凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 (白羽凪)
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第1部 夕凪のこころ
第一話 海の色ゆれて


※この作品は、二年前に投降した作品【凪のあすから~心は海のように~】の完全リメイク版となっています。
 そのため、大まかな展開やストーリー、結末に変化はありません。
 しかし、本文の変更、大幅書き換え、新ストーリー等を今作では予定しています。

 その点に留意して、今作をお楽しみください。


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 さて、久しぶりの凪あすですね!
 前書きは前回同様かしこまりません!

 作者は亜睡める改め、白羽凪でお送りします。

 どうぞ最期まで、よろしくお願いします!


 感情はいつだって脆い。

 揺れる水面のように、いつ崩れるか分からない。

 

 でも、感情はいつだって美しい。

 遥か遠くまで透き通ってる海のように。

 

 俺は知りたい。

 感情とは何なのか。好きになることはどういうことなのか。

 ずっと、そんなことを思ってる。

 

 好きになることをやめた、あの日から・・・。

 

 

 

---

 

~遥side~

 

「おーい、遥ー! 遊びに行こうぜー!!」

 

 朝8:00。家のベルが鳴る。この甲高い声はよく聞きなれた声だ。

 俺は父さんに目配せする。

 

「だってさ。父さん、母さん、行ってもいいよね?」

 

「ああ。ただ、昼までには戻って来いよ」

 

「気を付けていってらっしゃい」

 

 優しい表情と共に、俺は送りだされた。やはり子供なんてのは、遊んでなんぼのものだろう。

 

「じゃあ、行ってきます。父さん。母さん」

 

 元気のよい行ってきますとともにドアを開ける。その向こうでは、ちさき、まなか、要、光のいつもの四人が待っていた。

 

「ったく、遥が最後だからな!」

 

 俺が最後に出てきたことが不服らしく、光が少し不満げに声を荒げる。少々語気が荒い。

 

 というか、ちょっと待て。最後に誘っておいて遅いなんてのは、論理が破綻してないか?

 そんな俺の困惑を言葉にしたのは要だった。

 

「まあ、一番最後に誘ってる以上はしょうがないけどね・・・」

 

「でも、お前やちさきはもう俺が行こうと思ったときには家の外にいただろ」

 

「そう毎日、遊ぶ要領が変わらないと、光の考え、分かっちゃうしね・・・」

 

 はぁ・・・、と小さく息を吐くちさき。

 

「じゃあ、まだ私はひーくんの考えが分かってないってことなのかな・・・」

 

 弱弱しい声でまなかが言う。

 そんな様子は見ていられなくて、慌てて俺はフォローを入れた。

 

「別にいいじゃないのか、まなか。俺なんて分かろうとすらしてないし。それに、光だって、いちいちそんなこと考えてないだろうし」

 

「うっせ! ・・・まあ、確かにどうでもいいことだよな」

 

 光の感情も抑えると同時に、まなかのフォローもする。俺の立ち位置はつまるところ、そんな感じだった。

 

「・・・んんっ、まあそれはいいんだ。んで光、今日は何するんだ?」

 

「んー・・・、たまには違うことやりたいと思ってるんだよな」

 

 毎日遊ぶとなれば同じ内容には飽きてくる。マンネリと言うやつだ。 

 それをみんなも分かってるようで、うーんと頭を悩ませた。

 

「そうだね、鬼ごっことかそういうのは、もうずいぶんとやったし」

 

「鬼ごっこ一つとっても、汐鹿生全体でやるには広いし、大人の目は冷たいしな」

 

「うーん・・・」

 

 案に詰まったのか光は頭を掻く。それと同時に皆に沈黙が訪れた。

 

 打開したのは、まなかだった。

 

「はい!! ・・・あ、あのさ、ちょっといいかな」

 

「言ってみ?」

 

「まだ汐鹿生で行ったことのないとこに行くってのは・・・どうかな。多分、まだあるかもしれないし、いいかと思ったんだけど・・・」

 

 所謂ところ、探検だ。

 確かに言われてみればあるかもしれない。大人に怒られるのが怖くて行けないことがしょっちゅうだけど。

 

「ま、いいんじゃねえの。なかなか楽しそうだし。サンキュー、まなか」

 

「えへへ、そうでもないよ、ひーくん・・・」

 

 光に褒められると、まなかはいつだってご機嫌になる。見ているこっちまで穏やかになるのが不思議だ。

 

「うん、決まりだね」

 

「あまり目立たないように、だけどね」

 

 要もちさきも案に同意する。最後は俺だった。

 

「・・・ま、大人への小さな反抗期ってことで。それで行くか」

 

「ちょ、隊長は俺だからな!!」

 

 

 

---

 

 

 それから、あちこち汐鹿生を回ってみた。

 が、探検と行っても行ったことがあるところが殆ど。大人に禁止されている区域にはいくことも出来ず、ほとんど手ごたえはなかった。

 

 ・・・ある場所を除いては。

 

「・・・ん? ストップ、みんな」

 

 俺が手を出し後ろの皆を静止させる。

 目の前には大きな穴倉があった。しかし、奥が深いのか、中が暗くてよく見えないため、何があるのかはっきりしなかった。

 

「どした、遥」

 

「ああ、ちょっとこれ見てほしいんだが・・・。こんなもの、見たことないよな」

 

 俺は少し右に避けて、後ろにいる皆に確認をとった。

 

 

「ねえな」

 

「ないよ」

 

「ないかも・・・」

 

「はぁっ・・・追いついた。・・・えと、なにこれ?」

 

 答えは皆同じ。

 目の前のものは、全く分からない何かだった。

 

 

 中が深く、子供では危ないかもしれないと思った俺たちは、一旦引いて、会議を始めた。

 

「さてと・・・、あれ、何なんだろうな」

 

「分かんねえよさすがに」

 

「情報が少ないからね・・・」

 

 さすがに今の俺たちにあれを理解するだけの知識はなく、皆頭に疑問符を浮かべていた。

 そんな雰囲気の中、時計を持っていた要が思い出したように時間を確認する。次に浮かべたのは、申し訳なさそうな表情だった。

 

「あー、ちょっといいかな」

 

「どうした?」

 

「そろそろ11:30なんだけど・・・。昼までには帰らなきゃいけない人、何人かいるよね」

 

「あ、俺だ」

 

「ごめん、私も・・・」

 

「何だよ。みんな用事ありかよ」

 

 汐鹿生筆頭のわんぱく小僧、光は何もなさそうだった。こいつ、遊ぶことが用事なんじゃねえの?

 

 昼に用事が入っているのは俺とちさきだけだったが、みんないなきゃ意味がないと、一旦解散することにした。

 

「ったく、もう少し発見が早けりゃ、もう少し探索で来たんだろうなー」

 

「文句言うな。誰も悪くないんだし。またいつでも行けるだろ。いくらでも遊ぶ時間はあるんだしな」

 

「そうだよひーくん。また今度行こう?」

 

 

 俺とまなかは先に光を宥めておく。荒々しい性格の奴だからな、光は。

 それが功を奏してか光は、ん、とだけ短信して、それ以上は何も言わなかった。

 

「・・・っと、ここらへんか」

 

 どうやら汐鹿生の中心部についたようだ。

 

「んじゃ、またな。・・・って、ちょっと待ってくれ」

 

「? どうしたの? 遥」

 

「さっき見たものの事、大人にはシーッ、な」

 

「いいけど・・・なんで?」

 

「見た感じ不思議なものだから、多分何かある。出禁喰らうのも嫌だしな」

 

 子供の行き過ぎた行動に歯止めをかけるのが親。あれは間違いなく、行き過ぎた行動に関わってくる。

 せっかく見つけたネタだ。ストップされるのだけはごめんだ。

 

「あぁ、そういうこと。分かった」

 

 こういう時、一番理解が早いのは要だ。要領がいいのは本当に助かる。

 

「じゃあ、そういうことだ。俺は帰らないといけないから帰るぞ」

 

「うん、またね」

 

「じゃあな」

 

「またね、はーくん」

 

「また今度ね」

 

 全員からそれぞれのじゃあねコールを受け取り、俺は一旦家へ帰った。

 

 

 

---

 

 

 

 家に帰ったのはいいが、なにやら様子がおかしい。

 明るさがなく、家全体がまるで片付いたような雰囲気だった。 

 そんな中、リビングへ向かうと両親がテーブルを挟んで座っていた。

 その顔つきは・・・果てしなく険しい。

 

「あぁ、おかえりなさい遥。ちょうどよかった」

 

 母さんが俺に気づくなり、少しだけ表情筋を緩ませて俺を歓迎する。

 

「ちょっとそこに座ってくれるか」

 

 父さんが自分の隣の椅子を指さして、ここに座れと合図を送る。

 そのパスを受け取って、俺も席に坐した。

 

 どんな話をされるのだろう・・・。さっき行ったところの事、もうバレたのだろうか。

 思索を巡らせる俺をよそに、俺の想像以上の話を、父さんが切り出した。

 

「なぁ遥。父さんたち・・・汐鹿生から出ようと思うんだ。もちろん・・・ついてきてくれるよな?」

 

「えっ・・・?」

 

 

 大波が動き出したのはその時。

 俺の何かが、崩れだしたような気がした。

 

 

 




 一話からセリフや地の文を大幅に書きかえました。
 今後どうなるか楽しみですねぇ!(マゾ)
 
 感想、評価等頂けたら嬉しいです。





 また会おうね(定期)


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第二話 それはゆめかまぼろしか

今作では、サブタイトルは原作っぽい雰囲気に準拠していこうと思います。
100話分考えれるのかどうか、心配ですけどね。はっは!

・・・本編行きまーす。


~遥side~

 

「海村を出るって・・・、まさか、そういう事?」

 

 海村を出るという事は、自ら海村を捨てることを選ぶということ。

 呆気にとられた俺は、そう返すことしか出来なかった。

 

「察しの早いお前なら分かるか。お前の想像通りで合っている」

 

「なんで、そんな・・・」

 

 理由が分からない。

 だってこれまで、一度もそんなそぶりを見せなかったっていうのに・・・。

 

 俺の質問に、父親が図らずも答える。

 

「この村にはな、遥。結構な数の掟が存在するんだ。『一度村を抜け出して陸で結ばれたものは追放される』とか、その例だな」

 

「じゃあもし、今うちらが抜け出しても・・・」

 

「まあ、間違いなく追放だな」

 

 父は表情一つ変えず、淡々と答えた。それほどまでに、汐鹿生への感情が覚めているだろうという事は、容易に想像がついた。

 しかし、確かめるために俺は敢えてそれを問うことにした。

 

「父さんたちは、海が嫌いなの?」

 

「・・・海は好きだ。それは間違いない。けど。この村のルールは受け入れられなかった。だから、この村を出る。陸へあがって生きることにする。・・・例え、それが世界が滅ぶことに繋がっても、な」

 

 父さんの気持ちは分かった。一言も発さない母さんの気持ちも、多分一緒なんだろう。

 

 俺は・・・。

 

「俺は、ここに残る。だってまだ、知らないことだらけだから」

 

「・・・そう、か」

 

 それ以上は、何も言えなかった。もう言葉がなかった。

 ここで両親とたがえることになっても、俺はまだ、海を出る勇気はなかった。

 

 

 これが、両親との別れだった。

 

 

---

 

 

 残ることを決めたのはいいが、俺はあえなく一人になってしまった。

 身寄りもなく、お金も心もとない。自分自身も未熟なもので、自炊なんてものはまだほど遠いものだった。

 

 人知れず汐鹿生の街を歩く。

 今はとても前を向ける気がしなかった。

 だからか、俺は下を向いて歩いていた。

 

 そんな状態では、誰にぶつかったかも分からなかった。

 

「っつ、すいません」

 

 ドンと誰かにぶつかり、とっさに俺は謝った。顔を上げるとそこにいたのは、光の父親にして汐鹿生の宮司、灯さんだった。

 

「あぁ、島波のところか。悪かった。・・・っと、ちょうどよかった。色々話しておきたくてな」

 

「光の・・・。あぁ、話って、両親の事ですか」

 

 俺が先手を打って話を吹っ掛けると、少しだけ灯さんは顔色を変えた。

 間違いない事のサインは、それで十分だった。

 

「勘が鋭いんだな。・・・まぁ、ここで話すのもなんだ。一旦、うちに来てくれないか?」

 

 否定する理由もなく、俺は光の家に向かった。

 

 

---

 

 

「はい、お茶淹れといたよ」

 

「ありがとうございます」

 

 俺と灯さんと面と向かっていた時に、光の姉であるあかりさんが麦茶を入れてくれた。

 光はどうやら奥で昼寝をしているようだった。これから展開される俺の家庭の話のことを思うと、昼寝してくれていて本当によかったと思う。

 

 冷たい麦茶が喉元を通り過ぎて、俺はようやく冷静になれた。

 まっすぐ灯さんの目を見て、話を始める。

 

「何から話せばいいですかね」

 

「お前さんのところの両親がなんて言っていたのかを、まず教えてほしい」

 

 神妙な顔つきの灯さん。俺は洗いざらい話すことにした。

 

「海は好きだと。でも、この村の掟は納得いかなかったと、そう言ってました」

 

「・・・遥君は、この村の掟のことを知っているのか?」

 

 表情は険しい。それこそ、本当に子供には知られたくないような内容なのだろう。

 しかし、俺の答えは変わらなかった。

 

「知りません。・・・ただ、追放されれば二度と戻れないことくらいしか」

 

「そうか。・・・この件に関しては、いずれ知ることになっただろう案件だ。気にしないでくれ」

 

 気にするなと言われても、気にしない方が無理な状況。

 言葉を押し殺して俺は一度頷いた。

 

 それを受けてか図らずか、灯さんは一転、俺にある提案を持ち出した。

 

「遥君。これは提案なんだが・・・、しばらくの間、うちに居候しないか? いろいろ厳しいんだろ?」

 

「・・はい?」

 

 厳しい事には間違いないのだが、まさか灯さんからそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかったわけで。

 しかし、この提案はありがたかった。何せ今は、身寄りになるものが欲しかったのだから。

 

 一人になるには、まだ幼すぎた。

 

 

 俺はそうして、先島家に居候することになった。

 怒涛の流れすぎたあまり、もはやなにも覚えていないが、あの後グダグダしたことだけは覚えている。

 原因は、やはり光だった。

 

「・・・はぁ? なんで遥がここにいんだよ!」

 

「あらおはよう光~。それなんだけど、遥君、今日から当分の間家で済むことになったから、よろしくね~」

 

「・・・というわけで、よろしく」

 

「マジ分かんねえよ・・・。てか、誰だよそんな提案したの!」

 

「俺だが」

 

「親父かよ! ・・・じゃあまあ、しょうがねえな」

 

 どうやら光は、親父には頭が上がらないようで口先をとがらせて了承した。

 

「あれ、嫌だった?」

 

「別に。遥なら問題ねーけど」

 

 光から拒絶されなかったことは、素直に嬉しかった。

 少し間違えれば、誰も信じれなくなっていたかもしれないから。

 

 

 ・・・あぁ、賑やかになるだろうな。

 

 どことなく、そんな予感がした。

 

 

---

 

 

 あの日から、涙は流さなかった。

 まだ小学三年生。急に両親がいなくなるなんて、普通の子供ならショックが強すぎただろう。

 

 けど、あの別れは今生の別れではない。

 そんな、理由もない自信があったからこそ、俺は正気でいられた。

 

 

 ・・・果たしてそれが正気なのか、そんなことは分からないけど。

 

 

 

 また、余談だが、別の日に穴倉に行ったが、この間とは違い、不気味な穴倉は完全にふさがれていた。

 大方、予想はつく。

 

「・・・ウロコ様、だろうな。大人ならまず口頭注意から入るだろうし・・・」

 

「くっそ、やっぱり昨日のうちに行っておけば・・・!!」

 

「はいストップ。それ以上はダメだよ、光」

 

 この日は男三人だけで確認のために来ていた。

 不幸中の幸いなんて言葉は、こういう日のためにある。

 

 今ここにまなかやちさきが居れば、きっと光の飛び火がとんでもないことになっていただろうから。

 

 この穴についてはまた後に知ることになるが、それはまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 

---

 

 

 さておき、それからの日々は光陰なんとやらというにふさわしかった。

 いつものように学校に行っては、休みには光たちと遊んで、これまでの生活と何の変わりもなく、毎日は過ぎていった。

 

 ただ一つ、両親がいないことを除いて。

 

 

 でも、そんな毎日だっていつかは変わってしまう。

 今回もまた、それは何の前触れもなく訪れた。

 

 

 

 それは、ちょうど居候を始めてから一年くらいたった頃だった。

 

「灯さん、ちょっと陸へあがってきます」

 

「あぁ、構わん。・・・が、こんな時間だ。、ほどほどにしておけよ」

 

「大丈夫です。さやマートにちょっと買い物に行くくらいですから」

 

「そうか。早めに帰れよ」

 

 そう言うなり、灯さんは再び新聞に目を戻した。代わりにあかりさんが声を掛けてくる。

 

「そうだ、遥君。行くならついでにお使い頼めるかな? ちょうど醤油が切れそうなんだけど・・・」

 

「いいですよ。・・・それじゃ、行ってきます」

 

 ちなみに、光は部屋に幽閉されていた。数時間前、灯さんから激しい雷が落ちていたからな。しっかり反省してもらおう。

 

 そして俺は最短距離でさやマートに向かった。

 中で買う予定だった菓子や醤油を揃える。

 

 店から出たとき、後ろから聞きなれない声がかかった。

 

「ねぇ」

 

 振り返ると、自分と同じくらいの背丈の少年が立っていた。

 

「どした? ・・・てか、誰?」

 

「えと、狭山旬って言う・・・。あの、そっちは?」

 

「ああ、俺は島波遥。まあ、適当に覚えておいてくれ」

 

 うんと頷いて狭山はどこかに走っていった。入れ替わるように店主らしき人が店から出てくる。

 

「やあ。さっき旬と話していたけど、知り合いかな?」

 

「いえ、初対面ですけど・・・」

 

「そうか・・・。そうかそうか。あいつ、少し人見知りな部分があるからなぁ・・・。よかったら、また会ったとき仲良くしてやってくれ」

 

「は、はぁ・・・、分かりました」

 

 そして俺は店をあとにする。

 まだ明るいと思っていた空はもう夕暮れに差し掛かり、日は今にも沈みそうだった。

 時計の針は、もう五時を示していた。

 

「・・・帰ろうか」

 

 ゆっくりと足を進めて汐鹿生を目指す。

 そしていざ海に飛び込もうとしたとき、ふと二つの人影が見えた。

 

 そして、息が止まった。その目の前の光景が信じられなかったのだ。

 一度深呼吸して、もう一度目の前の光景を疑う。そして、現実を確かめた。

 

 今度ははっきりと見えた。

 誰かが、刃物で、誰かを、深々と刺している。

 おぞましいほどの深紅が視界に広がる。

 

 そして、その視界で目の前の世界を捉え、俺は声にならない声で悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 理由はいらない。

 血を流していたのは、俺の母親。

 涙ながらに刃物を突き刺していたのは、俺の父親だったのだから。

 

 

 

 




 
 いろいろな視点で作品を書かせてもらうことが多いですが、やはり一人称は書きやすくていいななんて思ってます。
 そして、二年前と比べると、地の文の力はついているのかなと思ったりも。
 この力で、過去に書いた作品のリメイク。
 どこまで戦えるか頑張ってみたいともいます。

【追記】
 感想はありがたく頂戴します。
 しかしながら、批判に混ざった誹謗中傷が混ざっていた場合、こちらの判断においてコメントを削除させていただく可能性があります。
 不快と感じられる方がいらっしゃる可能性があるため、先に謝罪させて戴きます。

 また会おうね(定期)


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第三話 ひとつめのキズ

 なんかモヤモヤしてるんですよね・・・。
 失踪しないようには頑張ります。


~遥side~

 

「おい・・・何やってんだよ・・・!!?」

 

 俺は声を絞り出した。が、ショックのあまりそれは掠れて音にならない。

 これまで感情をせき止めていた何かが音もなく消失する。

 

 そうすれば、後は早かった。

 

「っ!!」

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 一刻も早く逃げ出したくて駆ける。目の前の光景を信じたくなかった。

 

 そして、気が付けばどこか分からない遠くまで走っていた。

 

 ・・・もう、何も信じたくなかった。

 

 

 限界を迎えて、足が止まる。 

 すると今度は、脳が嫌と言うほどに早く回った。

 

 両親の間に、確かに愛はあった。

 だったら、なんであんな光景が生まれたのだろうか。

 

 好きなら、殺す必要なんてどこにも・・・。

 どこにも・・・!

 

 

「ははっ・・・なんだよあれ」

 

 信じれなくて、言葉をもらす。そこからは、自分を制御することは出来なかった。

 

「うぅ・・・うああああああ!!」

 

 さっきの場面が頭に深く焼き付き、離れない。

 大粒の涙が、ただ零れ落ちるだけだった。

 

 

 二人が家を出ていったときはなかった涙。

 それは、またいつか会えると心のどこかでそう思っていたから。

 

 けど今は、そんな淡い願いが二度と叶うことはない。

 その事実という絶望だけで、俺の心が壊れるには十分だった。

 

---

 

 

 やがて出尽くした涙が枯れ始めると、異様な眠気が襲ってきた。

 

 ・・・瞼が重たい。・・・もう何も考えたくない。

 

 俺の心は明らかに疲弊しきっていた。もはや動こうとする気力すらない。

 

 ・・・もういっそ、ここで尽きてしまおうか。

 眠ってしまえば楽になるだろう。

 

 俺はそっと、目を閉じた・・・。

 

 

 

---

 

 

~???~

 

 

「あら、こんなところで寝るなんて・・・」

 

 遥が眠ってしまった後、一人の女性が遥の目の前で立ち止まった。

 すると、遥の肌は特有の光を発した。それを視認して、女性は顔色を変える。

 

「エナ・・・!?」

 

 女性は、エナの存在を知っていた。そのため、この状態がどれほど危険な物かも分かっていた。

 

「・・・エナを持ってるなら、こんなところで寝てるのはまずいよね・・・」

 

 よろしくない状況だと判断したその女性は、とりあえず遥を背負い、近くにある安静出来る場所まで運ぶことにした。

 

「んしょ・・・! 美海よりは重たいけど、まだまだ、これくらいなら・・・!」

 

 遥を背負って、女性はとりあえず海村を目指して歩いた。

 

 

「遥君ー! どこにいるのー!!」

 

 その女性が数分歩いたころ、遠くから声が聞こえた。

 声の方へ向かい、女性は歩調を早める。

 

 

「遥君ー! ・・・あっ、みをりさん! ・・・と、遥君!? なんでここに・・・」

 

「あれ、あかり・・・。ちょっと待って・・・」

 

 声の主である先島あかりと合流したその女性、潮留みをりは近場のベンチに背負っている遥をゆっくりと下ろして、ようやく一息つくことができた。

 

 

---

 

 

 

~みをりside~

 

 

 私とあかり、互いに息を落ち着かせ、状況確認が始まった。

 

「みをりさん・・・。これって、どういう事なんですか?」

 

「私もよく分からないけど・・・。遥君、だったっけ。一人、人気のない道で倒れるように眠ってて・・・。明らかに不自然だと思ったし、エナが乾いてそうだったから、とりあえず海村の近くまで運んできたんだけど・・・」

 

 その言葉の最中、私は遥君の目元が赤くはれていることに気が付いた。

 

「目元、赤いね・・・。さっきまで泣いていたのかな?」

 

「海にいたときはそんなことなかったはず・・・。家にいたときはいつも通りだったし、私がお使い頼んだ時もなんなりと受けてくれたし・・・。きっと、陸に上がってから何かあったんだと思うけど」

 

 ・・・あれ? ちょっと待って。

 家にいたとき・・・? お使い頼んだ時・・・?

 

「ちょっと待って、あかり。あなたの家族って、両親と弟さんだけよね?」

 

「はい。・・・ああ、そういうことですか。それがですね・・・、訳あって遥君、今うちに居候しているんです」

 

 その説明を聞いて私はようやく納得がいった。

 そして同時に、遥君が泣いていた理由を少し掴んだ気がした。

 

 それがどうやら顔に出ていたようで、あかりが尋ねてきた。

 

「あの、みをりさん・・・? ひょっとして、なにか分かったんですか?」

 

「えっ!? ・・・ああ、うん。ちょっとね・・・」

 

 まず、訳ありで居候となると、家族となんらかの問題があったなんて考えることが出来る。

 だったら今回もきっと・・・。

 

「遥君は、両親に関係するところで、何かあったのかもしれないね」

 

 それがもし陸上での話なら・・・。

 遥君の両親も、私と同じような人間なのかもしれない。

 

 そんなことを思っていると、遠くからパトカーの音が聞こえだした。近づいていく音と同時に、嫌な予感がだんだんと広がっていく。

 

「・・・あかりは一旦家に帰りなよ。遥君はとりあえず、今日はうちで面倒見ておくから」

 

「え・・・、大丈夫なんですか?」

 

「パトカーの音、するでしょ。・・・多分、何か厄介事が絡んでるのかもしれない。だったら、地上にいる人間の方が対応しやすいでしょ? だから、大丈夫」

 

 おそらく、私も話を聞かれることになるかもしれないと考えると、一人の方がいいはずだ。

 

 それに・・・。この件、あまり大きくしない方がいいかもしれないから。

 

「・・・分かりました。とりあえず、お父さんには伝えておいてもいいんですかね?」

 

「宮司さんだっけ。・・・そうだね。そうした方がいいと思う。・・・でも、弟さんには伝えない方がいいと思う」

 

 多分、あかりの弟さんは遥君と年齢が近い、もしくは同じだろう。

 だったらなおの事知られてはまずい。今後に爪痕が残りでもしたら、きっと大変なことになる。

 

 それはあかりも分かっているようで、小さく頷いた。

 

「分かってます」

 

 あかりはここまでで一番真剣な顔をしていた。ここまでの反応となると、弟さんは相当行動が早いんだろう。

 

「では、また連絡をください。みをりさん」

 

 そう言ってあかりは踵を返し、海へと飛び込んでいった。

 

「さてと・・・」

 

 改めて時計を見る。時刻は18:30。そろそろ私も動かなければならない時間だ。

 

 ・・・いったん、家に帰ろうか。美海も至さんも待たせているだろうし。

 

 そんなことを思って、私はもう一度遥君を背負って歩き出した。今度は住み慣れた自分の家を目指して。

 

 

 今後の事なんかを考えていると時間はあっという間に過ぎるもので、いつの間にか私は家についていた。

 塞がって両手でどうにかしながら玄関のドアを開ける。

 

 ・・・さて、どんなリアクションされるんだろうな・・・。

 

 なんて、「誰?」なんて言われるのは想像ついている。

 

 

「ただいまー」

 

 

 

 

 

 

「「おかえり(なさい)! ・・・え、誰?」」

 

 二人からは、予想していた通りの答えがばっちり返ってきた。

 

 





 尺に関しては前回基準で進めようと思いますが、新規ストーリーをまたこの度入れようと考えていますので、110話だった前回からさらに伸びるかもしれません。 
 ですので、改変も考えます。途中まで原作に沿いますが。

 今回はここらへんで。
 感想、評価等お待ちしております。

 また会おうね(定期)


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第四話 通り雨ぽつり

前作が一話2000文字程度だったのに対して、今回3000~4000文字ペースで書いてますからね・・・。総文字数も増えますねこりゃ。

前置きはどうでもいい? それでは本編どうぞ


~遥side~

 

 午前9:00。

 『見知らぬ天井』なんてのはよく言ったものだ。実際、俺の視界に映っている天井は全く知らないところだった。

 

「・・・」

 

 その沈黙のまま天井を見上げる。

 

「あっ、起きた」

 

「うわっ!?」

 

 すると視界にひょこっと顔が出てきた。あまりのことに俺は驚くしかなかった。 

 というか、驚かない方がおかしい。

 

「こーら、美海、つつかないの。・・・と、おはよう、遥くん。大丈夫?」

 

「えっ・・・。・・・大丈夫、じゃないですね」

 

 少なくとも大丈夫なんて言えなかった。

 口を閉じるとまた昨日のことを思い出してしまう。目の前の人間が誰か、ここがどこか、なんてことより先に、昨日の光景をフラッシュバックしてしまう。

 起きてからこのループだ。吐き気が止まらない。

 

 その様子を伺いながら、女性が近づいてくる。

 

「・・・さてと。遥くん、いろいろ整理が追い付いてないかもしれないけど、話せる範囲で、話してもらっていいかな?」

 

「はい・・・。あ、ただ・・・」

 

 きっと、昨日道のどこかで倒れていた俺を助けてくれたのはこの人だ。まずは、その恩に報いたい。

 

「昨日は、ありがとうございました・・・。助けて、くれたんですよね」

 

 俺がそれを望んでいたのかは分からない。

 けど生きてるなら、礼は当然だと思った。

 

「うん、私は大丈夫だから。・・・それにね、私も昔、海の人間だったから」

 

 優しく語り掛ける声。そして、最後の一言はどこか救われたような気がした。

 海から出た人間・・・。境遇は俺の両親と一緒だった。

 だったら・・・何かわかるのかもしれない。

 

「あと・・・名前、教えてもらっていいですか?」

 

「え? ああ、ごめん! 私は潮留みをり。そして、そこにいるのが美海ね」

 

 部屋の端でちょこんと座っている女の子を指さして言う。

 

「潮留、美海です・・・」

 

「えっと、島波遥です」

 

「「「・・・」」」

 

 

 場に再び沈黙が走る。

 とりあえず、俺は知りたくもない現実を知る必要があった。だから、こみ上げてくる吐き気を押し込めて、みをりさんに問う。

 

「・・・それで、聞きたいことは何ですか?」

 

「うん。・・・結構あるよ」

 

 

 

---

 

 

 始まって30分くらいたった頃だろうか。ようやく質問がやんだ。

 どうやら一通り聞きたいことを聞き終わったようだ。

 どのように返したかは覚えていないが、言葉に身が入っていなかったことだけは覚えている。

 

「・・・聞きたいことはこれくらいかな。あっ、そうだ」

 

「どうか・・・しましたか?」

 

「遥くん、まだ朝ご飯食べてないよね。よかったらうちで食べていかない?」

 

「そんなこと・・・。・・・いいん、ですか?」

 

 正直、そこまでお世話になるつもりはなかった。けれど、戻ってどうにかできるわけもなければ、昨晩からの空腹も相まって拒むことが出来なかった。

 

「うん、いいよ」

 

 暖かい笑顔を向けられたものなので、それに甘えることにした。

 

「・・・よろしく、お願いします」

 

 先だったみをりさんを追って、俺もテーブルの方へ向かった。

 その道中、つんつんと俺は後ろからつつかれる。

 

「ねえ」

 

「どうした? えと・・・美海、だっけか」

 

「うん、美海。・・・ねえ、遥は今、悲しいの?」

 

「・・・」

 

 唐突に呼び捨てで呼ばれたことはどうでもよかったが、その言葉は確実に俺の胸を貫いたような気がした。

 しかし、俺の返答を待つ間もなく、美海はひとりで先に自分の答えを述べた。

 

「私は嬉しいよ。だって、遥が来てくれたんだから」

 

 その言葉にはっと息を飲んだ。改めて覗き込む美海の瞳は、ゆっくりと動き出した波のようだった。まるで、これまで凪いでいたかのように。

 

 すぐにみをりさんが美海を呼びつけ、軽く説教を行う。けれど、さっきの一言はどこか嫌に思えなかった。

 むしろ、ありがたかったような気もしていた。まるでそれは、閉じかけた扉が開き、光が差し込むようで・・・。

 

 その時、みをりさんの声がして、俺はようやく自分の世界から帰ってきた。

 

「っと、お待たせ遥くん。質素だけどごめんね?」

 

 出来上がった朝食が運ばれてくる。

 目の前に並んでいたのはご飯と磯汁と焼き鮭だった。どこが質素なのだろうか。

 いただけることでさえありがたい話なのに、ここまでしてもらえるなんて、今にも涙が出そうだった。

 

「いえ、とんでもないです。・・・いただきます」

 

 そう言うなり鮭に箸を入れ、ご飯と共に口の中へ運ぶ。

 

 あふれ出したのは感想ではなく、涙だった。

 

「えっ!? 大丈夫!? 口に合わなかった・・・?」

 

「違います・・・。違うんです・・・!」

 

 必死に否定の言葉を紡ぎだす。

 出された料理の味に文句など言えるはずなかった。

 だってそれは、俺がいつか食べていた母親の味に近いものだったから。

 

「母さんが・・・最後に作ってくれた料理と・・・同じような感じがして・・・。同じくらい・・・暖かくて・・・。もう、こんなことないだろうって・・・諦めてたのに・・・!」

 

 別にあかりさんの料理がまずいなどと言ってるわけではない。あれも美味しいのだが、『母親の味』を感じたのはずいぶんと久しぶりの事だった。

 

「そう、それならよかった」

 

 みをりさんが安堵の息を零す。

 それと同じくして、美海がまた俺の服を掴んできた。

 

「遥は、悲しいの?」

 

 泣いていることを心配に思っての事だろう。美海は先ほどと同じ言葉を聞いてきた。

 でも、これはそうじゃない。少なくとも、悲しい涙じゃないから。

 

 それを伝える。

 

「ううん。・・・今は、少し嬉しい、のかな」

 

 素直になれないけれど、言えるだけのことは言えた。

 

 

 

---

 

 

~みをりside~

 

 

 遥くんを家へ運んでから一日。

 翌朝になってようやく、遥くんは目覚めた。

 

 正直、気乗りはしなかった。当然、うちに遥くんを上げることが、ではなくて、遥くんに何があったかを言ってもらうことが。

 きっと本人には辛い事だろう。最悪聞けないかもしれないと腹をくくっていたが、遥くんは苦い顔をしながらも自分の身に何があったのかを教えてくれた。

 

 ご飯を誘ったら、yesの返答が帰ってきた。 

 否定されなかったことを内心喜びつつ、私は出せるだけの料理を遥くんに出すことにした。

 

 その途中、美海の声が聞こえた。

 

「遥は今、悲しいの?」

 

 本当なら、すぐに怒って止めるべきだった。けど、それと同時に遥くんの本心も知りたかった私はそうすることが出来なかった。

 そのうち、遥くんの返信を待たずに、美海が答える。

 

「私は嬉しいよ。だって、遥が来てくれたんだから」

 

 ますます、怒るに怒れなくなった。

 美海も美海で、友だちが体調を崩して遊びにこなくなってからは、ずっと一人で寂しそうにしていたから。

 だから、遥くんが来てくれたことが嬉しかったのだろう。

 

「美海。こっちおいで」

 

 怒ろうとしていた自分を抑え込み、美海を私の足元へ呼んだ。そして、頭を一度ポンと撫でる。

 

「・・・遥くん、悲しんでるかもしれないからね。・・・あんまり、押し付けちゃだめよ?」

 

「うん・・・」

 

 怒られるのかもしれないと身構えていた美海は肩を震わせていたが、私の発言に安心したのか小さくはいと返事して頷いた。

 

 そして、料理が終わるなり遥くんの元へ運ぶ。

 遥くんは、それを一口食べるなり、急に泣き出した。

 

「えっ!? 大丈夫!? 口に合わなかった・・・?」

 

 あれだけ強気に誘っておいて下手なことをしたら、いよいよ恥ずかしくて仕方がない。

 けれど、遥くんの回答は違った。

 

「母さんが・・・最後に作ってくれた料理と・・・同じような感じがして・・・。同じくらい・・・暖かくて・・・。もう、こんなことないだろうって・・・諦めてたのに・・・!」

 

 遥くんはいつかの、母親の味に浸っていた。そして、それを思い出して泣いていた。

 ・・・だったら、私の味は、『母親の味』になってるのかな。

 

 美海の母親としてはや数年。そうであれば嬉しいなと思う。

 

 いろんな意味の籠った、安堵の息を漏らす。

 

「そう、それならよかった」

 

 それと同時に、懲りずに美海がもう一度遥くんに問った。

 

「遥は、悲しいの?」

 

「ううん。・・・今は、少し嬉しい、のかな」

 

 今度の答えはさっきよりはっきりと、力強く帰ってきた。

 

 

 それからというもの、遥くんはあっという間に食事を終えてしまった。作った者としては、気に召していただけたようでなによりだけど。

 そして、私に顔を向ける。その表情は、これまでより幾分か余裕を孕んでいた。

 

「ごちそうさまでした」

 

「いえいえ、お粗末様でした」

 

 互いにぺこりと一礼。

 

 

 ・・・さて。

 楽しい時間は終わり。いつまでもこうしているわけにもいかず、いろいろと決めなければならなかった。

 

 これからの遥くんの事。葬式とか、家の事とか、とても一人で抱えきれる年齢じゃない。

 でも、そんな建前上の考えとは別に、私は自分の欲を言い放った。

 

「ねえ、遥くん。もしよかったらだけど、これからもうちに遊びに来てくれるかしら?」

 

 その提案に驚いたのか遥くんは目を丸くしたが、少し黙って

 

「はい」

 

と、そう言い切ってくれたのだった。

 

 

 

 

 




 思ったよりセリフを改変していることが驚きです。
 ただ、前作は地の文が少なすぎたのではないかと思うところがありまして、今回はそちらに重点を当てています。
 作品をリスペクトしてない、という感想が来ましたが、それについては否定させていただきます。
 
 作品はリスペクトしています。最大限の敬意を払っています。
 それでも世界観が変わったり等は二次創作では当たり前のことだと思っているので、こればかりは譲れません。
 どうかお許しくださいませ。

 また会おうね(定期)


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第五話 いつもそれは突然で・・・

100UAありがとうございます。
数字が出ないくそ雑魚作者ですが、まずはこの場を借りて御礼を申し上げます。

さて、本編行きましょうか。


~遥side~

 

 両親が死んだと分かったあの日から、もう数週間がたった。

 心が別のところにある以上、時が経つのは早いもので、葬式も家についてのごたごたも意外とあっさり終わってしまった。

 

 あれから、俺はどうにか一人暮らしをすることに決めた。

 理由はまあ・・・いくつかある。

 まず、父が一通りお金を残していたのだ。どこからそんな金がとは思ったが、それ以上の感情はなかった。

 なぜ、なんて言葉はなかったが、ありがたくも思えなかった。

 

 それとは別のもう一つの理由は、みをりさんや美海のもとへ遊びに行くことを考えたとき、先島家にお世話になっていては迷惑になるだろうと判断したからだ。

 

 ただ、今でも傷跡は残っている。

 

 

~過去~

 

 みをりさんや美海に出会ってから二日経った。

 まだ立ち直るには至らなかったが、少しばかり心に余裕が出来たという事で、俺は両親が住んでいた陸の家に向かった。 

 がらんとした家に入る。が、済んでいた痕跡がほとんどないくらいまで部屋は綺麗に片付いていた。

 衣服は綺麗にしまってあり、家具家電もまとめてある。

 

 それはまるで、いなくなることを示していたかのようで・・・。

 

「・・・父さん、母さん。・・・なんでだよ」

 

 やり場のない心を虚空へ吐き出す。返事は当然かえってこなかった。

 

 去り際、机の上に一枚の手紙が置いてあったのを見つけた。手に取り裏返すと、遥宛とだけ書いてある。

 

 ・・・警察、昨日来たのにな。なんで持っていかなかったんだろう。

 

 気にしてもしょうがないのでそこは放っておくことにした。

 (・・・まあ、これは後でみをりさんの計らいだってわかったけど)

 

 ともかく、俺は中身が気になった。

 自分宛に何が残されているのか。親が何を記したのか。それは俺の知りたいことなのだろうか。ぐちゃぐちゃになった感情だけが先走った。

 

 開けてみると、そこに記されていたのは淡泊な文字だった。

 

 

『遥へ』

 迷惑かけてばかりですまなかった。

 後悔なんて遅いが、せめてもの償いだ。

 よければ使ってくれ

 

 

 そして、手紙と共に、俺の通帳の口座が書いてあった。

 かえって確認したところ、相当な額が入っていた。少なくとも、向こう十年生活には困ることはない。

 ありがたいことだ。・・・普通なら。

 

 でも。

 ・・・違う。俺が知りたかったのは、こんな無機質なことじゃない。

 

 二人が何でこんな結末をたどってしまったのか。そこに愛はあったのだろうか。そんな些細なことが知りたかった。

 

 ・・・でも、結局それは、誰も知ることが出来なくなってしまった。

 

 

~現在~

 

 そして現在に至る。あれからというもの、不慣れながら一人暮らしを何とかしている。時折、陸で至さんやみをりさんのお世話になりながら。

 ・・・本当に、みをりさんにはお世話になってしまった。あの人にはもう一生、頭は上がらない。

 

 そんな俺に出来ることは、これまで通りみをりさんのところに遊びに行くことくらいだろう。子供に出来ることと言えばそれくらいだ。

 

 ・・・代償として、海にいる光らと遊ぶことが少なくなってしまった。言葉を、態度を尖らせながら光が寂しそうにしていたが、事情を知っている灯さんやあかりさんにどうにかしてもらった。

 

 ・・・悪いな、光。

 

 

 

 例えば、の話だが。

 もしあの時、みをりさんがあの場所にいなければ俺はどうなっていただろうか。

 別の誰かが通っていただろうか。通りすがりの警察に保護されていただろうか。・・・はたまた、そのままエナが完全に乾いて死んでしまっていただろうか。

 

 いずれにせよ、俺は心を失っていたかもしれない。

 実際のところ、今の俺も最初は心のない受け答えがほとんどだった。

 

 でも、みをりさんや至さんと言葉を交わして、美海と遊ぶことになって、そんな自分は消えていった。俺という人間をつなぎとめてくれた。

 

 だから今はこう言える。

 

 やはりあの時、俺はみをりさんに出会えてよかった。

 

 

 

---

 

 

 本当に楽しいと思える時間はあっという間に過ぎてしまう。

 気が付けばまた、あの日から一年ほど経っていた。

 

 

 今日も学校が終わると、俺はすぐに家に戻った。理由は一つ。みをりさんの元へ行くためだ。

 

「じゃあな光。先に帰るわ。悪いな」

 

「はぁ・・・、もう何も言わねえわ」

 

 あれからというもの、俺が疎遠になっていることをなんだかんだ受け入れたのか、光はもう怒りもしなかった。ひょっとしたら、呆れているのかもしれない。

 

 けれど気にすれば苦しいだけ。割り切ってお手は真っ先に自分の家へと向かって進んでいった。

 

 

「最近、はーくん帰っちゃうの早いよね」

 

「なんか忙しいみたいだし・・・。しょうがないわね」

 

「なにも負荷がないならいいけど・・・」

 

 去り際に聞こえる言葉に耳をふさいで、俺はさっさと家へ戻った。

 

 そのまま支度をして、いつものように陸へ上がる。そこにはまた変わらない景色が広がっていた。

 

「あ、遥くん」

 

 さやマート近辺で俺に気づいたみをりさんが、手を高く上げ左右に振る。

 

「あ、どうもです」

 

 軽く会釈。親しき中にも礼儀ありとはよく言ったものだ。

 俺がそうこうしていると、みをりさんは苦笑して俺の瞳を覗き込んできた。

 

「別に、無理して毎日こっちに来なくてもいいんだよ? ウロコ様、呪ってくるでしょ?」

 

 ・・・うん。手遅れなんだ。そっちに至っては。

 

「あー。言ってませんでしたね。この間呪われたので、累計二桁突破しました」

 

「・・・マジか。あとそれ、威張ることじゃないからね」

 

 みをりさんも経験者なのだろう。遠い目で海を見つめていた。

 それと、まだだった先ほどの問いへの回答を俺は行う。

 

「あと、大丈夫ですよ。俺がこうして毎日ここに来てるのも、俺がやりたくてやってることですから。楽しいんですよ、こうしていることが」

 

「・・・そっか。そうならいいんだ」

 

 みをりさんは少し伏し目がちな様子でいたが、すぐに表情を切り替えて俺の方を向きなおした。

 何か言われる前に、俺は右手を差し出してみをりさんの荷物を先に受け取った。

 

「悪いね、持ってもらっちゃって」

 

「いえいえ。・・・それで? 今日はどんな料理にするんですか?」

 

「ふふん・・・それは出来てからのお楽しみだよ」

 

 思わせぶりな口調。合わせるように俺も笑った。

 

「じゃあ、俺が知らないようなものならまたレシピお願いしますね」

 

「うん、おーけーおーけー。みをりさんに任せといて!」

 

 他愛ない話を交えながら、家路を行く。

 そんな時間はあっという間で、瞬く間にみをりさんの住んでいるアパートについた。

 

 が、みをりさんはその場に立ち止まったまま一向に動かない。

 少しばかり、額に汗をかいているようにも見えるけど・・・。

 

 

「どうしたんですか? みをりさん」

 

「ん・・・? んーん、何でもないよ」

 

「そうですか。荷物持ってるんで先に行きますね」

 

 そうして俺はインターホンを鳴らす。中からてこてこと美海が走ってきた。今思えば、美海ももうすぐ小学生だ。本当に時が経つの早い。

 

「おかえり、遥!」

 

「ただいま、美海」

 

 出迎えに来てくれた美海の頭にポンと手を当て、軽くなでる。まんざらでもない様子だ。

 

 すると、異変に気付いたのか美海は心配そうな表情で声を上げた。

 

「あれ・・・? ママは?」

 

「外にいるよ。そろそろ来るんじゃないかな? 一緒に中で待ってようか」

 

「分かった!」

 

 元気よく返事をして、美海は俺の傍から離れていった。

 

 しかし。

 数分経ってもみをりさんは部屋に入ってこない。美海も動揺ではないが不審そうな表情をしていた。

 

 ・・・おかしい。嫌な予感がする。

 

 それを確かめるために俺は立ち上がった。

 

「遥?」

 

「みをりさん呼んでくる。ちょっと待っててくれるかな?」

 

「うん」

 

 ・・・本当に、元気の良い返事だ。

 

「みをりさーん! 入らないんですかー!」

 

 ドアを開けてまず呼びかけてみる。が、返事はない。

 

「みをりさーん! います・・・か?」

 

 階段を下りながら声を掛ける。そして、俺の瞳はその姿を焼き付けてしまった。

 

 

 

 みをりさんは道に倒れていた。

 心臓を抑え、苦し気な表情で。

 




 確実に地の文は向上出来ているはずなんです。
 もっともそれが、果たしてうまく生きているのかなんてのは知りませんが。

 原文の方が面白いなんてあったら、それこそ本末転倒ですしね。
 なのでこれは、若干作者の自己満足的な部分もあります。

 しかし、そんな自己満足を許していただけるなら、作者としてもありがたいです。
 それでは今回はこの辺で。


 また会おうね(定期)


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第六話 おもい二つ、鼓動ひとつ

 過去編は今回が終わりです。 
 ・・・やっぱシリアス多いからどうなんだろう・・・、不安になる。

 まあ、そんな感じですが引き続きよろしくお願いします。
 本編GO!


~遥side~

 

「みをりさん!? 大丈夫ですか!!? 返事してください」

 

 周りを気にする余裕なんてなかった。もてる最大の声で安否を問う。とにかく今は、返事だけ欲しかった。

 近づいてみをりさんの状態を確認する。どうやら心臓も動いているようで、息もあった。

 

 ただ、明らかにリズムがおかしい。少なくとも異常事態であることは容易に想像がいった。

 

「あっ・・・遥くん・・・ごめん・・・」

 

「大丈夫ですから! 今はとりあえず休んでてください!!」

 

 みをりさんは小刻みに体を震わせ、開くか開かないかギリギリの瞳を俺の方に向けた。俺はただ大丈夫ですとだけ繰り返して、みをりさんを落ち着かせようとした。

 

「とにかく、救急車呼んできます! 電話、借りますね!!」

 

 そう言い残して、みをりさんをあとにダッシュでアパートに戻る。

 

「遥・・・どうしたの?」

 

 息を切らしながら入ってきた俺をおかしく思ったのか、美海は心配そうに尋ねる。けれど、あの光景を美海に見せることの方がよほど問題だった。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 誰に言い聞かせたのかも分からない言葉を与え、俺は急いで電話を取った。

 

「もしもし・・・! はい、救急です!!」

 

 美海も救急という言葉を知っているらしく、俺のその言葉で嫌な予感に気づいたようだ。絞り出した震える小さな声でその名を呼ぶ。

 

「ママ・・・?」

 

「はい、お願いします」

 

 電話を切って俺はすぐさま別の番号にかける。

 

「ねぇ、遥。ママは!?」

 

 動揺した美海の声。

 しかし、美海に構っていられる余裕などなかった。

 

「大丈夫だから安心して!! 大丈夫だから・・・! ・・・あ、もしもし、至さんですか!」

 

 

 

---

 

 

 

 それから救急車が駆け付けたのは10分くらいが過ぎたころ。迅速にみをりさんは病院へ運ばれた。

 ただ、ずっと意識はあったらしく、命に別状もないようだった。

 

 もし、もっと深刻な状態だったらなんて思うとゾッとする。

 美海はまだ幼い。残酷な場面を目にしてしまったら生涯に残るトラウマなんて言葉じゃすまない。

 

 だから、そこだけはありがたかった。

 

 とはいえ、数日~一週間程度の入院は必要らしく、みをりさんは入院を余儀なくされた。それと同時に、みをりさんが退院するまで俺は潮留家に身を寄せることを決めた。

 

 こればかりは譲れない。例えウロコ様だろうと海神様だろうと、拒むのなら殴り倒してでも進むつもりだった。

 幸い、あかりさんにも事情説明がいっていたようで、重役への回りは早かったようだった。内密にだが許されて、俺は陸へ上がる。

 

 

 

 そして、三日ほどたった頃、俺は一人で見舞いに向かった。

 

「でもよかったです。意外と元気そうで」

 

 みをりさんの様子はいたって普通だった。若干食が細っている程度で、あとは苦しげな様子は一切見受けられなかった。

 本当はもう少し早く来たかったのだが、準備やその他のごたごたでなかなか時間が取れなかったのだ。

 

「医者が言うには、発生した経緯とかは原因不明らしいけど、症例的に治る確率は高いっていう話らしいよ」

 

「そうですか」

 

 原因不明、という言葉に少々引っ掛かりを覚えたが、それがエナを持つことが原因の病気なら、陸の医者が分からなくても当然だとは思った。

 なんにせよ、前向きにとらえないことにはどうしようもない。

 

 しかし言葉とは裏腹に、俺は下を向いていた。

 

「ところで・・・。一人で来るっていうことは、何か話したいことでもあるんでしょ?」

 

 顔を上げるとみをりさんが得意げな顔をしてこちらを向いていた。

 図星である。

 

「ほら、当たった。・・・いいよ、聞いてあげる」

 

 みをりさんは母のような慈愛の籠った微笑みを俺に向けた。

 

「俺が陸に上がったあの時のこと、覚えていますか?」

 

「うん。ちょうど一年位前の話だったね」

 

 

 俺が聞きたかったことは一つ。

 あの時、なんで俺を助けたのか。

 

 今となってはそんなこと気にする必要もないと思っていた。けれど、どうしてもそのつっかえが取れない。

 ・・・こんなことを聞いて、何になるんだろうな。

 

 俺は諦めて、うまく話をそらした。

 

「・・・あの時、美海が言ったんです。『遥が来てくれたから』って。・・・俺が来る前に、美海がよく遊んでいた子って、誰かいるんですか? ・・・大した話じゃなくてごめんなさい」

 

「なーんだ。そんなことか。・・・えっとね、それはたぶん、千夏ちゃんだと思う」

 

「千夏ちゃん・・・?」

 

「あ、ごめんごめん。水瀬千夏って言う子なんだけどね、よく美海を妹のようにかわいがってくれていたんだよ。・・・ただ、体が弱くてね。今は会えていないんだ」

 

「ここにはいないんですか?」

 

 同じ地区の子なら、ここにいてもおかしくはない。そう思った。

 しかし、みをりさんは首を横に振る。

 

「ううん、いないよ。あの子は今、街の方の病院で療養してるからね」

 

 街と言うのは、鷲大師から電車で移動したところにある町らしい。なんせ行ったことがない地だ。分からない。

 

「次は私から聞いていいかな?」

 

 一区切りついた後で今度はみをりさんから質問が来る。

 

「いいですよ」

 

 聞きっぱなしは、よくないもんな。

 

「・・・ここから見える海って、綺麗だよね」

 

「そうですね」

 

 この病室からはちょうど海が見える。夕方という事もあり、一層綺麗な光景がそこにはあった。

 みをりさんは少し、寂しい表情で海を見つめていた。

 

「・・・汐鹿生は今頃、どうなってるのか知りたくて」

 

 みをりさんはいわば、追放された人間である。

 もう二度とあの光景を見ることが出来ない。それは少なからず寂しい事のようだった。

 

「みをりさんがいたころの汐鹿生はどんな感じだったんですか?」

 

「今とそんなに変わってないとは思うけどね。・・・うーんと」

 

 

 

---

 

 

 

 気が付けば会話は30分を過ぎていた。

 長く待たせていては美海に悪い。つまり、そろそろ潮時だった。

 ここ数日はあかりさんも潮留家に来ていたが、今日は無理なようで、俺がいるしかなかった。

 

「じゃあ、そろそろ俺は家の方に戻ります。とりあえず、無理はしないでくださいね。・・・いなくなられたら、困ります」

 

「大丈夫、分かってるって」

 

 背を向ける。しかし俺は少し後悔していた。

 先ほど聞かなかったことが、耳の中で波を打って反響する。

 逃げ出したことを、今更になって・・・。

 

 ・・・けど、治るようならチャンスはまたいつでもくるだろう。これで終わりじゃない。 

 そんな曖昧なことを思いながら、病室のドアに手をかける。

 

「あ、ちょっと待って、遥くん」

 

「はい。なんです?」

 

 ストップと言われ足を止める。

 

「・・・もう一つ、最後の話、聞いてくれるかな?」

 

「・・・いいですよ」

 

 そう言ってもう一度近くの椅子に腰かける。

 するとみをりさんは似合わないほどにかしこまった。

 

「・・・島波遥くん。ちょっと長いけど、聞いてください」

 

「え、あ、はい・・・」

 

 

---

 

 

~みをりside~

 

 目を開けたとき、私は全てを悟った。

 

 『私の命は、きっとそう長くはない』

 

 退院はできるかもしれない。

 けど、得体のしれない恐怖がずっと私の胸の中で暴れている。あの日痛んだ心臓よりも、この不安感の方がよほど重症だ。

 

 ・・・とにかく、私はもう、もとには戻れないかもしれない。

 だから、伝えておかなきゃならないことがある。

 

 遥くん。

 あなたはまだ子供だから。なんでも背負う必要なんてないの。

 どんなに強くあろうとしても、幼くて脆いから。

 

 弱くていいの。強くならなくて。

 

 ・・・だから、君に届けるよ。私の最後のメッセージ。

 

 

 

---

 

 

 

~遥side~

 

「ごめん。こんな話。長くなっちゃったね。・・・色々言いすぎて混乱しちゃったかな?」

 

「大丈夫です・・・。ただ、今の俺にそんなことが・・・。・・・いえ、なんでもないです」

 

 みをりさんの話は、どこか実感がわかなかった。

 それが大切なことであるのは分かっている。だとすれば、問題は俺の方だ。

 

 ・・・でも今はなぜか、この場所にいることが心苦しかった。

 

 逃げるように俺はもう一度振り向く。

 

「・・・それじゃ、もう帰りますね。・・・また、来ますから」

 

 それから二度と振り返ることもなく、俺は病室をあとにした。

 最後のみをりさんはどんな顔をしていただろうか。そんなことはいざ知らず。

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・それから数日後、みをりさんが亡くなったという連絡が俺に伝えられた。

 

 

 

 

 




今回は特にないです。


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第七話 褪せた海、凪いだ心に

本編スタート。
結構長いんですよねここから・・・。

まあ、言ってもキリないのでどんどん行きましょう。


~遥side~

 

 俺は、中学二年生になった。

 もう、あの日々から三年ほど経つ。

 

 光やまなか、海のみんなと疎遠になりかけてまで陸との関りを持ったあの頃。

 みをりさんを失って、陸に居づらくなって戻ってきた海にも、もう以前のような温かさは感じなかった。それこそ、温水雪が降りだした汐鹿生のように。

 

 海に戻ってからというもの、家でずっと勉強しかしていなかった。そんな日々が続いた。

 

 勉強内容は、教科書は書いてないようなことばかり。

 特に、心理学を専攻して独学することを選んだ。

 

 理由は簡単である。

 

 

 みをりさんが亡くなったあと、いよいよ俺は一度も涙を見せることは無くなった。

 涙だけではない。複数の感情が欠落、あるいは薄いものとなってしまった。

 

 喜ぶことも、怒ることも、泣くことも、笑うことも。

 

 そして何より、俺は『人を好きになる』という感情が分からなくなってしまった。

 

 ・・・好きになった人から、いなくなってしまった。

 そうしていつか、自分の居場所がなくなってしまいそうで。

 

 だから分からない。怖い。・・・そして、知りたいと思ってしまう。

 

 『好きになる』というのは一体どういうことかを。

 

 それと真正面から向き合い、自分なりに答えを得たいと思って今に至る。

 

 

 ・・・欠落した感情のままでは、掴めそうにもないが。

 

 

 そんな現在まで、光たちは疎遠になりかけた俺を放っておくこともなく、半ば強制的ではあるが一緒に登校したり、遊びに連れ出してくれた。

 ありがたい話だった。見捨てたようになっていたのはこっちのせいなのに。

 

 

 ただ、こいつらとの縁も深まってしまえば切れてしまうと考えると怖くて仕方がない。

 一緒にいて楽しいと、この場所が好きだと思ってしまうと、また辛いことが起こってしまうんじゃないか、と。

 

 『好き』という感情は恋愛的なものだけじゃない。

 知人にしろ、友人にしろ、この気持ちのせいで周りが変わってしまう。それは肌を持って実感した。

 

 だから、友人であれどその先へ行くことができなかった。

 ・・・別に越えなくていいのかもしれないが。

 

 

---

 

 

 

「行ってきます」

 

 誰もいない部屋に向かって言い放つ。

 行ってらっしゃいの声はもう帰ってこないが、ここで立ち止まっても仕方がない。

 

 あれからというもの、人数の関係で、俺たちが中一まで通っていた波中は廃校になった。

 つまり、陸の学校へ合流することになったのだ。

 というわけで、今日から新しい制服に腕を通す。

 

 

 ・・・はずだったんだが。

 

『いいか! 陸の学校へ上がっても波中魂は消えねえからな! 明日は波中の制服着て来いよ!!』

 なんて光が強気で言い放つもんだから、制服は仕方なく着替えないでおいた。

 

 そして、当日の朝になる。

 一番最初に視界に入ったのは要だった。

 

「・・・んっ、おはよう、遥」

 

「おう」

 

「おはよう」

 

 ついでにちさきもいたようで、要のあとに声がした。

 そして視界をぐるっと回すと・・・。

 

 浜中の制服を着ているまなかがいた。

 

 ・・・正気か? まなか。

 

「おはよう、はーくん!」

 

「おはよう・・・。あのなぁ、まなか。お前・・・光に絶対に怒られるぞ。悪いこと言わねえからさっさと着替えてこい」

 

「うーん・・・。でも変な目で見られちゃうだろうし、やっぱり陸の人とも仲良くしたいし・・・」

 

「言いたいことは分かるんだけどね・・・」

 

 ちさきがさりげなくフォローを入れる。

 

 確かに人間は、一部分違うだけで人を異分子扱いする。ただ、ことの大概はあくまで最初のみ。内心が見えるからこそ人は仲良くなれるのである。であれば・・・。

 

 そんな取り繕った見た目なんて、いらないよな。

 

「まあ、スタートダッシュに失敗しても仲良くなれないなんてことはないだろ。仲良くなりたいなら、ちゃんと話して、分かり合えばいい。・・・それよりも今は光にどやされる方が面倒だろ」

 

「遥、本音漏れてるよ・・・」

 

 最後の方は小声にしたが、どうやら要には聞こえていたようで、小さくため息が漏れた。

 

「そう・・・だね! ちょっと着替えてくる!」

 

 決心したのかまなかは元気よく家の方へ走っていった。

 その後、入れ違いで光がやってくる。

 

「よーし全員そろっ・・・てねえな。まなかのやつ、どうしたんだ?」

 

 要とちさきが一瞬だけこちらに目配せしてきた。

 ・・・なるほど、うまく言えってことね。

 

 実際、このメンバーの中なら一番光をうまく諭せる自信はある。・・・伊達に居候したわけじゃない。なら、それに応えよう。

 

「ああ。まなかもさっきまでいたんだけどな。忘れ物したみたいで家に帰ったぞ。なんなら俺が待っとくから、三人は先に行っててくれ」

 

「ふーん。そっか。遥が待ってくれるならまあいいか。行こうぜ」

 

 光は特別感情を荒げることもなく、すんなりと受け入れた。

 

 そして、三人はそのまま上っていく。

 

「じゃあな遥、先上がってるぞー!」

 

 はいよ。

 内心でそう呟いてまなかを待つ。さて、俺も忘れもののチェックでもしておくか。

 

 確か今日は・・・体育があったような・・・。・・・ってことは。

 

 ・・・あ。

 

 どうやら、本当に忘れ物をしたのは俺の方だったようだ。

 はぁー・・・冴えねぇ・・・・。

 

『すまん、まなか。忘れ物した。先に行っててくれ』

 

 どうしようもないので、こうとだけ置手紙を残してダッシュで自宅へと向かった。

 

 

 

---

 

 

「くっそ、結構時間かかったな」

 

 少し息を切らして元の場所に戻ってきたころには、置手紙も人もいなかった。どうやらまなかももう行ったらしい。

 

 ・・・さて、急ぐか。

 時間はまだ少しあるが、ちんたらしてると遅刻になる可能性もある

 

 俺は両足にしっかりと力を入れ、陸へ泳いでいく。

 

 

 

 

 泳ぎだして数分経った。陸まではまだ距離がある。

 

 ・・・さてと、光がどうでるか心配なんだよなぁ。

 新天地で波中の制服着ていく時点で明らかに喧嘩を売っている。そんな奴が、学校に行って何もしないわけがない。

 考えただけで頭が痛くなるようなことを考えながら進む。

 

 だからこそ、目の前から迫ってくる何かを避けれなかった。

 

 ゴンッ!

 

 

「っ・・・! ・・・何に当たったんだ、俺は・・・!?」

 

 2~3秒痛みに支配された後に、目を開けて周りを見回す。

 

 

 そこには、俺と同じように頭を押さえている。俺がこれから向かう浜中の制服を着た一人の少女がいた。




今回は文字数少なかったですね。
どこか釈然としない日々です。
うぐぅ・・・。


また会おうね(定期)


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第八話 まだ、つなげない

意外と本編大幅改修するかもしれません。
ご了承ください


~遥side~

 

 え?

 目を疑ったが間違いない。俺の目の前には確かに少女がいる。

 これから向かう浜中の制服を着た、波中の生徒ではない少女が。

 

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 

 少女はこっちに気づくなり、急いで方向転換して陸を目指していった。

 しかし、そっちは別方向である。

 

「あ、おい待て! 浜中ならあっちからが早いぞ!」

 

 俺の指摘をもとに、少女は礼もなく一目散に俺の指さした方向へ進んでいく。瞬く間にその姿は見えなくなり、俺一人海に残された。

 

 

「さて・・・どういうことなんだ?」

 

 そのまま陸に上がった俺は、足を進ませつつもさっきのことについて考えていた。

 

 

 海で泳ぐにはエナがいる。

 いや、泳げないことはないのだが、あそこまですいすい泳ごうものなら、通常の人間ならそれなりの道具は必要だ。

 

 けど、少女は海でしっかりと呼吸をしていた。

 それはつまり、エナがあるという事。

 

 しかし、エナは純粋な海の人間しか持ち合わせていない。そう教えられていた。

 

 さっきの少女はどうだろうか。

 少なくとも、俺が生まれたときには海にはいなかった。

 ということは、陸で生まれ、育っているのは間違いない。では、なぜ泳げたのだろうか。

 

 導き出した答えは二つ。

 ひとつは、両親とも海の人間だったが陸で結婚し、陸で子供を産んだ。

 これなら納得がいく。言えば、俺を生む前から陸へ越した両親のような状態だ。

 

 そして、納得できないもう一つの答え、それは陸と海のハーフであるということだった。

 

 

---

 

 

 

 それから学校につき、今は教室で、教卓の前に立たされている。あれからというもの、少しゴタゴタしたが、遅刻することもなく無事についた。教室には何人か見慣れた顔ぶれがいたが、今は特別声を掛ける必要もないだろう。

 ちなみに、空席が一つ。一人休みのようだった。

 

 そして、明らかに優しい雰囲気の先生が説明を始める。

 

「はーい静かに・・・って静かだね。珍しい。まあ、今日から、汐鹿生の波中が廃校になったため、浜中と合同することになりました。じゃあ、自己紹介してくれるかな?」

 

 先生に促されて、一番端のちさきから自己紹介を始める。

 

「えっと、私は比良平ちさきです。その・・・よろしくお願いします」

 

 ついで要。

 

「僕は伊佐木 要です。趣味はまあ、特にないです」

 

 無難そうなことを口にする要と対照的に、一部女子から黄色い声が上がってくる。こいつ・・・。

 

 そして、自己紹介が光に回ってきたとき、周りの、特に男子が一斉に挑発を始めた。

 

「ああ、くせぇくせぇ。すげえ塩くせぇなー。もしかして、魚の糞とか被ってんじゃねえのか?」

 

 嘲笑。あるいは沈黙。

 まさに最悪の雰囲気とも言える。

 

 ったく、なんで光のタイミングで・・・。暴れないでくれよ・・・頼むから・・・。

 

 考えられる限り最悪のケースが生まれるかもしれない。

 俺は恐る恐る光の方を向いた。

 

 が、特別暴れだすような様子はなかった。・・・口先以外は。

 

 

「ああ、本当にくせえな! まるで、くそだらけの豚小屋に入れられたみたいだぜ! おい、お前らもなんか言えよ! こんな奴らに!」

 

 ・・・これはこれで、考えられる限り最悪のケースだった。

 だとすると、尻ぬぐいは俺の仕事。一つ咳払いをして、心を無にして言葉を放った。

 

「少し黙れ、話が進まんだろうが・・・」

 

「あっ!?」

 

「はいはい、うちの馬鹿光がすいませんね。俺は島波遥。趣味はまあ・・・勉強? なんでもいいか。料理なんてのも時々する。そっちがどうかは知らないけど、俺はこのクラスの人間、一応何人かは知ってるつもりなんで、まあ仲良くお願いします」

 

 実際、嘘はついてない。

 視界の端に狭山が映る。こいつもずいぶんと雰囲気が変わっていたが、俺と目が合うなり気まずそうにふいっと顔をそらした。

 

 言葉をまくし立てたためか、挑発の流れは息をひそめた。これで、光の次にまなかの順番が来たら・・・なんて思うとゾッとする。

 ともかく、何も起きなくてよかった。

 

 そしてまなかの自己紹介は何事もなく終わり、授業に入っていった。

 

 

 

---

 

 

 それから流れるように時間が過ぎ、いつの間にか昼休憩になった。

 さすがに初日から陸と海の距離が近くなるはずがない。

 

 当初はそんなことを思っていたが、あの様子を見るにこれはなかなか重症だ。最悪、このまま距離のあるまま平行移動で進むだけ、まだマシとなる状況が来るのかもしれない。

 

 そんな初日だったが、俺の席のところに一人、少年がやってきた。

 

「なぁ、少し話しないか?」

 

 その少年は近くの開いている椅子に腰かけた。先ほどのように煽ってくるような雰囲気もなかったので、少々心を許して素直に話す。

 

 そういえばこいつ、さっきの挑発には加担してなかったしな。

 むしろそいつらを睨んでいたような雰囲気まである。

 

 光たちは光たちで別なところに集まっていたようなので、問題もなさそうだ。

 

「いいぞ。っと、その前に自己紹介頼めるか?」

 

「ああ。俺は木原紡。そっちは島波遥、だったか」

 

「遥でいいよ」

 

「じゃあ、遥。あと、俺も紡で大丈夫だ」

 

 俺が気さくにそう言うと、早速紡はそう呼ぶことにした。

 

「というか、なんでわざわざ海の人間に話しかけてんだ。俺は構わないけど、周りの目が白いだろ」

 

「関係ない。・・・そもそも、俺は海が好きなんだ」

 

「へぇ・・・」

 

「じいちゃんが漁師で、何度も船上から海を見てきたからな。・・・もっと海を知りたいんだよ。俺は。海は好きだし、憧れてる」

 

 冷静を装いながらも、気分が高揚しているのは目に見えた。

 

「それに、遥だけ、雰囲気が他と違ったからな。反応が子供じゃない。・・・それに、陸にも面識があるみたいだしな。俺の事は」

 

「いや、知らないな。せいぜい一部くらいしか関りがなかったし、さっきのもハッタリに近い。だからまあ、これからだな。よろしく」

 

 相手の機嫌を損ねないように、うまく言葉を取り繕う。しかし、本来握手するべきはずの俺の手は伸びなかった。

 はてさて、その言葉にどれだけの感情が籠っていただろうか。それは誰にも分からない。

 

 よろしく・・・か。

 

 その言葉ひとつで友達になれるなら、この世界はどれだけ平和になるんだろうな。

 

「・・・遥?」

 

「悪い。啓蒙してた」

 

 ぼーっとしていた俺は紡の言葉で帰ってくる。

 

「まあこれからよろしく頼む。・・・また、海の話とか、聞かせてほしい」

 

「時間がある限りいくらでもしてやるよ」

 

 軽く笑って、眼を動かす。

 その時、先ほど気になった空席がなぜか気になった。

 

「なぁ」

 

「?」

 

「あそこの空席、今日休みだって言ってたけど・・・、誰の席なんだ?」

 

 ふとした質問だった。

 特別他意はなかった。

 

 

 けれど、紡が言葉にした名前は、いつか聞いたことがある名前だった。

 

 

「千夏。・・・ああ、フルネームか。あそこに席は、水瀬千夏の席だよ」

 

 

 




はてさて、オリジナルのキャラを我の強い本編に混ぜるのってなかなか難しいんですよね。
頑張ります。

また会おうね(定期)


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第九話 そんな二人はきっと一緒で

会話とか変えていかないとこのリメイクの意義自体なくなりますね。
もっと善処します。

それでは本編どうぞ。


~遥side~

 

「水瀬千夏、さんね・・・」

 

 動揺を悟られないように、名前を復唱する。それと同時に、みをりさんにあの日言われた、水瀬千夏という人物のことを思い出していた。

 

「・・・おい、遥?」

 

「ん、ああ。悪い」

 

 またぼーっとしていたようで、紡に声をかけられた。不思議なものを見る目でこちらに視線を向けるが、俺はそれをうまくいなす。

 

 と、ここで予鈴が一度鳴る。

 

「次は体育だったか。なら、そろそろ行った方がいいな。話、また今度聞かせてくれるか?」

 

「ああ。知ってることならいくらでも教えてやるよ」

 

 とりあえず約束と縁を結んで、俺たちは体育へ向かうことにした。

 ・・・遠くから見つめる光の視線が少し痛く感じたが。

 

 

---

 

 

 そして、今度は体育の時間。

 内容が持久走とこれまた人気の悪そうなもので、これなら忘れてしまっていた体操服を忘れたままにしておいたほうが良かったのではないかと思う始末。

 

 しかし、愚痴を垂れても仕方はない。今は走る。

 

「さて・・・」

 

 軽く体を動かして、跳ねるような軽さで走る。

 

 陸から遠ざかったあの日から数年、俺が力を注いでいたのは勉強なのだが、かといってずっと家に引きこもっているわけでもなかった。

 そして何より、陸での活動には慣れている。

 

 そんな理由相まって、俺はグループの先頭を走っていた。

 

 ほぼ横についているのは紡一人。その紡も少し驚いた様子だった。

 

「お前、早いんだな。エナを持つ人間って、海の中で走ったりするのか?」

 

「ああ? ・・・そうだな。海の中で生きてるっていっても、やってることは陸上生活とあんまし変わらない。むしろ、汐鹿生だと泳ぐことの方が少ないかもな」

 

「ふーん・・・そういうものなのか」

 

「それに、陸の重力や呼吸には慣れているしな・・・」

 

 言葉にしたとたん、数年前のあの日々がぼやけながらも思い出された。それが頭の片隅にあるだけで、胸が痛くなる。 

 

 ・・・こんな痛み、早く忘れてしまいたい。

 

 けれど、忘れる方が、よっぽど痛いかもしれない。

 

 

「どおっっせええええい!」

 

 そんなことに気を取られていると、後ろから光がものすごい勢いでペースを上げてきた。

 

 ・・・馬鹿ッ! これはぶつかる!!

 

 とっさに俺は外に進路を外したが、紡は間に合わずに光と衝突、転倒してしまった。

 

 ・・・ほんと、こいつは。

 

「おい、バカ光。内抜きは禁止って何回言えば分かるんだお前は。危ないって言ってるだろ。・・・ったく、二人とも、大丈夫か?」

 

 両手を差し出して、紡と光の腕を引っ張り上げ、立ち上がらせる。

 

「悪いな、遥」

 

「ったく、悪かったよ・・・」

 

 紡は相変わらず無表情で、一方の光は終始不機嫌そうに礼を言った。その後ずっと紡を睨みっぱなしだったあたり、反省はしていないのだろう。

 

 光が先に行った後で、紡に確認を取る。

 

「・・・なあ、紡。お前、光や俺以外の海村の人間と何かあったのか?」

 

「直接は何も。・・・ただ」

 

「ただ?」

 

「向井戸とは、一悶着あったか」

 

「というと?」

 

「俺のじいちゃん、漁師なんだよ。それで、今朝も船を出したんだけど、その時、網で向井戸を引き上げてしまってな」

 

 

 ・・・なるほど、そういうことか。

 その説明で、俺はちゃんと納得がいった。

 

 光のまなかに対する想いは強い。いや、強いなんてものじゃないな。

 あいつは、まなかのこととなると止まらなくなる。

 

 もし、その様子を陸から見ていたのなら、光は怒っているか何かしているのかもしれない。

 それに、さっきの自己紹介の時、まなかの目が紡にいってたから、きっと何かが二人をそれぞれ動かしているのかもしれないな。

 

 ・・・端的に換言すれば、嫉妬、か。

 

「なるほど。大体は分かった。その様子だと、大丈夫そうだな」

 

「いいのか?」

 

「あいつは単純だからな。ま、気になるところがあるなら俺の方から言っとくよ」

 

「そうか、それならいいんだが」

 

 それ以降は特に何も起きることなく、浜中での最初の一日が終わった。

 

 

 

---

 

 

 帰り道、ほか三人と別れて、俺は光と二人きりで帰っていた。

 とりあえず、今日の光はかなり暴走気味だった。最悪、八つ当たりが起こるかもしれないと考えると、ほか三人と引き離す方が賢明だった。

 

 文句を一心に受けるなら、俺一人で十分だ。

 

「ったく、地上の奴らって、ホントダメだよな」

 

「何がダメか、具体例がないと分からんぞ」

 

「そりゃお前・・・。・・・具体例、か」

 

 一対一の状況。こういう時の光は大概愚痴を垂れることが多い。普段強気の割に、こうしたところのメンタルが幼いのがまた厄介だ。

 

 

「おーい、光、遥くんー。学校お疲れ様。どうだった? 初の陸の学校は」

 

 さやマート当たりで俺と光はあかりさんに遭遇した。

 まあ、あかりさんの就職場所がさやマートなので、それはそうなるのだが。

 

「お疲れ様です、あかりさん。初めてとかなんだかんだ言っても、まあ、普通ですよ」

 

「別に、何ともねえよ」

 

 ・・・あれだけムキになって噛みつきまくって、それで何ともないならだいぶ曲がってるぞ、光。

 

「ところで二人とも、友だち出来た?」

 

 純粋なあかりさんの質問。あのー・・・それって光の導火線に火をつけるだけなんですが。

 俺の方はと言うと、・・・出来た、になるのか。

 

「はぁ!? あんな連中と仲良くできるわけないだろ!」

 

「俺は出来ましたけどね」

 

「は!? お前マジかよ!」

 

 嫉妬、あるいは驚きか。悪い意味でテンションが高潮した光はとにかくうるさくなる。

 どうどうと俺は宥めるように言う。

 

「安い挑発なんかに乗るからああなるんだよ、お前は。もっと冷静に周り見たらどうだ? 挑発した人間なんてごく一部だろ」

 

「・・・ふーん? 光、また暴走しちゃったんだ?」

 

「してっ・・・! ・・・たかもしれないけど! てかおい! 遥! なんで言うんだよ!」

 

「隠してても意味ないだろ。そんな敵意むき出しでいたら。・・・ん?」

 

 言葉の途中で、俺はさやマートの裏の方に二人の人影を見つけた。

 一人は壁に隠れて見えない。

 

 ・・・けど、もう一人ははっきりと見えた。

 

 見たくなかった。けど、見てしまった。

 

 見間違いはない。・・・あれは、美海だ。

 

「? どうしたんだよ、遥。急に黙り込んで」

 

 光が急に冷静になったことでこちらが意識していることに気づいたのか、その二人はそそっと逃げていった。

 

「? あっ、おい待てそこの・・・!」

 

「光。・・・あれはいいのよ。放っておきなさい」

 

 あかりさんがストップの判断を下すのは早かった。

 

「放っておくって言っても・・・」

 

 光は居心地が悪いのかうずうずしていたが、こればかりは放っておくという選択が正しいように思えた。むしろ、放っておいてほしかった。

 

 なんせ、あそこにいた人間の一人は自分の勝手たるを知る人間だ。

 

 そして、俺と光はさっきの壁に近づく。

 その壁には、ガムの跡で『どっかい』と書いてあった。

 

「はあ? なんだよこれ、どっかい・・・読解?」

 

「いや、違うだろ」

 

 光は頭に疑問符を浮かべる。・・・というか、察し悪いな。

 

 この言葉の意味に、俺はすぐに気づいた。答え合わせのようにあかりさんが口にする。

 

「『どっかい』、ねえ・・・。きっと、完成したら『どっかいけ』になるんだろうね。多分、私あてのメッセージだよ、これ。・・・なんで完成しないんだろうね」

 

 あかりさんは少し悲しそうに、少し不思議そうに言った。

 ・・・でも、なんで完成しないかは、俺も気になる。

 

 しかし、光は違った。一人でまた勝手に変な結論へ行きつく。

 

「はぁ!? すげぇ酷い奴らじゃねえか! あかりは何もしてないってのに、海の奴らだからって、こんなことしてんのかよ! ・・・やっぱり、俺が捕まえて・・・!」

 

「少し落ち着け! ・・・言ったろ、もっと冷静になれって。・・・それに」

 

「それに・・・なんだよ」

 

 俺が久々に大きな声を出したことが響いたのか、光は動こうとしていた足を止めて、こちらを振り返った。

 抑制こそ出来たものの、光は苛立ちを抑えきれていない様子で、今にも俺に突っかかってきそうな勢いだった。

 

「・・・多分これは、俺とあかりさんが一番分かることかもしれない。だから、まずはそっとしておいてくれ。・・・それでもって、俺に任せてほしい」

 

「ったく、しゃーねえ。お前がそう言うならそう言うことにしておいてやるよ。じゃあな、遥。先帰ってるぜ」

 

 光は不承不承ながら受け入れてくれ、そのまま海へ帰っていった。

 

 

 二人きりになったところで、俺は改めてあかりさんの方を向いた。

 少なくとも、その瞳は先ほどまでと感情の違うものだった。

 

 ・・・もっと、どす黒い感情だ。

 

「さて、あかりさん。少しお話しましょうか」

 

「まあ、そうなるよね・・・」

 

 一息ついて、あかりさんは俺の視線を受けとる。

 

「さっきの片方、あれって美海、で間違いないですよね」

 

「うん」

 

「俺の知る美海は・・・あんなことをする子じゃないです。・・・いったい、何があったんですか?」

 

 何かがあった、とは一言も口にされていないが、俺はあの様子から、美海に何かがあったことを察した。むしろ、それ以外の考えに辿り着けなかった。

 

「うん、そうだね。・・・ね、ここから先は、外に漏らさないでくれるかな?」

 

「分かってますよ。陸での話が海村で広がるのは、俺も嫌ですし」

 

 俺がそう言うと、あかりさんは自分のことを話し始めた。

 

 

 どうやらあかりさんは、至さんと付き合っているという事だった。

 

 あかりさんが至さん夫婦や美海と面識があるのは知っていた。何より、俺もそこにいたんだから、知っていて当然だ。

 

 そして、みをりさんが亡くなった後、だんだんと距離が近づいていったようだ。

 美海の態度は、その途中から変わりだしたとのことだった。

 

 

 

 全ての話を聞いて、俺は一つの確信に至る。

 美海は、今の俺と似ているんだ、と。

 

「・・・なるほど。そんなことが」

 

「うん、こういうこと」

 

 終始、あかりさんは悲しそうだった。

 けれど、俺はそんなあかりさんにこれからひどいことを言わなければならない。

 

 ひどいと分かっていても、言わなければならない。

 

「・・・なんとなく、ですが。分かりました。美海の今の事。でも・・・、俺はこの話に手を出せません。・・・出しちゃいけないんです」

 

「え?」

 

「とにかく、ここから先はたぶんあかりさんの問題です。・・・答えは、自分で導いてください」

 

「あはは・・・厳しいんだね、遥くんは」

 

 すいません、とだけ謝って、俺は急いで汐鹿生の方へ歩いて帰ることにした。

 

 ・・・手を出せない。出しちゃいけない。

 近づいたら、波のように離れてしまうから。

 

 

 ・・・似ているという事は、そういうことだった。

 

 

---

 

 

 とにかく無心を徹底して、俺は汐鹿生を目指していった。

 ほどなくして、ダイブするポイントへ近づく。

 

 しかし俺はすぐには潜らなかった。遠くに人影が見えたのだ。

 

 その姿を、もう一度よく見返す。

 一人、少女がいた。遠く遠く、海を見つめている。

 

 そしてその少女は、俺が今朝ぶつかった人間と一緒だった。

 

 ・・・話しかけてみるか。

 

 ふとそんなことを思った。思ってしまうと、体は独りでに近づいた。

 

「? どうかしましたか?」

 

 少女は近づいてくる俺に気づいたようで、首をかしげて声を掛ける。

 

 

 朝ぶつかった時とはえらい違いだな・・・。こっちが素って言えば、当然か。

 とにかく、思ったことを口にしないように、俺は下手に出て尋ねた。

 

 

「ああ、いえ。たまたま通りすがっただけなので。・・・あの、名前、伺ってもいいですか?」

 

 自分でも気持ち悪いと思うほど、下手に出た質問。

 その質問に、少女は真正面から答えてくれた。

 

 そして、俺が何度も聞いてきた名前を、少女もまた口にする。

 

 

 

「はい。私、水瀬千夏って言います」

 

 彼女こそが、水瀬千夏だった。

 

 

 

 

 




しかしこうしてみると、前作は会話が読み取りづらかったり等があるので、見やすい書き方へリメイクするという点においては今作はかなり重要ですね。

さて、ここからですよ。
前作と同じじゃ意味がない。

頑張ります。

また会おうね(定期)


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第十話 海色の瞳、ゆらゆらゆらり

個人的に今話のサブタイトル好きです。
それでは本編どうぞ


~千夏side~

 

 私は水瀬千夏。

 両親は、父親が陸の出身。母親が汐鹿生の出身。まあ、端的に換言するとハーフだね。

 この世界の一節では、陸と海の人間の間で生まれたハーフは、海の人間のみが持ち合わせるエナを持つことは出来ないという。

 

 ・・・でも、私はエナを持ってる。

 

 もちろん、最初から持ち合わせていたわけじゃなかった。

 まだ小さかった頃、海沿いを歩いていたら誤って海に転落してしまった。当然、まだ泳ぎを習うような歳でもなかったから、私の身体はどんどん海へと沈んでいった。

 

 苦しい。助けて。

 

 心の奥底で呟かれた言葉は誰にも届かない。その時は運悪く私一人だったから、当然両親もいない。

 もう終わりだと思った。目を閉じて、陸の光を浴びることを、生きることを諦めようとした。

 

 ・・・『音』が聞こえたのは、その時だった。

 

 ピキキ・・・と何かが動く音。それが私に張り付いたようになり、やがて体にしみて溶けていく。

 次に目を開けたときは、体が軽く感じた。

 

 地上でするのと同じように、息を吸い込む。体に入ってきたのはしょっぱい水なんかではなく、きれいな空気だった。それでいて、視界は果てしない青。

 

 私はその時、はじめて自分にエナがあると実感した。

 

 ただ、私はもともと体が弱い人間だった。とはいえ、それは生活に支障をきたすほどでもない。

 けれどこの時、エナを得てから、私の病気はひどさを増すことになった。

 

 原因不明。対処も出来なければ治療法もない。

 だから、動ける日は動こうと決めて、毎日海へ向かうことにした。

 

 

 そしてつい最近、ようやく病気が少し和らいだ。

 長い間だった。ひどいときに入院していた病院は、海とは程遠いものだった。

 

 だから私は、学校へ向かうついでに、久しぶりに海を泳いでみた。

 

 ・・・が。

 

 泳ぎすぎてしまった。現在地の把握が出来ない。

 

 色々と面倒だから海村には行くなと母に教えられているので、普段は深くまで潜ることはないのに、どうやら調子に乗りすぎてしまったみたいで、深くまで進みすぎてしまったようだった。

 

 えーっと・・・どうしようかな。

 じっとすることは出来なかったので、その場をぐるぐると泳いでみることにした。肌をもってマッピング。さて、ここはどこだろう。

 

 なんて、そんな出まかせな行動をしていたせいか、一人の少年とぶつかってしまった。

 

「-っ!!」

 

 頭と頭の衝突。当然、大ダメージだ。

 その場で悶絶、うずくまって頭を押さえた。

 

 そして顔を上げると、その少年とばっちり目が合ってしまった。

 

「っ!!!」

 

 気が動転してたため、その時私が何を思っていたか覚えていないけど、私はすぐさま上を向いて泳ぎだした。とりあえず地上に逃げることだけを考えていたのは覚えている。

 

 

「あ、おい待て! 浜中ならあっちからが早いぞ!」

 

 制服のまま、うっかり海に飛び込んでしまっていたようで、私が浜中の人間であることを知られてしまった。しかし、それすら気にする余裕もなく、私は一目散に逃げるように陸へ上がった。

 

 せめて、お礼くらい言えればよかったのに・・・。

 

 しかし、陸に上がると急に体がふらふらとしだした。熱っぽいけだるさ。どうやら軽く風邪のようなものになってしまったようだ。

 無理をすれば学校にいけないわけでもないが、何せ病み上がりだ。あまり激しいことはしていられない。

 

 親には謝り倒したうえで、今日は学校を休むことにした。

 ・・・はぁ、何してるんだろ、私。

 

 

 

---

 

 

 昼の四時ごろになると体調はすっかり回復した。

 ちょうど母親から買い物のお願いが入っていたのが幸いし、私は外に出ることが許された。さっきの今で海に入ろうとは思わないけど。

 

 ・・・それより、海、だいぶ冷たくなってたな。

 数年前も毎日のように泳いでいたけど、今日は今までにないくらい冷たい海だった。あまりいい予感はしない。

 

 さやマートで頼まれたものの買い物をすます。残った時間は海辺の散歩に費やすことにした。

 普段、この時間は帰りの学生とすれ違う。休みがちだった私からすれば、あまり気分のいいものではない。

 

 だから、海辺を歩く。あの広がる青を見れば、そんな鬱屈とした感情、すぐに吹き飛ぶのだから。

 

 堤防に座り、ぼんやりと揺らめく波を見る。

 ・・・ああ、綺麗だ。

 

 こうやって眺めていると、いつもそう感じる。

 

 そうしていると、少し遠くから足音が近づいてくるので意識が戻った。

 足音がする方向を向く。

 そこからやってきたのは、今朝、ぶつかった男だった。

 

 えっ・・・嘘・・・!?

 

 当然、テンパる。恥ずかしくて逃げだしたのに、今更どんな顔をして会えっていうのだろうか。

 しかし、落ち着いてみようと奮闘する。

 第一、今は私服だし、さっき、そこまでまじまじと顔を見られてないなら、バレない可能性だってある。

 

 なにより、平静。うん、なんとかなる。

 

 うまく作り笑いを浮かべて、私は尋ねた。

 

「? どうかしましたか?」

 

 驚いてか、男の人は少しうろたえていたが、ちゃんと要望を述べてくれた。

 

「ああ、いえ。たまたま通りすがっただけなので。・・・あの、名前、伺ってもいいですか?」

 

 ・・・え? 初対面で? いきなり名前?

 けれど、別に嘘偽る必要もなかったので、私はちゃんと、自分の名前を述べることにした。

 

「はい。私、水瀬千夏って言います」

 

 

---

 

~遥side~

 

 水瀬、千夏。

 さんざん聞いてきた名前だ。そして、そのたびにどんな人間なんだろうと想像を膨らませていたような気もする。

 そしてその人間は、今目の前にいる。

 

 それには、一種の感動すら覚えた。

 

「どうしたんですか? 名前聞いたまま固まっちゃって」

 

「あ、いえ。・・・そうだ、自己紹介、まだでしたね。俺は島波遥って言います」

 

「はぁ、島波君ね。学生っぽいけど・・・何年生?」

 

「中二ですね」

 

「そうなんだ」

 

「「・・・」」

 

 

 沈黙が起こるのは当然とも言えた。

 とはいえ、俺が聞きたいのは名前の事だけじゃない。それこそ、今朝の騒動の張本人がそこにいる。聞きださないわけにはいかなかった。

 

 ・・・回りくどい言い方でもするか。

 

「あの、浜中の生徒、ですよね?」

 

「はい。それが・・・どうかしましたか?」

 

「・・・今日、俺とぶつかりましたよね?」

 

「・・・」

 

 沈黙は肯定。少女は顔を俯かせ、赤らめていた。

 確認ができたので一応当初の目的は達成したことになる。別にまた逃げられても構わないと思ったが・・・。

 

 今度は逃げ出さず、ぶつぶつと懺悔の言葉を漏らした。

 

「すいません・・・、忘れてください・・・。事故なんです・・・」

 

「忘れるったって・・・。あと、問題はそこじゃなくて」

 

 十中八九、エナの事である。

 

 見るからに陸の少女。しかし、エナを持っているというのは奇怪だ。

 それが再三聞いてきた名前の人間となると、ますます知りたくなる。

 

「あなた・・・どうしてエナを持ってるんですか?」

 

「・・・誰にも言わない?」

 

「俺の場合、他言するメリットがどこにもないので」

 

 海で広めたらそりゃ大問題になるし、陸で広めても白い目で見られるだけ。これは内密的にとどめておく方がいいと判断した。

 

 その言葉で腹をくくったようで、水瀬さんは俺の方に向き直った。

 

「・・・分かった。でも、その前に一つだけお願い」

 

「なんなりと」

 

「私、中学二年生。・・・同級生なんだ。だから、敬語は使ってほしくないかな」

 

「・・・そうか、分かった。じゃあ、遠慮はしないでおく」

 

「うん。そうして。・・・それじゃあ、話そうか」

 

 覚悟を決めた瞳は、先ほどと色が違った。

 今なら何でも聞いてくれるだろう。そうくくって俺は質問を投げかけてみることにした。

 

「まず、単刀直入にだけど、どうしてエナを?」

 

「私も分からない。一応、お母さんはもともと海の人間なんだけど・・・」

 

「ハーフ、なのか?」

 

 水瀬は一度首肯した。

 

「それでいて、エナを持ってるのか・・・。そんな前例、聞いたことないぞ」

 

「みたいだね。お母さんも言ってた。だから今は、エナを持ってる、っていう事実だけで考えて、そこから先に行かないようにしている」

 

 賢明な判断だった。

 というよりは、陸海の複雑な関係上、体裁的にそうせざるを得ないのかもしれないが。

 

「汐鹿生には、来たことあるのか?」

 

「ううん、それはないかな」

 

 そう言う水瀬は少し寂しそうだった。

 

「海に汐鹿生っていう海村があるのは知ってる。お母さんからも聞いていたし、絵本もたくさん読んでもらったし。・・・でも、そこにあるのに、私はあそこにはいけないの」

 

「それはやっぱり・・・」

 

「うん。その理由で合ってると思う」

 

 話の内容から、水瀬の母親が追放者であることは容易に察せる。

 あとは簡単。追放者の娘が、それも陸の人間が、汐鹿生に入ったらどうなるか。

 

 それはもう、大惨事になるだろう。

 

「もちろん、憧れはあるし、嫉妬もしてる。・・・私だって、エナ持ってるんだもん。一度は訪れてみたい」

 

「そうか・・・」

 

 

 叶うといいな。

 

 その願いは口にすることは出来なかった。

 

 

 話をしていると、急に腹の下のあたりが苦しくなりだした。

 タイムオーバー、時間だ。

 

 これまで、陸に上がる時はなんらかのケアをしたり、してもらってたりしていたが、今日はそんなこと微塵も考えていなかった。

 

「ごめん。エナが少し乾いてきたし、頃合いだと思うからそろそろ帰るわ」

 

「そっか。まあ、続きとかあるならまた明日。というか、いつでもいいからね」

 

 そう言ってもらえるのはありがたいが、光らの前ではそうそう話せねえよ・・・。

 

「悪いな。んじゃ」

 

 そしてようやく、夕暮れの海に飛び込んだ。

 

 

 水瀬千夏、か・・・。

 

 

 

 海村にとって、そして俺にとって彼女は、一番、今後を左右する可能性のある存在だった。

 




〇オリジナルキャラクター紹介
・水瀬千夏
14(13)歳/8月2日生/♀
浜中生/エナを持っている

現状プロフィールはこんなところでしょうか。
メインキャラなので、今後どんどん情報解禁されていく感じですね。

それでは今回はこの辺で。

また会おうね(定期)


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第十一話 それはいつも突然に

進捗はまだ10%にもいってません。

本編どうぞ


~遥side~

 

 それは、突然の事だった。

 

 いつものように集合して学校に行く。その予定だったのだが、いつまでたってもまなかが来る気配がない。いち早くおかしさを覚えた光は一人でまなかの家に向かう。俺や要、ちさきもそれについていくことにした。

 

 

「おーい、まなかー! 早く出て来いよー!」

 

 とりあえず光が叫ぶ。あのさぁ・・・。

 

「出てこないからこうなってるんでしょうが・・・」

 

 俺ははぁ、と少しため息を吐く。

 

「ったく・・・早くしろよな」

 

 光があたりをうろうろしだす。どうやらイライラのボルテージが高まってきているようだ。下手に言葉を発すると爆発しかねない、短い導火線だ。

 

 ならばどうするか。

 簡単だ。ためらわずに行動してしまえばいい。言い方は悪いが、俺は光ほどまなかへの執着心はない。だったらただの友達として行動すればいい。変に意識することは何もないのだ。

 

 ためらわず、俺はとんっと真上へジャンプした。

 

「おーい、まなか、失礼かもしれんがそっち行くぞー!」

 

 たちまち俺はまなか宅の二階へ上がり、窓から入っていく。後の三人も付いてきた。

 

「おい、何やってんだよまなか、おせぇぞ」

 

「あっ、おはようひーくん、とみんなも。・・・えーっとね・・・その」

 

 まなかは俺たちに背を向けたまま動かない。片膝を隠すように抱えているその仕草にすぐに違和感を覚えたのは俺だった。

 チラッとだけ、魚のようなものが見える。

 

 

 あぁ、なるほど、そういうことか。

 

「ウロコ様に呪われたんだな、まなか」

 

「なんでわかったの!?」

 

 完全にばれないと思っていたのか、まなかは驚きの声を上げる。

 うん、まあ・・・。知ってるも何も、よくやられていたし。

 

 そのまなかがこちらを振り向くことで、呪いの実態が明らかになった。

 

 膝から、魚が生えていた。

 

「なるほどね・・・。この手のタイプは結構久しぶりに見たかもしれん」

 

「いや、なんだよ・・・。お前呪われたことでもあるのか?」

 

 光も呆れたようにため息を吐く。

 まあ、ここにいる人間が知らないって言えばそうか。言えば、こいつらは海村の模範生みたいなものだからな。

 

 それに引き換え俺は・・・。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「かれこれ、十数回はやられたことあるぞ。まあ、今回のまなかのようなものだけじゃないけど」

 

「ねぇ、遥ってウロコ様に嫌われてるの・・・?」

 

 呆れか驚きか、ちさきの控えめな声。というかお前ら呆れすぎだろ。

 嫌われてる・・・か。どうだろうな。あまりあの人の元へ行くことがないので一概にどうとは言えない。

 

「ま、小さいころから無駄に陸に上がってたしな。そう言われたらそうかもしれない」

 

 とりあえず、体裁的なことを考えて、それなりのことを口にしておく。

 言葉にした後で、俺はふと振り返った。

 

 無駄、なんだろうか。みをりさんや美海、至さんらと過ごした陸での日々は。

 

 

 ・・・失ってしまった物の価値は、よくわからない。

 

 

「まあ、それはこの際置いておこう。それより遥、今回まなかが呪われた理由とか分かるかな?」

 

 脱線しかけた話は、要が本題に入ることで元に戻った。

 

「んー? まあ、暇つぶしとかだろうな。というかあの人、大して仕事してるわけじゃないでしょ」

 

 なんて言ってたら俺が呪われるんだろうな。ははっ。

 いや、なにわろてんねん。

 

 

「暇つぶし感覚でそんなことするんだ、ウロコ様って・・・」

 

 ちさきが落胆とも呆然ともつかない声を上げる。まあ、あの人の実態を知らない人間は大概こうなるだろうな。

 

「それより遥、この魚はどうやったら出ていくんだ? 引っこ抜くってわけにもいかねえだろ」

 

「時間が経てば勝手に出ていくさ。それしか方法はない。というか知らん。あくまで経験則だけど、そうしたほうがいいと思う。ま、そんなわけだ。まなか、今日は何かハンカチのようなもの巻いて我慢しとけ。多分鳴いたりはしないだろうさ」

 

 そうしてまなかは渋々膝にタオルを巻き、そのまま俺たちはそろって学校へ向かった。

 

 

---

 

 

 そして学校。幸い、授業中に膝に巣食う魔物が暴れることはなく、問題が起こることもなかった。・・・なかったんだがなぁ。

 

 問題はそれから、つまり、放課後に起こった。

 

 ちなみに今日は水瀬も学校に来ていたのだが、男女間である以上、クラスではそうやすやすと話せるものではない。変な目で見られるの嫌だし。

 

 最後の授業を終え、移動教室から紡と話しながら帰っていた俺は、教室で何やらもめごとが起こっているのに気づいた。

 

「やめてよ、嫌がってるでしょ!」

 

 ちさきの怒声が聞こえる。

 ちらっと紡に目配せすると、紡もうんと一度頷いて、歩調を速めた。

 

「えぇー? 私たち、エナを見せてもらってるだけだよ」

 

「そうだよ」

 

 入ってみると、まなかが数人の女子のクラスメートに腕を掴まれていた。それを止めに入っている形でちさきがいる。

 開口一番、出てきたのはやはりため息だった。

 

 ・・・エナが見たい。確かにその言葉に嘘はないかもしれない。これがいじめの現場になるのかと言われれば、微妙だ。

 でも、だったら、礼儀くらいはきちんとすべきだ。少なくとも、まなかもあまり良い表情はしていない。

 

 ・・・美海なら、こんなことはしないだろうな。

 

 そんなことを一人で考えていると、先に紡が口を開いた。

 

「やめろよ。嫌がってるだろ」

 

「あ・・・紡くん」

 

 男子が割って入ったことによってか、取り巻いていた女子たちはいっせいに手を離した。

 いや・・・勇者か?

 

 手が解放されたまなかは、ちさきの方に近づく。

 

 不幸ってのは存在する。この時、それがよく分かった。

 ちさきに近づいていったまなかはふらふらとしたあまり机にぶつかる。その時に、はらりと膝に巻いていたタオルがほどけてしまった。

 

 ピギャッ!! プゥゥゥーー!!

 

 魚が大きな声を出す。・・・あれ? 俺が呪われた時、こんな声出てたっけ?

 ともかく、それが災難以外の何者でもないことだけは分かっていた。

 

 すっと視界をまなかのほうへ動かしてみる。まなかは、顔を真っ赤にして下を向いていた。

 

 ・・・あ、逃げ出すなこれ。

 

 ご明察。まなかはそれはもうすごい勢いで教室を逃げ出した。

 ちさきが真っ先に追おうとするが、女子たちの立っている場所が運悪く道を阻んで動けないでいる。

 

「すまん紡、ちょっと行ってくる」

 

「待て、俺も手伝う」

 

「OK。んじゃ、よろしく頼む」

 

 そして、俺と紡はまなかを追うように教室を飛び出た。

 

 

 

---

 

 

 あれから結構な時間が経った。が、一向にまなかが見つかる気配がしない。

 時刻はもう五時に差し掛かっている。朝からずっと陸にいることを考えると、エナがそろそろ乾いてくる時間だ。

 

 俺はそういった経験があるから言えるのだが、エナが乾くことは、かなり危険なのである。

 腹の底から果てしない乾きを覚える。干からびる、とはよく言ったものだが、それに近い感覚だ。

 ・・・あの日、そんな俺をみをりさんが助けたわけだが。

 

 俺はというと、昨日何も持ってこなかった反省を生かし、海水を詰め込んだボトルを帯同することにした。それでごまかしがきくのは短い時間ではあるが、ないよりはましと言える。

 

 それからまた数分。ようやく俺と紡は草むらで眠っているまなかを見つけた。

 

「・・・やっと見つかった。・・・が、これからどうしたものか」

 

 海へ返したいのはやまやまだが、いかんせん今のまなかは眠っている。そのままの状態で海に戻すなんて結構酷なことだ。とはいえ、このまま放置するわけにもいかない。

 

 そこで、紡の提案だった。

 

「俺の家、行くか。ここからならそう遠くない」

 

「ああ、そうさせてくれ。とりあえず、ここよりは全然いい」

 

 俺はまなかをおぶる。光に見られたら、なんて言われるだろうか。

 少なくとも紡がおぶってたら激怒どころじゃすまないだろうな。

 

 

 

 そして俺たちは、紡の家を目指して歩き出した。

 

 




数日明けてしまいました。すいません。
ここ一か月は忙しい日々が続くので、こんなことが多くなるかもしれません。
ご了承ください。

では、今回はここらへんで。

また会おうね(定期)


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第十二話 手を繋げたら

 サブタイトルに磨きをかけたい。

 それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 それから数分。俺たちは紡の家へ到着していた。

 

「ただいま、じいちゃん。ちょっと客連れてきた」

 

 紡が奥の方へ声を掛ける。見た感じ、どうやら紡は祖父と二人で暮らしているみたいだ。

 

 ・・・となると、こいつも両親がいないんだろうか。

 

 だとしても、俺と同じように独り身というわけでもない。頼るべき場所が、人がある。それはとても羨ましく思えることだ。

 ・・・なんて、嫉妬しても意味ないよな。

 

「ほう、海村のものか」

 

 紡の祖父は網の手入れの傍ら、声をしたこちらに気づき、振り向くなり、そう断言した。

 

「ああ、初めまして。島波遥と言います」

 

 少々無礼ではあるが、まなかをおぶったまま軽く会釈をする。

 声こそなかったが、紡の祖父は小さく会釈を返してくれた。

 

 

「・・・ふむ」

 

 その後、紡の祖父は一旦手を止めてこちらを向き、また数秒後に作業に戻った。

 口先だけで、こちらに語り掛ける。

 

「事情はなんとなく分かった。紡、風呂に塩を入れてその子を入れておけ。できるだけ海水に近い塩分濃度でな」

 

 急に話し出したのは少し驚いた。もっともそれ以上に、一瞬で事の全てを見抜いたことの方がよっぽど驚くべきことだったが。

 

 そんな中、俺はおずおずと申し出る。

 

「あの、電話借りてもいいですか?」

 

「構わん、いくらでも使え」

 

 ・・・うーん、この人、紡より表情少ないなぁ。コミュニケーションは成り立つけど、それ以上がないから困る。

 そんなことを思いながら、風呂場へと向かう。

 

「ついてきて。風呂場、こっちだから」

 

 俺は言われるがままに紡の背中を追って歩いた。わき目で電話の位置も確認しておく。

 風呂場へ着くなり、紡ぐは水を貯め始めてその場から離れた。塩でも取りに行ったのだろう。

 

 その間に、俺は俺のできることを。

 背中で眠っているまなかを浴槽へゆっくりと下ろすと、俺は先ほど確認した電話へと向かった。

 

 電話へ着くなり、俺はダイヤルに手をかける。今日の場合、かけるべき相手ははっきりしている。

 

prrrr...

 

「はい、もしもし、比良平ですが・・・」

 

 あの場面でまなかと一緒にいたのはちさき。当然、それ相応の責任なんかも感じているはずだ。ちさきの性格なら、尚更。

 とはいえ、全てを放り出して、なんてのはちさきはしない。おそらく、一度家に帰ってまたすぐ出るだろうと俺は踏んで電話したのだ。

 

 あれだけ必死にまなかを守ろうとしていたのだ。長期戦覚悟で臨むつもりだったのだろう。拍手を送りたくなるほど、綺麗な友情だ。

 

 ・・・そしてそれは、互いが互いにバリアになっていると言える。

 

 それは、過保護ともいえるレベルで。

 

 

「もしもし、俺だ俺。遥」

 

「遥!? ねぇ、今どこにいるの!?」

 

「紡・・・、ああ、木原の家だよ。まなかは見つけて今手当してるから、捜索はストップしてくれていい。親に連絡をもう済ませてるなら、そっちから先に終わらせてくれ」

 

「まなかは大丈夫・・・なの?」

 

「ああ。ただ、エナが乾いててな。あまりいい状態ではない。まあ、責任取って送り届けるから、そう伝えておいてくれ」

 

 ちさきの安堵した吐息が電話越しに伝わってきた。それだけで、こちらも安心できる。

 

「分かった。遥に任せるわ」

 

 そう言って、互いに電話を切った。

 これで、海の連中への憂いは断ち切れた。あとはまなかが回復し次第、帰れるだろう。

 

 俺は風呂場へと戻ることにした。あれから少し経った。何か変化があったかもしれない。

 そう思って振り向くと、紡の祖父がそこに立っていた。

 

 面と向かって一対一の状況。合った目をあからさまに反らすことも出来ず、俺は話を切り出すことにした。

 

「あの・・・ちょっといいですか? あと、なんて呼べば・・・」

 

「なんとでも呼べ」

 

「じゃあ、紡のおじいさん、で」

 

「それで、何が聞きたい?」

 

 牽制で話を切り出したものの、こう返されるとは少し予想してなかった。

 とはいえ、目の前の男性に対して、気になっている部分はいくらかあった。

 

「あなたは・・・海の人間、ですか?」

 

 その言葉に、眉の端がピクリと動く。少なくとも、脈ありであることには違いなかった。そして、間を空けず正解を口にする。

 

「そうだ。・・・と言っても、陸に上がってから、もう結構経つ」

 

 紡のおじいさんは、やはり海の人間だった。

 そりゃそうだ、と言いたくはなる。

 

 ただの漁師が、あそこまでエナに詳しいとなると、それはもう異常なレベルだ。その上に、エナの非常事態への対処法を知ってるとなると、いよいよ海の人間としか考えられない。

 

 ・・・それに、さっきから何度か、肌が光ってる。

 紡のおじいさんも、エナを持っているのだ。

 

「海から上がった、ということですよね」

 

「そうだ」

 

「やっぱり今でも、海は好きなんですか?」

 

 質問と目の前の男性に、俺は両親の面影を重ねた。

 自ずから海から出て、暮らして、それで海に何を思っていたのだろうか。

 死人に口なし。だから、生きている同じ境遇の人間に、俺はそれを聞きたかった。

 

「当然だ。・・・嫌いなら、もっと遠くへ逃げとる」

 

「そうですか」

 

「逆に、お前はどうなんだ?」

 

「えっ?」

 

 本当に唐突に話を振られ、困惑するしかなかった。そんな俺をよそに、紡のおじいさんは続ける。

 

「お前は、陸をどう思っている?」

 

「どう・・・ですか」

 

 紡のおじいさんが、俺の親が陸へ出た人間だと分かってこの質問をしたとは思い難い。けれど、俺の瞳から、なんらそのような雰囲気を感じたんだろう。

 生きてる年数の違い、というやつだろう。

 

 俺はありのまま、率直な感想を述べる。

 

「陸の人間も、海の人間と何も変わりませんよ。皆似たようなもので、一人一人違う。エナを持っているか、そうじゃないか。そんなしょうもない理由一つで区切られてるにすぎません。・・・それを分からない人間が、ほとんどですけどね。・・・あぁ、ともかく、俺は陸は好きですよ」

 

 収拾のつかない言葉を並べて膨張した意見に、無理やりピンを指して止める。

 けれど、その言葉に嘘偽りはない。

 

 確かに、陸では辛いことがたくさんあった。というより、辛い事しかないし、今もずっと、辛いままだ。

 それなのに、どこか嫌いになれない。その理由も分からない。

 

 ・・・ほんと、どうしてなんだろうな。

 

 

「そうか。・・・存外、わしとに取るのかもしれないな」

 

 誰に聞かせるわけでもなく呟いて、また紡のおじいさんは去っていった。

 

 

 風呂場近くまで行くと、遠くからごにょごにょと声が聞こえてきた。紡の声と、まなかの声だ。

 近づいて行くと、その声が透明になって聞こえてくる。そうして初めて俺の耳に入ってきた言葉はこうだった。

 

 

「綺麗だと思ってさ・・・」

 

「え?」

 

「この魚。・・・それに、お前も」

 

 

 ・・・は?

 

 思考回路が停止した時間、なんと五秒。新記録だ。

 ともあれ、今の言葉でどこか紡に抱いていた人物像が崩壊したのは確かだった。

 

 クールそうな表情のくせして、かなり大胆な言葉をケロっと言い切る。

 腹の奥底から笑いが込み上げてくるがなんとか押しとどめ、俺も風呂場へ入った。

 

「よう。お目覚めのようだな、まなか」

 

「あれっ!? はーくんいたんだ・・・」

 

 

 いや、いたよ。ずっとお前おぶってたんだぞ。

 なんて、覚えてるはずはないか。

 

「というか、ここまでお前運んだの俺なんだけどな。・・・しっかしまあ、あれは災難だったな」

 

「うぅ・・・」

 

 あの時のことがまだ恥ずかしいようで、まなかは赤面して表情を隠した。

 

 そして、三人で笑い合う。

 こんな空間も、きっと悪くない。

 

 

 

----

 

 

 

「とにかく、今日はありがとう。紡くん、はーくん」

 

 あれから数分、俺たちはまなかの回復を機に帰路に就いた。

 途中まで紡が見送りに来てくれた。そして今、別れの時。

 

 元気よくまなかが手を振る。俺も合わせて小さく手を振り、さらに歩いた。

 その背中が小さく見え始めたころ、まなかが口を開いた。

 

「ね、はーくん」

 

「?」

 

「紡くん、優しいよね」

 

 純粋なまなかの問いかけに、俺は少しばかり顔をしかめた。

 

「・・・まあ、な」

 

 濁した返事しかできない。

 確かに優しい人間なんだろう。けれど、俺はまだ、あいつの腹の底を見ていない。

 何を思っているか分からない。そんな相手にはっきりと優しいと言えないのは、きっと俺の悪い癖だろう。

 

 ・・・親切な人間まで疑ってかかるくらいには、俺は穢れている。きっと。

 

 そんな俺の返答を気にもせず、まなかはただうっとりとした表情で呟いた。

 

「こうやってみんなと、仲良くできたらいいのになぁ・・・」

 

「・・・そうだな」

 

 それが出来れば、どんなにいい事か。

 その言葉は、言葉にならずに波の音に消えていった。

 

 

 そうして俺たちは家路を行く。

 

 

 

 

 その道中、誰に見られていたかなんて気にもせずに。

 





 ここ最近立て続けに用事が入るので、投稿が不定期になっちゃいます・・・。
 やれるだけのことはやります。どうぞご期待ください。

 それでは、また次回。

 また会おうね(定期)


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第十三話 しょっぱい再会

原文が短いとどうしてもリメイクも短くなりますね・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 まなかの膝に居座っていた魚は結局、その日のうちに出ていった。今日も今日とて何もない朝だ。

 浜中での学校生活が始まって数日も経つと、環境にもだいぶ慣れてくるもんだ。

 

 俺はというと、ここ最近は紡と一緒にいることが多くなった。気兼ねのない相手、というのはやはりいいものだ。

 

 そして今も、机を挟んで会話中。

 とまあ、そうこうしていると珍しく客人が入り込んできた。

 

「あの、はーくんと紡くん!」

 

 普段は控えめなまなかが急に来るのには驚いた。

 ・・・お、おう。どうした?

 

「えっと、その・・・昨日はありがとう!」

 

「・・・別に今言う必要はないだろ。まあ、ありがたく受け取っておくけど。というか、昨日のことは大体紡のおかげだろ」

 

「俺は家を貸しただけだからな。力仕事は大体お前だろ」

 

 紡は一切照れくさそうなそぶりを見せない。これで昨日発したような言葉が素面で飛んでくるわけだから、つくづくかわいいものだ。

 

 

 そんな俺たちの様子を遠くから鋭い目つきで見ている奴がいる。俺はそちらに視線を配った。

 その主はツカツカとこちらに歩いてくるなり、俺の机をバンッと一度叩いた。

 

「おい、てめぇ・・・。まなかに・・・海村にこれ以上関わるんじゃねえよ。遥、お前も調子乗ってるだろ。・・・ムカつくんだよ」

 

 言いたい放題言って、光はそそくさと離れていった。その後姿が教室の外に出るのを確認して、俺はため息をついた。

 

 

「・・・はぁ」

 

 ムードブレイカーにもほどがある。

 目に見えて怒りはしなかったが、内心カチンと来たところはある。

 こういう時は冷静に、だ。

 

「待ってよひーくん!」

 

 まなかはまなかですぐに光を追いかけていく。場には結局、俺と紡だけが残った。

 俺は一度、ぺこりと頭を下げる。

 

 あいつの不始末は俺の責任みたいなものだしな。

 

 

「悪い。うちのバカ光が。あいつ、素直じゃないからな。大目に見てやってほしい」

 

「それはいいんだが・・・。それより、お前は大丈夫なのか?」

 

「大丈夫も何も、もうかれこれ14年ほどの付き合いだ。これくらいの事日常茶飯事だからな。慣れないとやってけねえよ」

 

「大変なんだな」

 

「全くだ。・・・んじゃ、ちょいとまなかの様子見に行くわ。あの様子だとあいつ、光に弁明しに行ってカウンター喰らって帰ってくるからな。そっちの方も付き合っていかねえと」

 

 現に廊下では、光の尖った怒声が聞こえる。まるで進歩しねえよな。ホント。

 俺は席を立ち、廊下へと向かう。

 

 が、そこに光はもういなく、涙目のまなかだけがそこにいた。

 

 あーあ。ほらな。やっぱりだ。

 

「どうしようはーくん。ひーくん怒らせちゃった・・・」

 

 どうしようもないほど消え入りそうな声音。打たれ弱いのに行動が果敢ってどういうことだよ。全く。

 

「どう考えても悪いのは光。まなかは気にしないでいいんだよ」

 

 できる限りの言葉を尽くしてまなかを宥める。そうでもしないと泣き出してしまうから。

 

 そこに現れたのはちさきだった。はっきり言って、ナイスタイミングだ。

 

「あれ? どうしたのまなかに遥。こんなところで」

 

「それがまあ、かくかくしかじかでな・・・」

 

 俺は端的にここまでの経緯を伝える。ちさきは落ち着いて話を聞ける人間な分、こういう時すごい助かる。

 

 一通りの説明を終えると、ちさきは一度頷いて、俺の次の行動を予測した。

 

「なるほどね。・・・それで? 遥はこれから、光のところに行くんでしょ?」

 

 当たり、である。

 ちさきもちさきで、伊達に14年間付き合ってきたわけではない、ということだろう。

 

「まあ、さすがに分かるか。・・・んじゃ、まなかのこと任せるぞ」

 

 男には男にしか、女には女にしか分からないことがある。

 ならば、ここはこうするのが最善手だろう。

 

 そう言い切って俺は再び光探しを始めた。

 

 

---

 

 

 

 それから数分後、次に光の声が聞こえたのは外からだった。それと同時に、もっと甲高い、女子の声も聞こえる。

 ・・・少なくとも、中学生じゃないな。

 

 近くのドアから外に出て、遠くから様子をうかがう。そこにいたのは光と、ランドセルを背負った少女が二人。この間見かけた二人。

 

 つまりそこには美海がいた。

 

 俺は珍しく息を飲んだ。

 いざ美海を目の前にして、どう立ち振る舞えばいいか分からなくなっていた。当然だ、逃げた人間なんだから。

 

 この間とはわけが違う。向こうが逃げるそぶりは見せていない。

 

 ・・・落ち着こう。冷静さを欠いては何もうまくいかない。

 

 幸い向こうはまだこちらに気づいていないようなので、静観することにした。

 

 

 ・・・あれ? ランドセル?

 ということはサボりになる・・・けど、俺自身も常習犯だったのでコメントはしないでおこう。

 

「お前、あの女の知り合いか?」

 

 ツインテールの少女が光に突っかかる。

 

「あの女・・・って、あかりのことか?」

 

 その言葉を肯定ととらえたのか、少女が勢いよく光に突進する。

 

「やっぱりあの女の仲間か! このっ! このっ!!」

 

 腕をぐるぐる回して光に突撃するのはいいものの、光は簡単に片手で受け止める。なんなら楽しそうだな、あいつ。

 

 ・・・そりゃ、負けないと分かっている相手との勝負ほど楽しいものはないだろうな。

 

 そんな中、俺とは違うところから要が現れる。

 

「光、女の子をいじめちゃいけないよ?」

 

「いじめてなんかねーよ。ただ、なんであんなことをしたのか、それを聞いてただけだ?」

 

「あんなこと?」

 

 要は事情を知らない。・・・まあ、知らなくてもいいんだけど。

 ただ、傍から聞いている俺には重要問題だ。これについては光の行動に賛同せざるを得ない。

 

「まあ、いろいろあんだよ」

 

 光は適当に説明を済ませ、少女と美海の方を向く。

 要は少し釈然としないような表情をしつつ、光を諭すように呟いた。

 

「まあ、女の子に手を出した、なんて知ったら、遥から倍の勢いで鉄拳が飛んでくるだろうしね」

 

 ・・・おい、要。俺の事なんだと思ってんだ。鉄拳飛ばすぞ。

 

 俺がここに潜んでいるのか知らないで呟かれた一言。しかし、それのせいでいよいよ俺は居づらくなった。

 同時に心地を悪くしたのは美海も同様で、俺の名前を小さな声で復唱した。

 

「待って。・・・その、遥ってのは」

 

 美海の想像は正しい。答えを出さなければいけないとしたら、それは今だ。

 ・・・いつまでも、逃げてられないから。

 

 俺は後先考えず、思い切って美海の前に出た。

 

 

 

「そう、その遥。・・・久しぶりだな、美海」

 




ここら辺、あまりいじることがないんですよね。
なので精いっぱい文章表現や書き方にこだわって、見やすいものを作っていきます。

それでは今回はこの辺で。


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第十四話 ヒビワレのキス

最近コミカライズ版にも手を出しているんですが、あれ結構カットされてますね・・・。

それでは本編どうぞ。


~遥side~

 

 そうして俺はようやく四人の前に姿を現した。

 

「遥、お前いつからいたんだよ?」

 

「いやまあ・・・、どこからだろうな。少なくとも全部は見てないから安心しろ」

 

「安心するも何も、何もしてねーよ!」

 

 少々驚く光や要をよそに、俺はその視線を美海一点にのみ移した。美海は美海で、光ら以上に驚いていた。

 わなわなと震え、そしてその足でこちらに向かって歩いてくる。

 

 瞳には、少なくとも怒りの色が見えた。

 

 ・・・逃げ出して、放り出してしまったんだ。

 その罰くらいは、受け入れないとな。

 

 美海は俺の方へ向かってくるなり足先で俺の足を蹴り、そのまま俺に体当たりをかました。痛みを悟られないように、俺は歯をくいしばって耐える。

 

 そして、涙混じりの瞳で美海は消え入りそうな声で叫んだ。

 

 

「バカ遥! なんで急にいなくなったの!? なんで、急に・・・」

 

「・・・」

 

 言葉が出ない。

 いなくなった理由なんてものはない。ただ、本能的に逃げ出したのだ。

 

 会えば会うほど、みをりさんがいない現実に打ちひしがれることになる。いつしか、会う喜びよりも、失った痛みが勝るようになっていた。

 理由をつけて、次第に距離を置いて、そして、逃げた。

 

 誰かを失う怖さを俺はもう何度も経験した。そしてそれは今、毒のように体の中をめぐっている。

 誰かを好きになれば、また失ってしまうから。

 

 だから、好きな人に消えてほしくないと理由を押し付けて、俺は逃げた。

 

 あの日から数年たっても、この気持ちには向き合えないでいる。

 ・・・でも、変わったこともある。それは、今。

 美海に会って気づいた。痛みは少しづつ、溶けているのだと。

 

 今こうして面と向かって立っていられるのも、痛みが和らいだからなのかもしれない。

 

 兎も角、俺に言える言葉は一つしかない。

 

「・・・ごめんな」

 

「ごめんじゃない。・・・ごめんじゃ、ダメだから」

 

「だったら美海は、どうしたら許してくれる?」

 

 ごめんという言葉がダメなら、それ以外の打開策を知るしかない。

 それで許されるなら、何でもできる気がした。

 

「・・・もう、一人にしないでよ」

 

「なるほど・・・。それで、いいんだな?」

 

 逃げ出した償いになるなら、そうしよう。

 

 美海の首肯をもって、この話は終わりにしよう。

 それとは別に、もう一つ聞きたいことがあった。

 

「そう言えば美海、お前学校はどうしたんだよ。こんなこと知ったら至さんは・・・」

 

「だってそれは、あの女が・・・」

 

 あの女、というのは十中八九あかりさんの事だろう。

 もともと仲睦まじい関係だっただけに、やはり今こうなっていることが釈然としない。

 

 その変化の起点をたどれば、俺と同じ感情を抱いているところに行きつくが。

 

「あかりさんのことか? あかりさんはそこの光の姉だよ」

 

 俺は光に聞こえないような声で指示を出し、あごでクイっと光の方を指す。

 その指示を受け取って、美海ともう一人の少女は光に攻撃を仕掛けた。足を蹴り、腹に頭突きを入れる。

 

 ・・・うん、あれは痛いやつだな。

 

 満足したのか、ふたりは踵を返し、帰りだした。

 その姿が消えかかる前に、美海がこちらを振り向く。

 

「また、会ってくれるよね?」

 

「もちろん」

 

 俺も前に進まなくてはいけない。・・・そのためなら、いくらでも会うさ。

 ・・・痛みがそこにあっても、きっともう、進まなきゃいけない。

 

 その影が完全に見えなくなって、ようやく二人は口を開いた。

 

「お前、さっきの奴と知り合いなのかよ・・・!?」

 

「まあ、一応・・・な」

 

「どういうこと? 遥」

 

「ん、昔色々あってな。そこからの知り合いではあるんだが・・・」

 

「お前、陸の奴とホイホイ付き合いやがって・・・ムカつくんだよ」

 

 うまくごまかすことには成功したようだった。

 もっとも、光は不服そうな様子だったが、要が抑えてくれたおかげでなんとかなった。さっきからのわだかまりのことを考えると、本当に要がいてくれてよかったと思える。

 

 

---

 

 

 そして、帰りのHRを迎えた。どうやらお舟引きについての連絡があるらしい。

 ・・・といっても、今年のお舟引きはない、と汐鹿生で先に連絡を受けている。今更なんだというのだろうか。

 

 

「それじゃあ、おじょしさまを作る有志をつのりたいと思います。今年のお舟引きは中止と言われてるけど、僕はやるべきだと思ってるんだよ。だから、学校で、有志で、という形で・・・」

 

 ・・・なるほど、そう来たか。

 

 陸と海の関係ははっきりいって最悪の状態にある。それでも、こうした一部の人間は陸にいるのだとしみじみ思う。

 ・・・本当に、みなこうあってほしいのに、一体何が邪魔をしてるというんだろう。

 

「中止なら中止でいいだろ」

 

「そうそう」

 

「やる意味ねえよな」

 

 などと、ブーイングが飛び交う。しかし、それらを気にもせずいくらかの手が上がるのを俺は見た。少なくとも波中のやつらは俺の視界に入ってないので、それ以外という事になる。

 

 一人は紡。そしてもう一人はというと、水瀬だった。

 紡が手を上げるのは分かっていたとして、水瀬のほうは考えてなかったので少々意外だ。

 

 もちろん、体裁など気にもしない俺も手を上げる。

 

「おおっ、有志が三人も。ほかにはどうかな? ・・・おや、海村の子はみんな参加だね」

 

 見れば、光もまなかも要もちさきも手を上げていた。これでメンバーは七人となる。

 

 結局それ以上はなく、七人でおじょしさまの制作に取り掛かることになった。

 HRの終了後、俺たちは外へ向かい、おじょしさまを制作するための木を集める作業に取り掛かった。

 二班に分かれて行動しており、光、要、ちさきは別で行動しているため、ここにいるのはそれ以外だ。

 

 変に地上の人間に突っかかろうとする光がいないのは正直ありがたい。嫌悪なムードで仕事はしたくなかった。

 

「そう言えば、紡くんはどうして参加したの?」

 

 作業片手にまなかが質問する。しかし、返答したのは紡の近くにいた水瀬だった。

 

「紡のおじいちゃんが漁師なの。だからきっと、それが影響してるんじゃないかな。・・・あ、初めまして、だよね。向井戸さん。こうやって面と向かって話すのは」

 

 はじめまして、と、緊張しながらまなかも答える。お互いにぺこぺこと頭を下げ合う光景に俺は苦笑した。

 その傍で、先ほどの説明が若干不服だったのか、紡が無機質な表情で添える。

 

「別に、じいちゃんが漁師ってことだけが理由じゃない、千夏。単純に俺が海、好きなだけだから」

 

「そっか、そうだよね」

 

「船の上から時々、光の屈折で白い屋根が見えてさ、綺麗なんだ。ぬくみ雪なんかにも触れてみたいし、もっともっと汐鹿生について知りたいとも思う。・・・実際に見ることが出来たら、いいんだけどな」

 

 まーた始まったよ木原ゾーン。

 しかしその扱いに慣れているのか水瀬は上手く言葉を受け流した。

 

「本当に紡君は海が好きだよね」

 

「ずっと見てきたからな」

 

「そう言えば、紡くんと千夏ちゃんは、どういう関係なの?」

 

 いつの間にかまなかが水瀬と下の名前で呼び合う関係になっていたのはさておき、その話は俺も気になった。

 

「別に。昔からの知り合いだけど・・・」

 

「友達、でしょ?」

 

「まあ、そんなところ・・・」

 

 少々食い気味の水瀬の言葉に紡は気おされていた。普段から表情がぶれないやつなだけに、こういうシーンは珍しい。

 

「そいや水瀬、お前はどうして希望したんだ? お舟引き」

 

「私? 別に、大した理由はないよ。海が好き。ただそれだけだから、案外紡と同じなのかもね。なんて」

 

 クスリと水瀬が笑む。その笑顔に他意はなさそうだった。

 

 

 そうして時間は五時まで進んだ。障害がなければ、空気が壊れることもない。

 なかなかに、楽しい時間が過ぎていった。

 

 

「うーん、そろそろ海村の子は帰らないとねぇ。続きは、明日だね」

 

 先生がどこからかやってくる。 

 遠く見える海は夕日をぼんやりと映しており、それがただ時間の経過を示した。

 

 俺自身はボトルやらなんやらをひっそりと持ち込んでいるので問題はないのだが、一緒に帰れる日は一緒に帰りたい。そこは変わらなかった。

 

 

---

 

 

 帰り際、五人で道を歩いていると、要が何かに気づいたように指さして立ち止まった。

 

「ストップ。・・・あれ、あかりさんじゃない?」

 

「え? ・・・あ、本当。でも、誰の車なんだろう」

 

 ちさきの声につられて俺も指さされた方を見る。あかりさんは車の助手席から降りていた。ドライバーは・・・、まあ、至さんだろう。

 

 背中に冷や汗を走らせる。流石に、状況が悪すぎる。

 ここには何も知らない海村の人間が四人もいる。特に光なんかに知られると後が面倒で仕方がないことになりかねない。

 

 頼みますよ・・・至さん、あかりさん。頼むから変なことしないで下さい。

 

 

 しかし、無情にもそんな俺の願いが届くことはなく、あたりさんは至さんへと不意打ちのキスをかましたのだった・・・。

 




原作準拠パートは本当にもう・・・。
ただ、感情描写や行動描写を丁寧に切り抜くようにはしてます。

前作より読みやすくなっていたらありがたいですね。

それでは今回はこの辺で。感想評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十五話 ゆりかごからの追放

結構シーンに手を加えましたね。
そうは言っても中学生なので、もうちょっと感情豊かに。

それでは本編どうぞ。


~遥side~

 

 目の前の光景を、どう弁明することも出来なかった。

 現場目撃人が五人。見間違い、なんて嘘はつけないから。

 

 間違いなく、ジエンドである。

 はぁ・・・と吐いたため息は、多分誰の耳にも届いていない。それくらい、場は固まりかえっていた。

 

「なっ!?」

 

「わぁ・・・」

 

「キスした」

 

「キス・・・したね」

 

 皆、各々反応が違う。驚きの声を上げる光、言葉を失うまなか、冷静に事態の全てを述べる要、確認するちさき。そりゃもう色々。

 不意打ちのキスを食らって、至さんはふらふらとしながら車を運転する。あかりさんはそれを見送って、こちらに気づかないまま海へと帰った。

 

 ・・・というかあれ、事故するぞ。

 

 改めて皆の表情を確認する。一段と表情に出ていたのは光。怒りなのか驚きなのか照れなのか、その頬は真っ赤だ。

 

「あれって、あかりさんの彼氏なのかな?」

 

 すっとぼけたようなまなかの言葉。多分他意はない。

 それに怒るように光は声を上げた。

 

「何だよあの男!? あんなの、俺は聞いた覚えないぞ!!」

 

 そりゃ実の弟に彼氏報告なんてしないだろう。ましてやこんな賑やかなやつに話す方がどうかと思う。

 ・・・それに、事情が事情で話せないしな。

 

「何って言っても・・・、あかりさんにも好きな人が出来てたんだね」

 

「しかも地上の男だぁ!? 今までそんなそぶり、見せたことねえそあいつ!」

 

 照れ混じりの怒りがヒートアップする光。うっとりとするまなか。

 しかし、要とちさきは困ったような表情をしていた。その瞳に映るのは憂い、あるいは憐れみだろうか。

 

 二人はきっと、掟について知っている。確信に繋がったのはこの時だった。

 

 

「そういえばあかりさん、そろそろだもんね。多分、村から出ていくつもりじゃないかな?」

 

「はぁ!? そんなの絶対無理だ! 無理無理! 地上の男となんて絶対うまくいくわけねーだろ!! んで、うまくいかなくて絶対戻ってくんだ!」

 

 もちろん、掟なぞ微塵も知らない光はさらに怒りを加速させる。その論点ずれの怒りに、ちさきが言葉を添える。

 

「それは・・・無理なんじゃないかな?」

 

「そうだよひーくん! あかりさん、絶対いい奥さんになるし、振られるなんてないよ!」

 

 掟のことについて知らないのはまなかも同様で、これまた論点のずれた突っ込みを返す。

 

 ここで俺が言葉を発しても意味がない。俺は黙秘を貫くことを決めた。

 

 図らずとも、要が事の本質を端的に述べてくれた。

 

「いや、そうじゃないんだ。地上の人と結ばれるとね、海の人間は追放されちゃうんだ」

 

 これで俺一人が責められる構図はなくなるな。

 

 そんな自己中めいた考えの元、俺も口を開くことにした。

 

 ただ、その前に聞きなれないワードをまなかが聞き返す。

 

「追放って?」

 

「はぁ!? なんだよその物騒なワードは!」

 

「そのまんまの意味だ。光」

 

 とりあえず、会話に参加する足場は整えた。

 ・・・とはいえ、どうしたものか。

 

 考えているさなか、ちさきが上手い事具体例を挙げて述べてくれた。

 

「えっと・・・、例えば、駄菓子屋のお兄さんとか、果物屋さんの高原さんちのお姉さん、いるでしょ? あの人たち、地上に出たまま帰ってきてないでしょ?」

 

「たぶん、それは追放されたからだと思うよ」

 

 要が加わり、そして俺の番。

 ただ無機質に、とどめの一言を言い放った。

 

「ああ、追放で間違いないだろうな。・・・現に、俺の両親がそうなんだ」

 

「「「「は?(えっ?)」」」」

 

 俺たちの会話の中で、追放の話が出てきたとき、この話をしようと思っていた。

 多分、それは今なんだろう。

 もう、隠す必要はどこにもなかった。

 

「俺の両親はな、汐鹿生の掟が嫌になって陸に逃げていったんだよ。・・・もう、ずいぶんと前の話だけどな。んで、二人とも陸に上がってからは一度も海に戻ってくることなく・・・、そして、いなくなった」

 

「えっ・・・待って。遥の言う、いなくなったってまさか・・・」

 

 ちさきが青ざめた様子で俺を見てくる。どうやら、今の一文で俺の両親がすでに死んでいることを感じ取れたようだ。

 

 

「・・・ちさきが考えていることで間違いない。だから今、一人で暮らしてるんだよ」

 

「なら、お前が一時ウチに居候したのって、それが理由なのかよ・・・!?」

 

 光も理解できたようで、いつかの想い出を口にする。

 ・・・居候、か。懐かしいな。

 

「そ。そして、家に関するごたごたが終わってから、家に帰ったんだよ。ありがとな。あの時の事」

 

「なんで・・・?」

 

 悲し気な声で震えるのはちさきだった。

 

「なんで、遥は平気でいられるの・・・!? 自分が一番苦しいはずなのに、なんで、私たちの前で生き生きとしていられるの!?」

 

 そう言うちさきの頬は、涙が伝っている。 

 ・・・同情だろうか。だとしたら、少し許せない。

 

 困るんだよ・・・。勝手に感情移入されて悲しまれても。いつ誰が、お前たちの前で苦しいなんて言ったんだ。

 

 実際、生活するのには困っていない。一人で過ごす時間なんて昔から慣れてる。

 

 分からないのは、お前たちとの距離だけなんだよ・・・!

 

「別に、生活するのには困らなかったからな。不便もないし、戸惑ったのは最初のころくらいだ」

 

 いらだちを言葉に伝えないように必死に繕う。

 それにどこか思うところがあったのか、要が目を細めて反論する。

 

「違う、違うんだよ遥。ちさきの言いたいことはそういう事じゃない」

 

 

 うるさい、説教なんかするな。

 苦しくない? 辛くない? ・・・そんなわけないだろ!

 でも、一人でいないと、またあれが繰り返されるんだよ・・・!

 

 ・・・怖いんだよ。嫌なんだよ・・・! 何かを好きになるたびに、大切なものを失うことは。・・・あの日から、ずっと・・・!

 

 お前らに、何が分かるんだよ・・・!!

 

 どうにか感情と言葉を押し殺す。最悪な表情をしてるかもしれないが、この際そんなことはどうでもよかった。

 

 凍り付いた空気の中、まなかが声を上げる。

 

「やっぱり村の人たちは意地悪だよ! 好きな人が陸にいるからって、帰ってこれないように掟なんて作って・・・! 人の気持ちを縛って・・・。海は牢屋じゃないんだよ? もっと、自分の気持ち、大切にさせてあげてよ・・・」

 

 まなかの口からはっきりと意志が伝えられたのは意外だった。今まで見たことないそのまなかの姿に、言葉に、俺たちはどこか共感を覚える。

 

 でも、その言葉が許せなかったのか、光もついに感情を全てむき出しにした。

 

「それってよ、お前も地上の男とくっつきたいって思ってるのか?」

 

「な、ななな何言ってるのひーくん! エッチなことを言うひーくんは嫌いだよ!」

 

「俺だって、エッチなことをいうまなかは嫌いだ!!」

 

「言ってないもん!」

 

「大体な、お前も遥もおかしいんだよ! 紡君紡君って、なんなんだよ! 地上の奴なんかとつるんで、気持ちわりぃんだよ! 遥、お前が悪いんだろうが!!」

 

 自分に向けられた敵意むき出しの言葉におびえてか、悲しんでか、まなかは目にいっぱい涙をためて思い切り言葉を吐いた。

 

「ひーくんのバカ! もう知らない!!」

 

 そのまま海に飛び込んでいく。追いかけようとするちさきが光に鋭く言った。

 

「光、ちょっと言いすぎだよ・・・。光の言葉も分かるけど、キツすぎるよ。まなかの言ってること、少しは分かってあげても・・・」

 

「なんだよ! お前もお前で! 毎回毎回上からモノ言いやがって! 大人ぶってんじゃねえよ! 大体、お前なんかに俺の何が分かるんだよ!!」

 

 ちさきに対しても思うままに怒りをぶつけるだけの光。

 今の一言はちさきを傷つけるには十分で、ちさきは泣きながら海に消えていった。

 

 その様子を、俺はもうさすがに見ていられなかった。

 ぐっと前に出て光の腕を掴む。

 

 怒りを前面にした瞳を向ける光。俺はそれを鋭い視線で睨み返した。

 

 

「・・・なんだよてめぇ。やんのか?」

 

「やぶさかではないが、こう見えても平和主義者でね。喧嘩なんてまっぴらごめんだ。・・・それよりお前、少しはものを考えろ。いつまで小学生気分なんだよ」

 

「あぁ!?」

 

「落ち着けって言ってるんだよ分かんねのかオイ」

 

 視線だけで人を殺すくらい、鋭い目つきを光に向ける。それがどうやら刺さったようで、光は言葉を失っていた。

 

「俺に対しての文句なんていくらでも言え。気持ち悪いなんて思ってくれてもいい。・・・ただな、ちさきには謝っとけ。あれはお前の八つ当たりだろうが。人をサンドバッグにして、自分の怒りをぶつけて。・・・最低だぞ」

 

 視線をちらっと要の方に向ける。要は一度うんと頷いて言葉を添えた。

 

「あれは言いすぎだね」

 

「チッ・・・、なんなんだよホント。・・・気分悪いんだよ」

 

 光は無理やり掴まれた手を振りほどいて俺から急いで離れる。加熱しすぎた感情はいつの間にか冷めたようだ。

 

 俺はそんな光に背を向けて、汐鹿生とは別の方向に歩き出す。

 今は、こいつと同じタイミングで帰りたくなかった。

 

「おい待て。・・・どこ行くんだよ、お前」

 

「用事思い出したんだよ。先帰っとけ」

 

「ああそうかよ。エナが乾いて死んじまっても知らねえからな」

 

 誰が死ぬか。馬鹿。

 

 そして、振り返った時にはもう光たちはいなかった。

 

---

 

 

 ぶらぶらと海沿いの道を歩く。

 用事なんてなかった。しいて言えば、夕飯の調達位だろうか。

 とりあえず、さやマートにでも向かおう。

 

 そう思って歩いてみたが、途中で足は止まった。綺麗な夕日が目に入ったのだ。

 ただそれを眺めているだけで、抱えていたモヤモヤが全て吹き飛ぶように思えた。

 

 ・・・綺麗だな。

 

 そのままそこで見とれていると、後ろから声を掛けられた。俺は振り返り、その名を呼ぶ。

 

 

 

「・・・水瀬」

 

「まだこんなところにいたんだね」

 

 

 

 

 

 




ちなみに本編のここのシーンあまり好きじゃないんですよね。
光の感情が不器用すぎるし、ストッパーがいないのでほんとに怒り飛ばしているだけですし。

ここでも一緒か。

それでは今回はこの辺で。感想評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十六話 一歩踏み出すって決めたから・・・

この回は、サブタイトルを変更しておりません。
それくらい思い入れのあるサブタイトルです。

それでは、本編どうぞ。



~千夏side~

 

 一歩踏み出すって決めたんだ。

 

 私は生まれつき体が弱い。ついこの間まで入院していたくらいだ。

 それゆえに、学校に行きたくても行けない日が人より多いし、街に出て誰かと遊ぶだなんてことも少ない。

 だから、私の周りの人間関係は、ひどく狭いものになっていた。

 

 言い換えれば、ぼっち、ってやつなのかな。この言葉はあまり口にしたくないけど。

 

 もちろん、関わってくれた人も沢山いた。

 ・・・今でこそ会わないようになっちゃったけど、美海ともよく遊んだし、美海のお母さんのみをりさんらにも良く接してもらった。紡に至ってもそう。

 

 ・・・でも、やっぱり寂しかった。

 

 なんでこんな体なのって、恨む時もあった。こんなに苦しいなら、エナなんていらない、なんて思う日も。

 

 でも、結局は同じゴールにたどり着く。どうしようもないって。

 

 海が好きな気持ちが変わることはない。だから、エナを手に入れたことも後悔しない。 

 変わらないといけないのは、私の方だから。

 

 どんなに辛い、悲しい、苦しい結果が待っていようと、私は受け入れて前に進みたい。

 今、中二の学校生活が始まった。例にないくらい、体の状態はいい。

 

 汐鹿生の子たちが統廃合に飲まれてこの学校に来るようになった今。

 それが、きっと変わる時だった。

 

 

---

 

 

 ある日の事。

 帰りのHRが終わったあと、私は学校に残ってお舟引きに用いるおじょしさまの制作を手伝っていた。

 

 聞くところによると、今年のお舟引きは中止になったらしい。・・・きっとそれほどまでに、海と陸の軋轢が深まっているのだろう。

 だからこそ、自主的にやりたいと提案してくれた先生には感謝するしかなかった。

 

 これまで、ずっと遠くからでしか見れなかったお舟引き。

 形が変われど、そのすぐ近くに入れるのなら私はそれでよかった。

 

 だから、あの時手を上げて、今ここにいる。

 

 二手に分かれての作業。

 紡と島波君と、向井戸さんとで四人。クラスで時々感じるような敵意は、このメンバーでは感じなかった。

 

「そう言えば、紡くんはどうして参加したの?」

 

 ふと思ったのか、向井戸さんがそう口にする。その言葉に、私の口は独りでに走っていた。

 

「紡のおじいちゃんが漁師なの。だからきっと、それが影響してるんじゃないかな」

 

 反射するように口走る。その後で私はようやく冷静に言葉を紡げた。

 

「・・・あ、はじめまして、だよね。向井戸さん。こうやって面と向かって話すのは」

 

 初めまして、とがちがちになりながら向井戸さんは返してくれた。

 

「ねえ、下の名前で呼んでいいかな?」

 

「えっと・・・、うん、どうぞ!」

 

「じゃあ、よろしくね。まなか」

 

「こちらこそだよ! えーっと・・・、ちーちゃんだと被っちゃうから、千夏ちゃん!」

 

 まなかは対応が柔らかいようで、本当にありがたかった。

 さっきの説明が不服だったのかブチブチと紡が文句を言ってるけど気にしない。

 

 

 そして、あまり意識に気を配っていない状況が続いていた中で、まなかがふと声を漏らした。

 

「そう言えば、紡くんと千夏ちゃんは、どういう関係なの?」

 

「普通に、昔からの知り合い・・・」

 

「友達、でしょ?」

 

「・・・まあ、そんなところ」

 

 ただの知り合い、で終わりたくはなかった。

 ずっと昔から知り合ってて、何度も遊んでいた仲だから。

 

 ちゃんと友達って言ってほしかった。

 

 それに、これは押し付けなんかじゃない。

 紡が少し俯いて話す時、声音が一層無機質になる。それが、恥じらいから生まれるものだと私は知っているから。

 

 だから、この言葉もきっと照れの裏返し。

 

 そんな風に感傷に浸っていると、島波君が会話に入ってきた。

 

「そう言えば水瀬、お前はなんで希望したんだ?」

 

 

 言われて初めて、私は私のことを考える。

 けれど、特に理由なんてなかった。

 

「私? 別に、大した理由はないよ。海が好き。ただそれだけだから、案外紡と同じなのかもね。なんて」

 

 私、うまく笑えたかな?

 

 

---

 

 

 時が経つのは早いもので、五時を迎えると汐鹿生のみんなはすぐに帰ってしまった。きっと、エナが乾いてしまうことが影響してるんだろう。私も私なりに対策をしている人間だから、分かる。

 

 今日の料理当番は私なので、帰りに買い物によって行くことにした。

 病院勤務の母親が夜勤、もしくはそれの近辺の時は、私が料理担当だ。

 

 といった理由で、さやマートに立ち寄る。が、三人分、という量は揃えにくく、私が行ったときにはもう不可能となっていた。

 仕方なく、四人分の食材を買って、店からささっとでる。余った時間を散歩に費やすためだ。

 

 毎度のごとく、海沿いを歩く。そしていつものように堤防に腰かけて、遠く海を眺める。

 

 そしてぼーっとしていると、遠くからやれ怒声だの泣き声だのが聞こえてきた。遠くに目をやると、波中の制服をきた数人が騒いでいるのが見える。

 

 ・・・喧嘩なんてするんだ。

 

 とまあ、掴みようのない感想をそっと吐いて、足をぶらぶらさせてまた海を見る。

 すると、先ほどまで見ていた方向から足跡がした。落ち着いて、しかし浮ついた足音。

 

 この時間、ここに来るのはきっと彼しかいない。想像するのは早かった。

 だからたまには、出向いて驚かせるのもいいかもしれない。

 

「よっと」

 

 私は堤防から降りるなり木陰に身を潜ませ、彼が私がさっきまでいた場所を通り過ぎるのを待った。

 そして、彼が通り過ぎた後、こっそり後ろをついていく。歩調を合わせ、だんだんと近づく。

 

 そして私は、そっと声を掛ける。

 

「ねえ」

 

 彼は、島波君は振り返って驚いた瞳を私に見せた。

 

「・・・水瀬」

 

「まだ、こんなところにいたんだね」

 

 島波君は、少しバツの悪そうな顔で私からフイッと顔をそらした。

 

「まあ、いろいろとトラブってな・・・」

 

「そりゃあ、あれだけこっぴどく喧嘩してたら、そうだよね」

 

 私がそう呟くと、島波君はさっきよりもいっそう驚いた瞳を見せた。

 

「・・・見てたのか?」

 

「遠くから、だけどね。・・・先島君の怒鳴り声なんて、遠く離れてもはっきり聞こえてくるんだもん」

 

「そうか・・・。あいつにはまた後で、お説教が必要だな」

 

 ハハハと島波君は笑うが、それが上辺だけのものだというのはすぐに分かった。

 島波君が先島君と揉めてたのは知ってる。・・・そんな関係ですぐに笑える方がどうかしてるから。

 

「・・・それで、逃げ出してきたってこと?」

 

 私が牽制をかけるようにいたずらめいた言葉を言う。島波君はそこからもう一度乾いた笑みを浮かべて、そしていよいよそれを消し去って言った。

 

 

「・・・そうだよ。・・・まあ、一概にそれだけが理由じゃないけどな。今日の晩分の食料、買いに行くところってのもある」

 

「さっきまで私さやマートにいたから分かるけど、もうほとんどものが残ってないよ?」

 

「あー・・・。まあ、そんな時間か。なら仕方ない。とっとと帰って今日はもう・・・」

 

 島波君が後ろを振り向こうとする。

 けれど、こんな中途半端な空気でバイバイなんて、私はしたくなかった。

 

 だから一歩、ここで勇気を出して踏み出す。

 

 

「ねぇ、だったらさ、ウチ・・・来ない?」

 

 




そう言えば、先日いただいた感想を読んでいて思ったのですが・・・。

・前作が不満だったわけではない

というのは念頭に入れていただけるとありがたいです。その上で

・当時はスマホで、読みやすい構図を知らない状態での執筆だったため、若干見にくい。その点の改正
・と同時に、会話表現が薄く、伝わらない可能性があると踏んだ箇所の修正

これをメインに、新展開等も追加したいと思ったため、リメイクしています。

あと余談ですが、リメイク前作品は私が一番読み返す作品なのでこのような考えに至りました。

といったところで、今回はこの辺で。感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十七話 ぬくもりの時間

ここから新キャラ登場します。
前作同様、物語においてなかなか重要な役割を持ってます。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

「だったらさ、ウチ・・・来ない?」

 

 俺は当初、水瀬の発した言葉の意味が分からなかった。しかし、俺が問う前に水瀬が慌てて付け足す。

 

「ああ、違うの! やましい意味はなくて、その・・・ね。夕飯作るつもりないなら、家に食べに来ない? って」

 

「なんだ、そういう事か。・・・」

 

 そう相槌を打つものの、すぐに『はい、分かった』とは言えなかった。

 当然だ。付き合いの短い女子の家に行くなんてただでさえ気が引けるのに、ましてや食事と来た。

 ・・・それに、他人と深くかかわりを持つのは好かない。そうした理由がただただ俺をその場に立ち止まらせた。

 

 けれど・・・。

 こうしていつまでも逃げてきたから、今があるのであって・・・。

 

 それを変えたいなら、きっと今しかない。

 

 俺は決心して顔を上げた。

 

「・・・いいのか? お邪魔しても」

 

「私が誘ってるんだもん。私はいいよ。きっと両親も許してくれると思う。それに、食材買うのに数が合わなくてね。四人分買っちゃったんだ。だから、誰か来てくれるとありがたかったんだ」

 

「そうか」

 

「あ、エナの方は大丈夫かな?」

 

「ああ。それこそ、さっきはエナが理由で帰らされたけど、俺自身はこいつを携帯してるからな。粘ろうと思えばいくらでも粘れるんだ」

 

 俺は鞄から海水の入ったボトルを取り出した。こいつを下腹部あたりにかければエナが潤い、数時間陸で悠々と過ごすことが出来る。

 それを終えたところで、俺は水瀬に話を振ってみた。

 

「そういや、お前もエナ持ってるんだよな。だったら俺と同じようになると思うんだけど・・・何か対策とかしてるのか?」

 

「うーん、どうだろ・・・。お風呂に入る時は塩を入れて、できるだけ海水と近い塩分濃度にしてるけど。あとはまあ、さっきの島波君みたいに追々エナを濡らしてるかな。といっても、ずっと陸で生活してる分、苦しいと思うことはそんなにないかな」

 

「そんなものなんだな。・・・さて、準備OK。待たせたな」

 

 会話の途中で俺のエナの手入れが終わる。

 

「じゃあ、行こうか」

 

「悪いな、待ってもらって」

 

「ううん。私が誘ったんだもん、待つくらいは当然でしょ」

 

 なんて話して、俺と水瀬は水瀬宅を目指して歩き始めた。ここから約五分くらいの場所にあるらしい。

 

 

「そうだ、せっかくだから、いろいろ聞きたいこと、聞いてもいいかな?」

 

 藪から棒に、水瀬はそんなことを口にする。

 

「それは、紡みたいなものか?」

 

「それもあるし、それ以外もある・・・かな。というか、紡のあれは異常」

 

「だよな」

 

 冗談を飛ばしあって軽く笑う。先ほど貼り付けた乾いた笑いよりは少なくとも潤った、質感の籠った笑いが出来ただろう。

 

 

 

 

---

 

 

 そこからは、他愛もないことを話しながら歩いた。

 昔の陸の話、学校にどんな奴がいるのか。

 水瀬の口から昔の狭山のエピソードを聞いた時は、さすがに笑いをこらえられなかった。

 

 ・・・陸での生活は辛い思い出で満たされているが、陸が嫌いになった覚えはない。嫌うとするなら、それは逆恨みだ。

 

 だからこそ願ったりする。陸と海が共に生きる日々を。

 

 

「さて、ついたよ。ちょっと許可取ってくるから待っててね。多分、OKだと思うけど」

 

 結局あれ以降互いに聞きたかったことについて会話することなく水瀬家に到着した。

 数分後、俺の見える位置の窓から腕を大きく使って水瀬はOKサインを作った。

 

「お邪魔します」

 

 覚悟を決めてドアを開ける。返事はなかった。

 玄関にはいくつか靴が並んでいる。それだけで、ここには一つの『家族』が生活していると実感した。それが妬みなのかは知らないが。

 

 リビングに入ると、ソファーに座り、新聞を読んでいる強面の眼鏡をかけた男性が立っていた。見たところ、その人が水瀬の父親のようだ。

 

「お邪魔してます・・・」

 

 顔色を窺うように挨拶をする。

 

「・・・ああ」

 

 水瀬の父親は表情を変えないままそうとだけ返し、また新聞を読む作業に戻った。

 

「そこらへんに適当に座ってて。そんなに時間はかからないから」

 

 キッチンの方から水瀬の声が聞こえる。

 客人の身分であるため、今はそれに全力で甘えることにした。

 

 リビングの端の方に座って、自分のカバンから心理学関係の本を取り出して黙々と読み始める。空いた時間こそ勉強だ。

 

 ・・・

 

 

 

 十分しないうちに、料理は出来上がった。それと同時に玄関のドアが開く音がリビングに響き、その後で少し気の抜けたほんわりとした声が伝ってくる。

 

「ただいま~」

 

 声の主は女性。どうやら水瀬の母親のようだった。

 

「おかえり、母さん」

 

 出来た料理を配膳しながら、水瀬は母親を出迎える。

 

「ああ、おかえり」

 

「はいはいただいま・・・。って、あら? お客様かしら?」

 

 リビングに入ってきた水瀬の母親は俺の存在に気づいたようで、相変わらず気の抜けた声で俺に声を掛けた。

 

「あ、お邪魔してます。水瀬さんとクラスメートの島波遥です」

 

「千夏にお客様なんて・・・珍しいじゃない? どうしたの?」

 

「茶化さないでいいから、母さん・・・。食事に誘っただけだよ」

 

 不服そうな表情で、水瀬は口先をとがらせる。

 

「そう? ・・・ああ、そういうこと」

 

 水瀬の母親はテーブルの上に並べられた四人分の食事を見てようやく現状を理解した。

 その傍ら、それまで新聞を読んでいた水瀬の父親も立ち上がり、俺の名前を呼んだ。

 

「島波君、だったかね。冷めてもなんだ。とりあえず頂こうか」

 

「あ、はい・・・」

 

 強面な水瀬の父親に誘われてテーブルへ向かう。

 特別は他意はないのだろう。しかし、その威圧感の前ではどうもふざけた真似は出来そうになかった。

 

 

「「「「いただきます」」」」

 

 四人が食卓に着き、食事が始まる。

 ・・・はずだったんだが。

 

「ちょっと待ってもらってもいいかな?」

 

 ストップをかけたのは水瀬の母親だった。

 

「せっかく自己紹介してくれたんだから、私たちも返さないとね。食べながら、じゃお行儀も悪いでしょ?」

 

 独自の世界観を持っているのだろう。水瀬の母親はかしこまって自己紹介を始めた。

 

「水瀬千夏の母親の、水瀬夏帆です。病院に勤務してるから、何度か君のことを見たことがあるんだよ。・・・まあ、結構昔のことだから、お互いはっきりと覚えてないかもしれないけど」

 

「病院で、ですか・・・?」

 

 そう言われて、記憶をたどってみる。

 俺が、この街の病院に行く用事があったとすれば・・・。

 

 そして俺は思い出した。

 みをりさんのお見舞いに行ったとき、何回かすれ違ったことがある。それこそあの時は、気が気じゃなかった分はっきりと覚えてないけど。

 

 でも、一際美人だった人がいたことは覚えている。多分、それが夏帆さんなのだろう。

 

「確かに、会ったことがあるかもしれないですね。三年くらい前の話になりますか?」

 

「たぶん、そうじゃないかな? ・・・遥くん、でいいかな?」

 

「いいですよ」

 

「遥くん、何度かみをりのお見舞いに来ていたよね。私が見たのも、その時」

 

「なるほど・・・」

 

 夏帆さんがみをりさんのことを下の名前で呼んだのが気になった。それほど深い関係なのか、と。

 けれど、それ以上聞き出すことは出来なかった。きっとそれは俺の弱さかもしれない。

 

 会話が大きくならないうちに、夏帆さんは水瀬の父親の方を向いた。

 

「次はあなたの番ですよ」

 

「ん、ああ。俺か。・・・父の水瀬保だ。仕事は漁協の方でやっている。だからまあ、何度か会うことになるかもな」

 

 相変わらず不愛想な受け答えだったが、家族がいる手前か、先ほどより対応は柔らかいように思えた。

 そんな俺に、水瀬が横で耳打ちする。

 

「お父さん、顔ほど怖くないから・・・」

 

「・・・聞こえてるぞ、千夏」

 

「えっ!? 嘘!?」

 

 場に笑い声が響いた後で、俺たちはもう一度いただきますと口にし、今度こそ目の前の料理に手を付けた。

 そして、心の底から零れる。

 

「・・・うまい」

 

 ここまでの味を、はたして独り身の俺が出せるだろうか。それくらいにはうまいと言えるものだった。

 

「そう? 簡単なものでちょっと心配だったけど、それならよかった」

 

 ・・・それは、みをりさんに手料理をふるまってもらったあの時と、少し近い感覚だった。

 

 

 

---

 

 

 それから、食事は楽しく進んでいった。

 家での水瀬の様子、俺や汐鹿生の人間が知らない漁協の話、その他数多に上る面白い話。少なくとも、俺がいる世界はまだまだ狭いことがひしひしと伝わった。

 

 それと、どうやらエナを持ってるのは夏帆さんの方らしい。そんな雰囲気がしてはいたが、いざ言われてみると、少し驚いた。

 

 そうして、楽しい時間は進んでいく。終わりに至るのもすぐだった。

 

「ごちそうさまでした」

 

「お粗末様でした」

 

 俺は立ち上がって、自分の食器をキッチンへと下げた。

 そしてそのまま、置きっぱなしだった鞄を手に取る。

 

「あら、もう帰っちゃうの?」

 

「ええ。長居しちゃうと迷惑になるかもしれませんし、こうダラダラとしてるとウロコ様がちょっかいかけてくるので・・・」

 

「アハハ、あの人らしいね」

 

「なので、今日はこの辺で」

 

「そう・・・。あと、別に迷惑、だなんて思ってないから、またいつでも来てほしいな」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 俺は夏帆さんに頭を下げようとする。しかし、夏帆さんは先に手を横にぶんぶんと振った。

 

「礼を言うなら、私じゃなくてあっちでしょ? 遥くん」

 

 そう言って夏帆さんは千夏の方をチラッと向いた。

 

「ありがとうな、水瀬」

 

「ええ? わ、私? えーっと・・・どういたしまして」

 

 少し照れ臭そうに水瀬は返す。

 

「・・・また来いよ、いつでも」

 

「では、またいつか」

 

 保さんにそう返して、俺は玄関のドアを開け、外へと出ていった。

 潮風混じりの夜風は、どこか肌に心地よいものだった。

 それはきっと、俺の心が少し安らいだのがあるかもしれない。

 

 

 ・・・そんなことを思って歩き出そうとすると、その瞬間、もう一度玄関のドアが開いた。

 

 

「ねぇ、ついて行ってもいいかな? ・・・まだ、聞きたいこと、ちゃんと聞けてなかったから」

 

 

 




水瀬千夏の両親、保さんと夏帆さん。
前作を書いていた時から、この二人はお気に入りのキャラクターなのです。

ネタバレはするつもりないので、ここからは何も言いません。
とりあえず、今回はこの辺で。

また会おうね(定期)


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第十八話 きっとそこが棘道でも・・・

ここ数日リアルが忙しいので、更新がまちまちになるかもです。
把握尾根がします。(3月14日現在)

それでは本編どうぞ。


~遥side~

 

 ここまでの全ての会話に、本当に聞きたいことは含まれていないと推測することは出来ていた。

 だから、もう少し話がしたいというこの提案はすぐに頷けた。

 

「・・・いいよ。さっきまでの会話に、水瀬が本当に聞きたかったことが入ってない気がしたから」

 

 約束を裏切りたくはないし、そもそも俺自身が多少なり打ち明ける覚悟を背負ってきたんだから、ここで引いてしまえば器が知れてしまう。それは嫌だった。

 

「ありがと。・・・それじゃ、ここじゃ何だし、すこし歩こうか」

 

 

 

---

 

 

 俺たちは再び、さっきの堤防の元へと戻った。

 遠くに見える汐鹿生を後目に、俺は堤防にこしかけて水瀬の口が開くのを待った。

 

「・・・ごめんね、今日は無茶苦茶なお願いしちゃって」

 

「いや、むしろ助かったのはこっちのほうなんだよ。ちょうど食べ物切らしていたし。・・・それに」

 

「それに?」

 

 水瀬の問いかけに俺は沈黙する。

 何をどう言えばいいか。それすら決まってない状態で見切り発車してしまったのだ。

 

 第一、それを話すだけの間柄なのか・・・?

 

 ・・・ダメだ。またこうやって逃げようとしている。

 それはもう嫌だった。俺一人、いつまでも同じ場所に居たくはない。

 

 俺は全てを失う覚悟で、俺自身の境遇、胸中を打ち明けることにした。

 

「・・・水瀬は、さっきの喧嘩の内容、全部聞いてたのか?」

 

「ううん。島波君の言葉ははっきりと聞こえなかった。発言の跡で比良平さんが泣いていたのは見たけど。・・・何を言ったの?」

 

「それについて話すよ。・・・俺な、もう家に帰っても誰もいないんだ。だから温かい食事が待ってる、だとかそういう話もない」

 

「誰もいないって・・・。・・・ねえ、失礼なこと聞いていいかな?」

 

 水瀬はどうやら頭が切れる人間のようで、今の俺の発言の意図をすぐに察したようだった。

 だからこそ俺は、聞かれたすべての事に答える覚悟を決めることが出来た。

 

「さっきから薄々気づいていたんだけど・・・島波君の両親って、もう海にはいないの?」

 

「いないさ。・・・この世のどこにも」

 

 含ませた言い方をした俺だったが、水瀬はどうやらオブラートに包んで遠回しな言葉を用いただけだったようで、俺の両親がすでに死没していることに気づいていたようだった。

 そのためか、少しだけ寂しそうな表情を浮かべるだけだった。

 

「やっぱり、そうなんだね」

 

「・・・聞きたいか? 俺の話」

 

 少し挑発的に尋ねてみる。向こうが遠慮してくれることを心のどこかで願っている自分がそこには少しばかりいた。

 けれど、水瀬はハナから全て聞き、全て受け入れるつもりだったようで、そんな俺の提案を真に受け、しっかりと首を縦に振った。

 

「うん、お願いしてもいいかな?」

 

「・・・分かった」

 

 俺も腹を決めて順序だてて話すことにした。

 

「どこから話すかなぁ・・・。そうだな。俺の両親は、俺が小学生の低学年の頃まで俺と一緒に住んでいたんだ。・・・といっても、そのころから汐鹿生にはだいぶ不満があったようで、ある日、二人は陸に上がることを決めたんだ」

 

「その時、島波君は放っておかれたの?」

 

「いいや、ちゃんと聞かれたさ。俺たちは海村を捨てる。お前もついてきてくれるよな? そんな風に」

 

「でも、島波君は断った」

 

「ああ」

 

 自分の意志をはっきりとさせるため、俺は一度しっかりと首肯する。

 

「当時はまだ何も知らない人間だったんだ、俺は。それに、掟なんて知らない俺は海村を捨てることなんてできなかった。・・・さっきも喧嘩してたけどさ、あいつら見ると、捨てるに捨てれない関係なんだって思わされるんだよ。・・・それくらい、海や、あいつらが心の底にいるんだよ」

 

 好き、とは言えない。

 好き、と思ってはいけない。

 

 回りくどい言い方をしながら、本当は好きだと分かっている相手を俺は認めなかった。

 ・・・弱い人間だよ、まったく。

 

「それから、どうしたの?」

 

 水瀬の呼びかけで現実に引き戻される。俺は話を続けることにした。

 

「それからはしばらく何もなかったんだ。金がなかった分、光のところに居候して暮らしてて・・・。でも、それから一年後、また事が起こった。ふと陸に上がった時、見たんだよ。俺の父親が母親を刺しているところを」

 

「えっ・・・?」

 

 さすがに理解できない話だったようで、水瀬は明らかな困惑を色を見せた。

 そしてその顔色は、動揺から憤怒へと変わる。

 

 

「・・・どうして、そんなことになるの?」

 

 水瀬の両親は円満な関係にある。それは先ほど確かめることが出来た。

 だから、不仲である二人のことが納得できないようだった。

 

 ・・・困るのは、俺だ。

 

「どうして・・・か。俺が知りてえよ。一人残されてもう数年だ。・・・おかげさまで、感情の整理も出来てないって言うのに・・・」

 

「島波君にも、両親が亡くなった理由が分からないんだ」

 

「分からねえよ。陸に上がった二人がどんな生活をしていたかも、何を思ってたかも。・・・残された人間は、何も分からないんだよ」

 

 少々苛立ちが混ざっていたようで、語気がだんだんと荒くなってしまっていた。

 水瀬が申し訳なさそうな顔を浮かべるので、俺は咳払いをして話を戻した。

 

「んんっ・・・。それからの話をするか」

 

「まだ続きがあるんだ」

 

「ああ。・・・そこでショックで倒れてしまった俺は、みをりさんに助けられたんだ。美海との出会いも、そこだった」

 

「・・・そう、なんだ」

 

 美海という名前を出した途端、水瀬の表情が先ほどまでの憤怒、困惑から憂いへと変わったのが分かった。どうやら、本当に深い関係にあったらしい。

 

「やっぱり、美海とは面識があるんだな。・・・その話はまた今度でいい。話、続けてもいいか?」

 

「いいよ」

 

「みをりさんにあってからは、壊れかけた心を壊すことなく過ごすことが出来た。そして一年くらいたったな。ずっと遊びに行ってたんだが、ある日みをりさんは具合を悪くして倒れた。・・・そこからの話は、分かるよな?」

 

「数日たって、みをりさんは亡くなった・・・」

 

「そう。そして今の俺になったってわけ。水瀬が聞きたかったのは、この話で合ってるよな?」

 

「うん、そうだけど・・・」

 

 歯切れの悪そうに水瀬が答える。

 きっと色々思うところがあったのだろう。けれど、決してそれを口にすることはなかった。

 

 だったら、今度はこちらの番だろうと、俺は水瀬に問いかける。

 

「なあ、水瀬。今度は俺から聞いてもいいか?」

 

「いいよ」

 

「水瀬は最近・・・美海に会ってるのか?」

 

「いきなりハードなこと聞くんだね。・・・会ってないよ。会えずにずっと何年も過ぎて、今となっちゃどんな顔をしていいか分からない」

 

 沈んだ表情で水瀬が答える。その境遇は、この間までの俺と随分と似ていた。

 

「私さ、生まれつき体が弱いんだ。よく調子を悪くするし、時には入院もするくらいには」

 

「・・・いつか、みをりさんが言ってたな。そんなこと」

 

 みをりさんの最後の言葉を聞いた日だ。忘れようがない。

 

「昔はよく遊んでいたんだけどね。歳を重ねるごとに、症状がどんどん悪くなって・・・。一番ひどかったのは、ちょうど島波君が美海ちゃんと一緒にいたころかな」

 

「だから会うことがなかったのか。お前と」

 

「そうだよ。・・・それこそ、私が今ここにこうしていることも、奇跡に近いかもしれないんだ」

 

 語る水瀬の表情は暗い。けれど、光を失っているわけではなかった。

 そこに水瀬の芯の強さがうかがえる。言葉にはしなかったが。

 

 と、そんなとき水瀬はふっと語る。

 

「私はさ、海、好きだよ?」

 

「なんだ、藪から棒に」

 

「島波君は・・・陸の事、どうなの?」

 

「・・・そりゃあ、嫌いじゃないに決まってるだろ」

 

「そう。・・・それが聞けて良かった。話、これくらいかな。もうずいぶんと暗いし、ずっとここにいてもよくないよね」

 

 水瀬の言葉で俺は月を見上げる。もうずいぶんと高いところまで登っていた。

 良い子は、帰る時間だ。

 

「そうだな。もう帰るとするよ」

 

「今日はありがとうね」

 

「こっちこそだ。・・・また、遊びに行ってもいいか?」

 

 水瀬は少し驚いて、すぐに嬉しそうな表情を見せた。

 

「うん、いいよ」

 

「そっか。・・・じゃあ、また明日」

 

 俺はその場から海に飛び込もうとする。

 しかし、その行動は水瀬の大きな声によって遮られた。

 

「待って!」

 

「なんだ?」

 

「私さ・・・苦しい事いっぱいあるけど、全部諦めたくないから。・・・ごめんね、なんか変なこと」

 

「いいよ別に。・・・んじゃ」

 

 半ば逃げるように、今度こそ海に飛び込む。

 

 ・・・苦しんでも諦めたくない、か。

 

 少なくとも、今の俺には理解できない感情だ。

 

 

 

 

 ・・・やっぱり、人間っていうのは難しいな。




この対話のシーンは個人的に好きな回です。
水瀬という人物を前作よりもはっきりと書きたい。

といったところで、今回はこの辺で。感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十九話 想い揺らいで、決意芽生えて

前作と今作で主人公、遥の人間観がだいぶ変わっているような・・・。

本編GO!


~遥side~

 

 あれから数日たった。

 幼馴染、というものはなんとも不思議なもので、あれだけこっぴどく喧嘩したはずなのに、気が付けば元の関係に戻っていた。

 どれだけ深くえぐっても、傷は瞬く間に塞がる。

 

 ・・・その強さを、俺はまだ理解できないけれど。

 

 そんなある日の午後、海に帰った後に、俺はまなかに呼び止められた。理由は打ち明けられていないものの、どうやらウロコ様に会いに行くのについてきてほしいとのこと。

 

 とりあえず二つ返事でOKを出し、ほかのみんなが帰った後で、こっそりまなかとウロコ様の元へ向かうことにした。

 

 その道中で、俺はまなかに聞いてみる。

 

「なあ、ほかのみんなに帰ってもらった後でウロコ様に個人的に会いに行くって・・・何の用なんだ?」

 

「それはちょっと・・・いいたくない・・・かも」

 

「・・・分かった。じゃあ質問を変えよう。・・・なんで俺だけ残した?」

 

 別に威嚇しているつもりではなかったが、まなかは少し縮こまっていた。

 

「・・・だってその・・・、はーくんならきっと分かってくれるって思ったから」

 

「なるほど。まあいい、とりあえずさっさと済ますぞ。光なんかに見られたらとんでもないことになりかねん」

 

 そうしてウロコ様の元へ着くなり、まなかは急に土下座を始めた。

 

「ウロコ様、呪って下さい!」

 

「・・・はぁ?」

 

 まなかの行動の理由は、もちろん分からなかった。俺どころか、ウロコ様も困惑している。馬鹿を見る目より先の状態のウロコ様を見るのも結構久しぶりなもんだ。

 

 ・・・いやいや、バカか?

 

「・・・聞くがまなか、どうして呪ってほしいんじゃ? 何度も呪いに呪っているそこの阿呆も、そんなマゾな趣味に目覚めておらんぞ」

 

「俺もびっくりしてますよほんと・・・。自分から呪ってほしいなんて言うやつ初めて見ましたから」

 

 とは言いつつも、まなかがどうして呪ってほしいかというのはなんとなく想像がついた。

 そして、俺だけが同行を許された理由も分かる。

 

 俺はまなかにこそっと耳打ちした。

 

「どうせ紡だろ」

 

「なんでわかるの!?」

 

 きっとまなかは紡に、自信の理解し得ない感情を抱いているのだろう。それは、この間の一件がきっかけだ。

 まなかはあの呪いを、紡との、陸とのパスのように思っているのかもしれない。

 

 ・・・そこに、『好き』の感情はどれだけ詰まっているのだろうか。少なくとも、今の俺には分からない。

 好きの気持ちから逃げてしまった俺には。

 

 俺は耳打ちをやめて、はっきりとまなかに言葉を添える。

 

「陸に上がって以降のお前を、なんだかんだ言って見てきたからな。・・・どうりで光らを呼ばずに俺だけ残したわけだよ」

 

「あぅ・・・。でも、嘘つくの、苦しいの」

 

 それは、何に嘘つくことだろうか。

 ・・・きっと、自分の心に、なのかもしれない。

 

 まなかの言葉をしばし黙って聞いていたウロコ様がようやく口を開く。

 

「まなかよ。聞くが、なぜ苦しいのじゃ?」

 

「えぇっと・・・分からないよ・・・。でも、胸がチクチクして・・・」

 

 本当に、まなかは自分の感情を一切理解できていないようだった。

 まだ、迷いの域にも達していないのだろう。それほどまでに、まだ、幼い。

 

 挙句の果てに、まなかは立ち上がって逃げ出すように外へトテトテと走っていった。

 

「・・・大変ですね」

 

「えらく他人事じゃのう島波の小僧よ」

 

「そりゃあ、俺は恋心がないですから」

 

「はっ、言いよる」

 

 ウロコ様と冗談を飛ばしあっていると、やれ外から怒号が一斉に聞こえだした。その様子が気になって、俺も外へ出る。

 

「おい! ちゃんと説明しろ! ウロコ様の前で、ちゃんと話せ!」

 

 見ると、あかりさんが村の大人たちに抑えられ、俯いていた。その近くにはさっき外に出たまなかと、どこからか現れた光がいる。

 俺は二人の元へと近寄ることにした。

 

 

 ・・・はぁ、そう簡単にバレちゃうと困るんですがね・・・。

 

 その過失が果たしてあかりさんにあるのか至さんにあるのか俺は知らない。

 

「はーくん、あかりさんが・・・」

 

 近寄った俺に、不安げにまなかが問いかける。

 

「とりあえず、今は黙っとけ。厄介事に巻き込まれたくないならな」

 

 とは言いつつも、不幸にも俺たちが立っているところが大人連中の通路だったようで、立ちふさがるようになっていた。

 一人の大人が俺たちにしゃがれた声を掛ける。

 

「おい、ガキは引っ込んでろ。これは大人の問題だ」

 

「ちょっと待て、そろそろ教えてやっておいた方がいいんじゃねえのか? 村から出ていこうとしたらどうなるか、教えとかないとな」

 

 どうやら、村の人間はあまり俺の内情を知らないらしい。ならばちょっとだけ、抵抗してみるのもいいかもしれない。

 

「追放するんだろ? そんなこと、知らない俺らじゃないぞ。というか、数年前までこの村にいた俺の両親の事、もう忘れたって言うのか? ああそうか、追放した人間は追放したことまで忘れるってのかよ」

 

 少々挑発的に話を吹っ掛けたところ、一人が思い出したように反応した。

 

 

「・・・あぁ、おめぇは、島波さんのとこの」

 

 さてここから話がヒートアップするかと思いきや、奥の方から灯さんがやってきた。

 宮司が出てきたとなると、いよいよ俺たちの出る幕はない。再び黙ることにした。

 

 

「何の騒ぎだ?」

 

「あ、宮司様・・・。それが、あかりの奴、地上で男を作ってやがったんですよ・・・」

 

「地上で男とイチャついていたのを見た奴がいるんです」

 

 灯さんはわずかに驚き、そして静かに怒れる瞳をしてあかりさんの方を向く。

 

「・・・あかり、本当か?」

 

「・・・」

 

 沈黙は肯定。無力な俺にどうすることも出来なかった。

 誰と結ばれているかまで把握している俺は、立場によっては証人ともなれる。いよいよ口を挟む術がなかった。

 

「宮司様・・・宮司様のところから追放者が出たら、示しがつかねえぞ」

 

「・・・悪いが、今日は帰ってくれ。俺がウロコ様のところに連れていく」

 

 

 そして灯さんはあかりさんを連れてウロコ様の元へと進んでいく。

 その光景を俺たちはただ眺めていることしか出来なかった。

 

 

---

 

 

 それから数十分後。

 話を聞いたちさきと要が合流して、俺たちは波中に向かうことにした。

 ここなら大人に聞き耳を立てられることもない。そういう算段だ。

 

 廃校になった波中はそれまでの生活感の一切を失っていた。至る所でぬくみ雪が積もり、あちこちが埃っぽい。

 

「何だよこれ! すげえ埃っぽくなってるじゃねえか!」

 

「本当だね。ぬくみ雪が教室の中までたまってる」

 

「もうずっと使ってなかったからな。当然と言えば当然だが・・・」

 

 それはそれで、やっぱり寂しいところはある。

 

 真っ先に教室に入るなり、光はすぐに怒り散らした。

 

「絶対あの男のせいなんだよ! あかりが苦しんでるのも、あの男が全部悪いんだ!」

 

「ちょっと待って。光、なんで相手の男が全部悪いなんて言えるの? 根拠とか・・・あるの?」

 

 ちさきの控えめな質問に対しても、光はエンジン全開で当たる。

 

「あかりが自分から苦しみに行くわけなんてないだろ! あいつ・・・明日、絶対ぶんなぐってやるからな!!」

 

「・・・」

 

 さすがにかける言葉がなかった。

 

「こっからは男だけの作戦会議だ。女子はどっか行ってろ」

 

 容赦なく他人を突き放す一言。女子たちもそれを分かり切っているようで、ちさきはまなかの手を引いて、そそくさと部屋から去っていった。

 出ていく際のまなかの憂いげな瞳が気になったが、何も言わない。

 

 そして、その背中を追うように俺も立ち上がった。

 

「おい待て、遥。お前は男だろうが。どこ行くんだよ」

 

「悪いけど、この話には乗れない。・・・納得いかないんだよ、理論の一つ整ってない作戦なんて」

 

 確かに、至さんに非がある部分もあるのかもしれない。あの人のことだから、結構な数。

 しかしそれでも、それを都合のいいように利用しているだけの光の怒りには付き合いきれなかった。数日前の燻りが、いまだに胸の中に残っているのが簡単に見抜ける。

 

「お前も、あの男が悪くないって言いてえのかよ?」

 

「その一か百かの考えが嫌いなんだよ・・・。どれだけ非があるかすら知らないのに、全てを押し付けて、自分のいら立ちまで含ませて・・・。・・・いや、なんでもねえよ。とにかく、この話に俺は関わらないからな」

 

 

 そして逃げるように、俺も光たちの元を去る。

 

 ・・・なんだかんだいって、一番何も理解できてないのは俺なのかもな。

 

 みんな、変わり始めている。そんな気がする。

 あかりさんも誰かを愛するようになり、まなかも不器用なりに自分の感情を知ろうとしている。

 

 この間の水瀬だってそうだ。「諦めたくない」って、そんなことを言って。

 

 俺はあんな風に自分と向き合えるだろうか?

 逃げてきてばかりだったこれまでの人生に、真正面から。

 

 だから、二人を見て思える。

 たった一つ、小さなこと。大切なこと。

 

 ・・・俺も、一歩を踏み出したい。

 

 

 

 




原作に準拠したシーンが一番難しかったりしますね今回の改変は。
ここまで新規ストーリー無し。まあ、慌てる時期じゃないです。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十話 まだ遠い場所

二十話。節目でもなんでもありません。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 埃っぽい校内を当てもなく歩く。

 これまで多くの人間が学び、遊んだであろう波中はすでに生気を失っており、ただの無機質な残骸と化していた。

 

 ・・・ここに刻まれた目に見えるしるしも、目に見えない思い出も、いつかは忘れられてしまうのだろうか。

 

 

 などと思いながら校内を歩いていると、ポンポンと鉄琴か何かを叩く音が耳にこだました。おそらく、音の発信地にちさきとまなかがいるのだろう。

 俺は寄り道をやめ、音を頼りにまっすぐ進む。

 

 部屋に入ったところで、まなかが声を上げた。・・・俺に対してではないが。

 

「あっ、ウミウシ!」

 

 まなかは地面をズルズルと這っているウミウシを捕まえて、机の上にそっと乗せた。そのウミウシは、腹の部分が赤い。

 

 ちさきもそれに気づいたようで、少し上がり調子に声を上げた。

 

「このウミウシ、お腹赤い子だ! ・・・確か、お腹が赤いウミウシにお願いを告げると、石が出てくるんだよね。そのお願いがちゃんとしてないと普通の石が出てきて・・・」

 

「願いが純粋で、長く続くものだったら、ウミウシが出した意志はいつまでも、綺麗に輝くって・・・」

 

 まなかはうっとりとした瞳で、ウミウシを優しくなでていた。

 そして改めて、こちらにちさきが声をかける。

 

「遥、いいの? 光怒らせちゃうと、面倒でしょ?」

 

「いいさ。そんな体裁的なことを気にして、自分の心情は曲げたくないからな。ああいう時は上手く光の話を受け流せる要がいてくれればいい」

 

「無責任だね・・・」

 

 呆れたようにちさきが言うが、こればかりは譲れない。

 今回の件は、どちらにも肩入れできない。でも、結末を見届けたい。複雑な立場に、今自分はいるのだ。

 

「でもはーくん、結構落ち着いているよね。何か、知ってるの?」

 

 純粋無垢なまなかの問い。俺は逃げ場を無くした。

 だったら、逃げなければいい。

 俺は二人を信じて、少し堀下げた話をしてみる。

 

「・・・ここだけの話なんだけどな、あかりさんの状況、俺知ってるんだよ。・・・だからまあ、どちらにも肩入れできないっていうか、どっちが悪いとか無しにしたいとか・・・」

 

「相手の男の人についても、分かってるの?」

 

 俺は首肯した。そこからさらに話を掘り下げられると括って。

 が、ちさきは突如話題を転換し、まなかに話を振った。

 

「そっか・・・。ところで・・・。まなかはさ、紡君のことが、好きなの?」

 

「えぇ!?」

 

 まなかも急にこんな話が自分に振られるなど思ってもみなかったようで、間抜けた声を上げた。

 そして、赤面して否定する。

 

「す、好きだなんて・・・。そんなの、分からないよ・・・」

 

 まなかが『好き』という感情を丁寧にインストールできていないことは知っている。その上で俺は聞き方を変えてみることにした。

 

「じゃあ、例えばだな、まなか。もしも、お前が好きになった人間が、陸の人間だったとしたら、まなかは結婚したいと思うか?」

 

 この質問は、今苦境に立たされているあかりさんを見てきたからこそ出た質問だと思う。

 まなかは口先をとがらせて、ぽつりぽつりと言葉を零す。

 

「もし、私が陸の人を好きになって、キスしたいとか思って・・・って、私エッチなこと言ってるよね!?」

 

「ううん、まなかはエッチじゃないよ」

 

「好きになることをエッチ、だなんて思ったら終わりだからな。そこは気にしないでいいと思う。というかそうした方がいい。・・・それで、続きは?」

 

「あっ、そうだね。私は・・・それで付き合って、結婚したいって思うのかな? 好きになってその人と一緒にいたいって思ったら、もう海には戻れないんだよね・・・?」

 

 ガラッ!

 

 

 そんなまなかの言葉を遮るように、ドアが開く音が響く。

 光の作戦会議がどうやら終わったようだ。

 

「おっし、帰るぞ。遥、まなか、ちさき」

 

「・・・やるのか?」

 

「たりめーだ。お前がどうしようが勝手なように、俺も勝手にやらせてもらうからな!」

 

 ・・・決意は固い、か。

 なら、これ以上の会話は無意味だな。

 

 それにしても、光がやたら冷静な様子なのが少々怖かった。

 タイミング的に、さっきの話を聞かれていてもおかしくはない。けれど、そんなまなかに逆上することもなく、ただ真顔で帰るとだけ言っている。

 言えば、らしくないのだ。

 

 しかし、そんなことは口に出来ず、時は流れていった・・・。

 

 

 

---

 

 

 翌日、俺たちはとある山の上から鷲大師漁協を見ていた。なおかつ、動きがあればすぐに対処できるポジション。光もなかなか着眼点がいいと一人で感心する。

 

「光、本当にやるの・・・?」

 

「当たり前だろ。ぜってーぶん殴ってやる」

 

「もし悪い人じゃなかったら?」

 

「軽くぶん殴る」

 

 どうやらこの脳筋は、殴る以外の思考回路はないらしい。

 あかりさんのことを思っての行動であることは百も承知だし、行動原理が悪いと言ってるわけじゃない。・・・融通が利かないのだ。

 

 そんなことを話していると、漁協から一台の車が出ていった。

 その中にいる人をまなかが視認して、はっきりと言う。

 

「あれ? あの人じゃないかな?」

 

 ・・・その行動は光の作戦に賛同してるとみなされるぞ・・・。

 

 しかし時すでに遅く、光はすぐさまその車を追い始めた。あとの四人もそれについていく。

 とはいえ相手は車。俺たちは車より早く移動できる術を持っていない。というか、持っていたら教えてほしい。

 

 次第に距離が離れていく。このまま諦めてくれればいいのだが・・・。

 

「くっそ! さっさと逃げやがって!」

 

「逃げるも何も、会う約束すらしてないだろうが・・・」

 

 

 すると光は、その場にあった誰のとも知れない自転車に無断でまたがり、全力で漕ぎ始めた。

 

 ・・・鍵位かけておけよ。

 

 などとどうでもいい突っ込みをよそに、光は進んでいく。

 

「待て! 逃がすかよこのやろう!!」

 

「あっ! ひーくん!」

 

「ちょっと!? 光!!?」

 

「あーあ、行っちゃったか」

 

「言ってる場合かよ・・・。追いかけるぞ」

 

 自転車で行ったことが問題ではなく、光が独断専行で進んでいることが問題なのだ。

 今回はケースがケースだ。最悪人一人殺しかねない。・・・ましてや相手が優柔不断の体現である至さんとなると・・・。

 

 とにかく、俺たちは走って追いかけるしかなかった。

 

 

---

 

 

 数分経ったところで、光が乗り捨てた自転車が森の中で見つかった。その少し向こうに光の姿が見える。

 俺はともかく、ほかのみんなはかなり息を切らしており、見るからに辛そうだった。とはいえ、俺もしんどい。

 

「・・・見つけた」

 

「え、本当?」

 

「遥、本当なの?」

 

「はぁっ・・・やっと追いついた・・・」

 

「静かに。・・・あそこ、自転車あるだろ」

 

 そして俺たちは音静かに光に寄っていく。そして光の後ろに立って、小さめの声で光に声を掛けた。

 

「・・・おい、光」

 

「うおっ!? ・・・なんだよ遥かよ。脅かすなよ」

 

「知るか。だったら俺たちを置いていくなってんだ。・・・ってここ」

 

 俺は言葉のさなかあたりを見回していた。そして、ここがどこか、ということに気づく。

 すぐそこに見えるのは紡の家だった。

 

「あれっ? ここ、紡くんの・・・」

 

 まなかが俺と同じタイミングで声を上げる。

 しかしそれが光の耳に入る前に、玄関から至さんが出てきた。

 

 ・・・あぁ、最悪のタイミングだよ。

 

 

 

 光はそこから一言も発することなく斜面を下り、問答無用で至さんに殴りかかった。




とりあえず、ある話を過ぎるまで作者からすれば結構しんどい戦いなんですよね。
先が見えないのもありますし、etc...。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十一話 忘れられるわけ・・・

サブタイトル変更しない回その2ですね。
この内容は、このサブタイトルが適切だと個人的にそんなことを思っています。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 光は至さんを見つけるなりなりふり構わず殴りに行った。もちろん、距離が離れているためと目に行くのは不可能だ。

 

 

 正直、至るさんが喧嘩に勝てるビジョンが見えない。第一、今回は不意打ち極まりないからな。

 が、思い返してほしい。

 

 今、この場所は木原邸。つまり、他人がいるのだ。

 そしてその人間は、漁師である。

 

 であれば、海の人間一人網にかけるのは容易いことだった。

 どこからか網が飛び出し、瞬く間に光を吊り上げる。

 

 投げたのは、紡の祖父だった。

 

 そして紡のおじいさんは光に近づき、その目を見るや否や興味深げに呟いた。

 

「ほう・・・嵐だな。あの子は、まるで凪のような瞳をしていたが・・・」

 

 とりあえず、紡のおじいさんのおかげで光の威勢はそぎ落とされた。そのまま熱が冷めてくれればよかったが、いまだに網の中で暴れている。

 

 その後で、ようやくほかのメンバーも降りてきた。

 

「ひーくん、大丈夫!?」

 

「ちょっと! もう、光がいきなり飛び出すから・・・」

 

 ちさきの呟きに反応したのは至さんだった。

 

「えっ・・・? 光・・・ってことは、あかりの弟!?」

 

 至さんは驚いた声を上げて、一応無力化された光に近寄る。が、こいつはこいつで今にも噛みつきそうな狂犬。

 網から這い出て至さんに掴みかかろうとした光だったが、すんでのところで俺がその腕を掴んで止めた。

 

 そして至さんに視線だけ向けて声を交わす。

 

「久しぶりですね至さん。・・・また陸にあがるようになって数日ですけど、こうやって会うのはあの頃以来ですか」

 

「は、遥くんかい!? 随分大きくなって・・・」

 

「至さん、聞きたいことたくさんあるんで、感傷に浸るのはあとでお願いします」

 

 などと言うが、一体何様なのだろうか。

 自分から逃げ出して、溝を作ったのは俺の方なのに。

 

 そんな俺と至さんを見て光がさらに怒り出す。

 

「遥てめぇ! そいつの知り合いなら、なんでそうって言わねえんだよ!」

 

「・・・言えねえだろさすがに」

 

 色々と思うところがあったが、今ここで俺が声を荒げても意味がない。最小限の口数で光を制す。

 その時、ふと力が抜けた瞬間、光は網の緩みを見つけ出しそこから潜り抜けて至さんの胸倉をつかんだ。

 

 しかし、殴りかかるより先に言葉が先行した。

 

「このやろう! お前のせいで、あかりが責められているんだよ! お前があかりに近づいたせいで、村の大人連中、みんなあかりを責めてやがんだ!」

 

「えっ!? あかりが!? どうしてそんなことに・・・」

 

 至さんは海村の掟を知らない。

 それを解説するように紡ぐのおじいさんが至さんに質問した。

 

「子作りはしとるのか?」

 

「なっ!?」

 

 そうしたワードに耐性がない光はやはり赤面し、動揺のあまり至さんから手を離した。

 

 

「こ、子作り!?」

 

「こ、子作りって・・・」

 

 周りに立っていた女子連中も赤面する。平静でいられたのはせいぜい俺と要くらいだった。

 

「やはり知らされとらんのか、変わっとらんな・・・。おいそこの・・・遥か。お前はどうだ?」

 

「そうですね、一通りは知ってますよ」

 

 

 簡単に言えば、陸と海のハーフはエナを持たないということである。だから、海の人間は外に人間が流出するのを防いでいる。

 

 ・・・それが逆効果だって言うのに。

 

 それを聞いた光が赤面したまま声を荒げる。

 

 

「はぁ!? 何を知ってるって言うんだよ! だいたい、子作りが何の関係があるって言うんだ!」

 

 激昂する光。

 その質問に答えたのは俺ではなく、どこからか出てきた紡だった。

 

「その子作りが問題なんだよ」

 

 

---

 

 

 いったん場は沈静し、今は知るもの知らないものと別れてビールケースに座って説明をしている。俺と紡と紡のおじいさんはこっち、それ以外が反対側だ。

 

「陸と海の違いは分かるか? 陸で生まれる人間と、海で生まれる人間の違い」

 

「それって、エナがあるかどうかじゃないの?」

 

 紡の問いかけに対してのちさきの答え。間違いではないが、足りない。

 

「それもある。・・・でも、今回の問題はそこじゃない。問題なのは、生まれた子供なんだ」

 

「なんで、そうなの?」

 

「俺が話すよ。そうだな・・・。俺たちは、海の人間同士の間に生まれてきただろ? だからエナを持ってる。けど、海と陸とだとそうはならないんだよ」

 

「じゃあ、海と陸のハーフじゃそうならないってこと?」

 

 その通りだ。

 美海がいい例だったりする。美海は海村の出身であるみをりさんと陸の人間である至さんの間に生まれた子供で、現在のところエナを持っている様子は見受けられない。

 

「そういうことになるな。・・・ただ」

 

 ただ。

 そう言いかけて、俺は言葉を止めた。

 

 水瀬の一件が頭をよぎる。あいつはハーフであるにも関わらず、エナを所持している。それにともなった代償がないわけではないが。

 あの現象に関しては説明のしようがない。何より、外で話してほしくないという水瀬の願いを、約束を破ることになってしまう。

 

 だからまあ、ここから先の話は無しだな。

 

「いや、何でもない。とりあえず、最低限の認識としてはこれくらいだな」

 

「なんで遥はそれを知ってるの・・・?」

 

 ちさきの心配したような瞳が少々癪に障る。けれど、昨日の今日で同じように腹を立たせることはなかった。

 俺はただ、淡々とことを述べる。

 

「・・・別に、調べてたら色々分かっただけだよ。島の図書館の奥の方の本にこんなことは書いてあるし、大したことじゃない。それこそ、数年間も引きこもって何もしないでいたんじゃ、バカらしいってもんだ」

 

 ちさきはまだ何か言いたげだったが、話を一通り聞き終えた光がまた至さんに掴みかかった。

 

「おい! お前はあかりのことどう思ってるんだよ!」

 

「え?」

 

「結婚したい、とかそう思ってんのか!?」

 

 今度の光の怒鳴りは的を射ていた。

 いくら前の妻であるみをりさんと死に別れしたとはいえ、そこははっきりとケジメをつけなければいけない。そのケジメを、あかりさんの弟である光が追及するのは至極当然のことだ。

 

 至さんは逃げ場を無くした瞳を脇の方に落とし、小さな声で呟く。

 

「僕は真剣だよ・・・結婚は・・・」

 

 そして曖昧な返答。

 それで堪忍袋の緒が切れたのか、光は至さんを押し倒すなりついに殴り始めた。

 俺は・・・止めに入ることは出来なかった。

 

 好きであるなら、その気持ちははっきりさせなければいけない。その気持ちから逃げた人間の言うセリフではないが。

 だからこそ、目の前の中途半端なことしか出来ない至さんを擁護する言葉は見つからなかった。

 

 ・・・分かっている。美海も、俺だってそうなんだ。

 

 誰も、みをりさんのことを忘れることは出来ない。

 

 

 

 失った、その痛みも。

 

 




前作、ここ尺切り取り失敗してるんですよね。
かといって、変に変更も出来ず、今回もなかなか短く・・・。
是非もなし、いざゆかん。

それでは今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十二話 壊して繋いで

尺ガッタガタやん・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 光が至さんを殴りに殴ったあの日から数日だった。今は普通に学校で授業、それも、調理実習の時間である。

 

 それこそ、あの後はなかなかにひどいものだった。掴みかかった光から容赦なく鉄拳が繰り出される至さん。しかし、至さんがダウンする前に先に引っぺがされ、紡のおじいさんに投げ飛ばされた光が先に気絶した。

 

 とはいえ、今回の件に関しては至さんを擁護することは出来なかった。かといって光の行為を正当化するわけではない。言えば、今回は中立の立場を取ることに決めた。

 

 みをりさんを失ってしまった悲しみがいまだに残っているのは俺だって理解できる。けれど、あかりさんとの交際があるなら、それを割り切って進まなきゃいけないはずだ。その覚悟が見受けられないなら、殴られても仕方ない。

 

 ・・・なんて、俺の言えたセリフじゃないから中立の立場なんだけど。

 

 おそらく、あかりさんへの気持ちは嘘ではないと思う。それがどこまで本気か分からないけど。

 きっと、美海もそう。

 

 みをりさんを失ってしまった痛みは、今もそれぞれの胸の中に残っている。

 だから、誰も好きに正直になれないのかもしれない。

 

 だったら、美海もホントはあかりさんのことを・・・。

 

 ・・・いや、一方的な決めつけになるかもしれないな。やめておこう。

 

 

 それとは別に、あかりさんの立場自体の問題もある。

 

 内情を知っている俺はそう言う捉え方をしないが、今のあかりさんの状態と言えば、みをりさんがいた席に入り込もうとしていると言える。

 

 ・・・でも、誰かの代わりなんて絶対なれないから。

 偽らない自分同士を愛さなければならないはず。

 

 

「・・・か」

 

「ん?」

 

「遥!!」

 

 ちさきの甲高い声で深い思考から現実に引き戻される。

 その時には、鋭くとがれた包丁が俺の指をしっかり切っていた。最初の数秒こそ何もないが、だんだん、じんじんと痛みが広がっていき、血が溢れていく。どうやら深く切ってしまっているようだ。

 

「っと、やっちまったなこれ」

 

「大丈夫? 結構深そうだけど・・・」

 

「あー・・・、いや、これはちゃんと処置した方がいいかもしれないな」

 

 自分の身体のことは、自分が一番分かっている。

 

「珍しいね、遥がこんなこと」

 

 ここぞとばかりにマウントを取ってくる要。何、恨みでもあんの?

 俺は挑発には乗らず軽口だけ吐く。

 

「弘法にも筆の誤りって言ってな。というか、俺だって万能超人でもなんでもないんだから、こんなことあるに決まってるだろ」

 

 そして改めて先生の方に合図を飛ばす。

 

「保健室行ってきますね。この時間内には帰ってくると思いますけど」

 

 先生からの返事を待たずに、俺は保健室hと向かった。

 

 

--- 

 

 保健室はちょうど留守になっていたようだった。とはいえ、応急処置くらいは自分でできるので、あれこれと無断で拝借して処置を行う。

 ・・・とはいっても、あまり帰りたくはなかった。料理というものを一人でやり慣れている以上、誰かと歩調を合わせるのはさほど得意ではないのだ。

 

 しかしさすがに授業中。仕方なしに俺はゆっくり実習室へと変えることにした。

 が、ただでは帰らないと気づかれないように寄り道オブ寄り道。

 

 その道中、俺はおじょしさま制作中の部屋の前を通り過ぎた。・・・いや、通り過ぎることは出来なかった。俺はその場で立ち止まる。

 

 中には、見るも無残な状況のおじょしさまが転がっていた。

 

 

 ・・・。

 

 授業中なので声は挙げなかった。しかし、腹の奥底で沸々と怒りは確かに燃えていた。これの制作にかかわっているのは海の人間だけではない。そうした人たちの思いが無下にされたと考えると、心底腹立って仕方がないのだ。

 

 とりあえず状況の確認をする。すると、「さゆ、三じょう!」とマジックで書かれているのが分かった。

 

 その名前には、心当たりがあった。それは、昨日の事である・・・。

 

 

~昨日~

 

 俺が光と二人で帰っているときに限ってよく誰かと遭遇する。

 昨日も、初登校の日と同じ場所で美海とその連れの子に遭遇した。

 

 今度の美海はというと、前回見たいに逃げ出すことはなく、タオルで息を奪い、光を気絶させようとした。・・・まあ、結果はお察しの通りだが。

 

 しかし、失敗しても悪気なさそうに不貞腐れていた。

 

「・・・なあ、なんでこんなこと」

 

「パパとあの女を別れさせるのに協力して」

 

 困惑している光の言葉より先に、美海は自分のお願いを言う。

 そんな美海に対して、光は別段感情を荒げることはなかった。ただ冷めた声音で美海と連れの子に語る。

 

「・・・考えてることは一緒なのかもしれねえけどよ・・・。俺は、こういうせこいやり方は嫌いだ」

 

「・・・」

 

 場にいる誰もが黙った。そしてその沈黙のまま、光はその場を立ち去っていった。

 ・・・これだけ冷静にものが言えるなら、いつもこうあってほしいんだがなぁ。

 

 

 

~現在~

 

 さて、とりわけ今はこれが光たちにどう伝わるかが問題だ。

 かといって、授業のさなかでこれを伝えることは難しい。どうにか穏便に事を済ましたいが・・・。

 

 まあ、今は帰ろう。

 俺はそこからまっすぐ実習室へ帰った。

 

 そして俺が扉を開ける数秒前、実習室からガシャンという音が廊下にまで聞こえた。

 しばしの沈黙の後、紡の声が聞こえる。

 

「謝れ!!」

 

 過去にも聞いたことないその声に、俺まで背筋を凍らせる。窓からそっと中の様子を見ると、まあこちらも無残にウチのグループの皿が床に落ちて割れていた。その渦中にはクラスの番長格の・・・江川だっけか。がかかわっていた。

 

 ・・・さすがに入るに入れねえよ。

 

 といっても、空気が冷めに冷めまくっていたので、俺がドアを開けた音はほとんど誰の耳にも届いてなかった。

 授業が終わるなり、真っ先に紡のもとに駆け寄り、事の次第を聞く。

 

「おい、紡」

 

「ん、ああ。もう大丈夫なのか?」

 

「切り傷程度だから問題はねえよ。・・・それより、さっき何があったんだ?」

 

「お前、見てただろ・・・」

 

 苦笑する紡。どうやら窓越しの俺に気づいていたようだ。

 

「・・・故意、なのか?」

 

「・・・そうじゃないと俺は信じたい」

 

 すると、遠くから怒りがハイボルテージに達した光の声が聞こえてきた。

 

「ああ、くそっ! むしゃくしゃする・・・! 俺、おじょしさま見てくる!」

 

 とまあ、なぜか怒りの矛先が明後日の方向に向いた発言。

 ・・・なんて、笑っている場合ではない。

 

 光はずんずんとおじょしさまがある部屋の方へ進んでいく。今のあいつにあの惨状を見られたら、ただでさえ崩壊しかけているクラスの雰囲気が一層嫌悪になりかねない。

 

 ・・・さっき江川らともめてたのも相まって、江川らに殴りかかりにでも行くだろう。

 

 それだけは、避けたい。

 

「悪い、ちょっと先行く。急用だ」

 

「どうしたんだ?」

 

「何とは言わないけど光だよ。あいつを止めないと・・・!」

 

 紡の前であの光景のことは言えなかった。とにかく心配だけされないように言葉を振りまいて光を全力で追う。

 

 廊下に出ると、ドアが破壊される勢いで開く音が聞こえた。どうやら光があの光景を目にしてしまったようだ。そこから全力疾走の音が響いてくる。

 

 

 こうなってしまったら、光を止めるのは無理だ。だったら、江川らを探すしかない。

 そうした中、俺は一人の女性とすれ違った。水瀬だ。

 

「どうしたの島波君、そんなに急いで」

 

「水瀬・・・! 江川らどこにいるか分かるか!?」

 

「もう教室に帰ったと思うけど・・・。それって、さっきの事・・・?」

 

「それもあるしそれ以外もある! とにかく、ありがとな!」

 

 

 それ以上の言葉は今はいらない。俺は光よりも早く教室へとダッシュした。

 

 教室内に、江川らはいた。

 そのまま俺は江川らの元へ走る。さすがに驚いて、江川は引き気味の声を上げた。

 

「!? なんだよお前急に・・・!」

 

 その時だった。

 

 

「チェストぉおお!」

 

 光が叫び声と共にものすごいスピードで突進してくる。狙いはもちろん江川、狭山だ。

 

 

 まずい!

 

 とっさに俺はその場にいた江川と狭山を押しのけ、光のタックルを真正面から受け止めた。

 

 腹に重たい痛みがのしかかる。みぞおちに入らなかったことだけが幸いか。

 

「なっ!? 遥てめえ何してんだよ!!」

 

「落ち着けバカ! こいつらは違うんだよ!」

 

 

 この会話を聞いて江川らが首をかしげる。それを見て、俺はようやく本当におじょしさまの件に関して江川らが何の関与もしていないことが分かった。

 

「違うって、何の事だよ」

 

「うるせえ! お前らがおじょしの・・・!!」

 

 喧嘩が始まりそうな雰囲気だったが、運よく先生が現れて、その場はいったん収まった。が、関係者は皆校長室行き。まあ、無理もないだろう。

 

 校長室で光は、早退しろと命を受け、不服そうな顔をしてすごすごと帰っていった。それに同調して、まなかも帰っていく。

 

 落ち着いて話せるメンバーが残ったところで、話は再開した。

 

「で、実際のところ真相はどうなんだい? 遥」

 

「実際、おじょしさまが破壊された件に関してで言うと、この学校に犯人はいませんよ。それは俺が保証します。というか、どう考えても中学生がやるには馬鹿馬鹿しい内容でしょ。あれは」

 

 しかも犯人はしっかり自分から筆跡を残したと来た。光の早とちり以外に何もない。

 

「なので、犯人の方には俺がきつく言っときます」

 

「そうかい・・・。って、遥、早退するのかい?」

 

「そうさせてくれると助かります」

 

 俺もくるりと踵を返して校長室のドアの前に立つ。

 そこで思い返したように江川と狭山に声を掛けた。

 

「ああ、一つ忘れてた。・・・江川、狭山、今回はうちのバカ光がすまなかったな」

 

 俺が謝るのが意外だったのか二人は驚いて、そして言った。

 

「・・・いや、さっきの件もあったし、お互い様ってことにしてくれれば・・・」

 

「そうそう。お前だけにいい恰好はさせれないからな」

 

「ならまあ、そういうことで」

 

 

 二人もやんちゃな人間ではあるが、根は素直なようだ。

 

 そして俺は今度こそドアから向こうへと飛び出る。

 

 

 行き先は決まっている。 

 今回の件、美海がそこにいたのか、それを俺は知りたい。

 

 だから、やるべきことは一つ。

 

 

 

 

 俺は学校を抜け出すと、全速力で美海を探しに出向いた。

 

 

 

 




ここら辺がやっぱり一番難しいですね・・・。全力で頑張ります。
ちなみにですが、今作はフルリメイクですので、コピぺは一切使用しておりません。投稿に時間がかかるのはそのせいですね(言い訳)

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第二十三話 嘘ひとつ、心ゆれて

投降頻度を上げねば(多重タスク持ち)
本編どうぞ。


~遥side~

 

 人探しも楽ではない。

 やみくもに探し回ったところで、それは効率を悪くし、かえって自分を疲れさせるだけ。

 だったら、場所を絞って当たってみるのが効率的だろう。

 

 そして、その相手が見知った人間なら、その行動は読めるはずだ。

 

 だから、かくれんぼもすぐに終わる。

 

「美海」

 

 後ろからそっと声を掛ける。

 予想通り、美海がいたのはさやマートのいつもの壁のところだった。どうやら今日も今日とてサボりらしい。

 まあ、同じくサボった身として説教なんてできやしないけど。

 

 声を掛けられた美海は肩をビクッっとさせて、こちらを振り向いた。

 

「なんで、遥がここにいるの・・・?」

 

「俺も俺で色々あってね・・・。まあ、早退したってことになってる」

 

「・・・またサボったの、怒ってる?」

 

 美海は眉をひそめて怯えながら俺の顔色を窺ってくる。その様子に、俺はどこか違和感を覚えた。

 さっきのおじょしさまの件に関して、本当に美海が関与しているなら、もっとアクションがあるはずだ。

 少なくとも、こんな回りくどい言葉から入って牽制することが出来るような年齢じゃない。

 

 決め打ちは出来ないため、話に乗っかることにする。

 

「んー? いや、学校なんてサボってなんぼだろ。俺も昔そんなことしょっちゅうしてたし」

 

「・・・」

 

「なんでそんな理解したがいものを見る目で俺を見るんだ?」

 

「遥も結構、不良なんだね」

 

「おかげさまで」

 

 ほんのわずか、美海が表情を崩す。

 しかし、その柔らかかった表情は、次の一瞬で吹き飛んだ。

 

 遠くからトテトテと足音が迫ってくる。どうやら、件の犯人がやってきたようだ。

 角から出てきたところを、俺はしっかり目で追う。そして、目の前の少女としっかり目を合わせて、煽り口調で語る。

 

「やあ、おかえり」

 

「なっ! お前はタコスケの・・・!」

 

「どうよ、おじょしさまを壊せて満足か? 誰もいない教室に一人忍び込んで、やるだけやって即退散・・・。そりゃ、楽しくないわけないよな。・・・なぁ?」

 

 我ながら小学生相手に何をしてるんだと思うには思ったが、胸のうちにある怒りが自然と口先を動かしているのが分かった。

 

 そして、次は誰がしゃべるのかと思ったら、美海が肩を震わせながらぽつりとつぶやいた。

 

「・・・なんで?」

 

「え?」

 

「なんで! なんでそんな卑怯なことしたの!? さゆのバカ!!」

 

 感情のままに叫んで、美海はどこかへ走り出す。

 すぐに追いかけたかったが、俺は俺で、まだ気がすんでいないようだった。その鬱憤を晴らすべく、言葉をぶつける。

 

「さて・・・。俺も本当は光みたいに殴り飛ばしてみたいけどね。相手は女子だし、小学生ときた。流石にここで手を上げるのは紳士的じゃない。それに、殴っても直りはしないからな」

 

 相手が理解できなくてもいい。とりあえず、言葉に鬱憤を込めてただただ連ねた。

 

「だから、一言だけ言っとく。・・・昨日の今日だ。その言葉の意味位自分で考えろ」

 

 恐ろしく冷めた声音だったような気がする。

 しかし、言いたいことを全て言い切ると、もとの目的を思い出した。美海を追いかけなければ。

 

 そして俺はすぐさま美海の後を追いかけた。

 

 

---

 

 

 

 小学三年生の女子と、中学二年生の男子。

 その足の速さの違いなんてのは歴然としている。ましてや、姿が視認できている時点で、すぐに追いつけるのは明白なことだった。

 

 俺は美海にあっさり追いつき、その腕を取った。

 

「放して! 私は、私は——————!!」

 

「別に美海を怒りに来たわけじゃないからそう焦るなって・・・。多分、あの子に話は聞かされてたんだと思うけど、乗り気じゃなかったんだろ?」

 

「そう、だけど・・・」

 

 そう言って美海は抵抗をやめた。それを確認して、俺も掴んでいた腕を離す。

 昨日の光の言葉は、美海にはどうやらちゃんと伝わってたみたいだ。それをどこか嬉しく思う。

 

「・・・ま、何にせよ、美海が犯人じゃなくてよかったよ」

 

「・・・それだけ?」

 

「そのためだけに早退したからな。・・・やることが無くなった」

 

「なにそれ」

 

 ジト目で美海が迫る。うるさい、心配してきたんだから別に動機はこれくらいでいいだろ。

 

 ・・・さて、と。

 

 ふと、俺はみをりさんの顔を思い出した。美海が近くにいるからだろうか。

 ・・・あれから、もう何年も経ってるもんな。

 

「なあ、美海」

 

「何?」

 

「今から家・・・行ってもいいかな。みをりさんがいなくなってから、一度も顔、出せなかったから。せめて、線香の一つくらいあげさせてほしい」

 

「・・・分かった」

 

 美海も何か思うところがあったのだろう。即答とまではいかないものの、俺の提案を承諾してくれた。

 

 そして俺たちは無言のまま進んでいく。俺のもう一つの居場所だった、あの家へ。

 太陽は少しずつ西に進んでいる。いつの間にか暗くなりそうな、そんな天気だ。

 

「「・・・」」

 

 沈黙が流れる。気まずいったらありゃしない。

 

 

 そんな中、先に口を開いたのは美海だった。

 

「・・・ねえ」

 

「ん?」

 

「千夏ちゃんは・・・今、学校に行ってるの?」

 

「水瀬のことか? ああ、最近は元気にしてるよ。というか、学校来た時見なかったのか?」

 

「教室の方まで行っちゃうと、バレちゃうから・・・」

 

 

 確かに、水瀬は基本教室にいることが多い。引っ込み思案、と言うわけでもなさそうだが、そうする方が好きなのだろう。

 だから、教室の方に来ないことには分からない。それが美海の言い分だった。

 

 

「まあ、なんだ。特別変な様子もなく、今は元気にしてるぞ」

 

「そっか。・・・千夏ちゃん、元気になったんだ。・・・、また、会ってくれるのかな? 私の事、ちゃんと覚えてくれてるのかな?」

 

「美海が望めば、きっと会ってくれるだろうさ。・・・結局、なにもかも自分次第だ。・・・っと、そろそろか」

 

 見慣れたアパート。美海の家は二階にある。

 

 鉄の階段を駆け上がり、ドアの前に立つ。

 そしてドアを開けようとした瞬間、向こう側からドアが開いた。

 

「えっ?」

 

「はっ?」

「はーくん?」

 

「なんで、家の中に入ってるの・・・?」

 

 部屋の中には、先に学校から出ていったはずの光とまなかがいた。その奥で、至さんが少々苦し気に眠っている。

 キッチンの方から焦げ臭いにおいがする。何か一悶着あったのだろうか。

 

「えーっとだな、光。・・・とりあえず、何があったのか教えてくれると助かる」

 

「ああ。あの後帰ろうとしたんだけどよ、そしたらこいつが海に飛び込んできて・・・。あかりにでも会おうとしたんだろうな。最近、陸に上がってねえみたいだしよ」

 

「道具を使っても、それは無理があるだろ・・・。汐鹿生、だいぶ深いからな」

 

「そして、意識を失っちゃってて・・・。一応、私たちの方で看病って形で家にお邪魔したんだけど・・・」

 

「というか、お前はお前でなんでここにいるんだよ」

 

「さぼりみたいなもんだな、ははっ」

 

 などと重要事項とジョークを織り交ぜて話していたところ、美海は何かを言いたげに震えていた。

 

「おじょ・・・」

 

「ん?」

 

「おじょしさま、私が壊したの! 私が、悪いの・・・!」

 

 唐突な叫び声に、光は少しばかり驚いていた。が、そんな美海に怒りを見せることなく、俺と美海の間を割って、まなかと廊下に出た。

 

「・・・そっか。それじゃあしょうがねえな。帰るぞ、まなか」

 

「うん、そうだね。あまり長居しちゃってもまずいし」

 

「遥、お前はどうするんだ?」

 

「まだ帰らないな。ここに来た用事が、まだ終わってないんだ」

 

「そうか。あまり遅くなるなよ。ウロコのやつうっさいんだからな」

 

 

 気の利いた言葉をいくらか吐いて、光はまなかを連れて帰っていった。

 そして二人きりになる。部屋のドアを開ける前に、俺は美海に尋ねた。

 

「なあ、なんで嘘ついたんだ? どうせバレるって、明確だろ」

 

「なんでだろう、私にもよくわからない」

 

 じゃあ、何だというのだろうか。反射とでもいうのだろうか。

 

 

 ・・・やっぱり、『心』っていうのは、分からないものだ。

 

 




会話文を変えると、前作とキャラが変わってしまいそうで難しいところ。
やるっきゃないのはそうなんだけどね。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十四話 ここで終わりに・・・

この話のサブタイトルも好きですね。
葛藤の描写って何気に書いてて一番楽しいんです。

それでは本編どうぞ。




~あかりside~

 

 私は・・・何なのだろう。

 数年前、私はようやく大人になった。・・・大人になったつもりだっただけかもしれないけど。

 

 けれど、大人になって、私は多くのものを失って、諦めたような気がする。

 ・・・だって、私は先島灯の娘なんだもん。海村の宮司の娘ときたら、いよいよ制約に囚われた人生を歩むしかない。

 

 ・・・分かってたんだ。この関係が知られたら、もう元には戻れないって。

 至さんにも告げず、誰にも言えないで、感情は溜まり、ふくらみ、暴発寸前というところまで来ている。

 

 だから、答えを出すならもう今しかなかった。

 無理やりいただいた数日間の休みももうそろそろ終わる。

 

 ・・・次、陸に上がった時に、この答えを至さんに告げよう。

 ・・・それで、終わりだ。

 

 

---

 

 

「さてと、お仕事行きますか」

 

 さっきまで食卓を囲んでいたお父さんと光に聞こえないようにそっと呟き、私は先に食器を片付ける。みんなもう食べ終わってるようで、食卓には私一人が残っている。

 

 片づけをササッと済ませて、私は鞄を片手にゆっくり立ち上がった。

 

「行くのか?」

 

「うん。長い間休ませてもらっちゃったしね。そろそろ行かないと」

 

 あれから、お父さんとは立ち入った話をしなかった。互いに言い出せず、聞き出せず、そうして時間だけが過ぎ去った。それぞれの胸の中で、考えだけ先先進んで。

 

 話なんて、答えが出たあとですればいい。きっとそれくらいものだ。

 ・・・割り切れてないって言えばそうだけど、いつまでも止まってはいられない。

 

 苦しいくらいなら、早いところ切った方がいい。・・・そうしてまた諦めるんだ。

 

 

 玄関に向かうと、光が今まさに外に出ようとしていた。私はあわてて声を掛ける。

 

「待って光、たまには一緒に行かない?」

 

「なんでだよ。てか、そんな年じゃねーし、・・・なんか、恥ずかしいし。んじゃ、先行くわ」

 

 ためらいもなく光は先に行ってしまった。

 ・・・もともと、小さい頃から私に泣きついてくるような子じゃなかったけど、こうしてみると大きくなったな、なんて思う。

 

 

 ・・・私も、進まないとね。

 

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 誰にも届かない声で、私は呟いた。

 

 

 

---

 

 

 数日間開けていただけなのに、もう長い事陸に出ていなかったような感覚。

 だからだろう、太陽の光がいつもより目に刺さった。

 

 海から出て、さやマートまで海沿いの道を進む。その途中の喫茶店あたりだろうか、遠くに至さんを見つけた。

 私が見つけたのと時を同じくして向こうも私に気づいたようで、一瞬にして私の元まで駆け寄ってきた。

 

 

「あかり、話があるんだ・・・!」

 

「・・・うん、私も。ね、ゆっくり入りたいし、そこの店にでも入ろうか」

 

 合意の上、二人で店内に入る。

 

 この店に来るのも、幾分と懐かしい。

 前に来たときは至さん、そしてみをりさんも美海もいた。

 

 あの日の事が、私が潮留家と知り合うことになったきっかけ。

 

 

 ・・・始まりも終わりも、同じ場所なんだね。

 

 私は、この関係を終わりにすることを決めた。・・・私の立場からして、始めからうまくいくわけなかったんだ。

 

 

 注文を聞かれたので、コーヒーとだけ返す。合わせるように至さんが頼んでマスターが過ぎ去ってから、また沈黙が流れた。

 

 しばらくして、マスターがコーヒーを淹れてやってきた。それを受け取って手元に置く。湯気立つそれをすぐに手に取らず、私はぼんやり眺めた。

 

 コーヒーの水面はうっすらと揺れていた。それはまるで、今の私を映しているかのように。

 

 そしてコーヒーの変わりに唾を一つ飲んで、私は別れを切り出した。

 

「私ね、もう至さんと別れようと思うんだ」

 

「えっ・・・? でも、僕は・・・」

 

「言わないで。・・・最初から無理だったんだよ。海の人間と陸の人間が結ばれるなんて」

 

 そして、決定的な一言を放つ。

 

「私は、みをりさんの代わりにはなれないの」

 

「・・・!」

 

 そう。私は私。みをりさんの代わりにはなれない。だから、美海の母親になるなんてことも、出来やしない。

 仮に至さんに受け入れられて、それで割って入ったとして・・・美海はどう思うだろう。この数日間は、そんなことをずっと考えていた。

 

 コーヒーを一口飲む。何も入っていないブラックの苦みも、胸の痛みで中和され、どこか消えていく。

 

 至さんは血相を変えて、必死に語った。

 

「確かに海と陸の間には軋轢があるかもしれないけど・・・、でも、僕たちは仲良くできるよ!」

 

「できない。・・・しちゃいけないんだよ。・・・私ね、美海ちゃんのことが好きなんだ。だから、美海ちゃんのことを傷つけたくない。変に母親になった気になって、それで傷つけたりしたら・・・。だから、私は身を引くの」

 

 そして、私はコーヒーをクイっと飲み干すと、二人分の料金をテーブルの上に投げ出して、すっと立ち上がった。

 そのまま、呆気にとられる至さんを放っておいて、一人出ていく。

 

 振り返ることはしなかった。出来なかった。

 ・・・振り返ったら、泣いちゃいそうだったから。

 

 

 

---

 

 

 道路をただ進んでいき、さやマートへと着く。

 例の壁文字は、まだ完成していなかった。『どっかい』のまま、文字は止まっている。

 

 そして、そこに美海ちゃんはいた。またサボっているのだと思うけど、もう何も言うことはない。

 ふと、私と目が合う。けれど、美海ちゃんは逃げずに、ただまっすぐ私を見つめたまま黙っていた。

 

 けれど、私の方から言う言葉は決まっている。

 

「・・・あのね、私決めたんだ。もう、美海ちゃんの前から、至さんの前からいなくなるから。・・・『どっか行く』って決めたから。だから・・・」

 

「・・・」

 

 何も言わず、美海ちゃんは逃げていく。その表情は見えなかったけど、もういいんだ。どうせ、全て終わることだから。

 

 

 それから私は店に戻って、時が過ぎるのを忘れて働いた。暴れようとしている感情を抑えるには、それくらいしかないと思ったから。

 忘れられない何かを、無理やり忘れるように。

 

 ・・・そんなこと、出来るはずなんてないのに。

 

 

---

 

 

「あれ、もう戻ってたんですか」

 

 遥くんが店に来たのは、夜七時頃だった。学校の下校時間のことを考えると少々遅いような気がする。

 

「あ、遥くん。今日も買い物?」

 

「そりゃそうですよ、さすがに一人暮らしなんで自分でしないことには・・・」

 

「それにしても、えらい遅い時間に来たもんだね」

 

「まあ、学校で色々やってるんですよ。フル出勤したら、もれなくこんな時間に」

 

「あはは、おじょしさま作ってるんでしょ。出勤なんて言葉使わなくていいのに」

 

 公では言われてないものの、光らが話しているのを聞く限り今年もおじょしさまを作っているらしい。お舟引きは中止になっちゃったけど。

 

 私が乾いた笑いで感情をごまかしていると、遥くんは目つきを少しばかり鋭くして私の顔を正面から覗き込んだ。

 

「・・・あかりさん、区切り、つけたんですか?」

 

「あはは・・・やっぱりバレちゃうか。流石だね遥くんは」

 

「それは、だって・・・。いえ、何でもないです」

 

「・・・うん、そうだよ。別れることにしたんだ。美海ちゃんのために。・・・これでどうにかなってくれるといいんだけどね」

 

 遥くんは黙ったままだった。

 ただ、憐れみと言ったような感情を込めた瞳を一心にこちらに向けたまま。

 

 その瞳が何を見ているのか、私には分からないけど。

 

 

 そうした場の沈黙を一瞬で切り裂くように、至さんが血相を変えて店に入ってきた。その表情から事の急さが伝わる。

 

「た、大変だあかり! ・・・と、遥くんもか! この時間になっても、美海が帰ってこないんだよ!!」

 

 

 

 

 

 

 




今回リメイクを始めた理由の一つに、この起~承あたりの文章の曖昧さを是正するといったのがあります。
実際、前作の文章は一回の会話文が長かったり、また言葉不足だったり等が目立っていたような気がするので、今回テコを入れた感じです。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十五話 そして僕らは・・・

このシーン、前作の遥があまりにも完璧超人だったような気が・・・。
と言うわけで、少々強めに会話や思考等を変更してます。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 ある日の学校からの帰り、俺はいつものようにさやマートに買い物に来ていた。自分のことは自分でしなければならない。当然と言えば当然だが・・・。

 

 店内に入ると、数日間休んでいると聞いていたあかりさんが復帰していた。至さんとの一件以降、拗れてしまった関係の整理のために休んでいたそうだが、こうして復帰したという事は、ある程度区切りがついたのかもしれない。

 ・・・それが良い方向かは、さておき。

 

「あれ、もう復帰しても大丈夫なんですか?」

 

 素っ気ない風を装い、俺はあかりさんに近づく。そして何も知らない体を装い、あかりさんに話しかけてみた。

 

「あら、遥くん。今日も買い物?」

 

「そりゃそうですよ。流石に一人暮らしなんで自分でしないことには・・・」

 

「それにしても、えらい遅い時間に来たもんだね」

 

 今は夜の七時くらいだろうか。最近はおじょしさまの制作に力が入り、熱中するあまりこのくらいの時間になることがしょっちゅうなのだ。

 

「まあ、学校で色々やってるんですよ。フル出勤したら、もれなくこんな時間に」

 

「あはは、おじょしさま作ってるんでしょ。出勤なんて言葉使わなくていいのに」

 

 あかりさんは、学校でおじょしさまを制作していることを知っているみたいだった。

 とはいえ、光は今回のお舟引きに関する一件を親父には伝えていないと公言した。とすると、どこかで聞かれたのだろうか。

 

 ・・・それにしても。

 

 先ほどからのあかりさんの表情が気になって仕方がなかった。うまく取り繕っているつもりの笑顔。けれど、それが嘘だってことはバレバレだ。分からないと、俺がここまで積み上げてきた学習の意味がない。

 

 ・・・仕方がない。今までだって時には悪者を演じてきたんだ。なら、はっきりと言うしかないだろう。

 それほどまでに、目の前の空元気を見続けるのは辛かった。

 

「・・・あかりさん、区切り、つけたんですか?」

 

「あはは・・・やっぱりバレちゃうか。流石だね、遥くんは」

 

 今はそんな誉め言葉など欲しくない。

 

「それは、だって・・・。いえ、何でもないです」

 

 誰だって、そんな悲しそうな顔してたら分かるはず、とはさすがにそうは言えなかった。

 

 あかりさんは先ほどまでの乾いた笑いをひそめ、憂いと寂寥に満ちた表情で俺を見つめ返した。

 

「・・・うん、そうだよ。別れることにしたんだ。美海ちゃんのために。・・・これでどうにかなってくれるといいんだけどね」

 

 ・・・だろうな。

 

 この結末の予想は出来ていた。けれど、実際に直面してみると、やはり悲しくて、寂しい。

 好きになることから逃げる。それも、何かを本当の意味で失うより先に。

 それは、どこまでも辛い・・・。

 

 俺はあかりさんにどんな顔をしているだろうか。その予想は全くつかなかった。

 そして場には沈黙が流れる。

 

 その沈黙を切り裂いたのは、血相を変えて店に入ってきた至さんの声だった。

 

「た、大変だあかり! ・・・と、遥くんもか! この時間になっても、美海が帰ってこないんだよ!!」

 

 

 場に緊張が走る。が、俺の思考回路は幸いにもエラーしないでいてくれた。

 こういう時、どういう感情なら美海が行動するかを考える。

 

 そして、俺は一つの結論に辿り着いた。そして、そのキーマンに声を掛ける。

 

「・・・あかりさん、今日、美海に会いましたか?」

 

「え?」

 

「会いましたか?」

 

 俺が問い詰めるように聞くと、あかりさんは首肯してポツリと言葉を吐いた。

 

「会ったよ。・・・それで、もう会わないからって、安心してって、そう言ったの」

 

 ・・・ビンゴ。最悪の予感はどうやら的中してしまったみたいだった。

  

 十分なんだよ、今の美海にはそれだけで・・・!

 

 俺はどうにか平静を装い、これからの自分の行動を端的に二人に伝える。

 

「分かりました。・・・俺、これから探してきます。至さん、漁協の方へ協力要請、お願いしてもらえますか?」

 

「え、ああ。任せて!」

 

 至さんを先に外に出させて、もう一度あかりさんと二人きりになる。

 とはいえ、あまりのんびりはしていられない。大事なことだけ。

 

 ・・・俺は、何を言えばいいんだ?

 

 ここに来て言葉が出ない。いや、言葉はあるのかもしれないけど、それをどうして、逃げに逃げ続けた自分が言えるのだろうと立ち止まっている。

 

 ・・・けれど、今は。

 

「諦めないでください」

 

「え?」

 

「逃げたらきっと・・・辛いだけです」

 

 訳も分からないことをただ口走って、俺はその場から逃げ出すように美海を探しに、買い物袋を握りしめて、店の外へ飛び出した。

 

 逃げたらきっと辛いだけ。

 ・・・ずっと逃げ続けている俺の言う言葉じゃないだろ・・・!

