験になるぞ」

 

 正月は「良い経験にします!」と、返事した。

 

 「監督は中学生のころ、大会で帝国と戦ったのですか?」

 

 「ああ。3年間、全部決勝で当たって全部負けたよ」

 

 「ならば、ボクが監督のリベンジを果たして見せます!」

 

 「……おう。期待してるぞ」

 

 いつの間にか集まった他の部員も揃って、打倒帝国と叫ぶ。

 その日、胸を満たす温かいものを感じながら、新は帰り道を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 新は小学生のころ、ろくでなしの不良だった。中学でも同じように過ごそうとした。

 

 「なあ! お前……サッカーに興味はないか?」

 

 その声を聞くまでは。

 稲妻町が誇った伝説、イナズマイレブン。新を勧誘した先輩・先行(さきゆき)はそのチームの大ファンであり、彼らが成せなかった優勝を果たすのが夢だったのだ。

 

 先行の熱意ある勧誘に負け、新は入部を決めた。

 

 練習はキツく、休憩時間は昔の試合のビデオを見る時間で、感想会まであった。

 見せられるのは“イナズマイレブン”の試合だけ。

 “炎の風見鶏”、“イナズマ落とし”……。一目見ただけで、心臓はうるさく鼓動を鳴らし、脳は今までにない興奮を全身に伝える。

 憧れに近付こうと、新はサッカーを頑張り始めた。

 

 先行が“ゴッドハンド”を完成させ、彼の努力が報われて嬉しかった。3年連続で、決勝で帝国学園に負け、涙が出るくらい悔しかった。

 

 高校でもサッカーを続け、他の誰もが使えない化身なんて力が使えるようになると、新は負けなくなってしまった。

 彼が加齢のタイムリミットより早くプロ選手を辞めたのに、特に理由はない。ただ色々と限界になっただけだ。

 

 

  

 

 

 

 「よし、今日の練習は終わりだ!!」

 

 「早くないですか?  まだ行けます!」

 

 打倒帝国を(かか)げ熱心に練習していた部員は、いつもより早く練習を切り上げたことに抗議した。

 

 「だって、明後日(あさって)は帝国との試合だろ? お前たちには万全の調子で挑んでほしいからな。……ちょっと俺の相談にも付き合ってほしくて」

 

 「監督が相談? なんですか? なんでも聞きます!」

 

 「うーんとな……子供の名前候補。蹴玖(キック)轟瑠(ゴール)紅楼舞(グローブ)。どう思う?」

 

 正月は、新の口から放たれた爆弾に体を固まらせた。

 

 「……監督のお嫁さんはなんて言ってましたか?」

 

 「へへっ、そんなお嫁さんなんて……。まあ俺の嫁さんだけどよぉ! へへっ、なんか、昔からあるありふれた名前が1番だってさ」

 

 子供に贈る最初のプレゼントが名前だ。オリジナリティが大事、と新は考える。妻とは真逆の考えだ。

 胎児にとって幸せなのは、気の強い妻の季子に未来永劫文句を言われてまで、新は意見を押し通すつもりがないことだ。

 

 

 

 

 

 

 「要注意は4番と9番。技術の高いDFの4番と真正面からやり合うのを防ぐためには──」

 「──今年の帝国は荒々しいプレーが目立つ。無駄な消耗は避けて、冷静になるのを心がけてくれ。怪我にも気を付けろよ」

 「大丈夫。みんなならきっと勝てるさ。緊張しないで、サッカーを楽しむことを考えてくれ」

 

 時は少し経ちミーティング。今回の大会の最重要警戒対象である帝国学園の対策は、部員にとって耳にタコが出来るほど聞かされ続けたことであった。

 

 「了解です、監督!! 普段通りですね!」

 

 「まあ緊張しすぎるのも困りものだからな……うん、今までの頑張りを全部ぶつけるんだ!」

 

 残って練習する生徒が帰るまで見届け、新は帰宅の準備をする。職員室から荷物を持ち帰ろうとすると、声をかけられた。

  

 「先生にお電話がありまして、出来れば本日中にかけ直していただきたいのですが……」

 

 誰からなのか? 聞くと、帝国学園からと言われる。

 

 この学校と名門の帝国学園には全く交流がない。

 何の連絡か新に心当たりはなく、疑問で頭をいっぱいにして受話器を取った。

 

 「もしもし?」

 

 「もしもし。古会新監督でよろしいでしょうか?」

 

 少しくぐもった男の声が、帝国学園の教師をしている者だ、と名乗った。

 

 「少し提案がありましてご連絡しました」

 

 「はぁ」

 

 嫌な予感。新はどこか本能的に、男と話していたくないと感じた。

 

 「すみませんねぇ。このような素晴らしいチームに、こちらも申し訳ないのですがねぇ……決勝戦、棄権するつもりはありませんか?」

 

 耳を疑う言葉が聞こえた。

 

 「は?  すみません。その、どういう……?」

 

 「そのままです。馬鹿正直に棄権すると言わずとも、急用が出来たから行けない、とかね。ただそれだけで良いのです。そちらは失格。我ら帝国学園の勝利──影山総帥に、私が……! 他でもないこの私が! 捧げる勝利だ……!」

 

 帝国学園なら汚い手段を使わなくても勝てるだろう。新はそれを中学3年間、彼らに負けて準優勝の地位に甘んじた経験からわかっていた。

 監督が試合放棄など信じられない。生徒への、彼らの練習への、生徒を預けてくれた保護者への、サッカーへの、許しがたい裏切りだ。新は受話器を握る手に自然と力を入れた。

 

 もしかして、帝国学園は今までもこんなことをしてきたのか? ──あんなに憧れていたのに!

 怒りや失望、様々な感情が混じり、とても平常心ではいられない。握りしめた受話器にヒビが入った。

 

 「報酬は弾みますよ。そちらよりも良い待遇で、貴方のポストも用意します」

 

 「報酬も何もいらない。みんなを裏切るつもりはありません!」

 

 「そうですか。こちらはどうとでも貴方が試合に来られない状況に出来ますから。何もいらないと言っても、まさか命までいらないわけではないでしょう。気は変わりましたか?」

 

 「脅迫か? 帝国との試合には俺たちが勝つ。もちろん俺はその試合を見届ける。テメエらの思い通りにはならない!」

 

 新は乱暴に電話を切った。不愉快な会話が終わったことにほっと一息つく。周りの視線も気にならない。

 

 ──こちらはどうとでも、貴方が試合に来られない状況に出来ますから。

 

 その言葉が新の頭に残る。彼自身が妨害されて、”試合に来られない状況”になるだけなら良い。

 だが大事な人が何かされたら? 特に妊婦の季子が。

 一瞬浮かんだ、試合を放棄してしまおうかという考えを、新は必死に頭からふるい落とした。

 

 暗い考えを振り払おうと帝国の選手の研究に集中する。頭の片隅ではずっと、最悪の想像が繰り返されていた。

 

 

 

 

 

 

 帝国学園との試合は明日だ。新は昨日の電話のせいで、浮かない表情をしていた。

 

 「監督……大丈夫ですか?」

 

 普段の溌剌(はつらつ)とした新を知る教え子は心配する。 

 

 「いやー、相手はあの帝国だぞ? なーんか、お前たちより俺の方が緊張しちまってさ」

 

 悩みを悟られないように、彼らに悪影響がないように誤魔化した。

 

 「監督、あの……ボク、次の試合で全部止めます! シュートが何本同時に来ても止めます。だから安心してください」

 

 正月の言葉に新は思わず笑みを漏らす。

 

 「……そうか、そうだよな。よし、みんな、絶対帝国に勝つぞー!!」

 

 全員揃って、明日への気合を入れた。

 

 

 

 

 

 

 自室。新はベッドへ体を預けた。

 目を(つぶ)った途端に嫌な考えが頭をよぎる。

 電話の男は自分たちに何もしてこないだろうか? 例えば監督不在での不戦勝を狙うのなら、明日の朝、試合直前に仕掛けるのがベストだ。

 

 明日は大事な日だから早く寝ないと。新は良いことを考えようと努めた。

 

 生まれて来る子はどんな子に育つのだろう? 何が好きになるのだろう?

 出来たら男の子が良い。一緒にサッカーを出来るくらいには活発な子が。

 運動神経は自分に似て、それ以外は賢くて美人な季子に似てほしい。

 その逆はやめてほしいと願った。新は馬鹿で、季子は運動音痴だ。

 

 新は未来について考える。これなら悪い考えを紛らすことが出来そうだ。

 

 誕生日には何をあげよう。サッカー以外でいいから、何か好きなものを見つけてほしい。馬鹿でもいいから健康に生まれて来てほしい。

 楽しい未来の妄想は、いつしか新を眠りへ誘った。

 

 「新、新、起きてよ。朝よ」

 

 小柄な女──季子が横たわる夫を容赦なく揺らす。

 

 「んぁ? ぁ、朝?」

 

 「寝ぼけてるの? いつもは、しゃんと起きるのに……。ほーらっ、早く起きないと試合に遅刻するよ。ね、ほら、帝国へのリベンジ果たさなきゃ、でしょ?」

 

 「正直負けても別に良いけどなー。勝たないと死ぬわけでもないし」

 

 「もう、監督なのに闘志燃やさないでどうするのよ!」

 

 自分以上に季子が帝国に勝つことに(こだわ)っている。新は不思議に思った。

 たとえ負けても、みんなが楽しんでサッカー出来ればいいのに。

 

 「あっ、これも持ってって。バスの中ででもみんなで食べてね」

 

 「おう、ありがとう」

 

 季子はリュックいっぱいに入った菓子を渡した。

 

 「行ってらっしゃい。帝国にぎゃふんと言わせてやるのよー! ほら、あんたもお父さんにバイバイして?」

 

 季子はまだ膨らみの目立たない腹を撫でながら優しく言った。新は苦笑いする。

 子供が返事をしてくれたらもちろん嬉しい。だが、妊娠がわかったばかりで、人の形にすらなっていなかったはずだ。

 

 「行ってきます。ぎゃふんと言わせてやるよー! ……バイバイしたか!?」

 

 期待して、新はまだ膨らみのない季子の腹を見た。

 

 「えっ? わかるわけないでしょ」

 

 季子はあっけらかんと言った。

 

 「行ってらっしゃい、新。私もちゃんと見に行くからねー!」

 

 少し軽くなった心で、新は中学校まで歩く。

 朝の冷たい空気が気持ちよい。空は雲1つなく、気温は暑くも寒くもなくちょうどいい。きっとこんな日には良い試合が出来るだろう。

 新は打ち上げに教え子を連れていく店を考える。帰りにでもみんなに訊こう。

 

 不意に、目前に明るい何かを見た。車のヘッドライトだ。随分と大きな車だと思った。トラックだと気づいた。

 気づこうとも、もう遅かった。

 

 「監督ッ────!!!!」

 

 聞き慣れた声だ。しかし、新の頭は働かず、誰が言ったのかわからない。

 

 トラックは新を何度か()いて、バックして再び押し潰すと引きずりながら進む。

 数十メートル進んで、ようやくトラックは新をすり潰すのをやめた。

 スピードを出してトラックは逃げる。トラックが壁に激突して、倒れた電柱で誰かが自分のようになったのを、新は妙に冷静に見ていた。

 

 「古会先生が……」「110番!! 救急車も!!!」「監督は元気だから救急車なんていりません! 目だって開いて」「奥さんに連絡して!!」「生徒は近寄るな!!」

 

 声が聞こえるが意味はわからない。体に感覚がない。目が見開いたまま元に戻らない。

 奇妙な感覚の中で、新は自分に迫る死をハッキリと感じた。

 

 試合は? 部員は? 季子は? 子供は? 俺が居なくなったらどうなるんだ?

 こんなことなら帝国からの提案を受けたフリをして、素知らぬ顔で試合に行けば良かった。

 新は自分の頭が悪いことを悔やんだ。

 

 悔しい、辛い、熱い、痛い、重い、寒い、苦しい。新は心の中で必死に叫ぶ。口はろくに動かない。

 生まれてくる子供の顔すら見れない。新は全てがどうしようもなく悔しかった。

 

 潰れた腹を見て、事故に遭ったのが季子じゃなくて良かったと新は口角を(いびつ)に上げた。

 

 あれ? ……待て、俺の脚、脚は、どこに──。

 そこが無いとみんなにサッカーを教えられない。みんなが褒めてくれるシュートも打てない。重く閉ざされた口を新は執念で開く。

 

 「ぁ……ぉれ、ぁ、し、どこ」

 

 「救急車はまだか!?」「……生徒や野次馬は来ないで!!」

 

 救急車なんかどうでもいい。なあ、アンタ。俺の脚返してくれ。ほら、そこ。目の前に脚があるのに届かないんだ。くっつけてくれれば多分また、先輩たちが褒めてくれたシュート打てるから。

 新は再び口を閉じた。たったあれだけが限界で、話したいことは言えなかった。

 

 指先も眼球すらも動かない。声すら出せない。新に出来るのは、考えることだけだ。

 

 新は考える。どうして俺がこんな目に。

 あのトラックは何度も俺を轢いてきた。まるで、絶対に殺したいかのようだ。

 ──まさか、あの電話の男が……帝国学園が、普通に精一杯やれば勝てる試合で、確実に勝つために俺を殺しにきたのか!? 試合に出られなくするなら、せいぜい監禁で良いじゃないか。

 

 ああ、そうだ。それならきっと俺にもソイツらを同じ目に合わせる権利ぐらいはあるさ。祟ってやる。

 新は死後、悪霊になろうとそれっぽく念を込めた。馬鹿らしいが、彼に出来るのはそれしかなかった。

 

 妻や教え子への愛情より、トラックの運転手や帝国学園への憎しみで必死に意識を保とうとする。そんな自分を客観的に見て、仮に助かろうとも、きっと良い父親にはなれないなと新は思った。

 魂を引き裂かれるような感覚と共に、新はこの世から消えた。

 

 

 

 

 

 

 「おめでとうございます、立派な女の子ですよ!」

 

 「…………新、天国から見てる? 鼻筋が貴方そっくり」

 

 意識が戻る。

 上手く目が開かない。淡い光しか認識出来ない。なぜかと思ったが、新はぼんやりした頭で思考を止めた。

 

 新──生まれたてで目も開ききっていない赤子には認識出来なかったが、その体は助産師に抱き抱えられている。すぐ傍には玉のような汗をかく季子がいた。

 

 自分の娘に生まれ変わった。彼がそれに気付いたのは、新しくこの世に生まれ落ちて1ヶ月もしてからのことだった。




新は享年28歳で、生きていたら円堂が中2の頃には42歳になります。なので新が中学生のころ、帝国学園はFFを10~13連勝。この話の時系列では25連勝です。

ミーティングシーン書いていて思ったのですが、この主人公イナイレ世界の監督にしては言葉が多すぎますね。
次回から転生後の話になります。


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1話 新たな人生

 

 小さな子供がため息をつく。

 子供──(あらた)は娘の人生を塗り潰したことに押し潰されそうになりながら生きていた。

 

 新が死に、娘の(かなえ)として生まれるまで様々なことがあった。それらについて周囲の大人は深く教えてくれなかったが、叶は前世への執念で情報を集めて、断片的なそれを繋ぎ合わせた。

 

 教え子は決勝戦で負け、勝利を監督への(はなむけ)に出来なかった自分たちを恨んでいる。

 それを知り、叶は酷く悔やみ、同時に安心した。誰が代理をしてくれたのか知らないが、監督の自分がいなくても試合に出れたのだ。

 

 新をサッカー部に誘った先輩、先行(さきゆき)は今、上司の鬼瓦(おにがわら)と共に帝国学園の裏側を暴こうとしている。彼らの会話から、帝国学園に潜む巨悪──影山(かげやま)零治(れいじ)の名を聞いて、叶は幼い頭にしっかり刷り込んだ。

 先行が自分の(かたき)を討とうとしてくれていることが、とても嬉しかった。

 けれど、彼は自分のように影山をこの世から追い出したいのではない。心からの謝罪がただ一言欲しいのだと知り、失望した。

 

 元プロサッカー選手・古会(ふるえ)新の死はセンセーショナルに騒がれた。中学時代叶わなかった帝国へのリベンジを、監督として果たす試合の日の、悲運の交通事故。

 マスコミは関係者に対して時間も気持ちも考えずに、カメラとマイクを向けた。

 有名女優のスキャンダルのおかげで、すぐに世間は新に関心を失う。季子(きこ)は夫との思い出を再び踏み荒らされるのを恐れ、逃げるように見知らぬ土地に引っ越して、名字を旧姓へと戻した。

 

 阿里久(ありく)叶。名字は前世の古会から、季子の旧姓の阿里久に。名前は前世と比べて女の子らしく。これが今の新の名前であった。

 叶の1歳の誕生日。季子は名前の意味を説明した。

 何か将来の夢が出来たらそれを成し遂げられるように。また、その夢のために努力出来るような子になってほしい。そう願って季子は名付けたのだ。

 

 それを聞いて、叶の夢は決まった。

 

 前世の自分が死んだ原因。先行と鬼瓦が話していた、あの事故を仕組んだ帝国学園のトップ。影山に自分の最期と同じような苦しさを味わらせてやる。

 叶は深く決心した。

 それだけだった。決心して、されど、泥水を啜り地面を這ってまで成す覚悟はなかった。故に今、日々を無駄に過ごしている。

 

 もう1つ、叶には成し遂げたいことがある。

 本来この体で生きるはずだった自分の娘。彼女にこの体を返し、永遠の眠りにつきたい。

 

 みんなを悲しませた。負けに追い込んだ。娘の体を奪った。それらの罪はきっと、影山を殺せば(あがな)えるものだ。狂った頭で叶は深く信じていた。

 

 「幼稚園、行ってきます」

 

 「行ってらっしゃい。今日もお迎え遅くなっちゃうの、ごめんね」

 

 「へーき。遊んでるから寂しくないよ」

 

 叶は子供らしい口調を心がける。

 季子と先行に、自分は古会新の生まれ変わりだと伝えたことがあった。その時叶に向けられたのは、謝罪の雨。大人の無意識な洗脳による間違った気遣いと思われたのだ。

 

 行ってきますの挨拶は朝練に行くものから、幼稚園に行くものに変わってしまった。

 本来、愛しい娘の顔は鏡でしか見れないものではなかったはずだ。この体にはきちんと娘の精神があり、普通の小さな女の子がいたはずだ。

 本物の叶の存在も、食卓を家族3人で囲むありふれた未来も、潰れてしまった。

 

 幼稚園の送迎バスを待ちながら、叶はまたため息をついた。

 

 「叶ちゃん、おはよう」

 

 「……はよ」

 

 ありもしないもしもを考える時間が叶は嫌いだ。幼なじみへの挨拶に返した声が震えた。

 

 「叶ちゃん? 泣きそうなの?」

 

 「泣いてねえよ。あくび我慢してただけだよ」

 

 「……ふぅん」

 

 艶のある金髪を肩の辺りまで伸ばし、宝玉のように綺麗な赤い目をした、幼さもあり女の子と区別のつかない男の子が叶に声をかけた。

 彼──亜風炉(あふろ)照美(てるみ)を、叶は実の息子、あるいは甥や弟のように思っている。

 叶はバスに乗り、照美の隣に座った。彼が窓側、叶が通路側が定席(じょうせき)だ。

 

 「叶ちゃん、今日は何して遊ぶ?」

 

 「お前は何がいい? 照美の好きなことでいいぞ」

 

 「いつもそうじゃないか。……えっとね、サッカー……シュートをいっぱいやりたい」

 

 「ん。いっぱい教えてやるな」

 

 2人で仲良く話す。3歳のときに出会ったきっかけもサッカーで、毎日サッカーをして遊んでいる。

 照美が教えをスポンジのように吸収するのが、叶にはとても楽しかった。ずっと照美にサッカーを教えて、己の全てを注ぎ込んでやりたい。

 

 その考えとは裏腹に、遅くても小学校高学年くらいで彼と離れたいと叶は考えていた。

 将来、自分に関係する全てと縁を切って、新の死に関わった人間を全員殺す。刑期を終えて罪を償ったら娘に体を返す方法を調べて成仏していなくなる。叶の中の決定事項だ。

 人殺しになる人間。本来はもう死んでいるはずの人間。そんなヤツと照美が、仲良くしていていいわけがないのだ。

 

 「叶ちゃん、手繋いで」

 

 「またかよ……甘えん坊だな……」

 

 でも、今は照美と一緒にいないとダメだ。

 彼は人見知りで叶と離れようとしない。これさえ治ってくれれば、可愛く賢い照美は、あっという間に幼稚園中の人気者だろう。

 叶は人見知りを治すにはどうすれば良いか、上手い案が思い付かず、時間が経てば治るだろうと楽観的に考えた。

 

 それに叶自身、照美といるのが1番楽だ。彼と一緒だと呼吸がしやすい。父親がいないからって変な態度は取らないし、叶の男口調に何も言わない。

 叶にとって照美は甥や息子のようなもの。親が子供に思うように、生きる意味の1つだと思っている。

 

 「叶ちゃん、今日はハンカチとティッシュ、持ってきた?」

 

 照美が聞く。

 叶は手も洗わないし、歯磨きも5秒で済ませる。その(たび)に照美が注意するが、改善は見られない。

 

 「ん、昨日のがあるぞ」

 

 「昨日の……。……今日も叶ちゃんのハンカチ持ってきたから貸してあげるね」

 

 照美はレースの付いた淡いピンクのハンカチを取り出す。

 

 「え? ……う、ん? ありがとう……?」

 

 乾かせば3日は同じので良いのに。口に出したら怒られるから、叶は心の中でだけ言った。

 

 幼稚園に着いた。

 軽い勉強、昼食、外遊び。日替わりで体操や音楽や工作の時間があり、絵本の読み聞かせの後、少し室内遊びをしたら帰る。

 これが幼稚園での日常だ。叶にとって楽しいことは、運動と給食しかない。

 

 昔は勉強の時間も楽しかった。軽い勉強といっても、ひらがなとカタカナ、簡単な計算だけ。だから叶には実質昼寝の時間だった。

 当然先生に咎められたが、既に幼稚園で学ぶ範囲外まで完璧に出来ている以上、彼らも強くは言えない。叶は昼寝の時間を満喫した。周りが勉強している中でするのは至福だった。

 

 それを見た照美は叶が出来る、小学校4年までに習う漢字と2桁同士のかけ算わり算までの算数を1週間で覚えて来て、叶に注意した。

 そこまでされては仕方がない。叶は態度を改めた。そんなこんなで楽しい時間は1つ減ったのだ。

 

 叶は仕返しに、シュート練習を過剰に増やした。嫌がらせは実を結ばず、照美は勉強したご褒美と喜んでいた。

 

 「叶ちゃん、叶ちゃん。約束っ」

 

 「あー、場所あるかなー」

 

 小さい体には少し大きなボールを持って、笑いながら照美が駆け寄る。()けそうで恐ろしく、叶は慌ててボールを取り上げた。

 叶が10回ほど給食をお代わりしていたらすっかり出遅れて、運動場のコートは空いていなかった。

 

 「先行ってて良かったのに」

 

 「でも……ボク1人だとどうせ場所取られちゃうよ」

 

 照美は叶の服を()まみ、か弱く言う。さらさらとした、よく手入れされた金髪が風に(なび)く。叶は(しば)しの間それに見とれた。

 

 「んー、他のヤツに入れてってお願いしに行くか? ほら、お前もそろそろオレ以外と仲良くならないとまずいだろ?」

 

 周りを見る。サッカーコート以外は、走り回っている子もいて少し危ない。

 

 「……別にいい。それに、叶ちゃんだってボク以外の子と仲良くないじゃないか」

 

 「オレはいいんだよ」

 

 「ズルい。自分だけ棚に……えっと、よいしょって上げて」

 

 「おっ、難しい言葉知ってるな~。偉い偉い」

 

 「もう……そういうのやめてよ」

 

 叶は照美の頭をわしゃわしゃと犬相手のように撫で回した。触り心地も良く、子供用シャンプーの良い匂いもして、照美の反応も可愛い。この時間が、叶はたまらなく好きだ。

 くしゃくしゃになった髪を照美は手で整える。

 

 「滑り台でもするか?」

 

 「いーやっ」

 

 「ラッパでも吹くか? ほら、サッカーなら別に帰りでも……。ブランコでもするか?」

 

 「今が良い。今サッカーしたいの」

 

 「絵本読もうぜ。なっ?」

 

 「約束したのに」

 

 「本当頑固だよな……、はあ、頑張ってコートちょっと使わせてもらうか。良いよな?」

 

 「……他の子と一緒なの?」

 

 「かもな」

 

 「ボク、叶ちゃん以外の子と上手く話せないよ……どうしよう」

 

 「大丈夫だって。オレがついてるから」

 

 「……うん」

 

 照美は不安そうに叶のスモッグの(すそ)を強く掴んだ。

 

 「ほら、えっと、絶対貸してもらえるとは限らないけどさ、とりあえず聞いてみよーぜ」

 

 照美はあまり乗り気ではない。しかし場所がなければサッカーは出来ないから、叶は渋る照美を引っ張って、サッカーコートで遊んでいる子との交渉へ行こうとした。

 

 「っ!? 叶ちゃん、危ない……!」

 

 切羽詰まった照美の声。このまま叶の頭に衝突するであろう場所にボールが来ていた。

 サッカーをしていた子が、力を入れたシュートを思い切り外したのだ。ボールを蹴った子は顔を真っ青にしている。

 

 「ダークトルネード……!」

 

 叶は垂直に高く飛び上がり体を(ひね)って頭を下に向ける。重心を変え、やって来たボールにキックを叩きこむ。

 綺麗なカーブを描きながら、漆黒の炎を(まと)うシュートは勢い良くゴールへと突き刺さった。

 

 「叶ちゃん!! 今のジャンプとシュート凄かった!!」

 

 輝いた瞳で照美が言う。叶が彼の頭に優しく手を置くと、照美は不思議そうな顔をした。

 

 「照美、砂払ってやるからちょっとしゃがめ」

 

 「くすぐったいよ、もうちょっとそっとやって」

 

 叶は照美の美しい髪に付いてしまった砂を払う。前世のスポーツマンの成人男性の体と比べても、特に不自由を感じないくらい叶の筋力は強い。だから、割れ物を扱うように優しく触れた。

 照美の押し殺した笑い声。叶がさらに力を抜いてもくすぐったいようで、注意深く力を入れてもくすぐったいらしい。

 

 「もうっ、服は自分でやるから叶ちゃんは触らないでね」

 

 「わかったわかった。あっ、待ってくれ。背中はオレがやってやるよ」

 

 「ありがとう。……取れた?」

 

 「多分」

 

 照美は隅の方で体や髪についた砂を払っている。目に砂が入っていないことに叶は安堵した。

 ほっと息をつき、叶は1拍遅れて照美を追いかけようとする。その間にさっきまでサッカーをしていた子供たちが叶を取り囲み、小さな壁が叶と照美を(へだ)ててしまった。

 

 子供たちに質問攻めにされ、答えていると、昼休みの終わりのチャイムが鳴ってしまった。

 

 「叶ちゃん……。帰りはいつもみたいに公園でサッカー教えてね。約束だよ」

 

 照美は残念そうに言うと、話しかけようとする子をそれとなく追い払う。教室まで歩きながら2人は肩を並べて話す。

 

 「ごめんなー。照美のこと放っといちゃって」

 

 「幼稚園が終わったあと、いっぱい練習してくれたら許すよ。ねえ、今日は夜までずっと遊んで?」

 

 「ダメ。夕方までな」

 

 「……なら、シュートもブロックもドリブルもたくさん教えて」

 

 「おう!」

 

 「そろそろ必殺技も教えてよ」

 

 「お前にゃまだ早い」

 

 叶の言葉に照美は頬を膨らませた。

 照美がお願いすれば叶はどんなテクニックも教えるし、どんな必殺技だって見せる。しかし、必殺技は見せるだけで教えてはくれない。

 

 「別にお前を馬鹿にしてるわけじゃねーぞ。たださ、まだ小さいから怪我したらと思うと怖いんだよ」

 

 「大丈夫だよ。怪我なんてしないよ」

 

 「でもなぁ……なんかあってもオレ、今は責任取れないし」

 

 叶は必殺技を教えることについて迷っていた。

 前世は中学生のころサッカーを始めた。プロを辞めたあとも中学生チームの監督だった。幼児と関わっていないから、幼稚園児でサッカーをしている子の普通がわからないのだ。

 簡単な必殺技ならもう教えてもいいのかもしれない。でも幼いから体に負担がかかるかもしれない。何より照美を怪我させたら責任をとるのは叶ではなく、叶をたった1人で育てている季子だ。

 迷って、叶は現状維持を選んだ。

 

 「小学生になったら教えてやるよ。なっ?」

 

 「……あと2年も待たないといけないの?」

 

 照美はつまらなさそうに言った。2人はこの春に年中になったばかりだ。2年は子供にとって、永遠と思えるほど長い。

 

 「……ほら、今やってる普通のドリブルとかも技の練習みたいなもんだぞ」

 

 「……? そうなの?」

 

 「そうだぞ。普通のも出来ないヤツじゃ、技を上手に使えないだろ? かっこいい必殺技シュートを打てるのに、パスが出来ない選手なんかいねえだろ。基本が大事なんだから、今のうちにしっかり固めないと」

 

 叶は適当に言ったが、照美は納得してくれた。

 

 「絶対に小学生のお兄さんになったら教えてくれる?」

 

 「もちろん」

 

 「絶対に?」

 

 「絶対だよ。はい、約束」

 

 小指と小指を絡める。何とか言いくるめれた。叶はほっと一息ついて、照美が小指を見つめているのが気になった。

 

 「どうした?」

 

 「何でもない。……そろそろ戻らないと、先生に怒られちゃう」

 

 「おっ、そうだな。走っていかねえとまずいな……。照美、教室まで競争しようぜ。オレが勝ったら明日、オレの給食の野菜食ってくれよな」

 

 「半分だけだからね? 今日こそはボクが勝つよ。ボクが勝ったら野菜も全部、毎日しっかり食べてよね」

 

 叶の勝ちだった。いつも自分が勝ったらと取り決めをして競争をし、毎日のように照美の給食の野菜が増える。

 

 「先生も見ていたけど、さっきの叶ちゃんのシュート凄かったわね! 女の子だから、フットボールフロンティアには出られないけど。本当残念ね~」

 

 「…………!」

 

 遅く教室に戻ってきた2人を出迎えた担任の先生は、軽い注意の後に言った。照美がそれに唇を尖らせる。

 彼女に悪意はない。ただ微妙にデリカシーがないだけとわかっているし、自分より精神的には年下なのだ。叶は特に何も思わなかった。

 

 それに叶は前世、文字通り一生分のサッカーをした。

 季子が「叶にはお父さんみたいにサッカーをしてほしくない」と言うなら、あっさりと辞めてしまえる。そしてそのまま、未練はないかもしれない。

 しいて前世の未練を言うなら、叶は帝国学園に勝ってみたかった。結局自分でも勝てなかったし、教え子を勝たせることも出来なかった。

 照美は中学まできっとサッカーを続けるだろう。ならば1番大きな大会のフットボールフロンティアにも出るだろう。

 自分の全てを教え込んでやるのも良いかもしれない。叶は考え、ここまでの期待は重すぎると感じて止めた。

 

 「叶ちゃん?」

 

 意識がどこかに飛んだ叶を心配して、照美は叶の目の前で手を振る。

 

 「大丈夫? 起きてる?」

 

 「大丈夫、ちょっと考えてただけだよ」

 

 「……あのさ、やっぱりさっきの先生が言ってたこと気にしてる?」

 

 「えっ? いや、全く」

 

 「本当?」

 

 「本当だけど……どうしたんだよ急に」

 

 照美は床に視線を落とし黙りこんだ。

 先生の言葉が照美の心に針のように刺さる。

 叶ちゃんが男の子だったら。フットボールフロンティアに女の子も出られたら。あんなことを言う人がいなければ。

 性別も個人の性格もどうしようもないことだ。伝統ある大会のルールがそうそう変わるはずもない。

 叶自身はそのどれもを気にしていないことくらい、照美にはわかっていたけど、それでもどうにかならないかと思わずにいられなかった。

 

 「ま、いいか。早く教室戻るぞ」

 

 「うん。……叶ちゃん、ボクね」

 

 「……? どーした?」

 

 「なんでもないよ」

 

 決められた下らない規則をねじ曲げて、女の子の叶ちゃんを大会に出せるようにしてあげたい。

 そう言おうとして照美は止めた。まだ幼い照美にも、こんなことを言われても叶は困るだろうことはわかった。

 

 「ならいいけど。先生が外から帰ってきたから手ぇ洗えって。オレら急いでて洗ってないから、パッと済ませようぜ」

 

 「うん」

 

 照美の心中なんて想像も出来ずに、叶は照美の手を引いた。

 




自分でも少しこんがらがったので滅茶苦茶簡単な年表です↓
(原作開始から)
42年前…新(主人公前世)誕生
40年前…イナズマイレブンが活躍、(表向きには)円堂大介が死亡
30年前…新が中学生になりサッカーを始める。
15年前…プロローグ。新が死ぬ。
14年前…叶(主人公)誕生。原作開始時中2のキャラが生まれる


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2話 悪縁か良縁か

 

 (かなえ)が三歳になる年。幼稚園に入る一年前の夏の出来事だ。

 ()季子(きこ)と、(あらた)の仏壇に参りに来た先輩の先行(さきゆき)に、自分は新の生まれ変わりなのだと叶は言った。

 

 「…………叶ちゃん、違うんだよ。俺たちは君にそんなことを求めてはいないんだ」

 

 「……ごめんね。私もおじさんも、叶を新の代わりにしようとなんか思ってなかったのに。ごめんね。もうそんなこと言わせないから、お母さんたちを許してね」

 

 聞いて、彼らが感じたのは新と再び会えた喜びなどではない。毎月新の月命日に集まり彼との思い出を、時には涙ぐんで叶に語ったこと。あれは間違いだったのだ。“新”を、意図せず叶へ押し付けてしまった。

 彼らはそれを酷く悔やみ、新についての話を叶にすることも新の試合のビデオを見せることもなくなった。

 

 叶にはそれが不満だった。

 季子たちが新について話すのは、叶にとって自分の前世が確かにあったという証明であった。

 ただ信じてもらえないだけなら、悪い冗談はやめてと怒られるだけならどれほど良かったか。

 叶の言葉は新を(うしな)い嘆き続ける母たちを慰めるための間違えた気遣いだと、二人の無意識な洗脳の結果であると思われてしまったのだから。

 

 自分の言葉が何一つ届かないこと。見たくない季子たちの涙。聞きたくもない謝罪。通夜のような雰囲気。

 裏切られた。二人ならこんなことでも信じてくれる。そう信じて話したのに。

 突飛な話を信じてもらえないのは当然だ。なのに、叶の心は身勝手に季子と先行への怒りを撒き散らすばかり。

 

 叶は全てから逃げ出したかった。補助輪が取れたばかりの自転車のカゴに、今日先行にプレゼントしてもらったサッカーボールを入れると、無我夢中で自転車を漕いだ。

 他の荷物は小銭と先行がくれた小遣いの千円札が入ったポシェットだけだ。

 グルグル回ったり、気が向いたところでUターンしたり。とにかく無茶苦茶に走って、気がつくと叶は知らない場所にいた。心細さを抱えて、先の目通しもないままさらに自転車を漕ぐ。

 隣町かもしれない。はたまた隣の市かもしれない。ひょっとしたら、滅茶苦茶に進んで戻ったりしたからあまり家から遠くないかもしれない。

 

 陰鬱さと心細さと、それから少しの爽快感を抱え、叶は自転車を漕いだ。

 近くに公園がある。公園があるなら近くに自販機でもないだろうか。体力はまだまだ有り余っているけれど、喉が渇いた。叶は自転車を停めた。

 

 「……あの、今日はボクも一緒に、サッカーしていいかな?」

 

 「やだよ、だってお前下手だもん」

 

 「はっ、お前とやるくれーなら、一人でやった方がマシだよなー」

 

 「女みたいな顔だし、女とやればいいんじゃねーの? 女子はサッカーなんてしないけど!」

 

 「してても弱いよな」

 

 「そうそう。女子って、ちょっと虫近づけただけですぐ泣くし」

 

 叶は炭酸のグレープジュースを買って、一気に飲み干した。炭酸が舌の上ではじける。口と喉はさっぱりしたのに、聞こえてくる言葉のせいで少し胸糞悪い。

 

 見ていることがバレないように、叶は目だけを動かしてさりげなく声の方向を見た。

 悪ガキという言葉が似合う三人の少年。彼らに囲まれて涙目の女の子が一人……と叶は思い、骨格からして男の子だと考え直した。

 清らかな川の流れのように(なび)く綺麗な金髪。顔立ちの美しさと、まだ片手の指で足りる年齢の幼さがアンバランスで、しかしそれ故に彼の美を引き立てた。

 彼の周りだけ空気が澄んでいるような錯覚。

 綺麗な物に触れば、きっと、娘の人生を乗っ取ってのうのうと生きているオレも──。

 

 叶は自分に似つかわしくない感情に気付く。自分の甘えを必死に振り払った。

 あのガキども、今はあの子の上に立てていても将来バレンタインのチョコとかで完敗確実じゃん。

 茶化して自分を誤魔化し、叶は公園のベンチに座る。照り付ける太陽を不快に思いながら、ジュースを飲み干す作業に戻った。

 

 「あのチビとかどうよ? カゴにボール乗せてやがるし」

 

 「照美“ちゃん”が無理なら、オレらが声かけて来てやろうか?」

 

 「あれ新品じゃん。あんなチビが使うより、オレたちがもらってあげたほうが良いんじゃねえのー?」

 

 「……! それは泥棒だからダメだよ……!」

 

 「は? もらってあげようとしてやってるんだけど? どこが泥棒だよ」

 

 「勝手に人を悪者にするなよ」

 

 「あんなチビ、大して使わないだろ。どうせすぐ飽きるって。ボールだっていっぱい使ってもらった方が嬉しいだろ」

 

 「……違うもん。ちょっとだけでも大事に使ってもらえる人の方が絶対良いよ」

 

 「は? 何それ。気持ち悪っ」

 

 彼らが自分について話すことに叶は居心地の悪さを感じた。だが、どうせジュースを飲み干すまでだと我慢する。

 出ていくのは逃げるみたいで嫌だと、叶はこの公園でジュースを飲むのに(こだわ)り、なんとなく飲むスピードを落とした。

 

 叶は空のペットボトルを遠くからゴミ箱に投げ入れ、ひょいとベンチから下りる。そのまま小さな足で彼らのところへ駆け寄り、純粋無垢な笑顔を作り出した。叶は普通の女の子らしい話し方を心がける。

 

 「ねえっ、わたしと一緒にサッカーやらない? ほら、ボールもあるし。どう?」

 

 「えっ……?」

 

 叶は金髪の彼の肩を軽く叩いて話しかける。返事も聞かずに、振りほどこうとすれば容易に出来る強さで腕をそっと引っ張った。そわそわと、叶といじめっ子たちを見比べて彼は叶を選んだ。

 

 叶は自分に言い聞かせる。

 季子や先輩が何を言おうが、世界中の人間が信じてくれなくとも、オレは確かに古会(ふるえ)新の生まれ変わりだ。

 だからオレは精神的にはもう立派な大人。いじめられてる子を助けるのは大人の義務みたいなものだ。

 何に言い訳しているのだろう。叶は自分が馬鹿らしくなった。

 

 「ねえっ、名前は? わたしは阿里久(ありく)叶だよ」

 

 「…………照美」

 

 「ははっ、よろしくね。そんなに緊張しないでよ。名字は?」

 

 叶は背伸びして男の子──照美と正面から目を合わせた。握手するために手を差し出す。照美は少しためらいながらも握り返した。

 

 名字を聞かれた照美はなぜか答えるのを躊躇った。まだ小さいから忘れたのかもしれない。そう考え、早くサッカーをしたい叶は握手していた手を離した。

 

 「…………亜風炉(あふろ)

 

 叶は一瞬、単語を名字と認識出来ずに癖毛の酷い自分への悪口じゃないかと思った。

 後ろでいじめっ子がゲラゲラ笑っていて、叶はようやくこれが照美の名字だと理解する。

 続けて叶は照美の髪を見た。肩よりも少し上、さらさらとした綺麗な髪は完璧にアフロヘアーとは対極にある。

 

 叶はこれからの予定を考える。

 まずは照美とサッカーをして、実力を把握したら練習メニューを作る。そして、愛しい季子が生んだ子供をバカにして、先行がくれたボールまで盗ろうとしたこの悪ガキどもをこらしめてやる。ついでに照美が嫌な思いした分も仕返しだ。

 

 「そうなんだっ。照美くん、じゃああっちでサッカーやろっ」

 

 「う、うん…………いいの?」

 

 「もちろん。楽しくサッカーしようね」

 

 「……うん!」

 

 いじめっ子たちは「アイツマジであんなチビとサッカーするって」と笑った。叶は苛立ちに顔をぐしゃぐしゃにしかけて、理性を働かせ照美が安心する笑顔をキープする。

 

 「あのね、…………叶ちゃんって呼んでいい?」

 

 「好きな呼び方で良いぞ」

 

 「えっとね、叶ちゃん、ボクサッカー下手くそで……」

 

 「まだちっちゃいんだから下手なの当たり前だよ! 何が下手なの?」

 

 「ん、と…………パスとドリブルと、シュートと……うぅ……」

 

 「伸び(しろ)がたくさんだね。大丈夫、きっとこれからいっぱい成長出来るよ」

 

 「本当……?」

 

 「本当本当。オレ……あっ! いや、わたしが何でも教えてあげるよ。こう見えても上手いんだよ。一緒に頑張ろう?」

 

 「……っ、うん! 頑張るよ!」

 

 照美は嬉しそうに微笑んだ。

 叶にとって、同年代の子供と関わるのは久しぶりだ。母の季子が連れていった児童館や公園で、叶は子供たちと馴染めなかった。

 同年代の女の子はサッカーをやりたがらず、彼女たちが好む遊びは叶にとってつまらなかった。同年代の男の子は、小さな女の子の叶とスポーツをしたくないようだった。遊んでくれた子も、叶の運動能力が周囲を逸脱しており、遊びのバランスを崩すのだと知ると叶を(けむ)たがった。

 照美もそうだったらと叶の頭によぎる。別にただの暇潰しなのだから、そう傷つく必要もないと叶は自分に言い聞かせた。

 

 叶はまず、簡単に照美の実力を見るためパスの練習を始めた。最初は酷いものだった。

 叶のいる位置から大きくずれたボールを叶は走って取りに行く。ボールを照美の足元にパスして返す。自信なさげに照美が蹴ったボールは、さっき同様叶の元に来なかった。その繰り返しだ。

 

 「ご、ごめん……」

 

 「大丈夫だよ。気にしないよ」

 

 「でも、叶ちゃんは上手なのにボクが足引っ張って……」

 

 「いちいち謝るなよ。照美はこう蹴ってるけど足の甲をこうして、……おう、そうだ。その方が正確に狙えるぞ……狙えるよ」

 

 「……こう?」

 

 弱々しいがボールは正確に叶の足元へ来た。センスがないわけではなさそうだ。叶は安堵する。

 

 「うん、上手い!! じゃあ、次はもっと強く蹴って? そしたら早くパス出来るぞ」

 

 「ぅ……こう?」

 

 威力が強くなった分少し反れてしまったが、さっきまでと比べると断然マシだ。

 数回パスを繰り返す。照美の中で段々調整されていったようで、ボールは叶の足元に少しのズレもなく来るようになった。

 飲み込みが早い。さては才能あるんじゃないだろうか。こんなにすぐに教えたことをものにしてくれると、こっちも楽しくなってくる。

 叶が褒めると照美は嬉しそうにはにかんだ。

 

 「上手い上手い。やっぱお前センスあるぞ。次は、こうして……転がすんじゃなくってちょっと浮かせたパスを……」

 

 叶が手本を見せようとしたところで邪魔が入った。

 

 「アフロの照美ちゃん、女にサッカー教わってるぜ」

 

 「あんなチビの方が上手いなんて、やっぱ糞下手だったんだなー」

 

 「チビも、勘違いして調子に乗るなよー」

 

 「……あぁん? 調子乗ってるのはお前らだろ」

 

 「あー!! ブスが怒ったぞー!!」

 

 「本当だー!! 怒ったっ!! おもしれー!!」

 

 「か、叶ちゃん……あの、叶ちゃんは可愛いから気にしないで……!」

 

 「いやオレが可愛いのなんか当然だろ?」

 

 叶はあっけらかんと言う。体も顔も、本来は自分の娘のものなのだ。自分が可愛いのは叶には──新には親として当たり前のことだ。

 叶は娘を馬鹿にされたことに腹を立て顔に血管を浮き上がらせ、照美には見えないようにいじめっ子たちに向かって全力でメンチを切った。

 怯えたのは三人のいじめっ子の内一人だけ。残り二人は叶を真似するように顔のパーツを過剰に面白おかしく動かして馬鹿にした。

 叶は唾を溜めて公園中に聞こえる舌打ちをする。照美がびくりと肩を震わせた。叶は慌てて謝る。

 

 「悪かったな。……照美、ちょっと確認だけど」

 

 「確認?」

 

 「お前アイツらのことどう思う?」

 

 「え、えっと……、どういうこと?」

 

 「そのままだよ。好きか嫌いかとか、一緒に遊びたいかとか、もう遊びたくないかとかさ」

 

 「………………本当にちょっとだけだけど一緒に遊んでくれたのは感謝してるよ。でもいつも馬鹿にしてくるから、本当は一緒に遊びたくない。……でも……ボクとお友達になってくれる子なんていないから、我慢しないと」

 

 叶は少し驚いた。この歳の子だから、もっと感情的に話すと思ったのだ。

 

 「いやいなくはねーだろ。オレが一緒にサッカーしてんじゃん」

 

 「叶ちゃん……。あのね、男の子の話し方をいつもしているのなら、別に無理して女の子の話し方しなくてもいいよ」

 

 「……本当? 変じゃねぇ?」

 

 「うん。ボクもその……見た目とか名前とか、女の子みたいで変って……」

 

 「いや、照美は普通にカッコいいだろ。名前も良い名前じゃんかよ。……ま、変なの同士でお揃いってこったな。がははっ!」

 

 こんなちびっ子がここまで考えられるとは思わなかった。叶はまた驚いた。

 叶は山賊のように豪快に笑ったあと、幼い顔には似合わない悪どい笑みを浮かべた。

 

 「ところでさ、オレってパス下手だから、ちょーっと失敗しちまうかも」

 

 「えっ? 叶ちゃん、すっごく上手だよ?」

 

 「がははっ……まあ、わたしは下手くそだから失敗したらごめんねー! ってことで」

 

 公園中に聞こえるくらいの大声を出し、叶はもはやシュートといえる威力でパスをした。

 これまで正確に照美の足元に行っていたボールは照美のいる位置を大きくズレ、いじめっ子たちの体の横をギリギリですり抜ける。物凄い威力で彼らの後ろの木にぶつかった。

 木から葉っぱが落ちる雪崩(なだれ)のような音が響く。木は葉を一枚残さず脱がされて、すっかり裸になってしまった。

 いじめっ子たちはヒッと息を漏らした。少し違ったらあれに当たっていたのは自分たちだ。

 怪我はさせていないのだ。前世の責任ある立場の大人ならいけないが、善悪の区別のつかない年頃の今であればギリギリ許されるだろうと叶は楽観的に考えた。

 叶がボールを拾いに行くと、いじめっ子たちは彼女をチラチラ見ながら話す。

 

 「なあ、あのチビ……ママが言ってた変な家の子だよ」

 

 「変な家?」

 

 「うんうん。なんかパパがいないし、ママが変な仕事してるんだって」

 

 「へぇー、パパいないんだ。可哀想ー!」

 

 「でも羨ましくない? パパいなかったらあんまり怒られないよ。ズルいよなー」

 

 「わかるわかる。ママのが慣れるから、怖くないもんな」

 

 「……しかも、たまに家に変な男の人が来るとか、ママ言ってた」

 

 小さな声で距離も離れていたが、叶の優れた聴覚はそれを無視させてくれなかった。

 阿里久家が母子家庭であること。母は朝から夜まで働きづめの──彼らから見て可哀想な家なのに、金銭的には恵まれていること。自分の子供より、可哀想な家の子供の叶が利口であること。叶たちが、彼らが勝手に決めた母子家庭像から外れた、小綺麗な格好をしていること。

 これらの要素から一部の人間によって、勝手な噂が出来た。

 まともな人間は彼女たちの話を鵜呑(うの)みにしなかったけど、叶は噂を作った彼女たちが許せなかった。当然その子供も、叶にとっては同罪だ。

 

 当然、季子は変な仕事などしていない。普通の会社で朝から夜まで叶のために働いてくれている。時々来る変な男の人は、後輩が遺した叶を心配してよく来てくれる先行で、決して汚らわしいようなことはない。

 

 「あっ! なんだっけ? ママが、パパがいない子は汚い家の子だから関わっちゃダメだってー!」

 

 叶は怒りに身を震わせた。

 死にたくて死んだわけじゃない。もっと生きていたかった。

 もう限界だ。叶は本格的に痛い目を見せてやろうと飛び上がる。

 

 「彗星シュート……!!」

 

 星の煌めきと共に尾を伸ばすシュート。

 それを叶は当たらないように──彼らが少しでも動けば当たるようにして蹴った。

 やろうとすれば骨折だってさせられるんだからこの程度なのを感謝しろ。叶は心の中で吐き捨てる。

 

 「照美ー! 悪かったな!  ……で、浮かせるパスをするときは足首と足の甲をこうやって……」

 

 照美と叶たちには距離があり、いじめっ子たちが叶の家の根も葉もない悪い噂を言ったことは聞こえていないようだった。

 

 「……叶ちゃん、あっち…………」

 

 「んあ?」

 

 照美はいじめっ子たちの方を指差す。彼らは全力で走り公園から出ていった。

 

 「追い出しちゃったよね? ごめんね、ボクの代わりにやり返してくれたんだよね……?」

 

 「あんなヤツらを気にしてやるなんて、照美は優しいなー。馬鹿にされたから、オレのプライドのためにやり返しただけだよ。ちゃーんと警告はしたもん。お前もこれからはちゃんとやり返せよー」

 

 「う、うん……。でもあれ、もしも当たってたら」

 

 「ん、アイツらが本当にオレより上手かったら大丈夫だぞ。打ち返すなりブロックするなりで防げる」

 

 「でもあの子たち、叶ちゃんより上手くないよ?」

 

 「んじゃあこんなチビにやられるアイツらが悪い。自分らが馬鹿にしたやつにやられんの、普通にどーなの?」

 

 照美は苦笑いした。

 叶たちは静かになった公園でサッカーをした。主に叶が照美に教えてやり、飲み込みが早い照美は夕陽が射すころには簡単なパスとドリブルを完璧に出来るようになった。

 叶が教えたことが上手く出来るとそのたびに照美は喜んだ。その様子が凄く愛らしく、叶は自分の子供にでもするようにたくさん褒めた。

 

 「照美は凄いなー。もうこんなに出来るようになった。ご褒美にジュースでもいるか?」

 

 「えへへ……叶ちゃんがいっぱい教えてくれたからだよ。ジュース……いいの?」

 

 「いいぞ。好きなの選べ」

 

 「ありがとう。じゃあ……これにする」

 

 「ん。わかった」

 

 さっき叶が買ったものと同じ、炭酸のグレーブジュースを照美は選ぶ。

 

 「ありがとう! ……同じ年の子とこんなに楽しく遊べたのは久しぶりだなぁ。ねえ、また色々教えてくれるよね?」

 

 「おう、もちろん……だ」 

 

 次はもっと難しいテクニックやドリブルも教えてやると、叶は無責任に約束する。

 約束したあとに、そもそもここがどこかわからない、二時間ほど自転車で無茶苦茶に走っていたから次会うことがないかもしれない、と叶はようやく思い当たった。

 冷や汗を垂らし、誤魔化すために「次はカッコいいシュートも教えてやるぞー!」と、これまた無責任に叶は言った。

 

 「照美と遊んでくれたの? ありがとう。幼稚園もまだだし、引っ越してきたばかりだから、あまりこの辺りの子と馴染めないみたいで……良いお友達が出来たみたいで良かったわ」

 

 「お母さん! やめて、恥ずかしいってば!」

 

 髪質、髪色、目元、目の色。どれもに照美との遺伝子の繋がりを感じる、モデルのように綺麗な体型をした金髪の美しい女性が叶に笑いかけた。

 照美が今日こんなに楽しかったよ、と子供らしく話すのを照美の母は嬉しそうに聞いている。

 

 「ふふっ、そんなに楽しかったのねぇ。もう暗いから叶ちゃんも帰った方が良いと思うけど……お家はどこかしら?」

 

 「……! 叶ちゃん、お家近いの?」

 

 二人の質問に答えるべく、そして何よりも重要な問題を解決するべく、叶は口を開いた。

 

 「…………迷子で、あの、電話貸してもらえませんか?」

 

 それから叶は照美の家で電話を借りて、母の季子に今いる場所と迎えに来てほしい(むね)を伝えた。

 照美の家は窓から公園の様子が見えるくらいに近かった。通りで小さい子を一人で遊ばせていたわけだと叶は納得する。

 呑気に照美の母から出されたおやつを食べていた叶は心配そうな顔で迎えに来た季子を見て、幼い子供が親の許可も得ずに何時間も外にいたことの重大さにやっと気づいた。

 

 母親同士が話す間、照美に「また遊んでくれる?」と何度もしつこく聞かれ、まだ互いの家の距離もわからないのに叶は頷いてしまった。

 

 「叶、お友達出来て良かったね。近所だから毎日遊べるわよ。ほら、バイバイして」

 

 「え、近いの?」

 

 「近いの? じゃないでしょ。照美くんにバイバイは?」

 

 「やったぁ! 叶ちゃん、バイバイ。また明日遊ぼうね」

 

 「……おう、またな。……また今日くらいの時間に来るわ」

 

 「本当? 楽しみにしてるね!」

 

 帰り道を親子並んで歩く。叶は自転車を押して季子と歩幅を合わせて歩いた。

 公園と照美の家は、叶の家から歩いて十五分程度の距離だ。自転車ならもっと短いだろう。どうやってここまで二時間もかかったのか、叶は心底不思議に思った。

 

 この日から叶と照美の二人が遊ぶのは当たり前のことになった。公園でのサッカー以外にも互いの母も一緒に遊園地に出掛けたり、互いの家に泊まったりして二人は仲を深めた。

 叶が追い払ったいじめっ子たちは何度かちょっかいを出してきたが、叶が何度か追い払うと近寄って来なくなり、叶たちは平和に遊ぶことが出来た。

 

 いつしか叶は照美を自分の息子のように思うようになり、照美は叶を親友だと思うようになった。




正直イナイレ世界って、超能力者幽霊催眠術宇宙人天使悪魔河童、なんでもありなんだから転生くらい信じてもらっても良いんじゃないかな感はありますが、そこは二人の頭が固いということで。
叶は一応精神的には大人のはずですが、肉体や周囲からの扱いに引っ張られてちょっとずつ幼児退行しています。


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3話 クラブチーム入部試験①

スカウトキャラ数人登場です。


 

 今日は(かなえ)たちが通う小学校の入学式だ。

 入学式用のフォーマルな桜色のブレザーとレースのついた可愛らしい黒のスカートが、叶には妙に恥ずかしい。

 

 照美は緊張して叶の手を握って離さない。それを互いの母が、本当に仲が良いのねぇと微笑ましそうに見ている。

 「クラスが違ったらどうしよう?」と照美はしつこいくらいに聞いた。「違っても毎日会えるだろ」と叶は面倒臭く思いながら答えた。

 

 「小学校ってどんな感じ?」

 

 「昼寝がなくなる。デザートが減る。遊びの時間とかが減る。勉強が増える」

 

 「叶、そういうのばかり言わないの」

 

 「ふふっ、一年生は確か五月に遠足があるし、もうちょっと大きくなったら授業でサッカーもするわよ」

 

 「……! ほんと?」

 

 母の言葉を聞いて、照美は嬉しそうにした。

 

 「じゃあ叶、また後でね。お母さんたちは体育館にいるから」

 

 「照美、お母さん気合い入れてビデオ撮るからね~」

 

 親子は別れ、親は入学式の行われる体育館へ。子供は教師に名前を言い、伝えられた教室に行った。

 

 「ボクも叶ちゃんも二組だから……よかった、今年も一緒だね!」

 

 「おう。よかったな」

 

 二人は同時に教室に入り座席表を確認して着席する。残念ながら叶と照美は前後の席ではなく、間に一人挟まっていた。

 

 叶は周りを見る。

 子供たちはみんな、緊張した顔で背中を真っ直ぐ伸ばし両手をきっちり膝に付けていた。座席表以外何もない黒板を真面目に見つめている。

 あくびしたり、照美と話したら悪目立ちするから、つまらないのを堪えて叶もみんなの真似をした。

 教師の話が終わり雰囲気が少し緩くなると、照美は早速叶の席に来た。

 

 「叶ちゃん、入学式楽しみだね」

 

 「えー……? どこが? 大人の長話聞くだけだぞ」

 

 「でも楽しみだよ。やっと小学生のお兄さんになれたんだよ?」

 

 照美は「早く大人になりたいな」と、叶には理解しがたいことを言っていた。叶はずっと子供のままでいたい。

 

 入学式は長話を聞くだけ。ホームルームの時間もしばらくの間はプリントを受け取るだけ。叶はとても退屈だった。

 面白かったのはその後の自己紹介だ。なんと、クラスの約半分が自分の好きなものはサッカーと答えたのだ。

 最近の子はこんな風なのか。趣味が同じ子が多いのなら照美も馴染みやすそうだ。叶は少し安心した。

 また、叶にとって嬉しいことはもう一つあった。

 照美と叶の間の席の子。緑がかった短い茶髪で、背が小さい男の子が照美に話しかけてくれたのだ。

 

 「オレ、阿保露(あぽろ)(ひかる)。よろしく。……えっと、照美だっけ? サッカー好きなんだよね?」

 

 「……うん」

 

 照美が叶の方を一瞬見た。どうやって話せばよいか困っているようだ。助けてやりたい気持ちを我慢して、叶は照美と阿保露の様子を見守った。

 

 「──へえ、そうなんだ。照美は必殺技って使えるの?」

 

 「ううん。早く使えるようになりたいけど……」

 

 「だよなぁ。必殺技って憧れるけど……全然出来ないもん。照美のポジションってどこ?」

 

 「フォワードかミッドフィルダーをやってみたいけど……まだハッキリと決まってはいないかな。光くんは?」

 

 「オレはディフェンダー。チームのヤツとかはチビだから向いてないとか言ってきたけど……オレ、まあまあ上手いと思うよ」

 

 「チーム?」

 

 「うん。サッカーのクラブチームに去年から入ってて──」

 

 会話は弾んでいるようだ。叶は安心して、自分に話しかけてきた子と適当に話す。変に思われないように叶は普通の女の子のように振る舞った。

 

 「じゃあね、光くん」

 

 「うん。また明日」

 

 二人の会話が一段落した。叶も話を切り上げる。少し仲を深めた様子の二人に、叶は机の下で小さくガッツポーズを決めた。

 

 「叶ちゃん、帰ろう」

 

 「うん。……照美、友達出来て良かったな。良い子そうじゃねぇか。あの子と帰ってみたらどうだ?」

 

 「お母さんみたいなこと言うね……。……今日は光くん、もう行っちゃったからいいや。叶ちゃんはお友達出来た?」

 

 「ちょっと話せる子なら」

 

 照美がこれからの小学校生活への期待を話すのを叶が聞きながら、二人は帰り道を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 入学式から少し経った日、叶は「一緒に光くんが入ってるチームの見学に行こう」と照美に誘われた。

 

 「お金はあまりかからないみたいだし、しっかりしたところだって聞いたよ」

 

 「光くん……? ああ、あの小せえのか」

 

 「……それ、光くんに言わないでよ? 叶ちゃんだって大して変わらないじゃないか」

 

 「オレはこれから大きくなるからいーの。170……いや、180センチは行くぞ」

 

 「えー……? 叶ちゃんのお母さんもあんなにちっちゃいのに伸びるかなぁ? あのね叶ちゃん。大きくなるにはね、ご飯が大事なんだよ? ちゃんと好き嫌いせずに食べないと」

 

 目的地に着くまで「いつも牛乳くれるけど、ボク、あんなにいらないよ」「それにボク、そんなにピーマンとかトマトとか好きじゃないんだけど」と、幼稚園三年間、叶の野菜を押し付けられた鬱憤(うっぷん)を少しでも晴らすように照美は言った。

 

 「照美の成長を願って、野菜をいっぱい食ってほしいと思ってあげてるんだ」

 

 「ふぅん。ボクの方が背が高いから、これからは叶ちゃんの成長を願って、しっかり叶ちゃんに野菜食べさせてあげるね」

 

 「ひぇ……! あ! でもオレはデザートもお前にやってたから、そんなら照美もオレにくれねーとな!」

 

 「デザート? 野菜を全部食べるなら、いくらでもあげるよ」

 

 「……さすがに子供からおやつとらねーぞ。なんでオレが野菜食うのにこだわるんだ……?」

 

 好き嫌いではなく、この体の子供舌だとやたら酸味や苦味が(つら)く感じるのだ。叶は心の中で言い訳した。事実、前世はブラックコーヒーだって平気で飲めた。

 

 「阿保露が言ってた見学の子だね。保護者の方は一緒じゃないのかな?」

 

 「えっと……今日はわたしたちだけで来ちゃって……いないと見学出来ませんか?」

 

 「いや、大丈夫だよ。学校の名前と、お家の電話番号はわかるかな? 万が一のときのために、この用紙に書いてほしいんだけど……」

 

 「わかります」

 

 クラブのコーチは大学を卒業したばかりくらいの年の人だ。叶から見ると、精神的には十歳ほど年下である。

 ジャージも似合い、香水でも使っているのか、さっぱりとした良い匂いを(まと)っている好青年。なのに髪型だけが鳥の巣をモヒカンにしたようでおかしい。

 

 「女の子は珍しいなあ。今、他に女の子いないけど大丈夫かな?」

 

 「全然大丈夫です……えっ、一人もいないんですか?」

 

 「うん」

 

 叶は練習風景を眺める。

 葉っぱのカチューシャを着けた、どこか照美に似た雰囲気の銀髪のボブヘアーの子。桃色の髪をドリルのようなツインテールにした、キラキラ輝く目が特徴的な子。長い銀髪をポニーテールに結んだ、黄色と赤のオッドアイの子。

 一見女子に見える彼らが、全員男なのかと叶は困惑する。

 

 「………………」

 

 照美を見て、そういえばコイツも女っぽい見た目だったと叶は久しぶりに思う。最近は髪を長く伸ばしたり、アクセサリーを付ける男の子が昔より増えているようだ。

 古い人間にはなりたくないから、時代についていかなくては。そう思いつつ、叶は男にお洒落って必要ねえだろと相反することを考えていた。

 

 「わあー! 見て見て、みんな凄いよ!」

 

 「オレのが凄い」

 

 「叶ちゃん……」

 

 練習風景を見て目を輝かせる照美。叶が食い気味に答えると照美は呆れた顔をした。

 

 「あの、入会テストとかってありますか?」

 

 「あるよ。簡単なものだけどね」

 

 「叶ちゃっ、落ちたらどうしよ……」

 

 照美が潤んだ瞳で叶の服の袖を掴んだ。

 

 「ははっ、基本的なことが出来れば大丈夫さ。それで、二人はどのポジション希望かな? それによってちょっとテストの内容も変わるんだけど……」

 

 「出来たらフォワード、でもキーパー以外ならどこでも」

 

 「わっ、強気だね。キミは?」

 

 「えぇっと、ミッドフィルダーかフォワードです」

 

 コーチはメモをすると顔を上げて言う。

 

 「じゃあ早速今からテスト受けてく?」

 

 「はい。……照美、良いか?」

 

 今日は雰囲気を見る程度のつもりだった叶は面食らった。だが、早く出来るのならそれに越したことはないだろう。

 

 「うん。ちょっと緊張するけど……」

 

 「大丈夫だよ。落ちる方が珍しいから」

 

 コーチは安心させるように言った。照美は小さく、「珍しい方になったらどうしよう」と呟いた。

 アシスト出来るものなら、自分だけ落ちても照美に後から怒られても、照美が合格出来るようにしてやろう。叶はどんな試験か身構えた。

 

 二人でパスを数分間。ドリブルしながら三角コーンの間を三往復。無人のゴールにシュートを数回。

 叶には全く歯応えのない簡単なテストだった。本当に基本的なことが出来るかを見るだけらしい。

 叶がダークトルネードを打つと、この年で必殺シュートが出来るなんてとコーチに褒められた。中身が大人だから子供らしく照れたり出来ず、叶は少し申し訳なく感じた。

 そして、前世の経験を活かして褒められたことに、叶は罪悪感を感じた。普通の子にはないものだから、これはただのズルなのではないか? だからといって使えるものを使わないのも、それはそれで不誠実だ。

 叶はどうすればいいかわからなくなって、とりあえず周りの実力を見てから、このチームの平均くらいの力でセーブしようと決めた。

 

 「……二人とも合格だ! これからよろしくね」

 

 「本当ですか? やったーっ! 叶ちゃん、合格だって!」

 

 「良かったな、照美」

 

 叶は照美の頭を撫でる。照美はいつもは恥ずかしそうにして嫌がるが、今日はよほど嬉しかったのか大人しく叶に撫でられた。

 叶は調子に乗り、わしゃわしゃと照美の髪を乱し続ける。照美に不満げな表情で見つめられ、叶はようやく手を離した。

 

 「楽しそうなところ悪いんだけど……ポジションの適正や協調性を見るために、今から軽いサッカーバトルをしてほしいんだ」

 

 「……今のってぬか喜びでした?」

 

 「違うよ。ここで合格取り消しは……そうだなぁ、よほどラフプレーでもしないと無いよ。声かけや連携を見たいだけだ。勝ち負けは評価に影響しないから、気楽にやってね」

 

 「だってよ」

 

 髪の乱れを直すのに夢中の照美に叶は言った。

 

 「ちゃんと話聞いてたよ。あまり子供扱いしないで」

 

 「オレから見るとまだまだ子供なんだけどな~」

 

 「あんまりお姉ちゃんぶらないで。叶ちゃんの方が小さいのに。誕生日も叶ちゃんの方が後でしょ」

 

 小さい癖によく口が回るようになったもんだ。感心。叶は照美の成長を喜ぶ。

 

 誕生日と聞いて叶は自分と照美の誕生日はいつだったかと考える。多分一月から十二月のどこかだ。

 去年は冬に近い秋、一昨年は夏の終わりに照美の誕生日を祝ったから、今年もそれくらいに祝えばいいだろう。叶は照美の誕生日が五月であることを忘れていた。

 

 「こっちから見て右のコートが二人のチームだよ」

 

 叶はコートを見る。

 同じチームには、照美の友達の阿保露と、銀髪で葉っぱのカチューシャをした子がいた。

 

 「照美、来てくれたんだ! ……ねえ、ソイツ本当に強いの? オレより小さいよ?」

 

 「叶ちゃんは本当に強いんだよ! もういくつか必殺技も使えるんだ」

 

 「ぉ……わたしは強いし、お前の方が小さいぞ」

 

 「こらっ! 叶ちゃん、そういうこと言っちゃダメって言ったじゃないか」

 

 「へぇ……? お前の方がチビじゃん。前の身体測定で何センチだった?」

 

 「…………九十センチ……」

 

 叶は少し盛って伝えた。

 

 「ハッ、オレの勝ちだな!」

 

 「ぐぬぬ……」

 

 「二人ともせっかくだから仲良く……」

 

 叶は不満そうに唇を(とが)らせた。

 同じクラスの三人が話していて、黙っていた銀髪の少年が口を開く。

 

 「……話してもいいかな? ボクは紫電(しでん)(かい)。ゴールキーパーをやっているよ。自慢だけどこれまで失点したことがないんだ。よろしくね」

 

 「知ってると思うけどオレは阿保露光。ディフェンダーな」

 

 「ボクは亜風炉照美。ポジションは……出来ればミッドフィルダーかフォワードが良いかな」

 

 「阿里久(ありく)叶。キーパー以外ならどこでも。一番出来るのはフォワード」

 

 軽い作戦会議。叶はフォワード、照美はミッドフィルダーをすることと、叶と照美が軸になって点を取ることが決まった。

 

 「ま、照美が上手いのは知ってるし……チビのせいで点取られないといいけどなー」

 

 「お前らの出番なんかねえから安心しろよ。何ならディフェンス手伝ってやろうか?」

 

 「ちょっと叶ちゃん。あまりそういうこと言わないで」

 

 「まあ万が一のときはボクが止めるから大丈夫だよ。彼らのシュート程度なら余裕さ」

 

 叶たちが雑談をしていると相手チームの子が照美に話しかけた。照美と、彼に着いていった阿保露が離れていく。

 

 「ねえ、叶さん。無理はしないでね。怪我をされても困るからさ」

 

 「ん……? わかった」

 

 紫電に言われて叶は適当に返した。

 

 「あははっ、叶さんはこんなに小さいから、タックルの一つでもされたら折れてしまいそうだからさ。キミは女の子なんだからあまり無理はしないでくれよ。ここ以外にだっていくらでも、サッカーできるところはあるんだからさ」

 

 「…………おう」

 

 「わかってくれたのなら良いけど。ボクに迷惑はかけないでほしいな」

 

 要するに、華奢(きゃしゃ)で女の子なんだからどうせ弱いのだろう、自分の足を引っ張るなとと遠回しにに言っているのだ。

 叶は本当に善意の忠告かもしれないと思い、苛つきを抑えた。相手は子供だ。怒っても意味がない。

 もしも照美の見た目や叶の家のことを馬鹿にされたら? 叶は考える。そのときは一発殴ったり蹴ったり、あることないこと撒き散らしたりしても許されるだろう。




スカウトキャラおよび叶以外のオリキャラは特に話に深くは関わってこない予定です。


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4話 クラブチーム入部試験②

 

 

 「ねえねえ、この子が(かなえ)ちゃん?」

 

 星の髪飾りで桃色の髪を二つに結んだ少年が、小走りで叶のところに来た。叶が肯定すると、彼は遠慮なく叶と紫電(しでん)の間に割って入る。

 

 「ボクは綺羅光(きらびかり)門彦(かどひこ)だよー! よろしくっ! キラレアって呼んでね!」

 

 「話を邪魔したようで悪いね。ボクは芙愛(ふあい)瑠宇(るう)。ファイルと呼んでくれ」

 

 長い銀髪のポニーテールの少年が続けた。綺羅光は明るい雰囲気の子供らしく可愛い態度の子。反対に芙愛は涼しげな雰囲気で落ち着いた子だ。

 コーチが叶以外に女の子はいないと言わなければ、叶は中性的な見た目の彼らを女子だと思って接していただろう。

 二人は随分と個性的な呼び方を好むんだなと叶は思った。前世もこういうヤツはいたが、普通に名字か名前じゃダメなのだろうか。

 

 「……ニックネーム? って、このチームじゃ普通なのか?」

 

 「ううん、ボクたちがこう呼んでほしいだけだよ」

 

 「“ふあい”も“るう”も、少し間抜けな響きでな……気にしすぎなのはわかっているのだけど……」

 

 「だからボクからファイルに提案したんだ! お揃いなの! カードモチーフだよ! 素敵でしょ!」

 

 よくわからないが、前世も今もありふれた名前の自分が口出しすることではないだろう。変な返事をしないように叶は適当に流した。

 

 「叶ちゃん! ボクたちもあんな感じの呼び方──」

 

 「普通に下の名前でいいだろ。今まで通りで」

 

 言い終わる前に否定された照美はジトッとした視線を叶に向けると、むぅと頬を膨らませて無言で抗議した。膨らんだ頬を手でパチンと潰してやりたい衝動が叶を襲う。

 

 「あー……まあ、仲良い感はあるよな。……てーくんとか、るーくんとか、みーくんとかでいいか?」

 

 「るーくんはファイルと紛らわしいからナシで!」

 

 「そうじゃないよ……」

 

 照美が落ち込んでいる理由が叶にはわからない。とりあえず、叶はよしよしと照美の背中を撫でた。

 

 「……アイツらカードモチーフとか言ってたっけ? 今度図書館でも行ってそんな感じのネタ探すか? 花とか虫とか」

 

 「一緒にお出かけ?」

 

 「おう」

 

 「本当? やったぁ。楽しみにしてるね」

 

 図書館。叶には前世縁の無かった場所だ。サッカー雑誌のバックナンバーは先輩の先行(さきゆき)が持っていたし、ビデオの再生も学校の視聴覚室で出来た。

 

 「ちょっといいか? 新しい子だよね? あれ……? 女の子ってどっち?」

 

 ラーメン屋の店主が着けるようなバンダナ帽子を被った男の子だ。羊の毛のようにモフモフした髪が肩の辺りまで垂れている。

 彼を見て、叶はスープの表面に油膜が張った味のくどいラーメンが恋しくなった。

 

 「…………この子だよ」

 

 機嫌が悪そうに照美は言った。

 

 「ごめん、悪気はなかったんだよ。ごめん! 見た目も名前も、両方有りそうだったし、うちって女っぽい子が多いし……本当ごめん!」

 

 彼は今にも土下座しそうな勢いで頭を下げた。照美が困った顔をする。

 

 「大丈夫だからそんなに謝らないで! 悪気はなかったんだし気にしてないよ……ね、叶ちゃん」

 

 「オレの見た目ってそんなに男っぽいか?」

 

 「ううん。話し方や表情が男の子みたいだからそう思ったのかな?」

 

 「表情? どんな感じ?」

 

 「勝ち気な感じかな。ボクは自信がありそうでカッコいいと思う」

 

 「ん、ならいっか」

 

 二人は照美の見た目を全く考慮しなかった。

 

 「あっ! ボクは恩田(おんだ)心太郎(しんたろう)。ディフェンダー。あんまり強くないんだ。多分レギュラーで一番下手くそ。お手柔らかによろしく」

 

 「ん。よろしく」

 

 「こっちが阿里久(ありく)叶ちゃんで、ボクが亜風炉照美だよ」

 

 「亜風炉ちゃ……あっ、照美くんと阿里久ちゃん、これからよろしくな!」

 

 悪意からわざと性別を間違えてからかったのではないし、照美への呼び方にも気を使えるようだ。悪いヤツではなさそうだなと叶は安心する。

 

 「お前も。試合前に自己紹介する流れだろ」

 

 「うわあ! もう、やめてよ。今調整中で……」

 

 「グローブなんかいくら触っててもなあ……」

 

 「わかったわかった! 行くから! 背中押さないで! 転んじゃうよ!」

 

 恩田に連れられ、眼鏡をかけた弱気な少年が叶たちのところへ来た。

 

 「その……ボクは裁原(さいばら)正義(まさよし)です。一応キーパーです……控えなんだけどね」

 

 「紫電に何かあったらお前が最後の砦だからな! ボクらのうち誰も出来ない特別な役目だ!」

 

 「紫電くんが怪我することとかないでしょ……あの人、ボクと違って全部止めれるのに」

 

 自分を励ました恩田にどこか冷ややかな視線を向けて、裁原はボソボソと話した。

 

 「あれは紫電が上手すぎるんだって。お前が普通なんだから、そんなに気にするなよ。っと……茶髪の方が阿里久叶ちゃんで、金髪の方が亜風炉照美くんだぞ」

 

 「………………うん。あ、あの、……阿里久さんと亜風炉くん、これからよろしくね」

 

 「おう、よろしく」

 

 「よろしくね。亜風炉くんはやめてほしいな」

 

 「えっ、わっ、うん、ごめん……」

 

 内気な子だ。叶は前世の教え子にも似たような子がいたのを思い出す。

 存在は思い出せたのに、彼の名前も姿すらも思い出せなかった。叶はショックを受け顔を青ざめる。

 (あらた)だったころの思い出を、叶は今も前世も付き合いがある近しい身内とのことしか覚えていない。

 それに該当する人物は叶の母であり新の妻の季子(きこ)と、今では両親の知り合いのおじさんで、前世は新をサッカーに誘ってくれた先輩の先行(さきゆき)の二人しかいない。叶にはかつての教え子もチームメイトも、誰一人記憶にないのだ。

 

 新が死んでから六年が経った。中学生だった教え子たちもそろそろ成人だ。健康で、まともな学校や会社に入って普通の人生を送ってくれるのならそれだけで良い。大事だったはずの彼らが余計な苦労をしていないことを叶は願った。

 

 「……叶ちゃん? ……起きてる?」

 

 「え ? あ、ごめん。ちょっと考え事」

 

 「叶ちゃんも緊張してるの?」

 

 「かもなー」

 

 叶は自分の子供のように大事な少年を見た。変なことに巻き込まれないで生きていてほしい。いや、照美の周りの怪しいヤツを自分が全部駆除すればいいのだ。

 熱のこもった視線で叶は照美を見続ける。

 

 「……ねえ、いくら叶ちゃんでも、そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど……」

 

 「……ん、(わり)ぃ。照美はかっこいいなあって」

 

 叶は適当に誤魔化した。

 

 「……! お母さんたちはボクのこと可愛いって言うけど……叶ちゃん、絵や歌は下手くそだけど、見る目はあるね! ねえっ、ボクが一番だよね?」

 

 「一番…………? うーん、まあ……そうだな」

 

 容姿を褒められるのに慣れている照美が、顔を赤らめて妙に嬉しそうにするのを叶は不思議に思った。

 

 「そろそろ始めるって。そうだな……各ポジションが一人ずつだから……こういうフォーメーションはどうかな?」

 

 「うん。頑張ろうね、叶ちゃん」

 

 「まっ、気楽に行けよ。オレがついてるし、ちょっと失敗してもすぐカバーしてやる」

 

 「……凄く失敗したら?」

 

 「赤ちゃんみたいに抱っこして、元気でるまで慰めてやるよ」

 

 「ここで?」

 

 「おう」

 

 「それは恥ずかしいなあ。大きい失敗はしないように頑張るよ」

 

 照美はクスクスと笑った。

 

 照美と話しながら叶は今の幼い体の自分が使っていて、不自然でないがある程度強く、悪目立ちしない技を考える。

 やはり彗星シュートやダークトルネードが無難だろうか。これらより強い技は、もっと骨や筋肉が成長してからでないと使えない。

 叶が試しに、前世は普通に出来た究極奥義である最大火力のシュートを打ってみたときだ。脚は生まれたばかりの小鹿のように震え、嘔吐と激しい動悸(どうき)があった。実戦ではとても使えない。

 前世の自分はこれっぽっちのことでこんなことにならなかった。叶は納得した。季子と先行に、自分は新の生まれ変わりなのだと言っても信じてもらえないはずだ。

 きっと必殺技さえ全て取り戻せば、見た目も声も何もかも違っても元通りに戻れるはずなのだ。そうでなければいけない。

 叶は深く信じ込み、あまりに論理的ではない考えにすがり付いた。

 

 基本的には体に反動のある技は使わず、負けそうになったら吐き気も動悸も我慢して本気で行こうと叶は決めた。

 敗北からも色々学べるし、もう一度あの吐き気や痛みを味わうのは怖い。だが、それ以上に叶は、初めての試合で照美が負けて悲しむのを見たくなかった。

 

 「十五分間で点を多く取った方が勝ち。危険なプレイは絶対するなよ。ボールはそっちから」

 

 コーチはボールを叶たちの方に投げる。叶はリフティングの要領で受け止めた。

 

 「キックオフってオレからお前で良いか?」

 

 「……うん。ドリブル、上手く出来なかったら叶ちゃんお願いね」

 

 「任せとけ! ま、お前なら大丈夫だよ」

 

 辺りは一気に静かになり、自分の呼吸音が叶には妙に大きく聞こえた。

 ホイッスルの音が響く。試合が始まった。

 

 

  

 

 

 

 「照美ぃ!」

 

 「……っ!」

 

 キックオフ。ボールは叶から照美に渡る。

 照美は順調にドリブルを続ける。鳥のように軽快な動きで芙愛と綺羅光を抜いた。心配して損したと叶は心の中でぼやく。

 

 「わあっ、抜かされちゃった……」

 

 「……少し気を抜きすぎていたね。気合いを入れないと」

 

 「気を付けないとねー。でも、ここでわかったの、むしろラッキー? しっかり警戒しよー!」

 

 「そうだね。早い内にわかってよかった」

 

 叶は芙愛たちをマークしに向かう。

 

 「照美! コイツらはオレが押さえとくから、お前は遠慮なくゴールしていいからな!」

 

 「うん! 任せて!」

 

 二対一にも関わらず、綺羅光と芙愛の動きを完璧に抑えながら叶は言う。照美の頼もしい返事に成長を感じて、叶は胸をほっこりさせた。

 

 「……ボクもまだ居るんだけどなぁ」

 

 苦笑いして恩田がスライディングする。照美はあっさりと避けて、手際よくゴールの前まで向かった。

 

 「悪い、裁原!」

 

 「わわっ!? うぅ……、止めてやる!」

 

 裁原は慌てながら両手を胸の前で構えた。

 

 「…………はぁっ!!」

 

 「必殺技っ!? ……あれっ、違う?  ……くっ、強いっ!!」

 

 照美に絵画の天使のような真白の後光(ごこう)が射す。背中にとりわけ眩しい白い光が集まり、羽根のような形になると霧散した。

 照美は空中でボールを蹴るとふわりと着地する。眩しいオーラを淡く纏うシュートがゴールに向かった。

 何度か叶が見たことのある、照美曰くまだ未完成の必殺シュートだ。

 入学式の少し後、小学生になった祝いに叶が必殺技について軽く教えたその日に、照美はこの技を編み出した。

 

 止めようとする裁原だったが、未完成ながらも照美のシュートは強く、呆気なくシュートはゴールに入った。

 

 「叶ちゃん、見て! 入ったよ!!」

 

 「ちゃんと見てたっての……。おう、凄いぞ。偉い偉い。さすが照美だな!」

 

 「本当?」

 

 照美はあどけない笑みを浮かべた。

 

 「本当だって! へへっ、照美は凄いもんなー、いい子いい子ー!」

 

 「ちょ、ちょっと叶ちゃん人前でそれはやめてよ……もう……」

 

 叶に髪を乱され、照美は困ったように笑った。やめてとは言うものの、本気で嫌がっているわけではない。叶が手を離すと、照美は犬や猫のように「なんで止めるの?」と言いたげな顔で叶を見つめた。

 

 「……止められなかった……すみません……」

 

 「まだ一点だよっ。大丈夫! 頑張ろっ!」

 

 「十分逆転出来るよ。そう気を落とさないでくれ」

 

 「けっこー簡単に抜かされちまったけどな……」

 

 「弱音吐かない! 大丈夫大丈夫、オレがいるもん!」

 

 芙愛と綺羅光に励まされ、裁原は安心したように小さく笑った。

 

 「照美、あんなに上手かったんだ」

 

 「えっ……そう、かな?」

 

 「凄かったよ。このままじゃボクらの出番は無いかも」

 

 「……本当に凄かった?」

 

 「凄いよ。だって、うちのチーム必殺技使える子ってちょっとだけだもん」

 

 「その中の一人が(わたくし)、紫電(かい)だとも。それにしても照美くんのプレイは綺麗だったね。体操……バレエ……舞……上手く例えられないけど、とにかく綺麗だった」

 

 「えへへ……ありがとう……」

 

 阿保露(あぽろ)と紫電に褒められて、照美は照れた顔を隠すために俯いた。顔は隠せたが、髪の間から真っ赤になった耳が見える。

 

 「わかるー!! そうっ、綺麗だったよねー!!」

 

 「敵ながら見とれそうだった。シュートももちろんだが、特に地面に着地したときにふわりとなびく髪が……。ファイリングしてずっと取っておきたいくらいだよ」

 

 「シュートもなんていうか……その……大迫力っていうか、……あれ完成したら誰も止められないんじゃ……」

 

 「ま、待って! うう…………恥ずかしいよ」

 

 褒められて照美はさらに恥ずかしそうにした。

 その様子を誇りに思いながら、叶はいまいち紫電や芙愛の例えがわからず不思議に感じた。

 

 「阿里久ちゃん、ボク、芸術とかわからねえから話についていけないわ。ボクの知ってる言葉が追いつかねえや。下手な言葉で言うとダメなものだと思う」

 

 「わかる。あんまり照美相手に綺麗とか綺麗じゃないとか思わないよな」

 

 叶は照美を初めて見たとき、その澄んだ美しさに心を奪われた。しかし叶のうろ覚えの(ことわざ)によると、美人もブスも三日で慣れるし飽きるものだ。

 まして叶と照美は三年以上の付き合いで、元々彼女は人の美醜(びしゅう)に執着するタイプでもないから、照美が容姿も仕草も群を抜いて美しい少年だということを叶はすっかり忘れていた。

 

 恩田は叶の返事に「えっ……?」と声を漏らす。叶とは違い、美人の照美の卓逸したプレーを評価することを尻込みする彼からすれば、叶の答えは全く理解出来なかった。

 

 「──でもね、叶ちゃんはもっと凄いんだよ!」

 

 「そうなの? あんまり運動出来そうに見えないけど……さっきの凄かったもんね!」

 

 「そういえば……コーチの試験のときに彼女、必殺技を使っていたよ」

 

 「え!? ほんとー!? 何技?」

 

 「話すのは後で! そろそろ試合再開するぞー!」

 

 運動出来そうに見えないと言われて、叶は舐められてたまるかとやる気になる。

 見せ場は照美に任せ、自分は協調性がないと思われない程度に動いていようと叶は考えていた。だが、ここらで自分の実力を見せないと、チームで唯一の女の子で背も一番小さな叶は見くびられてしまうだろう。

 

 「ファイルー! こっちっ!」

 

 「ああ! っ!? すまないっ!」

 

 綺羅光から芙愛にパス。叶がパスカットし、そのままセンターサークルでシュートの体勢になる。

 

 「叶さん、ゴールから離れすぎではないかい? あれでは入るものも入らないよ」

 

 「ううん、叶ちゃんはあれでいいんだよ」

 

 「……ダークトル……。やーめた、彗星シュート!!」

 

 どれくらい強く打っていいのか悩んで、叶は弱い方にした。

 彗星シュートにしては蹴る位置が高く、星と漆黒の炎が混ざったシュートがゴールに向かう。

 子供らしく手加減したつもりだが、怪我をさせないか叶は心配だった。

 

 「……っ────!!」

 

 裁原は歯を食い縛りながらボールを止めようと力む。ボールは彼の手の中で勢いよく回転を続け、胸にぶち当たるとネットに入った。

 

 ふと、叶の表情が消え失せる。

 あまりにもあっさり入った。つまらない。もう少し手加減するべきだったか? もうちょっと遠く──それこそ、紫電のいるゴール前からで良かったかもしれない。

 ──本当にそんなことしていいのか? それは、みんなに対してあまりにも不誠実ではないの

か。

 

 「……」

 

 裁原は四つん這いになり、グローブを外した手で地面を殴り付けていた。その様子を見て叶の胸が痛む。彼に悔しさを与えたのは他でもない叶だ。なのに、叶はシュートを決めた者が通常感じるはずの喜びすら抱いていない。

 喜びどころか、子供の積み木を意図せず壊してしまったような罪悪感が叶にはあった。

 

 「叶ちゃん。凄かったよ!!」

 

 照美が近寄ってくるのを確認して、叶は意識的に口角を上げた。ハイタッチして照美は言う。

 

 「でも、さっきのシュートはもうちょっと近くでも良かった気がする……それに、ダークトルネードのままで良かったような……」

 

 「えっと、……判断ミス? でも点入れたんだしいいだろ。結果オーライだ」

 

 「うーん、そうだね……」

 

 照美と話しながら叶は考える。

 コイツらが子供でオレは大人なのは本当だ。大人は大人と真剣勝負するものであって、サッカーでもオセロでも何でも、子供相手なら普通は手加減するもんだろ?

 それでいいはずだ。これからはもうちょっと、勝負になるように考えなくては。

 結局、叶は(おご)りを自覚しなかった。

 

 試合が再開した。芙愛と綺羅光が連携のとれたパス回しで攻め込む。

 照美が奪おうとするが、阿吽の呼吸で動く綺羅光たちの動きに翻弄(ほんろう)されて上手くいかなかった。

 叶は加勢する。スライディング。失敗。体勢を立て直してタックル。綺羅光の持っていたボールが、裁原のいるゴールの方へ勢いよく転がっていく。

 転がってきたボールを裁原がキャッチし、恩田、芙愛とパスを繋げた。

 

 「……やあぁっ!!!」

 

 叶はスライディングでボールを奪い、芙愛がゴールに向かうのを止めた。

 ここからどうしようか叶は迷う。残り時間は僅か。ドリブルして時間を潰してもいいし、もう一点取ってもいいだろう。

 けれど既に二点差をつけて勝っている。子供に対して、これ以上は可哀想ではないか?

 

 「叶ちゃん!!」

 

 照美の無邪気な声。ただ名前を呼ばれただけだが、叶には彼の言いたいことがハッキリとわかった。

 期待に応えなくてはならない。叶の頭から薄汚い考えが消える。

 

 「デスソード……っ!」

 

 シュートを打ち、叶は「あっ」と声を出す。やり過ぎた。

 裁原が近づく間もなくシュートは決まった。ゴールに入ったシュートはネットに突き刺さりながら、未だに回転を続ける。

 叶にはきちんと入ったかの確認もいらない。入るのが当然なのだ。だから叶はボールも見ずに、シュートを打つとゴールに背を向けて照美とハイタッチした。

 

 ホイッスルの音が鳴った。試合終了だ。

 

 「ここまでとは……。ドリブルの技なら使えるのに……。やはり自分たちは攻撃面に欠けるな……」

 

 「負けちゃったのは悔しいけど、こんな強い子たちと一緒なの、これから楽しみだねー!」

 

 落ち込む芙愛とは反対に、綺羅光はポジティブに言った。

 

 勝利にはしゃぐ照美を叶は適当に褒める。

 叶が頭に手を伸ばすと、照美は頭を叶の方に傾けた。彼の髪は叶の知るもので一番触り心地が良く、叶はすっかり病み付きになっていた。

 

 「……まあ、意外と強かったじゃん」

 

 阿保露が言った。

 

 「へっ、オレが本気出せばもっとすげえんだからな」

 

 「むぅ……じゃあ本気出してよ」

 

 「……ボクも同感だけど、まあ、力をセーブしておいた方が格下に混じる分には楽しめるだろうね」

 

 「…………? どうして? 本気出せた方が楽しいと思うよ」

 

 叶の言葉に阿保露が頬を膨らませ、紫電の言葉に照美が首をかしげた。

 

 「阿里久も亜風炉も文句無しで合格だ! ちょっと待っててな……これが今後一ヶ月のスケジュールと連絡先」

 

 「ありがとうございます」

 

 叶はコーチから貰ったプリントを、ぐしゃぐしゃにしてトートバッグにしまった。照美から予備に持ってきたクリアファイルを叶は貰う。

 

 「普通予備のなんてあるか? お前、心配性だよなぁ……昔からハンカチティッシュとか消しゴムとか、使わねえのに髪ゴムとか。いつも予備の持ってきてるし」

 

 「全部叶ちゃんのためのものだよ」

 

 「……?」

 

 細々(こまごま)としたものを叶はよく忘れる。そのため、照美は予備と言って叶用に様々なものを持ってきているのだが、叶は「服で拭けばいいじゃん」や「袖で鼻噛めばいいだろ」とほざいて、照美の思いやりを理解しなかった。

 

 「照美! っと、阿里久も。一緒に帰らない?」

 

 阿保露が叶たちに声をかける。

 

 「うん。……叶ちゃんもいいよね?」

 

 「お前がいいならいいぞ」

 

 照美を真ん中にして三人は歩く。叶は車道側を歩いた。

 サッカーや宿題、学校のこと。小学生がするありふれた会話をしながら、叶たちは帰った。





以下、この小説内でのスカウトキャラ達の簡単な設定です。長いので興味のない方は飛ばしてください



・紫電 戒(しでん かい)
GK。銀髪おかっぱに葉っぱのカチューシャ。無印1~3のスカウトキャラ。
文武両道の天才で、自分の敵はいないと思っている。少し調子に乗りやすく、調子に乗ると一人称がボクから私(わたくし)になる。アフロディとは特に血の繋がりがあるわけではない。

・阿保露 光(あぽろ ひかる/アポロン)
DF。世宇子の背が低い子。
勝つためなら普段の態度や可愛い見た目から一転、危ないプレイも容赦なくする。
アフロディとは仲が良いが、別に阿里久とは仲良しではない。

・綺羅光 門彦(きらびかり かどひこ/キラレア)
MF。無印3のTCG連携キャラ。
幸運で、見たらその日はラッキーと言われるほど。芙愛とは同じ小学校。チームのムードメーカーで、彼がいるといないとでは雰囲気の良さや士気が違う。

・芙愛 瑠宇(ふあい るう/ファイル)
MF。無印2~3のTCG連携隠しキャラ。オッドアイで長い銀髪を下の方でまとめている。
きっちりとした性格で、物をしっかり分類しないと気がすまない。綺羅光とは同じ小学校。綺麗な花や蝶を捕まえては押し花や標本にしてファイリングする癖がある。

・裁原 正義(さいばら まさよし)
GK。無印1~3のスカウトキャラ。
曲がったことが嫌いな性格だが、人見知りと内気さが災いして間違いに異を唱えることが出来ない自分がコンプレックス。それを直すためにチームワークが必要なサッカーを始めた。恩田とは同じ小学校。

・恩田 心太郎(おんだ しんたろう)
DF。無印1~3のスカウトキャラ。
気配りが上手い。特に女の子に対して気配りがうまく、ホワイトデーには量も質も10倍にして返してドン引きされる。
阿里久達が来る前は、綺羅光→芙愛→紫電の順で勝手に女と思って接して撃沈していた。裁原とは同じ小学校。


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5話 約束

長いです



 

 日曜日の朝。(かなえ)微睡(まどろ)んでいると玄関ベルが鳴った。

 

 「は~い……」

 

 目を(こす)りながらドアを開ける。照美が立っていた。

 

 「照美? おはよ……?」

 

 「この時間に叶ちゃんの家に行くって約束したのに忘れてたの? ……もしかして今起きた?」

 

 図星だった。兄貴分である自分の威厳が危ういと叶は答えなかった。

 しかし叶の顔に“今起きました”と書いてあり、照美にはバレていた。

 

 「別にゆっくり準備してて良いけどさ。叶ちゃんのお母さんは?」

 

 「朝から夜まで仕事、最近ずっとだ」

 

 「……大変だね」

 

 叶は照美をリビングのソファーに座らせ、よく冷えた林檎(りんご)ジュースを出す。

 食パンが焼けるのを待つ間に叶は牛乳を(そそ)ぐ。バターをレンジで溶かし、食パンの上に満遍なく行き渡らせた。

 

 トーストを咥えて叶はぼんやり考える。

 今は母の季子(きこ)は仕事ばかりで叶との時間が少ない。もっと一緒にいたいと叶は考え、これじゃあただの子供の考えだと自分を恥じた。

 最近ますます自分が子供になっていて、大人の部分が消えていくようで恐ろしい。

 

 「暇だろ? テレビ見て良いぞ。それとも何か食うか?」

 

 「お昼が食べられなくなりそうだからいらないよ。ありがとう」

  

 叶は待たせないようにトーストを牛乳で慌てて流し込む。

 

 「……叶ちゃん、喉に詰まっちゃうよ」

 

 「ふんふふん、むが、ふんがっふ、ふむふんむんふ」

 

 「はいはい、ゆっくり食べてね。三十回は噛もうって習ったじゃないか」

 

 「むが……ぷはぁ、やっと飲み込めた……! んんっ!! そーだな。苦しいしゆっくり食べるわ」

 

 叶は牛乳を飲み苦しさを和らげた。

 

 「ごめんなー、人が食べてるの見たら腹減らねぇか? クッキーいる?」

 

 「なら、少しだけ貰おうかな。今日の予定はわかってる?」

 

 「さすがに人のこと見くびりすぎだろ。図書館行って、なんか食べて、近くの店見るんだよな」

 

 「図書館に行く目的は覚えてる?」

 

 「なんか、あれ、……待ってくれ、喉元までは出てきてるんだ」

 

 叶が唸って思い出そうとするのを、照美は微笑んで見ていた。

 

 「宿題? あっ、サッカーの雑誌見るんだっけ?」

 

 「時間があれば見たいけど外れ。もう少し考える?」

 

 「待ってくれ、何か……本見るんだよな」

 

 「図書館行くんだから当然だよね? わからない?」

 

 「もうひょっと待っへふれ」

 

 叶は二枚目のトーストを食べながら考える。

 

 「はい、時間切れ。ほら、ファイルくんたちみたいなニックネームを考えたいって言ったじゃないか」

 

 「あー、なんか、花とか虫とかの本見るんだっけか」

 

 「うん、別に絶対にそれらじゃなくても良いんだけど」

 

 「これが良いっての、今のところあるのか?」

 

 「うーん、星とか? 出来たらボクの名前とかが入っていればいいけど、あるかな」

 

 「オレその辺詳しくないからなー。よし、食い終わったぞ。あと五分待っててくれ。歯ぁ磨いてくる」

 

 叶は歯の表面をさっと磨き水だけで顔を洗う。寝癖も直さずにポニーテールにし、シャツとハーフパンツに着替え、鞄に財布だけを放り入れた。

 

 「もう行けるぞ」

 

 「叶ちゃん、寝癖」

 

 「オレは寝癖じゃない。良いだろこんくらい」

 

 「ダメだよ。(くし)と寝癖直しはどこ?」

 

 「櫛はこれ」

 

 叶はプラスチック製の安い櫛を照美に渡した。

 

 「寝癖直しは?」

 

 「んなもん(うち)にない」

 

 照美は困った顔をした。

 普段の叶は少し外に跳ねたポニーテールだが、今はまるで髪を束ねた獅子舞だ。

 

 「叶ちゃん、こっちおいで」

 

 「……? わかった」

 

 叶は照美の膝の上に座り、「あっ!」と声を出した。

 

 「どうしたの?」

 

 「照美の膝に悪いかもしんねぇ。オレの膝に座れよ」

 

 「叶ちゃんの髪を直してあげるためだから、それだと意味がないでしょ?」

 

 「オレはこのままでいいぞ」

 

 「ダメ。ちょっと酷いこと言うけど、そのままだと一緒のボクが恥ずかしいの」

 

 「ハァー、しょうがねぇな。わかったぞ」

 

 叶は照美が人の格好にうるさいことに、照美は叶があまりにも自分の姿に無頓着なことに、それぞれよく似た呆れ顔を浮かべた。

 

 「あー……絡まっちゃってる。痛かったら言ってね」

 

 「おう……っいてて! 痛いって! 照美ー、聞こえてるか?」

 

 「今集中してるから……」

 

 「やめてくれねぇのかよ」

 

 「叶ちゃん、いつもどうしてるの?」

 

 「母ちゃんがやってくれてる。多分みんなそうだろ」

 

 「叶ちゃんのお母さんも大変だなぁ」

 

 櫛が異音を立てる頻度が少なくなった。照美は滑らかに叶の焦げ茶の髪を()かす。何度か頭を撫でられ、叶は恍惚と照美の手に頭をすり付けた。

 

 「終わったよ。あれ? 叶ちゃん? ……寝てる? 起きてってば! ……起きたかい?」

 

 叶は心地よさに眠っていた。半分眠ったまま、照美に手を引かれバス停に向かい、隣同士の席に座った。

 

 「好きなだけ寝てて良いけど、着いたらちゃんと起きてね」

 

 「……ん!? もうバスか!? オレ家の鍵閉めたか!? 電気は? バスのお金払ったか?」

 

 「やってたよ。ボクもちゃんと確認したもん」

 

 「よし、半分寝ててもやってた。さすがオレ。ふぁぁ……」

 

 「まだ眠い? ボクの肩にもたれても良いよ」

 

 「や、重いだろ。照美に悪いし、お前こそ眠かったらオレの肩使えよ。景色見たいか? 窓側変わるか?」

 

 「ううん、大丈夫。それに、そこの方が叶ちゃんも寝れるからね」

 

 「んじゃ、降りますボタン押すか? 照美小さいし押したいだろ。何が楽しいのかオレ大人だからわかんないけど」

 

 「押さない。背だって叶ちゃんの方が小さいし、誕生日だってボクより遅いじゃないか。子供扱いしないでよ」

 

 「だって子供じゃん」

 

 喜ぶと思って提案したのだが、照美の機嫌を損ねてしまった。

 叶は大人で照美は子供。これが叶の常識だから、照美が機嫌を悪くする理由がわからなかった。

 

 「ほら、なんと言うかさ、オレと照美ならお前が弟みたいなもんかなって」

 

 「え? ボクの方がしっかりしてるし、叶ちゃんが妹じゃない?」

 

 「はいはい照美兄貴」

 

 「それはちょっと嫌かも」

 

 「んじゃ、照美兄ちゃん」

 

 「悪い気はしないけど、やっぱり叶ちゃんとは親友がいいなあ」

 

 「親友?」

 

 「うん。面と向かって言うのは恥ずかしいけど、一番の友達なんだからそうだよね? ……ね?」

 

 「……おー、あー、そうだな。オレと照美は親友だな」

 

 「本当に? 目を合わせて言ってよ」

 

 「恥ずかしいからやだよ」

 

 話している内に図書館に着いた。

 

 「叶ちゃん、子供向けの本はこっちだって」

 

 「じゃあオレは場所取りしてるわ。鞄も見とくし置いてけ」

 

 「うん、わかった。ありがとう」

 

 叶は適当に漫画を持って席をとった。

 

 「叶ちゃん。これが花言葉で、こっちは宝石言葉? だって。残りのは星座と神話だって」

 

 「いっぱい持って来たなー」

 

 照美は頭が隠れるくらい本を積み上げて持って来た。怪我しないか不安になり、叶は慌てて本を取り上げた。

 さすがに全てはここで読みきれないだろう。叶は照美の持ってきた本を数える。十四冊。貸し出しは一人七冊二週間までだ。二人で分ければ何とか借りられる。

 

 「とりあえず軽く見て、要らねえのと借りたいのに分けとけよ。オレはこれ読み終わったら手伝うから」

 

 「うーん、全部持ち帰ってゆっくり読みたいなぁ。叶ちゃんは気になるのある?」

 

 「いいや。今ベーコン神剣バトルが盛り上がってるとこだから」

 

 「それ、どんな漫画なの?」

 

 「正統派で硬派なバトル漫画だ」

 

 「……そうなんだ」

 

 照美と一緒に叶は図書館のカードを作りに行く。彼が借りられる分を越えた本を叶が借りて、ここでの用事は終わった。

 ロッカーに本を入れて歩く。途中、初老の男が読む新聞が叶たちの目に入った。

 

 “王者・帝国学園今年も優勝か!? 32連覇なるか”

 

 「っ…………」

 

 叶は反射的に目を背けた。

 昔は素直に強くて凄いと思えていた。帝国の選手の努力だって尊敬していた。叶──(あらた)の憧れだった。

 今はもう、汚れた勝利とどうせ工作で勝つ無駄な努力としか叶は思えない。

 そんな認識しか出来ない自分も、そんな認識をさせる帝国学園の裏側も、そんな学校に育てられた帝国学園の選手たちも、叶は全て大嫌いだ。

 

 「わあっ、帝国学園って凄く強いんだね!」

 

 「……おう、そだな」

 

 叶は普通の声を絞り出した。

 

 「叶ちゃん、パン屋さんはこっちだって」

 

 焼きたてのパンの匂いが食欲を煽る。

 お洒落な雰囲気の店内に入り、店員に案内されて二人は席に着いた。

 

 「ボクはこれにしようかな。叶ちゃんはどうする?」

 

 「うわ……すげえな」

 

 レタスやチーズなどを黄金色のトーストで挟んだ、分厚い三つのサンドイッチ。さらにサラダとスープ、ドリンクと季節のデザートまで付いている。

 

 「食い切れるか?」

 

 「大丈夫」

 

 「ん……ならオレはカツサンドにすっか。照美、呼び出しベル押したいか?」

 

 「別に押したいわけじゃないけど、ボクの方が近いからね」

 

 注文するとすぐにドリンクが届いた。叶はメロンソーダで照美はグレープジュースだ。

 続けて他の料理が届く。

 サラダにはオレンジ色の人参ドレッシングがかかっている。おぞましい。野菜嫌いの叶はサラダの皿を端に避けた。

 スープは野菜たっぷりのコンソメスープ。叶はサラダとスープを照美に押し付けた。

 

 「オレのカツサンドのカツ、一個……の半分やるからー!」

 

 「取らないよ。ねえ、半分だけ頑張ろう?」

 

 「……わかった」

 

 照美は器用な箸使いで、叶のスープとサラダを半分持っていく。彼の天使の微笑みは、叶にはまるで処刑宣告のように思えた。

 

 いただきますと元気に言い、叶はカツサンドを頬張る。上手い。サクサクで甘みのある衣。中の肉は程よく柔らかい。噛むごとに旨味の詰まった肉汁が口中に溢れた。

 カツを挟むトーストは黄金色に焼き目のついた抜群の焼き加減だ。外はサクっと、中はふんわりとして叶の味覚を存分に楽しませた。朝、叶が焦がしたトーストとは雲泥の差だ。

 叶は口元に弧を描き、だらしなく目を細めた。

 

 「照美? そんなにこっち見てどーした? カツはやらないぞ?」

 

 「取らないよ。おいしそうに食べるなぁって思って」

 

 「ふーん」

 

 叶は野菜たっぷりのスープを飲む。顔を思い切りしかめる叶を見て、照美は思わず笑ってしまった。

 

 「叶ちゃん、さっきの人が読んでた新聞で……」

 

 叶はメロンソーダを一口飲む。

 照美が将来は帝国学園に行きたいと言ったらどうしよう。心配でたまらない。

 

 「帝国すげぇよな、あんなに連勝なんだろ尊敬するわ」

 

 叶は冷めた目をして、棒読みで言った。本人は普通に話せていると思っている。

 

 「うん、凄いよね。ねえ、叶ちゃん」

 

 「何だよ」

 

 「中学生になっても、ボクと友達でいてくれる?」

 

 「お前まだ小学校入ったばっかだぞ。気が早い」

 

 将来人殺しになるんだから照美とは徐々に離れようと、叶は考えていた。

 照美にはもう友達もいる。人見知りも少なくなった。もう叶が面倒を見る必要はない。

 

 「ん、そうだな。中学校の間くらいまではずっと一緒にいてやる」

 

 でも、これで良いだろう。叶は柔らかく笑った。

 

 そもそも、叶にはサッカー以外何もないのだ。

 影山に近づく手段を考える知恵もない。帝国学園に入学する学力もない。嫌いな人間に近づくため勉強を頑張ったり出来ない。優れた人間が集まる帝国学園で浮かない振る舞いも出来ない。

 サッカーなら出来るけど、叶にはフットボールフロンティアで必要な性別がない。なら、照美に教えるのを続けて才能を活かしたい。

 

 それに、復讐を考えて生きるより、前向きに生きる方が良いと叶も薄々気付いていた。

 もちろん影山は憎い。けど、会ったことも顔を見たこともないから、普通に生きる分には大丈夫だ。

 叶は思う。

 

 人を恨み続けて生きるのは疲れる。名前しか知らないのなら尚更(なおさら)

 テレビや新聞で帝国学園の字が出ても我慢。帝国出身の選手が出ても我慢。そうやって生きていけば、きっと普通に暮らせるはずだ。

 

 叶はストローを噛み潰した。そんな人生は嫌だ。

 

 「本当? あのね、叶ちゃん。お願いなんだけど……」

 

 「どうした? オレに出来ることなら何でもすんぞ」

 

 叶は照美が話し出すのを待つ。可愛い弟分の言うことならなんだって聞いてやりたい。何でも叶は迷わずに聞いてやるつもりだ。

 

 「ボクが、フットボールフロンティアで優勝出来るように鍛えてほしいんだ」

 

 「良いけど。そんなのでいいの? オレじゃなくても、コーチとかいるじゃん」

 

 「だって、叶ちゃんが良いもん。教える上手さ、コーチとそんなに変わらないし……学校の先生やお母さんたちは、サッカーについてあまり知らないから」

 

 「そうか。……そういえば、どこの中学行きたいか決まってんの?」

 

 「うーん、そうだな……さっき見た帝国学園──」

 

 叶はひゅっと息を飲んだ。

 顔が白くなる。照美に帝国のあんな汚れた勝利を味合わせてはダメだ。違う。照美の人生なんだから、勝手な感情で足を引っ張るな。

 なのに、叶は感情を制御出来なかった。体が震え、心臓が鼓動を早める。

 

 震える手が持っていたコップを落とし、メロンソーダが小さな水溜まりをテーブルとサラダの器の底に作った。メロンソーダと人参ドレッシングが混ざり、濁った灰色になる。

 

 「叶ちゃん!? 大丈夫?」

 

 「大丈夫だよ。続き話せよ」

 

 「……帝国学園とかも素敵だと思うけど、やっぱり、まだ決めるには早すぎるよね。叶ちゃんはどう思う?」

 

 「帝国って勉強もキツいらしいし、あと、女子マネの入部禁止って聞いた。女の子とそんなに話せないかもだぞ? サッカーと勉強だけしたいなら良いかもな。彼女は作れないだろうけど」

 

 「それこそ考えるのが早すぎるよ! 他のところ……うーん、まだあまり中学校のことわからないや。やっぱりサッカーも出来て、頭も悪くないところがいいかなぁ。あっ、もちろん叶ちゃんとずっと一緒にいれるところが良い」

 

 「まあ、まだまだ時間はあるしな。ゆっくり決めればいいだろ。まだ小一だし」

 

 「そうだね。叶ちゃん、顔色悪いけど平気? 震えてるけど……」

 

 「……この店冷房強いんじゃねえの?」

 

 「最近急に暑くなったからね。でも室内は寒いから、体調に気を付けないと。……今日は羽織るもの持ってきていないや。店員さん、毛布でも貸してくれないかなぁ?」

 

 「そこまで寒くないから心配すんなよ」

 

 良かった。照美があんなところに行きたいと言い出さなくて、本当に良かった。叶は初めて自分を殺した天に感謝した。

 叶はおしぼりで、テーブルに出来た小さな水溜まりを拭く。

 

 「ねえ、叶ちゃんは帝国学園のこと嫌い?」

 

 「え、……何だよ急に」

 

 「だって話に出るといつも……。ううん、何でもない」

 

 普段は元気な叶が、時折思い詰めたような顔をするのを照美は知っていた。

 叶がそうなるのは話に中学サッカーの王者、帝国学園の名が出たときだ。

 幼馴染で親友だから、照美は叶に悩みがあるなら力になりたい。でも絶対はぐらかされてしまう。

 

 「ボク、将来絶対に帝国学園も倒して優勝するから、叶ちゃん、絶対見ててね」

 

 「そうかよ。ならオレは、お前がそうなれるようにしっかり鍛えあげてやるからな」

 

 「うん、約束だよ」

 

 「……おうよ」

 

 照美はまだ子供だから叶の悩みはわからない。でも、もし帝国学園に何か嫌な思い出があるのなら、彼らを倒せば叶は喜んでくれるのではないかと考えた。

 自分が育てた選手が帝国学園を倒すのは叶にとって、今は忘れた本望だ。

 絶対約束を守ってやろう。優勝出来るように鍛えてやろう。決心し、まだ小一なのに早すぎると叶は苦笑いした。

 

 「指切りでもすっか?」

 

 「しようか。約束だよ、忘れないでよ?」

 

 「はいはい」

 

 小指を出して指切り。二人は何だか照れてしまった。

 叶は慌ててスープを飲み干して羞恥心を誤魔化す。スープが無くなって、メロンソーダ味の不味いサラダを食べ終わったころには、なんとか平常心に戻れた。

 

 「照美、デザート呼んでくれ」

 

 「うん」

 

 小さい指で照美が呼び出しベルを鳴らす。

 

 「季節のデザートだって。何が来るかわからなくて楽しみだね」

 

 「まあな。照美は食べれないのはないか?」

 

 「コーヒーゼリーとか、苦いのはダメかも。叶ちゃんは? さっき寒がってたけど、アイスが来ても大丈夫?」

 

 「平気」

 

 「なら良いけど……体調が悪いなら、食べたらすぐ帰る?」

 

 「大丈夫だ」

 

 照美に無駄な心配をかけさせてしまった。これも帝国学園のせいだ。叶は口をへの字にした。

 デザートのアイスクリームを叶は味わって食べる。

 

 「この葉っぱって食える?」

 

 皿やスプーンに汚れを残さず綺麗に食べて、叶は尋ねた。

 

 「ミントかな、多分辛いと思う」

 

 「じゃあやめとく」

 

 昼食を食べ終わり、二人はショッピングモールに向かった。

 

 「何見るんだっけか?」

 

 「今度の誕生日、お母さんたちに買って欲しいものを決めるんだ」

 

 「それ、オレと見ていいの?」

 

 「叶ちゃんとが良いの」

 

 店を回る。興味のない店は叶を疲れさせたが、照美が楽しそうだからと我慢した。

 小一時間後、照美の欲しいものはスパイクに決まった。白地に青い線の入った洒落たものだ。叶から見て照美に良く似合っていたし、試し履きした感じも動きやすいようだった。

 

 今日言われなかったら、叶は照美の誕生日をすっかり忘れていた。三週間後と忘れないように脳内で繰り返す。

 

 「照美、何か欲しいのあるか?」

 

 「物じゃなくても良い?」

 

 「えっ、何だ?」

 

 「今度、ボクと叶ちゃんだけで必殺技の特訓したいんだ」

 

 「そんなんでいいのか? 別にそれくらいいつだって付き合うぞ」

 

 「これが良いんだ。最近叶ちゃんと二人だけでサッカー出来ないもん。学校でも初心者の子に教えてばっかり」

 

 幼稚園までは、叶にサッカーを教えてもらうのは照美の特権だったから、照美は寂しく思っていた。

 

 「ふーん、オレに構ってもらえなくて寂しいか?」

 

 「そ、そんなことないよ。……頭撫でたり髪の毛触ったり勝手に汗拭いたりするの、他の子にはしちゃいけないからね? みんなびっくりしちゃうし、叶ちゃんが変な子って思われちゃう」

 

 「なら、照美にもしない方がいいか?」

 

 「えっ? ボクは慣れてるもん、びっくりしないから大丈夫だよ!」

 

 照美は慌てて言った。これも自分だけの特権だ。

 

 図書館のロッカーから本を出して、叶たちは帰りのバスに乗る。

 

 「……叶ちゃんがボクのお姉さんか妹なら良かったのに」

 

 「何でだ? 朝は嫌って言ってたのに」

 

 「お家でもずっと一緒に遊べるもん」

 

 「飽きねぇ?」

 

 「飽きないよ」

 

 他愛ない話をしているとバス停に着いた。叶が照美の荷物も持ち、二人はバスから降りる。

 

 「誕生日、他になんか欲しいのある?」

 

 「いいの? でも叶ちゃんに迷惑かも」

 

 「照美の頼みなら全然迷惑じゃないぞ!」

 

 「叶ちゃんの一番凄い必殺技を見せてほしいんだ」

 

 「良いぞ良いぞ! 今度、練習前にでも見せてやるよ!」

 

 「えへへ、楽しみにしてるよ」

 

 照美の家に着く。叶は本を照美の部屋まで運んだ。

 

 「じゃあな。また明日。何か面白いのあったらオレにも読ませろよ」

 

 「うん、また明日ね」

 

 夕日が射す中、叶は思ってしまった。

 今日は照美と出かけて楽しかった。昨日もだ。多分明日も楽しい。なら、復讐なんて必要ないんじゃないか。

 頭によぎった考えを振り払う。考えるな。思うな。前世の最期を忘れるな。叶は自分に言い聞かせた。

 

 「ただいまー」

 

 返事は誰からもない。叶は()が作り置きした夕飯を食べて、風呂に入る。

 風呂から出ると、母の季子が帰ってきた。

 

 「ただいま。叶、ご飯は食べた? 楽しかった? お金は足りた? 大丈夫だった?」

 

 「おかえり! もう、心配しないでよ。大丈夫だよ」

 

 叶は子供らしい口調を心がけた。前世の話し方より、この方が季子は安心してくれる。

 

 「学校は楽しい? クラブは?」

 

 「全部楽しいよ」

 

 「ねえ叶。不審者とかいじめとか……とにかく何かあったらすぐ言うのよ」

 

 「そんなやつ、ダークトルネードぶちこんでやるから平気だもん」

 

 「危ないから絶対にそんなことしないの」

 

 叶は思う。

 この会話をするのは、本来オレが中に入った子供では無かったはずだ。

 オレがあのまま生きていたなら、きっとここには純粋無垢な娘がいて、オレみたいな迷いなんてなく、季子をお母さんと呼べたはずなんだ。

 

 この感情を唾と一緒に飲み込んで、もう一度、復讐心を持つことは正しいのだと叶は結論づけた。




叶は影山の顔を知りません。ただ、自分を殺した奴らのトップと言うことで漠然と憎んでいます。
帝国学園のキャラと関わるのは相当先なので、叶の帝国学園は生徒も教師もみんなクソという考えはしばらく治る予定はありません。帝国学園ファンの方には申し訳ありません。


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6話 憾み

※主人公の嘔吐描写があります


 

 ある日の休み時間、(かなえ)は席替えで離れてしまった照美の席へと向かった。

 

 「そういえば、今度隣の市のチームと練習試合するってさ。去年と同じなら多分夏休みくらいかな? 暑いからやだよな」

 

 体が溶けるような真夏の暑さを思い、阿保露(あぽろ)はうんざりした顔で言う。彼の言葉に、叶たちはまだ見ぬ強者を思い浮かべた。

 

 「隣の市?」

 

 「強いのか!?」

 

 「うん。コーチ同士が仲良いみたいで、よく試合するんだって。オレはまだ一回しかやったことないけど……強かったなあ」

 

 叶は目を輝かせて質問する。興奮で照美の机の上に両手を置き、体が浮くほど身を乗り出して手だけで全体重を支えていた。

 

 「強いのか? どれくらい!?」

 

 「えっと……必殺シュート打てるのが三人もいて、キーパーもやたら強かった、体がデカいし、すごい怖くてさぁ。目が凄いんだよ。サメとかライオンみたいで」

 

 「そうなんだ……! 勝てるかなぁ……?」

 

 「紫電(しでん)が入って守りも固くなったし……照美と阿里久(ありく)のおかげで攻撃力も上がったから勝てると思いたいなぁ。相手も強くなってるだろうけど……」

 

 「絶対勝とうなぁ! 試合かー、楽しみだなあ。一瞬で夏休みにならねえかなー」

 

 不安そうな阿保露とは反対に、叶は非常に楽しそうに言う。

 

 「そんなに楽しみなの?」

 

 「おう! ハットトリック決めてやらぁ!」

 

 「阿里久ならいけそう。前、練習のときヤバいシュートしてたよね」

 

 「自分のチームのゴールの前からだったよね。それで点数入るんだから、やっぱり叶ちゃんは凄いや」

 

 「わー! つい熱入っちゃったやつだ! 恥ずかしいからあまり蒸し返さないでくれよー! うう、我ながら大人げねえ……」

 

 叶は恥ずかしさから顔を覆った。それをからかうように阿保露が言う。

 

 「ブロックも上手いし、いっそディフェンダーになってボール取ったらすぐシュートすれば? 阿里久なら入るでしょ?」

 

 「さ、さすがにそれはみんながつまんなくなるだろ……あ、ほら、そろそろ授業始まるぞ。席戻ろ? な?」

 

 実際彼の言葉通りのことが出来るから、無理だと否定はしなかった。

 

 当番が配膳を終えて、叶の楽しみな給食の時間になった。

 叶はいつも通りサラダを照美に押し付けた。今日のデザートはキャンディチーズで、叶にとってデザートと言えないふざけたものだったから、これも照美に押し付けた。

 給食の後の昼休み。クラスの子はほとんどがグラウンドに、大人しい子はこの時間と放課後だけ開いている図書室に行っており、教室には数人しか残っていない。

 他の子、特にサッカーをする子がいないのを確認して、叶は照美の席にノートを二冊持っていった。

 

 「どうしたの? 今日はお絵描きでもする?」

 

 「しない、オレ下手くそだし。照美がしたいなら良いけど。……これやる」

 

 叶はノートを照美に渡す。

 

 「ありがとう……?」

 

 照美は困惑した様子でそれを(めく)った。

 一ページにおよそ三つほどの必殺技について書いてある。技の名前、難易度、型、コツ、使用したときにどうなるか、どれくらい疲れるか。それらが叶のミミズ文字と象形文字が合体したような字で書いてあった。字は汚いが、文章は理路整然としている。

 続けてもう一つのノートを見る。躍動感溢れるエジプト壁画のような叶の下手な挿絵と共に、トレーニングの方法が書かれていた。

 照美は満面の笑みを叶に向ける。

 

 「叶ちゃん、ありがとう! 大事にするね!」

 

 「おうよ。これ参考にして練習してくれよな。ちゃんとランドセルに入れとけよ。まあ、無くしても汚してもまた書いてやるけど。ちなみに誕生日プレゼントは別にあるからな」

 

 「あ、これがプレゼントじゃないんだね。でも、それならどうしてこんな……?」

 

 「約束しただろ。お前がフットボールフロンティアで優勝出来るくらい、鍛えてやるって。だからだよ」

 

 「……覚えていてくれたんだ。てっきり、あんなのすぐ忘れちゃうと思ってた」

 

 「…………。あとそれ、あんまり見せびらかすなよ。他のヤツらの分なんかねぇんだから」

 

 「そんなことするつもりはないから、大丈夫だよ。……今外に出てもあまりサッカー出来ないね。ねえ、せっかくだから二人だけでお話しようよ」

 

 叶は時計を見る。休み時間は残り三分しかない。

 

 「結構時間経っちまった。悪いな。ん、話……照美の話が聞きたい。いいか?」

 

 「うん! えっとね、最近、チームの子がボクのドリブル褒めてくれて……」

 

 「ソイツ見る目あるじゃん。良かったな」

 

 「それからね、後は──」

 

 自分の子供の話を聞くような気分で、叶は柔らかな笑顔を浮かべながら照美の話を聞いて過ごした。

 

 

 

 

 

 

 小学校の授業が終わり、叶たち三人はクラブの活動場所である広場に行く。

 

 「今日は最初の方、本当にオレの技見るだけで良いんだな?」

 

 「うん。一番強いシュートが見たい」

 

 「阿里久がいいなら一番強いブロック技も見たい」

 

 「おう、任せとけ。ド派手なの見せてやるよ!」

 

 叶は胸を張って、腰に手を当てて言った。そこに桃色の髪を揺らしながら、綺羅光(きらびかり)がやって来て質問する。

 

 「何するのー? 楽しいことー?」

 

 「オレが照美たちにすっごいシュート見せてやるんだ!」

 

 「わあ! 面白そう! ねえねえっ、ボクたちも見ていいかな?」

 

 「良いぞ!」

 

 叶は元気よく答える。

 

 「良かったぁ、ありがとう! みんなー! かなちゃんが凄く強いカッコいいシュート、見せてくれるってー!」

 

 芙愛(ふあい)、紫電、恩田(おんだ)裁原(さいばら)。見覚えのある彼らの他にも子供たちが寄ってきた。

 ざっと二十人くらいはいるだろうか。綺羅光の指すボクたちを、彼と芙愛の二人だと思っていた叶は驚いた。

 

 「叶ちゃん、人、思ったより多いけど大丈夫?」

 

 「大丈夫大丈夫。見てろよー、すっごくすっげぇ技、オレが見せてやるからなー!!」

 

 叶は自信に満ちた笑みを浮かべる。

 これから叶が見せる技は、前世の自分──古会新の象徴、代名詞とも呼べる技なのだ。昔、先輩や観客相手にしたように、みんなを釘付けに出来るはずだ。叶はすっかり得意気になっていた。

 

 叶は数回深呼吸をして、無人のゴールの前で構える。

 

 「これがオレの究極奥義、流星光底(りゅうせいこうてい)だぁっ!!」

 

 叶はボールを頭の高さへ蹴り上げる。

 ジャンプして空中で前転。回転と同時にX字に足をクロスさせて、空間を切り裂いた。宇宙のような異空間が開く。叶が異空間に向けてビーム状にシュートを打つと、異空間の入り口は閉じてボールは世界から消えてしまった。

 異空間で宇宙の膨大な力を蓄えたシュートは、空をひび割って現れる。

 蓄えられた力は、その壮大さ故に自然とボールを見た人間の体感時間を遅くした。よって、シュートは周りの人間にとって本来よりもさらに速く見えた。

 ボールがゴールに突き刺さる。ネットは破け、その先にあった塀にヒビを入れた。その威力に周りが盛り上がる中、叶は冷や汗をかいた。

 

 「………………っ!?」

 

 もちろん、ネットと塀を壊してしまったのも叶は気にしていたが、それだけではない。消化途中の給食が逆流して喉元までせりあがる。

 足が震えるのを叶は根性で抑えた。肩から腰、尻から脚の筋肉が引きちぎれそうに痛む。頭をかち割られたような頭痛が叶を襲った。

 全身の毛穴が開いて不愉快な脂汗が滲む。消化器官全てを胃酸で溶かされたような痛みと気持ち悪さに、叶はついに耐えきれなかった。

 

 子供特有の甲高い頭痛を誘う声で、周りのみんなは叶のシュートを褒める。うるさい。叶は頭を抑えた。

 

 「ねえ、叶さん。今のシュート……本当に素晴らしかったよ! もしよかったら、──」

 

 「……悪い、後でな」

 

 誰が声をかけたのか、叶は認識出来なかった。叶は簡潔に話を終わらせると、胃腸を揺らさないよう極力そっと歩く。

 モザイクがかかっていく視界の中、叶は何とかトイレに着いた。少しでも歩くのを減らそうと、何も考えずに一番手前の多目的トイレに入る。

 給食どころか朝食まで出しきって、叶は洋式便器とにらめっこした。出そうで出ないのが酷く気持ち悪い。意を決して、叶は指を喉奥に突っ込む。細い指と小さな手の甲を伝って、黄色い胃液が出た。

 

 「あー…………」

 

 地を這うように低く汚い、女子小学生が出すものではない声を出して、叶はしゃがむ。

 腹と太ももがくっつくくらいに体を折り曲げて、せり上がったものを出した。もはや音や臭いを気にする余裕は叶にはなかった。

 

 「…………えちゃん、叶ちゃん!」

 

 外から叶の聞きなれた声が聞こえた。酷く心配そうだ。

 

 「大丈夫? もう三十分も戻ってこないから心配で……」

 

 「……ちょっと牛乳飲み過ぎたみたいで、腹の調子悪くしてたっぽい。シュートで腹の奥に力込めたのがトドメになったみたいで、今トイレと友達してる」

 

 「そうなんだ。何か暖かいものがないかコーチに聞いてみるよ」

 

 「あー……いらねえよ」

 

 「でも……」

 

 「いいから。そんなことする時間あったらみんなとサッカーしとけ。…………(いて)えっ!!」

 

 「どうしたの!?」

 

 「や、……便器に足の小指打っただけ。本当大丈夫だから……」

 

 叶の声がとても苦しそうなこと、便器に座った状態で足をぶつける状況を照美は疑問に思ったが、渋々といった様子で戻っていった。

 出すものもなくなり、叶は口と手を洗うとようやく外に出た。妙に空気をおいしく感じて、何度も深呼吸する。

 初夏の爽やかな空気が脂汗のために開いた毛穴を冷やして、叶は軽く震えた。くしゃみをして、大さじ一杯ほど共に出てしまったものを慌てて飲み込む。言うまでもなく不味い。

 

 「叶ちゃん、大丈夫……?」

 

 「だから大丈夫だっての。……オレ、臭くねえ?」

 

 照美に渡された水筒のお茶を、叶は一気に飲み干した。一瞬、胃が入ってきたものを押し返そうとして軽くえずいたが、容赦せずにお茶を流し込むと叶の胃は大人しくなった。

 

 「臭くないよ。……どうする? 今日はもう帰って休む?」

 

 「そーする……」

 

 頭と爪先を引っ張られ、体を引きちぎられるような痛みを堪えて叶は立ち上がる。息を無理やり整えながら歩くと、照美が叶の隣に着いてきた。

 

 「見送ってくれんの? いいって。それより練習しとけよ」

 

 「見送りじゃなくて、このまま一緒に帰ろうと思って……」

 

 「……そんな、わざわざ」

 

 「叶ちゃん、凄く調子悪そうだもん。放っておけないよ」

 

 叶は押し黙る。なぜバレた? 声も歩き方も表情も誤魔化せたはずだ。

 

 「いや、いいって……。それよりも練習時間を有益に……」

 

 「もう叶ちゃんと一緒に帰りますってコーチに言っちゃった。これで帰らなかったら少し恥ずかしいよね」

 

 「お前なぁ……。はぁ、ならしょうがないか」

 

 叶は「照美……」と力なく呼び掛ける。

 

 「……歩くのしんどい。何で? 持久走の後でもオレいつも大丈夫なのに」

 

 「持久走なんて授業であったっけ? 叶ちゃん、こっち掴まって」

 

 「……わかった」

 

 照美の片腕を叶は両手で持って寄りかかる。

 

 「叶ちゃんのお母さんはいつ帰ってくるの?」

 

 「八時くらい? 九時かも」

 

 「じゃあ、良かったらボクの家に……」

 

 「腹壊しただけなんだから、そこまでしなくていい。……悪い、頭に響くから喋らないでくれ」

 

 「わかったよ」

 

 モタモタ歩き、いつもの三倍時間をかけて叶は家に着いた。

 

 「……ありがとう。お礼におやつやるよ。ちょっと待ってろ。…………っ痛ぇ……!!」

 

 戸棚の菓子を取ろうとしゃがんだ叶を、まるで全身の毛穴を太い針で刺されるような激痛が襲った。

 

 「どうしたの!? 大丈夫?」

 

 「あ、足、吊った、だけ……」

 

 上擦(うわず)った声で途切れ途切れに叶は言った。

 

 「今これしか無かった……」

 

 叶は個包装のチョコ菓子を数袋差し出す。

 

 「ありがとう。……ゆっくり休んでね。何かあったら電話して。凄く苦しかったら救急車を呼ぶんだよ。番号はわかるね?」

 

 「わかるよ。……腹壊しただけなんだから、大丈夫だっての」

 

 叶は同じ言い訳を繰り返した。もはやそれが照美に通用しないのはわかっていた。照美はしつこく、「ボクの家でもおばさんにでもいいからね」と叶に言い聞かせ、何度も心配そうに叶の方を振り返るとようやく帰っていった。

 

 叶は這いずりながらカーテンを閉めて部屋の灯りを消した。真っ暗になったリビングで、ソファーを殴りながら雄叫びをあげる。

 

 「クソッ! 畜生! なんで、なんでっ!?」

 

 ソファーを殴るとポフンとコミカルな音がした。叶の手には柔い反発。だが、手の骨が丸ごと砕けたような激痛が叶に返ってきた。

 

 流星光底。叶の前世、古会(ふるえ)(あらた)の代名詞とも呼べる技。とにかく、新と流星光底は深く結び付いた技だった。新を形成するアイデンティティの一つであり、一番愛着のある技でもある。

 

 そして、叶には前世への重い執着がある。叶は前世に戻りたいとずっと思っていた。

 生き返りたい。これが、植物状態の新が見た長い夢であってほしい。でも目を覚ませば都合の良いことに娘の叶の傍には友達として、見慣れた少年が居てほしい。

 それが叶わないなら、せめて娘に体を返して正しく死なせてくれ。──それすら無理なら、せめて季子(きこ)と先輩にだけは、オレを古会新と認識してほしい。

 叶の人生と新の人生が地続きであることが余計に叶を苦しませた。前世の妻は今の母であり、前世の先輩を今はおじさんと呼んでいる。

 

 戻りたかった。死にたかった。それが叶わぬならせめて愛しい人にくらいは自分を自分とわかってほしかった。

 真っ暗な部屋。いつも一人で食事するテーブルの下で叶は丸くなる。

 叶だってわかっている。生まれ変わりだなんて、まして、自分の腹から夫の精神を持った娘が生まれてきたなんて受け入れられないだろう。でも、それでも──。

 

 叶は顔をくしゃくしゃにした。泣くことでまた体が痛んだが、もうどうでもよかった。

 流星光底は新しか使えない技だから、自分がそれを使えば生まれ変わりであることをわかってもらえると思っていた。

 現実は、前世より叶の使う技は圧倒的に劣るものだった。威力が低いどころか、使った後にこんなに体調を崩すなんて。これでは、娘が朧気(おぼろげ)な情報で父の真似をしただけにしか見えない。

 

 痛む体を引きずり、手摺(てすり)を頼って叶は階段を上る。二階にある自分の部屋に普段の何十倍もかけて辿り着くと、死んだように眠った。

 

 

 

 

 

 

 季子──叶の母である彼女は、夫の忘れ形見でこの世の何よりも愛しい娘の寝顔を見て微笑んだ。

 新が交通事故で死んだあとはショックで、叶が腹の中にいるとわかっていても季子はろくに食事もとれなかった。

 何度目かの検診で、医者に胎児はすでに死んでいると言われた。だから、無意味な出産を終えたらあの世の家族に会いに行こうと季子は決めていた。

 季子は最初、自分の胎内からぶよぶよの血肉の塊が出てきたのを幻視した。わかってはいたけれど、現実逃避のように長く目を(つむ)って開くと、夫と同じ髪色をした可愛い赤ん坊がそこにはいた。

 生まれてきた──医者の診断によると死産のはずだった子は、体重は僅か五百グラム、身長は二十センチ強しかなかった。けれど、普通の子供のように産声をあげた。季子は初めてヤブ医者で良かったと思った。

 叶は虚弱どころか強い子だった。幼稚園生のころには成人男性並みにご飯を食べれたし、力もそれくらいにあった。叶が体調を崩したのは今日が初めてだ。

 季子は眠る叶の体温を測る。少し高いが、これが子供体温の叶の平熱だ。彼女が仕事帰りに買った解熱剤も冷えピタもいらないだろう。季子は必要ないものをしまって、叶の好きそうなゼリーやフルーツを冷蔵庫に入れた。

 

 本当は叶に、新を殺したサッカーなんてしてほしくない。季子はそう思っていたのに、娘がサッカーをするときの笑顔を見るとそんなことは言えなくなってしまった。

 叶は女の子だ。フットボールフロンティアには出られない。それは季子にとってたまらなく嬉しいことだった。だって、帝国学園の優勝の──夫の(かたき)にとっての驚異にはなりえないのだから。

 危害を加えられることもない。──本当に?