 

 とんだ失態を犯してしまった自分を責めながら、ギアを加速させてどんどん走っていく。

 

 遠くに見えたあかりさんの目には、やっぱり涙がにじんでいた。

 

 ・・・未練があるなら、なんで。

 

 

 しかしそれ以上の言葉はなく、俺は再び前を向いた。

 

 

---

 

 

 走りながら、必死に思考を巡らせる。

 美海はきっと、人目のつきにくいところにいる。ただでさえ行動を隠密に行っているのに、探されることを分かって目立つところに行くはずなどないだろう。

 

 隠れきった感情を表すような行動。だから、そこを探せばいい。

 

 そして、出会う。

 

「こんなところにいたんだな、美海」

 

 美海は、海が見渡せる小さな山の浅いところでじっとしていた。とはいえ、目が据わっている。迷ったようではなかった。

 

 そして、それは奇しくも俺があの時倒れた場所に近かった。

 

「遥・・・、なんで、ここが?」

 

「小さいときから美海を知っていたし、ここにも何度か来たからな。美海が考えそうなことは、少なくとも分かる」

 

 などと言うと、美海は少し不満げな様子で俺のすねを軽く蹴った。

 

「知られてもないし分かられてもない・・・! 勝手に決めないでよ」

 

「悪い悪い。・・・それよりまあ、なんだ。こんなあかりもない、暗い山にいるのもなんだ。場所を変えようか。いい場所知ってるんだ」

 

 俺がそう提案すると、美海は疑念を込めた瞳で少々驚いていた。

 

「・・・帰ろうって言わないの?」

 

「それで帰るならこんな行動しないだろ。・・・覚悟、それなりに決めてるんだろ? だったら、それを無下にはしたくないから。ちゃんと、美海の気持ち、汲みたいからさ」

 

「・・・そう」

 

 俺を信じてくれたのか、それ以上の反論はなかった。

 

「私、今日は帰らないから」

 

「はいはい、お付き合いしますよ」

 

 

 

---

 

 

 俺たちは港から少し離れた廃倉庫の方へと下っていった。当分使われていないこともあり人はいない。しかして望み通り、明かりはいくらか灯っていた。

 

 ここなら二人、時間を潰してもそれなりに安全だ。誰の邪魔も入ることはない。

 

 ・・・そう、思っていたのだが。

 

 

 コツ、コツと遠くから足音が聞こえてくる。その足音の小ささは子供のもののように思えた。という事は、これはおそらく光たちかもしれない。

 

 今、この状況にあいつらを介入させると話が拗れかねない。面と向って話せるかもしれない絶好な状況。それを失いたくはない。

 

 

「美海、ちょっと待っててくれ」

 

「いいけど・・・」

 

「五分もあれば終わるから」

 

 俺は美海をうまく諭して、光らのものであろう足音に近づいて行った。向こうはこちらに気づいたのか、声を掛ける。

 

「おーーい! って、なんだお前か」

 

「なんだとはなんだ」

 

「それより、お前も探してんのか?」

 

「ああ。・・・んで、そのことなんだけどな。お願いがある」

 

 俺がはっきりとそういうと、光は少し驚いた。

 

「なんか、お前に真正面からお願いされるのって久しぶりだな」

 

「それはどうでもいいだろ」

 

「とりあえず、話聞かせてくれるかな?」

 

 後ろから要が顔をのぞかせる。ちさきやまなかも、言葉はなくとも言いたいことは同じなようだった。

 五分で終わると豪語した以上、早めに終わらせたかった。

 

「美海は見つけた。・・・けど、家出した人間がさあ帰ろうで帰るとはいかないだろ?」

 

「まあ、確かに・・・」

 

「だから、ここは俺に任せてくれ。多分、美海の話し相手になってやれるから」

 

「分かった。・・・じゃあ、僕たちは何をしたらいいかな?」

 

「他に探してくれている人のところへ、見つかった、安全だとだけ教えてほしい」

 

「近づくなってことは?」

 

「加えておいてくれ」

 

 要が気を利かせて深く掘り下げてくれる。俺はそれに乗っかって、手出しを封じるようにお願いすることを付け加えた。

 

「分かった。じゃあ、俺たちはとりあえずあかりやあいつらに安否を連絡するだけでいいんだな?」

 

「ああ。そのまま帰ってくれてもいい」

 

「しゃーねえ。じゃあ、そうするわ。・・・エナには気をつけろよ。お前、海に帰ってきてねえだろうからな」

 

「分かってるっての。んじゃあな」

 

 光はすんなり引き下がってくれたようで、そのままくるりと踵を返してくれた。

 

 ・・・さて、後は。

 

 俺はすぐさま美海の元へ戻る。美海は積まれた鉄骨の上で足をぶらつかせて待っていた。

 

「美海、飯、食べるか?」

 

「そんなものあるの?」

 

「ああ。ちょっと待ってろ」

 

 

 俺は近くの小さな倉庫の中を漁った。一番新しいのであろうその倉庫はほぼ新品に近いほどきれいな状態を保っており、中にはシンク、食器まで備わっていた。

 

 できる限りを尽くして丁寧に洗い、衛生的な不安を無くしたところでさあ調理開始。といっても、買っている食材が食材なので、できるものは限られるが・・・。

 

 

 それから数分後、出来上がったのは野菜炒めだった。

 これだけと言われればそうなのだが、それでもないよりはまし程度のものが出来たのでこれ以上は何も言わない。

 

「いただきます」

 

 美海は小さくつぶやいて、料理にそっと手を付けた。

 口に一回箸を運んで、目を丸くして俺の方を向いた。

 

「遥って、料理、上手なんだね」

 

「恐縮です」

 

 などと会話も織り交ぜながら、食事は進んでいく。

 

 俺のぶん? そんなものはない。

 

 

 

「遥、本当に帰らないの? ずっと私に付き合ってくれなくてもいいのに・・・」

 

 食事が終わると、美海は少々不安げに俺の方を覗き込んでいた。一応、周りに迷惑をかけているという自覚はあるようだった。

 けれど、帰るつもりはない。

 

「美海に寄り添うって決めたからな。少なくとも、今日一日は全部の時間。・・・あれから、一回もまともに話せてないし。だから、美海の気持ちを聞きたい」

 

 俺はそう告げて、憶測で美海の心を図って口にする。

 

「・・・本当は、美海はあかりさんのこと・・・嫌いだなんて、思って・・・」

 

「!」

 

 美海は座っていた木箱をぶらついていたはずの足でけり飛ばした。

 

「私は好きな人なんていない! 私を好きな人もいない! いらない!!」

 

 これまでにない剣幕で美海は叫ぶ。

 

 ・・・でも、その顔にあるのは怒りだけではなかった。

 心の奥底にある、悲しみが滲み出ていた。

 

 

「好きな人なんてもういらない!! 遥だって、私のことを好きじゃない!!」

 

 

 俺から逃げるように美海は走り出す。けれど、前を向いていないのだろう。その進行方向は・・・海だった。

 

 そして美海がそれに気づいた時、運悪く小さな石に躓いてしまう。すぐそこには海が・・・。

 

 

「バカ! 戻れ!!」

 

「えっ、あっ・・・」

 

 

 そして美海のふらついた体は、そのまま海へと落ちていった。




前回と人物像が変わっていそうなせいか、少々難しいんですよね・・・。
けど、確かな手ごたえと共に頑張っています。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第二十六話 今踏み出す一歩

この話は前作でもターニングポイントの一つでしたね。なんて、その基準でいくとターニングポイントなんていくらでもあるんですが。

本編どうぞ。


~遥side~

 

 それは、もうずいぶんと昔の話。

 みをりさんと交わした、最後の言葉のこと。

 

 それを、今になって鮮明に思い出す。

 

 あの日、みをりさんにもらった言葉は・・・。

 

 

~過去~

 

「・・・島波遥くん。ちょっと長いけど、聞いてください」

 

「え、あ、はい・・・」

 

 みをりさんは、似合わないほどかしこまっていた。だからこそ、俺の背筋は強張る。

 

「遥くん・・・。あなたはきっと、これからたくさん、辛く、苦しく、悲しいことに見舞われると思うの」

 

「えっ・・・?」

 

「もちろん、遥くんが悪いわけじゃない。・・・みんなそうなの。幸せばかりの人生を歩める人間なんて、きっとどこにもいないの」

 

「は、はぁ・・・」

 

 みをりさんの言っている言葉の意味を、俺は上手く理解できなかった。

 ・・・大きくなれば、理解できるのだろうか。

 

「今こそ、こうして私も君と話せているけど、いつかはお別れが来る。・・・もし、それがあまりに突然なことでも、自分を責めないでほしいの。誰も悪くない。何も悪くない。・・・好きになることを、やめないでほしいな」

 

「そんなこと・・・実感わかなくて・・・」

 

 それに、俺は一度失ってるから。

 これ以上大切なものに、遠くに行ってほしくなくて。

 

 

「私が居なくても、遥くんを好きになる人は絶対にいるよ。・・・きっと、美海も」

 

「え?」

 

「なんでもない。・・・ね、遥くん」

 

「なん、ですか・・・?」

 

「弱くてもいい。弱くてもいいから、無理しちゃだめだよ?」

 

「・・・分かりました」

 

 

 変わらない表情で語るみをりさんの表情は穏やかで。その穏やかさが、俺は何よりも怖かった。

 

 

 

『だから、忘れたのかもしれない。こんなに近くにあった、忘れてはいけない何かを』

 

 

 

~現在~

 

 

 そうだよ、俺は・・・!

 

 あの日みをりさんにもらった大切な言葉を、思いを・・・忘れてしまっていたんだ。

 最低だよ。最悪だよ。・・・あれだけ、好きな人の言葉だったのに、好きになることから逃げて、忘れるなんて・・・。

 

 ・・・美海っ!

 

 俺は迷いを振り切って同じく海に飛び込んだ。そしてすぐさま、美海を抱きしめる。

 

「やめてったら!」

 

「放すわけないだろ! ・・・ここで美海を放すような人間なら、みをりさんにどんな顔すればいいか分からないだろ!」

 

「・・・」

 

 それからしばらくして抵抗は止む。すると、美海は俺の懐に顔をうずめて嗚咽を漏らした。小刻みに震える肩から、泣いているのが分かる。

 

 美海が抱いているどうにもならない感情は、理解できる。

 だってそれは、俺と同じ弱さなんだから。

 

「・・・なぁ、美海。誰かを失うって、怖いよな、悲しいよな。・・・好きになったせいでまた失うって、怖いよな」

 

「うん・・・うん・・・」

 

「・・・でもな、思い出したんだよ。みをりさんが言ってくれた、最後の言葉。・・・好きになることをやめないでほしいって」

 

 だったら、みをりさんは自分の死期が近いことを悟っていたんだろうか。

 ・・・なら、そう言ってくれてもよかったのに。

 

 そんな抜けたところが、またあの人らしいと思えて、少々涙がにじむ。気づいた後で訪れたのは、心の底からえぐるようななつかしさ。

 

 ・・・今なら、前に進むことだってできるかもしれない。

 

 ああ、本当に今更だな。

 

 だから、美海に向き合ってみる。・・・もう、逃げたくないから。

 

「もう一度聞くよ。美海はあかりさんのこと・・・、嫌い、な訳、ないんだよね?」

 

 

 今度は美海はまっすぐに答えた。

 

「・・・嫌いなんて、言えないよ・・・。あかちゃんも好きで、パパも好き。・・・遥だって」

 

「え?」

 

 最後の方が上手く聞き取れなかったが、美海は構わず続ける。

 

「あの日、ママがいなくなって悲しんでいた私のところに来てくれたのはあかちゃんだった。・・・ずっと優しくしてくれた。でも、怖かったの。好きになったら、あかちゃんもまたいなくなっちゃうんじゃないかって」

 

 また泣き出しそうな瞳で美海は最後まで言い切る。

 

「大切な人に、いなくなってほしくなかった。・・・それに、あかちゃんを好きになった時、ママのことを忘れてしまうんじゃないかって、怖かった」

 

 

 ・・・美海の答えは、俺が思っていることと全く同じだった。

 好きになった人から、目の前から消えていく。だから、好きになれないって。その繰り返しを恐れて。

 

 けど、美海はまだ変われる。

 恐怖心は毒だ。回数と年を重ねるごとに体の奥底までしみこんでいく。いつかは、手遅れになるほどに。

 美海はまだ小学三年生だ。こんな毒にやられて、全てを諦めていいような人間じゃない。

 

 ・・・俺は、どうなんだろうな。

 変わりたいと願えば、変われる。そんなものなんだろうか。

 

 分からなくて俺は、そっと美海を先ほどより強く抱きしめた。

 ぐちゃぐちゃな心でも、言葉にすることは出来るかもしれないから。

 

「俺もそうだよ。・・・けど、変わりたい。前を向きたいんだ。・・・なんて、いつか水瀬が言ってた言葉だけどな」

 

「千夏ちゃんが?」

 

「ああ。あいつもあいつで一杯苦労して、それでも『諦めたくない』ってそう言って、しゃんとして前を向いてやがる。・・・ほんと、大したもんだよ」

 

 言葉にしてやっと、水瀬の強さが分かるような気がした。

 はたして、俺が水瀬の何を知っているのかと問われればそれまでなのだが。

 

「・・・変われるかな、俺も、美海も」

 

 いざ説得しようと試みるも、最後の最後で結局言葉に自信を持てず、しおれさせてしまった。けど、言葉が伝わったのか美海は俺の袖をひぱって首をフルフルと横に振った。

 

「・・・変われるかな、じゃなくて、変わろう。遥」

 

「・・・そうだな」

 

 

 そうだ。

 なりたいを口にするのはもうやめだ。前に進みたいのなら、『やりたい』ではなく、『やろう』を口にしよう。

 

「・・・ねえ、遥」

 

「ん?」

 

「いい加減、放してくれる・・・?」

 

 どうやらずっと美海を抱きしめたままでいたようだった。少し俯いて頬を赤らめさせているあたり、どうやら恥ずかしいようだった。

 

「あ、ああ。悪い」

 

 急いで美海を地上に上げる。そして一息ついたところで、少しいたずらっぽく笑って、美海は俺に言葉を投げかけた。

 

「ねえ、遥ってドリコンなの?」

 

「ドリ・・・はぁ? なんだそれ」

 

「さゆが言ってた。小さな子を好きな年上の人って、ドリコンだって」

 

 違うんだそれは。

 

「おい、それはロリコンってやつだ。間違えてるぞってさゆに伝えとけ。あと、否定させてもらうからな」

 

 少し笑って、俺も陸に上がる。幾分か毒の抜けた心は、驚くほど軽いように思えた。

 ・・・測り損ねた距離は、少しくらい測り直されたのだろう。

 

 

 そして、美海は廃倉庫を離れ、さやマートの方へ向かった。用があるのはあの壁だ。

 やることは決まっている。美海はちゃんと、気持ちを示そうとしている。・・・美海なりの、答えを出すのだ。

 

 その行動を止めることはしない。ただ見守ろう。

 

 小さかった頃のように、俺は差し出された美海の手を取った。あの頃よりも、ずっと大きく、しかして今もまだ小さいその手を。

 

 そして二人で歩き出す。・・・さあ、答えを出そう。

 

 

 

--- 

 

 怒声のようなあかりさんの声で目を覚ます。

 ・・・なんて、本当は寝てなかったんだけどな。

 

 目をしっかり開けると、隣で眠っていたはずの美海が怒られていた。

 そして、あかりさんは俺たちが寄り掛かっていた壁の後ろの文字に気づく。気づくなり、口に手を当てて涙を流していた。

 

 俺たちが作った文字は簡単だ。

 離れかけた距離を結び付ける、簡単なたった一言。今、一番伝えたい思い。

 

 

 

『どっかいかないで』

 

 

 

 

 




さて、ここからの展開少々手を加えようと思います。
というのも、前作なんですけどここからオリジナル展開なんですよね。
せっかくのリメイク、しっかりボリュームをふくらませたいので。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第二十七話 だから私は

ここのパート、確か前作でも苦戦してたような・・・。

本編どうぞ。


~美海side~

 

 ずっと仲良くしてたはずの千夏ちゃんは、ある日突然いなくなった。

 そして、大好きなママも、どこかいなくなった。

 

 それが理由で、遥も・・・。

 

 好きになった人ばかりが、私の前からいなくなっていく。

 パパはずっとそばにいてくれたけど、パパだって、いついなくなっちゃうか分からない。そんなことを思うと、また怖くて。

 

 ・・・ずっと、寂しかった。

 

 そんな時、私のところに来てくれたのはあかちゃんだった。ママがいなくなった分を、どうにか自分で埋めようと優しさをもって。

 嬉しかった。ずっと寂しかったのが、だんだん薄れていくような気がした。私はまた、誰かの大切になってるんだ、そんなことを思って。

 

 ・・・それなのに、これまで抱いてきた恐怖心が日に日に膨れ上がっていく。

 

 私が好きになっちゃえば、近づいちゃえば、あかちゃんだっていなくなってしまう。

 

 だからもう、好きになるのはやめよう。そう思った。

 そうしたら、本当に私が好きな人は不幸にならずに済む。

 

 

 でも、遥にまた会って、全てが変わった。

 抱きしめられた腕の中で、昔ママが遥かに言った言葉を聞かされる。

 

 そして、千夏ちゃんが前を向こうとしていることも。

 

 

「逃げたくない」

 

 私は、ずっと逃げてきたんだ。そうする方が、みんなのためだって。

 けど、苦しまない未来が幸せだなんて、今はもう、そんなことは言えない。

 

 苦しくても進んで、痛みを知って、それでもまた進めたら、きっといつか、幸せになれる。・・・なぜか分からないけど、そんな気がした。

 

 だから、私ももう逃げない。好きの気持ちは、間違いじゃないって信じたいから。

  

 ・・・だから、遥。私は、最後まで遥の・・・。

 

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 

 それからの日々は目まぐるしく過ぎていった。・・・ような、そうでないような。

 ただ、あの日を境に全ての歯車がかみ合って動き出したのは確かだった。

 

 あの後、あかりさんは至さんにまっすぐな思いをぶつけた。相思相愛なんだ。こんなことで・・・こんなことで切れていいような、そんな関係じゃない。きっとみをりさんだってそう思うはずだから。

 

 美海だって、あかりさんのことを好きだって言った。その気持ちを裏切る真似は、きっとしないだろう。

 

 

 ただ、これで全てが終わったわけじゃない。進めば進んだ分だけ、次の壁が見えてくる。それを乗り越えていく。その意味が、やっと分かった気がした。

 

 それと、それからの学校生活もだいぶ変わった。

 先日の調理実習とおじょしさまの一件で、江川や狭山をはじめとした、クラスの連中がおじょしさまの制作を手伝いに来ることが増えた。雨降ってなんとやら、とはよく言ったものだ。

 

 光も光でそれなりに成長したのか、そんなあいつらを不器用なりに迎え入れていた。 

 俺とは違って、光は独特のムードを持っている。

 あいつの機嫌次第で雰囲気が変わるもんだから、不思議なものだ。

 

 そうして、良化した関係の中、今日も作業が進む。

 

 

 その片手間で、トントンと俺の肩を誰かが叩いた。振り返ると、水瀬がいた。

 

「ね、島波君」

 

「なんだ?」

 

「今晩・・・どうかな。空いてたりする?」

 

 

 水瀬は周りに関係を悟られないように、最低限の言葉とボリュームで話しかけてきた。その効果あってか、誰もこちらを気にしていない。

 まあ、恋人になってる、なんて変な噂立てられないほうがいいに決まってるけど。

 

「ああ、空いてるぞ。・・・そうだな、何回かお邪魔させてもらったし、今日は俺が・・・」

 

「え、私作る気満々だったんだけど」

 

「じゃあ、勝負でもしてみるか。多くならなきゃ問題ないだろ」

 

「いいね。そうしてみようか」

 

 あれから、度々水瀬家に遊びに行くようになった。といっても、一週間に一、二回、あるかないかくらいだが。

 

 それほどまでに、あの人たちのもとにいると安心できた。自分の家はさながら、潮留家にも劣らない安らぎを感じるようになっていた。

 

 会話に熱中しすぎるあまり、作業の手がだんだんとペースダウンしているのに気づいた。ここから先は周りに迷惑をかけかねないので、一旦話を打ち切る。

 

「悪い、今は作業中だからな。この話は後にしないか?」

 

「ああ、うん。そうしようか」

 

 話を打ち切り、作業に再び集中する。

 その前に、ふと窓の外に美海が見えた。相方のほうは今同室でガヤと作業を両立させているが、美海はまだここには来ていないのだ。

 

 ・・・どうせ、美海のことだ。千夏のことがあって、うまく入れないのだろう。

 

 

 しばらくして、俺は先に作業を上がった。そして、美海がいなくなる前に、美海を捕まえる。

 

「何してるんだ、こんなところで」

 

 美海は急に後ろから声を掛けられたことにびっくりして、こちらを恐る恐る振り向いた。

 

「待ってただけ。たまには、一緒に帰りたかったから」

 

 その言い草は、相方のさゆではなく、俺に向けられていた。

 けれど、俺には一応先約があった。しかもしれは、美海が現在一番困っているラインでの話だ。

 

 ・・・なら、今がチャンスじゃないか?

 

 ふと、そんなことを思った。そしてそれは、すぐに言葉になる。

 

「・・・あのな、美海。俺、この後水瀬の家に行くんだけど・・・。一緒に来るか?」

 

「え・・・、千夏ちゃんの家?」

 

「そ。んで、そこで晩飯にするつもりなんだけど・・・」

 

 

 水瀬の名前が出ると、美海は一瞬困ったような瞳をした。しかし、その戸惑いは覚悟へ変わり、それが言葉になる。

 

「・・・行きたい。けど、もうずいぶん話してない。・・・千夏ちゃん、私の事変わらず接してくれるかな?」

 

「してくれるだろ、きっと。それがあいつの・・・。・・・なんでもない」

 

 それがあいつのいいところだ。

 

 なんて、ベラベラ語れるほどの人間でもないな、俺は。

 

「それじゃ、水瀬に話をつけてくる。きっと快諾してくれるだろうから、ちょっと待ってろ」

 

 俺は美海をそこにいさせたまま、水瀬を探しに出た。

 そしてほんの数秒後、美海の姿が見えなくなったところで水瀬に遭遇する。

 

「あ、いたいた。探したよ島波君」

 

「悪い。ちょっと色々あってな」

 

「ダメ・・・とか?」

 

 色々、と言葉を濁したせいで、水瀬は変に探って不安げな顔をする。その誤解をすぐに解くため、俺はさっきの話をすることにした。

 

「・・・美海も、連れてっていいかって聞きたかったんだ?」

 

「え、美海ちゃん? 来てるの?」

 

「いるさ。本人、ちょっと照れ屋になって出てこないけど」

 

「そっか。そうなんだ・・・。・・・うん、いいよ。私も、会いたかったから」

 

 時間が空いても、二人の仲は思ったより変化していなかったようだ。むしろ、近づいたのではないだろうか。

 いずれにせよ、そんなこと俺には判断しかねる。とりあえず、OKという返事がもらえたという事が大事だった。

 

「んじゃ、帰りにさやマート寄っていかないとな」

 

「だね。美海ちゃんとも合流しようか」

 

 そして、俺たちはそろって美海の前に出た。

 

「お待たせ」

 

「あ、・・・千夏ちゃん、久しぶり」

 

「うん。久しぶり」

 

 互いに少し緊張した様子のまま挨拶を交わす。空いた時間が多かったためか、二人とも次の言葉が出てこないようだ。

 埒が明かないので、咳払いして俺が話を進める。

 

「・・・んんっ、それじゃ、日が暮れてもなんだしさっさと行こうか」

 

「あ、そうだね」

 

「分かった」

 

 

---

 

 

 それからというもの、俺たちはささっとさやマートで買い物を済ませた。

 あかりさんは少し煽るように『両手に花』などと言ったが、そういうのには極力耳を傾けなかった。一緒に行動しているのが汐鹿生の人間じゃない異性二人なんて考えると、どうにかなりそうだった。

 

 そして、あっという間に水瀬家に着く。美海はまだ緊張しているのか、道中の口数は少なかった。

 

 

「お邪魔します」

 

「おじゃま・・・します」

 

 そして、俺と美海は水瀬家の中へと入っていく。二人とももう何度かお邪魔になっているような人間だが、ケースがケースなだけあっていつもより緊張感があった。

 

 リビングに入ると、保さんがソファに腰かけていた。今日は新聞を読んでいない。

 保さんは俺の隣の美海を一目見るなり、声を上げた。

 

「・・・美海ちゃんか、大きくなったな」

 

「お久しぶり・・・です」

 

 美海はぺこりと頭を下げる。礼儀の正しいようでなによりだ。

 

「んじゃ、適当にくつろいでて。私が先にキッチン使うから。島波君、覗いちゃダメだからね」

 

「分かってるって」

 

「どういうこと?」

 

「ああ。話してなかったな。一応、対決するってことになってるんだ。んでもって、食べてくれる人は多い方がいいだろ?」

 

「なるほど」

 

 美海は納得したようで、座り込むなり自分のランドセルから本を取り出して読み始めた。合わせるように俺も自分の本を取り出して読み始める。

 

 

 ・・・さてと、どうなることやら。




最近こっちしか書いてないですね・・・。
まだ半分も行ってないあたり真っ青になります。ほぼ毎日投稿しても半年近くかかるってどういうこと・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十八話 もう一度、繋いで

のんびり執筆。急いでも得はない(多分)
本編どうぞ。


~遥side~

 

 水瀬は瞬く間に料理を作り上げる。次は俺の番だ。

 自分用に買った食材をキッチンにとりあえず広げて、改めて手順を確認する。

 レシピなんてものはいらない。大丈夫、しっかり自分に叩き込めているはずだから。

 

 この間の調理実習の失敗を見られているのもある。そうしたイメージを払しょくするには、絶好のタイミングだ。

 

 ・・・さて、頑張りますか。

 

 

 

---

 

 

 それから、俺の料理が出来たのは20分ほど後の事だった。仕事が遅くなっている夏帆さんを除いた四人が、今は食卓を囲んでいる。

 

 一応、美海だけではなく、審査は保さんにもしてもらうことになった。

 テーブルには、互いに簡素なパエリアとペスカトーレが並んでいる。・・・魚介系の料理が多いな。

 

 買い物を始める前に、保さんや水瀬家の人間が魚介系の食材を好んでいることを聞いていたので、それをもとにして料理をした結果がこれとなる。

 

 各々いただきますと口にして、まずは保さんが水瀬のパエリアを一口。その後に俺のペスカトーレを口に運んだ。

 

 それから数秒間目を閉じて、何も言葉を発さない。しかし、口に合っていない、なんて様子ではないようで、正直ほっとした。

  

 そして、微動だにしない真顔で、ポツリと呟く。

 

「確かに両方美味いが・・・。なんだろうな、慣れない味ってのもあるんだろうか。俺は遥君のほうのが気に入ったな」

 

 それを聞いて、言葉には出さないものの俺は小さくガッツポーズをして見せた。理由はともあれ、勝利は勝利だ。水瀬は理由が理由なだけに不服そうな顔をしているが。

 

「結構作りこんでいるんだな、遥君は」

 

「そんな、まだまだです」

 

 他にも母親として、ずっと家庭に料理をふるまってきた人間は数多くいる。みをりさんだって、夏帆さんだってそうだ。

 そんな人たちを前にして、堂々と威張り散らすなんてことは出来ない。

 

「この評価がどっちかを上げて、どっちかを下げる、なんてものではないこと、理解しててほしい」

 

 保さんは大人だ。だからこそ、こうした時の言葉は知っていたようだった。

 

 そのさなか、美海が俺の袖をちょいちょいと引っ張る。

 

「ん?」

 

「遥って、千夏ちゃんの家何回か来てるの?」

 

「なんだ藪から棒に・・・。まあ、まだ三、四回だよ」

 

 その間で自分の料理をふるまったことがあるのも事実だが、それはまあ言わないでもいいだろう。

 

「・・・ふーん」

 

 美海は興味なさそうに呟いて、淡々と自分の評価を述べた。

 

「・・・私は、千夏ちゃんの料理の方が好きかな」

 

 今度は水瀬が小さく喜ぶ。これで得票は一体一となった。

 そして、ジト目で俺の顔をしっかりと見つめた。

 

「・・・遥、これってママのレシピ、参考にしてるよね?」

 

「気づかれたか」

 

 参考にした、というよりは、昔レシピを見て作っていたのが体に染みついていただけだった。

 それこそ、感覚だけで作ってしまった分、中途半端なものになったのかもしれないが。

 

「ママは、もうちょっと細かいところまで味を出してた。・・・なんだろう、スパイス? 調味料? なのかな」

 

 そのころの美海というとまだ幼かったはずだが、母親の味はしっかりと覚えているようだった。失礼なことをしたのかもしれない。

 

「けど、まずいなんて言わないから、安心して」

 

 美海も美海で大人の対応を見せ、俺の心を気遣ってくれた。

 

 そして俺もようやく自分の料理を一口食べる。

 けれど、いつかみをりさんに作ってもらった味とは大きく差が開いていた。随分と昔の話なのに、味ははっきりと思い出せた。

 

 

「ただいま~」

 

 会話が弾みだしたところで、夏帆さんが帰ってくる。仕事が遅かった分少々疲れの色が見えていたが、それでも気丈にふるまっていた。

 

「あら、美海ちゃん。久しぶり、元気にしてた?」

 

「お久しぶりです」

 

 美海もだいぶ緊張がほどけたのか、夏帆さんに難のない態度を示していた。遠ざかった距離が、少しずつ縮まってきているのだろう。

 

 そして、自身の片づけを終えた夏帆さんが席に着く。そして間もなく、料理に箸を入れた。

 しばらくして、夏帆さんは俺と水瀬から熱い視線をぶつけられていることに気が付いた。

 

 

「どしたの? 二人とも」

 

「どっちが美味しいですか? この二つ」

 

「ん? ・・・あー、そういうこと」

 

 今の一言で、俺と水瀬が対決していることが分かった夏帆さんは、少しだけ考え込んで、いたずらっぽく微笑んだ。

 

「・・・二人ともまだまだ。私の料理の方が美味しいね」

 

「「え」」

 

 誰一人として予想していなかった答えに言わずもがな困惑する。悪意があるのかないのかは分からないが、よほどの天然であることには違いなさそうだった。

 

「ちょっと母さん・・・」

 

「だって、それくらい自身があるもの、私。よかったら、振舞ってみようか?」

 

 そう言えば、夏帆さんの料理はまだ一度も食べたことなかったことに気づく。

 

 夏帆さんの料理か・・・。それはそれで楽しみだ。

 

 

「だったら、甘えさせていただきましょうか。な、美海」

 

 返事はないものの、美海もコクリと頷いた。

 

 

 

---

 

 

 食事も終わり、片付けも終わり、楽しい時間は終わっていよいよお別れの時が来た。

 

「じゃあ、今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました」

 

「ああ。またいつでも来てくれ。・・・そうだ、千夏。せっかくだ、美海ちゃんを送ってあげなさい」

 

「行っていいの?」

 

「構わん。遅くならんようにな」

 

 そして、美海の隣に水瀬が来て、三人で帰路に着くことにした。行きの道中よりも雰囲気は遥かに和らいでおり、何を放そうにもすぐに切りだせる、そんな感じだ。

 

 そんな中で、水瀬がふとこぼす。

 

「美海ちゃん、会えてよかった・・・」

 

「千夏ちゃん?」

 

「ずっと会えなくて、寂しかった。あんなに一緒だったのに、もう取り返しがつかなくなるんじゃないかってくらい離れて・・・。でも、またこうして会えた」

 

「・・・うん、そうだね。私も嬉しい」

 

 美海は嘘偽りない感想を零す。数日前までの素直になれない様子が嘘に思えるくらい、今の美海は自分に正直になれていた。

 

 きっと、好きになることはまだ怖いかもしれない。昨日の今日でこれまでの人生を否定しようなんて、よほどの超人でもない限りは無理だ。

 

 それでも、これは確かな一歩だ。美海は自分の足で、ちゃんと前を向いて歩いている。

 

 ・・・俺は、進んでいるだろうか。

 

「島波君も、今日はありがとうね」

 

「ああ。こっちも楽しかった。結局勝負はどっちつかずだったけどな」

 

「そうじゃなくて」

 

 水瀬はやんわりと笑って、手をぶんぶんと横に振る。

 

「美海ちゃんを誘ってくれたこと、また私たちをつないでくれたこと」

 

「・・・礼はいらねえよ」

 

 その礼は受け取りたくなかった。

 結局、全ては美海の気持ちだ。それを後押しした程度の人間が感謝されるべきではない。

 自分自身が進めてないのに、他人の歩みで感謝されるというのは、いささか気が悪かった。

 

「ただ・・・。そうだな、またこういうことをしたい」

 

 けれど、俺はその言葉の続きをちゃんと口にした。きっと、それが前に進むことの一歩になるだろうから。

 

「・・・うん、そうしよう」

 

 水瀬はにっこりと微笑んで、首を縦に振った。

 

 

 それからも、話は続く。美海も水瀬の前ではありのままの自分でいられるのか、自然と口数も多くなっていた。俺はそれを、横で見守り、時々会話に参加する。この距離感が、どこか心地よかった。

 

 

 そして、美海の家の中腹あたりまで来た頃、急に水瀬の足が止まった。

 

「ん? どうした?」

 

「ううん? なんでもない。行こ?」

 

 水瀬は何でもない風を装っていた。実際、特別おかしな様子もない。

 ・・・少々、顔色が悪いようには見えたが。

 

「・・・ねえ」

 

 ふと、美海が声を上げる。

 

「今日はさ、ここで解散しよ?」

 

「え」

 

「ここ、三方向に分かれるにはきっとちょうどいいから」

 

 そう言われてみると、水瀬家、潮留家、汐鹿生に行くにはほどよく真ん中の場所まで歩いていた。ここで別れるのは、ある意味公平だ。

 

「俺はいいけど・・・、みんなはいいのか?」

 

「うん。どうせ今日が終わってもまた会えるから」

 

「・・・分かった。じゃあ、今日はここで解散な」

 

 三人の意見が合致した以上、ここでごねる必要はない。俺はくるりと振り返り、二人に背を向けた。

 

「んじゃ、また明日な」

 

「うん」

 

「じゃあね」

 

 そうして、各々歩き出す。音は確実に遠くなっていった。

 

 

 

 黒く揺らめく海に飛びこんで、真っすぐ自分の家を目指していく。

 心はどこか満たされている。

 

 

 ・・・別のどこかに、穴を穿ちながら。

 

 

 

 

 




キャラの印象が変わってく・・・変わってく・・・。
まあ、二年前の私が何を思って書いていたのか、なんて存じませんので。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十九話 異変

いろんな作品の同時進行は堪えますね・・・。

本編どうぞ。


~遥side~

 

 夏だ! 海だ! などと世間は騒ぎ立てるが、俺たちは年がら年中泳いでいるので特別思うことはない。

 しかし陸の体育には水泳、などという忌まわしいものがある。はっきり言ってサボりたいが健全な学生を貫きたいしそれはしない。

 

 他の面子も渋々水着を用意していたが、まなかだけ用意が間に合っていないようだった。これを待つようなら遅刻は待ったなしだろう。

 

 なんて様子でまなかを待っていると、俺は昨日帰り際に千夏からお願いされたものを思い出した。

 

曰く

 

「私は行くことが出来ないから、汐鹿生の写真とかあるならほしい」だそうだ。

 もちろん、俺は快諾した。である以上、約束は早めに済ませた方が良さそうだ。

 

「みんな、悪い。俺も忘れものだ」

 

「え?」

 

「帰ってるから、まなかが来次第先に行っててくれ」

 

 その返事を待たずに、俺は家へとダッシュした。

 

 

---

 

 

 家に戻ったはいいものの、ずいぶんと整理していなかったアルバムからこれだというものをぬきだすにはなかなか時間がかかった。気が付けばもう家に帰ってから10分は経過している。

 

 それなりの枚数を集めた俺はようやく家から飛び出す。この時間なら遅刻はなんとかせずに済みそうだ。

 

 一応、先ほどの集合場所に戻ってみる。けど、やはり誰もいない。

 俺は一人で陸へすいすいと上がっていった。

 

 

 そして、地面に足を着けて、あたりを見回してみる。

 穴場として使用している以上、誰かにあまり見られたくはなかった。

 

 そうして周りを見回していると、遠くに人影が見えた。浜中の制服。見慣れたその髪は、表情が見えずとも誰かをすぐに分からせた。

 

 水瀬だ。

 

 ここから声を掛けるには遠すぎるので、俺は近寄ることにした。

 その最中、だんだんと水瀬の様子がおかしいことに気づいた。

 

 どこかふらふらとしていて、足取りがおぼつかない。無理して歩いているのは一目瞭然だった。

 そう言えば、昨日の去り際の水瀬も、どこか様子がおかしかった。

 俺は歩くスピードを上げ、水瀬のもとへと駆け寄った。

 

 水瀬の顔色は、やはり悪かった。昨日よりもさらに顔から血の色が引いている。

 

「おいお前、大丈夫かよ」

 

「あっ、島波君・・・おはよ」

 

 水瀬の吐息は途切れ途切れだった。意識が正常にあるかどうかすら怪しいまである。

 

 俺は水瀬の額にそっと手を当ててみた。

 その温度は、人間の平常の温度よりもはるかに高い。言えば、高熱の部類だった。

 

「お前、やっぱり昨日から・・・」

 

「大丈夫だって、ほら、行かないと遅刻しちゃう・・・」

 

 そう言って水瀬は歩き出そうとする。しかしまっすぐ歩くことは不可能になっており、ついには力が入らなくなったのか、その場に崩れるように座り込んだ。

 

「おいっ! ・・・やっぱダメじゃねえかよ。無理するな」

 

「だって、さ・・・」

 

「・・・はぁ。今日はもう帰れ。というか、俺が連れて帰る。学校行って倒られたら保さんや夏帆さん、困るだろ」

 

 体調不良は自分一人の問題ではない。ましてや、ずっと体が弱く、両親を心配させてきた水瀬なら尚更。

 

 というか、こんな状態が続いているのなら二人がGOサインを出すはずがない。おそらく無理をしてでも学校に行こうとしたのだろう。

 

「・・・じゃあ、おぶってよ」

 

 水瀬は観念したのか、自分の身体を投げだした。年相応の男に自分の身体を投げ出すその行動にさすがに俺は驚いた。

 ・・・まあ、熱にうなされて気がどうかしているのだろう。

 

 何より病人であり、ここに動けるのは俺しかいない。それ以外に方法はなかった。

 俺は水瀬の軽い体を自分の背に乗っける。

 

 それからほどなくして安心したのか力尽きたのか、水瀬は背中で少々苦し気な寝息を立て、眠りについた。

 

 

 

---

 

 

 水瀬の家に辿り着く。当然のことながら鍵は閉まっていた。どうやら両親とも仕事らしい。

 しかし幸いなことに、水瀬のカバンの端の方に、なにやら金属の光沢を放つものを見つけた。鍵だった。

 

 背は腹に変えられないと鍵を取り出し、ドアに挿して回転させる。カチリと音を立てドアが開くなり、俺はすぐに入った。

 

 とはいえ、水瀬の部屋にずけずけと入り込むのは少々気が引ける。俺は客間に苦でないように水瀬を寝かせ、すぐに電話へと向かった。

  

 まずは学校へ欠席の連絡。幸い担任に取り合えってもらえたおかげで、こちらの方は事なきを得た。

 

 そしてそれが終わると、俺は漁協へと電話を掛けた。

 数度のコールの後、電話がつながる。

 

 出たのは、保さんだった。

 

「もしもし、水瀬だが」

 

「ああ、保さん。よかったです!」

 

「遥くんか・・・どうした?」

 

「いえ、あの・・・水瀬が学校に行く道中で倒れたので、その報告をしてます」

 

「・・・なんだって?」

 

 電話の向こうの保さんが動揺しているのが分かった。

 

「一応、意識もあったので、家に上がらせてもらいました。・・・すいません」

 

「いや、緊急だ。構わん。・・・それで、千夏はどうだ?」

 

「俺が分かることで言えば、結構な高熱くらいです。本人の口から頭痛だとかそういう弱音が聞けなかったので・・・。今、客間で寝ています。これって・・・」

 

「・・・単なる体調不良だろう。全く、無理をする」

 

 電話越しに情けなさそうな声が聞こえた。それが何に落胆したものなのかは分からない。

 

「・・・それで、この後どうしましょうか。俺は水瀬家の人間ではないので、あまり踏み入るのも」

 

「いや、いい。お前ならなんとかしてくれるだろうからな。俺も夏帆も少々立て込んでて様子を見るのは難しいかもしれない。・・・あいつの面倒、見てくれるか?」

 

「はあ、分かりました」

 

 頼みとあっては仕方がない。俺は覚悟を決めた。

 

「それじゃあ、今日はよろしくお願いします」

 

「ああ、頼む」

 

 電話が途切れて、俺はようやく一息付けた。

 ・・・さて、様子でも見に行きますかね。

 

 

---

 

「・・・ん」

 

 水瀬が目を覚ましたのは、家に運んでから二時間ほど過ぎたころだった。

 

 

「よっ、目を覚ましたか」

 

 無地のタオルを絞りながら俺は返事を返す。すると水瀬はガバッと起き上がってあたふたしだした。

 

「あ、あれ!? なんで島波君が家にいるの!? というか、なんで私」

 

 そんな風に言葉をまくし立てたが、まだ不完全な調子で元気に行動できるはずもなく、体を力なく布団に投げ出した。

 

「ったく、熱あるんだ。おとなしく横になってろ」

 

「・・・はーい」

 

 水瀬は抵抗する元気もないのか、気だるそうな返事を一度した。

 

「・・・ごめんね、迷惑かけちゃって」

 

「ほんとだよ。・・・まあ、あんなところで倒れられても困るし、見てしまった以上俺の責任問題になるだろ」

 

 水瀬がいなくなるなんて思うと、冷や汗が止まらなくて仕方がない。

 もう、何も失いたくない。その気持ちが根底にあるのだから。

 

「それに、ぶっちゃけ水泳サボれるのありがたい」

 

「意外とワルなんだね、島波君も。泳ぐのが嫌いとかそういうのじゃないよね?」

 

「当たり前だろ。じゃなきゃ今頃海の中で引きこもりだ。・・・苦手なんだよ、組織的な泳ぎとか、塩素濃度がキツイ水が。あと、準備運動とか」

 

 多分、光とかも同じ感想だろ。

 

 

---

 

~光side~

 

「っくし!」

 

 一瞬体が冷えたのか、はたまた誰かのうわさなのか、大きなくしゃみがでた。

 ・・・ってこれ、絶対遥だろ。

 

「大丈夫か? 先島」

 

「別に、ただのくしゃみだっての。それよりほら、勝負すんぞ」

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 

「俺らからすれば水の中で泳いだりとか呼吸したりってのが当たり前だからさ、それにいちいち体操なんていらないんだよ。分かるだろ?」

 

「あー、確かにね・・・」

 

 同じエナを持つもの同士、考えていることの共有は容易いものだった。

 

「はぁーあ」

 

 水瀬はだるそうに、退屈そうに腕を真上にぐてーっと伸ばした。

 

「・・・ところでさ、水瀬」

 

「何?」

 

「なんで今日、無理して学校に行こうなんて思ったんだ? こんな体調だ。無理をしようにも限界があるだろうに」

 

「・・・結構簡単な理由だけどね、せっかくだしついでに話しちゃおうか?」

 

「? 何をだ?」

 

 

「私の、病気の話」




前回は簡潔に終わらせていたシーンを、今回は少々深く掘り下げていきます。
まあ、このせいで時々迷走しかけるのですが。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第三十話 強くないから

この回地味に好きなんですよね。
オリジナル回も大切に。

本編どうぞ。


~千夏side~

 

 私の身体について、これまで何度か話してきた気がする。

 今回は、もう少しだけ、深く。

 

 本当なら誰にも他言はしない。でも、島波君になら、伝えてもいいと思った。それに今、こうして助けてもらった恩もあるし。

 だから今日、打ち明けてみることにする。

 

「私の病気の話、昔ちょっとだけしたよね?」

 

「どんなのかは知らないけど・・・、それで学校に行けなかったり、とか、そう言った話は聞いた」

 

「じゃあまず、どんな病気かから、だね」

 

 話の論点がまとまると、島波君は私にまっすぐな目を向けた。

 

「・・・みをりさんのこと、覚えてる?」

 

「覚えてるも何も・・・、あの人の異変を一番最初に見たのは俺だ」

 

「そうなんだ。・・・私の病気も、あの症状に近いんだ」

 

「つまり、心臓の病気ってことか?」

 

 私は一度首を縦に振った。

 

「発作っていうのかな。程度に寄るけど、一度発生したらひどいときは数日動けなくなったりもする。みをりさんのもきっと、こんな感じだったのかな。・・・けど、私の場合は長期的に、波みたいに襲ってくる感じなの。ただ、原因も、完治の方法も分かってないってことは、一緒かな」

 

 私自身がみをりさんのもとに立ち会ったわけじゃないけど、お母さんから聞いた話だと、この推測で間違いはない。

 

 私より辛そうな顔をした島波君をそのままに、私は黙々と語る。

 

「それでいて、完治の方法もなく免疫だけがどんどん下がっていくから、今日みたいに体調を崩すことがしばしば」

 

「そうなのか・・・」

 

「初めて異変が起きたのが、確か小学一年生の頃だったかな。これから学校生活が始まるって、そんな時だった」

 

「そんな出だしのタイミングで病気なんて・・・」

 

「うん。だから出遅れた。帰ってくるころには周りの人間関係出来上がっちゃってて・・・。いじめなんてものはなかったけど、やっぱり辛くてさ。それこそ、あの時美海ちゃんと出会わなかったら、どうなってたか・・・」

 

 思い出すだけで、胸がチクリとする。

 みんなもう、共にいて楽しいと思える人が出来てて、私は誰かの一番になれなくて。

 分かってても、孤独はちゃんと子供にも伝わる。

 

「あはは、前を向こうと思ってたんだけどね・・・、やっぱり、きつかった」

 

「それでもお前は、頑張ったんだろ?」

 

 島波君は真剣な顔つきでそう励ます。その言葉だけで、報われる気がした。

 けど、頑張るだけじゃどうにもならないことだってある。・・・今はその時。

 

「頑張ったよ。・・・でもね、まだ足りないの。私はまだ、全然動けちゃいない」

 

「そうか。・・・強いんだな、水瀬は」

 

 きっと、その言葉は心からの尊敬だったのだろう。

 ・・・けど、全然心に響かない。嬉しくない言葉だった。

 

 そんな言葉で褒められても、何も変わらない。これだけ頑張って、苦労して、だったら、幸せにならなきゃいけない。・・・きっとそこは、まだまだ遠くの世界だ。

 

 だから。

 

「ううん、そんなことない。・・・それに、強いなんて言葉で簡単に終わらせたくない」

 

 強いまなざしを島波君に向ける。私のその表情を見てか、島波君は少し萎縮したように、悪いと小声で呟いた。

 

「・・・これくらいだよ、私の話。結局、それくらいのものでしかない」

 

「そうか。・・・頑張れよ、水瀬」

 

「うん。・・・ねえ、もうちょっと寝ていいかな? まだ熱っぽくってさ」

 

 少々感情が籠ったせいか、さっきより調子が悪い。

 

「ん、ああ。長引かせて悪かったな。おしぼりの替え、いるか?」

 

「・・・ん、お願い」

 

「分かった。あとそうだ、晩飯とかどうする? 二人の帰る時間俺分からないんだけど」

 

「・・・遅くはないけど、頼める?」

 

「分かった」

 

 そして島波君は立ち上がって私の寝ている部屋をあとにする。

 その後姿に安心してか、私はそっと目を閉じた・・・。

 

 

---

 

~遥side~

 

 強いんだな。

 

 何の邪気もなく、ただ投げかけたこの言葉はどこかで水瀬を傷つけてしまった。

 

 同情でもなんでもない。俺はただ、水瀬にあこがれてたんだ。

 苦しい現実を真正面から受け止めて、それでも前に進もうとするその強さ。俺にはない。なくしたものだから。

 

 変えのおしぼりを用意するために一度部屋から出る。戻ってきたときには、水瀬は再び寝息を立てていた。先ほどより少し穏やかそうに見える。

 

「・・・あれ、俺よくもまあこんなことしてるな」

 

 声に出して気づく。一つ屋根の下、同学年の異性と二人きり。よくよく考えれば赤面案件だ。

 考えただけで顔が熱くなる。思春期真っ只中というのはこういうことだ。

 

「・・・と、とりあえず、やることはやったし、俺はどこか部屋の端の方でくつろがせてもらうか」

 

 これ以上余計なことを考えないように、俺は部屋の端の方で体育座りで仮眠を取ることにした。

 

 

---

 

 目覚めたのは、夕方の五時くらいだった。うん、いい時間だ。

 俺はすぐにキッチンへと向かった。そこで簡単なおかゆでも作ることにした。

 

 そして再び部屋に戻るころ、水瀬は目を覚ましていた。随分熱も引いたのか、顔色は大分よくなっていた。それでもまだ本調子ではないのが伺えるが。

 

「悪いね、ここまでしてもらって」

 

「まあ、状況が状況だしな。それに、苦でもないしな」

 

「さぼれたから?」

 

「それもあるし、それ以外もある。・・・とにかく、気に止まないでほしい。若干俺の独善的な行為でもあるんだから」

 

 そんな話をしていると、玄関のドアが開く音が聞こえた。足音の重さ的に、保さんだろう。

 

「ちょっと顔出してくる」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 水瀬に送り出されて、俺は一旦部屋をあとにした。

 

 部屋を出た先の廊下には、荷物の片づけをしている保さんがいた。

 

「お邪魔してます。・・・お仕事お疲れ様です」

 

「・・・ああ」

 

 保さんはネクタイを緩めて、改めて俺に目を向けた。

 

「・・・今日はありがとう。助かった」

 

「え、いや、こういう時はこうするのが常ですし・・・」

 

 保さんから発せられた感謝の言葉に、さすがに驚く。

 

「ところで、ちょっといいか?」

 

 保さんはそう言って、くいっと庭の方を指さす。

 

「え、いいですけど・・・」

 

 そう言って、俺は保さんについていくように、縁側へと出た。

 

 

---

 

 

「何度も言うが、今日はありがとな」

 

 二人して座った後、すぐ保さんが言った。

 

「ええ、それはいいんです。それより・・・」

 

 ここに呼んだのは、それだけが理由じゃないはず。俺はそう踏んで話を促した。

 

「ああ、特別他意はないんだ。ただ、お前とゆっくり話がしたかった。夏帆以外の海の人間と話す機会なんて、そうはなかったからな」

 

「そうですか。構いませんよ」

 

「そうか。・・・なあ、お前は地上が、陸が、この街が好きか?」

 

「好きですよ。もうずっと前から好きです」

 

「それなら嬉しいってものだ。・・・本当に、なんで海と陸は分かり合えないんだろうな」

 

 それは、鴛受け止めながら、俺は続ける。

 

「・・・お舟引きの中止、止めることは出来なかったんですか?」

 

「ああ。俺はこういっているが、他は違う。年を追うごとに関係は悪化。互いが互いを嫌い合ってちゃ、俺の小意見なんて切り捨てられてしまう」

 

「そうですか・・・。でも、そういう考えの人が陸にいて安心しました。ずっと仲たがいしたままの関係、嫌なので」

 

「俺もだ。・・・だから、この場を代表して謝る。・・・すまん」

 

「やめて下さい。・・・大丈夫ですから」

 

 この人は悪くない。誰のせいにするわけでもないが、そう言えた。

 

「・・・話は変わるが、学校での千夏の様子はどうだ? あいつも話してはくれるが、外から見たあいつの話を聞かせてほしい」

 

「学校での、ですか? ・・・そうですね。ちょっと大人しいなとは思いますけど、俺たち海の人間とも仲良くしてくれてます。ありがたいですよ、ほんと」

 

「そうか。それが聞けて良かった」

 

「だから・・・元気になってほしいですね。みんなでずっと一緒にいたいので」

 

 これが偽らない、俺の本音だった。

 

「そうだな。・・・さて、冷えてきたしなんだ、そろそろ入るか」

 

「いいですけど・・・、俺はそろそろ帰ります」

 

「そうか、気を付けてな」

 

 そして俺は帰る間際、最後にもう一度水瀬のいる部屋へと立ち寄った。見た感じ、もうずいぶんと回復しているようだった。

 

「おかえり。・・・あれ、もう帰っちゃうの?」

 

「まあな。というか、『もう』って俺今日一日中この家いたんだけど・・・」

 

「ふふ、冗談だよ。じゃあ、また明日ね」

 

「ああ。早く治してこいよ」

 

 そして俺はようやく、水瀬家をあとにした。

 

 

---

 

 

 一人海に身を沈めて考える。

 俺が言った、前に進みたいというのはどういうことなんだろうか。

 

 こうやって、誰かとの距離を縮める。それが、俺の言う一歩なんだろうか。

 

 

 その答えは、まだ出そうになかった。

 

 

 

 




一次創作に力が入りすぎるあまり、こちらの更新がおろそかに・・・。
あわわわわ。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第三十一話 繋がった輪の中で

個人的には、ここからの展開がかなり好きなんですよね。
書き換え後のここから先は、ぜひその目で確かめてください。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

「「

 

 

「「「で、出来たぁーーー!!!」」」」」

 

 歓喜の声が工作室中に響き渡る。あれから右往左往しながら、ようやくおじょしさまが完成したのだった。

 

 壁にぶつかるたびに人は強くなる。

 なんてカッコつけた言い方はあまり好きではないが、今回こそそう言えるだろう。だんだんと我は広がり、気が付けば陸と海の垣根はとっくになくなっていた。

 

 今回のおじょしさまは人生で見た中でなかなかのできだろう。俺の知る中ではトップだ。

 

「こ、これは・・・いい出来だよ! よく頑張ったね!」

 

 先生は目を輝かせていた。

 この先生は、生徒を引っ張ることこそうまくはないのかもしれないが、生徒と足並みを揃えるのが上手なのだろう。

 だからこそ、みんなでここまで頑張れた。堅苦しい言葉なしにしても、嬉しい。

 

「これも美海と私が来たお陰だな!」

 

「うるせえ! お前の言えることじゃねえだろ!」

 

 調子に乗るさゆを、光が懲らしめる。

 それは、一度おじょしさまを壊したやつと、怒りっぽいリーダーの会話には到底思えなかった。

 

「しかし、これはまあなかなかの出来だよなぁ・・・」

 

 自分たちで作っておいてなんではなるが、思わず声が出てしまう。

 そんな独り言を拾ったのは水瀬だった。

 

「今まで何年もおふねひきを地上で見てきたけど・・・ここまでクオリティが高いおじょしさまはなかったよね」

 

「ああ、クオリティが段違いだな!」

 

 狭山もいつになくテン上げに声を上げる。

 

 そんな中で、先生が呑気な声を上げる。

 

「そうだ! みんな、アイスを奢ってあげるよ! ホームランバーがガリレオ君、どっちがいい?」

 

「えー、両方安いじゃん!」

 

「しょうがないだろう? こんなにいっぱいいるんだから」

 

 とはいっても、この人は労働に対しての対価をちゃんと払ってくれる。前に至ってはラーメン奢ってくれそうだったしな。

 まあ、単に奢りたいだけなのかもしれないが。

 

 どこからか声が飛ぶ。

 

「先生、プールもなくなるほど寒いのに、アイスはないと思います」

 

 その正論を受けて、先生は肩をすくめる。

 確かに、ここ最近やけに寒い。夏なのに、最高気温が体感20度ない日もある。はっきり言って異常だ。

 

 横にいた水瀬が、俺に耳打ちする。

 

「確かに最近、肌寒いよね?」

 

「ああ。・・・なんか嫌な予感がするけど・・・。いや、考えすぎだな」

 

 仮にそれを知ったところで、俺には何も出来ないから、この話はやめておこう。 

 俺は改めて目の前のおじょしさまに目を向けた。細部こそ学生ならではの粗さが少々目立つが、全体的な目で見るとやはりクオリティが高いだろう。

 

 そんな俺の付近で、まなかと紡が共に声を上げた。

 

「「お舟引き、やりたいな」」

 

 周りの声が凍り付いたようにシンとなる。

 それからこぞってあちこちで茶化しの声が上がった。

 

「・・・被った」

 

「おうおう、仲いいねお二人さん」

 

「どこまでやってる? いっちゃってる?」

 

 あちこちから茶化しの声を受けて、まなかの顔がどんどん赤くなっていく。光も、耐えてこそいるもののうずうずしているようだ。この状態は少し良くない。

 割って入るように、俺はまなかに問う。

 

「はいはい、茶化すのはいいから。・・・それでまなか、お前はどうしたいんだ?」

 

「えっと、だからお舟引きをやりたいって・・・」

 

「いや、そうじゃなくて・・・。まあいいよ」

 

 とりあえず、揺るがない熱意があるのは確かだった。とりあえず話をそこで切って、俺の言葉で書き換える。

 

「つまり、今まで、いや、今まで以上の大掛かりなお舟引きをやりたいってことだろ?」

 

「う、うん」

 

「なるほどな・・・」

 

 正直、難題な話ではある。

 陸、ましてや海双方から『やらない』と声が上がっている中で、たかが一中学校からの声明が果たしてどれだけ生きるだろうか。

 

 ・・・けれど、それが諦めていい理由にはならない。

 

「紡も、そう思ってるんだな?」

 

 俺の問いかけに対して、紡は一度うんと頷いた。

 

「俺も、昔のようなお舟引きがしたい。昔は汐鹿生と鴛大師で、すごいお舟引きをしてたってじいちゃんに聞いた。それを俺たちで、もう一度みんなでやりたい」

 

 しかし、現実は残酷だ。それを俺たちが一番分かっている。

 

「でもね~、そうはいかないんだよ・・・。みんなも知ってると思うけど、お舟引きがなくなったのは海と陸の喧嘩だからねぇ・・・」

 

 先生の残念そうな声。

 意地と意地がぶつかり合って、互いに分かり合おうともせず、それが対立へとなって今がある。俺たちの声でそうそう変わるものではない。

 

 俺も、お舟引きをやりたい。ここにいる誰よりも思っている。

 けれど、目の前の壁を前にして、一歩踏み出せないで・・・。

 

 そんな時、光が叫んだ。

 

「やろう! お舟引き!!」

 

「でもねぇ光、それには陸と海の協力がないと出来ないんだよ」

 

「だったら説得すりゃいいんだよ! 頭でっかちな大人連中の考えをぶっ壊してやらぁ!」

 

 そして勢いのまま、光は紡を思い切り指さした。

 

「汐鹿生の連中は俺が説得する! だから紡! 陸の連中はお前がリーダーになって説得してくれ! そんでもって、俺たちでお舟引きをやるんだ!」

 

 先生の困った顔をよそに、教室内の士気が格段に上がる。みんなの気持ちがまとまっているからこそだ。

 光の言葉には、みんなをまとめる不思議な力がある。

 

 けど、言葉が足りないのは相変わらずだ。そこでサポートするのが、俺の役目だ。

 

「そうだな、やろう。お舟引き」

 

「遥まで・・・」

 

「先生、子供にも意地ってものがあるんです。精一杯の反抗期、見せてやるんですよ」

 

 不敵な笑みを先生に向けて、光の言葉を付け足した。

 

「さて、お舟引きを本気でやるならまずは交渉の場を設けるところからだな。・・・喧嘩してるとは言えど、みんながみんなそうじゃない。まずは署名だ。みんなの声を集めりゃ、取り持ってくれるだろうさ」

 

 保さんや、至さんだっている。

 あの人たちみたいな考えの人だっているんだ。そんな人たちの思いを無駄には出来ない。

 

「海の連中は正直みんな頑固だからな・・・。光、骨が折れるぞ?」

 

「分かってらぁよ。けど、やんなきゃダメだろうが」

 

「ああ。やらないとダメだ。・・・頼むぞ」

 

「任せとけ!」

 

 乗せられて、光は元気よく腕を組む。どこからその自信が満ち溢れてくるのかは知らないが、行動力は確かだ。仲間なんだ。信じよう。

 

 先生はため息を吐くが、心のそこでは俺たちに期待しているのか少々笑みが零れていた。この人も、どうにもならないことを分かっていながらどうにかしたい人なんだ。

 

 だから・・・そんなみんなの思いを、絶対に叶えたい。

 そうすることで、一歩進めるなら。

 

 

---

 

 

 帰り道、今日はまっすぐ家に帰ることにしたため、俺は光と二人並んで歩いていた。

 

「なあ遥、なんでお前、俺の意見をすんなり認めてくれたんだ?」

 

「なんだ藪から棒に」

 

「いや・・・。いつものお前なら、大体文句の一言二言から入って大体ケチをつけてたからさ」

 

「お前は俺を何だと思ってるんだよ・・・」

 

 そんなにくどい人間ではないと俺は信じている、

 

「・・・俺もお舟引きをやりたい、そう思ったから賛同したんだよ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「なんか理由でもあんのか?」

 

「大したことじゃないけどな・・・。俺は、陸が好きだからな。海と同じくらい。今までも、これからも。だから、繋ぎ留めたいんだよ、陸と海を」

 

 それに、嫌な予感が加速しているから、あまり時間がないかもしれないから。

 言いたい思いはまだあったが、光の不安感情をあおりたくないので俺は黙っておいた。

 

「・・・んじゃ、成功させねえとな。がんばろうぜ」

 

「ああ」

 

 そして光はその場から海へと飛び込んでいった。

 後を追うように俺も海へと飛び込んでいく。

 

 

 あがいてもあがいても溺れそうなほど、無理難題の待ついばらの道へと。

 

 

 

 

 




やはり人物像の歪曲が気になる・・・気になる。
あまり変えすぎても前作の本筋に影響が出ちゃうので、そこら辺の兼ね合いが難しいですね。
リメイクと言っていますが、結末を大きく変えるつもりはありません。
ただ、その道中のエピソードや小話、そう言ったものをここから増やしていこうかなと考えております。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第三十二話 小さな歩幅、進む日々

かしこまらない前書きって書く内容が無さ過ぎて困るんですよね・・・。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 それから、海、陸と各々で準備を進めた。その進行度はまとめきれてないが。

 そうした中で、今日は陸で全員そろって署名活動を行うことにした。

 

 一番人通りが多いであろうさやマート付近に張り、署名の準備をする。

 

「・・・さて、一通り揃ったし、始めますか」

 

 机の上でビラをトントンと鳴らして整理し、署名の紙をバインダーに留める。その後目で光に目線を送った。

 

「準備出来てるか?」

 

「おう!」

 

「んじゃ、始めようか。遥」

 

 紡の号令で、話が俺に振られる。一つ咳払いして、俺は今回の内容を話し始める。

 

「ああ。・・・さて、海勢諸君、分かってると思うが夏だ。熱いぞ。と言うわけで、頑張りすぎるのもいいが適宜休憩を、できれば交互に取ろう」

 

 先日の心配が嘘のように、今日は日にガンガンに照らされて、あついのなんのの状態だ。

 

「状態が良くないなと判断したら自分で休んでくれ。とりあえず、ここで倒れられたら本末転倒だからな」

 

「分かった。・・・それで、署名はここらへんでやる、ってことでいいのかな?」

 

「ああ。そもそも鷲大師も言って人が多いわけじゃないからな。ピンポイントで絞らないと逆に数を集められない可能性もある。まあ、そこらへんは追々考えよう。各々方、質問は?」

 

 俺の問いかけに反応する声はなかった。

 

「・・・よし、それじゃあ始めよう」

 

 

---

 

 

 それから時間は経って今は昼下がり。あれからというもの、紙が捌けていないわけではないが、状況が良いかと言われれば微妙なラインで動いていた。

 ただ、署名の方はなにやら順調に言っているのか、俺たちのもとに立ち寄る人がそこそこいた。

 

 ・・・これが、陸の人間の総意ならありがたかったんだけどな。

 

「お舟引き、やりまーす!」

 

「お、お舟引き、やります!」

 

 ちさきと要が木陰で休憩している中、今は光とまなかが二人で前面に出て活動している。

 光は当然ながら、まなかがここまで声を張れるとは思ってもいなかった。・・・それだけお舟引きに強い思いがあるのだろうか。いつも誰かの背中に隠れて、みんなの中で一番臆病だったあいつが、こうも生き生きと行動している。

 

 ・・・いや、今までも、一番行動力があったのはまなかだな。言うにも失礼と言うものだろう。

 

「・・・と言っても、ここまで頑張るまなかは初めて見たかもな、なんて」

 

 小声で呟いたつもりだったが、その言葉はしっかりと隣の美海に聞き拾われていたようだった。

 

「そうなの?」

 

「・・・ああ。昔から、あいつはカクレクマノミみたいな存在だったからな。・・・だからこう、なんだろう。変わったのかな、あいつも」

 

 なんて、それは誰も分からないけど。

 

「タコスケー! やるーー!!」

 

 十分休憩を取ったのだろう、美海のその向こうに座っていたさゆが立ち上がり、光のもとに駆け寄ってビラを受け取る。さゆが先ほどまで座っていたところに代わりに座ったのは水瀬だった。

 

「ふぃー・・・休憩休憩」

 

「お疲れさん。あまり無茶するなよ。この間だって体調崩してたんだし」

 

「分かってるよ。誰かに迷惑かけるの、やだしね」

 

 水瀬はこちらに微笑みかける。その笑みが偽りでないのは分かった。おそらく、本当に無理はしてないのだろう。

 

 そして、場が一瞬静まり返る。その静寂を切り裂いたのは、先ほど飛び出ていったさゆの、息を吸う音だった。

 

「ご・きょ・う・りょ・く・く・だ・さ・痛っ!!」

 

 ・・・うるせえ!

 

 最初の一言聞いた瞬間、思わず鼓膜が破れるかと思うくらいには大きな声だった。今でも鼓膜がビリビリする。

 途中で光が静止してくれたおかげで、全て聞かずにすんだが。

 

「お前は人を脅してどうすんだよ!」

 

「い、痛い痛い!!」

 

 本人も悪気はなかったようだ。その純粋さに、思わず苦笑いを浮かべる。元気なのはいいことだが、元気だけよくても意味はない。

 まあ、真面目な行いに文句は言わないけど。

 

「光、その辺にしといてちょっと行動範囲広げてくれ。この様子だったら、もう少し広げて活動した方が効率いいかもしれない」

 

「そうか? 分かった。まなか、行くぞー」

 

 近くにいたまなかも動員して、光は俺たちの視界の奥の方へと動いて行った。その穴を補填すべく、今度は俺が立ちあがる。

 

「うし、そろそろ休憩終わりますかね!」

 

 さゆも元気よくビラを配り、俺より先に動き出した美海も小さい声ながら頑張ろうとしている。ここでリーダー面して動かないなんて、カッコ悪いの極みだ。

 要も要でありとあらゆるマダムを口説き落とし・・・失礼、説得している。対女性においては要がダントツだろう。

 

 まあ、そんなのはどうでもいい。俺には俺のできることを。

 ただ、それだけを。

 

 

---

 

 

~千夏side~

 

 みんなが動いている中で、私は木陰で休憩。

 自分の体調を鑑みると、それが最善策と分かっていても、もどかしかった。私だけ置いてけぼりにはされたくない。

 

 そうしていると、私との距離をつめるように、ちさきちゃんが隣に座った。

 思えば一対一で話すことがあまりないから、ちょっと緊張する。

 

 けれど、そんな私を気にすることなく、ちさきちゃんは話しかけてきた。

 

「みんな頑張ってるね」

 

「うん。・・・お舟引きをやりたいって気持ちは、みんな一緒なんだと思う」

 

「光なんて、こっちから願い下げだ! みたいにカンカンに怒ってたんだけどね」

 

「そうなんだ」

 

 私の知らない海の話。

 ちょっぴり憧れて、ちょっぴりうらやましくて、妬ましい。

 

「・・・でも今はこうして、陸の子たちとも仲良くできて、光やまなか、・・・遥も楽しそうにしてて、すごく嬉しい」

 

「ちさきちゃんは、どうなの?」

 

「私? 私も一緒だよ。・・・ずっとこのままでいたい。みんなでこうしていたい。変わりたくないって思っちゃ位に、今が楽しい」

 

「そっか。嬉しいな」

 

 届くことはないと思ってたところとの距離が詰まって、今こうして話していられる。

 妬ましい、なんて言っても、やっぱり嬉しいものは嬉しい。

 

 そんなことを思ってると、ちさきちゃんは遠く誰かを眺めながら、ポツリと呟いた。

 

「・・・でも、みんな先に行っちゃうの。なんだか、寂しいよね」

 

 そしてやっと、その視線の先に映っているのが島波君だと気づいた。

 

「・・・島波君の事?」

 

「・・・うん。別に、本人は何も気にしてないかもしれないけどね。・・・遥だけ一人、陸との交友を持つのが早かった。だから、陸で仲良くできる人が多くて・・・。そうして、遥が遠ざかっていくの、見ててちょっと辛いの」

 

「・・・それが、変わるってことなの?」

 

「分かんない」

 

 ちさきちゃんの顔を覗き込む。憂いと哀愁と、何かに満ちた顔だ。

 そして、その奥にある感情が見える。

 

 ・・・これは。

 

「島波君、かっこいい?」

 

「えっ!? 何、急に?」

 

「ごめん、なんでもない。・・・なんでも、ないよ」

 

 ちさきちゃんが顔を赤くする。それにつられてかつられずか、私の顔も赤くなっていった。

 我ながら、大胆なことを聞いたものだ・・・。

 

 

 ・・・けど。

 そうして赤面してしまうくらい、島波君のことが頭にあるのも、事実だ。

 

 

---

 

~遥side~

 

 作業は、時が過ぎるごとにどんどん順調になっていく。

 そうした中、休憩になったのかさやマートからあかりさんと、どこからか至さんが出てきた。

 

「へぇ、結構やってるんだね」

 

「こうでもしないと話になりませんからね。ダブルミーニング」

 

 ドヤ顔であかりさんの方を向いたが、その話題はスルーされた。

 

「光が言い出した時は一体どうするつもりだ、なんて思ってたけど・・・、うん。この様子なら問題なさそうだね。遥くんもいるし」

 

「買いかぶりすぎですよ・・・。俺だって、まだ、ただの14歳ですからね?」

 

「その14歳がこうして大人に対抗しようと段取り組んで行動してるんだから、大したもんだ」

 

 嫌みっ気なく、あかりさんが言う。その表情にある安堵を見る限り、他意はないのだろう。

 

「おーいあかり、署名してくれよー!」

 

 遠くでの作業を一旦やめて光がこっちに駆け寄ってくる。

 

「はいはい焦んない。ちゃんと書くから」

 

「そうだ、遥くん。僕に出来ることはあるかな?」

 

「そうですね・・・。今日、取り急ぎの話ではないですけど、漁協内のお舟引き賛成側を集めてサポートに徹してくれませんか? 会議の場が設けられることが第一目標なので」

 

「分かった。約束するよ」

 

「あとは・・・なるようになる、か」

 

 小さな一歩を積み重ねて、俺たちは進んでいく。

 交渉の席がどれだけ遠くても、カードが劣悪でも諦めない。

 

 

 例え道行く先が苦難の連続であっても、ここまできた証を、誰もが無駄にしたくないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はてさて時が流れるのは早いもので、作者は大学生になりました。
ちょうど前作を書いたのが高校二年のGW前。そこから半年の旅でした。

そう考えると、結構なことやってるんですね、私も。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第三十三話 それでも僕らは、分かり合えなくて

個人的に好きな回を聞かれたらこの回はトップテンに入ります。
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 それから数日、署名を多く稼いだことが実って、会議の開催に辿り着くことに成功した。

 光の方は灯さんともめにもめたそうだが、そこはあかりさんの尽力もあり、なんとかたどり着いたようだ。

 

 陸も陸で一苦労したそうだが、ここは有志の数が多かった分、簡単に説得で来たらしい。そこには至さんや、保さんの姿もあった。

 

 そして今、海と陸の代表がそろって卓についている。当たり前のようで、当たり前とは程遠い光景を、俺は室内から見ていた。

 

 卓には海側の代表が三人、陸側の代表が三人。海側の席には、当然のことながら灯さんが座っていた。この場に保さんがいないのは気がかりだが。

 

 そして、窓の外には制作にかかわったほとんどの人が待機していた。全員で話し合いができるならそれでいいのだが、バチバチの対立関係にある大人の間に、子供を混ぜるのは危険すぎる。代表して俺と光、紡と水瀬が部屋に入っている。

 

「で、ではー・・・始めましょうかねぇ・・・?」

 

「先生ビビりすぎだろ。もうちょっと堂々としてくれよ」

 

 はっきり言って、頼りない。

 そうは言っても俺たちはまだ無力な子供だ。頼りにしたい大人がこうであっては困るのだ。

 

 そんな震える声で、先生は司会を始める。

 

「それでは、中止になったお舟引きについてですが・・・」

 

 先生の声に合わせて、光が威勢よく机に署名の紙をバンと貼り付けた。

 

「ここに署名がある。俺と遥、波中のみんな、そんでもって手伝ってくれた陸のみんなで集めたんだ。それに、そこのおじょしさま、あれ作ったのも俺らだ! 俺たち海の子供と陸の奴らで協力して作ったんだよ!」

 

 光は大人に屈しない、強い口調で言い放つ。

 その言葉に追従するように、俺も自分の意見を述べた。憎まれても責めるなら今しかなかった。

 

「これが子供が頑張って生み出した協力の結果です。・・・大人の事情がどんなものかなんて子供達には分かりません。ですが、子供に出来て大人にできない、それって子供に示しがつかないんじゃないですかね?」

 

 とりあえず言うだけ言って次の言葉を待つ。

 そんな俺の意見を聞いてか聞かずが、漁協の人たちはおじょしさまを見あげ、おぉ・・・と小さく声を上げた。海の人間の態度は相変わらず冷たかったが。

 

「これはすげえな・・・。誰が彫ったんだ?」

 

「それに、供え物もちゃんとしてらぁ。子供が作ったものにしてはクオリティが高よなぁ・・・。数年前のあれにはかなわねえが、これは立派なもんだ」

 

「俺らが作った時、こんなに上手にできてたか?」

 

 あちらこちらで感嘆の声が上がる。それだけでやってきた価値があると思えた。

 けれど、それだけじゃ終われない。終わりたくない。

 

「そのおじょしさま、遥が作ったんだぜ」

 

 光が鼻を鳴らして、誇らしげに言い放つ。その言葉に反応したのは灯さんだった。

 

「ふむ、お前がか、遥」

 

「ええ。なんて言っても、俺一人で作ったんじゃありません。協力あってこそです。・・・これを見て、何も感じないんですか?」

 

「ふむ・・・」

 

 灯さんは腕を組んだまま黙り込む。

 

「えっとー・・・、まあ、生徒たちも頑張っているという事ですし、どうですか皆さん? ここは陸と海でのお舟引きをやるというのは・・・」

 

 先生の言葉で、場に少しの沈黙が流れる。

 そして、陸の大人連中はお互いに顔を見合わせた。そして意見がまとまったのか、ポツリと言いだす。

 

「しゃあねえな。こっちとしても、お舟引きはやりたかったんだ」

 

「おうよ。海で仕事する人間たるもの、神様を疎かにはできねえしな」

 

 その言葉に呼応してか、海の人間も声を上げた。

 

「坊主どもがここまで作り上げたんだ。灯さん」

 

「こっちも、過去のことは水に流そうや」

 

 海の人間は灯さんに提案する。しかし、灯さんはというと黙ったままだ。

 けれど、灯さんの言葉より先に、言葉を発したのは陸の人間だった。

 

「・・・んじゃ、はよせんか」

 

「なんや?」

 

「そんなの決まっとるやないか。謝罪や。謝罪」

 

 下卑た笑いを浮かべた陸の大人連中が海の大人に謝罪を促す。当然、激昂しないはずがなかった。

 

「・・・はぁ!? なんでそんなもんこっちが・・・! 大体、やらん言い出したのはお前らやろうが!」

 

「ぬかせ! 大体、数年前に海側が言い出したんだろうが!『金がないから規模を小さくしてくれ』なんて、ふざけてるのはどっちや!」

 

 双方机から身を乗り出し、本気の怒声で喧嘩を始める。止めようにも気圧されて先生は行動できず、光も硬直している。水瀬や紡もどうにかしようとしていたが、どうにもできないでいるのが現状だ。

 

 

 ・・・ああ、なんて。

 なんて、醜いんだろう。

 

 過去の因縁が、今の軋轢が、互いに手を取り合う可能性すら潰すというのか。

 海と陸、決して結ばれることのない両者。

 

 なら。

 

 『どちらでもない』俺が、敵になればいい。

 

 

 そんな安直な考えで、俺は両者の間に入ってまずは陸の人間を睨みつけた。

 

「なんや? ガキはすっこんでろ!」

 

「・・・まだ分かんねえのかよ。なあ・・・」

 

「あ!?」

 

「みんな見てんだよ・・・。子供が何も知らないからって、それを無下にして・・・。てめえら大人はそうやって!! 何も学ばないで生きてくだけなのかよ!!」

 

 地面を一度、ダンッと踏みつけて精一杯の威嚇を行う。

 

「お前ら大人は、子供に何を伝えてえんだよ!? さっきも言ったよな!? 子供に出来て大人にできないことがあってどうするんだよ! 何のために早く生まれたんだよ! あぁ!?」

 

「黙ってりゃいい気になりやがって! このクソガキが!!」

 

 耐えかねた陸の大人の一人が俺の胸倉をつかみ、そのまま壁の方へ投げつける。

 どうすることもできず、俺はただ、コンクリートの壁にたたきつけられた。

 

 つぶれそうなくらい肺が痛む。呼吸が苦しい。遠くから俺の名を叫ぶ声が聞こえるが、そんなことはどうでもいい。脳は恐ろしいほどに冴えている。

 

 まだ、言い足りない。

 

「・・・てぇな。痛えなぁおい。気に食わないことがありゃそれだけですぐ暴力かよ」

 

 呟くと、再び殴られる。ごつごつしたその手がクリーンヒットしてしまえば、顔が腫れるのは避けられなかった。

 それでもまだ立ち上がる。

 

 俺が説教をかましたいのは、何も陸の人間だけじゃない。

 ・・・お前らなんだよ、海の大人連中。

 

「・・・おい、何黙ってぼーっと見てんだ、海の大人連中。・・・あんたらも同罪なんだよ、俺たち子供の立場からすればなぁ!!」

 

「なっ、てめぇ!」

 

「因果? 軋轢? 掟? どうでもいいんだよ! なんでもかんでも陸のせいにしてりゃそれで済んで、生き方の自由さえ奪おうとして! 分かんねえのかよ! 俺たちはもう、とっくに気づいてるんだよ!!」

 

「黙れや小僧が!!!」

 

 畳みかけるように二人の大人が壁に寄り掛かっている俺の方に殴り込みに来る。けれど、抵抗する気力など最初からなかった。

 そして俺は、殴られるべくして殴られる。蹴られるべくして蹴られる。

 

 当たり所が悪かったのか、足の方から嫌な音が聞こえる。それでも痛覚が鈍感になっていただけましか。

 

 体が壁にたたきつけられて三度目になるころ、いよいよ意識の限界が来た。

 

 遠くで光の怒声と、水瀬の悲鳴が聞こえる。遠目に紡がおじょしさまを守ろうとしているのが見える。光は何度か俺を庇おうと近づこうとしたが、俺はそんな光を精一杯にらんだ。

 

『お前まで犠牲になる必要はない』

 

 この咎を受けるのは、俺一人でよかった。

 

 

 しかし、そんな防戦むなしく、投げ飛ばされた俺の身体が運悪くおじょしさまに当たってしまった。そのままおじょしさまは折れてしまう。

 

 そんなおじょしさまに目を向けて、空虚な目を灯さんは光に向けた。

 

「・・・これで満足か?」

 

 

 その時、俺の何かが切れた気がした。

 

「て・・・めぇなぁ・・・!!!」

 

 よろめく体で立ち上がる。防戦と言っておきながら、目の前の大人一人殴り飛ばさなければ気が済まなかった。

 

 けれど、そんな俺だったが次の言葉で体は止まった。

 

「・・・俺たちは、何をしているんだろうな」

 

 灯さんが残念そうに呟く。その目の奥はどこまでも寂しそうで、寂しそうで。

 

 そして動くのをやめた瞬間、俺の身体は崩れ落ちた。

 

 いまだに生きている聴覚が外から近づいてくる音を拾う。誰かが、この場所に入ろうとしている。様子を伺おうと前々から話していた至さんだろうか。だとすると危険どころじゃない。

 

 俺は水瀬にアイコンタクトを送った。できるなら、止めてほしいと。

 水瀬は俺の視線を受け取って、ドアの外に向かった。

 

 けれど水瀬は、その人物を止めることなく、中へと入れた。

 

 

 入ってきたのは、保さんだった。

 




感情表現をセリフで書くのって難しいんですよね。
避けては通れない道なので頑張りますが。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第三十四話 絶望の雨中で・・・

この回も好きです。(当社比)
と言うわけで、本編どうぞ。


~千夏side~

 

 それは、一瞬だった。

 私たちが手を取り合って作り上げたおじょしさま。それがあっけなく壊されたのは、ほんの一瞬だった。

 

 なんでこうも、うまくいかないんだろう。現実は非常だ。

 

 大人は口をそろえて言う。大人には、大人の事情があると。

 でも、決して公表されることのないその事情に任せて、このカタチを壊していいんだろうか。

 

 ・・・いいはずがない。

 

 なのに、それを分かっていながら私は何も言い出せなかった。何も出来なかった。

 そんな私の思いまで背負ってか、島波君は一人で大人を全員敵に回した。私たち子供の不満を爆発させて。

 

 けれど、一方的に殴られて、蹴られて、それだけ。

 

 なんとかして止めさせたかった。こんなこと、間違ってるって。

 けど、足が竦んで動かない。震えてしまって声が出ない。私まで殴られるかもしれない。・・・そんな不安のせいで、私は動けない。

 

 それに、私を何より止めようとしたのは、紛れもない島波君本人だった。

 

 ボロボロになってるのに、平気そうな顔で私の方を見る。

 ・・・やめてよ。そんな顔されても、笑う事なんてできないよ。

 

 あちこち腫れている。呼吸も乱れて苦しそうで、足だって異様な膨らみ方をしてる。ひょっとしたら折れてるかもしれないのに、なんで・・・。

 

 やがて、海の大人の一言で島波君への暴力がやむ。その時、足音が聞こえてきた。

 島波君からアイコンタクトを受け取って、私はドアの方へ向かう。

 

 そして、そこから入ってこようとする人を止めようとした。

 けど、止めれない。

 

 だって、そこにいたのは・・・。

 

「お父さん・・・!?」

 

 

---

 

 

~遥side~

 

ドアが開く。そこにいたのは、今日ここには来れないはずの保さんだった。

 

「・・・おい、これはどういう状況だ?」

 

 乱れに乱れた部屋、殺伐とした空気、そしてボロボロになった俺を見て、保さんはそう吐いた。

 落ち着いた声音。しかし、その奥の怒気を感じないものは誰一人としていなかった。

 

「えっと、その・・・」

 

「・・・」

 

 保さんは漁協の中でも上役の立場なのだろう。会議に参加していた大人はこぞって返答に濁った。

 

「・・・やはり、任せるべきではなかったな」

 

 残念そうに保さんは呟く。そして俺の下へと歩み寄ると、腰をかがめてそっと手を伸ばした。

 

「・・・立てるか?」

 

「・・・ええ、まあ・・・。・・・っ!」

 

 アドレナリンが切れてしまったのだろう、体のあちこちが鋭い痛みを発した。特にひどいのは足で、立ち上がった瞬間張り裂けるような痛みに見舞われた。

 

 苦悶の表情をしていたのか、保さんはそれを読み取って俺に肩を貸す。

 

「・・・すまんな」

 

「いえ。・・・今はとりあえず、ここをあとにしましょう」

 

 そう、全て終わったのだ。

 ・・・今は、ここにいる意味はない。

 

 

 そして俺は保さんと共に外に出て、車に乗せられた。助手席に水瀬も乗り込む。

 間もなく車は漁協をあとにした。誰も幸せにならない絶望のみを残して。

 

 

---

 

 

「・・・何が、あった?」

 

 車は降りしきる雨を切り裂いて進む。車内の会話も暗いものだった。

 

「まず、俺たちのやってきたことの報告を、したんです。・・・そこまではよくて、雰囲気も、穏やか、とはいきませんでしたが、嫌悪でも悪くなくて」

 

「それからか」

 

「ええ・・・。陸の代表が、謝罪を、要求して・・・。それで、一触即発の危機になって・・・。・・・大人同士の殴り合いは、今後さらに対立を生む。・・・そう思って、俺は仲裁に入ったんです」

 

 果たして、あの行動を仲裁と呼べるかどうかは分からない。

 どちらかと言えば、俺自身が一方的に敵になる道を選んだのだから。

 

 ・・・多分、これからは肩身の狭い思いをするようになるだろう。覚悟はしていたが、そう考えてみるとやはり辛いものはある。

 

「・・・変われないのか、俺たちは」

 

「・・・少なくとも、今はまだ、難しいかも、しれないですね・・・」

 

 なんせ、互いが互いを知ろうとしない。妥協も、思いやりもなくて。

 互いに事情があるのは分かる。けれど、それを抱え込んだままで正義とみなして。

 

 ・・・本当に、醜い世界だ。

 

「・・・それより、本当に大丈夫か?」

 

「大丈夫、・・・って、普通なら言うんですけどね、ハハッ。・・・ちょっと、きついかもしれないです」

 

 それは決して、体の事だけではなかった。

 果てしない失望と、無力さを思い知った。涙こそ流れないにしろ、メンタルももうだいぶやられている。

 

 今だけは、前を向ける気がしなかった。

 だから、今は何も考えないことにする。

 

 今までも、辛いときはそうしてきたから。

 

 

---

 

 

 車が向かったのは病院だった。

 救急車を動員させるとことが大きくなる。それを避けたいというのが俺と保さん、双方の見解であった。

 

 けれど、この怪我は保健室で済むような怪我とは違う。かなり大きな怪我だ。

 病院内で一通りの検査を終わらせる。そして俺は診察に向かう。

 

 診察室では、まだ若手のような医者が待っていた。

 

「・・・さてと、先に自己紹介しとくか。俺は藤枝大吾ってんだ。一応、お前の担当医ってことになってる。よろしくな、島波遥」

 

「あ、はい、よろしくお願いします・・・」

 

 初対面にもかかわらずため口と言うのが凄いというものだ。まあ、どうでもいいが。

 

「さて、ここでささっと診断結果を話すのは構わんが、ちょいとお前の勘ってのを知りたくてな。・・・お前、自分の身体が今どうなってると思う?」

 

「はぁ・・・? ・・・そうですね、足は多分いってますねこれ。多分ヒビくらいで済んでるかもしれませんが。後はせいぜい打撲、内出血ってところですか?」

 

「ヒュウ。やるじゃねえか。100点満点だ。お前医者目指さないか?」

 

「とぼけないで進めてくださいよ。待ってる人もいるんですから」

 

「はいはい。・・・外傷は今言った通りだ。主立ってるのは足。ヒビとは言ったけどまだ軽い方だな。つって、当分はギブス固定してた方がいいけどな」

 

 混じりけのない表情で先生が話す。俺はただ唾を飲んでそれを聞くだけだった。

 

「期間は、どれくらいになりますか?」

 

「最低一週間。外せねえ用事があるなら、無理することも構わねえが、その分のリターンは・・・分かってるよな?」

 

 要約すれば、無理した時の保証は出来ない、という事だった。

 それでも、その程度で済んだだけマシと言える。ぽっきりいかれてたら、いよいよどうもできない。

 

「杖は貸し出す。使わずに歩けるくらいになったらもう取っていいが。あとは鎮痛剤でも適当に出すから、痛けりゃ飲んどけってくらいだ」

 

「そうですか」

 

「あと一つ。・・・固定している期間は海に帰れないから、注意しておけ」

 

「っ・・・。分かりました」

 

 非情で、残酷な宣告。

 それを受け入れなければならないのが、何よりも苦痛だった。

 

 どんどん、居場所がなくなっていく・・・。

 

 

---

 

 

 

 外に出ると、水瀬と保さんが待っていた。

 

「・・・確認するが、診断結果はどうだった?」

 

「あちこちに打撲、内出血、それと足にヒビ、らしいです。軽いのが幸い、だそうです。顔も目立った傷があるわけでもありませんし」

 

「そうか・・・」

 

 保さんはそれ以上何も言えなかったようで、そのまま黙り込んだ。水瀬はさっきからずっと俯いたまま動かない。

 

 と思いきや、水瀬はバッと顔を上げた。目にいっぱいの涙をため、心の底から叫ぶ。

 

「バカじゃないの!? あんな無謀なことをして、自分だけ傷ついてそれでいいって終わらせようとして!」

 

「っ! お前な・・・」

 

「違うでしょ!? あんなことをしても、誰も幸せにはなれない! 島波君が傷ついて喜ぶ人なんて、いないのに・・・! 私が、私たちが望んだのは、あんな姿じゃないよ!!」

 

「だったらっ・・・! だったらどうすればよかったんだよ!!!」

 

 例にもなく、俺は怒鳴る。昂った感情が抑えきれない。

 けれど、それはどんどんしおれた声に変わっていった。

 

「・・・ほかに、どうすればよかったって言うんだよ・・・! ただの話し合いがダメなら暴力で解決しようとする連中をあのままにしてちゃ、今頃もっと・・・ひどくなる可能性だってあった。・・・なのに、どうしろって言うんだよ」

 

 ああ、俺は、また間違えてしまった。

 己が良かれと思って行った、独善的な行為で、全てが拗れてしまった。

 

「何のために私たちがいたか、考えてよ・・・。黙ってみてるだけなんて、そんなの・・・」

 

 水瀬はそれっきり何も発さなくなった。ただ気まずさだけが場に残る。

 

 代わりに口を開いたのは保さんだった。

 

「遥くん、これからどうするんだ? ・・・少なくとも海に帰るという事はできないだろう?」

 

「・・・そうですね。ドクターストップもかけられてますし」

 

 何より、どんな顔をして海に帰ればいいか分からない。

 だんだんと、近づいたはずの距離が遠のいていく感覚に見舞われた。

 

「ふむ、そうか・・・。なら」

 

 保さんは真正面から俺の顔を覗きこんで、ある提案を行った。

 

 

「当分の間、うちに泊まらないか?」

 

 

 

 

 

 

 




ここで大きな仕様変更があるとすれば、この回で藤枝大吾先生を初登場させたことですね。
前作では名前をぼかしたうえで、中盤で初登場させたのですが、同一人物なら早いところ出した方がいいでしょうという事です。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。


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第三十五話 それでも、伝えられない

前作、変に細部にこだわりすぎていたような気がします。
現実的に書くのはいいんですが、現実的過ぎても・・・。

本編どうぞ。


~千夏side~

 

 目の前で傷つくだけの島波君を見ていただけの私。

 何一つできることなく、気が付けば全てが終わってた。

 

 後悔を乗せた車は病院へたどり着く。もちろん、島波君の診断のためだ。

 待つこと30分くらいだろうか。ドアから出てきた島波君の表情には、心なしかまだ余裕があるように見えた。

 

 それが不思議でならない。

 どうにかその感情を抑えながら、ただ島波君の方を向く。

 

 いや、違う。

 向こうとしたが、出来なかった。どんな顔をしていいか分からない。それに、顔を合わせてしまったら、どんな言葉を発してしまうか分からない。

 

 黙ってうつむいたまま、島波君とお父さんの話に耳を傾ける。

 

「・・・確認するが、診断結果はどうだった?」

 

「あちこちに打撲、内出血、それと足にヒビ、らしいです。軽いのが幸い、だそうです。顔も目立った傷がるわけでもありませんし」

 

 

 ・・・なんで?

 なんで、そんな涼しい顔でいられるの?

 

 痛かったんでしょ? 辛くないはずないでしょ?

 

 なのに、それを一人で抱え込んで、平気な顔して・・・。

 

 ・・・違うでしょ。

 違うでしょ!!

 

 

「バカじゃないの!? あんな無謀なことをして、自分だけ傷ついてそれでいいって終わらせようとして!」

 

「っ! お前な・・・」

 

 ああ、言ってしまった。後悔だけが浮かび上がってくる。

 けれど、荒ぶる感情を抑えることなんてできない。口先は止まらない。

 

「違うでしょ!? あんなことをしても、誰も幸せにはなれない! 島波君が傷ついて喜ぶ人なんて、いないのに・・・! 私が、私たちが望んだのは、あんな姿じゃないよ!!」

 

「だったら・・・! だったらどうすればよかったんだよ!!!」

 

 勢いよく放たれた怒声に私は凍り付く。

 しかしその怒声は次第に温度を無くしていった。

 

「・・・ほかに、どうすればよかったんだよ・・・! ただの話し合いがダメなら暴力で解決しようとする連中のあのままにしてちゃ、今頃もっと・・・ひどくなる可能性だってあった。・・・なのに、どうしろって言うんだよ」

 

 島波君が怒る。当然だ。怒らせるようなことを言ったんだから。

 けど、それでも内なる私は止まらない。

 

「何のために私たちがいたか、考えてよ・・・。黙ってみてるだけなんて、そんなの・・・」

 

 言い終わって気づく。

 ・・・違う。

 

 私が言いたかったのは、こんなことじゃない。もっと簡潔に、思いを言えばいいだけなのに。

 胸の中が震えて、もう声を出せる気がしない。きっとこの声は、今は島波君には届かない。

 

 そこからはもう、何も考えなかった。お父さんが島波君を家に泊まらせる提案をしたけど、正直もうどうでもよかった。

 少なくとも今の私は、島波君には会えない。

 

 

 ・・・ああ、最低だ。

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 『うちに泊まらないか?』という保さんの提案は、ありがたいものだった。

 全てを敵に回して、身寄りをなくしたと思っていたところでの提案だったのもある。けれど何より、誰かの優しさが身に染みた。

 

「とりあえず、客間でいいだろうか?」

 

「十分です。・・・ありがとうございます」

 

 家へ着くと、保さんに部屋に案内された。この間水瀬を寝させた部屋。まさか俺が使うことになるとは思ってもみなかった。

 この部屋は一階に存在する。階段を上ることが厳しい怪我というのを考慮してこうしてくれたのだろう。その配慮はありがたかった。

 

「・・・さて、荷物などどうしましょうかね。当分ここに住まわせてもらうことを考えると、最低限の衣類などが必要になるんですけど、この怪我じゃ帰れませんし・・・」

 

「ああ、そこに関しては問題ない」

 

 曰く、保さんは事前に至さんらに「もしものことがあったら頼む」と連絡をしていたらしい。

 実際、保さんが来た時、至さんがちょうど会議室に入ろうとしていたそうだ。もしあの場で静止する人間が居なかったらどうなっていただろうか、なんて考えるとゾッとする。

 

 保さんが静止してくれたおかげで、俺一人の被害で済んだのかもしれない。

 ・・・なんて、そのほかに残した傷跡が多すぎるけど。

 

 結局、俺の荷物はあかりさんが持ってきてくれるそうだ。海と陸の間にまた亀裂を生んだのだ。・・・陸に上がるなら、今しかなかった。

 

 

「・・・とにかく、しばらくは安静にしててほしい。陸の大人は私が叱っておく。少なくともあれは、子供たちに見せるべき姿勢ではないだろう」

 

「喧嘩吹っ掛けたの、俺みたいなもんなんですけどね」

 

「だからといって手を上げるのは違う。道理に反している。・・・全く、いつからこうなったんだろうな」

 

「分かりません・・・。それこそ昔からの因果、なんじゃないですか?」

 

「だとしたら、どうすればいい?」

 

 保さんから発せられる、弱気な質問。

 それに応えることが出来る俺ではなかった。

 

「・・・すいません。今の俺には、ちょっと」

 

「そうか。・・・悪かったな。ゆっくり休んでてくれ」

 

 そうして保さんは一人部屋を去っていった。ドアが閉められて、ようやく俺は一人を実感した。

 

 体を倒して、天井を見上げる。

 今になって体がさらに痛み出す。全ての緊張が切れたからだろうか。

 その痛みを忘れるべく、俺は目を閉じる。

 

 自分の進んできた道が、進んでいく道が正しいのか考えながら。

 自分が前に進めているのか、何か変わることが出来たのか。

 

 そんなことを思いながら、俺は目を閉じた。

 

 

 

・・・

 

 

「・・・んっ」

 

 どうやら、短い時間だが眠ってしまっていたらしい。動いた時の電流が走るような痛みで目が覚めた。

 時計に目をやる。時間はもう夜に差し掛かろうとしていた。

 

 ドアの外から、話し声が聞こえる。どうやら夏帆さんももう帰ってきていたようで、なにやら二人で話しているようだった。

 それからしばらくして、そこから足音が一つこっちに向かってきているのを感じた。そして間もなく、ドアも開かれる。

 

「おう、ちょっといいか?」

 

 入ってきたのは保さんだった。相変わらず表情に色がない。

 

「ええ、構いませんけど・・・。どうしましたか?」

 

「ああ、潮留から電話がかかってきたんだが、彼女さんがまだ帰ってきてないらしい。こういう時、何が起こってるのか分かるか?」

 

 その話を聞いて、思い当たる節は一つしかなかった。

 さっきの件のこともある。関係がさらに悪化したとなれば、ウロコ様も黙ってはいない。

 だとすると・・・。

 

「とりあえず、至さんらのアパートに向かいましょう。こういう時は直に言ったほうが早いです」

 

 杖を支えにして立ち上がる。もう体の痛みも幾分か引いていた。

 

「そうは言っても、お前は怪我しているんだぞ?」

 

「大丈夫です」

 

「・・・そうか」

 

 少々食い気味にかかった俺の言葉で腹をくくったのか、保さんはそう言って外に向かった。おそらく車の準備をするのだろう。

 後を追うように俺も付いて行く。

 

 

「あら? おでかけ? 行ってらっしゃい」

 

 後ろから呑気な見送る声があったが、気にしなかった。

 

 

 そうしてまた車は走る。雨が上がってなお曇天の夜を切り裂きながら、答えのない何かを目指すように。

 

 

 

 




ここまでは前作通りの話数で進んでいますが、今後追加展開する場合、話数が前作とずれるようになるかもしれないのでご了承ください。
 
それでは、今回はこの辺で。
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第三十六話 瞳の奥に映るもの

まだ原作より、まだ原作寄り・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 数分後、俺は至さんらのいるアパート付近に着いた。

 至さんは美海共にアパートの外で、今か今かとあかりさんの帰りを待っていた。しかしその表情はいい色をしていない。

 

「ああ、遥くん。来てくれたんだね」

 

「ええ。・・・というか至さん、真っ先に俺に聞けばいいと思わないでくださいね?」

 

「でも、聞けば大概のことは知ってるってあかりが言ってたし・・・」

 

 うーん、この・・・。

 

「ところで、揃っているようだし、状況を説明してもらえないか?」

 

「あかちゃんは今、どうなってるの?」

 

 美海と保さん双方から最速の言葉が来る。俺は気を取り直して今回のあかりさんが直面してるであろう状況を説明することにした。

 

「そんな大層なことじゃないですけど・・・。ウロコ様が多分、足止めか何かをしてると思いますよ」

 

「足止め?」

 

「ええ。海の中で二人の周辺の気候だけ変更したり、体から魚を生やしたり・・・、まあ、いろいろです。言えば呪い、ってやつですか」

 

「そうまでする理由が、ウロコ様にはあるのか?」

 

 ある。

 

 ただ人材流出を防ぐだけならこれまでも海は行ってきたが、ウロコ様の直接的な妨害はなかった。

 つまり、もうこれまでとは違う状況へと変化している。それが、俺が勉強に勉強を重ねてたどり着いた真理だった。

 

 海は今、世界は今、崩壊に近づいてきている。

 

 思えばここ数日の寒さもそれに影響しているのかもしれない。確信はないので、言葉にしないが。

 

「ありますよ。詳しい事情は確証がないのでお話できませんが、海側はあかりさんを行かせたくない。その気持ちに間違いはないです」

 

「あかちゃん、もう陸に来れないの・・・?」

 

 俺の話を聞いて、美海が不安げに言葉をポロリとこぼす。

 俺はそんな美海の頭の上にそっと手を置いて軽くなでた。

 

「大丈夫、あかりさんは絶対に来る。・・・もう美海をひとりになんてさせないよ」

 

 確証はない。けど、俺は言い切る。

 美海の母親になる。そんなあかりさんの覚悟に間違いはない。

 

 だったら、こんなところで投げ出すはずがない。投げ出していいはずがない。

 

「・・・そう、だよね」

 

 それでも美海は不安そうにする。俺はただ、その不安を和らげるくらいのことしか出来なかった。

 

「ところで、足止めって・・・どんなのがあるの?」

 

 何気なく、至さんが尋ねる。俺は俺の知識の範疇で答えることにした。

 

「そうですね・・・。さっきも言ったようにあれは呪いの一部なので、なんでもあります。体から魚を生やしてくることもあれば、急に高熱にうなされることもある。・・・ほいほい用もなく陸に上がろうとすると、時々吹雪に見舞われて凍らされたり・・・。まあ、いろいろです」

 

 そんな俺の体験談を聞いていくにつれ、至さんの表情はどんどん青ざめていった。

 

「え、ええ!? それってあかり、大丈夫なのかい!?」

 

 

 その時、後ろから聞きなれた声がした。

 

「大丈夫だって、心配しない」

 

 そこにいたのは、ぼろぼろになったあかりさんと・・・光だった。

 誰が言葉を発するよりも先に、保さんが俺だけに告げる。

 

「・・・先に帰っておく。終わったらまた呼んでくれ」

 

 そう言って保さんは一人車を動かして帰っていった。

 それから各々が口を開く。

 

「あかり!」

 

「あかちゃん!」

 

「はいはい、大丈夫だから落ち着きなよ」

 

「とりあえず、中に入らせてもらっていいか? 体温すっげえ下がってるし、口の中じゃりじゃりしてよ」

 

「そうだね。みんな、中に入ろうか」

 

 至さんの号令で、俺たちはアパートの中へと入っていった。

 

 

---

 

 

「なるほど、それで心配していたと」

 

 あれからアパートの中に入り、今は食卓を囲んで座っていた。

 

「といっても、ウロコ様の呪いの中じゃ、あの凍らされる呪いが一番しんどいですよ。下手したら気絶しますし」

 

 小さいころ、俺も何度か同じようなことをされた。

 最も、あの時はいたずら混じりでの呪いだったのかもしれないが、今は違う。

 

 心の底から、意味の籠った呪いだ。

 

「殺さないにしても、無力化、そして海へと戻してお説教、ってところじゃないんですか、今回は?」

 

「・・・うん、そうだと思う」

 

 あかりさんは悲しそうに呟く。その隣で燃えていたのは光だった。

 

「俺はともかく、あかりはなんにも悪くねえんだよ! ・・・それなのに、ウロコの野郎・・・!!」

 

「そうなのは分かるが、お前まで出てくる必要はないんじゃなかったのか? 海にあいつら残したまんまで」

 

「・・・悪いとは思ってるよ。けどな! あんなこと言われて、遥もこんなになって、親父や海の連中と顔を合わせられるかってんだ!」

 

 一通り怒るに怒って、光は心配そうな顔を俺に向けた。

 

「・・・ところで、大丈夫かよ、お前。結構めちゃくちゃにやられてたじゃねえか。それに、足も・・・」

 

「ああ。つっても打撲とヒビくらいだし、なんともねえよ。顔に傷がないのが不幸中の幸いだな。ハハッ」

 

「笑い事じゃねえだろ・・・。・・・そうやって我慢するの、好きじゃねえんだよ」

 

 光は呆れて呟く。と言っても、その言葉はごもっともだった。

 俺は多分、無理をしている。無自覚の中で、治すことも出来ないくらいに。

 

 そうしないと、生きていけないような気がして、これまでを生きてきたから。

 

 けれど今は、目の前の光にどこか感心していた。

 陸の人間を忌み嫌って、好きの感情にも向き合うことが出来てないで、誰よりも純粋で、誰よりも子供だったはずの光が、いつの間にかこうなっていた。

 

 そこに可能性を感じてしまう。・・・変わることができる、という可能性を。

 

「まあ、痛いっちゃ痛いけど自業自得だから泣き言は無し。そこは俺も分かってるから。・・・ところであかりさん。例のもの、持ってきてくれました?」

 

「例のもの?」

 

「着替えとかそういうの。なんせこの足だろ? 海には当分帰れねえからさ」

 

「なるほど。・・・んで、どうなんだ? あかり」

 

「・・・」

 

 あかりさんは何も発さなかった。こちらの言葉に気づかなかったのだろうか。ただその瞳には寂しさがにじんでいる。

 

「あかりさん?」

 

「・・・あっ、どうしたの? 遥くん」

 

 こちらの呼びかけに今度は気づいたようで、慌てて俺の方を振り向いた。

 

「いえ、頼んでたあれなんですけど・・・」

 

「ああ、持ってきたよ。遥くん、普段から荷物を結構まとめてるんだね。光とは大違い」

 

「うるせーよ。最低限片付いてりゃいいだろ」

 

「意外とそうでもないぞ。次使う時のことを考えると・・・」

 

「あーはいはい、分かってますよ精進します」

 

「じゃあ、あとで受け取りますので」

 

「うん。そうして」

 

 そして、会話がパタリと止む。先ほどのあかりさんの様子が気にならない人間はどこにもいなかったのだ。

 

 その中で、勇気を出してか至さんが声を上げる。

 

「ねえ、あかり。これでよかったのかい?」

 

「え?」

 

「・・・昔ね、みをりもそんな目で海を見つめていたんだ。・・・今のあかりも、そっくりでさ」

 

「目・・・?」

 

 あかりさんは至さんの言葉に困惑する。

 その言葉の意味をいち早く理解したのは俺だった。

 

「至さん、こう言いたいんですよね? 『みをりは海を抜け出す形で僕の妻になってくれた。でも、同じように海を寂しそうに見ていた。きっと、海の人に賛成されて結婚したかったんだと思う。今のあかりも、そんな目をしている』って」

 

「えぇ!? ・・・でも、大体あってるかもしれない。みをりがそんな目をしてたこと、知ってたの?」

 

 勝手に気持ちを代弁されてなお、至さんは俺を叱らず言葉を添える。

 そうした懐の深さ、優しさに、至さんを好きになった人は惹かれたのだろう。

 

「ずっと、ここに通ってましたからね。・・・あれだけ大事な人だったんです。ずっといれば、それだけ相手のことも分かるんですよ」

 

「至さん、それってプロポーズ?」

 

「えっ? あっ・・・そ、それは」

 

「はっきりしろよな! 俺をイライラさせんな!」

 

「落ち着け光。タイミングってものがあるだろうが。・・・気持ちは間違いないだろうし」

 

「・・・まあ、そうだよな」

 

 一時は感情に身を任せて至さんをボコボコにした光だったが、俺の言葉をすんなり受け入れて静かになった。

 

 そして、各々の熱が冷めたところであかりさんは呟く。

 

「・・・私ね、反対されててもいいんだ。・・・ただ、こうしてここで今日起こったことを笑い合いながら話し合って、食卓を囲んで、ささやかな幸せを手に出来れば・・・」

 

「あかり・・・」

 

 

 

 あかりさんが自分の心中を穏やかに語る。

 誰もがその言葉を真正面から受け止め、首を縦に振る。

 

 

 ・・・ただ一人、美海を除いて。

 

 




はんぺん! 
前作の36話で「長ったらしい文章はあんまり好きじゃないので」とかほざいてますが、今の私は地の文大好きマンです。
といっても、入れすぎるとくどくなるのでほどほどにしますが。

それでは、今回はこの辺で。
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第三十七話 今はまだ弱くても

結構大変なことしてると思うよ・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 アパートで一同が合流してから、30分ほどが経った。

 ずっとここにいるわけにもいかないので、俺はそろそろ帰ろと、立ち上がろうとした。

 しかし、ちょいちょいと俺を手招きするのが見えた。美海だ。

 

「・・・ねぇ遥。ちょっと話があるんだけど・・・二人、誤魔化せる?」

 

 俺は特別何をいう事もなく、美海と一度目を合わせてうんと頷いた。それから、俺は白々しく話を切り出した。

 

「すいません、ちょっと外の空気吸ってきます」

 

「あ、私も」

 

 俺の切り出しに乗せるように美海も反応する。至さんは一度穏やかな表情で頷いた。

 

「いいんだけど、こんな時間だし、あまり遠くに行かないようにね。外は寒いし。あとそれと、水瀬さんに電話、かけておいたほうがいいかな?」

 

「そうしてもらえると助かります」

 

「じゃ、行っておいで」

 

 至さんは何も深く考えることなく、俺と美海を送り出した。

 

 

---

 

 もうすっかり夜になってしまったのもあり、アパートの外は少々肌寒いほどになっていた。先ほどまで降っていた雨が残した寒さが、風に混ざって吹いているのかもしれない。

 

 美海は外に出てからというもの、遠目に見える海をぼんやり眺めていた。そして、おもむろに口を開く。

 

「・・・あかちゃん、反対されてるって」

 

「・・・ああ。好きとか嫌いとか、そういうのじゃないんだ。でも、海の人間は海の未来を思って、あかりさんに出ていってほしくない」

 

「私も、反対してた。・・・でも、今は違う。・・・違うのに」

 

 きっと、美海は自分の感情をうまくまとめることが出来ずにいるのだろう。だからこうして、整理のつかない感情だけが暴れている。

 その気持ちは痛いほど伝わる。

 

「・・・その気持ちを、表現するのは難しいよな。俺だってそうなんだ。・・・面と向かって、『好き』だなんて言えないし、・・・それに俺は」

 

 その気持ちがもう、分からない。

 

「遥?」

 

「なんでもない。・・・なあ、美海。だったらさ、言葉にしなくてもいいんじゃないか?」

 

「え?」

 

 好きの気持ちから逃げて、分からなくなってしまった俺の考えなんて浅はかなものだ。

 けれど、そんな俺だけど、俺なりに美海の力になってやりたい。だから、精一杯の考えを伝える。

 

「気持ちを込めた何か、贈り物なんてどうだ? ・・・美海からのプレゼント、あかりさんが喜ばないはずなんてないぞ」

 

「そう、かな?」

 

「ああ。俺も手伝うからさ。・・・一緒に頑張ってみよう」

 

「・・・なるほど、そっか」

 

 美海の中で合点がいったようで、何度かうんうんと頷いた。

 

「だったら遥、明日でいいかな?」

 

「えらく急だな・・・。・・・でも、急いだほうがいいのかもしれないな。分かった、どうにかしてみる」

 

 とはいうものの、この足だ。最悪ストップもされかねない。

 ・・・けど、ここは男の意地というものがある。お願いされて、引き下がりたくはない。

 

 

「それじゃ、部屋もどろっか」

 

 先に部屋に入っていく美海。それからしばらくして、俺も部屋へと戻った。

 部屋へ戻るなり、あかりさんがちょいちょいと俺を手招きした。

 

「あ、遥くん。そろそろだと思うから、これ」

 

 そう言われて、あかりさんに籠を渡される。その中には俺の荷物がまとまっていた。渡す、ということは、そろそろ帰宅のタイミングなのだろうか。

 窓の外を見てみると、保さんの車が止まっていた。どうやら、ベストタイミングという事らしい。

 

「それじゃ、俺、今日は帰ります」

 

「うん。また」

 

 一同の視線を受けながら部屋の外へ出る。

 保さんは車にもたれかかった状態で待っていた。

 

「・・・帰るか?」

 

「お願いします」

 

 そして、車はもう一度、先ほどよりも深まった暗闇を切り裂いて家路を往った。

 

 

---

 

 

 水瀬家に帰って、俺は作りおかれていた夕飯を口にした。

 曰く、夏帆さんのもの、らしいが、悔しいほどにクオリティは高かった。なんて言ったら本人は調子に乗りそうなので、あえて何も言わないが。

 

 そうして夕食を終えたころ、のそっとリビングに保さんが現れた。その視線は俺になく、窓の外の方を見ていた。

 それが何を意味するのか、俺はもう知っていた。

 

「・・・保さん、行きますか? 縁側」

 

「お、おう・・・。そう言おうとしたんだが・・・分かったのか?」

 

「もう何度もお邪魔になったわけですし」

 

 

---

 

 

 水瀬家に頻繁に訪れるようになってからは、こうして保さんと縁側に座って二人で話すことも増えた。

 この人と交わす会話は、どことなく楽しい。

 

 俺よりも長い間生きている人の、俺よりももっと深いことを知っている人の話。それを聞くたびに、俺の見識は広がっていく。

 

 何でもない仕事の愚痴が、ありふれた家族との惚気話が、俺を育ててくれる。

 この人は、本当に親のようで・・・。

 

「・・・何回も言うが、今日はすまなかった」

 

「保さん・・・」

 

「拒否されるのは分かってる。・・・それでもこれは、大人の意地なんだ。・・・子供に背負わせて、諭されて、それすらも認めない。・・・恥ずかしいなんてものじゃない。やはり、俺が会議に出れていれば・・・」

 

「無理言わないでくださいよ・・・。保さん、大事な用事があったんでしょう? それを外してまでなんてこと、無理ですよ」

 

「分かってるが・・・」

 

 保さんの表情は、終始険しいままだ。きっと、俺の怪我のことについて相当負い目を感じているのだろう。

 

 ・・・こんなの、俺の自業自得だっていうのに。

 

「それに、あれは海の人間の過失もあります。一概に陸の方だけに責任を持っていかれちゃたまりませんよ」

 

「けど、だからといってこのままにしておくわけにもいかんだろう」

 

 それはそうだ。両方分かり合えない。それでおしまい、というわけにはいかない。

 そんなことをしたら、本当に海は、世界は。

 

「でも、今回の一件で分かったこともあるんですよ。・・・海も陸も、互いに手を取り合おうとしている人間がちゃんといる。自分の頭で考えて、答えを持っている人が」

 

 それは、今はまだ小さな欠片なのかもしれない。

 けれど、繋ぎ合わせて大きくできることを、俺たちは知ったから。

 

「自分一人でできることなんて限られます。・・・だったら、あるだけの力をつなぎ合わせればいい。だから保さん。・・・もし、自分が悪いと思うのなら、どうか諦めないでください。・・・これで終わりじゃないです」

 

「分かった。最大限善処する」

 

 保さんはそれ以上考えるのは野暮だと分かったのか、一度深く頷いて息を吐いた。

 

「・・・君には、教えられてばかりだな」

 

「そんなの、俺の方が、ですよ」

 

 父親みたいな優しさを持つこの人に、俺はたくさんのことを教えられた気がする。

 

 俺は、この人に、夏帆さんに、自分の両親のことをまだ伝えていない。

 もちろん、全部、というわけじゃない。けれど、二人がいないことを『訳あり』という言葉ではぐらかしてきた。

 

 一人でいることの説明はついていた。

 けど今は、この人に全てを打ち明けたい。そう思えた。

 

 だから・・・。

 

「・・・保さん。聞いてくれますか? 俺の話」

 

「構わんが・・・。・・・それは、両親のこと、かね?」

 

「・・・はい」

 

「聞こう。・・・一応、少しは知っているところもあるが、遥くんの口から聞けるのなら、そっちのほうがいい」

 

 話を始める前に、俺は一つ大きく呼吸をした。

 そうは言っても、自分の傷跡を上からなぞる行為だ。少しは抵抗がある。

 

 その痛みを飲み込んで、俺はゆっくりと話し始めた。

 

「・・・俺の両親は、もう死んでいるんです」

 

「・・・ああ。なんとなく、察してはいたが、やはりそうか」

 

「数年前、陸で人殺しがあったの、覚えていますか?」

 

「ああ。帰り際の話だったからな」

 

「あれが、俺の両親なんです。・・・父さんが、母さんを刺して、そのまま父さんも別の場所で自殺してて」

 

 今でもあの光景を鮮明に思い出せる。忘れたい痛みは、簡単には消えてくれなかった。

 

「なんでそんなことが起こったか、俺は分からないんです。・・・父さんが残した手紙にも、そんなことは書いてなくて」

 

「そんな状態で、遥くんはここまで生きてきたんだな」

 

「・・・俺一人で生きるなんて、無理でしたよ。たくさんの人に助けられて、ここまで来ました。・・・でも」

 

 言葉を並べていくごとに、自分の感情がどんどんぐちゃぐちゃになっていくのが分かった。

 悲しみも、親愛も、憂いも、喜びも、全てが混ざって、今の自分が何色を映し出しているのか分からない。

 

 俺という人間は、それほどまでに壊れてしまっていた。

 たくさんの人に、助けられたというのに。

 

「潮留の、奥さんのことか」

 

「・・・はい」

 

 あの人のせいで俺が壊れた、なんてことは言わない。言わせない。

 きっと俺は、壊れるべくして壊れた。俺が弱いから、こうなった。

 

「何も知らない立場の俺が、こんなことを言うのもどうかと思うがな・・・。けど、言わせてほしい。・・・頑張ったんだな」

 

 その言葉で、俺の心で暴れていた得体のしれない感情はどこかに消え去った。

 同情でない、ただ包み込むような、優しい肯定の言葉。

 

 だけど、その言葉だけで、俺はどこか救われた気になった。

 

「・・・保さん、ありがとうございます」

 

「例なんていらん。・・・ただ、これからもこうして話を聞いてくれれば、俺はそれだけでいい」

 

 少々照れ臭そうに保さんは鼻を掻く。その横顔はどこか頼りあるものだった。

 

 ・・・好きになれば、また失うかもしれない。

 それでも今は、俺はこの人のもとにいたい。そう思えた。

 

「保さん」

 

「なんだ?」

 

「話は変わるんですけど・・・、明日、街へ行っていいですか?」

 

「えらく急だな・・・。・・・本来ならダメだと言うべきなんだろうが、遥くんのことだ。事情なしには言わんだろう。・・・分かった。ただ、怪我をしてることは忘れるなよ」

 

「はい」

 

 

 今の俺は、変われているだろうか。

 なんて問いをぶつけたところで、誰も分かるはずなんてない。

 

 だから今は、目いっぱい生きよう。

 好きになる感情が、まだ分からなくても。

 

 きっと、進み続ける今に、間違いなんてないから。

 

 

 

 

 

 




今作、結構遥の人間性が変わってきているような、そうでないような・・・。
まあ、グダグダなのはいつもの事です。
それでも日進月歩、小さな歩幅で少しずつ。

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第三十八話 似た者同士

サブタイトル変更なし。
ここは、このサブタイトルが適してるんじゃないですかね。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 美海との約束もあり、次の日、俺は駅の近くの公園に来ていた。

 

「お、もう来てんのかよ」

 

「おはよう、遥」

 

 次いで、潮留家に居候している光と、美海がやってきた。二人は特別驚いた様子もなく、俺の方を見ている。光に至っては、どこか心配そうな瞳だ。

 

「てか、本当に大丈夫なのかよ、お前。そうは言っても、結構歩くぞ?」

 

「大丈夫だと思うんだけどなぁ・・・。杖も無理言って別のタイプに変えてもらったわけだし」

 

「痛かったりはするのか?」

 

「変にぶつけたりしなきゃ痛くはないな。腫れの痛みも一晩寝てだいぶ引いたし。それに、美海の願いとあっちゃ断れないんだよ」

 

 なんて俺が言うと、美海は少々頬を赤らめて俯いた。恥ずかしくなるようなことを言った分、当然か。

 

 そうこうしていると、遠くから声が聞こえてきた。

 

「おはよー! ひーくん、はーくん、美海ちゃん」

 

「おはよう、皆」

 

「おはよ。みんな早かったね」

 

 まなかとちさきと要が合流して、これで全員そろったことになる。海村の連中には、昨日のうちに光が根回しをしててくれたらしい。

 

「うし、これで全員だな」

 

 光が鼻を鳴らす。昨日の今日でどうなるか少々心配な点もあったようだ。そして今、それを振り払うように鼻を鳴らしている。

 

 そんな光を見て、俺が思うことは一つだった。

 

「・・・それにしてもお前」

 

「・・・なんだよ」

 

「おしゃれとか、考えない人間なんだな」

 

 俺が気になったのは、光のその服装だった。 

 本人は何も気にしていないようだが、それは光のサイズにしてはあまりにも大きすぎた。ダボダボなんてよく言ったもんだ。

 

 あるものを着る。ただ、それだけのように見える。

 

「はぁ!? なんでそんなこと」

 

「てかその服装、至さんのやつだろ。お前にはまだ大きすぎるな」

 

「うっせえ!」

 

「ひーくんひーくん! おしゃれは大事にしなきゃダメだよ!」

 

 挙句の果てにはまなかにまで突っ込まれる。かくいうまなかは、さすがに女子という事もあり、それなりに服を丁寧に選んできていた。

 

 では男が悪いのか、と言われればそうでもない。俺も要も、服装はそれなりに意識している。

 

「これしかなかったんだよ。海から出るとき、そんなに荷物持って出なかったからよ」

 

「理由にはなってるけど、光。それじゃモテないよ?」

 

「まあ、なんだ。今度俺と要でお前に見合う服探してやるよ」

 

「だからいらねえって!」

 

 和気あいあいとしているうちに、時間は過ぎていく。

 けれど、当の俺たちはそんなこと気づくこともなかった。

 

 

---

 

 

 それから、切符売り場についたのは五分ほど過ぎた後の事だった。わちゃわちゃとおしゃべりをしたせいか、時間もあまりない。

 

 けれど、小さいころから何度も街に繰り出していた俺や美海はともかく、他のメンバーは街に行ったことなどないようで、当然、切符の買い方も知らない様子だった。初めて見るものに目を丸くしている時点で、事の重大さが伺える。

 

 だったら、ここは俺が先に金をまとめて払った方がいい。そう判断して、切符の券売機に手を伸ばした。

 その時、誰かの手にこつんと当たった。

 

「っと、すいません・・・。って」

 

「ああ、遥か。お前も、街へ行くのか?」

 

 ぶつかったのは紡だった。どうやら、紡はちょうど別の用事で街に行くようだった。

 

「まあ、ちょっと用事があってな」

 

「なるほど。・・・せっかくだし、俺の用事が終わったらついてっていいか?」

 

「ああ、そうしてくれ。それに、街を知らないやつの方が多いからな、ついてきてくれるとむしろ助かる」

 

 一応、今回のリーダーは名目上美海ということになってるが、まあ、承諾してくれるだろう。

 

 さて、ここで長話しては俺が率先して切符を買いに来た意味がなくなる。

 俺は、さっさと人数分の切符を購入し、光たちの下へ戻った。そして、買った切符を各々へ配る。

 

「ほい」

 

「え、いいの? 遥」

 

「一応俺がまとめて買った方が効率がいいし、まあ、金を徴収しないのは、普段の感謝とでも思ってくれ」

 

「あ、ありがとう・・・」

 

 そうは言っても、他のメンバーの反応も、いまいちパッとしないものだった。けど、変に気遣われるよりはこうして振舞った方が楽だ。

 

 そして俺たちは、間に合わなくなる前に急いで電車へと乗った。

 

 

---

 

 ガタゴトと揺れながら、電車は街へ進んでいく。

 俺の隣には美海が、向かいには紡が座っている。ほかの面々もやれ菓子を食べたり、談笑したりと悠々と過ごしているようだ。

 

 ただ一人、浮かない顔をしているのはやはり美海だった。

 

「・・・本当に、喜んで貰えるのかな?」

 

「何をいまさら。・・・大丈夫だって。あかりさんは美海のことが好きだからさ、絶対に裏切らない」

 

「遥は信じれるの?」

 

 純粋な美海の問いかけ。けど、俺は言いよどんでしまった。

 分かっている。自分の中に、好きという感情に抵抗が産まれていることを。

 

 信じて、裏切られて。同じことを俺と美海は味わっている。

 口先だけで言っておきながら、本当に信じきれてないのは・・・俺のほうだ。

 

 それでも、嘘はつかなければならない。ここで美海を不安にさせるほうがもっとひどい局面に陥るだろうから。

 

「信じるさ。あの人のことは、ずっと見てきた」

 

 なんて、自分でも生意気に思えることを言って美海を宥める。美海は、それ以上はもう何も言わなかった。

 

 と、その時対面している紡が手をちょいちょいとこまねいているのが見えた。俺は音を立てずに、紡の隣に移動した。

 

 

「で、なんだよ」

 

「ちょっと、話し相手が欲しかったから」

 

「話し相手って・・・。何の話だよ」

 

 俺がそう尋ねると、紡は表情一つ変えずに答えた。

 

「遥の話だよ」

 

「・・・俺の? なんでまた」

 

「・・・昨日の事。遥があれだけ本気で怒ったの、初めて見たから」

 

「はぁ・・・。言っとくが、面白くない話だし大した理由もないぞ」

 

「だとしても、聞きたい」

 

 紡は譲らなかった。どんな理由があるのかは知らないが、ここまで本気で思っている相手に、不誠実なことは出来なかった。

 

「両親がいなくなってから、陸に上がることが増えた。・・・そうして、陸という場所が俺にとって特別な場所になっていった。・・・そんな海と陸がまたすれ違って、繋がりかけた糸がほどけるのが嫌だったんだよ」

 

「・・・というか、どうして両親はいなくなったんだ?」

 

 大前提、俺は紡に俺の両親の話をしていなかったみたいだ。

 

 

「そう言えば、お前に俺の両親の話をしたことなかったな」

 

「ああ」

 

「・・・俺の両親はな、揃って海を出たんだよ。そして一年か。二人とも、死んだ」

 

「それはどうしてだ?」

 

「理由的なところなら、俺も分からない。一応、父さんが母さんを殺して、後追いで父さんが死んでってことになってるけど・・・」

 

「えらく淡泊に言うんだな」

 

「もう小さかった時のことだし、それに今更実感込めて言っても何にもならないだろ。過去を振り返るのはやめてるって決めてるんだよ」

 

 それがおかしい行動だとしても、俺は引かない。

 紡もその意図をくみ取ったようで、それ以降のコメントはなかった。

 

 代わりにと言わんばかりに、俺は紡に質問する。

 

「そう言えば、お前もじいさんと二人暮らしだよな。・・・その、両親がどうしてるのか、とか、聞いていいのか?」

 

「・・・本当はあまり言いたくないことだけど、相手が遥かだからな。・・・生きてるよ。けど、一緒には住んでいない」

 

「決別、したのか?」

 

「それに近いかも」

 

 なるほど、であれば境遇的には俺に近いところがあるのかもしれない。

 けど、俺の決別は、本当に俺の望んだものだったのだろうか。

 

 確かに二人のことが好きで、本当は離れたくないなんて思ってた。・・・それなのに、俺はなんであの日。

 

 いや、止めよう。過去は振り返らないようにしてるはずだ。

 

「両親のことは、好き・・・なのか?」

 

「・・・さあ、今の俺に、その感情の整理は出来ない」

 

 紡も紡で淡泊に答えた。どこか、本当に心の底で冷え切っている部分があるのだろう。

 ・・・なんだ。やっぱり俺とお前は、一緒じゃねえか。

 

「案外似た者同士なんだな、俺達って」

 

 果たして、それがいいことかどうかなんて、知る由もないけど。

 

 

 そうして電車は進んでいく。まだまだ、街までは時間がかかりそうだ。

 




はんぺん!
今回から、あとがきに座談会コーナーを設けます(気まぐれ)
というわけで、挨拶は先に済ませておきます。

『今日の座談会コーナー』

SSを書くにあたって、前作を基本はなぞらえているのですが、今回は前回曖昧だったのを踏まえて、原作により触れています。
とはいえ、毎回毎回アニメを見るのは時間がかかる。

そこで愛用しているのがコミカライズです。
内容は少々カット等の影響もあり薄くなっているのですが、大概の流れやセリフはこちらから流用しています。といっても、カットがやばいですが。

大人になったちさき好きです。

---

それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)



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第三十九話 君に伝う想い

この回はある種の分岐点・・・か?
まあ、とりあえず本編どうぞ。


~ちさきside~

 

 私は、遥のことが好きだ。

 ずっと前から、その背中を追っていた。そしてそれは、今も変わらない。

 

 それを、ずっと口にすることが出来ないままで、ここまで来た。

 日に日に思いは強くなっていく。どんどん遠ざかっていくその背中を、私はもう眺めたくなかった。それなのに、私は踏み出すことを躊躇う。それで、みんなの関係を壊したくなかったから。

 

 変わりたくない。ずっとこのままでいたい。そんな願いと、遥を好きだという気持ちを混同させていた。

 けど・・・みんな、どんどん変わっていっちゃう。

 

 意識しないところで大人ぶって、おとなしい自分でいた内に、みんなに取り残されていく私がいた。

 

 そしていつか光に怒られた。『大人ぶるな!』って。

 それで、私の中で何かが変わった気がした。どこか、私を縛っていた糸が断ち切られた気がした。

 

 だからもう、私も大人ぶるのはやめにする。

 それは、今だけの覚悟、今だけの勇気かもしれないけど。

 

 私は、遥に好きを伝える。

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 

 電車に揺られて約一時間、ようやく街へと着いた。

 降りてみると、改めて遠い街へ来たんだなと再確認させられる。この感覚も久しぶりだ。

 

 寝ていた面子も、あくびや伸びをしながら降りてくる。

 そして全員集まったところで、俺たちは広場の方へと抜けていった。

 

「ところで紡、用事の方はどれくらいで終わる?」

 

「そんなにかからない、10分程度で済む。多分、途中で抜け出す形になると思うけど、それ以外は大丈夫」

 

「分かった」

 

 必要最低限の情報だけ聞きだして、俺は話を終える。

 知らぬが仏、触らぬ神に祟りなし。踏み入った話をしないでおく方が良いのが世の常ってものだ。

 

 一方そのころ、美海は街のビル群を見上げていた。物心ついてここに来るのは初めてなんだろう。上を見上げて、歩き続けて・・・、そして、転んだ。

 

「あいた」

 

「おいおい・・・大丈夫か?」

 

「うん。結構久しぶりに来たから、少し驚いただけ。昔来たときは、まだ私も小さかったし・・・」

 

 そこで美海はボリュームダウンする。みをりさんのことを思い出したというのは明らかだった。

 

 それ以上聞くこともなく、俺はそっと美海に手を差し出す。美海は俺の手をしっかりと握って立ち上がり、それ以上は何も言わなかった。

 

 そうしたところで、まなかがふと言葉を漏らす。

 

「潮の香り、全然しないね」

 

「そりゃ、一時間かけないと来れない場所だからな。海から山側に向けて走ってるから、こうなるのは当然っちゃ当然なんだけど・・・」

 

「エナ、乾いたらどうしよう・・・」

 

 心配そうな声をあげる。なるほど、海との距離を気にしていたのはそのせいか。

 

「・・・おい、まなか。あれを見ろ」

 

「えっと・・・? 『塩水あります』・・・。そっか、あるんだね!」

 

 街側も海に人間がいるということを考慮してくれているようで、そうした看板があちらこちらにちらほらと見受けられた。

 こうしたところでも海と陸は繋がってるっていうのに・・・。

 

「まあ、そんなわけだ。とりあえず色々見て回ろう。そこで美海が決めればいいさ」

 

---

 

 

 

 それから、行き当たりばったりでいくつかの店に回ってみた。が、美海の中でこれというものはなかったらしく、特別進展はなかった。

 ただ、方向性が決まったことは収穫と呼べるだろう。

 

 

 体は嘘をつかない。

 怪我を負った足を引きずった状態での歩き回るという行動はなかなか体に来るところがあり、疲労を感じる速度は普段の倍だった。言っては何だが、休みたい。

 

 けれど、美海に付き合うと言ったのは俺で、今日ここに来ることを選択したのも俺だ。そうそう足を引っ張るわけにはいかないだろう。

 

 六軒目の店を回っていると、ふと美海の足が止まった。その視線には、煌びやかに輝いているペンダントが一つ。

 俺もそれを注視して見る。そして、瞬時にそれを悟った。

 

 あまりにも、高すぎる。

 

 全員の財産を総力してやっとだろうか。目の前のものにはそれだけの価値があるようだった。無論、買えるはずなどない。

 

 難し気な顔をしている美海に追い打ちをかけるように、光は無意識に声を上げた。

 

「なんだよこれ! すげぇ高ぇじゃねえか!」

 

 その無意識の言葉は、美海に突き刺さる。

 

 ・・・はぁ。全くこのバカはホント・・・。

 

 俺は、残念なものを見る目を光に向けた。

 

「なんだよ、遥」

 

「お前、ホントに空気読めねえのな」

 

「はぁ、なんだよ急に」

 

 本人はやはり無自覚なようだった。だからこそ、余計にあきれる。成長しているのか、してないのか・・・。

 

「あれが高いのは一目瞭然だ。当然、美海も分かってたし気にしてたはずだ。それなのに、あれだけ堂々と高いなんて言ったら、美海落ち込むだろうが」

 

「わ、悪かったよ・・・」

 

 多少語気が強まっていたのか、光は少々引いたような様子で俺に謝った。

 けれど、謝るべきは俺じゃない。

 

「俺じゃない。・・・あとで美海に謝っとけ。お前が悪気がないのは分かってるだろうから、許してくれるはずだ」

 

「分かったよ。・・・はぁ」

 

「何か不服か?」

 

「お前もお前で、過保護だよなぁ・・・。好きなのか?」

 

 何気ない光の言葉とため息。けれど、それが今は少しばかり胸に傷を残していった。

 

『好き』・・・か。

 今は、その感情の話をする時じゃない。

 

 俺は光から顔を背け、美海のもとへ歩み寄った。

 

「どうする、美海。次の店、行くか?」

 

「・・・うん」

 

 やはり美海はかなりトーンダウンしていた。うん、やっぱり後でもう一回〆ようか。

 

 

---

 

 

 次の店にいざ入ろう、といったところで、紡の用事の時間が来た。

 

「悪い。そろそろだ。一旦抜ける」

 

「気にすんな。無理言ってんのはこっちなんだ」

 

「時間はかからない。この店にいるなら戻ってくる」

 

「分かった」

 

 そうして遠ざかっていく紡の背中を見送って、俺たちは店内へ入った。

 店内は人波でごった返していた。休日の街は、やはり恐ろしい。

 

 はぐれそうになるのを防ぐために、俺たちは極力固まって行動する。

 しかし、今回ばかりは無理があった。

 

 美海が気になった店はどうやらビルの最上階にあるみたいだったが、そこへ行くにはエレベーターが必須だった。しかし、この人の量ではあふれる。

 

 次の便なら多分空いている。そう判断した俺は自らその場に残る宣告をした。

 

「あれ、遥?」

 

「先行っててくれ。ほら、この足だし、大人数の中でもみくちゃにされたら溜まったもんじゃない」

 

「分かった。それじゃ、上で待ってるからな」

 

 そして、俺以外のメンバーはエレベーターで昇っていった。

 

 

 ・・・はずだった。

 

 

「遥」

 

 そこにいたのは、ちさきだった。

 

---

 

 

 それは、偶然だった。

 私はみんなから少しだけ離れた場所にいたから、その場にいないことは気にされなかった。

 

 遥は自分の足を考慮してエレベーターに乗るのを避けた。

 そして私は、乗ることが出来たけどもあえて自分から降りた。

 

 理由は一つじゃない。けど、根底にある理由は変わらなかった。

 

 ”私は、遥と二人きりになりたかった。”

 

 

「なんだよ、ちさき。乗らなかったのか?」

 

「うん。私が乗って重量オーバーになるの、嫌だったから」

 

 なんて、半分ホントで半分嘘。

 けど、変に怪しまれたくはなかったから、またこうして嘘を吐く。

 

 自分を偽るための嘘なんて、大人ぶってるって言うのかな?

 

 

「そうか」

 

 それ以上の言葉もなく、遥と私は黙り込む。

 

 ・・・踏み出せない。、

 勇気が出ない。きっと、こんな機会今しかないって分かってるのに。

 

 きっと、怖いんだ。ここで告白して今までの関係が壊れちゃうのが。まだ、心のどこかで。

 変わることを躊躇って、どこかで嫌って。

 

 ・・・でも、そんなことじゃ前に進むことも出来ない。

 大人になんて、なれないかもしれないから。

 

 この気持ちを、伝えるために。

 

「ねぇ遥。ちょっと聞いてもらっていいかな」

 

「うん、なんだ? いいけど」

 

「ありがとう」

 

 一度礼をして、全て思っている言葉を吐く。

 

「・・・遥はさ、優しいよね。いっつもそう。今日だって美海ちゃんのために、傷ついた足をどうとも思わないでここに来て。・・・今日だけじゃない。ここまでみんな、その優しさに助けてもらった」

 

「・・・結局、何が言いたいんだ?」

 

 

「私ね・・・、遥のことが、ずっと大好きなの」

 

 




『今日の座談会コーナー』

作者である私が一番好きなキャラは、実はちさきなんですよね。
ただし、『本編14話以降』という条件が付いていますが。

前回の座談会コーナーの最後で言った内容の引継ぎな話題ですね。

謎の性癖といいましょうか、海村の人間の中で一人だけ大人になってしまったという時点でもうぞくぞくします。14話の冒頭の「え、え、は?」みたいな感覚は今でも覚えています。

ほんと、謎の性癖ですね。


---

それでは、今回はこの辺で。
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第四十話 私の『好き』を

【報告】
この作品は、基本前作『凪のあすから~心は海のように~』をなぞらえて著しています。
前回39話まで、ほとんど同じ尺で切り取ってきましたが、今回40話をもって足並みを揃えることをやめます。
(つまり、これまで内容が前作20話=今作20話だったのに対し、ここからは前作41話≠今作41話といったようになります)

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

「私ね・・・、遥のことが、ずっと大好きなの」

 

 それは、紛いのない告白だった。

 回り道も、遠回りな言い回しもなく、ただただストレートな告白。

 

 いつも自分はと遠慮して、大人ぶって思いをはっきり口にするのを控えていた、ちさきからの、告白。

 

 その潔さに一種の気持ちよさを覚えた。そしてそこから、ちさきの思いが全て詰まっているのを感じた。

 

 ・・・でも。

 

「・・・」

 

 

 俺は何も言うことが出来ず、黙り込んで俯いた。

 どうやって断ろうか、どうやって受けようか。そんなことはハナから脳裏になかった。

 

 俺は、何も考えることが出来なかった。頭が真っ白になっていたのだ。

 

「遥?」

 

 そうしてフリーズしたままの俺に不安を覚えたのか、ちさきは様子を伺ってくる。

 いつまでもこのままでいるわけにもいかない。どうにか言葉をつなぎ合わせて、俺はちさきに返事を行った。

 

「・・・ちさき、先に謝らせてくれ。・・・振るとか、受けるとか、そういうのじゃない。・・・俺は、この告白を受け取れないんだ」

 

「え?」

 

「好きになれないんだ。・・・誰も、かれも。今告白されて分かった。・・・俺、どうしようもなくダメだ。心の底から誰かを好きなろうとしたら、怖くなって仕方がない。・・・今だって、こんなに震えてる。だから・・・」

 

 自分でも、何を言っているのか理解できなかった。

 けれど、一つだけ言えることがあるとすれば、俺はこの告白を受け取ることは出来ないという事。告白を受けたものとして、最低な行動を俺は今行おうとしている。

 

 それでも、逃げてしまう。

 

「だから、ごめん。・・・今は、返事を返せない。考えさせてほしい。・・・いつか、絶対に、答えを出すから」

 

 

 それを聞き終えて、ちさきは泣き出すこともせず、何かを達観したように小さく微笑んで呟いた。

 

「やっぱり、遥は優しいんだね」

 

 その言葉の意味を考えることはしなかった。

 なぜなら、その声音は美しく、脆く、悲しいものだったから。

 

 気持ちの悪い無言の時間が続く。

 さっきの今で、何を言い出していいのか分からない。

 

 でも、とりあえず何か話さなければ。

 口先に力を込めた瞬間、遠くから少し間の抜けた声が聞こえてきた。

 

「なんだ、二人ともここにいたのか」

 

 そこでやってきたのは、自分の用事を済ませたのであろう紡だった。

 

「ああ。エレベーターがさっき混んでいてな。次の便を待ってたんだ。・・・そろそろ来るようだし、乗るか」

 

 さっきまでの無言を切り裂くように、俺は口数多く紡に返事をした。

 ちさきも、言葉はなくとも作り笑いでうんうんと頷いてくれている。

 

 そして、エレベーターが付くなり、俺たちは乗り込み、無言のままで昇っていった。

 

---

 

~ちさきside~

 

『その告白を受けることは出来ない』

 

 それが遥の答えだった。

 特別、OKを言っているわけでも、NOを言っているわけでもない。好きになることを怖がっているという理由に、きっと嘘はない。そう信じれる。

 

 ・・・でもね、分かっちゃうんだ。

 

 そんなことを言っても、遥は私を見ていなかった。もっと別の誰かを思って、私の質問に答えていた。

 それが過去の人か、今の人か、なんてのは私じゃわからない。

 

 でも、その瞳の世界に、私はいない。それだけは分かった。

 

 だから、言葉を濁さなくても分かる。

 

 私は、きっと振られたんだ。

 

 もちろん、遥は自分が振った、なんて意識はないと思う。だから、遥には自分を責めないでほしい。

 私のこの恋は、告白は、自己満足だったと割り切ってほしい。

 

 だから、私は言う。

 

「遥は、優しいんだね」

 

 無意識のうちに、私の恋心を遠ざける言葉を放った遥。

 それでも、ああ・・・。

 

 

 やっぱり、好きだったんだ。私。

 

 涙はないけど、やっぱり寂しかった。

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 

 それからは、しらみ潰しに街を回ることになった。

 金はないが、時間はまだある。目ぼしい店をどうにか探そうと、俺たちは手分けして行動することになった。

 

 その提案をしたのは、俺だった。

 

 ・・・そう、俺にも一つだけ、『用事』があった。

 誰にも公言できない、俺だけの用事。誰の力も借りてはならない、俺だけの償い。

 

 美海の用事とか言っておきながら、私利私欲のための時間として費やしたんだな、俺は。なかなかに最低だ。

 

 けれど、一人になれたのはありがたかった。その用事を果たすことも出来れば、・・・色々と悩んでいたことを忘れることが出来る。

 

 そうして俺は自分のやるべきことを果たした。

 そして集合。再び店を回るに回ったが・・・、最適解は出ずに街を離れることとなった。

 

 帰りの電車の雰囲気は、当然ながら暗かった。

 特別誰のせい、というのもない。確かに美海が落ち込んでこそいるものの、単純に疲労で寝ていたり、何かを思いながら窓の外を眺めていたりと各々が勝手にやっていたのもある。

 

 けれど、俺の周りの雰囲気が暗いままなのは美海が落ち込んでいるからである。それだけは間違いなかった。

 

「・・・結局、ダメだった」

 

 美海は今にも泣きだしそうな表情でポツリとこぼす。その言葉が耳に届いていたのは俺だけだった。

 

 こういう時、どうやって声を掛けるべきだろうか。

 心理学を勉強している、などとのたまっていながら、結局こうしたものは人付き合いの果てだ。

 

 一時それを失っていた俺は、まだまだ経験不足である。だから、言葉の一つひねり出すことが出来ない。

 慰め? 違う。励まし? これも違う。

 

 そして気づく。

 言葉なんていらない、と。

 

 そんな思考に行きついた俺に助け船を出すかのように、紡が口を開いた。

 

「なぁ、そのプレゼントは、お金で買えるものじゃないとダメなのか?」

 

「どういうこと・・・?」

 

「魚のウロコ。・・・小さいころ、魚のウロコを瓶に貯めて、じいちゃんに渡したことがある。『こんなもの、いらん』って言われたけど、今でもじいちゃん、その瓶を大切に持ってる」

 

 俺の思考に、紡の具体例が内容となって重なる。

 結局、美海が送るべきものは『プレゼント』じゃない。美海の『好き』の気持ちだ。プレゼントなんて結局、それの道具、手段でしかない。

 

 美海は、好きな貝殻のネックレスがいいと言った。

 

 

 じゃあ、作りに行こうか。

 

「美海、これから作りに行こう」

 

---

 

 

 そして、俺たちは鴛大師で降りるなり、すぐに海岸へと向かった。もう夕暮れ、ぼーっとしていれば、あっという間に夜になってしまう。

 

 波打ち際を隅から隅までくまなく探す。美海の望む貝殻を見つけては拾って、糸に通していく。

 結局、それは二時間ほどで作り上げられた。流石に皆疲れたようで、潮留家に寄る用事がある俺と光を除いて皆帰っていった。

 

 そして、アパートに着く。あかりさんは、至さんと二人して美海の帰りを待っていた。

 

 少々心配した様子のあかりさんが近づいてくる。

 そして、その距離がゼロになるころ、美海はたじたじと手を差し出した。

 

「これ・・・」

 

「—————・・・私に、くれるの?」

 

 あかりさんの問いかけに対して、美海はうんと頷いた。

 

「お店でも沢山探した。・・・でも、見つからなくて」

 

「それで、頑張って作ってくれたの?」

 

「うん・・・。みんなに手伝ってもらって、作った」

 

 そして美海は、大切な言葉をちゃんと口にする。

 

「美海の好きを、あかちゃんにあげたくて・・・」

 

 その言葉を聞いて、あかりさんは表情をほんのり明るくした。涙はないが、嬉しそうなのは間違いない。

 けれど心配性な美海は、それでも尋ねてしまう。

 

「これじゃないのがよかった・・・?」

 

 あかりさんは優しく首を横に振り、ネックレスを持つ美海の手を取った。

 

「ううん・・・。これがいい。これが一番いいよ、美海」

 

「・・・えへへ」

 

 美海は半泣きになりながら、くしゃりと顔を歪ませて笑う。そのほほえましい光景を目にして、俺と光も笑った。

 

 

 ・・・ああ、温かいな。

 

 俺が何度も失って、一時は投げ出した家族の愛が、今、目の前にある。同じ悩みを

抱えていた、美海のもとに。

 

 

 今だけは、好きの気持ちに対する恐怖を、忘れられた気がした。




『今日の座談会コーナー』

このシーンは、確か前回、割とうろ覚えの知識で書いていた気がするんですよね・・・反省。というのもあって、今回は出来るだけ原作の展開をなぞらえるように書きました。

本音と言いましょうか、ぶっちゃけた話なんですが、私凪のあすからの最初6話くらいまで好きじゃないんですよね。それこそ、前半内容は中盤以降がミソなので。
当たり前っちゃ当たり前なんですが、いかんせん幼さが目立ちすぎて、見るにきついんですよね・・・。そのせいで切っている人も中々多いようで、私的にはちょっと残念です。
言えばこの作品、割と賛否両論型ですから。

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といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第四十一話 純白の誓い

細部をふくらます、というのは今作のコンセプトの一つです。
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 それからしばらくして、俺は潮留家から帰宅した。流石に保さんに迷惑はかけられないので、自分の足で、だ。

 

 そして家に辿り着くころには、流石に疲労がピークに達していた。足が棒のよう、とはよく言ったものだ。それだけじゃなく、全身の倦怠感が石のように上からのしかかってくる。

 

 けれど、俺はやるべきことを達成していない。

 

 ・・・そう、俺がやろうとしていたこと。それは『水瀬への償い』だった。

 

 自業自得の怪我。それで俺は、誰も傷つけることはないと思っていた。

 けど実際、水瀬はそれで心に傷を負ってしまった。今考えれば、俺が傷つく場面を見ているだけで、被害を受けていることになる。

 

 一日たって、やっとわかる。あれは、間違いだったと。

 

 ・・・いや、本当はあの時に分かっていたのかもしれない。今、自分のやろうとしていることは間違いだって。

 

 しかし、今でも思う。だったらどうすればよかったのか、と。

 

 でも、結局水瀬が言いたいのはそういう事じゃない。いまでも耳に響く。『なんで私たちがあの場にいたのか考えてよ』という言葉。

 

 そう、俺はもう、一人じゃ無くなってた。それを分からずに、自分だけ傷つこうとした。

 だから、もう二度と間違えたくない。伝えたい思いは分かっている。

 

 九時ごろ、俺はようやく水瀬家のドアを開けた。

 結構帰りが遅くはなったが、こうなることは予想していたのだろう、お咎めはなかった。

 

 夏帆さんが作りおいてくれた夕食をいただいた後で、一度自分の部屋に戻る。

 想いは分かってても、それをどうやって伝えればいいかはまだはっきりと分かっていない。

 

 感情のままに話して、これまでもなんども醜態をさらしてきたから。

 

 ・・・けど、結局決めておいた言葉なんて、感情の前に打ち消されるものだ。こんなところで着飾った言葉を用意しても、何の意味もない。その答えにいきついた。

 

 だから、俺は小包を片手に部屋を出た。向かう場所は水瀬の部屋だ。

 けれど、その道中、保さんが手をこまねいているのが見えた。流石に無下にするわけにもいかないので、俺は保さんの下へ向かう。

 

 保さんは、俺が昨日今日で何を思っていたのかお見通しだったようで、無表情ながら柔らかな声で俺に語り掛けてきた。

 

「・・・責任って、難しいもんだな」

 

「なんですか?」

 

「千夏と・・・一悶着あっただろう?」

 

「・・・。そうですね」

 

 現に、この人もあの場所にいたんだから、分からないはずはない。

 あの会話を聞いていたんだから、何も思わないはずもなかった。

 

「遥くんが一人の犠牲で済ませようとした理由も、千夏が怒っている理由も、俺には

よく分かる。どっちが正しい、とか、どっちが間違い、とかもない。だからな、遥くん。・・・自分が間違いだと思いきれてないなら、謝らない方がいい」

 

「・・・!」

 

 声音こそ優しいが、少々厳しく諫められる。この人は、本当になんでもお見通しのようだった。

 確かに、この人の意見はもっともだ。妥協して和解したところで、その不満が解消するわけじゃない。

 今ではもう、特別不満を思うことはないが、ひょっとしたら後でまた燻るかもしれない。可能性はゼロではないのだ。

 

 でも今は、落ち着いた考えができる今なら、水瀬の意見をもっとくみ取れるかもしれない。

 だから、引く気はなかった。

 

「大丈夫ですよ。・・・それに、あの時は気が動転してたっていうか、なんというか・・・。でも今なら、あいつの言いたかったこと、俺の伝えたかったことをちゃんと伝えれるかもしれないから。・・・だから、またそこで対立が生まれても、今度は大丈夫だと思うんです」

 

「・・・そうか。いらない心配だったな」

 

 保さんはふっと笑って、また手元の新聞に目を落とした。さっさと行け、ということなのだろう。

 

 リビングをあとにして、二階部分の水瀬の部屋へ向かう。ドアの下部から光が零れる。どうやら、まだ眠ってはないみたいだった。

 

 俺は覚悟を決めて、そのドアを三度ノックする。しばらくして、中から力なくガチャリと扉が開いた。

 

「・・・何の用?」

 

「話、したくてさ」

 

 そうとしか言えなかった。

 水瀬はしばしの沈黙の後、ドアを先ほどより少し大きく開いた。

 

「・・・いいよ。入って」

 

 促されるままに、俺は水瀬の部屋に入る。

 今ここで水瀬の部屋について感想を述べることなどないが、強いて言えば、年相応の女の子の部屋、と呼ぶにちょうどよかった。まなかの部屋やちさきの部屋に近いものを感じる。

 

 そして、水瀬はベッドに腰かけた。改めてその表情を見ると、目元が少し赤くなっていた。何を思ってかは知らないが、泣いていたのだろう。

 それに何より、顔を隠したいのか、部屋着のパーカーのフードで表情を隠していた。

 

「「・・・」」

 

 しばらくの沈黙。けれど、切り裂かないことにはどうしようもない。

 勇気を出したのは、俺の方だった。

 

 

「・・・あのな、水瀬」

 

「何?」

 

「昨日のこと、だけどな・・・。水瀬が言いたかったこと、今になってやっと理解できたんだ。・・・俺、自分が傷つくことで誰も傷つかずにすむって、そう思ってたんだ。・・・でも、こうして誰かを悲しませて、傷つけてしまった」

 

「・・・」

 

「結局、俺一人でできることなんて何もありはしなかった。・・・でも、これだけは分かってほしい。あの時、こうするしか方法はないって、俺はそう思ってたんだ」

 

「・・・そんなの、分かってるよ」

 

 水瀬は少々語気を強めていった。

 

「分かってたよ。・・・それに、私が言ってることだって綺麗ごとに過ぎなかったんだよ。一人で背負うな、なんて言ってながら、結局、どうすればいいか分からなかった。口先だけって言ったら、そういうことだね」

 

 力なく笑う水瀬。その弱気な姿勢は、見るに堪えなかった。

 そんな顔をしないでほしい。その願いで、俺は水瀬の自虐を否定する。

 

「でも、間違いじゃない。・・・仮に誰もどうすればいいか分からなかったにしろ、考える頭を増やそうとしなかったのは俺の責任だ。・・・全部一人で抱えて、終わらせようとして、そんな最低なことをしたのは俺だ」

 

 

 そして俺は、一つの小包を手元に持ってくる。

 

「・・・だからな、一つ誓い事をしたいんだ」

 

「え?」

 

「誰かのために自分を傷つけて、誰かを傷つけることになるのなら・・・、俺は誰かのために、自分を大切にしようと思うんだ。・・・それはもちろん、誰かに代わりに傷ついてもらう、なんてことじゃなく」

 

 そして、小包を目の前の水瀬に手渡す。

 

「だから、これを約束の形にしてほしい。・・・これを手渡したら、俺はもう、二度とさっきの誓いを破らないから」

 

「・・・開けてもいいかな?」

 

「どうぞ」

 

 水瀬は小包を開ける。

 俺が手渡したものは、一つのネックレスだった。

 

「・・・こんなもの、いいの?」

 

「ああ。・・・そしてこれは、お前に持ってて欲しい。俺の誓いを聞いたのは、お前だけなんだ」

 

「・・・ありがとう」

 

 次第に水瀬の表情は晴れていく。

 しかし、次に出てきた言葉は、謝罪だった。

 

「・・・ごめんね。私、わがままだ」

 

「気にするな。これは俺のわがままだ。こうでもしないと、気がすまなかった」

 

「・・・私たち、似てるんだね」

 

「だな」

 

 そして、二人して笑いだす。

 これでいい。これがいい。

 

 

 

 俺は一歩、前に進めた気がする。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作から書いててあれなんですが、筆者はこの【水瀬千夏】というキャラが相当大好きです。そりゃ、オリジナルキャラクターなんで当然ですけど。
けど、世の中には自分で生み出したキャラクターを自分で嫌うなんてよくある話だと思うんですよ。ジョジョのバニラアイスとか。

どうでもいいですが、直感的に名前を探したとき、水瀬家の女性二人は私の高校時代の同級生の名前になってました。ゴメンね。


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といったところで、今回はこの辺で。
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第四十二話 変わりだす空、動きだす時

個人的に、第一の盛り上がりはここからの数話と自負しております。
とはいっても、新規な展開もしっかりと考えておりますので、こうご期待。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 水瀬と和解することも出来て、美海のお願いを叶えることも出来た。

 全て、とは言い難いが、大体のことは上手く片付き、進んでいった。

 

 それから数日して、杖を使用しなくていいという許可が出た、ある日のこと。

 

 ・・・。

 それは、目覚めてすぐに気が付いた。

 朝、目覚めたとき、どことない肌寒さを感じた。これまでも夏にしては涼しいとは思っていたが、今回はその範疇を通り越している。

  

 布団から起き上がり、カーテンを開けてみる。

 

 そこには、雪が降り積もっていた。夏であるにも関わらず、だ。

 

 思わず、外に飛び出てみる。その雪を肌で触れて、確かめてみたかった。

 そして、触れて気が付く。これは、紛れもない、ぬくみ雪だった。

 

 ここ数日の謎の肌寒さは、これの吉兆だったというのだろうか。

 

 ・・・だとしたら、嫌な予感がする。

 

 

---

 

 

『それでは、次は陸の天気です———―』

 

 しかしそれ以降はどうすることもできず、今は水瀬と保さんと三人で食卓を囲んでいる。夏帆さんは夜勤明けのようで、まだ寝ているようだった。

 

 自作の軽めの朝食に手を付けつつ、食卓はやはりこのぬくみ雪の話題でいっぱいだった。

 

「なあ、水瀬。・・・確認だけど、これまで地上で、夏にぬくみ雪が降ったことってあるか?」

 

「私も初めて体験するんだけど・・・。お父さん、これまでこんなことってあった?」

 

「・・・確か、ない。いつしか夏帆が、「いつしか異変が・・・」なんとか、俺には分からん話をしてたが、・・・今回のは、それに近いのかもしれんな」

 

 異変。

 

 そもそも、海でぬくみ雪が降り始めたことも、一つの異変だった。それが、地上にまで波紋を及ぼしたと言いたいのだろうか。

 海の気温はどんどん低くなっている。ここ数日の陸の低気温を考えると、リンクしていると言われても無理のない話だ。

 

 さすがに、これ以上は海も黙っちゃいないだろう。直感めいた話だが、そんな気がした。

 ウロコ様が重い腰を上げる時が来たとしたら・・・、いよいよ俺たちは、当たり前の明日さえ手に入れることが出来なくなるかもしれない。

 

「・・・ん」

 

「・・・」

 

「島波君」

 

「・・・ん、なんだ?」

 

 思い込みに更けていたようで、俺を呼ぶ声が耳に入っていなかったようだ。

 

「・・・大丈夫、なの?」

 

 水瀬は、どうやら海の心配をしているようだった。

 大丈夫、か・・・。

 

「・・・悪い。気休めなんてのは俺に似合わないからはっきり言わせてくれ。・・・大丈夫、とは言い難い。それこそ、ここからどうなるか俺も分からないんだ」

 

「そう・・・」

 

「でも、出来るだけのことはする。だから、そう不安がるなって」

 

 みんなのための自分が、ここにいる。

 だから、どうにかするしかないんだ。

 

 そこからしばし声がパタリと止む。次に声を発したのは、保さんだった。

 

「遥くん、ちょっと頼まれてもらっていいか?」

 

「はぁ、いいですけど・・・。なんです?」

 

「悪いが、今日の学校への道中で、潮留さんのところに書類を届けてくれないか? なるべく早く渡した方がいいんだ」

 

「分かりました」

 

「あ、私も行く。・・・いい、よね?」

 

「もちろん」

 

 幸い、この家での朝は早い。

 これから潮留家に寄って学校に行くだけの時間は十分にあった。

 

 

---

 

 朝食を済まし、俺はいつもより少しだけ早く、水瀬と一緒に家を出た。そこから潮留家へ直行。

 アパートの階段付近では、美海が何かをせっせと作っていた。

 

「雪だもんね」

 

「ここは冬もあんまり降らないしな」

 

 その子供な行動に俺と水瀬は微笑ましさを覚えた。俺が同じ年の時も、あんな風だっただろうか。

 

 しかし、進む足が止まる。今行けば、邪魔になるような気がした。

 

「どうする? 行く?」

 

 水瀬が問いかけてくる。けれど、決定権が俺にあるわけじゃないし、大切な用事である以上、答えは一つだった。

 

「どうするったって・・・行くしかないだろ。まあ、邪魔しないようにしながら、な」

 

 と言ったタイミングでどうやら出来上がったのか、美海はウキウキでアパートへと戻っていった。

 それを見て、俺たちは安心してゆっくりと家の方へ向かった。

 

 ピンポーンとインターホンを一度鳴らす。

 数秒後、ドアを開けたのは、手に何かを持った美海だった。少々がっかりした表情を浮かべているが。

 

 その近くには、あかりさんと光もいた。

 

「・・・あれ? 遥、千夏ちゃん」

 

「よっ。ちょっと用事でな」

 

「おはよう、美海ちゃん」

 

 そして今度は、その手元にある物体に視線がいった。これを先ほど作っていたみたいだが・・・。

 美海は一つため息をついて、俺たちに質問をしてきた。

 

「・・・ねぇ、これ、なんだかわかる? 光、雪だるまとしか言ってくれないから・・・」

 

 がっかりした目で、美海は光を見つめる。

 

「どう考えても雪だるまだろ、これ。・・・てかお前ら、用たって何の用だよ」

 

「水瀬の親父から、至さんあてに書類をお願いされてな。それを登校ついでに持ってきたんだよ。・・・んで、美海のこれって、どう見たってあれだろ」

 

「ウミウシ、だよね?」

 

 水瀬に先を越されて、出鼻を挫かれる。仕方がないので、それに乗っかった。

 

「色がないとはいえ、流石に形で分かるだろ・・・。なぁ?」

 

 俺と水瀬のやり取りを受けて、美海はぱぁと顔を明るくして、うんうんと頷いた。どうやらご満悦の様子。

 

「というか、海の人間が間違えるかこれ。普通に上手だぞ」

 

「うるせえな!」

 

 と、奥からあかりさんが顔を覗かせてきた。

 

「あ、遥くん。それ受け取っておこうか。至さん、今外に出ちゃってるから」

 

「お願いします」

 

 そう言って、あかりさんに例の書類を手渡した。

 

「ああ、そうだ美海。ちょっと待ってね。そのウミウシだけど・・・」

 

 書類を見やすい机の家に置いて、あかりさんは台所のカイワレを二本、雪ウミウシに刺した。

 

「こうしたほうが、もっとウミウシっぽいかな」

 

 それがどうやら気に入ったのか、美海はずっと嬉しそうにニコニコしていた。しかし、すぐにその表情は、不安に変わる。

 

「・・・パパが帰ってくるまで、残ってるかな・・・」

 

「いや、冷凍庫入れておけばいいでしょ・・・」

 

「あ、そっか」

 

 どうやらその発想はなかったらしい。まあ、食品以外を冷凍庫に入れるって考えは確かにないかもしれないけど・・・。

 

「それじゃ、そろそろ行く?」

 

 話がひと段落ついたところで、水瀬が俺に問いかけてくる。が、答えたのは光だった。

 

「ちょっと待ってくれ。あと数分したら準備できっから、俺も行く」

 

「・・・だとさ。OK?」

 

「私はOKだよ」

 

 二人の了承を得て、光はすぐに支度を始めた。

 光は杜撰な人間ではあるが、準備だとか、そういった類の行動は俺たちの中では断トツだ。人を待つのが嫌いな人間だからこそ、待たせることも嫌いなのだろう。

 

 結局、光の準備は二分足らずで終了した。

 

「悪い、待たせた」

 

「いや、早えよ。逆に驚いたわ」

 

「・・・それじゃ、行こうか」

 

「行ってらっしゃい」

 

 あかりさんの声をあとに、俺たちは潮留家を出発した。

 

 今日の光は大分落ち着いているようで、時々感じてしまう不快感を感じることはなかった。

 ごく普通に、水瀬に声を掛ける。

 

「そいや、遥はお前んちで世話になってんのな」

 

「え? ああ、うん。そうなの。・・・色々あっちゃったしね」

 

「まあなぁ・・・。それこそ遥、お前、もう杖は大丈夫なのか?」

 

「歩く分には問題はないみたいだぞ。と言っても、まだ海に帰るのは控えていた方がいいらしい」

 

 客観的事実を光に述べる。光は「そっか」とだけ呟いて、特に関心はなさそうだった。

 けれど、主観的な事実を述べれば、今の俺に、海に帰る勇気はなかった。・・・どころか、心のどこかで海に帰りたくないと思ってしまい始めていた。

 

 当然、嫌いになったわけじゃない。けれど、あれだけの大人を敵に回して、今更のこのことは帰れない。

 それに・・・。水瀬家の居心地が、あまりにも良すぎる。

 

 離れたくない、そう思ってしまうほどに、俺は、あの場所のことを・・・。

 

 

「まあ、俺も帰るつもりはねえけどな!」

 

 急に鼻を鳴らして光が声高々に宣言する。俺と水瀬は少しばかり苦笑するが、その光の言葉でどこか気が楽になったのも確かだった。

 

 

---

 

 

 学校に着くと、すでに教室内に、まなか、要、ちさきの三人が来ていた。俺たちが遅れたのか、と思って時計を見るが、いたって定刻だ。どうやら三人は、今日は早く来ていたらしい。

 

「どしたよお前ら。えらく早いな」

 

「あ、おはよう。・・・えっとね、なんか、大人たちが大事な話し合いがあるから、先に行きなさいって」

 

 その言葉を聞いて、背筋に冷や汗が走ったのが分かった。

 

 大方、予想通りだ。

 

 異変に関することだとしたら、会議まで行われるとなると相当ヤバい話になってくる。・・・何を話しているかはさすがに推測できないが、時間は・・・きっと、もうない。

 

「遥?」

 

 ずっと下を向いていたせいか、気にかけられて、声を掛けられる。

 

「なんでもない。大丈夫だ」

 

 大丈夫な訳ないのに、また口にしてしまう。

 

 

 だんだん大きくなっていく不安に太刀打ちする術は、今のところ持ち合わせてはいなかった。




『今日の座談会コーナー』

前作を書いていたのが二年前のこの時期ですか。時が経つのは早いですね~。
今回の内容は前回で言う41話ですか。
当時はというと、まあ筆者がネットスラングやなんJにドはまりしていた真っ最中でしたので、この作品のみならず、いろんな地の文で引用していましたね。

悪くはないと思いたいですが、流石に文章が曖昧だったり、内容不足な点が多いので書き換えです。

スラング関係なしに、前作は本当に状況説明が足りていなかったような・・・(小声)


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第四十三話 止まらない歯車

ここかどこらかで会話を設けなきゃ、冒頭の幼少期時代に狭山を出した意味がないでしょうが!
という事で、本編どうぞ。


~遥side~

 

 交渉が大失敗に終わった、とは言えども、ここまで来た俺たちに、お舟引きを諦めるという考えは毛頭なかった。子供たちの、最大の反抗だ。

 それが実る、実らないは気にしていない。きっと、なるようになる。

 

 頑張ったことが報われる。ここにいる人間は、そんな奴らばっかりだから。

 

 とはいえ、派手に壊れたおじょしさまの修理には結構な時間がかかった。時間が限られてくる中での作業となると、いよいよ学校での作業では事足りなかった。

 

 そんな中、助け船を出してくれたのは紡の爺さんだった。場所どころか、船まで貸してくれる、とのこと。本当に、この人には助けられてばかりな気がする。

 

 当然、まとまっていても意味はない。大人数いるということもあり、分担で作業を行う。俺の作業場所は・・・厨房だった。

 

 ここにいる人間、俺しか料理が出来ない、などという残念な理由ではなかったが、水瀬らに押された挙句、現状がある。まあ、ある意味サボれるからそれはそれで・・・。

 

 まあ、などと一人脳をフル活用させながら、人数分の磯汁を作る。この人数、豪華なものは作れないし、細かいものも作れない。そんな中で、汁というものはうってつけだった。

 おまけに、最近はどんどん冷え込んできている。やはりこの間のぬくみ雪は悪い吉兆となってるのかもしれない。

 

「おっすー、出来てっかー?」

 

 ぐつぐつ鍋の中で汁を煮込ませていると、厨房に入ってくる声が一つ。狭山だ。

 

「なんだ? 茶化しに来たのか? もしくはサボりか」

 

「へへ~あたり。って、流石に俺もそんな馬鹿じゃねえよ。まあ、ここに来たのは休憩がてらだけど」

 

「結局どっちなんだよ・・・。・・・んで、本題は? 本当に茶化しに来ただけじゃねえよな」

 

「さすがは島波さんだぁ。よくわかっていらっしゃる」

 

 ふざけた風に狭山は俺の名前を呼んで、がさがさと音を立てながら、何かが入っているレジ袋を俺が調理している台の左に置いた。

 

 

「・・・なんだこれ」

 

「差し入れ、と、まあ、食材? うちの店で買ってきたってわけ。まあ、親父が立て替えてくれてっけど」

 

 言われて、俺はその袋の中身を確認した。

 確かに、差し入れと思われる菓子がちらほらと入っていた。が、本当に食材も入っていた。少々の野菜と、バラの豚肉だ。

 

「つって、今から別のもんなんて作れねえぞ。流石に時間もないし、人数分も用意できない」

 

「だったら、その汁の中ぶち込めばいいんじゃねえの?」

 

 純粋な狭山の助言。しかし、どこか俺の中でしっくりくるものがあった。

 

「・・・それだ」

 

「は?」

 

「さっきから何回か味見してたんだけどな、どーにもインパクトが薄いっていうか、昔知り合いに作ってもらった味にならなくてな。そうか、豚肉だったんだ」

 

「あ、ああ、そう。親父にあとで礼言っとくわ」

 

 みをりさんに何度か作ってもらったことのある磯汁。

 あそこにも、確かに豚肉が入ってたはずだ。・・・空いたパズルのピースが埋まる。

 

 

 そんなことに思い更けていると、似合わない様子で狭山が俺に声を掛けてきた。

 

「島波はよ、なんか最初っから違ったよな」

 

「なんだ藪から棒に」

 

「最初、俺たちはお前らとなんて仲良くできるはずなんてないと思ってた。・・・なんつーかな、バカにしたかったわけじゃねえのに」

 

「まあ、あの日のことはもう忘れてくれ」

 

「けど、今こうしてると、なんかちょっと、嬉しいっつーか、そんな気がするんだよな。こうして大人数でワイワイ馬鹿やって、なんて日々。あーあ、ずっと続きゃいいんだがなぁ」

 

 狭山も狭山で、楽観的な思考を持ちながらどこかそんなことを思っていたようだ。その思考回路は、どこかちさきに似ている。

 

 けれど、それが無理なことはちゃんと理解してるようで、狭山は笑ってごまかした。

 

「なーんて、バカ見てえだな。らしくねえ」

 

「ああ。らしくないぞ」

 

「んじゃ、俺はまた江川にちょっかいかけてきますわ! 今が続かねえなら、今を楽しむしかねえもんな!」

 

 そして勢いよく狭山は厨房をあとにしていった。

 

「・・・忙しい奴だな、ホント」

 

 苦笑交じりに、俺は追加した具材を混ぜ込むのだった。

 

 

---

 

 

 それから完成間際、今度厨房に寄ってきたのは要だった。これまた珍しい。

 

「あん? 今度はお前か。なんか用か?」

 

「いや、特にね。休憩がてら、遥の様子確認。みんなそろそろお腹が減るころだろうし」

 

「急かしても出来上がるスピードは変わらねえぞ」

 

「分かってるよ」

 

 爽やかに要が笑う。・・・俺はその仕草が、どこかいけ好かない。

 

「・・・あと三分もすりゃ出来上がるって、みんなに伝えといてくれ」

 

「分かった。ほかには? 手伝えることはない?」

 

「じゃあ、向こうでお椀の用意しておいてくれ。そうした方が注ぎやすいだろうし、スピードも上がるだろ」

 

「分かった」

 

 それだけを受けて、要は去ろうとする。

 しかし俺は、反射的に要を呼び止めてしまった。

 

 心の奥底に、伝えなきゃいけないメッセージがあるのが分かった。

 

「要」

 

「なあに?」

 

「あとでさ、ちょいと抜け出してくれないか? ・・・話したいことがある」

 

「それは、僕一人じゃないとダメなのかな?」

 

「ああ」

 

 間髪入れずに、俺はそう答える。その本気さが分かったのか、要は一度うんと頷いた。

 

 

---

 

 

 それから数分後、俺が丹精込めて作った磯汁は、瞬く間に無くなっていった。こうも美味しそうに頂かれると、作った方はいい意味で溜まったもんじゃない。

 

 なんて、母性まみれの眼でそんな皆を見ていると、後ろからトントンと肩を叩かれた。要からの合図だろう。

 

「・・・ちょっと離れたところに行こうか」

 

「聞かれちゃいけないこと、なのかい?」

 

「・・・聞かれたくは、ないな」

 

 ことの重大さを理解して、要は了承して頷いた。そして、二人で家の影の方へ隠れた。

 

「・・・で、話って?」

 

「今日、学校に早く行くように言われただろ。大人連中に」

 

「うん。会議があるってね」

 

「その会議の内容についてなんだがな、憶測を立てたんだ。・・・信ぴょう性はあまりないけど、聞いてもらいたくて」

 

 要は少々渋い顔をしたが、一度ばかり首肯した。それをOKと捉えて、俺はいつか知った言い伝えを口にする。

 

———海神様が力を失ったとき

 

———ぬくみ雪が陸と海に降り積もり

 

———やがて、人間が暮らせないくらいの寒さになる

 

「・・・!」

 

 俺のその説明を聞いただけで要は何かを察したようで、動揺しているそぶりを見せた。それに俺が説明を加える。

 

「数年前から海でぬくみ雪が増え始めていること。そしてこの間、陸でぬくみ雪が降ったこと。・・・あまり信じたくはないが、もしこれが本当だとしたら・・・」

 

「海の大人たちは、黙っちゃいないって?」

 

「だから今日、会議してるんだろ」

 

 はてさて、その会議で何が決まるのやら。俺には知る由もない。

 けれど、何も対処しないままということにはならないはずだ。お舟引きどころか、動きも制限されるかもしれない。

 

「・・・当たり前だと思っていた暮らしが出来なくなる日は、近いのかもしれないな」

 

「・・・それを、なんで僕に話したのかな?」

 

 要は、バツの悪そうに俺を見つめてきた。

 悪いとは思っている。けれど、俺は要を適任だと思って呼んだ。それだけだ。

 

「会議で何が決まるのか分からないけどな・・・。もし、なんらかの指示が出された時、お前に率先して動いてもらいたいんだよ。この足だ。俺も帰ることは出来ないし。何よりほかのみんなはいざという時に難ありだからな」

 

「買いかぶりすぎだよ。僕だって、非常時に自分がどうするかなんて予想できない」

 

 要の表情からは、いつもの笑顔はとっくになくなっていた。感情がむき出しのこいつも、なかなかに珍しい。

 けれど、俺は無礼を承知で頼みこむ。

 

「それでも、俺はお前に頼んだ。・・・お前が一番頼れるんだよ。・・・ともかく、一回ウロコ様と話はしておかないといけないが」

 

「・・・はぁ。分かったよ。引き受ける。こうも頼まれちゃ、断れないよね」

 

 要の表情には再び笑顔。

 それが紛れもない作り笑顔なのは間違いないが、あえて要はこうしているんだ。いちいち言及する必要などない。

 

 こいつとは、本当の意味では仲良くできないのかもしれない。

 けど、それでも、こうして頼み込む理由はたった一つだけ。

 

 みんなで一緒にいたいという気持ちは、同じなんだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作から、幼少期狭山を出してはいましたが、結局前作はそれ以降特定で絡むことはなかったんですよね。もったいない。
という事で、今回はこんな会話文を。

本編狭山は基本、江川と一緒で「チャラい」のイメージしかありません。
なのでまあ、こういう改変をするのも二次創作の醍醐味かなと思った次第。

今後もこうした絡みを増やしていきたいところ。

---

というわけで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第四十四話 断てない輪の中、揺れる泡

前回は流れとか間が大雑把すぎたので反省。
今回はこんな感じでちょいちょい膨らませていこうと思います。

それでは、本編どうぞ。


~要side~

 

 おじょしさまの作業の傍ら、いきなり僕を呼び寄せたと思ったら、遥はなにやら伝承についての話を始めた。

 

 それでしまいには、僕にリーダーをやれと言う始末。

 正直、腹が立つところはある。

 

 大人たちが何やら深刻な話をしているのは分かっていた。今、見えないところで危険が迫っているというのも事実だ。

 

 でも・・・だからって、僕に何ができるっていうのだろう。

 僕が空っぽな人間なこと、遥はとっくに分かってるはずなのに。

 

 それでも、遥は僕に期待していた。お前しか頼れないと。

 それが本当か、嘘か。今の僕に判断する力はない。おだてられているだけと言われればそうかもしれないし、本当に僕を頼っているかもしれないと言われればそうかもしれない。

 

 だから僕は、その話に乗ることにした。

 精一杯の作り笑い。これだって、すぐに遥は見抜くだろう。

 

 けれど、僕がやることは変わらない。

 

 みんなでずっといたい。その気持ちに変わりはないのだから。

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 お舟引きの作業ももう時間が遅いということもあり撤収。各々が帰路に就く。

 その前に、俺は光に呼び止められた。

 

 何か文句でもあるのかと表情を覗いてみるが、特に怒りというものは見えなかった。代わりに現れていたのは焦り、だろうか。落ち着いた様子は少なくともなかった。

 

「どした、光。落ち着けよ」

 

「いや、落ち着いてるつもりなんだけどな・・・。悪い、なんかモヤモヤしててさ」

 

「・・・大人たちの会議、か?」

 

 光は一度深く頷いた。

 

「・・・残念だけど、俺に聞いてもお前の望む答えは出せないぞ」

 

「分かってる。・・・でも、お前だって何か考えてるんだろ? こんな状況で黙ったままのお前の方がこえーよ」

 

 光は、『島波遥』という人間の人物像をしっかりとらえているようだった。伊達に少しの間一つ屋根の下で暮らしたわけじゃない。

 

「・・・一つだけ言えることがあるとすれば、世界の崩壊が近づいているかもしれないってことだ」

 

「は・・・? スケールがでかすぎんだろ」

 

「まあ、段階を踏んで進んでいくかもしれないけどな。・・・最近、やたらと寒いだろ? きっと、海もだんだんとまた水温が下がってきている」

 

「それが吉兆だって言いたいのか?」

 

「ああ」

 

 言い伝えのことは、光には言わない。というより、証拠不十分の状態でこいつに言うことは一番の握手だ。

 やる気だけみなぎって、がむしゃらに行動する。その行動力が評価できる時もあれば、邪魔なだけの時もあるのだ。

 

 ここまでの話を聞いてなお、光は大声を上げなかった。怒りや焦りがないわけではないだろう。

 光は、しっかりと自制をしていたのだ。

 

「・・・俺たちに、出来ることはないのか?」

 

「はっきりと分からないことには、ない。・・・今は、お舟引きを完遂させることがなによりも重要だろ」

 

「・・・だな。頼むぜ、遥」

 

 光はきっぱりと話を切り捨てて、一人俺の下から離れていった。

 代わりに、水瀬が近づいてくる。

 

 

「・・・異変の話?」

 

「ああ」

 

「でも、どうなるか分からないんだよね?」

 

「ああ。だから、この話はあまり他言しないでほしい。変に不安を掻き立てたくないからな」

 

 俺の忠告に、水瀬は一度しっかりと首を縦に振った。

 

「・・・それじゃ、私たちも帰ろうか」

 

「そうだな。もう暗いし」

 

 木原家をあとにして、俺は水瀬と並んで帰路に就く。

 しかし、どうにも話を切り出せなかった。こんな時、世間話の一つでも出せればいいのだけれど。こんな時に限って、何も出ない。

 

 ・・・いや、違うか。こんな時だからこそ、何も出ないんだ。

 それほどまでに、焦ってるのは俺の方だ。

 

 そんな俺に助けを出したのは、水瀬だった。

 

「・・・思いつめるの、やめよ?」

 

「分かってる。・・・けど、いざほかの話をしようと思っても中々話題が出なくてさ」

 

「じゃあさ、島波君から見た汐鹿生の子の話をしてよ。友達としてどう思ってるか、とかさ」

 

「・・・聞きたいか? それ」

 

「すっごい聞きたい」

 

 水瀬の瞳は心なしか輝いているように見えた。どこか、憧れのような感情を海に対して抱いているのだろう。

 

 わざわざ提示してもらった話題を蹴るわけにはいかない。俺は、一つ息を吐いてあいつらについて思っていることを話した。

 

「・・・光か。あいつはすげえよ。昔は馬鹿丸出しで、いつも前しか見てこなかった奴だ。・・・そんなあいつに、俺たちは何度助けられたことか」

 

「今回も、そうだもんね」

 

「・・・未熟な面があるせいか、しょっちゅうトラブル起こしまくりなやつだけどな。・・・でも、リーダーさせるなら、あいつが一番だよ。危なっかしいのにあれだけ信頼できるのは、あいつくらいしかいない」

 

 言葉にするにつれて、どんどん楽になるのが分かった。

 ため込んだ想いを吐き出すことへの気持ちよさを覚える。

 

「まなかは、そうだな。美海にも言ったけど、カクレクマノミみたいなもんだ。・・・なのに、ここ一番でって状況で一番勇気があるのはあいつなんだよ。そんでもって、光と同じくらい感情に不器用で、誰よりも脆くて。・・・だから、守りたくなる」

 

「先島君みたいなこと言うんだね」

 

「たぶん、俺たちのみんなそう思ってるさ。・・・でも、あいつがいると明るくていい」

 

 居心地の良さをくれたのは、いつもあいつだったから。

 

「要かぁ・・・。説明に困るな」

 

「優しいって印象があるけどね」

 

「優しいさ。誰に対しても優しい。・・・けど、時々それが作り笑いの時があってな。あいつのああいう表情、見てて時々辛い。なんつーか、多分、誰よりも不器用なんだよ。優しさを見せることでしか生きてこなかったから、いざという時に自分がいない」

 

「嫌いなの?」

 

「嫌いな訳ないだろ。確かにタイプが違うから、時々おかしいなと思うことはあるけど、それはお互い様だし、だからといって信頼しないわけじゃない。むしろ、演じることが上手いからな、あいつは。ぶれない分、みんなが動揺してるときはあいつが一番頼りになる」

 

 ついさっきの事がそうだ。

 もっとも、その捉え方で言えば、俺は要の偽った表面の部分にお願いをしたことになるのだが。

 

 この際どうこうは言ってられない。

 

 

「ちさきとは、水瀬もよく話すよな?」

 

「うん。どこか気が許せるっていうか、一緒にいて居心地がいいっていうか」

 

「あいつは、状況を判断して自分がどう振舞えばいいか分かってるからな。もちろん、完ぺきとは言わないけど」

 

「あの日の喧嘩の事?」

 

「まあ、光が言ってることも一理あるんだ。大人ぶってるって言えば、確かにそうかもしれない。・・・けど、それはそれで、大事なスキルなんじゃないのか? 人間、素の感情をむき出しなままで生きていけないだろ」

 

「島波君もそんなところあるけどね」

 

「・・・まあ、な」

 

 俺も俺で、どこか大人ぶってるのかもしれない。

 だとしても、今更治そうなんて気はない。素でやってるのなら、それが紛れもない俺なのだから。

 

「・・・みんないい奴だよ。とてもピュアで、純粋で、無邪気で、子供らしくて、羨ましい」

 

 言葉にしているうちに、どこかで悟ってしまう。

 俺はもう、あいつらとの間にどこかで線引きを行ってしまっている。

 

 いつ行ったか、など知る由もない。

 けれど、あの輪の中で、俺だけが異質なもののように感じてしまっていた。

 

「島波君も、まだまだ子供だよ」

 

 その時、水瀬の言葉が嫌悪思考を断ち切った。

 

「器用そうに動いてるけど、ほんとはすっごい不器用。・・・大丈夫、島波君もみんなの仲間なの」

 

 俺の考えていることを知ってか知らずかの水瀬の言葉。

 だけど、その言葉でどこか心が救われる。

 

「・・・ありがとな」

 

「なにが」

 

「なんでも? さっ、帰るか。今日の夕飯は夏帆さんだったな。楽しみだ」

 

「私のは?」

 

「まだ夏帆さんには及ばないかなー」

 

「ふんっ、絶対いつか超えるから」

 

 

 悪い方へ流れていく思考は、どんどん薄れていく。

 狭山が言った言葉を思い出した。

 

 

 変わってしまうのなら、輝いた今を送ろう。

 それがきっと、今は一番正しい。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

この話のコンセプトはつまり、遥から見たみんな、ですね(当た前)
ただ、前作ではこうしたそれぞれへの感情が中途半端にしか書かれていなかったような気がします。
そうした中で、『いかに島波遥という人物が浮いているか』というのを表現したかった感じです。まあ、悪く言えば『マセガキ』ですよね・・・。

さて、そんな遥の成長の物語、ぜひ楽しんでいってください。


---


といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等よろしくお願いします。

また会おうね(定期)


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第四十五話 残された時間

ここら辺、前作がアバウトすぎなのでしっかり膨らませます。
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 おじょしさま修復作業が順調に進んでいるある日の朝、今日は四人で朝食の食卓を囲んでいた。

 そして、いつも通り水瀬と一緒に家を出て、学校へ行く。

 

 その道中、俺はふと思い出した。

 

「・・・待て」

 

「? どしたの?」

 

「今日、英語の課題の提出日だったよな?」

 

「そうだけど・・・。あ」

 

「忘れたんだよ。取りに戻らないと・・・」

 

 たかが課題を一つ忘れたくらいであの先生は怒らないだろうが、これはプライドの問題だ。

 

「分かった。じゃあ、先に行くね? 鍵は開いてると思うから。あ、走っちゃだめだよ。まだ怪我完全に治ってないんだから」

 

「分かってるよ」

 

 それに、走ったところで痛いのは自分だ。

 さて、遅刻覚悟で歩いて帰るとしよう。

 

 

---

 

 

 学校付近まで着くと、時刻はとっくに九時を回っていた。完全に遅刻である。

 普段なら遅刻すると教室に入るのを躊躇ってしまうが、今日はどこかすがすがしい気分だった。堂々と胸を張って教室に入れる気がする。

 

 するとその時、近くに人影が見えた。波中の制服。光だ。

 俺はすぐさま光に近づいて声を掛ける。

 

「よっ」

 

「うぉっ!? ・・・なんだお前かよ。驚かせやがって」

 

 今日の光は、どこか、何かが抜けたような感じだった。いつもほどに感情は入っていない。

 

「んで、お前が遅刻かよ。さぼりは多かったけど、遅刻は珍しいな」

 

「遅刻と提出忘れだったらどっちを選ぶかってところなんだよ。こっちに来て、まだ優等生を演じ切れているはずだしな」

 

「なんだそれ。気張んなくても、お前はお前だよ。誰が見ても間違いねえ」

 

 らしくない光の言葉に、俺はらしくない動揺を見せる。

 しかしすぐに取り払って、今度は俺から問いかけた。

 

「んで、お前は? 寝坊か?」

 

「なんでバレんだよ! せっかく隠そうと思ってたのによ」

 

「寝ぐせ、治ってないからな」

 

 光の右後頭部の髪が、少しばかり変な方向へ跳ねているのだ。

 遅刻すると分かってるなら、ちゃんと直せばいいのに。それをしないところが、また光らしい。

 

「・・・ま、なんだ。遅刻二人組で仲良く笑われ者になろうじゃねえか」

 

「いいけど、髪は直させろよな」

 

 そんな会話をしながら、建物の中に入っていく。

 手洗い場で軽く光の寝ぐせを治して、俺たちは倦怠感に包まれながら教室の扉を開いた。

 

「すいません、遅れましたー」

 

「・・・」

 

 教室中が静まりかえる。が、これはどこか違う。変な静まり方だ。

 

 俺はすぐに教室の中を見回した。・・・そして、気づく。

 

 汐鹿生の人間がいない。誰一人としてだ。

 それと同じタイミングで、何も知らないであろう先生がしゃべりだす。

 

「あれ、海村の子たちは、今日は全員休みって聞いてたんだけどねぇ。光と遥は来たんだね」

 

「え?」

 

 光が声を上げる。

 俺も、声こそ上げなかったものの、目まぐるしいスピードで思考回路が動いていた。

 

 そして、この状況が何を意味するのか。その答えに辿り着いた。

 

 これが、大人たちの答えの一部だ。

 光も少ししてそれに気が付いてようで、小さく怒りの声を上げた。

 

「村の連中・・・!!」

 

 そしてそのまま、荷物も放り出して教室を猛ダッシュで後にする。遅刻から早退まで1分も経ってない。

 

「ちょ、光!?」

 

「はぁ・・・。・・・すいません、先生。俺も行きます。ちょっとこれは、説明が後になるかと思います」

 

「遥もかい!? せめて、事情は・・・」

 

「時間がないんです・・・!」

 

 本当に時間がないかどうかはいざ知らないが、急いだほうがいいという結論に変わりはなかった。

 俺も光の後を追うように学校をあとにする。

 

 けれど、この足だ。まだ海に飛び込むことは許可されていない。

 

 ・・・こうなることを見越しておいて、俺は先日、要に話したのだ。

 

 

~過去~

 

「・・・でも、率先して動くったって、何をするの?」

 

「会議で何が決められたか分からないから、今は何とも言えないけどな・・・。でも、出来るだけ連中の指示に従うようにしてほしい。でも、子供の意見も殺してほしくない。・・・お舟引き、ここまで来たんだ。どうにか融通を聞かせてくれれば」

 

「結構難題なことを言うんだね」

 

「ああ。正直、誰が行動しても同じくらいに難しい話だ」

 

「・・・分かったよ。そうするしかないんだろうね」

 

「それと、ウロコ様に、俺が話たがっていることを伝えておいてほしい」

 

「いいけど・・・。伝えてどうにかなるものなの?」

 

「ああ。『秘策』があるからな」

 

 

~現在~

 

 もし、その秘策がハマっているのなら、ウロコ様がどこにいるかを俺は知っている。

 この鷲大師には、海沿いの雑林の中に、一つ小さな祠がある。海の歴史を学ぶうちに知った、一つの知識に過ぎないものが、今ここで役に立っている。

 

 この祠は、海神様に関係するものだ。

 だから、呼び寄せればきっと・・・。

 

 祠について、あたりを見回す。人の気配は、まだない。

 が、声は突如として聞こえた。

 

「ほう、ここを知っているとはのう、遥よ」

 

 声の方を向く。

 祠の綻びた屋根に、ウロコ様はいた。

 

「あなたがここにいるってことは、要はちゃんと、あなたに俺の意思を伝えてくれたんですね」

 

「ああ。聞いたぞ。・・・しかし、こうも簡単に人を使いっぱしるとは、お主も中々に自分勝手よなぁ」

 

「無理言わんでください。この足で戻って、俺に死ねとでも言うんですか?」

 

「冗談じゃよ」

 

 八ッハとウロコ様が笑い飛ばす。けれど、今は笑っていられる状況なんかではない。

 

「で、どうして俺がここにあなたを呼び寄せたか、分かりますよね?」

 

「・・・大方、会議の内容でも知りたがってるのであろう。じゃが、大人たちは皆、まだお主ら子供に伝えるつもりはないようじゃぞ?」

 

「・・・なら、こういうのはどうですかね?」

 

 そして俺は、例の伝承を口走る。

 

 

———海神様が力を失ったとき

 

———ぬくみ雪が陸と海に降り積もり

 

———やがて人間が暮らせないくらいの寒さになる

 

 

「・・・ほう?」

 

 ウロコ様は興味深いものを見る目で俺をしっかりと見つめてきた。そして、一度瞑目して開いたかと思うと、急に口を割った。

 

「その伝承は、普通まだ14になったばかりの小僧が知るような内容ではないんじゃがの」

 

「ずっと前から知ってましたよ。あれだけ籠って本を読みふけっていたんですから。それを知らないあなたではないでしょう?」

 

「中々面白いことを言う。・・・そうじゃな。それが念頭にあるのであれば、お前には公言しても良いであろう、遥よ」

 

 ウロコ様は、一つ息を吸って、吐いて、淡々と述べた。

 

「冬眠じゃよ」

 

「冬眠・・・?」

 

「そうじゃ。その言葉の意味を知らないお主ではあるまい」

 

 意味は知っていた。

 人間以外の、一定数の野生動物が冬の寒さをしのぐため、籠って長い眠りにつくことだ。そうして、冬を越して、また目覚める。

 

 それを、人間がしようという話なのだろうか。

 

 ・・・確かに、理にかなっているけど。

 

「どれくらい、眠ることになるんですか?」

 

「さあの。眠らせるのは海神様の仕事じゃが、目覚めるのは人次第じゃ。5年で起きる奴もおれば、10年かかる奴もおるかもしれん。3年で終わる奴もおるかもしれんの」

 

 ・・・冗談じゃない!

 

 そう簡単に、今の陸を手放したくない俺は、心の中で叫び声を挙げた。

 

「・・・やはり、反抗的な目を示すと思ったぞ。エナを持つものを対象にしているからの。お主や灯の娘の扱いには困る。じゃがな、このまま陸に残り続けたら、最悪人より早く死に至るかもしれん。それでも、お前はここを選ぶのか?」

 

 

 曇りのない、ウロコ様の瞳。

 

 

 けれど、俺の答えは、もう決まっていた。




『今日の座談会コーナー』

そう言えば、この作品、やたらとウロコ様大事にしているのに、ウロコ様の出演回が前半の方からここまでだいぶ飛ぶんですよね。
やはり、物語の軸が陸にあるから、でしょうか。海の描写も少ないですし。

ただ、個人的に思うのが、原作と同じシーンを同じように文章にするのは、二次創作として少し意味がない事では、ということです。

なので、海でのやり取りや、映像化されているシーン、というよりは、こういったオリジナルな展開を書きたいわけです。

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といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第四十六話 ここにいるから

はぁー書くって楽しいわ(愉悦)
みたいな状況で、物語は佳境の46話
 
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

「俺は・・・ここに残ります」

 

 その答えは、意外とすんなり口から発せられた。

 もちろん、海のことを、あいつらのことを嫌いになったわけじゃない。

 けれど、それ以上に大切にしたいものを、俺はもう、手に入れてしまっていた。恋愛感情とは違えど、もう一度、好きの感情を手にしていた。

 

 いまだに理解できない感情だけど、この得体のしれない感情に嘘をつきたくなかった。

 

「それに、今更どんな顔して海に帰れって言うんですか。俺が啖呵切った相手、汐鹿生の重鎮ばっかりですよ? 村八分にされても仕方がないレベルです」

 

「その点についてはワシが説得せんこともないが?」

 

「やめてくださいよ。それだと俺が、納得いきません」

 

 ウロコ様は顔をしかめたままだ。

 

「仮に死んだとしても、俺は確かな今を生きたいんですよ。確かに、冬眠してまた目覚めれば、長い事、俺が陸で大切に思っている人たちと生きれるかもしれません。・・・でも、そうじゃない。そんなことをしたら、俺はその人たちと、同じ道を歩めなくなる」

 

「・・・」

 

「分かってください。ウロコ様」

 

「・・・はぁ、お主は相当頑固じゃの。・・・両親が、影響しとるのか?」

 

 急に両親のことを言われて、俺は背筋をこわばらせた。

 

「俺が陸に残りたい理由と、二人は関係ないです」

 

「いいや、しておる。二人がおらんくなったことが、今のお主を作ったきっかけじゃからの」

 

「だったら、何だって言うんです?」

 

「なんにも言わん。亡き者の話をして何になる? 誰が幸せになる?」

 

 ウロコ様の表情は、先ほどまでの飄々したものとはうって変わって重たいものだった。

 

「・・・お主の気持ちはよう分かった。・・・じゃが、それは同時に、お主が追放される危険もある、ということになるが?」

 

「ウロコ様的にはどうなんですか? 俺が陸に残ると言ったら、俺を追放しますか?」

 

「はん、なかなか肝が据わっておる。ここでワシに、その質問をするとは。・・・もしわしが追放するという答えを選んだら、お主はどうするか? ・・・などと聞くのも野暮じゃの」

 

 独り言を言って、そしてウロコ様はそれを完結させて、面白くなさそうに答えた。

 

「わしは選ばん。なんせ、お主みたいな色の濃いおもちゃを手放したくないからの。・・・それに、そう追放だ追放だとは言ってられんのじゃ」

 

「そうですか」

 

「が、これはあくまでわしの意思じゃ。海の総意がお主をどうするかは知らん。わしは伝えんがな。戻りたい気があるなら、せいぜい祈るといい」

 

「えらく他人事なんですね」

 

「他人じゃからの」

 

 ここに来ても、ウロコ様の調子は変わることはなかった。流石神の片鱗。受け答えまで化け物だ。

 

「じゃが、その意志は、ちゃんと自分の口から光たちに伝えておくんじゃぞ?」

 

「ええ。分かってます。・・・そこで、お願いなんですがね」

 

「聞こう」

 

 ウロコ様は頬杖の向きを変えた。

 

「俺からのお願いは二つ。・・・まず、冬眠するにしても、その最後の日まであいつらを学校に通わせてあげてください。義務教育は学生の本分です。いつ起こすか分からないにしても、それだけは」

 

「承ろう。わしとて鬼ではない。今日は特例と思え」

 

「じゃあ、二つ目に入ります」

 

 そう、この二つ目が本題だ。

 どさくさに紛れてのお願いではあるが、ウロコ様に真意を問いたかったのも事実。

 

 お舟引きのことだ。

 

「俺たちで、お舟引きをやらせてください」

 

 ウロコ様は例になく、片眉をピクリと動かした。俺は構わずお願いを続ける。

 

「最近のお舟引きは形骸化を進め、形だけのものになっていた。陸のとある漁師にそう聞きました。・・・今、やっと一つになれそうなんです。繋がりかけた架け橋を繋ぐために、どうかお舟引きを、もう一度」

 

 ウロコ様は頭を抱え、悩ましそうに答えた。

 

「本来なら『ならん』の一喝で済ます部分じゃが・・・。どうもお主を前にするとその芯がブレそうでならん。じゃがな遥。こればかりは儂の一存ではない。最悪、陸の一方的な形になるかもしれんが」

 

「構いません」

 

「はぁ・・・お主は」

 

 俺の食い気味な反応に調子を崩されたのか、ウロコ様は一際大きなため息をついた。

 

「一応、灯には伝えておく。あとは自分たちでどうにかするんじゃな」

 

「分かりました」

 

「それと、金曜に冬眠前の宴会を開く。海に帰りづらい雰囲気かもしれんが、一度くらい戻ってこい。・・・決別の時間も、必要じゃろ」

 

 そしてそのまま、俺の返事を待たずにウロコ様は消えていく。海に帰ったようだ。

 

 ・・・さてと。

 光は今頃どうしてるだろうか。あれから時間も経った。今頃あいつらのもとに合流しているはずだが、まとまって行動が出来ているだろうか。

 

 なんて、陸に残る道を選ぼうとしている俺が、それを気にしてはいけない。

 

 大好きだった海との決別は、すぐそこまで来ている。

 そうしたら俺には、何が残るのだろうか・・・。

 

 

---

 

 

 学校に帰る気もなく、海に帰るムードでもない。

 本当は海の書庫にでも籠って、お舟引きと海と、海神様とおじょしさまの関係をもう少し深く学習したかったが、この状況ではさすが海に帰ることは出来ない。

 

 ・・・それでも、こればかりはどうにかしなきゃいけないから。

 

 俺は、ダメ元で鴛大師に存在する図書館へ向かった。初めて訪れる場所であるため、どこまで郷土に関係する書類が出るかどうか分からないが、ダメもとでもなさねばならない。

 

 街の規模と比例したような、小さな図書館には海に関する書類が少々多く存在していた。

 それを読み漁る。手元のノートにまとめて、脳をフル活用して考える。

 それを延々と繰り返して、時間は過ぎていく。

 

 

 夕方の五時くらいだろうか。その行程は終わりを迎えた。

 ある程度の答えが出たのだ。

 

 お舟引きは、海神様の衰退と『確実につながっている』。

 つまり、やることに意味はあったのだ。最も、それに実感がなかったためおろそかにされ、遠ざけられ、勢いを無くしたのだが。

 

 そもそも、海神様はなぜおじょしさまを欲しているのか。そこが、どうしてもつかめない。

 けれど、その事実が分かっただけで、今は収穫だ。

 

 俺は家路へ着くことにする。が、図書館から水瀬宅までは結構な距離があった。

 急ぐ必要もないと、牛歩のごとく足を進める。

  

 その道中、さやマート近辺で、俺は出会ってしまった。

 

 美海と、水瀬だった。

 

「島波君! どこ行ってたの!?」

 

「遥、学校から抜け出したって聞いたけど・・・」

 

 さすがに無理もない反応。俺は丁寧に弁明することにした。

 

「ちょっと、汐鹿生に色々あってな・・・。その対処、っていうか、なんというか」

 

「詳しく聞かせて」

 

 話に積極的に食いついてきたのは水瀬だった。

 

「ああ。これは二人にも関係することかもしれないから」

 

 そして俺は、二人にどこかゆっくりしゃべることが出来そうな場所を指し示し、そこに移動した。

 場が落ち着いたところで、縫われていたような、固い口を開く。

 

「・・・この間、ぬくみ雪が陸に降っただろ? ・・・あれ、やっぱり相当まずいんだ」

 

「その、異変ってやつ?」

 

「そうだけど、もう異変なんて簡単な言葉じゃ片付けられない。・・・あのな、海にはこんな伝承があるんだ」

 

 そして、もう何度目かの伝承を口にする。

 

 

———海神様が力を失ったとき

 

———ぬくみ雪が陸と海に降り積もり

 

———やがて、人間が暮らせないくらいの寒さになる

 

「・・・つまり、今、それに近づいているんだ」

 

 俺の説明を聞いて、二人の表情が強張る。動揺、とまではいかなかったが、確実にショックは受けているはずだ。

 

「海神様は、年々力を失いつつある。それは現在進行形で、だ。そこで、海はあることを決めたんだよ」

 

 

 そして俺は一番重要なワードを口にする。

 

「そんな中で、海の文明を絶やさないためにも、汐鹿生は冬眠するということを決めたんだ」




『今日の座談会コーナー』

前作の遥が完璧超人だったのでナーフを入れました。(おい)
まあ、ナーフほどではないですが、未熟さだとか詰めの甘さだとか、そうした描写を今回は丁寧にやって以降かなと思います。なんせまだ14歳ですし、未熟さがないとおかしいでしょう。それでも達観しすぎですが。

余談ですが、本編世界でお舟引きでおじょしさまにまなかが選ばれなかった世界線は、どうなっていたんですかね。想像を膨らませようと思っても、なかなか難しいです。


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といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第四十七話 それでも僕は

ここら辺の感想というかコメントですが、まあ非常に文章が稚拙だったというか、軽口だったというか・・・。

加筆修正の見せどころ。
 
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

「冬眠って・・・まさか遥も、海でずっと眠るっていうの!!?」

 

 俺が真実を告げると、美海はみるみるうちに表情を変えた。

 それは、怒りだ。

 

「・・・頼むから、落ち着いて聞いてくれよ。・・・俺はまだ、全部話しちゃいないからさ」

 

 とりあえず美海を諭す。美海は聞き分けのいい子だ。俺の話に不満を示しながらも、おとなしくなってくれた。

 

 その様子を受け取って、俺は話を続ける。

 

「実際、冬眠を行うことについては反対じゃないんだ。・・・多分、このまま海も陸も温度がどんどん下がっていく。その措置が冬眠しかないなら、そうするしかないんだ」

 

「・・・うん」

 

 

 美海はなお不安そうにする。

 その不安をどうにかすべく、俺ははっきりと自分の意思を二人の前で口にした。

 

「でも、俺は陸に残るよ。・・・例え、全てがダメになったとしても」

 

「えっ・・・」

 

 驚きの声を上げたのは、ずっと黙り込んでいた水瀬だった。俺が、あいつらと離れる道を選んだことに驚いたのだろう。

 

「でも、そうしたら先島君らと・・・」

 

「・・・分かってる。分かってるんだ。でも、そうでもしても、俺はこの場所で今を生きたいんだよ。・・・それに、可能性はゼロじゃない」

 

 そう、俺はさっきまでお舟引きと海神様の関係について調べていた。

 そして、学んだ。つながりを。

 

 それにほんのわずかの可能性があるなら、俺はそれに全力で賭けたい。

 

「・・・海と陸、その両方を取れるなら、どんなに可能性が低くても俺はそれを選ぶ」

 

「それが、お舟引きってこと?」

 

 美海が小さく声を上げる。

 そう、その通りだった。

 

「言い伝えによれば、お舟引きは海神様と直接かかわりのあるものなんだ。だったら、規模の大きいお舟引きをすることが、海の安定につながるんじゃないかって、そう思うんだ。なんて、漠然的なことだけど」

 

 それの可能性が相当低いことは、俺が一番承知していた。

 それに追い打ちをかけるように、水瀬がおずおずと申し出る。

 

「でも、昔の大きなお舟引きには『生贄』がいたって、お父さんが言っていた。・・・もちろん、それで大きな事故があった、とかは聞いてないけど」

 

「そうなんだよ。だから、これはあくまでほんのわずかな可能性。忘れてくれ」

 

「とりあえず・・・遥はここに残る、っていうつもりでいいの?」

 

「最も、住む場所があれば、の話だけどな」

 

 俺だって、自分の家を有しているわけじゃない。誰かに甘える余裕がなければ、俺は陸で野垂死ぬだけだ。

 

「それは・・・、まあ、大丈夫じゃないかな?」

 

「うちも、大丈夫だと思う。遥なら」

 

 二人からのありがたい言葉を一身に受ける。この様子なら、心配する必要はなさそうだった。

 

 

---

 

 

 結局、次の日の宴会にはいくことにした。

 いずれにせよ、あいつらに説明する場が必要だった。

 

 昨晩、帰るなり保さんに頼み込む。

 

「明日、少しだけ海に帰らせてください」

 

 保さんは、やはり渋い顔を浮かべた。

 

「それを縛る権利は俺にはないが・・・。ただ、遥くん。君は今の状態で、海に帰ることは出来るのかね?」

 

「・・・出来ないことは、ないです」

 

 できないことは、ない。

 しかし、それが自身の体調にどういった影響を及ぼすのか、というのは測りかねていた。

 多分大丈夫だろう。それくらいしか言うことがない。

 

「いいじゃありませんか」

 

 奥の方から声が近づいてくる。夏帆さんが会話に参加していたようだ。

 

「・・・遥くん。異変のこと、気づいてるんだよね?」

 

「・・・はい」

 

 夏帆さんももとはと言えば海の人間だ。

 多くを語る人間ではないが、この人もまた、しっかりと瞳に海を映していた。

 だからこそ、俺の気持ちや感覚がどこか分かるのだろう。

 

「それで、異変に対応するために、海は冬眠を選んだんです」

 

「冬眠・・・。それはまた、大したことを」

 

 夏帆さんは笑顔を崩さないが、その慈愛の表情が少々歪み始めているのが分かった。

 

「・・・もし、実行されても俺は、陸に残るって決めてるんです。あいつらと別れても、それを選びます。・・・ただ、その説明を、したくて」

 

「・・・そう、分かったわ」

 

 夏帆さんは全ての心配、不安を取り除いたのか、より一層穏やかな表情を輝かせて、俺に声を掛けた。

 

「私は、行かせてあげたい。・・・いいですよね? あなた」

 

「・・・そういうことなら、仕方があるまい」

 

 保さんが渋い表情を崩すことはなかったが、一度承諾して、それ以降は何も言わなかった。

 

 

 そうして、今、俺は海に飛び込む。

 

 久方ぶりの海は、震えるほどに冷たかった。もう時間がないのだと、改めて再確認させられる。

 

 まるで、暗い未来を暗示しているようで・・・。

 

 ・・・いや、やめよう。今は悲観しても意味がないんだ。

 

 

 俺は、まずは誰もいない自宅へ寄り付いた。

 あの喧騒のあとだ。少しくらい嫌がらせを受けているのではないかと心配はしていたが、何も起こってはいないようだった。

 自宅がそもそも汐鹿生から少しだけ離れているところにあるというのが幸いしているのだろうか?

 

 そんなことはどうでもいい。俺は真っ先に家の中へ入った。

 

 家の中は、ひどく埃っぽかった。誰も手入れしてなかったのだから、当然と言えば当然だけど。

 ・・・でも、それでも、やはり悲しかった。胸の奥がチクリと突かれる。

 

 昔は確かに温もりがあった場所。けれどここにはもう、温もりはない。

 

 そんな俺に、せめてもの救いがあるとすれば、こことは違う場所に、温もりを見つけたこと。

 

 だから俺は、陸に残ることを決めたんだ。

 もっとも、全てがダメになった、なんてまだ決まったわけじゃないけど。

 

 そんなことを思って、埃のたまった窓から外を眺めていると、コンコンと玄関のドアが叩かれる音が家中にこだました。

 

 ドアを開けると、要が立っていた。

 

「や、元気?」

 

「まあ、な。悪いな。どうすることもできなかった」

 

「それはいいんだ。・・・とりあえず、皆のところ行こうよ。学校で待ってるから」

 

「・・・そうだな」

 

 言葉を捻りにひねり出して、どうやって要に説明しようかなどと考えていたが、今は行動することがなによりだった。

 

 

---

 

 学校につくと、皆退屈そうに待っていた。

 

「はーくん、なんか久しぶりだね」

 

「うす、待たせたな」

 

「というかお前、怪我はもういいのかよ?」

 

「帰れないことはない。だからここに来たんだ。・・・それに、今回ばかりはこっちに帰ってこなきゃいけないだろ」

 

 皆冬眠のことはもう知っていたようで、深刻そうな顔つきで俯いた。

 

 そんな中、ちさきが俺の名を呼ぶ。

 

「それで? 本題があるんでしょ? 遥。じゃなきゃ無理して降りたりしないだろうし」

 

 そう。皆は俺の真意を待っていた。

 俺が伝えようとしているように、ここにいる皆は俺の答えを聞こうとしていたのだ。

 

 それを、どこかありがたく思う。

 それでも、俺の行動に変わりはなかった。

 

「ああ。・・・といっても、腹の内は決まってるんだ。それをここに伝えに来たんだ」

 

「・・・どうせ、陸に残るんでしょ」

 

 

 俺の言葉を遮るように、要はそう小さく吐き捨てた。

 けれど、神経を研ぎ澄まして聞いていた皆の耳にはしっかりと届いていたようで、真っ先に光が俺の胸倉をつかみに来た。

 

「お前、どういうつもりだよ! そんなことして、平気でいられるってのかよ! こんな・・・裏切りみたいなもんだろ!」

 

「・・・離せよ」

 

「あ!?」

 

「俺はまだちゃんと自分の意思を自分の口で言ってないだろ。・・・仮に結論がそうだとしても、話位おとなしく聞けよ、なあ?」

 

 俺を掴んでいる先の光をきつくにらみつける。それでひるんだのか、光はパッと手を放した。

 それから間もなく、俺は要との間を詰める。特別どうこうしようとするつもりはなかったが、無性に腹が立っているのは事実だった。

 

 だから俺は、お前のことが・・・嫌いなんだよ。

 

「・・・もし、このまま冬眠が実行されるっていうなら、俺は陸に残る。その気持ちに間違いはねえよ。でも、俺たちには可能性があるだろうが。海と陸が、共に生きていける可能性がよ」

 

「はぁ? そんな都合よくことが収まるなら、大人たちだって今更こんな苦労なんてしてねえよ」

 

「その大人たちが、遠ざけているものが答えだとしたらどうする?」

 

「そんな・・・。何があるってんだよ」

 

 

 ここまで来ても、頭に血が上った光は分からなかったようで、俺は事の流れを説明した。

 

「いいか。伝承によると、この海と陸の異変は海神様が力を無くしていることが原因とされている。・・・海の意思は、海神様の意思。繋がってるんだよ。状態が」

 

「つまり、どういうこと?」

 

「お舟引きだよ。・・・昔はお舟引きで、海神様への感謝を伝えていた。そのお舟引きに、力があるんじゃないかって思ってんだよ」

 

「でも、それはちょっと強引すぎない?」

 

「昔のお舟引きは、おじょしさまなんて『偶像』はなかったんだ。ただ、おじょしさまという『生贄』がいた。なんで海神様が生贄を必要としていたか分からない。でも、そこにヒントがあるんじゃないか?」

 

 一通り説明を終えたものの、皆難しそうな顔をしていた。理解できなくて当然の話と言えば、そうなのだが。

 

 けれど俺の伝えたかったことはこれで終わり。言えば、もうここにいる理由もなかった。

 要のせいで、少しばかり印象も悪くなっている。ここで喧嘩するよりはさっさと退出する方がいいだろう。

 

「・・・んじゃ俺は家に戻るから」

 

 誰の返事も待たず、俺はその場をあとにした。

 

 しかし、真っすぐ家の方向には帰らなかった。

 人間の脳内には、いつ見たかは覚えてないものの、記憶に残る場所というものがある。

 

 俺にとってのそれは、まだ幼かったあの日に見た謎の空洞だった。

 ダメもとで、俺はそこに向かっている。もう海に帰れなくなるかもしれないことを考えると、最後にその光景の確認をしたかった。

 

 

 そして、例の場所へ着く。

 昔閉じられていたはずの大きな空洞は、すっかり開いていた。

 

 暗闇に飲まれている奥へと進んでいく。

 だんだんと近づいて行くにつれ、何かが俺の目に映り始めた。

 

 一定数進んだところで、俺は足を止める。俺の目に映った物体が何かを確認できたからだ。

 

 それは、これまでのお舟引きで作られたおじょしさまの残骸だった。

 一つや二つじゃない。百、下手すれば千を超えるほどの数だ。

 

 

 ・・・つまり、この場所は。

 

「・・・なんだ、そういうことかよ」

 

 海神様とお舟引きのつながりが明確になる。説が現実味を帯び始める。

 やはり、お舟引きに意味はあるのだった。

 

 思わず笑みが零れる。人に見せたくないくらい、汚い顔をしているだろう。

 

 けれど、希望が見えたのは事実だ。

 もっとも、実現する可能性は限りなく低いけど。

 

 でも、今はそれだけでよかった。

 

 満足して、俺は踵を返そうとする。

 けれど、その先に一人の人物が待ち構えていた。

 

 

「やっぱり、お主は大した男よの。遥」

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

今作では、夏帆さんにスポットライトを当てたいかなと思っています。特別大したことじゃないですけど、前作はあまりにモブ感がひどかったので。
それこそ、元海の人間であり、みをりさんのことを知っており、などなどステータス的に捨てるに惜しい部分がめちゃくちゃあるので、今回みたいに会話を増やしたり等を考えています。

こういうおっとりマザー大好き(大声)

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それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等よろしくお願いします。

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第四十八話 その瞳に映る未来は

この回の心理描写的なところは個人的に気に入ってるので、あまり変えていません。
・・・サボりじゃないよ?

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

「・・・どうしたんです? まさか、俺を潰しに来ましたか?」

 

 俺は冗談交じりにウロコ様にそう毒を吐いてみた。冗談と言いながら、本当にやりかねない力をこの人は持っている。悔しいが、この人は海神様のウロコなのだ。

 

 ただ海を捨てるだけの人間ならいいが、俺みたいな自由勝手に行動する人間は邪魔者以外の何者でもないのかもしれない。

 

 少しばかり身構えた俺に対して、ウロコ様は手を横に振った。

 

「お主は阿呆か。儂とて鬼ではない。確かに、お主の行動は目に余るものがあるが、それはあくまで海を思っての事。海神様の意思は、お主を許しておる」

 

「はてさて、本当にそうだといいんですけどね・・・」

 

 なんせここは、『海神様のいる場所』だ。

 どう事が急展開するか分からない以上、安心はできないでいた。

 

「・・・お前は、真意に辿り着いた、という見解でよいのかの?」

 

「さあ、どうでしょうね。少なくとも自分の中での答えはありますが、それが真意かどうかは分かりません」

 

 敢えて遠回しな言葉を並べているが、言っていることは本当だ。

 この人の前で、おめおめと自分の思っていることを言う方が馬鹿だ。ただでさえ、考えていることを読むことが出来そうな人なのに。

 

 ウロコ様はそんな俺の考えを読んだのか読まずか、一つ小さくため息をついて仕方がなさそうに吐いた。

 

「まあ、なんじゃ。この際、儂はお主が何を思っていようと、何をやろうとしていようと、どんな未来を送ろうと何も言わん」

 

「それは、海を出て陸に残る道を選んでもですか?」

 

「・・・」

 

 珍しくウロコ様は黙り込む。が、流石はウロコ様。すぐさま自分の調子を取り戻した。

 

「お主を追放するかどうかは儂の一存ではない。これは前にも言ったことじゃ。・・・じゃが、本音を言えば、誰にも自由に生きる権利はあると考えておる。それが出来ないのが現状、ということじゃが」

 

「分かってます。・・・俺は、その上で選びました」

 

「・・・。止めはせん。じゃが、これだけは言っておく。お主の選ぶ道は、過酷で、残酷で、失敗が何度でも立て続くじゃろう。・・・それでも、行くというのか?」

 

「はい」

 

 

 ここまで親切に語ってくれるウロコ様は珍しいと思えた。

 というより、これが本心なのだろう。考え方が対極にあるだけで、本当はこの人も海と陸の現状をどうにかしたいと心のどこかで思っている。

 

「少なくとも、俺は俺に出来る、最善の道を選びます」

 

「・・・分かった。あと遥、これだけは覚えておけ。・・・自分が背負ってるものを、忘れてはならん。もうお主も、一人じゃないのじゃから」

 

「・・・分かってます」

 

 俺はしっかりと返事を返す。その言葉の意味は分かってるつもりだ。

 

 俺が背負ってる想いを、人を数える。

 あいつらがいて、紡がいて、陸で仲良くなったたくさんの同級生がいる。

 あかりさんに至さん、・・・みをりさんだって。

 そして保さんと夏帆さんがいて、美海と、水瀬がいる。

 

 お互い、背負い背負われて生きている。

 そんな思いを、もう失いたくない。お舟引きを成功させたい。

 

 やっと、人を好きになるということが分かってきたんだ。

 もう、誰にも奪わせやしない。

 

「それじゃあ、儂はここいらで失礼するぞ。あとはどうにか足掻いて見せろ」

 

 そして、ウロコ様はパッとどこかへ消えていった。

 

 

 ・・・さあ、帰ろうか。

 今の俺の居場所は、多分ここじゃないから。

 

 

---

 

~美海side~

 

 遥から冬眠の話を聞かされた日の夜、私はj一人、布団の中にこもって考えた。

 

「海村は冬眠に入る」

 

「でも、俺は海へは戻らない。陸で生きていく」

 

 その両方は、遥の言葉だ。

 遥は、陸を、この場所を大切な場所だと言ってくれた。

 

 嬉しかった。・・・それだけで、嬉しかったのに。

 

「でも、海も陸も、両方諦めたくない」

 

 遥は、そう言った。

 

 遥は強い。全てのものを愛して、守ろうとして、常にその最前線にいる。

 誰だって、島波遥は強い人間だって言うと思う。私だって、そうだから。

 

 ・・・私は、そんな遥のために、何ができるんだろう。

 こんな離れた年に生まれたことを後悔するのは初めてだ。

 

 遥はもう、遊んでくれたお兄ちゃん、じゃない。

 私の・・・私の、大好きな人なんだ。いなくなってほしくない、不幸せになってほしくない、大好きな人。

 

 でも、今の私は、そんな遥の隣にいれるのかな?

 年齢も、学校も違う。人間としてのスペックだって遥の方が全然上で・・・。

 

 私は、・・・その隣にいることが許されるのかな。

 

 

 私は、遥のことが好きだ。大好きだ。

 一人で感情を抱え込んで、パンクして、周りにあたってしまっていた日々。

 そんなある日、海に落ちてしまったある日、遥は自分の思いの丈を伝えてくれた。

 

 その時、遥は私と同じ傷を、私と同じ痛みを、私と同じ思いを持っているって、伝えてくれたんだ。

 安心した。一緒にいたいって思った。そうすれば、この痛みも乗り越えることが出来るかもって、思った。

 

 でも、私のこの好きの気持ちは、簡単に口にできない。

 同じ痛みを抱えているってことは、遥も好きの気持ちが分からなくなってるってこと。

 

 この気持ちを口にしたら、遥はどう応えるのだろう。

 分からない。・・・分からないし、とても怖い。

 

 好きだって言っちゃったら、遥もどこかに行ってしまうかもしれない。私の心の奥底の誰かがそうささやいている。

 

 今は・・・きっと、ダメなんだ。

 

 ・・・だから私は、今は、せめて遥の邪魔にならないように、遠くでその背中を眺めていれるように。

 

 いつか、大好きを言うために、今はそうしよう。

 

 

 

---

 

~千夏side~

 

 今日、島波君は一度海へと戻っていった。

 今日中には陸に戻ってくるって言ったけど、海で何が行われてるか分からない以上、確証は持てなかった。

 

 だから私は、島波君を待つ。いつもの堤防で。

 

 ・・・こうしてぼんやりと何かを眺めているだけで、島波君のことを思い出してしまう。

 

 島波君は、やっぱり強い。

 誰だって、自分を守ることで精いっぱいなのに、島波君は全てを欲しがって、全てを守ろうとしている。何一つあきらめちゃいない。

 

 

 私はきっと、そんな彼だから、好きになったんだ。

 今だから言える。私が彼に抱いている気持ちは、『好き』なんだ。

 

 私が歩んできた苦しく、辛い道。そんな道を乗り越えて、やっと光が見えた気がしたんだ。

 彼に出会って、私の人生に光が差し込んだ。

 

 ・・・でも、好きだと言って、この思いは届くのかな。

 

 始まりは偶然だったけど、島波君と一緒にいる時間も増えた。好きの気持ちも、だんだん膨れ上がって。

 でも、私が抱いているこの感情を、島波君が一緒に共有しているなんてことは分からない。

 

 それに、島波君の過去を、私は知ってるから。

 

 たくさん辛いことに見舞われて、好きになることが分からなくなって、そして今日までを生きてきている。

 

 そんな彼に、私は思いを伝えるべきなんだろうか。

 それで彼を傷つけることになっても、私は言うべきなんだろうか。

 

 

 ・・・私は。

 

 

 私は、それでも伝えたい。

 辛いことの先に光がある。そのことを教えてくれたのは島波君だから。

 

 だからいつか、この想いを伝えよう。全てが間に合わなくなってしまう前に。

 

 

 

 ふと、遠くで波が立つ音が聞こえた。不自然なリズム。そこに目をやると人影が見える。

 その姿が瞳に映ったことを、私は安堵した。何が起こるか分からない、なんて、結局はただの建前で、私はその姿を一秒でも長く目に焼き付けたかっただけなんだと思う。

 

 彼は、私の足元の方まで泳いできて、私の方を見上げた。

 

「・・・よっ、ただいま」

 

 無邪気そうに彼が微笑む。・・・ああ、やっぱり私は、彼が好きなんだ。

 けど、今はその時じゃない。その時までは、私も普通でいるとしよう。

 

 

「おかえり、島波君」

 

 今は、この時間が、こんなやりとりが、一番心地いい。

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作四十六話「それぞれの覚悟」のあとがきに、こう書いてあります。
「想いを知り、過去をあまり知らない美海と
 過去を知り、想いをあまり知らない水瀬」

今回の話は、それに重点を置いているんですよね。
美海は遥の両親のことをまだ知らされてないですし、水瀬は美海ほど遥自身の切なる想いを聞かされていない。

そして、これからの行動は、そうした立場の違いによって大きく変わることになります。
ぜひ、ご堪能あれ。


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といったところで、今回はこの辺で。
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第四十九話 君の幸せ

今回、前作基準で一通り書いたら2000文字行かなかったので、多分相当前回47話は短かったと思う。
というわけで、本編どうぞ。


~遥side~

 

 次の月曜日からは、海にいる光たちが学校へと合流した。どうやら、冬眠までの投稿は許可してくれたらしい。

 しかし、冬眠を挙行する、という姿勢は変えないようだった。向こうにも譲れぬものがあるらしい。

 

 陸でも、冬眠のことが発表される。皆驚いていたが、だからこそお舟引きを成功させようという機運が高まり、ますます陸と海の結びつきが強くなったようだった。

 

 そんなある日のことだった。ふと見ると、さやマート裏の壁に、ガムの文字が『完成していた』

 

 壁には、しっかりと『どっかいけ』と記されている。

 

 あかりさんは、片付けをしながら呟いた。

 

「こんなことをするの、理由はもう分かってるんだけどね」

 

「怒ったりはしないんですか?」

 

「しないしない。・・・少なくともこれは、あの子なりの優しさだから」

 

「家で、冬眠の話したんですか?」

 

「したよ。それで、陸に残る話もした。・・・遥くんも、そうなんだよね?」

 

「・・・まだ、全てを諦めたわけじゃないですけど」

 

 そう言わないと、俺は本当にただの裏切り者に成り下がる気がしたのだ。

 俺は、裏切り者になりたいわけじゃないから。

 

「そして、その話をしたらこのありさま。・・・気持ちは、痛いほどに分かるんだけどね」

 

 今度は、あかりさんはちゃんと美海の心を測れていたようだった。

 とはいえ、今度のことはあかりさんも笑っていられる立場ではない。

 

 天涯孤独の身となった俺とは違って、あかりさんは海に大事な人を残した状態でいいる。至さんのパートナーである以前に、あかりさんは光の姉だ。

 

 弟が海で眠っている状態で、果たして自分一人、陸で平然としていられるのだろうか。その取捨選択は、簡単に行えるものじゃない。

 

 

「美海は、優しい子です」

 

「・・・うん、優しい。だから、素直になれないんだと思う」

 

 美海は、あかりさんのことが好きだから。

 好きだから、いなくなってほしくない。だから遠ざけてるんだろう。

 

 一概に、心なんてものは簡単に割り切れない。

 

「・・・大丈夫ですよ、絶対に、俺は美海からいなくなりませんから」

 

「うん」

 

 

 なんて、本人のいないところで誓いを立てたって、その思いは届かないのだろうけど。

 

 

---

 

 

 そして、さらにそれから数日。

 おじょしさまの修復がほとんど完成したあたりで、俺たちは漁協に呼び出された。

 陸の、漁協の人間からの呼び出しという事だった。

 

 今度は保さんが同席している。こちらのトラブルメーカーもいないあたり、なんとかなるだろうと楽観することは出来た。

 

 

「「「・・・」」」 

 

 その他、複数の若い人間が複雑そうな顔でいた。

 

 その中の一人が口を開く。

 

「その・・・先日は会議ぶち壊してしまって、本当にすまんかった!」

 

「すまん!」

 

 それに続くように、残りの人も頭を下げる。

 

 ・・・あの日と別の人に謝られても、気分良くないんだけどなぁ・・・。

 

 責任を感じてくれているのはありがたいが、今はそんな話をしに来ているわけじゃない。

 

「・・・はぁ、顔上げてくださいよ。本題はそこじゃないでしょ? この際話は水に流すので、さっさと議論を進めましょう。それでいいよな? 光」

 

「俺は別に怪我してないし、おじょしさま壊されたくらいだけどな・・・。怒ってないってわけじゃないけど、今はその話じゃないってのはそうだな」

 

 光の感情は恐ろしいほどに安定していた。少なからずとも、時間がないことが分かってるのだろう。

 

 そんなことに、怒る余裕はない。それが現状なのだ。

 

「分かった。・・・それじゃあ、改めて」

 

 顔を上げると、青年の一人が話し出した。

 

「俺らは、やっぱりお舟引きをしたいと考えているんだ。この前のぬくみ雪。おかしいことは明白なんだ。きっとこのままじゃ、大変なことになってしまう。でも、俺らじゃ何もできない。だから、海に頼るしかないって気づいた。俺たちは、あんた達を手助けしたい。一度提案を蹴った身分で、勝手なことを言ってるのは承知してる。頼む、手伝わせてくれ!」

 

 どうも、大人というのは筋を通したいらしい。

 そんな謝罪だとか低い腰でというのが欲しいわけじゃないのに、どこかプライドのようなものでももあるのだろう。

 

「・・・どうするよ、光。つって」

 

「お舟引きをやりたいのは俺たちとしてもそうなんだ。断る理由がどこにもないだろ」

 

「・・・だな」

 

 ハナから、答えは決まっていた。

 

 ここで意見を述べたのは俺と光の二人に過ぎないが、きっと学校の連中で、お舟引きをやりたいと思っている奴で意志が変わった奴はいないだろう。

 

 だからここは、迷いなくOKを出す。

 

「こちらからも、よろしくお願いします。こちらとしても、何とかしたいという気持ちは変わりません。なら、そこに理由はいらないでしょう。まだ、お舟引きは間に合います。これから、頑張っていきましょう」

 

 そして、俺たちは握手を交わす。俺たちは確かに、ここに結ばれた。

 

 

 

---

 

 

 その帰り際、俺は光に呼び止められた。

 そうは言っても、この間の俺の意見に物申したい部分があるようだった。

 しかし、皆の前で癇癪を起してはいけない。それを光も分かっているようだった。

 

「なあ、遥。もしも、だけどよ。お舟引きが成功しても、海の異変は収まらなくて、汐鹿生が冬眠を始めても・・・お前は」

 

「陸で生きる。・・・そう話したよな」

 

「・・・っ」

 

 光はギリッと歯を食いしばる。声を大にして怒りたいのを堪えていると想像するのは容易いことだった。

 

「お前は、なんでそうまでして陸に残りたいんだよ」

 

「・・・俺ってさ、壊れてるんだよ。お前らといて、時々思っちまう。俺は、本当にここにいていいのかって」

 

「何をいまさら、そんなことを・・・」

 

「お前らが俺みたいなのを大切にしてくれているのは分かってるし、とても嬉しいとも思ってる。・・・でも、海じゃ俺は結局一人なんだよ。壊れた歯車は戻らないし、過去を変えることも出来ない。もともとお前たちを遠ざけようとしたのは俺だ」

 

「だったら、それを陸なら解消できるっていうのかよ?」

 

「・・・分からない。けれど、水瀬家に身を寄せるようになって気づいたんだ。失いかけた温もりが、あそこにはある。・・・やっと見つけたんだよ。ずっと一人で、行き場のなかった俺が」

 

 心中を吐露するにつれて、次第に胸の奥の方が熱くなっていくのが分かった。

 

 ・・・そうか。俺はやっぱりもう、海の人間じゃないのかもしれない。

 

 そこで何かが吹っ切れて、俺の気持ちは一瞬にして楽になった。両の肩にぶら下がっていた重荷が取れたように、体が軽くなる。

 

「でも、このまま冬眠に入ってお前らと違う年齢として生きるのも嫌ではある。・・・かといって、陸と歯車がずれるのも嫌。はっ、どこまでも子供みたいだよな。あれも嫌、これも嫌って」

 

「だから、お前はお舟引きに力を入れてるんだろ?」

 

「それが、唯一残された可能性かもしれないからな」

 

 結局、先行きは何一つよくはない。

 言っておきながら、進む足は止まりそうなのだ。

 

 そんな自分を何とか奮い立たせて、俺は進まなきゃならない。例え、進む先が絶望しかないとしても。

 

「・・・なぁ、一つ聞いていいか?」

 

 光はほんの少し恥ずかしそうに、俺にそう持ち掛けてきた。

 

「なんだ?」

 

「お前は・・・水瀬のことが、好きなのか?」

 

「・・・!?」

 

 光から、いともたやすく発せられるその言葉。

 けれど、確かに俺は動揺した。そうせざるを得なかった。

 

 でも。

 ああ、そうだ。俺はいつもそうなんだ。ずっとこのまま、分からないでいる。

 確かに、胸の中に今までとは違う感情が芽生えていないわけでもない。ただ、それを『好き』の感情にまとめていいのだろうか。

 

 それも、恋愛の対象として。

 

「・・・分からない。ただ、あいつはどこか違う。どこか・・・何か、違うんだよ。あいつを見てると」

 

「・・・そっか」

 

 光は、それ以上そのことについて何も言及しなかった。光なりの配慮と言えよう。

 

 

「・・・なんかさ、本当はもっと怒って殴ってやろうと思ったけどさ、お前らしくて安心したわ」

 

「なんだよそれ」

 

「俺たちはお前にいてほしい。一緒に冬眠するならしてほしい。・・・でも、それがお前の幸せにならないってんなら、俺は、それも嫌だ」

 

 開いた口がふさがらなかった。

 今まで、光がここまで誰かに配慮出来た言葉を言えただろうか。

 

 自分の感情にまっすぐで、そのせいで周りを巻き込んで、問題を起こして。そんなあいつの言葉とは思えなかった。

 

「ま、なんにせよお舟引きまで頑張ろうぜ。・・・てか、最近海じゃ何も食べないようになってさぁ、ねみぃんだよな、なんか」

 

「何も食べないと眠たくなるらしいな。だからこの前の宴会か」

 

「そ。そういうことになる」

 

 光が小さくあくびするのを見て、いよいよ時間がないことを再確認する。

 とはいえ、手はつなげた。お舟引きの遂行は、もうすぐそこまで見えている。

 

 

 ・・・ああ、やろう。

 どんなに辛い未来が待っていようと、こいつらも、陸の皆も、誰一人裏切りたくないから。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

後半の光と遥の一対一の対話シーンは、今作追加シーンですね。
私、この作品において結構この二人の対話シーン好きなんですよね。二次創作の改変のせいですが、おとなしい光を描けるので。

何と言いましょうか、私の中では同学年で兄貴分、みたいな雰囲気なんですよね、遥って。
全て自分がリーダーというわけじゃないですが、真のリーダーというか、影のリーダーというか。

とはいえ、完璧超人モードを崩せつつあるのは大きいです。

---


といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第五十話 そこはまだ遠い世界

50話投稿に際して。
UV件数が1000件を突破しました。ありがとうございます。
知名度が大手作品に比べてそこまででもなく、かつ放送からもうずいぶんと経った作品の二次創作ともあり、なかなか認知されないところではありますが、それでも目にしていただけたこと、感謝しております。(2021年4月終わりごろ)

本作品は、まだまだ終わりには程遠いです。これからも精一杯書かさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いします。

それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 お舟引き実行の協力関係の締結が決まってからは、目まぐるしいほど時が早く進んでいった。

 陸の大人が協力してくれることにより、全体の作業スピード、船や機材の根回しなどが瞬く間に進んでいった。悔しいが、これが大人の力、なのだろう。

 

 そして、全体の進捗は95%ほどを迎えた。あと四日ほど経てば、お舟引き当日は来る。

 

 ただ、海側の協力は得れそうになかった。もっとも、もう批判の声が上がらなくはなっていたが。

 また、聞いたところによると、冬眠の実行日とお舟引きの実行日がどうも一緒の用だ。それによって何か影響があるか分からないが、どことなく嫌な予感はする。

 

 ・・・いや、止めよう。こんな想像、誰も幸せになんてならない。

 

 俺は、迫りくるその時を待ちながら、今を一生懸命生きた。

 

 そして、今日はというとあいにくの雨。俺たちは、教室でおじょしさまや付属のものの細かい調整に入っていた。が、しかし俺個人にやることはなかった。

 そんな中、どうもちさきと要の様子がおかしいことに気づいた。どこかぎくしゃくしているというか、見ていて気味悪く思う静けさ。

 

 その合間合間、要から俺に視線が送られてくる。これもまた、どこか気に入らなかった。

 あの一件以来、必要事項以外は要と言葉を交わさなかった。互いにそうしたかったのか、俺だけのエゴなのかそれは知らないけど。

 

 何かを訴えているのは分かる。

 けれど、それを本人の口から聞かない限り、俺は答えないことにした。

 

 

 そして、ある程度時間が経つ。

 

 特にすることもなくて、俺はぼーっと窓から雨降る外をただ眺めていた。ほかのメンバーが呑気におしゃべりをしているのが、全く耳に入ってこない。

 

 ただ、目の前の景色がどこか嫌に思えていた。

 あと数日後に迫っているのに、こんな雨でどんよりした空気になるのが嫌いだ。先往く不安の暗示に思えてしまう。

 

 ・・・やめよう、今は。

 

 そしてくるりと振り返ると、要にポンと肩を叩かれた。

 

「・・・ちょっと、お話付き合ってくれないかな?」

 

「分かった」

 

 作られた笑顔の裏の感情を知ろうとはしない。多分、この後吐き出すのだろう。

 だから俺は、教室の外へと速足で逃げていくその背中を追うだけにした。

 

 

---

 

 

 誰もいない、静まりかえった非常口付近で、その足は止まった。本当に、誰にも聞かれたくない話のようだ。

 

「悪いね、こんなところまで来てもらって」

 

「・・・言いたいことがあるなら、そう言えよ。多分、笑ってられるような話じゃないんだろ?」

 

 いつでも笑顔でいることが優しさじゃない。そこをはき違えてはならない。

 俺がそう言うと、要は顔色から笑みの要素を抜き取った。どうやら、この表情に真意があるらしい。

 

 気を抜けばすぐに悪態をついてしまいそうだったが、必死にこらえて、要の言葉を待つ。

 

 

「僕さ、ずっとちさきが好きだったんだ。・・・なんて、いまさら言っても、遥はもう気づいてるよね?」

 

「・・・まあな」

 

 ずっと見てきたのだ。気づかないはずがない。

 全体の俯瞰者のようでありながら、こいつの目線はいつもちさきにあった。それをうまく悟られないようにしてきただけで。

 けど、ひねくれた人間なら、感情の裏の裏まで探ってしまう。だから、気づいていた。気づいてしまっていた。

 

「それで、この間ちさきに告白したんだ。・・・返事は、返ってこなかったけど」

 

「へぇ、なるほど」

 

「なるほど、じゃないよ」

 

 要は、この時初めて心からの怒りを見せた。瞳が、燃えている。

 

「遥、僕は知ってるんだよ。ちさきに好かれてることも・・・告白されていることも!!」

 

 珍しく、要は一際大きな声を上げる。

 けれど、俺の感情は揺さぶることはなかった。

 

 ・・・それはきっと、こいつへの感情がどこかで冷めてしまっていたから。

 

 心の底から嫌っているわけでも、憎んでいるわけでもない。けれど、一線を画してしまった俺たちは、多分、もう分かり合えなかった。

 

「なんだそれは。嫉妬か?」

 

「・・・」

 

 自分でも恐ろしく思ってしまうくらい、冷めた言葉しか出てこない。こんな言葉しか口に出来ないような自分に腹が立ってくる。

 

「嫉妬だよ。・・・でも、こんなことをしても意味ない事、分かってるよ」

 

 要は怒りを涙に変えようとしていた。けれど、その雫が零れることはない。

 

「遥。・・・君は、ちさきに答えを返してないんだよね。・・・雰囲気だけど、そんな気がする」

 

「あの時は、時間も時間だったし・・・。・・・なにより、俺が俺自身の気持ちを分かってなかった」

 

「だったらさ、せめてちさきに答えくらい返してあげてよ・・・。答えがないのって、きっとそれは、一番つらいことだからさ」

 

「・・・分かってる」 

 

 

 理解はしている。けれど、本能に染みついていない。

 

 進むべきか、止まるべきか、そのはざまで、俺はずっと迷い続けている。・・・そうして迷い続けたまま、ここまで中途半端に大きくなってきたんだ。

 

 ちさきのことが嫌いな訳じゃない。けれど、それが恋愛感情における好きにつながるのか分からないし、何より好きになることに恐怖を覚える。失う感覚は、そう簡単には消えてくれないから。

 

 ・・・全く。俺は、どうしたら怖がりをやめれるのだろう。

 

 とはいっても、俺はあのころとは違うと思えていた。

 今は少しずつ自立に向かってきている。だんだんと自分という存在を磨き上げて、少しは力が付いたと言えるくらいまで成長した、はずだ。

 

 今の俺に、守る力があるのだろうか。

 失わずに済む力が、あるのだろうか。

 

 

 その答えが出るまでは、告白に答えることが出来ない。

 今はまだ、答えは出なかった。

 

 だから、これが今持てる最大の答え。

 せめて、これを要に伝えるとしよう。 

 

「要。こうしよう。・・・お舟引きが終わったら、俺はちさきに答えを出す。今はただ、時間が欲しい。好きの感情は、昨日の今日の話じゃないだろ」

 

 要は俺の言葉を聞いて、一つため息をついた。どうやら気に食わないところがあるのだろう。

 けれど、もうそれ以上文句の言葉はなかった。

 

「・・・分かった。約束、守ってもらうよ」

 

「ああ。ちゃんと答えは出す」

 

 俺がそう言うと、要は一人、先に教室へ帰っていった。残された俺は、非常口の扉の窓から、またさっきのように景色を眺める。

 

 ・・・今日の雨は、また一段と強い。

 

 

 




『座談会コーナー』

こう考えてみると、前作ホント尺管理がばがばっすね・・・ビビりました。
そういう時は、もういっそ割り切って短くする方がいいんじゃないですかね。というわけで今回は今作過去最低文字数だと思います。

はてさて、内容を見てお分かりになると思いますが、私は『要』という人物に好感を持ってません。こういうタイプの人間がどこか苦手というか・・・。
もちろん、嫌いではないです。物語的にも重要ではあるんで。

---

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第五十一話 たどり着く答えは

ここら辺は基本ノー編集で行きたかった・・・。
が、流石に増さねばなるまいて。

本編どうぞ。


~千夏side~

 

 放課後。

 今日は雨が一際強く降りしきっていた。外での作業はまず不可能。かといって、教室の中でできることなんてほとんど残っていなかった。

 

 熱心な何人かは小物の調整とかしているけど、ホント数人だけ。それ以外、皆は雑談などなんだのに花を咲かせていた。

 

 といっても、私はそういうことが似合う人じゃない。

 ちょっと空気に耐えれなくなり、私は人気の少ない校内をぶらぶらと歩いた。

 そして、屋上に続く階段付近で、人に出会う。

 

「あれ、千夏ちゃん?」

 

「ちさきちゃん、どうしてこんなところに?」

 

「・・・うん、本当は、屋上に出たかったんだけどね。今日、こんな天気だし」

 

 私も、導かれるようにここに来たのかもしれない。だったら、なるほど。私とちさきちゃんは似た者同士だ。

 私は、階段に居座っているちさきちゃんの隣に座った。

 

「それにしても、なんでこんな人のいなさそうなところに?」

 

「うん、ちょっと一人になりたくてね」

 

「何か、嫌なことが?」

 

「ううん? 違うの。・・・そうじゃなくて、ちょと色々、悩んでるの」

 

 ちさきちゃんの声音はよろしくなかった。本当に、心の底から悩んでいて、今にも崩れそうな声音だ。

 

「私ね、この間告白したんだ。・・・その返事が返ってこない間に、別の子から告白されて・・・」

 

「それの返答に迷ってるの?」

 

「それもあるし、ちょっと違う。・・・私ね、告白した時、変わってしまっても、壊れてしまってもいいって思ってたの。・・・でも、いざ冬眠の話が出ちゃって、みんなと離れたくない。変わりたくないって思っちゃって」

 

 変わりたくない。

 それはちさきちゃんからよく聞く言葉だ。事あるごとに、そう呟いてる。いつか島波君も、そんなことを言ってたような気がする。

 

 ・・・でも、そうなんだ。

 冬眠に入っちゃったら、変わってしまう。もう、これまでと同じような生活は出来なくなるかもしれない。

 

 それは確かに怖いし、嫌だ。

 

「私、今が楽しい。・・・だから、答えが欲しいのに、欲しくない。・・・そんな矛盾抱えてて、悩んでるの。・・・なんて、贅沢な悩みだよね」

 

 ちさきちゃんの言葉を聞くにつれて、だんだんと分かってくる。

 ちさきちゃんが好きって言った相手は、きっと島波君だ。

 

 島波君は、もし全てがダメで、何があろうとも陸に残ると公言している。

 だからこそ、ちさきちゃんは今こうして思いゆれてるんだ。

 

 私は、心の中で一つ小さくため息をついた。

 

 ・・・私も、島波君が好きなんだ。

 

 そして、想いを伝えようとして、今ここまで来ている。もう一歩が踏み出せないところまで。

 

 ・・・私は、島波君に告白していいんだろうか?

 

 そもそも、なんでこんなに私はのうのうとしてるんだろう?

 

 島波君が陸に残るって言って、私にも冬眠はなくて、一緒に陸で生きられるって余裕があるから?

 

 ・・・違う。そんなのじゃない。気持ちは中途半端じゃない。分かってる。

 そんな生半可な気持ちじゃない。

 

 いなくならないなんて、確証はない。

 島波君は海の人間だ。いつ海が恋しくなって、気が変わるかだって分からない。

 

 だから私は、はぐれないように彼の傍にいたい。

 

 ・・・うん、これが私の気持ち。私の答え。

 

 だから、言わなきゃならない。

 

 誓いを立てるように、私はちさきちゃんに告げる。

 

 

「ちさきちゃん・・・。私ね、告白しようと思う」

 

 唐突に私が話し出したことに、ちさきちゃんは一瞬だけ驚きの表情を見せたが、やがてそれは柔和な微笑みへと変わった。

 

「・・・うん、頑張ってね」

 

 この時、ちさきちゃんはきっと私が告白しようとしている相手が島波君だという事に気が付いた。けれど、それ以上に言葉はなかった。

 

 でも、そのおかげで勇気が湧いてきた。

 一歩踏み出す勇気を得て、私の心はどんどん奮い立つ。

 

 ここまできて、もう戻ることは出来ない。

 

「ありがとう。・・・それじゃ、私、行くね」

 

 そう言って立ち上がり、私は勇み足でその場を離れていった。

 

 目指す場所は、ただ一か所だけだ。

 

 

---

 

 

 教室へ戻る途中、今度は庭に水色の傘を持った人影を見た。美海ちゃんだ。

 

「何してるの? こんなところで」

 

 ドアを開けて、美海ちゃんに声を掛ける。

 

「手伝おうと思ったんだけど、なんか入りづらかったから・・・。外から見てただけ」

 

「雨降ってるし、体冷えるよ? 中入ろ?」

 

 私の提案で、美海ちゃんは雨宿りをすべく校舎内へ入った。けれど、それ以上は動かない。美海ちゃんの意地だろう。

 

 そして、立ったまま、美海ちゃんは唐突に告げる。

 

「千夏ちゃん、好きになることって、いいことだと思う?」

 

「えっ? ・・・どうだろう、いい事だとか、悪い事、だとか、多分そういう話じゃないと思う。・・・なんかこう、当たり前っていうか。だからね、間違いじゃないとは思う。急にどうしたの?」

 

 私がそう聞くと、美海ちゃんは少し頬を赤らめて答えた。

 

「私ね・・・、今年になって、遥にまた出会って、一緒にいる時間が増えた。だから、多分きっと、好きだって、思っちゃってる」

 

 それは、あまりにも綺麗で清純すぎる心の声だった。

 

「でも、私が好きになった人は、みんないなくなっちゃった。だから、遥にしても、あかちゃんにしても、いなくならないってことが、信じられなくて。・・・怖くて」

 

 美海ちゃんがこういうのも無理はない。小さいころにお母さんを亡くしたことを、私は知ってる。

 大好きな人がいなくなる。・・・それはきっと、とても悲しくて、恐ろしいこと。

 

 そして気づく。私と、美海ちゃんの気持ちは一緒だという事に。

 そこから先の行動は、ちょっと違うかもしれないけど。

 

 だから、私は美海ちゃんに伝える。

 

「私もね、島波君の事好きなんだ。そして、美海ちゃんみたいに、島波君がもし眠っちゃったらどうしようって思ってる。・・・でもね、私、諦めたくない。だから、私は島波君に告白しようと思う」

 

 ちゃんと、自分の思いを宣言する。美海ちゃんだって分かってくれているはず。

 

 向こうに何か言われる前に、私は一つ付け足した。

 

「・・・ね、美海ちゃん。一つ約束事、いいかな?」

 

「?」

 

 お互いに彼のことが好きなら、私たちはライバルという事になる。

 だから、私たちは平等に戦いたい。恋仲間として、親友として。

 

「もし、私たちお互いに島波君のことが好きなら、平等に戦おう? どっちか片方しかいない状態じゃ意味がない。・・・フェアに、ね?」

 

「・・・うん。分かった」

 

 美海ちゃんは覚悟を決めた顔で、一度頷く。本当に素直で、優しい子だ。

 

 けど、そんな美海ちゃん相手だからこそ、いつまでもこんな重苦しい空気でいたくなかった。

 だから、無理にでも話を転換する。

 

「せっかくだしさ、私たちもおしゃべりでもしていこうよ。今日はどうせ作業ダメなんだし」

 

「・・・うん、そうだね」

 

 

---

 

 

 それから小10分ほど話していたところで、部屋の方から呼び出しが来た。気づかれないように、美海ちゃんは帰っていく。

 そして、残された私一人で教室へと戻った。

 

 中には先生がいた。どうやら大事な話があるらしい。

 

「みんな、作業中で悪いけどねぇ、雨が強くなるから、今日は帰れって言われちゃってねぇ・・・。続きは明日になりそうだよ。明日には止むそうだから、とりあえず今日だけ。・・・あとそう、帰り道は気を付けるんだよ」

 

 多少文句は上がったものの、この雨なら無理はない。さっきから、少しずつ雨音を強くしている。

 

 みんなぞろぞろと玄関へ向かい、靴を履き替えては雨の降りしきる外へと出ていく。私の周りからも、だんだんと人が消えていった。

 

 しかし、私は動かない。

 二人きりになるのは、今日がチャンスだと思ったから。

 

 だから、告白するなら、きっと今しかない。

 お舟引きが、運命の日が迫っている。時間がないのに先延ばしなんて考えられなかった。例え、それが今日みたいな雨の日でも。

 

 だから、私は勇気をもって、一歩を踏み出す。

 

「ねえ、島波君。・・・ちょっと、話があるんだけど、残ってくれないかな。ほんのちょっとなの」

 

「いいけど・・・。いや、分かった。すまん、みんな先行っててくれ」

 

 私の言葉の歯切れの悪さで何かを察してか、島波君は他のみんなを先に行かせた。何も言わずとも気持ちを察してくれる。そんな優しさにやっぱり私は惹かれたんだ。

 

 そして、二人きりになって私たちは空き教室へ行った。ガランとしたその部屋に、人が寄り付く気配はない。

 

「・・・それで、話ってなんだ? 帰れって言われてる以上、あまり長い時間ここにいると怒られるぞ」

 

「・・・分かってる。分かってるの。すぐ終わる。伝えたかったことが一つあるだけから」

 

 なんて言いつつも、なんて言えばいいか分からなくなった。

 用意されたセリフなんて真っ白になって消えるだけ。でも、伝えたい思いだけが暴走したようにあふれてくる。

 

 結論。口走ったのは、誰にでも言える常套句だった。

 

 

「・・・島波遥くん。私は、あなたのことが大好きです」

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

展開を変えるつもりはないですが、ここから先の展開はぜひ楽しんでいただきたいのであまり内容に触れることは言いません。
しかしまあ、中学生の恋愛ってどうなんですかね。果たしてアニメで描かれるような深い付き合いになるんでしょうか。主はそうした経験がないのでよくわかりません(は?)

歳を取るにつれて、恋愛というものの見方が変わるんですよね。将来だとか、好意だとか、そうした要素がごっちゃになるので。

・・・大学生、か。

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といったところで、今回はこの辺で。
また会おうね(定期)


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第五十二話 白い闇の狭間へ

この回が一番好き・・・なんですかね?
結構愛着はあります。

本編どうぞ。


~千夏side~

 

 口にして、ようやく自我が戻ってくる。

 ・・・ああ、私言っちゃったんだ。島波君の事、大好きだって。

 

 でも、後悔はない。むしろ、心の奥がすっきりした気分。こんなつっかえを持ったまま生きろなんて、それは無理な話だ。

 

 ・・・でも、それから瞬間的に気づいた。

 

 これは、私のエゴだ。自己満足だ。

 私は今、好きと言った私にどこか嬉しさを覚えている。思いだけ吐き出して、満足している。・・・島波君の気持ちすら考えないで。

 

 島波君のことが好きな気持ちに間違いはない。

 でも、この冷めた気持ちでは返答を受け取る勇気はなかった。

 

 言った傍から、私は今の一瞬のことを忘れてほしくなっていた。

 

 そんな彼は、頭を掻きながらものすごく困った素振りを見せた。・・・少なくとも、喜んでなんかいない。

 

「・・・えっと、水瀬。・・・俺はなんて言えばいい? 答えを返すべきか、今思ってることを伝えればいいのか。・・・水瀬は、どうしてほしいんだ?」

 

 幸いにも、島波君は答えることを躊躇ってくれた。

 だから、このわがままの夢にも終止符を打つことが出来る。

 

 ・・・あれ? 私、何をしたかったんだっけ。

 

「・・・何も、言わなくていいよ」

 

「何?」

 

「いいよ。何も言わなくて。・・・これは、私の自己満足。気持ち、伝えたかっただけだから。・・・だから、忘れてよ」

 

 そう言って私は笑う。

 心がどうかしているみたいで、おかしな行動をしている自分を私はおかしいと思えなくなっていた。

 

「さ、帰ろっか。みんな待ってるだろうし」

 

 そのまま島波君の顔を見ないで、私は逃げ出すように駆けていった。

 

 そして、気づく。

 私がやってしまった、取り返しのつかない過ちに。

 

 

 結局、自己満足だなんて安易な言葉で逃げているだけで。

 私は、その答えを聞くことを怖がって、・・・逃げ出したんだ。

 島波君が私のことをどう思っているか、知ることが怖かったんだ。

 

 だったら、なんで好きだなんて口走ったんだろう。

 

 笑う彼を、怒る彼を、悲しむ彼を、喜ぶ彼を、私はずっと見てきた。そして、好きになった。

 ただ、それだけを伝えればよかった? ・・・違う。それは、誰も喜ぶことなんてない。

 

 島波君の一番でありたいのに。島波君の傍にいたいのに。

 

 なんで・・・私は。

 

 傘を差すことも忘れて、雨に濡れながら歩いていく。今はもう、何も考えることが出来なかった。

 私が壊した。・・・壊してしまったんだ。

 

 そんなことを思っていたせいか、私は全ての音を知らずのうちに遮断してしまっていた。

 

 ・・・だから、聞こえない。

 どこからか聞こえる、ゴーッという轟音が。

 

 そして、聞こえたとき、そこに目を向けたとき、私の思考回路はショートした。

 

 

 そこから先のことは断片的にしか覚えていない。

 私の方へ流れてきたのは、崩れた山肌からの大量の土砂や岩石だったこと。

 

 私が、絶望して目をつぶってしまったこと。

 

 ・・・そして、最後に背中に、何か柔らかい感触を受けたことだった。

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 帰り際、俺は水瀬に呼ばれて、ほんの少しだけ学校に残ることになった。

 空き教室で、ためらいの果てに水瀬が口走る。

 

「島波遥くん、私はあなたのことが大好きです」

 

 それは、告白だった。

 けれど、今日のそれは、この間ちさきから受けた告白とは違い、どこか違和感のようなものを感じた。胸の奥の方が、ムズムズしている。何か叫びたがっているような。

 

 ・・・失礼な話になるかもしれないが、正直、予感していなかったと言えば噓になる。

 陸に上がって、水瀬に出会って、付き合いこそ短いけどずっと傍にいた。・・・いつか、こんな日が来るんじゃないかって、心のどこかで思っていたんだ。

 

 ・・・なんで、そんなことを思えていたんだろう。人を好きになることを遠ざけてきた俺が。

 

 それが、この胸の痛みの答えなんだろうか。

 

 けれど、素直なんて言葉は俺には一番似合わない。

 また、遠回ししかできないような言葉を俺は口走る。

 

「・・・えっと、水瀬。・・・俺はなんて言えばいい? 答えを返すべきか、今思ってることを伝えればいいのか。・・・水瀬は、どうしてほしいんだ?」

 

 言っておいてすぐ気づく。最低だ。

 こういう時、本当はすぐに答えが欲しいはずなのに、それを口にしないだけでなく、相手に委ねるなんて。

 

 すると、水瀬は悲し気に笑った。

 

「・・・何も、言わなくていいよ」

 

「何?」

 

「いいよ。何も言わなくて。・・・これは、私の自己満足。気持ち、伝えたかっただけだから。・・・だから、忘れてよ」

 

 それから、水瀬は俺から顔を背けた。

 帰ろうかと呟いて、そのまま逃げるように駆けていく。

 

 俺は、その背中を眺めるだけ・・・。 

  

 ・・・そんなのは、もう、ごめんだった。

 

 水瀬の気持ちが、水瀬自身が、どんどん遠くへ離れていく。それをただ見送るだけなんて、もうごめんだ。

 遠くへ行ってほしくない。そうしたら、もう二度とつかめないような気がしたから。

 

 それほどまでに俺は水瀬を、欲していた。

 

 好きになる気持ちなんて、まだ分からないけど。

 分からないからこそ、今はこの胸の思いに答えなきゃいけないんだ。

 

 ちさきに告白された時にはなかった感覚。きっと、これが好きの気持ちなのかもしれない。

 

 その気持ちに・・・今、俺は答える。

 

 

 気が付けば、体は走り出していた。

 目指すのはただ一つ、水瀬の下、それだけだ。

 

 もうすっかり遠く離れてしまっていて、今この位置からでは姿を捉えることは出来ない。

 それでも、遅れた距離を取り戻すべく全力で駆ける。

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 荷物も、傘も、どうにもならない感情ごと放り投げて全力で走り抜ける。

 

 そして、その視界の先に水瀬を見た。

 

「水瀬!」

 

 声を掛けて、振り向いてもらおうとする。

 ・・・その時だった。

 

 ゴゴゴと地面が揺れるような音が遠くからだんだんと近づいてくる。その音の方からは、大量の土砂や岩石がなだれ込んできていた。

 ・・・それも、水瀬のもとへ。

 

 

「水瀬ぇええ!!」

 

 大声で彼女の名前を呼ぶ。けれど、その声は届いていない。

 代わりに、水瀬は土砂の方を見た。どうやら気づいたらしい。

 

 ・・・けれど、そのタイミングで逃げ出すことは、もう不可能だった。水瀬の足は金縛りにあったように動かなくなる。一瞬映し出された瞳には、絶望の色しかなかった。

 

 ・・・やめろ。やめろやめろやめろやめろやめてくれ!!!

 俺からもう、大切なものを奪うな! こんな・・・大切で、大好きな人を、誰一人奪わないでくれ!!!

 なあ神様。もしいるなら、取り返しのつかないことになる前に・・・俺に、俺に力をくれ・・・!!!

 

 

 水瀬は全てを諦めきってふさぎ込もうとする。

 俺は、全力で駆ける。水瀬まで、助けたい彼女までもう少しの距離。

 

「ぅぅううああ!!」

 

 全力で駆けて、勢いのままに水瀬の背中に触れ、前に突き飛ばす。

 

 土砂が来たのは、その時だった。

 左から、物凄い勢いの土砂が俺に襲い掛かり、瞬く間に俺はそれに飲まれていく。水瀬を助けて、自分まで助かる余裕は、ハナからなかったのだ。

 

 水に流されるように、体が飲まれ、流されていく。

 中に混じった、一際大きな岩石が、俺の身体に直撃しては砕いていく。

 

 痛覚はもうなかった。しかし、どこかで神経がプツリと切れた感覚に見舞われる。足だ。

 けれどもう、その思考すら処理することが出来ない。

 最後に、少し大きめの岩が頭に直撃したとき、俺の意識はいなくなった。

 

 だんだんと、沈んでいくように意識が消えていく。

 そんな中で最後まで聞こえてくるのは、水瀬の俺を呼ぶ声。

 

 ・・・ああ、助けられたのか。・・・よかった。

 これで、大事なもの・・・失わずに、俺は・・・。

 

 ・・・やっぱり、好き、だったんだ。

 

 

「やっぱり・・・俺、は・・・水瀬、お前・・・の・・・こと」

 

 

 無情にも、俺の意識はそこで途絶えた。

 




『今日の座談会コーナー』

今回の内容については特にいう事はないんですよね。前回からもほとんどセリフ回し等を変えていませんし。
なので、座談会コーナーは、今回はここまで!!
 
・・・うそです。もう少しだけ。

私としては、ここから先の展開をふくらませようと今回のリメイクを行っております。

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それでは、今回はこの辺で。
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第五十三話 果たせなかったこと、果たすべきこと

サブタイトル変えないの久しぶりっすね。
この回は個人的に好きです。スコティッシュフォールド。

それでは、本編どうぞ。


~千夏side~

 

 私は、病院にいた。

 ・・・いや、言い方が違うかな。

 

 放心状態の私の心が帰ってきたのが、ちょうど病院にいる時だった。

 昨日からの雨は予想に反して降りやまない。むしろ、昨日より遥かに強くなって襲い掛かってきている。

 

 病院、とはいっても、別に私が怪我しているわけでもない。

 私が訪れている理由は、目の前に眠っている一人の男性にあった。

 

 その男性・・・、島波遥くんは、ピクリとも動かないまま、そこに眠っていた。

 

 『心肺停止』

 

 島波君の容態は医者たちの尽力により、なんとかこの状態に収まった。とは言え、死亡を回避できたのは奇跡と言えるらしい。

 

 しかし、命に別状はない、とは言えない状態。

 心臓も肺もいまだ動いておらず、容態がどちらに転ぶかは予断を許さない状況らしい。最悪の場合・・・死に至る。お舟引きなんて言ってられない状態だ。

 けれど、島波君一人の容態でお舟引きの状況が変わることはない。現実は、非常だ。

 

 もっとも、起きたとしてもそこから先苦しい思いをするだろうと、先生は歯がゆそうに仰せていたが。

 

 断片的に覚えている。

 私はあの日、島波君に庇われた。

 最後に背中に受けた柔らかい感覚。あれは、島波君の手だった。

 

 その優しさを受けて、今私はこうして彼のもとにいる。・・・彼の意識と引き換えに。

 

 どれだけ叫んだか、どれだけ泣いたか覚えてなんかいない。

 けれど、涙なら、今もずっと流れている。叫びすぎて、声は枯れてしまったけど。

 

 周りには、汐鹿生の子もいた。すすり泣く声、歯ぎしりの音、その音一つ一つが私を苦しめる。

 ちさきちゃんが背中をさすってくれているけど、それで止む感情なんてない。

 

 私は、しゃくりをあげながら声を出す。

 

「私の・・・せいだ・・・!!」

 

 私のせいだ。

 私が、告白なんてしたから。その答えから逃げたから。

 それをここにいる人に告白したかったけど、そうしてまた非難されるのが怖くて言い出せない。私はどこまでも最低な人間だ。

 

「・・・おい、水瀬」

 

 少々怒気の籠った声で、先島君が語り掛けてくる。私は静かに耳を傾けた。

 

「遥の奴は、命張ってまでお前を助けたんだ。・・・そのお前がふさぎ込んで、どうするんだよ」

 

 どこか悔しそうなその言葉。

 ・・・でも、そうなんだ。

 

 私がここにいるということは、私は島波君に託されたんだ。

 託されたものの荷は重い。お舟引きを成功させるという使命、海と陸を繋ぐという願い、そうした類の一切を、私は背負ったんだ。

 

「あいつが背負ってたもん、お前は託されてるんだよ、水瀬。・・・だったら、さっさと立ち上がりやがれ」

 

 不器用に先島君が私を鼓舞する。

 けれど、その言葉のおかげで私は少し体に芯が通った気がした。

 

 いつまでも、泣いていられない。

 ここで泣いたままで、何もしなかったら、私に託された島波君の思いまで殺してしまうから。

 

 それだけは、絶対に嫌だ。

 

 私はなんとか立ち上がり、涙をごしごしと乱暴にぬぐった。

 

 私は進む。

 託された使命と、刻んだ罪を忘れずに、それを背負って進む。

 今は、二度と消えない罪よりも、果たすべき願いが勝っている。

 

 成し遂げよう、最後まで。

 

「・・・みんな、ごめん。私、やるよ。島波君の分まで。恨むなら、その後にいくらでも恨んでほしい。・・・せめて今だけは、私を味方でいさせて」

 

 私の覚悟を聞いて、真っ先に表情を変えたのは先島君だった。

 

「味方も敵も、クソもねえよ。俺たちは仲間なんだ。遥がダウンしようと、それが誰のせいだとか追及なんてしねえ。絶対に、成功させるんだよ」

 

「・・・うん、そうだね」

 

「まなか、行こう? 大丈夫だから」

 

「・・・うん」

 

 他の面々も立ち上がり、先ほどまでの通夜みたいなムードはだんだんと薄れていく。

 そして皆部屋を去っていく。けど、わがままを言って、私一人だけ残してもらった。

 そうは言っても、島波君に私の気持ちを、語り掛けたかったから。

 

 言いたいことはいくらでもある。

 文句、思いの丈、そして懺悔。

 

 けれど、思っていた言葉は、すんなりと口から音になった。

 

「・・・ごめん、島波君。全部私のせいで、掻き乱しちゃった。・・・みんな、ああは言ってるけど本当は怒ってるところもあるんだと思う。・・・嫌われる覚悟も出来てるし、許されなくてもいいと思ってる」

 

 罪人とも、人殺しと呼ばれようとも構わない。

 もう覚悟はしてる。

 

「だから、ここから先は全てあなたへの罪滅ぼし。・・・絶対にお舟引きを、成功させるから。だから・・・どうか、見守ってて」

 

 私一人では、きっとダメだから。

 だからどうか、力をください。

 

「・・・好きの気持ちは、また、その時にちゃんと伝えるから」

 

 きっとそのころには、私は進めているかもしれないから。

 

 

---

 

〜美海side〜

 

 お舟引きまでもう数日とないのに、遥はまだ目を覚まさない。

 いや、どうやら間違いなくダメらしい。

 

 私は・・・遥を、失ったの?

 そんな問いかけが、私の涙を誘う。遥が心肺停止になったと聞いてから、私はずっと泣き続けていた。

 

 いろんな感情が混同する。・・・でも、ことの原因にもなった千夏ちゃんを、恨むに恨めなかった。

 だって、今私が悲しんでいるのは私のせいでもあるから。

 

 遥が好き。その気持ちを伝えなかったら、こうなってしまった。好きを好きにできないで、私は逃げてしまった。

 悪いのは好きの気持ちなんかじゃない。それを認めることが出来ない私だったんだ。

 

 今になってやっと気づく。遅すぎた真実に。

 

 そんな時、私はふと千夏ちゃんに出会ってしまった。

 今にも逃げ出したいと心が暴れている。けど、そんな気持ちをどうにか抑えて、私は千夏ちゃんに声を掛ける。

 

「千夏ちゃん、もう大丈夫なの?」

 

「私は。・・・美海ちゃん、私のこと、恨んでる・・・よね?」

 

 恨む恨まないを千夏ちゃんも気にしていたようで、恐る恐る問いかける。こういう時、嘘を言うだけ馬鹿馬鹿しい。

 

「・・・恨んでないって言ったら、嘘になるかもしれない。・・・でも、多分その感情をぶつけるべきなのは誰でもない私自身だと思う。・・・私が、その気持ちから、千夏ちゃんが言葉にして伝えようとした気持ちから逃げちゃったから。だから、恨んでるって言っても、嘘になる」

 

「美海ちゃん・・・」

 

「だから、今はこの話、やめよう? まだお舟引きも残ってる。絶対に成功させて、遥に報告するの」

 

「うん、そうだね・・・」

 

 千夏ちゃんも分かっているようだった。それでも、まだ引きずっているのか、心なしか悲しげに見える。

 

 そういうの、やめてほしい。

 

 そうした反骨心が強まったおかげか、だんだんと言葉に力が入ってきた。空になっていた心が、何かに満たされていく。

 

 

「絶対やるの。遥のこともそう、あかちゃんのこともそう、まだ何も始まってないし、何も終わってないから。だから、今は出来ることを最大限、全力でやるの。・・・私はもう、何も諦めない」

 

 あかちゃんは、お舟引きと同時に結婚式を挙げるみたい。

 それに伴って、自分からお舟引きの『生贄』になると言った。

 

 正直、あまりいい予感がしない。でも、だからこそ、逃げちゃダメなんだ。

 

「千夏ちゃんも、もちろん、そうでしょ?」

 

「・・・うん!」

 

 千夏ちゃんの中で何かが吹っ切れたのか、さっきよりも少しばかり元気のある声で私の問いかけに対して返事を返した。

 今はまだ、互いに許せないかもしれないけど、いつかはきっと分かり合えるから。

 

 みんないなくならない。いなくさせない。

 私が・・・、ううん。私も頑張るんだ。

 

 

 そして、私は一度両手で頬を叩いた。

 

 

 もうすぐ、お舟引きだ。




『今日の座談会コーナー』

ここのシーンはあまり手を加えてません。
というより、間の会話を省き、冒頭の放心状態の心が戻った、というのを印象付けるためにこういう風にしています。

はてさて、ここからですよ。
・・・空白の五年編、頑張ります。

---

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第五十四話 凪

タイトルは、この一言でよかった。
それでは、本編どうぞ。


~美海side~

 

 お舟引き。

 ついに、この時が来たんだ。

 

 今、控室にいる私の前には、綺麗に化粧をして、衣装を羽織ったあかちゃんが存在感を漂わせながら座っていた。

 後ろの方で、パパが「僕は見ないぞ」なんて言ってるけど、こんなの、見ない方が馬鹿だ。

 

 ・・・あまりにも、綺麗すぎる。

 

『綺麗だな、あかりさん』

 

「遥っ・・・!?」

 

 ふと、遥の声が聞こえたような気がした。けれど、周りを見回しても遥はどこにもいない。・・・いないんだ。

 

「そう、だよね・・・」

 

 変な夢のようなものをみて、自然に悲しくなってしまう。けれど、今はもう悲しんでいる暇なんてない。

 運命の時が、すぐそこまで来ているから。

 

 でも、今の私に何ができるかなんて、私は知らない。

 いつも遥の少し後ろにいて、その大きな背中に守られてきて、ここまで来て。

 

 いざ遥がいなくなって、現実を見せられた私には何ができるの?

 

 ・・・分からない。

 

 だから私は、見守る。願う。

 この物語の結末を、この先の未来の幸福を。

 

---

 

~千夏side~

 

 夜になった。

 私は、お舟引きに使用されている船の一隻に乗り込み、手に松明をもって行く先を灯していた。

 あかりさんの乗る舟は私のすぐ斜め前にある。船の前方に立っているあかりさんの姿は美しく、そしてほんの少しだけ、恐ろしさを覚えた。

 

 どこか、嫌な予感がする。霊感的に、だけど。

 

 すると、遠くから、青色の揺れる炎のようなものが海の中に現れた。

 

「これは・・・ウロコ様の案内か?」

 

 先島君が不思議に思って声を上げる。けど、もしそうなら嬉しいと思った。

 海の人も、見てくれているんだ。この、晴れ舞台のような儀式を。

 

 揺らめく火と光の反射で、汐鹿生がくっきりと映る。こうして綺麗に汐鹿生を見たのは初めてだ。

 今はまだ遠いけど、いつかはそこに辿り着きたい。私のとっての汐鹿生は、そんな場所だ。

 

 揺れる水面に、私はそっと呟く。

 

「・・・ずっと、こうしてここのみんなといられたらな」

 

 

 刹那、船体が大きく揺れ動いた。

 荒れた波が船にぶつかり、しぶきを上げて私の乗る舟に襲い掛かる。

 海水が目に入らないように腕で目元を覆う。そして、それを目の前からどかすと、信じられない光景がそこに映っていた。

 

「何、これ・・・?」

 

 海から何本もの竜巻のような渦が上ってきている。そしてそれは、瞬く間に私たちだけの舟でなく、お舟引きに参加している舟を包み込んでいく。

 

「おいおい、どうなってんだこりゃ!?」

 

「まさか、海神様が怒ってるんじゃねえのか・・・!?」

 

 周りの大人が次々に驚きの声を上げ、焦りを見せている。こんな状況で焦らずにいられる方が不思議だ。私だって、その一人。

 

「嘘・・・!?」

 

 

 何が起こっているのか分からない。

 けれど、一つ言えることがあるとすれば・・・。

 

 絶対に、何かが起こる。とてつもなく、悲しみを生みかねない何かが。

 

 

 こうなるって、島波君は分かってたの・・・?

 もしそうなら・・・。

 

 

 ・・・ううん、違う。今、私が考えるべきことはそんなことじゃない。

 どんなに考えたって、島波君はここにはいない。ここにいるのは私だ。水瀬千夏だ。

 

 今ここに必要なのは、誰からも頼られている島波遥の考えや答えじゃない。

 私の脳で、私の考えで、どうにかしなければならない。

 

「船を引いてください!! このまま進むと危険です! 荒波に飲まれる前に、早く!!」

 

 私の声が響いてか、後続の舟がどんどん舟を下げていく。竜巻が前方に複数展開している以上、後ろに引いた方が遥かに賢明だ。

 

 そして、半数ほどが安全圏に動き出したころ、それは起こる。

 一つ大きな竜巻が、先頭の舟、あかりさんの乗る舟へ直撃した。

 

 

「ダメッ!! それだけは!!!!」

 

 私の思いむなしく、直撃した船は大きく揺れ、先頭に立っていたあかりさんは海へ放り出されてしまった。

 さらに不運なことに、あかりさんはその時意識を失っていた。本来エナを持っている人間にも関わらず、海でおぼれている。

 

「あかり!!」

 

 その様子を同じタイミングで見ていたのか先島君が急いで海に飛び込む。

 

 私も、と思って、飛び込もうとしたとき、自然とその足が止まった。

 

 こんな渦の中、私はまともに泳げるのだろうか?

 普通の人ならまず無理だ。・・・でも、私にはエナがある。ここで泳がなければいけないのは、もはや使命に近い。

 でも、飛び込めないのはきっと、これまで守ってきた約束があるから。誰にもエナを見せるなという、約束が。

 

 けれど、今はもうそんなことを言ってられない。多くの人の命がかかわっているんだ。私がいかなきゃ、誰が行くのか。

 

 気が付けば、私は海に飛び込んでいた。

 目指すところはただ一つ。あかりさんを助ける、ただそれだだ。

 

 冷たい。

 久方ぶりの海は、凍えるほどに寒かった。この格好でずっとこうしていたら、まず間違いなく体調を崩すだろう。

 その冷たさはきっと、私を嘲笑っている。

 

「・・・!? おい! なんでお前・・・泳げているんだよ!」

 

 私を見つけて、呼ぶ声がする。先島君だ。

 けど、そんな質問に悠長に答えている暇なんてない。

 

「その話はあとにして! とにかく今は、あかりさんを助けに行って! 見えるでしょ!? 多分、先島君の方が泳ぐのは早いから!!」

 

 

「分かった! ・・・でも、お前はどうするんだよ!?」

 

「他にも助けなきゃいけない人がいるでしょ! 私はそっちに行く! だから先島君は、先島君の助けるべき人を!」

 

「・・・それじゃ、頼むわ!!」

 

 先島君は私の言葉を了承して、そのまま一目散に沈んでいくあかりさんを追っていった。

 残った私は、近辺に溺れている人がいないかどうかを探す。エナを持っていない人間は、この海では泳げない。

 

 しばらく探し回る。幸いにも、私の見た限りでは溺れている人は見えなかった。早めに引き上げられたのか、ハナから溺れてなかったのか、いずれにせよ、いないことに越したことはない。

 

 他の皆も追いたかったけど、まずは一旦陸に戻って避難誘導を・・・。

 

 ・・・!!?

 

 その時、私の身体を得体のしれない違和感が襲い掛かった。

 体から、急速に力が抜けていく。代わりに、どんどんカナヅチになっていくような感覚。

 

 必死に腕を掻いて進もうにも、体はどんどん沈んでいくばかり。

 まるでそう・・・エナを失ったような感覚。

 

 けれど、呼吸が出来ないことはない。少しずつ苦しくなっているから、一瞬で失ったわけではないんだと思う。

 

 でも、体は確かに沈んでいく。ついには息が出来なくなる。

 

「(なんで・・・どうして・・・!?)」

 

 ふと、海の底から言葉が聞こえてくる。

 

『これで・・・みんな一緒』

 

 その時、私は何かを察した。

 これが、私が少しばかり望んだ願望なんだと。

 

 ・・・でも、こんなこと、望んで・・・ない、のに・・・。

 

 遠くに陸が見える。それは、いつもよりもはるかに遠い。

 きっともう、帰れないような気がした。

 

『その辛さを・・・忘れさせてあげる』

 

 

 深淵から聞こえてくる声も、もう微かにしか響かない。

 その言葉を耳に、私はとうとう目をつぶった。

 

 全てを投げ出した身体はもういう事を聞かず、意識も遠のいていく。

 

 

 だめ・・・私は・・・帰らないと・・・いけないのに・・・。

 お父さん・・・お母さん・・・美海ちゃん・・・。

 

 

 ・・・遥、君。

 

 

 

 

---

 

 

~美海side~

 

 流れる。

 また流れる。

 海の流れ、人の流れ、時の流れ。

 

 あの日海は凪いでしまった。今は穏やかで冷たい風だけが吹きすぎる。

 

 時は流れた。もう、あの日から5年が経つ。

 私はずっと、待っている。

 

 

 

---

 

 

 鴛大師駅。電車の到着アナウンスが流れてくる。

 私はちょっと背伸びをして、奥の方を覗く。改札の向こうに、私の待っている人が見えた。

 

 その人はこちらに気づいて、小さく手を振りながら近づいてくる。

 そして私としっかり目を合わせて言う。

 

 

「・・・ただいま、美海」

 

 私の待っていた人、私の大好きな人。その言葉に私は笑顔を見せた。

 

 

「うん。おかえり、遥」

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作と比べて大きく変えたのは、千夏が溺れるシーンですかね。
セリフ等は特に変えていないのですが、謎の誰かからの謎の言葉(『』のシーン)を追加しました。これを、今後の推理要素にしていただければという魂胆です。

というところで、やっと第一部が終わりました・・・!
といっても、ここまではどちらかというと史実をなぞるような展開。それに付け加えただけのリメイクにすぎません。

やっていこうじゃないの、1.5部、2部。

---

といったところで、今日はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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空白の5年編
第五十五話 絶望の始まり


始まりました、空白の五年編。
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 暗く寂しい世界の中に、俺はいた。

 遠くから、何度も何度も俺の名を呼ぶ声が聞こえる。

 そっちに向かって歩こうとするが、力が入らない。

 やけになって手を伸ばそうとしてみるが、全く届く気配もない。

 

 俺は、それでも、と諦めようとしなかった。

 そうして俺は・・・

 

 

 今、目を覚ました。

 

---

 

 

「よう、目を覚ましたか。・・・ずいぶんと、長い眠りだったな。・・・よく帰ってきた」

 

 だんだんと視界が開けていく。そこには、前にも見たような白衣の先生がいた。真上から、俺の顔を覗き込んでいる。

 

「あな・・・たは、確か・・・藤枝先生」

 

「おう、そうだ。藤枝大吾。改めて、お前の担当医になった。よろしくな」

 

 ゆっくりと身体を起こして、周りを見回す。

 当然のことながら、ここは病院だった。薬品臭い部屋の匂いが、微かに俺の鼻腔を突く。

 

 そして、更に体を起こそうとする。

 その時、君の悪い違和感にようやく気が付いた。

 

 体が、軽い。まるでバランスが取れない。それはまるで、何かが欠けているようで・・・。

 あの日、確か俺は・・・。

 

 俺の表情が変わったことで、俺が異変に気が付いたことを悟ったのか、先生は先に説明を始めた。

 

「・・・そりゃ気が付くよな。『片足がない』なんて」

 

「・・・」

 

「お前の左足は、完全に壊れていた。最初に出来た傷、膝が砕けただけならまだよかったが・・・、足先からひざに至るまで、完全に土砂、岩石に押しつぶされていた。ペシャンコなんてもんじゃない」

 

 残念そうな声で語る先生の方を俺は向こうとする。

 そしてその時、また気が付いてしまった。

 

 先生の顔が、見えないのだ。ぼーっとぼやけて、その表情が見えてこない。

 つまり、目も・・・。

 

「あと、膝だけじゃなくて目もそうだ。両目の損傷、主に右目の視力が大幅に低下している。詳しい検査はこれからだろうが、多分もう0.1も見えてないはずだ。・・・土砂で、目を傷つけちまってる」

 

「そう、ですか・・・」

 

 とはいえ、どこか安堵している自分がいた。

 視力も落ち、足もなくなったけど、生きているし、まだ想いを伝えるだけの声がある。

 

 なら、俺はまだ・・・!

 

 ・・・?

 

 そこで、気が付いた。・・・俺は、何日眠っていたのか知らないと。

 ゾクリと背中に悪寒が走る。それは、病院の仄かに肌に障る冷たい風のせいかもしれないけど。

 

 恐る恐る、先生に問いかけてみる。

 

「先生・・・俺が運ばれて、何日たちました?」

 

「・・・何日どころじゃねえよ。お前は、一週間生死の間を彷徨ってたんだからよ」

 

 一週間。

 その数字を聞いただけで、俺の絶望は形となって現れた。

 体中から冷や汗が噴き出して止まらない。今すぐそこのカーテンを開けて海を見たかったが、目もぼやけて足も動かずに、一体何が出来ることがあるだろうか。

 

 それでも、動く。

 俺は、やらなければならない。見届けなければならない。

 

 海は、どうなった?

 

「おいバカ動くな! 怪我がひどくなったらどうすんだ!」

 

「海を見に行かないと・・・結果を見届けないと・・・」

 

「今のお前に何ができるっていうんだ! 目を覚ませ馬鹿野郎!」

 

 藤枝先生は、使命に駆られて無感情に動く俺の胸倉をつかみ、強引にベッドの方へと押し戻した。

 

 そこで、俺はようやく自我を取り戻す。

 先生は、どこか気まずそうな雰囲気を漂わせていた。

 

「・・・何のために医者がいるか、少しは考えろ」

 

「分かってます・・・、けど」

 

「口答えはなし。・・・大体、その目で何を見ようってんだ」

 

「あ・・・」

 

 そうだ。今の俺の眼は、なにも捉えることが出来ない。

 ただぼんやりと、白い天井のようなものを映しているだけ。

 

 

 こんな状況で、何ができる。

 

 

「・・・ちったぁ、頭冷えたか」

 

「はい」

 

「んじゃ、ちょっと待ってろ」

 

 そう言うと先生は一度奥の方へ下がった。何かを探しているようだ。

 やがて戻ってくると、俺に何かを手渡した。

 

「眼鏡だ。急な代替措置だけど、それでも何も見えないよりははるかにましなはずだ」

 

 その眼鏡を受け取って、俺は自分の耳にかけてみる。

 多少度が合わないためか、頭がキーンと痛んだが、それでもさっきよりはくっきりと見えるようになり、視界が広がった。

 

 そこで、足がないことを再確認できた。

 

「・・・本当に、無くなったんですね。俺の足」

 

「仕方がない。・・・言い方が悪いが、生きているだけ奇跡なんだよ、お前は」

 

 ひどく空っぽになった今の心は、失った足のことなどどうでもよくなっていた。

 ただ、その瞳にあの蒼を映すまでは。

 

「・・・なあ、海、やっぱり行きてえか」

 

「当たり前です・・・!」

 

「しゃーねえ、ちょっと待ってろ」

 

 そう言うなり、大吾先生はタっと部屋から出ていった。それから数分経って、部屋に戻ってくる。

 

「うし、アポが取れた。こいつに乗れ」

 

「これは・・・車いす、ですか」

 

 目の前の先生が持っていたのは、人一人分の車いすだった。これに乗れという事なのだろう。

 

「んでもって、今からお前を車の方へ連れていく。俺が同伴してりゃ、問題ねえとよ」

 

 そして俺は鈍った両腕で車いすをまわしながら、病院の駐車場へと向かった。

 

---

 

 

 車いす一つゆうに乗れるような車に乗り込む。

 車は、どこか冷たい空気を切り裂きながら、鴛大師の中心部を目指して走り抜けていく。窓は開いていないのに、車内の空気は異様に冷たかった。

 

 まだ、夏のはずなのに。

 

「ところで先生、よく許可なんて下りましたね」

 

「ああ? これはあれだよ。なんつーか・・・そういうサービスっていうか。ウチの病院自体がな、こうやってできるだけ患者の要望を取り入れるようになってんだ」

 

「珍しいですね」

 

「ああ。入院している末期患者の最後の希望を叶えたりする、とかそういった名目で始まったんだったか? そんな感じだ」

 

 先生は、華麗にハンドルをさばきながらつづける。

 

「ところで、お前、足はどうするんだ? ・・・そのままってのもあるが、今の時代義足って文化もある。つって、海の人間か。エナに対応する義足はなかなか難しいかもしれんが・・・」

 

「・・・今はまだ、そのことを考えたくないです」

 

「分かった。・・・っと、そろそろ海だ。覚悟は出来てるな?」

 

 トンネルに差し込む。この長い穴道を抜ければ、そこに俺が欲した光景が広がっている。・・・はずだ。はずなんだ。

 

 

 出口付近についたのか、光が差し込んでくる。

 そして、抜ける。その先に映った景色は・・・。

 

 

「なんだよ・・・これ」

 

 そう声を上げることしか、俺には出来なかった。

 

 連なった鳥居が倒れている。

 会場にはその鳥居の欠片や、破損した船のものであろう残骸が浮かんでいる。

 

 そして・・・おぞましいほどに穏やかで、凪いでいた。

 

 ・・・こんなものが、こんなものが、俺の望んだ光景のはずじゃない。

 お舟引きは・・・失敗したんだ。

 

「そうか・・・ああ、そうかよ」

 

 唇がわなわなと奮える。そして、やっと声を絞り出したかと思えば、こんな情けない声しか出ない。

 でも、何か言わなければ、ダメになってしまいそうな気がしていたんだ。

 

 望まない笑いを浮かべる。本当は、笑う余裕なんてどこにもないのに。

 でも、俺はいまに壊れてしまいそうだった。・・・もう、壊れているのかもしれないけど。

 

「おい、大丈夫か? ・・・つって、このありさまじゃ無理もないよな」

 

 先生は俺の狂った様子に明らかな困惑を見せていた。

 いつまでもこんな姿を人前では見せていられない。俺はどうにか、普段の調子を取り戻した。

 

「・・・まずは、何があったか、知らないと。・・・知る人に、会いに行かないと」

 

 お舟引きが失敗に終わったのは一目瞭然だ。

 あとは、いる人を探しに行かないと。誰か、傍にいてほしかった。

 

「先生、車を進めてもらえますか?」

 

「分かった。・・・タイミングのいいところで言ってくれ。今日ばかりは何でも聞いてやるよ」

 

 先生は俺を気の毒に思ったのか、そんな似合わない言葉を吐いた。

 

 そして、再び車は走り出す。

 

 俺は、焦っていた。

 早く誰かに会いたい。会って、声を聴きたい。

 

 

 そして数分後。

 堤防沿いのバス停で、俺は出会う。

 長めの髪に、波中の制服。見間違いなどするはずもない。

 

 

 

 そこにいたのは、ちさきだった。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作をリメイクとして今書いている最大の理由が、この空白の五年編の強化を図るためです。
前作では三話編成、文字にしてせいぜい6000文字ほどでしたが、五年編、というのもありサイドストーリーをどんどん増やしていこうと思います。

端的に換言すれば、ここからが本番です。
御照覧あれ。

---

それでは、今回はこの辺で。
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第五十六話 止まった全て

前回4000文字で終わった範囲が、今回9000文字くらいになりそうですね。
まあ、そこはどうでもいいですが。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 俺は迷わず、先生に車を止めるようにお願いした。

 そして車いすを車内から下ろすなり、全力の腕力でちさきの方へ車いすを漕いだ。

 

 その音で気づいてか、ちさきは俺の方を見る。そして、そのまま力なく膝から崩れ落ちた。

 

「ちさき!」

 

「は、るか・・・遥、遥ぁあ!!」

 

 ちさきは俺が到着する前に声を上げて泣き出した。ここまで狂ったように涙を流すちさきは初めてだ。

 

「よかった・・・! 遥までいなくなったら私・・・もう・・・!!」

 

「待てよ・・・。までってなんだよ」

 

 俺は、その言葉が引っ掛かった。

 ちさきはここにいるのに、他の人間が見当たらない。

 

 嫌だ、考えたくない。

 けど、俺の思っていることは・・・多分、正解なんだ。

 

 みんなは、もう・・・。

 

「ごめん・・・ごめんね・・・! みんな、いなくなっちゃった・・・!! 私だけ、残っちゃったの!!」

 

 やはり、その通りだった。

 お舟引きは失敗して、冬眠も行われて、みんな眠ってしまった。

 

 これが真実。これが・・・現実なんだ。

 

 何も出来てないのに、俺のいないところで、全てが終わってしまった。

 陸に残るなんて豪語してたけど、いざこうなるなんて思ってもみなかった。だからこそ、辛い。

 

 けど、目の前で泣いているちさきに非はない。それだけは確かだ。

 

「そっか」

 

 ちさきは涙をぬぐいながら、無理やり立とうとする。

 

「ごめん・・・一番辛いのは遥なのにね。・・・泣くの、やめないと」

 

「いや、いいんだ。・・・そんなにつらい思いをしてまで涙をこらえるのはやめてほしい。泣きたいなら、泣いてほしい」

 

 それを聞いて安心したのか、ちさきはさらに声を上げて泣き出した。

 けれど、俺の頬を伝うものはなかった。

 

 けれど、胸のほうにぽっかりと開いた空虚な穴だけは、確かに分かっていた。

 

---

 

 ちさきは、数分経って泣き止んだ。それでも、しゃくりはまだ止まっておらず、話も途切れ途切れだった。

 

「・・・どこから、話そうか」

 

 しかし、元気のないちさきから、心の傷をえぐるような言葉を聞きたくはない。

 きっと、グダグダして進まないのは明白だった。

 

「じゃあ、俺が話そうか?」

 

 奥から声が聞こえた。紡だ。

 

「紡・・・」

 

「ああ。・・・なんか、久しぶりだな、遥」

 

「紡君・・・なんでここに?」

 

「じいちゃんが、探して来いって。・・・それに、比良平にとっても、話すのが辛いだろ。・・・悔やみながら話すなんて、俺でもしんどい」

 

「・・・そう、だよね。お願いしても、いいかな」

 

「分かった」

 

 紡と語り部を交代して、ちさきはその場から逃げるように駆けていった。きっと、自分一人残ったことだけでなく、怪我だらけの状態にある俺を見るのも辛かったのだろう。

 

 そして、残った紡が淡泊に説明を始める。

 

「お前がいなかった時のこと、今から話す。・・・大丈夫か?」

 

「覚悟はしてる。・・・教えてほしい」

 

「・・・海は見ての通り。お舟引き中に、海から謎の竜巻みたいなものが何本も浮かびあがって、俺たちの舟を襲った。大体の人の避難は間に合ったけど、先島の姉ちゃんも、俺も、海へ投げ出された」

 

「っ・・・! それで、どうなった?」

 

「先島の姉ちゃんは多分、先島と向井戸が助けて、俺は比良平と伊佐木に助けられた。・・・その時、海に吸い込まれたように先島達は消えた。比良平と俺と伊佐木は船に上げられたけど、倒壊しそうになった柱を避けるために船が急旋回して、そのまま伊佐木も」

 

「ちさきは、後を追って飛び込もうとしなかったのか?」

 

「その時には、海が一層荒れて飛び込むにも飛び込めなくなっていた。・・・というより、放心状態でいたからな、あいつは」

 

「そうか。・・・多分、冬眠に巻き込まれたんだろう」

 

 そこまでは予想できた。ただ、お舟引きが成功しなかったという事実が、今は一番辛い。

 

「そう言えば、水瀬は? あいつは大丈夫なのか?」

 

「・・・」

 

 

 紡は何も語らない。

 そこで、また俺は悟ってしまった。何よりも辛い沈黙だ。

 

 震える口先で声を紡ぐ。変な予感がしていても、それを本当にしたくなかったから。

 

「なあ、紡。答えてくれよ。・・・水瀬は」

 

「あいつも・・・。海に飲まれた。・・・行方不明の扱いになってる」

 

「・・・嘘、だろ・・・?」

 

 おかしい。

 冬眠は、汐鹿生の人間を対象に行うだけのはずだった。

 なのになんで、それに水瀬が巻き込まれて、海に落ちなきゃならないんだよ。

 

 話したいこと、伝えたいこと、まだいっぱいあるのに・・・!

 

 

「大丈夫か、遥」

 

「・・・大丈夫、じゃないかもしれない。・・・わりぃ、一人にしてくれねえか。ちょっと今は・・・やりきれない」

 

「分かった。・・・また何かあったら連絡してくれ。絶対力になって見せる」

 

「・・・」

 

 その言葉に返事をする余裕も、もはや俺には残っていなかった。

 

「じゃあ、俺、戻るから」

 

「気をつけろよ」

 

 紡の方を振り返ることもなく、俺は残された力で車いすを押し、大吾先生の待つ車へと戻った。

 

「いいのか?」

 

「いいんです。・・・ただ、あと一か所だけ、寄ってほしいところが」

 

「分かった。・・・行くぞ」

 

 そして、車は再び走り出した。

 先ほどより少し暗くなった道を駆け抜けていく。

 

 そんな時間になってまで、行きたい場所があった。

 

 

---

 

 

「お前、こんな場所に何の用だ?」

 

 そこについて、先生は呆れたような声を出す。けれどここは、俺にとて大切な場所。

 

 

 海の見える堤防。・・・ここに来れば、水瀬に会えるような気がしたから。

 

 それ以上の言葉は、いらない。

 

「何でもいいじゃないですか。・・・もう放っておいてください」

 

 もう、先生と会話する元気もなかった。

 車から降りて、堤防の近くへ。堤防へ登っていく元気も、足も、もうなかった。

 

 

「・・・なあ、どこで眠ってるんだよ。早く帰ってきてくれよ。・・・俺、お前におかえりって言う立場じゃないんだよ」

 

 水面は凪いで、てんで動く気配もない。そこには誰もいない。

 

「なんでお前が・・・いなくならなきゃならないんだよ・・・! 帰ってきてくれよ・・・水瀬!!」

 

 ずっと強張っていた涙腺が一度ほどけてしまえば、そこから涙がとめどなくあふれるのは致し方のない事だった。

 

「俺が・・・好きになったから・・・全てこうなったのかよ・・・! また、またまたまた俺のせいで・・・!!!!!!」

 

 また、守れなかった。頭を抱え、くしゃくしゃと髪を掻き乱す。

 結局俺は無力で、それなのに、歳を重ねてなんでもできるような気持ちになっていて、それで結局、同じ光景を見せられる。

 神様が嘲笑う。お前は壊れていると。

 

 あの日忘れようとした痛みが、今何倍にもなって襲ってくる。

 俺は、久方ぶりの涙を流した。

 

 涙で滲んだ視界で、ぼんやりと映った海を見る。

 穏やかだ。気持ち悪いくらい穏やかで、俺を嘲笑っている。

 

 そこに帰れば、皆がいるってのに。

 もう、戻れない。

 

 ここに残るって言ったのに。

 水瀬は、帰ってこない。

 

「・・・ぅうああああああああああ!!!!」

 

 声を押し殺すことも、涙を堪えることもしない。

 泣けば、少しは楽になると思ったから。

 

 けれど、開いた古傷が涙のかさぶたで塞がることなど、ありはしなかったのだ。

 

 

---

 

 

 十数分が経つ頃、こちらに向かってくる一つの足音があった。

 先生かと思って車の方を向くが、全く動いている気配もない。

 

 なら、反対側だ。俺は身体を捻って後ろの方を振り返る。

 そこに、彼女はいた。水色のパーカーを羽織った彼女が。

 

 

「・・・やっと会えたね、遥」

 

 美海だけは、間違いなくそこにいた。

 




『今日の座談会コーナー』

実は作者、この空白の五年編が凄い大好きなんですよね。だからこそなんで前回あんなに短く終わらせてしまったのか不思議に思ってしまいます。

というより、創作物ってどうしても作者自身の考えや理想などが文章に現れてしまうんですよね。ということは、二年前に書いた前作は作者である私の感情の一部なのだろうか・・・?

黒歴史にはさせません!!

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と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第五十七話 揺れる瞳、凪ぐ心に・・・

前作では好きな回堂々のトップ10入りする回です。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 俺が美海に見せている瞳はどんな色だろうか。

 けれど、美海相手に平静を装えるほど、今の俺は万全ではなかった。

 

 ただぼーっとした受け答えしかできない。

 

「・・・珍しいな、美海がこんなところまでくるなんて」

 

「なんとなくね、誰かがいる気がしたから」

 

 

 美海は少し悲しそうな目をする。

 それを見るだけで、自分が失ったものがまた込み上げてきた。

 

 本当なら、ここに水瀬がいるはずなのに・・・。

 

「・・・なぁ、美海。俺、また失っちまったよ。はっ、笑えるよな。あれだけ守って見せるって豪語してたのに、終わってみればこの有様だ。何も守れないで、また失って」

 

「・・・」

 

「好きになることがダメじゃないなんて言ったくせにな・・・。俺、やっぱりダメなんだ。だからもう二度とこんな感情・・・。もう、いっそ一人で生きた方が」

 

「・・・め」

 

「?」

 

「それはダメ!!」

 

 美海の心からの叫びで、俺は目を覚ます。

 

「遥は・・・何も失ってなんかない! まだ大切な人は残ってる! 誰も、いなくなったりなんかしてないから!」

 

 そして、美海も目にいっぱいの涙をためていた。

 

「それにさ・・・。もう全て終わったみたいな顔してるけど、遥が守り抜こうとしたものはすべてなくなったの? ・・・私は、大切になんか思われてなかったの?」

 

「・・・あ」

 

 その言葉で、ようやく気が付いた。

 俺は・・・水瀬が行方不明になって、全てが終わったと思い込んでいた。もう、全ての大切なものを失ってしまったと思っていた。

 

 けれど、違う。

 ここにはまだ美海がいる。あかりさんもいるし、保さんも夏帆さんもいる。・・・大切なみんなが、いるんだ。

 

「・・・ごめん、美海。俺は・・・俺は・・・!」

 

「遥が今辛い思いをしているのは分かるよ。だって、遥は優しいから。・・・でも、忘れないでよ。遥が守りたかった人は、みんな遥のことを守りたいと思ってるから。・・・私も、そうだから」

 

 美海は俺の背後に回り、そっと優しく俺の首の後ろから手をまわして抱き着いた。優しく、ほんのり冷たい手先が俺の涙をぬぐう。

 

「だから・・・もう泣かないで。今は無理でも・・・いつかきっと、報われる日が来るから」

 

「・・・まいったな」

 

 美海にぬぐってもらったためか、俺の頬を雫が伝うことはもうなかった。ただ、こうされていることがありがたく思えて、恥ずかしく思えて、もうめちゃくちゃだ。

 

「こんなんじゃ俺、いつまでたっても子供だ。・・・いや、美海が大人になっただけなのか? なんか、お姉ちゃんぽいっていうか」

 

「うん、だってそうだもん」

 

「え?」

 

「・・・お舟引きのあと、すぐだったかな。あかちゃんに子供が出来たらしいの。・・・生まれるまでは、まだ遠いかもしれないけど、私はお姉ちゃんになるの」

 

「至さん・・・」

 

 タイミングが悪いと言いたいわけではない。そこについては結果論なので至さんを咎めても意味はない。

 というより、俺は単純に驚いていたのだ。至さんが、その行動まで至っていたことにだ。

 

 けれど、結果論とはいえ、問題はある。

 それはあかりさんの事だ。めちゃくちゃになった海を見て、落ち着いていられるほどあの人の肝っ玉が強くないことは知ってる。弟である光がいつ起きるか分からない眠りについてしまった今、やるせない思いは強まっているはずだ。

 

「でも、あかりさん大丈夫なのか?」

 

「最初は、大丈夫じゃなかった。取り乱して、心を閉ざしかけてた」

 

「だよなぁ・・・」

 

「でも今は、大丈夫。・・・私の思い届いてくれた。あかちゃんも分かってくれた」

 

「美海が、説得したのか?」

 

 俺の問いかけに、美海は一度頭を縦に振った。

 もちろん、驚くほかない。

 

 一時期は、気持ちを伝えることにさえ一苦労した美海が、今はこうして自分の想いを、好きの気持ちを言葉にしている。

 

 ・・・もう、とっくに俺なんかより先に進んでいるんだ、美海は。

 

 それが嬉しいようで、どこか悔しい。

 

「・・・また、ブルーなこと考えてる」

 

「・・・あっ、ああ。悪い。・・・うん、そうかもな」

 

「いいの。・・・遥、これだけは忘れないで。・・・遥は、大切を守った。だから、私の新しい大切が生まれようとしてるの。・・・何一つ、無駄なことはない。遥は悪くないよ」

 

「・・・今はまだ難しいかもしれないけど、分かった。いつか、絶対にそう認めれるようになるから」

 

 励まされても、手のひらをくるりと反すように人間はすぐに気持ちを切り替えることは出来ない。

 俺の胸に刻まれた傷は、そう簡単には翻ってくれない。分かってる。

 

 ・・・だから、いつか自分の弱さを、未来への希望を認められるように。

 好きの気持ちから逃げることが無くなるように。

 

 頑張って生きよう。その日まで。

 

「うん。・・・」

 

 それっきり、美海は黙り込む。さっきまでの穏やかな表情とは打って変わって、湿った表情で俯いている。

 

「どうした? 美海」

 

「・・・こんどは、私が泣いても・・・いい?」

 

「え?」

 

「だって遥・・・こんなにボロボロで・・・。見て、られなくて・・・」

 

 そこでようやく、俺はもう今までの自分とは違うことを再確認した。

 あからさまに突然な眼鏡。そして、形を失った左足。

 

 これまでの俺を知っている人間からすれば、苦しくないはずなんてなかった。

 

「・・・ああ」

 

 俺が承諾の言葉を吐くと、美海は俺の右肩に顔をうずめて泣き出した。

 自分の痛みじゃないのに、自分の痛みのように思って。

 

 

「・・・ごめん、美海」

 

「こうなるしか・・・なかったの・・・!?」

 

「・・・あの時には、もう。だから水瀬のこと、責めないでやってくれよ。・・・あれは俺が悪いんだ。好きの気持ちから逃げた罰なのかもな」

 

「そんなことないからっ・・・!」

 

 美海は必死に否定する。最後まで俺の味方であってくれるつもりのようだ。

 ・・・自分を犠牲にしないって言って、このありさまじゃ、やってられないよな、ホント。

 

 俺も・・・もっと成長しないと。

 

「大丈夫だから。絶対また、美海の前に立って見せるから」

 

「約束・・・して」

 

「もちろん」

 

 そして、空いている左の腕で美海の頭を撫でる。しばらくして美海は泣き止んだ。

 

「今はまだ無理だけどさ、義足ってのがあるんだ。・・・そんでもって、そうしてちゃんと美海の前で両足で立てたら、その時はまた、よろしく」

 

「・・・うん」

 

 美海は顔を上げて、一度うんとしっかり頷いた。

 

「さ、帰ろうか。あかりさん心配してるんじゃないのか?」

 

「そうだね」

 

「俺も頑張るからさ」

 

 そうして、俺は美海と別れて車へと戻る。

 癒えない傷は癒えないままだけど、少しは立ち直れた気がするから。

 

 だから、戻ろう。

 

「人前でイチャイチャしてるのを見せられている身にもなってみろ」

 

「はははっ、すいません。・・・ありがとうございました」

 

「おう。・・・んじゃ、帰るぞ」

 

 大吾先生の運転する車に揺られて、夕日に照らされる海をあとにする。

 

 変わってしまった海。

 

 凪いでしまった海。

 

 少し打ち寄せている波を映した瞳は揺れている。

 

 

 けれどもう、俺の心は揺れてなどいなかった。




『今日の座談会コーナー』

前作でも、なかなか面白いシーンを書いていると自讃していただけに、なんであんなに淡泊に終わらせてしまったんだろうと後悔してたので、今回はモリモリにしました。
あとは地の文、ですかね。
前回は会話文を中心に展開していましたが、今回は心理描写、行動描写に力を注ぐつもりです。

今後の話に、こうご期待あれ。

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それでは、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第五十八話 ぬくもり溢れて

あぁ好き(語彙力)
この回かなり好きです。
 
本編どうぞ。



~遥side~

 

 退院の許可が出たのは目が覚めてから一か月後。

 その間の時間は、苦痛と言えば苦痛だった。

 

 時々フラッシュバックする、見たくもない海の光景。失った現実に打ちのめされて涙を何度も流した。

 それ以前に、単純にやることがなかった。松葉杖を使って、片足で歩けるようにはなったけれど、それでも行ける場所は少なく、かといって病室でやることもない。退屈の真っただ中だった。

 

 かといって、今退院を迎えることが嬉しいかと言われれば、そこは言葉に困った。

 一応、退院の引き取り人は保さんが請け負ってくれたそうだが、果たして水瀬がいなくなったあの家に俺がいていいのだろうか。そこばかりが気になる。

 

 けれど、時間は待ってくれない。

 いつの間にか、退院当日となっていた。玄関の向こうには一台の見慣れた車が見える。

 

 

「・・・久しぶりだな、遥くん」

 

「お久しぶりです」

 

 俺は、水瀬の両親との面会を拒否してもらっていた。世話になった身分でありながら、たいそう無礼な話だ。

 しかしながら、水瀬がいなくなった二人と相対することも辛かったし、何より向こうは俺の面会拒否を有無を言わず飲んでくれた。

 

 だから俺は、今ここで取り乱すことなく過ごしていられる。

 

 保さんは冷静さを装っていた。けれど、声色までは偽れない。

 その声色は、寂しさの色に染まっていた。

 

 水瀬がいなくなった哀しみから立ち直ることなんてそうそう簡単にできることではない。言えばあいつは、必要のない犠牲だった。

 それの被害にあって、二人は何を思っているのだろうか。到底、怖くて聞き出せないけど。

 

「とりあえず、一旦家へ戻ろう。構わないか?」

 

「ええ。・・・そうしていただけると助かります」

 

 ではまた、と見送りに来た大吾先生を後目に、俺は車へと乗りこんだ。

 

 

---

 

 

 車内での会話は一切なかった。きっと皆が、何も言うことが出来なかったのだろう。

 そうして、瞬く間に水瀬家に着く。

 

「・・・ここも、ずいぶん久しぶりのように思えます」

 

「一か月ぶりか。・・・おかえりだな、遥くん」

 

「はい。・・・ただいま戻りました」

 

 とはいうものの、声に覇気がないのは自分でも分かった。

 そう考えると、またひしひしと後悔が込み上げてきた。

 

 ・・・俺の、せいなんだ。

 俺が生んだ、痛みだ。

 

 くそっ・・・。

 

 悔しくて、俺は唇をかみしめる。

 どうだろうか。醜い顔になっていないといいのだけれど。

 

 

「とりあえず、座ってくれないか?」

 

 促されて、俺は食卓の自分に与えてもらっていた椅子へ腰かける。その反対側に、保さんと夏帆さんが腰かけた。

 

 沈黙もなく、保さんが切り出す。

 

「・・・よく、無事に帰ってきてくれたな」

 

「ほんと、自分でも奇跡だと思ってます。・・・きっと、こうなっても生きろって、神に告げられたんでしょうね」

 

 軽口をたたく。そんな余裕もないくせに。

 なら、告げた神様は誰だというのだろうか。海神様だろうか。

 

 それだったら、もっと早くに起こしてくれてもよかったのに。

 

「そこで・・・改めて、お願いがあるんだ」

 

「・・・」

 

「島波遥くん。・・・よければ、これからもうちに住んでくれないか?」

 

「・・・そのお願いを聞く前に、色々と言わせてください」

 

 俺はすぐに答えを出さなかった。きっと、出してはいけなかった。

 ここに、本当の意味で俺の居場所があるのか、確認しなければならなかった。おこがましい話ではあるが。

 

「まず、先日のお舟引きは・・・本当に、すみませんでした。千夏ちゃんを無理な企画に巻き込んだ挙句、このような状況にさせたのは俺の責任です」

 

「そこは誰のせい、なんてことを言ってほしくないな。お舟引きに想いを掛けていたのはあの子の気持ち。それを責めるだなんて、私たちはできないよ」

 

 間に優しく慈しむ声が挟まれる。夏帆さんだ。

 

「ありがとうございます。・・・その一言で、どこか救われた気がします。・・・その上で、なんですが」

 

 最低なのは分かっている。

 けれど、これだけは聞いておかなければならない。・・・俺は、偶像ではないから。

 

「俺は、千夏ちゃんの代わりにはなれません。・・・俺がここに住むことに、千夏ちゃんの影を重ねられるなら・・・俺は多分、ここにいる価値はありません」

 

 水瀬に与えるはずだった愛を、俺は受け取れない。

 血のつながりの意味では、俺はこの二人の子供じゃないから。

 

 淡い幻想を重ねられて生きれるほど、俺はまだ強くない。

 

「・・・確かに、提案した時は少しばかり姿を重ねていたかもしれん」

 

「ちょっと・・・!」

 

「でも、そうじゃない。・・・君が家に居候するようになってからの毎日は、これまでで何よりも楽しかったんだ。・・・そんな君が冬眠も出来ずに、行き場も無くすなんて、俺たちには到底耐えられない」

 

 保さんは頭を抱えて、苦しそうにそう言った。

 

「・・・養子なんて堅苦しい言葉はいらない。でも、家族になってほしいんだ。もちろん、ずっととは言えないだろう。・・・だから、遥くんが自立する、その日まで」

 

 ・・・ああ、この人は、この場所は、なんて優しくて暖かいんだろう。

 保さんという人の器の大きさが、身に染みて伝わってくる。

 

 自分の気持ちを嘘偽ることなく隠すことなく伝える。その勇気。

 そして、相手のことを思いいたわれる優しさ。

 

 だから俺は・・・この場所が好きになったんだ。

 

 だからもう・・・NOなんて答えはいらない。

 

 

「俺を・・・家族と呼んでくれるんですか?」

 

「ああ。何度でも呼んでやる。・・・いつか終わりが来るとしても、ここにいる間は君は家の家族だ」

 

 保さんのその優しい言葉に、俺の涙腺はいよいよ限界を迎えた。

 暖かい雫が頬を伝う。先日流した涙とは、全くと言っていいほど温度が違う。

 

「私たちじゃ、遥くんの本当の親にはなれないかもしれないけど。・・・でも、遥くんを思う気持ちは、負けないはずだから。・・・だから、よろしくね、遥くん」

 

 力強い優しさの保さんとは別の、包み込むような優しさが俺を抱きしめる。

 目の端に涙をほんのり溜めた夏帆さんの言葉が、また胸に刺さって苦しい。

 

 けれど、気持ちのいい苦しみだ。

 

「・・・将来なんて、どうなるか分かりませんが。・・・俺がこの先どうなるか分かりませんが、・・・これからも、どうか、よろしくお願いします」

 

 そして俺は、二人に深々と頭を下げた。

 親しい仲だからこそ、この礼儀だけは大切にしたい。

 

 

 きっとこれから先、何度も迷惑かけて、世話になりとおすだろうから。

 

「ああ。これからも頼む」

 

「いつでも、私たちを頼ってね」

 

 二人からのありがたい言葉。

 

 

 ・・・俺の居場所は、ずっとここにあったんだ。

 

 

 心の凪は、静まった。




『今日の座談会コーナー』

特にないです(完)

で締めるのはさすがに忍びないので書きますよ。そりゃもちろん。
この回の内容までは、まあ正直前作とほぼ変わりないんですよね。

で、本気を出すのはここから。
空白の五年編。高校生編だとか、遥の怪我についてだとかまだまだ書くべきところがあるんですよ。
海が静まった分、物語の舞台を陸に移せばいいわけで。

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といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第五十九話 マダトオイミライニ

ここからオリジナルの展開をするだけあって、流石に書く手が・・・。
頑張るっきゃない。

本編どうぞ。



~遥side~

 

 正式に水瀬家に住まいを映すようになってから、四か月ほどが過ぎた。夏はとっくに過ぎ去り、いよいよ本格的に冬の訪れ。夏が夏だっただけに、今年の冬は一層寒かった。

 

 それからというもの、俺は病院通いを続け、とりあえず片足で動けるだけのリハビリを続けていた。そしてようやく、その過程が終わる。

 しかし、終わったところで失った左足が帰ってくるわけじゃない。学校との往復でやっとの生活が続いていた。

 

 冬休みに入る。あれからの皆は、ようやく一歩を踏み出した状態だった。

 ちさきはいまだに表情が曇ったままだが、時折紡と打ち解けたような会話をしているのが目立った。居候して一つ屋根の下というのが大きいのだろう。

 

 美海は、そこまで心に深い傷を負っていなかったのか、表情は比較的穏やかに見えた。弟がもうすぐ誕生する、というのも一つ大きな理由かもしれない。

 

 そんなこんなで俺はというと、保さんと夏帆さんのもとで、穏やかに過ごすことが出来ていた。

 

 

 とある朝。今日は夏帆さんは夜勤とのことで、料理担当は俺、そして男二人の朝食となっていた。

 

「・・・そう言えば、今日から冬休みだったか」

 

「はい。といっても、特にやることはないんですけどね」

 

「ああ。・・・それについてなんだが」

 

 保さんは、俺になにやら提案がある様子だった。もちろん、その話を聞いてみる。

 

「義足、作ってみてはどうだろうか」

 

「・・・正直、言いだそうかどうかは悩んでいたんですけどね。でも、世話になっている身でおめおめとそんなことを言い出していいのかどうか気になっちゃって」

 

「構わん。・・・むしろ、やせ我慢されている方が、親代わりの身分としては辛いものだ」

 

 保さんの瞳は、いつになく真剣だった。この提案が、いかに本気のものかが伺える。

 

 

「金銭の面は気にするな。最大限の助力はする。・・・それに、長い間拘束されることを考えると長期休暇が最高のタイミングだと思うんだ。どうかね?」

 

「・・・ありがたいです。そう言ってもらえること」

 

 優しさを見せてくれている相手に対してその提案を無下にすることが失礼であることは学んでる。俺は、その提案を飲むことにした。

 

「まあ、いずれにせよ、まずは病院でその手の話を聞きましょう。数か月前なんですけど、担当医の先生がなにやら義足の話をしていたので、当てはあるのかもしれませんし」

 

「分かった。この後向かおう。いいかね?」

 

「何もないですし、構いませんよ」

 

 そうして、完全に世話になり終わったはずの病院へ向かうことになった。

 

 

---

 

「で、義足を作る気になったって?」

 

 病院の診察室では、大吾先生がだるそうにカルテとにらめっこしていた。

 

「その方向で行きましょうという話になったんですけど」

 

「それで、俺の下へ来たわけだ」

 

「俺が目覚めた日でしたっけ。あの時先生言っていたじゃないですか。何かそういう当てがあるんじゃないかって」

 

「よく聞いてたな、あんな精神状態の中でよ」

 

 大吾先生は俺との話に集中するためか、カルテとのにらめっこを終えて椅子をくるりと回転させ、俺の方を向きなおした。

 

「当て、か・・・。あるにはあるんだが、ちとずいぶん長い間連絡を取り合ってなくてよ。多分、電話は繋がらないかもしれないから、街で探す必要があるかもしれん」

 

「それでも、当てはあるんですか?」

 

「まあな。そうは言っても俺は大人だ。同級生の進路だとか、誰が何をやってるかくらい、ちょっとは把握してるからな。・・・で、どうなんだ?」

 

「その方向で進めましょう」

 

「分かった。・・・つってあいつ、本当に何してるんだろうな」

 

「先生の同級生なんですか?」

 

「ああ? まあ、そうだな。最後に会ったのがもう10年くらい前の話だけどな」

 

 先生は窓の外を遠い目で見つめる。その先に、例の知人を思い浮かべているのだろうか、知らないけど。

 が、それも一瞬。先生は首をぶんぶんと振った。

 

「ま、忘れてくれ。とりあえず、行ってみないと分からない。連絡は取ってないからな」

 

「そうですか・・・」

 

「でもまあ、名前は教えておくから探してみろ。名前は日野鈴夏ってんだ」

 

「その人を、俺が街で探せばいいわけですね」

 

 と言っても、片足を失った今、それが簡単にできるわけではない。保さんの世話になるしかないだろう。全力でサポートしてくれるとは言ったものの、少々気が引ける。

 

 大吾先生はカルテを放り投げて、グーっと体を伸ばした。

 

「うし、本題は終わり。・・・んじゃ、おしゃべりでもするか」

 

「はぁ?」

 

「大の大人に向かって『はぁ?』ってなんだよ。暇なんだよ、俺も。見ただろ? 今この病院ガラガラでよ」

 

 確かに、先生の言うようにここに来るまで患者の一人とすれ違うことも無かったけど、だからといってそれは職務怠慢にならないだろうか。

 なんて、この人に言っても無駄か。今は付き合おう。

 

「まあ、いいですけど・・・」

 

「うっし。まあ、あれだよ。お前の経過観察ってのも含めて、な」

 

 適当な理由付けだけれど、この人なりの配慮だろう。はっきり言ってありがたかった。だからこそ、息を吐くように自分の話をできることが出来た。

 

「随分と楽になりましたよ、ホント。フラッシュバックも最近はあまり起きなくなりましたし」

 

「お前、強がってても結構精神にダメージを受けてたからな。それこそ、あの時の少女。あの子がいないとやばかったんじゃないのか」

 

「美海ですか。はは、そうですね」

 

 あの時、美海に声をかけてもらえなかったら、俺はどうなっていただろうか。それを考えただけでゾッとする。今となっては、美海はかなり心の拠り所となってる。

 最近でも、定期的に俺のいるところへ遊びに来ては、様子を伺ってくれている。本当に、強くなった。

 

「・・・だからまあ、皆には感謝してますよ。ずっと一人だと思ってた俺は、もういないんですね」

 

「そうだな。少なくともお前はもう一人じゃねえよ」

 

 大吾先生は、俺の言葉をちゃんと肯定してくれた。それだけで、一人じゃないことを実感できる。大吾先生も、もうその大切の一人なのだ。

 

「・・・それにしても、変わっちまったな、海」

 

「はい。・・・さすがに、まだ見るに堪えないですね」

 

 それでも俺は、あの光景を受け入れることはまだできない。きっといつかは、なんて言っても、そのいつかはまだ先の話だろう。

 今は辛いまま、進んでいくしかない。背中を押してくれる人はいる。大丈夫だ、きっと。

 

 と、雑談でもするつもりだったが、ここで大吾先生は思い出したように「あっ」と声を上げた。

 

「ああ、そうだ。さっきの義足の件なんだけどな。一つ提案があるんだけど」

 

「なんすか?」

 

「紹介は出来ないけど、街に行くときは病院に声かけてくれ。車、出すからよ」

 

「いいんですか?」

 

「お前はうちのお得意様、だしな」

 

 サムズアップして、大吾先生は二ッと笑う。頼もしい限りだ。

 だから精一杯、今は甘えることにする。誰に頼る、甘えることが間違いではないと、今はもう分かってるから。

 

「じゃあ、よろしくお願いします」

 

「おう、任せとけ」

 

 快く、大吾先生は引き受けてくれた。

 

 

 それにしても、街に行くのは久方ぶりになるな。

 ただ遊びに行く程度だと思っていた場所に、こんな世話になるなんて思ってもなかった。

 いや、そうは言えないか。

 

 今はまだ分からない将来、俺がどうするかによってかかわり方もまた変わるのだから。

 ただ、どれだけ遠く離れることになろうと。

 

 

 ・・・心でつながる海との距離だけは、離れたくないな。

 

 




『今日の座談会コーナー』

悩んでおります。非常に悩んでおります。
前作では、大吾先生と日野鈴夏の関係は五年後にはっきりしたんですよね。なので、そこの展開を変えるかどうか・・・。まあ、これ以上はネタバレになりかねないのでこの話題はここまで。

あと、筆者である私は二次創作オンリーの人間ではありません。時折適度に一次創作を嗜んでいます。
そのため、パワーバランスが寄って更新が滞る可能性があるかもしれないので、ご了承ください。(2021/5/6)

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といったところで、今回はこの辺で。
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第六十話 小さな願いを

完全オリジナルのシーンは考えるの苦労しますね・・・。
それでは、本編どうぞ。


~遥side~

 

 それから三日後、俺は病院持ちの車で街に向かった。一発で探せる当てはないが、OKが出ている以上、俺は全力で甘え倒す。

 ただ、今日の大吾先生は用事が入っていたようで、ドライバーは別の先生だった。名前を西野先生というその人曰く、大吾先生の同期とのこと。

 

 出発して10分が経った頃、それまで沈黙を貫いていた車内に会話が生まれた。

 

「君は、担当医があいつで疲れたりしないのか?」

 

「大吾先生ですか? 別に何ともないですし、あれくらいのほうが気が楽でいいです」

 

「ならいいんだが・・・。あいつも中々病院の中でははみ出し者だからなぁ」

 

 空いている片手で、西野先生は髪を掻く。

 

「もちろん、あいつの医者としての腕は確かだ。病院の中ではトップクラス。だから君の手術や処置を買って出たわけだが」

 

「そうなんですか?」

 

「あいつも、過去に辛い思いをしてるんだろうな。状態が危険な人間ほど、あいつは頑張ろうとする。よかったな、君の担当があいつで」

 

 はっはと笑って西野先生はアクセルをべた踏みし、スピードを上げる。朝早くの道にはほかの車はいないようだ。

 

「西野先生は、大吾先生の事、疎んでいるんですか?」

 

「まさか! ・・・というよりは、疎んでるのはあいつのほうかもしれないな。どこか一匹狼っていうか、近寄りづらいっていうか・・・。仕事熱心のあまり、周りとの付き合い方を学べなかったのかもしれないな」

 

 言われてみれば確かにそんな気を大吾先生から感じているなと思えた。それにしては、俺に対して結構馴れ馴れしすぎないだろうか。

 

「仲良くできるならしたいよ。でも、俺はあいつのこだわりを邪魔したくはない。だから、距離を測りかねているって言えばそうなのかな」

 

「そうなんですね・・・」

 

「ま、そんなあいつにとって君は心の拠り所になってると思うからよ、その関係、大切にしてやりな」

 

 やはり外の先生から見ても、俺と大吾先生の関係は医者と患者の関係に留まらないようだった。男同士の友情、なんだろうか。

 

「んじゃ、ギア上げていくぞ」

 

 

---

 

 

 街に着いたのは、病院を出てから40分ほどたった頃だった。電車で来るより遥かに速い。文明の違いを感じる今日この頃だ。

 ここからは、自力で歩いて回らなければならない。一度西野先生と別れて、俺は街に繰り出すことにした。

 

 が、片足立ちで杖で、前みたいに歩き回ることは不可能。だから、俺は絞って探すことにした。

 こういう細かい仕事は、多分表立ったところに店を構えないだろうから。

 

 だから、少々怪しい匂いのする裏路地を誰もいない朝早くに回る。

 

 10分、20分、30分。

  

 ・・・さすがに早すぎたか?

 

 道沿いのベンチに腰かけて、時間が過ぎるのを待つ。今ちょうど9時くらいになったころだ。店の類ならそろそろ開いていいはずだけど。

 

 なんて思うと、向かいの道にある店のシャッターに目がいった。

 ガラガラと音を立て、シャッターが開く。中からは鉄の匂いが漂ってきた。

 

 その出会いに運命的なものを感じて、俺は真っ先に駆け込んでいく。

 

 

「あの!」

 

「・・・開店早々客が来るなんて初めてだよ」

 

 店主は、女性だった。頭にタオルを巻いて、髪を短くまとめて目はキリッとしている。性格がサバサバしているのは一目でわかった。

 

「確認、いいですか?」

 

「おう、聞いてやるよ」

 

「あなたは・・・日野鈴夏さん、ですか?」

 

 俺がそう尋ねると、女性は眉をピクリと動かした。どうやら当たりのようだった。

 

「どこで、私を?」

 

「藤枝大吾から」

 

「そっかぁ・・・あいつかぁ」

 

 鈴夏さんは、残念そうに納得した。どうやら大吾先生と縁があるのは本当だったらしい。

 鈴夏さんは改めて俺の足元を嘗め回すように見始めた。そしてようやく、俺が本当に客であることを確認する。

 

「・・・足か」

 

「はい」

 

「膝から下の義足くらいなら作った経験はあるけど・・・、お前、海の人間だろ」

 

 鈴夏さんは俺の肌の一瞬の光を見逃さなかったようで、すぐにエナがあることに気づいたようだ。といっても、最近はエナが弱まりつつあるけど。

 

「よくわかりましたね」

 

「私も昔は鴛大師に住んでたからよ、分かるんだよな。エナの光沢もそうだし、雰囲気もそうだし。・・・で、依頼はその足でいいんだな?」

 

「そうです」

 

「分かった。んじゃあまあ、上がれ。経緯とかも聞きたいし」

 

 鈴夏さんは体を少し横に反らして、俺を中へ迎え入れた。遠慮せず、俺はそのガレージのような店の中へ入っていった。

 

 俺が座った反対側にあるドラム缶に鈴夏さんは腰かけて、俺をじろじろと見てくる。

 

「・・・なんすか?」

 

「お前、いくつだ?」

 

「今まだ14ですけど」

 

「そうは見えねえなぁ」

 

 鈴夏さんも大吾先生同様、思ったことをズバリという人間のようだ。慣れたには慣れたけど、なんかモヤモヤする。これがこの人なりのコミュニケーションとのことだから、変に文句は言わないけど。

 

「うし、聞こう。お前はどうして、その足を失ったんだ?」

 

「・・・四か月くらい前ですかね。学校近辺の山肌で土砂崩れが起きて、目の前で立ちすくんでいた女の子を助けたんです。その拍子に、ひときわ大きい岩石が左足に当たって、そのまま・・・」

 

「潰れたってことか。そりゃまた災難だったな」

 

「その時やられたのは足だけじゃなくて・・・なんで、こうして生きてることも奇跡だって言われました」

 

「なるほど。その眼鏡もその時に」

 

 鈴夏さんは観察眼に優れているようで、すぐに俺の状態を理解したようだった。仕事人ならではの力というのもあるかもしれないが、この人は多分、ハイスペックだ。そう気づかされる。

 

 鈴夏さんは一通りの話を理解して、一度首を縦に振った。それは、依頼を受けるという肯定。

 

「分かった。その左足の義足を作ればいいんだな」

 

「頼めますか?」

 

「おし。・・・と言いたいけど、ちょっと問題がある」

 

 それまでとは違い、鈴夏さんは少々苦々しい表情をした。どこか問題があるのだろう。俺にまで緊張感が伝わってくる。

 

「私は、エナを持った人間の義手や義足を作ったことがない。・・・賢そうなお前なら、その意味が分かるな?」

 

「・・・。保証は出来ないと?」

 

「保証というかなんというか・・・、一般人に対して作る義手や義足が、汐鹿生の深さの水圧まで耐えれるかどうか分からないんだよ。もし、そのままで行くなら、お前は海に帰れなくなるかもしれない」

 

「・・・!」

 

 表情を強張らせる俺。対照的に鈴夏さんは表情を崩して口の端を上げた。

 

「なんて、ちょうど研究していた分野だからな。あともう三年もすればそれなりの答えが出るはずなんだ。そしたら、エナにも対応する、というより、海に対応する義手義足が完成させられる」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。だから、取り急ぎ今作るって言うなら当分は海に帰れなくなるけど・・・構わないのか?」

 

「・・・」

 

 構わないも何も、今海に帰ることは不可能だ。

 好機なのに、全く嬉しくなんてない。でも、今はきっとそれが最適解な気がする。

 

 海に帰れない体であっても、俺はもう一度、美海の隣に両足で立ちたかった。

 

「それでお願いします」

 

「分かった。・・・今が九時半か。体のサイズ測定して、細部までチェックして、今日の間に繋げて夜の10時くらいになるかもな。泊っていくか?」

 

「というより、一日で終わるんですか?」

 

「いや、これは急いでる方。けど、学生ならリハビリにそんな時間かけたくないだろ? だから、これが最大限私にできること」

 

「じゃあ、それでお願いします」

 

「よし」

 

 鈴夏さんは快諾して、細かい作業道具を奥の方から持ってきた。すぐにでも作業を始めてくれるようだ。

 

 どんな未来がこれから先訪れるかなんて俺には分からないけど。

 許されるのなら、大切だと思う人の隣に、両足でしっかりと立っていたい。

 

 

 

 それが、今の俺の小さな願いだ。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

前回はハイライトで終わった義足を作るシーンを、今回はフルフルでお届けすることにしました。ほかにも空白の五年編のうちに色々と書くつもりです。
ただ、前回とは違い、日野鈴夏という人間をここで出すことになったため、前作と大幅に流れが変わると思います。そこら辺をお楽しみください。

あと、西野先生はほとんどモブです。あと数回登場するかしないか。

---

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期) 


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第六十一話 大人になんてなれなくていい

進行速度ガガガ。

本編どうぞ。


~遥side~

 

 水瀬家に今日は帰れないと一報を入れて、俺は鈴夏さんの施術を受けることにした。

 最初は基本的なバイタルチェック。それが済むなり、早速義足の取り付けに取り掛かった。

 

 痛みが発生する、とのことで、左足に麻酔が打たれる。そのまま施術、という流れだったが、麻酔を貫通して、痛みは俺の下へ訪れた。

 覚悟はしていたが、それでも痛いものは痛い。砕けそうなほど歯を食いしばってやっとだった。それからほどなくして、俺の左足に合金の足が接続される。

 

 そして宣言通り、施術が終わったのはその日の夜だった。とはいえ、術後に残るダメージが抜けきらないため、俺は客用の布団に寝かされていた。

 遠くからガレージを閉める音が聞こえる。どうやら今日はおしまいみたいだ。

 

 そして、ある程度の片づけをして鈴夏さんは俺の方へ歩み寄り、近場の椅子に腰かけた。

 

「どうよ、体の方は」

 

「すごい重たいですね・・・。慣れないっていうか、異質なものが追加されたっていうか」

 

 それほどまでに、俺は足を失った暮らしに慣れてしまっていたんだろう。何とも言えない気分だ。

 

「けど、久しぶりの客がまさか海村の出身の人間だなんてな」

 

「そう言えば、鈴夏さんは鴛大師にいたんですよね?」

 

「そう。もう10年くらい前の話だけど」

 

 言葉と共にそのころを思い出したのか、鈴夏さんは微笑みながら手元にあったドライバーを指の上でくるくる回し始めた。

 そしてほどなくして、その表情は哀愁の籠った懐かしみに変わる。

 

「あの頃は楽しかったよ。なんでも無邪気な状態でいれたから。大ちゃんとつるんでいろんなことやらかしてたり、時々陸に上がってきた海の連中と遊んだり」

 

「当時はまだ、統廃合なんてなかったですもんね」

 

「ああ、そっか。確か汐鹿生の学校、無くなったんだっけか。人が少なくなってるとは聞いてたけど、そこまで深刻になってたとは思ってなかった。・・・それで、浜中に通ってるんだっけか?」

 

「そうですね」

 

 異質な場所だと心のどこかで思っていた浜中は、いまやすっかり俺の居場所の一つとなってる。あの一件があってクラスの仲がまた嫌悪になりそうだったが、みな本質で分かりあえていたのか、すぐにこれまで通りの生活を取り戻すことが出来た。

 

 それでも、休学扱いになってしまったあいつらの席が空虚に思えて仕方がないのは事実だ。・・・みんなで卒業できれば、よかったんだけどな。

 

「それで、最近汐鹿生はどうなってるんだ?」

 

 その質問がふいに鈴夏さんの口から零れたとき、俺はこの人が事の全てを知らないことにようやく気が付いた。そりゃ、ニュースでは異常気象としか報道しないから海村の事なんて分からないのだろう。

 

「最近、異常気象が有名になってるじゃないですか」

 

「ああー・・・やけに寒かったり、雪が降ったりするんだよな。あれがどうかしたのか?」

 

「・・・あれの影響で今、世界の海村は冬眠に入ったんです。文明を絶やさないために」

 

「冬眠・・・? そのままの意味で捉えていいのか?」

 

 俺は言葉の代わりに一度しっかりと頷いた。

 それを受けて、鈴夏さんはドライバーをまわしていた手を止めて、あごに手を当てて考え始めた。

 

「冬眠だろ? ・・・じゃあなんでお前はここに?」

 

「この足を失った事故が原因で、俺は意識不明になったんです。・・・その間に、海が冬眠に入って、村ごと閉ざして」

 

「帰れなくなったってことか」

 

 ご明察。

 

「・・・なかなか、苦労したんだな」

 

 同情でもなんでもなく、鈴夏さんはそう呟いた。むしろ、それくらいで済ましてくれたことに俺は喜びを覚える。変な同情は堪えるだけ。そんなことなら、してほしくなかったから。

 

「大好きだった人間と離れ離れになるって、堪えるよな。形は違うけど、あたしも昔そうだったから」

 

「・・・大吾さんっすか?」

 

「馬鹿か。流石にあたしもそこまで重たい奴じゃねーよ」

 

 少なくとも、それが恋愛感情出ないことは把握した。というか、うん、そうだろうね。

 ただ、そこからは完全に個人の話だ。迂闊に他人が足を踏み入れていい場所じゃない。

 

「まあ、なんだ。本当に辛いことがあるなら、いっそ忘れてしまった方が楽なこともあるからな。・・・本当に耐えられないなら、そうした方がいい」

 

 鈴夏さんはまっすぐな瞳で遠くを見る。そこには、確かな感情が籠っていた。

 

「鈴夏さんは、そういう経験があるんですか?」

 

「あるから言ってんだよ。というか、あたしももうこの年だ。無い方がおかしいだろ」

 

 この人は大吾先生と同級生と言っていたから、おそらく年齢は30前後だったはず。

 大人になるということは、やはりそういうことの連続なんだろうか。

 

 そんなことを思ってしまうから、大人になんかなりたくないと思ってしまう。

 ・・・いや、ずっと思ってるな。大人になんかなりたくない。

 

 できることは絶対に増えるはず。でも、それと同時に失うものも増えるはずだ。

 それに、あいつらとの時間がずれる。それまで当たり前だと思っていたことが変わる運命が、すぐそこに待ち受けている。

 

 そんな中で、自分一人先に行きたいなんて、誰が思うだろう。

 

 ・・・マイナス思考を自分で嫌っておきながら、結局やっている。ちさきに物を言えた立場じゃないな。

 

 

「だからまあ、あたしの思う話なんだけどな。失うことが避けられないなら、それ以上に今楽しいことを積み重ねればいいんじゃないのか?」

 

「そんな簡単にいくものですかね?」

 

「あたしが今こうしてこの仕事についてるのも、あたしが好きで選んだ仕事だから。ほら、そう考えてみると意外と出来そうじゃないか?」

 

 確かに、理論としては成り立ってるかもしれない。

 けれど多分それは・・・才能がある一部の人間ができること。

 

 人生は、妥協と我慢で成り立っている。それを強いられないのはほんの一握りの人間に過ぎないから。

 きっと鈴夏さんは、その立場の人間だ。

 

 それこそ、こんな仕事、誰にもできるわけじゃないし。

 

 でも、気休めを無下にはしたくない。俺は愛想笑いを浮かべた。

 

「そうですね」

 

「・・・。愛想笑い、辛いならやめなよ」

 

 ちゃんと見透かしていたようで、鈴夏さんは不機嫌そうに呟いた。けど、そうしたのは紛れもない鈴夏さんだ。

 文句の一つ垂れたかったけど、多分不毛な言い争いになる。そう考えるのは容易いことだった。

 

 ため息を一つついて、鈴夏さんは椅子から立ち上がった。

 

「麻酔で体疲れてるだろうし、今日はもう寝な。明日朝八時くらいに起こしてやるから」

 

「ありがとうございます」

 

「んじゃ」

 

 そのまま俺の顔も見ずに、鈴夏さんは居住スペースの奥の方へと消えていった。一人残された俺は手元のスイッチで電気を切った。

 外から仄かに入ってくる月光を浴びながら、俺は天井に手を伸ばす。

 

 無性に悔しかった。誰のせいでもないけど、悔しかった。

 きっとそれは、俺の至らなさのせいなんだろうけど。

 

 そして、どこまでも痛感する。俺はやっぱりまだまだ子供だった。

 

 割り切ったつもりでいても、今は時間が過ぎるのがただ惜しい。

 大人には、なりたくなかった。




『今日の座談会コーナー』

この話の内容はサブタイトルの通りですね。
大人になんてなれなくていい。このフレーズは、作品がまるっきり違いますがkeyのsummer pocketsのEDの歌詞から取ってますね。
「大人になんてなれなくていい だって大切な宝物を忘れることでしょ?」
という歌詞、かなり気に入ってるんです。
(二番の「いつか誰もが大人になって 夢も忘れて生きていくなんて誰が決めたんだろう?」も好きです)

---

といったところで、今日はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第六十二話 今伝える答え

書きたかったシーンの一つです。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 施術を終えてからのリハビリ等は、予定通りに進んだ。冬休みという間で、俺はこの鉛のように重たく感じる足を自分のものにすることが出来た。

 とはいっても、これはまだ仮にすぎない。鈴夏さんはそう俺に釘を刺した。

 

 別れ際、鈴夏さんは俺の目を見ずにぶっきらぼうに呟く。

 

「とりあえず、三年たったらまた来い。その時は、もっと上品なやつに仕上げてやるからさ。金も要らねえ、サービスだと思ってよ」

 

「分かりました。三年後、絶対にまた来ます」

 

「・・・んじゃ、元気でな」

 

 そして俺は鈴夏さんと別れて、鷲大師へと戻った。

 

 

---

 

 それからまた一年が経った。俺たちは高校受験という局面に立っていた。

 とはいっても、俺もちさきも紡も鷲大師の高校に行くことを決めている。倍率もそう低くなく、学力が低いわけでもなく、特に問題はなかった。

 

 だから、それぞれが憂慮に満ちた生活を送っていた。あいつらと別れて、ちょうど一年半。

 俺は一つ、やらなければいけないことがあった。

 

 ・・・いつか絶対通らなければいけない道なのなら、早めに行っておいた方がいい。

 そう思って俺は、ある冬の放課後に、ちさきに声を掛ける。

 

「ちさき」

 

「どうしたの? 遥」

 

「帰る前・・・少し、残っててくれるか? 話したいことがある」

 

 俺が何を考えているのか分かっているのか分かってないのかは知らないが、ちさきは覚悟を決めたような顔で一度頷く。

 

 それ以降は会話もなく、あっさりと放課後を迎えてしまった。

 クラスの皆はとっくに出払ったようで、俺とちさきだけが残っている。

 

 正直、言い出すのにはまだ抵抗がある。

 けれど、震える自分をかなぐり捨てて俺はちゃんと言葉にした。

 

「あのな、ちさき。・・・聞いてほしい事っていうのは」

 

「告白の返事、かな?」

 

「あっ・・・」

 

 ちさきは、やはりちゃんと分かっていた。日中浮つかない様子だった俺をみて察して、覚悟しておいたのだろう。恐ろしいほど淡泊な返事に、俺は困惑する。

 もっと、荒れるかと思ってた。もっとぐちゃぐちゃになるかと思ってた。でも、それは子供に過ぎない俺の弱い想像力が生んだ光景に過ぎなかった。

 

 現実はもっと残酷なほどさっぱりしたものだった。

 

「あの日の事、覚えてる?」

 

「街に行った時のことか?」

 

「ううん。・・・千夏ちゃんが、遥に告白した日」

 

「・・・忘れるわけ、ないだろ」

 

 絶対に忘れることなんてできない。あの日があって、俺はまた何度も変わった。 

 酸いも甘いも、底知れない絶望も微かに見えた希望も知った。そんな日を、忘れるはずはない。

 

「あの日、千夏ちゃんが私に言ったの。・・・今日、告白するって」

 

「そう、なのか?」

 

「もちろん、誰とは名前を出さなかった。・・・でも、私は知ってた。千夏ちゃんはずっと、遥のことしか見てこなかったから」

 

 ちさきはため息を織り交ぜながらつづける。

 

「そのときね、分かったの。千夏ちゃんがどれだけ遥のことを好きになっていたかって。あの瞳を見たら、私が告白したこと、馬鹿馬鹿しく思っちゃってね」

 

「そんな、馬鹿馬鹿しいだなんて・・・」

 

「それを決めるのは私でしょ?」

 

 少々強い語気で、ちさきは俺を諫める。自分の感情を語られることがどうやら気に食わなかったようだった。

 

「だからね、ちゃんと答えを出してくれてよかったって思ってる。・・・これで、やっとすっきりした。そうは言っても、心のどこかでまだ期待しちゃってる私もいたからね」

 

「辛く、ないのか?」

 

 振った人間がこんなことを口にするなんて、甚だ失礼だ。けれど、今の俺にはその善悪を判断するだけの能力はなかった。

 ちさきはうつむいて、小さく答える。

 

「・・・分かんない。でも、もっと辛い事だってあるから、それよりは」

 

「そうだな・・・」

 

 確かにそうだ。あいつらがいないことは何よりも辛い。

 そうして俺たちだけ先に大人になってしまう事の方が、辛いんだ。

 

 そして、二人沈黙する。

 

 身をもって初めて、変わりたくないと願ってしまう。

 でも、現実は非常だ。去年の夏から俺たちはまた一回り大きくなって、またできることも増えて、だんだんと成長してしまっている。

 

 同じ歩幅で歩いていたはずなのに、だんだんと俺たちだけ先に行ってしまっている。

 

 後悔の渦に飲まれて、また俺は悶絶する。

 

 そんな中、心の奥の方で声が聞こえる。

 

『それは、お前自身が望んだ光景じゃないのか?』

 

 なんのことだと思った。けれど、俺が発した言葉を振り返ってだんだんとその言葉の意味が分かってきた。

 

 あいつらとは違う。あいつらから遠いところにいてしまってる。

 

 ずっと、そんな言葉ばかりを俺は繰り返していた気がする。だから、あいつらと本気で離れた今の境遇がお望みの境遇じゃないのかという声だ。

 

 今なら言える。絶対に違う。

 やっぱり俺は子供で、あいつらと何も変わらないで、それで、あの輪にずっといたかったんだ。

 もう、戻れないけれど・・・。

 

 

「ねえ、遥」

 

「なんだよ・・・」

 

「大人に、なりたくないね」

 

「・・・言ってくれるなよ」

 

 

 そんな言葉を言ったところで、誰も喜ばないだろ。

 ちさきの眼にも涙がたまってる。・・・悲しいなら、向き合わなければいいのに。

 

 そして、俺まで泣きそうになりかけたとき、教室の扉が開く。

 紡だった。

 

「ちさき、帰るぞ」

 

「あ、紡」

 

「って、遥もいたのか。何かあったのか?」

 

「んにゃ? ちょっと野暮ったい話してただけ。悪いな、引き留めてて」

 

「いや、いい」

 

 紡はどこまでも淡泊な返事しかしなかった。ちさきも無理やり目じりに浮かんでた涙をぬぐって、作り笑いを浮かべて俺の方を向いた。

 

「それじゃあ、遥。また明日」

 

「ああ、またな」

 

 そしてちさきは紡と一緒に教室を出ていく。その姿は、まるで付き合ってるに等しい光景だった。

 

「・・・はっ、そりゃそうだよな」

 

 誰もいない教室で一人俺は吐き捨てる。

 なんせ、一つ屋根の下だ。自然と距離が近くなるのは当然の事。

 きっと、紡はちさきにとって今最大の心の拠り所になってるのだろう。あいつと一緒にいるときは、一段と顔が生き生きしてる。

 

 そしたら急に悲しくなってきた。

 俺だって、そんな時があったことを思い出す。

 

 けど、それまで。今水瀬のことを思い出しても、悲しくてやりきれないだけだ。

 忘れよう。今はまだ、忘れたままでいい。

 

 感情も凍結出来れば、なんて思うけど、それはごめんだ。一人悲しさに負けて殻には閉じこもりたくない。

 

「俺も帰りますかね」

 

 少なくとも、俺の帰りを待ってくれている人はちゃんといるから、今は精一杯、その人たちとの日々を大切にしたい。

 

 

 

 ・・・大人になれば、こんな痛みも忘れられるのだろうか。




『今日の座談会コーナー』

この作品のちさきは、どちらかというと本編より割り切りが早いんですよね。というのも
・海の人間である遥が地上に残っている。
・そして、その遥のことを好いていた
という現状なので、本編見たく光を気にして悲しさに打ちひしがれていないというのが一つ大きな要因ではないのでしょうか。
ダイジェストでここを紹介するのはまずかろう、ということで告白の返事回。
これで、後のシーンとつじつまが合いますね。

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といったところで、今回はこの辺で。
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第六十三話 少し大きくなって今

大事でしょここ。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 高校生になると、俺はまたずいぶんと変わってしまった。

 浜中の奴らの多い高校に行ったもんだから、ますます関係は親密になる。言えば、陸の人間になりつつあった。俺も、ちさきも。

 

 でも、間違いなく俺の方が染まっていた。時には海のことを見なくなるくらいに、俺は陸での生活に慣れていた。

 

 今はもう、それを何とも思わなくなった。後悔という行動に意味がないことに、ようやく気付いたから。

 そうして今も、水瀬家で穏やかに過ごしている。時々お父さん、お母さんと呼んでしまいそうになっては、我に帰るくらいにはなじんでる。

 

 呼べば楽になることは分かってる。それでも、この二人を両親と呼ぶことは出来ない。俺にもちゃんと、両親はいたのだから。

 二人もそれをちゃんと理解してくれているようで、特に何も文句をいうことはない。そのやさしさに、いつも助けられている。

 

 そうして、俺たちは高校二年生になった。

 秋、とある放課後。俺たちは例になく教室に残っていた。

 

「そう言えば、遥と紡は進路、決めてるの?」

 

 話をしようと呼びかけたのはちさきだった。どうも俺たちの進路が気になるらしい。

 そうだ、俺たちは着々と大人になっている。だからこそ、この壁に突き当たるのは必然の事だった。

 

「俺は昔から心理学を勉強したいって思ってたから、多分、街の大学に行くようになると思う」

 

「そっか。昔からそんなこと言ってたもんね」

 

 進路を決める理由が、あいつらに影響されなくてよかったと思う。そんなところでちさきを悲しませたくはない。

 

「紡はどうするんだ? つっても、俺の予想だと多分海にまつわるところの勉強をすると思うんだけど」

 

「ああ。まだ決めてないけど、俺も街へ行く。この間、海洋学研究所の先生に声かけられたんだ。一緒に研究をしないかって」

 

 紡は微力ながら、一人で海の異変と格闘していた。その様子を大学のお偉いさんが見ていたんだろう。ひたむきな努力は人の眼にはよく映える。

 

 しかし初めて聞いたのか、ちさきは少々驚いた表情を見せていた。そしていつもの、寂しそうな表情に変わる。

 

「・・・そう、なんだ」

 

「ちさきは、どうするんだ?」

 

「私は・・・まだ、分からないかな。何がしたいかなんて考えたことなかった。そういう話、皆としたいってずっと思ってたから」

 

 ちさきの言い分は分かる。

 けれど、その現状に対して厳しい言葉をぶつけることは出来る。

 

 現実から、目を反らしているだけだ、と。

 

 俺だって、立ち止まれるなら立ち止まって、このまま一生こうしていたいと思っている。けれど、それが出来ないから進まなきゃならない。

 駄々をこねる年齢は、とっくに過ぎ去った。どれだけ辛くても、前を向かなきゃいけない。

 

 だから俺は、少々語気を上げてちさきに問いかける。

 

「お前の夢ってなんなんだ、ちさき」

 

「・・・考えたことも、なかった」

 

 素直な返答。けど、それを聞いて思い出す。

 昔っから、こいつからああなりたい、こうなりたいなんて夢を聞いたことはなかった。今に始まった話ではない。

 

「でも」

 

 ちさきは、小さな声で言葉の続きを語り始めた。

 

「私は・・・この街から出たくない。一人になって、生きていける自信がないの。なんて、弱虫なこと言ってるよね、私」

 

「・・・おかしくないと思う」

 

 慰めるように共感したのは紡だった。

 

「俺だって、この街が好きだ。一人でうまくやってく自信も、正直ない。だから、大好きな街を選ぶか、夢を選ぶか、その選択肢が俺たちとちさきは違うだけだ。・・・別にそれが逃げでも、間違いでもない」

 

「紡・・・」

 

 俺もやれやれと首を振る。

 ・・・ああ、その通りだ。何も間違った答えじゃない。

 

 好きな場所を選ぶこと、それもまた人生に違いないのだから。

 それに乗っかるように、俺も言葉を添えた。

 

「それに、もし俺たちが高校を卒業してバラバラになって、あいつらが目覚めたとき、誰もいないんじゃ寂しいだろ」

 

「・・・その時は、みんな一緒じゃなきゃやだよ」

 

「ああ、そうだな。その時は俺もその場所にいたい」

 

 今なら、心の底からそう言える。俺も少しは成長できたのだろうか。

 紡も目を伏せて、一度頷く。

 

 この三人の距離感は、きっとこれでいい。

 

---

 

 

 帰り道。俺は並んで帰る二人の少し後ろを歩いて帰っていた。たまには紡の爺さんに顔を出すのもいいだろうなんて思ったりして、そのまま紡の家までついていく。

 

 そして紡の家が近くに見えたとき、紡は一人先を歩くちさきをよそに立ち止まり、俺の方を向いた。

 

「遥、話がある」

 

「話って言ったって・・・。ちさきのことか?」

 

「まあ、な」

 

 紡は例になく顔を背ける。どこか気持ちの整理が上手い事いっていないのだろう。俺は親身になって聞く姿勢を紡に提示する。

 

「好きって、言いたいのか?」

 

「・・・分からない。俺自身の感情なのに、一番俺が分かってない」

 

 それは、いつかの俺を見ているようで、どこかもどかしく思えた。自分の感情に素直になれない辛さは、身をもって体験しているから分かっているつもりだ。

 

「ただ、中学の時と比べて、あいつを見る目は変わったと思う・・・。多分」

 

「たぶん、ね」

 

「これを、好きって感情で割り切っていいのか?」

 

 紡は純粋無垢な瞳で問いかけてくる。だからこそ、返答に困る。

 俺だってそれを知りたいくらいなのに。

 

「分かんねえよ。俺はお前じゃないし、お前の気持ちの細部までは理解できない。・・・今はまだ辛いかもしれないけど、付き合い方は変えない方がいいんじゃないのか? きっと、あいつにとって今のお前との関係が一番楽でいられるんだと思う。本当にちさきのことを大切に思うなら」

 

「・・・辛いな」

 

 たった一言、紡は恋愛感情に対してのもっともな答えを口にする。

 そう、辛いのだ。その一言しか出てこない。

 

 好きになって得るものより失うもののほうが多い。それを直感的に分かっているのだろう。

 

「ただ、あの日以来ずっとちさきを見て思った。・・・あいつを一人にはさせれないって」

 

「ああ、同感だよ。・・・でも、夢との取捨選択って言ったのはお前だろ」

 

「そうだけど・・・」

 

 

 平行線な会話。

 生まれようとした沈黙を切り裂くように、遠くから女性の甲高い悲鳴が聞こえた。

 

 

「きゃああああ!!」

 

「!!」

 

「ちさきだ! 急ぐぞ!!」

 

 俺と紡は顔を合わせて一度うんと頷くと、そのまま紡の家へと走っていった。

 そして庭先、一人の男性が血を流して倒れている。

 

 そう、それは見間違えることなどない人物。

 

「じいちゃんっ!?」

 

 例になく、紡も大きな声を上げる。

 

 

 目の前に倒れていたのは、紡のじいさんだった。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

本格的に高校生編を書こうかなと思っては見たのですが、いかんせん要素が少ないのと、オリジナルを含めるあまり原作の世界観を壊してしまうのではないかという心配から少しだけにすることにします。が、これは原作のシーンなので。

というより、私原作のつむちさ好きなんですよね。高校の制服のツーショットときたらもう・・・。要、すまんな。

なんでしょうね。肩入れが凄い。

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第六十四話 信じることのその意味は

ちょっと迷走が始まった。二年前を思い出しますなぁ。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 紡の爺さんは急いで救急車に乗せられ、病院へ運ばれていく。

 紡はそれに同乗することが出来たが、ちさきはあくまで身内外とのことで、搭乗を拒まれた。

 

 けれど、今のちさきを一人置いてここにいるわけにはいかない。俺は即座に判断して、紡の家の電話を借りるなり、急いで馴染んだ番号にかけた。

 

 頼む・・・・出てくれ・・・!

 

 二、三度プルルとコールが行われて、向こうが電話を取る音が聞こえた。

 

「もしもし、藤枝ですが」

 

「大吾先生! 今予定入ってますか!?」

 

「なんだお前か・・・。・・・急ぎだな。いいぜ、聞こうか」

 

「今、手術か何か大きな予定、および準備の状態に入っていますか!?」

 

「さっき救急隊から連絡はきたが、担当は俺じゃない。一応、予備員として待機しとけとは言われたが。・・・てか、さっさと本題を言え」

 

 熱くなりすぎて、俺は本題に触れることすら忘れていたようだ。一つ深呼吸をして冷静になって、俺はようやく本題を伝える。

 

「俺ともう一人、病院へ向かう足が今なくて、でも緊急な状態で・・・迎えに来てもらえますか?」

 

「何かと思えば使い走りかよ。俺も舐められたもんだな。・・・どこに行けばいい?」

 

 大吾先生は不服そうに、俺の依頼を受諾してくれた。

 

「教えます。場所は・・・」

 

 

---

 

 

 それから20分後。

 俺とちさきは大吾先生が運転する車に揺られながら、病院を目指していた。ちさきは放心状態になっているのか、一言も発さない。かなりショックが強かったのだろう。どうにもできなさは、あの時よりもひどかった。

 

「なるほどな。それで俺を呼んだと」

 

「全員が全員救急車に乗り込めるわけでもないですからね。こんな風に呼んだこと、反省はしてますよ」

 

「分かってる。俺もそんな細かいことをぶちぶち気にするような性格じゃない。気にするな。・・・それで、お前から見てその人はどんな様子だった?」

 

「意識は失ってました。それでもって吐血してた状態だったので、多分臓器のどこかをやったか、血管が切れたかってところでしょうか」

 

「たぶんな。・・・だったら、急いだほうがいいかもな。行くぞ」

 

 アクセルを強く踏み込んで、大吾先生が運転する車は加速する。先生も事の緊急さを理解したようだった。

 

「お前も中々いい目を持ってるんだよな。医者でも目指したらどうだ?」

 

「今からはさすがに遅いっすよ。もう高校二年も終わるってのに」

 

「勉強、好きなんだろ?」

 

「それとこれとは別です」

 

 それに、学びたいこと自体はもう決まってる。今更進路変更はなかなか無理があるだろう。

 将来、自分が働いている姿こそ想像はできないが。

 

 大吾先生は少しの間黙り込んだ。そして少々重たい顔で俺に問いかける。

 

「なあ、医者に必要なものって、なんだと思う?」

 

「・・・失敗しない腕、とかですか?」

 

「それも大事だな。・・・でも、本質は違う。もっと根幹的なところにあるんだ」

 

 根幹的なところ。つまり、人間の根っこの部分。

 人間の根っこの部分に存在しているものと言えばそれは・・・感情。

 

 なるほど、そういう事か。

 

「どんな状況でも取り乱さない精神、ですか」

 

「正解。流石は秀才の島波ってところだな」

 

「なんですかその呼び方」

 

 これまでそんな呼ばれ方で呼ばれたことなど一度もない。あだ名にしてもダサすぎるのでぜひやめていただきたい。

 などと心の中で突っ込む俺とはよそに、先生は素面で続ける。

 

「・・・手術する時は、怖がっちゃだめなんだよ。相手と向き合う時、怖がっちゃだめなんだよ。ナルシストになれってわけじゃねえ。けど、自分に自信を持ってないと手は震えるし声も震える」

 

「だから先生は、診察室にいるとき態度が大きいんですね」

 

「それはお前がクソガキだからだ」

 

 空いている左手でこつんと頭を叩かれる。

 

「・・・医者も患者も心の持ちようは一緒。信じる気持ちが結局は一番大事なんだ」

 

「・・・」

 

 大吾先生の言葉からは、底知れない重みを感じた。プロフェッショナルの言葉だからか、人生経験が深いからか。

 

 ただ、その向き合うことが、信じることが大事というメッセージはしっかりと伝わってきた。

 

 車は、どんどん進んでいく。

 

 

---

 

 

 それからの時間は、あっさりと進んでいった。

 俺たちが病院へ着いた時には、紡の爺さんの手術はもう始まっていた。ちさきが泣き崩れながら、そのドアの前で佇む。

 

「私から大切な人をもう奪わないで」なんて言葉が、胸に突き刺さっていたい。

 

 それからしばらくして告げられる手術の成功。

 けれど、紡の爺さんが目を覚ます気配はいまだになかった。

 

 そして俺たち三人は、一度家に戻る。

 けれど、言葉を交わすことは不可能に近く、特にちさきは部屋にこもってふさぎ込んでしまった。その様子は、あの時を思い出させる。

 

 むしろ、自分の大切な身寄りがこの状態になっているにも関わらず、特別取り乱す様子が見られなかった紡が不思議でならない。

 そんな感情が先走ってか、俺は聞いてしまった。

 

「紡、大丈夫か?」

 

「大丈夫・・・なわけ、ないだろ」

 

「そうだよな」

 

 さすがにとうの紡も精神的ショックが大きいようで、余裕の表情を見せてはいなかった。

 しかし、紡は続ける。

 

「でも、俺より悲しんでるやつがいるんじゃ、俺が何もできないでいたらまずいだろ」

 

 そう言って、ちさきが閉じこもってしまった部屋をちらりと見る。

 

「やっぱり、心配か」

 

「・・・ああ。海に帰れなくなって最初数日間よりも、今の方がひどいかもしれない。・・・一歩間違えれば、本当に死だったからか」

 

「そうかもな」

 

 あいつらは死んでない。そう信じることは出来たけど、今回の紡のじいさんの件に関しては、本当に死の一歩手前だったというわけだ。

 命に対する重みは、違う。

 

 刹那、紡は俺の手を取った。急なその行動に驚いて、俺はなす術もなく固まる。

 

「遥、俺はどうすればいい?」

 

「は?」

 

「あいつに何か声を掛けてやるべきなのか、それとも黙って自分らしくいるべきなのか、何も分からない。教えてくれ」

 

「あのなぁ・・・俺が分かるわけないってついこの間言ったばかりだろ。・・・そこに恋愛感情が絡んでるならなおのことなんだよ」

 

「・・・悪い、変なことを聞いた」

 

 紡は反省したような様子で俯く。その様子もまた、見ていてもどかしかった。

 俺は頭を掻きながら、とりあえず全うであろうことを言う。

 

「こんなことはあまり言いたくないんだけどな。・・・いつかは絶対に、お前の爺さんも死に直面することになる。それが明日か明後日か、一年後か十年後かは知らないけど。そうしたら、あいつは一人になってしまう」

 

「・・・」

 

「もし、お前が本当にあいつの事を好きだと思ってるなら、言葉の一つくらいかけてやるべきなんじゃないのか?」

 

「・・・ありがとう。参考になる」

 

「参考もクソもねえよ。まあ、あれだよ。信じることが一番なんだよ」

 

 さっき大吾先生が言っていた言葉を無理やり拝借して、紡に伝える。

 それを紡がどう受け取ったかは知らないが、紡は立ち上がってちさきが居る部屋の方へと向かっていった。

 

 

「・・・不器用だっての、ホント」

 

 

 俺は冷めたお茶を一口飲んだ。




『今日の座談会コーナー』

この様子だと、空白の五年編は70話までで終わりそうですね。そうしたら五年後の本編へと戻ります。
いやー・・・いつの時代もオリジナル展開には苦労しますね。
こういう時こそ地の文を大切にしたいところ。 
それより問題は、作者である私自身のマルチタスク問題ですが・・・。

---

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第六十五話 進む月日、変わらないもの

空白の五年編はそろそろ終わりを迎えますね。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 それから紡がちさきになんて声をかけたのかは知らない。けれど、それが功を奏したのか、ちさきの様子が穏やかになったのは事実だった。

 ちさき自身は、紡の恋心に気が付いてるのだろうか。

 

 ・・・あいつのことだから、気が付いていながら遠ざけたりするのかもしれないけど。

 まあ、他人の恋慕を馬鹿にできるほど俺もえらくないし、何よりその方面に至っては失敗続きの人生だ。触れないでおこう。

 

 それより、俺も俺自身が抱える問題があった。

 これからのこと、だ。

 

 ちゃんと、保さんと夏帆さんと話さなければならない。

 季節はもう、高校三年生の夏になっていた。

 

 

---

 

 

「保さん、夏帆さん。・・・大切な話があるんですけど、ちょっといいですか?」

 

 とある日の夕食後、俺は二人を呼び止めて食卓の自分の席に着いてもらった。話さなければならないのは、俺の今後の進路の事。

 お世話になった二人に、ちゃんと伝えたかった。

 

「俺・・・進学します」

 

「・・・うん。そんな予感はずっとしてたよ。あれだけ熱心に勉強をする姿を見せられたら、ね」

 

 夏帆さんは俺の姿をしっかり見ていたことを、保さんに確認した。保さんも一度縦に首を振る。

 

「ずっと頑張ってきたんだ。何度も言うように、遥くんの好きなようにするといい」

 

「それなんですけど・・・」

 

 俺が目指そうとしているのは、街の方の大学だ。

 つまり、一人で暮らすことが必須となる。もう、この家の住人ではなくなるのだ。

 

 それを言い出したくて、言い出せない。言葉が見当たらなかった。

 

「街の大学に進学しようとしていて、それで・・・」

 

「一人暮らしをすることになる、って?」

 

「・・・はい」

 

 物わかりのいい夏帆さんが助け船を出してくれる。俺はその言葉に首を縦に振った。

 

「お金の方は大丈夫なんです。両親が残していたお金を、大学費用分だけは残していたので。・・・でも、そこじゃなくて」

 

「一人暮らしをするから、この家を出ていくことになる。そう言いたいのか?」

 

「・・・!」

 

 保さんも俺が言いたいことをとっくに見抜いていたようで、呆れたため息とともにそう言葉を吐く。

 

「大学に行くための一人暮らしが、この家と縁を切るタイミング。だから、鴛大師に自分の居場所がなくなると、遥くんは、そう思っているのか?」

 

「そうじゃなくて・・・。むしろ、そうして欲しくなくて・・・」

 

「だったら、こんな話するまでもないな」

 

 もう一度保さんはため息を吐いた。そして、普段は全く見せないような微笑みを見せる。

 

「言ってるだろう。俺たちは遥くんのことをとっくに家族のようなものだと思っていると。家族が家に帰ってくることを、どうして俺たちが拒む必要がある?」

 

「・・・あ」

 

 ダメだ。また泣きそうになる。

 この人たちは、本当にどこまでも優しくて、優しくて。

 

 こんな優しさに溢れて、悲しむことのない人生だったら、どれだけ幸せになれていただろうと思うほどに。

 

 泣きそう、だなんて言いながら、俺はもう泣いていた。

 どうにもできなくなって、頭をテーブルに着けて、声を押し殺した。

 

 それをからかうようにクスクスと夏帆さんが笑う。

 

「あらあら、あなた。泣かせてどうするんですか?」

 

「何、俺が悪いのか?」

 

「違います・・・! 違いますから・・・!!」

 

「ふふ、冗談よ。・・・ね、遥くん。お別れなんて、まだまだ遠いことだと私は思ってるの。遥くんは、違う?」

 

 違うはずなんてない。

 俺は、まだまだこの人たちのもとにいたい。ずっと甘えていたい。

 夢を追って、距離が遠くなっても、帰る場所としてこの場所があってほしい。

 

 それが顔に出ていたのか、夏帆さんは俺からのパスを受け取っていたようだった。

 

「でしょ? だから、大丈夫。どれだけ遠くなっても、今はまだ、ここはあなたの場所。あなたの帰る場所なの。だから、まだ涙なんていらないでしょ?」

 

「・・・はい」

 

 俺は目元をごしごしとぬぐって、顔をようやく上げた。二人とも、いつものように柔らかい表情をしている。

 

 いつか、絶対に恩返しをしたい。

 そう思うと、また頑張れる気がしてきた。

 

「俺、勉強に戻ります」

 

「そう言えば、成績はどうなの?」

 

「悪くはないと思いますけど、これだけ豪語して、入試当日に躓くなんて嫌なので」

 

「そうか、頑張れよ」

 

「はい!」

 

 保さん、夏帆さんに背中を押されて、俺はまた一歩前へ進んでいく。

 

 

---

 

 

 結局、ちゃんと積み上げたものの効果があってか入試は上手くいった。

 ただ入学できるだけでもよかったが、特待生で学費免除なんておまけつき。

 でも、頑張ってきたことが報われたという証に相違ない。俺は嬉しかった。

 

 そして、旅立ちの時。

 高校を卒業したその三日後に、俺は家を発つことにした。もう一つ街でやりたいことがあったから。

 

 

「遥くんが一人暮らしを始めると、寂しくなるわね」

 

「なんて、すぐ帰ってきますよ。多分、俺もさみしくてやってられませんし」

 

 などと、心の底から甘えた言葉も言えるようになった。そういう人間に成長させてくれたこの場所に感謝をする。

 お別れ、じゃないけど。

 

「また土産話のいくらか持ってきてくれ」

 

「そうですね。それをまた、縁側で」

 

「ああ。・・・達者でな」

 

 二人に見送られて、俺は電車に乗り街へと向かう。

 空っぽな新居に一通りの荷物を置くなり、俺はとある場所へ向かった。

 

 ほんの少し昔約束した人間がいる。

 その人の下へ、俺は向かった。

 

 朝10時。ガレージが開く。

 そこから顔をのぞかせた人に、俺は元気よく声を掛けた。

 

 

 

「久しぶりですね。鈴夏さん」




『今日の座談会コーナー』

優しい親、って書いてて楽しいですよね。別に、私の両親が優しくなくて、その反発と言うわけではないですけど。
ただ、一人暮らしの身になって、包まれていた温かさを思い出すんですよね。二年前作品を書いていたころは、こんなことを思っていたんでしょうか。
今なら、保さん、夏帆さんの人物像をはっきりと書き上げることができるかもしれません。

---

といったところで、今回はこの辺で。
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第六十六話 そしてもう一度

空白の五年編、最終回でございます。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 四年ぶりに見た鈴夏さんの姿は、四年前と何も変わっていなかった。

 が、俺は変わっていたようで、鈴夏さんは最初「誰?」みたいな目を向けてきた。

 

 そして少しして、俺が四年前に自分の下を訪れたクソガキだということに気が付いた。

 

「ああ! 島波遥か!」

 

「お久しぶりです。前回から四年たったので、こちらに伺いました」

 

「そうかそうか、確かエナに対応する義足の話だったか」

 

「出来ていますか?」

 

 そうは言っても、出来ているかどうかは正直分からなかった。海に帰れるかどうかがかかっている。出来てないからといってはいそうですかとは引き下がれなかった。

 

 なんて、俺の心配をかき消すように鈴夏さんは笑った。

 

「案ずるなって。私を誰だと思ってるんだ」

 

「それじゃあ」

 

「ああ。そういう素材を作ることには成功した」

 

「・・・ん?」

 

 問いに対しての答えが少々錯誤していたので、俺は聞き返す。鈴夏さんは笑いを引っ込めて語った。

 

「さすがにお前が来るまでにお前用の義足を作るのは不可能だった。けど、エナに対応する素材を作ることは出来たから、その素材で今から義足を作るってわけ」

 

「ああ、なるほど」

 

 これは、流石に俺が求めていたものが高すぎたと反省する。ただの義足とはわけが違う中、俺のためにこの人は尽力してくれているんだ。それを忘れてどうする。

 

「と言うわけで、今回は前回の施術より遥かに時間もかかるし、リハビリにも時間がかかる。それだけの時間はあるのか?」

 

「ええ。高校を卒業して、大学への入学待ちなので、大学への入学式までの時間は全て費やせます」

 

「分かった。じゃ、中入れ」

 

 鈴夏さんに促されて、僕は店の中に入る。それからすぐに鈴夏さんは店の看板をclosedに切り替えた。

 

「どういうことです?」

 

「うちは大体ワンオーダー制。だから、依頼が入った時点で店を閉めるようにしてるわけ」

 

「そういうことですか」

 

「大体、私一人しかいない店だし、そうせざるを得ないだろ。マルチタスクなんて器用な真似できねえよ」

 

 一つため息をついて、鈴夏さんは僕が腰かけている椅子の真反対にあるパイプ椅子に腰かけた。

 

「・・・んじゃ、足見せてみ」

 

 鈴夏さんに促されて、俺は左足を台の上に置く。鈴夏さんはそれをなめるように見回しながら、コメントをつける。

 

「・・・随分と劣化してるな」

 

「言われたようにメンテナンスはしてるんですけどね」

 

「ただの金属だし、まあ無理もないだろう。それに鷲大師は海のすぐ近くだからな。潮風なんて義足の天敵だ」

 

 言われてみると、最後の方は左足がやたらと重たかったように感じる。なるほど、そういった理由もあるのか。

 

「そこで、今回の素材は塩分に対して強い素材になってる。まず、汐鹿生に対応する義足、ってので必要な要素がいくつかあるんだ」

 

「というと?」

 

「まず、海水の塩分を受けて錆びないこと。んで、汐鹿生の深さの水圧に耐えられること。そして、エナを持つ人間の肌に対応すること。義足自体にエナをつけることなんて不可能だからな」

 

 難しい話だが、言われて納得できた。そして改めて、目の前の天才の才能に気づく。

 ただの技師でここまでのことが出来る人間はそうそういない。この人は間違いなく天才の部類だ。

 

「ま、とりあえずまずはその左足を外す。んで、成長してるから測り直しだな。時間かかるぞ?」

 

「宜しくお願いします」

 

 

 そして、地獄の一週間が始まった。

 

---

 

 測り直して、一から義足を作って、取り付けて。

 この行程が終了したのは、俺が来店してから四日後の事だった。それまで入院のような形で鈴夏さんの家に居候。よくも悪くも女性っぽさがないこの人の家は居候に罪悪感を感じにくかった。

 

 そして取り付け後。

 体が、壊れ始めた。

 

「・・・っ・・・!」

 

 熱にうなされて、俺はじたばたする。謎の痛みも止まることを知らない。新しい素材がぶつかるという事もあって、体への代償はかなり大きかった。

 そして意識を失いかけたとき、ようやく鈴夏さんは俺の異変に気が付いた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「大丈夫・・・じゃ、ないです・・・。水ください・・・」

 

「水か? 分かった!」

 

 鈴夏さんからコップ一杯分の水を受け取って、俺は喉元から流し込む。少しだけ楽になったが、それまで。体調不良は一向に留まる気配を見せなかった。

 

 とはいえ、少し話せる状態になって、俺はありのままの状態を鈴夏さんに伝える。

 

「たぶん・・・拒否反応じゃ・・・ないですかね・・・」

 

「じゃあ、取り外すか?」

 

「・・・多分、もっと悪手です」

 

 結局、これは俺が慣れなければいけない問題に過ぎないのだ。とはいえ、今の状態はあまりにも辛すぎる。

 

「・・・とりあえず、鴛大師の病院、連れてってもらえますか・・・?」

 

「分かった。すぐ向かおう」

 

 それから間もなくして、俺は鴛大師へと逆戻りすることになった。

 

 

---

 

 一度眠って、気が付けばそこは病院のベッドの上だった。

 どうやら、入院状態確定の合図らしい。俺は一つため息を吐いた。

 

 だんだんと開いてきた視界で状況を確認する。腕には管が付けられている。おそらく点滴だろう。

 そして、足の義足は外れていなかった。とはいえ、まだ怠い。怠いどころじゃないけど。

 

 

「・・・起きたか」

 

 聞きなれた声が響く。大吾先生だ。

 

「ははっ・・・久しぶりですね」

 

「馬鹿野郎。俺の休日を返しやがれ」

 

 大吾先生はブチブチ文句を言いながら、俺のベッドの隣の椅子に腰かけた。

 

「それより・・・休日ならなんでここに」

 

「院長から連絡だよ。お前の担当の患者が入院したから面倒でも見ておけってな」

 

「はは、それはご愁傷様です」

 

「お前のせいだ阿保」

 

 とはいえ、心の底から怒っているようには見えなかった。

 

「・・・それで、どうだ?」

 

 今度はころりと表情を変えて心配そうに大吾先生が尋ねる。やはりこの人は根っからの医者だ。

 

「点滴があるおかげで、さっきよりは気分がいいですけど、やっぱり駄目ですね。体が動きません」

 

「投薬治療でじっくり治すべきなんだろうけど、お前、春から大学生だよな」

 

「はい、なので・・・」

 

「んじゃ、鎮痛剤と解熱剤出すからとりあえずはそれで繋いで、あとはリハビリを優先するぞ。春までには絶対に間に合わせる」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。その代わり、夏は絶対帰って来いよ」

 

 大吾先生は、俺へ最大の配慮を行ってくれた。それにはもう頭が上がらない。

 もちろん、その提案を蹴る必要もない。

 

 俺は一度首を縦に振って、これから先の運命を決めた。

 

 

---

 

 

 そして、季節は流れる。

 あの日から五年。大学一年生の夏。

 

 俺は、鴛大師へと舞い戻る・・・。




『今日の座談会コーナー』

空白の五年編終了でございます!
最期少々駆け足になった気がしますが、これで後半の冒頭のシーンに辻褄が合います。
というか、結構すっきりしてますね、前回不十分だった内容を補完出来たので。
大学がオンラインの今がチャンス、頑張っていきます。

---

といったところで、今回はこの辺で。
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第2部 心は海のように
第六十七話 そして五年の月日は


随分と開いちゃいましたね・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 朝、始発。

 かすかに肌に触れる潮風を浴びては思わされる。

 

 帰ってきたんだ、鴛大師へ。

 

 なんて格好つけたところで、ここを離れてからそんなに時間は経ってない。なんならこの間最悪な帰り方をしたわけだし・・・。

 大学生になった俺は夏休みを利用して帰ってきたというわけだ。とはいっても課題はあるし、何より気候のせいで夏という実感が何一つない。

 

 まあでも、やっぱりこの街に帰ってくると心が落ち着く。それだけは確かだ。

 

 

 

---

 

 電車から降りると、テトテトと美海が歩み寄ってきた。もう中学二年生。すっかりと大きくなった。

 

「おかえり、遥」

 

「ああ、ただいま。ちょっと離れてただけなのに、ずいぶん経ったように思えるな」

 

「そうだね」

 

 美海は大きくなって、一段とまた綺麗になった。妹のように思っていたはずなのに、今じゃもうそんな雰囲気はない。

 とりあえず、立ちっぱなしも辛いので、近くの公園へと移動してベンチに腰掛ける。落ち着いたところで、俺は美海に聞いてみた。

 

「あれから鴛大師は何かあったか?」

 

「・・・ううん、いつものまま」

 

 いつものまま、ということが何を示しているのか、俺は瞬時に理解した。それは少なくとも海に何の変化もないという暗示。

 分かっちゃいたけど、やっぱり少し悲しい。

 

「まあ、そんな簡単に変わるはずなんてないよな。たった数か月で」

 

 高校卒業まではずっと鴛大師を見てきたわけだし、開けた期間と言えばせいぜい数か月しかない。

 

 少しだけどんよりとした空気になる。それを察知したのか、美海は話題をガラリと転換した。

 

「そういえば遥、今日は巴日なんだって。その・・・見に、行く?」

 

「巴日か・・・。そうだな」

 

 受け取ったものの、判断に困って俺は一度黙り込む。

 ちさきがいつか言っていた。巴日は、皆で見なきゃいけないと。

 

 その約束は確かに守りたい。それでも、せっかく勇気を出して誘ってくれている美海をそう簡単に裏切りたくないのも事実だった。

 だから俺は逃げるように、あいまいな答えを提示する。

 

「行こうかなとは思う。でも美海、今日は学校だろ? またサボりなんて」

 

「しないよ。子供じゃないんだし。・・・私、学校の方で見なきゃいけないようになると思うから、見つけたら声かけてほしい」

 

「分かった。ほかの生徒の邪魔にならない程度に顔出しに行くよ。先生にも久しぶりに会いたいし」

 

「あの人、時折遥の名前出すんだよ?」

 

「はぁ、あの人も好きだなぁ・・・」

 

 思われていること自体は嬉しい限りだけど。

 そしてふとした瞬間、美海は視線を俺の足元へ落した。

 

「・・・ん? どした?」

 

「その足・・・」

 

「ああ、この間変えたんだよ。これで海に入っても問題ないらしい」

 

 エナ対応型の義足。その制作、装着は困難を極めた。作るのにも時間がかかったし、いざ付けてみると拒否反応起こしたりしたわけで。

 リハビリは大変だったなぁ・・・。

 

「あいつらが帰ってきて、俺だけ海に入れない、なんてなったらカッコ悪いだろ?」

 

「・・・うん、そうだね」

 

 美海は軽く返事をして立ち上がった。どうやら学校に寄る道中で俺のところへ来たらしい。

 そんな美海を見送って、俺は一人ベンチに腰かけたままぼんやり海を見る。

 

 積もった白雪。肌寒い風。

 

 ああ。いつも通りだ。

 いつも通りの・・・狂ってしまった世界だ。

 

 感傷に浸っても意味はない。とりあえず動いてみるとしよう。

 何か変わってるかもしれない。

 

 

---

 

 

 結局午後の四時くらいまで、ずっと町中をぶらぶらしていた。特に何もなかったけど。

 そんな中で、ふらりと俺が立ちよった場所はさやマートだった。

 

 あかりさんは店内にいるのか姿が見えなかったが、外で狭山がトラックを弄っているのを見かけてためらわず俺は近づいた。

 

「元気してるか?」

 

「おぉ? 遥じゃねえか!」

 

 

 狭山は俺にすぐに気が付いたようで、作業をパッと投げ出して俺に近づいてきた。

 

「どうよ、街の方は?」

 

「ぼちぼちか。まあ、うまくやってるよ。それより、お前もちゃんと仕事するんだな」

 

「まあ、パチンコうちに行く足になるこの軽トラが壊れるのは死活問題だしなぁ・・・」

 

「・・・すまん、俺がバカだったな」

 

 悪ガキはいまだに直ってないようで、サボりのための仕事をしているようだった。まあ、変わってなくてなによりだ。

 なんて思っていると、狭山が俺の方にすすすと近づいてきて耳打ちした。

 

「そう言えば、江川、結婚するんだとよ」

 

「マジか?」

 

「ああ。デキ婚、だとよ」

 

「なんとまあ・・・」

 

 言葉が出ない。それに尽きる。

 まあ、あいつもあいつでなかなかちゃらちゃらしていたのが抜けていなかったから、当然のような気もするけど・・・。

 

「計画的に、って教訓になるな」

 

「それに尽きますな。はっは」

 

 二人して悪い笑いをする。何だかんだ俺も性悪なのだろうか。

 

「ところで、ちさきは元気してるか?」

 

「ああ。今日も学校行ってるはずだべ」

 

 ちさきは結局、看護学校に進路を決めたようだった。

 おじいさんが倒れたことが響いたらしい。決まり方は最悪だが、やりたいことが見つかったことについてはいい事以外の何者でもない。

 

「みんな、頑張ってるんだな」

 

「おうよ。俺だってちゃんと仕事してんだぜ?」

 

「ちなみにあと何分後くらいに出るんだ?」

 

「10分」

 

「負けてしまえ」

 

 なんて、こんな砕けた会話もこっちじゃないとできない。本当に暖かい街だ。

 狭山はぐっと背伸びして、投げ出した工具を取りに行った。

 

「ほんじゃま、俺も仕事に戻るから店内でも入ってな。あかりさんいるぞー」

 

「そうだな。そうするわ」

 

 狭山の勧めにのって俺はさやマート店内へ入る。そこにはせっせか働くあかりさんがいた。

 

「お久しぶりです、あかりさん」

 

「あら、遥くん。もう帰ってきてたんだ」

 

「ええ。一応夏休みですし。晃、元気にしてますか?」

 

「元気も元気。もう最近はやんちゃっぷりが止まらなくて」

 

「光みたいですね」

 

「ほんとだよもう・・・」

 

 困っている、と言うのをアピールするように、あかりさんは手をぶらつかせる。本当に手を焼いているのだろう。

 本当に、一度光に合わせてやってみたい。どんな化学反応が起きるんだろうか。

 

「いつまでこっちに?」

 

「当分は。まあ、期限なんてないです」

 

「そっか。まあまた買い物にでも来てね」

 

「はい」

 

 あまり長々と立ち話をするわけにもいかないので、俺は速やかに店をあとにした。

 そして、その足で今度こそちゃんと向かう。

 

 

 懐かしの、水瀬家へ。




『今日の座談会コーナー』

ここから、結構鬼門なんですよね。前回も書くことがなくて手を焼いてましたし。
座談会・・・。狭山という人物についてでも語りましょうか。
イメージカラーはブルー。戦隊ものでも主人公じゃないイメージが強いと思います。何て言うんでしょう、悪になり切れない悪というかそんな雰囲気と言うか・・・。
これぞ典型的な悪ガキって感じですかね。

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といったところで、今回はこの辺で。
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第六十八話 海へ・・・

久しぶりの更新ですね。さぼっててすいません。
気を取り直して、本編どうぞ。


~遥side~

 

 それからまた海沿いをのんびりと歩いて、数十分、ようやく俺はたどり着いた。

 何一つ変わらない、俺の大切な場所。

 

 一つ息を小さく吸って、俺はいつか渡された鍵を差して回す。

 

「ただいま帰りましたー」

 

 一つ大きな声を出すと、奥の方からおかえりの声が聞こえた。夏帆さんだ。

 

「あら、おかえり」

 

 それからリビングに入ったところで、保さんも声を掛ける。

 

「おう、帰ったか。どうだ、調子は?」

 

「俺自身はぼちぼち。足の方はまあ・・・不完全にリハビリを終えた分、まだ違和感があります。先生とも話がついているので、また病院の方に行くと思います」

 

「そうか。今度は投薬、だったか」

 

「はい。これで金属と肉体が同調してない部分を解決させるとのことらしいです」

 

 ここに帰ってきた理由の一つとして、あの日の大吾先生との約束もある。それに、それで海に帰れるようになるのなら、俺はそれだけで嬉しく思えるから。

 

 保さんは俺の言葉を聞いて安心してか、またいつものごとく新聞に目を落とす。そして俺がソファに腰かけようとした瞬間、電話が元気良くなりだした。

 

「あ、俺取ります」

 

「お願い」

 

 洗濯物を畳んでいる夏帆さんに変わって、俺は受話器を取った。

 俺が帰ってくる日程が割れている以上、俺を知る誰かからだろう。そう思って俺はその受話器を取る。

 聞こえてきた声は、やはり俺の知る人間だった。

 

「はい、もしもし」

 

「ああ、遥か。ちょうどよかった」

 

「やっぱり紡だったか」

 

 紡は俺と同じ高校を卒業した後に晴れて大学に入学した。互いに夢を語ったあの日の通り、俺たちは同じ大学にいる。

 学部こそ違うが、俺は数少ない海村に関係する人間なため、時々紡の学部へお邪魔することがある。それくらいにはまだ親密な関係だ。

 

 研究の意味も兼ねてこっちに帰ってきてる分、今回もその件に関してだと思うけど・・・。

 

「んで、何の用だ?」

 

「ああ、今日確か巴日だっただろ? 先生と観測に向かうんだが、遥に手伝って星って先生が言ってるんだが、どうだ?」

 

 やはり、口から零れた言葉は巴日だった。

 美海との約束がある分、行こうとは思っていた。そこにこの言葉が重なり、ますます行こうとする気力がわく。

 

 本当は、みんなで見るもの、なんだけどな。

 

「りょーかい。先生の頼みとあっちゃ、流石に断れないからな。20:00くらいにつくようになるって言っておいてくれるか?」

 

「先生にか。分かった。それじゃあ後で」

 

 そして俺は紡が電話を切ったことを確認して、受話器をもとの場所に戻した。

 その機を待っていたのか、夏帆さんが俺に確認をしてくる。

 

「この後も、お出かけするの?」

 

「すいません、帰って初日なのに」

 

 怪我の有無にかかわらず、俺は結構いろいろなところへ飛んで行ってしまっている。それがあってか、俺はもう鷲大師の中でほとんどの人に認知されているらしいけど。

 

 ・・・特別、有名人になりたいってわけでもないんだけど。

 

「いいのいいの。悪いと思って言ってるわけじゃないから。私はただ怪我に気を付けてほしいだけよ。そうは言っても、自分が一番だからね」

 

「無茶なことはしませんよ、流石に。痛い思いをするの、もう嫌ですし」

 

「そう。それならいいの。あとはもう、遥くんの生きたいように生きて。私たちが望んでいるのはそれだけだから」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 いままでそうしてもらったように、今回もまた、この二人に甘えさせてもらおう。

 

「それじゃ、行ってらっしゃい!」

 

「あ、今じゃないです」

 

 

---

 

 

 それから、また吸う時間が経って・・・。

 気が付けば、病院にいた。というより、先生の話そっちのけで俺はずーっとボケっとしていた。

 

「おい、聞いてんのかお前」

 

「え、あ、はい。・・・なんでしたっけ」

 

「はぁ・・・。お前な、そうやって医者の忠告を聞かないと早死にするぞ。特にお前みたいなタイプはな」

 

 先生は手を頭に当てて、はぁ・・・と一つため息を零す。

 

「まあ、早死にするならその時です。今までも俺ってそういう人間だったでしょう?」

 

「そうやって割り切る人間見たことねえよ・・・」

 

「まあ、それはそれとして、本題をお願いします・・・」

 

「・・・2度目はないからな」

 

 話の内容は、春先に変えた義足の影響への投薬についてだった。

 慣れない金属が皮膚に当たり拒否反応を起こしたせいで痛い目を見た春先。それからリハビリを行い、何とか普通の生活に戻ることは成功したものの、まだ不完全な状態であるというのが現状。

 しかし、大吾先生はどうにか対処法を見つけてくれていた。曲がりなりにも、ちゃんと俺の担当医なのだ。

 

「投薬治療がちゃんと終了するまでは海に浸かるな。最低2週間弱だな。それが過ぎたらたぶん海水に浸かるのは問題なくなるはずだ」

 

「それを破ったら、どうなりますかね」

 

「知らん。俺はエナ持ってないんだよ。まあ一つ言えることがあるとすれば・・・覚悟はしておいた方がいいな」

 

 目を細めて大吾先生が俺に忠告する。つまり、そういう事らしい。

 さすがに俺も何度もポカをする人間じゃないと、一度しっかり首を縦に振った。別に迷惑をかけたくてかけているわけではないのだから。

 

「説明は以上、質問は?」

 

「ないです」

 

「それより、またあいつと縁が結ばれるなんてな。もうずいぶん長いこと会ってないから、あいつが俺のことどう思ってるか知らないけど」

 

「鈴夏さんっすか」

 

「あいつのとこに通い詰めてたお前なら分かるだろ、あいつの性格。もうなんてったって大雑把で大胆。あんなやつと幼馴染だったってのが信じらんねえよな」

 

 俺が鈴夏さんに出会えたのはこの人のおかげだ。そうでもしなければ、今海に帰る希望すらなかったわけだから、本当にこの人には感謝しかない。

 

「あいつはすげえよ。街でビックになる、なんて叫んで本当に街で生計を立ててんだからな。しかも、あいつしかできない、技師って仕事で。・・・ホント、すげえよあいつは」

 

 そう言う大吾先生の眼は遠くを見据えていた。その方角は、多分街の方だ。

 でも、その人にしかできない仕事と言えば、先生だってそうだ。

 

「・・・先生も、十分すごいですよ」

 

 思わず、消え入りそうな声でそう呟く。

 が、それを取りこぼすのがまたこの人。悪気のない様子でもう一度尋ねる。

 

「ん? なんて言った? もう1回言ってくれ」

 

「嫌ですよ2度はないって先生言ったじゃないですか。・・・それじゃ、今日はこれで失礼しますね。これから予定がありますし、先生の診察待ちの人がいてもいけないですし」

 

「了解。んじゃ、忠告は守れよ?」

 

「分かりました」

 

「いい返事だ。それじゃあな」

 

 先生のニカッとした笑いをあとに俺は診察を出ていく。結局、廊下に待機している人はいなかったけど。

 

 

 

 

 そしてそのままその足で、俺は皆の待つ海へ向かう。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

このコーナーも結構久しぶりですね。前回までどんな内容を書いていたか忘れそうになりますね・・・。
ここら辺、文章をふくらませたせいでいかんせん尺の切り方が悪い。せめて3000字は欲しいんですけどね。
あと、前作とは結構文章変わってると思います。鈴夏さんとのエピソードが追加されたことにより、記憶がおぼろげでない、という設定変更もあります。

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といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第六十九話 再開の歯車

憂慮オブ憂慮。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 氷が張った海が広がる。

 美海は中学生の輪から少し離れたところに立っていた。やはりまだ集団行動は苦手らしい。

 

 でも、俺にとっては好都合。迷わず近づいて、美海に声を掛けた。

 

「よっ、どんな感じだ?」

 

「遥。・・・うん、まあまあ」

 

「なんだそりゃ」

 

 美海は俺の方に向けられた瞳を海の方へ戻した。その先には、今にも光が見えようとしている。

 その光を瞳に灯しながら、美海はポツリと話し出す。

 

「・・・巴日、こうやって見るの初めてかも」

 

「まあ、もともと海でしか見れないものだったからな・・・。少々複雑な気もするけど」

 

「ちさきさんも言ってた。皆で見なきゃダメだって。遥、みんなで見たことあるの?」

 

「・・・ある。きっと」

 

 五年前。まなかとちさきが喧嘩した日。その日が巴日だった。

 あの時、俺は光と要と一緒にいた。二人はどこにいたか知れてない。けど、きっとあの日、俺たちは一緒に巴日を見た。

 それが、最後の巴日の記憶。

 

「あれから五年か・・・。みんな、って響きも、結構懐かしくなったもんだな」

 

 言っておきながら、少しだけ寂しくなる。その気持ちを俺はくっと噛みしめた。

 そして改めて美海を見つめる。同じ憂いの瞳を美海は海に向けていた。

 

「みんな、帰ってこれるのかな?」

 

「さあな。でも、いつでもあいつらが帰ってこれるように、俺はここにいるわけだけど」

 

「そうだね」

 

 それしか、言うことがなかった。

 結局、俺は待つだけの存在に過ぎない。今は、それしかないから。

 

「それじゃ、俺先生の手伝いに誘われてるから、ちょっとそっち顔出してくる」

 

「分かった。終わったらまた寄ってね」

 

 美海に軽く手を振って、俺はその場をあとにして少し離れたところで研究機材を張っている紡と教授のもとに合流する。

 

「おお、遥くん、来てくれたんだね」

 

「ええ。それで、どうです?」

 

「・・・そろそろ来る。観測機から目を離すなよ」

 

「OK」

 

 紡の忠告を受けて、俺は表情に展開された機械に目を向ける。海流を捉えた矢印があちこちから一方向へ動いていく。それが少し止まったかと思えば・・・。

 

「おぉ・・・」

 

 光が、地上に現れた。あの日以来の巴日だ。

 

「これが巴日・・・」

 

「・・・おい、ちょっと待て。先生、機械が・・・」

 

 機械の矢印がおかしなことになっているのに真っ先に気が付いたのは、俺だった。機械上の矢印に?マークが灯る箇所がある。

 そして同じタイミングで凍った地面の一部が揺れだした。それは、巴日のすぐ近く。

 

「・・・っ!!」

 

 俺は直感的に走り出していた。紡と先生が驚く声も一切聞こえない。

 ただ、向かい側から走ってくる美海の姿だけは確認できた。人より離れたところに立っていた分、美海もこの異変に気が付けたのだろう。

 二人、光が発している地点で立ち止まる。それから互いに顔を見合わせた。

 

「遥、これって・・・?」

 

「分からない。・・・けど、何か不思議な感覚だ。変な予感がするんだよ」

 

 俺がそう答えて少しして紡が合流する。

 

「遥、これはどういうことだ?」

 

「だから分からないって・・・。・・・っ!!?」

 

 また、突如として強い光があたりを包む。その光の眩しさに俺も美海も紡も目を閉じた。

 一瞬ひるんだのちに、ゆっくりと重たい瞼を開ける。そこには、一人の少年が映っていた。

 

 忘れるはずもない、ツンツンとした特徴的な髪に、あの日と何も変わらない姿。

 手が届きそうな、少し遠く。

 

 そこに倒れていたのは、光だった。

 

 俺たちは急いで駆け寄る。そうは言っても、まずはちゃんと確かめたかった。

 駆け寄って、近づいて、ちゃんと確かめる。そこにいたのは、間違いなく光だ。

 

 しかし、息をしていない。肩が小刻みに揺れ動くことすらなかった。

 

「光!!」

 

 俺は考えることをやめて、そのまま光を抱き上げて肩をゆすった。しかし、反応はない。

 とりあえず、ここは人工呼吸をするしかないか・・・。

 

 男同士のキスなんて考えるだけでおぞましいものだが、この際気にしてなんかいられない。

 俺は諦めてその唇を光に近づけようとする。

 

 が、そのタイミングで光の肩がピクリと動いた。慌てて俺は光の身体から唇を離す。

 

「動いた、よな?」

 

「ああ、意識はあるみたいだ。・・・もう少しこのままにしてたら大丈夫だと思う」

 

 紡の宣言通り、三分もすれば、ゆっくりと光は体を起こした。

 ・・・いや、意識が覚醒するなり、勢いよく体を起こした。

 

「まなかっ!!」

 

 しかし、そこにまなかはいない。数秒経ってようやく光はそれに気が付いたようだった。

 けれど、一つだけ変わらない事実があるとすれば・・・。

 

 帰ってきたんだ、光が。

  

 改めて光は辺りをキョロキョロして、やがてその視線は美海のところで止まった。

 

「・・・誰だ、お前」

 

「美海だよ、美海」

 

「ああ、美海か・・・。・・・んで、遥と紡か」

 

「そうだ。久しぶりだな、光」

 

「・・・」

 

 久しぶりに会えた喜びが勝ってか、それしか言葉が出てこない。けれど、光はいまだ釈然としない顔だった。

 とりあえず、今は保護が優先。俺は自分の服の一部を光に着させた。光はなおも黙ったまま、凪いだ瞳で海を見つめ続けている。そこでようやく、今の光に質問攻めをするのは酷だという事に気が付いた。

 とりあえず、あかりさんのいる美海の家へと戻ろう。

 

 ちさきには・・・。いや、これは多分俺のいう事じゃない。

 

「光、動けるか?」

 

「・・・悪い、体、だるくてよ」

 

「分かった。じゃあ、おぶってく」

 

 俺は光をひょいと自分の背中へ乗せる。俺が大きくなったのか、光が軽くなったのか、足は軋んだが重みは感じない。

 

「それじゃ、俺たちは一旦美海の家へ行く。紡、お前は?」

 

「いったん教授のもとに戻って、それで・・・」

 

「分かった。じゃあ、今日は解散しよう。行こう、美海」

 

「あ、うん」

 

 俺は光を背に美海と美海の家へ、紡は反対の方向へと進んでいく。

 俺の背中の上で、光が呟いた。

 

「遥、お前、足・・・」

 

「直したんだよ、いろいろやってな」

 

「そっか」

 

「・・・なあ、お前は」

 

 俺はそう聞いたところで、寝息が聞こえだした。さっきまで話していたはずなのに、光はもうぐっすり眠っていた。どんな神経してるんだこいつ。

 

「そりゃ、起きてすぐだし仕方がないよね。今は寝かせておいてあげよう」

 

「そうだな。時間はいくらでもあるし、話はまたその時でいいだろ。それに・・・」

 

「?」

 

「光も、結構混乱するだろうからな。あまりグイグイ攻めない方がいい。多分、パンクしてしまうだろうからな」

 

 多分、冬眠した人間に五年たったという実感はないだろう。だとすると、変わってしまった風景に間違いなく戸惑ってしまうはずだ。

 俺たちの見方と、冬眠してしまったあいつらの見方は間違いなく違う。そこをはき違えてはいけない。

 もっとも、それをどれだけの人間が理解しているか、という話だが・・・。

 

 

「ねえ、遥」

 

「どした?」

 

「光が帰ってきて・・・嬉しい?」

 

 美海から発せられる、無邪気で容赦のない質問。すぐに答えることは出来なかった。

 嬉しい。それは間違いじゃない。

 でも、本当に嬉しいだけかと言われたら、そうでもないのが事実だ。こうして会ってみて、五年の月日が経ってしまったろいうことを嫌と言うほど実感させられる。

 俺も五年分、歳をとってしまったのだ。

 

 それが辛くないはず・・・ない。

 

 でも、勝る気持ちは一つだった。

 

「嬉しいよ。ああ、嬉しいさ。当然。やっと会えたんだ。五年ぶりだ。俺がどれだけ大きくなったかなんて関係ない。無事でいてくれた。目を覚ましてくれた。俺はそれだけでいいよ」

 

 そうして無理して少しだけ笑う。美海はそれ以上は何も言わなくなった。

 

 

 感情はグルグルと巡っている。一言で言い表すことは到底できないけど、一つだけ言うことがあるとすれば・・・。

 

 

 帰ってきたんだ、光が。

 




『今日の座談会コーナー』

前回、ここら辺とても適当に書いていたので供養&懺悔。過度な原作改変はNG。
前作では、ここら辺書くのが一番楽しかったんですよね。それと同時に、オリジナルパートが増えたので苦行の連続でしたが。
けどま、やっぱりここから苦行ですね。そんな予感がします。
がんばゆ。

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といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第七十話 まだ見えぬ未来

やはり停滞期・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 俺の背中で眠ったままの光は潮留家に移っても眠ったままでいた。客間に敷かれた布団に眠らせて、俺は改めてあかりさんたちと対峙する。

 帰ってきた光を見てあかりさんは当初目に涙を浮かべていたが、今はもう落ち着いたようで至さんの隣に、息子である晃を携えて座っていた。

 

「とりあえず、光をここまで運んできてくれてありがとね、遥くん」

 

「当然のことをしただけですよ。あそこであのまま放置なんてのもダメでしょ倫理的に」

 

「ま、そうだけどね」

 

「それより、光は当面ここに住むって方向でいいですよね?」

 

 目覚めたはいいものの、汐鹿生に帰れるわけでもないし、他の身寄りもない。むしろ光にここという居場所があるのが奇跡に近いことだ。

 この質問大しては、至さんが真っ先に首を一度縦に振った。

 

「大丈夫だよ。前のアパートよりも全然広いし、不便に思うことは少ないと思う。・・・ところで遥くん。光君が海から上がってきたときに、海はどんな状況になってたんだい?」

 

 至さんは顔色一つ変えて本題に入る。漁協の人間として今回の問題は真正面から向き合わなければいけない問題なのだろう。

 それを分かって、俺も出来るだけのことを伝えることにする。

 

「今日が巴日だったのは、知ってますよね?」

 

「そうだね」

 

「光が上がってきたのはほんの一瞬でした。巴日が地上に見え始めて三十秒後くらいですか。それまでより一際強く光って、そのまぶしさにくらんだ後、目を開けてみれば」

 

「光が倒れていた、ってことね・・・」

 

 だから、伝えれることと言っても俺の視点からすればほとんどないのである。もっとも、教授と紡の研究機材には何か反応があったのかもしれないが、そんなのは途中で投げ出した俺の知るところではない。

 

 至さんは一通り話を聞いて首をうんうんと頷かせた。きっと分かってないだろう。しかし、分かってないなりの反応の示し方に俺は文句を言わないでおいた。

 

「研究的に今回の事象がどれだけ重大なことかは知りませんが、一つだけ言えることがあるとすれば、そろそろ海の目覚めの日が近いかもしれないという事です」

 

「本当なのかい?」

 

「確証はないですけど、光が目覚めたという事は多分、そういうことかと・・・。まあ、あいつのことですし、本能的に冬眠に耐えきれなくなって上ってきたんでしょう」

 

「あはは、光らしいね」

 

 じっとすることが苦手なやつだ。思ってないないところでそういう行動をしてしまったのだろう。本当に可愛げしかないやつだ。

 

 話が詰まったところで、俺は時計を見る。時刻は夜の9時頃を示そうとしていた。

 俺のその行動に気が付いてか、至さんが声を掛ける。

 

「遥くん、今日はもう遅いしうちに泊っていかないかい?」

 

「・・・すいません、ありがたい提案なんですけど、遠慮します。今この状況で寝起きの光に接するの、多分あいつの方が疲れると思うので」

 

「どうして?」

 

「まあ・・・色々です」

 

 長々と話したところで、至さんは全てを理解できないだろう。当事者ではないのだから。

 別にそれが悪いことだとは言わない。けど、事実には変わりないので俺は色々という言葉を使って逃げた。

 

「分かったよ。・・・あと、うちにはいくらでもいてくれていいからね」

 

「ありがとうございます」

 

 そして俺は自分の荷物片手にその部屋を出た。最後にもう一つ寄っておきたい場所があった。

 その場所に向かって、コンコンとドアを二回ノックする。部屋から出てきた美海は風呂上がりだったのか、仄かにシャンプーの香りがした。

 

「どしたの?」

 

「いや、ちょっと話でもって思ってさ」

 

「いいよ。ちょっと待ってね」

 

 美海は部屋から出るなり、俺の袖を引っ張って家の縁側にグイグイ進んでいった。そして縁側に出たところで、二人並んで腰かける。

 

「・・・遥がこうしてここに呼んだってことは、千夏ちゃんの事、だよね?」

 

「やっぱり気づくかぁ・・・」

 

 俺が話を切り出す前に美海が切り出す。そのせいで俺は出鼻を挫かれてしまった。

 しかし、本題がそれであることには変わりない。俺は自分の弱い心ごと美海に曝け出すことを決めた。

 

「・・・光がこうやって帰ってきたからさ、ひょっとしたら水瀬もそのうち帰ってくるんじゃないかって、そう思ってさ。・・・なんて、冬眠って決まったわけじゃないのにな」

 

「千夏ちゃんは海の中で眠ってるよ。・・・私は、そう信じている」

 

 美海はまっすぐな目で俺の目を正面から覗き込んできた。その視線の強さに俺は言葉を失い、ただ茫然とする。

 でも、そうやって誰かを信じれるようになった美海は、間違いなくあの頃より成長していた。その事実だけは嫌と言うほどに俺の胸を突き刺した。

 俺はどうだろうか。あれから成長しているだろうか。・・・変わってしまったのだろうか。

 

 少なくとも、誰かに弱みを見せるようになったのは確かだし、弱くなったのは間違いない。

 

「・・・だから遥も」

 

「分かってる。自分の弱さと信じる信じないは、別だよな」

 

 何も決まったわけじゃない。何も終わったわけじゃない。信じる限り、まだ終わりはない。

 それを確かめることができた。今はそれだけでいい。

 

「そう言えば、遥・・・」

 

「ん?」

 

 俺の名前を呼んだ美海だったが、やがて身をたじろさせて、何かを振り切ったように言った。

 

「なんでもない」

 

「なんだ、急に」

 

「いいから、何でもないの」

 

 美海は無理やり何でもないという言葉で俺を突き放した。

 勇気を出して何かを言おうとしたが、ダメだったのだろう。だったら俺ももうこれ以上は追及しないようにする。

 

 きっと、二人の距離は今はこれが正しいから。

 

 

---

 

~美海side~

 

 

 遥に、告げたかった。

 私は遥が好きだって。もちろん、告白のつもりはない。千夏ちゃんとの約束だから。

 

 でも、また今日も勇気が出なかった。

 

 最初はそんなこと言うつもりもなかった。それなのに、だんだんと大きくなるにつれて遥のことが気になっていった。これまで以上に好きになってしまった。

 

 ・・・どうしたんだろ、私。

 

 好きの感情を抑え込んでいたつもりなのに、全然うまくいってない。

 

 峰岸に告白されたからだろうか。はたまた、光が目覚めたからだろうか。

 千夏ちゃんが目覚めたらきっとまた勝負が始まる。圧倒的に不利な状況で。

 

 だから私は、焦ってたのかもしれない。・・・ううん、今も焦ってる。

 こうして話している今だって、心臓がドクドクして熱い。遥は今の私に気が付いているんだろうか。

 

 結局私は、あの時から何も成長してない。ずっと子供のままで、遥に頭を撫でられる存在。

 前はそれでいいと思ってたのに。

 

 でも、今ははっきり言える。私は遥が好きだから。

 

 

 ちゃんと、その隣を歩きたいって、今はその気持ちしかここにはない。

 




『今日の座談会コーナー』

 細部をふくらませるだけでこれまでより確実に文字数が増えてますね・・・。本当に二倍の量待ったなしなんですわ。
 とまあ、リアルが忙しいので今後も停滞してしまう気がします。ご了承ください。

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第七十一話 失われた五年

編集がマチマチ・・・。
本編どうぞ。


~遥side~

 

 光が地上に戻ってきてから、一日が経った。

 疲れもあってか眠りは深かったが、朝起きてみると定時。なんとまあ素晴らしい生活態度だろうか。

 さすがに泊まるわけにはいかないと断って歩いて家に帰ってからは、死んだように眠っていたというのに。本当に勤勉な大学生そのものだ。知らないけど。

 

 とりあえず、今日の光の様子が気になるので慣れた足取りで潮留家へと向かう。

 

「おはようございます」

 

「あら、遥くん、おはよ」

 

「洗濯、まだ終わってなかったんですね」

 

「昨日バタバタしちゃって、皆目覚めるのが遅くてねー」

 

「光、起きてますか?」

 

「起きてるよ。・・・ほんっと、寝相も寝起きの仕草もあの頃のまんま。五年たってるってのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、何にも変わってないよ」

 

 あかりさんはどこか憂いの目で声音を落として呟いた。その仕草の意味を、重さを、俺はちゃんと理解している。

 光の中にはきっと、五年という月日が経ったという自覚はない。俺たち地上に残った人間だけが、むなしくその感覚に見舞われているだけだろう。

 だから、本当は会いたくなかったと言われれば、そうだったかもしれない。

 

 そんな中で、遠くから軽トラの音が近づいてきた。この街の軽トラ番長と言えば、今はもう奴しかない。

 軽トラから降りてきた男性に、俺は真っ先に声を掛けた。

 

「狭山か、朝っぱらから何の用だ?」

 

「おお、遥もいたのか。はえーな朝から」

 

「まあ、流石に色々と整理したくて、な。というか本当に何の用だよ」

 

「用も何も、光だよ光。目覚めたって聞いてな。昨日無理だったから今日会いに来たわけよ。んま、どっちかというと漁協のおっさんたちが会いたがってるからそことのパスがメインかな」

 

「こき使われてんのな」

 

「言うな言うな。それに俺自身あいつと会いたいってのがあるからさ」

 

 狭山もあの頃に比べるともうずいぶんと丸くなったようで、平然とそういうことを言ってのけるようになった。悪ガキの成長過程ってのは大体こういうものなのだろうか。

 

 なんて思っていると、今度は玄関が開く音が聞こえ、続けて怠そうな声音が俺の耳に響いた。

 

「なんだよ朝から玄関先でやかましいな・・・」

 

 眠たげに目をこすりながら出てきたのは光だった。

 

「おぉ! 光! 久しぶりだな!!」

 

 狭山は俺が目を離した一瞬で光の方に飛びかかり抱き着こうとして・・・躱されて、顔面から地面に突っ込んだ。

 

「んだ狭山かよ・・・でかくなってびっくりしたわ。というか、何の用だよ」

 

「お前もそれ言うのな・・・。あれだよ、漁港のおっさんたちがお前に会いたがっててよ、迎えに来たっちゃそうなんだが・・・」

 

「分かったよ、行く」

 

「サンキュ、軽トラの助手席乗ってくれ。すぐ着くからよ」

 

 と、そのタイミングで制服姿のさゆが合流する。同じように学校に行く準備が出来た美海も合流して、いよいよ玄関先が賑やかになってきた。

 

 その状況に耐えかねて、すかさず俺は逃げるようにその場から誰にも気づかれないように距離を取った。

 何より、今ここで声を発してしまえば、何かが壊れてしまうような気がして仕方がなかった。

 

 そのまま光と女子二人を乗せた軽トラは潮留家を去っていく。皆の姿が見えなくなったところで、俺はあかりさんの下へ再び姿をひょいと見せた。

 

 光が現れて以降の俺の態度が少し気になったのか、心配そうにあかりさんが声を掛けてくる。

 

「遥くん、大丈夫?」

 

「何がですか?」

 

「さっき、光と話せなかったけど」

 

「・・・」

 

 大丈夫も何も、俺はあそこで話せなかったことに、正直ホッとしてしまっていた。

 結局、光に会いに来たとのたまっておきながら、俺は何を話せばいいかすら考えることが出来てなかった。

 理由は簡単。きっと光が五年のロスを理解していなくて、俺がそれを分かっていたから。

 だから、五年の間で何があったかなんてベラベラ話すのも光を苦痛の淵へ追い込むだけであり、かといって薄っぺらい話ができるかと言われればそうでもなく。

 

「・・・包み隠さず言うなら、話せなくてよかったって思ってます」

 

「え?」

 

「五年間のロスをあいつは理解してないです。それなのに、五年の時を過ごした俺やほかの皆がベラベラ話しても、きっとまともなコミュニケーションなんて取れないでしょう」

 

 冬眠に入るギリギリ前の光はかなり心が穏やかになっていた。成長していた。だから取り乱すなんてことはないと思うけど、それ以前に心が持つかどうかがまず心配なのだ。だから今こうして狭山に連れられて漁港に行くという行為も、きっとあいつ自身の首を絞めるだけの行動でしかないはずだ。

 

 それほどまでに、過ぎ去った五年の月日は残酷なのだ。

 

「たぶん、これから最悪な状況になるかもしれません」

 

「どういうこと?」

 

「さっきの五年のロスの話ですけど・・・。果たして、光がどこまでそれに耐えれるか。少し穏やかな人間になったとはいえ、まだ中学生の光は荒れ狂ったやんちゃ坊ですよ。こんな混乱、耐えられるかどうか・・・」

 

「確かに、そうかもね」

 

 俺が深刻そうに語るものの、あかりさんは特別心配そうな様子を見せることなく俺に答えた。なんでそんな顔が出来るというのだろうか。それが気になって、仕方がない。

 

「どうして、そんなに余裕そうな顔をしていられるんですか?」

 

「だって、遥くんがいるもの」

 

 何の悪げもない顔で、あかりさんはケロリと言い放った。困るのはもちろん、俺だ。

 

 俺がいるからどうにかなる。

 

 その言葉は、あの日以来俺が一番嫌ってきた言葉だ。俺が無力で未熟だったせいで、この惨劇を生んでいるっていうのに。

 信頼されることがだんだんと恐怖に変わっていった。かといって俺に信頼を向ける連中を嫌いになることも無く、そうして矛盾の渦が広がって、今の俺になったっていうのに。

 

 それが表情に出ていたのか、あかりさんはそれをくみ取っていた。しかし、顔色が変わることはなかった。それよりかさらに慈しむ顔で俺に語り掛けてくる。

 

「遥くんが自分を信じれないのは分かるよ。もう何年も長い事付き合ってきてるからね。・・・でもね、同じ海の人間として、光が頼りにできるのはきっと遥くんしかいないと思うの」

 

「ちさきは、どうなんですか?」

 

「あの子こそ、光より取り乱すタイプだって、遥くんが一番分かってるでしょ?」

 

 ぐうの音も出ない正論だ。

 

「それに、今の光の状態をちゃんと把握できてるのも遥くんでしょ。だから、信じれる。私の弟のこと、任せたくなっちゃう」

 

「・・・そこまで言われちゃ、燃えない方がおかしいですよね」

 

 俺は卑屈になり過ぎていた自分を恨む。

 そして心の中で呟く。今度こそうまくやって見せると。

 

 そうだ、俺ならできる。ちゃんと向き合えば、きっと心の底から言葉が出てくるはず。俺は今ここで、自信過剰な島波遥を演じよう。

 

「光のことなら、俺がなんとかしますよ。鷲大師にいる時間もまだまだありますし、その間にはきっと」

 

「うん、頼むよ」

 

「任せておいてください」

 

 俺は少し大きな声で答える。

 さて、これからやる行動は一つ。

 

 

 

 

 帰ってきた暴れ馬を、探しに行くとしますかね。

 




『今日の座談会コーナー』

前回の59話と内容は一緒なのですが、結構展開を変えているように思いますね。前作遥と
今作遥が結構人物像的に違うので、当然と言えば当然ですが。
特に、結構弱みを見せるようにしてるんですよね、今作の遥は。高校二年生の陰キャの理想キャラを描いたあの頃よりは、少しは人間に近づいているのかもしれません。
ただまあ、ブランクがいかんせん長すぎですが。

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第七十二話 酔い、覚めて

作者の多忙×怠慢のせいで更新遅れ気味・・・。

本編どうぞ。


~遥side~

 

 漁協に連れていかれた光の足取りをたどるのは正直骨が折れる行為だった。

 そのまま走って後を追ったところでトラックと人の足じゃ差がある。何より義足に負担をかけるような行為は出来ないだろう。

 結果、今から漁協へ向かったところで俺が着くころには光は別の場所に移動しているだろう。

 

 ・・・さて、どうしたものかなぁ・・・。

 

 そうは言うものの、特別何かできるわけでもなく、俺はのんびり街中を散歩していた。それでばったり会えばラッキー程度に。

 が、そんな虫のいい話があるわけでもなく、二時間ほど過ぎる。

 あちらこちらで目撃証言はあるのだが、いずれも少し前の連続で足取りを追える気がしない。

 

 いったん諦めて家へ帰る。それから再出発してまた一時間。俺はようやく光を見つけた。

 

「あれは・・・確か紡のとこの・・・」

 

 その上にいるのが光と紡だという事を理解するのに時間はかからなかった。

 それからしばらく、声が聞こえてくる。最初は穏やかな、だんだんと怒気の籠った声が穏やかに揺れる波を伝って俺の耳に伝わってくる。

 

 怒っているのは、光だ。

 

 しかし、俺はもう光を止める役にはなれない。同じ境遇に生きた人間じゃないからだ。

 本当の意味で、あいつらと違うようになってしまった。願ってもなかったようなことが叶って、俺と光の間にはきっと見えない壁がそびえたってしまっている。

 

 しばらくして、光は逃げ出すように舟から海へと飛び降りた。

 そして俺の近くで陸に上って、遠くへ駆けていく。

 

 その背中を見送る・・・、なんてことは、できない。

 

 どれだけ離れてしまっても、俺は光の味方でありたい。だから、無理やりにでも離さないといけない。そんな気がした。

 だから俺はギシリと軋む足を放っておいて、光の方へと駆けていった。

 その距離が近づいた時、俺は光に声を掛ける。

 

「光!!」

 

 その声が届いてか、光は立ち止まり振り返る。その瞳には涙がにじんでいる。

 

「なんだよ、お前まで・・・」

 

「俺まで、何だよ」

 

「いや、なんでもねえ」

 

「・・・な、話でもしないか」

 

 俺は光の隣に並び、近くの堤防に腰かけた。

 光は不服そうに呟く。

 

「・・・なんだよ、話って」

 

「お前、いろいろ言われたんだろ。五年ぶりだな、だとか、久しぶり、だとか。変わってねえな、とか」

 

「・・・それがなんだよ」

 

「お前にとっては、お舟引きから1日しか経ってないのに、な」

 

「・・・! お前、知って・・・」

 

「ああ、分かってるよ」

 

 光たちは冬眠することは知っていることこそ知ってるものの、感覚としてはただ眠っているだけだったのだろう。それが予想できない俺ではなかった。

 ただ寝て起きただけなのに五年ぶりだなんて言われたら・・・。辛くない方がおかしいだろう。

 

 光は握りこぶしを震えさせる。そこに怒りを滲ませて・・・。

 

「俺に取っちゃ、お舟引きは昨日の事なんだよ・・・。なのに、どいつもこいつも久しぶりとか変わらないななんて言いやがって・・・! 何一つ変わることないだろ・・・!」

 

「・・・そうだよな」

 

 俺も少し言いかけようとしていたと思うと、ゾッとして仕方がない。結果論だが、光を傷つけることにならなくてよかったと思う。

 そして、光が心にダメージを追っている理由は多分これだけじゃない。

 

 まなかを守れなかったことだ。

 

 それで後悔の念がないはずがない。

 

「変わるとか、変わらなねえとか・・・分かんねえんだよ。一体、俺はどうすりゃいいんだよ・・・! なあ!」

 

「俺に聞かれてもな・・・」

 

 困ったときに頼れる島波遥はもういない。最も、五年のロスを感じてない光にそれは分からないけど。

 変わるとか変わらないとか・・・そんなの、誰も分かるはずはない。

 だから、俺は光に質問をかけてみることにした。

 

「だったら、聞いてみるけどお前から見た俺って変わってるのか?」

 

「なんだよ藪から棒に・・・」

 

「答えてくれよ」

 

 挑発とか誘導のつもりだったが、いつの間にか俺自身熱くなってしまっていた。あれから一日しか経ってない人間から見て、五年たった俺は変わってるのだろうか。それによって何がどうこうあるわけではないけど、単純に俺は知りたかった。

 

 光は少し悩んだ風に眉を顰めて、途切れ途切れで答える。

 

「・・・どうって、分かんねえよ。背丈や足も変わってるけど・・・。なんだよ、よくわかんねえよ」

 

「だったら、案外そんなもんなのかもな。変わるとか変わらないとか。・・・気にしないでいいんじゃないか?」

 

「・・・すまん、やっぱりまだ難しいわ。しばらく一人にしてくれねえか?」

 

「分かった」

 

 これ以上光に尋問のような質問をするのは野暮なものだ。俺から言えることはもう何もない。

 光は一人小さな足取りで俺の下を離れていく。今度こそ俺はその背中を見送った。

 

 そして一人になって、俺は自分のことを考えた。

 光の目からは、よくわからないと言われた。あいつにも言った通り、結局はそんなものなのだろう。

 だから俺は・・・このままでいいのかもしれない。

 

 あとは、あいつ自身が上手く割り切るしかないけど・・・。

 

 

 その時、五時のチャイムが鳴り、お舟引きの歌が響き渡る。

 曰く、海で眠っている奴が迷わないようにって話だけど・・・俺自身、この曲はあまり好きではない。

 いい思い出がないからな、お舟引きについては・・・。

 

 そう簡単に割り切れるものではないのだ。苦い思い出は。

 

 それから数分ほどたった頃だろうか。

 感傷に浸っていたモードも終わり、帰ろうと俺が腰を上げると遠くから光が走ってきた。その顔はさっきとまるで違い、勇気と希望に満ち溢れている。これまで何度も見てきた、俺の知る光だ。

 その後ろから追いかけるようにちさきもやってくる。何か話したのか、それでどうやら吹っ切れたらしい。俺はやれやれと首を横に振る。

 

 

 それから一言、俺の目の前にやってきて、光はいたずらっぽく笑って答えた。

 

「お前、何も変わってないや!!!」

 




『今日の座談会コーナー』

毎度思うのですが本編後半のオマージュってIFだと相当難しいんですよね。とくに人間関係の辺りが変わってくるので。
まあ、これから一応オリジナル展開が結構入って、結局は本編と少々ずれたところでの展開になりますが。
しかしまあ、二次創作も怠けているとダメですね、。まじで腕がなまります。

---

と言ったところで今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第七十三話 帰らぬ待ち人

随分と期間が空きましたね・・・。この間にまさか一本一次創作の小説が完成するとは思いませんでしたよ。



~美海side~

 

【さかのぼること数日前】

 

 巴日が見れる、とのことで、今日は教室がずっと浮き立ったままでいる。確かに、見たくないわけじゃないし少し楽しみではあるけど、こうしたノリには正直ついていけない。そもそもこのクラス自体に愛着があるわけでもないし。

 しかし、集団に逆らうような馬鹿はしない。あくまで空気に生きて、どうにかやり過ごす。

 そうしていると、時間はいつの間にか巴日間近まで来ていた。

 

 輪を作って男子連中と一部の女子が群れている。私はそこから少し離れたところでぼんやりと海を見ていた。

 

 そんな時、誰かがトントンと肩を叩いた。この雰囲気は顔を見なくても分かる。さゆだ。

 

「ね、美海、美海」

 

「何?」

 

 さゆは私の耳元に口を近づけて囁いた。

 

「峰岸のやつ、今日美海に告白するつもりだよ」

 

「・・・そう」

 

 そんなことを言われたところで特別感情があるわけでもなかった。話したことも無い相手から告白されたところで何も思わないのは明白な感情だ。

 

「ほんとさ! 男達って馬鹿だよね!! こんなイベントで盛り上がっちゃって舞い上がっちゃって、浮かれて告白だなんてさ! ロマン? はぁ? 馬鹿じゃないの?」

 

 さゆは声高らかに男子を貶める。けど、言葉にいくらか棘があろうと言ってることが間違っているようには思えなかった。それは私がさゆの価値観を理解したからか、それとも私も本心で同じようなことを思っているからか知らないけど。

 

 場面なんて飾りなんだ。結局分かり合うことが出来るのは心からだから。

 私は思い出したついでにさゆに語り掛ける。

 

「ところでさゆはさ、告白なんてされたらどうするの?」

 

「私? ・・・私は女一人で生きてくって決めてるからそういうのいらないし、想像したこともないな。誰よりも上手に生きて、誰よりも稼いで、強くなって、そして・・・男なんていなくても生きていられるって証明してやるの!」

 

 さっきよりも語気を強めて、さゆは自分の願いを叫ぶ。

 けど、違う。どこかその言葉の中には寂しさのようなものを感じた。それは、さゆにも気になっていた人がいたことを知っていたから。 

 

 要さん。あの事件を機に海で眠りについてしまった、汐鹿生の住人。そして、この浜中で中学二年生だった人。もうすっかり同じ年だ。

 あの人のこと、気になってたんじゃないの? 私は問いかける。

 

「・・・要さんのことは、いいの?」

 

「嫌いになったわけじゃないよ。・・・けどあいつは、いつ帰ってくるかなんて分からないし、絶対好きな人いるじゃん。・・・諦めるの、しょうがないじゃん」

 

 さゆは元気をなくしそっぽを向き、口先を尖らせてそう答えた。自分の心に素直になれないのが目に見えて分かる。

 さゆはどこか悔しかったのか、私に似たような質問を返してくる。

 

「逆にさ、美海はなんで告白しないの? あの人、ずっと傍にいたじゃん。今だって、陸に・・・」

 

 遥の事だ。どうして、私が告白しないのかと。

 もちろん、できればそうしたい。私だって、ずっと傍で遥の事見てきた。年齢的には年下の女の子としか見られてないかもしれないけど、私は一人の異性として遥を好きでいる。

 でも、フェアに戦うと私は千夏ちゃんと約束した。一人の友達として、それは絶対に破りたくないから。

 

「約束したんだよ。フェアに戦うって。今私だけいるのにさ、告白だなんてそんなこと・・・できないよ」

 

「ふーん? ま、そこは美海の自由だけどさ、もったいないと思うなぁ・・・。そうやってもし負けたら、美海は満足なんだ?」

 

 さゆは些細な抵抗をするように私にそう語り掛けてくる。少々棘のある言葉に神経が反応したけど、さゆの言ってることは何一つ間違いじゃない。千夏ちゃんが帰ってきたら、私に巡ってくるチャンスが減るという事。

 それでも、卑怯な人間になってまで遥の隣にありつこうとするよりはきっと全然マシだから。

 

「その時は、その時だよ」

 

 私は短く、そう答えた。

 そう、千夏ちゃんが帰ってこない限り、私の中の時間はずっと・・・。

 

 

---

 

 それから数十分後、峰岸が私のもとにやってきた。

 軽くあしらった。好きな人がいるのと聞かれた。答える理由もなく、私はそこから立ち去る。

 

 そして、巴日と一緒に別の、謎の光が現れた。そこには光がいた。冬眠から目覚めて、あの日々と同じ姿のままで。

 それが、この長く止まった時間の終焉を伝えているように思えた。

 

 けど、止まっていた時間は結局ほんの一部でしかなくて、今までと同じように、なんてことは出来なかった。

 

 

 

~現在~

 

 それから数日経った。光が帰ってきたとはいえ、それ以外に特別進展はない日々。何も変わることが無ければ、何もやることがない。

 私はぶらぶらと街を歩く。特に当てもない。心の向くままに足を進めるだけの散歩。

 確か金曜日、不審者の情報を先生が伝えていたはずだけど、まさかこんな場所に出るはずなんてないだろう。

 

 そんなことを、私は思ってしまっていた。だから・・・。

 

「そこの嬢ちゃん、ちょいストップ」

 

「え・・・?」

 

 私の目の前には三人ほどの男が立っていた。下卑た目をして私を見つめている。声を掛けられ、堪えてしまったが最後、無視して逃げることなんてできない。

 もっとも、逃げることしか選択肢として許されてなかったけど。

 

「常さん、なかなかいい子じゃないすかコイツ。ガキの話に耳を貸した意味ありましたね」

 

「あぁ、あんななよなよとした中坊が俺たちに声を掛けてきたときはなんだこいつと思ったがよ。悪くねえじゃねえか」

 

「と、いうわけだ。嬢ちゃん、俺たちと遊ばねえか? なあに、すぐ終わるさ」

 

 目の前の男連中に耳を貸す余裕などなかった。ニヤニヤと、どす黒い感情を秘めた笑みだけが目の前に映っている。私はそれを後目に、じりじりと後ろに下がっていく。そして、目線をきって、素早く駆ける・・・!

 

 しかし、体力や運動神経の差は歴然としたものだった。この距離で逃げ切れるはずもなく、私は連中の一人に袖を掴まれる。

 

「嫌ッ! 離して!!」

 

 じたばたとする私を抑えるべく、私のパーカーの袖を掴んでいる男はもう片方の腕を私の首に回してきた。これが完全に締まれば、もう逃げ切ることは出来ない。

 

 けど、何も思い浮かばない。脳内が真っ白になったと同時に私の体は脱力した。

 向こうもそれを諦めと取ったのか、ゆっくりと私の羽織っているパーカーを剥ごうとする。

 

 それが、最後のチャンスだった。

 

 幸いにも、私はパーカーしか掴まれていなかった。そして前のチャックは開いている。

 パーカーに手をかけられた瞬間、私はそれを上手に脱ぎ去った。そのまま全力で首に回されている腕に噛みつく。

 

「っ! いってぇ!」

 

 腕を噛まれた男は痛みと動揺のあまり私の首から腕を離す。そうして拘束がほどけた瞬間、私はさっきよりも全力で前だけ向いて走った。追いつかれそう、だとか、どれくらい距離が離れているか、だとか気にする余裕もなく、ただ前だけを向いて走り続ける。

 

「誰か・・・」

 

 目尻に涙を溜めて、駆ける。

 

「誰か助けて・・・!」

 

 そして、私の目の前に映った世界は・・・。

 

「え・・・?」

 

 

 

 見慣れた青い海だった。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

前回ここ近辺の内容を書いた時にとても文章が拙く見えちゃいましたね。これは私が成長しているのか、当時の私がただただ能力がなかっただけなのか・・・。
というより当時、私は確かスマホで書いていたんですよね。40分かけて2000文字程度。まあ、効率が悪いと言ったらありゃしません。
現在はPCをぶん回しているのでまあ昔よりは執筆スピードは上がってます。ただ外的要因として単純に忙しさが勝るので更新ペースがマチマチですが。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第七十四話 ここから始まる私の海

書けるうちに書く。大学生最初の夏休み。


~遥side~

 

 後々に思い返して、もし、ここで俺がこの偶然を引き起こさなければどうなっていただろうと度々思う。それほどまでに、その光景はすさまじいものだった。

 

---

 

 汐鹿生に帰ってきてからというもの、やることの少なさに度々困っていた。学業のほうも比較的安定した時期に入っているため、特別急いだ用事がなかった。かといって自主学習をする気になるかと言えば、集中力が続かない。

 

 だからということで俺が選んだ答えは散歩だった。何の変哲もない、ただ変わらない街をぶらぶらと歩き続ける。

 その道中、道端に落とし物を発見した。視界にそれがくっきりと映るにつれ、ゾクリと悪寒が走る。

 

 落ちていたのは、水色のパーカー。少なくともこの服の所有者を、俺は一人しか知らない。

 そして、見ればそのパーカーは普段の様子からは想像できないほどに汚れていた。何が起きてここまで汚れたかは知らない。少なくとも車に轢かれた、だとか、そういう事ではないだろう。ただこけたにしろ、脱ぎ捨てるように放置する意味がない。

  

 だとすると、これは・・・。

 

「美海が・・・危ない」

 

 誰かに絡まれた可能性が高い。とすると、美海の身の危険だって話としてはあり得る。

 

「っ!」

 

 気が付けば俺の身体は駆け出していた。理由は一つ、美海を見つけるために。、

 どんな状態でもいい、とにかく今は安否を・・・!

 

 軋む足を引き連れて、近辺を駆け回る。このパーカーがここに落ちてどれくらいの時間が経っているのかは分からないが、あまり時間は経ってないと信じたい。だとすると、ここから行ける場所なんて限られる。

 もし、そうなら・・・!

 

 俺は一つ目星をつけて走り出した。そこに美海がいると信じて。

 そしてたどり着いたのは例の廃漁港。五年前も、その前も、何度も足を踏み入れたこの場所なら、きっと美海がいる。

 

 血眼であたりを探す。そしてほどなくして、その影を、見た。何かに追われるように迫られ、海へ飛び込むギリギリの淵へ立っている。近くにいるのは見るからに怪しげな男連中だ。不審者と言って差し支えないだろう。

 

「みっ・・・!」

 

 声を出そうとしたその時、視界の端で何かが揺れた。ギギィと重たい音が鳴ったかと思うと、ガタガタとそれは動き出し、パラパラと粉塵が落ちてくる。

 錆びたクレーンが、倒壊している。それに気が付くのに時間はかからなかった。

 そして、その先には、美海が・・・。

 

 

「美海ぁ!!!」

 

---

 

~美海side~

 

 目の前には青の海が広がっている。落ちないようすんでのところで止まったものの、一歩後ずさればそこはもう冷たい冷たい海の中。つまり行き止まり、ジエンドだ。

 振り返ると男たちがもうそこまで迫っていた。私に逃げ場所がないことを確認してか、ゆっくりゆっくり歩いて近づいてくる。

 

「さてよぉ、鬼ごっこもしまいにしようや嬢ちゃん」

 

「・・・何がしたいんですか、なんで私に・・・」

 

 なんで。そんな問いかけに男は卑しい表情のままで答える。

 

「理由なんてないだろ? こんなことに」

 

 分かってた。私は今、気まぐれで襲われようとしていると。その理不尽さが悔しくて私は口をキュッと噛みしめる。

 何をされるか分からない。けど、この「遊ぶ」という言葉を信じてはいけないことだけは確かだった。

 でも、もうどうしようもない・・・。

 

 私は目を閉じた。そして願う、私のヒーローを。

 来るなんて確証はない。でも、こんな時はいつもすぐそこにいてくれた。だからきっと、今だってすぐそこにいてくれると信じている。

 目を開ける。

 

 そこに、私のヒーローはいた。遠くにだけど、じっと私を見つめてくれている。今にも駆け出して、救ってくれそうな・・・。

 

「はるっ・・・!」

 

 その名前を呼ぼうとしたその時、上の方で重苦しい機械の音が鳴った。ギィ・・・と音を立てて、私の下へと迫ってくる。

 

 一歩後ろへ後ずさる。その時思い出した。私にはもう、後がないことを。

 

「あっ・・・」

 

 身は海へと放り出される。3Mほど落下して、そのまま冷たい海の中へと沈んでいく。

 いつかもこうして沈んでいったことを覚えている。あの時よりも、もっとずっと冷たい海がすぐそこに広がっている。

 

 息が出来ない。肺はどんどん圧迫されて、手足も言う事を聞かない。どうにかできないかと少しだけ足掻いて、私は全てを諦めた。

 

 そっか。私、ここまでなんだ・・・。

 

 全てを諦めた私は沈みゆく体に神経をゆだねて目をつぶった。そしてこれまでの全てを振り返りながら、悔い始めた。

 

 遥は、来てくれてた。すぐそこにいてくれてた。

 こうして今私が沈んでるのは、きっと報いなのだろう。幸せになることも許されないで、遥の隣にいることも出来ないで。

  

 それでも・・・せめて。

 

 好きって言った方が、良かったのかなぁ・・・。

 

 

 ・・・ピキ、ピキ。

 

 

 ふとした瞬間、私の耳にそんな音が響く。何の音かは知らない。けどどこか心地のいい音だ。 

 呼応するように私は目を開ける。そして次の瞬間、これまでの私になかったことに気が付いた。

 

 息が、できる。

 

 どういう理屈かは知らない。けど確かに分かることがあるとすれば、さっきまで私を包んでいた息苦しさや圧迫感は全て消え去り、視界もさっきよりずっと冴えわたっていた。海底だって、今ならくっきりと映っている。綺麗だ。

 

 そして、私の肌に光沢が浮かんだことにようやく気が付いた。何度も見たことがある。エナだ。

 私にも・・・エナが。

 

 しかし喜ぶよりも先に、海の中に私を呼ぶ声が響いた。

 

「美海!!」

 

 私のヒーローが遅れてやってきた。・・・遅すぎだよ、バカ。

 

「美海! ・・・ってお前、それ・・・」

 

「うん。遥の想像通りで合ってると思うよ」

 

 私の近くまで泳いできた遥が私の腕にそっと触れて確認する。それがエナだとということにすぐに気が付いたみたいだ。それから遥は目を丸くする。

 

「美海も、エナが・・・」

 

「うん。理由は分からないけど息できるの。泳げるの。何だろう、私、エナなんて持ってなかったはずなのに」

 

 単純に嬉しかった。千夏ちゃんに近づけた気がした。遥と同じ景色を共有できることに喜びを覚えた。遥は少し不安げな顔をしてるけど、その奥に嬉しさを滲ませているのは理解できた。その感情の奥深くまでを、特別言葉にして聞こうとも思わない。

 

「とりあえず泳げるようになったとはいってもちゃんと検査した方がいいから一旦上に戻ろう。泳ぐのはまた今度でもできるし」

 

「うん、そうだね。まだ若干寒いし」

 

「全く、何が起きてたんだか」

 

「・・・あれ?」

 

 そうだ。そう言えば何か忘れていると思ったら。

 

 私、襲われてた・・・んだっけ。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

本編凪のあすからではさゆと喧嘩して一人帰った美海がクレーン回避して海に飛び込むことになりますが、今作ではさゆの美海への嫉妬が本編よりも薄いうえに街に行く理由がないのでこうなりましたね(光が美海の思い人ではないので)
とはいっても前回があまりにも適当過ぎた上に地の文が薄すぎたのでリメイクリメイク。こういうところのブラッシュアップを大切にしていきたいですね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第七十五話 目覚めの波動

尺管理ガバガバガバナンスのせいで多分今SS以上、一番文字数が少ないのがこの話かもしれません。


~遥side~

 

 あり得ないことと言えばそうなのだろうか。それとも、これも予定調和なのだろうか。

 俺の目の前にいる美海は、エナを手に入れていた。これまでそんなそぶりは一度も見せなかったあたり、本当に今、この瞬間に手に入れたのだろう。

 

 ハーフの人間がエナを手に入れるというイレギュラーな事例は水瀬のこともあってまだ納得がいっている。しかし、後付けのように手に入れるなんて、しかもこの年齢で・・・。

 

 でも確か、水瀬も・・・。

 

 まとまらない答えを探すよりは美海を連れて陸に上がる方が先決だった。

 

「ねえ遥、陸にいた三人の・・・」

 

「ああ、全部寝かせといたから心配しなくていい。とにかく今は上がろう」

 

 そうして美海を引き連れて俺は陸へと昇る。先ほどクレーンが倒れたところまで戻ると、美海を追っていた三人の男がぐてーッと伸びていた。

 

「・・・生きてるよね?」

 

「まあ、流石に殺す勇気はない」

 

「・・・遥から、手を出した?」

 

 美海は心配げな表情で俺の顔を覗きこんでいる。それはきっと、俺が責任を被るのを嫌ったのだろう。それに対して、俺は心配ないと告げる。

 

「一応、向こうから手を出すように誘っといた。少しやりすぎになるかもしれないけど正当防衛ってことで片付くだろ。一体全体、なんでこんなことになったかなぁ・・・」

 

「ごめん・・・」

 

「被害者の言うセリフじゃないだろ。というか、この街にもこんなチンピラがいたんだな」

 

 田舎だから治安がいいと勝手に思い込んでいたらこれだ。・・・治安か。言えば俺の両親の話だってかなり物騒なものかと言えばそうか。

 

「まあ。とりあえず警察も呼んだし、面倒だけど付き合ってくれ。・・・っと、一人目覚ましたか」

 

 伸びていた男連中の一人が目を覚ましたみたいで、俺は美海をその場に待機させてその男の首根っこを掴んで声を掛けた。

 

「理由なんてないと思うけど・・・なんで美海を襲おうとしただけ聞いとこうか」

 

「だ、誰でもよかったんだ・・・最初は。けど、道端で出会った中坊のガキにあんな子がいるってそそのかされて・・・」

 

「ちっ、中途半端に愉快犯じゃないだけ質が悪いな。名前とかは?」

 

「お、俺は知らない・・・」

 

「そうか。まああと少しすればお迎えが来るだろうから反省していな」

 

 掴んでいた首根っこを放すと、男の顔面は地面へと勢いよくぶつかった。ケースがケースなので気の毒に思うことも無い。

 それより・・・。

 

「恨みでも買ったのか?」

 

 俺は傍らにいる美海に問う。濡れた服をちょっとずつ乾かしながら美海はそっぽを向いて弱弱しく答えた。

 

「この間、告白されたのを振ったことくらいしか心当たりはない・・・。でも、それが答えなら、理不尽だと思わない?」

 

「そりゃそうだ」

 

 人に好きと言うのは自由だ。誰にだって権利がある。しかしその一方でそれを拒むことだってまた自由な訳だ。きっと。それによって生じる逆恨みは理論として正しさが証明されないだろう。

 とすると、そいつが真に殴り飛ばすべき相手になるわけか・・・。相手が中学生というのを考えると少々気が引けるけど、こればかりは許せるものではない。

 

 そんな風に感情が先走る俺を美海は袖を引っ張って止めた。

 

「やらなくていい。これ以上、事を大きくしない方がいいかもしれない」

 

「それで美海は納得できるのか?」

 

「・・・」

 

 美海は黙ったまま何も言わない。ただ瞳のまっすぐさだけが俺の心に訴えかけてくる。

 一つため息を吐いて、俺は観念して答えた。

 

「分かったよ。この話はこれ以上無しな。ただ、何かあったらまた言えよ? その時こそ俺は絶対に行動に起こす」

 

「うん。分かった。ありがとう」

 

 自分では冷静でいたつもりだったが、どうやら頭にかなり血がのぼっていたみたいだ。大切な人が傷つこうとするのはいつになっても許せるものではないから、当然と言えば当然か。

 けど、俺もそろそろ大人にならないといけないから・・・この話はここでおしまいだ。

 

 としても、もう一つだけ聞いておかないといけないことがある。

 

「美海、確認だけどエナを手に入れたのは今日・・・なんだよな?」

 

「うん。間違いないと思う。海に飛び込んだ時、最初は苦しかったから多分その時はまだ・・・」

 

「何があったとか、覚えてるか?」

 

「何か、音が聞こえたのは覚えてる。ピキピキって感じかな。・・・何か、心当たりとかある?」

 

「いや、ない。・・・とにかく言えることがあるとすれば、海で何かが起こってるってことだと思う。それがいい事なのか悪い事なのか全然見当がつかないけど」

 

「でも私は、エナを持つことができて嬉しいよ。・・・やっと、同じ景色が見れるんだから」

 

「それは・・・そうだな」

 

 きっと美海は一人だけ取り残されたような気になっていたのだろう。それはそうだ。美海にとって大切な人は、大概皆エナを持っていたのだから。同じ土俵に立てて嬉しくないはずなんて、ない。

 

「とにかく、後で病院に行くか。診断と言うか、状態の確認も兼ねて」

 

「うん、そうだね」

 

「さてと・・・んじゃそろそろ・・・あれ?」

 

 立ち上がろうとしたとき、足に急に力が入らなくなった。それだけではない。身体から体温が徐々に奪われていく感覚が俺を襲ってくる。めまい、吐き気、底知れない気持ち悪さ、胸の痛み、明らかに異常だ。

 

「遥・・・!?」

 

 そして、体が倒れてようやく思い出す。今、海に入ってはいけない状況だったという事を・・・。

 

 あー・・・死んだなこりゃ。

 

「悪い・・・先に病院行くの・・・俺だわ・・・」

 

 情けない言葉をその場に残して、俺は目を閉じ、そのまま意識を失った・・・。

 

 




『今日の座談会コーナー』

そうは言っても、後半にはいってからまだ一度も前作と違う展開を書いてませんね・・・。それじゃリメイクしている意味がないだろうと。
まあ、全ての始動パートなので焦る必要はないと思いますが。
にしても、前作よりも主人公の遥が感情的に行動するようになったと思います。流石に冷淡な機械人間じゃ面白みがないですしね。変に最強設定もとりあえず変えておきました。


といったところで、今回はこの辺で。
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第七十六話 ”はるか”

尺管理ガバガバ過ぎて(n回目)
ただ、無編集と言うわけにもいかんばってん。


~遥side~

 

 目が覚めた場所は病院。もう何度も見慣れた天井が俺を待っていた。そして、すぐそば誰がいるのかも分かっている。さぞご立腹なことだろう。

 

「さて、おはよう島波遥クン?」

 

「あ、おはようございます」

 

 明らかに怒気が含まれた言葉を軽口でスルーする。それくらいの器量がないと本気で殺される気がした。

 目線を動かした先の大吾先生は眉の端をひくつかせながらつづける。

 

「言い訳位は聞いてやる。・・・なんで海に入った?」

 

「知り合い・・・というか、大切な人です。その人が不審者に襲われかけて海に落っこちて、それを目撃した俺が助けようとした、という顛末です」

 

「言い訳にしちゃ壮大じゃねえか」

 

「嘘じゃないです。実際警察の方問い合わせてみれば逮捕履歴とかあると思いますよ。というか俺が目を覚ましたのもあって、後々こっちに話を聞きに来るんじゃないですかね」

 

「ったく、それが本当だとして、それはそれで面倒くさい話なこった。・・・んで、それでその人は助けれたのか?」

 

 大吾先生は不器用な人間だ。文句を言いつつも、その裏で必ず事の本質を間違わない。もう五年も見てきた人だ。それくらい分かる。

 

「それがですね・・・」

 

「あん?」

 

「えっと・・・先生を信用したうえで答えます」

 

 あまり他言しないほうがいい事であることは知っている。が、俺と大吾先生の仲だ。何より、この人が信用するに値する人間であることは知っている。

 

「その人、・・・なんて遠回しに言う必要ないっすね。美海です。美海が海に落っこちたわけなんですけど、エナを手に入れたんです」

 

「・・・そんなことって、あるのか?」

 

「分かりませんよ俺にだって。ただ結果から言えば俺が飛び込む必要なんてなかったって話です」

 

「はぁ、骨折り損のくたびれ儲けってやつだな」

 

 それを聞いて俺もハハッと笑い飛ばすが笑い事などではない。一歩間違えれば本当に死が絡んでいたかもしれないと言っても過言ではないのだから。

 大吾先生はため息を一つついて、ポッと呟いた。

 

「んで、そのエナの話はとりあえず他言しないでくれと」

 

「あ、分かりました?」

 

「何年お前の担当医をしてきたと思ってるんだ。それくらいのこととっくに理解してる」

 

 俺が大吾先生のことを理解しているように、大吾先生もまた俺のことを理解しているのだろう。全く頼もしい限りである。

 

「んじゃ、説教なんてどうでもいいから今後のことを話さねーとな」

 

「あ、はい」

 

 大吾先生は持っていた雑誌を近くの机にポトリと落として、椅子に深々と腰掛けて足を組みながら話し始める。

 

「まず、ここ三日は絶対に入院させる。絶対だ。抜け出したら今度こそ殺すぞ」

 

「どえらい脅しですね・・・。信ぴょう性も」

 

「あ?」

 

「何でもないです」

 

 途中で茶々を入れるのはやめておいた方が良さそうだ。俺は唾を飲んで次の言葉を待つ。

 

「んで、投薬も一からやり直し。これが一番面倒くさいんだよなぁ・・・。全く、厄介なことをしてくれやがって」

 

「それはまあ、すみません」

 

「理由は分かるし、仕方のないことだとも理解してるよ。だがな、流石に俺も医者だ。事情が事情だからと言って看過することは出来なんだ」

 

「分かってますよ」

 

 今回の件に関しては俺に責任があるのは事実だ。認めるほかないだろう。

 

「んじゃ、俺は帰る。また何かあったら呼べ。あと、一応この部屋他の患者も入ってるから仲良くしろよ」

 

「は、はあ・・・」

 

 大吾先生は落とした雑誌を手に持つとカツカツと音を鳴らしてその場から退出していった。本当に風のような人間だ。つかみどころもない。

 それからしばらくして代わるようにやってきたのは、事情聴取にと俺に話を伺いに来た警察の人だった。

 

 ・・・はぁ、厄介だ。

 

 

---

 

 一通りのごたごたが終わり、ようやく一息つくといったところに至るまでそれなりの時間がかかってしまった。そしてようやく、憂鬱な一週間の入院生活が始まる。

 と、その時。

 

「ねえ」

 

「っ!?」

 

 どことも知れないところから俺を呼ぶ声が飛んでくる。少し甲高い、少女の声だ。

 全く予想できていなかったその声に、すかさず俺は跳ねるように驚いてしまった。声の方面からクスクスと笑い声が聞こえたかと思うと、向かいのベッドのカーテンが開いた。

 

「ごめんごめん、カーテン開け忘れてたね」

 

 開かれたカーテンから顔を覗かせたのは俺の予想通り小さな女の子だった。見たところ、小学校低学年あたりだろうか。

 

「初めまして、おにーちゃん」

 

「え、ああ。初めまして」

 

「さっきの話、全部聞いてた。面白いんだね、おにーちゃん」

 

「言うな言うな。あれは完全に先生の暴走だから」

 

 当たり障りのないことで、うまくやり取りをする。ここまで年の離れた人間と会話することがそうそうない以上、距離の取り方が非常に難しく思える。

 というかこの病院、子供病棟とかない質なのか・・・? 

 

「そうだ、名前。私言ってなかったね。陽香、日野陽香っていうの。おにーちゃんは?」

 

「島波遥。・・・ん、日野?」

 

 どこかで聞いたことある苗字。それを追求しようと口を動かそうとするが先に少女に言葉を制されてしまった。

 

「へー、お兄ちゃんも”はるか”なんだね。きっと漢字は違うかもだけど、すごい偶然」

 

「ほんとだな」

 

「んー、じゃあどう呼ぼっか・・・。うーん、やっぱりおにーちゃんでいい?」

 

「いいよ」

 

 俺が答えると陽香は嬉しそうに笑った。けどその一方で、俺はまたいらぬ詮索をかけ始めていた。特に気になるのが、この子の育ちの良さだ。美海が同じくらいの年齢だった時、はたまた俺たちがこれくらい小さかった時、ここまで巧みに言葉や表情を操り、コミュニケーションが取れていただろうか。

 きっと、親の教育の賜物なんだろうけど・・・。

 

「おにーちゃん、難しそうな顔してるね。どしたの?」

 

「いや、何もないよ」

 

 そして、俺の表情まで簡単に読み取ってくると来た。ここでは変に理屈っぽくならないほうがいいのかもしれない。

 でも、本能で生きる毎日。それはそれで開放感のある毎日になるんじゃないだろうか。それならまあ、悪くはないかな。

 

 ・・・これからの三日も、退屈な時間ばかりではなさそうだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

冷静に考えて前作、ここのオリジナルパートに使った日数(作品内での)が結構長かったんですよね。一週間も入院してその上街でのあれこれですから、その間本編世界軸が動いてないわけであって・・・。光が孤独死するでこんなん。
と言うわけで今回の入院期間は三日です。まあ、検査入院と考えれば。
ここからの物語を膨らませていくことが私の使命にて候・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第七十七話 そうして大人になっていく

はい、筆者の多忙&浮気のせいで二か月間更新がございませんでした。失踪はしていません。
というところで、どうぞ。


~遥side~

 

 そこからの毎日は思ったよりも退屈しない日々だった。というより、病院にいるためこれまでよりもさらに規則正しい生活。それはまあ、流石に退屈。

 けど、向かいのベッドにいる少女。日野陽香。彼女がいるおかげで思ったよりも退屈していないのが現状だった。

 

 そして、気が付けば明日に退院を迎えていた。

 夕日の差し込む病室で俺は黄昏るようにして外を眺める。そこに陽香が声を掛けてきた。

 

「おにーちゃんは、明日で退院、だったよね?」

 

「んー? まあ、一応な。今日の健康診断でもそんな悪い数値とか異常とかは見られなかったから、そうなるかな」

 

「そっか。寂しくなるね」

 

「そう言えば、陽香のこと、まだ全然聞けてなかったな。陽香は、何があって入院してるんだっけ」

 

 俺が問いかけると、陽香は目線を少し下に落として物悲し気に言葉にした。

 

「心臓の病気だって、言われてる。どれくらい治るのに時間がかかるのか、どうやったら治るのか、まだ分かってない。・・・もとから、体は強くないって言われてたんだけどね」

 

「それは、手術とか必要なのか?」

 

 俺の問いかけに対して、陽香は首を横にフルフルと振って分からないとだけ答えた。

 なかなかに残酷な話だと、そう思った。なんせ目の前にいる陽香はまだ小学生低学年だ。それでいてこんな毎日、辛くないはずなどないだろう。

 

 ・・・きっと水瀬も、こんな感情を抱いていたんだろうか。

 

「ただね」

 

 ふとした瞬間、陽香は顔を上げて、先ほどまでの鬱屈とした表情とは一転した、太陽のような笑顔を俺に向ける。

 

「ここ最近の毎日は、ずっと楽しかったよ。おにーちゃんがいてくれたから」

 

「・・・そっか」

 

 恋愛とは違うものの、真っすぐで純粋な愛の感情。俺は真正面から受けとめることが出来ているだろうか。自信はない。

 でも、そう言ってもらえることが嬉しいという答えだけは確かだった。

 

「別れるの、寂しいか?」

 

「・・・うん」

 

 小さく、小さく、陽香は呟く。年齢相応の対応を見せられて困るのは俺だった。それだったら、なんでこんなことを聞いたのだろうと俺は小さく悔いる。

 でも、いつかこの関係も終わらなければならない。陽香もきっと、そうやって大きくなるはずだから。

 

 俺はベッドから立ち上がると、陽香が横たわってるベッドの横の椅子へと腰かけた。最後になるなら、ちゃんと顔を見て、近くで話した方がいい。どうせ訪れる別れが辛くならないはずなんてないから、せめて向き合うことからは逃げたくない。

 

 小さく頭を撫でる。少し頭を下げて、陽香は続けて言った。

 

「でも、きっとこれで終わりじゃないよ。・・・絶対に、またどこかで会えると思う」

 

「ああ、そうだな」

 

「その時がいつになるか、私がどんな状況かは知らないけど、その時まで私のこと、ちゃんと覚えててくれる?」

 

「もちろん」

 

「それなら・・・少しは寂しくない、かな」

 

 いつもの元気な様子とは違うけれども、確かに優しそうな瞳で、陽香は呟いた。それを見て、確信する。この子はきっと、素直でいい子になれると。

 俺はそれから次の言葉を待った。が、数分待っても声が聞こえることはない。意識していなかったが、陽香はいつの間にか眠ってしまったようだった。

 

「そりゃ、体調悪くて入院してるのにこんな時間まで話してたら疲れるよな」

 

 俺は一人で納得して、少しはみ出している陽香の足の部分に布団をかけなおして、自分に与えられたベッドに寝ころんだ。

 それから真っ白な天井を見上げて、さっきの陽香の言葉を自分の中で反芻した。

 思い返してみるほどに、「寂しい」という言葉が強く出てくる。強がりを演出しても、なんせこの歳だ。自分の偽りない心に逆らえるはずなんてない。俺だって、ずっとそうだったんだから。

 

「・・・でも、入院中一回も陽香の両親に会ってないんだよな・・・。そんなに会えないものなのか?」

 

 ふと、思ったことを呟く。言葉にしてみると、そのおかしさに俺はどんどん飲み込まれていく。

 一人で何かできる歳じゃない。一人で強くなれる歳じゃない。その傍に「親」が欲しい年齢だ。なのに、この場所に、この子の近くに・・・いない?

 それが薄情によるものなら・・・俺はちょっと、許せないかもしれない。

 

 ふと思い立った俺は病室を抜け出し、この病院で最も親しんだであろう場所へと向かう。人気のなさそうなそのドアをノックして、中の様子を伺う・・・

 

「何してるんだ?」

 

「あ」

 

 中の様子を確認するまでもなく、目的の人物は現れた。大吾先生だ。わぁ、そんなこめかみをひくつかせちゃって・・・。

 なんてのはどうでもいい。ちゃんと目的があってきているのだから堂々としよう。

 

「病室抜け出してまで、俺に用か?」

 

「はい、まあ、一応・・・」

 

「・・・診察内から、中入れ。まあ話位は聞いてやるよ。息の根を止める前にな」

 

「いや怖いっす」

 

 多少ふざけた会話をお互いにしながら、その診察室の中に入っていく。・・・え、本気じゃないよね?

 

---

 

 回転する椅子でくるくるしながら、大吾先生の用意が整うのを待つ。一分もしないうちに大吾先生は自分のデスクに着いた。

 

「で、何の話だ? お前の経過は良好だから、明日には退院になるはずだが」

 

「俺の事じゃないんですけど・・・。えっと、なんて言えばいいんだろ」

 

 陽香のことを堂々と聞いていいものかどうか悩んだ末に、俺はとても遠回しな答えを口にすることになる。

 

「鈴夏さんに、娘さんっているんですか?」

 

「・・・はぁ?」

 

 心のそこから不思議そうな表情を浮かべたかと思うと、大吾先生は大爆笑を始めた。部屋が壊れん位の大爆笑だ。

 

「あっはっは! 馬鹿かお前! あいつにいるわけないだろ! というか出来るかどうかだって・・・はぁ、おもしれー」

 

「いや、これでも真面目なこと聞いたつもりなんですけど」

 

「分かってる分かってる・・・。はぁ、笑った笑った」

 

 ツボに入っていたのがようやく冷めたのか、大吾先生はまだ口の端をひくつかせながら、声音を落として俺の質問に正面から答える。

 

「お前の考えてることは分かる。お前の同室の子だろ? あの・・・日野陽香ちゃんだっけか」

 

「まあ、そうです」

 

「いくら同姓って言ったって、流石にあれとは性格が似ても似つかないだろ」

 

「それはそうですね」

 

 というか、半年前にあの人を俺は見ているんだから、こんなこと聞かなくてもあの人の娘じゃないなんてことはすぐに分かる話だ。

 

「まあ、せっかく来てもらったところで悪いが、俺たちにはそういった個人情報に関しての守秘義務がある。本人にでも聞けばいいだろって話だ」

 

「寝ちゃったんですよね」

 

「じゃあ諦めろ」

 

「ですよね・・・」

 

 まあ、知ったところで何かあるわけじゃない。完全な自己満足のために危険を冒す意味もない。この話はここで終わり、多少引っかかる部分もあるがそれで納得しよう。

 

「ただ・・・」

 

「?」

 

「あいつ、確か妹がいる、くらいは言ってたような気がするけどな。そいつの娘かどうかは知らねえ」

 

「へー、あの人に妹が。先生は会ったことあるんですか?」

 

「んにゃ、ない。そもそもあいつが鷲大師の祖父母ん家いただけだからな。実家はもっと別のところらしい」

 

 懐かしむように、大吾先生は窓から遠くを見つめる。その感覚はきっとまだ、俺には分からないだろう。

 

「若いっていいですね」

 

「まだお前はそれを言う年齢じゃねーよ。もっと人生楽しめ」

 

「楽しめ、ですか・・・」

 

 それなりの楽しみ位はあるだろう。今はそう思うことは出来るけれども。

 でも、そこにみんながいなければ、きっとその楽しさも偽りになる気がする。誰かを待ち続ける今の俺には、きっと幸せになることなんてできない。

 だから・・・早く目覚めてほしい。

 

 俺も先生と同じように窓から遠くを見渡した。

 夕日が差し込む、凪いだままの海を。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作、楽しかった、だとか、ダイジェストで書いていましたが、やっぱりちゃんとコミュニケーションを取っていたという場面を書かねばならないというところでオリジナルパートを入れました。
前回の適当さを今回でできるだけカバーしたいですね。

といったところで座談会コーナー短いですが今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第七十八話 信じることの、その意味は

今ほどよく再燃しているのでガンガン飛ばしていきたいところですね。
といったところで、本編どうぞ。


~遥side~

 

 時間が進む速度は変わらない。どれだけ終わらせたくないと願っても時間には必ず終わりは来る。

 そうして、俺の退院の日はやってくる。

 

 俺が診察室へ行くまでもなく、この日は大吾先生が俺のベットの付近へやって来た。向かいのベッドのカーテンは閉まったままだ。

 

「よお、経過はどうだ?」

 

「全く問題ないですよ。まあ、退院してもいいんじゃないですかね」

 

「それを判断するのは俺らの仕事。・・・まあでも、そうだな。予定通りで行こうと思う」

 

 それから大吾先生は俺の足元付近に小さな袋をぱさっと投げた。

 

「これからお前が服薬する薬だ。一日も、一回も忘れるんじゃないぞ」

 

「分かってますよ。流石に同じ轍は踏みたくないんで」

 

「分かっているならいい」

 

 それを受け取って俺は立ち上がる。荷物をまとめてベッドをあとにして、カーテン越しに陽香に別れを告げる。名残惜しいけど、あれこれは言ってられない。

 

「それじゃあ、じゃあね。陽香」

 

「・・・」

 

 カーテンの向こうからの返事は帰ってこない。まだ寝ているというのだろうか。そうは言ってももう朝の10時。いつもこの時間には起きているはずなんだけど・・・。

 

 それに、昨日眠ってから一度も目覚めていないというところに引っ掛かりを覚える。予感は冷や汗となって背筋を伝う。俺はそれを大吾先生に訴えた。

 

「先生・・・なんか、嫌な予感がしませんか?」

 

 大吾先生もそれに気が付いていたようで、渋い顔をして俺を見返した。

 

「奇遇だな。・・・俺も、お前と同じだよ」

 

 言うなればそれは第六感。得体のしれない、けれど確かな勘の部分。俺と大吾先生はその感覚でつながっていた。

 そして、その勘が働く先は、カーテンの向こう・・・。

 

 俺は許可を取るより先にそのカーテンをあけ放つ。

 そこに寝ころんでいる少女は、苦しそうに胸に手を当てて消え入りそうな声でうなっていた。

 

「先生!」

 

「分かってる! とりあえず人を呼べ!!」

 

 俺は手元にあったナースコールを躊躇わずに押す。ほどなくして病室にたくさんの人が集まり、ほどなくして陽香は運ばれて行った。

 

---

 

 

 流石にあの状況で俺だけ帰る、なんてことも出来ずに病院でそのまま数時間を過ごした。気分ここにあらず、の状態のせいか、時間の流れは速く感じた。

 そうしてずっと大吾先生の診察室で待機していた中、ようやく大吾先生が帰ってきた。その顔は安堵しているわけでもなく、残酷な現実に引きつっているわけでもなく。

 俺は入ってきた大吾先生にいの一番に問いかけた。

 

「大吾先生、あの、陽香は・・・」

 

「大丈夫だ。応急処置だけは済ませて、一応安定期には入ってる」

 

「そうですか・・・」

 

 とりあえず、俺は安堵する。しかしならばなぜ、大吾先生は安堵していないのだろうか。

 つまり、まだ何か続きがあるのだと、俺の表情から安堵の色は一瞬で消え失せた。

 

「・・・何か、気が付いたか?」

 

「まだ何かある、ってことですよね。じゃなきゃ、こんなに色のない表情のままの先生を見ることなんてないでしょう」

 

「・・・その通り、とでも言っておこうか」

 

 大吾先生は一つ深く息を吸って吐くと、自分の椅子に深く腰掛け直した。

 それから色のなかった表情を青いものに変え、淡々と告げ始める。

 

「単刀直入に、客観的事実だけ述べると・・・、このままだと、あの子は死ぬ」

 

「・・・っ!」

 

 死ぬ。

 たった二文字にして、この世で一番残酷な言葉をぶつけられて、俺は瞬く間に硬直する。俺という人間は、誰よりもこの言葉に敏感なのかもしれない。

 冷や汗が体中を伝う。そして脳裏には、陽香の笑顔が灯る。

 死なせたくなんて・・・ない。

 

 けれど、今の俺にそれをどうこうできる力があるわけじゃない。それがただ悔しくて、もどかしい。

 

「もともと、あの子はそろそろ手術をしなければならない状態だったんだ。心臓の病気の進行度も思ったよりひどくてな」

 

「それを、陽香自身が拒んだんですか?」

 

「あの子自体は特別反対とかはしてない。・・・さすがに、少しくらい怖がるとは思ったんだが、全然。難しいってことも説明したのにも関わらず、あの様子だ。すげえよな」

 

「関心している場合じゃないでしょう。陽香が拒んでいないってことは、拒んでいる要因が別にあるってことじゃないですか」

 

 例えば、親、だろうか。

 ・・・もしそうなら、なんで拒む必要があるのだろうと俺は怒り混じりに疑問を覚える。ましてや、愛情のない選択であろうものなら俺は・・・!