 季子が独自に調べたデータによると、帝国学園との試合を目前にして周りの人間に危害を加えられ、試合への出場を阻まれた選手がいた。危ないのは選手自身だけではないのだ。

 叶の親友のあの子が決勝に上がったら、叶に危害を加えられる可能性はどれくらいだろう。

 季子は悪い考えを無理やり消した。娘たちはまだ小学一年生だ。中学校まであと六年間もある。危害を加えられる可能性よりも、娘たちの仲が疎遠になったり、彼がサッカーをやめたりする可能性の方が高いだろう。

 

 季子は叶を撫でる手を止めて、再び娘の寝顔を見つめる。今はもういない、愛しい夫にそっくりだ。

 そして叶が起きるまでの間、愛しくも寂しい思い出に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 新と季子は、かつて姉弟だった。血は繋がっていない。季子が子供のころ、古会(ふるえ)家と阿里久(ありく)家はアパートの隣同士の部屋なだけで、ろくに関わりはなかった。季子は新の顔を知らなかったし、きっと新もそうだっただろう。

 季子が新の存在を知ったのは、彼女の両親が唐突に「今日からしばらく暮らす」と言って連れてきたからであった。

 新は、季子の母が働く近所のスーパーに捨てられたそうだった。新の両親とは連絡が取れず、ほんの数度挨拶を交わした程度であったが関わりのある母が、施設が見つかるまで預かることになった。

 季子と両親の新への認識が新しい家族に変わるまでそう時間はかからず、半年も経つと新は正式に季子の弟になった。

 それから高校を卒業するまで、二人は姉弟だった。高校を卒業してから大学を卒業してしばらくの間は二人は恋人で、それ以降は夫婦。季子の人生には物心ついたときからずっと新がいた。

 

 季子は新の周囲の人間が嫌いだ。

 昔は暗い性格だった新を嫌っておいて、彼がサッカーで活躍し始めた瞬間に手の平を返したクラスメイト。新に頼らないと勝てない癖に、彼が目立つと一丁前に(ひが)むチームメイト。

 彼を神輿(みこし)(かか)げ、新が過去のトラウマから正当防衛をしただけで、新が二度と人前に出られないくらい叩いたマスコミ。

 新を捨てた癖に、彼がサッカー選手になったのを知った途端、金を貰おうと群がった新の親。

 

 叶の周りのあの子たちを、嫌いになるようなことがないといいのに。叶の柔らかい頬を突っつきながら季子は願った。

 

 

 

 

 

 

 「叶、起きたの? 調子は大丈夫? お粥なら食べれそう……?」

 

 誰かが寝ている叶に優しく話しかけた。叶は痛みの中ぼうっと彼女を見つめる。かつての義理の姉で、妻で、今の母の季子だと叶は気づいた。

 叶は泣いた。泣きながらまた吐いた。事情を聞いても何も言わず、ただ病院には行かないと言い張る叶に困り果てながら、季子は叶の頭を撫でて背中をさすった。

 部屋の照明に照らされて、光沢がある何の変哲もないお粥が、叶にはやけに美味しそうに見えた。

 次の日の朝にはもう、腫れた目以外には叶に不調はなかった。しいて問題があったなら、お腹が空っぽで給食まで何度も腹を鳴らして恥ずかしかったことと、宿題をやり忘れて軽く怒られたくらいだ。




サブタイセンスがまるでないです。それと話の継ぎ接ぎ感が凄いです。

読み返して、よくよく考えれば子供がこんな話し方するか? って場面がいくつもありましたが、そこは叶の脳内補正と言う事でお願いします。
叶が少し可哀想かもしれない展開がチラホラあります。苦手な方はお気をつけてください。


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7話 日常

 

 (かなえ)は今日、やけに照美の機嫌が良いと疑問に思った。そろそろ照美の誕生日だが、それだけでは説明がつかない。何せ、授業中目が合っただけで嬉しそうに笑みを向けてくるのだ。

 

 「今日照美何か変だぞ。阿保露(あぽろ)何か知らない?」

 

 「別に変じゃないよね?」

 

 「う、……変じゃないと思うし、オレなんにも知らない」

 

 はぐらかされた。叶は蚊帳(かや)の外であることに落ち込み、照美に秘密を共有できる友達が出来たことを喜んだ。

 

 「後で話すよ。叶ちゃんにはまだ内緒にしておきたくて」

 

 「別に阿里久(ありく)だけ仲間外れとかじゃないから。ただ、照美めちゃくちゃ頑張って……」

 

 「(ひかる)くん!」

 

 「あっ! 言いそうだった。ごめん」

 

 「いやオレ普通に仲間外れじゃん……」

 

 二人とも慌てるだけで何も説明してくれなかった。叶はこの日、給食の野菜を全て阿保露に押し付けた。

 放課後、クラブの活動場所である広場に向かう。道中、照美は固い表情を浮かべていた。阿保露は心配そうに照美と叶を見ていた。

 

 「叶ちゃん、あのね、スパイラルショットでしょ、それから彗星シュートも、クイックドロウも出来たよ。他にもね──」

 

 「待ってくれ。何の話?」

 

 「この一週間でボクが覚えた技。どう? 凄い?」

 

 「オレだって頑張ってクイックドロウ覚えたんだからな!  照美の方が凄いけど、凄いだろ!」

 

 「えっ!? わあっ……! 二人とも凄い、凄いぞ!! 良く頑張ったな! 撫でてやろうか!? 明日のデザートいるか!?」

 

 喜びが抑えられず叶は跳び跳ねた。叶が背伸びして頭を撫でようとすると照美が屈んでくれたので、照美の頭を胸に押し付けて思う存分撫でる。

 叶は獲物を阿保露に変えた。彼とは大して身長差がなく、しかも叶の力は成人男性並みにあるから、阿保露は抵抗も出来ずに髪をぐちゃぐちゃにされた。

 阿保露は「うへー」と声を出して、照美に櫛を借りて髪を元に戻そうとする。

 叶だけが満足だった。それでもまだ喜びが抑えきれず、叶は二人の周りをくるくる回った。

 

 「デザートはいいから牛乳くれない? 背伸ばしたいの。それと動き鬱陶(うっとう)しい」

 

 「明日だけだぞ? 特別だからな。照美はなんかご褒美いるか!?」

 

 「気持ちさえこもっていれば何だって……あっ」

 

 「どうした!? 何でも良いぞ!」

 

 「その、変かもしれないけどね」

 

 「照美なら何やっても変じゃねえよ、んで、どうした!?」

 

 「あのね、他の……ううん、これはダメだよね……もっと褒めて欲しい」

 

 「言いかけたの何だ? 別にオレに出来ることなら何でもするぞ」

 

 「良いから、言ったのを聞いてあげなよ」

 

 「……? ……わかった」

 

 阿保露に促され、叶は照美を褒めようとする。

 

 「んっと、頑張り屋!」

 

 「ふふっ」

 

 「天才! 足が速い! 賢い! 背が高い! かっこいい!」

 

 「もっと」

 

 「絵が上手いし、それに字も上手い」

 

 「阿里久に比べたら誰でも……」

 

 「うるせえ。うーんと、髪の撫で心地(ごこち)がいい。そろそろ出ないぞ」

 

 「ありがとう。……もう終わりなの? ちょっと悲しいな」

 

 叶は慌てて低い語彙力から絞り出す。

 

 「お、オレと違って音程が取れる……」

 

 「阿里久……」

 

 阿保露は可哀想なものを見る目で言う。

 叶の歌唱力が壊滅的なのを、彼は音楽の授業で散々知っている。出だしは少しズレているくらいなのに、延々と音が上がり続けて最後には超音波のようになるのだ。

 

 「……もう良いかな。いっぱいありがとうね」

 

 「はあ……あんまり言えなかったな。照美の良いところ百個言えるようにしねえと。それに阿保露のも三十個くらい」

 

 「……」

 

 「ボクもそれくらい言えるようにしておこうかな。……それでね、ちゃんと技が出来ているかを叶ちゃんに見てほしいんだ」

 

 「ん、わかった。着いたらな」

 

 叶は簡単に返事した。照美のことだから、きっとしっかり出来ている。叶には確信があった。

 

 「照美、前に技たくさん使ってへとへとになってなかった? またああなるの、ちょっと怖いんだけど……」

 

 技を使いすぎて疲弊した照美を思い出し、阿保露は身を震わせた。

 

 「叶ちゃんには秘密にしてって言ったのに。大丈夫だよ」

 

 「まあ、疲れちまっても、オレに技見せる機会なんてたくさんあんだろ」

 

 「そうだね! ずっと一緒だもんね」

 

 「おうよ」

 

 図書館で照美とした約束の後、叶は(ひそ)かに決意をした。

 照美を鍛え上げて、帝国学園を正々堂々倒す。

 それだけが叶の存在価値で、叶が育てた照美が影山の帝国学園を打ち破ることが復讐だ。

 

 「あの、必殺技、オレのも見てくれる?」

 

 「もちろん!」

 

 「ダメだったら遠慮なく言ってよ」

 

 「おう。お前がオレの方来るの珍しいな」

 

 「だって、阿里久の周り人がいっぱいで声かけれないじゃん。どんな感じで阿里久が教えるのか気になってたから、ちょうど良いと思って」

 

 「せっかく学校も一緒なんだから、遠慮なく予約とかしてくれていいんだぞ」

 

 「阿里久の教え方が上手かったら考えるよ」

 

 広場に着いた。まずは照美に技を見せてもらうことにした。

 

 「程々にな。疲れちゃって練習出来ないとかやめろよ?」

 

 「そのくらい考えられるよ」

 

 照美はスパイラルショットと彗星シュートを叶に見せた。どちらも易しい技だが照美が必殺技を成功させたのが嬉しくて、叶は飛び上がって喜んだ。

 

 「……ふぅ、どうだった?」

 

 「凄いぞ! 試合でも十分使えるはずだ! エースストライカーも夢じゃないな! 凄い、すっげえ凄いぞ!!」

 

 「必殺技を使う感覚はわかったけど、……これをあの技にどう応用したら良いか……」

 

 まだ未完成のシュート。後に、ゴットノウズと名付けられる技をどうすれば完成できるか照美は悩む。

 

 「今度あんな感じで光る技とか、浮く技とか教えようか?」

 

 「うん、お願い」

 

 「へへっ、楽しみにしとけよー! っと、お前のも見せろよ。オレ、ボール持ってるからこのままやってくれ」

 

 叶は足元にボールを置いた。

 

 「わかった。……クイックドロウ!」

 

 阿保露が目にも止まらぬ早さで、居合いのように叶からボールを奪い取る。叶はこのまま見切って避けようとし、意地が悪すぎると止めた。

 

 「おおっ、凄い!! もっと強いディフェンダーになれるなー!!」

 

 「うう……耳元はやめて。阿里久の声うるさくって、耳がキーンってした……」

 

 「ごめんごめん。二人とも上手かったぞ! 凄いな! 牛乳もっといるか? 明後日のデザートの桃ゼリーいる?」

 

 「両方ともいらないよ」

 

 「明後日の牛乳もちょうだい」

 

 「しょうがねぇなぁ。照美、来週の火曜のチョコムースいるか?」

 

 「いらない。叶ちゃん好きでしょ?」

 

 「なら、来週の金曜のシュークリームは?」

 

 「いい。 ……叶ちゃんってもしかしてデザート全部覚えてるの?」

 

 「もちろん」

 

 「阿里久、(いちご)のプリンって次いつ?」

 

 「少なくとも今月と来月はないぞ。普通のプリンは来月の三日にあるけど」

 

 阿保露は不満そうな顔をした。

 結局照美はデザートをどれもいらないと言った。叶には理解しがたいことだ。彼女なら喜んで飛び付く。

 

 「ホントに何もいらないのか?」

 

 「うん。楽しみにしてるのにボクがもらうのも悪いからね」

 

 「わかったぞ……」

 

 叶はイマイチ納得出来なかった。

 

 パチパチと、乾いた拍手の音。三人が音の方を見ると紫電(しでん)がベンチに足を組んで座っていた。

 

 「凄いね。いつの間に必殺技を使えるようになったんだい?」

  

 「えっと、叶ちゃんに教えてもらって、使えるようになったのはつい最近だよ」

 

 「オレは阿里久のノートを翻訳して照美に教えてもらった」

 

 「ノート? 翻訳って……何か暗号でも? どんな内容か気になるなぁ。ボクも見せてもらって良いかい?」

 

 「おう! 良いぞ! 照美、見せてやれよ」

 

 「……でも…………」

 

 照美は渋る。ノートを渡されたときに人に見せびらかさないようにしろと叶に言われた。それに、あれは叶がサッカーの知識を全て詰め込んで渡してくれた照美の宝物だ。

 

 「あ、キーパーの技、そんなに書いてなかったもんな。確かにコイツには役立たないか」

 

 「……! うん。ボクもそう思って……」

 

 「よくわからないけれど、そんなにってことは……多少ならあるんだよね?」

 

 紫電が僅かに加虐を(にじ)ませた笑みで言った。

 彼は馬鹿ではないから、そのノートを照美たちが秘密にしておきたいのだと察している。しかし好奇心と天秤にかけて、好奇心が勝ったのだ。

 

 「多少つっても、キャッチ技の使い方なんて三個くらいしかねーぞ。それ以外で書いてあるのは、技別の突破法くらいか」

 

 「キーパーとしてはどちらも気になるけどね。無理にとは言わないけど、機会があれば読んでみたいな。ちなみに、突破法ってどんなのがあるんだい?」

 

 「どんなのがあると思う?」

 

 「ははっ、叶さんが書いたのなら、全部パワーで正面突破とか?」

 

 「ちゃんと丁寧に書いてあるぞ。溜めが長い技はマッハでシュートすれば、必殺技じゃなくても突破出来るとか。シールド系のはパワー入れて、ど真ん中から割るのが見映(みば)えしてカッコいいとか」

 

 「意外だな。叶さんも見映えを気にするのか」

 

 「オレより照美がなー。アイツのために書いたやつだから、その辺も気にしてやったんだ」

 

 叶は胸を張った。

 

 「そうなんだ。叶さんと照美くんは随分仲が良いんだね」

 

 「おうよ! 三歳のころからの付き合いだからな!」

 

 「叶ちゃんのことならなんでも知ってるよ」

 

 「ははっ、本当に仲が良いんだね」

 

 紫電は小さな声で、「……羨ましいな」と続けた。照美たちには聞こえず、叶だけが聞こえた言葉に首を傾げた。

 

 「(かい)くん戒くん、ちょっとお話長すぎー! みんな待ってるよー!」

 

 綺羅光(きらびかり)が腰に両手を当てて言った。紫電が珍しくうろたえた様子を見せる。

 

 「え……? あっ! そういえば君たちを呼びに来たんだった……すまないね」

 

 「呼びに?」

 

 「今日の練習メニューのお知らせだよっ。みんな最近上手くなってきたから、ちょっと難しいのに変えるって! 楽しみだねぇ!」

 

 綺羅光は一辺の不安も見せず、本当に楽しそうに笑った。

 

 コーチの話を聞いて準備運動や走り込み、軽い筋トレを終えると、シュートやドリブルの練習に移る。

 

 「叶ちゃん、見てくれる?」

 

 「おう! もちろん!」

 

 「ねえ、かなちゃん、ボクたちもお願い!」

 

 「わかった! 照美の後なー!」

 

 「阿里久さん、あの、時間があったら……」

 

 「いいぞー! 大歓迎だ!」

 

 叶は両手の指で収まらない人数と約束した。いつもこれだから、自分の練習はちっとも出来ない。

 悪い癖を直し、必殺技を教え、そのための特訓に徹底的に付き合う。そうしている内に、叶はコーチ公認の先生のような立ち位置になっていたのだ。

 

 「あはは……本当、叶ちゃんは人気者だよね」

 

 「正直に言えばいいじゃん。今までは阿里久って照美だけの──」

 

 「ちょ、ちょっと……! やめてよ!」

 

 「どうした?」

 

 「何でも。阿里久ー、最後でいいからオレもいい? こう……こんな感じでボール取ると、どうしてもボールがこぼれて、相手に取り返されちゃう」

 

 「ああ! それはな……」

 

 説明している内に熱が入ってしまい、阿保露には最後でいいと言われたのに、最初にがっつり教えてしまった。

 

 「……ねえ、叶ちゃん。人に教えるのってそんなに楽しい?」

 

 「うん、みんなが色々出来るようになってくのが楽しいし、それにオレが役立てるのも嬉しい」

 

 「……そうなんだ」

 

 「おうよ。趣味みたいなもんだ」

 

 叶は前世を思い出す。監督をやっていた。教え子のことは深く思い出せないけど、みんなを応援したり色々と教えたりしたのは何となく覚えている。

 叶は人に教える感覚から朧気(おぼろげ)な前世の記憶を思い出したかったから、自分の練習時間が減ろうとも不満はなかった。

  

 「照美も教えてみたいのか? うーん……さすがにもうちょっと上手くならないとな……」

 

 「ちょっと気になっただけだよ」

 

 「そっか。あ、必殺技なんだけど、浮いて回って光る、フォトンフラッシュってのはどうだ?」

 

 「どんな感じか見せて」

 

 「うん。……せいや! こうだぞー!」

 

 叶は空中に浮き上がり回転しながら発光する。最後に大の字のポーズをとった。

 

 「ちょっと動きが格好悪いかも……」

 

 「ははっ、かもなー」

 

 「他にはない? 凄く難しいのでも良いから」

 

 「それなら……シャインドライブ!」

 

 叶は足に光のエネルギーを貯めて、ボールに打ち込む。そのままボールは光線を出すように無人のゴールに向かった。

 

 「わあ……! ボクも出来るかな!?」

 

 「出来ると思うぞ。照美は頑張れる子だしな」

 

 「ノートにも確か書いてあったよね……? うん、頑張って練習するよ!」

 

 「っと、悪い。そろそろみんなの練習見ないと時間足りなくなっちまう」

 

 「……みんなずるいよ、後から叶ちゃんと友達になったのに、ボクから叶ちゃんをとるなんて」

 

 「ごめんなー。でも照美はみんなと違って朝から帰りまでずっとオレと一緒だろ? それでいいじゃん」

 

 「……そういう問題じゃない」

 

 「あ! じゃあ今度の誕生日、ご褒美に良いものやるから。なっ?」

 

 「……他の誰にもあげない?」

 

 「あげない。照美だけ。特別だぞ」

 

 「本当? ……なら、うん、今はそれでいいや」

 

 叶は笑った。こんなことでみんなに嫉妬だなんて、子供らしくて可愛い。

 照美への誕生日プレゼントを考えながら、叶は約束していた綺羅光と芙愛(ふあい)のところに向かった。

 

 「今までドリブルばっかで、シュートはあんまり練習してなかったんだけどね、やっぱりかっこよくシュートも決めたいんだー!!」

 

 「合体技を作りたいんだ。何か良いものはないかな?」

 

 「合体技って言うか……チームワークは十分だけど、お前ら普通の必殺技使えるの?」

 

 「ドリブルなら!! でもファイルとシュートしたい!!」

 

 「そっか」

 

 「ボクはブロックにも興味があるな」

 

 「合体ブロック……ロボットみたいでかっこいいー!」

 

 「で、どれがいーの?」

 

 綺羅光と芙愛はまだキック力には不安があるが、チームワークが抜群だ。話し合い、シュート練習をすることになった。

 

 「あの、本当にボクの練習を見てて良いんですか……?」

 

 「え? 何でだ? 遠慮してるのか? しなくていいぞ。チームメートだろ?」

 

 「えっと、そうじゃなくて、亜風っ、……照美くんは?」

 

 「照美……? ああ、良いって言ってくれたぞ!」

 

 叶は居心地の悪そうな裁原(さいばら)と練習をした。足と足の間を狙ったり、頭の上を狙ったりと少し意地悪なシュートもしたが、それなりに対応出来るようになったようだ。

 「このまま紫電を越えれるようになろうな!」と叶が言うと、彼は曖昧な笑みを返した。

 

 「出来るのかな……。ボク、なりたいって思ったものに今までなれなくって……こんなのだからイタズラしてる子に注意したときも、その子たちが先生にボクがやったって言うし……」

 

 居心地悪そうに視線を動かして裁原は続ける。

 

 「……ちょっとは社交的になりたいなって、あと、強くなりたいと思って大勢でやるサッカーを始めたんです。なのにこんなに弱気で……」

 

 「うーん、注意しようと思っただけで凄いと思うけどなぁ。オレ、そんなこと照美とオレに実害なきゃ絶対やらねぇ」

 

 それから叶は裁原の相談──注意して悪い子に叩かれたり、悪口を吹聴(ふいちょう)されたりしたらどうすればよいのか、人望を得るにはどうしたらよいのか──にのった。

 叶はこれも先生の仕事だと誠意をもって答えた。回答はそれぞれ、悪ガキの金玉を片方潰せ、正しいことをしていれば見る目のある子はわかってくれるだ。

 

 「過剰防衛です、こっちが悪い子になっちゃいます……」

 

 「じゃ、相手よりちょっと強く叩け」

 

 「ぼ、暴力は……」

 

 「なら味方つけて三日くらいハブれ」

 

 「仲間外れも……」

 

 「──叶さん、またこんな子に教えているの?」

 

 紫電が水を差す。

 

 「そだけど、どうかしたか?」

 

 「こんな弱い子たちのお世話して、何が楽しいんだい?」

 

 「みんなが上手になったらそれが楽しいぞ」

 

 紫電は鼻で笑った。

 

 「ボクね、思うんだ。どれだけ練習しても強い子と弱い子にどうしても別れるわけじゃないか。そして、強い子の練習量が弱い子より多いとは限らない。叶さんはその差は何だと思う?」

 

 「……情熱だろ」

 

 「違うね。才能だよ。長年やっても上手くなれない子はいるし、ちょっと触っただけであっという間に上手くなる子だっている。もっと才あるキミの時間を有益に使うべきさ」

 

 「要するに、才能あるヤツだけ鍛えてそれ以外は見捨てろと?」

 

 「うん。話が通じて良かったよ」

 

 「馬鹿みてえ。そもそもある程度鍛えないと、自分が何に才能があるかもわからねえだろ」

 

 「ないとわかったらすぐ、次に切り替えればいいのさ」

 

 嫌な考えだ。才能があろうとなかろうと練習が全てなのに。叶は眉を少し吊り上げた。

 先行(さきゆき)──(あらた)よりサッカーへの情熱があり、新より弱かった先輩──からの受け売りだが、たとえ芽吹かなくたって、自分の中に取り入れたものは死ぬまで自分と共にある。練習は芽吹かなくとも無駄にはならないのだ。

 

 「はあ……さっきから何が言いたいんだよ?」

 

 「叶さんに忠告しようと思って。このチームで才能があると言える子はキミの大好きな照美くんとボク。次点で綺羅光くんと芙愛くん。おまけで阿保露くんだ。それ以外は見てもらう資格はないよ。時間を無駄にさせる害悪と言ってもいいね」

 

 「あーそうかよ。わかったわかった。じゃ、裁原、練習の続きしよーぜ」

 

 「……えっ? ……はいっ!」

 

 「……凄いねキミ。今の話を聞いていただろう? せいぜい無駄な練習で、叶さんの時間を無駄にさせなよ」

 

 「……っ」

 

 以降、裁原は不調だった。何度か失敗すると俯いて「次の子のところへ行ってください」と言った。

 何か言った方が良いのはわかっているけど、そろそろ次の子を見ないと時間がない。叶はその言葉に甘えてしまった。

 次は二軍以下の子たちだ。上手くはないがサッカーへの熱意は十分。叶は会ったばかりのころの照美を少し思い出す。

 他の子に教えるのがようやく終わって、叶は五分ほど自主練の時間をとることができた。軽く残像を出してドリブルをしているとコーチがやってきた。

 

 「ははっ、阿里久もすっかり先生が板についてるなー!!」

 

 「オレ、コーチの仕事奪っちゃってません?」

 

 「大丈夫、むしろ助かるよ。小学生でこんなに出来るなんて、俺も頑張らないとな」

 

 「コーチが良いんなら良いっすけど」

 

 「本当に助かってるんだよ? 一人でこれだけの子見るのはなかなか大変だしね。教えるのも、上手な子や積極性のある子に集中しちゃうし」

 

 「オレが来る前はこういう……教え合ったりとかはなかったんですか?」

 

 「教え合うってよりは、能力が同じくらいの子同士で一緒に練習って感じかな。阿里久が入る前だと、うちで一番上手いのは紫電だったけど……面倒見いいタイプじゃないからなあ」

 

 叶はコーチから紫電の話を聞く。

 曰く、二ヶ月前……叶たちより一ヶ月先にチームに入り、サッカーを始めたその日に必殺技を習得した天才らしい。

 

 「実力は確かだけどプライドが高いからか、自分より弱い子への当たりが強いみたいなんだ」

 

 俺の前では普通の優等生なんだけど、とコーチは付け足す。

 その後、叶は誰とどんな練習をし、どんな結果になったのかを一通り報告した。

 ちょうど話し終わったころに、クラブの活動時間が終わった。

 

 「かなちゃん。次、ボクとファイルが練習最初に予約していい?」

 

 「おう! またシュートでいいか?」

 

 「うん! じゃあよろしくねー。またねー!」

 

 綺羅光と芙愛は残って練習をしていくらしい。叶たちの姿が見えなくなるまで、元気に手を振っていた。

 照美が真ん中、叶を車道側にして叶は照美と阿保露と三人で帰る。

 

 「なあなあ、照美。誕生日にサプライズプレゼントしたいんだけど、何か欲しいものってあるか?」

 

 「え!? ちょっと阿里久! 今のでサプライズ失敗したよ?」

 

 「や、だってさ……照美にゴミ渡されたって思われても嫌じゃん。確認はとらなきゃ」

 

 「だからって今のはない」

 

 「叶ちゃんから貰うものなら何でも、ゴミだなんて思わないよ?」

 

 「……そうか。阿保露は何あげる予定だ?」

 

 「内緒。照美の誕生日まで楽しみにしてて」

 

 「むー、被ったら嫌だろ」

 

 「それはわかるけど、せめて照美のいないところで聞いてよ……」

 

 途中で阿保露と別れ、叶と照美の二人だけになった。

 

 「……本当に何でもいいよ。ずっと、一生大事にするから」

 

 「お菓子でも?」

 

 「それは大事に食べるよ」

 

 自分の家を通りすぎて、照美を家まで送って叶は帰る。

 家に着き、画用紙と、軸が折れている色鉛筆セットを取り出して、叶はプレゼントの製作に取りかかった。







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8話 靄

 

 

 

 「(かなえ)ちゃん。おはよう!」

 

 「おはよ」

 

 「ん。おはよう」

 

 今日は学校が休みだ。クラブチームの練習は昼からあり、照美と阿保露(あぽろ)が叶の家まで迎えに来てくれた。

 

 「叶頑張ってね、怪我はしないでね。……照美くん、叶をよろしくね。(ひかる)くんも。いつも叶と遊んでくれてありがとう」

 

 叶の母の季子(きこ)が柔らかく笑う。

 

 「お母さん。恥ずかしいからそういうのやめてよ」

 

 「あはは……いえ、ボクの方がいつも叶ちゃんに助けられてます」

 

 「ほら!! オレ……あっ、わたしの方が照美をお世話してやってるんだから!!」

 

 季子はまだ何か言いたそうだったが、叶は余計なことを言われないように急いで家を出た。叶はサッカーをするのが楽しみで、弁当の入った鞄を振り回して歩く。

 

 「阿里久(ありく)、そんなに振り回したらまずいんじゃない?」

 

 「なんで?」

 

 「お弁当。ぐちゃぐちゃになっちゃう」

 

 「……あ。考えてなかった。ありがと」

 

 叶は鞄を持つ手をキョンシーのように伸ばして、出来るだけ弁当箱を水平にして歩く。照美と阿保露は苦笑いした。既に中身はぐちゃぐちゃになっているだろうに。

 

 「……あの人、本当に阿里久のお母さん? あっ、変な意味じゃないよ! その、優しそうな感じだったし」

 

 「オレは優しくないってか。いつもみんなの練習見てあげる優しい子なのになー」

 

 「阿里久が優しいかどうかについては置いといて、それに阿里久のお母さん、高校生くらいに見えたから……」

 

 「あー……」

 

 叶の母、季子は昔から若々しい見た目をしている。中高生のときは小学生に間違えられ、成人してからも中学生に間違えられていた。とうに三十を越えた今も、せいぜい高校生程度にしか見えない。

 

 「叶ちゃんとおばさん、よく似てると思うけどなぁ」

 

 「本当か!?」

 

 「うん。小さくて可愛らしいところとか」

 

 「照美ぃ……」

 

 母の季子は140センチ前半しかないし、前世()だって平均的な身長だったが、叶には170センチまで伸びる予定がある。

 叶は阿保露と照美を見上げてため息をつく。この年ならば女子の方が背が高いはずなのに、どうしてオレは男子で一番背が低い阿保露より小さいんだ。

 

 練習場所の広場に着いた。クラブ活動が始まるのは二時間後だから、人もあまりいない。

 叶たちは自主連と、叶が書いた必殺技ノートを紫電に見せるために早く来た。照美はノートを見せるのを渋っていたが、叶が説得すると折れてくれた。

 

 「ねえ、叶ちゃん。紫電(しでん)くんとのお話が終わったら、いっぱいボクと練習してくれる?」

 

 「……あの、阿里久。オレも。照美の半分の半分の半分くらいでいいから」

 

 「おう! 二人ともたっぷり見てやるよ!」

 

 叶は友人の可愛らしさに顔をほころばせた。

 子供らしくて可愛い。特に阿保露が8分の1がわからずに、半分の半分の半分と言ったのが最高に子供っぽくって可愛い。

 叶は衝動を押さえきれず、二人を撫で回した。

 

 「……阿里久、どこでスイッチ入ったの……? もう、やめてよ。ほんとにやめて。照美にやりなよ」

 

 阿保露に避けられて、叶はしょんぼり落ち込む。「照美ぃー……」と叶が鳴き声をあげると、照美は頭の位置を叶の胸の辺りまで下げて、叶が撫でやすいように頭を傾けた。

 

 「叶ちゃん。ボクも。早く」

 

 「え? あ、あー! ははっ、可愛いなぁほんっと。子供っぽくてすっげえ可愛い」

 

 「……あっ、違うよ? 光くんだけズルいとかじゃなくって、叶ちゃんが迷惑かけないように、仕方なく撫でられてあげてるんだからね」

 

 叶の胸に頭を押し付けられ、くぐもった声で照美は言った。

 

 「……あ、迷惑だったか? 悪かったな」

 

 「…………うん。それは別にいいけど……」

 

 叶に謝られ、阿保露は歯切れの悪い返事をした。阿保露はこの光景にすっかり慣れてしまった自分を、どう受け止めればいいのか戸惑っていた。

 

 「仕方なくなんだから、勘違いしないでね?」

 

 「はいはい。あー……照美の髪は最高だなぁ……一生触ってたい……」

 

 「……そう。ねえ、叶ちゃん。ボク、もうちょっと髪伸ばしても似合うかなぁ?」

 

 「もちろん! 照美なら何でも似合うだろ!」

 

 叶はうっとりと、最上級の絹糸のように美しい金髪を見つめる。胸までの長さでこんなに触り心地(ごこち)も匂いも見た目も良い。これがもっと伸びたら、きっと撫でるのがさらに楽しくなるはずだ。

 

 「ねえってば! ちょっとっ、二人とも……!」

 

 誰かが来るのを見て阿保露は呼びかける。

 

 「本当に叶ちゃんはボクのことが大好きだよね。仕方ないなぁ。もうちょっとだけ撫でさせてあげるよ」

 

 「そりゃあ大事な弟分だからな! ……阿保露、どうしたんだ?」 

 

 もう、と頬を膨らませて阿保露は言った。

 

 「紫電来たよ! って……ちょっと言うのが遅かったかも」

 

 「おはよう。照美くん、叶さん」

 

 紫電は微笑ましいものを見る目で笑った。

 

 「……見てた?」

 

 「うん。二人とも、すごく仲が良いんだね。羨ましいな」

 

 「うう……光くん、どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」

 

 「まあまあ。あんまりそういうこと言うなよ」

 

 羞恥に顔を赤くして照美は阿保露を見た。

 

 「えっと、それで……。オレが書いた必殺技ノート見たいんだったよな? 照美、持ってきたよな?」

 

 「うん。ちゃんと持ってきたよ。大丈夫だと思うけど、汚したりしないでね」

 

 照美から紫電にノートが渡される。ペラペラと(めく)ると紫電は顔をしかめた。

 

 「……読めないよ。何これ、暗号なのかい?」

 

 「ううん。阿里久の字が下手くそなだけ」

 

 紫電の最大限好意的な解釈を阿保露がばっさりと斬る。叶の字は筆記体と象形文字とアラビア文字が混ざったような、とにかくぐちゃぐちゃで常人には読めないものだ。

 付き合いの長さから照美には問題なく読める。しかしこれは、忍者が幼いころから毒を少しずつ増やして飲み、耐性をつけるようなものだ。

 

 「はは……ごめんなー。それ、元々キーパー技なんか大して書いてねえし。お前にはいらないもんだろ。キーパー技はせいぜいゴッドハンドと、パワーシールドと、えっと残りは……」

 

 「へえ。まずその二つを教えてもらいたいな。どんな技なんだい?」

 

 「……! ゴッドハンドはすげえんだぞ。胸と臍と腹に力込めて、一気に手から出すんだ! 黄金のな、でっかい手が出てきて……どんなシュートでもキャッチしちまうんだ!」

 

 叶は熱を入れて説明した。何せ、叶の前世の尊敬する先輩が、猛特訓の末に覚えた感慨深い技なのだ。

 

 「ふぅん。どんなシュートでも、ねぇ」

 

 紫電は興味を持ったようだ。

 叶はパワーシールドについての説明も軽くする。(あらた)が中学生だったころ、帝国学園のキャプテンが使っていた技だ。

 彼は新のことを覚えていないだろう。あの帝国学園で一年からキャプテンをしていた彼に、同じ年なこともあり新は憧れていた。

 帝国学園がどうやって勝ってきたのかを知ってから、憧憬と軽蔑の間で叶はぐらついている。彼はそのことについて知らない可能性が高い。叶は綺麗な思い出を綺麗なままにしておきたかった。

 ……でも、人殺しから指導を受けた人間なんて、所詮人殺しじゃないか。

 叶は筋の通らない思考を受け入れそうになり、必死に否定した。

 

 「ねえ、叶さん。少し見せてもらいたいんだけど、良いかな?」

 

 「へ?」

 

 「ゴッドハンド。これだけはキーパーの必殺技の中でも、詳細に使い方が書いてあるからさ。キミが使えるんじゃないかと思って」

 

 「……おう。ちょっと恥ずかしいな……。一秒程度……下手したらそれ以下しか出せないけど、いいか?」

 

 「うん、大丈夫だよ」

 

 叶はゴールネットの前に移動する。ゴッドハンドを見せるだけならさっきまでいたベンチの前でも良かったのだが、やはりここの方が気が引き締まる。

 

 「ゴッドハンド!! ほら、こんなんしか出来ねえよ。かっこ悪いだろー……」

 

 本来の物より茶色にくすんだ黄金の手が現れ、一秒もせずに消えてしまった。まるで枯れ木のようだ。

 

 「こんな技も使えたんだ……知らなかった」

 

 照美は不満げに言って、コロリと表情を明るいものに変える。

 

 「ねえ叶ちゃん! 他にもボクに隠してる技はない?」

 

 「隠してるって……はあ、面倒くせえ、シュートだけでいいか?」

 

 「いっぱいあるの?」

 

 「……うん」

 

 「じゃあ今日はシュートだけで良いや。今度他の技も見せてね」

 

 「おう。……えっ、マジでオレが使える技全部?」

 

 「うん!」

 

 叶の体力的には問題はないが、時間を取ってしまう。それに面倒だ。叶は横目で照美を見た。目を輝かせて楽しみそうにしている。

 これじゃあ断れないなと叶は苦笑いした。それに、照美がしてほしいことなら何でもしてやりたい。

 叶は紫電と阿保露に他にやりたいことはないのか聞いたが、彼らも叶の技に興味があるようだった。まずは簡単な技ばかりをして時間稼ぎをする。これで飽きてくれないだろうか。

 

 「……叶ちゃん、もっと凄い技見せてよ」

 

 「しょうがねぇな……じゃ、ド派手なの行くから、耳かっぽじって瞬きせずにしっかり見てくれよ」

 

 デスソード、エクステンドゾーン、デススピアー、デスレイン、アストロブレイク。

 叶がそれらを見せると、照美と阿保露は目を輝かせた。紫電もあまり表には出さないようにしているみたいだが、さっきから口が開きっぱなしだ。

 

 「叶ちゃんっ、他にはっ!?」

 

 「よしっ、とびっきりのを見せてやる! 分身デスゾーン!!」

 

 叶が前世、帝国の選手に純粋に憧れていたころに、頑張って編み出した技だ。

 分身する感覚と、とびっきり息の合う二つの分身と共にボールを蹴りあげる感覚を叶は気に入っている。

 

 「阿里久が増えた!?」

 

 「へへん、どんなもんよ」

 

 分身と合体して一人に戻る。地面に着地すると、叶はえっへんと胸を張った。

 

 「叶ちゃん!! 凄かった! ボクにも教えて!」

 

 「はいはい。まだお前には早いからもうちょっと大きくなったらな」

 

 「……約束だよ」

 

 「おうよ」

 

 叶は軽く肩を叩かれた。この力の加え方だと身長的に恐らく阿保露だろうと、叶は推測する。

 

 「……! ねえ! 今度凄いブロック技も見せて!」

 

 「おう。今度な」

 

 「絶対だよ!」

 

 叶は良さそうなブロック技をいくつか頭の中で見繕った。

 

 「…………凄かったよ、叶さん」

 

 「ん? おう、ありがとな」

 

 紫電は手を強く握りしめていた。声が震えている。叶は驚いて、そんなに感動したのか! と呑気に受け止めた。

 

 「ボク、叶さんが入って来たばかりのころは正直、見くびっていたんだけどね」

 

 「え? 何でだ?」

 

 「背も小さいし、女の子だろう? それに、大人しそうな見た目だったからね」

 

 「人を見た目で判断したらいけないぞ」

 

 「本当にそうだと思い知ったよ。そういえば、叶さんは練習中あれらの技を使わないよね。どうしてだい?」

 

 「え……っと……」

 

 大人は普通、子供相手に本気なんか出さないんだから、当たり前じゃないか。叶はどうしてこんな質問をされたのかわからなかった。

 

 「だって、そんなことしたら試合にも練習にもならないだろ? これ止めれるキーパーも、ディフェンダーも、このチームにいないんだから」

 

 「……そうかい」

 

 紫電は人に悟られないように歯を強く噛み締めた。怒りと屈辱を(こら)える。チームの中で一番の実力のキーパーで、プライドの高い彼にとって叶の言葉は、お前は相手にならないと言われたも同然だった。

 さも当然のように、叶が周りを見下しているのに腹が立つ。

 

 「叶ちゃん、そろそろご飯にしない?」

 

 照美の呼び掛けに、腹を空かせていた叶は軽快な足取りで彼の元に駆けていった。

 ご飯とご機嫌に、犬の耳のような癖毛をパタパタ動かし、叶は照美が持参したレジャーシートの上に座る。

 

 鞄から三段重を二つ取り出し、音階の崩壊した鼻歌を歌いながら叶は六つの重箱を並べた。

 一つ。中には一口サイズのおにぎりが数十個、ぎっちり詰まっていた。

 二つ。叶は中身に目を背けた。箱の中は全て野菜だ。温野菜サラダ、ポテトサラダ、かぼちゃサラダと、野菜が嫌いな叶にも食べやすいよう気を使ったメニューだった。しかし、叶の中では照美に押し付けることが決まっていた。

 

 「照美、照美。野菜食って」

 

 「半分だけだよ……、これ凄く食べやすいよ? 全く苦くないし、どちらかというと甘いから、叶ちゃんでも全部食べられるんじゃない?」

 

 「嫌。半分食え」

 

 「でもね、野菜も食べないと大きくなれないよ? 叶ちゃん、今身長いくつだったっけ?」

 

 「……四月の身体測定で九十センチ……」

 

 「叶ちゃん、背の順は幼稚園のころからずーっと、どこにいるっけ?」

 

 「……一番前……」

 

 「野菜食べないと大きくなれないよ? どうする?」

 

 「半分よりたくさん食べる……」

 

 「よろしい。良い子だね」

 

 叶は照美に負けて、野菜を4分の3食べることになってしまった。

 

 三つ。ハンバーグとオムライスがある。叶はみじん切りにされて入っている異物(玉ねぎ)をほじくり出そうとしたが、照美に止められて失敗した。

 四つ。叶の好きな焼豚が入った味の濃いチャーハンと、胡椒の辛さが全くないように母が作ったカルボナーラがある。

 五つ。卵焼き、ミートボール、ウインナー。お弁当の定番おかずがぎっちりと詰まっている。

 六つ。カットフルーツがぎゅうぎゅうに入っている。

 

 「叶さん……そんなに食べるのかい?」

 

 引き()った笑みで紫電が言った。

 

 「うん。食べるぞ。学校じゃおかわりし過ぎると他の子の分なくなるから我慢してるけど、家だといつもこんな感じ」

 

 「あれで我慢してるんだ……阿里久、残ったの半分以上は持ってくのに」

 

 「叶ちゃん、幼稚園のころからいっぱい食べるもんね。お腹壊さないようにね」

 

 「大丈夫だってば……んん、それやめろよ……」

 

 照美は叶の頬に付いたソースをティッシュで(ぬぐ)った。

 

 「幼稚園のころから……。やっぱり、二人は幼稚園で出会って仲良くなったのかな?」

 

 「ううん、会ったのは幼稚園入るちょっと前。コイツん家の近くの公園で」

 

 「偶然会ったんだよ。懐かしいなぁ……ちょっと意地悪な子たちに虐められていたところを叶ちゃんが助けてくれてね。サッカーも、そのときからずっと教えてくれているんだ。叶ちゃんは凄いんだよっ!」

 

 「へえ……。叶さん、必殺技はいつから使えたの?」

 

 「昔から」

 

 「ボクと会ったころにはもう使えてたよね?」

 

 「へえ……」

 

 紫電は箸を止めて何かを考え始めた。

 

 「ねえ叶ちゃんっ、他には凄い技ない?」

 

 「えっとな……皇帝ペンギン1号ってのが……ふあぁぁ……」

 

 「叶ちゃん?」

 

 「食ったら眠くなった……。照美、三十分くらい寝させて」

 

 叶はレジャーシートの上に横たわった。

 

 「うん。ゆっくり寝ててね」

 

 

 

 

 

 

 叶は夢を見た。

 新が中一のときの、フットボールフロンティア決勝戦。

 ゴールの前。新をサッカー部に誘った先輩、キーパーの先行(さきゆき)の背後に叶はいて、新と帝国学園のフォワードの攻防を見守っていた。

 このとき、デスゾーンを始めとする帝国学園の必殺技の数々を先行は止めていた。点差は1-0。まだ新たちの勝ちだった。

 帝国学園のフォワードはどこか不気味なくらい凄まじい勢いで皇帝ペンギン1号を打つ。彼はシュートの後、全身を(さいな)む苦痛に絶叫した。

 察しの悪い新には勝利の雄叫びに思え、そうではない先行には彼の体が必殺技のせいで壊れゆくことがわかった。

 

 「先輩、アイツあんな雄叫びあげてきて……まるでもう帝国の勝ちみたいじゃないですか! オレらも頑張らないと!」

 

 「そう、だね……。新には彼の絶叫の意味がわからないのかい?」

 

 「……? 帝国の勝ちっつって、オレらを煽りたいんでしょう!」

 

 「……わからないのなら良いんだ。新は気にしないでくれ」

 

 「……? はい!」

 

 帝国のフォワードの彼の覚悟。まるで自分たちの心に斬り込むようなそれを見て、新のチームメイトは怖気づいた。

 先行は憂いを帯びた表情を浮かべる。自分があのシュート以外を全部止めたから、彼はあのような手段に出たのだろう。

 馬鹿で愚かな新は、チームメイトの様子を点を入れられて悔しいからだと思った。あろうことか、新は皇帝ペンギン1号の威力に憧れた。

 新は持ち前の才能をいかんなく発揮した。見様見真似で彼が放った赤いペンギンは、帝国学園のゴールに突き刺さった。

 新たちと、帝国学園の試合は2-3で終わった。帝国学園の勝利だった。この試合で、新と皇帝ペンギン1号のフォワードだけがシュートを決めることが出来た。

 新は流星光底(りゅうせいこうてい)と、模倣した皇帝ペンギン1号で点を決め、帝国学園のフォワードは一人で皇帝ペンギン1号を三回放ち勝利をもたらした。

 

 

 

 

 

 かつての記憶を夢に見て、叶はげへへと涎を垂らすと、(かす)かに目を覚ます。

 

 「まだ寝る? もう三十分経ったよ」

 

 「寝るぅ……」

 

 「本当に? 後から起こしておいてほしかったと言われても知らないよ?」

 

 「寝るから、起こさないでくれぇ……」

 

 頭を撫でる安心する手と、暖かな日光に誘われて叶は再び眠りにつく。

 

 「阿里久、もうちょっとで練習始まるから起きてよ」

 

 「……? 三十分経ったか?」

 

 「えっと……二時間くらい寝てたよ。ちゃんと起こしたけど起きなかったもん。文句言うなら照美に言ってよね。寝かせてあげてって、言ったの照美だもん」

 

 叶は照美に抗議するも、「叶ちゃんが寝たいって言ったんだよ」「いっぱいお昼寝した方が大きくなれるよ」とやり込められた。

 クラブの練習に加わる。叶は寝起きの鈍い体で、あっという間に走り込みや基礎トレーニングを終わらせた。頭が回らず周りに合わせるための調整をしていない分、いつもの何倍も早い。

 

 「叶ちゃん、頑張って!!」

 

 「……へへっ、おう!」

 

 照美に応援されて何も考えずにはりきり、叶は練習でいつもより十五点ほど多く点を決めた。

 その後(わず)かに居心地悪く思いながら、叶は自分にサッカーを教えてほしい子を探す。何人かを見たあと、照美が叶に声をかける。

 

 「叶さん、良ければ次、ボクに──」

 

 「叶ちゃん、こっち来て! ボク、またいくつか必殺技、使えるようになったんだ!」

 

 「おう! すぐ行くぞ! ……紫電? ごめん、何か言ったか?」

 

 「……何でもない。キミの聞き違いじゃないかな」

 

 「そっか」

 

 叶は照美の覚えた技を見る。これでドリブル、ブロック、シュートと一通り覚えた。

 叶は照美を抱きしめ、頭を撫でて褒めてやった。いつもは「子供扱いしないでよ」と言って照美は嫌がるが、今日は素直に嬉しそうにした。

 

 「早くどこかと試合してみたいな」

 

 「そうだな。照美の活躍見るのが楽しみだ」

 

 仮に負けたとしても良い経験になるだろう。叶は大活躍して、さらにみんなの人気者になる照美を思い浮かべた。自然と叶は微笑んだ。

 

 「ねえ、叶ちゃん。他の技も見せて」

 

 「えー……面倒くせえ」

 

 お願いとせがむ照美に根負けして、叶はシュート以外にも技をたくさん見せてやる。

 新だったころも入れて、今日が叶の人生で最も必殺技を使った日だろう。

 珍しく疲れたが、叶は照美が楽しそうにしていたらそれで良かった。照美が楽しいならちょっと疲れるくらい安いものだ。むしろ照美の笑顔を見ていると疲れくらい吹っ飛ぶ。

 叶にとって、照美は息子で甥で弟のようなものなのだから。



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9話 星への執着

主人公がただのアホ


 

 

 「──それでは古会(ふるえ)選手、今回の試合の活躍についてコメントを!」

 

 「普段支えてくれる家族や先輩、チームメイトが居てくれてこその活躍だと思います。彼らにはいつも感謝しています」

 

 記者からの質問を、(あらた)は恋人の季子(きこ)が事前に用意しておいた言葉でいなす。

 今日の試合も淡白な勝利だった。適当に動き、適当に化身を出し、適当にシュートを決めれば前半のさらに半分の時間で勝負はつく。

 いつからサッカーがつまらなくなってしまったのだろう。新は心中の憂いを隠して、スポーツ選手にふさわしい、爽やかで明るい笑顔をカメラに向ける。

 ある程度質問に答えると、カメラのフラッシュに目を痛めながら記者の群れを抜けて、新はようやく安心できる場所へ帰った。

 

 『新っ、今日の試合も見たよ! またダブルハットトリックか! 凄いな!』

 

 先行(さきゆき)からの電話だ。彼は新を本当の弟のように思っていて、新の試合はどんなに忙しくとも必ず見てくれている。

 

 「へへっ……慣れましたよ。これくらいじゃもう喜びませんってば」

 

 『ふふっ、そうか。新、サッカーは楽しいか?』

 

 「……はいっ! 俺、サッカーやってなかったら、馬鹿だから今頃、飢え死にしてると思うんです。先輩があのとき、俺を誘ってくれて感謝してます。……本当に」

 

 『こちらこそ、新とサッカー出来て感謝してる。チームメイトの皆とはどうだ?』

 

 「……最低限仲良くはしてますよ。あんまり気が合わないだけです」

 

 痛い所を突かれ、新の声が暗くなる。

 チームメイトとはビジネスライクな関係で、互いの趣味や家族構成だって知らない。それに、監督やメディアが新ばかり重用(ちょうよう)するせいで、新と周りの間にはすっかり分厚い壁が出来てしまった。

 嫌われているわけではない、と新は思う。一人を除いて。

 帝国学園出身のゴールキーパー。かつて新が憧れていた、帝国学園という強者(つわもの)揃いの魔境で一年のころからキャプテンをやっていた、新と同じ年の天才。

 彼は中二のときの試合で、「お前のせいでアイツは……っ!」と新に掴みかかり、これ以上ない憎悪を新に向けた。なぜかマネージャーに転向していた皇帝ペンギン1号の彼が止めてくれたから、新に怪我はなかった。

 

 『そうか。そういえば新のチームメイトの……参謀の彼と、ゴールキーパーの彼、最近あまり活躍を聞かなくなったな。やっぱり世界は厳しいのかい?』

 

 「……はい」

 

 高校辺りまでは有名だった彼らも、世界の実力には劣る。今の日本代表で世界の強豪相手に確実に()り勝てるのは新しかいない。

 なのに、チームメイトは「俺たちにもボールを回せ」とふざけたことを言う。新が従うと、案の定、すぐにボールを取られていた。

 監督の指示通り、それ以降は新一人でプレーして巻き返したが。

 

 『そうか。新、無理して体を壊さないように。お前は昔から人に上手く頼れないんだから』

 

 「……大丈夫ですって」

 

 『そろそろ切るよ。阿里久(ありく)は元気か? よろしく言っておいてくれ』

 

 「はい。季子も鬱陶しいくらい元気ですよ。失礼します」

 

 新が動きすぎて、ブロックもドリブルもシュートも一人でこなし、チームメイトの仕事を奪ってしまうのもあるだろう。あるいは、監督が新以外をその目に映していないこともあるのだろう。

 プロサッカーファンから──特に、他の選手のファンからの古会新の評判はあまり良くない。「古会のせいで今のプロサッカーはつまらない」。彼らの意見は要約するとこの一つだ。

 

 新も彼らの言葉に傷つくこともある。

 でも、監督は勝てさえすれば良いと言う。勝てば、結果があれば。チームワークだとか誰が活躍したのかなんて過程は些細(ささい)な問題なのだと。

 少年サッカー新聞だって新の価値を認めている。ちょっと寂しいけど、でもこれでいいのだと新は自分を納得させた。

 

 「新、今日のご飯は何が良い?」

 

 「なんでも」

 

 「それ困るんだけど……オムライスで良い? テレビで美味しそうなレシピをやってたの」

 

 「良いぞ。完熟じゃないよな?」

 

 「ちゃんといつも通りふわふわの半熟よ。今日はケチャップじゃなくてデミグラスソースを作りたいけど良い?」

 

 「おう、何でも良い」

 

 新と同棲している、彼の幼馴染みで義理の姉で恋人の季子が言った。鶏肉を炒める香ばしい匂いが辺りに広がった。

 

 「また先行先輩と電話?」

 

 「うん」

 

 「あの人もマメねぇ……。そういえば新、部屋の前にまとめといたやつ、捨てていいか確認して」

 

 「季子が見たなら多分大丈夫だ。全部捨てといてくれ」

 

 「あんたねぇ。確認って何だと思ってるのよ」

 

 新は部屋の掃除、料理、洗濯を全て季子に任せている。

 平均的な家政婦の収入くらいの金は渡しているし、何より新が家事をすると、特に料理をしようものなら火事一直線だ。洗濯物は全て縮み、掃除機はなぜか逆流する。

 

 「はい。オムライスお代わりする?」

 

 「ああ! すごい旨かった! あと五個くらいほしい」

 

 「時間かかるからちょっと待ってなさい」

 

 「おう」

 

 季子が台所に行き、一人の食卓で新は考える。俺の人生は全部先輩のおかげだ。

 サッカーで活躍したから、高校と大学は推薦で入れた。先輩が面倒を見てくれたから、小学生のころのように落ちこぼれることもなかった。

 プロサッカー選手になるなんて、小学生のころの俺に言ったらびっくり仰天だ。さらにそれで生計を立てて、多くの収入を得ているのだからさらに驚きだろう。

 先輩が居なかったらそれこそ底辺の暮らしだったろう。こんな立派なオートロックのマンションではなく、家賃一万円以下のところ。職はフリーターかチンピラ。無職で飢え死んでいるかもしれない。

 

 新は中学の卒業式、先行と新、季子の三人で写った写真を棚の一番高い所に置いて、両手を合わせて拝んだ。もう九年は続く日課だ。

 

 

 

 

 

 

 「……雨かー」

 

 時期の早い台風が近づき、今日は大雨だ。学校の廊下は水浸し。運動場は巨大な水溜まりになっていて、外に出ることはもちろんサッカーなんて出来ない。

 

 「(かなえ)ちゃん、警報が出たから集団下校だって」

 

 「うわ……面倒くせえ。照美、車とか飛んでくるものに気を付けろよ」

 

 「大丈夫だよ」

 

 新品のレインコートと長靴。手にびしょ濡れの傘を持って照美が言った。フードのせいで可愛い照美の顔が隠れてしまうのが叶にはとても残念だった。叶は照美が万が一にも飛ばされないように手を強く繋ぐ。

 引率の先生に連れられて帰宅する。

 

 「叶ちゃんはお母さんお仕事だから、家で一人だよね? 大丈夫? よかったら、ボクの家に来る?」

 

 「大丈夫だって」

 

 「窓を開けちゃダメだよ? 知らない人からのピンポンにも出ちゃダメ。外なんか行っちゃいけないからね!」

 

 「照美もな」

 

 「ボクはそんなことしないよ」

 

 「オレもだよ」

 

 叶が家に帰り、いつもより少し多い宿題を終わらせたころには、雨は少し弱まっていた。木がへし折れそうに揺れるくらい風は強い。けれど踏ん張れば何とか外でサッカー出来そうだ。

 叶が馬鹿な考えを思い浮かべた瞬間に電話が鳴った。

 

 『叶。大丈夫? 無事に家に帰れた?』

 

 「大丈夫だよ、お母さん」

 

 『なら良かった。ごめんね、仕事でもっと早くに電話をかけられなくて。お昼はもう食べた? この時間に下校だと、今日は給食なかったでしょ?』

 

 「うん。昨日のカツ丼。余ったのチンして食べた」

 

 『そう、良かった。全部食べちゃって良いからね。今日はいつもよりちょっとは早く帰るから……良い子にしていてね』

 

 「大丈夫だよ」

 

 叶は子供らしい口調を心がける。母やかつての先輩の前では、男勝りな態度をしてはいけない。自分たちを慰めようと父親に似せているのだと泣かれるからだ。

 叶は通話を終えると公園に向かった。照美と叶が出会った公園だ。叶は通りすがりに、家の中から公園の様子が見えるくらい近い照美の家の窓に、台風対策のためシャッターが下りていることを確認した。万が一見られてしまう心配もない。

 

 叶がやることはただ一つ。かつて使えた最強の技、流星光底(りゅうせいこうてい)の改良だ。

 

 流星光底は強力だ。前世でもこの技のおかげで何度も得点出来た。けれど、叶の幼い体ではこの技は使えない。一度打つと筋肉痛や嘔吐でしばらく動けなくなってしまうからだ。

 筋肉や骨の成長を待てば、自然と怪我せず使えるようだろう。他の技だって十分すぎる程通用する。叶が急ぐ意味は特にない。

 だが、昔出来たことが今は出来ないことに叶は耐えられないのだ。例えるなら、健康体なのに離乳食を強制されるような屈辱的な気分だった。

 それに──この技はプロ時代の古会新の象徴の技。使えるようになれば、新として生きられるはずだ。元に戻れる。やっと家に帰れるのだ。

 

 「流星光底っ!!!」

 

 叶は足に気合いを溜めて、思い切りそれをボールに(そそ)ぐ。ボールは静かに(きら)めく紺色のオーラを(まと)った。

 次の行程。精一杯、前転と同時にボールの周りをX字に切り裂き亜空間を生み出す。問題はここだ。

 亜空間が開かなかったり、必殺技の制御が出来ず下半身が亜空間に持っていかれそうになったりする。

 それに、シュートは何度試しても叶の納得できる速さにならない。速さを求めれば威力が、威力を求めれば速さが死んでしまう。

 今回は亜空間が開かなかった。元気なくゴールへ向かうボールを、叶は無念のまま見つめた。

 

 「はぁ……はぁ……。何でだよっ!!」

 

 叶の右脚に鈍痛。ズボンをめくると赤紫になった脚。叶はずぶ濡れのズボンをめくって何となくでマッサージをする。どこをどう触っても痛み、逆効果だ。

 

 一回。速さを意識しすぎて、速いだけで弱いシュートになった。

 叶の左脚に鈍痛。両足のバランスがとれた。

 二回。ボールを凹ませる確かな手応え。叶は頬の筋肉を緩めた。強さは十分。スピードが消えた。

 叶の骨が軋む。

 三回。程々のスピード。程々のパワー。弱々しいが成功。シュートを打ち少しすると消え、亜空間を介してゴールの前に瞬間移動する魔球の完成だ。

 叶は考える。こんな弱いシュートはプロ選手古会新の流星光底と言えるのだろうか? 叶には、前世の全盛期(ぜんせいき)の三割程度の完成度にしか見えなかった。

 痛む爪先の異物感が気になり、叶はずぶ濡れの靴下を脱ぐ。布地が皮膚から離れ酷く激痛。気が触れたように足を振る。爪と肉の間から砂利が出てきた。

 

 ずぶ濡れの鉄棒に、叶は干された布団のようにもたれ掛かった。

 脳が痛い。脚が痛い。爪が痛い。諦めて帰ろうか。帰る。ああ、そうだ、自分はあの時の家に帰るのだ。

 季子に守られる娘ではなく、対等な夫に。子供の誕生を楽しみにして、自分と違う人格を持った子供を普通の子供のように愛する。時折先輩と飲みに行ったりして、共に大人故の苦労を分かち合う。

 そうだ。もう一回……ちゃんと出来れば良い。周りに阿里久叶(オレ)古会新(オレ)だって認めさせてやる。

 叶はふらつく体を執念で引きずった。

 

 四回目。三回目より少しパワーを上げる。成功だ。叶はガッツポーズを決める。

 腕と脚に鋭い痛みが走った。余計な動作はしない方がいいようだ。

 

 叶は自分の脚を見る。黒に近い紫に変色し、腫れ上がって二回りほど太くなっていた。締め付けてくるズボンは、叶に絶え間なく苦痛を与える。

 腕を見る。脚に比べれば負荷の少ない腕は、鮮やかなサーモンピンクに色づいていた。

 それでも、と叶は技のため、前世を取り戻すために体を動かす。

 これが本来自分の娘の肉体で、父親であるはずの自分がこの体を傷付けることがどんな意味を持つかなど、叶は全く考えていなかった。

 

 十八回目。叶は調子にのって出力を上げすぎた。思わず漏れる悲鳴を叶は口の中で噛み殺した。

 十九回目。弱々しい。脚が麻痺してきた。痛くないのは叶に都合が良いが、力加減が上手くできない。感覚がないから叶にはわからないが、おそらく結構な負担がかかっているのだろう。

 

 何回目か、叶はもう数えていなかった。脚の感覚はもう無くなっていた。

 近くのベンチに叶は体を横たえる。雨水を吸い込んだ木製のベンチは非常に不愉快だったが、今の叶の体を休めるのには十分だった。

 しばらくこのまま眠ってしまいたい。叶はゆっくり(まぶた)を閉じる。

 強まった雨が、叶の熱を持った脚に激しく打ち付けられる。神経に直接細かい針が突き刺さったような鋭い痛みが叶の体へ間断なく訪れた。

 

 阿里久叶(オレ)古会新(オレ)に戻れないのか? 叶は瞬きもせず意識をぼやかした。

 叶の体温が濡れた服で奪われていく。脚だけが、表面にカイロを貼りまくったように熱い。

 

 叶は重い(まぶた)を閉じた。……ほんの十分だけ寝よう。

 そうしたら歩けるくらいには回復するから、濡れた服とボールはクローゼットに入れて、母ちゃんが仕事の日に洗って証拠隠滅。帰ったらすぐに風呂に入って、体も綺麗にしよう。

 叶は意識を無くす前、公園の入り口に見慣れた金髪を見た。彼にしては頭の位置が高い。幻覚だろう。叶は夢の世界に旅立った。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます。叶は柔らかいベッドに寝ていた。白を基調にした清潔感のある部屋だ。叶は鼻にツンと来る消毒液の臭いを嗅いで、ここが病院なのだと気づいた。

 

 「叶っ!! 叶っ、起きたの!? 良かった……この馬鹿……。どうしてこんなことしたのよぉ……!! こんなところまであの人に似なくても良いじゃない……っ!」

 

 叶は母の季子が泣くのを見て驚いた。

 鼻が赤い。季子の淡いオレンジの髪が汗ばんだ頬にべったりと張り付いていた。

 どうして泣いているのか叶は考えて、自分が倒れたからだと思い当たる。失敗した。

 

 「叶まで新と同じで……天国に行っちゃうんじゃないかって……私、私っ……!」

 

 「母ちゃん……」

 

 叶は強く抱き締められて、力の入らない腕でか弱く抱きしめ返した。

 

 「……お母さんごめんなさい、今から検査するので、少し席を離れてくださいね。叶ちゃん、調子は大丈夫?」

 

 「……は、はい」

 

 看護師と病室を出るとき、叶は母の目を見た。白目が真っ赤に充血していた。瞼も少し腫れていた。

 そんな顔をさせたかったわけじゃない。叶は言い訳をする。ただ、あのときの続きの「ただいま」を言いたかっただけなんだ。

 

 検査が終わった。レントゲン、血液、CT、尿。少し倒れたにしてはやりすぎではないか。叶は幾度目かの注射に怯えながら(いきどお)った。栄養剤を点滴されながら叶は病室に戻る。

 

 「叶、お母さんね、サッカー嫌いなの」

 

 「……」

 

 「私から新……あなたのお父さんを持っていって、今度は叶まで取るの?」

 

 「……」

 

 季子はどこか遠くを睨みながら言う。叶は"もうサッカーをしないから安心して"とは言えなかった。ただ黙って彼女の恨み言を聞いていた。

 

 「はあ……でもね、サッカーが初めてお父さんを幸せにしてくれたから、お母さん、サッカーのこと嫌いだけど好きなのよ」

 

 「……」

 

 「叶、叶はどこにも行かないでね。お母さんより先に死んだりしないで。叶は、お母さんにこれ以上サッカーを嫌いにさせないで」

 

 「……うん」

 

 「とりあえずサッカーは、他の子と一緒じゃなければ禁止よ」

 

 「えっ」

 

 「叶が台風の日でも一人で練習するくらいサッカーが好きなのはわかったけど、また今回みたいになるのは嫌よ。せめて周りの目がないところではやらないで」

 

 「そう言えば……どれくらい寝てたの?」

 

 「丸三日よ。帰ったら叶が居なくて、亜風炉さんからこんな雨なのに公園で倒れていて、救急車で運ばれたって聞いて……私がどんな気持ちで……」

 

 「み、三日!?」

 

 たったあれだけの練習で三日も倒れたのか。叶は自分の体の虚弱さに失望した。次はバレないように、前世を取り戻すためにもっと鍛えないと。

 

 「あの、照美たちには……? 入院したの、バレてる?」

 

 こんな情けないことで入院なんて、ましてや心配なんてされたくない。叶はバレていませんようにと願う。

 

 「……亜風炉さんが倒れてる叶を見つけてくれたのよ。本当に、どれだけ感謝しても足りないわ……。照美くんも亜風炉さんも凄く心配してたわよ。……退院したら、お礼くらい言っときなさいね。毎日お見舞いに来てプリントとか届けてくれたんだから」

 

 「……うん」

 

 穴があったら入りたい。叶は布団にくるまって顔を隠した。

 

 検査の結果叶の体に異常はなく、目覚めたその日の内に退院できた。しかし過保護な季子によって、体調が万全に戻るまで家に閉じ込められてしまった。

 結局、叶は合計で一週間も学校を休んだ。連絡帳や宿題は毎日家まで照美が届けてくれたし、その日の授業の内容まで教えてくれたから、彼にもかなり迷惑をかけてしまった。

 

 目が覚めたその日にはもう、叶の体に不調は一切なかった。

 どす黒い紫に変色して、二回りは腫れて太くなっていた脚は、見慣れた普通の色に戻っていた。それとなく叶は看護師に聞いてみたが、倒れて目覚めなかったことと、足の爪が半分めくれていたこと以外には、怪我も特になかったそうだ。

 

 そして、検査の結果わかったことがあった。

 叶の体──正確には遺伝子はかなり特別なものだ。運動面も自然治癒力も、それに、本来なら頭脳面でも優れているらしい。

 医者は人類の進化などとブツブツ呟き、最後は涙を(こぼ)しながら血液のサンプルを定期的に提供してほしいと叶に言った。

 謝礼金を貰えることから、叶は月に一度血液や唾液を提供することを決めた。季子は嫌そうにしていた。だが、医者から叶の遺伝子によって不治の病の患者の治療法が確立するかもしれないと聞かされ、不利益がないか、目を皿にして何度も契約書を読むと判を押した。

 

 自宅の布団の中、叶はほくそ笑む。母に心配をかけさせてしまったのは辛いけど、でもこのことが分かってよかった。

 自然治癒力にも優れた叶の体は、ようするに無理が効くのだ。流星光底の完成もきっともうすぐだ。もうちょっとで前世に戻れる。今度からはバレないように練習しなければ。

 

 退院した日。「叶の好きなものを作ったから、たくさん食べてね」と季子に振る舞われたハンバーグとオムライスを叶は食べる。

 前世からのお気に入りの、ブルーベリーが隠し味に使われたデミグラスソースに舌鼓(したづつみ)を打ちながら、叶は決意を固めた。

 

 もう一度季子と先行と、古会新(オレ)として話すために。奪われたものをどれだけ歪な形でも取り戻すために。新の象徴とも呼ばれていた必殺技、流星光底を取り戻さないといけない、と。




叶は転生のせいで精神が弱っているので、アフロディとサッカーが無ければ多分ぶっ壊れてます。

もちろん中身が成人男性なのに小学生の女の子として生きる事も負担ですが、地の文に出てこないところで定期的に、「復讐とか考えてたけど意味あるの? 俺を殺した奴にも俺にとっての季子や先輩や照美がいるだろ?」とか思って勝手にダメージ受けたり、前世の妻と先輩に(後輩の)可愛い娘として扱われて罪悪感やストレスで勝手にスリップダメージ食らっています。


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10話 誕生日パーティー

 

 今日は照美の誕生日だ。(かなえ)は学校が終わると急いで家にプレゼントを取りに行き、照美の家まで向かった。

 

 「阿里久(ありく)、思ってたより荷物少ないな。照美の誕生日なんだから、もっと山盛りで持って来ると思ってた」

 

 「お金があったらたくさんプレゼントしたかったけどなー。あれ? 前プレゼント被らないように打ち合わせしなかったか? オレが何渡すか知ってるだろ?」

 

 「だって阿里久、阿保露(あぽろ)にもサプライズだー! とか言ってオレの知らないの持って来そうじゃん」

 

 「お前の中のオレどんなんだよ」

 

 照美の家までの道中、叶と阿保露は軽く話しながら歩く。

 前世のオレなら、照美が行ってみたいと言っていた観光地への旅行も、欲しがっていた物も全て渡せたのに。

 叶は自分が用意したプレゼントを見る。前世なら渡せたものとは程遠いありふれたものだ。

 

 「ねえ、阿里久。体調はもう大丈夫なの?」

 

 阿保露は心配そうに聞いた。

 クラスやクラブチームの子供たちは、叶が一週間に渡って休んだのをただの体調不良としか聞いていない。まさか、台風の中で練習して倒れたとも思わないだろう。

 

 「全然大丈夫だ!」

 

 「うーん、確かに凄く元気そう……」

 

 「おう! もう心配いらないぞ!! あっ、お前子供だしピンポン押したいか?」

 

 「あー……別に押したくはないけどさ」

 

 阿保露が玄関ベルを押すと照美の母が出迎える。

 

 「こんにちは。照美はまだ準備があるみたいだから、リビングで待っててね。(ひかる)くんはアレルギーとか嫌いなものはない?」

 

 「わっ、……大丈夫です」

 

 「オレンジジュースでいいかしら? サイダーや紅茶もあるわよ」

 

 「じゃあ、サイダーが良いです。ありがとうございます」

 

 「お、オレも阿里久と同じのでお願いします」

 

 用意してもらったジュースとお菓子を叶がゆっくり味わっていると、阿保露に肩を強く叩かれた。

 

 「なあなあ! 照美のお母さん凄く美人じゃない!?」

 

 「ん? あっ、そう言われればそうだな」

 

 「いやそう言われればじゃないって。クラス……学校の子だってみんな美人って言うよ!」

 

 照美の母親は息子同様、流れるように美しい金髪とルビーのような赤い瞳に、整った顔立ちを持っている。それに加えて経産婦とは思えないほど細身の体だ。

 見た目も少女のように若々しく、実際、同級生の母親の中でも若いらしい。彼女に(ひそ)かに思いを寄せる人間も年齢を問わず大勢いるようだ。

 

 ジュースもお菓子も食べ終わった叶は、照美の母にジュースのおかわりを勧められた。

 彼女は叶に物を食べさせるのが大好きなようだ。だが今までの経験から、ここで頷くとわんこそばのようにおかわりが続くとわかっていたから、叶は心を鬼にして断った。

 

 照美の準備が終わったようだ。叶たちはリビングから彼の部屋に移動した。

 

 「わあ、本当に今日来てくれたんだ……!」

 

 「オレ、ちゃんと毎年祝ってるじゃん。なんかオレが今年初めて祝ったみたいじゃねえか」

 

 「だって叶ちゃん、ボクの誕生日いっっつも間違えるじゃないか。去年なんて十一月にお祝いしてきたよね?」

 

 「自慢じゃねえが、オレは母ちゃんの誕生日も自分の誕生日も覚えてねえぞ」

 

 「うわ、阿里久……ちょっとそれはダメだよ」

 

 「はあ、全く。叶ちゃんは本当にダメなんだから……。ねえ叶ちゃん、二度と雨の中でサッカーの練習なんかしてはいけないからね。まさかあんなことで風邪をこじらせて入院なんて……」

 

 照美は目尻に涙を溜めた。今にもこぼれ落ちそうな涙の膜が彼の目を覆う。

 阿保露は二人の反応から事実なのだと察して、阿里久はテストの点は良いのにと頭を抱える。

 

 「わかってるよ」

 

 「本当にボク、叶ちゃんが死んじゃうんじゃないかって不安で……もうどこにも行かないでね」

 

 「わかったわかった」

 

 「叶ちゃんのお母さんが言った通り、他の子と一緒じゃないと練習しちゃいけないよ」

 

 「はいはい」

 

 「真面目に聞いて」

 

 「ほいほい」

 

 「ちょっと阿里久!」

 

 「わぁったって」

 

 照美と阿保露はわざとらしく大きなため息をついた。叶もため息をつく。誕生日を間違われるのは嫌だろうけど、日付は違っても毎年祝ってるし、プレゼントもあげてるんだから良いだろう。

 

 「クイズだよ。叶ちゃんの誕生日は?」

 

 「六月」

 

 「どこから出たの? 二月の最後でしょう? 大丈夫?」

 

 照美は心配そうに叶を見つめた。叶の回答に阿保露は「うわっ」と声を上げた。

 

 「ふぅ、毎年お祝いしてあげれば、いくら叶ちゃんでも誕生日覚えられるよね?」

 

 「どうする? 六月になって阿里久がさ、今年誕生日祝ってもらってないとか言ったら」

 

 「それ迷惑だな。一発本気でぶん殴ってもいいぞ」

 

 「えぇ……」

 

 自分に向けられる生暖かい視線に気付き、叶は慌てて話題を変える。

 

 「あっ、プレゼント。なあ阿保露、プレゼント出そうぜ。照美も楽しみだろ? 阿保露も早く渡したいよな? なっ。せっかくの誕生日なんだから、面倒な話なんかやめようぜ」

 

 「……うん」

 

 「へへっ、そうだよな! どっちが先に渡す?」

 

 「阿里久先で良いよ」

 

 「お前先に渡したくないか? 良いぞ?」

 

 「……じゃあオレ先に渡すよ」

 

 阿保露は綺麗に包装された二つの箱を取り出した。

 

 「多分ちょっとセンスないけど」

 

 「そんな、何だって嬉しいよ。今開けて良い?」

 

 「うん」

 

 照美が包装を開ける。包装紙が一枚の紙になる綺麗な開け方だ。叶にはとても真似できない。

 

 「わあ、光くんありがとう!  大事に使うね」

 

 「……喜んで貰えたなら良かった」

 

 一つ目の箱にはスポーツ用のリストバンドと、足のサポーターが入っていた。

 照美がもう一つも続けて開けた。筒状の透明なケースに入った、色とりどりの飴があった。

 

 「綺麗。宝石みたい。大事に食べるね」

 

 「お母さんが勝手に用意したんだけど……不味かったらごめん」

 

 叶は鞄からプレゼントを出して、照美と阿保露の話が終わるのをそわそわと待った。

 

 「……! ……! っ、オレも出していいか? はい、開けて良いぞ」

 

 「うん。何かなぁ、楽しみ」

 

 叶が渡したプレゼントを照美は嬉しそうに開けた。

 

 「ありがとう! たくさん使って練習するね」

 

 「おう」

 

 「これは……? メッセージカード?」

 

 「わー!! 恥ずかしいからな、それはオレらが帰ってから見てくれ」

 

 「ふふっ、わかったよ」

 

 叶が渡したのはプロサッカー選手による子供向けの講義のDVDだ。サッカーのテクニックや基礎トレーニングを教えてくれる。

 照美がメッセージカードが入っていると勘違いした封筒には、叶が作った"何でも聞いてやる券"が入っている。

 

 華やかに仕上げようと叶は券の縁を色鉛筆で囲った。力を込めて色を重ねていくうちに汚い灰色になってしまったが。

 字は最高に上手く書くように努めたが、元々下手な叶の文字だからいくら気を付けても拙い子供の字にしかならなかった。

 

 「何書いてあるんだろう、楽しみだなぁ」

 

 「頼むからそんな期待しすぎんなよ。いらなかったら捨ててもいいからな。捨ててくれよ」

 

 「お母さんに小さい額縁でも買ってもらおうかな……?」

 

 「頼むからやめてくれ。 チラッと見たら捨てろよ」

 

 雑談をしているとノック音の後、照美の母がホールケーキを持って部屋に入ってきた。

 部屋の灯りを消して、彼女はケーキに七本のロウソクを等間隔に立てる。

 

 「へへっ、照美ー、七歳の誕生日おめでとう!」

 

 「ありがとう。これから九ヶ月はボクの方が年上なんだからね。わかった?」

 

 「けっ。でもオレの方が気持ちは年上だからな。そういえば阿保露は誕生日いつなんだ?」

 

 「どうせ忘れるでしょ? 誕生日の前に言うよ。一応言っとくけど、オレ、阿里久より半年は年上だから」

 

 「精神年齢はオレの方が上だから」

 

 叶は前世の誕生日を思い出す。うろ覚えだが、確か早かったはずだ。同級生の中で年上になれるから、誕生日だけ前世のままはダメだろうか。叶は本気で悩んだ。

 

 照美はふぅふぅと数回、か弱く息を吹いた。ロウソクの炎は揺れたが消えなかった。

 深呼吸をして、照美が先程よりも強く息を吹くと、ロウソクの炎は呆気なく消えた。

 

 「なかなか一回で消せないなぁ……」

 

 「別に一回で消さなくても良いと思うけど」

 

 「でも、叶ちゃんは一回で全部消せるから、ボクもやってみたいんだ」

  

 照美の母がケーキを切り分けた。

 一番大きなものと、"てるみくん誕生日おめでとう"と書かれたチョコプレート、それを挟む二つの砂糖人形は、主役の照美の元へ置かれた。

 

 「もう……お母さん、ボクこんなにいらないよ。叶ちゃんこれ好きだよね? いる?」

 

 照美は砂糖人形を一つ叶に差し出す。

 

 「うーん、くれるんなら欲しいけど……阿保露いるか?」

 

 「オレそれちょっと嫌いで……」

 

 「えっ!? こんなにうまいのが嫌いなのかっ!?  可哀想に」

 

 「はあ、そういうのやめろよなぁ。同じ砂糖なら金平糖とかの方がおいしいもん。それに、食べるの可哀想じゃん」

 

 「ぷぷっ」

 

 「ちょっと阿里久、馬鹿にしないでよ!」

 

 「ははっ……馬鹿にしてねえって。可愛いなぁって」

 

 「別に可愛くないもん」

 

 「はいはい、ごめんな」

 

 叶は砂糖人形を口に入れる。唾で湿らせて軽く崩すと濃い甘味が口に広がった。

 

 「照美、苺いるかー?」

 

 「叶ちゃんのが無くなっちゃうでしょ? いらないよ」

 

 「でも誕生日だろ? ワガママ言っても……」

 

 「いるって言うまで終わらないやつじゃん」

 

 半ば無理やり叶は照美に苺をあげた。阿保露の視線が少し冷たいのを、彼も苺を欲しがっているのだと叶は解釈する。

 

 「阿保露ー、苺いるー?」

 

 「さっき照美にあげたからもう無いでしょ……?」

 

 「ここにあるぞ」

 

 叶はスライスされた苺が挟まった、ケーキのスポンジとスポンジの間を指差した。

 

 「うげっ、そこまでしなくてもいいや。いらない」

 

 「そうか。あっ! 今度お前の誕生日に欲しいものある?」

 

 「うんと、照美に渡してたビデオみたいなの欲しい」

 

 「了解!」

 

 照美と同じだと芸がない。何か他に良さそうなものを探しておこうと叶は決めた。

 

 「阿里久は誕生日……まだ先だけど、なんか欲しいのある?」

 

 「お菓子!」

 

 「阿里久、ゲロ甘なの好きだもんな。あんなんばっかり食うと病気になるよ?」

 

 「オレはちゃーんと運動してっから大丈夫!」

 

 「何か好みある?」

 

 「飴でもチョコでも何でも好きだぞ。辛いお菓子は無理。チーズ系も無理だ。それと、苦いのも発酵食品も変に酸っぱいのも嫌だぞ」

 

 前世は好き嫌いなく食べれたと叶は一人言い訳をする。この体が異常に子供舌なのだ。

 

 「叶ちゃん、辛いの本当にダメだもんね」

 

 「前の給食……すっごい甘口だったカレーもダメだったよね」

 

 「辛かったぞ? カレーの会社はそろそろ、林檎と蜂蜜だけでカレーを作ってほしいよな」

 

 「それはカレーじゃない」

 

 「チーズ美味しいのに。あれ、元々は叶ちゃんが好きな牛乳だよ?」

 

 「発酵食品だろ? だから嫌い。汚い。無理」

 

 微妙な顔の二人を尻目に叶はケーキを味わう。

 ふわふわのスポンジは口の中でシュワっと溶けた。生クリームも濃厚だ。甘酸っぱく新鮮な苺やブルーベリーを、皮や種までたっぷり味わってから飲み込んだ。

 叶はケーキを食べきって名残(なごり)惜しく、皿についた生クリームをフォークで(すく)って味わった。自分の家だったら、ケーキの側面のフィルムについたクリームまで綺麗に舐め取っていただろう。

 

 「そいえば、お前らまたオレ抜きでなんか練習してるの?」

 

 「阿里久が他のやつと練習してるときとか、普通にやってるよ」

 

 「ふーん。なんかまた技覚えたのか?」

 

 「練習はしてるけどまだ」

 

 「何の技練習してるんだ? ひょっとしたらオレ、役に立てるかも」

 

 「オレがキラースライドで」

 

 「ボクはシャインドライブ。やっぱり難しいや」

 

 「……両方とも、使えるけどちょっと苦手なんだよなぁ」

 

 「今度お手本見せてよ。足の出し方が微妙にわかんなくてさ。足(くじ)きそう」

 

 「ボクの方は形にはなっているけど、ちょっと弱すぎる気がして。やっぱり、もっと練習しないとなぁ」

 

 「ん。わかった、今度見てやる。……最近照美も友達増えたろ? せっかくのお祝いなのに、オレらだけで良かったのか?」

 

 「うん、やっぱり家でお祝いするってなると、特に仲の良い子だけで良いかなって」

 

 「大勢呼んでも迷惑だもんね」

 

 「うーん、そういうものか」

 

 人見知りもすっかりなくなり、見た目も頭も運動神経も人当たりも良い照美は学校で人気者だ。誕生日パーティーに誘えば、クラスどころか他の学年からも人が集まるだろう。

 

 「叶ちゃん、光くん。そろそろ帰らないとご家族の方も心配するんじゃない?」

 

 「……うわあ!? もうこんな時間? お母さん怒らないと良いけど……」

 

 「どうせ家帰っても誰もいないしな。寄り道しても……せっかくだし公園寄って練習して帰ろうかなー」

 

 「そう。叶ちゃんがこう言ってたの、阿里久さんに連絡させて貰うわね」

 

 照美の母は電話を構えて、作った冷たい声で言う。叶は姿勢を正し慌てて言った。

 

 「ごめんなさい! 今のは言葉のあやで、別に本気で寄り道する予定は無かったし、真っ直ぐ家に帰るつもりでした!」

 

 「わかったのなら良いの。危ないし、ちゃんと真っ直ぐ帰るのよ?」

 

 「あんな阿里久初めて見た……」

 

 「叶ちゃんのお母さん、怒ると物凄く怖いからね」

 

 退院した日、叶は家から抜け出してサッカーをしようとし、季子(きこ)に見つかってしまった。その日は季子にとって叶がいかに大切なのかを言い聞かせられた。

 翌日、叶が同じようにしようとすると、季子は容赦なく叶の尻を百叩きして怒った。尻が腫れ上がり、椅子に座るのが辛かったのは叶のトラウマだ。

 

 「叶ちゃん、こっち来て」

 

 「はい……?」

 

 照美の母に呼ばれた。小さな声で話しかけられる。

 

 「良かったら(うち)で夜ご飯食べていかない?」

 

 「えっ? そんな、悪いですし、それに母ちゃ……母がご飯用意してくれてるので」

 

 「そっか。……また今度、阿里久さんとも予定が合うときに四人でランチでもしましょうね」

 

 「……はい」

 

 親の帰りが遅い叶への純粋な善意だ。わかっているのに、叶は照美の母を少し恨んだ。

 今の人生だっていつ終わるかわからないから、貴重な母ちゃんの料理を食べる回数を減らさないでほしい。

 感謝しないといけないと思いつつ、この気持ちを(こら)えることが叶には出来なかった。

 

 「叶ちゃん、良い? 元気が一番なんだからね。叶ちゃんは生まれつき何の病気も持ってないでしょう? せっかく阿里久さんがくれた健康な体なんだもの、無理して体調を崩したら勿体無いわ」

 

 「……はい」

 

 「あんまり阿里久さんを心配させないであげてね。あの人、あんなに泣いて……私も、叶ちゃんが倒れているのを見て凄く心配したんだから」

 

 そんなのわかってる! 叶は心の中で叫びながら、不満が顔に出ないようにする。

   

 「阿里久、もしかして怒られた?」

 

 「怒られてない」

 

 「あはは……お母さんがお節介でごめんね、叶ちゃん」

 

 二人は帰りの支度をし、照美に別れの挨拶をする。

 

 「叶ちゃん、光くん。これ、つまらないものだけどお土産よ」

 

 「うわぁー……! やったぁ! ありがとうございます! 阿保露、照美のお母さんの作ったの、すっげぇ美味いんだぞ!」

 

 半透明の袋には、手作りのマドレーヌとパウンドケーキが入っていた。バターと砂糖をたっぷり使った、叶の大好物だ。

 

 「そうなんだ、楽しみ……! ありがとうございます!」

 

 「ふふっ、いつも照美と仲良くしてくれてありがとう。気をつけて帰ってね」

 

 「いえ、こちらこそ! 照美に仲良くしてくれてありがとうって言っておいてください! さようなら!」

 

 「光くん、ボク目の前にいるよ? ……いつもありがとうね」

 

 「どういたしまして! お菓子ありがとうございました! さようなら!」

 

 「さようなら。叶ちゃんは女の子だから気を付けるのよ。体を大事にね。防犯ブザーはある?」

 

 「ないです! さようなら!」

 

 「近い内に用意するのよー!」

 

 照美の家を出てすぐに、叶はマドレーヌを一つ口に放り込む。濃厚なバターの風味。しっとりとした黄金色の生地。店に出しても問題は無い味だ。

 

 「普通こんなすぐ開ける?」

 

 「だって腹減ったから」

 

 阿保露の言葉に、叶は子供が言い訳するように返した。

 

 「美味しかった?」

 

 「おう! すっげぇおいしい。間違いない。めっちゃ期待してろよ」

 

 「……うん。あんな美人の作ったお菓子なら、不味いわけないし」

 

 「その理屈はちょっとおかしいような……?」

 

 阿保露は(ほの)かに顔を赤らめて、照美の母が渡したお菓子の袋を見ている。

 叶はニヤニヤしながら口を開けた。

 

 「阿保露っ」

 

 「なぁに?」

 

 「オレはお前の恋応援してやるからな! 多分無理だと思うけど!」

 

 「え!? なんでバレて……! よりにもよって阿里久に……」

 

 阿保露は恥ずかしさを中和するため、ポカポカと叶の肩を叩いた。

 

 照美に恋愛の気配が無いところを、叶は見ていて面白くないと思っていた。

 以前、好きな子いる? と聞くと、照美は少し考えた後にサッカーと返した。子供の癖に上手く誤魔化しやがってと叶は苛立った。

 

 「阿里久……? ちょっと顔が気持ち悪いんだけど」

 

 「いやー、ちょっとな? げへへっ、ちょっと面白いなーって」

 

 「何なの? 早く戻してよ気持ち悪い……」

 

 「うへへ……気持ち悪いってなんだよ、母ちゃんには可愛いって言われるんだぞ!」

 

 「まあ黙ってればそうなのはそうだけど。それに親だからな……」

 

 「クラスの男の子にも前告白されたしな!」

 

 子供が顔を赤らめて好意を伝えるのは、中身は大人の叶にとって非常に可愛らしいものであった。

 

 「ええっ!? 嘘ぉ!? 誰? オレの知ってるやつ? 照美はこれ知ってるの? 阿里久は何て返したの??」

 

 阿保露は叶に絶え間なく問いかける。

 

 「そりゃあ同じクラスなんだから知ってるヤツだろ……?  ほら、真ん中の列の一番後ろのやつ」

 

 「あんまり話したことないなぁ。全然知らない子だ」

 

 「まあオレら子供だし、普通に断った。照美は知らないぞ? そんな、親友だからって何から何まで共有しないだろ?」

 

 それに、叶と未成年が付き合ったりすれば周りからはそう見えなくとも犯罪だ。 

 

 「本当びっくりしたぁ。まあ確かに、阿里久は見た目だけは可愛いと言えなくもないもんね」

 

 「何だよその言い方」

 

 「あっ、照美にそれ言ったら面倒だから言うなよ。ただでさえ、“叶ちゃんが他の子ばかり構う”っていじけて……っ!? これ言わないでって言われてた! 阿里久、何にも聞いてないよね、ね!?」

 

 「お、おう……」

 

 「良かった。オレここ曲がるから、じゃあなー!」

 

 「おう、気を付けろよー!」

  

 叶は阿保露と別れ、家まで帰る。

 照美、そんな風に思ってたのか。ガキらしくて可愛いな。叶は明日の朝、可愛い幼馴染をどうやって撫でくり回そうか考えた。

 

 帰宅し、叶は夕食をレンジで温め直す。

 肉じゃがのじゃがいもはホクホクで、他の具材も味が染みておいしい。唯一の欠点は叶が温めすぎて熱いことだ。叶はどんぶり五杯おかわりした。

 

 夕食と風呂を終えて、叶は季子が帰ってくるまでの暇潰しでテレビを点けた。

 

 『今年のフットボール・フロンティアの見所ですが、やはり王者帝国学園の──』

  

 チャンネルを変えた。知らない芸人が出ているバラエティーを見て時間を潰す。

 一時間後、ようやく季子が帰ってきた。

 

 「おかえり。これ、照美のお母さんがくれた」

 

 「ただいま。あら、亜風炉さんの作ったお菓子凄くおいしいのよね! 今度お礼しなくっちゃ。プレゼントどうだった? 喜んでもらえた?」

 

 「うん」

 

 「良かったわね。ねえ叶、学校は楽しい?」

 

 「うん」

 

 叶は適当に話して、キリのいいところでおやすみと言って自分の部屋に行った。

 

 叶は真夜中まで数時間仮眠をとる。ここからがある意味、叶にとって一日の本番だ。

 季子は日付が変わるころが一番眠りが深い。寝てる横でラジオ体操をしてもテレビを最大音量にしても起きない。

 

 研究した人も車もほぼ通らない道で公園に向かい、叶は小一時間過激な練習をした。これが退院してからの叶の日課だ。

 靴とボールを公園の蛇口で洗い証拠隠滅。自分への視線に気付かず、叶は誰にもバレていないと思っていた。




ちなみにアフロディの誕生日は5/17らしいです。
叶はフットボールフロンティアの決勝戦(6月後半〜8月前半?)で母親が妊娠3ヶ月なので、それに7ヶ月足した真ん中の時期を取り2月生まれです。下旬とだけは決まっていますが、具体的な日付は決まっていません。


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11話 星影散花

 

 (かなえ)が真夜中の公園で特訓を始めて二ヶ月。

 (あらた)だったころの最強の技、流星光底(りゅうせいこうてい)は何度打っても納得出来るものにならなかった。

 だから、威力を弱めスピードも落とし、流星光底の劣化版の必殺技を作ることにしたのだ。

 

 体が未熟だからまだ使えないだけで、きっと大きくなれば出来る。

 いつかは帰れるはずなのだ。叶は自分に言い聞かせた。

 

 叶は公園の時計を見る。夜の1時少し前だ。証拠隠滅や風呂の時間も考えると、そろそろ帰らないといけない。

 

 「…………おりゃあ!!」

 

 ガムテープで補強したゴールにシュートを決める。ネットにまた穴が開いてしまったので、叶はテープを上から貼り直す。

 そろそろ妥協して、季子(きこ)との約束通り、昼間の他の子と一緒の練習だけにしても良いだろう。叶は伸びをしながら思った。

 

 

 

 

 

 

 「おはよう」

 

 「ふあぁ……おはよ……」

 

 「また欠伸(あくび)してる。叶ちゃん、最近変だよ。ちゃんと寝てる?」

 

 「寝てる寝てる。…………すぴー」

 

 「ここで寝ないの。調子が悪かったら保健室に行くんだよ。ボクも着いていってあげるから。わかった?」

 

 「ん? うん。……ぐー、かー……」

 

 「また半分寝てる……はい、しっかりボクに着いてきて」

 

 照美は叶の腕を引いて歩いた。 

 

 「おはよう。それ、何してるの?」

 

 「(ひかる)くん、おはよう。叶ちゃんが寝てるからこうやって学校まで連れていこうとしてるんだ」

 

 「犬の散歩みたい。……おい阿里久(ありく)、照美に迷惑かけないで起きろよー! はあ……体調は悪くないんだよね?」

 

 「……っ……叶ちゃん! 叶ちゃん! ……ふぅ、やっと起きた。調子はどう? 元気? なら良かった。はい、自分で歩いてね」

 

 声が叶の頭に響く。叶は照美に何度も揺さぶられた。

 必死に叶が何度も頷くと、照美は揺さぶるのを止めた。ついでに叶の腕から手を離してしまった。せっかく歩くのが楽だったのに。叶は残念に思った。

 

 「…………おはよ。あー、眠い」

 

 「阿里久、いつも何時に寝てるの?」

 

 「9時」

 

 「何時に起きてるの?」

 

 「6時」

 

 「ごー、ろく、しち、はち……9時間寝てて眠いんだ……?」

 

 阿保露(あぽろ)は指折り数え、不思議そうに首をかしげた。

 実際には叶は21時から23時まで仮眠をとり、そこから1時まで特訓をした後、朝の6時まで寝ている。睡眠時間は十分。だが分割しているからか疲れはあまりとれない。

 

 眠気を誘う授業が終わり、ようやく給食の時間だ。

 叶は持ち前の動体視力と反射神経を活かして、じゃんけんに勝ち、余った牛乳を全て貰い、ついでに余ったおかずも半分以上貰う。

 

 「先生!! いつもアイツばっかりずるーい!! オレら全然おかわり出来ねえじゃん!!」

 

 クラスの子が文句を言った。

 四月に小学校生活が始まり今は七月。叶は入院するまでは皆勤賞で、じゃんけんでも全勝していた。毎回このようにごっそりと叶が持っていくから、彼らはあまり給食をおかわりすることが出来なかった。

 

 「そうねぇ……なら、牛乳は一人三本まで、おかずは一人二杯までにしましょうか。ごめんね、叶ちゃん。じゃんけんだからしょうがないのはわかってるけど、我慢してね」

 

 「三本…………わかりました」

 

 机の上の十本の牛乳と先生の言葉を比べて叶は落ち込む。

 午後の授業と帰りのホームルームが終わり、いつも通り叶は照美のところへ行った。

 

 「体調は大丈夫?」

 

 「おう! 平気だぞー!」

 

 「良かった……本当に、ちょっとでも頭やお腹が痛かったり、ふらふらしたりしたらすぐ保健室に行くんだよ? ボクも着いていってあげるから」

 

 「それ朝も聞いた気がする」

 

 叶が倒れてから照美や季子、照美の母までが過保護だ。他の子は、叶は風邪をこじらせて休んだとしか知らないから特に態度の変化はない。

 叶がくしゃみしただけで過剰なまでにうろたえる照美の姿を思い出して、叶は倒れて入院してしまったのは本当に失敗したと思った。

 次は失敗しないようにしなければ。叶は決意を固める。

 

 「叶ちゃん、練習に行かないの?」

 

 「……わっ、悪い。ついぼんやり」

 

 「……調子が悪いのなら休む? ボクからコーチには伝えておくよ。熱中症も最近不安だもんね」

 

 「来ても良いけど、気分悪くなったらちゃんと休んでよ。……ねぇ、本当に平気?」

 

 照美と阿保露に心配され、叶は居心地が悪くなった。本来、叶はこんな小さい子から心配されていい人間ではないのだ。

 

 「平気平気。ちょっとぼーっとしてただけだよ。普通に行けるって」

 

 叶の返事に、阿保露は「確かに今日もあんなに食べてたもんね」と納得して、照美だけが()に落ちない様子を見せた。

 

 「かなちゃん、こんにちはー!! これいる?」

 

 「こんちゃ。……何これ?」

 

 「塩飴! お母さんがみんなでどうぞーって! 照美くんも光くんも、どうぞ!」

 

 叶たちがクラブの活動場所に着くと、綺羅光(きらびかり)が子犬のように寄って来た。

 小さい子を構いたがる叶と、子供らしく元気な綺羅光とは相性が良く、今ではすっかり仲良くなっていた。

 反対に、几帳面な芙愛(ふあい)と大雑把な叶は相性が悪く必要以上に話すことはない。しかし嫌い合っているわけでもなく、それなりの距離感を保っていた。

 叶は綺羅光からもらった塩飴を口に放り込んで噛み砕く。

 芙愛、阿保露、照美。三人の視線を感じ、叶は威嚇するように口を開いた。

 

 「何だよ」

 

 「普通に舐めて食べれば良いのに……」

 

 「歯にくっつくから虫歯になるぞ。歯医者さんすっごく怖いんだよ!」

 

 「キラレアから貰ったものを一瞬で食べるなんて」

 

 「悪かったってば」

 

  叶は噛み砕いた飴を飲み込む。

 

 「舐めた方が、叶ちゃんの好きな甘いのたくさん味わえるよ?」

 

 「これ塩飴だから甘くないし。ちゃんと奥歯にこびりついたの味わってるし」

 

 「揚げ足とらない。歯に飴が付くのなら虫歯になっちゃうよ。歯はちゃんと磨いてる?」

 

 「おうよ。五秒くれぇでちゃーとやってる」

 

 「…………きちんと三分以上かけて磨くんだよ」

 

 怒られた。精神年齢的には何十歳も下なのに。叶は落ち込んで、照美は潔癖だから仕方ないなぁと自分が譲歩(じょうほ)してやっていると思い込んだ。

 

 「……そうだ! 叶ちゃん、今度またお泊まりしようよ!」

 

 「今度なー。母ちゃんたちが良いって言ったらだぞ」

 

 「きっと大丈夫だよ。いっぱいお話しようね。歯の磨き方も教えてあげるよ」

 

 「……? ……う、ん……?」

 

 叶はフリーズすると、脳味噌を回し自分が何を言われたのか理解した。

 

 「オレは赤ちゃんじゃねーぞ……」

 

 「ハンカチもティッシュも持ってこないし歯磨きも出来ないなんて、阿里久は赤ちゃん以下だよ」

 

 阿保露の辛辣な言葉に叶はうなだれた。

 

 「こんにちは。今日もキミたちは仲が良いそうで羨ましいよ」

 

 からかうような笑みの紫電(しでん)に挨拶を返して、叶は彼について考えた。

 叶とは仲良くも悪くもない。だが紫電に嫌味を言われた子が、そのせいで叶に練習を見てもらいたがらなくなった。故に、叶はどちらかというと紫電が苦手だ。

 叶はそれとなく紫電との距離を開けようとする。

 

 「ねえ、叶さん」

 

 その前に紫電に声をかけられた。

 

 「一つボクのお願いを聞いてほしい」

 

 「どうした?」

 

 叶は紫電からの突然の申し出に驚いた。

 

 「ボクに本気のシュートを打ってくれないかな?」

 

 「えっ……!? ……わかった。……照美のシュートじゃダメか?」

 

 叶の本気は小学生には止められない。下手したら大怪我だ。叶は小さな子を傷つけまいときっぱり断ることが出来ず、おかしな返事をした。

 

 「どうしてそこで照美くんが出てくるんだい? ボクはキミに聞いているんだけど。……彼らとの用事が終わったらあっちに来てほしい。いいね?」

 

 「わかった」

 

 紫電は足早に去っていった。叶はどうすれば最低の威力で強そうに見える必殺技を発動させられるかを考える。

 

 「にしても、急に何だってんだ?」

 

 「叶ちゃんと一緒に練習したいんじゃないかな」

 

 「お! やっぱ照美は賢いなぁー。ご褒美に撫でてやる」

 

 「ちょっと、ねえ、本当にここではやめてよ。……後で、解散してから帰るときに、ね?」

 

 叶はわしゃわしゃと照美の髪をかき乱す。結構本気の声色で嫌がられた。

 

 「なんだか、(かい)くんちょこっと怖い雰囲気だったねー」

 

 「阿里久さん、何かあったらコーチにきちんと言うんだよ」

 

 「まー大丈夫だろー」

 

 「はぁ……一応オレら、阿里久を心配してやってんだけど?」

 

 「それは感謝してるってば。あんまり待たせても悪いし、オレ、そろそろ行ってくるよ」

 

 「行ってらっしゃい」

 

 叶は小走りで紫電のところに急ぐ。紫電は少し待ちくたびれた様子だった。

 

 「良かった。忘れられてはいなかったんだね。それで、さっきの頼みは聞いてくれるのかな?」

 

 「オレの本気の……おう、真ダークトルネードでいいよな」

 

 「それはキミの本気ではないだろう?」

 

 「本気で打つと、オレもお前も病院送りだぞ。二番目に強い技でいいならやってやるけど、何で急にそんなお願いを?」

 

 「うーん、恥ずかしいなぁ……何と言うか、自分の限界に挑戦してみたくなったのさ」

 

 叶は考えを理解しきることは出来なかったが、紫電に中学時代の先輩・先行(さきゆき)と同じオーラを感じた。

 ひたむきに頑張ろうとするキーパーにしか出せないオーラだ。

 

 「はあ……。本当に思い切りやって良いんだな?」

 

 「怪我してもキミのせいにはしないさ。ボクの実力不足。それに、キミが誤魔化して弱くシュートを打ったりしたら、もうサッカーをやめようと考えていてね」

 

 「えっ!? そ、そんな、どうしてだ!?」

 

 叶は焦る。ちょうどそう考えていたのだ。ギリギリ紫電が止められない程度のシュートを打って、怪我をさせないように、無駄に実力の差を見せつけて落ち込ませないようにしようと。

 安易な考えは読まれていて、行動に移す前に止められてしまった。

 

 「その場合は最早(もはや)サッカーを続ける意味が無いから」

 

 「……わからねえや」

 

 「何も考えずに思い切り打ってくれれば良いよ。ボクのことは意識しないで、ゴールには誰もいないと考えてくれ」

 

 「わ、わかった」

 

 紫電の準備が出来たことを確認し、叶はシュートの体勢になる。

 ボールを空へ蹴り上げると、自分も地面を強く蹴り空高くに上がる。その状態のまま、叶は体を逆さにした。ゴールに──ではなく、上空に向かってシュートを打つ。ボールは地球から消えた。

 

 「星影散花(せいえいさんげ)ッッ!!!」

 

 叶はかつて使えた最強のシュートの、劣化版の必殺技の名を叫んだ。

 宇宙のような異空間から現れたシュートが瞬間、紫電の目前に迫った。

 

 

 

 

 

 

 勉強も運動も全て。紫電の小さな世界では、彼が頂点に立ち続けていた。

 六年の短い人生で彼は悟った。自分は満たされすぎている。全てにおいて平均以上の優れた能力を持ち、容姿も良く、優しい家族もいる。

 故に、彼は毎日がつまらなかった。適当に過ごしていれば褒められる平坦な生活。紫電は歯応えのない人生を送っていた。

 

 彼も彼なりに日々を(いろど)ろうとした。

 幸い家は裕福で、両親も息子のやりたいことに反対しなかったから、紫電は目についた習い事を一通りやった。

 しかし、長く続いても一ヶ月。酷いと一度行っただけで紫電は習い事を辞めた。

 何せ、少し触れただけでその教室のトップの成績が出せるのだ。モチベーションもなく、紫電には辞め癖と少しの技能がついていった。

 

 小学生になる少し前、紫電は近所のサッカークラブに入った。あの帝国学園の卒業生がコーチをしていて、評判も悪くない。

 しかしそこも今までと同じだった。適当に必殺技を発動した紫電は正キーパーを押し退()けて、入部した日に彼の位置に納まった。

 紫電はとりあえず他のポジションも一通りやってみた。少しやればどれも難なくこなせた。

 

 紫電が習い事を始めてはすぐに辞めることに、両親は最近良い顔をしない。一ヶ月は続けてから辞めようと、紫電は実力が劣る相手とのつまらないサッカーを続いた。

 そうして一ヶ月が経つころ、新しく二人の子が入ってきた。

 紫電は彼らも他の子と変わらないだろうと思った。女の子が入ってくることは珍しかったし、男の子の方の美しさには紫電も目を奪われたが、きっとそれだけだ。

 彼らが試験のときに必殺技を使ったのを見て、紫電はもう少しサッカーを続けてみようと思った。

 必殺技を使えるのはチームでも片手の指に収まる程度の人数だ。二人を強くなさそうだと感じたのは、紫電の思い違いだった。

 

 男の子の方──照美のプレイは非常に美しかった。例えようのない最上級の美しさ。容姿のみならず、ふとした仕草までに気品がある。

 彼はたちまち人気者になった。といっても、ほとんどの子は尻込みして自分からは話に行かず、遠くからアイドルのように好かれている。

 

 女の子の方──叶は教えを乞う傲慢な弱者に自分の時間をいくらでも割いて、優しく教授していた。

 彼女が人の時間を奪う悪しき弱者に優しく接する理由が紫電にはわからない。そんなことをするくらいなら、自分に時間を使えばいいのに。

 

 同じクラブチームで直接的な交流は少なくとも叶を見ているうちに、紫電は叶に──否、叶のシュートに惚れた。

 叶のシュート──流星光底(りゅうせいこうてい)といったか──あれは凄まじいものだった。コーチが言うにはあの威力を出せるのはプロでも一握りらしい。あのシュートは地面を抉り、ゴールネットを破り、ゴールの向こう側にあった花壇のレンガを壊し、花を余すことなくへし折った。

 

 それを見て、紫電は今までの世界にヒビが入った気分だった。

 紫電には断言出来る。自分にはあのシュートは絶対に止められない。……今は。

 日々を退屈に過ごしていた紫電に一つ大きな目標が出来た。叶のあの、流星光底という必殺技を止めてみせる。

 紫電は適当にしていた練習に真面目に取り組むようになった。必殺技の強化を続けた。

 

 紫電は圧倒的な破壊力のシュートを思い出す。

 彼の脳裏に焼き付いた流星光底は、このチームで一番どころかプロに及ぶほど強い。

 同年代の子供と比べても聡明な紫電は、まるで未来予知でもするように、叶のシュートに無様に吹っ飛ばされる自分のビジョンが見えた。見えたそれを、それが何か? と紫電は無視する。

 退屈な世界で死んだように刺激なく生きるより、どれほど無様でも──。そこまで考えて、紫電はこれが本当に自分の考えかと驚く。

 以前の冷めた自分なら、無駄な挑戦なんてしなかっただろうに。

 

 「ねえ、叶さん」

 

 紫電は叶に話しかけた。叶が振り向くと同時に、焦げ茶色のポニーテールが揺れる。叶はきょとんとした顔を紫電に向けた。叶の黄色い瞳に、紫電の顔が映る。

 叶にシュートを打ってもらえるように頼むと、紫電は一足先に移動して、叶たちが何やら話している間に心の準備をする。

 

 あれを自分が止められないのは知っている。

 叶たちより先にサッカーチームに入り、コーチの指導を受けられる環境にいながら、自分の才能に胡座(あぐら)をかいて、彼女たちが来るまでろくに努力などしてこなかったのだ。

 一ヶ月のアドバンテージをもっと有効に使っていれば。紫電は過去を悔やんでも悔やみきれなかった。

 

 そもそも、あの最強のシュートに挑戦したいと思ったのはなぜだろう。紫電は考える。

 今の自分を壊したいのだ。壊して、才能に怠けて努力の出来ない人間から、才能もありきちんと努力の出来る人間になりたかった。

 ならば、この挑戦でどれだけ怪我してもいい。紫電は覚悟する。どれだけ他の弱者から馬鹿にされようと、惨めで無様な姿になろうと、自分を変えるためなら構わない。

 

 叶が紫電の元に来た。少しの会話の後、紫電はゴール前で構え、叶はシュートの体勢になる。

 

 古会(ふるえ)(あらた)の最強の技。究極奥義・流星光底。その劣化版の技を叶は放つ。

 

 「星影散花(せいえいさんげ)ッッ!!!」

 

 叶が技の名前を叫ぶ。同時に隕石のように空からボールが現れる。青白い炎の尾を伸ばしながら、紫電の目の前に力の塊が迫る。紫電は叶の放ったシュートが、彼の世界を変えたものではなかったことに落胆しながら両手を構える。

 紫電にはどうしてか叶のシュートがナメクジのように遅く見えた。五感はボール以外を認識せず、熱い体とは真逆に頭だけが冷静だった。

 

 「トルネードキャッチ改──ッッ!!」

 

 腹に。足に。腕に。肩に。手に。指に。歯に。目に。  

 紫電は全身に力を込める。込めた力は意味を成さなかった。

 巣に水を流されたアリは抵抗も許されない。今までは世界に、才能に愛されていた紫電は今は矮小な存在だ。どれほど力を込めようともシュートの威力に押し負けて、足は地面に跡を残しながらゆっくりと後退していく。

 限界のところに無理やり力を込める。震える体は勝手に力を抜いてしまい、紫電はゴールネットとボールに挟まれて意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 「紫電くん……!」

 

 気絶した紫電に駆け寄る照美たちを追いかけながら、心配するよりも強く、叶はやらかしたなぁと思った。紫電を背負いベンチに寝かせ、腹に出来た巨大な痣を冷やす。

 

 「……これ以外は怪我ないみてえだな」

 

 叶は目を()らし紫電の体を透かして見た。骨や臓器は痛めていない。頭の怪我もなく、限界を超え力を入れて疲れたようだ。

 

 「こ、れ……もしかして、ボク、気絶して……? ははっ、情けないなぁ……」

 

 (かす)れた声だった。紫電は起き上がろうとしたが、力が入らずに出来なかった。

 

 「頼みとはいえ、怪我させちまって悪かったなー。でも恨みっこなしだぞー」

 

 言いながら叶の心臓の鼓動は焦りで早まる。あろうことか大事な照美の前で、しかもサッカーで人を怪我させてしまった。

 

 「わかっているよ。……叶さん」

 

 叶の目を見て紫電が何か言おうとしたところで、コーチが紫電を呼んだ。車で家まで送っていくらしい。叶はコーチにまで迷惑をかけてしまったと頭を抱えた。

 いつも通りの三人での帰り道。叶は平静を装いながら落ち込んでいた。

 照美たちは優しく、

 

 「……怪我させたの、叶ちゃんは悪くないよ。大丈夫。みんな叶ちゃんを悪く思ったりしないよ」

 

 「あっちから頼んだんだから自己責任だろ? 気にしなくていい。落ち込んでるの阿里久らしくないよ」

 

 と慰めたが、精神的に大幅に年下の子から慰められることすらも叶を傷つけた。

 

 叶は次に練習に行って、居心地が悪くなっていないか怖くて仕方がなかった。擦りむいた頬にガーゼを貼った紫電は、やって来るや否や叶を呼ぶ。

 

 「この前のことなら気にしないでくれ。キミが気に病むことではないさ」

 

 「うう……、本当か?」

 

 「むしろキミには感謝しているとも。今まで何もしなくても上手くできるから物事を続けられなくてね。サッカーもそろそろ辞めようとしていたって話はしたかな?」

 

 「……知らねえ」

 

 「そうかい。目標が出来たから、サッカー、もう少し続けたいと思ってね。叶さん、ボクは……」

 

 紫電は一呼吸すると叶を真剣な目で見た。

 

 「キミのシュートも余裕で止められるような、強いキーパーになってみせるよ」

 

 「…………」

 

 叶はぽかんと口を開けると、唇をへの字にする。こいつ正気か?

 前世、高校以降の新のシュートを止められたキーパーはいなかった。

 紫電と同じことを言ってくれた、新の最も尊敬した先輩、先行(さきゆき)は結局諦めてしまった。新を裏切ったのだ。

 

 「ボクも! ボクも、叶ちゃんみたいな凄いシュートを出来るようになるよ!」

 

 元気よく照美が言って、叶は思考を現実に引き戻した。勝ち気な笑みを作り、両手を腰に当てる。そのまま照美の期待する返事を口にする。

 

 「ふーん、そっかぁ、楽しみにしてるぞ!」

 

 がははと笑い、叶はほんの少し本気で期待している自分に気づいた。

 前世では新が最強で並ぶ相手などいなかった。でも今は、未来は違うかもしれない。戦略や練習メソッドも進歩している。きっと古い人間なんてすぐに抜かされる。

 叶は思う。自分は照美の目標なのだ。時代についていってみせる。そのためには鍛錬しなくては。

 

 「じゃ、まずはオレ流基礎練、こっからあっちまで、百往復からだぞー!!」

 

 百メートルほどの距離を示して言い、叶は飛び出す。二十往復でリタイアした照美たちを尻目に、百往復しても叶は有り余る体力を持て余していた。 叶は安心する。この分だとまだしばらく彼らの目標のままでいれそうだ。



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12話 神の片鱗

 

 七月の終わり。夏休みになり一週間ほど経ったある日。

 (かなえ)たちは決められた練習メニューをこなして、コーチがくれたアイスを食べながら日陰で休んでいた。

 

 「オレンジと桃味が余ってるけど欲しい子はいるか?」

 

 食べ終えたアイスの棒を未練がましく舐めていた叶は、コーチの言葉に勢いよく顔を上げた。

 

 「照美、阿保露(あぽろ)、欲しいか? じゃんけんならオレ絶対勝てるぞ」

 

 「オレは一日にアイスは一本って決まってるからダメ」

 

 「お利口さんだなぁ……照美は?」

 

 「ボクもいいかな。叶ちゃん、欲しかったらボクたちが食べないからって、遠慮しないで良いんだよ?」

 

 「そんなの気にしないっての……コーチ、アイスください!」

 

 叶は両手に二本ずつ違う味のアイスを持った。一分もかけず、ぺろりと四本全て食べ尽くす。

 

 「オレンジが二本、桃が三本まだあるから欲しい子は遠慮しないでくれよ!」

 

 「桃二本ください! ファイル、桃で良かったよね?」

 

 「うん、ありがとう」

 

 少し溶けかけたアイスをコーチが必死に配っている。何とか配り終えて彼は子供たちの前で口を開いた。

 

 「よし、食べながら聞いててくれよ。前にプリントを配ったと思うけど、八月に練習試合がある。まあ、俺の友達のチームとだから、そんなに緊張しなくても良いよ。大会じゃないから勝ち負けにこだわらず、楽しみながら色々学べるように頑張ろう!」

 

 「はーいっ! 捨札(すてふだ)くんに会えるんだー!」

 

 隣の市のチームにいる、時々にしか会えない大好きな友達に会えるのを楽しみにして、綺羅光(きらびかり)は満面の笑みだ。

 

 「ふふっ、もしかしたらもう辞めちゃったかもしれないよ?」

 

 「ファイルぅー、意地悪やめてよぉ」

 

 「……そういえば、夏の大会はいつですか?」

 

 「は……はっ、大会にも、その、な、申し込もうとはしたんだよ……期限過ぎてた……」

 

 「ぐすっ、楽しみにしてたのにー……」

 

 コーチは「次の大会はちゃんと申し込む」と言い、子供たちに必死に謝る。

 叶は大会に思いを()せた。男女別れるのはいつからだろう。万が一既にそうならば、唯一の女子の叶は出られない。

 

 「代わりと言ってはなんだけど……さっきも言ったが、八月の終わりの方に練習試合をやるから、夏休みの宿題はちゃんとやろうな。宿題が終わってないのが心配で、試合に集中出来ないのは嫌だろう?」

 

 「阿里久(ありく)、宿題は最後に全部やるって言ってなかったっけ」

 

 「多分ラスト一日に全部終われるから良いんだよ」

 

 「ダメだよ。七月に全部終わらせようね」

 

 「よしっ。じゃ、まだ五日余裕あるな」

 

 「今週中に全部終わらせようね」

 

 「今週今日入れても残り三日だぞ!?」

 

 「これまで計画的にやってたら終わるよ、ね、(ひかる)くん」

 

 「ねー、オレらもうほとんど終わったもん。阿里久は?」

 

 「……オレだって四割終わったよ」

 

 嘘だ。叶は夏休みの宿題を一割も終わらせていない。母の季子(きこ)が休みの日、見張られながらやった分以外は白紙だ。

 叶は(わず)かに危機感を覚え、帰宅したらこれまでの分のアサガオの観察日記をまとめてつけようと決めた。

 

 「大まかな目標としては練習試合に勝てるように頑張ろうな!」

 

 「はーい、頑張ります!」

 

 「絶対に勝ちます!」

 

 冷や汗をかいてコーチは言った。彼の目論見(もくろみ)通り、話はいい感じにまとまった。

 自由に練習する時間、叶は照美とサッカーしながら他の子の練習を見る。

 

 「キラースライド!! くそっ!」

 

 「「ツインっ、ブースト!!!」」

 

 「トルネードキャッチ改! ふっ、今回も余裕だったね」

 

 「……うーん、止められちゃったね」

 

 「やはりまだパワー不足か……」

 

 阿保露のキラースライドを避けて、綺羅光と芙愛(ふあい)が抜群のチームワークでシュートを打つも、紫電(しでん)にあっさりと止められた。

 

 「皆凄いなー。必殺技使える子も増えてきたし。照美はあっち、混ざらなくていいのか?」

 

 「また今度にする。それより叶ちゃんと練習したいからね」

 

 「そっかそっか!」

 

 母にねだって買ってもらったホイッスルを吹きながら、叶は照美の特訓を始めた。まずはランニングだ。初めたばかりだから、まだグラウンドを三周。叶は少しずつ増やしていく予定だ。

 

 「よーしっ、終わったらちょっと歩けよ。急に立ち止まると体に悪いからな」

 

 「…………うん……っ!」

 

 息が整うまで叶は照美を歩かせる。

 

 「照美は偉いなー」

 

 「……撫でるのはダメだからね……?」

 

 「わかってるって。ジュースでも奢ろうか。何が良い?」

 

 「いちごオレ。……やっぱりりんごジュース。……ちょっと待ってね」

 

 「ははっ、悩んどけ悩んどけ! これで悩めるのも子供の内だけだからな!」

 

 「もう……また子供扱いする……」

 

 照美は自販機を見ながら悩む。「いちごオレも他のジュースもカッコ悪いよね」と呟いた。

 

 「コーヒーにするよ」

 

 「え? 飲めるのか? オレ、今苦いの無理だから、残っても飲んでやれねえぞ」

 

 「大丈夫」

 

 ブラックコーヒーを指差す照美を、叶はせめてこっちにしろと説得してカフェオレにさせた。

 

 「うまいか?」

 

 「うん……ぷはあっ、大人の味って感じ」

 

 「がははっ、そうかよっ……ぷふふっ……くひひっ、おと、大人の……」

 

 「そんなに笑わないでよ! もう、何がそんなに面白いの……」

 

 大人になればカフェオレは可愛い飲み物なのに。叶は照美が可愛くて仕方がなかった。

 

 「はいよ、汗拭いてやる」

 

 「……ありがとう」

 

 照美の腕や膝の汗をポンポンと、柔らかなタオル越しに軽く叩くように叶は拭く。終わると、髪の毛を持ち上げてうなじと、手を服の中に入れて腹と背中も同様にした。

 照美はぐったりとしていてされるがままだ。

 

 「そこまでやらなくてもいいよ。くすぐったいし、恥ずかしいもん」

 

 「自分で出来るのか? 大丈夫か? ちゃんと拭かないと痒くなるぞ?」

 

 「出来るよ! ボク、もう七歳なんだから。あんまり赤ちゃんみたいに扱わないでよ。まだしばらくはボクの方が年上なんだから」

 

 「はいはい、わかったって」

 

 照美が年齢にこだわる理由がわからず、叶は汗を拭くのを続けた。

 叶は他の子の練習を眺める。綺羅光たちが紫電からゴールを奪ったようだ。叶と照美以外が紫電からゴールを奪うのは初めてだから、皆驚いている。

 

 「はいはい、オレらよりお兄さんだもんなー。だいぶ体力もついてきたじゃねえか。偉いぞ」

 

 「うん……でも、まだ叶ちゃんには追いつけないや」

  

 「簡単に追い付かれても困る。ほら、こっち飲めよ」

 

 「うん」

 

 叶は照美にスポーツドリンクを飲ませた。

 

 「そういえば、お前、髪はまとめなくていいのか?」

 

 「うん、大丈夫だよ。それに、こっちの方が綺麗でしょ?」

 

 「見栄えよりは実用性の方が大事じゃねえの」

 

 「……こっちの方が叶ちゃんが撫でるとき、触り心地が良いよね?」

 

 「おおっ、確かにそーだな!」

 

 胸の下辺りまで伸びた照美の髪は、真夏なのにも関わらず下ろしてあって暑苦しそうだ。しかし不思議なことに汗で肌に張り付いてはおらず、全く見苦しくない。

 

 「じゃあ筋トレなー。オレらはまだ小さいからそんなに頑張って鍛えなくていいからな。どっちかって言うと、筋肉を軽く暖めるイメージで。あんまり鍛えすぎても、背ぇ伸びなくなるからなー」

 

 「もう……それ、前にも聞いたよ。別に無理したりしないってば」

 

 「んじゃまずは腕立てから行くぞ」

 

 叶は地面にレジャーシートを広げる。服を汚さないように、そして照美の手を砂利で痛めないようにするためのものだ。

 二十回ずつ腕立て、腹筋、背筋を終わらせる。中学生くらいには力こぶが出来て腹筋がうっすらでも割れるくらいには鍛えさせたい。

 叶は考えて、筋肉がつきすぎるとカッコ悪くなると照美が抵抗しないか心配した。

 続けて体幹トレーニングも終わらせ、叶は休憩を(もう)けた。照美はベンチの背もたれに体を思い切り預けている。

 

 「疲れたか? これタオルとスポドリな。自分で出来るか?」

 

 「出来るよ! ……ありがとう」

 

 「家に帰ったら柔軟とかもするんだぞ。おすすめは風呂上がりだな」

 

 「もう……毎日言ってるじゃないか。ちゃんとやってるよ」

 

 「っと……まだ時間あるな。何したい?」

 

 「シュートとドリブルとブロック。全部やりたい。せっかくの練習試合だもん、活躍したいよね」

 

 「親も見に来るって言ってたしな……来なくて良いのに」

 

 「あんまり大勢に来られても恥ずかしいもんね……でも、大会に出るころには、恥ずかしいのも我慢出来るようにしないと……」

 

 「試合に集中してればどうでも良くなるって。そいえばさ、照美はあの……キラキラしたシュート技の名前ってつけたのか?」

 

 「……うん。まだ仮にだけどね。なかなか良い名前だと思ってる」

 

 「ふーん、仮にか……あのシュートだと、シャイニングとかキラキラとかその辺の言葉欲しいよな……」

 

 「そうだね」

 

 「……あっ! 良いの思い付いたぞ。キラキラゴロゴロシュートとかどうだ!?」

 

 「…………何も言わないでおくよ」

 

 叶は三十分ほど、非常にセンスのない必殺技の名前案を出す。照美はカッコ悪いと思いながら適当に相槌を打った。

 

 「……もう、叶ちゃんが話しすぎるから練習の時間無くなっちゃった」

 

 「ごめんって。……照美さえ良ければ残ってやるか?」

 

 「うん! 三十分……ううん、一時間くらいなら大丈夫だと思う」

 

 今は夏だ。一時間経ってもまだ暗くならないだろう。叶は了承した。 

 クラブの解散時間になり、コーチは「気をつけて帰れよ」と言ったが、半分以上の人数は残っている。練習試合が皆のモチベーションを上げたようだ。

 

 「ほら、見ててやるからシュートやってみろよ」

 

 「うん。変なところがあったら遠慮しないで言ってね」

 

 「もちろんだ」

 

 「…………っ、ゴッドノウズ!!!」

 

 照美の背中から天使のような羽根が生える。二対の四枚羽は優しく照美を空へ導いた。

 

 「叶ちゃん、見て!!」

 

 「見てるって……凄いな、飛んでる」

 

 「よし、このままシュートだ……!!」

 

 神聖なオーラを(まと)った純白のシュートは、ゴールネットを破れそうなくらいに張り詰めさせた。

 

 「……!!! 見ててくれた!!? どう? 強いかなぁ?」

 

 「おう、凄かったぞ。本当に……凄いしか言えないけど……頑張ったもんな。十分通用すると思うぞ」

 

 「……そう? えへへ……あのね、何だか、今ちょっとワクワクしてるんだ。ねえ叶ちゃん、今日はこの技の練習、徹底的に付き合ってよ!」

 

 「もちろん」

 

 「亜風炉っ!! 今の……すっごいなぁ! もう立派にうちのエースだな!」

 

 コーチに褒められて、照美は困った顔をしつつも満更でも無さそうだ。

 

 「照美ー! 今のシュート凄かった!!……阿里久より強いんじゃない?」

 

 「オレのが強いぞ」

 

 「あはは…………ありがとう、光くん」

 

 「ゴッドノウズ、か……。神のみぞ知る神聖な光を纏う天空からの一撃。名前も見た目も照美くんにぴったりの美しいシュートじゃないか」

 

 「……!! そう!? ……ありがとう!」

 

 紫電に詩的に褒められて、照美は嬉しそうだ。

 叶にはカタカナ語のかっこよさがわからない。正直ゴッドハンドよりも、豪怒繁努(ゴッドハンド)の方がかっこいいと思っている。

 

 「ふぅ、何だか今日は疲れちゃった」

 

 「大丈夫か? おんぶしてやろうか?」

 

 「……いい」

 

 色んな子に賞賛の嵐を受けて、必殺技の練習や叶が課したトレーニングもこなし、照美は酷く疲れてしまったようだ。

 空は淡い藍色で、時計は6時30分を指している。二人はもっとサッカーをしたかったが、そろそろ帰らないと母に怒られる。

 叶の母は子供が帰る時間に家にいない。だが照美の母と仲が良いから、叶の帰りが遅いと彼女や照美からバレてしまう。

 

 「叶ちゃん、綺羅光くんたちの合体技みたいなシュート、ボクらも出来ないかなぁ?」

 

 「うーん……オレとお前、キック力が違うもん。ちょっとキツいんじゃないか?」

 

 「…………そっか……」

 

 照美は落ち込んでしまった。叶は何とか元気づけようと言葉をひねり出す。

 

 「同時に蹴るのは無理だけど、照美が蹴ってからオレがもう一回蹴るのなら大丈夫かもな」

 

 「本当!? じゃあ今試しに……」

 

 「っと、そろそろ帰らないとまずいだろ。今度な。別に毎日会えるんだから、焦らなくても良いだろ」

 

 「……そうだね。わかったよ」

 

 叶たちはコーチに帰りの挨拶をして、軽く荷物をまとめた。

 

 「阿保露たちはまだやってくのか?」

 

 「うーん、お腹減ってきたからそろそろ帰る。一緒に帰って良い?」

 

 「もちろん。別に聞かなくていいのに」

 

 阿保露が言うので、叶も腹が減ってきた。大きな腹の音が響く。音源は叶だ。

 

 「…………うぅ、ちょっと恥ずかしいな」

 

 「(すげ)ぇ音。授業中じゃなくて良かったね」

 

 叶たちは分かれ道で阿保露と別れた。空は急に暗くなり、街灯の灯りが目立つようになった。

 

 「照美。暗いの怖くないか? 送ってくぞ」

 

 「もう……怖くないよ!」

 

 「じゃあここで解散し……」

 

 「あのね、でも、叶ちゃんともうちょっと話したいから……送って行って欲しい」

 

 「……!!! よっし、わかったぞ!」

 

 サッカーや学校についての話をしていると、あっという間に二人は照美の家に着いてしまった。夕飯の良い匂いが漂っている。暖かいと叶は感じた。

 

 「今日は送ってくれてありがとうね。ねえ、今度ボクの特訓に付き合ってくれるよね?」

 

 「もちろん良いぞ。何なら明日でも!」

 

 「ダメ。明日は叶ちゃんの宿題を終わらせないといけないからね」

 

 叶は食い下がったが、照美の"今週中に叶に宿題を終わらせる"という意思は固い。優しげな笑みを浮かべているくせに、退いてはくれなかった。

 

 「明日は9時からボクの家で宿題。ちゃんと明日の分が終わったらサッカーしようね」

 

 「いつも照美の家ばっかりだし、たまにはオレの家でも良いぞ。母ちゃんいないけど」

 

 「……うーん、でも、お母さんがちょっと張り切ってて」

 

 「何をだ……?」

 

 「叶ちゃんにおやつ食べさせるのが楽しいみたい。お昼もご馳走(ちそう)したいって。……お母さんはお料理をたくさん作るのが好きだけど、ボクもお父さんもあんなに食べられないから。お母さん、叶ちゃんがたくさん食べるのを気に入ってるんだ」

 

 「そうなのか……でも、あんまりお世話になるのもな……手作りのおやつとか、結構手間かかるだろ。やっぱりオレの家じゃダメか?」

 

 「あ、次のおやつはガトーショコラを作るって言ってたよ」

 

 「ガトーショコラ!! 甘いのか?」

 

 「ふふっ、甘いのだよ。チョコのケーキ」

 

 「チョコのケーキ……! 明日は照美の家にしよう、な!!?」

 

 「最初からそう言ってるじゃないか。9時に迎えに行くから、きちんと起きるんだよ」

 

 「大丈夫だぞ。じゃあな」

 

 「うん、また明日ね」

 

 帰っても家に誰も待っていない叶の寂しさは、おやつへの期待に塗り潰された。 

 叶は照美が羨ましい。最初の人生で、あんな恵まれた家庭に生まれられるなんて。

 叶は(ほの)かな嫉妬を振り切り、チョコのケーキを最もおいしく食べるために何回噛むか、どこでジュースを飲むか、飲み物が選べた場合どんな飲み物が一番ケーキをおいしくしてくれるかについて考えた。




主人公の外見の記述がほぼないのでそれについて。


【挿絵表示】


こんな感じの見た目です。
CHARAT GENESISさん(https://charat.me/genesis/)をお借りしました。


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13話 練習試合①

百合回です。サブタイはこれですが試合はかなり短いです。


 

 今日は練習試合の日だ。

 (かなえ)は来ないでと言ったのに、母の季子(きこ)は来た。同じく試合を見に来た照美の母に季子が余計なことを言っていないか叶は心配だ。

 

 叶は夏休みを振り返る。サッカーも、母と行った水族館も楽しかった。照美の母手作りの菓子は、頬が落ちそうなほど美味しかった。

 しかし、季子には練習試合のお知らせプリントを一昨日(おとつい)まで渡さなかったことで叱られ、照美には勉強会で宿題がほぼ白紙だったことで文句を言われ、水族館のふれあい体験ではペンギンに(はた)かれた。わりかし散々だった。

 

 「捨札(すてふだ)くん、まだかな~。あのね、クールで強くってね、かっこいいの!」

 

 「へえ、そいつ、どこのポジションなんだ?」

 

 「フォワードっ! 凄いシュート打つんだよー!」

 

 叶は綺羅光(きらびかり)から相手チームについて話を聞く。中でも捨札について楽しそうに綺羅光は語った。

 

 「こっちはほとんど男だが、あっちは女の子の方が多くてね……でも、油断は決して出来ないよ」

 

 「へえ、強いのか?」

 

 「もちろん。捨札くん以外にも、美しい桃色の髪のフォワードが凄かった。あと、化け物みたいなキーパーがいて……」

 

 「化け物? 強さが?」

 

 「強さもだけど、会えばわかるよ」

 

 「もうっ、ファイルってば。女の子にそんなこと言っちゃダメだよー!」

 

 女で化け物レベルの強さのキーパーだなんて、戦うのが楽しみだ。叶は瞳を輝かせた。

 

 「叶ちゃん、こんにちは。今日は勝てるように頑張ろうね」

 

 「ん。こんにちは。照美、今日は目一杯楽しもうな」

 

 しばらく叶が照美と話していると、相手チームのバスが着いた。

 

 「お久しぶりですね。先輩」

 

 「そうだな。半年ぶりか? うちはすっごく強い子が三人も入ったからな! 今回は負けねえぞ」

 

 「くくっ……先輩、ワタシのチームとの試合は負け癖がついていますからねぇ。勝てるかどうか……」

 

 叶は相手の監督の言葉にムッとしたが、コーチは気にしていないようだ。学生時代の思い出話に花を咲かせている。

 それを聞いて叶の心が理不尽に濁る。オレは先輩たちともう昔の話なんか出来ないのに。ズルい。羨ましい。

 

 「──お前のチームの子、また成長したんだなぁ! 将来が楽しみだ!」

 

 「……将来ですか。……そうですね」

 

 「監督……」

 

 「どうしたのですか? 乙女乃(おとめの)さん」

 

 可愛らしい声の女の子が監督の後ろに隠れて言う。

 

 「スピカ……あの子とお話したいけど、どう言えばいいのかわからないです……」

 

 「そうですねぇ……ポジションでも聞いて、話を広げてみると良いでしょう。最初に自分のお名前を教えてあげましょうね」

 

 「が、頑張ります」

 

 女の子は緊張した固い声で言った。

 腰まで伸びた艶のある桃色の髪。頭にはカチューシャのようなみつあみ。目はパッチリと大きく、その他のパーツも誰が見ても美少女だと言えるほど整っていた。

 

 「あぅ、えっと……」

 

 女の子は叶の前に来て、助けを求めるように監督に視線を送る。

 

 「良いですか乙女乃さん、ワタシの後に続けてください。“ワタシは”」

 

 彼は付き合ってほしいと叶に視線で伝え、小さな声で話す。

 

 「ひゃいっ……わたしは」

 

 「“乙女乃スピカです”」

 

 「乙女乃……っ、スピカです!」

 

 「はい、良くできました」

 

 「えへへっ……ちゃんと言えました!」

 

 微笑ましい。叶は頬をほころばせる。叶も照美が幼稚園に入ったばかりのころ、あのように先生に用件を話すのを手伝ってやったことがあった。

 

 「オレ……あっ、わたしは阿里久(ありく)叶。今日はよろしくな」

 

 「はいっ! よろしくお願いします! えっと……叶ちゃんのポジションはどこなのでしょうか?」

 

 「フォワードだよ! こっちこそ今日はよろしくな!」

 

 「わあ……! わたしもです。一緒ですね! 女の子のストライカーは珍しいので……ふふっ、試合が楽しみです」

 

 上品な笑みを浮かべる乙女乃。前世、叶がこれくらいの年齢で彼女に出会っていたのならこの微笑みに一目惚れしていただろう。

 

 「(しのぶ)ちゃん! 良かったら一緒にお話しませんか?」

 

 「チッ」

 

 乙女乃が女の子に声をかける。彼女は淡い桜色の髪を包帯のように巻き付けて片目を隠している。少し尖った雰囲気の子だ。

 

 「はぁ……面倒くせぇ……。小鳥遊(たかなし)忍。ミッドフィルダー。これでいいでしょ。よろしくするつもりはないわ」

 

 「えっと……阿里久叶。フォワードだ。よろしくな。一応エースストライカーだぞ」

 

 「だからよろしくするつもりはないって言ったでしょ。アンタ、頭足りてねぇの?」

 

 「わわっ、ちょっと……忍ちゃん……」

 

 乙女乃が叶と小鳥遊を交互に見て慌てている。

 小鳥遊が叶に顔を近づけた。吟味するように見つめ、吐き捨てるように笑う。

 

 「ふぅん……こんなチビがエースねぇ。このチーム弱くなったんじゃねぇの!? アハハッ、今日の試合は楽そーで良かったわぁ」

 

 「ちょっと忍ちゃんっ! ごめんなさい、わたしが代わりに謝りますね」

 

 「いや、大丈夫。気にしてないもん」

 

 試合で実力を見せつければいいだけだ。叶は点数調整をどうするべきか考える。理想は1~2点差で勝利。自分がエースだと言ったからには一度は得点したい。

 

 「……忍ちゃん、ちょっと激しいプレイをするから、叶ちゃんも試合のときには気をつけてくざさいね」

 

 「うん、ありがとう」

 

 悲しそうに目を伏せる乙女乃を見て、叶は言葉よりも長い睫毛(まつげ)に注目した。

 

 「せっかく同じチームなのですから、仲良くしたいのに。どうすればいいんでしょう」

 

 「スピカちゃんは良い子ねぇ。大丈夫。きっといつか、わかってもらえるわぁ」

 

 「そうですか? ……そうですね、いつか忍ちゃんと仲良くお話したいです。ふふっ、泥江(どろえ)ちゃん、いつもありがとうございます。泥江ちゃんもいつか運命の王子様が見つかるといいですね」

 

 巨体の少女だ。大人よりは小さいが、それでも同年代だと信じられないほど大きい。彼女の気だるげなゆっくりした話し方のせいで、声がやたらと頭に残る。

 彼女は叶の両肩に手をおいて、頭から爪先まで舐めるように見た。叶は背筋を震わせた。

 

 「えぇっ、今見つけちゃったぁ……。アタシの運命の王子様! ねえっ、ボクちゃん、アタシとずっとずぅーっと一緒になるつもりはないかしらぁ?」

 

 「うん……? あのね、泥江ちゃん」

 

 「なぁに? スピカちゃんもこの子が好きになっちゃったのぉ? いくらお友達のスピカちゃんでも、アタシ、容赦しないわぁ!」

 

 「違いますよぅ! 叶ちゃんは女の子ですから……王子様にはなれないと思います……」

 

 「あらぁ? でもぉ、アタシの本能は……」

 

 「ひゃっ!?」

 

 体をベタベタ触られ、叶は人生で初めて出す声を漏らす。

 

 「ねぇ、ボクちゃん、お名前はぁ?」

 

 「あ、阿里久叶……!」

 

 「名前は……男の子でも居そうねぇ? アタシの王子様のはずなのに、叶ちゃんの体も匂いも声も女の子なのよねぇ……」

 

 「はわわっ……! 叶ちゃんが泥江ちゃんに食べられちゃう……! か、監督ー!!」

 

 「ちょ……乙女乃、行かないでくれ……」

 

 叶は思い切り抱き締められてうめき声を出す。振り払うのは簡単だが、子供に怪我はさせたくない。

 歳も性別も同じなのに、叶と少女の体格差はかなりのものだ。叶の頭は彼女の腰のところにあり、後ろから見ると叶はすっぽり隠れてしまう。

 

 「本当に女の子みたいね。こんなにビビっと来たのに……残念」

 

 「はぁ……ぜぇ……はぁ……」

 

 長いボディチェックの後叶は離してもらえた。

  

 「自己紹介が遅れちゃったわね。ごめんなさい。アタシ、沼上(ぬまがみ)泥江っていうの! ゴールキーパーよぉ……か弱い女の子と思って見くびらないでねぇ? 結構強いんだからぁ!」

 

 「……わたしは阿里久叶。よろしくね」

 

 「ふふっ、楽しみねぇ……! ねえ、叶ちゃんにはご兄弟はいるのかしらぁ?」

 

 「兄弟? ううん、一人っ子だ」

 

 「そう。お父様はぁ? どんな方なのぉ?」

 

 「えっと……生まれる前に事故で……」

 

 「悪いことを聞いちゃったわねぇ……ごめんなさい……」

 

 「ううん、よくあるし、気にしてないよ」

 

 「そう言ってくれると助かるわぁ。ねえ、叶ちゃん、女の子と男の子、どっちが好き? 体は女の子でも、心は男の子だったりしないかしらぁ?」

 

 唾を吹き出す汚い音。叶が音の方を見ると乙女乃に連れられて来た、相手チームの監督が口を手で押さえていた。

 驚きのあまりむせたようだ。乙女乃が「大丈夫ですか!?」と背中をさすっている。

 

 「げほっ、ごほっ……沼上さん、さすがに失礼でしょう」

 

 「そうでした? ごめんなさいねぇ……それでどっちなのぉ?」

 

 「お、オレは……男の子の方が好きだぞ……? 普通に心も女の子だし……」

 

 嘘だ。叶の肉体は女だが精神は前世のまま男。恋愛対象も女だ。

 叶はため息混じりにほっと一息つく。

 

 「そう。嘘つき」

 

 沼上は爬虫類のように瞳を光らせた。

 

 「ひえっ!!? うう、なんだか泥江ちゃん怖いです……。ほら、あっちに、金髪と銀髪の王子様みたいな男の子がいましたよ。叶ちゃんではなくてあの子たちは……」

 

 乙女乃がよりによって照美について言い、叶は背筋を凍らせた。照美にはこんな怖い目に遭ってほしくない。

 

 「あの子たちねぇ? 確かにカッコいいけど……ビビっと来ないわぁ」

 

 「そうですか……」

 

 「沼上さん、先程の質問は失礼ですよ。試合が始まるまで少し指導といきましょうか」

 

 「はい……すみませんでしたぁ……」

 

 「君、沼上さんがすみませんねぇ」

 

 「あ、いえ、大丈夫です……」

 

 「それではまた、試合の後にお話しましょう」

 

 沼上が監督に連れていかれ、その後を乙女乃が着いていく。

 

 「叶ちゃん、作戦会議だって。……どうしたの? 汗すごいよ? もしかして体調悪い?」

 

 「ひゃぴっ!? な、何でもない……」

 

 叶はほっと息をつく。すっかり油断していたから、照美に後ろから声をかけられて凄く変な声が出てしまった。

 

 「阿里久さんもヤツの洗礼にあったか……可哀相に」

 

 芙愛(ふあい)が小さく身を震わせる。

 叶は彼に仲間意識を持った。実際には、芙愛がされたのは舌舐めずりくらいだから、叶ほど怖い目にはあっていない。

 

 「ヤツって?」

 

 「知らない方が幸せだよ」

 

 「そうだぞ」

 

 芙愛と一緒に叶が言うと、仲間外れにされたと思い照美は少し不満そうだ。

 叶が照美の機嫌をとっていると、チームのみんなが集まった。

 

 「作戦会議といきたいけれど、ボク、相手のこと知らないからなぁ。注意すべき選手はいる?」

 

 「スピカちゃんだ! シュートも強いけどもっと注意すべきは……」

 

 「すべきは?」

 

 恩田(おんだ)紫電(しでん)が促す。

 

 「あの可愛さだ! まともな男子ならメロメロになって、ディフェンスもままならないぜ!」

 

 紫電は目を丸くした。馬鹿にした視線を向ける。

 

 「え、えっと……捨札(すてふだ)(しゅう)くんです。カードを出してバシバシしてシュートする必殺技が強くって。すごく警戒して……ボールは絶対渡さない! ってくらい気をつけても良いと思います」

 

 「うんうん。ボクもそう思うー!」

 

 「出来るかどうかは別だがね」

 

 「もうー、ファイルってばぁ。みんなで頑張ればきっと大丈夫だよー」

 

 裁原(さいばら)がおずおずと発言し、綺羅光と芙愛が賛成した。

 

 「あとはキーパーか。彼女の目を見ると悪夢に吸い込まれるような気分になる」

 

 「確かに怖かったな……」

 

 「叶ちゃんがそんなに怖がる相手なら、警戒しないといけないね」

 

 気合いの入った声で照美は言う。

 

 「あの、もしものことだけど……前みたいにシュート、全部通用しなかったらどうするの?」

 

 「またみんなで守備に回る?」

 

 「大丈夫大丈夫、オレのシュートなら絶対入るから、そんな心配しなくていいぞー」

 

 叶は明るく笑う。

 

 キックオフは相手チームからだ。叶は一度相手に先にシュートを打たせることを決めた。

 叶たちのチームのフォーメーションは5-3-2と、守備的な陣形だ。

 FWは叶と照美の2トップ。

 MFは綺羅光、芙愛、他に一人。

 DFは恩田と阿保露(あぽろ)、他に三人。

 GKは紫電だ。

 

 相手は4-4-2。

 FWは乙女乃と、赤茶色の髪の男の子──綺羅光たちが話していた捨札だ。

 MFの右サイドに小鳥遊。他に三人。

 四人のDF。

 GKには沼上。

 

 「終くん、最初はわたしに任せてください」

 

 「……ああ」

 

 照美の育成のためにも、それに普通の子に紛れて悪目立ちしないためにも、この年の子たちのレベルを見ておきたいと叶は思う。

 叶は試合の流れを組み立てる。乙女乃と捨札に一発ずつ打たせて、沼上の実力も体験しておきたいから、オレも一回くらいシュートを決めよう。残りは照美や綺羅光たちに任せる。

 

 「照美、あのピンクの髪の子。ちょっと激しいプレイするって聞いたから気を付けとけよ」

 

 「うん。桜色の髪の、片目が隠れた女の子だね。わかった。用心するよ」

 

 いくらなんでも保護者が見ている中でラフプレーはしないだろうし、照美なら大丈夫だろうが叶は忠告しておく。

 試合開始のホイッスルが鳴った。捨札から乙女乃にキックオフ。

 

 「終くん!」

 

 「……!」

 

 しばらくドリブルした後、捨札へのパス。捨札は脚を大きく振り上げて構え、ボールが足元に来た瞬間にロングシュートを打った。

 

 「アサルトシュート! ……頼んだぞ!」

 

 捨札の背後に複数の黒い大砲が現れた。ミサイルのようにボールが大量に放たれる。 

 ロングシュート故にシュートの威力は下がっていく。それをすかさず乙女乃がカバーした。

 

 「あびせげり!」

 

 乙女乃が(かかと)落としでボールに蹴りを入れると、捨札がシュートを打ったばかりのときよりも威力と速度を増した。これを止めるのは紫電には少し難しいだろう。

 叶は助け船を出してやる。

 

 「ベビーベイビー!」

 

 ボールにかかる重力を強くする。これで紫電が止められる程度に威力を調整出来た。

 

 「真トルネードキャッチ!」

 

 紫電は声を張り上げて言った。(しば)しの攻防の後、ボールが彼の手の中に収まる。

 

 「ふっ……天才で秀才のこのボクでなければ、今のは止められなかっただろうね……」

 

 「次は……次は絶対決めます!」

 

 得意気な紫電と悔しそうな乙女乃。

 

 連携はぴったりだったし、シュートもこの年にしては申し分ない。次は二人がそれぞれ単体で打つシュートも見てみたい。叶は脳内に描いた試合の流れを組み立て直す。

 

 紫電から阿保露へボールは渡り、相手選手を何人か引き付けたところで芙愛へパス。“疾風ダッシュ”で何人か抜き、綺羅光にパス。

 

 「かなちゃん! お願い!」

 

 綺羅光は叶にパスを出したが、小鳥遊にカットされた。

 「あちゃー……ごめん」と両手を合わせる綺羅光。叶は気にするなと応えて、小鳥遊に意識を集中させた。

 

 「キャハッ、ジャッジスルー!」

 

 帝国学園の選手や、激しいプレイをする選手が好んで使うドリブル技。前世、中学生のころから見てきた技だから、これの対処法を叶は知っている。

 一つは自分にボールが回ってきたことにコンマ一瞬も惑わず、目にも止まらぬ早さでドリブルし素早く距離を取ること。

 もう一つは腹に力を込め、ボール越しに蹴られても吹っ飛ばされないように、逆に反発で相手を吹っ飛ばすようにすること。

 前者は人として最高峰のスピードがなければ出来ないし、後者もボディビルダーのような筋肉量がなければ出来ないのだが。

 叶が頭の中で復習をしているうちに、前者をするには時間が足らなくなった。

 叶はぐっと腹に力を入れる。ボール越しに叶を蹴った小鳥遊が、逆に叶の鉄板のような腹に弾き飛ばされた。小鳥遊は足の痛みに顔をしかめる。

 

 「は? マジぃ……? はっ、チビ女……さっきは悪かったわね。なかなか面白ぇじゃんっ! キラースライド!!」

 

 尻餅をついた小鳥遊は驚くほど早く体勢を立て直した。

 キラースライド。それを避けるとまたキラースライド。タックル。スライディング。それを避けると……の繰り返し。

 小鳥遊はボールよりも叶に異様な執着心を向けた。ボールを奪うチャンスを無駄にしてまで、彼女は審判の目が届かないように叶を痛めつけようとする。

 叶は隙を見つけ、ちょうど良いところにいた照美にボールを回す。

 

 「任せたぞ!」

 

 「うん! ……ゴッドノウズっ!」

 

 「うふふっ、あらぁ……可愛い子ねぇ。でも容赦はしないわよ。……スラッシュネイル」

 

 フィールド全体どころか、相手の監督や、観戦している保護者も照美のシュートに目を奪われている。叶も例外ではない。

 実戦で完成したのだろう。神々しい光を纏う強力なシュート。空から降り注ぐ光は、まるで叶の心を洗うかのようだ。叶は瞬きもせずゴッドノウズに魅入っていた。

 今の時点でこれなら、本当に帝国学園に勝つのも夢ではないかもしれない。叶が育てた照美が帝国学園に勝つ。それなら正しい方法で、叶は(あらた)の死に関わった帝国学園の人間に復讐出来るのだ。

 叶の人生に光が差した。

 

 臆さず、沼上は舌舐めずりをして笑みを浮かべた。長く鋭い爪の生えた紫の手でボールを何度も絶え間なく切り裂くも、ボールはゴールに吸い込まれるように入る。

 化け物レベルって聞いていたから楽しみにしていたのに。叶は拍子抜けしてしまった。

 

 「叶ちゃん、次もその次も、ずっとボクに任せてくれていいからね。このチームで一番強いストライカーはボクなんだから」

 

 叶の方が足も早く体力も握力もキック力も高い。だから叶はいつもなら「オレは?」と言い返していただろう。

 今は違う。叶は感極まって照美に抱き付く。肩車で照美を持ち上げた。

 

 「凄かったぞー! 照美、頑張ったなぁ! 偉いなぁ!」

 

 「もう……みんなのお母さんも見てるんだよ……? ねえ、叶ちゃん、こっちは?」

 

 照美は叶の腕から抜けひょいと着地した。叶の手を握り自分の頭に持っていく。

 

 「へへ……照美の髪の毛って本当綺麗だよな。これで毛布作れたら良いのに。お気に入りだったやつ、お前の髪に慣れると全然触り心地良いって思えなくなってさぁ……」

 

 丁寧に照美の髪を扱い叶は言った。

 

 「ちょっと。怖いこと言わないでよ。……別に、その毛布じゃなくてボクの髪を触ればいいだけでしょう? ……みんなが見ていないところなら、いつだって触っていいよ」

 

 「いいのか!? よーし、出世払いで髪触り代は払うからな!」

 

 「他の子には絶対しないこと。叶ちゃんが変だと思われちゃうからね。……髪触り代?」

 

 「照美の髪は一触り一千万円だ!」

 

 「そんなのボク知らないけど、いや、きっとそれくらいの価値はあるけど……いつ決まったの? というか、今まで叶ちゃんが触った回数を考えると一生かかっても払えないよね?」

 

 「そこはほら、オレの将来の出世に期待」

 

 「出来ないなぁ。どうやって払ってもらおう? 一生サッカー教えてくれたらそれくらいになるかなぁ?」

 

 照美は冗談っぽく笑って言った。叶はわしゃわしゃと頭を撫でる。

 

 「凄いシュート決めれて偉いなぁ」

 

 「ちょっと! みんなのお母さんも見てるんだよ! ……もう」

 

 「えー、本当にオレ感動したもん。いっぱい褒めてやらないとって思ってさー」

 

 「ふふっ……じゃあ今度、練習にたくさん付き合って!」

 

 照美はされるがままだ。慌てて髪の乱れを直す照美を叶は手伝う。

 柔らかな髪の感触。髪の良い匂い。くすぐったそうに笑う、耳に心地よい照美の声。幸せだと叶は目尻を下げる。

 

 照美の努力が試合中についに結ばれ、技が完成した感動。それは冬の寒い日に湯船に浸かったときのように叶の心に染み渡る。前世の終わりからずっとあった、叶の心をどす黒く染める憎しみも無念も、全部漂白されたのではないか。

 叶は錯覚して、しかし胸の片隅に憎悪があり続けることを再認識する。けど、それでもいいのだ。一生付き合う覚悟のこの憎悪を少しでも忘れられた。叶は照美の成長と同じくらいにそれが嬉しかった。

 

 しばらくして審判がホイッスルを鳴らし、試合が再開した。

 

 「クイックドロ……っ!?」

 

 照美が技を出す前に捨札は照美を抜く。

 さっきみたいなシュートチェインだけではなくて、単体の技の威力も見ておきたいから、叶はスライディングを失敗した。

 

 「行かせない!」

 

 「……っ……スピカっ!」

 

 「はい!」

 

 芙愛たちに囲まれた捨札は乙女乃にパスをした。順調にゴールへ近づいていく乙女乃を、阿保露と恩田が遮ろうとする。

 

 「プリマドンナ!」

 

 「えっ、あ……うわー……」

 

 恩田は顔を赤らめて声を漏らす。

 それを怪訝な目で見た阿保露は何か技を出そうとしたが、その前に乙女乃に抜かれてしまった。

 

 「……終くんっ!」

 

 「任せろ。カードバスター!!」

 

 試合前、裁原は捨札の技はとても強いから、彼に一切ボールを渡すなと言った。それほど強い技なのだ。どれくらい強いのだろうか。楽しみだ。

 捨札が何かを投げると空中に大きなカードが数枚現れた。

 捨札が空中に打ったシュートは、カードにぶち当たると減衰するどころか威力を増し、軌道を変えて他のカードにぶち当たる。何度か繰り返し、力を蓄積したシュートはゴールへと向かった。

 

 「……っ!」

 

 ボールの軌道に割り込んだ阿保露が両手を上げて力を入れると、黄金の巨大な足が出てきた。それはシュートに押し負けたものの、威力を削るには十分な働きをしてくれた。

 

 「! 今の……オレにも、自分だけの技が出来たの……!?」

 

 「トルネード──……っ!? そんなっ!」

 

 だが足りなかった。シュートは紫電の手をすり抜け、ゴールネットへ向かった。

 

 「決まったか」

 

 「……次は止めるさ」

 

 前半終了のホイッスルが鳴る。

 

 「引き分けっ! みんなぁ! 後一点、絶対取るよー!」

 

 「ならこっちは二点三点を取ります……! 負けません!」

 

 綺羅光と乙女乃がバチバチと、しかし微笑ましく闘志を滾らせた。




初めてオリ主と同年代の女の子出せました。
ヴァーゴたちはゲームでは流星ブレードやムゲン・ザ・ハンドなどといった強力な技を覚えるキャラですが、まだ小学生なので低レベルで覚える技しか使えません。


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14話 練習試合②

試合描写難しい。
コートの場所や線の名称は軽く検索して書いてるので、サッカーに詳しい人から見ると使い方が不自然かもしれません。


 

 前半が終わりハーフタイム。

 

 「油断していたつもりはなかったけれど……思ったより強かったね」

 

 いつもよりか弱い口調で紫電(しでん)が言う。自分の技を容易に破れる人間が、そう何人もいるとは思っていなかったのだ。

 

 「大丈夫だって! オレらだっているもん!」

 

 阿保露(あぽろ)が言って、綺羅光(きらびかり)も「オレもボール渡さないようにする!」と元気に言う。

 

 「まあどうしても無理そうだなーって思ったら、またオレが行ってシュートブロックしてやるから、安心しろよ」

 

 「オレも強い技使えるようになったし、紫電も強いから、阿里久(ありく)が来なくても大丈夫だよ。守りは安心して!」

 

 「でも……」

 

 「……ベビーベイビーだっけ? あれ使ったときも、叶さんはボクでは止められないと思っていたのかい?」

 

 「うん。ボールがお前んとこ行ったとき、キャッチするのが難しすぎず簡単すぎないように威力調整出来たと思うけど。どうだった?」

 

 「…………そうかい。ちょうど良かったよ」

 

 紫電は一瞬叶を鋭い目付きで見て、すぐに普段通りの顔をした。

 

 「……? 加減ミスったか?」

 

 叶は睨まれた理由がわからず、もっと強めるべきだったか、はたまた弱めるべきだったか悩む。

 

 「さすがにあれは……。お前のシュートじゃ入らないからオレがやる、って頼んでもないのにやられたら阿里久も嫌でしょ?」

 

 「実際そうなら仕方なくないか?」

 

 阿保露は何か言いたげな顔で叶を見た。

 叶は、小一ってそんな難しい年頃だったか? と前世の記憶を辿る。まだ素直な時期だった気がするのだが。

 阿保露と紫電は少し早い反抗期なのか? 叶は考える。せめて照美の反抗期は遅くあってくれ。無いとそれはそれで怖い。

 軽い作戦会議を行った後、叶はポジションに戻ろうとしたところで照美に呼び止められた。

 

 「叶ちゃん!」

 

 「どうしたんだ?」

 

 「あのね、さっきも言ったけど……次も、その次のシュートチャンスもずっと、全部ボクに任せてよね」

 

 「……! おう、照美を頼りにしてるぞ!」

 

 「ふふん、後半もたくさん活躍するからね! 叶ちゃん、絶対ボクだけにボールを回してね!」

 

 「はいはい。まあ場合によるわ。やけにお前だけに(こだわ)るんだな」

 

 「だって、このチームで一番上手いのはボクたちなんだよ。だからシュートするのはボクらだけで十分だよ」

 

 「ははっ、気持ちはわかるけど、あんまり調子に乗るなよ?」

 

 説教臭い言葉を考えて、叶はこれだけに留めた。あまり叱っても照美が可哀想だし、サッカーの実力もあり他でも優れている照美が調子に乗るのは仕方のないことだろう。

 それに大人になれば実際その通りだとしても、素直に「俺凄いだろ!」なんて言えないのだ。叶は照美に、子供の内は伸び伸びしていて欲しかった。

 

 「よっし、後半も頑張ろうぜ!」

 

 叶は照美の頭を柔らかい手付きで撫でた。

 

 「……うん」

 

 叶に髪をぺしゃんこにされ、前髪と睫毛(まつげ)が触れる。照美は目を閉じながら返事した。

 

 

 

 

 

 

 後半が始まるとまず、叶から照美にキックオフをした。

 照美はボールを奪おうと近付く捨札(すてふだ)を警戒して、後方の綺羅光にパスをする。捨札は照美に妨害され動けない状態で、どう動けば良いか迷うチームメイトに綺羅光を挟み込むように指示をする。

 

 「今だ! 行くぞ!」

 

 「うん!」

 

 指示通り、二人の少年が左右から綺羅光を追い込む。彼らの知識では綺羅光は必殺技も使えず、大して脅威でもない相手。しかしそれは前回の試合、半年前の話だ。

 

 「フォトンフラッシュー! どう? ビックリした?」

 

 綺羅光は上空で回って体を光らせ、目眩ましをする。追い抜きながら、綺羅光は悪戯(いたずら)っぽく笑った。

 

 「きゃっ……(しのぶ)ちゃん!?」

 

 「キラースライド!!」

 

 「ひゃわっ!?」

 

 ボールを奪おうと綺羅光に近づいた乙女乃(おとめの)を押し退けて、小鳥遊(たかなし)が必殺技を使う。巻き込まれた乙女乃と、正面から食らった綺羅光は痛みに目を細めた。

 

 「……っ、こっちにボールを回せ!」

 

 「小鳥遊!」

 

 捨札たちが呼び掛けるが、聞く耳も持たずに小鳥遊は上がっていく。

 

 「弱い弱い! キャハハァ!! ジャッジスルー!」

 

 小鳥遊は甲高い笑い声をあげて、暴走列車のように乱暴なプレイを続ける。

 

 「忍ちゃん、戻ってください!」

 

 「おい、小鳥遊!」

 

 乙女乃や捨札は小鳥遊の行動にただ困惑していた。ギリギリルールの範囲内で、小鳥遊が上手く見えないようにやっていたから審判は何も言わない。

 

 「ブレードアタック……!」

 

 芙愛(ふあい)が地面を蹴って放った衝撃波の刃が、地面を(つた)って小鳥遊に直撃する。

 

 「ナイス! ファイル、準備オーケー?」

 

 「ああ! 行くぞ!」

 

 相手のディフェンスラインまで上がった綺羅光と芙愛が、息を合わせてゴールの近くまで攻め込む。

 

 「させないぞ……!」

 

 「悪いね。疾風ダッシュ!」

 

 捨札を突破し、芙愛は綺羅光の元へボールを届ける。

 

 「よーし、行くよー!」

 

 「ああっ!」

 

 「「ツインブースト!!」」

 

 芙愛が上空に飛び上がる。綺羅光が蹴り上げたボールを、芙愛がヘディングで返すと綺羅光がゴールへと真っ直ぐ打ち込んだ。

 

 「あらぁ、可愛いわねぇ。ちゃぶ台返し、よぅ……」

 

 「止められた!?」

 

 沼上(ぬまがみ)は綺麗な円形に地面をひっくり返し、それを盾にしてボールを跳ね返した。

 

 「さっきの子には不覚をとったけど……これ以上は入れさせないわ!」

 

 「泥江(どろえ)ちゃん……!」

 

 堂々と沼上が宣言する。

 跳ね返されたボールは、「アハァ……」と不気味に笑う小鳥遊の元へ渡る。

 

 「クイックドロ……」

 

 「マッドジャグラー! キャッハァっ!」

 

 恩田(おんだ)のブロックは間に合わなかった。小鳥遊はあのままシュートを打つのだろうか。どんなシュートが出てくるか楽しみだ。叶は上機嫌に、微笑みながら彼女を見る。

 

 「キモっ……クソチビ、見てんじゃねーわよ! バックトルネード!!」

 

 高く飛び上がり反時計回りに回転しながら、小鳥遊は足を起点として螺旋のように青い炎を纏う。青い炎と共にシュートはゴールに向かった。

 

 「真トルネードキャッチ!」

 

 紫電はシュートを手の中に納め、不敵な笑みを浮かべた。

 

 「簡単に通しはしないさ」

 

 小鳥遊は舌打ちで返した。

 近くのディフェンダーに紫電はボールを渡す。彼より先に、乙女乃がボールを受け取った。

 それを確認して、叶はディフェンスラインまで下がる。ただの予感だが、不味い気がした。

 

 「ラブ・アロー!」

 

 乙女乃が(かかと)でボールを蹴って浮かせると、辺りには愛らしいピンクのハートが現れた。

 一際大きなハートは乙女乃のシュートに合わせ、ボールを矢のように射出する。一見可愛らしいシュートだが、捨札のカードバスターと同等、あるいはそれ以上の威力はあるだろうと叶は評価した。

 

 「裁きの鉄槌……!!」

 

 巨大な黄金の足がシュートを()し潰す。それにより、シュートの威力は半分以下まで減った。

 

 「よし、ナイスだ! 真ダークトルネードっ!」

 

 叶はシュートを打ち返す。ダークトルネード(叶のシュート)ラブ・アロー(乙女乃のシュート)は互いの力を打ち消し合い、少しの間弱々しくボールは転がる。

 敵も味方も凪ぎ払う勢いで一直線に走ってきた小鳥遊がボールを取った。

 

 再びゴールに向かう途中、小鳥遊は後ろから近付く気配を察知した。誰なのか確認。あの糞色の髪のチビ女だ。小鳥遊が出来るだけ無様に負かせたい相手。

 小鳥遊は三日月のように口角を吊り上げて笑う。避けることも出来るだろう。でも、小鳥遊のプライドがそれを許さない。ここで、あの女に一生残る敗北の象徴を刻んでやる。

 

 「ヒャハッ……! ジャッジスルー2!」

 

 「グラビティション!」

 

 「くっ……!? 何よこれェ……!!」

 

 叶は外と隔たれたドーム状の空間を彼女の周りに作り出し、小鳥遊の体にかかる重力を大きくしてボールを奪う。体を動かせない小鳥遊は片膝をつきながらも目だけを動かして、叶を凄い形相で睨み続けた。

 

 「チッ……、クソォ!」

 

 体を動かせないままわめく小鳥遊を、チームメイトが困った様子で(なだ)めている。叶はそれを尻目にゴールへと進む。

 

 「させないぞ……!」

 

 「おっと、危ねぇ」

 

 捨札のスライディングを突破。直後、ディフェンダーに挟まれたが叶はそれも切り抜ける。

 

 「かなちゃん、お願い!」

 

 綺羅光に応えるように叶はシュートを決める。

 

 「星影散花(せいえいさんげ)!」

 

 叶が今、母や照美の前で使える最大威力の必殺技。空へ消えたシュートは、前方は青白い彗星の輝きを蓄え、後方に青白い炎の尾を伸ばして隕石のように沼上の元へ降る。

 

 「歪む空間……!」

 

 沼上の両手の間、怪しげな紫の異空間を星々は塗り替える。沼上を軽く吹っ飛ばして、シュートはゴールに入った。

 

 「さすがねぇ叶ちゃん……惚れ直しちゃったわぁ……」

 

 「…………」

 

 うっとりと叶を見る沼上の視線に、叶は冷や汗を垂らした。

 視線を逸らすついでにスコアボードを見る。残り時間は僅か二分。2-1でこっちのリード。なら、何もしなくて良いやと思ってしまう。

 

 「叶ちゃん、あのね……」

 

 照美が叶の耳元で囁き、自分の考えた作戦を伝える。

 

 「いいかな? 出来る……よね?」

 

 「当然出来るぞ!」

 

 声を潜めた照美とは反対に、叶の声は周りに丸聞こえだった。

 

 「へへっ、一緒に頑張ろうな!」

 

 「うん!」

 

 試合再開。捨札から乙女乃にキックオフ。先の二回のシュートで警戒された乙女乃は、自分に近付く相手に気付き捨札にパスをする。

 叶はパスカットしようと動く。叶の返事から、何か作戦があるのだろうと考えた捨札が叶の想定より速く走り、彼にボールを渡してしまった。

 

 「烈風ダッシュ!」

 

 軌跡に炎を残し、左右に残像を残しながら捨札は高速でドリブルをする。

 

 「……!? アステロイドベルト!」

 

 残像も捨札本人も巻き込んで、降り注ぐ隕石が彼のドリブルを止める。叶がボールを奪うと、まるで闘牛のように小鳥遊が突っ込んできた。叶はニヤリと笑った。絶好のタイミングだ。小鳥遊のタックルによろめいてボールを(こぼ)すふりをして、地面から浮くようにパスを出す。

 ボールは鋭く数メートルの高さまで上がる。そして、そのまま空中でタッチラインを超えようとしていた。

 残り時間は一分に満たない。このまま仕切り直しになり、そのままの流れで試合が終わるのだろうと、誰もが考えていた。

 照美が力強く大地を蹴り上げ、ボールを胸でトラップする。優雅に着地すると、一拍遅れてようやく動き出した相手のディフェンダーを抜き、照美はゴールへ近付いた。

 

 「ゴッドノウズ……!」

 

 「……! ちゃぶだい返しぃ……!!」

 

 土の盾は拮抗(きっこう)の末に正面からかち割られ、シュートはネットに入った。

 瞬間、ホイッスルが鳴る。試合終了。叶たちの勝利だ。

 

 

 

 

 

 

 「……! 叶ちゃん!」

 

 「わっ……! ははっ、そんなに勝って嬉しいのか?」

 

 勢いよく照美に抱きつかれ叶は驚いた。踏ん張ったおかげで叶は少しもふらついていない。

 

 「よしよし、頑張ったなぁ」

 

 「えへへ……」

 

 叶が満足するまで照美の頭を撫でていると、照美は可愛らしく欠伸(あくび)をした。恥ずかしそうに口元を手で隠している。

 

 「……何だか、試合が終わったら急に疲れちゃった…………もっと体力を付けないといけないね」

 

 「寝ても良いぞー? オレがおんぶして家まで送ってやる!」

 

 「それだけは絶対嫌。やめてね?」

 

 「お、おう……」

 

 真面目な口調だ。叶は少し落ち込んだ。

 

 「照美ー! 阿里久ー!」

 

 阿保露が嬉しそうな様子で駆け寄ってくる。叶が高く手を上げると、彼はハイタッチを返してくれた。「照美も」と言って、阿保露は照美ともハイタッチをする。

 その後叶がチームメイトと似たようなやり取りをしている最中、なだらかな雰囲気が切り込まれたようにガラリと変わった。

  

 「おい、チビ女」

 

 「うわっ!?」

 

 小鳥遊が肩で空気を切りながら歩いて、叶のところに来たのだ。

 

 「……チッ、次は負けねぇわよ」

 

 「おう。……あのさ、あんまりああいうプレーすんのはやめとけよ」

 

 「ハァ? アンタには関係ないでしょ」

 

 「一緒に試合したから関係あるぞ。……とにかく、ああやって勝っても後悔するからさ」

 

 ラフプレーはいけないことだ。前世、部活に入ったばかりのころに、先行(さきゆき)に言い聞かされたことを叶は思い出す。

 実際に周りと協力するよりも自分一人でプレイした方がスムーズで強かったとしても、周りを置いてきぼりにするワンマンプレイもダメだ。前世、叶は散々思い知らされた。

 

 「……わかったような口聞かないで!」

 

 小鳥遊は嫌そうに(きびす)を返す。少しは改めてくれると良いのだが。叶は小さくため息をついた。

 

 「あ、あの……」

 

 緊張した様子で乙女乃が叶に話しかける。彼女の隣には沼上もいた。

 

 「わたしたちはもう帰るので、最後にご挨拶をと思い……」

 

 「叶ちゃん! アタシ、惚れ直したわぁ! 強くて可愛くて優しいのね……ねえっ、アタシのダーリンになって!」

 

 「泥江ちゃん、監督に怒られないようにしてくださいね……?」

 

 「えぇ。心配しなくても、大丈夫よぉ」

 

 オレのどこがそんなに良いんだろう。叶にはさっぱりわからない。小さくて可愛いのも、サッカーが強いのも、それは叶だけが持っているものではない。

 

 「それと、忍ちゃんがすみませんでした……」

 