 

「落ち着け」

 

 小さく、冷たく、そして鋭く俺を諫める大吾先生の声が俺の胸を貫いていく。そこでようやく頭に少し上っていた血が冷めていくのを感じた。

 

「お前のことだ。どうせあの子の背後事情に何かがあるとか色々考えてるんだろ」

 

「・・・」

 

「沈黙ってことは当たりだな。・・・まあ確かに、あの子の手術を拒んでいるのはあの子の両親だ。背景事情に何かあるという事に間違いはない。けどそれは無情とか非情によるもんじゃない。考えすぎるな」

 

「・・・すみません」

 

 俺がそこまでしてしまうのは、きっと俺自身の弱さなのだろう。

 自分が親から受け取った愛情が歪んでしまっていたばかりに、他者の親子の歪んだ愛情を許せないでいる。

 

「簡単に話すとだな・・・。今回の手術はおそらくかなりの難易度になると考えられている。それをはいそうですか、構いません、と頷けない親だったってだけの話なんだよ。医者だって人間だ。失敗するリスクだってあるからな。・・・その気持ちは、俺でも分かる」

 

 刹那、大吾先生の表情が曇った。しかし俺に付け入る隙を与えないように続けた。

 

「でもな、一つ言えることがある。ここから先の話に、お前は無関係なんだよ。無理に立ち入られたりしても困るし、特別お前に出来ることはない。分かったか?」

 

「・・・」

 

 俺は歯を食いしばる。自分の無力さを呪っていた。

 先生の言っていることは正しい。何一つ間違いではない。俺は陽香にとって特別な存在じゃないのかもしれない。そしたらただの他人。いよいよ関わる理由なんてない。

 

 でも、俺自身がそうしたくないのだ。荒ぶる衝動は、感情は、この歳になってもまだうまく言葉に出来ない。

 それをどうにか伝えようと、俺はその名を呼んだ。

 

「大吾先生!」

 

「・・・なんだ?」

 

「俺は、あいつにとって大事な人間なんです」

 

「・・・言い切りやがったな」

 

 ああ、何度だって言い切ってやる。本当に逃げたくない物から目を反らさないようにするために必要なことは信じる事だと俺に教えたのは先生だから。

 

「だから、無関係なんてことはないんです。だからどうか・・・」

 

「・・・あのなぁ」

 

 俺の熱意さえ、大吾先生はため息一つで受け流した。呆れた表情を浮かべながら、続ける。

 

「じゃあお前が手術するってのか?」

 

「それは・・・」

 

「うぬぼれんな馬鹿。お前があの子にとって大切な人間だったとしても、今お前に出来ることはない。それは変わらないんだよ」

 

 頭に血が上りすぎていたのか、どうやらまともな判断すら今の俺には出来ていなかった。どれだけ足掻こうと、俺に出来ることはないというのに。

 ただそこに関わりたいという一心だけで、俺は懸命に言葉を紡いでいたのだ。

 

「・・・それでも、あの子に関わりたいっていうなら」

 

 大吾先生はそう呟くと、手元にあったメモ用紙に見慣れない数字を殴り書きして俺によこした。

 

「俺の電話番号だ。・・・手術があったら、終わったら、ちゃんとお前のもとに連絡してやる。それが今お前が出来る最大の関わり方だと思え」

 

 俺はしばらくの間呆気に取られていたが、ようやく現状を冷静に理解することが出来た。

 そうだ。今の俺にはこの人を信じる事しか出来ない。全てがちゃんと終わったという報告を聞いて陽香に会いに行くことが、きっと俺にできることだ。

 

 それが表情に現れていたのか、先生はさっきまでの厳しい表情を少しだけやわらげた。

 

「ようやく理解できたか」

 

「はい」

 

「手術は最短で明日か、明後日になる。応急治療の安定期は一週間くらい続くと見込んでいるけど、早いに越したことはないからな。親御さんにもこの後同意の連絡を取るつもりだ」

 

「・・・絶対、成功させてくださいね」

 

「バーカ、言われるまでもねえ」

 

 そう言って瞳の奥に炎を灯す大吾先生を、俺は曇りない心で信じることにした。

 信じることが、今自分に出来る全てのことと信じて。




『今日の座談会コーナー』

今回、ここからのオリジナルパートをかなり加筆修正したいと望んでいます。というのがリメイクの一つの理由ですからね。
まずは理論がガバガバのところの修繕から入りましょう、というところで展開の変更です。
あちらこちらで出したモブキャラ等を、しっかり利用していきたいところですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第七十九話 夕日、爆ぜゆく前に

自分の中で熱が来ている今こそ書くタイミングに他ならないですね。
オリジナル展開が続く中ですが、できるとこまで頑張ってみます。
といったところで、本編どうぞ。


~遥side~

 

 信じる、と腹をくくり、俺は病院から、先生からかかってくる電話を一人そわそわと待ち続けた。

 しかし、一日、二日経ってもなんの連絡も入ってこない。手術の交渉がそんなに難航しているのだろうか。だとしたら、いくらなんでも親が渋りすぎだ。

 それでも、俺は先生を信じようとした。

 

 しかし三日経っても連絡はない。日が頭上を越え、西にだいぶ進んだ時、俺はとうとう動くことを決意した。

 信じるとは言ったけれども、これはきっと何かがおかしい。

 大吾先生は、確かに俺に連絡をよこすと言った。それはきっと、どんな形になってもやるだろうと俺は信じていた。あの人は、多分、嘘を吐くことが下手で、きっと嫌いだろうからと、そう決めつけて。

 

 そう信じていたからこちらから電話をかけることをしなかった。けれど今は・・・もう、限界だ。

 それに、大吾先生が嘘をつかない人間であるのならば、電話できない何らかの理由がそこにあるはずだ。

 

 俺は水瀬家の電話から、渡されたメモに書いてある番号を入力する。

 一回。二回。それから何回もコールが耳元で響く。

 

 しかし一向に電話を取る気配がなかった。そこで、何かあるのではないかという疑念はようやく革新に変わる。

 俺は上着一枚羽織って、玄関に向かった。その音に気づいてか、仕事が休みで家でのんびりしている夏帆さんが声を掛ける。

 

「おでかけ?」

 

「ええ、ちょっと」

 

「どこに行くか当ててあげようかしら」

 

「すいません、あまり時間がないので・・・」

 

「ごめんごめん。病院でしょ? 行ってらっしゃい」

 

 俺の様子で簡単に察することが出来たのだろう。夏帆さんはちゃんと俺のやりたいことを当て、そしていつものように送り出してくれた。

 それに内心感謝しながら、俺は駆けるように家を飛び出た。

 

---

 

 焦る気持ちと一緒に、俺は病院へと駆けていく。鼻当ての近くで少し揺れる眼鏡も、ギシリと音を立てる義足も、上がる息も気にもせず俺は走る。

 そしてまだ太陽が沈まない頃、俺は病院に着いた。玄関をくぐると、いつになく冷たい風が廊下を吹き抜けていった。その肌寒さに、どこか嫌気を覚える。

 しかし、構わない。俺は大吾先生を探すべく早歩きで院内を回った。

 

 そしてその途中、先生とは違う、見慣れた姿を見かけた。ちさきだ。

 そしてちさきもまた俺に気づき、近寄り話しかけてくる。流石に目と目が合っている以上、無視なんてことは出来ない。

 

「あれ、遥」

 

「・・・よっ」

 

 平静を、とにかく平静を装い、俺はちさきに接する。きっと平静を装えてないことなどとうにバレているだろうけれどこの際気にすることではない。

 ちさきから何か言われないように、俺はちさきに他愛のない話を吹っ掛ける。

 

「ちさきは、今日も紡のじいちゃんのところか?」

 

「うん。最近、ちょっと調子よくないみたいで」

 

「そうか・・・」

 

「遥は?」

 

「・・・うーんと、あれだ。担当医に用事があるんだよ。ほら、色々と」

 

「そっか。足とかのこと、あるもんね」

 

 ちさきは少し複雑そうな表情を浮かべて、俺の話を上手に受け流した。きっと俺の焦りは見えていたのだろう。それでもそうしてくれるのが、ちさきの優しさだ。

 

「それじゃ、私、面会時間そろそろだから帰るね」

 

「ああ。気をつけてな」

 

 それ以上むやみに言葉を交わすわけでもなく、ちさきはさっさと帰っていった。それに一息ついて、俺はさらに足を進める。

 

 そうしてまた俺の知る人に出会う。いつしか俺を街まで車で連れて行ってくれた・・・確か、西野先生だ。

 

「あれ、君は」

 

「西野先生。ちょうどよかった」

 

「?」

 

「大吾先生、どこですか?」

 

 突拍子もなく、俺は先生の所在を問った。本当なら理解するのに時間がかかって当然の場面、それでも西野先生は俺の質問に真正面から答えてくれた。

 

「あいつなら、多分今頃・・・屋上じゃないかな。・・・というより、君はあいつに会って何をするんだい?」

 

「と、いうと・・・」

 

「知らないんだな。なるほど」

 

 西野先生は俺の反応に一度頷いて、俺が続きをねだるより早く答えてくれた。

 

「そうしたものも含めてあいつと話すといい。・・・あいつが君に教えるかどうかは分からないが、今、ちょっと問題を抱えてるんだ。少なくとも、俺は君にそれを教えることは出来ない」

 

「分かりました。屋上ですね、ありがとうございます」

 

 今は必要最低限の言葉だけでよかった。それを受け取って、俺は足早に屋上へ向かう。そこにきっと大吾先生がいると信じて。

 エレベーターに揺られ、屋上へ向かう。夕日が今にも消えそうなオレンジの空の下に、大吾先生はいた。

 大吾先生は俺が来るのをまるで待っていたかのように堂々としており、驚きの声も上げなかった。しかし、その表情だけは、暗く、重たい。

 

 俺は大吾先生のもとに詰め寄り、事の顛末を聞く。

 

「大吾先生、どうして電話よこしてくれなかったんですか? まさか、手術・・・」

 

「少しはものを考えて言え。・・・殺すぞ」

 

 今までのどの瞬間よりもきつく、大吾先生に睨まれる。そのリアクションをよそくしていなかったのもあり、俺は瞬く間に萎縮する。

 

「・・・先に言う。電話は『出来なかった』んだ。そんな余裕がなかったってことだけ先に伝えておく」

 

「そうですか・・・」

 

 とても嘘をついているようには見えなかった。俺はとりあえずその言葉を信じることにする。

 

「でも、この答えだけじゃお前は満足しないんだろ? ・・・ほら、これを聞け」

 

 そう言うなり先生は俺になにやら端末を手渡してきた。俺はその再生ボタンを押して中身を確認する。

 

 そこには一言、そしてとても受け入れがたい言葉が録音されていた。

 

『日野陽香の手術を失敗させろ』

 

 そして、そうしなければこの病院を爆破する、とのことだった。

 

 言葉を失う俺に、先生は苦虫を嚙み潰したような顔で続ける。

 

「これが届いたのがお前が帰ってすぐだったんだよ。でもこんなことをすぐに何の関係があるわけでもないお前に伝えるわけにはいかない。電話なんてできるわけないだろ」

 

「この情報・・・病院にはどれくらい知れ渡っているんですか?」

 

「院の関係者の中でも一部だけだな。上役、それと担当医あたりか。あの子の担当も一応俺ってことになっているからな」

 

「それにしても・・・なんで、こんなこと」

 

 理解しがたい現状のために言葉を失っている俺に、大吾先生は淡々と伝える。

 

「まあ、十中八九私怨だろうな。日野陽香の両親に対する、な」

 

「その・・・やっぱり先生は、陽香の両親について何か知ってるんですか?」

 

「知らないわけないだろ。流石に一度は顔も合わせているし、話もしている。もっとも、会ったこと自体は指折り数える位しかないけどな」

 

 ということは、俺は嘘を吐かれていたことになるということだろうか。

 ・・・そうは言っても、向こうにも守秘義務がある。それでも聞かせろと言うのは常識知らずの俺のわがままという事になる。うだうだは言っていられない。

 それに、過ぎたことを責めるのは、あまりにも不毛な時間だ。

 

 一旦そのことを忘れて、俺は本題に戻る。

 

「先生は、・・・病院はこれからどうするんですか?」

 

「・・・」

 

 問いかけた俺の質問に大吾先生は答えない。その表情の険しさを見るに、堪えないのではなく答えることが出来ないという事に俺は気が付いた。

 確かに、この状況でうかつには動けないだろう。かといって、医者として人を助けないというわけにもいかない。その二つの天秤にかけられて、今とどまってしまっているという訳だ。

 

 しばらくの沈黙を経て、ようやく大吾先生は答える。

 

「俺個人としては、何があってもやるつもりだ。自分の担当の範囲で人が苦しむのを見逃す医者がどこにいるんだよ」

 

「・・・その言葉を聞けて安心しました」

 

 俺の知る医者としての像が、この人で良かったと心から思う。それと同時に、俺は心の底から安心できた。

 置かれている現状は最悪だ。無数にばら撒かれた導火線、その一つにでも着火すれば間違いなく最悪の結末を迎えるだろう。

 けれど、俺自身やることが見えた上に、何よりようやく陽香の力になれると思えた。

 

 不安はあるけれど、これから選ぶ道に後悔はしない。

 一つ息を整えて、俺は透き通る瞳で大吾先生を見据え、真っすぐに思いをぶつけた。

 

「とにかく先生は来たる手術を成功させることに集中してください。・・・その他のことは、俺がやります」

 

「その他の事ってお前・・・何をどうやるんだよ」

 

「そりゃもちろん、爆破を止める方向ですよ。・・・病院と言う神聖な場所にいる医者と言う穢れない存在に、汚れ仕事をさせるわけいかないじゃないですか」

 

「そんなの警察呼べば・・・って言いたいけど、そうだな。警察なんて呼べたもんじゃないよな。きっと向こうはもっと複雑に予防線を張っているだろうからな」

 

 その通り、なのである。

 うかつに動くことは出来ない。ましてや警察などという公の存在ならなおのこと。

 だから、この仕事はきっと俺にしか出来ない。

 

「街で、犯人を捜します。こんな端くれの田舎の小さな病院に脅迫なんて、せいぜい鷲大師か街かくらいしかないでしょう」

 

「そこはどうとは言えないが・・・。そうだな。すまん、任せていいか?」

 

 言って、大吾先生は小さく頭を下げた。俺に頭を下げるなんて、普段のこの人ならプライドが許さないはずだ。それでもやるという事は、そんなプライドすらも跳ね返す状況なのだろう。

 

 その行動を踏みにじらないように胸に決意を秘めて、俺は告げる。

 

「それじゃあ、明日にでも俺は街へ戻ります。・・・しばらくここを開けますが、陽香のこと、よろしくお願いします」

 

「ああ。任せとけ」

 

 先生もどこか心に余裕が出来たのか、少しほぐれた表情を浮かべた。先生を信じて、俺は背を向け、その場を後にする。

 

 信じることもまた覚悟。そう思えるようになったのは、この人がきっといたからなんだ。

 

 

 

 




『今日の雑談コーナー』

前作のここら辺は、本当に展開がぶっ飛んでいたように思えるので辻褄が合うように書こうと頑張るのが今回の執筆の理由の一つとなります。
オリジナル展開を書きたいと思いながら、結局のところ途中から投げやりでしたからね・・・。
出したモブキャラ、特に今回は西野先生なんて新しいキャラも出しているので頑張りたいところですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第八十話 ただ前を見据えたなら

多忙スケジュール、発生した軽いうつ病を乗り越えて更新です。


~遥side~

 

 大吾先生に誓った通り、俺は翌日の朝いちばんの列車で街へと戻った。とんぼ返りみたいになってしまったこともあり、保さんと夏帆さんには迷惑をかけてしまった。それでも、二人は送り出してくれたのだから、この行動に後悔はしない。

 それに、別に終わりと言うわけでもないから。

 

 少し手狭な自分のアパートに荷物をまとめて放り投げる。それからすぐに大事なものだけをもって、俺はまだ朝の静かな街へ繰り出した。

 

 あの後家に帰ったタイミングで大吾先生から陽香の母親、日野真冬さんが鈴夏さんの妹だという情報と、真冬さんが街のはずれの方に住んでいるという情報を電話で受け取った。個人情報保護の観点からここまでしか話せないらしいが、それでも十分ありがたい情報だ。

 その情報を片手に、俺が初めに向かったのは鈴夏さんの職場だった。あの人と妹との関係が今どうなっているかなんてのは俺は知らない。けれど何か大事な情報を聞けるんじゃないかと、そんな浅はかな予感を信じて、俺は足を進める。

 

 朝九時。店のシャッターは開いていた。奥に退屈そうにあくびをする鈴夏さんを見かけて、俺は躊躇わず店の中へと入る。

 

「おういらっしゃい! ・・・って、なんだお前か。久しぶりだな。半年くらいか?」

 

「おはようございます、鈴夏さん」

 

 会った回数自体はさほどないが、この人と面と向かう時は変に懐かしさを感じない。本当に不思議な感覚だ。

 まあ、今回はそんなことなどどうでもいい。急を要する事態がすぐそこまで迫ってきているのだから。

 

「で、今日は何の用だ? 足の調子悪いとかならすぐにできるけど」

 

「今日はそっちじゃないんです。ちょっと・・・もっと複雑な事情が」

 

「ふーん・・・? ま、ちょっと待て」

 

 俺の言葉を聞くより先に、鈴夏さんは店の看板をclosedに切り替えた。どうやら俺の話が長くなると踏んだのだろう。その配慮には感謝しかない。

 そして一息つくと、鈴夏さんは椅子に深く腰掛けた。そして俺に『早く言え』と伝えんばかりの視線を向ける。俺は頭の中でひと段落整理をして、聞きたいところから単刀直入に伺う。

 

「鈴夏さんは今、真冬さんと連絡を取れたりしますか?」

 

「真冬? なんでお前・・・」

 

「その説明は後でします。なので先に・・・」

 

 俺の熱意虚しく、鈴夏さんはNOを打ち出した。

 

「どういう背景があるか知らないけど、少なくとも今あいつと連絡が取れる状況じゃない。大体、私が何年前に真冬と別れたと思ってるんだ」

 

「鈴夏さんは確か、鷲大師の祖父母の家にいたんですよね?」

 

「そこまでは大ちゃんに聞いたんだな。・・・じゃ、その理由からか」

 

 テーブルに肘をついて、ぼーっと天井を見ながら鈴夏さんは説明を始めた。

 

「まず前提だけど、私、別に真冬のことが嫌いとかそういうのはないからな?」

 

「大丈夫です、疑ってません」

 

「そうか。・・・なんて言えばいいんだろうな、私、こんな性格だけどさ、あいつは全然違うんだ。もっとおとなしいやつで、優しい奴で・・・、なんて、私からじゃ想像できないだろ?」

 

「それはまあ、そうですね」

 

 カラカラと鈴夏さんが笑う。それは自分の大雑把で豪胆な性格に何か思うところが合ってなのだろう。追及はしないで俺はそのまま話に耳を傾ける。

 

「んで、私はと言うとやんちゃやいたずら、体を動かすことが好きでたまらないような人間。親もさぞ手を焼いただろうよ」

 

「そんな二人が、どうして別れることになったんですか?」

 

 俺が真正面から質問をぶつけると、鈴夏さんは表情から一切の笑みを消し去って、これまでからは考えれないような低い声で、淡々と語りだした。

 

「私ん家さ、言い方はまあ色々あるけどその・・・でかいんだ。ボンボン、名家、豪邸・・・まあ、なんとでも言える。街に影響を与えることすら容易いような、そんな家なんだ」

 

「・・・想像できませんね」

 

 しかし思い返してみれば見るほど、小さいとき街に来るたびにどこかしらで「日野」の文字を見ていた思い出が浮かび上がってくる。すっかりそれも忘れてしまっていたけど。

 

「一応、私は長女で、かつ真冬以降は子供が生まれるような気配もなかったから、順当に行けば私が跡取りになるって話だったんだ。・・・でも、流石にこんなに気性の荒い奴に任せられないって考えたんだろうな。早いうちから祖父母の家へリリースだよ。真冬とはそれ以降距離が遠くなって、どうだろうな、最後に会ったのはもう5年以上も前の事になるな」

 

「そんな事情が」

 

「まあ、納得は出来る。・・・けど、なんだろうな。大人になるにつれて、真冬への申し訳なさを感じるようになったんだ。好きなように生きて、生きて、今だってそうしているけど、代わりに日野家の負荷を一身に受け止めなければならなくなったのは真冬だ。こんな、身勝手な姉のために」

 

「それが、鈴夏さんが真冬さんに対して抱いている感情・・・」

 

「ま、そんなところだな」

 

 タオルをしゅるしゅると頭からほどいて、天井を見上げて鈴夏さんは一つ息を吐く。後悔、懺悔、期待・・・そこに様々な感情が眠っているということは想像に難くなかった。

 

「会いに、行かないんですか?」

 

「さあ、会いに行ってどうなるんだろうな。・・・恨み言を言われるのは正直怖いし、それに今はどこかで隠居してる両親がいた日にゃ大目玉食らうか門前払いだろ。『今まで何してたんだ!』って」

 

「事実上の絶縁ですか?」

 

「真冬次第だな」

 

 淡々と事実のみを鈴夏さんは告げる。言ってて辛くならないのか、なんて聞くだけ野暮だ。

 しかしその中で、鈴夏さんは小さな声で続けた。

 

「・・・でも、私は真冬の事・・・」

 

「なんですか?」

 

「何でもねえよ。んで、なんだったんだ? 急に真冬のことを話になんか出しやがって。それともなんだ? あいつの娘がなんか言ってたのか?」

 

「鈴夏さん、真冬さんの子供のこと知ってるんですか?」

 

「まあ、風のうわさ程度には聞いてるからな。・・・んで、その様子だとなんかありそうだな。どうりで真冬の名前が出ると思ったよ」

 

 呆れ、ため息を一つついて、鈴夏さんは俺に話の続きを促した。

 

「言えよ、続き。さっきからずっと辛気臭い顔しやがって。・・・何か大きな話があるんだろ?」

 

「・・・気づいてたんですか?」

 

「少なくともお前、5年前に比べてポーカーフェイスが下手くそになってるからな。今のお前からだったら背後事情が読み取れる。で、要はなんなんだ?」

 

「分かりました。ちょっと待ってください」

 

 自分の中で整理をつけるべく、大きく息を2度吸って吐く。頭がすっきりしたところで、俺は単刀直入にぶつけた。

 

「今、真冬さんの娘、陽香が身の危険にあるんです」

 

「どういうことだ? 病気か?」

 

「それもあります。・・・けど、問題はその手術を妨害しようとするやつがいるという事なんです」

 

「失敗させようとしている、と?」

 

 認めたくない言葉を呟く鈴夏さんに、俺は深く、一度頷く。

 少々切れ者な鈴夏さんは、すぐにその理由を理解した。

 

「・・・日野の看板が邪魔をしてるんだな? そうだな?」

 

「直接犯人に会ったわけでもないし、見つかってもいないので分かりませんが・・・脅迫音声を送るという事は、つまりそういうことかと」

 

「・・・っ!」

 

 明らかに鈴夏さんの顔色が憤怒に塗り替えられたのが分かった。その感情を爆発させないように堪えて、鈴夏さんは続きを聞く。

 

「他、何か分かってることはあるのか?」

 

「手術は早急にした方がいいという現状がある、ということくらいですかね。俺が伝えられる情報は、ここまでです」

 

「なんてことだ・・・そんな話があってたまるかよ」

 

 鈴夏さんは真冬さんのことを恨んでいる様子など微塵も感じさせない。本心で真冬さんのことを思い、そしてその理不尽に怒っている。先ほどの話も含めると、そこに懺悔や後悔の気持ちも多少は混じっているのだろう。それを踏まえて、「妹想い」というところだけは変わらない。

 冷静になるべく一つ息をすって、心が落ち着いたのか冴えた目で鈴夏さんは告げた。

 

「・・・分かった。真冬のことだ、全面的に協力させてくれ。もっとも、私にどこまでできるか分かんないけど」

 

「ありがとうございます。手を貸してもらえるだけで、助かります」

 

 ましてや、工学のプロフェッショナルと言っても過言ではない存在だ。きっとどこかでその力を借りる時が来るだろう。頼もしい存在だ。少なくとも、ただちっぽけなだけの俺なんかよりは。

 

 それを見透かしてか、鈴夏さんははっきりと告げる。

 

「・・・自分には何も出来ない、なんて思うなよ。お前にはお前にだけしか、出来ないことが絶対にある」

 

「俺だけに、ですか?」

 

 言われても今はまだ想像はつかない。

 

「ま、それはきっと大きくなれば分かることだ。でも一つだけ言える。自分をありふれたピースの一つだと思うな」

 

 少し厳しいまなざし。五年前から対して成長していない俺の心を諫めているようだった。

 でも、それでいい。それがいい。そうしてくれた方が、今の俺を否定できるから。

 

 握りこぶしを一つ作る。頑張ろう、だなんてチープな言葉を滲ませて。

 けれど、今の俺にできることはきっと、それしかない。

 

 がむしゃらに、ただ、がむしゃらに。

 




『今日の座談会コーナー』
 
前作の一番ひどいところと言ったら、多分ここらへんなんです。内容の曖昧さ、辻褄があってなかったりともう散々で。 
ならば、オリジナルパートとは何か。という事を再確認しながら書いています。
あと、男勝りな性格をしているサバサバ系の女性は好きです。
日野鈴夏という人物は、そこにおいて今まで作ってきた創作キャラの中ではかなり思い入れが強いですね。(一次二次問わず)

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第八十一話 開かれた鍵

地の文はじっくり丁寧に。


~遥side~

 

 鈴夏さんに伝えれるだけのことを全て伝えて、俺はすぐに街へと戻った。次に目指すべき場所・・・というより達成すべき目標は、真冬さんと会う事だった。

 

 家は街のはずれの方にある、と大吾さんから伝えられた。この街の家のサイズなんてたかが知れているため、街のはずれに一発大きい家があればそこで確定だろう。

 そんな安直な思考はどうやら当たっていたようで、少し繁華街から外れ、道を上ったところに一軒大きな家が存在していた。表札にはしっかりと「日野家」と書いてある。

 

「・・・うわさには、聞いてはいたけどさ」

 

 こんな家が存在すると目の当たりにして、俺は言葉を失った。明らかに、そこら辺の人間とは一線を隔てている。

 ただ、それを羨むより別の感情が先に湧き上がってくる。『きっと、息苦しいだろう』と。

 

 

 そんな、本件とは何ら関係のない、どうでもいい感情を胸の奥底の方にしまい込んで、俺はインターホンを一度、二度鳴らす。

 

 しかし、反応はない。そのことに俺は違和感を覚える。

 少なくとも、一人で住めるような大きさの家ではない。ましてや、鈴夏さんの言う通り名家とでもいうのなら、執事やメイドの一人や二人雇っていても不思議ではない。

 けれどどれだけ考察を進めようと、目の前の現実が変わることはない。この家に、今は誰もいない。

 

「・・・くそっ!」

 

 苛立ってはいけないということは分かっている。しかしそれでも、一分一秒が惜しい今、こんなところで足止めを食らうわけにはいかなかった。

 しかし、手の打ちようがない。・・・戻るしか、ない。

 

 俺は感情をどうにか沈めながら、くるりと踵を返し、街へと戻った。そしてまた、出来ることを探す。

 

---

 

 そして昼下がり、やるべきことを見失って、途方に暮れた俺はぶらぶらと街を歩いていた。今から目が合うその本人が、探している日野真冬さんだったならいいな、なんてどうしようもないことを願いながら。

 

 そんな偶然起きないって分かってるのに・・・。

 

 と、うなだれていると当然前も見えない。俺は向こうから走ってくる誰かと思い切りぶつかってしまった。重さはない分俺が飛ばされることはなかったが、どうやらぶつかったはずみで相手が転んでしまったようだ。ドッ、と尻もちをつく音が聞こえる。

 

「おっと・・・。すみません、大丈夫ですか?」

 

 俺は顔を上げて、目の前で座り込んでいる女性に手を伸ばす。全身に綺麗な服を身に纏った、「綺麗」という言葉が似合いそうな女性がそこにはいた。

 けれど、おかしな点に気が付く。

 

 明らかに、血色が悪かった。ぶつかったことが、そんなに何かに影響したというのだろうか。だとしたら、こんな謝罪だとか後の対応だけでは許されたものではないかもしれない。

 俺はもう一度声をかけなそう。

 

「あ、あの・・・。本当に大丈夫ですか?」

 

「・・・はい、大丈夫、です」

 

 いや、大丈夫じゃないでしょ、と。

 とりあえずこの場にいては周りの注目の的になるだけだろう。早急にこの場を離れた方がいいことは分かっているが、どうにも目の前の女性を放っておく気にはなれなかった。この調子だと、またどこかで同じことが起きそうな予感がする。なんて、とんでもないおせっかいだけど。

 

 それを割り切って、俺は女性に提案する。

 

「ぶつかってしまった詫び、というのもなんですが、どこかでコーヒーの一杯でもおごらせてくれませんか? ああ、もちろん嫌がるなら結構ですけど・・・」

 

 ・・・言っておきながら、謝罪にかこつけたナンパに見えなくもないけど・・・。

 しかし、そんな俺の心配とは裏腹に、女性は俺の問いかけに対してイエスを口にした。

 

「・・・そう、ですね。すみません、お願いしてもいいですか?」

 

「え? あ、はい」

 

 完全に予想外でうろたえながらも、俺は言ったことを全うする。

 周辺をぐるっと一周様子見。すると、少し思い出の残る喫茶店を見つけた。確かあの店は、母さんがこっそり何度か連れてきてくれた店だったはずだ。

 

 ・・・うん、あそこならいいだろう。

 

「じゃあ、あの店でどうですか?」

 

「・・・はい」

 

 女性は小さく返事をする。・・・うん、急いだほうが良さそうだ。

 

---

 

 店内に入り、注文したコーヒーを一口すすると、どうやら女性も少し落ち着きを取り戻したようで、先ほどの死人のような顔色はすっかり良くなっていた。

 今ならまともに話ができるだろうと思い、俺は聞きたいところを問いかける。

 

「本当に、さっきはすみませんでした」

 

「あ、いえ。あれは私の不注意なので気にしていません・・・。ずっと、下を向いてしまっていたので」

 

「じゃあ、お互い様ですね」

 

 自分のせい、いや、自分のせいだと言い合うのは永遠にキリがないし誰も喜ばない。ここまでの人生でそう学んできたからこの話は一旦ここで切るとする。

 そして一つ咳ばらいをして、俺は視線を女性へ向けなおした。

 

「そう言えば、名前、まだでしたね。私、島波 遥と言います。お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

「その・・・」

 

 女性は答えるのを躊躇う。何か名前を口に出来ない事情があるのだろうか。

 しかし数秒考えこんだ後で俺を信用してか、すっと一枚の紙を出してきた。どうやら名刺か何かのようだ。

 

「受け取りますね」

 

 その名刺を受けとって、一番太字で書いてある部分に目を向ける。そしてそこに書かれた名前に俺は言葉を失った。

 

『日野真冬』

 

 それは間違いなく俺が探していた相手で、そして今、俺の目の前にいる。

 俺は内心でガッツポーズをしつつも、それを表に出さないよう心にしまい込んで真冬さんに声を掛けた。

 

「・・・真冬さん、でしたか」

 

「はい」

 

「よかったです。・・・ずっと、探してたんです」

 

「え?」

 

 なんの説明もなしにそう答えた俺の言葉に少し引いたのか動揺したのか、真冬さんの口元が引きつる。それを見て俺は慌てて訂正を入れた。

 

「ああ、他意はないんです。・・・ただその、大事なお話が一つあって」

 

「大事な・・・。・・・ひょっとして、陽香の、ことですか?」

 

 大事なこと、ということについて思い当たるのが一つしかなかったのか、真冬さんはあっさりとその名前を口にした。俺は向こうに不安を与えないよう、即答する。

 

「はい。・・・陽香ちゃんのことです」

 

「・・・まさか、あなたが」

 

「?」

 

 真冬さんがふとこぼした言葉の意味を俺は一瞬理解できなかった。三秒ほど経ってようやくそれを理解する。

 なるほど、きっと真冬さんの元にも犯人から電話がいったのだろう。病院に送り付けられた脅迫音声と何ら変わらないものを。

 だとしたらさっきみたいに血色を変えていたのも、ずっと元気がないのも納得がいく。・・・逆に言えば、それだけ切羽詰まっている状況、という事だけど。

 

 兎も角誤解を解くために、俺は自身の立場を打ち明ける。

 

「俺は、陽香と同じ部屋にいただけの人間ですよ。そして、ずいぶんと仲良くしてもらってました。・・・それで今、事件に巻き込まれているわけです」

 

「事件って・・・あなた、知ってるんですか・・・!?」

 

 まあ、巻き込まれたというよりは自分から巻き込まれに行ったが正解なのだけど言う意味はない。

 先ほどよりもさらに動揺を深める真冬さんに、俺は変わらない調子で押し切る。

 

「だから、俺はあなたに会いに来たんです。・・・今回の一件、お手伝いさせていただくために」

 

「・・・そう。そうだったんですね」

 

 真冬さんの表情から動揺が消え、仄かに明かりがともった気がした。その時、ドアがカランコロンとなって、何人かのスーツを着た人間がこちらに向かってきた。

 その臨場感に気おされ俺は息を飲む。

 

「こんなところにおられましたか、真冬さん」

 

「えっと・・・真冬さん、これは?」

 

「ごめんなさい。ちょっと、無理やり家を抜け出しちゃって来てて・・・」

 

 そしてようやく、このスーツ姿の連中がSPだの執事だのということに気が付いた。・・・うーん、さすがボンボン、格が違う。

 

「真冬さん、いかがなさいますか?」

 

「・・・そうね、一度家に戻るわ。・・・島波君、だったかしら? よければ先ほどの話、家の方で続けてもらえないかしら?」

 

「え、あ、はい」

 

 先ほどまでの気弱なスタイルはどこへやら、真冬さんはしゃんとした背筋、しゃんとした言葉で振舞っていた。日野家の令嬢としての立ち振る舞いが板に染みついているのだろう。・・・鈴夏さんの言った通りだ。

 

 そのまま真冬さんに先導され、外に止められた車に向かう。会計もいつの間にか済まされていたようだ。これが名家の力なんだろうか。羨ましくも、妬ましくも思わないけど。

 

 そして真冬さんと俺とその他数名を乗せた黒塗りの車は走り出す。少しばかり開いた、答えへの光明へ向かって。

 

 




『今日の座談会コーナー』

ここの話をどうやってふくらませるか、毎回毎回考えている気がしますね・・・。
変に追加する要素なんてないですが、かといって手を付けずというのも難しいところで・・・。ただ、キャラを立たせることだけは注力したいですね。
日野真冬という人物も、結構気に入っていますよ。ただ、前回はその全貌を見せるだけの腕が足りなかったというか・・・。頑張りたいですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第八十二話 その背を追って

いかん、毎度のごとく迷走癖が・・・。


~遥side~

 

 先ほどは閉まったままだった大きな門をくぐり、俺はようやく目的地だった日野家の本家へと入る。手入れされた大きな庭を後目に歩き、重厚感漂う扉が開くと、今度は格式ばった玄関が待っていた。洋館、と言えば正しいだろうか。

 

 なるほど、鈴夏さんが息苦しさを感じるのも無理はないな。

 

 と心のうちの言葉をさらに奥深くに隠し、先導する真冬さんの後ろをついていく。ある程度進むと周りに付き添っていたSPや執事はどこかに捌けていった。

 そして真冬さんと二人きりになったところで、俺は客間へとたどり着いた。横幅の広いテーブルで、真冬さんと向かい合わせに座る。

 

 そして一つ呼吸を整えたところで、背筋をしゃんと伸ばした真冬さんが口を開く。

 

「・・・先にお礼させてください。娘の事、ありがとうございます」

 

「礼はいらないですよ・・・。というより、しないでください。まだ何も終わっていないんですから」

 

「そうじゃなくて、あの子の傍にいてくれたことです」

 

 真冬さんは心の底から申し訳なさそうな顔をしていた。その表情の向けられた先が陽香であることに気が付けない俺ではない。

 真冬さんの、陽香への愛が伝わってくる。だとしたらきっと、会うに会えない状況が続いたのだろう。日野家の呪縛が災いして。

 

「本当なら、誰よりもあの子の傍にいなければいけないのは私だったはずなんです。・・・それでも、それすらできなかったのは、母親失格です」

 

「・・・仕事、ですか?」

 

「日野家だから。その一言だけで片付けられる物事は多いんです。・・・逃れられない仕事が溜まり続けるのも、その一つで」

 

「・・・」

 

 仕方のないことだ。

 分かっててはいても、軽く失望を覚えてしまう自分がいた。囚われの籠から抜け出すことを恐れて、縮こまって育って・・・そうしたら、こうなったと。

  

「・・・引き返せない、ですよね」

 

「まあ、ここまで来たら何も引き返すことなんてできないでしょう。・・・逃げてばかりで、どうするんですか」

 

 変わりようのない現実を俺は口にする。どうにかなる、だとか、確証のない気休めを与える方が、今のこの人にとっては毒だ。

 

「・・・」

 

 話が行き詰まる。さてどうしたものかと思ったとき、鈴夏さんが俺の脳裏を過った。

 ・・・真冬さんは、あの人をどう思っているんだろうか。

 単純にそればかりが気になっていると、自然とそれは言葉になっていた。

 

「ところで・・・真冬さんは、鈴夏さんを・・・どう思っているんですか?」

 

「え?」

 

 単刀直入過ぎたその言葉に真冬さんは当然のごとく固まる。

 けれど、思っていることは元から定まっていたのか、それはすぐに音を得て現れた。

 

「私は・・・姉さんを尊敬しているんです」

 

「そうなんですか?」

 

 一つ首を縦に振って、真冬さんは全てを話しだした。

 

「姉さんは、日野家を出ていったことを、なんて言っていましたか?」

 

「荒れた気性だから、親が見かねて祖父母の家へリリースした、なんて言ってました」

 

「あはは、姉さんらしいですね。・・・でも、それだけじゃないんです」

 

「そう、なんですか?」

 

 あの人の口から語られなかった真実が、どうやらそこにはあるらしい。なぜあの人が全てを話さなかったのか、なんてのはきっと、真冬さんのためだろうけど。

 

「姉さんが本来の日野家の跡取りだったことは聞いていますか?」

 

「はい。それに、反発していたことも」

 

「反発、と言うよりは、堅苦しい生活が苦手だったんでしょうね。見繕われた綺麗な洋服を、いつも泥だらけにして帰ってくるような人でしたから」

 

「それの積み重ねで祖父母の家に預けられたわけじゃない、と」

 

「はい。・・・一つ、大きな出来事があったんです。それが決め手になって」

 

「と言うと?」

 

 俺が尋ねると、真冬さんは視線を窓の外に逃がしながら、どこか懐かしむように呟いた。

 

「私が小学校に入る前くらいでしたか・・・、その時、父は事業の拡大を視野に入れてました。だからこそ、イメージダウンを嫌ったのでしょう。父は、私と姉さんの行動をこれまで以上に極端に制限しようとしました。分単位の行動シナリオを作って、それに伴った行動を、って」

 

「それは、流石に・・・」

 

「当時まだ小学生にもなっていなかった私でも、不満を覚えたことは覚えています。もっとも、言い出すことなんてできませんでしたけど」

 

 当然だ。言い出せるはずなんてない。

 

「その時、姉さんは父を殴ったんです。信じられませんよね? まだ八歳って言うのに」

 

「殴った、ですか・・・」

 

「ふらついて倒れた父の上にまたがって、更に二発、三発・・・、まあ結局最後は投げ飛ばされましたけど」

 

 流石、としか言いようがない。俺が同じ年齢だったころ、さて何をしていただろうかと思いにふける。一つだけ言えることがあるとすれば、こんな行動力に溢れた人間ではなかったという事だ。

 

「そうして、姉さんは鷲大師の祖父母の家に預けられることになったんです。元来、仕事から身を引いた人間は鷲大師の家に行くんです。祖父母もその立ち位置でした。最も、祖父母が現役の頃は今ほど規模が大きくなかったので、厳しさに徹底した生き方はしなかったそうですが」

 

「せめてもの慈悲なんでしょうかね」

 

「さあ、私には判断しかねますけど・・・。でも、両親はわずかに戻ってくれることを期待していたみたいですよ。まあ、それでもそんなことで考えを曲げる姉さんではありませんでしたが」

 

「むしろ今、もっと生き生きしてますからね・・・」

 

「今は確か技師、でしたっけ」

 

「はい。腕も確かですよ」

 

 そう言って俺は銀色に光る足を見せ、それが鈴夏さんが作ったものだという事をアピールする。少し驚いた顔をして、しかし真冬さんはそれ以上そのことについて何かいう事はなかった。

 代わりに、少し話題は形を変えて続く。

 

「・・・あの、姉さんは」

 

「?」

 

「私の事、どう言っていましたか?」

 

 そう尋ねる真冬さんの顔は怯えているように見えた。自分の姉と言えど、自分がどう思われているかというのは測りかねているのだろう。だからこそ、その見えない答えが怖い、と。

 それを否定するべく、俺はちゃんと言葉にする。

 

「すべての責任を押し付けて悪かったなって、そう言っていましたよ。むしろ、鈴夏さんも真冬さんにどう見られているか怖がっていましたし」

 

「あはは、やっぱり私たち、姉妹なんですね」

 

 真冬さんの心を縛っていた鎖が少し取れたのか、これまでよりも一段と柔らかい笑みを浮かべた。きっと捻じれ、さび付いてしまった互いの関係やそれにまつわる感情がずっと重りになっていたのだろう。

 

「姉さんに伝えてください。・・・私に、「自由」を見せてくれてありがとうって。それと、ずっと尊敬している、自慢の姉だってこと」

 

「必ず伝えます」

 

「それと、いつでも待ってるから、たまには会いに来てほしい、って」

 

「喜びますね、きっと」

 

 答えて、俺は確かめる。

 すれ違いには言葉を、親しい人へは愛を。

 それさえあれば、どれだけ断たれそうになろうと結ばれるのだと。

 

---

 

~真冬side~

 

 ずっと、姉さんにどう思われているのか考えるのが怖かった。

 ずっと憧れて、追いかけようとしていた背中だった。臆病で、籠の中の鳥でいる私を籠の外でもがいて導いてくれていたその姿が、私は好きだった。そこに、私は「自由」と「幸せ」を見た。

 

 でも、自由は自分の手でつかみ取れるって姉さんは教えてくれたのに、私は臆病で、それすら出来ないまま、逃げ続けてしまった。そうして生まれたのが、今、この一分一秒。逃れられない呪縛はどんどん大きくなって私を取り巻く。

 もちろん、今が幸せじゃないなんてことは言わない。私を愛してくれている人のこと、私が愛している人の事、それを嘘だとは思いたくない。

 

 ・・・こんな私を見たら、姉さんなんて言うんだろうって、ずっと怖がってた。でも、彼が、島波君が教えてくれた。私がなすべき全てを。

 特別具体的に指示されたわけでもなく、暗に一言告げた、「逃げてはいけない」というその一言だけ。

 

 その一言が全てだったってことに、私はようやく気が付いた。

 だからもう逃げない。掴みたいものを諦めない。妥協した果ての幸せでも悪くないかもしれないけど、けれどきっと本気で生きて、もがいて苦しんだ果ての幸せの方が輝いているはずだから。

 

 変わらない過去を嘆くより、変わる未来を信じよう。

 そしたらきっと・・・姉さんのいる場所に辿り着けるのかな。

 

 




『今日の座談会コーナー』

どれだけ長くなってもいいので、ここは自己満足に書きたいことだけ書こうと思います。中途半端に癪が長くなるのを考慮して妥協した文章を書くというのもいささか忍びないので。
という訳でここ数編は日野姉妹のすれ違いがテーマです。前回駄文を繰り広げてしまいましたけど話としては好きなんです。じゃなきゃリメイクする際カットですね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第八十三話 偽りない優しさで

随分と更新が滞ってましたね。
中途半端なところで失踪は嫌なので最後まで頑張ります。


~遥side~

 

 目の前で、真冬さんはどこか懐かしむような、満足そうな表情を浮かべていた。おそらく自分の中に生まれていたモヤモヤの一つが消えたのだろう。それも、長い時を経て凝り固まってしまったものが。

 

 今の真冬さんになら、もう少し攻めた話ができるかもしれない。そう思った。

 言葉と言うものは、その凶暴性で時に人を傷つける。俺はそれを分かっている。

 しかし、傷つけてしまうからと言葉にしなければなにも始まらないのもまた一つ。だから覚悟を決めて話す時が必ず人には訪れるのだ。そして今が、その時で。

 

「真冬さん」

 

「はい」

 

「どうして・・・陽香の手術を拒んでいたんですか?」

 

「・・・言い訳がましくなるかもしれませんが、聞いていただけますか?」

 

 言葉の代わりに俺は一度首を縦に振った。それを見て一つ呼吸を整えて、真冬さんは苦々しい顔で語りだした。

 

「そもそも、陽香の身体が弱いのは私の遺伝なんです。私も過去に同じような病状で入院したことがあります。もっとも、今の陽香よりも病状は遥かに軽いものでしたが」

 

「そうなんですね」

 

「ええ。・・・そして、私も手術を受けました。日野の跡取りとなった私があっさりと倒れるわけにはいかないだろうと、否応なしに、父の権限で」

 

 なるほどな、と相槌を打つ。

 ・・・家族、親、血の呪縛。目の前にあるそれは呪いの装備と言っても過言ではない物なのだろう。

 

「実際、私もずっと寝たきりでしたから、手術を受けること自体には反対していませんでした。そうは言っても、元気であることが一番なので。・・・でも、手術は困難を極めて、終わらないうちに麻酔が切れたんです」

 

「それは・・・かなりの苦痛ですよね」

 

「喉が焼ききれそうなくらい叫んだと思います。あの時の痛み、今でも覚えてますから。・・・。そんな痛みを極力陽香に背負わせたくないと、私は拒んでしまいました。悩んでいたんです、ずっと」

 

「・・・」

 

 言葉を失くして俺は考える。確かにこの人の言っていることは間違いではないだろう。俺が正しいと思っていることとは違えど、この人なりの子への優しさがそこにはあるのだから。

 

「もちろん、それでこんなことになってしまった以上私、・・・いえ、私と夫ですね。私たちの判断は間違いだった、ということになります」

 

「他人が生んだイレギュラーを自分のせいにしないでください。・・・身を案じての判断なら、それを一概に間違いとは拒めません。少なくとも悪いのは・・・」

  

 その言葉の途中で、ギリッと歯ぎしりをする。

 そうだ。俺は何を勘違いしているんだよ。・・・悪いのは目の前にいる真冬さんでも、その夫でも、陽香でも、手術を催促しなかった病院サイドでもないじゃないか。そこに責任があるなら、この話はもっと早くに終わってるはずなんだ。

 

 陽香の身を案ずるあまりに、いつしか目の前の問題全てに八つ当たりしていたのかもしれない。この歳にもなっても無様だ。人にものを言えた立場じゃないな。

 

「とにかく、過ぎたことは元には戻りません。僕はあなたたちの選択を間違いだとは思いません。それより今は、次に何をするべきか考えましょう」

 

「そうですね。・・・あなたのおかげで、沢山やるべきことが見えた気がします」

 

「そうですか」

 

「ええ。ここでの話が終わったらすぐに経つつもりです。・・・私なりの反抗期、やるならきっと今しかないので」

 

 言葉を紡ぐ真冬さんの瞳には光が灯っている。自分の娘が危険にさらされているという状況は何一つ変わっていないが、その中での自分のふるまいを見つけたのだろう。ならば俺がそれにとやかく言うことはない。

 

 だから俺も、俺のするべきことを。

 

「そういえば」

 

「はい?」

 

 ふと思い出したように真冬さんが声を掛けてくる。

 

「今回の件、味方になってくれるとは言ったものの、何をどうするおつもりなんですか?」

 

「・・・犯人の捜査、確保ですかね。俺にできることと言ったら」

 

 俺がそう答えると真冬さんは仄かに血相を変えた。

 

「とても危険ですよ? それも、一人なんて・・・」

 

「分かってます。・・・それでも、これが多分最適解なんです。俺はおそらく誰にもマークされていない、背後にこことのパスがあるとも思われていないでしょう。動きを見せないまま動かなければいけないなら、尚更でしょう」

 

「それでもし犠牲になったら、あなたは満足できるんですか?」

 

 痛い言葉だ。俺はこれまでも同じようなことをしてきて、そのたびに傷ついているのだから。そして同じような言葉を何度言われたか。美海に、水瀬に。

 思えば、他人のために生きることがいつの間にか自分の信条になっていた。そうやって生きてきたし、多分それはこれからも変わることはないだろう。

 だから、いつものように俺は答えてしまう。

 

「できますよ。自分の大切だと思う人が相手だったら、尚更。・・・ずっとそうやって生きてきたんです。今更それを変えるなんて、俺にはできないですよ」

 

「・・・分かりました。そこまで言うなら私に止める権利はありません。ただ、絶対に無理をしないでください。きっとあの子が一番悲しむのは、あなたを失うことですから」

 

「肝に銘じます」

 

 俺の周りに、俺が傷ついて喜ぶ人などいないと知った五年前。同じ轍は踏みたくないから、最大限善処をすることを誓う。やけっぱちな自己犠牲はいらない。

 

「それでしたら、あなたにこちらを」

 

 真冬さんは俺の覚悟を信じたのか真っすぐ俺を見て、その視線を左に反らしたかと思うと入ってこいと言わんばかりに手を上げ、瞬く間にSPらしき人物が一人入ってきて、俺の目の前に書類を置いた。

 

「これは?」

 

「夫なりに集めた、私怨が生まれそうなリストらしいです。やむを得ずリストラしてしまった従業員。事業拡大のために潰れてしまった自営業の店のリスト、その他・・・。ここ五年内の話なので、それ以上まで遡ってしまうといよいよ手が付けられないらしいですが」

 

 そうは言うものの、これが今目の前にあるとないとでは大きく違うだろう。

 しかしそれより気になったのは、この書類を作るに至る労力だ。少なくとも現在日野家の事業を動かしていているのは真冬さんの夫だろう。その仕事量や負担は尋常じゃないはずだ。それでいながら、自分に敵意を向けているだろう企業や人物のことを忘れることなく、こうしてまとめる。精神的苦痛も身体的苦痛も尋常ないはずだ。

 

「あなたの言うノーマークという言葉を、私は信じます。どうかあの子のこと、よろしくお願いします。・・・私は、「母」として自分にできることをやります」

 

「分かりました。・・・絶対綺麗に終わらせて見せます」

 

 母という存在からの期待を受けてしまったからには、いよいよ陽香を助けるほかない。どこまでできるか分からない、なんて弱音は言わないでおく。それはきっとその事態が来てから言葉にした方がいいから。

 

 俺は書類を片手に立ち上がる。やるべきことは果たした。時間がそうあるわけでもないので次の行動を起こすなら早い方がいい。

 

「それじゃ、俺はこれで」

 

「色々とありがとうございます。また近いうちに来てください。その時は夫も呼びます」

 

「分かりました」

 

 それから真冬さんに背を向けて、整えられた道を歩いて日野家を後にする。自分の小さなアパートに着くなり、俺は書類に目を通し始めた。

 ・・・ここからは、地道な作業の連続だ。一刻も無駄になんてできるもんか。

 

 寝る間も惜しんで、作業を進める。

 そうすると、ある程度見えてくるものがあった。直感的な話ではあるが、その部分を詰めるとおそらく真相に辿り着くだろうというという事が見えてきた。

 

 その時、家に電話の着信音が響いた。

 

「もしもし・・・」

 

「よう、そっちはどうだ」

 

「大吾先生ですか。・・・進展はありましたよ。真冬さんからヒアリングをして資料を貰って、今はそこから、実行犯の特定を進めてるところです」

 

「初日から会いに行くとは、大した男だよ、本当にお前は」

 

 嫌味っ気のない大吾先生の声音に少し驚く。

 本当なら減らず口を叩きあう仲。それが出来ない現状であるというのも一因を買っているだろうけど。

 

「先生のほうは?」

 

「こっちはとりあえず手術の準備を進めているところだな。というより、当初の予定通りに推し進めているだけだ。患者の容態にもとりあえず変化はない。予定通りには進めそうだ」

 

「そうですか」

 

「・・・なあ、今忙しいか?」

 

「それは」

 

 言いかけて、俺は途中で言葉を止めた。

 無駄な物言いをしないこの人が、急に忙しいかと尋ねている。きっと、何か伝えたいこと、話したいことがあるのだろう。

 

「まあ、忙しいですけど、休憩中です。詰めて作業しても効率悪いんで」

 

「・・・はぁ。見透かしたなこの野郎」

 

 どうやら一瞬のためらいで向こうは俺が空気を読んだことに気が付いたらしい。これが大人という奴だろうか。

 

「まあいい。気遣い感謝するよ。・・・ちょいとな、昔話に付き合ってくれ」

 

「昔話、ですか?」

 

「まあ、俺のことだよ」

 

 電話越しに苦笑いが聞こえる。俺はそれにはぁ、と返事した。

 

「あれは、俺が中学生になる前の話だ」




『今日の座談会コーナー』

こうして改めて書くと、前作と話が前後しているんですよね。前作だったら大吾先生との電話の後で訪問という流れだったはずなので。
しかしまあ、メタい話をすると前作はこの期間が長すぎたと。
というわけで再構成して、無駄な日を減らしているということです。もう少しここら辺掘り下げたいのもありますけどね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第八十四話 その心が見えたなら

特にないです。


~大吾side~

 

 俺は、絵に描いたやんちゃ坊主だった。

 本当は弱気な自分が嫌で、矯正するように、あるいは逃げるように、新しい仮面を自分で作り上げて、それをかぶっていた。

 だから、少々厳しく人に当たることもあった。いじめなんてみっともない行為は嫌いだったけど、高圧的な対応はしていたかもしれない。

 

 もちろん、そんな俺を丸裸にする存在もいた。

 

「大ちゃんさぁ・・・もっと素直になりなよ」

 

 常にそいつはそう言い続けた。その意味を、俺は当分の間は理解できなかった。

 それに、少なくともそいつの前では、すーちゃんの前では素直でいたつもりだったから、それで十分だと思っていた。

 

 けれど、そんな表面的な世界は、一瞬で崩れ去る。

 

 母親が倒れた一報を聞いたのは、俺が中学生になるその寸前の頃。

 もとより体が弱い人間だということは知っていた。それでも、ずっと平気なふりをしていた母親に騙されて、俺は育っていた。

 騙されて、俺はさんざん迷惑をかけていた。

 

 それでも、根っこの気持ちはずっと変わっていなかった。母親という存在を俺は愛していたこと。

 だから余計にそれが辛くて、ショックで、俺は殻に閉じこもるようになった。部屋の隅で丸くなって泣いていた。

 

 今思えば、あの時前を向く強さがあれば、もう少し心は楽だったのかもしれない。

 けれど、前を向いた先にいる、苦しみながら笑う母親を見ることを俺は嫌がった。ずっと苛む罪悪感がより一層大きくなっていった。

 

 苦しかった。

 全てが、苦しかった。

 

 そうして迎えた手術前日、親父が鬼の形相で俺の部屋に殴りこんできた。

 そして胸倉を掴むなり、とても重たいのを一発。

 殴られた痛みより、驚きが勝った。少なくともここまで育てられてきて、一度も殴られたことなんてなかったから。

 少なくとも、そういうことを嫌う父親だったから、だからこそ、驚いた。

 

 そして、怒鳴られる。

 

「馬鹿野郎! 現実から逃げるんじゃねえ! お前には分かるだろ・・・! 本当に今苦しんでる人間が! それはお前じゃないことくらい・・・分かるだろ・・・!」

 

 泣きそうな父親の声で、俺はようやく目覚めた。

 本当に苦しんでいるのは、紛れもない母親だ。俺はいつの間にか、それから逃げなければいけないと思い込んで、苦しんでいたつもりでいたみたいだ。

 殻が壊れる音がした。ようやく現実と向き合う覚悟が出来た。

 

 そして手術当日。俺はようやく、母親の元を訪れた。

 母親は俺が来ないものだと思い込んでいたのか、少し驚いた顔をして、それからすぐにいつもの笑顔で、ひどくやせ細ってしまった手で俺の頭を撫でた。

 

「来てくれたの。ありがとうね」

 

 母は、ここに来てなお、いつも通りの母だった。いや、こんな時だからこそ、いつも通りでいようと思ったのだろう。

 そして俺は、母親のその最期まで手を握り続けた。

 

 しかし、それはあっけなく訪れる。

 

『手術失敗』

 

 俺の母親の死因はそれだった。

 

 憎んだ。

 母の命を奪った、病院という機関を憎んだ。失敗した医者を憎んだ。しかし、一番憎むべき相手を、俺はちゃんと知ることが出来た。

 だから殻に閉じこもることはしなかった。閉じこもってももう、母親が帰ってこないことは分かっていたから。

 それでも、悔しさは募る。もっと早くに母親に寄り添えなかったこと、そして一つのミスのために、母親が死んでしまったこと。

 

 医者を目指したのは、そこからだった。

 勉強は苦ではなかった。悔しさを糧にする、とはよく言ったもので、なかなか俺の根気が折れることはなかった。

 同じような悲しみを生みたくない。俺と同じように素直になれず、向き合う時間を得る事すら出来ないまま別れを迎える、なんてことをさせたくない。

 

 だから惰性で生きることもやめた。変に強気な自分を演じることも、もうしなくなった。

 本当は弱い自分の心に向きあうようになって、今の俺がいる。

 

 だから今だって、逃げる気なんて微塵もない。

 

---

 

~遥side~

 

 大吾先生から語られる、過去の自分の話。

 それはどこか離れた話に聞こえて、でも本質は俺とそっくりだった。

 

 弱い自分を隠すために、偽った自分の仮面を取り憑けて、平気なふりをして。本当は、不安で不安で押しつぶされそうな心を持ちながら。

 それを補足するように、大吾先生は珍しく弱音を吐いた。

 

「だから本当は不安で押しつぶされそうなんだよ。だからお前に電話をかけた。単純に何度の高い手術が強いられる。医者として生きてきて、一番だ。だからかな、自分の気持ちを整えたかったんだよ」

 

 弱さを誰かに打ち明ける事、それは本当に強い人間の行動だ。

 少なくとも、五年前の俺はそれを理解できなかった。最後まで心に壁を作って、最後まであいつらを遠ざけてしまった。

 そして今もそれに悪戦苦闘している。だからこそ、今目の前の大吾先生は輝いて見えた。

 

「強いんですね」

 

「バカ、そんなんじゃねえよ」

 

 電話越しに乾いた笑いが聞こえる。俺は笑えなかった。

 それをすぐさま察してか、大吾先生はフォローを入れる。

 

「おっと、こんな話で気負うなよ。ただ一人のおっさんの愚痴だからな」

 

 この人は、本当に鋭い。俺が弱気になりそうなタイミングを一番知っている人間だろう。

 だから今度こそ、笑うことが出来た。

 そしていつものように、軽口で言う。

 

「まだそんな年齢になってないですよ。それにはまだ貫禄が足りないです」

 

「あ?」

 

「大体、彼女の一人でも作ったらどうなんですか?」

 

「・・・なんかなぁ、病院にいたらそんな気にならないんだよ」

 

 少し間が空いて、真剣に悩んでいる声が聞こえた。

 そこで、俺の中に生まれた一つの確かめたいことを口にする。

 

「それって、鈴夏さんのことが頭の中に残ってるからですか?」

 

「ばっ・・・! お前なぁ、そういうことずけずけと言うのやめた方がいいぞ」

 

「実際の所、どうなんです?」

 

 確信して、俺はさらに追及する。自分の気持ちに逃げないことを知っているこの人なら、ちゃんと思いを口にできるだろうから。

 だから、奮い立ってほしい、そう思った。

 好きの気持ちが遠ざかっていくことは、身が冷えるほど悲しいものだから。

 

「・・・なんだろうな。よくわかんねえんだよ。俺が思ってることそのものが。ただ・・・そうだな。あいつは、他とは違うように見えてる。それが恋かどうかなんて俺は知らないけどな」

 

「そうですか」

 

「第一、人の恋愛事情に首突っ込めるほど、お前自身も余裕はないだろ」

 

「先生、そのカウンターパンチは痛いのでここまでにしましょう」

 

「よし分かった」

 

 根本的なことだ。俺が他人の恋愛事情に口出しできるなんてことはありえない。

 それこそ、失敗に失敗を重ねてきて、ここまで好きの気持ちが絡んで成功したことなんて何一つない。それを理解しかねている俺がとやかく言うのはお門違いだろう。

 

 一体全体、俺はなんてことを口走ったのだろう。

 

「・・・まあでも、連絡の一つ取ってみてやるとするか」

 

「それがいいでしょう」

 

 笑い声が聞こえる。今度は乾いていない。

 だから俺も、少し微笑むことが出来た。

 

「なあ、お前は」

 

「?」

 

「いや、なんでもない」

 

 突然口を開いた大吾先生だったが、急にその言葉を取りやめた。俺は不思議に思いつつも、その話を流すことにした。

 

「とりあえずだ。今はお互い、目の前のことに集中しよう。俺は患者を助ける。お前は犯人を止める」

 

「はい」

 

「世間話の二つ目三つ目は、それが終わったらゆっくりするとしようや」

 

「今度は俺が患者じゃないといいですね」

 

「全くだ」

 

 そうしてもう一度笑い合って、電話を切る。胸に涼しい風が吹いた気がした。

 先ほどまで疲労感で重たくなっていた体が軽くなったように感じる。これなら作業もはかどるだろう。

 

 人との会話には、そんな力もあるんだと、改めて思う。

 

 

 だから俺はもっと、もっと、心を知りたい。

 

 

 

 




『今日の雑談コーナー』

前回のここら辺がはちゃめちゃすぎたので、電話の内容もすこしあっさりさせてみました。
今回のSSで、周りの人間関係や心情などもっともっと書きたいですね。
さて、迫りくる凪あす五周年までにこのSSは終わるのか。
終わらせたいですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第八十五話 その全てで、確かめて

だんだんとペースが戻ってまいりました。
春休みバンザイですね。


~遥side~

 

 それから犯人を突き止めるのに丸一日かかった。むしろ、丸一日で済んでいるのは日野家前面のバックアップがあるからであって、それはもはや奇跡に近いとも言えた。

 そして分かったのはいいとして、どのようにアプローチをするかが次の問題だった。

 

 小一時間悩む。とは言え、下手に装うことは帰って怪しまれる行為であることに変わりはなかった。

 一周回って、俺は真正面からそのドアをノックした。薄気味悪い路地裏にある、小さなアパート、その一部屋。そこにいる首謀者の元へ俺は向かった。

 

「・・・誰だ?」

 

「日野陽香」

 

「・・・なるほど」

 

 無駄な話をせず、まるで暗号のようにその名前を口にする。正直こんな態度は取りたくなどなかったが、守りたいものを守るためなら心を捨てることが出来た。

 

「一旦中へ入れ。話位は聞いてやる」

 

 暗い部屋の中へ男が誘導する。俺はそれについて行き、中へと入った。

 視界が狭い部屋で、一際光る物がある。それは病院内を映したものであろうモニターだった。

 犯人は、日野家の事業にて追いやられたメカニッカー。下調べでここまでの情報を得ることは出来た。

 ・・・けど、まさかここまで計画が大掛かりだとは正直思っていなかった。

 

「で、最初の問いだ。・・・お前は誰だ? どうして俺が分かった?」

 

「俺は・・・まあ、そうだな。お前と同じような立場の人間だ。といっても、俺は日野家お抱えの仕事から事故で追い出された感じ、ってところだけどな」

 

 カッコつけて振舞って、とっさに嘘を言う。信ぴょう性を高めるべく、俺はズボンを捲って左足の義足を見せる。

 俺の嘘が通ったのか、男は少し目を丸くして、やがって分かったような顔をした。おそらく、同類と認めたのだろう。

 しかし、質問は続く。

 

「どうしてここが分かった?」

 

「日野家に恨みを持ってる人間なら、風の噂の一つや二つで集まるだろ。・・・逆に、どれほどうわさが出回っているのか知らないのか?」

 

「どうなんだ?」

 

「今はまだそれほど、ってところだな。それこそ、噂がもっと早くに広まってるなら警察も勝手に動き出すだろ」

 

「まあ、そうかもな」

 

 男はふっと鼻息をして、俺の目を見てはっきりと確認してきた。

 

「お前は、何がしたい?」

 

「単刀直入に言えば、その復讐の手伝い。・・・今確認したけど、外回りの対策が薄いだろ。だから俺がそこを補うようにすればいい」

 

「一理あるかもな。・・・見ず知らずの相手にそれを頼むのも、どうかと思うが」

 

 男は少し悩んだような表情を浮かべて、やがて決心したのか俺に一つ機械を手渡してきた。

 

「・・・お前に任せる。不穏な動きは見せるなよ?」

 

「分かった」

 

「ところでお前は、どこに住まうつもりだ? まさか、こことは言わないだろうな?」

 

「拠点にしている場所があってな。ずっと開けるのはまずいから基本はそこに待機しようと思う。決行のタイミングは、手術当日、でいいんだよな?」

 

「当然。モニターで手術室の様子は確認できる」

 

 奥のモニターは三画面ほどに分かれており、そこには病院のあちこちが映し出されていた。メカニッカーとは言え、ここまでできるとなると、遠隔で操作できる小型の爆弾を作ることも相違ないのだろう。

 

 背筋に冷や汗が走る。男がどこまでも本気だということがひしひしと伝わってくる。生半可に行動すると、先に殺されるのは多分、俺だ。

 

「・・・それじゃ、さっそく作業に取り掛かる。何かあったら連絡してくれ」

 

 男の顔を見ずに、俺はそそくさと部屋から出ていった。この男と同じ空間にいる時間が長ければ長いほど、ボロが出るのは確実だろう。下手に関わらない方が吉であることには変わらないのだ。

 

 そして俺は男の部屋をあとにした。ほどなくして手元にあるドライバーで無線機を解体してみる。

 そこには、赤のランプを点滅させるチップが着いていた。おそらく発信機だろう。

 

 男が、俺を簡単に信用などするはずがない。人に疑り深い俺だからこそ、見つけられたのだろう。それが正しい事かどうかと問われれば、反応に困るが。

 

「・・・用意周到だこと」

 

 俺はそれを取り外す。しかし不用意には捨てられない。

 と悩んでいたところに現れたのは、どこぞやの野良犬だった。目に傷を負っているその犬はこちらで大学生活を始めてから何度か目にしていた。

 

「ちょうどいい、一芝居打ってくれや」

 

 俺は野良犬の足元に発信機を括りつけた。こいつなら人のような挙動を見せてくれるだろう。

 間もなく、野良犬はどこかへ駆けていった。こいつは空き家の屋根の下に隠れる癖がある。生息場所もうまく偽装できるだろう。

 

「さて、と・・・」

 

 ここまでくれば、後は時間が解決してくれる。

 手術当日に男のもとに向かい、何とかして爆破を阻止する。それまでの間でできることがあるとすれば一つだけだった。

 俺はそれを求めて、最後の目的地へ向かう。

 

 今日も空いている室内。

 ドアを開けて、俺は奥へ入った。

 

「こんにちは、鈴夏さん」

 

「おう、島波か。上がってけ。あたしんとこ来るってことは、何かあったんだろ」

 

「よくお分かりで」

 

 ほどなくして、鈴夏さんは表の看板をしまい込む。それが仕事スタートの合図だ。

 

「で」

 

「?」

 

「真冬に会ったんだろ? ・・・あいつは、なんて言ってた?」

 

 鈴夏さんらしくない、後ろめたそうな表情。

 でも、ここであっさりと伝えてはいけない。俺はそう思った。

 感情の交換を他人を介して行う。それでは前に進めないことを俺は少し知ったつもりでいるから。

 だからこそ傷つくこともいとわず、自分の目で、声で、確かめなければいけないはずだと、俺は少し厳しい態度を取る。

 

「そこは、ちゃんと自分で会って確かめてくださいよ」

 

「・・・そっか、そうだよな」

 

「ただ、伝言は預かってます」

 

 伝えてくれと真冬さんから言われた言葉。それだけはちゃんと繋げておく。

 

「私に自由を見せてくれてありがとう。それと、ずっと尊敬してる、自慢の姉だ、と」

 

「・・・なんか、照れるな。・・・ありがとう。決心が着いた」

 

「それと、たまには遊びに来いって催促してましたよ」

 

「あ、そうなのか」

 

 それでも、まだ鈴夏さんは考え込んでいるような顔つきをしていた。やがて自分の中で言葉がまとまったのか、鈴夏さんは口を開く。

 

「けど、会うのは今回の一件が全部終わってからにする。・・・あいつの娘をちゃんと助けることが、ほったらかしで家を任せちまったことの報いにする。それを達成して、あたしはようやく前を向ける気がするんだ」

 

「きっと、それがいいでしょう」

 

 何一つ間違いじゃないその決意表明に俺は一度頷く。

 そして、今回の一件をちゃんと終わらせるために、鈴夏さんに協力をお願いする。俺がここに来た理由はそれだった。

 

「それと、鈴夏さん。仕事の依頼をしていいですか?」

 

「・・・了解。あたしはなにをすればいい?」

 

「作ってほしい機材がいくらか。時間もないので、明日か明後日には・・・」

 

「何申し訳なさそうにしてんだ。あたしを誰だと思ってる?」

 

 割と無茶な要求をしたと思っていたのは、ただの俺の杞憂のようだった。

 それを為せるだけの腕を持っていると、鈴夏さんは自分を信じていた。

 

「・・・ですよね。それで、作ってほしい機材なんですけど・・・」

 

 

---

 

 

 それから小一時間、作戦の打ち合わせを鈴夏さんと行う。

 正直かなり無茶を言っている自覚はあった。下手に写真を撮ることも出来ず、出来るだけの見分で状況を伝え、それに沿ったものを作ってもらう訳なのだから。

 しかし鈴夏さんは嫌な顔一つ見せることはなかった。助けたいという想いが正面目一杯に集まっているのだろう。

 

「以上になりますけど・・・」

 

「よし分かった。作るもの自体はそんなに難しくなさそうだから時間はかからないと思う」

 

「よろしく頼みます」

 

「ああ、それと」

 

「?」

 

「さっきの話なんだけどさ・・・。あたし、もう一人向き合わなきゃいけない相手いるだろ?」

 

 大吾先生の事だ。

 俺は黙って一度頷く。

 それを見て、鈴夏さんは困ったような笑顔を浮かべて俺に伝言を頼んだ。

 

「あいつに伝えておいてくれよ。また今度、飲みにでも行かないか、ってな」

 

「伝えます。必ず」

 

「そんじゃま、私も頑張らないとな」

 

 一つ伸びをして、鈴夏さんは両頬を叩く。ここからは仕事が始まる。そう思って俺はこの場から引くことにした。

 

「それじゃ、また来ます」

 

「おう。あんまし急かすなよ。ちゃんと間に合わすから」

 

 軽く手を振って、俺は自分の部屋へ戻る。

 心は落ち着かない。いろんなものを、人を見せられて、どこか参ってるのだろうか。それとも迫りくるタイムリミットに、俺の心が焦っているのか。

 

 分からない。けれど、一つ言えることがあるとすれば。

 今日も一日が終わる。それだけだった。

 

 




『今日の雑談コーナー』

改めて書いてみると、前作から結構変更とかしてるんだなぁと思います。まあ既存のキャラは性格等が出来上がっているのでむやみやたらに加筆修正などできませんが、オリジナルのキャラとなると話は別ですね。
ここまで書くと、結構終わりが見えてきたりそうでもなかったりするんですよね。
まあ、まだまだこれからなので根気強く書こうと思います。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第八十六話 いつだってそれは怖いけど

オリジナルパートでこっち視点を書くことって少ないんですよね。


~美海side~

 

 思えばここ数日は、まるで嵐のようなものだった気がする。

 

 あれから五年。大学生になった遥の、最初の夏休み。こっちへ帰ってきたと思ったら、今度は海から光が帰ってきた。そしたら今度は私にエナが生まれて、遥がまた街へ帰って、もうめちゃくちゃだ。

 

 特に、遥が向こうに帰った理由は誰も聞かされていないのがびっくりだ。聞いたところ、千夏ちゃんの両親も詳しくは聞かされてないらしい。

 仕方がないとは割り切っている。すぐ帰ってくるという事も知っている。

 

 ・・・でも、なんだか釈然としない。モヤモヤとした気持ちが胸で息づいている。

 

 五年。その月日で私もずいぶんと大きくなった。まだ中学生だけど、それでも無邪気に人を好きだ嫌いだと喚いていたあの頃と比べると、大きくなったと思う。茶化しているのかどうか分からないけど、美しい、だとか、かわいい、だとかそんな言葉もより一層口にされるようになった。

 そして遥も、五年で随分と変わった。背丈も大きくなって、一層カッコよくなって・・・そして、私の手の届かないところにいるような気がして。

 

 そして、千夏ちゃんと同い年になった。

 ・・・といっても、それはもし、千夏ちゃんもみんなと同じように冬眠していたら、の話だけど。でも、私はそう思っているから、信じることにする。

 

 好きと言う気持ち。

 ずっと分からないでいたはずのそれが、だんだんと心の中で膨張しているような気がして仕方がない。フェアに戦おう、その約束を裏切りたくはないから大きな声で本人の前でそれを言うことは出来ないけど。

 はっきりと言える。私はあの頃よりずっと、遥のことが大好きだと。

 

---

 

 夕日が海に差し掛かろうとするころ、私はフラッと玄関の方へ向かった。

 

「美海、どこ行くんだ?」

 

「散歩。晃のこと頼める?」

 

「心配しなくてもあいつから俺に突っ込んでくらぁ。っと、よっしゃこい! 晃」

 

 晃は随分と光になついたようで、楽しそうに遊んでいる。ちょっと妬いちゃう気持ちもあるけど、悪い気はしない。

 

「それじゃ、行ってくる」

 

 そして海を目指して、あまり大きくない歩幅で私は歩いた。

 誰が悪いせいでもない。気分がとても乗らないわけでもないけど・・・どうしてか今日は一人になりたくなった。この気持ちは、ずいぶんと久しぶりだ。

 五年前なら気持ちいいと思えていたはずの潮風が、今日はいつになく冷たく感じる。

 

 望まなくても一人だったあの頃は、一人でいることが嫌だった。

 もちろん、パパもいたし、さゆもいてくれた。でもそれだけじゃ、ママがいなくなった空白は埋めれなくて。その寂しさが、私は嫌だった。

 

 でも、もう私は一人と思うことはなくなった。あかちゃんが傍にいてくれて、晃が生まれて、遥や光、沢山の人が私の周りにいるから。

 だからなのかな・・・こうして、一人でいた時間を愛おしく思うのは。

 

 一人でいれば、いくらでも考えることに時間を費やせる。静かに、落ち着いて、自分の中の心を整理できる。嫌がっていただけで、あの時間にはそんな使い方もあったんだ。

  

 そして私は埠頭の近くまで歩いた。その場に座り込んで足をぶらつかせて、凪いでしまった海を見る。

 あの日から変わってしまった海。

 最後に見たあの美し海には、もう戻らないのだろうか。

 

「おい」

 

 後ろから声がかかる。この間のこともあってほんの僅かだけ身構えたけど、耳にしたことのある、馴染みある声だと認識して、心を落ち着かせた。

 振り向いた先にいるのは紡さんだった。

 

「あ、紡さん」

 

「こんなところにいるなんて、珍しいな」

 

「ちょっと色々、考え込んでて」

 

 といっても、この状況になった以上、一人にしてくれとは言えない。

 

「奇遇だな。俺も、そんな感じなんだ」

 

「紡さんも、ですか?」

 

「ここに来ると、どうも心が落ち着いてな。・・・昔からずっと、こうやって海を見てきた」

 

 それは、ずっと海と一緒に生きてきた人の言葉だった。

 といっても、その生き方は遥や光らなんかとは違う。海が大好きなのに、海で生きることができない人の言葉。

 今の私なんかじゃ到底たどり着けない気持ちだ。

 

「美海。ちょっと相談、いいか?」

 

「いいですけど、珍しいですね」

 

「まあ、な・・・。相談相手がなかなかいなくて困ってた」

 

 その一言で、紡さんが何に悩んでいるかを私は察した。それは私と一緒で。

 

「美海は、好きになる、ってことと、どうやって向き合ってる?」

 

「どうやって、って言われても・・・」

 

 当然、私は言葉に詰まる。

 下手なことは言えない。そもそも私自身がその気持ちとうまく向き合えてないのだから。最近になってようやく、気持ちを理解し始めたくらいだ。

 

 それに私は五年前、その気持ちを知っていながら逃げてしまった。あの時の後悔に今も囚われて、動けないでいる。

 約束なんて破ってしまえ、なんて考えたことがないなんて言えない。

 けれど、ここまで来てそれを破ってしまう事は、もっと逃げているように思えて・・・だから尚更、前に進めず、後ろにも下がれず。

 

 そんな私が言えることと言えばせいぜい・・・

 

「向き合い方、って私にはよくわからない・・・けど、目を反らして、逃げることだけは、絶対にやめた方がいいと思うんです。そうして取り返しがつかなくなった時に、振り返って後悔することが一番辛いんです」

 

「そうか」

 

「好きって思ってるなら、いつかちゃんとそれを伝えないと・・・言わないと、ダメなんです」

 

 言っていて、自分が一番辛くなる。私が言い聞かせている相手は、私自身なんだと気が付くのに時間はかからなかった。

 

「・・・遥のことか?」

 

「言わないでください・・・」

 

「そっか、悪い」

 

 申し訳なさそうに頭を下げて、紡さんは遠く空の方を見上げた。

 

「俺が誰が気になってるのか、とか、そういうの美海は分かるのか?」

 

「ちさきさん、ですよね」

 

「・・・やっぱり、分かるのか」

 

 当然だ。同じ屋根の下で一緒に暮らして、そんな思いを抱かないわけがない。

 それに、ちさきさんは五年の月日を経てさらに美しくなった。今では町中で人気が出ているといっても不思議じゃない。

 

「あいつのこと、ずっと引っ掛かってる。危なっかしくて、脆くて、だから守ってやりたいと思ってしまう。そう思ってしまうことがいいのか、俺には分からない」

 

「私にも分からないですよ」

 

「でも、逃げちゃいけない。・・・そうだよな。そう思う」

 

 紡さんは吹っ切れたように笑った。

 

「お前のおかげで、少し気持ちの整理が出来た。ありがとう」

 

「いえ」

 

「じゃあ、俺、帰るから」

 

 それ以降は何も言わず、紡さんは踵を返して帰っていった。

 一人になったのに、結局私は一人になって何を考えようとしていたのか忘れてしまった。でも、悪い気分がしないのも事実だ。

 

 向き合うこと。

 今だって怖いけど、逃げない。人に言うなら、まずは自分がそうしないといけないから。

 

「・・・帰ろっか」

 

 行きより軽い足取りで、私はみんなの待つ家へと帰った。

 




『今日の座談会コーナー』

遥が裏で活躍している中での、表の話って言ったらその通りですよね。むしろ本編世界線で言えば、こっちが表でしょう。
あんまし本編でない人と人の掛け合いって、書いてて楽しいんですけど難しいんですよね。勉強のし甲斐があります。
もう少しこういう場面増やしたいですね。

と言ったところで、今回はこの辺で。
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第八十七話 太陽と陽の香り

春休みが終わりを告げようとしてる・・・。


~陽香side~

 

 私の身体が生まれつき弱いことを聞いたのは、私が四歳の時だった。

 その時の光景は、よく覚えている。お母さんに抱かれて、優しく頭を撫でられて、そして弱弱しい声で、ごめんねと言われていた。

 

 私は、泣かなかった。

 それがどういうことかを、その時の私はまだ理解してなかったから。

 

 でも、その意味を理解した時も、私は泣かなかった。

 お父さんも、お母さんも家の仕事に振り回されて、私の心配をする余裕がなかった。そんな私に芽生えた感情は、「心配してほしい」、ではなく、「心配をかけたくない」だった。

 悲しまれたくなかった。初めて見たお母さんの辛そうな顔。あの顔を見るのは嫌だった。

 

 だから、空元気を続けた。時折痛む体も無視して、上っ面の笑顔を貼り付けて、二人が心配しないよう私は生きた。

 誰かが言う。私はお母さんのお姉さんに似てるって。

 

 その人はやんちゃで、わんぱくで、そんな人らしい。

 ・・・私は、そんなのじゃない。

 

 そうやって生きなきゃ、全てがダメになると思っていたから。私が、壊れてしまうから。

 

 でも、病気はだんだんと身体を蝕んで、入退院を繰り返すようになった。そして今は、今までのどれよりもひどいレベルに達したみたい。

 引き延ばす治療を続けていたある日、偶然、私は聞いてしまった。

 

 私の手術と引き換えに、この病院の命運がかかってること。

 しかもこの病院が助かるには、私が死ぬしかなくて・・・。

 

 それを聞いた私は、笑ってた。

 

 なんでかな? 嬉しいなんてことないのに、悲しいはずなのに。

 泣けない。悲しめない。

 

 そしてやっとわかった。

 私、壊れちゃったんだ。とっくの昔に。

 自分のことすら分からなくなって、誰のために生きてるのか分からなくて。

 

 ・・・心はもう、死んじゃってるんだ。

 

---

 

 それを抱えてもなお、私はいつも通り生きることにした。

 今更何を言っても、私の呪われた人生は変わらないから、だったらせめて、最後まで他人に迷惑をかけないように生きたいと思った。

 

 そうした中、私は診察室に呼ばれた。先生から大事な話がある、ってことらしい。

 

「・・・陽香ちゃん、今からいくつか聞きたいことがあるんだけど、大丈夫かな?」

 

 いくつか聞きたいこと。

 ・・・うん、分かってる。手術のことだ。そして、今回の事件のこと。

 私が死ぬしか、みんなが助かる方法はない。だから、それが口から発せられるのは容易いことだった。

 

「・・・いいよ、殺して」

 

「・・・なんだって?」

 

 先生の顔が引きつってるのが分かった。それでも私はあふれるがままに言葉を紡ぐ。

 

「全部知ってるの。私の手術失敗しないと、この病院、爆破されちゃうんでしょ。私が、日野、陽香だから。それなら、わたしよりも多くの人を助けて。それでいいから」

 

 

「・・・」

 

 先生はそれでも黙っている。やがて一つため息を吐くと、口の端を震えさせながら話し始めた。

 

「言いたいことは、それだけか・・・?」

 

「?」

 

 私が首を傾げた瞬間、先生は力任せに右手を机に目一杯たたきつけた。

 

「舐めてんじゃねえぞクソガキが!!」

 

「!!」

 

 予想もしていなかった怒鳴り声が診察室に響く。私が萎縮していることに関係なく、先生は続けた。

 

「私は死んでもいいと思ってるだ? ふざけたことを言うんじゃねえ!! 心臓動いてる人間は俺たち医者の守るべき対象なんだよ!」

 

「え、あと・・・」

 

「お前が言うのは楽だけどな、手術を失敗するってどういうことか分かるか? お前は俺に、人殺しになれって言ってるんだよ! ・・・受け入れられるか、そんなもん・・・!」

 

 それから少しだけ口調を落として、先生は続けた。

 

「・・・自分を犠牲にして誰かを助けようとするバカはよく見てきたけどよ・・・。それで命を捨てるってのは、絶対にやってはいけないことなんだよ。俺は人殺しになる、お前は命を落とす。それで残された人間は幸せです、って言えるか? 違うだろ?」

 

「でもっ・・・わ、私が死なないと・・・この病院は」

 

 決まっていた覚悟のはずなのに、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 私はどうしたい? 私は生きてていいの? こんな・・・心が死に絶えている私が・・・。

 

 ・・・嫌だ、死にたくない。

 

 そう思った時、久方ぶりに頬に雫が伝った。その時、私の頭に温かく大きな手が置かれる。

 

「死ぬことが怖い、今、そう思ったか?」

 

「・・・うん」

 

「死にたくなんて、ないだろ?」

 

「・・・・・・うん」

 

 やっと、言葉に出来た。

 本当の私が、そこにいた。

 

「だから、俺たちは誰一人不幸せにならない道を進もうとしてるんだよ。お前のことを、病院をどうにかしようと自分を犠牲にしてでも頑張ろうとしている馬鹿がいるんだよ。他人を助けることに夢中になり過ぎて、一番大事なことを見逃しがちになって。それでもあいつは、やろうとしてる」

 

「・・・遥お兄ちゃん?」

 

「そう。あいつだよ」

 

「そうなんだ・・・」

 

 私にとってのあの人は、太陽みたいなものだった。

 あの人がいたから、私はこの退屈な入院生活も楽しいと思えた。元気に過ごせた。

 

 太陽がいなければ、陽の香はしない。

 あの人は陽の当たる場所を作ってくれようとしているのに、そんなあの人の気持ちにすら、私は気づかないままだったんだ。

 

 ・・・やっぱり、生きたい。

 私だって、幸せになりたい。

 

 だから・・・助けて。

 

 涙の粒は次第に大きくなる。無数に零れ落ちるそれを私は止めることをしなかった。

 

 先生はやれやれと首を振って、これまでで一番優しい声で私に言った。

 

「生きたいと思うのは当たり前の事なんだよ。それを遠慮することも、諦めることも必要ない。大丈夫、お前の心はまだ死んじゃいない。だからさ、ちゃんと言い続けてみろよ。生きたい、って」

 

 私は涙ながらに首を縦に振る。

 

「先生・・・手術を、成功させてください」

 

「・・・おう、任せとけ」

 

 先生は曇り気ない笑顔で、私に答えた。

 後の私にできることは、全てを信じることと、生きたいと願う事、それだけだった。

 

 

---

 

 

 病室へ戻る。

 いつも静かな病室が、今日はいつにもまして静かだった。けど、その静寂すら、今は心地よく思えた。

 その時、私の病室のドアが開く。その人は優しい声で、私の名前を読んだ。

 

「陽香」

 

「おかあ、さん・・・?」

 

 もうずいぶんと会ってなかった気がする。懐かしいとも思えた。その人を前にして、私はそれ以外の何も言えなかった。

 

「ごめんね・・・。もっと、もっと早くから、こうするべきだった」

 

 私より先にお母さんが泣き出しそうな顔でそう呟く。だから私は泣かないって決めた。

 大丈夫だよ、と、ちゃんとそう伝えるために。

 

「・・・ううん。私は大丈夫。みんな信じてるから。きっと、全部うまくいくから」

 

「うん。・・・お母さんもね、信じてる」

 

「それより、仕事はいいの?」

 

「それよりもしなきゃいけない仕事は、お母さんとして陽香の傍にいること。違う?」

 

「・・・ううん、そうしてくれると、嬉しい」

 

 選択は間違えたくなかった。

 自分のことを思ってくれている人のことを、裏切りたくはない。

 

 それからお母さんは私の手を握った。久方ぶりに、誰かのぬくもりに触れた気がする。

 それはやっぱり暖かくて、泣きそうになる。

 そしてようやく、私は全ての感情を理解できた。

 

 私、やっぱり生きていたいんだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

今回は前作からサブタイトル変更なしでお届けしました。だいぶ気に入ってるんですよねこのサブタイトル。
凪のあすから本編とはほとんどと言っていいほど関係ないこのパートは、だいぶ作者自身の力量を試されるところだと思うんですよね。
どうでしょうか、前作と比べて少しは成長しているといいんですけどね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第八十八話 その最後はきっと

特にないです。
そろそろオリジナルパートも終わりますね。


~遥side~

 

 それから決行日までは日が過ぎるのが早く感じた。全ての信用を裏切らないように上手に立ち回る、これまでずっとやっていたことで、分かってはいたけど、やはり負担は大きかった。

 それに、今回は多くの人の命がかかっている。生半可なことが出来ないだけに、日に日にストレスは溜まっていた。

 けど、それも明日で終わりだ。

 

 俺は先生に電話をかける。自分を落ち着かせるためには、気の許せる誰かと会話することが一番だった。

 数回コールが響いて、電話がつながる。

 

「よっ、どうしたんだ?」

 

「ちょっと話でもどうかなって」

 

「珍しく気弱にでもなってんのか?」

 

「まあ、そういうことにしといてください」

 

 どのみちあっていることだ。もう五年の付き合いともなれば、俺の考えてることなんてすぐに分かるだろう。

 

「いいぜ、付き合ってやるよ。といっても、緊張してるのは俺もなんだけどな」

 

「人生経験上、一番難易度が高かったりするんですよね?」

 

「そうだな。・・・まあ、同じくらい難しい手術はこれまで何度かあったから、そこについてはあまり気負ってはないんだが・・・」

 

「背景事情、ですか」

 

「・・・分かってはいてもよ、自分は手術にだけ集中します、なんてそう簡単には言ってられんだろ」

 

 それはそうだ。

 仮に先生が俺を信頼していたとしても、それとこれとは別。全てが終わるまではずっとプレッシャーがかかり続ける状態だろう。それは、俺も。

 でなければ、同じ重圧を抱えている者同士こうして今話などしていない。

 

「まあ、怖がってもなんだ。もっといろんな話しようぜ」

 

「そう言えば、そっちに真冬さん、行ったんですよね?」

 

「ああ、来たぜ。お前が催促してくれたんだろ。正直、助かる」

 

「催促って程でもないですけど、まあ、ちゃんと話しておくべきだったと思ったので」

 

 俺の言葉を聞いて、先生は淡々と語りだした。

 

「心の拠り所って大事なもんでさ、特に患者だと。だからああやって傍にいることが、結構特効薬になったりするもんだ」

 

「心の拠り所、ですか」

 

 それを随分と手にしてなかった人生だった。今でこそその言葉の意味の片鱗は分かるけれども、心のどこかで自分がそれを拒絶しているのじゃないかと不安になってしまう時は、時々ある。

 

「しっかしまあ、とてもあいつの妹にはおもえねぇなぁ。小さい頃を見たことないからなんとも言えないけど、少なくとも今の状態で似てるとは言えねえだろ?」

 

「そうですね」

 

「・・・すーちゃん、元気してるか?」

 

 ふと、先生はトーンダウンして鈴夏さんの状態を伺った。前は恋かどうか分からないと受け流したものの、やはりどこか気はあるのだろう。

 俺は逃げることもはぐらかすこともせず、きっちりと答える。

 

「元気してますよ。それと、伝言もあります」

 

「まじで?」

 

「また今度、飲みにでも行かないか、って。そう言ってましたよ」

 

「・・・洒落た喫茶とか、料理とかすぐに出てこないあたり、あいつなんだなって思わされるよ」

 

 電話越しでも苦笑が伝わった。つられて俺もふっと笑う。

 それから一息ついて、先生は落ち着いた口調で続けた。

 

「もちろん、付き合うよ。俺もあいつに話したいこといっぱいあるからな。お前もどだ?」

 

「行くわけないじゃないですか。せっかく先生がアタックできるチャンスですよ? 俺がいたら視線が俺に向かうに決まっちゃうじゃないですか」

 

「はん、よく言うぜ」

 

 もちろん、冗談のつもりだが、行くつもりがないのは事実だ。ここから先は二人だけの問題で、そこに俺が過度に絡んでいく意味はないのだから。

 

「・・・なんか、ありがとな」

 

「それを言うのは全部終わってからにしましょう」

 

「そりゃそうだ」

 

 漏れていた苦笑が止まる。先生は落ち着いた声音で俺に問いかけた。

 

「・・・お前のほうは、大丈夫か?」

 

「準備は出来てるんです。あとは、俺がしくじらなければちゃんと終わります」

 

「できるのか?」

 

「やるんですよ。できるかどうかで聞かれたら困ります」

 

 今やっていることが最適解と分かっていながらも、できるかどうかで言われたらだいぶイチかバチかだ。犯人に俺が信頼されているとも限らない。

 

「・・・だな。野暮なこと聞いた」

 

 そこからまたしばしの静寂。俺と先生の会話でこうも言葉がなくなるのは珍しい。それほどまでに、切羽詰まっている状況という訳だけど。

 

「・・・やめだやめ。これ以上話すことなんてなんもねえよ」

 

「そうですね。万全の状態で臨むために、今日はさっさと寝ましょうか」

 

「そうだな。んじゃ、明日、しくじるなよ」

 

「先生も」

 

 そう契って、二人同じタイミングで電話を切った。

 数分ぶりに一人の状況になって、俺は改めてぐちゃぐちゃになっている自分の心境を整理した。

 

 先生は、変わろうとしている。

 立ち止まったままの俺を置いて、先に行こうとしている。

 

 そのことがうらやましいのかと言われたら、否定は出来ない。

 けれどそれより先に来るのは、自分の惨めさと言うか、焦りだ。

 

 他人の後押しはするくせに、俺は何一つ変われていない。それがどこかいたたまれない。

 

「・・・でも今は、そんなことを期にする状況じゃないよな」

 

 心にどこかしこりが生まれる。ほっといておいたらそれはどんどん大きくなって、いつかは俺自身の心全てを蝕むかもしれない。

 だからせいぜい俺はそれに飲まれないように、精一杯踏みとどまろう。

 

 そして日は巡り、手術当日を迎える。

 俺は真っ先に寄るべき場所へ寄った。鈴夏さんの元だ。

 

「おう、来たか。頼みのものは出来てるぜ」

 

 目が合うなり、鈴夏さんは奥から俺が頼んでいたものを手渡した。

 それは、電波阻害の小さなジャミング素材といったものだった。正直、これが効くかどうかは不明だ。

 しかし見た感じ、男の機材周りはたくさんのものこそあれど、最新とは言い難いものばかりだった。ブラウン管のテレビに磁石を近づけることで異変が起こる。その上位互換の行動を行うことはそう難しくないだろうと踏んで俺はこれを依頼した。

 

 しかし鈴夏さんもいくばくかの疑問があるようで、俺に問いかける。

 

「なあ、本当にこれ通じるのか?」

 

「俺の見立てだと、多分。偽のものとすり替えるには手間がかかりますし、おそらく裏で工作しててもバレるでしょう」

 

「まあ、そりゃそうだけど・・・」

 

「大丈夫、絶対成功させます」

 

 自信があるかどうかと言われたらはっきりと答えることは出来ない。けれど、今は虚勢を張ってでもそう言い切るしかない。

 鈴夏さんは俺を信じるといった構えを見せて、一度しっかり頷いた。

 

「分かった。じゃあこれを託す。うまくやれるんだろ?」

 

「はい」

 

 俺はしっかりとそれを受け取る。ここから先は後戻りできない。その重圧がひしひしと伝わってきた。

 

「んで、だ」

 

「?」

 

「大ちゃんは何か言ってたか?」

 

 つくづく似た者同士で、思わず笑ってしまう。

 けど、長くは続かせずに、俺は淡泊に答える。

 

「洒落た喫茶店とかじゃないあたりお前らしいよって言ってました」

 

「しょうがねえだろ、柄じゃないんだから」

 

「OKらしいですよ」

 

「・・・そっか。んじゃ、祈るしかねえな」

 

 仕方ないなと鈴夏さんは笑った。俺も少しだけ笑う。

 

「・・・それじゃ行きます」

 

「ああ。頼むぞ」

 

 俺はクルリと踵を返して、向かうべき場所へ向かう。

 泣いても笑っても、今日が最後だ。

 

 ならばせめて、笑顔で終われる未来を。




『今日の座談会コーナー』

さすがに毎話やってると書くことが尽きちゃいますね。
今作のサブタイトルの話でもしましょうか。というのも前作サブタイトル、一回投稿後に同じ名前が二つあるとかいう失態を犯してしまったので。
ということは、ボキャ貧だったんでしょうかねぇ・・・。正直前作の文章を見てると稚拙さとかが伺えて、真っ赤になっちゃうので。
そう言った意味でのリメイクでもあります。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第八十九話 結末の果てにあるもの

まーた新作始めちゃったよ。
こっちの編集滞りそうで心配。


~遥side~

 

 男のアジトの前にたどり着くと、急に足が震えだしてきた。

 それは無理もない事だった。全ての人の期待とこれからがかかった局面なんて、俺は迎えたことがなかったから。それこそ、きっと俺が目覚めたままでお舟引きを迎えていたなら、同じような感情を五年前に抱いていたのだろう。

 でも、それは過去の話。どうにもならないことを考えても意味はない。

 

 覚悟を胸に、重たい鉄の扉をノックする。男はドア越しに俺を確認して、中へと招き入れた。

 この間とは様子が違っていた。モニターらしきものには病院が映っており、リアルタイムで手術の様子を映せるようになっていた。この短期間で用意したのだろう。

 本当に、この機械一つでどうにかなるのかと不安にもなるが、ここまで来たらやるしかない。

 

「それで、首尾は?」

 

「悪くない。・・・外の様子もいたって普通通り、警察の気配もなさそうだ」

 

「ならよし。まあ、じっくり見ていようぜ」

 

 間もなく手術が始まろうとしていた。男は少し過呼吸気味に、そのモニターを眺める。時折映像が乱れたりするのか、少し苛立ちながら。

 

「くそっ・・・調子でも悪いのか? 新造してすぐだっていうのによ」

 

「・・・」

 

 俺は一つの確信を得たが、表に出さないように無を貫いた。

 

「お前は」

 

「あぁ?」

 

「この一件が終わったらどうするんだ?」

 

 俺が問いかけた言葉に、男は少し無言を続けた。そして、ぽつりぽつりと話し出した。

 

「・・・んなもん、考えたことなんてなかった。俺の人生を狂わせた全てに復讐してその後のことなんて、やってる最中には考えないもんだろ」

 

「まあ、な・・・」

 

 分かっている。こいつにも、こいつなりの理由があったのだろう。

 けれど、それが人の道を踏み外したものだというのなら・・・悪いが容赦はしない。きっと、分かり合う道だってあっただろうに。

 

「さて、始まるぞ」

 

「・・・」

 

 早く、この場から逃げ出したかった。

 全てを終わらせたかった。普段の日常に戻りたかった。

 

 ここまで来てふと思う。幸せとはなんだと。そのありがたみを、尊さを、今更になって再確認させられる。

 これからどうしたいか。

 

 そんなもん、俺自身もよく分かっていないというのに・・・。

 

 

 そうして、無言の二時間のあと。

 手術は、終了した。

 

---

 

 結果から言うと、手術は成功したようだった。モニターに映しだされた術後の様子からそれは察することが出来た。

 男は不機嫌そうに舌打ちをする。それと同時に、完全にくるってしまった笑顔を浮かべて。

 

「そうかよ・・・それが答えか・・・!」

 

 まずい・・・!

 男がスイッチを押すだろうタイミングを明確に図ることが出来た俺は、ジャミングをよりはっきりするために男に近づいた。

 幸い、男はモニターなどもう見ておらず、上を見て小さく笑っていた。だからこそ、目の前の異変に気が付かない。

 

「じゃあな! あの世で後悔しやがれ!!」

 

 男は前を向いたかと思うと、力強くスイッチを叩きつけた。

 

 

 ・・・

 

 ・・・・・・

 

 しかし、目の前のモニターに映し出された向こうの景色が爆ぜることはなかった。それに気が付いて、男はみるみるうちに表情を変える。

 

「なんだこれ・・・どういうことだ? ・・・まさか!」

 

 男が気づくより早く、俺は男の腕を背後から締めあげた。それから力のままに言葉を口から吐き出す。

 

「動くな! 痛い目見たくないならな!!」

 

「くそっ! やっぱりてめえが!!」

 

 必死に抵抗する男の力は強く、俺の拘束などすぐにでも解かれてしまいそうだった。そこには力以上の執念を感じる。

 そして数秒後、男は力づくで俺の拘束を解いた。やけになった状態、半狂乱の状態でナイフを取り出し振り回した。

 

 くそっ・・・声なんて届いたもんじゃない!

  

 病院は救われたっていうのに、今度は俺自身がピンチだ。

 そして男はまっすぐ俺の方にナイフを突き出してきた。一度目は左の腹部を掠めていく。

 

「っ・・・!」

 

 ほんの僅か、鋭い痛み。かすったのだろう。じわじわとシャツに血が滲んでいるのが分かった。

 それを知ってか、男は二度目を繰り出す。今度はしっかりと俺の身体という枠を捉えている。

 

 ・・・これしかないか!

 

 俺は無理やりその腕を上からはたいた。男のナイフは俺の左足の方を掠めていく。

 そしてあらわになった俺の足を見て、男は言葉を失う。

 

「なっ・・・!?」

 

「ここから先は正当防衛、だよな?」

 

それから隙だらけになった男の腹部に重たい一撃を加える。誰かを傷つけるために護身術を学んだわけじゃないけど、今は有事だ。

 腹部を殴られて、男はうずくまる。そのうちに俺はナイフを拾い上げて遠くへ投げ捨てた。それから男の上にまたがり、今度こそ動きを封じる。

 

「・・・悪い。俺は俺のために、こうするしかなかった。俺の守りたいもの傷つけられるのは、ごめんなんだよ」

 

「・・・なんで」

 

「?」

 

「なんで邪魔するんだよ! ・・・人生壊されて、何も得ないで、そして決死の賭けでやったこれがこのざまで、俺は何のために生まれたっていうんだよ!!」

 

 男の悲痛な叫びは、全てではないが共感することが出来た。

 でも、自分の不幸を他人にまき散らすことは、違う事だ。俺だって、自分の不幸を他人にぶつけて幸せになれるなら、そうしたかった。

 けど、そうしなかったからこそ今の暮らしがあって、今の幸せがある。少しだけ踏ん張ることが出来たら、その先にちゃんと答えがあるのだ。

 

 だから、男に問う。

 

「本当に、全てを失った時、手を差し伸べた奴がいなかったか? 誰か一人くらい、お前に声かけた奴もいただろうに」

 

「それは・・・」

 

 どうやら、その通りだったらしい。

 

「でも、もう、終わりなんだろ・・・?」

 

 男は泣きそうな声で呟く。全てを諦めたような声だ。

 でも、答えは最初から決まっている。終わろうと思わなければ、終わりはない。

 

「さあな。でも、諦めなければ多分、変われるチャンスは来るだろうさ。俺も、かつてそうだったように」

 

 それから外でサイレンが鳴り響く。今日事前に警察に相談しておいたのが、ここで生きたようだ。

 

「きっと、思うほどこの世界は悪いものじゃないんだ」

 

「・・・分からねえよ」

 

「まあ、俺もだ」

 

 それから間もなく警察が建物の中に突入する。男は自分から名乗りを上げ、つかまることを選んだ。さっきの話で、どこか思うところがあったのだろう。

 一人その場に残された俺は、解かれた緊張のためか、足から崩れ落ちた。

 

「君! 大丈夫か?」

 

「はい・・・大丈夫です・・・」

 

「怪我してるじゃないか・・・とりあえず、病院に!」

 

「こんなもん、唾つけてれば治りますよ」

 

「馬鹿言うな!」

 

「じゃあ、僕が連れていきますよ」

 

 警察の向こうの扉の方から声がした。何度か聞いたことがある。これは・・・西野先生だ。

 でも、なんで西野先生がこんなところに?

 

「西野先生・・・」

 

「部外者は立ち入りを・・・」

 

「一応、医者なんですけど」

 

「・・・分かりました。後で警察に立ち寄ってください。少々、この方にもお伺いしたいことがあるので」

 

「分かりました。・・・島波君、歩けるかい?」

 

「はい」

 

 俺はよろよろと西野先生の車の元へ向かった。

 とりあえず一通り終わった。その事実に安堵しながら。

 

---

 

 街の病院に向かう道中の車で、西野先生はようやく重たい口を開いた。

 

「・・・今回の件は、済まなかったな。外部の君にまで迷惑をかけて」

 

「いや、これは・・・俺が望んで巻き込まれたようなものじゃないですか」

 

「それもそうなんだが・・・。実を言うとだな」

 

 それから西野先生は、躊躇ったような口調で続けた。

 

「今回の件の首謀者は・・・俺の旧縁なんだ」

 

「・・・え?」

 

「信じられないよな。病院サイドからすれば、身内の知り合いの犯行だからな。・・・あーあ、俺もクビかな」

 

「待ってください。そんなこと聞いてないですよ」

 

「聞いてないんじゃない。言ってなかったんだ。それに、つい昨日、一昨日まで俺も知らなかったんだ」

 

 その声はとても悔しそうで、だから俺は何も言えなかった。

 

「といっても、最近まで連絡を取り合ってたわけじゃなかったんだ。仲良かったのは5年くらい前まで。ある日を境に連絡頻度も少なくなってな。最後に連絡が来たときは、あいつが廃業して追い込まれてた時だった」

 

「・・・先生は、助けようとしたんですか?」

 

「したさ。たかが医師一人の力じゃどうにも出来ないことは分かっていたけどな。それでも、俺は言った。俺に出来ることはないかと。助けはいらないかと」

 

「でも、拒否された」

 

「・・・ああ。あいつの頭の中には復讐の事しかなかったんだろう。でも俺は、旧縁としてそれを止めるべきだったんだ。何としても」

 

 西野先生はハンドルを叩きつけた。拳には血管が浮かび上がっている。それほどまでに後悔は大きいのだろう。

 こういう時、どういう声を掛ければいいのだろうか。

 先生は悪くない、とでも言えばいいのだろうか。しかしそれは、かえってくすぶっている後悔の炎に油を注いでしまうかもしれない。

 

 優しさと、厳しさは表裏一体ではない。だから俺は、あえてこう問いかけることにした。

 

「それで、どうするんですか? これから先」

 

「どうって・・・」

 

「今更悔いても、あの人が罪を犯したことは変わりませんよ。それにずっと引っ張られて生きるのは、辛いはずです」

 

「何、俺に医者をやめろって?」

 

「そんなこと言ってませんよ。ただ・・・生きてる限り、人は変わるんです。でも、あの人が表に帰ってきたとき、戻る場所なんて今はないですよ」

 

「・・・はぁ、なるほどな」

 

 俺の言いたいことを西野先生は理解したようで、だからこそ苦しそうな表情を浮かべた。

 

「だいぶ難しい話をするんだな。俺が、あいつの受け皿になるなんて」

 

「できますよ。一度でも手を差し伸べようとした心があるなら」

 

「・・・そうかもな」

 

 大吾先生も過去を払拭して変わったと言った。だからこの人も、今がその時なはずだ。

 なんて、俺がえらそうなことを言えた身分じゃないけど・・・だからこそ、俺みたいにずっと後悔に囚われて生きる人を、少なくとも俺の知る人の中では作りたくないから。

 

「まあ出所したら一発ぶん殴ってやるかな。話はそれからだろう」

 

「たぶん、それが最適解ですよ。・・・っ!」

 

「痛むのか?」

 

「ほんの少しですけど」

 

 そうは言っても俺も怪我人だ。下手に強がりはできない。

 

「んじゃ、さっさと行こうか」

 

 そしていつもの調子で、西野先生はギアを上げた。車は加速していく。

 果てしなく長く暗かった、トンネルの出口へ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 前回と犯人の立ち位置を大きく変えましたね。それこそ、前回の動機の薄さとか背景事情の薄さとかが目立ちすぎて、本編に何も関わらなすぎるって思ってたので。
 そこでうまく西野先生を使えたんじゃないですかね。前作にはいなかったキャラクターなので。個人的には気に入ってますよ。
 とはいえ、これでオリジナル編いったん終了ですね。長かったような・・・。

 といったところで、今回はこの辺で。
 感想、評価等お待ちしております。

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第九十話 プロローグ、そして

次回から、本編・・・始動っ・・・!


~大吾side~

 

 長かったような、短かったような、そんな数時間。

 メスで肉を刻む手が震えた。少しでも手元が狂えば失敗してしまうというプレッシャーを押しのけて、俺は手術を終えた。上出来だった。

 

 それから30分、1時間と時間が過ぎる。爆破は・・・起きない。

 それでようやく、全てが片付いたのだと悟った。一気に肩の荷も下りる。

 

「はぁ・・・ようやく終わったか」

 

「お疲れ様でした、藤枝先生」

 

「ああ。ありがとう」

 

 手伝ってくれた他の人の言葉を受けつつ、俺は自分の持ち場へと戻る。ここまでくるとようやく終わりを実感できた。

 

「はっ・・・まだ手が震えてやがる」

 

 何のためにこの震えが起きているのかは分からない。けれど、もう終わったことだ。何も怖くはない。

 あの時、あいつに連絡の一つもなしにこの案件を担当してたらどうなってたんだろうな。なんてたらればを言ったところで過去は変わらないけど、ふとそんなことを思ってしまう。

 

 と、その時俺の携帯に電話がかかってきた。見慣れない番号だ。

 

「もしもし、こちら藤枝」

 

「よっ、元気してたか?」

 

「は・・・? こりゃまた珍しい相手だなおい。てか俺さ、今仕事中なんだけど」

 

「いいじゃん別に。出れるくらいには余裕あるんでしょ?」

 

 相変わらずあいつはマイペースだった。だからこそ、何も変わってなくて、安心できた。懐かしい声だ。ずっと聞きたかったような、そうでもなかったようなそんな気がする。

 

「てか、どうやって俺の番号を?」

 

「そんなん、あいつにもらったに決まってるじゃん。んで、全て片付いたら電話しようって思ってたわけ」

 

 きっとあいつもあいつなりに俺にアプローチをかけようとしたんだろう。うぬぼれなんかじゃなく、そう思える。

 だからこそ、その配慮にはありがたさを覚えた。

 

「そっか。気遣い感謝するよ」

 

「・・・終わったんだろ?」

 

「もちろん、ばっちりだ」

 

「お疲れさん」

 

 シンプルなその言葉に、俺は呆気にとられた。えっと・・・こんなこと言う奴だったっけ。昔のイメージってもんは、そう簡単には変わらないらしい。

 

「・・・何黙ってんの?」

 

「いや、なんか・・・変な気分でさ」

 

「まー、実を言うとあたしもなんだけどさ」

 

「変わってねーのな、俺達って」

 

「ホントにそう思うよ」

 

 落ち着いた時間だ。でも、あいつがいなかったらこうやってまた結ばれることもなかったのだろう。

 そこについては本当に感謝してる。

 

 島波遥。

 

 俺の人生を動かしたのは、まさしくあいつだ。

 

「んでさ大ちゃん。例の話だけど」

 

「行くよ。次の休みいつだ?」

 

「いつでもOK。自営業なめんな?」

 

「ったく、うらやましいぜ・・・。まあ、募る話も結構あるからな、のんびり呑もうぜ」

 

「ほんと。大ちゃんの恋愛事情も聞きたいしねー」

 

「ねえよんなもん」

 

「えー?」

 

「そんなもん・・・これから始まるんじゃねーの?」

 

「え? あ、そう・・・」

 

 言ってしまった。けど、これでいい。多分、そう言ってしまったからにはこの気持ちに間違いなんてないのだろう。

 俺はずっと、すーちゃんのことが好きだったんだろうと。

 俺もようやく一歩踏み出せる。すーちゃんも同じだろう。そのきっかけになったあいつへの感謝は、もちろん忘れない。

 

 島波・・・ありがとうな。

 

 

---

 

~陽香side~

 

 目が覚めた。目を覚ますことが出来た。

 まだうっすらとしてるけど、視界の先にはお母さんがいる。ずっと傍にいて欲しかった、大事な人がそこにいる。

 だから私の目からは、自然と涙が溢れてくる。

 

「陽香? 大丈夫?」

 

「・・・生きてて・・・よかった・・・」

 

 初めて、生まれてよかったと思えた。生きててよかったと思えた。

 生きてていいと気づかせてくれたんだ。遥お兄ちゃんが、先生が。

 

 お母さんも目にうっすらと涙を浮かべている。でも、セリフはいつも通りだった。ちゃんと一日が始まるという、魔法の言葉。

 

「おはよう、陽香」

 

「・・・うん、おはよう、お母さん」

 

 私はお母さんの手を握る。やっぱり、温かい。もっと、ずっと、こうしていたい。そう思うのはわがままなのかな?

 ・・・いや、いいんだ。もっとわがままになっても。そう教えてもらったから。

 

 寂しさと強がりにバイバイしよう。

 そしたらきっと、次のぬくもりに出会えるんだ。

 

 ・・・ありがとう、そう教えてくれて。

 一人じゃないってこと。お母さんともう一度手を繋げたってこと。

 生きてていいって、教えてくれたこと。

 

 ここにはいないから、きっと言葉は届かないかもしれないけれど、それでもこの思いはちゃんと言葉にして届けたい。

 

 窓の外を見る。遠くには海。こだましてくれることを願って、私は一人それを言葉にするんだ。

 

「ありがとう、遥お兄ちゃん」

 

---

 

~遥side~

 

 全てが終わって、解放されたのは翌日だった。

 病院で手当てが終わったかと思ったら、今度は警察に連行。俺の動向を根掘り葉掘り言う羽目になった。

 今回の事件の解決の立役者、とはよく言ったもので、勝手に危険な行動をしたことは警察としても目に余るそうだ。そこはこっぴどく言われた。そりゃそうだ。結局のところ俺はまだ20そこらの若僧でしかないんだから。

 

 それでも俺にはそうするだけの義理があったんだと押し通した。最終的には向こうも諦めてくれたようで、そこについてはそれ以上問われることはなかった。

 

 怪我については、不問にすることにした。そりゃそうだ。下手に裁判なんて起こしたらその分時間は取られるし、俺にとってのメリットが何一つない。

 それよりも早く、今は鷲大師に帰りたかった。

 美海が待ってる・・・というより、これ以上長期滞在すると下手に勘繰られてしまう。それだけは何よりもごめんだった。

 

 そうしてすべての面倒事を済ませて今に至る。夜が明け、陽が上ろうとせんばかりの朝。俺は重たい足取りで家に帰った。

 

「・・・死ぬほど眠れるんだろうな」

 

 今から寝て、夜にでも帰ろう。最後に鈴夏さんにでもあいさつ回りに行った方がいいかな、なんてそんなことを思って、家のドアを開ける。

 

 どさっと荷物を放り投げて、いざベッドに飛び込まん!

 

 とするとき、電話がかかってきた。なんだよこんな早朝に・・・勘弁してくれよ。

 

「おいおい・・・なんだってんだよ」

 

 仕方なく受話器を取る。電話をかけた主は俺が尋ねるより早く声を上げた。

 

「ねえ遥! 今そっちいる!?」

 

「いるよ・・・、どうしたんだ? 落ち着けよ」

 

「落ち着いてなんてられないから電話したの! とりあえず今からこっち帰ってくることできる!?」

 

「なんてったって今から・・・」

 

「だって・・・起きたんだもん・・・」

 

「え・・・?」

 

 まさかとは思うけど、そのまさかなんだろう。

 だからこそそれがまだにわかに信じられなくて、俺は問い返してしまう。

 

 そして美海は、今度こそはっきりとこう告げた。

 

「起きたの! 千夏ちゃんが! だから・・・だから今すぐ帰ってきて!」

 

 

 もう一度、歯車が動き出した。




『今日の座談会コーナー』

はい、これにてオリジナルパート一旦終了となります。長かったですねー。結構時間もかかっちゃいました。
というか、ここからが鬼門なんですよ。前回、楽しいなー、なんてノリと勢いで書いちゃったもんで、いろいろつじつま合わせとかふくらませとかその類が大変なんですよね。とはいっても好きなパートなだけに、頑張りたいものです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第九十一話 仄暗き闇の中へ

ようやく書きたかったシーンまでありつけましたね・・・。


~美海side~

 

 今日は異様に肌寒い朝だった。そのためか普段より早い時間に目が覚める。

 けれど、眠たいかと言われたら、そうでもない。今は朝の5時半。せっかくの休日だって言うのに、もったいない気がする。

 

 リビングに向かうと、先に起きていたパパが新聞を読んでいた。珍しい。いっつもあかちゃんに起こされることが多いのに。

 

「あれ、パパ起きてたんだ」

 

「ああ、うん。なんか目が覚めちゃってね。それこそ、美海だって」

 

「うん、なんかね・・・ちょっと寒くて」

 

 窓の外を見てみる。少しだけぬくみ雪が降っているけど、それだけで果たして寒いのだろうか。

 

「そんなにかな? ここ最近はずっとこれくらいだと思うけど」

 

 パパは特別おかしいとは思っていないようだった。てことは、エナを持っている私だからこそ感じるものなのかな。光やあかちゃんなら何か分かるかもしれないけど。

 こんな時は、なぜか海が気になる。光が帰ってきたケースもあるし、何があっても不思議じゃない。

 

 もしかしたら、誰かが目覚めるのかもしれない、なんて。そんな淡い予感がする。

 

「ねえパパ、ちょっと散歩してくる」

 

「いいけど・・・朝ご飯までには帰って来るんだよ?」

 

「分かってるよ。それじゃ、行ってくる」

 

 少し釈然としない表情のパパを置いて、私は海へ向かった。

 

---

 

 外に出ると、私の予想していた通り普段よりも詰めたい空気が漂っていた。そう言えば、巴日が起こった日も、これくらい肌寒かったような気がする。

 私は、海に呼ばれているような気がした。だからこそ、自然と足取りは早く、海へと向かう。

 

「・・・着いた」

 

 海に到着する。けれど、特別何か異変が起きているという風でもなかった。いつも通り氷が海を漂っている。ただそれだけだ。

 専門家・・・それこそ、紡さんとかが見れば何か異変にはっきりと気が付けるのかもしれないけど、私はそうじゃないから、目の前の現状は分からない。

 だから、気のせいという言葉で片付けざるを得ない。

 

「・・・無駄足だったかな」

 

 何もない、もしくは何かあったとしても私にはどうしようもないのが事実。

 帰ろうか。

 

 そう思った瞬間の事だった。

 謎の光が、海を包む。私はその眩しさに思わず目を閉じた。

 

 この光・・・あの時と一緒だ。

 何が、起こるの・・・?

 

 そしてしばらくして目を開ける。その視線の先には、さっきまではいなかった人の陰があった。

 そしてそれは、絶対に見間違えることのない人。その人が、横たわっている。

 

「え・・・ちなつ、ちゃん・・・?」

 

 間違えるはずなんてない。目の前にいるのは千夏ちゃんだった。

 

 それは、五年前と何一つ変わらない姿で。

 

---

 

~遥side~

 

 家でのんびりと構えている暇なんてなかった。

 美海聞かされる、水瀬の目覚め。それを目の前にして何もせずにいられるはずなんてなかった。

 五年だ。五年の間、俺のせいで海で眠ることになったあいつが、ようやく目覚めたんだ。今すぐにでも会いたい。

 

 すぐに荷物をまとめるなり、俺は始発電車に飛び乗って鷲大師へ戻った。

 

 鷲大師が近づいてくるたびに、鼓動が早くなる。

 今更、どんな顔をして会いに行けばいいかなんて分からない。けれど、それでも俺は会いたいと願った。

 

 駅に着くなり、俺はロッカーに荷物を置いてそのまま海へと走っていった。ここ数日の疲労で体は言うことを聞かず、うまい事動けないがそれでも走った。

 

 美海が、水瀬が待つ海に向かって。

 

 海辺が見えてくる。遠巻きに美海と、横たわっている水瀬が目に入った。もう少しだ。駆ける足は速くなっていく。

 氷が張っている、その上。光の時と一緒だ。

 

 そして美海に近づいて、俺は声を上げた。

 

「美海!」

 

「遥、帰ってきたんだ!」

 

「それより、水瀬は・・・!?」

 

 美海の膝の上で、水瀬は眠っているようだった。光の時とは違って、呼吸も感じられる。小さく揺れる腹部が、それを表している。

 

 水瀬は・・・五年前と何一つ変わっていなかった。みんなと一緒に、冬眠していたんだ。・・・信じてきて、よかった。そう思う。

 

「本当に・・・帰ってきたんだな・・・」

 

 次第に心の底からいくつもの感情が湧き上がってくる。少なくとも、俺の最後の記憶は告白されたあの日。その思いから逃げたあの日。

 目覚めて水瀬はどんな反応をするんだろう。それが少し怖くも思う。

 そんな感情ばかりなもんだから、これ以上口は開けなかった。開いてしまえば、余計なことまで言ってしまいそうで。

 

「まだ一度も目が覚めてないのか?」

 

「うん。近くの公衆電話から遥かに電話してからずっとこの様子」

 

 美海は首を横に振った。けれど無理もない。呼吸をしてるだけ、まだ光よりましな状況という訳だ。

 

「どうする? これから検査も兼ねて病院に連れて行った方がいいのか?」

 

「でも、光だって何もなかったでしょ? 急いだ話じゃないと思うし、それに目覚めを待つならこの場所のほうがいい」

 

「そうだな」

 

 真っ白に包まれた病室でのご対面なんて俺は嫌だ。確かにそうだ。

 俺は美海の意見をくみ取って、この場所で待機することにした。水瀬が目覚める、その瞬間まで。

 

「ところで、美海はなんでこんな朝早くに海に来たんだ?」

 

「・・・今日、どこか寒いでしょ? それで目が覚めて、気になって海に来たら、千夏ちゃんがいたの」

 

「でも・・・今はそんなこと感じないけどな。ひょっとしてその寒さってのは、もう引いたのか?」

 

「うん。千夏ちゃんが私の目の前に現れてから。・・・あのね、光が起きた時みたいに眩しい光に包まれたの。そして、目を開けたら千夏ちゃんがいて」

 

「それは、巴日だったのか?」

 

「いや、違ったよ。何がトリガーなのかは私にはちょっと分からないかも」

 

「そうか」

 

 それでも、その状況を視認できたのは大きいと思う。それに、この状態ならみんなが目覚めるのはもうじきってことかもしれないし。

 

「・・・ね、遥」

 

「なんだ?」

 

「千夏ちゃん、起きてくれて嬉しい?」

 

「・・・そんなこと」

 

 言うまでもない。

 どんな複雑な感情があろうとも、水瀬は俺の大切な人の一人であることには変わりない。どれだけ後ろめたい気持ちがあろうとも、目覚めてくれることは嬉しい。保さんや夏帆さんだって待ってるんだ。

 

 これからのことはこれから考えればいい。ならば、今出てくる感情は結局一つだけ。それを変に言葉にする必要なんてどこにもない。

 

「言うまでも、ないだろ」

 

「そうだよね」

 

 俺は笑った。うまく笑えている自信はないけれど。

 

 その時、水瀬の指先がピクリと動いた。次いで、「んっ」と小さな声を漏らす。

 

「水瀬!」

「千夏ちゃん!」

 

 俺と美海が同時に声を上げる。それで完全に意識は覚醒したようで、ゆっくりとその瞼を開いた。

 

「・・・おはよう、美海ちゃん。・・・それと」

 

 そして水瀬はそっと、この世で一番残酷な言葉を口にした。

 

 

 

「・・・そこの人、誰ですか?」

 

 それは、俺の感情にヒビを入れるのに一番効果的な言葉だった。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ここら辺に関しては展開を大きく変えるつもりはないんですけど、内容をふくらませたいなんて思ってます。
 ただ、そうなるとやっぱりキャラ崩壊だとか辻褄合わせってのが結構シビアになってくるので考えものですよね。
 特にキャラ崩壊、というか性格維持というか・・・小説全般においてぶれないようにするのが難しいところだと思ってます。

 といったところで、今回はこの辺で。
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第九十二話 もう、どこにも

特になし。


~遥side~

 

 言われた言葉を、俺は自分の心の中で何度も反芻した。

 けれど、それを信じたくなくて、俺はあろうことか目の前の少女にもう一度尋ねた。

 

「えっと・・・今、なんて?」

 

「だから、誰なんですか? あなたは。私・・・会ったことありましたか?」

 

 今度は確実に、それが耳を通して体内に入ってくる。

 

 間違いない。目の前の水瀬の記憶から、俺という存在は完全に消え去っている。

 あれだけ傍にいながら、その記憶の中に俺はもう、存在しない。

 

 俺の中で何かが壊れる音がした。先ほど入ったヒビは、その大きさを増して、いよいよそれを砕くに至った。

 

 そうか・・・これが、現実か。

 ・・・残酷な、もんだよな。

 

「・・・ははっ、そう、だよな」

 

「遥・・・」

 

「・・・悪い、放っておいてくれ。俺は今きっと、ここにいるべき人間じゃない」

 

「ねえ待って、話を」

 

「来るなって・・・!」

 

 それから俺はふらつく体を携えて、その場から逃げるように走り去った。それがどれだけみっともない姿か、なんてものはもはやどうでもいい。俺は、ここに存在するべき人間じゃないから。

 

「遥、待ってって!」

 

「来ないでくれ! ・・・今、水瀬の元を離れたら誰があいつのことを見るんだよ。俺には出来ないぞ。・・・あいつに忘れ去られた俺なんかじゃ」

 

「そんなこと・・・」

 

「お世辞は言わないでくれ。優しい嘘ならなおのことだ。・・・それを言って、あいつの記憶が戻るのかよ。答えが、変わるのかよ・・・!」

 

「・・・」

 

 美海は黙り込む。立ち止まって、俯く。それを後目にして、俺は情けない姿のままでその場からどんどんと離れていった。

 歩く。今日はやけに体が重たい。そうか、さっきまで、昨日まで頑張っていたもんな。

 でも、それが報われないんじゃ・・・もう、生きてる意味なんてない。全ての期待を背負ったまま生きることなんて、俺には出来やしない。

 

 はっ・・・いっそ死んでしまおうか。

 

 そんなことを思って、誰もいない道をただ歩いていく。

 歩く、行くあてなんてないまま。

 歩く、たどり着く答えなどないまま。

 

 今日はやけに、雪が冷たい。

 

 

---

 

 海から結構離れただろう。先ほどまでしんしんと降り積もっていた雪はいつの間にか強さを増して、今にも吹雪になろうとしていた。

 身体はどんどんと冷えていく。そういえば、エナも潤してないんだっけ。

 

 俺は、どこに行けばいいんだろうな。

 

 この足で水瀬家に戻る? そんなことは出来ない。あの二人が第一に待っているのは実の娘である水瀬本人であって、偽りの器の俺なんかじゃない。

 至さんのところに行ったってそうだ。あの人にもあの人の家族があって、それは俺じゃない。

 街の家はどうだ? ・・・きっとこの吹雪じゃ電車は止まってしまっているだろう。今すぐには帰れないし歩いて帰ることも険しい。

 

 そうか。・・・あの日家族を失ってから、俺の本当に帰る場所なんてないんだ。

 

 立ち止まりたくなるほど絶望の現実。それでも俺は歩き続けた。本当に馬鹿だ。水が染み込んで足が少し軋む。身体もいよいよ重たくなって、一歩の大きさはどんどん小さくなっていく。

 

「・・・なんで、こうなんだよ」

 

 そして俺の身体は倒れこむ。いよいよ限界が訪れてしまったみたいだ。

 ここなら・・・誰にも見つかることはないだろう。きっと見つけられる頃には、死んでしまうかもしれない。

 けどもう・・・それも、いいかもな。

 

 遠くに、懐かしい場所が見える。

 あそこは、父さんが、母さんを刺した場所だったっけ。

 

 そこで俺も死ぬなら・・・それもまた、運命なのかな。

 父さん、母さん。

 

 今から俺も、そっちへ行くよ・・・。

 

---

 

~美海side~

 

 遥の背中が、だんだんと遠ざかっていく。その背中を私は追うことが出来なかった。遥のいう事が、何一つ間違いなかったから。

 今、どんな励ましの言葉を遥にぶつけたとしても、それは届くことはない。五年前のあの日とは違う。

 

 千夏ちゃんの記憶から遥が消えてしまったという事は、それは遥が大切なものを失ってしまったことと変わりはない。

 明確に失ったと分かった遥の絶望は、私には計り知れない。

 

 けど・・・少なくとも今の私には使命がある。

 千夏ちゃんをどうこうできるのは私しかないから。

 

「千夏ちゃん、家、帰ろ。立てる?」

 

「え、あ・・・うん。ねえ、さっきの人は?」

 

「大丈夫だから、気にしないで」

 

「そう・・・。美海ちゃん、大きくなったね」

 

 さっきから、一つ一つの言葉が胸に刺さって痛い。

 遥のことを忘れてしまって、そして空白を抱えたまま五年の月日が経って。

 だから私はなんて言えばいいのか言葉に詰まって仕方がなかった。

 

 千夏ちゃんの言葉になんて返せばいいか分からない。

 五年経ったから? 違う。

 何を覚えてる? 違う。

 

 私に返せる答えは、あいまいなものしかなかった。

 

「うん、いろいろあったから」

 

 今は多分これでいいのかもしれない。頭から色々なことを伝えてしまうとパンクしてしまうのは、光のことで身をもって知った。

 

 それから無言で千夏ちゃんを家へと送り届けた。

 千夏ちゃん自体も体力がまだ完全に回復していないのか、少しまだ気だるそうに歩いていた。それが少しだけ、今はほんの少しだけ、幸いした。

 

 家に辿り着いて、インターホンを鳴らす。ドアの向こうから顔をのぞかせたのは、千夏ちゃんのお母さんだった。

 

「あら、いらっしゃい美海ちゃん。・・・え?」

 

 その視界に、私の隣にいる千夏ちゃんが映ったのだろう。たちまち千夏ちゃんのお母さんは膝から崩れ落ち、やがてとめどなく涙を流し始めた。

 

「ただいま、お母さん」

 

 少しだけ困ったような笑顔を浮かべて、千夏ちゃんは答える。その笑顔が眩しくて、だからこそ、とても胸が痛い。その笑顔の中に、遥がいないと思うと・・・。

 

 一連のやり取りが聞こえたのか、奥から千夏ちゃんのお父さんが出てくる。

 

「千夏・・・」

 

 その顔は驚きと、嬉しさの感情で滲んでいた。

 

「・・・外は寒いだろうから、入ったらどうだ。美海ちゃんも」

 

「・・・おじゃまします」

 

 遥のことが心配なのは間違いないけど、だからこそ全てを混乱させてこの場を去ることが一番悪手だろうと私は判断した。きっと、遥ならそうするから。

 ちゃんと、伝えるべきことを伝えて、それから追わないと。

 

 改めて、私は千夏ちゃんに大切なことを伝えた。

 

「さっきは色々って言ったんだけどね・・・千夏ちゃんが眠ってしまって、五年が経ったの。だから、私は今中学二年生で、千夏ちゃんと同い年」

 

「そっか、だから大きくなったんだね。・・・私の言う昨日が、五年前なんだ」

 

「ねぇ、千夏ちゃん。その五年前の事、どれだけ覚えてる?」

 

「・・・最後にお舟引きをしたような、そんな記憶はあるけど・・・、でも、なんか思い出せないの。まだ体が疲れてるのかな」

 

 

「千夏、疲れているなら無理しなくていいんだぞ」

 

「うん、そうだよね」

 

「部屋の準備は出来てるから、いつでもいいわよ」

 

 千夏ちゃんのお父さんからの勧告に従って、千夏ちゃんは自分の部屋に下がることにした。ちゃんと全て回復した状態じゃないと、千夏ちゃんも疲れるだけだ。

 

 それから千夏ちゃんと千夏ちゃんのお母さんが部屋へと消えていった。ここぞとばかりに、千夏ちゃんのお父さんは切り出した。

 

「千夏は、大丈夫なのか?」

 

「私には分かりません」

 

 なんていうけど、大丈夫なんかじゃないのは分かっている。だって、あれだけ好きでいた人の存在を忘れてしまっているのだから。

 それは傍から見れば、とても悲しいもので。

 

 これじゃ、フェアに戦う、なんて・・・。

 

「ところで、遥くんは? 連絡したんだろう?」

 

「・・・あ、えっと・・・」

 

 返答に困る。そしてその時、私の頬を涙が伝いだした。全ての悲しい現実に、私自身耐えきることが出来なかった。

 

「・・・遥は」

 

「なんで泣いてるんだ?」

 

「千夏ちゃん・・・遥の事・・・全て忘れちゃったんです」

 

「・・・なんだって?」

 

「だから今も・・・どこかに行って・・・遥、もうここには帰ってこないかもしれなくて・・・!」

 

「・・・追おうと、してるのか?」

 

「今すぐにでも行かないと、遥は・・・!」

 

「分かった。こっちのことは、俺に任せてくれ。・・・大丈夫、いかなる事情があっても、俺たちは遥くんの味方でいるつもりだ。・・・ちゃんと全ての整理が着いたら、また帰ってきてほしいと、どこかで伝えておいてくれ」

 

「はい」

 

 私は短く返事をして、すぐに千夏ちゃんの家を出た。この時間の中で遥はどんどんとどこかへ進んでしまっているだろう。それが遠くなればなるほど、私の手は届かなくなる。

 

 今逃げちゃったら、私は絶対に後悔する。

 だから、何があっても逃げない。絶対に遥のことを見つけて、その傍にいたい。それが今私にできることだから。

 

---

 

 そうして遥を探す。足跡も雪に埋もれて、どこに行ったかの痕跡さえ残っていない。溶けた雪が靴に染み込んで冷たいけど、そんなことなんてもう気にならない。それよりも、今は遥だけを私は見ていた。

 

「おい美海! どこ行ってたんだよ!」

 

 見知った声が聞こえてくる。光だ。どうやら私を探しているみたいだった。

 

「ごめん、色々あって」

 

「ったく・・・朝飯までに戻るって約束したんだろ? さっさと帰らねえと」

 

「それどころじゃないの! ・・・遥が」

 

「・・・なんか、あったのか?」

 

 うっかりと口が滑り、遥の身に何かあったことを光に伝えてしまった。光も少しばかり動揺した表情で、私に問いかける。

 

「あいつ、今街に戻ってるんじゃなかったんのか?」

 

「そうなんだけど・・・そうじゃなくて・・・!」

 

「・・・ったく、面倒なことになってそうなんだな」

 

 光は何かを察したように、はぁ、と一つため息を吐いた。

 

「・・・あかりには俺が上手く言っとく。けどその代わりちゃんと終わらせて帰って来いよ?」

 

「うん、ありがと」

 

 こんな思いやりが出来るようになっているとは思っていなかっただけに少し驚いたけど、それより今はそうしてくれたことのありがたさが勝った。

 私は全力で遥を探す。

 

 

 たどり着いたのは、鷲大師から随分と離れた場所。

 こんなところにいるはずもない。けれど、街中にはいなかったんだからここに来るしかなかった。

 

「どこなの・・・遥」

 

 また泣きそうになる。吹雪はより一層強さを増して襲い掛かってくる。

 そして視界を奪われそうになった時、その視線の先にそれは映った。

 

「はる、か・・・?」

 

 もう随分とその場所で倒れていたのか、雪が体の上に積もっている。

 そして・・・息をしていない。

 

 

 でも、そこにいるのが遥であることに間違いはなかった。




『今日の座談会コーナー』

 前作で一番好きな回の候補の一つにこの回がありますね。だからこそ膨らませたいなと思っていたので前作にはなかった一幕も入れてみました。
 さて、ここからですが随分と大きく動くと思います。前作とは違った未来になるかもしれないのでお楽しみにしておいてください。

 といったところで、今回はこの辺で。
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第九十三話 あなたの呪い

前回より絶対いいの書けた!はず!


~美海side~

 

「遥!」

 

 思わず声を上げる。色々な感情が混ざってはいたが、真っ先に出てくるのは少しの安堵だった。

 しかし、返事はない。近づいて、体を揺すっても、ピクリとも動かない。

 そして肌と肌を通してようやく分かる。かなり体温が下がっている。この状態を放って置いたら確実に・・・。

 

「死んじゃだめだから!」

 

 返事が帰ってこないと分かっているのに、心のうちの不安をどうしても隠し切れずに私はそう叫んでしまう。

 とりあえず、今は私にできることを、と遥の上に積もっていた雪を払って、私のパーカーを上からかけた。サイズなんてあってないけど、ないよりは絶対にマシだ。

 

 しばらくすると、小さく呼吸をしているのが伝わってきた。まだ死んではないみたいだった。けれど、何もしなければ時間の問題だ。

 

 けど・・・。

 

「ここから・・・どこに行けばいいの・・・?」

 

 吹雪は先ほどより一層強さを増している。私たちを嘲笑うかのように。

 今の私の力で、遥を街まで運ぶなんてとてもじゃないけど無理がある。そんな状況なものだから、とても家に帰ることなんてできやしない。

 電話で助けを呼ぶのもありかもしれない。けれど、そのためには遥をどこか安全な場所まで運んだほうが賢明だろう。

 

「近くに・・・そんなところが・・・」

 

 当たりを見回す。降りしきる雪のために視界は悪いが、運がいいことに廃倉庫が目に映った。中に入れるかどうかは分からないけど、イチかバチかで行ってみるのもありだろう。

 

「・・・よし」

 

 私は先に一人でそこまで向かってみる。運のいい事に、入り口は開いていた。逆に言えば、ここを締めることは出来ないという事だけど。

 それでも、雪をしのげるだけマシだ。

 

 私はそこから運搬用の台車を持ってきて、遥を乗せた。これなら移動は容易になる。

 

「・・・大丈夫、私がいるから。絶対に・・・一人にしないから・・・!」

 

 本当は自信なんてないのに、今だけは、遥の為なら、自分の全てをかけてでも頑張れる気がした。

 一歩、また一歩。二人だけの道を歩く。

 

 そして倉庫に着いた頃に、私の体力も限界を迎えた。

 もう歩けない。補助があっても遥を動かすのはここまでが限界みたいだった。

 

「これから・・・どうしよう」

 

 改めて倉庫の中に入ってあたりを見回す。あまり期待できるものなんてないとおもっていたけど、どうやら奥の方に事務所だったところがあるみたいだった。

 鍵は開いている。不用心な人が管理してたのだろう。

 

 ここなら暖も取れるはず。

 

 そこまで移動して、私はようやく一息付けた。

 事務所の中にはベッドが一つとそれについている毛布が一、二枚ほど。奥の方を漁れば、ガスコンロも出てきた。それらはまだ綺麗で、おそらくここは使われなくなってそんなに経っていないみたいだった。

 

「・・・そこで休んでてね、遥」

 

 ベッドに遥を寝かせたと同時に、私は椅子に腰を下ろした。外からは吹雪の音が聞こえてくる。相当強くなっているのだろう。事務所の扉の隙間から入ってくる風は異様に冷たい。

 

 私一人帰って、助けを呼ぶことくらい今は出来るかもしれない。

 けれど、遥が千夏ちゃんの傍にいることが出来るのは私しかいないと言ったように、今の遥の傍にいることが出来るのは私だけだから。

 

 心中してでも、私は今、遥の傍にいたい。好きだと思っている相手のことを見捨てるなんてことは、私にはできないから。

 パパやあかちゃん、みんなには悪いけれど、これを最後の反抗にするから。だから、今だけは・・・。

 

 ベッドからダランと垂れた遥の冷たい手を、私は握って額を当てる。

 

「・・・大丈夫。ずっと一緒にいるからね」

 

 それから私は目を閉じた。

 次第に瞼が重たくなってくる。・・・大丈夫・・・離れないから・・・。

 

 ・・・

 

 ・・・・・・

 

 

「・・・ん」

 

 どうやら眠ってしまっていたみたいだ。繋いだままの手は放していなかったみたいだけど。

 

「遥・・・?」

 

 それでも、遥は目覚めてなかった。けれど、先ほどよりは呼吸が少し穏やかになってる。私のやって来たことも無駄じゃなかったんだろう。

 

「・・・っ」

 

 

「遥、起きたの?」

 

 肩がピクリと動く。遥の意識がはっきりしたのかもしれない。

 けれど、次の瞬間遥は苦しそうに呻き声をあげた。

 

「うぅ・・・あぁ・・・」

 

 それからまた苦しそうに身をたじろぐ。右に左に首を振って、目をぎゅっとつぶって、それはとても辛そうで、見るに堪えなかった。

 

「・・・そうだよね、辛いもんね」

 

 今なら全てを理解できる気がした。そして、私がすべきことも見えてくる。

 ・・・フェアに戦う、なんて言ったけど、多分、今はそれどころじゃない。遠慮なんてしたら、きっと遥は遠ざかってしまう。

 私が今遥に出来る事。きっとこれは、何の意味もない、自己満足かもしれない。でも、そうすることだけは、許してほしいから。

 

「・・・今だけは許してね、千夏ちゃん」

 

 そして私は、遥の唇にそっと自分の唇を重ねた。

 ほんの僅かなんて、そんな簡単な言葉じゃ片付かないほどのキス。遥の心に響け、届けと目をつぶって、私は遥の呼吸が整うまで唇を重ねた。

 そしてそれは、私のファーストキス。多分、遥にとっても。

 

 約束、守れなくてごめん・・・。

 

 それから、遥はゆっくりと目を開けた。けれど、瞳に光は灯っていない。虚ろな瞳で起き上がり、私の方を見た。

 

「美海・・・」

 

「起きて、くれたんだね」 

 

「・・・ここは、天国か?」

 

「ううん・・・。残念だけど、天国でも地獄でもない、現実だよ」

 

「・・・」

 

 それからまた、遥は悲し気な瞳をする。しばらくすると、音もなくその頬を涙が伝い始めた。

 

「・・・俺、どこで何を間違えたんだろうな」

 

「え・・・」

 

「父さんと母さん、二人に悪い事したのかな。水瀬に・・・悪い事したのかな。迷惑かけたくないと虚勢張ってまで頑張って生きてきたのに・・・全部、全部無駄になって。・・・きっと美海にも、俺は悪い事してるのかな」 

 

 遥らしくない、弱弱しい言葉。五年前のあの日とはもっと違う、冷たい心と言葉。もしかして、遥の心はもう・・・。

 そして私も五年前のあの日は違い、あの日と同じように大声で喚くことは出来なかった。

 

「呪われてるんだ・・・。生きても不幸にしかならないんだ」

 

「そんな、こと・・・」

 

「じゃなきゃ、なんで俺ばっかりこんな目に会わないといけないんだよ・・・」

 

 虚ろな瞳は語る。その心の黒い部分を全て表側に出して。

 

「消えさせてくれよ・・・」

 

 それほどまでに、遥の心に刻まれた傷は大きくて、私も泣きそうになる。どうして好きな人がこんなに苦しまなきゃいけないの、と。

 だから私は、精一杯の言葉を振り絞った。届きそうな手の先で悲しんでいる遥を見捨てないように。

 

「・・・私が、呪いになってあげる」

 

「え・・・?」

 

「私が遥の呪いになってあげるって言ってるの。・・・遥、消えたいって言った。それって死ぬってことでしょ? ・・・そんなこと、絶対にさせない」

 

「でも、俺が近くにいたら美海だって不幸になる。・・・そうなんだ。そんな人間なんだよ」

 

「それを構わないって言ってるの! ・・・私が不幸になってもいい。だから、約束して。・・・もし私が不幸になって、死んでしまうなら、遥も一緒に来て。・・・代わりに、遥が消えるなら、私もそっちに行く。そんな呪い」

 

 もしかしてこれは大きな告白をしてるのかもしれない。けれど、少なくとも心の中に付き合う、だとか恋人、だとかそんな軽々しい言葉は何一つなかった。

 私は今、命をかけてでも遥のことを助けたかった。

 

 遥の一番じゃなくたっていい。傍にいて、支えてあげれるなら、なんだっていい。

 だから私は、この呪いをかける。

 

「・・・、美海・・・!」

 

 遥は力強く私を自分の身体の方へ引き寄せる。私の身体はされるがままに遥の方へと引っ張られた。

 でも・・・それはきっと、受け入れてくれたってこと。だから私も、拒まない。

 

「今だけは・・・何しても許してあげる」

 

「・・・だったら・・・ずっと、こうしててほしい」

 

「うん、いいよ」

 

 私は、遥の呪いだ。遥が打ち砕きたいと願うその日までは、ずっとその傍に付きまとうことにしよう。

 

 恋とか愛とか、そんな上辺だけのものじゃない。深い、深い沼の中へ。

 もし、その呪いが打ち砕かれるその日が来たなら、千夏ちゃん、その時は今度こそフェアに戦おう。

 

 

 だから今だけは・・・こんな、歪んでどうしようもないような夢を続けさせてほしい。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 改めて二年前の作品の同じシーンを見てみると色々と描写不足でびっくり・・・。というか、二年も経つと別な文章を書くことが出来るようになるんですね。びっくりしました。
 というか、書いた作者が言うのもなんですが、今作の遥これ重病ですね、だいぶ。前作では自分を取り戻すまでそんなに長い時間かかってなかったですけど、ここからどう立ち直るんでしょうか。

 といったところで、今回はこの辺で。
 感想、評価等お待ちしております。

 また会おうね(定期)


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第九十四話 恋は行方知らず

~遥side~

 

 最後に目をつぶった時から、ずっと暗闇を見せられてる。死んでしまったのだろうか、なんてことも思う。

 

 ・・・ここまでの人生、何かいいことあったかな。

 

 たくさんのつながりもあった。新しく生まれた出会いもあった。

 なのに。一番欲しかったものだけは、手のひらからすり抜けてく。

 

 俺が海を好きと言ったばかりに、大好きだった両親を失って。そして俺が自分の気持ちから逃げてしまったばかりに、守りたいと思ったつながりと、その記憶を失って。

 きっと、そうなんだ。こうやって、大事なものから奪われていくんだ。

 

 だから・・・この人生は、呪われていて。

 誰かを不幸にするだけの人生で・・・きっと、美海にとってもそうで。

 生きてちゃいけない。そんな気がした。

 

 ならば、この眠りが一生続けばいいと思った。そうしたら死ねる。悲しんでくれる人がいたとしても、俺がいるから生まれる悲しみに比べれば、大したことなんてない。

 

 ・・・なのに。

 

 頭の方から、温もりが伝わってくる。これは、人の体温。・・・唇だ。そこに誰かがいる。

 ・・・目覚めたくないのに、目覚めてしまう。

 その摂理に逆らう事が出来ないまま、俺の瞼はゆっくりと開いた。

 

 そこにいたのは・・・美海だった。

 

 ああ、そうか。

 神様はまだ、俺に苦しめと言うらしい。

 

 そこから、何をして、何を言ったか覚えていない。

 ただ、俺の人生が呪われたものであること、ただ延々とそんなことを口にした記憶だけが残っている。

 

 でも、美海の一言で目が覚めた。

 

 美海が呪いになる。

 俺が死ぬなら一緒に行く。その代わり、私が死んだら俺に来いと。

 

 馬鹿げた鈍いかもしれないそれが、俺には嬉しかった。

 一緒に不幸になってくれると言ってくれた。それは、俺の人生を肯定するものかもしれないと思えた。

 だから、俺はかけられた呪いを手繰り寄せて胸に抱いた。

 

 今だけは・・・この温かい呪いを手放したくないと、そう願って。

 

---

 

~美海side~

 

 自分が佇んでいるベッドに私を引き込んだ遥だったが、結局手を出されることはなかった。遥の中に、まだどこか理性がちゃんと残っているのだろう。そこまでは壊れてないと思えたことに一息つけた。

 軽く抱き着かれたまま、手を繋いだまま、遥はそれを放そうとしない。本当ならはずかしくて、今にも逃げ出してしまいたいくらいなのに、今だけはそんな気は微塵も起きる気がしなかった。

 

 きっと、今なら遥に好きと言う言葉をぶつけることができる、そんな気がしていた。

 でも、それだけは絶対にしない。約束をこれ以上裏切りたくはないし、何より相手の弱みに付け込んで好きをぶつけるだなんて・・・卑怯だ、それは。

 

 これまで通りの関係って、どうなんだろう。これまで私は遥をどんな目で見てどんな風に好きでいたのか思い出せない。

 超えてはいけない一線を越えてしまったんだと、私はようやく気が付いた。

 

 ・・・でも、今だけは。

 

 そう思いながら、私は遥の腕の中で眠りについた。

 

---

 

 朝、外から漏れてくる肌寒い風で目が覚める。時計が指し示す時間は六時半。昨日の体力の消耗はほとんど回復していた。

 問題は、遥のほうなんだけど・・・。

 

「・・・ん」

 

 ほどなくして遥も目覚める。見る感じだと、昨日よりは血色がいいように思えた。

 

「おはよう、遥。身体の方は大丈夫?」

 

「・・・分からない。けど、多分昨日よりは動けるはず」

 

「なら、一緒に帰ろうか」

 

 私がそう言うと、遥は苦い顔で答えた。

 

「帰るって・・・俺はどこに帰ればいいんだよ」

 

「言ったでしょ。私は呪いだからって。付きまとってもらわないと困るから、家に来て。それを拒んだりなんて・・・許さないから」

 

「いいのか?」

 

「そこが今の、遥の帰る場所でしょ」

 

 言い切ってから思う。私、最低だ。

 千夏ちゃんはともかく、千夏ちゃんのお父さん、お母さんは遥を実の息子のように育てていたわけだし、そんな二人から大切な存在を奪うなんて、どうかしてると思う。

 

 でも、それ以上に遥の意思を尊重したいから、今だけは心を鬼にしたって構わない。

 

 遥は分かったように頷いて、私の手を取った。

 

「・・・せめて帰るまでは、こうさせてほしい」

 

「いいよ」

 

 それ以上に言葉はいらない。私は遥の手をとって廃倉庫を後にした。昨日あれだけ降り続いていた吹雪は止んで、今はすっかり晴れ模様を映し出している。

 これから先の未来が晴れかどうかなんて分かんないけど、一生懸命生きればきっと雲だって飛んでいくはずだから。

 

 ねじ曲がった愛の表現を、お互いの冷たい手で結んで繋ぐ。今はきっとそれしかないから。それしか、選びたくないから。

 

---

 

 家に着いた時、あかちゃんは玄関にいた。大きな声で私を叱り飛ばす。

 

「美海! あんたどこに行ってたの!」

 

「えっと、その・・・」

 

「・・・あれ? 遥くん」

 

「・・・どうも」

 

 あかちゃんの表情から怒りの色はみるみるなくなっていった。それは憂いに変わる。それからなんて言えば悩んでいるような表情をした。

 けれど、それは次の一瞬で動いた。

 

「・・・あれ?」

 

 遥は膝から崩れ落ちた。その様子はとても衰弱しているように見えた。あかちゃんも同じように思ったようで、私にすぐ指示を出す。

 

「美海! 話はあとにして、客間に布団敷いて遥くんを寝させてあげて!」

 

「え、あ、うん! 分かった」

 

 遥は今にも倒れそうになっていた。昨日少し回復したとは言っても、丁寧にエナを扱えているわけじゃない。ストレスも相まって、体はもうボロボロになってるのかもしれない。

 

 私はそんな遥を後目に客間へと向かった。急いで布団を出して、玄関に戻る。

 肩を貸して遥を部屋に連れていく。息もさっきより絶え絶えで、苦しそうにしているのが分かった。

 

「遥、寝ててね」

 

「・・・」

 

 布団に着くと安堵したのか、先ほどよりも遥の息は安定するようになった。ひと段落ついたのを見て、あかちゃんも一息ついた。

 

「さてと・・・美海、リビングに行ってて。後で話があるから」

 

「あかちゃんは?」

 

「ちょっと遥くんの処置を。といっても、この様子なら大したことする必要ないと思うけどね」

 

「分かった」

 

 傍を離れたくないと思う私がいたけれど、何も出来ないんじゃ足手まといだ。あかちゃんの言葉を飲んで、私は客間を後にした。

 それから遅れて小五分後ほどして、あかちゃんがリビングに戻ってくる。

 

「・・・それじゃ、何があったか話してくれる?」

 

「うん。長くなるけどいい?」

 

「ちゃんと聞くよ。だから、嘘、つかないでね」

 

「分かった」

 

 恥ずかしい事だけは避けて、ちゃんと伝えよう。きっとこれは、私の、・・・私たちの未来にも関わってくる話だから。

 

「昨日、海に行ったでしょ。そしたら千夏ちゃん、帰ってきたの」

 

「冬眠してたってこと?」

 

「そうなると思う。・・・でも、千夏ちゃん、遥に関する一切の記憶を失くしてたの。思い出どころか、名前すら」

 

 あかちゃんの眉がピクリと動いた。

 

「ここ最近の遥に何があったか分かんなかったけど、電話で呼んだら遥、街から帰ってきてくれたの。・・・それなのに、待ってた現実が、これだった」

 

「・・・それから、どうしたの?」

 

「昨日、すごい吹雪だったでしょ? 遥を探しに出て、見つけた時はもう帰れなくなってた。ここから随分離れた道端で一人、ポツンと倒れてたの」

 

「それで美海は、助けて介抱したってこと?」

 

「近くに廃倉庫があったから、そこで一晩寒さをしのいで、今日帰ってきたの。連絡できなかったことは謝る、ごめんなさい」

 

「・・・ううん。話を聞いたら納得しちゃったからいいよ。帰れないって話は光から聞かされたしね」

 

 一通りの話を終えて、あかちゃんはさっきまでの怖い顔をやめた。どうやらちゃんと誤解は解けたみたいだった。

 それから少しだけ目を伏せて、つづけた。

 

「・・・美海にそうしてもらえた遥くんは、幸せ者だね」

 

「え?」

 

「私さ・・・分かるんだよ。一人で苦しい時ってさ、誰かにいてほしくなるんだよ。特に、好きな人とかに、さ」

 

 あかちゃんはきっと、昔の自分のことを思い浮かべているのだろう。パパとすれ違ってばかりいた、五年前のあの頃を。

 

「でも、遥が私をどれだけ求めてるか、分からない・・・」

 

「・・・美海、遥くんの事好きなんでしょ?」

 

「うん・・・」

 

 あかちゃんには嘘はつけない。ここまでしているのに好きじゃないなんて自分の心の嘘を吐くのも嫌だった。

 

「だったら、疑っちゃダメ。面と向かってそれを拒否されるまで、可能性は消えないんだから。それに、千夏ちゃんに負けてると思ってもダメ。自分が一番だと思わないと、その思いは実らないよ」

 

「うん、そうだよね」

 

 いつからか、私は千夏ちゃんに叶わないと思っていたのかもしれない。それこそ、あの頃の千夏ちゃんは遥と同級生だったし、私には届かない存在だと思っていた。でも、今は何一つ千夏ちゃんと変わらない。

 

「大丈夫だよ。美海なら」

 

「うん」

 

 あかちゃんに励まされて、少しだけ自信を取り戻すことが出来た。そうだ、勝負はいつだって最後まで分からないから、この終わりのない戦いにだって、勝つことは出来るんだ。

 

 とはいっても、約束は守る。

 ちゃんとフェアに戦いたいから、今はただ寄り添うだけ。時が来たらそばを離れよう。

 

 私は少しだけ震える手で、遥の眠っている部屋のドアを開けた。




『今日の座談会コーナー』

流石に前作の良く分からない展開はバッサリカットです。正直自分でも何かいてるのか理解不能なのはまずいので。
今作はやっぱりもう少し既存キャラに暴れてほしいですね。暴れるというか掛け合いというか、そう言ったところをもう少し増やせたらなと思います。
それこそ今作の大人しめな光すごい好きなんですよね。原作では聞かん坊が凄すぎて好き嫌いが分かれたと思いますが。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第九十五話 ここに在る、その訳は

あー愉悦


~遥side~

 

 次に目が覚めた時は潮留家だった。記憶がおぼろげだが、どうやらちゃんとたどり着けたみたいだ。

 隣では美海がうとうととしながら俺の傍に座っていた。俺が起きるのをずっと待ってくれたみたいだ。

 

「・・・ん、遥、起きたの?」

 

「まあ、な」

 

「体調は? 動ける?」

 

「さっきまでよりは随分といいよ。・・・さすがに本調子には程遠いだろうけど」

 

「そう」

 

 それに今は、体調なんかよりもっと問題がある。

 心が、恐ろしいほどに軽い。悩みがないなんてものじゃない。簡単に言えばこれは空虚だった。何も考えれない。考えようとしてももやがかかり、邪魔をされる。何をするにももう心が空っぽになっていた。

 

 死に体とは思わない。けれど生きる気力もない。あれだけ美海に言われても、魂が震えることはなかった。

 

「・・・大丈夫?」

 

「大丈夫・・・なはずなんだけどな。・・・何もないんだよ」

 

「え?」

 

「何も湧いてこないんだ。これからどうしたい、だとか、何のために生きればいい、だとか、何も分かんないんだ。もちろん、死にたいってわけじゃない。・・・けど明日からのことが、何も考えれない」

 

「・・・いいんじゃないかな、それで」

 

 美海は困ったような顔をしながら微笑んだ。その言葉の真意が分からずに、俺はただ見つめ続ける。

 

「疲れたなら休めばいい。それこそ、遥は私の知らないところでずっと頑張っていたでしょ? 毎日頑張らなくていい。それを責める人なんていないし、いるなら私が許さない。何かやりたいことを探すために生きるのは間違いじゃないよ」

 

「・・・焦りすぎてた、のか?」

 

「どっちかというと、抱えすぎ、なのかもね」

 

 ああ、間違いないだろう。俺はまた、見えないところで一人で多くのものを抱え込みすぎていたみたいだ。

 誰かを頼ることが怖いとかそういう訳ではない。ただ・・・迷惑をかけたくなかっただけなんだ。

 その報いが、記憶から消されたことなのかもしれないけど。

 

「・・・だから、遥がどうしたいか決まるまで私は付き添うし、この家に住んでほしい。ちゃんと答えが決まったら、その時にまた言ってほしい」

 

「・・・とりあえず今は、甘えさせてもらうよ」

 

「うん、わかった」

 

 どのみち、翼の折れた鳥だ。羽ばたくまでは時間がかかるだろう。

 

「・・・」

 

「どうしたの? 遥」

 

 ふと、俺の目線は美海の手にいっていた。小さく可愛げな、けれど姉としての優しさと強さを持った手だ。五年前にはどうだっただろうか。こんなに頼りのあるものだっただろうか。

 

「美海、成長したな」

 

「・・・遥のお陰だよ」

 

 そう言って美海は少し俯いた。嬉しそうにしている様子は傍からでも分かる。

 ・・・そうか、俺のおかげか。

 

 面と向かってそう言われたことが何度あっただろうか。でも、今は、今ばかりはこの瞬間のその言葉が一番うれしかった。

 そこに、俺が生きた意味の欠片があるから。

 

「・・・というか、私そろそろ学校行かないとだね。流石に遅刻になっちゃうけど、サボりはしないって決めたからね」

 

「えらいな」

 

「遥はちょくちょくサボってたんだっけ?」

 

「まあ、気分屋だったからな。少なくとも五年前は」

 

「そっか。また何かあったら言ってね。・・・大丈夫だから」

 

 それから美海は自分の部屋に戻って身支度を始めた。数分して玄関の扉が開く音が聞こえる。

 一人になったかと思うと、今度は足音が一つ俺のいる部屋に近づいてきた。あかりさんみたいだ。

 

「あかりさん」

 

「目、覚めたんだね。調子はどう?」

 

「おかげさまで、だいぶマシになりましたよ。それより、晃は?」

 

「庭で一人かけっこしてる。元気なもんだねぇ子供って」

 

「光も好きだったでしょ、ああいうの」

 

「そうだったね。・・・ね、ちょいと雑談、いいかな」

 

「断ってもするでしょう?」

 

 前に一度居候していたもんだから、この人の性格がどんなものかはある程度分かっている。俺は一つため息を吐いて、どうぞ座ってくださいと目線をやった。

 その場に座り込むなり、あかりさんは会話を切り出す。

 

「同じ屋根の下でこうやって二人きりで話すの、何年ぶりだろうね」

 

「俺がまだ小学生の頃でしたっけ。もうずいぶんと懐かしいですね」

 

「遥くんの両親が海から出て行って、それから私たちの家に来て。・・・嫌じゃなかった?」

 

 その一言に、俺は眉を顰めた。

 

「・・・なんで、そう思うんですか?」

 

 確かに、俺は海に反発する面をあの頃から少し持っていたのかもしれない。けれど、あの家に厄介になる事を選んだのは俺自身であり、あの家で過ごした日々も、決して悪いものなんかじゃなかった。

 

「時々ね、虚ろな目をしてたんだよ、遥くんは」

 

「あの頃から、ですか?」

 

「うん、あの頃から。それこそ今ほどじゃないから、私以外の誰も気が付かなかったみたいだけど。だから、時々不安になってたんだ」

 

「とんでもないですよ。・・・きっとそれは俺の心の弱さのせいで、あの家にいたから、なんてことはないです。あかりさんの作るご飯も美味しかったですし」

 

「あはは、ありがとうね。・・・それでも、少しうまくなった気でいる今でも、みをりさんには叶わないんだろうなぁ」

 

「えぇ、叶いませんね」

 

「はっきり言うなぁ・・・。でも、だから頑張れるんだけどね」

 

 下手な言葉より、きっとこう言った方がお互いの為なんだ。それに、俺自身の届かない壁でもあるから。

 

「・・・千夏ちゃんのこと、災難だったね」

 

 突拍子に、あかりさんは話題を切り替える。きっとこの話をするつもりで来たんだろう。分かっているから、特に取り乱すこともしない。

 

「当然の報いなんでしょう。多分、俺には」

 

「そうやって、自分を傷つけて・・・辛くないの?」

 

「もう辛いかどうかなんて分からないですよ。ずっと、こうしてきたんですから」

 

 

 これまでの失敗を全て自分のせいだと決めつけてきた。そうやって人生を送ってきた今、俺に出せる答えなんてあるのだろうか。

 ・・・馬鹿だよな。これだけ歳をとって、何一つ成長できてないんだから。

 

「冬眠してもしなくても、人って変わんないね」

 

「なんですか藪から棒に」

 

「変わんないならさ、辿ってきた道繰り返すことだってできるのかもね」

 

「・・・そんなこと、過去に戻る力でもない限り完璧には無理ですよ」

 

「あはは、そうだね」

 

 この人が何を思ってこんなことを言ったのか、俺には分からなかった。

 それを考えるだけの力も、きっと今の俺にはない。

 

「・・・ね、遥くん。助けたいって思っちゃ、いけない?」

 

「?」

 

「美海も言ったと思うけどさ、私も今の遥くん心配なんだ。こんな状態で水瀬家に帰るってことをさせたくないし、遥くん自身のメリットにならないって思っちゃってるの。まあ、こればかりは私の勝手だけどね」

 

 あかりさんの言葉が身に染みて、俺は笑ってしまった。

 

「笑うところ、あった?」

 

「いや。・・・やっぱり親子なんだなぁって思いました」

 

「美海に先越されちゃってたかー」

 

 そう口にするあかりさんは嬉しそうだった。

 それはそうだろう。五年前ずっと口にしていた願いだから。美海の母親になりたいという夢を、現在進行形で叶えることが出来ているのだから。嬉しくないはずなんてない。

 

「というわけで遥くんさえよかったら、うちに身を寄せてもらいたいんだけど、どうかな?」

 

「そうさせてください。今が、一番自分を見つめることが出来るはずなんで」

 

「うん、わかった。荷物とか大丈夫かな?」

 

「駅のロッカーに置いてあるんで体調が優れるようになったら取りに行きますよ」

 

「あー、多分ダメだと思うけど、ここ数日何があったとかってのは教えてもらえるかな?」

 

「・・・すみません、流石に」

 

 あの事件のことは外に言いふらすなと警察からも釘を刺されている。流石に個人情報も関わっているし、他言は出来ないだろう。例えそれが美海であっても。

 

「そっか。それなりの事情があるんだね、分かった」

 

「すみません」

 

「いいのいいの。それじゃ、また何かあったら声かけてね。できることならなんでもするから」

 

 それっきりあかりさんはキッチンの方へと戻った。俺は起こした身体を布団に倒してため息を一つ吐く。

 意識もはっきりとして、脳もようやく正常に回るようになってきた。だからこそ、苦しい。突き付けられた絶望と向き合うには、まだ時間がかかりそうだった。

 

「・・・これからの自分、か」

 

 

 生きる意味。それすら分からない今は、ここで動けないままでいよう。そうしたらきっと、何か見つかるかもしれないから。

 




『今日の座談会コーナー』

前作にはなかったよわよわ遥をもう少し前面に出したいななんて思って今作を書いています。いやー、楽しいですね。何かに追われるでもなく、完結を急いでいるわけでもないので、ゆっくりと楽しみながら今作を書こうと思います。
とは言えども、この有り余った時間も有限ですからね。これが社会人になろうものならいよいよ小説なんて書く暇がないので。
 
といったところで、今回はこの辺で。
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第九十六話 その足で大地を踏みしめて

~遥side~

 

 当分の間俺が身を寄せることになった、と聞かされた光の反応は、昔同じようなことになったあのころとはずいぶんと違うものだった。

 

 そんな反応をすることが驚きだったし、何よりそれだけ月日が経ってしまっているのだと再確認させられる。目を背けていた現実が、今になって襲ってくる。

 

 それでも、この家の人は俺を邪魔者扱いすることはなかった。それだけは何よりもうれしかった。

 そうして一日、また一日を過ごしていく。光と美海は学校があるし、大人は仕事がある。一人でいる時間もそう少なくはなかった。

 違うことがあるとすれば、晃の存在だった。俺に出来ることはないかと色々考えた結果、あかりさんがどうしても手が離せないなんて時に俺が晃の面倒を見るようになった。

 

 といっても、大概は一人で何かするし、下手によってこようとしない。好かれても嫌われてもない、と言ったところだろう。

 それでも、いつかの光を見てるようなそれに俺は知らず知らず惹かれていた。

 

 家族、愛情、子供、そして・・・。

 

 この数日間で、様々なものを見せられて・・・俺は、一体何を得ることが出来てるのだろうか。そのきっかけは今だつかめないままでいた。

 

---

 

 そうして一週間が経とうとしていたある日、俺は不意に光に呼び止められた。

 

「おい、遥。ちょっと散歩付き合え」

 

「あん? まあ、いいけど・・・」

 

 えらく落ち着いた光のその様子に俺は首を傾げたが、それ以上はとやかく言わなかった。下手に刺激するだけ面倒なやつだ。

 

 家を出て、海沿いを歩く。風はあの日ほどではないが冷たく、それが嫌な思い出をよみがえらせる。あの日の光景、場面。

 それを遮るように、光は口を開いた。

 

「情けえねえ面してんな」

 

「・・・お前に何が分かるんだよ」

 

 思わず、そう返してしまう。でも、この苦しみは抱えている俺にしか分からないものだ。それをこう軽々口にされると嫌に思うところの一つや二つは絶対にある。

 

「俺はお前じゃないから、お前の思ってることとか苦しみとか分かんねえよ。でも、そんな顔されるとこっちだってたまんねえんだよ」

 

「じゃあなんだ? 強がって笑顔を貼り付けろって言うのか? それこそ、お前が嫌ってるだろ、そういうの」

 

「・・・いつから、普通に笑えなくなったんだよ」

 

「・・・」

 

 普通に笑う。

 もちろん、最近だってそうやって笑えた覚えはある。といっても、それはあの日以前の話だけど。

 けれど、心のどこかに生まれた黒い塊がきっとそれを邪魔しているのだろう。それは、初めて大切なものを失ったあの日から少しずつ形を大きくして。

 

 分かっていたつもりだった。それを分かっていながら、うまく隠していたつもりだった。けれど今それは、光でも分かるくらい目に見えたものになっていたみたいだ。

 

「変われないんだよ」

 

 俺はそう心情を吐露する。

 

「最初に両親が死んで、みをりさんが死んで、そして水瀬の記憶からも俺がいなくなって、どんどん苦しい思いをして。今だって押しつぶされそうなくらい心が痛いんだ。それを塞ぐには、そうやって生きるしかなかったんだよ」

 

「俺たちがいることで、お前は不幸せだったのか?」

 

「そんなことを言ってるんじゃない! ・・・お前らの事だって、好きなんだよ。守りたいと思うんだよ。でも、そう思えばそう思うほどに大切なものを失う。望んでない形で、望んでないスピードで。だから怖くて、何も出来ない。前に進めない」

 

「そうやって歪んだって言いたいのか。・・・なるほどな、確かにお前のいう事は分かるよ。俺だって・・・早いうちにお袋死んじまってるからな」

 

 思い出す。そう言えばこいつも早いうちに俺と同じ経験をしていると。

 でもだったら、どうしてこんなに明るく生きていけるのだと、疑ってしまう。

 

「だったらお前はなんで、余裕で生きてられるんだ?」

 

「さあな、分かんねえ。それに俺はまだ中学生だしな。俺より生きてるお前に何を言ってもそう響きはしないだろうよ。けど、なんだろうな。開き直ってる・・・っていったら、そうなのかもな」

 

 光はそう言ってへッと笑って見せた。

 

「そんな簡単に出来るもんじゃないと思うけど、俺のせいじゃないって思えることって、案外大事なのかもしれないなって思うんだよ。なんて、無責任なことばっかしてきた俺だから言えた話なんだろうけど」

 

「全くだよ。お前はずっとそうで・・・」

 

 途中で言葉に詰まる。次に口を緩めた瞬間、頬を涙が伝いそうだったから。

 俺もこいつらと一緒に眠れたら、今こんな悲しい思いをしただろうか? そんな後悔が頭の中を過る。

 でも、もう戻ることは出来ない。それだけ、現実と言うものは残酷で。

 

 確かに、ちさきが辛い思いをするはずだ。それにあいつは、皆が眠りにつくその瞬間を目にしているんだから。

 

「・・・どうにかなんねえかなぁ」

 

「どうにかってなんだよ」

 

「俺だって・・・昔に戻りたいよ」

 

 ここまでの弱音を見せたのは初めてだろう。けれど、もうそれを自制するだけの余裕もなかったから。

 

「・・・なあ」

 

「なんだよ」

 

「水瀬がお前に関する記憶を失くしたってのは分かった。でも、だったら全て終わりなのか? 死んで、いなくなったってわけじゃないだろ」

 

 分かってる。水瀬は生きている。けど、少なくとも・・・

 

「でももう、俺の知る水瀬はいない」

 

「それで全てを捨て去れるほど、お前にとってあいつは軽い存在だったのか? ・・・何もない現実に向き合って、一から始めるってことくらいできるだろ」

 

「っ・・・! それがどれほど辛いことか、お前には分からないだろ!」

 

「分からねえって言ってんだろ! ・・・でも、もしまなかが同じようになったとしても、俺は絶対にあきらめない。断言してやる。たとえあいつがどんなことになったとしても、俺の中にあるまなかの思い出は嘘なんかじゃないから」

 

 さぞ、情けない姿を見せていることだろう。

 もうすぐ大人になる俺なんかより、まだ勝手の分からない14歳の方がはっきりとした物言いをしてるのだから。

 

 ・・・だからこそ、悔しくて、頑張りたくなる。

 今の俺は、不幸という言葉のせいにして逃げ続けているだけの、ただのなよなよした奴にすぎない。好かれていたとしても、こんな姿をいつまでも美海には見せたくない。

 

 呪い、か。

 

 弱いままの俺だったら、その呪いに蝕まれることを拒みはしないだろう。きっと、それのほうが幸せになれるだろう。

 でもどうだ。結局俺はいつも自分から悲しい道を進んできている。選んできている。それが正しいと思って。

 

 きっと美海も、本当はこんな俺を望んじゃいない。だから。

 今一度、苦境の道を俺は選ぶ。

 

 記憶から忘れ去られようと。蔑まれようと。悲しみに苛まれようと。

 虚ろな目をしながらも、これまで何度も立ち上がってきたことを俺は誇りに思いたいから。

 

「・・・お前のおかげで踏ん切りついたよ」

 

「さっきよりずいぶんとマシな目になったじゃねえか。その目だよ、俺が見たかったのは」

 

「ほんと、情けない姿見せたな」

 

「珍しいもの見たからな。満足してら」

 

「そうか。そんじゃ、帰るぞ。今日はあかりさんの料理手伝うことになってんだからな」

 

 出すべき答えは得た。やりたいこと、これからどうしたいかなんてまだまだ分からないけれど、向き合うべき現実と向き合う覚悟を得たから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

前作ではサクッと飛ばしたシーンですが、しっかり掘り起こすにはもってこいですよねここ。
書いてて楽しい場面が続きますが、物語は緩やかに結末へと進んでますね。随分と長こと書いてた気がしますけどまだ一年とちょいっぽいです。
残りの話数も全力で頑張ります。

といったところで、今回はこの辺で。
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第九十七話 いつかまた「愛してる」を言うために

~美海side~

 

 ある日、家に帰ってきた遥の目がこれまでと変わっていたことを知った。つまり、ある程度自分の中で答えが出たってことなんだろう。

 一週間と少し。ほんの短い時間だった。私は、遥の望んだ呪いになれたのだろうか。その答えは、遥に聞かないと分からない。

 

 ・・・けど、うん。悪くない日々だった。そしてきっと、これで正しい。

 

 晩御飯を食べて、先に自分の部屋にこもる。

 そして、私の部屋の扉が開くのを待った。それが開く時きっと、この夢のような時間が終わる。

 

 ほら、だってそこに、真剣な顔をした遥が立っているから。

 

---

 

~遥side~

 

 光と話して、俺が今後どうしたいかを見つけることができた。

 だから、この呪いに支配された日々を今日で終わりにすることにする。

 そのために俺は、呪いをかけた張本人の者とへ向かった。

 

 プレートで飾られた扉を開く。美海は少しだけ物恥ずかしそうな顔で俺を待っていたかのようにそこに座っていた。

 その表情を見るだけで、俺の決心は揺らぎそうになってしまう。

 

 これだけ大切にしてくれて、これだけ傍に寄り添ってくれて、優しくしてくれて。

 そんな人に、俺はこの場で別れを告げないといけない。それが分かっているから辛かった。

 

「あの、な、美海」

 

「何?」

 

「・・・ちょっと縁側にでも、行かないか?」

 

 いつも保さんがそうしてくれたように、大事なことを伝えるときはそういう場所がきっといい。俺が人生で学んできたことの一つだ。

 

「うん、いいよ。私も色々と話したいことがある」

 

「そっか」

 

 それから俺はそのまま、美海はお気に入りのパーカーを着て俺の後ろをついてくる。漂う髪の匂いは、先ほど使用したシャンプーの香りだろう。

 それも相まって、美海には風格が漂っている。本当に大きくなったんだと思い知らされる。

 

 少し肌寒さが残る外に出てふたりして縁側に腰かける。

 さて、どう話を切り出そうか悩んでいると、先に美海が口を開いた。

 

「ようやく答え、見つかったんだね」

 

「・・・んー、なんていうか、完全に見つかったわけでもないんだけどな」

 

 実際に、まだ全て理解して、全て受け入れたわけじゃない。心の中に苦しみはたくさん残ってるし、先行きは不安だし。

 けれど、決めたことは変わらない。

 

「それでも、俺は俺を育ててくれた水瀬家に戻ろうと思うんだ。例え水瀬自身に忘れられていたとしても」

 

「・・・それを決めるまで、辛かったよね。お疲れ様」

 

「本当につらかったよ。ずっとこの場所でこうやって暮らせたらって、何度も思った」

 

 でも、それを許してしまってはこれまでの頑張りが全て崩れそうな気がした。それだけは絶対に嫌だった。

 大切な人の前では、せめてありのままでありたい。

 

「ゼロからやり直せるって、そんな甘い考えを持ってるわけじゃない。きっと、今の水瀬に俺を受け入れてもらうのには時間がかかるだろうと思う。それでも、俺は水瀬のことを、忘れたくない」

 

「・・・うん、きっとそれがいい。そうして欲しい」

 

「だからさ、美海。・・・呪い、解いてくれないかな?」

 

 きっとこれは、鍵になる言葉。

 ここで俺の呪いは終わる。幸せな呪いを解いて、苦境の現実へと足を踏み入れる。これまでそうしてきたように、これからも、こうやって。

 

「分かった。・・・じゃ、これで呪いは終わり。あ、それでも遥が死んだら私絶対許さないからね。呪いなんかじゃなくても、私は一人で遥の後ついてくよ」

 

「分かってるよ。・・・簡単に死んだりはしないよ。呪いから解放されてすぐなんだから」

 

「そっか。なら、いいよ」

 

 慈しむ微笑み。それはいつの日かのみをりさんと似た匂いがした。やっぱり親子なんだと心から思わされる。

 

 ちくり、と心が痛んだ。この感情は、五年前に一度味わっている。

 

 『好きになる』という感情だ。

 

 少なくとも五年前のあの日、俺は遅まきながら水瀬の告白に答えを出そうとしていた。結局それは叶わないまま、こうやって海に流れてしまったけど。

 そして今、美海との距離が近づいて、同じ感情を心は発している。

 

 だけど、だからこそ、俺はもう一度水瀬と向き合いたい。

 

 

「ねえ、遥」

 

「なんだ?」

 

「・・・また遥がダメになって倒れそうになったら、私、傍にいていいよね?」

 

「それが、美海のためになるなら」

 

「・・・そっか」

 

 美海のはほんの少し寂しそうな顔をする。

 美海を遠ざけたいわけじゃない。けれど、互いに依存しあうその度合いが過ぎたら、もっとダメになるだけだと知ることが出来たから。

 

 それでももし、美海がいいと思うなら、俺はまたそこで羽を休めたい。

 

「あと一つだけ、お願い、言っていいかな」

 

「聞くよ。いろいろしてもらったお礼もあるし」

 

「今日は・・・一緒に寝てもいいかな」

 

「・・・えーっと」

 

 少しだけ美海は頬を赤らめてそう言う。こればかりは流石に返答に困った。

 それこそあの日は状況が状況だったし、成り行きで仕方なくという節もある。

 

 が、今日にいたっては・・・。

 

「ああ、えっとね、別に特別な感情があるわけではないの。何かしたいとかでもない。・・・ただ、出来るだけ一緒の空間にいたいの。遥がこの家を去ってく、その時まで」

 

「分かった。・・・ここにいるのは、今日が最後だしな」

 

 だったら最後くらいせめてその願いを聞いてあげたい。多分それが今の俺に出来る最善のことだから。

 

「・・・ありがと」

 

 それから美海は少し近づいて、俺の肩に自分の頭を預けた。俺は二三度その頭を撫でて、ぼんやりと浮かぶ月を見上げた。

 昨日まで雲で隠れてた月。今日はおぼろげながら輝いていた。

 

 

 それから、俺のいる客間に美海がこそっと布団を敷いて、二人同じ屋根の下で寝ころんだ。今思えばあの日は結構大胆なことをしたんじゃないかと思わされる。

 そうは言っても、恋愛のいろはも知らない俺だ。結構がむしゃらだったんだろう。

 

「ねえ遥」

 

「なんだ?」

 

「楽しかったよ」

 

「・・・ああ。俺からも、ありがとうな」

 

「・・・うん」

 

 それから美海は布団の中に顔を埋める。そこから先の表情は見ないことにした。

 そして俺もゆっくりと瞼を閉じる。ここ数日俺を苛んでいた霧は、もう現れることはなかった。

 

---

 

~美海side~

 

 この夢も、もうすぐ終わる。

 ここで目を閉じて、次開けば。

 

 このまま何も出来ないで、遥に何度目かのサヨナラを告げるのは嫌だった。好きなら好きらしく、せめて何かしたかった。このまま遥を自分のものにしたかった。

 でも、約束だ。これ以上のことは絶対にしたくない。

 

 その狭間で揺れ動くことが、今は何よりも辛かった。

 

 ありがとうな。

 遥はそう言葉を残して目を伏せた。

 ・・・本当にこれでよかったんだろうか。感謝の言葉を聞いた今でもまだ悩んでいる。

 

 というよりは、そこから先は私自身のエゴの話。

 私がただ遥に行ってほしくなかっただけだったんだ。

 

 だから、急にこの別れが寂しくなって、不意に涙が出てきた。

 いなくなったわけじゃないのに、別れに涙する。こんな些細なことですら悲しいのに、遥はこんなものじゃない悲しみを味わっている。

 

 私がもし、遥やパパ、みんなの記憶からいなくなったら・・・。

 

 考えるだけでゾッとする。そんな苦しみ、考えたくもない。

 

 私は布団に顔を埋めた。零れた涙を見せないように。

 ・・・やっぱり私って、まだまだだな。

 

 

 いつか遥に誇れる「大人」になりたい。そんな願いを胸に、私も眠りについた。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 話数滴には前作とあまり変わらないんですが、内容的には大きく変えることが出来るなと思います。遥本人が気づくのに他者の力を必要とするか、自分自身で変わるか、ここが前作と今作で大きく変わるんじゃないかと思います。
 着実に終わりが近づいていると考えるとなんか感慨深いですね。

 といったところで、今回はこの辺で。、
 感想、評価等お待ちしております。

 また会おうね(定期)


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第九十八話 リスタート

~遥side~

 

 翌日朝いちばん、約束のとおりに俺は水瀬家に戻った。

 最後に潮留家の扉を開いた際の足の震えは忘れられない。いまだに俺は水瀬に会うことを怖がっていた。

 けれど、自分で決めた道に後悔はしないと、一歩を強く踏み出した。

 

 水瀬家の玄関前にたどり着くと、保さんがそこで待っていた。

 一応、あれからしばらく潮留家の厄介になる旨は伝えていたが、今こうして対面してみるとやはり言葉が出てこない。この人に、夏帆さんに大きな迷惑をかけたのは事実だったから。

 

 それでも、この人は優しかった。

 

「・・・よく、帰ってきてくれたな」

 

「すみません、長い事待たせてしまって」

 

「記憶の件についてはその・・・何と言えばいいか」

 

「いいんです。保さんが責任を感じる必要はありません。誰も悪くなんてないんです。誰も・・・」

 

 もし誰かが悪いとするならばきっとそれは、そういう運命を強いた世界、もしくは神だろう。

 

「あれから、水瀬の調子はどうなんですか?」

 

「ああ、順調にこれまで通りの生活を取り戻してる。今日から学校にも合流するつもりだ」

 

「元気そうでよかったです」

 

「それよりも遥くんだ。・・・君は、大丈夫なのか?」

 

「・・・それなりの覚悟はして戻ってきましたよ。その覚悟が出来るまで、ずいぶんと時間がかかっちゃいましたけど」

 

「無理もないだろう。自分一人が記憶から消えてるなんて、俺でも耐えられん」

 

 記憶から、消えている。

 保さんが言うには、やはり水瀬は俺のことを何一つ覚えていないようだった。どうやら、自分が眠るまでの記憶は覚えているものの、その生活に俺という存在がなかったことになっているらしい。思い出そうとすると、靄がかかって分からなくなる、というみたいだ。

 

「・・・だから、俺は一旦諦めます。諦めて、また一から始めようと思って、ここに帰ってきました」

 

「そうか。・・・大丈夫、俺たちは絶対に君のことを忘れたりはしない」

 

 信じよう。

 信じれるか、そうでないか、じゃなく、信じたい。この人のことを。

 

「立ち話もなんだ。入ってくれ。そもそも、君は休暇中なんだろう?」

 

「そうですね。まあ、もうずいぶんと時間を消費しちゃいましたけど」

 

 水瀬の一件、そしてこの間の病院騒動、様々なことで俺の休暇は潰えてしまった。ここにいれる時間ももう、そう長くないかもしれない。

 けど海の目覚めの波動が近づいている今、そう簡単にこの場所を立ち退きたくはなかった。

 促されて家の中に入る。

 

 俺が視認できたかと思うと、珍しく夏帆さんは駆け寄ってきた。

 

「・・・本当に、無事でよかった」

 

 こういう時、なんて言えばいいのだろう。俺は一瞬踏みとどまる。

 すみません、と謝ることでもない。待っていてくれたことを感謝するありがとうでもない。

 帰るべき家に帰って一番最初にいう事は決まっている。

 

「・・・ただいま、帰ってきました」

 

 そう、これだけでいい。少なくとも、家族である今は。

 

「さてと、遥くんも帰ってきたことだし、俺はそろそろ仕事に行くとしようか」

 

「行ってらっしゃい」

 

 夏帆さんに見送られて、保さんは仕事に向かった。部屋の中には夏帆さんと俺だけが残っている。

 

「・・・さて、二人きりになったね」

 

「そうですね」

 

「それで、いろいろ話したいことがあるんだけどね」

 

 いつになく、夏帆さんの顔色は真剣なものだった。ここまでの表情は過去に見たことすらない。俺はまっすぐな眼差しでそれに応えた。

 

「まずは、一つだけ怒らせて。・・・本当に、無茶しすぎ」

 

「すみません」

 

「私が怒ってるのは千夏の事だけじゃない。・・・その前に何をしてたか、私ようやく知ったの」

 

「・・・」

 

 冷静になって考えてみると、夏帆さんも病院で勤務している人だ。いつあの事件の情報が出てもおかしくない身分の人間だったことに今更気づく。

 

「一部患者の両親への憎しみによる病院爆破予告。・・・それこそ、予告日に私は出勤じゃなかったけど、この間すべての真相を知ったよ」

 

「返す言葉もないです」

 

「・・・なんで、自分で背負おうとしたの?」

 

「守りたい子がいたから、それだけです」

 

「遥くんは優しいから、そう言うと思った。けど、これは結果論ありきの英雄なんだよ? その行動を、命を預かっている母親代わりの身としては認めることは出来ないよ」

 

「・・・」

 

 複雑な感情が入り乱れている。

 俺が頑張ってきたことを認められたくもあった。けど、この人は本気で俺のことを心配している。他人のために自分が犠牲になる必要はないだろうと釘を刺している。その狭間で揺れ動いているからこそ、俺は何も言えなかった。

 

「終わったことだから、何も言えないんだけどね。・・・でも、それで遥くんがいなくなっちゃうのは、私は絶対に納得していない。消えていい命なんて、ないんだから」

 

「・・・分かってます」

 

「それと、千夏のことは、なんて言えばいいか分かんないけど・・・帰ってきてくれて、ありがとう」

 

「礼なんていらないですよ。今はここが、俺の帰る場所なんですから」

 

 五年前のあの日からずっとこの場所はそういうところだ。俺が真の意味で独立するまで。

 

「・・・なんか、不思議な人生だね」

 

「不思議、ですか?」

 

 確かに、思っていることの斜め上の事ばかり起こる毎日だ。言われてみればそうかもしれない。

 

「保さんと、千夏と、三人だった家族。そのままで生きると思っていたのに、遥くんが私たちの生活の一部になって、今度は千夏がいなくなって、帰ってきたら今度は遥くんがいなくなって」

 

「不思議っていうよりは、波乱万丈?」

 

「そうかもね。・・・そんな毎日だからこそ、生きてる実感があるんだよね」

 

 夏帆さんは神妙な顔で一度頷いた。

 確かに、変化のない日々は幸せかもしれないが、変化があるからこそ生まれる感情があるのも事実だ。それを幸せと呼ぶことだってできる。

 

「ね、遥くん」

 

「?」

 

「私たちと過ごしたこと、後悔してない?」

 

 急に発せられる、刃のような鋭い一言。

 そして瞬時に、俺はこの人が何を思っているのか理解した。

 

 近づいていると感じているのだろう。これまでの日々の終焉が。

 

「後悔なんて、あるはずないですよ。・・・ここじゃなかったら、俺はここまで成長できませんでした」

 

「・・・そっか」

 

「それに、本当の別れが来たとしても、ここにいたことは絶対に忘れませんから」

 

 それは誓いのように。

 俺は前だけ見据えてこの言葉を口にした。

 

 夏帆さんは満足そうな表情をして、立ち上がった。

 

「それなら、いいかな」

 

 それから夏帆さんはキッチンの方へ消えていった。俺は自分の部屋として使わせて貰っていた客間に荷物を送りこみ、その場に仰向けに寝転んだ。

 

 ここに来ると、ようやく一息つける。そして思う。

 俺の帰る場所は、やっぱりここなんだと。

 




『今日の座談会コーナー』

冷静になって考えてみれば、夏帆さん病院勤務の設定だったんですよね。看護学校プラスアルファで病院に行っているちさきならともかく、本職となると事件のことを知ってても不思議じゃないなと思ったので今回書き足してみました。
という幕間の物語。こういった保管をこれ以降もどんどんとして生きたいですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第九十九話 いつか終わる日

別作品をしたせいで名残引きずりまくり定期。


~遥side~

 

 それから夕方になって、学校を終えた水瀬が帰って来る。そこでばったり会ったのか、保さんも一緒だった。

 そんな水瀬は俺を見るなり、あっ、と声を上げた。なんて言われるのかと俺は身構える。

 

「あの・・・どこかで、お会いしましたよね?」

 

「えっとまあ・・・そう、ですね」

 

 歯切れの悪い返事しか出来ない。距離を見定めるために、今は自分を上手に偽るしかなかった。

 

「千夏には紹介してなかったな。島波遥くん、家の遠い親戚の子なんだ」

 

「初めまして、ってことでいいのかな」

 

 保さんはアイコンタクトを飛ばしてくる。この人は臨機応変に対応するのがやっぱり上手だ。

 

「水瀬千夏です。その、遥さん、でいいですか?」

 

「いや、せっかく同じ屋根の下で住むことになるんだし、ため口でいいよ。その・・・堅苦しいの、得意じゃないんだ」

 

「う、ん・・・分かっ・・・た」

 

 ぎこちなく、水瀬はそう言った。これはまた、慣れるのに随分と時間を要しそうだ。だから、俺はどうにか爪痕を残そうと、一歩踏み出す。

 

「俺も、千夏、って呼んでいいか?」

 

「・・・いい、けど」

 

 拒否されなかったことにひとまずは安堵する。とにかく、今は一つ一つ足場を作っていくしかない。行き場のない海を渡っていくために。

 

「ごはん出来てますよ、入ってください」

 

 言葉が行き詰まった時、奥から夏帆さんが出てきた。俺はその助け船に甘えてリビングへと向かった。今はまだ、千夏と真正面から向き合うことは難しい。

 

---

 

 それから食事を終える。結局食事中は何も話すことが出来ないまま、千夏は自分の部屋へと戻っていった。一つため息を吐いたところで、保さんと目が合う。

 俺は何も言わないまま、おもむろに立ち上がり縁側に向かう仕草を見せた。この人の仕草なら、もう言葉を介さずとも伝わる。

 

 俺は一人庭に出て、空を見上げた。

 あまり考えないようにしてきた月日の長さが、今身に染みて伝わってくる。

 

 五年。

 千夏が与えられるはずだった愛を、俺が受け取った時間の長さ。

 

 ・・・長すぎるだろ。

 

 それが申し訳なくて苦しくて、俺はまた泣きそうになる。誰が悪いわけでもない。運命は残酷だ。

 それにもう、千夏の記憶が戻ることはないはずだ。俺という思い出もなかったことになる。受け入れたつもりのそれでも、辛いものは辛かった。

 

「遥くん、大丈夫か?」

 

「っ・・・何が、ですか? 俺は大丈夫ですよ」

 

 背中の方から声を掛けられる。保さんが出てきたようだった。

 

「一週間、どうだった?」

 

「・・・辛かったですよ。現実に向き合いたくなかった。忘れられたのなら、もういっそその事実に納得して、諦めてしまいたかった。・・・でも、したくなかったんです」

 

「何を、だ?」

 

「この場所を・・・裏切りたくなかったんです。五年間ずっと見てきてもらってあいつに忘れられたからはいさよなら、なんてしたくなかったんです」

 

「そうか・・・そう思ってくれているのなら、俺は嬉しい」

 

 そして混じりけのない笑顔。この人の言葉に万に一つも嘘はなかった。

 

「それと、君に一つまだ言い忘れてたことがあってな」

 

「なんですか?」

 

「千夏の病気の話なんだ」

 

 眉の端がピクリと動く。

 水瀬はもともと生まれつき体の弱い人間で、よく俺といる時も体調を崩すことがあった。その病気が今になって、どうなったというのだろうか。

 まさか、この異変のせいで・・・。

 

「この異変のせいで、悪化したんですか・・・!?」

 

「違う、逆なんだ。・・・これまで弱くなっていた臓器や身体の全てで異常が見られなくなっていた。これまでの千夏が、嘘みたいに」

 

「・・・どうしてなんですかね?」

 

「分からない。・・・けど、喜ばしい事実なのには変わらないだろう」

 

「そうですね」

 

 誰も病気で苦しんでほしいなんてのは願わないだろう。それに、これはあいつがさらに幸せになるための一歩だ。俺は遠くから見守ろう。

 ただやっぱり・・・これからのことなんてのは、そう簡単には考えられるものではなさそうだ。

 

「このまま、あいつの記憶も戻ってくれればいいんだけどな」

 

 保さんが何気なく発したその一言、俺は返答に困った。

 確かに、万全の状態に戻ること以上の喜びはない。けれどもし、記憶を取り戻すことそれ自体が千夏を苦しめることになるのなら・・・。

 

 それこそ、千夏の俺にまつわる最後の記憶はあの日のあの光景だ。思い出すことも辛いかもしれない。

 それでも、俺のことを思い出してほしいと思う気持ちがまだどこかにある。難しい話だ。

 

「もし、それが千夏を苦しめることになるなら・・・俺は望みませんよ」

 

「それでいいのか?」

 

「・・・あいつが、幸せになれるなら」

 

 結局はそういうことだ。俺自身の願望を押し付けるより、相手が幸せになってくれることの方が遥かに大事だから。

 

「そうか・・・。辛いもんだな」

 

「辛いですよ」

 

 偽ることはしない。辛いことは辛いと、ちゃんと言葉にする。

 それを理解して保さんは、それ以上何も言わなかった。そしてしばらく考え込んで、別の話を切り出す。

 

「・・・遥くんのここでの暮らしも、もう五年が経ったんだな」

 

「そうですね。あっという間でしたよ、ホント」

 

「・・・いつか、こんな日も終わりが来るんだろうな」

 

「夏帆さんと同じこと言うんですね」

 

「あいつも言ったのか?」

 

 全く同じことを、と俺は言って苦笑する。やっぱり夫婦なんだと笑うしかなかった。

 この時間にもいつか終わりが来るだろう。俺も大きくなって、ゆくゆくは独り立ちするのだから。いつまでも二人の下で、というわけにもいかない。

 だからこの一秒を大切にしたいと今は切に願っている。時の美しさと残酷さをこの五年間で沢山学んできたのだから。

 

「俺だって、いつまでも二人の子供のままでいたいんですけどね。・・・いつかは独り立ちしなきゃいけないんです。というより、ちゃんと独り立ちして、一人前の人間になりたいんです」

 

「そうか」

 

「それが育ててくれた二人に出来る、俺なりの恩返しだと思っているんです」

 

 立派に育ったぞ、という証を二人にちゃんと見せつけたい。二人の親として頑張った証となりたい。それが今の俺の夢でもある。

 その時その隣に誰がいるか、なんてことは全く予想できないけど。

 

「そしてそれは、遥くん自身の両親への恩返しにもなるんだな」

 

「きっとゆくゆくは、そうなるんじゃないですかね」

 

 この世に産み落としてくれた二人への感謝も忘れてはいない。別れこそ悲しみに濡れたものだったけど、恨みなどしていないから。

 

「・・・これからも、よろしくな」

 

「もちろんです」

 

 限りある時間、その一秒一秒を輝かせることが、今の俺に出来る事。

 明日の事、未来のことなんて分からない。だから今は、悔いのない今を生きたい。

 

 そうすればいつかきっと、千夏とだって向き合えるはずだから。

 




『今日の座談会コーナー』

確か前作、ここら辺から早く終わらせたいと思うようになり駆け足気味にゴールへ近づけて一旦ですよね。ということを結構猛省していて、今作はゆっくりゆっくり書こうと思っています。
しかしまあ、こうしてみると遥って立ち位置が複雑ですよね。どんな終わりを迎えても、どこからしらに悲しみが残ってしまうので・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百話 約束、そして・・・

いやー・・・百話ですか。


~遥side~

 

 さて、休暇を堪能しつつある俺だが、その休暇の終わりは着々と近づいてきている。そうしたらまた街に帰って大学での学問に集中しなければならないわけだが、事態が急転を繰り返す現状をそのままにして投げ出すわけにはいかない。

 

 背に腹は代えられないと、俺は親身に接してくれている教授へ電話をかけることにした。

 数度のコールの後、電話は繋がる。

 

「もしもし、島波です」

 

「ああ、島波か。今、鷲大師の方へ帰っているんだったよな? こっちに戻るタイミングの目処でも立ったのか?」

 

「えっと・・・それが・・・」

 

 何と言えばいいか悩む。

 事態が急転しているのは事実だが、全てがひっくり返ることがこの先起こり得るかどうか不透明過ぎるのだ。信じようにも、信じきれない。

 それでも、この場所に留まるには嘘を吐くしかなかった。

 

「今、海がだいぶ変化の時期を迎えてて・・・。冬眠していた人たちが目覚めているのもあって、何かが変わりそうなんです。それを見届けるまでは、帰れないというか・・・」

 

「うーん、難しい話だな。確証はないんだろう?」

 

「今、海洋学の三橋教授がこっちに来て調査している過程を手伝わせて貰っているんですけど、変化があることには間違いはないんです」

 

「そうか・・・。まあ、前期の成績をほぼトップで折り返したお前が言うんだ。単にサボりとかじゃないのは分かる。・・・仕方がない、俺が多少融通を効かせてやる」

 

「本当ですか!?」

 

 俺と紡のいる大学は少々特殊で、自分が付き従うことを決めた教授の影響力が尋常になく高い。単位や裁量もそこで随分と変わる、まあなんともおかしな大学だ。

 それがここに来て大きく影響するなんて、思ってもみなかったが。

 

「ただし、だからといってただでお前を放つわけにはいかねえな」

 

「何をすればいいんですか?」

 

「・・・一つ、お前は自分の心の弱さについて何度か俺に相談したよな? 折角お前のマイホームにいるんだ。ある程度の区切りをつけて、俺に答えを見せろ。もちろんちゃんと書類にして、な」

 

 結構な難題である。

 俺の心の弱さは簡単に言えば恋愛感情に起因している部分が強い。それに応えを出せという事だ。・・・水瀬の記憶が消えた、この状態で。

 それでも、ある程度の答えは出せるだろう。俺があと数歩踏み出せば。

 

「頑張ります」

 

「あとの一つは大したことじゃない。その海洋学の三橋の研究手伝ってやれ。せっかく海出身の人間がそこにいるんだ。大きな材料になるだろう」

 

「そこについてはこれまでもずっと手伝っていたので、継続しようと思います」

 

「ならよし。とはいっても、本来はここまで権利を行使することはレッドゾーンに近い。これ以上はどうにもならないぞ」

 

「分かってます。ここまでしていただけたら大丈夫です」

 

 あとは俺の力量の問題だ。事態が大きく動きつつある今、ちゃんと真実や未来がつかめるはずなんだ。

 

「それじゃあ、また何かあったら連絡しろ」

 

 電話は一方的に切られる。そして俺は改めてこれからやるべきことを整理する。

 ・・・まずは、やっぱり海を見に行かないとな。

 

 各々が仕事や学校に出払った水瀬家を、俺は最後に後にした。

 

---

 

 今日はいつもと大きく風向きが違っていた。これまでこの風向きになったことはめったになく、だからこそ今日は何かが起こると、霊感的にそんな予感がしていた。

 

 海に張った氷の上に立ち止まり、俺は改めて風を感じる。それから教授の機材が常設されている場所まで歩いた。

 今日は教授も紡も来ていないようで、あたりはやはりシンとしていた。それから俺はある程度慣れた手つきで機械を動かし、海中の様子を探査する。勝手にやっているのは悪い反面、こういう時は動かせる人材が時間がある時にやった方がいい。許可も貰っているし。

 

 すると画面には、一定の地域に「?」という記号がまとまって表示されていた。海中に入ってチェックすることも出来るだろうけど、今日の水温はここ最近の中でも低いほうだろう。体調に影響が出てしまうのではと思うと少し考えざるを得ない。

 

 

「ねえ、何してるの? 不法侵入は犯罪だよ?」

 

 ふと、懐かしい声が聞こえた。そしてそいつがようやく目覚めたことを知る。

 嬉しいような、どこかもどかしいような。

 けど俺は確かに、反射的にその名前を呼んだ。

 

「要・・・」

 

「や。・・・久しぶり、になるのかな? 遥からしたらさ」

 

 その一言で、要の中である程度状況の整理がついていることを俺は把握した。光や千夏が時間軸の理解に戸惑っていたのに対し、こいつは一瞬で、何年か時間が経ったということを理解したみたいだ。やはり賢い。恐ろしいほどに。

 

「・・・話したいこといっぱいあるけどさ、とりあえず」

 

「服だろ。流石に素っ裸の相手と話してるの不味すぎるだろ」

 

 俺は急いで水瀬家までダッシュで戻り、要のもとに戻ってきた。俺が昔来ていた服がまだ処理されずに家に残っていたのは本当に幸運だろう。

 

 10分の往復で、俺は要のもとに戻る。要は服を身に纏うと、近くの陸地を指さした。

 

「立ち話も辛いしさ、座らない? 話したいこといっぱいあるんだ」

 

「・・・ああ」

 

 俺は急に現実に突き戻された気がして仕方がなかった。自然と声色も低くなる。

 しかしそんな俺をよそに、要は一人でに続けた。

 

「遥、怪我はなんとかなったんだね」

 

「ああ。・・・でも、俺が目覚めた時にはもうお舟引きも、何もかも終わった後だった」

 

「だから、その眼鏡と左足ってこと?」

 

「そうなる。・・・もちろん、そんな状態で海に帰ることは出来なかった。俺も、ちさきも。悪い」

 

「別に怒ってなんかないよ。・・・それに遥の場合生死を彷徨ってたんだ。今ちゃんとここにいてくれることが、嬉しい」

 

 要はいつものように大人びた言葉を口にする。成長しているのかと錯覚しているように思うが、これがこいつのマイペースだ。

 

「それにしても、海、変わったね」

 

「ああ。こっちから汐鹿生に行こうにも閉ざされてしまってはいることが出来なくなってるんだ。それが帰れなくなった一つの理由でもある」

 

「だから今、こうなってるんだ」

 

「ああ」

 

「他の皆は? みんなもう起きてる?」

 

「光が真っ先に来たよ。まあ、一番最初に目覚めるとしたらあいつだと思ってはいたけど」

 

「それが光の持ち味だからね」

 

 要はクスッと分かる。俺は愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。

 

「・・・ねえ」

 

 そして、要は続ける。さっきまであった笑みはとうに消えていた。

 

「遥、約束覚えてるよね? 遥が事故に巻き込まれることになった、あの雨の日の」

 

「・・・ああ」

 

「ちゃんとちさきには、答えを出した?」

 

 真っすぐに、そう聞かれる。

 当然だ。要にとってその話は数日前のことに過ぎないのだから。まだ熱は冷めていないのだろう。

 そんな要に、俺は一つ深呼吸をしてゆっくりと答えた。

 

「・・・ああ、出したよ。俺がここに一人でいることが答えだ」

 

「・・・断ったんだね」

 

「ああ。・・・結局答えを出したのは高校生のころになっちまったけどな。・・・もちろん、あいつのことが嫌いとかそんなもんじゃない。切るにも切れない関係で、これからもずっとそうありたいと思った。だから、これまでの関係のままで俺はいたいとそう思ったんだよ」

 

「そっか。それが遥の答えなんだね」

 

「気に食わないか?」

 

「いいや。ちゃんと約束守ってくれたんだ。何も文句はないよ」

 

 そういう要の顔には、どこか安堵と嬉しさが滲んでいた。自分にチャンスがあると思ったのだろう。

 けど、それが要にとっていいニュースとは言い切れないだろう。

 

 今のちさきの隣には紡がいる。五年前からずっと。

 俺たちが過ごした幼き頃の時間に匹敵するほど濃密な時間を二人は過ごしている。二人の色恋沙汰がどこまで進んでいるか俺は知る由もないが、関係が深まっていることに違いはない。

 

 そこに要がどう付け入る隙があるのだろう・・・と俺は勝手にそんなことを思ってしまう。

 けど、それを口にすることは出来なかった。

 

 結局、俺は自分の気持ちや未来を考えたり整理することで精いっぱいの人間にすぎないのだから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

今作では遥が明確にちさきを振る描写を書いているので、ここの展開は結構楽に書けましたね。それこそ、自然の会話の一部という風に。
といっても、変えようがない展開のなのも事実で、新しい風を吹き込みたい立場としてはうーんとなるのも事実。
というか私自身、あまり要のことが・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百一話 実らない果実

丁寧丁寧丁寧に


~遥side~

 

 要がめざめたというニュースは昼間のうちに鷲大師に広まった。そして俺が確認した「?」のマークにはやはり意味があったと、夕方に漁協に来てくれと教授から声がかかった。

 俺は要と一足先に漁協へ入る。教授の他にはまだ誰も来ていないようだった。

 

「この人は?」

 

「紡のところの大学の教授。海洋学の研究やっててさ、海村の冬眠について陸側から徴させてもらってるんだ」

 

「初めまして、要君、でいいかな。僕は三橋って言うんだ、よろしく」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 要はいつものように愛想よく返事をする。ここら辺は本当に社交性の塊だ。

 

「えっと、要君にいくつか聞きたいことがあるんだけど・・・」

 

「紡がまだ来てないですね」

 

「遅れて合流するって連絡は貰ってるから、そろそろと思うんだけど・・・」

 

 とはなしていると、漁協のドアが開くと同時にちさきが顔をのぞかせた。

 

「要! 起きたんだ!」

 

「ちさき・・・」

 

 それから遅れて、紡が部屋に入ってくる。先ほどまで少し明るい表情をしていた要の顔は、わずか一瞬にして曇った。

 

「よう、久しぶりだな」

 

「・・・うん、久しぶりだね、紡」

 

 要はなるだけ平静を装って紡に反応する。けれどその心情を知ってしまっている俺からすれば、そのポーカーフェイスはバレバレだ。

 

「要!」

 

 そして一番最後に光が遅れてやってくる。こいつが遅れてやってきてくれたおかげで、なんとか最悪の雰囲気での説明会は避けられそうだった。

 一通り役者が揃ったところで、三橋教授は咳ばらいを一つして本題に入る。

 

「んんっ・・・とりあえずみんな来たからいろいろ始めたいんけど・・・、要君、陸に上がって来た時のこと、どれくらい覚えてるかな?」

 

「・・・正直あまり覚えてはないですね。ちゃんと目が覚めたら氷が張った海のうえだった、って感じですかね。ただ、起きる直前、睡眠が浅く意識が戻ろうとしていた時に、体が変な海流で流されてる感覚はありました」

 

「それがさっき、俺が見つけた『?』のマークの部分の可能性が高いってことですか?」

 

「確証はないけど、僕たちはその方向で調査を進めるつもりだよ」

 

「で? いつになったら俺たちは汐鹿生に帰れるんだ?」

 

 光は椅子をギコギコと揺らし、今か今かとその瞬間を待ち続けている。三橋教授は冷静に光に答えた。

 

「少なくとも、調査の結果は後数日もすれば出てくるはずなんだ。特に今回は遥くんが『?』をそのタイミングで見ている。可能性は結構大きいと思うよ」

 

「ただ、何か鍵が足りないっていうのが、俺たちが今直面している問題の現状だ」

 

 特異点がどこかまでは分かるとしても、どうやってその壁を破るのかが分かっていないという事だろう。その鍵になるものがどれかというものを、俺たちはまだ得ていない。

 

「・・・音」

 

 ふと、俺はそんな言葉を零す。なんで自分でそう口にしたにしたのか分からない。ただ、美海がエナを手に入れたあの日、音が聞こえたとそう言っていた。

 それが、何かのヒントかもしれない。

 

「音が、どうしたんだ?」

 

「美海がエナを手に入れた時、音が聞こえたって言ってたんだよ。ピキピキっていうか、パキパキっていうか、乾いた音って言っていた」

 

「俺たちが海に入っても、それが聞こえる可能性があるってことかよ?」

 

「可能性はあると思う。・・・音の発生源が、汐鹿生なら」

 

 だとすれば、汐鹿生に入る鍵は美海のかもしれない。一緒に来てもらう必要がありそうだ。

 

「僕たちもその方向で調査を進めようと思う。待ってて、もう少しだから」

 

 三橋教授は真摯な対応で俺たちにそう投げかけた。当然、不満なんて覚えるところなんてない。

 ・・・少なくとも、俺は。

 

 各々が帰っていく。俺も帰ろうとした時、後ろから声がかかった。

 

「遥、ちょっと」

 

「なんだ? 珍しいな」

 

「・・・」

 

 要は何か言いたげな顔で俺を見ていた。なんせ起きてすぐだ。割り切ろうにも割り切れない部分は色々あり、そして変わった全てを受け入れることがそうやすやすと出来るはずがない。文句の一つ二つあっても仕方ないだろうと俺は付き合うことにした。

 

「なんか言いたいことでもあるんだろ? いいさ、付き合うよ」

 

「・・・なんであんなに、しかも鷲大師の人間でもない人の話にみんな簡単に首を縦に振れるのさ? ましてや、僕達の街を荒らす可能性すらある人間に」

 

「お前には、三橋教授がそう見えたのか?」

 

「分かんないけど・・・簡単には信用できないな」

 

 要のいう事はもっともである。確かに外部、ましてや赤の他人に汐鹿生を踏み荒らされるかもしれないと危惧しているのだ。無理もない。

 どれだけ大人びても、こいつはまだ中学二年生のままだ。陸とのつながりも、完全に信じきれちゃいないのだろう。それこそ、光以上に。

 

「だが現状、協力体制でやってくのが一番ベストだと思わないか? むしろこちらの意見を全面的に通してくれていることを考えても・・・」

 

「・・・遥は、そんなに簡単に他人を信じる人間だった? 陸に残って丸くなった? 少なくとも、僕の知る遥はもっと・・・」

 

「もっと・・・なんだよ? 言ってみろ」

 

 大人げなく、要が口にした言葉にイラっとしてつい口調が強くなる。

 俺は本当に、そんなに他人を信用しない人間だっただろうか? 違う。信じないのではなく、遠ざけてその距離にいなかっただけだ。親しかった全ての人のことを、俺はちゃんと信じていた。

 その真実だけは捻じ曲げられたくないから。

 

「言えよ。俺がどんな人間だったか」

 

「・・・もっと、冷めてたさ。それこそ僕のことなんて友達とも思っていないんじゃないかって思ってしまう位に」

 

「・・・はぁ、あのなぁ」

 

 内面的な幼さが前面に溢れ出てきて、俺は思わずため息を吐いてしまった。

 

「そういうこと、俺と一対一の時以外で言うのは絶対やめろよな。少なくとも、海村にいたあの頃からお前らが大切な人間だってことは何一つ変わっちゃいないんだよ。あの時も、今も。ただ、俺が自分から遠ざかろうとしただけだ」

 

「じゃあなんでそうしたのさ」

 

「・・・嫌なんだよ。親しくなった人がいなくなるのは。両親にしたって、美海の母親にしたってそうだ。大好きだった人間がいなくなる。その痛みがお前に分かるのかよ?」

 

「・・・そう、だったんだ。僕、何も知らなかったんだね。ごめん」

 

 要は少し自分の中で落としどころを作ったのか、素直に謝る。けど、謝られることじゃない。勝手に俺がそうして、俺が言わなかっただけだ。

 

「謝ることじゃない。俺の自分勝手にすぎないんだからな。言わなかったことも」

 

「・・・なんか、僕の知らないところで色々進んで、いろいろ変わってるんだね」

 

 少し俯いて、ほんのり悲し気に要はそう言った。多分、ここまでの話だけじゃなくて、先ほどのちさきと紡のこともあるのだろう。

 あえてその名前は出さずに、俺は続ける。

 

「ああ。けど変わらないものもあるんじゃないか。それこそ、お前の心の中はそう簡単に変わるもんじゃないだろ。そりゃ、お舟引きがお前の中だと昨日のままってのもあるけど」

 

「それが形になるかどうか、分からないけどね」

 

「諦めない限りは終わらないんじゃないか? ともかく、それはお前のものだからな。自分の好きなようにやってみればいいんじゃないか? 色恋沙汰なんて、そんなもんだろ」

 

「・・・そんなの、無理だよ」

 

 要は小さく、誰にも聞こえないように呟いた。そりゃ、あの距離を見たら無理もない。

 

 

 ・・・まったく、進展があったと思ったらすぐトラブルなんだから、キリがない。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

いっそ遥と要をバチバチさせてしまったほうが面白いのでは?と今作。おかげさまで結構楽しいです。
それこそ全キャラ同士がなかよしこよしなんていかないもんですから、これくらいの
衝突は書かないと絵にならないでしょうと。
さて、物語は進んでいきますね。ゆっくりぼちぼち参りましょう。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百二話 空っぽの心

~遥side~

 

 今日もまた、水瀬と何も話せないまま時間はいつの間にか夜になっていた。

 どこか息苦しさを感じ、俺は逃げるように散歩に出かける。向かう場所は、決まっていつもの所だ。

 

 堤防の上に座って、ぼんやりと海を眺める。今はもう、一人だけの景色・・・

 

「あの」

 

 ふと、後ろから声がかかる。水瀬がどうやら遅れてきていたらしい。

 

「千夏」

 

「あなたもここ、来るんですね」

 

 水瀬はきょとんとして俺の方を見る。そりゃそうだ。千夏にとってこの場所はずっと自分にとってのお気に入りの場所で、そこに見も知りもしない俺がいるんだから。

 この場所を教えてくれたのは水瀬、お前だっていうのに。

 

「まあ、通なやつに教えてもらってな」

 

「へえ、そうなんですね。・・・隣、いいですか?」

 

「いいよ」

 

 俺の隣にちょこんと水瀬が座る。その光景は五年前のあの頃と何も変わらないものだった。

 でもそこに、あの頃の記憶はない。

 

「遥・・・は、どうしてここに?」

 

「散歩だよ。今日はそこまで寒くないし、体を動かすにはちょうどいいと思ってさ。それに、この場所でこうやって海を見るの、好きなんだ」

 

「分かります」

 

「それに、こうやって海を見てたら待ってる人たちが帰って来る気がしてな」

 

「まなか、ですよね?」

 

 それもある。

 俺の同期でまだ眠ったままの人間はまなかだけだ。いつも寝坊してばかりで鈍くさいところがあったまなかのことだ。一番最後になるとは思っていたけど・・・。

 俺が待っているのは水瀬、お前なんだよ。

 

 それはもう帰ってくることのない水瀬。心の奥底で封印された、かつての記憶を持った。

 帰ってこないと分かっているのに、本人の生きたいように生きればいいと言っているのに、それでも俺は、あの頃の水瀬に帰ってきて欲しかった。

 

「まあ、それもあるしそれだけじゃない、かな」

 

「なんですかそれ」

 

「・・・なんだかな、寂しい気持ちにもなるよな。こうやって今の海を見ると」

 

「そうですね・・・」

 

 無理やりにでも話題を変えて、水瀬の意識をさっきの話から遠ざける。もし続けようものなら、きっと俺の口からポロリと零れてしまう気がした。

 それに、今の海を見ると悲しい気持ちになることに嘘はない。今だってずっと胸を締め付けられるような痛みが襲ってくる。

 

「・・・」

 

 そして互いに会話が無くなる。動こうにも動けない、金縛りにあったように。

 ならばもういっそ全てが狂ってしまえと、俺は突拍子もなく水瀬に投げかけた。

 

「なあ、水瀬は・・・好きな人とかいるのか?」

 

「急にぶっ飛んだ質問しますね」

 

「今時の中学生の恋愛事情って分からんもんでな。別に誰か教えてくれとか聞かないから大丈夫だよ」

 

 俺がカラっと笑うと、水瀬は頭に指を当て、うーんと悩んだ。

 それから、あいまいな答えを口にする。

 

「・・・あれ、でもどうだろう。・・・いたような気がするのに、思い出せない・・・? やっぱいないのかな?」

 

「・・・!」

 

 一瞬垣間見えた小さな隙間。

 けれど、その隙はしっかりと俺の瞳が捉えていた。

 

 ひょっとしたら、まだ水瀬のどこかに記憶が・・・ある。

 

 もちろん、それをこじ開ける方法なんて知らないし、まだ仮説にすぎないものである以上、簡単にひっくり返ることだってある。

 それでも・・・そこに一握の希望があるのなら・・・まだ、生きる意味はあるのかもしれない。

 

---

 

~千夏side~

 

 目覚めた時、恐ろしいほどに頭の中はすっきりしていた。まるで、空っぽになったみたいに。

 けど、大丈夫。思い出せる。私はお舟引きの時に海に落ちた人を救おうとして飛び込んで、そのまま冬眠に巻き込まれたこと。

 ここはあの日から五年後の世界。私にとってはついこの間のことだけど、みんなの話に合わせるべきところだ。

 

 でも、私の家に来た島波遥さんを見た時、ほんの少しだけ胸がチクリとしたのはなんでだろう。

 この人とは面識も何もまるでなくて、初対面のはずなのに。少し悲しそうだったその顔を見た時、ほんの少しだけ心が痛くなった。

 ひょっとしたら、私とこの人には私の知らない何かがあった・・・?

 

 でも、分からない。だから今は考えるのをやめにしよう。

 

 折角同じ場所にいるんだから、仲良くなりたい。お母さんが言うには料理もとても上手らしいし、教わったりもしてみたい。

 今はまだちょっと距離があるけど、それでもいつかは・・・。

 

 そして、いつもの散歩コースに、遥さんはいた。

 色々話す。私のことを知ろうとしてくれているんだろう。私もそれに応えようと、自分のこと、ほんの少しだけ話した、

 

 私が自分の恋愛事情を話したところで、今度は私から問いかけた。

 

「じゃあ逆に質問なんですけど、遥には好きな人とかいるんですか? 街で大学生してるって聞きましたけど」

 

「俺か? ・・・うーん、ちょっと過去に色々あったからな。恋愛からは距離を置いてるよ。・・・けど、気になってる人はいる」

 

「誰か・・・は流石に」

 

「内緒だよ。それに、俺自身がまだはっきりとそう分かっているわけじゃないからさ」

 

 遥さんは少し物悲し気に笑う。本当に、過去に大きなトラウマを抱えているのだろうという事ははっきりと分かった。

 ・・・私は、その力になれたりするのかな。

 

 だから、私は一歩踏み出す。

 

「悩んでることあったら、話してもらえたりしますか? どこまで力になれるか分からないですけど」

 

 

~遥side~

 

 

 力になれることはないか、水瀬は確かに俺にそう聞いてきた。

 もちろん、返答には困る。人の厚意を無駄にしたくない感情と、、水瀬を傷つけたくない感情が混ざり合っては崩れていく。

 記憶のない状態で想いでの話なんてしても水瀬は困惑するだけだ。

 

 俺が今悩み立ち止まっているのは水瀬の記憶について、ただそれだけなのだから。

 

 だから結局俺は逃げてしまう。極力誰も傷つけないように、と。

 

「・・・悩みごとってもんじゃないけど・・・もしこのままみんな冬眠から目覚めて、でも何も変わらないままだったらどうしようって思うことは時々あるんだ。この異常気象は終わらずに、海もどんどん冷たくなるって考えると、ちょっと怖い」

 

「遥は、確か海村出身でしたよね? 両親が眠っていたりとか?」

 

「・・・まあ、そんな感じかな」

 

 今の水瀬に俺の過去の話をする勇気はなかった。全く、とんだ軟弱ものだ。

 

「海は・・・もう一度変わらないといけないと思うんだ。そしてもう一度変われた時、多分その時はきっと全てが良くなる気がする。・・・そう思わないと、やってけない」

 

「じゃあ、私も信じますね。・・・多分それが、今力になれる一つのことですから」

 

 水瀬は自分の立ち位置をちゃんと図って、俺にそう投げかけた。良いも悪いも言わせない完ぺきな返答だ。

 

「・・・ああ、頼むよ」

 

 俺は小さく頷いた。その厚意をせめて無駄にしないように。

 

 そして、海の目覚めは近づいて行く。今日もまた、ゆっくりと。

 

 




『今日の座談会コーナー』

前回ほど時間の経過を早くしていないので、仲が深まりにくいというのを今回意識して書いてます。といっても、ある程度親交を深めないと今後の展開が破綻しかねないですが・・・。
実際大学生になった今、いかに展開に無茶があったのかがよくわかりますね。ご都合主義という訳にもいかないですし、なんとかしないと・・・。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百三話 あなたが傍にいるならば

忙しさ相まって更新ペースはダウンです。


~遥side~

 

 次の日の朝、水瀬家に一本の電話がかかってくる。

 この家に直接電話をかけくる人間はそうはいない。俺はある程度高を括ってその受話器を取る。

 

「もしもし、紡か?」

 

「当たり。よくわかったな」

 

「この家にこんな朝っぱらから電話かけてくるのお前くらいしかいないんだよ。光の馬鹿なら電話かけるよりうちに走って来るし」

 

「それもそうか」

 

 電話の向こうで紡が苦笑しているのが分かった。

 

「で、なんかようか? 昨日の今日のことだからある程度予想は出来るけど・・・」

 

「ああ、多分それで合ってる。汐鹿生に入るルートが判明した」

 

「だよな」

 

 手短に返事して一旦話の流れを区切るが、俺は内心でそれを喜んだ。

 ずっと帰ることが出来なかったあの場所に、やっと帰ることが出来る。そこを住処に出来るかどうかは分からないにしろ、俺ははっきりと、五年間あの場所から遠ざかっていたのだから。

 

「それで、今日からもう行けるのか?」

 

「そうあわてるな・・・。といっても、俺たちとしてもなるべく早急に向かってもらいたいからな。他の皆にはもう連絡してある。これからすぐ漁協に集合してくれ」

 

「分かった」

 

 せっかく出来たチャンス。しかし未曽有の出来事なだけに、これからまた閉ざされてしまうかもしれないなど色々考えているのだろう。なるほど、それなら確かに急いだほうがいいことに変わりはない。

 

「それじゃ、電話切るぞ」

 

 紡が電話を切って、俺は一息つく。

 動き出した全てを整理するために感情はぐちゃぐちゃになっているけれど、そこに嬉しいという感情が眠っているのも確かだった。

 

「あの・・・」

 

 ふと、後ろから声が聞こえる。どうやら千夏が俺の電話を聞いていたみたいだ。

 

「ん、なんだ?」

 

「汐鹿生、行くんですよね?」

 

「まあ、そう言う流れになるけど・・・」

 

「付いて行っても・・・いいですか?」

 

 向けられる、真っすぐな瞳。その瞳のせいで、すぐにダメだと口にすることが出来なかった。

 別に、千夏に来てほしくないわけではない。けれど、この不安定な状態の千夏を、どのような状態で保存されているか分からない海に連れていくのにはリスクがあった。

 それが好転につながる可能性もあれば・・・悪い方向へと流れが変わる可能性もある。下手にはいもいいえも言えなかった。

 そこに助け船を出したのは、その後ろから顔を覗かせていた夏帆さんだった。

 

「千夏。・・・それは、よく考えてからの発言?」

 

「お母さん・・・。・・・うん、半端な気持ちで言ってないよ。五年前、私だってお舟引きに参加した。だから、そこで何があったかをちゃんと見届ける義務があると思うし、私も、そうしたい」

 

「・・・お母さんとしては反対なんだけどね、今回ばかりは。・・・もしまた何かあって、千夏がいなくなるの、嫌なの」

 

 夏帆さんは例にもなくはっきりとNOを口にした。ここまではっきりと自分の意見を主張した夏帆さんを見るのは初めてで、だからこそその覚悟がうかがい知れた。

 

 ・・・でも、だからこそ、俺は。

 

「夏帆さん、行かせてあげてみてはどうですか?」

 

「遥くん・・・」

 

「確かに、怖いですよ。どうなるか分からない、何が待っているか分からない海。イレギュラーなんて起こっても不思議じゃないです。・・・でも、分かるんです。海に、何かが変わる鍵が眠ってるって。そこには多分、千夏もいた方がいいと、そんな気がするんです」

 

 そして、海に何かあるなら、千夏の閉ざされた何かが目覚めるかもしれない。

 

「・・・そこまで押されちゃ、仕方ないわね。けど約束して。ちゃんと帰ってくること。人に迷惑かけないこと」

 

「うん、約束する」

 

「遥くん、あれだけ啖呵きったからには、千夏のことお願いするよ」

 

「もちろんです」

 

 これまでも責任を負う場面はいくらでもあったけど、今回ばかりは訳が違う。

 絶対に、絶対に守り通さなければいけないもの。もうこの人たちに失う悲しみを味合わせてはいけないから。

 俺は首を縦に振って、真っすぐな瞳を夏帆さんに向ける。

 

「うん、それならいいかな。・・・それに、私だって海のこと、知りたいもの」

 

「そう言えば、夏帆さんも海村の出身でしたよね」

 

「といっても、海から出て、ここに来てもう20年近く経つよ。・・・その間、一回も海に入ることはなかったし、今更どんな顔してあの場所に向き合えばいいかも分からない」

 

「お母さん・・・」

 

 よくよく考えてみれば、この人から海のことを聞くのは初めてだった。

 この場所に来て20年。この人にとって大事なものは海より保さんだった、それだけの話なのだろう。

 けど、その決断をするのはそう簡単なことではない。

 

 いつか、ちゃんと、この人から見た海の話を聞こう。

 それが、未来の俺を選ぶきっかけに繋がるはずだから。

 

「だから、何があったか、教えてね。それくらいしか、私には出来ないから」

 

「ええ、必ず伝えます」

 

「それじゃ行ってらっしゃい」

 

 しっかりと手を振られ、俺と千夏は漁協に向かう。皆もずいぶんと待っていることだろう。遅れすぎては申し訳ない。

 

「・・・」

 

 隣を歩く千夏は黙ったまま、何も言わない。さっきの夏帆さんの態度を見て、色々と思うところがあるのだろう。

 やがて、重たげに閉じていた唇を動かす。

 

「大丈夫、ですよね?」

 

 不安そうなその声に、俺は戸惑う。なんて答えればいいかすぐには出てこない。

 大丈夫だという保証はない。けど危険だと思いたくもない。

 だから、言えることは一つだけだ。

 

「気にすることはないよ。何かあったら、俺が守るだけだから」

 

「・・・なんか、申し訳ないですね」

 

「いいんだ、望んだことなんだから」

 

 そう言い聞かせないと、やってられない。

 

---

 

 漁協についたのは、やはり俺たちが最後だった。

 

「おせーぞ遥」

 

「悪い。色々あってな」

 

「何だよ、色々って」

 

「やあ、千夏ちゃんも来たんだね」

 

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 光は不満を垂れ、要は少し訝しむように千夏を見つめている。それからあとは・・・

 

「美海、お前も?」

 

 俺の問いかけに対して、美海はこくりと頷く。

 エナを手に入れたときに音を聞いた張本人だ。一緒に来てくれるに越したことはないだろうけど・・・それでもやっぱり、少し不安だ。

 

 それから紡が教授を連れて説明を始める。正直聞いたところで分からない話ばかりで、俺はそれを右から左へ流した。

 結局、汐鹿生に入るキーポイントは音と、流れ。それだけの話だ。

 

「で、これから五人に向かってもらうわけだけど、準備は大丈夫か?」

 

「・・・嫌な気分だね。自分たちの家に帰るってのに、準備しなくちゃいけないとかさ」

 

 要が厭味ったらしく言うが、確かにその通りではあるだろう。

 当たり前のように帰り慣れた場所のはずなのに、今じゃ未踏の地を開発するような言い回し。当たり前が当たり前じゃなくなる。それはとても、嫌なことだ。

 

「でも、言ったってキリがないだろ。確かに、気持ちは分かるけどよ」

 

 光が要を諫める。きっと同じ言葉を俺が要にぶつけていたら、また対抗されて噛みつかれるだろう。それほどまでに、要の心にある傷は大きいのかもしれない。

 ・・・いや、ひょっとしたらそれは俺の問題か。

 

「千夏ちゃん、大丈夫なの?」

 

 クイッ、と俺の服の端を掴んで、美海が耳打ちするような声で問いかける。

 

「海に入る分には大丈夫なはずだ。・・・といっても、不安だからな、極力俺が隣にいるようにする」

 

「・・・私も」

 

「?」

 

「私も守ってもらって、いい?」

 

 美海からぶつけられる、どこまでも素直な言葉。

 けど、そんなこと、言うまでもない。

 

「言うまでもないだろ。傍にいるよ、もちろん」

 

 そう言うと、美海は安心したような表情を浮かべた。

 

 

 ・・・さあ、海へ向かおう。 

 そこに何が待っていようとも。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

美海からのアピール、あまり書いたことなかったですねそう言えば。こういう一面を書くというのも結構楽しいものです。
そして今回の話は前作にはなかった新規のシーン。思えば夏帆さんに脚光を浴びせたエピソードってそうなかったですからね。いつか、今の大人世代に脚光を浴びせた作品を書いてもいいかもしれないですね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百四話 静寂の帰還

モチベーションは高いのが癪ですね・・・もうそろそろで忙しい用事も終わりますが。



~遥side~

 

 光、要、美海、千夏と共に、冷え切った海をコンパスの指針と微かに聞こえる音を頼りに進んでいく。

 渦を避けるように進んでいくと、いつしか俺たちを押し戻そうとしていた海流が弱くなるのを感じた。

 

 もう少しだ。もう少しで、俺たちの汐鹿生に辿り着く。

 五年ぶりの・・・俺たちの街だ。

 

 そしてたどり着く。

 そこは、俺の知る汐鹿生ではなかった。街は寝静まり、まるでそれは死んだように・・・。

 

 ・・・いや、眠ってるだけだ。死んでるなんて言えるもんか。

 

 温み雪に覆われた汐鹿生の大地に足をつける。五年ぶりの対面だ。

 

 

「これが、汐鹿生かよ・・・?」

 

 ショックを受けたように光が呟く。他の皆も言葉を失っているようだった。

 

「・・・なあ、光」

 

「なんだ?」

 

「家、戻っていいか? 俺、五年ぶりなんだ。ちょっと気持ちの整理つけさせてくれると、助かる」

 

 ここに帰ってきて、これほどショックを受けるとは思っていなかった。

 けれど、こんな再会・・・何一つ嬉しくない。俺が眠ってしまっていた間に、海はこれほどまでに変わってしまっていたっていうのか。

 

「・・・お前がそこまで言うんなら、仕方ないな。いいよ、行ってこい。俺もちょっと親父の顔拝みに行きたかったところだ。まあ、あとで学校に集合ってことで」

 

「悪い」

 

 皆より一足先に抜け駆けして、俺は一人家へと向かう。最後に家に行ったのは、島民前の宴会の時か。・・・そうか、あれ以来なんだな。

 

「・・・なんか、涙もねえや」

 

 ウロコは、この未来をもう見ていたというのだろうか。

 でも、だからといって、それが抗わない理由にはならないだろうに。

 

 汐鹿生のはずれの俺の家に辿り着く。見るからに埃っぽくなったその家は、重ねた年月を痛いほどに映し出していた。

 もうそこに対する感情など何もなく、少しだけ立てつけが悪くなったドアを開けて、俺は呟いた。

 

「・・・帰ってきたよ、父さん、母さん」

 

 そこにいないと分かっていても、俺はちゃんと「ただいま」を口にする。それがどれだけ、むなしい行為だと分かっていたとしても、この日常だけは、決して失いたくない。

 

「・・・にしても、ほんとに埃っぽいな。他の家どうなってんだろうな」

 

 五年も経ってりゃ全部の家同じようになってるか。掃除は大変だろうな。

 

「まあいいか、そんなこと。・・・それより、せっかく帰ってきたんだ。少しくらいゆっくりさせてもらうとするか」

 

 そして椅子に腰かける。視界には色あせた写真が写った。俺と、父さんと、母さんと、三人が写った写真が。

 どれだけ痛く、苦しい思い出だとしても、絶対に忘れたくない、忘れてはいけない思い出だ。今はちゃんと、それを胸に刻みつけよう。

 

---

 

~千夏side~

 

 遥さんが先に抜け出したのを機に、一旦単独行動のフェーズになった。

 美海ちゃんと一緒に行動するのでもよかった。けれど、私は何かに惹かれるように動いていた。美海ちゃんもそれに気が付いているようだった。

 

「千夏ちゃん、一人行動したいの?」

 

「え? いや、特別そういうつもりがあるわけじゃないんだけど・・・何かに、呼ばれてる気がするって言うか、変なの」

 

「遥・・・のこと?」

 

「違うかも。それだったら、真っ先に追いかけていると思う」

 

「そうだよね」

 

 美海ちゃんは少し困ったように言葉を小さくする。・・・やっぱり今は、一人でいたほうがいいかも。そう思ってちゃんとその思いを告げる。

 

「ね、美海ちゃん。一旦ここで分かれよ? 私、どうしても気になってる場所へ行きたいの」

 

「え、うん。分かった、そう言うなら」

 

 最後まで不思議そうな顔をする美海ちゃんを置いて、私はどこかに歩き出した。何に引かれているのか分からない。どこにたどりつくのかも分からないけど、私は独りでに動き出す私の足を信じた。

 

 寝静まった、冷たく暗い汐鹿生を行く。

 私が昔憧れていた汐鹿生はこんなところじゃなかった。こうなったのは、全て五年前のお舟引き、あの日かららしい。

 けど、過去を悔いても何も変わらない。前を向いて歩くしかないから。

 

「・・・あれ?」

 

 街のはずれ、ふと私の足は止まった。目の前に落ちている煌びやかな何かに目がいったから。

 そこまでたどり着いて、それを拾い上げる。

 

「え・・・?」

 

 その途端、私の中に何かが入り込んだ気がした。ずっと空っぽのように思っていた心の何かを埋めるように。

 けど、それが何かは分からない。私は目の前の、ペンダントを拾って何を手に入れたのだろう。

 

 

「・・・戻ろう」

 

 きっと、このペンダントに引かれていたんだろうと思う。それが証拠に先ほどまでの胸の高鳴りはどこかに消えていた。

 

---

 

~遥side~

 

 ぼーっとしているだけで時間が経つのを感じる

 この何もない、絶望に似た空虚が今はどこか気持ちがいいものに感じる。

 二人がいなくなったのは、もうとっくの昔だというのに。

 

 ・・・

 

 それから間もなく、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。開けてみると、千夏が立っていた。

 

「あれ、美海は?」

 

「ちょっと色々あって、別行動になりました。どのみち、学校に合流って話なのでいいかなーって思って」

 

「せっかくの汐鹿生だもんな。一人で回った方が気も楽だろ。それよりなんだ、橘氏もなんだし中に・・・」

 

 そう言いかけて、ふと千夏が手に持っているものが目に入って俺は言葉を失った。

 

「それ、どこで?」

 

「え、これですか?」

 

 千夏が持っていたのは、俺が五年前にプレゼントしたペンダント。それがなんで、今、こんなところに・・・。

 

「落ちてたんです。それを、たまたま拾って」

 

「なるほど、そういうことか」

 

 言われてようやく納得がいく。

 五年前、千夏はこのペンダントを持ったままお舟引きに臨んだんだ。そして、冬眠に巻き込まれた際、汐鹿生にこれを落としたのだろう。

 ・・・ずっと、持っててくれたんだな。

 

 今はただ、それが嬉しかった。けど、そんな感情を千夏の前で見せるわけにはいかない。

 

「それより、まだ時間あるのなら中、入ってもいいよ。といっても、もう五年使ってなかったから掃除が行き届いてるか分からないけど」

 

「大丈夫ですよ。お邪魔します」

 

 千夏は遠慮することなく俺の家に入る。遠慮してくれないその姿勢が、今はありがたかった。

 

「ここが、遥さんの家なんですね」

 

「といっても、五年前から陸にいたからこんなありさまだだけど。・・・ここで、家族と暮らしてたんだ」

 

「そう言えば、両親は、眠ってられるんですか?」

 

 悪意のない、千夏の質問。けれどそれが俺には辛かった。

 また、あの思い出を口にしなければならない。もうずいぶんと昔の話だというのに、悲しみはいまだに払拭できないでいた。

 

「・・・父さんと母さんは、死んだよ。昔、事故にあってさ」

 

「え、そうなんですか・・・。すみません、変なこと聞いて」

 

「いや、いいんだ。それに、いつかは話さないといけないと思っていたからさ」

 

 ほんの少しの嘘を織り交ぜて、俺は千夏に過去の話をした。両親が死んだ、その成り行きを。

 それに神妙な顔で頷いて、千夏は答える。

 

「・・・大変、だったんですね」

 

「ああ、大変だったよ。それに、今だって心の辛さが晴れたわけじゃない。でも、俺もこんな歳になったわけだからさ、そろそろ前を向かなきゃいけないんだ」

 

「別に、無理する必要なんて、ないですよ」

 

「だと、いいんだけどな」

 

 分かってる。

 どれだけ背伸びをして、我慢しても、急に大人になんてなったりはしない。着々と一歩を踏み出し続けて、ようやく大人になれる。

 でも、その道の途中は苦悩と我慢の連続だから。

 

「それよりどうだ? 初めての汐鹿生は?」

 

「・・・いいところだとは思いました。でも、どこか冷たくて・・・」

 

「だよな。・・・ほんとは、こんなもんじゃなかったんだけどな」

 

 全ては、あのお舟引きから。

 ・・・あれ、お舟引き?