 「言い訳だけど、あの子、入って来たばかりだからあんなプレイするって知らなかったのぉ。観客……みんなのパパとママだっているのにぃ……あの子のママだって来てるはずよぉ?」

 

 「……忍ちゃんのお母さんは来ないと聞きました」

 

 「あら、そうなの? でも、ママが見てなければ、他の子──アタシの旦那様に酷いことしていいわけじゃないでしょ?」

 

 「……。……では、叶ちゃん。次の試合……半年後くらいにまた会いましょう」

 

 「うふふ……アタシのこと、忘れちゃイヤよぉ……」

 

 「おう、またな。あと、オレは全然怪我とかしてないから、心配いらないぞー」

 

 綺麗なお辞儀をする乙女乃に見とれながら、彼女の隣の人物が発する悪寒を気にしないように叶は努めた。

 彼女たちが乗ったバスが発進するのを手を振って見送り、叶のチームメイトもちらほらと帰り始める。

 

 「照美、頑張ったわね! 今日は夕飯、照美の好きなのにするから、楽しみにしててね」

 

 「うん……!」

 

 褒められて嬉しそうな照美を微笑ましく思いながら、叶も母の季子のところに向かう。

 

 「叶ー、あの星のキラキラのシュート、凄かったわよ!」

 

 「ありがとう、お母さん」

 

 「うんうん、(あらた)……お父さんを思い出すわ。あんたのお父さんといったらコレ、みたいな技があったんだけど……その赤ちゃん版みたいだった! やっぱり親子なのねぇ……」

 

 「……うん!」

 

 叶は複雑な気分で頷いた。親子も何も叶の中身は父親その人だ。

 

 「阿里久さん、いつも照美が叶ちゃんにお世話になっています」

 

 「そんな、お世話になっているのは叶の方ですよ」

 

 「いえいえ、そんな。この前も──」

 

 母親同士の長話が終わるのを、叶たちは喋りながら待っていた。

 

 「ねえねえ、今度、体力の付け方と……ジャンプ力を高くする方法も教えて!」

 

 「ん、今度な。疲れたんだろ? おんぶして──」

 

 「絶対嫌。気持ちだけ受け取っておくね」

 

 母親同士の話はなかなか終わらない。うんざりしてきた叶が歩きながら話すように頼んで、やっと帰ることが出来た。コーチに挨拶して帰り道を歩く。

 

 「照美、今日の試合楽しかったか?」

 

 「うん! 楽しかったよ。ねえ、叶ちゃん。大会に出るとしたら、もっと強い子がいるんだよね?」

 

 「そうだな。もっと楽しくなるぞ。コーチ、次の大会、いつのに申し込むって言ってたっけ?」

 

 「二月だよ。確か、県内の小学生のトップを決める大会だって」

 

 「初耳。いつ言ってた?」

 

 「……昨日だよ。まあ、ボクと叶ちゃんがいればどちらも余裕だよね」

 

 叶はコーチの話を完璧に聞き流していたため、照美の言ったことが全く記憶になかった。

 

 「そうだなー。頑張って優勝しような!」

 

 「もちろんそのつもりだよ。そのためにも、叶ちゃん、ボクにサッカーたくさん教えてね」

 

 「おうよ!」

 

 「……? 母ちゃん、どうかした?」

 

 叶たちを微笑ましそうに見ながら話していた母。彼女の視線にこもる感情が、どことなく変な気がして叶は聞いた。

 

 「……どうして? 何でもないわよ」

 

 「そうなの? なら、オレ……あっ、わたしの気のせいか……」

 

 二十分ほど話しながら歩いていると、もう家に着いてしまった。もっと照美と話していたかったと名残(なごり)惜しく思いながら叶は照美たちと別れる。

 

 「ねぇ、叶。今日の夕飯は叶が好きなのにしようか。外食でも何でも良いわよ」

 

 「ハンバーグとオムライスとポテトとエビフライ」

 

 「……スーパー寄りましょう。お菓子は百円までなら買ってあげるわ」

 

 買い物を済ませ、二人は両手に袋を持って歩く。二人家族とは思えない荷物は叶の食べる量が多い故だ。

 

 「二人でこうやって歩くのも久しぶりね。……仕事ばかりでごめんね。叶、どこか行きたいところはない?」

 

 「……ううん。あんまり……サッカー出来ればそれで良いから」

 

 叶は俯いて返す。叶は母に謝ってほしくなかったし、遠出を必要以上にねだって負担をかけたくもなかった。

 

 「そっか……あのね、……本当にごめんなさい。家に帰ったら大事なお話があるの」

 

 重い口調で季子は言う。叶は不安になってきた。心なしか、荷物関係なく季子の歩調も重い。

 家に帰り、季子が料理を作り終えるまでの長い間、叶はずっと落ち着かなかった。

 

 「……転勤が決まったの。しばらくね、東京にある社宅で暮らすのよ」

 

 「えっ……?」

 

 「ごめんね。断ることも出来たんだけど、そうすると……」

 

 「お金はあるんじゃなかった……?」

 

 お年玉を貯金と言う名目で没収され文句を言ったとき、貯金している証拠として叶は通帳を見せられた。

 叶の前世で実の父、古会(ふるえ)新の遺産が丸々預金された通帳には、中学校から大学まで全て私立で進学しても十分に金は余りそうな額が貯まっていた。金がかかる習い事をいくつかしてもまだ余るだろう。

 

 「ええ、お金は大丈夫なのよ……ただ、この転勤を受けないとちょっと立場が悪くなりそうで……って、叶はまだ子供だもの。難しいわよね」

 

 「……ううん、子供じゃないからわかるよ」

 

 ショックを受けないわけではなかったが、自分の中身は大人なのだと叶は理解ある子供を演じた。

 

 「……予定ではね、冬休みが開けるのと同時にあっちの小学校に転校になるかな。……ごめんね」

 

 「…………そうなんだ」

 

 ずっと照美とここでサッカーを出来ると思っていた叶はつい暗い顔になってしまった。引っ越すのは一月。当然二月の大会には出られない。季子は慌てたように、「安心して!」と言った。

 

 「転勤は長くても二年って聞いてるから……小学生の間にこっちに戻れるわ。それにこの家を取り壊したりはしないから、夏休みとかにはこっちに帰って、照美くんたちと遊べるのよ」

 

 叶は少し明るい表情になる。

 

 「それにね、おじさんもあっちに住んでいるから、今までよりいっぱい会えるわよ」

 

 おじさん。新をサッカー部に勧誘してくれた先輩の先行(さきゆき)

 叶は顔を上げる。近くにいられるのなら、「新を殺した人が心の底からの謝罪を一言くれるだけで俺は満足」だなんて彼の考えを、正すことが出来るはずだ。

 

 「仕事の都合ならしょうがないよね。……友達には、早めに言った方が良いよね?」

 

 「……そうね。叶が言いにくいなら、私から亜風炉さんに伝えてもらえるように頼みましょうか?」

 

 「ううん。大丈夫」

 

 もやもやした気分のまま、叶は夕飯を食べて眠りについた。

 ベッドの中で叶は考える。照美はクラスでもチームでも人気者だから、夏休みに帰るころにはオレのこと忘れちゃうんじゃないか。

 照美に忘れられないようにするためにも、残り約半年、照美との時間を大切にして、アイツが県内の大会で優勝出来るようにしてやらなくては。叶は深く決心した。




県内の大会~とか書きましたが、マジで何県か考えていません。アフロディの出身地になるというのが大きすぎて、どこにしても何か違う感が出ます。


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15話 別れの前に

 

 (かなえ)が照美に引っ越しについて話せず、時は経った。

 今は十一月の下旬。年末には引っ越して、冬休み明けには向こうの学校に転校。叶は焦りながら、まだ一ヶ月もあると楽観的に思っていた。

 

 「叶、引っ越しのこと照美くんに言えた?」

 

 「ううん、まだ……」

 

 「やっぱり、私から亜風炉さんに伝えてもらえるように……」

 

 「大丈夫! 自分で言えるよ!」

 

 「もう三ヶ月もそれじゃない。……照美くん以外の子には言ったの?」

 

 「うん」

 

 母の季子(きこ)は何か言いたげな表情をしたが、叶にはその意味がわからなかった。

 

 他の子に引っ越すと伝えたとき、

 

 「ふーん。ちょっと寂しくなるけど、ちょくちょくこっちに帰ってくるんだよね? 次の夏休みは、阿里久(ありく)をぎゃふんと言わせるDFになってやるからなー!」

 

 と気合いを入れて返したのは阿保露(あぽろ)。他の子も寂しくなるね、帰ってきたら会いに来てね、と似たり寄ったりの反応だった。

 オレたちに教えるのを途中で放り出すのか、といった文句は誰からも言われていない。それに照美は賢いから、嫌な反応をすることはないだろう。叶は確信していた。

 

 「なあ、照美……ちょっと──」

 

 「どうしたんだい? また凄い技教えてくれるの?」

 

 「そ、そうだぞー!」

 

 なのに、叶はなぜか話せなかった。言おうとしても他の話題になってしまう。

 照美と叶は一番付き合いが長いから、本当は彼に最初に話すべきだったと叶にもわかっている。阿保露や母からもそう言われたのだ。

 

 「なあ、照美」

 

 練習の後、叶は大事な話があると続けようとして、また照美に遮られた。

 図工の絵で受賞して展示された。算数と漢字の小テストがこのまま行くと一年全部満点になりそうだ。照美は最初話題に迷って、すでに叶も知っていることを繰り返した。

 照美が良い成績を修めるのは叶にとっても嬉しい。照美の話なら何百回だって同じことを聞いても飽きない。

 叶は自分の子供と話すのはこんな感じだろうかと思いながら、良かったなと返す。そして今日も、叶は引っ越すことを伝えるチャンスを逃した。

 いつもは綿のように軽いランドセル。叶は最近、それを一日ごとに重く感じながら家に帰る。

 

 「叶、おかえり」

 

 「ただいまー。今日の夕飯は?」

 

 「混ぜご飯と野菜炒め。味噌汁。冷凍の餃子。今日は手抜きしちゃったわ」

 

 「いいって。そんなの気にしなくても」

 

 季子は手抜きと言うが、叶の食べる量は平均的な成人男性の五倍にも及ぶ。手抜きしようが大して楽にはなっていなかった。

 明日から季子は二日間の出張だ。その準備のため珍しく早く帰ってきて、久しぶりに親子で食卓を囲むことが出来た。

 

 「叶、明日の準備出来た?」

 

 「うん。着替えと、歯ブラシと……」

 

 大きな鞄に詰めた荷物を、叶は母にチェックしてもらう。

 鍵は掛けるし、小火(ぼや)も起こさない。食事も冷食やレトルトで自分で用意出来る。叶はそう言ったのに季子と照美の母で話をつけて、出張中、叶を亜風炉家で面倒を見ると決めてしまった。

 

 「それじゃあ明日、学校から帰ったら荷物持って亜風炉さん家に行ってね。よろしくお願いしますってちゃんと言うのよ。そのお菓子と封筒も渡してね。ちゃんと鍵やガス栓も閉まってるか確認してね」

 

 「わかってるよ!」

 

 菓子折りと叶の分の食費を入れた封筒を指して季子は言った。

 季子は忙しそうに書類を確認している。なるべく迷惑にならないよう、叶は母と話したい気持ちを我慢し、おやすみと小さく言ってリビングを出た。

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、旅行用鞄を持って叶は照美の家まで向かう。

 

 「二日間よろしくお願いします。これ、母からです」

 

 「あら、ありがとう。そんなに固くならないで。自分の家だと思ってくつろいでね」

 

 「叶ちゃん、こっち! 一緒に宿題して、終わったらいっぱい遊ぼうね!」

 

 「おう。わかんないところあったら聞けよ」

 

 「大丈夫だよ。叶ちゃんこそ、わからないところがあったらボクが教えてあげるからね」

 

 ちなみに宿題は百マス計算と漢字の書き取りだ。特にお互い人に聞くことはなかった。

 提出するため人が読める字で書かないといけないから、叶の方が宿題が終わるのが遅かった。

 宿題が終わると、照美は「何して遊ぶ?」と聞く。

 

 「これ……オセロとトランプ持ってきたんだ。やるか? どっちにする? オレはオセロやりたい」

 

 「ならそうしよう。叶ちゃんとこういう遊びは久しぶりだね」

 

 叶は折り畳み式のオセロ盤を出して広げる。照美に先攻を譲って、叶は負けてたまるかと気合いを入れて勝負に挑んだ。

 

 「……照美、次は角全部くれ」

 

 「はいはい」

 

 「くぁー! また負けたー!! なあ、次は一番外側のマス全部くれ」

 

 「えー? もう、仕方ないなぁ……」

 

 「照美ぃ、接待オセロしてくれぇ……勝たせてくれ……」

 

 「……半分だけ、最初に好きなところに置いて良いよ」

 

 「…………なあ照美。オセロの特訓とかしてるのか?」

 

 「してないよ。なんであれで負けるかなぁ」

 

 叶は何度も惨敗した。最後に照美は負けるために脳をフル回転させた接待オセロをしてくれて、叶は何とか勝たせてもらえた。

 

 「どんなもんだ! これがオレの実力だぞっ!」

 

 「……ふふっ、そうだね」

 

 「今笑ったか?」

 

 「馬鹿にしてはいないよ。次はトランプをやろう。ババ抜きとかどうかな?」

 

 「二人で? お前の母ちゃんとか呼ばなくていいの?」

 

 「うん」

 

 「えー? 多分つまらねぇぞ? 照美がいいならいいけど」

 

 ババ抜きも叶のぼろ負けだった。

 

 「な、なんであんな的確にジョーカー以外を取れるんだよ……!?」

 

 「顔に書いてあるもん。ジョーカーを取ろうとしたときなんて凄く嬉しそうな顔するから」

 

 「……照美、お面とかないか?」

 

 「ないよ」

 

 叶は前世、先輩の先行(さきゆき)たちとトランプをしたときも顔に書いてあると言われたのを思い出す。でも、自分はそんなに分かりやすい人間ではないはずだ。

 となると、一緒にゲームをした彼らの洞察力が特別良いのか。先行たちは当時中学生だったが、照美はまだ小一だ。そんなに見る目があると思えない。

 もしかして、本当に顔にカードの柄が浮かび上がっているのではないか。叶は不安で顔をペタペタ触った。

 

 「痒いの? お薬持ってこようか?」

 

 「オレのほっぺって、ちゃーんと常に肌色だよな?」

 

 「……? そうだけど……あっ、たまに薄くピンク色になってるよ」

 

 「トランプの絵柄に?」

 

 「何……? どうしたんだい?」

 

 照美は困惑している。

 遊んでいるうちに外はすっかり暗くなった。夕食の時間。叶は泊めてもらっている身として照美に教わりながら配膳を手伝った。

 

 「叶ちゃん、もう少し丁寧に。(いろど)りも考えて」

 

 「うーん……こうか?」

 

 「うん、他もそんな感じで……こら、自分のお皿だけ野菜減らさないの」

 

 せっかく減らしたサラダを照美が増やす。叶は文句を垂れた。

 

 「いただきます」と挨拶をして、叶はドレッシングとお茶で味を誤魔化し、真っ先に嫌いな野菜を平らげる。他の料理も綺麗に食べて元気よく言った。

 

 「おかわりください!」

 

 「あらぁ。いっぱい食べてくれて作りがいがあるわぁ……あなたも見習ってよ」

 

 夫に向かって照美の母は言う。叶は「お世話になります」と照美の父と挨拶を交わした。

 顔立ちは整っているが髪も目の色も違い、息子の照美にはあまり似ていない。似ているのは雰囲気と線の細い体くらいか。

 

 「今日は叶ちゃんが来るから張り切っていっぱい作っちゃった。たくさん食べてね」

 

 「はい!」

 

 叶が料理を豪快に食べる姿を、上機嫌に照美の母は見ていた。

 

 風呂の時間。先に入った叶が五分で出てきたのを見て、照美は眉を(ひそ)めた。

 

 「……別に気を使わなくても良いんだよ?」

 

 「え? いつもこんくらいだぞ」

 

 「きちんと洗った?」

 

 「体は泡でパッとやったし、頭はお湯をパッてかけた!」

 

 「せっかくだから一緒にお風呂入ろうか。洗い方も教えてあげるよ」

 

 「……? お、おう……? 照美は甘えん坊だなぁ……?」

 

 風呂に入ると、照美は自分の体よりも先に叶の頭を洗う。頭皮に広げた泡は、蓄積した汚れを吸収して泡立たない。照美は泡を流し再び叶の頭に広げる。五度ほど繰り返し、ようやくしっかりした泡が叶の頭の上に出来るようになった。

 

 「頭の上で泡立てないで、先に泡を作ってから爪を立てないで指の真ん中で洗うんだよ?」

 

 「ひゃぁ……」

 

 「聞いてる?」

 

 「効いてる効いてる。あ、もうちょっと左……うひぇひぇ……照美はシャンプーも上手いなぁ」

 

 「……聞いてないね。また後で教えるから、きちんと覚えるんだよ。トリートメントを付けたから五分くらい、待つついでにお湯で暖まって」

 

 「五分もー!? 退屈だよ……そうだ、オレが照美の頭と背中やってやる!」

 

 風呂場に声を響かせて叶は言った。

 

 「……ありがとうね。でも、暖かくしないと風邪ひいちゃうから」

 

 「照美は心配性だなー。わかったぞ」

 

 風呂から上がると照美に髪を乾かしてもらい、叶は良い匂いになった自分の髪に驚いた。

 

 「おっ、おー……! ふわふわだ!」

 

 「ふふっ、どうだい? 美しくなっただろう?」

 

 「うん! あっ、これで自給自足出来るからお前の髪撫でる必要なくなるな」

 

 「今までの悪い積み重ねがあるから、ちょっとお手入れしたくらいじゃ、ボクみたいにはならないかな。何なら週に一度くらい、ボクの家に泊まりにおいでよ。ボクがしっかり、叶ちゃんの髪を綺麗にしてあげる」

 

 叶は笑いを(こら)えた。

 洗面所で歯を磨く。叶は歯の表面を歯ブラシでなぞり、十秒程度で歯磨きを終えようとした。

 

 「貸して。ボクがやってあげる」

 

 「へ?」

 

 なぜか照美に歯を磨かれた。弟分に口の中をじっくり見られることや、彼の用意した苺味の歯磨き粉に叶のプライドが削られる。

 

 恥ずかしい時間が終わり、少し口内に残った歯磨き粉の人工的な甘味を叶は味わう。照美の両親におやすみなさいと言うと、叶は照美の部屋に戻った。

 

 軽い柔軟体操をすると枕を並べて、照美と叶は同じベッドに寝る。

 

 「ん……狭くねえか?」

 

 「叶ちゃんは小さいから大丈夫だよ」

 

 「……! 今はチビでも、将来は伸びるつもりだぞ!」

 

 「はいはい。170センチが目標だっけ?」

 

 「オレよりちょっとでかいからって調子に乗りやがって。んー……まだ全然眠くないな。照美、何かしたいことあるか?」

 

 「叶ちゃんとお話したい。ねえ、ボクの話聞いてくれる?」

 

 「もちろんだぞ」

 

 引っ越しについて話す機会だ。叶はタイミングを逃さないように気を引き締めた。

 ベッドに横になり、二人は向き合って話す。二人の他には時計の秒針が規則的に動くだけだ。

 

 「小学生になって、一緒にサッカーする子が増えたよね」

 

 「そうだな!」

 

 そして照美の友達も増えた。叶には非常に嬉しいことだ。

 

 「幼稚園のころは叶ちゃんとずっと一緒だったのに、同じ場所にいても、違う子と遊ぶようにもなっちゃったよね……」

 

 「そうだな! オレもみんなに教えるのが楽しいし、照美も、オレ以外に友達たくさん出来たみたいで良かったよ!」

 

 「……そう? ねえ、叶ちゃんはそんなに他の子に教えるのが好き?」

 

 「おう! みんなが強くなったり、サッカーを好きになるのに、オレが役立てたら嬉しいからな!」

 

 叶は屈託のない笑みで答える。それに教える感覚を、前世、監督だったころ感じていたはずの気持ちを忘れると、何か大事な物がなくなる気がして怖いのだ。

 

 「……そうなんだ」

 

 照美はゴソゴソとパジャマのポケットを漁る。叶が誕生日に渡した、何でも言うこと聞いてやる券を取り出した。

 認識して叶は羞恥に顔を赤らめる。精神は大人である自分が幼稚なものを作り、しかも勢いで照美にプレゼントしてしまったことは、叶にとって黒歴史になっていた。

 

 「叶ちゃん、……これ使ってお願いしたらさ、本当になんでも聞いてくれる?」

 

 「……何だ?」

 

 「ボク以外の子にサッカーを教えないで。……ずっとボクだけの先生でいて」

 

 照美がそんなことを言うと思わなかったから、叶は面食らった。叶が無言でいたのを嫌だと勘違いして、照美は少し苦しそうな声で続ける。

 

 「……なんて、無理だよね。ごめんね、ただのつまらない冗談だよ。気にしないで」

 

 「別にオレはそうしても良いけど。あのさ、すっごく大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」

 

 「……うん」

 

 「その……冬休み明けから、引っ越すことになったんだ」

 

 「………………えっ? どうして……? ……ボクのこと、嫌いになったの?」

 

 今にも泣きそうな声で照美は言った。なぜそんな結論に至ったのか叶にはわからない。叶はとりあえず、照美をあやすように抱き締めた。

 

 「んな訳ないだろ。オレが照美を嫌いになるかよ。母ちゃんの仕事の都合。一年から二年くらいで、こっちに戻って来れるってさ」

 

 「……うん」

 

 「夏休みとかには帰って来れるみたいだし、そのときは毎日照美に会いに行くよ。……あっ、でも学年上がって新しい友達出来たら、オレなんか忘れちゃうかもな。あんまりウザがらないでくれよ」

 

 「大丈夫だよ。絶対忘れたりしないし、嫌いにもならないよ」

 

 照美は揺らいだ声で、されど力強く言う。

 

 「ありがとな、嬉しいよ。……それまでお前だけを鍛えてやるから、ちゃんと着いて来いよ?」

 

 「うん! ボク、あの帝国学園だって倒せるような、立派な選手になってみせるよ」

 

 「ああ! ……っと、その前に県内の大会で勝たないとな。良い返事聞かせてくれよ」

 

 「もちろん。楽しみにしていてよ」

 

 帝国学園と聞いて叶は前世の最期を思い出した。少しだけ憎しみに火が点いて、照美とこれからも楽しくサッカーをすることを考えるとすぐに消えた。

 

 「なあ、照美。これからも楽しくサッカーしような」

 

 「うん。ずっと、よろしくね」

 

 「おうよ」

 

 照美が小さく欠伸(あくび)をした。叶が時計を見ると、もう22時だ。

 

 「そろそろ寝るか。照美、おやすみ」

 

 「うん……おやすみ、叶ちゃん」

 

 朝起きると叶は照美の抱き枕にされていた。叶がからかうと、照美は顔を真っ赤にする。

 

 二日目。

 叶は照美の母の料理に舌鼓(したづつみ)をうち、オセロとババ抜きで照美へのリベンジを試んで敗北し、照美の家の近くの公園で久しぶりに二人だけでサッカーをして、少し夜更かしをして話をした。

 

 三日目の朝。叶の母が迎えに来た。親同士が話す横で、叶と照美も別れを惜しむ。

 

 「お世話になりました」

 

 「叶ちゃん。引っ越しても、ボクのこと忘れないでね」

 

 「大丈夫だよ。お前が嫌じゃなけりゃ電話もたまにかけてやる」

 

 「……! なら、毎日話そう!」

 

 「それは電話代が……」

 

 叶が渋ると、「そんなこと気にしなくていいわよ」と季子が割り込んだ。

 

 「照美くん。この子、家であなたの話をするとき本当に楽しそうなの。……引っ越しても、叶と仲良くしてあげてね」

 

 「ちょっと、母ちゃん!!」

 

 「あら、奇遇ですね。照美も家で叶ちゃんのことを話すとき、よく──」

 

 「お母さん!? 叶ちゃんに言わないで、恥ずかしいよ……!」

 

 これ以上余計なことを言われる前に、叶は母の腕を引いて照美の家から出て行かせる。

 

 「んじゃ、また後でいつものところでな!」

 

 「うん!」

 

 照美と笑い合って、叶は彼の家を後にした。

 



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16話 ようこそ稲妻町

 

 今日は引っ越しの日だ。

 朝早く見送りに来た照美は、綺麗にラッピングされた袋を叶に差し出して言う。

 

 「(かなえ)ちゃん、ボクのこと忘れないでね。良かったらこれ、ボクだと思って大事にして」

 

 「ん? ははっ、随分可愛いのくれたな。ありがとう。嬉しいけど、オレには合わんような……」

 

 早速叶は袋を開ける。暗い赤色のリボンが出てきた。サテン生地がなめらかで実に触り心地が良い。

 

 「きっと似合うよ。後ろ向いて。着けてあげる」

 

 「……おう」

 

 叶のポニーテールを結ぶヘアゴムの上から、照美はリボンを結ぶ。

 

 「なんか恥ずかしいな……似合うか?」

 

 「うん、可愛いよ」

 

 「…………」

 

 あまり女の子らしいものを身に付けたことがない叶は恥ずかしくなって俯いた。

 

 「うう……、やっぱ恥ずかしいし外しても……」

 

 「叶ちゃんが良ければボクだと思って大切にしてね」

 

 「けっ、そんなに言うなら本当にお前と思って大事にしてやるよ。リボンの名前は照美二号にすっからな」

 

 「リボンに名前を付けるの? まあ良いか。夏休みには会いに来てね。絶対だよ」

 

 「はいはい。じゃ、夏休みには帰るし、たまには電話するから、オレがいなくて泣くんじゃねえぞ」

 

 「泣いたりしないよ! またね、叶ちゃん」

 

 「おう、またな」

 

 照美は叶の姿が見えなくなるまで手を振り続ける。母の季子(きこ)に「そろそろ急がないと新幹線乗れないわよ」と()かされるまで、叶は数歩歩いたら振り向いて手を振り返すのを繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 荷物の整理でバタバタしているうちに、あっという間に学校が始まった。

 一月という人間関係が完成されきった時期に転校することに、叶は少し不安を感じていた。

 

 「阿里久(ありく)叶です。趣味はサッカーで、好きな科目は体育です。よろしくお願いします」

 

 黒板に名前を書いて自己紹介する。小さくお辞儀して叶は教室を見回した。

 一番後ろ。輝く視線を叶に向けるオレンジのバンダナの少年の隣の席が、不自然に空いている。となると、あそこが叶のために用意された場所なのだろうか。

 叶が考えていると、案の定教師はその席に座るように指示した。叶は横から痛いくらいの視線を浴びながら、ランドセルの中の荷物を机に移動させる。

 

 「オレ、円堂(えんどう)(まもる)! オレもサッカーが好きなんだ。よろしくな!」

 

 「さっきも言ったけど、オレじゃなくて……わたしは阿里久叶。よろしくな」

 

 ギラギラ輝く太陽のような笑顔で円堂は言った。白い歯が眩しい。

 

 「円堂もサッカー好きなんだ。どっかのクラブチームとかに入ってるのか?」

 

 「クラブチーム……。確か近くにあった気がするけど、多分母ちゃんが良いって言わないよー……」

 

 唇を尖らせて円堂は言う。

 彼の母はスポーツよりも勉強と言うような厳しい人なのだろうか。逆に、大事な息子に怪我してほしくない過保護な人かもしれない。

 あるいは彼女も季子のように、サッカーに関わったせいで大事な人が死んだのかもしれない。

 ……さすがにありえねえか。叶は浮かんだ考えを否定する。

 

 「阿里久は入っていたのか?」

 

 「うん。結構強いシュート出来るぞ」

 

 「へえー!! 凄えや! チームにはどんなヤツらがいたんだ!?」

 

 「えっとな──」

 

 授業開始のチャイムにも気付かず、教師に注意されるまで、叶はチームメイトについて話し続ける。

 

 「っと、授業は真面目に受けないとな……。じゃあ話はまた後でなー」

 

 大トリとして取っておいた照美について語れなかったことを不満に思いながら、叶はノートと教科書を開いた。

 

 休み時間。転校生に興味を持って叶を質問攻めにした子供たちが、次の授業が始まるからと解散した直後。外遊びから戻ってきた円堂に対して、叶は何の気なしに言う。

 

 「今日の休み時間はどうせずっとこんな感じだし、昼休みは職員室に用あるから……そうだ、放課後一緒にサッカーやらないか?」

 

 「良いのか!? うん! やりたい!」

 

 「つっても、オレまだどこに何があるかとか知らないから、サッカー出来るところまで案内してくれよー」

 

 「もちろん! 阿里久は引っ越したばかりなんだよな?」

 

 「うん。こっち来て数日。この辺は全然把握してないぞ」

 

 「じゃあさ、オレが稲妻町を案内してやろうか? 鉄塔だろ、河川敷に、商店街も……本当、良いところばかりだからさ!」

 

 「良いのか?」

 

 「おう!」

 

 (こころよ)い返事をもらえたこと。転校初日に友達が出来たことに安心して、叶が最初に感じていた不安はすっかり無くなった。

 

 

 

 

 

 

 学校が終わり、叶は円堂に稲妻町を案内してもらう。今は商店街の店を紹介してもらっているところだ。

 

 「ここ……雷雷軒のラーメンは絶品なんだ!」

 

 「ラーメンか。良いなぁ、今度母ちゃんに連れてってもらおうかな。こんな近くにあったら毎日ラーメン食えるな……」

 

 叶は垂れた(よだれ)を慌ててすすった。

 

 「ここのおばちゃんは、オレがお使いに行くとたまにオマケくれる」

 

 「こっちの道は、大人の店? で、酔っ払いとかいて危ないから、子供は行っちゃダメだって母ちゃんが言ってた」

 

 「このお店のコロッケも凄くおいしいんだ!」

 

 少し進むたびに立ち止まって、円堂はそれぞれの店について叶に説明してくれた。

 

 「円堂、またおばさんの手伝いか?」

 

 叶と同年代。前髪で片目を隠し、青い髪をポニーテールにした少年が円堂に話しかける。

 

 「ううん、今日は阿里久に稲妻町を案内してるんだ!」

 

 「阿里久……? ああ、そっちの小さい子か。オレは風丸(かぜまる)一朗太(いちろうた)。円堂とは昔からの仲なんだ。隣のクラスだから、困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。よろしく」

 

 「風丸は足が早くてしっかりしてるし、凄く良いヤツなんだ!」

 

 「……わたしは阿里久叶。今日、転校したばかりで円堂に色々教えてもらってるんだ。よろしくな」

 

 「ああ、円堂が世話になるな。……じゃあオレは、母さんにお使い頼まれてるからそろそろ行くよ。また明日な」

 

 「おう。またな、風丸!」

 

 風丸と別れ、普通に通り抜けるよりも時間をかけて、叶たちは商店街を出た。

 

 「じゃあ次は鉄塔行こう! 結構歩くけど大丈夫か?」

 

 「体力には自信あるから大丈夫!」

 

 三十分ほど歩き、叶たちは目的地に着いた。

 稲妻マークの着いた大きな鉄塔が存在感を放っている。円堂に続いて、叶は梯子(はしご)を登って鉄塔の上に上がる。

 

 「オレの一番好きなところなんだ!」

 

 「確かに綺麗だな……」

 

 「だろ? 初めてこの上から町を見たとき、オレの暮らしている町が全部見えるんだー、ってオレもびっくりしたもん」

 

 頭を空っぽにして、叶は美しい景色を目に焼き付ける。冷たい風が叶の頬を撫でた。

 鉄塔のすぐ近くに、それなりに大きな湖があるのが見えた。照美は鉄塔の上と湖の近く。どちらが好きなんだろうと叶は考える。

 景色を見てどれほど経ったのか。ゆっくりした気持ちでいた叶は、円堂の「あー!」と言う声で現実に引き戻された。

 

 「どうしたんだ!?」

 

 「そろそろ帰らないと門限に間に合わないんだ……。オレの家、母ちゃんが凄く怖くって。でも今帰ったらサッカーが出来ない……」

 

 「案内で時間潰しちゃって悪いな。……サッカーなら明日でも明後日(あさって)でも、いつでもやってやるから門限までに帰るのが優先だろ。お前の母さんに心配させるのもやだし」

 

 叶は円堂を説得して大人しく帰らせた。

 次の日、全ての休み時間でサッカーをし、放課後も河川敷を案内してもらうついでに残った時間全てでサッカーをして二人は遊んだ。

 

 

 

 

 

 

 転校して一ヶ月が経つころには、叶はすっかり学校に馴染んでいた。

 

 「おはよう」

 

 「おはよう! 叶、今日も学校が終わったらサッカーやろうぜ!」

 

 「ん、今日は鉄塔でやりたいけどいいか?」

 

 「もちろん!」

 

 社宅のアパートを出て、五分ほど歩くと叶は円堂と待ち合わせしている場所まで着く。

 

 「おはよう。お前たち、また放課後にサッカーをするのか? よく飽きないな」

 

 「おはよう! サッカーは楽しいからな。毎日やっても飽きないよ! そうだ、風丸も一緒にやらないか?」

 

 「……そうだな、あまりやったことはないけどたまには良いかもな」

 

 「何かわからないことがあったら、オレ……あっ、わたしが教えてあげるから、遠慮しないで聞いてね」

 

 「ああ。ありがとう」

 

 少しすると風丸と合流し、三人で小学校までの道を歩いた。

 

 「じゃあ、オレはここで」

 

 「おう! また後でな!」

 

 風丸と違う教室に入り、円堂と叶は隣同士の席に座る。

 

 寝そうになった円堂を起こしたり、教師に当てられて答えにつまる彼を助けたりして、退屈な授業の時間を少し楽しく叶は過ごした。

 鉄塔に着くと叶は空のランドセルに詰めたサッカーボールを、円堂はグローブを出す。本来入っているべき教科書やノートを、二人は学校に置きっぱなしにしている。

 

 「風丸! 叶は凄いシュートが出来るんだ!」

 

 叶と風丸から少し離れたところで構えて、円堂は言う。

 

 「円堂。どうせ止められないんだから、怪我したくなかったらお前もこっち来た方が……」

 

 「やだ!」

 

 「……まあ、お前が良いならいいけど。行くぞ。真ダークトルネード!!」

 

 黒い炎を纏うシュートは、円堂を軽く吹き飛ばすと遠くまで飛んでいく。

 

 「円堂! 大丈夫か!?」

 

 風丸が駆け寄って、叶もそれに続いた。

 

 「平気平気! 叶、今日も良いシュートだったぞ!」

 

 「こうなるから止めとけって言ったのに……」

 

 「シュートから逃げるのだけは嫌だ! そんなことしたら爺ちゃんみたいなキーパーになれないよ」

 

 「爺ちゃん?」

 

 「うん! オレの爺ちゃん……オレが生まれる前に死んじゃって、よく知らないんだけど……。家の倉庫に、凄い必殺技が書いてあるノートとボロボロのグローブがあってさ。きっと爺ちゃんは凄いキーパーで、サッカーが大好きだったんだろうなって」

 

 「……そうなのか。お爺さんみたいなキーパーになりたいのはわかるけど、無謀な行動はやめろよ? 必殺技じゃないシュートならいくらでもやってやるから」

 

 「そうだぞ。円堂、本当に怪我はないか?」

 

 「大丈夫だよ!」

 

 叶は確認して、本当に怪我はないようだと安堵する。

 

 「チッ、なんだよこのボール!!」

 

 ボールが飛んでいったであろう方向から、苛立ったがなり声が聞こえた。

 

 「どうする……?」

 

 「どうするって、謝りに行く以外ないだろ」

 

 「でもちょっと怖そうだぞ……」

 

 「とりあえずオレが行ってくるから、お前たちはここで遊んでてくれよ」

 

 叶は声の聞こえた方向に小走りで行く。黒い学ランを着た中学生くらいの、ガラの悪い黄土色の髪の少年が叶を睨み付けた。

 彼の周囲には同じ制服を着た、赤い髪の少年、緑の髪の少年、紺色の髪の少年がいる。仮に殴り合いにでもなれば勝てるかどうかギリギリだ。叶は冷や汗を垂らした。

 

 「ボールぶつけちゃってごめんなさい!」

 

 叶は頭を下げる。

 

 「だってよ。(さん)さん。どうする?」

 

 「どうするって……誠意見せてもらわねえとなぁ?」

 

 仲間に問いかけられた黄土色の髪の少年、山が嫌に口角を吊り上げて行った。

 

 「誠意? でも、この子幼稚園児くらいですよね?」

 

 「馬鹿か火藤(かとう)。ランドセルしょってんだろ」

 

 赤髪の少年、火藤の言葉に叶は目付きを鋭くした。

 

 「そうですね……今は一月だからお年玉でもカツアゲします?」

 

 「良い考えだな木林(こばやし)。でもそんだけじゃあ足りねぇ」

 

 緑髪の少年、木林が不穏な言葉を口にする。叶はすぐに殴りかかれるように構えた。

 

 「でも……オレたち……最近……教師からも……目を付けられて……いる……。やりすぎは……不味い……」

 

 「ハッ、何ビビってんだ風間(かざま)。ちょっと痛い思いさせるだけさ」

 

 「山さん、さすがにこんなガキボコるのは不味いですって!」

 

 「誰もんなこと言ってねーよ。オレたちゃサッカー部だろ。サッカーでボコボコにしてやるんだ」

 

 叶のボールでリフティングをしながら山は言う。叶は彼の言葉に目を丸くした。サッカーなら確実に勝てる。

 

 「叶っ! 大丈夫かー!?」

 

 「阿里久! 何もされてないか?」

 

 「う、うん……大丈夫……」

 

 心配して来てしまった円堂たちに、叶は引きつった声で答える。

 

 「あの人にぶつけちゃって、揉めてて……」

 

 言いながら、叶は不良四人の体を透かして見る。シュートが当たったらしい山の胸が真っ赤になっているが、一週間もすれば完治するだろう。

 

 「四対三のサッカーバトルだ。負けたら……そうだなァ、お前らの全財産貰おうか。ほらよ、正月にがっぽり貰ってんだろ?」

 

 「ついでにプライドへし折って、二度とサッカー出来なくしてやるっす!」

 

 「四対三!? 勝てるわけがない……誰か大人の人はいないのか?」

 

 「そうか……逃げる……のか……」

 

 「いいや、逃げない! オレたちは絶対に勝ってみせる!」

 

 円堂は正面から啖呵(たんか)を切った。一方、風丸は周りを見て他に人がいないことに焦っていた。

 

 「ごめんな。オレのせいで」

 

 「良いって。サッカーで人を脅すなんて許せない。絶対に勝とう!」

 

 「今の内に逃げて、交番に行った方が良いんじゃないか……?」 

 

 風丸の言葉に、叶は首を横に振った。

 

 「でも、そしたらオレたち、鉄塔行くたびにアイツらがいないかビクビクしないといけないぞ? ここで確実に相手を負かさないと!」

 

 不安そうな風丸を元気付けるべく、自信に満ちた顔で叶は言う。

 

 「大丈夫! オレが二人分になるから、数の不利はないぞ!」

 「こんな風にな!」

 

 「うわあ!?」

 

 「叶が二人に……!?」

 

 突如分身した叶に驚く円堂と風丸。

 

 「山センパイ……あれ……不味いんじゃ……」

 

 「ガキが増えたくらいで驚くんじゃねぇ。どうやったか知らねえが、分身フェイントやらの必殺技の応用ってとこだろ。どんだけスタミナがあろうが、もって一、二分だ」

 

 「じゃあ、試合前から使うんならすぐ終わりっすね。ビビって損したっす!」

 

 不良二人の言葉に、叶と分身は顔を見合わせて笑った。一、二分どころかその三十倍は分身を保てる自信がある。

 

 「早めに試合を始めた方が良いよな? 作戦とかも、オレ、よくわからないし……」

 

 「えっと、円堂がキーパーでいいよな?」

 「風丸はなんか得意なのあるか?」

 

 二人の叶は続けて言った。

 

 「得意……そうだな、強いて言うならドリブルだ。でも、中学生に通用するとは思えないぞ」

 

 「んー、じゃ、オレらが前出るから、円堂の近くにいてやってくれ」

 「大丈夫。ボール、多分そっちには行かねえから」

 

 「……わかった」

 

 「円堂にはちょっと悪いけどな」

 「ま、油断しきらずに構えといてくれよ」

 

 「おう! ゴールはオレに任せてくれ!」

 

 円堂がキーパー。風丸がディフェンス。二人の叶がフォワードに決まった。

 

 「負ける覚悟は出来たかァ?」

 

 相手のリーダー、山が悪どい笑みで聞いてきた。

 

 「オレたちは負けねえ!」

 

 「はっ、その威勢がどれだけ保つか見物だなァ」

 

 黄土色の髪の少年、山がキーパーをし、残りの三人全員がフォワードと、相手はかなり攻撃的な陣形だ。

 

 「この線が簡易的なコート。時間は十五分。ラフプレーだろうが何でもアリで良いっすね?」

 

 「わかりました」

 

 「ククッ……後悔……しても……遅い……」

 

 「ハンデにキックオフはテメエらからにしてやる。……時計の秒針が三十になったら始めだ」

 

 叶は勢いよく投げられたボールを胸で受け止めた。

 カチカチと、時計の秒針が少しずつ動く。

 

 「行くぞ!」

 「おう! 本体!」

 

 「「デュアルストライク!!」」

 

 秒針が三十を示すのと同時に、叶は分身と共にシュートを放った。

 




円堂と風丸の一人称が「俺」か「オレ」か気になって色々調べました。両方正しかったです。
ゲーム(無印)、イナエブ、やぶてん漫画→オレ、ボク
ゲーム(GO)、アニメ(格言、サブタイ)、イナイレSD、小説(オーガ)→俺、僕
みたいな感じでした。間違ってるかもです。
個人的には幼い子は「オレ」や「おれ」の方が好みなのでしばらくは子供はカタカナ、大人は漢字にします。オリ主たちが中学生になったくらいで急に全員漢字に統一するかもしれません。

分身=デュプリです。デュプリの名称を知らないので、オリ主は分身と呼んでいます。


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17話 雷雷軒

 

 「「デュアルストライク!」」

 

 試合が始まった瞬間、二人の(かなえ)がシュートを放つ。

 相手のフォワード三人は、悲鳴をあげてシュートを避けた。

 

 「何してやがる!! 体張ってブロックくれえしろや!」

 

 「怖いんすよ! しょうがないっす!」

 

 「チッ……タフネスブロック!!」

 

 胸を突き出して踏ん張る(さん)は、シュートと共にゴールネットに入っていった。

 

 「山さん!? お前卑怯っすよ!」

 

 「オレらは普通にシュートしただけだよな」

 「なー」

 

 相手のボールを奪い、叶か分身、あるいは二人でシュートを決める。

 繰り返して十分間。

 得点は23-0。叶たちが圧倒的にリードしていた。

 

 「阿里久(ありく)……もう良いんじゃないか?」

 

 「あの青髪の……言う通り……そろそろ……棄権……」

 

 「はぁ?」

 

 山は後輩を睨み付けた。

 叶のシュートに幾度も立ち向かった彼の濃紺の学ランは、砂埃にまみれて灰色になっている。

 

 「クソ……もういい。オレが前に出る。キーパーは火藤(かとう)、テメエがやれ」

 

 「へっ? ……ムリっす! 死ぬっす! オレ、キーパーなんて……ヒッ……やるっす!」

 

 睨まれて、火藤は意見を(ひるがえ)した。

 

 山のドリブルを阻むため、叶は走ろうとして急にふらつく。

 

 「あれ……?」

 「あー、オレそろそろ消えるわ。じゃあな本体!」

 

 ドロンと煙を出して分身は消える。叶はそれを恨めしく見て、体勢を整えた。

 

 「一番ヤベぇのさえ動かなきゃこっちのもんだ」

 

 「くっ……すまない、円堂」

 

 「大丈夫だ! ゴールはオレに任せとけ!」

 

 風丸を抜き、山はシュートを放つ。

 

 「おりゃぁ!」

 

 普通のシュートだ。必殺技ではない。叶は安堵して円堂を見守る。

 

 「……っ! よっしゃあ!」

 

 シュートを止め、円堂は嬉しそうに声を上げた。

 

 「クソ……。……十五分経ったな。参った。オレらの負けだ」

 

 山は両手を上げ降参のポーズをした。

 

 「ボス……金は……奪わないのか……?」

 

 「アホか。んなことしたら負け犬以下だろ」

 

 「チクショウ! あの化け物のせいで、思考能力のない小学生からお年玉を奪って、サッカー部の設立代に()てる山先輩の完璧な計画がオジャンに!」

 

 「……馬鹿野郎」

 

 火藤の言葉に円堂が反応する。

 

 「サッカー部の設立?」

 

 「チッ……ウチの中学のサッカー部は、何年か前に問題起こした馬鹿のせいで、無期限停止処分を食らわせられたんだ」

 

 「で、先輩が同好会という形で復活させたんす」

 

 「そんなにサッカーが好きな人が、なんでこんなことしたんだ?」

 

 「……金だ。新しい生徒会長は金にがめつくてな。百万払えば、部の設立を支持してくれるんだとよ」

 

 「同好会から部になれば、知名度も上がるです! 部員も揃うはずです!」

 

 「大会にも出れるっす!」

 

 「……ならさ! オレのお年玉で良かったら使ってくれよ! 使っちゃったから、残りはちょっとだけだけど」

 

 「円堂!? 馬鹿、何言ってるんだ!!」

 

 風丸が叫ぶ。今の話が本当かわからない。渡した金が、何か良からぬことに使われる可能性もあるのだ。

 

 「だってさ、サッカーをやりたいのにダメって言われたり、一緒にやるヤツがいない寂しさはオレもわかるもん」

 

 円堂は笑って言う。

 山はそれを聞いて、大きくため息をついた。

 

 「百万だぞ。ガキ一人にもらっても意味ねぇ。それにあのクソ女にペコペコするのも嫌だからな。……地道に部の設立を目指すさ」

 

 「先輩!?」

 

 「テメエらもこれでいいなァ?」

 

 後輩三人は、「はい」と声を揃えた。

 

 「あばよ。迷惑かけたな。学校に言っても良いぞ。……その場合サッカー同好会も解体か」

 

 「……っす!」

 

 山は後輩を引き連れて去っていった。

 

 「大変なんだな……部が作れると良いんだけど……」

 

 「作れなくても良いだろ。あんなことしてサッカー汚したんだから」

 

 風丸に反論して、憤慨する叶を円堂がなだめる。

 

 「まあまあ。アイツらもサッカーが好きだからこういうことやったんだよ」

 

 「でも……オレらの前にカツアゲの被害者いるかもだろ。やっぱしっかり学校に言って、同好会も潰してもらおうぜ」

 

 「さ、さすがにそれは……」

 

 「信用……されなくとも……良いが……鉄塔に……誓って……言う……。これが……初犯……」

 

 山の取り巻きの一人、風間(かざま)が叶の背後で言う。

 

 「うわあ! 気持ち悪い! 帰ったんじゃなかったのかよ」

 

 「ははっ、鉄塔にか。うん、それなら信じるよ!」

 

 「円堂。それはちょっと甘すぎるんじゃないか……?」

 

 山たちはこちらへ戻ってくる。叶は念のため、すぐに迎え撃てるようにボールを構えた。

 

 「チッ……風間を忘れちまってた……」

 

 「影薄いっす!」

 

 「濃くしろです!」

 

 「無茶……」

 

 今度こそ四人は帰っていった。

 

 「あー! そういやここ、オレらの縄張りだから去れって言うの忘れてたっす!」

 

 「オレたちの負けなんだから言うなよ。余計惨めだ」

 

 「でも、グラウンドも体育館も貸してもらえないっすから、練習場所が……」

 

 火藤は困った顔をしながら、物欲しげに円堂をチラチラと見る。嫌らしい性根だ。叶は軽蔑した。

 

 「じゃあオレたちと一緒にここ使って練習しようぜ!」

 

 「良いんすか?」

 

 「おい火藤。テメエ、そのガキが許可するのわかって言ったろ」

 

 「っす!」

 

 「ったく……」

 

 山は頭を掻くと、後輩を引き連れて今度こそ出ていった。

 

 「円堂、あんなこと言って良かったのか? せめてアイツらがここ来るのは止めさせた方が良かったんじゃねえの? 綺麗な鉄塔の空気が汚れるぞ」

 

 「あ、阿里久……そこまで言わなくても……」

 

 苦笑する風丸。円堂は快活に笑って返す。

 

 「大丈夫だよ! だって、さっきのシュート……サッカーが好きじゃないと出来ないシュートだったもん。あんなにサッカーが好きだから、きっと良いヤツだ!」

 

 「別にサッカーが好きな悪人もいるだろうけどな」

 

 「ハハ……なんと言うか、阿里久は正義感が強いんだな……」

 

 風丸は乾いた笑みを漏らす。

 

 「頭が硬いだけだよ。……サッカーの続きやろーぜ。ブロックとかシュートも教えようか?」

 

 「ああ、頼む」

 

 叶たちは三人でサッカーをするのに戻る。

 

 「なあ叶! さっきのシュート、オレにも打ってほしいんだけど……」

 

 「今分身出せないからまた今度なー。というか今のお前じゃ止めれないだろ」

 

 「そんなの、やってみなくちゃわからないだろ!」

 

 「それはそうだけど、必殺技の一つも使えないのにな……怪我させたらオレが困るし」

 

 「円堂、あまり阿里久を困らせるなよ」

 

 「ぶー……風丸も叶の味方かよ……」

 

 叶はむくれる円堂の頬を突っついた。三人はそのまま、門限までサッカーをして遊んだ。

 

 

 

 

 

 

 叶は家に帰り、財布だけ持って外へ出る。

 叶の母、季子(きこ)は仕事で忙しく、叶が夕飯を食べる時間には帰ってこない。季子は忙しい中時間を作り、叶の食事を用意してくれているが、叶は彼女に負担をかけたくなかった。

 しかし、子供の叶がレトルトや冷食で食事を済ますことは、叶は良くても季子が許さなさった。話し合い、週に一回叶が一人で外食しに行くことを季子は許した。

 

 「今日は餃子(ギョウザ)の気分だなー、二番目の胃は炒飯(チャーハン)の気分。三つ目は豚骨ラーメンの気分だー」

 

 道中、商店街の顔見知りの人々に挨拶しつつ、叶は目当ての店・雷雷軒に向かう。

 元気よくドアを開け、叶は「こんばんはー!」と大きく言った。

 

 「……おう」

 

 「こんばんは、叶ちゃん」

 

 店主の響木(ひびき)がぶっきらぼうに、前世の叶の先輩、先行(さきゆき)が優しく返事する。

 

 「こっちはもう慣れた? なかなか良い街だろう?」

 

 「サッカーは向こうの方が上手いけど、ラーメンはここのが一番旨い」

 

 「ですって。響木さん」

 

 「……そうか。注文は?」

 

 「五千円(これ)で、餃子と豚骨ラーメンと炒飯。食えるだけください!」

 

 「叶ちゃん、ジュース奢ろうか? 何か他に欲しいメニューはない?」

 

 「じゃあオレンジジュースも!」

 

 「……」

 

 それを聞くとすぐに、響木はよく冷えたオレンジジュースをジョッキに注いで叶に出す。

 

 「ありがとう、響木のおっちゃん!」

 

 「他はいつも通りの量でいいか?」

 

 「うん! あっ、おっちゃんが大変なら別にいらないよ」

 

 「子供がそんなこと気にするな。少し待っていろ」

 

 叶は楽しみに待った。

 響木は汗をかきながら皿に料理を盛り付けては叶の席に出す。豚骨ラーメン大盛八杯。炒飯大盛六杯。餃子七十二個が、叶の座るカウンター席を中心におよそ五席分のスペースに並べられる。

 こってりしたスープの旨味。胡麻(ごま)油の風味が効いた、一粒一粒が油でコーティングされパラッとした米粒の炒飯。にんにくの風味が効いた程よい焼き加減の羽根つき餃子。

 叶は二十分もかからずにそれらを食べきった。残っていたオレンジジュースを飲み干してデザートを待つ。

 

 「叶ちゃんよく食べるなぁ。おじさん、見てるだけで腹いっぱいだよ……」

 

 「これでもまだ腹六分目だよ!」

 

 「凄いなぁ。……(あらた)そっくりだ」

 

 先行は叶の頭を撫でながら、遠くを見て笑った。

 叶の浮かべていた笑顔が消える。叶の父──新と叶は精神的には同一人物だ。新の生まれ変わりが叶である。前世の記憶だってあるのだ。

 そっくりも何も新はここだよ先輩。叶はその言葉を飲み込み作り笑顔を浮かべた。

 

 「もうこっちの生活にも慣れたか?」

 

 「うん! でも、サッカーしてくれる子は少ないんだけど。円堂と、ときどき風丸がやってくれるくらい」

 

 「円堂?」

 

 「うん。オレ……あっ、わたしと同じ年の男の子で、わたしよりちょっと暗い茶色い髪で、オレンジのバンダナ着けてるんだ。明るくて凄く良い子だよ。キーパーに興味があるみたい」

 

 「……漢字はどう書く?」

 

 「お金の円に、お堂の堂。何? 響木のおっちゃんの昔の恋人にでも、円堂さんいたの?」

 

 「子供が大人をからかうものじゃない」

 

 叶は食事を終えると五千円を響木に渡して、小走りで店を出る。

 

 「じゃ、響木のおっちゃん。オ……わたし、また来週来るからなー!」

 

 「……おう。嬢ちゃん、後ろ見て走って転ぶんじゃねえぞ」

 

 「えー? 大丈夫大丈夫!」

 

 叶が帰ると、先行は一万円札を机に置いた。

 

 「響木さーん! これで足りますかね?」

 

 叶が食べた分を考えると、先行の見立てでは一万円前後はかかる。彼女が払った分では雷雷軒は潰れるだろう。

 

 「サービスだ。金はいらねぇ」

 

 「でも……。ここ客少ないし、このままじゃ潰れちゃうでしょう?」

 

 「…………」

 

 響木はサングラスの向こうで、不快そうに目を細める。

 

 「あっ、それじゃあご飯代ではなく、響木さんにイナズマイレブンのお話をしていただき、そのお礼としてお金を──」

 

 三十四年前の中学サッカー界の伝説。雷門中のイナズマイレブン。先行は彼らの大ファンである。

 

 「帰れ」

 

 「そんなー……響木さん、他に元イナズマイレブンの方教えていただけませんか? 鬼瓦さんに聞いても答えてくれないんですよー」

 

 先行の問いを響木は無視した。彼の頭を占めるのは、叶が話した、茶色い髪でオレンジのバンダナをした、円堂という名字の子供。

 響木の恩師──円堂大介(だいすけ)には、響木よりも年下の娘がいたはずだ。彼女に息子が、つまり大介に孫が生まれているのなら叶くらいの歳だろうか。

 

 「帰れ」

 

 「えっ、ちょっと……」

 

 「帰れと言っているんだ。あの嬢ちゃんの手前、お前の出入り禁止は解いてやったが、これ以上付きまとうようなら次は警察を入れるぞ」

 

 「ははっ、響木さん。俺が警察ですよ」

 

 響木は先行の首根っこを引っ付かんで店から追い出した。

 先行応太(おうた)

 新をサッカーに誘った恩人で、阿里久親子から深く信頼されている彼は、元イナズマイレブンのメンバーの厄介なファンであった。

 

 

 

 

 

 

 「そんでなー」

 

 帰宅し、叶は家電を耳に当てて話す。通話相手は照美。叶の最も仲の良い友人だ。

 

 「……どこまで言ったっけ? 円堂がお人好しってとこまで?」

 

 『うん。…………叶ちゃん、少し相談があるんだけど、良いかな?』

 

 「へへっ、どんとこい!」

 

 『最近、その……変な人が付きまとってきて……』

 

 「は? なんだソイツ。オレが側にいたら玉ぶっ潰してやるのに。お前の母さんや警察には言ったのか?」

 

 叶は自分が照美の側にいないことを悔やんだ。

 

 『ううん。心配かけたくなくて……』

 

 「学校の先生にもコーチにも言ってないのか? 阿保露(あぽろ)や他のヤツらにも?」

 

 『うん。大人の人には言えてないよ。(ひかる)くんは……ボクと一緒のとき何度かあの人を見たことがあるから』

 

 「そうか。……どんな見た目のヤツ?」

 

 『全身黒い服でサングラスも着けているんだ。髪型はスキンヘッドで、体格はがっしりしてる』

 

 「それそのままお前の母さんに言えよ。んで、防犯ブザーとか笛とか買ってもらえ」

 

 『でも……』

 

 「心配かけたくないってか? お前が誘拐や……アレされましたって方が辛いだろ」

 

 『……そう、だね。それと最近、小学校の校門の前にも変な人がいるんだ』

 

 「いつからオレの故郷は不審者ゆかりの地になったんだ?」

 

 『白衣を来た人でね、先生が注意しているところを何度か見たことがあるけど……総合病院の院長さん──偉い人らしくて、無理矢理出て行かせたりは出来ないみたい』

 

 「総合病院……ああ、オレがぶっ倒れたときのとこか。そういえば他のヤツ……綺羅光(きらびかり)や阿保露は元気か?」

 

 院長といえば看護師の次に叶が世話になった相手だ。

 それに、特殊らしい叶の血液を定期的に金銭と引き換えに提供することで、子供の叶が金銭面で家庭に貢献出来る手段を作ってくれた人でもある。

 何かの間違いだろうと叶は思った。

 

 『うん。えっとね、みんな強くなって、前の大会でも──』

 

 県内大会で優勝出来たらしい。叶はチームメイトたちの成長を聞いて、固まっていた顔の筋肉を緩めた。

 それから少し話し叶は電話を切った。

 

 「おかえりなさい、母ちゃん! あのね、お願いがあるんだけど」

 

 「ただいま。お願い? 何か欲しいの?」

 

 「ううん、照美の母ちゃんにメールして欲しいの。えっと……」

 

 離れた場所の叶は、大事な照美が困っていてもこれくらいしか出来ない。

 円堂たちと遊び、埋まったと思っていた引っ越しの喪失感が叶の心にぶり返した。




いい感じのサブタイと、適当なサブタイの差が凄いです。

冬花を出そうか迷ったのですが、小一のどこかで円堂のいる小学校に転校→(おそらく小一で)久遠監督が教師を勤める学校に転校→両親死亡って感じで、おそらく冬花が稲妻町の小学校にいた期間は短いことと、小一のときの活発だったらしい冬花を想像するのが難しいのでやめました。


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18話 アイデンティティ

※アフロディおよびその家族について、かなりの捏造設定があります。


 

 小二になり、円堂と風丸の二人と同じクラスに叶はなった。春の陽気に誘われて、うつらうつらとする(かなえ)の体を、隣の席の女子が揺らす。

 

 「何だよ大谷(おおたに)……」

 

 「もう。次、叶ちゃんが当たる番だよ。それと、わたしのことはつくしって呼んで!」

 

 叶の今の下らない悩み。隣の席の女子、大谷つくしが非常に世話焼きなことだ。

 

 「あっ、またリボン歪んでる」

 

 「……」

 

 頭のリボンを直すついでに、大谷は叶を撫でた。

 叶の身だしなみや、机の中の整理整頓。それに、給食の配膳に大谷はうるさい。叶は野菜を食べたくないのに、大谷が増やしてしまうのだ。

 

 「おい、大谷……やめ」

 

 「つくし」

 

 「つくし、やめろ」

 

 「……ゴホン、阿里久(ありく)さん。問5の答えを黒板に書きなさい」

 

 「はい」

 

 教師に注視されていた羞恥心で、抗議の意味を込めて、叶は黒板の前から大谷を見る。にっこり笑う大谷から手を振られた。

 

 

 

 

 

 

 学校の校庭、公園、鉄塔。放課後はそのどこかでサッカーをするのが叶と円堂の日課だ。風丸が三日に一回くらいの頻度で加わる。

 鉄塔では、以前絡んできた(さん)たち四人がさらに加わる。叶は彼らのことがとにかく気に入らないから、分身を思い切り使ってボコボコにしてやる。

 それでも食らいついてくる山や、意外と子供の面倒見のよい取り巻き三人組に(ほだ)されそうになる自分が叶は嫌いだ。

 

 高学年の部活がない日に学校の校庭は開放されている。部活がない日が少ないから遊べる機会は少ないが、学校の校庭は一番サッカーをする人数が多くて叶は好きだ。

 円堂の熱心な声かけのおかげで、最初はサッカーを馬鹿にしていた子たちも加わり、最近はサッカーの楽しさに目覚めた子も多くいる。

 

 叶の家の近くにある小さな公園。最近、円堂はそこでサッカーをすることを好んでいる。

 理由は一つ。叶の前世、(あらた)の先輩。今は警察の先行(さきゆき)がたまに混ざりに来るからだ。

 彼の扱うゴッドハンドに円堂は強く興味を持ったらしく、技を教えてほしいとよくねだっている。

 

 「胸がカー……パーとなるだろ? そしたら利き手の方にエネルギーをギュルギュルさせて、ジジジ……とするんだ。良い感じになったら、パカーンってやる。守くん、わかったかな?」

 

 「うーん……なんとなく……?」

 

 「俺も見様見真似で覚えただけだから、あまり教えるのには向いてないんだよな……やっぱりこういうのは(あらた)の方が向いてるよな……」

 

 先行は頭を掻いてぼやく。

 いいえ、先輩。あなたの方が、俺よりあらゆる面で何倍も優れていますよ。叶の中の新が訴えた。

 

 「アラタって誰?」

 

 「俺の後輩で叶ちゃんのお父さんだよ。アイツのおかげでフットボールフロンティアを俺の母校は三年間準優勝出来たし、プロ選手にもなったんだよ。本当に凄いストライカーだった。その後、監督になってからも新は凄かった」

 

 「そんな凄い人が近くにいたんだ!」

 

 輝く目で円堂は叶を見る。

 

 「いないぞ」

 

 自分でも驚くほど冷めた声が出た。叶は困惑する円堂に気を向けず続ける。

 

 「父ちゃん、オレが腹ん中いるとき死んでるんだ。おじさんもさ、そういうこといったら守が会いたがるのわかるだろ?」

 

 「ご、ごめんよ叶ちゃん……。つい気が抜けて……」

 

 「叶、ごめんな……」

 

 「守は悪くない。おじさんが全部悪い」

 

 叶はそっぽを向いて言った。

 

 「そろそろ仕事に戻らないと、また鬼瓦さんに怒られるよ?」

 

 先行は急いで身なりを整える。

 

 「じゃあね、叶ちゃん、守くん! また時間あるときに教えるよ!」

 

 ダッシュして先行は職場に戻った。

 

 「うーん、こう力んで……? よくわからないや……」

 

 「そう急ぐ必要もないだろ。おじさんの言葉よりも、お前のじいちゃんが残したノート見た方が良いんじゃないか? そっちが大元(おおもと)だろ? それあるならおじさんいらなくないか?」

 

 「でも、やっぱり実際に使える人から話聞くのとは全然違うよ」

 

 「そういうもんか?」

 

 叶はわずかに首を傾げた。

 

 「今日はそうだな……パスとドリブルでもするか。良いか?」

 

 「おう!」

 

 叶たちはボールをひたすらに追いかけて遊んだ。

 

 「……ふぅー、良い汗かいたなー」

 

 「なー。お茶が凄く上手い!」

 

 シャツの胸元をパタパタさせて、二人は蒸れそうな肌に新鮮な空気を送り込む。

 

 「疲れたー。じゃあ叶、また明日な!」

 

 「おう、気をつけて帰れよー」

 

 叶は円堂と別れて家まで歩く。アパートのドアを開け、財布だけを持つと叶は商店街へ向かった。

 

 「響木のおっちゃん、今日もオレ以外客いないけど大丈夫か?」

 

 「たまにはお前さん以外にも一人二人いるだろう」

 

 「本当にそれくらいだもんな」

 

 叶は少し悲しくなった。

 

 「うーんと、今日は醤油ラーメンと味噌ラーメンと豚骨。替玉五個ずつ。餃子(ギョウザ)はちょっとで、炒飯(チャーハン)は一杯だけ。それとメロンソーダ」

 

 「少し待ってろ。……メロンソーダは無いな」

 

 「えー!? じゃあ、ラーメンのスープコップに()いどいて」

 

 「さすがにそれは体に悪いだろう。オレンジジュースで良いか?」

 

 「うん!」

 

 「次来たときにはメロンソーダも用意しておく」

 

 「いいの!? ありがとう、おっちゃん!」

 

 胃袋を雷雷軒の料理で満たす。膨らんだ胃が足の根本くらいまで来たのを感じて、叶は食後の休憩をしていた。

 

 「うぇっぷ……。そういえばおっちゃん、商店街の定食屋さんが大食い大会やるらしくてなー」

 

 「ほう」

 

 「出たいんだけど、母ちゃんが食べ物で遊ぶのは下品だからダメって。遊ぶのとは違くないか?」

 

 「……お前の母さんの言うこともわからんでもない」

 

 「えー……」

 

 続けて響木は早食いは体に悪いだとか、幼いときからそんなもので注目を浴びてもいけないと言ってきて、叶はがっかりした。自分は体に悪い食べ物で稼いでいるくせに。

 

 「でもでも、優勝したら五万円貰えるんだぞ! 五万だぜ!?」

 

 「子供のうちからそんな大金持たせられん」

 

 「ぶー。おっちゃんも母ちゃんも頭が固い! っと、オレそろそろ帰るわ。おっちゃん、ありがとー! おいしかったぜ!」

 

 叶は満面の笑みで言った。

 

 「金はこれで足りる?」

 

 「ああ、ちょうどだ」

 

 「良かった。ごちそうさまー!」

 

 叶はどたばたと店から出ていく。

 響木はその様子をどこか微笑ましく見て、彼女の残した膨大な数の食器の片付けにげっそりした。

 

 雷雷軒を出て、叶は商店街のスポーツショップに寄る。

 

 「あっ、重りの子だ。いらっしゃい」

 

 「もー、変なあだ名つけないでよー……」

 

 叶はバイトの青年に言った。

 この店で叶は最近週に一度、浮かせた小遣いで2キロの重りを買っていく。そのため店員の間で、叶は重りの子として通っていた。

 

 「言っとくけど、重りは今日で最後だからな。今度からはちゃんと、ミサンガとか靴下とか買ってくよ」

 

 「うちはどの商品も良いものを揃えているからね。ご贔屓に」

 

 財布から旅立った小銭を恋しく感じて、叶はスポーツショップのトイレに行く。

 リストバンドなどを駆使して、全部で五個。計十キロの重りが、叶の両腕、両足、胴体に付いた。

 トイレを出て、心地よい負荷を感じながら叶は夜道を歩く。社宅の古いアパートの部屋に入り、叶は真っ先に電話をかけた。

 

 「もしもし」

 

 『もしもし。久しぶりだね、叶ちゃん』

 

 「たった三日ぶりじゃねぇか。今度のゴールデンウィーク、そっちにちょっとだけ帰るからよろしくなー」

 

 『……うん! 楽しみにしてるね』

 

 それから二人は軽く話し、次の約束をすると電話を切った。

 

 

 

 

 

 

 「叶ちゃんは楽しそうでいいなぁ」

 

 思わず漏れた声。通話が切れていることを確認して照美は安堵した。

 

 小一の二月。照美の所属するクラブチームは県内の大会で優勝した。次は日本一を目指すと誓ったのは良い思い出だ。

 照美の周りに不審者が現れるようになったのは大会の後、三月からだ。

 叶に電話で相談した後、勇気を出して照美は母にそのことを話した。学校の先生やコーチも周囲に気を配ってくれて、パトロールのお(まわ)りさんも増えたが根本的な解決はしなかった。

 

 黒いスーツに黒いコート、黒いサングラス。頭はスキンヘッドで妙に威圧感がある男。

 彼は初め、照美を尾行するだけだった。丸一ヶ月、照美は落ち着かないまま過ごした。

 状況が変わったのは四月の中旬のある日だった。

 

 いつもは遠くから照美を見ているだけの男はその日は違った。照美に近づき高圧的に話しかける。

 

 「亜風炉照美だな?」

 

 「……っ」

 

 恐怖で声が出ない。

 照美は掠れた声で「大人の人を呼んで!」と、一緒に下校していた友人の阿保露(あぽろ)を避難させた。

 不審者は彼には用がないようだ。阿保露が去るのをサングラスの向こうから見ていただけだった。

 

 照美の返答は最初から必要なかったようで、男は続けた。

 

 「貴様の両親は、実の親ではない」

 

 「…………ぇ?」

 

 酷く震え上擦った醜い声。照美は美しい自分がこんな声を出せることを初めて知った。

 

 「あなたの言うことなんか誰が……」

 

 震えた声で照美は強く否定する。

 

 両親が実の親ではない? そんなわけがない。

 確かに父とはあまり似ていない。でも幼いころの母の写真とは生き写しのようだし、赤ん坊の照美と両親が写った写真だって何十枚も見たことがある。

 しかし、照美は自分が母の腹にいたときの写真を見たことがなかった。妊婦の母の姿もエコー写真もへその緒も知らない。幼馴染()の家のリビングには三つとも飾ってあるのに。

 照美は頭に浮かんだ疑念を振り払う。

 両親は照美のことを想ってくれる。照美がねだればいつだって欲しいものを何でも買ってくれる。食べたいものを何でも作ってくれる。どこにだって連れていってくれるし、照美が疑問に思うことは何だって教えてくれる。甘やかすだけではなく適度な厳しさもある。

 自分が両親の愛する子供でないなら、このような恵まれた環境にいるはずがない。

 

 「血の繋がっていないお前が、金に変わるのなら両親も喜ぶだろう。我々の元に来るんだ」

 

 「……照美から離れろ!」

 

 戻ってきた阿保露が、裁きの鉄槌(てっつい)で黒服の男をぺしゃんこにする。連れてきた巡回中の警察が男をぐるぐる巻きにした。

 

 「照美、何もされなかった? 大丈夫?」

 

 「う、うん……」

 

 照美はぼんやりと返した。

 核が揺らぐ。これまで両親に愛されてきた。照美はそう信じていた。これからもそうだと信じたい。

 このことを追及したら何か崩れてしまうのだろうか? もしかして、両親にとって自分は都合良く可愛がるための人形だったのか? それとも黒服の男が照美を連れ去るための嘘なのだろうか?

 警察や阿保露の話に虚ろに対応し、照美は答えの出ない問いを繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 「ねぇ、お母さん。……ボクって、お母さんの本当の子どもだよね?」

 

 「なっ……!? どうして……! 誰から聞いたの!?」

 

 家族三人揃って囲む食卓。照美は母に疑念を伝えた。母は笑って、何を冗談言ってるのとでも返してくれると照美は思った。

 返ってきた反応はこれだった。

 

 「……落ち着きなさい。照美は母さんと父さんの子供だよ。ほら、照美も母さんも、髪と目がそっくりだろう」

 

 “ならどうして、ボクとお父さんは似ていないの?”

 照美は思って押し黙った。

 普段は寡黙な父だけがその日から不慣れに話題を提供して、妻子の素っ気ない返事に落ち込んでいた。

 

 それから一週間ほど経ったある日。母は照美に言った。

 

 「あなたが大人になってから、きちんと話すつもりだったのに。本当に誰から聞いたの? ……確かに、照美は私から生まれていないわ」

 

 「…………」

 

 「照美は姉さんの子供なの。だから厳密に言うと、私たちは甥と叔母ね」

 

 「……お父さんは?」

 

 「あなたの本当の父親はね、外国人で、今日本にはいないのよ」

 

 自分は本当の両親に捨てられたのだ。照美の世界が崩れる。

 何か言おうとする母の言葉をこれ以上聞かないように、照美は部屋を出た。

 母方の祖父母の家に自分と母にそっくりな女性の位牌があったことなど、照美はすっかり忘れていた。

 

 そして照美は両親を、“お母さん”、“お父さん”と呼べなくなった。代わりに“おばさん”、“おじさん”と呼んだ。

 照美が徹底的に避けることで親子の会話は減り、それを繋ぎ止めようとしていた父が仕事で海外に行くと、必要最低限以外の会話はなくなった。

 叶ちゃんのところに行きたいなぁ。照美は何度もそう思ったけど、彼女の住む場所は東京であることしか知らない。交通費も小学生の小遣いでは到底足りないから、思ったのと同じ回数、諦めざるをえなかった。




前書きにも書きましたが、アフロディの家族について捏造設定があります。主に世界編の辻褄合わせのための設定です。
オリキャラはちょっと酷い目に合わせますが、原作のキャラは特に酷い目に合わせるつもりはありませんので、多分身構えなくても大丈夫な展開だと思います。


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19話 再挑戦

 

 「照美、久しぶりだな! はいこれ、お土産」

 

 「ありがとう。(かなえ)ちゃん」

 

 照美の家に来た叶は東京駅で買ったお土産を渡す。

 ゴールデンウィークの連休を使い、叶は三日間だけ照美の住む街に戻ってきたのだ。

 

 「お久しぶりね、叶ちゃん。お土産ありがとう」

 

 「お久しぶりです! えっと、つまらないものですが……」

 

 「ふふっ、良いわよ。そんなにかしこまらなくて。……照美をよろしくね」

 

 「はい!」

 

 「叶ちゃん、早く行こう」

 

 「……? おう」

 

 照美と彼の母が話さないどころか、目すら合わせていないことを叶は疑問に思う。仲の良い親子だ。偶然だろうと叶は片付けた。

 

 「照美ー、ちょっとくっつきすぎじゃねーか?」

 

 「別に普通だよ」

 

 「そっか。ふんふん、そんなにオレが恋しかったかぁ!」

 

 「うん。……寂しかったよ」

 

 叶は満足げに言った。照美は恥ずかしそうに笑う。

 

 「かなちゃん、お久しぶりー!」

 

 「久しぶりだなー! 元気だったか?」

 

 「元気だよー! あのね、新しい必殺技が出来てね、後でかなちゃんに見て欲しいな!」

 

 「おう! 楽しみにしてるぞ!」

 

 子犬のように寄ってきた綺羅光(きらびかり)に、自然と口角を上げて叶は答えた。

 

 「阿里久(ありく)さん、向こうの学校はどんな感じなの?」

 

 「うーん……普通だぞ。サッカーはここほど活発じゃねぇけど」

 

 叶は芙愛(ふあい)の質問に答える。

 

 「そうなのか。それはキミには辛いだろうね」

 

 「まあ、凄いサッカーが好きなヤツが一人いるから、そこは退屈しないぞ」

 

 「ふぅん」

 

 芙愛はあまり興味が無さそうだ。

 

 「叶さん、久しぶりだね。あちらの学校では問題ないかい?」

 

 「全然大丈夫だぞ」

 

 「ボクも鍛練を続けて強くなったからね。後で、星影散花(せいえいさんげ)だったかい? あれを止められるか挑戦──」

 

 「他のヤツとも話したいからまたな!」

 

 叶は紫電(しでん)から逃げた。また怪我させたらたまらない。

 

 「阿保露(あぽろ)ー! おー、相変わらずチビだなー!」

 

 「久しぶりに会って最初に言うのがそれかよ。阿里久の方が小さいじゃん。今何センチ?」

 

 「…………九十五センチ」

 

 叶は下唇を噛んだ。

 

 「そんな顔して答えるくらいなら、最初から身長で絡むなよ」

 

 「……じゃあお前は何センチだよー」

 

 「115センチ!!」

 

 「けっ、たかが二十センチで調子乗りやがって」

 

 胸を張り腰に手を当てどや顔で言う阿保露に、叶は不機嫌に言い捨てた。

 

 「(ひかる)? この失礼な子は誰だい?」

 

 「阿保露、このヤバいヤツ何?」

 

 緑の短髪の少年。背丈は照美と同じ程度の平均的な大きさ。目の色や顔の特徴はわからない。彼が白い仮面を着けているからだ。

 

 「コイツは実弓(さねき)在手(あるて)実弓だよ。大会の後、三月くらいに新しく入って来た」

 

 「ふーん、そういうヤツ他にもいるの?」

 

 「うん、それなりに。あー……実弓、このチビがみんなが言ってる阿里久叶だよ」

 

 「こんな人が本当に……?」

 

 在手は首を傾げた。

 

 「なぁ、オレなんか噂あるの?」

 

 叶は照美に聞く。

 

 「うん。中学生より強いとか、誰も見たことがないような技をいくつも使えるとか……ボクたちと同じ歳なのに、コーチより人に教えるのが上手いとか」

 

 「へー」

 

 「ただその……人から人に伝わって行って、かなり尾ひれが付いちゃったみたいだけど……」

 

 「ふーん、まあオレくらい凄いと盛るくらいでちょうどだろ」

 

 「そうかなぁ……? 叶ちゃんが嫌じゃないなら良いけど」

 

 叶はコーチに挨拶をして、大会優勝の記念写真を見せてもらった。一番目立つ位置に照美がいる。

 

 「このとき亜風炉凄かったんだぞー! 決勝でハットトリック決めてなぁ、ゴッドノウズの三連発だったからなぁ!」

 

 「三回も? 凄いですね」

 

 「だろう? もちろん亜風炉以外も成長したんだ。阿保露の裁きの鉄槌(てっつい)だけでシュートを止めれたことは何度もあったし、紫電だって新しい技を編み出してなぁ……」

 

 「へぇ、みんな成長したんですね。オレも負けてられないなぁ」

 

 「そうだろそうだろ。で、俺から頼みがあるんだけど……紫電にもう一回、あの技を打ってやってくれないかなぁ。アイツ、この四ヶ月ずっと特訓頑張っててさ。多分前みたいにはならないよ」

 

 「さっき頼まれて断りました。余計な揉め事も作りたくないし」

 

 「そこをなんとか!」

 

 コーチが叶に頭を下げる。小さな叶より頭を低くしようとした誠意の表れか。地面スレスレに深々と頭を下げていた。

 

 「それとさ、実際に阿里久を見て、思ったより弱そうって拍子抜けしてる子もいるし……」

 

 「やります」

 

 叶は格下から舐められるのが嫌いだ。

 

 「行くぞー! 怪我しても文句言うなよー!」

 

 「覚悟の上だよ。それより、キミこそボクの新しい必殺技に驚かないでくれよ?」

 

 二人以外は空のグラウンド。叶と紫電は向かい合っていた。

 

 「星影散花っ!!」

 

 叶のシュート。

 ボールと共にジャンプ。叶はそのまま体を逆さにする。上空に向けてボールを打ち上げた。ボールは大気圏に飛び出し、地球から姿を消す。

 少し時間を空け、ゴールの真正面から、隕石を連想させる破壊的な威力のシュートが現れた。彗星のように尾を伸ばしてボールはゴールまで進む。

 

 「トルネードスフィアっ!!」

 

 紫電は利き手の右手を前に出し、左手をその補助に後ろに構えた。

 開いた右手を中心に、ボールがすっぽり入る透明な球が出来た。薄い膜で外形を作るその球は、その柔さを武器にしてボールを優しく飲み込む。

 球の中では間断なく全方向から暴風が吹き乱れ、中に入ったボールを襲う。

 叶のシュートは球を脱出すると、いつもより力ない調子でゴールに入った。

 

 「おー……確かに、まあまあ強い技だなー」

 

 「キミに言われても褒められているように思えないけどね……!」

 

 「えー? ちゃんと褒めてるのに。前なんかオレのシュートで気絶してたじゃん」

 

 「言わないでくれるかな?」

 

 紫電は嫌そうな顔をした。

 

 「ん……?」

 

 パシャリ。カメラのシャッター音がした。

 

 「すみません。一枚だけ」

 

 カメラを構えた裁原(さいばら)が言う。

 

 「これだけだぞ」

 

 「阿里久さん、後であなたのシュートと、パスと……とりあえず、あなたのプレーを全て撮らせてもらってよろしいでしょうか?」

 

 「お、おう……。ほどほどにな」

 

 裁原の調子がおかしい。以前の彼は弱気で、声もふらふらしていて、叶と話すときも目線を鼻から胸の辺りでうろうろさせていた。

 今は違う。目をしっかり合わせ、声だってしゃっきりしている。

 

 「アイツ何かあったのか?」

 

 叶は紫電に聞く。

 

 「ああ。趣味の写真で表彰されたようでね、自信が付いたみたいだ。彼に写真を勧めたのはボクだから、自分の見る目が恐ろしいよ」

 

 「紫電くんにいじめっ子をこらしめる方法を教えてもらったんです! その子が他の子の物を盗んでる写真で記事を書いて、新聞を学校の廊下に貼りました!」

 

 明るい笑みで裁原は言った。

 

 「えぇ……オレが言った金玉潰せとかハブれより酷くねえか……?」

 

 「悪いことさえしなければ記事に載るようなこともないよ。ボクも何度か一緒に書いたけど、普段は地域の犬猫の写真や自作のクイズくらいしか載らないからね。その代わり、理不尽に叱る先生や横暴な生徒は一面記事さ」

 

 「阿里久ちゃん。他にはボクも一緒に保健室や図書室の先生にインタビューしたりして、みんなが使いやすくしてるんだ!」

 

 いつからか近くに来ていた恩田(おんだ)が言う。

 

 「まあ、なら良いけどよ……自信もついたみたいだし……、ほら、いじめっ子がいじめられっ子になるのとかはないようにな」

 

 「……! はい、気を付けます! あっ、そうそう、阿里久さんで記事を──」

 

 「嫌だ」

 

 「わかりました……」

 

 裁原はしょげた様子でカメラを下ろした。

 叶は以前のように他の子に教えたり、練習に混ざったりして過ごす。

 

 「……そろそろ解散だな」

 

 コーチが言った。叶の知る解散時間より一時間ほど早かった。

 

 「あー、阿里久は知らないよね。それとも照美から聞いた? この辺最近ずっと不審者がうろついていてさ、危ないから練習の時間短くして早く帰らなくちゃいけないの」

 

 「うへぇ、迷惑」

 

 「方向が一緒の子は固まって帰れって。で、帰ったら出来れば親からメール送ってくれって。面倒だよなー」

 

 阿保露はうんざりした様子で言った。

 

 叶の帰る方面では、十人とちょっとの子供が三つほどのグループを作っていた。

 その内の一つ。叶の入るグループはいつも通りに照美と阿保露、それから仮面の少年・在手がいた。

 

 「……彼女もこっちですか」

 

 「そうだけど? 悪いか?」

 

 「ちょっと阿里久。実弓に喧嘩売らないで。実弓は普通に聞いただけでしょ」

 

 「光、ボクも悪いので。勝手に周りの伝聞でイメージを膨らませて、もっと素晴らしい人かと思ってしまっていたから」

 

 「へぇ、実際見てどう思った?」

 

 「そうだな……思っていたよりは子供っぽい人だと」

 

 子供の癖に言葉選びやがって。叶は理不尽に機嫌を悪くした。

 適当に話してしばらく歩き、分かれ道で阿保露と在手と別れた。他の子供たちもいなくなり、叶は照美と二人で歩く。

 

 「最近そんな危ないなら、オレがちゃんと照美を守ってやらないとなー!」

 

 「うん。頼りにして……、っ!」

 

 「照美? どうした?」

 

 照美が叶の腕に抱き着く。叶が電信柱を透かして見ると、後ろには不審な男がいた。

 男は一度は警察に捕まったはずだが、なぜかすぐに釈放されてしまったのだ。

 

 「……例の不審者か」

 

 照美は小さく頷く。叶は彼の頭を優しく撫でた。

 

 「ぶっ潰して来るからちょっと待ってろ」

 

 「えっ!? 待って、危ないよ……!」

 

 「平気平気。すぐ戻る」

 

 叶は繋いでいた手を離して、不審者の元へ行く。

 

 「照美に何の用なのおっさん」

 

 「……古会(ふるえ)(あらた)の娘か。貴様には関係無い」

 

 「そうか」

 

 叶は男の心を読む。あまりやりたくはないが、照美を苦しめる悪人だと分かりきっている相手だ。躊躇(ちゅうちょ)はなかった。

 

 (……亜風炉照美は県内の小学生で一番強い。体格で勝る六年にも引けをとらない、圧倒的な強さだ)

 

 「うんうん、間違っちゃいないけど、オレの方が強いからな」

 

 「突然何を……」

 

 (奴をどんな方法でもスカウト出来れば、帝国学園での私の地位も上がる……そのためには奴の居場所の全てを無くし、私、ひいては影山総帥が最後に手を差し伸べるのが望ましい……。そのために家庭や学校で不和を招いたのだ)

 

 「そういうことか。お前、影山の仲間なのか」

 

 「……!? 小娘風情(ふぜい)が、総帥に何と言う無礼な呼び方を!」

 

 男が殴りかかる。叶はそれを避けた。

 暴力でやり返しても良いが、指紋やらで自分だとバレると報復があるかもしれない。

 

 叶は考えて、古会(ふるえ)(あらた)の死に際の記憶と感覚を男に転写した。

 

 「ガガガ……!? がひっ……! いぎぃっ!!?」

 

 トラックが何度も己を引き潰しに来る。家族と永遠に離れ離れになる喪失感が男の心を覆う。下半身が無くなる。

 視界が赤になって青になって黄になって()ぜる。繰り返した後、白に染まる。

 男は苦痛から壊れた機械のように声を出す。

 実際にはトラックは近くを通ってすらおらず、まして男の体の上にはない。喪失感も何も男には家族などいなかった。下半身もしっかりとある。

 

 「ひっ!? 叶ちゃん、大丈夫?」

 

 「大丈夫!」

 

 白目を向き口から泡を吹く異様な姿の男を見て、照美は悲鳴を出した。

 

 「とりあえず救急車と警察くらい呼んでやるか」

 

 やって来た警察に叶は、「引っ越しでしばらく離ればなれだった友人に、ストーカーがいるそうだからガツンと言おうとしたら、突然おかしくなってこうなった」と嘘の説明をした。

 特に叶が疑われることもなく、危ないことをするなと軽く注意されるだけですんだ。

 

 「これでもう大丈夫かな……? 叶ちゃん、ありがとう。でも危ないことはやめてね」

 

 「大丈夫。オレ強いもん」

 

 交番で親の迎えを待つ間軽口を叩き、叶はまた警官に注意された。

 

 「あっ、母ちゃん! 来たんだ!」

 

 叶は母の季子(きこ)に飛び付いた。

 

 「不審者と直接話すなんて……照美くんが心配なのはわかるけど、危ないから二度としないで」

 

 「はいはい」

 

 「はいはいじゃない。もう、勝手に相手が倒れたのは、本当に運が良いのよ? 誘拐されたりしてもおかしくないんだから!」

 

 続けて、照美の母が静かに入って来た。

 

 「照美……。……これで解決すると良いわね」

 

 「…………そうですね、()()()()

 

 「……?」

 

 いつもなら“お母さん”と言うはずなのに。照美の言葉に叶と季子は揃って首を傾ける。

 

 「では阿里久さん、私達はまだここで話があるようなので……」

 

 「そうですか。大変でしょう。何か助けになれるようなら遠慮しないで言ってくださいね。お先、失礼します」

 

 「失礼します。じゃあ、また明日な!」

 

 「うん。また明日ね」

 

 照美の母親への態度を少し不思議に思いながら叶は帰った。

 季子から今日の夕飯はハンバーグと聞いて、叶の今日の疲れも疑問も苛立ちも、全部吹っ飛んでしまった。



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20話 小さな悩み、大きな逡巡

 

 母の呼ぶ声で(かなえ)は目覚める。誰か友達が来たらしい。どうせ照美だろう。照美なら髪とかやってもらえる。ボサボサの寝癖頭のまま叶は出た。

 

 「おはよう阿里久(ありく)

 

 立っていたのは阿保露(あぽろ)だった。ボンバーヘアの叶を見て気まずそうに目を反らす。

 

 「ごめん、別に約束もしてなかったしな……。昼また来るよ」

 

 「いや、すぐ準備するから、リビングで待っててくれ。母ちゃーん! なんかおやつお願い!」

 

 「ちょっと待ってー! お口に合うのがあればいいんだけど……」

 

 叶は身支度を済ませ、リビングへ向かった。

 

 「相談なんだけど……。みんな……特に照美には内緒の……」

 

 「何? サッカーか?」

 

 「ううん、照美のこと……」

 

 阿保露はチョコをつまみ、落ち着かない様子で言った。

 

 話を戻したり言葉に詰まったりして、話すのに時間がかかった。彼の言葉を要約するとまず最初に、三月の終わり辺りからあの不審者が現れたらしい。

 その少し後、学校で変な噂が流れたそうだ。

 

 「照美は養子なんだって……。最初はオレたち、意味がわからなかったんだけど、親の本当の子供じゃないって意味がわかると、みんな急に距離を取るようになって……」

 

 「……そうか」

 

 「あっ、オレも……他の子もちょっとは普通にしてるんだよ。それで……」

 

 「……」

 

 叶は続きを促す。

 

 「家も多分噂のせいで居心地悪いみたいで、照美、最近はサッカーするときしか笑わないんだ」

 

 「えっ? 昨日それ以外で普通に笑って……」

 

 「そうなんだ。……良かった。ねえ、阿里久なら、照美が元気になれるように何か出来ない?」

 

 「オレこっちにいるの、明日の朝までなんだぞ」

 

 「…………ごめん、せっかくこっちに遊びに来てくれたのに、変なこと持ち込んで……」

 

 「何もやらないとは言ってないだろ。照美が困ってることならアイツが望んでなくてもオレは助けてやりたいんだ。その結果嫌われたとしてもな」

 

 阿保露は俯いた顔を上げる。

 

 「とりあえず、腹ごしらえしたら悩み聞きに行ってみるか。阿保露、もうちょっと詳しく教えてくれないか?」

 

 「うん……! えっと──」

 

 阿保露はところどころつっかえながら話す。

 阿保露と照美は二年生でも同じクラス。一年のころ遊び相手だった子もそれなりにいて、最初は楽しく毎日を過ごしていたらしい。

 

 噂が流れ始めたばかりのころは誰も気にしていなかったらしい。小二の彼らは養子という言葉の意味を知らなかったのだ。

 あるクラスメイトが意味を知り、何でも出来る照美の唯一の欠点だと言いふらした。

 一部の生徒が執拗(しつよう)に照美をからかい、時には阿保露の口から言いたくない言葉まで混ざったそうだ。残りほとんどの生徒は自分も巻き込まれるのを恐れ、照美との接触を必要最低限にしているらしい。今までと全く同じように接するのはごく一部のみのようだ。

 担任は頼りなく、相談は聞くが聞くだけで動いてはくれないとのことだ。

 

 「大変だったんだな。照美のそばに居てやってくれてありがとう」

 

 「べ、別にそんな大したことじゃ……、オレまで避けたらただのクズだし、阿里久が帰ってきたとき殺されるなって……」

 

 「オレを何だと思ってるの?」

 

 阿保露は視線を床の方にずらした。

 

 「えっと、話はこれくらいかな……」

 

 「そうか。じゃあオレ今から照美の家行くわ。阿保露も来るか?」

 

 「ううん、多分邪魔だよ」

 

 阿保露は悲しそうに言った。叶も無理に誘うことはしなかった。

 

 「……なんだか大変なのね。亜風炉さん、時間があるようならお茶にでも誘ってみようかしら。何か話して、ちょっとでも楽になればいいんだけど」

 

 話を聞いていた季子(きこ)が呟く。

 

 「外食!? ずるい!!」

 

 「叶とはいつでも行けるでしょ……照美くんたちに迷惑はかけないでね。それと(ひかる)くん」

 

 「ひゃいっ!」

 

 阿保露は噛んで、顔を赤らめた。

 

 「さっきの先生について、というかクラスのことについて話を聞いて良いかしら? 教育委員会やPTAに言わなくっちゃ」

 

 「そ、そこまでしなくても……」

 

 「話を聞いたからには何とかしたいもの。それに、叶がこっちの学校に戻ったときを考えるとね。クラスの問題に対応する姿勢すら見せない先生は、叶が通う学校にいらないわ。別に君から聞いたなんて言わないわよ」

 

 阿保露が話している内に叶は照美の家へ向かう。

 見慣れた、でも何だか新鮮な道を歩いて叶は目的地に着いた。

 

 「お邪魔します」

 

 「あら、叶ちゃん。照美と遊ぶ約束してたの? 今呼んでくるわ」

 

 「あっ、いや……約束とかはしてなくて……ええっと、急に照美と話したくなって来ました」

 

 「そっか、明日にはあっちに戻っちゃうものね。ちょっと待っててね。照美、叶ちゃんがお話したいって」

 

 呼ばれた照美は叶を見て少し驚いていたが、笑顔で受け入れてくれた。

 

 「とりあえずボクの部屋に……あまり片付いていないんだけど」

 

 「オレ気にしないぞ! って、散らかってないじゃんか」

 

 叶にとって片付いていない部屋とは、足の踏み場のない部屋だ。照美の部屋は床に何も物がなく、学習机の上にちらほらある程度。照美は潔癖症だと叶は思う。

 

 「オレがいなくて寂しかったろ? ほら!」

 

 ベッドに腰がけ、叶は両手を八の字に伸ばす。

 

 「…………うん」

 

 照美は恥ずかしそうに小さく頷く。

 

 「へへっ、そうか。よーし、じゃあまずは、叶姉ちゃんが照美の頭を撫でてやるぞー!」

 

 「わっ、ちょっと……」

 

 叶は照美の頭を抱き締めた。

 

 「もう、向こうで他の子にやっていないよね?」

 

 「ないぞ。あっ、守にほっぺつんつんはした」

 

 「……ボクのほっぺを触っていいから、その子に迷惑かけないように」

 

 叶はさらさらとした美しい髪の触り心地を楽しんだ。続けて、柔らかなマシュマロほっぺを満足行くまで指先でつつく。

 

 「えっへん。姉ちゃんに存分に甘えて良いからな! 何か悩みがあったら言ってくれよ! 家族とか! 学校とか!」

 

 「…………うん」

 

 力なく返事して、照美はしばらくの間、叶の腕の中でただ大人しくしていた。

 

 「あのね、……お母さんと喧嘩しちゃった」

 

 「なんかあったか?」

 

 「不審者の人がね、お前は両親の実の子供ではないって言ってきて……、ボク、本当なのか聞いちゃったんだ」

 

 「……」

 

 「本当だったみたい。お母さんたちの態度は何も変わらないんだ。ただ、ボクが勝手に引け目を感じて、迷惑をかけないようにあまり話さないようにしている内に、前はどうしていたのか忘れちゃって……」

 

 「そういう、親子のことってオレもよくわからないけど、前みたいに振る舞えば良いと思うぞ」

 

 「……うん」

 

 「血は繋がってなくても、これまで一緒に過ごしてきた時間は嘘じゃないだろ? なーんて、ちょっと臭い台詞(セリフ)か?」

 

 「……うん、そうだよね……。ボクを育ててくれたのは嘘じゃないよね……」

 

 「他にはないか? 学校の悩みとか……」

 

 「叶ちゃん、誰かから何か聞いた?」

 

 「へっ!? うへ、何でバレ……。聞いてないぞ! 偶然偶然。オレが頼れるから、照美の悩みのピンポイントなところ聞けたんだろうな!」

 

 「ふーん、……光くんかな……?」

 

 「いやほら、オレらの年で悩みなんて、家族か学校か習い事しかないだろ」

 

 「……あっ、そうか。なら適当に言っても当たるね」

 

 照美は叶の腕の中を占領する。

 

 「学校は……一部の子とは相性が合わないけど、それくらいかな。大して話す用事もないし、一年の辛抱だよ」

 

 「え、でも阿保露はお前が噂のせいで避けられてるって……」

 

 「えっ? そうなの? ……ああ、やっぱり光くんから聞いたんだね」

 

 「誘導尋問じゃねえか!」

 

 「叶ちゃんが勝手に言ったんだよ。……えっ、ボク避けられていたの……?」

 

 「そうなのか……? オレも見たわけじゃないし、阿保露の考えすぎかなぁ……」

 

 「確かにボクの周りに人が少なくなったとは感じていたし、変な子にも絡まれるようになったし、噂についても知っているけど……」

 

 「合ってるっぽいな」

 

 「てっきり、大会でも優勝してテストはどの教科も全部満点で、サッカー以外のスポーツや音楽や図工の成績も優れていて、見た目や声や振る舞いだって美しいボクに、普通の子が話しかけにくいだけだと思ってた……!」

 

 「問題無さそうだな」

 

 阿保露の考えは合っていたようだが、これなら心配いらないだろう。叶は思わず笑ってしまった。

 

 「……? 何かおかしかった?」

 

 「別に。照美が文武両道で見た目も綺麗なのは間違いねぇよ」

 

 「そうだよね! だから、特に学校の悩みはないかな。……ほら、これだけ何でも出来ると嫉妬されるのも当然だもん。ちょっと嫌なことを言ってくる子もいるけど、関わるだけ時間の無駄だからね」

 

  自信があるのは良いことだ。叶は照美のおでこを撫でた。

 

 「叶ちゃん、あのね……お母さんと普通に話すの、前は出来たのに今は凄く勇気が必要で……。少しで良いから、(そば)にいて欲しいんだ」

 

 「それだけで良いなら」

 

 叶と照美は手を繋いで階段を降りる。

 

 「あ、あのね……お母さん……」

 

 「……! どうしたの? お外に遊びに行くのかしら?」

 

 「え、えっと……」

 

 照美は困ったように叶を見る。

 

 「話したいこと言えば良いぞ。母ちゃんなんだもん。なんでも聞いてくれるって」

 

 叶は小さな声で言った。

 

 「今まで……変な態度でごめんなさい……」

 

 「……気にしなくて良いのよ。説明しなかった私達も悪かったわ。本当は照美が大人になってから、あなたの両親について話そうと考えていたの」

 

 「ボクの本当の……」

 

 ここから先は家族だけの話だろう。叶は「また後で遊びに行くなー!」とでも言って帰ろうとした。

 

 「行かないで」

 

 照美が叶の手を、両手で強く掴む。振り払おうと思えば容易に出来るが、そうしようとは思わなかった。

 

 「照美……?」

 

 「ダメ。……一緒にいて」

 

 「いや、でも……家族の話だからオレがいるのは……」

 

 「照美が良いなら私は良いわよ? 叶ちゃんなら周りに言ったりしないでしょう?」

 

 「お願い、叶ちゃん。ボクの両親が酷い人とは思わないけど……でも少し怖くって……」

 

 「わかったわかった。一緒にいればいいんだろ」

 

 「……照美に良いお友達が居て良かったわ。照美、あなたの両親はね──」

 

 照美の母が話し出す。

 先程と反対に、震える照美の片手を両手で優しく包んで、叶は居心地の悪さを感じながら耳を傾けた。

 

 「──亡くなっているのよ」

 

 「……そう、なんだ」

 

 想定外のことではなかった。照美はほぼ平常心と変わらずに言う。

 

 「厳密にはお父さんは生きてるのだけど……あれじゃあね」

 

 「……? どういう……?」

 

 「前も言ったかしら? 私はあなたの叔母なのよ。あなたの本当のお母さんの妹なの」

 

 だから同級生の母親と比べて非常に若々しいわけだ。叶は一人納得した。

 

 「だから私とは血が繋がっているけど、お父さんとは繋がっていないわね」

 

 「……ボクのお世話をしないといけないから、お母さんとお父さんの本当の子供はいないの?」

 

 「関係ないわ。あの人は昔の高熱で子供を作れなくなったの。……仮にそうでなくても、私たちの子供はきっと照美だけだわ」

 

 「……良かった。それで、えっと……お母さんは?」

 

 お母さんのお姉さんと言おうとして、照美はその人を指して言うには馴染みのない響きで聞いた。

 

 「姉さんはね、あなたを産むのと引き換えに……」

 

 照美は俯く。叶の手を握る力が強くなった。照美の母は皆まで言わなかった。

 

 「姉さんは病弱で……仕方がなかったのよ。それに、姉さんも日頃から自分と照美の命なら照美を優先してって言ってたもの」

 

 「そうなんだ……お父さんは?」

 

 母は自分を捨ててはいない。けど、父はそうなのか。照美は不安に思いながら尋ねた。

 

 「……姉さんが死んだことで心の風邪をひいてね、母国で療養してるの。それが私たちが照美を引き取った理由よ」

 

 「母国……ってことは、外国人ですか……?」

 

 叶は口を挟んだ。

 

 「ええ。韓国よ。日本の隣の国。義兄(にい)さんが姉さんの通う大学に留学して出会ったの。義兄さんは姉さんのお葬式の後に倒れて、その後は起きるたびに記憶が滅茶苦茶みたいで」

 

 「記憶が滅茶苦茶?」

 

 「……例えば、ある日起きたら姉さんと会ったばかりのころまでの記憶しかなくて、また別の日は姉さんと結婚する前日。幸せな世界に自分だけ逃げてるのよね」

 

 「……照美。大丈夫か?」

 

 「う、うん……ちょっと、どう受け止めて良いのかわからないけど……」

 

 「そりゃそうだよな……」

 

 「でも、お墓参りしてお母さんに話したい、お父さんとも話してみたいって思うよ」

 

 「……義兄さんは厳しいかもね。あなたを息子と認識出来るかどうか。調子良いときは本当に普通なんだけど……年に数回しかないみたいだもの」

 

 「お父さんがボクを子供だとわかってくれなくても、会ってみたいんだ」

 

 「……あなたが傷つくかもしれないのに。良いわ。今度あっちのお婆ちゃんたちと相談してみるわね」

 

 なんか大変そうだなと叶は思った。それだけだった。

 もしも、前世の自分があの時事故で死なずに生きていたら。下半身のない無価値な自分は周りにとって迷惑だろうか考えてしまって、叶は考えを頭の片隅に押しやった。

 

 「お母さん……ごめんなさい。勝手に勘違いして、変な態度してて……」

 

 「良いのよ、それくらい。説明が足りなかった私たちも悪かったわ。それにあんな電話で照美が私たちを嫌ってるって勘違いするなんて……」

 

 照美の母は後半部分を震える声で言った。

 

 「電話?」

 

 「男の人の声で、『お前の息子も我々のところに来るのを望んでいる。大人しく奴を渡せ』って……。そんな訳ないのに、照美が家から出ていきたいんだって思っちゃったの……」

 

 後で亜風炉家の家電や、機会があれば照美の両親の携帯にも細工してクソ影山と関わりある人間からの電話を着信拒否するようにしておこう。叶は固く決めた。

 

 「そういえば照美の、えっと、一緒に住んでる方のお父さんは……?」

 

 日本人の方の、血が繋がっていない方の、頭がおかしくない方の、などで表現に迷い叶は変な言い方をした。

 

 「お仕事で海外に出張なの。一週間くらいで帰ってくるわねぇ。あの人も照美を心配してたから、私たちが仲直りして不審者もいなくなったのを知ったらきっと喜ぶわ!」

 

 言って、照美の母は美しい笑みを浮かべた。次の瞬間、困り笑いに変わる。

 

 「でも、不審者とはいえ倒れたのを喜ぶのはいけないわよね……」

 

 「叶ちゃん、二度とあんな危ないことしてはいけないからね」

 

 「はいはい」

 

 「もっと真面目に聞いて」

 

 「だって、昨日警察と母ちゃんから何十回も言われたんだぞ。なんで照美にまで言われないといけないんだ!」

 

 「叶ちゃんが危ない目に()わないか心配なんだよ。わかってよ」

 

 照美は強い口調で言った。叶は舐められてると少し苛つく。

 

 「大丈夫だっての……」

 

 「あら……?」

 

 照美の母の携帯が音を立てて震える。彼女は届いたメールを読むと少女のように喜んだ。

 

 「阿里久さんからお茶のお誘いだわ。楽しみね」

 

 「げっ、母ちゃん本当に連絡したんだ。お節介じゃないですか?」

 

 「お節介だなんてそんな。阿里久さんは本当に頼れる……ええ、姉さんみたいないい人なのよ」

 

 叶は母を取られた気がして面白くなかった。

 叶たちが遊んでいる間に親は喫茶店でおいしいものを食べるらしい。叶は母にそのことで文句を言いながら昼食を食べて、クラブチームに顔を出した。

 

 「光くんだよね? 叶ちゃんにボクのこと相談したの」

 

 「……勝手にごめん。でも、照美が大変そうだったから、阿里久なら解決してくれるって思って。阿里久も迷惑だったよな? ごめん」

 

 「全然だぞ。むしろ、オレが頼れる証明になるっていうか」

 

 「そう言ってくれると助かるけど……」

 

 叶は綺羅光(きらびかり)紫電(しでん)と話をしたり、少しだけプレーを見てやったりする。残りの数時間は全て照美の特訓のために使った。

 

 「じゃあオレそろそろ帰ります。また夏休みくらいに来ますね」

 

 「おう。もう帰っちゃうのか。また来るの楽しみにしてるよ」

 

 三時になるとコーチに挨拶をして、叶は出て行った。

 

 叶はそのまま以前入院した総合病院へ向かう。受付で名前を名乗ると、叶は奥の部屋へ通された。

 

 「随分と久しぶりだな」

 

 「すみません。母の仕事の都合で引っ越していて、連休だからこっちに遊びに来たんです。引っ越しのこと、言いませんでしたっけ?」

 

 「ふむ、聞いたような聞かなかったような」

 

 叶の担当医は自分の興味のあること以外は覚えない人だ。林檎と梨の違いすらわからない。

 

 叶は以前倒れてから、血液を定期的に病院へ提供している。叶が持つ特別な遺伝子の研究のためだ。

 この研究は難病患者の治療に役立つと叶は伝えられていて、協力への対価にそれなりの金銭も貰っている。

 

 「しかし、アンタの通う学校まで行ったのは無駄骨だったなぁ。最近は色々厳しすぎる。ワシの子供のころは外の人間も自由に学校へ入れたし、住所や電話番号程度、教師が普通に教えたもんだ」

 

 「……」

 

 そりゃあそんな見た目だと、不審者と勘違いされるよな。叶は言葉を飲み込んだ。

 医者の顔は骸骨に皮を貼っつけたようで、目はギョロっとしている。異様に黒目が大きく、裾が破れ全体的に汚れた白衣は清潔感の欠片(かけら)もない。

 彼が小学校の教師に追い出されるのも無理のない話だ。

 

 「研究が今良いところでな、なのに血液サンプルは足りんからついでに来てくれて助かったわい」

 

 「あれ……? でも、引っ越す前に結構渡しませんでした……?」

 

 叶はこの街に住んでいたころ、月に一度のペースでマグカップ一杯ほどの血液と唾液を渡していた。八ヶ月分もあって足りないというのが、叶にはよくわからない。

 

 叶の腕に針が刺さる。もう慣れたものだ。叶は痛みも恐怖も感じなかった。

 

 「試薬に浸けたものは他には使えんし、何より正確なデータを取るには鮮度が大事だ。ある程度時間が経つと、悪くなるから破棄せんといかん。それに」

 

 医者は忌々しそうに続けた。

 

 「どこから聞きつけたのか、研崎(けんざき)とかいう吉良(きら)のハイエナが、アンタの血を売れと言ってきやがる。応じないなら病院を潰すともな」

 

 「吉良のハイエナ?」

 

 管を通って、体から赤黒い血が抜けていくのを見ながら叶は聞いた。

 

 「吉良財閥だ。知らんのか? 財閥、簡単に言うと代々続く凄い金持ちの家じゃ。吉良は少し昔までは日本政府にも影響力があったが、財前(ざいぜん)総理の方針か、当主の星二朗(せいじろう)がボンクラなのか、今は大したものではないわい」

 

 「でも、そんな凄い家がなんでこんな病院に……」

 

 「知らん。吉良系列の製薬会社があるからそれじゃろう。それに、お前さんの遺伝子は自分が思うよりも我々にとって素晴らしいものだ。研究者なら知れば誰もが欲しがる。人類の進化と言っても過言でない。少なくともこの遺伝子にはお前さんの名前が付いてもおかしくないわい」

 

 「なんか嫌だな……」

 

 「どうしてじゃ。素晴らしいことではないか。己の名が永遠に残るのじゃぞ。あるいはお前さんが新人類の祖として、未来で崇められるかもしれんな」

 

 「普通に嫌ですよそれ」

 

 叶の腕から針が抜ける。看護師がアルコールの染みた冷たい綿で傷口を拭き、小さな絆創膏を貼った。

 

 「謝礼はいつもの口座に振り込んでおく」

 

 「オ……わたし、次こっち来るの三ヶ月くらい後なんですけど、血、これだけで良いんですか?」

 

 「それ以上はいかん。健康被害が出る。ただでさえ子供から血を買っているというだけで不味いんだ。叩かれて出る(ほこり)は少なくしたい」

 

 無口で背の高い看護師が、叶にオレンジジュースの入ったコップを渡す。叶はそれを四杯飲んだ。

 

 「良質な血液の状態を保つためじゃ。早寝早起きと、栄養バランスの取れた食事、適度な運動、十分な水分補給はしっかりしろ」

 

 「わかってます」

 

 叶は病院の裏口から出た。

 これで、この街での用は全て済んだ。叶は照美と別れることを惜しみながら、三日目の朝に東京行きの新幹線に乗った。




生物学についてよく知らないので、血液の取扱方は恐らく変だと思います。

エイリア石はまだ地球にない(隕石が落ちたのが五年前=円堂達が小三辺りの出来事?)ので、吉良は純粋に研究とそれによる利益のために叶の血を買っています。


アフロディですがクラスメイトのからかい(ギリギリいじめには発展していません)はマジにノーダメです。
親との接し方がわからないし、ちょっと他人らしく呼称変えてみたら余計わからなくなった……って方がダメージ食らってます。
最も、両親が彼の態度にそこまでショックを受けておらず、早めの反抗期くらいに感じていたので、少し歩み寄ればすぐに解決する問題でした。


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21話 近寄る過去

短めです。


 

 稲妻町での(かなえ)の生活は至って単純だ。

 

 学校では休み時間に決まってサッカーをする。基本は円堂と二人だ。たまに風丸や他の子供たちも混ざる。暇なときには大谷が応援しに来てくれる。

 放課後もサッカーだ。

 鉄塔に行くと叶が大嫌いで、なぜか円堂は(なつ)いている不良四人組──今はサッカー同好会の人数が増えて六人組だ──が加わる。

 近所の公園では、叶が大嫌いで大好きな先行(さきゆき)がたまに加わった。

 週に一、二回のペースで夕食は雷雷軒。

 変わったことは特にない平坦で平和な生活だ。いや、一つだけあった。

 

 「……ちょっとごめんね。稲妻駅ってどこにあるかわかるかな?」

 

 円堂と二人でパスの練習をしていたところ、警察の制服を着た年の若い男に話しかけられた。

 

 「駅だったらここを真っ直ぐ行って、郵便局を左に曲がって──」

 

 円堂が身ぶり手振りを交えて道を教える。

 青年はそれに頷いたりすることもせずに、目を見開いて、吸い込まれたように叶を見た。

 

 「……監、督……?」

 

 「えっ?」

 

 青年の目に涙が溜まる。感極まった様子で、青年は叶にすがるように抱き付いた。

 

 「古会(ふるえ)監督! ボクです! 正月(まさつき)門松(かどまつ)です! 監督が最後に教えた、日都年(ひととせ)中ゴールキーパーの正月です!」

 

 泣きながら正月は言う。叶と円堂はただ困惑していた。

 

 「あの、オ……わたしはあなたの監督じゃないですよ」

 

 強く抱き締められて苦しく感じながら、くぐもった声で叶は言う。

 

 「いいえ! あなたはボクの昔の監督です! 雰囲気が監督そのものなのです!」

 

 「えっと……お兄さん、叶はまだ小学生だからお兄さんの監督だったってことないと思う」

 

 円堂が言う。意外と論理的だな。叶は驚いた。

 

 「はい。監督は八年前、決勝戦のその日の朝に事故で亡くなっています。ですので、ボクはこう思うのです。この子は監督の生まれ変わりです!」

 

 「えぇ……?」

 

 円堂は話の通じない男に苦い顔をした。

 一方、叶はわずかに顔を(ほころ)ばせて慌てて嫌そうな表情を作る。

 

 叶は実の父親・古会(あらた)の生まれ変わりである。前世の記憶は大事な人である、かつての妻で今の母の季子(きこ)と、新をサッカーに導いた先輩の先行のことしか覚えていない。

 それ以外は“新はこのチームにいたらしい”、“新はどこかの中学校の監督をしていたらしい”と、ぼんやりわかる程度だ。

 三歳のころ、叶は季子と先行に自分は新の生まれ変わりなのだと話した。それは受け入れられず、自分たちの態度が叶にそんなことを言わせたのだと、二人は自分を責めた。

 叶はそれが嫌だった。

 

 でも、目の前の青年は叶が新だと受け入れてくれている。

 叶に彼の記憶がない以上、新にとって正月はどうでもいい人間だったのだろう。

 だが叶の心の中では稲妻町で最も仲の良い友人の円堂どころか、前世からずっと最愛の季子や、大事な息子のように思う照美と同じ位置に正月が来ようとしていた。

 

 「はっ! 今日が初出勤なのに遅れてしまいます! 君、もう一度駅までの道を教えてくれますか?」

 

 「う、うん。真っ直ぐ行って、郵便局を──」

 

 正月は、今度は円堂の説明を真剣に聞いた。

 

 「ありがとうございます! 本官、本日から駅前の交番に勤めますので、近くで困ったことがあればぜひ遠慮なく来てください。では監督とご友人の方、失礼します」

 

 正月は敬礼をして、公園を出ていった。

 

 「なんか変な人だったな、悪い人じゃなさそうだけど……。叶、大丈夫か?」

 

 「えっ? あ、ああ。大丈夫だぞ」

 

 聞かれ、叶は最初何が? と思った。正月は叶にとって、特に恐怖を感じる相手ではなかったからだ。

 普通の女子小学生はあの場面で怖がるのだと理解して、叶はそれっぽく声を震わせて返した。

 

 「うーん……母ちゃんか先生に、あの人のこと言った方が良いのかなあ?」

 

 「大丈夫だろ! だってほら、警察だし、多分安心出来るって!」

 

 「叶がそういうなら良いけど……」

 

 円堂は納得いかなそうに言った。

 

 「それよりサッカーしようよ。何したい?」

 

 「じゃあ叶のシュートを止めたい!」

 

 「……怪我しないでくれよ」

 

 「大丈夫だよ!」

 

 叶はノーマルシュートを何度も放つ。これまでの生活でちょうどいい手加減を覚えた叶は、円堂が止められるギリギリの強さでシュートをしていた。

 

 「ゴットハンド!」

 

 円堂が叫ぶ。

 巨大な黄金の(てのひら)が現れ、一瞬で消えた。

 

 「またダメかー……」

 

 円堂は落ち込むとすぐに気を取り直し、叶に言う。

 

 「叶、(さん)さんによくやってるようなシュート、オレにもやってほしいんだ!」

 

 「ダメだぞ」

 

 「なんで!」

 

 「アイツは怪我してもいいけど、守は怪我しちゃダメだからなー」

 

 以前、叶たちに絡んできた不良のリーダーの山。

 叶たちが鉄塔で遊ぶ日。彼は毎度のように分身を使った二人技・三人技を打たれていた。

 

 叶の返事に円堂は唇を尖らせる。

 

 「お前が必殺技を習得出来たらやってやるよ」

 

 不満そうな円堂に叶は言った。

 

 「でも何か、凄いシュートが来たら出来るようになる気がするんだけどな……」

 

 と円堂はこぼす。

 叶はゴッドハンドの特訓にノーマルシュートで徹底的に付き合った。結局、黄金の手は完全には現れなかった。

 

 

 

 

 

 

 叶はその日あった、“嬉しい出来事”をラーメンを食べながら響木に話した。

 響木から正月の勤務する交番に伝わってしまったようだ。後日、落ち込んだ正月が小学校に子供たちを怖がらせて悪かったと謝りに来た。

 

 稲妻町での生活で特筆することはそれくらいだ。長期休暇には照美たちに会いに行ったが、もう照美の近くに不審な男はいなかった。

 小二の六月から、担任がからかいやいじめに厳しい人に変わったと阿保露(あぽろ)から聞いて、彼らが過ごしやすくなるよう叶は願った。

 

 稲妻町の友人。一番気が合い仲の良い円堂、円堂を挟み時々一緒に遊ぶ風丸らと叶は仲を深めた。

 叶の母、季子の東京での仕事は終わり、同時に叶の二年間の稲妻町での生活も終わりを告げた。

 

 「じゃあな、円堂、風丸。たまにはこっち遊びに来るよ」

 

 「おう、また一緒にサッカーしような!」

 

 「またな。オレたちのこと忘れないでくれよ」

 

 「こっちのセリフだよ。二年間、ありがとーな!」

 

 

 

 「じゃあな、響木のおっちゃん。またたまに食いに来るよ」

 

 「……ああ。元気でな」

 

 「おっちゃんこそ、体には気を付けろよー!」

 

 稲妻町で特に深く関わった人々に叶は別れを告げた。クラスでは叶のために送別会も開かれ、叶は大谷を初めとするクラスメイトたちにお礼を言った。

 

 

 

 「ふぅ、今までありがとうな!」

 

 社宅の片付けを終え、叶は最初からあった家具以外何もない部屋に言う。

 

 「叶、部屋にまで言うの? まあ物を大事にするのは良いことよね」

 

 クスクス笑いながら母の季子は、「二年間ありがとうございました」と妙に仰々しく言った。

 

 「帰ってからは今までとは反対に、夏休みや冬休みは稲妻町にちょろっと遊びに行ってもいいかもね」

 

 「うん! そうしたい!」

 

 「あっ、帰ったらまた大掃除しなくちゃ。面倒だわ……」

 

 「……やだー」

 

 平均して三ヶ月に一度、叶たちは持ち家に帰る。三ヶ月分の埃が溜まるものだから帰るたびに大掃除をしなくてはいけなかった。

 

 「あと少し大きなプロジェクトを終わらせたら暇になるからね。叶、どこか行きたいところはある? 海外旅行とかどう?」

 

 「あっ、良いかも。ちょっと怖いけど飛行機乗ってみたい。後は遊園地とか動物園とか、海とか温泉とか……」

 

 「行きたいところいっぱいあるわね。忙しくてあまり構ってあげられなくてごめんね」

 

 「いいよ。母ちゃんが……わたしのために働いてるのはよくわかってるから」

 

 新幹線の中。叶は駅で買った山盛りのハンバーガーを食べながら母と話した。

 新幹線を降り、交通機関を乗り継ぎ最寄りのバス停に着く。ガラガラと音を鳴らしてスーツケースを引きながら、やっと帰ってきたのだと叶は思った。雷雷軒の味がやけに恋しくなった。食い納めにもっと食べて来れば良かった。

 叶は後悔して、道は覚えたから走っていけばいつでも来れると気を取り直した。




正月くんは0話で少しだけ出た、古会が監督をしていた学校のキーパーの子です。これ以降は出ません。


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22話 暗澹たる命

R-15程度のややグロい描写があります。


 

 小三と小四の間の春休み。

 母の季子(きこ)が二週間の海外出張をするため、(かなえ)は短い一人暮らしをしていた。

 家事は出張の前に叩き込まれた。初日は六時間かかった料理も、一週間と少しが経った今では三時間で出来るようになった。

 

 「いただきます。うぇー、まずっ!」

 

 自分で作った味噌汁を飲む。味が薄い。不味い。どの料理も何かが足りない。調味料を足すと濃くて不味い。きちんと出汁(だし)もとったし、母のレシピ通りにやっているのに。叶は首を傾けた。

 

 ピピピと、家電が甲高い電子音で叶を呼ぶ。

 

 「もしもし、阿里久(ありく)です」

 

 『もしもし、私よ。叶、思ったより仕事が早く終われそうだから、頑張れば明日には帰ってこれそうなの』

 

 電話してきたのは母の季子だった。久しぶりに聞く大好きな声に叶は喜ぶ。

 

 「えっ!? 明日!? うん、明日帰って来て! 早く会いたい!」

 

 『あら、そんなに? 寂しい思いをさせてごめんね。何か欲しいお土産はある?』

 

 「お土産なんていらないよ。早く帰って来て! 明日だから!」

 

 叶は子供のように押し付けた。電話の向こうの季子は困ったような反応をした。娘が何かをこれほど強くねだるのは初めてだった。

 

 『じゃあ明日か明後日帰ってこれるように、お母さん頑張るわね。何か困ったことがあったら、灯里(あかり)さんに聞くのよ』

 

 “亜風炉さん”、“阿里久さん”と呼びあっていた照美の母と叶の母は、いつしか“灯里さん”、“季子さん”と呼びあうようになっていた。

 

 「大丈夫だよ。……早く帰って来てね」

 

 叶は電話を切る。

 (からす)の行水で風呂に入り、髪も乾かさずにベッドに入った。

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝。誰かが何度もしつこく玄関ベルを鳴らしてきて、叶は目覚めた。

 新聞や宗教の勧誘だったら即閉めてやる。叶は意気込んで、扉の向こうにいた人物に拍子抜けした。

 

 「おじさん?」

 

 叶の両親の学生時代の先輩。叶にとっても親戚と同様の付き合いをしている、先行(さきゆき)がいた。

 彼が阿里久(ありく)家を訪れるのは、お盆や(あらた)の命日、それと叶の誕生日と正月くらいだ。珍しいと叶は思った。

 

 「……叶ちゃん、君のお母さんは今生死不明……、行方不明なんだ」

 

 「………………おじさん、何言って……」

 

 つまらない嘘だ。叶は思って、先行の表情がやけに重々しいと感じた。

 

 「……本当なの? とりあえず中入って、わたしが顔洗うまで待ってて」

 

 叶は震える手で何度も水を顔に押し付けた。水の冷たさは、全く気にならなかった。

 

 「航空機がコトアールの上空で今日の日本時間0時過ぎに墜落した、というニュースは知っているかい?」

 

 「いいえ……」

 

 「そうか……。結論から言うと、阿里久が……君のお母さんがその飛行機に乗っていたんだ」

 

 「……嘘でしょう?」

 

 「本当だよ。阿里久の職場からそう連絡があった。最もまだ現場は捜索中で、詳しいことはわかっていないそうだ。……だが、万が一に備えて覚悟はしておいてくれ」

 

 「…………わかりました」

 

 でも、季子が死んだとは決まっていないのだ。叶は続報が来るまで、か細い希望に(すが)って過ごした。

 先行は近所の喫茶店で朝食を奢ってくれた。叶は食欲を満たすことで、不安を解消させた。メニューの見開き三ページほどを全て頼む。叶の食べる量に驚いて、先行は今月分のカードの引き落としに怯えた。

 

 「……おはよう叶ちゃん、今朝のニュースは見た?」

 

 「おはようございます、照美のお母さん。ニュース……?」

 

 喫茶店から帰ると、家の前には照美の母、灯里がいた。

 

 「夜中にあったらしい飛行機事故の乗客名簿が流れていて……家族や親戚がいたら連絡してくださいって……。中に、季子さんのお名前があって……」

 

 灯里は今にも泣き出しそうだ。

 先行は自分の職業や、阿里久親子との関係を自己紹介すると灯里に問う。

 二人は少しの間話をする。

 

 「もしも、もしものことですよ。季子さんが、その……帰って来なかった場合、叶ちゃんはどうなるのでしょうか?」

 

 「……彼女に頼れる親戚はいないので、私の方で面倒を見ることになりますね」

 

 「そう、ですか……」

 

 灯里は気落ちした様子を見せた。

 母が帰って来ない場合。その言葉を聞いて叶の頭が真っ白になった。叶はろくに大人同士の話を聞けなかった。

 

 「良ければ色々落ち着くまで、叶ちゃんを私の家に預けさせていただけませんか?」

 

 「……母ちゃんが鍵無くして帰って来れないだけかもしれないから、オレが家いないと母ちゃん困っちゃう」

 

 先行が答える前に叶が口を開いた。照美の母は寂しそうに、「困ったことがあったら何でも言ってね」と叶に目線を合わせて言って、去っていった。

 

 

 

 

 

 

 数日後。叶は遺体安置所にいた。何かの薬品の嫌な匂いがする。何かの塊にビニールシートが被されていて、シートに触らないようにと、職員が覇気のない声で注意した。

 

 「母ちゃん。オレンジの髪で、肩よりちょっと短くて、目が黄色くて、優しくて、背が小さくて、大人なのに高校生くらいに間違われて、似合わない黒いスーツで……」

 

 叶はずらずらと母の特徴を述べる。職員は申し訳程度にメモを取った。

 

 「お母様が普段から着けていたアクセサリーなどはありますか?」

 

 「えっと……結婚指輪です。K・Fってイニシャルが裏に彫ってあります」

 

 「今の名字は阿里久ですが、配偶者が亡くなるまでは古会(ふるえ)季子でしたので、そちらのイニシャルです」

 

 先行の補足に、職員は納得が行ったように頷く。

 

 「でしたら……おそらく彼女のものとみられるご遺体が見つかっております」

 

 「嘘だ!! 母ちゃんが死んでるわけない!!」

 

 暴れ喚く叶を、身体中に内出血を作りながら先行はなだめる。

 落ち着いたころ、叶は季子の形見の指輪をもらって、宝物のように掌中(しょうちゅう)に握り締めて家まで戻った。

 その後はよく覚えていない。食事を作る気力もないまま、味のしない野菜を生かじりして、生肉や冷凍の魚をそのまま食べた。風呂に入る気力などなかった。時々照美の母が料理を持ってきてくれたが、叶は毎回残した。

 ずっと家の中で、外に行く気にはならなかった。カーテンは全て閉めて、電気も消して過ごした。たまに思い出したようにトイレにだけ行って、気が向くと寝た。

 

 何日そうしていたのだろう。気がつくと叶は黒いワンピースを着させられて、葬儀場にいた。

 季子の両親は寿命を全うし、その他の親戚とは新が死んだときや、彼が事件を起こしたときの態度で没交渉だ。かなり小規模な葬儀。出たのは叶と先行だけだった。

 

 叶は棺を見る。本来故人の顔が見えるよう、小窓があるはずのところはそうなっていなかった。

 母の顔を見てお別れできないのが悲しくて、職員の注意を無視して叶は棺を開ける。

 

 「お母さん……? お母さん! お母さん!」

 

 季子はそこにいなかった。

 ただ、左手だけがあった。

 

 前世、大人としてそれなりに過ごした叶は、そこまで馬鹿ではない。

  季子はそれしか見つからなかったのだ。理解して、母と妻を永久に失った叶は大声を出して泣いた。

 

 葬式は、嫌というほど叶に季子が死んだことを認めさせた。

 軽い棺を火葬場に運び、人ひとりを焼くより大幅に短い時間で季子は骨になった。

 骨壺に骨を納める前に、叶は母の小指を食べた。ろくに味なんてしなかった。少しクリーミーで甘かった気がした。一足先に新の体だけが眠る阿里久家の墓に骨壺を納めると、それで全てが終わった。

 

 「叶ちゃん、これ……。阿里久が何かあったとき、君に渡してと書いた手紙だ。落ち着いたら読んでくれ」

 

 「…………」

 

 叶は弱々しく頷いた。大して言葉の内容は理解出来ていなかった。

 

 先行は何事かを言って、稲妻町に帰って行った。警察の仕事が忙しいそうだ。

 照美の母が叶に食事をさせたり、体を拭いたりしてくれたが叶は動けなかった。手紙と指輪を握り締めて、ただ現実から逃げるようにぼうっとしていた。

 

 そうやって小学校にも行けない日々が続いて、叶はある日ふと、季子からの手紙を読んでみた。

 愛している。叶が幸せになるのが、私の何よりの幸せ。無事に大人になってくれればそれだけで十分。母から子供への、ありふれたメッセージがつらつらと書かれている。叶の目に涙の膜が出来た。

 二枚目。先行への手紙もあったようだ。叶はそちらも読んだ。

 

 自分と新の遺産があるから叶にかかるお金は大丈夫なこと。叶は大食いだからいっぱい食べさせてあげてほしいこと。偏食だから栄養に気を使って程々に野菜も食べさせてほしいこと。

 ダムが決壊したように、叶は涙を流しながら読む。最後の文が、叶に止めをさした。

 

 ──先行先輩。仮に私が死んだのが、私の持つデータに気付いたあの男の陰謀であれ、無関係の事故や事件であれ、私はこれまでの人生に後悔はしていません。どうか叶を置いていってしまう私を可哀想に思わないでください。

 ──私は新と一緒に、何のしがらみもない世界で安らかに過ごしています。願うのは、叶がこちらに来るのが遠い未来であることです。

 

 新──季子の夫で叶の父。そして、叶は彼の生まれ変わりである。新は天国にはいない。季子が望む、死後の安寧はそこにはないのだ。

 

 ──願うのは、叶がこちらに来るのが遠い未来であることです。

 ──願うのは、叶がこちらに来てくれることです。

 ──叶が一刻も早く、こちらに来てくれることを願っています。

 

 叶の頭の中で、手紙の内容が改竄(かいざん)される。叶は涙を流して、固い頬を無理矢理上げて、震える声で言った。

 

 「今、会いに行くよ。母ちゃん」

 

 叶は顔を上げた。迷いは少しもなかった。

 そもそも季子を殺したのは叶だ。あの電話で早く帰ってきてなんて言わなければ良かった。予定通りの飛行機に乗っていれば、季子は死ななかった。

 そうだ。自分の命で償わなければ。

 縄跳びで首を吊った。叶が意識を失う寸前、縄跳びは光の粒になり消滅した。

 練炭自殺なるものを試した。叶はそれが何かわからなかったから、学校で買った習字セットの中の固形墨を食べた。何も起こらなかった。

 確実性をとって、季子が愛用していた桜色の持ち手の包丁を、叶は腹に刺した。

 

 「なんで……」

 

 包丁は叶の腹に触れると、傷一つつけられずに粉々になった。

 いや、包丁はまだある。たまたまこれが古かっただけだろう。叶は残りも試す。三本全てが銀の砂になった。

 こうなったら前世の最期のように、車に轢いてもらうしかない。叶は裸足で外へ飛び出す。良いタイミングを伺うが、車は今に限ってなかなか来ない。

 

 「……叶ちゃん? そんな格好でどうしたの?」

 

 「…………ぁ」

 

 学校の帰りらしい照美に捕まった。照美に汚い自分の、醜い死に際なんて見せるわけにはいかない。

 

 「……とりあえず家に戻ろう? 何か外に用があるのなら、ボクが代わりにするよ」

 

 記憶にある姿より痩せ細り、目の下には濃いクマ。頬はわずかに()け、鼻の頭は真っ赤。茶色の髪はボサボサで艶を失い、蜂蜜色の目からは光が消え失せている。

 そんな叶の手を掴み、手首の細さに驚きながら照美は叶を家の中に戻した。

 

 

 

 

 

 叶の家に入り、照美は廃墟かと思えるほど冷たい家の雰囲気に驚いた。

 時々訪れる先行たちによって掃除はされているため、埃や臭いは溜まっていなかった。銀色の砂のようなものが、テーブルに小さな山を作るだけだ。

 

 叶を足の間に座らせて、照美は彼女の髪を整えてやる。

 何度もブラッシングをして、二年前プレゼントした赤いリボンを結ぶ。照美が見慣れた叶の髪型、ポニーテールの完成だ。

 

 「照美、お願いがある」

 

 叶は俯いて言った。奈落の底を這いつくばるような声色だった。

 

 「なんだい?」

 

 照美はふわりと微笑みを作って言う。叶の頼みならなんだって聞いてあげよう。照美は決めて、叶が話すのを待つ。

 

 「オレを殺してくれ」

 

 照美は何も返事が出来なかった。ただ困惑で胸の中がいっぱいになった。

 叶はゆらゆらと立ちあがり、切れ味が少し悪い、小さな銀のステーキナイフを渡す。

 

 「自分でやっても……包丁、全部折れて……っ、母ちゃんのとこ行きたいのに、最後の親孝行したいのに、お願い、お願いだから……!」

 

 照美はそれを聞き、包丁が壊れていて良かったと心底思った。

 同時に、叶にとっては母親の方が何百倍も大事で、自分は彼女をこの世に繋ぎ止めるものになれなかったのだと辛く感じる。

 

 しばらく押し黙って、照美は叶を刺激しないよう、彼女にかける最適な言葉を考えた。沈黙を叶が破る。

 

 「な、何とかしてお前が犯罪者にはならないように頑張るから……! 嫌なんだよ、もう……今すぐにでも消えたい! だから照美。お願いだから、せめて一番大事なお前にオレを殺してほしいんだ」

 

 「叶ちゃんの気持ちはよくわかったよ」

 

 照美は叶の手から包丁の破片を取り上げた。叶の手は脱力しきっていて、ろくな抵抗もなかった。




照美の母は~と、ずっと地の文で書くのがそろそろ限界なので、名前付けました。灯里(あかり)さんです。
世宇子のアフロディよりも前のキャプテン誰にしようか迷います。


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23話 穿頭

 

 「照美照美ぃ! なんか算数でわかんないところないか?」

 

 「ここの応用問題が、答えを見てもどういう考えかよくわからなくて……」

 

 「えっと、ここはな──」

 

 季子(きこ)の死から半年。(かなえ)はすっかり元気になっていた。今日もサッカーをし、学校には通わず、家では中学受験のための勉強をしている。

 

 「なんだっけ、第一志望」

 

 「世宇子(ゼウス)中学だよ。ボクらの活躍を見てね、少年サッカー協会の副会長さんが、わざわざコーチに勧めてくれたんだって!」

 

 「ひぇー、すげー名前」

 

 叶は少年サッカー協会の副会長が、影山零治とは知らなかった。

 

 「制服もかっこいいし、偏差値もまあまあ高いからね。ボクらはサッカー推薦で行けるみたいだけど……叶ちゃんは大会に出ていないから、勉強を頑張らないと」

 

 「国語以外はお前よりオレのが上だぞ!」

 

 「他の科目だと七割は余裕で取れるのに、どうして国語だけ二割も取れないのかなぁ?」

 

 「他でカバーするからいいの! えっと、“ボクら”ってお前と阿保露(あぽろ)……?」

 

 「それと実弓(さねき)くんだね」

 

 「へぇ、イマイチパッとしないのになー」

 

 仮面の少年を思い出し、叶は鉛筆を鼻と尖らせた唇の間に挟んだ。

 

 「こらっ、はしたないよ」

 

 「良いじゃんかよこれくらいー。はーぁ、母ちゃんいつ帰って来るのかなー」

 

 「…………いつだろうね」

 

 照美は白々(しらじら)しく言った。彼女の母が一生帰ってこないことはわかっていた。

 

 

 

 

 

 あの日。照美はナイフを叶から受け取ると、彼女の身長では取れない棚の上に置いた。そして、叶を強く抱き締めた。

 

 「叶ちゃん、もう大丈夫だからね。ボクがいるよ」

 

 「…………」

 

 「大丈夫、大丈夫」

 

 「…………」

 

 照美は叶を安心させるために何度も言ったけど、叶は何も反応しなかった。

 

 「叶ちゃん、一緒に暮らそう。お母さんの代わりにはなれないけど、でも、叶ちゃんの支えになりたいんだ。……家族になろう」

 

 叶は顔を上げる。オレに必要なのはお前じゃない。そう思いながらも、目の奥にはわずかに希望の光が灯る。

 

 「本当はボクがお兄ちゃんがいいけど……叶ちゃんが望むなら、キミがお姉ちゃんでもいいよ」

 

 「何、言って……」

 

 その言葉は叶の心に染み渡った。

 ほんの少しだけ、生きる希望が出来た。叶はそう思ってしまった。

 

 「ボクのお母さんがね、叶ちゃんのおじさんと話して……ボクの家で叶ちゃんの面倒を見ることになったんだって」

 

 生家から遠く離れること。環境が変わること。女の子の叶にはこれから身近に頼れる大人の女性がいた方がいいことから、先行(さきゆき)灯里(あかり)の間でそのように決まったのだ。

 

 「………………」

 

 両親が揃っている恵まれた環境から、上から目線で物言いやがって。心中悪態をつきながら、叶は照美の言葉を酷く魅力的だと思ってしまった。心が大きく動く。

 

 「大丈夫だよ。ボクはずっと一緒にいるから」

 

 「…………うん」

 

 叶はぼんやりと返事した。照美は柔らかく笑って、「じゃあ荷物をまとめようか」と言った。

 

 

 

 

 

 

 住む場所が変わっても、叶は変わらなかった。照美に慰められても、そう簡単には元気になれなかったのだ。

 勉強はもちろん、サッカーすらする気にならなかった。どんどん生き人形のようになっていった。

 成人男性の何倍も食べていた食事は、今では同年代の女の子の四分の一以下。風呂にも入れず、生活リズムもぐちゃぐちゃ。

 目の下にはクマができ、体重は季子が生きていたころより十キロは落ちた。骨の形が皮を通してよく見えるようになった。

 

 叶を心配した照美の両親が、日本中の評判のよいカウンセラーや心療内科について調べてくれた。

 叶は近くのカウンセリングに行き、何度目かで追い返された。叶が何も話さず、ただぼうっと机を眺めているだけだからだ。お手上げといった様子のカウンセラーは、照美の母の灯里に別の治療を勧めた。

 

 「催眠療法というものがありまして──」

 

 カウンセラーは説明した。

 催眠術による暗示で記憶を改竄(かいざん)し、トラウマの元となる記憶を消去し、別の平穏な生活を植え付ける方法だと。

 

 灯里は難色を示し、夫や息子、それに叶の後見人の先行に相談した。

 夫も灯里と同じ反応だった。二人は他人の記憶を勝手に変えることに嫌悪感があった。それに、胡散臭いとも思っていた。叶に悪影響がないのかも心配だった。

 先行は賛成だった。治る可能性がある以上、どんなに怪しくともやってみるべきと、悩む素振りもなく言った。

 

 息子の照美はどちらとも言わなかった。ただ、図書館などでよく調べてから決めたいとだけ言った。灯里もそうするべきだと思った。

 

 

 

 音、匂い、言葉。これらで患者をリラックスさせ、暗示によってトラウマの元となる記憶を無くし、別の記憶にすり替える。

 調べた結果、これなら自分にも出来そうだ。照美はそう思った。

 幸か不幸か、照美には才能があったらしい。

 「出張先から日本に帰る途中、航空事故で母が亡くなった」叶の記憶を、「仕事の出来が非常に気に入られ、想定外に出張が長期になった」記憶にするのは簡単だった。

 その他、母が電話や手紙をくれないのは煩雑な手続きと非常に高い料金が必要なため。照美の家にいるのは最初から出張中面倒を見てもらうため預けられた、と叶の頭の中で補完された。

 

 「母ちゃんが帰ってきたら、こんなに長引いたのしっかり怒ってやらないとな! それから、遊園地とか連れてってもらう!」

 

 「叶ちゃん、今度ボクと二人で行かない? ほら、お母さんと行く前の下見も大事だろう?」

 

 「うーん……そうか? じゃあ行きたい!」

 

 照美のしたことに両親は良い顔をしなかった。だが元気になった叶を見て、彼らは文句を言えなかったようだ。

 もちろん、照美自身も手放しで褒められることをしたとは思っていない。それなりに罪悪感もあった。

 だが、大事な親友に殺してほしいと頼まれた絶望を思い出すと、自分の判断は間違っていないと強く思えた。

 将来叶にどれほど恨まれても嫌われても構わない。照美は強く覚悟した。

 

 照美には才能があったが、催眠療法のプロではない。叶にかけた暗示には一つ問題があった。週に一度、かけ直さなくては解けてしまうのだ。

 

 「海外旅行も良いかもな!」

 

 「ならパスポートを作らないとね。叶ちゃんは飛行機怖くないかい?」

 

 「ひこ──」

 

 叶は目を見開く。しゃがみこんで、頭と腹をくっつけて、しゃくりあげながら「お母さん、季子」と言い続ける。

 

 「ああ……ごめんね。そんなつもりじゃなかったんだ。……今の会話は忘れようか」

 

 されど、それほど大きな問題とは照美は思っていなかった。

 だって、叶はずっと一緒にいるのだ。そう約束したのだから。

 

 「……叶ちゃん、船で海外旅行も良いと思わない?」

 

 「船ぇ? 飯はうまそうだけど……時間がなぁ。飛行機でよくないか?」

 

 「うん、そっちの方が確かに早く着いて良いね」

 

 叶が飛行機という言葉に過敏に反応しないことを確認すると、照美は満足げに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 受験勉強は面倒だ。問題を解きながら、同時に脳内でサッカーすることで叶はストレスを晴らす。

 四年生になってから叶は学校に通っていない。別に叶がおかしいのではなく、この地域の中学受験をする子供はみんなそうだ。

 それに、以前学校に行ったとき、やんちゃな男子から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を言われてからかわれたらしい。

 叶はよくわからなかったけど、同じクラスの照美と阿保露が酷く怒っていた。

 叶は全く気にしていないのだが、それを息子から伝えられた灯里が受験勉強を良い理由にして、叶を学校に行かせなくなった。

 

 「子供だからって、言って良いことと悪いことがあるわ! 親はどんな教育をしているの!?」

 

 彼女は涙目になりながら、ヒステリックに叫んだ。

 そもそも何を言われたのかもわからない以上、叶からは何とも言えなかった。

 

 「よし、交換して答え合わせしようぜ」

 

 「うん。……国語の最後の問題解けた?」

 

 「ううん、大問二以降は全部捨てた」

 

 ワークの到達度確認テストをし、二人は交換して答え合わせをした。

 

 「うん、国語が心配だけど……それ以外はこの成績を維持できれば余裕で合格出来るよ」

 

 「照美は……全部ボーダー前後くらいだな。ちょっとぐらつきあるけど、まあ後三年あるし、余裕だろ」

 

 叶は伸びをする。

 

 「てかお前、サッカー推薦なら勉強しなくて良いだろ」

 

 「そういうわけにもいかないよ。あくまでサッカー推薦は一度チャンスが増えただけ。ボクの実力なら大丈夫だと思うけど、落ちる可能性もあるからね。それに、一般で受ける子はみんな勉強してるんだから」

 

 「ふーん、真面目だなあ。まっ、そこが照美のいいとこだけどな。あーあ、疲れた! 阿保露たち呼んでサッカーしようぜ!」

 

 「……そうだね。これだけ点数が取れてるならいいか。でも国語だけはもっと真面目にやらないとね。今度一緒に図書館に行かない? まずは本を読む習慣をつけないと」

 

 「えー……わかったぞー……」

 

 叶は三日ぶりに外でサッカーをした。ちなみに、叶の所属するクラブチームは中学受験をする子がほとんどのため、大体は三年生、どれほど遅くても五年生には卒業だ。叶たちは既に卒業していた。

 

 「照美ー! 阿里久(ありく)ー! こっちこっち!」

 

 「うん!」

 

 阿保露がぴょんぴょん跳んで、叶たちを呼ぶ。

 

 「久しぶりだなー! やっぱ学校ないと、運動する習慣無くなっちゃうなー」

 

 「な。オレは推薦だから、面接さえ頑張れば勉強しなくていいのに、親がうるさくてさー」

 

 「というか、オレの受験に付き合わなくても、お前らは普通に学校で思い出作りすればいいのに。世宇子って県も違うから、進学したらうちの小学校の子はいないだろ?」

 

 「……思い出作りか。ただのクラスメイトとしてもな……」

 

 在手(あるて)が嫌そうに言った。

 

 「それに、あんなヤツらと同じ教室に行きたくない! オレたちまでクズになっちゃう!」

 

 阿保露は子供みたいに叫ぶ。

 

 「さすがに酷いだろ。……確かにこの辺の子が行く公立中は偏差値低いけどさ」

 

 「そうじゃないよ……。阿里久、本当にわからないの?」

 

 「(ひかる)。叶ちゃんに変なこと言わないで」

 

 「そうですよ、光」

 

 照美に続いて在手が言う。

 

 「人の親の死をからかう子と同じ教室にいたくないのはわかる。でも、阿里久さんは今こうなっているんだから……」

 

 「在手? 何か言ったか? ごめん、聞き取れなくてさ」

 

 「いえ。仮面の中が蒸れたので、軽くずらしていただけです」

 

 「そうか」

 

 叶には彼の言葉が認識出来なかった。音は聞こえずとも、口を動かすのに連動して仮面が動くのだけがわかった。それだけだった。

 

 「……阿里久、新しいドリブル技を覚えたから見て」

 

 「お、なんだなんだ? 楽しみだなー」

 

 阿保露が自分を見る目が変だ。叶はそう思いながら、サッカーをして気晴らしをした。

 

 「昨日お父さんが、クラブの分時間空いたなら塾行ったらどうだって言ってきて……勉強面倒だし、行きたくないのに……。お母さんはどっちでもいいよって言ってくれたけど」

 

 言って、阿保露は慌てて自分の口を塞いだ。

 

 「あ、や、……なんでもない」

 

 「なんだよ。オレ父ちゃんいないけど、だからって周りに父親のこと話に出すなとは言わないぞ」

 

 叶はきっぱり言った。

 

 「ち、違うの。そうじゃなくて……、ねぇ、阿里久のお母さんって今──」

 

 「海外出張。本当は二週間だったのに年単位で伸びやがった。金が凄いかかって、手続き面倒だから電話も手紙も無理って」

 

 「そ、そう、な、んだ……」

 

 阿保露は顔色を悪くする。

 もしや、さっき口元を塞いだのも体調不良からなのだろうか。叶は考えた。

 

 「阿保露、体調悪いのか? ……なあ、ホント大丈夫か?」

 

 阿保露は小刻みに震える呼吸をする。叶が近づくと、在手がさりげなくそれを阻んだ。

 

 「一人で帰るのも危ないでしょうし、ボクが付き添うよ」

 

 「うん、ありがとう実弓」

 

 「……平気か? オレがおぶってやろうか?」

 

 「叶ちゃんがおんぶしたら、光の足が地面に着いちゃうでしょ」

 

 「そ、そこまで身長差ねえよ! 阿保露、ゆっくり休めよなー」

 

 二人が公園を出ていくのを叶は見送る。

 

 「よーし、んじゃ、残りの時間は久しぶりに二人っきりでやろうぜ。オレからボールを取れたら照美の勝ちな」

 

 「今度こそ負けないよ」

 

 照美は力強く言った。

 

 空中、地中、異空間。全てを巧みに使い、叶は照美を退(しりぞ)ける。(しば)しの攻防の末、照美はギブアップした。

 

 「これだけ出来れば叶ちゃんも推薦で入れていいのにね。実績がないといけないなんておかしいよ……」

 

 「いやそれは当然だろ」

 

 照美の言葉に困惑しながら叶は返す。少し休むと、二人は同じ家に帰った。




催眠療法は久遠監督が冬花にしたものと同じです。
ちなみに叶の身長/体重は、現時点(小四)で115cm/15~20kgなので、親が死んだショックで10kg痩せてるのは相当不味かったりします。ほぼ骨。

次の話からやっと中学生です。


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24話 世宇子中

 

 「ひっひっふー……」

 

 「(かなえ)ちゃん、どうしたの?」

 

 「緊張するから深呼吸」

 

 今日は世宇子中の入試結果発表日だ。

 一足先に推薦で合格した照美は、叶の背中を撫でて笑う。

 

 「大丈夫、きっと受かってるよ。六年生の模試だって、全部良い結果だったじゃないか」

 

 「うーん……でも心配なんだよー。はーぁ、怖いぞ」

 

 「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。お祝いに何か食べたいものはあるかしら? 駅の近くのホテルで、ケーキバイキングをやっているみたいなんだけど、どう?」

 

 「は、早すぎますよ。これで不合格だったら……うぅ」

 

 照美の母の言葉が、叶にプレッシャーを与える。

 

 「あっ、来たよ。叶ちゃん」

 

 「ううっ、待って……見たいけど見たくない」

 

 配達員から受け取った、合格発表の分厚い封筒を持って照美が言う。

 照美が開けた封筒を叶は薄目で見た。合格だ。

 

 「わあ!! 見て見て、さすがオレ!」

 

 「良かったね」

 

 叶は大はしゃぎした。

 世宇子中は叶たちの住む隣県の山奥にある。さらに全寮制で、叶が不合格だった場合、今までのように照美と頻繁に会うのは難しくなるのだ。

 

 「今度制服を作りに行かなくちゃね。……もしかしたら照美たちも、このパンフレットに載ることがあるのかしら」

 

 学校の設備について説明されたパンフレット。その表紙には、それなりに美形の男女が一組。世宇子中の白を基調にする制服を着てポーズをとっている。

 

 「カレーうどん食べたらぶっ殺されそうな制服してんな」

 

 「ははっ……食べないようにね?」

 

 男子は白の学ラン。襟元に青のラインがある。

 女子は白い、ワンピース型のセーラー服。ベルトとリボンは自由に選べるようだ。

 

 「叶ちゃん。ベルトはどれがいい? 小豆色も良いし、紺も良いわね。黄色も、黒も茶色も素敵ねー。あら、リボンもこんなに種類あるのね。臙脂(えんじ)色も……黒でキリッと締めるのもいいし、青で賢く──」

 

 「お母さん、叶ちゃんが困ってるよ……」

 

 「オレ、ファッションとかよくわかんない……。照美が似合うの選んで……」

 

 「ええ!? なら、ピンクのリボンと黒のベルトは……」

 

 「ベルトはいいけどリボンは嫌」

 

 照美は困った顔をした。

 

 「なら黄色か赤はどう?」

 

 「良いんじゃねぇの? 知らんけど。試着のとき決めてみるわー……。はっ! ちょっと阿保露(あぽろ)に自慢してくる!」

 

 「(ひかる)たちも先に推薦で受かったから、自慢にはならないけどね」

 

 「良いの! 推薦より一般の方が賢いもん! ……なんで阿保露のことは光って呼ぶのに、オレは叶って呼んでくれねえんだよー!?」

 

 照美はさらに困った顔をした。

 

 「叶ちゃんは叶ちゃんだから……」

 

 「ちゃんは名前に入らない! 叶って呼べ! ほら!」

 

 「叶。……ちゃん」

 

 「もうー! なんでだよー!」

 

 「ふふっ、今度先行(さきゆき)さんも呼んで、ちょっと高いお店で二人が合格したお祝いしましょう」

 

 照美の母が笑って言う。

 

 「オレ、わざわざそんなとこ行かなくてもいいやー。照美の作った味噌汁飲みたい」

 

 「え!? そんなものでいいの?」

 

 「なんかうまいもん。胸がほっこりする」

 

 「えへへ……そうなんだ……。よーし、気合い入れて、これから寮に行くまで毎食作るからね!」

 

 「えっと……無理しなくてもいいからな?」

 

 叶は中学生になるのが楽しみだった。フットボールフロンティアに近づくのだ。もっともっと、照美を鍛えてやらなくてはいけない。

 それに世宇子中の名はあまり聞かないから、他のサッカー部員も鍛えないと。先輩や同級生が御しやすい人であることを叶は願った。

 

 

 

 

 

 

 「はいチーズ。うん、綺麗に撮れたわ」

 

 「照美照美。オレこんな格好似合うか?」

 

 「可愛いよ。ちょっとくるって回ってくれない?」

 

 「……? おう、いいぞ」

 

 叶はくるりと一回転する。動きに合わせてスカートがふわりと揺れた。

 

 「……スカートが短すぎないかい?」

 

 「みんなこんなもんだぞ」

 

 「そうよ。最近の中高生なんて、みんなこんな感じよ」

 

 「そうかなぁ……?」

 

 照美は納得行かない顔をした。

 

 「それに下スパッツ履いてるしな。ほら」

 

 「うわあ!? 叶ちゃんの馬鹿!」

 

 「なんでそんなこと言われなきゃいけねーんだよ……」

 

 叶はスカートをたくしあげる。照美は慌てて後ろを向き、両手で目を覆った。

 

 阿保露と在手(あるて)と合流して、叶たちは貼り出されたクラス分けを見に行く。

 

 「オレと照美は同じクラスか! 阿保露と在手の名前は、一組にはないな……どこだ?」

 

 「二人は四組だね。ちょっと残念だな」

 

 叶は照美と共に教室に行く。道中、男女関わらず、すれ違う生徒は照美を見て「綺麗」や「美人」と言っていた。叶は何だか誇らしかった。

 叶を見て、「小学生?」「幼稚園児じゃない?」「お兄ちゃんの付き添いかな?」と言う馬鹿もいた。オレの着る制服が見えないのか。叶は苛ついた。

 