 

 そこで俺は、ひとつ大事なことを思い出す。

 

 お舟引きの・・・墓場。誰も知らない洞穴は、これまでのおじょしさまが眠ってる場所だ。

 ・・・待てよ、それなら、あの場所には何かがあるんじゃないか?

 

「・・・千夏」

 

「なんですか?」

 

「行きたい場所があるんだけど・・・どうする? ついてくるならそれでもいいし、ここにいてもいいし」

 

「行きますよ。限りある時間なんですから、のんびりは出来ないです」

 

「分かった」

 

 あの場所に、何が眠っているかは分からない。

 けれど、あの場所が海にとって大切な場所であることは分かっている。それを思い出しただけで、胸のどこかが熱くなった。

 

 行こう。今の海の答えが、あの場所にあるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

伏線をあちこちに張り巡らせるのはいいんですが、その回収を忘れちゃ元も子もないですよね。特にアイテムなんて結構簡単に扱えるはずなのに、前回はその所在を曖昧にしてしまっていたので・・・。
はてさて、前に進んでるような、そうでないような感覚。懐かしいですね。折角のリメイクなんでどこまでも自己満足貫こうと思います。

と言ったところで、今回はこの辺で。
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第百五話 仮面は色を変えて

しかしまあ、差が激しい・・・。


~遥side~

 

 千夏を連れて、過去のおじょしさまが眠っているはずの洞穴まで向かう。

 近づくにつれて、何かしらの波動を感じた。ここが、何かの起点になってるのには間違いないのだろう。

 

「ここ、ですか?」

 

「ああ。これまでのおじょしさまは全部ここに流れ着いてたんだ。この洞穴の中に入ればその答えは分かるはずだ」

 

 千夏の問いかけに淡々と答える。

 その時、遠くから人の気配を感じた。けれど、こちらに来る気配は一向にない。俺はその挙動で、そこにいるのが誰なのか分かった。

 だからこそ、俺は千夏に指示を出す。

 

「千夏、悪いんだけどさ、光たちをここに呼んできてくれないかな。学校集合って言ってたけど、多分こっちの方が話が早いんだ」

 

「と、言うと?」

 

「たぶん、まなかがいる」

 

 俺ははっきりと断言する。

 五年前紡に聞いところ、あかりさんを助けに向かったのは光とまなかだったらしい。

 もし、まなかがおじょしさまとして眠っているなら、ここにいるはずだ。

 

 俺と千夏が先に会いに行っても、何の意味もない。それに、まなかに一番会いたがってるのは光のはずだから。

 

「・・・分かりました」

 

 千夏はその言葉以外の何も言わずに踵を返した。少々強引な態度を取ったかもしれないと自省をするが、こればかりは譲れない。

 千夏がその場からいなくなったのを確認して、俺は気配の方するほうへ声を掛けた。

 

「いつまでも見てないでこっちに来たらどうです? ウロコ様」

 

「・・・よく儂がいることが分かったの。遥」

 

「もう何年の付き合いだと思ってるんですか」

 

 この人との話は軽口から始まる。身構えてるときにこそこの人の言葉の全てが刺さるから。

 

「お主は、学校に行かなくてよかったのか? 先島のとこの坊主や陸の雌が待っておったが?」

 

「まあ、思い出を振り返るのは後でいいです。むしろ、一対一で話せる今の方が好機じゃないですか」

 

「よく言う。お前は五年前から何も変わっとらんの」

 

「・・・変わってないと、いけないんですか?」

 

 珍しく感情的になる。けれど、今のこの人の言葉にはカチンときた。

 ちさきみたいにああだこうだ言うつもりはない。けれど、変わってはいけない部分だって、人間にはある。

 

「その良し悪しは全てが終わってから分かるものじゃ。儂が判断することではない」

 

「じゃあそんなくだらないこと言わないでください」

 

「えらく感情的じゃの」

 

「誰のせいだと思ってんだか」

 

 熱くなる心。それでも、冷静さは忘れずに。

 

「・・・演じるのも、疲れたじゃろ」

 

 ふと、ウロコ様から零れる言葉。けどその言葉が今の俺に刺さった。

 

「演じてる? 俺がですか?」

 

「この場に儂とお主以外の誰がおる?」

 

「・・・少なくとも、今俺はありのままでいるつもりですよ。それこそ、五年前のほうがもっと演じてたんじゃないですか?」

 

「少々違うの。お主の演じ方は、なりたい自分の性格像に無理やり矯正しようとしておるタイプじゃ。冷静なら冷静に。感情的なら感情的に。今映し出してるそれは、お主の本心からの感情か?」

 

「・・・分かんないですよ」

 

 ただ、あの頃より笑って、泣いて、怒れる人間になったと思っている。

 ・・・それすらも、演じてるって言うのか? この人は。

 

「まあ、それもまた生き方、か」

 

 ウロコ様は自己完結するように独り言を呟く。俺は何をすることも出来なかった。

 

「それより、どうじゃ。お主にとってこの五年間は。海が閉ざされたままの、五年間は」

 

「・・・長かったですよ。冬眠の道を選ばなかったのは俺。そこに悔いはないんです。ただ・・・」

 

「さっきの雌のことか?」

 

「おかしいじゃないですか。エナを持ってるとはいえ、紛れもない陸の人間だっていうのに。海神があいつから五年の時間を奪ったことを、俺は許せないかもしれません」

 

「・・・それは、あやつが望んだ未来であってもか?」

 

「え?」

 

 選んだ? 一緒に冬眠する未来を? あいつが?

 

「いや、この話はやめじゃ。儂も流れてきた感情を拾ってきただけじゃからの。確証はもてん」

 

 ここで逃げるのは・・・ずる過ぎる。

 でも、それ以上の話を俺は聞きたくなかった。

 

「それより、そろそろ先島の坊主どもがここに来そうじゃが・・・何か最後に聞いておきたいことはあるか? 特別に耳を貸そう」

 

 聞きたいこと・・・そんなこと、いくらでもある。

 けれど、一つだけ選ぶとしたら・・・俺はちゃんと、この人の口から未来が聞きたい。この結末を迎えることを知っていたウロコなら、未来を知っていたとしてもおかしくはないだろう。

 

「・・・これから海はどうなるんですか?」

 

「えらく抽象的じゃの。お前らしくない」

 

「理論に基づいてますよ。・・・あなたは、こうなる未来を五年前から見ていた、違いますか?」

 

「・・・そうじゃ、と言ったら、お主は儂を憎むか?」

 

「憎むという感情に価値なんてないですよ」

 

 そんな感情を抱く暇があるなら、もっと時間は有効活用できる。

 

「それより、未来が見えるなら、これからの海だって分かるんじゃないですか? 一部とはいえ、海神様である、あなたなら」

 

「・・・」

 

 ウロコはここから遠い方向を向いて、しばし沈黙を貫いた。

 それからして、ようやく口を開く。

 

「儂にも分からん。儂はしょせんウロコの一枚じゃ。海の総意である海神様のことを全て理解できるわけではない。海がしおれていく未来を見ることと、海神様の記憶を微かに覚えておること以外は、儂に出来ることはない」

 

「やっぱり、海は枯れていくんですか?」

 

「このままではそうなるじゃろうな。じゃが、それは儂に聞かずともお主ほどの人間なら簡単に分かることじゃろう」

 

 そうだ。だからもっと、確たる未来が知りたくて。

 ・・・でも、この人の言ってることはきっと嘘ではないのだろう。腹の探り合いがうまくなった今なら分かる。

 

「じゃが・・・未来は本当に分からん。それが儂の答えじゃ」

 

「そうですか」

 

「じゃあ、儂は消えるぞ。お主以外に姿を見られたくないからの、今は」

 

 それから有無を言わさず、ウロコ様は海の中に消えていった。俺はただ一人立ち尽くして、感情を整理した。

 とても、短い時間じゃ整理できるものじゃないけど。

 

「遥ー」

 

 遠くから光の声が近づいてくる。頃合いだろう。

 しかし、焦った様子はない。まなかのことを千夏は言わなかったのだろう。確証がないことを口にしないのは記憶をなくす前から変わっていないようだ。

 

「悪いな、こんなところに呼び出して」

 

「ここって・・・昔、閉じられた洞穴だよね?」

 

 要は遠い昔の話を思い出したようで、それを口にした。

 

「よく覚えてたな。その通り。・・・んで、手っ取り早く話すけど、光、落ち着いて聞いてくれ」

 

 しっかり視線で釘を刺す。それを感じてか、光は小さく頷いた。

 それから、俺はちゃんと続きを口にする。

 

 

「おそらくここに、まなかがいる」




『今日の座談会コーナー』

今作の遥はえらく感情的に行動しますね。そっちのほうが人間らしいや、と作者もそれなりに満足してます。
しかしそうしたらそれはそれで、前作のような一貫してクールでポーカーフェイスを貫こうとしていた遥も愛おしく思う・・・ジレンマですね。
着実に、一歩ずつ。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百六話 memorize

今作初めての英語サブタイトルでは・・・?


~遥side~

 

 俺の話を聞いて、かかとを浮かしかけた光だったが、落ち着いて聞けという俺の忠告を思い出し、そのまま踏みとどまった。

 しかし、うずうずと身体を揺らしている。そりゃそうだ。そこにまなかがいるのかもしれないと思うと、落ち着いてなどいられないのだろう。

 その気持ちを阻害しないように、俺は続ける。

 

「確証はない・・・けど、多分いるんだ。どんな状態かは分からないけど・・・覚悟は出来てるか?」

 

「どんな状態だろうとまなかはまなかだろうが! 覚悟なんてする必要ねえよ!」

 

「分かった。なら早く行くぞ」

 

「ああ!」

 

 光はGOサインを受けて、一足早く洞穴へと向かった。それに美海と千夏が付いて行く。最後まで残ったのは俺と要だった。

 

「・・・やっぱり光の扱い方、うまいね」

 

「素直に接してるだけだ」

 

「・・・素直、か。ね、素直に接するって、どうやったら出来るかな」

 

 ひどく後ろ向きな要の言葉が、少しずつではあるが上からのしかかってくる。けどそんなこと、誰かに説教垂れるほど俺がえらくなったわけじゃない。

 

「そのうち出来るようになるだろ。ただ、あれだ。自分の汚い部分を隠そう、だなんて思ってたら、一生出来ないかもしれないな」

 

「でも、大切な人には自分のいいところだけ見てほしいよね」

 

「確かにな」

 

 だからこそ、コミュニケーションは難しい。

 

「それより、俺たちも行くぞ」

 

 それ以上は要に何かを言わせることなく、俺も洞穴の中へと向かった。

 

---

 

 洞穴の中に、一つきらきらと光る物があった。

 それは、薄いカーテンのようなもの。沢山転がっているおじょしさまの残骸の中でひときわ輝いているそれに目がいかないはずなどなかった。

 

 そこにいたのは、まなかだった。

 

「まなか!」

 

 光は叫ぶなり、がむしゃらに突っ込んでその膜に手を付けた。あしかしその直前で俺は光を呼び止める。

 

 その膜が何でできているか分からないうえでがむしゃらに突っ込んでも、ただまなかを傷つけるだけかもしれない。今の光に、そう思うだけの冷静な判断は出来ていなかった。

 

 ・・・俺が行くしかないか。

 

 

「光、ストップ!」

 

「あん!? 落ち着いてられるかよ!!」

 

「いいから話を聞け」

 

 荒れ狂う光に近づいて、こつんと後頭部をチョップする。それがどこか拍子抜けだったようで、光はさっきより少しだけ落ち着いた声音で俺の方を睨んできた。

 

「・・・何かあるなら、さっさと言えよ」

 

「じゃあさっさと言わせてもらうぞ。・・・音、聞こえるか?」

 

 先ほどから何度もピキピキと音が聞こえる。その音が何なのかある程度予想はついていたが・・・そうあってほしくないのも事実だった。

 

「聞こえる。この音がなんなんだ?」

 

「たぶん、これはエナがはがれてる音なんだよ。それでもって、多分、この膜も・・・」

 

「エナだって言いてえのかよ・・・? でも、そんならまなかは」

 

「ああ。・・・下手をしたら、エナが無くなるかもしれない」

 

 残酷な取捨選択だ。どっちも、という選択肢はきっとここにはないだろう。

 エナを失う代わりに、まなかを眠りから引っ張り出すか、それとも、ここで「おじょしさま」としてエナを持ったまま眠ってもらうか。

 

「くそ・・・なんだってんだよ!」

 

 地団駄を踏む光に対して、俺は冷徹に問いかける。

 

「なあ光。ちゃんと聞かせてくれ。・・・もし、まなかがエナを失うと分かってていても、お前はこの膜を破るのか?」

 

「・・・それでも、破る。ずっとこんなところで一人眠らせたくなんてねえよ。でも、エナだって奪わせたくねえ!」

 

「・・・分かってる」

 

 これを可能な限り最小限の力で破ったとしても、エナを失わずに済むかどうか分からない。

 でも、やるかやらないかは別だ。

 俺は光の隣に立ち、そのエナのカーテンに触れた。痛みや拒絶は感じないが、この膜を破ることで、どこか引けない一線を越えてしまうそんな気がしていた。

 

「・・・光、可能な限り小さな力でこいつを破れるか」

 

「そんなことでどうにかなる問題なのか?」

 

「分からない。けど、今はそれしか方法がないんだ」

 

 真っすぐな俺の瞳に応えるように、光は膜に手をかけ直した。

 

 それからほどなくして、まなかを包んでいたカーテンは破れた。それと同時に、まなかは苦しそうに息を吐く。

 

「・・・ひょっとして、まなかさんは目覚めようとしてるの?」

 

 美海が呟く。けど、それならあそれでこの反応には納得がいく。

 というか、まなかはさっきから正しい呼吸が出来てない。なら、早く陸に戻った方が良さそうだ。

 

「おい遥! どうなってるんだ!」

 

「詳しい話は後でする! ただ、今はまなかの状態が良くない! 早く陸に戻った方がいい!」

 

「光! まなかさんをこっちへ!」

 

 美海がこっちと誘導して、光はそれに従う。見ないでと男子陣に告げた後、美海は自分の着ていたパーカーをまなかに着させた。それからまた光はまなかを抱き上げる。

 それと同時に、空洞全体が揺れを始めた。海神様が怒ってるとでも言わんばかりに。

 

 だからこそ、さっきまでそこにいたあの存在が気になる。きっと今この現場もどこかから見ているのだろう。

 でも、その名前を呼ぶことは出来ない。ここに他の皆が来るから、とこの場所を離れたのに、俺が呼び戻してしまうと質が悪いだろう。

 

「とにかく、今は陸に上がること最優先に!」

 

「分かった! 詳しい話絶対後で聞かせろよ! 行くぞ、要!」

 

 まなかを抱いた光は要と先にすいすいと海から撤退していった。要のもの言いたげな表情など見ることも無く。

 それから場には俺と美海と千夏だけが残る。とはいっても、長居は出来ない。

 

「美海、千夏、俺たちも上がろう。特に美海は一枚肌着が少なくなってるんだ。体調に影響が出る前に上がった方がいい」

 

「うん、そうだね」

 

「はい」

 

 二人を率いて、俺も陸を目指す。

 ・・・しかしその途中で、千夏の足がふと止まった。

 

「千夏?」

 

「・・・」

 

「千夏ちゃん?」

 

 千夏からの返事はない。けど、どこか苦しそうなのだけは確かだ。

 夏帆さんとの約束を思い出す。そのためになんでもないことかもしれないはずなのに、千夏のそれがSOSに見えた。

 

「美海、先上がっててくれ! 千夏の様子がおかしい」

 

「え、でも」

 

「今の状態で美海が長居するのはまずいんだよ。水温もだいぶ下がってきてる。長居するメリットが何一つない」

 

「・・・分かった」

 

 美海は渋々陸へと上がっていく。無理やりにでも引きはがしたことに少し後悔を覚えるが、それよりも今は千夏だ。

 いったい、どうしたんだ・・・?

 

---

 

~千夏side~

 

 まなかが眠っているカーテンを破ったところで、空洞が振動を始めた。それが何を意味するのかは分からない。けど、撤収した方がいいという遥さんの言葉には納得できた。

 

 その言葉に従って、私も陸を目指す。

 ・・・その時、私の足先に何かが触れた。そしてそれが、破られたカーテンから零れ出たカケラだと気が付く。

 

「・・・!!?」

 

 そしてそのカケラが触れた時、私の身体に電流が走ったような気がした。

 さっきペンダントを拾った時私の身体に入った何かが、私の中で暴れている。

 その気持ち悪さと痛みで、私はうずくまる。動くことも、口を動かすことも出来なかった。

 

 頭が・・・痛い・・・。

 

 そんな私を誰かがおぶる。・・・これは、知ってる感覚。

 

 これは・・・島波君の、温もりだ。

 ・・・あれ、今、島波君って・・・?

 

 けれど、襲い掛かったまどろみに負け、私の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

毎度毎度前作の話をするようでなんですが、前作って原作と展開が少々違ったんですよね。まあ、今作に関してもオリジナルキャラがいるわけですしオリジナル展開でもいいわけですけど。
しかし、それだったらリメイクの意味なんて何一つないので今回原作準拠の展開にしました。
これで今後の展開が大きく動くといいですけどね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百七話 あなたのヒロインになりたくて

しっかりと心理描写を映していけ~。


~遥side~

 

 俺は様子のおかしくなった千夏を背中に乗せる。目を閉じているが、呼吸は安定している。ただ眠っているようにも見えた。

 二人分の重さで上昇を続ける。そして陸が見えたところで、千夏は目を覚ました。

 

「・・・あ」

 

「いいから、今は寝てろ。家まで連れて帰るから」

 

「・・・うん」

 

 それからまた千夏は目を閉じる。ほんの少し感じた違和感に見て見ぬふりをして、俺は陸へと上がった。

 上陸地点で他の皆が待っていたが、俺は一人、家に寄って帰る旨を告げた。

 背中にいる千夏を送り届ける義務があるからな。

 

「私も、付いて行っていい?」

 

 美海が声を上げる。さっきの件もある。千夏のことを心配に思ってるのだろう。

 急いでいるわけでもないし、美海をないがしろにするつもりもない。俺は二つ返事でOKを出した。

 

「分かった。それじゃ、まなかのことは光、任せてもいいか?」

 

「いいけどよぉ・・・後で家来いよな。こういう時の説明って、お前が一番分かりやすいんだよ」

 

「はいはい、分かってるっての」

 

 どのみち美海を送ることになるんだろうし、そこについてはなんの心配もない。

 

 俺たちは二手に分かれて、まずはそれぞれの場所に向かった。

 

---

 

 道中の空気は少し気まずかった。美海が少し不機嫌そうにしているのが目に見えて分かったからだ。

 それに弁明する形で、俺は美海に告げる。

 

「・・・悪かったよ、さっきのこと」

 

「何が?」

 

「先に一人で上がれって言ったこと。別にないがしろにしたいとかそんなつもりは微塵もなかったんだよ。ただ、美海の体調を思って・・・」

 

「本当は?」

 

 核心を突く、容赦ない一言。美海は俺が後ろに感情を秘めていることが分かっているようだった。

 ため息一つついて、俺は答える。

 

「・・・もし、千夏がどうしようもない異常事態だった時に、美海に取り乱してほしくなかったから・・・その現場を見せたくなかった。もっとも、それは杞憂に終わったけど」

 

「あのね、遥。その場にいてもいなくても、私は多分、同じくらいの心配をするよ?」

 

 怒っているわけではない美海のその一言。けれど今はそれがなによりも痛かった。

 ・・・本当に、成長したよな。

 

「だよな、悪い」

 

「ん」

 

 俺がちゃんと自分の言葉で謝ったのもあって、美海は許してくれるそぶりを見せた。そして今度は、千夏の心配に変わる。

 

「それで、千夏ちゃんは?」

 

「今は眠ってるだけだよ。でも、あの様子から見るに多分頭痛とかしてたのかもしれないな。・・・もともと、昔から体が強いやつじゃなかったしな。今回海に入ったのでその病気が再発した可能性も捨てきれないけど・・・」

 

「それは、検査してみないと分からないよね」

 

「とはいっても、それを一番分かってるのは本人のはずだからな。起きるのを待つしかない」

 

「そうだね」

 

 そんなことを話しているうちに、俺たちは水瀬家へついた。扉を開けると、夏帆さんが待ってましたと言わんばかりに出てきた。

 

「おかえり。・・・千夏、どうしたの?」

 

 顔から血の気が冷めていくのが分かった。けれど、心配ないと伝えるように俺は夏帆さんに応える。

 

「疲れて眠ってるだけですよ。呼吸も整ってますし、変な様子は見受けられないです。・・・といっても、ずいぶん疲労がたまってるはずなので、今日はもう休ませてあげた方が」

 

「分かった。少し待ってて」

 

 夏帆さんは俺から千夏を引き受けると、そのまま千夏の部屋まで千夏を抱きかかえていった。もう若いと言える年頃でもないだろうにそれだけの体力があるのはさすがだ。

 

 しばらくして、千夏を部屋で休ませてきた夏帆さんが俺たちの前に戻ってきた。

 

「お待たせ。・・・美海ちゃんも冷えたでしょ。お風呂、使っていいよ。ちょうど湧いてるし」

 

「ありがとうございます。・・・遥、覗きに来ないでよ?」

 

「誰がするかよ。男としての器がダダ下がりになるだろ」

 

「冗談だよ冗談。それじゃ、借りますね」

 

 それから美海は慣れた足取りで風呂場へと向かっていった。そして二人になったところで、夏帆さんから一心に視線を浴びる。俺は覚悟を決めて、リビングへと向かった。

 

 座って間髪入れずに、夏帆さんは口を開く。

 

「それで、汐鹿生はどうだった?」

 

「街自体が閉ざされていたって感じですかね。まだほとんどの人が目覚めてないですし、水温も低いままですし。五年間の間で、あまり変化という変化は」

 

「・・・千夏は、どうだった?」

 

「・・・さっき言った状態に嘘はないですよ。ただ、陸に上がる直前に頭痛のような症状を訴えてたんです。それだけだったんですけど・・・まずかったですか?」

 

「ううん、さっき千夏を部屋に送るのと同時に軽くチェックしてみたんだけど、特に異常はなかったよ。ただ、変だなと思って」

 

「変?」

 

「千夏のポケットにペンダントが入ってたの。でも、この五年間、家にこれはなかったよね?」

 

 そう言えば、このペンダントのことを俺は夏帆さんに言い忘れていた。それを今の今まで忘れていたこともまあ、それなりに問題だろうけど。

 

「・・・それ、五年前に俺が千夏にプレゼントしたものなんです。それがどうやら海に落ちてたみたいで」

 

「そっか。そうなんだ。・・・なるほどね」

 

 夏帆さんは全ての話が繋がったのか、一人で無駄に頷いていた。一体何が分かったんだろうか。

 

「とにかく、千夏は自分の宝物をちゃんと取り戻せたわけなんだね」

 

「それが宝物かどうか、千夏が覚えているかどうかは分かりませんけど」

 

 俺が弱気でそう答えると、夏帆さんは首を横に振った。

 

「信じないと、何も変わらないまんまだよ」

 

「そうですね」

 

 信じれば、千夏の記憶は戻ってくるんだろうか、なんて思うのは、最低だ。

 だから、これ以上は何も言わないでおく。そうする方が互いのためだ。

 

「それより・・・ちゃんと帰ってきてくれて、ありがとう」

 

「約束しましたからね。ちゃんと二人で帰るって」

 

 あの日から、「ただいま」と「おかえり」の価値をちゃんと捉えれるようになった。何気ない日常のその一言が、どれだけ大切なことか。

 

「さて、私からの話はこれで終わり。遥くんも、ちゃんと後でお風呂入るように。そうは言っても身体冷えてるんでしょ?」

 

「まあ、流石にあれだけ水が冷たいと体に良くないですね・・・。冬の格好で海に入らなければならないってどういう状況ですか、ホント」

 

「ホント。・・・なんとかなってくれればいいんだけどね」

 

 どこか諦めにも似た夏帆さんのその瞳を、俺は忘れることは出来なかった。

 

---

 

~美海side~

 

 嫌な感情が湧いてくる。

 この場所にいると、アウェーな気持ちになって仕方がなかった。千夏ちゃんの両親と遥の仲は随分とよくなって、だからこそ、気持ちが遠くに行ってしまうんじゃないかって思ってしまっている自分がいるのが悔しい。

 

 あの吹雪の夜。

 あの日、遥の心を確かに私の方に引き寄せることに成功した気でいた。

 けど、フェアに戦うという約束を私はちゃんと優先させた。それが、今になって少しだけ後悔に変わる。その感情が生まれてしまうことが、また悔しい。

 

 どうしたら、私は遥の心の傍に居れるだろう。

 今だってまだ、自信が無い。あの日のように、ずっと甘えたままでいてほしいと思ってしまう。

 

 ・・・私、どうしたらいいんだろう。

 どうしたら・・・千夏ちゃんに、勝てるんだろう。

 

 心の雲は、そう簡単には晴れてくれないみたい。




『今日の座談会コーナー』

思えば、美海の気持ちにフォーカスを当てているシーンて結構少ないイメージあるんですよね。処遇が負けヒロインかて。
といっても、この作品の境遇的にかなりアウェー過ぎるので、はてさてどうしたものかというところですよね。しっかりとフォーカスを当てて、筋道を当てていきましょうと。
最近目の上のたん瘤だったタスクがようやく終わりそうなので、更新頻度を一気に上げていきたいところ。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八話 失いたくないモノ

こういうシーン、もっと増やせると思うんだ。


~遥side~

 

 美海と入れ替わる形でシャワーを浴びて、俺は光の元へ向かうことにした。

 その隣には美海もいる。

 

「ところで、光は何を知りたがってるの?」

 

 隣を歩く美海が尋ねる。

 

「まあ、おおかたまなかの身に何があったかってことだろうな。というより、俺もまなかの様子が気になるから見に行こうと思っていた節はあった」

 

「ふーん、そうなんだ。・・・それで、遥の中でまなかさんがどういう状態になってるか予想はついてるの?」

 

「まあ、ある程度な」

 

 あの場所がどういう場所かを知っていれば、理解に時間はかからない。

 聞くところによると、五年前のお舟引きのあの日、あかりさんがおじょしさまになろうとしていたらしい。

 まなかがそれを庇った形で冬眠に巻き込まれたなら・・・まなかがおじょしさまになったという事だろう。

 

 でも、それならどうしてエナを・・・?

 

「ただ、いくつか分かっていることがあるとすれば・・・多分、まなかのエナは失われてしまってるかもしれない」

 

「・・・あの時、それを避ける方法はなかったの?」

 

「今になって思うけど、もともとエナがはがれつつあったのかもしれないな。それこそ最初に音を聞いたのは美海だろ?」

 

「あの音が、エナのはがれる音って?」

 

 俺は言葉の代わりに一度首を縦に振った。

 

「だからあの場では早急に陸に上がることを優先させたんだ。それこそ、エナのない状態であんなところで眠ってたら、死んじまうぞ」

 

「でも、まなかさんがエナを本当に失ってしまってるなら・・・もう、海には」

 

「・・・それはまた、その時になったら考えるさ」

 

 今から先の不安を語ったところで意味がない。

 そんなことを思ってると、美海は何かに怯えたような表情をしていた。

 

「・・・嫌だよ、私。自分の居場所に帰れなくなるのって」

 

「そんなこと・・・誰だって、怖いに決まってるだろ」

 

 それに俺は、一度そうなりかけた身でもある。・・・というより、昔は居場所を失い続けていた。その怖さを知ってるつもりではいる。

 

「だからこそ、今ある場所を大切にしないといけないんだね。・・・ホントに、そう思う」

 

「美海・・・」

 

 美海はちゃんと分かっていた。今あるものが永久でないこと。だからこそ、大切にすべきなこと。

 それこそ、美海も俺と同じように、何度もそういう経験をしている。分からないはずがなかった。

 

「そしてさ・・・私も、いつかは誰かの居場所になりたい」

 

「ああ、そう思うよ」

 

 心の拠り所。子が親を思う感情。

 そうやって誰かの大切な居場所に、俺もいつかはなれるだろうか。

 

---

 

 まなかは、潮留家の客間で眠っていた。医者が来るには遅い時間で、検査は明日という事になったらしい。

 けれど、そこにはちさきがいた。学校帰りで寄ってくれたのだろう。

 

「お疲れ様、遥」

 

「ああ。それより、まなかのこと見てくれたのか? ちさき」

 

「うん。私個人で軽めの検診くらいは出来るから。といっても、専門的なことは先生に聞かないと分からないけど」

 

「それで、状態は?」

 

 少し声音を落として尋ねる俺に対して、ちさきはそこまで事態を重く受け止めてないような声で答えた。

 

「うん、チェックした限り特別問題はないよ。呼吸も安定してる。ただ、光とか要とかと違って、無理やり引っ張り起こしてきたんでしょ? 目覚めるのには時間がかかるかも」

 

「そうか」

 

「ただ・・・」

 

 ちさきは少し気まずそうに言葉を濁す。その反応で何を言いたいかすぐに分かった。

 

「・・・エナか」

 

「うん。エナがね、ないの。私一緒に行けなかったから海でのまなかの様子がよく分からないんだけど。・・・少なくとも、これまでと違う事だけは確か」

 

「海にいた時からエナははがれ続けてたんだ。・・・何が原因でそうなったか分からないけど」

 

「ねえ遥、これって・・・」

 

 ちさきがそう問いかけたところで、やかましいのがやって来た。

 

「遥、おせーぞ!」

 

「いや、これでも急いできたんだが・・・、はぁ」

 

 しかしこの喧騒が、今はどこか落ち着いた。

 

「んじゃま、ちょうどいいタイミングだし二人に何があったか話す。・・・というか、要は?」

 

「まなかの調子を確認した後に、疲れてるからって帰ったぞ。確かに、顔色少し良くなかったし」

 

「入れ違いか。まあいいや」

 

 要は必要とあらばその時に聞いてくるだろう。こちらから無理に干渉する必要はない。なんなら気を悪くするだけだろうし。

 気を取り直して、俺は淡々と説明を始める。

 そこには光の協力も必要だったため、適宜問いかけを入れながら。

 

「まず確認だけど、光、まなかが海に引っ張られた時のことは覚えてるか?」

 

「ああ。泳げなくなってたあかりを引っ張り上げて・・・その代わりに、って感じだったはずだ」

 

「そこにまずことの発端があると考えてる。あかりさん、おじょしさまとしてお舟引きに参加したんだろ? それで、本来おじょしさまであかりさんが海に引き込まれそうになってたところをまなかが代わったと俺は考えてるんだ」

 

「つまり、まなかが今のおじょしさまってこと?」

 

 ちさきの質問に俺は首を縦に振った。

 

「それが証拠に、まなかが眠っていた場所はこれまで作られたおじょしさまの偶像が沢山沈んでいる場所だった。・・・言い方悪いけど、おじょしさまの墓場とも言える」

 

「言い方悪いな」

 

「言ったろ」

 

 前置きしてるんだから突っかかられても困る・・・。

 

「そこでまなかは眠っていたんだが・・・光、あのカーテンがエナかもしれないって話はしたよな?」

 

「ああ。でもどのみち、まなかのエナはあん時はがれつつあったんだろ?」

 

 まなかの身に不幸があったというのに、光はえらく冷静だった。その冷静さのあまり俺が驚いてしまう。

 けれど、喚いてもじたばたしてもどうにもならないことがあると光も分かったのだろう。光にとってはまだ数か月の話でしかないけど、成長スピードは格段に速い。

 

「んで、最後の空洞の揺れ。これに関しては真偽が分からないけど、海神様の怒りかもしれないと思ってる」

 

「何に怒るんだよ・・・まなかを連れて帰ることにか?」

 

「たぶん、な」

 

「そっか、海神様からすれば、おじょしさまを奪われたことになるもんね」

 

 その場にいなかったちさきが、一番分かりやすい例えをしてくれた。

 

「ここまでの話を整理すると、今のまなかはおじょしさまである可能性があるってこと。それと関係してかせずか、エナを失ってしまってるってことだな」

 

「なるほどな。・・・まあ、お前と別れてから一人で考えってっと、薄々そんな風に思えてたけどな」

 

「お前がか?」

 

「おかしいかよ?」

 

「らしくないなって思ってさ」

 

「うっせ!」

 

 光を茶化して、それを見たちさきが笑う。こんな光景、ずっと昔からあったよな。

 ・・・違う、俺とちさきだけだ。これを懐かしんでるのは。それがどこか、もどかしい。

 

「まあでも、起きてくれりゃなんとかなんだろ。今更焦ったって何にもならねえ」

 

「そうだな。だから俺たちに出来る事があるとすりゃ、いつ目覚めてもいいように普段通り過ごすことだな」

 

 とはいっても、変わってしまった後の普段通りだけど。

 それを十分に意識してしまっているのか、ちさきは小さな声で呟く。

 

「・・・驚かれちゃうかな、私」

 

「まなかなら受け入れてくれるだろ。それに、遥だって変わっちまってら」

 

「だからまあ、そんなに気負う事なんてないだろ、ちさき」

 

 変わってしまったもんはしょうがない。俺たちもずっとその場には立ち止まってられない。

 ちさきもそれを分かってるようで、ちゃんと前を向いて答えた。

 

「そうだね」

 

 

 今はただ、寝坊助の目覚めを待つだけ。

 それは昔、皆で学校へ行っていたあの頃のように。

 

 




『今日の座談会コーナー』

光、ちさき、遥での掛け合いってこの作品の中では結構珍しいですね。単体では初ではないでしょうか。
それこそ、原作の序盤のほうの喧嘩のシーンがありますが、あれは他の面々がいる中での絡みなのでノーカウント。
一対一の絡みが好きな作者ですが、一対一対一の掛け合いというのも中々面白いですねと再確認。多すぎると存在が空気のキャラが出来ちゃうので難しいところですが。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百九話 remember

この回はどの作品でも好き。


~遥side~

 

 美海を送り届けて、二人に説明を終えて、俺が家路についたのは夜の7時過ぎだった。今日一日での出来事を考えると、俺まで疲れてしまう。

 

 家に帰り、食事にありつく。しかし、その食卓に千夏はいなかった。

 

「千夏は・・・やっぱりまだ寝てるんですか?」

 

 箸を止めて、夏帆さんに問いかける。

 夏帆さんは普段のおっとりとした口調で答えた。

 

「ううん。起きたよ。けど、まだ体がだるいからって部屋で休んでる。お粥を作って持っていったから部屋で食べてるんじゃないかな」

 

「起きたならよかったです。そうは言っても、心配だったので」

 

「それより、遥くん。海を見てきて、どう思った?」

 

 間から保さんが会話に加わる。俺は思っていることをただ実直にぶつけた。

 

「まだ街は眠ったままですね。子供たちが目覚めただけであって、冬眠自体が終わったわけじゃないです。それに、冬眠が終わったとて、海が元通りになる保証もないですし」

 

「現実は厳しいか」

 

「そうですね」

 

 冷たい海が続くなら、最初から冬眠だって意味ないだろうに。そう思ってしまうのは、野暮だろうか。

 それよりも今は、この温かい食卓を大切にしたい。抗うことも大事だが、受け入れて切り替えることだって人間にしかできないものだ。

 

---

 

 それから俺は部屋にこもって、今日見て感じた全てをまとめることにした。

 久方ぶりに入った海、手に入れた情報はあまりにも多いものだった。それを無下にするようでは学生失格だろう。

 

「つっても、学術的なことは何一つ分からないしな・・・。俺は俺の、主観のことをまとめたほうがいいか」

 

 どうせ学術的なところは紡たちが何とかしてくれるだろう。

 

 ・・・主観的なこと、か。

 

 汐鹿生で呼吸をしたのも、もう五年ぶりだ。海の浅いところと、少し深いところにある汐鹿生ではまた呼吸の感触も変わってくる。

 ・・・随分と懐かしい感覚だった。どれだけ変り果てて、凍てついた海だとしても、俺はあの場所を嫌いにはなれない。

 

 でも。

 もし、海が近々目覚めたとして、そこに俺の居場所はあるんだろうか。

 生まれ、育った町だ。嫌いになることなんてできはしない。けれど同じくらいに、俺はこの場所を、陸を好きになってしまっている。

 

 あれだけひどい別れ方をして海から出てきた訳だし、そうやすやすと受け入れてくれるとも思えない。海の大人連中はしょせん、頑固者だらけなのだから。

 

 ・・・今なら、陸と歩む人生を決めた人たちの気持ちが分かる気がする。みをりさんも、夏帆さんも、そしてあかりさんも、きっと同じような気持ちなのだろう。・・・そして、俺の両親も。

 

 ならば、俺もそろそろ覚悟を決めないといけないのかもな。

 

「・・・いけね、全然手が進んでねえや」

 

 両手で頬を叩いて、やる気を回復させる。

 それからさあ取り組もうと思ったその時、俺の部屋をノックする音が響いた。それから声がやって来る。

 

「入っていい?」

 

 ドアの向こうにいたのは千夏だった。どうやら体調もずいぶんと回復したらしい。

 ただ・・・どこか、懐かしい雰囲気を感じた。ここ最近の千夏からは感じなかった何かを。

 

「いいよ」

 

 俺がそう言うと、千夏は遠慮することなく部屋に入ってきた。これまでとは明らかに違う態度に戸惑ってると、千夏はことの核心に触れる言葉を口にした。

 

「・・・ねえ、話があるの。『島波君』」

 

「ああ。・・・え?」

 

 今、確かに、千夏は俺のことを島波君と呼んだ。それは少なくとも、五年前のあの頃と同じで。だからこそ、俺は返す言葉に戸惑った。

 

「・・・千夏、お前、記憶が・・・?」

 

「うん。ほんの少し、ううん。まだまだ全然取り戻せてないけれど、私があなたのことを島波君と呼んでたこと、昔から知っていたこと、それだけは思い出した」

 

 胸がおかしくなりそうだった。

 諦めかけていた。千夏が記憶を取り戻すこと。無理に記憶を取り戻そうとしないことが、千夏のためになるならばと遠慮していた。

 でも今、この現実を目の当たりにして言葉を失わざるを得ない。諦めかけた感情が、今になって昂ってくるのだから。

 

 ああ・・・なんて言えばいい?

 けど、おかえりを言うのはもっと後の話だ。目の前の千夏は、まだあの頃の千夏じゃない。

 けど、記憶を失っていることを認識してくれた。それだけで事態は大きく前進しているのだから。

 

「記憶が戻ったのは・・・そこまでなのか?」

 

「うん。昔島波君との間に何があったのか何も覚えてないけど、私にとってはこの前、島波君にとっては五年前に私たちが出会ってること、それだけは思い出した。・・・だから」

 

 そう言うと、千夏はポケットから俺が渡したペンダントを取り出した。

 

「このペンダント。くれたのは多分、島波君何だと思う」

 

「・・・ああ、そうだよ。俺が五年前、お前に手渡したんだ」

 

「そっか。だから私は、本当の私がいることを思い出せたんだね」

 

 千夏は大事そうにそのペンダントを胸に当てた。その行為が、俺の感情を狂わせる。

 どうすればいい・・・? それなりに保ってきた距離は、もう崩壊寸前だ。それに付き合わせるのもずいぶんと酷な話だろう。

 だから・・・どうすればいいかなんてのは俺が決める話じゃない。

 

「千夏は、どうしたい?」

 

「どうって・・・記憶のこと?」

 

「今の時代、自分一人の力じゃなくても記憶を取り戻すことは出来るはずなんだ。それこそ、そういう治療とかもある。けど・・・それが千夏を苦しめる可能性もある」

 

「・・・確かに、そうだね」

 

 けれど、千夏は迷っている風には見えなかった。

 それが証拠に、次の返事はすぐに帰ってきた。

 

「でも私は、私の記憶を取り戻したいよ。今だって胸がつっかえてる。ペンダントを拾った時からずっと。多分これって、私の中で眠ってる記憶なんだ。だからこれを・・・呼び覚ましたい」

 

 千夏は、yesを口にした。

 けど・・・全ての記憶を取り戻したら、あの雨の日のことも思い出すことになる。それでも千夏はいいのだろうか。

 ・・・いや、本人が望んだんだ。俺が口出しするのはやめよう。

 

「本当にそう望むなら、俺も受け入れるよ。ただ、ちゃんとこの話は夏帆さんと保さんにも通そう。二人がどう思うか、俺も知りたいし」

 

「うん、そうだね」

 

 今はまだ、これ以上のことは言わないでおこう。

 何よりそれを口にするだけの覚悟が出来ていないから。

 

 でも、わずかに見えた希望。歯車は動き出している。

 ・・・ハッピーエンドを望んでしまうのは、贅沢なのだろうか。

 

---

 

~千夏side~

 

 目覚めた時、心に何かずしりと重たいものを感じた。

 冬眠から目覚めてこれまでなかった感覚。なら、手に入れたのは今日だ。

 

 ポケットの中に手を入れてみる。冷たい金属が指先に触れて、私は今日拾ったペンダントのことを思い出した。

 

「そっか・・・。そういうことだったんだ」

 

 私は記憶を失くしていて、きっとこのペンダントが全ての鍵になってる。

 このペンダントを誰から貰ったのか予想はつく。けど、何があってこのペンダントをもらうことになったのかを思い出せない。つまり、そういうことだ。

 

「私が思い出したのは、島波君の存在だけ、ってことか・・・」

 

 島波君との思い出は何一つない。消え去ってる。でも、ずっと昔から彼を知っていたことだけを覚えている。

 

 ・・・それならそれで、ひどい事しちゃったな・・・。知らない人みたいに扱っちゃったこと。

 記憶がなかったとはいえ、言い訳は出来ない。もっと何か出来たはずだけど。

 

「・・・いや、気にしても仕方ないか」

 

 それよりも今はもっとやるべきことがある。

 

 私はちゃんと、今の私を島波君に伝えよう。

 それから、本当の私を取り戻そう。それが多分お父さん、お母さんの、私の、そして島波君のためになるはずだから。

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

今回は明確に「記憶のトリガー」を作りました。はい、やりやすいです。抽象的なことを書くよりははるかに。
それこそ前作、ペンダントの存在価値あんまりなかったのでもったいないなと思った節がありますからね・・・。
さて、ここからですね。楽しいのは(書いてて)

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百十話 掌の中の未来

足かせとなっていた課題が・・・終わりました!


~遥side~

 

 記憶を取り戻したいという千夏の意思を二人に話す前に、俺にはそれを尋ねるべき相手がいた。それが本業かどうかは分からないが、聞いてみるにはうってつけの人だ。

 千夏との話が終わるなり、俺は受話器を手に取って、あるところへ電話をかける。

 

 電話の相手はコールが数回と経たないうちに出た。

 

「・・・当ててやろうか、島波?」

 

「もう答え言ってるじゃないすか。というかすごい博打ですよこれ」

 

 普段からこういった態度でも取ってるのだろうか。本当に破天荒極まりない。

 

「なーんとなくな、お前から電話がかかってくる気がしてたんだよ。それこそ、あれからそれなりに時間が経ったからな」

 

「それより大吾先生、明日時間ありますか?」

 

「緊急の用事ならいつでも来い。そうじゃないなら・・・まあ、昼休憩にでもこいや。お前のために時間溶かしてやるよ。どうせまた、厄介事が絡んでるんだろ?」

 

 言葉にせずともそれが分かるくらいに、俺とこの人との距離は近いのだろう。

 

「まあ、昼休憩にお邪魔させていただきます。ちょっと色々、話したいことがあるんで」

 

「わーってるよ。んじゃ、そろそろ切るぞ。長電話は好きじゃないからな」

 

 そう言って大吾先生は早々に電話を切った。どこまでもさっぱりした性格だ。

 だからこそ、この人と話すのは楽しい、そう思える。

 

---

 

 翌日の昼、俺は大吾先生の元へ向かった。

 思えば、こんなにゆっくり歩いて病院を目指すのも久しぶりだ。大体が運び込まれるか、駆け込むかどっちかだったからな。

 そんな道中なもんだから、誰がそこにいるのかもしっかり目に入る。

 

「あれ?」

 

「ちさきか」

 

 病院へ向かう途中のバスの中、ちさきとばったり出会う。

 

「また病院?」

 

「またって・・・俺、そんなに行ってるように見えるか?」

 

「病院内で会うことはそんなになかったけど、焦ってる遥は何回も見てたからね」

 

「え、これまで何度かすれ違ってたのか?」

 

「その度急いでたから、声、かけそびれちゃって」

 

 それからちさきはクスッと笑う。その仕草は、もう子供のものとは見えなくて、過ぎた年月を実感させられる。

 

「けど、何があったかは聞かない。きっと答えてくれないだろうし」

 

「信用ないなぁ・・・」

 

「事実でしょ?」

 

「・・・まあ、な。それに、俺一人の問題ばかりじゃなかったから」

 

 多分、ちさきはあの事件のことを知らないだろう。大々的に公表することを控えた病院側の意図を無下には出来ない。

 

「・・・ね、遥はさ、将来どうするの?」

 

 突如話題が代わったかと思えば、ちさきから発せられるとは思えない言葉が飛んできた。当然、俺は焦るほかない。

 

「将来って言われてもな・・・」

 

 改めて思う。

 昔から、心理学について勉強したいとは思ってた。けどいざ大学に入ると、その先を見なければいけないことに気が付いた。

 俺は心理学を学んで・・・どうしたいのだろう。そんなこと、今まで考えてもなかった。

 

「・・・分かってると思うけどね、私、陸に残ってしまったこと、ずっと後悔してた。不可抗力だと分かっていても、一緒に飛び込みたかった。みんなと一緒に眠りたかった」

 

「まあ・・・そうだろうな」

 

「でもね・・・今はこの暮らし、そんなに嫌じゃないの。この街に残りたいからって理由で始めた看護の勉強だけど、今はとっても充実してる。私は、この道を歩めたらなんて思ってる」

 

 先のことを何一つ考えていなかった俺に対して、ちさきははっきりとこれからの展望を語った。その姿勢は五年前とは見違えるもので、とても儚く、強く、凛々しく見えた。

 でも、これからを語る上で、外せないことが一つあった。考えるより先に、それは口から零れてしまう。

 

「・・・海が目覚めたら、どうするんだ?」

 

「その質問するの・・・ずるいよ」

 

 泣きはしないものの、どこまでも悲しい目でちさきは答えた。聞いた後で、俺は後悔してしまう。

 陸に残ることをあの日から選んでいた俺と、不可抗力で取り残されたちさきは違う。そう簡単に、決断なんてできるはずはない。

 

「・・・悪い」

 

「ううん、いいの。分かってる。いつか、絶対に決めないといけないことだから」

 

 けれど、ちさきははっきりと答えた。

 ずっと逃げてばかりだった昔からは考えられないその言動に、俺はどこか劣等感を抱いてしまう。

 本当に大人ぶってたのは・・・どっちだよ。

 

「遥、無理してない?」

 

「なんだ? 急に」

 

「私なんかが今更言っていいのか分からないけどね・・・遥、ずっと無理してるように見えたの。いつからか分からないけど、ずっと」

 

「・・・まあ、無理してるのかもな。でも、そうやって気を張り続けて生きていかないと、逆にもたないんだ」

 

「どうして?」

 

「どうしてって言ってもなぁ・・・」

 

 誰かに迷惑をかけたくなくて、何も失いたくなくて。 

 自分の守りたいものを、感情を守るためには、気を張ってでも生き続ける必要があった。それがいつのまにかありのままになって。

 

 ・・・ウロコが言ってた「演じてる」って、そういうことなのか?

 

 なら、本当の俺はどこにいるんだよ・・・。

 

 小さくため息を吐いて、ほんの少し俺の弱い部分を晒す。

 

「ほんとはさ、俺、多分一番心が弱いんだよ。他の皆より」

 

 それが露呈したのは、この間の吹雪の日の事。張りつめたものが切れたとたん、俺は自分がダメになることを知った。

 誰かに依存して、頼られる存在になって、そこに居場所を作って。そうした生き方が根っこから染みついてる。

 

「そんなところをお前らに見せたくないんだよ。みっともなくてどうしようもなくダメな人間になってしまう。俺は、そんな弱い自分が許せないんだよ」

 

「私たち、そんなに頼りない?」

 

「そんなことを言ってるんじゃない。・・・実際、困ったことがあったら知恵を借りたいし、助けてほしいとも思うよ。素直に接することだけは忘れたくないからな」

 

「素直に生きることと、意地張ることは別なんだ?」

 

「そうなるな。・・・なんだろう、うまく説明できねえな」

 

 言葉を口にするたびに、自分の中での意見がこんがらがってることに気が付いた。

 ・・・そこに、俺のやりたいことが見えてこないんだ。

 

 全てを取っ払って空っぽになった俺のやりたいことは、今何一つ見えない。

 意地張ってどこかに目的を探してるだけなんだ。

 

 最近になって・・・自分の空虚さに気づいてばかりだ。成長したつもりでいるのに、嫌になる。

 けど、それを誰かにぶつけたって仕方がない。だから、俺は皆の知る俺のままでいよう。

 

「けど、大丈夫だよ。その時が来たらみんなが助けてくれるって信じてる」

 

「うん、そうだね」

 

「とりあえず、目下大事なのはまなかのことだよな。今日、検診なんだっけ?」

 

「そう。せっかく学校も休みだし、付いて行こうと思って」

 

「エナのことはともかく・・・それ以外、何事もないといいな」

 

「うん。・・・あ、病院ついたね」

 

 他愛のない会話が行き詰まりかけたところでちょうどよくバスが病院に辿り着く。

 それから手短にじゃあねとだけ言って、俺たちはそれぞれの目的地へと向かった。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

いやぁ・・・楽しいですね、遥とちさきの掛け合い。前作でもあった展開ですが、空白の五年編を強化した今作の方が色々と楽しめます。
どこかで語ったと思いますが、原作ちさきよりは遥かに精神面が成長してます。キャラクター像がちょっと変化しますが、悪しからず。
ちさきの恋愛面も書きたいけど・・・どこまで書けるか。技量、試される時。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百十一話 ほんの少しの勇気で

更新頻度うおおおおおお


~遥side~

 

 ちさきと別れて俺はそのまま大吾先生の診察室へと直行した。思えば、こんなに余裕の心構えでこの人の場所を訪れるのも、幾分久しぶりな気がする。

 

「よう、来たか」

 

「すみません、時間いただいちゃって」

 

「いいってことよ。んじゃまあ適当に座れや。色々話したいことがあるんだろ」

 

「・・・そうですね。どこから言えばいいか」

 

 街から帰って以降のことをこの人には話していない。まずはそこからでもいいだろう。

 

「最近、冬眠から目覚めた汐鹿生の人が増えてきているのは知ってますか?」

 

「まあ、風のうわさ程度には聞いてるな」

 

「その中の一人に水瀬がいたんです」

 

「水瀬・・・ああ、お前が度々口にしていた奴か。なんだ、結局海で眠ってたんだな」

 

 この人にはそれなりの相談をしてきている。俺が何に悩んでいたかはちゃんと知っていた。

 

「けど・・・問題はそれからで。・・・水瀬、記憶から俺のことがすっぽり消えていたんです」

 

「・・・記憶喪失か。原因は分かっているのか?」

 

「分かりません。精神的ショックから生じたものなのか、外的要因なのか」

 

「けどまあ、辛い事には変わりないよな。お前が五年間待ち続けた人間が、お前のことを忘れているなんてよ」

 

 大吾先生は同情でもなんでもなく、ただそう呟いた。

 ひねくれた性格の人間とは言いつつも、そういった優しさを兼ね揃えているのがこの人だ。

 

「ただ、この間汐鹿生に行ったときに、少しだけ記憶が戻ったんです」

 

「少しだけ、か。具体的には?」

 

「俺の存在と、五年前から面識があったこと。それくらいですね」

 

「全体の数割程度か・・・。でもそれじゃ、全て回復する見込みがあるわけじゃねえよな」

 

 現実の非情さを大吾先生は理解していた。俺も力なくそれに首を振る。

 けれど、大事なのはここから。

 

「けど、水瀬は・・・自分の中に、思い出せないままの記憶があることを認知してるんです」

 

「それはあれか? パソコンの解凍前のフォルダみたいなものか」

 

「すごい的確な例えですね・・・。それで、フォルダのパスワードが分かっていない感じです」

 

「・・・記憶治療か?」

 

 大吾先生は裏の裏まで読み取った言葉をぶつける。この人の頭の切れることときたら・・・。

 

「記憶治療が出来るならそのパスワードが分かっていないフォルダを外部からこじ開けることが出来ると思うんです」

 

「まあ、確かにそういうことができるのはある。けど、生憎俺は専門外でな。施術には関われないぞ」

 

「いえ、話が聞けるだけで良かったんで。ちなみに、この病院に記憶治療専攻してる人っているんですか?」

 

「西野だよ。あいつは脳科学専攻あがりだからな。記憶治療の術は知ってるだろうよ」

 

 そういえば、あの人とそんな話をしたことなかったなと思い返してみる。興味がなかったわけでもないけど、単に俺が周りを見る余裕がなかっただけなのだろう。

 

「全国的に見てもレアな分類なんだぜ? 記憶治療のいろは知ってるやつがいる病院ってのは」

 

「それがこんな小さい街の病院にいるってのが一番の驚きですけどね」

 

「違えねえ。けど、あいつもこの街出身みたいなもんだからな。思うところがあるんだろ」

 

 みんな、思い思いの理由があってこの場所にとどまっている。それだけの愛がこの街にはあるのだろう。

 ・・・愛、か。

 

 俺はずっと、その感情に苦しめられてきたんだよな。

 けど、今ならその酸いも甘いも、痛み、苦しみも受け入れることが出来る気がする。

 

「そういえば、あの事件以降西野先生何か言ってましたか?」

 

「ああ、そういや犯人の旧縁だったんだよな。といっても事件に加担していたわけでもないし、本人に止めようとしていた意思があったわけだから、病院内で中傷を浴びることにはなってない。まあ、口数は減ったけど仕事は淡々とこなしてくれてるよ」

 

「やっぱり、思うところがあるんですかね」

 

「だろうなぁ・・・。けど、知ったところで俺たちにどうこうできる問題じゃねーよ」

 

 大吾先生は特に顔色一つ変えることなく、淡々と正しいことを述べ続ける。感情論だけじゃうまくいかないことがこの世には腐るほどとあるという事をまるで教えているようで。

 

「というわけで、この話終わり! んで、他に何か聞いておきたいことは?」

 

「あれから鈴夏さんとはどうですか?」

 

「ああ。・・・ってオイ、勢いで何喋らせようとしてるんだ」

 

「勢いも何も、この話もしたかったんですよ。先生の恋愛事情」

 

「自分が恋愛トラウマ抱えてるくせによく言うよお前」

 

「それは禁句です」

 

 先ほどまでの緊迫した空気はほどけて、またいつものののしり合いが始まる。

 

「どうもこうもねえよ。ただ、事件が終わってすぐ、ちゃんとあいつは連絡くれたよ。それから何度か遊びに行ったり、飲みに行ったり。ま、おかげさまで充実してるよ、誰かさんのおかげでな」

 

「それなら何よりです」

 

「しっかしまああいつ、何も変わってないのな。歳喰っても馬鹿は馬鹿のままか」

 

「よく言いますね・・・」

 

「はっ、言われたよ。どの口が言うんだって。・・・でも人間、年取っても変わらないものは絶対にあるんだろうなって、そう思う」

 

 大吾先生はいつになく優しく、そして憂いを帯びた目をしていた。この人の中で止まっていた時間が動き出したことが、それに起因しているのだろうか。

 

「それよりお前は大丈夫なのか?」

 

「何がっすか?」

 

「あるだろ、色恋沙汰がさ。特にお前の場合五年前からだろ」

 

「・・・まあ、ある、とは思います。といっても、あまり俺自身が向き合えてないですが」

 

 失う悲しみには、少し慣れた気がする。

 けれど、もし好きな人がいたとして、その人がまたすぐにいなくなるとしたら。

 

 その怖さには、未だに消えない。例え、受け入れることが出来たとしても。

 

 だから、答えを出すのは・・・もうちょっとだけ先になる。

 

「答えを出すのは・・・もうちょっとかかりますよ。何より、五年前に俺に好きと言ってくれた人の記憶がまだ帰ってないので」

 

「・・・少しは前向けるようになったじゃねえか」

 

「そうですね。五年前の俺なら、多分そのまま逃げていたので」

 

 答えを出そうと思えるようになっただけ、俺は少し成長したのかもしれない。

 演じない、本心からの俺の声で、その答えを見定めたい。

 

「失うことは怖いだろうよ。けど、幸せになろうとすることに罪はない。お前は呪われてるわけでもないし、忌子でもないからな。一人の人間として、幸せを掴めるはずだ」

 

 今なら、この人の言う事を信じられる気がした。

 俺は、どこまでも卑屈になっていたのかもしれない。だから、誰かの言う事を信じられなくて、自分を信じられなくて、自分が嫌いになって。

 

 俺は、幸せになっていい。そう認められることが、今はどこか嬉しかった。

 

「ともかく、最初の話に戻るが記憶治療の件はちゃんと一回家に持ち帰れ。さっきはああいったけど、それなりにリスクはある。よく考えてからまた来い」

 

「分かりました」

 

「あと、西野にはちゃんとお前の口から言え。俺、あんまりそういうのは得意じゃないからな」

 

「でしょうね」

 

「しばくぞ」

 

「とりあえず、了解しました。今日はありがとうございました」

 

「ああ、また来い」

 

 この人といる時間は、どこまでも自分の弱さを曝け出せる気がした。

 ・・・これを、もっと周りに打ち明けられるようになったら、いつか演じることもやめられるのだろうか。それはまだ分からない。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

この作品では恒例の大吾先生トークですね。今作はかなり力を入れてるつもりですよ。
やっぱり、三年前の前作を見ながらそれなりに書いてるわけですけど、結構文章力も変化したんだろうなと筆者は思ったりしております。
日々精進あるのみ。私の好きな言葉です。

と言ったところで、今作はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百十二話 そこに別れがあろうとも

更新頻度が非常によろしい。


~遥side~

 

 大吾先生と別れて、俺は西野先生を探すことにした。

 保さんと夏帆さんの前に話題を提示する前に、専門家の意見をちゃんと聞いておきたかった。

 とはいえ、診察中などに押し掛けるのもまずい。今は病院にそれなりに人が来ている。

 時間を潰すために、と俺は屋上に向かった。

 

 けれど、西野先生はそこにいた。

 

「あれ、西野先生。こんなところに」

 

「やあ。また藤枝のところ?」

 

「と、今日は西野先生に話があって来ました」

 

「・・・俺に、か」

 

 西野先生は手すりにもたれかかっていた姿勢をやめ、近くのベンチに座った。聞くぞという姿勢を見せて、俺に視線を送る。

 

「聞くよ。俺に何の用?」

 

「単刀直入に言うと、記憶治療のことです。大吾先生から、あなたがその手のスペシャリストだと聞いて」

 

「記憶治療・・・というか、まあ脳科学だな。で、それがどうした?」

 

「その施術方法やリスク、そういった類のことを聞きたいんです。・・・俺の大切な人が、記憶喪失になってて」

 

「なるほど、それで俺のもとを訪ねてきたわけだ」

 

 西野先生は顎に手を当てて、少し考え込むように黙り込んだ。それからぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。

 

「施術方法・・・は、人によっては異なるけど、大概が脳に刺激を与えることになるな。君の言う人の状態は、どんな感じなんだ?」

 

「記憶を失った自覚はあるけれど、なんの記憶を失ったか分からないという状態です」

 

「なら、さっき言った通りだな。本人が記憶が自分の中に内在していることを自覚しているんだったら話も早い。施術のリスクも下がる」

 

「そうなんですね」

 

「ただ、そうは言っても、俺自身があまりあの施術をしたくない。一つでも間違ってしまえば、脳を傷つけてしまうからな。失敗した時のリスクは、死よりも辛い生を与えることになる」

 

「・・・そう、ですか」

 

 一筋縄ではいかないことは分かっていた。これを聞いて、みんなはどう判断するのだろう。少なくとも俺一人で決めれることではない。

 そんな俺をよそに、西野先生は同じ調子で続けた。

 

「という訳だ。・・・失敗したことがあるわけじゃないけど、世間一般的に成功率は平均70%と言われている。というのが、今伝えられる情報だな」

 

「ありがとうございます。それだけでだいぶ変わってくるので」

 

「そうか。・・・」

 

 西野先生は説明が終わると、先ほどのような暗い顔で少しだけ俯いた。そこにどのような感情が眠っているというのだろうか。

 俺は思わず、無神経に尋ねてしまう。

 

「どうしたんですか?」

 

「・・・君はあの事件の全貌を知ってるから、話しておこうか。俺、そろそろこの病院やめようと思うんだ」

 

「え?」

 

「そんなすぐな話じゃない。君の大切な人が記憶治療を受けようとするなら、少なくともそれには付き合うさ」

 

「でも、どうして?」

 

 大吾先生は、この人への中傷などはないと言った。この環境が一斉に西野先生に襲い掛かってきているわけではないというはずだろうに。

 

「・・・君を病院に送った日、話したろ。あいつが俺の旧縁だって。そして、君は俺に言った。あいつの受け皿になれって」

 

「それは・・・」

 

 確かに言った。受け皿になれとダイレクトにそう言ったわけではないが、似たようなニュアンスのことを。

 

「ああ、別にそれについて責めるつもりはないんだ。むしろ逆。あの話から、俺に何が出来るかをずっと考えてたんだ。・・・そして、決めたんだ」

 

「ここをやめることをですか。・・・それから、何をするんですか?」

 

「街で新しい事業を始めようと思うんだ。その上で、あいつにサポートを手伝ってもらう。まあ、犯罪者を雇っているとなったら、評価は下がってしまうだろうけどね」

 

 たはは、と西野先生は笑う。笑い事じゃないだろうに。

 

「この街のことは好きさ。愛着もある。流浪するようにこの街に来て、ようやく居場所を作ることが出来たんだから」

 

「じゃあ西野先生は、もともとは鷲大師の人じゃなかったんですね」

 

「そう。まあ、話すと長くなるからあれだけど、俺、高校生の時に家出したんだ。実家にいるのが嫌でな」

 

 その背景に何があるのだろう。虐待だろうか、育児放棄だろうか、それとも親の不仲だろうか。

 いずれにせよ、違いはあるものの、俺と似た境遇を辿ってきた人だ。それなりの過去があるのだろう。

 

「できるだけ遠くに離れたかった。そしたらこの街のことを知った。昔、親父が寄った勢いで親戚がこの街にいる話をしてたからね。必死こいて会いにいったよ」

 

「それから、この街の人間になったと」

 

「そういうこと。それからはこの街に育てられたよ。本当に、この街に来てよかったって思ってる」

 

「それでも、去るんですね」

 

 再三の問いかけに対しても、西野先生は首を縦に振った。

 

「迷いはないよ。怖いとは思うけど。でも、刑務所に入ることになるあいつが社会に帰ってきたところで行く当てはないはずだから。今のうちに事業始めて、基盤作って置こうと思うんだ」

 

「強いですね」

 

「強い、か・・・。本当に強いなら、もっと早くからあいつのこと止められてたと思うけど?」

 

 怒られるわけでもない、しかし妙に威圧的な西野先生の言葉に、俺は少し萎縮してしまった。

 確かに、軽率な発言だ。・・・同じようなことを、五年前にやったことを思い出す。あの時は確か千夏に怒られたっけか。

 

「まあ、なんにせよだ。近いうちに俺はこの病院をやめて、街に行くことにする」

 

「そうなんですね」

 

「けどまあ、何度かは戻ってくるようにするよ。別に、街に行ったからって全て終わるわけじゃないからさ」

 

 その言葉を受けて、はっとする。

 そうだ。別に終わりじゃない。俺は何を勘違いしていたのだろう。

 

 もといた場所を離れることが今生の別れじゃない。それはやがて訪れる未来の俺に向けても言えること。

 海に戻ること、水瀬家という居場所を選ぶこと、新しい道を選ぶこと。

 そのどれかをとっても、残りを失うわけじゃない。

 

 ・・・失ってばかりいた人生で、いつのまにか別れは失う事とでも思っていたのだろうか。

 だとしたら、やっぱり卑屈になり過ぎていたのかもしれない。

 

「それじゃ、俺はそろそろ行くよ。記憶治療の件、本気で考えてるならこっちも準備を進めないといけないからね」

 

「そうですね。俺も戻って、全てを話したうえで提案したいと思います」

 

「うん、それがいいだろうね。・・・それじゃ、俺は行くよ。そろそろ仕事だ」

 

 そうして先にエレベーターに乗る西野先生を見送った後、俺は少し屋上にとどまった。この場所では鷲大師の中心部ほど風を感じることはない。

 しかし微かに吹いてくる小さな風に吹かれて、俺はこの先の未来を案じた。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

正直、当初の予定よりもだいぶ西野先生がレギュラー化したなぁと思ってます。実際の所、扱ってて楽しい人間だと思いますよ。大吾先生とはまた立場が違いますし。
是非エピローグだったりとか、その他サイドストーリーとかでもっと深堀したいですね。もっとレギュラーにしても申し分ない。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百十三話 親の思い、子の願い

前作でもかなり好きなパート。


~遥side~

 

 病院で西野先生に聞いたことを、俺はそのまま家へ真っすぐ持ち帰った。

 夏帆さんと保さんが両方同じ時間に揃っている日が直近で今日しかなかったのもあり、俺は千夏に最終確認を行ったうえで、話を切り出すことにした。

 

 夜八時。夕食の後。

 ご飯を食べ終わっても動かない俺と千夏から、二人は話があることを察してその場に残った。そして、千夏の口から話は始まる。

 

「・・・私が記憶を失ってたこと、二人は知ってたよね?」

 

「うん。・・・明らかに、遥くんのことを忘れていたからね。それが、戻ったの?」

 

「ううん。全部戻ったわけじゃないの。いまだに記憶には靄がかかるし、むしろ中途半端に思い出してしまった今の方が、少し苦しい」

 

「だから、記憶を取り戻したいというんだな? 千夏」

 

 保さんからの問いかけに対し、千夏は深く頷いた。

 それに補足するように、今度は俺が話し始める。

 

「記憶を取り戻す、というか、脳の中に残ったまま表に出てこない記憶を呼び出す手術は、ここの病院でできるそうなんです。リスクがないわけではないですけど・・・」

 

「だからちゃんと、こうして聞かせてくれているんだな?」

 

「そうです。やっぱり、これは本人の意思だけで決めていいものでもないでしょう」

 

 リスクがないと言い切れない以上、二人にとっても心配なことだろう。

 それに、千夏が失っているのはたかだか俺一人分の記憶だ。失ったまま、リスクを負わない方が幸せという見方もある。

 

 場に、重苦しい沈黙が流れる。それぞれが、それぞれのことを思って。

 

 そして、話を切り出したのは保さんだった。

 

「・・・それでも俺たちは、千夏のやりたいようにやってもらいたい。五年前のあの日から夏帆とずっとそうやって話してきたんだ。子の意思を尊重するのが親だろうと」

 

 決めた道に悔いないように、と二人はここまで歩いてきた。千夏を失っていた五年の帰還。辛かったことこの上ないだろう。

 それでも二人は生き方を変えない。そこに、人間としての強さが見える。

 

「けどね、千夏。一つだけ言いたいことがあるの。・・・知らない方がよかったことは、絶対にこの世にあるの。千夏が望んで、欲しがってる記憶は、ひょっとしたら千夏が望んだものじゃないかもしれない。千夏を苦しめるかもしれない。・・・それでも、受けたい?」

 

 夏帆さんの目から覚悟が伝わる。

 そうだ・・・。千夏が記憶を取り戻すということは、あの日のことまで全てを思い出すという事。俺が傷ついた理由を、全て知ってしまうということ。

 その現実を手に入れてしまうことは、千夏を苦しめてしまうのではないだろうか。

 

 ・・・はぁ。つくづく最悪な人間だ、俺は。

 千夏に俺のことを思い出してほしいと願いつつ、千夏に苦しんでほしくないと思っている。その二つは相反する存在。そして俺の都合のいい願いだ。

 

 それでも千夏はまっすぐ答えた。

 

「・・・あのね、お母さん。私ね、逃げたくないの。ひょっとしたら、お母さんの言うように、私が欲しがってる過去の記憶は私を苦しめるものかもしれない。でも、その苦しみを忘れたまま逃げるように生きてたら、本当の意味で私幸せになれないかもしれない。・・・わがまま言ってゴメン。でも、これだけは」

 

「・・・うん。分かった。千夏の気持ちは分かったよ。ちゃんと伝わった。・・・ごめんね、頼りなくて」

 

「ううん、私のこと思ってくれているの、ちゃんと伝わってるから。・・・ありがとう」

 

 その言葉に、俺も保さんも頷く。

 千夏は、決定をした。自分の過去に向き合うという決断を下した。

 俺たちに出来ることがあるとすれば、それをちゃんと見届ける位だろう。

 

 そして、その隣で支える事・・・か。

 

---

 

 西野先生への連絡は、その日のうちに入れておいた。

 向こうも今日俺が打ち出した時点で準備を始めていたらしく、経過観察も兼ねて明日には入院の手続きに入ることになった。つまり、今この状態の千夏に会えるのは今日が最後だろう。

 そうである以上、ある程度のコミュニケーションを取っておくべきなのだろう。分かってはいたけど、どうしてもその言葉は出てこなかった。

  

 それに気づいてか、保さんから視線を向けられる。こういう時、自分もこの気配りが出来るようになったら、と思いながら、俺はその背中について行った。

 

 いつものように、縁側で。

 座り込んで、保さんは口を開いた。

 

「・・・これで、よかったのか?」

 

「分かりません。・・・結局、生きることの大概が結果論なんです。成功したら胸を撫でおろして、失敗して初めて後悔する。人間ってきっと、そういう生き物なんですよ」

 

 人間ってそういうもの、だなんて一体どの口が言っているのだろう。

 俺自身が、目の前の人間の二分の一も生きていないというのに。つくづく、小賢しいだけの自分が嫌になる。

 

「俺は、俺の親しか知らん。だから、そうする術しか知らない。自分の子供を第一に考え、やりたいようにやらせる。本当にそれが間違っていること以外だったら止めたりしない。親として、そういう生き方しか俺は知らないんだ」

 

「保さん・・・」

 

「本当は止めるべき場面なんていっぱいあったかもしれない。でも、俺たちはそれを全部スルーしてきた。いや、見て見ぬふりをしてただけかもしれないな」

 

 こればかりは、分からない。

 俺が、親という存在を知らない。ずっと子供の気分で育ってきた人間が、親の何を分かって何を言えるというのだろうか。

 でも、はっきりとは分からないけど、これだけは言いたい。

 

「自分が正しいと思って判断したものは、何も間違いじゃないですよ。保さんは正しいです」

 

「・・・そうか、正しいか」

 

「ええ。それに、子供の幸せを一番に願える親は、本当に素晴らしい人だと思います。・・・きっとこの世には、それすら出来ない人もいるので」

 

 決して俺の両親のことを言いたいわけではない。

 俺の両親が陸へ上がる時、俺にちゃんと問いかけてきた。お前はどうするかと。

 

 あの時、一緒に陸に上がる選択をしていたら、俺はどうなっていただろうか。いくら変わらない過去の話だと言っても、俺はどうしてもそんなことを思ってしまう。

 ・・・でも結局、上がったら上がったなりの幸せを得ていたのではないだろうか。それがどんな形かは知らないけど。

 

 だから、二択のどちらかが間違いだなんて法則は、絶対にない。

 

「それに、俺は信じてますよ。ここでどっちの答えを選んだとしても、その先にそれぞれの形の答えがあるって。だから、願いましょう」

 

「・・・そうか。随分と弱気になっていたな、すまん」

 

「いえ。・・・それに、俺が同じ立場だったら、きっと取り乱していますから」

 

 こうやって自分の中に取り入れ、かみ砕いて残った不安の部分だけを吐き出すに至るこの人は本当に強い。人として尊敬し、憧れる。

 

 いつだってこの人は・・・俺にとっての、最高の親なんだ。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

書いていてなんですが、保さんと夏帆さんの親としての在り方って中々ですよね。出来るだけ子供の好きなようにやらせるという方針を取る親というのはある程度いるとは思いますが、そしたら子供の歯止めが効かなくなるのが現実世界の常です。
しかしそれでも、こういった育て方はきっと間違いではないと私は思います。子供は子供の人生があり、それを変えることが出来るのは自分なんですから。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百十四話 変わらないもの

浮気性なので今後別の作品に力入っちゃうかも。


~遥side~

 

 保さんとの話で気持ちに整理をつけた俺は、千夏のもとへ向かった。

 ノックが二回。千夏はいつも通り部屋から出てきてくれた。けれどその顔は、どうも不安と寂寥に満ちている。

 ・・・そりゃそうだ。明日からどうなるか分からないっていうのに。

 

 だから、俺に出来ることは限られていた。けれどそれは、いたって普段通りに。

 

「なあ、千夏。散歩でも行かないか?」

 

 行先は、千夏が一番知ってるはずだ。

 

「うん。私も、そうしようかなって思ってたところだから」

 

 千夏はそれ以上の言葉を言うことなく、手っ取り早く支度を済ませて外に出た。その後をついて行くように、俺も家を後にする。

 

---

 

 海は今日もいつも通り、寂しげに凪いでいた。

 ほんの少しばかり吹く風に乗せるように、千夏はそっと呟いた。

 

「いつかさ、島波君は言ったよね。この場所にいたときに、待ってる人がいるって」

 

「・・・ああ、言ったけな。そんなこと」

 

「それって・・・私だった?」

 

 千夏から尋ねられる、どこまでも素直な質問。嘘をついて逃げるなんてのは、みっともない行為に他ならなかった。

 いい加減、俺もちゃんと向き合わなければならない。だから、中途半端な回答も、冗談もいらない。

 そこに好きという感情が隠れているかどうかは知らないとしても、この言葉を伝えるのにどれだけの意味があるか。

 

「ああ、そうだよ。俺はこの五年間、ずっとお前を待ってた」

 

「・・・そう思うだけの理由が、島波君にはあるんだよね」

 

 そうだ。でも、その理由を千夏は覚えていない。

 だから躊躇った。このままでいいと思った。俺と面識があったことを思い出してくれるだけでいいと思えた。あの過去を失くしたままに出来た方が、多分お互いに幸せだと思ったから。

 けど・・・それじゃ結局、逃げたままだ。あの時の千夏の思いからも、今の美海の思いからも。

 

 だから、歯を食いしばって、俺は現実と向き合う覚悟を決めた。その選択に・・・悔いはない。

 

「でも、その理由のことは絶対にお前には言わない。・・・意地とかじゃないんだ。ただ、俺がこの言葉を伝えても、千夏には響かない。思いというのは結局、その本人しか持ちえないし知りえない。他人が語るものは全て妄言だ」

 

「私自身が自分で取り戻さないと意味がないってことだよね」

 

「そういうこと」

 

 だから、俺は戦うと決めた千夏を最後まで応援する。それだけだ。

 

「・・・あれ」

 

 ふと、千夏は声を上げた。それからほどなくして、その頬に雫が伝っていることを俺は知る。

 雫は伝って、地面に落ちてはじける。それはとめどなく。

 

「・・・なんだろ、寂しくなっちゃったのかな」

 

 千夏はいたって普通のように見えた。ただ装っていただけかもしれない。 

 でも、心だけは違うのだろう。俺自身が千夏の心を覗くなんてことは出来ない。けれどその涙が、きっと荒れ狂っている千夏の心そのものを反映してるのだろう。

 

「たぶん、心がいっぱいいっぱいなんだと思う。寂しさ、悲しさ、不安、そういった感情って、なかなか処理が難しいんだ。それを一度に抱えちゃ、心だって持たない」

 

「そっか、そうなんだ・・・」

 

 普段と同じトーンで会話を続け、千夏は涙を流し続ける。

 苦しいだろう。そのままでいるのは。

 

 でも今の俺には目の前の千夏を抱きしめる資格なんてない。愛を語る資格も無い。

 

 俺に出来ることは、涙を流してしまうその感情に真正面から向き合う事だけだ。

 

「ねえ、私、大丈夫かな? ちゃんと記憶を取り戻して、また笑えるのかな?」

 

「大丈夫だ。あの人たちならやってくれる」

 

「まだ私、ちゃんとお父さんとお母さんにありがとう言えてないよ。ちゃんと伝えなきゃいけないの」

 

「分かってる。二人だってお前のこと信じてるさ」

 

 あの二人は自分たちが傷つくことを分かっていながらその道を選んだ。最後まで千夏を信じ続けるに決まってる。

 

「だから、安心していってこい。ちゃんと帰ってこい」

 

 それ以上もそれ以下もなく、俺はそう願った。

 

---

 

 翌日、千夏と二人を病院に送り届けてから、俺は一人先に皆の元を去った。

 入院が始まるまでの残りの時間、せめてその時間は家族三人でいてほしいという俺の願いだ。

 

 バスで帰るのも手だったが、俺は一人ふらふらと歩いて鷲大師を目指した。

 気が立っているのは俺もだった。歩いて帰れば、その気も少しは紛れるんじゃないか、そんなことを思って。

 

「・・・あん?」

 

 聞きなれた声が聞こえる。

 

「どうした、光?」

 

「いや、こんな時間にお前と会うのも珍しいなって。病院か?」

 

「ああ。千夏の見送り」

 

「そっか」

 

 興味あるのかないのか、光は空返事のような声で反応する。

 

「お前は・・・、あれだな。多分まなかのことで悩んでここに来た」

 

「・・・いやなんで当てんだよ、気色悪い」

 

「合ってるんだな」

 

「まあな。・・・まなか、まだ目覚めねえんだ」

 

 光はほんの少し悔しそうにそう答える。・・・光や要、千夏の時とは違いまなかが目覚めるのには少し難航してるらしい。

 こういう時、気の利いた冗談を一つでも言えたらと思えた。けど、あの時まなかにイレギュラーが起きたことを俺たちは知っている。そんな冗談で紛れる問題ではないだろう。

 

「あの時、ああするしかなかったからな。・・・俺がそれしか思いつかなかったのもあるけど」

 

「いや、お前を責めるつもりはねえよ。んなもん時間の無駄だ」

 

 光は声を荒げることもなく、ただ現実を見据えてそう答える。

 

「それよりは、他に出来ることを探した方がいい。お前なら、そういうだろ?」

 

「・・・んにゃろ」

 

「当たったか?」

 

 光は少しウキウキしながら尋ねる。無邪気なところは昔のままだ。

 

「まあ、同じ問題でうじうじ悩んでも仕方がないからな。同じようなことは言おうと・・・してた」

 

「んじゃ、俺の勝ちだな」

 

「勝ち負けの問題じゃあるまいて」

 

「んにゃ、ずっとお前には負けっぱなしだったからな。男ってのは意地を張りたい生き物なんだよ」

 

 なるほど。意地を張りたい生き物ってところには共感できるな。

 

「・・・な、遥。お前から見て俺って変わったのか? この五年で」

 

「何を藪から棒に」

 

「いや、思うんだよ。周りから見た俺ってどうなんだろうなーって。要に聞いたらはぐらかされるし、ちさきは捕まえにくいし、美海は素っ気ないし」

 

「んで俺って訳か」

 

 この五年間で光が変わったか。

 実際の所、そのほとんどを寝て過ごした訳だから、光に大きな変わりがあるわけではないだろう。変わったとするならば、光を見る俺のほうだ。

 俺は少し変わったのかもしれない。けれど、俺の瞳に映る光は五年前も今も変わってない。しいて言えば、五年前のあの日々で、少し成長したくらいだろう。

 

 何も不自然なことなんてない。

 

「お前はお前のままだよ。ま、少しおとなしくなったかもしれないけど馬鹿正直で真っすぐで、素直でおっちょこちょいで。それは何も変わってない」

 

「あのなぁ・・・褒めるか貶すかどっちかにしろよ!」

 

「それをひっくるめて、俺はお前のそういうところ好きだぞ」

 

「・・・お、おう」

 

 別に愛の告白じゃない。何をそんなに驚かれていらっしゃるのか。

 

「・・・なんか、あんがと。元気出た」

 

「そうか。それなら何よりだ」

 

 何を思って光がこんなことを聞いたのかは知らない。けれど尋ねないことにする。

 五年間か。

 

 意外とその時間の影響なんてものは、少ないのかもしれない。今なら少しそう思える気がした。

 

 




『今日の座談会コーナー』

主の自己満オブ自己満展開ですね。こういうシーンが結構好きだったりします。ただ、千夏との会話については前作と少し展開が違うので結構変わっていますね。
最近やったゲームが幾分哲学的だったので、また影響されそうですね。そういう作品好みっちゃ好みなんですが、インパクトがでかい分ロスがでかいのでうーん、って感じです。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百十五話 今、向き合う時

ここから始まるクライマックス。


~千夏side~

 

 私の中に閉じ込められた、私の記憶。

 私が知っていたはずの、私が無くした記憶。それを取り戻すことは、希望だけじゃなかった。

 お母さんや島波君が少し俯いてしまうほどの何かがある。その事実が私は一番苦しかった。

  

 私の中に何が隠れているんだろう。それがどんな記憶なんだろう。

 

 今となっては、成功するかどうかより、その記憶の中身の方が気になって仕方がなかった。

 

 でも、手術当日になってみると、意外と心は落ち着いていた。

 人間って、一周回るとこうなるっていう貴重な例。今なら全てをありのままに受け入れることが出来る気がした。

 

 病室を叩く音と共に、担当の先生が入ってくる。

 

「水瀬さん、時間です」

 

「あ、はい。・・・よろしくお願いします」

 

「・・・随分と落ち着いているんですね」

 

 西野という担当の先生は、少し驚いたように言った。確かに成功するかどうか不明瞭な手術を目の前にして達観したような14歳がいるなら、驚くのも無理はないか。

 

「なんか、今更じたばたしても変わらないって思うと、すんなり目の前の現実を受け入れられるって言うか・・・」

 

「あいつの影響か・・・」

 

 ぼそっと西野先生が呟く。

 

「え?」

 

「なんでもないですよ。それより、準備のほどは大丈夫ですか?」

 

「はい。・・・あっ、ちょっと待ってください」

 

 私の視線は、窓際に飾ってあったペンダントにいった。

 このペンダントだけは、持っておいた方がいいような気がした。根拠なんてどこにもないのに。

 

「ペンダント・・・持って行ってもいいですか?」

 

「うーん・・・分かりました。邪魔にならないようにお願いします」

 

 返事は早かった。

 OKを出された理由なんてのは理解できないけど、出されたという結果さえそこにあればいい。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

 先生に先導されて、私はその後ろをついていく。

 取り戻した記憶は幸か不幸か。

 全てを失うか、全てを取り戻すか。

 

 ポケットの中のペンダントを握りしめて、一歩ずつ歩き出す。

 

---

 

 麻酔が効き始めると、意識を失うまではあっという間だった。

 それからしばらくして目を開く。けれど、そこが現実でないことは一瞬で分かった。

 

 体が浮いている。空から何かを見ている。それだけが今の私に分かること。

 そして私の身体はある場所にたどり着いた。そして景色はだんだんと鮮明になっていく。

 

 私であろう人間と、島波君が海中でぶつかった。

 

(・・・そうだ。私と島波君の出会い、こうだったんだ)

 

 その少女を過去の私と認識することが出来てからは、目の前の光景を私の記憶と思うことは容易だった。

 少女は、「恋」をしていた。

 

 相手はもちろん、一人しかいない。

 初めてであったときから、全て動き出していたんだ。

 

 見せられる、過去の自分。

 

 一緒に料理を作ったり。

 熱を出しておぶってもらったり。

 ・・・海側の大人と対立したり。

 喧嘩して、仲直りしてペンダントをもらったり。

 それから、同じ家に住むことになったり。

 

 私が島波君を思って生きてきた過程が、鮮明に描かれ続ける。

 そして、たどり着くゴールの日。

 

 その日は、雨が降っていた。

 少女は恥じらいの頬とともに、島波君に寄り添っていく。

 

 それから告げられる、愛の告白。

 

(そっか、私、告白を・・・)

 

 でも、答えは聞けない。聞かずに逃げたから。

 少女は、ここにきて現実が歪んでしまうことを何より恐れてしまった。

 

 この日は、雨が降っていた。

 災害級の雨だ。川は氾濫するかもしれないし、土砂だって崩れるかもしれない。

 

 実際の所、少女が走って逃げている先の土砂が崩れ始めた。

 でも、少女は気づかない。自分の身に迫っている危険を。

 

 そして、気づいた時には、全てが遅かった。

 助かるはずなんてない。諦めた少女に、それを救う存在がそこにいた。

 

 全てを知る。

 

 私が、島波君を好きだったこと。

 それを言葉にするだけして、その思いから逃げたこと。

 

 そして、島波君を傷つけたこと。

 島波君が足を失ったのも、視力を失ったのも、全部全部少女の・・・私のせい。

 

 私が、彼の人生を歪ませたんだ。

 

(あ、あああ・・・)

 

 身体から血の気が引いていく。私のせいで、みんなの不幸を招いたんだ。

 お父さんとお母さんを悲しませて、島波君を傷つけて。

 そんな私が、飄々と生きていくことなんて・・・出来はしない。

 

 この光が爆ぜたなら、きっと私の最後の光景。

 

 そして、世界は開かれていく。

 

---

 

~遥side~

 

 手術室のランプが消える。どうやら施術は終わったみたいだった。

 ドアの向こうの千夏がどんな様子かは分からない。ただ祈るだけの存在でしかなかった。

 

 これからドアが開いて、人が出てくる。

 そう予想した時だった。

 

 中が騒がしいと思ったのもつかの間、ドアが開くと同時に、あっという間に一つの人影が走り去って逃げていった。

 手術開けの身体で、何を動力にしているかも分からず。

 

 しかしその逃げ出した人間が千夏という事だけはすぐに分かった。

 

「千夏っ・・・!?」

 

 追いかけようとするが、それよりも意識は遅れて手術室から出てきた西野先生の方に行ってしまった。

 千夏の状態を、ちゃんと確認したかった。

 

「西野先生! どうなっているんですか!?」

 

「ああ、手術自体はおそらく成功したんだが・・・おそらく、取り戻した記憶と精神状態が乖離を起こしてるせいで、精神的な拒否反応が出てしまってる・・・!」

 

「取り戻した記憶にショックを受けているってことですか!?」

 

「簡単に言えばそうなる」

 

 くそっ、言わんこっちゃない・・・!

 

 こうなる現実は見えていただろうに。

 それでも、俺はこの現実を選んだ。その意味は重く、計り知れない。

 

 失えない。失ってたまるもんか。

 

 今なら千夏に向き合える。向こうがどれだけ拒絶しようと、逃げようと、絶対に向き合える。そんな気がして仕方がない。

 そしたら、俺を縛っていたこの五年の・・・いや、生まれてからずっと続いていた命題という鎖が断ち切れる。

 

 全てをリセットして、今こそやり直そう。

 だから・・・俺がとるべき行動は一つだけだ。

 

「西野先生、後で、千夏の両親がここに帰ってくると思うので、その時には『取り込み中だけど問題ない』とだけ伝えといてください!」

 

「君は・・・やっぱり行くんだな」

 

「当たり前です! ・・・それが俺の生きる意味で、生きてきた証ですから」

 

 そうとだけ言って、俺は千夏の後を追いかけた。

 ここ数年運動をろくに行ってこなかったのもあって、ずいぶんと身体はなまっていた。

 足も義足だ。メンテナンスはしているけど、少し軋むし重たく感じたりもする。

 視界はぼやけて、息は切れる。外の凍てつくような風に、体が凍ってしまいそうな気がした。

 

 それでも走る。千夏がどこに行ったのかはまだ分からないけど、あいつが逃げそうな場所なんて分かっているはずだ。

 

 待ってろ・・・!

 

 執念だけが、ただ体を動かした。

  




『今日の座談会コーナー』

前作と色々設定が違うのもあって、こういうシーンでも少しずつ違いが出てくるかななんて思ってます。
いやー、夏休みですね。夏ですね。凪あすの季節です。凪あすは夏休みではなかったと思いますが。
資金力はともかく、時間はあるのでいつかはちゃんと聖地巡礼したいなーなんて所存。
生きるのを諦めないで!

といったところで、今回はこの辺で。
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第百十六話 ただそれだけで

今作一番長いっすね文章。


~千夏side~

 

 生きるのが、辛くなった。

 記憶を取り戻した今なら全てが分かる。私はさんざん他人に迷惑を振りまいて、そのくせそのことに気づかないまま人を傷つけて。

 島波君はおろか、お父さんとお母さんにどんな顔を向けて会いに行けばいいか分からない。きっと許してくれる、そう分かっていても、許される自分が嫌だった。

 

 麻酔が切れてすぐの、気だるい体を必死に動かして病院を抜け出し、そのまま駆けていく。

 行く当てなんてない。

 けど・・・せっかく消えるなら、私が好きだった海がいいな。

 

 生まれた時から身体が弱かった。それが影響で、一杯苦しんできた。そして、それと同じだけ周りを苦しめてきた。

 呪われた生なんだ。

 だったら・・・早く終わらせた方がいい。

 

--- 

 

 気が付けば、私はいつもの堤防についていた。無意識で体は動いていたっていうのに、気が付けばいつもここにいる。

 ・・・いや、違うか。普段からここに来ているから、無意識でも目指す場所にインプットされてるんだ。

 

「この場所から全てが始まったんだよね」

 

 だから、終わるならきっとこの場所がいなかった。

 今度こそ、私という存在がいなくなったほうがいい。

 

『それでいいの?』

 

 声が聞こえる。この声は、あの日海に飲まれた時のものと一緒。

 それでいいのかどうか、そんなもの考えたくもない。

 

 だって・・・考えたら。

 

「っ!」

 

 私はそのまま海に逃げ込むように飛び込んだ。

 あとは、時間がどうにかしてくれるはずだと、淡い期待を抱いて。

 

---

 

~遥side~

 

 病院を抜け出して、町中を駆け巡る。

 最初の方こそ千夏の姿は見えていたが、どこで見失ったか今はもう見えない。行く当てに心当たりはないわけではないけど、今の状況でそんなに冷静に考えることができるはずもなく。

 

 でも、こういう時こそ冷静に。

 

「千夏のことだ。何も考えてないなら、普段から向かってる場所に辿り着くに決まってる」

 

 とすると、やはりあの堤防。千夏はそこに向かっているのだろうと俺は高を括った。

 そうと決まれば後は早く、俺は一目散にそこ目掛けて走り出す。身体はとうに悲鳴を上げ、限界を迎えている。最近やたら身体が重いと思うようになったが、ここに来て影響が出るなんて思いもしなかった。

 

 しかし、後は気合だけでなんとかする。今までそうしてきたように、これからも。

 

 そしてたどり着く堤防。しかし人影はない。

 

「嘘、だろ・・・」

 

 いると思ってここまで頑張ってきた俺の身体は限界を迎え、その場に佇む。もう陸の上を走る力など残ってはいなかった。

 

「・・・あ」

 

 ふと、目に入る。忘れもしない、それは俺が千夏に渡したペンダントだった。

 なぜここにあるのかは知らない。けれど、ここに千夏が来たという足跡であることには変わりなかった。

 

「ここから行ける場所・・・一つしかないよな」

 

 それ以上何かを考える必要はない。俺はそのまま海に飛び込んだ。きっと千夏もそうしたのだろうと思い込んで。

 とはいえ、この間みたいにコンパスがあるわけでもないのに汐鹿生にいけるのだろうか。少々不安になる。

 しかし、俺の身体は何かに導かれていた。潮の流れが汐鹿生に向かっていることを理解するのにそこまで時間はかからない。

 

 そしてまた、たどり着く。俺の故郷、汐鹿生に。

 

「よりによって、今度はこんな形で帰って来るなんてな」

 

 俺は立ち止まり、そして遠くを見つめる。

 一つの人影が遠くに見える。おそらく、こっちに向かってくるのだろう。どうやら間に合ったみたいだ。

 

 一つ呼吸を整えて、俺はまっすぐにその人影を見つめる。

 色々考えてみたけれど、着飾った言葉は俺には似合わない。

 

 だから、いつも通りでいい。

 

「よっ」

 

---

 

~千夏side~

 

 凍えるような冷たい海を、流れに任せて進んでいく。

 右に左に揺られながら、自分がどこにたどりつくのか分からないまま。

 

 けれど、記憶が覚えている。この先にあるのはきっと汐鹿生。

 私がずっと憧れて、ここにいたいと望んでいた場所。

 

 今となってはどうだ。私は陸どころか、この場所にいる資格すらない。

 でもせめて、消えるなら好きな場所でいさせてほしいから。

 

 最後に、その景色を見たくて、私は汐鹿生に入る。寝静まった街。静かな街。

 誰もいない街。・・・なのに、そこに人がいる。

 

「よっ」

 

 そして普段と同じ、何も変わらない声で・・・島波君は私に声を掛ける。

 

---

 

~遥side~

 

「なんで・・・?」

 

 千夏は、そう問いかけてきた。その顔は、今にも泣きだしそうで。

 でも、なんでもくそもない。俺は海に導かれてここに来た。それまでの話でしかない。

 

「なんでって言ってもな・・・俺はただ、お前を追いかけてきただけなんだよ。そしたら、たまたま早く汐鹿生に着いちまった。それだけの話だよ」

 

「そんなことを言ってるんじゃない! なんで島波君が私を追いかけてくるの!? そうされるだけの資格なんて、私にはないっていうのに!」

 

 いよいよ千夏は泣き出す。周囲なんてはばからず泣き叫ぶ。

 

 千夏の言いたいことは、分かっている。

 

 全ての記憶を取り戻した今、千夏は罪の意識の奔流に飲み込まれている。優しい千夏のことだ。自分のせいで周りが傷を負って、苦しんでしまったと自戒してるのだろう。

 

 その光景なんて、ずっと前から分かっていたはずだ。だから俺は、最後の最後まで千夏が記憶を取り戻すことを躊躇っていた。

 けど、いざ取り戻して思った。俺は、ちゃんと俺を思い出してほしかったと。そしたら、全ては前に進みだす。俺と、美海と、千夏の止まった時間は動き出す。

 

 これが、千夏も俺も傷つく答えだとしても、俺ははっきりと言う。これでいいんだと。

 

「憎んでよ・・・恨んでくれた方が、まだ助かるんだよ。優しくされるだけ、辛いの・・・」

 

 千夏の声はだんだんと弱くなっていく。全て吐きだしきったのだろうか。

 千夏の苦しみが、今は痛いほど分かる。消えてなくなってしまいたいと思う感情は、俺だって経験している。

 

 だから、そんな時の最適解だってちゃんと分かってる。

 

 自分が呪われた存在だと、その生を憎んで死にたくなってしまった時、一番欲しいのは「生きてていいよ」と肯定すること。

 美海・・・あの日お前がそうしてくれたように、俺は今の千夏にそうしてやりたい。

 

 一歩踏み出す。鼓動が少しだけ早くなる。

 けど構わない。次の一歩を踏み出す。

 

「それでも俺は、今から千夏にちょっとだけひどいことをするよ」

 

 

 それから次の言葉を聞くまでもなく、俺はその唇を塞いだ。

 

 

 さほど時間は長くない。けれど、その一瞬は限りなく永遠に近いなにかに思えた。

 

 それから唇を離して、俺はちゃんと俺の言葉で気持ちを伝える。

 

「・・・俺もさ、ホントは怖かった。五年前の俺にまつわる記憶が、千夏にとって辛いものだと知っていたから、苦しんでほしくないと思ってた。このままでいいと思ってた」

 

「・・・」

 

「でもさ、そうしたら前に進めないんだよ、俺たちは。あの時、千夏は俺を好きでいてくれた。・・・今はどうか分かんないけどさ。でも、あの時の気持ちが嘘じゃないと信じたかった」

 

「でも私、島波君のこと傷つけたよ・・・? 足もなくなってるし、視力だって落ちてるんでしょ? それはあの時、私が私の気持ちから逃げたから・・・。逃げたから、こうなったんだよ?」

 

「違う。逃げてたのは俺だったんだ。好きになることが怖いからと、その感情に蓋をして。でも、あの言葉を聞かされて、どうすればいいか分からなくなった。だから、どっちつかずの言葉に逃げた。悪いのは俺だったんだ」

 

 だから、思う。

 あの日の真相にちゃんと向き合って、向き合ったうえで、あの日の記憶を、千夏の告白を、俺の戸惑いをなかったことにしたいと。

 

 好きという感情に、美海の顔がちらつく。

 だから、ちゃんとこれまでとこれからに向き合って、好きの気持ちに答えたい。

 

「だからさ、責任の所在を突き止めるのはもうやめよう。俺は俺の罪で傷ついて、千夏は千夏の罪で傷ついた。お互い様と言ったらそうだし、交わっていないといってもそうだ。・・・だから俺は、全てを許すよ」

 

「・・・そっか。そんなことでよかったんだね」

 

 千夏は何かを分かったように、小さく笑って涙を拭った。

 

「というか、人生っていっぱい失敗してなんぼだ。俺だって生まれてこの方失敗だらけだ。でも、俺を大切に思ってくれた人は、みんな待っててくれた。許してくれた。だから、きっと千夏も許してもらえるし、俺も許す。・・・なんていうより、皆そこまで気にしてなんかない」

 

「考えすぎだって?」

 

「そんなところだな」

 

 ・・・ああ、今なら分かる。

 産まれ出づる命は呪われてなんかいない。ちゃんと等しく祝福されている。

 でも、命は有限だ。その命を祝福してくれた人間も、いつかは潰えてしまう。

 けれど、忘れてはいけない。祝福してくれた生が潰えるのは、自分の生が呪われているからではないことを。

 

 そんなことでよかった。

 そんなことで、よかったんだ。

 

 だから、この生はただまっすぐ生きるだけでいいんだ。

 過去が辛かったからって、どうして明日が辛いものなんて予想が出来る?

 

 出来ないはずだ。ならば、やることは一つ。目の前の現実を受け入れて、明日を幸せに生きようとすればいい。「好き」の気持ちは、その延長線上にひっそりついてくる。せいぜいそんなものだ。

 

 

「さっ、帰ろうぜ。ここもずいぶんと冷える」

 

「・・・うん、そうだね。みんな待っててくれてるなら」

 

 千夏は少しだけ怖がってる素振りを見せながらも、俺の方に手を差し伸ばした。

 

「・・・手、繋いで貰っていい?」

 

「ああ、いいさ。・・・けど、その前に」

 

 俺は差し伸ばされた千夏の手に、先ほど拾ったペンダントを渡した。

 

「これ、忘れ物」

 

「あれ・・・落ちちゃってたんだ。ゴメン」

 

「いいよ。それに、これがなかったから俺は千夏を見つけられなかった」

 

 いつだって、俺と千夏を結んでくれたのはこのペンダントだったって訳だ。

 

 ペンダントをポケットにしまって、千夏はもう一度手を差し出す。今度こそ俺はその手を取った。

 

 二人で海をすいすいと上がっていく。

 その道中で、千夏はもう一度口を開いた。

 

「・・・ね、遥くん。一つだけお願いしてもいいかな?」

 

「ん?」

 

「あの日の告白の事・・・、無理かもしれないけど、忘れてほしい。私も、あの日の記憶にいつまでも引っ張られたくない」

 

「そっか、そうだよな。分かった。・・・それに、そうしてくれた方が喜ぶ人間だっているだろ」

 

 忘れてはいけない。

 いつもそばには、美海がいてくれた。

 

 だから、その思いをないがしろになんてできない。千夏と美海は、親友なのだから。

 そのことを千夏はちゃんと理解しているようで、神妙な表情で一度頷いた。それからまた、続ける。

 

「そして、私はちゃんとあなたのことを好きになる。・・・その時が来たら」

 

「分かってるよ。・・・でも、俺はその時、千夏の望む答えにそぐわないことを言うかもしれない」

 

「大丈夫、分かってるから」

 

 どうやら、もう大丈夫だろう。

 ・・・ああ、そうか。全て戻ってきたんだ。千夏の記憶も、これまでの俺も。

 

 いや、でもまだ戻ってないものもあるか。

 それすらも今なら何とかなるような、そんな気がしてやまない。

 

「ねえ、遥くん」

 

「ん?」

 

「・・・ただいま」

 

 改めて、「帰ってきたよ」というようにそう告げた。

 もちろん、言うべき言葉は一つだ。

 

 

「ああ、おかえり。千夏」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 




『今日の座談会コーナー』

今回の後半部分は自分の中でもかなり評価が高いですね。そして、この作品の答えの部分が一つ提示出来たような気がします。
ここまで来たら・・・と言いたいですが、もう少しこの作品の雰囲気を楽しませてください(展開ももう少し増やします、多分)

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百十七話 Dear My Friend

諸行無常。


~千夏side~

 

 遥君に許されて、皆の待つ場所へ帰る。

 許されたからと言って、罪の意識が消えたわけじゃない。遥君の五年間が私という存在で歪んでしまったことには変わりないし、その時間はどうあがいても取り戻すことは出来ない。

 

 それでも、遥くんは言った。振り向くなと。

 

 だから、私はちゃんともう一度私として歩き出す。遥くんのことが好きなのは変わりないとしても、多分あの時の気持ちとは違う。

 子供心の幼い「好き」ではなくて、ちゃんと相手を理解して、その先にある「好き」の感情を手に入れたいから。

 

 だから、私は遥くんに告げる。あの告白を忘れてほしいと。

 綺麗なリセットなんてできないだろう。

 けれど、リセットしてようやく、私は美海ちゃんとフェアに戦える。歳だって一緒だ。条件だけなら水平だろう。

 

 正直、怖くはある。私がいなかった五年間、ずっと遥くんのそばにいたのは美海ちゃんだったから。その壁を超えることができるかどうかなんて分からない。

 けれど、自分の感情を自己満足のものにしたくない。それじゃあの日と一緒だから。

 

 ちゃんと言葉にして、それから逃げない強さを手に入れるまで、私は遥君に「好き」を告げないことにする。

 

 

 これが、私。

 私の覚悟だよ、遥君。

 

---

 

 病院に戻って、どんなお咎めの言葉が降って来るのかと萎縮していたが、お叱りの言葉はどこにもなかった。

 お父さんもお母さんも、心配そうにはしていたけれど、私がちゃんと帰って来るのを待っていたかのように、いつものように言葉にした。

 

「お帰り、千夏」

 

 その言葉で、私はまた涙を流す。

 帰る場所がないなんて言っても、それはただの強がり。

 今は、二人が私の帰る場所であってくれることがただ嬉しくて仕方がない。

 

 ただいまとだけ答えて、私は涙を拭う。 

 その横で、遥君は先生となにやら話していた。けど、それは私の知らない世界。そして、知らないままでいい世界。

 

 今は目の前の二人と、ゆっくり会話がしたかった。

 

「・・・二人は、私が取り戻す記憶がどんなものか知ってたんだね」

 

「うん。だから、ちょっと目をそむけたくなっちゃった」

 

「確かに、お母さんの言う通りだったよ。私、相当迷惑かけちゃってたんだね」

 

「・・・なあ、千夏。お前は後悔してないか?」

 

 記憶を取り戻したことについてだろう。お父さんが私に確かめてくる。

 けど、今ならちゃんと言える。

 

「うん。後悔してないよ。苦しかったけど、ちゃんと思い出せてよかったと思う。やっと、止まってた時間が動き出したかな」

 

 遥君の言葉を借りるようになるけど、思ってることは確かだ。

 ここまで晴れ晴れとした心は久しぶりだ。

 

「・・・お父さん、お母さん。ありがとうね」

 

「ああ」

 

「ええ」

 

 二人はそれ以上何も言わなかった。けど、これでいい。この言葉だけでいい。

 それが、家族っていうものだから。

 

---

 

~遥side~

 

 千夏は吹っ切れた表情で、保さんと夏帆さんの元へ戻っていった。

 家族三人の時間。俺がそこにいるのは野暮だろう。少しだけ身を引いて、俺は西野先生の元へ向かった。

 おそらく、この人のラストオペは千夏のものだっただろうから。

 

「西野先生、お疲れ様でした」

 

「ああ、ホントだよ。とはいえ、よかったな。彼女、ちゃんと記憶を取り戻すことが出来て」

 

「それは西野先生の尽力のおかげなんじゃないんですか?」

 

「記憶治療においては俺たち医者はただきっかけを与えるだけだよ。あとは本人の意思。彼女は、それに打ち勝っただけだから」

 

 そう言って、西野先生は少しだけ俯く。

 何を考えているのだろうと俺が考察する間もなく、西野先生は口を開いた。

 

「・・・そうか、これで終わりか」

 

「やっぱり、この手術が最後だったんですか?」

 

「ああ。もう月末にはここを出てくよ。やるべきことはすべてやったんだ。悔いはないさ」

 

「その割には、晴れ晴れとしてないですね」

 

「・・・まあ、名残惜しいからな。俺を一番育ててくれたのはこの場所だったからな」

 

 言いよどむわけでもなく、はっきりと西野先生は名残惜しいと口にした。

 自分の大切だった場所だ。そこから離れるのにはそれ相応の覚悟がいるだろう。俺が同じ状況に立たされて、去る時同じように言えるだろうか。

 

「けど、すっきりしてることには変わりない。この手術は、俺の集大成といっても過言じゃないからな」

 

「街で何をするか決めているんですか?」

 

「いや、何も決めてない。・・・ただ、せっかく医者としてやってきたんだ。その方面で何かしたいと思ってるよ」

 

「街へ戻ったら遊びに行きますね」

 

「ははは、その時は患者じゃないことを祈るよ」

 

 そんな他愛のない話を繰り広げる。

 この人の覚悟を踏みにじることはこれ以上言いたくない。だから、こんな話でちょうどいいんだ。

 

---

 

~千夏side~

 

 その後は、経過観察も吹っ飛ばしてお父さんの運転する車で家へと帰る。

 そのまま安寧を、と思ったけど、私にはもう一人会わないといけない人がいた。

 

 思えば、遥君の記憶を失ってからは少しギクシャクとしていたような気もする。でも、そんな日々ももう終わり。

 これからは、これまで通り、この先の人生を歩いていく。それを伝えるために、私は美海ちゃんの元へと向かった。

 

 美海ちゃんは家にいた。呼び鈴を鳴らして、その名を呼ぶ。

 しばらくして玄関から出てきた美海ちゃんは、私の顔を見るなり何か察したようだった。改めて見ると、本当に成長したんだなと思う。

 でも、妹のような存在なんかではない。美海ちゃんはもう立派な、私のライバルだ。

 

「美海ちゃん、お話いいかな?」

 

「うん。いいよ。部屋上がって」

 

 案内されて、私は美海ちゃんの部屋へ向かう。

 部屋を見て再確認する。時間の経過。美海ちゃんの成長。もう中学生だ。私と似たような部屋になってる。

 

「で、話って?」

 

 場が落ち着いたところで、美海ちゃんは本題を切り出す。私は少しだけ言葉に悩んで戸惑って、それからありのままに今の心を伝える。

 

「・・・全部思い出したよ、遥くんのこと」

 

「そっか。手術、成功したんだね。・・・ごめん、会いに行かなくて」

 

 その表情は、色とりどりの感情で塗られていた。それこそ、私が全部理解することが出来ないほどに。

 

「ううん。私たちにとって大切な人のこと忘れてたんだもん。もし立場が逆なら、私も会いに行くの、きっと躊躇ってた」

 

 それについて怒ったりなんかできない。それこそ、私が記憶を失うことで美海ちゃんも傷つけたわけだし。

 

「・・・本当に、大切なこと全部忘れちゃってたんだね」

 

「うん。・・・でも、取り戻してくれた。友達として、本当に嬉しい」

 

 今度は迷いのない喜びの感情。探るまでもなく分かる。

 私のことを本気で思ってくれている。それが伝わるだけで、私もまた嬉しくなった。

 

 でも、うかうかなんてしてられない。

 私がこれからやろうとしているのは、宣戦布告なんだから。

 

「それでね、今日は改めて、お願いに来たの」

 

「・・・うん。聞くよ」

 

 美海ちゃんも覚悟を決めたのか、一呼吸おいて首を縦に振った。それをGOサインと捉えて、私は全力で私をぶつける。

 

「私は、やっぱり遥君のことが好き。勝手に告白して、皆の事傷つけて、こんな我儘言っていいのか分からないけど・・・。それでも、私は遥君のこと、諦めたくない。だからこれからも、私のライバルであってほしいの」

 

「宣戦布告ってやつ?」

 

「うん」

 

 迷いの時間なんていらない。即答。

 私の言葉に迷いがないことを感じて、美海ちゃんもそれに応えた。

 

「うん、わかった。受けて立つよ。・・・それに、私はあの日の約束、ずっと忘れてない。ちゃんと今日まで守ってきたの」

 

「フェアに戦おうって約束、だよね?」

 

「だから、今更遥のこと諦めるなんて言うなら、むしろそれを私は許さなかった。・・・だからよかった。千夏ちゃんが、これまでの千夏ちゃんのままでいてくれて」

 

 本当に、いい子だ。

 いい子すぎて・・・悔しくなる。

 

 でも、劣等感を抱いたまま戦えるような相手じゃない。私も真っ向から立ち向かう。

 

「でも、私からも一つだけお願いがある」

 

 今度は美海ちゃんがそう口にする。私だけ願いを口にして相手の話を聞かないなんてことはしたくない。美海ちゃんのお願いを、私は受け止めることにした。

 

「私たち、多分遥のことまだまだちゃんと知れてない。もっと大きくなりたい。だから・・・告白は、もう少し後にしたいの。ダメ、かな?」

 

「ううん。そう言ってもらえてよかった。・・・私もね、もっと遥君のこと知りたかった。それに・・・これからの海を見届けないと、告白なんて出来ないから」

 

 何かが起こる。そんな予感がする海をそのままに、好きの気持ちなんてぶつけられない。

 

「・・・私、千夏ちゃんと友達で、ライバルでよかったと思ってる」

 

「うん、私もだよ」

 

 恋敵である以前に、一人の友達。・・・ううん、親友。

 美海ちゃんがいてくれてよかったと、今なら心から思える。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

リメイクと言いましたが、ここまではっきりと変えるつもりはなかったんです・・・。が、せっかくなのでおもっきし変えます。今後の展開。
とすると、結構難しくなるので更新頻度は落ちるかなーなんてなこと思ったりはしますね。もちろん最善はつくします。ヤッタレピッピです。
まだまだ回収できていないお話いっぱいありますからね。どんどん回収していきますよ。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百十八話 終わらない物語

例のウイルスが・・・。


~遥side~

 

 千夏にまつわる、五年前からのごたごたは全て終わったと言ってもいいだろう。そう思うと、一気に俺の身体から力が抜けていくような気がした。

 

 夕食を終えて、自室にこもり寝転がるとその倦怠感は次第に強さをましていった。まあ、冷静に考えれば五年分の凝りだ。そう簡単に取れるものではないだろう。

 

「・・・達成感、って言ったら違うよなぁ。別に俺は・・・」

 

 ただ、五年前の暮らしに戻りたかっただけ。もちろん、戻ることはないんだけど。

 けど、あの何も心配せずに、ただ楽しくと思いながら過ごせる日々を取り戻したかっただけ。マイナスから0に戻すことに達成感なんて感じていては、これから先が思いやられる。

 

 とりあえず、今はこの疲れをどうにかしたい。普段通りに風呂入って早めに寝れば解決できるのだろうか。

 ・・・っと、そんな悠長なことも言ってられないか。少なくとも教授から出された課題を進めないと。

 

 結局、頭を空っぽに、なんてできはしない。考えることなんて永遠に尽きはしないのだから。

 

---

 

 次の日の朝10時頃。水瀬家に電話がかかって来る。

 受話器を取ったのは俺だった。

 

「もしもし・・・」

 

「ああ! 遥! ちょうどいい! お前に用があったんだ!」

 

 やかましい声・・・。今日の依頼人は光みたいだった。

 

「ああ、待て。言わんでいい。行った方が早いだろ?」

 

 まなかのことだろう。光がこの調子ということは、目覚めたはずだ。

 でも・・・少なくとも、まなかは万全の状態で陸に上がってきたわけじゃない。千夏のようにどこか問題があっても不思議じゃない。

 だから、行ったほうが早い。それまでの話だ。

 

「ああ、出来るだけ早くな!」

 

 それから一方的に電話は切られる。おいおい・・・30秒も話してないぞ。

 

 やれやれと思いつつ、俺は簡単に身支度を整えて玄関に向かった。いざ出ようとせんその時に、後ろから声がかかる。

 

「どこ行くの?」

 

 千夏だ。

 

「潮留家。まなかが目覚めたんだと。俺としても気になること結構あるから、行こうかなと思って」

 

「私も行っていい? まなかのこと気になるし、美海ちゃんと話したいこと色々あるし」

 

「分かった。待ってるから準備早めにな」

 

 それから千夏はものの数十秒で支度を整えた。昔映画で聞いたようなセリフを思い出す。あれは確か40秒・・・。

 

「行こ」

 

 あとから来た千夏は先に玄関を開けて外に出た。追いかけるように俺も外へ向かう。

 千夏の様子は、いたって普通だった。昨日の今日なのにも関わらず、昨日のことを全然意識してないように思える。

 そういう風に演じているのかどうかは知らないけど。

 

 だから、俺もこれまで通り。・・・五年前のあの頃のように、同じ通学路を歩いていたあの頃のようにいよう。

 

 

 ある程度進んだ辺りで、千夏が口を開く。

 

「汐鹿生からまなかを連れて帰った時の記憶さ、ちょっとあやふやなんだけど・・・。まなかって、どんな状態だったんだっけ」

 

「んー・・・まあ、目ぼしい変化で言うと、エナの消失が一番だな」

 

「え、じゃあまなかエナないの? だったらどうやって海のなかで寝てたの?」

 

「冷静になって考えるとそうだよな・・・。一応、俺たちが向かった時ちょうどはがれている最中だったわけだから、あれが遅かったら・・・まずかったかもしれないな」

 

 でも、やっぱり気になっているのはまなかが眠っていた場所。

 あそこにいたということは、まなかが代わりにおじょしさまになったということで間違いなさそうだけど。

 

「てか、そうだ」

 

「?」

 

「千夏、海に引っ張られた時の記憶って思い出せるか?」

 

「うん、はっきり言ってあまり思い出したくはないけどね・・・。私は他の皆から離れたところで海に投げ出された人がいないか探してた。途中で先島君とすれ違ったけど、その時は先島君にあかりさんを追うように伝えて別れたよ」

 

「その後、か」

 

「うん。急に体が重たくなった。エナはあるのに呼吸が苦しくなって、泳げなくなった。それでね、意識を失う前に声が聞こえたの。『・・・これで、みんな一緒』って」

 

 声。

 地上にいるときにだけど、俺もなんどか姿が見えない人間の声を聞いた気がする。あれは、誰の声だったんだろうか。

 でも、可能性があるとすれば・・・。

 

「おじょしさまの声、なのか?」

 

「それは分からないよ。それに、おじょしさまって遠い昔の伝説の話でしょ?」

 

「いまだに海には生ける伝説のような存在がいるんですが・・・」

 

「あ、そっか。ウロコ様か。・・・でもそしたらさ、おじょしさまは私たちに何を伝えようとしてるんだろうね」

 

 その質問への返答には困った。

 おじょしさまの伝説については、海の人間としていくらか知っている部分はある。けど、それでも補完しきれない。あの人が生きている時に何を思っていたのか。それに対する海神様の気持ちとか。

 

 ますます、謎は深まるばかりだ。少なくともその現場に俺もいれば変わったのかもしれないけど・・・。

 ・・・いや、それ以外のもの全ても変わってるか。たらればを考えるのはよそう。

 

「さあな、さっぱり分からん。・・・だから、まなかに会いに行く。といっても、望んだ回答が帰って来るかどうかは分からないけどな」

 

「私のように、記憶が無くなっているかもしれないって?」

 

「記憶に限定されるかどうかは分からないけどな。けど、少なくともおじょしさまの代わりだ。なにかありそうな気がして、正直いい気はしない」

 

「うん・・・そうだね」

 

 千夏も少し曇った声で答える。二人の間にはこの先の不安という共通認識があるみたいだ。

 

---

 

 潮留家に着いた時、まなかはすでに家の中をぱたぱたとうろついていた。あれだけ長い時間眠っていたというのに、もう随分元気になっているみたいだ。

 

 美海と合流して千夏は先に家の中に入っていく。

 その後で、俺の視線はまなかの視線とぶつかった。

 

「・・・よっ」

 

 とりあえず声を掛けてみる。するとまなかはてとてととこちらへ駆け寄ってきた。

 

「はーくん、久しぶり! 元気になったんだね!」

 

 まなかは、ちゃんと俺のことを覚えていた。千夏の一件もあって少し不安になっていたが、問題はないようだった。

 ・・・まあ、覚えているって言っても、五年前以前の記憶だけど。そこに関しては仕方がない。

 

「まあ、いろいろあってな。それより、お前が一番最後だぞ? みんなの中で目覚めたスピード」

 

「えへへ・・・また寝坊しちゃった?」

 

「いやまあ、セーフだろう。まだままだ目覚めてない人結構いるしな」

 

 しかし冷静になって考えてみると、冬眠から目覚めた人間が俺と動機だった人間ばかりというのも少々気になる。若さが島民の速さに繋がるなら、俺たちの近辺の年齢の人間も目覚めてもおかしくはない。

 

 ・・・なにか、因果関係があるのか??」

 

「はーくん、また難しい事考えてる」

 

「・・・ん、ああ、悪い。ちょっとな」

 

 あえて否定はしない。

 

「それより、あの子はひーくんの弟?」

 

「いやいや、あかりさんの息子。光の甥だよ」

 

「?」

 

 まなかは理解できないとアピールするように、首を傾げる。

 悪ふざけにしては質が悪いし、まなかがそういうことをする人間ではないということを、俺は知っている。

 

 急に、背中に冷や汗が伝った。

 

「まあ、光の親戚みたいなもんだな」

 

「そうなんだ!」

 

 言い換えをして、ようやくまなかに伝わる。

 それによって確信に変わる。まなかの中に、異常事態が起きていることを。

 それはまた、新しい問題の始まり。

 

 また、そのはじまりの場所にいる。

 俺だけが、それを知って、そこにいる。

 

 凪いだ世界に、また大きな渦が生まれた。

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

千夏編が終わって、ようやく本編本筋に合流、といったところですが、それじゃ二次創作の意味がない。無論、オリジナル展開に書き換えますとも。
とにかく言えることは、前作よりももっと時間かかると思います。まだまだ終わる気がないというか、描くのが楽しいので。
どうかさいごまでお付き合い宜しくお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百十九話 求められる選択

何回か自分で読み直していて、書かないと思いながらはや半年と少し。
書きます。


~遥side~

 

 まなかになんらかの以上があることは、瞬時に分かった。

 しかしそれを口外しようものなら光をはじめ周囲に底知れない動揺が広がるのは目に見えている。

 ・・・いや、結局光と同じ空の下に住むことになるんだ。その異変はあの鈍感でもすぐに気が付くだろう。

 なら俺は、光が取り乱そうとしたときに冷静でいられるいつもの俺でいよう。それがきっと、みんなのためになるに違いない。

 

 そのために・・・ちゃんと確認しておきたいことがある。

 

---

 

 昼下がり、俺は一人適当な理由をつけて潮留家から抜け出した。

 まなかの異変を尋ねるべき相手は、いつもそこにいる。通いなれた細道を抜けて、俺は祠を目指した。そこにウロコ様がいると確信して。

 

 祠を前にして、俺はその名前を呼ぶ。

 

「ちょっといいか、ウロコ様」

 

「なんじゃ? これから昼寝でもしようかと思うてたんじゃがの」

 

「あの状態を見ておいて、呑気に昼寝なんて」

 

 ウロコ様がまなかに起きている異変を知っているかどうかの確証はない。単純にそれを尋ねてもこの人に煽られるだけだし、それはなんだか癪だ。

 という訳でカマをかけてみたが、結果ウロコ様はピクリと眉を動かした。その反応だけで満足だ。

 

「はて、なんのことかの?」

 

「眉が動きましたよ」

 

「・・・相変わらず可愛げのない奴よの、お主は」

 

 それから大きなため息をついて、ウロコ様は頭を掻きながら気だるそうに語りだした。

 

「まなかのあれは、さっき私も見たとこじゃ。詳しくは分からん」

 

「それでも、ある程度の目星はついているんでしょ?」

 

「それはお主と同じくらいのもんじゃ。・・・遥よ、お主はあれをなんと見る?」

 

 あえてウロコ様の方から俺に尋ねてくる。何を試されているのかは分からないが、俺は俺で、さっきの一瞬で気づいたことを口にする。

 

「不自然な点が一つ。晃の説明をしたときに、まなかが言葉の意味を分からないと言わんばかりのリアクションをしてたこと。・・・『子供』であることを説明したのにそれが分からないほど、まなかも馬鹿じゃないでしょう」

 

「そうじゃな」

 

「そこから考えられる事象として、なんらかの機能か感情が欠如してる可能性があるということ。根本的に知能がやられたのか、はたまた感情の欠如の副作用か。おそらくそれは、お舟引きのおじょしさまの代わりになったことで・・・」

 

「・・・80点じゃな」

 

 及第点ではあるものの、どこか物足りない数字。それはおそらく、欠落した何かを俺が理解していないからだろう。

 それを決定づけるように、ウロコ様は俺の考察の足りない部分を語り始める。

 

「端的に言えば愛情じゃよ。子とは人間の愛が織りなす産物。愛情の感情を失っているのであれば、その存在も理解が出来ないじゃろ」

 

「・・・そう来ましたか」

 

「さて、なぜこうなったか、それは分かっておるの?」

 

「おじょしさまの引継ぎ、受け継ぎ、であってますよね?」

 

「正解じゃ。・・・さて、そこから先の話はお主にはまだしておらんかったの。せっかくここまでたどり着いた褒美じゃ。言い伝えをくれてやろう」

 

 ウロコ様は横になっていた体を立て直し、その場に胡坐をかいて真っすぐな眼差しをこちらに向けた。

 その表情はわずかに憂いと寂しさを帯びていて、こちらの心まで苦しくなる。

 

「おじょしさまは、かつて陸の人間じゃった。それが海神様の嫁となるために汐鹿生に来ることになった。それくらいの知識はあるじゃろ?」

 

「ええ。でも、最終的に二人は離れることとなった」

 

「おじょしさまに、陸に残した奴への未練があったからの。海神様はさぞ苦しかったことじゃろ。・・・儂も海神様のウロコじゃ。そこらへんの感情は、どこか心の奥の方に染みついておる」

 

 だからこその、この苦しそうな表情なのだろう。俺は茶々を入れることなくその話を静聴する。

 

「じゃから、全てをなかったことにしたかった。そのためにおじょしさまの愛情の感情を奪って陸へと戻したんじゃ。陸の男への想いを断つためにの」

 

「まなかに残っているのはその片鱗、そういうことであってますか?」

 

 ふざけた文句の一つもなく、ウロコ様は小さく頷いた。

 

 だからこそ、質が悪かった。

 ウロコ様がまだ笑って返事を返してくれるなら、きっとなんとかなるだろうと楽観視することもできただろう。

 しかし、このありさまだ。これ以上この人にどうしたらいいかなんて聞くのも野暮としか思えない。

 

 それに、現実は最悪だ。愛情を失おうものなら、人間は生きる意味の半分を失ったも同義に近い。それを、俺は間近で見せられようとしているわけだ。

 同じ感情に対して恐れを抱き、距離を取ってきた俺だが、それと向き合わなければいけない時が近づいてきている。毎日心を痛めながら、現実を向いている。

 

 きっとそうしないと生きていけないし、まなかにもそうしてもらいたい。あいつにも、光にも思い人がいるのだから。

 

 さて、どうしたものか・・・。

 

「お主が心悩ます必要もなかろう?」

 

「何を。あいつとは14年同じ時を過ごしてきたんですよ? 例え俺の感情と直接関係ないところにいたとしても、力になりたいと思うのは当然です」

 

「・・・それでお主の身体に限界が来たとしても、か?」

 

 少し低い声色でウロコ様が尋ねてくる。普段聞きなれないその声色に俺は少しの動揺を覚えながらも、確固たる意志で跳ね返した。

 

「これまでも、そうして生きてきましたから」

 

「・・・そうか」

 

 そう言って下を向く悲しそうな表情が、なぜか脳裏に焼き付く。

 

「賢いというのも、真面目というのも、なかなかに罪なものじゃの?」

 

「なんですか、人格否定ですか?」

 

「そうは言っておらん。お主を褒めておるし、憂いてもおるだけじゃ」

 

「危なっかしいと?」

 

「まあ、好きに捉えてくれてもよい。それよりなんじゃ、せっかく頭のキレる奴なら、儂に変わって神様になってあがめられてみんか?」

 

「なんですかその謎のお誘いは。・・・俺は人間ですよ。人間で沢山です」

 

 誰かにあがめられたくて生きているわけではないし、それに何より、陸に愛をもった俺が海をつかさどることなどおこがましいことこの上ない。

 何より、海に因縁をつけた人間だ。そう簡単に受け入れてくれるはずなどない。

 

「冗談じゃよ。・・・して遥よ、儂からも質問をしていいかの?」

 

 珍しく、今日はウロコ様がグイグイと絡んでくる。

 自分勝手な質問ばかり押し付けた俺だ。この人の言うことも時には聞かないわけにはいかないだろう。

 

「いいですよ。なんでしょうか?」

 

 

 

「陸の小娘と先島の娘。お主はどちらを選ぶつもりじゃ?」

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

この響きも懐かしいですね。
今回は前作と似たようなシーンをつらつらと書き続けています。タイトルにもあるように、そろそろ『選択』の時期が来ているので。凪あすのSSとして書かせてもらっていますが、これはあくまで二次創作で、オリ主。島波遥の物語として書いているので、原作展開よりはそちらを優先しようと思う所存です。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百二十話 望み歩くは修羅の道

~遥side~

 

 唐突に投げかけられる、最大にして最難関な問い。もちろん答えなど簡単に出せるはずなどない。

 好きなのは両方だ。俺はその中で、どちらかを選んで、どちらかを傷つけなければいけない。自分自身の好きという感情で他人を傷つけてしまう未来はもうすぐそこにあるというのが約束されている。

 

 かといって、選ばないことが傷つけないことかと問われたら、それは絶対に違う。愛を持った人間を裏切ることそのものが傷つける行為に他ならないのだから、選ばないという選択肢は俺にはない。

 

 改めて、どちらを選ぶか。

 

 ・・・そんなもの、決められるはずなんてないだろ。

 

「それがすぐに出せる人間なら、俺はここまで荒んでないですよ」

 

「しかし、逃げようとはしとらんの。少なくとも五年前、同じことを尋ねても答えは違ったじゃろ?」

 

「ええ。・・・逃げたから、今こうなってるんですよ。あなただって、それをずっと見て来たでしょう?」

 

 向き合う強さをこの五年間で得た。

 あとは、進みだす強さが欲しい。

 

 なのに・・・その一歩は、俺が想像しているより遥かに重たい。自分の体重以上の負荷が足にかかって持ち上がらない。

 

「どちらを選んでも、どちらかを傷つけることになる。それと向き合ったつもりではいるんですが、その未来を見るのが、俺は怖いんです」

 

「なるほどの。心優しい回答じゃな」

 

「何馬鹿なことを。・・・本当に優しいのは、ちゃんと自分の答えを相手にぶつけることが出来る人でしょうよ。・・・ただの臆病者です、俺は」

 

「えらく後ろ向きじゃの。普段の自信にあふれたお主はどこにいったんじゃ?」

 

「俺はもともとこうですよ。ずっと愛を恐れて、逃げてきたんですから」

 

 それが証拠に、未だって逃げ出したい。 

 美海に対しての気持ち。千夏に対しての気持ち。両方あって、両方溢れている。

 多分、どちらと歩んでも幸せになれるだろうなんて今はそんな妄信だって出来る。それは間違いなくあの頃から進歩した証。

 

 だからこそ・・・今が一番辛い。

 昔はそれほどでもなかった、『自分の幸せのために誰かを犠牲にする』という行為が、今はとても恐ろしく、後ろめたいものに感じる。

 

 血反吐を吐くような思いで自分の感情を吐露した俺に、ウロコ様はどこか悲しそうに、満足そうにしていた。その目が何を見ているのか、俺は知る由もない。

 

 そしてそれから、また脈絡もないことを話し出す。

 

「・・・お主の気持ちは分かった。お主の進歩は目に見えておるからの。儂が助言するようなことはなかろう。・・・して、代わりに一つ、予言があるんじゃが、聞くかの?」

 

「予言? 珍しいですね。これまでは呪いしかくれなかったのに」

 

「望むのか? 望まんのか?」

 

「聞いておきますよ。・・・あなたがそこまで言うなら、それだけの何かがあるんでしょう?」

 

 俺が据わった目でそう答えると、「そうか」と小さく呟いた後、深呼吸をしてウロコ様は残酷な予言を口にした。

 

「・・・お主は近いうち、大切な何かを失う。生きていく上で足かせになるほどの」

 

「・・・それは、いつになるんですか?」

 

「近いうち、じゃ。して、その大切なものが何か、儂にもそれは見通せんかった。じゃが、この予言はおそらく当たるじゃろう」

 

 なるほど。今日のウロコ様の態度がやけにおかしかったのは、この未来を見たからなのだろう。

 そして、度々見せる残念そうな目は、その未来を変えることができないことを知っているから。・・・つまり。

 

 近々、俺はまた不幸にさいなまれる。

 

「・・・ははっ、笑えないですね」

 

「光みたいに、嘘だって喚いたりせんのかの?」

 

「喚いても変わんないから、あなたはそんな目をしてるんでしょ? ・・・運命に抗うのがあいつの強さなら、運命を受け入れて進むのが俺の強さじゃないんですか?」

 

「心が壊れておるお主に、またそれが出来るのか?」

 

「心が? ・・・少なくとも、そんな自覚はありませんよ。だから、大丈夫です」

 

 嘘だ。大丈夫ではない。

 先ほどの予言から今の今まで、ずっと心の奥底の方が震えている感覚がある。告げられた未来に怯えているのだろう。

 けれど、虚勢を張らないと生きていけない。これまでも、これからも。

 ありのままの自分を見せることを躊躇っているわけじゃない。俺が虚勢を張ってまで良く見せたいのは、俺自身なんだ。

 

「・・・そうか」

 

 それ以上何を言うこともなく、ウロコ様はどこかへ姿を消していった。最後の瞳は憂慮と失望。そんな感情が眠っているような気がした。

 

「・・・はん、また不幸かよ」

 

 一人になって、そんな愚痴が漏れる。

 

 美海とも向き合えて、千夏も帰ってきて、ようやくこれから新しい日々が始まるかもしれないという中で告げられる残酷な予言は、俺の心をかき乱していた。

 かといって、聞かなければよかったかと言われれば、それも多分違う。予言の日が来ることに間違いがないのなら、心構えが出来るまでの余裕が欲しいと思ってしまうのが俺だ。

 

 というか、絶対当たるわけでもないだろ、と自分自身をどうにか鼓舞してみる。

 後ろ向きに考えすぎるのも罠だ。それで損したことを指折り数えてみる。

 

「・・・帰るか、なんか熱いし」

 

 気が付けば、俺の身体は少しばかり熱を帯びていた。こんな寒空の下だというのに。

 それはどうも心の方から来ているように感じる。変なことを考えすぎて、知恵熱でも出たというのだろうか。子供じゃあるまいし。

 

 ごちゃごちゃ考えるのもなんだ。こういう日はさっさと帰って寝るに限る。

 そう思って踏み出した一歩だが、なぜか視界がぐにゃりと歪んだ。少しばかり節々が痛い。

 

「っと・・・これだいぶまずいかもな」

 

 潮留家はともかく、水瀬家はここからそう遠くない。歩いて帰れる距離だ。

 俺は震える両足を何度か叩き、無理やり力を込めて歩き続ける。

 

 足を止めれば、何か、何か大切なものが零れ落ちそうな気がしたから。

 

---

 

~ウロコside~

 

 長い事、海を見続けて来た。

 最近になってからは、陸に住まう海の者も見るようになってきた。

 

 その中で一人だけ、他とは違う奴を見た。

 島波遥。

 

 ただの小賢しい小僧に思っていたそれは、他とは違う輝きを放ち続ける、ガラスの卵じゃった。

 早いうちに悲しみを知ったが故、あやつは合理的で論理的な行動をするようになった。それは歳不相応に出来のいいもの。

 じゃが、それは愛を遠ざけ、淡々と生きてきたから。

 

 そやつが愛を知った時どうなるか、儂はそれがどこか不安に思うておった。

 

 そして見てしまった、あやつの未来。

 

 あやつは自らの過去に殺され、自らの幸福を壊してしまうことになる。今のあやつでは幸せになることは出来ないと儂は悟った。

 神にならぬかと口を滑らせたのは初めてじゃった。じゃが、それが最適解であることを儂は知っておる。

 

 合理的に愛から離れ、何も考えずにいることができる。あやつも、そこをゆくゆくは楽園と思うてもおかしくはない。

 

 それでもあやつは人であることを選んだ。自らの愛に壊される道を選んだ。

 ・・・そうまでして選ぶ、「愛」というものにはどれだけの価値があるのじゃろうか。かつてそれを奪った儂には、理解することはできん。

 

 

 ・・・滑稽じゃの。

 神でありながら、人が理解しているものを理解できんとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

思えばウロコ視点を書くのは初めてなような気がしますね。そういった点で今作は、ウロコの遥に対する感情を少し強めに書いているつもりです(どこか依怙贔屓しているというか)。キャラ崩壊も二次創作の醍醐味ってことで。
ただもちろん、最低限のことだけは守ろうと意識しながら書いているので、そこだけは徹底しようかなと思います。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百二十一話 分かち合えたらきっと

これ一回書いてるときにパソコンショートして逝きかけました。私は元気です。


~遥side~

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

「・・・ん」

 

「気が付いた?」

 

 重たい瞼を開けると、上から覗き込む顔が一つあった。千夏だ。

 少し状態を起こしてあたりを確認する。そこは俺にあてがわれた水瀬家の一室。意識を失う前の最後の方の記憶が怪しかったが、俺はどうやらちゃんと水瀬家に帰れていたらしい。

 

 さらに状態を起こそうとするが、体は思うように動かない。それの答え合わせをするように、千夏は慌ただしく俺の身体に触れた。

 

「あっ、ダメだよ。・・・相当熱出てるっぽいから」

 

「やっぱりか・・・。何度まで出てる?」

 

「39℃前後は出てたよ。記憶にないと思うけど、結構うなされてた」

 

「そうか」

 

 やっぱり真っすぐ帰ってきて正解だったな・・・。といっても、熱が出てる以上少し手遅れ気味ではあるけど・・・。

 ただ、熱を出したときのあの変な不快感は感じない。それだけが妙だ。

 身体を落として、首だけを横に向ける。18時を指し示す時計の真下まで目線を落とすと、そこには準備された濡れタオルが置いてあった。・・・これをした覚えは、確かない。

 でも、保さんは日中仕事に出かけているし、夏帆さんは今日夜勤だったはずだ。この時間に起きていることはほとんどない。

 

 視線に気が付いた千夏は、少し頬を赤らめて答えた。

 

「あっ、これ? ・・・一応、私がしておいたよ。拭けるとこだけ汗拭いて、それからずっとここにいる感じ」

 

「そっか、千夏がしてくれたのか。・・・ありがたいけど、これが風邪だったら移ってしまうかもしれないぞ?」

 

「そしたら今度は、遥くんが私のをやってよ」

 

「・・・年頃の男に言うセリフじゃないだろ」

 

「でも、やってくれるんでしょ? そういう人だってこと、分かるから」

 

 あの一件から吹っ切れた千夏は、そういった冗談もちゃんと口に出来るようになっていた。後ろめたさなんてのは大分なくなったのだろう。そう自然体でいてくれる方が、俺も嬉しい。

 

 ・・・ただ、さっきの文言はとても冗談には思えなかったけど。

 

「・・・ありがとな」

 

「ううん。これまで遥くんがしてきたことに比べたら、全然。・・・ただ、代わりって訳じゃないけど、一つ答えてくれるかな?」

 

「聞くよ」

 

「今日のまなか、どこかおかしくなかった?」

 

 千夏の口から出てくるとは思わなかったそれに、俺は思わず「えっ」と声を挙げる。ぼやっとしていた意識も、今の一言でしっかりと覚醒してしまった。

 

「そのリアクションをするってことは、やっぱり何かあるんだ」

 

「・・・まあ、あるな。俺も今日思ってたところなんだよ。まなかの様子がおかしいって。そりゃ、エナを失くした時点でおかしいっちゃおかしいんだけど、それ以外で」

 

「うん、分かるよ。私もそう思ったから」

 

 意外だった。確かにあのおかしな点はいずれみんなにも分かることだろうと思ってはいたが、それでもこんな早く、目覚めて初日にそれに気が付くとは思わなかった。

 

「なんで気が付いたんだ?」

 

「私ね、記憶を失ってた時の記憶、ちゃんとあるんだ。その時の空虚な瞳、自分では見れてないけど多分こんな目をしてたんだろうなってのも、分かる。それと同じような瞳をまなかから感じたんだよ。何か、大切な何かを忘れているような」

 

 千夏の表情はどんどん憂いを帯びていく。この予感が外れてくれればいいと思っていたのだろう。多分、俺も時折そんな表情をするから分かる。

 

「ね、まなかに何があったのか、教えてくれる?」

 

「・・・嘘ついて安心させようったって、そうはいかないだろうしな。ちゃんと教えるけど、長くなるぞ? 風邪なら移してしまうかもしれないし、手短に済ませたいんだけど」

 

「うん。大丈夫。だから分かるように教えて欲しい」

 

 これだけ据わった瞳に嘘を吐くのは恥ずかしいことこの上ない。俺は全てをちゃんと話そうと心に決めて、頭の中で整理を始める。

 キリキリと痛む頭の中で今日の話を簡潔にまとめ、数秒経ってようやくそれを語りだす。

 

「まなかがおじょしさまの代わりになったって話は、したよな?」

 

「うん、覚えてるよ」

 

「その時、代償になったものが二つある。一つはエナ。実際今のまなかにはエナがないだろ?」

 

「そうだね。・・・それと、もう一つは?」

 

「・・・誰かを好きになる気持ち。所謂『愛』の部分だ」

 

 今更になって体に染み込んでくるが、まなかはどうやらおじょしさまの伝承通りのものを奪われたようだ。

 陸の思い人への心と、海に戻るためのエナ。

 

「・・・本当に、そうなの?」

 

 流石にこれにはショックを隠せなかったみたいで、千夏はフルフルと震えながら俺に真実かどうかを確かめる。残念ながら、これに間違いはないだろう。

 

「まなかは、晃があかりさんの息子であることを理解できてなかった。・・・『子供』という存在が分からないような歳じゃないだろ? あいつも」

 

「そうだけど・・・」

 

「子供ってのは、愛の感情の結晶。愛を理解できない人間になってしまったら、いよいよそれだって分からなくなるだろ」

 

 おそらく、今後はそれが態度として現れてくるだろう。そうすればみんな気が付く。あの鈍感な光でさえも。

 

「それって、どうにか出来ないの?」

 

「・・・少なくとも、今の俺には考えられない。千夏の記憶が治ったのは、海に残ってたトリガーありき。まなかに同様のトリガーがあったとして、それが海に残ったままだったら、どうする?」

 

「あっ・・・」

 

「手詰まりなんだよ」

 

 そこで千夏もようやく、まなかがエナを失っている重大さに気が付く。

 そう、まなかの場合千夏と違って海に入ることは出来ない。これは陸だけでどうにかなる問題でもない。現状、完全に手詰まりだ。

 

 俺はここで立ち止まってしまう。立ち止まって、そのことを受け入れてしまう。

 おそらくそれも一種の強さなのだろう。けれど、それを絶対に許さない奴を俺は知っている。

 

「・・・なんか、残酷だよね」

 

 千夏は物憂げにそう呟く。自分が一度どん底から這いあがってきた人間なだけに、どうにもならない事の辛さを理解できているのだろう。

 

「もちろん、諦めたくはないんだ。だってそうだろ? あいつのことを好きな人がいて、あいつにも好きな人がいる。友達として、その気持ちは叶えてやりたいんだよ」

 

「うん、私もそう思う。・・・なんか、変だよね。私も、美海ちゃんも、遥くんも、みんな歪んだ愛の形を押してたのに、誰かのその気持ちは純粋に応援できるなんて」

 

「はっ、確かにな」

 

 あれだけ愛を恐れ嫌っていた俺がこうやって他人の感情を応援できるようになったわけだ。それ相応の成長を確かに辿ってきたのだろう。

 

 千夏は苦し紛れに「あーあ」と呟いて、グッと体を伸ばして言った。

 

「全部が幸せに収まってくれたらいいのになぁ」

 

「でも、幸せじゃないことを乗り越えるから人は強くなるんだろうな。・・・俺だって、ずっと両親といて、ぬくぬくと生活してたら、もっと頼りなくて情けない人間だったと思う」

 

「でも、辛い事ばかり身に浴びて壊れちゃうんじゃ悲しいよ」

 

 その通りだ。

 その時、俺はふとウロコ様に告げられた不幸のことを思い出す。

 

 俺は何を失うのだろうか。何に悲しまなければならないのだろうか。今更になって、それがとても怖く思う。

 

 その不安は言葉となり、千夏に伝わった。

 

「・・・なあ、千夏」

 

「ん?」

 

「俺がまた何かを失ったら、その時お前はどうする?」

 

「急に難しい事言うんだね。・・・何を失うことになるか分からないけど、多分私は、遥くんの感情に寄り添うよ。泣いてるときは一緒に泣く。笑ってるときは一緒に笑う。同じ感情を分かち合えたら、多分、不幸だって乗り越えられるから」

 

「そっか。・・・ありがとな」

 

「答えになってたらいいけどね」

 

 千夏はあはは、と苦笑いを浮かべる。心に少しばかりの余裕が出来た俺も、同じように笑った。

 

「さて、そろそろ眠気もやってきたし、寝るよ」

 

「うん。明日にはよくなってるといいね」

 

「そうだな」

 

 それから俺は目を閉じる。それからしばらくして部屋の明かりが千夏の手によって落とされた。

 明日には少しはましになってるだろう。そんな願いを込めて意識はだんだんと落ちていく。

 

 けれど。

 

 次の日も、その次の日も。

 

 

 俺の体調が上向きになる日はなかった。

 




『今日の座談会コーナー』

さてさて、ここからバチバチにオリジナルで展開していきます。なんか年月が空いたのもあって少し文体変わっているような気がしなくもないですが・・・。
別にサボってたわけでもなんでもなく、ずっと「この先どうしようかなー」とほんやり考えていたらこれだけの時間が経ちました。・・・嘘です三割くらいサボってました。と言ってもこれ以外の小説を書いてるだけなんですがね。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百二十二話 限られた時の中で

モチベーションとスピードは比例します。


~美海side~

 

 千夏ちゃんが帰ってきたのに、まなかさんの目が覚めたって言うのに、どこか不穏な空気だけがずっとあたしを取り巻いている。

 根拠なんてない。確証なんてない。この感覚がただの気のせいだって笑えればいいのに、そうすることも出来ないような気持ち悪さが胸の中に残る。

 

 何かが起こってるかもしれないと思ったのは、まなかさんが目覚めたその日の事。

 どこか苦虫を嚙み潰したような遥の顔。少し憂いているような千夏ちゃんの顔。

 私には何が起こっているのか見当はつかないけれど、二人がこの顔をする時は大体何かがあることを私は知っている。

 

 だから、どうしても聞きたくなった。

 

 決心した私は、遥がうちに遊びに来た次の日に電話をかける。遥には迷惑かもしれないけど、私だって部外者のままは嫌だから。

 

 コールが4回ほど。受話器の向こうで音がするが、声の主は遥ではなかった。

 

「もしもし・・・?」

 

「あっ、千夏ちゃん? 私、美海」

 

「美海ちゃん。どうしたの?」

 

「その・・・ちょっと遥に聞きたいことがあって」

 

 そう言った私に対して、千夏ちゃんは困ったようにうーんと唸った。

 

「どしたの?」

 

「遥くんさ、今熱出してて寝込んでるの。ほら、昨日遊びに行ったでしょ? その後」

 

「そう・・・。うちにいた時からしんどそうにしてたっけ?」

 

「いや、本人は帰り道中からおかしくなったって言ってたよ。まあ、遥くんのことだから無理してるだけかもしれないけど・・・」

 

 遥は誰かを傷つけまいとする時は全力で嘘を吐く。・・・でも、嘘をついても何の意味もない場面なんだけどな。

 

「それで? 電話してくるってことは、何かあったの?」

 

「・・・ううん、特別用事はないんだけど。ちょっと遥と話したかったの」

 

『美海か?』

 

 私が名前を呼ぶと、電話のさらに奥の方から声がした。それを千夏ちゃんが止める声までばっちりと電話越しに聞こえてくる。

 

『・・・今は少し動けるからな。電話位出れる』

 

 その声が聞こえたかと思うと、電話に触れる音が耳に届いた。声の主もそれに伴って変わる。

 

「で、どうしたんだ? 美海」

 

「あ、うん。ちょっと聞きたいことがあって。それより熱のほうは?」

 

「今は大丈夫。・・・つっても、体の節々が痛いからな。あんましよくはない」

 

「分かった。じゃあちょっとだけ付き合って」

 

 本来は私の方から電話を切らないといけないのは知ってる。けれど、少しくらい我儘を言わせてほしい。だってそうでもしないと、遥が少しずつ私のもとからはなれていってしまうような気がしたから。

 

「最近、何か変なことが起こってない?」

 

「・・・それは、なんでそう思ったんだ?」

 

「勘だよ。だから何にもないならそれに越したことはないの。・・・でもさ、何かあるんだよね? だって遥、本当に何もない時ならそんな聞き方しないから」

 

「・・・千夏といい、美海といい、なんかそこら辺の直感長けているよな、ホント」

 

 遥はバツの悪そうにそう呟いて、ため息交じりに答えた。

 

「・・・まなかに異変が起きてる」

 

「まなかさんに?」

 

「ああ。・・・簡単に言うとな、『愛』の感情を失ってる状態なんだ」

 

 唐突に告げられる、残酷な答え。けれど私はどうにか動揺を抑えて、思い当たる節を言葉にして遥かに返してみた。

 

「それは、おじょしさまの代わりになってるから?」

 

「理解が早くて助かる。おそらくそうだと俺は思ってるんだ。別に生活するのには支障はないんだ。ただ・・・」

 

「光、だよね」

 

 光がまなかさんのことをずっと思っているのは同じ屋根の下で生きている私が理解している。『愛』の感情を失ったと聞いて、光が黙ってるはずなんかない。

 

「ああ。ただ、この事実は光には言ってやらないでくれ。誰かに言われて光が気づくのと、自分自身で気づくのじゃ、あいつの心の持ちようが違う。・・・多分、五年前の俺だったらなりふり構わずその事実を光に告げてたんだろうけどな」

 

「うん、私もそう思う」

 

「はっきりと言ってくれるな・・・」

 

 五年前の遥のどこか冷めたような人間性は、今でも身に染みている。当時はその姿にどこか憧れもあったし、畏怖もあったから。

 

「とりあえず、まなかさんのことは分かった。・・・ごめんね、無理やり話に付き合わせて」

 

「いや、いいんだよ。・・・なんかさ、俺の方も急に声聞きたくなってたんだ」

 

「私の?」

 

「他に誰がいるんだよ」

 

 会ってから昨日の今日だというのに、そう思ってくれるのはどこか嬉しい。まだ自分が、遥の近くにいるように思えた。

 少し嬉しそうにしている私をよそに、遥は小さく咳き込んだ。それから申し訳なさそうに声を挙げる。

 

「・・・悪い、そろそろ切っていいか? 薬、切れたかもしれない」

 

「うん、分かった。ありがとね、話付き合ってくれて。治ったらまたうちに来てよ。そこで今度、ちゃんと話がしたいから」

 

「ああ。約束するよ」

 

 そう言って遥は電話を切る。 

 ツーツーとなっている電話をすぐには置かずに、私は少しの間感傷に浸った。あの頃からだいぶ前向きになった自分に、少しずつ自信が湧いてくる。

 

 でも、焦らない。

 多分今はその時じゃないし、遥の負荷にはなりたくないから。

 もっと長く生きて、一緒の時間を過ごして、それからまたちゃんと好きになりたい。最近はずっとそんなことを思ってる。

 

 ・・・千夏ちゃんが、どう思ってるかは私には分からないけど。

 

---

 

~千夏side~

 

 電話を切った遥くんは、だいぶ苦しそうにその場に座り込む。呼吸もさっきより荒く、肩で息をしてるのがはっきりと目に映る。

 

「大丈夫?」

 

「ああ。ちょっと休めばこんくらい・・・」

 

「嘘、でしょ?」

 

 その言葉が嘘だということはもう分かっている。私が知ってる五年前の遥くんはもっと上手に嘘を吐く人間だったから。

 

 ・・・ダメだったら、ダメだってちゃんと言ってくれればいいのに。

 

 そういう頑固さは、五年前からそんなに変わってないみたいだ。

 

「・・・肩、貸してくれ。そしたら部屋までは帰れる」

 

「分かった。・・・んしょと」

 

 今度はちゃんと願いを口にした遥くんの要望を聞き届けて、私は少し引きずりながら遥くんを部屋まで運ぶ。昨日からろくに何も食べれてないのか、少しだけ体が軽いような気がした。

 

 ・・・本当に、大丈夫なのかな。

 

 部屋まで戻ると、私はすぐに遥くんを横にさせた。それからまた昨日と同じように色々と道具を持って来る。

 

「悪いな、色々と」

 

「ううん。好きな事してるだけだからいいの。お母さんがいつもこうやってくれてたから、勝手も分かるつもりだし」

 

「そうか。・・・千夏、少し雑談でもしないか?」

 

「いいよ。付き合う」

 

「千夏はさ・・・将来どうしたいんだ?」

 

「将来、かぁ・・・」

 

 そう言えば、ろくに考えた事はなかったかもしれない。この間まで遥くんという存在を忘れてたわけだし、思い出してからは、・・・遥くんのことしか意識してなかったし。

 

 でも、確かにこれも向き合うべき問題だ。人間、勝手に大人にはなってくれない。それに遥くんたちは、寂しさに包まれた中で各々の夢を選んだ。今、恵まれてる私たちはそれ相応の覚悟をもって同じように夢を語らないといけないだろう。

 

 私は私で、遥くんがいてもいなくても変わらない夢を持つ必要がある。

 

「・・・私はね、海で生きたい。あの場所は、私がずっと憧れてた世界だから。綺麗で、美しくて、澄んでて、澱みなくて。・・・この間の私が見た海はそうは言えなかったけど、本当の海がもっと綺麗な場所だって、私は知ってるから。・・・遥くんと出会っても出会わなくても、これだけは私の確かな思いだったと思うよ」

 

「そうか。・・・それは、立派な夢だな」

 

 表情を緩めて、遥くんは笑う。

 

「・・・来るといいな、そんな未来が」

 

「うん。それに私は、そんな未来を・・・みんなと一緒に作りたい」

 

 遥くんと、と言いかけてすんでのところで口は止まる。

 おそらくこれは、私と遥くんだけの夢じゃないから。みんなの願いを、二人だけのものになんてできない。

 

「ああ。そうだな」

 

 遥くんは無邪気なままで反応して、それから目を瞑る。

 

「・・・寝ていいか?」

 

「うん。・・・明日にはよくなってるといいね」

 

 そう言い残して、私は遥くんの部屋を後にする。ドアを閉めた後に訪れる底知れない静寂が、今はどこか気持ち悪かった。

 

 

 ・・・何か、これからよくないことが起こるんじゃないかって、そんなことを思ってしまいそうだった。

 

 

 それが現実になって欲しくないと願いながら、私はゆっくりと自分の部屋へと戻った。

 




『今日の座談会コーナー』

夢。思えば前作で美海も千夏も夢を語ってなかったような気がします。ただの色恋物なら別にそれでいいんですけど、主役級全員に重きを当てるべきだと私は思っているので、そこらへんの深堀もしっかりとして生きたいですよね。
さて、今後どうやって話を展開していくか。決まってるようで決まってない、このふわふわした時間が何気に一番好きだったりします。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百二十三話 堕ちていく世界

最後の物語を始めよう。


~遥side~

 

 動かない。

 

 意識はあるのに、体が動かない。瞼も重たい。まるで、金縛りにあっているような。

 熱でうなされているのか、と考えてもみるが、熱っぽさはまるでない。ならここはどこだ、と問いかけてみる。

 

 ・・・返事はない。

 

 視界は黒く、光が訪れない。

 底知れない孤独がだんだんと忍び寄って来る。あたりを囲んで、迫って来る。

 

 嫌だ、怖い。

 

 嫌だ・・・嫌だ・・・!

 

 逃げるように体を起こして、俺は・・・

 

---

 

 

「うわぁあああ!」

 

「うおっ!? びっくりした・・・どしたんだ急に」

 

 目が覚めたのか、言葉は音を帯びて声となった。そしてなぜか、その声に反応するのは大吾先生。・・・とすると、ここは病院なのか?

 

「大吾先生、ですか?」

 

「他に誰に見えるんだよ。・・・お前、覚えてるか? 今朝40℃の熱が出てうちに運ばれたんだぞ?」

 

 そんな事、覚えていない。とすると意識でも失ってたんだろうか」

 

「そんな高温・・・」

 

「ああ。んで千夏ちゃん、だったか。すごい泣きそうな声でうちに電話してきて、それからって感じだ」

 

「そっか・・・。あいつにも悪い事しましたね」

 

 ここ最近の体調不良で、あいつには随分と心配をかけてしまった。おそらく美海も相当心配をしているだろう。早く治さないと。

 

「・・・ところで」

 

「?」

 

「先生、どうして部屋がこんなに暗いんですか? 真っ暗じゃないですか」

 

「・・・嘘だろ、お前」

 

 大吾先生が今までにないくらい怯えた声でそう呟く。何が起こっているのか分からない俺が呆気に取られていると、その自称を大吾先生は言葉にした。

 

「島波、お前まさか・・・。・・・目が見えなくなったんじゃないのか?」

 

「えっ・・・?」

 

「今、部屋はバカみたいに明るくしてるんだよ。・・・おかしいだろ、それで真っ暗なんて」

 

 その言葉で、だんだんと意識が覚醒していく。もちろん、視界は真っ暗なままだ。

 

「そんな・・・ことが・・・」

 

「とにかく検査だ。すぐに準備を、・・・って言いたいけど、お前が動けないんじゃ話にならないな」

 

 大吾先生は少しだけ慌ただしく動いたように物音を立て、それから椅子に着いたのかそれは静まる。やがてため息を吐いたのが聞こえた後、優しい声音で俺に語った。

 

 

「・・・できるだけ動揺を抑えて、俺の話に答えてくれ。出来るか?」

 

「やってみます」

 

「おそらくお前は、完全に視力を失ってる。が、検査がまだだから、何に由来しているのか分からない。・・・思い当たる節はあるか?」

 

 思い当たる節。

 ここ最近の、治らない体調不良は間違いなくそれに該当するだろう。風邪薬を飲んでも、流行病に効く薬を飲んでも効き目がない。あの体調不良は明らかに異常と言えるだろう。

 

 でも、何より思い当たるのは・・・。

 

「・・・予言」

 

「あん?」

 

「海にはウロコ様という神様がいます。・・・今は何度か陸に上がってはちょっかいをかけてくるくらいの存在ですが。・・・その人に告げられた予言があるんです」

 

「それは、なんて予言なんだ?」

 

「『お前は近いうちに、大切なものを失う。それはおそらく、生きる上で足枷になるほどの』。そういう予言です」

 

 頭をクシャクシャと書いている音が聞こえる。当たり前だ。こんな支離滅裂な話を、一般人である大吾先生が簡単に受け入れることができるはずがない。

 けれど、回答は意外にも早かった。

 

「・・・なるほど。これがその災難って訳か」

 

「信じるんですか?」

 

「お前が嘘を吐く時と吐かない時の違い位分かるんだよ。もう何年お前の担当医をやってると思う? 俺を舐めるな」

 

「そう、ですよね」

 

 普段の俺なら、何か軽口の一つくらい飛ばせたのだろう。それだというのに、今は何も、何も浮かんでこない。

 それよりも、だんだんと真っ暗な視界の奥から来る不安が迫って来る感覚に今は気を取られていた。

 

 意識ははっきりしているのに、何も見えない。目は開いているはずなのに、その先の光が入ってこない。

 昨日まで見えていたはずの景色が、いつまでたっても、何一つとして見えない。

 

 それが、たまらなく怖い。

 

「・・・ッ、はぁ・・・はぁ・・・!」

 

 だんだんと呼吸が早くなっていく。うまく息ができない。

 肺が苦しい。それから全てのリズムが崩れて、意識が薄れていく。

 

「おい! しっかり息をしろ! 落ち着いて吸って、落ち着いて吐け! ・・・クソッ、過呼吸かよ!」

 

 怒鳴る大吾先生の声も、だんだんと遠くなっていく。

 それから俺の意識はまた、深い眠りの底へついていった・・・。

 

 

---

 

 

「・・・あ」

 

 何時間経っただろうか。随分と長い事眠っていたような気がする。

 俺の声に反応して、キィと音が鳴って、足音が少しずつ近づいてきた。それから声が俺の耳に届く。

 

 視界は・・・黒いままだ。 

 

「目が覚めたか」

 

「・・・大吾先生。すみません、迷惑をかけました」

 

「バーカ。患者ってのは医者に迷惑かけてなんぼなんだよ。謝るな。・・・それより」

 

 大吾先生は近くにあったであろう書類を机の上でトントンと鳴らして、俺に語り掛けてくる。

 

「お前が過呼吸で倒れてるうちに諸々の検査をしておいた。・・・はっきりとデータで出たよ。お前の視覚能力が完全になくなってることがな」

 

「っ・・・。もう、治らないんですか?」

 

「さあな。少なくとも俺が出来ることは限られてるし、何より・・・」

 

 ばさりと書類が机に置かれた音がしたかと思うと、俺の胸辺りを小突く感覚が訪れた。おそらくそれは心臓の方を指している。

 

「これは、お前の心に由来している」

 

「・・・心?」

 

「ああ。・・・きつめの精神疾患だよ。心の疲弊。度重なるストレスによって体全体に大きな障害が残ってる。ずっと続いてた高熱も、今回の失明も多分、それが由来だ」

 

「そんな、心の疲弊って・・・。俺は何も思ってないですよ」

 

 心を傷つけるような出来事なんて、そんななかったはずだ。千夏の一件も終わって、まなかも目が覚めて。・・・そりゃ、まなかの異変は確かにおかしな点だけれども。

 

 狼狽える俺に呆れたように大吾先生はため息を吐く。

 

「・・・その状態になってる時点でだいぶまずいんだよ。いいか、心の疲弊ってのは思っているよりヤバめの問題だ。いつしか疲弊していることに心が慣れて、少々のストレスならなんとも思わなくなる。でも、体はどうだ? ちゃんとそれをストレスとして認識している。だから、自分が大丈夫と思っているうちに体への負荷がどんどんたまっていくんだよ。それが今回、爆発しちまったって話だ」

 

 そういえば、いつかウロコ様も、「心が壊れている」と言っていた。

 俺は、気が付かないうちに自分の心をダメにして、それを知らないままで無茶ばかりしていたみたいだ。

 

 それで、このザマなんて・・・。

 

「なんとかならないんですか? 俺、嫌ですよ・・・!」

 

 俺はガキのように喚いてしまう。しかしそれよりも大きな声を上げたのは大吾先生の方だった。

 

「俺だって嫌に決まってんだろ! ・・・何年、お前を見てきたと思ってるんだよ。目の前で不幸を重ねながら、それでも立ち向かい続けるお前を、俺が何年見続けてきたと思うんだよ」

 

「っ・・・!」

 

「俺の過去の因縁を晴らしてくれた。あいつと結んでくれた。そのお前にどれだけの負荷がかかっていたか、俺が知らないはずなんてないだろ。・・・だから、ずっと助けたいと思ってやってきたんだよ。初めて会った日からお前の担当から外れなかったのは、それだけの想いがあってなんだよ。・・・こんな結末、望むわけないだろ」

 

「先生・・・」

 

「でも今一番嫌なのは、すぐにでもお前を『助けてやる』って言えないことなんだよ・・・! 情けねえよ・・・! くそっ!」

 

 それからガンッ、と一つ机を蹴り飛ばす音が聞こえる。目の前の大吾先生は怒りに震えているのだろうか。それとも泣いているのだろうか。光を失ってしまった俺にはもう、それを確認する術などない。

 

「悪い・・・島波・・・俺はっ・・・!」

 

「先生、もういいです」

 

 手を伸ばした先に、先生の手があった。濡れている。少し体温に近くて、どこか湿りっ気のある。その水分の名称を俺は知っている。

 

 涙。

 

 この人は、俺のために泣いてくれていた。普段はあれだけぶっきらぼうで、頑固者で、可愛げのない真っすぐな人間だというのに。こんな俺のために涙を流してくれている。

 

 目の前で不幸が起こっているのに、目が見えないというのに、俺はまた、いつの間にか俺以外の人間の心配をしていた。

 ・・・ああ、だから俺は、いつの間にか心を壊したんだろうな。

 

 なら、どうしろって言うんだよ・・・。

 誰かを思って生きてちゃいけないのかよ・・・。

 

 いつまでも愛を否定して、独りで生きなければいけないのかよ・・・!

 

 そこでまた、感情がスンと冷める。

 ああ、嫌な感覚だ。この感情には何度も覚えがある。

 

 しかし芽生えた感情は留まることを知らず、無意識に言葉として現れた。

 

「・・・先生、生きるのって難しいですね」

 

「お前、何を・・・?」

 

「もう、どうすればいいか分かんないんですよ・・・。沢山奪われて、ようやく元に戻ろうとしてるときに、これですよ? ・・・俺は、なんの為に生きればいいんですか?」

 

「それは・・・」

 

「はっ・・・幸せになりたかったなぁ・・・」

 

 ダメだ。

 心の明かりがだんだんと消えていく。

 次に消えてしまえば、俺はいよいよ人間ですらなくなるだろう。

 

「・・・ははっ」

 

 

 そしてそれは、もう時間の問題だった。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

さて、明言させていただきます。ここからがメインストーリー最終章となっています。本当に前作はここら辺おざなりだったんで、今度こそは上手くやりたいと思い意気込んでいます。
ここからのテーマは言えば「過去の清算、決別、決意、これからの展望」ですね。島波遥という人間が抱え込んだ負の部分の全て、それをどう受け入れて幸せになるかというのが本作品のメインテーマなので、そこはこだわりたいと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百二十四話 震えない知らせ

~千夏side~

 

 遥くんが寝込むようになってからもう三日ほど経ってるというのに、全く体調に進展がない。どころか体調不良は増していくばかり。

 募る不安が次第に大きくなっていくのを自分でも感じた。

 

 それでも、それから目を逸らさない覚悟は出来ている。私は今日も前を向いて、遥くんの傍に居続ける。

 その思いを傍らに、私は遥くんの部屋のドアを開けた。物音はない。

 

「もしもーし・・・、まだ寝てる?」

 

「・・・」

 

 何も帰ってこない。眠っているのだろうか。

 でも、その割には肩の動きが荒い。まるで無理やり呼吸をしているかのように思える。

 

「ねえ、大丈夫?」

 

 私は遥くんに近づく。表情さえ分かれば、状態を判断できる気がしたから。

 それのおかげか、私は気が付いてしまう。

 

 目の前の遥くんが、苦しそうに胸の方を抑えていることに。

 

「遥くん!?」

 

 素人目線でも見てわかる。明らかに「ダメな」状態だ。熱を発した時の脱水で、エナ自体にも相当負荷がかかってるのかもしれない。あくまでここは地上だ。

 

「意識があるなら返事して! そうじゃないなら・・・ちょっと大人しくしてて」

 

 手元に置いてある体温計で熱を測ってみる。表示された数値は40℃。無慈悲な数字だ。

 不幸にも、今お父さんとお母さんは出払ってしまってる。動けるのは私だけだ。

 このままでは死んでしまうかもしれない。そんな恐怖が脳裏を過った私は、すぐさま家の電話へ駆けこんだ。

 

 慣れない番号を打ち込んで、コールがすぐにでも届くのを待つ。

 躊躇ってる暇はない。これは救急車を呼んででも助けないといけない状態なのだから。

 

 それからほんの数分で救急車はやって来る。耳障りな大きなサイレンが近づいてきたというのに、遥くんが瞼を開こうとすることはなかった。

 一抹の不安は、さっきの何倍にもなって私を襲ってくる。・・・でも、分かってる。今の私が出来るのは一旦ここまで。あとは祈って、どうにかなるのを願うしかない。

 

 救急車を見届けて、私はその場にへたり込んだ。あまりにも急な出来事の連続で、ずいぶんと気を使ってしまったみたいだ。

 

「・・・大丈夫、だよね?」

 

 誰に問いかけるわけでもなく、そう呟く。こういう時、誰かに話を聞いてほしくなる。

 でも、いつもそのポジションを担ってくれた人が今大変な状態を迎えている。・・・そんな私が、頼れる相手は。

 

 震える足に力を入れて、私はまた電話の所まで向かった。今度は打ち慣れた番号を打とうとするが、さっきよりもそれを押す指は躊躇ってしまった。

 

 ここで美海ちゃんにこれを話して、美海ちゃんを動揺させてどうしろと言うのだろう。そんなことばかりが頭の中で暴れている。

 私だけの秘密にしたいわけじゃない。・・・けれど、美海ちゃんを傷つけないためには、伝えないこともまた優しさのように思える。

 

「・・・ううん、違うよね。多分、そんなの優しさじゃない」

 

 それに、フェアじゃない。ずっと約束を守り続けてくれた美海ちゃんに私が今できるのは、同じ目線で、同じ現実を見る事。

 決心した私は、ようやく電話を掛ける。

 

 コールは一度。たった一度で電話は繋がった。

 

「はいこちら潮留」

 

「光?」

 

「んだ水瀬か。ちょいまち、美海呼んでくる」

 

 潮留家に電話する時、最近はちょくちょくと光が出てくる。それから美海ちゃんを呼んできてくれる、という一連の流れはもう随分と身体に染みついていた。

 その染みついた流れが同じように再現されて、私は少しだけ安心を覚える。

 

 それからドタドタと音が聞こえたかと思うと、電話の主が変わっていた。

 

「どしたの? 千夏ちゃん」

 

「うん・・・。ちょっと色々あって。これから話すこと落ち着いて聞いてほしいんだけど、いいかな?」

 

「分かった」

 

 美海ちゃんの承諾を得て、私はすぅっと息を大きく吸って、少しずつ吐いて、事の真相を語り始める。

 

「遥くん、救急搬送されちゃった」

 

「えっ・・・?」

 

「というか、私が救急車を呼んだの。・・・熱、40℃もあってさ。明らかにおかしかった。まるで、地獄と戦ってるようにも見えた。・・・そんなの、見てられなくて」

 

「それで、今は?」

 

「向かってる途中だと思う。・・・何が起こってるのか分からないけど、この後私も病院に行こうと思う。・・・・ごめんね、ここまで何も出来なかった」

 

 だんだんと声が震える。さっきの光景が少しずつフラッシュバックしてきて気分も悪くなっていく。瞳の端の方が熱い。潤んでいく。

 それを感じ取ったのか美海ちゃんは、諭すような優しい声色で私を慰めた。

 

「・・・私は大丈夫だから。それに千夏ちゃんのことだから、ずっと遥の傍にいて看病してたんじゃないの? ・・・それでいて何も出来ないなんて言うのは違う」

 

 美海ちゃんはやっぱり、嫉妬しちゃいそうなほどに優しい人間だ。きっと私が遥くんにショックを与えた時も、こうやって遥くんを支えていたのだろう。私なんかと比べて、よっぽど肝が据わってる。

 だからこそ、今ここで負けたくないと思ってしまった。

 

 友達として、甘えたい部分も確かにある。

 だけどライバルとして、弱いところばかり見せたくないとも思った。自分を信じれないで、どうして誰かを信じるなんて出来るのだろうか。

 

 私は一つ息を整えて、美海ちゃんに答えた。

 

「・・・ありがと、美海ちゃん」

 

「何もしてないよ。・・・それより、病院、行くんでしょ?」

 

「うん。これから支度して、すぐに向かうつもり」

 

「じゃあ、病院のフロントで待ち合わせできるかな? 私もすぐに向かうから」

 

「分かった。じゃあ電話切るね」

 

 それだけ言い残して、私は電話を切った。

 

「さてと・・・どうしようかな」

 

 正直、電話をしてる時間の一分一秒も惜しい。割り切った私はリビングの机に書置きを残して、そのまま飛び出るように外へと向かった。

 そしてこれから、ちゃんと自分の目で真実を確かめに行く。

 

---

 

 

 病院に着いたのは20分後。美海ちゃんは玄関を入ってすぐのフロントで待っていた。いざ会ってみると、目が右に左に泳いでいる。そうはいっても、美海ちゃんもやっぱり心配みたいだ。

 

「お待たせ、美海ちゃん」

 

「千夏ちゃん。・・・遥、大丈夫そう?」

 

「私には分からないけど・・・。大丈夫だって信じてる。多分、それ以外に言うことはないんじゃないかな」

 

「そっか。そうだよね」

 

 そこから先は医者の仕事。きっと遥くんのことだし、なじみの先生が見ていることだろう。

 あの人とは私も何度か話したことがある。ちょっと尖りのある性格をしてるけど、間違いなくいい人だと思う。

 

 なんてことを思っていると、当人はフロントを徘徊していた。それを見つけた私は、躊躇わず声をかける。

 

「お疲れ様です、藤枝先生」

 

「・・・ん? ああ、お前、島波んとこの。・・・電話くれたの、お前さんだろ? 助かったよ」

 

「いえ、私はそれしか出来なかったので。・・・ところで、遥くんは?」

 

「今は病室で寝てる。・・・けど、すぐの面会は無理だな。検査とかもしないといけないし、早くて目が覚めて20分くらいか」

 

 顎に手を当てて、どうしたものかと藤枝先生は悩む。私たちのことを考えてくれているのだろうか。

 それから十数秒経って、申し訳なさそうに口を開いた。

 

「すまん、後々でこっちから電話をかけるから、今のところは引いてもらえるか? ・・・長い事フロントで待たせても悪いしな」

 

 その提案に答えたのは、隣にいる美海ちゃんだった。

 

「なら、私の家のほうの電話に掛けてもらえますか?」

 

「美海ちゃん?」

 

「一緒に待ちたいの。だからもしよかったら、このあとうちに来てほしいんだけど・・・ダメかな?」

 

 少し口元を細めて、心細そうに美海ちゃんが私に告げる。それを拒むなんて真似はしたくなかった。

 

「・・・うん、分かった。というわけで、藤枝先生。よろしいですか?」

 

「ああ。ただ、親御さんのこともあるからな。お前の家の方にも電話かけておくよ。繋がらなかったらそれでいい」

 

 それから美海ちゃんから電話番号を聞いて、藤枝先生は廊下の奥へと消えていった。

 二人きりになってしばらくして、美海ちゃんの口によって沈黙が切り裂かれた。

 

「・・・私だって、怖いよ」

 

「うん。分かってるよ」

 

 だから私たちは、二人でここまで歩いてこれたのだと思う。

 それはライバルという関係になった今でも、そうあって欲しいと思っている。

 

 

 そして私は潮留家に身を寄せることにした。

 いつでも電話に出られるように、神経をすり減らしながらその音を待つ。

 

 一時間。二時間。

 

 焦りと苛立ちが生まれだした三時間後、電話は掛かって来る。

 けれどそれは、私が望む答えなどではなかった。

 

 

 

「・・・悪いが、当分の間、面会は見送ってくれ」




『今回の座談会コーナー』

ずっと遥視点だと物語が一辺倒になっちゃうんですよねー・・・。この物語はあくまで主要人物それぞれの成長を書きたいと思って作っているので。とはいえ、同じセリフをそれぞれの視点で書く従来のスタイルは、ただ尺を取ってしまうだけというジレンマもあるので、そこは少し悩みどころと言うか・・・。まあ、うまくやってみせますとも。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百二十五話 それぞれの覚悟

~千夏side~

 

 病院から告げられたのは、面会拒否の通知。

 気が動転した私は、即座に声を大きくして聞き返してしまった。

 

「なんでですか? それほど重大な・・・」

 

「いえ、面会自体は可能なんです。ただ・・・島波さんが面会を拒否してます」

 

「なんで・・・!?」

 

 相手が目上の人間であることも忘れて、私は強気に我儘を連ねる。すると電話の向こうが一瞬静まり返り、やがて応対している人が変わった。

 

「よお、好き放題言ってくれるじゃん」

 

「先生! どうして面会拒否だなんて」

 

「・・・落ち着いて聞いてくれるか」

 

「・・・分かりました。一体、遥くんに何があったんですか?」

 

 私は覚悟して、隣でただ無言のまま私を見つめている美海ちゃんとそれを聞きいる。それから藤枝先生が告げるのは、聞きたくもなかった残酷な答え。

 

「あいつは・・・目が見えなくなってしまった。治るかどうかは不明だ」

 

「えっ・・・」

 

 受話器を手から落とす。らせん状の線に引っ張られて、受話器はダランと下に垂れた。

 私と同じように絶句していたのは美海ちゃんも同じだった。

 悲しいとか、悔しいとか、そういう感情よりも先に虚無がやってきた。何も考えられない。これまで頭が真っ白になったのは、遥くんが私を庇った、あの時以来──

 

 私がその場で硬直していると、何かに駆られたように美海ちゃんが代わりに受話器を取った。

 

「続けてください」

 

「ああ。検査の結果、あいつの失明は心的ストレス由来だってことが分かった。何がストレスであいつの心が壊れたのかは分からない。・・・多分、積み重なったこれまでの全てだと思うけどな」

 

「間接的に私たちも理由になってるってことですか?」

 

「・・・否定はしない。あいつ自身の問題だから、俺がどうこうは言えないけどな」

 

 受話器から零れるその音が耳に入ってくるたび、私の胸の中を自責の念が借り始めた。

 ・・・私たちが、遥くんの足手まといに、心の枷になっていたってこと・・・?

 

 だったら、どうすればよかったの? どうすればいいの?

 

 これ以上傷つく遥くんは見たくない。好きな人には幸せになって欲しい。そんなどうしようもない自分勝手な願いだけが、ずっと脳をグルグルと駆けまわる。

 だからこそ、隣で真っすぐとそれに向きあう美海ちゃんは、どこか大人に見えた。

 

「・・・面会拒否、遥から言ったんですよね?」

 

「ああ。そう伝えといてくれって言われてここにいる」

 

「なら、今からそっち行きます。・・・遥がなんと言っても、こじ開けてでも」

 

「話聞いてたのか? ダメって言ってんだぞ、こっちは」

 

「だったら遥のこと、今すぐにでも治せますか?」

 

「・・・」

 

 虚を突かれたのか、藤枝先生はたちまち黙り込んだ。知っている。この人は心の奥底から、遥くんの力になろうとしていることを。

 だから自分ではどうにもならない何かを、美海ちゃんに託そうとしているのだろう。でなければ、すぐにこの人はこれを拒否するはずだ。

 

 そして数秒経って、答えは出る。

 

「・・・頼む。今日だけは待ってくれ。明日ならいつでも来てくれていい。・・・俺個人として、それをお願いしたい」

 

「分かりました。明日すぐに伺いますから。・・・もし、遥が死のうとしたら、絶対に止めてくださいね」

 

「分かってる。いちいちそんなこと言ってくれるな」

 

「それならいいです。・・・では」

 

 最後まで淡々とした声音で、美海ちゃんは電話を終える。私はその一部始終を見届けた後、美海ちゃんの部屋まで帰って、そこでようやく声が出た。

 

「・・・すごいね」

 

「何が?」

 

 私の顔を見ないで、美海ちゃんは答える。

 

「・・・遥くんの目が見えなくなったって聞いた時、何も言えなかった。なのに美海ちゃんは」

 

「・・・私が、動揺してないように見える?」

 

 震える声でそう言ったかと思うと、美海ちゃんは振り返って私の肩に両手を置いた。目の端にいっぱいの涙をためて、美海ちゃんは続ける。

 

「怖いに決まってるでしょ? ・・・信じたくもないこと聞かされて、これからの未来が頭に過って・・・そんなの、受け入れられると思う?」

 

「・・・」

 

「でも、一番辛いのは遥だってこと、千夏ちゃんだって分かるでしょ? 私たちが泣いたって喚いたってどうにもならない。・・・そんなこと、分かってるでしょ?」

 

「でも、・・・私たちが原因の一部かもしれないって話でしょ?」

 

「それがなんだって言うの!?」

 

 美海ちゃんは明確に怒りを見せる。その剣幕に気おされて、私は息を飲む。

 

「確かにそうかもしれないよ? いっぱい困らせて、迷惑をかけた。それは私も、千夏ちゃんも。だから、遥と距離を置くことが遥の為だって、千夏ちゃんはそう思ってるんでしょ?」

 

「それは・・・」

 

「私は違う。約束したの。遥が死ぬなら、私も死ぬって。それが私の覚悟。・・・もしそれでも千夏ちゃんが自分がやろうとしてることを正しいと思ってるなら、もう止めない。好きにして」

 

 そこには少しの失望が垣間見える。

 見くびっていたわけじゃない。でも、私は美海ちゃんを見誤っていたんだろう。

 

 妹のような子だと思ってた。実際それくらい歳も離れていたし、そう思っても不思議じゃなかった。

 

 でも今同じ年になって、美海ちゃんはここまで成長した。命を懸けるというその言葉にも微塵の嘘もないだろう。

 私が遥くんを思う気持ちは、このレベルに達していないと言いたいのだろうか?

 

 嫉妬は怒りに、そしてだんだんと対抗意識になっていく。

 その燃料は、私自身が遥くんを思う気持ち。

 

 本当の「好き」じゃないというのなら、今ここでそれを諦めて、美海ちゃんに託すことは出来るはずだ。でもそれは出来ない。

 

 これが答え。私は、遥くんにいて欲しい。一緒に歩みたい。

 だから、自分から歩み寄らないとダメなんだ。それが傷つけることだとしても、我儘だとしても。

 

 中途半端な思いやりがその人を傷つけることを一番知ってるのは、私だ。

 

「嫌だ」

 

「なんて?」

 

「嫌だって言ったの。私は遥くんを諦めない。・・・ほんとはどうしようかずっと迷ってた。でも、やっぱり無理なの。私は好きを、諦めたくない」

 

「でもどうするの? 自分たちが原因になってることを気にしてたのは千夏ちゃんでしょ?」

 

「それでも、引いたら多分もう戻れないから。・・・ちゃんと遥くんと向き合って、それでも拒絶されたら、その時はまた考えたい」

 

「・・・そっか」

 

 美海ちゃんがさっきまで浮かべていたしかめっ面はなりを潜め、やがて表情を少し柔らかくして答えた。

 

「・・・その答えが帰ってこなかったら、私一生千夏ちゃんのことを嫌ってたよ」

 

「ごめんね、変に気を使わせちゃって。・・・でも大丈夫。向き合う覚悟は出来た」

 

 きっと明日病室に行った時、遥くんはきっと大きく取り乱して、らしくない姿を見せるだろう。その光景は今からでも想像できる。

 その時何を話せるのは分からない。それでも、私は私のこの我儘を最後まで押し通したい。

 

 好きになった贖いは、好きを貫き通すこと。

 中途半端に好きをぶつけて、諦めて距離を置くなんてことをしたら、かえってまた向こうに気を使わせるだけだ。

 だから私は、最後まで遥くんの知る私でいたい。

 

 

 

 きっと美海ちゃんもそうなんだよね?




『今日の座談会コーナー』

久しぶりに遥視点以外を連投した気がしますね・・・。そろそろ本編に戻りますよ。ただ、こういう視点を間間に織り交ぜることで膨らみが出来るもんだと私は信じているので。にしてもこの作品で描く「潮留美海」という存在めちゃくちゃ強いですよね。前作の遥くらい強いぞこれ・・・。

といったところで、、今回はこの辺で。
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第百二十六話 優しさの価値

~遥side~

 

 先ほどから、ドアが開いては閉まる音と、俺の知らない誰かが入り乱れる声だけが耳に入って来る。その様子が何一つ見えないというのは、やはり心の底から恐ろしく思う。

 

 何を失っても平気で入れる強さを得ていた、そんな気がした。

 けれどいざ光を失って、何も見ることができなくなって、俺の心はまた折れかけている。何も見えないのでは、前を向く事すらも出来ないだろう。

 

 自分の中で揺るがないと思っていた生まれた意味がだんだんと弱くなっていく。

 ・・・それより、俺の心はなんでこうも壊れてしまったのだろうか。そんなことを思ってみる。

 

 失うことばかりを数えた過去があったからだろうか。

 ・・・確かにそれは間違いないだろう。両親のことも、みをりさんのことも、俺の足と視力のことも、千夏の記憶のことも、全部俺を苦しめる過去に相違ない。

 でも、ちゃんと分かって乗り越えたはずだ。今更あの過去に何をどう振り回されるというのだろうか。

 

 なら、今抱えている問題だろうか。

 まなかのこと、俺を思ってくれる二人のこと。それで心を悩ませることはある。特に二人のどちらかを選ぶということは、必ずどちらを傷つけてしまうことになる。それが嫌で心的ストレスにでもなっているというのだろうか。

 

 そんな、贅沢な悩みで・・・。

 

 

「はっ、分かんねえよ・・・」

 

 

 目は見えないのに、涙だけはいっちょ前に流れてくる。両手で覆っても止めきることはできないほどに。

 こんな状態で二人に顔向けなんて出来ない。俺はその旨を大吾先生に伝えて、それから塞ぎこむように布団の中に隠れた。

 

 今何時だろうか。時計すら見れないのは不便だ。

 

 ・・・

 

 ・・・・・・。

 

 どうやら本当に眠っていたみたいだ。見えない目の奥から光が入り込んでくる当たり、夜を超えてしまったのだろう。見えなくても、それくらいは分かるみたいだ。

 

「起きたか、島波」

 

「大吾先生、いたんですね」

 

「まあな。一応定期健診ってことでここにいる。用が無くなったら今日は引くよ」

 

「・・・ちゃんと、二人には面会拒否を伝えてくれましたか?」

 

「ああ、伝えたよ」

 

 手短に大吾先生はそう返す。その事実にひとまず安堵して、俺は胸をなでおろした。今の二人にあって、俺が平気でいられるはずがない。ひどく醜態を晒して、それはもう惨めな姿を見せることになるだろう。それがどれだけ、恐ろしい事か。

 

 それから大吾先生は検診を始める。手を動かす音。近づいたり離れたりする音、耳を澄ませて脳で光景を変換し、俺は今どうなっているのかを予測した。

 その途中で、大吾先生は口を開く。

 

「なあ、島波」

 

「なんです?」

 

「・・・休んで、いいんだぞ?」

 

「何ですか、急に」

 

「五年前からずっと思ってたんだがよ、お前は頑張り過ぎなんだよ。自分の身を粉にして、誰かを助けるためならって、全部全力でやって来た。その姿勢は否定しないし、尊敬もする」

 

「・・・」

 

「でもよ、お前だって分かってるだろ? 自分が傷つくことで悲しむ人がいることくらい。お前はもう、沢山の人に『思われている』んだよ」

 

 分かっている。この身はたくさんの人の想いと、抱え込みすぎたタスクで出来ていることを。それが今己の身を滅ぼしている一端になっていることも。

 でも、歩んできた道を否定することにもなる。今更この生き方をどうやって変えろというのだろうか。

 

「分かってますよ。でも、今更それをどうやって変えろっていうんですか。俺の見えるところで苦しんでいる人を放っておくなんてできないですよ」

 

「ああ。ただな、こうも思えないか? 見守ることも優しさだって」

 

「放任主義とも取れませんか?」

 

「取れるな。でも結局、最後に問題を解決するのは自分自身なんだよ。その人が自分自身でどうにかすることを信じることが出来ないで人を助けるなんて、そりゃ傲慢だ」

 

「なりゆきに任せろって?」

 

 でも、何も出来ないから失った過去がある。それをこの場で払拭するのは難しいだろう。

 簡単に生き方を否定することはできない。それでいてこれまでの生き方が間違っているというのなら、もうどうしようもない・・・。

 

 光のような、全てを否定する力が俺にはないのだと改めて痛感する。それを持っているあいつがどれだけ羨ましい事だろう。

 

「ああ、そんなところだ。・・・それにな、今度はお前が助けられる番なんだよ」

 

「俺が?」

 

 別にこれまでの人生も誰かの助けを拒んできたわけじゃない。灯さんにもお世話になったし、千夏に忘れられて自棄を起こして死にかけた時も美海に助けられた。

 ・・・それに、ここに来るまで保さんに、夏帆さんに育てれた。感謝してもしきれないだけの助けを俺は今までに受けている。

 それはもう、自分が惨めに思えてしまうほどに誰かの助けを抱えている。

 

 それだけじゃ、足りないというのだろうか。

 

「お前は昔両親を失ったって言ったな。それと、他に大事な人も失ったって言った。その過去があるから、真に人との距離を詰めることができなくなった。距離が近づく分だけ、そいつを失ってしまった時のダメージがでかいからな。だから、相手に遠慮して、自分の全てを預けることも出来なくなった。違うか?」

 

「・・・自覚はないですよ」

 

「傍から見てる分には、そう見えてもおかしくはないんだよ。・・・助けてもらうことを、後ろめたく思っていないか?」

 

 それは、俺の核心を突く一言に相違なかった。思い当たる節と自覚がありすぎる。

 一人でいることが当たり前になったから、誰の助けも借りないで生きようと努力していた幼少期。おそらくそのころの生き方はこんな歳になっても拭えていないのかもしれない。

 

 心のどこかで、誰かに何かをしてもらうことに「申し訳ない」と思っていたのではないだろうか、そんなことを思う。

 

 そんな状態で、中途半端に誰かを愛そうとした。その結果がこの世界というなら、俺は頷けてしまう。

 誰かを愛するには、俺は多分、未熟すぎた。

 

「いいか? お前が誰かを思って助けを与えるように、お前のことを思って、お前に助けを与えようとするやつがいる。それは等価交換、受け取り拒否は不可能なんだよ。・・・与えることを十分にやりすぎたお前だ。受け取るべきプレゼントがまだまだ残ってるぞ。だから今は十分休め」

 

「・・・よくわかんないですよ」

 

「ああ。俺がお前の立場でもすぐには理解できねえだろうな。でも、それでいいんだよ。お前はいつも答えを焦るタイプだからな。早くどうにかしなきゃと息巻いて、それでまた傷つく。・・・ここにいる間はお前の時間は無限だからな。ゆっくり考えろ」

 

「・・・」

 

「んじゃ、診察は終わり。・・・ああ、そうだ、島波。一つだけお前に謝っておかないといけないことがある」

 

 そう口にする大吾先生の声音は、これまで経験したこともないくらいの申し訳なさを帯びていた。普段若干上からの物言いをするタイプの人だ。こういうだけの何かがあるのだろう。

 

「なんですか?」

 

「この先、俺はお前との約束を一つだけ破ってしまうかもしれない。だから、謝っておく」

 

「えっ、なんのことですか?」

 

「まあ、じきに分かると思う。じゃあな」

 

 俺の追及を物ともせず、大吾先生は病室から逃げていく。静けさの残る病室に、窓の外からちゅんちゅんと鳴く雀の音だけが入ってきた。

 俺の目が見えないのをいいことにさっさと逃げてくのは流石に卑怯だろ・・・。

 

 だが過ぎたことはどうしようもない。俺はまた布団を深くかぶり、自分の世界に籠ろうとする。

 

 しかし、それを遮るように扉は開く。

 風に紛れて鼻腔にやってくる香りは、間違えようもない大切な人の匂い。すぐさま大吾先生が何の約束を破ったのかを悟った。

 

 それでも、盲目の俺は逃げることは出来ない。

 俺は唾を一つ飲み込んで、震える口先でその名を呼ぶ。

 

 

 

「・・・なんで来たんだよ。千夏、美海」




『今日の座談会コーナー』

この回のテーマはいよいよ、「変革」、島波遥という存在の生き方を否定し、また新しい自分を探すスタートとなる回というのをイメージして書きました。まあ言えば0話に近いですが。よく言う「giver」と「taker」、遥はまさしく「giver」を思い書いています。「giver」に巡り廻って幸福(この回の単語で言えば「助け」でしょうか)が訪れるというであれば、これからだと思うわけです。しかし、その「giver」が幸福、助を受け取ることを拒否するのであれば幸せにはなれない。そういうことです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百二十七話 愛のカタチ、愛のコタエ

~遥side~

 

 二人が目の前にいる現実に俺が真っ先に覚えたのは怒り。次いで恐怖だった。

 こんな状態で会いたくなかった。こんな状態を見られたくなかった。二人のリアクションがどうであるかが怖いし、それが見れないのが、何より怖い。

 

 顔を見れるなら、それに合わせた声をかけることはいくらでも出来る。でも今はどうだ。それすら見えないで俺は二人に話をしなければならない。どんな無神経なことを口走ってしまうのだろうか。それがとても怖く思う。

 

 普段は軽口から始めるはずの会話も、口がパクパクと開くだけで何も出てこない。これもまた醜態。いよいよ死にたくなってくる。

 

 その沈黙を破るように口を開くのは美海だった。

 

「・・・見えないの?」

 

「ああ。見えないんだよ。何も見えない。光も、景色も、・・・お前らの顔だって。ストレス由来だとよ。はっ、笑っちまうぜ」

 

 違う。こんなことは言うべきじゃない。

 分かっているのに、独りでに先走る心が勝手に口を開いてしまう。こんな風に自分を罵っても、何にもならないというのに・・・!

 

 俺の意志と見えない心は、完全に逆を向いていた。

 

「結局こうなんだよ。・・・幸せにしてやりたかった。失う怖さも段々と克服したつもりだったんだ。これからだったんだよ。全部、これから・・・だったのに・・・」

 

 胸が詰まって、雫になっていく。だんだんと嗚咽が混じって、しまいには言葉が出なくなる。

 ただ肩を揺らしながら、後悔に似たそれに泣かされる。醜態だとか、滑稽さだとか、そんなものを気にする余裕などもう俺にはなかった。

 

 それを切り裂いて、千夏が俺に語り掛ける。

 

「・・・諦めちゃうの?」

 

「今更・・・どうしろって言うんだよ・・・! 何も見えないんだぞ!? 今お前らがどんな表情してるか、なにを思ってるか、これまで分かってたもの全部見えなくなって・・・! ただのガラクタになった人間が、どうやって生きればいいって言うんだよ!」

 

「・・・」

 

「教えてくれよ・・・」

 

 駄々をこねるガキのように喚き散らす。意識とは別の所で眠っていた感情が零れるたびに、自分の心が壊れていたことを再確認させられる。

 もう全てが嫌になる。早く死んでしまいたかった。

 

 身体の震えは臨界点にまで達する。しかし、放り投げられた両手に望んでもいない温かさが灯った。片方は千夏、片方は美海のだろう。

 それを振りほどくだけの元気も、やめろと騒ぐ元気も今はもうない。諦めて俺は二人の言葉を待つことにした。

 

「・・・遥はさ、よくあたしたちのことを思って動いてたよね。誰かの幸せを心から願ってた人だってこと、私は知ってる」

 

「そうやって私は救われたんだよ? 多分それは、美海ちゃんもそう」

 

「・・・でも、もうそれは出来ない」

 

「うん。私たちも、願ってないよ」

 

「・・・え?」

 

 思いもしなかった千夏の言葉に俺は呆気にとられる。口にした言葉の意味を理解するのには、相当の時間を要した。

 それを完全に理解しきる前に、美海が口を開く。

 

「・・・今度は私たちの番だから。ずっと守られてる存在は、もう終わり」

 

「それって・・・」

 

「私たちだって遥くんを幸せにしたいんだよ。与えてもらった分の幸せを、私たちは返したい。・・・友愛にしても、恋愛にしても、親愛にしても、多分二人の与える量が同じになって初めて、愛って言えるんじゃないかな。私はそう思うんだよ」

 

 それは、ついさっきの大吾先生の言葉と全く同じものだった。

 あの人は、二人がどう思っているのかをちゃんと理解しているようだった。・・・いや、二人だけじゃない。二人以外にも、同じことを思ってくれている人はもっといるのだろう。

 

 それに俺は、気が付かないで・・・。

 

「だからさ、もう泣かないでいてほしい。私たちは一緒に歩いて行きたいの。一緒に強くなりたい。・・・追っかける人じゃなく、隣を歩きたい」

 

「でも俺、もう目が見えないんだぞ? 歩けないはおろか、立つことも・・・」

 

「なら私が目になる。手にもなる。遥の足りないもの、全部埋める」

 

「そんな無茶なこと・・・」

 

「やるんだよ。遥だってずっと無茶なことばっかしてたくせに」

 

 俺という人間は無茶ばかりしてはそれを押し付けていた、という事実を美海に突きつけられる。心にナイフを突き立てられたような気分だ。

 

 ・・・それは今までとはどこか違うような優しさだった。視界を奪われたはずの俺が、二人と同じものを見ているような気がした。

 これまで俺は二人と同じ位置で、同じものを見ることが出来ていただろうか。・・・いや、こんなことになってるんだ。出来ていたはずなんてない。

 

 もっとそれに気が付くのが早ければ、などと思う自分がいる。

 

「・・・それで、いいのか?」

 

「いいも悪いもないの。・・・はっきり言うね。遥くんが助けられるのは当たり前なの。当然のこと。そこに後ろめたさとかいらないの」

 

「でも・・・」

 

「遥のことだから、多分ママの事引きずってるんだと思う。私もそうだった。ママがいなくなって、愛を向けられるのが怖くなった。自分が愛そうと決めても、受け取るのが嫌だった。・・・そこから救ってくれたのは遥だよ?」

 

 それは、失う恐怖への抵抗。

 美海は俺よりとっくに先にそれをやってのけて見せていた。

 

「今すぐには無理だから。ちょっとずつ、私たちの、みんなの愛を受け取って欲しい。その分失った時の痛みは大きくなっちゃうけど、その悲しみも一緒に背負うから」

 

 俺が愛したかった二人にここまで言われて、もう歯向かう言葉は出なかった。

 心から思う。俺は、愛されていいのだと。

 

 これは祝福だ。絶望の淵にいる俺に向けられた光なんだ。

 神が仕向けた罠でもない。こうあって欲しかったという幻影でもない。

 

 いつからか、愛することに、守ることに囚われていた俺を解き放つ呪文を、二人は目の前で唱えてくれた。おかげで身体はこれまでにないほど軽い。

 

 ・・・光がいつか言ってたっけか。「開き直ってる」って。

 それはきっと、自分が誰かを思うことの対価を得る事は当たり前だということを感覚として覚えていたのだろう。

 

 今すぐ開き直ることは・・・まあ、無理だろう。それでも、俺は与えられる愛をもう拒んだりはしない。戸惑いもしない。

 それに、選ぶことは拒むことではないのだろう。二人は多分、とっくにそれに納得しているはずだ。勝手に杞憂して、勝手に潰れた俺のミスだ。

 

 ・・・こんなに簡単な事だったんだな。

 

「・・・失ったのが、視力でよかったよ」

 

「遥?」

 

「どういうことなの?」

 

「・・・死んでたら、こんな当たり前のことにすら気が付けなかったからな」

 

 この2日間、なんども死にたいと思った。こうなってしまったことへの後悔は後を絶たず、虚無は体を取り巻いていた。

 けれど、そんな状態になっても与えられる愛は変わらない。こちらが与える事が出来なくても、だ。

 

 でも、それでいいと望んでいる。それを信じないでいてどうするんだ。

 

「・・・すぐにそっち戻るからな、しばらく待っててくれ」

 

 俺の声色が変わったことで、二人を取り巻く雰囲気も変わったみたいだった。目が見えなくなった分もあって、周りの空気感がより肌を通して伝わってくるようになったようだ。

 

「うん、待ってる」

 

「だから、急がないでいいよ」

 

 あくまで、俺は俺のペースでいい。それは二人に、大吾先生に言われていることだ。それを理解して、俺は頷く。

 

 それから、満足したのか二人は帰り支度を始めた。無理言ってここに来たのだろう。それはもう後でフロントでとっちめられることだろう。

 ただ・・・その前に一つ言わないとな。

 

「美海、千夏」

 

「?」

 

「どしたの?」

 

 

 

「・・・ありがとな」

 

 心の目に、また明かりが灯る。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 この回は、タイトル通りの内容となっています。この作品における愛のコタエとは「等価交換」。与えることと、与えられること、その量が均等であることが答えであると自分は考えます。それを知るには遅すぎた島波遥という人間ですが、人間生きていればいいことがあるとはよく言ったもので、-から+になるのは生きていることが前提なんですよね。だからこその「失ったのが視力でよかった」というセリフです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百二十八話 Flat Line

~美海side~

 

 いざ遥を目の前にしたとき、何を言えばいいのか私には分からなかった。両目の光を失った遥はもはや生きる気力すらも失いかけて、空っぽの人形のようにそこに佇んでいた。

 

 こんな遥を見るのは、あの日以来・・・いや、下手したらあの日よりももっと弱った姿かもしれない。

 それでも、だからこそなのかもしれない。私は全力で、遥の力になりたいと思った。

 恩を着せたいわけじゃない。私のことを好きになってもらいたいわけじゃない。私はただ・・・私に幸福を教えてくれた遥の力になりたかった。

 

 だから、何を言えばいいか分からなかったけど、口先だけは流れるように動いた。

 

 救われるだけの存在はもう終わり。今度は私たちが、何も考えずに遥の力になる。

 

 ただそんなことを、ずっと、遥に届けと願いながら口にしていた。きっと一方的な献身なんて遥は戸惑い、拒むだろう。それでも、私はそれをやりたい。かつて遥がそうしたように。

 

 そしたらきっと、隣を歩けるって、私はそう信じてるから。

 

 だからこの・・・溢れるような言葉に出来ない感情を受け取って欲しい。何にも属さない、純真で無垢な「愛」を。

 それを受け取ることは悲しみと隣り合わせだけど、受け取ることで手に入れた幸せはきっと、その悲しみをも超えるから。

 

 そう教えてくれた遥に、私は同じことを返したい。

 だってこんな絶望の淵にいても・・・私は遥が好きだから。

 

 

---

 

 病室を出ると、フロントの方に千夏ちゃんと一緒に呼び出された。それからしばらくの間説教。遥が良くしてもらっている先生の仲介が入らなければ、もっと大惨事になっていたことだろう。

 

 そして説教が終わり、私と千夏ちゃんはようやく帰路についた。少しばかり顔を出している日差しのお陰もあって、今日はどこか暖かく感じる。

 

「・・・美海ちゃん」

 

「どしたの?」

 

「やっぱり遥くんはさ・・・かっこいいよね」

 

 どこかもったいぶるように、どこか躊躇うように、千夏ちゃんは当たり前のことを口にする。

 

「かっこいいよ。ずっと憧れてた。いつも先を行ってて、無茶ばっかりしてあれこれ解決して。・・・私じゃ、届かないと思ってた」

 

「うん」

 

「でも・・・憧れるのは、もうやめたの」

 

 憧れるのはもうやめた。

 その先に果実が実らないことを、もう知ってるから。

 

 好きであることは、隣にいること。だから今私は、立ち止まった遥の隣に立つ。

 そこからゆっくりでいい、一歩ずつ進みたい。

 

 これまで抱いていた不安だらけの恋心は、みるみるうちに姿を変えていった。今はどこか、何か出来そうな気がして仕方がない。

 

 私の目を見て何を思ったのか、千夏ちゃんは少しだけ俯いて、それからまたばっと顔を上げた。

 

「こんなことを言うのもなんだけさ、私、心のどこかでずっと遠慮してたの。海に飲み込まれて、五年経って目覚めたあの日から。・・・遥くんにも、美海ちゃんにもさんざん迷惑かけて。私なんかが、誰かを愛する資格なんてないと思ってた。・・・でも、やっぱり諦めたくない」

 

「うん、分かってるよ」

 

「だから、改めて言うね。・・・私、美海ちゃんに負けたくない。もう、迷わないから」

 

 ここ最近、少しだけすれ違ってた歯車がピタリとはまって、また動き出す。・・・いや、ひょっとしたら歯車は五年前も嚙み合ってなかったのかもしれない。

 ライバルだなんて言いながら、フェアな戦いをと言いながら、ずっと追いつけないものだと、アウェーにいるものだと思ってた。けれど今はもう、その背を追わない。

 

 何も遠慮しない。負けたくない一心で私は千夏ちゃんに顔を向ける。

 視線と視線がぶつかって、そこで言葉は消えた。千夏ちゃんも同じような目を私に向けている。

 

 だけど、それはすぐにほぐれて、お互いの顔には笑みが浮かぶ。

 

 ・・・うん。

 ライバルだとしても、私たちはまだ友達でいれるんだね。

 

 

---

 

 

~遥side~

 

 二人が部屋から立ち去ってどれくらい経ったか分からないが、ゆっくりと扉を開く音が部屋に響いた。何か後ろめたそうな挙動なあたり、大吾先生だろう。

 俺は一つため息をついて、勘ぐりながら名前を呼ぶ。

 

「どうしましたか、大吾先生」

 

「っと、流石にバレるか」

 

「何年の付き合いだと思ってるんですか。というかノックくらいしてくださいよ俺今目見えないんですから」

 

「バレずに入れると思ったんだけどなぁ・・・」

 

 ポリポリ、と頭を掻く音が聞こえる。それからしばらく二人とも黙り込んで、やがて申し訳なさそうな声を大吾先生は発した。

 

「・・・悪かった」

 

「何がですか?」

 

「二人のこと。・・・面会拒否自体はちゃんと伝えたんだ。けど」

 

「分かってますよ。二人とも、特に美海なんて言って聞くような奴じゃないですし。どうせそこに折れて通したって感じですよね? 違いますか?」

 

「・・・いいや、当たりだよ。といっても、俺も完全に拒む気はなかったからな。俺には出来ないことをあいつらなら出来るって思って、今日通した」

 

 結果的にそれが功を奏したことになる。今更この人を責めることは野暮だろう。

 それよりももっと、考えるべきことが、やるべきことがあるはずだ。

 

「それより・・・なんかお前、変わったな」

 

「何がです?」

 

「昨日なんて今にも死にそうな雰囲気出してたからな。本当に死なれたらどうしようかってずっと思ってたんだよ」

 

「・・・そうですね。正直、あのまま二人と会わなかったら俺は多分どうにかして死のうと模索してたかもしれないです。でも、もう少し頑張ろうかなって思ってますよ、今は」

 

「頑張ろうって・・・」

 

「分かってますよ。頑張るって言っても、生きることを諦めないってことです。幸せを受け取るために頑張ることだって必要でしょう?」

 

 誰かから助けを与えられるという仕組みは理解している。けれど視界を奪われた今の俺には、それを受け取るだけの余裕と余力がない。

 だから今は、もう一度スタートラインに立てるようになんとかしてみる。リハビリでもなんでも、出来る事ならやりたい。

 

 もちろん、疲れたのならそこで休めばいいことももう知ってる。

 

「・・・その様子なら、とりあえずは大丈夫そうだな」

 

「ええ。心配かけましたね」

 

「いや、気が付いてくれたならいい。それになんだ、俺に出来ることがあればなんでも行ってくれ。病院側でしか出来ないこととかもあるしな。とことん尽力する」

 

「よろしくお願いします。・・・早速ですけど」

 

 それからこれからの日程調整と、リハビリの打ち合わせに入る。

 この病院から出る時、二人は俺の隣に立っているだろう。その時歩けるように、今はやるべきことをやる。

 

 

 多分、幸せは急がなくても手に入るのかもしれない。今ならそう思える。




『今日の座談会コーナー』

責任感に駆られて身を粉にして動いて、いつしか「休む」ことにためらいを覚えて神経をすり減らしていく。こういった経験がある人は周りに結構いると思います。自分もおそらくその一人です。
だから今回明言しているように、焦らないことも一つ重要になってくるのかもしれませんね。・・・まあ、焦ってしまう理由の一つとして、それを達成できなかった時に生まれる周りの失意や落胆などが怖いからというのがあるかもしれませんが。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百二十九話 最後のやり直し

~遥side~

 

 あれからまた1日が過ぎた。といっても、時計が見れない分、誰かから話を聞かないと時間間隔を認識できないのは流石に不便だ。

 

 ただ、健康的な生活をしてると空腹を感じる時間なんかでざっとの時間は分かる。腹時計とはよく言ったものだと思いながら、昼食を待つ腹を摩りながら俺は時を待つ。

 

 とその時、フロントから面会客の知らせがやってきた。今は誰も拒むつもりはないと、話の詳細も聞かずに俺は承諾を出した。

 

 それから5分ほど経って、扉が開く。耳に伝わってきた声はどこか懐かしく、温かい気がした。

 

「遥君、元気にしてたか?」

 

「保さん。・・・夏帆さんもいる感じですか?」

 

「うん。いるよ。今日は仕事じゃなくて、遥君の親として、ね」

 

 夏帆さんは昨日あれから何度かスタッフとして俺の所に来てくれていた。俺に気を使ってか、業務以外のやり取りをすることはほとんどなかったけれど。

 だから、客として来たということは、話をしにきたということ。それを理解して、俺は話に望む。

 

「随分と遅れてしまったな、すまない」

 

「いえ、いいんです。それに昨日とか一昨日だと、俺が顔向けできなかったんで。だから、今日でよかったです。それに多分、夏帆さんが計らってくれたんですよね?」

 

「うん。遥君、ずいぶんと元気がなかったから。だから行くなら二人でって決めてたの。昨日今日と様子を見たけど、元気そうでよかった」

 

 この人にも、ずいぶんと迷惑をかけてしまった。

 ・・・なんて、迷惑をかけたことを気にしすぎるのも毒って話を昨日一昨日でずっとしてたんだよな。

 

「おかげで元気になりましたよ。・・・昨日、千夏が来てくれて」

 

「確か美海ちゃんと一緒に、だったか」

 

「はい。・・・なんでしょうね、一番簡単なはずだった何かを、両親が陸に上がったあの日からずっと忘れていたんだろうなってそう思います。あいつと美海が、それを思い出させてくれました」

 

「それは何のこと?」

 

 優しい声音で問う夏帆さんに、俺なりに導き出した答えを出す。

 

「『愛』の感情は、等価交換だってことです。それは友愛にしても、恋愛にしても、親愛にしても。・・・俺はずっと、自分の知る誰かを守りたいとその一心で生きてきました。実際それで満たされた心もありましたし、幸せにも思ってました。・・・でも、そのせいで誰かが自分を助けようとしてくれるのを躊躇って、遠慮していたんです」

 

 その感情は、目の前にいるであろう二人にも向いていた。

 

「だからずっと、二人には心のどこかで遠慮してたんだと思うんです。・・・本当は何の縁もない俺でしたから。だから、二人に育てられたいという気持ちと、二人に沢山の迷惑が掛かるという申し訳なさを抱えて生きてきたんです」

 

 

 そうやって、愛されるべき人間ではないと目を反らして、自分でなんとかしないと、と虚勢を張って、そうして心は壊れた。

 でも、心が元に戻るかどうかなんてのはこの際どっちでもいい。見つけた新しい自分をこれから歩んでいくのに「これから」を引きずる意味はないから。

 

「・・・そうか。そうだったんだな」

 

 どこか複雑そうな声音で保さんは語る。本音を言ってしまったわけだ。簡単に受け入れることができるわけではないだろう。

 

「それで、遥君はどうしたい? これが苦になってるなら・・・」

 

「いえ、その逆です。・・・二人にはそのままでいて欲しいんです。変わらないといけないのは、俺の方ですから」

 

 二人の愛の供給量は変わらないだろう。ならば、俺のほうが受け皿を大きくしないといけない。

 だから、二人にはどうかそのままでいて欲しいと俺は切に願う。

 

「分かった。これ以上は何も言わない。・・・またいつものように、帰ってきてくれ」

 

 そしてだんだんとその声は芯の通った力強い声音に変わる。保さんはいつも通りでいてくれた。俺の憧れた、「強い父親」はそこにいる。

 

「分かりました。・・・リハビリには慣れてるんで、すぐにでも戻りますよ」

 

「それはいいけど、焦っちゃだめだからね。・・・今の遥君のことだから、分かってると思うけど」

 

「分かってますよ。・・・というか、やっぱり二人からは俺が焦ってるように見えました?」

 

 思えば、こんな会話をしたことがなかったような気がする。二人から見えている俺がどういう人間なのか、聞くにもなかなか怖い話だったからだ。

 でも今は、それを真正面から受け入れることができるような気がする。

 

 夏帆さんは少し「んー」と唸って、少しずつ話し出した。

 

「焦ってるというか・・・生き急いでる、って感じなのかな?」

 

「ああ、俺もそう思う」

 

「そうでしたか。・・・まあ、言われれば確かにそうかもしれないですね」

 

 思い当たる節しかなくて、俺は頭を掻く。

 実際、海のこれからだとか、千夏が帰ってきたり記憶を失くしていたりで、生き急いでしまうような出来事はかなりあった。・・・生き急いでいたのは急がないと全てが手遅れになってしまう気がしたからなんだろうな。

 

 けど今は生き急いだところですぐに視力が回復するわけじゃないし表に出れるわけではない。・・・急がば回れということわざが今になって身に染みる。

 

 しばらくすると、少しずつ夏帆さんの声色が曇り始めた。何も見えなくても、湿った話が始まることは予想できた。

 

「・・・ホントはね、いつかこんな日が来るかもしれないって思ってたの。抱え込んだものの重みで潰れてしまうんじゃないかって。だから私たちも、極力気を付けるようにはしてたんだけどね。でも、遥君の本当の心の内が最後まで見えなくて、間に合わなかったの。・・・本当に、ごめん」

 

「・・・何も言わなければ伝わらないことだってあるんですから、伝えなかった方にも当然、責任はあります」

 

 全て自分のせいと思うわけではない。ただ、自分から伝える努力もしないで気づいてほしいなどというのは傲慢な話だ。例えそれが、親という相手であっても。

 

「だからちゃんと伝えます。ダメだったらダメだって。助けて欲しいなら助けて欲しいって。二人には、そうしたいんです」

 

「分かったわ。・・・ちょっとずつ、やり直していこう?」

 

「はい」

 

 マイナスからのリスタートは何度目だろうか。何度もするということは学んでないということだろう。

 だから今度こそは間違えたくないと俺は切に願う。けれど一人で強くなることもやめると誓う。

 

「それじゃ、俺たちはそろそろ帰るか」

 

「また何かあったら連絡してね」

 

「はい。必ず」

 

 二人の足音がだんだんと遠ざかってくのが分かる。ドアの音でそれは確信に変わる。・・・にしても、だいぶ音に敏感になったよな、目が見えなくなってから。

 

 

 

 ・・・ただ、どうしてもこの包み込むような虚無と黒は、慣れるのにしばらく時間がかかりそうだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

この二人を出すのもずいぶんと久しぶりな気がするような、そうでないような・・・。親子というのは距離感が難しい生き物だと私は思ってます。ましてや血が繋がっていない、十年も繋がっていない関係となると、その全貌を理解するのはかなり時間がかかるものだと思います。それをつなぎとめるのはおそらく双方の理解。・・・ただやっぱり、「子」を経験している「親」と違って「親」を経験していない「子」はその理解を進めるのに相当苦労するでしょうね・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百三十話 遥か彼方より

~遥side~

 

 順調、とはいかないものの、俺はリハビリを始めるようになった。目が見えないことをいつまでも引きずって動かないままというのは、助けどうこう以前に不甲斐なさすぎる。少なくとも自分の力で生きれるように、俺はまた歩みを始めた。

 今までで一番小さな一歩だ。

 

 しかしそれでも、自然と焦りはなかった。身体が焦っても仕方がないことを理解しているのだろう。それに、あれから何人もの人間がこの病室にやってきた。目が見えなくなって初めて、自分が多くの人に思われていることを心より実感した。

 だから、変な充実感がある。それはどこか心地いい。・・・きっと、これくらいの無心がちょうどいいのだろうと今ならそう思える。

 

 そして入院から4日ほど経った日のこと。

 リハビリを終えた夕方の終わりごろ、病室に面会客が現れた。ドタドタと落ち着きのないその雰囲気は、目を瞑っていようといまいと分かっていた。それくらいの付き合いだからな。

 

 あの日以来初めて、俺は光と遭遇した。

 

「遥、お前っ・・・!」

 

「ああ、光か。来てくれたんだな」

 

「本当に見えないのか?」

 

「みんなに言われるよ。・・・ああ、見えてない」

 

 決して悲観しているような素振りを見せることなく、俺は光にそう答える。光から動揺の感情を感じることはなかった。

 

「・・・それより、今日は一人か?」

 

「ああ。・・・わりぃ、なかなかタイミングなくてよ。それに気の利いた言葉の一つ出そうになくて」

 

「いいんだよそういうのは。みんながみんなそんなこと口にしたら俺のほうが目舞うわ。・・・お前のほうは変わりようがなくて安心したよ」

 

「・・・褒められてんのか、貶されてんのか」

 

 目の光がなくとも、目の前の光の表情は読んで取れた。それほどまでにこいつが単純なのか、それとも付き合いのおかげだろうか。

 ・・・まあ、そんなことはどうでもいい。それよりほかに話したいことがこいつにはあるはずだ。

 

 俺が放り投げたまま倒れてしまった、まなかのことについてだ。

 

「ところで光」

 

「あん?」

 

「今日は何か、相談があってきたんだろ?」

 

「は? ・・・なんで急に」

 

「俺がどこにいても、困ったら駆け込んでくるのがお前だろ? 今更それが変わるわけでもないし」

 

 髪を掻く音が聞こえる。きっとバツの悪そうに光が頭を掻いているのだろう。

 そしてそれから、不服そうに口を開く。

 

「じゃあお前は、今何が起こってるのか分かってるんだな?」

 

「ああ。まなかのことは、まなかが目覚めた日から知ってた」

 

「なんで黙ってたんだよ」

 

「お前自身に気が付いてほしかったから、だな。・・・俺や他の奴が言って納得させるより、お前自身に気づいてもらって納得して欲しかった。というか、連絡する前に体調不良になってしまったからな。それどころじゃなかった」

 

 電話をすることもままらなかった状態だ。どうしようもないだろう。

 光は一つ、大きくため息を吐いた。

 

「全部お見通しなのは相変らずなんだな」

 

「全部じゃねえよ。せいぜい80点くらいだ」

 

「じゃあ、どうすればいいかは分からないって?」

 

「ご明察。・・・それに今はこの状態だ。まなかの表情を逐一読み取ってどうこうするなんてのが出来ないんだよ。この状態で生きるには、もう少し時間がかかる」

 

 声音、雰囲気、周りの音から自分の居場所を判断するには、まだ相当の時間がかかるだろう。それが何日、何か月、何年になるかは検討もつかない。

 

「そっか。・・・悪いな、また迷惑かけようとして」

 

 光の声音はだんだんと尻すぼみになっていく。威勢よく不条理に突っかかってくるだけだった光は、とうの昔にいなくなったのだろう。その姿に安心もするし、寂しさも覚える。

 

「迷惑じゃねえよ。まなかのことは俺も心配だしな。・・・どこまで力になれるか分からないけど、また心配事でもあったら俺のところに来いよ。相談相手くらいにはなれる」

 

「・・・」

 

 渾身の言葉を放ったにも関わらず、光は何かに唖然としているのか口を開こうとしなかった。違和感を覚えた俺が茶化すように言葉を発す。

 

「なんだ感動でもしてんのか?」

 

「いや・・・なんか、柔らかくなったなってさ」

 

「何が」

 

「お前だよお前。・・・昔はなんかこう、余裕そうにもしてたし、堅苦しい雰囲気も出してたし。・・・けどなんか今はさ、そうじゃないっつーか」

 

 長年一緒にいた間柄だからだろうか。光は俺の小さな変化に敏感であることを示した。自覚がないわけではないが、やはり少しは穏やかになれているのだろう。

 

「現に余裕なんてないしな。もう虚勢を張るだけの元気もねえってことだよ。でも、だからなんだろうな。・・・今になって初めて、穏やかに慣れた気がするよ」

 

「悟りってやつか?」

 

「ははっ、かもな」

 

 今は全てを主観で見ることが出来るような気がする。俯瞰して分かり切ったような顔をしていたこれまでは、きっともう終わりを告げたのだろう。

 でも、それがいつかウロコ様に言われた「演じない自分」であることをようやく理解できた。これが、たどり着きたかった俺の姿なのだろう。

 

 愛を失う怖さ。最初に覚えた感覚は、今はもう真正面から向き合える気がする。

 それは虚勢で押さえつけ、慣れたふりをするのではなく、悲しむのを躊躇わないこと。失うことは自分のせいではない。悟って強がるのを、亡くなった人たちは望まないだろう。

 

 これが、人のありのまま。あの日から歪んでいた価値観は次第に正しくなっていた。

 

 そして全てが裸になって初めて、俺は愛を受け取る強さを得ることができた。今はもう、何も迷わないでいられるだろう。

 

 ああ・・・。

 世界に光があればいいのにな。

 

 こんなにも全てがありのままで見れる今だからこそ、視界の先の色が欲しくなる。焦りからではなく、じんわりと心の底からそう思う。

 

「・・・光」

 

「ん、なんだ?」

 

「お前は、せめて元気でいてくれよ」

 

「はん、言われるまでもねえ。これまでもそれが取り柄だったからな。健康第一でやっていきますよ」

 

 そのままでいてくれ、と俺は言葉にしないながらも願った。

 

「んじゃ、そろそろ帰るわ。また何かあったら連絡する」

 

「ああ。どうせ美海も定期的にこっち来るだろうしな。お前の行動は逐次聞けるだろうよ」

 

「・・・間違ってたら、止めてくれよ?」

 

「任せとけ。なに、お前は間違えねえよ」

 

 なぜか分からないが、そう言えるだけの自信がある。こいつは「光」だ。いつも輝きを放ちながら最前線にいる人間だ。そして、光としての輝きを高めつつある今だ。間違えることはないだろう。

 

 

 俺はそれを、遠く、遥か彼方から見守る存在でいい。




『今日の座談会コーナー』

 愛という答えの終着点、答えをこの話にて描きました。これが島波遥という存在がたどり着いた答えです。もちろん、これが社会一般的に当てはまるものかどうかはまた違った話になってきますが、痛みを受け入れることは、こと人間において大切な生き方になってくるのではないかと私は思います。痛みから逃げるために努力をすることも当然上手な生き方と言いますが、それで心をすり減らすのは自分ですからね。自分自身がそうであるように。

と言ったところで、今回はこの辺で。
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第百三十一話 今辿り着く答え

~遥side~

 

 本格的にリハビリを初めて一週間も経てば、ある程度生活できるくらいには歩行を行えるようになった。といっても、今いるグラウンドが通いなれた病院だから というのもあるかもしれないけど。

 

 あれから美海や千夏から聞いた話によると、光が主導してまたお舟引きをやるらしい。・・・まなかのことを思って行動した最善手だろう。前回よりもかなり形骸化した文化となってしまったが、何もやらないよりはマシだ。

 

 それに、まなかが「おじょしさま」になっているなら、決して無関係ではないはずだ。その真実に光が辿り着いているのかついていないのかは知らないが、これが意味のある行動であると俺は信じている。

 

 それを後目に、俺がやることは・・・。

 

---

 

 リハビリを終えて病室に戻る。この移動も最近では一人で行えるようになった。

 それからベッドを探していると、「よう」と声がかかった。

 

「大吾先生、お疲れ様です」

 

「おう。どうだ、リハビリのほうは」

 

「順調ですよ。最近だと一人で歩けるようになりましたし。ざっと歩幅がどれくらいかってのがつかめた感じですね。杖を使うのも慣れましたし」

 

「なら、退院ももうすぐそこって訳だ」

 

「いいんですか?」

 

 正直、俺としては一刻も早く退院したいところではある。別に焦っているわけではない。ただ、もっと身近で俺の好きな人の声を聞きたかった。

 

「生活能力が回復すれば、それ以上に病院が手を施すことはないからな。お前だってこんなところにいつまでもいるわけにはいかんだろ」

 

「そうですね」

 

「他のバイタルチェックで異常が出ているわけでもないしな。早くて明後日ってところだ。リハビリテーション科の先生からもそろそろって聞いてる」

 

「ありがとうございます」

 

「しかしまあ、驚いたよな。こんなことが起こるって」

 

 声は遠く、俺じゃない方向に向けて発せられた。おそらく窓から外の方でも見ているのだろう。

 というか、驚いたなんてもんじゃない。誰がこんな事態を想像したことか。

 

「医学的な観点でこんなことが起こるのって初めてなんですか?」

 

「少なくとも俺の知る所では見たことねえよ。世界単位で見ればどうか知らねえけど。まあ、お前も事情が事情だからな。全てがイレギュラーだ。今考えれば不思議じゃないよな」

 

 確かに、こんな摩訶不思議の人生なんて何万人に一人のレベルだろう。だからこそそれに憤りもあるし、感謝もある。

 平凡な人生を歩んで、俺という人間が満足しただろうか。そんなことを頭の片隅で思う。

 

「そうですね。・・・だからこそ、俺は生きてる価値があるんだと思いますよ」

 

「それは知らねえけど・・・。とにかく、怪我無くやってくれよ。それが医者の願いだ」

 

「分かってますよ。これからどんどん大人になって、それでも患者として大吾先生に世話になり続けるの、なんか癪ですから」

 

 そのころには元気の溢れる人間になっていたい。・・・今の俺なら大丈夫だろう。

 とその時、携帯電話が俺と大吾先生しかいない病室に響いた。チッと舌打ちがこだまして、大吾先生はディスプレイに表示されているであろう名前を呼びあげる。

 

「すーちゃんからかよ・・・。んだこんな時に」

 

「いいじゃないですか、せっかくのガールフレンドからの電話ですよ?」

 

「うるせ。どーせろくな話じゃねえんだ」

 

「その話が出来る人は世の中少ないですからねー」

 

「分かってるよ。つーわけで、俺は一旦戻るぞ。また今日のどこかで顔出すわ」

 

 それからドタバタと音を立てて、先生が部屋から去っていく。・・・というか、あの人マナーモードとか電源切るとかしねえのかよ。

 苦笑しながら、俺は一人になった空間で小さく息を吐く。それからまた舞い戻った静寂の中で、俺はいつものように耳を澄ました。

 

 目が見えなくなってから、より周りの音を気にするようになった。というより、神経をそこにだけ注げばいいため、入って来る音はより鮮明になったような気がする。

 それだけでなく、感性まで鋭くなったような気がする。そこで何が起こっているのか、誰がいるのか、そして、誰が何を思っているのか、そういったことがしみわたるように体の中に伝わるようになった気がする。

 

 人間って、相当目に頼ってたんだな・・・。

 

 なんて思いながら、半開きの窓の外の音を聞く。風はそこまで強くなく、ほんのり肌を掠める程度だ。

 しかし途中から、それが歪に変化しだした。まるで、何かを運ぶように。

 

 その急激な変化を起こせるのは、装置か神くらいなものだろう。とすると・・・。

 俺は大博打をかます。

 

「何の用ですか、ウロコ様」

 

「・・・お主、目が見えとらんというのに儂のことが分かるのか?」

 

「やっぱりいましたか。なーんか、風向きが急におかしくなったんですよね。普通じゃありえないくらいに」

 

「・・・なかなかやりおる。目を閉じてより感性に磨きがかかったようじゃな」

 

 感心したような声音でウロコ様は俺を褒める。それから窓をスライドさせる音が聞こえたかと思うと、今度はそこに腰を下ろす音が聞こえた。どうやら話は長くなるらしい。

 

「そこに座るのいいですけど、先生がいつ帰って来るか分からないですよ?」

 

「そのころには勝手に消えとるから安心せい。・・・して遥よ。お主はこの現実に直面して、何を見た?」

 

「何をって・・・。難しい事聞くんですね」

 

「少なくとも、儂はあの日からお主のことを一日も見ておらん。どうも見ておられんでの。今日初めて会いに来たわけじゃが」

 

「思ってたより俺がぴんぴんしていてびっくりしている、と。そりゃそうですよね。前回会った時相当心がすり減ってましたから」

 

 心が壊れていると言ったのはこの人だ。その事実を知っているから、今驚いているのだろう。

 その疑問に対して、俺は答えを投げつける。

 

「・・・ウロコ様の言う通り、心は壊れてたみたいです。視力がなくなったのもそれ由来。予言は見事に当たったってわけです」

 

「ほう、それで?」

 

「最初は死のうとしましたけど・・・色々気づかされたんですよ。まあ、口にするも照れるようなことばかりなんで端折りますけど。ただ、俺は一人じゃなかった。その本当の意味を知ることができました。だから今こうして生きているんです」

 

「それがお主の見たもの、というわけじゃな」

 

「ええ。俺が見たのは、自分が行ってきたことへの対価の塊だったんです。それが愛によるものかそうでないかの分別は出来てないですけど。けど、間違いなくそれは俺が生きてきた証で、俺がこれから生きる理由です」

 

 ウロコ様から吐息が漏れる。それはどこか甘く、憂慮に満ちたもの。憂慮、という点では最後に会った時と同じ感情ではあるが、そこに絶望の色はなかった。

 

「ようやく自分が誰かを生かし、誰かに生かされる人間であるということを理解したわけじゃな?」

 

「ええ。だから、もう大丈夫です」

 

 この人の前で声にして宣言する。俺はもう大丈夫だと。もう何も迷うことはないと。

 その先生を確かめるように、ウロコ様は一つ息をついて俺に問いかけた。

 

「なら、あの日と同じ質問をするぞ。・・・お主は先島の娘と陸の娘、どちらを選ぶ?」

 

 二人のどちらを選ぶか。あの日答えられなかった質問。

 それについては答えは今も出ていない。選ぶという言葉が、今の俺の頭の中にはない。

 

 ・・・ただ、それが答えだ。

 

「分かりません。きっとそれはこれから過ごす多くの時間で幾度となく変わることだと思います。でも、多分、それでいい。焦る必要はないと教えてくれたのは二人ですし、覚悟が決まっているという想いを伝えてくれたのも二人でしたから」

 

「ほう」

 

「ただ・・・必ず決断はしますよ。それが二人の想いへの報いですから」

 

 だから俺は、どちらかを傷つける選択をする。それはとても悲しくて、残酷なことだけど、それでいいと思っているであろう二人の覚悟から逃げることはしない。

 

「・・・生き急いでおったお主は、もういないのじゃな」

 

「寂しいですか?」

 

「少し、の。裏を返せば、お主は光よりよほど危なっかしくて、見ごたえのあるやつじゃったからな」

 

「魅力、なくなりましたか?」

 

「はん、ぬかしおる。・・・無論、あれだけがお主の魅力ではない。これからも見届けさせてもらうぞ。海の人間としての」

 

 ウロコ様は不敵に笑っているのだろう。ひしひしと空気が伝わってくる。

 それに俺もニッと笑い返した。「まあ見ておけ」と。

 

 

 海のこれからも、俺の人生も、今なら何か変えられそうだ。そんな根拠のない自信だけが、どんどん胸の奥で溢れているような気がした。




『今日の座談会コーナー』

 ということで、また本筋に戻ります。まあ、この作品は本編で描かれていることは極力触れない方針でいるので(そこをわざわざ語り直す必要もないし、あくまでこれは島波遥の物語ですので)、本編に沿ったことを長々と書くつもりはないですが。
 なんか、前作よりも大きく話が変わったような、そうでないような気がして止まないです。ただ、こっちの方が好き、かも?