 入学式が終わった。しばらくのお別れになるからと照美の両親と少し長話をして、クラスで軽く自己紹介をした。

 解散して、叶は照美と別れ女子寮に行く。

 

 「一組。出席番号二番の、阿里久(ありく)叶です」

 

 「阿里久……ああ、201号室だな」

 

 「ありがとうございます」

 

 寮監に部屋の鍵を渡され、叶は少し緊張しながら部屋に入る。

 服や生活用品は事前に送ってある。荷物がちゃんと届いているか。同室──原則二人部屋らしい──の子と気が合うか。叶は心配だった。

 

 「あなたが阿里久さん? 聞いていたより小さいのね。小学生みたい。可愛い」

 

 同室の女子生徒は叶を見て優雅に笑う。

 

 「私は希里巣(キリス)(メイ)。クラスは二組よ。気を付けるつもりだけど、小学校までは海外で暮らしていたから、非常識な振る舞いをしていたらごめんなさい。三年間よろしくね」

 

 「オレ……わたしは阿里久叶。よろしくな」

 

 紫の艶のある髪を腰まで伸ばし、意思の強そうなエメラルドグリーンのつり目。西洋貴族のような雰囲気の美少女、メイは言った。

 

 「あれ? ここの寮、五十音順で部屋を割り振ってるって聞いたけど……もしかして、阿里久(ありく)希里巣(キリス)の間って誰もいないのか?」

 

 「くすくす……違うわ。元々あなたのルームメートだった子が、私のルームメートの子と昔馴染みらしくって、彼女と同じ部屋が良いってごねて。それで私が変わってあげたの」

 

 「そうなのか。まあ、寮生活だと見知った仲の方が楽だわな」

 

 叶は部屋を探検する。さすが私立だけあり、かなり豪華だ。

 ふかふかのベッド、学習机、本棚に、チェスト、小さなクローゼット。家具は鏡写しのように二組ずつあり、部屋の真ん中のカーテンで個人のプライバシーを保てるようになっている。

 それに洗面所と、500mlのペットボトルが4本入る程度の小さな冷蔵庫もある。

 あとはトイレとシャワー、電子レンジと電気ポットくらいがあれば、この部屋から一歩も出ずに過ごせるだろう。

 

 「阿里久さんもこれ読む? 寮での過ごし方ですって」

 

 「ああ、ありがとう」

 

 メイから薄い冊子を受け取り、叶は書いてある内容に目を丸くした。凄い。素晴らしい。

 大浴場があり、規定時間内ならいつでも入って良いらしい。朝食と夕食は寮でビュッフェ形式。食べ放題だ。

 就寝時間は決められていて、朝と夜に点呼があるそうだが、食べ放題のことを考えると叶は特に煩わしいとは思わなかった。

 

 「そういえば……阿里久さんは部活はもう決まったかしら? やっぱり、サッカー?」

 

 「おう! って、なんで知って……?」

 

 叶が訝しげにメイを見ると、彼女は慌てた様子で言った。

 

 「あ! 盗み聞きのつもりじゃなかったのだけど……廊下で金髪の男の子とそう話していたじゃない? えっと、私、記憶力が良いから……。気を悪くしたならごめんなさい……」

 

 「え? あ、そんな謝らなくても。……うん、サッカー部のつもり。希里巣は?」

 

 「私は……そうねぇ、科学部とか? 料理や手芸も良いわね。それと、私のことはメイって呼んでくれていいのよ?」

 

 「おう、わかった。オレ……わたしのことも、名字でも名前でも、好きに呼んでくれ」

 

 メイとの会話を弾ませ、叶は新生活の緊張を和らげた。

 

 夕食の時間。叶は異様に薄味の料理を味わった。というのも小四のころ、母が出張に行ってからどうにも味覚が鈍いのだ。ホームシックの一種だろうか。

 他の生徒たちの目が無ければ、醤油や煉乳を思い切りかけて、自分好みの味の料理を食べられるのに。叶は残念に感じた。

 

 「おやすみなさい」

 

 「おやすみー」

 

 叶はベッドに入ると、よく寝付けないまま一時間ほど過ごした。

 いつもは眠る叶を照美が勝手に彼のベッドに運ぶのだが、今日は彼の人肌がない。何だか不安だ。大きな抱き枕かぬいぐるみでも買おうかと叶は考える。

 なお、実際には照美が叶をベッドに運ぶのではなく、寝たままフラフラと叶が彼の部屋に行って、ベッドに入っていたのであった。

 

 入学式の翌日。遅刻したかもと慌てて飛び起きた叶がメイから聞いたのは、今日は創設記念日で休みということだった。

 

 「なんでこんな中途半端な日に……?」

 

 「本当よね。部活動説明会は明後日で、授業も明後日スタートだもの。予習くらいしかすることがないわ……」

 

 「真面目だなぁ」

 

 叶は寮で朝食を終える。休日に出ている、学校から山の(ふもと)の街までのバスに乗り、叶は駅から学校までの道を目に焼き付けた。

 麓の街はそれなりに栄えていて、観光地もいくつかあり、学生が遊ぶのには十分な店が揃っている。しかし、叶の目当てはそこではなかった。

 走り、街を抜け、山々を飛び越え、高架下の川の上を走り、途中木の枝を何十本もへし折って。

 二時間ほどそうして、叶は目当ての場所、稲妻町へとたどり着いた。

 




次の話から更新頻度ちょっと落ちます。


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25話 vsプロトコル・オメガ①

 

 稲妻町に着いた(かなえ)は、早速円堂の家に向かう。彼の母から、入学式だから早くても昼にしか帰らないと聞いた。

 叶は気を落としながら暇潰しに雷雷軒に行く。シャッターが閉まっていた。

 

 「……学校はどうした」

 

 「創立記念日で休みー」

 

 人の気配を感じてシャッターを半分開け、制服を着た叶を見て、サボりかと響木は心を荒立てる。叶の返事に安心しながらシャッターを上げきった。

 

 「これ何」

 

 「特別に時間より早く開けてやるんだ。これくらい手伝え」

 

 「ちぇっ、わかったよ」

 

 渡された箒と(ちり)取りで、叶は店の前と店内を簡単に掃除した。

 その間に出来たラーメンを、響木はカウンターテーブルに置く。

 

 「もぐもぐ。守今日入学式かー。むしゃむしゃ。雷門ってサッカー強いんかな。ちゅるちゅる。おかわりっ!」

 

 「食うか喋るかどっちかにしろ。……雷門にサッカー部はなかったはずだ」

 

 「ふーん。じゃあ守が作るのか。すげぇな。あ、おっちゃん。次からはもうちょい味濃いめで!」

 

 これ以上濃くしてどうするんだ。響木は苦い顔をした。サングラスと(ひげ)で叶にはわからなかった。

 

 うまいうまいと、雷雷軒から材料がなくなるまで叶は食べ尽くす。

 

 「おっちゃん、お会計!」

 

 「93,780円だ」

 

 叶は顔を青くした。

 

 「きゅぅ、まん……? 一万円くらいのつもりだったどうしようおじさんは今仕事だし……。とりあえず一万だけ払います、残りは皿洗いでも何でもするからこき使ってください!」

 

 「お前が食べ尽くすせいで食材がなくなったからな、買い出しと仕込みに付き合ってもらう」

 

 「ひゃい! それで払えるなら喜んで!」

 

 店で食材を購入し、それを背負って叶は雷雷軒と店を往復する。

 膨大な量の食材を切ったり、手で粉砕したりした後、暑苦しい調理場で叶は鍋をかき混ぜた。

 

 「……思ったより手際がいいな」

 

 「へへん、料理は母ちゃんに習ったもんなー!」

 

 「その母さんはこっちに来てないのか?」

 

 「来てたら金払ってもらえるんだけど……仕事で海外だからしばらく帰って来ないって。下手したらオレの高校卒業まで戻らないとか言ってんの。寂しい」

 

 「……おい、(まかな)いに一杯作ってやる。何が食いたい?」

 

 「いいの!? やったー! あれ、ハリガネってやつ食べてみたい! えっと、醤油ラーメンで!」

 

 すぐにラーメンが出てきた。スープは麺によく絡むけど、粉っぽくて違和感がある。次からは普通のを頼もうと叶は決めた。

 

 「ぷはぁ、おいしかった! ごちそうさまー! えっと、時給が950円だとして五時間働いたから残りは……ひぇっ!? しゅ、出世払いで返します!」

 

 叶は頭を下げる。頭がテーブルに勢いよく当たった。

 

 「大丈夫か? 分割して払ってくれればいい。そう焦るな。それで、せっかくこっちに来たんだから友達には会いに行かないのか?」

 

 「あ! 忘れてた……! おっちゃん、雷門中ってどこかわかる?」

 

 「ああ」

 

 響木に道を教えてもらうと、叶はお礼を言って、お金は絶対払いますと約束して店を出た。

 

 道中、河川敷で円堂と、黒に近い深緑の髪の可憐な少女が肩を並べて歩くのを見かけた。和気藹々(わきあいあい)と話している。

 もしや、あの子は円堂の彼女候補だろうか。前世既婚者のオレが、恋のキューピットになってやろう。ニヤニヤしながら叶は足を踏み出す。

 

 「無駄だ。雷門にサッカー部は出来ない」

 

 紫の短髪を扇状に左右広がった髪型にした変わった格好の少年。急に現れて言い放つ。

 喧嘩だろうか。円堂に加勢してやらなくては。叶はとりあえず彼の出方を伺った。

 

 「サッカー部は出来ない。……確実に」

 

 「どうして決めつけるんだ。わからないだろ? 雷門にサッカー部は出来るさ! 本当にサッカーが好きなヤツらが集まれば!」

 

 「サッカーが好きな奴などいない」

 

 「……! いない? 何を言っているんだ。サッカーが好きなヤツならいるぜ。ここに!」

 

 「こっちにもだぞ!」

 

 少年の言い分に納得出来ず、叶は飛び出した。

 

 「叶!? なんでここに……」

 

 「今日はうちの学校、創設記念日で休みだからこっち遊びに来たんだけど……何コイツ?」

 

 「円堂くん、この子は……?」

 

 「あっ、オ……わたしは阿里久(ありく)叶! これでも中一だぞ、よろしくな!」

 

 「同じ歳なんだ……てっきり、制服のある小学校の子かと思っちゃった。ごめんなさい。私は木野(きの)(あき)。よろしくね」

 

 髪と同じ色の、秋の優しい瞳が叶を映す。記憶の中、母の夕焼け色のそれと重なって、叶の胸がざわつく。頭が痛い。

 海外で働く母を応援しないといけないのに、ちょっと雰囲気が似た子を見ただけで恋しくなるなんて。叶は自分が嫌になった。

 

 円堂と少年が話す。少年の足元、光り輝くボールから機械音声が発せられた。

 

 《ムーブモード》

 

 辺りが光に包まれる。河川敷の自然豊かな風景から、サッカーコートの中へ。叶の視界は一瞬で切り替わった。

 

 「ここどこだよ?」

 

 叶は少年を睨み付けた。

 

 「お前たちがサッカーを奪われるのにふさわしい場所だ」

 

 「は? 答えになってねーだろ」

 

 「これはどういうことなんだ?」

 

 「円堂守。今からお前には我々とサッカーをしてもらう……試合だ」

 

 円堂の質問に、少年は一方的に答える。

 

 「え? 試合ってどういうことだよ?」

 

 「数も足らねーぞ。ああん? サッカーは十一人でやんの。オレらは三人。十一引く三ってわかる? 繰り下がり難しいか?」

 

 叶の挑発にも少年は動じない。

 

 「円堂監督! ……じゃなかった、円堂さん! そいつらはサッカーを消そうとしているんです!」

 

 茶色い癖毛の少年に、緑髪のツインテールのような髪型の少年。円堂と同じ年頃の二人と、叶より少し小さな青いクマのぬいぐるみが現れた。

 

 「うわ、また変なのが増えた」

 

 「えーと、キミは?」

 

 茶髪の少年は緊張した様子で円堂に答える。

 

 「あ。おれは松風(まつかぜ)天馬(てんま)といいます。えぇと、色々説明難しいんですけど……。とにかく! おれ、大好きなサッカーを守るためにここに来ました! このままじゃ大変なことになるんです。信じてください、円堂さん!」

 

 「わかった!」

 

 「……! 信じてくれるんですか!?」

 

 「ああ。サッカーが好きって言えるヤツのことは信じるさ。大好きなものには嘘をつけないからな」

 

 「木野ちゃん。守これだから、詐欺に合わないか気をつけてやってくれよ」

 

 「え? ええ……」

 

 天馬が自分たちの事情の説明をする。そこまで詳しくはない。円堂は彼らを信用しているようだが、叶は無条件で信用出来なかった。

 

 「ちょっと観察させてもらうなー。キモいかもだけど我慢してくれよ」

 

 「は、はい!」

 

 天馬は緊張した様子で返事する。叶は天馬、緑髪の少年、紫の髪の少年の三人の心を読んだ。

 まず天馬。これほどかというほどサッカーへの情熱と愛情に満ち溢れている。文句なしに合格。

 緑髪の少年。なぜかある地点より深くは読めないが、彼もサッカーを愛しているようだ。なぜか親近感がわく。天馬よりは少し劣る成績だが合格。

 紫の髪の少年。サッカーへの感情はないわけではないが薄い。何かの使命への焦燥感が見える。不合格。

 

 「とりあえずお前らを信じたよ。オレもそれなりにサッカー出来るから、戦力になれるはずだ」

 

 「……! ありがとうございます!」

 

 叶が天馬たちを観察している間。紫の髪の少年とその仲間が話していた。インスタントがどうとか言っていて、叶には理解出来なかった。

 

 「……了解。彼らは別のパラレルワールドの我々と既に戦っているようだ」

 

 「タイムジャンプをして、我々を追ってきたということですか。……あの少女は?」

 

 「ノー。該当記録無し」

 

 「無し? アルファ様。特にこの時代の円堂守の周囲の人間はリストアップされているはずですが……」

 

 「彼女のデータは存在しない」

 

 紫の髪の少年と彼の仲間の会話を盗み聞きして、少年の名前がアルファとだけ叶は理解した。

 

 「おい、お前、サッカーを消すって本当なんだな」

 

 「イエス。サッカーは歴史から消えるべきだ」

 

 「試合、やるよ……お前たちに、サッカーが楽しいって教えてみせるぞ!」

 

 叶は感動した。よく敵対的な相手に、こんなことを言えるものだ。

 

 「試合はいいけど、人数足りないよな? オレが分身するぞ」

 「出たぞー」「今生まれたぞ!」「何だアイツ許せねえよ」「守は優しすぎだ」「木野は守と付き合ってるのかー?」「ひゅーひゅー! ぱちぱち!」「腹減ったぞ! 飯は!?」「点バンバン取るよ!」

 

 「きゃあ! 阿里久さんがいっぱい……!?」

 

 「その必要はないよ」

 

 緑髪の少年が苦笑いして言う。

 

 「ボクの名前はフェイ・ルーン。ボクもキミと似たようなことが出来るんだ」

 

 「オレ……じゃなくて、わたしは阿里久叶。ふーん、本当に?」

 

 「ああ」

 

 フェイが指を鳴らす。濃淡の差はあれど緑髪の、個性豊かな外見の少年少女が現れた。

 

 「オレらはー?」「出てきてすぐお役目御免かよ。クソ」「分身に人権をー!!」「ちょっとー! 静かにー!」

 

 「うるさくてごめんな。足りない人数は半々で補おうぜ」

 

 「そうだね。キミの実力はよくわからないけど、デュプリを出せる以上低くはなさそうだ。数が少ないほど互いに負担も減るしね」

 

 十一人に足りない七人分はフェイが三人、叶が四人補った。

 フェイの出す分身、彼曰くデュプリを見て叶の分身が騒ぐ。

 

 「そんなストロー巻いて苦しくねぇの?」

 「髪なげー、マントみてー、かっけー!」

 「名前何ー? スマイルよりメロンの方が合うんじゃねーの?」

 「こらー! やめなさーい! ……うぇーん! みんなが言うこと聞いてくれない!」

 

 ストロウ、マント、スマイルと呼ばれるデュプリに絡む叶の分身。うるさい。叶は顔をしかめた。

 

 「ごめんなー。すぐ黙らせる」

 

 叶は分身の自由を剥奪した。これで勝手に動いたり話したりすることはなくなる。代わりに一々指示しなければ動かなくなってしまうが。

 

 「なんだか急にロボットみたいになっちゃった……。大丈夫なんですか?」

 

 「大丈夫だぞー。それより試合のこと考えねぇと。守はキーパー、オレはフォワードだけどお前のポジションは?」

 

 「はい! おれはミッドフィルダーで、フェイはフォワードです」

 

 「ソイツらは?」

 

 「スマイルとストロウがディフェンダー、マントがミッドフィルダーだよ」

 

 「おっ、ちょうどいいわ。じゃあ穴埋めはコイツらにさせればいいな」

 

 FWは叶とフェイの2TOP。

 MFには天馬と、クールな長髪の少女・マント、叶の分身が二体。

 DFには額にストローらしきものを巻き付けた少年・ストロウと、明るい雰囲気のおさげ髪の少女・スマイル、叶の分身の残り二体。

 GKは円堂だ。

 

 「服は? さすがにスカートでサッカーは……」

 

 「それも大丈夫!」

 

 フェイは得意気に笑って指を鳴らす。叶たちの着ていた制服は赤と白のユニフォームへ変化した。

 

 「うおぁ!? なんだコレ? 制服はどこ行ったんだ!? 返せ、高いんだぞ!」

 

 「大丈夫。試合が終われば元に戻るさ」

 

 「ならいいけど……」

 

 アルファが光るボールを使って呼んだらしい。白いシャツを着た、(かす)かに焼きそばソースの匂いがする男がマイクを握って立っていた。

 

 「よーし! みんな、サッカーやろうぜ!」

 

 円堂の一言でテンマーズの面々は士気を上げる。

 

 「キッフオーフっ!! 試合開始だー! テンマーズvsプロトコル・オメガ。本日はここ、フットボールフロンティアスタジアムにてお送りいたします!!」

 

 アルファに連れて来られた男がテンション高く言った。

 

 試合が始まると、プロトコル・オメガのメンバーは素早い動きで攻め上がる。

 フェイから叶にパス。さらにMFの分身にパスと、叶たちはパス回しによって極力真正面からの競り合いを避けようとする。

 MFの分身、DFの分身、叶本体とパスを繰り返す。

 叶の分身は分身同士、または本体にパスをする。その癖さえわかれば、簡単にプロトコル・オメガはパスコースを見極められた。

 彼らはゴールへ向かわず、ボールを奪うとデュプリと分身にボールを当てて痛め付ける。

 

 「うぐっ……! デュプリたちが……!」

 

 「ちっ、クソッタレがよぉ!」

 

 フェイは苦しそうに(うめ)き、叶はアルファたちを睨んだ。デュプリと分身。それぞれの感覚はフィードバックして、フェイと叶に返ってくるのだ。

 それに視界が遮られるため、デュプリたちをうまく動かせない。逐一動かす必要のある彼らは、叶とフェイの脳のリソースを奪っていた。

 先ほどパスの偏りがあったのもこれに起因する。分身を操る叶からすると、ろくに互いの能力も知らないメンバーと普通にプレーするよりも、能力を知り尽くした四つの駒をフル活用した方が安心できるのだ。分身を出すだけでも体力を使うんだから、どうせならたくさん動かしたい。叶にはそんなみみっちさもあった。

 デュプリは痛々しい悲鳴を出し、分身は呻き声一つ漏らさない。彼女たちの声帯機能は先ほど自由意思と共に奪われていた。

 

 「待てよ……サッカーはそんなんじゃないぞ!」

 

 円堂が(いきどお)る。天馬は感動した調子で彼の名を呼んだ。

 アルファは遠回しに、円堂では我々は倒せないと宣言する。

 

 「それがどうした! やってみなくちゃわからないだろ!」

 

 冷たく言うアルファに対して、円堂は燃えるように熱く語る。

 

 「お前がやってるのはサッカーじゃない。ボールは人を傷つけるものなんかじゃない!」

 

 「そうだ……サッカーが悲しんでる!」

 

 「おっ。テメー良いこと言うじゃん。名前なんだっけ?」

 

 「松風天馬、だったよな?」

 

 「はいっ!」

 

 叶の問いに円堂が答える。天馬は元気よく返事した。

 

 「アルファ! ボールもそんな風に使われて泣いてるぞ!」

 

 「サッカーは滅ぶべき。よって円堂守。サッカーによりお前自身が滅べ」

 

 一息置いて、アルファは次の言葉を続ける。

 

 「了解。古会(ふるえ)叶についての更新データを確認。これより円堂守、古会叶両名のインタラプト修正を行う」

 

 インカムを通してアルファは話す。

 

 「……? オレの名字阿里久だけどー? なんでそっちを知ってるんだ?」

 

 父──叶の前世、(あらた)の名字が古会。母方の名字が阿里久だ。新が事故で死んだ後、マスコミや周囲からの好奇の視線から逃れるため、叶の母、季子(きこ)は名字を旧姓に戻した。

 その後に生まれた叶の名字は阿里久。古会だった時期は人生で一瞬もない。叶の父の名字を知っている人間も、新の先輩の先行(さきゆき)と季子以外はいないはずだ。

 なぜ初対面のアルファが知っている? 叶は不思議に思ったが無視された。

 

 叶は分身にサッカーをするための思考力やコミュニケーション力を戻した。彼女たちが予想外の動きをする危険性はあるが、分身が当意即妙(とういそくみょう)に動いてくれた方が叶の負担は少ない。

 

 「お父さん! わたしたち、頑張るね! 真プラネットシールド!」

 

 分身の一人が意気込んで、巨大な惑星で押し潰し、褐色の肌をした金髪の少女からボールを奪う。分身はえっへんと笑った。

 

 「フェイさんは無理そうだから……お父さん!」

 

 マークされているフェイを見やり、分身は叶にパスを出す。

 

 「おう! 行くぞ。星影散花(せいえいさんげ)ぇ!」

 「オレも! ダークトルネード!」

 「オレもオレもー! じゃあ、真ダークトルネード!!」

 「ずるい! わたしもやりたかったー……」

 

 分身が二人、叶のシュートに力を重ねた。

 

 「キーパーコマンド03!」

 《ドーンシャウト》

 

 衝撃波で薄い壁を発生させて、シュートを弾き返そうとするプロトコル・オメガのキーパーを打ち破り、叶たちのシュートはゴールへと入った。

 

 「すごい……」

 

 「それにしても阿里久さんのデュプリはよく喋るんだね」

 

 「邪魔か? だったら黙らせるぞ」

 「あれ頭縛られる感じでやー……」

 「やめてよー!」

 「そうだぞ! オレらがうるせぇからって黙らせるようなヤツは、何やっても上手くいかねぇぞ! バカ!」

 

 「え、ううん、全然。元気で良いと思う」

 

 「そうか」

 

 フェイの言葉に、叶は彼女たちから言語能力を無くすのを止めた。バカと言ってきた分身には、NGワードを設定して多少制限した。

 

 

 

 

 

 「天空の支配者鳳凰(ほうおう)!」

 

 試合再開。アルファは自身の化身を発動し、デュプリや分身を荒々しく突破するとゴール前まで攻め上がる。

 

 「あれ、化身だよな?」

 

 「は、はい!」

 

 「クソっ、コイツらに使う分の力が無駄だな。えいやぁっ!!」

 

 叶が叫んだ途端、分身が倒れ伏す。

 

 「うう……お父、さん……?」

 「オレはまだやれるぞー!?」

 「分身虐待だー! 生後十分なのに! 警察、児童相談所」

 

 「うるせぇ」

 

 分身の目からは光が消え失せ、口も閉ざされた。

 

 「……大丈夫なの?」

 

 「デュプリへ向ける分のパワーを本体に回す算段なのだろうが……するとこちらは実質八人でプレーすることになってしまう。えぇい、この大監督クラーク・ワンダバット様が何か策を考えなくては!」

 

 秋は痛ましいものを見るように分身を見る。ワンダバは短い手足をわたわたさせ、策を頭から絞り出そうとしていた。

 

 「邪魔だ」

 

 「てめえがなぁ!!」

 

 ゴール前。叶はアルファと睨み合っていた。化身の溢れ出す力を浴びて、叶の柔肌にチリチリと鳥肌がたつ。

 

 「……! 面白ェ……」

 

 「…………」

 

 口角を吊り上げる叶。冷静になろうと努めるアルファ。

 叶が右へフェイント。本命の左からボールを奪おうとし、アルファは的確な判断でそれを避ける。

 

 「ははっ……これでお前にもっと愛嬌があれば最高なんだけどな……。うん、パフォーマンス以外で、オレにこれを使わせたヤツは初めてだ。周りに自慢していいぞ。……出てこい」

 

 叶は両手を強く握りしめる。全身に力がみなぎる。奔流(ほんりゅう)する力に身を(ゆだ)ねて、叶は吠えた。

 

 「があぁああ!!! 慈悲の女神エリニュス!!」

 

 蒼白の肌に、唇には青のリップ。顔のほとんどはベールで隠れて鼻から下しか見えない。

 露出の少ない黒色のドレス。その上に漆黒の鎧を着けている。顔以外で唯一露出している腕は枯れ木のようだった。

 そのような姿の化身を見て、叶は前世のものとはなんだか違うと感じた。少なくとも、女性型ではなかったし、女神なんて名前も付いていなかったと思う。

 

 だがそんな疑問はどうでもいい。今はただこの力を使い、目の前のヤツを叩きのめすだけだ。

 

 アルファの化身・天空の支配者鳳凰と、叶の化身・慈悲の女神エリニュスがぶつかる。

 

 「アルファ様……!」

 

 「叶……!」

 

 それぞれのチームメイトたちは息を飲む。土煙が舞い、二人の姿は見えない。

 

 「…………そんな」

 

 プロトコル・オメガの、茶髪の少年が声を漏らした。

 

 化身が自分の背後にいることに、叶は違和感を覚えた。なんだか気持ち悪い。それに、化身を発動していると普通の必殺技は使えなかった。それはおかしい。もっと力を引き出すのに効率良いフォルムがある気がする。

 頭がモヤモヤする不快感を抱えながら、叶はプロトコル・オメガの選手を弾き飛ばしてゴールへと迫った。

 

 「エリニュス・フューリー!!」

 

 叶はありったけの力を込めてボールにキックを叩き込む。パワーとスピードに全振りしたシュートがゴールを襲う。

 

 「キー──」

 

 キーパーコマンド03──と続けようとして、キーパーの少年・ザノウは目を丸くした。視界の横に何か、音速で黒い線が通らなかったか。振り向いてゴールネットの方を見る。

 

 「あぁ、やっぱこんなもんか」

 

 叶が背を向けて、チームメイトたちの方に歩いていく。

 シュートに比べるとあまりにもすっとろい動きで、ザノウはゴールネットに突き刺さったボールを穴が開くほど見つめた。自分はあれに反応すら出来なかった。

 

 

 

 プロトコル・オメガの攻撃から試合は再開した。

 

 「……アームド!」

 

 アルファは化身を鎧のように身に纏う。

 

 「かはっ、いいなぁそれ! オレもオレも! アームド!!」

 

 叶も同様にする。マントみたいなヒラヒラや、頭や腰の装飾品が気に入らない。もっと機能的なデザインがいい。

 

 「って、うわあ!?」

 

 「どうしたんだ叶!?」

 

 「は、早すぎて止まれな……ふぎゃっ!!」

 

 コートを区切る白線から足がはみ出そうになる直前、叶は重心を後ろにずらして、数回の無様な足踏みの後、尻餅をついて倒れた。

 

 ひゅっと、叶の喉が高く音を鳴らす。それに続く笑い声を叶は腹に力を入れて(こら)えた。

 楽しい、楽しい、楽しい!!

 自分すら使えない技術を使いこなす人間がいることが、今まで自分以外使えなかった分身を使えるヤツがいることが、これまた自分以外使えなかった化身を使うヤツがこんなにたくさんいることが。

 沸き上がる喜びに身を委ねて、叶は口角を三日月のように吊り上げる。瞬間、すんと顔を元に戻した。

 

 「……これ辞めた方がいいな」

 

 アームドを解除して、叶は高鳴る鼓動を治めようと深呼吸する。

 馬鹿げたアクシデントに叶が見舞われている間。アルファはテンマーズの面々を突破していた。ディフェンス陣を崩し、ゴール前まで来たアルファに、円堂は声を張り上げて叫ぶ。

 

 「さあ、かかってこい!」

 

 「……」

 

 アルファはボールを受け止めて、ダイレクトシュートを叩き込む。化身の力も相まってノーマルシュートとは思えない威力だ。

 

 「絶対に止める! サッカーが滅んでたまるかぁ! うおぉぉおおぉお!!」

 

 円堂は歯を食い縛り、全身に力を張り巡らせる。

 

 「ゴットハンド!!」

 

 「出た! ゴットハンド!」

 

 「守! 必殺技使えるようになったのか!?」

 

 円堂の(てのひら)にボールが収まる。叶と天馬は感動して声を出した。

 

 「まさか……」

 

 「パラレルワールドの共鳴現象!」

 

 パラレルワールドの円堂守が重なりあい、彼らの力の平均値を取る。よって円堂のパワーは上がったのだ。ワンダバは得意気に説明した。

 

 「止めた……。出来た! とうとう、出来たぞー!!」

 

 感極まった様子で円堂が叫ぶ。

 

 ゴッドハンドの完成に円堂たちが沸き立つ。アルファはその頃、監督兼エルドラドの議長・トウドウからインカムで時空の共鳴現象の説明を受けていた。

 

 「イエス」

 

 ベータやガンマのように、アルファがもう少し感情表現豊かな少年ならば、ため息でも吐いていただろう。だがリーダーとして、エルドラドのルートエージェントとして、部下にそのような姿は見せられない。

 けして失敗が許されない任務の中、この現象でこれまでのデータになくパワーアップした円堂守。まともなデータが存在しない古会叶。

 不幸中の幸いは、この時空以外のパラレルワールドには存在しない叶に、時空の共鳴現象が起きることはありえないことだけだ。



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26話 vsプロトコル・オメガ②

帝国学園(建物)好きな方は少し注意かもです。


 

 円堂が大きくスローインしたボールを、プロトコル・オメガの恰幅(かっぷく)のいい少年が奪う。

 

 「ワンダートラップ!!」

 

 天馬は残像が見える超高速で彼の後を追い、スライディングでボールを奪い返した。

 

 「ナイスだ天馬!」

 

 円堂の言葉に、嬉しそうに天馬は口角を上げた。

 アルファはチームメートに天馬を潰すように指示した。天馬の前に二人の少年が立ちはだかる。

 

 「アグレッシブビート!!」

 

 正弦波のような鼓動を刻みながら、天馬は二人を抜き去る。

 天馬が動いたあとに残った緑の弦が上下に震え、プロトコル・オメガの二人を軽く吹っ飛ばした。

 

 「アイツめっちゃ上手くね? 帝国のヤツらより絶対上手いぞ」

 

 (かなえ)は天馬の実力に感嘆した。数々の必殺技。華麗なドリブル。敵と相対したときの判断力。その全てが素晴らしい。日本の中学生の最高峰に達している。

 天馬はフェイにパスを出す。相手のキーパーがフェイに目一杯警戒したところで、フェイはゴール前へと走る天馬に向かってパスを返した。

 

 「真マッハウインド!!」

 

 「くっ……キーパーコマンド03!」

 《ドーンシャウト》

 

 風の力を色濃く纏う天馬のシュートは轟然(ごうぜん)とゴールネットを揺する。彼はフェイとハイタッチして、シュートが入った喜びを分かち合った。

 

 プロトコル・オメガのキックオフで試合は再開した。テンマーズはボールを奪うことを許されず、ボールはあっという間にゴール前、アルファの元へ送られる。

 

 「シュートコマンド01」

 《スピニングトランザム》

 

 「来い! 今度も止める!」

 

 気合と、決して折ってはいけない意地が混ざった円堂の叫び声。それと共に、強大な力を放つ黄金の魔神が彼の背に現れた。

 

 「うおおおぉおおお!! 魔神グレイト!! グレイト・ザ・ハンド!!!」

 

 「……!!」

 

 円堂の(てのひら)に、すっぽりと収まるボール。驚きを最低限の反応で表すアルファ。

 

 「と……止めたァ──! あの超絶シュートを、化身キーパー技で見事にキャッチ! 今度のテンマーズはすごい!!」

 

 実況の男が円堂を(たた)える。叶はなんだか嬉しくなった。叶は円堂とハイタッチする。三人の分身が叶の動きをトレースしたように繰り返した。

 

 「やったな」

 「化身出せるなんてすごいぞ」

 「オレたち、オレら以外に使えるヤツ初めて見た」

 「アルファとかいうのはカウントしねーの?」

 「未来人らしいし、ノーカンじゃない?」

 「うんにゃ、ノーカンだ」

 

 分身がマシンガントークを繰り広げる。高い声でキーキーとうるさい。円堂も困っている。叶は殴って黙らせようか迷った。

 

 「なんだ今の!?」

 

 「化身ですよ、円堂さん!」

 

 「化身!?」

 

 円堂が天馬から化身の説明を受け、フェイが時空の共鳴現象の力に驚く。ワンダバは興奮に、体の色を青から濃いピンクに変えた。

 

 「……本体! オレらも今度試合するときあったら、あーやって髪の色とかで個性出したい!」

 「え、やだ」

 「なんでー!? やりたいやりたいやりたい!!」

 「髪の色変に使う力の無駄。それに、お前ら見られて髪染めたとか勘違いされたくない」

 「そんなぁ……」

 

 叶と分身が無駄話をする間、円堂と天馬はアルファに向かって啖呵(たんか)を切っていた。

 

 「阿里久(ありく)さんは大丈夫? デュプリを出しながらのサッカーは、きっと不慣れでしょ?」

 

 「んー、平気。そんな(やわ)じゃないし」

 

 「あの……阿里久さん。おれ、あのデュプリの──」

 

 ──使い方はちょっと違うと思うんです。と、天馬が続けようとしたときだった。

 

 「おーい!! この試合、俺も入れてもらえないかな?」

 

 観客席には、天馬がよく知る少年にそっくりの青年の姿があった。

 

 「剣城(つるぎ)!? 剣城、来てくれたん、だ……? あれ?」

 

 剣城だろうか。違う気がする。でもそっくりだ。不思議に思いながら、天馬は彼に呼びかけて駆け寄る。

 

 「俺は京介(きょうすけ)の兄、剣城優一(ゆういち)だ。天馬くんだね?」

 

 優一に警戒しながら、天馬と彼の会話を叶は見守った。

 天馬に友好的。叶は優一への警戒を少し緩ませる。

 

 「アイツ、味方って認識でいいんだよな?」

 

 「うん。パラレルワールドから来た、強力な助っ人だよ」

 

 フェイの答えに、叶はわずかに残った警戒心をなくした。

 叶はミッドフィルダーをしていた分身を一体消して、いつの間にかテンマーズのユニフォームに着替えていた優一が入る場所を作り出す。

 

 「お前は再修正される」

 

 「それはどうかな?」

 

 優一のプレイングは巧みなものだった。流麗な動きで相手のブロックを退ける。

 

 「すごい、これが優一さんのサッカー!」

 

 「天馬くん。化身だ! 一気に決着をつける。俺に着いてきてほしい!」

 

 「は、はい!」

 

 どうやら残りは天馬と優一の出番のようだ。叶は彼らの近くに向かおうとするプロトコル・オメガのメンバーを妨害して、自由に動かさせないことに徹した。

 

 優一が咆哮(ほうこう)を上げる。

 

 「魔戦士ペンドラゴン! アームド!!」

 

 「か……かっけぇ!!」

 

 化身を鎧のように纏った優一を見て、叶は思わず声を上げた。自分のアームドよりかっこいい。優一はファンの子供に向けるような笑みを叶に見せると、表情を引き締めて、天馬に化身アームドをするように促す。

 

 「おれにも出来る……行くぞ! 魔神ペガサスアーク、アームド!」

 

 「ひゃー!!」

 

 叶を振り切ろうとするプロトコル・オメガのメンバーの動きを徹底的に防ぎながら、叶は奇声を出した。天馬は困り笑いで返した。

 

 「天空の支配者鳳凰! アームド!!」

 

 アルファが化身アームドをした。叶はこちらに対してはかっこいいと思わなかったから、奇声も上げなかった。

 

 アルファ、天馬、優一の三人を見て、叶の血が(たぎ)る。オレもあそこで戦いたいのに!

 叶は目の前でずっと膠着(こうちゃく)状態を続けている相手、紫の髪の少年・クオースと、金髪の少女・レイザを睨みつけた。

 超能力で無理やり頭痛を起こして立っていられなくすることも考えたが、神聖なサッカーの試合でそのようなことをしてはいけないだろう。

 

 「天馬くん!」

 

 「っ……はい!」

 

 アルファに真正面から挑まず、優一はボールをゴールを上空に上げた。天馬と共に阿吽(あうん)の呼吸でタイミングよくキックを叩き込む。

 

 「キーパーコマンド03!」

 《ドーンシャウト》

 

 ザノウの気迫はシュートを止めるまでには及ばなかった。彼が破られると、その後ろに回り込んだアルファが化身の力を纏う片脚でシュートを止めようと試みる。

 アルファの表情が段々と歪む。それに合わせてアルファの体がジリジリと後退していく。やがてシュートの威力に対抗できなくなり、アルファはゴールを許してしまった。

 

 「うわああああ!! すげぇすげぇ! えっと、あっ! 胴上げしてやろっか?」

 

 叶は自分の理想のようなシュートを見て感動の声を出した。彼女の提案を、優一が柔らかく断る。天馬も優一に続いた。

 

 「……撤退する」

 

 アルファが仲間へ指示を出す。頭上に紫の光を放つUFOのような乗り物が現れ、その光に吸い込まれるようにしてプロトコル・オメガのメンバーは消えた。

 

 「んで、もっと詳しく説明してほしいんだけど……アイツらまた来るの?」

 

 「絶対に来ない、とは言い切れないけど……可能性は限りなく0に近いと思う」

 

 「そもそもアイツら何?」

 

 「そのためにまず、ボクたちの話をしようか。まず、天馬はこの時代から十年後、ボクは彼の時代から200年後の未来からやって来たんだ」

 

 「天馬くんのいる世界とは別のパラレルワールドだけど、俺も十年後から来たよ」

 

 フェイと優一の回答に、叶は「あっそ」と淡白に返す。SFチックな出来事に円堂は驚きの声を大きく上げた。

 

 「まあそれはどうでもいいんだけど……いや、よくないけど。なんでアイツらがサッカーを消そうとするのか答えてくれないか?」

 

 「ああ。未来では──」

 

 フェイとワンダバが生きる210年後の未来。優れたサッカープレイヤーたちの子孫である、セカンドステージ・チルドレンと呼ばれる子供たちが、人類と対立していた。彼らは旧人類を遥かに超えた身体能力や超能力を持ち、その力によって未来世界を脅かしている。

 彼らから世界を守るために動く機関。それが、未来の意思決定議会エルドラド。エルドラドは過去の世界からサッカーを消去することで、セカンドステージ・チルドレンの誕生を防ごうとしていた。

 エルドラドから送られた、ルートエージェントで編成されたサッカーチームがプロトコル・オメガなのだ。

 

 「ふぅん……後の話はオレは別にいいや。それで、アイツらはまた来るのか?」

 

 「むっ……ヤツらがこの時代に再び訪れる可能性は0パーセントだ!」

 

 「ワンダバ!?」

 

 勝手なこと言わないでよ、とフェイは抗議の視線をワンダバに向ける。

 

 「根拠は?」

 

 「ある! というのも、先ほどから謎の力場が広がっていて、この時代へのタイムジャンプは不可能になりそうなのだ」

 

 「あ、本当だ……」

 

 フェイは小さな機械を触り、ワンダバの言葉を肯定した。

 

 「それって……大丈夫なの? おれたち、元の時代に帰れるよね?」

 

 「むっ、あんし──」

 

 「すぐに戻ればね。この具合からすると……っ!? 三分以内に帰らないと、この時代に置き去りになってしまう! 天馬! 急いでタイムキャラバンに乗って!」

 

 ワンダバを遮り、フェイが天馬の問いに答えた。

 

 「え……わかった! 円堂さん! おれ、未来で円堂さんとサッカーが出来るのを待ってます! 円堂さんが雷門にサッカー部を作った未来で!」

 

 少し走ると立ち止まって、天馬は振り向いて円堂に言った。

 

 「おう! 絶対にサッカー部を作るって、約束するぜ! んでもって、天馬。また会えたら」

 

 「「サッカーやろうぜ!!」」

 

 互いを見つめて笑い合う円堂と天馬。優一とフェイに()かされて、天馬は慌ててキャラバンに乗り込んだ。大きく光りキャラバンが消える。

 叶が瞬きする間に、あの三人と一匹は影も形もなくなってしまった。

 

 「……あのさ、これ、オレたちがここに置き去りじゃねえの?」

 

 叶の言葉に、木野と円堂が凍り付く。

 

 「確か、ここ……フットボールフロンティアスタジアムって言ってたよね?」

 

 「ふんふん、場所はわかった。帰り道も何となくわかったぞ。電車賃とか持ってる?」

 

 二人は(かぶり)を振った。予想出来ていたことだ。叶はそう落ち込まなかった。それに、幸運にもフットボールフロンティアスタジアムも雷門中も東京にあったはずだ。

 

 「よぅし、走って帰ろうか。木野ちゃんはオレの上に乗って!」

 

 「え?」

 

 「大丈夫だって! こんななりだけど、オレ…………あっ! わたし、力強いもん!」

 

 地面に落っこちる覚悟をして、秋は叶の小さな背中に飛び乗った。

 

 「守は走って後ろ着いてきて! ペースが速すぎたら言えよな!」

 

 「ああ!」

 

 「んじゃ、しゅっぱーつ!!」

 

 川の上を走ろうとして、円堂は出来ないことに叶は気付いた。陸の上だけを走り、何とか雷門中に到着する。

 息を整えると少し雑談をして、時計を見て叶は慌てて言う。

 

 「あー……今日は出来なかったけど、今度ゆっくり色々話とか、特訓とかしようぜ。じゃあなー!」

 

 「おう! またな! っと、あの分身ってなんなんだ?」

 

 「分身? ああ、化身の一種だよ。どうした?」

 

 「いやその……アイツらは叶にとって仲間じゃないのか?」

 

 「扱いが雑というか……少し、可哀想な気がして……」

 

 「あー……」

 

 まさか二人からこんなことを言われると思わなかった。叶は言葉に迷う。

 

 「オレと同じ思考回路を持った、オレの形をしたラジコンみてぇなもんだ。……まあでも、そうだな。アイツらもすぐ消えるとはいえ、自分の意志があるし……もうちょっと人みたいなものとして尊重してやってもいいかもな」

 

 「人みたいなもの?」

 

 「ううっ、……個人として」

 

 適当に言ったが、どうやら納得してもらえたようだ。円堂には照美の次に嫌われたくない。秋も若いころの母に雰囲気が似た良い子だから、嫌われたくない。叶は酷く自分勝手な人間であった。

 

 現在は夕方の六時。寮の夕食の時間は六時から八時まで。食べ損ねることはないだろうが、遅くなればなるほどおいしいものはなくなってしまう。

 叶は音速で世宇子中まで走る。空を飛び、川の上を駆け抜け、ほんの一走りで山道を荒らす。そうして、そう時間もかからずに辿り着いた。

 

 「あ、やば、制服ぐちゃぐちゃじゃん」

 

 枝に引っかかったり空気抵抗に耐えきれなかったりして、叶が身に付けるものは皆、襤褸(ぼろ)切れに成り下がっていた。叶はうんしょと力を込める。あっという間に制服等は元に戻った。

 

 「今度からは服の保護と練習のため、アームドした方がいいか?」

 

 叶は寮に帰る。門限を過ぎていたから寮母に怒られた。説教は右耳から左耳に抜け、叶は食堂から漂う香辛料の匂いにだけ集中していた。今日は中華メインらしい。エビチリにマヨネーズをかけて、それと春巻きや麻婆(マーボ)春雨なんかもかっさらってやろう。

 

 

 

 

 

 

 過去から元の時代に戻るまでの間。アルファは古会(ふるえ)叶についての情報を脳内で検索していた。

 

 父親は古会(あらた)

 優れたサッカー選手。なおかつ、人類で最初にSSC(セカンドステージ・チルドレン)特有の超能力を発現させた危険人物。

 エルドラドでは当初、彼からもサッカーを消去すべきという意見があったが、観測できる範囲全てのパラレルワールドの新を調べた結果、その意見はなくなった。

 どのパラレルワールドでも、監督する日都年(ひととせ)中学校と帝国学園との試合の日の朝、古会新は事故で死亡する。妻の古会季子(きこ)と、腹の中の胎児を置き去りにして。

 

 そして、アルファが任務で(おもむ)いた過去の世界以外では、季子は子供を産めずに死んでいる。

 ストレス。栄養失調。不眠症。流産死産の原因ならたくさんあった。何ら不思議なことではない。

 子供と夫を失った彼女は、夫の(かたき)、影山零治の罪を吹聴するも周囲からは信じられず、虚言癖などと誹謗される。

 そして、最後には帝国学園の門を燃やし、燃え盛る火の中に飛び込んだ。門は即座に喜捨(きしゃ)のような多額の寄付金によって修繕された。三月の終わりの深夜という時期もあり、彼女以外は怪我人すらいなかった。

 

 新はどのパラレルワールドでも、SSC遺伝子を持った子孫を残せない。その一点のみで、彼はサッカーの消去を免れていた。

 彼が事故から生還する世界。季子が子供を産めた世界。そのようなタイムルートなど、エルドラドは万に一つも観測していない。

 故に、阿里久叶などという人物は存在していないはずなのだ。

 

 エルドラド本部に任務の結果を報告し、ムゲン牢獄行きをアルファを含む数名は告げられた。ムゲン牢獄では個人の人格の根から叩き直すような厳しい訓練が強いられる。エイナムたちは反対したが、アルファは従順に指示に従った。

 

 

 

 

 

 

 「それじゃぁ……わたしがあなたたちのリーダーになりますから、よろしくね!」

 

 天使のような悪魔の微笑みを、エイナムの新たな上司、ベータは部下に向けた。

 愛らしい彼女の容姿は、エイナムには分厚い猫の皮のように思えた。

 

 「これからの任務の方針なんですけど、今まで通り松風天馬たちの動きを防げばいいみたい。まぁどっちみち、円堂守が中学生のころには、もうタイムジャンプ出来ないものねぇ」

 

 「……そうですね」

 

 レイザが渋面(じゅうめん)で相槌を打つ。叶を起点とする“謎の力場”のせいでおよそ170年前から210年前の時代──古会新が生まれてから、円堂守が中学校を卒業するまで──にはタイムジャンプ出来ないのだ。

 ベータはそのようなことを言っていないが、エイナムには言外に、「あなたたちが任務を失敗したからじゃないのかしら?」と言われたように感じた。

 

 「それでぇ……古会叶さんじゃあなくって、阿里久叶さんでしたっけ? あの子には警戒しなくていい……というか、したところでどうにもならないですもの」

 

 ベータはくすくすと笑った。

 

 「叶ちゃんの能力のせいで、叶ちゃんからサッカーを奪うのも無理、新さんからも出来ない。……これはわたしももちろんやりたくないけどぉ、お腹が大きいときの季子ちゃんにちょっかいをかけるのも不可能。なんだか凄いわねー」

 

 ベータは鈴が鳴るような、可愛らしい声で言う。

 

 「あの子の子孫のせいで、フェーダの規模もすごーく大きくなっちゃってますし。本っ当、どうしましょう? ったく、こそこそ隠れやがって! タイムジャンプ出来るなら、オレがぶちのめしに行ってやるのに! ……あらぁ、失礼」

 

 「……いえ」

 

 「それにぃ、フェーダの子が叶ちゃんの傍に潜伏してるのは問題よね。何するつもりなんでしょう? 議長さんたちは大丈夫って言ってるけど……本当に大丈夫なのかしら? 何も出来ないからとりあえず言ってるだけじゃない?」

 

 「……我々の気にすることではありません」

 

 「それはそうだけどぉ、あーあ、つまんなーい。エイナムたちったら、アルファ大好きなのは知ってますけどぉ、こんなところまでアルファに似なくてもいいのにー」

 

 ベータは心底つまらなさそうに言った。

 

 「そういえば、アルファったらスフィアデバイスの封印モードを叶ちゃんに試してみれば良かったのに。相変わらず頭が固いんだから」

 

 「エンジニアの解析結果では、彼女に封印は無効と」

 

 「んー、ダメもとでやってみれば、お払い箱にならずに済んだかもしれないわよ?」

 

 暫しの話のあと、エイナムは黙って席を立つ。

 この付き合いにくい上司とこれから付き合って行かなければならないのか。規模を拡大した、より強力で凶悪なフェーダは何をするつもりなのか。漠然とした不安と敬愛するアルファがムゲン牢獄へ送られた怒りを抱え、エイナムは自室に戻った。



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27話 始動

 

 プロトコル・オメガとの試合の翌日。午前だけの授業と昼食を終え、(かなえ)たちは体育館で部活動説明会を聞いていた。

 

 「結構部活の数多いんだなー」

 

 「部活にはかなり力を入れているらしいからね」

 

 「新しい部活の設立も、三人以上集まればそう難しくはないそうですよ」

 

 「ほーん」

 

 部活紹介の小冊子を叶はパラパラと(めく)る。運動部の最初の方に、サッカー部の紹介はあった。

 初心者でも大歓迎。優しい先輩が教えますと、よくある惹句(じゃっく)を舞台上の二年生は言う。

 

 「サッカー部。部員は二年生四人のみ。去年設立……ぺっ!」

 

 パンフレットを小声で音読する。叶はその内容に唾を吐こうとして、真似だけに(とど)めた。

 

 「阿里久(ありく)、汚い」

 

 「でもよー、照美の学校選びミスったかなって思うと……。くっそ、全員オレが鍛えないといけないのか……」

 

 「あんまり先輩相手にしゃしゃらないでよ? てかさ、先輩たち普通に阿里久より強いかもじゃん」

 

 「ふーん、先輩化身使えるの? さすがにありえんだろ」

 

 「けしん……? 何それ」

 

 吹奏楽部の演奏を聞き流しながら、叶は阿保露(あぽろ)と話す。聞き慣れない言葉に、阿保露は小首を傾げた。

 特に強い部活も、珍しい部活もないようだ。サッカー部以外で興味のあるところはなかった。

 

 部活動説明会が終わると、三々五々(さんさんごご)に一年生が体育館から出ていく。勧誘しようと群がる先輩たちを抜けて、断りきれなかった勧誘チラシを数枚持って、叶たちはサッカー部室に向かった。

 

 「……こっちか?」

 

 「そうみたいだね」

 

 「にしても現在の部員数四人。出来たのが去年、今のところ実績なしってヤバくねーか? 学校選びミスったんじゃ……」

 

 「こらこら、そんなこと言わないの。サッカー部の先輩が近くにいるかもしれないじゃないか」

 

 「いねーだろ……多分」

 

 叶は少し焦って言う。

 

 「それに、ボクたち以外で四人新しく部員が入ればいいだけだろう? 他のみんなの実力がどれほど劣っていようが、ボクが優勝に導いてみせるよ」

 

 「オレもだぞ!」

 

 「みんな今日サッカー部に入部届け出しにいくよな?」

 

 「ん、もちろんだぞ」

 

 阿保露の問いに、叶は当然といった風に答える。

 

 「阿里久さんは本当にサッカー部で良いのですか?」

 

 「え?」

 

 部室への道中。在手(あるて)が叶に問いかけた。

 

 「ほら、兼部は禁止で、女子サッカー部はないのであなたが入ると必然的にマネージャーでしょう?」

 

 「そうだな」

 

 「なんというか、少しもったいないと思ってしまいまして。他のスポーツならなんでも活躍出来そうなのに。照美と(ひかる)は、あなたがこっちに来て当然と思っているみたいだけど……」

 

 「オレが良いんだからいいの。気にしないで」

 

 「そうですか……」

 

 在手は感情の読めない声で言った。

 午前の体育の授業で身体測定と体力テストがあった。叶の身長は121センチ、体重は25キロと目標の170センチには程遠く……いや、これはどうでもよく、本題は他の測定結果だ。

 

 握力は測定不能だった。説明書によると握力計の測定範囲は5キロから100キロらしい。計器が壊れていたことにして測定し直し、叶は可愛い子ぶって60キロの記録を残した。

 50メートル走は三秒台。反復横飛びや上体起こしはペアの子の動体視力が追い付かず、専用の機器を倉庫から出して測った。

 持久走も二分後半。残りのソフトボール投げ、立ち幅跳び、長座体前屈といった項目も叶は最高評価になるスコアを引き出した。

 

 どこから知ったのか、口の軽そうな体育教師が言いふらしたのか。叶は陸上部を主とする様々な運動部に勧誘された。おかげで昼休み、食事の時間はほとんど無かったから、叶は彼らを恨んでいる。

 そもそも叶には、前世からずっとサッカー以外に興味はない。だから今も、それ以外で良い成績を収めるのではなく、試合には出れなくてもサッカーに関わり続けたいのだ。

 

 

 

 「おお、なかなか綺麗な建物だな」

 

 昨日の帰りに円堂たちに見せてもらった、雷門中の掘っ立て小屋みたいなサッカー部室と比較して叶は言った。

 

 「そう? 普通じゃないかな?」

 

 照美が言う。そういえば、照美に守の話をしたことも、その反対もあまりないなと叶は考える。好きな友人に好きな幼馴染みについて話そうとするたびに邪魔が入るのだ。逆でも同様だ。

 

 「ところで誰から部室入る? ねえっ! オレからでも良い?」

 

 阿保露がキラキラした目で言う。それを聞き終わる前に、叶は部室のドアを開けていた。

 

 「失礼しまーす」

 

 「うわぁ! 阿里久! オレの話聞いてよー!」

 

 ぎゃあぎゃあ(わめ)き、先輩の視線を認識すると阿保露は顔を赤くした。

 

 「……新入部員か? 良かったな! 一気に四人も来てくれたぞ!」

 

 「でも一人女子だから、大会出るにはあと三人いるな」

 

 「いやいや、マネがいるのといないのじゃ、モチベが全然違うから! ま、三人くらいすぐだろ!」

 

 紫の髪の少年と、茶髪の少年が話す。両者共に髪は男子にしては長い。

 部員は四人と書いてあったが、残り二人は外にいるだけだろうか。名前だけの幽霊部員だったりしないか。だったらそれを無遠慮に聞いて良いのか。

 叶は迷って、黙る方を選んだ。

 

 「ポセイドンとメドゥーサ……外に勧誘に行ってるヤツらが帰るまで、とりあえずゆっくりしていてくれ」

 

 勧誘に行く、ということは幽霊部員ではなさそうだ。叶は安堵した。

 

 「自己紹介とかはしねーの?」

 

 「どうせ全員揃ったらやるんだ。二度手間だろう」

 

 「平良(へら)、お前は情緒と言うものをわかっていない」

 

 紫の髪の少年は、茶髪の少年・平良にやけに真面目な顔で言う。

 

 「戻るっつってもまだ一時間前後かかるだろ? そんな長時間名前も知らないヤツと一緒なのは新入部員ちゃんたちが辛いだろ」

 

 「……まあ確かに、一理あるか」

 

 「それと! このオレが! あの美少女の名前を知らない時間! 世界の損失だろ!?」

 

 平良は軽蔑した目で彼を見た。叶と阿保露もそうした。仮面のせいでわからないけど、在手もきっとそうだ。照美だけが困ったように笑っていた。

 紫の髪の少年。彼は叶──ではなく、その横。照美に熱狂的な視線を向けて言っていたからだ。

 先輩相手だから強くは言えないだろう。叶は助けてやることにした。

 

 「照美はかっこいい男の子だもんなー!」

 

 「ぅぇ……っ!? ……ごほん、うん、そうだね叶ちゃん、よくわかってるね」

 

 変な声を出した後に咳で誤魔化すと、平常心だとアピールするように、照美はゆっくりと言う。

 

 「じゃあ……そっちのは明らかに男子だから……」

 

 視線を向けられた阿保露が眉を吊り上げた。

 

 「明らかにポニテの子だろうけど、大穴で仮面の子かワンチャン……!? 仮面の下見せてよ!」

 

 「光、帰りましょう。フットボール部的なの作って、ボクたちだけで活動しよう」

 

 「いいな一年。ヘパイスだけ追い出そうぜ。ボクたちもそっち行くよ」

 

 「実弓(さねき)、結構キレてるね」

 

 平良が在手に、新しく部活を設立するための手続きを冗談半分で教えている。

 

 「というか、制服見れば性別くらいわかるだろ……お前の目は節穴か?」

 

 「平良、知らないのか? 最近は色々あるから服装だけで性別を判断しちゃいけないんだぞ」

 

 紫の髪の少年はムカつくドヤ顔で言う。平良が彼の耳を引っ張った。

 

 「……叶ちゃん。ボクって、その、かっこいい?」

 

 顔を赤らめて照美が聞く。口裂け女の質問みたいだなと叶は思った。

 

 「オレの知ってるヤツの中で一番かっこいいし可愛いし美人で綺麗だぞ! あ、可愛い部門は二位だけど」

 

 「一位は誰?」

 

 「母ちゃん」

 

 照美は複雑そうな顔で押し黙った。あちらの話も一段落したようで、平良が「適当に座ってくれ」と呼び掛けた。

 

 「じゃあ、ボクから時計回りに名前を言ってくれ。ボクの名前は平良(ただし)。よろしく」

 

 「んで、オレが部灰(へぱい)(えん)!」

 

 二人のあとに、叶、照美、阿保露、在手の順で簡潔に名前だけを言う。

 平良が出した菓子やジュースを味わい、叶たちは他の二年生が戻ってくるのを待った。

 

 「おーっす、三人連れてきた」

 

 「首尾は上々だぁ!」

 

 蛇のような頭の少年と、叶の三倍は縦にも横にも大きな少年。その後ろに、真新しい制服を着た少年が三人いる。

 巨漢の方が叶を見る。ガン付けてんのかと思い叶は睨み返そうとしたが、理不尽に照美から叱られると考えて止めた。

 

 「んじゃ、自己紹介といこうぜ。野郎共は勝手にジュース注げよ。オレは叶ちゃんのだけを注いで好感度稼ぎ──」

 

 「はい、確かこの中じゃこれが一番好きだったよね?」

 

 「おう!」

 

 照美の牽制に部灰が項垂(うなだ)れる。叶はそれを特に何も思わずに見ながら、冷えたオレンジジュースを飲んだ。

 

 「センパイ。そういう気遣いは、周りにもやらないと阿里久さんはきっと嫌がりますよ」

 

 「……! 周りにもやれば女の子の好感度稼ぎできるってことか!?」

 

 「はい。あとワタシに煎餅(せんべい)とクッキーを二枚ずつくれれば、彼女からの好感度も上がります」

 

 「おうおう、持ってけ持ってけ!」

 

 「光にも同じものを。彼はチョコレートが好きなので、そちらも二、三個ください」

 

 「おう!」

 

 「実弓が先輩操縦してる……」

 

 阿保露が怖いものを見る声で言った。

 名前とクラス、それとクラブチームや小学校の部活でサッカーの経験があるか、あるのならばポジションを、二年生の司会のもとで話す。

 

 まずは二年生が自己紹介した。

 茶髪を胸の辺りまで伸ばした少年、平良貞。ニックネームはヘラ。クラブチームでの経験有り。ポジションはミッドフィルダー。

 紫の髪を肩まで伸ばした、少し背の小さなお調子者の少年。名前は部灰炎。ニックネームはヘパイス。ポジションはディフェンダー。

 蛇のような頭の温和な少年、目戸(めど)宇佐(うさ)。ニックネームはメドゥーサ。サッカーは中学校が初めて。ポジションはミッドフィルダー。

 とにかく体の大きい少年、歩星(ぽせい)吞一(どんいち)。サッカーは幼稚園のころからしているらしい。ポジションはゴールキーパー。

 

 「そのニックネームってなんですか?」

 

 後から来た一年生の一人が聞いた。

 

 「うーん、ニックネームはニックネームだよ。あだ名的な。大体皆ギリシャ神話から取ってる。“ゼウス”中だけにな。行く行くはこれをサッカー部の伝統にするつもり」

 

 部灰がすらすらと答えた。質問した一年は「そっすか」と、興味なさそうな乾いた声で返事した。

 

 二年生の自己紹介が終わり、次は一年生の番だ。

 マネージャー志望です、選手経験もあります、ポジションはフォワードでしたと叶は答えた。

 照美は得意気に、阿保露は照美ほど上手くないけどと前置きしてされど誇らしげに、在手は淡々と。クラブチームでの成績や使える必殺技について語る。ちなみに各々のポジションはそれぞれ、ミッドフィルダー、ディフェンダー、ミッドフィルダーだ。

 

 次に、後から来た三人が口を開く。

 

 「出右手(でめて)(ゆたか)!! ポジションはフォワードです!! シュートには自信ありまふっ!!!」

 

 (かぶと)を被った少年が言う。部室に響き渡る大声だった。

 噛んだことに気づいていないのか。出右手はやりとげた感溢れる顔で息を大きく吐く。

 

 「……っす。荒須(あれす)(らん)、前のチームではディフェンダーやってました」

 

 赤茶色の髪をみつあみにして、肩から前に垂らした少年。背は叶の二・五倍ほど。チビの阿保露より百倍頼れそうなディフェンダーだと、叶は思った。

 

 「オオ…………」

 

 残りの一人が震えた声で言う。緊張に弱いタイプらしい。

 「焦らなくていいからな」と平良が苦笑して言った。

 

 「オレは位家(いか)路主(みちゆき)です。ポジションはき、キーパーです」

 

 「位家には悪いけど、うちポセイドン(コイツ)いるから、コイツより上手くなるまでサブキーパーかな。どこか他のところ入れるか?」

 

 「ディフェンダーなら少し」

 

 「おっ、ホントか? 助かるよ」

 

 二年の一人、目戸は人の良さそうな柔らかな口調で言った。

 その日は適当に話して、普段の練習や今後の予定を聞いたりしただけでお開きだった。

 練習といっても部員がわずか四人だったということもあり、紅白戦などは出来なかったようだ。基礎トレーニングが主だった。

 

 その間、大柄な先輩──歩星が叶をチラチラと見てきたから、叶はあまり落ち着けなかった。

 顔に何か付いていたのだろうか? 髪でもボサボサだったのだろうか? それはありえない。照美がすぐに気づいて、直してくれるはずなのだから。

 

 「叶ちゃん、あの先輩とはあまり話さないように」

 

 「……? なんで?」

 

 照美が訳のわからない忠告をしてきたから、叶は余計首を傾げた。

 

 「おっ、まさか……やいっ、ポセイドンのロリコン……いててっ!! やめろお前ら、両サイドから耳引っ張るな! オレの耳の造形美が崩れたらどうするんだ……いってぇ!!」

 

 目戸と平良に抗議するも、「からかったお前が悪い」と一蹴(いっしゅう)される部灰。

 歩星先輩がロリコンとはどういうことだろう? 叶は考えて、その思考はすぐ、部灰先輩よりも照美の耳の方が綺麗で可愛いというものに変わった。

 

 

 

 そこから一週間で、新たに三人の新入部員が入ってきた。

 ハゲ頭に7の形の毛の塊が残っているのが特徴的な、ピエロみたいな大きな鼻にタラコ唇の少年、経目(へるめ)須商(まつあき)

 坊主頭に鋭い目つき。両頬と額の縫い傷が目立つ黒野(くろの)時夫(ときお)

 大柄で、紫色の重力に逆らう炎型の髪が特徴的な経洛(へらく)玲州(れす)

 

 新入部員十人、内一人がマネージャーという好スタートで、サッカー部の活動は本格的に始まった。





1叶=121センチ
ポセイドン(歩星)は3叶=363センチ
アレス(荒須)は2.5叶=302.5センチ

二名ほど巨人族になってしまいました。冷静になるとおかしいですが気にしないでください。

ここから十話前後くらい世宇子での日常編になります。大分長いので、極力1話辺りの文字数を減らせるように心がけます。


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28話 先輩改造計画

 

 (かなえ)はホイッスルを吹く。短い笛の音がピッヒュロローと三回。音痴な叶のせいで、おかしな節をつけて辺りへ響く。

 

 「走り込みは終わりー! 次は腕立てとかその辺っ! 水分摂りたかったら早く済ませろよ!」

 

 「歩星(ぽせい)先輩、腹筋のときはこっち見ないで視線は斜め前が正しいフォームです!」

 

 「んじゃ次はドリブルとかやるぞー!」

 

 叶の指揮の元、サッカー部の面々はトレーニングを行う。

 サッカー部には非常に存在感のない顧問がいる。彼は月に一度、部の日誌を回収してろくに読まず判子(はんこ)を押すだけで、部の活動風景を見に来ることはない。また、弱小ということもあり外部コーチなどもいない。

 二年のメンバー。目戸(めど)は中学生からサッカーを初めて、基礎知識以外はない。なので他の三人、主に平良(へら)と歩星が基礎トレーニングを組み立てていたらしい。

 だが彼らも急に本格的に活動出来るほど部員の増えたサッカー部で、より込み入った内容を組み立てられるほどの技能や知識はなかった。

 一年も同様だ。仲間同士で教え合う程度の経験はあっても、コーチのような立場になる経験はない。

 そこで白羽の矢が立ったのが叶だ。照美や阿保露(あぽろ)からの推薦で、練習中コーチとして仕切ることになった。今のところ、特に反発意見も出ていない。

 

 叶は周りを見る。九割方経験者ということもあり、特に問題はなさそうだ。

 

 「えっと、次は……なんかやりたいのある?」

 

 「必殺技!」

 

 「オレはとにかくシュートを打ちたい!!!」

 

 「うーん……紅白戦とかどうだ?」

 

 「じゃ、あんまり照美たち以外のプレーは知らないし、とりあえず紅白戦してみてくれないか?」

 

 ちなみ中学校以前から付き合いのある三人は、身内の贔屓目なしに叶から見て能力が高い選手だ。照美はブロック、ドリブル、シュートの全てのレベルが高い。とりわけドリブルする姿には目を奪われる。

 阿保露は小柄ではあるが、その体躯を活かしたトリッキーなディフェンスが印象的だ。在手(あるて)はコントロール力が高く、まるでコースの読めないパスやシュートをする。

 

 「チームは……オレ……じゃなくて、わたしが選んだ方がいい? それとも適当に組める?」

 

 「とりあえずこっちで組むよ。阿里久(ありく)さんから見て偏りがあれば言ってくれ」

 

 「わかりました!」

 

 平良主導の元、チームが分かれる。

 赤チーム。キーパーは歩星。それに、目戸、黒野(くろの)、照美、在手、出右手(でめて)の六人。

 白チーム。キーパーは位家(いか)。それに、平良、部灰(へぱい)、阿保露、荒須(あれす)経洛(へらく)の六人だ。

 部員は計十三人。二で割りきれないため、経目(へるめ)が一旦抜けている。

 偶数にすべく叶が入るのも考えたが、すると得点板を動かす人間がいなくなる。分身も考えたが、入ったばかりのこのコミュニティで叶は浮きたくなかった。

 

 「照美ー! 応援してるからなー! あっ、それ以外もー!」

 

 「阿里久、それ以外で纏めるんじゃねーよ」

 

 阿保露が唇を尖らせて文句を言った。

 

 「んじゃ、一回十五分でいいよな?」

 

 「そうだな、もっとやれそうなら組み合わせを変えてやりたい」

 

 「了解です! 五分くらいしたら始めるから、相談なりなんなりしといて!」

 

 うっかり照美がいる方を贔屓しないように。叶は自制を意識した。

 

 

 

 

 

 

 人の組み合わせを変えつつ、三度ほど紅白戦をした。特に危うい場面はなく、叶にとっては自分もボールを蹴りたいと疼く足を抑えることが一番大変だった。

 まるで勝利の女神にでもなったように。照美のいるチームが常に勝っていた。

 

 試合が終わり、皆が休憩する中。スポーツドリンクを配り終わると、叶はノートにメモをとって百点満点でチームの面々に点数を付ける。

 六十点が照美。

 五十点から五十九点が平良、出右手、阿保露、在手、步星の五人。叶から見てここまでが、フットボール・フロンティアの本大会でなんとか戦えるラインだ。

 四十点から四十九点が部灰、荒須、経目の三人。

 それ未満の点数が、黒野、経洛、位家、目戸の四人だ。

 

 とりあえず十一人を大会に出れるくらいに鍛えればいいから、四十点未満の四人の内、二人は切り捨ててもいいのかな。

 叶は考えて、じゃあ一人目は目戸先輩だと決めた。彼だけ二年なのが原因だ。これからの在籍期間が一年短い。

 

 「叶ちゃん、それは?」

 

 「んん……色々分析して、皆の良いところとかダメなところとか、覚えた方がいい技とか考えてメモしてみたんだぞ……」

 

 照美の問いに、叶は伸びをしながら答える。

 

 「……。ボクで六十点か。辛口だね。理由を聞いてもいいかな?」

 

 「うーん……ドリブル技とかブロック技のレパートリーが少ない。シュートはゴッドノウズ一本でもいいかもだけど、もう少し技増やしたい」

 

 あと化身やアームドも使えるようになってほしい。言いかけて、この時代のヤツはオレと父ちゃんしか使えなかったなと叶は思い直した。実質叶一人だ。

 天馬たちは未来人だし、円堂はプロトコル・オメガとの試合の後、なぜか魔神グレイトを出せなくなってしまった。ワンダバの言っていた、時空の共鳴現象が終わったのだろう。

 

 「ちなみに、叶ちゃんから見て自分自身は?」

 

 「六十ニ」

 

 「えっ……? それは……随分厳しいね……」

 

 「本当は単位もあげたくないけどな」

 

 周りが低いから、自分を高くせざるをえない。叶はため息を吐いた。

 

 他と比べて問題点の少ない、平良、出右手、阿保露、在手、步星の五人には直すのが面倒そうな癖がある。

 自分の実力に満足していて向上心が見られないだとか、才能はあるのにそれに(おご)り視野が狭いだとか、必殺技のレパートリーが少なすぎるだとか。

 

 部灰、荒須、経目の三人は基礎能力不足だ。しっかりとトレーニングすれば、照美たちにも追い付けるだろう。

 

 目戸たち四人。叶から見て彼らは、少しくすんで見えた。才能がないから──違う、叶はこの言葉が嫌いだ。きっと彼らは経験が浅いのだ。周りが上手いから、それに妬むことなく向上心を抱くのには苦労するだろう。

 

 「……まあ、オレの第一印象ってだけだし、才能あるとかないとか決めるのは早すぎるよな。照美は他のヤツらのこと、どう思った?」

 

 「え? ええと、平良先輩と步星先輩は上手かったね。部灰先輩は一歩劣って、目戸先輩はさらにもう一歩劣る感じかな」

 

 「ふんふん」

 

 「他に上手いと思ったのは……出右手と光と実弓かな」

 

 「オレは!?」

 

 「えっ? 叶ちゃんは今回試合に出てな──」

 

 「そうじゃなくて! 名前! 阿保露と在手だけズルいぞ!」

 

 「わかったよ。叶」

 

 「……!」

 

 「……ちゃん」

 

 「なんで!?」

 

 叶は頬を膨らませる。

 もし、オレを叶ちゃんと呼んだままなのに、他のヤツを(ただし)先輩とか(ゆたか)って呼び始めたら本気で怒ってやろう。叶は深く決心した。

 

 「先輩先輩っ!」

 

 二年の先輩が休憩し終えたのを見て、叶は照美を引き連れて彼らの元に走る。

 步星が叶を睥睨(へいげい)するように見た。叶も目だけを上に動かして睨み返した。

 

 「……!」

 

 步星は怒りにか顔を赤らめる。

 

 「ポセイドン。あれ、上目遣いじゃなくてな……ちょっとほら、お前、(いか)ついから勘違いされてるよ?」

 

 目戸が何事かを步星に小声で伝える。

 

 「アイツらは放っておいてくれ。それで、何か用があるのか? ちょうどボクからもあったんだ。先にいいかい?」

 

 「えっ? はい」

 

 「ドリンクがマズい。今まで通りボクが作るから、阿里久さんは触らないでくれ」

 

 「…………」

 

 「……に、苦味と渋味と辛味と甘味と酸味のブレンドは、叶ちゃん手作りのテイストでしか味わえないと思うぜ」

 

 「ボクは……まあまあおいしいと……どちらかといえば多分そうだと思うよ」

 

 ヘラヘラした笑顔で部灰が、苦笑いで照美がフォローする。

 スポーツドリンクの味なんかわからねえよ! 叶は心の中で叫んだ。

 

 「スポーツドリンクに渋味やら苦味はいらないだろ。……悪いけど、いいか?」

 

 「……はい」

 

 「それで、キミからの用件は?」

 

 「うーん、先輩改造計画」

 

 「は?」

 

 叶の発した言葉に、平良はぽかんとした顔で返事した。

 

 

 

 叶の提案はこうだ。

 独自に考案したトレーニングがある。絶対にレベルが上がるから、少しでもいいから皆にそれに従って練習してほしい。

 でも、步星のように叶がチビで見た目が小学校低学年とそう変わらないことを理由に、舐め腐っているヤツもいる。だから先輩たちの誰かにまずは一ヶ月ほどテスターになってもらい、叶の指導能力が本物だと見せつけたい。

 

 こんな内容のことを、人の固有名詞を出さず、出来るだけ上から目線にならないよう気をつけて叶は言った。

 

 「どうする? ヘパイス」

 

 「うーん……叶ちゃんがどんだけ教えるの上手いかとか、オレは知らねーし。もしかして、亜風炉は叶ちゃんが育てた! とかそんな感じ? なら叶ちゃんに教えてもらおうかなー。亜風炉上手いし」

 

 「はい! 照美はオレ……じゃなくって、わたしが育てました!」

 

 この言葉は気に入った。軽薄な先輩かと思っていたが、意外といい人かもしれない。叶は部灰との心の壁を少し薄くした。

 

 「ちょっと叶ちゃん。本当のことだけど、あまり他の人に言って回らないでよ?」

 

 「事実なのか」

 

 「はい」

 

 平良が叶をどこか真剣な目で見た。

 

 「そうだな……まあ一ヶ月程度なら、阿里久さんの教え方が悪くて成果が出なくても巻き返せるだろうし。なら、オレに頼む」

 

 「わかりました! ゲームっぽく言うなら、先輩を10レベ……いや、20レベルは上げてみせますよ!」

 

 叶は両腰に手を当てる。照美が微笑ましいものを見るように笑った。

 

 「……えっと、叶ちゃんと二人きりの時間増えるんだろ? ポセイドンはいいの?」

 

 「無理だろ。一年が入ってから練習以外の時間は、あの子の姿目に焼きつけるのに必死だぞ。口数も阿里久さんいると異常に減るし。二人きりでも気まずいだろ」

 

 「あー……。それにアイツもいるしなー」

 

 目戸と部灰がコソコソ話す。聞き取れはしたが、叶には意味がわからなかった。

 

 「先輩っ! じゃあこれ、プレゼントです!」

 

 「……重っ、なんだこれ、ミサンガか?」

 

 「正解! 先輩は初心者なので、まずは10キロです」

 

 叶はミサンガ型の、一つ二キロの重りを五つ渡した。

 

 「……叶ちゃん? それを着けさせてどうするんだい?」

 

 「先輩には一ヶ月、これを朝も昼も夜もずーっと着けて生活してもらいます!」

 

 「叶ちゃん。ボクそんなのしたことないんだけど……平良先輩だけズルいよ」

 

 「えー……照美の分今ないんだよなー。オレが着けてるのならあるけど」

 

 叶は制服の下に手を入れてまさぐる。合計五十キロ分の重りがドスドスと音を立てて、芝生の地面の上に落ちた。

 

 「いる?」

 

 「待って。そんなものをずっと着けていたの? いつから?」

 

 「ええと……小二くらい? 徐々に増やしてった」

 

 「全然知らなかった……」

 

 照美は酷く落ち込む様子を見せた。

 

 「…………。まあ、十キロくらいなら大丈夫だろう」

 

 「寝るときも着けてほしいですけど……さすがに大浴場だから、お風呂では外していいですからね!」

 

 安易に平良は了承した。

 健康な男子中学生、それも運動部の者にとって、十キロの荷物を少し運ぶ程度なら大した負担もないからだ。

 だが平良はまだ、十キロの重りを四六時中身に着ける生活についてよくわかっていなかった。

 

 「じゃあ明日以降いるものはわたしが購買で買っておくんで、今日は重りだけで我慢してください!」

 

 「ああ……我慢というか、これだけでいいと思うんだが……」

 

 「そういえば、照美はマジでやりたいの? 重り特訓」

 

 「……うん」

 

 「よーし、じゃあ照美の分も用意しとくな!」

 

 部活動が終わると、古さと悪臭故に全校生徒の誰もが立ち寄らないトイレに叶は向かった。

 トイレの屋根、学校と外を隔てる塀とジャンプして、校門の警備員に見つからないコースで学校を出る。マッハ2で走り、一分もかけずに世宇子中の建つ山の(ふもと)の街のスポーツショップに向かう。

 迅速に必要なものを買うと、叶は店を出た。

 雷雷軒ほど美味そうではないが、十分に食欲を誘うラーメン屋の匂いの誘惑をぐっと堪え、行きよりもスピードを出して寮に帰った。



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29話 結果

 

 今日は日曜日だ。朝食を終えると(かなえ)は照美の部屋に遊びに来ていた。

 

 「照美ー! お邪魔するぞー!」

 

 照美が返事する前に、叶は彼の部屋に入った。

 部屋の一角が汚すぎないくらいに散らかっている。彼のルームメートの仕業だろう。

 

 「あっ、男子の方は三人部屋なんだ。誰と一緒?」

 

 「(ひかる)実弓(さねき)。今は買い物に行ってるよ」

 

 「…………」

 

 叶は拗ねた。短く助走をつけて、ベッドの上に腰掛ける照美の膝にダイブする。

 

 「いたた……頭打ったぞ……」

 

 「大丈夫?」

 

 「はっ……! 一時の感情に任せて照美の大事な脚に突進しちまった! 照美、平気か? 痛くなかったか? うう、ごめんな……」

 

 「もう、大丈夫だから心配しないで」

 

 「でも、脚柔らかいなぁ。こんなんでボール蹴れてるのか?」

 

 照美は悪戯っぽく笑って太ももに力を込めた。叶は「うわぁ!?」と驚く。

 

 「び、びっくりしたぁ。力入れるとちゃんと固いんだな、何だろ……月……? あ、火星? とトカゲみたいな」

 

 「……もしかして、月とすっぽんって言いたいの?」

 

 「そうそれ!」

 

 「それにしても使い方がおかしい気がするけど……」

 

 「気にすんな!」

 

 照美は眉を下げてくすくす笑うと、叶を膝の上に座らせた。

 

 「髪と爪のケアをしてあげるから、じっとしててね」

 

 「お願いするぞー」

 

 叶の母・季子(きこ)が長期出張に行って、亜風炉家に預けられた小四から、叶はその辺りのことを全て照美に任せている。

 面倒くさがりの叶と、なぜか叶の身だしなみを綺麗にしたがる照美の需要がマッチした結果であった。

 

 「叶ちゃん、寮生活で困ったことはない?」

 

 小さな爪切りで、これまた小さな叶の爪を注意深く切りながら照美は聞いた。

 

 「ん、特に。……前ちょっと大勢に文句言われたことはあったけど」

 

 「……どうして?」

 

 「オレがご飯食べ過ぎて、特に肉料理とかみんな食べれないから、周りがお皿に盛るまでは我慢してほしいって言われた」

 

 「それは……大変だね」

 

 「だろ?」

 

 「勉強は大丈夫? ボクたち以外に友達は出来た?」

 

 ガラスの爪やすりで爪の形を整えて、照美は聞く。叶はなんだか痒く、空いてる方の手を耳に突っ込んだ。

 

 「なんだよ、母ちゃんみたいなこと言いやがって。勉強ならオレ、四月の学力確認テストまあまあ良かったろ? 国語20、数学90、その他65から80点って感じで」

 

 「国語を頑張らないといけないね」

 

 「理社英は期末ではプラス10点目指して頑張るぞ。国語は知らん。勝手に下がってろ」

 

 苦笑して、照美は爪磨きで叶の爪を鏡のように磨く。それが終わると叶は照美に体重を預け、眠気に身を任せた。爪切りは途中で寝ると危ないけど、残りは大丈夫なはずだ。

 

 「……でな……それで……メイが…………」

 

 途切れ途切れに話すと、叶は目を閉じた。

 

 「叶ちゃん」

 

 一通り作業が終わると、照美は眠る叶に語りかけた。叶の母は死んでいるという現実を、母は長期出張であるという夢幻で塗り潰す。

 暗示が定着したのだろう。かけ始めたばかりの小四のころよりも頻度を開けて、一ヶ月に一度の頻度で暗示をかけ直せば十分になった。

 以前、かけ忘れたときには酷かった。叶が虚ろな目をして裸足(はだし)で家を出たかと思うと、フラフラと自分の家に戻り、リビングの物を全て破壊し始めたのだから。

 叶を(なだ)めることと、片付けが大変だった。照美は苦い記憶を思い出す。

 照美の暗示を触媒にして、叶は無意識に、自発的に記憶を組み替えるとそのまま夢の世界に旅立った。

 

 

 

 

 

 「ただいまー!」

 

 「光、静かに。これお土産です。阿里久(ありく)さんの分もありますよ」

 

 阿保露(あぽろ)在手(あるて)が外出から戻ってきた。静寂を明るい声が破る。

 

 「ありがとう」

 

 照美は膝の上で眠る叶の頭を撫でる。叶の体は見た目からの想像よりもやけに重たい。制服の下の重りのせいだ。だが照美はそれすらも好意的に感じた。

 話し声に叶は少し目覚めたようで、目を(つぶ)ったままゴロゴロと右に寝返りを打ち左に寝返りを打ちと、忙しそうにしている。

 

 「んぅ……。はっ! パンケーキとエビカツサンドは!?」

 

 「今度一緒に食べに行こうね。髪の毛と、痒そうにしていたから耳も綺麗にしておいたよ」

  

 「ん、ありがと。あれ、ご飯どこに行ったんだ……? まだラーメンとか食べてないのに……」

 

 耳がすっきりしたと感じながら叶は目を乱暴に擦ると、不思議そうに辺りをキョロキョロ見回す。

 

 「ぷっ……阿里久ってば、夢の中でも飯食ってるの」

 

 阿保露が腹を抱えて笑う。叶は馬鹿にされたと気付き、起きてからの自分の言動を思い返して、顔を真っ赤にした。

 

 「ゆ、夢の中でしようと思えば勉強も出来るもん!」

 

 「本当に出来たら羨ましいですね」

 

 「いやいや、出来たとしても阿里久は勉強しないで物食べてるでしょ」

 

 「ぐぬぬ……オレの方が頭良いんだからな! テスト五教科合計330点だったんだぞ!」

 

 「オレも一緒くらいだし」

 

 「あ、ボクは400点ありましたよ」

 

 「ボクも450点あったよ」

 

 在手と照美の言葉に、二人は少し静まり返る。

 

 「まあ国語が出来ればオレだってそんくらい……」

 

 「学力の把握したいからやるだけで、成績には反映しないテストって聞いたし……」

 

 「だよなぁ? 学生なんだから勉強しなくてもいいじゃんか。遊びが本分だぞ!」

 

 「阿里久わかってんじゃん。勉強なんて受験勉強さえやればいいよなー!」

 

 「赤点は取らないように。部活に出られなくなりますからね」

 

 「……叶ちゃん、大丈夫?」

 

 「ぷふっ、阿里久、平均55点なのに国語20点しか取れてないもんな……」

 

 「数学の点数の自慢に、五教科全部の結果が書かれたものを見せてくるから……ボクたち叶ちゃんの成績全部把握しちゃったよね」

 

 叶は慌てて、話題を変えようと試みた。

 

 「わー! そういえば今日の部活──」

 

 「赤点って平均÷2以下だよな?」

 

 「そうだよ。今のままだと叶ちゃん該当しちゃうね。問題集の丸暗記でもいいから、何とかさせないと」

 

 「昼飯食べに──」

 

 「その前に読書の習慣では? 短編集はいかがでしょう。図書室で見かけたものが非常に読みやすく……」

 

 「阿里久には絵本でいい」

 

 「なっ……!?」

 

 「……児童文学や短編集から始めるのは良いかもしれないね」

 

 結局昼食の時間まで、叶は国語の成績を馬鹿にされて過ごした。

 天丼カツ丼親子丼をそれぞれ十杯ずつやけ食いして、煉乳と蜂蜜ソースを飲むと、叶は部活の時間を楽しみに待つ。

 叶は音痴な鼻歌を歌って部室に向かう。阿保露は手の平で耳を塞いだ。在手は指を耳栓のように突っ込んだ。微笑ましそうに叶を見る照美の聴覚を疑いながら、二人は足を動かす。

 

 「ふーんふん♪ ぐぇっー♪ きぇー♪」

 

 「機嫌良さそうだね、何か良いことでもあるの?」

 

 「先輩改造計画の成果が今日出るんだぞー」

 

 叶独自のメソッドで、先輩の平良(へら)は試験的に一ヶ月間特訓をしていた。

 

 特訓の内容は多岐に渡る。

 全身に十キロの重りをつける(一週間ごとに十キロ増やして、最終的には五十キロになった)。タイミングよく出た教師の廃車を使い、ロープを車体と腰に巻き付けて人力で車を動かし足腰を鍛える。科学部に所属する叶のルームメート、メイに手伝ってもらい作った、スピードを規定より下げると足に電流が流れるスパイクを履いての走り込み。その他色々。

 平良は文句を言いながら、時にはぶっ倒れながらもこなしてくれた。

 

 一ヶ月が経つ今日部室に着くと、叶は平良の重りを外した。

 

 「先輩、じゃあ体力測定といきましょか。測定道具は借りたんで、四月にやったみたいに走ったり色々してくださいっ!」

 

 「ああ」

 

 ちなみに叶の特訓に好意的な人物はあまりいなかった。出右手(でめて)(きら)めく瞳で見てくれただけで、残りは「よくやるなー」、「えっ、オレらもあれやんの?」と、腑抜けたことを言っていた。

 

 測定の結果、四月の始めに測ったものより、どの記録も上がっていたそうだ。叶は得意気に笑う。

 

 「へへん! どーだどうだ! これがオレの実力だぞ!」

 

 「うんうん、そうだね」

 

 「……? ……っ! オレじゃなくてお前が撫でられる側だろ、頭下げろよ」

 

 叶は頭に乗せられた照美の手を振り払った。撫でてやろうとするも、先輩の前で恥ずかしいのか、照美は頭の位置を低くしてくれない。手が届かなく、叶は悔しく思った。

 

 「先輩先輩、それで……重りとかダンベルとか特注スパイクとか、全員分用意したいんですけど、その、部費で下りますかね?」

 

 「ああ、多分下りないぞ」

 

 「えー……」

 

 「当然だろ。サッカー部は新設、他の部はここ十年以内に最低一度は県大会トップ3くらいの成果は上げてるんだ。こっちの部費が少ないのは仕方ないことだろう」

 

 「そんなぁ……」

 

 叶は落ち込んだ。

 父──前世の自分だが──の遺産と母の叶貯金から、特訓セット代を出そうか。母の季子にバレたら叱られそうだ。叶は忘れがちだが、季子はサッカーをあまり好ましく思っていない。

 

 「……じゃぁ、ローテーションでクルクルします?」

 

 「そうだな。もう少し易しいメニューに変えて、二週間ごとに違うメンバーで練習をさせるか」

 

 「二週間なら、もっと厳しくしないと! 重り百キロはどうですか!?」

 

 「負担が大きすぎる! ボクだって三日目辺りからずっと筋肉痛だったんだ!」

 

 「ならしょうがないですね……正直オ、わたしは納得してないですけど……」

 

 納得しろと思いながら、平良は笑って誤魔化した。

 

 「電流スパイクはどうします? 走り込みに役立つと思いますけど」

 

 「捨ててくれ」

 

 「え」

 

 「捨てろ」

 

 食い気味に、有無を言わせない口調で平良は言った。

 

 「そういえば……阿里久は今日も重りを着けているのか?」

 

 「はい、五十キロしっかり着けてますよー!」

 

 「…………化け物が」

 

 一瞬何を言われたかわからなくて、叶はフリーズした。何を言われたか理解して、前世もよく言われた、懐かしいなぁと笑った。

 

 「先輩、そんな言い方は無いでしょう」

 

 照美が過敏に反応して言い返す。平良は「軽口のつもりだった。そう悪く受け止めないでくれ」といなした。

 

 「阿里久は気にしていないみたいだぞ」

 

 「それを決めるのは先輩じゃなくてボクですよ。……叶ちゃん、大丈夫?」

 

 「だいじょぶ。照美は過保護だぞ。本っ当気にしてないし」

 

 「……過保護にもなるよ」

 

 憂いを帯びた表情で照美は言う。

 

 「そう気にするなよ。オレが化け物じみてるくらい強いのは事実だろ。照美の方こそなんかあったらオレに言えよ? えーっと、ほら、練習メニューでも一緒に考えようぜ」

 

 叶が提案すると、照美は表情をコロリと変えて、

 

 「うん、フットボールフロンティアで優勝するためにも頑張らないと」

 

 と笑った。

 

 「……まだ伝えてなかったか。今年のフットボール・フロンティアには、学校側の意向で出られないそうだ」

 

 平良の言葉に、叶と照美は声を揃えて驚いた。




ベンチキャラ(+荒須、経目)の存在感が消えつつあります。逆に阿保露がここまで存在感あるのが奇跡かもしれないです。
阿保露の時点でご察しだとは思いますが、世宇子のキャラはほぼオリキャラのような感じになります。アニメの台詞も少ないし、ゲームも何となくキャラ付けがわかる程度なのでしょうがない。


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30話 闇との邂逅

 

 フットボールフロンティアに学校側の意向で出られないことを、部活が終わると顧問に抗議し、彼の一存ではどうにもならないと聞き、校長に抗議し、同様の返事を得て、理事長に意見を通し、多額の寄付をしてくださる支援者の意向だからどうにもならないと(かなえ)は聞いた。

 

 「これから人が来るんだ。とびきり偉い人がな。来年は出場できるよう交渉しておくから、君は早く寮に帰りなさい」

 

 理事長はそう言って、叶を部屋から追い出した。

 トボトボと力なく叶は廊下を歩く。前方から人が来るのに気づいて、叶は慌てて背筋を伸ばした。

 

 非常に背の高くスタイルが良い、紫の服を着て、サングラスを着けた、やや細長い顔の初老の男だ。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 コイツが理事長の言っていた偉い人だろうか。叶は小さく会釈をする。男は叶を一瞥すると、偉そうに足音を鳴らして理事長室に向かった。

 

 直感。叶はもしや、男が前世の自分()の仇、影山零治に連なる者ではないかと思った。

 読心能力を使おうか。でも万が一バレたらプライバシーの侵害だかで訴えられないか。叶は迷って、“とびきり偉い人”という理事長の言葉を思い出して止めた。

 

 

 

 

 

 

 翌日の部活。平良(へら)から大会に出られないと聞いた部員は意気消沈していた。練習へのモチベーションにも影響しそうだと、叶は面倒に思う。

 

 「来年は……?」

 

 「わからない」

 

 「そうか……」

 

 しょげる目戸(めど)に、「オレだって苛ついているんだ。態度に出さないでくれ」と平良は言い放つ。

 

 「来年オレら三年だぞ!? もし来年も出れなかったらって、ちょっとくらい態度に出てもしょうがないだろ」

 

 「みんな思っているから止めろって言っているんだ。それにお前は中学からサッカー始めただろ。どうせ大して思い入れも……」

 

 「な……!? 何だよその理屈。おかしいだろ。大体お前は──」

 

 揉める二人を見て、その他の部員もざわつく。

 

 「あー……オレらは先に練習しよっか、まずはいつも通り基礎トレな」

 

 部灰(へぱい)の言葉に、戸惑いながらも一人、また一人と部室から出ていった。

 

 基礎トレ──重りや電流スパイクを使わない一般的なものだ──を終えて、叶は部員それぞれの練習メニューを読み上げる。重り特訓をする三人──平良の干渉で重りの装着は部活中のみと、叶が考えたものより負荷は大幅に小さくなった──とそれ以外に別れた。

 

 「──以上。わかんないことあったらオレ…………わたしに聞いてくれよなー」

 

 と言ったが、特に問題はないようだった。今の叶の仕事は、練習メニューを作り、読み上げることしかない。洗濯とスポーツドリンク作り(といっても、市販の粉末を溶かすだけだ)は、下手だからと平良に盗られてしまった。

 叶は暇をもて余していた。

 

 「阿里久!! ……オレの師匠になってください!!!」

 

 グラウンドを眺めていた叶の穏やかな時間を、その声が切り裂く。

 声の主、出右手(でめて)は頭の(かぶと)をカクンと鳴らして、叶に頭を下げた。

 

 「へ?」

 

 「阿里久に弟子入り? やめとけって……重りとか色々無茶苦茶だよ」

 

 「だからこそだ!!」

 

 「そういやコイツ、あの鬼みたいな特訓、羨ましそうに見てたな……」

 

 荒須(あれす)が理解出来ない様子で呟いた。

 出右手は輝く瞳で叶の返事を待つ。叶は何か、有耶無耶にしようと口を開く。

 

 「ははっ……でも、わたし、そんなに強く──」

 

 「いいえ! これはまさしく強者にしか発せないオーラです」

 

 「叶ちゃんは強いじゃないか!」

 

 出右手からの否定と、照美の援誤。叶は何も言えなくなった。

 

 「んー……面白いことになってんね。じゃあ、ポセイドン貸すからさ、叶ちゃんがなんかシュートぶっぱすればいいんじゃない? アイツが止めれたら弟子入りなしってことで」

 

 「……そうですね。出右手もそれで阿里久さんの実力がわかるでしょうし」

 

 在手(あるて)は部灰に肯定すると、叶に「適当な弱さでやれば良いですよ」と助言した。

 叶はそれにムカついた。適当な弱さだなんて! オレが舐められたらどうするんだよ!

 本気だしてやると決意して、ゴール前に立ちそびえる歩星(ぽせい)と対峙する。叶は非常に面倒な性格であった。

 

 歩星は叶を見つめて、目が合うと慌てたように地面や空を見て、叶を見てを繰り返す。

 

 「ポセイドンー! 真面目にやんねぇと嫌われるぞー!」

 

 部灰が笑い混じりに野次を飛ばした。

 

 「迷惑をかけて済まない。今は何をしているんだ?」

 

 「出右手がなぜか阿里久に弟子入りと言って、彼女の強さを見るためにシュートを打ってもらうそうです」

 

 「……そうか」

 

 まだ険悪な空気を残す平良と目戸に、経目(へるめ)が大袈裟な身ぶり手ぶりで説明する。

 

 「指導能力はあっても、プレーが上手いかどうかとは別だからな。それに阿里久は女子だし」

 

 平良は言って、叶と歩星を見やった。

 

 「見るだけ時間の無駄かもな。ボクは一人でも練習してるよ」

 

 「おい、平良……。全く、なんでアイツ最近あんなに刺々しいんだ……」

 

 壁打ちでパスの練習を始めた平良を見て、目戸は頭を抱えた。その他の面々は休憩か、あるいは日常のちょっとしたイベントを見るような感じで、叶たちを見ている。

 

 「えへへ……先輩、覚悟しといてくださいね、なんちゃって」

 

 叶の言葉に歩星は顔を赤くした。叶は彼に共感する。年下のガキがこんなことを言ってきたら、叶も怒りでこうなる。

 

 「流星光底(りゅうせいこうてい)っ!!!」

 

 流星光底。

 叶の前世、古会(ふるえ)(あらた)の象徴的必殺技。小一のころ、叶が無理矢理習得しようとして体を壊し、少しの間入院する羽目になった究極奥義。

 あのころは使えなかったが、今は体も出来上がって来たし大丈夫だろう。もし今になっても使えないなら、それはもう、人に何かを教える資格が叶にないことを意味する。

 

 叶はボールを頭の上に蹴り上げた。高く飛び上がり、足がボールにきちんと触れるように位置の微調整。

 空中で前転しながら、超スピードでX字に空間を足で切り裂く。切り裂いた向こう側には宇宙のような亜空間が顔を見せていた。亜空間に向けて、ボールを重たい音が鳴るくらい思い切り蹴った。

 ゴールの真ん前で亜空間は開き、天の川のようなビームと共にシュートは進む。

 

 爆発のような轟音がグラウンドに鳴り響いて、グラウンドで練習する他の運動部の子や、校舎の窓から覗く文化部の子たちがこっちを見た。一人自主練をしていた平良まで思わず叶の方を向く。

 

 叶は安堵と強い倦怠感に、小さく息を吐いた。

 小一のころは、動悸に嘔吐に激痛にともっと酷かったものだ。倦怠感で済んだのは十分に成長と言えよう。

 

 「ツナミウォール!!」

 

 分厚い水の壁が、ゴールを守ろうとそびえる。一拍後には壁に丸い穴が開いて、ボールはゴールに入っていた。

 

 「すご──」

 

 「さすがです、師匠!!!」

 

 照美の声は出右手の大声で叶に届かなかった。

 

 「凄いけどさ……これ、どうするの?」

 

 阿保露(あぽろ)が呆れた声で言う。

 コートは半分以上が抉られ、地下のマグマが(あらわ)になり、地形は山を作り穴を作りと凸凹(でこぼこ)に変わっていた。

 

 「が、頑張って直します……」

 

 「頑張ってってどうやって?」

 

 叶は押し黙った。

 

 「ま、まあ皆で直せばいいだろ、な?」

 

 困ったように部灰が言う。

 

 「いえ、わたし一人でやりますよ!」

 

 「本当に行けるのかぁ?」

 

 「大丈夫です!」

 

 馬鹿にされたと感じて、叶は歩星に強く言い返した。

 

 「なら良いが……道具は倉庫にあるから、言ったからには自分でやれよ」

 

 見たくもないものを見るような視線を叶に向けて、慌てて目を逸らすと、平良は冷たく言った。

 

 

 

 

 

 

 手伝うと言ってくれた他の部員を追い返し、叶は一人で地形を元に戻していた。

 ジョレンで盛り上がった土を(へこ)んだところに移動させる。トンボで平らに地面をならす。木の板を地面の上に置くと、上から強く踏み締め、足跡の凹凸(おうとつ)を作らずにふかふかの地面を固くする。

 叶は終わりの見えない作業にため息をついた。意地にならず手伝ってもらえば良かった。

 

 「そうだ!」

 

 良い方法を思い付いた。指パッチンして、スカッと哀愁漂う音が鳴ったことに叶は笑った。

 超能力を使い、コート全面の地面を動かす。一気に地面を叶がシュートを打つ前の状態に戻した。息絶えた芝生を生き返らせ、殺風景な茶色に緑を戻す。すっかり元のコートに戻ったのを見て、叶は機嫌良く寮に帰ろうとした。

 

 「あれ? 先輩?」

 

 巨体が印象的な先輩、歩星がこちらに歩いて来た。

 

 「手伝おうと思ったんだが……遅かったようだな」

 

 「ははっ……すぐ終わっちゃいました。ふぅ、疲れたー」

 

 「良かったら飲むかぁ?」

 

 「ありがとうございます! わたし、これ好きなんです!」

 

 差し出された缶ジュース。ブドウ味の炭酸は叶の好物だ。叶は開けると一気に飲みきり、少し見苦しかったかなと照れ笑いした。

 

 「もう五月か。阿里久もここでの生活に慣れたか?」

 

 「はい! 寮にも慣れました!」

 

 「そうか。阿里久から見て、オレ……いや、二年の先輩はどんな感じだぁ? ちゃんと先輩っぽく出来ているか?」

 

 「出来てる……と思いますよ!」

 

 その後十分ほど。歩星が質問して叶が答えるのを繰り返す。

 

 「あー……今日の天気良いな」

 

 「夕陽綺麗ですよね!」

 

 後半になると話題に困った人が捻り出したような質問になってきて、叶は少々気まずい時を過ごした。その後二、三ほどの話題を話すと、二人はそれぞれの寮に帰る。

 

 「……オレが瞬きしたら一瞬でコートが直っていた気がしたが……気のせいか?」

 

 一人歩きながら呟いて、歩星は大きな頭を傾けた。




帝国学園対世宇子の後のコート、本当にどうやって直したのか不思議です。
しばらく世宇子での日々を書いてからFF編に入ります。


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31話 レッド・ゾーン

 

 (かなえ)と初めてまともに話せた喜びから、浮かれた気分で歩星(ぽせい)は寮へ帰る。

 

 「おかえり。叶ちゃん大丈夫そうだった?」

 

 珍しく教科書と問題集を抱えて、部灰(へぱい)が部屋から出てきた。

 

 「ああ、オレの手伝いなんていらなかったみてぇだ」

 

 「ははっ……まー、そういうこともあるって」

 

 彼と歩星、それに平良(へら)は寮の同室だ。部灰と平良、平良と歩星の間には五十音順で幾人か生徒がいるが、この三人が作為的に固められていた。

 理由は、彼ら三人がサッカー推薦で入学したからだそうだ。このような操作もあった故に、歩星と部灰は来年にはフットボールフロンティアに出場出来るだろうと楽観的に考えていた。だが、目戸(めど)と平良は違うらしい。

 

 「推薦までしてわざわざ集めたんなら来年絶対出れるだろうになー。なーんか難しく考えてて平良荒れててウザいから逃げてきた。夕飯まで勉強するわ」

 

 「お前は自習室より談話室の方が良いだろぉ? どうせ喋るし」

 

 「オレだって三十分くらい集中出来るって。にしても、目戸のヤツも余計なことを言わなきゃいいのにな」

 

 「……そうだな」

 

 部灰の言葉の裏に透けて見える、“実力のない目戸は大人しく上手いヤツの言うことを聞いておけばいい”というグロテスクな考えに、歩星は嫌な気持ちになった。

 部屋に近づいても物音も声一つもしない。落ち着いたのか。そう考えて、寮の部屋は防音だったと歩星は思い出した。

 

 「……っ!! ──!!」

 

 言葉にならない叫びを上げながら、平良は暴れている。それでも几帳面な彼の性格故か。一年の四月に決めた平良の陣地だけが滅茶苦茶にとっ散らかっていた。

 菓子でも食いながら談話室でテレビを見るか。ストックしてある特大サイズのポテチを持って、歩星は部長の悩みすら聞けない自分にまた嫌な思いになりながら、気分を戻そうと目的地に向かった。

 

 

 

 

 

 

 「阿里久(ありく)さん、夕方に打ってたシュート凄かったわね。理科室まで音が聞こえたわよ」

 

 「そ、そうか? なんか恥ずかしいぞ」

 

 「恥ずかしがることなんてないのに。私も鼻が高いわ」

 

 メイの言葉を不思議に思いながら、ヘアオイルだとか保湿クリームといった、照美にしつこく言われているスキンケアをして叶は眠った。

 夢の中でサッカーをする。壊してもいくらでも直るグラウンド。苦痛疲労を知らぬ体。夢の中は叶特注の練習場だった。

 

 朝早く起きると、メイを起こさないよう叶は静かに部屋から出ていく。

 部室に着くといつものように、叶は照美に髪を結ってもらった。

 

 「そういえば……あれ、本当にするの?」

 

 「ん?」

 

 「ほら、昨日……出右手(でめて)が叶ちゃんに弟子入りするって言っていたじゃないか」

 

 「んー、アイツが良いって言うなら、するぞ」

 

 照美が綺麗に結んでくれたポニーテールに満足しながら、叶は言った。

 「ありがと」と言って、照美の膝から降りようとするも、彼の腕がシートベルトのようになって動けない。いや、そこまでの力でもないし叶なら振りほどけるが、万が一にも照美が手首を痛めることは、叶にとって非常に避けたい事態であった。

 

 「照美ー?」

 

 「……」

 

 「照美ー」

 

 叶は抗議するように、説得するように照美の名前を呼んだが、照美は離してくれない。

 

 「……ふぅ。皆が来るまで部室の掃除でもしていようか」

 

 「あっ、落ち着いたんだな。びっくりしたぞ」

 

 叶はひょいと照美の膝の上から降りて、50キロの重りを付け直すと、ロッカーに箒を二本取りに行った。

 部室に来た同級生が続々と手伝ってくれて、掃除は瞬く間に終わった。

 

 「そういや、なんでオレ……あっ、わたしが師匠なんだ?」

 

 「師匠が師匠だからです!!」

 

 「うーん……哲学……」

 

 出右手の返事に叶は腕組み、別の尋ね方を考える。

 

 「ほら、他にも上手いヤツもいるだろ? 照美とか……照美とか。マネージャーよりも選手に師事した方が……」

 

 「マネージャーも選手も同じ部員です! 優劣なんてありません!」

 

 「ありがとう……じゃなくてな?」

 

 叶が困っていると、照美が助け船を出してくれた。

 

 「昨日のシュート以外に何か、叶ちゃんに習おうと思ったきっかけはあるの?」

 

 「きっかけ……か? はっ、一月(ひとつき)半も共にいれば、我が師の強さを理解するには十分だろう」

 

 「ボクもそう思うけど、もう少し詳しく知りたいんだ」

 

 「さっき言った通りだ。それ以上に言葉はいらん」

 

 「いるよ……」

 

 「地殻変動出来るシュートはオレの夢だ」

 

 「えっと……?」

 

 照美は困り笑いを浮かべた。

 

 二年の先輩が来て朝練が始まる。途中、叶も交じってサッカーを楽しんだ。

 小学生のころより難しくなった授業が終わると、放課後の練習も同様に行う。

 

 「知ってると思うが、二週間後に中間テストがある。赤点を取ると補習で部活に出られなくなるからしっかり勉強するように。それと、テストがあるからしばらく練習時間を縮小する」

 

 平良がそう言うと、周りはテストへの不満を言いながら練習に戻った。

 

 「叶ちゃん、国語の勉強頑張ろうね」

 

 「(ひかる)、良かったら数学見ますよ」

 

 「出右手、お前英語苦手だったよな?」

 

 「部灰、お前本当ちゃんとやれよ……」

 

 照美、在手(あるて)経目(へるめ)、平良の順に、それぞれ心配な相手に声をかけた。

 

 二週間後。叶、阿保露(あぽろ)、出右手、部灰の四人は補習で顔を合わせて互いの点数を笑っていた。笑い事ではないと教師に叱られた。

 黙々と教師の用意したプリントを解く。及第点に達するまで一週間がかかった。

 

 「ふぅ……。阿里久、そういえば意外と数学出来るんだっけ。お願いだから期末の前教えて!」

 

 「いいぞいいぞ。その代わりおやつ奢ってくれ。お前国語出来るっけ?」

 

 「人並みに。照美たちの方が頭良いよ」

 

 「師匠! 英語は出来ますでしょうか!?」

 

 「それなりに」

 

 「A動詞はいつやるのか知ってますか!?」

 

 「be動詞はB動詞じゃないぞ」

 

 「ははっ……聞いてくれよ叶ちゃん。一夜漬けで平均取る完璧な作戦がさ、テスト二日とも、全部即寝ちゃって……勉強はしたんだぜ?」

 

 「一夜漬け……その手があったか!」

 

 「やめとけよ?」

 

 四人で駄弁(だべ)りながら部室に向かう。グラウンドでは赤点を取らなかった部員が練習に励んでいた。二チームに別れての試合形式だ。

 

 「おー、やってるやってる。どっち勝ってるんだろ」

 

 「照美のいる方が勝ってるみたいですね」

 

 「いつものことじゃん」

 

 部灰はそう言って笑うと座り込む。着替えの前に、しばらく練習を見学するようだった。

 

 「しゃー! やれー! 照美ー!」

 

 叶は腕を大きく上げて応援する。照美は叶をチラリと見て笑い、その隙にボールを経目に取られてしまった。

 

 「油断しやがって……」

 

 「阿里久が邪魔するからでしょ」

 

 見慣れた呆れ顔で阿保露は言った。

 そんな会話をしているうちに、経目から平良にボールが回った。

 

 「ディバインアロー!!」

 

 平良はボールを空中に浮かせると、蹴り続けてエネルギーを蓄積させる。最後に後ろ回し蹴りでボールを蹴ると、青白い光を纏うビーム状のシュートがゴールに突き進んだ。

 

 「ツナミウォール!」

 

 平良のシュートを歩星の必殺技が受け止めた。平良はそれに顔を歪める。津波に弾き返されたボールは照美の元へ向かった。

 

 「先輩っ! さっきのシュートちょっと凄かったですよ! 新しい技ですか?」

 

 紅白戦が終わると、叶は必殺技のデータを増やそうと平良に聞く。

 

 「……ああ。キミたち、期末では赤点を取らないでくれよ?」

 

 「努力はします」

 

 「頑張ります」

 

 「自信ありません!!」

 

 「朝のコーヒーを強制にしない学校が悪い」

 

 平良はわざとらしくため息をつく。

 

 「阿里久さんは国語、阿保露は数学、出右手は英語、ヘパイスは……ハァ、全教科だったか」

 

 「へへっ、そう言うの止めてくれよ。照れるだろ」

 

 平良は部灰を睨み付けた。

 

 「ごめんて」

 

 「期末の前に勉強会でもしようか。コイツ以外の二年は皆、一年の内容くらい教えられるし。一年もまあまあ賢いのが何人かいただろ」

 

 「おっ、いいな。オレおやつとか用意しとくわ」

 

 平良は「遊びじゃないんだぞ」と、また部灰を睨んだ。

 

 勉強会までして赤点を取ったら、照美に叱られる。成績表は家に郵送されるから、母ちゃんにもがっかりされる。叶は国語以外の教科の教科書を暗記すると、夢の中でテスト範囲の内容を全て読み直すことを日課にした。

 叶は特に速読に優れていなかったが、夢の中では時間が流れるスピードも、叶の望むがまんまだった。

 

 毎晩夢の中でおよそ一ヶ月分の勉強。国語以外の四教科を完璧に仕上げ、次のテストは褒められるぞと叶はほくそ笑んだ。




どこかの後書きで叶は超能力的なものなら何でも使えるみたいに書きましたが、未来予知とかは使えません。話の都合です。読心能力は使えますが、オンオフの切り替えが出来ますし、普段がオフなのでわざわざ使うことは少ないです。


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32話 命名

 

 「(かなえ)ちゃん。最後の場面で、セリヌンティウスがメロスを殴ったときの心情は何か、を解いてみようか」

 

 「死への焦りと怒り」

 

 「簡潔だなぁ……。記述だから頑張って200字書かないと」

 

 「無理無理無理、絶対無理だぞー!」

 

 今は六月の(なか)ば。雨の音をBGMにサッカー部は期末テストに備え、部室で勉強会をしていた。

 

 「国語以外は課題もすぐに終わったのに。点数も良いのに、どうして国語だけ……」

 

 照美は呟いて、叶の手から解答を取り上げた。

 

 「見ちゃダメだよ」

 

 「ぶー……」

 

 「少し休憩にしようか。国語の次に悪いのは社会だから……社会のテスト勉強をして休憩しよう」

 

 「は!? おかしいだろ! それにオレ社会は前良い点取れて……」

 

 「でも昨日の小テストはボロボロだったじゃないか」

 

 「それはその、たまたま油断してたんだ」

 

 「亜風炉。さすがに勉強の休憩に勉強は可哀想じゃないかぁ?」

 

 先輩が助けてくれた! 叶は笑顔で歩星(ぽせい)の方を見る。

 

 「歩星先輩。中学一年生で学ぶ内容も身に付かない方が可哀想ですよ」

 

 照美は正論を口にした。それは中間で赤点を取った四人には大して突き刺さらず、彼らを気にかける者に深く突き刺さった。

 

 「実弓(さねき)、なんでxが横でyが縦なの」

 

 「(ひかる)、口より手を動かしなさい」

 

 「なんでマイナスとマイナスかけるとプラスなの。んで、プラスとマイナスかけてマイナスなの」

 

 「先生に聞いてください。今はそういうものとして受け止めなさい」

 

 いつもよりキビキビした口調で、在手(あるて)阿保露(あぽろ)に数学を教えている。

 

 「リストアップした基礎の単語は覚えてきたか?」

 

 「ああ! 覚えた」

 

 「林檎は英語で?」

 

 「こうだ!!」

 

 元気いい返事と共に、出右手(でめて)はノートに大きな字でappuruと書いた。自信満々に間違った回答をする出右手。彼を教えている経目(へるめ)は上げた口角を段々と引きつらせつつあった。

 

 「ヘパイス、ヘパイス。起きろ! お前これで寝るの何度目だと思っているんだ!」

 

 「えー……五回目?」

 

 「課題も全く終わっていないだろ! 起きろ! 寝ようとするな!」

 

 「いやー、オレ、漫画とサッカー雑誌以外は十秒以上読んでると眠くなっちゃって……ふぁぁーぁ……」

 

 「……阿里久(ありく)さん、前に使った特注スパイクを出してくれないか?」

 

 「はーい!」

 

 科学部に所属するルームメートのメイに作ってもらったスパイクには、設定よりスピードを出して走らないと電流が流れる機能がある。余程怠けていない限りは銭湯の電気風呂程度の威力。痛気持ちいいくらいだろう。

 リモコンで電流の強弱は変えられ、きちんと走っていようとも強烈な電流を流すことも出来る。

 前世。叶が(あらた)だったころは、先輩の先行(さきゆき)の発案でよくこれを使って無理矢理足を動かして限界以上の動きをしたものだし、練習後には微弱な電流で足つぼマッサージもどきをしたものだ。

 

 走って、気分転換をさせて部灰(へぱい)先輩に勉強させるのか? 叶は考えて、スパイクとリモコンを平良(へら)に渡す。

 

 「相変わらずコードがグチャグチャしててダサいよなそれ」

 

 「お前が履くんだぞ」

 

 「おー! 部灰先輩もそれ使ってくれるんですか!」

 

 「え、や、これ平良に合わせたサイズじゃん? オレのが足小さいから、これ履いて走るのはキツくない?」

 

 「走らないから安心しろ」

 

 「って、痛っ!? 痛ぇ!! 何これ!!」

 

 リモコンのボタンを押し、平良は部灰の足に電流を流す。部灰は足に猛烈な痛みを感じた。眠気は吹っ飛んだ。

 

 「なるほど……これは良いものだな」

 

 「良くないだろ! 馬鹿!」

 

 「馬鹿はお前だろ。今日は課題、三割ずつ終わらせろよ」

 

 「ちくしょう! 課題なんか出さなくても生きていられるのに!」

 

 文句と叫び声を漏らしながら部灰は勉強させられた。

 一時間が経つころには、叶、阿保露、出右手の三人は今日のノルマを達成し、勉強から解放された時を過ごす。部灰は電流に慣れて机に突っ伏して寝始めた。

 

 「阿里久さん、これ以上出力は出せないのか?」

 

 「んー、無理です!」

 

 「そうか……」

 

 平良は大きくため息をつく。

 

 「まだ一週間あるし、そんなガッツリ勉強しなくてよくないか?」

 

 歩星が言った。平良はフンと鼻を鳴らす。

 

 「去年のことをもう忘れたのか? ヘパイスはずっとこうだろうが」

 

 「そういや、先輩、そのあだ名ってナンチャラ神話からでしたっけ? オレたちにはないんですか?」

 

 気だるげに。特に関心のなさそうな口調で、荒須(あれす)が言った。

 

 「おー! なら図書館で元ネタの話借りてくっからさ、明日皆でニックネーム決めようぜー!」

 

 部灰は言って、「その前に勉強だ」と平良に小突かれていた。

 

 

 

 

 

 

 次の日。室内で出来る基礎トレーニングだけをして、その後は勉強だ。

 周りがトレーニングする中、叶は在手に勧められたSF短編集を読んでいた。なかなか面白い。特にキャラクターの名前がW氏などといった感じで、覚える必要がないのが楽でいい。

 

 「それじゃあ、六時まで勉強会だ。自由参加だから、抜けたければ抜けていいからな」

 

 と平良は言った。中間テストの後、「赤点のヤツが出ると部費の割り当てが減るんだ」と彼がぼやいたのをみんな知っていたから、帰る者はいなかった。

 

 「ヘパイス、問題集を開け。何ボーっとしてるんだ」

 

 「ああほら、昨日全部終わらせた! その代わり睡眠時間一時間だったけど。答えも見てねぇよ」

 

 「出来るなら最初からそうしろ……!」

 

 「オレはてっきり、徹夜で変なことでも考えてるのかと思った……」

 

 平良と歩星。同室の二人の反応も気にせず、部灰は本を一年生の方に向ける。

 

 「これが“ヘパイス”とか“ポセイドン”とかの元ネタの話な。いやー、懐かし。去年の今頃暇すぎて考えたんだよなー!」

 

 部灰はケラケラ笑った。

 

 「一年、これ見てどう思うよ?」

 

 本の表紙に西洋絵画らしい絵柄で描かれた、裸の女性を部灰は指さす。

 

 「……!?」

 

 照美は瞬時に下を向いた。阿保露は両手で目を隠しながら、指の隙間から絵を見ている。

 

 「おい! やめろ! 女子もいるんだぞ!」

 

 「えー……でも、経目とかすっごい嬉しそうに見てない?」

 

 本当だ。叶は経目を横目で見る。ピエロのようにニヤニヤと笑っていた。

 

 「先輩! オレは元からこの顔です! 失礼な!」

 

 「そうか? 悪い悪い。じゃあ叶ちゃんはこれ見てどう思う?」

 

 「ヘパイス! マジでやめろ!」

 

 「お腹の肉がエロいと思います」

 

 「阿里久さん!?」

 

 「えー……腹? ニッチだなぁ……普通おっぱいか尻じゃない? それにこの女神さん、腹から下ちょいデブだし」

 

 「それがいいんじゃないですか!!」

 

 叶は表紙を見る。栗色の髪の女性には、腹から下、尻、太もも、脹脛(ふくらはぎ)にたっぷりと肉がついている。抱き心地良さそうだ。髪の色がもう少し明るければ叶のタイプど真ん中だ。

 

 「叶ちゃん! そんなものは見ないように」

 

 「えー!?」

 

 「ヘパイス、本当セクハラするなよ」

 

 「してねえよ!」

 

 「セクハラするヤツはそう言うんだよ!」

 

 なぜか照美に叱られ、叶は理不尽だと反論した。

 

 「……ちなみに叶ちゃんはお腹以外にあの女性のどこが良いと思ったの?」

 

 照美が小さな声で聞いた。なんだ、本当に男かと心配していたが、そういうことへの興味もあったんじゃないか。叶は安心した。

 

 「んー……睫毛(まつげ)だろ、髪だろ、あの表情もいいよな、ポーズも。ケツがデカイのも」

 

 「…………」

 

 照美は数十秒黙り込む。

 

 「睫毛と髪は、ボクの方が──。いや、何でもないよ」

 

 小さく呟くと、照美はほんのりと顔を赤くして、観察するように表紙絵をチラリと一瞬見た。

 

 「あー! もう、平良ウザい! そんなに説教が好きかよ。そろそろニックネームの話に戻ろうぜ」

 

 「先輩のせいで脱線したんでしょう」

 

 在手は冷たい声で言う。

 

 「まあ良いじゃん。勉強よりは面白そうだし」

 

 「そう言うけど、阿保露は数学大丈夫なのか?」

 

 「……多分。公式は全部覚えた。阿里久は?」

 

 「今ワークの解答丸暗記してるところ。そのまま出ればいいなぁって」

 

 「あー……オレもそれやろっかな」

 

 「光、阿里久さん。丸暗記は意味がありませんよ」

 

 部灰はペラペラ本を捲る。照美を見て言った。

 

 「アフロディ」

 

 「はい?」

 

 「愛と美の女神っていうのでアフロディーテってのがいるんだよ。長いからちょっと略した。亜風炉とも被るし、いいだろ?」

 

 「ああ。それなら知っていますよ。ボクにピッタリですよね」

 

 照美は満更でも無さそうだ。

 

 「ちなみに性の女神でもある。なんか凄い神のチンコから生まれた」

 

 照美は険しい顔をした。どうやらこっちは知らなかったようだ。

 

 「……そちらはともかく、響きと最初の由来は気に入りました。ボクに似て余程美しい女神なのでしょうね」

 

 「んじゃあ他に良いのが……おっ、荒須、アレスって名前のヤツがちょうどいるぞ。戦乱の神だって」

 

 「戦乱ですか。いいっすね」

 

 荒須は低い声で、本当に良いと思っているのかわからない風に言う。口角が不気味に上がっているから、きっと良いと思ったのだろう。

 

 「ちなみに先輩たちのヤツの由来は?」

 

 無口な荒須にしては珍しく踏み込んだ。

 

 「オレがヘパイスなんちゃらっていう……炎と何とかの神。オレにぴったしだろ?」

 

 「そっすね」

 

 叶も頷いた。確か部灰の下の名前は(えん)だったはずだ。

 

 続けて、部灰は滔々(とうとう)と“ポセイドン”、“メドゥーサ”の由来について説明した。

 

 「なんでそんなことは覚えられるのに、勉強は出来ないんだ……」

 

 「出来ないじゃなくてしないだけですー。じゃ、一年生に付ける方に戻るぞ」

 

 「そもそも付けてどうするんだ」

 

 「んー……コードネーム的な? 試合中に『ヘパイス! パス!』とか言ったら、相手は誰に? ってなるっしょ」

 

 「ボクや荒須はそのままだから無意味じゃないか?」

 

 「まあまあ、気にしない気にしない」

 

 二年と照美が、一年生に神話由来のニックネームを付けていく。

 照美はアフロディ。阿保露はアポロン。在手はアルテミス。荒須はアレス。位家(いか)はイカロス。黒野(くろの)はクロノス。出右手はデメテル。経洛(へらく)はヘラクレス。経目はヘルメス。

 響きを気に入ったり、名字との一致を面白がったり、由来の神が(つかさど)るものを気に入ったり、無関心だったりと、様々な反応があった。

 

 「先輩先輩、オ……わたしは?」

 

 「待って、名字との一致を重視するなら良いのあるけど……でもこの神様ブスらしいからなぁ。女の子にはダメだろ……」

 

 歩星が強く頷いた。そして、口を開く。

 

 「ふむ……小さくて愛らしくて健気で見ているだけでも癒されるような女神はいないのか……?」

 

 歩星の言葉に、阿保露は「は?」と言いたげな顔をした。

 

 「無害なヤツだと……ヘスティアちゃんとか?」

 

 「何の神様?」

 

 「そもそも有害とかあるんですか?」

 

 「暖炉の神様。害っていうか……神と人じゃ常識とか色々違うからね。現代なら犯罪のオンパレード。でも暖炉ってなんか叶ちゃんぽくないなー」

 

 部灰は問題を解くときよりも考え込んだ。

 

 「親交を深めるのも大事だが、そろそろ勉強に戻れよ」

 

 「はいはい。ヘラは本当真面目馬鹿だなー」

 

 「後半が余分だ! ハァ、こんなものを覚えられるなら、脳の要領をもっと勉強に回せ」

 

 勉強会の結果。叶たち四人は赤点を脱した。部灰に至っては地道な勉強とトドメの一夜漬けが成功してかなりの高得点だったらしく、平良が声にならない声で驚いていた。




特に書くこともないのでオリキャラの名前の由来でも。
叶→ギリシャ神話の復讐の女神エリーニュスの一柱、アレークトーから。(アレク→アリク→阿里久、ト→十→叶)
新→ローマ神話の復讐の女神フリアエから。(フリアエ→古会(ふるあえ)→古会(ふるえ))

他のキャラは由来というほどのものはないです。せいぜい、
季子→無印マネージャーが季節由来なので。
先行→“先”輩から何となく
くらいです。

神様知識に関してはWikipediaをざっと見たくらいなので、メジャーな神の名前を知っている程度であまり詳しくないです。


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33話 観戦

 

 もう少しで待ちに待った夏休みだ。気のせいか、(かなえ)にはそれが小学生のころより尊い時間のように思えた。

 

 「FF(フットボールフロンティア)決勝戦のチケットを顧問にもらった。今度部の活動として見に行くが、都合の悪いヤツはいるか?」

 

 「アイツがわざわざくれたのかぁ? 言っちゃなんだが、うちはまだ何の功績もないだろ? それにアイツ、顧問の仕事なんてほとんどしないし」

 

 平良(へら)の言葉に、歩星(ぽせい)が疑問を表す。

 

 「正確には学校の支援者かららしいが……ボクも詳しくは聞いてない」

 

 部員十四人分ともなるとそれなりの金額だろう。支援者と聞いて叶は理事長室の前ですれ違ったサングラスの長身の男を思い出す。確かに金を持っていそうな風貌だった。

 

 「決勝というと……帝国学園対木戸川清修だな」

 

 「ヘルメス、まだ確定していないだろ?」

 

 出右手(でめて)が問う。

 

 「馬鹿言え。まだ準決勝の結果待ちだけど、この組み合わせ以外ありえないだろ? まず、帝国が決勝進出しないことがありえん」

 

 「確かにな。守りならキング・オブ・ゴールキーパー、帝国の源田(げんだ)が中学サッカーでは不動の一位だ。攻めならば帝国学園のデスゾーンか……あるいは木戸川の豪炎寺(ごうえんじ)のファイアトルネードか」

 

 平良が経目の意見に付け加えた。

 

 「野生(のせ)も空中戦では強かったですけど……木戸川に負けてしまいましたからね」

 

 「炎のエースストライカーの豪炎寺! テレビで見たけど、アイツ凄かったです! 生でファイアトルネードを見れるのが楽しみだ! 無論、オレも負けませんが!」

 

 出右手が子供のようにはしゃいだ。

 

 「でも木戸川って逆に言えば豪炎寺以外見どころないんだよな。いや、木戸川も名門だし、ワンマンチームってほど豪炎寺と他に滅茶苦茶差があるわけじゃないけど……」

 

 経目が言いにくそうに言う。

 

 「じゃあ今年も帝国学園が勝つか? やっぱ帝国といえば鬼道(きどう)有人(ゆうと)だろ。なぁ?」

 

 「佐久間(さくま)寺門(じもん)たちフォワード陣の強さがなければ、鬼道のゲームメイクも意味ないだろ!!」

 

 「ククッ……彼らよりは目立たないけど、ディフェンダーも凄いですよ。五条(ごじょう)とか、万丈(ばんじょう)とか」

 

 「悪い。……誰だっけ?」

 

 「知る人ぞ知る選手です!」

 

 「そうじゃなくてお前誰? ……消えたっ!? 阿里久(ありく)ー!」

 

 将来照美と戦う彼らについて、叶も独自に研究した。名前が上がった選手も上がらなかった選手も、スタメンベンチ関係なく帝国学園の選手は素晴らしい実力を持っている。叶はそう知っている。

 でも、所詮は人殺しからサッカーを学んだヤツらじゃないか。将来は師と同じ道を、きっと嬉々として進むのだろう。

 楽しそうに帝国学園の選手について周りは話している。叶は無表情でその会話を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 夏休み初日。二時間ほどバスと電車に揺られ、世宇子中サッカー部はフットボールフロンティアスタジアムに観戦に来ていた。

 途中、叶がフラフラと興味を持った店に近寄り、迷子になりかけるという事故もあったが、照美によりすぐに解決された。

 

 「まだ始まらないの?」

 

 「両校ともいるのに何でだろう?」

 

 「馬鹿! 豪炎寺修也(しゅうや)がいないじゃないか……」

 

 観客席はざわついていた。木戸川清修、帝国学園共に会場に到着している。ただ一人、木戸川のエースストライカー・豪炎寺だけが会場に来ていない。

 木戸川清修の監督・二階堂(にかいどう)と、控えの三つ子・武方(むかた)三兄弟を始めとした面々が、試合の開始を最大限遅らせようとしているらしかった。

 

 「大会規定に(のっと)り、残り十分以内に木戸川清修に試合開始の意思表示がなければ、帝国学園の不戦勝だと見なします」

 

 運営のアナウンスに会場はさらにざわつく。

 

 「さすがに豪炎寺がいなくても試合はするだろ」

 

 「そうだよな、負け確よりは戦力欠けてる方がまだマシだし」

 

 「オ……わたし、今のうちにドリンクとか買ってくる」

 

 「あー……たこ焼き買うならオレのもお願い」

 

 「なんか冷たいドリンク買って」

 

 照美と歩星に手伝ってもらいながら、叶はお使いをした。

 アナウンスから九分が経ち、それでも豪炎寺はやってこなかった。木戸川清修の監督は何度も会場の入り口に視線を向けて、無念そうに試合開始を選んだ。

 

 「生のファイアトルネード……、サイン色紙も持ってきたのに……」

 

 「まあまあ、来年はわたしたちも大会出れるんだから、木戸川に当たるまで勝ち進んでサイン貰えば良いじゃん」

 

 「師匠!」

 

 落ち込む出右手に言ってやると、出右手は感極まった様子で叶を呼んだ。

 豪炎寺が抜けた穴を、武方三兄弟の長男・(まさる)で埋める。さらにいつものスタメンから二人下げ、彼の弟、(とも)と、(つとむ)を入れた。

 三つ子ゆえの以心伝心で、勝とチームメイト二人よりも、武方三兄弟が揃った方が強いのだろう。叶は分身を使うときの感覚を思い出した。

 

 「でも……このままだと前半で決着着いちゃいそうだね」

 

 照美が言う。

 

 「ぐっ……邪魔です!」

 

 「サイクロン!」

 

 木戸川のフォワードは攻め上がるも、帝国に阻まれ上手く行かない。やっとのことで得られそうなシュートチャンスも帝国のディフェンス陣に潰される。

 

 「バックトルネードだし!」

 

 「パワーシールド!」

 

 「なっ……! マジかよ!?」

 

 足掻いてようやく打てたシュートは、源田のパワーシールドに簡単に阻まれた。

 帝国学園の猛攻に木戸川清修は持ちこたえようとするも、段々と動きが悪くなっていく。前半が終わるころには、木戸川の選手がボールをキープ出来ていた時間はそう多くなかった。

 

 「なんか……あまり決勝戦って感じじゃないね。もっと一進一退の攻防みたいなの想像してた」

 

 「それだけ帝国学園が強いということでしょう」

 

 阿保露(あぽろ)に対して在手(あるて)が言う。

 

 最後のダメ押しとばかりにスコアボードが動いた。後半戦残り二分。佐久間から始動のデスゾーンで、帝国学園は七度目の得点。

 7-0。それが、帝国学園対木戸川清修の結果だった。

 王者はトロフィーを(かか)げる。これまで四十年間、そしてきっとこれからも。この勝利は帝国学園のみが得るものだと、影山()によって作られた玉座に座る王者たちは確信していた。

 

 「……優勝するためには、ボクたち、あれを打ち破らないといけないんだね」

 

 「亜風炉ってば目標高いな。まあでも、そうだな! 目指せ優勝だ!」

 

 「特にオレたちにとっちゃ、最初で最後のフットボールフロンティアになるだろうからなぁ!」

 

 「へへっ、照美! オレがずっと横にいるからさ、一緒に頑張ろうぜ!」

 

 叶が笑う。照美も、みんなも笑う。酷く居心地がよく、ずっとこうしていたいと叶は思った。

 

 会場から出ていく人の波が落ち着いたころを見計らって、叶たちも会場を出た。みんなのモチベーションは上がった。憎き帝国学園の実力もこの目で見た。十分な収穫だ。

 そういえば今の世代は、(あらた)が中学生のころの帝国学園が使った技・皇帝ペンギン一号や、ビーストファングを使わないのか? 叶は疑問に思った。単に豪炎寺抜きの木戸川清修相手には使うまでもなかったのかもしれない。

 

 「豪炎寺さえいれば負けなかったし!」

 

 「まさかアイツ、ビビって逃げやがったみたいな?」

 

 「そうに違いないです!」

 

 木戸川の三つ子がそう騒ぐのを叶は聞いてしまい、少し嫌な気分になった。

 例えば親が両方仕事で、豪炎寺本人は電話もかけられないほどの体調不良なんてこともあり得そうなのに。

 

 「どこか観光でもするか?」

 

 「この辺見るところあるっけ? 暑いし早く帰りたい」

 

 額を流れる汗を鬱陶しそうに拭って部灰(へぱい)は言った。それを見て叶も急に暑くなってきた。さっきまでは試合を見るのに集中していたから気にならなかったのだ。

 

 「早く帰り、少しでも長く練習したいです!」

 

 出右手の言葉にみんなが賛同して、最後にスポーツ用品店を覗いてから帰ることになった。

 叶は重りと、試しに握ったら壊してしまったハンドグリップを買い取って店を出た。

 

 「帰ったら少し休んで練習するぞ」

 

 「なんか平良やる気満々じゃん。どしたの?」

 

 「さっきの試合に感化されてな。それと……伝え忘れていたかもだが、来年のフットボールフロンティアに出て良いと……むしろ出場してくれと指示があったんだ」

 

 「……! よっしゃぁ! これでオレらの悩みも一つ減ったな!」

 

 叶は安堵した。今年は学校側の指示で出られなかったのだ。それが万が一三年間続いたらと思うと気が気でなかったから、本当に良かった。

 

 「ただし条件として、それまでの練習試合や他の大会への出場は認めないと言われたが」

 

 という平良の言葉は、周りの歓喜の声にかき消された。




アニメを見返したら鬼道さんの発言ではっきりと「豪炎寺の代わりに武方三兄弟が決勝戦に出場していた」とあったのでその箇所を修正しました。(修正前→武方三兄弟は試合終わりまで控えでした)
修正前を読んでくださった方には申し訳ありません。


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34話 合宿

少し長めです


 

 八月の初め。(かなえ)たちは学校が所有する島に合宿に来ていた。船のデッキで下船の時を待つ。

 

 「うおー! 結構でかいなぁ!」

 

 「魚とか釣れねえかな? ポセイドン、釣り出来る?」

 

 「出来るが道具持ってきてないぞ」

 

 「ちぇっ、新鮮な魚食べたかったのに」

 

 「照美、潮風気持ちいいぞ! 照美はデッキに来ないのか?」

 

 「潮風に当たると髪と肌が痛んじゃうからね。叶ちゃんも程々に」

 

 「えー……」

 

 話していると島に着いた。泊まるペンションの管理人に平良(へら)が挨拶しに行く。

 

 「サッカー部部長の平良(ただし)です。三日間お世話になります」

 

 「よろしくねぇ。毎年運動部が来るけどサッカー部は珍しいね」

 

 「怪我しないようにねぇ、頑張ってなぁ」

 

 優しそうな老夫婦だ。ペンションおよび島の管理は二人で行っているらしい。

 自然に囲まれた生活は良さそうだが、自分たち以外の住人がいないというのは辛そうだと叶は感じた。

 

 白いジャージに叶たちは着替えた。汚れが目立つため、色を変えろという意見が生徒や寮母から後を絶たない。

 

 「先輩! 練習メニュー、これで良いですか?」

 

 「…………。ああ、良いと思う。ただ、水泳は明日に回していいか?」

 

 「はい! 先輩の好きなようにどうぞ!」

 

 叶は溌剌(はつらつ)と言った。普段よりも距離を減らして砂浜での走り込みをする。叶は先頭で笛を鳴らしつつペースメーカーとして走っていた。

 

 「よぅし! 残り五往復! 頑張ろうなっ!」

 

 「うう、砂浜って結構足取られてキツい……。阿里久(ありく)、明日は普通の道走らせてよー」

 

 「お! 喋る元気あるのか! 三往復追加!」

 

 「嘘ぉ!?」

 

 阿保露(あぽろ)だけがそう言って、残りはこれ以上増やされたら堪らないと口をつぐんだ。

 走り込みが終わると彼らを休憩させ、叶は前に立って言う。

 

 「次は必殺技の開発だぞ! 前に出右手(でめて)のノートを見たら──」

 

 「師匠!!!」

 

 「どうしたんだ? 見たら、なかなかカッコいい必殺技の構想がたくさんあってな、そういうイメージをまずは固めてほしいんだ」

 

 ノートの内容を詳しく言及されなかったことに、出右手はほっと息を吐いた。

 

 「あ! 出右手、“アースストロングメテオディアストロフィズムハイパースーパーマスターネオワールドシュート”、なかなか良かったぞ!」

 

 「ダサっ」

 

 「うわあああぁあぁっ!!」

 

 出右手は奇声を発し、ジャージが汚れるのも構わずに砂浜をゴロゴロ転がった。

 

 「エグっ……」

 

 荒須(あれす)が畏怖するように叶を見る。

 

 「えっ……出右手、どうしたんだ?」

 

 「なんでもありません……」

 

 「そうか……? 日射病とか怖いし、調子悪かったら遠慮しないで言えよ」

 

 出右手は縮こまって、誰とも視線を合わさないようにしている。

 

 「えっとなんだっけ……、そう! 必殺技の開発だったな! 一から考えるのって難しいだろうし、他校の選手の技とかで覚えたいのあったらオ、わたしに聞いてくれ! キャッチ技以外なら大体使える!」

 

 部員の視線は素直に叶を尊敬するものと、適当言いやがってというものに別れた。

 

 「師匠!! オレの必殺技を見てください!」

 

 「おっ、出右手の必殺技かぁ……ノートに書いてやったヤツ? 楽しみだなぁ!」

 

 「あれは忘れてください。冷静になって気づきましたが、試合中にあんな長い名前言えませんしね」

 

 叱られた犬のようにシュンとする出右手。叶には彼が落ち込む理由がわからなかった。

 

 「ハアァアァア!! リフレクト──」

 

 出右手が吠えてシュート。石片(せきへん)がいくつか持ち上がり、ボールは石片に当たり、次のそれに当たり……と、反射を続けて威力を増す。

 

 「──。……失敗か、クソっ!!」

 

 次にボールが当たった石片が砕ける。ボールはしばらく空を進むと力なく落ちた。

 出右手は苛立ちを隠せず地面を蹴った。

 

 「何度やってもこうなってしまいまして。師匠、良い方法はないでしょうか?」

 

 叶は分析する。あの石片はなんだか脆そうだった。ボールが最初のものに当たり、すぐに壊れなかったのが奇跡だろう。

 

 「良い特訓思い付いたぞ!」

 

 叶は島の地図の西方、かつて温泉街として栄えていたという場所を示す。

 

 「温泉掘るぞっ!!」

 

 「はい!」

 

 叶はペンションの倉庫から巨大なスコップを借りる。管理人の老夫婦にこれからすることの許可をとり、出右手と移動した。

 

 「師匠! こちらに強く大地の息吹を感じます!」

 

 「おお……ならそこ掘るぞ! 出右手凄いなぁ!」

 

 出右手は得意気に笑った。

 叶は彼に従い、かつては町を(いろど)っていたであろうモダンな橋の下、河原に向かう。

 

 「師匠! この特訓の目的は何ですか!?」

 

 「足腰と腕力を鍛える。体力作り。地面のパワーつったら地熱だから、その力に触れてなんやかんやで必殺技のパワーになるのを期待」

 

 「おお……! 師匠の期待に応えられるよう頑張ります!」

 

 「あんまり気張りすぎるなよー?」

 

 小石をどかし、一時間ほど掘り進めていると、地面から液体が出てきた。うっすら白濁していて、硫黄の匂いがする。

 

 「師匠……!!」

 

 「出右手……!!」

 

 二人は感動に震えた。

 

 「縦だけではなく横にも掘って、大勢が入れるようにしましょう!」

 

 「いや待てよ……テレビで芸人がやってたのだと横は掘らずにパイプを入れてたと思う。誰か詳しいヤツいないかな……」

 

 「ならば経目(へるめ)を呼んできます! ヤツはなかなか、広い分野の知識があったはずです!」

 

 「おお、ありがとな!」

 

 出右手に連れてこられた経目は、

 

 「温泉を掘ったって……マジかよォ」

 

 と目を丸くしている。

 

 「って、全然冷たいじゃん。温かいお湯に浸かりたかったらもっと深く掘らねえと」

 

 叶と出右手は経目を巻き込んで、四時間ほどかけてお湯が出るまで掘り進めた。

 経目の提案で、温かいお湯を出すための深い穴と、足湯のための浅く横に広い穴の二つを掘った。二つの穴をパイプで繋げ、足湯にお湯を通す。

 

 「な……なかなか良くないか!?」

 

 「そうですね師匠! 温泉の名前はどうします!」

 

 「ハァ……ゼェ……疲れた……。経目温泉とかどうよ?」

 

 「いや、出右手温泉だ!」

 

 「阿里久温泉が一番それっぽくないか? まあ、このポンプの汲み上げペースだと、合宿の間にはお湯貯まらないだろうけど」

 

 「でしたら来年入りましょう! フットボールフロンティアの優勝祝いに! 足湯だからみんなで入れますし!」

 

 「おお! そうだな!」

 

 「デメテルも阿里久ちゃんも気が早すぎだろ……」

 

 「なら経目は優勝せずに逃げ帰る気か?」

 

 「な……なんだよその言い方! そう聞かれたら優勝するに決まってんだろ! としか言えないだろー!?」

 

 出右手の質問に対し、経目はコミカルに答える。

 

 「そろそろ帰った方が良いな。オレたち、髪とか服とか汚れてるし。平良先輩神経質だから怒りそう」

 

 「師匠、経目に髪はないです」

 

 空気が凍った。叶は思わず笑いそうになるのを我慢する。

 

 「出右手……! てめえ、ちょっとその(かぶと)外してみろ!」

 

 経目に無理矢理兜を外された出右手。耳の上辺りまでの茶髪が丸見えになった。

 

 「チクショー!!」

 

 禿仲間の希望を絶たれた経目は、顔を歪めて叫んだ。その間に出右手は取り返した兜を被り直す。

 

 ペンションに帰ると、阿保露が一番に出迎える。

 

 「阿里久ー! 先輩がー!」

 

 「どうしたんだ!?」

 

 「(ひかる)が平良先輩に、叶ちゃんは分身してデスゾーン打てるんですよって言ったら嘘だと決めつけられてしまってね。それで落ち込んでいるんだ」

 

 「オレ阿里久のこと叶ちゃんとか言ってないから。そこ勘違いしないでくれよ」

 

 照美の説明に阿保露が訂正を加える。

 

 「アイツムカつくんだよ、見てもないくせによー!」

 

 「光、先輩にアイツなんて言わないの」

 

 「いないからいいだろ! 阿里久ならアイツのプライドとかへし折れるだろ!?」

 

 「や、さすがに分身は無理だろ」

 

 経目がヘラヘラ笑って言う。

 

 「出来るもん! な!?」

 

 「出来るけど、そこまでムキになることじゃないだろ……」

 

 「なることなの! もういい! 明日見せてやって!」

 

 阿保露はむくれて言うと、ペンションの中に消えていった。

 

 「先輩ってどれくらい強いの?」

 

 叶は聞く。

 

 「それなり……かな?」

 

 「オレと同じくらいです!」

 

 「普通に強いだろ?」

 

 照美、出右手、経目の順で答えた。答えた順とは逆順に先輩への尊敬があった。

 

 夕食の前に風呂に入る。女子は叶一人だから貸しきりだ。出ると、叶は照美に髪を乾かしてもらった。

 

 煮魚や刺身といった魚料理を味わう。魚が好物らしく、歩星(ぽせい)は叶に次いでたくさんの量を食べていた。

 

 「阿里久さんは一応女子だから、あっちの部屋に──」

 

 「まぁまぁ、広い部屋に一人じゃ叶ちゃん可哀想だろ」

 

 叶を部屋から追い出そうとする平良を、部灰(へぱい)(いさ)めた。

 慣れた調子で叶は照美の布団に入る。視線が二人の方に集まった。

 

 「…………」

 

 「亜風炉め。これ見よがしに女の子(はべ)らしやがって!」

 

 「部灰先輩! そんなのじゃなくて、叶ちゃんは妹みたいなもので……」

 

 「むっ、お前がオレの弟分だろうが。せっかくだし面白い話でもしようぜー、好きなヤツとかいるー?」

 

 「叶ちゃん、完敗したポセイドンの前でそれは……」

 

 「……?」

 

 叶が恋バナを促すと、一番乗りそうな部灰が止めてきた。

 

 「でも、なんか修学旅行みたいですねー、わたし、修学旅行行ったことないんですよ」

 

 叶は笑って言う。

 

 「うちは中二であるもんな。小学校のも行ってねぇの?」

 

 「はい、受験勉強で」

 

 「ひぇー、推薦の素晴らしさを身に染みて感じるー」

 

 部灰がおどけて言う。

 同じ小学校の友人では、照美と、それからついでの阿保露と在手(あるて)以外とは特に修学旅行で作りたいような思い出もなかったから、叶は特に残念とは思っていなかった。

 

 「ねえ阿里久。明日頼むよ。先輩にあっと言わせてやって!」

 

 「だから阿保露。デスゾーンは優れた司令塔の下で統一されたチームワークが成すもので、一朝一夕に出来るものではないし、まして分身なんて不可能だと言っているだろう。阿里久さんに騙されてるんじゃないか」

 

 平良は言う。阿保露はうんざりした様子で「おやすみ」とだけ言って、布団を頭まで被った。

 

 「でもさ、彼女が前見せたシュート、お前よりも凄かったぞ」

 

 目戸(めど)が言う。平良はそれを無視した。

 

 「照美は阿保露みたいにオレが強いって言ってくれないのか?」

 

 先に寝た阿保露たちを起こさないよう、叶は照美の耳元で囁いて問う。

 

 「叶ちゃんと過ごせば自然とわかることを、あんなにぐずってまで言わないよ」

 

 「そうか。……おやすみ」

 

 「おやすみなさい、叶ちゃん」

 

 叶は照美にくっついて、彼と壁に挟まれて眠った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 合宿二日目。

 一部の早起きした者を除き、叶たちは寝穢(いぎたな)く布団に張り付いていたところを平良に叩き起こされた。

 

 「うぇー、頭ガンガンする」

 

 「……朝から最悪」

 

 悪態も気にせず、「早く支度しろ」と平良はぴしゃりと言った。

 

 卵焼きに焼き魚。沢庵と梅干し。炊きたてご飯と味噌汁、ほうれん草のお浸し。あっさりとした朝食を食べるとグラウンドに立つ。

 叶は気合いを入れるために周りの十倍くらいの量を食べた。野菜は普段の一倍だ。

 

 「阿里久!」

 

 阿保露が早く早くと叶を呼ぶ。

 

 「わかったって。やればいいんだろ? 先輩をぐへぇって言わせてやるんだよな!」

 

 「ぎゃふんじゃない?」

 

 更衣室から出てきた平良を、在手が連れてくる。

 

 「先輩! しっかり見ててくださいよ!」

 

 「わかった。ハァ……時間の無駄だな」

 

 「聞こえてますよ!」

 

 阿保露に促され、叶は二体の分身を作り出した。

 

 「おっ、久しぶり」

 「ここどこ?」

 「いいから早く打つぞ」

 

 分身の疑問には答えず、叶は「分身デスゾーン!」と叫ぶ。

 三人の叶は空中へ。それぞれ三角形の頂点になる位置に浮かび上がり、エネルギーを生み出すために回転。そのエネルギーをそのままシュートにぶちこむ。

 

 「じゃ、オレらはこれで」

 「じゃな」

 

 分身デスゾーンを打ち終わると、分身は薄情に去っていった。

 

 「阿里久! さんっ! あの分身はどうなっているんだ!? あんなに動いて話すなんて……プロの技でもあんなの見たことないぞ!」

 

 平良は叶を呼び捨てにして、すぐに取り繕い質問する。

 

 「んー……秘密です」

 

 叶は答えた。

 必殺技用の決められた動きをこなす分身ならともかく、自由自在に動く分身(デュプリ)を扱う者を、叶は自分とフェイしか知らない。

 それこそ一朝一夕では習得出来ないし、このために時間を使うよりも他の練習に使った方が有意義だろう。

 

 「それよりも他に見たい技ありません? ……帝国……の技、他にも色々使えますよ!」

 

 「いや……いい……」

 

 平良は力なく答えて、ボールを抱えるとふらふらとどこかに向かった。

 

 「いぇーい! オレが嘘つきじゃないって証明出来た! よくやったぞ阿里久!」

 

 「うへー、ペットみたいな言い方やめろー」

 

 「…………」

 

 在手は平良が去っていった方向をじっと見ている。

 

 「先輩、大丈夫かな」

 

 「実弓(さねき)? 何が?」

 

 「いえ……元気がなさそうに見えたもので」

 

 「早起きしたからじゃないか?」

 

 在手はそれ以上何も言わなかった。

 

 「阿里久、必殺技の使い方ってどう人に説明すればいいんだろう?」

 

 「自分が思ったとおりでいいんじゃないか?」

 

 「でも、そうするとグッてしてピン、ドン! とかになっちゃう」

 

 「そのままでもわかるけど。あれだろ? 裁きの鉄槌のことだろ?」

 

 「阿里久さん、よくわかりましたね……」

 

 「こうして」

 

 叶は構える。巨大な黄色の足が現れた。

 

 「こう……だろ?」

 

 現れた足を垂直に下ろす。地面には巨大な足形が残った。

 

 「なんか、ここまであっさり覚えられると、逆に何も思わないんだなって」

 

 「まっ、国語力ないオレでもわかるんだから、他のヤツなら阿保露がちゃんと説明すれば理解できるって。誰かに教えてほしいって言われたの?」

 

 「うん。ディフェンダーなのにドリブルとシュートの技しかないからって、部灰先輩に。先輩以外にも荒須とかとも共有しようと思ってさ」

 

 「おー、いいじゃん」

 

 「まあでも……オレだけの技を覚えられちゃうの、ちょっと盗られたって感じもしちゃうけど、それよりはみんなで強くなる方が大事だもんね」

 

 「おう! そうだぞ、偉い偉い」

 

 「もー……やめてよー……。それは照美にやって、……照美どこ? 来てよ、役目でしょ?」

 

 叶が阿保露を撫でてやると、彼は在手の背中に隠れてしまった。

 

 「ちょ!? 実弓までするのー?」

 

 「偉いですよ光。先の長い話ですが、後輩たちにも受け継いで、裁きの鉄槌を世宇子に残る技にしてもいいかもしれないね」

 

 「……うん、それ、いいかも」

 

 阿保露は満足そうに笑った。

 

 「みんな、先輩たちが水着に着替えて集まれって!」

 

 照美が来て言う。叶はその知らせに喜んだ。海で遊べるのだ。

 

 「おおっ、息抜き出来るんだ!」

 

 「息抜きってほどオレら練習してなくないか?」

 

 「阿里久は昨日、泥遊びかなんかしてたみたいだけど、オレらはちゃんと必殺技の特訓やったの」

 

 「でも光。デメテルとヘルメスは全身が痛いと言っていたし、何か凄い特訓をしたのではないですか?」

 

 「阿里久、弟子がオレらより大事なの!?」

 

 「叶ちゃん、昨日何してたか細かく教えてほしいんだけど……」

 

 「来年まで秘密!」

 

 叶は笑って言った。

 

 「オレ以外に女子いたら、目の保養になったんだけどな」

 

 「目の保養ならボクがいるけど?」

 

 「女子じゃないだろ」

 

 なぜか張り合ってきた照美に言って、叶は女子更衣室に向かった。

 スクール水着に着替え終わると、水着姿の照美が日焼け止めを持って待ち構えていた。

 

 「それ背中に塗ればいいの?」

 

 「うん、お願い。ボクの方が終わったら叶ちゃんにも塗ってあげるね」

 

 「えー……やだー」

 

 叶は嫌がったが、抵抗むなしく全身に日焼け止めを塗られた。照美に髪をお団子にしてもらい、叶は海へと駆け出す。

 

 叶はふと、照美の頭から爪先までをなぞるように見た。

 叶の知る人物の中で、否、全世界で最も美しい顔。宇宙一の流麗さを誇る髪。ここまではどちらかと言うと女のようにも思えるのに、上半身は裸でぺたんこで、下半身は紺色の水着だけ。叶は混乱しそうだった。

 

 「どうしたんだい? ボクに見とれるのはわかるよ。でもそれはいつでも出来るんだから、早く先輩たちのところへ行こう?」

 

 「み、見とれてねぇし。いや、お前は宇宙一美人だけど」

 

 「……。ありがとう」

 

 照美は顔を赤くした。日光のせいではないけど、叶はそうだということにした。

 

 「じゃあ阿里久さん、前に立って説明頼むよ」

 

 「うん?」

 

 「うん? じゃなくて、キミが海での練習を提案したんだろう。遊びの前に練習だ」

 

 平良はキツい態度で言って、叶を前に立たせる。

 

 「おおっ、じゃ、早く動くために水の上を走れるようになってもらうぞ!」

 

 「は?」

 

 間髪入れずに平良が言った。他のみんなも彼と似たような表情をしている。

 

 「お手本を見せるぞ、こうだ!」

 

 叶は海の方に歩く。本来、叶は頭まで海水に浸かっているであろう位置にいた。海の上に立ち、チャプチャプと音を鳴らして歩く。

 

 「っと、こんな感じ。簡単だろ?」

 

 「簡単じゃない!」

 

 平良は語気を荒げて言う。

 

 「うーん不思議だ……」

 

 部灰がやけに真面目な顔で言った。

 

 「うーん……不思議……。なんでうちのスク水、ブルマタイプじゃなくて短パンタイプなんだろ……」

 

 叶は部灰の言葉に苦笑した。

 

 「先輩、変態ですね。今それ考えます?」

 

 「阿里久は優しいから許してくれるけど、あんまりセクハラするとオレらが許しませんよ! ね、照美?」

 

 「叶ちゃんはどちらのタイプも似合うと思います」

 

 「照美!?」

 

 在手と阿保露が、部灰の言葉にブーイング。しばらくしてそれが収まると、叶は代表に歩星を呼んだ。

 

 「先輩っ! ちょっと不愉快だと思いますけど、ごめんなさいね?」

 

 叶は彼の右手を両手で包んだ。確かポセイドンは海の神様だと部灰先輩が言っていたから、このこの特訓のお手本に最適だろう。

 

 「……」

 

 歩星は無言のまま、顔を真っ赤にして首を縦にブンブン振る。

 

 「分身の要領で、オレ……わたしの力を先輩にちょっと渡しました! これで身軽に動けると思います!」

 

 「阿里久、何言ってんの?」

 

 「確かに体が軽いな!」

 

 「マジかよ……」

 

 歩星は先程の叶の真似をした。巨体が水上を身軽に動く。他の面々は驚いた様子でそれを見ていた。

 

 「五分くらいで切れるんで、気をつけてくださいねー」

 

 叶が言うと、楽しそうに水の上をグルグル動いていた歩星は慌てて砂浜に戻ってきた。

 

 「じゃあ他のヤツらにも」

 

 叶は他のみんなの片手を自分の両手で包んで回る。

 

 「照美……? どした? なんかやなことあったか?」

 

 「……何でもない」

 

 「なら良いけど……」

 

 照美はなぜか険しい顔をしていた。叶には理由がわからなかった。

 海の上を歩いて楽しそうにする者。恐る恐る数歩歩き怖そうに砂浜に戻る者。「何となく早く動く方法わかった」と言う者。「面白いけどこれ練習か?」と言う者。

 人によってどれほどためになったかはかなり差があるようだった。叶が最も心配していた、時間切れを忘れて溺れる者はいなかった。

 

 その後、部灰の一言で海遊びが始まった。叶は照美や阿保露たちと水鉄砲を撃ち合って遊んだ。

 微笑みを浮かべる照美に見られながら、冒涜的なデザインの砂の城を作り上げた。

 出右手がそれを見て、「大地への冒涜? いや師匠は大地より上? でも大地は森羅万象を──」などとおかしなことを言っていたので、日陰で休ませた。

 照美と海の浅いところで水をかけあって遊んだ。そのときは楽しかったが、後から振り返ると叶にはどうしてあれが楽しかったのか疑問だ。

 

 合宿二日目は練習と海遊びで終わった。

 海に興味がないから遊ばなかった、他の練習をしたという平良の話を聞いて、叶はもったいないと思った。

 三日目の朝は泳ぎで体力作り。結果、叶以外は帰る前にクタクタの体でペンションの掃除をすることになった。

 

 「……叶ちゃん? ああ、寝ちゃったんだね」

 

 帰りの船の中。前につんのめった叶の頭を自分の太ももの上に倒して、照美は叶の頭を撫でた。

 

 「来年は必ず優勝して、叶ちゃんに勝利を捧げてみせるよ。そして──、……これは起きているときに伝えるべきか」

 

 だらしなく涎を垂らす叶の口元を優しく拭いてやりながら、照美は輝かしい未来を思って笑った。




超次元特訓を考えるのは難しいです。温泉法とかは気にしないでください。多分この世界にその法律はありません。
叶の身体能力がどんどん変な方に行く。どこかでナーフしないと……


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35話 夏休み

ここのところずっとサブタイ適当。厳密には二話くらい前から夏休みです。


 

 盆休みに入った。大体、帰宅部や緩い部活の者は夏休みが始まると。忙しい部活の者でも盆休みには寮から家に帰ることになっている。

 

 帰省した日。寝る準備を済ませた(かなえ)と照美は、照美の部屋のソファーに並んで座っていた。

 

 「照美照美、通知表な、国語と音楽と美術以外は3以上だったぞ! 5もちょっとある。母ちゃん褒めてくれるかなー?」

 

 「きっと褒めてくれるよ」

 

 複雑な気分を紛らわそうと照美は叶の頭を撫でた。

 

 「オレもやる」

 

 叶は背伸びして座る照美の頭を撫でた。彼の髪を満足行くまで(もてあそ)ぶ。

 

 「この休み、何か用あったっけ?」

 

 「明後日(あさって)、叶ちゃんのご両──、……お父さんのお墓参りに先行(さきゆき)さんと行くんじゃなかった?」

 

 「じゃ、お供え用意しないとな。父ちゃんの好きなのねぇ。ジュースっぽい酒とか?」

 

 「それは叶ちゃんには買えないだろう」

 

 「母ちゃんお手製のおにぎりとか」

 

 「……娘の叶ちゃんが作ったものも喜ぶんじゃないかな?」

 

 そんな自給自足は嫌だと思い叶は笑った。

 墓の中に骨はあっても、(あらた)の魂は生まれ変わりである叶の体にある。先行が用意するお供えの饅頭(まんじゅう)なんて好きじゃないし、菊よりも向日葵(ひまわり)の方が好きだ。

 

 「おにぎりか。オレ料理下手だからなぁ」

 

 「おにぎりくらい誰でも作れると思うけど……」

 

 「料理上手の照美には、オレの気持ちわかんないって。あっ、照美のご飯食べたいぞ! 野菜もちゃんと食べるから!」

 

 「ボクも初めは下手だったよ? でも叶ちゃんのためにたくさん練習して上手くなったんだ。叶ちゃんもきっとすぐ上手くなるよ。良かったら休みの間にボクと練習しない?」

 

 「オレのため?」

 

 「……。ほら、お母さんが出張に行ったとき、叶ちゃん凄く落ち込んでいたから」

 

 「ふーん、覚えてないな。それよりも、休みの間にたくさん照美のご飯食べたいぞ」

 

 「なら明日、簡単にカレーでも作ろうか」

 

 「やったぁ! 卵と蜂蜜も入れていいか!?」

 

 「もちろん。じゃないと叶ちゃん食べれないでしょ?」

 

 「今バカにしたか?」

 

 「してないよ。可愛い味覚だなと思って」

 

 「んー……? なら良し……か?」

 

 叶は頭を回転させて、バカにされていないと結論づけた。喧嘩っ早いところは直さないといけない。叶は自分の性分に苦笑する。

 叶は今なぜか味覚が鈍いのだが、それでも照美たちの料理は以前の味覚と変わらずおいしく食べられる。照美以外でおいしい料理は、彼の母のものと雷雷軒のものだ。母の季子(きこ)が帰ってきたら彼女の料理もおいしく食べられるだろう。

 

 「おやすみ、照美」

 

 「おやすみ、叶ちゃん。今日はお布団蹴らないようにね」

 

 「蹴ってないぞ!」

 

 叶の態度に照美は笑った。いつも彼女は寝るとき布団を蹴るから、照美が直してやる必要がある。でも、それを(わずら)わしいと彼は思わなかった。

 叶は布団に入るとすぐに寝た。照美は彼女の寝顔をひとしきり眺めると目を(つむ)った。

 

 

 

 

 

 

 「今日は守のとこに遊びに行くんだ!」

 

 翌日。朝食を食べると叶は言った。

 

 「……誰?」

 

 「引っ越してたときの友達」

 

 「ふーん……どんな子?」

 

 「すごーく良い子だぞ!」

 

 「ボクよりも?」

 

 「照美と守は違うから……。あっ、照美も守に会いに行くか?」

 

 「……いい」

 

 照美はむくれた様子で言った。

 

 「うーん、なんかお前機嫌悪くないか?」

 

 「悪くないよ」

 

 「でも……」

 

 「いつも通りだけど。行ってらっしゃい」

 

 「お、おう……行ってきます」

 

 半分追い出されたように叶は家を出た。

 人気(ひとけ)のない道を選び、超スピードで一時間ほど走ると稲妻町に着く。叶は円堂家に行くと午後から遊ぼうと約束し、時間潰しに雷雷軒に向かった。

 

 「おっちゃん久しぶりー! いつものお願いしまーす」

 

 「……わかった」

 

 「正剛(せいごう)ちゃん、可愛いお客さんだなぁ!」

 

 背広を着て、顔を赤くした酔っぱらいの中年男性が叶を見て言った。

 

 「うわぁ!? 珍しくオレ以外のお客さん。明日空から槍降ってくる? ……ごめんおっちゃん! 野菜増やさないで!」

 

 叶は頼んだけど、響木は野菜を盛り付ける手を止めてくれなかった。

 

 「──でな、大会来年なんだぞ。ショック……。あとは合宿が楽しくてな! 決勝戦も見た!」

 

 「楽しかったか?」

 

 「うん! でも個人的に帝国学園嫌いだから、周りほど面白く見れなかった」

 

 「そうか」

 

 叶の父が影山の細工によって殺されたことを、響木は先行から伝えられている。故に、その話題に深く踏み込むことはなかった。

 

 「寮生活と言ったか? お前さん、大丈夫か?」

 

 「大丈夫だよ! ルームメートの子とも仲良いし、最初は他の子と食事のことで揉めたけど……今は問題ないもん」

 

 「なら良いが」

 

 響木は無愛想に言いながら、常に一人で店に来るこの少女が、学校生活を楽しんでいるらしいことにほっとした。

 

 「そういや、どこの学校に通っているんだ?」

 

 「うん? ()──」

 

 「正剛ちゃーん!! 酒くれやぁ!!」

 

 「ああ、少し待て」

 

 他の客のせいで言えなかった。叶は少し機嫌を悪くして、チャーシューを食べるとすぐに直した。

 

 約束の時間になり、叶は円堂の家に迎えに行く。

 

 「久しぶりだな叶!」

 

 「そうだな! 四月ぶり。守は最近何かあった?」

 

 「ああ! 前にも言ったっけ? 雷門にサッカー部を作ったんだ。まだ四人だけだけど、でも、絶対十一人集めて、フットボールフロンティアで優勝するんだ!!」

 

 「自分で作るなんて凄いな! なら守たちはうちのライバルだな。うちは学校の意向とかクソクソなので、今年十一人集まったのに出ちゃダメで、来年なら出場して良いんだってさ」

 

 「なんで十一人揃ってるのに出ちゃダメなんだ?」

 

 「だよな! 本当謎だぞ!」

 

 円堂と二人、鉄塔への移動がてら互いの近状報告をする。

 着くと、叶はまず鉄塔の上に登った。

 

 「守! 早く来いよ! 景色綺麗だぞー!」

 

 「ははっ、叶は相変わらずだな。今行くよ!」

 

 円堂が追い付くと、二人は美しい景色をしばらく眺めて話をする。

 

 「そういえば叶はどこの学校に通っているんだ? 来年当たるかもしれないんだろ?」

 

 「ん? 山奥の世宇(ぜう)──」

 

 叶の声に被さるように、ゴウゴウと強風が吹く。

 

 「──ってとこで」

 

 「ごめん、聞こえなかった。もう一回いいか?」

 

 「ああ。()──」

 

 通りすがりの鳥の群れが合唱会を開く。ピーチクパーチクと高音が叶の声をかき消した。

 

 「ごめん……もう一回」

 

 円堂は申し訳なさそうに頼んだ。

 

 「大丈夫だぞ。ぜ──」

 

 鉄塔の下のベンチに座る数人の年寄りが、示し合わせたかのように爆音で咳をする。

 

 「……。オレの学校のことよりも、サッカーしようぜ」

 

 「……。そうだな!」

 

 オレは響木のおっちゃんや守に学校の名前を伝えられない運命なのか? そんなことを思いながら、叶は鉄塔を下りた。

 

 「よーし、行くぞ! はあぁぁっ!!」

 

 「ぐっ……!」

 

 「おっ、ナイスだ! 次のは止められるかな?」

 

 「うおおおぉぉっ!!」

 

 叶の蹴るシュートを円堂が止めたり、弾いたり、受け止められなかったりを繰り返す。

 体力も減ってきただろうにずいぶん頑張るものだ。叶は感心しながら、必殺技を解禁することを決めた。

 

 「んじゃ、次は必殺技だぁ! ダークトルネードっ!」

 

 「……っ! うわあああ!!」

 

 黄金の掌が刹那の間現れるもすぐに消え、漆黒の炎を纏うシュートを止めるのには足りなかった。

 円堂は軽く吹っ飛び、叶は慌てて彼に駆け寄る。

 

 「守! 大丈夫か!? ごめんなぁ、調子に乗りすぎた……」

 

 「今の……!? 叶、もう一度さっきのシュートを打ってくれないか!?」

 

 「え? わかったぞ」

 

 叶は再びダークトルネードを打つ。今度は黄金の掌は一瞬たりとも現れず、円堂はさっきよりも吹っ飛んだ。

 

 「守ー!? ごめんな……、大丈夫か? ちょっと休むか……?」

 

 「いいや、もう一度!」

 

 「……わかったぞ。でも怖いから、次は必殺技じゃないので行くからな」

 

 「えー……」

 

 「守が怪我したら嫌だぞ」

 

 叶は強く言い含めた。

 ノーマルシュートを叶が打ち、円堂が止めたり弾いたりボールに触れなかったりするのを再び繰り返す。空が淡い紺色になると二人は帰る準備をした。

 

 「そいや、風丸は元気してるか? アイツもサッカー部?」

 

 「おう! 元気だぞ! 風丸は陸上部なんだ。たまーにサッカー部にも来てくれるけど」

 

 「陸上かぁー。どっちかって言うと足早かったもんな。大谷とか、木野ちゃんも元気か?」

 

 「ああ! せっかくだから、今度木野たちにも会っていけよ」

 

 「そうだな。時間あればそうする」

 

 円堂がふと、右手を不思議そうにグーパーと動かす。

 

 「どうかしたか? まさか手を痛めたり……」

 

 「大丈夫! ただ、ちょっと気になって……」

 

 「……?」

 

 「アルファってヤツらとの試合のときは、爺ちゃんの特訓ノートの技が……ゴッドハンドが出せたのに、その後は全く出せないんだ。一体何が違うんだろう?」

 

 「うーん……シュートの威力?」

 

 「……! 叶、後一時間だけ付き合ってくれないか!?」

 

 「やりたいのは山々だけど……早く帰らないと怒られちゃうからなぁ、ごめん」

 

 叶から照美にカレーを作ってほしいと頼んだのに、夕食の時間に帰って来なかったら、いくら濃厚な照美でも怒るだろう。

 それに、守に怪我をさせたら嫌われるかもしれない。それは嫌だ。

 

 「そういえば、叶はどうやってこっちまで来たんだ?」

 

 「走って」

 

 「え?」

 

 「あ、いや、新幹線。あっそうだ……新幹線の時間もあるから早く行かないと」

 

 「そうか……。また遊びに来てくれよな! 楽しみにしてるぜ!」

 

 「おう! 冬休みくらいにはまたそっち行くぞ」

 

 叶は円堂と別れ、駅前の方面に向かう。

 乗り物には乗らず、行きと同じように走って照美たちが待つ家に帰った。家に着いたのは夜の七時半。亜風炉家の夕食の時間より一時間ほど遅いが、まだ許容範囲だ。

 

 「良かった。ちゃんと帰ってきた……。おかえり、叶ちゃん」

 

 「ただいま」

 

 紺のエプロンを着けて、髪をポニーテールにまとめた照美が台所から顔を覗かせた。

 

 「お前の母さんたちはもう食べたの?」

 

 「うん、今は二人とも自分の部屋にいるよ。叶ちゃんの帰りが遅いのを心配してたから、後で顔を見せてあげてね」

 

 「了解だぞ」

 

 叶は鼻を鳴らす。カレーの匂いだ。

 

 「照美照美。大盛りで頼むぞ」

 

 「はいはい。叶ちゃんの食べる量はよくわかっているから大丈夫さ」

 

 カレーのトッピングに生卵と蜂蜜を入れて叶はテーブルの前に座る。

 照美は叶の正面に座ると、叶が食べるのをじっと見ていた。

 

 「……! おお……めっちゃ旨いぞ!! お代わりあるか?」

 

 「そう? 良かった。お母さんもお父さんも美味しいって言ってくれたけど、やっぱりちょっと心配だったから」

 

 「お代わりは?」

 

 「お鍋にまだ残っているよ」

 

 叶はルーの入った鍋に直接米を入れようとして、照美に止められ、代わりにどんぶりにカレーを大盛りにした。

 

 「その食べ方、外ではしないようにね」

 

 「ごめんごめん。というか、そんなに見られるとちょっと食べにくいぞ」

 

 「嫌だった?」

 

 「嫌じゃないけど……」

 

 「なら良いよね。むしろ、ボクの顔を見ながら食べたらもっと美味しくなるんじゃないかい?」

 

 「すげー自信……いや、実際そうだけど……」

 

 コイツ、いつからこんな自信家になったっけ。叶は考えて、自信がないよりは良いじゃないかと考えるのをやめた。それよりは照美のカレーを味わうべきだ。

 叶は野菜が影山と同じくらい嫌いだ。でもカレーならきちんと食べられる。

 生卵と蜂蜜のおかげで甘口よりさらにまろやかな味わいのカレールー。柔らかい人参とホクホクのじゃがいも。飴色の玉ねぎは(ほの)かに甘味がある。叶はカレーに舌鼓を打つ。

 

 「そーいえばなー、今日守と──」

 

 「叶ちゃん、食べながら話さないの」

 

 「いつもはそんなこと言わないじゃんか。なんで今日だけ……」

 

 理不尽だ。そう思って、目の前で微笑む弟分の顔で機嫌を直し、叶は幸せな時を過ごした。

 

 「向こうに遊びに行き過ぎじゃないかい? そんなに守って子が好きなの? それとも、他に何か良いものでもあるの?」

 

 「良いもの……雷雷軒っていう、すっごくラーメンのおいしいお店があるんだぞ! 照美も行くか?」

 

 「行かない。ラーメンか……よし、なら、ボクがそこよりおいしいのを作ってあげよう。守って子とボク、どっちが好き?」

 

 「どっちも! でもちょっとの差で照美っ!!」

 

 「ちょっとの差なんだ……」

 

 照美は不満げに言った。

 翌日、照美が麺から手作りでラーメンを作ってくれた。やけに千切れやすくパサパサの麺と薄いしゃぴしゃぴのスープは、市販のカップヌードルに完敗だった。

 だが照美が頑張って作ってくれたことが嬉しくて、叶は「うまいうまい」と言いながら、彼のラーメンを全て平らげた。




残り2話くらいでようやくFF編入ります。
特に中学入学~原作までがかなり冗長ですが、筆が乗ったのでダラダラ書きました。恐らく改稿するときに五割くらい消えます。
叶は料理を絶賛していますが、この二次小説のアフロディは特に料理が上手くも下手でもありません。ちなみに叶は味覚がおかしいので下手です。


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36話 支援者K

字数少ない二話分の話をくっつけたので、場面転換が唐突です。


 

 二学期が始まってしばらく経ち、今は十一月の(なか)ばだ。涼しく快適な気候になってきた。

 朝練が終わって休む部員。中には腹を丸出しにしてジャージの下を扇ぐ者もいる。叶は彼らに清潔な白いスポーツタオルを配って回った。

 

 「放課後は支援者の方がうちの部の視察に来てくださるそうだ。くれぐれも失礼な態度をとるなよ」

 

 平良(へら)が伝える。少し戸惑いながらも、部員ははいと返事した。

 

 「阿里久(ありく)さん、話があるから悪いけど昼休みに来てくれないか?」

 

 「わかりました! 先輩何組ですか?」

 

 「クラスじゃなくて、五階の奥に空き教室があるんだ。そっちに来てくれ」

 

 「了解です!」

 

 昼休み。(かなえ)は購買で鞄いっぱいのパンを買って、平良に言われた空き教室へと向かう。

 そこには誰もいなかった。教室の蛍光灯は壊れていて、埃っぽく、よく見ると床と壁の間の角に蜘蛛の巣が張っていた。

 先輩は綺麗好きのはずなのに、なんでこんなところに。叶は疑問に思いながら、平良が来るのを待つ。

 

 「授業が延長して遅れた。すまない、待たせてしまったな」

 

 「はい! 五分も待ちましたよ!」

 

 叶がパン(くず)を食べ散らかしながら言うと、平良は渋面(じゅうめん)で頬の筋肉だけを器用に持ち上げた。

 

 「それで、話ってなんですか?」

 

 「ああ。お前の作った練習メニューを、オレが作ったことにしてくれないか?」

 

 叶はきょとんとし、言葉の意味を理解すると全力で拒否した。

 

 「ダメです! 照美なら……いや、仮に照美から頼まれても嫌ですよ! オレが一から作ったんですよ? それを盗っても、先輩のためになりませんよ!」

 

 叫ぶように叶は言う。

 

 「そうか。なら別にいい。こっちが本題だが、今日の放課後の練習に参加しないでほしい。オレたちと走ったり、一緒にボールを蹴ったりしないでほしいんだ」

 

 「えっと……?」

 

 「部活には参加してくれていいがな。あくまでマネージャーとして、一線を引いてほしいんだ」

 

 「……?」

 

 「察しが悪いな。これだから馬鹿は。……マネージャーのお前よりオレたちが弱いって思われると、決勝戦の観戦や合宿みたいな支援が受けられなくなるかもしれないだろ。ただでさえ何の結果もないんだ」

 

 悪意混じりに平良は言う。そんなことを言われたことはないから、叶はどうすれば良いのかわからなかった。

 

 「先輩……あの、でも、それしたって先輩たちがオ、わたしより弱いことは変わらないですよ」

 

 何を言うか迷って、叶はとりあえず事実を述べる。

 

 「知ってる。ツナミウォールをお前は打ち抜けたが、オレは無理だった。お前は地面を滅茶苦茶に出来るシュートを打てるが、オレにはあんなこと出来ない。それに、お前には──」

 

 平良は叶を睥睨(へいげい)して言う。

 

 「特別な、……。何でもない。今のはボクが悪かった。少しストレスが貯まっていたみたいだ」

 

 「…………」

 

 「それで、ボクの頼みを聞いてくれるか?」

 

 「今日だけなんですよね? なら、良いですけど……よくわからないけど、そんなに面子(めんつ)が大事なんですか?」

 

 「ああ。自分が周りからどう見えるのかは、何よりも大事だよ」

 

 平良は言い捨てて、叶を置いて教室を出ていった。

 叶は制服についたパン屑を払うと、クロワッサンにかぶり付き、制服を再び汚しながら汚い空き教室を出た。

 

 

 

 

 

 

 放課後の練習が始まり、叶が以前すれ違った“偉い人”が来たらしい。

 伝聞形なのは黒服の男が、

 

 「総帥がわざわざお前たちを見てくださっているのだから、精々励むように」

 

 と言ったことと、どこか遠くからの視線でしか、偉い人の存在は感じられなかったからだ。

 

 現代日本で総帥と呼ばれるような人物を、叶は憎き仇の影山零治しか知らない。

 彼に世宇子中が目をつけられているかもしれない悪寒。それを、影山じゃないのかもしれない、金を出してくれているのなら影山だとしても利用してやればいい、と考えて叶は振り切った。

 

 黒服の男は見たいものを一通り見終わると迅速に帰っていった。

 ……まだ遠くから視線を感じる。

 叶は前世の最期を想起した恐怖で極力目立たぬように努めた。昼に平良から言われたことや、大事な照美も守るべきという考えは、どこかへすっぽ抜けていた。

 

 「ふぅ……支援者さん本人じゃないみてーだけど、凄い緊張したなぁ」

 

 「そうだな。これからも金むしりとるため、良い評価されてりゃいいが」

 

 部灰(へぱい)経目(へるめ)の順でぼやき、緊張に引き締まっていた顔を緩める。

 

 「叶ちゃん、大丈夫?」

 

 「うーん……ちょっと気分悪い」

 

 「保健室で休む?」

 

 「そこまでじゃない」

 

 顔を蒼白にする叶を見て照美が心配した。

 

 「でも、いつもだったら叶ちゃんはボクたちより元気に動くのに……。そんなに辛そうなら、やっぱり、きちんと休んだ方が良いと思う」

 

 「そこまで調子悪く見える? まあすることもないし、ならオレ、先に帰るな」

 

 「うん、ゆっくり休んでね。一人で帰れる?」

 

 「大丈夫だぞ!」

 

 手早くジャージから制服に着替えて、叶は寮へ向かう。

 

 「阿里久叶さん、いや、古会(ふるえ)叶さんと呼ぶべきかな?」

 

 以前すれ違った“偉い人”。彼に話しかけられて、叶を謎のプレッシャーが襲った。

 

 「はい。……どなたですか?」

 

 叶の誰何(すいか)に男はあっさりと答えた。

 

 「私の名は影山零治だ。サッカー協会副会長という立場から、この世宇子中を資金面と、サッカー推薦制度で全国から才能溢れる選手を集めることで支援している」

 

 敵であるその名前を聞いて、叶の頭は空っぽになった。それ以降の話は叶の耳に届かなかった。

 怒り、焦り、憎悪。色んな負の感情が混ざった叶は感情を表に出さないようにする。

 

 「古会叶って、どういう意味ですか?」

 

 「君の父親──古会(あらた)という選手がいたのだが、あれは文字通りの化け物だった。私もそれなりに長く生きているが、化身というものを彼以外の選手が使うところを見た経験はない。……馬鹿なことをしなければ、古会も世界の舞台でもう少し活躍出来たものを」

 

 「…………そうですか。それで、なぜわたしなんかと話に来たんですか? 他の部員と話した方が有益ですよ。部長の平良先輩とかどうです? 生憎(あいにく)、わたしは父のサッカーの才能を受け継いでいないもので」

 

 「ああ、彼とは少し前に話した。君の能力について問えばくまなく答えてくれてね。どうやら君は随分と父親に似たようだな。必殺技まで同じとは」

 

 「偶然ですよ」

 

 「今はそういうことにしておこう」

 

 今すぐにでも「用事があるので」と言って、自室に帰りたいのに体が動かない。叶は自分が情けなかった。

 

 「総帥!」

 

 黒服の男が影山に何かを話そうとして、叶を見て困った顔をした。

 

 「……わたしは邪魔になりそうなので、失礼します」

 

 叶は二度の人生でここまで感謝したことがないほど、黒服の男に感謝して自室に帰る。

 ルームメートのメイは科学部の活動でまだ部屋にいなかった。

 壁にもたれて荒く細く長い息を吐き、叶は膝から崩れ落ちた。落ち着くと、叶は鞄の中身を漁る。

 教科書。これをいくつか重ねて影山をぶん殴れば。ハサミ。これで喉をかっ切れば。タオル。これで首を締めれば。

 違う。卑怯にこんな道具を使わなくとも、手で首をネジ切ってやれば。

 前世の恨みを晴らす方法はこんなにあったのに。メイが帰ってくるまで一時間以上、叶は無念に打ち震えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春休みのある日。練習が終わると部灰が言った。

 

 「新年の抱負でさ、書き初め的なのしようぜ!」

 

 「せめて一月に言え」

 

 聞いて、呆れ顔で平良は言う。

 

 「書き初めは面倒だが、新年度の目標なら良いかもなぁ!」

 

 「だろ?」

 

 歩星(ぽせい)に賛成されて部灰は明るく笑った。

 

 「んじゃオレから。可愛い女の子とたくさん話す」

 

 「馬鹿が。フットボールフロンティア優勝」

 

 「それ言うとみんなそれにするだろー!? 禁止禁止!」

 

 「ならもっと具体的にしましょう! キングオブゴールキーパーからゴールを奪う!!!」

 

 出右手(でめて)が部室中に響く声で言った。

 

 「キングオブ……なんだっけ?」

 

 「帝国一年の源田幸次郎だ。中学生トップのキーパー。源王とも呼ばれてる」

 

 荒須(あれす)の疑問に経目が答える。

 

 「そう聞くとなんか出来ない気がするな!!」

 

 「えっ!?」

 

 「お前のリフレクトバスターなら行けるだろ。デスゾーン以上に強いぞ」

 

 「そうですね師匠! 行ける気がしてきました!」

 

 「コロコロ意見変わりすぎだろ」

 

 荒須が呆れた様子で言った。

 出右手のように一方的にライバル視する選手や学校の名を挙げる者もいれば、平良と全く同じ目標を掲げる者もいた。

 

 「フットボールフロンティア優勝といえば……最大の壁は帝国学園だね」

 

 照美が言う。それに反対する者は一人もいない。

 

 「へへん! 帝国の選手についてはオレ、いっぱい研究したぞ! 見ろよ!」

 

 叶はノートを渡す。野生、帝国学園、木戸川清修、千羽山……。今年度のフットボールフロンティアに出場した選手の必殺技やプレイスタイルといったデータが、汚い字で書かれていた。

 

 「叶ちゃん、なんでこれだけきちんとしたものが書けるのに、国語の点数は悪いのかな?」

 

 「国語の教科書の話、全っ然興味ないもん」

 

 心底不思議そうな照美に叶は答える。照美は苦笑いをした。

 

 「……字が汚くて読めない。亜風炉、翻訳してくれないか?」

 

 「わかりました。まずここは──」

 

 照美が叶の横から平良の横に席を移動して、大まかに翻訳し始める。

 

 「阿里久、テストのときはちゃんと綺麗に書いてるんだよね? ノートも綺麗に出来ないの?」

 

 「出来るけどストレスが凄いぞ」

 

 出来るなら照美に余計な負担をかけずにやれと、阿保露(あぽろ)は苦笑いをした。

 

 「でもさー、支援者さん様様だよな! 名前忘れたけど」

 

 「そうっすね、四月に比べて設備も凄ぇ整いましたし」

 

 部灰の言葉に荒須が返す。

 支援者──影山は何を考えているのか、世宇子中に多額の寄付をしている。寄付金はほとんどサッカー部に回され、サッカー部は何の実績もないのにも関わらず、強豪校に匹敵する設備になった。

 グラウンドは専用のものが二つ。外と屋内に一つずつ、丸々サッカー部のためだけに作られた。

 サッカー棟と呼ばれる建物が作られ、部室も四月とは比べ物にならないほど広々としている。

 トレーニング器具も最新鋭のもの。一人一室使えるシャワールームも出来た。

 

 影山が用意したということを除けばどれも素晴らしい設備で、相手が影山でさえなければ、照美の環境を整えてくれた支援者に叶は心から感謝していた。

 

 ただ、それでも一つ、部員には不満があった。

 

 「だが、次のフットボールフロンティアまで練習試合は一切するなって、どういうことだぁ?」

 

 「偉い人の考えることはわかんねーわ」

 

 「でも確かに練習試合すらしないで、本番行けるか心配ですよね」

 

 影山は寄付をする条件に、来年度のフットボールフロンティアまで、大会への出場および練習試合を禁じていた。

 それが影山の支配の第一歩のようで叶は恐ろしかった。だが以前、支援者への疑念を口にしたら、寄付が打ち止めになるかもしれないから言うなと平良に言われたから何も言えない。

 

 「まー大丈夫っしょ。正直オレら予選くらいなら余裕だろ? この地区、特に強いのいないし」

 

 「なるほど。予選で慣らせばいいということですか」

 

 「先輩に同意です! オレのリフレクトバスターを初め、みんな必殺技も強くなりました!」

 

 「ディフェンスもオレの裁きの鉄槌があるもんね」

 

 「フォワードはデメテルだけだが、ヘラ先輩とアフロディも実質フォワードだしな。シュート強いし」

 

 照美と平良が得意気に笑った。

 

 「ミッドフィルダーは……ダッシュアクセル程度しかドリブル技がないのが、心配ではありますね」

 

 「ヘラ先輩とアレスはジャッジスルーもあるが」

 

 「すみません。ワタシの審美眼的にはアウトです」

 

 在手(あるて)が言った。その他にも平良はキラースライドまで覚えている。几帳面で尊敬出来る先輩だが、帝国かぶれの技を覚えたいけ好かないヤツと、叶は彼のことを思っていた。

 

 「ポセイドン先輩も強いですもんね!」

 

 順番的にはキーパーだろうと叶は言った。歩星は小さく「ぉぉ……!」と返事した。

 

 「…………」

 

 目戸(めど)黒野(くろの)経洛(へらく)位家(いか)の四人が肩を落とした。

 彼らの実力は周りより劣る。もちろん彼らも努力しているが、元より能力のある周りも同量、下手すると彼らより努力するものだから追い付けないのだ。

 

 「そう落ち込むなよ」

 

 と言って部灰らが慰めるも、これまでに植え付けられた劣等感は、簡単に拭えないようだった。

 

 叶は簡単に覚えられて強い必殺技を脳内で検索して、そんな都合の良いものはないと気づき、彼らの力になれないことに落ち込んだ。

 

 「ははっ……なんか話題変えようぜ。次の部長誰にする?」

 

 「……忘れてた。本当なら秋には決めておくべきだったな」

 

 「そもそも今って誰ですか?」

 

 新たな話題を提起した部灰に、阿保露が疑問を投げ掛ける。

 

 「一応オレだ」

 

 「ぴぇ!? すみません!」

 

 「いい。部の日誌や部長会議は二年で分担しているし、試合もないからキャプテンとして仕事したこともないんだ。仕方がない」

 

 怯えて奇声を上げた阿保露に、苦笑して平良は言った。

 

 「んー……そうそう、試合ないからキャプテンとしての仕事がないんだよな。可哀想だからヘラが続いてもよくね?」

 

 「…………。一年が育たないだろ」

 

 「ま、いいけど。立候補か推薦で誰かいるー?」

 

 「え!? 今決めるんですか?」

 

 「せめてもっと前に言ってくださいよぉ!」

 

 ざわつきを無視して、叶は元気よく言った。

 

 「はい! はーい! 照美が良いと思います!」

 

 「オレもさんせー!」

 

 「ワタシも賛成します」

 

 「我が師が(おっしゃ)り、さらにそれが亜風炉ほどの実力者となればオレも同意する!」

 

 阿保露、在手、出右手の三人が賛成してくれた。肝心の照美は嫌がっていないだろうか。叶は彼の様子を見る。恥ずかしそうに笑っていた。

 

 「他にはいるかぁ?」

 

 歩星が呼びかけるも、誰も口を開かない。

 

 「……いないんだな。亜風炉で決定でいいか? いいなら拍手でもしてくれ」

 

 そう言った平良と照美本人以外。十二人の部員が一斉に拍手をする。

 

 「じゃ、アフロディから一言!」

 

 マイクを照美の口元に向けるようなジェスチャーをして、部灰が言った。

 

 「フットボールフロンティア優勝に向けて、みんなで頑張ろう。ボクたちならあの帝国学園をも倒して……きっと、成し遂げられるはずだ」

 

 頬に赤みを残したまま、堂々とした口調で照美は言う。

 

 「キャプテンなら照美に敬語使った方がいい?」

 

 「(ひかる)、今まで通りの方が彼も楽だと思いますよ」

 

 「よー新キャプテン! オレらにタメ口聞いてこき使っていいからな!」

 

 「そう言われるとやりにくいですね……」

 

 「ヘパイスの言うことは気にするな。お前のやりやすいようにしろ」

 

 阿保露と在手、部灰と照美と平良がそれぞれ話す。

 叶はこのとき、確かに照美率いる世宇子中が優勝する、輝かしい未来を夢見ていた。




この二次小説の影山は、世宇子中の他にも投資をして色んな学校を裏から支配しています。

“ツナミ”ウォールと“つなみ”ウォール、今までは後者で書いてきましたが、何となく気になってどっちが正しいか調べたところ、アニメはカタカナでゲームはひらがならしいです。何となくツナミウォールの方がしっくり来るのでこちらに統一します。


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フットボールフロンティア編
37話 新入部員


 

 四月、(かなえ)は二年生になった。叶の中には可愛い後輩が来る楽しみと、照美とクラスが離れるかもしれない悲しみがあった。

 

 「クラス分けは……。良かった。二年生でもボクたち同じクラスだよ」

 

 「やったぁ!」

 

 照美以外にも何人かサッカー部員がいる。叶はクラス分けの結果に満足した。

 始業式が終わると部室の掃除だ。

 明日にはきっと新入部員が来るから、いつもは使わない洗剤を使い念入りに汚れを落とす。広いサッカー棟は部員十四人+お掃除ロボット七台で分担しないと、几帳面な先輩の平良(へら)が納得出来るほど綺麗にならないのだ。

 高いところにはジャンプしないと手が届かないため、叶は床にこびりついた汚れを担当していた。

 

 「あ、叶ちゃん。床に髪の毛ついちゃってるよ」

 

 「ん、大丈夫。気にしない」

 

 「汚れちゃうし、もし踏まれたら凄く痛いよ? こっちおいで。結んであげる」

 

 「ん、これが終わったら……うぉわあぁ!?」

 

 掃除に集中する叶は空返事をした。照美に体を持ち上げられて叶は大声を上げて驚く。

 

 「阿里久(ありく)さん、真面目にやってくれ」

 

 「オレ……わたしは真面目にやってたのに照美が!」

 

 注意してきた平良に抗議しながら、叶は照美の膝の上に座らされていた。

 

 「師匠、アフロディより髪長いんですね」

 

 出右手(でめて)が言う。

 ポニーテールにしていても腰の辺りまである叶の髪は、下ろすと脹脛(ふくらはぎ)まで伸びていた。

 

 「んー……髪とか爪とか伸びるの馬鹿早いからなー」

 

 「羨ま。前髪失敗したときとか便利じゃん」

 

 部灰(へぱい)が言った。

 

 「そうですけどやっぱ鬱陶しいですよ。美容院だと金が馬鹿にならないから、いつもは照美や照美のお母さんに切ってもらってるんですけど……」

 

 「……? アフロディのお母さんって、美容師なんですか?」

 

 「ううん」

 

 出右手の質問に、叶は否定で答えた。

 

 「親が出張で外国にいて、それでわたし、しばらく照美の家にお世話になってるんだ」

 

 「ってことは……、叶ちゃんと亜風炉、長期休みは一緒に暮らしてるってこと!?」

 

 「はい」

 

 「ひえぇ……」と声を漏らして、部灰は歩星(ぽせい)と何事かを話す。

 

 「口だけじゃなくて手も動かせ」

 

 「ごめんごめん。じゃ、オレはゴミ捨てするわ。溜まったら呼んでー」

 

 注意する平良を、部灰は軽くいなした。

 

 「叶ちゃん、出来たよ」

 

 「ありがとう。……頭が重いぞ」

 

 頭の両サイドに出来たお団子が重たい。叶は慣れない感覚によたよた歩く。

 

 「師匠、そんな重いですか?」

 

 「そんなにだぞー」

 

 「髪切ればいいのに」

 

 「本当すぐ伸びるんだよ。毛の量も多いから、短い状態をキープしようとすると、月十回くらい美容院行くことになっちゃう」

 

 しかも金と時間はかかるし、美容師には当たり外れがあるのだ。ならば、なぜかやりたがる照美や彼の母に毛先を整えてもらう方が安心出来る。

 

 掃除が終わり、叶は伸びをする。後は机やロッカーを廊下に出して、ワックスを塗って帰るだけだ。

 

 「こんなに綺麗にしたから、明日、一年がたくさん来るといいですね!」

 

 「そうだな」

 

 「歓迎用の菓子もたくさん用意してあるぞぉ!」

 

 「へへっ……後輩かぁ。いっぱい可愛がってやらなきゃな!」

 

 叶たちは笑いあって部室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 「明天名(あてな)(とも)です。ポジションはミッドフィルダーです。よろしくお願いいたします」

 

 「手魚(でいお)(げき)だ……です! ディフェンダーだ、す! よろしくお願いします!」

 

 「安芸(あき)怜須(たままつ)です! ポジションはフォワードです! よろしくお願いします!」

 

 どこか知性を感じさせる話し方の、側面の髪を刈り上げて真ん中だけを伸ばしてポニーテールにした金髪の少年、明天名。

 一年ながら、三年の歩星と並ぶ巨体。分厚い唇に、両頬にある太い三本線が特徴的な手魚。

 トゲトゲした髪型でグレーに近い茶髪の、元気溢れる少年、安芸。

 

 叶たちは自己紹介したり、菓子やジュースをあげたり、緊張を(やわ)らげようと雑談したりして、彼らを歓迎した。

 

 「フォワードか!」

 

 安芸の自己紹介を聞き、出右手は嬉しそうに呟く。サッカー部には現在、彼以外にフォワードはいないからだ。平良や照美も優れた必殺シュートを打てるが、彼らはミッドフィルダーである。

 

 「や、あの、あんまり期待しないでください……」

 

 安芸はおずおずと言う。

 

 「オレ、ちょっと故障しやすくって……」

 

 「む、それはいかん。故障しないために特訓だ!」

 

 「……そのための特訓で骨にヒビ入ったこともあります」

 

 「……。無理せず頑張ろう! 何、大地の加護があれば問題ない!」

 

 「大地、ですか……?」

 

 出右手は気落ちしたが、それを表には出さず後輩に微笑んだ。

 

 手魚は巨体仲間の荒須(あれす)、歩星と何かを話している。叶には無縁の巨体故の話でもあるのだろう。

 

 「今の部長さんは誰ですか?」

 

 今の、を少し強調して明天名は言う。

 

 「ボクだよ」

 

 「ポジションはどこです?」

 

 「ミッドフィルダーだよ」

 

 「サッカーはいつから?」

 

 「……三歳くらいからかな」

 

 「大会などでの経験はどれくらい?」

 

 「……小学一年生から三年生まで、県内の大会で優勝し続けていたよ。それ以降は大会に出ていないけど」

 

 「そうですか」

 

 長々と続く質問に惑いつつ、照美は明天名の質問に答える。

 

 「はい、ありがとうございます」

 

 「う……うん?」

 

 深々と頭を下げる明天名。照美は戸惑っていた。

 

 「良かったらサッカー棟を案内するよ。結構大きいトレーニングルームや屋内のグラウンドもあるんだ」

 

 「そんなものあるんだ……ですか? すごいですね」

 

 敬語が苦手らしい手魚が、タメ口を慌てて丁寧語に直して言った。

 

 「まだうちのサッカー部は大会に出たこともないんだけど……多額の寄付をしてくださる方がいらっしゃってね、その人のおかげで設備だけは整っているんだ」

 

 「大会に出たことないって……。あの、フットボールフロンティアには出れるんですか?」

 

 「うん、それには出ていいけど……それまで練習試合や、他の大会には出ちゃダメって」

 

 「なんか変な決まりですね……」

 

 「だよね」

 

 明天名の言葉に照美も賛成した。みんな感じていることであった。

 

 「練習風景も見たいのですが、よろしいですか?」

 

 「うん、好きなだけ見学していって」

 

 明天名の頼みを(こころよ)く受け入れ、照美率いるサッカー部の面々は屋内グラウンドへ向かう。

 

 「ヘラ! こっちだ!」

 

 「アフロディ!」

 

 後輩の前だからだろうか。照美は先輩を思い切り呼び捨てにして、タメ口で指示を出している。叶はそんな彼を心底可愛らしく思った。

 

 「裁きの鉄槌! 先輩!」

 

 「デメテル!」

 

 「はい! うおぉぉぉぉ! リフレクトバスター!!」

 

 「ツナミウォール!!」

 

 「次は止めさせません!」

 

 荒須、部灰、出右手とパスが続き、出右手のシュートを歩星が跳ね返す。照美がトラップして、ボールをキープした。

 

 「ゴッド……ノウズ!!」

 

 照美のシュート。サブキーパーの位家(いか)を軽く吹っ飛ばしゴールに入る。

 

 「すごい!」

 

 明天名が年相応の少年らしく言った。

 

 「そうだろ? 照美は凄いんだぞ! 照美とサッカー出来るなんて、お前ら幸せ者だな!」

 

 弟分を自慢したくて叶は言う。明天名は叶が急に口を開いたことに驚きながらも、「はい」と頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新入部員の三人が入部して二週間が経った。

 

 「スーパースキャン!」

 

 「……クソっ」

 

 「裁きの鉄槌っ! へへっ、油断大敵だ!」

 

 「スピニングカット!」

 

 新入部員の一人、明天名は優れた頭脳に裏打ちされたプレーをする。

 裁きの鉄槌でボールを奪った部灰が油断したところを、間髪入れずにスピニングカットで奪い返した。

 

 「アフロディ先輩!」

 

 「え……!?」

 

 だが彼には一つ問題があった。

 パスをするときには必ず照美に回す。照美がマークされていて、他の選手に渡した方が良い場面でもだ。

 

 フリーの出右手にパスするのだろうと考えていた照美の反応は遅れ、彼をマークしていた経目(へるめ)にボールを奪われる。経目、在手(あるて)とパスが続き、ボールは平良に渡った。

 

 「アースクエイク!!」

 

 「くっ……!」

 

 一年・手魚のブロックにより平良からボールは離れた。

 

 一年のプレーを見て、叶は彼らを評価する。

 明天名は優れたミッドフィルダーだが、照美に(こだわ)る癖を無くさないと、全国大会ではやっていけないだろう。

 手魚はその巨体を活かしたプレーをする、優れたディフェンダーだ。ただし、必殺技に頼りすぎる傾向がある。

 

 サッカー部で能力の高い十一人はこれまで、歩星、部灰、荒須、阿保露(あぽろ)、経目、在手、照美、平良、出右手、目戸(めど)経洛(へらく)だった。

 きっと大会に出るころには、三年の目戸が明天名に、二年の経洛が手魚に、それぞれその座を奪われているだろう。

 ちなみに部灰を始めとした先輩により、明天名にはアテナ、手魚にはディオ、安芸にはアキレスと、一年生にはそれぞれニックネームがつけられていた。

 

 「オレもアイツらに負けていられませんね! 阿里久先輩! 特訓お願いします!」

 

 「お、おう……。大丈夫か?」

 

 安芸は、同級生が二人とも頭角を表したことに焦っているようだった。

 安芸の特訓をしてやる叶は、彼女には珍しく乗り気ではない。

 

 「よーし、ディバイン──ぐぺぇ!?」

 

 「…………」

 

 その理由はただ一つ。

 安芸は怪我しやすいのだ。本人曰く週に一度は足を(くじ)く。多いと二、三度。その他にも盛大に転んだりして、治るのに一日二日はかかるため、彼が部活にまともに参加出来るのは他の部員の半分ほどになっていた。

 

 キック力も強い。先輩への態度も良い。可愛い後輩だから叶も鍛えてやりたいと思っている。

 だが歩き方やキックの仕方が特に足を挫きやすいものでもないから、叶はどうしたらいいのか悩んでいた。

 

 「阿里久先輩、また安芸に足を挫かせたんですか?」

 

 「こら、言い方がなっていない! 師匠はわざとではないし、当然アキレスもわざとでない!」

 

 出右手に注意された明天名は罰が悪そうな顔で、

 

 「阿里久先輩が見ていて安芸が怪我したのなら、先輩に責任があるのでは?」

 

 と言った。

 

 「先輩すみません……。オレがいつも怪我するせいで……」

 

 「大丈夫だって! 練習はイメトレくらいにして、これ以上足首痛めないように休んでろ!」

 

 「気負わずゆっくり休むのだぞ!」

 

 「はい! うぅ、いつもすみません……」

 

 安芸は項垂(うなだ)れながら、歩ける程度に痛みが引くのを待って寮へ帰っていく。

 

 「どうにかしてやりたいけど、どうしてやりゃ良いんだろな……」

 

 「オレもわかりません……元気なときに周りの何倍も練習させるしかないんじゃないでしょうか?」

 

 「そうだな……可哀想だけど、それしかねーか」

 

 出右手と叶は話し合い、二人揃ってため息をつく。可愛い後輩の助けになれないのは悲しい。

 

 「阿里久さん、これ、少しならつまみ食いしても良いから配ってくれないか?」

 

 「先輩、十個だけ食べていいですか!?」

 

 「ああ、それを見越して多目に作ったからな」

 

 平良に渡されたレモンの蜂蜜漬けを、叶は愛嬌ある笑顔で周りに配る。その前に十枚だけつまんだ。少し薄味だが甘さと酸っぱさのバランスが絶妙で旨い。本当なら全部食べたい。

 

 「おー……叶ちゃんありがとー。今度叶ちゃんが作ってくんね?」

 

 「わたしが作ったときのこと、もう忘れましたか?」

 

 「あー……いや、なんか……喉ごしが、なぁ」

 

 部灰は曖昧に言って、叶作レモンの蜂蜜漬け~煉乳チューブと蜂蜜たくさん&砂糖1キロ入り~の味を誤魔化した。

 

 「ああ……まるで阿里久そのものを思わせるように甘かったな……」

 

 「ポセイドン、恋は盲目どころじゃねーぞ」

 

 部灰は急に真顔になって言った。

 三年の次は二年に渡す。照美と出右手と阿保露のだけ増やしてやろうか考えて、贔屓(ひいき)は良くないと叶は止めた。

 

 「叶ちゃん、ありがとうね」

 

 「へへっ」

 

 「阿里久、あんまり先輩に迷惑かけるなよ。でも阿里久はドリンクとか軽食とか作るなよ。食えなくはないけど食いたくないから」

 

 「無茶言うなよ……」

 

 次は一年だ。安芸はさっき帰ってしまったから、残りは二人だけ。手魚は「ありがとうございます」と言って、残りを七割持っていった。

 

 「先輩、これ先輩が作ったんですか?」

 

 「ううん。平良先輩が作った。どうして?」

 

 「先輩の料理の奇抜さは伺っているので、あなたが作ったのなら食べるのを止めようと思いまして」

 

 叶は押し黙った。自分の前科を思い返すと何も言えなかった。

 

 「だが師匠は料理に食べ物以外を入れたりはせんぞ!」

 

 「当たり前じゃないですか」

 

 出右手は庇ってくれたが、明天名は呆れた声で言う。

 

 「叶ちゃん、あんまし落ち込むなよ? 生意気な後輩なんてどこでもいるからな」

 

 「先輩から見ると照美とかです?」

 

 「そうそう! 後輩の癖に可愛いロリっ子常に(はべ)らして、イケメンのオレより先にファンクラブまで作られてるアイツ! ムカつく──って、誘導尋問じゃんかよ!」

 

 「ロリっ子って何だ?」

 

 「師匠! オレもわかりません!!」

 

 「貴女(あなた)のような幼い人を表す言葉です。品のない言い方ですね、部灰先輩」

 

 「うるせぇ! 口が滑ったんだよ!」

 

 「ところで……アフロディ先輩のファンクラブについて、詳しくお聞きできますか?」

 

 明天名は周りを見て、照美がこちらの話を聞き取れない位置にいることを確認して言う。

 

 「おう! オレ……あっ、わたしが作ったんだぞ! 会員ナンバー0番だ! ほら! お前も入るか? 四割くらいは男子だぞ!」

 

 ファンクラブを運営する上での右腕的存在である、美術部の同級生に作ってもらったノーブルなデザインの会員証を見せて叶は言った。

 

 「…………」

 

 明天名は複雑そうな顔で黙った。

 

 「あっ、でも管理が大変らしいから、必要以上の勧誘はやめてって言われてたんだった」

 

 「ファンクラブの意地悪な女子が叶ちゃんをいじめるー、とかないの? オレ颯爽(さっそう)と現れてヒーローになりたいんだけど」

 

 冗談めかして部灰が聞いた。

 

 「うーんと、『叶様はアフロディ様のペットみたいなものだから気にしません』らしいです!」

 

 「えー? てか叶様とか言われてるんだ」

 

 「勝手に呼ばれてました」

 

 「阿里久先輩がアフロディ先輩のオマケみたいなのは同意します」

 

 「こら! 師匠を愚弄するな!」

 

 「事実じゃないですか」

 

 「師匠は強いぞ!」

 

 「オレは見たことないので。先輩、世宇子の生徒の中で一番小さいし、デメテル先輩騙されているんじゃあないですか?」

 

 「アテナは見る目があると思っていたが、曇っていたか」

 

 「先輩こそ。……失礼します」

 

 明天名は三人から離れて、照美に話しかけに行った。

 

 「師匠! 師匠の尊厳を守れず……すみません!!」

 

 出右手は涙声で謝る。

 

 「そ、そんなにスケールを大きくしなくても……。確かにオレが掃除とか料理とか洗濯とか出来ないのは事実だし、今は照美のキャプテンとしての成長のために、練習メニューとかも作ってないし」

 

 「まーでも、あの態度はなぁ。デメテルが叶ちゃんを師匠っていうきっかけになった何とかかんとかって技見せてやれば、アイツも叶ちゃんが強いって納得するんじゃない?」

 

 「あの御技をお見せしなくても、普通にプレーをすれば、我が師が強者であることはわかります」

 

 「いや、でもさ、わたし女子じゃん」

 

 「知ってる」

 

 部灰が頷く。

 

 「早けりゃ五月にはフットボールフロンティアの予選始まるじゃん。もうちょっとで五月じゃん。んで、女子ってフットボールフロンティア出れないだろ」

 

 「下らないルールです。改定の必要があります!」

 

 「オレがボール触る時間無駄じゃねーか? その時間あったら、お前らのために使った方がずっと良いだろ」

 

 「師匠! そんなにオレたちのことを考えて……」

 

 「いやいや、卑屈になりすぎだろ。考えすぎ。人間ちょっと馬鹿なくらいがちょうど良いってー!」

 

 部灰は笑って、余計な考えを追い出すように叶の頭をポンポンと叩いた。

 

 「ヘパイス」

 

 平良がいつも通りの顔で、されど気迫ある(たたず)まいで部灰を呼ぶ。

 

 「阿里久さんはそれで良いかもしれないが、お前は将来をもっと考えとけよ。九月以降は覚悟しとけ」

 

 「九月以降? なんかあるっけ?」

 

 平良は眉をしかめた。出右手が「あっ」と両手を叩く。

 

 「受験勉強ですか?」

 

 「そうだ」

 

 「ちょっと、現実見せるのやめろよー!」

 

 部灰は嫌そうに言った。

 

 「平良先輩。先輩はさっきのわたしの話、どう思いましたか?」

 

 「阿里久さんに賛成だ。キミにはサッカーより、マネージャーとしてのスキルを最低限でいいから身に着けてほしいからな。頼むからボクの負担を減らしてくれ」

 

 「そうですよね」

 

 肯定されたことに叶は安心して、これからもこのままでいいやと思った。

 代わりにマネージャーとしての能力を磨かなくてはならない。料理も洗濯も掃除も、叶以外の方が上手い。

 

 叶は自分が知っているマネージャーを思い出す。母でありかつての妻の季子はよく気が利いた。差し入れだって凄く旨かった。

 他には雷門の秋だ。円堂の練習中にお邪魔したとき、秋が作ったおにぎりを叶は食べたが、握り方が上手く米と米の間に程よく空気が含まれていて旨かった。

 

 「先輩! わたし、明日なんか差し入れ作って来ます!」

 

 「は!? 阿里久さん無理はしなくていいからな! せめて人が食える味付けにしてくれ!!」

 

 「師匠の料理は人のものではありません!」

 

 「デメテルの方がアテナより叶ちゃんをバカにしてね? レシピに従えよー、火と包丁には気を付けろよー、ヘラに押し付けてもいいからなー」

 

 「おい」

 

 三者三様の反応を聞いて、叶は明日への気合いを入れた。

 粒が大きくて、ささくれに塗ると痛い方が塩だ。間違えないようにしなければならない。




厳密にはFFが始まるのはもう少し後の話からなのですが、こちらの便宜上この話からフットボールフロンティア(FF)編として扱います。

FF編の軽い注意書きです。
・主人公(叶)は大会に出ません。
・雷門側は(世宇子もですが)ダイジェストになるかと思います。細部が気になる方はYouTubeにて公式が無料公開しているイナイレ1話~26話をご覧ください。
・世宇子中のメンバーは原作通り神のアクアを飲みます。飲まないルートを期待していた方には申し訳ありません。
・主人公の倫理観に欠けた行為、および無双展開などがあります。
・雰囲気が全体的に暗いです

それでもよろしい方は続きを読んで下さるとありがたいです。


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38話 失敗クッキング

 

 放課後。(かなえ)はみんなが練習を始めると、サッカー棟のキッチンに行く。朝に炊いておいた米を出し、慎重に適量の塩を混ぜ込んだ。

 

 「よいしょ……!!」

 

 気合いを入れて、100キロオーバーの握力任せに米を握る。茶碗一杯分の米がビー玉ほどのサイズに圧縮された。米を足し、握り潰しを繰り返し、どんぶり大盛八杯ほどの量でやっと普通の大きさのおにぎりが出来た。

 

 「結構米使うんだな。一人一個が限界か?」

 

 後は時間との戦いだ。みんなが練習を終えるのに間に合うように、おにぎりを十六個作る。途中で叶は分身を出した。

 

 「サッカーは?」

 「しないぞ」

 「狭いんだけど」

 「そりゃこんだけオレが居たらな」

 

 六人の叶が同時におにぎりを作り、なんとか間に合った。おにぎりをトレーに乗せて、叶はグラウンドの方へ行く。

 

 「先輩ー! 昨日言った差し入れ作りましたよー!」

 

 「少し小さいが、夕食を考えるとちょうどいいか。それに、マズくても被害が少ないからな」

 

 後半余計なことを言って、平良(へら)はおにぎりを持っていった。

 

 「出右手(でめて)も」

 

 「はい! 師匠、ありがとうございます!」

 

 「照美ー!」

 

 「美味しそう。可愛い大きさだね」

 

 「阿保露(あぽろ)ー!」

 

 「もっとデッカイのが良かった。ねぇ、実弓(さねき)?」

 

 「理由はありませんが、なんとなくこの大きさで良かったと感じます」

 

 「明天名(あてな)!」

 

 「……普通そうですね。ありがたくもらいます」

 

 明天名はおにぎりを嗅ぐと首を傾けて言った。

 

 「部灰(へぱい)先輩!」

 

 「おおっ、サンキュ。ところでこれ、叶ちゃんが素手で握ったの?」

 

 「いえ、平良先輩から言われてたので、ラップ越しに握りました」

 

 「うあぁ……マジか……」

 

 「先輩、衛生的に素手は不味いですよ」

 

 在手(あるて)が言った。

 

 「素手の方が女子のエキスが付くから旨い」

 

 「うわっ。実弓、阿里久(ありく)、あっち行こう」

 

 「ドン引きですよ先輩。こんな小さい子に……」

 

 「在手? オレ中二だけど……お前と同じ歳だぞ?」

 

 なんだか子供として扱われている気がする。叶は苛ついたが、怒っても仕方がないので我慢した。

 

 「歩星(ぽせい)先輩! どーぞ!」

 

 「……ぉう、ありがとうな。やっぱこういうのがあると、モチベーションも違うなぁ!」

 

 「へへっ、好評だったらまた作ってきます!」

 

 叶はおにぎりを配り終え、周りが食べている様子を観察する。

 五分が経ち、みんなはまだ咀嚼を続けている。

 

 「餅みてーな食感」

 

 「結構中に詰まってるな……見た目よりボリューミーだ」

 

 十分が経ち、会話は無くなった。話せるだけの余裕がないのだ。

 五十分後に全員がようやく食べ終わった。

 

 「阿里久ー! これ何!? 食っても食っても無くならないから怖かった!」

 

 「頑張って作ったからな」

 

 「答えになってない!」

 

 阿保露は叫び、苦しそうにゲップをした。

 

 「オレ今日夕飯いらなーい、明日の朝もいいかも……」

 

 「阿里久先輩、これ、どれくらいお米使いました?」

 

 「おにぎり一個につき、どんぶり大盛りを七、八杯分」

 

 「馬鹿か?」

 

 明天名の質問に答えた叶に、平良が冷めた声で言った。

 

 「えっと、叶ちゃんの作ったおにぎり、ボクは凄くおいしかったと思うよ!」

 

 「オレもだ。毎日食いたいくらいだなぁ!」

 

 「苦し、じゃなくて(つら)い、じゃなくて……おいしかったですよ師匠!」

 

 照美と歩星と出右手が言ってくれて、叶は落ち込んでいた表情を笑顔に変える。

 

 「ポセイドン先輩、さっきキツいって言ってたような……?」

 

 「照美も結構苦しそうでしたよね?」

 

 「デメテルお前ほとんど本音出てんぞ」

 

 手魚(でいお)、在手、経目(へるめ)の言葉に、三人は視線を泳がせた。体躯の良い手魚ですら、食べる前より膨らんだ腹を苦しそうに押さえている。

 

 「叶ちゃん、今度からは米の量半分くらいな?」

 

 「……はい」

 

 部灰の言葉を記憶して、叶は次の失敗を防ごうと意気込んだ。

 

 「阿里久さん、悪気がないのはわかるが……無理しなくて良いからな」

 

 「いえ! マネージャーの仕事、しっかり頑張りますよ!」

 

 平良はため息をついた。

 

 「いや本当、飲食物はボクの用意したものを配るだけでいいし、掃除もしなくていいし、洗濯はしてほしくないから。ボクがやる」

 

 「いえ! オ……わたしがやります!」

 

 平良はさらに深くため息をついた。

 

 「キミが洗濯して、タオルを縮めたのは覚えているか? 鍋敷きが出来たな。ジャージじゃなくて本当に良かったよ。もう忘れたのか?」

 

 「先輩。でも、洗濯には柔軟剤がいることは、叶ちゃんもそれできちんと覚えましたよ」

 

 「どうだかな」

 

 「えっと、料理も洗濯も無理だけど、掃除なら出来ますよ!」

 

 「悪いが、掃除用のロボを支給してもらったから、キミがやらなくても事足りる」

 

 帰る前にロボットの電源をオンにすれば、朝には塵一つすら無くなっているのだ。

 

 「先輩、何なら役に立つんですか?」

 

 「我が師の指導は素晴らしいぞ! それに、シュートだってオレたちの誰よりも強い!」

 

 「デメテル先輩には聞いてませんよ……」

 

 明天名は呆れた様子で言った。彼からは叶への尊敬の念が全く感じられない。

 

 「阿里久先輩、せめて先輩らしいところ見せてくれません? オレ、サッカーか勉強か……それ以外でも何か尊敬出来るところがない人を、先輩って呼びたくないんですよね」

 

 「ってことはオレのことは尊敬してるんだ?」

 

 冗談めかして言った部灰を、明天名は睨み付けた。

 

 「冗談冗談。怖い顔すんなよー。尊敬出来るとこなら叶ちゃんにもあんだろ? デメテルが言ったのもそーだし、後アテナより年上」

 

 「年を重ねるだけなら誰にも出来ますが」

 

 「うーん……手強(てごわ)い……」

 

 「師匠! テストの結果をアテナに見せてやりましょう! 最も良かったものをです!」

 

 「そして最悪だったものだよな……」

 

 「ああ……あれか、オレびっくりしたよ。頭良いのに馬鹿だよな叶ちゃん」

 

 「あまり内輪の話をしないで欲しいのですが」

 

 

 

 

 

 

 次の日、叶は明天名に最も良く同時に最も悪かったテストの結果を見せた。

 

 「数学100点、学年順位1位。理科100点、学年順位1位。英語100点、学年順位1位。社会100点、学年順位1位……!」

 

 明天名は目を輝かせて、点数を読み上げる。段々と声に熱が入り、叶を見る目も“尊敬出来る先輩”を見るものになっていく。

 

 「国語0点、学年順位160位。総合400点、学年順位38位。…………は?」

 

 失望した顔で明天名は叶を見た。

 

 「え? 阿里久先輩が勉強は出来る馬鹿ということはわかりましたが……なぜあれだけ出来て、国語だけ?」

 

 「わたしもわからない!」

 

 「成績優秀者が所属する部活には部費の割り当てが優先され、成績の良い帰宅部の人に名前だけ入ってもらう部もあると聞きますし、そこで阿里久先輩は部に貢献を?」

 

 「してないなー。成績優秀者っつーなら照美や先輩もいるし。部の勉強会だと教えるときもあるけど、国語は要介護だし。しかもサッカー部って学校の支援者が寄付してくれるから、部費もそんな気にしなくて良いし」

 

 「国語は要介護……、失礼ですが、阿里久先輩は生まれも育ちも日本ですよね?」

 

 「おう! 海外なんざ行ったこともねーぞ!」

 

 「何だか、あなたと会話が通じるのが奇跡に思えてきました……。どうしてアフロディ先輩はあなたなんかを大事にするんでしょう……」

 

 「オレ……あっ、わたしと照美は姉弟みたいなものだからな!」

 

 「つまり惰性と」

 

 「よくわからねえけど、多分そうじゃないぞ!」

 

 「アテナ、我が師の素晴らしさがわかったか?」

 

 否定の返事を想定していないように明るく笑い、出右手は聞いた。

 

 「全く」

 

 「我が師が国語で0点なのは恥ずべきことではないぞ!」

 

 「恥ずべきことですよ?」

 

 「オレも英語で一度十点を取った!!」

 

 「ハァ、なんで国語0点の人がアフロディ先輩の傍に……もっとまともな人なら、まだ諦めもついたのに……。それに、なぜ英語十点の人は国語0点の人を尊敬するんでしょう……?」

 

 「つ、ついに先輩とすら呼ばれなくなった!?」

 

 「アテナ、人をステータスで見るのは良くないぞー!?」

 

 「それ以外何を見ろと? アフロディ先輩は容姿も運動能力も頭も良いのに、どうしてその幼馴染がこうなんですか?」

 

 「師匠、会議をしましょう」

 

 「そうだな……」

 

 叶と出右手は後輩に尊敬される案を話し合ったが、明天名からの視線が戻ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 「ディバインアロー! リフレクトバスター! ゴッド……やっぱ無理かぁ……」

 

 安芸(あき)が続け様に必殺シュートを打つ。最後ゴッドノウズを打とうとして、羽根が消えて上空から落ちた。慌てて叶は受け止める。

 

 「アキレス!! 凄いな! リフレクトバスターも大地の力を感じる良い出来だ! いつの間に練習したんだ?」

 

 心底嬉しそうに出右手が言う。

 

 「イメトレで両方とも習得しました! ゴッドノウズは……なんか飛んでるオレを想像出来なくて……」

 

 「イメトレ……か……」

 

 「はい! 阿里久先輩に夢の中で練習する方法も教えてもらったんです!」

 

 「む! オレは師匠にそれを教わっていない!! 師匠!」

 

 「まずは夢を自力でコントロールしてだな。よく見る夢とかある?」

 

 「ふむ、登山の夢です! 昔からよく見ます!」

 

 「オレも怪我せずにフルで試合に出れる夢は昔から良く見ました」

 

 安芸が言って、叶と出右手は言葉を詰まらせた。

 

 「アキレス! さっきのシュート、凄かったじゃないか!」

 

 「アテナ、ありがとう。阿里久先輩とデメテル先輩のおかげだ」

 

 「デメテル先輩のおかげか。馬鹿だけどシュートは凄いからね」

 

 「阿里久先輩を端折るな。お前がアフロディ先輩大好きで、阿里久先輩やアポロン先輩を良く思ってないことは知っているが……」

 

 「凄い人の側には凄い人だけがいるべきだろう。それで、アキレスはどんな練習をしたんだ?」

 

 「阿里久先輩に教わって夢の中で練習したんだよ」

 

 「は?」

 

 明天名は馬鹿にしたように笑った。「聞くだけ無駄だったな」と、照美の方に歩いて行く。

 

 「阿里久ー! 明天名をわからせてやって! アイツ、オレがチビだからって弱いディフェンダーみたいに言って来やがった!」

 

 阿保露が子供のように叶に訴える。

 

 「やだ」

 

 「なんで!?」

 

 「めんどい。お前が練習中アイツのドリブル全妨害してやりゃ良いじゃん」

 

 「だって難しいもん……」

 

 「頑張れ頑張れ」

 

 叶が無責任に言うと、阿保露は元気なさげに在手に愚痴りに言った。

 

 「師匠、良かったんですか?」

 

 「オレはマネージャー業に集中したいからな。あ、いや、もちろんお前らに教えるのは継続するけど」

 

 叶は一息おいて、

 

 「うーん、家事が得意な人って何するんだろ。倉庫の洗剤ブレンドしたら家事のプロっぽく見えるか?」

 

 と言った。

 

 「師匠! それはマジで不味いです!」

 

 「先輩、有毒ガス発生しちゃいます!」

 

 「阿里久さん、図書館の家事の本をいくつか見繕ってあげるから、基本に忠実に頼むよ。ボクはキミたちと心中するつもりはない」

 

 「は、はい……」

 

 いつの間にか近くに来た平良にまで言われて、叶は自分の考えの浅はかさに落ち込んだ。

 

 「叶ちゃんが上手く出来なくても、ボクがやってあげるから無理しなくて良いんだよ?」

 

 照美は屈んで叶に視線を合わせて、優しく言った。

 彼の後方では明天名が、照美に尊敬する先輩に向ける視線を、叶に尊敬する先輩の寄生虫に向ける視線をそれぞれ向けていた。

 

 「……叶ちゃん、後でデメテルたちとしてた話、教えてほしいな」

 

 「今度なー」

 

 叶が照美の頼みをやんわり断ると、明天名が凄い目で叶を見た。

 

 「お前それ止めとけよ、安芸とデメテル先輩が睨んでるぞ」

 

 「それって何かな? オレは何もしてないけど」

 

 「無自覚の方がやべー……」

 

 「そもそも大して頭の良くないキミに本来なら話しかけられたくないね」

 

 「この歳でこれかよ……お前、オレがいるのに感謝しろよ……」

 

 手魚が軽く明天名に注意したが、彼はキツい態度で手魚に接する。

 目が合った叶と手魚は、互いに同じ人物のことを考えて苦笑した。

 

 「おい、アテナ!!」

 

 安芸が大声を出して、明天名に詰め寄ろうとする。三歩歩き、彼は「ぐひぇあ!!?」と声を出した。安芸の足が曲がらない方向に一瞬曲がり、グキッという音が響いた。

 

 「嘘だろ!? アキレス、大丈夫か!?」

 

 「だいじょばないです……」

 

 「今日は大丈夫かと思ったのに……」

 

 出右手が肩を貸して、ベンチまで安芸を運んでやっている。目を丸くする明天名を一瞥し、叶は眉間を抑えた。

 

 「ゆっくり休めよ!」

 

 言って、叶は安芸の肩をぽんと叩く。

 超能力を使い、彼の自己治癒力を強めてやった。これで明日の朝には元気になっているだろう。叶は満足感と達成感に包まれて、他のメンバーの練習を見ることに戻った。



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39話 破滅の一歩

 

 五月。フットボールフロンティアへの出場を申し込み、無事受理されたことにサッカー部の面々は喜んだ。去年とは違い、今年は学校も約束通り許可してくれたのだ。

 今日の練習が終わり、部員は口々に大会出場への喜びを言葉にする。これまで出れなかった分、三年の喜びが最も大きかった。

 

 「しゃあ! 目標はやっぱ打倒帝国だな!」

 

 「打倒帝国じゃなくて、フットボールフロンティア優勝だろ」

 

 「実質一緒じゃん」

 

 部灰(へぱい)平良(へら)が話している。(かなえ)は部灰の言葉に強く賛成した。

 叶が育てた照美が、叶の人生の集大成が、前世の叶を葬った影山率いる帝国学園を倒せば、叶の復讐は成就する。

 二度目の人生は、当初考えていたよりも大事なものがたくさん出来た。無論、娘の体を奪った罪と前世の最期、そして影山らへの恨みを忘れた日などないが、それでも人殺しをして母や照美に迷惑をかけたくはないと叶は考えていた。

 

 「亜風炉くん、理事長から話があるそうです」

 

 なよなよした男性教師がサッカー棟に入る。コイツは誰だと長考し、影の薄い顧問だと叶は思い出した。

 

 「はい、すぐ行きます」

 

 照美はすれ違い様に叶の頭を一撫ですると、顧問に着いて行く。叶が文句を言おうとしたときには、照美はすでにサッカー棟の外に出てしまっていた。

 

 「話ってなんでしょう?」

 

 「さぁ? 大会についてじゃね?」

 

 十分ほどして、封筒を抱えて照美が帰ってきた。

 

 「照美ー! さっきのなんだよー!」

 

 「……? 何のこと?」

 

 照美はきょとんとした顔だ。

 

 「……何でもない」

 

 叶は不機嫌に言った。よく考えれば、「お前さっきオレの頭撫でたよなぁ!?」と怒るなんて馬鹿みたいだ。

 

 「亜風炉。それで何の話だったんだ?」

 

 「大会に備えて、特別強化合宿を行う……みたいなんだけど……」

 

 平良の質問に、照美は困ったように言う。

 

 「特別強化合宿ぅ? 夏休みに?」

 

 「それだと遅くないですか?」

 

 不思議そうな阿保露(あぽろ)に続けて、在手(あるて)が疑問を口にした。

 

 「ううん、来週の月曜日からフットボールフロンティアの終了──優勝するか、敗退するまでなんだそうだけど…………」

 

 「それって五月から七月、八月くらいまで行かね? 学校はどうすんの?」

 

 「特別授業をするそうだけど……、ごめんね、急なことでボクもよく理解出来ていなくて」

 

 照美が封筒を開ける。十六枚の書類が出てきた。

 

 「ボクたちの両親からは許可を貰ったって。後はボクら自身がサインをして、提出をするだけ」

 

 叶は書類の一番上、照美の名前が書かれたものを見る。たしかに照美の両親の筆跡で、二人の名前が書かれていた。印鑑も見覚えあるものだ。

 

 「急な話で悪いけど、今週の木曜日までには決めて、参加するならサインしてボクのところに提出して欲しいな。要項はプリントにまとめてあるから、読んでおいてね」

 

 照美は言って、叶以外に書類を配って回る。

 

 「我が師は?」

 

 「叶ちゃんは……マネージャーだから、特別強化合宿の対象にはならないみたい……」

 

 「我が師の強さがわからん者の主催する合宿だと? 下らん、オレは行かない」

 

 「それが……。合宿に行かないと、大会への出場は認めないって……」

 

 「なんだよそれ! 実質強制じゃねぇか! 女子のいない合宿なんてやる気出ねえよ!」

 

 部灰が叫んだ。出右手(でめて)は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

 「せっかくだし行ってこいって。んで、優勝してくれ。それに元から女子は出れないし気にすんな」

 

 「師匠……」

 

 弟子にそう言って、叶は行くように促した。

 

 「結果を残させたいのでしょうが、やり方が強引では……?」

 

 「うーん……他の友達や阿里久(ありく)と会えないのは残念だけど、ちゃんと勉強もやらせてくれるんなら、オレは良いかなー」

 

 「アポロン、お前大して成績良くないだろ」

 

 「成績悪くても勉強の大切さはわかるんですー」

 

 疑念を漏らす在手に対し、阿保露は楽観的な意見を口にした。成績を馬鹿にした荒須(あれす)に、阿保露は唇を尖らせて反論する。

 

 「今週の土日は部活を休みにするよ。必要なものを揃えて、合宿の間、不便が無いようにしてくれ」

 

 照美は小さく息を吐くと「解散」と続けた。

 

 「叶ちゃん。二日間とも空けておいてくれないかな。しばらくお別れになるから、二人で出掛けたいんだ」

 

 「おっ、叶姉ちゃんとのお別れが悲しいのか?」

 

 叶はニヤニヤと照美をからかう。

 

 「……うん」

 

 「オレもだぞ!」

 

 素直に頷く照美が可愛らしくって、叶は彼に飛び付いた。シルクのように肌触りの良い彼の金糸の髪を撫でる。

 

 「はい、おしまい」

 

 「ちぇっ」

 

 照美に手を頭から離されて、叶は不満げな表情を浮かべた。

 

 「今はみんなもいるからね。……もう少ししたら、再開していいよ」

 

 「よっしゃぁ!!」

 

 叶は周りに早く帰れと念じた。それが見透かされたようで、照美から軽く怒られた。

 

 

 

 

 

 

 土曜日。叶は照美の買い物に付き合っていた。いつも一人で走って行くときとは違い、バスで(ふもと)の街に行く。美容にうるさい照美の買い物は一般的な男子中学生のものより多かった。それが三ヶ月分だから尚更だ。

 

 「今こんないっぱい買わなくても良くないか? それとも外出を認めないとか書いてあったのか?」

 

 「極力控えるようにとはあったよ。それに、向こうのお店にいつも使っているものがあるとは限らないからね」

 

 「そういや、どこで合宿すんの? お前らから会いに来れなくても、オレから会いに行ける距離なら……」

 

 「ごめんね、世宇子中の近くではあるらしいけど……詳しい場所までは聞いていないんだ」

 

 照美が謝るのに苛ついて、叶は照美の持つ荷物を奪ってやった。そのまま荷物持ちに徹する。

 

 「叶ちゃん、寂しい?」

 

 「寂しい」

 

 叶は素直に言った。照美は「ボクもだよ」と笑った。

 

 「合宿までするんなら、学校のためにも絶対勝たないとなー」

 

 「そうだね。絶対優勝してみせるさ。叶ちゃん、キミに勝利を捧げるよ。だからそのときは──」

 

 キザっぽくそこまで言って、照美は言葉に詰まったようだ。顔を(かす)かに赤くして、「何でもない」と誤魔化す。

 

 「捧げられてやる」

 

 叶は冗談っぽく言って笑った。

 

 「ボクがいない間のダメージを防ぐために、明日は叶ちゃんのヘアケアとか爪のケアをするからね」

 

 「一応お前が鬱陶しく言うことはちゃんとやってんぞ。リンスとか、体にベタベタクリーム塗るのとか、歯間ブラシとか、ハンドクリームとか。オレ本当は全部やらない派だけど」

 

 「せめてリンスと歯間ブラシは言わなくてもやってほしいんだけど……」

 

 「あ、その辺やってくれるなら頭も洗ってほしいな。小五ぶりに一緒にお風呂入ろうぜ」

 

 「寮生活だからダメだよ」

 

 「寮の風呂じゃなくて、サッカー棟にシャワールームあんじゃん」

 

 「いくら叶ちゃんが小さくても二人は狭いよ?」

 

 「狭くてもいいよ。そっちも嫌なら、さっき看板に温泉の広告あったぞ。五千円で九十分、貸切家族風呂って」

 

 「うーん……」

 

 照美は返事を渋った。

 

 「あ! 照美が恥ずかしいなら水着着ても良いぞ! なんならお前の頭も洗ってやる! 背中も流すぞ!」

 

 「……叶ちゃんも水着着るよね?」

 

 「着ないぞ? 風呂で水着って何か嫌じゃん」

 

 叶は事も無げに言う。

 

 「……。他にしたいことはない?」

 

 「うーん、春休みぶりに一緒に寝たい」

 

 「あ……うん、まあ、それなら、いい、かな」

 

 やけに言葉に詰まった様子で照美は呟いた。

 

 日曜日。綺麗になった自分の爪と、良い匂いと手触りになった髪に叶は満足した。昼寝も人の体温のおかげで安眠出来た。心なしか、よく眠れて背が少し高くなった気がする。照美には気のせいだと言われた。

 

 「うーん……よく寝れた、ありがとなー! 母ちゃんが出張してから、お前と一緒じゃないと良く寝れないんだよなー、ホームシック?」

 

 「かもしれないね」

 

 「家帰っても母ちゃんいないから意味ないのにホームシックか。マザーシックの方が正しいんかな?」

 

 「……。叶ちゃんが眠っている間におまじないをかけておいたから、きっと安眠出来るよ」

 

 「ホントかー? おまじないって、女子みてぇ。ま、ありがとな」

 

 叶は笑った。だから、複雑な気持ちになりながらも照美も笑った。

 叶の母・季子(きこ)の出張。それが意味することは、叶と彼女以外の人物では大きく違う。

 叶にとっては季子は長期出張で海外で頑張っている。叶以外にとっては、季子は天国にいるという事実を酷く婉曲して言っているのだ。

 

 「叶ちゃん」

 

 「うわあ!? もう、なんだよ……」

 

 照美は叶を強く抱き締めた。叶は戸惑いながら、背骨を折らないように気をつけて彼を抱き締め返す。

 

 「合宿、頑張れよな」

 

 「うん」

 

 「オレのこと忘れるなよ」

 

 「うん。叶ちゃんこそ」

 

 「明天名(あてな)にオレを尊敬するよう言っとけよ」

 

 「……。うん」

 

 「それと、これ」

 

 叶は照美から体を離す。彼の買い物に付き合って入った雑貨屋。そこでこっそり買ったプレゼントを叶は渡す。蜂蜜色のミサンガだ。

 

 「海外の有名占い師オススメとか書いてあった。切れたときに夢が叶うか、または……なんか、夢が離れていくって書いてあった」

 

 「離れていく……というのは叶わなくなってしまうということかな?」

 

 「多分? でも、そんだけ効果は強いみたいだぞ! 高かったし!」

 

 叶は慌てて言った。

 

 「ボクたちならきっと大丈夫さ。ミサンガが切れたときも、夢が叶う方だよ」

 

 照美は笑って、「叶ちゃん」と呼んだ。叶がそうするのより遥かに優雅な動きで靴下を脱ぐと、綺麗な足首を(あらわ)にする。

 

 「ボクにそれ、結んでほしいな」

 

 「うん。お前の方が器用だし、上手く出来ると思うけど」

 

 「叶ちゃんが良いんだ」

 

 「……おう」

 

 出来るだけ綺麗に結べるよう、叶は最大限集中してミサンガを結んだ。

 

 「これと一緒に、叶ちゃんの思いもグラウンドに連れて行くよ。もちろん決勝戦のときだって、優勝するときだって一緒さ」

 

 「決勝の前に叶う方で切れててくれた方が良いけどな」

 

 照美の言葉を聞いて暖かくなった胸を自覚しながら、叶は照れ隠しにそう言った。

 

 「ねえ、叶ちゃん。絶対に勝つから、そのときは──」

 

 そこまで言って、照美は顔を赤くした。

 

 「……なんでもない」

 

 「なんだよー、教えろよー!」

 

 叶が言っても彼は答えてくれず、叶は不機嫌になった。

 

 「優勝したら言うよ」

 

 「……わかった。じゃあそれまで待ってるから、絶対優勝しろよな!」

 

 叶は照美の両手を握って言った。照美は柔らかな笑顔で、「もちろんさ」と自信溢れる返事をした。




フットボールフロンティア編が五月~七月の終わりor八月上旬から中旬と仮定。(四月開始だと雷門の一年組が腐るのには早すぎるため)
エイリア編が九月いっぱいまでとして、世界編がさらに一、二ヶ月。
とイナイレ無印の時系列を考えたところで、世界編のカタールとの試合(フィールドは日本)の気候が思い切り真夏だということを思い出し、ということは世界編はどれほど遅くても九月には開始していないと……と考え、そもそも推定夏に北海道で車埋まるレベルの積雪と雪崩がある世界なので、細かい時系列について考えるのをやめました。

というわけで、地の文で今は◯月みたいな感じで時期について書いてある文は、多少疑問を持っても軽く読み流していただければ幸いです。


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40話 神域の征服者

 

 照美たちが合宿に行ってから二週間が経つ。今は五月の下旬だ。

 

 みんなが合宿に行く日には平良(へら)に注意されるまで、阿保露(あぽろ)たちに呆れた目で見られながら、(かなえ)は照美に抱き付いて髪を触っていた。

 小一のころの引っ越しよりも離れる期間は短いはずなのに、なぜか異様に悲しくなった。叶は泣いたし、雰囲気にあてられたのか歩星(ぽせい)も涙目だった。部灰(へぱい)が彼を慰めていた。

 

 叶は顧問から借りた鍵で部室の扉を開ける。電気を点け、掃除ロボットを動かす。週に三度、叶は彼らと共に広い部室の掃除をしていた。

 障害物のない床をロボットが徹底的に掃除する。叶は彼らに出来ない高所や窓ガラスの掃除をしていた。

 

 「今日のMVPはパープルだな、お疲れっ!」

 

 叶はロボットが集めたゴミを確認する。

 七台のロボットに叶はそれぞれ色違いのシールを貼っていた。シールの色に合わせて名前も着けている。

 今日最もゴミを集めたパープルの表面を、叶は特別時間をかけて拭いてやった。

 

 「じゃあなー! 明日もよろしくな!」

 

 電源を切ったロボットは当然ながら何も反応しない。叶は寂しく思いながら、その寂しさを埋めるために最近増えた一人言を部室に響かせた。

 

 

 

 

 

 

 これまで叶の中学校生活は部活がほとんどを占めていた。それが無くなって、暇な時間がぽっかり空く。

 

 「なら、うちの部に遊びに来ない?」

 

 相談したところ、ルームメイトのメイからそのような返事が帰ってきた。

 メイ。フルネームを希里巣(きりす)(めい)という、高貴な雰囲気の大人びた紫髪の美少女だ。

 

 「メイの部活って、科学部だったよな? 良いの? 危なくない?」

 

 「大丈夫よ。顧問の先生と私たちが安全には気を配っているし、今の時期は一年生の子のために比較的簡単な実験ばかりしているの。阿里久(ありく)さんが来るなら……カルメ焼きの実験なんかやってもいいかもしれないわね」

 

 「カルメ焼き……行くぞ!」

 

 「なら決まりね! 話は通しておくから、明日化学実験室に来て頂戴」

 

 叶は実験室に入る。科学部には男子が多いだろうという彼女の予想は外れ、男女半々だった。

 

 「メイ先輩っ! この問題がわからなくって」

 

 「ええ、ここはね──」

 

 「希里巣さん、前回の実験結果が良かったから、纏めてコンクールに……」

 

 「私が……ですか? すみません、遠慮しておきます」

 

 「メイ先輩、これ、受け取ってください!」

 

 「手紙? ふふっ、ありがとう」

 

 メイは相当な人気者のようだ。そんな彼女が連れてきた叶に、科学部の面々の注目が集まる。嫌がられないか心配だったが、メイの人望と叶が運営する照美ファンクラブのメンバーのおかげで、叶はすんなり馴染めた。

 

 「凄い(こぼ)れてるじゃない。かき混ぜるのもうちょっと遅くね。うん、後は勝手に膨らむから濡れタオルの上にお玉置いて。熱いから気をつけてね」

 

 一年生に混ざって叶はカルメ焼きを作る。焦げた砂糖の匂いが食欲を煽った。

 

 「メイ先輩と同じ部屋なんですか!? 羨ましい……」

 

 「先輩、大人っぽいし優しいし美人だし頭いいもんね」

 

 「でも目立つの嫌いだよね。次期部長にって声もあったのに断ったらしいし。それにコンクールも」

 

 「告白もたくさんされてるのに、全部断ってるんだって」

 

 一年生の話を聞きながら、叶はカルメ焼きの香ばしい甘味を存分に味わった。

 

 その日の夜、寝る前にメイは、

 

 「今は会えないけど大好きな、宇宙一愛してる素敵なヘアスタイルの彼氏がいるから、それ以外の男の子は──女の子もだけど、そういう目では見れないのよ」

 

 と困ったように言いながら、後輩の女子から貰ったラブレターを読んでいた。

 

 科学部に飽きたころ、叶は部活巡りをしようと決めた。

 まずは運動部を制覇した。

 バスケ部。叶は校舎の屋上からボールを投げて、ボールの大きさギリギリに開いた体育館の窓に入れ、さらに体育館のゴールに入れる神業を披露した。

 陸上部。100m四秒、50m三秒を記録した。その日はその後、部室に閉じ込められて勧誘された。

 水泳部でも好タイムを記録。さらには50m自由形で一度も息継ぎをしない肺活量を見せつけた。

 その他の部活でも、叶はその部の誰よりも優れた結果を出した。

 面白くなさそうな者もいたが、叶は長くても三日もすると他の部の体験に行ってしまうから、特に何か言われることはなかった。

 

 科学部以外の文化部にも参加させてもらった。叶は運動以外は決して優れていなかったが、楽しかった。

 例外として、音楽系の部は叶が部活巡りをしていると聞き付けた時点で、“阿里久禁止令”を発令し叶が部室に入れないようにしていた。

 音楽の授業で叶は壊滅的なリコーダーセンスで音楽教師を気絶させ、破滅的な歌声で病院送りにしたからだ。

 

 部活に力を入れている世宇子中には、数えきれないほど部活がある。それなりに知識や技能も身に付いた。何となく、将来への視野も広まった気がする。

 

 叶が出禁の部以外の部活巡りを終えたころには、もう六月の終わりになっていた。

 フットボールフロンティアの予選は、地区によってはもう決勝まで進んでいる。叶が応援して、毎回観戦に行っている雷門も次が決勝だ。

 

 雷門の一回戦の相手は野生(のせ)中。観客は深緑の制服を着た野生中の生徒がほとんどだった。雷門を応援していたのは叶と三人の子供だけだった。

 野生中と雷門の試合を見て、叶は円堂と壁山(かべやま)塀吾郎(へいごろう)のファンになった。諦めない姿勢に魅了されたのだ。

 土門(どもん)飛鳥(あすか)という少年については何か嫌な予感がしたが、帝国のファンだからそこの技を使っているのだろうと考えた。

 試合の翌日、叶は、

 

 「オ……わたし、お前らのファンになったぞ!」

 

 と言って、超圧縮おにぎりを差し入れた。

 円堂たちは食い進めるにつれて顔を青くしていたが、壁山だけは「うまいっすー!」と言って食べてくれた。叶は壁山を気に入った。

 そのとき、

 

 「阿里久さん。あれだと動いた後には苦しいかも……」

 

 「うーん、確かにうちの学校でも嫌がられたぞ。……木野ちゃん、料理出来る?」

 

 「ええ、少しなら」

 

 「じゃ、時間があるときで良いから、おにぎりの作り方教えて欲しいな」

 

 「それくらいならいくらでも!」

 

 という会話があり、秋は叶の料理の先生になってくれた。まずはおにぎりを極めたいのだが、なかなか上手く作れず次の段階に進めない。

 

 二回戦は御影専農(みかげせんのう)。大勢の御影の生徒の偵察によって、叶は円堂たちに声をかけることはおろか、練習を見ることすら出来なかった。御影専農の生徒を河川敷の橋から放り投げてやろうかと考えたほど苛ついた。

 御影専農のせいで雷門は秘密の場所で特訓を始めたらしく、偵察部隊がいなくなっても叶は円堂たちと話せなかった。

 

 試合当日はもちろん応援しに行った。やはり御影の生徒がほとんどで、叶は居心地が悪かった。

 前半。一点を取るとパス回しで時間稼ぎを始めた御影専農を見て、叶は本気で(いきどお)り野次を飛ばした。

 後半。円堂がゴールをがら空きにしてシュートしたのには驚き、慌てる土門に同情した。その後、御影の選手が頭のコードを引っこ抜いてからの展開は熱かった。

 豪炎寺と円堂の連携シュート・イナズマ1号。御影の桃色の髪の選手・下鶴(しもづる)(あらた)と豪炎寺のボールの奪い合い。その後空中から落ちた下鶴が、落下のダメージと疲弊で横たわったまま頭だけを動かして、ボールを御影のキーパー・杉森(すぎもり)(たけし)に繋いだこと。それを受け取り、杉森が円堂と同じようにキーパー自らシュートを打ったこと。

 前半と後半の御影の選手はまるで別人だった。円堂のサッカーへの思いが彼らにも伝播したのだと、叶は嬉しくなった。

 弟子への土産にするため、豪炎寺にサイン色紙を貰った。照れ臭そうな円堂からも貰った。叶には円堂が将来サッカー界のスターになるという確信があった。

 

 準決勝の秋葉(しゅうよう)名戸(めいと)も、前半は酷いものだった。まともなサッカーをしたのは野生中だけじゃないかと叶は心の中で突っ込んだ。

 なぜかマネージャーたちはメイド服を着ていた。後日聞いたところによると、秋葉名戸に決まりだからと無理矢理着せられたらしい。三人はよく似合っており、可愛らしかった。

 奇天烈(きてれつ)な必殺技を使う秋葉名戸は雷門を独特のペースで翻弄する。それを突破したのが叶もノーマークだった選手、目金(めがね)欠流(かける)だった。

 メガネクラッシュはカッコ悪かったがカッコ良かった。叶は目金のファンになるか悩んだ。

 

 世宇子の名前が地区予選に無いことを、叶は気付いていながら見て見ぬふりをした。世宇子が本来割り振られるであろう地区だけでなく、北海道から沖縄まで調べても無かった。

 もし変なことに巻き込まれていたら、オレがすぐに助けに行かないと。叶は照美のことを想いながら眠った。

 

 

 

 

 

 

 世宇子中三年MF、ニックネーム・メドゥーサ。彼、目戸(めど)は病室で()せっていた。

 

 合宿の最初は普通だった。食事も普通で人の暖かみがあるものだった。自由時間もあった。配信動画で授業を受けることは驚いたけど、勉強も普通にみんなしていた。

 目を閉じれば思い出せる。

 後輩のアフロディが「このハンバーグ、叶ちゃんも気に入りそうだなぁ」と、食事の(たび)に言っていたことを(ハンバーグのところは毎回変わった)。ヘパイスが授業動画を見るふりをしてネットサーフィンをしてヘラに怒られていたのを。そんな当たり前の日常を。

 

 ヤツが来てから全てが変わった。

 生活の全てが異常なまでにサッカーだけになり、食事も栄養バランスと時短にのみ焦点を当てた味気ないものになった。

 サッカー協会の副会長だというその男は、練習前に独自に開発したスポーツドリンクを飲むようにと指示した。

 目戸はそれに従って──スポーツドリンクはほんのりとブドウ味がした──飲んだ瞬間、体の臓器が全て破裂したのではないかという痛みに襲われた。

 頭が割れる、痛い、死んでしまうと言って、黒野(くろの)経洛(へらく)は倒れた。他の二人──安芸(あき)位家(いか)も、彼らよりは軽微な症状だったが似たようなものだった。

 五人は「適合しなかったか」と吐き捨てられ、これまでとは違い、独房のような個室に押し込められた。

 目戸たちを人間扱いしない研究員たちが何度もデータのために、彼らに無理矢理あのスポーツドリンクを飲ませた。その度に五人は全身を(さいな)む苦痛に悶えた。

 あれを練習の度に飲んでいるであろう他のメンバーがどうなっているかなんて、考える余裕などなかった。

 

 研究員が失敗例のデータを一通り取り終わり、用済みの目戸たちは影山支配下の病院に移ることとなった。五人が監獄のような合宿所を出たとき、彼らの仲間はもう以前の姿ではなかった。

 

 「キミたちは神の力に適合しなかったんだね」

 

 「お前たちは選ばれなかったのか。残念だ」

 

 アフロディ(亜風炉)ヘラ(平良)は偉そうに言って、ふてぶてしい顔で目戸たちを見た。

 

 「何が選ばれただ! お前らも、あのスポーツドリンクも、影山の野郎も、みんなおかしい!!」

 

 「メドゥーサ。口を閉じろ。昔のよしみで一度は許してやるが、これ以上の無礼は──」

 

 「何度でも言ってやるよ!!」

 

 他の四人も目戸に賛成して叫ぶ。

 

 「デメテル先輩……元に戻ってください! あんなもの飲んじゃいけません!」

 

 「アキレス……お前も適合さえすれは神の世界を知れたものを」

 

 「何が神の世界ですか……先輩、お願いですから、もう足(くじ)いたりして、先輩に迷惑かけませんから……頑張りますから、元に……元に……」

 

 安芸は泣いて、背中を震わせた。目戸は駆け寄って、差し出せるハンカチもティッシュも持っていないことを嘆いた。

 安芸を特別可愛がっていたはずのデメテル(出右手)は、酷く醜いものを見るように彼を見た。

 

 「……そうか。なら、サッカーで勝負しよう。ボクたちとの力の差を知り、自分たちがどれだけ愚かか理解するといいさ」

 

 「望むところだ!!」

 

 アフロディの言葉に、目戸は感情のまま返事する。

 

 「サッカーでオレたち五人が勝てば、大会なんかもうどうでも良い。合宿は終わりだ。お前たちが勝てばオレたちは素直に出てく」

 

 「ははっ、うん、その条件を飲み込むとも。だって、キミたちの勝ちなんて起こり得ないことだからね」

 

 正気か? 勝てるわけがない。体調不良が慢性化したこの体でサッカー? 出来るわけがない。

 でも、やるしかないのだ。みんなを救うために。

 他の四人も同じ気持ちだった。

 

 影山も目戸の条件に頷き、サッカーバトルが始まる。

 相手はFWのデメテル、MFのアフロディ、ヘラ、アルテミス(在手)、GKのポセイドン(歩星)の五名。

 こちらはGKの位家、FWの安芸、MFの目戸に、DFの経洛と黒野だ。少しばかりであるが相手より守りに偏っているのも、バランスが良いのも幸運だろう。

 目戸は不安と痛みを堪えて先輩として頑張ろうと気張る。

 そして試合が始まった。




メデューサかメドューサかメドゥーサか毎回わからなくなるので、目戸宇佐(めどうさ)はゥで良いんだなとなり、語呂もよくて覚えやすくて良い名前だと思います。
世宇子サイドの詳しい話はもう少し後に書きます。といっても変に洗脳過程を細かく書こうとすると、作者の力量不足で影山の株が落ちそうなので、こっちもそこそこダイジェストになります。


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41話 ドロップアウト

 

 照美たちが合宿に行ってから、(かなえ)は毎週末に稲妻町に遊びに行くのを日課にしていた。

 

 「キャプテン、またキャプテンの知り合いの小学生の子来たでやんすよ」

 

 「オレ……わたしは中学生だよ! 中二! お前より先輩!」

 

 河川敷に現れた叶を見て、栗のような頭をした少年・栗松(くりまつ)鉄平(てっぺい)が言う。叶は苛ついた。

 

 「おー! 叶、また来てくれたのか!」

 

 「うちのサッカー部からハブられちゃったからな」

 

 叶は冗談めかして言った。

 

 「守たちは最近どう? 地区予選の話聞きたいぞ。もちろん全部見に行ったけど、それと選手の話聞くのとは全然違うもん。オレ的には御影専農との試合が良かった!」

 

 「ああ! 御影専農の選手はみんな、本当に熱いヤツらだったよ! またアイツらと試合したいなぁ」

 

 「アイツらって前半がおかしかったの? 後半がおかしかったの?」

 

 「きっと、後半が本当の姿だと思う」

 

 叶の質問に、風丸が悩みながら答えた。

 

 「へへ……まさかこんなに可愛い子がオレのファンになってくれるなんて……オレ、イナズマ落とし頑張って良かったっす……!」

 

 「おい壁山。デレデレするなでやんすよ」

 

 「秋葉名戸も、彼らはオタクとは言えないゲスいヤツらでしたが、改心して真のオタクになったのです!」

 

 「……それって良いことなのか?」

 

 目金の言葉に叶は首を傾げた。

 

 「秋葉名戸といえば、三人とも、メイド服似合ってたぜ!」

 

 叶はマネージャー三人に向けて言う。

 

 「な……!? 見られてたの……!?」

 

 「普通に観客席からも見えたぞ」

 

 「~~~っ!!」

 

 ウェーブのある赤茶色の長い髪。大人びた雰囲気の美少女・雷門(らいもん)夏未(なつみ)は羞恥に震えた。

 

 「えへへっ、似合ってました?」

 

 「おう! 可愛かった!」

 

 青髪のボブヘアーをした愛らしい元気な少女・音無(おとなし)春奈(はるな)は、叶の言葉に満足げに笑う。

 

 「あのときは秋葉名戸のマネージャーさんも同じ格好だから麻痺してたけど……なんだか、今になって急に恥ずかしくなってきたかも……」

 

 居心地悪そうに秋は言った。

 

 「次は地区大会決勝だよな? ちゃんと本戦に来いよ! オレも見ながら応援してっから! そんで、相手校どこ?」

 

 「あの帝国学園だ! 前に練習試合したことがあるんだけど本当に凄いヤツらだったから、試合が今から楽しみでさ。でも……」

 

 「ちょっと問題があって、新しい監督を探さないといけなくなったんだ」

 

 風丸が言いにくそうに言った。

 

 「大変だな……すぐ見つかると良いけど。最悪オレのおじさんを無理矢理監督にすりゃ良いよ。あんなのでも一応経験者だし」

 

 「ああ! そういえば叶のおじさんも凄いキーパーだったな!」

 

 叶は円堂の言葉に被せて言った。

 

 「凄くないよ」

 

 「えっ? でも、叶のおじさんもゴッドハンドを使って……」

 

 「凄くないよ。あんな裏切り者」

 

 「……」

 

 先行(さきゆき)のせいで雰囲気が悪くなってしまった。慌てて叶はまともな話題を提供しようとするが、こういうときに限って話が思い付かない。

 

 「そーいや、お前、どこの中学なんだ?」

 

 桃色の髪を坊主にした、(いか)つい少年。染岡(そめおか)竜吾(りゅうご)が叶に聞いた。

 

 「それなんだけど、多分叶、答えられないと思う」

 

 「答えられねぇ? どういうことだそれ」

 

 円堂に向かって、染岡は苛つきを隠さずに言う。

 

 「オレ……あっ、わたしの学校は世宇(ぜう)──」

 

 「うぇええーん!! ママ──!!」

 

 「あらあら……()けちゃったのね……。痛いの痛いの飛んでけー! あっちで傷口洗いましょ」

 

 叶が学校名を言おうとした瞬間、幼児の泣き声によってかき消された。

 

 「もう一度やるぞ。オレは()──に通ってるんだ」

 

 「かー!!! ワシの飯はどこじゃい!!?」

 

 「ちょっと親父! やめろよ!」

 

 ボケ老人が叫び、学校名だけにピンポイントに被せる。

 

 「三度目の正直な」

 

 「……おう」

 

 「オレの学校は、()──」

 

 バイクが過剰にエンジンをふかし、河川敷の上の道路を通り過ぎた。

 

 「……な? なんか毎回こうなるの」

 

 「なんでだよ……」

 

 「さぁ?」

 

 しばらく雷門の面々と話すと、叶は監督が見つかるのを祈って、彼らを応援して、門限を過ぎないよう気をつけて寮に走って帰った。

 

 ルームメートのメイはまだ帰っておらず、叶は一人ベッドに横たわる。

 

 「照美どこだろ。会いたいなぁ……」

 

 照美が作った料理が食べたい。野菜でも良い。照美が用意したならプラスチックでも良い。照美の顔を見たい。彼と話したい。あの安心出来る声を聞きたい。

 

 あまりにも子供じみた考えだと叶は一人笑った。オレの方が年上なのだから、ここはどっしり構えていないと。このままじゃ、姉貴分ではなく妹分になってしまう。

 

 「我慢我慢。照美に早く会いたいっていうのは、アイツらに早く負けてほしいになっちゃうからな」

 

 叶は言って、照美から昔プレゼントしてもらった、髪を結う赤いリボンを撫でた。

 

 

 

 

 

 

 「ヘブンズタイム」

 

 「ダッシュストーム」

 

 「メガクエイク」

 

 見たこともない技が次々と現れる。

 目戸(めど)はダッシュアクセルなら知っていても、ダッシュストームなんて知らない。アースクエイクなら知っていても、メガクエイクなんて知らない。ヘブンズタイムに至っては、その系列にあたる技すら知らなかった。

 

 ヘブンズタイムで指先すら動かせず、時間停止の反動の竜巻により吹っ飛ばされた。

 ダッシュストームで吹っ飛ばされて、背中を思い切り打ち付けた。

 メガクエイクで隆起した土に足元を奪われ、空中から地面に思い切り叩き付けられた。

 

 決着はもう着いていた。

 目戸も、安芸(あき)も、黒野(くろの)も、経洛(へらく)もボロボロだった。

 本来勝負にならないところを、神様方の慈悲によりボールを与えてもらい、そしてさらに痛め付けられた。

 

 「お前たちが毒と呼んで、その価値もわからないもの……“神のアクア”がオレたちに力を与えてくれたんだ」

 

 なんだよそれ。馬鹿じゃねーの。

 口を動かすことも出来ずに目戸は思った。

 

 「ゴッドノウズ……!!」

 

 この合宿より前に目戸が見たものより、遥かに強大な真白の電撃を(まと)うシュートが位家(いか)を襲う。

 キーパーの位家はボロボロという言葉すら足りないほど負傷していた。立っているのが奇跡。意識を保っているのは奇跡以上の何かだ。

 

 止めようとするな。止めるな。逃げろ。試合をすると言ったオレが悪かった。

 目戸は叫ぼうとして、叫ぶほどの元気もなく、ただひたすら強く念じた。思いは位家に届かず、ゴッドノウズをまともに受けた彼はダンゴムシのように丸くなり、動かなくなってしまう。

 黒野、経洛と、他のメンバーも倒れていき、残ったのは目戸と安芸だけだ。目戸は気合いだけで、先輩の自分が後輩に無様を晒すなんてと耐える。

 

 「……デメテル、先輩」

 

 安芸が小さく呟く。誰も動かないグラウンドで、その声はやけに響いた。

 

 「先輩のお師匠の、阿里久(ありく)、先輩は……これ、見てどう、思うと──」

 

 途切れ途切れにそこまで言って、安芸は倒れた。

 最後の一人の後輩が倒れたのを見て、張り詰めた気持ちがほどけ、目戸も倒れる。

 

 「我が師がどう思うか? これほどの力を得たのだ。認めてもらえるに決まっている。アフロディよりもな!」

 

 薄れ行く意識の中、聴覚だけが正常に働いていた。そんなわけないだろう、と目戸は心の中で突っ込む。

 

 「そうだ! アフロディ、師匠をフットボールフロンティアに出場させないか?」

 

 「叶ちゃんを? でも、叶ちゃんは女の子だよ」

 

 「既存の考えに囚われるな。我らの後ろにどなたがいらっしゃると思っている」

 

 「そうか……! 影山総帥なら、叶ちゃんを……ボクたちの夢を叶えてくれるんだ!」

 

 アフロディは高揚した調子で言う。ボクたちの夢というのは、アフロディが叶のいないところで度々言っていた、「叶ちゃんと共にフットボールフロンティアで優勝したい」というものだろう。目戸は思い出した。

 阿里久が喜ぶわけないだろ、目戸は薄い意識の中でそう思った。

 

 「こう言うのは癪だが……阿里久なら神のアクアにも適合出来るだろうな。アイツは選ばれた人間だ」

 

 ヘラが言った。

 それはいけない。それだけはダメだ。目戸はそう思いながら意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 目覚めると目戸たち五人は病院にいた。看護師が四六時中近くにいて、病室にはむき出しの監視カメラがある。

 トイレ以外への外出は許されず、それすら時間を測られ、不審な動きは出来ない。外部からの情報は一切与えられず、マシなのは五人一緒ということだけだった。

 

 意識を失う前に聞いた会話を、目戸はトイレで他の四人に共有した。

 

 「阿里久先輩を……! ダメです、先輩を助けないと?」

 

 「どうやって?」

 

 意気込んだ安芸に、位家が暗い声色で言う。

 

 「直接は会いに行けん。携帯も取られた。となると……手紙……か?」

 

 経洛がそう口にする。

 

 「ポストは病院の庭、窓から見えるところにあるよね。看護師の監視のせいで行けないけど」

 

 位家は冷めた声で言った。

 

 「ま、監視は誤魔化せればどーにかなるだろ。切手とかはどうする?」

 

 「切手なんかどうでもいいだろ。それより手紙の内容だ」

 

 「えっと……、オレ、仲良くなった鳥がいるので、切手の心配はいりません」

 

 「安芸お前、なんかのファンタジーもののキャラだったりする?」

 

 五人のトイレが長いことを不審がった看護師に呼ばれ、話し合いは一旦終わった。

 

 数度の会議の後、目戸たちは無事怪文書のような手紙──勘づいたのか看護師の監視がさらにキツくなり、筆記用具の調達にも苦労してそれしか送れなかったのだ──を叶に送った。

 後はあの、明らかに正常なものではない手紙を、安芸が手懐けた鳥が叶に届けてくれることと、彼女が危険を察知して逃げてくれることを祈るのみだ。




アースクエイクとメガクエイク、ダッシュアクセルとダッシュストームがそれぞれ下位と上位の関係にあるのは捏造です。
ちなみに目戸たちは病院でちゃんとした薬抜きの治療を受けています。


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42話 躄地(びゃくち)の絶望、陶酔の希望

神のアクアについてかなりの捏造設定があります。


 

 「(かなえ)、ちゃん」

 

 照美は幼馴染みの名を呼ぶ。

 今の自分は彼女と同等以上の力を持っているのだから呼び捨てにしようとして、結局染み付いた響きからちゃん付けしてしまった。照美はその事実に苦笑する。

 

 神のアクアを飲んで、力と総帥の言葉に酔いしれると多幸感に包まれる。愛しい彼女の名前を呼べば尚更だ。

 

 「ふふっ……叶ちゃんと一緒に優勝出来たら、きっと凄く幸せなんだろうな」

 

 照美は息を小さく吐いた。

 彼の正面のテーブルに置かれた小瓶が、照美の顔を小さく映す。心なしか、その赤色の目はワントーン暗い。

 

 小瓶の中の液体──神のアクアには大きく分けて二つの効果がある。

 

 第一に、身体強化。

 軍事用に作られた薬品を元にした神のアクアはただの中学生だった照美たちに、人を再起不能まで打ちのめし、ゴールネットを容易く破壊する力を与えた。

 強大な力を得られる故に、神のアクアの成分に適合出来なかったときの反動は大きい。

 

 照美は目戸たちが適合出来ず、体を壊したことをそっと嘆いた。

 体調が悪く、だから心の方もおかしくなってしまったのだろう。総帥のことを悪く言って、勝てるはずが無いのに試合まで挑んで来るなんて。

 照美は彼らへの情があるからこそ本気で挑んだ。大人げなくヘブンズタイムまで使ってしまった。怪我をさせてしまったけど、一周回ってこれは良いことだろう。照美は願う。目戸たちには病院のベッドで、たっぷりと総帥への態度を反省してほしい。

 

 第二に、洗脳効果。

 軍において重要なのは何か?

 個々の力ももちろんだが、それは武器でいくらでも補える。最低限、銃の反動で腕が使い物にならないことを防げる程度の筋力さえあれば良い。上官の命令を聞かない兵は、どれほど強かろうが不要だ。

 そう考えて、洗脳効果とそれに付随した正常な思考力を弱め、独善的な考えを持ちやすくなる効果を、神のアクアの元となる薬品を作った科学者は織り込んだ。

 

 故に神のアクアは、服用した者にそれを与えた者──照美たちにとっては影山が該当する──の言葉を脳に、心に染み込みやすくする効能がある。影山自身のカリスマや話術も後押しして、世宇子イレブンは彼に心酔していた。

 

 他にも、家族から離れた寮からさらに離された合宿所で、サッカー部以外の生徒と話す機会を失い、狭いコミュニティの偏った価値観の中での生活を送らされる。

 十数年の人生で培った道徳や倫理を、隔離空間でゆっくりと、そうとも気付かずに壊される。

 影山の後押しもあり、“自分たちは選ばれた”、“自分たちは神だ”という濁った思考が煮詰まる。

 神に逆らう愚者を痛め付けた成功体験から、さらに自分たちは正しいのだと思い込む。

 強大な権力と社会的立場を持つ影山に認められ、彼に従属する安心。彼の指示を達成する満足感。彼に必要とされる使命感。

 このようにしてトンネルのような一本道の闇の中、照美たちの思考はさらに歪に煮詰まっていった。

 

 目戸(めど)たち五人と試合をした日の夜。

 叶に結んでもらったミサンガは切れてしまった。叶の思いを連れていけないのは残念だが、夢が叶うのだ。叶と共にフィールドに立てるのだ。

 照美は高揚に、もう一つ、“夢が離れていったときにミサンガが切れる”ということを忘れていた。

 

 照美はそんな生活で、徐々に顔つきも変わりつつあった。

 彼本来の美貌はそのままに。されど元々あった優しさはその眼差しから失われ、(おご)り高ぶりが代入された。それは他の者も同じだった。

 

 「叶ちゃんもボクたちと一緒にサッカー出来るんだから、きっと喜ぶよね。デメテルが思い付いてくれて良かった。総帥も許可してくださったし、すぐ迎えに行くからね」

 

 照美は同じユニフォームを着て、フィールドを叶と駆ける幸せな夢に浸った。

 彼が夢見るのはそれと、力を手にした自分が全ての困難を打ち砕いて、彼女の母が亡くなる前のような笑顔を、叶が生涯浮かべていてくれることだ。

 

 

 

 

 

 「阿里久(ありく)さん、これ……。他の生徒さんが、鳥が運んできたと言っていたのだけど……」

 

 寮母から訝しげに渡された手紙に、叶は不審な顔をした。

 クシャクシャになったメモ帳の1ページ。殴り書きでいくつかの単語が書かれている。裏面に『世宇子中二年 阿里久叶様へ』と、他よりは少しばかり綺麗な字で書かれていた。

 

 「何か事件にでも巻き込まれてない? ストーカーとか……良かったらこっちで処分しておこっか?」

 

 「いえ、大丈夫です。多分チェーンメール的なアレだと思います」

 

 「そう……? 何かあったら、遠慮しないで相談してね」

 

 寮母は心配そうに言って、洗濯物を抱えて外へ出た。

 

 誰もいないサッカー棟に移動してから、叶は手紙を見る。

 

 『薬 セン/ウ カゲ山 危ナイ 逃■■て』

 

 五つの単語。

 全てがぐちゃぐちゃに書かれていて、どことなく生理的な嫌悪感を煽る。

 “逃”と“て”の間の一文字、あるいは二文字は他以上に形が崩れていて、『逃げて』か『逃がして』なのかすらわからなかった。

 

 「なんだこれ……?」

 

 かろうじて読み取れるカゲ山という文字が、叶に解読意欲を与えていた。

 

 叶はミーティングルームを最初に掃除しようとする。誰もいないはずのそこに、今ここにいないはずの人物がいた。

 

 「久しぶりだね、叶ちゃん。一ヶ月半ぶりになるかな?」

 

 照美はその流麗な金髪を(なび)かせ、叶を見ると、以前とはどこか違う雰囲気の笑顔で言った。

 フリフリの体操服に、変なタスキのような布が着いている。照美が着ている、神話のトーガをモチーフにした初めて見る世宇子ユニフォームを、叶はそのように感じた。

 

 「照美……? 本当に、照美か……?」

 

 何だか違和感がある。本人ではなく、照美を精巧に模した人形や、双子の兄弟と言われた方が納得出来る。

 叶は違和感の正体もわからず、何を言うべきか悩んだ。

 

 「うん、照美だよ。叶ちゃん、そんなにボクが恋しかったんだね」

 

 「照美……?」

 

 何かが違うのに、言語化出来ない。叶は何だか漠然と気持ち悪く、気持ち悪いという感情と照美が程遠いことも気持ち悪く、えずきそうになった。

 

 「叶ちゃんにね、良いニュースがあるんだ」

 

 「おう……?」

 

 「影山総帥がね──当然実力を見てからになるけど、叶ちゃんをフットボールフロンティアに出しても良いって!」

 

 雲ひとつない晴天のような、満面の笑みで照美は言った。

 叶は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 総帥? 照美は、今、誰のことを──。

 

 「照美……? 今なんて……?」

 

 「声を震わせて……そんなに嬉しかったんだね! そうしていると叶ちゃん、まるで本当にか弱い女の子みたいだ。可愛いよ。叶ちゃんが女の子って理由だけで、不当に大会に出場する権利を奪われていることに、ボクは昔から──」

 

 「それって、他の学校の女子も出れるのか? 大会規定が今年から変わったのか?」

 

 「ううん、叶ちゃんだけだよ。特別なボクの特別な相手にふさわしい待遇だと思わないかい?」

 

 叶は両手を強く握りしめた。背中を震わせる。

 どうして。不正を喜ぶような子に、照美を育てた覚えはないのに。

 

 「……それってズルだよな?」

 

 「普通の人間はそう思うかもね。でも、叶みたいな特別な才能を持つ人なら──」

 

 「悪いけど断る」

 

 「……っ、どうして!?」

 

 「嫌だから。それで十分だろ。なぁ、照美。大会に出れなくてもいいし、昔した約束も破っていい。……あんな約束してごめんな。負担だったよな」

 

 「なんで……なんでそんなこと……」

 

 照美は譫言(うわごと)のように呟く。

 今度は照美が体を震わせた。まるで迷子の子供のようだった。

 

 「お前、なんか変だぞ。それに影山総帥って……帝国学園のトップだろ? なんでそんなヤツとつるんでるんだよ?」

 

 “オレを殺した”と言うのは飲み込んだ。

 

 「サッカー協会副会長でもあるよ。総帥を裏切る帝国学園と天秤にかけて、ボクらを選んでくださったんだ」

 

 「……やっぱ、おかしいよ。なぁ照美。今から家に帰ってゆっくり考え直そうぜ」

 

 「……。素晴らしい提案なのにどうしてわかってくれないの? そうだ」

 

 照美は(ふところ)から小瓶を取り出す。

 

 「神のアクアを飲めば……きっと、叶ちゃんもボクたちと同じ世界に──」

 

 グルグルと。焦点の合わない瞳で照美は叶に迫る。困惑が強く、彼を突き飛ばすほど強い拒絶の意も持てず、壁と照美に叶は挟まれた。

 

 「叶ちゃん、これを飲んで」

 

 「照美……?」

 

 飲めば良いのだろうか。叶の本能が飲むなと警鐘を鳴らす。でも飲まないと照美が落ち込む。照美をこれ以上落ち込ませたくない。

 でも、今のおかしくなっている照美は、オレの好きな照美じゃない。

 

 「叶ちゃん、あまり焦らさないでよ」

 

 「照美、これ、多分ダメなヤツだぞ」

 

 「良いものだよ」

 

 会話が通じない。叶は悩んで、照美に無理やり渡された小瓶の蓋を取り敢えず開ける。照美はそれを見て口角を上げた。

 そして、叶はそっと小瓶から手を離した。

 重力に従って小瓶は床に落下。ガラスが割れる鋭い音と共に、やや水色がかった透明な液体が床に撒き散らされた。

 割れたガラスとこぼれた神のアクア。ゴミを認識した掃除ロボットがその上に集まり、もはや回収は困難だ。

 

 「……!! 何を……!? まさかこれをゴミだと認識して……っ! 物の良し悪しもわからない機械ごときが、何てことを!」

 

 照美は狼狽(うろた)えて、ロボットを罵倒する。ロボットは照美の言葉を気にも留めず、非常に事務的に細かなガラス片と零れた神のアクアを吸い取った。

 

 「総帥にもう一本いただかないと……。あっ、見苦しいところを見せちゃってごめんね。叶ちゃん、手も小さいから、うっかり滑らせちゃったんだよね? 大丈夫。あのロボットに怒りを感じただけで、叶ちゃんのことは全く怒っていないよ」

 

 「照美……。合宿ってどこでやってるんだ? どうして世宇子は予選に出場すらしていないんだ? どうして影山がお前らに関わっているんだ? なんでお前変になっちゃったんだ? なぁ……答えてくれよ……」

 

 「いくら叶ちゃんでも、総帥をそんな風に呼び捨てにすることは許されないよ。今回と、そうだなぁ、三回くらいは許してあげるから気を付けるように」

 

 そう言って、照美は叶の疑問には何も答えずに去っていった。

 

 追いかける気力がなかった。照美が前世の仇の手に落ちて、足元が崩れ落ちるような絶望があった。

 叶は肩を落として、解読途中の怪文書を読む。

 

 『薬 セン/ウ カゲ山 危ナイ 逃■■て』

 

 「うちの誰かが……照美以外のまともな子が、助けを求めてるのか……?」

 

 神のアクアという薬により、洗脳されている。そして、それを盛ったのは影山。危ないから手紙の主は逃げたい。叶に助けてほしい。そういうことなのだろうか。

 

 「ははっ……なんで……」

 

 叶は乾いた笑い声を漏らす。

 彼女に助けを求めてくれた誰かの思いに報いたい、照美のことも助けてやらなきゃいけないと、新たな行動理念が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 叶が照美と話した日から三日後。フットボールフロンティア本戦が始まった。

 予選に出なかった世宇子は特別招待校という、四十年の大会の歴史の中で初めての肩書きを背負って現れた。

 開会式にすら照美たちは出ず、叶はそれをテレビ中継で見て、酷く悲しい気分になった。

 そして、帝国学園対世宇子中の試合。叶はこれも会場に行く気になれずテレビ中継で見た。

 

 一人、また一人と倒れていく帝国学園の選手。

 中でも、地面を抉るほどの威力のシュートを受けた源田の消耗が激しかった。

 帝国学園の司令塔にして天才ゲームメーカー・鬼道はベンチで仲間たちの様子を、ゴーグルの後ろの目を見開いて、瞬きを忘れたように見ていた。

 10-0の大差を付け、中学サッカー界最強と謳われる帝国学園に世宇子は勝利した。それも試合時間をフルで使うことなく、僅か十分で帝国学園を試合続行不能にしてのことだ。

 

 試合が終わった。叶はテレビのチャンネルを少しでも明るい番組のものに変える。

 憎い相手が育てた帝国学園がああもボロ負けしたら、もっと胸がスッとすると思っていた。実際は酷く心が傷んだ。

 数日前に見た雷門と戦国伊賀島の試合に比べると、何とも汚く見ていて後味の悪い試合だ。気分が影響したのか、叶は自分の唾液すら苦く感じた。

 

 「オレの照美がごめんなさい、先輩がごめんなさい……!」

 

 弟子が、後輩が、同級生がと変えながら、叶は何度も謝った。

 帝国学園の選手はそのほとんどが入院したのだと、少し後に悪趣味なニュースで叶は知った。

 

 泣いて、泣いて。部室に残る照美の匂いを追いかけて。叶は合宿がどこで行われているか突き止めた。

 自分が照美たちを倒すことで、影山が彼らを使って何かを企んでいるのは無意味なことだと証明しようと決心した。




評価・お気に入り・閲覧等ありがとうございます。励みになります。

イナイレ新作が来年~再来年くらいには発売しそうで良かったです。冬の告知が楽しみです。ただ、Switch本体や他の気になるゲームで出費が嵩みそうなのが怖いです。


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43話 崩壊

やや人を選ぶ話かもしれません。主人公によって可哀想な目に遭わされるモブがいます。


 

 (かなえ)は照美の匂いを辿る。東京郊外の山奥に、要塞のような異様な建物があった。

 

 「ここに、照美たちが……」

 

 唾を飲み、叶はその建物を見る。

 門には警備員が二人。それに加えて、特に隠されていない防犯カメラがいくつも備え付けられている。

 叶は警備員の一人を背後からの不意打ちで、もう一人を彼が混乱した隙に正面から気絶させた。

 カメラを壊し、警備員から借りたカードキーで施設に入る。

 

 瞬間、大きくブザー音が鳴り、廊下が真っ赤なライトで染まった。機械音声が「侵入者、侵入者」と繰り返し訴える。

 

 「チッ……!」

 

 叶は舌打ちをした。

 何がまずかった? 警備員のカードキーではなくて、もっと偉いヤツのを使うべきだったか? カメラを壊したのが余計だった?

 

 「侵入者か……!?」

 

 言いながら、白衣を着た研究者らしい男が叶を追う。運動は不得意なのか、息を切らして必死に走っているのに(のろ)い。

 

 都合が良い。叶はゆっくり走りながら話す。

 

 「お! ちょうど良かった! なあ、お前、影山の鼻糞野郎の部下で合ってる?」

 

 「総帥に何と失礼な……! 逃げるな! 俺が捕まえてやる!」

 

 男はこめかみをピクピクさせて、怒りに滲んだ声を出した。

 彼に従ったわけではないが、叶は足を止めて、男の方に向き直る。

 

 「それっぽいな。じゃ、お前も悪党なんだな。なら──オレを助けてくれないか?」

 

 「何を……」

 

 叶は蜂蜜色の目をピカリと光らせ、同色の細いビームを出した。ビームは唖然とした男に直撃。彼の脳と魂を書き換える。叶の洗脳能力だ。

 男の中で全ての優先順位が高いもの──愛する家族、偉大なる総帥、趣味にして仕事の研究──を抜かして、一番上に叶という存在が来た。

 

 「オレにはお前が必要なんだ。頼むよ。なあ」

 

 叶が言うと、男はひれ伏した。

 

 「叶様。少々お待ちください。あなた様の(かんばせ)を拝み、あなた様のお声でこの鼓膜を震わせていただくのに邪魔な警報を、叶様の忠実な配下である(わたくし)めが止めてみせます」

 

 「ん、ありがとなー」

 

 指示しようと思ったことを先回りでしてくれた。どうやらこの男は有能らしい。

 

 侵入者()を探す同僚に、男が電話でその必要はないと伝えている。

 

 「……ああ、侵入者はいなかった。恐らく誤動作だ。点検不足だろう。警備員が倒れていた? 外は暑いからな、日射病じゃないか? 監視カメラが壊れていた? 暑いからな、機械も壊れるさ。……何が言いたい? 研究チームリーダーの俺に文句があるのか?」

 

 どうやら男は立場が高いようだ。叶は自分の幸運に感謝した。

 

 「照美たちのいるところ。わからなかったら、クソッタレ影山がいるところ。あるいは、神のアクアってのが作られているところ。そのどれかに案内してくれ」

 

 「はい! 総帥と()()()は確かではないですが……神のアクアが製造されている場所でしたら、確実に」

 

 「じゃあ先にそっち。それと」

 

 爆音が響く。叶は男を平手打ちした。

 数メートル吹っ飛んだ男との距離を、叶は瞬時に縮める。往復ビンタをし、さらに倒れた男に追撃。首根っこを掴み、頭を壁に数度打ち付けた。

 

 「照美たちはそんな名前じゃない」

 

 「はっ、はい……。申し訳ありません……!」

 

 男は土下座して謝る。床と口付けをし、床と熱烈に見つめ合う。

 叶の造形美に優れた──あくまで“叶”を全ての物事の中で最上に捉えるようになった、彼の感想だ──顔を見られないことに男は多大なストレスを感じ、これが自分への罰なのだと受け止めた。

 

 「こちらが神のアクアを作る実験室でございます。資料と実験道具があります」

 

 「ん、じゃ、それ壊そっか」

 

 「叶様のお言葉のままに」

 

 突然の小さな侵入者と、その隣で恍惚(こうこつ)の笑みを浮かべる上司。それに驚き目を丸くする研究員たちを、叶は軽く気絶させる。その拳圧と脚圧で、実験器具とコンピューター類を破壊。実験ノートをビリビリに破き、指で摩擦して燃やす。

 男もそれを真似して、箒を振り回したり、分厚い図鑑を振りかぶったりして部屋の中のものを壊した。

 愛着ある研究器具がその中にあることも、違法な研究とはいえ何度も徹夜して得た実験データを壊すことも、叶という主に服従する幸福感の前では何も感じなかった。

 むしろ、こんなに強い主人に仕えているのだと、男は喜びに震えた。

 

 被害総額が数億円になった辺りで、叶の敵が来た。

 

 「何の騒ぎだ……!?」

 

 狼狽(ろうばい)した様子の影山が研究室の扉を開ける。

 気絶した平研究員。(とろ)けた表情の研究チームリーダー。物を粉々に壊し続ける叶。

 そんな惨状を見ても、影山は一瞬混乱しただけで、すぐに(つね)の状態を取り戻した。

 

 「阿里久(ありく)叶さんだね? これは一体、何のつもりだ?」

 

 「叶様、影山総帥を探すお手間が省けましたね。良かったです。本来、偉大なるあなた様が出向く必要はなく、総帥がこちらへ来るべきなのですから」

 

 「オレと照美たちでサッカーの勝負をしたい。アイツら、オレの勘だけど……薬ってことはドーピングしているんだろ?」

 

 「はい、実験た……」

 

 叶は男を睨んだ。男は主人の意を汲んで、一発、自分で自分を殴ると、

 

 「申し訳ありません! ヤツら……ひっ、亜風炉たちが服用している神のアクアには、身体能力を引き上げる効果があります」

 

 と続けた。

 

 「…………それで?」

 

 影山が叶に問う。サングラスで目は見えない。声色と口角の上がりから、まるでこの状況を楽しんでいるようだと感じて、叶は苛ついた。

 

 「ドーピングしてないオレがアイツらを倒して、アイツらの弱さを証明する。そしたら、お前が照美たちを使う意味はなくなるはずだ」

 

 「上手く行くと思うのかね?」

 

 「叶様の御力でしたら、出来ないことはございません」

 

 「出来る。オレだからな。んで、試合させてくれるのかよ?」

 

 「ああ。古会(ふるえ)の娘の実力も見ておきたかったからな。私にとっても、願ってもないチャンスだ」

 

 「叶様万歳!」

 

 男のせいで締まらない雰囲気の中、叶と影山は話をする。

 

 「ところで」

 

 照美たちはすでにグラウンドにいるらしい。長い道中の後半、影山が一人言のように言った。

 

 「古会(あらた)──お前の父親が、高齢者を暴行してプロサッカー選手を辞めさせられたことは知っているかな?」

 

 「知ってる」

 

 「そうか。被害者が古会の母親。つまりお前の祖母だということも?」

 

 「知ってる」

 

 「総帥! 叶様の家族がどうであれ、叶様の尊さは変わりません!」

 

 影山はそれ以降何も言わなかった。叶を揺さぶることに失敗したと悟ったのだ。

 

 「……どのような人身掌握術を使ったのかは知らないが、そこの彼は私をまだ総帥と呼んでいるな? 忠実な部下には程遠いようだ。重要な場面で部下に裏切られないようにすべきと、人生の先輩として、ささやかながら忠告させてもらうよ」

 

 「言われなくても!」

 

 叶は男への洗脳を強める。

 そのために、まずは彼の記憶を辿る。大事なものや価値観を知る。

 

 男は母子家庭の二人家族。有名国立大学の理学部を優秀な成績で卒業の後に院進。

 しかし母が仕事中の事故で下半身不随になり、彼は院を中退し介護を引き受けた。その生活が五年続き、ある日バイトをクビになり、金が尽きた。

 大学時代の先輩の手引きで影山の元で違法な研究を始め、その知識量で研究チームのリーダーにまで上りつめた。母の施設も見つかり、それなりに快適な生活をさせられるようにもなった。

 

 影山への恩義の感情を少し読み取ると、それ以降は男の母への愛情だけが叶の中に入ってきた。

 男とその母が、叶と季子(きこ)に重なる。彼にとっては大変だっただろうが、親を介護出来て叶は羨ましいと感じた。

 だって、叶にはもうそんな機会はないのだから。季子が死んだ今、ほんの一言会話をすることも、親孝行も──。待て、今、オレは何を。

 叶の頭の中、霧が晴れる。

 晴れた後の世界は叶に非常な現実のみを押し付けた。

 

 「母ちゃん! 違う……違う、母ちゃんが死んだの忘れてごめんなさい! ごめんなさい! 違うの! 帰ってきてって言ってごめんなさい! オレのせいで、オレのせいでっ……! 違うんだ季子……、姉ちゃ……オレはお前を愛して……殺すつもりは……。もうあのことも怒ってないから帰ってきてくれ……。じゃあなんでオレは今までのうのうと人生を楽しんで、あれ? あれ? ははっ……」

 

 男から読み取った、叶が季子に向けるものと同じ、母親への愛情。

 切れかかっていた照美の暗示は、もはや叶の記憶の箱を閉じたままではいさせてくれなかった。男から読み取った記憶と感情が、底に封じ込めていた記憶を叶に思い出させる。

 

 「叶様の母君……、私も微力ながら謝ります。どうか偉大なる叶様をお許しください」

 

 聖母マリアに祈るキリスト教徒のように、男は土下座した。それが神聖な祈りの儀式かのように、頭を強く床に打ち付ける。叶に殴られた頭から血が飛び散った。

 

 「……壊れたか」

 

 影山はそう言い捨てて叶を見る。

 壊れたとしても使いようがある。それほどに“古会の娘”というネームバリューも、叶の持つK細胞の価値も大きい。

 

 「叶、まずは照美くんたちを助けないと。泣いてる暇はないわ。そうだね、母ちゃん。叶なら勝てるわ。あの人の子供だもの。うん、オレ頑張る」

 

 「おお……聖母様がお許しくださった……!」

 

 「ほう……?」

 

 額からは血を、目からは大粒の涙を流す男を無視して、影山は叶を見やる。どうやら母の疑似人格を作り出し、己の心を守ったらしい。

 

 「うん、うん! まずは照美たちを倒さないとね。おい、試合早くさせろよ」

 

 「……ああ。焦らなくとも、お友達との対面はすぐだ」

 

 重厚な扉が開く。

 黒野(くろの)安芸(あき)経洛(へらく)位家(いか)目戸(めど)を除いた十一人が室内グラウンドに勢揃いしていた。

 

 「叶ちゃん、どうして試合なんて……?」

 

 「師匠。アイツらみたいになるだけですよ……?」

 

 照美と出右手(でめて)は以前のように話しかけてきて、それがさらに叶の怒りを煽った。

 

 「神の力を見せれば、阿里久も意見変えるよね。ね、アルテミス」

 

 「その通りですよ。アポロン」

 

 「叶ちゃん、神と人の力の差は置いといてもさ、一人で十一人に勝てると思うぅ?」

 

 部灰(へぱい)がニヤニヤ笑って聞く。

 

 「だからこうします」

 

 叶は分身を繰り返す。ユニフォームはフェイから得たデータ、テンマーズのものを流用。少しダサいし、“天”の字と叶は何の繋がりもないが、新しくデザインを考えるのは面倒だ。

 

 十人の叶が現れる。声帯機能も表情筋の機能も、今回の彼女たちにはいらない。プロトコル・オメガや鉄塔の戦いのときとは違い、分身は酷く機械的な雰囲気を纏っていた。

 

 驚く世宇子イレブンの中、照美だけがなぜか酷くショックを受けた顔をしていた。

 グラウンドを重い沈黙が包む。洗脳された男だけが場違いに、「叶様がお増えになった! 万歳(ばんざい)!」と叫んでいた。




Q.なんで叶はアフロディや影山に洗脳能力使わなかったの?
A.洗脳が永続だからです。
アフロディたちのことは人によって差はあれど大切な存在のため、影山には叶様と言われるのも嫌で、洗脳したら復讐が出来なくなってしまう(叶に何をされても喜ぶようになるので)ために叶は洗脳能力を使いませんでした。

被害総額数十億の内訳は主に研究器具と神のアクアのデータです。ついでに警備員と研究員の治療費。
影山の部下は研究チーム以外には、多分警備チームとか車の運転手チームとか家事チームとか機械系のメンテナンスチームがあります。適当です。

ちなみに季子が生きていた場合、雷門(サッカー部が入学時点では存在しないので)か、あまりサッカー部が活発ではない女子校に入れられるので、叶は世宇子には通いませんでした。


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44話 vs世宇子

やや長めです。
主人公による暴力表現があります。
軽い描写ですが一行程度嘔吐表現があります。また、神のアクアを嘔吐物の隠語として表記している箇所が複数あります。
お食事中の方はご注意ください。


 

 (かなえ)は分身を配置する。同じ顔が十。表情も立ち方も呼吸すらも(たが)わずに並んでいる。

 フォーメーションは5-3-2。まるでサッカーを始めたばかりの子供が考えたような、攻撃に偏ったものだ。

 フォワード五人の中央に叶本体はいた。

 分身と同じ無表情。彼女たちと違うのは、鳥肌が立つほど恐ろしい雰囲気を(まと)い、犬の垂れ耳を思わせる癖毛を鬼の角のように逆立たせている点だ。

 

 照美たちは試合の前に水分補給を──神のアクアを服用していた。

 今すぐに殴って止めたい衝動に駆られたが、ドーピングしている彼らに勝ち、その行為の無意味さを思い知らせないといけないのだと、叶は必死に(こら)えた。

 

 「阿里久(ありく)……さん、いくらキック力が強かろうが、よくわからない術を使えようが、キミはボクたちに勝てないだろう。今からでも遅くない。棄権を──」

 

 「しません」

 

 「そうか」

 

 十一人の叶。背丈は120センチ強の彼女たちを、目一杯見下しながら(以前は屈んで視線を合わせてくれることもあった)、平良(へら)は偉そうな態度で言った。

 叶が思い通りの返事をしなかったことに舌打ちして、彼は飲み終わった神のアクアのグラスを地面に叩き付ける。それを契機に他の十人も同様にした。

 

 「そうだ。今の元気なキミと話せるのも最後だろうし、一応言っておくか。ありがとう、阿里久さん」

 

 一転、にこやかな笑みで向き直り、平良は言った。

 何に対して礼を言われたのかわからず、叶はポカンと口を小さく開けた。

 

 「ほら、アレだよ。キミが入部したころに重りや電流スパイクを使う頭のおかしな特訓をしただろ? 神のアクアに適合出来たのは、もしかしたら一割くらいはアレのおかげなのかもってな」

 

 「…………」

 

 ヘラヘラ笑って平良は言う。

 馬鹿にされるよりも遥かに屈辱的だ。叶は下唇を噛んだ。

 数度呼吸して落ち着くと、強く(まばた)きして、水分が多くなった目から涙が(こぼ)れ落ちないことを確認。

 気付かれないように小さく鼻を(すす)り、平良の後ろにいる照美に向かって叶は言う。

 

 「……照美、オレはこの試合を、どれだけ長くても前半で終わらせるつもりだ。痛いのが嫌なら今すぐ棄権してくれ」

 

 「しないよ。叶ちゃんにボクたちが正しいことをわかってもらう。キミをボクの隣に連れていく」

 

 「今のお前の隣なんか立ちたくねぇ」

 

 それで十分だった。互いが折れないことは叶も照美もよくわかった。

 叶は今まで(つちか)った自分と照美の友情が無価値だったことを。照美は女神にふさわしい実力を持つ叶が、こんなにも聞き分けが悪いことを。それぞれ理解出来なかった。

 

 「そっちからでいいよ」

 

 「……ありがとよ」

 

 照美から叶にボールが渡される。何となく素直に受け取るのが嫌で、叶は分身に受け取らせた。

 

 試合が始まる。審判は叶に洗脳された研究員の男が、

 

 「精一杯叶様に有利な判断を(いた)します!」

 

 と言って志願した。

 ちょうど良いハンデだと、照美たちは笑ってそれを受け入れた。

 

 「慈悲の女神エリニュス」

 

 キックオフ。分身からボールを受け取ると、叶は試合が始まってすぐに化身を発動。青紫のオーラが彼女の背に集まった。

 黒いドレスの上から漆黒の鎧を身に付けた、ベールで顔が見えない女性型の化身・エリニュスの放つ、根源的恐怖すらも引き起こす強大なオーラ。

 世宇子イレブンは足をすくませ、むしろ神たる我らにふさわしい相手だと、力を入れ直す。

 

 他のみんなが叶に痛い思いをさせる前にと、照美はチームメートより先んじてボールを奪いに行こうとした。

 

 「……え?」

 

 そして、そのころにはもう叶はディフェンスラインを突破していた。

 

 「裁きの鉄槌も何も使わないんだな」

 

 「っ……」

 

 ゴール前。冷たい声でディフェンス陣に言い捨てて、さらに声色を低くして叶は言う。

 誰かが息を飲んだ。そうしたのは一人だけじゃなかったかもしれない。だが今の叶には周りの反応などどうでも良かった。

 

 「エリニュス・フューリー」

 

 化身必殺技。暗黒のオーラがボールを包む、人智を越えた超スピードにして超パワーのシュート。

 

 「早い…………」

 

 歩星(ぽせい)は“ツナミウォール”のつの字も言えずに、両手を前に出しながらただ立ち尽くしていた。

 これが、試合開始から(わず)か一分の出来事だった。

 

 試合を再開する前に、照美たちは神のアクアを重ねて服用する。ここまでの高頻度で飲んだことはなかったが、揺らいだ心を落ち着かせるためにはこれが必要だった。

 

 平良から照美へキックオフ。

 

 「デメテル!」

 

 叶の分身が近付くのを見ると真正面からやり合うのを避けるため、照美から出右手(でめて)にパス。それを他の分身がカットする。

 先程の本体の行動を真似するように分身はドリブルをした。しかし、叶に比べると動きは遅く、十分に目で追える。

 

 「キラースライド!!」

 

 高速で足を突き出す平良のスライディング。分身は顔をしかめてボールを(こぼ)した。

 

 「……! どうやらその偽物たち、見た目は叶ちゃんそっくりだけど、叶ちゃんほど強くはないみたいだね?」

 

 叶は照美の言葉を無視した。点を入れる。それ以外のための行動は不要だ。

 

 「……」

 

 「なっ……! ふざけるな……!!」

 

 叶は平良からボールを奪い、分身のリカバリーをした。何か(わめ)かれたがどうでもいい。それを聞くのに集中力を回すのなら、他に使うべきだ。

 叶は考える。四体程度までなら気にならなかったが、十体の分身ともなると力が分散し、弱体化していることがよくわかる。足手まといな彼女たちの強化を叶は(はか)った。

 

 「ゴーストミキシマックス」

 

 自分のオーラを一方的に分身へ。分身を具現化する際にムラが出来てしまった力を、未だ本体の叶に偏ったままの力を均一にする。

 ゴーストミキシマックスについてはプロトコル・オメガとの試合のとき、アルファの記憶を読み取って知った。彼とは別のチームの水色髪の少女がやっていたものだ。

 ぶっつけ本番だが、成功して良かったと叶は安堵する。

 

 ベストマッチ。やはり本体と分身という関係上相性が良いのか。ゴーストミキシマックスで与えた力は本来以上に増幅して分身に伝わっている気がした。

 

 「アームド」

 

 叶は化身エリニュスを全身に纏う。黒いドレスに、それと組み合わせるには不格好なタイツと鎧を着たようなコスチュームが、ユニフォームの上から重なった。

 

 「「「「「模造化身レプリカ」」」」」

 

 十の分身の声が重なる。

 ぼんやりとした灰色一色の、エリニュスを模したシルエット。通常の化身より力を感じない化身が十体現れた。

 

 「「「「「アームド」」」」」

 

 分身は機械的な響きで言った。

 

 「オフェンスは叶ちゃんの(まが)い物に攻撃を! ディフェンスは本物の叶ちゃんをマークして! 絶対にゴールに近づかせるな!」

 

 照美の指示に他の面々が従う。

 ディフェンダーの四人──部灰(へぱい)阿保露(あぽろ)荒須(あれす)手魚(でいお)が、化身の放つオーラに(ひる)みながらも叶を囲もうとする。

 

 「キラースライドっ!!」

 

 「っ……!」

 

 先程とは反対に、分身の足首を狙ってスライディングをした平良の表情が歪んだ。

 照美はそれを見て、ほんの一瞬、懐かしさに(ふけ)った。小学生のころの試合でもこんなことがあった。叶の体はとにかく頑丈なのだ。

 まるで神様に愛されたかのような才能で、だから照美は追い付け──。

 

 「…………叶ちゃん」

 

 小さく口の中でだけ呟く。感傷に浸るのは勝利の後だ。照美は金糸の髪を揺らして、ボールをキープする分身の方に走る。

 

 「…………」

 

 その分身は照美を視界に入れると、敵の彼にパスした。戸惑いながら受け止める。

 

 「……ドーピングしてようが多分、一番強いシュート打てるのお前で変わりないだろ? 良いぞ、やってみろ」

 

 叶は冷たく言い放った。

 まるで我らが神となってもなお、自分の方が上と思っているようだ。照美は彼女の言葉にほんの少しの怒りと、それらを遥かに上回る憐憫(れんびん)を感じた。

 

 大事な叶ちゃんのためにも、ボクが現実を思い知らせてあげなくてはいけない。

 照美は思い、強く大地を蹴り上げる。

 

 「ゴッドノウズ……改っ!!」

 

 六枚羽で飛び上がる。空中からの強大な真白の雷撃を纏ったシュート。照美にとっては慣れた、目を(つむ)っていても出来る動きだ。

 

 「グラビティション」

 

 「アステロイドベルト」

 

 ミッドフィルダーの二体の分身がシュートブロック。

 超重力がボールにかかると、今度は反対に無重力空間の中、雪崩(なだれ)のような隕石がシュートの威力を削ぎ落とす。

 

 「「グラビティション」」

 

 ディフェンダーとミッドフィルダーの二体の分身が同時に過剰重力空間をボールの周りに生み出す。

 残り一体のディフェンダーの分身が、「アステロイドベルト」と隕石の雪崩を繰り返した。

 

 「……っ、ぅ……!!」

 

 ゴールキーパーの分身が、化身の力を使い、短く苦しそうな息を吐いてシュートをキャッチした。

 

 「……そんな……」

 

 照美の声が揺らぐ。

 チームで一番強いシュートが止められた。それは世宇子イレブンの戦意を削ぐのに十分な出来事だった。

 

 冷静に考えられたのなら彼らは気付けただろう。

 ゴールキーパーの叶の分身と、それ以外には厚い壁で隔たれた能力の差があるということに。

 五回のシュートブロックで威力を減衰されたゴッドノウズ。化身アームドで強化されていてもなお、それを止めるだけでキーパーの分身は、体力の多くを消費したことに。

 

 世宇子イレブンと叶の間にも同様に壁がある。

 だが、それでも今の感情的な叶相手なら、冷静に早くパスコースを見極め、直接相手とぶつかるのを避けて消耗を減らし、諦めずに何度もシュートをすれば、ゴールを破るのは不可能ではないことに。

 試合には勝てなくとも、一矢報いることは出来ることに。

 

 神のアクアを飲んでからの彼らに、ろくな戦略は無かった。チームワークも軽視して、個々の力を暴力的に振るい、短時間で相手を潰すだけのサッカーをしていた。

 作戦立案力も、フィールドを見通す力も、見苦しいほどの粘り強さも何もかもが身に付かない。否、あったはずのそれらも失った。

  

 残りはただの蹂躙だった。世宇子イレブンはただ自分たちは神であるということにすがり付き、恐怖を押し殺して果敢に叶に挑む。

 

 平良のキラースライドはおろか、阿保露の裁きの鉄槌でも、手魚のメガクエイクでもボールは奪えない。

 自分の核ともなる必殺技が欠片(かけら)として通用せず、ディフェンス陣からさらに戦意が失せていく。

 ツナミウォールもギガントウォールもゴールを守れない。海神にはもう、神の威厳はない。

 一分間に二、三回のペースでボールがゴールネットを貫く。

 

 ゴールの後には神のアクアをもう一口飲んで、世宇子のボールから試合は再開する。

 だがダッシュストームは意味を成さない。叶はその程度で吹っ飛ばない。ヘブンズタイムも通用しない。叶は光速を越えた早さで動き、相対的に周囲の時間を止めることで照美に食らいついた。

 

 ゴッドノウズもディバインアローもリフレクトハスターも。打つチャンスは一度としてなく、打ったところで入るビジョンは彼らには見えなかった。

 

 今の叶はキックオフと同時に相手のボールを即座に奪い、シュートを打つ道具と化していた。

 試合開始15分で29-0という大差がついていた。

 叶がボールを奪う以外の無駄な攻防はない。よって、同じ時間普通の試合をしたときと比べると、キーパーの歩星以外の十人には肉体的な消耗は少なかった。

 

 「化け物……!!」

 

 「来るな……来るなぁっ!!」

 

 ディフェンスの二人、荒須と手魚はコートから出そうなギリギリに立ち、そこから動こうとしない。

 

 「阿里久先輩の見た目の化け物が……! あの間抜けがこんなに強いはずない!」

 

 と言った明天名の顔面は蒼白で、カタカタと歯を鳴らしていた。

 在手(あるて)は直立不動だ。

 何か切り札でもあるのか。不審に思った叶は読心能力を使おうか迷い、さすがに反則だろうと考え直す。こっちならいいだろうと透視能力で仮面を透かして見ると、在手はただ気絶していた。

 

 照美、平良、出右手の三人はまだ食らいつくつもりらしい。阿保露に至っては裁きの鉄槌が通用しないとわかると、余計な体力の消耗を避け、

 

 「阿里久も夢の舞台に立てるんだよ……? 嬉しいでしょ? 阿里久が一番大事なアフロディも、それを望んでいるよ! それに、オレだって昔から阿里久と──」

 

 と、狡猾に叶の情に訴えようとしてきた。

 

 「黙れ!!」

 

 彼が何を言うのか、大体わかった。だから阿保露が言い終わらないうちに、叶はダークトルネードを彼に打ち込んだ。

 

 裏切り者。お前も照美も、いつから影山と繋がっていたんだ。初めて会ったころからか? 影山に親を殺されたオレと仲良くして楽しかったか? 気持ち良かったか?