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百三十二話 起こしたい未来

~美海side~

 

 遥のいる病院から、遥が退院するという情報を告げられたのは、遥が入院してから二週間が経った頃だった。本人は「やりすぎないようにする」なんて言いながらも、すごい勢いでリハビリに励んでたみたいだ。

 

 ・・・やっぱり遥はすごい。ふとそんなことを思う。

 

 私には出来ないようなことばかり遥はやり遂げていく。それが時折遥を傷つけることだと伝えたけれどそうするのはきっと、遥自身に染みついた生き方なのだろう。それまで否定するつもりはない。

 

 それに、私も早く元気な遥の姿を見たかったから。

 

 そんなことを思いながら、時間は夜。眠れずに私は縁側に腰掛けて、足をぶらぶらとしていた。ぼんやりと浮かぶ月を見ながら、明日は何が起こるだろうと考えてみる。

 

 すると、トントンと歩いてくる音が聞こえた。音が近づいてくる方角的に、私たちの部屋のほうだ。誰だろう。

 振り向くと、バツの悪そうな顔でこっちに歩いてくる光がいた。元気がない、ってわけじゃないけど、何か考え込んでるような、そんな顔。

 何に悩んでいるのかは、聞かなくても分かることだ。

 

「どしたの、光」

 

「・・・なんか、眠れなくてよ」

 

「そっか。話、聞こうか?」

 

「・・・わり、頼むわ」

 

 光は素直に私の提案を飲んで、人1人分離れたところに腰掛けて天を仰いだ。私はただ、その口が開くのを待つ。

 

 結局光が重々しく口を開いたのは、それから十秒くらい経った後のことだった。

 

「・・・お舟引き、だけどさ」

 

「うん」

 

「本当に意味、あんのかな」

 

 あんまり見ることのない、後ろめたそうな、弱気な光の一言。本当はすぐにでも否定すべきなのだろうけれど、私は真正面からそれを受け止めてみる。

 

「なんかさ、俺、また一人で好き勝手やってるだけなんじゃないかって思っちまうんだよ。それに今回のお舟引きは、まなかに何かがあればいいと思って動いた俺のエゴだ。それにみんなを巻き込んでいいのか」

 

「・・・だったら、やめる?」

 

「そういうわけにも・・・いかないだろ」

 

 痛いところを突かれたのか、光は口先を尖らせて小さい声で答える。結局、どうすればいいのかまでは分かってないってことなんだろう。

 

 光がまなかさんを思ってる気持ちは、私も十分理解できる。だからこそ、今思い切り悩んで、四苦八苦しているのだろう。

 本当に、自分が向けている愛が正しいのか。私が昔悩んでたことを、今光はすこしちがう形で辿っている。

 

 だからこそ、私にだけ言える言葉があるはずだ。記憶の奥底にある大切なものを探って、思い出してみる。

 

「ね、光はさ」

 

「ああ」

 

「まなかさんのこと、好き、なんだよね」

 

「すっ・・・! ・・・なんだよ、急に」

 

「今更動揺したって、それはみんな知ってることだし。だから聞きたい、はっきりと。光自身の言葉で、光の気持ち」

 

 それは、いつか私が言葉にするのに戸惑ったもの。言葉にして自分自身の恋心を認めるのが怖かった。

 でも今は、ちゃんと声を大にして遥のことを好きと言える。それが実っても実らなくても、私はきっと後悔しない。そんな強さを今はもう知っている。

 

 だから、光にも・・・。

 

 光は少し照れているのか、顔を背けて、小さな言葉で繰り出した。

 

「・・・好き、だよ」

 

「聞こえないんだけど」

 

「好きに決まってるだろ! ・・・多分、物心ついた時から。危なっかしいあいつの姿ずっと見てきて、守りたいと思ってた。陸に上がってからは、より一層そう思ってる。それがどんな感情か、知りたくもなかったけど、多分好きって事なんだと思う」

 

「なんだ、ちゃんと言えるじゃん」

 

 それでも、気持ちを言い切ったはずの光の目は晴れてなかった。ずっと曇り空の中で、答えを探している。

 

「でも、あいつの気がどこにあるか、俺にはそれが分からないんだよ。・・・陸に上がってすぐのあいつは、紡の野郎に一目ぼれしてたっつーかさ。なんか、違う何かを感じたんだよ。それが、すっげーもどかしくて、イライラしてさ」

 

「まなかさん自身に、それを聞いたわけじゃないんだよね?」

 

「ああ。・・・それに、前のお舟引きの時にあいつは何かを俺に伝えようとしてた。同じようにお舟引きすれば、それで思い出してくれるんじゃないかって、そう思ってる」

 

「じゃあ、お舟引きが正しいかどうかって悩んでるのは、それを聞くのが怖いからなんだ?」

 

「・・・そうだよ。悪いかよ」

 

 光はそれを認めたようで、またバツの悪そうにそう答えた。

 納得のいかない答えなら、知らない方がいい。そういうことを光は思ってるのだろう。

 確かにそれはある種正しい一つの答えかもしれない。マイナスよりは0の方が数字としては上。痛い思いをしたくないならそういう選択だってあるだろう。

 けれど、何も選ばないことが果たして0になるのか。答えはノーだと教えてくれたのは遥だった。何も選ばないことは、ゆくゆくはマイナスになりえると。

 

 だから遥はずっと選び続けた。海の未来にしても、千夏ちゃんの記憶にしても、痛い思いをすると知っていながら選択を続けた。その強さとカッコよさは、今でも鮮明に焼き付いている。

 

 だから光も、進まなきゃダメなんだよ。

 

「もしまなかさんが光のこと思ってても、光が目を反らしたんじゃ、誰も幸せにならないよ?」

 

「・・・分かってるよ」

 

「だからさ、正しい、とか正しくないとかそういうことじゃなくて・・・。自分の起こしたい未来を信じないとダメなんじゃないかな」

 

「起こしたい未来を信じる、か・・・」

 

「きっとそれは、みんなやってることだからさ」

 

 私は、遥と一緒に歩く未来が欲しい。その未来を起こしたいと願っている。負けるだなんて、思いたくもない。

 そして、それは恋路だけじゃない。みんなのこれからだって、よくなると信じてる。信じないと、ダメなんだ。

 

 光は何か思うところがあったのか、握りこぶしを作っては開いて、ぼんやりと浮かぶ月の方にグッと伸ばした。

 

「そうだよな。ずっと俺は我儘なやつで、好き勝手生きてきて、そのたびに全部なんとかなると思ってきたんだ。だからまた、我儘な夢を信じてみる」

 

「うん。それがみんなの知る『先島光』だから」

 

「・・・あんがとよ、元気出た。・・・よっと!」

 

 それから光は裸足のまま庭に降りて、腕をぶんぶんと振り回した。あれはやる気に満ち溢れている仕草。この様子なら何も心配することはないだろう。

 

 ・・・けど。

 

「光、その汚れた足どうするの?」

 

「・・・やべっ、何も考えてなかった」

 

「馬鹿でしょ・・・」

 

 

 とりあえず衝動に駆られすぎなのは、ちょっと心配かも。




『今日の座談会コーナー』

 アニメ本編では美海が光に気が合ったためなかなかギクシャクした関係が続いてましたが、それがない本作では、光と美海はいい距離で絡むことが出来る兄妹、って感じなんですよね。だからこそ描ける雰囲気もありますし、これがまたなかなかに楽しい。本編でもこれくらい爽やかなシーンとか描かれていたらなぁ・・・(アニメは激重ドロドロ定期)

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百三十三話 あなただけの幸せ

~千夏side~

 

 太陽は頭上をとうに越え、これから日が暮れようとしている。

 私は冷たいリノリウムの床をコツコツ音を立てながら歩いて、学校の屋上へと向かっていった。さっさと帰ればいいのに、どうもその気にならない。

 遥くんの退院が明日だからといって浮足立っているのだろうか。

 

 手すりにもたれかかって、氷で覆われた海をぼんやりと眺める。こうするのももう随分と日課になってしまった。

 

「・・・いつになったら、元通りになるのかな」

 

 誰に尋ねるわけでもなく、私はそう呟く。

 分かっている。何も「元通り」になることはないと。時間は現在進行形で一直線を歩んでいる。それを巻き戻す力は、人間にはない。

 それでも、私は昔みたいな「海」が欲しい。それが私の言う「元通り」なのだろう。

 

 遠目に見える海から少し視線を落として学校の前の道路を見る。

 するとそこに、本来ならこんなところで見るはずのない人影を見た。私は急いで会談を駆け下り、玄関から出てその人に会いに行く。

 

 向こうも私に気が付いたようで、少しだけ驚いたような瞳をして、私の名前を呼んだ。

 

「千夏ちゃん、帰ってなかったんだ」

 

「うん、なんかそんな気分じゃなくて。それより珍しいね、ちさきちゃんがこんなところに来るなんて。誰かに用でもあるの?」

 

「うん、まあね。先生いるなら声かけようかと思って。・・・ほら、お舟引きもあるし」

 

 そう答えるちさきちゃんの瞳はどこか物憂げだ。そりゃそうだ。ちさきちゃんは前のお舟引きで、陸に残された人間となってしまったのだから。

 その後悔は、私の想像の及ぶものではないだろう。

 

「でも職員室を見た感じ、今日はいなさそうだね」

 

「あー・・・、なんか街のほうの学校に研修に行くから今日は臨時の人が入ってた、そういえば」

 

「そっか。残念」

 

「ね、せっかくだし一緒に帰らない?」

 

 ここでちさきちゃんとあったのも何かの縁に違いない。それに、こうやって二人でまじまじと話すのは五年前のあの日以来だと思う。

 あの日・・・私が、遥くんに告白した日だ。

 

 私が遠い過去の記憶に胸を痛めているのをよそに、ちさきちゃんは私の提案を飲んだ。

 

「そうね。こういう時間も、なかなかなかったし」

 

「じゃ、決まりってことで」

 

 それから私が進みだすのと同時に、ちさきちゃんはそれに合わせだした。二人並んで、昔そうしたように通学路を歩く。

 

「この道を誰かと歩くのもずいぶんと懐かしいかも」

 

「ちさきちゃんからすれば、五年、だもんね・・・」

 

「あの時はもう、何を思って生きていけばいいか分からなかったし、ずっと泣いてばかりいたから。残りの学校生活も、だいぶ心苦しかったな」

 

 そう言ってはいるものの、どこか吹っ切れたような表情でちさきちゃんは語る。もう、そんな過去の痛みは乗り越えたと言わんばかりに。

 五年前なら、どんなリアクションをしてたんだろうか。そんなことを想像してみる。

 

 ・・・いや、時間の無駄か。

 

「ところで、遥はどう? 病院に行くときはちょっと顔出すようにはしてるんだけど」

 

「順調そうだよ。リハビリも終わって、明日には退院する。・・・ほんと、大した人間だよね、遥くんは」

 

「だから私も、昔遥のことが好きだったんだと思うよ。強くて、頼りたくなって、そしてそんな姿がかっこよかったから」

 

「今はもう、違うんだ?」

 

「というか、遥には一回振られてるし、ね」

 

 それも笑い話にするように、ちさきちゃんは呟く。かつて同じ人を好きだということを話した人間としては、それがどこかもどかしい。

 けど、それに満足している様子を見せられたら、これ以上追求することなんて出来ない。

 

 けれどそれから、ちさきちゃんは少しだけ声のトーンを低くして言った。

 

「・・・やっぱり、あの頃の私は焦ってたんだと思う。波中が廃校になって、環境が変わって。そんな、変わってく環境が嫌だったんだと思う。変わりたくないって、ずっとそんなことを言ってたっけ」

 

「私も同じだよ。とはいっても、そう思ったのはちさきちゃんよりは後のことだと思うけど。ずっとこのままいたいって、そんなこと願ってた」

 

 それに導かれるように、私は海に飲み込まれていったんだっけ。

 

「でも今は、これでよかったって思う時もあるよ。変わったから楽しいこともあった。それを否定することは、したくないしね」

 

 ちさきちゃんは前を向いたままそう言い放つ。潮風に吹かれた後ろ髪が少し横になびいた。同時に、二人の間から少しの間言葉が消える。

 それから風が凪いだ時、私が知らない事実をちさきちゃんは口にした。

 

「紡にね、告白されたの」

 

「紡君が?」

 

 五年前のイメージが強すぎる私にとって、それは意外過ぎる行動だった。いや、長い事幼馴染やってたけど、誰かに告白する以前に恋心なんてまったく抱いてないように見えた人だったし。

 

 けど、えぇ・・・?

 

「この五年間、ずっと助けてもらったし、一緒に歩んできた自覚もあるの。だから、その気持ちは分かるし、私も多分、同じ気持ちを持ってるんだろうけど・・・」

 

 少し後ろめたそうに、ちさきちゃんは呟く。その背景にある感情を、私はすぐに読み取ることが出来た。

 

「その告白に答えていいか、分からないって?」

 

 ちさきちゃんは、自分の決断によって誰かを傷つけることを嫌っている。自分だけが幸せになることにためらいを覚えている。

 もとよりちさきちゃんはそういう人だ。

 

 それは正解だったようで、小さく首を縦に振った。

 

「私だけが幸せになっちゃったら、他のみんなに合わせる顔がなくなっちゃう。それこそ光なんて、今まなかの感情がおかしなことになってて大変なのに・・・」

 

「・・・あのね、ちさきちゃん」

 

 後ろ向きなその感情には、そろそろバイバイしなければならないんだよ。

 

 後悔や責任、それに縛られて自分を苦しめることは、きっと誰も望んじゃいない。遥くんは少なくともあの時私の罪を赦してくれた。だから今、こうして前を向いている。

 

 そんな私の罪に比べたら、ちさきちゃんの抱える罪なんて微々たるもの。何も気にする必要なんてない。

 

 それに、誰かを好きになって、それで結ばれるなら、私はちゃんとそれを祝福したい。だから、恋を諦めるなんてことを、してほしくない。

 

 そんな長ったらしい感情を、一言でまとめる。

 

「私は、ちさきちゃんに幸せになってほしいよ」

 

「え?」

 

「羨ましい、とか、ずるい、とか思わないわけじゃないよ。けど、幸せになろうとしてるなら、私は真正面からそれを応援したいの。好きな人と思い合えるってのは、それだけ素晴らしいことだから」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

「私もちょっと前まで、自分の恋を諦めようとしてた。そりゃそうだよ、遥くんをあんな目に合わせたうえに、記憶まで失ってそれで遥くんを傷つけたんだから。・・・でも、許してくれた。だからもう一度、今は頑張りたいって思ってるの。多分この感情にゲームオーバーはないんだよ、きっと」

 

 等身大の言葉でちさきちゃんを励ます。この言葉の一つ一つがどれほど響いているのか、私は分からないけれど。

 けど、ちさきちゃんは迷った表情をしながらも、何度かうんうんと頷いた。

 

「私、幸せになっていいのかな?」

 

「いいんだよ。それを望んでる人は多分、いっぱいいる」

 

「・・・そっか」

 

 それからちさきちゃんは立ち止まり、何か覚悟を決めたような表情で空を仰いだ。さっきよりも芯のある声音で、誓いを口にする。

 

「なら、次のお舟引きを見届けて、私は紡に答えを出そうと思う。受け入れるにしても、今はちょっと中途半端だしね」

 

「うん。それでいいんじゃないかな」

 

 前に進む覚悟を決めただけで大きな一歩。積み重ねれば人はどこまでも歩いて行ける。

 

 

 だから私も、もっと前に進まなきゃ。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 前回と今回で、美海と千夏、それぞれにもっとも近い本編のキャラクターとの絡みを書いてみましたがいかがだったでしょうか。それこそ、本作の光、ちさきに関してはアニメ本編よりもあっさりしているのでそこまで感情的にはなっていませんが(それでも性格の根底は歪めてないつもりです)
 というかいかに前作の後半がガバガバだったか・・・。今作を書くたびにそんなことを思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百三十四話 渦の中、変わらない日々

~遥side~

 

 ようやく待ちに待った日が訪れる。

 倒れてからはや一週間と何日だろうか。俺はリハビリを終えて退院することが出来た。大吾先生からもリハビリ科の先生も尋常じゃない速度だと驚いていた。

 別に、無理をしたわけじゃない。ただ素直に「頑張ろう」という心があったからこそ為せた業だろう。それが証拠に、体に特に負荷が残ってるわけでもない。

 

「さて、と・・・」

 

 小手先で杖を上手に使いながら、俺は玄関から外に出る。自分の歩幅は体に刻んでいる。よほどのことが無い限り間違えることはないだろう。

 それから俺は駐車場まで歩いていく。するとちょうどこちらに向かってくる車の音があった。排気音から、それが保さんのものだと確信する。

 

 案の定車は俺の目の前で止まった。それから聞きなれた声が耳にこだまする。

 

「遥くん、もう歩けるのか?」

 

「はい。元々杖を使うのは昔のリハビリの頃から慣れていたんで。経過も夏帆さんから聞いているかもしれませんが、順調ですよ」

 

「そうか。・・・とんだ心配だったな」

 

「いえ、これからもまだまだ迷惑をかけます。そうはいっても、目が見えないんじゃ不便なことはいっぱいありますし」

 

「食事とか風呂は大丈夫なのか?」

 

「ええ、これもちゃんと慣れるようにしてましたから。ちょっと時間は掛かっちゃうかもしれないですけど、大丈夫ですよ」

 

 手を煩わせたくないどうこう以前に、これだけは自分の力でクリアしたかった。だってほら、プライベートが過ぎるし・・・。

 

「それじゃとりあえず、家にでも帰るか」

 

 保さんは特に気の入った言葉を俺に投げかけるわけでもなくそう言って俺に車に乗るように指示した。促された通り、俺は車に乗り込んで、背もたれに身を委ねる。

 いつもはそうして海を見ていた。いつ何時も変わることのない光景を。

 

 うーん・・・やっぱり目が見えないと暇だよな、やっぱり。

 

「目が見えないんじゃ暇だろう、やっぱり」

 

 そんな俺の様子に気が付いたのか、保さんは車を運転しながらそんな言葉を投げかける。

 

「周囲を見る、ってのがどれだけ暇つぶしになってたのか、今になって分かりますね。やっぱり何の刺激もないとなると、退屈ですよ」

 

「なら、カーラジオの一つでもつけるか」

 

 そう言って保さんはおもむろに車の中でゴソゴソと動き始めた。普段は何も付けずに運転するだけに、この行動が俺への配慮だということはすぐに気が付いた。

 その配慮に心の中で感謝をしながら、流れ始めた聞きなれない人の声に耳を傾ける。なるほど、やっぱりラジオというのは文明の利器だな。

 

 そうして退屈な道中は少しばかりの彩が付いた。その心地よさに身を委ねて、俺はただ揺れ動く黒鉄の物体の中で呼吸をした。

 

---

 

 俺を迎えに来たあと、保さんはまっすぐ仕事へ向かっていった。お舟引きが近いのもあって、漁協も大変らしい。

 千夏らもまあまあ忙しいと連絡を受けている。・・・参ったな、誰の所にも遊びにいけないぞ。

 

 なんて、本来は遊びに行くこともままならない身体だが、そんなことを思ってしまう。俺という人間は俺が思っていたよりもアグレッシブな人間だったみたいだ。

 しかし、この退屈な日々にも慣れないといけない。リハビリに明け暮れていた院内生活より退屈だが、それが現実だ。

 

 それから適当にラジオを流して、耳に音を当てながら時間を潰す。そのラジオが18時を告げたころ、家のドアが開いた。ドタドタと勢いよくこっちに向かってくる音がある。千夏だろう。

 

「遥くん、おかえり!」

 

「なんだよ忙しいな・・・。ああ、ただいま」

 

 千夏の声色は混じりっ気のない喜びに満ちていた。その感情に充てられて、俺もどこか口の端が上がってしまう。やっぱり、自分の帰りを待ってくれている人がいるということは、たまらなく嬉しい。

 一人でいる時の孤独がより一層強くなった今、この喜びはまた格別のものだろう。

 

「もう一人で歩けたりするの?」

 

「ああ、時間はかかるけど大丈夫だよ。この街に来てからもう五年経ったしな。歩幅の感覚さえ覚えていたら、道に迷うこともないだろうし」

 

「無理はダメだよ?」

 

「分かってるよ。それに、こんな状態でそんなリスクのあることばっか出来るわけじゃないし。・・・で、お舟引きの準備はどうだ?」

 

「うん、順調。今週末にやる予定だよ」

 

「つーことは、あと4日か。光の奴、俺がいなくても上手くやってるみたいだな」

 

 それがどこか嬉しく、寂しくもある。なんだかんだ昔は一度立ち止まってこっちに振り向いてくるような奴だったからな。自立していく子供を見ている親の気分だ。

 

「お舟引きなんだけど、遥くん、来るの?」

 

 尋ねてくる千夏に対して、俺は「ああ」と短く返す。

 

「船の上に乗れるかどうかはまだ分からないけど、絶対に行く。俺だって、五年前のお舟引き楽しみにしてたんだぞ?」

 

「あー・・・なんか、ごめん」

 

 五年前のお舟引きに行くことが出来なかった直接的な原因とも言える千夏は、急にトーンダウンしてそう呟く。地雷を踏みかけた俺は必死にそれをカバーした。

 

「謝ることじゃねえだろ。あれは事故。そして俺の意志。・・・それにな、みんながいなかった五年間、いろんな思いがあったけど、楽しかったこともあるしそんな後悔はしてねえよ。それに今は、こうしてみんな戻りつつあるんだしな」

 

 一足先に大きくなって、一足先に違う世界を見ることになった。その絶望と好奇心を、俺はいまだに覚えている。

 

 そんな俺の発言を聞いて、千夏はクスリと笑った。

 

「ちさきちゃんも昨日、そんなこと言ってたっけ。悪い事ばかりじゃなかったって」

 

「ちさきが?」

 

「うん。昨日たまたま学校に来てたちさきちゃんと一緒に帰ってね。その時に色々話したの。あと、紡君に告白されたって」

 

「・・・マジか」

 

 ゆくゆくはそうなるだろうとは思っていたけど、紡がしっかりそれを言葉にするとは思わなかった。ましてや相手は「変わらないこと」に固執し続けたちさきだ。

 ・・・いや、あいつの少し抜けた性格だから、その行動に出たんだろうな。

 

「で、ちさきはなんて?」

 

「戸惑ってるって。同じ気持ちはあるんだけど・・・って、言ってた」

 

「あいつのことだからな。自分だけが、なんて思ってるんだろ、全く・・・。俺らももう、誰かの想いに関わらず、自分の幸せ考えてもいい歳だってのに」

 

 大人になるってことは、そういった一面もあるということだ。俺たちはいつまでも過去に生き続けるわけにはいかない。

 ・・・なら、俺の幸せは。

 

 それはまだ分からない。けど今は、誰かが近くにいてくれるこの空間が幸せに思える。少なくとも今は、それでいいのだろう。

 

「ねえ遥くん、奇跡って起きるのかな?」

 

 考えこんでいると、唐突にそんなことを千夏が口にした。

 

「今度のお舟引きで、何かが起きて、それで私が昔憧れた海に戻るって、そんな奇跡、起こらないかな?」

 

「贅沢な奇跡だな・・・」

 

 お舟引きで何かが起きる、それは五年前に立証済みの話だ。

 あの時は悪いほうに傾いたけれど、いい事だって起こるかもしれない。千夏はそう言いたいのだろう。

 その思いを否定したくない。俺は俺なりの答えを出す。

 

「願いが伝われば、奇跡だって起こるはずだ。それに・・・」

 

 俺には、海神様に投げかけたい言葉がある。それを伝えれば、また何かが起こるかもしれない。

 けれどそれは、内緒の話。俺は上手い言葉で誤魔化した。

 

「信じないと、始まらないからな」

 

「そうだね。・・・遥くんも、同じことを願ってるってこと?」

 

「もちろん。五年間、ずっとそんなことを思ってたしな」

 

 凍てついた感情がほどけて、皆が温もる毎日。俺はずっと、それを願っている。

 だから海神様・・・答えてくれよ。

 

 暗い世界でそれを願う俺をよそに、千夏はパンパンと手を鳴らした。

 

「・・・さて、ダラダラと話し続けるのもなんだし、私ご飯作るね。今日の当番、私だし」

 

 ご飯・・・あっ。

 

「そういえば目が見えなくなったってことは料理作れないってことじゃん」

 

「まあ・・・難しいだろうね。家のこと全部把握してるって言っても」

 

 マジか・・・。何か大事なことを忘れてると思ったら。

 なんだかんだ料理は好きだった。美味いものを食べれば、自分も周りも幸せになれる気がしてたし、今でもそう信じているから。

 だから腕を奮えないというのは、なかなかにもどかしい・・・。

 

「まあまあ、そんなに落ち込まないで。なんだったら、手伝うしさ。出来ることから、一緒にやろ?」

 

「・・・ああ、そうだな」

 

 千夏に励まされて、俺はうんと頷く。

 

 確かに、自分一人の力じゃどうにもならないだろう。

 けれど、傍に立ってくれる誰かがいるなら、俺はなんでも出来る気がする。歩くことから、料理をすること、それ以上の何かだって。

 

 

 だから・・・今は何も怖いものなんてない。

 例えこれから、どんなことが起ころうとも。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 なんかこんな日常会を書くのもずいぶんとまあ久しぶりな感じがします。やっぱりいいよね、数話に一回くらいはこれくらいの雰囲気の話を挟みたい(多すぎると尺稼ぎになっちゃうから難しいところではあるけど)。
 さて、話も大詰め。ここから一気に書き上げていきたいところですが、その分スピードと比例してクオリティが落ちる可能性があるから、そこだけは丁寧に。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百三十五話 愛を繋ぐお仕事

~遥side~

 

 お舟引きまでは残すところあと二日となった。千夏が言うには準備はもうほとんど終わっているらしく、あとは当日を待つだけの状態らしい。

 とはいえ明日になれば直前の準備で忙しくなるだろう。街をゆっくりぶらつけるのは今日しかないと思い、俺は一人立った。同じタイミングで、三時を告げる島のチャイムが鳴る。

 

 本来なら千夏やら美海やら誰かがいたほうがいいのは分かっているが、生憎今日は何の変哲もない平日。皆出払っており、家にいるのはせいぜい、夜勤明けの夏帆さんくらいのものだ。

 

「・・・つーことで」

 

 いつも使っている座布団の横に置いてある杖を取って、俺はゆっくりと立ち上がる。それから床を傷つけないよう、小さな力でコツコツと触れながら俺は玄関を目指した。

 

 その時、後ろから声がかかる。夏帆さんだ。

 

「こんな時間からどこ行くの?」

 

「ちょっと散歩にでも。明日になるとみんな忙しくなってドタバタするでしょうし、ゆっくりできるのは今日くらいかなって」

 

「一人で? どこまで行くの?」

 

「たぶん、港くらいまで。そう遠くまで行くつもりはありませんよ。迷子になるのも嫌ですし」

 

「ふーん・・・」

 

 それから少し考え込んでいるのか、夏帆さんは言葉を止めた。やがて何か思い立ったのか俺が予想もしなかった言葉を口にする。

 

「ね、迷惑じゃないなら、私も行っていいかな。港の方行ついでに買い物しておきたいし」

 

「いいですよ。・・・というか、1人で歩くとの誰かがいるのじゃ話違うんで、正直助かります」

 

 思えば夏帆さんと二人きりで意味のある時間を過ごすのは、病院以外だと初めてなような・・・。どこか変な気持ちだ。

 

「というか、それはいいんですけどもう寝なくて大丈夫なんですか? ここ最近夜勤続いていたと思うんですけど」

 

「明日と明後日が休みだからね。ちょっとくらい体力使っても平気なの」

 

「そうですか。・・・それじゃ、行きますか?」

 

「うん」

 

 先に外に出て俺は夏帆さんの支度を待つ。今日の天気がどんなものか、俺の瞳はそれを映すことは出来ないが、少なくとも凍てつくような寒さはあまり感じなかった。

 

---

 

 港まで緩やかに下る坂道を、夏帆さんを隣にして俺は下っていく。・・・うん、やっぱりなんだか変な気持ちになりそうだ。

 体裁上、今は二人に引き取られているとはいえ、傍から見れば友達の母親と二人きりだ。なにがあればこんなことが起こるのだろうか。

 

 などとモヤモヤしていると、夏帆さんは懐かしむような声色で言葉を紡いだ。

 

「昔ね、保さんとよくこの道を歩いてたの。今じゃ、あの人の仕事柄車での移動のほうが増えちゃったけど」

 

「そうなんですね。そのころから保さんは、ああいう人だったんですか?」

 

「うん。不器用で頑固で、だけど内心は優しくて少し臆病で。その繊細さが、私は好きになったんだろうなぁって思うの」

 

「でも、当時はガチガチに規制もあったことですし・・・。陸に上がることを反対されたんじゃないですか?」

 

 少なくとも俺は仕方ない部類に入ると思うが、この人が陸に残ったのは自らの意志だ。当然、追放という立場になる。夏帆さんも流石に海の人間だ。それに対して何も思わない、なんてことはないはずだ。

 

 そんな夏帆さんは、声のトーンを下げて昔を語る。

 

「うん、反対されたよ。うちはお父さんしか残ってなかったけど、もう大反対。結局夜逃げするくらいの勢いで陸に上がってきて、そのままってことになっちゃった」

 

「それから、何の連絡もないって訳ですか」

 

「・・・というより、千夏が生まれて10年たった時くらいかな。亡くなっちゃったの。なんか酒癖が一層ひどくなったらしくて、それで」

 

 うっすらとしか覚えていないが、そんな感じで亡くなった人の話を俺は覚えている。今から9年や10年前の話だから、おそらく間違いないだろう。

 俺がちょうど、壊れ始めた時期だ。

 

「あの時はすごく苦しかったな・・・。お父さん死んじゃったことはもちろん悲しかったけど、けどこれで私を縛るものがなくなったって思った瞬間、気持ちが軽くなったのも事実だったの。これで、私が海に帰らないことを悲しまない人がいなくなるって。・・・あはは、嫌な人間だよね、ホント」

 

「・・・」

 

 それは、俺の知らない世界。

 一人になることに喜びを覚えたことなど一度もない、俺の知らない世界だ。

 だけど、夏帆さんの気持ちは、痛いほど理解できる。

 

 

「それで、今はこうやって陸で生きてるの。陸の生まれの好きな人と、陸で子供を生んで、陸で母親になってる。海に私の帰る場所はないって、諦めれるようになった。でも・・・」

 

 そこでいったん夏帆さんの言葉と足が止まる。だんだんと震える声は、泣いているのかと思うほど寂しいものだった。

 

「お父さんのこと・・・まだちゃんと弔ってあげられてないのが・・・嫌なの」

 

「夏帆さん・・・」

 

「喧嘩別れしちゃったけど・・・それでも私の大切な家族だったの。それなのに、10年近く何も出来ないで・・・」

 

「帰ろうとしたことは?」

 

「当時は五年前なんかよりももっと厳しかったから、足を踏み入れるのも許されなかったよ。・・・帰れずじまいで、弔うことも出来ずに。だから私は、そんな悲しいことなら忘れようと躍起になって生きてきたの。・・・なのに、なんでだろうね。お舟引きが近づくたびに、この感情を思い出すの」

 

 改めて夏帆さんが「海と離別し、陸で生きる覚悟を決めた人間」であることを思い知る。今以上の規制の中、この決断をしたのはとても苦しかったことだろう。

 あかりさんにしても、みをりさんにしても、多分、同じような感情を抱いている。

 

 幸せを掴むために行う決断にしては、やはり対価が大きすぎる。

 

 ・・・そうだ。だからこそ俺は、陸と海を繋ぎたかったんだ。

 因習も血の価値も関係なく、隔たりのない二つの大地を繋ぎたくて、俺はあの時陸に残ることを選んだはずだ。

 

 目が見えなくなって、生きることに焦らないようにと、全力を出さないようにと意識はしてきたけれど、これだけは譲れない。

 それに、お舟引きの答えは五年前のあの日、ちゃんと見つけたはずだ。

 

 だから俺は今一度海へ行く必要がある。例え何が見えなくても、思いを伝えるために。

 

「・・・絶対近いうちに、海と陸を繋いで見せますよ。そしたら夏帆さんは御父さんの弔いが出来るはずです」

 

「確証はあるの?」

 

「ないですよ。・・・ただ、これまでもずっと漠然とした予感を信じてここまで来ました。・・・それに、1人じゃないんですよ。海と陸を繋ぎたいと思っているのは。だから・・・大丈夫です」

 

 この言葉のどれだけが夏帆さんの励ましになっているかは分からない。

 けれど、それに満足したのか、夏帆さんの声色は上側に傾いた。

 

「・・・そうね。千夏だってそうだもの。なら親として、私たちはそれを信じなきゃいけないよね」

 

 俺はその言葉が聞けて良かったと、一度満足そうにうなずく。

 起こしたい未来を信じる。それがきっと、人にとって大切な力なんだと今ならそう思える。

 

 それから肩の力を抜くように夏帆さんは息をふっと吐いて、呟いた。

 

「遥くんも」

 

「?」

 

「幸せになること、諦めちゃだめだよ?」

 

「・・・大丈夫ですよ。迷うことはあっても、諦めはしませんから」

 

 それだけはないと誓う。ここまで支えてくれた全ての人に。これからも傍にいてくれる人のために。

 

 

 頭上を吹き抜ける風は、どこか春色に似ているような温かさを帯びている。いつかこれが海に吹き抜けることを願って、俺は坂道を下り終えた。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 幾十話ぶりかの夏帆さんメイン回です。思えばここまで細かな描写って書いたことがあったかどうか・・・。しかし、水瀬夏帆という人物が海の出身である以上、この話は避けては通れないように思ってました。そう考えると前作があまりにも漠然的過ぎましたね。こういった要素をつけ足すだけでもこのリメイクを始めたことに意味があったと言うもの。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百三十六話 星を往く願い

~遥side~

 

 時は流れ、お舟引きの当日を迎えた。昨日も昨日で準備の現場に向かったが、やれ暇さえあればいろんな奴から声をかけられたような気がする。紡にしろちさきにしろ、光にしろ漁協のおっさん連中にしろ、それはもうたくさんだ。

 

 その賑やかな位の愛が、とても愛おしく思えた。改めて、これが自分の生きてきた証なのだと思い知る。目を失っても、自分が築いてきたものははっきりと見えていた。

 

 ああ、そうだ。なんか要が吹っ切れていたな。

 言えば、「僕も、ようやく踏み出せそうかも」だなんて。美海から後で耳打ちで教えてもらったけど、どうやらさゆからの盛大なラブアタックを喰らったらしい。

 

 確かに、あいつに一番必要なのは「一番にあいつを思ってくれる人」だったからな。それに要は巡り合えたって訳だ。二人の性格だ。ちょっと色々頓挫するかもしれないけれど、きっとなんとかなるだろう。

 

 ・・・あとは、あの暴れん坊将軍の恋物語だな。

 

---

 

 一昨日は夏帆さんと下った坂を、今日は少し急ぎ気味で千夏と下る。こいつには母親譲りのしなやかさはないのか、全く・・・。

 

「そんなに急がなくても間に合うだろ・・・」

 

「いーや、遥くんの準備に時間かかるんだから、その分早く行っとかないと! ・・・乗るんでしょ? 舟」

 

「ああ」

 

「着るんでしょ? 服」

 

「もちろん」

 

「だったら時間かかるでしょ。あの服、初見で着るの結構時間かかってたんだから。五年前そうだったし」

 

 なんて口実を並べてはみるものの、千夏はただ心が逸っているだけのように見えた。・・・というより。

 

「千夏、その・・・」

 

「何?」

 

「怖くないのか?」

 

「んー・・・。そうだね、怖いよ。遥くんにとっては五年前だけど、私にとっては今年同然の感覚だもん。嫌なくらい、焼き付いてるよ」

 

 そうは言いつつも、その声音は底抜けに明るいものだった。怖い、とは言うものの、怖気づいているようには思えない。そんな声色だ。

 それを説明するかのように、千夏は続けた。

 

「でもね、普通に楽しみなの。それってやっぱり、みんなでやるからなんだろうね。・・・遥くんに、海の皆に逢うまで、私はいつも円の外にいてばかりだったからさ。だから今、こうして同じ輪の中にいれるのが嬉しい」

 

「そっか」

 

「もちろん、その行き過ぎた願いが、あの日私を海に引っ張ったんだってことも分かってる。だから、いつまでも一緒が続かなくていい。今あるこの一緒を、ずっと噛みしめて生きていたいの」

 

 それは自分に暗示をかけるように。はたまたいつかの声に答えるかのように。

 千夏のその言葉は、俺の心と、ここにいない誰かの心にきっと届いているだろう。俺はそう信じる。

 

「・・・さて、話してたら足が止まったが?」

 

「あっ! ほら、急ぐよ!」

 

「忙しいなほんと・・・」

 

 こうやって何度も千夏には振り回された。いいことも悪いことも、いっぱい経験をしてきた。

 ・・・いつか終わりが来るとしても、俺はこんな日々をずっと望んでしまうだろう。それほどまでに、今の千夏と一緒にいるのは心地のいいものに思えた。

 

---

 

 漁協についてからは、千夏の言うように忙しい準備が待っていた。

 お舟引きの陸側の衣装・・・写真でしか見たことが無いが、実際着ようとしてみるとそれはもう時間がかかるのなんの。

 紡に仕立てられ、光にからかわれ、要にすらもクスリと笑われて。

 

 それは背丈がどれだけ大きくなろうと変わらない距離。五年前にずっと描かれていた光景。ずっとこうやって歩んでいくはずだった光景。

 一緒に歩んでいく、ということこそ叶わなかったけれど、失うこともなかった。人と人の距離に、時間など意味をなさないと今は信じる事が出来た。

 

 そして支度が終わるなり、俺は外の空気を吸いに建物から一度離れた。開始まであと40分くらい。その間に気持ちの整理でもしておけとのことだろう。

 あれだけ閑散としていた街も、この日はやっぱり賑わうもので、俺の耳に入ってくる音は聞き取れない言葉の数々と雑踏ばかりだった。聴覚が敏感になった分、音は倍になったかのように聞こえる。

 

 その中で一つ、聞きなれた靴の音がこちらに向かってきた。・・・この五年間も一緒にいた。色々変わろうとも、空気だけで誰がいるのかはすぐに理解できる。

 

「こんなところに来て、どうしたんだ? 美海」

 

「ただの暇つぶし。こんなに暇なら、集合時間もっと遅くしてもよかったでしょ」

 

「はっ、全くだよ」

 

 忙しくなるから、なんて言われて急いで来てこのザマだ。やっぱり逸ってただけじゃねーか。

 お互い苦笑いを浮かべて、それが終わって、美海は俺に今一度問いかけてくる。

 

「・・・やるの?」

 

「ああ。流石に『大丈夫』って胸張っては言えないけどな。流石に目が見えないんじゃ不測の事態になるとお荷物だ。頑張って耳と空気感でやってくけど、無理はしない」

 

「その言葉が聞けたからいいよ。・・・なんかさ、不思議だよね」

 

「何が?」

 

「遥は五年経ってるのにお舟引きのこと知らなくて、みんなお舟引きやってるのに五年前と変わらない姿の人がいて、って。改めて考えると、やっぱりおかしい」

 

「そりゃ、色々とあべこべになっちまったからなぁ・・・」

 

 こんな世界じゃ、常識を疑った方が早いまである。

 そんなことを思っていると、「でも」、と小さく呟いて、美海は続けた。

 

「でも、みんな変わってないよね。・・・光が起きてから、少しずつ起きてくる人が増えた。そしてだんだんと昔揃ってた『みんな』が戻ってきて、それで思わされたの。どれだけ大きくなっても、変わってないって。・・・遥から見て、私はどう?」

 

「・・・難しい質問だな。・・・けど」

 

 美海が何を思って「変わっていない」と言いたいのか、その言葉の意味はちゃんと理解している。

 そして、美海がどうありたいのかも、分かる気がする。

 

「変わってないよ。そりゃ、こんなに成長した。賢くもなったし、強くもなった。けど、すぐに拗ねるし、負けん気も強いし、それでいて優しいし・・・、そこら辺は、何一つ変わってない。んでもって、俺はそれでいいと思ってる」

 

「・・・ん」

 

 少しくすぐったそうな声だけ出して、それから美海は黙り込んだ。そうやって照れるところも、多分変わってないんだよ。

 かくいう俺も、きっと変わってない。・・・まあでも、悪いところが変わってないから目が見えなくなったわけだし、そこは善処。

 

 さて、あと30分くらいかな・・・。

 

 ぼんやりとそんなことを思っていると、ふと美海に尋ねたくなった。それは視力を失う直前の日に千夏に聞いたことと一緒。

 いつまでも、人間関係に囚われただけの生き方は出来ないから、俺はちゃんと、美海の「夢」について聞きたかった。

 

「なあ、美海」

 

「どしたの?」

 

「千夏にはこの間聞いたんだけどさ。美海にはまだ聞いたことなかったことがあるんだよ。美海はさ、将来何をしたいんだ?」

 

「将来の夢、ってこと?」

 

「そう」

 

 それからしばらく考えこんでいるのか美海は黙り込んで、それから答えを提示するより先に質問を質問で返した。

 

「千夏ちゃんは、なんて答えたの?」

 

「千夏か? ・・・あいつは、夢ははっきり決まってないけど、もし叶うなら海で生きたいって言ってた。それがあいつの、子供の頃からの夢だって」

 

「そっか、らしいや。千夏ちゃん、ずっとそう言ってたからね。海の中で生きることが夢だって。・・・そっか、ずっと変わらないんだね」

 

 遠く昔を懐かしむように美海は呟く。それは俺が千夏や美海を知る前からの記憶だ。古びた思い出な分、さぞ奥深くまで染み込んでいることだろう。

 

「それで、美海はどうなんだ?」

 

 尋ねた言葉に対して、今度こそ美海は答えを出した。

 

「私は・・・逆かも。どこで生きたいか、じゃなくて、何をしたいか。それだけは一つ、決まってることがあるよ」

 

「それはなんなんだ?」

 

「私は、人を助けることをしたい。働いてたら巡り巡って誰かを助ける、なんてみんな言うけど、そんな曖昧なものじゃなくて、私の手で、言葉で、多くの人の助けになりたい。昔、遥にそうしてもらったように。・・・私が遥に、そう思ってるように」

 

「そうか。・・・難しい道だぞ?」

 

「難しいことは私なりに理解してるつもりだよ。ただ『優しさ』を振りまくだけじゃいけない。そこには言葉の意味の重さと向き合う覚悟がいるってこと。全部、全部遥が教えてくれたから」

 

 見なくても分かる。きっと美海はいつも通りのまっすぐな目をしてるだろう。

 だから、何も心配はいらない。美海はちゃんと、人を助けることの難しさと、正しさを知っている。これ以上俺がとやかく言う必要もないし、心配する必要もないだろう。

 

「なら、大丈夫だな」

 

「うん。後はどうやって、それを仕事に出来るか探していくつもり」

 

 美海は自身を持ってそう答えた。その答えに満足して、俺は天を仰ぐ。

 もうすっかり日も落ちたことだろう。海から上に登っていったひんやりとした空気が空にとどまっている。

 

 そこに星が出ていることを願いながら、俺はまた一つ、口から息を吐いた。

 




『今日の座談会コーナー』

復帰してからここまで、おっそろしいほど早かったようなそうでなかったような・・・。もうお舟引き直前ですか、と少し驚いています。
前作ではほとんど触れることなかった二人の夢、今作ではちゃんと言葉になりました。そして、まだちゃんと夢を語っていない人間が一人いますね・・・。その言葉はいつになったら合われるのか、ぜひ楽しみにしていただければ。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百三十七話 世界、開く時

~遥side~

 

 時は過ぎ、お舟引きは始まった。揺れ動く船の上に立ち、先端から熱を放つ棒を渡される。さしあたり松明だろう。

 俺は光が乗る先頭の船から一つ右後ろの船に乗っていた。曰く、一番先頭の船が五年前のダメージが一番ひどかったらしい。そんなものにこの状態で乗れるわけがないということだ。

 

 俺は大人しく従い、前の船で光がバサバサと振る旗の音に耳を澄ませた。それからさらに目を閉じて、光景を想像してみる。

 目が見えないのが幸か不幸か、俺の心の瞳に映るお舟引きの光景は、海が凍てつく前のものだった。だからこそ今この空間がどこか嬉しく思う。

 

 そして船が止まる。先頭の船にあったおじょしさまが海へと降ろされて・・・。

 

 その時だった。

 

 ドン、と一つ大きな音が鳴ったと思うと、船の動きが急に不安定になりだした。流石に海で生きてきた人間だから見なくても分かる。これは・・・渦だ。しかも複数の。

 明らかに異常なことが起きている。それに気が付いた俺はすぐに同じ船に乗っていた千夏に声をかけた。

 

「千夏! 五年前もこんなことが起こったってのか!?」

 

「いや、五年前よりも今回の方が・・・って、キャッ!?」

 

 話途中にも関わらず、一際大きな揺れが船を襲う。船体がギリギリ転覆するかしないかくらいの波だ。

 

 本来ならば、これくらいならバランスをとってすぐに動ける。・・・はずなのに。

 視力を失くした俺に対処など不可能で、体は放り投げられるように海へと落ちていった。

 

「遥くん!」

 

 千夏は手を伸ばしているのだろうか。けれどその手がどこにあるのか、今の俺には分からない。

 そして体に冷たさが走ったかと思うと、俺の身体は水底へと引っ張られていった。

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 何も見えない。身体が沈んでいることだけは分かる。本来ならすいすいと泳いでいるはずの海なのに、今はどこに向かい、何をすればいいか分からない。ただ呼吸だけをして、俺は沈んでいく体に身を任せる。

 

 音もなくなった。

 だから今俺はどこにいるのか分からない。きっとただもがいて上を目指せば陸にいるだれかが見つけてくれるだろう。だから、怖くはない。

 

 ・・・怖く、ないわけないだろ。

 

 心のなかで自分を怒鳴りつける。

 怖くない? よくもまあそんなふざけたことが言えたもんだ!

 そこはかとなく怖い。今この瞬間ほど、孤独に苛まれたことがあっただろうか?

 

 何も見えないで、誰の声も聞こえないで。

 俺が上を目指さないのは、怯えて体が竦んでいるからだ。それを知っていて、怖くないなんて無理は言えないだろ・・・!

 

 熱くなった心は、今にも暴走寸前となる。呼吸は歪になり、いよいよ体は言うことを聞かずに沈んでいく。

 

 その時、頭の中を一つの言葉がよぎった。「誰か、助けて欲しい」と。

 

 俺は今まで、それを願ったことがあっただろうか。心の奥底では思っていても、それを言葉にしたことはなかったのではないだろうか。

 そんなことを思うと、少しだけ頭から血の気が引いていく。

 

 そしてその瞬間、俺を呼ぶ音が聞こえたような気がした。

 

 

『・・・初めまして』

 

「誰だ・・・?」

 

 少なくとも、その声は聞いたことはない。・・・いや、一回、二回、少しだけあったような気がする。ただ、その正体が何なのか、それを俺は知らない。

 

『私は・・・ただの、海の藻屑です。今はもう、実体もない』

 

「・・・そうか、あんたは」

 

 これは・・・おじょしさまの思念だ。それも、「原初のおじょしさま」の。

 海神様の思念が海を支配するように、おじょしさまの思念もまた、海を彷徨っているみたいだった。

 

『お気づきになられましたか』

 

「なら一つ確認させてくれ・・・。千夏を海に引きずり込んだのは、あんたか?」

 

『・・・その千夏、という人間が誰かは存じ上げません。ですが、「ずっとこのままだったらいいのに」という想いに報いようとした、そんな過去はあります』

 

 全てのつじつまがあう。五年前の千夏失踪の元凶は、やはりこの人で間違いないようだった。

 怒りたくもなる。けれどそれは結局後の祭りで、今更そんな感情を抱いたところで時間は戻らない。

 

「そうか」

 

 そう短く返して、俺は黙り込んだ。

 それから意識も少しずつ沈んでいく中で、おじょしさまは俺に問いかける。

 

『少年、あなたは・・・』

 

「なんだよ」

 

『目が・・・見えないのですか?』

 

「・・・ああ。だから今こうして、あんたと出会ったんだと思う」

 

 多分、見えていれば俺は誰かと一緒にいただろうし、今この展開を迎えることはなかったのだろう。ある意味これは、運命のようにも思える。

 

『・・・そうですか、なら』

 

 その言葉が聞こえた瞬間、俺のおでこに何か温かいものが触れたような気がした。温度は時間が経つにつれ、全体を包んでいく。気が付けば、身体は沈むのをやめていた。

 

 ・・・そして、長い事開ける事はなかった瞼がだんだんと開いていった。

 

 そこには、酷く寂しい、モノクロの暗い海が映っていた。

 

「これはっ・・・!?」

 

『私には、自分のものを誰かに共有する力が残っているみたいです。残っていたものは、目と、心と、声。・・・誰に与えられた力かは、分かりませんが』

 

「・・・なら、千夏を引きずり込んだのも、あんたの意志の共有、って訳か?」

 

『おそらく。・・・だからこれは、その過去の贖いでもあります』

 

 つまり、俺のこの今の視界は、おじょしさまの視界が共有されたもの。モノクロであるのはきっと、この人にとって今の世界がそれくらいにしか思えていないからなのだろう。

 共有されているだけであって、いつこの視力がまた奪われるか分からない。それでも俺は、久しぶりに瞳が光を映したことに喜びを感じずにはいられなかった。

 

「なんにせよ、助けてくれたことには感謝する。・・・ありがとう」

 

『いえ。・・・いつか誰かに、最後の寄与を行う必要があったので』

 

「最後・・・?」

 

『私は本来存在してはいけない者。例え塵芥の一つとしても、思念すら持ってはいけない者。だからこの想いを誰かに託し、消える必要があります』

 

「それがたまたま俺だったって訳か。・・・けど、あんたそれでいいのか?」

 

 ウロコ様は昔、海神様は自身にまつわる記憶をおじょしさまから消したと言った。

 目の前の光放つ塵芥は、困惑を示すように舞った。やはり、覚えていないのだろうか。

 

「あんたは、愛した海神様への想いを頼りに、この海に来たんじゃないのか?」

 

『海神様・・・? ・・・あ、あああ・・・』

 

 何かを思い出したように、残留思念は声を挙げる。そこには深い悲しみと、嘆きが滲んでいるように思えた。海にいるから、というのもあるだろう。かつて奪われた記憶を、残留思念は取り戻しつつあった。

 

『私は・・・あの人を』

 

「伝承で聞いた。二人が不幸せな最後を迎えたこと。・・・でも、お互いの気持ちがすれ違っていたわけじゃなかった。ただ、それが届かなかっただけで」

 

『・・・それを、消えかけている今に言われても』

 

「だろうな。・・・でも俺はそれを伝えることができる。あんたに託された瞳で、あの人を見つけることができる。・・・だから、全部、俺に託してくれ」

 

 今なら、全てを変えられる気がする。そう思えるのは、視力を失ったこの三週間で、俺自身がより前に進めたから。

 だから、その願いを託して欲しい。一緒に叶えたい。俺は近くの岩場に止まっていたウミウシを手に乗っけて、おじょしさまの方に差し出した。

 

「想いを・・・込めて欲しい」

 

『・・・』

 

 覚悟を決めたように、おじょしさまの思念から言葉が溢れる。やがてウミウシが吐き出した石の色は、紛れもない白色だった。それを手に握り、俺は前を向く。

 

「・・・確かに預かった。絶対、届けて見せる」

 

『私が思いを託した最後の人間が、あなたでよかった。・・・そう思わせてください』

 

「ああ。任せてくれ」

 

 それから光る塵芥はバラバラになっていく。最後に光を失って、もう二度と声が聞こえることはなかった。

 けれど、託されたものが俺の中で生きている。色のないこの瞳と、思いの籠った石と。

 それだけを握って、俺は前を向く。

 

 

 次に耳に入ってきた音は、いつかと同じ、サラサラと砂が流れる音だった。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ということで、前作には全く登場する気配のなかった「原初のおじょしさま」という存在を持ち出してみました。うんまあ、こうでもしないと視力取り戻せないし・・・。しかしこれはこれで、前作よりも最後のシーンの深堀とこれまでの伏線を回収できたのでよしだと思っています。
 残すところあと何話でしょうか。もうそう長くない物語ですがぜひ最後までお付き合い宜しくお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百三十八話 好きの気持ちは

~千夏side~

 

 五年前と同じように、海上に渦潮が起こる。それも、五年前よりも遥かに大きな規模で。

 私はその場で佇む。というより、動くことなど出来なかった。動いてしまえば、すぐにでも海に落ちてしまいそうな、そんな予感がしたから。

 

 しかし、そうやってセーブが出来る私と違って、遥くんは大きな波に船がさらわれかけたのとついでに海に振り落とされた。必死に手を伸ばしても、遥くんはあらぬ方向に手を伸ばす。私のことなど、もちろん見えてない。

 

「遥くんっ!!」

 

 飛び込もうとして、その体は一度止まる。五年前の記憶が脳裏を過った。

 あの時もそうだった。誰かを助けようとして海に入って、急に体が引っ張られて、そのまま五年の眠りについて。

 ・・・もう、あんな思いはしたくない。私は、皆と一緒に、「進み続ける」時間を生きていきたいの。

 

 ・・・でも。

 ここで立ち止まって、皆といることを選んだ、って言ってもきっと遥くんは喜んでなんかくれない。私が好きになった、島波遥という人間は、いつだって強かった。視力を失って、心折れかけた今だって、まだ強いと私は思ってる。

 

 そんな遥くんに憧れたんだ。せめて形で、それを証明したい。

 決心した私は海へ飛び込んだ。その視界の彼方で、まなかが海に落ちていくのが目に映る。

 

 ・・・ごめん、まなか。少しだけ待ってて!

 

 優劣なんてつけるつもりはない。けれど私に出来ることは、同じ船に乗っていた遥くんを助ける事だった。

 助ける、って。約束したんだから・・・!

 

 深く深く潜っていく。あの日の強張った体の感触は今でも覚えているが、それに負けない意思だけが、私を動かした。

 そして、たどり着く。息を切らして、名前を呼ぶ。

 

「遥くん!」

 

---

 

~遥side~

 

 音に引き寄せられて、俺は動き出そうとする。

 その瞬間、俺を呼ぶ声があった。千夏だ。

 

「遥くん!」

 

「どうしたんだよ、そんなに焦って」

 

「そんなに焦って、って・・・。目が見えないのに落っこちたんだよ! そりゃ焦るでしょ!? って・・・」

 

 千夏はだんだんと声を失っていく。どうやら気が付いたみたいだった。

 

「見え、てるの・・・?」

 

「ああ。ちょいととんでもない奴にあってな。・・・時間制限かどうか分からないけど、視力を託されたんだよ」

 

 身体を小刻みに震わせて、両手で口を押えて、千夏はわなわなと震える。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。

 

「そっか・・・そっか・・・!」

 

「ありがとな、心配してくれて。・・・とりあえず、今は大丈夫だ。全部見えてる。・・・ただし、色なしだけどな」

 

 それでも、この瞳を託された義務が、俺にはある。

 その義務を果たすには、今すぐにでもここを動く必要があった。全てが、手遅れになる前に。

 

「ところで千夏、周りはどうなってる? 誰にも何も聞けなくてさ」

 

 俺の問いかけを受けて、千夏は目元を少し赤くしたまま本題に戻った。

 

「船は安全圏まで引いてる。多分、ちさきちゃんと伊佐木くんあたりが誘導してくれてるよ。・・・ただ」

 

「先頭の船、か?」

 

「遥くんを助けに海に飛び込む直前に、まなかが海に振り落とされるのを見たの。先島くんと美海ちゃんが同じ船に乗ってたはずだから、二人が助けに行ってると思う」

 

「まなかが、となるとまずいぞ・・・。千夏、追っかけるぞ!」

 

「え、あ、うん!」

 

 俺は当てもなく、ただ音が聞こえる方へ泳いでいく。今更ながら、今日の海はどこまでも凍てついているように思えた。

 少しすると、視界の端に光の粒のようなものが見えた。さっきと同じ残留思念のように見えるけど・・・人がいる。

 

 あれは・・・。

 

---

 

~美海side~

 

 まなかさんが海に落ちたのは、遥の乗る船が大きく揺れてから少ししての事だった。

 千夏ちゃんが遥の名前を呼ぶ。その声で、遥も落ちたのが分かった。

 

 それでも、動揺する暇なんてなかった。私の目の前でだって人は落ちてる。

 それに、エナをもたないまなかさんは海を泳ぐことが出来ない。それを分かっているから、同じ船に乗っていた私と光、紡さんで迷うことなく海へ飛び込んだ。

 

 肌を切り裂くほど冷たい海をかき分けて、私は沈んでいく背中を追いかける。気が付けば、まなかさんの所に誰よりも早く辿り着いていたのは私だった。

 

「まなかさん!」

 

 沈みかけている体の手を取って、自分のほうに抱き寄せる。

 それでも、サラサラ、ピキピキと音は続いてく。それは、またこの間のようにまなかさんのエナがはがれていく音だった。

 

 ・・・?

 いや、違う。まなかさんのエナは、はがれてなんかいない。じゃあ、この音は?

 

 その時、私のエナの光沢がより一層強まるのが分かった。その瞬間、私は事の全てを察する。

 あの日、海に落ちた私を包んだエナは。

 あの時、汐鹿生に導いてくれたこの音は。

 

「・・・全部、まなかさん、だったんだね」

 

 今の私のエナを作ってくれたのは、まなかさんだったんだ。おじょしさまとして眠りながら、私にこんな力を与えてくれた。

 だから・・・今、目の前のまなかさんを助けるだけの理由が、私にはある。

 

 どうにか息を逃さないように、とまなかさんをさらに自分の身体の方に引き寄せた瞬間、私とまなかさんを包むように光が生まれた。

 それは、今の海には似つかわしくないほど温かい。その心地よさに、私は目を伏せた。

 

 するとそこから、私に無数の言葉が流れてきた。それは、まなかさんが光を思う気持ち。「ひーくんが好き」と、心からの声が私に伝わってくる。

 

 ・・・うん、分かるよ。誰かをまっすぐ愛してる、その気持ち。

 

 その気持ちに答えるように、私は独り言をつぶやいた。

 

「私も、好きな人がいるんです。・・・ずっと間違え続けて、何もうまくいってなくて、思いも、全部届いてないけど。・・・それでも、届けたいなぁって、思うんです」

 

 いつかは、怖がって、破壊して、逃げ回ろうとした感情。

 いつかは、自分には似合わないと諦めかけて、何も触れないでいた感情。

 今は、真正面から向き合って、ただ切に届けたいと願う感情。

 

 膨れて巨大になったこの感情を抱きかかえて、私は生きていきたい。そんなことを心の内に秘めて、私は独り言を唱えた。

 

 返事は、あった。

 

「分かるよ、私も」

 

 まなかさんは、目を覚ましていた。身体のエナがみるみるうちに光りだして、いつの間にか自然に呼吸をしていた。

 

「美海ちゃんの気持ち、ちゃんと伝わるよ。・・・すごいよね、好きの気持ちって。こんなに暖かくて、気持ちいい」

 

 「好き」の気持ちを愛するように、まなかさんはそう呟いた。

 それに合わせるように、あたりのエナはたちまちまなかさんへ吸い込まれていく。終わった頃には、まなかさんのエナはこれまで以上に艶やめいていた。

 

 もう、大丈夫だね。

 

「まなか!」

 

「向井戸!」

 

 そしてようやく、光と紡さんがやって来る。その遠くに、また誰か別の人影も見える。

 あとは、みんなに任せて・・・。

 

 ・・・!?

 

 

 その時、ゴゴゴと揺れ動くような音が耳に入ったかと思えば、私のいる辺りの潮の流れが大きく変わった。これは・・・次の渦だ。

 気づいた時には少し手遅れ。このままだと二人とも直撃を受けるコースだった。

 

 ・・・でもまだ、助けることは出来る!

 

「まなかさん、ごめん!」

 

「えっ・・・!?」

 

 茫然とするまなかさんを、私は目一杯の力で突き飛ばす。痛かったらごめん、と、更に小さく呟いて。

 それから数秒もしないうちに、私の身体を渦が包んだ。すごい勢いで、引き寄せられていく。

 

「きゃああああああ!」

 

 渦の中では行動なんて出来なかった。ただ流されて、沈んでいく。きっと五年前のまなかさんも、同じような経験をしたのだろう。

 

 ・・・苦しかったよね、分かるよ。

 

 同じ痛みに直面した今だからこそ、そんなことを思える。

 

 それから私は、抗うことをやめた。もう、何も出来る気がしなかったし、何をする体力も残っていなかった。

 

 もはや諦めに近いような感情を抱いて、私は瞼を閉じる。

 人間が死にかけると走馬灯を見るように、閉じた瞼の裏側には、私の大好きだったママの顔が浮かぶ。

 

 ・・・ママ、私、こんなに強くなったんだよ? 友達も沢山出来た。学校は・・・やっぱり少し苦手だけど、頑張れてる。

 それにね、好きな人も出来たの。・・・ママも知ってるよね。遥。あれからもっと仲良くなって、今じゃずっと、遥の事ばかり思っちゃってるの。恥ずかしいから、千夏ちゃん以外には言わないんだけどね。

 

 ・・・ねえ、ちょっと休憩しても、いいよね?

 ・・・遥に、まだ何も言えてないけど。

 今は、ちょっとくらい休んでいいよね。

 

 

「・・・うな、美海! 美海!!」

 

 ・・・え?

 

 

 私を呼ぶ、愛しい声が聞こえた瞬間、私の意識はプツリと途絶えた。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 このシーンをこうしてまた書くことになるとは多分、この連載を開始した時点では思わなかったはずです。いやほんとにね、終着点を作るのが非常に難しかったんですよ。前作の時も。
 だから多分どこかで失踪するかもしれないとかそんなこと思っていましたが、こうして今現在最終盤までやってきました。連載はこれがあるからたまらないですね。喜びもまたひとしお・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百三十九話 凪のその先へ

~遥side~

 

 遠くに見えた光。光が取り巻いていたのは美海とまなかだった。

 まなかはしっかりと目を開いて、何か美海と話しているように見えた。何かがあって、まなかはエナを取り戻したのだろう。

 

 しかし次の瞬間、二人を一際大きな渦が襲う。

 美海は決死の覚悟でまなかをその渦から弾き出し、そのまま一人、渦に飲まれていった。それを見過ごす形で、俺は皆と合流する。

 

「遥! お前!!」

 

「話はあとだ光! 俺は千夏と美海を追う! まなかを連れて一旦海に上がっててくれ!」

 

「え、ああ!」

 

「遥、俺も行く。いいよな?」

 

「許可なんて取ってる暇ねえよ! 俺は行くぞ!!」

 

 俺の推測なら、海神様は美海をおじょしさまとして迎えようとしている。そしたら俺の知らない五年前の惨劇の二の舞だ。

 そんなこと、させたくない。させるもんか。

 

 全速力で、美海の名前を叫びながら、俺は一人渦に立ち向かいながら泳いでいく。この渦の終着点がどこかなんてのは、とっくに分かっていた。

 

 しかし、渦に抗う人間と渦に身を委ねている人間。スピードはけた違いなもので、たちまち手を伸ばしても美海は先に行くばかり。やがてその姿は見えなくなった。

 

 それでも、諦めることはしない。俺は一人、空洞を目指して泳いだ。

 

 何度も、名前を呼びながら。

 

 

---

 

 

 空洞に辿り着くころには、もう美海を膜が包んでいた。

 しばらくしてから追いついた千夏が、唖然として悲観しながら呟く。

 

「そんな・・・これって・・・」

 

「・・・ああ。まなかの時と一緒だよ」

 

 もう、ガードが完成してしまっている。さらに後からきた紡も、何かを察してか目を反らした。

 ・・・くそっ、何か手は・・・?

 

 そう思った時、俺は先ほど原初のおじょしさまと交わした約束を思い出した。この海のどこかにいる海神様に言葉を伝えると。

 もし、美海を包むこの膜を張ったのが海神様だとしたら・・・。

 

 そんな一縷の望みに賭けて、俺はその名前を呼んだ。

 

「・・・いるんですよね、海神様」

 

 返事などない。少なくとも残留思念とはなっていないようだった。それでもこの場所にいると信じて、俺はたらたらと言葉を続ける。

 

「今、あなたは美海を新しいおじょしさまとして迎えようとしている。そう仮定して、この話をします。どうか聞いてください」

 

 足元の木像が、小さく揺れる。

 千夏も紡も困惑している中、俺は淡々と続けた。

 

「あなたがずっとおじょしさまを探してた理由。それは、あなたがおじょしさまのことを死んだ今でも好きでいるから。あの日、愛する気持ちを奪っていて忘れようとして、それでもあなたは、おじょしさまが好きだった。そうですよね?」

 

 その正否は誰も答えない。おそらくこの話をどこかで聞いているであろうウロコ様も、何も言おうとしないだろう。

 

「実るはずがない恋だから、相手に陸の思い人がいたから、それで記憶を奪った。俺はそう思っています。・・・これを聞いてください」

 

 それから俺は、先ほどのウミウシの白い石をパッと手放した。石は沈むどころか、ゆっくりと浮かんでいく。それから爆ぜて、言葉が溢れた。

 

『どんな形になろうとも・・・私は、あなたを愛しています。海神様』

 

 それは、最後におじょしさまの思念が残した言葉。それは粉々になって、海へと溶けていった。答えるように、空洞を炎が包んでいく。

 

「・・・実体を失った今です。こんなこと言っても遅いと思うかもしれません。でも・・・愛した気持ちは、好きの気持ちは絶対に消えないんです。今、こうしてあの人の言葉は海に生き続けている。・・・結ばれているんですよ、こんな形になってもあなたたちは。だから・・・この気持ちは、決して間違いなんかじゃない!」

 

 張り上げた声と同時に、美海をを包む膜がはがれた。海神様はおじょしさまとなりかけていた美海を手放したのだ。俺の気持ちが、届いたのだろう。本物の愛がそこにあるんだ。偶像なんていらないだろう。

 

「千夏、美海を頼めるか?」

 

「うん。・・・でも、遥くんは?」

 

「もう少し・・・海神様に言いたいことがある」

 

「そっか。・・・分かった!」

 

 千夏は威勢のいい返事をして、そのまま美海を抱きかかえて空洞を離れていった。今は意識を失ってるけれど、美海もじきに目を覚ますだろう。

 

 だから今は・・・この気持ちの結末を見届けるため、俺はここに立つ。

 

「おじょしさまの声、届いてますか? あの人は、記憶を奪われてもこの海を彷徨って、あなたにこれを届けようとしました。もう、いいじゃないですか。世界を閉ざして、一人凍えていくことなんて、しなくてもいいんですよ。だから・・・」

 

 さあ海神様。・・・帰りましょう。原初の海へ。

 あなたが愛を覚え、愛に生きたあの頃の海へ。

 

「帰りましょう。・・・あなたがおじょしさまを愛したあの頃の海へ。・・・その愛の気持ちは、今ここでこうやって結ばれたんですから」

 

 

 蒼い炎が、爆ぜた。

 龍が天を泳ぐように、炎は街の方へと流れていく。次第に遠くに見える街の街灯に炎が少しずつ灯りだした。これまで死んでいたはずの海が、色づいていく。

 

 色づいて・・・。

 

 色・・・?

 

 語ることに夢中で気が付かなかったけど・・・いつの間にか、色が戻っている。この空洞は灰色でもの寂しいけど、強く強く揺れる蒼い炎は、どこまでも美しく見えた。

 

 この視界は、おじょしさまから託されたもの。おじょしさまが、映していた光景。

 それに色がつく、ということは・・・。そうか、海神様。あなたは・・・。

 

「分かって、くれたんですね」

 

 今の俺には、そう呟く事しか出来なかった。

 

---

 

~ウロコside~

 

 あれはもう、遠い遠い昔のお話。

 美しくもない女性と、子供が二人と、手を繋いで駆け回る。舞って、笑う。

 それをわしが、・・・いや、厳密に言うと儂ではないが、退屈じゃのうと呟きながら、その光景を微笑ましく見ておった。

 

 生きていた中で、何よりも温かく、心地のよい時間じゃった。あの時間を、失ってなお何度も夢に描いておった。

 取り戻せずとも、また思いあいたいと願っておった。

 ・・・願っておりながら、心を閉ざしておった。

  

 ・・・何も、間違いなどない。

 遥が言葉にしたように、儂はあやつを愛しておった。そしてあやつも・・・儂を思っているようじゃった。

 

 ・・・は。

 ・・・はは。

 

「ははは! 神が聞いて呆れる。好きな人の気持ちを奪っておいて、その気持ちが誰に向けられていたかまでは気が付かなかったか!」

 

 大きな自虐。それから訪れる後悔。泣きそうになりながら儂は笑う。

 

 ・・・じゃが、遥の言う通り、これで終わりではない。

 

 あやつの言葉はちゃんとわしに届いた。ならば儂も、その言葉に答えねばの。

 

 

「・・・私もずっと、あなたを愛しておりますとも。おじょし様」

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 遥の視力についての簡単なおさらいをしておくと、
「最初の遥自身の視力」→喪失、失明
    ↓
「おじょしさまの残留思念に触れ、おじょしさまの視力を託された」→残留思念が見ていた世界が見えるようになる。一方で、海が瀕死の状態のためモノクロに
    ↓
「海神様が心を開き、海の封鎖が終わる」→海が生き返ったため、視界が色づく
といった流れになります。つまり今の遥の瞳はおじょしさまのものであって、遥由来のものではないです。海が再び死滅すれば失明することになるって感じです。まあ海が死ぬこともないでしょうが。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百四十話 目覚めの刻

~美海side~

 

 意識を失う直前、最後に聞いたのは遥の声だった。

 それからしばらくして、意識を取り戻す。そこは膜の中。かつてまなかさんがここで眠っていたように、私もそこで動けないでいた。

 それでも、意識だけははっきりしている。そこで、遥が何か言ってる。

 

 遥は、必死に海神様に語り掛けていた。海神様がかつて持っていた愛の感情は、決して間違いなどではないと。

 私もそう思う、と心の中で呟き続けた。まなかさんの気持ちに触れて、更に心は熱くなっている。

 

 ・・・そう、好きの気持ちに間違いはない。今なら私も、もう迷うことはないの。

 

 

 それから蒼い炎が広がると同時に、私を覆っていた膜は砕けた。まだ動けないでいると、千夏ちゃんが私を抱き上げて、どこかに連れていった。そこでようやく、瞼が開く。

 

 

「・・・あ」

 

「美海ちゃん!? 大丈夫!?」

 

「・・・うん、大丈夫だよ。なんともない。ちょっと体が重たいけど」

 

 勝手が効かないわけじゃないけど、一挙手一投足が重たく感じる。さっき海に引き込まれた反動なのかな。

 それでも私は、今海を離脱するわけにはいかなかった。・・・おじょしさまの代わりになりかけた身として、おじょしさまに思いを託されたと言った遥の結末を、ちゃんと見届けたかったから。

 

 

「・・・千夏ちゃん」

 

「何?」

 

「もう大丈夫だから、降ろして」

 

「え、あ、うん」

 

 千夏ちゃんが抱えていた私の身体をそっと手放す。それから体はすっと馴染むように動き始めた。今の海は、これまでよりどこか暖かい。

 私は遥の方をまっすぐ見つめた。まだ何か、伝えきれてないのだろうか。

 

「ねえ美海ちゃん。さっき、何があったの?」

 

「簡単に言うと、おじょしさまになりかけてたのかも。だから、海神様の悲しい気持ちや、海に溶け込んだみんなの気持ちが全部入ってきてた。もう、頭がパンクしちゃいそうなくらいに」

 

「そっか、そうなんだ」

 

 これ以上は言わないけど。

 その中に、千夏ちゃんの言葉もあったんだよ。

 

 『このまま、一緒にいれたらいいのに』

 

 おそらくこれは、五年前に千夏ちゃんが願っていた気持ちそのものなんだろう。だから千夏ちゃんは、海に引っ張られて眠ることになった。

 あの時、私もそんなことを思っていたような気がする。変わってほしくないと、みんなで一緒にいたいと。

 

 でも、もう進みださなきゃいけないからね。この気持ちは、終わりにしないと。

 変わり続けることを悲しんで、でも、痛くても進んでいこう。

 

 ・・・なんて、今の千夏ちゃんならきっと分かってるよね。

 

「千夏ちゃん、行こう?」

 

「行くって・・・」

 

「私で、遥を迎えに行くの。また、いつ何が起こるか分からないからね」

 

 私たちはもう、助けられるだけの存在じゃない。愛されたいだけの存在じゃない。

 遥の力になると誓ったあの日から、私の覚悟は決まっている。

 

 その決意の据わった目に、千夏ちゃんは同じような表情で答えた。

 

「そうだね。行こっか」

 

 頷きあって、私たちはもう一度遥のもとへ向かう。

 それが、覚悟の証明であると信じて。

 

 

---

 

~遥side~

 

 街に火が向かっていったかと思うと、今度は穴倉自体が大きな揺れに包まれた。

 当然だ。自身がおじょしさま当人と結ばれていることを知った今、こんな偶像だらけの偽物の場所など海神様には必要ないということだ。

 

 時折すれ違うことはあるかもしれないだろうけれど、お互いに思い合っている、というその心に迷いなどない今、もう何も間違えることはないだろう。

 

 ・・・じゃあな、海神様。おじょしさまと幸せになってくれよ。

 

 それから俺は穴倉を抜けようとする。

 その時だった。

 

「あっ・・・」

 

 突如、膝からガクンと崩れる。アドレナリンが続いていたせいで気が付かなかったが、もともと俺は体を壊していた立場の人間だ。視力がなくなったことで、運動量もさらに減っていた。

 つまるところ、体力が殆ど失われていた。もうここを離れるだけの力も残っていないことになる。

 

 くそっ・・・だからといって、逃げないわけにも・・・!

 

 このままいては押しつぶされて一緒に葬られてしまう。それだけはどうしてもごめんだった。

 ・・・何か、誰か・・・。

 

 その時、俺の両肩に優しい手が触れた。それも、同時に二つ別々の。

 手が触れた瞬間、俺の身体を支配していた硬直は水に溶け込むようになくなっていった。安心して、目を伏せる。

 

「遥、お疲れ様」

 

「もう大丈夫だから、今は休んで。・・・ね?」

 

「ああ。助かるよ」

 

 美海と千夏に手を引かれながら、俺は穴倉を後にすることが出来た。それからしばらくして、穴倉は地殻変動を終え、完全に閉ざされる。

 

 穴倉の外には、一緒にここに来ていた紡が待っていた。

 

「・・・決着、ついたのか?」

 

「ああ。ちゃんと言いたいこと言ってきたよ。それに、海の温度が急に温かくなってるの、分かるだろ? これが証拠だよ」

 

「海の凍結は終わり、ってことか」

 

「ああ、多分な。・・・長かったよ、ここまで」

 

 俺が生まれた時には、もう異変の渦中にあった。だからきっと原初の海というものは、俺の知るこれまでなどより遥かに美しいものなのだろう。

 

 ・・・ああ、これからの日々が、楽しみで仕方がない。

 

 なんて思っていると、大声を挙げながらこっちに近づく人影があった。光だ。

 

「遥! 大丈夫か!?」

 

「ああ、もう全部終わったよ。みんな無事。それにお前も海の異変、気づいてるだろ?」

 

「あん? なんか異様にあったけえけど・・・そういう事なのか?」

 

「そういうこと」

 

 それが分かると、光はどこまでも嬉しそうな笑みを浮かべていた。握り拳に伝わっていた力は、これまで光がため込んでいた鬱憤の全てなのだろう。

 

「ところで遥。気になってたんだけど、その・・・目は」

 

「ああ。色々と訳あってな。今はちゃんと、全部見えてる。色も、形も」

 

「そっか・・・よかったぁ」

 

 美海の心からの安堵が、たちまち胸を締め付ける。・・・見えてない間、ずっと心配させてしまったもんな。

 頭を撫でたいような気分にもなるが、いかんせん人の目が多すぎる。行き過ぎた行動を行う前に控え、俺は一つ咳ばらいをした。

 ちょうど視界の遠くに、人影が入ったからだ。

 

「ところで・・・光、あれを見ろ」

 

「あれって・・・げ、親父!?」

 

 眠りから覚めたのだろう、灯さんがこちらに歩いてきていた。近くまできて立ち止まり、周囲を一度見回して、ため息を吐く。

 

「げっ、とはなんだ光。・・・全く」

 

「別に・・・。それより、冬眠はもういいのか?」

 

「ああ。よく寝たもんだ」

 

 グーっと体を伸ばして、灯さんは少し気だるそうにする。意識こそはっきりしていても、体は目覚めてすぐのものだ。まだ満足には動かないだろう。

 それから伸びを終えた灯さんは、美海のところまで行って、目線を合わせて声をかける。

 

「大きくなったな、美海」

 

「お久しぶりです、おじさん」

 

「あれ、美海って灯さんと面識があったのか?」

 

「冬眠する前に、何度かね。お母さんの結婚のこともあったし」

 

 そうか。あかりさんが美海の義母となった今、灯さんは美海にとっての「おじいちゃん」になるわけだ。面識もあって当然か。

 

「お母さん、か。あいつもずいぶんと上手くやってるんだな」

 

 灯さんはあかりさんの成長を思ってか、目元を少し細め、小さく笑っていた。あんな別れ方こそすれど、この人も人の親だ。娘の幸せが嬉しくないはずなどない。

 

「とりあえず上がろうぜ? 暖かくなってきたって言っても、海はまだ冷えるしな」

 

 まだ少しばかり冷たさが残る海に耐え兼ねてか、光がそうこぼした。それに賛同するように、紡らは上がっていく。

 

「千夏ちゃん、私たちも行こう?」

 

「うん、いいけど・・・。遥くんは?」

 

「あと少しだけここにいさせてくれ。五分もしないうちに上がるからさ」

 

「・・・そっか、家の事とかあるもんね」

 

 納得してくれた素振りを見せて、美海と千夏も陸へと戻っていった。・・・にしても光、不器用な配慮してくれやがって。

 

「あの光がこんな風に気を利かせられるようになるとはな」

 

「ええ。成長しましたよ、あいつも」

 

 俺はどうしても灯さんと真正面からゆっくり話しておきたかった。みんながどんどん目覚めるであろう今、こんな時間はこれ以降取れないような気がしたから。

 

「・・・遥君には色々と、礼を言わないとな。それと、謝罪も」

 

「やめてくださいよそんなこと。・・・もう海は元通りになったんです。いや、昔以上ですよ。こんなにいい結果が目の前にあるんです。過去を振り返って禍根を残すより、これからの海を考えていきましょうよ。というかあれは、俺の暴走でもあるんですから」

 

「大人には、大人なりの意地があるんだ。・・・通してくれ」

 

 うーん、この頑固者が。

 しかし気持ちは分かる。灯さんは海の代表者。背負っている責任は俺の想像など遥かに大きなものだろう。

 だから、俺はそれを飲むことにする。

 

「分かりました。謝罪も、礼も、受け取ります。・・・受け取るからには、俺も言っておかないといけませんね。五年前は、すみませんでした」

 

「ああ。・・・これでお相子だ」

 

「そうですね」

 

 そこでようやく、謝罪だの礼だのの煩わしい風習が途切れる。俺が話したいのはここからだった。

 

「これから海は、どうするんですか?」

 

「ああ。・・・まだ見てはいないが、陸と海はこの数年で大きく結びついたはずだ。光も、陸の子たちとあんなに上手くやっている。・・・だから、まずはここをいつでも帰ってこれる場所にしたいと思う。もちろん遥君、君もだ」

 

「それは嬉しいですね。・・・といっても、海の頑固者連中は手ごわいですよ?」

 

「心配するな。その頑固者の長が誰だと思ってる」

 

「そうでしたね」

 

 頑固者宮司は伊達ではない。上手く一喝し、うまく言いくるめるだろう。そこは安心できる、と俺はうんと頷いた。

 

 それから灯さんも陸へと上がっていく。あかりさんも待ってることだ。はやく顔が見たいのだろう。

 俺も早いところ陸へ上がって、みんなに顔を合わせたいけど・・・。

 

 最後に一人だけ、話しておかないといけない人がいるから。

 

 

 

「・・・出てきてくださいよ、ウロコ様」

 

 




『今日の座談会コーナー』

なんだかんだ言っても本編のクライマックス。書いていて気持ちのいいシーンでしたし、アニメ本編を見ていた時の懐かしい気持ちも思い出しましたね・・・。とはいっても、この作品はここで終わりではないです。もうちょっとだけ続くんじゃよ。というのも、まだ遥の真の「愛のコタエ」が出てきていないですからね。それまではぜひ見届けていってください。

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第百四十一話 親愛なるあなたへ

~遥side~

 

 俺の呼びかけで、ウロコ様は影の方から姿を現した。この現場での一部始終を見届けていたのだろう。だから、「見ていたのか」などと野暮なことを聞くつもりはない。

 

「・・・ウロコ様。あなたには、この未来が見えていましたか?」

 

「ふむ、面白いことを聞きおる。・・・そうじゃな」

 

 ウロコ様はしばらく黙り込んで、バツが悪そうに頭を何度か掻いてそれから答えた。

 

「はっきり言おう。儂には見えておらんかった。なんせ、愛する人の記憶を奪っておいて、その愛が誰に向けられていたか気が付かなかった存在じゃ。分かるはずもない。・・・今回は、儂の完敗じゃな」

 

「勝ち負けの問題じゃないでしょうに・・・。まあともかく、見えてなかったことは分かりました。なら、質問を変えます。これから海は、どうなりますか?」

 

「えらく抽象的なことを聞くんじゃの」

 

「海神様のウロコなら、分かると思って聞いてますから」

 

 どこまでもまっすぐな俺の視線から逃げられないことを悟ってか、その場に腰を下ろして、ウロコ様は悠長に語り始めた。

 

「分からぬ。・・・じゃが、きっとこれまでとは大きく異なる毎日が始まるじゃろうの。お主の働きかけもあって、海神様が力を取り戻した。今しばらくはそれが揺らぐこともないじゃろう。凪もじきに終わる」

 

「それじゃ、昔みたいな海が戻ってくると」

 

「少なくとも、お主らが知っている海の、その前の頃まで遡るかもしれんの」

 

「やっぱり、そうなんですね」

 

 一番信頼が出来るところから、一番欲しかった答えが来た。嬉しさで、表情が綻ぶ。あれだけ色んなことがあったけど、俺はやっぱり・・・この海が好きなんだ。

 

「逆に儂から問うてもよいかの?」

 

「いいですよ。一方通行なのはよくないですし」

 

「遥。お主はこれからどうするつもりじゃ?」

 

「えらく抽象的なことを聞くんですね」

 

「儂にも全く見通せん存在じゃからの。今のお主は」

 

 これからどうするか。

 それは多分、陸だの海だののことを聞いているのだろう。俺の夢がどんなものか、などと可愛げなことを聞いているわけではない。

 

 ただ、前者の問いなら、答えを出すのは簡単だ。

 

「どうもしませんよ。当面は陸に残りますけど、海にも帰ってきます。これからの海はきっと過ごしやすいでしょうし、何より陸の人間との間に生まれた子供にもエナが出来ることは証明されています。海側が陸に行く人を縛ることなんて、もう意味がないんですよ」

 

「そうじゃな。・・・遥、お主は」

 

「?」

 

 ふいに、ウロコ様はこれまで見せることのなかったような笑みをこぼした。人を小ばかにするわけでもなく、面白いものを見る目でもなく、ただ普通に、人が笑うような笑みをこぼして、言葉の続きを紡いだ。

 

「随分と成長したんじゃの。小賢しく、生意気だった小僧が今ではこんなになってしまった。儂が危惧しておった危なっかしさももう残っておらん」

 

「寂しいですか」

 

「この間みたいなことを聞きおって・・・。そうじゃな、少し寂しいもんかの」

 

 などと正直な回答が帰って来るものだから、たちまち俺の調子は狂った。してやられた、と思いながら、俺も苦笑する。

 

「今のお主なら、恋煩いも上手くやるじゃろうの」

 

「自信はないですよ。・・・でも、立ち向かえる自信だけなら、あります」

 

「そうか。・・・さて、お主をずっとここに止めておくのも野暮じゃの。早く陸へ戻り、お前を待つ人のもとへ行くがよい」

 

「はい」

 

 ウロコ様に背中を押され、俺は色づき始めた海を後にする。汐生鹿はだんだんと視界の端へと消えていくが、その最後までウロコ様はそこに立っていた。

 そうして海神様の欠片に見守られながら、俺はたどり着くべき場所へたどり着く。

 

 

---

 

 

 どうやら俺が陸へ上がった一番最後の人間らしく、皆はそれぞれ、各々の大切な人と再会していた。海の連中にしろ、陸で出会った連中にしろ、それぞれのハッピーエンドが、今ここで繰り広げられていた。

 

 その時、また身体が痛みだした。ついさっき美海と千夏に支えられてようやく動けた程度だったんだ。今更ぶり返しても、不思議じゃない。

 それでも歯を食いしばって、俺は人ごみをかき分けて会いに行きたい人のもとへ歩いて行った。途中何人もの人間に声をかけられたが、右から左に音を流して、適当にあしらって進んだ。

 

 そして俺は、俺の大切な人のもとへたどり着く。

 先に名前を呼んだのは向こうだった。

 

「・・・おかえりなさい、遥くん」

 

「・・・はい。ただいま、帰りました」

 

 少し目の端を潤ませた夏帆さんが、どうにか笑みを作って「おかえり」という。あくまでいつも通りを作り出そうとしているその気概に触れた俺も、また泣きそうになった。

 

 いつまでも、そこは変わらない場所だった。

 初めて会った時から、今の今まで、ずっと俺の帰りたい場所であってくれた。

 

「千夏から話は聞いたが・・・視力、戻ったんだな?」

 

 信じられないものを見るような表情で、保さんが尋ねる。俺は短く一度首を縦に振った。

 その首肯に嘘がないことを確信して、保さんは「そうか」と短く呟いた。それから少しの間黙り込んだかと思うと、保さんはこちらに歩み寄った。

 

 それから、俺の頭に手を置いて、自分の方に抱き寄せる。

 

「・・・辛かっただろう。苦しかっただろう。・・・いろんなこと一人で背負い込んで、沢山傷ついただろう。・・・よく、頑張ったな」

 

「保、さん・・・」

 

 気が動転してしまって、今何が起こっているのか理解できなくなる。俺は咄嗟に名前を呼ぶだけで、それ以上は何も出来なかった。

 ・・・何も、したくなかった。この心地の良い空間に、一生留まっていたかった。

 

「遥君は頑張った。胸を張っていい。・・・くそっ、もっとうまく言えたらいいのに」

 

 上手に言葉が出てこない自分に苛立っているのか、保さんはそう吐き捨てた。けれどそれから、これまでより更に強く自分の方に俺の身体を引き寄せて、俺が今までで一番欲しかった言葉を放った。

 

「・・・君がいてくれて、本当によかった。・・・ありがとう」

 

「・・・っ!」

 

 その時、胸の奥のほうがじんわりと熱くなった。頭が真っ白になる感覚とともに、俺の目の端の方からとめどなく雫が溢れ始めた。

 俺の生を肯定する言葉。それを・・・こんなにも大好きな人たちに言ってもらって・・・。

 

 一度堰が壊れたら、涙はそう簡単には止まらなかった。言葉は全て嗚咽に変わり、また次の雫が零れてくる。

 あの日いなくなってから、一生俺の人生には「親」という存在はないものだと思っていた。だからずっと、一人で生きていくものだと思ってた。

 

 でも、二人がいてくれたから、俺はここまでこれた。

 二人が愛してくれたから、俺は俺でいれた。今日という日に生きることが出来る。

 

 それが嬉しくて・・・たまらなく、嬉しくて。

 

「保さんっ、俺はっ・・・!」

 

「ああ、いつか終わる関係になるとしても、遥君は俺たちの、最高の子だ」

 

 その一言だけで十分だった。

 俺は泣き続ける。こんな歳にもなって、ガキのように見境なく泣きじゃくる。本当はずっとこうやって、親の胸で涙を流したかったんだって、今になってようやく分かる。

 

 

 俺が生きていた意味は、確かにここにあった。今ようやく、心からそれに気が付く。

 それを祝福する雨は、当分止むことはなかった。




『今日の座談会コーナー』

 このシーンを書いていると、「ああ、ようやく遥を取り巻く苦しみの連鎖が終わったんだな」と思いましたね。そしてそこには両親の存在は必要不可欠だろう、ということでこのシーンを書かせていただきました。遥が真に欲していた存在として「両親」というのがありましたからね。この二人は遥かにとって、ヒロインよりもかけがえのない存在だと自分は思っています。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百四十二話 新たな始まり、その前夜

~遥side~

 

 保さんの胸の中でさんざん泣いた後、体力の尽きた俺は誰かが呼んでくれたタクシーを拾って水瀬家へと先に帰っていった。

 話したりない事、分かち合いたいことはまだまだ沢山あるが、そんなものいつだって出来る。これからの未来が明るいことは、もう疑う余地もないのだから。

 

 それから一晩死んだように眠りこむ。その甲斐もあってか、目が覚めたのは朝の六時だった。祭りの次の日の寝起きじゃないだろう。

 退屈そうに廊下を歩く。しっかり目が冴えているせいで、もう二度寝が出来るような気がしなかった。

 

 すると、縁側でぼーっと海を見る人影があった。保さんだ。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、遥君。疲れはもういいのか?」

 

「たっぷり寝ましたから、もう元気ですよ」

 

 自分は大丈夫だというアピールを両腕を横に伸ばしてしてみせる。保さんは苦笑しながら、「そうか」とだけ呟いた。

 それから俺の方を見ずに、ひとりごとを呟くように言った。

 

「夏帆が自力で立てなくなるほど泣いたのは、久しぶりだったかな」

 

「昨日のこと、ですか?」

 

「ああ。海に明かりが灯った瞬間、もう立てなくなっていたよ。あいつは汐鹿生の生まれだからな。思うところは、俺の何十倍もあるだろう」

 

 そう言えば昨日の夏帆さんは、今まで見たことがないほど目を赤く腫らしていた。それほどまでに沢山泣いたのだろう。

 

「・・・夏帆さんの、お父さんの話ですか」

 

「それもあるだろうな。あいつが最後に立てなくなるほど泣いたのは、自分の父親の訃報を聞いた時だったからな。・・・それから、長い事弔うことも出来ないでいた。・・・辛かっただろうな」

 

「ええ、僕もそう思います」

 

 でも、それが解き放たれたからこそ、夏帆さんは涙を流したのだろう。

 自分の中で整理がついていなかった、10年物の因縁にようやく決着がついたのだから。

 

 その喜びは、俺が知れたもんじゃない。

 

「ようやく、みんなで幸せになれるんだな」

 

「はい。・・・まだちょっとわだかまりは残ってるかもしれないですけど・・・。今の陸と海なら、きっと上手くできます」

 

「ああ、俺もそう思うよ」

 

 保さんは柔らかい笑みを浮かべて、そうはっきりと答えた。この人が軸を担っているんだ。陸のほうは何も問題がないだろう。俺は安心してそれを見れる気がした。

 それからしばらくの間、無言が続く。といっても、心地の悪い無言ではない。ただ風を浴びるだけで何もしないでいるこの空間は、頭を空っぽに出来て気持ちがいい。

 

 そしてそれに言葉を乗せて、保さんは話を始める。

 

「ところで、遥君はいつまでこっちにいるんだ? 休みももう長いこと続いただろう?」

 

「・・・明後日には、一旦ここを経とうかと思います」

 

 それから俺は、一つ唾を飲みこんだ。

 これからの選択をしていく上で、ちゃんと保さんに、夏帆さんに伝えておかないといけないことがある。

 今は保さん一人しかいないけれど、構わないと俺はそれを口にした。

 

「それから、なんですけど」

 

「ああ」

 

「大学を卒業するころに・・・いったん、この関係を終わりにさせてください」

 

「・・・それが、『いつか来る日』ってことでいいんだな?」

 

 保さんも夏帆さんも覚悟はしていたみたいだ。俺は「はい」と短く言葉にして続ける。

 

「二人が作ってくれたこの空間が、俺はとても大好きでした。・・・そして、今も大好きなんです。・・・でも、いつまでもここに居るわけにはいかないんです。それは俺自身の可能性を狭める事にもなりますし、なにより・・・」

 

 この場所にいたい、ということを、美海を蔑ろにする理由にしたくなかった。

 

 だからもし、俺がこの二人を親と呼ぶときは、俺がそういう答えを出したときだ。

 

「なにより・・・」

 

 しかしそこで言葉がつまる。泣きそう、という訳でもないが、言葉は掠れて音にならなかった。胸の奥の感情だけが爆ぜて、苦しいままでいる。

 それを察して、保さんが昨日のように頭を撫でた。

 

「もういい。・・・分かってるんだ、俺たちも」

 

「すみません・・・」

 

「ただ、これだけは約束してくれ。・・・その、いつか来る日までは、俺たちの子であってくれ。・・・千夏と結ばれてくれ、なんて傲慢なことは言わない。けれどそれまでは、俺たちが純粋に愛したもう一人の子供でいて欲しい。・・・この願いも、傲慢か?」

 

「いえ。・・・その関係で、いさせてください」

 

 保さんは、ちゃんと全てを理解してくれていた。

 親というものはすごいもんだ。子供が何を言わずとも、その感情を芯の部分から理解できる。目に見えないもので、心が繋がっているのだと知る。

 

 約束の日が来るまでは、俺は二人の子供だ。

 

「・・・長かったな、これまで」

 

 終わりかけた話を遮るように、保さんは上を向いて呟く。

 

「やっと終わったんですね。・・・最初から狂い続けて来た歯車が」

 

「ああ。海と陸の対立も、凍っていく海も、全部が終わったんだ。だからこそ・・・なんだろうな、ぽっかり胸に穴が開いた気分だ」

 

「保さん・・・」

 

 俺も抱いている感情を、保さんは言葉を持って具現化する。

 全てがハッピーエンドで終わった。それに対する不満など一つもないが、これまで生きがいとなっていた困難が次々と崩れていったのもあって、俺自身がどうやら困惑しているみたいだった。

 

「でも、遥君にはまだこれから叶えたい夢があるんだろう?」

 

「夢・・・」

 

「そのために心理学を学んでるんじゃなかったのか?」

 

 確かに、心理学を学んで、誰かの役に立ちたいと思っていたのは俺の夢だった。

 けれどその夢の由来は、両親が死んだこと。父親が母親を刺し殺したこと。

 

 あの時の感情を知りたくて、俺は心理学の沼につかりこむことを選んだ。今からすれば、それなりに不純な動機だ。

 それを本当に、夢と呼んでいいのだろうか。

 

「・・・確かに心理学を学ぶことは、俺のやりたいことの一つでした。でも今、本当にそれを『夢』と呼んでいいのか、分からなくて」

 

「幸せな悩みだな」

 

「そう思います」

 

 余裕が生まれたからこそ生まれた悩みの種だ。ゆっくり時間をかけて悩みぬけばいい。

 それに、たとえ動機が不純であろうとも、誠意をもって取り組んでいるのならそれは白だ。何も遠慮などする必要はないのだろう。

 

 だから今は、俺が本気で叶えたい夢を探そう。

 

「とりあえず今は、本当に俺がやりたいことを探しますよ。・・・そのために、また何かを失って、後悔するかもしれませんけど」

 

「後悔するな、とは言わん。後悔しない道なんてないんだからな。だから・・・何を選んでもいい。選んだ道をまっすぐ生きて欲しい」

 

 

「はい」

 

 俺はこれまでいつも、どうしたら後悔しないかを探して進んできた。けれどそれが心を傷つけて、自分を擦り減らすことになるのをもう知っている。

 だからこそ今は、地に足をつけて、俺は歩いて行く。沢山後悔しながら。

 

「二人とも、ご飯出来ましたよー」

 

 その時、美味しそうな匂いと共に部屋の方から夏帆さんの声が響いた。話すことにすっかり熱心になって時計を確認していなかったが、どうやら朝食の時間になったみたいだ。

 

「行くか」

 

「ですね」

 

 重苦しい話はここで終わり。俺と保さんはゆっくりとした足取りで部屋の方へと戻っていった。

 これからも変わり続ける日々だけど、変わらない時間がある。俺はそれを喜びながら、抱きしめながら行くのだろう。

 

 

 また今日も、素敵な一日の始まりだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ここから先は、新章にして最終章、島波遥という人間の「恋物語」の終着点へと向かう物語となっています。本編とはもうほとんど関係ないと言っても過言じゃないですね。前作ではα、βと分け、それぞれ二話ほどで展開しましたが、これだけ思い入れのある作品です。そんなすぐには終わらないと思うので、どうか最後までお付き合いいただけたらと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百四十三話 偽らない気持ち

~遥side~

 

 朝食を食べ終え、千夏が家を出るのと同時に俺も家を発つ。向こうのアパートに帰るまでに、いくつか巡っておきたい場所があった。

 時間を無駄にするのもなんだ、と朝から動こうとして、これである。

 

 その道中、途中までは千夏の登校に付き合うことにした。これから向こうに帰ったら、めったにこんな時間も取れないからな。

 

「遥くん、さっきお父さんと話してたの聞いたけど、明後日に帰るんだっけ?」

 

「ああ。明後日の午後から授業に参加するつもりだからな。明後日の午前中にはこっちを発つよ。長期休暇を挟んでたのもあるけど、もう普通に学校自体は始まってるからな。これ以上長居はできないんだ」

 

「そっか。寂しくなるね」

 

「なに、またまとまった休みで帰って来るよ。これで終わりじゃないし」

 

「そうだね」

 

 少し眉を顰める千夏だったが、割り切ったような苦笑いを浮かべて前を向いた。ズルズルと引きずりそうな気配はどうやらない。

 

「そう言えば、昨日俺さっさと帰ったから全然みんなと話出来てないんだけど、どんな雰囲気だった?」

 

「んー、どうだろ。先島君はまなかにべったりだったし、ちさきちゃんはなんか自分の両親に紡君のこと紹介してたし、もうてんやわんやだったかな。なんせ、海の人がいったんみんなこっちに上がってきてたから、もうすごい人の量だったし」

 

「それもそうだな。あんなところに体調不良のままで残り続けたら貧血になってぶっ倒れそうだ」

 

「早めに帰って正解だったね」

 

「全くだ」

 

 ここで体調不良を悪化させようものなら、また大吾先生のところに逆戻りだ。流石にこれ以上、あの人に迷惑はかけられんだろうて。

 ・・・そう言えば、目のことまだ連絡してなかったな。今日中のどこかで連絡入れるか、病院行くかした方が良さそうだな。

 

 なんだ、まあまあやること多いみたいだな。こりゃまた当分暇しなさそうだ。

 

「・・・海、戻ったんだね。やっぱり実感まだ湧かないや」

 

 千夏は遠くで揺れる、蒼くきらめく海を見つめながらポツリと呟いた。昨日よりもさらに海は透き通って見える。

 

「じきにこれがまた当たり前になるだろ。・・・そうすれば、お前の夢にもまた一歩近づけるな」

 

「私の夢・・・。ねえ、遥くん。今更だけど私、汐鹿生に行っていいのかな?」

 

「もうちょっとかかるかもしれないけど、大丈夫だろ。海の連中も、これまでの考えが古いことはもう分かってるはずだ」

 

「そっか。・・・そしたら、一番最初にやりたいことあるんだ。お母さんとね、お母さんのお父さんの墓参りに行くの。・・・お母さんがずっとそのことを気に病んでたの、知ってるし」

 

「ああ、夏帆さんも喜ぶだろうよ」

 

 立派な親孝行娘だ。きっと、そうした方が夏帆さんも喜ぶだろう。

 保さんがそこに同伴できないのが残念だが、あの人のことだ。長文でつづられた手紙の一つでも持って行かせるだろう。あの人は、筋の通し方を理解してるしな。

 

「じゃ、私こっちだから。またね」

 

 交差路に辿り着くなり、千夏は学校の方へと一人歩いていった。その姿がカーブで見えなくなるまで見送ったあと、俺は今日の行先を考えることにした。

 

 海にも行っておきたいし、大吾先生んとこにも顔出したいし・・・。

 決めるに決めきれずあたりをうろうろしていると、急な客人に呼びかけられた。

 

「遥?」

 

「うおっ!? ・・・なんだ、ちさきか。珍しいな、こんな時間に」

 

「うん。ちょっと向こうの家帰ってたの。それで、こっち来た感じ」

 

 ちさきは変な声を挙げた俺をクスリと笑いながら、海の、汐鹿生の方を指さしてそう話した。

 さっき千夏も、ちさきの両親が目を覚ましてるって言ってたし、向こうに帰ることにしたんだろうか。

 

「結局ちさきは、汐鹿生に帰ることにしたのか?」

 

「・・・うん、そのことなんだけどさ」

 

 少しトーンダウンしながら、ちさきは続けた。

 

「私、当面の間陸で過ごすって決めたの。今日はそれを二人に伝えたかったのと、一緒にご飯食べたかったから帰ってた」

 

「こっち残るのか」

 

「意外だった?」

 

「少しな」

 

 いくらこっちでの生活に馴染んでいるとは言っても、ちさきはずっと海を思いながら過ごしていた。早め早めのうちに陸に順応した俺とは違って、後悔を長いこと引きずっていた立場だ。そりゃ意外にも思うだろ。

 

「やっぱり、海から陸の学校行くのって大変でさ。浜中くらいならなんとかなってたけど、病院近くの看護学校ってなると、流石にね」

 

「確かにな。・・・それに、紡のじいさんのこともあるだろ」

 

「当たり。・・・おじいちゃん、放っておくとすぐに塩分増やしちゃうから、そこのケアもしておかないといけないし。・・・あと、紡もいるし」

 

 最後の方でぼそっと紡の名前が挙がる。・・・というか、それが理由のほとんどだろうにさ。

 俺は苦笑しながら、一度頷いた。

 

「ちさきらしい答えだな」

 

「何その言い方。別に何も嘘ついてないんだけど」

 

「分かってるよ。ただ、紡のこと、もっと表に出してもいいんじゃないかって思うだけだよ。もう後を引くものなんて何もないだろうに」

 

「だって、恥ずかしいじゃん・・・」

 

 実際に恋が始まって、ちさきはまだ感情のコントロールが上手くいっていないのだろう。頬を赤らめて恥ずかしそうに俯くその姿は、あまりに初々しい。

 けど・・・そんな恋だから、俺は真正面から祝福できる。ずっと長い事見てきた二人だ。その幸せは、俺も嬉しい。

 

 それからちさきは顔を上げて続きを口にした。

 

「でも、やっぱり嬉しいかな」

 

「そりゃ嬉しいだろうよ。幸せになるってのは、そういうもんだ」

 

「・・・もう私、幸せになっていいんだよね?」

 

「バーカ。誰だって、いつだって幸せになっていいんだよ。・・・それを縛ることは、神様だって出来やしないんだから」

 

 そう、誰だって幸せになっていい。

 たくさんの不幸が続いた俺だって、幸せになる権利があるのだから、ちさきにだって、誰にだってそれはある。胸を張って、自分の道を進めばいい。

 その幸せの道中で誰かとぶつかるのなら、その時はまたその時だ。諦める必要が生まれる時だってあるけど、終わりが来るまでは誰だって手を伸ばす権利がある。

 

「そうだよね。・・・それじゃ、遥も進まないとね」

 

「うん?」

 

「知ってるんでしょ? 美海ちゃんと千夏ちゃんの気持ち」

 

「ん、ああ。まあな」

 

 自意識過剰になるわけではないけど・・・二人が、俺を友人以上の大切な人だと思ってくれていることはちゃんと理解している。

 それはちさきが言うように、周りが見てももう分かるレベルのものとなっていた。

 

 でも。

 

「けど、今は何もしないよ。・・・多分、恋だのなんだのを語るには三人まだ幼いからな。それは多分、俺も、千夏も、美海も理解してるはずだ」

 

 愛と恋は違う。

 それぞれに「愛」の感情があることは理解できているが、それを「恋」とし、ゆくゆくの関係に発展させるにはまだ早いことを俺たちは知っている。

 だから、これからも時間をかけて「愛」を築きたい。「恋」としてそれを結んだ時、固すぎてほどけないように。

 

「そっか。・・・あんまり長い事待たせたらダメだよ?」

 

 ちさきは納得したような口ぶりで俺にアドバイスをした。・・・確かに、長すぎるのも毒だよな。肝に銘じとかないと。

 

「分かってるよ。・・・ただ少なくとも、二人が中学生であるうちは何も言わない。14歳に手を出す男がいる、なんて噂になってみろ。狭山と江川が黙っちゃいないぞ」

 

「特に江川君のほうはね」

 

「出来婚にヤジられるのは勘弁だからな」

 

 それから二人でハハハと笑い合う。これは進み続けた時を生きた二人だからこそ分かる面白さなのだろう。

 

「でも・・・なんだろうな。なんか言わないとダメな気がしたから言葉にするけど・・・。俺は、美海も、千夏も大好きだ。そこは変わらねえよ。多分、これからもずっと」

 

「うん。気持ちがはっきりしてるなら大丈夫だね」

 

 言葉に出して、二人が好きだと誓う。

 それをちさきは笑うこともせず、茶化すこともせず、ただうんと頷いて肯定してくれた。俺と同じ時を経て、幾多の困難を乗り越えたちさきだ。きっと今後も、良き理解者になってくれるだろう。

 

「それじゃ、バスそろそろだから私も行くね」

 

「ああ、頑張って来いよ」

 

 そして同じ場所で、二人目を見送る。

 それから一人になって、俺は近場の木の棒を拾い上げた。

 

「さて・・・俺もそろそろ行き場所を決めますかね」

 

 

 木の棒は、高く空を舞った。

 




『今日の座談会コーナー』

 なんか、本編アフター書くだけで膨大な回を要しそうですね・・・。だってそりゃ、楽しいんだから仕方がない。ちさきとの掛け合いとかもそうですし、水瀬家の二人との掛け合いもそうですし。そう考えると、前作はそれはもう駆け足で終わらせようとしていたんだろうなというのが分かりますね。伏線はりすぎて未回収、なんて作品は世の中にざらにありますからねぇ・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百四十四話 新しい可能性

~遥side~

 

「で、木の棒投げたら俺のとこを示したって?」

 

 どうしようもないもんのを見つめるような表情で、大吾先生は俺に呆れた声で投げかけた。

 

「偶然っちゃ偶然ですけど、どのみ向こうに帰るまでにここには寄るつもりだったんで、ある意味必然みたいなもんです」

 

「ああそうかよ。・・・んで、その様子だと視力は回復してるみたいだな」

 

 特別驚く様子もなく、大吾先生はそう呟いた。どこかでこの奇跡を信じていたとでも言うのだろうか。

 

「驚かないんですね」

 

「今となっちゃもう何が起こっても不思議じゃないからな。この間のお舟引きで何かが起こった、そういうことなんだろ?」

 

「はい。・・・といっても信じてもらえないようなことばかりですけど」

 

 原初のおじょしさまに会った、なんて言って果たして陸の人は信じるのだろうか。大吾先生なら信じてくれそうではあるけど、それを口にするのは少し忍びない。

 

 ただ、俺の回復を喜んでくれているのは確かだ。その事実だけで、今の俺には十分だった。

 

「とりあえず、お前が回復した事実は確かなんだ。今の俺には、それだけでいい」

 

 そして大吾先生もまた、俺が思っていることを口にして確かにする。だから俺はこの人に惹かれたのだろう。

 

「ええ、長らくお世話になりました」

 

「ああ。できればもう、患者としてお前を診たくねえよ」

 

 からからと大吾先生は笑う。俺も苦笑いを浮かべて、そうですねと答えた。

 

「・・・さて、せっかく来てくれたわけだしな。ちょいと報告がある」

 

 ひとしきり笑い終えて、大吾先生は少し口ごもりながら、小さな声でそう呟いた。それが何かうっすらと推測がついてはいるが、俺は敢えて静聴することにした。

 この人が覚悟してそれを口にしようとしているのだから、横から水を差すなど野暮に等しい。

 

「この度な、すーちゃんと正式に交際することにしたんだ。一応、お互い結婚も視野に入れてる」

 

「そうですか。・・・おめでとうございます」

 

「おいおい茶化してくれよ・・・。こっちの身が持たねえよ」

 

「茶化すも何も、それはとても素敵なことですから。・・・ずっと、応援してましたし」

 

「そうか。・・・くそっ、なんかイラっとするな」

 

 尖ったことを言いつつも、大吾先生は少しばかり嬉しそうにしていた。やはり祝福されるとなると、喜びの感情を抱かずにはいられないのだろう。

 

「・・・なんなんだろうな、恋愛ってのに無縁だったから今になってドギマギしてるんだろうな」

 

「でも、俺は最初っから二人はお似合いだと思ってましたから。先行きも安心してみてられますよ」

 

「どうだかな。どっちも元気分屋のクソガキだ」

 

「だからこそですよ。・・・一番大切なのは多分、互いの理解ですから」

 

 二人はお互いのことを熟知しあっている。だから街と汐鹿生で離れていても、こうして結ばれたのだろうと俺は思っている。

 全く・・・海の氷が溶けていくのと同時にあちこちで愛が恋になってるんだな。

 

「ところで、同棲とかするんですか?」

 

「気がはえーよ。あいつもあいつで、まだ街の方で仕事が残ってるからな。その常連の義手義足のメンテナンスが終わるまでは、一旦店を畳むつもりはねーってよ。ま、焦らないでいいぶんこっちも気が楽でいい。当面はこれまで通りの暮らしが続くだろうよ」

 

「そうですか。・・・仕事が恋人だった二人らしい回答ですね」

 

「俺もそう思うよ」

 

 椅子の背もたれにもたれかかって、大吾先生は体を伸ばした。それから一息挟んで、「で」と続ける。

 

「お前の方はどうなんだ?」

 

「最近それみんなに聞かれますよ・・・。とりあえず今は何もしないです。相手まだ中学生ですよ? 気が早いにもほどがあるじゃないですか」

 

「そう言われればそうだったな。けど、ノータッチってのも二人からすればきついだろ」

 

「分かってます。まあ、大吾先生と同じですね。当面はこれまで通りの関係を続けようと思います。・・・でもいつかは絶対、答えを出すつもりでいます。俺が、そうしたいんです」

 

 かつて愛や恋を憎み、怖がり、忌み嫌っていた人間の言動とは思えない。

 今はもう、いつか失う事すら乗り越えて前に進んでいる。今なら分かる。ようやく俺は、成長できているんだと。

 

 演じない、偽らない自分の心のままに生きている。

 それで誰かを傷つけることはきっとあるだろう。それを申し訳なく思うことも、きっとある。

 

 それでも、他人に遠慮して自分が幸せになることを諦めることは、もうしないと声に出して誓うことが出来る。

 これが、俺の「愛」、「恋」の感情への答えだ。

 

「その様子なら、俺がとやかく言う必要はないな。初めて会った時から、ずいぶんといい目をするようになった」

 

「そうですか?」

 

「初めに会った時は死んだ魚のような目をしてたし、最近は疲れ果てたような目をしてた。それがどうだ。今じゃギラギラしてやがる。まさに脂がのってるって感じだな」

 

「俺もまだ、若者ですからね・・・」

 

 これまでは随分老けたような口調で言っていたけれど、今となっては自分が「若者」であることを十分理解している。

 大人ぶることももうしなくなった。感情をあらわにするようになった。

 心から、笑えるようにもなっているだろう。

 

「なあ島波」

 

「なんですか?」

 

「お前、将来ここで働かないか?」

 

 唐突に振られるその問いに、俺は一瞬頭が真っ白になった。

 自分の夢が何なのか探していた中で指し示される一つの可能性。それにすぐにノーを提示することは出来なかった。

 

「病院で、ですか・・・。けど俺、医学的なこと何も勉強してないですよ?」

 

「心理学やってるんだろ? ちょうど今、カウンセリング科の増強を院が目指しててな。これから数年で、求人を相当数増やすみたいなんだ。お前にうってつけじゃないか?」

 

「・・・俺が、誰かにカウンセリングですか。どっちかというとしてもらう側だったと記憶してるんですけど」

 

「だからいいんだよ。お前自身は何度も自分の心が壊れそうなことを経験してきただろ? そんなお前だからこそ同じような苦しみで困ってる人に言えることがあると思うんだよ。違うか?」

 

 なるほど。

 これまでの痛い思いも、経験も、全部使いようによっては武器になるってことか。

 

「確かに、悪くないですね。・・・ただ、今すぐに分かりました、って言えないですけど」

 

「まあ残りの大学生活でゆっくり考えるんだな。そういう可能性があるってことだけ提示しとく」

 

「ありがとうございます。ちょうど今、悩んでたんで」

 

「俺はきっかけがあったから早かったけど、お前の人生だときっかけが多すぎるからな・・・。そりゃその分悩みもするだろうよ。それはそれで、うらやましいぜ」

 

 大吾先生はそう吐き捨てて、机上のカルテをトントンと叩いて整理した。

 

「んじゃ、これから診察入ってるからそろそろ出とけ。また話でもしたくなったら電話かけてこい」

 

「はい。今日はありがとうございました」

 

 

 そう言い残して、俺は先生の部屋を後にする。

 作った握りこぶしの中には、これからの可能性の欠片が一つ、眠っていた。

 




『今日の座談会コーナー』

 一応、こういったシーンで前作伏線もなしにバーンと結果だけ表示したところの補足をしていく感じになります。それに加えて、大吾先生のエピソードも今作では追加したいと思ってたので、いい感じのシーンになったと思います。
 メインストーリー自体はあと数話で完結となりますが、第三章、もといアフターがこれから始まっていくので、こうご期待。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百四十五話 愛の眠る、この場所から

~遥side~

 

 大吾先生のもとを去って、俺は一度家へと戻る。

 本当ならゆっくりと海を散策でもしたいところだが、教授と約束した論文が手つかずなままでは向こうに帰ることも許されないだろう。

 幸いにも、俺なりの答えは出ている。「愛」と「恋」、その感情についてと在り方と。

 

 千夏の一件やその他の一件が忙しかったなかで、色々な文献を必死に漁っては読んでいたのを思い出す。それと自分の意見を照らし合わせて、一つの答えを出すことにした。

 

 「愛」と「恋」の感情は、全く別物であると。

 

 全て人間には「愛」の感情が備わっている。それを俺はこの数か月で痛いほど思い知らされた。

 その愛というのは何も「恋愛」だけではない。親が子を、子が親を思う感情、大切な友人を守りたいという感情、それらもまた確かな「愛」であることを俺は知った。

 保さんや夏帆さんが千夏を、俺を思ってくれている気持ちも、西野先生が罪を犯した旧友のために仕事を新しく始めたのも愛である。今はそれを信じて疑わない。

 好きという言葉の多様性は、全て愛に通じている。

 

 その愛の中で、契りを交わして結び合うものを「恋」という。

 

 どれほどの「愛」の感情を抱いていようとも、それを口にし、思いを伝え、結ぼうとしない限り「恋」とはならない。だから今俺はこうして、千夏とも美海とも契りを結ぼうとしないでいる。

 

 そして、分かり切った話ではあるが、この「愛」というものは必ずどこかで失ってしまうものだ。それが寿命によるものか、はたまた不運な事故によるものか。

 それはとても悲しい事である。かつてそれを理解できなかった俺は、人生を歪めることとなった。

 

 その「愛」を失うことの痛みをさらに増長する行為が、「恋」へと結びつけることである。より親密な関係になるからこそ、失った時のダメージもまた大きい。それを同一視して、俺は「愛」から遠ざけてきた。

 だからこそ、「恋」へと結びつけることは、勇気の証。生きることにおいて、何よりも強い行為である。

 

 これが、俺の導き出した結論だ。

 そしてこれから俺がどうするべきかも、今はもう分かっている。

 

 

「・・・なんとまあ、ずいぶんと恥ずかしい文章になったな」

 

 出来上がった論文を修正していると、家にインターホンの音が響いた。一体誰だろうと玄関の方に向かうと、ドアの向こうに美海が立っていた。

 二人を隔てるドアを開いて、俺は美海に声をかける。

 

「なんだ美海か。千夏と一緒じゃないのか?」

 

「うん。千夏ちゃん、お舟引きの役員会の後始末で大変そうだったから。それに先に帰っててって言われたし」

 

「なんだ、あいつそんなことしてたのか。・・・といっても、五年前も率先して動いてたからな。あいつならやるか」

 

 陸に残っている人間で、かつ中学生で、二度目のお舟引きをしたのは千夏だけだ。ノウハウとか厄介事とかを知る人間が役員に就くのは当然の話だろう。

 

「それで美海は、なんでこんなところに?」

 

「遥にね、一つお願いが会ってきたの」

 

「俺にか。聞くよ、なんだ?」

 

「一緒に、汐鹿生に来てほしいの」

 

 美海の口から、予想もしなかった「お願い」が告げられる。それを処理するのに俺の脳はそれなりの時間を要した。

 確かにこの時間なら何の問題もなく行けるだろうけど・・・。

 

「今から汐鹿生に行って、何をするつもりだ?」

 

「・・・ママのお墓を立ててあげたいの。・・・ずっと思ってたんだ。もし海が私たちを迎え入れてくれるようになったら、そうしてあげたいって」

 

「なるほど。といっても、昨日の今日で海の大人連中が変わるもんなのか?」

 

「分からない。・・・だから、それも確かめに行きたいの」

 

 美海は強い決意でそう語る。・・・海の判断を待った方がいい、なんて思っていた俺よりもよっぽど固い意志を持ってるみたいだな。

 その決意を認め、俺はうんと頷く。

 

「分かった。どのみち俺も、向こうに帰る前にどこかで海に一度戻っておきたいって思ってたんだ。ちょうどいいし、今から一緒に行くか」

 

「うん」

 

 少し嬉しそうに美海は返事をして、海の方を向いた。俺は一旦部屋に戻り、最低限の準備だけをする。

 それから美海と合流し、二人隣歩きながら海を目指した。

 

---

 

 身体を一面蒼の水面に投げる。

 昨日よりもさらに海の温度は上がっており、もはや五年前よりも高いといっても過言ではなかった。

 

「海ってこんなに温かかったんだ」

 

「ああ、俺も驚いてるよ・・・。少なくとも五年前とは比にならねえぞ」

 

 それはやっぱり嬉しくて、自然と口の端が上がってしまう。これが俺たちがみんなで掴んだ奇跡の結晶なのだと思うと、尚更。

 美海もそれが分かっているようで、同じように少しだけ微笑んだ。

 それから美海は、ずいぶんと懐かしい思い出話を始める。

 

「ねえ遥、覚えてる? 私が家から逃げ出して、遥が迎えに来てくれたあの日」

 

「ああ、覚えてるよ。・・・あの頃はお互い酷かったよな。お前は『好きなんていらない』って言うし、俺も心では全然信じきれてなかったし」

 

「さんざん迷惑かけたよね、みんなに」

 

「ああ。・・・けど、そんな俺たちの話ももう、五年前なんだな」

 

 あの日のことは鮮明に覚えている。それこそ、あの日が「変わろう」と思ったきっかけの日だったのだから。

 そんな俺たちも、今じゃ中二と大一だ。過ぎ去った時間の重さを改めて知らされる。

 

「私、今日までのこと、後悔してないからね。・・・いっぱい迷惑をかけたことも、全部、よかったと思ってる」

 

「後悔、か・・・。一時前の俺なら、まだ後悔を引きずってたんだろうな。事の発端だった、両親の失踪のこと」

 

 それでも今は、もう前に進むことしか考えていない。後悔はとうに無縁のものとなっていた。

 

「・・・っと、着いたぞ」

 

 そうこう話しているうちに、懐かしの汐鹿生に辿り着く。そこには人の息吹が宿っていて、明かりが灯っている。五年間、ずっと夢に思っていた光景を前にして、俺の頬を雫が伝う。

 

「遥?」

 

「くそっ・・・泣くつもりなんてなかったんだけどな。やっぱり、嬉しくて」

 

 五年間、ずっと望んでいた景色だ。それも、五年前よりもさらに色づいて。

 それが嬉しくないはずなんてない。・・・だってここは、俺の生まれ故郷なのだから。

 

 すぐに涙を拭い去って、俺は美海を街へ案内する。

 誰かに何かを言われることは百も承知だ。だけど美海は絶対に守り抜くと心に誓って、俺は街を歩いた。

 

 早速誰かに声をかけられる。・・・というかこの人は。

 

「ん、あんたは島波さんとこの・・・。この間はすまんかったなぁ」

 

「はあ、どうも・・・」

 

 五年前の会議の現場にいた。お互いそれを覚えているため、少しだけ微妙な距離だった。

 それからその人は後ろの美海に気が付いて、怪訝そうな声を挙げる。

 

「んー? 見ねえ顔だな。誰だ?」

 

「灯さんのお孫さんです。・・・といっても、直接血は繋がってないですけど」

 

「宮司さんのお孫さん? 陸の人なのか?」

 

「けどエナはあります。じゃないと、ここに来れませんから」

 

 俺が説明を受けて、おっさんは神妙な顔つきをした。それから何かを思い出しながら、途切れ途切れで話す。

 

「そういや今朝集会があってよ・・・なにやら宮司さんが『方針を変えるつもりだ』なんて言って・・・。なんか、陸に上がった奴の子にもエナが生まれるみたいだから、もう人の流出を止める必要がないとかなんとか・・・」

 

「現にこの子は、母親が海村出身ですから」

 

「そういうことか。・・・まあ、なんでもいいか! 嬢ちゃん、せっかく来てくれたんだ、楽しんでいきなよ」

 

「え、あ、はい」

 

 そう言っておっさんはどこかへと去っていった。呆気にとられたままの美海が口を開く。

 

「なんか・・・なんとかなりそうだね」

 

「こりゃ汐鹿生にも当分混乱が残りそうだけどな・・・。けど灯さんの孫って言うだけでなんとかなるのは助かるな」

 

 流石は宮司。影響力が違うな。

 一度コツを掴めば後は早く、どうにか一つ一つの会話を丁寧にいなしながら俺と美海は街の外れのほうに辿り着いた。

 

「ここからなら、汐鹿生の全体が見渡せるね」

 

「ああ。・・・ここでどうだ?」

 

「うん。ここがいい」

 

 そう言って美海は、簡単な墓をそこに立てる。骨も何も入っていないけれど、思いさえそこにあるのならそれは立派な墓だ。

 出来上がった墓の墓前で、俺はしゃがみ込んで手を合わせて目をつむる。それから今はなきみをりさんのことを思った。

 

 ・・・思えば、あの人がいなければ、きっと俺がこの未来に辿り着くことはなかったんだよな。

 失った傷もまた大きかったけれど、みをりさんはそれ以上の愛をくれた。俺の生きる糧を作ってくれたんだ。

 だから今は純粋な気持ちで、この人の死を弔うことができる。

 

 ・・・みをりさん、汐鹿生はこんなに変わりましたよ。

 俺も、美海も、こんなに大きくなりました。

 

 だから・・・ずっとこれからも見守っててくださいね。

 

 

 目を伏せて、かの日を思う。

 あの日以上の幸せをつかみ取ることを俺は誓って、また目を開いた。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 数話前で触れた、夏帆さんの父親の弔いそのものに遥自身はさほど関係ないですが、みをりさんの死に関しては遥も大きく関与するところがありますからね。このシーンはどうしても必要だと思った次第です。
 さて、第二章も残りわずかとなりました(なんか最近毎回これ書いてない?)。第三章が果たして何年後の世界になるのか、それをどうかお楽しみに。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百四十六話 幼すぎる「愛」

~遥side~

 

 みをりさんを弔って、俺は顔を上げる。美海も心から吹っ切れたような顔をして俺を見つめている。長い間溜め続けていた凝りが取れたのだろう。

 

「・・・さて、と」

 

「これからどうするの?」

 

「家に帰ろうと思う。せっかくこっちに帰ってきたんだ。たまには実家でゆっくりしたい」

 

 最後のほうは嫌な思い出しかない場所だったけれど、今となってはそれもいい思い出の一つのように思える。

 海に、あの家に帰るのにもはや何のためらいもなかった。

 

 街の外れからさらに別の外れの方へ移動する。

 そして集落から少し離れた場所に、その家はかつての形のままで存在した。少し固まった扉に手をやって、しっかりと引いて家へと帰る。

 

「ただいま」

 

 もちろん誰かがいるわけでもない。それでもここは俺の帰る場所であると思い込むために、その魔法を言葉にする。

 

「おじゃまします」

 

 続いて美海が家に入る。・・・そういえば美海がここに来るのは初めてだったな。

 にしても・・・。

 

「おかしいな・・・」

 

「どしたの?」

 

「俺が前来た時よりもずっと綺麗になってるんだよ。あの時はホントに酷い埃でさ。まあ五年間もほったらかしにしてたんだからそりゃそうなんだけど」

 

「その時掃除はしたの?」

 

「したよ。けどそれ以上に綺麗になってるって話。・・・一体誰が」

 

 怪訝な表情を浮かべながら、リビングの方まで行くと、机の上に書置きが残してあった。その宛名を見て、俺は苦笑する。

 

「・・・なるほど」

 

「何か分かった?」

 

「『これはほんの礼じゃ。気にせず受け取るがよい』だってさ。ウロコ様が」

 

 あの人がこんなお節介をするなんて知ったら他の住民は黙っちゃいないだろう。だから俺は、このことは口外しないようにする。

 にしても、あのウロコ様が、ねぇ・・・。

 

「ウロコ様と何かあったの?」

 

「そりゃあもう色々あったさ。みんなには黙ってたことこの際話すけど、俺、ちょこちょこウロコ様に会ってたんだよ。そこで多くのことを話した」

 

「なんで黙ってたの?」

 

「まあ、大体は与太話だったからな。あとは単純に、俺が伝えても意味ない、と思ってたことばっかりだったからだ。もちろん、相談した方がいいことも沢山あったから、それは後々にミスだって分かってたんだけど」

 

「なるほど、それでウロコ様が遥に肩入れするようになったと」

 

 ビンゴ。正解だ。

 あの人ははっきりと、俺に対して思い入れがあるということを告げてくれた。もちろん驚きもしたけど、思われていることは単純に嬉しかったような、そんな気もする。

 

 あの人がいつか言った、「神になるか」という問い。

 あれはおそらくそれなりの想いを持って言ったのだろう。自惚れでなく、俺はそう思っている。

 だからこそ、俺はその問いを真正面から否定する。

 

 俺は神になんてならない。人として、愛に生きたい。それに向き合いたい今、逃げる道はもう必要ないから。

 

「ウロコ様にも感謝しないとな。あの人が定期的に俺にちょっかい出してくれなかったら、きっと気づくより早く全てが壊れてただろうしな」

 

「そっか。・・・遥、幸せそう」

 

「そうか?」

 

「これまで見た中で、一番幸せそうな顔してるよ。どんな瞬間、どんな場面より」

 

 美海にも分かるくらい、今の俺の表情は緩んでいるのだろう。

 けれど、そうなるのも無理はない。だって今、俺は幸せなのだから。

 

 この幸せがいつまで続くかは分からない。いつか失う日はどこかで来るだろう。

 それでも、失う日のことを知っていれば、なおのことこの毎日を愛せるだろう。もうその日は目を反らしたくなるほど怖いものではない。

 

「幸せだよ。じゃなきゃそんな顔しないからさ」

 

「そっか。・・・幸せって、こういうことを言うんだね」

 

「これまで美海は幸せじゃなかったか?」

 

「そんなことはないよ」

 

 美海は首を横に振って一度それを否定して、言葉を持ってそれを証明する。

 

「パパはずっといてくれたし、晃も生まれてきてくれた。五年間、遥と一緒に歩けたし、皆が起きてきた最近は賑やかで楽しかった。これは間違いなく私の幸せ。・・・だけどね、その分辛いことも沢山あったでしょ?」

 

「まあ、な」

 

 千夏の記憶のこと。あの出来事が俺たち二人に与えたダメージは大きなものだった。五年前、崩れることなく続いていた関係は、あの日を持って終焉を迎えたのだから。・・・といっても、千夏のあの日の告白で、全ては変わっていたか。

 

 けど、あの告白は忘れて欲しいと言われた。俺も気にしないようにしている。好意があると分かっていても、それを「恋」と定義しないようにしているのが現状だ。

 

 それと、俺の心労もそうなのだろう。

 さんざん心配をかけてしまった。美海が自分自身の幸せを喜べる余裕も奪っていたのかもしれない。

 

 それが無くなった今、心から幸せだと言えるのだろう。

 もっと先の、自分の掴みたい未来を一度見ないふりをして。

 

 だから、一つだけ美海に、千夏に言わないといけないことがある。

 

「なあ、美海」

 

「なに?」

 

「まだ待ってくれ、って言ったら・・・美海は待ってくれるか?」

 

 特に何を、とは言わない。けれど美海は何の話をしているか分かったようで、うんと一度頷いてすぐに返答を口にした。

 

「待つよ、私は。多分千夏ちゃんもそう答えるんじゃないかな。だって・・・きっとまだ、私たちには早すぎるから」

 

「そっか。・・・やっぱり、そうなんだよな」

 

 美海は分かっていた。

 今の三人が、「恋」を語るにはまだ早すぎるのだと。

 

 未来など全く見えないけれど、二人のどちらかと「恋」を結んでしまえば、俺はその最後まで歩いて行ける自信があった。でも、だからこそこんな早く、若いうちからそれを結ぶことはしたくない。

 

 結び目は、固いほうがいいに決まってる。

 

「でも、ちゃんと言っておく。・・・私は、遥が好きだよ」

 

 かつて「好き」を嫌い、遠ざけた少女は、はっきりとその言葉を口にした。

 だから、かつて「好き」を怖がり、遠ざけた俺も、それに答える。

 

「ああ、俺も美海のことが好きだ。・・・それと同じくらいに、千夏のことも、好きなんだ」

 

「そっか。・・・今はその言葉が聞けただけでいいかな」

 

 悲観することなく、呆れることもなく、本当に満足そうに美海は呟いた。

 いつでも結ぶことが出来る「愛」は、今各々の心に浮かんでいる。それを理解しあえているのであれば、急いで結ぶ必要なんてないということだ。

 

 美海は俺が好きで、千夏も好きだと言ってくれて、俺も二人のことを好きだと言っている。

 いつでも結ぶことが出来る状態が今目の前にあるということを、俺はこの言葉を持って確信に変えた。

 

「・・・うん」

 

 美海は何かに納得したような顔つきで大きく頷く。その仕草をおかしく思った俺は美海に問いかけた。

 

「どうしたんだ?」

 

「この言葉を言っても、これまで通りの関係でいられると思ったから。きっと、言葉にしただけで心が変わるような関係じゃないんだよね、私たちは」

 

「ああ、そう思うよ」

 

 好きと言ったら、相手の意識が変わると思っていた。

 しかし今、目の前でそんな変化は起こる気配もない。美海はそれに安心しているようだった。

 そして、その変わらない関係を、俺もまた望んでいる。

 

 

「さてと、私そろそろ帰ろうかなって思うんだけど、遥はどうする?」

 

「別にいいけど・・・。急いで帰る用事でもあるのか?」

 

「どこで光たちに見つかるか分からないからね。今日のことは秘密にしておきたいし」

 

「そっか、あいつこっち帰ってきてんのか」

 

 街を歩いている時は幸いにもすれ違わなかっただけだろう。何かの拍子にあいつらがこの家に来ないとも限らない。

 俺は美海の言葉に納得して、それを承諾した。

 

「んじゃ、帰るか。美海は秘密にしたいらしいしな」

 

「うん」

 

 それから二人で陸を目指して泳いでいく。

 好きの感情をそれぞれ言葉にしても、海へと向かう時に出来ていた距離感は何一つ変わることなどなかった。

 

 きっと今は、これでいい。これがいい。




『今日の座談会コーナー』

 前話から度々「愛」と「恋」に関する理論を記述していますが、改めて筆者における今作の「愛」と「恋」の定義を明記しておきます。
 「愛」という感情は、何も恋愛に留まるものではなく、全人類の心に備わっているものであるとまず考えています(友愛、親愛なども愛であるという考え)。その上で、互いの愛を結び付ける行為を、本作は「恋」としています。
 つまり、「好き」という感情そのものは「愛」であり「恋」ではありません。ただ、その互いの「好き」の感情を互いが理解し、お互い一番近い距離で歩むことを誓うことで二つの「愛」が結びつき「恋」になるものだと本作では定義しているという訳です。

また、これは本作のみに適応する定義のつもりでいます。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百四十七話 全ての始まり、その先の景色

ペースえげつない・・・。


~遥side~

 

 向こうのアパートに帰るの日がいよいよ明日となった。やるべきことは一通り終えているし、今日は特に用などなかった。

 だからこそ、今日という日の扱いに困った。

 

 家でダラダラしているようでは時間の浪費。かといって誰かと遊ぼうにもだいたいみんな学校に行ってるわけだし、空いている人がいない。

 ならば紡の漁でも手伝うか、と思ったらあいつの漁は朝早くに終わっているらしい。なるほど、本当にやることがない。

 

「実家に帰る、って言ってもそれはそれでやることないんだよな・・・全く、どうしたもんか」

 

 などと考えているうちに、時計の針は12時近くを指し示す。起きてから数時間を結局無駄にしてしまって、いよいよ俺は焦りだす。

 とりあえず躍起になった俺は家を飛び出して、いつも通り散歩をすることにした。せっかくこの街にいるんだ。最後に思い出の場所を振り返るくらいいいだろう。

 

 そうして俺は街を歩き始める。一つ一つの場所の思い出を振り返りながら。

 堤防に、いつかの廃倉庫、美海を救おうとして飛び込んだ廃工場。街の外れのほうまで歩くと流石にいい感じに時間は潰れた。

 その道中、ずっと暖かな風を肌に感じる。昨日で完全に街に残っていたぬくみ雪は解けたみたいだ。・・・なんか、春みたいだな。

 

 散歩は続く。気が付けば俺は街に戻っていて、目の前にはさやマートがあった。思えば汐鹿生に帰ってきて、真っ先に寄ったのがここだったような気がする。あれももう何か月前の事だろうか。こっちに帰ってきてからの毎日が、全部昨日のように思える。

 

 さやマートと言えば、やはりあかりさん。今日も店の外で客を待っているようだった。さぞ空いているのだろう。

 

「お疲れ様です」

 

「あら、遥君。また暇つぶし?」

 

「みんな学校行ってて誰も空いてないですからね。・・・それに、明日向こうに帰るとまた当分こっちには帰れそうにないので、思い出巡りでもしようかと」

 

「遥君らしいね」

 

 確かに、こんなこと俺でもなければそうそうやらないだろう。けれど少なくとも俺は、俺がそこにいた証をちゃんと確かめたいし、今同じ場所を巡って何を思うかを確かめたいと思っている。

 ・・・なんか変な趣味が染みついてしまったもんだな。

 

 苦笑いを浮かべていると、あかりさんは急に表情を変え、笑顔を潜めて俺に問いかけた。

 

「・・・ねえ、遥君。遥君がずっと悩んでいた『好きになる感情』の答えって、もう見つかったの?」

 

「はい。少なくとも自分の中では整理がついてますし、それを受け入れることも今ではできます。・・・それが、どうしたんですか?」

 

「うん、ちょっとね・・・。私さ、あと少ししたら休憩になるんだけど、ちょっと家、着いてきてくれないかな? 渡したいものがあるの」

 

「はあ・・・分かりました」

 

 あかりさんからの渡し物。てんで見当がつかないが、これだけの表情で言っているのだ。きっとそれなりの何かがそこにあるのだろう。

 俺は覚悟を一つ据えて、あかりさんの仕事終わりを待つことにした。

 

---

 

 あかりさんが休憩に入るなり、俺はあかりさんに付き添って潮留家まで帰る。それからあかりさんは「少し待ってて」とだけ言い残して家へと灰って言った。三分くらい経って、色褪せた茶封筒と一緒に戻ってくる。

 

「ごめん、お待たせ」

 

「それは?」

 

「ああ、うん。・・・今の遥君になら、渡せると思って」

 

 それからあかりさんは、真顔のままでその封筒を俺に手渡す。それをしっかりと受け取り、中を取り出すと、更に色褪せた日記帳が入っていた。

 そこに帰入されていた名前に、俺は思わず言葉を失う。

 

「・・・そう。これ、遥君のご両親の日記なの」

 

「なんで、こんなものを・・・?」

 

「事件の現場の近くに落ちていたの。・・・海に投げようとして、止めたんだろうね。でも、手に持ってるわけにもいかなかったから、少し辺鄙な木陰に隠してあったの。それをたまたま見つけたのが私だった」

 

 改めて、一ページ目を捲ってみる。そこにはこう書いてあった。

 

『もし、この日記を拾った人間が海の人間ならば、私たちの息子、遥が大きくなった時に、これを届けて欲しい』

 

 だからあかりさんは、今日の今日までこの日記を俺に手渡さなかったのだろう。両親が最後に残したメッセージを今日まで守り抜いてくれた。それも、俺が「好き」の感情に向き合うことが出来るようになる日まで。

 

「私が思うに・・・警察に見つけて欲しくなかったんじゃないかな、この日記」

 

「確かに、父親が残した金と書置きは、すぐに俺の手元に渡りましたから。・・・でも、よくこんなものを今日の今日まで持っていてくれましたね」

 

「これは、日記を拾った私に与えられた使命だと思ってたからね」

 

 本当ならもっと早くに手渡せていただろうに、あの後も色々失った結果、俺が一度心を壊してしまったせいで、今日までこれを手渡せずにいたのだと思い知る。日記の存在を知りながら何も出来なかった今日までの日々で、あかりさんにかかっていた重圧は相当なものだっただろう。

 

 あかりさんは確かに渡したよ、と言わんばかりの目で俺を見つめながら、その先を言葉にする。

 

「たぶん、この日記には遥君がずっと知りたがっていた二人の日々と、本当の気持ちが書かれていると思うの」

 

「あかりさんは読んでないんですか?」

 

「最初の一ページを見た時、これは私が見てはいけないものだってすぐに気づいたよ。だから私は、そこまでしか見てない。あとは・・・遥君。全部君のものなんだよ」

 

 どこまでも配慮してくれていることに、俺は頭を下げずにはいられなかった。

 一度深く頭を下げて、これを渡してくれたことの感謝を伝える。あかりさんも戸惑っているようなリアクションをしたが、そうでもしないと俺の気が晴れなかった。

 

「繋いでくれて、ありがとうございました」

 

「うん。届いてよかったよ。・・・もしそれでまた心を痛めることがあったら、いつでも頼ってね。それを最後まで持っていた、私の責任でもあるから」

 

「はい。・・・もしその時は、お願いします」

 

 大丈夫だろう、とか、自分でなんとかします、なんてことは口にしない。

 俺はこの日記を開けることを怖がっている。ようやく現実と戦えるようになった今に、過去の象徴であるこの日記は天敵だった。

 けれど、見ないという選択肢もなかった。二人の想いも知らないままで大人にはなりたくなかったからだ。

 

「それじゃ、私は仕事戻るね」

 

 あかりさんはそれからまっすぐ職場へと戻っていく。俺がこれからこの日記と戦う、その水を差さないようにしてくれたのだろう。

 そこに感謝しながら、俺は日記を片手に、寄り道の一つもなく家へと戻った。

 

 部屋の鍵を閉めて、机の明かりをつけた。

 父さん、母さん。・・・ごめん、俺は。

 

 

 

 

 覚悟を決めた俺は、先ほど開いたページのその先へ向かった。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 このシーンは、必ずどこかで描かなければいけないと思っていました。それこそ前作、遥は自分の両親が何を思っていたのかを知ることなく「好き」を結び、大人になっていきましたから。けれど、過去の決別として、この作品の全ての原点である「両親の死」には触れないといけないでしょう。日記の中身は何が書いてあるのか、それはぜひ次回のお楽しみ。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百四十八話 綴る想い

~遥side~

 

 日記の始まりは、両親が海を出た翌日の事だった。

 そこには、俺と別れてしまったことへの後悔と、俺が着いて行くのを選ばなかったことへの怨嗟が書かれてあった。

 

『今日目覚めて、そこに改めて遥がいないことを思い知った。・・・嫌がってでも連れてくるべきだったと今になって思う。今ここに、かつて存在していた三人の世界が存在しないことが、俺にはたまならく悲しいことだと思える』

 

 少なくとも二人は、俺のことを嫌いになったわけではないということをこの文章にて思い知る。それだけで、少しだけ心が救われたような気がした。

 本当は、二人がはなから俺を置いて行く気で、俺が海に残る選択をすることを読んで海から逃げ出す選択をしたのではないかと、心のどこかでそう思ってしまっていた。

 

 慌てて次のページをめくる。

 そこからしばらくは、変わりゆく生活に順応していく二人の奮闘が描かれていた。その間、何度か俺の名前こそ書いてあったが特別なことは書いていなかった。

 ただ、その間でも「恋しい」だとか「元気にやっているか」など、そんなことばかり書いてあった。二人は俺のことを思ってくれていたんだと思うと、どうも涙が零れそうになる。

 

 しかし、その日記の歯車が狂い始めたのは、二人の命日の四か月ほど前からだった。

 日記を記すのが父のほうだけになった。しかも見たところ、この前日に二人は壮大な喧嘩をしてしまっていたみたいだ。

 

『まなみと喧嘩をしてしまった。・・・遥を見ることが無くなってはや何か月が過ぎたことだろう。あいつが遥に会いたがっているその気持ちは十分に分かる。・・・でも、もう戻れない。戻れるなら、いつでも戻っているのに』

 

 俺と離れてしまったことを本格的に悔い始めたのか、母さんはこの頃から癇癪を起すようになってしまったようだ。

 それでも日記には次のように書いてあった。

 

『それでも、ここに来たこと自体を後悔しているわけではない。・・・確かに、ルールに縛られすぎたあの海村で過ごすよりは遥かにましな生活を送れている。仕事も順調に進んでいることを考えると、一概に否定するわけにはいかない』

 

 父親は翻訳家としての仕事をこなしていた。陸とコンタクトを取ることが多い仕事だっただけに、陸を拠点にするほうが格段に効率が上がるのは明白だ。

 

『ただ・・・せめてまなみには遥の傍にいるように言った方がよかったのかもしれないと、今はそう思っている』

 

 父さん、それは違うよ。

 母さんは、俺と父さんを天秤にかけて父さんを選んだんだ。

 

 逆に言うと俺は選ばれなかったことになる。・・・けれど、選ばれなかったことを今悔いることはしない。

 だって・・・俺が後々美海と千夏、どちらと未来を歩んでいくか選ぶことは、あの日母さんに迫られた選択と似たようなものなのだから。

 

 母さんは、自分が腹を痛めてまで生んだ子供より、自分が最初に愛した男について行くことを決めたんだ。それが、母さんの愛なんだ。

 息子の俺は、ちゃんとそれを理解している。

 

 日記は一か月飛んだ。父さんの仕事が忙しかったみたいだ。久方ぶりに書かれた日記から分かるように、父さんと母さんは、ずいぶんとやつれてしまっていたみたいだ。

 

『最近、仕事が忙しくていよいよまなみとの時間も減ってしまった。・・・仕事が順調なのはいいことだ。それはかつて俺の望んでいたことだった。・・・なのに、心に空いた穴が一生埋まらない。どうしてあの日・・・』

 

 綴られる後悔はだんだんと大きくなっていく。その傷は目を閉じてもはっきりと分かるようだった。

 日記を読んでいる俺も同じように胸を痛める。俺は、「やめてくれ」と思いながらも日記を捲る手を止めなかった。

 そうして、ページは終末の日へ進んでいく。

 

『まなみが、病気になった』

 

 そう書かれたのは、二人の命日から一ヶ月ほど前の事だった。しかも読んでいる感じ、母さんが患った病気は治ることのない難病だったらしい。

 

『医者が言うには、現在の医療でこれを治すことは不可能らしい。・・・奇跡は起こらない。奇跡を信じようにも、俺は信じる事は出来なかった。全てを諦めたまなみの表情を見るたび、たちまち俺の心もしおれていったからだ』

 

 そのページには、無数のシミがついていた。

 シミの正体はすぐに分かった。これは父さんの涙だ。

 

 文字を綴りながら、母さんに迫りくる「死」を改めて認めたのだろう。それが悲しくて父さんは泣いていたのだと、十数年経った後に読み返す俺も分かる。

 それからまた日記は止んだ。

 

 何度か書こうとしていた形跡はある。けれどそのたびに大粒のシミがそれを邪魔していた。手を付けようとペンを持っては涙していたのだろう。

 そして久方ぶりにインクが染みたページがやって来る。それは、二人の命日の前日だった。

 

 そのページは、これまでの日記の文章とは違い、恐ろしく丁寧な文字で、息苦しいほど長いものだった。

 ここに全てが詰まっていることを俺は悟り、一度天を仰いだ。二人が何を残したかったのか、その思いに向き合うには少しの準備が必要だった。

 

 そして呼吸を整えて、俺は視線をページに落とす。

 日記には、こう書いてあった。

 

『遥へ』

 

 母さんの病気が発覚してからしばらくこの日記に手を付けることが出来なかったが、今日はちゃんと、思いの全てを書き記そうと思う。 

 そしてこれが、俺たちの最後の言葉になる。・・・この日記を遥がいつ読むか、それは俺たちには分からないけれど、出来ればちゃんと伝わって欲しいと願っている。

 

 結局、俺もまなみも、陸に上がったことを後悔している。

 といっても、陸の人たちを嫌いになったわけじゃない。むしろ行き場を失くした俺たちを助けてくれた人も多くいた。そこには多大なる感謝しかない。

 それでも、遥。お前を残して行ったことは今日の今日まで後悔している。・・・なんであの日、お前を選ぶことが出来なかったのか、俺たちは分からない。

 ・・・全く、親失格な話だよな。息子の一人思えないで、人生をかき乱すことになったんだ。この日記を読んでいるお前が何歳か分からないが、きっと沢山大変なことがあっただろうと思う。だから、この場を持って謝らせて欲しい。・・・すまん。

 

 それで、これから俺たちがどうするか、だけど。

 俺たちは、一緒に逝くことにした。

 まなみはもう心身ともに限界が来ている。在宅療養でなんとかしているが、精神がやつれてしまった今、また病院に戻ることになるだろう。その日は遠くない。

 その日が来る前に、母さんは死にたいと言った。最後はせめて、自分の愛した海が見える場所で死にたいと、そんな注文を付けて。

 

 許したくなかった。けれど、俺が止めてもまなみはきっと一人でも逝くだろうと思った。それほどまでに、その目はまっすぐだった。

 だからと言って、俺もそれをむざむざと見過ごすわけにはいかない。・・・俺だって、まなみとお前が好きだ。その両方を失ってまで生きる価値は、この世にないと思っている。・・・だから、一緒に逝くと決めたんだ。

 

 だから遥・・・。せめてこれだけは覚えてて欲しい。

 俺は、最後までお前を、まなみを愛していた。そしてまたまなみも、お前と俺を愛してくれていた。

 俺は明日、まなみを手にかけることになる。だけどそれが愛ゆえの行動だということを、お前にも分かって欲しい。愛を抱いたまま死ねるなら、まだ少しはマシだと思うんだ。

 

 きっと、この一連のことでお前は沢山苦しんだと思う。愛というものがどういうものか分からなくことだってあっただろう。

 でも、そんなお前に、親失格の俺たちから最後の言葉を贈らせてほしい。

 

 俺とまなみは最後まで「愛する心」だけは失わなかった。・・・だからせめてお前も、誰かを思う気持ちだけは忘れないで欲しい。

 その終わり方がどんなに不格好でも、愛に生きた人生なら誇れるだろうから。

 

 ・・・最後になるけど、遥。

 どうにか元気で、やってくれ。

 

 

 

 

 

 日記を読み終えた俺の目から落ちてくる雫は、たちまち日記に新しいシミを作り出す。

 悲しさもあった。けれどそれ以上に、二人の最後を知れたということが、俺の中では大きかったのかもしれない。

 

 

 二人は最後まで愛し合っていた。そして、曲がりなりにも俺のことを愛してくれていた。その感情は、俺が抱えていた十年来の心の凍結を終わらせてくれた。

 

「そっか・・・二人は・・・最後まで・・・!」

 

 本当に不器用な親だと思う。そして俺も、その血を引いていることを再確認させられた。

 こんな形でしか、愛を伝えられなかった。そんなに不器用なものなのかと苦笑してしまう位だ。

 

 

 でも・・・ちゃんと伝わったよ。父さん、母さん。

 

 日記を畳む。空を仰いで、唇をゆっくりと動かす。そこに言葉を乗せて、そこにいるであろう二人に向かって言葉を解き放つ。

 

 

 

「父さん、母さん。・・・大丈夫、愛の気持ち、もう間違えないよ」

 

 これが、今日まで生きてきた俺の答えだった。




『今日の座談会コーナー』

 ハーメルンの書体で日記書くのまあまあ難しいんですよね・・・。前にもいろんな作品でやったことがあるような気がするのですが、久しぶりにやってみると結構苦戦しました。
 さて、そんな話はおいといて内容に触れましょう。今回は遥の父親が綴った日記をメインに取り上げました。初出ですが、遥の母親の名前は「まなみ」です。書いていてなんですが、遥の父親はまさしく「選択を間違えた遥」って感じなんですよね。面倒くささまでそっくりです。だからこそ、遥は間違えないように生きようと思ったわけですね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百四十九話 心は海のように

第二章最終回です。


~遥side~

 

 両親の日記を読み終え、その全てを受け入れた今の俺に、もう恐れるものはなかった。

 かつて見失っていた「愛」の感情は、今ちゃんと胸のなかにある。それをもう失うことはないだろうと、今は自信を持ってそう言える。

 

 あとは答えを出すまで、俺はこの胸の気持ちを大切に育てよう。それが何か月、何年の話になるかは分からないけれど、焦る必要はない。

 

 夕方の街に、一つ涼しい風が吹き抜ける。

 

---

 

 夕食を食べ終わった後、俺はリビングで読書に勤しんでいた。といっても、周りの音に耳を立てているのもあって、中身は全く入ってこない。読書、というよりは、この「誰かがいる空間」そのものを俺は楽しんでいた。・・・向こうに帰れば、もう当分味わうことが出来ないからな。

 

 そんな俺に、声をかける奴がいた。

 

「遥くん、ちょっといい?」

 

「ん、なんだ?」

 

「明日帰るんでしょ? ・・・折角だから、散歩、どうかなって」

 

 それはどこまでも純粋で真っすぐなお願い。当然無下にすることなど出来ない俺は、首肯して笑って答えた。

 

「そうだな。また当分時間が空くんだ。それくらいのことは、しておきたい」

 

「じゃ、行こうか」

 

 それ以上の会話は、俺たちには必要なかった。

 一度保さんの方を見て小さく会釈して、すぐに玄関に向かって千夏を待つ。一分ほどして支度を終えた千夏と合流して、俺は夜の鷲大師へ飛び出した。

 

 ただ一つ、変わらない目的地を目指して俺たちは歩く。その中で、千夏は風で靡く髪をほどきながら呟いた。

 

「ほんと、ずいぶん温かくなったよね、陸も」

 

「ああ。海も水温がかなり上昇しててびっくりしたよ」

 

「そっか。実家、戻ったんだね。・・・美海ちゃんと?」

 

「ああ。・・・はい?」

 

 急に美海の名前が出てきて俺は情けない声を挙げてしまう。美海の名前を出した理由を問おうとしたが、その答え合わせは千夏の方が先に行った。

 

「なーんかおかしいと思ってたんだよね。私が先に帰ってって言った時にはもう浮足立ってたし、何か企んでた気はしてたんだよ」

 

「別に、何もやましいことはしてない。・・・美海がな、みをりさんの墓を建てたいって言ってたんだよ。それに合わせて、俺も実家に戻っただけ」

 

「そっか。美海ちゃんのお母さんのね。・・・私も昔、よくお世話になってたなぁ」

 

 千夏は遠い昔を懐かしみながら思いをはせる。・・・というより、俺がみをりさんを知るより早く、千夏は美海と友達だったんだ。思うところはあるだろう。

 

「海にも墓を立てたのなら、尚更海までいって手を合わせないとね」

 

「そうしてくれた方が、向こうもきっと喜ぶと思うよ。・・・と、それより」

 

「着いたね」

 

 ダラダラと話していると、当初の目的地に辿り着いた。

 それは、俺が初めて千夏と真正面から言葉を交わした堤防。全てはここから始まった。この場所には、本当にたくさんの思い出がある。

 

「って、俺今日の昼間にもここに来てたわ。忘れてた」

 

「何してたの?」

 

「別に。ただ暇だなーって思って散歩してただけだよ。当分帰れなくなるから、回れるところは回っておこうかなと思って」

 

「ふーん。暇なんだね」

 

「暇だったんだよ」

 

 実際に暇だったのだから苦笑するしかない。どこまでも生産性のない会話が続いて、それにもまた笑った。

 ひとしきり笑って、場に沈黙が訪れる。その間に千夏はいつものように堤防に腰掛けて、足を海の方へぶらぶらと振った。

 

 それからしばらくして、ようやく口を開く。

 

「・・・ここで初めて会った時、私にはまだ病気があったんだよね」

 

「そういえば、な。お前が記憶を忘れたのと同時に病気もなくなったって話だったと思うんだけど」

 

「そのことなんだけどね。色々考えて思ったんだけど、多分私の記憶を昔のおじょしさまにもっていかれたとき、あの病気も一緒に持っていってくれたんだと思う」

 

「で、両方なくなった後で、記憶だけ上手く拾い集めてこじ開けたと」

 

「私はそう思ってるよ。・・・まあ、この際そんなことはどうでもいいんだけどね」

 

 確かにな、と言って俺も頷く。

 病気に関しては完全に過去の話。今それはもう目の前にないし、「どうして」と問いかける意味もないだろう。人は過去には戻れないのだから。

 

「ただ、そんな奇跡もあっていいよねって、私は思うよ」

 

「ああ。これは紛れもない奇跡だろうな」

 

 その奇跡を、俺はかつて信じていなかった。逃げたくなるような現実ばかりに直面して、どうせ現実は何もうまくいかないものだと決めつけて、奇跡を信じなくなっていた。

 

 だからこそ、目の前にある奇跡の連続は、とても輝いて見える。その輝きを映す瞳もまた、奇跡の産物なのだ。

 

 それからまた数秒の無言。俺たちの静寂を見透かした海の揺れが小さくなった時、千夏は俺の名前を呼んだ。

 

「・・・ねえ、遥くん」

 

「なんだ?」

 

「好きだよ」

 

「なっ・・・!?」

 

 全く予想していなかったタイミングで、全く予想していなかった言葉が飛んでくる。読みもクソもないのだから、たちまち俺は情けない声を挙げて驚くしか出来なかった。

 そのリアクションを見て、千夏は「あはは」と小さく笑った。それから少しだけ目を伏せて、口惜しそうに呟く。

 

「・・・五年前も、こんなリアクションが欲しかったんだろうなぁ」

 

「お前なぁ・・・」

 

「ごめんごめん。・・・でもね、言葉に嘘はないんだよ。五年前にこんなリアクションが欲しかったことも、・・・好きだって言った、さっきの言葉も」

 

「・・・ああ」

 

 その言葉を否定することはしない。俺もまた、同じ感情を千夏に、美海に対して抱いているのだから。

 

「あ、告白じゃないからね。・・・ただ、今の気持ちを伝えたかっただけ。遥くんが向こうに帰っちゃうの、どうしても寂しくて、言っておかなきゃって思ったの」

 

 そうだ。

 千夏は俺がこの街を離れた時にそこにいなかった。ずっと海の中で眠っていたんだ。

 だから今、こうやって一時の別れを寂しがってる。これで終わりではないと分かっていながらも、それを寂しがるのは無理のない話だ。・・・そうはいっても、千夏もまだ中学二年生のままなのだから。

 

 だから俺も、ちゃんと今の、ありのままの言葉を千夏に返す。・・・五年前よりは、かっこついてるといいな。

 

 

「言われたからには俺もちゃんと返さないとな。・・・俺も、お前のことが好きだよ」

 

「それは、美海ちゃんにも同じ感情を抱いている、っていう前提付きで?」

 

「ああ、そうだ」

 

 誤解のないように断言する。千夏の表情は変わらなかった。

 

「俺は二人のことが同じくらい好きだ。・・・そして、今この瞬間に一番を決めることなんて出来ない。だから・・・答えはまだ先の話になる」

 

「うん、分かってる。・・・私もね、そう返してくれるのを待ってたの。・・・もし万が一、遥くんの心の奥底が据わってたらどうしようって思ってた。だから、ちょっと安心」

 

「そうか」

 

 今は何も心配することは何もないだろう。

 千夏とはこれからもおそらく同じような距離が続くだろう。それを時折近づけたり遠ざけたりして、そうして未来を考えていけばいい。もちろん、美海にしてもそうだ。

 

 ・・・さて、俺の愛の答えは、あとどれくらい先の未来の話になるんだろうな。

 せめてそれが、あくびが出そうなほど退屈な時間の先でないことを、俺は胸の奥の方で願う。

 

 生ぬるい風を浴びた俺は、一度体をグッと伸ばした。一つ眠たそうなあくびをして、俺は千夏の方を向く。

 

「んじゃ、帰るか」

 

「そうだね」

 

 そうして二人隣歩いて帰るべき場所へ帰る。その間、これといった会話の一つもなかったけれど、それはまた心地の良い空間だった。

 

 俺はこの空間を、距離を、街を愛している。そして、それを生み出してくれる、俺の知る無数の人たちのことも、愛している。

 

 

 いつかは失われると知っていながら、それでも、愛している・・・。

 

 

---

 

 

 朝八時、電車の着メロが駅に流れる。どうやら迎えの時間が来たようだ。

 

「それじゃそろそろ行くよ。また空いた時間見つけて帰って来るから」

 

「うん、楽しみにしてる」

 

「こっちの事ばかり気にして勉強疎かにしたらダメだよ?」

 

「分かってるっての。そうはいっても特待生で鳴り物入りだぞ? 勉学には全力で当たるつもりだよ」

 

 見送りには、美海に千夏、それから俺の愛すべき人がちらほらと来てくれていた。この間は保さんと夏帆さんだけだったって言うのに、こんな短い間で随分と変わったものだと感心する。

 それは、俺がこの街で紡いだ「愛」の形。俺がこの街に生きてきた答えだ。

 

 その答えが今目の前にある。それに少しだけ涙ぐみそうになった。

 けど、今日は門出の日でもある。そんな日に涙は似合わないと、俺は感情を振り払って全力で笑んだ。

 

「それじゃ、行ってくるよ。みんな、元気でな」

 

「遥もね」

 

「分かってる。『健康一番』、この街での教訓だ」

 

「何それ?」

 

「色々あったからな。当面はこれを座右の銘にしようと思ってるって話。・・・んなこと言ってる暇ねえや! もう電車出そうじゃねえか! んじゃ、またな!」

 

 なんともまあ締まりの悪い別れだが、そんな不格好ですら俺は愛したい。

 もう蓋をした心の上から色を塗る必要はない。着飾って演じる必要もない。

 どれだけみっともなくて頼りなくても、それが俺だと信じて進もう。

 

 

 それが父さんと母さんを失ったあの日に生まれた「島波遥」の人生の答え。

 小さく大きく波を作っては時折凪ぐ、そんな穏やかな海のような心で俺は生きていくんだ。

 

 

 

 そして黒鉄の箱は動き出す。俺を未来へと連れていくように。




『今日の座談会コーナー』

 昨年8月の失踪から7カ月の月日を経て久方ぶりに動き出した物語も、ようやく第二章の最終話という節目を迎えることができました。モチベーションと更新頻度は比例するとはよく言ったものですね・・・。
 さて、前作では最終話の次回から告白シーン、afterと続いていきましたが、今作はもう少し長くやってみようと思います。もっとキャラを大切に扱いたいんです。
 ということで次回より第三章(新章?)を開始します。もうしばらくのお付き合い、よろしくお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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新章 凪の向こう側へ
第百五十話 そして針は動き出す


新章、開幕─


~遥side~

 

「よう、今日は来てくれてありがとうな」

 

「いえ。こちらこそ、招待状出してもらったこと感謝してます。・・・やっぱり、知る人の晴れ舞台ってのは気持ちがいいものですから」

 

 まだ雪の残る二月のはじめ、俺は式場にいた。目の前には慣れない格好をした大吾先生と、これまた似合わない格好の鈴夏さんがいた。

 今日は二人の祝宴の日。結婚の儀式を目の前で行った。正式な付き合いを始めたと報告されたあの日から、はや二年と半年が過ぎた。

 

 ・・・そう、あのお舟引きから二年と半年が過ぎた。大学三年生の過程が終わり、これからようやく四年生が始まる。

 そう、大学最後の一年。つまりそれは、俺がこれから何をするかを決める期間でもある。仕事探しにはさぞ忙しくなる事だろう。

 

 ただ、授業という授業はもうほとんど残っておらず、街に長く滞在する意味もなくなっていた。それもあって、俺はまた鷲大師に帰ってきた。

 

 といっても、年に数回、それなりの期間は帰るようにしていたけど。

 

 大吾先生は次のプログラムまで暇な時間が出来たのか、俺の座っている席の隣にある、誰かが空けた椅子に座った。

 

「お前ももう大学四年になるんだっけか。どうだ、学業の方は?」

 

「順調も順調。それに鈴夏さんとコンタクトが簡単に取れるようになったんで、暇を見て義足のほうもメンテナンスできるようになりましたし。また軽くなったんですよ、これ」

 

 そう言って地面をトントンと踏んで見せる。初めて義足をつけることになったあの日から考えると、ずいぶんとこの生活も馴染んできた。

 

「上手くやってるなら何よりだ。もうお前を病院で見る日も少なくなったからなぁ」

 

「最近は飲みの席ばかりでしたからね、大吾先生と話す時なんて。といっても、それも年に三回くらいでしたか。なんか寂しいっすね」

 

「馬鹿野郎、毎日病院で会うよりそっちのほうが百倍マシだ」

 

 大吾先生に笑いながら小突かれる。俺もそれを受けて苦笑した。

 今も少し酒が入っている、というのもあるが、どうも心がポカポカとする。思えばこの結婚式は、俺が初めて顔を出せた誰かの晴れ舞台かもしれない。というかそうだ。

 

 ・・・あかりさんの結婚式は、行けなかったもんな。

 

 少し苦い過去を、グラスに入った酒で流し込む。アルコールはあまり強いほうではないが、流石に結婚式。用意されている酒はいいものなのだろう、悪酔いすることはなかった。

 

「そういえば話は変わるけど、就職はどうするんだ? どうせこっち帰って来るんだろ?」

 

「特に街でやりたいことがあるわけでもないですからね。鷲大師か汐鹿生に帰ってきて、何をしようかって感じです」

 

 そう言うだけの準備はしてきた。心理学の勉強も行いながら、教員になるための勉強も行ってきた。後はその気になればいつでも、という感じだ。

 

「今じゃ汐鹿生も活気が戻ってきているからなぁ。波中も廃校を取りやめて復活させたんだろ?」

 

「そう聞いてますよ。あの日以来、内在しているエナが活性化した陸の人が大勢出てきましたからね。その中で海で生きたいと思う人が増えるのも不思議じゃないでしょう?」

 

「そりゃそうだ。ま、何にせよ自由が一番だ。それは俺もそう思ってるよ」

 

 うんと頷く大吾先生。

 その数秒後、大吾先生を呼ぶ声が遠くから聞こえた。見たことあるその顔は、おそらく病院職員の誰かだろう。

 それからまたしばらく一人になる。・・・招待されたはいいものの、俺の見知る人間が少なすぎるあまり、少しばかり気まずさを感じる。

 

 と、そこに助け船を出したのは、同じ卓の向かい側に座っている西野先生だった。

 

「藤枝の奴、あんなふうに笑う人間だったんだな」

 

「結構酷い事言いますね、西野先生」

 

「先生はよしてくれよ。今はもうここの病院で働いてないんだからさ」

 

「今は街で別の事業、でしたっけ。といっても結局クリニックやってるんだから先生じゃないですか」

 

「はっは、そうかもな」

 

 なんだかんだ言って、この人の新規事業は小さな医院となった。千夏の手術を経て、自分にはやはり医学の道しかないと悟ったのだろう。もちろん、俺もこの人にはそれが一番合っているように思う。

 

「・・・そういえば、あの人の判決、どうなったんですか?」

 

「ああ。日野家の方も少し非を認めている部分もあって、情状酌量の余地があるってことで、執行猶予がついてる。あいつが社会に馴染むまでまだ少し時間はかかりそうだけど、関係修復は上手くいってるよ」

 

「そうですか・・・。あの人も前を向いているなら何よりです」

 

 当然、日野家の人間に危害を加えようとしたことを簡単に許したくはない。

 それでも、あの人なりの理由があったことも俺は知っている。行動の選択を間違えただけで、あの人はそれまでまっとうな人生を生きてきた訳だ。

 できればまた、元の生き方に戻って欲しいものだと俺は願う。

 

「おっと、お前にお客さんだな。俺は一旦別の所行くよ」

 

「へ?」

 

 突如、俺に有無を言わさずに西野先生はどこかに行く。そして入れ替わりで俺のもとにやって来たのは、もう一人の主役だった。

 

「よう、なんの話してたんだ?」

 

「鈴夏さん・・・。まあ、色々ですよ」

 

「二年前の事件の事か?」

 

「・・・も、ありますね」

 

 当事者の親族なだけに、あまりこの話は挙げたくなかったんだけどな・・・。

 

「ま、あたしも終わったことグチグチ気にするタイプじゃないからな。別にもうなんとも思っちゃいねーよ。裁判もちゃんと聞きに行った。あいつの言い分も理解してる。行動を間違っただけで、あいつの抱く感情は間違っちゃいなかったよ。あたしも小さな自営業だったからな、そこの気持ちは、分かる」

 

「そうですね。人間ってのは気難しい生き物ですから」

 

 そうして時々、人間は選択を間違える。それは取り返しのつかない、大きな間違いにもなりえる。

 けれど、人生は自分が思うよりほんの少しだけ優しい。きっと死なない限り、本当の終わりなどないのだろう。

 

「まあ、こんな話長々とするのもやめましょうよ。折角の晴れの日なんですから」

 

「そうだな。・・・にしても、大ちゃんとここまで来るとはなぁ・・・」

 

「感慨深いですか?」

 

「昔は二人とも悪ガキ、って感じでつるんでたからな。大ちゃんに色々あってあいつの性格が変わってからも、あたしだけはその距離でいた。恋もクソもない間柄だよ。・・・でも、年取れば変わるもんなんだな」

 

 自分が「一人の女」であることを再確認するように、しみじみと鈴夏さんは呟いた。気の合う友達でも、こうなるというケースの最たる例だ。

 

「同棲生活はどうです?」

 

「それがさあ、もうてんやわんやでさぁ」

 

 鈴夏さんは両手を横に放り投げて首を横に振った。その表情と仕草から、俺は何かを察してしまう。

 多分この人たち・・・家事下手糞なんだ。

 

「お前も察しついてると思うけど、ほら、あたしも大ちゃんも仕事人間だったじゃん? 仕事人間って仕事さえできればよかったから、家事もテキトーに投げてたわけ。ま、お察しだよねって感じ」

 

「それでももう同棲して一年は経ってるんでしょう?」

 

「ああ、それでようやくあたしが料理に、大ちゃんがその他の家事に目覚めたって感じ。逆だったら危なかったよ。医者は帰るのが遅くなる日もまあまああるしな。飯にありつけなくなっちゃ困る」

 

 なんて愚痴を吐きながら、鈴夏さんは笑う。なんだかんだ言ってもそのてんやわんやが楽しいのだろう。

 それから鈴夏さんは改まって俺の方を向いて、それを言葉にした。

 

「・・・ま、なんだ。改めて言うのもなんだけど、ありがとな。島波」

 

「別に俺は何もしてないですよ。結ばれたのは二人が結ばれたいと思ってたからであって」

 

「きっかけを作ったのはお前だろうが。少なくともあたしたちにとっちゃ、お前は仲人なんだよ。同期の連中よりもな」

 

「そうですか。・・・なら、とりあえずその感謝の言葉はありがたく受け取っておきますね」

 

 もう、誰かの感情を遮り、遮断することはしない。心の底からの本心なら、俺は真正面からそれを受け止める。

 その術を、この二年間の間でしっかりと培ったはずだ。それが世渡りだと知っているから。

 

 

「おっと、空気が悪くなっちまったな。また話題でも変えるか」

 

「他何かネタあるんです?」

 

「なんぼでもあるぞ。それこそこの間真冬がさ・・・」

 

 

 そうして、祝福に包まれた心地の良い時間が進んでいく。

 混じりっ気のない、心からの幸福。愛が結びついた先にある「恋」、その結晶。

 いつしか俺は、それを欲しいと思うようになっていた。

 

 

 ・・・つまり、そういうことだ。

 

 長い間、「待て」と言い続けて来たが、そろそろ俺もその因縁に答えを出さなければならないはずだ。何より俺がそうしたいと思っている。

 二人が今どう思っているかは知らない。敢えて聞かないようにして、この二年間を過ごしてきた。

 

 けれど、もう時計の針は進まないといけない。俺にも俺の、夢があるはずだから。

 

 

 

 

 そのために、俺はこの街に戻ってきた。

 俺に思いをぶつけてくれた二人に、確かな「答え」と「未来」を託すために。




『今日の座談会コーナー』

 ということで、150話という区切りのいい話数から新章を開始します。ここからは凪あす本編とはほとんどと言っていいほど関係ない、オリジナルパートです。ちなみに前作にもないシーンばかりなので、完全新作と言っていいでしょう。むしろここを書くためにこのリメイクを始めたようなもんですから。
 そんなに長い事話は作らないと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百五十一話 芽生え始める違和感

~遥side~

 

 式が終わり、水瀬家へと着いたのは夜の九時ごろだった。

 

 あの日海が解放されて以来、俺も実家へ立ち寄れるようになった。そもそもこの家に身を寄せるようになったのは俺の怪我が元だったわけだが、今では怪我の影響など微塵もない。

 

 それでも俺はこの家に帰る。少なくとも今は、自分が身を寄せた居場所だということに変わりがないのだから。

 ・・・答え次第では、それも失われることになるのだろうけど。

 

「ただいま戻りました」

 

「ああ、お帰り」

 

 出迎えてくれたのは保さんだった。・・・あれ、人の気配があまりないな。

 

「あれ、保さん一人ですか?」

 

「ああ。夏帆はこれから仕事、千夏は今美海ちゃんのところに行ってるからな。流石にもう高校生になったわけだ。門限も少し緩めた」

 

「そうですか。・・・そっか、もう高校生ですもんね」

 

 本来は、俺と同い年だったんだけどな。

 けれど過ぎ去ったことをグチグチと嘆くことはしない。変わってしまった今を軸にこれからどうするか、それだけ考えればいいから。

 

「それより、スーツ姿で長い事いるのもなんだろう。入ったらどうだ?」

 

「そうですね。では」

 

 特に余計な言葉を口にすることなく、俺は俺にあてがわれているいつもの部屋へ戻る。向こうのアパートでの生活もだいぶ板についてきたが、やはりこの場所が今は一番落ち着く。

 

 堅苦しいスーツを脱いでハンガーにまとめ、私服に着替えて俺はリビングへ向かう。ソファでくつろぎ、退屈そうに新聞を読む保さんの姿は家に誰がいようといまいと変わらないらしい。

 

 そして、新聞に目をやりながら俺に声をかけてくるのも、変わらない。

 

「大学はどうだ? 残すところあと一年だと思うが」

 

「卒業に必要な単位はあと卒業論文だけなので、当分は就活に専念しますよ。こっちのエリアで就職するつもりなので、当分はまたこちらに身を寄せることになるかと思います」

 

「実家には、帰らなくていいのか?」

 

「帰っても楽しくないですから。やっぱり、誰かがいる場所に身を置ける方が、俺は嬉しいんです」

 

 当然、一人でいる時間が欲しくなる日もある。そういう時くらいだ。俺が向こうの家に帰ることになるのは。

 ただ・・・これから二人と向き合うためには、俺は長い事この家にいない方がいいのかもしれないと思う時もある。だってそれは、あまりにも不公平すぎるから。

 

「・・・なんども言うが、俺たちはあくまで遥君自身が望む選択をしてほしいと思ってる。それが俺たちを裏切ることになったとしても、本心からの選択なら何も言わないつもりだ。だから、俺たちの存在を未来の選択の理由にはしないでほしい」

 

「分かっています」

 

 もちろん、フェアじゃないことは向こうも理解しているようだ。

 ・・・ただ、二人だってもうちょっと我儘になったっていいだろうに。そんなことを思ってしまう。

 

 それからしばらくの間の無言。・・・あれ、二人しかいない家って、こんなに気まずいものだったかな。前回帰ったのが冬休みのほんの数日だったから、いよいよ感覚が分からなくなってしまっている。

 

 そこに助け船を出したのは、玄関が開く音だった。門限ギリギリ、千夏が帰って来たみたいだ。

 

「ただいまー」

 

 これ見よがしに俺は出迎えに行く。現れた俺に千夏は驚いた顔をしていた。

 

「あれ、遥くん。もう帰ってきてたんだ」

 

「式自体はそんなに長くないしな。あと見知った顔少なすぎたから話すだけ話してすぐ帰ってきたし」

 

 それでも九時くらいまでかかるのだから、式場マジックはつくづく恐ろしい。

 千夏は興味なさそうに「ふーん」と答えて、ドタバタと自分の部屋へと戻っていった。

 

 ・・・にしても。

 あまり声にして言えるものではないが、歳を増すごとに千夏はどんどんと美しくなってきている。美海の成長もさることながら、千夏はまた特段だ。五年間眠っていたのもあって、成長する伸びしろが溜まっているのだろう。

 

 そこについては本人も少し困っているようだ。曰く、昔入ってた服が入らなくなる、だとかが日常茶飯事らしい。

 

 千夏が自分の部屋からリビングの方へ戻ってきたのは五分くらい経った後のことだった。

 特に何食わぬ顔をしながら、俺の目をまっすぐ見つめたままいう。

 

「行こ」

 

「は?」

 

「いや、だから散歩。せっかく帰ってきてくれたんだし、話したいこといっぱいあるし」

 

 俺は保さんに判断を仰ぐように視線を逃がす。しかし保さんは小さく頷いた後、また新聞に目を戻した。あれは間違いなくOKのサインだ。

 俺は小さくため息をついて、それを了承した。

 

「分かった。もう時間も遅いしさっさと行くぞ」

 

「うん」

 

 今日はこれ以上特に何をするつもりでもなかったが、俺は千夏の後ろについて家を後にした。それからいつもの堤防に向かう散歩コースに入る。・・・さっきまで遊んでたって言うのにやっぱ元気だな。

 

「千夏お前さ、結構グイグイ誘うようになったよな」

 

「嫌だった?」

 

「うーん、どうだろうな。ただ少なくともずっと申し訳なさそうにされるよりは何倍もいいと思ってるよ。多分、そっちの方が断りづらいし」

 

 それに、もう遠慮をするような間柄ではないということだ。互いの後ろめたさが足を引っ張って少しだけぎこちないような距離だった二年前とは違う。

 だからこそ、今、千夏を見る目が変わってしまっているように思えた。ただの「かけがえない人」ではない。俺は明らかに千夏を「異性」として見ている。おそらく、同じ感情を美海に対しても抱くだろう。

 

 これまでのような関係でいれば思い悩むこともないだろう。けれど、進みたいと願っているのは俺だ。このどうしようもない違和感とはちゃんと向き合わないといけないだろう。

 

「ところで千夏。なんか最近変わったこととかあったか?」

 

「うわー、雑な導入」

 

「うるせ。話を切り出すの得意じゃないんだよ」

 

 いや、多分ぎこちなくなってるだけだ。昔はもっと息を吐くようにコミュニケーションが出来ていたはずだ。・・・なんだろうな、この違和感は。

 嫌な気持ちになっているわけじゃないのだけが救いだけど。

 

 千夏は少し黙ったあと、最初の質問に答えた。

 

「最近ね、海の学校の手伝いに行ってるんだ」

 

「あっちに?」

 

「うん。ほら、波中も小学校も復活してるでしょ? けど人手が足りないから手伝いが欲しいって状態になってたの。今じゃ汐鹿生もずいぶんと人の出入りが増えたし」

 

 千夏も今では海の馴染んだ顔になったみたいだ。あれだけ外からの干渉を拒んだ海がこうも変わるとは、少なくとも七年前には思わなかっただろう。そこはやはり、嬉しく思う。

 一年くらい前に、夏帆さんも父親の墓参りに行けたみたいだしな。

 

「先生にでもなりたいのか?」

 

「んー、こだわりはないかな。でも、誰かの力になれるのは楽しいよ。ましてやそれが私の好きな海なら、尚更ね」

 

「あれだけ行きたがってたもんな、汐鹿生」

 

「うん。だから今、とっても充実してるんだ」

 

 千夏は着々と「夢」を叶えようとしている。それが充実していないはずなどないだろう。

 

「遥君はどうするの? 就職するとやっぱり海に帰るの?」

 

「何にも決まってないんだよな。働くなら海かここかってのは決まってるんだけど、そこから先はまだ全然。・・・それに」

 

「それに?」

 

 言いかけたところで、俺は後悔する。

 俺のこれからは、多分二人のどちらかに由来してしまう。その未来が見えてしまっていた。でもそんなことを、今自分の想いだけで夢をかなえようとしている千夏の前で言えるはずがない。

 

「いや、なんでもない」

 

「そっか。・・・まあ、言いたくないならいいよ」

 

 千夏は見透かしたように俺の言葉に答えを出した。何か言いよどんでいるのが伝わってしまったのが少し残念だが、考慮してくれたことには感謝したい。

 そういう気の回し方も、上手になったんだな。

 

「ところで、こっちにはいつまでいるの?」

 

「当分は向こうに帰らないよ。またしばらく水瀬家にお世話になるかな。多分、時々実家に帰るかもしれないけど」

 

「実家は第一の遥くんの居場所だからね」

 

「そうはいっても手入れしなきゃ、また埃っぽくなっちまうからな、あの家も。あれと日記だけなんだよ、俺と両親を繋ぐものって。だからせめてそれは大切にしたい」

 

「うん、いいと思う」

 

 千夏は涼しい顔で頷く。それから海の方に目をやって、自分の両手に「はーっ」と息を吹きかけた。

 

「やっぱり寒いねー、冬だと」

 

「ぬくみ雪関係なしにな。・・・んじゃ、帰るか?」

 

「うん、今日は長居するつもりもないしね」

 

 千夏は両腕を広げて、くるりと反対方向を向く。それから瑞々しい笑顔を俺に向けて「帰ろっか」と告げた。俺も曇りない表情で頷いた。

 

 ・・・ほんとに、綺麗になったな。

 

 これまで抱いたこともないような感情が胸を襲ってくる。各々が持っている「愛」を「恋」へ結び付けるには、この感情とずっと向き合わなければいけないのだろう。新しい壁が立ちはだかったものだと痛感する。

 

 

 でも、だからこそ歩みはゆっくりと。

 この先ずっと続いて行く歩幅は、波のように穏やかでいい。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 新章は色恋沙汰がメインの話になっているので、「異性」としてのヒロイン像を描かなければいけないのが難しいですよね・・・。ましてや成長した千夏については前作ほぼノータッチなので描写が薄すぎるんですよ。中学の頃の姿そのまま、というわけにもいかないですし。
 余談ですが最近ホワイトアルバム2読破したんですけど・・・やばいっすねあれ。三角関係の頂点ですよあれ。

といったところで、今回はこの辺で
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第百五十二話 ズルい女

~美海side~

 

 遥が帰ってくる連絡は、前日くらいから千夏ちゃんから聞いた。なにしろ今回は事情が事情で、ずいぶんとこっちに長い事滞在することになるらしい。・・・というより、下手をすればこっちに生活拠点を戻す勢いみたいだ。

 

 遥が海の問題を全てやり終えて向こうに帰った日から二年。その間に幾度となく会合こそしてきたけれど、今回はどうも心持ちが違うように感じた。

 その気持ちを、私はちゃんと理解している。

 

 好きの感情。しかもそれは、これまでのものとは違う、もっと独占的で支配的な欲。

 有体に言えば、「恋」だ。

 

 これまでも似たような感情を抱いていたつもりだった。だからこそ、誰かに妬く事なんて沢山あったし、苦しむこともあった。けれど今胸にある感情は、その時のものよりも遥かに大きい。

 それほどまでに、私は「異性」としての遥を意識している。きっとそれは、もう手の届かない存在ではなくなったことを知っているから。

 

 

「・・・いけないな、私」

 

 少し心が走り気味になっていることに気が付いた私は、夕景に対してふと本音を漏らしてしまった。少し前の方を歩いていたさゆが立ち止まって、こちらを振り返る。

 

「遥さんのこと?」

 

「・・・うん、そうなるかも」

 

 私が逃げることもせずそれを肯定すると、少し前まで進んでいたさゆは私の隣まで戻ってきて歩調を大きく落とした。

 ちゃんと話を聞く、という意志が伝わってくる。その厚意に感謝しながら、私は続きを話すことにした。

 

「遥が帰ってきた、って話はしたよね?」

 

「もう何回も聞いてる。知らないはずないじゃん」

 

「うん。・・・でさ、なんだろう。これまでは何食わぬ顔で会いに行けたのに、なんか今、そういう気分じゃないっていうか」

 

「これまでと心の持ちようが違うってこと?」

 

 問いかけに対して、私はしっかりと首肯する。

 さゆは困ったように眉をひそめて、間違えようのない正解を口にした。

 

「焦ってんじゃん、それ」

 

「やっぱり、そうなんだ」

 

「それしかないでしょ。・・・まあ、確かに分かるんだけどね、焦る気持ち。相手は今年大学を卒業しようとしている立場で、狙うライバルが他にいて。何かしないといけないのは分かるのに何をすればいいか分からないし。でも気持ちだけが暴走してる。そんなとこでしょ」

 

 さゆの放つ一言一言は、私の心の代弁と言っても差し支えなかった。

 何一つ間違えてなどない。とはいえ、ありのままの心を晒されたのはそれはそれで少し恥ずかしいような気がした。

 

「でも、その焦りは美海自身が望んだもの。そうだよね?」

 

「それは・・・」

 

「少なくともあの人がいなかった五年間、自分からことを起こそうとしなかったのは美海自身だよ? それは覚えてるよね?」

 

 『そうやってもし負けたなら、美海は満足なんだ?』という、二年前のさゆの言葉が今になって痛いほど突き刺さる。

 あの時は多分、どうにかなるとでも思っていたのだろう。本当は、千夏ちゃんがちゃんと帰ってきて、海もよくなって、なんて信じていなかったんじゃないだろうか?

 

 でもいざ目の前を見てみるとそれは起こっている。それは逃れようのない。

 私はここで全てに負けて、それで満足できるのかな・・・。

 

「・・・なんて、美海の行動は馬鹿だけどかっこいいと思うよ、私は」

 

 さゆはため息をついて、私の行動を否定し、肯定した。

 

「もし私があの人の立場だったら、知らない間に全てのことが終わってるのすごく辛く感じると思う。・・・土俵に立てない気持ちの辛さ、私と美海はよく知ってるはずだよ」

 

 それは七年前の話。常に遥の隣には千夏ちゃんがいた。それは五年後目覚めても変わることはなかったけど、それでも歳の違いをあれほど恨んでいた時期はない。

 

 とはいっても、あの時の私にチャンスがないわけでもなかった。けど、空白の五年間の千夏ちゃんはどうだろう。何一つチャンスなどない。時間が止まったまま、変わったことを受け入れなければならないのだから。

 

「だから、あの時の美海の行動は正しい。・・・でも、そんなもの全部昔の話。今は今。美海はこれからのことちゃんと考えなきゃだよね」

 

「これからの、こと・・・」

 

「そう。土俵も一緒。アドバンテージも一緒。ノーハンデの一発勝負。それが今美海が置かれている状況だよね?」

 

「うん。・・・まあ、若干アドバンテージ向こうにあるけど」

 

 こんなことは言いたくないけど・・・。やっぱり千夏ちゃんの家に身を寄せてるの、ずる過ぎる。

 しかもそれにはちゃんと理由もある。おまけに千夏ちゃんの両親はすごいいい人と来た。それだけでも頭が痛い。いつ遥の心が向こうに引っ張られていくか分からなくて。

 

「・・・ねえ、美海。私、これからすごく酷いこと言うよ。もしそれがダメだったら、叱ってね?」

 

 さゆはいつになく真剣そうな表情を私に向ける。そこに「おふざけ」の感情の片鱗もないことを悟って、私は閉口した。それを合図にして、さゆは話し始める。

 

「美海は、いい子をやめないといけないよ。・・・もっと感情的で、我儘でいい。遠慮なんてしなくていい。汚い手を使え、とは言わないよ? それは昔美海と約束したことだから。・・・でも、ずっと綺麗なままじゃ、戦えないじゃん」

 

「さゆ・・・」

 

「あの人と美海がかけがえのない友達だってことは私も知ってる。・・・でもさ、それ以前に『ライバル』なんでしょ? それでいつまでも綺麗な関係を続けていくこと、私は出来ないと思ってる。少なくとも、美海が遥さんを諦めることをしなければ」

 

「・・・!」

 

 心の中で、うっすらと思っていた。

 私は、いつまで千夏ちゃんと「友達」でいられるのだろう。大好きな人でい続けれるのだろう。

 かつては、もし取り合うことになっても友達でいれる、だなんて淡い期待を抱いていた。でも、今この胸にはあの日感じることなど微塵もなかった嫌な気持ちがしつこく絡みついている。大きくなって、綺麗事が綺麗事だと理解できるようになってきた。

 

 だからこそ、さゆの言葉を否定することは出来なかった。

 私はいつまでも、「素直で正しい子」ではいられないんじゃないかって、そう思えたから。

 

「・・・怒らないんだね」

 

「ごめん。・・・さゆの言うこと、全部納得しちゃってたから」

 

「もちろん、これが正解、って訳じゃないよ? これまで通り素直で真っすぐに、好きな人のことを思い続ける生き方で報われることだってあるかもしれない。だからこれはあくまで可能性。真に受けないでね?」

 

「それはちょっと・・・難しいかも」

 

 真に受けてしまう。

 私が生き方を変えるとすれば、もうそこしかないのだから。

 

「そっか。じゃあ、もう仕方がないか」

 

 さゆも無理に否定することをせず、私の言葉を真正面から受け止めた。昔はお互い我ばかり貫こうとしてたのに、こうやって互いの言葉を素直に受け止めれるようになったのだと、歳をとったのだと実感する。

 

「なら、さっきの言葉を簡潔にまとめて美海に送るね。・・・もっと、ずるい女になりなよ。そうするだけの権利、誰にだってあるんだから」

 

「うん、ありがと。ちょっとすっきりしたかも」

 

 実際、もやもやが少し晴れたのは間違いない。そうしてくれただけのさゆには、ちゃんと感謝しないと。

 さゆは少し困惑した表情を浮かべながら、バツが悪そうに顔を背けた。

 

「・・・なんか、柄にもないこと喋り過ぎた」

 

「ううん。すごく助かった。ありがとうさゆ。話聞いてくれて」

 

「・・・ん」

 

 それからまた数歩先をさゆは歩き始める。それはお互いの「恋路」の距離といっても差し支えないように思えた。

 前を歩くさゆの背中は、同い年なのに少しだけ大きく見える。

 

 私もそこに追い付かなきゃ、だよね。

 

 

 だからこそ、誰かを傷つける覚悟を決めなきゃならない。

 だってそれほどまでに、私は遥が好きなんだから。




『今日の座談会コーナー』

 なんか、当初のプロットよりもだんだんと雲行きが怪しくなっているような・・・。そうなったのは多分、前回あとがきにも書いたホワイトアルバム2が原因でしょう。あれのせいで三角関係の在り方が大きくゆがんでしまったのは事実ですし・・・。とはいえ、当初の方針から大きくずれてしまうのは大問題。どうすればいいか考えてみるとしますか。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百五十三話 焦燥感、募って

~遥side~

 

 就活のためにこの街に戻ってきた、と言えば聞こえはいいが、それ以外の目的を見いだせていない現状、俺はまた暇を持て余すことが約束されていた。ほんの一週間程度の滞在ならともかく長期間ここにいるとなれば、この暇は人生を大きく無駄にしてしまうこととなるだろう。

 

 ということで、俺は二つのことを行うことにした。

 ひとつはバイト。食い扶持など別にどうでもいいが、働く、という経験値はある分に越したことはない。街のほうでも何度かやってみたが、実際の所あまり長く続いたものはなかった。それのリベンジもある。

 

 そしてもう一つが・・・。

 

---

 

「で、俺の船に来たと」

 

「悪い。どうしてもここしか浮かばんかった。それに、三橋教授の研究はまだ続いているんだろ?」

 

「まあ、な」

 

 朝の七時ごろ、俺は紡の所有する船の上にいた。もちろん、ただの冷やかしではない。一応紡の漁を手伝う名目&研究を手伝う名目でここにきている。

 

「しかし、海の異変が終わったうえで、三橋教授は何を研究しようって言うんだ?」

 

「陸の人からすれば、異変はまだ終わっちゃいないみたいだ。・・・ま、この十年内に寒くなったり温かくなったり、ましてや冬眠をしたりなんてことがあったからな」

 

「なるほどねぇ・・・。最も、目新しい発見に期待できなさそうだけど」

 

「あと、単純に今の海の生命体についても研究している。新種の魚なんて見つかってみろ、学会ものだ」

 

「ああ、そういう」

 

 言えば、元来の研究に戻ったといっても過言ではないのだろう。

 ・・・なるほど。変化し続ける海を記録し続けるわけか。そりゃ一生尽きることない命題だろうな。それはそれで、奥行きがあって面白そうだ。

 

「それより遥、そっちの網投げてくれ」

 

「これか? 分かった」

 

「あまり遠くまで飛ばさなくていいからな」

 

 紡の指示を受けて、俺は足元に転がっていた網を投げ入れる。紡はそれに一度うんと頷いて、また別の仕事に取り掛かった。

 手伝いに来ている以上は、真面目にやる。それだけを頭に、俺は黙々と作業を続けた。それがひと段落着いた頃、再び紡が口を開く。

 

「そう言えば遥、就職はどうするつもりだ?」

 

「みんなして聞くのな、それ。・・・まだ何も決まっちゃいないよ。でもとりあえず働きたい場所は決まっている。だからこっちに戻ってきた」

 

「そうか」

 

「いいよなぁ紡は。最初っからやること決まってて」

 

 少し皮肉を込めていったセリフを、紡は思わぬ言葉で返した。

 

「俺も、最初は悩んでた」

 

「え、そうなのか?」

 

「ああ。・・・海は好きだった。じいちゃんが漁をしている姿も好きだった。だから、漁師という仕事は俺のあこがれだった。・・・でも」

 

「冬眠のことか」

 

「ああ。あの時、初めて自分の夢を疑ったよ。どうなるかわからないこの先の海で、本当に漁師を目指していいのか、もっと別な何かを考えた方がいいんじゃないか。ずっと、そんなことを考えてた」

 

 少なくとも、そんな弱音をあの頃の紡からは聞かなかった。思う事こそあっても、決して口にすまいと意識していたのだろう。多分それは、あの頃弱っていた俺やちさきに対しての配慮だろう。

 

「でも、この夢はやっぱり諦めきれなかった。だから海のことを勉強して、どうにかこの異変を止めたいと頑張った。・・・気持ちいいものだよな、報われるのは」

 

 普段表情をコロコロ変えることのない紡は、屈託のない笑みを浮かべた。それほどまでに目の前の光景を嬉しく思っているのだろう。それも、人一倍。

 それは、ようやく夢を追うことが出来ることへの喜びか、行った行動が報われたことの喜びか、その両方か。知る由はないが、知らなくてもいいことだ。

 

「俺は今後もずっと続けていくつもりだ。そろそろじいちゃんから世代交代しないといけないことだしな」

 

「ああ。文句言われながら頑張ってみろ」

 

 あの人は引退してもそう簡単には引き下がらないんだろうな・・・。帰ってくるなりあの人が文句を言う、そんな光景が簡単に想像できる。

 もちろん、それも愛あってのものだけど。

 

「ところで」

 

「あん?」

 

「お前・・・あれから色恋沙汰はどうなったんだ?」

 

 唐突に振られる、もう一つの質問。・・・いや、これもさんざんいろんな人から言われてきたけど、まさかこいつに言われるとは思わないだろ。

 呆れたようにため息をついて、いつも通りの答えを口にする。

 

「特に進展なし。・・・けど、そろそろ覚悟を決めなきゃいけないことは分かってる。そのために戻ってきたって言っても過言じゃないしな」

 

「そうか。・・・大変なもんだな、三角関係って」

 

「なっ・・・。お前なぁ、そういうワード簡単に出されるとこっちも困るんだけど」

 

 三角関係と聞いて、いいイメージが真っ先に出てくる人はそういないはずだ。無論俺も、少し嫌なイメージを持っている。

 そして紡は、今の俺たちがその関係にあると言った。間違いがないのがまたモヤモヤするところだ。

 

 ずっと思っている話ではあるが、俺はどちらと歩んでも幸せになれると思っている。選択した、その先の幸せを掴めると信じている。

 

 ・・・いや、待てよ?