 阿保露は小一。在手は小二で出会ったころから。先輩と同級生は中一から。後輩も四月からずっと。

 そして、照美は出会ったころから、三歳からずっとオレを騙していたんだ。

 手紙を出した者──叶に助けを求める者なんていなかった。叶はずっと騙されていたのだ。

 叶は何も言わず、シュートに怒りを乗せる。

 

 「ひ……っ! 裁きの鉄槌っ!!」

 

 怯えながらも冷静に、阿保露はシュートの威力を弱めようとした。しかし目を細め腰を抜かしながら発動した必殺技は、ボールから離れた位置に巨大な足を生み出した。

 自分に(かす)りそうだった裁きの鉄槌に、手魚が大きな体をうるさく震わせた。

 弾丸のごとく肉を抉るスピードで突き進むボールは、彼の腹に躊躇(ちゅうちょ)なく激突する。

 

 「がはっ……!!」

 

 少しの嘔吐物と、白い泡を口から出して、阿保露は倒れた。

 

 ──ああ、こうすれば良いんだ。

 

 阿保露の口から出たものを見て、叶はほくそ笑む。ああやって、神のアクアを体から無くせば、みんな元に戻るんだ。

 

 「せぇん、ぱいっ!」

 

 叶は愛らしい笑顔を歩星に向けた。

 吹っ飛んで、横たわった阿保露の近くで弱々しく転がるボールを拾うと、キーパーの分身に大きくパックパス。叶は平穏な未来を夢見て口角を三日月型に吊り上げる。

 

 「真彗星シュート」

 

 キーパーの分身のロングシュート。

 

 「流星光底(りゅうせいこうてい)

 

 他のポジションの分身による、九重(ここのえ)の究極奥義のシュートチェイン。そして、

 

 「エリニュス・フューリー」

 

 最後は本体の叶の化身技による仕上げ。

 漆黒より暗い光が歩星を襲う。彼は全身に傷を作って気絶した。“神のアクア”を出させてあげれなかった。そのことに、叶は落ち込みながら彼の人より膨らんだ腹に足を振り下ろそうとする。

 

 「師匠!!」

 

 その前に出右手が叶を呼んだ。そうだ、コイツの体からも汚染を無くしてあげないと。

 審判が機械的に笛を鳴らす。

 

 「叶様、試合を続けられますか?」

 

 「ああ」

 

 「でしたら、恐縮ですが最初の位置にお戻りを」

 

 世宇子イレブンの中には倒れた歩星を、あるいはキーパーが稼働しなくなったことを心配して、彼にチラチラと視線を向ける者もいた。

 彼らは叶と洗脳された男の言葉を聞くと、後方を見るのを止めて、肩に力を入れて構える。

 

 叶は試合が再開するとすぐに、平良からボールを奪う。

 

 「ダークトルネードっ!! 改っ!!」

 

 出右手の腹に食い込んだ、黒い炎を纏ったボール。叶はそれにライトニングアクセルで追い付き叫ぶ。

 

 「真ジャッジスルー!!!」

 

 叶は渾身の力で出右手を蹴り上げた。

 結局、出右手の口からペースト状の“神のアクア”は出なかった。代わりに(あばら)を折る感触を感じた。

 弟子一人すら救えない。叶は涙目になる。

 

 「はははは!! なぁ! 何がっ! 何が神だよ! バカどもが……っ、オレはっ、今まで何を……ぷははははっ!!」

 

 哄笑(こうしょう)

 叶はもう自分が何を思っているのか、何を言いたいのか、何をするべきかもわからなかった。

 後はもう、これまで以上に試合とは呼べない。

 

 平良にもジャッジスルーを叩き付ける。経目(へるめ)の腹にダークトルネード。部灰には彗星シュート。震える明天名、手魚、荒須にも。すでに気絶した歩星と在手にも。

 

 キーパーの歩星が気絶し交代もない以上、もはやサッカーとして成立していない。だが、叶の目的は試合で勝つことではなく、あくまで照美たちとの差を影山に見せつけることだ。

 ごくごく普通の女子中学生に負けた世宇子イレブンに失望して、彼らを利用するのを影山がやめたなら叶の勝利。

 

 まだ影山が世宇子イレブンを見放すことを確信出来ていない。だから叶は曇った思考の(もと)に暴力的なプレーを繰り返した。

 やがて、叶と分身の他に立っていられる者は照美だけになった。

 

 「…………叶ちゃん、どうして……?」

 

 「…………」

 

 「どうして、女神たる実力を持つキミが、こんな聞き分けのないことをするんだい……? 総帥に従えば、叶ちゃんも栄光を得られるのに……」

 

 照美は言う。

 

 「……そうか」

 

 まだわかってくれないのかと、失望しながら叶は言った。そして、目の前の少年を見た。他のチームメートに比べ、彼だけが怪我や汚れが異常に少ない。

 照美にだけ暴力を振るえない弱い自分を軽蔑しながら、叶は迷う。

 

 「照美。大丈夫だぞ」

 

 「……どういう、つもりだい……?」

 

 叶は優しく言った。

 腕を照美の背中に回す。照美の荒い息づかいが叶の耳から脳に染み込む。

 

 運動しただけでは説明がつかないほど息が荒い。みんなが倒れて行くのを見るのが怖かったのだろう、悪いことをしたかも、と叶は思った。

 

 「……叶ちゃん」

 

 子供のように(つたな)い響きで照美が言った。

 照美の背骨を折る寸前まで叶は力を入れる。聞こえてきた(うめ)き声に、慌てて力を弱めた。

 超能力で照美の体力を吸い取り、叶は彼を気絶させた。

 

 普通の試合中に相手の体をここまでの長時間触ればイエローカード、下手したら退場だろう。だが、審判は叶に洗脳された研究員だ。

 

 「おお、叶様万歳!!」

 

 と言って、彼は叶に何もペナルティを課さなかった。

 

 痛い思いをさせてしまった。骨折したヤツも何人もいる。薬品が体を蝕んでいたなら尚更心配だ。

 分身を解除して一つに戻る。そして、倒れ伏す世宇子イレブンに分身を消して浮いた分の力を叶は注ぎ込んだ。

 これで起きたころには万全な体調に戻るはずだ。折れた骨も元通り。照美に関しては特に、“神のアクア”で得た力の分を集中的に吸収したから、薬も抜けてくれるだろう。

 

 「ぺっ」

 

 叶は勢いよく唾を吐いた。吸い取った薬物の成分を弾き出したかったのだ。唾は影山の靴を濡らした。

 こうして体内に入れて分析してみると、叶が想像していたような人の体を壊す劇薬ではなかった。

 長くても数ヶ月あれば世宇子のみんなからも薬は抜けるだろうし、照美から吸い取った量の神のアクアなら叶の体に大した影響もなく、時間と共に自然に、叶に食いつくされて跡形も無くなるだろう。

 

 吐いた唾から吸い取った神のアクアが今この瞬間に全て出ていくわけではない。他者を不快にさせるだけの無意味な行為だ。

 けれど、(みそぎ)の一種として、叶は何となくそうしたかった。

 

 「叶様ぁ!!」

 

 力を使いすぎた。叶の意識は無くなった。照美以外の他のみんなも超能力で弄くって、“神のアクア”を出されてあげたかったのに。

 意識を失う直前、スコアボードを見た。36-0で叶の勝ちだ。影山にとって、照美たちは無価値になっただろう。もう大丈夫だ。

 

 体から力が無くなる。大人しくそれに身を(ゆだ)ね、叶は安心して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 阿里久叶に駆け寄った研究員が彼女と共に消えた。影山はそれを見ても特に驚かない。

 

 アフロディは以前から幼馴染がいかに凄いか、その力を世に知らしめるべき存在かを影山に語っていた。

 その中には不審者を彼女が撃退してくれた、というものもあった。

 不審者──影山の部下で、優れたサッカー少年を独自にスカウトすることで優位な立ち位置を得ようと目論(もくろ)んでいた男だ。

 男はアフロディの家庭環境に目をつけ、家族との不和を引き起こすことで、彼を手に入れようとしていた。

 だがそれは失敗に終わり、今、男は精神病院で余生を過ごしている。

 

 何があったのかは(さだ)かでなかった。

 男が倒れた場所付近の画質の悪い監視カメラのデータを得て、叶との接触後にそうなったとわかった。

 

 彼と、今回の研究員。それらを総合して、影山は──叶は超常的な人身掌握能力を持つのだと結論づける。それこそ、フィクション作品のような洗脳能力すらあるだろう。

 馬鹿げた発想だろうか? 非常識だろうか?

 否、下らぬ常識に囚われ、視野を狭める方が余程馬鹿げている。

 

 影山は手元の画面を見る。二つの赤い点──叶と研究員にしかけたGPSだ──が世宇子中にあった。

 ヤツが欲しい。だがヤツの破壊した神のアクアの実験データの復元の方が先だ。

 データはガルシルドからも求められている。ぞんざいにするわけにはいかなかった。叶に壊された実験装置や人材のため、不服だが彼に頭を下げなければならない。

 叶の勧誘のために使う時間はそれほどなく、あの暴力においてだけは最高級の完成品を得たくとも、今いる最低限の性能しかない不良品で妥協せざるをえない。

 影山は電話をかけた。

 下っ端の黒服たちに叶を連れてくるよう指示する。無論、成功するとは思っていない。彼らへの期待は爪の先のほんの一欠片ほども持っていない。

 続けて黒服と、控室にいた故に無事だった警備員たちに、気絶した研究員と警備員、それに無様に倒れる神々の介抱を指示。

 

 今回失った資源はあまりにも大きい。だが、悪いことばかりと言うわけではなかった。

 影山は足元を見る。靴の先、銃弾が掠ったように丸く抉れた小さな(へこ)みの中に、叶の唾が溜まっている。最近枯渇していたK細胞のサンプルが増えた。

 それに、模造化身レプリカ。叶の化身、慈悲の女神エリニュスを不完全に模倣した化身だ。影山はその優れた脳味噌を働かせ、一つの結論を得た。

 模造化身を何らかの方法で再現し、他の選手に付ける。すなわち、レプリカを外付けの神のアクアのように扱うことは可能だと。

 

 苛立ちながらも、化身に──サッカーの新たな可能性に興奮するのを自覚すると、どこか攻撃的な笑みを作って影山は電話を切った。




評価バーに色が着きました。読者の皆様ありがとうございます。

今までなら叶は、「影山に部活を壊された被害者」として振る舞えましたが、今回でやらかしたので普通に加害者側になりました。アフロディ達を助けたければ試合で必要以上に痛め付ける必要はマジで無かったので。
世宇子で純粋に被害者と言えるのはこの二次小説だとベンチ組(目戸達)だけです。
叶による無双展開は対世宇子(この話)と、残り一度で終わりです。というか叶以外全員分身のチームで試合は地の文書くのが難しいです。後は分身とサッカーして無双する主人公って何だか虚しいです。それ以降は弱体化させて対策します。


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45話 喪失の味

 

 目が覚めると、(かなえ)は寮の自室にいた。何があったか記憶を探り、試合の後に倒れたのだと思い出す。

 ルームメートのメイが紫の髪を垂らして、心配そうにベッドに横たわる叶を覗き込んでいた。

 

 「目を覚ましたのね、大丈夫?」

 

 「あれ……オレ、どーやってここまで帰って……?」

 

 「山にフィールドワークに来ていた研究員さんが、倒れている阿里久(ありく)さんを見つけてくれたそうよ。彼がここまで運んでくれたの」

 

 言われ、叶は(うつ)ろな意識を覚醒させた。

 メイの言う研究員さんとは、恐らく叶が支配したあの男のことだろう。

 

 「オレ、どんくらい寝てた?」

 

 「一週間よ。すぐにお腹に何か入れないといけないわ」

 

 「一週間も!?」

 

 叶は異様な空腹を自覚した。メイは冷蔵庫からゼリー飲料を手渡す。叶の好きなブドウ味とパッケージに書いてあった。

 一気に飲み尽くす勢いで吸って、叶は胃までそれを入れることが出来なかった。

 味がないのだ。ドロドロとした食感が気持ち悪い。叶は吐き気を(こら)え、今口にある分を必死に飲み込んだ。

 

 「大丈夫?」

 

 「ちょっと胃がびっくりしたみてぇ」

 

 「調子が悪かったら遠慮しないで言ってね? 食堂からご飯を持ってくるけど……少ない方がいいわよね?」

 

 「うん。あっ、オレの少ないはお前の普通より多いぞ」

 

 「わかってるわ」

 

 メイは部屋から出ていった。ここでようやく、誰かにパジャマに着替えさせてもらったのだと叶は気付いた。

 数日分溜まっているハンカチを洗濯に出すべく、ハンガーにかかっている制服のポケットに手を突っ込み、紙屑を発見した。

 

 洗脳した研究員からの手紙だ。

 影山は照美たちを引き連れて、別の施設に移動したこと。以前の施設には、もう何も痕跡はないこと。本大会二戦目も相手校の試合続行不可により世宇子中の勝利だったこと。影山の部下が叶を狙っていること。自分は(ふもと)の街のビジネスホテルに待機していること。

 叶の知りたかった情報が、叶を崇め(たた)える文章と共に、ざっとこれだけまとめてあった。

 

 「ってことは──せっかく無くしたのに、また神のアクアが照美の体に入って……!」

 

 何度でも無くさないと。叶は一人慌てた。

 

 「阿里久さん、ご飯持ってきたわ。本当はお野菜も食べて欲しいけど……食べやすいものが一番だと思って」

 

 「おお! メイ、ありがとな!」

 

 「本当は油ものは控えた方が良いけど、阿里久さん、これ好きだものね」

 

 「うん!」

 

 叶は唐揚げを口に運び、口を押さえた。

 ぐちゃぐちゃの脂身。皮も気持ち悪い。ジューシーさも旨味も何も感じない。食感はひたすら不快で、まるで拷問だ。

 残りの食事。お粥もすりりんごもドロドロしていて不快で、いつもの楽しい食事はどこにもなかった。梅干しのキツい酸味すらどこかに迷子になってしまっている。

 「ビタミンも摂らないといけないわ」と、メイが持ってきた野菜ジュースが一番飲み込みやすかった。いつもの叶では考えられないことだ。

 

 「…………大丈夫?」

 

 「うん……ちょっと食欲ないだけ。今日はぱって寝る……」

 

 叶は気絶するように寝た。

 夏休みに入り、実家に帰る生徒も多くいる中、ルームメートがいてくれたことに感謝する。

 オレは幸運だ。幸せだ。ストレスはまああるけど、でもそこまで繊細じゃないし、大雑把だし。だから──味覚が無くなったなんて、そんなことあり得ない。

 一番美味しい料理を食べよう。母ちゃんの料理。でも、母ちゃんは飛行機事故で──。あれ、オレは何を? そうだ、季子(きこ)は“出張”でいないんだ。

 

 (わかってる癖に忘れるの?)

 

 ()()()()()()()()季子の声がした。叶にしか聞こえない声が。

 

 叶は(かぶり)を振って、美味しい料理について考える。

 二番目に美味い料理を作る照美のお母さんには今合わせる顔がない。家から追い出されても仕方ないし。今の照美の作った料理は、あんまり食べたくないし。

 

 それ以外で一番暖かくて、真心が(こも)った料理。雷雷軒のラーメンを腹一杯食べに行こう。

 そうだ。野菜ジュースとゼリー飲料、唐揚げは多分味のつけ忘れ。メーカーと寮母に文句を言わないと。お粥は粗悪な米を使っていて元々味がなくて、林檎は美味しく育っていなかった。梅干しはそれに加えて漬け方がダメだった。ラーメンも餃子も炒飯も、きっと全部おいしいさ。

 

 叶はそう思い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 「おっちゃん、今日もおっちゃんのラーメンうまかったよ! ごちそうさまー!」

 

 「やけに食う量が少ないじゃないか。大丈夫か?」

 

 「えっ? 叶、これで食べる量少ないのか? オレも負けてられないなぁ!」

 

 「響木のおっちゃんも守も。オレだって女子なんだよ? ダイエットしないとなーって、危機感が……」

 

 「何キロ太ったんだ?」

 

 「風丸先輩、デリカシーないでやんすよ」

 

 「全然太ってないと思うっす……?」

 

 「そりゃ壁山からするとみんなそうだろ」

 

 染岡は壁山を見て言った。壁山は「染岡さん酷いっすー!」とコミカルに怒った。

 雷雷軒に行くと、雷門中サッカー部のほとんどが揃っていた。賑やかなのは静かよりも良いし、円堂以外とも顔見知りくらいにはなったとはいえ、少しアウェー感がある。

 

 「あっ、忘れてたけど……本戦進出おめでとう! 帝国に勝ったんなら、優勝も夢じゃないな!」

 

 叶は雷門の予選決勝の試合も忘れずに観戦していた。試合開始直後、円堂たちに鉄骨が降り注いだときは、怖くて目を強く(つむ)っていた。

 すぐさま前世の死因と同じ、影山の細工だと考え付く。そして次に、守たちは本戦進出確定だなと叶は考えた。

 (あらた)のときとは違い、これだけ大勢の観客の前で大事故を起こしたのだ。しかも場所は帝国学園のスタジアム。まともな神経をしていれば、自分たちから責任を取って不戦敗にしてほしいと申し出るはずだ。

 

 叶の考えとは裏腹に、帝国学園の選手たちは恥知らずばかりだったらしい。

 さらに叶が業腹だったのは、恥知らずどもと雷門の試合がハラハラして、熱くなって、最後には爽やかに終わって。つまるところ、見ていて一番良かったことだ。

 

 「へへっ、ありがとな!」

 

 「にしても……影山、卑怯なヤツだったぜ」

 

 染岡が憎らしげに言った。

 

 「まあでも、こうして勝って、みんな元気で良かったっすね」

 

 「そいや、監督は見つかったの? なんか居なくなっちゃったとか言ってたじゃん」

 

 「ああ! この、響木監督がオレたちの監督になってくれたんだ!」

 

 「えー!? 響木のおっちゃんが!? だからベンチにいたんだー!! おっちゃんサッカー出来たの? 嘘ー……!?」

 

 叶はひとしきり驚くと、試合の感想を語る。

 

 始めの方、円堂は緊張からか調子が悪いようだった。それを体を張ってカバーするディフェンス陣の勇姿。特に土門の姿といったら素晴らしいものだった。

 叶は土門のファンになり、周りの軍服を思わせるデザインの深緑の学ランの少年同士が、“土門は家の事情か何かで帝国学園から雷門に転校してしまった、残念だ”と話していたのを聞いて、すぐに辞めた。

 皇帝ペンギン2号は帝国学園の優れた連携力に裏打ちされた、強力なシュートだった。叶はなぜ1号の方を使わないのか疑問だったが、試合を見ているうちにそんなことはどうでも良くなった。

 

 豪炎寺が円堂にファイアトルネードを打ち込んだのにはびっくりしたが、その後円堂のプレーは見違えて良くなったから、あれは彼らなりのコミュニケーションなのだろう。叶は、二人の将来が少し心配になった。

 帝国のキャプテンが足を痛めても戦う様子には──これが帝国学園の選手でなければもっと──胸を打たれたし、豪炎寺・染岡と、源田の攻防も最高だった。

 御影専農との試合を見たとはいえ、まさかあそこで円堂が上がってくるとは叶は思わなかったし、それが得点に繋がるとも思わなかった。

 

 「凄かったぞ!! 特に守と、風丸と、壁山と土門と、栗松と、染岡と、豪炎寺!! もちろんそれ以外も!」

 

 「へへっ、こんな可愛い子にまたまた褒められちゃったっす」

 

 「壁山、気持ち悪いからデレデレするなでやんす」

 

 「ああ! 本っ当に良い試合だった! 去年の優勝校だから、帝国学園は地区予選で負けても本戦に進めるみたいで、決勝でまた戦うのが楽しみだったんだけど……」

 

 「……世宇子中に、10-0で負けてしまったんだ」

 

 円堂の言葉を引き継ぎ、風丸は暗いトーンで言った。

 

 「……っ! ……世宇子ってとこ、凄いな、どーなってんだろ……。……守たちは二回戦、どこと戦ったんだ? ごめんなぁ、戦国伊賀島との試合は見に行ったけど、忙しくってその次はちょっと見れてないんだ」

 

 叶は前半を棒読みで、後半は早口で言った。

 

 「そういや伊賀島んとき、観客席で、風丸がなんかするたびに『風丸さん……!』って言ってる金髪の男子いたな。まさか雷門で最初に大ファンがつくのが風丸なんて」

 

 思い出したように叶は言う。

 

 「宮坂か。そんなにオレを応援してくれてたんだな」

 

 風丸は照れ臭そうに笑った。

 

 「あら、雷門で最初に大ファンが出来たのは、風丸くんではなくってよ?」

 

 夏未が突如口を開いた。気品のある彼女を見て、ラーメン屋が似合わないなと叶は思った。

 

 「じゃあ誰なんだ?」

 

 「それは……。っ、……。な、何を言わせるつもりなの!?」

 

 「……?」

 

 叶の疑問に答えようとして、円堂の方に視線を向けると顔を赤らめる夏未。叶は彼女の態度に首を傾げた。

 

 「えっと……二回戦は守りが強靭な千羽山が相手だった! 特に、ディフェンスとキーパーの三人でする、“無限の壁”って技が凄く強かったよ! 鬼道がいないと勝てなかった……!」

 

 「……鬼道? 帝国のキャプテン様か? ソイツがいったいどうして……」

 

 「ああ! 千羽山との試合の前に、鬼道がオレたちのチームに入ってくれたんだ!!」

 

 「えっと……帝国から雷門に転校ってこと……? 良いのそれ?」

 

 「大会規定的にはOKらしいけどね」

 

 「でもビックリしたよな」

 

 ピンクと水色の変わった帽子を着けた少年・松野(まつの)空介(くうすけ)の言葉と、茶髪の容姿があっさりと整った──されど、あまり印象的な顔立ちはしていない少年・半田(はんだ)真一(しんいち)の返事を聞いて、叶は驚いた。

 

 「鬼道も今日雷雷軒に来れば、叶に紹介出来たのに。それで、試合のとき鬼道がな──!」

 

 「……うん」

 

 円堂が楽しげに鬼道について話すのを、叶は力なく相槌を打って聞いていた。

 影山零治の教え子。オレを殺して、一番大事な照美を奪って、それだけじゃ飽きたらずチームのみんなまで壊したヤツの教え子。

 叶は不当とわかっていながら、鬼道に憎しみを向けるのを止められなかった。

 

 「円堂。鬼道の話はその辺にしとけ。知らないヤツについて長話されてもつまらねぇだろ。あのガキも顔が疲れて来てるし」

 

 「あっ本当だ……ごめん」

 

 「ううん、大丈夫だよ。凄い選手だし、そりゃソイツと一緒にプレー出来るとなると、舞い上がっちゃうよなー!」

 

 「へへっ……わかってくれるか?」

 

 染岡のアシストに感謝しつつ(ただしガキと言ったことは許さない)、叶は次の話題に移行する。

 

 「雷門は、準決勝、木戸川清修とだっけ? 去年の決勝……帝国との試合を見たけど、豪炎寺がいないからかそんなにだったぞ。豪炎寺が雷門に転校したなら余裕じゃねーの?」

 

 「いや、木戸川清修の選手も去年とは段違いに強くなっている。そのような気持ちでかかって勝てる相手では無いだろう」

 

 黙々とラーメンを食べていた、白髪のツンツン頭の少年・豪炎寺修也その人が叶に反論した。

 

 「あーそっか。成長分忘れてたわ。やっぱ古巣に情とか期待とかある感じ? オレは無いけど」

 

 「…………」

 

 「くっ……オレ、あっ、わたしとの話よりラーメンの方が大事かよー。わたしも下らないウザ絡みよりはおっちゃんのラーメンの方が百倍大事だぞ!!」

 

 去年お前どうしたの? と聞きたい衝動に駈られたが、叶は頑張ってそれを我慢した。

 外がさらに暗くなったころ、雷門の面々が帰っていった。叶は炭酸ジュースを飲みながら時間稼ぎをして、響木と二人きりになれる時間を待つ。

 

 「おっちゃん、監督就任おめでとー。年だしキツいと思うけど、頑張ってね」

 

 「……ああ」

 

 「そんでねおっちゃん、監督就任記念にわたしからお願いがあるんだけど」

 

 「お前からか」

 

 「うん。鬼瓦さんの電話番号教えて。ちょっと警察の偉い人に大至急用があるの」

 

 「お前の後見人に言えばいいだろう。先行(さきゆき)も警察の中でそれなりの地位だったはずだが」

 

 「オレ先行おじさん嫌い」

 

 「色々と世話してくれている相手に、そんなこと言うものじゃないぞ。……後になって後悔しても遅いんだ」

 

 「でも……」

 

 「何かあったのか?」

 

 俯く叶に気付き、響木は皿洗いの手を止めた。

 

 「……、ちょっと待ってろ。これが鬼瓦の番号だ。何の用かは知らんが、先行に伝えないよう話はつけておく」

 

 「ありがとう! おっちゃん! あのな、おじさんってば、『もう四年も経ったんだから、お母さんのことを受け止めなさい』とか言ってくるんだ……。どうしてもオレの母ちゃんが死んだことにしたいみたい……」

 

 「……阿里久。お前の母親は」

 

 「うん! 最近帰ってきたんだ! 寮生活だけど、母ちゃん、真っ先にオレのとこ来てくれたんだよ!!」

 

 「…………」

 

 響木は痛ましいものを見る目をして、叶の好物のチャーシューをサービスしてくれた。

 今の叶にとっては気持ち悪い食感なだけのものだけど、努力して笑顔で美味しく食べているのを演じた。

 

 「外は暗いから気をつけろよ」

 

 「大丈夫大丈夫」

 

 響木は叶の頭に手を伸ばして、ギリギリのところで触るのを止めた。

 

 「別におっちゃんなら撫でてくれても良かったのに」

 

 「こんな親父が中学生にするのはマズイだろ」

 

 「そうー?」

 

 帰り道。響木は好きだけどラーメンはもう食べたくないから、金を払って彼と話せるサービスを、雷雷軒が新しく(おこな)ってくれることを、叶は真剣に願った。

 

 (照美くんたちはまだ大変な目に遭っているかもしれないのに、叶は楽しくお話出来るのね)

 

 季子が言う。

 

 (叶があんなに酷いことしたものね。あんなにする必要はあったかしら? ふふっ、無かったわね)

 

 叶の心の一部(季子)が言う。

 

 (良かったわね。叶。犯罪者(影山さん)の仲間入りよ。きっとみんな、叶を嫌いになるわね)

 

 思考の気付かないふりをしていた部分が、季子の声で叶に告げる。

 

 (そういえば……五人ほど、サッカー部の子って照美くんたちと一緒にいなかったわよね。どうしたのかしら?)

 

 (叶みたいに他の子を見捨てて逃げたのかしら。それとも、あの子たちよりもっと酷い目に遭っているのかしら? 叶はどう思う?)

 

 そんなこと気にしていなかった。気にする余裕もなかった。

 身勝手で馬鹿な自分に気付く。もしかしたらと最悪の可能性に、叶は雷雷軒の料理を吐き戻しそうなのを必死に堪えた。これを出すとまるで、響木や雷門イレブンとの関係まで無くしてしまう気がしたからだ。




叶の理想の先行「一緒に影山を苦しめて殺そう!! 叶ちゃん!! 阿里久(季子)!!」
現実の先行「影山さんにはきちんと刑務所で罪を償ってほしいな。一言心の底からの謝罪があればそれで良い」

↑こんな感じなので叶は先行が嫌いです。新は尊敬出来る先輩として好きでした。
先行は底抜けの善人という設定がありますが、まともに書いてると何だか鬼滅の童磨みたいに思えてくる+季子と違ってキャラとしての明確な役割がないので段々空気化していってます。正直叶の書類上の保護者という舞台装置でしかないかもしれない。


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46話 レガリア

内容薄い&視点変更が多いです。


 

 準決勝。世宇子中と狩火庵(カリビアン)中の試合を(かなえ)は会場まで見に行った。

 試合開始から(わず)か十分も経たず、狩火庵中の試合続行不可能により世宇子中の勝利。まるでサッカーを汚すような試合で、叶は目を反らしたくなった。

 

 「こんなことをさせるために、サッカーを教えてきたんじゃないのに……」

 

 俯くと、叶は小さく呟いて、世宇子の控え室に特攻する。

 警備員を洗脳し、彼らに(こころよ)く迎え入れられた。洗脳をすることに罪悪感は無かった。すでに一人の人格を変えてしまったのだ。二人も三人も同じだろう。

 

 部屋に神のアクアが入った容器は無かった。グラウンドの方に持っていったのだろう。叶は照美たちが来るのを待つ。

 

 「照美たちは?」

 

 「はっ、確認します。……。普段と別の経路からスタジアムを出ていった模様です」

 

 「……」

 

 避けられてしまった。叶は落ち込み、そして今の彼らと真正面から話さずに済むことに安堵した。

 会場を出たところで、影山の部下が叶を捕らえようと待ち構えていた。叶は彼らを容易(たやす)く振り切り、ここ一週間ほど宿泊しているホテルへと帰った。

 

 

 

 数日後。叶は木戸川清修と雷門の試合を観戦していた。

 

 武方三兄弟は去年より格段に強くなっていた。彼らの攻めと、実際に見ていないからあまり詳しくはないが強いらしい千羽山の守りを組み合わせれば最強なのではないか。後は、三兄弟と他のチームワークも必要か。叶は世宇子以外のFF総合ドリームチームをぼんやりと考えた。

 少なくとも、トライアングルZはゴッドノウズにも及びそうなほど強い。雷門のトライペガサスも、ザ・フェニックスもだ。

 新しく木戸川に入ったドレッドヘアのDFもなかなかに筋が良い。

 世宇子と狩火庵の試合が腐ったステーキなら、雷門と木戸川清修の試合は上質なコース料理だ。この不快感の口直しに相応(ふさわ)しい。叶は雷門を応援しながら、このように熱い試合を世宇子のみんなにさせられなかったことに落ち込む。

 

 円堂がゴールキーパーの役目を放棄して飛び出す(たび)に、叶は息を飲んでしまう。壁山や風丸らの緊張感は叶の比ではないだろう。

 ディフェンダーたちがゴールを守り、円堂が必ず点を取る。互いの信用が無ければあの行動は許されない。

 羨ましいと叶は思った。そして、固い絆で結ばれた円堂たちのチームなら必ず世宇子に勝ってくれる。世宇子のみんながあのまま優勝して、取り返しのつかないことにはならないだろうと安心した。

 

 そして、影山がサッカー部のみんなを閉じ込めている場所を探す方法を考えながら、叶はスタジアムを後にした。

 

 (叶。亜風炉さんには悪いけど、照美くんのために叶が危ないことはしないで?)

 

 「うんわかったよ、母ちゃん」

 

 (私を殺したのと同じように、照美くんたちも見捨てるのね)

 

 「…………ごめんなさい」

 

 再び照美の匂いをスタジアムから辿る。やったことはないが、多分使えそうな千里眼能力を使ってみる。道行く人々を洗脳して、人海戦術を使う。

 色々思い付いた案は季子(きこ)の声に霧散した。生温い諦念が叶を抱き締めていた。

 

 試合が終わり、スタジアムからはポツポツと人が消えていく。徐々に失せていく活気に物寂しくなりながら、運営スタッフに声をかけられるまで、叶は何をするでもなくただ座っていた。

 思い出したようにスタジアムを出ると、叶は近くのビジネスホテルに待機させている元研究員の男を回収しに向かう。

 

 「──神のアクアについては以上です。プロジェクトZについてですが……」

 

 「ありがとう。あのクソ野郎、とことん照美たちを自分の野望のためだけに利用するつもりなんだな……」

 

 「申し訳ありません」

 

 「オレの足が届くところは全部探したけどさ、照美たちどこいるかわかんないもん。世宇子の近くの山は全部見たのに。もうどうしようもないよな。守たちが勝ってくれるのを願うよ」

 

 「お力になれず、申し訳ありません」

 

 「オレ、本当ならさ。雷門を十割応援するんじゃなくて、雷門と世宇子を四:六くらいで応援出来たのかな」

 

 「申し訳ありません」

 

 叶は(うつ)ろにぼやき、男は神のアクアの研究に加担していて申し訳ありませんと謝り続けた。

 異様な雰囲気だが、叶の超能力による偽装で周りの意識は向かないようになっている。不審がる者はいなかった。

 年が離れた、顔立ちに血の繋がりを感じさせない二人が並んで歩くのも、周りの人々には特にどこもおかしくないこととして処理されているだろう。

 

 「ご飯好きなのに今味わかんないし、帰ってきた母ちゃんはオレを否定してくるし、大好きな照美たちはあんなになっちゃったし、オレ、生きる意味あるのかなぁ?」

 

 「尊い叶様が存在すること自体が生きる意味です」

 

 「洗脳状態のヤツに聞くんじゃなかった。まあ素面(シラフ)のヤツに聞いたらオレがおかしい子だけど」

 

 叶は舌打ちをした。

 叶の洗脳は永続だ。男の中の優先順位が高いところに、本来関わり無い叶が一生居続けることになる。

 そのことに、叶は最初は罪悪感があった。最も、影山の悪事に加担して、照美を害した人間相手なのだから微々たるものだが。

 でも、男の記憶を読んだことで、季子は帰ってきた。そこだけは感謝してやっても良いだろう。

 

 「クソ理事長がな、影山さんがお呼びだとか言ってオレを無理矢理連れてこうとすんの。寮母さんとメイは庇ってくれるからまだ良いけど。だから寮を離れて、ホテルとか野宿とかネカフェとか漫喫とかをグルグル」

 

 叶は内容の薄い愚痴を続けた。

 実家に帰るわけにはいかない。照美の家に近いから、彼の家族とすれ違い、照美の話になっても困る。まして、亜風炉家なんて尚更だ。

 

 「申し訳ありません」

 

 「うん。本当だぞ」

 

 少し歩くと、“プロジェクトZ”について知っている人物で影山の元部下だと紹介して、叶は鬼瓦に男を引き渡した。

 

 「情報については信頼出来ます。影山の死刑に役立てば嬉しいです」

 

 「私が知ることであれば、全てお話する所存であります」

 

 「小さい嬢ちゃん、気持ちはわからんでもないが、あんまりそんなことを大っぴらに言うもんじゃないぞ。……その男、やけに嬢ちゃんにペコペコしてるが、本当何があったんだ? とりあえず、アイツについて知っていることがあるなら、話を聞かせてもらうぞ」

 

 鬼瓦は部下に男を連行させる。中に先行(さきゆき)がいなかったことに、安心して叶は息をついた。

 

 決勝の前に雷門に行きたい。守は良く思わないだろうが、オレの知る世宇子の選手の情報を全て与えてやろう。

 叶は決心して、照美たちを裏切る行為に今更震え、覚悟が決まるまでカプセルホテルの小さな個別スペースに籠っていた。

 

 

 

 

 

 

 叶との試合のあと、あれが夢だったのように世宇子イレブンは健康だった。怪我は消え、残ったのは叶への恐怖だけ。

 それもフットボールフロンティアで格下の相手を打ちのめし、自信を歪んだ形で取り戻すことで無くなりつつあった。

 故に、彼らはあれは夢だったのだと。茶髪の鬼に手も足も出なかったのは、悪夢だったのだと都合よく片付けた。

 

 それを現実として受け止めている一人。世宇子のMFのヘラは苛立ちに壁を殴り付ける。物に当たるのは悪い癖だが、直そうと思わなかった。

 ヘラは叶が嫌いだ。叶個人というよりは、自分より上の者が、自分を一番にしてくれない者が、天才が嫌いだ。

 天才ならせめて凡人を馬鹿にしてくれ。そうすれば素直に恨めるんだから。天才なら努力をしないで、天から(たまわ)れた才能に胡座(あぐら)をかいていてくれ。だって、努力されたら凡人は追い付けないじゃないか!

 そんな妬み僻みは神のアクアによってかき消され、叶との試合によってぶり返した。

 

 叶が女子だから、大会に出られないから。だからまだ余裕ぶって優しい先輩を演じられた。

 今は無理だ。性別なんか、大会で優勝する栄誉なんか、あの強さがあるなら叶にとってどうでも良かったのだ。それを知ると、かろうじてあった優越感すら去ってしまった。

 

 総帥に選ばれたオレたちは特別な人間だと思っていた。

 違った。叶はもっと特別で、特別強い選手が父親で、特別な特別だった。

 

 「うむ、我が師をこちらに引き入れるにはどうするべきか……」

 

 「オレの話も聞いてくれなかったしね。阿里久(ありく)の国語力がないのは知ってたけど、神と人じゃあそこまで会話が通じないなんて」

 

 「やっぱり無理やりでもいいからここに来てもらおう。神のアクアさえ飲ませれば、叶ちゃんもボクと一緒にいてくれるさ」

 

 デメテル、アポロン、アフロディ。

 叶に特に好意的な三人の会話を聞いて、ヘラは嫌な気分になった。

 アイツが来たら……ただでさえ総帥はオレたちを見てくれなくなったのに、総帥の視界に阿里久しか入らなくなる!

 

 「無駄話はやめろ。まるでボクたちがそんなものに興じるただの人間みたいだろう」

 

 焦りながら最もらしい理屈を作ると一喝して、何を見たいわけでもなく目を(すが)めながら、ヘラは廊下を歩く。

 

 「……ヘラ。オレたちはどこで──。何でもない」

 

 「オレたちは間違えてなんかない!」

 

 途中すれ違ったポセイドンにヘラは強く言った。ポセイドンは叶との試合の後から、ずっとその巨体に似合わぬ迷子のような雰囲気を醸し出している。

 

 部屋に入る前に聞こえた、アフロディが叶を勧誘しに行くという内容の会話は聞かなかったことにした。怪我をしたいのなら勝手にすれば良い。雷門ごとき、十人で事足りるのだから。

 

 

 

 

 

 

 雷門と木戸川清修の試合の数日後。照美は雷門中に足を進めていた。

 思い浮かべるのは愛しい少女の姿。それだけでさらに足取りが軽くなる。

 照美は叶を愛している。周囲が軽い気持ちで言葉にする俗的な汚い愛情ではなく、もっと神聖で慈愛に満ちた感情だ。

 

 照美は叶を幸せにしたかった。“フットボールフロンティアで優勝する”という幼いころからの約束を守ったら、きっと叶は喜んでくれる。

 照美は叶を笑顔にしたかった。母親が死んでから、それを忘れたにしろ無意識下で理解してしまったのだろう。叶が満面の笑みを浮かべたことはない。でも、きっと、ボクが強くなればあの顔をいつでも見れるはずだ。照美は深く信じ込んでいた。

 照美は叶を救いたかった。守りたかった。だから神に──絶対的な存在になりたかった。

 神の裁きによって、叶を苦しめるものを、彼女が悲しむ出来事の全てを無くしたかった。

 

 照美だけが叶を満たしたかった。離れた街(稲妻町)の友達なんて叶には必要ない。照美と、照美が認めた世宇子のみんなが居ればいい。

 

 きっと自覚はないのだろう。叶は昔から近くを勢い良くトラックが通ったときや、帝国学園の話題が出たとき、体を震わせたり顔を真っ青にすることがあった。

 理由はわからないが叶のトラウマらしい帝国学園の選手に圧勝して。総帥の元で力を手に入れて。女子の叶を大会に出せる権力の後ろ盾まで得た。

 

 だから、叶を幸せに出来ると思っていた。

 叶のトラウマをああも無惨にやっつけたのだから、叶を守る力を手に入れたのだから、叶よりも強くなれたのだから。

 現実は違った。酷く拒絶されてしまった。照美は考えて、再び叶をこちらに勧誘することを決めた。

 

 叶は自分の隣にいるべきなのだ。あれほどの力を、共に総帥のために振るおう。二人で神になろう。

 大丈夫。十年来の幼馴染なのだ。誰かが割って入れる隙間などない。互いの全てを把握している。何か誤解があったみたいで叶は怒っていたけど、もう一度、ゆっくり話せばわかってくれるはずだ。

 歪んだ思考で照美は幼馴染を想う。

 

 「叶ちゃん、待っててね」

 

 照美は言って、彼女を迎えに行く前に、敬愛する影山が最も排除したがっている雷門中に棄権を薦めに行った。

 影山が鉄骨より惨い方法で彼らを排除しにかかるかもしれない。さすがにそれは可哀想だという、神らしい慈悲だ。

 もしかしたら神の言葉は矮小な人間には理解出来ず、怒らせてしまうかもしれない。そのときは見捨てれば良い。特別でない人間の代わりなんて、いくらでもいるのだから。

 

 照美は忘れ物がないか確認する。ラミネート加工された、手の平サイズのカードがあることに安堵した。見るたびに心が弾むそれに、折れや汚れがないか確認しながら眺める。

 これがあれば叶は照美の頼みを聞いてくれる。照美は確信して微笑んだ。




ちょっとアフロディがヤンデレっぽくなってしまった……。一応、アフロディと叶の間に恋愛感情はありません。

周りは何もしていないのに勝手に傷付く叶。能動的に叶を傷付けようとしたのは、世宇子との試合前の、
影山「お前の父親が祖母を暴行してプロ辞めさせられたの知ってる?」
くらいです。それもせいぜい、軽く揺さぶれたら幸運程度なので、悪意や敵意というほどのものではありません。


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47話 盲目のパラノイア

 

 (かなえ)は円堂たちに会うため、雷門中へ来ていた。

 元々叶がここに来る頻度は、他校の生徒にしてはかなり多い。授業があるときでも二週間に一度、夏休みに入ってからは一週間に一度と増えている。

 

 特に照美たちとの試合の後、叶が雷門中に遊びに行く頻度は上がった。週一から週二、週三と増えていき、最近ではサッカー部以外の教師・生徒にも、『白い制服の他校の小さい女の子』と認知されている。

 

 今日もいつも通り雷雷軒に寄ってから、叶は雷門中に向かった。雷雷軒は閉まっていた。よくよく考えれば響木は部活の方に顔を出しているのだから当然だ。癖で店まで来てしまったことが、誰も見ていないのに何だか恥ずかしくって叶は笑った。

 

 「守ー!! 木戸川との試合見たぞ! 上手く言えないけど、とにかく凄かった! ここまで来たからには本当、……頼むから、絶対優勝してくれよ!」

 

 「おー! 見てくれたのか! 絶対、絶っ対、優勝するからな!!」

 

 叶の言葉に円堂は嬉しそうに笑う。

 

 「あっ、木野先生。時間あったらまたおにぎりの作り方教えて」

 

 「わたしで良かったらいくらでも。阿里久(ありく)さんも上手になってきたし、今日は円堂くんたちへの差し入れを一緒に作りましょう」

 

 「やったぁっ! ありがとう!」

 

 夏未と共に秋に教わりながら、叶たちはおにぎりを作る。

 

 「あなた、この方法は知ってるかしら?」

 

 夏未は得意気な顔で二つの茶碗を構える。米を中に入れると二つの茶碗で挟み、シャカシャカと動かし、丸くなった米を見てどや顔を浮かべた。

 つい数日前に秋から聞いたばかりの方法を誰かに教えたい。でも人選を間違えると恥をかいてしまう。だから、秋におにぎりの作り方を教わっている叶に自分も教えてあげようと夏未は計画していた。

 

 「いや、ふつーに握りゃいいだろ」

 

 「……」

 

 淡白な反応に、夏未はじっとりした視線で叶を見る。秋と春奈は顔を見合わせると、苦笑して二人を見た。

 

 「ちょっと力を入れすぎかなー? うん、もうちょっと空気を含ませてあげて……うん、上手よ阿里久(ありく)さん!」

 

 「へへっ……本当……?」

 

 「はい! これなら阿里久さんの学校のサッカー部の人も見直しますよー!」

 

 「へへっ、だといいなー!」

 

 春奈の言葉に破顔(はがん)して、叶は“守たちが勝ちますように”と、真心込めておにぎりを握る。

 

 「そういえば、あなた……どこの学校の生徒なの? 制服から調べても、全く情報が出てこないのよ」

 

 訝しげに夏未が言って、

 

 「ま、まさかやっぱり、小学生が中学生のコスプレをしていたのでは!?」

 

 と、どこか興奮した様子で小鼻を膨らませた目金が言った。

 

 「どうせまた邪魔されるだろうから言わないよ。お前らだって急な大声とか、バカみたいにエンジンふかすバイクとか嫌だろ?」

 

 叶はおどけて言った。秋たちにとって、それらは誰かが叶に彼女が通う学校名を聞くたびに起こる不可解な出来事だ。苦笑しながらも納得した。

 

 「ドラゴン……トルネード!!」

 

 「ツインブースト!!」

 

 グラウンドでは円堂たちが練習している。叶は笑みを浮かべてそれを見て、

 

 「叶ちゃん、こんなところにいるなんてどうしたんだい?」

 

 ──握っていたおにぎりを落とし、叶は呆然とした。

 目の前には、神話のトーガをイメージしたユニフォームを着た、見慣れた美麗な少年が立っていた。

 

 「照美…………?」

 

 「うん、ボクだよ」

 

 「叶の友達か? す……すげえ! ドラゴントルネードとツインブーストを止めるなんて! お前、凄いキーパーだなぁ!」

 

 素手で必殺シュートを受け止めた照美を見て、円堂が興奮した様子で言う。

 

 「……友達じゃないぞ」

 

 「それよりもっと尊い関係さ。それに、私はキーパーではない。我がチームのキーパーなら、こんなもの指一本で止めてみせるだろうね」

 

 「……。無理だろ」

 

 やけに気取った口調の照美に呆けながら、叶は思わず呟く。照美は指でボールをクルクル回しながら、不出来な妹を見るように彼女を見た。

 

 「女神の叶からしたら、神のボクらすら下に見えるのだろうね。ならば、ただの人間と関わる必要なんてないだろう?」

 

 「そのチームというのは世宇子中のことだろう。アフロディ……!」

 

 怒りを滲ませて鬼道が言った。照美はそちらを一瞥しただけで、特別に反応することはなかった。

 

 「円堂守くんだね? 改めて自己紹介させてもらおう。世宇子中のアフロディだ。キミのことは影山総帥から聞いている」

 

 「やはり……世宇子中には影山がいるのか」

 

 合点がいったように鬼道が呟いた。

 

 「テメェ、宣戦布告に来やがったな!」

 

 「宣戦布告? ふふっ……」

 

 「何がおかしい!?」

 

 染岡が照美に敵意を向ける。

 

 「宣戦布告というのは、戦うためにするものだ。私は君たちと戦うつもりはない。君たちも戦わない方が良い。それが君たちのためだよ」

 

 「なぜだよっ!?」

 

 「負けるからさ。神と人間が戦っても勝敗は見えている」

 

 「……お前らだってただの人間だろ」

 

 叶は唸るように低く平坦な声で言った。

 

 「真の女神から見たら、そう見えるのかな? どうして叶は神に相応(ふさわ)しいのに、わからない子なんだろうね」

 

 照美は心底残念そうに言う。

 

 「試合は、やってみなきゃわからないぞ!」

 

 「そうかな? 林檎(りんご)は木から落ちるだろう? 世の中には逆らえない事実というものがあるんだ」

 

 「お前らが雷門に負けるみたいにか?」

 

 「……反抗期なのかな? どうして叶はそんなにおかしなことを言うんだい? 私たちが雷門に負けるなんてあり得ないよ。だから雷門の諸君、練習も止めたまえ。神と人間の溝は練習では埋められるものじゃない。無駄なことさ」

 

 「……!!」

 

 叶は激怒した。顔に血管が浮かんでいるのが自分でもわかる。怒りで照美の首根っこを掴み地面に叩きつけたいところを、今の照美は影山のせいでおかしくなっているだけだと必死に我慢する。

 

 「うるさい……! 練習が無駄だなんて誰にも言わせない! 練習はおにぎりだ!! オレたちの血となり、肉となるんだ!!」

 

 「守……」

 

 頭の妙に冷静な部分で、叶は雷門に入学していれば良かったと思った。

 

 「ああ、なるほど。はははっ! 上手いこと言うねぇ。ふふっ、練習はおにぎりか」

 

 「笑うところじゃないぞ……!」

 

 「……お前らにだけは、守が笑われる筋合いなんてねぇぞ」

 

 「守? ああ……引っ越していたときのお友達ってもしかして彼かい? そう、悪い友達に悪い影響を受けて、叶は総帥や神の素晴らしさもわからない悪い子になってしまったんだね。大丈夫、ボクが良い子に育て直してあげるよ」

 

 「そんなんが良い子なら、オレは悪い子のままでいいぞ」

 

 叶の頭に伸びる照美の手を、叶は大きな音を立てて払い落とした。照美の白い腕に、赤く小さな紅葉が浮かび上がる。

 照美は一瞬傷ついた表情をして、不敵な表情を作ると、円堂の方に向き直った。

 

 「練習が無駄なことだと証明してあげるよ……!!」

 

 「……っ! させないぞ!」

 

 ボールを蹴り上げると、照美は瞬間移動のように早く空高くに現れた。叶はそれを越える光速で照美の正面に移る。

 叶の脚と照美の脚が共にボールに触れる。双方向から力を加えられたボールは、照美が狙った円堂のいるゴールでも、叶が狙った人のいない花壇でもなく、マネージャーたちのいるベンチの方に進む。

 

 「叶ちゃん!? 何を──」

 

 照美に腕を掴まれ、叶はすぐに振り払った。

 叶は秋たちを守りに行こうと、良い位置に着地出来るように体を捻り、既に円堂がマネージャー三人を庇うために構えているのを見ると、邪魔にならないよう違うところに着地予定場所を変えた。

 躊躇いなくマネージャーの前に走った円堂の動きの早さが、まるで雷門の絆の固さを表すようだ。叶は自分たちと比較して、胸が苦しくなった。

 

 「ぐぅ! ぐぐぐ!! うおおおぉぉおおぉぉ!!!」

 

 「円堂くん!」

 

 円堂が腹と尻に力を入れて、必死に踏ん張ってボールを受け止める。ボールは(かろ)うじて人のいないところに進行方向を変えたが、円堂は吹っ飛ばされてしまった。

 

 「っー……!! 良かったぁ……」

 

 叶はマネージャーが無事であることに胸を撫で下ろした。

 

 「おい、大丈夫か、円堂!」

 

 「円堂!」

 

 「しっかりしなさい円堂くん!」

 

 叶も彼に駆け寄ろうとして、自分にはそんな権利はないと歩みを止めた。雷門の絆を、部外者が汚してはいけない。

 

 「どけよ! 来いよ……! 次はちゃんと本気で、こっちを狙って来い!!」

 

 円堂は怒りに身を震わせながら、シュートを受け止めて痺れた体を必死に動かして照美に詰め寄ろうとする。

 

 「……面白い。神のボールをカットしたのは叶以外ではキミが初めてだ。決勝が少し楽しみになってきたよ。それと、叶。こっちに来たければいつでも良いよ。キミが改心するときを待ってる」

 

 「照美……」

 

 そして、照美はいつの間にかいなくなっていた。

 

 「阿里久さん……」

 

 春奈が呟き、叶を見た。それを機に他のメンバーの視線も叶に集中する。

 

 「オレの通ってる学校も世宇子中。アイツと一緒のとこだ。……ああ、今回は邪魔が入らなかったな。サッカー部のマネージャーをしてた。照美……アイツとは一応、親友のつもりだったんだけどな」

 

 隠しているつもりはなかった。ただ、毎回様々なアクシデントで学校名を言わずに済むのを、叶はいつからか幸運だと思っていた。

 そのツケが今日来たのだ。

 

 「照美が……ごめんなさい……」

 

 続けて何を言おうか迷って、叶は謝った。

 

 「もしかして……土門さんみたいに、世宇子からのスパイだったんじゃ……」

 

 「他は全部見てくれてたのに千羽山との試合だけ見に来なかったのは、影山と一緒に何か仕組んでたんじゃないでやんすか?」

 

 「こっちに遊びに来るのも多すぎだよねー」

 

 叶ははっきり違うと言えなかった。そう誤解されるようなことをしたのは事実だ。雷門も、影山から被害を受けたのだから、素直に事情を言えば信じてくれただろう。言えば良かったのだ。

 

 「スパイとして仕組むのなら、土門のように雷門の生徒として潜り込ませる方が良いだろう。このように通わせる意味はない。それに、阿里久とアフロディは明らかに敵対している様子だった」

 

 「……。とりあえず、ソイツから何か話を聞くのが先だろ」

 

 「ちゃんとした理由は言えないけど……でも、阿里久さんはスパイではないと思うの」

 

 鬼道や、染岡、秋が叶を擁護してくれたが、叶はそれを聞き終わる前に逃げそうになった。

 きっとここから話が伝わって響木にも嫌われる。守にも木野ちゃんにも。世宇子のみんなを助けられなかった現実から逃げてこっちに遊びに来ていたとバレたら、きっと軽蔑される。

 

 でも、それでもやらないといけないことが一つある。叶は深く息を吸い、頭がバチバチして苦しくなるまで吐き出した。

 

 「……ごめん、本当にそんなつもりは無かったんだ。……。オレの話、聞いてくれるか?」

 

 「ああ、聞かせてくれ!」

 

 円堂は明るく言ってくれた。他の部員には、明らかに叶をよく思っていない反応の者もいたが、円堂がそう言うならといった調子で、叶の話を聞いてくれた。

 

 叶は世宇子での出来事を話す。

 楽しかった合宿。自分を師匠と慕ってくれる同級生。几帳面で少し鬱陶しい先輩。生意気な後輩。可愛いけどすぐに怪我してしまう後輩。大好きな照美。

 特別強化合宿が始まって、置いてかれて悲しかったこと。世宇子が地区予選に出てないと聞いて戸惑ったこと。帝国学園と世宇子との試合を見て、泣いて心の中で必死に帝国の選手に謝ったこと。

 照美たちがいる場所に乗り込んで、説得しに行ったこと。それも意味なく、まだ照美たちは間違ったプレーで大会に出ていること。

 おかしくなった世宇子から、影山の追手から逃げるように。いわば現実逃避のために、友人のいる雷門中の試合を叶は見たり、応援したり、遊びに来たりしていた、弱い人間であること。

 

 「ドーピングだと……!? 総帥は……。影山は、どこまでサッカーを汚せば気が済むんだ!!」

 

 (いきどお)る鬼道を見て、影山の教え子の癖にと叶は冷たく思った。

 

 「あそこまでしたのに、まだ照美たちああなんだ。もうオレが何言っても、何しても無駄で、……他のヤツに頼むしかなくって」

 

 叶は制服の白いスカートが汚れるのも気にせず、地べたに正座する。両手を地面に置き、腰を折り曲げ頭を下げて地面に付け、土下座をすると叶は涙声で言った。

 

 「阿里久さんっ!?」

 

 「わわっ、やめてくださいっす!」

 

 夏未と壁山がぎょっとした声を出す。

 

 「お願いします。世宇子に絶対勝ってください。勝って、影山の支配から照美たちを助けてください。……何でもします」

 

 「叶!?」

 

 頭を上げてくれと円堂に促され、叶は正座になった。

 

 「もしお前らが欲しかったら、母ちゃんと……父ちゃんが貯めたオレ用の金が滅茶苦茶あるし、本当に何でも言うこと聞くから」

 

 「叶、そんなのやめてくれ! FF(フットボールフロンティア)で優勝するのは、ずっと前からのオレの夢で、だから、叶がそんなことする必要は……」

 

 「…………ごめん」

 

 叶はそれだけを言って、力なく立ち上がった。制服の白いスカートと叶の長い髪を汚す砂埃を、秋が払ってくれた。

 

 「変なこと言っちゃって悪いな。気にしないで、頑張って優勝してくれ。嫌かもだけど、オレも応援してるから。……オレがここいると練習しにくいだろうし、そろそろ帰るよ。じゃあな!」

 

 取り繕った笑顔と声で叶は言った。自分が作った汚いおにぎりと、照美の姿を見た拍子に落として無駄にしてしまったものを回収するのも忘れない。円堂が待てと言ったが、叶は無視した。

 

 「……叶ちゃん、もう用は済んだ?」

 

 「…………」

 

 校門を出て、少し歩いたところに照美がいた。そこそこ人通りのある道のはずなのに、彼の周りだけ別世界のように静かだ。

 

 「あのね、叶ちゃん、……ふふっ、何だか恥ずかしいな……」

 

 円堂たちへの気取った口調や、試合相手への高圧的なものとは違う、いつも通りの話し方だ。叶は一瞬、全てが元に戻った気がした。

 

 「これ、覚えてる? 叶ちゃんがボクの誕生日に、ボクだけにくれたものだよ」

 

 「……」

 

 叶は小さく首を縦に降った。

 小学一年生の誕生日に叶がプレゼントした、“何でも聞いてやる券”だ。渡したときにはなかったラミネート加工がされており、あのときのままの綺麗な状態を保っている。

 

 「ねぇ、お願い。これ使えば言うこと聞いてくれるんだよね? お願い、一緒に来てよ。一緒に大会に出よう。二人で同じ頂点に並ぼう。ねぇ、叶ちゃん」

 

 照美は余裕を無くした顔で言う。何度も叶に懇願する姿は、まるで駄々っ子のようだった。

 

 「照美…………」

 

 叶は自分の中の、照美に甘いところをぐっと抑えた。

 

 何がいけなかったのだろう。叶は考える。

 照美をあのとき、公園で悪ガキたちから助けたこと。これがまずダメだった。照美にサッカーを教え続けたこと。これもいけない。照美と友達になったこと。もはや世界の歴史の汚点だ。

 

 そもそも季子(きこ)が死んだとき──、いや、出張に行ったときに大人しく先行(さきゆき)のいる稲妻町に行くべきだった。

 彼に着いていき、稲妻町で暮らし、雷門中に行っていれば良かった。というのは都合の良すぎる妄想だと、叶は甘い考えに笑った。

 

 小四から中二まで、四六時中照美の近くにまとわりついて、あの約束を引き()らせ続けた。もはや死刑レベルの重罪だ。

 

 「照美」

 

 叶は言って、照美の手から“何でも聞いてやる券”を奪った。照美は叶を期待に満ちた目で見る。

 

 「ぁ……、待ってよ、叶ちゃん! やめて、どうして……お願いっ!! それだけは止めて!!」

 

 そして、期待は絶望に塗り替えられた。

 

 券を叶はビリビリと破る。ラミネート加工は大した障害にはならなかった。

 

 「ごめんな。あんな約束、もう忘れて良いんだぞ。どうせお前も大した気持ちじゃなかっただろ。あ、それと、お前と友達になったりしてごめんな」

 

 叶は券の破片を地面にばらまき、照美が(まばた)きをする内に消えた。

 

 「待って……どうして……」

 

 照美は呟いて、吹いた突風に慌てて破片を集める。大まかな破片は集まったが、小さなものが見つからない。

 自動販売機の下を漁り、どぶ水の溜まった水路から汚れた破片を拾い上げ、神の衣装(ユニフォーム)の裾を汚して拭いた。それでも見つからないものを歩道と車道を仕切る植え込みを漁ってまで探す。

 照美の美しい金の髪と純白のユニフォームが汚れ、桜貝の爪の中に汚泥が入り込み、植物の固い葉と(とが)った枝が白魚の手を傷付けた。

 パズルのように破片を合わせても、結局小さな破片が数個見つからなかった。

 

 「どうして……」

 

 この四文字以外を忘れたかのように、照美の口からはこれしか出てこなかった。

 照美は全ての思考を投げ出して呆然としていたいのを(こら)える。このままでは総帥に許可された外出時間を過ぎてしまうと、重い足を無理やり動かした。

 

 どうしてあんなことを、どうして思い出を全て否定するようなことを。叶にとっての幸せは、ボクたちと共にサッカー界の頂点に君臨することのはずなのに。

 考えて考えて、知恵熱が出そうになりそうなくらい全ての知恵を振り絞って、それでも叶の凶行の訳が、照美には結局わからなかった。

 だから、雷門の彼らが叶によっぽど悪い影響を与えたのだと結論づけた。仏心を出して棄権を薦めに来たのが間違いだった。彼らを倒し、あの女神の力を世宇子のみんなと共に総帥のために使える、総帥に忠誠を誓える良い子に叶を育て直し、そして神の力をもって生涯叶を守りきる。

 これからの目標を立てると少し元気が湧いた。

 

 「っ……ぅ、うぇっ……っ、ひっぐっ……」

 

 気が緩み、照美は小さくしゃくりあげると、慌てて口を塞ぐ。

 零れ落ちそうな涙を拭おうとし、指が泥で汚れていることに今更気付き、神に相応(ふさわ)しくないありふれた公園の水道で手を洗い、ついでに顔を洗って気を引き締める。

 叶の幸せは、あの力を存分に奮えるところに──照美の隣にいること。そして、照美の敬愛する影山に共に仕えることだ。叶のためにも雷門に勝たなければならないと、照美は決意を固めた。



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48話 雷門vs世宇子 前編

やや長めです


 

 寮にいると理事長が「影山さんがお呼びだ」と連行しようとする。だから、(かなえ)は最近、ホテルを転々として過ごしていた。

 

 今は天空に浮く世宇子スタジアムにいる。サプライズ的に登場したこのスタジアムは、決勝戦のためだけに建築したものらしい。叶は冷めた気持ちで解説の話を聞いていた。

 

 「叶ちゃん、隣良いかしら?」

 

 美しい金髪赤目の女性。照美の母・灯里(あかり)が柔らかく笑って叶に言った。

 

 「……どうぞ」

 

 「ふふっ、ありがとう。試合までまだあるみたいねぇ。何か食べ物でも買う? 奢るわよ」

 

 「ええと……じゃあ、炭酸ジュースをなんか」

 

 叶は今の味覚でも舌に刺激を感じられるものを頼む。

 

 「あら、それだけで良いの? もっと色々食べない? 焼きそばとかもあるわよ? たこ焼きも。ふふっ、何だかお祭りみたいねぇ」

 

 「今は減ってないので……」

 

 「そう、なら良いけど……。買ってくるから悪いけど、荷物見ておいてね」

 

 「……はい」

 

 一番会いたくない人にあった。叶はただでさえどん底の気分をさらに下げる。

 今は普段と全く変わらぬ振る舞いの灯里も、少し試合を見れば息子のプレーの異様さに気付くだろう。

 もし、「どうして照美を守ってくれなかったの?」とでも言われたらどうしようと、叶は震えた。

 

 灯里を待っている内に雷門イレブンが入場する。「頑張れー」と、らしくない小声で叶は言った。

 

 「グレープの方で良かったかしら? ……元気無さそうね。大丈夫?」

 

 「……大丈夫です」

 

 「マネージャーは合宿に行けない……んだったわよね。でも向こうの学校はマネージャーさんもベンチにいるのに……、照美たちが何かした?」

 

 「……ちょっと、色々あって」

 

 「そう。困ったことがあったら言ってね。私でも話を聞くぐらいなら出来るから」

 

 灯里の口振りは、特別強化合宿の裏側──神のアクアのための実験場という事実を知らないものだった。

 きっと、彼女も他のみんなの両親も、息子が楽しくサッカーをしてその果てに栄光を掴むことを願い、あの合宿を許可する書類にサインをしたのだろう。

 叶は羨ましく、妬ましくなった。親と子供、どちらに対してかは叶にもわからなかった。

 

 「雷門中は、四十年ぶりの出場でついにこの決勝戦まで登りつめました! 果たしてフットボールフロンティアの優勝をもぎ取ることができるのでしょうか!」

 

 解説が言い、二人はグラウンドを見ることに集中し始めた。

 

 「……なんだか、離れている間に顔つきも変わった気がするわぁ」

 

 雷門と世宇子の選手が並んで向かい合う。

 息子の変化について言及した灯里は、悪い出来事について言うようだった。

 

 叶が口で言っても、体で教えても、照美たちは神のアクアを飲むのをやめてくれなかった。このまま優勝したら、きっと取り返しがつかなくなってしまう。影山が照美たちの将来に責任を持つとは思えない。

 信じていない神に祈り、叶は雷門の勝利を心から願った。

 

 

 

 

 

 

 円堂は焦っていた。

 マジン・ザ・ハンドは未だ完成しない。先日見たアフロディの力がさらに彼の不安を増幅させる。

 数日前叶から言われた、世宇子がドーピングをしているという事実。それに、先に響木から伝えられた影山が祖父を殺したという話は、円堂の怒りを呼び起こすのに十分だった。

 怒りと不安が渦を巻き、彼は感情に飲み込まれそうになる。

 

 「円堂!」

 

 「円堂っ!」

 

 「キャプテン!」

 

 「キャプテン……!」

 

 「円堂くん……!」

 

 そうだった。オレは一人じゃない。全てを分かち合える仲間がいる。円堂の内に巣くう怒りと不安が消えた。

 それに──。円堂は観客席を見上げた。

 叶からも思いを託されたのだ。だから絶対に勝たなければならない。いや、そんな義務感でサッカーをしてはいけない。サッカーをこの決勝の舞台で仲間と共に味わい尽くして、絶対に優勝するのだ。

 

 「良いかみんな! 全力でぶつかれば何とかなる! 勝とうぜ!」

 

 「おう!!」

 

 円陣を組み、雷門イレブンは決勝戦への闘志を燃やした。

 

 

 

 

 

 

 叶を再び勧誘したけど、結局彼女は頷いてくれなかった。無理矢理連れ去ることも考えたが、それは彼の美学に反する。

 叶が隣にいないことを惜しみ、アフロディは神のアクアを口にした。高揚感と全能感が彼を包む。

 

 余計な意地を張らず、叶もこっちに来れば良かったのに。アフロディはそれだけを惜しんだ。

 叶に好意的なメンバ──―デメテル、アポロン、ポセイドンだって同じ気持ちだ。

 彼女を良く思っていないメンバ──―ヘラやアテナも、叶との試合で彼女に恐怖し、自分たちより上の存在だと認めたのだから、きっと嫌とは言わなかっただろう。

 

 優勝すれば。イナズマイレブンなどという、四十年前の下らない化石のような伝説を越えれば、きっと叶はまた昔のように傍にいてくれるだろう。

 

 「いよいよFF(フットボールフロンティア)全国大会決勝! 雷門中対世宇子中の試合が始まります!!」

 

 実況が言うと、観客席からは歓声が上がった。

 

 ホイッスルが鳴り、ヘラからデメテルにキックオフ。デメテルはアフロディにボールを下げた。パスを受け止め、立ち止まると、アフロディは指を鳴らし堂々と言う。

 

 「キミたちの力はわかっている。ボクには通用しないということもね。……ヘブンズタイム」

 

 神のアクアの力によって与えられた技だ。

 叶はこれをあまりにも軽々と突破してしまった。アフロディは苦く、そして嬉しい思い出を振り返る。

 時間が止まった世界。その世界で動くものの速度は、例えその動きがゆっくりだろうとも、無限大に早くなる。

 優雅に歩くアフロディによって生じた竜巻が、衝撃波のように雷門の有象無象──染岡と豪炎寺の二人を蹴散らした。

 

 「ヘブンズタイム」

 

 余裕を見せつけるようゆっくり歩き、障害物が目の前に現れると二度目。一度目と同じく、何の対応も出来ずに鬼道と一之瀬が吹き飛んだ。

 

 「怯えることを恥じる必要はない。自分の実力以上の存在を前にしたとき、当然の反応だ」

 

 目の前で怯える二人と、過去の自分たちにもこっそり言って、アフロディは雷門のディフェンダー・土門と壁山を竜巻で退かす。

 

 「……っ、来い! 全力でお前を止めてみせる!」

 

 「ふっ……天使の羽ばたきを聞いたことがあるかい? ……ゴッドノウズ! これが神の力!」

 

 「ゴッドハンド!!」

 

 シュートはいつも通りにゴールへ入る。どうやらあれだけ啖呵を切っていた雷門も、所詮は今までの相手と同じらしい。アフロディはほくそ笑んだ。

 「本当の神はどちらか」だなんて、わざわざ口に出して聞いたのが恥ずかしいくらいだ。

 

 「恐るべきシュート……ゴッドノウズが雷門ゴールに炸裂! 世宇子中先制!」

 

 実況が聞き飽きた言葉を言った。次いでこれまた聞き飽きた、されど何度聞いても心地よい賛美を口にする。

 

 「わかったかい? これが神の実力さ」

 

 不格好な円堂に、アフロディは現実を言い放った。

 

 雷門ボールから試合が再開。

 染岡と豪炎寺が互いへのパスを繰り返しながら上がる。

 

 「…………」

 

 棒立ちのまま何もしてこない世宇子に、気合いは怒りへと変化した。

 

 「チッ……ドラゴン……!!」

 

 「トルネード!!」

 

 染岡と豪炎寺の合体シュート。

 炎の力を与えられた竜がゴールに近付く。

 

 「ツナミ……ウォール!」

 

 ポセイドンは炎竜の歩みを呆気なく止めた。雷門イレブンが驚きに目を見開く。

 片手で受け止めたボールを、ポセイドンは転がす。

 

 「…………ヘパイス」

 

 「お、おう……?」

 

 ボールを相手校に渡すと、クイクイと指を動かし、「打ってこい」と挑発。そして、相手が持てる全てのシュートを呆気なく止めて、完膚なく戦意を喪失させる。

 それが今までのポセイドンの(つね)だったから、世宇子イレブンは不思議に感じた。

 

 結局、きょとんとボールを受け取ったヘパイスが雷門にボールを渡して、

 

 「ほらよ、もう一回打ってこいよ」

 

 と、偉そうな態度と表情で代わりに言った。

 

 それに対抗するため、雷門の面々は数々のシュートを繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 皇帝ペンギン2号、ザ・フェニックス。今の雷門の使える強力な合体技は通用しなかった。

 デメテルのリフレクトバスター、ヘラのディバインアローと世宇子の猛攻が続き、点差は0-3にまで開く。

 そればかりか世宇子のラフプレーで負傷者が続出し、雷門は控えを全て出して、十人で試合をすることになってしまった。負傷者の中には、サッカー選手の命である足を押さえながら痛みに(もだ)える者までいた。

 

 叶はそれを見て泣きたくなった。照美たちはこんなにスポットの当たった試合で一体何をしているんだ。影山は何をしてくれたんだ。守たちは本当に勝てるのか。

 

 試合を見たくなくて、叶は目を(つむ)る。隣の灯里が「叶ちゃん?」と不思議そうに言った。

 

 敏感な聴覚が、視覚を塞いでいようとも試合の展開を叶に教える。

 雷門イレブンは誰一人立ち上がることすら出来なくなってしまった。それでもその目から闘志を失っていない円堂に、アフロディが告げる。

 

 「まだ続けるかい? いや、続けるに決まっているね……では質問を変えよう。チームメートが傷ついていく様子を、まだ見たいのかい?」

 

 それを聞いて、叶は照美のことが嫌いになりそうだ。

 

 雷門イレブンの苦しむ声が聞こえる。円堂の心にヒビが入る音すら聞こえる気がする。

 

 「何を迷ってる円堂! オレは戦う、そう誓ったんだ!」

 

 「豪炎寺の言う通りだ……! まさかオレたちのためにだとか思ってるとしたら、大間違いだ!」

 

 「最後まで諦めないことを教えてくれたのはお前だろう!!」

 

 「オレが好きになったお前のサッカーを見せてくれ!」

 

 チームメートの叱咤に、円堂は再び闘志を燃やした。(こころざし)を同じくする仲間は、まだこの戦いを諦めていない。これでは、彼らを理由に諦めるなど出来るはずがなかった。

 仲間が諦めない限り円堂は諦めない。円堂が諦めない限り仲間は諦めない。彼らは何度でも立ち上がれる。

 

 そうして、

 

 「ディフェンスは攻撃陣を徹底的に狙え! オフェンスは守備陣を! キーパーは重点的に!」

 

 試合が再開して早々、雷門へトドメを刺すようなアフロディの指示。

 さらに雷門イレブンはボロボロになり、マネージャーはみんな目を反らしたい思いでいっぱいになった。観客に至っては手で顔を覆ったり、叶のように目を閉じる者もいた。

 秋たちが目を反らさなかったのは、大事な仲間が苦しい思いをしているのにフィールドにいないというだけの理由で逃げてはいけないと、選手との強い絆が思わせたからだ。

 

 攻撃では世宇子のディフェンダー一人として抜けず、守備でも一人すら止められない。

 試合続行不能も時間の問題。

 

 そして、アフロディと円堂の一騎打ちになるかと思われたところで──

 

 「…………」

 

 アフロディがボールを外に出し、試合を中断した。

 

 

 

 

 

 

 「阿里久(ありく)さんは神のアクアという薬品が、世宇子の力の源と言っていたわよね?」

 

 わざわざ試合を中断してまで十一人全員揃って行う世宇子イレブンの水分補給を見ながら、夏未が小声で言った。

 

 「けど……今までも何度か、試合中に控室へ行って探したけど、見つからなかったとも言ってましたよ」

 

 「私が思うに……世宇子はこれまでの試合全てを前半のみで終わらせていた。二杯目を飲む必要が無いから、そもそも今までは用意してなかったんじゃないかしら?」

 

 「決勝だから念を入れたのでしょうけど」と、夏未は続けた。

 

 「夏未さん、まさか……」

 

 「私たちで世宇子の控室に行って、神のアクアを探し出してやりましょう」

 

 夏未は瞳に強く意思を込めて言った。

 

 「もしもし……聞こえるか? お前らの頭に直接話しかけてるぞ。ほら、テレパシーってやつ」

 

 「え!? 阿里久さんどこ……に……?」

 

 「声は後ろからしたのに……」

 

 「まさか本当にテレパシーで……?」

 

 辺りをキョロキョロ見回す三人を、ベンチに座る選手たちが不思議そうに見た。

 

 「神のアクアの証拠人なら、鬼瓦刑事にすでに引き渡してあるから、お前らのすることはないぞ」

 

 「でも……」

 

 「控室には警備員もいるし、危ないぞ。というか、今控室や周りにいるのは全員影山の手下と思ってくれ。だから、選手の手当てに集中しとけ」

 

 「でも、このまま彼らと戦ったら円堂くんたちは……」

 

 「だから、やることないんだって。神のアクアを捨ててもすぐ補充されるぞ。危ないことせずに大人しく──」

 

 「なら、こういうのはどうかしら?」

 

 夏未が言う。

 

 「……その発想はオレにはなかった。でも、やっぱり危ないからやめた方が……」

 

 「あら? 危ないって言うなら……アフロディと拮抗した能力を持っているんですもの。あなたがいれば、私たちが危険な目に遭う確率は下がるわね」

 

 「…………えっと」

 

 叶は面食らった。なぜ自分を信用出来るんだ。

 

 「わかった、ちょっと待ってろ」

 

 「きゃっ、叶ちゃん!?」

 

 急に意識を失った叶を見て、灯里が慌てた声を出した。叶は彼女に申し訳なく思いながら、マネージャーの三人だけに視認できるようにして、半透明の体を動かす。

 

 「お化けー!?」

 

 「来たぞ。幽体離脱ってやつ。見えるのはお前らだけだから気を付けろ。物には触れるし、ポルターガイスト的なのも出来るぞ」

 

 「……後で詳しく聞かせてほしいわね。みんな、良いかしら?」

 

 「うん。円堂くんたちだけじゃなくって……私たちも戦わないと」

 

 「そうですよ! お兄ちゃんたちが戦っているのに、私たちはただ見ているだけなんて出来ません!」

 

 「オレも……お前らが変なヤツに指一本触られないように精一杯護衛するぞ」

 

 四人はベンチを離れ、スタジアム内を捜索した。

 

 「……」

 

 「ひっ……」

 

 後ろから誰かが近付いた。

 叶は霊体を膨張して威嚇する。さながらホラーゲームのクリーチャーのようだ。

 

 「ぎゃーーー!!!?」

 

 「ぎえーーーー!??!!?」

 

 「ぴゃぁぁぁっ!?」

 

 「きゃっ!!?」

 

 誰か、叶、春奈、秋の順番で悲鳴。

 

 「ひっ……。ちょっと阿里久さん、驚かさないで頂戴(ちょうだい)!」

 

 すんでのところで叫ぶのを堪え、夏未は注意した。

 野太い声で悲鳴をあげたのが誰か、四人は確認する。警備員の制服を着た鬼瓦の姿があった。

 

 「どうして刑事さんがここに?」

 

 「ああ。そこの小さい嬢ちゃんのおかげでヤツの悪事の証人は得られたんだがな。直接的な証拠が欲しいってことで、神のアクアの現物を探しに来たんだ」

 

 一息吐くと、「ところで」と鬼瓦は続ける。

 

 「嬢ちゃんたちこそどうしてここにいる? ここにはマネージャーの仕事なんかねぇぞ。それに……小さい嬢ちゃんが半透明な気がするが、俺の気のせいか?」

 

 「あー……ちょっと幽体離脱したんです」

 

 「幽体離脱だぁ!? っと、今はそっちを聞く暇は無いな。幸い世宇子の控室の警備員は、あんな大声でも俺たちに気付いちゃいねぇらしいが、いつ気付くか……」

 

 「なら大丈夫ですよ。警備員なら全員、こうして……こう、エクトプラズムを中に入れて気絶させました」

 

 叶は自分の周りの白い煙をボコボコと動かした。

 

 「……もう何も言わねえぞ」

 

 鬼瓦は頭を掻いて言った。

 

 「とりあえず、控室の鍵を手に入れないといけないわね」

 

 「すぐ見つかるところにあれば良いんだけど……」

 

 「それならこうして……えいやぁっ!!」

 

 硬い扉を触ることなく、叶が謎の力でくりぬく。四人はそれを見て押し黙り、辺りを沈黙が包んだ。

 

 「……早速、神のアクアをただの水と取り替えてやりましょう!」

 

 夏未が沈黙を破り、五人は世宇子の控室の中に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 用が終わり、叶はマネージャーたちを無事にベンチまで送り届けた。

 神のアクアはただの水と入れ替えられ、本物は鬼瓦によって証拠品として押収された。

 ひとしきり満足すると、叶は今まで神のアクアと水をすり替える考えすら思い浮かばなかった自分が嫌になった。

 

 肉体に戻ると、両太ももと両脇の間、それと首を包むように冷たい感触を感じる。

 

 「良かったぁ! 熱中症かと思って、体を冷やすものを借りたのよ。調子はどう?」

 

 「……。大丈夫です」

 

 心配そうな灯里と目を合わせることが出来ずに叶は答えた。

 

 「ねぇ、叶ちゃん。もしもあの子と……照美と大喧嘩をしていても、それでも、私のこと、家族と思って色々頼ってくれていいんだからね。三年間も一緒に暮らして来たんだから」

 

 叶は頷けなかった。

 照美を助けることが出来ず、それどころか傷付けた叶が、どの面を下げて彼の母を頼れるのか。

 そもそも叶が前世のままなら。新として生きていたのなら彼女より年上だ。

 

 叶は曖昧に笑って返事する。灯里は悲しそうに微笑んだ。その顔が世界で最も愛しい少年──叶が今更そんな感情を向ける権利のない相手を想起させる。

 

 彼の顔を思い浮かべると、感傷的になってしまう。

 叶は余計な思考を止めて、全ての意識をフィールドへと向けた。

 

 

 

 

 

  

 執拗な世宇子による攻撃で、雷門イレブンは再び全員が倒れ伏していた。

 

 「……限界だね。主審」

 

 アフロディは彼らを見やり審判に言う。

 

 「試合続行不可能ということで、この試合世宇子中の──」

 

 「ま、まだだ……! まだ終わっちゃいない……!」

 

 疲労困憊といった様子で、声を震わせながら円堂が立ち上がる。それに呼応するように他の九人も立ち上がり、アフロディは理解出来ないものを見る目で彼らを見た。

 

 「信じられないという顔だな……円堂は何度でも何度でも立ち上がる……! 倒れるたびに強くなる……! お前は円堂の強さには敵わない!」

 

 円堂の強さを敵として、そして味方として最もよく知る少年・鬼道は堂々と宣言した。

 

 「では試してみよう。ゴッドノウズ……改っ!!」

 

 不敵に笑うと、アフロディは六枚羽で飛び上がる。立つのも精一杯といった風の円堂を見据え、彼の息の根を絶つためのシュートを──

 

 「……ふ、命拾いしたね」

 

 打とうとして、そこで不躾なホイッスルが前半終了を告げた。

 アフロディはふわりと着地して、足を(ひるがえ)し、世宇子ベンチの方に向かった。

 

 

 

 

 

 

 「濃度を濃くした。一杯で後半終了まで効果が続く」

 

 と、渡された神のアクアを世宇子イレブンは口にした。

 アフロディの瑞々しい唇に残った水滴が弾けようとする。そうなると下品だから、その前に水滴を指で優雅に拭った。

 

 叶ちゃん。キミをかどかわした子たちを倒して、昔の約束を果たして──キミを救ってみせるからね。

 

 心中呟いて、アフロディは気合いを入れた。

 

 「ポセイドン?」

 

 「あ、いや……」

 

 ヘパイスがポセイドンを呼び止める。何かあったのだろうか、とアフロディは耳をそばだてた。

 

 「試合中雷門のマネの方見すぎじゃねぇ? 好みの女でもいたの?」

 

 「…………」

 

 ヘパイスの言葉にポセイドンは悲しそうな顔をして俯いた。

 喧嘩じゃないのか。止めた方が良いのだろうか。神らしくもなくアフロディは思う。

 

 「おい、下品な会話はやめろ」

 

 ヘラが止めて、アフロディの出番は無くなった。

 

 アフロディは雷門ベンチを横目で見て思い出す。試合中、なぜかあっちに──もっと正確に言うとマネージャーたちの方に叶を感じた。

 あの三人は全く叶に似ていないのに不思議だ。

 アフロディはほんの一瞬だけ疑問で頭をいっぱいにすると、試合に向けて気を入れ直した。

 

 

 

 

 

 

 雷門ベンチには監督の太っちょな男と、マネージャーと、世宇子が潰した控え選手がいる。

 彼らはまるで自分がフィールドにいるかのように、表情をコロコロと変えていた。

 

 一方こちらの世宇子ベンチはスカスカだ。

 控えはいない。マネージャーもいない。代わりに試合などきっと大して興味ない、神のアクアを運んでくる研究員だけがいる。監督は──影山総帥は離れたところで試合を見ているだけだ。

 ポセイドンは悲しく笑った。元々表情がいまいち分かりにくい顔だから、チームメイト同様、嗜虐で楽しげに笑っているように周りには見えた。

 

 控えの選手はなぜいない? ポセイドンたちが彼らを潰したからだ。

 サッカー部を作ったときからの仲間のメドゥーサを。怖面仲間のクロノスとヘラクレスを。キーパーとして何度も指導をしたイカロスを。可愛い後輩のアキレスを。ポセイドンらは嬉々として潰した。

 

 マネージャーはなぜいない? オレたちが彼女を裏切ったからだ。ポセイドンは考える。

 影山の配下を抜けるチャンスはいくらでもあった。神のアクアの使用が始まったとき、メドゥーサたちと共に抜ければ良かった。そうでなければ彼らが反抗してきたときに。あるいは叶との試合に負けたときに。

 

 ポセイドンは思い返す。

 方法はともかく、世宇子イレブンのやっていることがおかしいと気付かせてくれようとした叶に惨敗したことを彼らは悪夢だと片付けた。

 叶との試合の後、ポセイドンの頭からは酔いが覚めるように、神のアクアの高揚が無くなりつつあった。そして、決勝戦を前にして完璧に覚めた。

 

 周りは何も思わないのだろうか。体格的な神のアクアの効き具合の違いだろうか。あるいは、フィールドプレイヤーとキーパーの視野の違いか。

 

 ポセイドンは雷門が羨ましかった。だから、試合が始まる前に雷門を応援するマネージャーたちを見てしまった。

 距離もあって話は聞き取れないけれど、きっと選手たちを応援しているとわかった。

 

 「先輩っ! 頑張ってくださいね! へへっ、照美、たくさん頑張れよな! 絶対優勝だぞ!」

 

 もしも自分たちが影山に従わなければ、今ごろあの小さくて可愛らしい少女から、こんな言葉を聞けていただろうか。

 マネージャーで、自分たちとは違い神のアクアを飲まずに無事だった彼女を、「サッカーで人を傷付けた」だなんて不名誉なお揃いの巻き添えにせずに済んだのだろうか。

 否、ここに叶たちがいないことが罰であり、自分たちの行いの順当な結果でもある。

 無意味な仮定だった。

 




円堂視点のこれじゃない感すごい。
主人公が参加しない試合って書くの難しいです。下手したらただアニメを文字起こししたのになりかねない。

ちなみにポセイドンが正気を取り戻しているのは、叶vs世宇子で一番ボコられ、怪我を治すための叶パワーを一番多く注がれたのが彼だからです。


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49話 雷門vs世宇子 後編

書くのに時間かかった割には出来が悪い。
爽やかに終わりたい方は、“そうして、伝説の一ページが刻まれた。”で読み終わってください。主人公が非常に辛気臭いです。
後書きが長めです。


 

 (かなえ)は観客席で手を組み、祈る。これくらいしか叶には出来ない。

 ゴーストミキシマックスの要領で雷門イレブンに力を送ったり、能力で雷門、あるいは世宇子の選手をラジコンにすることも出来るが、この大舞台でそれをやってはいけないという分別くらいはあった。

 

 「照美…………」

 

 横に座る照美の母・灯里(あかり)は両手を口元に当てて、赤い目が零れ落ちそうなほど見開いて、息子たちの横暴に驚いている。

 

 適当に慰めた方が良いか? どうでもいい。どうせそれも上手くいかない。叶は諦めた。

 

 

 

 

 

 前半戦でボロボロになったグローブから、祖父・円堂大介の形見のグローブに付け替えて、円堂は後半戦に(のぞ)む。

 これがあると尚更に気合いが入り、覚悟も決まる気がする。まるで本当に祖父が傍で力を貸してくれているようだ。

 

 「フットボール・フロンティア全国大会決勝! 後半戦開始! さあ、雷門、果たして反撃なるか!?」

 

 0-3もの点差が開く中、後半戦が始まった。

 

 豪炎寺がボールを持ち、攻め上がる。そこに、世宇子の巨体のディフェンダー・ディオが立ち塞がった。

 

 「神には通用しない……!」

 

 二人の(つば)()り合いに、鬼道と一之瀬が加勢。このまま切り抜けられるかと思ったが、

 

 「無駄だ。神には通用しない。……メガクェイク!」

 

 大きく隆起した地面により、三人は足元を狂わされ、ボールを奪われた。

 

 「ダッシュストーム!」

 

 「うわああああああぁぁあ!!」

 

 ディオからボールを受け取ったデメテルが、突風を撒き散らしながら勢い良く走る。雷門のディフェンダー・宍戸(ししど)、半田、風丸の三人はそれにより吹き飛ばされた。

 デメテルからアフロディにパス。ゆったりと歩いてゴールに向かう彼の元に、ディフェンダーが立ち塞がる。

 

 「キラースライド!」

 

 「コイルターン……!」

 

 土門と影野(かげの)の必殺技。

 

 「ヘブンズタイム!」

 

 技の打ち合いでアフロディは当然のように勝つと、壁山、土門、影野の三人を突破した。

 

 ハーフタイムの間に回復した体力と気力は、所詮焼け石に水だったのだろうか。円堂以外の九人は、再び世宇子の猛攻撃で倒れてしまった。

 

 「残るはキミだ……!」

 

 「う……ぐ……っ!」

 

 アフロディは壁打ちでもするように、円堂に向かってシュートを繰り返した。ただ一人立っている円堂も、砲弾のような威力のシュートを続け様に受けて、もはや幾ばくもない。

 

 「なぜ、勝ち目のない戦いに熱くなれる? キミはボクを苛々させる!!」

 

 苛立ちを隠せない様子で、アフロディは何度もシュートを打った。

 その苛立ちの中には、自分が失ったものに対する嫉妬や羨望の念が含まれていたのかもしれない。

 アフロディは最後、今度こそ円堂を完全に潰すべく渾身の一撃を食らわせると、彼が倒れるのを見届けることもなく背を向ける。

 

 「そうだ。キミは神の力を手にしたボクに、ひれ伏すしかない」

 

 円堂が起き上がれないのを確認すると、所詮は口だけの弱い人間だったのだと、アフロディは満足げに言った。

 

 「……うぅ、……サ、サッカーを……大好きなサッカーを……汚しちゃいけない! そんなことは……、そんなことは……!! 許しちゃ……!! いけないんだあああぁぁぁ!!」

 

 円堂が吼えて、立ち上がった。それに呼応して倒れていた雷門イレブンも立ち上がる。

 理解が出来ない。諦めた方が楽だろう。それに、どう考えてもあれが彼らの限界なはずだ。なぜまだ立ち上がれる?

 アフロディは雷門イレブンに恐怖すらも感じた。その恐怖を紛らわすために、円堂の体に、顔に、何度も彼はボールをぶつけた。

 

 ──円堂は何度でも何度でも立ち上がる……! 倒れるたびに強くなる……! お前は円堂の強さには敵わない!

 

 鬼道の言葉がアフロディの頭の中で反響する。

 

 「そんなことが……そんなことがあるものか!」

 

 アフロディは必死にそれを否定した。叫ぶと同時に体に力が入る。自然なものではない。アフロディの手足が二回りは盛り上がるのがわかるほど、恐らくは神のアクアによって異常に筋肉が活性化していた。

 

 「これは……大好きなサッカーを守るための戦いだ!」

 

 「円堂!」

 「円堂!」

  「「「円堂!」」」

 「「「キャプテン!」」」

 「「円堂くん!」」

 「守!」

 「……守」

 

 チームメートとマネージャーと母。彼らの思いを受け止めて、友達の願いを背負って、円堂は胸に熱いものが沸き上がるのを感じた。

 

 「感じる……! みんなのサッカーへの熱い思い……!」

 

 そう言った円堂の目は、アフロディたちが気圧(けお)されそうになるほど清々(すがすが)しいものだった。

 

 「神の本気を知るがいいッ!」

 

 アフロディは振り絞るようにそう言って、翼を生やし、空中へ浮かび上がった。

 円堂はグローブを見て何事かを呟くと、上半身を後ろに捻る。御託を垂れていたが諦めたのか。アフロディはほくそ笑み、

 

 「諦めたか、だが今更遅い! ゴッドノウズ……!! 改っ!!」

 

 彼を潰すためのシュートを放った。

 

 「ぐおおおぉぉぉ──っ!! これがオレの! マジン・ザ・ハンドだぁぁぁぁっ!!」

 

 黄金の魔神が円堂の背に現れる。そうして、魔神は神の(いかづち)を片手だけで止めた。

 

 「な……何っ!? 神を超えた……魔神だと!?」

 

 止められた。止められてしまった。

 アフロディを始めとした、世宇子選手の目が揺らぐ。

 反対に、ここでのマジン・ザ・ハンドの完成に、雷門の士気はこれ以上なく上がっていた。

 

 「いっけえええ──っ!!」

 

 円堂の雄叫びと共に、ボールは鬼道の元へ。

 円堂が止めたボールを必ずゴールに繋げると、雷門イレブンは残る力を振り絞って走る。

 

 「メガクェイク!」

 

 鬼道のドリブルを阻むべく、ディオが必殺技を打ち込む。鬼道は上空に吹き飛ばされながらもヘディングをして、おそるべく執念で豪炎寺にパスした。

 

 「ファイアトルネード!!!」

 

 「ツインブースト!!」

 

 豪炎寺のファイアトルネードの後に、鬼道のツインブースト。

 それに、ポセイドンはハッとした様子で、

 

 「ツナミウォール!!」

 

 と、大きな津波の壁を作り出す。

 

 「何、なんだ……この、パワーは……!? うわあぁぁぁ!!?」

 

 雷門のシュートがツナミウォールを打ち破った。

 

 「ゴォォォールッ! ミラクルシュート炸裂! 雷門、ついに世宇子キーパーポセイドンを打ち破った!」

 

 雷門と、観客らから歓声が沸いた。

 

 「ボクは……ボクは、神の力を手に入れたはずだ!! ゴッドノウズ改っ!!」

 

 「マジン・ザ・ハンド!!」

 

 気力を振り絞ったアフロディのシュートは止められる。それに、世宇子イレブンは“悪夢”を思い出して震えた。

 

 ファイアトルネードとツインブーストのシュートチェインが、さらに二度立て続けに世宇子ゴールを襲う。

 一度目、ポセイドンは第二の技であり、己の最強の技・ギガントウォールを使い破られた。二度目はギガントウォールが通じなかったショックで反応が遅れた結果、技の発動が間に合わなかった。

 

 「まさか……バカな……!? こんな……!」

 

 あっという間に雷門と世宇子の点差は縮まり、3-3とフラットな状態に戻った。

 

 「ついに同点! 残り時間はあまりない、このまま延長戦か!? それとも決着か!?」

 

 審判が叫ぶ。その言葉に雷門の選手は気を引き締めた。

 

 「最後の1秒まで全力で戦うッ!」

 

 「「それがオレたちの! サッカーだぁぁぁ!!」」

 

 円堂、土門、一ノ瀬によるザ・フェニックス。それにさらに豪炎寺のファイアトルネード。

 灼熱が世宇子ゴールを飲み込んだ。

 

 「負ける……」

 

 アフロディはそれを見ると、敗北を確信して、地面に手と膝をついてただ下だけを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 肌がピリ付き、全身の毛穴が開く熱気。凶悪な威力のシュートから、今すぐ逃げ出したくなる。

 ポセイドンは走り出そうとする足を必死に抑えた。あの“悪夢”の叶による、十一重のシュートチェインよりは百倍マシだ。そして、あれを体にモロに受けた自分が、これしきのシュートを耐えられないわけがない。

 

 「ギガント……ウォール!!!」

 

 体を巨大化させて、全身で襲い来るシュートを止めようと試みる。

 

 「「うおぉぉぉおぉぉぉぉ!!!」」

 

 敵味方関係なく、戦う者の雄叫びが重なった。

 

 ポセイドンは呆気なくシュートに体を吹っ飛ばされて──

 

 「まだだ……!! まだ、オレたちは終わらない……!!!」

 

 「このまま終わってはいけない!!」

 

 「ここを耐えれば、まだ戦える!!!」

 

 デメテル、ヘラ、アフロディ。三人がシュートを蹴り返そうと力を加えた。

 

 

 

 

 

 

 どこで間違えた?

 ゴッドノウズ改が防がれ、立て続けに二点を奪われたころ。

 ポセイドン以外の世宇子の選手は答えのわかりきった問いを自問自答していた。

 その思考に溺れて、豪炎寺がファイアトルネードを打つ前にボールを奪おうだとか、シュートコースで構えて、シュートブロックでシュートの威力を削ってやろうとか、そんなことなど考えられない。

 

 それはキャプテンのアフロディ──照美も例外ではない。

 どこで間違えたのだろう。

 叶が言っていたように、彼女が照美にサッカーを教えてくれたことが間違いだなんて思いたくない。叶以外の他者からそう言われたら、きっと、それは違うと何度でも言い返せる。

 でも、叶から直接そう言われてしまったのだ。だから照美は何も言い返せない。

 

 “特別強化合宿”なんて参加しなければ良かった。応援してくれた叶も、サインをくれた両親も、みんな裏切った。

 チームメイトが神のアクアを飲んだり、自分たちによって潰されたのは、キャプテンの照美に全ての責任がある。

 世宇子中の名も随分と汚してしまった。

 

 汚したものと傷付けたものが多すぎて、責任を取るには何をすれば良いのかわからない。誰に何を謝れば良いのかさえも。そもそも謝罪すらも迷惑じゃないかと、照美は弱気に考えた。

 

 このまま塞ぎこんで父親の母国へ留学でもして、いっそ今までの何もかもを捨ててしまおうか。

 そんな考えすらも思い浮かぶ。

 

 ホイッスルが鳴り、雷門の三点目の得点を高々と知らせる。これで雷門と世宇子は同点だ。

 

 ──まだ出来ることがある。

 

 照美は弱々しく立ち上がった。

 視界の端ではまた豪炎寺がファイアトルネードを打とうとしている。

 照美は彼を視界から外すと、背を向けて走り出した。

 

 「ヘラ! デメテル!!」

 

 いっそ怒鳴り付けるのにも近い勢いで、茫然自失(ぼうぜんじしつ)の二人に照美は言った。

 彼らは先の照美のように覚束(おぼつか)無い動きでこちらを向き、きょとんとした顔をする。

 

 「ついて来いっ!!」

 

 照美の呼び掛けに二人は従った。

 三人が向かうのは世宇子ゴールだ。今は神のアクアは効いていないが、あのときの神速を意識して目にも止まらない速度で走る。

 

 「……!」

 

 歩星(ぽせい)は何かを察して深く頷いた。

 

 「──っ! 裁きの鉄槌(てっつい)!!」

 

 彼らの様子を見ているだけかと思われていた阿保露(あぽろ)が、歩星の前に割り込んだ。

 黄金の巨大な足が、雷門のシュートをパワーダウンさせる。

 

 「ギガント……ウォール!!!」

 

 シュートとの攻防の果て、歩星は呆気なく弾き飛ばされた。

 

 「……入ったか!?」

 

 「いや、まだだ……!」

 

 壁が破れた先、歩星と阿保露が稼いだ時間を使って彼の後ろに三人はいた。

 何かを示し会う必要はなく、彼らの意思は同じだった。

 

 勝利への渇望。

 

 これまでの気取った態度はなく、このままで終わっていいわけがないと、ただ貪欲なそれだけが三人を突き動かす。

 

 「行くぞ!」

 

 「おう!」

 

 「ああ!」

 

 照美が簡潔に言った。出右手と平良も短く返事して、ボールに三つの脚が同時に触れる。

 

 「「「ジ・エリュシオン!!!」」」

 

 照美からは青。出右手からは緑。平良からは赤。

 それぞれがボールに力を入れた箇所から三等分されて、ボールは三原色に光り輝いた。

 回転しながらグルグル回り、やがて三色が混じり、ボールの纏うオーラはは神々しい白に色を変える。

 

 ボールは進行方向を変えて、雷門コートへと進んだ。

 

 もしも延長戦になってしまったら、それこそ一つのシュートも打てないと思えるほど、三人は全ての力をこのシュートに込めた。

 ぐったりとしながら、闘志は胸の内に(くすぶ)らせたまま、照美は思う。

 

 これからは大変だろう。下手したらサッカー部の存続どころか、自分たちが世宇子中に在籍していられるかすら危うい。

 ……でも、きっと大丈夫だ。照美は前を見据え、シュートの行く末を見守る。

 同じ地獄を味わった仲間がいる。同じ地獄を味わわせた仲間がいる。一年以上も同じボールを追いかけ続け、同じ目標に向かい切磋琢磨した仲間がいる。

 照美は一人ではない。

 今と、もう少し先の未来まではドン底だ。けれど、その奈落を越えた後は上がるだけ。

 その先が少しマシなだけの奈落のままか、惰性のように生きるのか、子供のころのような気持ちで純粋にサッカーが出来るのか。それは照美たちの頑張り次第だ。

 こんなに良いシュートを打てたのだ。神のアクアを飲んで堕落していた分、人の何倍も頑張れば悪い未来にはならないと、以前のような楽園が待つと照美は確信していた。

 

 

 

 

 

 

 円堂は目の前のシュートを感嘆の目で見た。

 次いで、試合の残り時間を示す電光掲示板に目をやり、その短さに驚いて、ゴールの前に戻るべきか、世宇子がしたようにこのまま打ち返すか迷う。

 最も、迷った時点でどちらの選択肢を選ぶのかは、円堂の中で(なか)ば決まっていた。

 

 「円堂っ!」

 

 「おう! 豪炎寺!」

 

 「ああ……!」

 

 鬼道に呼ばれ、円堂は彼の意図を察知する。豪炎寺を呼ぶと、走りながら小さく頷いた。

 

 「「「イナズマブレイク!! 改!!」」」

 

 金色の稲妻を(まと)うボールに、紫の(かみなり)が降り注ぐ。

 世宇子のシュートに向かって、普段よりも重くボールに力を加えた。

 

 「うおおおぉぉぉぉぉ!!」

 

 「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 そして、イナズマブレイクは世宇子のジ・エリュシオンを相殺(そうさい)した。

 

 「嘘だろ……!?」

 

 「まさか……」

 

 平良と出右手が目を見開く。

 

 イナズマブレイクは世宇子コートを進み、ディフェンスラインを越えた辺りで、フィールドの外へ出た。

 

 

 

 

 

 

 世宇子のスローインから試合は再開。

 泣いても笑っても、このあとの数アクションで全てが決まる。部灰(へぱい)はボールを持ち上げる両手が震えるのを感じた。

 フィールド内、照美に向かって部灰はボールを投げる。ボールは彼の元までは届かず、在手(あるて)が拾った。

 

 「アフロディ!」

 

 「デメテル!」

 

 在手から照美、照美から出右手にパス。

 

 「ダッシュ──うわあぁぁぁぁ!!!」

 

 「キラースライド!! っと、豪炎寺ィ!!」

 

 「……! ファイアトルネード!! 改ッ!!」

 

 「「「ザ・フェニックス!!」」」

 

 二度に渡り世宇子のゴールを破ったシュート。轟々(ごうごう)と燃え上がる不死鳥は真っ直ぐとゴールへ向かう。

 

 「(ひかる)! ヘパイス! ゴール前に!」

 

 「ああ!」

 

 「了解っ!」

 

 ファイアトルネードとザ・フェニックスのシュートチェインは、歩星一人では彼の最強の技・ギガントウォールでも止められない。

 だが、彼の前にシュートの威力を削ってくれる者がいれば──みんなの力があれば、止められるかもしれない。そう思って照美は言った。

 シュートに追い付き、ジ・エリュシオンを打つのは、今の疲弊した照美たちでは間に合いそうにはなかった。

 

 「裁きの鉄槌、改っ!」

 

 「裁きの鉄槌!」

 

 阿保露と部灰のシュートブロック。シュートは元の八割程度に威力を抑えられた。

 雷門の選手はシュートが入ることをひたすら祈る。

 

 「ギガントウォール……改ッ!」

 

 これまでよりも格段に力をみなぎらせ巨大化した歩星が拳を振り下ろし、シュートを叩き潰さんとする。

 

 「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 雷門の選手が言った。円堂の声がその中でも一際目立つ。

 残り時間はほとんどない。シュートが入るか入らないか。時間切れか。とにかくこれで全てが決まる。

 仮にシュートを跳ね返されようとも。残り時間が一秒でも残っていれば、オレたちは残った時間を戦い抜くまでだ。

 円堂は自然と目に力を入れて、ボールの方を見た。

 

 

 

 

 

 

 太陽を素手で触っているのかというくらい熱い。

 気持ち的には核弾頭でも向けられているのとそう変わらない。

 歩星はそんな殺人的なシュートと向かい合っていた。

 

 膝を軽く曲げ、足を少し開き、腰をひいて、歯を食い縛り、歩星は効率的に腕に力が入るよう努めた。

 

 「うぁぁぁぁぁ!!!」

 

 綱引きのかけ声のごとく発声し、さらに力が入るように。

 何時間にも感じる攻防が終わり、ボールは彼の手と地面の間から抜け出した。

 そしてそのまま、歩星の後ろに──ゴールに向かって進む。

 

 「逆転ッ、ついに雷門勝ち越しぃぃぃぃ! ここで試合終了ぉぉぉ──っ!! 勝ったのは雷門! 劇的な大逆転勝利だぁぁぁ!!」

 

 試合終了のホイッスルが鳴る。持つべき力を全て使って抵抗したのだ。世宇子イレブンは負けたというのに、どこか満たされた思いになった。

 

 疲れも負けも、どこか心地よく開放感すらある。

 歩星は雷門のベンチに目を向け、抱き合ったりジャンプしたりして喜ぶマネージャーを見た。続けて、世宇子の方を見る。こちらは文字通り誰もいない。

 

 マネージャーも控え選手も。負けを共に悲しんでくれる者は、外から気合いを入れてくれるような者はいない。

 歩星はそれに、胸に(きり)で穴を開けられたような痛みを感じて、これが自分たちへの最初の、小さく、大きな罰なのだと理解した。

 

 

 

 

 

 

 「勝った……! オレたち……勝ったんだよな……!?」

 

 円堂は周りを見回して、世宇子のゴールネットに引っ掛かり浮いたままのボールを確認し、得点板を何度も見て、頬をつねり、それでもさらに現実かと確認するように言う。

 

 「ああ。勝ったんだ……! 優勝したんだよ、オレたちは……!」

 

 鬼道の答えに円堂は驚きと喜びで小鼻を小さく膨らませ、軽く身震いすると、「わあぁぁっ!!」と声を出す。

 

 「「「やったあああああああ!!」」」

 

 「よくやった、みんな……!」

 

 「なれたのかな、オレたち……伝説のイナズマイレブンに!」

 

 「いいや。伝説はこれから始まるんだ……!」

 

 雷門は優勝に喜び、歓声が彼らを包む。

 そうして、伝説の一ページが刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 叶は冷たくフィールドを見下した。

 

 フィールドでは円堂が胴上げをされていた。胴上げから離れたところでは、世宇子の選手が何か話している。叶の聴覚なら集中すれば聞こうと思えば聞けるが、そうしようとは思えなかった。

 みんな笑っていた。雷門のマネージャーも選手も監督も。世宇子のみんなだって憑き物が落ちたような顔で、みんな笑っていた。叶だけがその輪にいない。

 

 叶は非常に身勝手な感情を抱いていた。

 雷門の選手には、感謝と嫉妬を。照美たちを助けてくれた感謝と、どうして自分はああ出来なかったのかという後悔混じりの嫉妬だ。

 世宇子の選手には、友愛と憎悪を。一年四ヶ月から、十一年かけて培った情は彼らが影山の手先になったからといって簡単には消えてくれなかった。それが余計に叶を苦しませた。

 

 試しに周りの観客の感情を吸い取ってみる。

 良い試合を見れた感動が叶の内に沸き上がり、憎悪と嫉妬の内にかき消された。悪い思いばかりが強くて、叶の目から涙が溢れた。

 雷門の逆転勝利を見た感動で泣いている者もいたから、特に奇異の目で見られたりはしなかった。

 叶は必死に、正しい感情──雷門への祝福だけを残そうとしたけれど、上手くいかなかった。

 

 「……っ、うぐっ……ひっく……」

 

 「叶ちゃん……」

 

 灯里が高級そうなハンカチで叶の涙を拭う。やめてほしいと言う気力もなく、叶はされるがままにされた。

 

 叶は論理的に物事を考えなど出来ず、感情によるバグが脳というコンピューターを誤答に導いた。

 普段なら繋がらない思考と思考、感情が誤接続する。

 叶は、サッカーをもはや──。

 

 「うぁ……」

 

 (ねえ、叶)

 

 力なく項垂れる叶の内から季子(きこ)の声がする。

 

 ((あらた)とお母さんの子供なんだもの。あなたもどうにもならないんだから、早くこっちにいらっしゃい)

 

 優しい声。叶は彼女の腹の中にいたときのことを思い出した。サンゴ礁のある暖かな南の海みたいで、空気が綺麗な瑞々しい森林のような。

 あそこが一番安心出来た。

 

 耳をすますと鬼瓦と影山の声がする。どうやら逮捕されたようだ。今回のFFでの悪事の他、余罪を含めると影山はそう早くは出てこれないだろう。獄中死、死刑もあり得る。叶が手を下す必要はない。

 

 照美はどうだろう。前に短絡的な叶がチームメートを痛め付けて、きっと嫌いになっただろう。仮に彼が変わり者で叶を未だに好きでいてくれても、照美の周りにはあんなにたくさん人がいるのだから、大丈夫なはずだ。

 

 叶の人生の意味が、ようやく無くなってくれたのだ。

 

 「……。どうしたの?」

 

 突然立ち上がった叶を見て、不格好にハンカチを持ち上げたまま灯里が言った。

 

 「照美のお母さん。今までお世話になりました。でも、もう大丈夫です」

 

 「……叶ちゃん?」

 

 「母ちゃんのところに行ってきます!!」

 

 叶は晴れやかに告げた。その前に少しやることがあるけど、すぐに終わるはずだ。

 

 「叶ちゃん!? 待って、どういう意味──待って、待ちなさい!! ……ぅ、けほっ、ごほっ……!」

 

 叶の母がどこにいるのか知る灯里は声を荒げる。不慣れな大声を出したものだから咳き込んでしまった。咳が収まるまでに叶は灯里の視界の外に消える。

 彼女を特に心配することもなく、叶は母の導きのまま、滞在しているホテルに帰った。




オリジナル技
ジ・エリュシオン(林)
消費TP…まあまあ多い
三つの異なる聖なる力を共にボールに注ぎ、純白の強大な力をボールに纏わせるシュート。
赤、青、緑の光の三原色が誰担当かは雰囲気で決めた。
ファイアブリザードみたいに回転しながらゴールに向かうタイプ。


没案色々
・ポセイドンの新技
→確か名前はオケアノス何とか的な。どんな技かイメージが固まらなかったため没。

・雷門のラスト得点
→(初期案)ジ・エリュシオンをイナズマブレイクで防いだ後雷門がボールをキープ。ザ・フェニックス+ファイアトルネードを警戒したアフロディの指示で土門、一之瀬、円堂を世宇子が徹底的にマーク。
イナズマ落とし(豪炎寺+壁山)→ツインブースト(豪炎寺+鬼道)→壁山がザ・ウォール(加速装置的な役割)を豪炎寺の足元に発動+ヒートタックル(推進力)→ボールに追い付いた豪炎寺とゴール前でスタンバイしてた風丸の炎の風見鶏→ゴール
イナズマブレイクも含めると豪炎寺が四回連続必殺シュート(ヒートタックルも含めると五連続必殺技使用)はキツイのではないかと没に。

イナビカリ修練場と全国の猛者との試合で鍛えた+天才ゲームメーカーの鬼道がチームに加わった、的な理由をつけてイナズマ落としを染岡さんに打たせようかとも考えましたが、そもそも前半でベンチ送りになってたという……。
仮に叶が雷門側で染岡が強化されていたらその展開でも良かったかもしれませんが、主人公や他オリキャラがそこまで雷門に(世宇子にも)影響を与えていないのに強化されているのはちょっと……となり没。

影響があったとしてせいぜい、もしかしたら叶や先行やお年玉略奪風林火山不良四人組がいることで、円堂が原作より早くから人と練習出来て、結果としてゴッドハンドを覚えるのがほんの少しだけ早くなり、最初の帝国戦の20-1が、19-1や18-1になるくらいです。

エイリア編は大枠は原作沿いのつもりです。叶も雷門に加入します。捏造要素多数、化身の登場が多い予定です。


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脅威の侵略者編
50話 後悔


エイリア編のプロローグみたいな話。
ジェミニストームが雷門中に襲来(アニメ基準なのでFF決勝戦の日)から、2日~3日程度後の話です。
ちょっとだけアフロディが可哀想です。


 

 「父さん! テレビ見て! また新がハットトリックを決めたんだ!」

 

 「父さん! へへっ、(あらた)のスーパープレイの真似。かっこいい?」

 

 「ほら瞳子(ひとみこ)。あの選手がお兄ちゃんの一番好きな選手の──」

 

 「父さん! オレ、大人になったら新みたいに強いサッカー選手になるんだ!」

 

 「本当に留学して良いの? ……ありがとう! オレ、頑張る。絶対凄い選手になるから、見ててね! 父さん、瞳子!」

 

 「父さん──」

 

 赤髪の少年が、血に(まみ)れ表情もわからぬ顔で言う。

 

 「──痛いよ父さん。なんで、助けてくれないの?」

 

 そして、吉良(きら)星二郎(せいじろう)は布団から飛び起きた。寝汗が気持ち悪い。呼吸は荒く、寝起きと言うのに疲れきっていた。

 ヒロトとの幸せな日々をフラッシュバックし、最後には壊される。それは息子が死んだ日から、吉良が定期的に見る悪夢だ。

 

 なぜヒロトが死んだのか。

 海外でのサッカー留学中、ヒロトは交通事故によって殺された。運転手が政府の要人の子供であったことで罪は揉み消された。運転手がヒロトの救護より事故の隠蔽を優先したことで、ヒロトは見殺しにされた。

 吉良はあの日からずっと続く問いを考える。

 誰が悪い?

 まずは運転手。そして彼を育てた親。その親のような人間を抱え込んでいた某国政府もダメだ。ろくな追及も出来なかった日本政府だって許せない。留学を許した吉良すらも罪人。無責任にヒロトの憧れとなり、彼を死地へ導いた古会(ふるえ)新も同罪だ。

 

 「待ってなさい……ヒロト。必ずやハイソルジャー計画を成功させ、あなたを殺した世界に鉄槌を下して見せますとも」

 

 吉良は言って、この悪夢を見たときの対処療法──息子の生き写しのごとくそっくりな少年・“ヒロト”に会いに行った。

 古会新の子供が“ヒロト”たちと同年代であることを思い出し、吉良はその顔も名前も知らない子供にも憎悪の念を向けた。

 

 

 

 

 

 

 病院の待合室。(かなえ)は紙のように顔色を白くし、パステルカラーの椅子に座っていた。

 待合室のテレビはニュース番組を映す。

 

 『ドーピング!? 世宇子中の強さは偽物だった!?』

 

 という見出しから始まり、次回は影山零治についての特番を行いますとアナウンサーが言って、番組は終わった。

 ニュースで照美たちが映し出された時間は決して短くなかったが、彼らよりも影山への糾弾の方が多かったのは、叶にとってせめてもの救いだ。

 

 『次のニュースです。全国の中学校にエイリア学園と名乗る宇宙人の襲来──』

 

 「阿里久(ありく)さん、阿里久叶さーん!!」

 

 「は、はいっ!!」

 

 とても気になるニュースだったが、途中で看護師に呼ばれてしまった。叶は名残(なごり)惜しくテレビの方に耳を傾けながら、慌てて看護師に着いていった。

 

 「面会時間は最大三十分。基本飲食物の受け渡しは禁止。ここまではよろしいでしょうか?」

 

 「はい」

 

 「では、ただいま10時13分ですので……10時43分までが面会時間となります。ご注意ください」

 

 叶は今、この病院に世宇子イレブンとの面会に来ていた。

 政府の要人や一部著名人も使う病院で、怪しい人物やマスコミは完璧に遮断される。セキュリティは万全だ。

 面会は原則患者の家族のみ。いくら付き合いが長いからといって、血も戸籍の繋がりもない叶は面会出来ないはずだが、照美の母がかなり無理矢理面会のチャンスを取り付けてくれたらしい。

 

 それを聞いて、やはり、息子の照美を守れなかったオレは彼女に恨まれているのだろうな、と叶は思った。

 

 「あの、面会の前にトイレ行って良いですか?」

 

 「かしこまりました。トイレはあちらの突き当たりの右手にあります。お手洗いの時間は面会時間に入れないので、ゆっくりしてきてくださいね」

 

 看護師はお茶目に言って、叶を送り出した。

 叶は本当に(もよお)していたのと、緊張で残っている気がするのを出して、さらに狭い個室の中をグルグル回り、悠長に普段は気にしない髪を整え、目の下の薄い皮膚を温めて少しでもクマを薄くし、唇を軽く噛んで少しでも血行を良く見えるようにした。

 

 「大丈夫ですか? 具合が悪いのならまたの機会にしても……」

 

 「……。いえ、大丈夫です」

 

 「あの……すみません。療養の都合上、亜風炉照美くんたち十一人の方と、目戸(めど)宇佐(うさ)くんたち五人の方にお部屋が別れているんですけど、どちらの方にお見舞いでしたか? あの、……他の看護師たちには私がこれ聞いたって言わないでくださいね」

 

 「両方です。先に目戸先輩たちの方に行きます」

 

 叶は楽な方を先に選んだ。

 

 (叶の弱虫。あの人の子供なんて信じられないわ)

 

 叶の中の季子(きこ)が言った。

 彼女は叶の一挙一動に文句を言う。でも母の言うことだから正しいのだろうと叶は受け止めた。

 

 「阿里久さん、久しぶりー!」

 

 「先輩。お久しぶりです!!」

 

 病室に入ると目戸と安芸(あき)が元気良く言った。机の上にはUNOが散らばっている。誰かわからないが、結構な枚数負債を押し付けられ負けたようだ。

 

 「オレたちは全然元気だよ。……つい最近までアイツの息がかかった病院にいたから、解放感がすんごい」

 

 「アイツって影山ですか?」

 

 「そうそう! いやー……あそこは本当酷かった! 飯はまずいし、雰囲気暗いし、看護師さんがトイレや風呂まで監視してくるし!」

 

 「……あー。うん? 何で病院に?」

 

 「いやーちょっとな。アイツら……ヘラたち止めようとしたらボコボコにされた」

 

 「…………」

 

 「そういえば阿里久先輩、大丈夫でしたか? アイツの……影山に、何かされたりは……」

 

 「……ないよ。わたしは大丈夫」

 

 「良かったです! 手紙を出したかいがありましたぁ!!」

 

 安芸は笑って言った。

 

 「手紙?」

 

 「手紙っていうか……メモ書きっていうか……?」

 

 「怪文書?」

 

 叶の疑問に、黒野(くろの)経洛(へらく)がこれまた疑問形で返す。

 

 「さっき言った通り、監視が酷くて変な単語だけの手紙しか出せなかったんだ。一応、『アフロディたちが変な薬で洗脳されていて、それをしたのは影山。阿里久さんも危ないから逃げてくれ』みたいな内容を書いたつもりだったんだけど……」

 

 「……先輩。あれじゃそうは読めませんって」

 

 「そうだよなぁ……」

 

 位家(いか)の指摘に、目戸はしゅんとした様子で言った。

 

 「……。大丈夫ですよ。わたしは何もありませんでした」

 

 「そうか。なら良かった!!」

 

 「あ、これ、お見舞いの品です」

 

 叶はスーツケースを開けた。

 

 「出来るだけクラスは合わせました。同じクラスの人に貰えなかったのは、同じ教科担任のクラスの人から貰いましたし。みんな──特に受験生の目戸先輩の勉強が遅れないように、オレ……あっ、わたしからのプレゼントです」

 

 部活体験や寮生活の(つて)で集めた、彼らが“特別強化合宿”で授業を受けていなかった期間の、全教科のノートコピーとプリントを叶は渡した。

 

 「おっ、ありがとな! 本当助かる!」

 

 「えー……あっ! オレは治療に専念するので、勉強は、その……体に毒だし……」

 

 目戸と安芸が正反対の反応をした。それから少し雑談すると叶は看護師に()かされて病室を出た。

 

 (叶はあの子たちのために何もしてないのに、心配してもらえたのね)

 

 季子が言う。叶はそれに異論なかった。

 

 続けて照美たち十一人との面会。となったところで、叶は彼らのいる病室に入れなくなった。

 

 もう一回トイレに行って、ただ洗面所で立ち尽くし、無意味な時間稼ぎを繰り返す。意を決して病室の扉を開けた。

 

 「ぁ……叶ちゃ……」

 

 力なく照美が叶の名を呼ぶ。叶が入ってきたことに気付くと、病室の空気は凍り付いた。

 

 「……あのね、叶ちゃん。ボク、ボクたち、本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思ってるよ……。どうしてあんな甘言(かんげん)なんかに乗ってしまったんだろう……」

 

 照美が何か言っている。叶は手短にスーツケースを置くと、

 

 「ノートとプリント。それから期末テストの問題も。極力同じクラスのヤツにコピーさせてもらった」

 

 それだけ言って、叶は(きびす)を返す。

 

 「待って……!!」

 

 「何?」

 

 照美の呼び掛けに、叶は目に力を入れて振り向いた。睨んでいるように見えたかもしれない。

 

 「あのな、前にも言ったよな? オレたちはこれで終わり。最後の義理としてお前らが普通の生活に復帰出来るように、最低限は果たした。これで十分だろ?」

 

 「……。ごめんなさい」

 

 「謝れなんて言ってねぇよ。あのな、さっきから思ってたけど……それ、どこまで演技なんだ?」

 

 「ぇ? ど、どういう──」

 

 「そのまま」

 

 叶は冷たく言った。

 照美相手にここまで冷たく接したことはあっただろうか? 叶は自分の記憶を辿る。あの試合のときですら、ここまでではなかった。

 

 照美は痛そうな、辛そうな顔をした。

 普段の叶ならすぐさま駆け寄って、頭を撫でて優しい言葉をかけて慰めたり、怪我をしていたのなら彼をおぶって保健室に連れていったりしていただろう。元気づけるためには色んな優しい言葉をかけていただろうし、おやつだって四割くらいあげた。

 そして、その行動の裏には、照美への愛情がしっかりとあった。

 

 おかしいな。何も感じない。

 叶は思って、足を廊下の方に動かす。

 

 代わりに、こう思った。

 オレもお前もみんなも、サッカーにさえ関わらなければこうはならなかったのに。

 叶は大切な人を傷付けたサッカーが、少し嫌いになった。

 

 照美は力なくベッドから出ようとして、コロリと床に落ちた。立ち上がろうとして、どういうわけか力が入らなかったらしく、腕の力だけで数歩分這うと叶の細い足首をか弱く掴む。

 

 「……やめてほしいんだけど」

 

 「叶ちゃん……」

 

 「聞こえなかったか?」

 

 「……っ」

 

 照美は息を切らして床を見たまま何も言わない。

 

 「…………じゃ、…………ない……」

 

 「何? 言いたいことがあるならハッキリしてくれ」

 

 「演技なんかじゃないんだ……! ボクは…………」

 

 譫言(うわごと)のように言葉を紡ぐ照美。

 

 「そうか」

 

 顔も合わせずに言って、叶は病室の外に出た。

 

 (照美くんが可哀想じゃない。叶は酷い子ね)

 

 季子の声。

 可哀想なのだろうか? 叶にはわからない。けど、季子が言うならそうなのだろうと叶は思った。

 

 「あらっ! もう良いんですか?」

 

 外で待っていた看護師が驚いた様子で確認する。

 

 「はい、最低限の用は済んだので。それに、オ……わたしが入ったらちょっと雰囲気悪くなっちゃったし……」

 

 「……色々あったみたいですからね。大丈夫ですよ、当院で心の方の治療もしっかり行いますし、それにきっと時間が解決してくれます」

 

 看護師の言葉に、叶は曖昧に笑った。

 確かに時間は解決してくれるだろうが、叶はそこまで悠長に生命活動を続けるつもりはないのだ。

 

 

 

 

 

 

 面会の日の午後。叶は世宇子中の廊下を歩いていた。

 肩をいからせ、目と眉を吊り上げ、口はへの字にキツく結ぶ。視界に映る全てを睨み、理事長室に入った。

 

 「二年一組の阿里久叶です。職員室が閉まっていたので、こちらに転校に関する書類を貰いに来ました」

 

 「キミは……。サッカー部のマネージャーだったかね?」

 

 「はい」

 

 叶はうんざりして答える。理事長は顔を青ざめて俯くと、言った。

 

 「すまなかった! 今回サッカー部に起こったことは、全てを私の未熟さが招いたことだ! 私は昔……この学校を創立する資金を影山さんに出してもらう対価に、(きた)るべきときまでサッカー部を設立させないという契約を結んでいた……! 三年前に彼の指示で“サッカー推薦制度”を作り、そして今年、サッカー部に関しての全権を彼に譲ると……っ、その結果がこれだ……!」

 

 彼は勢いよく頭を下げ、机に額をぶつけて、真っ赤になった箇所をしばらく手で押さえると、次は注意してゆっくりと、さらに深く頭を下げた。

 

 「それで、書類は貰えますか?」

 

 叶は彼の事情なんてどうでも良かった。興味がない。理事長がサッカー部の現状を悔やんでいようと、結果だけが全てなのだから。

 むしろ、「こんな事情がありました、だから許してください」、「罪悪感を減らすためのゲロ袋になってください」と言われているようで、気分が悪い。

 

 「……すまない。私は把握していないから、担当の教員が戻ってきてからでないと……」

 

 「そうですか。いえ、まだ転校するって決まったわけじゃないんですが……迷ってるからこそ、考えるのは早い方が良いですから」

 

 サッカー部のドーピング問題で運動部や推薦入試狙いの生徒はピリついている。そこでさらに、「サッカー部のマネージャーが死んだ」と聞けば、照美たちの学校生活が危ういと叶は考えた。

 「サッカー部のマネージャーが転校したらしい」、「付き合いのある世宇子の生徒からの連絡にも音信不通だ」、の方がまだマシだろう。

 だから、夏休みの内に書類上だけでも転校しようと叶は考えた。

 

 理事長は気まずそうな顔をして、何も言わなかった。

 彼が深呼吸し、何か言おうとした途端──

 

 「な……なんだこれは!? 地震か!?」

 

 校舎がガタガタと揺れる。理事長は立ち上がると、火事場の馬鹿力で、叶を理事長用の立派な机の下に放り投げた。

 

 「……」

 

 突然の事態に叶は呆然とする。

 揺れが収まると、理事長室は滅茶苦茶になっていた。本棚からは本が雪崩(なだ)れ、理事長を潰すギリギリの位置でシャンデリアは落ちて割れ、トロフィーや盾もケースから落ちて砕けている。

 

 叶は呆然とする理事長を肩に担ぎ、途中会った教員や生徒も担いで慌てて外に出る。

 夏休みということもあり生徒の数は少なく、それ故に被害も少なかった。火を使う料理部や科学部から、火の手が上がることもなかった。

 

 教師、生徒は自然とグラウンドに集合していた。

 叶は周りを見回す。一番酷い怪我の者で膝を擦りむいた程度のようだ。

 

 「阿里久さん! 無事だったのね!!」

 

 ルームメートのメイが叶に駆け寄った。彼女の後ろにはみんなで避難したのだろう、科学部の見覚えある面子(めんつ)が揃っている。

 

 「地震……? でもケータイで警報なかったし……?」

 

 「みんな……あれ見て!!」

 

 その声に叶は瓦礫(がれき)の上を見上げた。

 校舎の門だったものを足蹴(あしげ)にして、おかしな格好──叶が見たことある中ではプロトコル・オメガが一番近い──をした異様な雰囲気の男女が十一人立っている。

 

 「我々は遠き星エイリアよりこの星に舞い降りた星の使徒である。我々はお前たちの星の秩序……サッカーに従い、力を示すと決めた。サッカーはお前たちの星において、戦いで勝利者を決める手段である。サッカーを知る者に伝えよ。サッカーで我々を倒さぬ限り、お前たちはこの星に存在出来なくなるだろう」

 

 中央の、角が立った緑のメレンゲのような髪型の少年が言った。舞台の上で話すような発声の仕方だ。中学生くらいの年に見えるが、宇宙人だから実際はどうだろうかと叶は考えた。

 

 「サッカーで決着着けないと……宇宙人に地球が侵略されるってこと!?」

 

 誰かが叫んだ。

 

 「その認識で(おおむ)ね正しい。我々が勝利したなら、この建物──お前たちの言うところの学舎を破壊する」

 

 「も、もしお前たちが負けたら?」

 

 後輩の少年が聞いた。宇宙人は鼻で笑って返す。

 

 「それはあり得ない。……少しだけ時間をやろう。我々と戦い負けるか、棄権──逃亡か。どちらかを選ぶことだな」

 

 「き、棄権したら、うちの学校は見逃してもらえるんですか!?」

 

 「敵前逃亡する弱者。つまりは敗者とみなし、破壊する」

 

 同級生の女子が聞く。彼女は宇宙人の返事に恐怖して震えた。

 

 「どうする?」

 

 「どうするって……どっちみち壊されるんなら、棄権の方がマシでしょ……。それにうちのサッカー部──」

 

 そこまで言った別の同級生が、叶からの視線を感じると、気まずそうに口をつぐんだ。

 

 「……見てください! 木戸川や雷門もこの宇宙人たちと戦って、学校を壊されたみたいで……。雷門ですら何人も怪我させられて、入院したって……」

 

 ノートパソコンを開いて、生徒の一人が言った。

 

 「理事長! 今すぐ棄権しましょう!」

 

 「…………。だが──」

 

 「──オレが出る」

 

 理事長が返事する前に叶は言った。

 

 「待ってよ。アンタがちょっと……いや、凄く運動神経が良いのは知ってるけど、さすがにそれは認めらんないよ」

 

 「そうよ阿里久さん。残念だけど、建物は直せば元に戻るけど、怪我は元に戻るとは限らないのよ」

 

 陸上部の先輩とメイが叶に言う。

 

 「照美の戻ってくる場所が、戻ってきたいときに無くなってたら困る」

 

 「でも人数も……」

 

 「問題ない。オレが十一人になる」

 

 叶は分身する。周りは地球人も宇宙人も関係なく、驚きに目を見開いた。唯一メイだけは、まるで予想していたかのように表情を変えない。

 

 「人数はこれで問題ないだろ? 大丈夫、絶対勝つ。心配ならオレが試合してる間みんなで安全なところまで逃げててくれ」

 

 「阿里久さん!!」

 

 メイが叶の腕を掴む。

 

 「私……、デュプリよりは役に立てる」

 

 ゆっくりとメイは言った。伝える言葉を必死に選んでいる印象を叶は受けた。

 

 「……。ごめん。これはオレの我儘(わがまま)だから、メイを巻き込めない」

 

 「それでも……」

 

 メイは食い下がったが、叶は拒否した。

 

 「理事長。試合して良いですよね? 不安なら逃げてください」

 

 「……あ、ああ。生徒は先生の誘導に従って地下シェルターに避難しなさい!」

 

 「お前は逃げないのか」

 

 宇宙人が退屈そうに聞く。

 

 「宇宙人にはわからんだろうが……二度も生徒を危険に晒すわけにはいかんのだ。せめて、負けたときには私も罰を受けよう」

 

 「そうか」

 

 興味なさそうに宇宙人は理事長を見下した。

 理事長の他にも、メイを初めとして何人かの生徒が残っている。中には地下シェルターへの移動を拒否して、野次馬根性丸出しで宇宙人の姿をビデオカメラで捕らえる者もいた。

 

 「試合の前に、お前らの名前を教えろ」

 

 「地球にはこのような言葉がある。親しき仲にも礼儀あり、と。ましてや我らは今初めて顔を会わせたのだから、名前を聞くなら、まずそっちが名乗るのが礼儀というものだろう」

 

 そんなこともわからないのか、といった調子で宇宙人は言った。

 

 「(ごう)()っては郷に従え、という言葉もあるけどね。地球に入ってきた宇宙人さん?」

 

 そう言ったメイを、宇宙人は睨み付ける。

 

 「オレは阿里久叶。そこの分身どもは……個体識別がいるなら、叶Aとか、叶1とかそんな感じで呼べ」

 

 「お前たちの星の言葉で言うなら、我々はエイリア学園。我がチームはジェミニストーム。そして、我が名はレーゼだ」

 

 「あっそ。んじゃ、試合始めるぞ」

 

 叶と分身のフォーメーションは、2-3-5。照美たちと戦ったときと同じ、攻撃的なものだ。

 

 ジェミニストームは4-4-2。バランスのとれたフォーメーションだ。

 FWはリームとディアム。

 MFはグリンゴ、レーゼ、パンドラ、イオ。

 DFはギグ、ガニメデ、カロン、コラル。

 GKはゴルレオ。

 

 ボールは叶チームから。

 レーゼたちはこれまでの学校との試合と同じくわざと動かず、ゴールに向かう叶をただ見送った。妨害はなく、叶は全力疾走で三秒ほどかけてセンターサークルからゴール前に向かう。

 

 「流星光底(りゅうせいこうてい)──っ!!」

 

 叶はボールを頭上に蹴り上げた。ジャンプしてでんぐり返しの要領で空中を回り、着地の前にX字に空間を足で切り裂く。宇宙のような亜空間を開き、そこに向けてビーム状のシュートを打つ。

 

 ジェミニストームのキーパー・ゴルレオは欠伸(あくび)をした。片手を口を覆うために使い、もう片方の手だけを前に出し、力なく構えた。半目開きで体は脱力している。

 それでもゴルレオはもっと真面目にやらないといけない、とは思わなかった。だって、木戸川清修も優勝校の雷門も、全てのシュートを完封出来たのだ。

 

 少しの時間のあと、フェイントのようにゴルレオの目前で亜空間が開く。ワープしてきた、打ったばかりの威力を保つシュートが飛び出してきた。

 

 「なっ…………!?」

 

 予想以上の威力が手に伝わる。今からでは必殺技の発動は間に合わない。ゴルレオは慌てて両手を構えた。

 叶はそれも見ずにゴルレオに背中を向け、最初の位置に戻る。

 

 「……。ゴール!! 叶のシュートがジェミニストームに炸裂ゥ!!」

 

 いつの間に用意したのか。放送部の部長がマイクを構えて叫んだ。

 

 ボールはジェミニストームからだ。

 

 「……っ!! ワープドライブ!!」

 

 レーゼの必殺技で叶は抜かれ、慌ててレーゼが現れるであろう場所にいる分身にテレパシーで指示を出す。

 

 「真クイックドロウ!!」

 

 分身はボールを奪い、叶にパスを回した。

 

 「星影散花(せいえいさんげ)!!!」

 

 叶はハーフウェイラインでボールを蹴りあげる。ジャンプし、滞空して体を逆さに捻った。そのまま空中で、空に向かいシュート。

 ボールは大気圏外に消えた。そして、宇宙のエネルギーを蓄えると、彗星の尾を伸ばして、隕石を思わせるパワーでゴルレオの元へ降り注ぐ。

 

 究極奥義の流星光底ではなく威力の低い星影散花の方にしたのは、こちらの方が消耗も少ないからだ。

 

 「ブラックホール!!」

 

 ゴルレオはパーにした右手と、丸めた左手を合わせる。両手を離してブラックホールを生み出し、シュートを吸収しようと試みる。

 

 「…………!!? まさか!?」

 

 ゴルレオの表情が歪む。レーゼが憎々しげに叶を見た。叶は(こころよ)く思う。流星光底よりも弱い星影散花でもゴールを破れた。

 

 試合再開。叶はジェミニストームのボールをスライディングで奪うと、ライトニングアクセルでドリブル。ジェミニストームの選手が追い付けない速度でゴールに目一杯近づくと、次はノーマルシュートを叩き込んだ。

 

 「ディフェンスは──!」

 

 レーゼが指示を出すも、間に合わなかった。言う途中で叶がシュートを打つ。

 

 「ブラックホール!!!」

 

 切羽詰まった声でゴルレオは叫ぶ。ただのシュートがゴルレオの必殺技を打ち破った。ゴルレオの必殺技はこれしかない。ノーマルシュートですら破られた以上、打つ手はもうなかった。

 

 「ディアム」

 

 「はっ、レーゼ様」

 

 「……“アレ”を使うぞ」

 

 「……。かしこまりました」

 

 レーゼとディアム。二人は試合が再開すると、叶にボールを奪われる前に喉が割れそうな声で叫ぶ。

 

 「「うぉおぉおおおぉぉ!! 模造化身レプリカ!!」」

 

 それは叶の化身・慈悲の女神エリニュスのパワーを薄め、分身用に仕立て上げた化身。つまりは叶の分身専用の化身であるはずだった。




エイリア編のヒロト(グランじゃない方)と、アレスのヒロトは完璧に別人だと判断しています。
この小説(というか、個人的なエイリア真ヒロトの解釈)の真ヒロトは、赤髪の品行方正な好青年です。

作中の描写は少ないですが、悪霊季子は叶が日常生活のちょっとした動作をするたびに、「ふーん、そんな風に普通にいられるなんて、叶は照美くんたちが大事じゃないんだぁ」とか、「あんな薬飲んで、もしかしたらもうあの子たち普通に暮らせないかもしれないのにねぇ」とか言ってくるので、叶はかなり参っています。
もっとも、実際に悪霊が叶に憑いたわけではなく、叶の自己嫌悪の部分が季子の声をしているだけなので、叶の自業自得感はあります。


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51話 vsジェミニストーム①

一部タグを編集しました。
評価・お気に入り登録等ありがとうございます。励みになります。
ジェミニストームのキャラがオリ主の踏み台になるので、好きな方は自衛の方をお願いします。特にレーゼが作者の都合で馬鹿です。


 

 レーゼはここ数週間のことを思い返す。

 

 確か、研究が順調だとかで珍しくお父様が上機嫌で。レーゼたちエイリア学園の──お日さま園の子供たちに、新たな力を授けてくれた。

 ある元プロサッカー選手の能力を受け継いだ、彼の娘の力を分析したものだと、お父様は言っていた。その力が日本を、世界を脅かすことが心底楽しいようだった。

 新たな力。それこそがその少女を──(かなえ)の力を模した人工化身。模造化身レプリカ。

 

 レプリカは第二のエイリア石とも呼べる存在だ。個人との相性があるらしく、レプリカを移植されても苦しむだけの者もいたが、適合した者はこれまでとは別次元の力を手に入れることが出来た。

 

 最も、それは既に決まりきったチーム間の格差を埋めてはくれなかったが。

 レプリカと適合した者が最も多いのは、デザームが率いるファーストランクのイプシロン。少ないのはガゼル率いるマスターランクのダイヤモンドダストで、グランのガイアに至ってはどういうわけか移植すらされていない。

 にも関わらず、イプシロンはマスターランクに昇格されず、ダイヤモンドダストとガイアが降格されることもない。

 

 レーゼは腑に落ちない思いを抱えながら、お父様から命じられた、ジェミニストームにしか出来ない仕事に精を出した。

 木戸川、雷門と先のFFで活躍した学校にすら圧勝し、多数の学校を破壊した。

 そうして今日、FFで準優勝した世宇子中にも、他の学校と同様に破壊しに来たのだ。

 世宇子中のサッカー部は今、神のアクアの件の検査入院で学校にはいない。レーゼの予想では棄権か、有志を(つの)りその場しのぎのサッカーチームを作るか。どちらにせよ、レーゼの仕事は妨害されないと思っていた。

 

 「へぇ……お前らも化身使いかぁ?」

 

 ──凶悪に笑う少女を見る前は。

 

 叶は威嚇するように唇の両端を吊り上げて笑っている。何が楽しいのだろう。レーゼにはわからない。

 

 「レーゼ様」

 

 ディアムの呼び掛けに、レーゼは視線だけで答えた。二人揃って地面を強く蹴り、駆ける。ゴールまで一直線に。障害物となる同じ顔の少女たちはタックルして越えた。

 

 「「レプリカストライク!!」」

 

 化身シュート。ディアムと共に心と力を重ねると、シュートの力は乗算方式に強くなる。

 それに叶が驚いた顔をするのを見て、レーゼは得意気に笑った。

 

 「……。グラビティション」

 

 「……。アステロイド──」

 

 一拍遅れて、叶の分身の二体のディフェンダーが動く。

 グラビティションは(ほの)かにシュートの威力を削いだ。アステロイドベルトが生み出す隕石は、シュートの速度に間に合わず無に帰した。

 

 「ダーク──きゃあぁぁぁ!!」

 

 キーパーの分身の悲鳴が耳に心地よい。レーゼは得点板を見る。

 4-1。十分に逆転出来る。

 

 「……っ、ジェミニストームのレーゼとディアムの合体シュート炸裂ぅ!! 叶一(かないち)、手も足も出ないか!!?」

 

 「……かないち?」

 

 「カナエーズの阿里久(ありく)さんの分身の背番号一番の子だと長いので……」

 

 「カナエーズ?」

 

 外野の会話も、レーゼは先程までより余裕をもって聞ける。

 後はこのまま逆転し、いつも通りに潰すだけ。

 

 全てはお父様のために。レーゼの肉体も、精神も、ただ一人彼のためだけにある。

 

 

 

 

 

 

 何だか楽しくなってきた。アイツらをそこそこ気に入った。

 叶は笑って、学校がかかっているのに不謹慎だったなと、口角を意識して下げた。

 宇宙人って化身使えるんだ。オレの分身の化身と同じなんだ。レプリカって化身必殺技あったんだ。

 思考がグルグル回転して、最後には興奮が残った。

 今まで試合したヤツらの中で二番目に強い。一番はプロトコル・オメガだ。

 

 失点するなんて油断しすぎた。ここから先は通さない。叶は両頬を叩いて気合いを入れる。

 

 ボールはカナエーズから。叶は分身に小さくバックパスをする。

 

 「……ふぅ」

 

 小さく息を吐く。テレパシーで分身に指示を出した。

 

 「「「「「模造化身レプリカ」」」」」

 

 十体の分身が化身を発動する。続けて、

 

 「「「「「アームド」」」」」

 

 と、化身をその身に(まと)った。

 

 「慈悲の女神エリニュス、アームド」

 

 叶も同様にする。アームドをすると体力の消耗が早い。出来れば前半で片付けたいところだ。

 

 カナエーズ全員が化身使いだという事実に、ジェミニストームは体をビクつかせて、粘つく底無し沼に足を奪われたように動けない。

 当然、その隙を叶が見逃すはずもなかった。

 

 「えっと……」

 

 呟き、さっきはどこまで力抜いてシュート入ったっけと、叶は考える。

 一番強い流星光底(りゅうせいこうてい)は入った。二番目の星影散花(せいえいさんげ)も。それなりに力を入れたノーマルシュートもだ。

 世宇子イレブンにやったような十一シュートチェインでは、あのときのポセイドン同様キーパーを潰しかねない。

 そう考え、キーパーを気絶させて勝てるのなら好都合では? と叶は考え直す。

 

 (またサッカーを人を傷付けるために使うの?)

 

 「うるさぁい!!!」

 

 自分にしか聞こえない季子(きこ)の声に大きく反論。

 ジェミニストームと、野次馬が狂人を見る目で叶を見た。

 

 誰が何と言おうと潰す。

 ここは叶は出ようとしているけれど、照美たちの帰るところだ。それに、色んな部活の生徒が、かつてのサッカー部のように様々な思い出を紡ぎ上げている場所だ。

 だから、世宇子中を壊そうとする宇宙人に容赦はしない。叶は決めた。

 

 フォワードの分身からボールは叶本体へ。

 さらに別のフォワードの分身、ミッドフィルダー、ディフェンダー、キーパーと小刻みにパス。

 一気にキーパーへとロングパスしてしまうと、レーゼとディアムのシュートで消耗したキーパーの分身が受け止められず、オウンゴールになる可能性が叶の予想では三割程度あるからだ。

 

 「……流星光底っ!!」

 

 キーパーの分身が叫ぶ。

 ディフェンダーが二体、ミッドフィルダーが二体、フォワードが三体に、ミッドフィルダー、フォワード、本体の順で同じシュートをチェインする。

 

 宇宙のような亜空間と現実世界を、必殺技の(たび)に繰り返して移動し、ボールは世界ごと瞬きしたようにチカチカと明滅。

 亜空間からのポータルが開いた後のビーム状のシュートは、チェインを重ねるごとに(まばゆ)く、太くなっていった。

 

 世宇子を相手にしたときには、威力の低い彗星シュートや星影散花も混ざっていた。故に、まだ照美たちは意識を保つことが出来たのだ。

 

 十一連の究極奥義。

 黒の閃光と轟音。

 ジェミニストーム側のコートを()ぜるように黒い衝撃波が包み、彼らの戦意ごと焼き付くさんとする。

 

 「こんなところで終われるかァ──!! うぉおぉぉぉぉ!!!」

 

 レーゼが雄叫びを上げて、勢い余って右手を突き出してボールを追いかける。

 それは空に浮かぶ星々を掴もうとする子供のごとく無意味な動きだった。

 ボールはレーゼが全速力で走っても追い付けない。

 

 ジェミニストームのミッドフィルダーやディフェンダーの多くは呆然としている。

 冷静な者も、距離的にシュートブロックに間に合わなかった。

 

 「ぅ、ぶ、ぶらっ、ブラック、ホール……!」

 

 ジェミニストームのキーパー・ゴルレオは声を震わせ、やっとのことで己の必殺技の名を発音した。

 足が震え、全身に力が入らない。手も震え、生み出したブラックホールの吸引力は、いつもよりも弱い。

 

 「ぁ……、あっ……!!」

 

 目の前に“それ”が迫っていた。

 所詮は黒いオーラを纏っただけの、ただのサッカーボール。けれどゴルレオには、まるで彼の命を奪うものに思えた。

 ゴルレオは悲鳴を上げて、半狂乱でフィールドの外へ走ろうとする。

 だが、震える足の動かし方がわからなくなって、ゴルレオは金縛りにあったように立ち続けるしかない。

 

 「ぁぁぁ……!! クソっ……!」

 

 悲痛な声を漏らすと、ゴルレオは小さなブラックホールを構える。

 黒の光条(こうじょう)が超重力を破壊して、ゴルレオごとゴールに突き刺さった。

 

 「ご……ゴール!! カナエーズ一丸(いちがん)のシュートでジェミニストームのキーパー、再起不能かァ──!?」

 

 一拍開けて、実況の少年が声を張り上げて言う。

 ジェミニストームの選手がゴルレオに肩を貸して、ベンチまで彼を運び込んだ。

 

 「得点は5-1でカナエーズのリードですっ! ですがまだ前半はようやく半分を過ぎたところ。どうなるか予断を許さない状況です!!」

 

 「勝って貰わないと困るんだけど……」

 

 実況の少年に、野次馬の一人が冷たい声で言った。

 

 「おおっと!! ジェミニストーム、控えの選手がいません! 十人で戦うことを余儀なくされます!!」

 

 叶は試合が再開するまでに荒い息を整える。何だか疲れた。肌の上を流れる汗が気持ち悪い。

 

 「阿里久さん、大丈夫? 疲れたでしょう? これを飲んで」

 

 メイがスポーツドリンクを叶に差し出した。

 一口飲む。甘味も塩気もわからない。

 

 「やっぱり、私も試合に──」

 

 「いいって。大丈夫大丈夫」

 

 「でも……」

 

 叶は渋るメイを説得しながら、いつ終わるかわからない休憩時間の中、出来るだけ体力を回復させようとした。

 

 

 

 

 

 

 「ゴルレオ! ……怜於(れお)! 大丈夫!? あーもうっ、どうすればいいのよ!」

 

 ボディラインがよくわかるユニフォームも相まって妖艶な雰囲気の、紫の髪の少女・パンドラが、目覚めないゴルレオに頭を抱えて言った。

 

 「リュウジ! お父様のご指示は!?」

 

 「今はレーゼと呼べ。……それが、もうしばらく試合を続けろって……」

 

 “レーゼ”と、“緑川(みどりかわ)リュウジ”の混ざった口調で、レーゼは答える。

 

 「……。キーパーはオレがやるよ」

 

 ディアムが言った。

 

 「レプリカの力もあるから、他のみんながやるよりはアイツに対抗出来ると思うんだ」

 

 「でも、アンタも怜於みたいに……」

 

 「大丈夫さ」

 

 ディアムは空元気で言った。何の根拠もない言葉だった。

 

 「このままではお父様に見限られてしまう……! ……とりあえず、点差をこれ以上広げないことを目標にするぞ」

 

 レーゼは声を震わせた。

 

 「わかったわ。でもどうするの?」

 

 「それは──」

 

 レーゼは作戦とも呼べない稚拙な案を話す。それは、(つね)の彼なら決して選びもしないものだった。

 

 

 

 

 

 

 試合再開。ボールはジェミニストームからだ。

 ジェミニストームはひっきりなしにパスを続け、時間稼ぎを試みた。

 

 「お──ーっと!! ジェミニストームっ、このままタイムアップを狙うのかー!!? しかし5-1。カナエーズとの点差は四点、これをどう縮めるつもりなのでしょうか!!?」

 

 嫌でも聞こえてくる実況の言葉が屈辱的で、レーゼは冷や汗を垂らした。

 

 このままタイムアップを狙う。これがレーゼの案だ。点差がこれ以上開くのを防止して、消耗を避ける。

 無論、このまま負けてやるつもりなどない。

 レーゼの狙いは前半終了間際。叶がボールを奪っても、点を取るには時間が足りないギリギリで攻めて、そこで必ずやゴールを奪う。

 

 そして、後半こそがレーゼの本命だ。

 レーゼは知っている。化身と言うものは途轍もないパワーを得られる代わりに、エイリア石のパックアップがあっても体力の消耗が激しいことを。

 分身や、アームドという力も化身から派生するものだろう。レーゼは推測する。

 そして叶はエイリア石を使っていないはずだ。このまま試合が進めば、先にバテるのは化身の力をフルに使う叶の方。

 

 ジェミニストームに参謀の役割を果たせる人間はおらず、キャプテンのレーゼも特別ゲームメイクに明るいわけではない。

 レーゼは早く時間が経ってくれることを願った。

 試合中はいつも、やけに時間が経つのが遅く思える。

 イプシロンやマスターランクとの試合は苦痛に塗れたもので、早く終わってくれと祈るばかりだった。木戸川清修や雷門との試合は、単純作業故に時間の進みが遅く思えた。退屈だったが、それだけだ。

 叶との試合は前者に近い。

 

 早く終われ、早く終われ。レーゼはそう念じながら、時間が一刻でも早く進むことを願った。

 

 

 

 

 

 

 パス回しを高速で続けるのが何かの必殺タクティクスかと期待して、ただの時間稼ぎと知って、叶は不快になった。

 普通なら御影専農と雷門のときのように、勝っている側が勝ち越すためにするものなのではないか。

 間断なく動くボールを目で追いかけながら、負けているジェミニストームがこれをする理由を考えて、叶の結論は宇宙人の考えはよくわからない、といったものに落ち着いた。

 

 早くボールを奪い、再起不能にしてやる。叶は強く決心する。

 ベンチでビデオカメラを構えている野次馬がいる。ビデオに残ってしまう。叶は思った。だが、止めようと考え直したりはしなかった。

 自分のした暴力が映像に残るくらいなんだって言うんだ。それを言うなら照美たちがドーピングして相手をボコボコにした試合だって──それも何試合も──残っているし、そもそも相手は宇宙人だ。地球人の法で裁ける相手でもなければ、法で守る義理がある相手でもない。

 

 叶は思い、パンドラからイオへのパスを奪う。

 

 「……!? まさか……!?」

 

 パンドラはパスをする際に舌舐めずりしていた舌を驚きの余り出しっぱなしにして、器用に発音した。

 パンドラの視線の先には叶がいる。

 

 化身を鎧のように纏い、ポニーテールにした長い茶色の髪を逆立たせる叶。犬や猫の垂れ耳のような大きなアホ毛も逆立ち、鬼の角のようだ。

 彼女はジェミニストームの妨害も、慌ててパンドラが発動したグラビティションも、まるで蚊に刺された程度の脅威にしか思っていない。容易(たやす)く突破し、ただひたすらにゴールへ向かう。

 

 「待て……!!!」

 

 一人の少年が言って、叶を追いかける。

 パンドラは希望を持って、彼を──化身の力をフルに引き出し、叶に匹敵するスピードを得たレーゼを見た。

 

 レーゼは両腕を後方に伸ばして上体を低くして走る、指導された宇宙人らしい走り方ではなく、人間の部分を剥き出しにし、腕を必死に振って歯を食い縛り鬼気(きき)迫る表情で走る。

 

 そして、レーゼが叶に追い付き、二人が交差すると土埃が舞った。周りからは二人の影しか見えない。

 

 剣客(けんかく)同士の打ち合いのような音が響くと、小さな影が動いて、中くらいの影が崩れ落ちた。

 中くらいの影──レーゼは膝から崩れ落ち、それでも消えそうなレプリカを何とか必死に持ちこたえる。

 小さな影──叶は、一瞬の攻防の間にレーゼの化身(レプリカ)の核となるところに直接アタックすると、地面を大きく蹴って飛び上がった。

 

 「させるか!」

 

 ジェミニストームのディフェンダー・カロンが跳躍。

 しかし何も出来なかった。

 大きく飛び上がった叶。対して、カロンの頭は叶の爪先に届くかどうかのところにある。

 ベンチで気絶したゴルレオ。膝をつき息を整えるレーゼ。毅然(きぜん)と振る舞おうとしていたが、叶がゴールに近づくにつれて顔が強張(こわば)るディアム。

 アイツ()への嫌がらせになるなら何だってしてやる。

 チームメイトを横目で見るとカロンは頭を後ろに動かし、反動をつけると、(かろ)うじて届く叶の足先に頭突きを決めようとして──

 

 「もぎぇっ!?」

 

 ──いやがおうでも、頭が下に向けられた。

 頭蓋骨が(へこ)んでいるのではないか。強烈な痛みに襲われ、慌てて蹴られたところを触り、凹むどころか逆に大きく腫れているとカロンは気付く。

 叶が彼の頭を蹴り、さらに高く跳躍したのだ。

 

 体は綿で靴はバネか。それほどの勢いで跳び、地上から見て豆粒ほどの大きさになった叶は、大きく足を振り上げ叫んだ。

 

 「星影散花ェ!!!」

 

 高さ分の位置エネルギーをパワーとスピードに変えて、ただでさえ強大なシュートがさらに強化されてゴールを襲う。

 

 「っ……! ウォオォォォォォォ!!!」

 

 ディアムは慣れた動きから手ではなく足を出す。

 「このシュートを蹴り返したら足が壊される」と脳が警鐘を鳴らした。慌てて、本職のキーパーから見るとなっていない構えで腕をつき出す。

 全身と化身の全てに力を込めてディアムは叫ぶ。

 シュートに手を触れると、まるでミキサーの中に手を突っ込んだような衝撃で、反射的に離したくなった。それを必死に耐えて、ディアムは暴れるボールを全力で掴もうとする。

 

 「大夢(ひろむ)ゥー!!」

 

 レーゼがディアムの本当の名前を叫ぶ。

 それはボールに頼むから止まってくれと懇願するような、ゴルレオのようになるくらいなら逃げてくれと頼むような響きだった。

 だが、ディアムに逃走という選択肢はない。レーゼの叫びを己の気力に変えて、膝を軽く曲げて丹田(たんでん)に力を入れて踏ん張る。

 

 化身により強化された体は、ボールが手の中にあることを許し──

 

 「ぐがぁっ!!!」

 

 ──少しの時間の後、ボールはディアムの手からすり抜け、勢いよくゴールネットに突っ込んだ。

 

 「ゴォォォォール!!! またもやカナエーズの得点!! これで6-1、カナエーズは五点のリード!!」

 

 実況が活気ある声で嬉しそうに言う。

 

 ディアムは震える足に力を入れられず、尻餅をつき、動けなくなった。気力の限界に達したのか、消そうとしたわけではないのに化身が消えた。

 ジェミニストームの仲間たちがディアムの元に集まり、彼を心配したり、元気づけようとしてくれている。

 

 「……。前半は残り三分か。作戦通り、ここで確実にまずは一点取り返す」

 

 「……っ、それで……後半になるころにはオレみたいにバテて化身が出せなくなるだろうから、そこで今までみたく点を取りまくって逆転って作戦だったよね」

 

 「化身が出せなくなったらあの分身も消えるんじゃないかって話だったよね? アイツ一人なら楽勝よ!」

 

 「屈辱的な目に遭わされたからなぁ……木戸川んときより点差つけて勝ってやるぞ」

 

 レーゼ、ディアム、パンドラの順で言い、頭のたんこぶを擦りながらカロンが続けた。

 

 「いやカロン。アンタは頭怪我したんだから休みなさいよ。頭のシルエットが雪だるまみたいでヤバいわよアンタ。木戸川のときは……点差、確か九十くらいだったっけ? それにあのときは相手は0点だったし」

 

 「五足す九十か。せっかくだし、ならオレたちは後半で百点だな」

 

 「そうしてやりたいけど、さすがに無理よぅ」

 

 「一対十なら、無理でもなくないか?」

 

 こうしていると、まるで今の状況を忘れられるような気がした。

 そう長い時間を待たず、ディアムの下半身に力が入るようになったことに、レーゼは安堵する。

 して、この試合はもはや少しも油断して良いものではないのだと、レーゼは緩みかけていた気を引き締めた。

 

 ホイッスルが鳴ると、レーゼは、

 

 「ワープドライブ!!」

 

 と異空間越しに移動して、ゴールまで走る。

 本来の策ではディアムにも上がってきてもらい、連携シュートで点を取るつもりだった。だが彼の消耗が思ったより激しいため、それは出来なくなってしまった。

 

 餌を求める魚のように、化身をその身に(まと)う叶の分身が十体揃ってレーゼを追いかける。同じ容姿と無表情も相まってかなり不気味だ。

 スライディングしてきた分身の足を辛うじて飛び越え、タックルやスライディングをしてきた分身同士がぶつかるようにした。

 化身アームドで強化されていたことが仇になり、分身は結構なダメージを受けている。

 そこそこの数を潰せたことに達成感を感じて、レーゼはシュートを放つ。

 

 「レプリカストライク!!!」

 

 紫の(あや)しい光を纏う化身シュート。

 シュートブロックが出来る位置にいる分身はいない。ゴールキーパーの分身は無表情ながら、どこか慌てたような顔をしている。レーゼは勝利を確信してほくそ笑んだ。

 

 「……っ!!」

 

 キーパーの分身は下手くそなタップダンスのような、グズな動きで数歩前に出て、必殺技すら使えずに両手を出した。

 ボールを受け止めきれずに弾き飛ばされ、一足先にゴールネットに入る。

 

 後はボールが入るだけだ。レーゼは自然と口元に力を入れ、口角を吊り上げる。

 

 「強制ミキシマックス!!」

 

 本体の叶がキーパーの分身に力を(そそ)ぐ。すると、分身は全身に黄金のオーラを纏った。 

 ゴールラインの白線を越えようとしていたボールを、キーパーがパンチングで軽く弾き、空に浮かび上がらせるとジャンプ。

 

 「スパークルウェイブ!!」

 

 浮かび上がるは星の(きら)めく天の川。シュートは弧を描きながら星の力を纏い威力を増して、ジェミニストーム側のコートへと向かった。

 



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52話 vsジェミニストーム②

前話から引き続き、ジェミニストーム(特にレーゼ)が可哀想です。視点変更が多めです。


 

 キーパーの分身のスパークルウェイブが、レーゼのシュートを打ち返す。

 ボールがセンターサークルを通過したところでホイッスルが鳴り、前半終了が告げられた。

 ゴールには入ったが、点にはならなかった。ジェミニストームを潰す一助(いちじょ)にもならなかったと、(かなえ)は大きく下品に舌打ちする。

 

 レーゼもつられて舌打ちしたくなり、慌てて抑えた。

 叶にボールを取られても損害が少なく済む、前半終了間際で必ず一点を取るというレーゼの作戦は失敗に終わったのだ。

 

 「ごめん、リュウジ。……間違えた、レーゼ様。後半はオレ、キーパー出来ない」

 

 申し訳なさそうに、突っ張った声でディアムが言った。顔をしかめて、小指一本を曲げるだけで辛そうにする。

 

 「でも、キーパー以外ならきっと大丈夫だ!」

 

 「ああ……。無理はするな」

 

 本当は「ベンチで休め」と言ってやりたかったが、八人で叶十一人に挑むのは無理だと判断して、レーゼは言った。

 ベンチの方では、唯一露出している顔中に傷を作ったゴルレオが気絶している。ユニフォームの下も同様だろう。それと、顔より少しばかり小さい(こぶ)を頭に作ったカロンも。この試合中に彼らがフィールドに戻ることはないだろう。

 

 レーゼはカナエーズ側のコートを見やる。チーム全員が同じ容姿だが、叶本体がどれかはすぐにわかった。何せ、(まと)っているオーラが分身とは全く格の違うものなのだ。

 

 レーゼは叶を見て寒気を感じながら、後半が始まり少しすればあの分身は消えると、おまじないのごとく自分に言い聞かせる。

 ほんの少しも息を乱さない叶を見て不安を感じる。その心中を必死に隠し、レーゼはハーフタイムが終わらないことを無意識に祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 「阿里久(ありく)さん……やっぱり私も……」

 

 「いいって。大丈夫、オレ一人で勝てるよ」

 

 「でも……」

 

 叶はハーフタイムが始まってからずっと続く、メイとの押し問答に辟易していた。

 曰く、「私も化身を出せるから」、「化身だけじゃなくってサッカーのテクニックも大丈夫だから」、「戦略には自信があるの」、「阿里久さん一人に戦わせる訳にはいかない」。

 こう言ってメイは、自分も試合に出させてくれと譲ろうとしない。

 

 確かにメイに余裕があるのは事実だろう。

 怖がっている他の生徒とは違い、ジェミニストームを見ると、たまに堪えきれなかったように笑いを漏らしたりしている。

 

 でも、ジェミニストームを倒すことは、照美たちの帰ってくる場所を守ることは、叶が一人でやらないと意味がないのだ。

 

 分身を整列させて──分身をハーフタイムの間だけ解除するより、出しっぱなしの方が楽だ──叶は検品するように様子を見る。

 特にキーパーの分身の消耗が激しい。叶は他の九体から少しずつ力を貰うと彼女に補充した。

 

 作戦会議の必要はない。分身は叶の一部だ。思考すら共有している。はっきり念じるどころかぼんやりと思うだけで十分で、話す必要などはない。

 試合中のパスだって、全てノールックで済んでいる。

 

 (……。叶が好きなサッカーって、そんなのじゃなかったわよね?)

 

 叶にしか聞こえない声。母の声がまた叶を否定する。

 

 「うるさいうるさい!! これがオレのサッカーだよ! クソッタレ!」

 

 自分と違う好みや思考、体を持つチームメイトと共に楽しくサッカーをする資格など、叶にはないのだ。

 

 (あの子たちも照美くんたちみたいにするつもりなの?)

 

 「クソ!! ああ!! そうしてやるよ!! 全員潰す!!!」

 

 急に癇癪(かんしゃく)を起こした叶を、心配そうにメイが(なだ)めた。

 

 

 

 

 

 

 甲高(かんだか)い声で叶が(わめ)く。ジェミニストームはそれに怯えた。

 

 雷門のようなまともな人に負けていた方がマシだった。ふと、レーゼは思ってしまった。

 「全員潰す」と怒鳴る叶が怖くて仕方がない。

 彼らならあんな風には言わないはずで、そして弱いが善人であることは確かだから、ゴルレオたちを酷い目にも遭わせなかっただろう。

 

 ジェミニストームが負けていたのなら、叶と当たるのはイプシロンだった。ジェミニストームは彼女に会わずに済んだ。

 お父様から期待されなくなるのも、彼からの愛情を失うのも、今感じている恐怖の前ではもうどうでもいい。

 

 「後半が始まりますよ、レーゼ様」

 

 「分身(アイツら)が消えるまで、頑張ろう」とディアムは続ける。

 (まぶた)を閉じて、開けたら一時間くらい経っていてくれないかとレーゼは祈り、そうではない現実に僅かに落胆すると、いつもよりぐったりとした歩みでフィールドに行った。

 

 

 

 

 

 

 後半開始。ボールはジェミニストームから。

 キーパーのゴルレオが叶のシュートによって気絶し、レーゼ以外唯一の化身使いという理由から代わりにキーパーをしていたディアムも、手を動かせなくなりフォワードに戻った。

 最も、彼は腕を振って走ることすらも辛そうにしているから、実質ただの置物に近い。

 

 今、ジェミニストームのキーパーは体躯が大きいガニメデが務めている。

 彼はキーパーとしての技能には(とぼ)しいから、チームで叶が上がってくるのを防ぐことが重要になる。

 レーゼはチームのみんなにそう言って、叶が上がってくることを防ぐ策を具体的に言えない自分に失望した。

 

 リームからレーゼにボールを下げた。

 ハーフタイムに新しく立てた策は一つ。

 積極的に叶を潰しに行き、化身と分身が消えるまでの時間を縮めることだ。

 

 最初からこうすれば良かった。予想外の強さに驚き、ゴルレオが潰されたことに怯え、逃げの一手を打ってしまったのがいけなかった。

 ボールをリームに戻して、分身を三体ほど引き付けてくれたリームからのパスを受け止めて、レーゼは思う。

 ボールを蹴りながら、そのまま一直線に叶本体のところへ向かう。

 叶が感情の読めない瞳でレーゼを見た。障害となる分身は膠着して動かない。リームの周りを取り囲んだまま動かない三体が不気味だった。

 好都合のはずなのに嫌な予感がする。レーゼは身震いしながら進む。

 

 「アストロブレイク!!」

 

 回転したボールに力が集まる。集積した力を纏い、シュートコースの地面を破壊しながら、レーゼのシュートは進んでいく。

 ゴールに向かってではなく、叶の分身に向かって。野次馬が悲鳴を上げる声が、レーゼの冷静でない頭に響いて痛かった。

 

 木戸川や雷門を始めとする、数えきれない選手を屠ってきたレーゼのシュート。

 分身も彼らと同様だった。

 シュートに吹っ飛ばされ、慌てて腹を押され、痛みに顔をぐしゃぐしゃにする。吹っ飛ばされた先には運悪くゴールポストがあった。鈍い音。背中をぶつけて、分身はさらに痛そうにした。

 レーゼはざまあみろと笑った。

 

 

 

 

 

 

 レーゼのシュートはコートを出たため、カナエーズのスローインからだ。

 

 涙目で背中を抑える分身のポジションはディフェンダー。他の分身でカバーすれば替えがきく。キーパーの分身のような、唯一無二の存在ではない。

 叶は彼女に力を補充してやらなかった。

 

 試合が再開するまでの僅かな間、叶は考えを巡らせる。

 

 プロトコル・オメガとの試合のとき、彼らはフェイのデュプリと叶の分身を狙ってきた。

 彼彼女らを痛め付けることが、本体の体力や思考力を減らすことに繋がる、とはっきりわかっての行動だ。

 フェイはどうだか知らないし、きっとこれから会う機会もないだろう。

 だが少なくとも叶は、同じ威力のシュートを思い切り体に打ち込まれたとき、自分自身にやられるよりも耐久力に乏しい分身にされる方が、感覚をある程度共有している分辛い。

 

 今最も重要な問題は、レーゼがそれをわかって分身にシュートを打ったのか、あるいは本体でも分身でもどちらでも良いから痛め付けるのが目的だったのかだ。

 前者の場合まあまあまずい。後者の場合は叶本体が分身を庇えば良い。だがそこから分身の弱点がバレるリスクがある。よって後者もまあまあまずい。

 

 やはり早く試合を終わらせなければいけない。負けたら世宇子中が、照美たちの帰る場所がなくなるのだ。叶は決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 男にしては長い黒髪を、マフラーのように首に巻き付けた長身の少年・デザームは、世宇子中の校舎間の渡り廊下を(いろど)る白い柱にもたれかかり、こっそりと試合を見ていた。

 

 試合の内容はお父様たちも知っている。

 それでいてなお、ジェミニストームに試合を続けさせるかどうかは、上位チーム・イプシロンのキャプテンたるデザームの裁量に(ゆだ)ねられている。

 

 「仮にこの後に逆転する可能性があるとしても、エイリア学園に泥臭い勝利は不要」と言って、今の段階で試合を止めさせても良し。試合時間いっぱいまでサッカーをやらせても良し。

 どうするか考えなくてはいけないのに、熱く疼く胸と、今すぐフィールドへ駆け出したくなる足を抑える方に、デザームの思考は使われている。

 

 『星二郎(せいじろう)様からのご指示です。例え彼らや古会(ふるえ)叶が試合を止めようとしても、どちらかのチームが全員潰れるまでは続行させて、古会のデータを集めなさい。また、ジェミニストームにはまだ重要な任務が残っているため、敗北した場合でも追放はしなくて良いとのことです』

 

 お父様のどこかいけ好かない部下・研崎(けんざき)から連絡が来た。

 考える義務が減ったことより、デザームは“古会叶”の名を聞いて、さらに燃え上がる熱を抑えるのに必死だった。

 

 お父様曰く、化身の始祖たるプロサッカー選手の娘。よりスムーズに日本を、世界を侵攻出来るようにとエイリア学園の選手に配られた量産化身(レプリカ)も、彼女を元とするものらしい。

 故に、デザームは。レプリカを鍛え上げ、模造化身から真に自らの化身に昇華させた戦士は、彼女と戦いたくって仕方がなかった。

 

 叶の分身がボールを上投げでふんわりと投げ入れる。試合が再開したようだ。デザームは充血したような赤と黒の異形の目で、フィールドを凝視した。

 

 

 

 

 

 

 スローインされたボールを得たのは、レーゼのアストロブレイクを食らって涙目の分身だった。

 どれだけ鈍い者でもわかるほど、動きが悪くなった彼女から、パンドラがスライディングでボールを奪う。

 

 ボールをぶつけ、わざと涙目の分身に渡し、スライディングのときに狙いがぶれたフリをして(すね)を蹴り、タックルのときには肘を入れる。

 ジェミニストームは叶とその分身への攻撃を始めた。

 

 叶本体に肘を入れたグリンゴだけは、「金属ミテエニ硬ェ……!」と辛そうに肘を押さえていたが、分身への攻撃は今のところ順調だった。

 最初からこうしていれば良かったのだ。レーゼは過去の自分を殴りたくなった。

 

 ふらついて走るのもままならない分身を見て、レーゼの溜飲(りゅういん)が下がる。中にはへたり込む者までいた。

 このまま一思いに決めてやろうと、もたもたとドリブルをする分身の方に、レーゼは動く。

 

 「……は?」

 

 瞬間、分身が消えた。転がるボールをレーゼは慌てて拾う。

 一定のパフォーマンスを下回る分身を消したらしく、カナエーズの選手は本体を入れてたったの五人になった。

 カナエーズの選手が減ることはレーゼが何より望んでいたことのはずなのに、心臓が太鼓のようにバクバク鳴って、全身にこれでもかと血液を循環させ、毛穴がきゅっと縮む。

 

 かっ開いた叶の目は、前髪が作る影の中で蜂蜜色に光っていた。

 芝生とその下の土がチリチリと持ち上がり、叶の感情に呼応するように空に雲が集まる。

 アームドした化身も、艶が増したというのか、覇気があるように見える。

 

 「絶対にお前らを倒してやるからな」

 

 やけに通る声だった。

 今まで潰してきた学校の生徒が同じようなことを言っても鼻で笑うだけのレーゼだったが、今は恐怖で満たされていた。

 上、下、右、左。逃げ場を探すように視線をグルグルさせて、何となくエイリア学園の人間の気配を感じ、レーゼはさらに身を縮ませた。

 逃げられないのだと焦り、それでも目だけを動かして、自分の足元にボールがあることを再認識する。

 

 どこか冷静な頭で、涙目の分身のような穴を作ろうと、レーゼは再び分身に狙いをつける。

 

 「アストロ、ブレイク……!」

 

 「……」

 

 「……何っ!?」

 

 分身がいたはずのところに叶がいた。

 レプリカではなく、“慈悲の女神エリニュス”の化身アームド。人ならざる者のような気迫。現実逃避したくとも、全ての要素があれは本体だと伝える。

 アストロブレイクの僅かな溜めの時間。瞬時に分身と入れ替わっていた叶は、レーゼを押し退けてボールを奪った。

 

 「真彗星シュートっ!!」

 

 レーゼの腹にボールが打ち込まれる。そのまま、レーゼは空高く浮かび上がる。

 地面を強く蹴った叶が上空へ。一歩遅れてディアムも同様に。リームやパンドラたちが、オロオロとレーゼの着地予定地で受け止められるよう構える。

 三秒ほどで空中のレーゼに追い付いた叶は、そのまま彼ごとボールを蹴りこんでシュートを重ねる。

 

 「真ダーク……トルネードォ!!」

 

 レーゼは逆V字を描くように、角度を急に変えて落ちた。

 叶は高速で空気を蹴ることで、進行方向を変えてレーゼを追う。判断の遅れや感情の乱れ、溜まった疲労や腕の痛みもあって、ディアムは大幅に遅れて二人を追った。

 

 レーゼがちょうど良い高さ──ゴールに入れる位置まで落ちると、何とかして彼をキャッチしようとするディフェンダーをタックルでどかし、叶はレーゼを追い掛ける。

 

 「星影散花(せいえいさんげ)改っ!!」

 

 レーゼは絶叫しながら真っ直ぐ吹っ飛ぶ。

 彼が進む先は、自チームのゴールネット。

 レーゼの腹にめり込むボールは、彼という障害物があってもなお、スピードとパワーを落とすことはない。

 そして、今ジェミニストームのキーパーをしているガニメデから見れば、ボールより先にレーゼの背中が飛び込んでくる。

 いくら巨体の彼の手の平が大きくとも、要領や重さの関係上、キャッチするのは容易(たやす)くない。

 まして、ガニメデのポジションは本来キーパーではなかった。

 

 「ぐわぁぁぁぁぉぉぉぉ!!」

 

 質量と高さを味方につけ、余計にパワーを増したシュートは止まらない。

 ブロック技の発動も間に合わず、ガニメデはレーゼと思い切りぶつかった。

 

 「「うわあぁああああぁぁぁ!!!」」

 

 一際大きい叫び声が二つ重なる。

 野次馬や、ジェミニストームの面々が悲鳴がそれに合わさった。

 

 「…………。ゴォォール!! カナエーズ、荒い攻め込みで七点目の得点!!」

 

 「荒い攻め込みっていうか、普通にラフプレー……」

 

 「ラフプレーっていうか、レッドカード……」

 

 「は? アンタ宇宙人の肩持つの?」

 

 所詮他人事と、普段の教室の雑談と変わりないであろう調子で話す野次馬を、レーゼは憎悪した。

 アイツらはズルい。レーゼは倒れたまま、視線だけを横の方にやる。世宇子中の校舎は、そこそこ金がかかっていそうなデザインだ。

 そんな学校に通っているのだから、きっと金持ちで、両親も揃っていて、真に辛いことなんて何一つ知らないのだろう。レーゼは暗い考えに脳を支配されて、心配そうに駆け寄る旧友を見ると、慌てて我に帰る。

 

 「リュウジ、休んでても……」

 

 「良い!! まだいける!!」

 

 「でも……」

 

 「ジェミニストームのキャプテンとして、ここでオレが抜けるわけにはいかないんだ!」

 

 ディアムは閉口した。

 キャプテンだけはレーゼにしか出来ない役割だ。彼以外のチームメイトには、レーゼほどの求心力はない。

 

 キーパーをしていたガニメデは気絶している。

 彼をベンチまで運び、余計な体力を消耗すると、またもや「体が大きいから」という理由で次のキーパーにはギグを指名した。

 キーパーが真っ先に潰される。わかっていても、叶に怒りを向けながらギグはそれを了承してくれた。

 

 ジェミニストームは最初十一人だったところ三人削られて、今は八人。

 全身を打撲し、化身の力を使い切ったレーゼと、化身の力を使い切ったのに加えて腕を強く痛めて早く走れないディアムの分を考えると、実質六、七人だ。

 

 勝てるのだろうか。レーゼは不安に思う。

 いや、負けても良い。もうお父様から見放される覚悟は出来た。本当に不安なのは、これ以上みんなが怪我しないかどうかだ。

 

 「なぁ、リュウジ。棄権しても良いんじゃないか……?」

 

 「……っ、そんなことするわけにはいかないだろ! お父様から何て思われるか……っ、ただでさえ、他のチームと比べて、オレたちは役立たずなのに……!」

 

 「そんなこと……」

 

 “ない”と言いきれなかった。

 何を言えばいいのかわからなくて、ディアムは押し黙る。

 

 空気が凍る。

 棄権が許されるのなら、レーゼだってそれを選びたい。でも、選べないのだ。

 「最後まで必死に戦ったが負けてしまった」と、「途中で諦めた」とではどちらの方が良いのかは明白なのだから。

 レーゼはお父様からの心証を気にする自分に気付き、そんな己を嘲笑した。何が“見放される覚悟は出来た”だ。

 

 少しでも情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地があるように頑張ろう。

 かつてお日さま園で、何も考えずに楽しめていたサッカー。

 それが、捨てられないための道具に成り下がってしまったことをレーゼは一人悲しんだ。

 

 

 

 

 

 

 右上の辺りを切り抜いたように視野が欠けている。

 耳がぼうっとして、水の中にいるようだ。

 叶は視覚と聴覚の異常を感じて、「試合を続ける上ではそれほど問題はない」と結論づけた。

 




ジェミニストーム戦は次回で終わりです。
このままだと叶が無双してつまらないので、ちょっとデバフつけます。


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53話 決着ジェミニストーム

試合シーンは短めです。
後書きがやや長いです。


 

 後半戦が始まって既に二十分が経過。

 (かなえ)は今もなお息を乱さない。化身も分身も鮮明なままだ。

 チームの総合的なパフォーマンスを上げるために消耗の激しい分身を削除し、空いた容量で残りの分身を強化したが、残った四体の分身が消えることもない。

 

 カナエーズは五人。対して、ジェミニストームの選手も実質的にそれ以下にまで数を減らしていた。

 前半戦で潰された、ゴルレオとカロン、ガニメデ。彼らがフィールドからいなくなり、選手は八人。

 

 化身使いという理由から叶に集中的に狙われ、何度もシュートをその身に叩き込まれたレーゼ。我慢していた腕の痛みが限界に達し、ただフィールドに立っているもままならなくなったディアム。

 ガニメデと交代で臨時のキーパーとなり、これまでのキーパー同様に潰されたギグ。

 彼らは倒れ伏している。気張って立ち上がろうとし、途中で全身の力が抜けて、地面に軽く叩きつけられるのを繰り返していた。

 これで、ジェミニストームの選手は実質四人だ。

 

 「…………。もう止めてもいいのではないか」

 

 理事長が呟いた。周りの生徒も同調して頷く。

 

 「まだ四人もいますよ」

 

 「四人だけだ。それもあんなにされて。それで何が出来る」

 

 「ダメです。何か切り札でもあったら困ります」

 

 叶は言った。理事長はまだ何か言いたげだったが、そもそも彼は肉体的にも精神的にも叶に抵抗出来ない。どうやら諦めたようだ。

 

 ジェミニストームの選手を叶は見る。

 

 紫髪の少女・パンドラ。もはや叶に屈服して、体育の授業で教師に怒られないように無意味な動きを繰り返す運動音痴のごとく、プレーにはキレがない。

 桃色の髪、極太の黒のアイラインで目の周りを囲んだ少女・リーム。フォワードの彼女は万が一を危惧した叶に狙われ、ベンチ行きも時間の問題だ。

 宇宙服のような緑のヘルメットを着けた少年・グリンゴ。特に彼を狙ったわけではないのだが、他の選手への攻撃の余波がことごとく当たり、今は地面に突っ伏している。

 青肌に触手のような青髪の少年・コラル。顔色と彼の生来の気質も相まって、表情や仕草から感情を読み取りにくい。だが、絶えず冷や汗を垂らし、叶に対して恐怖や焦りを感じていることは明白だった。

 

 「もう終わりか?」

 

 叶はシュートを打つ。

 いつの間にか審判をしていた少年がホイッスルを鳴らす。

 

 「ゴォォォォール!!! カナエーズ十八点目の得点! もはやカナエーズの勝ちは決まりでしょう!」

 

 後半において、叶の打つシュートは全てノーマルシュートだ。そのおかげで疲れは少ない。

 試合が終わるまで、いや終わっても数十分は余裕をもって分身を保てるだろう。やる意味はないが。

 

 レーゼが芋虫のように動いた。紫色の力の塊が出てきては、化身(レプリカ)を形作れず消えるのを繰り返す。

 

 万が一があってはいけない。叶は彼をもう一度、しっかりと再起不能にすると決める。

 

 「リフレクト──」

 

 大きな石片が数個浮かび上がる。

 

 「──バスター!!!」

 

 叶は石片を無視してレーゼの方にシュートを打った。石片が存在を訴えるかのように震える。

 

 レーゼ、リーム、石片、パンドラ、石片。

 その順番でボールはぶつかっていき、力を蓄えた。

 部活の仲間で、特別自分を慕ってくれた相手が開発したシュートを汚すようなことに対して、叶は何とも思わなかった。

 

 ゴールにシュートが入る。十九点目。ジェミニストームの選手は、(つんざ)く悲鳴を漏らした。

 

 「てぇいっ!」

 

 「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 「せいやっ! ぁはっ!」

 

 「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 相手選手にボールをぶつけながら、合間にノーマルシュートを決める。

 あっという間に、カナエーズの得点は二十九点にまで増えた。

 

 

 

 

 

 

 読み違えた。取り返しのつかない間違いだった。

 レーゼは過去の自分の策をこれ以上なく後悔する。

 

 いや、後悔するのは策ではない。これほど実力差がある以上、認めたくはないがどんな作戦を立てようが無駄だったのだろう。

 レーゼのすべきだったことはただ一つ。

 叶に勝負を挑まない。ただそれだけで良かったのだ。

 

 体中を負の感情が渦巻く。

 痛い。痛くて熱い。地面に倒れているのが惨めで涙が出そうだ。お父様から用済みと思われることも辛い。惨めで辛くて苦しくて寒くもなってきた。

 

 地面とにらめっこしながら、レーゼは荒く呼吸をして、耳をそばだてて周りの様子を伺う。

 

 叶のシュートが仲間にぶち当たる。リームごとゴールに入った。無慈悲に試合が再開し、続けてコラルとパンドラ相手に熾烈な攻撃。

 ボールと人体が強烈にぶつかる音。チームメートの悲鳴。叶の笑い声。

 

 「ぁ、ぁ……!」

 

 三人も倒れ伏し、これにてジェミニストームは再起不能になった。

 

 「ええと……。ジェミニストームの試合続行不可能で──」

 

 「まだ終わってないぞ。目がな、まだ生きてる」

 

 「……人間ごときが、我らを見下すなぁ!! まだやれる!!」

 

 叶とレーゼの言葉に困惑しながら、審判は言いかけていたことを飲み込んだ。

 

 守る者がいないゴールにシュート。試合再開。ボールを奪い再びシュート。

 叶はリズミカルに繰り返す。

 

 「38-1ぃ!! 試合はロスタイムを残すのみ! ジェミニストーム、果たして逆転の目はあるのでしょうかぁ!?」

 

 レーゼは顔を目一杯しかめた。通気性が悪いユニフォームの中、冷や汗が気持ち悪い。

 

 「……ディアム」

 

 「レーゼ様」

 

 互いの名前だけを呼んで頷き合う。

 

 ホイッスルが鳴り、試合再開。

 リームが震える足でディアムにキックオフ。続けて、レーゼと肩を並べてカナエーズのゴールに上がっていく。

 

 どうせもう後がないのだからと、(なか)ば投げ槍な気持ちで二人は全ての力を振り絞った。

 ユニフォームのエイリア石が光り、己の内の化身の力が奔流(ほんりゅう)する。

 

 「「ユニバースブラストォォォォ!!!」」

 

 化身を移植される以前。本来のジェミニストームの最強のシュートにして、奥の手。

 レーゼとディアムの足がクロス。宇宙が落ちてくるような強力な連携シュートが、キーパーの分身を襲う。

 

 キーパーの分身は揺らいだ目を見開く。

 そうだ。その顔が見たかった。レーゼは勝利を確信して笑った。

 試合には負けた。それも、三十七点もの点差を付けられて。でも、勝負はまだ終わっていない。

 

 借り物の化身の技に頼らず、幼いときから練習し続けたディアムとの合体シュートなら、きっと一矢報いることが出来る。

 

 レーゼは信じて、ただゴールを見つめる。

 故に、彼は自分より後方の、キーパー以外の叶の分身が消えたことに気付かなかった。

 

 自分の化身・エリニュスも解除して、増えたキャパシティの全てを叶は彼女に(そそ)ぎ込む。

 

 「……っ!」

 

 「は……、バカな……」

 

 「止め、られた……?」

 

 こうして、強化されたキーパーの分身は、ユニバースブラストをキャッチすることに成功した。

 

 「試合終了──ー!! 勝者はカナエーズ、宇宙人を下しましたー!!」

 

 実況慣れしている人間よりは(つたな)い口調。放送部の少年から、学校中に聞こえる声で告げられる。

 

 レーゼは膝から崩れ落ちると地面を見つめ、口をわなわなと動かし、「そんな」「どうして」を繰り返す。

 

 「っ、ぁ……!」

 

 叶が彼の髪を引っ張り、無理やり上を向かせた。

 

 「悪人……いや、悪宇宙人なんざ、何やっても上手くいくわけねーだろ」

 

 (そうそう。それなら叶も、ね)

 

 叶の満月のような黄色の目に、今にも泣き出しそうなレーゼが映る。

 

 「人間よ……見事だ」

 

 初めて聞く男の声。ただならぬオーラを感じ、叶はレーゼの髪から乱暴に手を離した。

 反動でレーゼの首が、むち打ちのように痛んだ。

 

 デザーム様が来てしまった。

 レーゼは悔しさと惨めさと不安に泣き出しそうになる。

 お父様から見放される覚悟は出来ていたはずだった。いざそのときが来るとたまらなく怖い。

 エイリア学園からの追放はイコール死ではないが、レーゼにとっては同然だった。

 

 「まだ出来ます」「時間を頂ければ必ず奴を倒せます」と有用性をアピールするにしろ、こんな負け方ではそれすらも許されない。

 せめてものプライドで目を擦って涙を(こら)える。一切粘りのないサラサラの鼻水が出た。目から出てこれなかった涙が、鼻から出てきてしまったのだ。

 まるで何をやっても無駄みたいだ。

 それを理解すると、涙を我慢するのが難しくなった。レーゼはただ声を殺して、顔を汚して泣くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 レーゼの嗚咽をBGMに、叶は男と対峙する。

 男はうねりのある長い黒髪をマフラーのように首に巻き付けている。

 見栄えの悪くならない程度に、されど実用的についた筋肉。綺麗な逆三角形の上半身。宇宙人について叶は詳しくないが、背も高いし、きっと宇宙人の中でもスタイルが良い方だろう。腰は針金のように細く、キュッと(くび)れている。幼児体型の叶にはないものだ。

 

 「誰だ?」

 

 エイリア学園特有の黒いサッカーボールに向けて、男が手をかざす。

 紫の妖光と共に、ジェミニストームのものとはややデザインが違う、男と同じユニフォームを着た十人の少年少女が現れた。

 

 「我々はエイリア学園ファーストランクチーム、イプシロン。地球の民よ、いずれ、エイリア学園の真の力を知るだろう」

 

 「…………」

 

 宇宙人を倒した喜びで騒がしかった周りが静かになる。

 まるで今の言い方は、イプシロンより上のチームがさらにあるようではないか。

 

 「そして、我が名はデザーム。……無様だな、レーゼ」

 

 「デ、デザーム様……」

 

 全身の痛み。特に、叶に引っ張られた頭皮と首の痛みを感じながら、レーゼは慌ててひれ伏した。涙と鼻水で汚れたこの顔を周りに見せたくないという気持ちもあった。

 

 「何、怯えるでない。本来はここでジェミニストームを追放、というところだったが、あの方のご指示でな……」

 

 「……っ」

 

 「もう一つ、大きな任務を終えるまではお前たちを見逃してくださるとのことだ。任務中に大きな功績をあげることが出来れば、追放も撤回されるかもしれんな」

 

 「お、大きな功績、とは……」

 

 「そうだな……、古会(ふるえ)叶を倒す、などか」

 

 「…………」

 

 無理だ。レーゼはより深く俯いた。

 

 「古会よ、我々との試合を楽しみにしているぞ」

 

 デザームは笑って言った。

 

 「オレの名字、古会じゃなくて阿里久(ありく)なんだけど。……なあ、試合なら今やろーぜ。イプシロン? もそれでフルメンバーいるんだろ?」

 

 「はっ、残念だがその願いには応えられない」

 

 「逃げんのかよ」

 

 「貴様は先の試合で消耗しているだろう。それでは公平でない」

 

 「…………」

 

 叶は黙った。

 イプシロンのメンバーからは、ジェミニストームの数段上の力を感じる。確かに、今の叶では引き分けになれば良い方だろう。

 

 「だが、古会よ。貴様の勝利を祝って、我が力の片鱗を見せてやる」

 

 祝ってくれるのなら地球の侵攻をやめてほしいと叶は思った。

 

 「()でよ! 我が化身! ……賢王(けんおう)キングバーンB!!」

 

 「化身っ!?」

 

 赤と黒を基調とした、王のようなシルエットのデザームの化身。

 並みの者なら力の余波に寒イボがたつそれを、叶は睨み付ける。

 

 「相見(あいまみ)えることを、楽しみにしているぞ!」

 

 デザームが言って、イプシロンとジェミニストームのメンバーは紫の光に包まれて消えた。

 

 場の雰囲気が落ち着くと、叶は試合を観戦していた世宇子の生徒に囲まれて胴上げまでされた。

 周りはみんな笑っているけど、叶はちっとも嬉しくも楽しくもない。

 

 一通りその空気が落ち着いたころ、叶は気配を極限まで消して、人の輪から抜け出した。

 

 「阿里久さん、大丈夫?」

 

 メイが叶の方に駆け寄る。叶は首肯した。

 

 「とりあえず、ゆっくり休みましょう。あれだけ動いたんだから」

 

 「たったあれっぽっち平気だって、……!」

 

 叶はふらついた。苦笑したメイに連れられて叶は大人しく女子寮へ向かう。

 

 「汗もかいただろうし、まずはシャワーでも浴びたら? 夕食には遅いし……、わたしは軽食でも寮母さんに貰って来るね」

 

 「お、おう」

 

 シャワーを浴び、楽な服に着替えて、メイを待つがてら叶はベッドに横たわる。

 段々(まぶた)が重くなって来て、メイを待たないといけない、と思いながらも叶は寝てしまった。

 

 「あら、阿里久さん。寝ちゃったの? ……あんな無茶な力の使い方をするから。フェイみたいにデュプリだけならともかく、全員に化身を使わせて、それに一気にアームドまで。……おやすみなさい」

 

 髪の毛を咥えて眠る叶の口から、髪を取ってやりながらメイは呟いた。

 

 叶が目覚めたのは、それから一週間後のことだった。




デザーム様の化身滅茶苦茶迷いました。
候補が、
①黒き翼レイヴン(シュート化身)
②賢王キングバーンB(キーパー化身)
③鉄壁のギガドーン(キーパー化身)
でした。デザーム様に似合うかといった視点から③は除外。また赤と白の化身よりも赤と黒の方が似合うので、キングバーンWの方も不採用。
後はフォワードとしてのデザーム様と、キーパーとしてのデザーム様のどちらを強化するにおいて、オリ主がフォワードである以上その敵としてキーパーの方にした方が良いかと思い②に決定。それと何となく①より②の方がGOのラスボス化身で格が高そうだからです。

ちなみにデザーム様がレーゼに言った、「大きな任務」とは奈良での財前総理の誘拐のことです。
吉良星二郎の意向で、学校の破壊や総理の誘拐など、エイリア学園へのヘイトが高まりそうなことは下っ端のジェミニストームに押し付ける方針になってます。
あくまでこの二次小説においての考えです。

ジェミニストームがエイリア学園を追放された後は、学校破壊についてはイプシロンが受け継ぐ方針になります。軽く原作でもそのような感じで言及されていた気がしますが、あまりジェミニストーム以外が学校破壊していた印象がないです。


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54話 幕間1-1

一方その頃、みたいな話。
後書きが長いです。


 

 イナズマキャラバンの監督・吉良(きら)瞳子(ひとみこ)は、窓の景色を見ながら考え事に(ふけ)っていた。

 

 今は奈良から北海道へ向かうイナズマキャラバンに乗っている。ちょうど、秋田県に入ったところだ。

 

 奈良ではSPフィクサーズに宇宙人と間違えられ──雷門の力を見極めるための策だったが──試合の後、紆余曲折を経て総理大臣の娘・財前(ざいぜん)塔子(とうこ)が新しくイナズマキャラバンへと加わった。

 ジェミニストームとの第二戦は、47-0という、これまでに見たことのない大差で負けてしまった。

 初戦で彼らが見せなかった化身という力の要因が、敗北の理由としては大きいだろう。

 それに、鬼気(きき)迫る彼らの表情。「もう後がない」と雄弁に語っていた。サッカーをするのがこれ以上なく辛そうだった。

 

 「レーゼよ。手筈通り、追放だ」

 

 「デザーム様……っ!! どうか……、どうかお許しください!! 我々はきちんと雷門に大差をつけて勝ちました!!」

 

 「お前たちには古会(ふるえ)(かなえ)を倒せる力がついたのか?」

 

 「それ、は……。お時間を頂ければ、きっとその内……っ!」

 

 「そうか」

 

 「……!」

 

 「だが、ならぬ。エイリア学園に弱者は不要!」

 

 そして試合の後、ファーストランクチーム・イプシロンによって、ジェミニストームは追放された。

 あのとき、瞳子には何が何だかわからなかった。ジェミニストームが負けたのなら妥当だ。でも、勝っておいてなぜ。

 

 イナズマキャラバンから豪炎寺が脱退し、雷門イレブンは新たなストライカーを得るため、北海道へと向かう。

 雷門の精神的支柱の一つともいえる豪炎寺の脱退。一戦目より点差をつけられて負けたこと。エイリア学園第二のチームの登場。

 ……何チーム目まであるかわからない、終わりの見えない戦いに、士気は目に見えて下がっている。

 

 瞳子は追放の件について、雷門イレブンよりも先にジェミニストームを倒した者がいないか調べるため、響木に連絡を取る。

 理事長の伝手(つて)を頼みに夏未にも指示し、調べものが得意だという春奈にも同様に頼んだ。

 

 「……! 見てください、これ……!」

 

 春奈が瞳子へとノートパソコンを見せる。頼んで十分も経っていない。想像より有能だったと、瞳子は彼女への評価を上方修正した。

 

 「ええっと、これ……普通の動画サイトにあったんです。タイトルが、『エイリア学園・ジェミニストームの敗北』って……。ちょっと画質は悪いけど、ジェミニストームの人たちが手も足も出せなかったのは、よくわかります」

 

 「すっげー!! そんなに強いヤツがまだいたのか!!」

 

 円堂が叫ぶ。瞳子はそれを無視して聞いた。

 

 「そう。それで、どこの誰がジェミニストームを倒したのかはわかる?」

 

 「はい、……それが、えっと」

 

 春奈は言いにくそうにして渋る。瞳子は顎をしゃくって、早く言うように(うなが)した。

 

 「私たちの知り合いなんです。えっと、円堂先輩のお友達で、フットボールフロンティアの試合も、何度も応援しに来てくれてて……」

 

 「簡潔に言ってちょうだい」

 

 「……。世宇子中の、阿里久(ありく)叶さんです」

 

 「叶が……!? そういえば……デザームのヤツが、叶のことを言ってたよな」

 

 「あれは古会叶さんっていう、阿里久とは名前が同じなだけの別人だろ?」

 

 「うーん……、多分叶のことだと思うんだよな……。前、誰かにアイツ、古会って呼ばれてたし」

 

 「誰にだよ?」

 

 「それは……、えっと、覚えてない……」

 

 円堂と風丸が話している。

  正直、瞳子にとっては古会と阿里久が別人の方が良い。その方が戦力が増えるのだから。

 

 「彼女一人で戦ったの?」という愚問を瞳子はしない。動画を見れば、その答えは(おの)ずと出た。

 

 瞳子は手元の携帯で世宇子中の場所を調べる。……秋田(ここ)からだと、北海道の方が遥かに近い。

 それに、いつ誰がエイリア学園との試合で病院送りになるかわからない以上、選手は多くいた方が良い。

 どうするのかと尋ねた運転手の古株(ふるかぶ)に対して、「予定通り北海道へ」と言って、瞳子は再び思案の海に身を(ゆだ)ねた。

 

 

 

 

 

 

 吹雪(ふぶき)士郎(しろう)を仲間にして、イナズマキャラバンは関東地方の方面に進んでいた。

 

 先日、白恋(はくれん)中にて、雷門イレブンは新たに現れたエイリア学園のチーム・イプシロンに敗北したのだ。

 

 「古会叶はいないか……」

 

 デザームは残念そうに呟き、化身を使わずに試合に(のぞ)んだ。

 ジェミニストームは化身を使えた。その上位チームが使えないわけがない。

 雷門は手加減されたのだ。特に染岡はその事実に怒っていた。

 

 でも、一つ収穫があった。瞳子は思い出す。

 イプシロンのガイアブレイク。それを最後に相手取ったとき、円堂の背中から紫の気が現れたのだ。

 

 「円堂守! 貴様との再戦を待っているぞ!」

 

 デザームはそれを見て、晴れやかに言って去っていった。

 

 試合の前まではイナズマキャラバンへの加入に乗り気だった吹雪。

 イプシロンに力が通用しなかった彼は目を揺らがせ、「本当にイナズマキャラバンに乗って良いのか」と、弱々しい態度で何度も問い掛けてきた。

 

 「何言ってんだ吹雪。お前はもうオレたちの仲間だろ! それにお前の特訓のおかげで、アイツらの動きに結構着いていけたんだ!」

 

 「そうだぜ。それに、今のオレたちには悔しいが少しでも強い仲間が……一流のフォワードで、ディフェンダーも出来るお前が必要なんだ!」

 

 「きっと、吹雪くんなら大丈夫だよ! 雷門の人たちも一緒なんだよ!」

 

 「オラ、吹雪くんのこと、応援してるずら!」

 

 円堂、染岡、白恋中の変わった帽子を被った小柄なおかっぱ少女・荒谷(あらや)、同じく白恋中の常に垂れた鼻水が目立つ少年・雪野(ゆきの)に励まされ、何とか吹雪は再び乗り気になってくれた。

 

 瞳子はそれを横目に考える。

 

 これから、エイリア学園と戦うにおいて、相手も使う化身の力が必ず必要になるだろう。

 化身を習得する方法を知るためにも、阿里久叶の加入は必須だ。

 

 それに、万が一雷門イレブン全員が病院送りにされたとして、阿里久叶の分身の力さえあれば、最悪の場合でも彼女一人でどうにかなる。

 

 瞳子はキャラバン内に意識を向ける。どうやら春奈のノートパソコンを後ろの座席に回して、阿里久叶の試合を見ているそうだ。

 動画の叶を瞳子は思い出す。口元は弧を描いていたけど、画質が悪くてもわかるほど、目は生活に()みきった人間のものだった。

 そう。まるで……兄さんが死んだと聞いたときの、父さんみたい。

 瞳子は思い、慌てて思考を別のものに切り替える。

 

 デザームが執着する、古会叶。

 同じ名字を持つ人物を、瞳子は一人だけ知っている。瞳子の兄が憧れていたサッカー選手・古会(あらた)

 

 「兄さん……」

 

 思考を切り替えたつもりだった。過去への感傷に浸りたくなどなかった。

 嫌でも兄の姿を思い出す。兄がいて、父がまだ普通の人だった、あの暖かい家はもうこの世にない。

 父さんの計画であの暖かさを奪われる人がこれ以上出来ないために、兄さん、力を貸してください。

 瞳子は誰に言うでもなく祈った。

 

 

 

 

 

 

 その日、病院はいやに騒がしかった。

 神のアクアの件での検査が終わり、継続的に体に残る薬物的な影響はないことがわかった。

 今はカウンセリングや、無理に限界以上の力を出していたせいで壊れた体のリハビリを、世宇子イレブンは行っている。

 

 「今日の午後に人が……財前総理が会いに来られるそうなので、準備をしておいてください」

 

 朝食を配膳しに来た看護師の言葉に驚きの波紋が広がる。

 

 「総理!? ってことは……なんかスーツとかいるぅ!?」

 

 「バカ! オレたちは学生なんだから制服だろう!」

 

 「か、仮面……。ブランド物の仮面……」

 

 「(かぶと)を磨かなくては!!!」

 

 部灰(へぱい)平良(へら)在手(あるて)出右手(でめて)の順で言った。

 照美も慌てながら、今の自分は人から見て見苦しくないかと考えた。

 

 「普段通りで良いですよ」

 

 看護師は微笑ましそうに笑って言った。

 

 

 

 そうしてやって来た午後。

 厳然な(たたず)まいの財前総理と、そのSPらが病室へと入ってきた。

 財前が立つだけで、そこは彼のためだけに(あつら)えられた静寂な舞台となる。

 

 「これは総理からの見舞いの品だ」

 

 「苦手だったらすまない」

 

 SPから菓子折りを渡され、照美は全く物怖じせずに「ありがとうございます」と返した。

 

 「さて、まずは私が治める国において、あのような影山の悪事を見過ごしてしまい、子供の君たちにも危害が加えられてしまったことに対して、謝罪をさせてもらおう」

 

 財前は頭を下げる。

 

 「そ、そんな……オレたちが悪いんですから、頭を上げてください!」

 

 「そーですよ! ……阿里久が、大分ヤバいやり方だったけど、助けに来てくれたのを馬鹿にしたのはオレたちだったもん」

 

 部灰と阿保露(あぽろ)が言って、財前は頭を上げた。

 余談だが、平良や明天名(あてな)といった真面目な面々は総理大臣を前にして緊張で黙りきってしまっている。

 

 「阿保露(ひかる)くん」

 

 「ひゃいっ!」

 

 「キミのいう阿里久さん、というのは、彼女のことで合っているかな? スミス」

 

 「はっ」

 

 スミスと呼ばれたSPが、大きなタブレット端末を起動する。

 ネットに少しでも触れたものであれば誰でも知る動画サイトに移動し、保存した動画を再生した。

 

 動画タイトルは、「エイリア学園・ジェミニストームの敗北」。

 

 「君たちはエイリア学園について知っているかい?」

 

 「ニュースで話している程度なら。全国の中学校を破壊して、雷門や木戸川清修まで壊されたと……」

 

 「そのエイリア学園が、先日、世宇子中にて倒された」

 

 「なっ……!?」

 

 「嘘だろ!?」

 

 動画を見せながら財前は話す。

 

 ジェミニストームと相対する、十一人が全く同じ顔をしたチーム。

 

 照美が彼女を見間違えるはずがない。

 ポニーテールにしている膝まである長い茶髪。キャンディーのように(きら)めく黄色の、やや垂れ気味の大きな目。小学生かと思うほど華奢で小柄な体。全ての言葉をひらがなで話しているような、だけどはっきりした発音で常に大きく発声する、可愛らしい声。

 睫毛(まつげ)の一本どころか、指の関節のシワの一本にまで強さと(たくま)しさと可愛らしさがたっぷり詰まっているのがよくわかる。

 照美の全てが、動画に映る少女は叶だと主張している。

 見覚えがないのは目の下のクマと、今年は照美が日焼け止めを塗ってあげなかったせいで、少し日に焼けた肌くらいだ。

 

 見間違えであって欲しかった。照美は思う。

 相手選手を執拗にいたぶる姿。あれではまるで、影山の支配下にあったころの世宇子イレブンのようではないか。

 

 「……確かに、彼女が叶ちゃんで合っています」

 

 振り絞るようにして、照美は財前の質問に答えた。

 

 「……そうか」

 

 言うと、財前は顎に手を当てて、考えるように目を閉じる。

 

 「君たちは彼女の力についてどれくらい知っていたかな?」

 

 「……」

 

 神のアクアの力を溺れていたころ、叶が照美たちの考えを叩き直しに来たこと。

 そのときの試合──一点も取れずに惨敗した──で、ジェミニストームの動画と同じく、分身と化身の力を目にしたこと。

 ぽつぽつと、世宇子イレブンはそれを語った。

 当時の自分たちの痛みと(おご)りと苦しみを思い出す上に、思い出すだけでも恥ずかしい記憶だ。話していて少し辛かった。

 

 「……ならば」

 

 「総理? しかし……」

 

 「大丈夫だ。彼女の父だって、悪人ではなかった」

 

 「ですが彼は……」

 

 世宇子イレブンが置いてきぼりの会話の後、財前は真剣な眼差しで言った。

 

 「……君たちを、対エイリア学園における政府直属のバックアップチームにさせてほしい。環境はこちらで、最高級のものを用意する」

 

 「オレたちを……? 待ってください。オレたちは、その、神のアクアを、ドーピングして──」

 

 俯いて平良が言う。

 

 「百も承知さ。それを知っていてなお、私は君たちの試合を見てこう思った。──君たちならばきっと、神のアクアを飲んでいなくとも、今の結果が得られ(準優勝出来)ただろう。影山の魔の手に落ちなければ、あるいは優勝も……」

 

 財前が言う。

 

 照美の少年の部分が、褒められた感動で体を熱くした。一方、冷静な大人の部分は、「バックアップチームをやらせるためのお世辞だ」と告げる。

 

 「それでバックアップチームというのは? 対エイリア学園であれば、雷門を中心としたチームが既にあるはずですが」

 

 「そうだな。私の娘も参加している。……イナズマキャラバンのメンバーが全て病院送りになったら? 私たちは彼らに対抗出来ないのか? 日本は──世界はヤツらにされるがままなのか? 私はたまらなくこれが不安でね、……何をしてでも、エイリア学園に目的を果たさせるわけにはいかないのだ!」

 

 最後を特に力強く言って、財前は再び、照美たちへの要求を始める。

 

 「無論バックアップチームに参加せずとも、今の治療環境を取り上げるつもりなどない。バックアップチームが出なくとも、円堂くんたちによってどうにかなるかもしれない。だが、参加してくれたのなら、最高級の特訓環境と勉強環境を用意する。リハビリやカウンセリングについてもだ。君たちに一切の不利益がないことを約束する」

 

 財前の提案に、世宇子イレブンは五分の逡巡の末、「ぜひ参加させてください」と返事した。

 

 財前とお付きのSPが去った後。

 

 「本当に良かったのか? 周りが決めたからって理由で、頷いたりはしてないか?」

 

 と平良が言った。

 

 「良かったんです。それに、ジェミニストームに雷門が負けて、半田や影野たちが脱退させられた責任は、少なからずオレたちにありますから。少しでもその責任を取らなくてはいけません」

 

 照美には、明天名の言う意味がすぐにわかった。

 

 決勝戦。世宇子との試合を終えて、雷門中へ帰ったその日に、雷門とジェミニストームとの試合があったそうだ。

 その詳細を世宇子イレブンは知らない。

 けれど、明天名の言葉を聞いて照美は思い当たった。

 決勝が普通の試合だったのなら。世宇子とは違い、雷門を執拗に痛め付ける相手でなければ。

 脱退したメンバーの負傷は今よりも軽いもので、チームを抜けることはなかったのではないか。

 

 ジェミニストームと雷門の力量差では、世宇子との試合で蓄積したダメージなど関係なかったかもしれない。けれど、責任感の強い照美はそう考えざるを得なかった。

 

 「明天名、どういう意味だ!?」

 

 「…………」

 

 一瞬、病室が完璧に静かになった。

 出右手の疑問に明天名が答える。

 回答は、照美の思考とほぼ同一のものだった。

 

 叶は必ずイナズマキャラバンに加入するだろう。あれほどの力があるのだから、雷門の監督が放っておくわけがない。

 

 ならば照美だって、バックアップチームで終わるつもりはない。修練に鍛練を重ねて、イナズマキャラバンに加入し、自分も第一線で戦う。

 

 待っててね、円堂くん、叶ちゃん。

 自分たちを救ってくれた、どれほど感謝しても足りない、太陽のように明るく周りを照らす少年。かつての世宇子と同じようなプレーに堕ちている、今度こそ照美が守って救いたい幼馴染み。

 二人に心の中で照美は言う。

 

 まずは神のアクアによるプレーへの影響をリセットしなくてはならない。

 「ここだけの話だけど、アレのおかげでちょっともっと良い体の動かし方がわかった」とこっそり言う者もいれば、「あのときの感覚のせいで、今は歩くのもなんだか遅すぎて違和感がある」と話す者もいる。

 人によって、神のアクアが与えた影響は違う。

 前者にとっては助けになり、後者にとっては毒になった。

 

 ただ、チームプレーにとって悪影響なのは確かだ。

 互いが把握する互いの力量は変わり、神のアクアを服用していたころの癖で連携だなんて忘れてしまった。それに、もっと合体必殺技も増やしたい。

 やることが多いな、と思わず照美は笑った。暗い考えに沈む暇は無さそうだ。

 まずは何よりも先に、壊れた体を治さなくてはならない。やる気が出てきたし、今日はリハビリをいつもの倍にしてもらおうと照美は決めた。




ジェミニストーム
→叶にやられた怪我は、エイリア石でかなり無理やり治させられた。

吹雪
→かなりメンタルがガタガタ。白恋の子からの応援も、内心弱いから追い出されたと感じている。

???
→世宇子中に阿里久を迎えに行くのか。神のアクアがないか探さなければ。

瞳子
→まだ選手をエイリア学園に対抗するための道具と思っている面が強い。叶のことをデウスエクスマキナ的に思っている。

財前総理
→本人の意図的には、良質な治療環境の提供>>>>>バックアップチームの作成。
一応ゲーム無印2の九章で、財前と影山の支配下から抜けた後の世宇子に多少関わりがあるっぽいセリフがあったので、凄く無理がある設定というほどではないかと思います。


本当に奈良─北海道間で秋田を通るのか調べてみたのですが、車だと奈良から北海道まで22~23時間ほどかかるらしいです。イナズマキャラバンと普通の車を同じように考えて良いかがイマイチわかりません。ちなみに秋田は通るっぽいです。
エイリア編全体の半分くらいが移動時間とかワンチャンあり得そうです。

次回も叶以外の話です。多分早めに投稿します。


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55話 幕間1-2

一応微ホラー注意です。


 

 豪炎寺は深夜、世話になっている土方(ひじかた)家を出て砂浜へと向かった。

 

 奈良でのジェミニストームとの試合。

 やっとのことで得た、たった二度のシュートチャンス。両方とも豪炎寺はゴールネットに狙いを付けられずにチャンスを無駄にしてしまった。そして試合の後、瞳子により脱退を命じられた。

 瞳子が横暴だとかそういうことではなく(あの様子では残ったメンバーには勘違いされているだろうが)、豪炎寺の事情を()んでのものだ。

 

 豪炎寺の勧誘のため、エイリア学園に賛同する男たちは、夕香の病室にまで来て彼女を害することを(ほの)めかした。豪炎寺があのまま雷門にいては、彼の何よりも大事な妹の身が危ういのだ。

 鬼瓦刑事たちが、夕香をエイリア学園の魔の手が及ばない安全なところに保護しようとしてくれているらしい。だがエイリア学園に賛同するごく一部の権力者からの警察組織への妨害や、秘密裏に事を進めないといけないということもあり、なかなかスムーズにいっていないそうだ。

 

 豪炎寺自身は今、鬼瓦刑事の協力者である土方家に身を寄せて、エイリア学園からの干渉を防いでいる。

 あのままキャラバンに参加していたのなら、エイリア学園に弱味を握られた豪炎寺は、円堂たちの負担になっていただろう。スパイのような真似をさせられたかもしれない。

 それに、もしも夕香がヤツらに何かされたら。悔やんでも悔やみきれない。これで良かったのだ。

 土方家の人たちはカラッとした、一緒にいて心地よい性格をしていて、一人だけ安全圏にいる豪炎寺の罪悪感を随分と(ぬぐ)ってくれた。

 

 昼間の内に室内で出来るトレーニングは終え、軽く仮眠もした。

 「沖縄にあの豪炎寺修也がいた」などと噂になってはいけない以上、彼が外でボールを使って練習出来るのは夜に限られる。

 一応昼にも土方雷電(らいでん)と共に、彼曰く秘密の場所で特訓をしている。だが、誰かに──エイリア学園に顔を見られ、自分がここにいるとバレたらと思うと、身が入らないのだ。

 また昼間はフードやサングラス、マスクで顔を隠す必要があり、運動をする上では非常に(わずら)わしい。

 

 のどかな田舎であるこの町には夜遅くまで営業する店は少ない。それをおいても、早寝早起きという県民性なのか夜に散歩したりする人もほとんどいない。エイリア学園の襲来もあって、旅行に来る観光客もいない。

 広い砂浜が丸々豪炎寺一人だけの練習スペースなのだ。

 

 「……っ!?」

 

 前方、砂浜の海に近いところに黒い人影。

 それを視認すると、豪炎寺は慌ててフードを深く被る。暗いし、相手も豪炎寺の顔を見ていないだろう。豪炎寺は安直に判断した。

 

 人影を観察し、豪炎寺はそれが墨を塗ったように真っ黒だと気付いた。

 真っ黒の、モヤを集めて無理やりヒトガタにしたような──。

 

 「……」

 

 ヒトガタがうねうねとこちらに近付いてくる。豪炎寺は臆病ではないが、それでもどこか生理的不快感、根源的恐怖を煽る動き。

 豪炎寺は手で口を抑え、漏れそうな声を塞ぐ。

 ヒトガタが来るだけで、鳥肌が立ち、心臓の鼓動がうるさくなる。

 

 “それ”はゆらゆらくねくねと、人間ではありえない平行移動で歩みを進め、豪炎寺の前で立ち止まった。

 

 「……? ……! ……! ……!」

 

 豪炎寺の持つサッカーボールと、己自身を順番に()すようにモヤを動かし、何かをアピールするのを“それ”は繰り返す。

 

 「もしかして……これが欲しいのか?」

 

 「!」

 

 ボールを壊したり、海の方に飛ばしたりしたらただではおかないと思いながら、豪炎寺はとりあえずサッカーボールを渡した。

 “それ”は器用に動きながら、リフティングのような動きを始める。上手い。豪炎寺は感心して見た。

 

 「……! ……、……!」

 

 “それ”は何度も豪炎寺と自分自身を指のような細いモヤを動かして()し示す。

 

 「……どうした?」

 

 その言葉に、“それ”は豪炎寺、ボール、自分の順番で()す。よく見ると、ただ豪炎寺と“それ”自身を指すのではなく、彼らの足を示している。

 

 「……リフティング勝負か?」

 

 さすがに違うだろうと思いつつも、豪炎寺は問う。

 

 「……!!!」

 

 正解だったらしい。

 両手を広げてジャンプする人間のように、“それ”は己を構成するモヤを動かした。

 

 リフティング勝負は豪炎寺の負けだった。

 

 「あれはもはや妨害だろう……」

 

 豪炎寺は思わず呟く。

 

 「……!? ……!!!」

 

 「妨害なんてしてない!」と言いたげに、“それ”はモヤを動かす。まるで両手の平をこちらへ向け、左右に振るような動きをした。

 

 「……関節を無くすのは不公平だ。そっちに気がとられる」

 

 「……?」

 

 “それ”は考える人の像のようなポーズを取る。

 ふと、黒い光が辺りを包んだ。

 

 “それ”のひょうきんさに緩んでいた警戒心を引き締めて、豪炎寺は右手でフードを深く被り、さらに左手を(ひさし)にして前を向く。

 

 「関節の数も指の数も揃ってるよな……?」

 

 「……………………。……鼻の穴が三つだ」

 

 指摘して良いものか迷いながら、豪炎寺は言ってやった。

 

 「おっ、忘れてた」

 

 鼻の穴が一つ消える。二つの鼻の穴の間隔が、一般的な人間のものに整えられる。

 どうやらコンプレックスになりえるような生まれつきの身体的特徴ではなく、単なる彼のミスらしい。豪炎寺はほっとした。

 

 光が消え、モヤがあった場所には男がいた。

 何らおかしなところはない、中肉中背の成人男性だ。二十代後半くらいだろうか。外跳ねした茶髪に、黄色の目をしている。

 

 「俺の名前は古会(ふるえ)(あらた)! お前に化身の力を教えに来た! 証拠にこれを見ろ! ──冥府の王タナトス!!」

 

 「なっ……!?」

 

 “それ”は──新は背後に化身を具現化させて、胸を張ってそう言った。

 

 

 

 

 

 

 北海道から愛媛への移動を終え、影山は巨大な潜水艦──真帝国学園内の自室でふと思う。

 

 古会(かなえ)の力。あれは、彼女の父である古会新の力を受け継いだものなどでは断じてない。

 むしろ、あれは母親の方に似ている。好く男への執着も、目的のためには手段を選ばない残忍さも。

 

 影山は疑問に思う。

 よくもまあ、叶はそれなりにまともに育ったものだ。

 あれの母親──阿里久(ありく)季子(きこ)ならば、叶の自我が芽生えないようにして、あるいは娘の意志を誘導させて復讐の道具にするくらいはやってのけるだろう。

 

 阿里久季子が勝手に死んでくれて助かったと、影山は息を吐いた。

 影山が夫を殺したのだと、季子は深く影山を憎んでいる。

 あくまで、影山は部下に「古会新が監督を勤める日都年(ひととせ)中が決勝に来られないようにしろ」と、酷く婉曲(えんきょく)に指示しただけ。殺人教唆だなんてしていないのだが。

 

 影山を、彼の所属する帝国学園を恨む季子は、何度もサイバー攻撃を仕掛けてきた。叶が生まれたと思われる時期からは頻度は月に二回程度に減った。

 だが、新が死に叶が生まれるまでの数ヶ月、帝国学園は少しでもコンピューターに明るい者を季子の攻撃からの防衛に()てることを余儀なくさせられた。

 叶が生まれてからも、季子が死んだ五年前までは周期的に人員をサイバー攻撃への対策に持っていかれた。

 

 その上、悪事の証拠を全体の三割程度握られてしまった。だが、影山自身の権力と、帝国学園を支持する鬼道財閥を始めとした支援者、および権力者の力で揉み消せる範囲だと、影山は気に止めなかった。

 むしろそれらを公開されたら、頭のおかしな女の妄言として、季子を社会的に叩き潰せて好都合だ。

 何の生産性もない頭の悪い女のヒステリーで、酷く仕事を妨害されたものだ。影山は当時を思い出して嫌な気分になる。

 そもそも季子が影山を恨むのは筋違いだ。新を殺した実行犯のトラックの運転手と、彼に直接的に新を殺せと指示した影山の部下を恨むべきなのだから。

 

 季子が得た悪事の証拠。それが(いま)だ表沙汰になっていないのは、彼女が影山の人生の絶頂でそのデータを世間に晒してやろうと思っていたからだ。そのように匿名で、逆探知をされないよう何重にもプロテクトをかけたメールが来た。

 それが一番気持ちよく、また大きな結果を生むことは影山もよくわかる。

 恐らくは、影山の最高傑作である鬼道がFF(フットボールフロンティア)の三連覇を果たしたときにでもそうしようとしていたのだろう。

 

 結果は飛行機事故に遭い、遠い異国の地で季子の体ごと彼女が常に肌身離さず持っていた、悪事の証拠が入ったSDカードは破壊されたわけだが。

 それに、鬼道の三連覇も果たされることはなかった。

 

 『影山さん、初めまして。ぶつかってしまいごめんなさい。お怪我はありませんか? そう、良かった』

 

 『……もしかして、影山東吾(とうご)さんとご関係ありますか? わたしの父が、彼のファンだったんです!』

 

 『そういえば……三年前、帝国学園との決勝戦の前日に、野生中のフォワードの子のお母さんが試合前に事故にあったそうですね。彼がいない野生中が相手で、残念ではありませんでしたか? 手応えだってなかったでしょう?』

 

 『それにしても帝国学園は凄く強いですね。あなたの教え子に東吾さんみたいな選手が何人出来るか、将来が非常に楽しみです』

 

 季子がまだ中学生だったころ、三十年近く前。

 小走りの季子にぶつかられて、その予定はなかったが影山は彼女と言葉を交わした。決勝進出チームのマネージャーと、相手チームの監督として。

 余計な情報は何一つ与えていない。肯定否定どころか、言葉を交わすに値しない相手だと思い、答えてすらいない。

 下らない質問へのコンマ以下の体の身動(みじろ)ぎや(まばた)き、呼吸間隔の変化によって、影山の思考は丸裸にされてしまった。

 

 “東吾さんのような選手”に込められた意味が、「世界で活躍するプロ選手」ではなく、「木偶(でく)の坊」、「疫病神」であることくらい影山にはすぐにわかった。

 ほんの十分ほどで気付けたからまだ良かったものの、時代を先取りした性能の季子の自作盗聴器まで、ぶつかった拍子に付けられていた。

 

 翌年と翌々年に至っては、新を決勝戦に出させないために、季子に不幸な事故にあってもらおうとしたが、異常な警戒心と洞察力によって全てを(ことごと)く回避された。

 一番成功に近かったのは、新と季子が工事現場の近くを歩いているときに鉄骨を落とすこと。それも、謎のバリアのようなものに阻まれ失敗した。

 新と季子の両親に関しては、季子の薦めで、息子の大事な大会中だというのに長期海外旅行に行ってしまっていた。

 あのときの敗北感は今でも覚えている。

 

 「…………」

 

 影山は続けて、新の方に意識を向けた。

 

 新が中学生のころ、歴代最強ストライカーと呼ばれる彼についてはよく調べた。新自身よりも、影山は彼についてよく知っている。

 季子についても調査したが、「幼少期は小児喘息で病弱だった、頭脳明晰な優等生」としか出てこなかった。

 

 新が生まれたのは特筆することもない普通の地域。

 とあるアパートで母親と二人暮らし。アパートの隣の一軒家に住んでいたのが、大家の阿里久家だ。

 

 季子は「わたしと新は隣同士の家の幼馴染みなんですよ」と周囲に語っていたそうだが、これを隣同士の家というには少し無理があるだろう。

 

 新の母親は普通の人間だったらしい。虐待をしていただとか、性格に難があったとか、悪い男を連れ込んでいたとか。そういった報告を影山は受けていない。

 だが、彼女はある日、「子供に飽きた。一人で立てるんだから一人で生きられるはず」と書き置きを残し、息子を置いて失踪した。

 最悪の事態になる前に、当時三歳だった新を大家の阿里久夫婦が発見し、以降新は彼らの息子として育てられることとなった。

 

 「名字だけが実の親との繋がりなのだから、成人してからどっちを名乗るか選んでほしい」などという下らない思いやりで、新はその後も古会の姓を名乗り続けている。

 

 小学生時代。周囲から新は虐めを受けた。阿里久夫婦は、息子のより過ごしやすい環境のために隣の市に引っ越した。

 余談だが虐めの前には、その小学校で新はどうしようもなくモテていた、虐めの理由はわからないと、影山は昔、部下からどうでもいい報告を受けた。

 

 その後は中学の先輩に誘われて、新はサッカーを始めた。それが彼の人生の転機だった。

 彼の中学と帝国学園は、新が在籍している三年間とも決勝戦で当たった。どれも帝国学園が勝ったが、あれが辛勝であったことと、皇帝ペンギン1号を使わされたことが今でも影山には気に食わない。

 

 高校時代、新は化身を発現させた。

 彼の化身の名は「慈悲の女神エリニュス」などではなく、「冥府の王タナトス」だった。

 サッカーへの憎悪()に生涯を捧げる影山には、確かにそうだと断言出来る。叶は化身も親から引き継いではいないらしい。

 

 それから、プロ時代までの新は快進撃を続けた。トリプルハットトリックは当たり前、どころか二十点差すらよくあることだ。

 他の選手はそこにいるだけで、動かなくていい。むしろ、余計に動かず全てを新に任せた方が勝てる。彼らの行動は、新のプレーを阻害し、勝利から遠ざける。

 故に、新はサッカー評論家や解説者、他の選手のファンから酷く嫌われていた。

 新がいるだけで戦術や各選手の動きを評価し、コメントする楽しみすら奪われる。試合の展開の予想すら出来ない。

 全てが決まりきった、ワンパターンの勝利へ向かう予定調和。

 プロ時代。新のチームの監督は、「勝ちだけが全てであり、過程には一切の意味がない」という考えの男だった。実力は確かだが、その考え故に──男は正しい考えと思う影山には世論が理解出来ないが──好かれていなかった。彼に新が重用されていたことも、新を嫌う風潮に拍車をかけたのだろう。

 

 そして、新は暴行事件を起こし、サッカー選手を辞めた。

 影山は思う。新があの事件の加害者となったのは必然的だ。被害者は新の母親。動機は──。

 

 「おーい、影山さんよぉ、新しいヤツが入ったけど女子だからさァ、アンタ的に良いのか一応確認しに来た」

 

 不動(ふどう)の声だ。影山は「入れ」と簡潔に告げる。

 

 弱い選手(影山東吾)は疫病神。

 強い選手(古会新)はサッカー界の(ガン)

 

 痛む気がする心を苦しいくらいのサッカーへの思いで麻痺させて、影山は不動と、彼が連れてきた桜色の髪の少女を見据える。

 

 「キャハハっ!! アタシ、小鳥遊(たかなし)(しのぶ)っていいまーす。後何言えばいーですか? 目標とか? とりあえず……あの糞色の髪の毛のチビガキと試合になったら、滅茶苦茶に叩き潰すつもりでーす。アハァっ!」

 

 「だってよ。よくわかんねーけど、忍チャン、叶チャンを滅茶苦茶嫌っててよぉ」

 

 「……不動。お前が上手く扱える人間であれば、許可をとらずとも、誰をどのような方法でスカウトしようが構わんと言ったはずだが」

 

 「えー……。前オレが間違えて、ガキみたいな大学生をスカウトしようとしたら怒った癖によぉ。『ここは真“帝国学園”だ』とかなんとか言いやがって」

 

 影山は不動の軽口を無視する。

 

 「ま、いっか。んでよ、オレらってあの化身……レプリカとかいうのはいつ移植して貰えるわけ?」

 

 影山はそちらにも答えない。答える意味がない。時間の無駄だ。

 

 「チッ、無視かよ。ハーァ、これだから爺さんはよゥ」

 

 「ァハハッ! 補聴器買ってあげたらァ?」

 

 不動と小鳥遊は痺れを切らして去っていった。

 

 不動も吉良も、一体なぜ倒すべき相手の力を移植して、その相手に勝てると思えるのか。

 少なくとも、叶にはそれでは勝てない。

 叶や新と同じく、ゼロから自力で化身を発現させなければ。ゼロからイチへの成長を、叶を倒すために叶由来の力に頼るだなんてバカらしい。

 

 影山には一目見ただけでその人物のことを深く理解出来る洞察力がある。少しでも会話を交わせば、彼彼女以上にその人物についてのパーソナリティーに詳しくなれるだろう。

 ただ、円堂大介や円堂守が関わると、鬼道や小野(おの)夫妻のように、理解の出来ない行動をされることもあるのだが。

 

 そんな影山から見た新は「自分を化け物と思い込んだ人間」。季子は「人間を装う化け物」だ。

 そして叶は、「自分を人間と思い込みたい化け物」。

 

 アフロディが彼女を“人間”にしがみつかせる(くさび)だった。しかし彼が傍に無き今、彼女は宇宙人との戦いの中で真の化け物へとその身を昇華させつつある。

 影山には彼女の羽化が楽しみで仕方がない。化身すらも置き去りにした、さらなるサッカーのハイエンドが見られるかもしれないのだから。

 

 ダウンロードした叶とジェミニストームの試合を、時にはコマ送りして、何十回目かの再生。

 新の高校時代以降の試合ビデオも含めると、もう化身が出てくる試合を再生するのは何千回目かになる。

 化身や分身のメカニズムについて仮説と棄却を重ねながら、影山は見続ける。

 

 叶とジェミニストームとの試合が進むにつれて、サッカーコートの周りに世宇子の生徒が増えている。随分と思慮が浅いものだ。ふと影山は思う。

 ジェミニストームはたまたまサッカーに拘ってくれたが──あるいは思い付かなかっただけだろう──、叶への精神的攻撃のため世宇子の生徒にシュートが打たれたら、とは考えなかったのだろうか。現に分身の方はダイレクトにシュートを食らっている。

 将来的に自分が支配する学校だ。馬鹿な学校では食指が動かない。どの分野においても、最低でも上の中くらいの教育を施せる資金は世宇子の理事長に与えていたはずだが。

 

 影山がいたころの帝国学園では、このような愚かなことをする生徒が出来るような教育はさせていなかった。

 少なくとも、サッカー部には一人だっていないはずだ。特に鬼道は、そんな愚かなことなどしないし、させないだろう。

 

 「フッ……」

 

 昔に浸っている自分に気付き、思わず笑いを漏らすと、影山はゼロから化身を発現させるための練習をいくつか考えた。

 

 百聞は一見にしかず。

 吉良財閥に叶のDNAを提供し、レプリカを作らせてやったのは影山だ。その恩をほじくって、お望み通り不動にさらなる力をくれてやろう。

 適合出来なかった選手もいると聞いたが、どうでも良い。

 最高傑作(鬼道)ならともかく、二流の選手が壊れたところで、影山にダメージはない。むしろ、在庫処理と化身の研究が出来て一石二鳥だ。

 化身について何かがわかれば、最高傑作をさらに磨きあげてやるのも良いだろう。

 暗い部屋。モニターだけが光る中、影山は一人笑った。




季子
→ヤバい面を見せる前に死んだだけの人。
彼女が生きていたら夫を殺したサッカーから娘を遠ざけるために、確定で雷門(サッカー部のない学校)に進学ルート。
そっちだと叶が落ち込むイベントがない(幼馴染が神のアクアを使ったことによるダメージよりも、円堂パワーによる回復の方が多い)ので、何だかんだで娘を守りきれている。

影山がなんか主人公っぽいメンタルを得てしまった。


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56話 何もない

 

 ジェミニストームとの試合から一週間後。

 ようやく目覚めた(かなえ)は、視界のおかしさに気付く。サングラスをいくつも重ねて付けたように、視界全体が暗い。

 

 「お────。あり──」

 

 恐らく寮母であろう人が何か言っている。

 とてつもなく高性能の耳栓を付けているような、耳が水で満たされているようなそんな感じだ。よく聞こえない。

 

 叶は目を(こす)り、耳に指を突っ込む。何も変わらない。

 痒みも痛みもない。寮母に水が入った洗面器と綿棒を持ってきてもらい、目を洗い耳かきもする。何も変わらない。

 

 「────ん。────か──?」

 

 寮母が何か言っているが、何もわからない。

 叶は迷って、彼女の視界と聴覚を借りることにした。

 

 寮母からの視界には、ベッドの上の叶が映る。寮母の声は叶の頭の中に反響するように聞こえて、違和感があった。

 

 それ以上に叶には驚くことがあった。

 昔のぼやっとしたモノクロ写真と、今の高性能で高価なカメラ。それほどに寮母の視界と、普段の叶の視界の画素数は違う。どこまで見えるかもだ。

 聴覚も同様だ。

 

 だがさっきよりはマシだ、と叶は思った。

 

 寮母が差し出すお粥を断る──のはしにくい雰囲気だったので、さらに超能力を使い「叶はお粥を満足な量食べた」と思い込ませた。

 もちろん実際にお粥は減っていない。食べ物を無駄にするのも嫌だから、これまた超能力を使い寮母に無意識の内に食べさせた。

 

 「……ごくん。そういえば、阿里久(ありく)さんに伝えないといけないことがあってね」

 

 口をもぐもぐと動かしながら、それを自覚出来ずに寮母が話す。

 

 「イナズマキャラバンの監督さんが、あなたとお話ししたいって。……もぐ、あわよくば、チームに入ってほしいみたいな言い方だったけど、……ごっくん、どうする?」

 

 「大丈夫ですよ」

 

 「……無理しなくていいのよ? ……もぐ、今日やっと起きたんだもの」

 

 ちなみに、「一週間眠ったままの叶を病院に連れていかず、寮の自室で寝かせておくこと」も、世宇子中の人間へは“当たり前”のこととして叶の能力で処理されている。

 マスコミも思考誘導により、世宇子の校門に来たところで、「一般人の中学生にインタビューをするべきじゃないなぁ」と考えるお利口さんにさせられる。

 神のアクアを製造していた研究員にしたような、妄信的に叶を慕う洗脳は永続的なものだが、人格や認識を部分的に変えるだけなら融通がきく。叶は最近気づいた。

 

 「無理はしてないです。それで、雷門はいつこっちに来るんですか?」

 

 「夕方ごろって」

 

 「今日の?」

 

 「ええ」

 

 叶は時計を見た。ちょうど正午ごろだった。

 

 寮母は大食いの叶のためにとお粥のおかわりを大量に作り、林檎もたくさん剥いた。

 叶の能力の影響で、それらを叶が食べたと思いながら自分の胃に納めていく。結構なカロリーを摂取しただろう。

 

 「……な、なんだかスカートがキツいような……、気のせいよね……?」

 

 「…………」

 

 寮母の一人言に、叶は少し申し訳なくなった。

 

 

 

 

 

 

 夕日が射すころ、雷門がやって来た。

 

 「ここが世宇子中か……」

 

 「思ってたより普通の学校なんだな……」

 

 鬼道と風丸が、辺りを見回しながら呟く。

 

 「よーっす! 守! みんな! 久しぶりー! 響木のおっちゃんは……?」

 

 ジャックする視界の持ち主を変えつつ、叶は雷門の監督である響木を探す。

 不謹慎だが、円堂や大好きな響木と全国旅行するのを叶は少しばかり楽しみにしていた。

 

 (叶が何かを楽しみに思っていいとでも思ってるの?)

 

 頭の中の季子(きこ)が言う。痛む心を抑えて、叶は意識して笑顔を作る。

 響木の手作り絶品ラーメンを毎日三食。頼りがいのあるおっちゃんの(もと)でサッカー。あわよくば頭を撫でてもらう。叶は楽しいことを考えながら、彼の姿を探す。

 

 「吉良瞳子よ。響木さんに代わって、雷門の監督を勤めているわ」

 

 深緑のロングヘアー、出来る女といった風の若い女性が言う。

 叶は目をぱちくりさせて、うっかり言ってしまった。

 

 「なーんだ、おっちゃんじゃないんだ……」

 

 瞳子が眉を(ひそ)めて叶を見た。

 

 「しかもこんな若い女じゃん。サッカーの知識あんの?」

 

 瞳子は睨むギリギリで険しい目を叶に向ける。

 

 「瞳子監督は凄いんだ! 監督の作戦のおかげでSPフィクサーズにも勝てたし、……エイリア学園にはまだ勝ててないけど、でも監督のおかげで大怪我したりしてないからな!」

 

 円堂が言うと、瞳子はほんの僅かに表情を緩めた。叶を見る目は険しいままだ。

 

 「ごめんごめん。おっちゃんじゃない監督ってなんだか期待外れで……悪気はないんだ」

 

 「どうだかな」

 

 染岡が言った。やけに冷たい口調だ。

 

 「……円堂くん、彼女、この学校の教職員の娘さんなのかい?」

 

 季節外れのマフラーを巻いた、灰色に近い銀髪の少年・吹雪が問い掛ける。

 

 「え? ええと……叶のお父さんは確かサッカー選手だって聞いたし、お母さんも学校の先生じゃなかったような……? どうしたんだ?」

 

 「守が合ってるぞ。オレ、普通にここ通ってるけど……」

 

 「ええ? 本当かい? だって、どこから見ても小学校二年生くらいの見た目じゃないか。ここは中学校だよね?」

 

 「オレは! 中学! 二年! だ!」

 

 叶は意識して吹雪にキレた。

 正直そんな些細なことはどうでも良い。でも、円堂が覚えている叶ならこう言うだろう。

 

 「……ごほん」

 

 瞳子がわざとらしく咳をする。ワイワイガヤガヤとしていた室内は静まり返った。

 

 「本題に入るわ。阿里久叶さん、あなたにはイナズマキャラバンに加入してもらいます」

 

 断定形だった。元々加入するつもりだったが、この言い方はちょっとムカつくと叶は感じた。

 

 「……もし断ったら?」

 

 「なら、あなたが断ったせいで、全国の学校がどれほど余分に破壊されるのかしらね」

 

 (叶。力を貸してあげなさい)

 

 瞳子はムカつく。彼女という人間ではなく、監督が響木でないことがムカつく。でも、頭の中の季子はこう言う。

 叶は神妙な顔で考えるふりをしながら、季子と話す。

 

 ──わかったよ、母ちゃん。でも、オレ早く転校して……オレの全部終わらせたい。

 

 (ダメよ。叶が「早く帰ってきて」って言ったせいで私は死んだのよ? なんで天国(こっち)でまで私に迷惑をかけようとするの?)

 

 ──ごめんなさい。でも……。

 

 (大体自分が楽になりたいだけでしょう? せめてエイリア学園を倒して、吉良さんのお役に立つまではお願いだからこっちに来ないで)

 

 拒絶された。叶は嫌な気持ちになりながら、ゆっくりと口を開く。

 

 「良いですよ。イナズマキャラバンに参加します。荷造りに時間かかるので、待っててもらっても良いですか?」

 

 「……わかったわ。手早く終わらせて」

 

 叶は談話室から出て、手摺(てすり)を強く掴んで階段を登った。

 

 世宇子は無事だが、誰も把握していない箇所をエイリア学園に破壊されていたら困ると、部活動は全部強制的に休み。

 家族との連絡が付き次第、寮に残っている数少ない生徒を家に帰して、寮の調査も行うらしい。

 この一週間でメイも帰ってしまったようだ。一人の部屋で、叶は荷物を暗い視界に頼りながらほぼ手探りで詰めていく。

 口から超音波を出し、念動力の応用で物の輪郭だけを見る。

 

 スパッツ。適当なパーカーとホットパンツ。叶が強奪して寝巻きにしている、照美の小学校のころの体操服。歯磨きセット。最近は気が向かずに付けていない特訓用のおもり五十キロ。これまた気が向かずに付けていない、照美から昔もらった赤いリボン。

 

 「こんくらいか?」

 

 後は財布だけを入れて、叶は部屋から出た。

 

 女子寮の談話室まで行く。雷門イレブンと瞳子がいた。それに、授業も部活もないこともあり数人だが、世宇子の女子生徒もいる。

 

 「そう、それで、あの子ジェミニストーム完封して勝ってたの。もう阿里久さんさえいれば大丈夫だから安心しなよ」

 

 「やっぱり、この動画は本物なんですね……」

 

 「うん。本当だよ、私この目でちゃーんと見たもん!」

 

 春奈が世宇子の女子生徒と話している。

 それを、吹雪が憂いを帯びた表情で聞いていた。

 

 「準備出来ましたー」

 

 「遅かったわね。二時間も待たされたわ」

 

 「早く済ませたつもりだったんですけど」

 

 「ええ、“つもり”だったのね」

 

 瞳子に言い返し、無理があるなと叶は思う。

 いつもこういう旅行や外出の準備は照美がしてくれていたから、何を用意すべきかいまいち勝手がわからなかったのだ。それと、よく物が見えなかった。

 

 「あっ、よろしければ皆さん、うちでご飯食べていきませんか~?」

 

 「……急いでいるので」

 

 「でも、うちの学校がある山って……夜にイノシシが出るって噂なんですよ」

 

 「ひぇぇ、イノシシ……怖いッス」

 

 「大丈夫、ボクが倒せるよ」

 

 「そうだった……吹雪さんは熊殺しだったでやんすね! イノシシも倒せるでやんす!」

 

 「ええっと……ちょっと怖いと思いますよ。イノシシ抜きにしても、夜は暗くて運転が難しくなりますし。山道ですし。崖もありますし」

 

 「……古株さん」

 

 瞳子は運転手の初老の男と話し合い、今日は世宇子中の敷地内で宿泊することに決めたようだ。

 

 「よぅし、今日の夕飯は手塩にかけて作りますねぇ」

 

 「オレ、唐揚げがいいッスー!」

 

 寮母は微笑んで返した。

 

 夕飯には壁山リクエストの唐揚げと、キャベツとキュウリとミニトマトのサラダ、炊きたての白米、ナスと大根の味噌汁が出た。

 

 料理から配膳まで全ての工程を寮母がこなし、マネージャーたちは珍しく手持無沙汰で、かえって落ち着かなさそうにしている。

 

 「ごめんなさい。ちょっと材料が不足していて、品数をあまり作れませんでした」

 

 「フガフガ……めっちゃ旨いッス……おかわり!」

 

 「壁山ぁ! 米粒こっちに飛ばすなでやんすぅ!」

 

 叶の友達の円堂と、母の面影を感じる秋、それとおまけで風丸がいる。朝のように超能力で誤魔化して、彼らの頭をおかしくすることは出来ない。

 

 「……叶? 食べないのか?」

 

 「食わないならオレ、唐揚げ貰っていいッスか!?」

 

 「あっ、うん、食べるよ……」

 

 「……?」

 

 一週間と数日ぶりの食事。本当は嫌だけど、叶は渋々食べ物を口に運ぶ。

 炊きたて特有の、食欲を(あお)る米の匂い。香ばしい唐揚げと、しっかり出汁(だし)のとられた味噌汁の匂いが、唾液を分泌させる。

 

 皮はパリパリ、中はジューシーな唐揚げは、叶に吐き気を与えた。特に脂身がダメだった。甘味と旨味がない脂身は、ただただ気持ち悪い食感なだけだ。

 米は粘りのある品種で、その分口に残って不愉快だ。だが唐揚げよりはまだ飲み込みやすい。

 

 味噌汁は比較的マシだ。美味しそうな匂いを脳に伝える嗅覚と、何も教えてくれない味覚との差が激しいが、液体な分食べやすい。

 ワカメと豆腐の食感が、非常に気分悪かった。

 

 サラダに至っては、味はわからないが今の方がおいしく思える。

 前は口中に広がる野菜の苦味と、チリチリと酸っぱいドレッシング、それからチクチクした食感が不協和音を奏でる拷問だった。3分の2がなくなればかなりマシだ。

 

 全てを自傷行為のような気分で飲み込んで、おかわりは断った。

 人気の唐揚げは既になくなってしまっている。未練がましく大皿を見つめる壁山を見て、「コイツにあげた方が鶏も浮かばれたかもな」と、叶は思った。

 

 「今後の予定を伝えるわ」

 

 手を鳴らし、注目を集めると瞳子が言う。

 

 「今夜はここで一泊。明日の早朝にはすぐに出発します」

 

 「出発って……どこにですか?」

 

 「京都の漫遊寺(まんゆうじ)中よ。イプシロンから襲撃予告があったの」

 

 「漫遊寺……? 聞いたことない学校だな」

 

 「FF(フットボールフロンティア)にも参加してなかったわね」

 

 風丸と夏未が呟いた。

 

 「漫遊寺中は、学校のモットーが心と体を鍛えることで、サッカー部も対抗試合をしないのよ。でも、FF(フットボールフロンティア)に参加していれば間違いなく優勝候補と呼ばれる、実力あるチームよ」

 

 厳しい修行で心身を鍛えた漫遊寺のサッカーは、何をとっても超一流なのだと瞳子が説明する。

 それを聞いた面々は漫遊寺の強さに期待したり、逆に本当かと疑ったりと様々な反応を見せた。

 

 「無差別に学校を襲撃していたジェミニストームとは違い、イプシロンは隠れた強豪に照準を定めてきた。イプシロンを倒せば、エイリア学園の本当の狙いがわかるかもしれないわね」

 

 「優勝候補ってことは、帝国学園と同じくらい……なら、そんなに強くないな!」

 

 「えっと…………」

 

 叶が言うと、秋が居心地悪そうに呟いて、鬼道や他のメンバーの顔色を伺った。

 

 「ああん!? 実際に試合もしてないお前に帝国の強さがわかるのかよ!?」

 

 「なんで怒るんだ……?」

 

 「染岡くん、落ち着きなよ。彼女、頭が悪いだけで悪気はきっとないんだよ」

 

 「チッ……」

 

 「……? オレはバカじゃねぇ!」

 

 夢の中で教科書を読み込んで、教科書と参考書の問題の全てを暗記することで百点を取ったこともあるのだ。叶は言い返した。

 もちろんテスト中に読心をしたりだなんてしていない。どんな問題を出す予定かテスト期間中に、教師の頭から読み取ったりはしたが。

 

 染岡は円堂と吹雪に(なだ)められている。どうしてか謝るように(うなが)されて、叶は渋々ごめんと言った。

 

 「鬼道……、大丈夫か?」

 

 「……あぁ。ジェミニストームとの試合……オレたちと阿里久の差について考えると、言いたくなるのはわかるさ」

 

 「でも……」

 

 「阿里久がああ言えないように、帝国を代表してオレが実力を見せてやるだけだ」

 

 「……そうか。お前は強いな」

 

 鬼道と風丸が何事かを話している。叶は何となく気になってそっちを見た。

 

 「…………」

 

 風丸と目が合い、慌てて反らされた。叶はとりあえず小さく手を振っておいた。

 

 

 

 

 

 

 夜寝ようとして、叶は全く寝られなかった。

 暇潰しに周りの人間の視界をジャックして遊ぶ。

 

 真夜中ということもあり、大体の人間の視界は真っ暗だ。眠っているらしい。

 それ以外も読書や調べものと、あまり動きはなく、見ていて退屈だ。

 

 「……おん?」

 

 一人、起きている人間がいる。

 世宇子の男子寮の景色だ。

 

 そういえば、と叶は思い出す。

 確かイナズマキャラバンのメンバーはそれぞれの性別で別れ、寮の空き部屋に今日は泊まるらしい。夕飯の後に雷門の一年が、「久しぶりのベッドでやんす」と喜んでいた。

 

 同じ部屋に泊まる円堂の寝顔を、叶が一方的に視覚を共有する彼はしばらく見つめ、部屋から出ていった。

 トイレだろうか? 叶は思い、視界の共有を切るか迷い、真っ直ぐ男子寮から出ていく彼に戸惑った。

 

 何となく叶も女子寮を出て、彼を追いかけてみた。

 

 「阿里久……」

 

 世宇子のサッカー部棟。その前に、彼──風丸は立っていた。

 といっても叶には建物のシルエットと、ポニーテールのヤツがいる、くらいにしかわからなかった。

 

 叶は風丸の聴覚を勝手に借りた。

 頭の中に風丸の声が響く。不思議な感覚だ。

 

 「風丸? なんでここに?」

 

 自分のふわふわした甘ったるい声が聞こえる。

 今までは脳内補正でもっとカッコいい声と思っていたのに。叶は少し声を低くして話すよう心がけた。

 

 「いや……少し眠れなくて、散歩をしに来たんだ。学校の中なら危ないこともないだろうしな。……この建物ってサッカー部の部室で良いのか?」

 

 「おう! よくわかったな」

 

 「窓からボールが見えたからな。それにしても凄く大きな部室だな……ウチとは大違いだ。……なあ、阿里久。お前、サッカー部のマネージャーなんだろ?」

 

 「うん」

 

 「部室の鍵は持っていないのか?」

 

 「鍵? なんでだ?」

 

 風丸は少し黙ると、口を開く。

 

 「いやその、……雷門とはかなり違うから、中の設備が気になったんだ」

 

 「ふーん。んー、職員室行かないと鍵無いから今はダメだぞ。設備って、具体的に何が気になるんだ?」

 

 「…………ドリンクとか、……」

 

 「ドリンク? 普通のスポーツドリンクだぞ。オレが作ると不味いって、先輩が担当してる。市販の粉のやつだ」

 

 「……そうじゃない」

 

 「……?」

 

 叶は首を傾げた。

 風丸の視界を借りているから、叶からは風丸の顔は見えない。

 

 「神の、アクアは──」

 

 風丸の言葉を叶は聞かなかったことにした。

 追及したくもない。

 神のアクアを日常的に服用して練習していたと思われていると、まさかと思うが風丸が神のアクアを飲みたがっていると、知りたくない。

 

 「何か言ったか? ごめん、ちょっと耳クソ溜まってたっぽい」

 

 「いや……何でもない。……明日に(さわ)るし、そろそろ戻るよ」

 

 「ん、そっか。お休み」

 

 女子寮と男子寮の分かれ道に行くまで、イナズマキャラバンで何があったのか、ざっくりと風丸から聞きながら叶は歩いた。

 

 叶一人になると視覚・聴覚情報を借りる相手がおらず、ほとんど何も見えず聞こえない。

 口と鼻からの超音波と、超能力による念波で周囲を偵察しながら、叶は自室に戻った。

 

 布団に潜る。眠気はしない。

 

 (照美くんたちにもレーゼくんたちにあんなことして、叶は酷い子ね。彼らに何かあったら、全部叶のせいよ)

 

 「……うん」

 

 (吉良さんにあんな態度とって。叶が強くなかったら、みんな叶のこと要らないわ。早くあなたより強い子が来ると良いわね)

 

 「うん」

 

 (守くんも良い子だけど……でもその内、叶に呆れて嫌いになるでしょうね)

 

 「うん……!」

 

 目を閉じて眠るまでを待つ、真っ暗な空白の時間。

 ()()()()()に季子が自分を責め立てる幻聴が聞こえる。

 

 ──でも、不思議だな。

 叶は思う。

 「お前が悪い」、「お前なんていらない」。そう言われるたびに、酷く安心してしまうのだ。

 今の叶にはこれこそが精神を安定させる薬。反対に「お前が必要だ」なんて言われるのは猛毒だ。

 

 叶は考える。

 人生の目標。一つ目。娘に──本当の叶に体を返す。

 これはきっと不可能だ。アニメや漫画のように、本当の叶の人格が語りかけてくるだなんてことは、十四年間一度もなかった。

 仮に可能だとしても、精神年齢は生まれたての赤子で、十四年間のブランクを持って生きるのは、本当の叶にとって辛いだろう。

 

 二つ目。影山零治を殺す。

 ヤツと接触する機会さえあれば簡単だ。前世の叶を殺し、照美たちを苦しめた影山を、叶は決して許さない。煮えたぎるマグマのような憎悪が沸き上がり、それに浸るのがどこか心地よい。

 超能力をフルに使う。全身の内側から、無数の針で貫かれているような苦痛をもって殺してやる。

 ちょっと能力制御の難易度は高いけど、冷静を心がければ大丈夫だ。

 

 三つ目。照美をFF(フットボールフロンティア)で優勝出来るように鍛え上げる。

 すでに絶えた夢。考えるのは無意味だ。

 

 エイリア学園を潰し、影山零治を苦しめて殺す。人生に目標が出来て、重苦しかった息が少し楽になった。

 それが終わったら、地獄に落ちてもっと楽になろう。

 

 生きることには常に苦楽が(ともな)う。

 叶には今辛いことしか感じられない。

 一ヶ月、一年、十年。時が経てば、いつか今のことを、あんなこともあったと思えるのだろうか?

 

 思えてしまうのだろう。でも、それは嫌だと叶は思う。

 叶は今すぐ人生につきまとう全てから楽になりたい。どこかに逃げて、叶を知る全てがない場所で過ごしたい。

 けど、それは許されない。いつどこにいようと。どんな優しい人が、叶を満たそうとしてくれても。叶が叶自身を追い詰める。

 早く帰ってきて、と母に言って彼女を墜落する飛行機に乗せたこと。心を守るためそれを忘れて五年も生きたこと。照美たちを助けられず、しかも影山の魔の手にかかるのを良しとしてしまったこと。助けるためなんて(うそぶ)いて、彼らを暴行したこと。

 過去は叶に付きまとい、けして離れることはない。

 あんなことがあったと過去を笑い話にする未来を、楽しいことがある未来を、叶自身が叶に許さない。

 

 「……」

 

 どこへ逃げても無駄。楽になる方法は、叶が叶を終わらせることのみ。

 それすらも季子に嫌がられてしまった。

 でも、エイリア学園を倒せば季子も許してくれるはずだ。

 

 「よーし、頑張るぞー」

 

 絞ったような苦しい声で言って、叶はベッドの上で体を丸めた。

 

 見たくないものは見なければ良い。

 聞きたくないものは聞かなければ良い。

 世界を切り取って、都合の良いものだけ感じられたら。叶は思って、そんなことが自分に許されるものかと、己の甘さを嘲笑った。




正直ちょっとやり過ぎた感はあります。

視覚と聴覚を削ったので、叶の戦力を元の五割くらいには減らせたと思いましたが、なんか念波とか使い始めたので結局は七~八割くらいにしかなっていない気がします。


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57話 漫遊寺にて

 

 漫遊寺へ向かうイナズマキャラバンの中、(かなえ)は雑談に混ざっていた。

 

 「オレと守は化身使えるし、きっとみんなも大丈夫だ!」

 

 「円堂も……?」

 

 「おい、お前……化身使えたのか?」

 

 「確かに、イプシロンとの試合で紫の濃霧のようなものが出ていたけれど……。そういえば阿里久(ありく)さん、イプシロンについて何か知らない?」

 

 叶の言葉に、鬼道、風丸、夏未が反応する。

 

 「うーん、最低でも、多分キーパーで多分キャプテンの男が化身使いってことくらいだな。そこそこ強そうだったぞ」

 

 叶は夏未の質問に簡潔に答えた。

 

 「キーパーが化身使いってことは、フォワードのボクがもっと力を付けないと……」

 

 「阿里久頼りでいるつもりはねぇからな」

 

 吹雪が弱気に言って、反対に染岡が強気な口調で言う。

 

 「叶。オレの化身を見たのって、いつのことだ?」

 

 「いつって……、雷門(お前ら)の入学式、プロトコル・オメガってヤツらとの試合のときだ」

 

 円堂はきょとんとした顔をすると、続けて叶を見た。

 

 「……? ……あっ! そうだ!! 何で忘れてたんだ!?」

 

 「守? どうした?」

 

 「アルファってヤツらに襲われて試合したこと! すっかり忘れてたんだ! なぁ、秋は覚えてるか?」

 

 「二人とも、一体何のことを言っているの……?」

 

 「ほら! 茶髪のクルクル頭の天馬だろ? 緑の髪のウサギみてぇなフェイと、青いぬいぐるみのワンダバ!」

 

 「それと、高校生くらいの、化身を使う凄いフォワード。紫のくるくるもみあげ」

 

 「……! 思い出した! フットボールフロンティアスタジアムになぜかいて、そこで試合したんだよね?」

 

 しばらく秋は不思議そうに目をぱちくりとさせていた。だが、話を聞いて思い出したらしく、最後にはすっきりした顔でこう言った。

 

 中学生の円堂と、同じく中学生の天馬が出会い、プロトコル・オメガと戦う。

 それはこの時代ではありえない、未来の技術、タイムジャンプありきで起こったことだ。

 本来の歴史にはない出来事である故に、歴史の自然治癒力と呼べるような力によって、普通の思い出よりも急速に円堂と秋の記憶から消えつつあった。

 

 「そう、それだ!」

 

 「天馬たちも化身使ってたし、きっと特訓すればオレたちも出来るはずだ! 頑張らなくっちゃ!」

 

 「円堂くん、頑張ってね。一度使えたんだもの、きっとまた出来るよ」

 

 「……盛り上がっているところ悪いけど、その化身使いたちについて、詳しく教えてくれない?」

 

 瞳子の声だ。

 テンマという少年と高校生くらいのフォワード。敵対していたらしいから難しいだろうがアルファ。話には三人の化身使いが出てきた。彼らが入ればかなりの戦力補充になる、と彼女は考えた。

 叶、秋、円堂は顔を見合わせて、未来人と会ったと正直に話して良いか迷い、宇宙人だっていたのだからと言うことにした。

 

 「み、み、み、未来人!!? 未来人が、円堂くんを!?」

 

 「目金さんってば驚きすぎでやんすよ……」

 

 「そう言う栗松くんだって、『ぎょえー!? でやんす!』とか言ってたじゃないですかぁ! 未来人……見たかったです……。あわよくばサインも欲しかった……。どうして後一年遅く来てくれなかったんですかぁ……」

 

 目金がしょんぼりと項垂(うなだ)れる。春奈が苦笑いで慰めていた。

 

 「円堂、大丈夫だったのか? それ以降、ソイツらは来ていないか?」

 

 「うん! 全然平気、今まで忘れてたくらいだ!」

 

 「円堂、水臭いぞ。襲われたなんて……そんな大変なこと、どうして教えてくれなかったんだ」

 

 「何か、よく覚えてない夢みたいにに記憶がぼんやりしててさ、三日くらいしたらもう完璧に忘れてて……オレも叶に言われて、今初めて思い出したんだよ。……天馬とあんなに大事な約束したのに、何で忘れてたんだろう?」

 

 鬼道、風丸の順に質問を投げ掛ける。

 

 「それで? 阿里久、化身の特訓っつーのは何やりゃ良いんだ?」

 

 苛立った様子で染岡が話を本題へと戻す。

 騒がしかったキャラバンは静まり返り、一人の例外なく、叶の声を聞こうと耳を澄ましていた。

 

 「うーん……わからん」

 

 「はぁ!?」

 

 「いや、からかったり馬鹿にしてるんじゃなくって、オレ自身が化身のための特別な特訓なんかしてないんだ。いつの間にか使えてた」

 

 「チッ……」

 

 染岡は舌打ちする。

 

 「何か他に……特別な特訓でなくても、やっていたことはないの?」

 

 吹雪が尋ねる。叶はうーんと唸り、長考の後に答えた。

 

 「とにかく重りとかで体に負担かけるのとか……、体内の気を完璧に把握するとか……、気を練る感覚を覚えるのとか……、後は守が使えた状況的に、強い化身使いと戦うとか?」

 

 「…………そっか」

 

 吹雪は俯き、鼻から下をマフラーにすっぽりと埋めた。

 

 「体への過剰な負担をかけるのは、いつ試合があるかわからない現状では止めた方が良いだろう。気に関しては心身共に鍛えられるという、漫遊寺の環境が役に立つかもしれないな」

 

 鬼道が呟く。

 

 「立たないと思うけど。オレ、お坊さんみたいな高潔な精神とかないし」

 

 「…………」

 

 元帝国学園。影山の教え子の鬼道。叶は彼に良い感情を──もちろん鬼道からすると理不尽だとわかっているが──あまり(いだ)いていない。

 他の人間のセリフなら、「役立つといいな」と返しただろう。だが、鬼道の言葉故につい思っていたことをそのまま言ってしまった。

 

 「強い化身使いとも……エイリア学園と戦うなら、必然的に戦うことになるよな!」

 

 「そうだな」

 

 土門が言う。

 叶はそっちには異論を唱えなかった。きっと、彼が元帝国学園の生徒と知っていたのなら噛みついていたであろう。

 

 「昨日風丸からもざっくり聞いたけど……オレが入る前のこと、色々教えてくれないか? ……世宇子との試合の日にジェミニストームとも試合したってマジ?」

 

 「ああ。えっと、まずジェミニストームとの初戦のことなんだけど──」

 

 色んなメンバーが口々にこれまでの旅路について、時おり脱線しながら語る。

 北海道の話を終えたところで、イナズマキャラバンはちょうど、目的地の漫遊寺に到着した。

 

 

 

 

 

 

 漫遊寺は名前通り、寺を広げて学び舍にしたような学校だった。生徒も浴衣のような制服を来ている。

 特に怯えたような雰囲気はない。生徒は普段通りに歓談したり、大極拳のような修行をしている。場違いなくらいにゆったりした雰囲気だ。

 

 それを、適当に選んだ秋の視界と聴覚から叶は見聞きしていた。

 

 「のんびりしてるな……」

 

 「襲撃予告のことを知らないのか?」

 

 「とりあえず、サッカー部を探そうぜ」

 

 円堂の一声でサッカー部を探す。そうしようとしたところで、

 

 「サッカー部なら奥の道場みたいだよ」

 

 と、それなりに整った顔立ちをした漫遊寺の女子生徒を二人(はべ)らせた吹雪が言った。

 

 話しやすい円堂、秋、風丸は先に行ってしまっている。少し疎外感を感じながら道場まで歩く中、叶に話し掛ける者がいた。

 

 「おっす! 一対一で話すのは初めてだね! あたし、財前塔子! 女子選手同士よろしく!」

 

 「オレは阿里久叶。よろしく。……財前って、もしかして……?」

 

 「あはは、察してる通りだよ。パパが日本総理なんだ。でも気にしないでほしいな。あたし、全然お嬢様とかそんな感じじゃないからさ」

 

 「そうか」

 

 「あんたとジェミニストームの試合、見たけど凄かった! 阿里久みたいなのがいるなら、百人力……いや、千人力だよ!」

 

 肺に重りを仕組まれたように、叶の体が重たくなった。

 

 「みんな期待してるんだ! 阿里久が来たなら、次のエイリア学園との試合こそは、絶対に勝てるよね!」

 

 「…………。任せとけ」

 

 無愛想な態度なことを申し訳なく思いつつ、叶は吐き気を(こら)える。純粋な、悪意一つない期待が(つら)い。

 

 話しながらゆっくりと歩いている内に、『蹴球道場』と書かれた看板のある建物が見えてきた。あれがサッカー部室だろう。

 

 「よし! 行くぞみんなー!!」

 

 先頭を歩く円堂に続き、雷門イレブンのほとんどが小走りに近い早足で歩みを進める。

 

 「あっ」

 

 円堂が足を滑らせ、転んだ。

 

 「わっ!?」

 

 「ちょっ」

 

 「もっ!」

 

 「ぎゃっ!」

 

 続けて、後続も玉突き事故のように転ぶ。叶は濡れ(えん)の廊下を歩いてようやく、ワックスか何かが塗られているのだと気付いた。

 

 磁石のように、叶は足の裏と床をくっつけた。そして腹と足に力を入れ、揺らがぬよう耐える。

 叶だけは転ばなかった。代わりに、転んだ者たちに何度かぶつかられた。

 

 「大丈夫、じゃなさそうだな……」

 

 折り重なる円堂、壁山、風丸、栗松、塔子、土門、目金の姿。

 可哀想に、目金は壁山と風丸にもろにのし掛かられて、

 

 「重い重い重いぃぃ!!!」

 

 と腕だけをバタつかせて必死に訴えている。

 

 巻き込まれなかった秋と鬼道と共に、苦笑いと驚きの中間のような表情を浮かべると、叶は風丸と壁山を目金の上から引っ剥がしてやった。

 

 「大丈夫か?」

 

 「大丈夫じゃないですよぅ! グキッて言いましたグキッてぇ!!」

 

 「すいませんッス……」

 

 足首は痛めているようだが、目金は非常に元気に騒いでいる。

 

 「何でここだけツルツルしてんだよ?」

 

 「これ、ワックスじゃないかしら?」

 

 秋が床を触って言うと、低木の影から「うっしっし」と独特な、(あざけ)りを含んだ笑い声が聞こえた。

 

 青髪のトゲトゲ頭をした、かなり背の低い少年がワックスの容器片手に笑っている。

 

 「ざまあみろ! FF(フットボールフロンティア)で優勝したからって、いい気になって!」

 

 「よくもやったな!」

 

 濡れ縁の廊下から飛び降りて、塔子が彼を追う。

 

 「きゃぁ!?」

 

 着地したところに丁度落とし穴があった。

 落ちた塔子の方に向けて突き出した尻を左右に振って、少年は落とし穴に引っ掛かった塔子を馬鹿にする。

 

 「うっしっし、引っ掛かってやんの~。……あり?」

 

 「ぐぬぅぅ……!」

 

 少年は急に動きを止めた。不自然に、右に尻を突き出した状態をキープする。

 

 「どうしたんだ……?」

 

 「また何かしやがるつもりだろ」

 

 「尻を吊ったでやんすかね?」

 

 バッチィーン!!! と、発砲音を思わせる破裂音が、何度も繰り返し響く。

 

 「あだ!? いでぇ!? クソ、何しやが……っつで!!?」

 

 「……三、四、五、六、七。はい、お前のクソみてーな悪戯(イタズラ)で転んだ人数分な」

 

 叶は七回、少年の尻を叩いた。

 たった七回だが、少年にはその百倍は叩かれたように尻が熱く痛い。

 

 「ふぅー。でもこれで終わ……りっでっ!?」

 

 「ラスト、落とし穴に落ちた塔子の分。はー、ち!!!」

 

 一際(ひときわ)大きく音が鳴る。

 雷門イレブンは、慌てて耳を塞いだ。

 

 「耳!! 耳がぁ!! グワーってぇ!!」

 

 塞ぎ遅れた目金が元気よく叫ぶ。

 

 「ぎゃーっ!!! いってーっ!! なんだこの馬鹿力! ゴリラかよコイツ!!」

 

 少年は尻を(さす)りながら言った。

 叶は少年がその場から動けないよう、軽く金縛りをかけたまま言う。

 

 「あんさ、オレらが転けて、足怪我する可能性とか、考えなかったの? 試合、出来なくなったら? 足動かせなくなったら、どう責任とってくれるんだ? とれるわけねーよなぁ? 金や謝罪じゃどうもならないもん。オレは分身出来るけど、守たちは替えが効かないんだぞー?」

 

 半分癇癪(かんしゃく)を起こしながら一言一言区切って、されど他人が何か話す隙は与えないように、ねちっこく叶は言う。

 

 「そうですよぅ! 見なさいボクの足を!」

 

 叶に乗っかって、目金が痛めて赤くなった足首を見せた。

 言葉の中身を聞き、少年が息を飲む音。

 

 「……!? そんなの、知らねえよ……。べ、別にお、オレには関係、ない、し……。お前らが試合、出来なくなっても……お、オレは悪くねぇ!」

 

 少年が目を泳がせつつ言うと、「テメエ!」と染岡が彼を怒鳴り付ける。

 

 「木暮(こぐれ)ェー!! 今の音はなんだ!? 何をした!?」

 

 漫遊寺の男子生徒、サッカー部のキャプテンでもある垣田(かきた)が走ると、少年──木暮は逃げ足早くその場を離れた。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 彼は木暮を追うのを諦め、落とし穴の中にいる塔子に優しく問い掛ける。

 

 「大丈夫だよこれくらい」

 

 塔子が答えると、安心したように息を吐いた。

 

 「……皆さま、うちの部員がご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 

 「うちの部員ってことは、アイツ……」

 

 「サッカー部!?」

 

 木暮がサッカー部ということに驚いて、何人もの声が重なった。

 

 「ええ。木暮というのですが、困ったヤツでして……」

 

 垣田は木暮について話し出す。

 木暮は親に捨てられた孤児で、それ故に人間不信気味。周りの全てを敵と思っているらしい。

 被害妄想から因縁をつけて喧嘩を売ることも少なくない。サッカーの練習より、精神の修行をさせているそうだが、それも実ってはいないそうだ。

 

 「それは大変だな」

 

 これ聞いたのバレたらオレら余計に木暮に嫌われるんじゃねぇの? と思いながら、白々しいくらい感情の籠らない言葉を叶は口にした。

 

 木暮の生い立ちを聞き、春奈が陰りのさす、暗い表情をしていた。だが叶はそれに気付かず、何か声をかけるようなこともなかった。

 

 「それで、何か私たちにご用でも?」

 

 思い出したように聞く垣田。それに、瞳子が答える。

 

 「こちらにエイリア学園からの襲撃予告があったと聞きまして」

 

 「ああ、そのことですか」

 

 特に慌てた様子も、怯える気配もない。

 今の返事だって、雑談のトーンと変わりない。

 叶は不思議に思ったが、あまり興味が湧かず、特に追及することはしなかった。

 

 「オレたちも、一緒に戦おうと思ってさ!」

 

 「……そうですか」

 

 助太刀を申し出る円堂を、物言いたげに見た後、垣田は雷門イレブンの方に向き直る。

 

 「ではどうぞ、ご案内します」

 

 そして、一行は垣田に着いていき、漫遊寺のサッカー部室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 部室よりは武道場の方が似合う内観だと、叶は人の視界を借りながら思った。

 少なくともサッカー部よりは、剣道部や柔道部の部室と言われた方がそれらしい。

 漫遊寺のサッカー部室はそんなところだった。

 

 「……なるほど、お話はよくわかりました」

 

 エイリア学園の脅威について、雷門イレブンはひとしきり説明をした。

 三日月のような独特なアホ毛が特徴的な少年・影田(かげた)が話を聞き終わり返事をする。

 

 「だったら、オレたちと一緒に戦ってくれるんだな?」

 

 肯定以外の返事なんて想定せず、円堂は無邪気に尋ねる。

 

 「いいえ」

 

 「えっ?」

 

 「私たちは、戦うつもりはありません」

 

 「戦うつもりがない……?」

 

 聞いて、戦うのはそこそこ楽しいのに、と叶は漫遊寺イレブンを哀れんだ。

 

 驚く雷門イレブンも気にせず、影田は訥々(とつとつ)と語る。

 彼らがサッカーをするのは、心身を鍛えるため。争うためではないのだと。

 

 「彼らには、私たちに戦う意志がないことを伝えて、お引き取り願います」

 

 真っ直ぐ澄んだ瞳で、影田は愚直な言葉を放つ。

 

 「おい! お前ら、話聞いてたのかよ!? アイツらは、そんな話が通じる相手じゃねぇっつってんだろ!」

 

 想像していなかった返事に、染岡が声を荒げた。

 

 「それはあなたの心に邪念があるからです」

 

 「じゃ、邪念……?」

 

 突拍子もない言葉に、染岡の怒りは霧散した。

 代わりに困惑が頭を染める。

 

 「心を無にして語りかければ、伝わらぬことはありません」

 

 「なんだよコイツら……」

 

 そうして、漫遊寺イレブンは「修行の時間ですので」と、円堂の制止も聞かずに出ていった。

 

 

 

 

 

 

 イナズマキャラバンの側。マネージャーと古株により夕飯の準備がされている横で、円堂たちは今後の方針を相談していた。

 

 「で、どうする?」

 

 「どうするって、漫遊寺があれじゃあな……」

 

 「オレ、洗脳とか魅了とかそっち系で無理矢理言うこと聞かせられるけど、やるか? あっ、エイリア学園のヤツらにやった方が良かったかな?」

 

 叶が言うと、周りはぎょっとした顔で彼女の方を見た。

 

 「……っ! おかしな冗談はやめて頂戴。仮に本当だとしても、絶対にその力を使うことは許しません」

 

 瞳子はキツい眼差(まなざ)しで叶に言う。

 

 「……。とにかく、今オレたちに出来ることをするだけだ!」

 

 円堂の一声で場の雰囲気が戻る。今出来ること──特訓をすることが決まった。

 またもや両隣に漫遊寺の女子生徒を侍らせた吹雪が、彼女たちから河川敷で練習が出来ると聞き、チームメイトに教えた。

 

 

 

 

 

 

 そして、翌日。

 早朝のまだ白みがかった空が、急に禍禍しく黒い霧に包まれる。

 イプシロンが漫遊寺へと現れ、不敵に笑った。

 

 「何度言われても答えは同じです。私たちに、戦う意思はありません」

 

 「ならば仕方がない」

 

 影田の言葉は案の定通じず、イプシロンの殺人シュートが漫遊寺中へと叩き込まれた。

 建物の一部が倒壊し、女子生徒が「わたしたちの学校が……!」と嘆く。

 

 「やむを得ません。その勝負、お受けしましょう……!」

 

 始まった漫遊寺とイプシロンの試合。

 

 「愚かな。六分で片付けてやろう」

 

 漫遊寺イレブンの身のこなしは軽く、特にボール捌きが素晴らしい。

 だが、イプシロンの方が上だった。

 

 試合開始後六分。倒れ伏す漫遊寺イレブン。スコアは0-15。

 誰がどう見ても漫遊寺の完敗だった。

 

 「……やれ」

 

 学校の破壊を指示したデザームへ、円堂が割り込む。

 

 「待て!! まだ試合は終わっちゃいない! オレたちが相手だ!!」

 

 「お前たちが?」

 

 デザームは見下すような視線で雷門イレブンを見て、中から見つけた叶を熱を帯びた視線で見る。

 

 「……良いだろう」

 

 そして、雷門イレブンは軽いミーティングを始める。

 といっても複雑なものではない。木暮のイタズラで足首を痛めた目金の代わりに叶が入る。それだけだ。

 

 「待ってください! 木暮くんを入れてください! 木暮くんだって、サッカー部の一員です!」

 

 この一晩の間に何があったのか、春奈が木暮を連れて言った。

 

 「でも補欠だろ、大丈夫かよそんなヤツ入れて」

 

 「下手にうろちょろされると、かえって邪魔になるし……」

 

 それに苦言を(てい)したのが、染岡と土門。

 

 「オレは賛成だぞ」

 

 「阿里久さん……!」

 

 叶が言うと、春奈が輝く瞳で叶を見た。

 

 「目金が怪我したのはアイツのせいだろ? 自分のしたことは自分で責任、とってもらわないとな」

 

 「オレも賛成だ。良いですよね、監督?」

 

 「好きにすれば良いわ」

 

 「ありがとうございます!」

 

 円堂と瞳子の許しと、怖気(おじけ)づく木暮に活を入れた春奈によって、木暮の参戦は決定事項となった。

 

 「あれ? 目金さんの代わりに木暮が入って……これで十一人だから、阿里久さんはベンチスタートでやんすか?」

 

 「いや、今までオレたちの前で使ったことはないが、ジェミニストームより上であることを考えると、イプシロンには最低でも二人以上化身使いがいる。阿里久抜きで試合を始めるのは愚策だ」

 

 帝国と世宇子の試合のように、そのチームで最強の人間が出られないまま終わるかもしれないのだから、と言外に意味を含ませて鬼道は言った。

 

 叶の代わりに栗松がベンチに入ることが決まり、雷門とイプシロンの二戦目。叶が加入して始めての試合が始まった。




栗松ごめん。

叶→木暮の説教はなんというか、お局によるいびりみたいなものです。もちろんあのレベルの悪戯はダメだけど、そもそも試し行為をしている孤児に対して(言った時点では叶は知りませんが)、これ言う方もなかなか酷い。

歴史の自然治癒力云々~は捏造です。理由づけしないと、多分FF編の円堂は化身で無双して全て無失点で終わらせちゃいそうなのでこうしました。原作クロノストーンの方では、世宇子戦後に時空最強イレブンと戦っていたと思うので、おそらく天馬たちのことは覚えているかと思います。


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58話 三分間の闘い①

 

 

 「木暮くーん! 頑張ってぇー!」

 

 イプシロンとの試合の前に、春奈が木暮を応援する。それに居心地悪そうな顔をする木暮を見て、実に微笑ましいと(かなえ)は思った。

 確か、幼稚園の運動会。リレーでアンカーを任された照美も、リレーの前にオレが頭を撫でたり抱っこしたりして応援してやったら照れてあんな感じに──。

 

 叶はふるふると頭を横に振る。余計なことは考えるな。

 照美は大丈夫だろうか。ご飯は食べれているだろうか。毎日ぐっすり眠れているだろうか。みんなと適当な雑談をして、笑えるくらいには元気だろうか。

 

 余計なことは考えるなと思った先から出てくる邪念。

 試合に集中しろと自分に言い聞かせるために、ばちんと、叶は両手で頬を挟んで叩いた。頬が叩かれた衝撃で薔薇色に染まる。

 叶の感知では、イプシロンにいる化身使いは四、五人ほど。対してこちらは未完成な化身を持つ円堂を入れてもまだ二人。油断して勝てる相手ではない。

 叶は試合前のストレッチを念入りにして、頭に沸いた感傷を打ち消しながら思った。

 

 「雷門中。ジェミニストームすらも倒せなかったお前たちが、たった一人の強者が入った程度で我らに勝てると思うとは……我らイプシロンの選手も、随分と舐められたものよ」

 

 デザームが一息開けて続ける。

 

 「諸君! キックオフと行こうか」

 

 「暴れ足りねぇなぁ……」

 

 「お手並み拝見といきましょう」

 

 「ぶっ潰す……」

 

 「命知らずって、マキュア大好き」

 

 デザームの言葉にイプシロンの選手・ゼル、メトロン、クリプト、マキュアが続けた。

 

 「聞けぇ! 雷門中! 破壊されるべきは漫遊寺中にあらず。我らエイリア学園に歯向かい続けるお前たち、雷門イレブンに決まった!」

 

 「勝手に決めちゃってるよ」

 

 一之瀬が呆れた様子で言った。

 

 「漫遊寺中は六分で片付けた。だが、雷門イレブンよ、これまで三度の奮闘、お前たちの粘り強さを(たた)えて貴様らは二分──」

 

 言って、デザームは叶を見る。

 

 「──否、三分で終わらせてやる」

 

 「三分だと!?」

 

 「だから、何で勝手に決めちゃうかなぁ……」

 

 「本当腹立つな。あたし、そういうの大嫌い」

 

 円堂、土門、塔子の順に、あまりにもこちらを舐め腐ったデザームの言葉に反発を(あらわ)にした。

 

 「だったらさぁ、ボクたちも三分で片付けちゃおうよ」

 

 「面白ぇ!」

 

 「ジェミニストームのヤツらみてえに、一人ずつフィールドにいられなくしてやる!」

 

 吹雪の言葉を受けて、染岡と叶が言った。

 

 「エイリア学園ファーストランクチーム・イプシロンの力、思い知るがいい……!」

 

 デザームが高らかに宣言する。張り詰めた空気が辺りに広がった。

 

 

 

 

 

 

 「それでは、雷門中対エイリア学園ファーストランクチーム・イプシロン! 雷門イレブンの攻撃より、スタートです!」

 

 雷門専属の実況と名乗る角間(かくま)という少年の話を聞きながら、叶は試合の前に視界情報と聴覚情報を調節する。

 寄生する相手をコロコロ変えると、車酔いのようになってしまうので、視界情報はベンチにいる秋からのもののみを受け取る。

 ただ、聴覚情報はベンチからのものだと不足が大きいため、適宜一番近くにいる者から受け取ることにした。

 

 雷門には新たに、栗松と入れ替わる形で叶が、目金との交代で木暮が、それぞれフォワードとディフェンダーに入っている。

 

 古株がホイッスルを鳴らす。

 染岡から吹雪、風丸へとパスを回し、木暮を除く雷門イレブンは攻め上がる。

 

 「戦闘……開始っ!」

 

 デザームのその言葉を皮切りに、フォワード三人にマークがついた。

 

 染岡にはクリプトとファドラが、吹雪にはスオームとメトロンが、叶にはゼルとモールがマークに当たり、三人の動きを封じる。

 

 超能力の短時間の乱用により、視覚と聴覚が大幅に落ちた今の叶でも、身体能力に任せて適当に突っ込めばマークを剥がせる。

 だが、叶には知りたいことがあった。

 

 「なあなあ、お前ら宇宙から来たんだよな? 宇宙……えっと、エイリア星? の科学とか教えてくんない? それと、何でオレのこと、阿里久(ありく)じゃあなくって古会(ふるえ)って呼ぶの? オレ……の、父ちゃんのこと知ってるのか? 宇宙じゃ化身ってみんな使えるの? なあなあ!」

 

 ゼルとモールは叶の質問攻めに無視を決め込んだ。

 

 「宇宙人って死者蘇生とか出来る? あ、魂の入れ替えとか……こう……、科学よりオカルトの方が進んでたりする?」

 

 「…………」

 

 これさえ答えてくれれば他は無回答でも良いという質問にも、ゼルとモールは返答無しだ。

 

 「おーい! お前らはわかるか? あっ、聞いてなかったかな? えっと、宇宙の科学ってどんな感じ?」

 

 叶は声を少し大きくして、染岡をマークするクリプトとファドラ、吹雪をマークするスオームとメトロンにも問う。

 

 「…………」

 

 回答はない。

 

 「なあ、アイツ、どうしたんだ?」

 

 「さあ……? 阿里久さん、月間モーとかが好きなタイプだったのかな?」

 

 染岡と吹雪はひそひそ声で話した。

 

 「…………なあ、いつまで無視すんだよ」

 

 叶はイライラして言った。

 この質問は叶に残った夢、「本来の叶に体を返すこと」を叶えることに必要なことだ。それに、本当にそこまで深く望んでいるわけではないが、季子(きこ)の蘇生が出来ればいいなとも思っていた。

 

 ジェミニストームのときは、驚き怒るだけで、朽ちた夢を再生させる手がかりをすっかり忘れていた。だからこのチャンスに叶は必死になって尋ねてみたが、何も返事はない。

 

 「…………チッ」

 

 そこら中を睨み付けるようにして叶はボールを探す。

 すでに叶抜きで試合はそこそこ良さげに進んでいた。

 

 「なあ! 宇宙人って──」

 

 「まだやんのかよ……」

 

 染岡が頭を掻きながら、呆れた様子で言った。

 

 叶、染岡、吹雪の三人でイプシロンの選手半分を膠着状態にさせていることで、試合の均衡がある程度出来ている。自分が動くのは悪手になりかねないと叶は質問攻めに戻った。

 イプシロンの六人が、一段と鬱陶しそうな視線を叶に向ける。

 

 「突っ込め! 風丸!」

 

 円堂の声に応えて、風丸が上がっていく。

 

 イプシロンの赤目のディフェンダー・ケンビルと、ゴーグルを着けたディフェンダー・タイタンが近付くのを、風丸は上空に飛んで避けた。

 

 「さすがにジェミニストームよりは早いな……塔子!」

 

 「鬼道!」

 

 そのまま塔子、鬼道とパスが回る。

 

 「イプシロンがジェミニストームごときと同じと思っているようでは……貴様たちの底が知れている」

 

 デザームは一人呟いた。

 

 イプシロンのフォワード・マキュアとゼルの猛攻を避け、鬼道が土門へとパス。

 

 「打て、一之瀬ェ!」

 

 「スピニング……シュート!!」

 

 頭を下にしてコマのように回転しながら、一之瀬は力を入れてボールを蹴る。

 一之瀬のシュートがイプシロンのゴールへと真っ直ぐ向かった。

 

 「コンマ0.221秒でジャンプ。打ち返せ」

 

 「「ラジャー!」」

 

 驚くほどに(こま)かなデザームの指示に、片目を髪で隠したイプシロンのディフェンダー・ケイソンと、褐色肌のおにぎり頭をしたミッドフィルダー・ファドラが応える。

 

 「何っ!?」

 

 「バカな!?」

 

 そして、彼らのシュートによって、スピニングシュートはデザームの手に触れることすらなく防がれた。

 

 「……まさか!?」

 

 鬼道が声を上げる。

 今のカットは、そのままシュートになり雷門ゴールに向かってきていた。

 

 「……! 邪魔だ! どけっ!」

 

 試合が決定的に動いた。

 叶は自分をマークするゼルとモールを弾き飛ばす。地面を強く強く踏み締めて、ロケットの射出を思わせるよう飛び上がった。

 

 「慈悲の女神エリニュス!」

 

 「ほう……」

 

 そのまま空中で化身発動。

 

 「やれ! 阿里久ゥ!!」

 

 鬼道の声に頷き、叶はボールに追い付いてさらに打ち返す。

 

 「エリニュス・フューリー!!」

 

 全てへの憤怒を込めた暗黒のシュートが、シュートブロックすら許さずにイプシロンのゴールを襲う。

 

 「キングファイア!!!」

 

 対するデザームの、化身必殺技。

 チェスの(キング)をモチーフにした化身・キングバーンが、四つの腕を突き出す。

 そのまま四つ腕から、漫遊寺のキーパーの“火炎放射”とは比べ物にならない威力の(ほのお)を吹いて、叶のシュートを止めた。

 

 「……ふっ、貴様の本気はこんなものではないだろう? もう一度、かかってこい!」

 

 「後悔すんなよ!」

 

 デザームが叶にボールを返す。

 「デザーム様!?」と、イプシロンのディフェンダーが慌てた声を出した。

 

 「行くぞ……、慈悲の女神エリニュス、アームドっ!!」

 

 叶は化身を鎧のようにしてその身に(まと)う。

 

 「流星(りゅうせい)光底(こうてい)っ!!」

 

 究極奥義にして、叶の最強のシュート技。

 叶が空中でボールを強く蹴ると、ボールは亜空間のポータルに飲み込まれて消える。

 

 「行けぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 そして刹那の瞬間、デザームの正面から現れた。

 イプシロンのゴールをいっそ飲み込むくらいの勢いで、星々を纏うシュートは轟音を上げて進まんとする。

 

 「キングファイア!!」

 

 慌てることも恐れることもしないで、ただ獰猛(どうもう)に笑って、デザームは構えた。

 化身の四つ腕から焔が吹き出し──

 

 「がはぁ!! ……くっ、これほどとは……」

 

 吹っ飛ばされながら、緩やかに口角を上げて、どこか満足げにデザームは言った。

 

 「…………」

 

 「阿里久! やるじゃねえか!」

 

 ゴールに突き刺さったボールを見て、叶はどうしてか嬉しく思えなかった。

 染岡とハイタッチを交わすと、頬の筋肉を持ち上げて目を笑顔らしく細める。

 

 「デザーム様が破られるなんて……」

 

 「あの化け物……!」

 

 「何、我々もあのレベルに達すれば良いだけのことよ!」

 

 不安そうなイプシロンの選手に対して、デザームはただ楽しそうに笑っている。オレに負けたはずなのにと、彼の感じている思いが気になって、叶はそれが欲しくなった。

 彼の頭の中を読み取れば、オレもまたサッカーが楽しく思える?

 

 「おい阿里久? どうした?」

 

 「さっきからぼうっとしてるけど……シュート打って力抜けちゃったのかな?」

 

 染岡と吹雪が不思議そうに呼び掛ける。叶は慌てて、「ちょっと考え事してた!」と返した。

 

 「なら良いけどよ。大丈夫なのか?」

 

 「大丈夫大丈夫! オレさえいれば、絶っ対に勝たせてやるから安心しとけ!」

 

 叶は意識して豪快に笑って見せた。

 

 「キミさえいれば……」

 

 くぐもった声で吹雪が呟く。

 

 「おう! オレさえいれば、大丈夫だ!」

 

 「…………」

 

 吹雪は何も反応を返さない。

 

 「叶、さっきのシュート凄かったぞ!」

 

 「えへへ、ありがとうな。守」

 

 「これからも活躍、期待してるよ」

 

 「へ、へへ……そう、だな!」

 

 一之瀬の言葉に、叶は歯切れの悪い返事をした。

 

 「アイツは三分で終わらせるとか言ってたから、あと約二分半だね」

 

 「その間ゴールを守りきればオレたちの勝ちだな」

 

 「ゴールはオレに任せろ!」

 

 「オレらもいるッスよ!」

 

 塔子、風丸、円堂、壁山の順で言う。

 

 「んじゃ、二分半ずっとオレのシュートを叩き込んでやれば勝てるな!」

 

 叶もにっかりと笑って言う。

 そうして、彼らはエイリア学園への初得点にひとしきり喜ぶと、この後待つ絶望も知らずに、「絶対に勝つぞ!」と誓った。

 

 

 

 

 

 

 イプシロンのフォワード・ゼルから、同ポジションのマキュアへとキックオフ。

 

 「グラビティション!」

 

 マキュアの周りの空間の重力を強くすることで、叶は彼女からボールを奪うことに成功した。

 

 「むー!! マキュア、コイツ嫌い!」

 

 マキュアはじたばたしながら、ドリブルして進む叶を見て悪態をついた。

 

 「アステロイド──」

 

 「どけ! ダッシュストーム!!」

 

 そのまま、叶は向かってくるイプシロンの選手全員を抜いて、二点目を取ろうと走る。

 

 「え……!? うわあっ!?」

 

 「ゴールはお前じゃねぇ、オレのもんだ!」

 

 気配は雷門の選手のもの。宇宙人特有のそれではなかった。故に、叶はつい油断して、彼にみすみすボールを奪われることを許してしまった。

 あまりにも口調と雰囲気が違うから、叶は一瞬、イプシロンに彼のそっくりさんがいたのかと迷った。

 吹雪士郎。やけに荒々しい雰囲気の彼が、味方の叶からボールを奪ったのだ。

 

 「おい吹雪! 何してやがる!? 危ないだろ!」

 

 真後ろからのスライディングは、叶相手でなければやられた相手が怪我するようなものだ。

 染岡が大声で注意するも、吹雪はそれに一瞥(いちべつ)もしない。

 

 「吹き荒れろ……! エターナルブリザード」

 

 吹雪は語るように言った。

 氷を纏うシュートを見て、デザームは目を細めた。

 期待と退屈。相反する感情が彼の両目に(にじ)んでいる。

 

 「……こんなものか」

 

 デザームは化身キングバーンを使い、左手の人差し指だけで、エターナルブリザードを止めて見せた。

 

 「な、何……っ!? ありえねぇ!」

 

 「エターナルブリザードが……」

 

 「止められた……」

 

 吹雪、染岡、円堂が驚きの余り声を漏らした。

 

 「それが本気か?」

 

 「くっ……!」

 

 叶に目を向け、続けて吹雪に目を向けるとデザームは言った。吹雪は悔しそうに顔を歪める。

 

 「お前たちは我らエイリア学園にとって大きな価値がある。残り2分10秒、存分に戦ってもらおう」

 

 今度はイプシロンの選手に向けて、デザームはボールを投げる。

 

 「カットするんだ!」

 

 「おう!」

 

 鬼道の指示に合わせて一之瀬と染岡が動いた。

 だが、イプシロンの選手により彼らの動きは止められ──

 

 「貴様らに我らは止められん! 出てこい、鉄壁のギガドーン!!」

 

 「まさか……!?」

 

 「二人目の化身使い……!」

 

 イプシロンのゴールから、センターサークルと雷門ゴールのちょうど中間辺りまで。

 フィールドの約4分の3にも及ぶ超ロングレンジのパスを受け止めた、イプシロンの白髪のフォワード・ゼルは、そのまま化身の力に物を言わせて雷門ゴールへと攻め上がる。

 

 「阿里久! 吹雪! ディフェンスに回れ!」

 

 「言われなくっても、そのつもりだ!」

 

 鬼道の指示に従い、叶は地面を強く蹴りあげる。

 空中飛行で、ゼルまでの距離をショートカットした。

 

 「……吹雪? おい! 鬼道の指示聞いてたか!?」

 

 「…………」

 

 動かない吹雪に向けて染岡が心配そうに声をかけた。だが、吹雪は(うつ)ろに地面を見るだけで、何も反応を返さない。

 

 「おい! 何してんだよ、たった一度シュートを止められたくらいで……! 白恋がどうかは知らねえけどよ、何十回、何百回止められても次の一回を諦めないのが雷門のサッカーなんだ!」

 

 「……染岡くんも、今までそうしてきたの?」

 

 吹雪が染岡を見上げて目を合わせる。

 濁りきったグレーの瞳に、染岡は思わずたじろぎそうになった。

 

 「ああ! オレたちはずっとそうしてきた!」

 

 「そうなんだ」

 

 それだけ言って、吹雪は染岡から視線を外し、一方的に会話を終えた。

 腑に落ちない思いを抱えて、試合の後吹雪にかける言葉を探しながら、染岡は目の前の試合に思考を戻した。

 

 叶はゼルの目の前に着地する。

 

 「単純な動きだなぁ! 全く、デザーム様は貴様ごときの何が良いのだ」

 

 すると、ゼルは笑い、「マキュア!」とチームメートの名前を呼んだ。

 

 「ふふっ、マキュア、ずっとこのときを楽しみにしてたの! 魅惑のダラマンローズ!」

 

 雷門のディフェンスラインまで上がってきたマキュアが、嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべた。

 

 肩まで金髪を伸ばした、桃色の服とマゼンタの帽子を着る女性型の化身。

 発動したのは、水色と白の髪を扇風機のようなお団子頭をした、イプシロンのフォワードの少女・マキュア。

 

 「模造化身レプリカ……」

 

 グレーの(もや)で形作られた、叶の化身エリニュスのシルエット。

 発動したのは、ガスマスクを着けたイプシロンのディフェンダーの少女・モール。

 

 そして、既に発動されているデザームのキングバーンと、ゼルのギガドーン。

 

 「なっ……四人も……!」

 

 「嘘だろ……?」

 

 「ひぃぃ……ひぃっ!」

 

 「…………」

 

 デザームを含め、四人の化身使い。

 イプシロンの放つ気迫に身が縮みそうになりながら、特に試合中ずっと怯えていた木暮に至っては泣き出しそうになって、雷門イレブンは彼らと相対した。




ある程度までは原作通りの試合展開なのが書きやすいけれど、叶を下手な動かし方させるとジェミニや世宇子の格も下がってしまうジレンマ。

原作との主な変更点として、
・ジェミニストームを倒したのが雷門でないため、エイリア学園→雷門の評価がやや下がっている。
・自分の完全上位互換に見える選手が来たことで、吹雪のメンタルがガタガタ
・エイリア学園が謎科学で叶の化身を解析し、一部エイリア学園の選手が化身を使用出来るようになっている
などといったことがあります。


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59話 三分間の闘い②

 

 デザーム、ゼル、マキュア、モール。

 イプシロンには四人の化身使いがいる。対し、雷門の化身使いは(かなえ)一人。

 

 「オレがアイツらに対処する! とりあえず、ボールを奪われないように、攻められないように……」

 

 「あはは、ダーメ♡ 本当単純ちゃんなんだからぁ……。ゼルゥ!」

 

 「ああ!」

 

 イプシロンのフォワード・マキュアがゼルに向かって、パスカットを許さない猛烈な威力でパス。

 叶は慌てて、マキュアの方に走っていたのを方向転換して、ゼルの元まで駆ける。

 

 叶の化身・慈悲の女神エリニュスと、ゼルの化身・鉄壁のギガドーンがぶつかった。

 

 「くっ……」

 

 「はぁ……っ!」

 

 化身同士の(つば)()()いはエリニュスの勝ち。

 しかし、化身の核となるようなところが多大に削られた。この調子で化身同士のバトルを続けたら、化身を維持することが危うい。

 

 「マキュア、アンタみたいな子が崩れる瞬間、だーいすき!」

 

 「は……っ!? 嘘だろ……!?」

 

 立て続けにマキュアが来た。

 不味い。叶は視界共有の相手を変更して、時折車酔いのような不快感を感じながら、パスコースを探る。

 

 「ダンシング……ゴーストぉっ!」

 

 「……っ、クソ!」

 

 叶がパスコースを見つける前に、マキュアの化身・魅惑のダラマンローズによるオフェンス技。

 霊的な気の塊が強固に巻き付いて、叶の体を締め付ける。

 

 叶はそれを、元の優れた肉体スペックと、さらにアームドした化身に物を言わせて無理やり剥がした。

 マキュアの足元のボールを、そのまま素早く持ち去る。

 

 「なんでぇ!? マキュア、アンタ大嫌い!」

 

 「よくやった! 阿里久(ありく)、ボールをこっちに回せ!」

 

 「ああ!」

 

 死守したボールを鬼道にパス。しばらくボールを持った後、イプシロンの精鋭たちに囲まれた鬼道は一之瀬にパスしようとし、

 

 「もらった!!」

 

 四人の化身使いの一人・ゼルにパスカットされた。

 円堂のいるゴールにゼルは向かう。シュートブロックの助けになるべく、叶はディフェンスに下がろうとした。

 

 「……ダメ。お前はここから動けない」

 

 「悔しそうなそっちの表情(かお)は、マキュア大好き!」

 

 「ぐっ……、クソっ!!」

 

 模造化身レプリカのモール。少し遅れて来たのが、魅惑のダラマンローズのマキュア。

 化身使い二人がかりに抑えられて、叶は安易に動けなくなってしまった。

 

 仮に強引に化身アタックしようとも、その後に待つのは余力を失ったことによる化身の消失。

 イプシロンのゴールを守るのもまた、化身使いのデザームである以上、極力化身は残しておきたい。

 

 それに、叶が彼女たちを引き付けておけば、イプシロンの化身使い半分の動きを防げる。

 

 「……はぁっ!!」

 

 「ひぃっ!」

 

 ゼルのノーマルシュート。ただし、化身の力をふんだんに込めたものだ。

 

 「うわあぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ゼルの正面にいた木暮は、全速力でボールが追い付かないようゴール方面へと走る。木暮本人も驚く、今まで出したことのないスピードだ。

 

 「ザ・タ……早い!」

 

 「ザ・ウォー……キャプテン、すみません!」

 

 シュートブロックも間に合わないスピード。

 木暮はそれを見て涙目で逃げ続ける。

 

 「ひぃぃぃ……」

 

 「木暮! 何をしている!?」

 

 「無理! だってっ、あんなのに当たったら……うわぁ!」

 

 風丸の問いに集中力を乱し、両足を(もつ)れさせて転んだ木暮は、眼前に迫るボールに目を見開く。

 

 「ひぐぅっ、あっち行けよぉ!!」

 

 勢いに任せて頭を地面に付け、逆立ちすると、木暮は独楽(コマ)回しのように頭を軸に下半身をクルクル回す。

 

 「木暮くん……っ、いやぁっ!!」

 

 吹っ飛ばされる木暮を見て、春奈が痛々しい悲鳴をあげた。

 

 「彼……結構優れたディフェンダーかもしれないわね」

 

 木暮の動きにより威力の削れた──しかし、まだかなり強いシュートを見て、夏未が言った。

 

 「円堂くん……」

 

 秋は目を伏せて、円堂がシュートを止めることを祈った。

 

 「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 「円堂くん……!!」

 

 円堂の背中から、紫の気が現れ、人型を作り出し──

 

 「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 「はっ! 驚かせやがって……」

 

 霧散した。

 円堂はそのまま、その体ごとゴールに叩き込まれる。

 

 ホイッスルが短く鳴った。

 得点板には1-1の表示。残り時間は1分半ほど。

 

 「…………こんなヤツら相手に、本当に勝てるのか……?」

 

 「また負けるの……? 嫌だ……」

 

 風丸と吹雪が暗い顔つきで呟いた。

 小さな呟きだったが、周りに広がり、雷門全体に暗いムードを漂わせる。

 

 「まだだ! まだ試合は終わっちゃいない!」

 

 「ああ、残り90秒耐えればいいだけだ」

 

 「そうだぞ! 90秒くらいなら、息止めてるのも余裕だろ? すぐ終わるぞ! ちょっと踏ん張ればいいんだ!」

 

 円堂と鬼道に続いて叶も言った。

 

 「……無理じゃないけど、余裕でもないよね」

 

 「だよなぁ……」

 

 「……?」

 

 一之瀬と土門が話しているのを、叶はコイツら肺が悪いのか? と心配になって聞いた。

 

 「あ、あの……」

 

 「どうしたんだ木暮?」

 

 木暮がおずおずと、小さく手を上げる。

 

 「お、お、オレ……」

 

 木暮は怯えた表情で、期待に満ちた目線でベンチの栗松をチラリと見た。

 続けて、春奈と目を合わせてしまう。笑って木暮に手を振り、「頑張って!」と信頼を見せる彼女を見て、言おうとしていたことが喉から出ていかなくなってしまった。

 

 「……何でもない」

 

 「そうか? なあ木暮、さっきの動き凄かったぜ!」

 

 「ま、まあな……」

 

 円堂が褒めたのに対し、木暮は申し訳程度に胸を張って返事した。

 

 

 

 古株がホイッスルを吹いて、雷門ボールから試合は再開する。

 

 染岡が叶にボールを渡し、叶はイプシロンへ特攻した。

 残り90秒ならば化身を温存するより、相手の化身にとにかく攻撃しまくって、味方の負担を極力減らそうと考えてのことだ。

 

 「阿里久!」

 

 「パスしろ」という意味の鬼道の呼び掛けを、叶は名前を呼ばれただけと意図的に勘違いして無視した。

 

 「いただき! ダンシングゴースト!!」

 

 魅惑のダラマンローズのマキュアによる、化身ブロック技。

 霊的なエネルギーで構成された触手のようなものが叶に巻き付こうとする。

 

 「それはオレには効かねえぞ!!」

 

 叶は馬鹿力でそれを振り解く。

 

 「阿里久! ボールを回せ!!」

 

 鬼道が切羽詰まった様子で叫ぶ。

 叶の元に二人の化身使い──モールとゼルが迫っていたからだ。

 

 「え?」

 

 対抗するため、叶は慌ててアームドしている化身に向けて気を練り上げる。

 

 「通さない……」

 

 「こじ開けてやらぁ!」

 

 モールの化身・模造化身レプリカと、叶の化身・慈悲の女神エリニュスがぶつかる。

 

 「よし、これならまだいける……」

 

 魅惑のダラマンローズや鉄壁のギガドーンよりも遥かに弱い。叶は内心ほっとした。

 

 「これが貴様の最後だ!!」

 

 「お前らのな!」

 

 続けて、ゼルの化身・鉄壁のギガドーンとの競り合い。

 

 「……くっ!」

 

 一瞬の攻防に全てを賭けた両者は地面に膝をついた。

 パワーを使い果たしたゼルの鉄壁のギガドーンが揺らめき、消える。

 叶が鎧のようにして(まと)う、慈悲の女神エリニュスも同様に揺らめいて、何とか持ちこたえた。

 

 零れ球を吹雪が受け止め、歯を食い縛りながら足に力を入れてイプシロンのゴールへと向かう。

 

 「──鳥人ファルコ!!」

 

 そこに、異形の翼人の化身を出しながら、紫の髪の少年が忍び寄った。

 

 彼、メトロンは化身を発動すると、獰猛に笑って、吹雪からボールを奪う。

 

 「なっ……っ!?」

 

 「五人目だと!?」

 

 転んだ吹雪は脱け殻のように立ち上がらない。痛みではなく、戦う気力自体が薄れたような様子だった。

 

 叶はメトロンへと走る。彼のドリブルするボールに叶の足先が触れ、それを契機に化身同士がぶつかる。叶は満員電車で立つように踏ん張り、何とかエリニュスが消えないようにだけ集中した。

 

 「この試合、我らの勝利だ! 見ろ、貴様らのキーパーを!」

 

 勝利の喜色に(まみ)れた顔で、叶からボールをキープすることに成功したメトロンが宣言する。

 彼の視線の先にいる円堂は瞑想のごとく目を閉じ、手を胸に置いて、上体を緩やかに前へ傾けていた。

 

 「円堂は勝負を諦めてなんかいない!」

 

 「フッ……あの姿を見ても言うのか……」

 

 言い返した鬼道を、メトロンは嘲笑した。

 

 「守……! 畜生っ!!」

 

 今すぐ下がって、これ以上イプシロンからの猛攻を受けないように守ってやりたい。なのに、叶は動けない。

 メトロンが叶からボールを奪うと、叶が動けないうちに、すぐにモール、マキュア、ゼル──イプシロンの三人の化身使いが、叶の元へ迫り、彼女の動きを徹底的に封じてきたのだ。

 

 「キラースライド!」

 

 「無意味だ!」

 

 土門のブロックを破り、メトロンはゴールに近づく。

 

 「間もなく三分。我らはこの一撃をもって、試合を終了する」

 

 「ファルコウイング!」

 

 デザームの宣言に応えたメトロンの化身シュートが炸裂した。

 

 「ザ・タワー!! ……きゃあぁぁぁ!!!」

 

 「ザ・ウォール!! うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 塔子と壁山のブロック技は、シュートに触れただけで崩れ去る。

 木暮は目を大きく見開き、涙でいっぱいにして、逃げ場を探すように横を見て──

 

 「木暮くん……」

 

 彼の名を呼び、祈るように目を伏せる春奈を見て、首を小刻みに横に振る。

 

 「あーもう! こうなったらやってやる! おりゃあ!!」

 

 頭を下にして、足を振り回す木暮。

 ファルコウイングの威力には対抗しきれず、ボールに僅かに掠っただけで吹き飛ばされてしまった。

 

 そして、シュートは目を閉じたままの円堂の元へ向かう。

 

 イプシロンはもはや勝利を確信しきって、雷門は困惑と信頼と期待を煮詰めたように、ボールと円堂を見る。

 

 そして、シュートが目前に迫ったとき、不意に円堂が目を開いた。

 

 「うおぉぉおぉぉぉぉ!!! 魔神! グレイト!!」

 

 マジン・ザ・ハンドの魔神を、さらに何十倍も強く雄々しくしたような魔神が、円堂の背から現れた。

 

 土門、塔子、壁山、木暮。

 ボールを取れず、シュートの威力もろくに削れていないようだった四人のディフェンダーの行動は、無駄ではなかった。

 彼らが稼いだ僅かで、されど十分な時間が、円堂の全身に満足に気を行き渡らせ、化身を発動することを可能にしたのだから。

 

 「これが……」

 

 「円堂の化身か……」

 

 感慨深げに風丸と鬼道が呟く。

 

 「何っ……!? バカな! 古会(ふるえ)以外の化身使いなど聞いていないぞ!」

 

 「フン……面白い……」

 

 メトロンが叫び、デザームがしみじみと言う。

 

 「グレイト・ザ・ハンド!!」

 

 円堂が叫ぶ。

 黄金の魔神が片手を突き出すと、暫し拮抗した後に、その掌中へボールが収まった。

 

 「聞けぇ! 人間ども。我らは十日が(のち)にもう一度勝負をしてやろう。そして、宣言する」

 

 溜めて、デザームは言葉を続ける。

 

 「そのときには我々イプシロンも、古会の使うアームドという力を手にしているとな」

 

 「待て!」

 

 これからやることのため、ここで彼らに去られては困る。とにかくデザームたちへの時間稼ぎがしたくて、叶は思わず言った。

 

 「何だ?」

 

 「…………」

 

 用を考えていなかった。

 超能力によりデザームの脳にアクセスしながら、叶は適当に言葉を考える。

 

 「えっと、何でオレのこと古会っていうの?」

 

 「…………。我々エイリア学園にとって、貴様の父……古会(あらた)が深い意味を持つ存在であるからだ」

 

 「オレが? うわあ!?」

 

 インストール率百パーセント。

 サッカーを楽しむ気持ちをもう一度知りたい叶は、けれど万が一円堂の頭をおかしくするわけにもいかないから、デザームからその感情を読み取ることにした。

 

 サッカーを楽しむ思い。その思いを感じるに至ったデザームのこれまでの記憶。その全てを。

 幼少期から始まった彼の記憶は、悲劇こそあれど叶の印象には対して残らなかった。

 

 およそ五年前から始まった、エイリア石に魅入られた吉良星二郎が世界への復讐のために行った、本来彼が保護すべき子供たちへの人体実験。

 エイリア学園の宇宙人たち──ジェミニストームに対して、叶は相手は人間じゃないからいくら痛め付けても良いと思っていた──が本当はただの人間で、しかも叶と同年代。精神的には叶にとって、自分の子供くらいの年齢であったこと。

 イプシロンより上位ランクのチームが、まだ三つもあること。

 どういうわけかエイリア学園は叶の力を研究して、一部の子供たちに化身・模造化身レプリカを移植したこと。さらに一部の力を使いこなした者が、レプリカを真に自分の化身として昇華させたこと──叶の力が、日本を、照美の暮らす場所を余計に危機に至らしめていること。

 

 情報量が多すぎる。処理しきれない。

 それに、もしかしてオレは──

 

 「──存在しちゃ、いけなかったのか?」

 

 叶は頭を抑えてうずくまる。訳がわからない。

 

 「…………?」

 

 デザームは不思議そうな顔をし、次の瞬間、イプシロンはその場から消えた。

 

 「おい、大丈夫か!?」

 

 「頭が痛いの? 他は?」

 

 「わわ……腹でも壊したッスか?」

 

 風丸、塔子、壁山の順で心配そうに叶に向かって呼び掛ける。

 

 「なんで……孤児院の院長さんが……吉良のヤツ、どうしてこんなこと……? エイリア石とか、意味わかんねぇ……」

 

 下を向いてもごもごと話す叶の発言を、周りは意識が朦朧(もうろう)としている故に、支離滅裂なことを言っていると解釈した。

 

 「返事出来ないくらい辛いのかな? 壁山くん、お願い、どこか横になれる場所に運んであげて」

 

 「任せろッス! えっと……どこに……」

 

 秋に返事して、壁山は軽々と叶をおぶる。どこに運ぶべきか迷い、左右をキョロキョロと見回した。

 

 「ご案内します」

 

 「いえ、結構よ。壁山くん、阿里久さんをイナズマキャラバンまで運んでちょうだい」

 

 案内しようと立ち上がった漫遊寺のキャプテン・垣田(かきた)を制止し、瞳子は壁山に指示を出す。

 

 先程の叶の呟きの意味を、唯一正確に理解した瞳子には、叶に聞かなければならないことが山ほどあった。

 

 

 

 

 

 

 「……吹雪」

 

 叶を心配そうにしながらも、円堂の化身発現について喜ぶチームの輪から、いい頃合いを見て染岡は抜ける。

 そして、染岡は端の方で体育座りをしている吹雪に向けて、自分も同じ格好になり目線を合わせて呼び掛けた。

 

 「染岡くん。……ボク、本当にこのチームにいていいの? ここに必要なの?」

 

 「いちゃダメなヤツなんざ、今このチームには一人もいねえよ。……お前は、少なくともオレにとっては大事な……必要な仲間だ」

 

 「阿里久さんよりも?」

 

 「…………」

 

 染岡は肯定も否定もしない。

 彼みたいな人にとって、非常に答えづらい質問をしてしまった。吹雪は次の問いをする。

 

 「ボクは……完璧な、選手じゃない」

 

 「……完璧なヤツなんかいねーよ」

 

 「でも、阿里久さんは完璧なフォワードだよ」

 

 「アイツも完璧なんかじゃないだろ。化身使いのヤツらに囲まれて、動けなくなってたじゃねえか」

 

 染岡の言葉に返事をせず、吹雪は問い掛けた。

 

 「染岡くんは……ディフェンダーのボクと、フォワードのボクのどっちが必要?」

 

 「どっちって……、両方共お前だろ」

 

 染岡は……いや、きっと誰も、吹雪の欲しい返事をくれない。

 

 『お前は完璧なストライカーだ。いや、シュート以外も完璧な、全てにおいて完璧な選手だ! もちろん阿里久よりも強い! お前こそ、お前だけがチームに必要だ!』

 

 だなんて。言われたとしても、嘘っぱちのそれは吹雪を満たさないのだが。

 

 (アイツがいなくなりゃいいのにな)

 

 「アツヤ……!」

 

 そんなこと思っちゃダメだ。吹雪は染岡からの視線も忘れ、頭を横にブンブンと振る。

 

 (それか、エイリア学園に寝返ってやるか? お前らが士郎を大事にしないから、士郎より強いヤツを連れてきたからこんなことになったんだって言ってやれよ。んで、世界中ぜーんぶオレら二人で一緒にぶっ壊そうぜ)

 

 「…………」

 

 アツヤの声を聞いて、酷く魅力的だと一瞬思ってしまい、吹雪は慌てて醜い考えを消そうと努めた。

 

 「なあ、吹雪。お前が何に悩んでいるか、オレには全部はわかってやれねぇ。けどよ、お前はお前だ。吹雪は他のヤツじゃないし、他のヤツにはならなくて良いんだ。お前にはお前だけのプレーがあるだろ」

 

 染岡はかつて自分が感銘を受けた言葉を、悩める吹雪へと真摯に伝えた。

 

 「………………うん、そう、だね……阿里久さんには、エターナルブリザードも、アイスグランドも、使えないもんね……」

 

 吹雪士郎は吹雪アツヤだ。士郎(DF)アツヤ(FW)を求められている。士郎はアツヤ(完璧)になる必要がある。

 士郎の体を試合中動かしていたのが、士郎だけだったということなどない。時間の差はあれど、オフェンス時にはアツヤが表に出てきていた。

 

 『吹雪士郎』のプレーは、士郎だけのものではない。

 

 「…………染岡くんは」

 

 ──ボクと阿里久さん、どっちが必要なの?  