 

 原点に立ち返って、俺はあることに気が付く。

 

 俺はずっと、どちらを選んでも幸せになれる、という言葉に逃げていたんじゃないか? どちらかを自分の意志で「選ぶ」という行為から。

 言えばそれは、「どちらでもいい」と言っているようなものだ。真正面からぶつかってくれている二人に、そんな杜撰な感情で向き合うのは甚だ失礼極まりない。

 

 そもそもの考え方が間違っていたんだ。

 俺は、どちらを選べばより幸せになれるかを考えなければならない。それが、選ぶということだ。どちらでもいいのなら選択なんてテキトーでいい。

 

 俺は、二人のうちどっちを選べばより幸せな未来を描けるのだろうか・・・。

 

 今日の脳内会議は、一旦ここで終わる。

 

 随分と無言を貫いてしまった俺は、帳尻を合わせるように紡の発言に答える。

 

「・・・三角関係、ねぇ。最終的にはどっちかを傷つけることになるんだよな、あれ」

 

「それは、お前も分かってて選んだ道だろ?」

 

「ああ、分かってる。ちゃんと理解もしてるよ。・・・なんだろうな、昔はずっとみんなの幸せばかり願ってたのに、こと恋路において皆が幸せになることは出来ないんだなってつくづく痛感してるよ」

 

 自分の欲望のために、誰かを傷つけることを嫌った。

 けれど、誰かを傷つけなければ先の幸せにたどり着けないと、今現実はそれを見せている。残酷なまでに、おぞましく。

 

 けど、もう足は止めない。止めたくない。それに向き合っている今、後は歩き出すだけだ。二年前にはもたついた道だが、今なら歩めるはずだ。

 

「・・・選ぶよ、俺は。今はそのための時間が欲しい」

 

「そうか。・・・話しついでになんだけど、二人きりの特別な時間はちゃんと確保した方がいいと思う。それこそ、デートみたいなもんか」

 

「お前の口からその言葉聞くとは思わなんだ」

 

「そうか? ・・・まあ、ちさきがよく言うからな。お前は知らないと思うが、あいつ最近、俺が街にいるときに遊びに来るようになったからな」

 

「そこまでの愛かよ。・・・さぞ溜まってたんだろうな」

 

 あいつが秘めた思いを解き放とうものなら、それは膨大な量になる。ため込む量が俺たちの比じゃないんだ。・・・ため込むの、苦手なくせに。

 しかし、二人の順調そうな関係に俺は息を吐いた。しがらみのなくなった今、特に心配することはないだろう。何より今は俺が心配される側になってるし。

 

「と言っても、お前らの関係は俺が考えるよりずっと強固だからな。きっと心の内はだいぶ曝け出しあってることだと思う。ならもっと、踏み込んだ本音の会話だって出来るんじゃないか? もしそれで壊れる関係なら、その程度だったって訳になる」

 

「なるほどね。・・・本音、か」

 

 多分俺たちは、知らず知らずのうちに遠慮しあってる部分があるのだろう。お互いがお互いのことを思いすぎるあまり、傷つけたくないと願うあまり。

 でも、そんな関係は止めないといけないのだろう。

 

 ・・・そしたら、友達だった関係すらも失われるのだろうか。それはそれで、怖い事だ。

 

 

「・・・さて、と。雑談の途中で悪いがそろそろ網を引き揚げるぞ。手伝ってくれ」

 

「了解」

 

 急に仕事モードへと切り替わった紡に何かを言い出すことなど到底できず、俺も手伝いに戻った。

 

 

 生まれ始めた焦燥感と、これまで感じたことのなかった新しい恐怖心をただ胸に抱えながら。




『今日の座談会コーナー』

 前作、告白シーンとアフターを1話書いたものの、負けた方のヒロインの描写全く書いていないんですよね。そこを書き直したいと思ったのが今回のリメイクの理由の一端でもあったりします。書いてる途中で自分の胸が壊れないかが心配・・・。
 というかこの作品、第一話が二年前の二月らしいんですよね。受験が終わってすぐ辺りです。もうこんなに月日が経ったなんてな・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百五十四話 優しさに背を向けて

~遥side~

 

 紡の漁の手伝いをして、朝の十時ごろ。俺は例の如く病院にいた。

 といっても、別に何も悪いところはない。至って健康体。足の状態だって特に問題はなかった。

 

 それでも俺がここにいる理由は、俺がここで働くためだった。

 

 バイト先に選んだのは結局ここだった。その他色々当たろうとしたが、さやマートに関しては見知った顔が多すぎて少し堅苦しいし、馴染みがなさすぎるのもそれはそれでいやだ。・・・まあ、この職場も大概見知った顔ばかりなんだけどさ。

 

 また、働くと言っても別に俺は医学に関して何か知恵を持っているわけでもない。カウンセリングをすると言ってもまだ学業を修めきっていない。出来て事務作業が関の山だった。

 それでも病院側は心置きなく受け入れてくれた。・・・それはそれでどうかと思う。世話になり過ぎたツケだろうか。

 

 そんな感じで始まった仕事だが、これもこれで刺激があって面白い。これまでの人生、デスクワークなんてものとはほとんど無縁の関係だったわけだ。新しい何かを知るたびに好奇心が湧いてくる。

 

 そう熱中していると、時間というものはあっと言う間に過ぎていくもので、時計に目をやった時には、針はもう終了時刻を指していた。

 

「マジか・・・もうこんな時間」

 

「お疲れ様でした」

 

「はい、今日一日ありがとうございました。ではまた」

 

 職場の先輩に頭を下げて、俺は事務所を後にする。勢いそのままに玄関の方へ向かおうとすると、後ろからトントンと肩をたたかれた。

 振り向いた先は見知った顔。今年から晴れてこの職場で働くことになった奴がいた。

 

「ちさきか」

 

「お疲れ様、遥。これから帰り?」

 

「ああ。お前も?」

 

「うん。今日はちょっと早番だったから。ここ数日向こうの家に顔出せてなかったから、そっち帰ろうかなって思ってる」

 

 あれから二年。ちさきは専門学校の過程を終えてこの病院に就職することになった。・・・馴染みある顔が、また一人。

 もうこの病院に患者として来たくないものだな、ホント。

 

「遥はどう? こっち帰ってきて汐鹿生には戻ったの?」

 

「いや、まだだな・・・。四日前に帰ってきて一昨日は大吾先生の結婚式、昨日はバイトの手続きとその他諸々で動けなくて今日に至るからな」

 

「せっかくだし、一緒にどう?」

 

「そうだな。たまには一人でぼんやり考える時間とかも欲しいし、向こうの家の掃除もしておかないとやばいしな。行くか」

 

 今はもう、しがらみのない関係だ。二人でいても、特に都合が悪いなんてこともない。昔のように、純粋な心のままで付き合えることだろう。

 

 そして俺はちさきと一緒に病院を後にした。そのまま真っすぐ、汐鹿生の方へ向かって同じペースで歩く。

 ちさきは呑気に小さく鼻歌なんて歌いながら軽やかな足取りで歩いていた。何か幸せなことがあるのだろう。

 ・・・いや、あるのだろうではなくて、幸せなのか。多分、過去最大に。

 

 それを確かめるように、俺は言葉にした。

 

「紡と上手くいってるみたいだな」

 

「誰からそんなこと聞いたの?」

 

 鼻歌は止まり、少し恥ずかしそうな表情を浮かべてちさきは俺の言葉に食いついた。

 

「紡本人だよ。バイトと別に、あいつの漁を手伝うことにしててさ。だから今朝もあってきたって訳」

 

「そっかぁ・・・。紡、何か言ってた?」

 

「お前が街に遊びに来るようになったこととか言ってたな。おまけに俺に説教まで垂れてたよ。二人きりの時間をちゃんと大切にしたほうがいいってな」

 

「紡がそんなこと・・・。ぷ、はは」

 

 紡が慣れない言葉を使った光景を想像してか、ちさきは小さく笑った。・・・確かに冷静になって考えてみると笑える話だよな。あの不愛想だったあいつからそんな言葉が飛んでくるんだから。

 

「その様子を見る限り、上手くいってるみたいだな」

 

「うん、まあ、ね。私がちゃんと紡の為になれてるか、まだちょっと自信ないけど・・・。けど、今が楽しい。それだけでいいんじゃないかなって思ってる」

 

「そうか」

 

「結局、二人でいるときに二人が楽しくあるのが一番なんじゃないかな。私は、そういう時間を紡にあげたいし、そういう時間を紡に与えて欲しいと思ってるの」

 

 今過ごしている時間は、どこまでも純粋なものであるとちさきは語る。そこに使命感や責任などは介在せず、ただ自分の思うままに時間を過ごせていると口にした。

 

 俺はどうだろうか。二人との付き合いが義務になっていないだろうか。惰性になっていないだろうか。

 昔は・・・七年前は少なくとも、俺個人の「そうしたい」という意志のもとで二人といた。それが大きくなるにつれて芽生えてきた責任感に阻害されていないだろうか。

 

 もしそうだとしたら、まず俺にはやらないといけないことがある。・・・でもそれを選択するにはあまりにも急で、恩知らずにもほどがある。

 夏帆さん、保さん。二人のもとを離れるなんて。

 

「遥はさ、今、楽しい?」

 

「・・・どうだろうな。海の事で思い悩むことがなくなってからというもの、なんか冴えない日々が続いてるのは確かなんだよ。だからこそやりたいことを探しては頑張ってみたし、色々考えてみたんだけど」

 

「あんまり、上手くいってない?」

 

「もちろん、楽しくないわけじゃないんだ。勉強は好きでやってるし、この街に帰ってくるのもワクワクしてた。・・・だけど、なんか違うって言うか、言葉にしづらいって言うか」

 

 

 物足りなさに似ているような気はするけど、それとはまた違う。少なくとも、俺の人生は満たされている。この悩みだって幸せな悩みであることには間違いないし、物足りなさなんて感じない。

 多分きっと、二人の事で思い悩むようになってから、心から楽しめなくなっているのだろう。とするとやはり俺は、二人のうちどちらかを選ばなければならないという義務に駆り立てられているのだろう。

 

 ・・・昔は、どうやって接してたんだろうな、俺。器用に出来てたことが、だんだんと出来なくなっているような気がして仕方がない。

 

 そんな情けない俺に、ちさきは穏やかな波のような笑みを見せた。

 

「何かおかしいことあったか?」

 

「ううん。・・・七年前じゃ、こんな風に私に本音を語ってくれる遥、想像できなかったなって思い出に浸ってただけ」

 

「一人で抱え込むことばっかりだったしな。自分のせいで不幸になってほしくないと、突き飛ばしたこともあったっけ」

 

「そんな風に思ってたんだ、初めて聞いた」

 

 もう時効だろうと思い、俺はあの時の心境を語る。

 しかしちさきは動揺の色一つ見せずに、ただ心に思ったことを呟いていた。周りの目線ばかり気にして、取り繕うとしていたちさきの姿は、もうそこにはない。

 

 

「だからね、今こうやって話してくれるの、すごく嬉しいの。ちゃんと心から向き合えてる気がして」

 

「そうか。・・・なんか、すごい迷惑かけてたみたいだな、俺」

 

「ううん、迷惑とかじゃないの。むしろ、迷惑をかけて欲しかったわけだし」

 

「やめとけ。迷惑が厄介事になったら神経擦り減るどころじゃないんだから」

 

 なんてことを言っても、今の俺は人に迷惑をかけてしまうことを躊躇わないだろう。もちろん、故意に邪魔をするような迷惑をかけるつもりはない。ただ、頼りにさせてもらうというだけの話だ。

 

 ちさきは一つ呼吸を整えて、笑みを引っ込めて俺のほうに顔を向けた。俺はただ、少し艶めいた唇が動くのを注視する。

 

「・・・二人のこと、悩んでいるんだよね?」

 

「ああ、そうだよ。・・・最近調子が狂ってるのは、これまで以上にそれを意識しているからだと思う」

 

「そっか。・・・なら、私から一つだけ、いいかな?」

 

「聞くよ。一人分の頭で考えれるのにも限界があるしな」

 

 俺は頷いたが、今の返答のどこかに気に食わない部分があったのかちさきは少し表情を歪めた。その理由を問う前に、ちさきは何を思ったのかを口にする。

 

「一人分の頭で、考えないといけないよ」

 

「は?」

 

「遥はちゃんと、自分の未来を、『自分のために』考えないといけない。そしてさ、自分のために考えるのに、誰かの頭を借りちゃいけないんだよ。だって、最後に答えを出すのは自分なんだから」

 

「と、言われてもな・・・」

 

 今の俺には、帰る場所がある。出来てしまっている。

 それを無下にして、一人で、となると、だいぶ気が引けてしまう。今の俺はそこまで強い人間じゃない。

 俺は困ったように頭を掻く。とても俺のためになる助言だというのに、先を聞くのが怖かった。

 

 しかしちさきは意見を変えるつもりはないようだった。

 

「遥は今、千夏ちゃんの両親にお世話になってるよね。頼ろうと思えばいつでも頼れる距離にある。でもさ、それが悩みの渦中の子の親ってなると、また話は別になると思うの。・・・もちろん、二人が遥にとって親のような存在であることも知ってる。でもそれ以前に、遥は遥なの。『島波』遥なんだよ?」

 

 そしてちさきは、確信に迫る言葉を口にした。

 俺が「島波遥」であることを認める。それは即ち、水瀬家の二人を親とすることは出来ないということだ。血の繋がり以外で家族になるには、養子縁組か婚姻かの二択しかない。

 養子縁組という選択肢のない今、婚姻でも結ばない限り俺は二人の子ではない。分かっていた現実だが、口にされると堪えるものがあった。

 

 それを口にしたちさきに怒るなんてことは出来ない。なぜなら、それが全くもって間違いのない現実だったからだ。

 

「だから今の遥には、自分自身のことを考えられるだけの時間と、場所がいると私は思ってる。それはきっと、この街にあるはずだよ?」

 

「・・・そっか。そうだよな」

 

 二人だって、ずっと言ってくれている。俺が未来を選ぶ理由に、自分たちを使ってほしくないと。それはつまり、俺が一度帰るべき場所へ帰ることを躊躇っていないということだ。

 誰にも肩入れしない、俺自身の「本当」の気持ちに向き合うために。

 

 今一度、俺は一人にならないといけない。

 

「今度保さんに言って、生活拠点を汐鹿生に戻すことにするよ。あの場所だけだからな。俺が紛れもない『島波』でいれるのは」

 

「そっか。・・・もし、生活やら何やらで困ってることがあったら、その時は言ってね? そういう時は多分、頭数は多いほうがいいから」

 

「ああ、頼む」

 

 ずっと二人の優しさに甘えていた。二人も多分、それを拒んでいなかった。

 けれど、拒んでいないからと言って甘え続けることも、きっと間違いだ。

 

 だから、まだ約束は叶えていないけれど、俺は二人のもとから身を置くことにする。その理由を、意味を、二人はちゃんと、理解してくれるはずだ。

 

 

 

 それでももし、悩んだ末の答えが二人のもとに戻ることなら、その時はいつもの温かさで迎えて欲しい。そんな儚い願いを、俺は一度胸に仕舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 思うんですよ。この作品を書くにあたって、一度ちゃんと水瀬家で生活している遥が「島波遥」であることを思わされるシーンが必要だということを。結局「家族のようなもの」なだけであって、実際の家族ではない。その関係には一度終止符を打たなければいけないということを改めて遥が思い直すシーンとなっています。それこそ、いつまでもズルズルと遥が水瀬家で過ごすことは「フェア」ではないですからね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百五十五話 離れても、結び目は硬く

~遥side~

 

 ちさきと話してから数日。俺は着々と生活拠点を海の方へ戻す手配を進め始めた。もちろん、二人には、千夏にはまだ何も話していない。俺はただ秘密裏に作業を進めていた。

 

 言い出さなかったのには理由がある。それは、俺が帰ると決めた時、すぐ戻れるようにしたかったからだ。この家に置かせてもらっている俺の私物は一日二日できれいさっぱりに出来るものではない。「帰る」と伝えて移送作業を始めるのは向こうにとって迷惑に違いないだろうし、何より相手の心境を思うと気が引ける。

 

 そして片付けが佳境に差し迫ったのは週末のこと。千夏がいつものように海に出かけているのをいいことに、俺は先に二人に言い出すことにした。

 

「二人とも、ちょっといいですか?」

 

 心は痛いが、ここまで来て逃げるわけにはいかない。かしこまった俺に呼び出された時点で、二人はある程度覚悟を決めたようだった。

 それでも、二人は何も言いださない。俺の口から、俺の言葉でそれを語るのを待っているのだろう。だから俺は躊躇わずそれを言葉にした。

 

「・・・急な話ですが、しばらくの間、生活拠点を海に移させてください」

 

「それは、もうしばらくはこっちに来ない、ということか?」

 

「いえ、全く二人に会いに行かないなんてことはしません。したくないので。・・・でも、おそらく行っても週に一回くらいだと思ってます。そうしないと、生活拠点を海に戻す意味がなくなるので」

 

 覚悟はしていたと言えど、本当に急な話に二人は苦しそうな、あるいは困惑しているような表情を見せた。本当はゆっくり話を進めて、徐々に慣らしていくものなはずだが、そうするだけの猶予と余裕が今の俺にはなかった。

 

 そんな中で、保さんは俺にその理由を問う。

 

「・・・どうして、今なんだ?」

 

「理由はいくつかありますけど・・・。一番は、二人の優しさにいつまでも甘えてはいけないということを思い知ったからです。例え二人がそれに何の抵抗がなかったとしても、甘えたままの雛は飛び立てないんです」

 

「それは、街の方で一人暮らししていることとは違ってくるのか?」

 

「はい。・・・そうしたいと思えばいつでも会えるこの距離だからこそ、一人になることに意味があると俺は思うんです。ここからは、俺一人で強くならないといけないんです。・・・だって俺は、『島波遥』ですから」

 

 二人の前で、二人を突き放す言葉を言ってしまう。言葉に後悔こそないが、言い放った胸はナイフで無数に刺されたような痛みをずっと抱いていた。本当はこんなことを言いたくなかったと喚いている。

 保さんはともかく、夏帆さんの方は酷く寂しそうな表情を浮かべてた。それがまた、痛い。

 

「私たちは、親になれなかったってこと、だよね?」

 

「いいえ・・・。二人は俺にとって間違いなく親でした。ずっと長い事面倒見てもらって、優しさを与えてもらって、そのことには感謝しています。いや、しきれるものじゃありません。・・・でも、保さんに言われた言葉の一つが、こう思わせてくれたんです」

 

「・・・ああ、そうだな。俺は言った。遥君が未来を選択する理由の中に、俺たちがあってほしくないと。つまり、そう言う事なんだろ?」

 

 自分の発言をしっかり覚えていたようで、保さんはそれを口にした。そうして、自分の言葉の重みを再確認する。この人から逃げる意志は微塵も感じない。

 俺は頷いて、その言葉に答えた。

 

「俺なりに、いっぱい考えました。このまま二人のもとで住み続ける未来も悪くない。それは十分に理解してます。・・・だからこそ今一度、ゆっくり考えるだけの時間と場所が欲しいんです。それは、かつての俺の住処しか出来ないことで・・・」

 

「そうか。・・・なあ、遥君、一つ確認させてくれ」

 

「はい」

 

「今が、『その時』なのか?」

 

 保さんの言う「その時」というのは、この家との関係をきっぱりと断ち切る瞬間のことだ。俺も、度々口にしてきた。

 色々な思いが脳内を逡巡する。そして俺が選んだ答えはこれだった。

 

「いや・・・。多分今は、本当にその時を迎えるべきかどうかの再考期間だと思っています。・・・だって、嫌じゃないですか。こんなあっさりお別れなんて」

 

 胸の奥の方で留めていた思いが、ついに爆発してしまう。

 覚悟していたはずなのに、俺はまた泣きそうになっていた。二人との思いが、そんな簡単に切れるはずなどなかったからだ。

 

「本当は・・・いつまでもここにいたいですよ。でも、でもそれじゃ前に進めないって気が付いたんです。・・・無条件で、未来を決める理由にこの場所を選んでしまう。それじゃダメだって、知ったから」

 

 それを理由にしてしまうと、美海の気持ちを無下にしてしまうことになる。あれだけ俺のことを思い、俺のために動いてくれた子に何も出来ずに終わるのは、あまりにも虚しすぎる。

 

「そうか、分かった」

 

 保さんはそれ以上何も言うことはなかった。俺の意見に筋が通っているかどうかを見極めたのだろう。それに満足して、一度首を縦に振った。

 代わりに話し出すのは夏帆さんだった。

 

「この場所を嫌いになった、ってことじゃないんだよね?」

 

「もちろんです。・・・大好きだから、こうやって話してるんですよ。嫌いなら荷物をまとめてとっくに出ていってますし、二人に心の内を曝け出すこともありませんから。・・・大切だから、今、伝えようと思ったんです」

 

「そう。・・・なら、これからもこの場所を好きでいてくれる、ってことだよね?」

 

「もちろん。・・・回数は減っちゃいますけど、俺が来たいときに来れる場所であってくれたら、なんて傲慢な事も願ってます」

 

「そんなの全然、うちは大丈夫だよ。休みたいなら休みたいだけ休んでいけばいい。まだここが遥君の止まり木なら、私たちはそれを受け入れるよ」

 

「ありがとうございます」

 

 随分と強情なことを言っているはずなのに、二人は何一つ嫌そうな顔をしなかった。この二人の底知れない優しさは、たちまち俺の心を引き留める。

 でも・・・決めたことだ。逃げはしない。

 

 話は終わりを迎える。その最後にもう一度だけ保さんは口を開いた。

 

「千夏には、伝えているのか?」

 

「いいえ、まだ。けど、向こうに帰るまでには絶対に伝えますよ」

 

 ここで逃げるような義理の欠片もない。あいつがどういう反応をするか考えただけでも恐ろしいが、ここで誓う事でさらに逃げれないようにした。

 

 保さんはそうか、とだけ言って庭の方へと向かっていった。俺も合わせるように自分にあてがわれた部屋へと戻っていく。

 二人にはまた迷惑をかけてしまうことになるけど、どうかこの我儘を赦してほしいと、俺は目を伏せ、時が過ぎるのを待った。

 

---

 

 千夏が帰ってきたのは夜の八時ごろ。夕食を食べるころにはすっかり二人とも落ち着いていたようで、特に重苦しい空気を醸し出すことはなかった。流石は大人と言ったところだろう。

 

 そしていつものように千夏に連れ出され、俺は夜の散歩へと向かう。・・・この時間も、もう当分はお預けなのかもしれないけど。

 堤防について足が止まった時、覚悟を決めた俺は千夏にそれを伝えた。

 

「なあ、千夏」

 

「ん、何?」

 

「俺さ・・・汐鹿生に帰るよ」

 

 その時千夏が俺に見せたリアクションは、俺が全く想像していなかったようなものだった。

 

「・・・ふーん、そっか」

 

「え?」

 

 そのため、間抜けな声を出してしまう。けれど、同じ空間でそれなりの時間を過ごした人間としては、あまりにも拍子抜けなリアクションだった。

 

「いつかこういう日が来るだろうなーってのは予想してたし、今更驚かないよって話。もちろん、寂しくはあるんだけどね。遥くんが遠ざかっちゃうの。でも結局いつでも会えることには変わりない。心の距離が変わってないなら、ね」

 

「確かに、そうか・・・」

 

「それに、その道をえらんでくれてよかったって思ってるよ。だって、そうしてくれないと私、ズルい子のままじゃん」

 

 何を、とは言わなくても千夏が誰に遠慮してその言葉を言っているのかはすぐに分かった。だから俺も、「ああ」と短い返事を返すほかなかった。

 

「で、こっちには帰って来るの?」

 

「週とか月に何度かは。もし帰れなくても、陸に顔を出しに行くことには変わりないよ。バイトも漁の手伝いもあるし」

 

「なら、重く考える必要なんてないよね」

 

 思っている十倍、千夏は現実を割り切っていた。俺は何を悩んでいたんだと馬鹿らしくなってくる。

 けれど・・・嘆かれ、悲しまれるよりもこっちのほうがいいよな。

 

 俺の心から、キリが晴れていく。

 

「話、これだけ?」

 

「ああ。それより、今日の海はどうだった?」

 

「それがさぁ・・・」

 

 

 

 そうして、千夏との会話は続いてく。

 今、この時を持って思わされた。人と人が結ばれるのに、距離など必要ないということを。

 互いが互いを思い合っていれば、その結び目がほどけることはない。当たり前のことだろうけれど、身をもって理解するのには時間がかかった。

 

 俺は多分、これからも水瀬家のことを思うだろう。二人もまだ、俺のことを思ってくれる。きっと、それだけいい。

 

 

 そうして繋がっているんだ。俺が選ぶ未来を、二人はきっと受け入れてくれるはずだ。

 




『今日の座談会コーナー』

 前回とあまり書く内容は変わらないんですが、現在の遥の状態を言葉で言い表すと、「家族ごっこ」なんですよね。もちろん、それが有意義であるということは本作にて明言していますが、結局形だけの行為だと傍から見たら思われますからね。それを意味のあるものにするにはもう一歩踏み出す必要がありますが、踏み出すということは何かを失うということにもなるので、難しいところですよね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百五十六話 裸の心で

~遥side~

 

 宣言通り、二人に通達した次の日から俺は海の家に生活拠点を戻すこととなった。数か月ぶりに戻った家は、さほど埃も溜まっていない。ちょっと空けただけで随分と埃っぽくなっていた昔に比べると大きな変化だ。

 

 正直、寂しさは拭えなかった。目覚めても声はない。家に帰っても誰もいない。それは一人暮らしをしていたアパートにおいても一緒の事だが、そうできる環境が近くにあるとないとでは大きく違う。

 それでもこの独り立ちは俺が決めたこと。後悔なんて、あるはずがない。

 

 そうした邪念を拭えないまま読書に勤しむ休日の午後三時。家の呼び鈴が鳴った。

 

「俺んちに客かよ・・・珍しいな」

 

 本をパタリと閉じて、渋々玄関の方へ向かう。扉を開けると、見知ったツンツン頭が立っていた。

 

「お前かよ」

 

「なんだよ、俺が来るのは不服か?」

 

「いや、別に。どうせ暇してたしな。賑やかなのが一人くらいいた方がいいだろ」

 

 そして俺は光を家に招き入れる。こいつが何を思ってここに来たのかは知らないが、せっかく来てくれた客を門前払いになど出来ないだろう。

 光は遠慮なく家に上がっていく。それからリビングで部屋全体を見回して、感心したような息を一つ吐いた。

 

「お前んち、こんな風になってたのな」

 

「ガキのころ来たことあるだろ・・・。何を今更」

 

「いや、結構昔のことだから忘れててよ。冬眠が終わってもお前は陸にいたままだったから来る暇なんてなかったし」

 

「それもそうだな」

 

 ひとしきり内覧を終えた後、光はダイニングの椅子に腰かけて、背もたれから身を乗り出しながらこちらを向いた。人様の家だろうと遠慮はないみたいだ。

 

「こっちで生活することにしたんだってな。美海から聞いたよ」

 

「ああ。まあ、色々あってな。こっちで生活したほうがいいって思ったんだよ。もちろん、向こうにも遊びに行くつもりだけど」

 

「しかしまあ意外だよなー。少なくとも大学卒業するまでは水瀬のところいると思ったのに」

 

 俺だって、そうしたかったさ。

 けれど光は何の悪気もなさそうにそう呟いている。微かに湧いた怒りの感情をぶつけるのはただの八つ当たりだろう。

 

「・・・まあ、色々あったんだよ」

 

「さっきからそれしか言ってねえじゃねえか・・・。まあ、ざっと予想くらいついてるから、何も言わねえけどよ。でも、こっちに帰ってきたことで喜んでいるやつもいるしな」

 

 それを言われると胸が痛い。

 特に深い思い入れがあったわけではないが、この行動は美海に対しての忖度とも言える。これまでがイーブンでないのは分かっているが・・・。

 

 俺が深く思い悩んでいると、機転を利かせた光が思わぬ質問を繰り出した。

 

「なあ、遥は美海のどんなところが好きなんだ?」

 

「・・・どした、急に?」

 

「いや、ちゃんと好きなところ言葉にしたほうが気が楽だと思ってよ。・・・実際、俺がまなかの事思ってモヤモヤしてた時、そんなこと聞かれたような気がするし。だから改めて、お前の口から、お前の言葉で聞いておきたくてよ」

 

「・・・美海の好きなところ、か」

 

 一緒にいるのが当たり前になってから、二人のことを細かく見るのをやめていたような気がする。

 俺は今、二人のどんなところに惹かれて、思っているのだろうか。これを突き止めることで、惰性だったこれまでの感情に終止符が打てるかもしれない。

 胸の奥の想いを信じて、俺は口を動かし始めた。

 

「・・・美海は、どこまでも素直なところが魅力だと思ってる。七年前からそうだっただろ。自分の気持ちには正直になれてなかったけど、曲がったやり方や曲がったことを嫌ってた。そして、自分の正しいと思ったことを行動に移す。物言わぬ優しさがあると、俺は思ってる」

 

「あー、あったよな。さゆにおじょしさま壊されたやつ。あん時美海、めちゃくちゃ怒ってたんだっけ」

 

「これまでも顔見知りではあったけど、あの時初めて、心の底からまっすぐで優しい子だと思ったよ。・・・そのやさしさに何度も助けられた。間違いなく、俺の大切な人だよ」

 

「ああ、そうだな。一緒に暮らしてた俺もそう思ってる」

 

 忘れられないのは、二年前のあの時。千夏から俺にまつわる記憶の全てが無くなっていたことを知った時。

 俺はあの時、本気で命を断とうとした。ずっと待ち続けていた人間に拒絶された痛みは想像を絶するもので、もう二度と自殺衝動に駆られることはないと思っていたのに、あそこまで堕ちてしまった。

 

 そこに真っ先に救いの手を差し伸べてくれたのが美海だった。あの時の温もりが、キスが、言葉が無ければ俺は今頃こうしてここにいなかっただろう。

 

 言っている最中にどんどん顔が熱くなっていく。光も同じように言わされていた時こうなっていたのだろう。

 

「な、恥ずかしいだろ?」

 

「言うな馬鹿・・・」

 

「じゃあ次。水瀬の方はどうなんだ?」

 

 光は無邪気に笑いながら俺の返答を待つ。やっぱり、コイツに優位に立たれるの癪なんだよなぁ・・・。

 けど光は正直に自分の感情をまなかに伝えている。その点を見れば明らかに俺より先に行っていると言っても過言じゃないはずだ。観念して俺はその質問に答える。

 

「あいつは、美海と違う方面で『真っすぐ』なんだよな。いつ何時も積極的だったように思う。そんなあいつに振り回されるのが俺は好きで、だから一緒にいたいと思っていたんだと思う。・・・少なくとも俺は七年前、あいつの告白に答えようとしていた」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。でも直前で怖くなって曖昧な答えに逃げてしまった。好きだって伝えようとしたのは、意識を失う直前だったよ。・・・あの時ちゃんと答えに出来てたら、どうなってたんだろうな」

 

 もう戻ることの出来ない、たらればの話であるが、あの時千夏にちゃんと返事を返せていたらどうなっていただろうと思ってしまう。

 そうしたら多分、一緒に冬眠していたんだろうな。・・・多分、その方が幸せだったはずだ。

 

 けれど過ぎた過去の話はいつまでもしない。今は現実だけ向くと決めているから。

 

 俺の発言に思うところがあったのか、光は途中で意見を挟んだ。

 

「あの時の水瀬に答えるのはいいんだけどよ・・・。そしたら美海とは、どうなってたと思う?」

 

「そうだな・・・。少なくとも当時の俺からすれば恋愛の対象に入る奴じゃなかったんだよ。あの時は、妹のような存在だと思ってたから。けど、あの時水瀬にちゃんと答えれていた時点で俺は一緒にお舟引きに参加していただろうから、冬眠に巻き込まれていたんじゃないか?」

 

「そしたら五年経って同い年、って訳だな?」

 

「ああ。そうするとまた話が変わってくる。同い年になった美海を見て、俺が何も思わないはずがない。・・・そう考えると、多分今より修羅場になってるかもな」

 

「はは、笑えねえ」

 

 五年のズレがある今の方が、人間関係的にはマシなのかもしれないな、なんて。

 ありもしないもしもの話を終えたところで、俺は本題に戻った。

 

「・・・千夏のいいところは、真っすぐさだけじゃないな。あいつは初めて俺に、『一人がいかに無力か』ってのを教えてくれた。あれを知れたから俺は誰かと一緒にいる時間がより一層好きになれたんだ」

 

「昔は本当にツンツンしてたしな、お前。作り笑いかしかめっ面ばっかり浮かべてな」

 

「若気の至りってやつだよ。というか本当に余裕がなかったしな」

 

 だから今こうして光とダラダラと話している時間が心地よくて仕方がない。本当の心でこの場所にいるのだと実感させてくれる。

 光はため息をついて、俺の両者への意見の感想を述べた。

 

「ま、とりあえずお前の二人への評価が平行線だってことが分かったよ。・・・同じくらい平等に愛してやがる」

 

「言ってくれるな。俺もそれに困ってるんだから。・・・優劣なんて、簡単につけられないんだよ」

 

「でも向こうは、優劣をつけて欲しがっている。皮肉なことだよな」

 

 答えを迫る。それは言い換えれば優劣をつけて欲しがっているということに相違ないということだ。

 俺に、遠慮するなとでも言っているのだろう。別に遠慮しているつもりはないが。

 

「とりあえずさ、もっと二人との時間増やした方がいいと思うぞ。そうしたら、『今』の二人の好きなところが見えてくるだろ。これまでの経験と体験から得た感情で好きになってもいいけど、やっぱり今を生きる姿を好きでいてやろうぜ。俺もそこは、ずっと思ってる」

 

「今のまなかを、ってことか」

 

「ま、あいつは変わんねえけどな! おっちょこちょいで抜けてて、それでいてどこまでも優しい奴だ。・・・だからいつまでも一緒にいてえ、ってなる」

 

 光は無邪気そうに笑んだ。素直になったこいつはどこまでも強い事だろう。

 今の姿、か・・・。思えば最近はあまりろくに美海と時間を過ごせなかった気がするな。まずはそこから始めるのもいいかもしれない。

 

「あー、話した話した。・・・んじゃ、別の話でもするか」

 

「おい、今完全に帰る流れだっただろ」

 

「いいじゃねえかよ、たまには俺の話でも聞いてけ」

 

「どうせ惚気ばっかりじゃねえか最近」

 

 

 なんて憎まれ口を叩きながら、自然と俺は笑んだ。

 この、どこまでも無駄で有意義な時間が続いてほしいと胸の片隅で想いながら。

 




『今日の座談会コーナー』

 最近の更新頻度が凄いせいで座談会コーナー結構ネタがじり貧になってるんですよね・・・。まあ、終わるまでは続けるつもりでいますけれど。
 さて困ったことに、この新章、多分それなりに話数かかっちゃいそうなんですよね・・・。どうだろう、あと三十話は平気で超えるかもしれない。そうなると終着点は二百話ですね。・・・前作から文字数、三倍になってそうです。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百五十七話 ありのままの幸せ

~美海side~

 

 さゆと話してから、一週間ほどが過ぎたというのに、私は何も出来ないでいた。そうするだけの勇気がないわけじゃない。ただ今更、何をして遥かに自分をアピールすればいいのか分かっていなかった。

 

 これまでは、当たり前のように一緒にいた。そこに特別なことなんてなかったものだから、今特別になりつつある時間に困惑している。

 けれど、それを縦にいつまでも逃げるわけにはいかない。そう腹を括ろうとした時、遥が海にも戻った話を聞いた。

 

 それが、私に遠慮した行動だと気が付くのに時間はかからなかった。自惚れなんかじゃなく、そう思える。

 もちろん、複雑な気持ちはある。けれど、これでようやくイーブンであることだし、ここで私が遠慮したら遥がただ損をしたことになる。それだけは嫌だった。

 

 貰ったチャンスを逃がすほど、私は後手に回ったりはしない。そう思った私は学校が終わるなり遥の家に電話を掛けた。つながる確証なんてどこにもないのに、絶対に繋がると信じて疑わなかった。

 

 コールは二度で終わった。ガチャリ、と電話がつながる音がする。

 

「もしもし・・・」

 

「あ、もしもし? 私、美海」

 

「美海か。何の用だ?」

 

 遥は少し疲れたような声をしていた。このタイミングで声をかけてしまったのは悪手だったのだろうか。

 

「ううん、もしよかったらそっちに遊び行こうかなと思ってたから電話かけたの。・・・遥、ひょっとして疲れてる?」

 

「ん、まあな。今日はバイトも結構忙しくてな。思ったよりは疲れてる。けど、せっかくこっち来てくれるって言うなら、全然動くぞ」

 

 遥の言葉が少しだけ信じられなかった私は、もう一度問いただしてしまう。

 

「本当に、迷惑じゃない?」

 

「ああ、大丈夫だよ。・・・そだ、せっかくだしこっちで飯でも食べてくか? あかりさんの準備まだなら間に合うと思うんだけど」

 

「なら、お邪魔しようかな。・・・こういうの多分、初めてだし」

 

「じゃ、家で待ってるから暇出来たら来てくれ。あまり遅くならないでくれよ?」

 

「うん、分かった」

 

 今の遥の声色に私への遠慮は感じなかった。嫌に思ってることなどはないのだろう、多分。だから私は、遠慮なく遥に近づくことにする。

 それから電話を切って、身支度を始める。それが終わるころにちょうど玄関が開く音が響いた。お母さんが帰ってきたみたいだ。

 

「ただいまー。・・・あれ、美海これから出かけるの?」

 

「うん、遥のところ行ってくる。今日は晩御飯もいらない」

 

「オッケー。遊びに行くのはいいけど、あまり遅くならないようにね? ・・・まあ、遥君相手ならいいんだけど」

 

 何か小声で言ってるが、気にしないことにする。ここで突っかかっても向こうの思うつぼだろうし。

 

「・・・じゃ、行ってくるね」

 

 見事にお母さんの発言をスルーして、私は少し逸る足で海へと向かった。出来るだけ誰にも見られたくないと、そんな自分勝手なことを思いながら。

 身を投げた海は、流石に冬というのもあって冷たかった。これから春に向けて温かくなっていくと言っても、流石に少し堪える。・・・これでも二年前よりは全然マシなんだけどね。

 

「・・・そうだ」

 

 遥の家に向かう前に、私には向かうべき場所があった。汐鹿生を見渡せる位置にある、私のママのお墓。

 最後に来たの、いつだっけ。千夏ちゃんが海に来るようになってから、回数が減ってしまったような気もする。

 

 小さな墓標の前で手を合わせて、私は目を伏せてその姿を思った。

 

 ・・・ママ、最近なんか上手くいってないみたい。

 満たされた毎日が過ぎているのは分かってるのに、最近は心が弾まなくてさ。

 分かってるんだよ。多分それは、遥への恋心が抑えきれてないからなんだって。だから、千夏ちゃんとも素直に接することが出来なくなってる。

 好きの気持ちは悪い事じゃないって、分かってるはずなのに・・・。

 

 やっぱり、誰かを好きになることで、失うものってあるのかもしれないよね。

 

 

 少し諦めたような愚痴を心の中で吐いて、私は目を開ける。自分がどんどん「嫌な子」になっているような気がして仕方がなかった。

 でも、それは私が決めた道。途中で引き返すほうが、よっぽど嫌な子だ。

 

 腹を決めて、私は遥の家の呼び鈴を鳴らす。ドア越しでも、いい香りが漂ってくる。随分と丁寧に仕込んでくれているのだろう。

 ドアが開いたのは呼び鈴を鳴らしてから一分後くらいのことだった。申し訳なさそうな顔をして、遥がそこに立っている。

 

「悪い、ちょい手が離せなくてな」

 

「ううん、いいの。それじゃお邪魔するね。ここに留めてても悪いし」

 

 折角料理の手を止めてこっちに来てくれたのに、いつまでも引き留めるわけにはいかない。私はさっさと家の奥の方に入って、遥もキッチンに戻った。

 それからしばらくは無言が続く。料理に精を出している遥の邪魔をしたくなかった私は、遥が話し出すまで待つことにした。

 

 そしてそれは、私が家に来て10分くらい経ったときに訪れる。

 

「しかし美海からこっちに来たいって言いだすの、珍しいよな」

 

「こっちの家に来ることなんか滅多にないからね。たまには違う事、してみたかったの」

 

 もちろんそれだけが理由じゃないのに、こんな言葉で逃げてしまう自分がいる。

 遥もそんなことにはとっくに気が付いていることだろう。それでも特に態度を帰ることはなかった。

 

「そう言えば、美海に料理を振舞うの、何気に久しぶりだよな?」

 

「少なくとも千夏ちゃんが目覚めてからは一回もないよ。前は・・・、そうだ。お母さんが体調崩してた晃の様子をずっと見てた時、ヘルプで来てくれたよね」

 

「あー、あったなそんなこと。まだ晃もずいぶんと小さかったから、あかりさんも手を焼いてたし。美海もあの日は調子が良くなかったんだっけ?」

 

「あの時は確か、私が最初に風邪をひいたんだよ。それが晃に移ったって感じだったはず。だから最後までお母さん、遥を呼ぶの迷ってたはず」

 

 楽しかったことはちゃんと覚えている。あの日の遥の姿は、今でも瞼の奥のほうに鮮明に焼き付いている。

 それから遥は、料理に区切りがついたのか鍋の火を弱くして私の座っている椅子の向かい側に座った。

 

「さて、後は待つだけだな」

 

「結局、何作ってるの?」

 

「煮つけだよ。今日紡からおすそ分け貰ったからな。・・・正直助かったよ。一人で食べきるには結構な量があったし」

 

「足が速いって言うもんね」

 

 こうして遥が家でせっせかと動いている所を見ると、やはり一人でどうこう出来るだけの力を遥がちゃんと持っているということを再確認させられる。そんな器用なところに、最初は憧れてたんだっけ。

 

 ・・・。

 

 これまではもっと永続的に続いていた会話が、今日は思うように伸びない。多分、その原因を作り出しているのは私だろう。

 遥に何を話しだせばいいか分かっていない。そのくせ用意した会話もその続きを用意出来てないから、途中で途切れてしまう。

 

 だったら、心の奥の迷いをちゃんと打ち明けた方がきっといい。そっちの方が、遥かだって親身に聞いてくれるはず。

 迷いを捨てた私は、小さく深呼吸してそれを語った。

 

「遥、私のためにこっちの家に戻ってきてくれたんだよね?」

 

「・・・なんで、そんなこと」

 

 明らかに動揺している表情が伺える。否定しているような素振りこそ見せているが、真っ向からは否定していない。それが答えだ。

 

「否定しないんだ」

 

「・・・ああ、そうだよ。全部、とは言わないけど、美海のためにこっちの家に戻ってきたってのもある」

 

「やっぱり、そうなんだね」

 

 望んでいた答えが返ってきたというのに、心からは喜べなかった。

 

「結局な、水瀬家にい続けることが俺の将来の選択肢を狭めることに気が付いたんだよ。・・・もちろん、二人との付き合いも当分は続けたい。顔は出しに行くつもりだ。けど、今の俺は『島波遥』であって、二人と縁を結んだ本当の子供じゃない。それを形にするために、こっちに帰ってきたんだ。・・・結局は赤の他人であると証明するために」

 

「それって、辛かったでしょ?」

 

「ああ、物凄くな。でも、俺はそれだけお前の想いも大切にしたかったんだよ」

 

 真っすぐな目で、遥は私が欲しがった言葉を口にした。それが嬉しかったのか、今度は少し頬の方が緩んでしまった。・・・私、最悪なヤツだ。

 

「だから美海、これだけは分かってくれ。俺のこの行動は、美海への遠慮でもない。忖度でもない。俺個人の意思でそうしたいと思って、ここに来た」

 

「うん。遥がそういう決断をする人だってこと、私は知ってるよ。・・・ごめん、それでも言わせて欲しい。・・・ありがと」

 

 私の想いを大切にしたいと言ってくれたことが、今はたまらなく嬉しかった。

 その心の奥に、まだちゃんと私を映していてくれた。口ではああ言いながら、遥の視界にはとっくに千夏ちゃんしか映ってないんじゃないかって、思ってしまってたから。

 

「まあ、そんなわけだ。今は一緒にいる時間を楽しみたい。お前はどうなんだよ? 美海」

 

「うん、私もそう思ってる。ごちゃごちゃ考えるよりも頭を空っぽにして同じ時間を過ごす方が楽しい事、知ってるからね」

 

「つーわけで、そろそろ料理の仕上げに入るから少し待ってろ」

 

 話はあっさりと途切れ、遥はキッチンの方へと再び消えていった。また話は長い事続かなかったが、今度は十分に心が満たされていた。

 それから五分後に、更に盛り付けられた煮つけとご飯と味噌汁と共に遥はやって来る。

 

「ほい、お待たせ」

 

「ありがと。・・・いただきます」

 

「いただきます」

 

 二人で手を合わせて、目の前の料理を頂く。

 口にした料理のその味は、私なんかが簡単に点数をつけていいようなものではなかった。

 

「美味しい・・・。どうやって作ってるの?」

 

「大体は素材の味だよ。意識してるのは、それをあまり邪魔しないように、ってことくらいだけど・・・」

 

「ママのご飯にも引けを取らないし・・・。遥、こんなに料理上手だったんだ」

 

「向こうの家でもずっとやってたからな。それなりに腕前には自信あるよ」

 

 ということは、千夏ちゃんはこのご飯にありつく機会が随分と多かったってことだ。・・・やっぱり、羨ましいよ。

 

 そんな心の声を見透かしたように、遥は私に提案した。

 

「気に入ってくれたなら、全然これからも来てくれていいよ。こっちに帰ってるってことは飯も一人で食べないといけないことになるし。それだったら、誰かがいてくれた方が俺も嬉しい」

 

「いいの?」

 

「リクエストも受け付けるぞ。まあ、その代わりその都度買い物しないといけないから時間はかかっちまうけどな」

 

 遥はカラカラと笑いながらそんな提案をする。私はただコクリコクリと頷くばかりだった。折角一緒にいる時間をくれるって言ってくれてるんだ。無駄にはしたくない。

 

 ・・・それに。

 

 

 

 そんな感情を抜きにしても、私、この空間が、時間が、やっぱり大好きなんだ。

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 なんだかんだ料理の描写を書くのは久しぶりなんですかね・・・。実は忘れられがちな設定なんですよね、遥の料理上手。ただこの作品書いてて思うのが、一人暮らししてると料理作る気って結構ムラが酷いんですよね。買い物は面倒くさい(結構楽しいけど)、洗いものも面倒くさいのツートップで。自分(作者)もこれくらい料理に前向きだったらいいんですけどね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百五十八話 誰かを切り裂いてでも

~遥side~

 

 俺の提案通り、あれから美海は俺の家に遊びに来るようになった。とはいっても、週に一日、あって二日程度。俺個人としては水瀬家に遊びに行く日とさえ被らなければ問題ないのだが、おそらく美海なりの考えがあってこのように行動しているのだろう。おかげで俺もそのペースを日常生活に組み込めるようになった。

 

 そうして、俺がこの街に帰ってきて二週間、この家に帰ってきて一週間と少しが経過した。それもあって生活は安定してきたが、未だに当初の予定の何一つクリアできていない。

 

 まあそれでも、自分から動き出しただけ進歩ってものか。しばらくは病院でのバイトと紡の漁に専念して、他の仕事を探してみることにする。

 

 そんなこんなで、今日は水瀬家に遊びに来ていた。連絡が少し急になってしまったのもあって、今回は日帰りのつもりだけど。

 それでも、一日の頭からあの家で誰かと同じ時間を過ごせると思うと、やはり気分は少し高揚した。海の家に帰ってから、より一層一人でいることの空虚さが際立ってきている。

 

 変わらない空気感、変わらない食卓、そして・・・。

 

「遥くん、いつ頃帰るの?」

 

「ん、夜の十時くらいには向こうに戻るよ。今日は結構朝早くからお邪魔してたし、その方がいいかなって」

 

「じゃあさ、散歩付き合ってよ。暇だし」

 

「はいはい、そのつもりですよ」

 

 二人で歩くいつもの道も、全く変わらない。

 環境が変わっても何も変わらないということを、俺は千夏に証明したかった。そんなこと証明しなくても向こうはとっくに分かっていると思うが、これは俺の意地でもある。

 

 帰り支度も一緒に済ませて、二人に礼を言って俺は水瀬家を後にする。今日の散歩に復路などない。だからこそ、この一本道の価値が今日は違うように思えた。

 少し歩くペースを遅くして、一緒にいる時間を長くしようと試みる。途中からそれに気が付いたのか千夏は同じように歩くスピードを遅くした。

 

 それから千夏は、遠くを見つめたまま口を開いた。

 

「なんか、また色々変わっちゃったね」

 

「悪い。俺が向こうに帰るって言いだしたからだよな」

 

「別に悪いとは言ってないよ。遥くんは進もうとしてその選択をしたんでしょ? それに文句を言うほど私、我儘な子に見える?」

 

「そこまで、ではないな」

 

「我儘だってことは否定しないんだね・・・」

 

 実際、千夏の我は結構強いほうだ。一時は遠慮に遠慮を重ねて自分から身を引くことが多かったけど、七年前や直近の千夏の性格は我儘さが少し滲み出ている。

 もちろん、それだって千夏の個性だ。その我の強さがあるからこそ、ここまで強い子になっているんだと俺はそう思う。

 

「そうじゃなくて、私が思うのは・・・。変わっちゃったことが少し怖いってこと」

 

「怖い?」

 

「だってさ・・・これまで変わってたことって、全部じゃないけど元に戻ってたじゃん? けど、今回は違う。・・・もう全部、元に戻らない可能性のほうが大きいでしょ?」

 

 直接的には明言していないが、千夏が何を言おうとしているのか理解できない俺ではなかった。

 千夏は、これまで変わっていなかった三人の関係が大きく変わってしまいそうなことを危惧していた。確かにそうだ。どちらかを選んだ瞬間、これまで続いていた関係が完全に終わってしまう。

 選んでこなかったからこそ、三人で幸せでいれた。けれど俺は、千夏は、美海は、進んでそれを壊そうとしている。・・・皮肉もいいところだ。

 

 その不安を千夏はさらに言葉にした。

 

「・・・今ね、美海ちゃんと真正面から向き合える自信なんて、ないの」

 

「千夏・・・」

 

「なんでだろうね。昔はずっと友達でいれる、なんて思ってたのにさ・・・。今、美海ちゃんと友達でいれる自信がないの」

 

「そんなこと・・・」

 

「だって、私・・・」

 

 

 そう言って千夏は立ち止まった。握りこぶしを作って、小さく震える。ため込んだ感情が心臓の奥の方で暴発しているようにも見えた。

 そして千夏は苦しそうな顔をして胸を抑え、聞きたくなかった言葉を口にした。

 

「今、心から美海ちゃんに嫉妬してるんだよ?」

 

「・・・」

 

「美海ちゃん、最近遥くんの家遊びに行ってるでしょ? 週に一回か二回」

 

「なんで、それが・・・」

 

「私、海の学校に手伝いに行ってるんだよ? 忘れてた?」

 

「あっ・・・」

 

 呆れたような千夏の声に、俺は言葉を失わざるを得なかった。

 なんで、もっとしっかり考えなかったのだろう。ほぼ毎日海に来ている千夏が、俺と美海の姿を目撃していないはずがないと。

 別に何もやましいことはしていない。それでも、誰かと一緒にいるところを見て妬くなという方が難しいだろう。

 

 目に見えて分かってしまう。二人の関係が、だんだんと拗れつつあると。

 今は互いに妬いているだけだろう。けれどその感情は何色にでも変わってしまう。挙句の果てに互いの嫌悪の感情を刺激してしまうことだってある。

 

 だからといって、どう打開しろと言うんだよ・・・。

 

「別に、遥くんの行動に文句をつけようとしてるわけじゃないよ? 美海ちゃんの行動にも。・・・でも、あんな幸せそうな表情を見せられて、私は相も変わらず友達でいられるほど、強い子じゃないよ」

 

「・・・ああ、分かってる」

 

「本当に分かってる? 私が今、どういう気持ちか」

 

 千夏に問いただされて、俺は少しの間無言になってしまう。

 けれどそれは、千夏の気持ちから目を反らそうとしたからではない。むしろ逆。俺は今、精一杯に千夏が何を思っているかを考えた。

  

 千夏の心の奥の方には間違いなく嫉妬の炎が眠っている。その感情は間違いないだろう。

 けれどそれ以上に千夏が何を望むかを考えないと、俺は千夏を幸せには出来ない。模範解答のその向こう、これからどうするべきか言葉にすることを千夏は多分、望んでいる。

 

 嫉妬してしまうということは、それだけ負けたくないという気持ちがあるという事。その気持ちを汲んで、助長する。そうするために俺が出来ることは・・・。

 

「分かった。・・・なあ、千夏。今度街の方にでも遊びに行くか」

 

「え?」

 

 予想の斜め上の回答に、千夏は戸惑っていた。本当は頼りない返事をした俺を一蹴するつもりだったのだろう。けれど俺の回答はその上を言ってしまっていたみたいだ。

 

「つまるところデートだよ。・・・まあ、あんまし声に出して言うのもこっぱずかしいけど」

 

「待って、待って。話の流れについていけないんだけど」

 

「結局、もっと二人でいる時間を増やしたいって思ったんだよ。それがこの提案。・・・ダメか?」

 

 千夏はあたふたしていたが深呼吸をして正気に戻ったみたいだった。

 

「ダメ、じゃないよ? そりゃもちろん・・・。でもさ、何か嫌じゃん。私が愚痴を言ったから遥くんが宥めたみたいでさ」

 

 もちろん、その感情がなかったわけでもない。

 けれどそれ以上に、俺の頭の中には誰かから言われた言葉が逡巡していた。

 

「二人だけの時間を増やせ、っていろんな方面から言われてさ。俺に足りてないものはそれだって気がついたんだよ。・・・確かにこうやって一緒に歩くこの時間も二人だけの時間だ。でもそれ以上の刺激が欲しくなっても、おかしくないだろ?」

 

「そう・・・。でも、もし美海ちゃんが強請ったら、同じように提案するんでしょ?」

 

「そう、なるかもな。・・・だから何だろうな。俺がこんなこと言えた立場じゃないけど、嫉妬することをやめるのは、無理なんじゃないか?」

 

 話していて気が付いた。

 俺が行動することで事態はどんどん悪い方向に進んでいくことに。

 だから最善手は、浮かび上がっている「愛」を閉ざして誰とも結ばないようにすることに違いない。

 

 それでもそうしないのは、俺が幸せになりたいからだ。・・・エゴな話だけど、誰かを犠牲にしてでも、俺は幸せになりたい。

 いつまでも変わらない、なんてものはこの世に存在しないのだから。

 

 それを素直に言葉にする。

 

「最初は嫌だった。二人の仲が壊れていくことが想像できていたから。・・・けど、そうなってでも、俺も幸せになりたいって思うんだよ。・・・やっぱり、俺ってクズなのかな?」

 

「ううん? 誰だって自分が一番だもん。・・・自分が一番じゃないと、ダメ」

 

「千夏・・・」

 

「ありがとね、デート誘ってくれて。・・・けどゴメン、答えはちょっとだけ待っててくれる? その前にちゃんと美海ちゃんと話しておかないとダメだから。私たちがこれからも友達でいれるかどうか、ちゃんと真正面から向き合って話したい」

 

「お前は、それでいいのか?」

 

「うん。それでもしダメでも、真正面からぶつかってその結論が出たなら多分お互い納得できると思う。だって私たちは、友達であって、『ライバル』なんだから」

 

 強い目をした千夏の前では何を言っても野暮だろう。こういうモードに入ると千夏は引くことを知らない。その力強さに、これまでも惹かれてきたはずだ。

 

「周期的には、明後日だよね? 美海ちゃんが遥のところに遊びに行くの」

 

「・・・そこまでバレてるのか」

 

「だから、美海ちゃんとお話するのはその後にする。美海ちゃんも別の日にデート誘ってあげてね? じゃないと不公平だから」

 

 千夏ははかなげに笑う。覚悟を決めたその笑顔は、とても俺が太刀打ちできるものではなかった。

 けれど、確かに千夏からのメッセージは受け取った。

 

 俺は俺のままでいてくれ、ということなのだろう。多分、この先どんな暗い道になっていこうとも。

 

 

 だから俺も遠慮はしない。誰かを傷つけでもちゃんと俺は幸せになる。・・・「幸せになれ」と託された願いの分だけ。

 




『今日の座談会コーナー』

 前作と打って変わってバッチバチに空気悪くなってるの自分でも笑っちゃいますね・・・。絶対ホワイトアルバム2影響してんじゃんこれ・・・って感じです。実際、高校時代を描いたintroduce chapterの最初の方ではあくまで二人は友人でしたから。それからあの関係の拗れ方という訳ですから、人間の友情なんて儚いものなんだと思いますね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百五十九話 二人だけの世界

~遥side~

 

 千夏と話してから二日後、約束の日が訪れる。

 あんな話を聞いた手前、どう接していいのか少し戸惑ったが、何とかいつも通りを繕ってどうにかすることにした。それに、そんな状態のほうが多分美海は気づいてくれる気がしたから。

 

 呼び鈴を鳴らした美海を家の中に招き入れる。時刻は六時前。前回よりは少し遅いくらいだろう。

 

 今日の美海は口数少なく、食卓に教科書とノートを広げては勉強を始めた。降りてくる髪を何度も書き上げ、黙々と目の前の文字に立ち向かう。

 俺はそれを後目に、前回リクエストのあったハンバーグを淡々と作った。お互い無言とは言えど、居心地の悪い無言ではない。むしろこの静寂は冷静になれるようで気持ちが良かった。

 

 ある程度調理に区切りがついたところで、美海の所に行ってみる。何かアドバイスを、と思ったが、よりにもよって苦手なほうの数学を広げていた。失態を見せたくない俺は尻込みしてしまう。

 そんなたどたどしい様子に気が付いて、美海は手を止めた。

 

「・・・どしたの?」

 

「いや、何かアドバイスでも出来たらなーって思ったら、数学なもんで・・・」

 

「数学苦手だったの?」

 

「受験勉強ん時一番苦労したよ。基礎が身についていても応用できないタイプだったからな。ただ黙々と似たような問題ぶつけて慣れるしかなかった感じだ」

 

 勉強は好きだったが、受験勉強のことは思い出したくもない。

 一度しかないチャンス。胃がキリキリとしている中で、期待に応えたい一心で勉強していたのはあの時だけだ。勉強なんてのは本来、もっと楽しくあるべきものなのにな。

 

「ふーん・・・。あ、そうだ。アドバイスとかは大丈夫だよ。一応数学出来る方だから」

 

「そうか、ならいいんだけど・・・」

 

「それより、もうすぐできるの? それならこっち片付けるんだけど」

 

「ああ、そうしてくれ。あと五分もしないうちに焼けるはず」

 

 現にキッチンから少し離れているここでもいい匂いがしてきている。この匂いはもうそろそろ終了の合図といっても過言ではないだろう。

 美海は広げていた勉強道具の一式を片付けてキッチンの方へ向かった。こちらに振り返って、尋ねてくる。

 

「じゃ、私食器とか準備しておくね。何出せばいい?」

 

「キッチン横に食器棚あるから、箸とか出しておいてくれ。皿はいいよ、こっちで盛り付けるから」

 

「分かった」

 

 お互いに作業を分担してせっせかと準備を進める。ハンバーグの中身がしっかりと焼けていることを確認して、俺は料理を終えた。

 慣れた手さばきで盛り付けをして、美海の待つ食卓へ向かう。そして並んだ料理を前にして今日も二人で手を合わせた。

 

「「いただきます」」

 

 お互いにメインディッシュを一口。何色でもなかった美海の顔の頬が緩んだのはほんの一瞬のことだった。

 その隙を見逃さずに、俺は声をかける。

 

「お気に召してくれたようで何より」

 

「うん。美味しいよ。・・・ホント、なんでも作れるんだね」

 

「最初はレシピ見てばっかりだったよ。それをずっと繰り返して、体に覚えさせたって感じ。途中から自分で足りないものに気が付くから、それを改良して・・・」

 

「あのね、遥。全員が全員それ出来たら苦労しないよ」

 

 美海は小さくため息を吐く。どうやら自分の「普通」を基準にしてしまっていたみたいだ。この癖は治さないといけないよな・・・。

 

「ま、だから遥はすごいんだけどね」

 

「真正面から褒められるとなんかムズムズするな・・・」

 

「昔はもっとぶっきらぼうな反応ばっかりだったけどね。ホント、今の遥は話がいがあるっていうか」

 

「おい、だいぶ酷い事言ってんぞそれ」

 

 まあでも多分事実なのだから仕方がない。そう考えると俺も十分中学二年生をやっていたんだな・・・。

 何でも出来る気になって、一人で突っ走って、誰の力も借りようとしないで。

 

 そんな時期があったから、今こうして俺はここにいるのだろう。

 

 などと感傷に浸っていると、ふと頭の中がスッと冴えていった。

 そうだ。今日はこんなに呑気に話してばかりいられない。・・・ちゃんと伝えないといけないことがある。

 

「・・・なあ、美海」

 

「何?」

 

「今度、どこか遊びにでも行くか? それこそ、街の方とか」

 

 似たような言葉をつい先日にも言った。分かっている。この言葉を吐いている俺は義務感に駆られてしまっていると。

 ・・・こんなの、義務感で言っていいようなセリフじゃないだろ・・・!

 

 しかし、美海の反応は思ったよりも冷静だった。顔色一つ変えずに、きっぱりとそれを断る。

 

「んー、そういうの、今はいいかな」

 

「そう、か」

 

「・・・私はね、ずっとこうしてたいの。こういう時間が沢山欲しい。二人でいる時間に華やかさなんていらない。ただ、こんな何気ない日常の時間に遥がいて欲しいの。・・・ずっと千夏ちゃんに取られてた分、私も欲しくなっちゃう」

 

 直接言葉にこそしていないが、そこには妬み、嫉妬の感情が宿っているように思えた。千夏のよりは穏やかだが、心の内側は随分と燃えていることだろう。

 それほどまでに、美海が抱えてきたフラストレーションは大きい。千夏がここ一カ月や少しで感じている感情を、もう長いこと抱えてきたのだから。

 

 ・・・そんなことにも、気がついていなかったんだよな、俺。

 

 そんな風に自分を責めていると、美海は少し声色を落として言った。

 

「・・・もう、友達でいられないのかな。千夏ちゃんと」

 

「美海は、そう思うのか?」

 

「昔はね、もし自分が選ばれなくても、千夏ちゃんならって思ってた。・・・だけどさ、やっぱり諦めたくないの。私は遥と添い遂げたい。・・・恋ってさ、友情よりも強い感情なんだって、最近、そんなことをずっと思ってる」

 

 美海も美海で、千夏との友情を懸念しているようだった。

 俺が二人の仲を引き裂いてしまったと思うと、やっぱり胸が痛くなる。二人がそれを望んでいたとしても、やっぱり。

 

「ねえ、遥。・・・もし私が友情よりも遥への思いを優先する子だったら、遥は許してくれる?」

 

 そして投げかけられる問い。簡単に答えることなど出来なかった。

 俺のことをいの一番に思ってくれる。それはどこまでも嬉しい事で、そうあって欲しいと願ってる。でも、それでだんだんと孤独になっていく未来に俺は耐えられるのだろうか。

 

 その答えは分からない。けど、一つだけ言えることがあるとすれば・・・。

 

「俺は許すよ。・・・ただ、俺が美海の立場なら、そのセリフを言うことは出来ないと思う。多分、全てを切り捨てでも恋を選ぶほど、俺は強い人間じゃないから」

 

「・・・そっか」

 

「でも、俺を好きでいてくれる子の願いには答えたい。・・・それが、俺の本音。どう、気に入らなかったか?」

 

「ううん。遥らしいって思った。・・・だから、好きなんだよ」

 

 美海は恥ずかしがる素振りでもなくそう呟く。好きの感情への躊躇いなどこの場所には一ミリも存在していないみたいだった。

 

「・・・じゃあ遥。もし私を選んだら、色々失うことになるかもしれないけど、その時は最後まで付き合ってね?」

 

 純粋無垢な目をした美海の問いかけに、俺は即答した。

 

「ああ。・・・その時は最後まで付き合うよ。約束だ」

 

 好きを結ぶという事はそういう事。

 もしそんな状態になったとしても、約束したからには逃げるつもりはない。

 

「そっか。それならいいや」

 

 美海はそう小さく呟いて、再び料理の方に手を出し始めた。大事な話はこれで終わり、の合図なのだろう。

 ならば余計なことは考えまいと、俺もその行動に合わせる。重苦しい話をしたせいで少し会話は減ってしまったが、これもきっと必要なことだ。・・・多分。

 

 

 ご飯を食べ終わって、夜の八時ごろに美海を見送る。結局最後までこの関係が千夏にバレていることを伝えることは出来なかった。

 けど、今の美海のことだ。多分見られていたこと自体気づいているだろうし、言われても動揺などしないだろう。

 

 

 それほどまでに美海の覚悟は強固なものらしい。

 ・・・なら、同じくらいの覚悟を、俺もしないといけないよな。

 

 

 作る握りこぶしの中には、かつて見ないほどの力が籠っていた。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 予告、という訳でもないですけど・・・。多分ここから数話、めちゃくそギスギスした内容を書くことになると思います。書いてるうちにこっちの気が滅入るかも知らないですね・・・。自分も覚悟を決めないといけないみたいです。
 思えば一部、二部、三部構成になってるの、例の作品にだんだんと近づいているような気がして仕方がないですね。・・・あ、浮気なんてさせませんよ?

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百六十話 砂の塔、崩れる時

~美海side~

 

 それは、いつものように学校に行った帰りのことだった。

 人の減った教室で帰り支度をする私の肩を誰かがトントンと叩く。振り向いた先にあったのはいつものように穏やかな千夏ちゃんの表情だった。

 

 ここ数日ろくに話すら出来てなかったから少し気まずさが残る。そう考えると、さゆが先に要さんと帰ってくれたのは僥倖だった。こんなところ、見てほしくなかったから。

 

 私は小さく呼吸を整えて、敵意を極限まで隠しながら千夏ちゃんに向き合う。この後どうなるかは分からないけど、せめて欺けるだけは欺きたい。

 

「どうしたの?」

 

「うん。・・・たまには一緒に帰りたいなって思って」

 

「いいよ。今日は海の手伝いのほう行かないんだね」

 

「毎日行ってたら疲れちゃうしね。こんな日も大事なんだよ」

 

 それは何気ない会話のように見える。けれど、そんな生易しいものではない。これは、「普段通り」の皮を被った異形そのものだ。

 お互いそれに気が付きながら、何も知らないふりをして学校を出る。

 

 帰り道は静かなものだった。・・・こういう時、私はどんな話をしてたんだっけ。今じゃ遥の名前を出すことすらも躊躇って何も言えないでいる。

 多分、千夏ちゃんも一緒だった。それでも違うのは、千夏ちゃんはちゃんと話を切り出したということだけ。

 

「美海ちゃん、さ。最近、遥くんとよくいるよね」

 

「そう?」

 

「とぼけないでよ。・・・遥くんの家に遊びに行ってるの、よく見てるんだから」

 

 その時、私は自分の行動が同じ時間帯に海に来ていた千夏ちゃんに見られていたことに気が付く。

 驚きはした。けれど、それまで。別にそこに申し訳なさなんてものはない。・・・だって、これを望むのは私の正当な権利なんだから。

 

「確かに、遊びに行ってるよ。それがどうかしたの?」

 

「・・・。別に、どうもないよ」

 

 どうも思っていない人間なら、そんな苦しそうな表情はしないんだよ、千夏ちゃん。

 私の目の前で、千夏ちゃんは嫉妬の感情を全力で堪えていた。・・・いや、こらえきれていなかった。

 

 どうせ聞こえないと思ったのだろう。千夏ちゃんは消え入りそうな声で「ずるいよ」と呟いた。

 

 しかし、その声は私の耳に届く。

 そして、それは私が一番許したくない言葉だった。

 

「ずるい? どこが」

 

「・・・あ」

 

「私が遥の家に遊びに行くことの、何がズルいの? 教えてよ、千夏ちゃん」

 

 次第に語気は強まっていく。箍が外れた感情に止めなど聞くはずもなく、たちまち私の心は喉を通り越して声となって溢れていった。

 千夏ちゃんはしどろもどろになりながらも、自分がどう思っているのかを口にする。

 

「だって・・・独り占めしてるようなものじゃん」

 

「独り占め? なんでそんなことが言えるの? ・・・ずっと遥と同じ場所で生きてきた千夏ちゃんが、それを言っていいと思ってるの!?」

 

 ・・・ふざけないでよ。

 

 私が愛してやまないにも関わらず、五年の間距離を近づけようとしなかった人。それが、千夏ちゃんが帰ってくると同時に私の手から離れていったんだよ?

 遥の心の中に私なんて少ししかいなかった。・・・頑張って、振り向いてもらおうと頑張って、それでようやく心を繋ぎとめることが出来たって言うのに、ちょっと自分のもとから離れただけで「独り占め」?

 

 馬鹿に、しないでよ・・・!

 

 これまで一度も思ったことのない嫌な感情が次々と腹の奥底から溢れてくる。どうにか蓋をしていただけで、私が千夏ちゃんに抱いていた嫉妬は制御できる量などではなかった。

 もう、止まらない。声は大きくなって、私は千夏ちゃんに思いの一つ一つを投げつける。

 

「ちょっと離れただけで寂しくなって、それで悲劇のヒロインでも演じるつもりなの? 笑わせないでよ!」

 

「美海ちゃんにはあるじゃん! 私がいなかった五年間の時間が! ・・・私よりも長く、遥くんと一緒にいたじゃん」

 

「私は何もしなかった! 千夏ちゃんがいない五年間、私は何もしなかったの! 遥に聞いてもらってもいい!」

 

「なんで何もしなかったのよ!?」

 

「・・・自分でした約束の一つも、覚えてないの?」

 

 フェアに戦おう。そんな約束を、遠い昔の二人は交わしていた。私はそれに生きて来たって言うのに、それを忘れたって言うの?

 ・・・ははっ、バカみたい。呆れて仕方がないや。

 

 頭の中がどんどん冷たくなっていく。目の前にいる千夏ちゃんへの感情がどんどん冷めていくのを表すかのように。

 

「フェアに戦おうって約束、頑張って守ろうとしてたのって私だけなんだね。私の五年間を無駄にしてくれてありがとう」

 

「あ・・・。ち、違う! 私だってちゃんと覚えてた!」

 

「ちゃんと覚えてたなら、あんなことは言わないよ、千夏ちゃん」

 

 もう、何も期待しない。結局は詭弁、嘘、取り繕い。

 感情が先走って約束を忘れる人に期待できることなんて、何もないんだよ、千夏ちゃん。・・・なんて、気が付くはずもないよね。

 

 氷点下を下回りそうなくらい、心が冷たい。

 私はもう、目の前の千夏ちゃんと友達でいれる気がしなかった。だってそうだよね? 大切な約束一つ守れない人に、私は何を見出せばいいの?

 

 そう思うと、だんだんと苛々してきて仕方がなかった。腸が煮えくり返りそうなくらい熱い。目の前の千夏ちゃんが憎たらしくて仕方がなかった。

 そしてそれはついに、言葉となる。

 

「・・・返してよ」

 

「え?」

 

「あんな口先だけの約束守ってたんだよ!? だったら、遥と一緒にいれたはずの五年を返してよ!!」

 

 魂の叫び。自然と涙が出てきて仕方がなかった。

 今までの私を作り上げてきた土台が、全部爆ぜて粉々になっていくようだった。

 

「何が『フェアに』なの!? 自分ばかり遥と同じ時間を長く過ごせてたくせに、フェアなんて言葉語らないでよ!」

 

「仕方がないじゃん! 遥くんは事情が事情で一緒の家にいたんだよ!? そこに私の意志なんて関係ない! 私が家を出ていけばよかったって言うの!?」

 

「付き合い方ならいくらでもあったはずでしょ!」

 

 目の前の千夏ちゃんが、許せなかった。

 そうだよ・・・千夏ちゃんが遥を好きになんてならなかったら、今頃こんなことにはなっていないんだよ。・・・千夏ちゃんが冬眠に巻き込まれるなんてことがなかったら、今頃こんなことにはなっていなかったんだよ。

 

 こんな面倒くさくて嫌な気持ちであふれるこの状況を作り出したのは、全部千夏ちゃんのせい。そう、全部千夏ちゃんのせいなの。

 

 そして私はついに、口にしてはいけなかった最大の恨みを言葉にする。・・・してしまう。

 

「全部千夏ちゃんが悪いんだよ!? 遥のこと、何度も殺しかけたくせに!! ・・・あ」

 

「・・・」

 

 その時、千夏ちゃんの中で何かがプツリと切れたのが分かった。

 両目からボロボロと涙を流しながら、私よりも大きな声量で叫び狂う。

 

「・・・分かってるよ」

 

「え?」

 

「そんなこと分かってるよ!! 私は何度も遥くんのことを殺しかけたよ!! それでも遥くんは全部許してくれた! だったら、一生かけてでも償いたいじゃない!! ・・・私には、それしかもうないの!!」

 

 この口論で初めて千夏ちゃんに気おされる。それでも私はどうにか反論を試みた。

 

「許されたら、愛する資格があるって言うの!?」

 

「あるよ! 遥くんはそれを証明してくれた!!]

 

 精一杯の慟哭の後、千夏ちゃんは私が一番聞きたくなかった言葉を解き放った。

 

 

 

「分からないでしょ!? 美海ちゃん、キスの一つもしたことないくせに!!」

 




『今日の座談会コーナー』

 修羅場です。多分この作品をリメイクしようと思っていた二年前の当時、こんなシーンを書くことなどないと思っていたことでしょう。人間は変わってしまうものなんですね・・・。少なくとも度々口にする某作品の影響でストレス耐性が付いたのは確かだと思います。昔はホントに気まずい展開が嫌いだったんですけどね。これが出来ないと物語の幅が広がらないので。
 修羅場は続くよどこまでも。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百六十一話 不俱戴天、あるいは・・・

~千夏side~

 

 言ってしまった。ずっと隠してたこと。私があの時、遥くんと口づけを交わしたこと。

 だって・・・仕方がないじゃん。あんなこと言われて、全部私のせいにされて、苦しくて苦しくて仕方がなかったから。

 せめて美海ちゃんを黙らせたかった。もう関係修復なんてどうでもいい。ただ今は目の前の子を打ち負かしたくて、私は闇雲に言葉を漁っていた。

 

 美海ちゃんは黙り込む。しかしその表情は絶望ではなく、困惑。何か言いたげにしているのは一目瞭然のことだった。

 

 それから、今の私にとって一番ダメージを与える言葉を口にした。

 

「・・・私も、あるよ」

 

「え・・・?」

 

「たぶんそれは、千夏ちゃんより先。もし、千夏ちゃんが記憶を取り戻すより後にキスをしてたなら、ね」

 

 嘘、だ。信じたくない。

 私だけのものだと思ってたのに、私だけのものじゃなくて。しかもそれは、私より先だなんて・・・そんな悪夢みたいなこと、信じたくなんて、ない・・・!

 

 そしてその残酷な真実を、美海ちゃんは躊躇うことなく語った。

 

「私が遥とキスしたのは、千夏ちゃんが冬眠から目覚めたその日だよ。・・・あの日千夏ちゃんは遥のこと全て忘れて、それで遥を傷つけた。その日のこと」

 

「・・・嘘つき」

 

「?」

 

「嘘つき嘘つき嘘つき!!! 結局抜け駆けしたの、美海ちゃんの方が先じゃん!」

 

 さんざん私が約束を忘れかけていたことを追求していたくせに、自分だって同じことをやってる。どの口が・・・どの口がそんなこと言えるの!?

 私は喚いた。けれど美海ちゃんは冷静に、けど声を張り上げて答える。

 

「じゃあ、あのまま放っておけって言うの!? あの日、遥は死のうとした! そりゃそうだよね? 五年間待ち続けた千夏ちゃんの記憶から自分のこと全部消えてたんだもん! 生きがいを失って、絶望して、そして行き倒れて死のうとしてた!!」

 

「そん、な・・・」

 

「それほどまでに大切に思われてたのに、千夏ちゃんは遥のこと忘れてたんだよ!! それが許されることだと思うの!?」

 

 知らなかった。

 私が見ていないところで、また遥くんを殺しかけてたなんて。

 不器用ながらに告白したあの日だけじゃなくて、私は・・・。

 

「いいよね、そんなに大切に思われて!! 千夏ちゃんのいなかった五年間が私にとってどれだけ苦痛だったか、そんなことも知らないで遥を語らないでよ!!」

 

 美海ちゃんの攻撃は止まらない。私が次第に戦意を喪失しつつあっても、それが緩むことなんて微塵もなかった。

 

「・・・それに、もう一つ訂正してよ。最初に行動したのは、千夏ちゃんでしょ? 五年前、下手な告白なんかして、全てを壊した。遥くんの答えを聞く前に自分から逃げたんだってね? そんな中途半端なことをしたせいで、全部めちゃくちゃになったんだよ!?」

 

「ちがっ、私、は・・・」

 

「違わない! ・・・別に告白するななんて言わないよ。それはまだ私たちの言う『フェア』だったかもしれない。・・・でも、逃げた。実らない未来が頭にちらついて、思いから逃げたんでしょ! 違う!?」

 

 何も、違わない。

 美海ちゃんは全部知っていた。知っていて黙ってくれていただけだったんだ。私と友達でいることを、やめたくなかったんだと思う。

 けど、その箍が外れた今、美海ちゃんが遠慮をすることなんてなかった。

 

 これが、私があの日全てを壊してから美海ちゃんが抱えていた嫉妬と、怨念と、恨み。それは到底、私が受けきれるだけの量じゃなく・・・。

 

 膝から崩れ落ちそうになる。身体を支えるだけの力がもう私には残っていなかった。それほどまでに、一つ一つの言葉が痛くて・・・。

 

「・・・ごめんね」

 

「何が?」

 

「そんなに私のこと、恨んでたんだよね? ・・・気づいてあげられなくて、ごめん」

 

 それはどこかに消え入りそうな声。もう張り上げるだけの声も残っていなかった。

 そんな私の言葉に、美海ちゃんはまだ声を挙げた。

 

「ふざけないで! これは私が勝手に思ってること! 千夏ちゃんの全部を否定するわけじゃないのに、全部自分のせいにしないでよ! 『そんなのあなたの自己中な感情だ』って拒んでよ!! じゃないと私、何と戦ってるのか分からなくなるよ・・・」

 

 次第に美海ちゃんもトーンダウンしていく。そしてとうとう二人とも黙り込んでしまった。

 ここまで拗れてしまって、もうこれまで通りの関係に戻れるはずなんてない。・・・本音でぶつかり合えば後悔なんてしない、なんて思ってたのがバカらしい。

 

 美海ちゃんの本心は、私が想像していたものと違ってた。それは今が、どこまでも悲しくて、寂しくて仕方がなかった。

 ・・・やっぱりもう、友達ではいられないんだね、私たち。

 

「・・・帰ろう? もう、何を話してもダメだと思う」

 

「うん。・・・私も、そう思う」

 

 私の最後の言葉に、美海ちゃんは頷いた。それから別の方向を向いて、スタスタと歩いて行く。これまでずっと掛け合っていた「またね」の言葉もなしに。

 そして取り残されて一人になった私は、その場で崩れ落ちた。人の気配もない、誰もいない海沿いの通り。

 

 さっきさんざん流したはずの涙が、もっと大粒になって頬を伝い始める。

 

「う、ああ・・・うわああああああ・・・!!」

 

 大声を上げて泣き喚く。もう何が悲しくて何が悔しくて何が寂しいのか分からない。けれどこの傷だらけの心はとめどない雨を降らせ続けた。

 

 好きになってしまったから、この痛みは生まれた。たくさんの人を振り回し、傷つけてきた、その代償。それは受け止めるには大きすぎる傷。

 

 じゃあ、好きになることをやめろって言うの?

 

 ・・・嫌だよ。

 どんなに醜くて酷い人生を送り続けて来た私でも、幸せになりたいよ。そうする資格がなかったとしても、否定されたとしても、最後まで夢を見させてほしいよ。

 

 好きだよ。

 好きで好きで、たまらなく好き。もう否定されるのも怖くない。今あの日に戻れるなら、私は真正面から遥くんの言葉を受け止めれる。

 

 だったら、なんであの時、あの場所で私はそうしなかったんだろう。

 

 それが悔しくて、また涙が溢れてくる。張り裂けそうなほどの後悔が波となって押し寄せてきた。

 

 雨は止まない。五分、十分と立っても枯れない雨を、私は延々と降らせ続けた。

 

---

 

 

~美海side~

 

 

 こんなはずじゃなかった。

 ただ、少しの文句を言うだけのつもりだった。そして、遥を思っている気持ちを再確認して欲しいだけだった。

 だけど、私の言葉は止まらなかった。心のどこかで思っていたであろう千夏ちゃんへの怨念返し。暴走した心がそれを行ってしまった。

 

 最低だ。最低だよ、私。

 奪い合う仲でも友達だったはずなのに、あんなことを言ってしまった。そしてそれが紛れもない本心だったことがまた嫌になる。

 

 歯を食いしばった。そうでもしないと、やってしまったことへの後悔で心が潰れてしまいそうだったから。

 そして上を向いて歩く。家まではもう少し。一人でいれる居場所に帰れたなら、いくらでも涙を流すことは出来る。

 

 だから、今だけは。

 

 そう思っていたはずなのに・・・。

 

 

「あれ? 美海、今日は一人で帰ってたんだ」

 

 暖かい声が聞こえる。目の前に私の愛しい存在がいた。遥が結んでくれた、私の大切な人。

 その人の・・・お母さんの顔を見て、声を聞いてしまったとたん、私の砂のような堤防は瞬く間に崩壊してしまった。

 駆け足気味で近づく。それで何かを察したのかお母さんは悲しそうに笑みを浮かべて、両腕を広げた。

 

「・・・いいよ」

 

「ごめん・・・ごめん、あかちゃん・・・!」

 

 それから私は、私の大切な人の腕の中で我も忘れて泣いた。こんなに涙を流した日なんて、もうずっと昔のことだ。

 あの時も、こうしてもらったんだっけ・・・。

 

「あかちゃん・・・私・・・私は・・・!」

 

「うん、後でゆっくり聞いてあげる。だから今は、十分泣きな?」

 

 

 その腕は、胸は、どこまでも優しくて柔らかかった。

 こんな人に育てて貰っているのに、私は尖ったナイフでさんざん大好きだった人を傷つけてしまったんだ。

 

 

 それがただ悲しくて、私は泣き続けた。




『今日の座談会コーナー』

 結局喧嘩になると発言って支離滅裂になっちゃうんですよね。こう書いておくと、前話と今話で矛盾が起きてしまった時の後ろ盾になります。もちろん、話に筋は通すつもりでいますけれども。

 用語解説:不俱戴天
主君や親の敵とは一緒に生きていけないこと。転じて、憎みあい恨みあって相手を殺してやりたいと思っているほど仲の悪い間柄のこと

といったところで、今回はこの辺で。
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第百六十二話 これからのこと

~美海side~

 

 両目を真っ赤に腫らしたまま、私はお母さんと家に帰る。それを見て事情を察したパパは晃を連れて外に出て行ってくれた。二人きりのリビングで、私はゆっくりとお母さんに事の顛末を話す。

 

「・・・千夏ちゃんに、酷い事言っちゃった」

 

「酷い事って?」

 

「・・・これまでのこと、全部千夏ちゃんのせいだって。・・・遥のこと、何度も殺しかけたくせに、って」

 

「そっか・・・」

 

 お母さんは驚いた顔をしながらも、悲しそうな顔をして私の頭を撫でた。そのぬくもりに安堵して、私は次の言葉を紡ぐ。

 

「でも、一番悲しいのは、私が心の奥底でそう思ってたんだって分かったこと。・・・大切な友達だったはずなのに、言葉にしないだけでそんなことを思ってた自分が、嫌で仕方がなかったの」

 

「どうして、それを言ってしまうことになったの?」

 

「千夏ちゃんに、ズルいって言われたの。私が時々遥の家に遊びに行ってること。・・・それが、どうしても許せなかった。私よりもずっと同じ時間を過ごしてきたはずの千夏ちゃんに、それを言われることが」

 

 酷いことをいってしまったことは今でも後悔しているが、あの発言だけはどうしても許せない。私より恵まれた立場でありながら、悲劇のヒロインぶられることがたまらなく気に食わなかった。

 

「私、遥のこと奪ってないよね? 強引に千夏ちゃんの両親から引きはがしたわけじゃないよね?」

 

「うん、大丈夫だよ。・・・多分、遥君が海に戻ることを選んだ理由に美海が入っているかもしれないけれど、その決断をしたのは遥君自身。全部が全部、美海が抱え込まなくていいの」

 

 お母さんは私を肯定して、また頭を撫でた。うんうんと頷きながら、私の発言を理解してくれようとしている。

 

「私だって遥が好きだから・・・だから、一緒にいる時間を増やしたいの。・・・それを否定されて、許せなかった」

 

「否定されるの、辛いよね。痛いよね。・・・私も昔、そうだったからなぁ」

 

「お母さん・・・」

 

 パパと結婚するまでに、沢山のことがあった。

 自分のお父さんにも理解してもらえないで、海からは疎まれ、陸でも私に拒絶され・・・。お母さんは、そんな毎日を過ごしてた。

 形は違うけど、同じような痛みを理解している。お母さんはそう言うことを言いたかったんだと思う。

 

「でもね・・・、やっぱり、誰かを直接傷つけるのはダメ。心ない言葉で、あるいは暴力で。・・・手を出さなかったのはえらいけど、流石にちょっと言い過ぎたね、これは」

 

 そんなお母さんは、優しい顔をしながらもやんわりと私を咎めた。悪いことをちゃんと「悪い」と明言してくれた。・・・心は痛いけど、少し嬉しかった。

 全部が全部私の味方をするようだったら、本当に悪い子になってしまいそうで嫌だった。そんな私を、お母さんは最善の方法で引き戻してくれた。

 

「・・・うん、分かってる。ごめんなさい」

 

「悪いと思ってるなら大丈夫だよ。美海が素直な子でよかった」

 

「・・・ん」

 

 お母さんは私を少し抱き寄せる。私はされるがままにお母さんに身を委ねた。また涙が溢れそうになるけど、それを必死でこらえて、目を伏せた。

 

「すぐにとは言えないけどさ・・・悪い事言ったんだから、そこはちゃんと謝らないとね」

 

「うん。・・・ちゃんと心の整理がついたら、謝るよ。・・・許してもらえるか分からないけど」

 

「ならよし。流石美海」

 

 しばらくして、お母さんは私を放した。それから「さて」と呟いて、パンと手を鳴らした。

 

「ここからは、これからどうするかを考えないとね」

 

「これから・・・?」

 

「言ってしまったことは変わらないし、そこは謝るしかない。だけど、自分の心に嘘ついちゃダメ。今美海が何をしたくて、これからどうしたいかをちゃんと考えないと、酷い事言ってまで遥君を選んだ意味、なくなっちゃうよ?」

 

 そうだ。

 私が千夏ちゃんにあそこまで言って怒ったのは、遥が好きだったから。

 傷つける道を選んだ私は、もう引き返すことはできない。引き返しちゃ、いけないんだ。

 だって、引き返したら誰かを傷つけた事実しか残らない。それはあまりにも虚しすぎる事。

 だったら、同じ結果になるとしても選ばれなかったせいでそうなる方がいいに決まってる。

 

 私がこれからどうしたいか。それをちゃんと言葉にしてお母さんにぶつける。

 

「私、やめたくない。遥ともっと一緒にいたいし、ずっとそうしたい。・・・もちろん、決めるのは遥次第だから、遥が千夏ちゃんと遊びに行くことはあると思う。・・・でも、遥を責めることだけは、絶対にしたくない」

 

「それは、本心、ってことでいいのかな?」

 

「うん、いい。そして、答えを出してもらう前にもう一度千夏ちゃんと話すの。その時友達に戻れるかどうかは分からないけど、ちゃんと話して、悪い事は謝りたい」

 

「・・・ちゃんと答え出てるなら、私が言うこと何もないね」

 

 うん、お母さんに言われることはもう何一つない。

 私はこれまで通り、遥を思い続けるだけの日々を過ごす。千夏ちゃんに妬まれようとかまわない。だって多分、私も同じように妬むだろうから。

 そして、答えを出してもらうんだ。「私を選ぶ」、という、私が一番欲しがっている答えを。

 

 だから一度、友達という関係に終止符を打つ。今はただのライバル、恋敵としてしか千夏ちゃんを見ない。それが不俱戴天の敵となるかどうかは今は分からないけど、遥のためなら、そんな敵になったって構わない。

 

 それは多分辛い事だろうけど、私は一人じゃない。背中を押して、期待してくれている人がいる。だから頑張れる。戦える。

 

「まっ、一旦解決したようなら何より。・・・また何か辛いことがあったら言いな? どこまで力になれるかは分からないけど、一緒に悩んであげるから」

 

「うん。その時はよろしく、お母さん」

 

 もうとっくに涙の乾いた目元を拭って、私は目を据えた。戦う覚悟は出来ている。

 絶対に、負けない・・・!

 

 

---

 

~遥side~

 

 俺の他に誰もいない家。学術書とにらめっこしながらうんうん唸っている俺に来客が来たのか、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。・・・いや、呼び鈴使えよ。

 

 扉を開けると、普段こんなところに訪れない奴がそこに立っていた。少しばかり驚いた俺は、その名前を呼ぶ。

 

「要・・・」

 

「やっ、元気してる?」

 

 あれからまた少し髪を伸ばして、より見た目にキレが出てきた要がそこにいた。中が悪いわけではないがあれから一番かかわりが薄い人物だっただけに、今この場所にいることに驚いた。

 

「何しに来たんだよ?」

 

「ちょっと、遥に伝えておかないといけないことがあってね。伝えたらすぐに帰ろうか?」

 

「どっちでもいいけど・・・まあ家入れよ。茶の一杯くらいは出す」

 

「じゃ、お言葉に甘えて上がろうかな」

 

 要は特に遠慮する様子もなく俺の家にずけずけと入ってきた。この二年で随分と素直な行動をするようになったみたいだ。さゆの影響だろうか。

 だからだろうか。今のこいつと一緒にいても特段嫌な思いをすることはなかった。むしろお互い乾いた関係だからか、居心地はいいように思えた。

 

 茶をテーブルに出して、俺は本題を聞く。

 

「で、話ってなんだ?」

 

「うん。美海ちゃんと千夏ちゃん、いるじゃん。・・・今日、とんでもない喧嘩してたよ。心あたりある?」

 

「あー・・・」

 

 ある、というか、千夏が美海と腹を割って話すと言っていた。つまり、その結果がこれだ。

 どうやら自体は最悪の方向に転がってしまったらしい。俺は頭を抱えてしまう。

 

「・・・心当たり、あるんだ」

 

「ある・・・というか、俺の話」

 

「やっぱりそうなんだ。二人のことだからまさかとは思ってたけど」

 

 これには要も苦笑いを浮かべるほかなく、どうしようもないものを見る目で俺を見つめてみた。・・・おい、そんな目で見ないでくれよ、頼むから。

 二人の気持ちを弄ぶわけではない。さっさと答えを出してしまった方がきっと二人のためになるだろう。けれど、それで納得できるかと言われればきっと、答えはノーになる。

 

「美海ちゃんが悩んでいることは重ね重ねさゆちゃんから聞いてたんだけどね。まさかそこまで深刻な事態に発展していたとは思わなかったよ」

 

「たぶん、あいつも気苦労するだろうな・・・。多分そうとう美海から相談受けていただろうし」

 

 自分の発言が事態を動かしたかもしれない、と思ってしまうことになるだろう。実際事実だから逃れることが出来ないのがまた事態に拍車をかけている。

 思い悩んでいると、要は悪びれない様子で確信に迫ることを口にした。

 

「で、これから遥はどうするの?」

 

「・・・ここまで拗れてしまったからには、筋を通さないといけないのは確かだ。けど、二人から距離を置いて、恋から逃げるのは多分筋じゃない。・・・だから、最後までどちらを選ぶか考えることが今俺に出来ることだと思う」

 

「なるほど?」

 

「そのためには、もっと二人との時間を過ごさなきゃダメだ。・・・言い方悪いけど、運のいい事に二人が同じ空間にいることは当分なさそうだから、それぞれを思った人付き合いは出来そうだと思う」

 

「傍から見たら二枚舌っぽく見えるけどね、それ」

 

「言うなよ、分かってるんだから」

 

 どちらにもいい格好をしないといけないのが辛いところだ。最終的には、その片方を裏切ってしまうことになるのだから。

 けれど、それでも、俺は躊躇わない。

 

 覚悟が伝わったのか、要は笑みを消してうんと頷いた。

 

「・・・分かった。それが遥の覚悟なんだね」

 

「ああ。・・・あんましいい行動ではないだろうけどな」

 

「少なくとも手放しでほめられることじゃないね。・・・けど、ちゃんと答えを出そうとしている今の遥、僕は好きだな」

 

 それから要は小さく笑った。その裏には何かしらの感情があることだろう。

 けれどそれを口にしないのが要だ。そう信じて俺は一度頷いた。

 

 

 ・・・大丈夫。俺は逃げない。二人を傷つけることから。二人を愛することから。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 というわけで修羅場の連続は一旦ここで終わりになるのかな、なんて思います。ここからはより一層各キャラクターの視点で話を進めたいですね。ルート分岐もそろそろ視野に入れないといけないか・・・。最近執筆スピードがバカにならないせいで案を練る時間がないんですよね。これがいいことなのか悪い事なのかは分からないですが。書いてる瞬間が楽しいのでヨシ!

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百六十三話 雷雨、時が止まる前に

ホワイトアルバム2脳・・・。
---

更新ペースがかなり高速化しているので、ここから先はしばらく夜の19時更新にしようと思います(一日2話投稿する場合は昼の12時も使用します)


~千夏side~

 

 体力を随分と使い果たした私は、一人でふらふらと歩いて帰った。当たり前のようにいつも歩いている道が、今日はどこまでも遠く感じた。・・・あとどれくらい歩いたら、家に帰れるんだっけ。

 

 もう心は空っぽだ。ただ遥くんへの愛だけが残って、他は何もない。憎いとか、殺してやりたいとか、そんな気持ちを感じる余裕すら今はなかった。

 ・・・あ。

 

 目の前に公衆電話のボックスが見える。別にそれ自体は大したことではない。・・・なのに私は自然に立ち寄っていた。

 身体は無意識にカードケースからテレホンカードを取り出し、差し込む。指が勝手に動いて、誰かのアドレスを押す。・・・もう長い事使ってなんかいないのに、たった数回聞いただけなのに、私はその番号を確かに覚えていた。

 

 そして受話器を耳に当てる。声が聴きたかった。何を話そうかなんてちっとも頭にないのに、ただ声が聞きたいだけに私は電話を開始して、それを願った。

 

 そしてその願いは、叶う。叶ってしまう。

 

「もしもし・・・どちら様ですか?」

 

「・・・あ、遥、くん?」

 

「千夏? なんで公衆電話からなんか掛けてきてるんだよ」

 

「あはは・・・ちょっと、話がしたいなって思っちゃったから」

 

「それなら、家に帰ってからだって十分できるだろ。なんで急に・・・」

 

 私の異変を感じたのか、遥くんは心配そうな声音で私に問ってきた。それは嬉しい事。・・・そのはずなのに、さっき枯れたはずの涙がまた溢れ始めた。突き動かす感情が何か分からないまま、私は必死に叫んだ。

 

「・・・ごめんなさい!!!」

 

「え?」

 

「ずっと、ずっと酷い事してきたよね!? 私! 知らなかった!! 遥くんのこと忘れてしまったあの日に、遥くんが死にかけたこと!! それなのにあんな態度ばかり続けて!! ・・・私、本当に最悪だ・・・!!!」

 

「おい、待てって・・・」

 

「待てないよ!! だってそれは、本当のことなんだから!!!」

 

 自分が何を言っているかもはや収集がついていなかった。

 ただ、心の奥の方で暴れる感情だけが言葉となって表れてくる。私が遥くんにしてしまったこと、これまで生きてきたことへの懺悔をしなければ自分を赦せなかった。

 

 もう、二年前に全て終わったはずなのに。

 それでも罪は、痛みは消えない。はがれた瘡蓋からとめどなく血が溢れてくるように、私は感情をただ垂れ流した。

 

「許されても、許されきれないよぉ・・・!」

 

「おい、千夏! 今どこいるんだ!?」

 

「・・・」

 

「おい! 返事しろって!!」

 

 ああ、また遥くんに迷惑をかけてしまっている。好きだからって、甘えている。

 こんな人間に美海ちゃんは相手してくれてたんだ。・・・ホント、強い子だなぁ。心の底から憎んでたなら、とっくに友達なんてやめればよかったのに。

 誰も幸せになってないじゃん・・・。

 

 自分の心の弱さが嫌になって仕方がない。

 遥くんは自分で答えを見つけて立ち直ったって言うのに、私には出来ない。誰を頼ればいいか、何を目指せばいいか分からないよ・・・。

 

「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・!」

 

 懺悔は続く。もはや何に謝っているのか分からなかった。

 ただ今は、過度なまでの自責の念だけが押し寄せてくる。死んでしまいたかった。それならいっそ、惨たらしく。

 多分、遥くんはそれでも許してくれる。でも、許されちゃいけない。私にそうしてもらうだけの価値はもうない。

 

 全ての歯車を狂わせた私が悪いんだから。

 

「うぁ・・・うぁあああああ!!」

 

 それからまた、さっきみたいな雨が降る。切れかかっていた雲が再び繋がって、黒ずんで、雷雨のような雨を流す。

 その場に座り込んで、動くことも出来ず。

 

 ディスプレイに表示されている数字がどんどん減っていく。それはこんな私が遥くんと繋がれるタイムリミットを示してるって言うのに、そんなことも気にすることは出来なかった。

 

---

 

 

~遥side~

 

 心当たりのない電話番号。その先にいたのが千夏だなんて思いもしなかった。

 電話越しにただ懺悔と絶叫を繰り返す千夏に俺の声は届かない。何度名前を呼んでも、どこにいるか尋ねても返事はない。

 

 最初は何も口を挟まなかった要も、俺の肩に手を置いた。睨む、とは言わないでも恐ろしく目を細めて俺の方を見る。

 

「・・・遥」

 

「分かってる。・・・行かなきゃいけないだろ。こうなったのは俺の責任だ」

 

「ただ闇雲に行くの? なんて声を掛けるか、腹は決まってるの?」

 

 純粋な要の問い。普段なら飄々と返せたはずなのに、今は何も言葉が出なかった。

 千夏は何かにやられて心を壊してしまっている。それを助けないといけないというのは分かっている。

 でも・・・その何かの中に、俺がいる。そんな俺が、あいつになんて声を掛けてやればいい? 少なくとも、さっきは何も届かなかったんだぞ?

 

「決まってないなら、行かない方がいい。返って傷つけるだけだよ」

 

「なら見捨てろって言うのか!? それを・・・渦中の俺が見過ごせるはずないだろ!! 見損なったぞ・・・!」

 

「・・・ああもう! どうしていつも遥はそうなのさ!? とりあえず行動することが全部正しいと思って闇雲に突っ走って!! 勢いが全部解決するならこの世に問題なんて何もないんだよ! 少なくとも僕のさっきの質問に何一つ答えてないじゃないか!!」

 

 珍しく要は声を挙げて俺を叱った。その真っすぐな瞳に、俺はたちまち小さく唸ってしまう。

 分かっている。・・・今回に関しては、こいつが言っていることが正しい。ちゃんと自分の気持ちを整理して、それを伝えるべきだって分かってる。

 

 でも、そうじゃないんだよ。理屈だけが全てじゃない。

 悩んで整理をしている間にあいつが死んじまったらどうする? 不安定な心は何をしでかすか分からないんだよ。俺がそうだったように、きっとあいつだって・・・!

 

「もう一度聞くよ。遥は今から千夏ちゃんの所に行って、なんて声を掛けるの?」

 

「・・・俺は」

 

 あいつが何に悩んでいるか分からない。けれど多分、俺含め、誰かに迷惑をかけたことをただひたすらに懺悔していることだけは確かだった。

 

 あの日・・・、千夏が記憶を取り戻した日、俺は全てを赦した。・・・はずなのに、前に進めるはずだったのに、瘡蓋の下はまだ傷だらけだった。それを千夏が美海と言い争ってはがすことになってしまったんだ。

 

 同じように許したって、あいつがそれを信じるか分からない。

 あの日俺と美海の世界に千夏が帰ってきたはずだったのに、またバラバラになってしまった。それもおそらく、修復不可能なまでに。

 

 思うほど、「愛」を「恋」とするのは簡単じゃないという事を思い知らされる。その行為にどれだけの傷があるか、苦難があるか、あの時の俺は知らなかったんだ。

 

 ・・・畜生っ!

 

 自分の情けなさに腹が立って、地面を一度強く踏みしめる。少し老朽化の進んだ家がミシリと悲鳴を上げた。

 

「ほら、何も出てこないじゃないか」

 

「ああ、出てこねえよ・・・! これまで築き上げたものが一つ一つ崩れてく様見せられて、簡単な言葉なんてかけてやれねえんだよ。・・・でも、だからこそ俺は、あいつの所行かないとダメなんだよ。ちゃんと話聞いて、理解しないと・・・!」

 

「・・・頑固だね、ホント」

 

「ああ。逃げたくないから、必死でもがくしかないんだよ。・・・もう全部だめになりそうだって分かってるのに、それでも期待してる俺がいるんだよ・・・クソッ!」

 

 目の前の要に対する怒りなど一ミリもなかった。今はただ、こうなってしまった俺の愚かさに腹が立つ。

 どこかでちゃんと答えを出せていたら、今みたいな地獄は生まれなかったはずだ。この景色は、俺が逃げ続けた報いだ。

 

「要・・・」

 

「何?」

 

「先に謝っておく。・・・悪い」

 

「・・・そっか、そういうことか。・・・ごめんね、余計な口挟んじゃって」

 

「いや、いい。ただ今は・・・行かせてくれ」

 

 今にも狂暴化しそうな俺の目を見てか、要はすっと道を譲った。そのまま俺は何も羽織らずにただ海を往く。陸を往く。

 そこで今にも死にそうにしている千夏に、もう一度言葉を伝えたかった。俺は生きてきた道を後悔していないと。これでよかったと思っていることを。

 

 許す許さないじゃない。俺がこれでよかったと思っているということをちゃんと伝えないと、千夏の中の罪が消えない。

 ・・・なんだよ、言える言葉、あるじゃねえか・・・!

 

 

 軋む足を必死に動かして俺は走る。市中の公衆電話を探して回る。千夏が罪の意識に縛られている鳥籠をただひたすらに探す。

 

 

 

 もう飛び立っていい。罪なんて何一つないんだよ、千夏・・・!

 




『今日の座談会コーナー』

 あのー、修羅場は一旦終わりとかぬかしてましたね。あれ一旦忘れてください。流石にあれだけ盛大な言い合いして引きずらずにまた明日はないでしょうに・・・。というか自分で書いててなんですけど、ここまで拗れてどうやって軌道修正するのか結構悩みどころになりそうなのが怖いです・・・。罪の意識というものは、簡単に消えてはくれませんからね。自分がやった悪い行いは鮮明に記憶するように、犯してしまった罪の意識は記憶から消えないんでしょう。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百六十四話 ガラス一枚、届かない距離

~遥side~

 

 電灯がついたり消えたりしている先にある公衆電話、俺はついにそこに人影を見つけた。全力で走って、そこへ向かう。

 そして名前を呼ぼうとした時、俺の存在に気が付いた千夏が枯れた声で叫んだ。

 

「来ないで!!!」

 

「っ!」

 

 ガラス1枚を挟んだ扉越しに俺は止まる。開けてしまえば千夏のそばに行けたが、俺の足は止まった。そうすることで全てがダメになりそうな予感がしていた。

 そんな俺に、千夏は消え入りそうな声で問いかけた。

 

「・・・なんで来たの?」

 

「そりゃ・・・お前が何も聞いてくれないからだろ。俺が言いたいこと、全部無視しやがって」

 

「私には、聞く資格がないよ・・・」

 

 千夏は全てを拒絶していた。全部自分が悪いと心から思い込んで、ドアを閉ざしてしまっている。美海との口論がよほど堪えたのだろう。 

 それでも、美海を悪いとは言えない。だって俺はまだ知らないから。

 だからそのためにも、俺はちゃんと千夏の口から真実を、気持ちを聞いておきたかった。

 

「千夏、お前は美海になんて言われたんだ?」

 

「・・・私が遥君を何度も殺しかけたって言われた。私のせいで全部がめちゃくちゃになったんだって、面と向かって言われたよ。・・・親友だったはずなのに」

 

「そんなことが・・・」

 

「遥くんだってそう思ってるんでしょ?」

 

 千夏の問いかけをすぐに否定することは出来なかった。全ての歯車が狂った日は千夏の告白を受けた日に違いなかったから。

 もちろん、そのことで千夏を責めるつもりはない。気持ちから逃げたのは俺もそうなのだから。

 

 それでも、感情を途中に編み込んでも事実は覆らない。少なくとも美海の人生はあの日、もう一度めちゃくちゃになったのだから。

 

「めちゃくちゃ、とは言わない。千夏だけのせいとも言わない。・・・けど、あの日、美海の人生が大きく変わってしまったのは事実なんだ。すぐに否定は出来ない」

 

「そう、だよね・・・。やっぱり、わたしのせいだよね」

 

「・・・多分、それが美海の本心なら、美海は心のどこかでそれを許してないんだと思う。それは、俺たちがどうこうできる話じゃない」

 

 これはもう、俺と千夏だけの問題ではないということを再確認させられる。美海という存在が俺の領域に随分と踏み込んできた今となっては。

 

「遥くん、私、私は・・・」

 

 千夏は両手で顔を覆い隠し、小刻みに震える。懺悔の心だけが先に先に現れて、言葉を繰り出すことが出来ないのだろう。

 けれど、今のでだいたい千夏の本心は伝わった。何に怯え、何に苦しんでいるのか。その発端の人間である俺は歯を食いしばりながら、千夏に語り掛けた。

 

「千夏、お前はどっちを選ぶ?」

 

「なに、を・・・?」

 

「美海とはこれまで長い事親友だったはずだろ。それこそ、俺と出会う前からずっと。・・・それが、お前の人生にポッと出てきた俺のせいで今こうして拗れてる。美海のことがどうでもいいなら、今こうして泣いたりしないはずだろ」

 

「けど、それってさ・・・」

 

 千夏が言おうとしていることは容易に想像がつく。

 これは、取捨選択。俺への恋心をばっさりと断ち切らなければ美海は満足しないだろうし、美海の事を心から憎まなければ自身の恋心に向き合うことが出来ない。

 もはや不可能なのだ。・・・大切なものを、全部つなぎとめるなんて。

 

「・・・私には、選べないよ。選ぶ資格なんてない!」

 

「資格とか権利とか、そんな話じゃないんだよ! それはただ、逃げてるだけだ・・・!」

 

「二人の人生をめちゃくちゃにしておいてそんなことを言うような、傲慢な人になんかなりたくないよ!!」

 

 千夏の罪の意識は、俺の想像をはるかに超えていた。

 当然だ。禊を終えたと思っていた時に、自分の記憶に存在しない新しい罪が現れたのだから。どこまでも自分が罪に囚われた人間であると思い込んでしまうことだ。

 

 だから、ちゃんと言わなければいけない。

 あの日死にかけたことも、美海に助けられたことも、それが千夏にとって罪ではないことを。俺が受け入れ、それでよかったと思っていることを。

 

「・・・千夏、聞いてくれ」

 

「やだ・・・もうやだよぉ・・・」

 

「お前は一つ、大きな勘違いをしているんだよ。・・・あの日、確かに俺は自棄を起こして自ら命を断とうとした。確かにそれに間違いはない」

 

「・・・」

 

「けど今、俺はあの日のことを後悔なんてしてない。結果論でもなんでもなく、千夏の記憶から俺の存在が消えてたことを喜んでいる自分がいたんだよ」

 

 最初の内は激しい喪失感だけが俺の身体を苛んでいた。全てを諦めて、命すら断とうとしていた。

 けれど、千夏の記憶が消えたことを受け入れるようになってからは、それが新しい道へとつながるのではないかと期待を膨らませていた俺がいた。

 結局、記憶を取り戻す道を選んだけれど、あのまま元に戻らない記憶を抱えた人生でもよかったのではないかと思っている俺が今ここにいる。

 

 だから、あの日のことは不幸だけではなかった。それを憎んでいないし、罪だとも思っていない。

 

「簡単に言うとな・・・。俺は今日まで生きてきた人生のこと、後悔してないんだよ。全部これでよかったと思っている。千夏が冬眠してしまったことも、記憶を一度失ってしまったことも、全部、これでよかったと思っている。『あの時、そうならなかったら』って今はもう思うこともない」

 

「そんなの・・・嘘」

 

「確かに昔の俺なら誰かを励ますために平気で嘘をついてただろうよ。・・・けど、今はもうそんなことはしない。これまで俺を支えてくれた人に、誓ってるんだよ」

 

 自分がダメになりそうな時、誰かに頼る。そんな簡単なことが出来るようになったのもつい二年前の話だ。

 けど、俺が視力を失うことになったあの日以降、俺はより周りにいる皆が愛おしく見えた。そんな人たちを裏切りたくない。

 だから、自分が、誰かが傷つくことだと分かっていても、ちゃんと思っていることは口にしようと決めた。躓くたびに助けて欲しいと願うようになった。

 

 だから今だって、嘘は吐かない。

 

「・・・好きだよ」

 

「千夏・・・」

 

「大好きなの・・・。だから、私が記憶を失くしている後ろで遥くんがそんなことになってしまってたことを許せなかったの・・・。遥くんが許しても、私が大好きな人を傷つけた事実は消えないの。・・・それでよかったって言われても、私はやっぱり、受け入れられない」 

 

 首をフルフルと振りながら、千夏はまた小さく震える。俺が千夏の罪は罪ではないと口にしても、千夏は頑なにそれを認めようとしなかった。

 その頑固な卑屈さに、いよいよ俺は怒りそうになった。だってそれは、過去の俺を見ているようだったから。

 

 自分自身を許していいと教えてくれたのはお前なんだぞ、千夏。

 そのお前が・・・自分の言葉に矛盾することをしないでくれ。でないと、あの日の言葉に含まれていた価値が全部なくなってしまう。

 

 だから俺は、声を荒げた。

 

「そんなに自分が嫌で嫌で仕方がないなら、諦めてしまえよ」

 

「・・・え?」

 

「俺だってこれまで何度も諦めようとした。お前が冬眠に巻き込まれてしまった日も、帰ってきたお前の記憶から俺がいなくなっていた日も、自分自身の咎で視力を失くしてしまったあの日も、何度も何度も諦めようとした。幸せになることから、生きる事から」

 

 それでも、俺は諦めきることが出来なかった。心のどこかに「生きたい」という気持ちが残っていた。

 

「・・・でも、諦めきれなかった。だから這いつくばって今ここに立ってるんだよ。足も自分のものじゃなくなって、視界も俺のものじゃなくなって、そうやって散々惨めな思いをしながらここまで来たんだよ」

 

「・・・」

 

 千夏は何か考えているのか黙り込む。肯定も否定もしない。

 その間に、もう一つ言っておかなければいけないことがあった。それを相手の返答より先に俺は口走る。

 

「俺は諦めきれなかったこの人生に後悔してないって言った。けど、諦めることを否定するわけじゃない。自分の罪に苛まれて逃げ出したくなって、幸せになることと生きることを諦めるなら、それだって一つの完成された人生になる。だから、そんなに自分の罪が許せないって言うなら、・・・全部、諦めてしまえ」

 

 そして最後は千夏を突き放す言葉を口にする。

 こんな精神状態の今の千夏がこの言葉を聞いてどう行動するかは予想できない。本当に諦めて、最悪死んでしまうかもしれない。

 それでも俺は、この感情に妥協したくなかった。諦めなかった先にある景色を知っているからだ。例えそれが保さんを、夏帆さんを悲しませることになったとしても、俺はこの言葉から逃げない。

 

 もう、今の千夏にいう事は何一つない。自分が罪と感じている過去を乗り越えることを諦めるも、乗り越えて進むも千夏次第だ。そこに俺が、美海が介在する余地は何一つない。

  

 けれど、信じる信じないは別だ。

 ・・・俺は、千夏が乗り越えてくれると信じたい。

 

 だからこそ、俺は乗り越えた先の景色を千夏に提示する。

 

「・・・もう当分、水瀬家には顔を出さない。お前が罪に感じてるものから抜け出そうとしない限りは、俺も心を鬼にする。・・・でももし、前を向くことが出来たなら、その時は俺の家に来てくれ。その時、今日言ったことの全てを謝らせてくれ」

 

「・・・」

 

「じゃあ、帰るからな」

 

 結局、二人を隔てるガラスの壁が貫かれることはなかった。

 これが今の俺と千夏の距離。言葉すら正しく届かない無慈悲な距離。

 

 

 

 

 それでも分かる。俺が放った言葉の節々にある俺自身の気持ち。千夏への、度を越えた『愛』。

 ただ、今はそれを口にする資格はない。そうして俺は口をつぐんで、凍てつくような海へと引き返していった。




『今日の座談会コーナー』

 これ書いてて思うんですけど、キャッキャウフフな日常会存在しないんじゃないかって思うんですよね・・・。そういうパートももちろん必要なんですけど、それ以前にこれまでの清算が全然終わってないという事が直近の話を書いてて思いました。ダイジェストにするにはもったいないくらい設定が残ってると思うので。
 折角時間があるので、そこだけは丁寧に書こうと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百六十五話 戻れない道、その先に

~遥side~

 

 海へ引き返すと、俺の家のすぐ外に要が立っていた。まさか、待っていたとでも言うのだろうか。

 なんて声を掛けようか迷っている前に、向こうから俺に問いかけがあった。

 

「どうだった?」

 

「・・・」

 

「その様子を見る感じ、あまり上手くいったように見えないんだけど?」

 

 その通りだ。

 ひとつ答えを提示してその場を去っただけで、千夏の抱える問題の根本的な解決には至っていない。本来ならもっと無理やりにでも突き動かすべきなのだろうが、話を聞く感じ、あれは千夏自身の問題だ。

 

 だから、道標は立てない方がいい。俺はただ、居場所であるだけでいいのだと歯を食いしばってその場を立ち去った。・・・そう考えれば、まとまった答えは出ているか。

 

「ただ、何も意味がないわけじゃなかったと俺は思ってる。・・・そこだけは信じて欲しい」

 

「ま、ここ最近の遥は下手に嘘なんかつかないからね。分かったよ、信じる」

 

 要は複雑そうな顔持ちをしながらも小さく頷いて、この話題をすっぱりと切り上げた。それからいつものような何を考えているか分からない表情になって他愛ない話を繰り広げる。

 

「それにしても、なりふり構わず飛び出していくから驚いたよ。電気も付けっぱだったし」

 

「だから外で待ってたのか?」

 

「僕もそのままほったらかしにして帰るのも悪いでしょ。・・・まあ、あと三十分遥が帰ってこなかったらどうしてたか分からないけど」

 

 誰かへの配慮に満ちた行動は、やはりこいつの十八番みたいだ。けれどそれは決して嫌に思うレベルではない。その塩梅はここ二年で磨かれたのだろう。

 だから俺も、棘を生むことなく要と話をすることが出来ていた。

 

「悪いな、へんな気遣いさせて」

 

「ううん、急な話だったからね。・・・それより遥、これからどうするの?」

 

「ずっと言ってるけど、ここまで来てしまった以上、もう引き返すことはできない。二人が俺に気持ちを向けてくれる限り、それに応えるまでだよ」

 

「もし、千夏ちゃんがその道から外れることになったら?」

 

「・・・友達として、これからを応援するだけだ」

 

 もしそうなれば、そうすることしか俺には出来ないだろう。全員が納得してこの道になるなら、多分それはそれで一番幸せなのかもしれないけれど、これが本心じゃないから、今こうして苦い顔をする。

 

「一筋縄じゃいかなそうだね」

 

「ああ、そうだよ。ずっとそうだったはずだろ、俺の人生なんて」

 

 だからこそ、一つ一つの選択は大事にしたい。選ばなかった道に後悔は出来ないから、選んだ道に心から満足できるように。

 

 そんなことを話していると、視界の端のほうにちらちらと人影が写った。全力で隠れているつもりなのだろうが、生憎俺は嗅覚が強い。視力を失った時鍛え上げられた力もあって、人の気配を察知するのがより上手くなっていたみたいだ。

 

 ・・・どこから聞いていたんだろうな、あいつ。

 

 ただ、こちらが気づいている素振りは絶対に見せない。最後まで要との話を続けるつもりだった。

 しかし意外だったのは、要もそれに気が付いていたこと。目線を少し右に左に泳がせて、一息ついて雑に切り上げた。

 

「・・・まあ、とりあえず僕はそろそろ帰るよ。遥が帰って来るの待っていただけだしね」

 

「ああ、迷惑かけた」

 

「また何かあったら、話位は聞くよ。どこまで力になれるかは分からないから、あんまり期待しないで欲しいけど」

 

「それでも、力になってくれるだけで助かる」

 

 嘘偽りない言葉を要に投げかける。要はそれをしっかりと受け取ったまま、何も言わずその場を去っていった。見知った背中がだんだん遠く、遠くなっていく。

 それを見送って場に静寂が生まれたところで、俺はずっとこっちに飛んできている視線の主に声をやった。

 

「コソコソせず出てきたらどうだよ。・・・もう、誰もいないんだし」

 

「やっぱり、気づかれてたんだ」

 

「当たり前だろ。目が見えなくなった時にさんざん鍛えたからな。姿が見えなくても、大体どこにいるか分かるんだよ、今は」

 

 大きなため息と一緒に、俺の家の影のほうから美海が身を出した。目元はまだ少し腫れている。傷を負ったのは美海もそうなのだろう。

 

「いつから聞いてた?」

 

「遥が帰ってきて、少ししてから。・・・遥の今の思いも、ちゃんと聞いた」

 

「そっか」

 

 それを咎めることも、追及することもしない。自分のことを話されているんだ。気になったって仕方のない事だろう。

 それよりも、せっかく美海がここにいるんだ。さっきのことをちゃんと話しておきたい。

 

 しかしそれを尋ねるより早く美海が声を挙げた。

 

「遥、怒ってる?」

 

「なんでそう思った?」

 

「私が・・・千夏ちゃんに沢山酷い事言ったから」

 

 美海は、俺が千夏と会ってきたことを知っているのだろうか。・・・いや、知らなくても美海は自分から罪を認める子だ。この際関係ないだろう。

 

「・・・怒ることはしない。美海の気持ちだって理解できるんだ。いくら優しい人間だって言っても、憎いだとか、不満だとか、そんな気持ちは生まれるに決まってる。たまたまそれが言葉として出てきただけの事だろ。・・・もちろん、言い過ぎの言葉の連続を肯定するわけにもいかないけどな」

 

「そう、だよね・・・」

 

「けど、千夏にも非はある。・・・あいつ、自分の行ってきたことを全部『罪』だって言いきってるんだ。そんなこと、俺はもう気にしてないって言うのに・・・」

 

 その言葉に聞く耳を持たないとなると、そこから先はいよいよあいつの非だ。自分自身で乗り越えないとなんの意味もない。

 もちろん、乗り越えるために誰かの力を借りることは悪くない。けれど今のあいつはそれすらしようとしていないんだ。それじゃダメだって、分かってるだろ。

 

 しかしそんな俺の言葉を美海は否定する。

 

「そうなったの、私のせいだよ? 私が、遥のこと殺しかけたくせに、って言っちゃったから・・・」

 

「いや、だとしてもだよ。悪いのは全部自分だって決めつけてる。あの様子は昔の俺を見ているみたいでさ、・・・受け入れたく、ないんだよ」

 

 そう考えると今の俺は開き直る術を手に入れたのだろう。昔光に言われたように。

 罪悪感に潰されても、何もいいことなどない。周りの人間だって、罪よりも功を見ているほうが多いってことに気が付くべきなんだ。

 

「そっか・・・」

 

 美海は少し黙り込む。それから、小さく握りこぶしを作って、震えながら俺に少し大きな声で意思表明を始めた。

 

「こんな悪い子だけど、私はこれからも遥のそばにいたい。・・・ダメ、かな?」

 

「別に悪い子でもなんでもねえよ。友達との喧嘩なんて誰にでもあるだろ。俺が何回光に、要に、ちさきに当たってきたことか。そんなことでお前を嫌いになるような人間を、お前はずっと好きでいてくれたのかよ?」

 

 美海はぶんぶんと首を横に振る。

 

「美海はただ、自分の友情より俺への思いを選んでくれたんだ。・・・それは複雑だけど嬉しいことだし、俺はちゃんと答えたい。だからもう、自分に罪悪感なんて抱くなよ。な?」

 

 俺は美海のほうに歩み寄って、頭を撫でようと手を伸ばそうとする。

 しかし俯いたままの美海はその手を弱い力で払いのけた。想像もしていなかったその行動に、俺は思わず絶句する。

 

「・・・え?」

 

「ダメ・・・。もう子供みたいに、頭を撫でないで」

 

 それから美海は、ポロポロと涙を零しながら思いの丈を告げた。

 

「私のことをちゃんと思ってくれてるなら・・・、抱きしめてよ。・・・軽くでいい。ほんの少しだけでいいから。・・・私が千夏ちゃんへの思いを断ち切ってまでこの道を選んだ証にさせて」

 

 その言葉で俺はハッとさせられる。

 自分の本心を口にしたとは言え、千夏との関係にヒビが入ってしまったのは美海にとっては大きなショックだったこと。

 引き返せないところまで来てしまったことにダメージを感じているのだろう。その見返りが欲しいと、美海は強請った。

 

 ・・・なら、俺に出来ることは一つだけだ。

 

 俺は腰を落として、美海の頭を自分の肩の方に抱き寄せた。

 まだその思いにちゃんと答えられていない俺に全身を使った抱擁は出来ないけれど、今持てる最大限の行動で美海の傷を癒そう。

 

「・・・好きだよ、遥。・・・ごめんね、千夏ちゃん・・・」

 

 美海は俺の肩に顔を埋めて、小さくすすり泣いた。冷静になってから、より自分の言葉に嫌気がさしたのだろう。

 二人をこんな目に合わせてしまった自分に腹が立つ。・・・でも、だからといってどうすることだって出来ない。傷つきながら選択する道を選んでしまったのは、俺も一緒だ。

 

 だから今は精一杯傷を癒す。目の前の美海の傷を、そして俺の、悲鳴を上げている心の奥底の傷を。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 行き詰まり、ですかね。
 美海、千夏は自分の親友だった相手との仲を断ち切ってまで遥を選ぼうとしていることになりますし、遥は選ばれることから逃げていないために誰かを傷つけてしまうことになる未来が確定している。つまりまあ、逃げ道がないってことです。おかしいな・・・この作品作ろうってなった時、こんなこと考えてたっけ・・・?

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百六十六話 決別

~千夏side~

 

 気が付けば私は家に帰っていた。あれだけ無気力でいたというのに生存本能というものはすごいもので、いるべき場所へと身体が勝手に動いていた。

 家には二人ともいた。当然、泣きはらして酷い顔をしている私を心配しない二人ではない。何度も「何があったか」と問われた。

 

 けど私は、何も言えなかった。今の二人にこれを話したところで何になるというのだろう。そんなことばかり思って、小さく「何でもない」と呟くしかなかった。

 

 それから一日が過ぎる。

 また一日が過ぎる。

 

 明らかに気力を失くした私を見る周りの視線が痛かった。誰が何を言い出すのか不安で仕方がなかった。あの話はどこまで広がっているのだろう。そう思うだけで、今生きていることがたまらなく嫌だった。

 

 そうしてあの日から三日が過ぎた。周りの視線が怖くなっている中で週末を迎えたのは不幸中の幸いだった。

 部屋の隅で、膝を抱えてボーっとする。本来ならこの日は遥くんが来てくれるというのに、例の宣言の手前、お母さんに見送りの連絡が入っていたみたいだ。それほどまでに、向こうが本気だってことを知る。

 

「だからって・・・会いに行けないよ・・・」

 

 あの日から、遥くんも心の底では私に恨みがあるんじゃないかと疑って仕方がない。本人が否定していても、私が傷つけた事実が変わらないせいで、永遠にその疑いは続く。

 

 その時、私の部屋の扉をノックする音が響いた。遅れて声もやって来る。

 

「千夏、ちょっといいかな?」

 

「・・・お母さん」

 

 私は反射で戸を開けてしまった。けど、それが本心という事だろう。どこまで言えるか分からないけど、ちゃんと話してみることにする。

 せめて二人だけは、私の味方であってほしかったから。

 

「最近、大変なことがあったんでしょ?」

 

「うん。・・・美海ちゃんと酷い言い合いになった」

 

「やっぱりね・・・。伝えきれる範囲でいいから、教えてくれる?」

 

 私は一度うんと頷いて、途切れ途切れの小さな言葉でお母さんに説明を始めた。

 私が美海ちゃんに酷いくらい嫉妬していたこと、それがエスカレートしたせいで言い合いになったこと。トドメと言わんばかりに私の罪を追及されたこと。

 全部が正しいせいで、何も言い返せなかったこと。

 

 その全てをお母さんは何も言わずにただ頷いて最後まで聞いてくれた。そして私が言い終えたところで、ようやく話し始める。

 

「殺しかけた、ね・・・。確かにあの時の遥君は相当やつれていたと思う。一週間くらい潮留さんの家にお世話になっててこっちに帰ってきたんだけど、その時ですらまだ苦しそうな表情をしてたよ」

 

「やっぱり、そうなんだね・・・」

 

「でもさ、それって千夏の罪なの?」

 

「だってそうなったのは、私が昔、中途半端に遥くんに思いを伝えて、揺さぶってしまったからなんだよ? そのせいで冬眠することにもなった。記憶も無くすことになった。原点は結局私に帰ってくるの」

 

 言えば、全ての歯車を狂わせてしまったことが私の罪。それでいて好きでいようなんて言えた話じゃない。

 けど、お母さんはそれを認めなかった。

 

「どうしていいか分からないで犯してしまった、たった一度のミス。・・・千夏はそれで、残りの人生の全てを諦めるの?」

 

「それは・・・」

 

「それは違うよ。小さなミスを罪とするなら、誰だって罪を抱えて生きてる。私だって海を捨ててこの街へ来たんだもの。それだって、立派な罪になるの。一生消えない、一生かけて償わないといけない罪。・・・でも、幸せになることは諦めたくなかった。だからあなたが生まれたのよ、千夏」

 

 お母さんは、私の基準に合わせて自分の生きてきた道を罪だといった。

 海を捨てる行為。それでお母さんが失ったものはたくさんあっただろう。それこそ、一つの人間関係どころじゃない。

 

「お母さんが言いたいのはね、千夏が罪だと思っていることは罪じゃないし、それを罪だって捉えるならみんな抱えているってこと。どっちに捉えて貰ってもいい。ただ、千夏がこれまで生きてきたことは間違いじゃないって私は信じてる。・・・そして千夏にも、信じて欲しいの」

 

「お母さん・・・私は・・・」

 

 ふらふらと肩に顔を預ける。涙は流れないけど、体は震えた。

 

「・・・やっぱり、何も諦めたくないよ」

 

「ちゃんと言えるじゃない。・・・それで? 何を諦めたくないの?」

 

「遥くんが好きだから・・・ちゃんと思いの丈を全部ぶつけたい。もう美海ちゃんに許されなくてもいいから・・・せめて好きな人にだけは、好きでいて貰いたいよ」

 

「うん。・・・とってもいいと思う」

 

 罪を乗り越えられる自信はない。だけどようやく、今の自分がどうしたいかを言葉にすることが出来た。

 

「きっと遥君だって、私と同じことを言ったんじゃないかな?」

 

「・・・あ」

 

 そうだ。ずっと言ってた。「俺は何も罪だと思っていない」と。

 私は、それを信じきることが出来なかった。

 それに、信じたとしても私が自分で自分を許せないと意地を張っていた。・・・また、意地張って失望させてしまったんだ。

 

「・・・ずっと、逃げてたんだ」

 

「そうだね。ずっと逃げてた。でも、まだ間に合うでしょ? 遥君はきっと、千夏に居場所を与えてくれている。そうでしょ?」

 

 これもその通り。

 私が前を向くことが出来たなら、俺の家に来てほしいと言ってくれた。居場所を提示してくれた。

 だから後は・・・私が私をどう許すかだけ、なんだ。

 

 もちろん、すぐには許せないだろう。二回も遥くんの命を危険にさらしたことは事実として未来永劫残り続ける。

 けど、美海ちゃんへの遠慮の思いさえ断ち切れば、私は持てる残りの人生の全てをその償いに充てることが出来る。そうすることが私の幸せにもなる。

 

 どちらか捨てないといけないのは苦しいけど・・・私は、「一番好きな人」へ償うことを優先したい。

 

 だから・・・ごめんね、美海ちゃん。

 私はもう、昔の私じゃいられないの。

 

 どこまでも嫌ってくれていい。罵ってくれていい。

 それでも私は、美海ちゃんの定義した罪を、自分なりに償う。そうするだけのチャンスをくれた彼に、精一杯の気持ちで答える。

 

 遥くんのために、私は「選ぶ」、傲慢な女の子になるよ。

 それで沢山のものを失ったとしても、それが私の罪だとしても。

 

 罪を抱えて幸せになれることを証明してくれた人が私の周りにはいる。だから私もそうなるの。そうなりたいの。

 

 前向きになると同時に、心が乾いていく。

 自分がどんどんエゴに体を支配されている感覚が訪れてくる。けど、それを私は今それを望んでいる。

 ・・・いい子であることだけが、幸せになれる条件じゃないから。

 

「・・・お母さん、ごめんなさい」

 

「どうしたの?」

 

「私は多分、これまでのような『いい子』じゃなくなってしまうかもしれない。エゴのために生きて、それをどうにか叶えようとする悪い子になるかもしれない。だから、先に謝っておくね」

 

「謝る必要なんてないわよ。・・・だってあなたは、昔の私そのものなんだから」

 

「え・・・?」

 

「・・・私も、好きな男のために海を捨てた女だしね。十分にエゴに生きてきたよ。千夏にお母さんとしてだらしないところは見せたくなかったから頑張ってきた。けど、結局私も愛のためにエゴのために生きてきた一人の女。あなたはそんな私の娘なの。・・・これまでいい子であろうとしたのはきっと、お父さんの影響なのかもね」

 

「お母さん・・・」

 

 母親という存在はこんなにも逞しく、自分の理解者であってくれる。血の繋がりというものはつくづく恐ろしい。

 だから私は、全部を打ち明けられた。自分の中に流れている血に感謝する。

 

 

 大きく息を吸い込んで、両手で頬を叩き、音を鳴らす。

 決めた。私は過去と決別する。今度こそ、もう間違えない。

 

 

 私は愛に生きた水瀬夏帆の娘。同じことだって出来るはず。

 

 それを刻むために、一つだけやっておきたいことがある。

 

「ありがと、お母さん。・・・早速だけど、ちょっと行きたいところがあるの。今から出かけていいかな?」

 

「遥くんのところ?」

 

「ううん、まだあそこにはいかない。その前に、ちゃんと片付けておくべきことがあるから」

 

「そう。暗くならないうちにね」

 

「そんなかからないよ」

 

 お母さんはそれ以上深く尋ねずに、私の行動をただ見守ってくれた。

 準備を颯爽と終えて、冬が終わりかけている街へ繰り出す。

 

---

 

 私が向かったのは、行き馴染んだ床屋。

 最後に髪を切ったのはいつだろう。ここ最近はずっと伸ばす事に専念してたから、髪を切るなんてことはほとんどしなかった。

 

 私のこの髪を最初に褒めてくれたのは美海ちゃんだった。小さい時から「長いほうが似合ってる」、「可愛い」って何度も言ってくれた。

 だから私は今日の今日までこの姿でいた。

 

 ・・・けど、それも今日で終わり。もう後戻りが出来ないように、思いを断ち切るために、私は形見であったこの長い髪を捨てる。

 

 これが、私の覚悟だから。

 

 

 

 店内に、チャキリ、という音が響き始める。

 その一太刀一太刀で、私は長年の思いと決別する。もう二度と振り向く事をしないために。




『今日の座談会コーナー』

 痴話げんかから始まった修羅場もようやく一旦終わりですかね・・・。これ二三話で終わるはずないでしょうに。と思ったりしちゃいますね。
 前作と比較して思うところが、夏帆さんの人間らしい部分を強調しているように思うんですよね、今作。前作はまさに「聖母」みたいな感じだったのが、今作では、エゴに生きた一人の人間、のように描いているので。でないと、海出身という設定の意味がなくなっちゃいますから。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百六十七話 扉、開かれて

~遥side~

 

 あれから三日経ち、週末となった。宣言通り水瀬家にも顔を出していないし、美海もうちに遊びに来ていない。退屈で寂しい、物足りない日々が続いた。

 昔は一人でいることがなんら苦でもなかったのに、今となってはこの時間がたまらなく心苦しい。

 

 漁の手伝いに行っても、バイトをしていても、満たされない心がある。それはどうやって埋めることが出来るのか、俺はもう答えを知っていた。

 だからこそ、今は待つしかない。そうして俺は意地を張って、また一日を終えた。

 

 そして次の日、その時は来た。

 家で掃除に励んでいる午前十時、俺の家の呼び鈴があった。ドアの前に立っていた存在に、俺は小さく歓喜した。・・・それと同時に、動揺も。

 

「千夏、お前っ・・・!?」

 

「どう? 驚いた?」

 

 千夏は普段と違わぬ風を装い、おどけて笑って見せた。それだけで、自分の傷と向きあい、前に踏み出すことが出来たのだろうと安心する。

 それにしても、こんなに髪をばっさり断ち切るとは思ってもいなかった。美海ほどではないが、千夏も十分長く、そして美しい髪をしていた。それを断ち切ることには、それほどの覚悟があったのだろう。

 

「似合わない、かな・・・? こんなに短くしたし」

 

「ああ、いや・・・。普通に驚いてた。こんなに髪を短くしたお前を見たことなんてなかったから」

 

「もっと小さかった頃は結構短かったんだけどね。この髪を褒められてから、長いこと切ってなかったの」

 

 その一言だけで、千夏の美しい髪を褒めていたのが誰なのか理解する。その人への思いを断ち切るために、意を決して髪を切ったのだろう。

 

 ただ・・・そんな背景を抜きにしても。

 

「似合ってるよ。正直すごい新鮮で言葉が出なかったけど、そう思う」

 

「そっか。・・・えへへ、そっか」

 

 千夏は口元を緩めて、心からそれを喜んでいた。その無邪気な様子に、たちまち俺の心は思いもよらぬ高揚を見せていた。

 ずっと同じ屋根の下で過ごしていた。もう、ときめく事なんてないと思っていたのにな。

 

 けれど、そんな与太話ばかりしているわけにはいかない。千夏がここに来たという事は、ちゃんと約束を果たさないと筋が通らないから。

 そのためには立ち話もなんだろう、と俺は部屋に通した。千夏が椅子に座ったところで、俺は一度頭を下げる。

 

「色々言って、悪かった」

 

「ん? 何が?」

 

「何って・・・。傷ついてるお前に追い打ち掛けるようなこと沢山言っただろ。挙句の果てには最後に突き放して。あれは俺の非だろ、どうみても」

 

「んー・・・、けど言ってることは正しかったし、なんだかんだこうやって帰る場所を残してくれてたし、謝られるようなことは何一つないよ。だからさ、もうこの話、やめよ?」

 

 切り替えが早いのはいい事か悪いことか・・・。

 けれど、今の千夏の様子を見るに、特別心配することはなさそうだった。そこに安堵して、俺はこれまで通りの口調で会話を続ける。

 

「まあ、それならいいんだけどさ・・・。今日は何か目的でもあって来たのか?」

 

「ううん? 特に何も。ただ、会いたかったから来たの。今の私を見て欲しかったから来た。だから、用事という用事は終わってるよ」

 

「そうか」

 

「でも、帰らない。帰ってあげない」

 

 いたずらっぽく千夏は笑う。

 ここまですぐに本調子に復帰するとは思ってなかったな・・・。

 

 そんなことを思っていると、浮かべていたいたずらっぽい笑みはすぐに消えた。それからこの間のような神妙な顔つきで、意を語る。

 

「・・・あのね、遥くん。さんざんはぐらかしてきたけど、聞いてほしいことがあるの」

 

「ああ、ちゃんと聞くよ」

 

「うん。・・・やっぱりね、私はもう美海ちゃんとは友達でいられない。・・・もちろん、大好きだったよ。大切な人。だけどそれ以上に私は遥くんのことが好きだから。諦めないために、思いをちゃんと断ち切った」

 

「ああ、分かってるよ。長かった髪を褒めてくれてたのも美海だったんだろ?」

 

 問いかけに千夏は頷く。

 

「だから、嬉しかった。短くした髪を真っ先に褒めてくれたこと。それだけで、今の私は報われるから」

 

「ああ。何回でも言ってやるよ。それほどまでに似合ってるんだから」

 

「ありがと」

 

 それからまた小さく千夏は笑って、俺にしっかりと目を合わせた。

 俺の視線を釘付けにしながら、思いを語り続ける。

 

「・・・これからもっと、私は遥くんのことを困らせると思う。遠慮したくない。言いたいことは全部いいたい。いいよね?」

 

「ああ。それに応えられるかどうかは分からないけど、それで嫌いにはならない」

 

 ここまで言われると、何を言われるか怖くなる。

 きっとこれまでも、千夏は遠慮して何も言わないなんてことはしょっちゅうあったことだろう。それが全部垂れ流しになるという訳だ。予測なんてできはしない。

 

 けど絶対に、そっちのほうがいいに決まっている。

 

「ありがと。・・・まあでも、さっそく全開でいくわけにはいかないからね。せっかくいい雰囲気なんだから台無しにはしたくないし」

 

「そっか。・・・で、今日、これからどうするんだ?」

 

「あー・・・折角だし、昼食を頂きたいのですが」

 

「了解。冷蔵庫の中にあるものでしか作れないけどいいか?」

 

「あ、それなら私作っていい? 無計画に作るの結構好きだから」

 

 俺が頷くと、千夏は躊躇うことなくキッチンのほうに向かっていた。それから冷蔵庫に棚に物色を始める。

 何か思うところがあったのか、「はー」と息を吐いて独り言をぼやいた。

 

「独り暮らしの冷蔵庫ってこんな感じなんだね。ずっと実家の冷蔵庫しか見てこなかったから、なんか違和感」

 

「昔はもっと大きい冷蔵庫もあったけどな。流石に年季入ってたし、今は俺しか使ってないしで去年くらいに買い替えたんだよ。海への搬入、あんなに大変だったなんて思わなかったぞ」

 

 そんなことを海の大人連中は平然とやってのけているという訳だ。改めて海村はすごいものだと感心させられる。

 そして千夏は一通り巡ったのか、俺の方に戻ってきて献立を宣言した。

 

「チキンライスでいかがでしょうか?」

 

「いいけど・・・鶏肉なんてあったっけ?」

 

「ないからツナ缶で代用です」

 

「なるほど、賢い」

 

 あったらあったで便利ではあるが、料理に使うとなるとツナ缶は使用用途が限られやすい。俺にはない発想で千夏は厨房に立った。

 

 ・・・これだよ。ここ最近の物足りなさを埋める術は。

 

 別に料理に限った話ではない。ただ、誰かと一緒にいるだけで、同じ時間を過ごすだけで俺の中になかった考えと言葉をくれる。その刺激が、人生の物足りなさを埋めてくれるんだ。

 だから愛に、恋に飢えているのだと再確認する。

 

 この家であっても、千夏の家であっても二人の距離感は変わらない。・・・いや、今の方が少しだけ近いのかもしれないな。

 そんなこの距離がずっと続けばいいのにと願う。それが、契りを交わしても変わらないものであってほしいと願う。

 

 

 トントン、カンカンとフライパンの音が響く。俺は机に伏せて目を閉じ、ただその音と鼻腔をつく香り、どこまでも居心地のいい空間を楽しんだ。

 

---

 

~千夏side~

 

 本当はなんて言われるか分からなくて怖かった。精一杯虚勢で繕って、これまで通りの私でいようと踏ん張ろうとしていた。

 でも、その氷は次第に溶けていく。私以上にこれまで通りだったのは遥くんのほうだったから。

 

 そして、決意を込めたこの髪を褒めてくれた。それがまたたまらなく嬉しくて、飛び上がりそうになる。

 改めて、遥くんは私の罪を否定した。私の中の意識があとどれくらいして変わるかは分からないけど、遥くんがそう思っているなら、いいってことに今はしよう。

 

 

 

 償うことが、報いることが私の幸せ。・・・それだけでいいの。それがいいの。




『今日の座談会コーナー』

 ここからまた当分の間日常会が展開されていくことになると思います。毎回シリアスなシーンばっかり書いてたら作品の雰囲気暗くなってしまうので。・・・まあ、定期的に暗雲ってくらい雰囲気暗くなっていますが。はてさて、この新章は二百話までに終わるのでしょうか。とっくに前作の二倍の文量書いていますがまだ終わる気配がないですからね。どうしたものか・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百六十八話 かつての傷は

~遥side~

 

 変わってしまった日常に慣れつつある、三月の中旬。この街に帰ってきて随分と経ったような気がする。

 病院でのバイトも紡の量の手伝いもだいぶ生活に染みてきて、だんだんとこの街に帰ってきた実感が湧いてきた。やっぱり俺はこの街が好きだし、この街で生きていきたいと思う。帰ってきたことは間違いではなかったようだ。

 

 そして今日もバイトに向かう。淡々と事務の仕事をこなして時刻は13時。割り当てられた休憩の時間がやって来る。

 大吾先生のところにでも、と思ったが入れ違いで診察が入っているようで、仕方なく俺は屋上へと向かった。そこが一番落ち着ける場所だった。

 

「・・・ふう」

 

 まさか働く立場でこの病院の屋上に来ることになるとは思ってもみなかっただろう。人生というものはなかなか読めないものだ。

 植えられた観葉植物の隣にあるベンチに腰掛け、自作の弁当を広げていると屋上の扉が開いた。ちさきだ。

 

「あれ、ちさきも休憩この時間なのか」

 

「うん。今日昼勤だから。・・・それ、自分で作ったの?」

 

「ああ。冷蔵庫の食材余らせるの嫌だからな。弁当は自分で作るようにしている」

 

「器用だよね、ほんと。私ももっと上達したいなぁ・・・」

 

 とは言うが、陸に上がってから生きるために人一倍努力したちさきの料理の腕というのも大したものだ。それこそ、俺なんかに全然引けを取らないだろう。看護の観点から栄養の勉強もしてるのだから、尚更。

 

「隣、いい?」

 

「嫌って言う方がバカだろ。一人でいるより誰かいてくれた方がいいに決まってる」

 

「そっか。じゃ、遠慮なく」

 

 それからちさきは人1人分の間隔を開けて俺の隣に座る。風呂敷を広げて、両手を合わせ、いただきますと唱えて食事を始めた。

 それから無言が二分くらい。先に口を開いたのはちさきのほうだった。

 

「あれから、どう?」

 

「思い当たる節が多すぎてなんとも・・・。全部答えていく感じか?」

 

「そうしてくれると余計な質問いらなくてすむかな」

 

 俺はため息をついて、一つ一つ心境を語っていくことにした。

 

「仕事だけど、候補は絞ったんだ。この病院のカウンセリング科に行くか、海で働くか。千夏が言うには海の教職人手が足りないらしくてな。向こうで勉強してたのもあるし、全然候補なんだ」

 

「そっか、先生か。説教垂れるの好きだったもんね」

 

「おい、言い方ってもんがあるだろ」

 

 俺の反論に対して、ちさきはクスッと笑う。こういう冗談を随分と上手に言えるようになったもんだ。

 気を取り直して、俺は続ける。

 

「正直、どっちもやりがいはあると思う。俺のやりたいことかと言われれば嘘じゃない。ただ、どっちで働くかによって生活が大きく変わるのは事実だからな。海で働くなら海で、陸で働くなら陸で生きることになると思う」

 

「そうだよね。私だってそのために紡のところに住んでるんだから」

 

 それだけじゃないだろ、という突っ込みは野暮なのでしないことにする。

 

「で、もう一つの問題の方だよな。多分ちさきが聞きたがってたの」

 

「嫌ならいいんだよ? なんかいい噂聞かないし」

 

「どこから漏れたんだよその噂・・・」

 

 でも、怒鳴りあいとかになってしまったのなら気づいた人はそれなりにいるだろう。何も要だけが目撃者ではないはずだ。

 仕方がない、と割り切って、ちさきを信用して現状をちゃんと言葉にする。

 

「結論から言うと、俺たちの関係は完全に壊れてしまってる。・・・特に、二人の仲が最悪なことになってる。俺のせいで」

 

「なるほど・・・。ま、取り合いしている相手と仲良くなんて出来ないよね。私はすぐに諦めたからよかったけど、本当に未練だらけだったら千夏ちゃんと仲良くできなかったかもしれないし」

 

「自分の過去をえらくさっぱり割り切るんだな」

 

「だってもう過去のことだし。というか当事者がそれ言う?」

 

「確かにな」

 

 お互い、今はそれぞれの関係が出来上がっているが、もとはと言えば俺にいの一番に告白をしかけてきたのはちさきだった。随分とみっともない格好で振ってしまった苦い思い出がよみがえる。

 けれどそれをちさきは気にしていないようだった。だからこそ今もこうして「友達」として接していられる。

 

「・・・なあ、ちさき。今から少し酷いことを言っていいか?」

 

「うん、いいよ。聞いてダメなら叱ってあげる」

 

「ああ。・・・美海と千夏が疎遠になった分もあって、接するの少し気が楽になったんだよ。どっちかと接してるとき、ずっともう片方の気持ちが気になってたんだ。どう思ってるのか、妬んでいるのか。・・・けど二人はそれを形にした」

 

「だから、傷つけることに遠慮しなくてよくなった、って言いたいの?」

 

「有体に言えばそうなる。・・・どうせ傷つけることになるなら躊躇はしたくないんだよ。躊躇すれば、傷はもっとでかくなってしまう」

 

 中途半端に接されることで向こうも傷つくだろう。そして常に二人の関係のことを思い続けないといけない分、多分俺も摩耗してしまう。

 だから今は、目の前にいるどちらかとの時間に注力できる。それだけ抜き取ればメリットでしかなかった。

 

「最低なこと言ってるのは分かってるんだよ。結局それはどちらかを誑かしていることになるんだから。その罪は多分一生かけても償えないと思う。人生を歪めてしまうことになるんだからな」

 

「でも、その道を選んだ。そして進む気でいるんでしょ?」

 

「進むよ。今の俺にはそれしか出来ない」

 

 二人を拒絶し遠ざけたら傷つく人間は山ほどいるだろう。なあなあの関係をずっと続けていても二人を、ゆくゆくは周囲の人を傷つけてしまう。明確に誰かを傷つけることになる方が犠牲が少ないというのはなんとも皮肉な話だ。

 けれどそれは義務ではない。二人から愛を向けられているからではない。俺もそうしたいと望んでいるからだ。・・・義務ならとっくに全て拒絶している。

 

 目を逸らさず前を向き、理解し、歩き出そうとしている。あとは決断するだけなんだ。

 

「・・・まあ、仕方がないよね。こういう状況になってしまった以上、そう思うのが普通だと思う。多分私なら逃げ回っちゃうだろうけど」

 

「ああ、逃げ出したいと思うことは結構あったよ。また『愛』の感情に振り回されているんだって思ってる。しかも選択の最中は答えが分からない。難しいもんだよ」

 

「でも、成長したよね」

 

「ああ、そう思うよ」

 

 ここまで来たのは確かな進歩だ。全てに向き合って、痛みを知り、克服し、歩き続けて来た。だから今、昔感じたような鋭い痛みが胸を刺すことはない。痛みを受け入れる術をもう知っているから。

 

「・・・じゃあ、全てを聞いた私の感想、いいかな?」

 

「覚悟して聞きます」

 

「・・・後悔だけはしないでね。もちろん、どっちかを選ぶことで、あり得たはずのもう片方との幸せが無くなっちゃうわけだから、後悔はするだろうけど・・・。その後悔を超えるだけの幸せを手に入れてね。・・・友達として、幼馴染として、私はそれだけ願ってる」

 

「ああ。しかと受け止めるよ」

 

「あと、選んだ道にちゃんと責任を持つこと。選んだあとは絶対に迷っちゃダメ。私がもし選ばれなかった立場の人間だとしたら、迷われるのは嫌だから。未練だけは見せちゃだめだよ」

 

「分かった。そこは強がってでもやり通すよ」

 

 やっぱり、渦中にいない女子の意見は為になる。忖度なく、自分がそうだったらどう思うかを教えてくれる。・・・それが昔、俺に好意を抱いていた人間だったら尚更。

 

 だからこそ、その言葉は自然と放たれる。

 

「・・・ありがとな、ちさき」

 

「ううん、いいの。言葉はいらないから、ちゃんと行動で証明してね。それが私が好きだった遥って存在だから」

 

「もちろん」

 

 それがかつての思いに報いることになるなら、俺は迷わずそうする。

 かつてはすれ違いそうになった仲。今は互いの幸せを願える仲。

 

 壊れかけてもいつかは癒え、もとに戻るものだってあると教えてくれている。

 

 

 

 二人にもそうなって欲しいと願うのは・・・やっぱり傲慢だろうか。

 




『今日の座談会コーナー』

 閑話休題。本日はちさきとの一コマでした。といっても恋愛事情に関しては第一部の方で一枚噛んでいたので無関係の立場ではないですけどね、ちさき。
 さて本編の話ですが、傷つける相手をちゃんと決める、ということが一番マシってケースはよくあることではないかなって思います。煮え切らない態度を続けることで幸せになるケースってなんか少ないような気がするんですよね。二者択一、シュレディンガーの猫・・・。世の中の二択は常にハードモードです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百六十九話 あなたがいない世界では

~美海side~

 

 なんてことないただの平日が今日も過ぎていく。

 袂を分かって以降は雰囲気が少し変わっただけで、特に大きな変化もなく日々は過ぎていった。

 ・・・ただ、千夏ちゃんはばっさりと髪を切った。私が、前の千夏ちゃんの姿が好きだと言ったことをちゃんと覚えていたのだろう。その断髪からはとてつもない気迫を感じて、少し気が引けてしまう。

 

 だけど、それがなんだというのだろうか。どうせ元には戻れない。今更そんなことを気にしたって・・・どうにもならない。

 

 そうしたモヤモヤを抱えながら夜を迎える。一人部屋でボーっとしていると家のインターホンが鳴った。こんな時間に客人なんて珍しいケースだ。

 

「私が出るね」

 

 顔をのぞかせたパパを差し置いて私が玄関の扉を開ける。そこには、かつてこの家で一緒に暮らしていた人物が立っていた。ただ、こうやって顔を合わせるのがあまりにも珍しすぎて、私は声を挙げてしまう。

 

「光?」

 

「よっ、遊びに来た。・・・つーか、親父と喧嘩したから今日はこっちに泊まることにした。んなわけでよろしく」

 

「ちょっと、急すぎでしょ・・・」

 

 といっても、この急さが光の特徴と言っても過言じゃない。気分で動いては反省するの繰り返し。多分これは病気みたいなもので、一生治らないのだろう。

 久しぶりの光にパパと晃が嬉しそうにしてるのが厄介だ。男性陣と女性陣じゃ反応がまるで違う。

 

 お母さんもまた、私と似たような反応だった。

 

「まー、こっち来るのはいいんだけどさぁ・・・。何しでかして喧嘩したのホント」

 

「別に大したことじゃねえよ。絶対見たいテレビあったのに親父の奴チャンネル権よこそうともしないで・・・」

 

「昔からそんな感じの人だったでしょお父さん」

 

 本当にくだらない理由にお母さんは落胆のため息を吐く。私は呆れて笑うしかなかった。

 けど、拒んでいるわけじゃない。たまにはこういう日だってあっていい、と私は頷いて光を家に上げた。こうしていると二年前の毎日を思い出す。

 

 なんだかんだ私はあの日々が好きだったのだと小さく笑った。

 

---

 

 光が来て散々遊んだのもあって、晃はいつもより早い時間に眠ってしまった。起こさないように私は縁側に移動して、ボーっと月を眺める。

 その隣に何も言わずに座ったのは、やっぱり光だった。

 

「なんか、大変なことになっちまってるよな、お前ら」

 

「まあ・・・あれだけ冷戦状態になってたらみんな気が付くよね」

 

「というかあの喧嘩のこと、だいぶ噂になってるぞ。大声で喧嘩なんてするもんじゃねえよ。みんなおしゃべり過ぎてすぐに噂になって広まっちまう」

 

 なんて言われても、本当に激昂してたのだから仕方がない。私はあの日、多分人生市場一番声を張り上げて誰かに怒りをぶつけた。同じくらいの怒りをぶつけることなど今後の人生そうないだろう。

 私は苦し紛れの反論をする。

 

「光だって昔そんな感じだったでしょ」

 

「だから言ってんだよ。ホント、何の得にもならないんだよな、ああいう行動って。ガキの頃散々やって来たから、今になって理解してんだよ」

 

「・・・本当、光って成長したよね」

 

「成長期真っ最中だからな。背丈だけじゃなくてちゃんと心から成長しようって思ってんだよ、俺も。・・・じゃないと、まなかにまっすぐ向き合える気がしねえ」

 

 光は綺麗な指をした手のひらを月の方に向けて、そう呟いた。

 

「あいつの言ってること、時々分かんなくなるし、イライラすることもあるけど、それもちゃんと受け止めたいんだよ、今は。気に入らないものをただ拒絶して怒り散らかすなんてことだけはしたくない」

 

「光・・・」

 

「なんて、お前はずっとそれが出来てたけどな。ずっと遥のこと追ってきて、遥の言葉と思い、全部受け止めて。・・・あいつ、すげえ抱えまくるからな。同じ量のものをぶつけられてよく壊れねえよな、お前も」

 

 そんなこと、意識したことなかった。

 ただ、一緒にいたいと、分かって欲しいと願っていただけの日々だったから。けど・・・周りからみた私って、そうなんだ。

 

 いかに自分が自分と遥の視点しか知らなかったのかを思わされる。

 

「嫌じゃないもん。・・・嫌になってたら、今頃こんな苦しい事にはなってない。私の人生には遥しかいないの」

 

「どんだけあいつのこと好きなんだよお前は・・・」

 

 さすがの光も引いてしまうくらいには私の愛は強いらしい。けど、誰かの視点を経てそれが証明されるのは悪い気分ではなかった。

 

「別にあいつのこと好きなのは構わねえし、俺は応援してえよ。・・・けど、一つ言っとかないといけないことがある」

 

「何?」

 

「遥だけを生きる理由にするなよ。・・・絶対、どこか別の所に自分の生きる意味は必要なんだよ。じゃないと、崩れた時に立ち直れなくなる。一時俺もまなかだけが生きがいみたいになってたからな。その気持ちはよくわかる」

 

 どこまでも真剣な目をした光の言葉に私は反論出来なかった。

 冷静になって自分を見つめてみると、いかに視野の狭い人間になってしまっているかを思わされる。私が将来何をしたいかだって、結局は遥に由来している。

 

 ・・・千夏ちゃんは、違うんだろうな。

 

 元から海が好きで、海で生きたいと言っていた子だ。それは遥がいようとも、いまいとも。・・・そこだけは多分、私に足りてない。

 

「・・・遥がいない世界の私は、何をしてたんだろうね」

 

「さあな。けど多分、もっと面倒くさい性格してたんじゃないのか? それを矯正したのが遥なんだろ?」

 

「そうかも。・・・全部、ママが遥を助けたあの日から始まってたからね」

 

 出会い、離別、再会、膠着、前進・・・全てが懐かしい思い出。

 それを思い出すたびまた好きになる。これだけを生きがいにするなって言われても無理な話だよ。

 

 だから今は・・・遥を引き留めることだけを考えたい。

 邪念を振り切って、私はそのことを光に打ち明ける。

 

「ねえ、光。・・・やっぱり私は、遥のことしか見てられない。だから、どうしても負けたくない。・・・そのためにはさ、どうすればいいと思う?」

 

「どうすればいいって・・・それ恋愛経験が乏しい俺に聞く話か? それこそ紡とかちさきとか、さゆだっているじゃねえかよ」

 

「ううん、乏しいから聞きたいの。何を大事にしてるか、何が原動力になってるか。多分それはこれから私が通る道だから」

 

「・・・なんか散々な言われようだな、俺」

 

 光はため息を一つついて、指折り数えながら自分の心の内にある大切なことを語り始めた。

 

「まず、ちゃんと変化に気づいて褒める。・・・あいつそれだけで喜んでくれるからな。言ってるこっちも幸せになる」

 

「・・・他は?」

 

「一緒にいる毎日の時間を大切にする。・・・何も特別な何かをすることだけが『付き合う』ってことじゃないしな。俺は何気ない時間の方が大事だと思ってる」

 

 ・・・うん、分かるよ。だってそれは私が今一番大切にしたいと思ってることなんだから。

 光が言う事の一つ一つは確かに大切なことのように思う。・・・けどそれは私の欲しがった回答じゃなかった。それだけに少し残念そうな息を吐いてしまう。

 

 けれど、言葉には続きがあった。

 

「ああでも、特別な時間はやっぱり大事。・・・なんて言うんだろうな、思い出? なのかな。自分の中に焼き付いて忘れられないような場所、瞬間。そんなのが一つや二つあった方がいいと思う」

 

「思い出・・・」

 

「その瞬間を思い出すたびに幸福になれる、そんな経験。それは多分、日々の生活以外でしか得られないものもあるから」

 

 それは、今の私にはないものだった。

 ただ遥を思い続けるだけ、一緒の時間を過ごすだけ。今はそれだけでも十分だけど、形として遥から何か貰ったもの、あったっけ。

 

 改めて、自分がただ追いかけるだけの存在だったと知る。

 

 もっと見て欲しい。私を知って欲しい。・・・好きになって欲しい。

 形に残る物でもいい。一生消えることない思い出でもいい。私にしかない遥のものがあって欲しいから。

 

 ・・・そう言えば、この間デート、誘ってくれたんだっけ。

 

 あの時は否定してしまったけど、千載一遇のチャンスかもしれない。みすみす逃すなんてことはしたくないから。

 

「ありがと、すごいヒントになった気がする」

 

「そうか? ・・・それなら今日ここに来た意味があったってもんだな」

 

「え?」

 

「そうはいってもお前のこと心配でさ。学校じゃそんな余裕ないし、まなかと一緒に過ごしたい手前一緒に帰ることも出来なかったからな。こうでもしないとゆっくり話せなかったんだよ」

 

 光がそんな気遣いをしてくれているとは思いもしなかった。

 ・・・いや、騙されないよ。

 

「それもあるけど、結局は喧嘩して逃げ出した、が正解でしょ?」

 

「チッ、バレたか。まあそんな感じだよ。俺が出来るのはここまで。後は自分で頑張ってみろ」

 

「・・・うん、ありがと」

 

 その不器用な優しさに私は心から感謝をする。刺々しい性格してるけど、結局根が優しいことを知ってるからまなかさんは光を好きになったんだろう。

 

 

 

 ・・・多分私も、遥がこの世界にいなかったらきっと好きになってたかもしれない。




『今日の座談会コーナー』

 本編で好きな掛け合いの組み合わせは「美海×光」、「遥×ちさき」あたりが該当します。ほんともうストレスフリー、安らかな心で書けるシーンってのはいいですね。そしてこの作品では珍しく、本編への匂わせをやってみました。・・・うん、だって遥いなかったら美海は光に惹かれるし負けヒロインになるし・・・。何一つ嘘は書いていないんじゃよ。
 しばらくは遥&美海編かな? お楽しみに。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百七十話 彷徨える右手

~遥side~

 

 美海から「週末の時間が欲しい」という連絡を受けたのは、水瀬家に電話を掛ける三十分前の事だった。具体的に何をしたいと言われたわけでもないが、それなりの理由があるのだろう。俺は二つ返事で了承して、水瀬家へリスケジューリングの一報をいれることにした。

 

 そして迎える土曜日。朝の九時に俺の家の呼び鈴が鳴った。ドア越しには外に出かけていく気満々と言っても過言ではない支度をした美海が立っていた。

 

「おはよう、美海。こんな早くから何するつもりだったんだ?」

 

「ああ、うん。・・・この間さ、遥、言ったよね? だから、デート連れてってもらいたくて」

 

「なるほど・・・ビンゴって訳だ」

 

 直接明言されていたわけではなかったが、普段と変わらない日々を過ごすだけなら何も休日である意味がない。そんな中でわざわざ美海がこの日この時間を選んだとなると、何かちゃんと形になる目的の為としか思えない。

 

 だからちゃんと準備もしているし、その気でもいた。備えあれば憂いなしとはこのことだ。

 

「・・・また、読んでた?」

 

「まあ、ぼちぼちだな。わざわざ週末の時間が欲しいって言ってるんだ。何かしらの目的があるだろうとは思ってたよ」

 

「じゃあ、来てくれるの?」

 

「ああ。もとはと言えば話を持ち掛けたのは俺。まさか今日になるとは思ってもなかったけど、事前に空けて欲しいって連絡は貰ってるから何の問題もない。今日はとことん付き合うよ。ちょっと待ってろ」

 

 それから俺は一度部屋の方へ戻り、急ぎ身支度を済ませた。とは言えど予想できていたこともあり、大方の準備は終わっている。火の始末、貴重品の管理、荷物の整理・・・。テキパキと行って美海のもとに戻ったのは五分も経たないころだった。

 

「よし、行くか。・・・んで、どこ行くんだ?」

 

「とりあえず街まで。それからはまたそこで教える」

 

「了解。行きたい場所があるなら付き合うよ」

 

 それから俺たちは気持ち急ぎ目に駅へ向かった。本数が少ない分、一本一本に価値のある電車だ。できれば早いのに乗りたいからな。

 

 そして乗り込んだ電車は街へ向かっていく。鷲大師から離れていけばいくほど、陸特有の冷たさが覆ってくる。・・・まだ三月だってのに、少し寒いよな。

 

 

 その時一瞬だけちらついた雪があったのを俺も美海も見落としたまま、電車は街へと向かっていった。

 

---

 

 街に着いたのは十二時手前。昼時というのもあり、それなりの人でにぎわっていた。空はくっきりと晴れを描いている。

 

「ふーっ、長かったー」

 

 正直この電車はあまり好きではない。乗り心地が固いうえにスピードもない。乗っていてかったるいし、身体も凝ってしまう。

 グーっと体を伸ばして、美海の方に問いかける。

 

「で、これからどうしたいんだ?」

 

「うん。・・・ねえ、遥。一つ質問いいかな?」

 

「別にいいけど・・・どした?」

 

「遥はさ、この街からさらに向こうの景色、知ってる?」

 

「そう言えば・・・」

 

 思い返してみれば、俺はこの街と、鷲大師と、汐生鹿以外の街をほとんど知らない。ここより更に向こうに世界が広がってることなど知ってはいるが足を運ぼうと思ったことはなかった。

 だからこそ、その問いかけはあまりにも新鮮で、刺激的だった。

 

「ない、よな。興味がなかったし、エナが安定してなかったから迂闊に遠出はしたくなかったし」

 

「だよね。・・・そしてね、私の行きたい場所、そこにあるの」

 

「この街の向こうに? なんでそんなところに?」

 

「それは内緒。・・・できれば、そこには夕方ごろにつきたいなって思うんだけど」

 

 美海はあれやこれや秘匿したいようだった。俺に新鮮な気持ちで味わってほしいという計らいだろう。ならばそれを無下にすることはしない。

 内情を探ることを諦めて、俺は話を切り替えることにした。

 

「分かった。そこに行くのにはどれくらいの時間がかかるんだ?」

 

「うーんと、片道一時間半くらいかな。結構遠いところだから」

 

「そうか。ならあまりこっちでは遊べないな」

 

「そもそもそのつもりもあまりなかったしね。・・・ただ」

 

「分かってるよ。昼飯だろ? ちょうど俺も腹が減ってきたころなんだ」

 

 俺の言葉に美海は小さく首を縦に振る。

 この街に来たからには寄っておかないと行けない場所がある。あの日以来、あそこは俺の行きつけの店だから。

 

「オムライスの美味い喫茶店になるんだけど、どうだ?」

 

「遥がおすすめしてるんでしょ? なら行きたい」

 

「分かった。それじゃ混む前にさっさと行こう」

 

 俺が先導して歩く。美海はその後ろをちょこちょこと着いてきて、あたりをキョロキョロと見ていた。そうはいってもやっぱりこの街自体美海にとっては新鮮なほうなのだろう。

 

 そして俺は行き馴染んだ喫茶店に辿り着く。

 昔は何度か母さんに連れてきてもらっていた。そして自分の意志で初めてこの店に来た時、俺は真冬さんに出会った。

 あの一件で店の人も俺のことを覚えたみたいで、以降常連として扱われるようになった。

 

 だから今日もドアを開けるだけで、店の雰囲気が変わる。

 

「あら遥君いらっしゃい。そっちの子は彼女?」

 

「まさか。・・・彼女なんて言葉じゃ片付かないくらい大切な人ですよ」

 

「はっは、面白い事言うんだね。まあ適当に空いてる席座っちゃって」

 

 促されて俺は開いている二人掛けの席に着く。対面の席に座っている美海の表情はどこか複雑そうだった。

 そしてそれを躊躇わず言葉にする。

 

「彼女って言ってくれてもよかったのに」

 

「別に逃げたわけじゃないからな。・・・俺にとって美海はそんな簡単な言葉で片付けられる存在じゃないってことなんだよ」

 

「じゃあもし私を選ばなかったとしても、その大切な人のままでいられるの?」

 

 鋭い美海の一言。打ち負かされた気分だったがただで折れるわけにはいかなかった。

 

「・・・ああ。きっと、必ず」

 

「そう」

 

 美海はそれ以上のやり取りは不毛だと感じたのか、その先をいう事はなかった。少し膠着した空気を切り裂くように、マスターがオーダーを取りに来る。

 

「メニュー聞きに来たよ。といっても遥君はいつものだろうけど」

 

「まあ、そうですね。いつもので」

 

「そっちの子は?」

 

 マスターの問いかけに対し、美海はこちらを見つめてきた。

 

「遥、普段何頼んでるの?」

 

「ブレンドコーヒーと、このオムライスAってやつ。これが俺のいつもの」

 

「ふーん。じゃあ私もブレンドコーヒーと、オムライス・・・Bで」

 

「かしこまり~。じゃ、また出来たら持って来るね」

 

 手をひらひらと振りながらマスターは厨房の方に消えていく。

 というか、さっきの流れって同じものを頼む流れだったんじゃ・・・?

 尋ねるより早く、美海はいたずらっぽく笑んだ。

 

「同じのって言うと思った? なら、いたずら成功かな」

 

「お前なぁ・・・」

 

「私って悪い子だからさ、こういうちょっとしたちょっかい、結構好きなの」

 

「まあいいけど・・・。AとBの違い分かってるのか?」

 

「大丈夫。ちゃんとメニューに目を通して確認しておいたから」

 

 いたずらをするだけの準備はちゃんとしていたようだ。・・・この悪ガキみたいな性根は多分さゆ仕込みだろうな。けしからん。

 ひとつ咳ばらいをして、俺は改めて美海の方を見る。

 

 楽しそうにしている。目元は柔らかく微笑んでいて、これから先の時間を心待ちにしているような、そんな表情をしている。

 

 とにかく、楽しんでくれているみたいなら何よりだ、と俺は小さく息を吐く。せめて今だけは全てのしがらみから逃れて、目の前の光景と時間だけを楽しみたい。

 

 

 他愛ない話と心地の良い静寂の繰り返し。四回ほど扉についている鈴が鳴ったところで頼んだ料理がやって来た。

 

「ほいお待たせ。んじゃ、ごゆっくり~」

 

 その姿が遠くなったところで、美海が小さな声音で言葉を紡ぐ。

 

「・・・変わってる人だよね。あのマスター」

 

「だから面白いんだろ。・・・あんなに綺麗な見た目でもう四十手前だからな」

 

「え、よんっ・・・!?」

 

 予想もしてなかった言葉に美海は言葉を失う。・・・そして俺もまた、美海の後ろに立っている人影に言葉を失った。

 マスター、まだ帰ってなかった・・・。

 

「倍額吹っ掛けてもいいってサイン?」

 

「すんません勘弁してくださいよ・・・。それに今の誉め言葉じゃないすか」

 

「女の子の年齢の話するだけでアウトなのこの店は!」

 

 そのままぷんすか怒りながら、マスターはまた厨房の方に帰っていく。願わくば伝票の値段が二倍になってないことを願いたい・・・。

 

「さて、一難去ったし」

 

「去ったの・・・?」

 

「いただきますか」

 

 一難去ったことだし、さっさと食事にありつくとしよう。・・・去ってるよな?

 ちゃんと手を合わせて言葉を唱え、スプーンで卵の壁を切り裂いていく。

 食べ馴染んだ味だ。何も変わらないし、やっぱりたまらなく好きだ。

 

 美海もクオリティに満足してくれているようで、何度も首を縦に振りながら黙々と食事を続けた。

 

 スプーンがさらにぶつかる音と、店内のジャズ、時おり聞こえてくる誰かの声だけの世界。その静けさが今はとても愛おしく思えた。

 

 

 

 そして食事は終わる。時間は無駄に出来ないと、少ししてから俺たちはすぐに店を発つことにした。

 請求倍額の件も「次回に持ちこし」らしい。やばい、もう二度とこの店行けないかも。

 

 そして駅まで戻る。改めて行先案内板を見ると、見たことのない場所の名前だらけだった。・・・こんなに俺は、外の世界に興味がなかったんだな。

 

 案内板に書かれた場所のうちの一つを美海は背伸びして指さす。ここより遥か北のほう、そこに美海の目的地があるらしい。

 

「ついてきて、くれるよね?」

 

「ああ、ここまで来て帰るなんて言い出す馬鹿がいるかよ」

 

 

 その時、左隣に立っている美海から伸ばされた右手が俺の左手に当たった。視線を合わせないように美海の方を見ると、少し俯いて頬を赤らめていた。

 だから俺は、何も言わない。

 

 

 電車の到着ベルに紛らわせるように、俺は小さく美海の名前を呟く。

 それ以上は何も言わないで、その冷たい右手をそっと自分の左手で包み込んだ。

 

 ・・・さあ、行こうか。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 悲報、日常回の書き方が分からない。
 という深刻な状態ではないにしても、ここ最近修羅場のようなシーンの連続だったがために、これまでのこの作品のテンションがどうだったかを見失いつつあるんですよね。別に私はキャラに幸せになって欲しいのであってギスギスを書き続けたいわけじゃないんですよ(などと供述しており)

といったところで今回はこの辺で。
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第百七十一話 世界は紅く燃えて

~遥side~

 

 そこは、俺の知らない未踏の地。街からさらに別の方面に電車を乗り継いで、駅に降り立ったのは夕方の四時ごろだった。

 海が近いのは分かる。潮風は微かに感じているからだ。けれど同じように海が近い街として挙げられる鷲大師とはまた違う、そんな独特な風が肌に触れる。

 

 もちろん、街と呼べるような街でもない。ただ家が何軒かぽつんと並んでいるだけで、人の気配もあまりしない。・・・美海はどうして、こんなところに用があると言ったのだろうか。

 

「おい、美海。本当にここで・・・」

 

「合ってる。・・・うん、合ってるよ。私の行きたい場所はここからもうちょっと歩くことになるけど」

 

「もうちょっとって・・・どれくらいだ?」

 

「三十分くらいだと思う。雑誌にはそう書いてあったよ」

 

 もう結構身体も疲れてきているが、どうやらそんな甘えたことは許されないらしい。付き合うと言った責任を取るべく、俺は歩き出す決意をする。

 

「とりあえず、行こうぜ。ダラダラしてると日が暮れちまうかもしれないし」

 

「そうだね」

 

 それからまた何も言わずに手は繋がれる。もはや無意識のうちで、そうしたいと俺が、美海が願っているのだろう。

  

 道はだんだんと細くなっていった。アスファルトの舗装が消え、道幅が狭くなって、ついには街灯すら消える。・・・本当に、こんなところになにがあるんだよ。

 

 そして辺りを包むオレンジがより色濃くなったころ、美海は足を止めた。少し目線を下にやっていた俺は、目線を戻すよりも先に美海に問いかける。

 

「こんなところに何が・・・。・・・って」

 

 顔を上げた時、ようやく目の前の光景が視界に入って来る。

 そこにあった景色は・・・。

 

 

---

 

~美海side~

 

 私は、私と遥知らない景色と思い出を増やしたいと思った。きっかけこそ光だけど、その心は間違いなく私のもの。

 変わらない日常だって素晴らしい。一生かけて謳歌したいとも思う。・・・でも、それに勝る思い出が、今は欲しかった。

 

 だから光が帰った次の日、私はパパに尋ねた。

 

「ねえ、パパ」

 

「ん? どうしたんだい、美海」

 

「パパとママの思い出の中でさ、一番印象深い事って、何?」

 

 急に問われる質問に、パパはうーんと唸って頭を掻いた。でもその表情は幸せそうで、「一番を決めきれない」という感情を書きだしているように思えた。

 それから、「そうだ」と呟いて、それを語り始める。

 

「みをりとの思い出で一番記憶に焼き付いてるのは、プロポーズの時かな」

 

「プロポーズ?」

 

「うん。・・・汐生鹿でも、鷲大師でも、それこそ隣の街でもない、誰も知らない場所。そこで僕はみをりにプロポーズをしたんだよ」

 

「なんでそんな遠いところに?」

 

「・・・みをり、海から逃げていた最中だったからね。どこか知らない場所に連れてって欲しいってお願いされて、僕はそれに頷いた。電車を何本も乗り換えてさ、当てのない場所まで行った。・・・そこの景色が、僕には忘れられなくてさ」

 

 

 その場所に、今私は立っている。

 パパがあの時ママにプロポーズした季節、時間、全て同じに。

 

 

「どこまでも続く花畑があってさ、丘の向こうから海が見えるんだよ。・・・そこに夕日が沈んでいってさ。・・・とても綺麗だった。こんな美しい瞬間を一緒に見ることが出来たんだって思った。・・・そして、そんな二人なら大丈夫だと思って、みをりに思いを告げたんだよ」

 

 それと同じ景色が、今、私の目の前に・・・・・・。

 

---

 

~遥side~

 

「嘘だろ・・・こんな場所があるなんて」

 

 目の前の景色は、絶景という言葉では置きかえられないほどの美しさだった。これから春を迎えるであろう花々はこれでもかというほどに彩を放ち、丘の向こうに見える海には太陽が差し掛かっている。揺らめく水面で、ギラギラと太陽が燃えている。

 

 その光景は俺の目にしっかりと焼き付いて、離れようともしない。・・・これが、美海が俺に見せたかった景色なのだろう。

 ・・・こんな景色を、見せてくれるなんて。

 

「すごすぎるだろ・・・。なあ、美海」

 

「・・・」

 

「美海・・・?」

 

 美海の方を向こうとした瞬間、繋がれている二人の手の間に雫が跳ねた。

 ただぼんやりと遠くの太陽を見つめたまま、体を橙色に染めながら美海は涙を流していた。拭うこともなく、ただ大粒の涙は頬を流れるままだった。

 

「こんなに・・・綺麗だったんだ」

 

「美海・・・」

 

「・・・すごいよ、遥。・・・世界には、こんなに綺麗な場所があったんだ」

 

「信じてなかったのか?」

 

「信じてたよ。だってここは、パパにとって、ママにとって、・・・そして私にとって大事な場所なんだから。・・・でも、そうじゃなくて」

 

 大事な言葉は途中で止まる。もはや語るものでもないと美海は判断したのだろう。バッと顔を上げて、涙を払い落とす。

 それから美海は繋いでいた手をパッと放して、花々の方へ駆けだした。周りには誰もいない、二人だけの鮮やかな世界。その中心で美海は足取り軽く舞った。

 

 涙の次に笑顔を浮かべて、さっきとは打って変わって遠くから声を張り上げて、感情を爆発させる。

 

「ねえ! 綺麗だね、遥!」

 

「ああ! すごいところに来たもんだよ!」

 

「ここには誰もいないよ! 私と遥だけ!」

 

「んなもん見れば分かるだろ! 二人だけの世界だ、ここは!」

 

 それから俺も駆け出して、美海の隣に並ぶ。立ち位置を変えると、より目の前の太陽が荘厳なものに見えた。

 元気よく舞っていた美海は足を止めて、慈愛のような笑みを浮かべて俺に語る。

 

「・・・ここで、私は私になったんだよ」

 

「というと?」

 

「ここはパパとママが結ばれた場所。・・・結婚っていう契りを交わした場所。ずっと昔、同じ時期、同じ場所、同じ時間にそれは結ばれたの」

 

「だからここに来たかったのか」

 

「うん。・・・パパは、この場所が一番好きだったって言ってた。だから私も遥と一緒に同じ気分を、同じ気持ちを味わいたかった。・・・幸せだよ、おかげさまで」

 

 心から満足してそうな笑みを浮かべて、美海は誰かの思い出を語る。そして今、自分の思い出としてそれを焼き付けているのだろう。

 その横顔に、たまらなく惹かれてしまう。胸を貫かれるような感情を覚えたのは、いつ以来だろうか。

 

 ・・・ダメだ、益々好きになってしまう。

 

 今、この瞬間の衝動だけで愛を口走ってしまいたいくらいに心は暴れている。けれど、心の奥の方にある最後の砦がそれを邪魔する。

 ・・・ああ、クソ。なんて最低なヤツだよ、俺は・・・!

 

 気持ちを伝えることが出来ないもどかしさから、俺の笑みが消えかける。しかし美海はそれを引き留めた。

 

「・・・いいよ、自分を責めないで。それにこんなきれいな場所にいるの。しかめっ面なんて似合わない」

 

「美海・・・」

 

「私はそれでいいの。・・・今は、これでいい。ずっとこうしてたい」

 

 それから美海はその場に腰を下ろして、ぼんやりと海を眺め始めた。俺がその隣に座ると、息を吐く間もなく美海は俺の左肩に頭を預けた。

 

「私は遠慮しない子だから・・・今から遥を苦しめる言葉を言うね」

 

「ああ、聞くよ」

 

「・・・私を選んでね、遥。・・・そしていつか、この場所でプロポーズして」

 

 

 これはまたずいぶんと俺を苦しめる言葉だ。

 ・・・本当なら、今すぐにでも「うん」と言ってやりたい。こんな曖昧な関係じゃなくて、もっと近づいた二人で歩いていきたい。

 

 でも今はこれが限界なんだ。・・・全ての思いを受け止め、決断を下すまで、俺はそこに立てない。

 

 ・・・けれどもう、迷うのも潮時なのかもな。

 

 

 それから言葉もなく、ただ時間が過ぎていく。

 俺たちが立ち上がったのは、夕日が完全に海の向こうに消えたころだった。あたりはもうじき真っ暗になるだろう。

 

「そろそろ帰らないとまずいんじゃないか?」

 

「うん、そうだね。この周辺何もなさそうだし、少なくとも街までは帰っておかないと・・・」

 

 頷きあって、俺たちは駅へと踵を返した。行きはあんなに長いと思っていた道が、帰りになるとひどく短く感じて少しの寂しさを覚える。

 

 そして電車に揺られて街まで戻る。よほど疲れたのか眠ってしまった美海の頭が俺の肩に何度もぶつかる。それに苦笑いを浮かべながら、俺もそっと目を閉じた。

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 そして街まで帰って来る。時計の指す時間は八時。

 この時間ならまだ鷲大師に帰る電車の便が残っているはずだ。・・・が。

 

「・・・あれ?」

 

 電車が一向に来る気配がない。他の街に行く便はまだそれなりに残っているが、鷲大師とこの街を繋ぐ電車は全く動きを見せていない。それどころか、あたりから「困ったなぁ」なんて声が聞こえてくる。

 

 ・・・まさか。

 

「遥?」

 

「ちょーっと、まずいことになってるかもな、これ」

 

 

 

 そして、その嫌な予感は確信に変わる。

 見上げた先の行先案内。鷲大師行きの隣には、堂々と「運転見合わせ」と書いてあった・・・。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ようやく本調子ですかね・・・。これまでのシリアスとは打って変わって、がっちりとした普通のシーンが書けたように思えます。しかしここまで書きすぎるとヒロイン決まってるんじゃないかって思ってしまうんですよね。大丈夫です。マルチエンディングは今作も継続していますよ。
 話は変わるんですけど、やっぱりサウンドトラックは大事ですよね。この作品を書く時にも流しながら雰囲気を作っているので。いい文章はいい雰囲気から。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百七十二話 覚めてく愛の魔法だとしても

~遥side~

 

 掲示板に表示された文字を確認するなり、俺はすぐに知覚の公衆電話に立ち寄った。アパートに帰って電話をする余裕など今はない。すぐにでも安否をちゃんと知らせる必要があった。

 

 そして電話に手を賭けようとした瞬間、公衆電話のドアが開いた。美海が無理やりにでも、と入ってきたみたいだ。

 

「おい、狭いだろ」

 

「私だってお母さんに連絡する義務あるよ」

 

「ったく、仕方がないか」

 

 こういう時の美海は引かせようとするだけ無駄だ。身体と身体が密接しているこの状況を仕方ないと割り切って、俺はカードを入れ、馴染んだ番号に電話を掛ける。

 

『もしもし、こちら潮留』

 

「ああ、あかりさんですか?」

 

『あれ、遥君。どしたの? まだ美海帰ってきてないしデート中だと思ったんだけど』

 

「いや、まあ、そうなんですけど・・・。それより今電車止まってるの知ってますか?」

 

『え、嘘? それホントなの?』

 

 あかりさんも流石に予想外の出来事だったみたいで、少し動揺している様子が電話の向こうからでも読み取れた。

 

『まいったなー・・・。至さん、今日漁協の飲みに付き合わされちゃって車出せないんだよ。あたしも免許持ってないし。・・・あれ? 雪降ってる』

 

「なんかその雪で道中のレールが使えなくなったみたいです。異常気象を抜きにしたら二十年ぶりくらいらしいですよ、ここら辺でたくさん雪が降るの」

 

『まさかそれがこんな日に起こるなんてね・・・。で、どうしたいの? 美海』

 

 突如、あかりさんは俺の隣にいる少女の名前を呼んだ。吐息が二人分だった、とでも言うのだろうか。美海の存在には気が付いていたみたいだ。

 

「遥、変わって」

 

「え? ああ」

 

「ついでに・・・ちょっと二人きりにしてもらえると、助かる」

 

 美海の表情に気おされ、俺は電話ボックスの外へと追い出されてしまう。ああいうという事は、この電話の中身を美海は聞かれたくないのだろう。それを汲み取って、俺は電話ボックスから離れることにした。

 

---

 

~美海side~

 

「変わったよ」

 

『ああ、美海。ひとつ確認だけど、ひょっとして今日そもそも帰ってくる気なかった?』

 

「え?」

 

 なんで、バレて・・・?

 

 沈黙は肯定。お母さんは一つ大きなため息を吐いて話し始めた。

 

『やっぱりかー。洗濯物の中の美海の服ちょっと消えてたから、リュックにでも詰めたんじゃないかなって思ってたの。一泊分くらいの服は平気で入るしね』

 

「・・・そういう言い方するの、すごい意地悪」

 

『あはは、ごめんって』

 

 その言葉に謝ろうとする気は微塵も感じられなかった。・・・というよりむしろ、どこかその状況を喜んでいるような。

 

『・・・ま、結果オーライの大チャンス。至さんと晃には私が上手く言っておくから、今日は思いっきり楽しんできな。無理に帰ってこなくても大丈夫だから』

 

「楽しむって・・・もう夜だよ?」

 

『分かってないなー。・・・夜だからこそ得られる経験ってのがこの世にはあるんだよ。普段出歩かない時間、場所。それだけで今の美海には新鮮だと思うけど?』

 

「確かに、そうだけど・・・」

 

 体裁上はそう言っているけど、お母さんが言っている言葉の意味には裏があると思っている。

 けど、今の私にはまだそれは出来ない。・・・遥と肉体関係を持つなんて。

 

 それでも純粋に、一緒にいる時間が増えるのはたまらなく嬉しい。今日の所はそれでいい。

 

『まあ、好きにしてくれたらいいよ。今日のことは何もおとがめなし。遥君にも伝えておいてね』

 

「分かった。・・・カードもったいないし、そろそろ切るね」

 

『それじゃ、ごゆっくり』

 

 軽い挑発を続けるお母さんの声を聴き終わる前に私は受話器を下ろす。その余計なお世話に大きなため息を吐きながらも、認められたことがどこか嬉しかった。

 そしてこれからどうするかを伝えるために、私は遥のもとに戻る。

 

 ・・・今日は、帰らないよ。

 

---

 

~遥side~

 

 電話を終えた美海はカードを俺に手渡した。肌寒さからか、その指先は紅く染まっている。

 そしてその頬もまた、普段より紅潮していた。やはり寒いのだろうか。

 

「美海、これからどうする?」

 

「・・・」

 

「美海?」

 

「・・・行って、いいかな?」

 

 俯いたまま、ポツリと何か呟いたと思ったら、美海は俺の予想していなかったお願いを口にした。

 

「遥の家、行ってもいいかな? どうせ今日は帰れそうにないんだし」

 

「俺んち、か・・・。手狭だし、向こうの家より全然片付いてないぞ?」

 

「うん、構わない。・・・というかそれがいいの。変に私のために用意なんてしてくれなくていい。素の状態で接してくれている方が、私は好きだから」

 

 それから美海は少し強引に俺の手を握る。先ほどよりも温度を失くした手のひらを伝う脈が、美海の心の高揚を俺に伝えている。

 覚悟して言ってくれたのだろう。ならこれ以上、余計な逃げ言葉なんていらない。

 

「分かった。じゃあさっさと行こうか。今日は冷えるしな」

 

「うん」

 

 ちゃんと手を握ったまま、俺は二年と少しの付き合いのアパートへと戻っていく。・・・ここに誰かを呼ぶことになるなんて思ってもみなかったけど。

 駅から歩いて十分ほど。歓楽街から少し離れたところにある俺のアパートは屋根を白く染めていた。今こそ何もないが、ちょっと前までここら辺でも雪が降っていたのだろう。

 

 鞄の奥底から鍵を取り出して部屋の中へ入る。誰も呼ぶつもりなどなかったから、大学の勉強のために買っていた本が山積みになっている。・・・それ以外は、綺麗なんだけどな。

 

「・・・すごい量の本。これ、全部読んだの?」

 

「一通りはな。俺、こっちでは遊びもバイトもろくにしてなかったし。紡が時折顔をのぞかせに来たくらいで、後はずっと一人の時間。そしたら本を読むか散歩に出るかくらいしかやることが無くてな」

 

「堅苦しい生活してるんだね」

 

「返す言葉もねえよ」

 

 ただ、俺が鷲大師に恋心を残していなければ、こっちでの生活にもう少し遊びという華があっただろう。けれど今更そんな「あり得た話」を語るつもりはない。これでいいと思っているのだから。

 

「・・・さて、こっちに帰ってきたのはいいんだけど、予想外過ぎて冷蔵庫の中身が何もないんだよな」

 

「買いに行く? ・・・もし何か作るなら、今日は一緒に作りたい」

 

「分かった。んじゃスーパーが閉まらないうちに行ってしまおうか」

 

 荷物を放り投げて、俺はすぐにまたアパートを後にする。

 近くのスーパーで二人で買い物。千夏とは散々やったような気がするけど、美海とこんなことをするのは初めてだったりするかもしれない。

 

 それが証拠に、美海はずっと幸せそうな表情をしてくれた。その全てが自分の中にない経験だったのだろう。

 

 家に帰るなり料理が始まる。慣れた手つきの俺と、少しスピードが遅れ気味の美海。最大限に歩調を合わせて、二人で一つ一つ目の前のタスクをクリアしていく。出来上がった料理は、ここ最近では一番美味しかったかもしれない。

 

 同じ空間の中、二人一緒に何かに取り組む。ただそれだけの行為が、今は心の奥底から愛おしく思えた。それはまるで、新婚の夫婦と言ってもいいような。

 

 もちろん、そんな風に舞い上がっているわけではない。ただ似たようなものに思えるだけで、これは偽物だ。まだ本物となるには不格好で不揃いすぎる。

 けれど、たとえ偽物だとしても、それに抱くこの幸せの感情だけは本物だ。

 

 

 食器洗いと歯磨きを終え、俺は先にシャワーを浴びる。小十分と少しほどの行水を終え部屋に戻ると、ちょこんと部屋の端の方にすわっていた美海が白状した。

 

「・・・遥、今日私ね、本当は最初から帰るつもりなんてなかったんだ」

 

「そう、なのか」

 

「だから電車が止まった時、嬉しかったの。これで遥に迷惑かけることなく、遥と一緒にいる口実が出来るって」

 

「馬鹿だな、ホント。最初からそうしたいって言ってくれれば俺はいつでも許可するのに」

 

「言ったでしょ? 素のままでいて欲しいの。そっちの方が思い出になるから」

 

 それから美海は床に転がってるクッションに顔を埋めて、言葉を籠らせながら呟いた。

 

「・・・だから、今すごい幸せなんだよ、私」

 

「そうか。・・・満足してくれたなら、俺も嬉しい」

 

「遥は、どう思ってるの?」

 

「決まってんだろ。・・・あんなすごい景色見て、こんなハプニングに出くわして。多分今日のことは忘れることは出来ない。素晴らしい日だったよ」

 

「・・・そう」

 

 幸せだけに溢れた体験を、俺はこれまでの人生で経験したことがあっただろうか。

 まあ、あるにはあっただろう。けれど今日のそれはまたどこか格別に違う。・・・美海といたから、楽しかったんだ。

 

「・・・私、お風呂借りるね」

 

 美海は声細く呟いて、風呂場の方へと逃げていった。あの様子はこれまでもなんどか見てきた。感情が爆発寸前になっているのだろう。

 

 そういったところは多分いつまでも子供なんだろうな。

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 風呂場に美海が逃げ込んで二十分ほどが経つ。俺は足元に転がっている本に手を伸ばしてパラパラとめくってはぼんやりと天井を見つめていた。

 その時、ふと思い出す現実が一つ。

 

 ・・・あれ。

 そういえばこの家、客用の布団、なかったような・・・。

 

 それと同時に風呂場の戸が開く音が聞こえる。なんて最悪なタイミングだ。こっちが意識してしまってる最中に・・・。

 

「タオルありがと。ここの籠でいいんだっけ?」

 

「ああ、それでいいんだけど・・・」

 

「?」

 

 明らかに動揺している俺を見て、美海は不思議そうな表情をしばらくの間浮かべていた。けれど察しがついたのか、今度は硬直する。

 

「あ・・・、そういうこと」

 

「どう、しようか? 全然床で寝る覚悟は・・・」

 

「何言ってるの? ・・・ここまで来たら、最後まで一緒にいようよ」

 

 顔を真っ赤に染めながら、美海はそう言い切る。美海の覚悟は決まっていたみたいだった。

 俺は必死に理性で感情を抑え続けた。ただでさえ気が高揚してしまっているというのに、同じ布団の中、なんてやってしまうといよいよ歯止めが効かなくなってしまう。

 

 だから必死で殴りつける。目の前の宝物を壊さない覚悟を胸に打ち込む。

 そして三度くらい大きく呼吸をしたとき、俺の覚悟は整った。

 

「・・・先に言っとくけど、絶対に手は出さないからな」

 

「うん。それでいいよ。私だって困るし」

 

 美海のその言葉を聞いたとたん、急に胸が軽くなったような気がした。やっぱりこれが今の二人の距離ということなのだろう。

 一線を越えることはないだろう。そう思うと安心できた。

 

「じゃ、先に布団使っててくれよ。電気消さないといけないし」

 

「うん」

 

 美海はさささっと俺のベッドの布団に潜り込む。それを確認して電気を消し、俺は美海の隣に寝ころんだ。しっかり布団をかぶらなければいけないくらいには、今日は寒い。

 

 だから自然と身体は寄っていた。肌と肌が触れあって、こっちを向く美海の吐息が肩にかかる。それは心地いいだけで、それまでだった。美海の腕がこっちに回って来る。それもまた、それまでだ。

 

 いつか、こうやって抱きしめられた記憶がある。同じように並んで眠った記憶がある。けれど片方は俺の意識がもうろうとしてたし、片方が布団ひとつ分離れた距離だった。

 

 だからこうしてお互いの意志でゼロ距離になるのは初めてだった。

 ドギマギしている俺の表情が情けなかったのか、美海は笑んだ。

 

「やっぱり、遥も慣れてないことには動揺するんだね」

 

「そりゃそうだろ・・・。けど、悪い気分なんて一つもないからな」

 

「分かってるよ」

 

 クスッと美海は微笑んで、なおも甘い吐息に言葉を乗せた。

 

「・・・ねえ、遥。すごく幸せだよ」

 

「ああ」

 

「だけどね、あとちょっとだけ・・・背伸びしていい?」

 

「背伸び、って・・・。・・・!」

 

 戸惑う俺の唇がふと塞がれる。それは二年ぶり、美海とは二度目の接吻だった。

 あの日からまた大人になった美海の唇は、あの日感じていた絶望や失望とは全く無縁のものだった。触れている皮膚からは、ただ愛の感情しか流れてこない。

 

 その心地のよい時間は、五秒と少しで幕を閉じた。

 屈託のない笑み。俺なんかよりどこまでも幸せそうな表情をして美海は呟いた。

 

「ここからの続きは、大人の世界だから。・・・だから、遥が私のこと好きだって、一番だって言ってくれないとしてあげない」

 

「美海・・・」

 

「その日は、今日以上の思い出を作ろうね、遥。・・・それじゃ、おやすみ」

 

 俺に有無を言わさずに美海は寝返りを打った。これ以上俺に表情を見せるつもりはないという事だろう。

 

 ・・・ほんと、どこまで狡猾なんだよ。

 

 美海の等身大以上の愛を受け取って俺はただ茫然としていただけだった。

 ・・・けど、ずっと上手を取られっぱなしなのはカッコ悪いよな。だからせめて、少しだけ反撃してみることにする。

 

 離された手をもう一度繋いで、がら空きの首元に小さく口づけをする。

 言葉はなかったが、美海の身体が小さく震えたのが分かった。それに俺はいたずらっぽく笑んで、目を閉じる。ここから先は無し。今日という日はおしまい。

 

 

 だからせめて今だけは、最高の魔法の中で眠ろう。

 ・・・おやすみ、美海。

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ・・・えー。ほんとうにこういうの久しぶりすぎて何を書いてるのかさっぱりになったりしてました。というか長い、長すぎます。今作最大文量は多分ここですね。誤解されないように言っておきますが、この作品をR-18にするつもりだけはありません。大好きな作品を汚しすぎるのはポリシーに反しちゃうので。多分これが、持てる恋愛描写のギリギリでしょうか。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百七十三話 贅沢な感情

~遥side~

 

 次の日になると、雪はしっかり溶け切っていた。二人の準備が終わるなり、すぐに鷲大師息の列車に乗って家を目指す。

 昨日の手前、会話はなかなか弾まない。何をしようにも昨晩の記憶が蘇って言葉につまってしまう。それはそれで幸せな記憶には間違いないんだけど・・・。

 

 そして潮留家についたのは朝の十時頃だった。そこまで見送ってようやく美海は手を放す。

 

「ここまででいいよ。・・・昨日はありがと」

 

「礼なんていうなよ。俺も楽しかったし」

 

「・・・ねえ、遥。こんなこと言うのもなんだけど、多分、私も・・・千夏ちゃんも、そろそろ答えを出してほしいと思ってるよ」

 

「っ・・・!」

 

 言われたくなかった、一つの言葉。

 これまでは二人の優しさに甘えて、俺の中で答えを出すため、と時間を取ってきた。けれどその二人が今、「そろそろ答えを出してほしい」と明言した。

 もう十分すぎるほど待ってもらった。ならば、腹を括って答えを出さないとな。

 

「分かった。・・・あと二週間後。春休みが終わるころに、答えを出させてくれ。そろそろ美海らも春休みに入るんだろ?」

 

「うん。だからこれまでよりまとまった時間が取れると思うよ」

 

 ならば、その一分一秒も無駄にしたくない。昨日のような魔法のような時間をもっと増やしたい。その時、俺の本当の心が見えてくるはずだから。

 

「二週間後・・・。その前に、私もちゃんと片を付ける必要があるね」

 

「いいのか?」

 

「敵として最後の言葉、言っておかないといけないでしょ?」

 

「ああ、そうだな」

 

 美海は覚悟の据わった目をして、とある方角を向く。その方角に千夏の家があるのを、俺は知っていた。

 ここから先は二人だけの話。俺がどうこう言えたもんじゃない。ただ小さく切り返して、口をつぐむ。

 

「それじゃ、俺は帰るからな。また遊びに行きたくなったら行ってくれよ」

 

「うん、また行くね」

 

 家へと消えていく美海を見送って、俺は潮留家に背を向ける。それから距離が離れれば離れるほど、先ほどの自分の言葉が脳裏をちらついた。

 

 二週間後、答えを出す。

 

 おおげさな表現になるかもしれないが、そのひの決断で、俺の人生は大きく変わる。きっとそれはもう、修復不可能なほどに。

 その日はおそらく、俺の人生において一番と言っていいほどの人を傷つけることになる。期待を裏切るというのはそういうこと。口では理解すると言っても、体は正直だ。素直にそのダメージを受けてしまうという事を俺は身をもって体験している。

 

 それでも選ぶ。そう決めている。

 

 

「・・・そうだとしたら、今の俺がどう思っているのかをちゃんと千夏にも話しておかないといけないよな」

 

 そう思うと、ふと千夏の姿が頭の中を過った。美海といるときは一度も考えないようにいしていたその姿を、美海と別れてすぐに思ってしまう。それほどまでに俺に焼き付いている存在なのだと思い知らされる。

 

 そうして日曜日の鷲大師を歩く。特に用事などないし、このまま家に帰ってもいいだろう。

 しかしそうはならないのが俺の人生らしい。誰かと出会うたびに足を止めてしまう。

 

「・・・こりゃまた珍しい人と出会うもんだ」

 

「珍しいとか言うな。この街に住んでるんだし、合ったって不思議じゃないでしょ」

 

 そうして不満そうにさゆは頬を膨らませた。・・・なんだかんだ、こいつと真正面から喋ったことって少ないような気がするな。

 

「というか、海に帰ってるんでしょ? 何しに来たの」

 

「美海と出かけてたんだよ、昨日」

 

「昨日? それがなんで今日に・・・。・・・あ」

 

 話を理解したようで、さゆはだんだんと顔を赤くしていった。それから先ほどとは違う声音で、恐る恐る俺に尋ねる。

 

「手、出してないよね・・・?」

 

「当たり前だろ。二人ともそれを望んでなかったんだ」

 

「なら、まあ、いいけど・・・。いや、いいのか・・・?」

 

 随分と複雑な感情を抱いているのだろう。さゆは自分の感情が本当に正しいものか、どうかをぼそぼそと言葉を反芻してかみ砕いていた。

 そしてそれを理解して、咳ばらいをしてもとに戻った。

 

「・・・とにかく、率直に言うけど、あんた、このままでいいと思ってるの?」

 

「思ってねえよ。・・・なんて、美海と長い事友達やってるお前が俺の言葉を簡単に許してくれるとは思わないけど」

 

 俺の言い分など、ただの言い訳に過ぎないだろう。ある意味こいつは、誰よりも美海の幸せを願っているといっても過言ではないのだから。

 いわゆる、心からの「美海の味方」。俺ですら負けてしまうほどに。

 

「二人の間で揺れ動く。それは幸せな悩みだろうけどさ、傍から見れば結構苛々するんだよね、そういうの。私は早く、あんたに美海のこと選んで欲しいと思ってるんだから」

 

「はっきり言ってくれるな」

 

「だってそうじゃん。私にはあの人の味方をする義理なんて何一つないんだから」

 

 さゆはどこまでも自分の心をズバズバと言葉にした。俺が間に「待った」を挟む暇もなく、自分が美海の味方であることを証明する。

 

「だからあたしは、もしあんたが美海を選ばないと知ったら、もう二度と美海にあんたと関わらせないようにする」

 

「それが美海の意志にそぐわなくても?」

 

「それでもあたしは、そうなったらあんたと会わせたくないと思う。これだけ近い距離で愛をぶつけたって言うのに、それでも答えなかった人間なんて、あたしなら嫌だよ」

 

 言葉の一つ一つは痛いほど鋭い。切り裂き、突き刺し、俺にダメージを与えてくる。

 俺からすれば許容できない言葉かもしれない。けれどこれは傍から見れば確かに正しいこと。文句の一つ言えたもんじゃない。

 

「・・・悪い、それでも俺は、未来の俺がどういう選択をするか分からないと思う」

 

「そういうなよなよした姿、あたしは嫌いだよ。ホント、反吐が出る位」

 

 怒りを心の奥底に抑えて、嫌いなものでも食べているかのような表情でさゆはそう語る。その言葉の一つ一つが、たまらなく堪える。

 

「だから、あたしは何度でもあんたにプレッシャーをかける。嫌われてもいいから遠慮もしない。・・・はやく、美海を選んであげなよ」

 

「・・・ああ、お前の言葉は伝わったよ」

 

「じゃ、それだけ。あとは何も言うことないから。じゃあね」

 

 最後の最後まで自分のペースでことを運んだまま、さゆはどこかに去っていった。しばらく茫然とした後、俺は小さく歩き出す。その頭の中は先ほどの言葉でいっぱいになっていた。

 

 ・・・さすが「美海だけ」の味方。どこまでも覚悟が決まってやがる。

 

 そう考えると、俺はどうも人を嫌いになることが出来ないみたいだ。その背景にある事情を思いを理解して、許してしまおうとする癖があるみたいだ。まあ、二年前の病院の事件でもそれをつくづく思わされたけれど。

 

 ただ、あいつは違う。嫌われることをもろともしていない。それほどまでに自分が守りたい存在を守ることに注力しているんだ。・・・大したもんだよ、ホント。

 

 同じくらいの強さが欲しいと願ってしまう。俺がずっと考えていた「傷つける覚悟」というのは、同時に「嫌われる覚悟」に直結するのだろう。おそらく千夏の思いに報いようとした途端、あいつは永遠の敵になるはずだ。

 

「ったく、俺もそれくらいドライに割り切りてえよ」

 

 昔は多分、事を客観的に分析することに囚われていたのもあって、そういう割り切りは苦手ではなかったはずだ。けれど、人の思いを大切にしたいと思った日から、それはだんだんと変わっていく。今では全てが愛おしいのだ。

 

 でも多分、そうやって愛おしいものを大切にしようとしすぎるのはきっと「持ち抱えすぎ」なのだろう。自分一人のキャパシティを超えてまで抱えるのはもはや贅沢とも言える。

 

 だから、俺が選ぶのは二人の内どちらかだけではない。どの幸せを抱えて、どの期待を、縁を切るかということもまた選ぶことになる。そう考えただけで足は竦んでしまいそうだ。

 

 

 それでも、美海と一緒の時間を過ごしたことで確信した。俺はあいつとならもっと幸せになれると。もっとも、それが千夏ならどのくらい幸せになれるのか分からないけれど。

 

 

 

 

 二週間で答えを出す。

 自分で言った言葉は、溜まらなく突き刺さってくる・・・。




『本日の座談会コーナー』

 何気にこの二人の一対一は170話前後書いてきて初めてなんですよね。で、ここまで遥に敵意むき出しで話すキャラクターはこの作品の中では多分さゆしかいないと考えて執筆しています。それほどまでに本気で「嫌われる覚悟」が出来ているということです。自分の人生もこれくらい割り切れたら楽なんですけどね。敵は敵、味方は味方で。なのにどこかで全ての人間にいい格好をしようとするから心って擦り減るんじゃないですかね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百七十四話 慣れの果て、残るもの

~遥side~

 

 美海に宣言をしてから二日後。今日も今日とて自宅で新しい新書の読破に勤しむ俺に電話がかかってきた。確か陸の方では昨日が終業式だったんだっけ。

 とするとそのうちの誰かかもしれない。その予想は当たりみたいだった。

 

「あ、もしもし遥くん?」

 

「千夏か。今日から春休みらしいな」

 

「うん。・・・といっても、結構やることいっぱいだけどね。・・・そこで、早速お願いなんだけどさ」

 

 少し申し訳なさそうな声で千夏は何かを俺に頼み込もうとしている。当然それを拒むはずもなく、俺は二つ返事で了承した。

 

「ああ、言ってくれ」

 

「そっちの学校なんだけどさ、担当の人が今日から二日くらいいなくて。明日はなんとかなるんだけど、どうしても今日人手が足りなくて。だから、手伝ってくれるかな?」

 

「それはいいんだけど、汐生鹿、まだ学校やってるのか?」

 

「どっちかというと学校後の事務作業とか残ってる子の面倒をみたりかな。親が帰ってきてないのに一人で家で留守番することが嫌いな子、結構いてさ。友達と遊ぶにしても学校でいいじゃんってみんな言ってるし」

 

「すっかり昔に戻った感じだな。懐かしいよ」

 

 俺も昔、両親が陸で仕事をしているときはそうやってよく学校に残ってた気がする。歪んでしまったあの日までは、俺も一人の悪ガキだったんだろう。それこそ光みたいな。

 そうしてでも学校に残りたいという子が今もいるという事だ。良くも悪くも歴史は繰り返す。

 

「で、その子たちの面倒を見るのにひとりじゃちょっと足りないかなって感じなんだけど・・・どうかな?」

 

「分かった、手伝うよ。毎日はちょっときついけど、たかだか一日くらいならどうってことないし。たまにはあっちの方行ってみるのも悪くないしな」

 

 俺の家は少し汐生鹿の街から離れてるのもあって、街へ行くことが少ない気がする。二年経ってわだかまりも消えたが、どうも少し距離があるのは変わってないみたいだ。

 

「じゃあ、その前に遥くんの家寄っていいかな。始まるの昼の三時くらいからだから」

 

「とすると後二時間か。分かった。準備しておく」

 

 それから電話を切って、急いで恰好なり身支度を整える。・・・そうか、千夏がこっち来る可能性もあるなら、家も片付けておかないとな。

 そうと決まればやることは多く、本をせっせか棚に戻して作業に取り掛かる。それから30分くらい経った頃、家の呼び鈴が鳴った。千夏が来たみたいだ。

 

「邪魔するね」

 

「ご自由に。つってもあと一時間と少しくらいしかないけど」

 

「いいの。これから体動かすんだから、今は休んでおかないと」

 

「さいですか」

 

 そう言うなり、千夏は俺の家に置いてあるソファに身を投げた。それからテーブルの上に置いたままの本に目がいったのか、それを手に取り広げた。

 

「教育学の本じゃんこれ。遥くん先生にでもなるの?」

 

「特別思い入れがあるわけじゃないけど、可能性は狭めたくなかったから向こうで勉強はしてたんだよ。おかげで遊ぶ暇なかったけどな」

 

「勉強してもしなくてもあんまり遊ばないでしょ遥くんは」

 

「正解」

 

 といっても友達がいないわけではない。向こうで新しく出来た縁だってある。ただそれは、こっちに比べるとあまりに希薄なだけで。

 まあ、残り一年だ。これ以上何かが起こるなんてことはないだろう。ましてやこの街から向こうに帰る方が少ないのだから。

 

 千夏は本に目をやったまま、独り言をつぶやく。

 

「大学かー」

 

「千夏はどうするんだ?」

 

「実のところあんまり勉強は好きじゃなくてさ。一人暮らしってのも、正直しんどい。だから前向きには考えてないかも」

 

「それでいいのか?」

 

「話聞いた感じ、別にこっちの学校手伝うのに学歴いらないっぽいしねー。それだったら早いとこ卒業してすぐ就職する方が、私的にはありかも」

 

 前々から思っていたが、千夏はどうにも実践的な性分みたいだ。理屈がどうこうじゃなくて、自分の中で正しいと思ったことをただ愚直に実行しようとしている。俺とは真反対の生き方だけど、それもまた美しく見える。

 

「たぶんお父さんもお母さんもそれで納得してると思うからさ」

 

「ああ、間違いないだろうな。何も遊んで暮らすって宣言してるわけじゃないんだ。二人は真正面から応援してくれるだろうな」

 

 自分と『唯一』血の繋がっている子供だ。応援しないはずがないだろう。

 ・・・俺が美海と将来を歩むことを選んでも、二人はそれを応援してくれるのだろうか。ふと、そんな嫌な感情が脳裏を過る。

 

 それを心の奥の方に仕舞って、俺は一つ息を吐く。

 

「あと一年で社会人か、俺も」

 

「嫌?」

 

「体を動かすことも誰かのためになるのも好きだけどさ、一応仕事ってなるとそれが義務になっちまう。それはちょっと嫌でもあるかな。縛られずに好きなことを出来ている今の状況がいかに幸せか、この頃そう思わされるよ」

 

 まあもっとも、それがまかり通るなら人間もっと堕落した生き物になるだろう。誰もが誰も意欲的に毎日を生きているわけではないのだから。

 

「義務、かぁ・・・。そう考えると好きを仕事にしようとするのは難しいよね」

 

「全くだ」

 

 苦笑して、俺はダイニングの椅子に腰かける。そのタイミングでソファの方でゴソゴソと音が聞こえた。

 

「ちょっと寝るね。1時間したら起こして」

 

「ん? ああ」

 

 それから物音は無くなる。・・・さすがに無防備すぎるだろ。

 俺よりも俺の家で上手にくつろぐ千夏に困惑しつつも、その「らしさ」に俺は小さく笑った。遠慮も何もないこの付き合いこそ、俺と千夏の間にしかないものだったはずだと。

 

「さて、と」

 

 思いたった俺は客間の押し入れから毛布を取り出した。春が近づいているとはいえ、まだまだ寒いは続く。こんなところで風邪ひかれても困るしな。

 取り出した毛布を千夏に掛けて、その近くに腰を下ろす。先ほどまで千夏が呼んでいた本を、今度は俺が開いた。

 

 ・・・先生、か。

 

 

---

 

 千夏を叩き起こして学校に向かったのは三時前のこと。徹底したスケジュール管理はお手のものだ。

 小学校に着くなり、千夏は校庭に顔を出した。その存在に気づいた子供たちが一斉に「千夏おねーちゃん」と声を挙げる。その瑞々しいほどの笑みに困惑するのは俺だった。

 

「随分と慕われてるんだな」

 

「そう? そうなら嬉しいな」

 

「というか、ほら。呼ばれてるんだし行って来いよ」

 

 俺は千夏の背中をトンと押す。千夏は一度うんと頷いて、そのまま真っすぐ校庭のほうへ駆けていった。それを見送って、俺は懐かしの母校の職員室に目をやる。

 流石にもう十年近く前の話だ。俺のことを知ってる人はそういないだろう。

 実際、底に俺の見知った人間はほとんどいなかった。

 

 それでも中に懐かしい顔を見て、俺の身体は引き寄せられる。

 

 職員室の扉を開けると、その人は俺をちょいちょいと手招きした。この人は、俺たちのクラスを受け持ってくれていた人だ。まさかまだ残ってたとは。

 

「お久しぶりです、真先生」

 

「久しぶり、遥君。・・・この場所で君を見るのはもう結構前の話になるね」

 

 最後に会った時から随分と老けてしまった真先生は皺を増やして笑う。この人の温厚さはどうやら変わっていないみたいだ。

 

「あの頃は本当にお世話になりました」

 

「ほんと、手の焼ける子供ばかりだったからね、君たちの代は。みんなみんな素直な子ばっかりなのに、全員不器用で」

 

「返す言葉もないです」

 

「特に遥君。六年間の間で一番環境の変化が凄かったのは君だからねぇ」

 

 懐かしそうにかつてを追憶して、真先生はしみじみと話す。あの頃の俺を懐かしんでいるのだろう。

 両親がいなくなって、居候して、みをりさんが死んで、この家に帰ってきて・・・。今思えば全く大変なことばかりだ。

 

 

「元気してるかい?」

 

「ええ、おかげさまでここまで大きくなりましたよ。そりゃ大変なこといっぱいありましたけど、全部乗り越えてここまで来ましたから」

 

「・・・聞くだけ野暮だったね。あの頃に比べて生き生きしてる君を見て、そんなこと分からないはずもないわけだし」

 

 真先生は言葉にして俺の人生が彩を取り戻していることを形にしてくれた。他者からそれを認められるのは、やっぱり嬉しい部分がある。

 

 それから一つ息を吐いて、真先生はゆっくりと話を変えた。

 

「千夏ちゃん、あの子はいい子だね」

 

「会うたびにこっちの学校でのことを楽しそうに話してくれますよ。本当に、昔からこの場所に来ることが夢だったんでしょう」

 

「あんな子がもっと昔からいてくれたらって、今でもそう思うよ」

 

 思えば真先生は暗に追放を反対していた人物だった。それだけに千夏が海に来ることができなかったこれまでの時間を残念がっているのだろう。どこまでも善意と優しさに溢れた人だ。

 

「遥君は、あの子のことが好きなのかい?」

 

「はい、・・・え?」

 

 適当に返事をしてしまったが、問われた内容はそれなりに大きなものだった。否定するではないとしても、言い直す。

 

「・・・いや、そりゃまあ・・・好き、ですよ。あいつは俺にとって大切な人ですから。多分、好きって言葉で簡単に片づけることは出来ないと思います」

 

「でも、交際してる、って訳でもなさそうだね」

 

「・・・色々事情がありまして」

 

 情けないことに、今の俺にはそう返すことしか出来なかった。

 真先生はそんな俺を笑いながら、ぽつぽつと呟いた。

 

「あの子は、隙さえあれば私に遥君のことを聞いてくるからね。子供頃どうでしたか、とか、学校ではどんな子でしたか、とか。・・・それほどまでに頭がいっぱいなんだろうね」

 

「理解してるつもりではいましたけど・・・」

 

「それでも決めきれないってことは、あの子と同じくらいの思いを持った子がいるってことだろうね」

 

 鋭い慧眼で真先生は真理を突いてくる。伊達に長生きはしていないのだろう。

 

「・・・私も昔、そんな経験をしたからねぇ」

 

「真先生が、ですか?」

 

「ああ。それこそ君のような感じだよ。・・・けど私の場合、決めきれなかった。二人の気持ちを傷つけたくなかった。・・・その結果は、言わなくても分かるね?」

 

 昔からこの人は独身を散々話のネタにしては、光なんかに茶化されてきた。昔はモテていた、なんてことを言っては嘘だとちさきに言われていた。

 けど、多分これは本当の話。全部自分の過去の傷の話をしていただけだった。

 

「だから遥君。・・・傷つけることを恐れてはダメだよ」

 

「ええ、分かってます。答えを出すことも優しさだってこと、知っていますから」

 

 それこそ昔そうやってちさきの思いを拒絶したんだ。・・・ああいう風に、出来るはずだ。

 握りこぶしが震える。

 

「・・・強がってるね、ずいぶん」

 

「バレましたか。・・・やっぱり、怖いですから」

 

「でも、取捨選択は絶対に人生で訪れる。・・・だから私は、エールを送るよ」

 

 真先生はそう言って、俺の手を取った。皺だらけの力のない手からは、これまで積み重ねてきた情熱と後悔が伝わってくる。

 暗にこの人は「こうなるな」と伝えてくれているのだろう。・・・自分だって辛いはずなのにそう言えるのは、やっぱりこの人の強さに相違ない。

 

 だから俺は、それに応える。「こうならないように」生きる。

 

 

「さて、事務作業ちょちょいと終わらせて、遥君はあの子のもとに行ってあげて」

 

「分かりました。じゃ、早速仕事に入りましょうか」

 

 

 誰かを自分の間違いの先の姿と見立てて生きていく。

 それはあまり喜ばしい事ではないかもしれないが、その道標だけは無駄にしたくない。

 

 

 

 間違えたくないと、心は叫ぶ。




『今日の座談会コーナー』

 新章二人目の新キャラ。こっちは名前を出しましたね。設定にはないですが、遥世代の小学生時代の教諭ってことにしてます。サブタイトルにあるように、選択しなかった人間の慣れの果て、優しさという毒にやられた人間という背景を持っています。遥の慣れの果てシリーズとしても二人目ですね(1人目は父親)。
 表面だけの優しさが優しさではないんでしょうね。傷つけないことが優しさなら、人は成長できませんから。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)


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第百七十五話 「愛」の終着点

~遥side~

 

 職員室での事務作業を終え、俺も遅れて校庭に向かった。水面から向こうの太陽は随分と沈んで言っているみたいで、この街にもオレンジ色の光が訪れ始める。

 それでも子供たちは全然帰っていなかった。最初見た時よりは確かに人は減っているけど、それでもまだワイワイと遊んでいる。その輪の中に、千夏もいる。

 

「元気だな、あいつ」

 

 別に子供が苦手という訳ではないが、ああいう風に接するのは今の俺では無理だろう。歳が離れているというのは、こういうところでもデメリットがあるみたいだ。

 仕方なしに近くの階段に腰掛けて、ずっとその様子を眺めていた。声を掛けられたらいつでも向かう、それくらいの気概で。

 

 しかし、声を掛けられたのは遠くからではなく、隣からだった。いつの間にか、子供がそこに座っている。見たところ、高学年の生徒だろうか。

 

「お兄ちゃん、サボり?」

 

「サボりって・・・、いや、ただ空気を壊さないようにこうしてるだけ。初めてこうしてここに来たわけだし、まだ馴染めてないからさ」

 

「ふーん。・・・僕と一緒か」

 

 少年は呟きながら足元に転がっている意志で地面に絵を描き始めた。・・・なんだこの絵、クオリティけた違いじゃないか。

 

「いや、上手いな」

 

「そう? ・・・別に絵が上手くても、あんまり誰も褒めてくれないけどな」

 

 卑屈なのか暗いだけなのか、少年はあまりいいように言葉を受け取ってくれなかった。何か闇を抱えているのだろうか。

 表情、仕草、声音、息遣い・・・判断材料はいっぱいある。それを俺はずっと学んできたはずなんだから。

 そう思って、俺は敢えて踏み込んで声を掛けた。

 

「何か嫌なことあったんだな」

 

「・・・分かるの?」

 

「おかげさまで、俺も同じくらいの年頃の時似たような表情ばっかりしてたからな」

 

 高学年の頃となると、心がだいぶズタボロになっていた頃だ。その痛みや虚無、日々のつまらなさは痛いほど分かっている。

 その言葉に心を少しだけ開いてくれたのか、少年はぼそぼそと呟き始めた。

 

「・・・お父さんが死んじゃったんだ。去年、交通事故で」

 

「そっか。じゃあ、今はお母さんと住んでる感じか」

 

「けど、お母さんは僕を育てるのに精いっぱいそうにしてて、全然笑わなくなった。だから、あんまり友達もいないけどここに来てるんだ。・・・家に帰っても、何も楽しくないから」

 

「なるほどな・・・」

 

 数は違えど、状況は違えど、同じく親を亡くした身だ。その悲痛な思いは言葉の節々から伝わってくる。

 残されるのも、また辛いんだろうな。

 

「さっきから分かった風な口聞いてるけど、お兄ちゃんはどうなの?」

 

「俺も一緒だよ。・・・君と同じくらいの歳の時、二人とも死んだ」

 

「え・・・?」

 

「ああ、悪い。なんかすんなり喋っちまって」

 

 少年が何に驚いていたのかすぐに検討が着く。

 同じように親を亡くした身でありながら、その死を軽々しく口にしたことなのだろう。まるで引きずってもいないような俺の口ぶりに困惑している。

 

「そこはいいんだけど・・・。僕と同じくらいの歳の時に二人ともいなくなって、どうやって生きてきたの?」

 

「そうだな・・・。居候したり、親の残した金で一人暮らししたり。・・・でも、はっきり言って後者は全然楽しくなかった。友達が遊びに来てくれてはいたけど、全然満たされてなかったと思う、当時の俺は」

 

 他者の愛が怖くて全てを遠ざけていた頃の話だ。あの日々は本当に何もない、空っぽの時間だけが続いていた。世界は自分だけでいいと、そんなことも思っていたはずだ。

 

「でも、今は明るく生きてるよね?」

 

「ああ、そうだな。・・・昔さ、そうやって一人で暮らしてた時、誰かを好きになることが怖かったんだよ。そして、好きでいられるのも怖かった。そのせいで誰かまた好きな人がいなくなるって思い込んでたから。・・・でも、年月と周りの皆がそれを解決してくれた。だから今こうして笑ってられるんだよ」

 

「・・・好きな、人」

 

「お父さんのこと、好きだったか?」

 

「・・・うん」

 

 泣きそうな声で肯定する少年の頭を俺は撫でる。俺も昔、同じように甘えて、同じように慰めて欲しかった。それを同じように、行動にする。

 聞くにこの子は、まだ手遅れなんかじゃない。全てを投げ出してもいいと思う一歩手前で、そうなりたくないとストップをかけている。・・・ならまだ、変わらずにいられるはずだ。

 

「痛いよな、好きな人がいなくなるって」

 

「痛いよ・・・。なんでこんな思いしなきゃいけないのって、ずっと思ってる」

 

「けど、好きな人が消えることを悲しんで、全てから逃げ出したら、毎日は色あせちまうんだ。俺が昔そうだったからな。・・・今、好きな子っているのか?」

 

 唐突に振った質問。少年は言葉ではなく指さしでそれを教えてくれた。

 不器用なりに一緒に輪の中で遊びを楽しんで、無邪気そうに笑っている女の子。・・・どこかまなかのような面影を感じるな。

 

「よく話すのか?」

 

「教室にいるときは、よく。・・・一番絵を褒めてくれるんだ。それが嬉しくて」

 

「あの子に、好きになって欲しいって思うか?」

 

「それは・・・」

 

 すぐに返事は帰ってこなかった。

 多分俺と同じような痛みを抱えているのもあって、言葉に出来ないのだろう。好きって言ってしまえば、消えてしまう気がする。そんな漠然とした不安が心の奥底にあるはずだ。

 

 それを分かっているからこそ、掛けられる声がある。

 

「いいか、どんだけ頑張ってもいつかあの子は君のもとから消えてしまう。それが明日か、十年後か、五十年後かは知らないけどな。・・・でも、いつか消えてしまうとしても、好きになることはやめたらいけないぞ」

 

「明日いなくなっちゃうかもしれないのに?」

 

「ああ。・・・ゼロってさ、実はマイナスなんだよ。何もしなければ何も感じることはない。俺も昔はそう思っていたんだけどさ、何も感じなくなることが痛みになってしまうんだよ。同じ痛みを受けるなら、ちゃんと気持ちには素直になった方がいい」

 

「・・・なんだか、まだよく分からないよ」

 

「まだ分からなくていいんだよ。・・・前を向いて生きていたら、絶対いつか分かる日が来る。その時また、この言葉を思い出してくれ。・・・逃げ出したことでする後悔ほど、苦しいものはないからさ」

 

 俺にとってのその日が5年前のあの日のことだ。あの惨劇を、この子には味わってほしくない。俺のようにはなるなと言葉を告げる。

 ・・・これじゃまるで、さっきの真先生と一緒だな。

 

「・・・じゃあ、お兄ちゃんも逃げ出しちゃダメだよね」

 

「ん?」

 

「よく千夏おねーちゃんが言ってるよ。お兄ちゃんのことが好きだって」

 

「・・・嘘だろ、あいつ」

 

 多分本人はそこまでことを大らかにしようとは思っていないのだろう。けれど小さな呟きとかボヤキを子供たちは見逃してくれないみたいだ。・・・おい、筒抜けになってるみたいだけど大丈夫か?

 

「お兄ちゃんは、千夏おねーちゃんのこと好きなの?」

 

「・・・ああ、そりゃもちろんな」

 

「どんなところが?」

 

「ああいうところ。・・・いつでも積極的でさ、明るくて、自分が正しいと思ってること、全部行動にしようとするところ。俺にはない勇気をあいつは持ってるんだよ。そういうとこ、かっこいいしやっぱ好きに思う」

 

「告白しないの?」

 

 子供からの純粋な問い。下手に否定するとたちまち千夏の耳に入ってしまうだろうと分かった俺は、ちょっと含みの入った嘘を垂れ流すことにした。

 

「・・・するよ。多分、そう遠くないうちに」

 

 告白をする。

 といっても、千夏を選ぶことを告白と言っているわけではない。思いを伝えることが告白ならば・・・、否定することも告白になる。・・・最低な屁理屈だな。

 

 けど、今、こうして明るく生きるあいつの毎日を間近で見ていると、俺の人生も限りなく彩ってくれるんじゃないかって、そんな風に思わされる。そんな未来を俺も送ってみたい。

 

 優劣のつかない、イーブンな愛。・・・一体どこでこんな感情を培ってしまったのだろうか。ため息も出ない。

 

「カッコつけてアドバイスしたはいいものの、結局俺も好きの感情に振り回されてばかりなんだよな」

 

「そこさえ決まればかっこいいのにね」

 

「うるせ。分かってるよそんなこと」

 

 ただ、この情けない人間ももうじき卒業だ。

 心を鉄にして、俺は全てを壊し、真に欲しいものを選ぶ。

 

 

 

 それが「愛」の一つの答えである「恋」の終着点。そこに、俺は行ってみたい。




『今日の座談会コーナー』

 こうして書いてみると、だんだんと終わりが見えてきたように思います。あと二十話・・・三十話? かからないうちにはエンディングに辿り着けると思います。このペースで毎日書いていれば、一年で終わっていたんでしょうけどね。やっぱり時間とモチベーションの確保は難しいみたいです。
 というか、昔に比べてオリジナルパート書くの上達したんかな・・・。抵抗は大分減ったんで苦になることはないです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百七十六話 どうか幸せな夢の中で

~遥side~

 

 最後の子供が帰るのを見送って、千夏はようやくこっちに戻って来る。沢山遊んだのだろう。疲れ切って、満足そうな顔をずっとしていた。その笑顔はどこまでも眩しく、みずみずしい。毎日こんな思いでこの場所に来ているのだろう。邪念を持った俺なんて不純物質というほかない。

 

「お疲れ様」

 

「やっぱり小学生って元気だね。・・・私も同じくらいの歳の時、ああやって遊びたかったんだろうなって思うよ」

 

 かつてはその体の弱さがために過度な運動をすることを禁じられてきた千夏だ。そこにかける思いは人一倍強いのだろう。

 だからこそ目の前の現実の一秒一秒を大切に出来る。それこそが千夏の強さに相違ない。

 

 ひとつ深呼吸を置いて、千夏は何か頼み込もうとこちらを見つめてきた。

 

「でー、それでなんですけど」

 

「どうした?」

 

「今から遥君の家、戻っても大丈夫、だったりする?」

 

「俺は構わないよ。・・・けど、もう結構暗いぞ? 門限までに二人のところに帰れるのか?」

 

 その返答に、千夏はしばらくの間無言を貫いた。言い出そうか、言い出すまいか。悩んだ末に千夏は強気に踏み込んできた。

 

「今日さ、二人とも旅行に出かけてて、家に誰もいないの。一人は嫌だからさ、もしよければ、泊めてもらえたりする・・・、かな?」

 

「マジか・・・。それはちょっと予想外だったな」

 

 夏帆さん辺りが助言したのではないかと思ってしまうが、そんな背景事情などどうでもいい。今考えるべきは、これから俺が千夏とどうするべきか。

 ・・・なんて、拒む理由なんて何一つないよな。千夏と一緒にいたい。その一心に変わりはないのだから。

 

 

「分かった。本来俺があっちに泊まりに行くべきなんだろうけど、これもまた何かの巡り合わせだろ」

 

「ありがと」

 

「礼なんていらねえよ。それよりほら、さっさと帰ろうぜ」

 

 気持ちをごまかすための御託はもういらない。自分の心と真摯に向き合うため、俺は何よりも先に行動を起こすことにした。それが俺の好きな「水瀬千夏」の生き方だから。

 

 俺の家に戻るなり、千夏は荷物を抱えてさっさと風呂場に向かっていった。・・・やっぱり、最初っから泊まる気満々だったんだろうな。俺が拒まない前提で来る辺り、とんでもない強かさだ。

 ・・・まあ、そのしたたかさが好きなんだけど。

 

 その間に俺は夕飯の仕込みを始める。冷蔵庫の中にあまり食材が入っていないが、どうにか組み合わせればなんとかなるだろう。いざという時に簡単に買いに行けないのがこっちの家の不便なところではある。

 

 うんうんと唸りながら、料理を作ってみる。あり合わせで煮物を作ってみるものの、どうもどこかしっくりこない。作り慣れたもののはずなのに、今日はどうも手がすぐに止まってしまっていた。

 

 その時、後ろから声がかかる。タオルで頭を拭きながら、匂いにつられた千夏がこっちにやってきていたみたいだった。

 

「どしたの?」

 

「ああ、上がってたのか。・・・煮物作ってるんだけどさ、なんか今日のは上手くいってなくて」

 

「失敗した?」

 

「いや、そこまで大げさじゃないんだけど、何か足りないっていうか・・・」

 

「ちょっともらうね」

 

 千夏はずいっと身を乗り出すなり、お玉で煮汁をすくい上げて味を測った。少し首をかしげて、調味料の棚を眺めて呟いた。

 

「・・・砂糖」

 

「砂糖か、分かった」

 

「あと醤油ももう少しあっていいかも」

 

 言われるがままに俺は調味料を入れていく。しばらく待機、その後にまた味見。そこには先ほどの物足りなさが解消された煮物が出来上がっていた。

 

「・・・ばっちりだな。サンキュ、千夏」

 

「いえいえ、どういたしまして。・・・前々から思ってたんだけどさ、遥くんの料理、ちょっと味付けが薄い感じがするんだよね。もちろん、美味しいって前提の上でだよ?」

 

「んなもん気づいた時に言ってくれよ・・・。そんなことでプライド傷つけるような俺じゃないんだからさ」

 

 確かに「素材の味」にこだわりすぎるあまり最近は味の足し引きが大雑把になっていたような気がする。ここ最近の物足りなさはこのせいか。

 そういうことは、誰かに言われないと自覚できない。つくづく自分が一人では何も出来ない存在だと知る。

 

 ・・・だから、こうやって傍にいて欲しいって思うんだろうな。

 

「それより、そろそろ出来上がる感じだと思うんだけど、皿これでいいかな?」

 

「ああ、助かる。そっちの深い皿はこっち置いててくれ。箸は・・・、ああそう、そこ。テキトーに二膳持ってってくれ」

 

 気が付けば熟年夫婦のようなやり取りで準備を進めていく。昔あの家でそうしていたように、俺たちはまた息の合った連携で食事の準備を進めていた。結局場所なんてどこでもいいものなのだと気づかされる。

 

 ・・・あれだけの時間、一緒にいたんだよな。

 

 ふと、脳裏にここまで水瀬家で過ごしてきた日のことを思い出す。上手くいったこといかなかったこと、衝突、和解、そして毎日変わらない日常の連続。その全てが今でも鮮明に思い出せる。

 

 それほどまでに、俺はあの場所を愛していた。そして離れた今、その愛はより大きなものになる。ぬくもりに溢れたあの家が、やっぱりたまらなく愛おしい。

 俺はそれと決別しようとしてこの場所にいる。・・・もし、千夏を選ばないのであればもう二度とあそこには立ち寄れないだろう。覚悟はしていても、辛いものは辛い。

 

 俺に、あの場所を捨てる勇気があるか。あの場所で結んだ縁を切り裂く勇気があるか。嫌いになれば簡単だろうが、そんなことを俺は許さない。

 

 そして思わされる。・・・そこが、最後に俺が越えるべき壁なのだと。

 もちろん、越えなくてもいい。それが答えという可能性だってあるのだから。

 

「・・・おーい、手が止まってますよ」

 

 物思いにふけっていると後ろから小突かれた。千夏の抜けた声で俺はようやく現実に連れ戻される。

 ・・・そうだよな。理屈がどうこうじゃない。俺がどうしたいかだけ、その思いを信じればいいんだよな。

 

「悪い、準備の途中だったな。んじゃ、さっさと片付けちまうか」

 

 今はこの現実に浸る。理屈じゃない、生きているこの瞬間を。

 

---

 

 食事を終え、身辺を整えて、俺も手短に風呂を済ませる。リビングに帰ってきた時、千夏は随分と眠たそうに眼を細めてテレビを見ていた。時折うつらうつらと船をこぐ。針は十時半を回ったところだ。

 

「眠たいのか?」

 

「ん? ・・・まあ、ちょっと疲れたからね。けどこの番組面白いし途中で見るのをやめたくないな。あと、せっかくこんな時間過ごせてるんだもん。一緒にいる時間を、無駄にしたくないよ」

 

「かといって無理をされてもなぁ・・・」

 

 一緒にいることを大事にしてくれているというのは俺としても嬉しい。けど、そのために体を張るのはどこか違う。・・・義務になってしまったら、その喜びだって半減してしまう。

 

 なら、歩みを寄せるべきは俺のほう。

 千夏の俺への思いを信じて、俺は思い切った提案を起こしてみる。

 

「・・・なあ、千夏。お前さえよければ、ここで寝ないか?」

 

「ここで? いいの?」

 

「生憎この家の今の家主は俺でさ、好き勝手する権限も俺にあるんだよ。それにそうすれば千夏が気に入ってるこの番組を途中で切らずに済むだろ」

 

「・・・じゃ、お言葉に甘えちゃおっかな」

 

 千夏は恥ずかしがる素振りも見せず、客間に出していた布団をいそいそとこっちに持ってきた。それを確認して俺も自分の寝室の布団をリビングまで持って来る。

 テーブルなどの邪魔なものを取っ払って出来上がった空間にそれを並べる。

 

「なんか新鮮だね」

 

「ああ。・・・少なくともこんなことはやったことないし」

 

 そして自然と布団は隣り合う。引いた布団の上で、千夏はボーっとテレビを見ていた。正直俺にその面白さは分からないが、千夏が喜んでるならなんだっていい。

 

 ・・・ただ、この時間だって有限だ。今のうちに、ちゃんと伝えとかないとな。

 

「なあ、千夏」

 

「どしたの?」

 

「・・・言葉選ぶの下手糞だから率直に言うけどさ・・・。・・・俺、近いうちに答えを出すよ」

 

「そっか。・・・うん、私もそうしてくれるのを待ってたよ」

 

 千夏は少し目を細めただけで、特に表情を変えることなくそう答えた。いつ答えを出されてもいいような準備がとっくに出来ていたのだろう。・・・最後まで時間がかかっていたのは俺だったようだ。

 

「だから、最後に沢山悩ませてくれ。・・・悩んで悩んで、答えを出させてほしい。あと一週間、それくらいの時間があれば、多分・・・、いや、絶対に出せるはずなんだ」

 

「私は大丈夫だよ。この髪を切った瞬間から、戦う覚悟は出来てたから」

 

「・・・そうか」

 

 そう言って千夏は短くした自分の髪をふわりと撫でた。そこには俺の計り知れない思いが眠っていたことだろう。

 

 息を飲む俺をよそに千夏は大きなあくびをした。それからテレビのスイッチに手を伸ばして電源を落とす。

 

「もういいのか?」

 

「ここから面白くないコーナーだしね。それに、遥くんがここにいてくれるなら、もう寝ちゃってもいいかなって」

 

「そっか」

 

 仕方ないなと俺は微笑む。千夏も同じように笑って、しっかりと布団をかぶった。俺も電気を落として、いそいそと布団に潜り込む。

 隣り合う布団の方に寝返りを打つ。千夏はそこで、待ってましたと言わんばかりにこっちを向いていた。

 

 それから小さく唇を動かして、声量を落として話し始める。

 

「・・・ずっとさ、こうしてみたかったんだよね」

 

「まあ、なかなか出来ないことだしさ」

 

「それだけじゃなくて・・・。・・・遥くんと、って話」

 

「千夏・・・」

 

 暗がりの向こうで千夏が顔を赤らめていた。その瞬間、向こうから伸びてきた手が俺の手に触れる。俺は何も言わないままその手を自分の手と絡めた。おそらく千夏がやりたかったことはこういう事だろうと。

 

 それは当たりだったようで、満足そうな笑顔で答え合わせをした。

 

「どっちかが眠るまで、こうやってつないでていいかな」

 

「もちろん。・・・でも、これだけでいいのか?」

 

「うん。・・・ここから先は、付き合ってからのお楽しみだと思ってるから、ね」

 

 そう言って意地悪な言葉を残して千夏は笑った。それから間もなく目を伏せて深い呼吸を始める。

 

 ・・・言いたい放題言って寝入りやがって。

 

 なんていう俺もまんざらな気持ちではなかった。どこまでも穏やかで凪のような愛。その心地よさに、だんだんと自分がまどろんでいくのが分かった。

 

 そして意識は、遠く沈んでいく。

 

---

 

~千夏side~

 

 

 眠れない。心の奥の鼓動はいつもの二倍、三倍にも高鳴っていた。

 ・・・ダメだなぁ、私。もっと大胆に行動してもいいって分かってるはずなのに。

 遥くんがそれを受け入れてくれると分かっていても、踏み込めない弱さがそこにある。

 

 自分でも恨みたくなるくらいの臆病さ。多分これは一生付きまとってくるに違いない。ひょっとしなくても私の心だ。分かってる。

 

 でも、だからと言って、このままじゃ終わりたくない。

 この場所にこうして私がいる意味。それをちゃんと、私の思い出の中に刻みたい。そして出来るなら、臆病な自分の心に抗いたい。

 言葉じゃ伝えきれない、「大好き」があるから。

 

 

 ・・・だから、こんな手しか使えないけど。こんな形でしか送れないけど。

 

 

 

 眠りについた愛しい人。刹那、その唇に自分の唇を重ねる。

 割れて壊れそうなほどの愛を伝えるために。・・・臆病な自分を殺すために。

 




『今日の座談会コーナー』

 終焉と向かっていくこの作品に何を思えばいいんでしょうね・・・。後半があまりにも怒涛の展開過ぎて感傷に浸る暇も中々ないってもんです。
 さてお気づきになられている方がどれくらいいらっしゃるかは分かりませんがこの作品はとにかく「対比」に重きを置いて書いています。だから作中、美海と千夏が「同じように」遥に接したシーンは少ないはずです。同じような展開も感情も少ないと思います。よければ比べてみてください。

と言ったところで、今回はこの辺で。
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第百七十七話 やがて傷は癒え

~遥side~

 

 陸へと戻っていく千夏を見送ったのは、次の日の午前九時のことだった。本当は家まで送るべきなのだろうが、それ自体を千夏本人が拒絶したために、こうやって地に足を付けて登っていく千夏を見るだけにとどまっている。

 

 ・・・が、本当はこれでよかったのかもしれない。

 

 ここ一週間の間で沢山のことがあった。美海と千夏と、それぞれ二人だけの時間を過ごすことで、これから先俺が繰り広げることが出来るであろう未来を想像することが出来た。それは間違いなく、俺が選択をする大きな材料になる。

 

 ・・・本当に、楽しい時間だった。ずっと同じ日が続いて、永遠に歳を取らなければいいのにと願った。

 だけどそれは出来ない。だからこうして、俺は選ぶことを決めた。

 

 約束の日は、近づいていく。

 

---

 

 それからまた三日ほど経った。二人に答えを出す期間が残り一週間となったところで、俺は一つ決心した。

 最後に千夏が泊りに来た日からも、二人とはちょこちょこあっては色々話した。あんなことやこんなことがあった手前、少し複雑な距離での接し方になったけれど。

 

 二人の気持ちは変わらない。あれだけ膨大な愛を目の前に俺はただ立ち尽くしてるだけだ。

 それが嫌で、俺は決心をした。

 

 当分の間、二人とは会わない。誰の干渉もなく、ただ自分の心に向き合うために、俺は残りの期間を過ごすと決めた。手短に連絡を入れて、しばらく分の用意をして俺は街のほうのアパートへと引き返す。

 

「少なくとも春休み中は、自分の意志でここに帰ってくること、ないと思ってたんだけどなぁ」

 

 荷物をほどいて、ベッドの上でそう呟く。三日ほどこっちに滞在するだけだというのに、謎に空虚は募るばかりだ。

 こんなぜいたくな悩みに振り回される俺はさぞ幸せ者なのだろう。けれど幸せは手に入れるだめのものではない。だからこそ今、心が痛んでいるのだ。

 

 紛らわそうと勉学に励んでも、あちらこちらに出かけてみてもその空虚は埋まらない。一日、二日と時間だけが過ぎていく。その頭の片隅ではずっと、二人と描く未来の創造が行われていた。

 

 そのどちらもが鮮やかで、麗しくて、選ぶに選べない。

 

 そして迎えた三日目、耐えきれなくなった俺はいつもの喫茶店に逃げ込んだ。この店が開いてからの一時間は基本誰も来ない。その時間を狙ってはいつもマスターに人生相談をしていた。

 

 こんなことで頼るべきではないと分かっていても、弱虫の俺には耐えきれなかった。

 鈴のついたドアを鳴らして、俺は喫茶店に入る。マスターは思いつめた俺の表情を見るなり、持ち前の明るさを前面に押し出して接してきた。

 

「まーた悩み顔。今日は・・・色恋沙汰かな?」

 

「正解ですよ。・・・どうしても、選べなくて」

 

 この人には二人のことを洗いざらい吐いている。・・・というより、少しだけの情報開示でその全てを読み取ることが出来るみたいで、たちまち全てを言う羽目になってしまったのだ。

 

 それでもこの人は時折茶化しながら、真摯に接してくれた。だから答えを出す最後もこの人に頼ろうと思ったのだ。・・・二人の世界と全くかかわりのない、完全なる第三者のこの人に。

 

「とりあえず長くなりそうだから、ここは私のおごりで一杯サービス」

 

「ありがとうございます」

 

 目の前に出される俺好みのコーヒーを一口すする。その温かさに冷静さを取り戻そうとした矢先、躊躇う事なくマスターはそれを言葉にした。

 

「聞くに、そろそろ答えを出そうとしてるよね、遥君は」

 

「なんでそう簡単に分かっちゃうんですか」

 

「だって、開口一番に『選べない』って言っちゃったからね。これまでは回り道をして誤魔化して、その道中でそう言ってたけど、今回はいの一番、ストレートにやって来た。気づかないはずもないよね」

 

「・・・心読むのどんだけ上手いんすか」

 

 こと心理掌握においても、この人は俺の師みたいな存在だ。地でこれをやるのだから才能の塊としか言いようがない。

 俺はため息を吐く。周りに誰もいないのを確認して、丁寧に自分の思いを吐くことにした。

 

「・・・優劣の決め方が、分かんないんですよ」

 

「なるほど? 確かにずっと二人の話をしてる時、同じくらい好きって感じで話してたからね。その二人に順番をつけるのは難しいよ。過ごした年月が長ければ長いほど、ちょっとのきっかけだと動かなくなるから」

 

「本当なら少しの喧嘩で歪んだりするんでしょうね、人間関係って」

 

「けど、遥君が今抱えている関係はそんな小さなきっかけじゃ歪んだりしない。好きを嫌いに変えるスイッチってのはなかなかないからね」

 

 どちらかを選ばないことになっても、俺はそいつのことをずっと好きでいることになるだろう。それほどまでに、大切な・・・。

 

 ・・・いや、待てよ。

 

 そこで俺はようやく、大きな思い違いに気が付く。

 片方を愛そうと、選ぼうと悩んでいるのに、選んだあとで選ばなかった方への思いを断ち切らないというのは最低最悪の行為だ。

 

 そいつが大切な人間であることには変わりない。だけど、選ばないという事は、恋愛の対象ではないと突き放す事。

 そんな相手に感情を抱き続けるのは、自分の愛を結び付けると決めた相手を裏切る行為だ。・・・少なくともなあなあな心のままでいることはしたくない。

 

 嫌わずとも、切り離すことはしなければならない。

 

 そう考えると、胸はまた苦しくなった。苦い顔がマスターにも伝わる。

 

「選択って難しい行為だよね~」

 

「そんな簡単に言えるものじゃないですよ。・・・そいつの思いを全て拒絶しないといけないんですから」

 

「・・・ずっと思ってたんだけどさ、遥君、ちょっとくどいよ」

 

 マスターはいつの間にか浮かべていた小さな笑みを消して、細めた目で俺を牽制した。聞くはずもないと思っていた言葉の羅列に、俺は萎縮する。

 

「・・・いい? 今から私がいい事を教えてあげる」

 

「なんですか・・・?」

 

「世界はね、自分が考えるよりほんの少しだけ優しいの。遥君はずっと誰かを傷つけることを嫌ってる。それは立派な考えだよ。優しさに満ち溢れてる。・・・けど、傷っていつかは癒えるんだよ。そうしたら後は素直に、その先の人生を応援してあげられる」

 

「なんで、そんなことが」

 

「私がそうだったからね」

 

 小さく残念そうなため息を吐いて、マスターは残念そうな表情をしたまま苦笑した。

 

「私も、友達と一人の男を取り合ってた。それこそ、遥君の言う二人よりはもっとぶつかりあってたかな。最後の方なんか『殺してやる』くらいの心持ちでいたよ。・・・それで、最後は負けた。好きだった男持ってかれて、死ぬことすら考えた」

 

「・・・」

 

「けど、こうして今は楽しくやってるよ。あの子ともまた遊ぶようになった。・・・そんなもんなんだよ、人生って。傷つけられたことを憎いとか悲しいとか思うのは最初だけ。・・・最後は思い出になって、アルバムのどこかに仕舞われるの」

 

 それから小さく息を吐いて、今度は苦笑ではなくいつもの笑みを浮かべた。

 

「まっ、そんな感じだから。だから遥君、君は自分が一番欲しいものを、欲しい人だけを考えていいの。傷の事なんて後から考えればいい。それが選ぶ側の特権」

 

「俺が一番、欲しいもの・・・」

 

 傷つけることを躊躇わないと言いながら、心を鉄にすると言いながら、心の奥底では取り残された奴の未来しか考えていなかったのだろう。そこから導かれる答えは妥協でしかない。

 それを取り除いた、俺が一番心の底から望むもの。それが答えみたいだ。

 

「さて、そろそろお客さんくる頃だと思うけど、他に何か注文ある?」

 

「・・・じゃあとりあえず、いつもので」

 

「朝の十時半だってのにもう昼ごはん?」

 

「これから考え事をするんで、先に頭空っぽにして飯食べておいたほうがいいですからね」

 

 俺が誰との未来を選ぶか。失うものを数えるのではなく、描いた未来のどちらが好きだったかを選ぶ。それはまた骨の折れるようなことだろうけれど、今ならちゃんとその答えが見えそうな気がする。

 

 

 せめてその時情けなく倒れないように、今はただ我が身を労わることにする。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 最後に遥の思いを聞くキャラクターはまさかの前回ポッと出しただけの喫茶店のマスターでした。まあ、理由は作中でも明言しているように、「二人の背景事情を全く知らない、どちらにも肩入れすることのない第三者」だからですね。ちなみに二人の出会いのきっかけは二年前のオリジナルパート、日野家編の事件からです。このキャラクターは簡単に言うと「選ばれなかったヒロイン」の完成形といったところですね。だから伝えられることがあるということです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百七十八話 選択の刻

共通ルート最終話です。


~美海side~

 

 遥が答えを出すと決めた期日がだんだんと近づいてくる。本人も覚悟を決めるために向こうのアパートへ一旦帰ったらしい。・・・次にこっちに戻ってくるとき、私たちの未来が決まるという事だろう。

 

 だからその前に、私にもやるべきことがあった。ちゃんと自分の罪を懺悔してけじめをつけないと、私は前に進めない。

 そう思っていつかと同じように、私は千夏ちゃんの家に向かった。あれから一度も会話などしてなかったから、もうかれこれ三週間ぶりくらいのことだろう。

 

 インターホンを鳴らすと、千夏ちゃんは怪訝そうな表情で出てきた。

 

「・・・どしたの?」

 

「ちょっと話したいことがあったからさ。・・・前に、散々あんなこと言った手前で許してくれるとは思ってないけど、どうか聞いてほしい」

 

「・・・分かった。ちょっと待ってて」

 

 千夏ちゃんはそう言ってドアを閉めたかと思うと、すぐに家から出てきた。晴れない表情のまま、口を開く。

 

「で、話したいことって?」

 

「まずは、謝罪。・・・この間は、あんなに酷い事言ってゴメン。謝ることで許されるなんて思ってないけど、それだけは伝えさせてほしい」

 

「・・・ゴメン、か。別に怒ってはないよ。言われたことは確かだったし、私が悪い部分なんていくらでもある。そこは私も謝るべきところ。・・・でも、あの時口にした言葉は、少なからず美海ちゃんの本心だったんだよね?」

 

「それは・・・」

 

 否定できない。わずかでもそんな思いが私の胸中にあったのだから。

 それを否定することは許されない。私は自分の思いに向き合わないといけないのだから。

 

 だから、否定せずに、今の私を伝える。

 

「あの時口にした言葉は、本当の気持ちが混ざってたと思う。・・・でも、これだけは言わせてほしい。私が千夏ちゃんに思ってる感情は、あれが全てじゃないよ。・・・嫌だよ、こんなことで、これまでのこと全部無駄にするなんて」

 

「結構めちゃくちゃ言ってるけどね、それ。・・・あの時、だいぶ凹んだんだよ?」

 

「傷つけたことは分かってるよ。勝手なことを言ってるのは分かってるけど、どうか分かって欲しいの」

 

 伝えたい言葉は次々とすんなり現れる。それなのに、どこか心の奥の方が満たされていなかった。願った通りの言葉が溢れるのに。

 

「・・・美海ちゃん、遥くんのこと好き?」

 

「大好きだよ」

 

「そう。私もなの」

 

 今更ながら、当たり前のことを千夏ちゃんは問ってくる。その問いに戸惑う事こそあったけれど、答えはすぐに出てきた。

 

「今から一つ、美海ちゃんを傷つける言葉を言うかもしれない。それで嫌われても仕方ないとも思ってる。・・・だから、聞いてくれる?」

 

 私はコクリと頷いて、その言葉を待った。

 

「私は遥くんが好きだから、・・・多分、その日が訪れるまでは諦めること出来ないだろうから、・・・今は、美海ちゃんとは友達に戻れないかな。私はその思いを断ち切ってでも、遥くんを思いたい」

 

「・・・」

 

「たぶん、それはその日が訪れた後も続くと思う。選ばれなかったら今以上に妬くだろうし、選ばれたら合わせる顔がない。少なくとも、その事実を受け入れて思い出に出来るまでは、私は美海ちゃんに友達として接することは出来ないと思う」

 

 この間、自分の罪に苦しめられふさぎ込んでいた千夏ちゃんの姿はそこにはもうなかった。ただ前だけ向いて、全てを捨て去る覚悟を手にしてここに立っている。

 だからこそ、この言葉に嘘偽りはないと思った。

 

 ・・・心のどこかで、また友達に戻れたら、なんて思っていた。

 

 けど、私だってそうだ。遥のために千夏ちゃんへの思いを断ち切ったはずだ。今更、こんな状態で縁を戻すなんてことは出来ない。

 歯車は戻らない、という現実を突きつけられる。けれど先ほどまで感じていた心の違和感はどこかに消え去っていた。

 

 そうだ、私はこの言葉が聞きたかったんだ。

 

 それはライバルである証明。友達である以前の話。・・・今私はようやく「対等」の立場になってここに立っていられるんだ。

 

 

 次第に瞳に、敵意が燃えていく。

 

---

 

~千夏side~

 

 美海ちゃんにはっきりと告げる。もう当分、友達として会うことはないだろうと。

 そのために失ったものだってある。引き返すという選択はあの日あの瞬間から消えていた。

 

 私は、今度こそ遥くんに好きと言ってもらう。一番だって認めてもらう。

 そのために、もう一つの愛は今邪魔でしかなかった。

 

 嫌いになったわけじゃない。・・・ただ、それより好きな人がいるだけなんだ。

 

 美海ちゃんの瞳には次第に敵意が滲んでいく。この間のようにまた感情を垂れ流すつもりなんだろうか。

 けど、今となってはそんなことはどうでもいい。私は私。ただ一人に認められたい存在。

 

 だからその言葉は必然的に放たれる。少々の嫌味と牽制を込めて。

 

「そう言えば、私も一つ謝っておかないとね。・・・髪、切ってゴメン」

 

「気にしてない」

 

「けど、ずっと好きだって言ってくれてたからね。それを無下にしてしまったことだけは変わらないよ」

 

「・・・」

 

 平静を装いつつも悲しそうな顔をしている美海ちゃんがそこにいる。本当に残念がってくれていることだけは嬉しかった。

 けど、それを褒められたあの日の方が、今はよほど嬉しい。

 

 

 ああ、でも、やっぱり。

 

 私はどこまでも弱い子で、どうしても目の前の存在が遠く離れていくのが嫌だった。割り切ると言ったはずなのに、最後の心残りがある。

 それは自然と言葉になって、音になった。

 

「ねえ、美海ちゃん」

 

「何?」

 

「いつか、いつかさ・・・。全部が終わって、それを受け止めて前を向いて生きていけるようになったらさ、その時はまた、友達に戻れないかな?」

 

「・・・分からないよ。ここまで拗れたんだだから。この先どうなるかなんて想像できない」

 

「やっぱりそうだよね。・・・ありがと、私の質問に答えてくれて」

 

 そんなうまい話があるわけじゃない。・・・もし私が選ばれなかった時、その傷を癒すのにどれくらいの時間がかかるか分からないし。

 だから、明確にそれを否定してくれて少し嬉しかった。自分が今立っている場所を再確認することが出来たから。

 

「・・・じゃあ、私帰るね。時間使わせてゴメン」

 

「ううん、最後にもう一回話せてよかった」

 

 美海ちゃんは私に背を向けて、小さな歩幅で帰っていく。次言葉を交わすようになるのはいつの話だろう。一か月、一年、はたまた一生行われないかもしれない。

 

 これが今生の別れになることだって覚悟してる。私が選んだ愛は、そういう愛だ。

 

 その姿が完全に見えなくなった時、言葉はふいに零れた。

 

「・・・これで、いいんだよね」

 

 選ばれなければ何も得ないまま、ただ全てを手放したことになる。けれどこうまでしないと、私が愛した男は手に入らない。

 なんでこんな道を選んだんだろう。・・・なんで、好きになったんだろう。

 

 改めて立ち止まって振り返ってみる。けれど、好きになった理由なんていくらでもあった。姿、生き様、性格、仕草、感情、その全部を見てきて好きになった。今更語りつくせるものじゃない。

 

 私が彼を思うのは義務じゃない。私自身の意志で彼を選んだんだ。

 だからもう迷うな、と小さく胸を叩く。

 

 

 彼がこの街に帰ってくる日を、私はただここで待とう。この場所に帰ってきた時、「おかえり」と告げるために。

 

 

---

 

~美海side~

 

 全ては壊れた。似たような形に戻ることになっても、二度ともとには戻らないそれぞれの関係。けどそれは私が望んだ慣れの果て。

 多分千夏ちゃんも、今はそんな気持ちを抱いてるはず。

 

「・・・ママ、私、頑張るから」

 

 今更誰に誓うわけでもないが、私は小さくそう呟いた。あの日愛を捨てようとしたことをママは多分どこかで見てくれているだろうから、今は愛を掴もうとしている姿を見せたい。

 

 その人は、ママがよく知る人物だから。

 

 少しかじかむ両手に息を吐いて空を見上げる。あの日々とは違う、温度のない雪が今にも空から零れてきそうだ。

 

 それは誰の未来を案じているのだろう。せめてそれが私のものじゃないことを祈る。

 

 

「・・・帰ろ」

 

 余計なことは考えず、私はただ家を目指して歩いた。

 明日には遥も帰って来るだろう。そうしたら真っ先に会いに行くんだ。

 

 

 

 私しか見ないって告げてもらうために。

 

 

 

 

 

 

---

 

~遥side~

 

 

「・・・よし」

 

 アパートの荷物をまとめて、俺は家の鍵をしっかりと締めた。

 昨晩、自分の未来を一晩中考えたのもあって、まだ疲れが体に残っている。

 

 それでも、俺は選んだ。決断した。今からそれを伝えるために、鷲大師へ、汐生鹿へと戻る。もう二度と逃げるようにこの場所に戻ってくることはないだろう。

 

 ここに辿り着くまで七年。それはもう長く辛い事の連続だったことだろう。

 そしてこれからも、またどこかで辛いことを覚えていくだろう。

 

 それでも、「愛」の感情を結び付けにいく。かつて自分が課した問に、今応える。

 愛することをやめないでくれと願った両親のため、期待してくれている人々の為、そして何より自分自身のために。

 

 

 

 返すべき特大の「愛」を抱えた列車が、朝の街を駆けていく。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 前書きにも書きましたが、この回を持って共通の話は終わりです。ここからは前作同様α、βと分岐して話を進めていきます。・・・まあ、前回とは展開が大きく異なるのでしっかり見ていただければと思います。
 にしても、ここまで長かったですね。本編の内容のみならず、更にその先の時間まで書いてたわけですから。文量も実は前作の二倍くらいになっています。どうかこの物語の最後までお付き合いください。よろしくお願いいたします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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千夏√
第百七十九話α 揺るがなかった答え


※αは、遥が千夏を選んだ際のルートになります。美海編はα終了後、第百七十九話βとして投稿させていただきます。


~遥side~

 

 荷物を抱えて、急いで海の家へと戻る。自分の気持ちに形がついた今、すぐにでもそれを言葉にしなければと思った。

 

 俺には、・・・俺の人生には、千夏が傍にいて欲しい。

 捨てきれることの出来ない、あの大切な空間に、千夏という存在がずっといて欲しい。それが俺の答えだった。

 もちろん、二人への遠慮など何一つない。これは俺が自分で決めて自分で選んだ答えだ。・・・一緒に苦しい思いをしてきたあいつとなら、どこまでも歩いていける。お互いの罪を、お互いでかき消し合いながら。

 

 ・・・でも、それをいの一番に伝えないといけない相手がいる。

 

 そう思った俺は家に帰るなりすぐに電話を掛けた。なんてことはない、ただ「会いたい」とだけ言葉にして、不要なやり取りは控えた。

 こんなところで、今から美海を傷つけようとしているところを悟らせたくはなかったから。

 

---

 

 太陽がちょうど真上で輝く午後零時。俺が美海に呼び出された場所は、駅から少し離れた公園だった。昼間のこの時間、ここにはろくに人が寄り憑かない。それを美海も分かっていたのだろう。

 

 その公園のベンチで一人、美海はボーっと空を眺めて佇んでいた。

 やがて俺の存在に気が付いて、表情を変える。どこか嬉しそうにしている。

 

 

 その表情が目に入ることが、溜まらなく辛い。けれど、決めた答えに嘘をつくことはなかった。一つ息を吐いて、震える声を絞り出す。

 

「・・・あの、美海」

 

「何?」

 

「答え、伝えに来たんだ。・・・一番最初に伝えないといけないのは、美海だって思ったから」

 

 けど、その言葉に美海が答えることはなかった。しばらく無言を貫いたかと富もうと、地面にボロボロと雫を零し始めて、湿った声で現実を言葉にする。

 

「・・・私は、選ばれなかったんだね」

 

「・・・っ!」

 

 それは、俺が真っ先に言うべきだった言葉。けれど美海は最初から分かっていたみたいだった。・・・俺が、あまりにも冴えない表情をしていたから。

 

「やっぱり、そうなんだ。・・・そうじゃなかったらよかったのになぁ」

 

「・・・ゴメン、美海、俺は・・・」

 

「謝らないでよ! ・・・謝られると、惨めな気持ちになって仕方がないの。・・・選ばれなかった相手に、情けなんて掛けないで」

 

「別に、情けなんかじゃ・・・」

 

「だったら、まだ迷ってるってこと?」

 

 真っ赤に腫らした目で、美海は俺を睨みつける。再び出会うことになったあの日のような鋭い目。・・・もうずっと見ることのなかった、痛いくらい感情をぶつけてきている瞳。

 

 俺は迷ってなんかない。千夏を選ぶと決めた今、迷う事なんて出来ない。

 ならばそれを証明するしかない。でもどうやって?