 なんて聞こうとして、それは迷惑だと吹雪は慌てて誤魔化した。

 

 「染岡くんは、強いね」

 

 それだけ言って、吹雪は慌ててベンチに行き、疲れと不安で乾いた喉を潤した。

 

 

 

 

 

 

 頭へかかった負荷を整理し終えて、叶は目を覚ました。

 イナズマキャラバンの一般的なバスよりは座り心地の良い座席に、叶は寝かせられていた。リクライニングシートは目一杯倒されている。

 そんな叶に、大きな影が被さる。

 

 「目が覚めたのね。単刀直入に聞くわ。阿里久さん、あなた、どこでエイリア学園のことを知ったの? あなたは……エイリア学園のスパイ、ではないわよね?」

 

 小さな閉鎖空間の中。

 氷のように冷たい声で、無表情の瞳子は叶を目一杯見下して、キャラバンの通路に立つ。叶の退路をしっかり絶った状態で彼女は尋ねた。




叶がデザーム様から読み取った記憶
→デザーム様個人の思い出+エイリア学園についてのほとんどの知識(真ヒロト関連以外)です。

叶が記憶を読み取ってショックを受けている要因としては、『宇宙人だからボコって良いと思ったのに人間でしかも中学生くらいだった! しかもオレの娘と同じくらい!』と、『オレの力のせいで照美たちの安全がヤバいかもしれない』が大きいです。


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60話 共犯者

筆休め回のつもりで書きたい場面を詰め込んだら長くなりました。長さの割にちょっと微妙な出来です。


 

 「阿里久(ありく)さん、あなた、どこでエイリア学園のことを知ったの? あなたは……エイリア学園のスパイ、ではないわよね?」

 

 問いながら、瞳子は内心、そうではないと確信していた。それに、そうであってほしくないと強く願っていた。

 

 仮に(かなえ)がスパイだったのなら、雷門はエイリア学園に勝てない。

 化身使いの数が足りず、イプシロン相手にはまだ善戦出来ていたが、さらなる上位チームにはおそらく基礎能力で致命的に負ける。……もっとも、雷門の爆発的な成長性ならば、それら全てを覆してくれるのかもしれない。

 

 瞳子が叶をチームに加えた理由として、化身の他に彼女の使う分身への期待がある。万が一、雷門の全員が戦えなくなろうとも、叶一人居ればどうとでもなるのだ。

 

 万が一叶がスパイなら、それらのアドバンテージが一気に雷門へ牙を剥く。

 

 「…………えっと」

 

 叶は気まずそうに周りをキョロキョロ見て、無意味に天井を見、ようやく瞳子の顔を見た。

 

 「オレ、あっ……わたし! 絶対スパイなんかじゃないです」

 

 「なら、彼らのことをどうやって知ったの? 試合の後に言っていたでしょう? エイリア石、お日さま園、それに……私の父さんのことについて!」

 

 自然と瞳子の語気が強くなる。叶は「監督のお父さん?」と呟き、しばらくフリーズした。

 

 「吉良星二郎…………吉良瞳子…………ん? あー! そういうことか……監督のお父さん! 視た感じ全然似てなかったけど」

 

 「……話を戻しましょう。阿里久さん、あなたはこれらの情報について、どのように知ったの?」

 

 「それを話すには、ちょっと条件があるんですけど……」

 

 「何?」

 

 「他のみんなに言わないこと、オレの話に茶々入れないこと、オレの話を信じること、オレに文句をつけないこと」

 

 「黙って聞くことと、他人に漏らさないことは約束するわ。あなたの話を信用するかどうかは、話の内容によります」

 

 「……。まあいっか。とりあえず、まず前提として。オレ……わたしは、超能力者ってヤツらしい……です。証拠ならいくらでも出せます。まず、こんなことも出来るし……」

 

 叶はイナズマキャラバンのリクライニングシートを、手で触らずにパカパカと倒したり戻したりした。

 

 「監督の頭の中も当てれます。えっと……『にわかには信じがたいけど、エイリア石みたいなのもあるし……』みたいに思ってますよね? 後、『とにかく早くエイリア学園を倒して、父さんを止めないと』が一番強いですね」

 

 「…………ええ、そうね。その力は、具体的に何が出来るの?」

 

 「人の心や記憶や感覚を読み取ったり、念動力で物を動かしたり、霊体化したり、人の精神エネルギーを奪ったり、逆にオ……わたしの力を他人に短時間渡したり、人の怪我を治したり、自分の記憶や感情を相手に押し付けたり、バリアー貼ったり、透視したり、色々です。……あ! でも、プライバシーの侵害だから、透視とか読心とかはよっぽどじゃないとしてませんよ!」

 

 「………………」

 

 瞳子は考える。これが本当なら、対エイリア学園への選択肢が広がる。

 

 「続けて。それと、あなたが話しやすい話し方で構わないわ」

 

 「はい。この能力を使って、試合が終わってからイプシロンが逃げるまでの間に、エイリア学園についての情報が欲しくって、デザームの記憶とかを読み取りました。ジェミニストームんときは、とにかく痛め付けるのに夢中で忘れてたので……」

 

 しゅんと叶は俯く。

 

 「それで、その……エイリア学園について、色々知って……。あの、瞳子監督以外に、このこと知ってる大人はいないんですか!?」

 

 「……父さん本人、それに、悪事に加担している人以外は、おそらく何も知らないわ」

 

 「……。今すぐ信頼出来る人……そうだ、響木のおっちゃんに知らせましょう。だってこれ……思い切りエイリア学園の子たちへの虐待じゃないですか」

 

 「彼らからすると違うでしょうね。彼らは純粋に父さんの役に立つために頑張っているつもりだもの。父さんの方も、……きっと、みんなを傷付けているつもりはないわ」

 

 「そっちのがヤバくないですか……」

 

 「それに、他人に知らせて事態がこれ以上の大事(おおごと)になるのは防ぎたいの」

 

 「既に大事(おおごと)じゃあ……? まあいいや。オレのお願い聞いてくれたら良いですよ」

 

 一拍開けて叶は続ける。

 

 「照美……わかります? 世宇子のキャプテンの、金髪で背の高いヤツです。もし、照美が雷門に入りたいとか言ったら、仮にアイツが化身使えるようになってたり、化身なしで化身使いとやりあえるくらい強くなっていても、絶対に却下してください」

 

 「……ええ、約束するわ」

 

 「絶対ですよ!」

 

 叶はしっかりと念を押しておく。

 

 「彼とあなたは、どういう関係?」

 

 「うーん……照美はオレの息子というか、弟というか……。あっ、これも監督に言った方が──信じてもらえないか……」

 

 「聞かないと、信じるかどうかも判断出来ないわ」

 

 叶の呟きを拾って、瞳子は言った。

 この機会に叶のことを全て知っておきたい。本当にエイリア学園側に寝返られないためにも、仮初めのもので良いから、彼女からの信用の証がほしい。

 

 「……えー、でも……」

 

 「監督! 失礼します」

 

 叶が口を開けたところに、マネージャーの秋が入ってきた。

 

 「何か用?」

 

 「漫遊寺の監督さんが、化身らしきものが書かれた昔の巻物を探すから、見つかるまでこっちに滞在してほしいと言っていたんですけど、大丈夫ですか?」

 

 「どれくらいかかるの?」

 

 「1日で必ず見つけると聞きました」

 

 「それなら大丈夫よ。そのように伝えて頂戴」

 

 「わかりました。阿里久さんは大丈夫ですか?」

 

 「元気元気。滅茶苦茶元気なんだぞ」

 

 「……顔色も良さそうだね。良かったぁ……。そういえば、木暮くんが阿里久さんと話したいって言ってたから、時間があったら顔を出してあげてね」

 

 秋は最後に小さく会釈をして、イナズマキャラバンから出ていった。

 

 「今行かないと忘れちゃいそうなんで、オレ、木暮んとこ行ってきます。あ、それとちょっと質問。結局、デザームたちってどうしてオレのこと古会(ふるえ)って呼ぶのか、監督はわかりますか?」

 

 「デザームは……(おさむ)は、父さんが何故こんなことをするのか、詳しく知らないのね」

 

 「はい。えっと、吉良星二郎が、『古会(あらた)とその娘は重要な人物』と言ってただけっぽいです」

 

 「…………。くれぐれも、ここでの話は口外しないで」

 

 「はい! もちろん! 監督もオレの出した条件、守ってくださいね」

 

 叶に念押しして、瞳子は重苦しい息を吐いた。

 そもそも彼女の能力を考えれば、叶を無下に扱って、敵対しようとは思えない。洗脳能力等で、自分を失っても叶を虐めたいと思うほど、瞳子は異常な人間ではない。

 

 瞳子を悩ませることがもう1つ。

 星二郎は息子のヒロトが海外留学し、そして事故死する原因となった新を憎んでいる。そして、息子は大きくなれなかったのに、健やかに可愛らしく逞しく育っている仇の娘のことも。

 「父さんは叶たち親子を憎んでいる」と、そこまで伝えようとして、瞳子は止める。

 ここで叶に余計なことを言う必要はない。情報の奔流を整頓する時間も欲しい。

 

 「たわあ!?」

 

 瞳子はイナズマキャラバンの階段から滑り落ちかけた叶を一瞥して、彼女が再び歩き出すのを見ると、自分の定席に座り缶コーヒーを開けた。

 

 

 

 

 

 

 何の脈絡もない全能感が叶を包む。

 気分は最高潮。今すぐに駆け出してボールを蹴りたい。早く戦いたい。一秒でも早く古会叶と再戦を──!

 

 そこまで考えて、叶は「いやオレじゃん」と小さく呟く。

 デザームの記憶と感情を読み取って、再び熱い思いを取り戻せたのは良かったが、これだけが弊害だ。

 叶は叶と戦えない。分身は叶よりも常に劣る。分身と本体の力を綺麗に÷2したところで、結局叶は本気の叶とは戦えない。

 叶は不満で唇を尖らせた。

 

 「ああ言って出てきちゃったし、とりあえず木暮のところ行くか」

 

 周りには誰もいず、借りれる視覚も聴覚もない。

 一度膝を土で汚し、そこで叶は念波による策敵を思い出す。そして、ジグザグな歩き方ではあったが、何とか人のいる場所に着いた。

 

 「叶! 体調はどうだ?」

 

 「平気平気」

 

 「なんか、汚れてないか……?」

 

 「うーん、ちょっとな!」

 

 寄ってきた円堂と風丸に、叶は適当な口調で答える。

 

 「全く……心配したんだぜ。あの女、何か気が滅入(めい)るようなこと言ってこなかったか?」

 

 「あの女って、瞳子監督? 全然」

 

 瞳子が嫌いということを隠しもしない態度の染岡を見て、苦笑しながら叶は言った。

 

 「木暮ってどこ? アイツ、オレに用あるって聞いたけど……」

 

 「どうせロクな用じゃねぇだろ。またイタズラされるんじゃねーのか?」

 

 「彼ならさっき、あっちで見たけど」

 

 「ん、ありがと。行ってくるぞ」

 

 夏未に礼を言って、叶は彼女の示した建物へ入る。何かの道場といった風の、大きな建物だった。

 

 「げっ……ゴリラ女ァ!?」

 

 「こら! 木暮くん、こんなに小さくて可愛い子にそんなこと言っちゃダメでしょ!」

 

 「音無、オレ、お前より先輩……」

 

 「あ! ごめんなさい!」

 

 「それとお前の方が可愛いぞ」

 

 「え!? えへへ……もう……照れますよぉ」

 

 「うししっ……ドングリの背比べだけどね」

 

 言った木暮は、二人の少女から冷たい目線を浴びた。

 

 「んで、オレに話あるんだろ?」

 

 「えっ……? あ、うん、そう。その、オレが宇宙人との試合に出るの、許可してくれてありがとう」

 

 緊張からか、普段よりもやや平坦な口調で木暮は言う。

 

 「オレよりは円堂とか監督に言えよ。それと音無にも。オレは単に、目金を怪我させたお前が責任取るのが一番って思っただけだし」

 

 「うん、それでも感謝してるんだ。あそこで頑張って最後までフィールドにいなかったら、オレは臆病な……オレを捨てたアイツみたいな、裏切者になってたから……。お前も、オレを信用してくれて……その、……」

 

 「木暮くん……」

 

 後半は春奈に向かって木暮が言った。春奈が目を潤ませる。

 きっと、二人にしかわからなくて良い話だろうと、叶は追及しなかった。

 

 「……その、お前にも……感謝してる、よ。……ありがとう」

 

 木暮はポリポリと頬を掻いて、叶に言ったよりも途切れ途切れに、春奈へと言葉を紡いだ。後半に至っては小声になりすぎて、聞き取るのに苦労した。

 

 「木暮くん……」

 

 「……。お前らが宇宙人に勝てるように応援してるからさ、……ん、ちょっと変だけど、オレら、きっともう会わないだろ?」

 

 木暮は両手をそれぞれ春奈と叶の方に伸ばす。二人はほとんど同時に木暮の手を握った。

 

 「木暮くん! 私たち、頑張るからね! ね、阿里久さん」

 

 「…………」

 

 「阿里久さん?」

 

 「…………手の中」

 

 「え? 手の、な、か…………きゃあぁぁぁぁ!!!」

 

 春奈と叶の手の中にはカエル。木暮が仕込んだものだ。

 春奈が手を開けると、カエルは元気よく跳ねて、春奈の頭を経由すると自然へ戻っていった。

 

 「うっしっしっ……引っ掛かった引っ掛かったー! 全く、こうでもしたくねえとわざわざゴリラ女なんか呼び出さねえよ!」

 

 「木暮くん! あなたねぇ……! ちょっとは改心したと思ったのに……!」

 

 「…………」

 

 叶は手に捕まえたままのカエルを意識する。

 洗脳能力を使い、軽い指示を出すと、『了解です叶さま!』と言わんばかりに、カエルはゲコッ! と鳴いた。

 

 「ひっ……」

 

 大きく飛び上がったカエルを見て、春奈が一歩退く。

 カエルは春奈の方へは行かず、大口を開けて笑う木暮の口の中へと入って行った。

 

 「むぐぅ!? もが、もがもが……!」

 

 「木暮くん! 大丈夫!? 飲み込んじゃうとダメだから……出ていくまで口を開けていて!」

 

 「……っ! ……!!」

 

 カエルは木暮の口内を(つい)棲家(すみか)に決めたのごとく動かない。どころか、彼の舌をトランポリンにして遊び始める。

 筆舌しがたい味と嫌悪感、それと圧迫感が木暮を襲った。

 

 「そうだ! 何か……取り出すのに使えそうなもの貰って来るね!」

 

 「いや、行かなくていいぞ」

 

 春奈に余計な手間をかけさせると可哀想だ。叶はカエルをコントロールして、木暮の口から外に帰した。

 木暮はえずくように咳き込んで、口直しのものを探しに走っていった。

 

 「イタズラは怖かったけど……あれは可哀想」

 

 「自業自得じゃねぇの?」

 

 「阿里久さん、結構ドライなんですね……」

 

 春奈は困ったように笑った。

 

 「阿里久! お前も一緒に特訓しないか?」

 

 「おっし、化身同士でどっちか倒れるまでやり合おうぜ!!」

 

 道場から出た途端、円堂から声をかけられる。

 化身使いと戦える。叶は叶とは戦えないが、ならば叶以外を同じレベルに育てれば良い。それに気付いて、叶は喜びのあまり化身を出してしまい、春奈から小さく悲鳴を上げられた。

 

 「きゃあ!?」

 

 「あ、驚かせてごめん。じゃあ、円堂! コートの方行こうぜ!」

 

 「おう! あと、あのアームドってやつを使って、思いっきりシュートをしてほしいんだ!」

 

 「怪我しない程度になー」

 

 駆けていく二人に遅れて、春奈も叶たちを追いかけ、練習している兄の方へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 円堂の魔神グレイトは非常に安定している。

 イプシロンとの試合で発動したのはたまたま、というわけではなさそうだ。叶はほっと一息吐いた。

 

 「エリニュス、アームド! ──彗星シュート!」

 

 「グレイト・ザ・ハンド!」

 

 「これはさすがに止めれるか……。彗星シュート改!」

 

 「グレイト・ザ・ハンド! 本気で来い!」

 

 「ちょっとずつ負荷上げようとしたんだけど……。いっか、流星光底(りゅうせいこうてい)!!」

 

 「グレイト・ザ──、うわあ!?」

 

 円堂の横を、シュートが超速で飛んでいく。化身必殺技の発動は間に合わなかった。

 

 「叶……、やっぱり凄いな! なあ、もう一回頼むよ!」

 

 「えっと……ちょっと弱めようか? オレ的には、ギリギリ止めれるか止めれないかくらいが一番良いと思うけど……」

 

 「嫌だ! オレ、もっと叶の本気を浴びたいんだ! ほら、小学生のころは叶、ずっと手加減してて……なんか、ちょっとつまらなさそうだったからさ!」

 

 今のオレは楽しそうに見えているのだろうか。

 叶は気になって、答えを聞くのが怖くなってやめた。

 

 「よし、もう一回行くぞ。流星光底!!」

 

 「グレイト・ザ──」

 

 二人の特訓は、やがて円堂がバテて、化身を維持出来なくなるまで続いた。

 

 「ぜぇー……はぁー……。叶、アームドについて教えてほしいんだけど……」

 

 「…………。今度な。さすがにお前、これ以上化身を使うのは無理だろ」

 

 ユニフォームが汚れるのも気にせず、円堂は地面に横たわる。叶はその隣で体育座りになった。

 

 「いっぱい頑張ったんだね。はい、円堂くん」

 

 「ありがとう、秋!」

 

 秋が差し出したスポーツドリンクを、円堂はバキュームカーのように飲み干した。

 

 「もう夕飯の時間だって」

 

 「ちょっと早くないか? まだ三時くらいじゃ……?」

 

 「余程集中してたんだね。もう六時だよ?」

 

 言われて、叶は空を見上げた。

 正確には空を見上げた円堂の視界情報を受け取り、自分も場の雰囲気に合うように上を見た。

 

 昼の水色というには暗すぎて、紺や群青というには明るいような青。空はその色に染まっていた。

 

 「なんか……そう思ったら急に腹減ってきた……。秋、今日の夕飯って何だ?」

 

 「今日はカレーだよ。私も手伝ったの」

 

 「ふーん、秋ちゃんは将来、守の良いお嫁さんになるなー」

 

 「……? オレの?」

 

 円堂は言葉の意味がわからず、キョトンとしている。

 秋は叶の言葉に、顔を(ほの)かに赤くした。

 

 「……? どうしたんだ、秋?」

 

 「何でもない! 何でもないよ! もう、阿里久さんってば。円堂くんと私はそういうのじゃないよ! …………。そういえば、漫遊寺の人たちは最初、精進料理を作ろうとしてたみたいでね」

 

 「ショージンリョーリ?」

 

 「クソ和食だ」

 

 不思議そうにする円堂に、叶は説明してやった。

 

 「お寺の人が修行のために食べる和食だよ。お肉や魚はないし、全体的に量も少なめだから、確かに阿里久さんたちには辛いかも……。それに、壁山くんたち大反対でね、『確かに俗世の方をもてなすには不向きでしょう』って、カレーに決まったんだ」

 

 「俗世って……」

 

 「ん……? あ、匂い嗅ぐと余計腹が減ってきた! 叶! 秋!」

 

 円堂は鼻をひくつかせると、食堂の方に走っていく。

 

 「アイツまだあんな体力あったんか」

 

 「阿里久さんは急がなくていいの?」

 

 「オレは…………あんまり、腹減ってないから」

 

 香辛料の匂い。炒めた肉の匂い。炊きたての米の匂い。

 匂いを脳が処理しきる前に、足が駆け出そうとして、叶の理性がどうせ味なんてしないんだからと、ストップをかけた。

 

 「皆さま、お待ちしておりました。粗末なものですが、ぜひ召し上がってください」

 

 「どこが粗末だよ! めっちゃ旨そうじゃねえか!」

 

 「……木暮、カレー食べないんスか?」

 

 「う、いや……オレも手伝わされたから、ちょっと周りの反応が見てえんだよ」

 

 「まあカレーなんかよっぽどじゃないと失敗しないッスよ。安心するッス! んじゃ、いただきまーす! 辛ー!!? なんスかこれぇ!?」

 

 「うっしっし、唇がタラコみてえー!」

 

 「ぐぬぬ……怒ったッスよー!」

 

 木暮と壁山は外に出て追いかけっこを始めた。

 「いただきます」と挨拶したものの、他のみんなは躊躇してなかなかカレーを食べない。それを尻目に、叶はカレーを口に運んだ。

 

 「阿里久さん、辛くない?」

 

 「うんにゃ、辛くないぞ」

 

 「そう。なら……」

 

 夏未は叶の返答を聞くと、ようやくカレーを食べる。

 

 「あら? あなた、色付きのリップでも塗ってた? その色、似合わないからやめなさい。唇が腫れたみたいになってるわ」

 

 「リップ? ああ、細い(のり)みたいなやつか。持ってないぞ?」

 

 「もしかして……木暮のヤツ、食べても辛くないけど口は腫れるような姑息なものを仕組んだんじゃ」

 

 「うーん、大丈夫だったぞ!」

 

 塔子の言葉に、自分の味覚についてこれ以上聞かれたくなくて、叶ははっきり言い切った。

 

 「雷門の皆さま。こちらが戦国時代に書かれた化身についての巻物でございます」

 

 食事を終えると、漫遊寺の垣田(かきた)が古びた巻物を広げる。

 ミミズが這ったような字で、何がなんだか叶にはわからなかった。

 

 「円堂、お前のじいさんのノートもアレだし読めないか?」

 

 「うーん、全く!」

 

 風丸の問いに、円堂は元気よく答えた。

 

 「これなら読めるぞ。古書物の解読も帝国で習った」

 

 「おおっ!」

 

 「マジでやんすか!?」

 

 「……」

 

 鬼道の言葉に、叶は目を細める。

 

 「これを書いたのは、戦国時代、織田信長に仕える侍だったそうだ」

 

 「侍! かっこいいじゃん!」

 

 「織田信長って、あの信長か?」

 

 「そして、彼は信長の元で──経緯については省略するが、蹴鞠(けまり)(いくさ)という新たな戦を見たらしい。この挿し絵を見るに、オレたちの知るサッカーとほとんど変わりないだろう」

 

 「そんな昔からサッカーがあったのか!!」

 

 「そして蹴鞠戦で勝利し、信長の危機を退(しりぞ)けたよそ者が使った化身──筆者はこの力に相当憧れ、武士としての修行を積み、さらには寺での修行も積んだらしい。十年間修行し、彼はようやく化身を身につけたそうだ。そして、化身についてのノウハウだが──」

 

 「……ごくり」

 

 「気を溜めること。気を練り上げ、己の外に放出すること。強靭な肉体と精神を身に付けるべし……としか書かれていないな」

 

 「な、なんかアバウトだね……」

 

 「もっと……読むだけで化身を習得出来るような凄い巻物かと思ったでやんす」

 

 少し期待外れだった。これくらいなら自分でも言える内容じゃんと、叶は巻物を書いた侍を見下す。

 侍が行った修行と、その結果についても書かれているらしく、何かの役に立つかもしれないと巻物を旅に持っていくことになった。

 

 漫遊寺の和室で、女子だけ集まって眠る。

 何となく嫌な予感がして、叶は背中を震わせた。




真帝国編どうしようか色々迷います。
叶のスペックで染岡さん離脱防げなければ無能どころじゃないけど、そうしたらダークエンペラーズには誰が入るのかという問題。
無理にメインキャラを入れなくても、原作の杉森やシャドウ的な数合わせでも良いとは思いますが、それはそれで難しいです。


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61話 有能と無能

人によっては下ネタ注意かもです。


 

 朝になると、すぐに雷門イレブンは漫遊寺を出発した。イナズマキャラバンの中に、何か違和感があって(かなえ)は目を(つむ)る。

 

 後方。気配が一つ多い。けれど、不審者だとしても足の小指一つ、いや、目クソ一つで倒せる。叶は重要視しなかった。

 

 今は叶、風丸、円堂と、通路に近い順に座っている。

 前列の塔子に隣に座らないかと誘われたが、すると帝国の鬼道とも同じ列の席になってしまうため、叶は断った。

 

 「ぐわー!! ボクのレイナちゃんがー!!」

 

 突如叫び声。

 叶は思わず目を覚ます。

 油性ペンで落書きされたフィギュアを持ち、目金が嘆いていた。

 

 「あ──! オレの雑誌がー!!」

 

 同様に、落書きされたサッカー雑誌を見て栗松が叫んだ。

 

 「どうしたんだ?」

 

 「漫遊寺の木暮が、キャラバンに乗ってたんだよ。このまま同行してもらうって監督は言ってたけど……」

 

 「ふーん」

 

 叶は風丸に事情を聞き、あの一つ多い気配はこれだったのかと一人納得して、喧騒に混ざる気は起きず目を閉じた。

 

 「木暮くん! みんなに謝りなさい! ちゃんと謝らないと、漫遊寺に帰ってもらうわよ!」

 

 腰に手を当てて春奈が言うと、笑っていた木暮も顔を神妙なものに変えた。

 それでも納得いっていない様子の目金たちとの間に円堂が入り、その場は(ひと)()ず落ち着く。

 

 「ねえ、これって今どこに向かってるか知ってる?」

 

 円堂の靴紐に木暮が悪戯していて、キャラバンを発車させるまでまた一騒ぎあった。

 発車からしばらくすると後ろを向いて、円堂へと塔子が尋ねた。叶もそれが気になったから、眠気にうとうとしながら聞き耳を立てる。

 

 「言ってなかったわね。目的地は愛媛よ。響木さんから、一昨日(おとつい)の夜にメールがあったの」

 

 「メール?」

 

 「ええ。影山零治が脱走し、愛媛で真帝国学園なる組織を設立した、とね」

 

 「影山が!?」

 

 「アイツ、まだそんな性懲りもないことやってんのかよ!」

 

 「……っ!!」

 

 影山零治。その名前を聞いて、叶の視神経がチカチカと音を立てる。さっきまであった眠気は吹っ飛んだ。頭が痛み、全身の体温が高く、呼吸がフーフーと深くなる。

 

 「影山!!! 次会ったら絶対、ただじゃおかねえ!! っしてやる!!」

 

 怒りの余り後半はきちんとした発音が出来なかった。

 風丸と円堂、それに塔子が慌てて叶を(なだ)める。

 

 「叶! いくらサッカーを悪いことに使うヤツ相手でも、そんなこと言っちゃダメだ!」

 

 「……。とりあえず、少し落ち着け」

 

 「叶! 鬼道も……一体どうしたの? 影山って、サッカー協会の副会長だよね? どうしてそんな人を倒さないといけないの?」

 

 「影山を庇うのか!!!?」

 

 事情を何も知らない、先入観のない塔子の問いに、叶は手が届いたのなら胸ぐらを掴む勢いで怒鳴り付けた。

 

 「叶!! 落ち着け! 塔子は影山のこと、何にも知らないんだ!」

 

 「知らないから聞いただけで、あんなヤツかばうつもりなんかないだろ」

 

 円堂と風丸に宥められて、ふて腐れながら叶は答えてやる。

 

 「アイツがオレ……の父ちゃん殺して! 世宇子(うち)のサッカー部にも変な薬飲ませて無茶苦茶にしたからだよ!! ……あんなの飲ませた癖に、大して強くなってねぇし」

 

 「……。ごめん、悪いこと聞いちゃったね」

 

 「良いよ。ただ、必要なければクソ影山のこと言わないでくれよ」

 

 「わかった」

 

 「あー……一応言っておくけど、世宇子はかなりの強敵だったぞ」

 

 「オレ一人で倒せたけど」

 

 「…………」

 

 風丸は物言いたげに叶を見た。

 

 「他にも、試合中に鉄骨を落としてオレたちを全員殺そうとしたりもあったな……」

 

 「あのときは怖かったッス……」

 

 染岡と壁山が呟く。壁山はその巨体を震わせ、キャラバンを揺らした。

 

 「影山は、勝つためには手段を選ばないヤツなんだ」

 

 「それも自分の手は汚さず、人を使って相手チームを蹴落とそうとする」

 

 「汚ぇの……」

 

 「ああ。卑怯が服を着て歩いているような男さ」

 

 「それだけじゃない。アイツは神のアクアを作り出した」

 

 「神のアクア……?」

 

 「うちのサッカー部が飲まされたゴミクソ気色悪い薬だ」

 

 「人間の体を根本から変えてしまうものさ。神の領域まで……」

 

 「結局、それが彼の逮捕に繋がったのよ」

 

 「ソイツが脱走したのなら、一体何をしてるのか……」

 

 染岡の言葉に全面的に叶は同意する。

 影山の行動に、善行などあり得ない。一刻も早く、ヤツを片付けないと。

 

 「塔子。影山についてどう思った?」

 

 「……うん。影山が悪いヤツだってこと、よーくわかった」

 

 塔子が言う。叶は少し嬉しくなった。影山が悪人だと知る、正しい認識を持つ者が一人増えたのだ。

 

 「………………」

 

 叶は窓の景色を見ながら、脳内で影山と会ったときのことをシミュレーションする。

 アイツが何か言う前にぶん殴る。その後は洗脳でおかしくしてやるもよし、人格を消去するもよし、記憶を消して北海道辺りの寒空の下に放逐するもよしだ。

 

 超能力はコントロールが大事だ。影山の脳に作動するはずが、他人を巻き込んでしまったりしたら許されない。叶も影山の同類になる。

 

 (嫌ね、新ったら、もうあの人の同類でしょ?)

 

 季子(きこ)の声がした。幻聴だけど、叶を責めてくるけど、聞きたくないことだけど、お母さんの声は安心出来た。

 

 「阿里久(ありく)、車酔いか?」

 

 「大丈夫か?」

 

 「大丈夫…………」

 

 心配そうな風丸と円堂に、叶はぶっきらぼうに返す。

 

 「うわー!! 木暮くんが酷いんス! 見てくださいよ!!」

 

 壁山の顔に書かれたハチャメチャな落書きを見て、周りのように大爆笑まではいかないが、叶の暗い気分が少し吹き飛んだ。

 その後、春奈に怒られた木暮は、彼女の座席に何かを仕込んで大人しく席に座る。叶はそれを念動力で手元にワープさせた。

 

 「もう……」

 

 そして春奈は静かに座った。

 同時に、叶の方向から放屁音が何度も鳴る。

 全員が思わずぎょっとした顔で叶の方を向いた。

 

 「うわー!! 違うぞ! 今のは叶じゃなくって、これ!!」

 

 疑われている叶よりも、円堂が必死になって弁解する。

 彼が叶の手から取り上げ、頭上に(かか)げたものを見て、音の正体にみんなは納得した。

 叶は円堂からブーブークッションを取り返し、再び暇潰しに鳴らす。

 

 「おい阿里久。そんなもので遊ぶのは止めろ。全く……いつ持ち込んだんだ」

 

 染岡に聞かれ、叶はあっけらかんと答える。

 

 「音無ちゃんの座席」

 

 「えっ? 私の……?  もしかして……、木暮くん!!」

 

 「何だよ……証拠はねえだろ」

 

 「なあ木暮」

 

 「ひぃっ!! な、なんだゴリラ!」

 

 叶に声をかけられ、木暮は思わず怯えた。

 

 「これ、臭いはしないのか?」

 

 「普通はしねぇよ」

 

 「そうか」

 

 木暮は怯えつつも答える。

 ちなみに、この会話の間も叶の手の中で凹み膨らみを繰り返し、ブーブークッションから放屁音が鳴り続けていた。

 

 「んんっ……ごほんっ! 下品で不快だわ! 早く誰か阿里久さんからあれを取り上げなさい、これは理事長の言葉と思ってもらって結構よ!」

 

 「それ久しぶりに聞いた気がするな」

 

 「吹雪さんたちには雷門の理事長関係ないでやんしょ」

 

 我慢ならないといった様子で夏未が叫ぶ。それに、風丸と栗松が軽口を叩いた。

 風丸からブーブークッションを取り上げられ、塔子、さらに彼女から夏未へ。座席の配置的に叶では取り返せないところに行ってしまった。

 

 「あぁー……」

 

 「そんなに気に入ったのか?」

 

 「いや、そこまでじゃないぞ」

 

 「そうなのか……」

 

 風丸と話しながら、おならの臭いもしっかりしたら、影山への可愛い嫌がらせに使えたのになぁと叶は嘆いた。

 

 

 

 

 

 

 愛媛のコンビニに着き、各自好きなものを買って腹ごしらえをする。

 どうせ味などしないので、叶は一番安い塩むすびを三十個買い占めた。

 

 キャラバンの中で食べていると、春奈が横に座ってきた。彼女は眉を下げて笑うと、叶が頬や鼻先に付けた米粒をティッシュを使って回収し始める。

 

 「阿里久さん、おいしいですか?」

 

 腹が減れば戦は出来ない。と、一心不乱に塩むすびを(むさぼ)る叶は春奈の問いに答えない。おいしくなんてない。味なんかしない。

 

 「さっきはありがとうございました! 木暮くんの仕掛けたブーブークッション、阿里久さんが私の椅子からどけてくれたんですよね? ……あれ? 円堂先輩と……あの人、誰だろう? 揉めてるのかな?」

 

 「…………かっけぇ髪型だな」

 

 春奈の言葉にここで叶は始めて反応した。

 頭の半分だけに髪の毛を残したモヒカン頭の少年。その髪型も、頭のオレンジのペイントも、叶にはとても魅力的に見えた。

 彼が唐突に、円堂向かってシュートをぶちこんだ。円堂が何か問題を起こすとは思えないから、恐らくあの少年から一方的に喧嘩を売ったのだろう。叶と春奈は確信する。

 

 「オレもああしたいぞ」

 

 「ええと……」

 

 春奈はモヒカンの叶を想像して、思わず苦笑いする。

 

 「でも、照美が許してくんないよな……」

 

 「私も、阿里久さんには今の髪型の方が似合うと思いますよ! それにしても、一体どうしたんだろう……」

 

 「ちょっとあっち行って見るか。危ないかもだからオレの後ろいろよ」

 

 そして、叶は春奈と共にコンビニの駐車場へと戻る。同じくキャラバン内で食事をしていた染岡や吹雪たちも、ぞろぞろとキャラバンを下りて来た。

 

 「ったく……ノロマすぎね? なんでメール送ってから丸1日以上もかかるんだよ……」

 

 「キミ、真帝国学園の生徒ね。そっちこそ遅いんじゃない? 人を偽のメールで誘導して」

 

 「偽のメールって?」

 

 「そもそも、愛媛まで私たちを誘導した響木さんのメールが偽物だったの。昨日の段階で確認済みよ。どうしてすぐわかる嘘を吐いたの?」

 

 「オレ、不動(ふどう)明王(あきお)ってんだけどさ、オレの名前でメールしたらここに来たのかよ?」

 

 「……その通りね。で? あなたの狙いは何?」

 

 「なーに、アンタらを真帝国学園にご招待してやろうってな」

 

 そこまで話して、不動は円堂たちの後ろから歩いてくる叶を見て鼻で笑った。

 

 「おー、アンタが阿里久叶? 影山サン、アンタには感謝してたぜ」

 

 「は…………?」

 

 言っている意味がわからない。

 とにかく目の前のイカした少年が敵と言うことはわかったから、叶は今にでも噛みついて、その鼻先を食いちぎれる準備をした。

 

 「神のアクアってあったろ。あれの原材料知ってるか?」

 

 「どうせ……怪しい薬とか、そんなんだろ……」

 

 「まあ大体はその通り。既存の危険薬物や、普通は人間に摂取させない化学物質が材料なんだけどな。1個珍しいのがあるんだよ。それは人間から取られた材料でさァ」

 

 「何が言いたい?」

 

 「どっかの天才サッカー選手の、さらに天才の馬鹿娘がさ、怪しい医者に口八丁で騙されて研究目的だかで売った血液があるだろ? 後はそれをエッセンスに、軍事薬品を色々加工してだな……、ぶっ壊れない程度に天才サマに無理矢理身体を近付け──」

 

 「──聞くな!!」

 

 鬼道が慌てて怒鳴る。叶の近くにいた春奈が兄の意に応えるように、彼女の耳を強く塞いだ。だが、無意味だ。

 今の叶は自分の耳から音声を得ているのではない。超能力で他者が聞いたものを勝手に受け取っている。

 叶は、顔を紙のように真っ白にして、金魚みたいに口をパクパクさせ、脳味噌をショートさせた。

 

 「そっちは鬼道有人か。うちにはさぁ、アンタにとってのスペシャルゲストがいるぜー?」

 

 「スペシャルゲスト?」

 

 「かつての帝国学園のお仲間だよ」

 

 「何……? あり得ない、影山の汚さを身をもって知っている帝国学園イレブンが、そんなことするはずがない……!」

 

 「そうだ! 絶対あり得ない!」

 

 「下手な嘘吐くんじゃねえよ!」

 

 円堂と染岡の反論を、叶は冷めた気持ちで聞く。

 どうだろう。帝国学園は鉄骨まで落とすヤバいヤツらの集まりだ。案外ノリノリなんじゃないか。

 帝国学園イレブンは鉄骨落としの件について事前に話など聞いていない。だが、それを知らない叶は、影山のいた学校への嫌悪感も相まってそんな風に思ってしまう。

 

 「あっれー? じゃあ、オレの目がおかしいのかなー?」

 

 「貴様……誰がいるっていうんだ誰が!!」

 

 「おいおい、教えちまったら面白くねえだろ。着いてからのお楽しみさ」

 

 不動は笑って言う。鬼道は怒りに歯を()り減らした。

 

 

 

 

 

 

 不動はナビゲートのため、イナズマキャラバンの前方に座っている。

 彼が何をしても──例えば、キャラバンの中で爆弾を爆破させたりしても──みんなを守れるようにと、叶は彼の横に座った。

 

 「あー、次の信号を右。後は道なりに行き止まりまで走ってって」

 

 「本当にこんなところに学校なんかあるのか……?」

 

 質問に答えず、これで面倒な仕事は終わったと言わんばかりに、不動はシートに思い切り体を預けた。

 叶は影山の手下である不動を、目が縦になってしまいそうなくらい強く睨み付ける。

 

 「おいおい、そんなにオレのことが気になるのかよ。叶チャンよー」

 

 半笑いで不動が言う。

 

 「お前に叶ちゃんって言われたくねぇ」

 

 「ふーん、ま、オレにとっちゃどうでも良いから、勝手にムカついとけば? あ、そうそう、真帝国学園にはさ、叶チャンのことをめっちゃ憎んでる女がいるんだけど……」

 

 「オレを、憎んでる?」

 

 叶を憎む男には心当たりがある。

 ジェミニストームのレーゼと、有象無象たち。それに、再び影山の配下になっただなんて考えたくないけど、叶が助けられなかった──それどころか心をへし折る勢いで盛大に負かせた──世宇子のみんな。

 しかし、それが女となると全く心当たりがない。

 叶は首を傾げ、そもそもが不動の嘘であるかもしれないと深く考えなかった。

 

 「おっさん、ここで止まって」

 

 海沿いの倉庫でイナズマキャラバンは止まり、叶たちは下車した。

 不動の案内に着いていく。ただ海があるだけ。学校などどこにもない。

 

 「どこにも学校なんかないじゃないか」

 

 「テメエ!! やっぱオレたちを騙しやがったな!?」

 

 「影山の部下なんだろ!! どんだけ髪型とペイントはかっこよくても、性根は薄汚いなァ!!!?」

 

 染岡に続いて、叶も唾を撒き散らして叫んだ。

 

 「短気なヤツらだな。真帝国学園なら、ほら」

 

 海から噴水のように水が溢れ、その中からは巨大な潜水艦が現れる。

 真帝国学園の、帝国学園のものをベースにしたエンブレムが描かれた旗を見て、叶は憎悪で顔を歪めた。

 

 潜水艦が変形すると、巨大なサッカーコートと、大会会場並みの規模の観客席が現れる。

 

 そして、階段が潜水艦から伸びてくると、

 

 「「影山ァ!!!」」「影山……」

 

 現れた男を見て、叶と鬼道の叫びと、円堂の呟きが重なった。

 

 「久しぶりだな円堂、それに鬼道。……やはり古会(ふるえ)も雷門にいたか。ククッ……もう総帥とは呼んでくれんのか」

 

 「今度は何を企んでいるんだ!?」

 

 「私の計画はお前たちには理解出来ん。この真帝国学園の意味さえもな。私から逃げ出したりしなければ、お前にはわかったはずだ」

 

 「オレは逃げたんじゃない!! お前とは決別したんだ!!」

 

 叶は怒りを抑えるのに必死で、何も言えなかった。

 口を開けばきっと、「死ね」や「殺す」が真っ先に出てくる。もう手遅れに近いが、そんな汚い言葉を綺麗な円堂たちに聞かせたくはなかった。

 

 「影山零治!! あなたはエイリア学園と、何か関係があるの!?」

 

 「……吉良瞳子監督だね? さて、どうかな。ただ、エイリア皇帝陛下の御力を借りているのは事実だ」

 

 「エイリア皇帝陛下」のワードに周りが反応する中、瞳子は「読心能力で影山から情報を読み取りなさい」の意を込めて、叶に呼び掛ける。

 

 「阿里久さん」

 

 「はい」

 

 「…………」

 

 「…………?」

 

 瞳子の意図は叶に通じなかった。

 叶はただ、名前を呼ばれただけと思った。

 

 「さあ鬼道、昔の仲間に会わせてあげよう」

 

 言って、影山は潜水艦──真帝国学園の内部へと戻っていく。

 

 「待て影山!!」

 

 「鬼道! オレも行く!」

 

 猪突猛進に鬼道は影山を追いかけ、彼を心配した円堂も、真帝国学園の中へ入っていった。

 

 「円堂が行くならアタシも!」

 

 「オレも!!」

 

 「野暮(やぼ)だな。感動の再会にゾロゾロ着いてってどうするんだよ、デリカシーがあるならここで待ってな。フンッ」

 

 そう言った不動に、「オレはデリカシーねえから!」とでも言って入ってやろうかと叶は思ったが、僅かに残る理性で周りの目を気にして止めた。

 

 

 

 

 

 

 視覚・聴覚情報の寄生先を円堂へ。叶本体はこれで、自分の周りからは何の情報も得られない。ろくな会話も動きも出来ない、ただの置物となる。

 

 影山の元へひれ伏した鬼道の仲間。

 叶には僅かに見覚えがあるくらいの存在でしかない、帝国学園の眼帯のフォワード・佐久間と、顔のペイントが特徴的なゴールキーパー・源田がそこにはいた。

 

 円堂と鬼道の説得に、彼らは聞く耳を少しも持たない。

 世宇子に勝つために雷門へ移ったのは帝国の仲間のため、という鬼道の思いを二人は否定して、さらに佐久間に至っては彼の手を叩いて拒絶した。

 

 アイツが雷門にいたのはそういう理由だったのか。確かにあんな負け方じゃあな。

 世宇子と帝国学園の試合の段階で、超能力で照美たちを妨害しとけば良かったのか。叶は過去の泣いていただけの自分を恨む。

 

 「お前たちには勝利の喜びがあっただろうが、オレたちには敗北の屈辱しか無かったんだよ!!!」

 

 「……すまなかった」

 

 元チームメートの悲痛な叫びに、鬼道は深く頭を下げて謝る。

 それを嘲笑する不動と、コンテンツを消費するように盗み見ているだけの自分に叶はたまらなく苛つく。

 

 そして、鬼道は影山に従うのだけはやめてくれと懇願した。

 ──かつて、叶は世宇子に勝って彼らを影山の支配から救ってほしいと、雷門イレブンに懇願した。

 

 過去の自分と今の鬼道が、叶の中で重なる。

 ああそういえば、オレは守たちには土下座して、それまでの経緯を冗長に語って、世宇子に勝ってほしいと頼んだ。でも、照美たちには影山に従わないでくれって、ちゃんと理由もつけて話したっけ?

 また過去の過ちが出てくる。自分の無能さに、叶は笑ってしまった。鬼道はきちんと話せている。彼とオレを重ねるなんて。いくら影山の教え子でも、鬼道に失礼じゃないか。

 

 これ以上、自分の無能さを見せつけられたくなくって、叶は視覚・聴覚の共有をここで止めた。



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62話 vs真帝国学園①

 

 真帝国学園と試合することになり、(かなえ)たちはフィールドに立つ。瞳子により試合の全ては鬼道に任された。

 帝国学園生への偏見と嫌悪は無くなっていないが、可哀想だから極力力になってやろうと、叶は意気込む。

 

 本当ならジェミニストームのときのように完膚なく負かせたいものだが、円堂たちの前では出来ないと、叶はしょげた。

 

 自分への視線を感じ、叶は──無意味な動きだが──顔を上げた。染岡から借りている視界の中、ピンクの髪を眼帯みたいに顔に巻き付けた少女が叶を鋭い目付きで見ている。

 

 「アイツ、すげえ睨んでるけどお前の知り合いか?」

 

 「知ら…………ない?」

 

 会ったことあるような、ないような。

 喉に小骨が刺さったような気持ちで、叶は染岡の質問に答える。

 

 「オレが動くまで、こっちにボールを寄越(よこ)すな。影山が何か仕掛けてこないか警戒する」

 

 「……。警戒して、何か出来るのか?」

 

 「バリア的なの張れるぞ」

 

 「……。とりあえず言う通りにしてやるけどよ……」

 

 染岡は怪訝な顔をした。叶の言葉をとりあえず否定はしなかったのは、彼女ならば出来てもおかしくはないと感じたからだ。

 

 試合開始のホイッスルが鳴る。叶は集中した。

 フーセンガム程度の分厚さの、けれど強固なバリアがフィールドと潜水艦を覆う。

 

 「なんだこれ……!?」

 

 「まさか、影山が……? いや、危険な気配はしない。なら、一体……」

 

 音も熱も色もない。事前に聞かされていた染岡すら、バリアの存在を感知出来ない。

 それに気付いたのは不動や鬼道といった観察眼に優れた選手のみで、残りの者は通常通りに試合を始めた。

 鉄骨落としも爆破も船の転覆もない。杞憂だったようだ。ある仕掛けだけを破壊して、叶は一分遅れで参戦する。

 

 一分間で試合は十分すぎるほど動いていた。

 キックオフは真帝国学園から。そして、ボールは不動から佐久間へ。

 

 緑がかった銀髪を揺らして走る佐久間。

 目を血走らせて、彼はこれから打つ、強大で狂気的なシュートを鬼道に見せるのを楽しみにしていた。

 気合いを入れるように大きく息を吐き、叫ぶと、佐久間はシュートを打つ。

 

 「やめろ! 佐久間!」

 

 彼が何をするのか察した鬼道が言うも、佐久間は全く聞く耳を持たない。

 指笛の音が無慈悲に鳴る。

 

 「それは! ──禁断の技だー!!」

 

 「皇帝ペンギン1号!!!」

 

 叶が意識を外に向けたのと、その叫びは同時だった。何が起こったんだと、叶は思わず円堂の視界を借りる。

 目付きの鋭い赤のペンギンたちが、佐久間が振り上げた足に噛みつく。

 痛みに顔を(しか)め、(うめ)き声混じりに佐久間はシュートを打った。

 

 「…………!」

 

 その技に反応したのは叶と鬼道。

 前世で相対した選手が使っていた技であること、古巣で開発された技であることで、それぞれ予備知識があった。

 最も、その内容は雲泥の差だ。

 叶には、『なんかカッコいいけど、そこそこレベルの技』程度の認識しかないのだから。

 

 「……禁断?」

 

 叶は首を(かし)げる。

 普通にペンギンが出てきて、ペンギンパワーと共にゴールへ向かう、普通の技じゃないか。

 

 佐久間はシュートを打つと、自分を抱きしめるように腕を回して、膝から崩れ落ちた。

 

 「──魔神グレイト!」

 

 雲を切り裂くような円堂の声。彼が化身を出すのに間に合ったことに、叶は安心した。

 

 「グレイト・ザ・ハンド!! ──っ!!」

 

 ボールが円堂の手の中に収まる。円堂は痺れる腕に、目を細めた。

 

 

 

 

 

 

 佐久間は止められたシュートに、目を見張った。

 全身から脂汗を垂らす。ユニフォームの中が蒸れて、素肌は外気で冷えて、気持ち悪い。さらに全身が悲鳴を上げて、歩くだけでもボキボキと骨や靭帯の壊れる音がしそうだ。

 肺が締め付けられたかのように痛い。呼吸が辛い。息が詰まる。

 例えようのない痛み。昔した擦り傷や打撲なんて比較対象にもなれない。佐久間の人生の中で、文句無しに一番の苦痛だ。

 

 犬のように四つん這いになり、ハッハと息を小刻みに吐いて、佐久間は(かろ)うじてその場に踏みとどまった。

 

 皇帝ペンギン1号を覚えた彼は、確かに一つの壁を越えたつもりだった。

 天才とそうでない者の壁。禁断の技とも称される皇帝ペンギン1号の威力があれば、それを越えられると思っていた。

 裏切り者の鬼道が練るどんな策だって、膨大な力の前には無力だと。

 

 なのに──

 

 「……っ、……なぜだっ!!」

 

 また新しい才能の壁が立ちはだかる。

 破っても破ってもきりがない。もう、努力なんて無駄なのだと、そう思わせる壁。

 

 「おいおい役立たずの佐久間クンよぉ、お前にも“アレ”があるの、忘れてんの?」

 

 不動の言葉にはっとする。

 打ちひしがれるのはまだ早い。化身使いと非化身使いの才能の差は、影山の──さらにその上のエイリア皇帝陛下なる者の(もと)ではあってないようなものだ。

 気付いて、笑って、仮にも努力の末に習得した皇帝ペンギン1号とは違い、結局はそれが自力で得た力ではないことにも気付いて、佐久間はまた笑った。

 

 一人世宇子への勝利の喜びを味わえた鬼道に自分たちの気持ちをわからせる。

 あの敗北の苦しみを。あの後の帝国学園内でのオレたちの惨めさを。

 そのためなら何がどうなったって良い。

 例え、このサッカー人生が終わっても。

 

 皇帝ペンギン1号はまだ一度打てる。

 “アレ”を使えばもうさらに一度くらい打っても、まだフィールドに立てるだろう。

 

 どろついた執念を混ぜ込んだ瞳で、佐久間はひたすらに、意味の分からない──どうせ自分が負けたくないがための保身だろう──説得をする鬼道を睨み付けた。

 

 

 

 

 

 

 「鬼道! 禁断の技ってどういう意味だ? それに、二度と打つなって……?」

 

 風丸にパスすると、円堂は気になることを聞いた。

 今のうちに聞いておかないと、何だか取り返しのつかないことになる気がした。

 

 「皇帝ペンギン1号は、影山零治が考案したシュート。恐ろしいほどの威力を持つが、全身の筋肉は悲鳴をあげ激痛が走る。体にかかる負担があまりにも大きいため、二度と使用しない禁断の技として封印された……」

 

 鬼道の説明を聞いて、叶は驚いた。

 だって、叶が──(あらた)FF(フットボール・フロンティア)の決勝で戦った帝国学園のフォワード。彼は確かにあのとき三回、皇帝ペンギン1号を使っていた。

 物凄い叫びを上げていたけど、ゴールパフォーマンスの一種だと新は思っていた。どうしてだか彼は次の年からマネージャーに転向していたけど、そういうこともあるのだろうくらいにしか思っていなかった。

 

 けれど、鬼道の話が本当ならあれは──。いや違う、嘘に決まっている。

 

 「あの技を打つのは一試合二回が限界。三回目は──」

 

 「二度とサッカーが出来なくなるということか……」

 

 叶は下を向く。

 違う。円堂と鬼道の勝手な推測だ。そんなはずない。あのときアイツの真似して、皇帝ペンギン1号を打ってみたけど痛くもなんともなかった。嘘だ。

 新は人ひとりの人生を潰してなんかいない。

 

 佐久間にボールを渡さないという方針になり、吹雪がディフェンスに回る。

 

 「阿里久(ありく)!! いけるか!?」

 

 「おう! 任せてくれ!」

 

 風丸の呼びかけに、叶は元気よく答える。パスを胸で受け止めて、

 

 「慈悲の女神エリニュス!」

 

 ドリブルしながら、叶は化身を発動した。

 

 「おい源田! “アレ”を使え、おっと、他のヤツらはまだ温存──」

 

 「「模造化身レプリカ!!」」

 

 「…………。マジか……」

 

 不動の指示に従い、植え付けられた化身を発動した源田。反対に、彼の指示に逆らい発動した小鳥遊(たかなし)

 不動は眉間をそっと押さえた。

 

 「源田に……、化身……?」

 

 鬼道は呆けたように呟く。

 円堂の化身発現は喜べた。けれど、源田の方は。

 単に彼の努力が実っただけなのかもしれない。源田だって、名門帝国学園の一軍で、全国でもトップクラスのキーパーだ。

 だが、その可能性は限りなく低い。エイリア学園と同じ化身でもあるのだ。間違いなく影山が何かしたのだと、鬼道の勘が叫んでいる。

 

 「不動!! 貴様ァ!!」

 

 「怖い怖い。一応言っとくけどさ、レプリカには皇帝ペンギン1号みてえなリミットはねぇぜ?」

 

 「レプリカ……。……それも、神のアクアのようなものなのか……?」

 

 「さっすが鬼道クン。大正解~! それも|阿里久叶由来の力だぜ。ほーんと、感謝感謝ってな。っと、植え付けられたレプリカの力に適合出来なかった選手がどうなったか知りたいか?」

 

 「…………」

 

 「ノリ悪ぃなー。ま、選手としてはほぼ終わりって感じ。いやー、源田と佐久間が適合出来てマジで良かったぜ。はい、無駄話はこれで終わり。お仲間の勇姿を見てやれよ!」

 

 「貴様……!!」

 

 不動はけらけら笑って言った。

 佐久間に皇帝ペンギン1号を打たせない方法。真帝国学園の化身使いの数。源田があの技を使う可能性。チームメートへの指示。叶とは一体何なのか。

 鬼道の頭の中で、複数の思考が同時に動く。

 

 「ねぇ! アタシのこと、覚えてる!?」

 

 高笑いしながら、小鳥遊が叶へと迫る。

 

 「オレはお前なんか知らないぞ」

 

 「えー? やだー、忘れちゃったのー?」

 

 小鳥遊に追い付かれた。

 ボールを奪おうとする彼女に、下半身だけを小刻みに動かし、時にはフェイントも交えながら抗戦して叶は言う。

 小鳥遊はむっとした様子で言った。

 

 「小一のときに会ったじゃない! クラブ同士の試合で、アンタの他には世宇子のキャプテンのドーピング野郎もいた!」

 

 「……! 照美はそんなんじゃない!」

 

 激昂(げっこう)で叶の集中力が乱れる。小鳥遊の爪先がボールに掠った。叶は慌てて、ボールを染岡へパス。染岡は頼もしく、「任せろ!」と言ってくれた。

 

 「えー? パスしちゃうの? もっとアンタとやりあいたかったのに!! ま、良いけど。……ねえ、本当に思い出せない?」

 

 「……あのときの、沼上(ぬまがみ)たちのチームの……! ラフプレーが酷かったヤツか」

 

 「正解! きゃははっ!! ……はーぁ」

 

 笑うと、小鳥遊は一転して重く息を吐く。

 

 「アタシはこんなにアンタが嫌いなのに、なんでアンタはアタシを忘れてるの?」

 

 「オレらが会ったの、あの一試合だけだろ。そんだけで嫌われる筋合いなんか……」

 

 「その一試合で、アンタみたいな女に、アタシのプライド滅茶苦茶にされたの! 絶対許さない。この試合でアンタがサッカー、出来ない体にしてあげる」

 

 「……ハァ、どうでも良いぞ」

 

 「何なのよ!! 余裕ぶりやがって!!! あっ、見てぇっ! 今から源田のヤツに、面白いこと起きるんだから! ふふっ、あれ見たら余裕無くなるでしょ!」

 

 叶を怒鳴り付けると、楽しそうに小鳥遊が真帝国学園ゴールを指さす。

 叶は彼女の視界を借りて見た。

 

 パスした後、染岡は順調に上がっていってくれたようだ。ゴールに向かい、もはやシュートまで秒読み。

 

 「染岡!! 頼む、オレにシュートを打たせてくれ!」

 

 「おう! アイツらの目、お前のシュートで覚まさせてやれ!」

 

 染岡から鬼道へパス。

 叶は染岡のシュートが見られないことに少し落胆した。今の気分はドラゴンだったのに。

 

 「思い出せ!! これが、本当の皇帝ペンギンだ!!」

 

 「「「皇帝ペンギン2号!!」」」

 

 鬼道の指揮の(もと)、統率のとれた動きで鬼道、一之瀬、染岡の三人による皇帝ペンギン2号が打たれる。

 皇帝ペンギン1号に比べれば、愛らしい顔立ちの青いペンギンと共に、シュートは源田の守る真帝国学園ゴールへと向かう。

 

 「……アームド。──ビーストファング!!!」

 

 源田の両手が、上下からボールを挟み込む。

 獣の咬合力(こうごうりょく)。それを宿す両手は、本来の源田の限界以上の力を彼に与えた。

 

 「アームドまで……」

 

 「まさか、ビーストファングまで……」

 

 そして、彼の片手にシュートは収まった。だが、限界以上の力に体が耐え切れず、先の佐久間のように膝から崩れ落ちてしまう。

 

 「ひょっとして、今の技も?」

 

 「…………ああ。ビーストファングだ。皇帝ペンギン1号と共に封印された禁断の技……」

 

 雷門の選手に戦慄(せんりつ)が走る。

 

 「皇帝ペンギン1号は三回までだっけ? あ、三回目でサッカー出来なくなるから二回までか。こっちは?」

 

 叶の質問。

 

 「…………。わからない。とにかく、源田にあの技を出させるな!」

 

 「シュートを打つなってことだな」

 

 苦虫を噛み潰すように、鬼道は答えた。

 皇帝ペンギン1号と同じく三回で選手生命が終わると見積もるべきか。見た感じ一回が限界ではなさそうだ。最悪を考えて二回と考えるべきか。

 

 叶の空っぽな頭ではわからない。

 でも、試合の難易度が上がったことはわかる。

 点を相手より多く勝てば勝ち。そこに、“佐久間に皇帝ペンギン1号を打たせない”と、“源田にビーストファングを使わせない”が加わった。不動と影山の悪辣さを考えれば、他の選手がシュートを打った方が早い場面でも、佐久間にわざとボールを回すだろう。

 

 シュートをしてはいけない。させてもいけない。

 「佐久間と源田を守る」という勝利条件を満たしたいのなら、真帝国学園にボールを渡さず、常に場を支配し続けることすら求められる。

 

 出来るけど、やりたくない。

 叶は心中でごちた。

 彼女は今もなお、帝国学園の選手がノリノリで鉄骨落としに加担したと思っている。そんなヤツらのために、余計な労力を払う意味がわからない。

 それに、こちらの手の内を全て影山に明かす意味も、怪物じみた力を見せて周りに怯えられる必要もない。

 

 それに──。

 

 「うーん。禁断の技……、禁断……???」

 

 周りが鬼道の作戦に賛同する中、叶は思い付いた。

 

 そもそも、禁断の技というのが嘘なのでは? 佐久間も源田も所詮帝国学園の生徒、影山に従って演技をしているのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 「佐久間!」

 

 源田からのパス。それを受け取った選手が指笛を鳴らした。

 

 「っ!!!」

 

 鬼道の鳴らす指笛。すなわち、皇帝ペンギン2号を開始する合図でないのなら、その音は佐久間のタイムリミットを刻一刻と告げる。

 

 だから、誰が何をしたのか認識する前に、鬼道は自然と悲鳴のように、佐久間の名前を叫んだ。

 

 「皇帝ペンギン……1号っ!!!」

 

 ボールを蹴る足は佐久間より細く、白い。必殺技の名を言う声は、彼のものより高かった。思い返すと、指笛だって佐久間より下手だ。変にこぶしが効いていた。

 そして、鬼道は少し遅れて、叶がパスを佐久間に届く前に、皇帝ペンギン1号で打ち返したのだと把握した。

 

 「阿里久────!!!」

 

 何のつもりだ、どこでその技を覚えた、話を聞いていたのか、止めろ。

 様々な思いの籠った鬼道の叫びだけが、虚しく響いた。




ちなみに小鳥遊さんが出てきた試合は、13話から14話
地の文に出てきた新の中学生時代の試合は、最後の方で軽く触れられている程度ですが、8話にあります。青字から対応話に飛べます。


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63話 vs真帝国学園②

 

 (かなえ)の皇帝ペンギン1号にフィールドがざわついた。

 真帝国学園も、雷門も、佐久間以外が打つことを想定していなかったのだから。

 

 「おい!! お前、体は平気か!? 何考えてるんだ!! 3回打ったらサッカー人生が終わるんだぞ!?」

 

 染岡は叶を怒鳴り付ける。叶はへらへら笑って、「平気平気」と返した。

 

 「源田ァァァァァ!!!」

 

 懇願するような響き。

 さすがの源田も、皇帝ペンギン1号が打たれると思わなかったからか、反応が少し遅れている。そのまま(ほう)けていてくれ。鬼道は祈る。

 

 「ビーストファング!!!」

 

 源田は日本の中学生の中で最高峰のキーパーだ。

 おまけに、ハーフウェーラインより後ろのところから叶はシュートを打った。ゴールからはコートの半分以上も離れている。つまり、源田が意識を切り替えて、必殺技を発動する時間が十分にあった。

 

 源田の手の中でボールが暴れる。

 狂暴な赤いペンギンたちが鋭い牙で源田の両手にガジガジと噛みついた。 

 暫しの攻防の後、シュートはゴールネットへと勢いよく突き刺さった。

 

 「阿里久(ありく)!! 何のつもりだ……!! シュートを打つ必要なんてなかっただろう!」

 

 敵に向けるのとそう変わりない声色で、鬼道は叶へと問い詰めた。

 一之瀬や風丸が「落ち着け」と呼び掛けるも、鬼道がそれを気にする気配はない。

 

 「染岡の質問にもついでに答えるとさ、オレ、どこも痛くねえぞ。マジで。だからさ、思うんだけど……」

 

 しっかり真帝国学園のヤツらにも聞こえるようにしないと。

 気分はさながら、高らかに真相を告げる名探偵。叶は得意気な笑みで、腹に力を入れて言う。

 

 「──アイツら、嘘吐いてるんじゃねえのか? だって、こんなのがあんな反応するくらい痛いなんてあり得ないんだぞ!」

 

 そうして、叶の言葉に、

 

 「……ぷはっ、はははっ!! いーひっひっひっ!! 演技! 演技だってよ、佐久間クン!!」

 

 我慢ならないと言った様子で不動と一部の真帝国学園メンバーが笑う。

 

 「……っ、~っ!!」

 

 佐久間は握り拳を作り、全身を震わせた。下を向く彼の表情は誰にもわからない。

 

 「ふざけるな! この痛みが、演技だと? どこまでオレたちを馬鹿にしたら気が済むんだ!!」

 

 佐久間を守るように前へ出ると、源田は叶を真正面から睨み付ける。

 

 「うーん、どんだけ馬鹿にしても気ぃ済まないかな」

 

 叶は怒りが一周回って、笑顔で言う。

 

 「……何だと?」

 

 「だって、お前ら、オレ……の父ちゃん殺したヤツらの生徒だろ? ならお前らが父ちゃん殺したも同然だよなァ!?」

 

 叶の暴論に空気が凍り付く。

 

 「それに、帝国学園って雷門に鉄骨落としたりしてたし。そういうやり方をする学校なんだろ?」

 

 「あちゃー……。もしかして、他の観客にもそう思われてるのかなー……」

 

 土門が頭を抱えた。

 

 「あれは影山の独断だ! オレたちは関わっていない。信じてくれ!」

 

 「マジ?」

 

 「ああ」

 

 鬼道はゴーグル越しでもわかる、誠意の籠った目で真っ直ぐ叶を見た。

 帝国学園に連なる人間には、赤い血なんて流れていない。

 どうせその場しのぎの嘘だと、叶は鬼道の心を読む。

 

 「…………」

 

 本当だった。

 当時の彼の戸惑いと、八年間の付き合いの第二の父とも言える恩師に裏切られた気持ちを、叶はダイレクトに受け取ってしまう。

 

 「で、でも父ちゃん殺されたのは事実だし……。どうせ帝国学園の生徒なんて、ろくなもんじゃ……」

 

 「おい! そっちも影山が勝手にやったことだろ! わからねぇのか!?」

 

 「サッカー部はみんな良いヤツらだぞ! ……佐久間と源田だって、元に戻ればきっと、一緒にまた楽しいサッカーが出来るさ!」

 

 染岡と円堂が叶の聞きたくないことを言ってくる。

 止めてくれ。この十四年間、影山と同様に帝国学園の生徒をずっと、勝手なレッテル貼りで憎んできた。

 今更その認識を変えるより、ずっと彼らを憎み続けた方が、叶には楽なのに。

 

 「ふーん、人殺しに何か教わったらみーんな人殺しって考えってか」

 

 「…………ああ」

 

 「世宇子のヤツらも、一応影山サンの教え子だな? 天才サマはどう思う?」

 

 不動の言葉に叶は押し黙る。叶が目を反らすと、「もしもし? 聞いてる?」と、不動はしつこく話しかけてきた。

 

 「それ、は」

 

 「それは?」

 

 「……アイツらとは、関係ない、だろ」

 

 「ぷっ……! 今の聞いたかよ? いやー、天才サマは自分に都合良いことしか考えねえんだな!」

 

 不動が叶を嘲笑う。

 

 「………………」

 

 叶はどすどすと足音を立てて、不動に近付く。

 何がしたいのかはわからない。

 でも、洗脳でも破壊でも、超能力は相手との距離が近いほど精度が増すから、とりあえず近付いた。

 

 「……。おい、何するつもりか知らねえけどよ、その前に鬼道に言うことがあるんじゃないか?」

 

 「は? あー、はいはい。ごめんなさい」

 

 「…………チッ!」

 

 「よせ染岡。オレは気にしていない」

 

 何だか熱が冷めてしまった。叶は足を(ひるがえ)すと、フィールドに戻る。

 

 「監督! 阿里久は佐久間たちの体を気にせずにプレーする……危険です!」

 

 鬼道が叶をベンチに下げるように訴えるも、瞳子に却下されていた。

 

 「叶! もう、佐久間も源田も、傷付けたりしないよな?」

 

 円堂の声。叶は苛つきながら答える。

 

 「あー、そうだな。もうしない。でもさ、ビーストファングが間に合わないシュートならオッケーだろ?」

 

 「ビーストファングが間に合わない……そっか、それなら!」

 

 「阿里久。お前にはディフェンスに回ってもらう」

 

 「……。……わかった」

 

 シュートを打つ気満々でいたのに水を差された。

 ディフェンスでもシュートは打てるから良いやと、叶は無理矢理溜飲(りゅういん)を下げた。

 

 

 

 

 

 

 真帝国学園ボールから試合は再開。

 叶と吹雪が下がったことにより、染岡のワントップになり、雷門は非常に防御に偏重(へんちょう)したフォーメーションとなった。

 

 不動がドリブルをし、佐久間がそれに並走する。ゴール手前でパスし、再び佐久間に皇帝ペンギン1号を打たせるつもりだろう。

 

 大人しくそうさせる雷門ではない。鬼道の指示に従い、佐久間をマークし、彼にボールが渡らないように構える。その中に叶もいた。

 

 「…………」

 

 「おー怖い怖い。クソ学園のクソクソ野郎が、よくもオレを睨めるもんだな」

 

 「阿里久……! 余計なことを言うな!」

 

 叶は佐久間を煽った。

 風丸が咎めたが、叶は気にしない。

 

 「お前みたいな天才がいるから……、オレたちは……!」

 

 「うーん……? いや、お前の頑張りが足りないだけだろ」

 

 「……頑張ったさ!! 帝国学園の人間として誇りを持って、鬼道の横に堂々と立てるように、帝国学園に入るまでだって、レギュラーを取り続けられるように、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと! オレは……!」

 

 佐久間は壊れたラジカセのようにブツブツ呟く。

 

 「努力してきたのに!! お前みたいな、化け物じみた天才がいるから!! オレたちがこんな目に遭うんだ!」

 

 「佐久間…………」

 

 風丸は酷く同情的な目で彼を見た。寄り添うような眼差しだった。

 反対に、叶はゴキブリでも見るかのような目で彼を見た。

 

 帝国学園への誤解は解けた。

 感情的なところは以前の認識を引きずりまくっているけれど、叶の理性は帝国学園の生徒を、その辺の中学生と同じように見れている。

 けれど。

 叶はどうしようもなく、天才とか凡人とか、そんな言葉を使って諦める人間が大嫌いだった。

 

 天才(こっち)に責任を押し付けるな。

 天才(オレたち)の努力を無かったことにするな。

 

 モヤモヤが心を覆う。

 一瞬、吹雪からボールを奪い佐久間に渡して、お望み通り皇帝ペンギン1号を打たせてやろうかと考えたが、理性を働かせて止めた。

 

 風丸に寄生する視界の奥。真帝国学園のディフェンスラインでは、吹雪と染岡が連携してゴールへと向かっている。

 今は、吹雪も叶と同じくディフェンスだったはずだ。コイツだけ良い空気吸いやがってと、叶は悪態付いた。

 

 「目を覚ませ、源田! 行くぞ吹雪!」

 

 やけに惹かれる輝くような声が、叶の鼓膜を揺らす。

「染岡くん!」と返す吹雪の声は、(あくた)のように叶の耳を通り過ぎた。

 

 「ワイバーンクラッシュ!!」

 

 青の翼竜(よくりゅう)が、染岡のシュートと共に空高く羽ばたいた。

 

 「おおっ! かっけぇ!!」

 

 「……。ホントに源田と佐久間のこと、アンタは何も思わないのねェ」

 

 戦隊ヒーローを見るようにはしゃぐ叶に、小鳥遊(たかなし)は笑い混じりに呆れた様子で言った。

 シュートはゴールには向かわない。向かった先は──

 

 「オレが決める!! うおぉぉぉぉぉ!!!」

 

 橙の目。毛先が跳ね上がった髪。荒々しい口調。

 叶から見て、攻撃的なサッカーをする、困ったところもあるが頼りになるときの吹雪が雄叫びを上げる。

 

 「行くぜ。オレの化身!!」

 

 吹雪は勝ち気に笑う。周りが驚く中、染岡も同じように笑った。

 

 「豪雪(ごうせつ)のサイア!!!」

 

 女性型の化身。白と水色を基調にした、涼しげな異形の美貌がある。

 

 「アイシクルロード」

 

 少し早口気味に吹雪は言って、ボールを力強く蹴った。豪雪のサイアが槍を振り下ろすと、シュートはさらに強い氷の力を(まと)う。

 

 「……!」

 

 源田は反応出来ず、二点目を許してしまった。

 

 「凄い!」

 

 「本当にビーストファングを出させずに決めちまいやがった!」

 

 雷門イレブンは喜びに沸き立つ。

 叶はオレだって出来たのになぁ、と思いながら、化身使いが増えることは叶にとって特別めでたいことなので、周りと同じように心からの祝福の言葉を送った。

 

 「素晴らしい……。これは二人の連携技として使えますよ。名付けてワイバーン──」

 

 「まだだ!!」

 

 目金の言葉を染岡が遮る。

 

 「あのシュートはほとんど吹雪の力で入った。悔しいが……オレが出来たのは源田へのフェイントくらいだ」

 

 「それでも十分じゃないか!」

 

 「オレが認められねぇんだよ。……いいか吹雪、阿里久」

 

 「何だよ?」

 

 「何ー?」

 

 「本当に(しゃく)だが、雷門のエースストライカーの座はお前たちに一旦渡す。オレがその化身とやらを使えるようになるまでだ! それと目金」

 

 「はい!」

 

 「(わり)ぃがそのときまで、あの連携技に名前は付けない。オレなりのケジメだ」

 

 「はぁ……? わかりました」

 

 目金は不思議そうに返事した。

 

 「わぁぁぁぁ」

 

 いっそ間抜けなくらいの感嘆の声。

 染岡が世界で照美と同じくらい、叶の目に輝いて見える。

 本当に? 本当に追い付いてくれるの? 先行(さきゆき)先輩みたいにオレを捨てない? 

 叶は願う。

 先輩と違って、一生叶わなくても染岡には頑張り続けて欲しい、と。

 

 「よくオレの動きがわかったな」

 

 「お前に勝つためにずっと見てきたからな。……大嫌いなお前を」

 

 大嫌いと言いつつも、染岡の口元は緩んでいる。

 叶は彼を見つめた。さっきの不動の質問と、鬼道の心を読んだせいで傷付いた心が癒される気がする。どうしてだろう?

 不思議なことはもう1つ。体が熱い。運動していても、いつもなら息切れはもちろん、体温が高くなることだってそうそうないのに。

 叶は赤らんだ自分の頬に気付かないまま、ただ好意と疑問で頭を満たした。

 

 

 

 

 

 

 試合が真帝国学園ボールから再開し、一分も経たない内に前半終了のホイッスルが鳴る。

 不動は苛ついた様子でボールをコートの外に出した。

 0-2。

 勝利の可能性が極端に低い訳ではない。2点差を覆した試合など、世の中いくらでもある。

 

 「……厄介だな、アイツら」

 

 不動は雷門の選手──とりわけ、化身使いの三人、円堂、叶、吹雪を見つめた。

 円堂が居なければ。

 佐久間の皇帝ペンギン1号は問題なくゴールネットを揺らしたはずだ。

 叶が居なければ。

 少なくとも一失点は防げたし、真帝国学園の士気の低下だって防げた。

 吹雪が居なければ。

 不動の持っているデータからして、染岡のワイバーンブリザードと組み合わさったのはエターナルブリザード。彼があの土壇場で化身を出さなければ、化身レプリカを発動している源田なら止められた。

 

 不動は考える。

 理想的なのはこの三人の内誰かを潰すこと。

 円堂を潰すには、何十回もシュートチャンスを得られるような、そしてそのほとんどを円堂への攻撃のためだけに使えるような雷門との地力の差がいる。

 “アレ”を使おうが、せいぜい後半中に5、6回シュートを打てるかどうかだ。

 

 あの不条理の極みのガキが居なくなれば、と、不動は叶に目をやった。

 そうすれば、後半シュートを打てる回数は1.5倍から2倍にはなる。

 ……出来るか?

 チームメイトの小鳥遊による、かつて叶と練習試合をしたとき、彼女の頑丈な体故にジャッジスルーが効かなかったという話を不動は思い出した。

 それが小1の出来事というのだから恐ろしい。今、叶は中2。8年間の成長は無視出来ない。

 よって、叶を潰す案も没。

 

 吹雪は──、と考え、何も化身使いを潰すことに(こだわ)る必要は無いと、一連の思考を始めてから10秒かかって、ようやく不動は(ひらめ)いた。

 化身使い以外の8人。それを狙えば良い。

 そして、最も雷門へ効果があるのは──。

 

 後半からの使用なら、“アレ”を使っても不動()大丈夫だ。

 何をしてでも勝てれば良い。勝者こそ正義。強者が正しい。だって、弱者から生まれたからこそ、かつて不動は侮蔑の目を向けられたのだから。

 真帝国学園のメンバーに指示を告げながら、不動はこれからの惨状を思い浮かべて笑った。

 

 

 

 

 

 

 後半開始。

 叶と吹雪は前半から続けてディフェンスへ。化身の力を活かして、佐久間にこれ以上皇帝ペンギン1号を打たせないよう動く。

 

 『……まだ何か隠し玉があるはずだ。それがわかるまでは、源田と佐久間をこれ以上刺激しないためにも、シュートを控えてほしい』

 

 ハーフタイムの鬼道の言葉を叶は思い出した。

 

 源田と佐久間が自力で目を覚ますことはないと叶は思う。

 鬼道にどれほど呼び掛けられても彼を恨み、染岡と吹雪のあの絆が詰まった連携シュートを見ても心が動かないのだから。

 

 叶は低いモチベーションを無理矢理上げる。

 佐久間の目を見た。オレンジに近い赤の目。照美と似た色。

 佐久間と源田は鬼道の照美だ。叶はそう思うと、二度と皇帝ペンギン1号を打たせてたまるかという気分にようやくなれた。

 

 パチンと、指を鳴らす音が突如聞こえた。

 

 「照美?」

 

 叶は小さく言う。誰にも聞こえなかったらしく、叶は安心した。

 指を鳴らしたのは不動。

 

 「さァ、ここからが本番だぜ!!」

 

 目を見開き歯茎を見せて、不動は笑う。

 

 「「「「「模造化身レプリカ!!!」」」」」

 

 「……! オレの……!!」

 

 既に化身を発動している、源田と小鳥遊以外の9人の声。

 出てきたのは全て同じ化身だ。

 

 「ひぃぃ……こんなん無理ッス……」

 

 「アイツら、ひょっとしてイプシロンよりヤバいかも……?」

 

 雷門の選手がざわめく。

 特に、壁山と木暮は目に見えて戦意を喪失させていた。

 

 「きゃははっ!! アンタの力でお仲間が潰されるとこ、よーく見ときなよ!!」

 

 小鳥遊の高笑い。

 それに、ただ一人、瞳子は確かな勝機を見出だした。




最初吹雪はここで化身を出す予定じゃなかったのですが、一応源田も化身使いなので、原作通りじゃ入らないと思い変更しました。
豪雪のサイアと白銀の女王ゲルダで迷いましたが、ゲルダは別のキャラの方が似合うと思いサイアに。

ちなみに染岡さんが化身使いになるかは完全に未定です。
雷門の化身使いは最終的に5人くらいになる予定なのですが、染岡さんが化身使いになると円堂以外が全員フォワードになってしまうからです。下手したらこの二次小説中でワイバーンブリザードの名前が付かない可能性すらあります。

真帝国学園編が終わったらもう一発叶をナーフします。


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64話 vs真帝国学園③

 真帝国学園の11人全員が化身を出した。

 ざわめく雷門イレブンへと、(かなえ)は鼓舞すべく叫ぶ。

 

 「落ち着け!! あの化身は普通の化身よりかはクソ弱いぞ!!」

 

 「でも……」

 

 「阿里久(ありく)さんたちは良いッスけど、オレたちは……」

 

 あまり効果がない。結局オレの言葉に意味はないと、叶は下を向いた。

 

 「やらずに諦めるのか!? そんなんじゃ、アイツらを助けられないだろ!?」

 

 「…………。お前は化身使いだから、そう言えるんだろ」

 

 円堂が檄を飛ばす。それに、風丸は誰にも聞こえないようにして、1人ごちた。

 そして、案の定、雷門のプレーは真帝国学園に通用しなくなっていく。

 

 「イリュージョン──、……っ!!」

 

 「おっと、悪ぃな鬼道クン」

 

 鬼道の持っていたボール。不動はそれを、わざと鬼道の肩へ強くぶつかるように突っ込んで奪った。

 痛む肩を抑え、鬼道は暫しの間動けなくなった。 

 

 「フレイムダンス……うわぁぁぁぁあぁぁっ!!!」

 

 真帝国学園のオフェンスに、どの必殺技も通じない。

 通用するだろう叶と吹雪は、雷門にとって最も危惧する事態。佐久間による皇帝ペンギン1号を抑えるため、ゴール前で構えていた。

 

 「おっと、鈍いなぁ」

 

 「クソっ……!」

 

 寄ってきた風丸を、ボールを華麗に頭上へ浮かせることで不動は軽くいなす。そして、ボールを佐久間に回した。

 

 「……! やめろ、やめてくれ佐久間!!」

 

 「悪いけど、キミの体のためにもシュートを打たせるわけにはいかないよ!」

 

 「帝国学園を裏切ったお前の言うことなど、聞いてやるか!!!」

 

 取り返そうと慌てて駆けた鬼道と一之瀬。

 彼らは化身の力を使いこなす佐久間に吹っ飛ばされ、太刀打ち出来なかった。

 

 「阿里久!! 吹雪!! 頼む、佐久間を止めてくれ!」

 

 「「おう!!」」

 

 鬼道はチームの化身使い2人に向けて懇願する。同じ返事が重なった。

 叶は吹雪の方を見る。ツリ目で、髪も上を向いて、荒々しい口調に雰囲気。普段の優男然としたものとは違う、頼れる吹雪の方だ。

 

 こっちなら、自分が失敗しても──化身使いにアタックしまくって化身を使えなくなっても、後を任せる。叶は安心した。

 

 「照美(お前)がサッカー出来なくなったら、オレ(鬼道)が悲しむからな」

 

 「帝国学園(オレたち)全員をコケにしたお前が、今更鬼道の味方のように振る舞うな!!」

 

 佐久間はこめかみに血管を浮かべて言った。

 叶の化身・慈悲の女神エリニュスと、佐久間の化身・模造化身レプリカとがぶつかり合う。

 パリン、と何かが割れるような音の後。叶がボールを持ち、佐久間は地面に膝をついていた。

 

 「あっはっ!! 次はアタシ!」

 

 「まずっ……、吹雪!!」

 

 小鳥遊(たかなし)と、真帝国学園のディフェンダー•弥谷(いやたに)、ミッドフィルダー・日柄(ひがら)の3人が叶へと迫る。叶は後方へとパスを出す。ついでに、少しズルいが円堂と源田の視界を使い、フィールド全体を2視点から見た。

 叶、吹雪、円堂。この3人以外は恐らく、真帝国学園相手の戦力になれない。強いて言うなら鬼道の頭脳は役に立つ。それと、染岡も。何だかわからないけど、叶は彼に同じフィールドへ居て欲しかった。

 えっと……染岡は色々強い、凄い、輝いている。

 叶は稚拙な理由を付けて、好いた相手である彼を、共に化身使いと戦える人間なのだと無理に思った。

 

 真帝国学園で警戒すべき相手。佐久間には鬼道、一之瀬、塔子の三人がマークについている。そして、不動には染岡と風丸が。

 

 「……オラァ!!」

 

 真帝国学園のディフェンダー、郷院(ごういん)がボールを持つ吹雪に向かって、キックと言っていいパワーのスライディング。

 

 「……っ!」

 

 幸いそれは吹雪の足を痛めることはなかった。

 だが、人を傷つけるのに躊躇しない郷院の攻撃に怯み、吹雪の体が揺らめく。

 そこを上手く突き、郷院の足がボールを射止めた。

 

 「おー、悪ぃ悪ぃ。そっち飛んだ」

 

 強く蹴られたボールは、向かう先は──

 

 「次こそ……! この力でオレがゴールを決める!! オレが鬼道を超える!!」

 

 叫んで、佐久間は走る。

 レプリカにより強化された脚力で、一歩一歩、地面を割るかのように強く踏み締める。それは、世宇子のダッシュストームのごとく、周りに突風を起こした。

 

 「うわああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 「きゃあぁぁぁぁぁっ!!」

 

 鬼道と一之瀬、塔子を吹っ飛ばして、佐久間はゴールに向けて進む。

 

 「キラ──―、マジかよ……」

 

 土門が必殺技を出す暇もない。

 

 壁山と木暮が慌てて、佐久間の前に立ちはだかる。

 

 「ザ・ウォ──―うわあぁ!?」

 

 「……っ、嘘だろ……」

 

 壁山の必殺技も呆気なく出す前に突破されてしまう。

 木暮に至っては動かせてもらえなかった。

 

 「っ、阿里久!!」

 

 「ん、安心しろよ。アームドしなきゃ化身特有の技以外は使えねぇ。出せるのは、特に体に負担のないシュート技だけだ」

 

 鬼道の「早く佐久間を止めてくれ」という意の籠った呼び掛けに、叶は余裕ぶって返した。

 

 「──アームド!!」

 

 「うん? ……やべっ」

 

 言った途端に佐久間が化身アームドをしてしまった。

 叶は慌てて彼の方に全力疾走。音を置き去りにしたその走りは、叶が通り過ぎた後に耳が痛くなる轟音を残した。

 

 そして、地面から赤いペンギンが顔を出し始めた辺り。

 

「させねぇぞ」

 

 叶は佐久間の足元のボールを蹴り上げて、空高くに浮かせた。

 続けて、自分も空中へ。佐久間は少し遅れてジャンプしたが、叶の跳躍力の方が上だ。

 少しばかり重力に従えば、足が佐久間の頭を蹴れる良い位置に来る。やろうか? 考えて、叶は慌てて佐久間から離れる。

 そして、次の動作はその身に──否、前世からの記憶に染み付いた動き。叶はそれを脳死で選択した。

 通常の試合ならそれが勝利への1歩になる。だがこの試合に限り、それは1つの影山への敗北を意味する動き。シュートを。

 

 「星影(せいえい)散華(さんげ)!!! うぉりゃあ!!」

 

 化身アームドして叶はシュートを打つ。

 鬼道が裏切られたような表情で、たっぷりと目を見開いて叶を見た。

 

 ボールと共に飛び上がり、叶はさらに上──大気圏外へとボールを蹴る。

 その後は叶は何もしなくて良い。両手と片膝を地面について着地すると、叶は真帝国学園ゴールの方を見た。

 

 「阿里久? これは一体……?」

 

 「シュートミスか?」

 

 「一応言っとくけど、ボールを無くして試合続行不可……って考えなら意味無いぜ。予備のボールならたくさん──!?」

 

 幼稚な考えを看破した。そんな様子で笑う不動が何かを察知し、自陣のゴールへ振り向いた。

 

 「おい源田ァ!! 油断すんなよ!」

 

 「ああ!! ──っ!?」

 

 叶がシュートを打ち、1分弱。異空間と現実を繋ぐポータルが、源田の目前で開く。

 ゴールまでの短い距離。シュートは(きら)めく星空を(えが)いて進み、ネットを揺らした。

 

 「よし、上手く行った。最初からこれ連打で良かったな」

 

 「阿里久!! やるじゃねぇか!!」

 

 「わわっ……、……。……!!」

 

 染岡が叶の頭に手を置く。

 叶は一瞬パニックになると、周りに普通の様子の叶の幻覚を見せた。顔を真っ赤にして、どう返事しようか戸惑っている子などいない。

 

 「真帝国学園の人たちって、みんなああなんスか? お、オレたちの必殺技……全部通用しないんですか?」

 

 壁山がふと言ったことに、喜びムードはすっかり無くなった。

 

 「……そうね」

 

 瞳子が淡々と肯定する。

 

 「でも、阿里久さん。あなたなら彼らの化身を無力化出来るはずよ」

 

 「はい。全員に突っ込めば良いんですよね! あっ、何ていうか……化身用の体力を無くして、化身を出せなくしようってこった」

 

 わかってなさそうな周りに向けて、叶は補足した。

 

 「…………」

 

 瞳子は冷たい視線を叶に向けた。

 間違えてはいないはずだ。叶は何だこの女と思いながら言う。

 

 「合ってますよね? 何か言いたいんですか? なら、はっきり言ってくれませんか? 大人でしょう?」

 

 瞳子はこれ見よがしにため息をつく。

 

 「…………ハァ、あなたは以前、自分の使える特殊な能力を私に伝えてくれたわよね?」

 

 「特殊な能力?」

 

 鬼道が興味深そうに叶の方を向く。

 

 「そのときの台詞(セリフ)、覚えてる? それを思い出せば、相手の化身使いなんて、あなたには……、いえ、雷門には苦にならないはず」

 

 言いたくない。それに、周りに叶の能力について言わないことと、万が一にも照美を加入させないこと。それが、超能力で絶対に知る(よし)もない情報を知る叶が、エイリア学園のスパイでないことを証明することの条件だったはず。

 

 叶が唇を不満で尖らせて、やっぱり響木のおっちゃんが良かったなぁとごちる。

 

 「…………。透視したり、霊体化したり、相手の頭を情報量とかでパーンってさせたり、人へ体力とかをあげたり、反対に貰ったり、生き物……例えばカエル操って木暮の口に突っ込ませたり」

 

 「おい」

 

 「あと、本当の本当に緊急以外は使わないけど、読心したり洗脳したり、です、けど……まさか真帝国学園のクソども……じゃなくて選手たちを洗脳しろとでも? そもそもこれ、オレ周りに伝えないようにって言ったんですけど。怖がられちゃう……」

 

 「……別に言えだなんて指示していないわ。思い出してくれれば良かっただけ、あなたが勝手にしたことよ」

 

 木暮が何やら喚いて、春奈が苦笑いしてそれを宥める。

 瞳子は少しだけ居心地悪そうにして言った。その目は馬鹿を見る視線をしていた。

 

 「阿里久、“体力”の定義はなんだ?」

 

 「変なこと聞くなぁ。体力は体力だぞ」

 

 叶は「1足す1は?」と繰り返し聞かれたときのように、少しうんざりして返事した。

 

 「……。お前が言う、“化身用の体力”やらも、含まれるのか?」

 

 「それは……って、もしかして真帝国学園のヤツらの化身をオレに吸わせようとしてる!? やだやだやだ!! 気持ち悪いぞ!!」

 

 叶は駄々っ子のように言う。

 

 「……頼む、叶!! 源田と佐久間を影山から助けるためにも、オレたちはこの試合、絶対負けられないんだ!!」

 

 「後で好きなだけ文句を聞いてやるから、やってくれねぇか」

 

 円堂と染岡の言葉。それに叶が快諾しようとしたところで、反対が入る。

 

 「でも、信じていいんでやんすか? そんな突飛な話……」

 

 「悪いけど、オレも。本当だとしても、佐久間たちの体に変な影響は無いの?」

 

 栗松と一之瀬だ。

 信じてもらえないのは仕方がない。表に出して怖がられないだけマシだ。もしかしたら心の奥では叶と一緒にいたくない者もいるかもしれないが、そこまで探るつもりはない。

 だが、一之瀬の質問に叶は何も答えられなかった。

 

 「あー……他人の化身を吸収なんてしたことないし、多分出来ないぞ」

 

 「………………。選手生命が絶たれるよりはマシだ。阿里久──」

 

 包丁を自分の首にあてがうような悲壮感溢れる表情と声色で、鬼道は何かを言おうとする。瞳子はそれを遮った。

 

 「いいえ」

 

 「……? 何がですか?」

 

 「あれは他人の化身ではない。そうよね?」

 

 瞳子の言葉は、叶にはイマイチピンとこない。

 叶が返事に迷っていると、鬼道が瞳子の援護をする。

 

 「……そうだな。あれは、元はお前の化身だ。不動がそう言っていただろう」

 

 真帝国学園やエイリア学園の選手が使う化身は、元は叶が影山の前で、世宇子との試合で使用した化身が解析され、移植されたものだ。

 その詳細は叶にはわからないが、恐らく以前洗脳して人生を叶で塗り潰したような、影山お抱えの優れた研究者があってのものだろう。

 

 「うん、うーん? ……あっ!」

 

 唸って、叶は叫ぶ。

 

 「あれオレの化身じゃん!! 泥棒っ!!」 

 

 叶は真帝国学園のベンチに向けて叫ぶ。

「何アイツ……」と、不動がドン引きした様子で言った。

 

 「本当にあれで納得しちゃって良いの?」

 

 「気持ち悪いって抵抗してたけど……本人が良いなら良いんじゃない?」

 

 「そもそも本当に出来るかもわからないしな」

 

 そんな叶を見ながら、塔子、一之瀬、風丸の3人が、口々に言った。

 

 

 

 

 

 

 試合は真帝国学園ボールから再開する。

 鬼道は横目で残り時間を確認した。

 残り15分。その間持ち堪えられれば雷門の勝ちだ。

 

 瞳子の策──真帝国学園の選手の化身を、「元は叶の化身なのだから」という理論で叶に吸収させる──を、鬼道はイマイチ信じ切れていなかった。

 信じていないなりに、叶を言いくるめる手伝いはしたが、それとこれとは別だ。

 鬼道はそれほど頭の固い少年ではない。だが、大事な仲間を、自分が見てもいないものに賭けるほど愚かではなかった。

 

 「模造化身レプリカ、アームドっと」

 

 キックオフの前に、不動がふざけた調子で言う。

 すると、不動の体を灰色の、モヤモヤとした鎧のようなものが(まと)った。

 叶の化身アームドとシルエット自体は同じ。だが叶の方にあるような、煌びやかなマントや、頭や腰の装飾品はない。その対比もあり、全体的に質素な印象を覚える。

 

 不動の言葉を口火にして、既に化身アームドしている不動、小鳥遊、佐久間、源田以外の真帝国学園の選手も「アームド」とバラバラに言う。

 

 「次こそ決めろよ!!」

 

 がなり立てて不動が言うと、佐久間が突風を起こしながら雷門ゴール前まで走る。

 それを確認して、不動がボールを蹴った。その先は、またもや佐久間だ。

 

 「皇帝ペンギン──」

 

 「ダメだぞ!!!」

 

 麻薬中毒者のようにギラついた目で、歓喜に唇が弧を(えが)いて佐久間は言った。

 そこを、叶の叫びが遮る。

 またお前かと言わんばかりに、佐久間は叶を睨みつけた。

 

 「うおおおおぉぉぉぉぁぁぁ!!!」

 

 叶の雄叫び。叶の全身──アームドした化身が禍々しく輝く。

 真帝国学園の選手たちが発動した化身レプリカが、まるで掃除機に吸い込まれるかのごとく、エリニュスの元へ還って行った。

 

 「おー、すっきりした!」

 

 「……は?」

 

 「うしし……ボールもーらい!」

 

 驚く佐久間たち。その隙を突いて、木暮が佐久間の足元にあったボールを持って行く。

 佐久間は現実を確かめるように、自分の胴体──レプリカではなく真帝国ユニフォームが映った──と、ボールが無くなった足元、パワーを増した叶の化身を順に見た。

 

 佐久間の揺らぐ赤い瞳が、叶の最も愛しい少年と重なる。

 ──不動の言った、神のアクアがオレの力由来だなんてのが本当なら、オレのいない人生の方がアイツは何万倍も幸せだったろうな。

 母ちゃんの声も最近聞こえない。早くそっちに行きたい。消えちゃいたい。

 考えても無駄なことが、叶の頭を圧迫した。

 

 「化け物……」

 

 「かもな」

 

 畏怖(いふ)の籠った瞳で言う小鳥遊に、先程まであった叶への闘争心はもう無かった。

 

 「お、おい! まだ皇帝ペンギン1号も、ビーストファングも使えるだろ!? 何腑抜けてやがる!!」

 

 明らかに士気の下がった真帝国学園の選手を不動が叱りつけるも、大して効果はないようだ。

 

 「風丸!」

 

 「染岡!」

 

 木暮から風丸、染岡へとパス。

 

 「おい、吹雪! もう1度、オレたちでゴール決めるぞ!」

 

 「ああ! オレに任せろよ染岡!」

 

 「はっ、言いやがるぜ」

 

 口調は荒いが、互いへの信頼の見える会話をしながら、2人は真帝国学園ゴールまで上がろうとする。

 それを妨害する相手選手らは、精神的動揺からかパフォーマンスも悪く、2人の障害にはなり得なかった。

 

 「──っ、クソ!!!」

 

 そこを、染岡の後ろに忍び寄っていた不動が、彼に背後からの殺人スライディングを決めた。

 膝を蹴ったにしては柔らかな感触が、不動の足に伝わる。人体の壊れる嫌な音が辺りに響いた。

 

 

 

 

 

 

 染岡の後ろ。不動が何かよからぬことを企んでいる。

 読心能力でそう知った叶は、対処すべく頭を回す。

 走って2人の間に割り込むのも間に合う。だがその場合、どちらかの体が今のパワーアップした叶の突進でイカレるだろう。

 壊れるのが敵の不動なら、叶は正直どうでも良いけれど、間違いなくレッドカードで退場だ。雷門のみんなに負担がかかる。

 染岡を叶が傷付ける結果になれば、別に叶の力で治せるけれど、でも悔やんでも悔やみきれない。

 

 不動か染岡を蹴り飛ばして妨害、あるいは避難させるのはどうか。

 叶に蹴られた相手が死んでしまう。絶対にダメだ。

 

 ということは、もっと穏便に解決する必要がある。

 

 叶は考えて、2人の間にクッションとなるものを挟むことにした。

 染岡から借りている視覚ではあるが、叶の視界内。超能力の行使範囲内だ。

 

 そして、不動の蹴りが染岡の脚を壊さんとする瞬間。叶は物質生成能力を使った。

 作った物質は、1番作り慣れたもの。叶の分身。いつも通りの体だと不動の蹴りで吹っ飛ばされて染岡を巻き込んでしまうかもしれない。それはいけない。

 なら、蹴りの衝撃を全て吸収して、体がぶっ壊れるくらいでちょうど良い。

 

 叶はわざと脆く作った分身を、不動の蹴りが彼女の腹にぶち込まれるような位置に作り、2人の間に挟み込んだ。




レプリカの補足説明です。
ゲーム的なステータスでいう“スピード”や“キック”の他に、隠しステータスで“化身”があり、一定以上まで化身が発現出来るような感じです。ただし、スピードやキックにはそれを特に伸ばせる特訓がありますが、化身にはないため意図的に発現させるのは少し難しいです。

仮に化身を発現出来るのが化身ステ50として、移植された模造化身レプリカは移植先の選手の化身ステを無理矢理49.999...まで上げます。実際は少し足りませんが、データ的な数値上では50のため化身が発現されます。
その状態の選手がこの二次小説のジェミニストームや真帝国学園です。
足りない0.000...1を滅茶苦茶頑張って特訓して上げると、レプリカは移植先の選手が鍛錬の果てに本来発現するはずだった化身へ変化します。
その状態の選手がこの二次小説のイプシロンで、デザームたちには叶の化身吸収は効きません。もちろん円堂や吹雪にも効きません。

かなり適当な設定なので、その内矛盾が生じるかもしれません。


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65話 vs真帝国学園④

ぼかしていますがグロ描写があります。


 

 甲高(かんだか)い悲鳴が海を割る。

 審判がホイッスルを鳴らして、蒼白の顔でレッドカードを掲げた。

 

 「……は、何だよこれ……」

 

 不動は人の体が潰れる嫌な感触が残る足を見て呟く。

 こんなつもりじゃなかった!

 確かに染岡を潰してやろうとした。けれど、どんなに酷くても骨折程度で済ますつもりだったのに。

 それも十分酷いが、目の前の少女と比べれば、骨折すら天国に思える。

 

 「痛いっ! 痛ぃぃぃぃ!!! たすけて!」

 

 不動は目の前の“(かなえ)”を見る。場違いにスプラッタ映画のようだった。

 

 「おい!! おいっ!!! 阿里久! 阿里久!! 大丈夫か!? 少し待ってろ、すぐに救急車が来るからな!」

 

 染岡は必死に呼び掛けた。

 目の前の“叶”はとても弱々しく、放っておいたら死んでしまいそうだ。医療的なことはわからないが、とにかく意識を保たせないといけないだろう。

 

 フィールドにいる何人かは目を瞑ったり、別方向を見たりして目を逸らしている。

 瞳子は「見ないで!」と呼び掛け、夏未は少し遅れて後輩の目を覆った。

 

 「ぅん…………、秋ちゃん、守、本体、助け……」

 

 「救急車なんか呼ばなくて良いぞ!! あ、レッドカードも取り消しで」

 

 快活な声は、あの悲鳴と全く同じもの。染岡と不動の目の前で潰れたカエルになった“叶”と、同一の見た目の人物。

 

 「これは……お前の分身能力とやらか?」

 

 帝国学園時代の彼を思わせる、鬼道の冷たい声。叶は平然と返す。

 

 「そう。不動がやべー蹴りを染岡に喰らわせようとしてたから、クッションが欲しいと思って!」

 

 叶は笑う。親にテストの結果を自慢する子どものように、純粋だ。

 

 「ごめん、うるさかったよな? いつもなら自由に発声や思考が出来ないようにするんだけど……慌ててたから忘れてた。すぐソイツ消すな」

 

 ばつが悪そうに頬を掻いて叶は言う。途端、分身は消えた。

 

 「……分身って、天馬たちと一緒の試合でも使ってたよな……? なんでこんなことするんだ?」

 

 「分身ちゃんたちにもう酷い扱いはしないって、約束してくれたでしょ? 嘘だったの?」

 

 円堂と秋の問い。叶は秋の言葉に慌てて、

 

 「う、嘘じゃないぞ!! ただあのときはその……約束しないとお前らに嫌われちゃうから……」

 

 「よくわからないけど、それって嘘と何が違うの?」

 

 「……。そうなんだね。わかってくれなくて悲しいよ」

 

 待って、お母さん、見捨てないで!! 叶は思って、一之瀬の厳しい指摘に言葉を詰まらせる。

 

 「……クソ」

 

 染岡はさっきまで分身がいた場所を見る。血痕すらも彼女と共に跡形もなく消え去ってしまった。

 

 「どうしてあんなことが出来る!? アイツは仲間じゃねぇのか!?」

 

 彼に睨まれたことに傷ついて、頭が真っ白になった。しばらくフリーズし、叶は染岡を説得しようと口を開く。

 

 「どうしてって……お前を守るためだぞ。不動の蹴りが当たってたら、お前がヤバかった。まああの分身はクッション用にわざと脆く作ったから、染岡ならあそこまではいかないと思うけど」

 

 「そんなん頼んでねぇ!! オレは」

 

 「……? 大丈夫。秋ちゃんも守もお前も、みーんな同じ勘違いしてるけど、あれは人間じゃないんだ。オレの形したラジコンなんだよ。でも染岡は、代わりなんて誰一人いない存在だろ?」

 

 「……だからって」

 

 「もういいよ、やめよう? 阿里久(ありく)さんとは話が通じないよ」

 

 「そうだ。まだ試合も続くんだからな」

 

 吹雪に言われ、染岡は叶から目を逸らし、分身の倒れていた地面を再び見る。

 どうしてそっちに行くの? あれは人じゃないのに。叶は思って、仲間の視覚と聴覚を借りて辺りを見回す。

 

 「な、なぁ……一応助けてもらったんだし……」

 

 「染岡を庇ってくれたのには感謝している。だがな、それ以上にアイツが何が悪いかわかっていないのが問題なんだ」

 

 チームの和を保とうとした風丸に、鬼道が言い捨てた。

 

 「何アレ…………。不動! オレら、あんなヤツと戦うのかよ!?」

 

 「……阿里久さん、もっと優しい人だと思ってたッス」

 

 畏怖。恐怖。幻滅。失望。

 オレは上手くやったのに、どうして。誰も傷ついていないのに。

 周りが向ける感情の理由が、本気でわからない。

 

 「…………なんで」

 

 見回して、叶は二人の少年をもう一度見た。

 彼らも叶の方を向いていたけど、目が合うことはない。

 佐久間と風丸。赤い目で、長い髪の少年。

 

 「…………照美?」

 

 照美が離れていく。叶を見て、言葉一つ紡ぐのすら嫌そうに。毛虫でも見たような目をして。

 

 「照美ぃ、オレ、悪いことなんてしてないよな……?」

 

 消えそうに震える声。答えはなかった。

 

 

 

 

 

 

 「おい、試合再開だ。全員落ち着くの待ってたら日が暮れちまうだろ? 早くしろよ」

 

 「……ああ」

 

 審判が不動に急かされてホイッスルを鳴らし、雷門のスローインから再開。

 残り10分の試合。点差は、3-0で雷門が優勢。

 

 敗北への焦り。見せられたグロテスクな光景。吸われ無くなった化身のエネルギー。キレを失ったチームメイトの動き。足に残り続ける嫌な感じ。

 それらを感じながらも、不動はまだ諦めていなかった。

 この試合は捨てる。試合に負けて勝負には勝つ。どこかで見ているエイリア学園へのアピールとなる活躍をして、成り上がってやる。

 

 不動はそう決心して、再び染岡を潰しに行こうと──

 

 「──!?」

 

 「テメェ、何しやがる!?」

 

 「は……っ、何にもしてねぇだろ。バーカ」

 

 出来なかった。

 爪先(つまさき)が染岡の(すね)にぶつかるかどうかのところで、反射的に脚を引っ込めてしまう。

 蹴る。それだけの慣れ親しんだ仕草が、人体相手だけには出来ない。

 皮膚を突き破り、中の硬いものも柔らかいものもじゅるりと潰し、足が突き進んでいく不愉快な感覚。分身により味合わされたそれが、自然と動きを止めた。

 

 他のヤツにタックル。吹っ飛ぶほどのスライディング。

 いつもするようなプレーをシミュレート。そこに異物が混ざる。あの分身のように、不動と接触した選手がトマトソースになって──。

 

 「うぇぷっ……」

 

 不動は吐き出したくなった。だがそんな無様を見せるわけにもいかないから、必死に耐える。

 叶の愚策は奇しくも、彼の行動を制限していた。

 

 「ッチ……、佐久間、小鳥遊(たかなし)!!」

 

 苛立ちながら、真帝国学園の中でも戦意のある二人に声かけ。

 見るに、雷門は叶を抜いてパス回しをしている。

 

 当たり前だと不動は感じた。

 アウトローな自分でもドン引きしたくらいだ。雷門の選手はお利口の集まり。例え作り物であったとはいえ、人を傷つけて笑って済ます人物を、簡単に受け入れることなど出来ないだろう。

 

 吹雪が染岡との連携で上がっていく。

 源田のビーストファングを引き合いに出して、挑発するのも無意味だ。あの合体シュートにビーストファングが間に合わないことは、既に知られている。

 

 真帝国学園のディフェンスは呆気なく突破された。

 このチームは烏合の衆。

 輝かしい経歴を持つ同年代への劣等感、嫉妬。

 自分より上のヤツらを叩き潰したい欲望。あるいは、成り上がり願望。巧みな話術でそれらを引き出して、時にはエイリア石の洗脳効果も用いて、不動は彼らを集めた。

 

 今となっては悪手でしかなかった。

 素に戻ってしまえば、負の感情で引き出された原動力はなくなる。

 それだけが絆故に、雷門のように追い詰められたときの爆発力なんて見込めない。

 

 「行け吹雪!!」

 

 「ああ!! ──アイシクルロード!!!」

 

 4点目を決めるシュートが、無慈悲にゴールネットを揺らした。

 

 

 

 

 

 

 「照美ぃ……?」 

 

 叶は居心地の悪さを感じながら、隣に見える幼馴染に泣きつく。

 昔、世宇子で叶が空気を読めない言動をしたときみたいに、照美がフォローしてくれることは無かった。

 

 呟いて、これじゃ逆だと慌てる。叶は大人なのだ。だからこんな風に甘えてはいけない。

 そう、大人なのだから、後で瞳子の情報伝達能力の悪さを問い詰めてやっても良いだろう。

 照美は加入させない約束だったのに、どうしてここにいるんだ。

 

 見限られたらしいのは辛いけど、でも、後でみんなとしっかり話せば、きっとわかってくれるはずだ。

 照美は確かジュースが好きだった。出会ったころのようにぶどうジュースをあげれば、きっと機嫌を直してくれる。

 

 真帝国学園のキックオフ。不動から佐久間へ。

 佐久間がボールを持ったことに、自然と空気はピリつく。

 

 「………………照美」

 

 三度目となる叶からの妨害。

 叶はサポートしてくれるよう、幼馴染を小声で呼ぶ。照美が来てくれない。やっぱり、こんなにヤバいチームと戦うのは怖いんだろう。オレが守ってやらないと。

 見当違いに、叶は戦意を上げる。

 

 佐久間は恐怖に身を竦ませながらも、キッと前を向き叫んだ。

 

 「退け……!! この外道が!!」

 

 「……? えっと……? あっ! わかったぞ、自己紹介だな!」

 

 「黙れ!!!」

 

 視神経がちょん切れそうなくらい力を入れて、彼は睨む。

 頭おかしいヤツは訳わからないことを言うんだな。確かにちょっとびっくりさせちゃったけど、外道はないだろ。照美もそう思うよな?

 

 叶は思い、「アステロイドベルト!」と、ブロック技を発動させる。

 降り注ぐ隕石が佐久間の歩みを止めて、溢れ球は叶の足元へと来た。

 

 「──あはっ」

 

 そこに小鳥遊が立ちはだかる。何となく不屈の精神を感じる彼女を、叶は気に入った。

 

 「力があれば、何をしても許されるものねぇ! アンタ、アタシたちより影山の手下の適正あるよ!」

 

 挑発混じりに小鳥遊が言う。

 

 「違うぞ!! オ、父さんはすっごい天才だったけど、人殺したのは許してもらえなかったからな! あ、照美……うん、びっくりしたよな。ごめんなぁ……」

 

 「………………は?」

 

 叶は瞳孔をかっぴらいて言った。

 小鳥遊はただ、それに震えた。

 

 

 

 

 

 

 「染岡! パスだぞ!!」

 

 「…………」

 

 叶のパスは逡巡(しゅんじゅん)の後に受け止められず、ボールは真っ直ぐ飛んでいく。それを我に返ったような動きで、真帝国学園のディフェンダーが取りに行き、パスのパワーに耐えられず吹っ飛ばされた。

 

 当たり前よね。アタシだってあの女からパス、受け取りたくないよ。

 小鳥遊は思って、叶と目が合って、小さく悲鳴を漏らした。

 目を逸らそうとして、でもそうしたらあの化け物に頭から食われそうで、小鳥遊は叶の瞳を見つめ続ける。

 

 彼女を小鳥遊が悪く思う理由はただ一つ。

 かつて、自分こそが最強と思っていた彼女の世界に、変なポッと出が割って入ってきて、あっという間に最強の座に収まってしまったから。それだけだ。

 少しばかり劣悪な家庭環境で生まれ育ったことだとか。そこから逃げるため、クラブの監督の伝手で影山支配下のチームに移籍したりとか。さらにそこで、虐待混じりの訓練をさせられたりとか。

 そんなことは小鳥遊の人格形成に何も関係しなかった。

 

 あの敗北を繰り返し再生するたびに、苛々が溜まって、叶への恨みが作られていった。

 だから、真帝国学園に参加して、あの化け物と再戦して勝つのを楽しみにしていたのに。虐待混じりの訓練なんか、叶を倒すためならむしろ楽しく思えるくらいだったのに。

 

 「クソ……っ!!」

 

 鬼道から染岡へのパスを、不動がカット。

 ここから逆転なんて無理でしょ。思いつつ、小鳥遊は不動の援護と相手ディフェンスの妨害、どちらも出来る場所へ走る。

 

 「佐久間ァ!!」

 

 「ああ! ……っ」

 

 ロングパスした不動の声に応えた佐久間は、二度の皇帝ペンギン1号のせいで痛む両足に短く動きを止める。

 

 「チッ、介護してやるわよ! ほら!」

 

 このままではボールが雷門に取られそうだ。

 仕方なくパスを小鳥遊が受け止めて、佐久間がしっかり立ち上がれそうなのを確認出来るまで、キープした後に彼へ。

 佐久間は何とか倒れそうなのを踏ん張り、ボールの方に走る。

 

 その瞬間、ホイッスルの音が響いた。

 

 不完全燃焼に、小鳥遊は地面を殴りつけた。

 まだこれからだったのに。せめてシュートを打たせたかった。違う。アタシが打ちたかった。佐久間に回さずに打っていれば。自分も皇帝ペンギン1号を覚えていたら。もっと鍛錬していれば。

 色んなたらればのせいで頭がとっ散らかる。

 

 試合が終わり雷門の選手は、皇帝ペンギン1号とビーストファングを、リミットまで使わせずに済んだことに安堵している。

 喜びの輪から、叶だけが外れていた。

 

 真帝国学園の選手も理由は違えど安心していた。やっと化け物との試合が終わる。「影山に従う人間に人権はない」なんて言って、自分たちもあの分身みたいにしかねない。安心でいっぱいで、生きているだけ儲け物だった。

 

 「ぁ、嘘……。なんで、なんでまたアイツに負けるのよ!! 化身も、これもあったのに!!」

 

 小鳥遊はヒステリックに叫ぶ。胸のペンダントが煩わしくなって、真ん中にある紫の石を怒りのままに握りしめた。

 

 「不動! お前がもっと、上手く指示してくれれば……!」

 

 「……お前の話なんか聞かなきゃ良かった!」

 

 真帝国学園の選手は、自分たちのことを棚に上げて口々に不動への不満を口にする。

 佐久間と源田は呆然とそれを眺めていた。

 

 不動は彼らを見限り、無言でその場を去る。

 行き先に予想はついたけど、小鳥遊は彼を追いかけるつもりはなかった。負けは不動だけのせいじゃない。そう思っているけど、彼を慰める義理はない。

 

 「……あれ?」

 

 叶が何かしないよう、暇つぶしも兼ねて見張る。

 瞬き一つ。その間に彼女は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 部屋に来た不動との、時間を浪費するだけの無駄な会話を終え、影山は潜水艦の爆破ボタンを押す。

 

 「…………」

 

 空振り。押しても手応えはなく、火種すらもない。

 

 機器の故障。影山はありきたきな理由を違うと断じる。これをしたのは古会(ふるえ)の娘、それ以外はありえない。

 

 「おいクソ。積もる話でもしようぜ」

 

 「コイツ……、いつからいやがった!?」

 

 不動が喚く。

 彼にも、そして影山にも。叶がいつからこの部屋にいたのか分からなかった。

 気配を消して、不動に着いてきたのだろう。普通ならそう考える。だが、影山はその優秀な頭脳故に他の可能性を捨てきれなかった。

 

 例えば、試合開始前からずっと叶はここに()いて、虎視眈々と影山を害すチャンスを狙っていた。

 それすらも彼女の能力の前ではあり得てしまう。

 

 推理泣かせの能力に、なんて素晴らしいのかと喜ぶ。

 惜しむべきは古会(あらた)が、そして阿里久叶が、悲しいくらいに影山好みの選手ではないことだ。

 

 「何笑ってやがんだ、気色悪いクズが。……照美、怖いよな。大丈夫だぞ。オレがいるからな」

 

 何もない隣に微笑むと、叶は影山を睨みつける。彼女の茶髪が、激情を表すかのように逆立った。

 

 「何でコイツにあんなものを飲ませた? 何で季子(きこ)を殺した? 何でオレを殺した?」

 

 「そこには誰もいねぇし、お前は生きてるだろ……。マジでなんなんだよ……」

 

 「照美はちゃんといるだろ!! 髪とペイントはカッコよくても心は汚いんだな! オレはあのとき死んだ!! 何も知らねぇヤツが口を挟むな!!!」

 

 「…………」

 

 狂人の言葉に、不動が震えた。







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66話 リセット

 

 「聞きてえことは山程あんだよ。何で照美たちにあんなものを飲ませた? 何で季子(きこ)を殺した? 何でオレを殺した?」

 

 唸るように低い声で発せられた(かなえ)の質問に、影山は順番に答えてやる。

 

 「あんなものとは、神のアクアのことかね?」

 

 「決まってんだろ」

 

 「ククッ……貴様にはどれほど感謝しても足りないな。貴様のせいで研究を一時凍結する羽目になり、おおよそ六億円分の研究装置と成果を壊されたが……それを余り補うほどの利益があった」

 

 不動が「六億……!?」と思わず呟き、口を大きく開けた。

 

 「貴様の血液を得て研究をしていた医者によると、『人類の第二段階の遺伝子』だったか。改良までには至れなかったが、それでも短時間で神のアクアを安定して複製出来た。これも古会(ふるえ)叶、貴様が生まれてきてくれたおかげだよ」

 

 「…………」

 

 「さて、質問に答えるとするか。なぜ亜風炉たちに神のアクアを飲ませたか? 彼らが世宇子中の生徒だからだ」

 

 「…………え?」

 

 「私は世宇子の理事長が学校を創立する際に多額の支援を行っていてね、その引き換えにサッカー部に関して、時が来れば全権を委譲してもらうことになっていた。このような学校は全国にある。世宇子だけが特別ではない」

 

 「なら、なんで……?」

 

 「偶然世宇子を最初に神のアクアの実験場として選び、偶然スターティングメンバー全員が適合した。全ては偶然、それだけだ」

 

 叶は下を向いて、歯を食い縛り拳を握り締めた。手の指の骨が鳴る音が部屋中に響き、殺気が周囲をピリつかせる。

 影山はそれに動じず、世界全てを統べる黒幕のような得体の知れない雰囲気を漂わせ、普段通りに堂々と座っていた。

 

 そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもの気迫に、産毛(うぶげ)が逆立つのを感じると、不動は慌てて部屋を出ようとして、透明な壁のようなものに阻まれていると知る。

 何度か叩くも、ちっとも割れやしない。壊すのを諦め、危害を加えられないよう、這うように部屋の隅に移動して、出来る限り息を潜めた。

 

 「おい」

 

 それも意味を成すことはなく、叶が不動に目を合わせて呼びかけた。

 

 「ここからは出れないようになってるからな。安心しろ。時間の流れも外より遅い。警察とかが来るまで、どれだけでもオレの満足行くまで話せるぜ」

 

 「時間まで操れるのかよ!?」

 

 叶は不動を一瞥し、影山の方を向く。不動は不快なようなラッキーなような、複雑な気持ちになった。

 

 「そうか。非常に興味深い力だ。ならば、私の最高傑作に逢いに行くには、貴様の質問に全て答えないといけないな。貴様の父親を殺した理由を教えてやろう」

 

 叶は息を飲んだ。理由を知ったところで過去は変わらないが、何かの核心がわかる。

 

 「これも偶然だ。間違った意思疎通が起こした不幸、そう言いかえても良い」

 

 「何言い訳して……」

 

 「私は帝国学園を優勝させるため、その障害を取り除くことを部下に指示した。あの年の障害はエースストライカーでもキャプテンでも、どの選手でもなく、監督の古会(あらた)だった。それほどまでに、彼の能力は素晴らしかった。故に、帝国学園に引き抜こうとさせたのだが、上手くいかなかったのだ」

 

 「…………だから殺したのか?」

 

 「勘違いしないでもらいたい。私は部下に『古会を殺せ』などとは言っていない。『古会がもしも相手校からいなくなれば、帝国学園の勝利は盤石(ばんじゃく)となる。上手いこと会場から遠ざけてくれる者がいたのなら、私はその者に相応の地位を与えるだろう』。十五年も前の、ただの一人言だ。言った私でさえうろ覚えの言葉だな。それを聞いていた部下は、私の関与しないところで古会を殺してしまった。事故のようなものだ、部下の頭が私の想定よりも足りず、暴力的な手段しか取れなかったのだから。会場に彼を来させないだけならば、殺人以外にいくらでもやり方はあったというものを」

 

 「うだうだと、屁理屈ばかり……!! 何が一人言だよ、そう指示したのと一緒だろ!? 次だ!!」

 

 叶の強く握り締めた拳からは、爪が食い込んで血が出ていた。彼女がそれを気にする素振りはない。怒りで頭がいっぱいで、痛みに意識をやる余裕はない。

 

 「どうしてオレの母ちゃんを殺した? オレの、オレの誰より大事な女房を……!!」

 

 母親だけならまだわかる。だが、女房? 不動は縮こまったまま不思議に思った。

 類義語は妻や嫁。年齢的にも性別的にも、叶にそんなものいるわけない。

 なぜと考えようとして、そもそもコイツの認知は狂っているから考えるだけ無意味だと、不動は思考を止める。何せ、いもしない世宇子のキャプテンがいると思い込んでいるのだ。

 

 「ククッ……、ククッ、ハハハハハッ!!」

 

 影山はしばらく口の中だけで笑い声を抑えると、堪えきれず盛大に哄笑(こうしょう)して、叶に語りかけた。

 

 「私が? 古会季子を? ふむ、互いの認識をすり合わせようではないか。古会季子は、娘のお前の試合を観戦すること以外では、夫の死後、サッカーには一切関わっていなかったな? そして、それすらもほんの一度だけだ。無論、私との関わりもない」

 

 「…………ああ」

 

 「古会季子の死因は飛行機事故。そして、飛行機事故の原因は、航路に突如発生した竜巻だ。それに私がどう関与していると?」

 

 「…………っ、竜巻くらい頑張れば誰でも起こせる……!」

 

 「ハイジャックでもない、整備不良でもない。母親の死に関して、貴様が恨める人間は存在しない。私にも彼女を殺す動機はない。それで私に責任を押し付けて楽になろうという魂胆か?」

 

 「黙れ!! 黙れ黙れ黙れ!!! ……死ねっ!!!」

 

 叶は耳を塞いで、小さく蹲り、全身を振り乱して叫ぶ。ボサボサになった髪が彼女の口に入り、ユニフォームに不恰好なシワが出来た。活発になった毛細血管が叶の白目を(ほの)かに赤く(いろど)る。

 破壊衝動が爆発して、最初に叶が殴り付けた床に穴が開いた。次に部屋の壁がひび割れて、続けてその穴を中心に潜水艦が壊れ始めた。

 

 「何だこれ……、おいっ、これもテメーが……」

 

 「お母さんは死んでない!!! あっちにいる、海の中にもいる、外にもいるし、空にもいる!! あっ! 照美ぃっ! そんなところにも来てたのかぁ! 大丈夫、すぐに影山を始末するからなぁ!!」

 

 叶の支離滅裂な戯言(ざれごと)に混じり、外の騒ぎが不動の耳に入った。

 

 「叶ー!!! 不動ー!!! どこだー!!? 返事してくれ!!」

 

 「影山零治! いるのなら出てきなさい!」

 

 「影山ァーッ!! どこに隠れている!?」

 

 とりわけ円堂、雷門の監督、鬼道の声が良く聞こえる。

 

 「おいっ!! オレはここだ!!」

 

 言ったが、声は部屋の外に出て行かず、円堂たちにも気付かれない。

 向こうの声はこんなにもクリアに聞こえるのに。不動は歯痒い気持ちで、打開策を考える。

 

 「キャッ!」

 

 「監督っ! 大丈夫ですか!?」

 

 「ええ。……潜水艦が沈んでいる、のかしら。すぐ救助を要請するから、あなたたちは雷門と真帝国の選手と固まって、一人もはぐれないようにしなさい。余裕があれば救命ボートか何かを探して」

 

 「はいっ!!」

 

 「ま、待てよ……オレを見捨てるのかよ!!? おい!! オレはここにいるんだって!!! 行くな!! 助けてくれっ!!」

 

 希望の足音が遠ざかる。やがてそれすら聞こえなくなると、不動の顔から血色が失せていった。

 ガタゴトと潜水艦が揺れ、浸水が始まり、段々と沈みゆく。

 慌てて透明な壁を叩いたが、手が腫れるだけで壊れない。

 

 ここでコイツらと心中? 冗談じゃねぇ!!

 透明な壁を渾身の力で蹴る。彼の人生の中でも、一、二を争う威力の蹴りだ。なのに、びくともしなかった。代わりに、足の骨がじんわりと痛んだ。

 

 「そうか……」

 

 影山は何かを予見したように呟く。そして、先程までと変わらない声量で、しかし存在感のある、よく通る声で言う。

 

 「最後に一つ、鬼道にこれだけ伝えてくれるかね? 『貴様は私の人生の最高傑作だ』、と」

 

 「照美、うん、ごめんな、オレ、ダメな姉貴で。最初からこうしときゃ良かったんだよな!」

 

 叶が返事にならない返事をすると同時に、影山が消えた。

 不動の喉から息がひゅっと恐怖で漏れる。文字通り、アイツはこの世から消滅したのか? つまりはこのガキが、影山を殺した?

 

 「ごめん、季子!! すぐ行くよ、待ってて!!」

 

 まるで外出する際に、準備が遅れて急かされたときのような、日常感のある、暗いところなど何も感じさせない声色。

 糸が切れた操り人形のように、叶は手足を投げ出して、笑顔を浮かべて倒れた。

 

 床に穴が開いた。ポコポコと、穴は壁にも天井にも増える。本格的に水が入り込んでくる。

 水位はあっという間に不動の顎の下まで高くなり、壁も天井も破壊された。彼の胸の辺りまでの身長の叶は既に沈んでいる。見て、次は自分だと言われたようで怖くなった。

 

 「マジで何だよこれ……畜生ッ、影山なんかに従うんじゃなかった!! 死んでたまるか!!」

 

 不動は本能が叫ぶまま、しかし頭の冷静なところに従い、ただ生きるためだけに動く。出来る限り力を抜き、水面に浮かび上がれるように。

 

 「おい坊主!! お前らで最後だ、掴まれぇ!!!」

 

 コートを着た中年の男が叫ぶ。

 上空を見るとヘリコプターがこっちへ縄梯子(はしご)を出していた。他にもヘリは数台あり、どれも中は雷門、および真帝国学園の選手で埋まっている。

 

 助かった。不動は決して手を滑らせないよう、強く梯子を掴みながら、己の幸運に感謝した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 宝物があった。

 人生で彼だけが、叶の愛しい存在であり、叶の生きる意味であり、叶の宝だった。

 

 走馬灯ってこんな感じなのか? 思いながら、叶はどうにもならない思考を垂れ流す。

 

 人生の目的は三つあった。

 

 一つ、照美をFFで優勝させる。照美は強い子だから、オレがいなくても来年きっと頑張ってくれる。

 

 二つ、影山を殺す。さっき果たした。海底へとテレポートさせたのだ。生きているはずがない。

 積年の悲願が叶ったはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう? 胸が締め付けられるようだ。落ち着かない。

 人を殺した後はこうなのだろうか? それとも、影山を──愛憎入り混じっているが──大切に思う少年の心を読み取ってしまったことが影響しているのだろうか。

 どうでもいい。面倒くさい。

 

 三つ、娘に──本物の叶に体を返す。

 と言っても、その“本物の叶”の人格が語りかけてくれたりしたことはない。本当なら娘がどんな風に育ったのかはわからない。

 でも、擬似的にそれをすることは出来る。

 

 叶は満足感の中、人格を消した。

 これで宝物が光沢を失うのを見ずに済む。

 これで終われる。楽になれる。憎い仇と同じ、暴力を問題解決手段の第一として考える醜い思考も、人を痛ぶっても何も思わない汚い感性も、消える。

 

 純粋に最初の願いを叶えるためにそうしたのか、この世全ての嫌なことから逃げたかったのか。

 叶にもわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 「叶! 不動! 良かった、無事だったんだな!」

 

 「テメェ! コイツに何を……!」

 

 「嫌だなぁ、オレは何もしてねぇって。そういうのやめてくれよ」

 

 ヘリに乗り込んだ不動を、円堂の声と染岡の怒声が歓迎した。何年ぶりにも感じるまともな人間との会話に安堵しつつ、肩を竦めて返事する。

 そして、叶がいることに目を見開いた。

 彼女が海に沈んだのを確かに見た。なのになぜ?

 そこまで考え、叶の超能力の前ではロジックなど無意味と思い出す。まるで呪いの人形みたいだと思いつつ、目を逸らした。

 

 「何があったのか、聞かせてもらうわよ」

 

 と問う雷門の監督に、不動は正直に答えてやった。

 叶の物の認識が狂っていること、この事故は恐らく彼女の超能力によるものであること、あの化け物が影山を何らかの方法で殺したであろうこと、叶はとにかくヤバいこと。

 

 「…………そう」

 

 「影山が……本当に……?」

 

 瞳子は淡々と、鬼道は呆けたように反応する。他の者も、“叶が人を殺した”という部分にざわついた。

 

 「あ、そうそう。これは影山からの遺言だけどよ」

 

 「遺言だと?」

 

 「ああ! 鬼道クン、お前宛てだぜ。──お前が私の人生の最高傑作だ、だってよ」

 

 半笑いで言ってやると、鬼道は苦しそうに顔を歪めた。

 

 「鬼道! 大丈夫か!?」

 

 「テメェ、何余計なこと言いやがるんだ!!」

 

 「ふーん。染岡クンは死んだ人間からの遺言すら伝えるなって言うのか。悪人はそれすら許されないって? 酷いなぁ」

 

 「……っ!」

 

 「オレは大丈夫だ。落ち着け、染岡!」

 

 不動が胸倉を掴まれたところを、鬼道が静止する。そして、普段と何も違わぬ冷静な様子で言った。

 

 「監督。佐久間と源田と一緒に、阿里久(ありく)も病院に連れて行った方が……」

 

 「そうそう! あんな頭おかしいヤツ、二度と病室から出さないでくれよ!」 

 

 鬼道の言葉に野次を飛ばすと睨まれた。煽ればそれだけ響く存在に、不動は安心する。影山と叶と三人きりの、毎秒ごとに命の危険を感じた空間とは大違いだ。

 

 「いいえ。怪我をしているわけではないのでしょう? エイリア学園を倒すのに阿里久さんの戦力は必須よ。彼女をチームから抜けさせるわけにはいかないわ」

 

 「なっ……!?」

 

 思わず、雷門のメンバーと共に不動まで閉口した。

 

 以降はすることもなく、ヘリが着陸するまでプロペラ音が鳴るだけの居心地悪い沈黙の中、彼らは過ごした。

 

 「んん……ぅ……」

 

 着陸して、彼女を下ろすために染岡が肩に担ぐと、しばらく寝息以外で音を立てなかった叶が外界への反応を見せる。

 潜水艦を沈めた人物とは思えない、可愛らしい声を上げ、叶は半目開きで目を擦った。

 

 「叶!」

 

 円堂が安心した様子で呼び掛けるも、叶はそっちをチラリと見るだけだった。

 あどけない表情。どんぐりのように丸い、黄色の瞳が宝石のように(きら)めいている。

 物珍しげに周囲をキョロキョロ見回す。あまりにもバタバタと元気よく動くから、染岡は叶を落としそうになった。

 

 「阿里久……?」

 

 訝しげに染岡は叶を呼んだ。何かが違う気がする。

 叶は再び彼を見て、言った。

 

 「なまえ」

 

 「名前だぁ? それがどうした?」

 

 「おしえて!」

 

 普段より辿々(たどたど)しい口調。その声すら以前より幼い気がした。

 

 「オレの名前なら竜吾……染岡竜吾だけどよ。まさか自分の名前がわかんねぇとか言わないよな?」

 

 思い当たった可能性に、染岡は焦りながら言った。

 

 「むっ、かなえのなまえはありくかなえだよ。それくらいわかるもん!」

 

 コイツこんな喋り方だったか? ……絶対違う。

 表情の作り方すら違う。以前はもっと、眉間にシワを寄せた常に機嫌が悪そうな顔だったが、今はダランと筋肉を緩ませ、小学校低学年の見た目相応の、純粋な笑顔を浮かべている。

 不穏な気持ちで、染岡は次の言葉を待つ。

 

 「はじめまして、これからよろしくね。りゅーごおにぃちゃん!」

 

 言って、叶は甘える猫のように染岡の腹へ額を擦り付けた。

 




本来は本文の中で書くべきですが補足です。
不動はヘリが着陸した後、周りが叶に注目している間に逃げています。

次の話からは一割増しくらいには明るい雰囲気になると思います。


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67話 あらたなじんせい

後書きに少し長いお知らせがあります。


 

 瞳子と響木。子供たちから離れたところで、二人は険しい空気で向かい合う。

 

 「選手に起きたことはアンタが全部責任を取ると言ったな。コイツのことはどう責任を取るんだ!?」

 

 「わはー! おひげのおじぃちゃん、おなかぷよぷよー!」

 

 「痛たっ! 髭を毟るな!! 全く、前のお前はどこにいったんだ……」

 

 興味津々とやって来た(かなえ)が響木に抱きついたせいで、イマイチ締まらなかった。

 

 とにかくその言葉を受け止めて、瞳子は叶を病院へ連れて行き、彼女の保護者と面談させられることになったのだ。

 響木に叶を無理矢理連れて行かれなかったのは、彼女がイナズマキャラバンを家だと認識していて、離されると泣いて地団駄を踏んだから。それが無ければ、瞳子は貴重な戦力を一つ失うところだった。

 

 検査の結果は異常なし。

 いっそ異常があってくれたら早く確実に治ったかもしれないのに。手痒く思いながら、子供の面倒を選手に任せ、彼女の保護者の先行(さきゆき)と待ち合わせしている病院内の喫茶店へ向かう。

 

 「叶さんに起こったことは全て私の監督不届きによるものです。責任は全て取ります。ですから──」

 

 “エイリア学園を倒すまで、叶さんを私に預けてほしい”。

 続けようとして、こんな提案を受け入れる親などいないと、言葉に詰まる。

 

 「いえいえ、そんな! 責任だなんて……」

 

 先行は人好きのする笑顔で言う。

 子供に不注意でぶつかられた、だとか。些細なことに似合う反応で、まるで事態の重さと釣り合わない。

 

 「叶ちゃんは強い子ですから。(あらた)季子(きこ)の子供なんです、きっとすぐ元に戻りますよ。あの宇宙人たちを倒すためにも、あの子は必要なんでしょう?」

 

 「…………」

 

 子供に理想を押し付けて。まるで、父さんみたい。

 自分の願望通りの反応のはずなのに、先行の言葉を嫌に思った。

 

 イナズマキャラバンまでの帰り。駐車場の車のガラスに映る自分が視界に入る。嫌なことしかない。

 使命という建前で子供に戦いを押し付ける、不機嫌そうな顔をした女がいた。

 

 朗報があるとすれば、不動は叶が影山を殺したのだと言っていたが、それらしい男の死体が見つかったなどというニュースはないことだけだ。

 最も、エイリア学園や他の権力者の手により、報道されないよう圧力がかかっているのかもしれないが。

 

 「あっ! ひとみこおねぃさん、ひとりでおいしいものたべてきたのー!? あまあまのにおいっ!」

 

 コーヒーしか飲んでいないのに。瞳子は内心首を傾げた。

 

 「おい叶! 駐車場で走るな!」

 

 「ぴゃっ!? はしってないぃ!」

 

 染岡に首根っこを掴まれ、叶は堂々と嘘を吐く。

 

 「食べてないわよ」

 

 「うそだ! ……うーん? にがにがのにおいもするー……。おにぃちゃん、これやだー」

 

 「鼻つまんどけ」

 

 騒ぐ叶を見て、あの子たちが重なる。

 何が正しいのかわからない。叶はあの子たちと父さんの苦しみの原因の一つで、でも彼らは日本中の人に恐怖を与えていて。

 エイリア学園を早く倒さないと世界すら危ないのに、でも、今の叶を戦力に数えることなんて、それこそ父と何も変わりがなくて。

 

 「……お菓子、買ってあげるから早く選びなさい」

 

 紙幣を数枚渡して、罪滅ぼしには小さすぎることを、瞳子は絞り出すように言った。

 染岡が驚いた顔で見てきたのが、少し不愉快だった。

 

 「ほんとっ!? おねぃさんありがとー! おにぃちゃん、いこいこ!」

 

 「……おいっ! 駐車場で走るなって、さっきも言っただろ!! あっちから車も来てるじゃねぇか」

 

 「ぴぃっ!? おっきぃこえやめてよ……かなえ、わるいことしてないのにぃぃ。……! だっこしてくれるの? やったー!」

 

 “自分は一方的に怒鳴られた被害者です”という顔で叶が涙目になり、染岡に担がれると表情を一転させてにっこり笑う。

 少し染岡に同情して、お日さま園の子に交通ルールを教えたときにはどうしたかと、瞳子は思い返した。

 

 

 

 

 

 

 

 「おい、菓子はもうやめろ。虫歯になるぞ?」

 

 「かなえはつよいから、なんないよ!」

 

 東京へ戻るイナズマキャラバンの中。染岡と吹雪の間の席に座って、チョコで歯と唇を茶色くしながら叶は笑う。

 染岡は口周りを拭ってやり、緑茶で口を(ゆす)がせた。

 

 「ぷはぁ……ありがとー! りゅーごおにぃちゃん、だいすきー! おれいにおかしあげるねっ! にがにがのちょこ! あとね、すーすーするあめ!」

 

 「食えないもの渡しただけか……」

 

 「しろーおにぃちゃんには、みててもかなえのおやつはあげないよ! ぜんぶかなえの!」

 

 「意地が悪いこと言うな。大体欲しいとも言われてねーだろ」

 

 「ボクはキミのお兄ちゃんじゃないよ」

 

 「へ? うえぇぇ……、わーん!!!!!」

 

 「わぁ!? 泣くんじゃねぇ!」

 

 爆音波がキャラバンを揺らし、古株が急ブレーキをかけた。染岡は慌てて叶を泣き止ませ、吹雪に軽く文句を言う。

 

 「もうちょっと言い方があるだろ……」

 

 「染岡くんは同じ年の子にお兄ちゃんって言われるのが良いんだ。ボクは家族でもない子にそう呼ばれる趣味、ないんだよね。阿里久(ありく)さん、聞いてる? ボクのことは普通に呼んでよ」

 

 「……ひっぐ、うん、わかったよ、ふつー!」

 

 「あー……そうじゃなくって、吹雪って呼べ」

 

 「ふぶき!」

 

 「ちょっとムカつくなぁ」

 

 「お前なぁ……。どうしろってんだ、前からこの呼び方だろ……」

 

 染岡は頭をボリボリ掻いた。

 

 「阿里久さん、ちょっとお姉さんとお話しましょう?」

 

 「わわっ、あたらしーおねぃちゃんだ……」

 

 「あのお姉ちゃんは雷門夏未さん、夏未お姉ちゃんだよ」

 

 「ほへー、しらないおねぃちゃんものしりー。かなえはかなえだよー! かなえってよんでね!」

 

 「知らないお姉ちゃんかぁ……。そっか、初めましてだったね。私は音無春奈、春奈お姉ちゃんって呼んでね!」

 

 「よろしくね、はるなおねぇちゃん! えっと、なつみおねぃちゃんも!」

 

 「ええ、よろしくね。ところで阿里久さん、今のあなたってどれくらい賢いの?」

 

 「かなえ、なんでもしってるよ!!」

 

 「そっかぁ、叶ちゃんは凄いねぇ」

 

 「かなえ、すごいの!」

 

 頬に食べカスをつけたまま、えっへんと胸を張る。

 

 「そう。九九はわかる?」

 

 「くく……? くくく……?」

 

 「足し算や引き算なら出来る?」

 

 「たしざ……? ひき……?」

 

 夏未の質問の意図がわからず、春奈は不思議そうな顔をした。

 

 「……あれ、読めるかしら?」

 

 外に見える、ひらがなの名前のレストランの看板を夏未は指さした。

 

 「…………わかんないぃ……」

 

 「えっ、ひらがなも読めないの?」

 

 叶は半泣きになる。一切馬鹿にする気持ちはなく、純粋にびっくりして、吹雪は呟いた。

 

 「コイツ、サッカーのルールわかるの?」

 

 「監督! 今の阿里久にエイリア学園との戦いは……」

 

 「それを決めるのはあなたじゃないわ」

 

 木暮が苦い顔で呟き、鬼道が瞳子に詰め寄った。キャラバンの中が嫌に騒々しくなる。

 

 「おにぃちゃんたち、かなえがきらいなの? どうして……?」

 

 「嫌いじゃない。みんなお前を心配してるんだ」

 

 「よかったぁ……!」

 

 何か嫌なことを言われていると気付いた叶が、涙目で呟くのを染岡が慰めた。

 

 「……秋、大丈夫? 気分でも悪いの?」

 

 「ううん、ただね、ちょっと考えちゃって……。もし分身ちゃんのことで阿里久さんを責めなければ、今こうじゃなかったのかな……?」

 

 「秋は優しすぎるんだよ。それと、今彼女がああなっているのには何も関係ないさ」

 

 「そう、だよね……」

 

 言ってくれた一之瀬に歯切りの悪い返事をして、秋は窓の外の景色を見て、気分を紛らわせた。

 

 

 

 

 

 

 「うわぁぁぁー!! すっごーいっ!!」

 

 叶が叫ぶ。今の彼女の世界には、イナズマキャラバンと病院しかない。

 初めて見る河川敷は広くて、それだけでとにかく凄いのだ。

 

 「凄いだろ? オレたち、前はここで良く、サッカーの練習してたんだ。……叶もたまに見に来てくれてたんだぞ」

 

 「えー? かなえ、ここはじめてだよー?」

 

 「…………そっか。そうだな……。悪い、変なこと言っちゃったな」

 

 「もう、まもるおにぃちゃんはおばかさんだなー。かなえとほかのこ、まちがえないでね」

 

 やれやれと叶は笑った。

 

 「サッカーはすっげぇ楽しいんだ! 叶にも興味持って欲しいなぁ」

 

 「……うんっ!」

 

 白い歯を見せて笑いながら、頭を撫でる円堂。彼がこんなに楽しそうに言うなら、“さっかー”はきっとすっごく楽しいのだろうと、叶は深く頷いた。

 

 “とげとげおにぃちゃん(杉森)”と、“だーくのおにぃちゃん(シャドウ)”が見せた必殺技は彼女を存分に興奮させた。

 叶は一切迷わず、グラウンドに駆け出す。

 

 「かなえも! かなえもあれやる! いーい?」

 

 「もちろん! 何かしたいことはあるか?」

 

 円堂は屈んで、叶と視線を合わせて言った。

 

 「あのね、だーくのおにぃちゃんみたいにやるの!」

 

 「ダークの……、ああ、シャドウか!」

 

 小さい女の子に憧れの対象として名指しされたと思ったシャドウが、ほんの僅かに口角を上げ、どこかニヒルに微笑んだ。

 

 「シュートのやり方はわかるか?」

 

 「だいじょぶ! かなえ、かっこよくするから、みててね!」

 

 染岡からボールを受け取ると、少しの会話も煩わしそうにして、叶は足元に置いて構えた。

 

 「…………」

 

 鬼道と瞳子は、値踏みするように彼女を見て、

 

 「でてきてー! えりにゅす!」

 

 元の叶と何ら変わらない、(みなぎる)る力を纏う化身──慈悲の女神エリニュスを見て、安堵と落胆を同じくらい感じた。

 

 「えりにゅす、ぎゅーして!」

 

 「ぎゅー?」

 

 気の抜けるような言葉と共に、化身アームド。

 これも以前と同様。

 

 決定的に違うのは叶の表情だ。

 前とは違い、心の底から楽しくて仕方がないような笑みを浮かべている。今と以前の写真を隣に並べたら、誰もが今の叶の方が、幸せそうだと言うだろう。

 

 「まもるおにぃちゃん、いくよー!」

 

 「おう! どこからでもかかってこい!」

 

 「かかるね! えりにゅす・ふゅーりー!」

 

 「マジン・ザ・ハンド! うわあぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 「……!? まもるおにぃちゃん!!」

 

 シュートと共にゴールネットに叩き付けられた円堂を見て、叶は涙目になって駆け寄った。

 

 「おにぃちゃん、いたいいたい? かなえのせい? ごめんなさい……」

 

 「いや……大丈夫だ! サッカーしてればいくらでもあるから、叶は悪くないよ。それに、どんなに痛くて辛いことがあっても、やっぱりサッカーは楽しいんだ!」

 

 「円堂……」

 

 誰にも届かない声で、自分には感じられないものを羨んで、風丸が呟く。

 

 「わかんない……いたいいたいはたのしくないよ……。かなえ、いたいのとんでけするね!」

 

 「へ?」

 

 「……!」

 

 叶が手を翳すと、円堂の体が綺麗になる。ジャージと体の汚れ、擦り傷、痛みが全て無くなった。

 

 「ないないなった?」

 

 「ないない……?」

 

 「多分、痛くなくなったか聞きたいんだと思うよ」

 

 言葉の意味を理解出来ない円堂を、秋の助言が救った。

 

 「そういうことか! ありがとう、痛くなくなったぞ!」

 

 「よかったー……ひゃわっ」

 

 途端、叶の腹が盛大に鳴った。

 

 「わあっ!? かなえのぽんぽんがおはなしした!?」

 

 「お腹減ってるんだね」

 

 「すげぇ音ッスね……」

 

 「あんなに菓子食ったのにな」

 

 「ぽんぽんぺこぺこだとおしゃべりするんだ……。ごはんちょうだい! ごはんたべながらさっかーするの!」 

 

 「それは危ないからやめようか」

 

 「喉に詰まらせるといけないからな」

 

 「ぶー……」

 

 「もっとやりたい気持ちはわかるけど……ご飯が詰まったら凄く苦しいから、サッカーはまた後でにしよう。お兄ちゃんたちはここにいるからな!」

 

 「うんっ!」

 

 風丸と鬼道に言われて、叶は唇を尖らせた。円堂が頭を撫でてくれたことで少し落ち着く。

 

 「ご飯、私と一緒で良い?」

 

 「うん!」

 

 「それじゃ……商店街で何か食べて、ついでに参考書でも買いましょう。中二まで詰め込まないとね。情緒教育や道徳には絵本が良いのかしら? 買い物が終わったら、少し用事があるから、その間は大人しくしていてね」

 

 「??? なつみおねぃちゃん、むずかしいよぅ」

 

 言葉の濁流に、叶は目を丸くする。

 お腹が減ったと自覚したら、飢餓感が増してくる。とりあえず、ご飯に連れて行ってくれることはわかった。

 

 「円堂くん、悪いけど阿里久さんをしばらく連れて行くわね」

 

 「おにぃちゃん、あのね……こんど、またさっかーしてね」

 

 「もちろん! 叶、夏未の言うことをしっかり聞くんだぞ。夏未、叶をよろしくな!」

 

 「うん! しっかりきくよー!」

 

 「こっちよ、ちゃんと着いてきてね」

 

 「はーいっ!」

 

 叶はルンルン気分で夏未の後を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 叶と夏未が商店街に向かったころ、円堂たちも練習を切り上げて食事の時間にしていた。

 

 「叶、大丈夫か……? 車に撥ねられたりしてねぇよな? 変なモンねだって困らせたりしねえよな?」

 

 「……中学生なんだから大丈夫だよ」

 

 うんざりした気分で、吹雪は染岡に返事した。

 吹雪士郎は阿里久叶が嫌いだ。好き好んで彼女の話を聞きたくもない。

 正確に言うと、叶個人が嫌いなのではなく、彼女を通して見る自分の未来が途轍(とてつ)もなく怖い。

 

 「お前、そんだけで足りるのか? もっと食っとけ」

 

 「うわぁ……! いいって。ほら、阿里久さんがお菓子食べてるの見て胸焼けが」

 

 「本当に腹膨れたわけじゃねーだろ」

 

 吹雪は押し付けられたおにぎりを抱える。

 これは染岡からの心配の証。でも、こんなに孤独感を感じる。

 どうしてだろうと考えて、自分がアツヤじゃないからだ、という結論に至った。

 

 練習の最中、化身は出さないのかと何度も聞かれたが、吹雪には──士郎には、真帝国学園との試合で、化身を出した記憶が無かった。きっと、アツヤが彼の知らない間にやったのだろう。

 となると、士郎よりもアツヤの方がチームに必要な選手だ。

 

 叶が子供のようになって、一日と少し。

 たったそれだけで、周りの態度は同級生相手のものから、幼子相手のものに変わった。

 染岡は彼女を“阿里久”ではなく、“叶”と呼ぶようになった。“阿里久先輩”と言っていた春奈も、“叶ちゃん”と呼ぶ。他にも何人かが呼び方を変えている。元から“叶”と呼ぶ円堂は呼び方こそ変わらないものの、彼女と話すとき、自分のことをお兄ちゃんだなんて言っていた。

 

 それが、士郎の未来だ。目を逸らしたいものが叶を通して、目の前で暗示され続ける。

 吹雪と呼んでいる周りは、彼をアツヤと呼ぶようになる。態度もアツヤ相手のものが普通になる。そうして、士郎は消える。

 息が詰まるような苦しさに、吹雪はマフラーに顔を埋めた。せめてこれに縋らないとやってられない。

 

 「なあ、吹雪」

 

 「……何」

 

 「何かあったら言えよ。……オレたちは誰も、アイツの助けにはなってやれなかったみてぇだから、その二の舞だけは無くしたいんだ」

 

 「どうしたの急に。ちょっと食欲がないだけだよ。染岡くんは心配性だなぁ。それとも、阿里久さんの面倒を見てて何か芽生えた? 母性本能的なの」

 

 「ぼせ……!? オレは男だ!」

 

 「誰も間違わないよ」

 

 心配してもらえて嬉しい。関心を向けてもらえて安心した。

 でも、完璧じゃない士郎がそれを受け止めていいはずがない。

 

 頭の内側で、弟もそれに同意した。アツヤの言うことはきっと、士郎より正しい。間違いじゃないのが嬉しかった。それを認めるのが苦しかった。

 

 「ボクも阿里久さんみたいになれればなぁ……」

 

 「……ん?」

 

 「ああ、勘違いしないでね。あの子みたいに強くなれればって意味だよ」

 

 「そうか。ならこれ食ったらもっと練習頑張らねえとな。オレが化身を出すための特訓に付き合ってもらうぞ」

 

 「……うん」

 

 思わず出た本音を慌てて誤魔化す。

 化身の出し方なんて聞かれたらどうしよう。吹雪はこの後が億劫(おっくう)になった。




小説の開示設定を全ての一覧と検索から除外に変更しました。新着・検索には現れなくなりますが、しおり・お気に入り登録されている方、URLをブックマークに登録して読んでいる方などには今までと変わりません。
変更した理由としては、以前から書き直したいと度々思っており、また、文章力や構成力について厳しいご意見も頂いたことで(自分でも明らかに足りていないと感じます)、ちょっと作品を不特定多数の方がアクセス出来るところに置きっぱなしにすることに迷いを感じたからです。
読んでくださる方がいらっしゃる以上、非公開にするのは少し違うと思い、実質しおり・お気に入り登録者限定となるような開示設定になりました。
今後の予定としては、執筆に使っているアプリの方で全話書き直しが終われば、ハーメルン側も一気に改稿するつもりです。この小説を消してリメイク版を新しく作成というのは考えていません。

長々と失礼しました。少し混乱させてしまいますが、よろしくお願いします。


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