 

 ・・・証明方法は一つ。淡々とした言葉の数々で、その愛を断ち切ることだった。

 

 だから俺は謝らない。嫌な奴を演じてでも、美海に泥を投げつける。・・・そうでもしないと、目の前の巨大な愛を断ち切ることは出来なかったから。

 

「・・・俺は、やっぱりあの場所を捨てきれない。俺を育ててくれた人たちがいる。俺が愛したいと思った人がいる。・・・五年間待って裏切られて、それでも思いを捨てきれなかった。だから俺は、美海と共に歩むことはできない」

 

「・・・やっぱり、ズルいよ・・・」

 

 それは美海にはなかったアドバンテージ。俺が水瀬家に身を寄せる事がなかったら、と頭のどこかで思っているのかもしれない。

 けど、それは違う。違うんだよ美海。

 

「・・・いや、俺が水瀬家でお世話になることが無かったとしても、七年前のあの日の告白から俺の心は決まってたんだと思う。・・・ただ、その現実に向き合うのに時間がかかっただけだ」

 

「どうやってそれを証明するの!?」

 

「美海にはまだ言ってなかったけど・・・。俺、あの日の千夏の告白に答えるつもりだったんだ」

 

「えっ・・・」

 

 この事実だけは、ずっと言ってこなかった。気持ちを燃やし続けて来た美海の思いを削ぐことになるだろうと思っていたから。

 もっとも、そうしてきたせいで俺たちの関係はここまで拗れてしまった。だからこうやって伝えることで、せめてケジメくらいつけさせてほしかった。

 

「けど、愛が怖くて、とっさに答えが出なかった。出せなかった。それで千夏を動転させて、あの事故が起こった。その直前に、俺はちゃんと答えるつもりだったんだよ」

 

「じゃあ、私は最初っから眼中になかったってこと・・・!?」

 

「それは違う。千夏のいない五年間を支えてくれた美海に気持ちを抱いていたのも事実だった。・・・いつの間にか、同じような感情を抱く対象になってたんだよ、美海も」

 

 はじめは妹のような存在だった。お世話になったみをりさんの、大切な娘くらいにしか思っていなかった。

 けれど、傷を癒してくれた。一緒に歩いてくれた。あの日々で俺が美海に抱く気持ちはどんどん歪になっていった。今こんな思いをするなら、もっと早く断ち切ればよかったのにと思うくらいに。

 

「・・・」

 

「でも、千夏の記憶が帰ってきたあの日、俺の時計が動き出して思ったんだよ。俺は、こいつを手に入れるために生きてきたんだって」

 

 美海と生きてきたあの五年間の日々は、千夏ともう一度つながるための足掛かりでしかなかった。客観的に見た事実はこうだ。

 

 心がどんどん冷たくなっていく。美海と育んできた思い出の一つ一つに火をつけては焼却していく。傷を塞ぎ合った日々も、繋がろうとしたあの日のことも、俺に呪いをかけると言ってくれたあの日も、どんどん記憶の片隅に仕舞われて凍り付いていく。

 

 それが空になるころ、俺の言葉にためらいはなくなっていた。

 

「だから、美海。・・・俺はお前の思いには答えられない」

 

 最後に結論をもう一度突きつける。もう二度と振り返ることが出来ないように。

 それから美海はしばらく黙り込んだ。何を思っているか、なんてことは考えないようにする。それで傷つくのは俺も一緒だったから。

 

 そして震える声で、美海は俺に問う。

 

「・・・ねえ遥。最後に一ついいかな?」

 

「ああ」

 

「・・・私と二人きりの時間を過ごしてくれた遥は・・・演技じゃなかった?」

 

 目にいっぱいの涙をためて尋ねる美海に俺は即答した。

 

「もちろん。あれは紛れもない俺だよ。今でも全部鮮明に思い出せる。・・・美海といる時の俺は、いつだってありのままだった。そんな俺でいさせてくれたのは、お前なんだよ」

 

「・・・そっか」

 

 それから美海は上を向いて、目をごしごしと腕で拭った。最初より真っ赤に腫らした目で、無理やりに笑みを浮かべて俺に言葉を投げかける。

 

「千夏ちゃんと、幸せに、・・・ね」

 

「っ・・・!」

 

 凍りかけていた全ての感情と思い出が一気に爆ぜる。その笑みに、その言葉に込められた思いは、俺の覚悟など軽々粉砕するほどの力を持っていた。

 

 ダメだ・・・、揺らぐな・・・!

 

 目の前で不幸になろうとしている女性を助けてはいけない。ここで助けてしまっては、俺が積み重ねて、切り捨てたものが全部無駄になってしまう・・・!

 

 歯を食いしばる。心は血の涙を流して顛末を見届けようとしている。

 俺はどうにか震える唇で言葉を紡いだ。

 

 

「・・・ああ。ありがとうな」

 

 そこで限界は訪れる。美海を抱きしめようとする心が喉元までやってくる。

 邪念を断ち切るべく俺は踵を返してその場を去った。顔も見ず、何も言わず、ポツリとその場に佇んだままの愛しかった存在を放っておいて。

 

 

 ・・・これで、よかったんだよな。

 これで、幸せになれるんだよな。

 

 自分に言い聞かせて一歩、また一歩踏みしめる。

 

 

 空には雪が舞い始める。誰かを思い泣いているのだろう。

 ・・・その誰かを生んだのは俺と知りながら、俺はまた歩き始めた。

 

---

 

 

~美海side~

 

 

 愛しい背中が、だんだんと遠くなっていく。

 私は最後まで諦めなかった。今日だって、遥が私を選んでくれることを伝えてくれると思っていた。

 

 だから・・・心が今にも張り裂けそうで仕方がない。

 涙が止まらない。もう随分と泣いたのに、体の水分は全部目から流れていく。

 

 ・・・なんで。

 なんで私じゃダメなの?

 

 なんて聞いても、遥は私の望む答えをくれはしないだろう。だって、遥からすれば私じゃダメな理由は、「千夏ちゃんがそれより上の存在だったから」という言葉に尽きてしまうから。

 

 その言葉を聞いてしまうと、私はより負けたことを実感させられる。

 現実は十分に理解している。なのにわざわざこれ以上傷つく必要なんてなかった。

 

 だから最後は祝福の言葉を贈った。どうか幸せになってと。

 遥が幸せになることは、かねがね願っていたことだから。

 

 

 ・・・でも、私は。

 その隣に、いたかったんだよ・・・!

 

「あ、うぁあああ・・・!」

 

 拭いきったはずの涙は倍になってまた溢れる。俯いて地面を濡らし続ける。

 そして降り出した雪が頭に触れた時、誰かが私を背中から抱きしめてくれた。

 

 ・・・この匂いは、私の好きな匂い。ずっと私を思ってくれていた人。

 

 ぶっきらぼうな励ましの言葉を口にして、最後は優しく包んでくれる人。

 

 

「・・・馬鹿。悲しむくらいなら、最初から恋なんてするなよ・・・」

 

「さ、ゆ・・・」

 

「・・・お疲れ様。あたしが傍にいてやるから、今日だけはいっぱい泣きなよ。そして明日から、また一緒に歩こ?」

 

 その言葉が優しくて苦しくて、叫び声のような泣き声を上げて、私は雨を降らし続ける。強く泣けば泣く度、背中から伝わる温度が温かく感じた。

 

 慟哭だけが、空を貫いていく。

 

 

 

 ・・・さよなら、遥。私の大好きだった人。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 先に白状しておくと、作者は修羅場とかヒロインがフラれるシーン苦手だったんですよ。だから前作でも負けヒロインの描写は徹底的に排除してきました。けれど様々な作品に触れるうちに、負け際の美学というものに気づかされました(毎度おなじみホワイトアルバム2とかね)。自分で書いておいてなんですがこの回、作中トップテンに入るくらい好きかもです。さゆをいいポジションで描けたように思います。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十話α 罪負う二人、歩き出す時

~遥side~

 

 美海に別れを告げたその足で、俺は水瀬邸へ向かう。もう一つあった俺の居場所を断ち切った今、自分の家を除いて俺の居場所はもはやあの場所しかない。

 

 確か今日、千夏は休みだと言ったはずだ。今すぐ家に行けば会えるだろう。

 心に大きな穴を穿った今、その穴を塞いでくれるのは千夏しかいなかった。だから早く会いたくて、心は歯止めが効かなくなる。ただ激情のまま俺は走る。

 

 水瀬邸の玄関までたどり着く。合鍵なら持っているが、俺はインターホンを鳴らした。・・・もう一度、この家の人間として迎えてもらうために。

 

「はーい・・・って」

 

 ドタドタと音が聞こえた後でドアを開いたのは千夏だった。俺がインターホンを使ったことに驚いているのだろう。

 

「どしたの、インターホンなんか使って」

 

「いや・・・。今日来ること連絡してなかったから、勝手に家鍵開けて入るのも悪いだろうなって思って。・・・それで、なんだけどさ」

 

「分かった。待ってて」

 

 千夏はその言葉を聞くまでもなく一度家へと引き返した。髪をセットして外着に着替えて、もう一度玄関に現れるのが五分後。

 

「さ、行こう?」

 

「・・・よく俺が言おうとしてたこと分かったな」

 

「だってそれは、私がよく遥くんに言ってた言葉だからね。・・・きっとこうしたいんだろうなって、ただそんなことを思ってた」

 

 もはや言葉を介さずとも分かり合える関係。俺と千夏はそこまでたどり着いてたんだ。この長い年月の間で。

 これから歩んでいく未来へ大きな弾みがつく。きっと大丈夫だろうと心から思わせてくれる。

 

 二人並んで坂道を下る。伝えたい思いを告げるなら、俺たちを結び付けてくれたあの場所だって決めていたから。

 だからそこまで千夏を連れていく。もちろん千夏も行先を分かっているようで、ただ呑気に鼻歌を歌いながら一歩先を歩いていた。

 

 会話はない。ただ静かで少し不気味な、だけど心地のよい時間だけが過ぎていく。

 

 そして足を止めた時、ようやく千夏は口を開いた。

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

「・・・好きだ」

 

「え・・・?」

 

 間髪入れず、それは言葉となった。美海に別れを告げた手前で、心はただその思いに溢れていた。

 早く一緒になりたい。ずっと傍にいて欲しい。待ちに待たせた言葉を千夏に伝えたくて、俺の心は暴走していた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ・・・」

 

「待たない。・・・これが、俺の答えなんだよ」

 

 あの日言えなかった、心からの「好き」の言葉。お前が一番であるということの、その証明を、今言葉にして行う。

 最初は動揺のあまり表情を硬直させていた千夏だったが、次第にそれを歪ませていった。口に手を当てて震えている。

 

「・・・本当は、あの日こうやって伝えたかった。・・・だけど臆病だから、俺は逃げるしかなかった。・・・逃げてしまったんだよ」

 

「違うよ・・・逃げたの、私でしょ・・・!?」

 

 千夏は必死に涙をこらえながら、俺を否定する言葉を紡ぐ。

 

「答えを聞こうとしなかったのは私。遥くんが答えてくれるのを待たなかったのも私。・・・逃げてたのは、私なの」

 

「じゃあ、二人ともだ。・・・俺たちはあの日、二人とも逃げ出したんだよ。自分の思いと、目の前の答えから。・・・だって、怖かったもんな」

 

 あの日は全てが壊れることが怖かった。逃げ出したらもっと壊れることを知らずに、それを怖がっていた。

 最終的に、今全てを壊してここにいる。・・・だから出来るはずだ。あの日のやり直しを。

 

「・・・俺には、お前しかいない。お前に傍にいて欲しいんだよ、千夏」

 

「あ、・・・ああ・・・」

 

 膝から崩れ落ちて、千夏は嗚咽を漏らす。小刻みに震えて、涙を流している。

 

「本当に・・・私なの? 私でいいの・・・!?」

 

「ああ。お前でいい。・・・違うな、お前がいいんだよ。保さんや夏帆さんへの遠慮じゃない。妥協じゃない。俺個人の意思で、お前を好きでいたい。・・・だから、嫌じゃないなら、この言葉を受け取って欲しい」

 

「嫌なんかじゃないよ・・・! すごく、すごく嬉しいよ・・・」

 

 それでも千夏は顔を上げない。その理由はすぐに放たれた。

 

「でも、美海ちゃんはどうするの? どうやって、これを告げるの・・・?」

 

「・・・もう言った」

 

「え?」

 

「お前とは一つになれないって言った。あいつのこれまでの思いを全部拒絶した。千夏が一番だって、面と向かって伝えてきた」

 

 ついさっきの光景だ。すぐにでも思い出すことが出来るほどの鮮明な光景。千夏は申し訳なさで、また泣いた。

 

「どうしてそんなあっさり断ち切れるの・・・!?」

 

「あっさりじゃなかったよ。・・・たくさん悩んだ。頭の二日間、俺がどうしたいかをずっと考えてた。そして最後の一日、どうやってこの想いを伝えようか考えていた。・・・でも、その言葉はすんなり出てこなくてさ、不器用なこと言って、必要以上に傷つけた」

 

「・・・」

 

「でも、傷つけてでも手に入れたいだけの価値がお前にはあるんだよ、千夏。・・・たくさん失ってでも、俺はお前が欲しかった。・・・これじゃ不満か?」

 

 俺がそう伝えると、千夏はぴたりと震えを止めたかと思うと立ち上がって俺の胸に抱き着いてきた。俺の背中側を握る力は、年相応の女子のそれとは思えないほど力強い。

 

「・・・ねえ、今から酷いこと、沢山言っていい?」

 

「ああ」

 

「それでも・・・私を選んでくれる?」

 

「ああ。・・・だから、全部聞かせてくれ」

 

 その言葉を合図に、一つ息をついて千夏は大きな声を挙げた。

 

 

「遅すぎるよ!!」

 

 

「・・・っ!」

 

「こんなことになるなら、あの日早く答えを告げてよ! そうしたら私はあなたを傷つけずに済んだ! 美海ちゃんだって友達でいれたのに!」

 

「・・・ああ、悪い」

 

「遅すぎるよ、もう・・・!」

 

 千夏はやはり、美海への思いを断ち切らざるを得なかったことに大きな後悔を抱いていた。その直接の原因である俺はただ言葉を受け止めざるを得ない。

 

「苦しかったんだよ!? 傷つけた記憶を取り戻すように手術を受けて、あの日のことをずっと思い出せる体になって・・・。あの日、遥君を忘れたままでも、私は幸せになれたのに」

 

「じゃあ、今こうやって俺が告白するの、嫌だったか?」

 

「そんなことない!」

 

 思いきり首を左右に振って、俺の告白を肯定する。

 

「ただ今だけは、過去を引きずる嫌な女でいさせて・・・! あと少ししたら、これからの幸せだけを願う水瀬千夏になるから・・・!」

 

「ああ、分かった。・・・だから、全部ぶつけてくれ」

 

 それから次々ぶつけられる小言、怨嗟、後悔。その一つ一つを受け止めながら、俺は何度も頷いた。その言葉を浴びせられるたび、また好きの気持ちが溢れる。

 そしてその類の思いが全部止まった時、千夏は震えた声で言った。

 

「・・・これで私、幸せになれるんだよね? 幸せになっていいんだよね!?」

 

「ああ。・・・幸せにしてやる、とかは言わない。・・・一緒に幸せになりたいんだ。二人なら罪を一つ一つ潰していける。許していける。俺はそんな未来を歩いて行きたい」

 

「・・・じゃあ、改めて私も答えないとね」

 

 抱き着いたままの身体を離して、目元を何度も拭って涙を払い、真っ赤に染めた目元を細めて瑞々しく笑った。

 

「・・・こんな私だけど、どうか今後もよろしくお願いします」

 

「・・・千夏」

 

 ようやく答えが訪れる。俺はようやく千夏の一番になれた。

 そのために失ったものだってある。もう美海とこれまでと同じように会話することは出来ないだろうし、釘を刺したようにさゆがそれを許さないだろう。

 だから手に入れたものだけ抱えて俺は生きていく。抱えたものだけ守れる強さを胸に抱いて生きていく。

 

 それを確かめるように、今度は俺から歩みを寄せて、千夏を抱き寄せた。言葉もなく、ただ唇が触れる。なんの躊躇いもない、なんの雑念もない、千夏だけを思った純白の口づけ。

 

 10秒ほど続いて、俺たちはようやく離れる。もうそこには涙はなく、雨上がりの空間に二人笑った。先ほどまで降っていた雪も降りやむ。

 

 

「今日にでも、そっちに帰るよ。ちゃんとこのことを二人にも伝えたい」

 

「ああ、そのことなんだけどね」

 

「?」

 

「時が来たら、私、あの家を離れようと思うんだ」

 

 海を見つめて千夏が言う。それが何を意味するのかすぐに理解できた。

 

「海で働く事決めたからさ。遥くんがいいなら、私はあの家に住みたい。ちゃんと、二人で」

 

「そのころには結婚でもしてるんだろうな」

 

「気が早いよ・・・」

 

 けれどここまで膨大な愛を二人で結んだんだ。それが解けることはないだろうし、そんな未来が全く見えない。

 例えもっと嫌なところがお互い見つかったとしても、許し合い、治していける。これまでそうやって歩いてきたんだ。これからも・・・。

 

「ということで、下手にうっぱらったりしないでね」

 

「ああ。ちゃんと時には帰って手入れしておくよ。約束だ」

 

 それから俺は小さく差し出された千夏の手を取る。千夏は少し頬を赤らめて俯き、だけどそれを深く握り返した。

 そうして来た道を二人歩いて帰る。今度は新しい二人で、新しい未来を紡いでいく。

 

 

 

 失った悲しみなんて一瞬で忘れる位、今この瞬間が輝く。

 これが手にしたかった幸せなのだと、強い力で大地を踏みしめた。




『今日の座談会コーナー』

 告白回なんてもう何年振りですかね・・・。少なくとも二次創作だと前作ぶりなはずなんで四年ぶりくらいでしょうか。書くのは難しいけどやっぱりやってて楽しいですよね。これ言うのもなんですけど、最近では小説よりノベルゲーム派なので、こういった風にマルチエンディングのほうが好きなんですよ。今作はヒロイン二人ですが、もっと複数ヒロインの作品とか作りたいですよね。・・・あ、一応ハーメルンにも複数ヒロインの一次創作があります。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百八十一話α 帰るべき場所

~遥side~

 

 一度家に帰って、当面の荷物をまとめて水瀬家へ向かう。事前の連絡は必要かと思ったが、今日は二人とも夜まで帰ってこないらしい。「どうせ大丈夫だから」と千夏が言ったのもあって、俺はひっそりと住まわせてもらっていた客間に荷物を運びこんだ。

 

 そして夜まで俺は外をぶらつくことにした。どこか演技クサい流れになってしまうが、二人が帰ってくるというのに何も言っていない俺が堂々と居座っていてはまずいだろう。そんな小さいことを・・・、と千夏は言うが、これは俺なりの流儀とも言える。

 

 そして家のインターホンをもう一度鳴らしたのは午後八時。急な来客が折れであることに、扉を開けた夏帆さんは少し驚いた表情をしていた。

 

「遥、君?」

 

「どうも。・・・ちょっと連絡するタイミングがなくて急な来訪になっちゃいましたけど、これから家に上げてもらう事ってできますか?」

 

「そんなの全然大丈夫だよ。・・・それより、珍しいね。なんの前情報もなしに帰って来るなんて」

 

「・・・ちょっと、色々ありまして」

 

 もはや代名詞となった言葉でこれまでの時間のことをはぐらかす。それは後々、ちゃんと二人に説明するつもりだから。

 夏帆さんは何も問わず上げてくれた。ちょうど千夏はリビングとくっついている食卓の自分の席に着いていた。小さくアイコンタクトを取って、俺はその隣に座る。

 

 それから間髪入れず、二人の名前を呼んだ。

 

「保さん、夏帆さん。・・・ちょっといいですか?」

 

 俺の呼びかけに対し、何も言わず二人は残ったもう片方の二席に着いた。場が膠着したところで、改めて二人の表情を見る。

 が、ここは流石に大人。簡単に内情を読み取らせないと言わんばかりの素の表情でそこについている。・・・だからこそ、俺は安心した。

 

 ひとつ息を吐いて、さっき結ばれたことを話す。

 

「・・・改めて、二人にお話があります」

 

「うん。・・・聞くよ」

 

「・・・千夏さんと、お付き合いをさせてもらってもいいでしょうか」

 

 そんなかしこまらなくても二人はそれを受け入れてくれるというのに、俺はどこか他人行儀にそれを言ってしまった。

 そのぎこちなさに、夏帆さんはおろか、保さんもクスリと笑いだした。そしてその笑みは次第に引いて、今度は穏やかな慈愛のものに変わる。

 

「・・・それが、遥君の選んだ答え、ということでいいのか?」

 

「はい。・・・随分時間がかかっちゃいましたけど、俺にはやっぱり千夏が必要なんです。・・・そして、二人もまた」

 

「それは、俺たちに遠慮した答え・・・というわけでもなさそうだな」

 

 覚悟の据わった俺の目を見て、保さんは繰り出しかけた言葉を引っ込めた。

 隣で千夏が顔を赤らめて俯いている。俺はその彷徨える右手をしっかりと握って顔を前に戻した。

 

「・・・本当に、いいのか?」

 

「はい。これがいいんです。・・・千夏のことが好きです。誰よりも。だから幸せになるって願いをここで叶えたい。・・・そして、もう一つの願いも叶えたいんです」

 

「それは?」

 

「・・・ちゃんと、二人のことをお父さん、お母さんって呼ぶことです」

 

 言おうとしてはためらっていた。だけどたしかに口にしたかった言葉。それは同時に、俺が心からこの人たちと家族になるという意志を表明していた。

 その言葉に、夏帆さんは口を手で押さえて震えだす。保さんも心なしか嬉しそうな

表情を浮かべて、それでも冷静なまま答えた。

 

「・・・そうか。それはどこまでも、嬉しい事だな」

 

「遥くん、いつのまにそんな話をしてたの?」

 

「ずっと長い間、時間をかけてしてたよ。お前が眠ってた時、お前が帰ってきてから、・・・それで、やっと答えが出たんだよ」

 

 これに関しては、水瀬千夏の彼ではなく、二人の子として育てられた俺のプライドでもある。誰にも踏みにじられたくない領域だ。

 それから俺は間髪入れず、もう一つの大事なことを告げる。選んだ道から逃げられないように、自分の心を確かなものにするために。

 

「・・・それと、お二人にもう一つ伝えておきたいことが」

 

「なんだ?」

 

「このお付き合いなんですけど・・・、俺の方は、結婚前提で考えさせていただいてます」

 

 なかなか急なその一言に、目の端に涙をため、苦笑いを浮かべた夏帆さんが反応する。

 

「結構気が早いことを言うんだね」

 

「私もそう言ったんだけどさぁ・・・」

 

「俺もそう思います。・・・でも、この関係が遊びじゃないことを証明したいし、何より、ただの交際よりも色濃い時間を、これまで長い事過ごしてきたので」

 

 だからお互いのいいところ、悪いところを理解しあえている。それでいて一緒にいたいと思えるのだから、嫌いになる所などもはや一つもない。

 ならばこの踏み込んだ誓いだって間違いではないはずだ。それほどまでに、俺は手を繋いだ先の千夏を愛している。

 

 夏帆さんもそれを理解して、保さんと頷きあって答えを告げた。

 

「うん。・・・結婚に関してはまだ時間がかかるだろうけど、今の遥君になら全部託せるよ。千夏のことも、その将来のことも。・・・だから、これからもよろしくね」

 

「・・・はい!」

 

 威勢のいい返事は自然と放たれる。その期待に答えたいとどこまでも願う。こんな歳にもなって未だに未熟な俺だけど、だからこそ向上心を忘れずに生きていける。

 

 千夏の男として、二人の子供として、まだまだやるべきことは多いはずだ。それを一つずつ、千夏と一緒にクリアしていこう。

 

---

 

 

 二人に受け入れて貰えた満足感からか、部屋に戻ると急に疲れが押し寄せた。

 

「そうだよな。・・・今日、沢山あったからな」

 

 大きな何かを失った。新しい大切を繋ぎ直した。身体が疲労を感じるのなんて、それだけで十分な話だ。

 このまま寝転がってるだけではそれにやられてしまうだろう。意を決した俺は縁側の方へ向かった。

 

 そこにいつものように保さんが座っていた。恰も、俺を待っていたと言わんばかりに。

 

「待ってたんですか?」

 

「・・・ああ、待ってたさ。遥君が向こうに帰ってから、ずっとこの日をな」

 

「保さん・・・」

 

 どこか哀愁が混ざったようなその呟きに、俺は言葉を失った。この人は目に見えて感情を垂れ流さないが、その代わり言葉に全部詰めてくれる。だから、気づきやすい。

 

 俺がこの場所を選ぶことを、ずっと待っていてくれてたんだ。

 

「・・・随分、答えるのが遅くなっちゃいました。申し訳ないです」

 

「怒るはずないだろう。・・・なんせ、こうやって話すことすらなくなってしまうことを覚悟してたくらいなんだからな。多分俺は、心のどこかで遥君が帰ってきてくれることを諦めてたのかもしれん」

 

「・・・そんな人は、ずっとこの場所で待ってくれてたりしませんよ」

 

 少なくとも、諦めてしまったらそれにまつわる記憶を全て消したくなるはずだ。俺がもし保さんの立場なら、とっくにこの場所に俺を求めることをやめているだろう。

 口ではそう言いつつも、この人はずっと俺のことを信じてくれていた。それはちゃんと、伝わっている。

 

 けどこの面倒くさいところが、千夏そっくりなんだよな、この人は。

 

「・・・美海ちゃんには、酷いことしてしまったな」

 

「保さんが責任を負うことはないです。・・・これはあくまで、俺と、千夏と、美海との話です。子の不始末でも、親が責任を取る必要なんてないんですよ。・・・みんな納得して、選んだんです」

 

 傷つくことを選んだもの。傷つけることを選んだもの。みんなそれぞれそうであって、中途半端な心を抱いていた人は一人もいない。・・・曖昧な答えを出さなかったことだけは、ちゃんと誇りたい。

 

「それより、さっきはちょっとグダグダになっちゃいましたけど・・・、改めてよろしくお願いします。保さん」

 

「お父さん、とは呼んでくれないのか?」

 

「結婚を決めた時、そう呼ばせてください。・・・その時俺はようやく、ちゃんと二人の子供になれるんです」

 

「なんだ、俺と考えは一緒か」

 

 保さんはそう呟くと、小さく笑みを浮かべて俺の方を向いていった。

 

「この七年間、ずっと他人行儀な呼び方をやめたかったんだ、俺は。いつかちゃんと『遥』と呼べる日を待ってた。・・・そうか、ようやく叶うんだな」

 

「そう、だったんですね・・・」

 

「これでやっと、俺は遥君のことを『息子』だって思っていいんだな」

 

 その呟きに、思わず涙が溢れそうになる。千夏のいなかった孤独な五年間のことを鮮明に思い出してしまう。ずっと変わらない愛をくれた二人のことを。

 

 ・・・引きずってない。遠慮してない。

 

 だけど、やっぱり俺は、この場所が好きで・・・。

 

 俺は深々と頭を下げる。

 

「これからも、どうかよろしくお願いします」

 

「それを言うのは俺たちの方だ。・・・千夏のこと、好きか?」

 

「はい」

 

「結婚したいか?」

 

「許されるなら、すぐにでも」

 

「そうか」

 

 恥ずかしがる素振りもなく即答する俺に、保さんは呆気にとられたようだった。それから目を細めて遠くを見つめる。

 

「・・・あいつのこと、よろしく頼む。遥君も知ってると思うが、我儘で血気盛んな娘だ。時々暴走して、いう事を聞かなくなる。・・・だから、ちゃんと引っ張ってやってくれ」

 

「はい。・・・ちゃんと二人で歩いていきます」

 

「・・・千夏が選んだ子が、君でよかった」

 

 それから保さんは太く力強い手を俺の頭にのせる。こうやって撫でられるのは嫌いじゃない。特に、大切なこの人ならなおさら。

 だから俺は身を寄せる。親に甘える子供のように人1人分開いていた空白を埋めて、この愛おしい時間に身を委ねる。

 

 

 そこが自分の居場所だと、忘れることが出来ないように刻むために。




『今日の座談会コーナー』

 リメイクを書くにあたって、ちゃんとこの二人との関係は清算しないといけないと思っていたので書きます。βでもやります。多分書くころには血反吐を吐くような思いだと思いますが。・・・なんでしょうね、自分を信じてくれた存在を裏切るって行為がたまらなく嫌いなんですよ。相手がそれを気にしてないといっても、自分の中でそれを許せないというか。遥の面倒くさい性格は、案外作者のが如実に出ているのかもしれないですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百八十二話α 緩やかな1歩を

~千夏side~

 

 色々あって生まれた悶々とした感情を抱えたまま、湯舟に浸かって天を仰ぐ。

 それからリビングの方に戻ると、お母さんが私の方を見てちょいちょいと手招きしていた。

 

「千夏、ちょっと来てくれる?」

 

「うん。・・・二人は?」

 

「いつもの。だから多分当分帰ってこないだろうね。・・・その間に、話しておきたいことがあるの」

 

 言わなくても分かる。遥くんとのことだ。

 それは私の今後にも関わる話。多分、今しか出来ない話だろう。

 

 ひとつ唾を飲み込んで、私はお母さんの向かいの席に座る。

 まずお母さんが浮かべたのは安堵の混じった笑み。

 

「・・・よかったね、千夏」

 

「うん。・・・ちゃんと報われてよかったって思うよ。・・・あんまり『もしも』の話するの好きじゃないんだけどさ、選ばれなかったら、私には何も残らないんじゃないかって、ずっと怖がってた」

 

「そういうところ、お父さんそっくりよね、千夏は。心のどこかで臆病になって、それを怖がって」

 

「お父さんも?」

 

「口では言わないけどね、あの人は」

 

 私は鈍感だから分からなかったけど、もう長い事同じ時間を過ごしてきたお母さんだからこそ分かることがあるんだろう。

 ひとしきりの笑みを浮かべて、お母さんは本題に入らんと言わんばかりに黙った。顔つきの変わりようを見て、私も息を飲んで言葉を待つ。

 

「・・・さっきの話だけどね。遥君と結婚する気、ある?」

 

「お母さんまで・・・」

 

「私も気が早い話だとは思うよ。・・・でもね、多分時間の問題だと思う。だから聞かせて欲しい。千夏が今遥君のことをどう思ってて、どういう未来を描きたいか。・・・ほら、そういう事あんまり言ってくれなかったから」

 

 お母さんはお母さんなりに不安なのだろうと思った。多分私以上に、全てが壊れることを怖がっているんだと思う。

 ・・・臆病で怖がりなのは、どっち譲りの性格なんだろうね、ホント。

 

 だから少しでも安心させてあげられるように、私の「本心」を言う。それがお母さんの望む答えじゃなかったとしても、揺るがない覚悟を胸に。

 

「結婚、したいよ。今はまだ高校生だから流石に無理なことは分かってるけど・・・。それさえないなら、今すぐにでも一つになりたいよ。だから、結婚前提でって言ってくれた時、ホントは嬉しかったんだ。・・・もうはぐれることはないんだなって」

 

「そう、なのね」

 

「でも、結婚するしないに関係なく、一つだけ叶えたい私だけの夢があるんだ」

 

 ここからが私の「本心」。多分、お母さんを悲しませるであろう決意。

 

「私ね、やっぱり海で生きたい。だから結婚したら、遥くんと一緒に海で過ごそうと思ってるの。職場も、そっちのほうで探す」

 

「海で、ってことは・・・」

 

「うん。この家とも一旦お別れ。もちろん何度も帰って来ることになるだろうけど、もうずっと住むことはないと思う。急にこんなこと言い出しちゃってごめんね? ・・・だけど、これが私が描いてる未来だよ、お母さん」

 

 言い切ったあとの爽快感は、目の前のお母さんの物寂しそうな表情ですぐにかき消された。・・・何も言えないままおじいちゃんと生き別れてしまったんだ。別れが怖くないはずなんてない。

 

「・・・あと、二年?」

 

「うん。後二年」

 

「そしたら千夏も遥君も、ここで暮らすことはなくなるのね」

 

「・・・うん」

 

 認めたくもない事実を声に出して、お母さんはそれを確かめる。最後には黙り込んだが、どうにか作り笑いを浮かべて顔を上げた。

 

「ならあと二年は少なくとも、ちゃんとしたお母さんでいなきゃね」

 

「少なくとも、なんて言わないでよ。離れてもお母さんはお母さんなんだから。・・・私の、そして遥くんの大好きな」

 

「ごめんなさいね。・・・でも、やっぱり想像しただけで寂しくなっちゃってさ。それが幸せなことで、応援するつもりだってあるって思っても、寂しさには勝てないの」

 

 いたたまれなくなった私は、席を立った。向かいの席まで歩いて行って、そっと後ろからお母さんを抱え込む。遥くんがそうしてくれたように、私もこうすることで誰かを包み込んであげたかった。

 

「千夏・・・!?」

 

「大丈夫だよ、お母さん。・・・大好きだから、ちゃんと帰って来るから」

 

「・・・もう、泣かせないでよ」

 

 そう言ってお母さんは両手で顔を覆う。私が泣き虫なのは多分お母さん譲りだね。

 そして泣き止むまでずっと私はお母さんの傍にいた。大丈夫だよと呟きながら、背中を摩る。遥くんに教えてもらった全部が、私から溢れてくる。

 

 もう貰ってばかりじゃいられないよね、私も。

 

 お母さんが泣き止む頃、縁側の方で音が聞こえた。話にひと段落ついたのだろう。

 秘密の花園、ガールズトークもここまで。私はお母さんのもとを離れた。

 

「まあ、そういう訳だから。結婚もする。夢も叶える。・・・それで、ちゃんと休みにはここに帰って来る。約束するから、もう泣かないでね?」

 

「ええ、もう大丈夫よ。・・・ありがとう、千夏」

 

「ううん。私の方こそ。・・・あの日、もう一度進みだす勇気をくれてありがと」

 

 罪に押しつぶされそうになった時、勇気をくれたのはお母さん。

 あの日前に進むことが出来たから、私は今幸せなんだよ。

 

 ・・・だから、ありがとうね、お母さん。

 

---

 

~遥side~

 

 

 壁の外がシンと静まり返る。時計は11時を指している頃だろうか。

 身体は疲れているというのにどうも眠れない俺は、壁にもたれかかって電灯一本の明かりで本を読んでいた。将来への勉強に終わりはない。

 

 けれどその集中はあっけなく妨げられる。よもや扉が開くなどとは思っていなかったからだ。

 

「千夏・・・」

 

「邪魔しちゃうね」

 

「ああ。ちょっと待ってろ」

 

 そう言って俺は本を畳む。それから千夏のほうに向こうとしたが、それは千夏から止められた。

 

「そのままでいいよ」

 

「何が、・・・って」

 

 立ち上がろうとする前に、背中にずしりと体重が乗る。千夏は俺の背後に背中合わせに座っていた。

 やれやれ、と一度目を伏せて、俺はその重みを受け止める。

 

「・・・私たち、恋人、なんだよね」

 

「ああ。告白して、受け入れて貰ったからな。晴れて俺たちはカップルだよ」

 

「あはは・・・。やっぱり、馴染まないや」

 

「そうだな」

 

 千夏の苦笑いは俺にも伝染した。拗れすぎた俺たちに、そんな素直な言葉はどうも似合わないらしい。

 多分、そんな簡単な言葉で表せないのだろう。俺たちの関係は。

 

「・・・ねえ遥くん。いつしようか」

 

「何を?」

 

「結婚」

 

「・・・微妙な反応してたの、嘘だったのかよ」

 

「別に微妙な反応なんてしてないよ。確かに気が早いなって思ってたけど、それだけ。私だってしたいよ? 結婚」

 

 千夏の言葉に俺は安堵混じりのため息を吐く。何にせよ、思いを受け入れて貰えてよかった。

 

「ま、現実的な話千夏が高校を卒業するまで我慢だな。多分、その後すぐになると思う」

 

「そんなとこだろうね」

 

「・・・問題は、俺の理性が持つかどうかだけど」

 

「お預け二年か~。確かにストレス溜まるよね。・・・『せめて籍だけでも!』ってなるけど、流石に学生結婚は私が嫌」

 

 そんなこと分かっている。少なくとも千夏が望まないことはしないつもりだ。

 

「まあ、のんびりやっていこうよ。・・・まずは二人、傷を癒すところから。そして傷が癒えたら、のんびり幸せになろう。・・・幸せになること、焦んなくていいよ。私はいなくならないから」

 

「・・・焦ってた、のかな?」

 

「たぶんね」

 

 そうなるだけの要因が俺にはある。手遅れになる前に全てを結びたいと思ってしまうのは、過去の傷があるからだろう。

 だけど、俺はそれ以上に千夏の言葉を信じる。・・・千夏はいなくならない。

 

 ならば俺も、ちゃんとそれに対する返事をしないとな。

 

「・・・ゆっくり、か。そうだな。・・・ただ、後悔だけはしないようにしたいから、愛に対してはとことん貪欲になるぞ、俺は」

 

「いいよ、受け止めてあげる」

 

 地面に放り出されている両手をしっかり握る。背中合わせの姿勢は変わらないけど、今日はこれでいい。明日はもっと近づこう。

 

 そうして一つ一つ愛を確かめていきたい。俺が選んだ愛の価値を、正しさを、喜びを、美しさを。

 

 

「・・・ずっと、一緒にいような」

 

「うん」

 

 

 誓いは鋼より重く、固い。




『今日の座談会コーナー』

千夏√はあと十話もしないうちに終わる・・・かもです。終わらないかもなのでこの言葉は当てにしないでください。というより、作者水瀬家大好き問題が浮上してきてますね。オリジナルキャラクターだから肩入れしてる、とかそういうのはないんですけど、オリジナルキャラだからこそ自分の好きな要素全部盛りとか勝手にしちゃってるのかもしれないです。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十三話α 導く者でなく

~遥side~

 

「そっか、決断したんだね」

 

 ちさきにそう言われたのは、いつも通りバイトに勤しんでいた日の昼休憩のこと。千夏に思いを伝えて2週間が経とうとする頃。

 ちさきとはあれからお互いの休憩時間が被った時はこうやって話すようになった。

 

「ああ。ちゃんと二人に自分の思い全部吐き出したよ。・・・まだちょっと辛い部分もあるけど、あいつと一緒なら乗り越えられる」

 

「うん、信じてる。・・・後悔のない選択、出来たんだね」

 

「後悔するかどうかはこれからの俺の頑張りようだよな。・・・けど、後悔するつもりなんて全くねえよ。好きな人と一緒にいるんだぜ? 乗り越えられる気になるのは、お前もよく分かってることだろ?」

 

「そうだね」

 

 ちさきは自身の指先を軽く触れながら答える。それから目線を目の前の光景に戻して、俺にある宣言をした。

 

「そう言えば、なんだけど。ちょっと報告があってさ」

 

「報告?」

 

「この間ね、紡からのプロポーズがあったの」

 

「・・・まじか」

 

 中学時代からのあいつを知っているだけに、その大胆さにはつくづく驚かされる。腹を決めたら迷わないその精神は、やっぱ見習うべきだよな。

 よく見るとちさきの薬指は指輪が嵌めてあった。・・・つまり、答えはそういう事だ。今更聞くまでもない。

 

 ただ、聞くことがあるとすれば・・・。

 

「結構早い決断だったんだな、あいつ。そうはいっても学生結婚だぞ?」

 

「もう二度と離れることがないって証明をしたかったんだってさ。・・・確かにこの二年、距離が距離なだけにすれ違うことも時々あったし。だから私も頷いた。だって、一緒にいたいもん」

 

「ああ、素晴らしいことだと思う。・・・心から祝福するよ。おめでとう」

 

 離れ離れになった俺たちだけど、紡とちさきだけはずっと同じ時間と同じ道を歩んできた仲だ。俺たちにしか分からない絆はある。

 

「それで、式は?」

 

「それは紡が大学を卒業するまで我慢、って話になったよ。結婚は嬉しいけど、それで舞い上がっちゃダメだよねって私のほうから釘を刺した。・・・特別なことなんてなくていいの。私はこの一分一秒を大切にしたいから」

 

 しっかりとした考えをちさきは持っていたようだった。極端から極端に、判断を焦るちさきはもうここにはいないみたいだ。

 ・・・俺たちも、ずいぶんと大人になったんだな。

 

「のんびりやっていく、ってことか」

 

「うん。だから遥も焦っちゃだめだよ?」

 

「ははっ、この間千夏にも言われたよ。のんびりやっていこうって。だから、のんびり歩いて、ダラダラと幸せを掴む。一気に手にしたって困るだけだからな」

 

 海が冬眠から目覚めた時のどことない虚無感を覚えている。それは幸せな悩みではあるのだが、あの虚無感は焦りとの対価なのだろう。

 時間は有限だ。焦る気持ちも十分に理解できる。それでも、急いでも幸せを感じるメーターには上限がある。ならばゆっくり満たしたって構わないだろう。

 

「ところで、遥。就職はどうするの?」

 

 話は変わって、ちさきは俺が抱えていたもう一つの問題を口にする。

 けど結局これは二人のどちらを選ぶかという選択を終えたところで答えが決まっていた。最初から紐づいていたのだ。

 

「ああ、それなんだけどさ」

 

 

・・・

 

 

「そっか。ちょっと意外かも」

 

「ああ。やって来たことが無駄にならないし、俺としても新しい刺激になるだろうよ。・・・いっぱい、いろんな人の人生の形を見てみたい。それが俺の夢だ」

 

 滝登りのような人生もあれば、奈落のような絶望の人生もある。俺はいろんな人のそれと向き合って、一緒に頭を使いたい。

 だけど導きはしない。救いを与えることもしない。・・・俺はただ、きっかけになれればいい。結局自分の人生は自分で決めるしかないのだから。

 

「・・・あ、そろそろ私戻らないといけない。遥はあと三十分くらいあるんだっけ?」

 

「ああ。んじゃ、頑張れよ」

 

「またね」

 

 時計を一瞥したちさきは急いで階段を下っていった。一人残された俺は、残された三十分の時間をどうやって潰そうかとぼんやり考える。

 

「・・・そういえば、最近あの人に会ってなかったよな」

 

 今診察が入っているかどうか分からないが、たまには昔みたいに顔を出してみてもいいだろう。俺もちさきの後を追って屋上を後にした。

 

---

 

 かつては患者として通っていた部屋に、今は職場の人間として入る。その新鮮さに苦笑いをしながら、俺は戸を叩いた。

 

「遊びに来ましたよー」

 

「ん、ああ。島波じゃねえか。この時間に来るのも結構久しぶりだな」

 

「先生ここ最近診察立て込んでましたからね。多少は減りました?」

 

「ああ。おかげで最近はまあまあ暇だよ。んで、何か用か?」

 

「ドア開けた時に言ったじゃないですか、遊びに来たって」

 

 そんな他愛もない話を繰り広げながら、俺は客用の椅子に腰かける。別にこの場所で休憩する義務はないが、大吾先生はどうしてもここを動こうとしない。

 

「で、どうだ。上手くやってるか?」

 

「ええ。まだ二週間なんでちょっと戸惑いとか慣れないこととか多いですけど、心地の良い時間が過ごせてますよ。・・・すごいですね、恋愛って」

 

「ああ。俺もあいつと付き合い始めた時に同じようなことを思ったよ。・・・もう二年か、あいつとの時間も」

 

 結婚式はつい二か月三か月くらい前のこと。だというのに、それはもう遠い昔のことのように思えた。充実した毎日は過ぎ去るのもあっという間だ。

 

「そういえばお前に伝えてなかったんだけどよ、・・・鈴夏に、子供が出来たんだ」

 

「へ?」

 

「いや、そのまんまの意味。先週くらいに分かってよ」

 

「・・・」

 

 絶句している俺に大吾先生は不満そうな声を挙げる。

 

「何か言えよ」

 

「ああ、いや・・・。普通に実感湧かなくて驚いてて・・・。・・・けど、すごいじゃないですか。おめでとうございます」

 

「やっぱお前に真正面から祝福されると気ぃ狂うな」

 

「素直に受け取ってくださいよ」

 

 最後は茶化して俺は笑う。だけどこの祝福の気持ちだけは本物だ。多分大吾先生は分かってくれていることだろう。

 ・・・人が幸せになる過程を、周りの人はまざまざと俺に見せつけてくる。その幸福そうな顔を見るたびに焦ってしまう気持ちは生まれる。抑えるなんて無理な話だ。

 

 俺も、こんな人生を・・・。

 

 などと一人感傷に浸っていたが、大吾先生は少し浮かない顔をしていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「・・・不思議だよな、親になるって」

 

「不思議って・・・」

 

「俺はさ、両親に酷くたてついて育ってきた。それは鈴夏も同様。そんな俺らが、立派に親やれんのかなって思うと、やっぱ少し不安になるんだよ。・・・俺は、俺が誇りに思ってた二人みたいな親になれんのかなって」

 

 その不安を、俺は自分の身に置き換えることは出来なかった。おそらくそれは、同じような境遇で俺も思ってしまうことだろうから。

 俺の両親は子への愛より最初に愛した相手への愛を優先した人間だ。・・・そして俺には、その両親の血が紛れもなく流れている。

 

 その時俺は、愛した女性と同じように子供を愛せるのだろうか。不安になってしまう。

 

「親、ですか・・・」

 

「けど、ああだこうだ言ってられないんだろうな。覚悟なんてする前に俺たちは親になっちまう。だったらせめて、その場で間違えないようにすることが、精一杯の足掻きなんだろうよ」

 

「ですね。・・・多分、俺の両親もそうだったんで」

 

 あれは両親なりに足掻いた結果だ。俺は今更それを責めたりしない。

 ただ、あの日のことも無駄にはしない。誰かが開拓した道に対して、新しい答えで答えるだけだ。

 

「ごちゃごちゃ考えててもなんだ。とりあえず俺は精一杯、正しいと思ったことをやってみるよ。もしそれでだめなら、お前が止めてくれ」

 

「それは俺もですよ。・・・その時が来たら、ちゃんと俺のこと止めてください」

 

 そうしあえるのが「友」という存在だ。

 俺と大吾先生はもはや「患者」と「医者」、「導かれる者」と「導く者」という関係じゃない。歳こそ離れているが、「友」という存在同士だ。

 だから俺は、そうやってお互いを支え合い、導きあいたい。この人となら、それが出来るはずだ。

 

「・・・しゃーねえ。そんときゃ俺も人生の先輩面出来るからな。ビシバシ言ってやるよ」

 

「ありがとうございます」

 

 口先で感謝の言葉を紡いで、俺は小さく笑った。

 

 ・・・あ、そう言えば。

 

 本題、というか、この人に伝えておきたいことがもう一つあった。俺のこれからの話だ。

 ずっと親身に相談に乗ってくれた人だ。だからちゃんと答えを持って向き合いたい。

 

「そういえば、なんですけど」

 

「どした?」

 

「就職・・・どうしようか決めたんです」

 

「おお、そうか。この職場に残るか?」

 

「・・・」

 

 俺は首を二、三度ほど横に振る。大吾先生はそれを見て小さく「そうか」とだけ呟いた。その声音はあまりにも残念そうで、胸が苦しい。

 

「俺、先生やろうと思うんです、海の方の学校で」

 

「もう一つやりたいことがある、って言ってたほうか。別に否定はしねえけど、なんでそうしたいって思った?」

 

「この間、千夏の手伝いに付き添いで行った時思ったんです。世の中には俺と同じようにどこかに悲しみや空虚を抱えた子供がいる。けど、病院の先生としてそれに向き合うのはどこか堅苦しくて、義務みたいなもののような気がして、嫌で」

 

 誰かと向き合うなら、それは俺個人で行いたい。

 

「きっかけを与えるだけでいいんです。・・・そんでもって、子供のうちに大切なことに気づいてもらいたい。全部が歪んでしまう前に」

 

「やってることは、ここでお前に託そうとしていた仕事と変わらないんだな」

 

「あと、一番の決め手は、千夏が選んだ海で生きたいと思ったからです」

 

 忘れないように言葉にしておく。

 千夏のために、というわけではないが、千夏が俺の道を決めてくれたきっかけであることには間違いない。

 

「・・・そっか。お前がこの職番にずっといてくれりゃ、俺ももうちょい気楽に仕事出来たんだけどな」

 

「期待に沿えず、すみません」

 

「謝んなって。それがお前の心からの選択なら、俺は応援する。・・・あ、でもたまには遊びに来いよ? 海で生きることを決めたからって、もう二度とこっちに来ない、なんてことはないだろうし」

 

「もちろん。暇があれば会いに行きますし、遊びだって誘ってください。こんな選択ひとつで切れる関係じゃないでしょう? 俺と先生は」

 

「違いない」

 

 大吾先生は吹っ切れた笑みを浮かべた。寂しくはあるのだろうが、それでも笑って俺の背中を押してくれた。俺に出来ることは、その期待に応える事。

 

「・・・うし、んじゃ早速今晩飲みにでも行くか」

 

「今日ですか!? ・・・そうですね、十時までに帰してくれるなら」

 

「もちろん、俺もあいつを長時間放置なんてするつもりねえからな。今が一番大変な時期だし」

 

 だったら飲み誘う暇ないんじゃ・・・、なんて思うが、あの人もあの人で面白そうなことが起こってる、と馳せ参じそうな人だ。許してくれるだろう。

 

 

 境遇が変わろうとも、日々は慌ただしい。

 だけど俺は間違いなくこの慌ただしい日々が好きで、ずっと続けと願うだろう。

 

 

 その中で、ただ一つ変わらない愛さえあればいい。




『今日の座談会コーナー』

 こうやってアフター書いてて思うんですけど、やっぱり深堀り出来るシーンいっぱいあるんですよね。前作書いてた時何を思ってたんだろう・・・。人と人の絡みを重宝しているこの作品なので、締めを淡泊にする必要はないんですよね。まあ、ダラダラと続けるのもあれなので、ここからは時間が飛び飛びになっていくと思いますが。
 この作品が終わるころ、どれだけ虚無になるのか・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十四話α 恋も愛も越える時

~遥side~

 

 時は移ろい行き、環境は変わる。大吾先生のところに第一子が生まれたり、ちさきと紡が正式に婚約したり。

 そしてそれは俺にとっても例外ではない。大学最後の一年間は、やりたいように研究を進めているとあっという間に終わってしまった。時の流れは無慈悲なもので、俺はとうとう大人になってしまった。これからは仕事という義務が付いて回る。

 

 最初の一年は、それに慣れるための戦いだった。もともと俺はプレッシャーや義務に弱い人間だ。それこそ先生などというストレスのたまる仕事を選んでしまっているので、それはもうかなりの負担。

 

 それでも、周りの人間の支えもあって、四苦八苦しながらここまで来た。俺が大学を卒業して以降初めての春が来る。

 それは同時に、千夏の高校卒業の時期を意味していた。

 

 ・・・だから俺は、決断をする。

 

---

 

「最後の春休みかー。なんかしっくりこないよね」

 

 俺の家のソファでくつろぎながら、千夏はそんなことを呟いてみる。それはまさに、俺が去年体験した感情だった。

 

「四月からはお前もこっちで働くんだろ? 今のうちに英気を養っておかないと」

 

「遥くんも昔言ってたけどさ、大人になるってすぐなんだね。悲観にくれる暇もないくらいに」

 

「ああ、そうだよ。・・・学校生活、名残惜しいか?」

 

「そりゃあねぇ。・・・でも、もう一度それを手に入れるために大学は行きたくなかったから、この判断は正しかったと思うよ」

 

 千夏はちゃんと自身のまっすぐな意思でそう答えた。横着や甘え、義の欠片もないような行動をしない奴でよかったと俺は心の隅の方で思う。

 

「・・・けど、せめて大人になる前に、何か忘れられないことしたいな」

 

「忘れられないこと、か」

 

 とはいえど、初夜はとっくに迎えてしまった。本当に自然な成り行きで、お互い止めることもないまま。二人に勘づかれて顔を赤らめたことも覚えている。あれは紛れもなく忘れられないことだ。

 

 それと同じくらいの何か・・・。それを探すのはまあまあ至難の業だ。

 

 けど、それだけのことを、俺はこの春休みで行おうと思っている。これから新しい門出を迎える千夏の、俺のために。

 ただ、それは一生に一度のチャンス。焦っては全てが台無しだから。

 

「といっても、そんな特別な何かいらないけどね。・・・今でいっぱい。十分だから」

 

 呟く千夏の表情に忖度や遠慮はない。きっと心からそう思ってくれているのだろう。だから俺は、俺自身の焦りを隠すことが出来る。

 そう思っていると、千夏は思い出したように声を挙げた。

 

「あーでも、そういえば付き合い始めてからもう2年経つんだ」

 

「そうだな。3月28日でちょうど2周年。去年は街の方まで千夏が来てくれたんだよな」

 

「そうそう。遥くんがどうしても外せない用事で街に残されてきたから遊びに行ったよ。なんだかんだ言って遥くんのアパート行ったことなかったし。あれもなかなか面白かったな」

 

 少々ドタバタしてしまった記憶があるが、千夏はそれですら楽しんでくれたみたいだ。・・・けれど流石に、今回こそはちゃんとした時間をすごしたい。

 

 ・・・だって、俺がやろうとしているのは。

 

「・・・どしたの?」

 

「いや、考え事だよ。今年はどうしようかなーって」

 

「仕事、あるんだっけ?」

 

「運のいいことに今年は土曜日となっておりまして、もれなく休みが貰えそうです。聞いたところによると陸の学校だと土曜日も平気で出勤させられるらしいからな。人数の都合上部活が出来ない海の学校でよかったよ」

 

 それで収入が変わるわけじゃないというのがまた・・・。

 

「休みなら、またどこか行きたいよねー。あ、でももし何か入ったら、全然そっちを優先してね? 悩まれながら相手されるなら、そうしてくれた方がいっそ清々しいし」

 

「いいのか? それで」

 

「うん、いいの」

 

 ずっと長い事時間をはぐくんできた二人だ。お互いが好みそうなこと、嫌がりそうなことはもうちゃんと理解できているのだろう。

 仮にもし仕事が入ったとして、それを誰かに丸投げして千夏との時間を選んだら、俺は多分その時間に心から満足できないだろう。・・・もっとも、仕事に就いても効率はダダ下がりだろうけど。

 

 けど、百パーセントで望めないなら望んでくれない方がいいという千夏からのサインをみすみす見逃す俺ではない。最適解は知っている。

 

「さてとー、そうと決まればー」

 

 鼻歌混じりで楽しそうに千夏はどこからか持ってきた旅行雑誌を広げた。あれからさらに二年時間を費やして分かったが、どうやら千夏は行きもしない旅行先の雑誌を見て想像を膨らませるのが好きらしい。

 

 ・・・なら、それを叶えるのもいいかもな。

 

「なあ、千夏」

 

「何?」

 

「その雑誌の中でさ、どこか行きたいところとか気になる所とかあるのか?」

 

「ん-、ないよ」

 

 興味なさそうに呟くその言葉は俺からすれば予想外で、思わずその理由を尋ねてしまった。

 

「何か魅力があって食い入って読んでると思ってたんだけど・・・違うのか?」

 

「魅力はあるよ? そりゃ。けど、想像だから楽しいの。これを実際の景色にしてしまったら、私がこうやって本を読む意味が無くなっちゃう。・・・だから、旅行は好きだし、思い出も作りたいけど・・・それなら、この本にないようなところがいい」

 

 夢は夢だからこそ美しい。千夏の言っていることはまさにこの通りなのだろう。

 ただ、その唯一の例外があるとすれば、それは千夏がこの場所にいるということだ。ずっと憧れ、夢に描き、望んでいた海に今存在していること。

 

 夢は夢でも、叶えたい夢かそうでないかの違い、なんだろうな。

 

「分かった。しかしまあ想像だけで旅行を楽しめるって、ホントに金のかからない趣味だよな」

 

「んー、そうなんだよね。だから遥くんも知ってると思うけど、お金が全然減らなくてさ。ここまでくれば何に使えばいいか分からないし」

 

「趣味への金のかからなさ、マジで二人とも重症なんだよ・・・」

 

 俺もせいぜい本を買って喫茶店に寄って・・・くらいのものだったから時間が経つにつれどんどんと増えていた。幼少期の倹約癖が影響しているのは間違いないんだけど、それにしてもこれは重症と言っても差し支えない。

 

 けれどそれが功を奏して、いざ結婚するとなると結構な元手からスタートすることが出来る。・・・そしたらまずは、この家の修理しないとな。

 

 あと、買うべきものも買っておかないと。

 勘づかれては全てが台無しなので、あの日のペンダントみたく千夏を出し抜くことにする。それっぽい理由があの街にいくらでもあるのが幸いだ。

 けれど嘘はつきたくない。俺は形式だけでも千夏に尋ねてみる。

 

「そういえば、今週土曜に街の方行こうかなって思ってるんだけど、千夏はどうする?」

 

「土曜・・・あー、確か仕事場で説明会があって、どうしても出席しないといけないんだよね。だからちょっと無理かも」

 

「そっか」

 

 本心を表に出さないように、俺は相槌を打つ。

 

「何しに行くの?」

 

「古くなった家具買い換えたいから目星つけに行くのと、マスターのところに顔出しに。夕飯までには帰って来るよ。二人のところへ行く約束だろ?」

 

「私が夕飯に間に合わなさそうだけどね。・・・とりあえず、今週末はパス。ごめんね?」

 

「気にすんなよ。一緒に行く時間なんていつかできるだろうし」

 

 それを作り出すために、今週俺は一人であの場所へ向かう。・・・最近になってどんどん嘘を吐くのが嫌になって来たな。こんなこと、本当にやめないと。

 

 契りを結ぶ前に、せめてすべての穢れを払った俺になっておきたい。二年前、結婚が結婚がと口走ったが、今考えてみて改めて心が走りすぎていたと思い知る。幸せに逸っていたのだろう。

 

 

 

 だから今は地に足をつける。前を見て、何をすればいいかを考える。かつてそうしたように、これからも、ずっと。

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 はっきり言って少しずつ燃え尽き症候群が出てしまっているみたいです。あれだけいいテンポで更新できていたというのにまさか二日も空けてしまうとは・・・。とはいえど、それは惰性で書いてない証だと思います。昔は本当に毎日投稿にこだわっていたあまり、惰性でもGoサインを出していたので。千夏編は残りが結婚編あとアフターって感じですか。頑張ります。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百八十五話α 春風が凪いだ時

~遥side~

 

 宣言通り、土曜を迎えた俺は八時ごろの電車に乗って街へ向かった。最後に行ったのが冬休みのデートだから、かれこれ三か月ぶりくらいか。

 

 開いてすぐのいつもの喫茶店に入り、マスターとおしゃべり。

 久しぶりに見た俺の顔に、マスターは嬉しそうな声音で語った。

 

「あら、久しぶりじゃない。もう来ないと思ってた」

 

「そんな薄情な人間に見えますか? 俺」

 

「嘘嘘、冗談だって。それにしても、ホントに久しぶりだね。半年? 一年?」

 

「半年くらいですかね。大学を出てから一回くらいしか来れなかったですから。一週間に一回は来ていたあの頃と比べると、そりゃ久しぶりに思いますよね」

 

 この場所から離れるのは名残惜しかったが、俺が選びたかったのはあの街だ。後悔はしていない。

 それにこうやってまた話し合える時間がある。それだけでいいのだと思えているこの気持ちに間違いはないはずだ。

 

「さて、長話になりそうだから注文・・・、ま、聞かなくてもいいか。アメリカンのホットでしょ?」

 

「そうですね。お願いします」

 

 カウンターの席に腰を据えて、マスターは俺の目の前にアメリカンのホットを差し出してくれた。一口すすって、マスターの方を見る。何やら嬉しそうに目元を細めているみたいだ。

 

「また雰囲気よくなったね。彼女とは順調?」

 

「ええ。おかげさまでもうそろそろ二年です。・・・それでもって」

 

「なるほど。それがこの街に来た理由」

 

 そう。俺が千夏に内緒でここに来たかったのは指輪を買うためだった。サイズなんかはそれとなく聞いているし、今日買うだけの準備は出来ている。そこら辺は抜かりない。

 

「指輪かー。いいなー。私も欲しかったなぁ」

 

 机に肘をついて手を頬に沿えて、嫌味でもなく独り言をつぶやく。一瞬美海が脳裏を過ってしまったが、どうにか忘れ去るように熱いコーヒーを流し込んだ。

 

 それから場を悪くしないように、得意の軽口でマスターに接してみる。

 

「まだいい出会いありますよ」

 

「えー? こんな四十路に?」

 

 酔っ払いみたいなダル絡みにも、俺は動じずにきっぱりと答えた。

 

「少なくとも見た目だけなら全然三十路って言ってもバレないですよ。それに話術も得意ですし、戦いようでは全然」

 

「じゃあなんでこれまで彼氏出来なかったと思う?」

 

「作ろうとしなかったからですね」

 

「あはは、正解」

 

 物寂しそうな笑顔でマスターは笑って、一息ついて正解に補足を付け加えた。

 

「こんなこと言ってるけどさ、あの日目の前でフラれた瞬間、全ての熱が冷めちゃったんだよね。こうやって私のこと大切に思ってくれる人とダラダラ話してる方が私的には幸せでさ。・・・指輪だって欲しいけど、あいつからじゃないと、嫌だし」

 

「意外とマスターって乙女ですよね」

 

「そうだぞー? 遥君より年齢は一回り上だけど、私もちゃんと女なの。いまだに忘れられないことだって、ちゃんとある」

 

 マスターの心に残っている過去の傷は、多分一生消えることはないのだろう。

 そしてまた、美海に与えてしまった同じくらいの傷も。

 

 けれど、傷つけてしまった以上俺に関与できることはない。自分の世界から遠ざかってしまった以上、どうにか自分で傷を癒すか立ち直るしかないからだ。そう言う選択を、俺はしたんだ。

 

 だから後ろを振り向くつもりはない。それが報いるという事だ。

 

 その思いに呼応するように、マスターは俺に酷なことを尋ねる。

 

「で、遥君。振った側としての心情ってどんなもん?」

 

「惨い事聞きますね。こっちも傷つけたくてそうしたわけじゃないですよ」

 

「分かってるってそんなこと。けど、ことが起こって二年経って色々思うところってあるでしょ? それくらい教えてくれてもいいじゃん」

 

 珍しくマスターは引こうとしていない。その頑なさを認め、俺は吐露することを決めた。

 

「・・・正直、選んだ方との毎日で精いっぱいで、後ろ振り返る暇がないです。もちろん、時々思い出しては胸を痛めることもありますけど、選んでしまった以上、選んだ方に真摯に向き合わないと誰も幸せにならないので」

 

 俺は、ちゃんとこの二年間で「割り切る」という事と覚悟を手に入れていたみたいだ。決断になよなよしていたあの頃の俺はもういない。

 

「じゃあ、振ってしまった以上、後はどうでもいいって事?」

 

「極端な言い方ですね・・・。少なくとも完全な赤の他人とは思ってないですよ。ただ、フッてしまった側は選ぶ側じゃないんです。許されるかどうかの判断を待つだけの存在。自分から干渉することは、しないです」

 

 二年経った今でも、どんな顔をして美海に逢えばいいか分からない。さゆのガード云々以前に、俺が美海に近寄ることをやめてしまった。逢っても今は、互いに辛いだけだからと。

 

「・・・ま、確かにあいつも私が言い寄るまで何も話してくれなかったっけ。多分そういうことなんだろうね」

 

 ちゃんと答えを提示したにも関わらず、マスターは心底つまらなそうな表情でグラスの外側を指で詰った。俺に一体どんな答えを求めていたというのだろう。

 

「ただ、決めた後、少しでも悩んでくれた方が、フラれた側としては嬉しいんだよねー。『ああ、まだ自分のことを思って揺れ動いてくれている』ってなるからね」

 

「だとしても俺は、それを選ばないですよ」

 

 美海にもその心はあったのかもしれないけれど、選んだ以上千夏を大切にしないと多分美海はもっと怒るだろう。そう信じて俺はここまで歩いてきた。

 

 ・・・でも、願わくば。

 

 どこかで許しを欲しがっている俺がいる。俺が言うには烏滸がましいことを知っているが、幸せになることを祝福して欲しい。・・・やっぱり、傲慢な願いか。

 

「あーあ、遥君変わっちゃった」

 

 茶化したようにマスターが呟く。そんなに俺は変わってしまったのだろうか。

 ・・・ま、確かに変わったのかもな。決断する強さを知ってからだろうけど。

 

「昔みたいに立ち止まって悩んでばかりいても、時間は解決してくれないんで。だからその分進むって決めたんですよ。昔の俺の弱いところばかり見てきたマスターからすればつまらないかもしれないですが」

 

「つまんなくないけど、我が子が旅だっちゃった気分だねー。かれこれ四年間ずっと通ってくれてたわけだし。その寂しさは少しあるかな。ま、いいことなんだけどね」

 

 そういう出会いと別れを繰り返してきたマスターは、儚げに笑んだ。仕事の都合上似たような経験は何度もあっただろうけど、それでもやはり辛いものは辛い、という訳だろうか。

 

「・・・結婚式、私も呼んでよ?」

 

「それはもう全然かまわないですけど・・・知人とかいらっしゃるんですか?」

 

「あれ、言ってなかったっけ。遥君と懇意な関係の日野・・・鈴夏ちゃんだっけ? 嫁いで鷲大師行っちゃったけど、こっちで働いていた時は同じ個人営業のよしみで時々遊んでたよ。仕事ない時にはこの店にも来てくれてたし」

 

「いや、初耳ですよ。・・・それに」

 

 もしそうだとしたら、なんであの人とこの店で一度も会ったことがないのだろう。そうはいっても、かなりの頻度で俺はここに来てたはずだ。

 

「ああ、私が遥君がここに来る情報伝えてから、その時間避けるようにしてたからね。曰く、『なんか嫌だ』って」

 

「本当に自由気ままですよね、あの人・・・」

 

 本当に理由がない中での「なんか」なのだろう。そういう奔放さに、俺も惹かれたはずだと苦笑いを浮かべる。

 

「ま、別に友達がいようといなかろうと私は呼ばれれば行くタイプの人間だから、その時はよろしく」

 

「分かりました。・・・っと、もう十一時ですか」

 

「もう行くの?」

 

「夕方までには帰りたいんで、色々見て回る時間を考えるとそろそろ出ないと」

 

 少し冷めたコーヒーを飲み干して、俺は財布を取りだす。百円玉四つテーブルに置いて、マスターに小さく手を振った。

 

「じゃ、すみません。今日はこれで。まだいつか来ますから」

 

「待ってるよー」

 

 ドアが閉まり、その姿が見えなくなるまで俺は手を振って、もう一度鈴が鳴った時前を向いた。うかうかはしてられない。

 

---

 

 指輪を見て回り、自分で納得するものを探すのは予想通りなかなかの時間を要した。こうした高級品の買い物に全く知識がなかっただけに、選別や見定め、自分の中で満足できるかどうかを判断するのに随分と時間を費やしてしまった。

 

 そのお陰もあって、ちゃんと納得できるものと巡り合えた。あとはこれをしかるべき時に、飾らない言葉で分かるだけだ。

 日が沈む前に帰ろうと、俺は駅の方に足を進める。今日もちゃんと鷲大師行きの電車は動いているみたいだ。

 

 20分後に出る電車に乗り込まんと改札へ向かおうとするその時、ふと懐かしい匂いとすれ違ったような気がした。思わず振り向いてしまう。

 振り向いて、目が合って、しまった。

 

「・・・あ」

 

「はる、か・・・?」

 

 

 忘れるはずもない。それはかつて、俺が愛をぶつけた存在。

 ずっと避けては、言葉を交わすこともなかった、かつて大切だった存在。

 

 けれど名前は、不意に口から零れる。

 

 

「美海・・・」




『今日の座談会コーナー』

 ストラトブールではないです、断じて。なんのこっちゃ分からん人はホワイトアルバム2をチェックしてください。んでもって、ストラトブールではないです。
 アフター、と思って書き始めたこの個別ルートですが、意外にもしっかりと個別ルートやってるのでびっくりです。ここまでが盛大な共通ルート、ここからが個別ルートって考えると、ずいぶんと尺がおかしなことになっていますが。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百八十六話α 最後の雨

~美海side~

 

 時間が経てば、思い出になると思っていた。

 時間が経てば、笑い話にでもなると思っていた。

 

 だから、その時までは顔を合わすことも、声を交わすこともしたくなかった。きっとそれを向こうも分かって、この二年間何も触れずにいた。

 そうして、だんだんと傷が思い出になってきたころだって言うのに。

 

「はる、か・・・?」

 

 目が合ってしまう。名前を呼んでしまう。

 他人のふりをすればそれまでだったはずなのに、私は引き留めてしまった。

 

 出会ってしまう、曾て私の全てだった最愛の人に。

 

---

 

~遥side~

 

 どうして俺は振り返ってしまったのだろう。

 どうして俺は目を合わせてしまったのだろう。

 

 どうして・・・今更になってその名を呼んでしまったのだろう。

 

 もう未練はないはずだ。俺は自分の選んだ道に満足して、そしてこれからさらに幸せになろうとしているはずなのに。

 それなのに、目の前の彼女のことを思ってしまうのは、どうしてだ。

 

 目が合って名前を呼んで、知らなかったふりをしてこの場を離れる事なんてできはしない。苦し紛れに俺は話を続けた。

 

「久し、ぶりだな・・・」

 

「うん。・・・もう二年だっけ」

 

 ちゃんと逃げられないように、美海は自分が捨てられた日からの期間を口にした。どれだけ恨まれているのだろうかと思うと、怖くて仕方がない。

 怯えたような表情を浮かべる俺に、美海は軽いトーンで投げかけた。

 

「いいよ、そんな怯えないで。・・・今更恨むことなんてないよ」

 

「・・・悪い」

 

「ううん、いいの」

 

 どことなく、ぎこちない会話。それからまた静寂。二人の間を冷たい風が抜けていく。昔はこんな感じじゃなかったというのに、今になってあの頃と同じような会話が出来ない。

 好き以前に、大切だった人なのに。

 

 でも、俺がそう思っていても、俺から飄々とした口調で話すことなんて出来ない。そうしてはいけないだけの罪を、俺は背負っているのだから。

 

「聞くまでもないとは思ってるけど、千夏ちゃんとは上手くいってる?」

 

「ああ、おかげさまでな」

 

 もっと具体的に話せることなんていくらでもある。・・・けど、言っていいものなのだろうか。本格的に同棲が始まることを、・・・結婚するつもりでいることを。

 美海に祝ってもらいたい気持ちはある。けど、それを押し付けるのがどれだけ酷なことかを知らない俺ではない。

 

 それが苦しくて、俺は逃げるように会話を反らした。

 

「・・・なあ、美海。俺たち、どんな話してたんだっけ」

 

「遥?」

 

「俺がこんなこと口にする資格なんてないのにさ・・・。けど、もっと楽しい時間だったはずなんだよ。美海と話してる時って。・・・俺、どんな顔してた? こんな暗い顔してなかったよな? もっと・・・」

 

「・・・っ!」

 

 その時、バチンと鈍い音と同時に俺の頬に鋭い痛みが走った。

 

「なんで・・・今更そんなこと言うの!?」

 

「美海・・・」

 

「いい!? 私はもう何も気にしてない! ちゃんと前だってむいてる! ・・・だから遠慮なんてしないでいいの!」

 

 その言葉に気づかされる。俺の、美海に対する時間はあの日止まったままだった。許されていないと高をくくって、罪は拭われないとあきらめて、ただ申し訳なさを抱いたまま今日この日まで生きてきていたんだ。

 

「自分がどれだけ幸せになってるか話してよ。・・・選ばれなかったら、後は私が好きだった人のことを応援することしか、私には出来ないんだから!!」

 

 強い覚悟が美海から伝わってくる。紛れもない怒り、失望、それから微かな期待。心の奥底の激情を、美海はすべて言葉にしていた。

 

 ・・・そうか、前向いていてくれてたんだな。

 

 なら俺は、美海にとって「他人事」として自分の恋慕を話していいんだ。それが美海を傷つけることになったとしても、美海はそれを望んでいる。

 

 もう戻れはしないけど、かつてそうしたように、俺はまた自分のことを何食わぬ顔で美海に話す。友達に相談する、その心持ちで。

 

「・・・四月から、同棲するんだ」

 

「千夏ちゃんと?」

 

「ああ。あいつ、仕事が海だろ? だから契機にするにはちょうどいいって思ってたんだ。これまで以上に一緒の時間が過ごせると思うと、待ちきれない」

 

「そっか。随分順調そうだね」

 

 美海は先ほどまでの怒りを全部しまい込み、複雑そうな笑顔を浮かべた。俺は気にせず、自分の幸福ばかりを目の前の卓上に並べる。

 

「しばらく保さんや夏帆さんとギクシャクしてた時期もあったけど、今は元通りになったよ。・・・ま、俺なりの反抗期だったのかもな」

 

 美海は俺と二人が接点を持っていることをズルいと言っていた。その上で俺は躊躇わずにそれを口にする。・・・もうお前に未練などないと突きつけるために。

 ただの友達だからと、告げるために。

 

「そんな感じで、元気にやってるよ」

 

「・・・ねえ、遥。その紙袋」

 

 ふと、美海は俺が片手に持っていた紙袋を指さして呟く。かつてあかりさんへのプレゼントを探す時に回った店の一つだったということもあり覚えていたのだろう。

 そして、その店が何を取り扱っていたのかも。

 

 俺は躊躇わず箱を袋から取り出す。

 

「ああ。・・・今度、プロポーズしようと思ってるんだ」

 

「結婚、するの?」

 

「俺はそうしたいと思ってる。・・・これからのことは、流石にこれから決めるけど。けど、もう二人そうしてもいい時期だと思ってるんだ」

 

「・・・そう」

 

 美海は俯いて、小さく笑む。そこに織り込まれた感情を俺は見て見ぬふりをする。

 

「それで、美海・・・」

 

「・・・ゴメン」

 

 そして次の言葉を発そうとした時、それは遮られた。それから美海は小刻みに震えて、いつかと同じセリフを口にする。

 

「・・・千夏ちゃんと、幸せにね」

 

 それから宛先もなく美海は走り出した。それが「逃げる」という行為だという事に気が付かない俺ではなかった。

 けれど、追いかけない。・・・今更追いかけて何になる? 何を伝える?

 

 俺が述べようとした言葉。それを美海が望まなかっただけの話。追いかけてその望まない話の続きをするほど、俺は利己的で空気の読めない人間じゃないはずだ。

 

 反省はしない。俺が悪いと言ったら美海はまた怒るはずだ。だから、誰も悪くない。これは仕方のないことなんだ。

 

 ・・・けど、やっぱり。

 

「・・・元には戻れないんだな、やっぱり」

 

 大切だったからこそ拗れたこの距離は、もう二度と戻らないのかもしれない。

 

---

 

~美海side~

 

 全て受け入れたはずだった。

 遥の眼中に自分がもういないことを。遥の幸せに、私が介在できないことを。

 

 それを理解して、新しい自分を模索しては前に進んでいたつもりだった。

 

 なのに・・・。

 

 見せられた小さな箱は、私を絶望させるのに十分なものだった。遥は千夏ちゃんと結婚し、幸せになろうとしている。

 私はその祝福を・・・拒んでしまったんだ。

 

「・・・っ」

 

 息が苦しい。あの日感じた痛みを覚えている心が、同じ痛みを訴えかけている。

 忘れたはずなのに、諦めたはずなのに、私はそれでも・・・期待してたんだ。

 

「馬鹿だなぁ・・・。そんなこと、あるはずないのに」

 

 雨が降り出す。雪のように凍てつく雨。降るなんて思ってもみなかったから、傘なんて持っていない。

 けど、今はこうやって濡れて良いと思っていた。別の場所で痛みを覚えれば、心の痛みなど打ち消せると思っていた。

 

 だから今、私の頬を流れていく雫だって全部雨なんだ。・・・泣いてなんていない。

 心が苦しいけど、叫びたくて仕方ないくらいだけど、全部雨に違いない。止む頃にはきっと乾いてくれる。

 

 ・・・でも、私はやっぱり、遥と幸せになりたかったんだ。

 

 両手で口を押えて、震えながらしゃがみ込む。溢れだした心が、体を制御している細胞を一つ一つ壊して回っている。

 

 声にならない、掠れた叫び声。止まらない嗚咽。

 治っていたわけでもない、ただ止まっていただけの傷が開いて血を流している。

 

 治ってないのに、誰かの幸せなんて祝福出来ないに決まっていたんだ。

 

「・・・ぁ、ああぁ・・・!」

 

 打ち付ける雨が身体を弾いて痛い。気を解いてしまった今、その痛みが心臓の方まで入り込んでくる。

 

 

 その雨は、急に塞がれた。

 

「・・・これも何かの縁、か」

 

 一度だけ聞いたことがある、懐かしい声。

 けど今はそのぬくもりですら嬉しくて、私はその人に抱き着いた。

 

「おっと・・・。・・・あーあ、遥君も悪い子だよねぇ。こんな素直な子、泣かせちゃうなんて」

 

 身体の後ろに回された手が私の頭を撫で始める。柔らかくて、温かい。

 今はただ、その温もりの中で止まっていたかった。

 

 

 ・・・次、もう二度と、悲しさで涙を流さないために。




『今日の座談会コーナー』

 こういうシーンを書く時ほど、バックで流す音楽が大事なように思うんですよね。普段はサウンドトラックばかり流すわけですが、時々ゲームの挿入歌など流してみるのも風流でいい感じになります。・・・というか、本当にこれ200話で終わるんですかね。αだけで200話いきそうな気がして仕方がないです。負けヒロイン・・・、書いてみるとやっぱり必要ですね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十七話α 厚い雲、光が往く時には

~美海side~

 

 傘を差しだしてくれたのは、一度だけ遥と訪れた喫茶店のマスターだった。何の目的があってこの場所に来ていたのかは知らない。だけどその人は、確かに私のことを覚えてくれていた。

 

「美海ちゃん、だよね?」

 

「・・・お姉さんは、喫茶店の」

 

「あはは、お姉さん、か。・・・もうそんな年じゃないんだけどなぁ」

 

 お姉さんはたはは、と苦笑いを浮かべて空を仰いだ。雨雲は分厚く空を覆っていて、多分今日一日中止むことはないだろう。

 なら早く帰らないと。そう思っているのに体は動かない。泣き疲れて雨に打たれて、体力は根こそぎ持っていかれていたみたいだ。

 

 それをお姉さんも分かっているようで、私の頭をポンと撫でて提案した。

 

「とりあえず、嫌じゃないならうち来なよ。門限までには帰れるようにするからさ」

 

「・・・いいんですか?」

 

「今日の営業時間は終わってるけど、私からの提案だしそこは大丈夫。・・・それに、貸し切りのほうがゆっくり話せるでしょ?」

 

「・・・なら、お願いします」

 

 一度会った時に気が付いていた。この人は多分、とんでもなく話を聞くのが上手い。だから遥が惹かれて、憧れたはずなんだ。

 

 はっきり言って、今の私にはほとんど味方がいなかった。さゆやお母さん、みんながいてくれたけど、遥から遠ざかろうとするあまりこれまで結んでいた縁がだんだんと遠くなっていくような気がしていた。どこか、私のことを憐れんでいるんじゃないかって、そんな疑心暗鬼を抱くようになった。

 

 そんな悩みもまとめて、この人には打ち明けられるような気がしていた。

 

---

 

 真っ暗な喫茶店に明かりをつけて、二人掛けのテーブル席にお姉さんは座って、トントンと指で机を鳴らす。どうぞ座れの合図だろう。

 私が反対側に腰掛けると、入れ替わりでお姉さんはカウンターの向こうへ消えていった。しばらくして湯気だつコーヒー片手に帰ってくる。

 

「とりあえず、飲みな? 身体冷えてるし、温かいものは飲んでおいたほうがいいよ?」

 

「・・・いただきます」

 

 自分好みの量のミルクと砂糖を入れて、一口コーヒーをすする。涙のあとで味は曖昧になっていたが、温もりだけは身に染みて伝わってきた。

 その温かさに落ち着いて息を吐くと、お姉さんは頬杖をついて窓の外の雨を睨みながらポツリと呟いた。

 

「それにしても、まさかこんなことになるとはねぇ」

 

「あの、・・・ご迷惑をおかけしました」

 

「いいのいいの! 別に迷惑でもなんでもないし! ・・・それにね、あんまりいい話じゃないけど、私、この話に関われてよかったって思ってるの」

 

「え?」

 

 言っている意味が分からなくて、私は素っ頓狂な声を挙げる。尋ねる前にお姉さんは説明を始めた。

 

「この店が遥君のいきつけだってこと、美海ちゃんは知ってるんだよね?」

 

「はい・・・。一度、一緒に来ましたから」

 

「美海ちゃんも知ってると思うけど、あの子結構ナーバスでね。いっつも誰もいない時間に来ては、ここで私に相談事してたんだよ。それも四年間」

 

「だから私のこと、何も言わずとも知ってたんですね」

 

 この人と会うのは二回目だって言うのに、お姉さんは私のことをしっかり認知していた。・・・多分これは、ずっと遥が私のことを口にしていたからなのだろう。

 

「そういうこと。遥君があなたのことどう思っているかもずっと聞いていたし、振ったことも全部知ってる。でもそれは第三者としてにすぎない。・・・だから私は、遥君以外の口から、この話のことを聞きたかったんだ」

 

「・・・別に、大したことはないですよ?」

 

「いいや、ある」

 

「なんでそれが分かるんですか?」

 

 ムッとして聞き返すと、お姉さんは髪をくるりと巻いてきっぱりと答えた。

 

「あなた、私と一緒なんだもの」

 

「え?」

 

「だから、そのままの意味よ。今のあなたは、昔の私。一人の男を追っかけて、友達と取り合って、負けた哀れな存在。・・・白状するとね、私、ずっとあなたに会いたかったの。美海ちゃん」

 

 残酷な現実を羅列したうえで、お姉さんは私に会いたかったと口にした。もう何がなんだか分からないが、お姉さんの瞳を見ればそれは本当だという事が分かった。

 私と一緒。・・・つまり、私の先駆者。

 

 それが本能的に分かっていたから、私はこの人に打ち明けたかったのかもしれない。

 

 意固地になるのをやめて、私は痛む胸中を解いて一つずつ言葉にした。

 

「・・・どうすればいいか、分からないんです」

 

「へぇ・・・?」

 

「遥に振られて、負けを認めて二年経って。・・・どうにか、遥は他人だって割り切って生きてきたのに、今日会ってしまって、ああなって。私がこの二年で癒そうとしていた傷、全部開いて・・・」

 

「なるほどねぇ・・・。・・・うん、やっぱり私とそっくりだ」

 

 私の心境を聞いたお姉さんは一度うんと頷いて、パンと手を鳴らしてトーンを変えて語り始めた。

 

「さて、じゃあ順を追って考えていこうか。美海ちゃんが、本心は今何を思っているか」

 

「本心って・・・私、嘘なんてついてないですよ?」

 

 少なくとも、本当のことを語ってるのに・・・。

 けどお姉さんは、それでは全く満足していないようだった。

 

「うん、嘘はついてないね。だけど心の奥底の声が眠ったまま。今の言葉は、本当のことだけど、本心じゃない。だから、それをゆっくり紐解いていこう」

 

「はぁ・・・」

 

「ああ、でもちょっと辛い話もするよ? 嫌なこと、いっぱい言っちゃうかもしれない。慰めて欲しいだけだったらそっちに切り替えるけど、どうする?」

 

 お姉さんは顔の前で手をぶんぶんと横に振った。つまり、あれが最後通牒という事だろう。頷いてしまったら、後には引き返せない。

 だけど今の私は、慰めてもらうだけでは前に進めない気がした。だから、傷つく道を選ぶ。遥が昔、ずっとそうしていたように。

 

「慰めは・・・いらないです」

 

「そっか」

 

 そう呟くと、お姉さんは表情から一切の笑みを消した。そしてそのまま、一番重大なところを突く。

 

「じゃあまず質問。・・・今の美海ちゃんにとって、遥君って何?」

 

「え・・・?」

 

 改めて聞かれると、すぐに答えることは出来なかった。

 ただ、言えることがあるとすれば・・・。

 

「他人、です。今はもう、ただの他人。・・・この二年間、ずっとそうやって生きてきましたから」

 

「ぶっぶー、外れ。・・・残念だけど、美海ちゃんにとって遥君は『ただの他人』じゃないよ」

 

「どうしてですか・・・!?」

 

「だって、ただの他人ならすれ違っても冷たくあしらってはい終わりだもん。ただの他人と話すだけで涙を流す子なんてこの世にはいないよ」

 

 そうだ。その覚悟が出来てなかったから、私はさっき振り向いてしまったんだ。

 自己反省を行う暇もなく、お姉さんは続ける。

 

「じゃあ次の質問。美海ちゃんはなんで、さっき泣いたんだと思う?」

 

「それは・・・遥が結婚しようとしているってこと、受け入れられなくて。なんか、怖くなっちゃって・・・」

 

「うーん・・・、50点かな。間違いじゃないんだけど、これね、さっきの質問に繋がるんだよ。美海ちゃんにとっての遥君がどういう存在か、っていう質問にね」

 

 話がだんだんと難しくなってくる。自分の心の事なのに、何一つ分かる気がしなかった。頭を抱えそうになる。

 そんな私に、お姉さんは最も残酷な真実を口にした。

 

「最初の質問の正解、教えてあげる。・・・今の美海ちゃんにとっての遥君は、忘れられない存在。振られた今でも、美海ちゃんは遥君に好きでいて貰える夢を見ているの」

 

「・・・っ!!」

 

 否定したかった。それは違うって大声を上げて、机を叩いて。

 なのに・・・体は動かない。つまり、この回答が正解だという事だった。

 

「まだ愛してもらえると願っているから、目の前の幸福を受け入れられなかったの。自分の手が届かないところで幸福になってしまうことで、その夢は覚めちゃうからね」

 

「言わないでください・・・!」

 

「いや、言うよ。全て紐解くことを望んだのは、美海ちゃんだからね」

 

 一切笑みを浮かべることなく、お姉さんは淡々と現実だけをつらつらと言葉にした。

 

「はっきり言うよ。今の美海ちゃんは、遥君の何者にもなれないよ。・・・そして何者にもなれないまま、本当に忘れられてく。ま、そうしたらようやく、ただの他人になれるけど」

 

「っ!!」

 

 握り拳をキュッと締めて、目の前のお姉さんを睨みつける。目の端にはまた涙が溜まりだしている。

 悔しかった。ぺらぺらと自分の心が語られることが、・・・その全てに、間違いがないことが。

 

「悔しいよね。私も悔しかったよ。自分のこと見つめ直して、あいつのことどう思っていたかをまとめてた時。全然割り切れてなかったんだって痛感させられた。その時の私だもん、気持ちは分かるよ。・・・だからこそ、私に言えることがあるの」

 

 お姉さんは私の視線に屈することなく、自分の主張を続けた。

 

「・・・現実見なよ。美海ちゃんはもう絶対に、遥君に選ばれることはないの」

 

「・・・」

 

 歯を食いしばっても、涙は溢れてしまう。誰かに言われることで、より一層自分の立場を理解することが出来た。

 悔しいな・・・。やっぱり、悔しいよ・・・!

 

 卓上に投げ出された私のこぶしに、ふとお姉さんの優しい手が重なる。それから慈愛のような目をして、お姉さんは笑った。

 

「でも大丈夫。ただの他人になることはない。私がさせないよ」

 

「え・・・?」

 

「といっても、私が直接干渉するわけじゃない。・・・ただ、これから美海ちゃんがどうすればいいか、そのヒントだけ教えてあげる。実行するのは美海ちゃんだから、これを鵜呑みにしないでね」

 

 それから一つ呼吸を置いて、お姉さんはまた現状の整理を始めた。

 

「好きな人に振られました。振られてもずっと好きなままだけど、その好きな人は今結婚しようとしています。・・・この状況の最適解って、なんだと思う?」

 

「そんなこと、言われても・・・」

 

「分かるはずだよ。ヒントは、その人のライバルにある」

 

 ライバル・・・千夏ちゃんに?

 私と千夏ちゃん。・・・あ。

 

 答えに気が付く。けれどそれはどうしても実現できる気がしなくて、尋ねてしまう。

 

「そんなこと、出来るんですか? ・・・もう一度、友達に戻るなんて」

 

「出来るはずだよ。だって、遥君にとっての美海ちゃんは、今も『大切』のままなんだから」

 

 遥にとっての、大切・・・。

 ・・・ずっと会わなかったけど、ずっと言葉も交わさなかったけど、遥は私のこと、まだ大切に思ってくれていたんだね。・・・一人の、「友達」として。

 

「結論は最初から出ていたの。美海ちゃんが、遥君への認識を改めるだけで全部が変わる。けど、なんでそれが出来なかったか、分かる?」

 

「私が、負けたことを認めてなかったから・・・?」

 

「エクセレント。100点の回答だね。・・・そう、振られた側は潔く負けを認めるしかない。ただの他人に戻りたいなら、無理にでも遠ざかればいいけど、負けた側が愛した男の傍にいるためには、友達になるしかないんだよ」

 

 それは残酷な二択。

 逃げてしまえば、自分が愛した人が目の前で幸せになる所を見なくて済む。だけどもう二度と会うことは叶わないだろう。

 負けを認めて、友達としてもう一度世界に入れてもらうことを選んだら、私は遥が私じゃない人と一緒に幸せになるところを見届けなければいけない。

 

 ・・・ただ、遥どころか、千夏ちゃんと友達に戻れるなんて確証はない。それだけが不安で。

 

 それに応えるように、お姉さんは言った。

 

「・・・大丈夫。美海ちゃんとライバルの子、千夏ちゃんだっけ? ちゃんと友達だったんでしょ? 戻れるよ。それは全部、時間が解決してくれる」

 

「時間が・・・」

 

 自信はない。だけど・・・私には、どちらかマシな方を選ぶことしか出来ない。それが負けた人間の宿命。

 

 なら、私が選ぶのは・・・。

 

「まあ、今すぐに決断は無理だから、この話はここで終わりだね。与えるのはヒントまでって約束だし。といっても出血大サービスのヒントばかりだから、もう分かるよね? あとは美海ちゃんが、どうしたいか」

 

「・・・ありがとうございました。多分一人だったら、ずっとあんな感じだったんですね、私」

 

「んー、どうだろ。私は自分で気づけたからなぁ。それに美海ちゃん、賢そうだしね。いつかは分かっていたことだと思うよ」

 

「そんな、買いかぶらないでください」

 

「ううん、ちゃんとすごいよ。・・・だから、胸張って生きなよ。そうすれば思ってるより世界って輝くもんだから。私がそうだったように、美海ちゃんにもきっとそれが訪れる。負けんな? 世界にさ」

 

「・・・はい!」

 

 ずっと降りやむことはないと思っていた雨はいつの間にか止んでいた。厚い雲の隙間から、一本の太い光の柱が地面に突き刺さる。時間が経てば光は広がって、雲は次第に無くなっていくのだろう。

 

「・・・あ、今はもう少しここにいていいですか?」

 

「いいよ。好きなタイミングで帰りな。コーヒーも奢りでいい」

 

 

 

 私は雲がちゃんと無くなるのを待つことにした。

 そうすればもう二度と、雨は降らないだろうから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ・・・長い! この小説内で多分両手で収まるくらいしかない5000文字over回ですよ。正直ビビりました。・・・といっても、この回は分割しては意味が薄れるような気がしたので、これで正解だと思ってます。負けヒロインの心得、って奴なんですかね。結局負けた以上、友達として戻るしかないですから。アニメとかでは勝手に友達に戻ってますけど、こういう葛藤だってあっていいと思うんです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百八十八話α 春の日来たれ

~遥side~

 

 本当は、もっとゆっくり時間をかけてそれを行うべきだと思っていた。人生にたった一度のチャンス、逃してしまえば一生後悔すると思っていた。

 けれど、それは違った。久方ぶりに美海に逢って、思いは確信に変わる。

 

 俺は、今日、千夏に思いを伝えたい。

 

 もちろん、それはかつて大切に思っていた美海を拒絶するためじゃない。けれど、自分にとってのたった一つが千夏であることを、今すぐに証明したかった。指輪を買った瞬間から、思いが逸っていたのかもしれない。

 ・・・それに、大々的に準備なんてしてたら勘づかれてしまうからな。折角なら驚いてもらいたいし、喜んでもらいたい。

 

 誰かへの当てつけではなく、俺は俺の意志で、今日この日を運命の日にしたい。

 二人ともそれぞれの用事があったから、どこか遠くに行くことなんてできはしないけれど、それでいい。こんな大切も日常の一部に入ってしまうのほうが、よっぽど俺たちらしいから。

 

 そう思うと、心はどこまでも澄んだ。どんな言葉をかけようか、などと悩んでいたのがバカらしく思う帰りの列車の事だった。

 

---

 

 本当はもう少し早く二人の所へ行くつもりだったが、予定を変えた俺は一報を入れた後、千夏を待つことにした。といっても、千夏は直接陸へ来るだろうから、待つ場所はもちろん一か所だけだ。

 

 二人の思い出の場所は、偶然で生まれたものではない。この堤防は海と水瀬家を結ぶちょうど中間地点なのだ。だから、ここで待っていれば千夏は来ると俺は確信していた。

 

 そしてそれが現実となるのは、太陽も沈んだ夜八時のこと。雨上がりのおぼろげな満月が、ぼんやりと水面に浮かんでいる。

 その月の影を割って、千夏は出てきた。

 

「・・・あれ? 遥くん。まだお父さんたちのとこ行ってなかったの? 荷物持ったままってことは」

 

「ああ。ごちゃごちゃ考えてたら、お前のこと待ちたくなってな。ここに来れば会えると思ってたし、実際、そうなった」

 

 何も嘘はついていない。不格好な言葉しか出てこないがそれも俺らしくていいだろう。

 

「ふーん、まあいいや。折角だしちょっと休憩してっていい?」

 

「もちろん」

 

 ひょいと堤防に登った千夏は、俺が腰かけているちょうど隣へ座る。今はもう、人1人分のスペースも空かない距離。重なった手が自然と結ばれた。

 その温もりに少し目を細めながら、俺はもう一度浮かび上がった月の影に目をやる。間もなくして他愛ない言葉が、自然と口から放たれた。

 

「結局、俺たちっていつもこうだよな」

 

「そうだね。・・・なぜかここにきて、なぜかこうして、そして笑いながら帰るの。ホント、なんでなんだろうね。意識なんてしてないのに」

 

「それだけこの場所が俺たちにとって大切な場所ってことなんだろ。・・・それに、ここにいる時が一番、俺でいられたからな」

 

 飾らない言葉を口に出来た。思いに素直になることが出来た。そうして、思いを伝えた、二年前のあの日。

 だから俺はここを選びたかった。これからを歩いて行きたいという気持ちを、飾らない言葉で千夏に伝えたかった。

 

 結局はここなんだ。どれだけ飾りつけをしたステージでも、写真じゃ納まらないような絶景でも満足できない。

 この、小さく月が揺れるだけのこの場所が、俺たちの全てなんだ。

 

 だから・・・。

 

 

「結婚しよう」

 

 隠し持っていたリングを、繋がれた左手の薬指にそっと嵌める。

 

「え・・・」

 

「いっぱい考えた。ずっと待ち続けた。本当はもっと早くこうしたかったけど、ずっと我慢してたんだよ。・・・だけど、もう、いいよな? 我儘言って」

 

 千夏は震える瞳で俺の顔を覗き込んでくる。見られている俺は情けない表情を浮かべていないだろうか。

 その真偽は分からないが、千夏はクスッと笑った。

 

「・・・なんだよ」

 

「いや? ・・・告白された時も、こうだったなぁって思ったの。全然覚悟なんて出来てないのに、急に『好きだ』だなんて言われて・・・。あの時、どれだけびっくりしたか分かる?」

 

「悪かったよ」

 

「ううん。何も悪くなんて、ないよ・・・」

 

 そこで限界が来たのか、千夏は繋がれていないもう片方の手で目元を拭った。それから何度も頷く。

 ・・・その仕草だけで、答えは分かるだろう。

 

「・・・ふつつかものだけど、よろしくお願いします」

 

「ああ。・・・俺の方こそ、よろしく頼むよ。これからもっとしんどい事いっぱい起こるだろうからな。・・・一緒にクリアしていこう」

 

「うん」

 

 そして、二年前と同じような口づけが交わされる。

 どこまでも似た状況、違うのは、その薬指から放たれる光沢。

 

 口約束ではなく、確かな形として、俺たちは契りを交わした。それはもう、一生涯離れることはないという誓い。ずっと前から交わしたかった約束。

 

 けど、これはゴールなんかではない。・・・幸せになるためのスタートラインだ。

 この二年間は、そのスタートラインに立つまでの準備期間。より深くお互いのことを知りあって、仲を深めてきた。だからもう、心配事なんてものはない。

 

 唇が離れて少ししたころ、千夏は「そういえば」と呟いて俺に質問を投げかけた。

 

「いつから、このプロポーズ計画してたの?」

 

「・・・。今日をプロポーズの日にしようって決めたのは、ついさっきの事なんだ」

 

「えー・・・? 前々から思ってたけど、そういうところだいぶ気分屋だよね、遥くんは」

 

「まあ待て、話は最後まで聞いてくれよ。・・・もともと、この春休みのどこかでプロポーズしたいなとは思ってたんだよ。それこそ、来週の週末で付き合って二年の記念日だったろ? そこら辺で出来たらいいなと漠然と思ってて、今日指輪を買いに行ったんだよ」

 

 成功した今、下手に嘘をついたところで何の意味もないだろう。俺はここ最近の自分がどう思っていたのか、ありのままを千夏に伝える。・・・ただ一つ、美海と会ったことだけは、隠したまま。

 

 時折眉をひそめながら、時折怪訝そうな顔をしながら、最後に仕方ないなと笑みを浮かべながら、千夏はその一部始終を聞いてくれた。

 

「ふーん、なるほどね。・・・ま、結局気分屋ってことには変わりなさそうだけど」

 

「言ってくれるなよ。・・・けど、今日でよかった。そう思うよ」

 

 何気ない日だからこそ、輝いたはずだ。

 

「さて、ということで当初の予定日だった来週がもれなくフリーな日になっちゃいまいたけど、どうしますか?」

 

「またおいおい考えようぜ」

 

「新婚旅行でも行く?」

 

「えらく急だな。気分屋はどっちだよ」

 

 確かに、と答えて千夏は笑う。俺も同じように笑った。それから繋がれた手の力がまた一層強くなる。

 俺は、守りたい。この選んだ大切な存在を。

 

 愛を失うことは怖いけど、失わないために出来ることは、今の俺にはいくらでもあるはずだ。目を反らして逃げ回っていた自分はもういらない。

 

「じゃ、帰ろっか。お父さんたちにまだ話してないんでしょ?」

 

「もちろん。これから改めて許しを請うつもりだよ。・・・大丈夫かな」

 

「許してくれるでしょ、二人なら」

 

「といっても千夏が高校卒業してすぐだから、ちょっとあからさまなんだよな」

 

「たぶんそのことも含めて、二人は分かってくれると思うよ」

 

 千夏はどこまでも自信たっぷりに二人の反応を予想した。長い事一緒に暮らしていた娘が言うんだから、間違いないだろう。

 けれど、千夏はそれとは別の何かを思ってか、少しだけ伏し目になった。そして、俺が今日であったその存在の名前を口にする。

 

「・・・美海ちゃん、元気してるかな」

 

「・・・してるさ、多分」

 

 果たしてあの様子を見て「元気」といっていいのかは知らないけれど、そう嘯くしか今の俺には出来ない。

 けど、それでも俺はやっぱり、もう一度、何にも縛られないありのままの心であいつと接したい。契りを交わした今、「好き」と言葉に出来ないけれど、それでもやっぱり大切な存在だから。

 

 

 だから、どれだけ絶望的な関係であっても、俺は雪解けを信じる。お互いの春を、ちゃんと目の前で迎えるために。




『今日の座談会コーナー』

 なんかどこかで話したような気がするんですけど、188話まで来ちゃうとサブタイトルのかぶりが無いようにチェックしないといけないんですよね。実際何も考えずにサブタイトルつけると、完全一致とはいかないまでもだいぶ似たような名前になることありますから。ちゃんとその回の内容を読み込んで、どのようなサブタイトルをつけるべきか考えないとですね。意外と難しいもんです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百八十九話α 約束、叶えし時

~遥side~

 

 手を繋いだまま、俺は水瀬家の扉を開ける。

 

「ただいまー」

 

「すみません、遅れちゃって」

 

 二人で声を挙げると、奥からのそのそと夏帆さんが現れた。いつも通りどこか抜けた声と仕草で、俺たちを出迎えてくれる。

 

「おかえりなさい。・・・あら」

 

「・・・後で話があるから、先上がっていい?」

 

「もちろん。保さんにも話つけておくわね」

 

 夏帆さんはとくに俺たちについて言及することなく、一人リビングに戻っていった。いなくなったことを確認して、俺たちは顔を見合わせる。

 

「そういえば、外してなかったね。サプライズ・・・はもう無理か」

 

「んー、真面目な話だし、サプライズもクソもないだろ。せっかく付けたんだし、簡単には外したくないぞ」

 

「そうだよね」

 

 ただの装飾品じゃない。この薬指にはめられた指輪にはそれ相応の覚悟と、誓いが籠っている。そう簡単に放したくなんてないのだ。

 だから俺は、堂々と二人の待つリビングへ向かった。隣を歩く千夏と同じタイミングで椅子に座って、改めて二人の方を見る。

 

 ・・・小説とかでよく読むけれど、こういう時は大体「娘さんを僕にください」とか言うんだっけか。

 けど、それはどこか違うような気がする。確かに千夏には俺の一番になって欲しいけれど、所有物にしたいわけじゃない。それに、この家族の一員になりたいのは俺の方だ。

 

 だから・・・。

 

 しっかりと向き合って、それを言葉にする。

 

「約束叶えさせてください、保さん。・・・いえ、お父さん」

 

 それが、俺なりの報告の仕方。

 かつて約束していた。千夏と結婚する時、ちゃんと家族として縁を結ぶとき、二人のことをそう呼ばせてほしいと。

 その約束を叶える時が来たと、俺は告げる。保さんは、頷きも否定もせず、再確認の意を口にした。

 

「・・・本当に、いいんだな?」

 

「今更何を躊躇することがあるんですか。・・・俺はずっと、この日を待ってたんですよ」

 

「そうか。・・・なら、俺たちもちゃんとそれに答えないとな」

 

 ひとつ呼吸を整えて、水瀬千夏の親として、島波遥に保さんは答えた。

 

「結婚を認めよう。・・・もっとも、拒むつもりなんて毛頭ない」

 

「ええ。それに遥君は、ちゃんと千夏が高校を卒業するまで待ってくれたものね。これで二人とも正式に社会人になるんだから、もうその自由に私たちが干渉することはないわ」

 

「そういうことだ、遥君。・・・いや、違うな。遥。千夏と一緒に、幸せになってくれ」

 

 他人行儀ではないその呼び方に、心の奥の方がドキッとする。

 けれど、その行為を持って改めて理解した。俺は二人の子供で、この人たちは俺の親であると。居候と引き取り先、なんて無機質な関係ではない。俺はちゃんと、この瞬間を持って、二人の子供になったんだ。

 

 約束を、叶えたのだ。

 

 それが嬉しくて、机に頭を打ち付けて小さく涙を流す。その様子を心配した千夏が小さく声を挙げた。

 

「遥くん?」

 

「ごめん・・・。ちょっと、色々あってさ・・・」

 

 感情が溢れ出て止まりそうにない。目の前で夢が現実になったんだ。・・・こんなに嬉しいことが、あるものだろうか。

 二人の優しさに初めて触れたあの日から九年。俺の人生の半分近くを支えてくれた人たちに、ようやく俺は溜めた感情を吐き出せる。

 

 二人の子として。

 

「お父さん・・・、お母さん・・・これまでお世話になりました。・・・そして、これからも俺と千夏のこと、よろしくお願いします」

 

 顔を上げて、涙の滲んだ震える声で宣誓をする。お父さんは困ったように苦笑いを浮かべ、夏帆さんは目尻に涙を浮かべながら、いつもの慈愛を形にした。

 

「急にかしこまられても・・・やっぱりむず痒いな」

 

「けどそれが遥君らしさ、じゃないですか」

 

「そうだな。・・・千夏」

 

「え、ああ、うん。何?」

 

 ボケーっとその場を見ていただけだった千夏は、急に自分が呼ばれたことに驚いて間の抜けた声を挙げる。それに一つため息を吐いて、お父さんは言う。

 

「幸せになれよ」

 

「うん、分かってるよ。・・・それにね、意識するようなことじゃないと思うの、そう言うのって」

 

「どういうことだ?」

 

「好きなことを好きなようにやって、好きな人の傍にいる。それだけで多分、人って勝手に幸せになれるって、私そう思ってるの。これまで出来なかったこと沢山あるから、これからは全部、遥くんと叶えてくの」

 

「そうか」

 

 二人は千夏の過去の苦悩を全部知っている。だからこそこの千夏の言葉の一つ一つが身に染みて伝わってきたのだろう。

 

「・・・報告は以上、でいいんだな? 遥」

 

「はい。また今後のことは、これから話します」

 

「・・・せっかくうちの子になってくれるって言うんだ。敬語、やめないか?」

 

 席を立ったお父さんは少し不満げにそう呟く。流石に俺もそうしたいが、これにはこれまで積み上げてきた「慣れ」が勝ってしまう。

 ・・・まあ、ゆっくり解消していけばいいだけの話だ。時間はいくらでもある。

 

 ただ今は、ちゃんとそれに応えるという覚悟を見せたい。言葉はその思いだけで形になった。

 

「・・・頑張ってみるよ、父さん」

 

「ああ」

 

 それから父さんはリビングを後にする。その最後、手で小さく作られたハンドサインを見逃さない俺ではなかった。

 ここからは個別の話。いつもの男子会の始まりだ。

 

「じゃあ、俺は一旦部屋に」

 

「あ、私も」

 

「千夏。・・・ちょっと、お話付き合って?」

 

 空気を読んでくれたのだろう。俺は本当に小さく母さんに頷いて、そそくさと父さんの後を追った。

 

--- 

 

 父さんはいつものように縁側に腰掛けていた。ただ今日はいつもとどこか違う。頭に手を当てて、悩みこむように首を下げている。

 その様子が気になって俺は声を掛けた。

 

「・・・やっぱり、心配事が?」

 

「ああ。皆の手前ああは言ったが・・・いくつか心配でな。心配と言うか、俺の葛藤だ」

 

「聞きますよ」

 

「・・・。遥、お前のことなんだ」

 

「俺の・・・」

 

 父さんは、自分の愛娘よりも先に俺の名前を口にした。俺の何を心配してくれているのだろう。むしろそれは俺が聞いておきたかった。

 

「遥、お前が俺たちのことを父さん、母さんと呼んでくれるのは本当に嬉しい。・・・けど、本当に遥は、それでいいのか? ・・・お前にも、ちゃんと両親がいたんだろう?」

 

「・・・」

 

 忘れてはいけない。俺にはちゃんと俺の、「島波」の父さんと母さんがいた。その上で、二人を同じように読んでいいのかという父さんの心配だった。

 けれど、「お」とつけてしまうだけで急によそよそしくなってしまう。どうしても「義理」であることを象徴してしまうのだ。

 

 俺は、そんな関係になりたいんじゃない。この人たちに、あの二人を超えるほどの「親」になって欲しいんだ。

 

「俺は、それでいいんですよ。・・・いや、違う。そうしたい。俺はちゃんと、父さんと母さんを、そう呼びたい」

 

「それは遥、お前自身の両親のことを上書きしてでもか?」

 

「二人はもういない存在だよ、父さん。・・・それに、俺は今の父さん母さんにあの頃の二人を超えて欲しいんだよ」

 

「俺たちは、親という座を遥の産みの親から奪っていいのか?」

 

「奪ってほしいんだよ、俺は」

 

 それに多分、ひねくれものの二人のことだから、この俺の行動をまっすぐ応援してくれるだろう。ホント、息子の俺が言うのもなんだけど、とんだ曲がり者だよ、あの二人は。

 

 それでもまだ悩んでいる姿を見せる父さんに、俺はもう一つのお願いをする。

 

「あとそう、もう一つお願いなんだけどさ。・・・二人のことをちゃんと父さん、母さんって呼びたいから、この結婚、婿入り、って形で行いたいんだ」

 

「・・・正気か? それが何を意味するか、知らないお前ではないだろう?」

 

「もちろん。全部知った上での覚悟だよ」

 

 婿入り。それはそのままの意味。俺が姓を変えることになる。

 その瞬間、この世に確かにあった「島波」という姓は消えてしまう。

 

 けれど、これは決別なんだ。俺が「島波」の二人の子ではなく、「水瀬」の二人の子であることの証明。島波という存在は、存在していた形跡を残さず消えることになる。

 

 もちろん、島波の二人への当てつけの意志なんてない。ただ、あの二人だって自分たちの正しいと思ったことを貫いたんだ。息子の我儘くらい許す度量を持ってほしい。

 

「遥がそれを望むなら俺たちは構わんが・・・本当にいいんだな?」

 

「うん。それに、姓一つ変えて、もとあった姓が一つ消えたくらいで、島波の二人と過ごした思い出は簡単に消えないんだよ、父さん」

 

 ごちゃごちゃ考えても仕方がない事。死人に口はないし、祟られなければ何も問題なし。息子の我儘を聞くのも親の仕事のはずだから。

 だから、今は俺の事、ただ黙って見守ってて欲しいな、父さん、母さん。

 

「・・・分かった。ちゃんと夏帆と相談して答えを出す。・・・といっても、多分あいつも否定しないからな。そのうち遥は名実ともに水瀬家の人間になることになる。それで、いいんだな?」

 

「うん」

 

「そうか。・・・全く、とんだ心配だったな」

 

 はっは、と笑って父さんは空を仰ぐ。その目の端には涙が光っていたように見えなくもなかった。

 

「遥、千夏と幸せにな」

 

「もちろん。・・・これまでにないくらい、幸せになるよ」

 

 

 

 もはや思いに答えることにすら遠慮はいらない。

 俺は子として、親の願いに笑って見せた。




『今日の座談会コーナー』

 千夏√の目玉はやっぱりここでしょう。前作では全く言及していませんが、千夏を選ぶという選択をした場合、遥は「島波」であることをやめます。まあ、両親がいなくなった時点で子孫繁栄とか家の名前とかどうでもよくなっているということですね。それよりは自分が正しいと思ったことをした方がいいというスタンスで、「お前たちもそうしたんだから文句言うな」というスタンスですね。
 さて、千夏√も佳境です。最後までお付き合いください。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百九十話α 凪を越えて船は往く

~美海side~

 

 お姉さんの話を聞いて、私は一つ確かめなければいけないことがあった。というより、そこを乗り越えないと前には進めない。

 あの日から私を庇い、守ってくれた存在。・・・さゆに逢って、ちゃんと話を聞かなきゃいけないと思った。

 

 だから私は次の日、さゆを馴染んだ公園に呼び出した。

 

「日曜なのに呼び出すって、珍しいね、美海」

 

「うん。話したいことがあるんだけど、多分長話になっちゃうから、今日のほうがいいかなって。ゴメン、休日潰しちゃって」

 

「いいよ全然、どーせ暇だったし。で、話って?」

 

 嫌な顔ひとつせず私の話に耳を傾けてくれるさゆに、私は率直に自分の今の思いをぶつけることにした。

 

「・・・遥と、千夏ちゃんと友達に戻りたいって言ったら、さゆはどうする?」

 

「・・・」

 

 薄々勘づいていたのだろうか、さゆは少しだけ空を仰いで、それから怒るでも喜ぶでもなく、いたっていつも通りの声音で返した。

 

「どうも思わないよ」

 

「え?」

 

「だってそれは、美海が自分で選んだことなんでしょ? だったらあたしに止める権利なんて、ない」

 

「けど」

 

 あの日から、私と遥を遠ざけようと積極的に動いてたのはさゆ当人だ。今更無関係な人間だと逃げることは出来ないはずだ。

 そのことはもちろん、さゆも分かっていたようだった。

 

「分かってるよ。あの人と美海を近づけさせないようにしてたのはあたし。でも、それは美海にこれ以上傷ついてほしくなかったから。もし美海があの人たちと友達に戻ることで傷つかないなら、あたしは何も文句は言わない」

 

「さゆ・・・」

 

「なんて、あたしも気が変わったんだよね。最初の方は美海のこと、自分のことのように考えてた。そしたら当然、許せるはずなんてないから、遠ざけると思った。・・・けど、それじゃ前に進めないんだよね、美海は」

 

 それは、どこか後悔のように見えた。自分の動きすぎてさらに縛ってしまったのではないかと、さゆは過去の行いを後悔しているようにも見えた。

 

「ごめんね、好き勝手動いちゃって」

 

「ううん、いいの。・・・ありがとうね、今日までずっと、私のこと守ってくれて」

 

「いいよ、礼なんて。・・・でも一つだけ確認。美海は本当に、それで幸せになれる? 相手は自分が昔愛した男で、自分以外の女と幸せになろうとしてるんだよ?」

 

 さゆの最後の問いかけに、少しだけ体が固まる。

 何度も覚悟していたけれど、友達に戻るという事は、その恋愛感情の一切を諦める事、捨て去ること。

 

 けど、覚悟も何も、もっと早くに捨て去るべきだった感情だから、今更もったいぶっても仕方がない。私に出来る道は、二人を、私を許して前に進むこと。

 

 だって昔から、私たちは「友達」だったんだから。

 

「全部受け入れたよ。それで、今日をもって完全に諦める。それが、負けた私に取れる最大の幸福であって、正しい選択だから」

 

「・・・やっぱおかしいよ、美海は」

 

 さゆは私以上に悔しそうな表情をして、そう吐き捨てた。最後の最後まで私の心を思ってくれているのだろう。

 震える指先を自分でぎゅっと握りしめて、さゆは私に言う。

 

「憎いとか、悔しいとか、そんな感情ないの!?」

 

「あるよ。たくさんある。・・・けどね、恋する前は二人とも親友だったの。・・・もしここで二人への思いを捨ててしまったら、昔は親友だったって過去すら無くなっちゃうの。・・・今どころか、過去も否定しちゃう。それだけは嫌なの」

 

 だってそうしたら、私にはもう何も残らない。

 

「私には、昔さゆが言ったような『一人で生きる覚悟』なんてない。独りぼっちは嫌なの、いつだって」

 

「あたしじゃ役不足って事?」

 

「いや、足りてるよ。・・・だけど、全てを捨てる選択をしてしまったら、私はこれまで以上にさゆに依存すると思う。それが互いにとっていいことだって、私は思えないよ」

 

 だから、意地もプライドも捨て去って、もといた場所に私は帰りたい。あの場所から離れて、全部を知ることが出来たから。

 

「・・・あたしには無理だな」

 

 さゆは最後にそう締めくくった。だけど、それでいい。それがいいと私は思う。

 置かれている境遇なんて誰だって違うから、その人の心になることは出来はしない。だから最適解もきっと人それそれ。これが私の最適解で、多分さゆの最適解じゃない。

 

「だからさゆ、改めて言わせて。・・・今日までありがとう。私の決心が着くまで、ずっと守ってくれて」

 

「・・・うん。あーあ、なんだろ。急に面白くなくなってきた」

 

「そんなこと言わないでよ」

 

「だって美海、どこまでもあの二人のこと大好きなんだもん。味方になって一緒になって嫌ってやろうと思ってたの、馬鹿らしい」

 

 私の為だけにさゆはどこまでも汚れ役を買ってくれていた。そう考えると、やっぱり申し訳なさは存在する。

 けど、その行為は何一つ無駄じゃなかった。種が植わって芽が出るまでの間、何度も訪れた台風から守ってくれたんだから。

 

「まあ、でもよかったよ。美海が仕事に就く前に全ての決着がつきそうでさ。ギスギスしたままあの店に行くの嫌でしょ」

 

「あー・・・、そのことなんだけどね」

 

「・・・へ?」

 

 もう一つ、私が秘匿していた思いがある。

 あの日から夢すら忘れていた私はボーっと生きてきたから、ただ惰性で毎日を過ごしてきただけだったけど、「誰かの助けになる」という夢を叶えるための場所を、私は見つけてしまった。

 

 だから、お母さんの所では働かない。・・・ううん、この街を出ていく。

 

「さやマートでの仕事の話、無しにしてもらうと思うんだ」

 

「え、ちょ、ちょっと待ってよ! じゃあどこで仕事するって言うの!?」

 

「街」

 

「えっ・・・」

 

 私は、あの人・・・マスターの下で修業してみることにする。もちろんそれは喫茶店営業の腕、とかじゃなくて、人の為になることの修行。

 あの日あの人に掛けてもらった言葉の全てが、私の夢への道だと気が付いた。

 誰かの助けになるのに、どの言葉を選んで、どう付き合うか。あの人は多分、その術を知っているから。

 

 あの日店を出る前に、約束したんだ。夢を叶えるために、学ばせて欲しいと。

 

「私の師匠になってくれる人が見つかったの。・・・だからそこで、まずは自分のことを鍛えたいと思うの。昔さゆに言ったよね? 私がどういう大人になりたいかって」

 

「誰かの助けになる存在になりたいって・・・。でも、それってこの街じゃダメなの?」

 

「うん。今の私は何もないから、一から満たしていこうと思うの。・・・もう、遥がいなくても歩けるように」

 

 誰かに左右されない、私だけの夢。あの日閉ざしていた鎖を今全部解き放つ。

 

「美海のお母さんには言ったの?」

 

「昨日たっぷり話し合った。けど、最後は認めてくれたよ。ようやくやりたいこと見つけてくれたんだって、ホッとしてた」

 

「・・・馬鹿、なんでそんな急に」

 

「悪いと思ってるよ。・・・だからせめて、一刻でも早くさゆに伝えたかった。今日呼び出したのは、どっちかというとこっちが本題」

 

「・・・ホント、馬鹿だよね美海って。馬鹿正直で真っすぐで、決めたら揺るがない」

 

 私がこの街を離れるという事を知らされて動揺しないさゆではなかった。けれど、そこに涙はなかった。さゆもまた、私のことを応援してくれる一人だったから。

 

「いいよ、応援してあげる。その代わり、ちゃんと一人前になるまで帰って来るな」

 

「うん。だから、帰ってきたときはまた、よろしくね」

 

 私は右手を差し出す。さゆは少しだけたじろいで、ちゃんとその手を握ってくれた。繋がれたその手は、ただ実直に私たちの関係を表してくれる。

 私とさゆもまた、紛れもない「親友」であると。

 

 目を閉じて、愛しい存在を思う。

 

 ・・・大丈夫だよ、ママ。

 

 恋路は・・・ちょっと叶わなかったけど、夢くらいは叶えようと思う。誰にも左右されない、私だけの夢。

 そのために今は大事な物全部ここに置いていくけど、ちゃんと取りに帰って来るから。だからその日まで、この場所をお願い。

 

 

 

 心の凪が晴れていく。少しだけ身に染みる向かい風が止んだら、船出にしよう。




『今日の座談会コーナー』

 実はヒロインとの描写よりも美海視点の方が多い気がしなくもないα√です。けれど複数視点作品だからこそ出来る技だと思うんですよね。負けヒロインの葛藤、その後って。心境にどのような変化があったのか、どのような日々を過ごしていたのか、それを描写するにはアニメとか漫画の尺じゃ足りませんから。α√もあと数話、ぜひ最後までお付き合いお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百九十一話α 私の帰る世界

~遥side~

 

 浮かれ気分のまま、時間は過ぎていく。

 千夏と話し合った結果、ちゃんと式は挙げたいという話になった。もちろん、誰かに遠慮することなんてないのだから、この結果に至っても何の不思議でもないけれど。

 

 ただ、結婚届を出してから式の準備まではそれなりの時間を要して、気が付けばもう夏休みとなっていた。・・・あの日以降、美海とは一度も逢えていない。それどころか、どこで何をしているのか、一部の人間以外誰も分からないみたいだ。

 

 だが、それを追求するのは道理から外れている。おそらくそれは美海自身が選んだ道で、俺が関与するものではない。だから、この話はここで終えることにした。

 けれど、そうはいかないのが俺の人生みたいだ。

 

---

 

「じゃあ、式場の予約は7月の最終週日曜で決定でいい?」

 

「ああ。多分そこが一番みんなの都合がいいだろうからな。・・・そうと決まれば、出欠のはがきださないとな」

 

 あれからいくらか修繕しだいぶ住みやすくなった家で、二人そんなことを語り合う。同棲生活も四カ月を経てだいぶ様になってきていた。といっても、結婚までの二年間も半同棲状態に近かったし、こうなるのも納得だ。

 

「ふふっ」

 

 ふと、千夏がどこか嬉しそうに微笑む。

 

「どうした?」

 

「いや、こうしてみるとさ。・・・改めて、結婚したんだなぁって」

 

「そういうの、大体結婚式当日とかにする発言だぞ」

 

 けれど、その迷いのない笑みが、俺はどこか嬉しく、誇らしく思う。

 

 この笑みは、かつて自分の罪に押しつぶされそうになって、笑顔の裏にさえ遠慮と後悔が滲んでいた千夏が、ここまでたどり着いた証だ。今はもう、幸せになることに遠慮も躊躇いもないだろう。

 傷つける強さと、乗り越える逞しさを、俺たちは過ごしてきた時間でちゃんと手に入れていたみたいだ。

 

「で、招待状どうしようか?」

 

「まず俺の同期連中には全部出すつもり。んで個人的なところで言うと世話になった病院の先生連中とか日野の真冬さんのところとか・・・」

 

「え、日野? 日野ってあの・・・」

 

 千夏は何かを思い出すようにその名前を口にした。やっぱりずっと陸に住んでいたのもあって、あの家の影響力の強さを知っているのだろう。

 

「ああ。多分その想像の通りだと思う」

 

「・・・なんで接点なんてあるの?」

 

 千夏は怪訝そうな表情で尋ねてくる。そういえばあの事件の話、千夏にはまったくしてこなかったなと思い出した。当然だ、警察やら夏帆さんやらに口外禁止を言い渡されていたのだから。

 

 ・・・けど、今は夫婦だ。ちゃんとこの秘密は共有しなければならないだろう。

 

「昔な、千夏が冬眠から帰ってこなかった頃、入院中にある事件に巻き込まれたんだよ。その時に渦中にいたのが、今の日野家当主の娘の陽香ちゃんでさ。そこから接点が出来たんだよ」

 

「そんなことがあったんだ・・・。で、その事件は解決したの?」

 

「まあな。・・・ただ、警察とかにこっぴどく叱られてさ、口外しないようにしてきたんだ。事件も未然に終わったわけだし。でも、流石にこれから一緒に暮らす千夏に隠し事なんてしたくないからさ。ちゃんと伝えたってわけ」

 

「そっか。言ってくれてありがとね。あと、絶対に口外しないから」

 

「ああ、頼むよ」

 

 それ以降、千夏は特に気にしている素振りは見せなかった。秘密なんて所詮こんなものなのだろう。ものによっては、記憶の片隅にも残らない。

 

「それで、招待状なんだけど千夏はどうだ?」

 

「共通の知人以外で言ったら・・・やっぱり高校時代からお世話になっている海の人かな。あんまり人数はいないけど、よくしてもらったのは間違いないから」

 

「あー、真先生とかか」

 

「そう。言っちゃえば今の職場の人だね。といっても人数少ないしほぼほぼ全員になるかな」

 

 なんて話し合いながら、リストを作って〇を埋めていく。一つ一つ名前を口にするたびに思い出と昔話が溢れてきた。自分がどれだけの人に愛してもらってここまで来たか、それを思い出させる。

 

 

 そして、その名前を最後に上げたのは俺だった。

 

「・・・美海には、どうする?」

 

「出すよ」

 

 即答だった。千夏の目には微塵の迷いもなく、この決断は最初から絶対のものだったということを暗に示していた。

 

「もちろん、烏滸がましいのは分かってる。敵対するつもりで話し合って、友達であることをやめて私は遥くんを選んだんだから。・・・でも、それでもね、やっぱり友達でありたいの。祝ってほしいの。我儘なのは分かってるけど」

 

「我儘なんかじゃねーよ。・・・俺だって、同じ気持ちだ」

 

 熱くなり、次第に口数が増えていく千夏を止めるように俺は一度頭をポンと撫でた。そして、四カ月前、プロポーズの時に秘匿していた秘密を今明かす。受け入れてくれると、信じているから。

 

「ちょっと懺悔、というか、結構懺悔。聞いてくれるか?」

 

「え、うん。いいけど・・・」

 

「・・・四カ月前な、美海にあったんだよ、ばったり」

 

「え?」

 

 予想はしていたが、千夏は信じられないというような表情で聞き返してきた。俺が嘘をついていないということを確認して、少しだけ俯く。

 

「今の俺たちのことちゃんと話した。上手くやってること、結婚しようとしていたこと。・・・そしたら、最終的に逃げられちまったんだよ」

 

「なんでそんなこと言ったの・・・!?」

 

「美海が望んだんだよ。今どうしているのか聞かせてくれって。だから俺は躊躇わなかった。・・・結果から見れば、裏目に出てしまったけどな」

 

 千夏は少しだけ困ったような表情をして、それから俺の胸のあたりをポスリと力のない拳で叩いてきた。

 

「・・・馬鹿」

 

「分かってるよ。俺は大馬鹿者だ。・・・でもな、美海の前で着飾って今の俺を隠すようじゃ、千夏に申し訳が立たないんだよ。俺が心から選んだのはお前なんだよ、千夏。いかなる相手でもその順列を誤ることだけは、絶対にしたくない」

 

「それも含めて、やっぱり馬鹿だ」

 

 今度は少しだけ嬉しそうな声色で、同じセリフを口にする。それから千夏は顔を上げて、俺の目をしっかりと見つめてきた。

 

「やっちゃったものはしょうがない。これからのことを考えないと」

 

「ああ、そうだな。・・・招待状は出す。それに異存はないよ。ただ・・・あいつ、今どこにいるんだろうな」

 

「そうだよねー。本当はさやマートで当面働くってなってたけど、あそこにいないどころかこの街でも全く見なくなったから・・・」

 

「・・・まさか」

 

 まさかの可能性ではあるが、ひょっと美海、街に行ったんじゃないだろうか。

 もしそうだとしたら、美海の行く当てはどこだろうか。あの街のどこに、美海との接点がある・・・?

 

 ・・・億が一のレベルの可能性だけれど、ひょっとしたら美海がいる場所は。

 

「マスターの所、か?」

 

「マスターって・・・遥くんがよく通ってた喫茶店の?」

 

「ああ。・・・分からないけど、俺が知ってる美海とあの街の接点ってそこしかないんだよ。もちろん、他の可能性もあるけど」

 

「いや、可能性があるなら出してみよう?」

 

「・・・そうだな」

 

 初めから、俺たちの答えは決まっている。後はその思いに美海が答えてくれるかどうかだけの話だ。・・・しがらみはそりゃもう嫌になるほど多かったけど、一生引きずっては生きていけない。

 

 

 だから、帰ってきてくれ。・・・もう一度、俺たちの世界に。

 

---

 

~美海side~

 

「で、美海ちゃん宛に手紙が来たけど、読むー?」

 

 店を閉め片付けの作業に勤しんでいるお姉さんが、手に持った手紙をひらひらと振る。その中身は・・・おおよそ察しが着く。

 だけど私は、どこかそれを待っていた。ちゃんと二人のもとへ帰るきっかけのようなものに思えた。もちろん、今はまだ夢を叶える途中。鷲大師に本格的に帰るわけじゃないけど。

 

「たぶんそれ、結婚式の案内じゃないんですか?」

 

「あったりー。あたしにも来たから間違いないね。・・・で、どうする?」

 

「決まってるじゃないですか」

 

 もう全てを理解している。自分がどうしたいか、二人にとってどうありたいか。

 お姉さんから手紙を受け取って、胸のほうに当てて答えを紡ぐ。

 

 

 

「帰りますよ、二人の所に」




『今日の座談会コーナー』

 α√、おそらく残り二話で完結です。なんだかんだ言ってα√もずいぶんと長い事書いたような気がしますね。前作のアフター二話しかなかったことを考えると、よくここまで膨らませたなという風に思います。もっとも、これだけ書いたのもあって描きたかった背景とか脳内のどこかで浮かんでいたシチュエーションとか全部文字に出来ましたが。自己満足の作品として思い残すことはないです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百九十二話α 祝福の花束に抱かれて

~遥side~

 

 送り出した招待状は、そのほとんどが出席に〇がついた状態で帰ってきた。残念ながら欠席に〇がついてしまった招待状にも手紙が挟み込んであったりと、確かに無駄ではなかったことを証明している。

 

 つまり、これが俺たちの現在。乗り越えて進み続けて、積み重ねてきたものの結晶。それが嬉しくて、俺は胸を高鳴らせる。

 それはかつて人生に絶望した人間の心持ちではないだろう。今では全てを受け入れ、愛することが出来る。そうして俺はようやく大人になれたんだ。

 

 ・・・さて、帰ってきてない招待状が後二件・・・か。

 

---

 

「一応招待状の締め切り、今日だよね?」

 

「ああ。頼み込めば期限を延ばすことは出来るけど・・・あんまりしたくないよな」

 

「迷惑かかっちゃうからね」

 

 俺たちは山になった出欠のはがきをまとめながら、そんなことを呟いていた。結婚式まではもうそんなに時間がない。これからは準備も合間合間に挟まって来るし、仕事もあるしで落ち着いた時間が取れなくなるだろう。この休日から当面の間は忙しい日が続くことになる。

 

「誰が返してくれてないか理解してるんだけど、取り立てに行くのも失礼だしな・・・。全く、この歳になっても相変わらずの問題児っぷりだよな」

 

「まあまあ・・・」

 

 その時、家の呼び鈴が鳴る。鳴らした人物には見当がついた。

 

「たぶん光だろうな。行ってくるよ」

 

「わかった」

 

 リビングに千夏を残して、俺は玄関のドアを開ける。そこに立っていたのは、ぜーはーと息を切らした問題の渦中の人物だった。

 

「返事返すの、今日までだったよな!?」

 

「ああ、まだ受け付けてるよ。・・・んで、どっちだ? 光」

 

「行かねえわけねえだろうよ、普通」

 

「そっか、ありがとな」

 

 それから、光はいくらか折り目が着いたはがきを手渡した。そこにはでかでかと出席のほうに〇サインが施されている。

 

「悪ぃ、遅れちまって」

 

「別に問題ねえよ。・・・けど、別に口頭で言ってくれてもよかったんだぞ?」

 

「え、そうなのか? なくしたと思って引っ張り出して〇書いたの無駄だったのかよ!?」

 

「んなことだろうと思ったよ。・・・全く、お前らしいな」

 

 変なところで律儀になるのがコイツだ。だったら綺麗に保管してくれよって話になるけど。

 ・・・そう言えばちさきも、同じような目にあってたんだっけ、この間。

 まあでもやっぱり、こいつはこういうところがあるからこそ皆の愛着を誘うんだ。ずっと変わらないでいてくれる光に、俺は安心を覚える。

 

「とりあえず、受け取るよ。来てくれるの、本当に嬉しい」

 

「お、おう。・・・なんか気が狂うな」

 

「俺が素直に礼を言うのがそんなにおかしいか?」

 

「ああ、おかしいね。・・・なんだよ、ほんの十年前はひねくれものだったって言うのによ」

 

「おあいにく様、人間って十年も経てば変わるんだよ。俺も、お前も」

 

 本人がどこまで自覚しているのかは知らないが、光も十分に変わった。大人になった。少なくとも人のことを言えるような立場じゃない。

 

 立ち話が長くなるだろうと踏んで、俺は玄関から外へ出た。それを遠慮なしの合図と判断して、光は呼吸を整えて水面を見上げ、口を開いた。

 

「にしても、お前も結婚か。・・・なんか、焦っちまうな」

 

「焦る必要なんてねえよお前らは。ろくなことにならんだろ」

 

「まあな。多分ドタバタして失敗するだけだ。分かってるよ。けどやっぱりちさきのとことかお前とか見てると、すげー幸せそうだなって思っちまうんだよ」

 

「すげー幸せだからな、実際」

 

「はいはい自慢ですか」

 

 軽口を叩いて、少し惚気てみる。光は少し口を尖らせたが、まんざらでもない様子だった。心の底から祝福してくれているのだろう。

 

 けれどそれは一瞬のこと。たちまち光は急に素のトーンに戻った。

 

「・・・苗字、変えるんだって?」

 

「ああ。婚姻届も出して、正式に水瀬家に婿入りしたよ。だからもう、俺の苗字は島波じゃない。その気になればいつでも戻せるけど、未来永劫戻すことなんてないからな。残念ながらこの屋号はここまで」

 

「そっか。・・・結構好きだったんだけどな」

 

「残念がってくれるんだな。・・・俺も結構悩んだよ。でもやっぱり、俺にとっての今の両親は保さんと夏帆さん。そこには変わりないんだよ。実際、過ごした年月ももう逆転しちまったしな」

 

「そうか。お前が満足なら、それでいいや」

 

 新しい門出には、新しい何かが欲しくなる。俺にとってのその何かは苗字だったのだろう。

 島波という苗字は、一人だった俺の象徴。・・・もちろん、これから増やしていくことだってできたはずだ。だけどそれ以上に、俺はあの世界へ飛び込みたかった。それだけだ。

 

 光はグーっと背伸びして、俺に背中を向けた。

 

「んじゃ、帰るわ。夫婦水入らずの休日に邪魔するのも悪いからな」

 

「サンキュな。あと、当日の余興楽しみにしてるぞ」

 

「また俺が担当かよ! ・・・しゃーねえ、考えとくよ」

 

 いくら歳をとっても変わらない無邪気な笑みを浮かべて、光は俺のもとからどんどん遠ざかっていった。その姿が見えなくなるのを見送って、俺は家に戻ろうとする。千夏は俺の様子を見に来ていたようで、玄関まで来ていた。

 

 

「待って!」

 

 

 刹那、後ろから声が響く。それは扉が閉まりきる直前の事だった。

 

 千夏は立ち上がり、俺は後ろを振り返る。ドアの先にいたのは、俺たちがずっと待ち望み、焦がれた人間。

 

 その声に先に答えたのは千夏だった。俺を押しのけて閉まりかかっていた扉を開け、勢いがままに美海に飛びつく。

 

「千夏ちゃん!?」

 

「どこ行ってたのよ本当に! もう・・・!」

 

 ああは言ったものの、千夏は美海がマスターの所にいることを信じきってはいなかった。だからこそ、本当にその安否を心配していたのだろう。

 呆気に取られていた美海だったが、何かを理解したのか、慈愛の笑みで千夏の背中に手を回した。

 

「・・・大丈夫だよ。心配かけてゴメン」

 

「美海・・・あの日のこと」

 

 今度は俺が名前を呼ぶ。どこまでも澄んだ真っすぐな瞳で美海は俺に頷いた。

 

「大丈夫。・・・私は元気だよ。それよりよく分かったね。私がお姉さんの所にいるって」

 

「・・・なんとなくな。あの人が美海のことを見つけるような気がしたんだよ。ただ、あそこで働いているってのは意外だったけど」

 

「最初は喫茶店自体に興味はなかったの。けど、私はあの人の所で働きたいって思ったの。結局、今となっては全部が楽しいけどね」

 

 そう言って美海は千夏から少し距離を取って、改めて千夏にはがきを手渡した。一瞬の事だったがはっきりと見える。そこに書いてある〇印に。

 千夏はそれを受け取るなり、ポロポロと涙を流し始めた。美海は苦笑いで言う。

 

「返事、私が最後かな? ・・・ぜひ行かせてほしいな、二人の結婚式」

 

「美海、ちゃん・・・!」

 

 嗚咽混じりで名前を呼び、何度も千夏はうんうんと頷く。ろくに会話も出来そうにない千夏の代わりに、俺が話をすることにした。

 

「美海、お前は・・・」

 

「色々考えたんだ。・・・でも、どう頑張っても遥は私を選ばないからね、だから諦めた。でもね、離れたくもなかった。そんな私が出来る事、何だと思う?」

 

「・・・友達に戻ること、だよな」

 

「そう。・・・ねえ遥。私をもう一度、二人の世界に迎えてもらっていいかな?」

 

 返事はすぐだった。言葉より先に首を縦に振る。

 

「ずっと、待ってたんだ。・・・これからも、友達で、俺"たち"の大切な人であって欲しい」

 

「うん。じゃあそうさせてもらうね」

 

 もちろん、すぐに元通りになることなんてない。

 だけど、踏み出す事すらなければ、何も起こらない。今俺たちは、確かにもう一度歩き出す一歩を踏み出した。あとはゆっくり、全て時間が解決してくれる。

 

「ところでさ、確認だけど、私が最後だった?」

 

「ああ、おかげさまでな。けど、どうしてそこにこだわるんだ?」

 

「最初か最後に出したかったの。けど、送る距離的にどう考えても最初は無理だから、最後を取ることにしたの。・・・その方が、私のこと見てもらえるかなって」

 

「美海らしい考えだよな、そういうの」

 

 俺の苦笑が伝染して、美海も笑う。そのころに、ようやく泣き止んだ千夏が声を挙げた。

 

「・・・おかえり、美海ちゃん」

 

「うん、ただいま。・・・ありがとね、ずっと待っててくれて。突き放したの、私なのに」

 

「ううん。私には待つことしか出来なかったから。だから、嬉しいよ。こうやってまた話せること」

 

 それから美海は手を差し出す。千夏は迷わずにその手を取って、両手で握り返した。

 そして俺たちは、俺たちが一番欲しかった言葉を、俺たちの一番大切な人から受け取る。

 

 

「遥、千夏ちゃん。結婚、おめでとう」

 

 

 

 水面が跳ねて、隙間から光が差し込む。

 それはいつか俺たちが夢見た、美しい海そのものだった。

 

---

 

 

 夏というのにも関わらず、涼しい風が頭上を吹き抜けた。

 目の前には飾られた、どこまでも綺麗な最愛の人がいる。式はもうすぐ、俺たちの人生で最大になりえるかもしれない瞬間が訪れようとしている。

 

 けれどこれはゴールじゃない。全ての始まり。

 水瀬遥として、俺が歩き出す第一歩の物語。・・・ずっと、その隣で千夏が支えてくれると信じている。

 

「じゃあ、行こうか」

 

「うん」

 

 差し出された手は、優しく、そして強く握り返される。

 開かれた扉、祝福の渦の中へ一歩、また一歩と歩いていく。

 

 

 ここからの幸せの物語は、語るまでもない・・・・・。




『今日の座談会コーナー』

 ということでα√、これにて閉幕・・・。といきたいところですが、アフターのアフターを最後一話だけ書かせていただきます。それで千夏と結ばれる話は本当におしまい。残りは美海√になるんですけど・・・。感情移入とか強すぎて簡単に移り変われるかと聞かれたらだいぶ微妙ですね。やっぱり愛着のあるキャラ、愛着のある話なので、切り替えは少し堪えるところがあると思います。
 それに多分、β√の方がギスギスするかも・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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after episode 黄色い光に包まれて

α√(千夏編)のアフターエピソードです。


~遥side~

 

 柔らかな風に後押しされながら、俺たちは緩やかな一歩を歩き続けて来た。幸せになるのに近道などなく、だから俺たちはのんびりと進んだ。

 全てに目を逸らさず向き合うことで、結果的に大事なものを何も失なわないでここまで来ることが出来た。もちろん、これからもそうありたいと願いながら。

 

 

 そして気が付けば、歩んできたこれまでの道に、小さな足跡が生まれていた。

 

 

 それは木漏れ日が水面の隙間を縫って差し込んでくる春の日のこと。

 あれから結婚して一年と半分ほど過ぎたころ、俺たちの間に子供が生まれた。幸せの延長線上で子供を設けるのに、俺たちにためらいは何一つなかった。

 

 俺は、父親になった。

 

 あれだけ親になることを怖がっていたというのに、今となっては何を悩んでいたのか分からなくなるくらい、全ては成り行きのままに進んでいった。

 右も左も分からないもんだから、貰いすぎなほど周りの人に助けてもらった。それでも進んでいくのがやっとで、怯えたり後悔する暇なんて全くなかった。

 

 そうしてようやく落ち着けたのがこの春のこと。あれから一年がたって、恵も少し大きくなった。・・・といっても、まだまだ小さい幼子で、これからも大変な日々は続くだろうけど。

 それでも、この木漏れ日の溢れる暇を、こうして穏やかな瞳で見つめている。

 

---

 

 

「お待たせ、遥くん」

 

 家事を終えた千夏がキッチンから帰って来る。

 

「ああ。悪いな、食器洗いしてもらって」

 

「ううん、今日は私の番だからいいの。・・・それで、恵は眠ってる?」

 

「いや、起きてるよ」

 

 ゆりかごを小さく揺らしてみると、嬉しそうな無邪気な笑い声が聞こえてきた。それを受けて、千夏は目を細め、母親の慈愛を孕んで笑んだ。

 

 俺たちは、生まれてきた子供に「(めぐむ)」と名付けた。千夏が提案した、幸せを象徴するその名前に、俺はすぐさま頷いた。これ以上うってつけの名前はないだろうと。

 それこそ、俺や千夏はそれぞれ恵まれない幼少期を送ってきた。自由に生きるための羽を奪われていた千夏と、ただ一人空虚な自由を与えられた俺と。

 

 だけど今、恵の周りにはたくさんのものがある。それをどうか失わずに、大切にして生きて欲しいと願って付けたこの名前だ。

 

「静かな子だよね、恵は。遥くんが子供の時ってこうだったの?」

 

「どうだろうなぁ・・・。前の親から『手は掛からない』とは言われてたけど、頗る大人しかったわけでもないと思うんだよな、あの頃の俺って。それこそ千夏は?」

 

「私? 今の恵と同じくらいの歳の私でしょ? ってことはまだエナがなかった頃かぁ・・・。多分結構泣いたりしてたんじゃないかな。そうするだけの余裕はあったってことだから」

 

「あー、言われてみれば納得だな」

 

 どっちかというと今の千夏よりの性格という事だろう。病気の片鱗が残っていた中学二年のあの夏は、根はもう少し控えめのはずだ。今と同じような態度をとってたのは、虚勢の表れだったんだと思う。

 

「・・・こうしてみると、俺たちも歳をとったよなぁ」

 

「なんていうけど、まだ三十歳にもなってないでしょ。そんな年寄りクサいセリフ言うにはまだ早いよ」

 

「確かにな」

 

 苦笑いを浮かべながら、全てを達観していたあの頃を思う。自分は周りとはズレた人間になってしまったと諦めの気持ちがあったことを今でも思い出す。

 だけど、今は断言できる。俺は間違いなく、皆と同じであると。

 

 そんな物思いに耽ながら恵を見つめていると、家の呼び鈴が鳴った。

 

「出てくるよ」

 

「うん、分かった」

 

 出迎えに向かった俺は扉を開く。そのドアの向こうには、またひとしきり美しくなった美海が立っていた。

 

「美海! 久しぶりだな。半年ぶりくらいか?」

 

「うん。久しぶり。ごめんね、なかなか会いに来れなくて」

 

「そりゃ街にいるんだから仕方ないよなぁ・・・。嬉しいよ、来てくれて」

 

「上がってもいい?」

 

 俺は一度頷いて、家の奥の方へと通した。千夏も美海が来たことに気が付いたようで、とてとてとこっちのほうに歩いてきていた。

 

「美海ちゃん久しぶり! 元気してた?」

 

「うん。千夏ちゃんこそ、体のほうは大丈夫?」

 

「もうそろそろ恵が生まれて一年くらいだからねー、だいぶ回復したよ。最初の方はちょっと大変だったけど」

 

 他愛ない話を繰り広げて、千夏と美海は笑いあう。確かに一度崩れてしまったあの日の関係は、今こうやって目の前で結び直されつつある。

 あの日全てを信じてよかったと心から思える。

 

 

 などと思っていると、どこか雲行きが怪しくなってきた。恵がぐずってるみたいだ。

 

「あ、ちょっとゴメン。恵が・・・」

 

「いいよ、千夏ちゃん。・・・たまにはさ、私に任せて欲しいかな」

 

 美海は千夏を制して、俺に視線を合わせた。恵のことを任せてくれという事なのだろう。俺は何も言わずうんと頷いた。今の美海になら信じて託せる。

 それから美海は声掛けと共に恵を抱きかかえた。それからゆりかごよりも穏やかな揺れで恵をあやし始める。何度も、何度も、心地の良い波を作り出して恵を包む。

 

「よーしよし、いい子いい子・・・」

 

 それから間もなく、恵は穏やかな吐息を取り戻した。どころか、眠ってしまったみたいだ。それほどまでにだかれ心地がよかったということだろう。

 美海は恵をゆりかごにそっと降ろして、ふうと一息ついた。

 

「すごいな。俺とか千夏だともうちょいてこずるのに」

 

「昔、晃がこうだったからね。というか恵ほど穏やかじゃないから大変だったし。・・・そう考えるとあの時の経験、無駄じゃなかったんだなって思うよ」

 

「ありがとね、美海ちゃん」

 

「ううん。可愛い寝顔も見られたし、私の方こそ」

 

 そこに棘や尖りは見当たらない。お互いの本心だけがこの場に滞在している。

 それから美海は二、三度ほどリビングをうろうろしたかと思うと、小さく呟いた。

 

「恵寝ちゃったし、私、帰った方がいいかな?」

 

「気を使ってくれなくても大丈夫だぞ。眠った恵は簡単には起きないからな」

 

「それに、今度は私が面倒見ておくから」

 

「そっか、じゃあもうちょっとだけ」

 

 千夏が恵が眠っているゆりかごの近くの壁に寄りかかるのと同時に、美海は食卓の余った椅子に腰かけた。昔から思っていたんだけど、お気に入りなのか? そこ。

 などと野暮なことを考えるより先に会話が始まる。

 

「マスターとは上手くいってるか?」

 

「うん。あの人の考えてることだいぶ分かるようになってきたし、あの人みたいに店を回せるようになったよ。最近だと私一人で店を開けることもあるし」

 

「飲み込み早いよな、美海は。そうはいってもあの人、自分の手札はなかなか見せてくれない質だぞ?」

 

「女は別腹、って言って結構色々教えてくれたよ」

 

 あの人らしい回答だ。それに、あの人の眼中にもはや俺はもういないだろう。俺みたいな一方的に世話になっていた人間とは違い、美海は完全に師弟と呼べる存在なのだから。

 俺は上手くやっている。・・・だからあの人にはどうか、美海の行く末を見届けて欲しい。そうすればきっと、全てが上手くいくだろうから。

 

 そんな当人は、どこか嬉しそうに話を続けた。

 

「・・・それでさ、売れ行きがまあまあいい感じだから、そろそろ二号店を出そうと考えてるんだって」

 

「へー。・・・あれ、ってことは?」

 

「うん。二号店は鷲大師。・・・それで、店は私に任せてくれるって」

 

 つまりそれは、美海がこの街に帰ってくるという事。

 離れ離れになっていた距離はさらに縮まる。今度こそほどけることが無いように。

 それが嬉しくて、俺は少しだけ大きな声を挙げた。

 

「それ、本当か!」

 

「声でかいよ・・・。うん、本当の事。だからそろそろこっちに戻るよ。あと一年くらいはかかっちゃうかもしれないけど、その間には絶対帰ってくる」

 

「そっか。・・・よかったな、千夏。・・・千夏?」

 

 千夏の方を向いて声を挙げるが、空気はしーんと静まったままだった。

 さっきから気になっていたが、千夏のほうから全く物音がしなくなっていた。名前を呼んでも返事が返ってこない。

 

 覗いてみると、千夏もまた、穏やかな寝息を立ててすぅすぅと眠っていた。目を閉じて小さく口を開いたその顔は、恵とそっくりだった。やっぱり母子なのだと思わされる。

 それを見て、美海は苦笑いに似た微笑を浮かべる。

 

「似てるね」

 

「ほんとだな」

 

 美海は恵の、そして俺は千夏の頬に少しだけ人差し指を伸ばして触れてみる。小さく反応する姿も、やっぱりそっくりだ。

 それから美海は荷物を抱えて、今度こそ帰る意志を示した。

 

「・・・さすがに二人も寝たんじゃ起こしちゃうの悪いし、そろそろ帰るね。また遊びに来るから」

 

「ああ。・・・店、開いたら真っ先に行くよ。二人を連れて」

 

「うん、お願い」

 

「それじゃあ、また」

 

 玄関まで行って、手を振って美海が視界から遠ざかっていくのを見送る。春の黄色い光は水面で揺れて立ち尽くす俺を照らした。

 

 ふと、光を閉ざし、淀んだ空をしていた昔の海を思い出す。あの時の俺は何を思い、どう生きようとしていたんだったけ。

 

 ・・・なんてこと、もうどうでもいいよな。

 

 過去は思い出して、それまで。そりゃ教訓とかはあるだろうけれど、そんなことをいちいち気にしていたら体がもたない。思い出すべき時に、思い出さなければいけないことだけ。過去はそれだけでいい。

 

 それより視線は未来に向ける。明日のことを考えてみる。

 それは何を食べるか、何をして恵と遊ぶか、どうやって仕事を進めるか。そんなことでいい。

 そんな些細で当たり前のことが、「生きる」ということだ。俺はそうやって、三人・・・いや、この先何人になるか分からないけど、抱えた大切なものすべてと一緒に歩いていくんだ。

 

「・・・っと、そう言えば今日は父さんと母さんの所に泊まりに行くって話だったよな。あれが六時くらいの話だから・・・。あと四時間はあるな」

 

 俺はくるりと踵を返して、リビングへと戻る。

 穏やかな寝息を立てて眠りにつく二人の髪をそっと撫でて、小さく笑む。

 

「・・・守るよ、絶対」

 

 呟いて、千夏が眠っている隣の壁にもたれかかる。昼食が終わって眠気もやってきたのだろう。家族三人で昼寝なんてのもいいものだろうな。

 だんだんと瞼が重たくなってくる。俺も少しだけ眠るとしよう。

 

「それじゃ、おやすみ」

 

 

 

 願わくば目覚めた時、昨日よりも素晴らしい日がありますように・・・。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 はい、前書きに書いてありますが、千夏ルートの最終回です。ようやくここに辿り着いたかと思うと、もう思うところでいっぱいいっぱいですね。前作のアフターとはだいぶ話が変わっちゃいましたが、そもそものメッセージ性が違うのでこの終わり方で間違いないです。このルートで重きを置いていたのはあくまで「三人の関係がもう一度結ばれる事」と、「罪や恐怖に向き合い、緩やかに進んでいくこと」ですから。
 さて、もう片方のヒロインとの話、最後までお付き合いください。ちょいと苦しい話になるかもしれませんが・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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美海‪√‬
第百七十九話β 全てを壊す刃


~遥side~

 

 電車に飛び乗ったのは、朝早くのこと。最後の最後まで悩みぬいたこの答えにもう迷いはない。あとは、これを早く伝えなけばと思った。

 

 ・・・たとえ多くの物を失おうとも、俺は美海を選ぶ。ただその言葉を、伝えなければと思った。

 

 何度も確かめた。俺の本当の居場所はどこか、俺が誰を愛しているか。その答えは、一緒に隙間を埋め合ったあの五年間に出ていたのかもしれない。

 けれど、帰るまでは、戻ってくるまではと答えを先延ばしにしているうちに揺らいでしまったのだろう。本当は、もっと早くに出すべき答えだった。

 

 そうして急いで家に帰る道中、俺がこの三日間会いたいと思っていた人物は駅の柱にもたれかかっていた。俺を待ってくれていたのだろう。

 

「あ、遥?」

 

「・・・待っててくれたのか?」

 

「なんとなく街から帰って来るの今日かもって気がしてたの」

 

「そうか」

 

 いたって無機質なままの表情で、俺は感情を殺して淡々と美海に語る。

 ・・・本当は今すぐにでも、好きと言って抱きしめたい。だけど、そうするためには俺は抱えすぎてしまっている。

 

 両手にいっぱいの感情と荷物を抱えて抱きしめられるほど、美海はか細い存在ではない。だから俺は、持っていたはずの大切なものを全部手放す必要があるのだ。

 それを手放すまでは、俺に愛は語れない。

 

 歯を食いしばって、俺は美海に向き合った。

 

「・・・悪い、美海。ちょっと今は、話す余裕ないかも」

 

「そっか。・・・また、あってくれるんだよね?」

 

「ああ。だからそれまで待っててくれ」

 

「いいよ、待つ。もうずっと長い事待ってるからね。今更一日二日くらいどうってことない」

 

 美海は悲しみ素振りの一つも見せないで、淡々とそう返した。その善意に今は甘えて、俺は勢いそのままに実家に帰り、急いで荷物をほどいた。

 それから三十分くらい経つと、呼吸が落ち着いてきた。俺は震える指を落ち着かせて、電話のボタンを押す。

 

 これから別れを告げに行くことを伝えるために。

 

「・・・もしもし、保さん」

 

---

 

 水瀬家に向かったのは夜の事。

 千夏は今日も学校へ手伝いに行っていたようで、俺は運よく先に二人だけと話すことが出来た。

 本当に助かった。・・・千夏へは、この場では語り切れない想いで溢れるだろう。それに、この二人とのやり取りを千夏に見られたくもなかった。

 

「おじゃまします」

 

 インターホンを鳴らして、俺は水瀬家へ乗り込む。扉を開ける夏帆さんはいつもと変わらない表情、声音で俺を出迎えた。

 

「いらっしゃい。一人?」

 

「ええ、ちょっと」

 

「そっか」

 

 当然のことだけど、知らないのだろう。・・・これから俺が、二人に残酷な答えを伝えようとしていることを。

 そう思うと胸は次第に締め付けられる。この人たちを前にして、俺はちゃんと、俺が決めた答えを言い切ることが出来るのだろうか。

 

 けれど時間は待ってくれない。俺は腹を決めて一人で二人の世界へ乗り込む。・・・あてがわれた席に座るのも、今日で最後だ。

 

 対面に座る二人を前に、俺は一度小さく深呼吸を行った。そして頭が冴えた時、保さんと目を合わせていった。

 

「・・・保さん、話があります」

 

「ああ、聞こう。・・・でも、そういう事なんだろう?」

 

 俺の目を見るだけで、この人は俺が何を言おうとしているか分かっていたみたいだった。どこまでも寂しそうな瞳に、俺までやられそうになる。

 

 でも、ダメだ。ちゃんとこれを言葉にしなければ・・・!

 

 頷いて、震える言葉を繋ぎ合わせる。

 

「今日を持って、俺は島波遥に戻ります。・・・ここに『家族のようなもの』として来るのも、今日を最後にします。・・・急な報告で、すみません」

 

「・・・ついに来てしまったんだな、この日が」

 

 叱ることも抵抗することもせず、ただ全てを諦め、受け入れるように保さんはそう吐き捨てた。夏帆さんは目を反らして少し俯いている。それでも俺は心を無にして続けた。

 

「これまで長い事お世話になって、こんなことを口にする資格なんて本当にあるかどうか分からないですけど・・・。けど、今の俺の夢を叶えるのに、俺はちゃんと島波遥に戻るしかないんです。二人の子供には、なれません」

 

 次第に感情は氷点下へと落ちていく。

 けれど、目の前にはどこまでも温度が下がらない太陽があった。

 

「そう、か。・・・辛かっただろう、よく答えを出してくれたな」

 

「・・・っ!」

 

 クソッ、なんでそんな事言うんだよ・・・!

 

 この時、俺は初めて保さんに憤りを覚えた。その憤りの原点は優しさにある。

 こんなに最低な行動を行っているというのに、どうしてこの人たちは文句や嫌味の一つも言わないんだ。もっと嫌ったっていいはずなのに・・・!

 

 恨まれれば、もっと楽になると思っていた。だからこそ、この言葉の一つ一つが痛みとなって襲ってくる。優しさは時に毒であると、身に染みて伝わる。

 

 けれど、それで俺が声を荒げることに何の意味もない。逆ギレ、逆恨みもいいところだ。だからせめて俺は、最後まで優等生でなければいけない。

 少しでも二人の子供になろうとしていた気があったことを、ちゃんと伝えてここを去ろう。思い出は全部置いていく。

 

「・・・本当に、楽しかったです。嬉しかったです。二人のもとで過ごせたこと。あの時、救っていただいて本当にありがとうございました」

 

「・・・それなら」

 

「夏帆。・・・いいんだ」

 

 俯いたまま、何かを言いかけようとしていた夏帆さんに対して保さんが手を伸ばし言葉をかけて牽制する。俺の決断が揺るがないように、保さんは手を貸してくれたのだろう。その善意がどこまでも痛くて、吐き気すら覚えてしまう。

 

 次第に目頭が熱くなる。ダメだ、泣くな・・・! 泣くな・・・っ!!

 

 ギリギリと音を立てながら歯を食いしばる俺に、保さんは最後の言葉を投げかけた。

 

「他に何か、言い残すことはないか?」

 

「・・・約束、叶えられなくてごめんなさい」

 

「・・・気にするな。これはみんなが選んだ道だ、誰も悪くない。誰も、な」

 

 保さんは表情を見せないまま、そう呟いていよいよ黙り込んでしまった。・・・ここいらが潮時だ。俺はたった今を持って、約束通り島波の人間に戻る。二人は、ただの友人の親だ。

 

 それでもせめて、礼だけは忘れないように。

 

 俺は椅子から立ち上がるなり一度深々と頭を下げ、長年肌身離さず持っていた合鍵を机の上に置いた。

 

「・・・本当に、ありがとうございました」

 

「ああ。・・・頑張れよ」

 

 はい、と言ったつもりが、言葉は掠れて音にならなかった。苦し紛れに俺は一度頷いて、二人に背を向ける。崩れかけているその表情を見ることは、今の俺には出来なかった。

 

 少しだけ扉の開いた客間を一瞥する。そこはかつての俺の住処。もう二度と戻ることはない。思い出を閉ざすように、俺は少しだけ開いていた扉を閉めた。

 それから玄関の向こうへと歩みだし、家を後にする。少し離れたところで、玄関の鍵が閉まる音が聞こえた。その扉を開けることは、もう二度と出来ない。

 

 その時、積み上げてきたすべての思い出が崩れる音がした。呼吸は二倍三倍に加速し、それに追いついていない胸がキリキリと痛みだす。嗚咽に混じって、涙はあふれ出した。

 

 俺は・・・それほどまでに大切だった場所を手放したんだ。自分の意志で、自分のために。分かってていても・・・辛すぎる。

 

「俺は・・・俺はぁ・・・!!」

 

 人目のつかない暗い道に出てようやく言葉は現れた。

 悲しい。苦しい。そうした全ての感情は今こうしてこの場所で言葉になる。全部吐き出すつもりで、俺はただただ泣き続けた。膝をついて、握りこぶしを地面にたたきつける。

 

 憎まれてもおかしくないと思っていた。むしろ憎まれた方が踏ん切りが付けれると思っていた。あの場所は、利己的なことしか考えていなかったんだと思い込むことが出来た。

 それだというのに、恨みどころか怒りの言葉すらなかった。あの場所は俺が信じていたように、最後まで優しさに溢れた場所だったのだ。

 俺は、そんな大好きな場所を切り捨てた。思い出に火をつけて焼き払おうとしている。心は今も、あの場所を思ったまま。

 

 愛を越えるために失うものの重さは、自分が想像している以上のものだった。

 

 けれど、これですら第一歩。俺が美海と歩き出すためには、まだまだ失わなければいけないものがたくさんある。

 正直、もうたくさんだ。精神的に参ってしまうのも時間の問題かもしれない。休みたいと思ってしまうが、そうする猶予なんてない。進んでしまった道は、もう引き返せないのだから。

 

 だから、俺は残酷な刃を周りに振り続ける。ただ一度、大好きというその瞬間の為だけに。

 




『今日の座談会コーナー』

分かっちゃいるんですけど、いざ文章に起こしてみると結構辛い事ばかりですね・・・この√。まず第一に切り捨てるべきなのが水瀬家との関りという訳ですから。自分を肯定してくれた場所を真っ先に否定し、また一人の道に戻る。決断してもその心は辛いと思います。・・・が、こんなところじゃ止まりませんよこのルートは。ぜひ最後までお楽しみください。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百八十話β 歪んでしまった答え

~遥side~

 

 泣きはらした瞼をどうにか落ち着かせて、俺は呼吸を整える。二人に思いを告げたんだ。二人に別れを告げたんだ。もう後戻りなんてできはしない。

 だから、俺は今日のうちに全部を清算しなければならない。・・・このままの心で、千夏の思いの全部を否定する。

 

 それが俺が美海と歩くためのスタートラインに立つ最低条件。この地獄のような思いに耐えないと、俺は幸せにはなれない。

 だから美海への思いは、俺の命と、あり得たかもしれないもう一つの幸せと引き換えだ。両頬を何度もたたいて、俺はいつもの堤防へ向かう。今日も千夏は、そこからやってくるだろうと思ったから。

 

「・・・あ」

 

 雪が降って来る。もう三月も終わりごろだというのに、雪はまだ降ってしまうみたいだ。昔荒れてしまった天気はそう簡単に戻らないらしい。

 その雪を肩に、頭にかぶりながら俺は千夏を待ち続ける。十分、ニ十分と時間が過ぎていく。

 

 そして三十分が経った頃、海面に人影が由来だ。

 

「うー、寒い・・・。雪降るなんて聞いてないよぉ」

 

 それから陸に上がってこちらを見て、千夏はようやく俺の存在に気が付いたみたいだった。

 

「あれ、遥くん? どうしたのそんなところで。肩に雪なんか被っちゃって」

 

「・・・お前を待ってたんだよ」

 

「そう、ありがとう。それじゃせっかくだし一緒に、・・・って、遥くん?」

 

「・・・」

 

 俺はその場に立ち尽くしたまま、微動だにしようとしない。足が動くはずなんてなかった。・・・だって、その行く先に俺の居場所はないのだから。

 それから、千夏の表情が歪む。唇を震わせ、信じられないものを見る目で俺の方を見つめてくる。無言が答えだ。

 

 千夏は深く深呼吸をしたかと思うと、聞いたことないような薄い声で呟いた。

 

「そっか・・・。それが答えなんだ」

 

「ああ。・・・俺は、美海と一緒に歩いていきたい。・・・だから、ゴメン。お前の気持ちには、答えられない」

 

「そっか。・・・そっかそっか。私、負けちゃったんだ」

 

 千夏はなんども「そっか」と呟いた。自分の中に現実を落とし込めようとしていたのだろう。その仕草にどこか空元気のようなもの感じて、そのたびに心が痛くなる。先ほどの傷が一斉に開いて、血を噴き出す。

 

 それでも千夏は涙を見せなかった。それどころか無理やりに笑って、俺に話の続きを求めてきた。

 

「私、何がダメだったかな? ・・・やっぱり、こんな女の子じゃ、ダメだった?」

 

「そんなこと言うなっ! こんな、なんてこと、絶対に言うな・・・!」

 

「じゃあ何がダメだったの!?」

 

 そしてついに千夏は声を荒げた。・・・が、それは一瞬。すぐに我に返って、小さく「ゴメン」と呟いた。

 

「俺はお前を負かしたかったんじゃないんだよ・・・。ただ、美海を選びたかったんだ。・・・いい悪いの問題じゃない」

 

「じゃあ、美海ちゃんが遥にとって『より良い』存在だったって訳だ」

 

 核心を突くその発言に、俺は苦い顔をして首肯した。

 

「あはは・・・。こうも残酷に、あなたは敗者ですって告げられるの、結構辛いね」

 

「・・・」

 

「いいよ、認めてあげる。私は負けたよ。遥くんの一番にはなれない。・・・だからせめて、私の質問に答えてくれるかな? ・・・当面の間、お別れになるだろうから」

 

 言葉は出ないが、頷くことは出来た。千夏が望んでいるんだ。せめてそれくらいのことはしてやりたい。・・・しないといけない。

 「ありがと」と千夏は呟いて、震える声で尋ねてきた。

 

「いつから、私は敗者だった?」

 

「・・・決断したのは昨日のことだ。・・・けど、美海への思いが強まったのは、お前がいなかった五年間のことだよ」

 

「そっか。・・・じゃあ少なくとも冬眠する前のあの時に、まだ美海ちゃんへの思いはなかったわけだ」

 

 その時はまだ、年の離れた妹のような存在だった。友達でありたいと思っていただけだった。それは、「異性」と呼ぶには程遠かった。

 そんなときに告白したうえで選ばれなかったのだ。さぞ千夏は納得していないだろう。

 

「ねえ遥くん。・・・本当はあの日の告白の時、どうするつもりだった?」

 

「・・・っ!」

 

 言っていいのだろうか。あの日、確かに千夏に「好き」を伝えようとしていたことを。

 千夏はおそらくその真実を知らない。ずっと秘匿していた俺の真実なのだから。

 

 でも今、目の前で「恋」の感情を否定しているというのに、それを伝える意味がどこにあるのだろうか。義理だとしても、相手のことを思ってない行動極まりない。

 

 それでも、嘘を吐くことは俺には出来なかった。

 

「本当は、お前に・・・」

 

「そっか。あーあ、あの時ちゃんと最期まで答えを待ってたら私、今こうしてフラれてなかったんだ」

 

 それは究極の「たられば」の話。

 その未来ではきっと、俺は千夏と結ばれていただろう。記憶を失うことになることもなかっただろうし、千夏と時間がずれることもなかった。

 

 けれど、もうそれは全て後の祭り。今の俺の視界には美海しかいない。同じ痛みを分け合って、同じ痛みを乗り越えてここまで来たのは美海だ。

 

「行動ひとつで人生は変わる、か・・・。こうしてみるとよく分かるね」

 

 空元気のまま千夏はうんと頷く。そして最後の質問を俺に投げかけた。

 

「お父さんとお母さんには、言ったの?」

 

「・・・ああ」

 

「そっか。そりゃそうだよね。こんな話をした後で行けないだろうし」

 

 そうすればそれはもう無様に泣き出すだろう。ひょっとしたら決意が揺らいでしまうかもしれない。・・・だから、この手順は正しかった。何一つ間違いなどなかったんだ。

 

「・・・じゃあ、質問はこれで終わり。そろそろ帰るね。二人も待ってるだろうし」

 

「引き留めて悪かったな」

 

「うん。・・・あ、そうだ。一つ遥くんに礼をしなきゃいけないことがあるね、私」

 

 動き出そうとしていた足を止めて、千夏はこちらの方をくるりと振り向く。そこにあった笑みだけは、空元気から生まれたものではなかった。

 

「私がいなかった五年間の間、お父さんとお母さんを支えてくれてありがとうね。二人のこと、少しでも悲しませないようにしてくれたこと、本当に嬉しかったよ」

 

「・・・馬鹿野郎、礼なんて言うなよ。言わなきゃいけないの、俺のほうだろ・・・!」

 

「うん。・・・それでも私は言うよ。少しでも二人の子供でいてくれようとしてくれてありがとう」

 

 それ以上言うな・・・!

 

 苦しくて頭に手をやる。情けない自分が嫌になって、醜い表情を引っ掻いて壊してしまいたかった。

 それが二人の気持ちの代弁であり、千夏の復讐であることに気が付くのはそれからすぐのことだった。

 

「じゃあ、またね遥くん。・・・大丈夫、美海ちゃんとならきっと上手くいくから」

 

 ひらひらと手を振って、今度こそ千夏は消え去っていった。最後まで一粒の涙を見せることもなく。

 一人になって、俺の全身から一気に力が抜けた。崩れ落ちて、地面に膝をつく。それは俺を支えていた骨組みがごっそりとなくなったことを表すかのようだった。

 

 けど、これでいい。全部終わったんだ。

 あとは、美海に・・・。

 

 一瞬、頭の方で何かがプツリと切れたような感覚に見舞われた。身体が限界のサイレンを示しているみたいだ。

 会いたがっている。俺が大切なものを捨てでも手に入れたかった最愛の人に。

 

 

 

 逸る気持ちは駆け出していく。最後の力を振り絞って、体は雪風を切り裂いた。

 

---

 

~千夏side~

 

 振り返らない。今は、あの顔を見てはいけない。

 私は負けたんだ。罪なんて関係ない、一人の女として、ライバルだった美海に完膚なきまでに叩きのめされた。

 

 それでも、最後の強がりだけは貫き通せたかな。遥くんの前で泣くことはなかったし。・・・それに、こんな未来を、どこかで予想していた私がいたから。

 なんて、そんなこと思ってたから負けっちゃったのかも、なんてね。

 

「・・・雪、強いなぁ」

 

 しんしんと降り続ける雪は、このままだと積もってしまうだろう。そうなる前にさっさと私は家に帰ろう。遥くんがずっと守ってくれていた私の世界に。

 そう思っていたのに、ふと足が止まった。雪に混じった雨がぽつぽつと降りだす。

 

 感情をせき止めるのに限界が来ていたみたいだった。

 

「・・・嫌、嫌だよ・・・私・・・!」

 

 諦めたくなんてない。だけど、明確に意中の人は私じゃないって言われたんだ。今更私の方を見てなんて言えない。そんなみっともない人間、彼は好きになってくれない。

 

 だけど、友達と呼ぶには、あまりにも好きだから・・・。

 

「選んでよ・・・私の事・・・。幸せにしてよ・・・ねぇ・・・!!」

 

 我儘な心が何か言ってる。叶わない夢をほざいている。

 嗚咽、慟哭、それら全てをなんとかこらえながら、私は歯を食いしばった。

 

 堪えなきゃダメだ。こんな顔して、二人の所には帰れないよ。

 ・・・ならいっそ、全部忘れる? そうだよ、全部忘れよう。

 

 これまで遥くんが支えてくれていたんだ。でも、もうあの場所に彼が帰ってくることはない。二人の子供は私だけ。そんな私にしか出来ないことはたくさんあるから。

 

 忘れよう。忘れて、砕いて、なかったことにして、全部清算して・・・。そしたら私は、また二人と友達に戻れる。お父さんとお母さん、それと二人を傷つけないようにするためには、私が泣いてるわけにはいかないんだ。

 

 ・・・?

 

 その時、どこかで糸が一本プツリと切れたような気がした。

 けれどそんなこといちいち気にしている場合でもない。目元を拭って涙をなかったことにして、私は底抜けた明るさで私の世界への扉を開いた。

 

 

「ただいまー!」

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 何話のあとがきか忘れましたが、「対比」の話したじゃないですか。今回、まさに百七十九話αと対比になっているのでぜひこの後読んでみてください。というかやっぱり辛いですね、こういうの。ただ・・・。まあ、ここから先はお楽しみという事で。
 話は変わりますがこの作品、現時点で62万文字を数えているみたいです。ざっと単行本4~5巻くらいですか。中途半端なところで打ち切りになったライトノベルと同じくらいの長さですね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十一話β 失いし物、その対価は

~美海side~

 

 朝早くのこと、私は遥と邂逅した。

 その時の遥の表情は曇りに曇って、余裕などなくて、だけど確かに、私に何かを伝えようとしてくれていた。

 それが尾を引いて、私は一日中そわそわとあちこち徘徊していた。それは陽が落ちた家の中でも変わらず。

 

 ・・・会いたい。

 

 ただ会いたい。もう一度顔を見て、声を聞きたい。今日という日を逃したら、多分次なんてないような気がする。

 思い立った私は急いで玄関へ向かった。靴を履こうとする時、私の行動に気が付いたお母さんが声をかける。

 

「美海、どこ行くの?」

 

「・・・お母さんなら、分かってくれるよね?」

 

「そっか。遥君のところね」

 

 小さく息を吐いて、お母さんは優しく諭すような声で私に投げかけた。

 

「本来は、止めるべきだけどね。こんな遅い時間なわけだし」

 

「でも、そう言うってことは止める気がないってことでしょ?」

 

「まあ、そういうこと」

 

 うんと頷いて、一つグッドマークを作る。私が遥へ抱いている恋心を赤裸々に伝えているのは、家族だとお母さんだけ。私が今置かれている状況を、お母さんだけが知っている。

 

 だから、私が今取っている行動が、遥に選ばれにいくということを、お母さんは理解してくれていた。

 

「行ってきな、美海。・・・ダメだったらいつでも帰っておいで。あんたの居場所はずっとここにあるんだから」

 

「ダメじゃなかったら?」

 

「好きにしな。二人はあたしがなんとかしておくから」

 

 自分がかつて恋する乙女だったこともあって、お母さんは全面的に私の味方をしてくれるみたいだった。私は一度頷いて、靴を合わせてかかとをトントンと鳴らす。

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

 季節外れの雪を切り裂いて、私は駆け出す。

 

---

 

~遥side~

 

 瞳を血眼にして、美海のいる場所を目指す。

 こんな時間に押しかけるなんて失礼極まりない話だろうけど、今日だけは我儘になる。全てを断ち切った俺には、安らげる存在が必要だから。

 

「あっ・・・!?」

 

 バランスを崩して、派手にこける。最近メンテナンスがおざなりになっていたのか、足の調子も少しおかしくなっている。

 

「っ、クソッ・・・! 動けよポンコツ・・・!」

 

 足に張り付いた鉛を殴りつけて、俺は立ち上がる。雪はさらに大粒になって、俺を立ち止まらせようとしているみたいだった。

 それでも一歩、また一歩。

 

 美海の家が遠くに見える。ゴールはすぐそこだった。

 けれど、ついに俺の足は止まった。元からすべての体力を使い果たしていた体をどうにか心だけで動かしていたが、それでも限界が来てしまったみたいだ。

 

 どれだけ醜態を晒せばいいのだろうか。今日という日はおそらく、これまでで一番の汚点と言っても過言ではなかった。・・・だからこそ、それを吹き飛ばすだけの「好き」を伝えたかった。あの言葉は魔法だ。それだけの力がある。

 

 クソッ・・・あと少しなのに・・・!

 

 

「・・・もういいよ、頑張らなくて」

 

 声が聞こえた。後ろを振り返る。

 

 そこにいたのは、最愛の人。俺がその姿を目に焼き付けようと躍起になっていた存在。・・・遠い昔から、同じ痛みを共有した人間。

 

「美海・・・」

 

 口をパクパクと動かし、俺はゆったりと身体の向きを変える。動かなくなっていた足は、誰かが背中を押してくれたのかゆっくりと進みだす。

 

 そして、ついにたどり着いた。

 

 言葉よりも先に体は動き出し、俺は力強く美海を抱きしめた。今日失った全ての対価を抱きしめた俺の口から、愛を確かめる言葉が零れてくる。

 

「・・・いっぱい捨てたんだ」

 

「うん」

 

 一度目は力強く。

 

「保さんに、夏帆さんに酷いことを沢山言った。・・・俺は、あの場所を捨てた」

 

「うん」

 

 二度目は優しく。

 

「千夏にも、『お前の気持ちには答えられない』ってちゃんと告げた」

 

「うん」

 

 三度目はどこか悲しそうに。けれど嬉しそうに。

 

「だから・・・もう、いいよな?」

 

 

 これ以上、問答なんていらないよな・・・?

 俺は、お前と、幸せになっていいんだよな・・・!?

 

 

 今日一日ため込んだ愛の感情は、今全て言葉になる。

 

「俺は・・・お前を選んでいいんだよな・・・!?」

 

「うん。・・・どうか、私を選んで」

 

 四度目の返事は、全てを包み込む新雪のような柔らかさを孕んだ声色だった。堰が壊れた瞳から、大粒の涙がこぼれてくる。

 どこまでも情けない格好で、俺は「愛」を「恋」へと結び付けた。ずっと欲しがっていた、史上最大規模の「愛」が今目の前にある。

 

 それ以上、言葉が出てこなかった。ただ一つ「好き」という言葉を伝えるために、俺は全てを歪めてしまった。

 その後悔と、答えに辿り着くことが出来た喜びがずっと涙となって現れる。

 

 そんなみっともない俺の頭を撫でながら、美海は穏やかな言葉を投げかけた。

 

「・・・ありがとう。私のために全部投げうってくれて」

 

「あぁああ、うあああ・・・!」

 

「辛かったよね。大好きな場所を失いたくなんてなかったよね」

 

 気持ちに逆らう余裕なんてない俺は、必死に嗚咽をこらえながら二、三度首を縦に振る。それでもって、必死の言い訳を紡いだ。

 

「でも・・・それ以上に俺は・・・美海を失いたくなかったんだよ・・・!」

 

「そっか。・・・幸せだなぁ、そんなこと言ってもらえるなんて」

 

 涙で視界がぐにゃりと歪んで表情が見えない。だけど確かに声色は温かい色で、こんな冷たい雪など一気に溶かしてしまいそうなほどだった。

 きっと優しい表情をしている。ずっと一緒に歩いてきたんだ。分からないはずなんてない。

 

 それから間もなく、今度は美海から俺を抱きしめてきた。身長が足りない分、精一杯背伸びをしながら。背中に回された腕が、何度も俺を撫でてくれる。

 

「私のために泣いてくれてありがとう。・・・私のために、全部捨ててくれてありがとう。・・・大好きになってくれて、ありがとう」

 

 それは、俺が抱えた全てを許す言葉。俺が流している涙から、次第に後悔の色が消えていった。今は、「愛を伝えられた喜び」という色だけが残る。

 美海にとってもそれは同じようで、美海の顔に触れている肌は、温かさに濡れていた。それが恋しくて、俺はまた力強く自分のほうに引き寄せる。

 

 

 涙に濡れたしょっぱい口づけが交わされたのは、それからすぐの事だった。

 

---

 

 空から降りていた雪が止んだのは、それから十分が経った頃だった。

 俺たちはひとしきり泣きあった。そのたびに愛を確かめた。選んだ道への後悔はもう微塵も残っておらず、俺は久方ぶりに笑みを浮かべることが出来た。

 

「・・・すっごい恥ずかしいとこ見られたな」

 

「ううん、私も泣きっぱなしだったからお相子」

 

 手は自然に結ばれ、俺たちは月に照らされて揺らめく海をただ眺めていた。

 今なら涙を流すことなくいえる。愛の言葉と、俺の本心を。

 

「・・・好きだ。大好きだよ、美海。もう間違えない。もう迷わない」

 

「うん。・・・私は遥の一番。そして遥は、私の一番だよ」

 

「ああ」

 

 それからまた自然に口づけを交わす。お互いの心に出来た空白を満たすには、何度も愛を交わす必要があった。

 ・・・いや、必要とか、義務とかそういうのじゃないよな。俺は俺の意志で、こうやって愛を確かめたいんだ。

 

 触れた唇が離れるたびに、また愛を確かめる言葉が放たれる。それが二度ほど続いた後で、美海は苦笑いを浮かべた。

 

「キリがないね。好きって言ってキスをしての繰り返しで」

 

「やめるか?」

 

「やめたくない。・・・けど、ずっとここでこうしてたら誰かに見られちゃうよ?」

 

 人気の少ない通りではあるけど、誰も来ないとは限らない。流石にこんな場面を見られていたら、それはもう顔面が真っ赤に染まることは間違いないだろう。

 けど・・・離れたくない。返したくない。そこにいるのは、「男」としての俺だった。

 

 だから、誘いの言葉が口から零れるのは当たり前のことだった。

 

「・・・家、来るか?」

 

「行きたい。・・・今日は、帰りたくない」

 

「そうか。・・・じゃあ、行こう」

 

「うん!」

 

 離さないように手をしっかりと絡めて、俺は美海の手を引く。そのままの勢いで海に飛び込もうとした瞬間、美海はもう片方の手を俺の背中の方に回して抱き着いてきた。身動きが取れなくなってしまったが、もう手遅れだ。

 

「えっ、おいっ・・・!?」

 

「レッツゴー♪」

 

 俺たちは抱き合ったまま、水面に体を打ち付けた。

 それから深く、深く蒼い海の底へ沈んでいく。

 

 

 誰にも邪魔されない、俺たちだけの世界へ、沈んでいく・・・。

 




『今日の座談会コーナー』

 なんかみっともない表情してるシーンのセリフ回し、K原H希みが凄いんですよね・・・。多分ホワイトアルバム2に触れなかったらこのアフターこんなに深掘りすることなかったんで、そう考えるとあの作品はまあまあ大罪ですね。もちろん、浮気とかは作者が大の苦手としているジャンルなんで書くつもりはないんですけど。ただやっぱり、あの作品はただの「浮気話」に収まらないのがやばいんですよね・・・。
 書いててなんですがβルート、αより難易度高くて遅筆になりそうな予感・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百八十二話β 私のための貴方

~遥side~

 

 灯りのない部屋で、先ほどよりも深い愛が交わされる。

 手にした温もりを表現するのにはキスの一つでは物足りず、俺と美海は一線を越えた。とは言えど、あまりにも不慣れな二人のそれは、凪のように穏やかなものだった。

 

 けれど、その柔らかさが今の俺たちにはちょうどよかった。

 

 狭い一人用の布団の中で、俺たちはなおも体を寄せあう。次第に眠気が襲っては来ているが、まだ眠りたくなかった。

 もっと話したいことがたくさんあった。もっと声を聴きたかった。

 

 それは美海も同じようで、体をまた一段と近づけながら呟いた。

 

「まだ寝ないよね?」

 

「さすがに眠たいけどなぁ・・・。けど、もうちょっとだけこうしていたい」

 

「私も」

 

 少しばかり頬を紅潮させながら美海は笑む。その笑みの一つで、たちまち俺の眠気は覚めていくようだった。

 ふと、その笑顔の裏にみをりさんの姿を見た。・・・今更になって気が付いたけど、大きくなるにつれて、美海の姿はますますみをりさんに似てきていた。

 

 幼いころに見たあの人は、間違いなく美しかった。どこかおっとりとしていて、けれど凛としていたその姿は間違いなく「美しい」と呼称するにふさわしかった。

 目の前の美海も、いずれはそうなるのだろう。それも多分、遠くないうちに。

 

「どうしたの?」

 

 一人黙り込んでいた俺に美海はつぶらな瞳で問いかける。

 

「いや・・・。美海さ、みをりさんに似てきたよなって」

 

「ママに?」

 

「そう。まだ俺がガキの頃の事だったから全部はしっかりと覚えきれてないけど、こう・・・姿形とか、立ち居振る舞いとか、雰囲気とか、そう言うところが」

 

「そっか、ママに・・・。それって、綺麗って言ってくれてるんだよね」

 

 俺は首肯して、その後ろ髪を撫でる。それは幼子を褒める兄の立ち振る舞いではなく、一人の女性として愛をぶつける行為。俺と美海の今の関係は「結ばれた二人」なのだから、もう子供のように見ることはしない。

 

「たぶんもっと綺麗になっていくんだろうな」

 

「・・・恥ずかしいよ」

 

 少し布団に顔を埋めて、美海はさらに顔を赤らめる。その姿はまだ、年相応の女の子と言っても過言ではなかった。

 けど、そんなことも段々と慣れていくのだろう。俺たちはまだまだ大人になっていくのだから。

 

 場が少しの間静まり返る。家壁の外の泡が一つはじけた音が聞こえた時、美海は少し落ち着いた声音で語りだした。

 

「約束、叶えてくれてありがとね」

 

「約束?」

 

「あの日の続きをしようねって約束。・・・あの日以上の思い出を作ろうねって約束したの、覚えてる?」

 

 それは、大雪に見舞われて街で身動きが取れなくなったあの日の事。

 抱き合って、キスをして・・・。その先は大人の世界だからと、二人で納得してお終わったあの日のこと。

 

 忘れるはずなどない。それは、俺の最愛の人との思い出なのだから。

 美海との思い出は、何一つ忘れてなどいない。

 

「覚えてる。・・・そうだな、約束したよ。だから俺も嬉しかったんだ。あの日の思い出を越えて、こうして美海と一緒にいれるんだから」

 

 その時、ふと胸が刺されるような思いに見舞われた。幸せの絶頂にいた時は微塵も思い出さなかった今日のことが全部フラッシュバックする。

 分かっちゃいたけど・・・幸せだけで相殺するには、あまりにも大切なものを失ってしまったんだ。

 千夏はともかく二人に関しては、俺が不満に思うようなことを何一つしなかった。死にたくなるほどにいい人過ぎる二人の思いに、俺は答えなかったんだ。

 

 それでも許してくれるだろう。でも・・・絶対心の内に傷は残っているはずだ。二人は確かに俺を愛してくれていたのだから。それは絶対に、自惚れではない。

 

 だから・・・どうしても・・・思い出してしまう・・・!

 

 痛みに耐えかねている表情を浮かべていたのだろう。美海は布団に隠れていた自らの腕を差し出して、俺の頭をポンポンと撫でた。

 

「・・・遥は、本当に強いね」

 

「え?」

 

「遥が千夏ちゃんの両親のこと大切に思ってたの、私は知ってるんだよ? あの人たちはとってもいい人で、遥も同じくらい優しくて。・・・最後の最後まで悩んでくれてたんだって、私は分かる」

 

 目の前に自分がいるのに他の人のことを思うな、と言われるかもしれないと思っていた俺がバカだった。

 美海もまた、心の底から優しいのだ。自分の恋を成就するために千夏にだけ当たりが強くなっていたが、本当は誰よりも相手の痛みを理解することが出来る子なのだ。

 

 神経が鋭くなっていた心は、全てを疑うようになってしまっていた。それが情けなくて、苦笑いすら浮かべられない。

 そんなみっともない俺を、美海はちゃんと理解してくれていた。

 

「・・・沢山嫌な気持ち抱え込んでるんだよね、遥は」

 

「嫌な訳じゃないんだ。・・・ただ、苦しいだけで」

 

「苦しいのは多分、自分が悪いって思い込んでるからだよね。違う?」

 

 優しく諭す声音ではあるものの、確実に芯を突いた一言が美海から放たれる。

 ・・・また、罪悪感に押しつぶされていた。昔からの悪い癖が再発していたみたいだ。

 

「もう、ここまでくると病気みたいなものだよね、それは」

 

「・・・悪い」

 

「ううん、悪くない。誰だって治さないといけないことの一つや二つ抱えてるんだもん。・・・だから、ゆっくり治していこう?」

 

「どうやったら治ったって言えるんだろうな」

 

「んー。客観的に見てな話だけどさ、もうちょっと遥は我儘になっていいんだよ。自分のことなんてどうでもよくて、すぐに誰かの世話をして。それでいつからか周りの期待が膨らんじゃって、それに応える選択しか取れなくなる。裏切ったと思われるのが怖いんだよ」

 

 言葉の一つ一つが正解で、たちまち俺は首をすくめる。

 いい方向に変化していると思っていた自分自身の立ち振る舞いもまだまだ問題だらけ。進んだと思っていたら元の位置に戻っていた。

 

「遥は思ったことない? 『この人、もうちょっと我儘になってもいいのに』って」

 

「・・・あ」

 

 その感情を、俺はつい今日抱いたはずだ。保さんに、夏帆さんに。

 表情の変化で俺の答えを見て取れたらしく、美海は苦笑いを浮かべた。

 

「あるんだね」

 

「あるよ。・・・そして、俺はその人たちに育てられた」

 

「そっか、千夏ちゃんの。・・・全部繋がっちゃったかぁ」

 

 流石にこればかりは困ったようで、美海はどうしたものか・・・というような表情を浮かべた。そして覚悟を決めると同時に、もう片方の腕を抜き出して両手で俺の頬に手をやった。

 

「美海?」

 

「・・・ねえ、遥。これからは私のことだけ見て。私にだけ遠慮して。私にだけ底抜けの明るさをぶつけて。私を第一優先で考えて」

 

「それって・・・」

 

「結局は順番なんだよ。遥が自分の順位を低くするのは治しようがないだろうから、一番最初に私を持ってきて。私中心に考えてよ」

 

 なかなか強い言葉で宣言を行ってはいるが、美海は笑っていた。いたずらっぽい、悪魔のような笑み。たちまち俺は息を飲んで頷く。

 だって俺も、心からそうしたいと思っているのだから。

 

「私が一番好きなら、出来るよね?」

 

「出来る。・・・いや、俺もそうしたい。だからこれからは真っ先に会いに行く。一番最初に声を掛けるし、誰よりも傍にいることを誓うよ。二人にも、千夏にも、その他の奴らにも遠慮はしない。・・・するとしても、美海より後にする」

 

「言ったね?」

 

「言ったよ。それで、ダメだと思ったら慰めるんじゃなくて叱ってくれ。そうしてくれた方が多分、俺も自分の間違いに気づけるから」

 

 多くの人に優しくすることが信条だった。

 自分のことなどどうでもいいから、とにかく幸せになってくれと願ってここまで歩いてきた。それは、かつて俺自身が取っていた、幸せを諦めて誰かの幸せに自分の思いを重ねるという行為の結晶だった。

 

 でも今、幸せになりたいのは俺だ。もう誰かの幸せに自分の幸せを託すことはしない。その例外と言えば、目の前の美海ただ一人だ。

 そのためなら・・・優しくしないことだってやってみせる。それで俺と美海が幸せになるのなら、俺はそうしていいのだと思い込むことにする。

 

 愛することには覚悟が伴う。その覚悟をようやく俺は掴むことが出来た。

 

 大丈夫だ。歩いて行ける。

 過去の思い出は当分心を抉るだろうけど、そんなもの、これから生み出して打ち消していけばいい。

 

 そして・・・。

 

「そしてさ、その悪い病気が治った時・・・その時は、俺と結婚してくれ」

 

「気が早くない? それは治ってからのお楽しみだよ?」

 

「お楽しみがある方が頑張れるだろ? それに、これは誰にも遠慮しない俺だけの願いなんだから」

 

「・・・うん、考えとく。その時は、もっとかっこよくなってね」

 

 それから最後にもう一度だけ触れるだけのキス。そこで二人とも体力が果てたみたいだった。瞼は次第に重たくなっていく。閉じてしまえば次開くまで相当時間がかかってしまうだろう。

 だから、その前に口にしておきたい言葉があった。

 

「美海」

 

「何?」

 

「おやすみ」

 

「・・・うん。おやすみ」

 

 それは、素晴らしい明日が来ることを願うおまじない。明日が今日より輝くことを、明日の俺が、今日よりもまた前にいることを願って、俺は目を閉じる。

 

 

 

 そう。門出は、月明かりが差し込む穏やかな夜の事だった。 




『今日の座談会コーナー』

 ここまでの展開で多少分かってると思うんですけど、美海ルートの方が若干依存色が強いんですよね。遥、美海両者とも。それが明らかに千夏ルートとの明確な違いであり、今後を分ける分岐点になってくると思います。結構話の展開からも陰と陽のオーラが出ているのではないでしょうかね。さて、そんな「陰」の光のお話です。ぜひ今後の展開をお楽しみに。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十三話β 守る覚悟

~遥side~

 

 美海と契りを交わしてから二週間が過ぎた。学校も再開し、俺も元々行っていた生活に戻ることになる。

 しかしそれでも日常の一部に組み込まれていた大切な時間がごっそりと無くなったのは俺に大きな影響を与えた。仕事が早く終わろうと、休日が来ようと、俺があの場所へ帰ることはもうない。分かってはいたけど、空虚さはある。

 

 そんなある日、珍しい誘いが俺のもとに訪れる。

 ちゃんと美海に承諾を得て、俺はそれに向かうことにした。

 

---

 

 日が落ちた夜八時のこと。俺は鷲大師にある小さな居酒屋に身を寄せていた。そこが、大吾先生が俺を呼び寄せた場所だったからだ。

 別に酒に興味があるわけではない。ただ、仕事場でも会えるはずの大吾先生がこうして自分の時間に俺を呼んだんだ。それには必ず意味がある。

 

 グラスを持った大吾先生が俺に尋ねる。

 

「・・・乾杯の音頭、どうする?」

 

「いや知りませんよ・・・。大体こういう時めでたいことに引っかけてやるのが普通なんでしょうけど」

 

 かといって、俺が美海と結ばれたことを乾杯の肴にされても困る。手放しで喜べるものでもないし、スタートラインにすら立っていないこの道の何を祝福するというのだろうか。・・・それはもっと、後の話でいい。

 

 そう思っていると、大吾先生が小さくこほんと咳き込んで真面目そうな表情で俺に告げた。

 

「あー・・・んじゃ先に報告になっちまうけど、いいか?」

 

「聞きますよ」

 

「鈴夏にな、子供が出来たんだ。もう二か月らしい」

 

「めちゃくちゃめでたい事じゃないですか。なんで黙ってたんですか?」

 

「いや、あんまり言いふらすもんでもないかと思ってよ。それに、お前に言うならちゃんとした時間を取って言いたかったからな。だから今日呼んだのもある」

 

 鼻を搔きながら、大吾先生は少し恥ずかしそうに自分の幸福を語った。もちろん俺からしてもそれはめでたいこと。心のそこから喜ぶことが出来た。

 

「んじゃ、大吾先生のお子さんの健康を願いまして、乾杯」

 

「おいっ・・・! ・・・ああ、乾杯」

 

 不意を突かれた大吾先生は焦りながら、先ほど手放したグラスを俺のグラスに当てた。ガラスとガラスがぶつかる音が、小さくあたりに響く。

 グラスに注がれたビールを一口飲んで、その苦味に顔をゆがめた。とはいえど最近はこれも楽しめるようになってきた。口もまた大人になっているのだろうか。

 

「それにしても、大吾先生が父親ですか」

 

「正直自信はない。・・・けど、なるからには覚悟を持たないとダメなんだよな。だからせめて、自分が見てきた親の背中は越えたい」

 

「自分の親、ですか・・・」

 

 そうはいっても、傍から見れば俺はあの二人に捨てられた立場だ。越えるべき親、として見ていいのだろうかと思ってしまう。

 ・・・いや、形はどうあれ、俺はあの二人のことを確かに愛していた。そして二人もまた、俺のことを愛してくれていたんだ。間違いなく、俺たちは親子だ。

 

 ・・・反面教師、って言っちゃ悪いけど、越えるべき背中ではあるか。

 

「カッコよくなりたいですよね」

 

「ああ。親ってのはかっこいい存在であってほしいだろうからな、子供からすれば。・・・まあ、かっこいいってのは言い過ぎかもしれないけど、胸を張れる存在ではありたいよな」

 

「・・・そう、ですね」

 

 どうしても自分の両親が脳裏を過ってしまって、俺は言葉の端を萎めた。

 分かっていても、胸は張れない。二人も、「こうはなるな」と俺に書置きをしていたくらいなのだから。

 

「・・・なあ、島波。今日俺がなんでお前を呼んだか分かるか?」

 

 俺が険しい表情で黙り込んでいると、グラスを机に置いた大吾先生が俺の名前を呼んだ。怒っているわけではないが、どこか厳かなその態度に、俺の意識は冴える。

 

「お子さんの報告、ってさっき言ってましたよね?」

 

「それもあるけど、あれはあくまでついでのついで。・・・俺はな、今日お前に大事な話をしに来たんだ。・・・今のお前には、言わなきゃいけないことがあるからな」

 

「だったら酒の席なんて選ばなくても」

 

「バーカ、酒の席じゃないとお互い硬直しちまうじゃねえか。別に俺は説教垂れたいわけじゃないんだよ。ただ、素面のお前は大事な話だと全部自分の説教のように感じてしまうだろ? だから、緩くでいいんだ」

 

 大吾先生なりの酒の使い方、ということだろう。

 確かに、少し頭が軽くなった今の方が、目の前の言葉を素直な意味で受け取れるだろう。理屈めいたものでなく、本能的なものとして俺の中に落とし込めるはずだ。

 

 そう言って大吾先生は肴を一つつまんだ後、ついでのような軽々しさで俺が今抱えている本質に触れた。

 

「守る覚悟を、履き違えるなよ?」

 

「・・・! どうしてそんなことを?」

 

「最近またお前の目が変わったなって思ってたんだよ」

 

「また、悪化してましたか?」

 

 問いかけに対し首をフルフルと横に動かして、大吾先生はグラスの残りのビールを一気に流し込む。

 

「悪化でも良化でもない。ただ、覚悟の据わった目をするようになったな。お前が潮留の嬢ちゃんを選んだって俺に伝えてくれたあの日から、そう思うようになった」

 

「あの日からですか。・・・・・・そうですね。美海を選ぶために俺は、大切だった場所と人を裏切りました。もちろん昔みたいに、それを罪だと思うことはしません。むしろ逆で、ちゃんとこの選択を大事にしようと思っているというか」

 

「なーんか、極端だよなお前って。毎回毎回」

 

 ため息を一つついて、大吾先生は俺の後頭部を小突く。

 

「潮留の嬢ちゃんへの思いを大切にしようとするのは立派な心掛けだ。好きな人を一番に思う、大いに結構。・・・けどな、そのためにただ闇雲に周りを攻撃して、愛する人を守ろうとするのは絶対に違うぞ」

 

「・・・攻撃してたように見えましたか?」

 

「いや? ただ、今のお前ならいつかそうなってもおかしくないと思ったんだよ。好きな人の為なら、周りに斜に構える事だって厭わないだろ?」

 

「そう、ですね」

 

 逃げるように俺はグラスに手を付ける。味など感じなくなっていた。

 

「大丈夫。お前が裏切ってしまったと思ってる大切な場所はこんな理由で敵になったりしねえよ」

 

「だから、これまで通り優しい俺でいろってことですか?」

 

「半分正解だけど半分不正解。お前だって、怒って当たっていいんだよ。自分が本当に正しいと思った時だけそいつを怒れ。攻撃しろ。そうするだけの権利は誰にだってあるだろ?」

 

 つまり、敵はその時その時で違う、ということだろう。

 大吾先生が言うには、今の俺は美海への思いにとらわれるあまり、周りを段々と敵視する傾向にあったということだ。 

 

 愛する人を守るためなら、周りは全部敵でも構わない、という心理に至る人間はよくいると大吾先生は言う。自分も時々その感情に駆られるとおまけ付きで告げた。

 

 その時に立ち止まって、よく考えろ。

 

 大吾先生が伝えたいメッセージは、ただそれだけだった。

 

「今は誰も悪くないだろうしな。だから島波、時間の限りたっぷり潮留の嬢ちゃんを愛してやれ。それでもし何かが障害になるなら、その時にまた考えろ。もちろん、俺に言ってくれてもいいんだぜ?」

 

「そうですね。多分俺一人の頭だとすぐ極端に走っちゃうんで」

 

「よくわかってるじゃねえか。・・・まあでも、俺がお前の敵になったらその時はちゃんと別の誰かに相談しろよ? そこまで面倒見切れないからな」

 

「大丈夫ですよ。俺は先生を敵に回したりなんてしないですから。医者を敵にまわしちゃうと、いざという時ろくなことにならないでしょ」

 

「はっは、賢明だな」

 

 そんな冗談を織り交ぜて、俺は話を自分の中に落とし込めた。確かに大吾先生の言うように、酒があったからこそこうやって笑い話に出来たのだろう。

 けれど、本質はちゃんと伝わっている。これからの俺のなるべき姿がゆっくりと浮かんできた。

 

 美海を守る。美海と一緒に歩いていく。それはこれまでもこれからも変わらない。

 ただ、どうしても譲れない局面に立ったら、その時俺は俺たちの欲望のために傲慢になろう。そうなるだけの資格があると、大吾先生は言ってくれた。

 

 それだけでいいのだ。守る覚悟を謳うのは。

 

 もちろん、その非常時以外はずっと自分を抑える、という訳じゃない。誓った通り、俺は美海と俺のために全てを考えることにする。敵のいない、フラットな世界で。

 だからやりたいことだって、仕事だって妥協するつもりはない。それを伝えるために、俺は今日この場所に来た。

 

「大吾先生。俺からも一つ、言っておきたいことが」

 

「なんだ? 聞くぜ?」

 

「病院のカウンセリング科の話、受けさせてもらっていいですか?」

 

「・・・本当に、いいんだな?」

 

「ええ。今話しててようやく決心がつきました。・・・カウンセリングをするのに俺は未熟で、まだまだ精神的に不安定なところも一杯あると思います。けど、だからこそ一緒に乗り越えようとすることが出来ると思うんです」

 

 その答えは、美海と再会を果たしたあの日にとっくに出ていた。

 「好きになる」という感情と向き合う事。俺は美海を導くわけではなく、一緒に克服してきた。そういう向き合い方が、未熟な俺なりに出来るはずだ。

 

「他人事じゃなく自分事として考えられるお前の強みって訳だな。・・・分かった。院長には話を通しておくよ。けどいいんだな? 自分ごとに考えることは、お前にとっちゃ大きな負担になるぞ?」

 

「大丈夫です。・・・その負担を分け合ってくれる人が、俺の周りにはいるでしょう?」

 

 今の俺には美海がいる。職場には大吾先生もいるしちさきだっている。あの場所を失おうと、俺は一人じゃない。一人じゃないなら立ち向かえるはずだ。

 

「・・・んじゃ、これからもよろしくな」

 

 大吾先生は無邪気に笑って、握りこぶしを作った左腕を上げた。俺はその拳に自分の右手をこつんと当てる。

 ひとつ大事なものを失ってなお、俺にはまだ沢山の大切なものが残っている。俺はただそれに応えたい。俺の夢と、未来のために。 

 

 

 そうやって俺は、この手のひらにあるものを抱えて進んでいくんだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 人間はその時の気分によって敵にも味方にもなる。Aの事象に直面すれば敵になるが、Bの事象では味方になるかもしれない。そういった気まぐれさというのを人間は抱えていると思います。まあ、生涯不俱戴天の仇になる相手はいると思いますが。
 つまりこの話は、「焦るあまり敵を間違うなよ」という話ですね。気分によって敵にも味方にもなる人間ですが、先入観が生まれてしまうと味方であるはずの人間すら敵に見えることがありますから。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十四話β 鏡写しの貴方は

~遥side~

 

 美海と歩んだ大学生活最後の一年はあっという間に過ぎ去った。時間が過ぎ去るのは自分の充実度と比例するというのなら、それはもう充実も充実の毎日だったのだろう。

 

 そして俺は晴れて病院に勤務することになる。それと同時に、一つ決めたことがあった。

 それは、住居の移転。陸で仕事をするとなった以上、毎回海の実家から通うには少々骨が折れてしまう。朝早くからの業務ではないバイトならともかく、いつでも出向かなければならない可能性がある通常業務となると、陸から出勤せざるを得ないというものだ。

 

 ・・・とはよく言ったものの、結局は美海に会いやすくなる口実というのが現状だった。毎度毎度海と陸を行き来するのはくたびれてしまう。

 それに、海に入り浸る千夏との距離を置く名目も、少なからず存在していた。

 

 もちろん、当面の間あの家を売っぱらうつもりはない。そうはいっても、あそこは俺が生まれ、幼少期を過ごした場所だ。それ相応の思い出もあるし、簡単に手放したくなどない。

 

 そうしてまた、1LDKのアパートに朝が訪れる。

 

---

 

 病院へ出向いたのは午前九時のこと。

 最初のほうは業務に慣れるためか随分と暇を持て余してしまうタイムスケジュールをこなしていた。リハビリ患者のメンタルケアなどが中心と言ったところだ。もちろん、それも大切な仕事。俺もリハビリ中はよくお世話になっていたんだ。その大切さを知らない俺ではない。

 

 けれど最近、この病院にカウンセリングだけを受けに来る少年がいた。それも、毎度俺を指名してのこと。

 名を三星樹と呼ぶその少年は、今日も俺の所へやってきていた。

 

「失礼します」

 

「ああ、樹か。今日も話をしに来てくれた感じ?」

 

 俺が呼びかけると、扉の前で立ち尽くしていた樹は少し頷いて、患者用の椅子に腰かけた。

 ・・・はっきり言うと、樹は俺とそっくりと言っても過言ではなかった。

 

 海村出身で、住まいは陸。両親の不仲で離婚した後、母親に引き取られてはいたものの家庭内暴力に耐えかねて逃亡。施設で一時過ごした後、上手く言いくるめて母親から当面の金を引き出したらしい。そうして今は一人暮らしを行っているということだ。

 

 だから、似ている。表では取り繕っていながらも人生に絶望してる目とか、小賢しく狡猾なところとか。それはまるで、かつての俺を映していると言ってもいいだろう。

 

「で、今日は何の話をしてくれるんだ?」

 

 俺が改めて尋ねると、樹は心のない乾いた笑いを浮かべて、乾ききった残酷な真実を口にした。

 

「親父が死んだそうです」

 

「・・・おい、なんだって?」

 

「だから、親父が死んだんですよ。街のほうの病院からそういう連絡が来たんです。一週間くらい前に。どうやって死んだと思います? 急性アルコール中毒らしいですよ? ホント、バカみたいですよね」

 

 淡々と無感情で語る樹は、人のものとは思えないほどおぞましい感情を抱えていた。それが分かっているから、俺はバンと机を叩いた。

 音で、樹は言葉を止める。

 

「・・・死人を侮辱するなよ。それがたとえ嫌いな相手でも、それだけは医者として許さねえぞ」

 

「・・・じゃあ俺は、どういう顔をすればいいんですか・・・!?」

 

 そこで初めて、樹は取り繕った乾いた笑みを引いて、何かに怯えたような表情を浮かべた。そこに本心があることを俺は確信する。

 

「好きでしたよ、親父のことは。けど、離婚した時俺のことを連れてってくれなかった。あの地獄に突き落としたのも親父ですよ? ・・・俺は、どんな表情を浮かべて、親父の死を思えばいいんですか?」

 

 樹は頭を抱えてクシャクシャと髪をかき乱す。

 

「笑う事しか出来ないんですよ、俺には・・・!」

 

 表面上の感情と、心の奥深くの声が相反して、樹の情緒はぐちゃぐちゃになっている。その深刻さはおそらく、当時の俺なんかとは比較にならないだろう。

 

 俺と樹の唯一の違いと言えば、周りの味方の数だ。

 あの頃の俺の周りにはたくさんの人がいた。それに気づかず、あるいは目を反らして一人だと思い込んでいただけの話。

 だけど樹は違う。本当に味方と呼べる奴がいないのだろう。いたとしても、ごくわずか。その存在に気が付くまでにさぞ時間がかかってしまうことだろう。

 だからそれに伴う恋や愛の感情など、多分歪んでしまっている。

 

 けれど、だからといって闇雲に味方を増やせ、とは言えない。

 そうして優しさに甘え、抱え込んでしまったら、いつかは抱えきれずに破滅してしまう。それも俺がかつて経験したことだ。

 

 ・・・それでも、確かめないといけないことがある。

 

「樹、お前、好きな人はいるか?」

 

「え?」

 

「あと、もう一つ質問。お前のことを好きだって言ってくれた子はいるのか?」

 

「・・・」

 

 答えを欲しがっていたというのに別の質問で返されてしまった樹はしばらくの間呆気に取られてしまう。それでも、最後にはぽつりぽつりと俺の質問に答えてくれた。

 

「・・・好きだって言ってくれた奴はいます。けど、答えは返せてないです」

 

「それは、『自分に愛される資格はない』って思ってるからか?」

 

「・・・」

 

 返事こそなかったが、その態度は図星そのものだった。「なんで分かるんだ」、という視線が俺に送られる。

 そんなもの、理由は一つだけ。俺がかつてそうだったから。

 

 ・・・今日は、これを樹に話してみるか。

 

「なあ樹、ちょいと俺の話を聞いてくれ」

 

「遥先生の?」

 

「ああ。俺の両親がいない話・・・は前回したよな。だから今日は、そんな俺がどうして今この仕事に就いたか、それを端折ってお前に教えるよ」

 

 それから淡々と語りだす、俺の過去の話。

 樹と似たような悲しみと絶望を抱えていたこと。愛を拒否し、逃げ回っていたこと。愛に重圧を感じ、逃げ出せなかったこと。

 かつて俺は、失うことが怖いと言いながら、いつの間にか自分のことを卑下し、生きる価値すらないと思い込んでいた。そのどん底にいるのが、今の樹なのだろう。

 

 けれど、ずっと周りに存在していた愛に答えようとすることで、その世界は晴れることを俺は知った。

 もちろん、全ては手に入らない。自分の意志で切り捨てなければならないし、神のサイコロで失ってしまうこともある。

 

 それでも、向き合うことが出来れば、それを乗り越えられることも知った。

 

 その全てを一言一句漏らさず、俺は樹に伝える。

 樹は呆然としながら、時折頷いて俺の話に耳を傾けた。俺の言葉が全てなくなったところで、樹はポツリと呟く。

 

「・・・だから遥先生は、俺の面倒なんか見てくれるんですね」

 

「ま、そういうことだな。言っちゃなんだけど、樹、お前は昔の俺そっくりなんだよ。あと、俺の面倒『なんか』なんて言うな。今俺がこうしてるのは俺の意志。俺の責務であって、本気でお前のためになりたいと思ってるんだよ」

 

「・・・すみません。けど、迷惑じゃないかなって」

 

「お前が本当に申し訳ないと思ってるなら俺は身を引くぞ? 俺がそうしてもいいなら、頷け」

 

 樹は、頷かなかった。

 大丈夫、それも分かっている。・・・心のどこかで救われたいと思っているんだ。

 

 けど、ただ樹を導くつもりなどない。俺は樹と歩幅を合わせて、樹の問題を解決していきたい。それが俺のプライド、ポリシーだ。

 

「なあ樹、どこまで力になれるか自信はないけどな、俺はお前の味方になるって決めたんだよ。だから遠慮なくぶつかってこい。言いたいこと言って、全部晴らせばいい。今日何を思ったとか、思いを伝えてくれた子がどんな仕草をした、だとか、そんな細かいことでもいい。全部受け止めるから」

 

「・・・はい」

 

 どこかまだ迷いのある瞳。だけど頷いたからにはまた次も俺のもとに来るだろう。今はそれでいい。前に進もうという意志がそこにあるなら、俺は全力でそれを支えるだけだ。

 

 ・・・こうしてみると、俺も同じように大吾先生に求めていたんだな。専門職って訳でもないのに十分すぎるくらい尽くしてくれたあの人は、やっぱりすごいな。

 

 そんな風に感心していると、少しだけ晴れた瞳をして樹は俺に問いかけてきた。

 

「それなら遥先生。俺がさっきの話を聞いて率直に思ったことを打ち明けてもいいってことですよね?」

 

「ああ、聞くよ」

 

「さっき遥先生は、愛に向き合ったからここまで来たって言ってましたよね。・・・愛のゴールって、どこだと思います?」

 

「難しい事聞くんだな」

 

 俺は言いよどんでしまう。

 なぜならその問いは、まだ自分の中でも導き出せていないのだ。

 

「大体一般的に人は『結婚』を一区切りにしてると思うけど・・・。多分ゴールってのは死ぬその時まで見つからないんじゃないかって思う」

 

「じゃあ遥先生は、まだスタートラインにも立ってないと?」

 

「厳しい事言ってくれるよな、樹は・・・」

 

「そりゃ、あれだけ説教垂れたんですから、それ相応の責任は取ってもらわないと」

 

 こう・・・ズバズバと正論ばかりをぶちまけてくるところも、本当にそっくりだ。小賢しいというかなんというか・・・年相応の拗れ方なのかもな、これって。

 ため息を一つついて、俺は現状を語った。

 

「その気になれば、結婚に辿り着くのにそう時間はかからないと思ってる。俺が彼女を思う気持ちはそれくらいのものだし、向こうも多分、同じように思ってくれているからな。・・・けど今は、まだ出来ない。してはいけないんだ」

 

「結婚に踏み切れないだけの理由があるってことですか?」

 

 苦虫を嚙み潰したような表情で、俺は首肯する。

 

 

 ・・・あれから一年と少しが経って、俺たちは順風満帆な日々を送っていたと思っていた。

 美海との絆は深まるばかりで、尖りかけていた視点も解かれ、周りの人のことも許せるようになった。保さんや夏帆さんとだって、親密な知人としての付き合いを行えるようになった。

 

 けれど、千夏だけは例外だ。

 

 あれから半年たって、千夏は俺たちのもとに戻ってきた。できれば友達に戻りたいと言っていた美海は喜んでいたし、千夏も普段と何一つ変わらない様子で俺たちの世界に帰ってきた。

 だけど、俺だけが気づいてしまう。明らかに千夏の様子がおかしくなっていることに。

 

 ほんの一瞬の仕草、ほんの一瞬の表情、吐息、声音、そうしたものに違和感を感じてしまう。昔はあれだけ得意にしていた気遣いも、最近では裏目に出てしまうことが時々ある。俺と千夏は、それが分かるだけの年数を一緒に過ごしてきた間柄だ。

 精一杯取り繕っているのだろう。精一杯、何かに蓋をしているのだろう。それでも拭いきることは出来ていないのだ。

 

 そうやっておかしくなってしまっている千夏を残して、結婚などできはしない。

 

「・・・先生も不完全なんですね」

 

「当たり前だ。完全な人間なんてこの世にはいねえよ」

 

 俺が美海と幸せになるための最後の壁が目の前にある。

 その壁はどうやって乗り越えればいい? 解は簡単に出そうもない。

 

 

 けれど、美海との道を選ぶのに千夏が邪魔になることがあるのであれば、その時は・・・。

 

 そうならないことだけを願って、俺は白い天井を仰いだ。




『今日の座談会コーナー』

 さて、ここからが本番と言っても過言ではないこの√。どういった展開になっていくのか最後までぜひ見ていただきたいというところが本音です。なんて、毎回似たようなことばかり言っているのでたまには趣向を変えて別の話でもしましょうか。
 「小説とは自己反映」、とはよく言ったもので、結構自分が思っていることとか人間性とか反射してしまうことがあるんですよね。遠慮しがちなところとか、理屈めいた所とか、内心では信じきれていないこととか。だからこそこのサブタイトル、『鏡写しの貴方は』なんだと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百八十五話β 正しく在るということ

~遥side~

 

 今日一日の仕事を終え、俺は家路に着く。病院からは凡そ歩いて十五分くらいのところにあるアパートは、鷲大師にもそう遠くない。我ながらいいところを選んだと思う。

 

 今の家に引っ越してからは、人と会う回数も少なくなった。遠くないとは言ったものの、鷲大師からは少し外れたところに住んでいるのが大きいだろう。

 けれど今日は人に出会ってしまう。それも、とびきり因縁の深い相手に。

 

「あっ・・・」

 

 かつて俺が親と仰ごうとした存在。保さんは俺の目の前で車を止めた。

 

「久しぶりだな、遥くん」

 

「お疲れ様です。今から帰りですか?」

 

「いや、今日は仕事が休みだったからな。気分転換に車を走らせてたんだ。・・・よければ、どうだ?」

 

 あの頃と何一つ違和感のない態度で、保さんは自分を曝け出してその領域に俺を誘った。

 この人と話すのは久しぶりだ。話したいこともいっぱいある。

 ただそれだけを思った俺は、迷わず車に乗り込んだ。

 

 カーラジオも、音楽も流れない静かな空間が車内に広がる。俺がかつて愛し、馴染んだ時間だ。今はただ、それを懐かしむことが出来る。

 

 地面と摩擦を繰り返し続けていたタイヤが一度止まった時、口を開いたのは保さんだった。

 

「遥君が社会人になってからもう四カ月くらいか。カウンセリングの仕事はどうだ?」

 

「随分と慣れましたよ。・・・けどやっぱり骨は折れますよね。自分の言葉が相手に影響を与えるという事を常に頭に思いながら話をしないといけないですから」

 

「それが分かっているうちは大丈夫だろうな。それを理解せずに、ただ無責任な発言ばかりを繰り返す人間が、社会にどれだけいることか」

 

「影響力のある立場ならではの悩みですよね・・・」

 

 保さんは漁協の中でもかなり発言力が強い立場だと聞いてきた。現に八年前のあの会議の場を諫めたのも保さんだ。自分の立ち居振る舞いには人一倍敏感なのだろう。

 親だったとか、大切な人だったとか、そういう感情を抜きにしても、この人の話は一人の大人の意見としてとても俺の糧になってくれている。だからまっすぐに聞いておきたかった。

 

「責任が強くなればなるほど、周りの視線を気にしないといけなくなる。それが負荷になることも、遥君は知っているだろう?」

 

「ええ、分かってます。だからこうやって誰かに打ち明ける時間が必要なだってことも、知っています」

 

「そうか、ならいいんだ」

 

 俺がちゃんと成長していることを確かめて、保さんは少し名残惜しそうに笑った。・・・そう。もう、この人の下じゃなくても成長していける。それを言葉と態度にして俺は示した。それが、この人たちとの関りを捨てた俺に出来る事だから。

 

 そう思い、俺は屈託ない笑みを貼り付ける。

 それでもどこか異様な空気が流れる空間に、俺は違和感を覚えた。・・・発生源は、俺じゃないはずだ。

 

 答え合わせはすぐ後のこと。保さんは心の穴を触りながら、結論から言葉にした。

 

「・・・千夏を、救ってくれないか?」

 

「え?」

 

「すまない、君にこんなことを頼める立場じゃないというのに」

 

 保さんは空いた片手で頭を抱える。それからようやく言われた言葉の意味を理解した。

 ・・・俺が千夏の違和感に気づいているというのだ。両親である二人が気が付かないはずがない。

 

「やっぱり、二人から見ても今の千夏は変、なんですか?」

 

「ああ。・・・最初は気づかなかったが、この一年間のあいつはどこからどう見ても空元気を続けてきただけだったんだ。その上、不満だとか自分の弱みを打ち明けなくなった。・・・俺たちだけじゃ、もうどうにも出来ない」

 

 それを伝えている相手が、千夏がそうなった原因である存在だという自覚は、果たして保さんにはあるのだろうか。

 今の千夏がこうなっているのは、俺たちの関係がだんだんと歪になっていることに起因している。

 

 ・・・多分、千夏からは「上手くやっている」としか聞いていないのだろう。空元気を続けるあいつならそれをやりかねない。

 

 残念だが、真実はどこまでも非情だ。今のままではどうやっても戻ることは出来ない。この歪な関係に終止符を打たない限りは。

 それを包み隠さず、俺は保さんに答える。

 

「あいつとは、長いこと友達としてやってきました。だからもちろん、困ってるなら助けたいし、歪んでいるのなら前を向かせてやりたいと思ってます。・・・でも、もし歪んだものをもとに戻すために友達をやめなければならないのなら、俺はそうします」

 

「・・・そうか」

 

「もとはと言えば、全部俺が原因なんです。あいつを歪めてしまったのも、ここまで拗れてしまったのも。違和感に気づいていながら、気づかないふりをしてたんです。突き放すことも、向き合うことも、しなかった・・・」

 

 懺悔に心が痛む。何もそこまで言う必要はないと分かっていながらも、これから俺が責任を取るためには、まずはその全てを打ち明ける必要があると思った。

 俺は、あの日から逃げていた。千夏の存在をなかったものにしようとして、どうにかのらりくらりと毎日を紡いでいた。

 

 けれど、それで誰も幸せにならないというのなら、俺は今度こそ千夏を突き放す必要がある。決断に美海が悲しもうとも、それが俺たちのためにならないのなら、俺は千夏を「敵」と定める。

 

 愛を捨てた気でいながら、俺はまだ、それが手元に残っていて欲しいと願っていたのだ。・・・そんな甘い覚悟じゃ、俺は美海に、俺に顔向けできない。

 帰ってくると信じるのは突き放してからのこと。今はただあいつを敵として、俺たちの世界から排除する。

 

「・・・保さん。俺はこれから、千夏に酷いことをするかもしれません。暴力は絶対にしないですけど、多分、傷つけてしまうと思います。関係だって保さんが望むようなものにはならないでしょう。・・・それでも俺は、あいつを救おうとしていいんですか?」

 

「君にしか出来ないことだ。・・・何より、君にはそうするだけの理由があるんだろう? 俺たちは何年も遥君のことを見てきた。だからその行動を信じる」

 

「・・・ありがとうございます」

 

 この人の優しさを俺への罰と思うことも、もうなくなった。

 だから遠慮などしない。千夏から言葉を聞きだした上で、その上で俺は、千夏を突き放す。・・・その先に、これまでと同じような関係構築が出来ればいいけれど、そんなものはしょせん夢物語に過ぎない。

 

 あの日約束したように、俺においての最大はいつまでも美海だ。その障害のなるのであれば、容赦などしない。

 あいつが俺たちの世界に本当の姿で帰れるなら、それに越したことはないが、そうならなくても俺たちは生きていく。・・・信じてはいるが、裏切られても嘆かない。

 

「さて、そろそろ遥君の家の近くか。どうする?」

 

「ここら辺で降ろしてもらっていいですか?」

 

「分かった。それじゃまた何かあったら話してくれ」

 

 保さんは道路の脇に車を止め、俺は下車して遠ざかっていく保さんの車を見送った。

 

---

 

 夏だというのに、肌に染みる夜風は冷たい。

 けれど、遠目に見えるアパートの明かりに、俺の心は温度を覚えた。今日も美海が来てくれているみたいだ。

 

 歩調を少し早くして、急いで家へと戻る。ドアを開ける前から良い匂いが漂っていた。

 

「ただいま。・・・サンキュな。晩御飯作ってくれて」

 

「ううん。好きでやってることだから。それより、次の休みは明後日だっけ?」

 

「ああ」

 

 そんなやり取りを玄関でした後、俺は自室に荷物を放り投げる。それからリビングのソファに座って、ぼーっと白塗りの壁を見つめた。

 その様子がおかしかったのか、料理の片手間で美海が声を掛ける。

 

「疲れた?」

 

「まーな。樹の件、まだまだ時間がかかりそうだし」

 

「ああ、あの昔の遥そっくりの」

 

「昔の俺にそっくりってことは、どうすればいいかそれだけ分かってるってことなんだよ。・・・んでもって、あの状態から前を向いて進みだすには結構な時間がいる」

 

 前を向き、ましてや進みだす。それが一年二年で済む話かどうか・・・。

 

 そんな風に思い悩んでいると、ふと首筋に冷たい感触が伝わる。料理にひと段落ついた美海の手だ。

 

「冷たっ!?」

 

「遥はどう? 進みだして、どこまでたどり着いた?」

 

「んー・・・。どこまでたどり着いたか、なんて言われてもなかなか実感は湧かねえよな。ただ、少なくとも去年美海と結ばれたあの日からは確実に進んできた。自分を卑下しまくる癖だって治ってきたさ」

 

「そうだね。罪悪感とかはまだ抱えてるだろうけど、遥はちゃんと自分のことを思って動けるようになったと思う。自分のこと大事にしながら、千夏ちゃんの両親とも、千夏ちゃんともうまくやれてるしね」

 

「・・・まあ、な」

 

 二人はともかく、千夏は別だ。和解こそしたけれど、何一つ変わっちゃいない。

 それを美海に伝えるべきかどうか俺は悩んだ。これから千夏を突き放そうとしていることを、今この場所で言っていいのか。

 

 けれど、逃げないと決めた。それは紛れもない俺のために。

 これから千夏を突き放そうというのだ。それを何の事前相談もなしに行いたくない。ちゃんと二人で選んだ結果として、俺は自分の行動に責任を持ちたい。俺の為であって、俺たちの未来のためなのだから。

 

 だから、俺は覚悟を決める。水で冷えた美海の手を取って、決意を構えて言葉にした。

 

「美海、聞いてくれ」

 

「? うん」

 

 

「俺は・・・千夏と友達であることを、止めようと思う」

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 優しさが正しさではない、とはよく言ったものだと思います。分かってはいても、自分の好きな人には嫌われたくなかったりとかそう思ったりすることはよくあります。けれどそれがお互いのためにならないなら、人は「正しく」あるべきなんです。怒りや不満をぶつけることが「負」のものだとしても、それが正しさである場面は必ずいつか現実世界でもおこるんじゃないですかね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第百八十六話β 誰がための愛

~遥side~

 

 どんな怒りも罵倒も受け入れるつもりでいた。それだけの発言を、俺は今美海の目の前で行った。

 いくら軋轢があったとはいえ、二人は長年の仲だ。美海にも思うところは絶対にあるはずだ。それでも俺は言う。この関係に終止符を打つべきだと。

 

 しかし、美海の反応は俺が予想するより遥かに淡泊で、悲哀そうなものだった。

 

「・・・やっぱり、遥も気づいてたんだ」

 

「気づくって・・・。お前は分かってたのか? 今の千夏がおかしくなってること」

 

「うん。・・・といっても気づいたのはつい三か月くらい前のことだけどね。あの日、千夏ちゃんがひどく空回り気味だったの、遥は知ってるでしょ?」

 

 もちろん知っている。・・・なるほど、それでいてあれだけ空気が壊れなかったのは、美海がそれを理解して合わせていたからだったんだ。

 でも、そうだとしたら、俺は聞いておかなければならないことがある。

 

「それならなんで、美海は・・・」

 

「気づいてほしかったんだ」

 

 俺の問いへの返答か、あるいは独り言か、少し食い気味で放たれたそれはどこか濁り始めた空間に漂った。

 

「気づいてほしかった。そんな状態の千夏ちゃんを私たちが望んでないこと。自分自身がおかしくなってること。今まで通りにやってるつもりでも、どこかで違和感って出ちゃうんだよ。遥なら分かるよね?」

 

「ああ。・・・でも、それに気づかない人間だってこの世にはいるんだよ。昔いただろ? 自分の心の疲弊に気づかずに、目の光を失いかけた人間が」

 

 それは紛れもない俺の事。

 知らず知らずのうちに溜まっていたストレスを、俺は見て見ぬふりをしていた。そうしたらどうだ、自分がストレスをためていることにすら気づかなくなって、一度心は崩壊した。

 

 きっとゆくゆくは、千夏だってこうなってしまうかもしれない。

 

「今の千夏は、あの時の俺なんだよ。貼り付けた空元気のせいで、自分が狂ってることにすら気づかなくなってる。・・・俺は、そんなあいつを助けたい。手遅れになる前に出来ることは、山ほどあると思うんだ」

 

「・・・ねえ、遥」

 

 過去の自分と照らし合わせて熱弁をふるう俺を、美海は小さな声で諫めた。少しの静寂の後で、美海はあることを俺に問う。

 

「それは、誰のため?」

 

「そんなの・・・」

 

 すぐに答えようとした。けれどその言葉はすんでのところで止まる。

 別に迷いがあるわけでもない。そうしたいのは間違いなく俺と美海のこれからの為だ。

 けれど本当にこれが、俺たちのためになるのかということを今一度問いかけた。

 このまま放っておいて千夏が壊れても、そうなることを予期していた俺たちが被るダメージは俺が想像するより大したものではないだろう。

 

 ・・・それは本当に、俺たちの最適解なのだろうか。

 

 俺は千夏を助けたい。それは俺が俺らしく未来へ歩んでいくため。ここまで歩いてきた中で学んだことの集大成だ。千夏を踏み台にしてでも、俺は自分が成長したことを確認したい。

 俺が強くなった時、結婚をすると約束したのだから。

 

「千夏を助けるのは、俺たちのためだよ。・・・もちろん、正しい道から逸れて不幸になる千夏を見たくはない。だけどそれ以上に、目の前の友達だった存在一人助けられない弱い人間のままで、俺たちはどんな顔で未来を向けばいいんだ?」

 

「・・・」

 

「付き合う時に誓ったよな。俺がちゃんと自分の弱さと向き合って、克服出来た時、結婚しようって。・・・自分で言うのもなんだけどさ、俺は強くなったと思うんだ。もう自分のことだって大切に出来るし、卑下することもない。だから、強くなった俺を証明したいんだ」

 

「でもあの時、私はこうも言ったよね。私のことを一番に考えてって。そして遥はそれに頷いた。・・・ならもし私が今、千夏ちゃんのことをそのままにしておいてって言ったら、遥はどうする?」

 

 なかなか鋭い問いだ。あの日の約束の矛盾を一気に指摘している。

 美海の思いを一番に尊重するという約束。そして、俺が俺を愛するという誓い。一番はどっちなのだろうか。

 

 ・・・そんなもの、問いは一つだけだ。

 

「二人で話しあって、納得する答えが出るまで悩み続けるよ。・・・確かにあの時約束したよ。美海のことを一番に愛するって。・・・だけど、同じくらい俺は俺のことを愛したいんだ。なら、順番はどうすればいい?」

 

「それは・・・」

 

「決められないだろ? だから、さっきの答え。二人のレベルが一緒なら順列なんてないから、今は二人で悩む時間だと思うんだ。違うか?」

 

 違わない、と言わんばかりに首を横に振って美海は打ち負かされたと代弁するように微笑んだ。別に勝ち負けではないが、俺は自分のことを認めてもらえたような気がして同じように微笑を浮かべた。

 

「俺の意見としては、さっきも言った通り千夏のことを突き放してでも助けたい。それが一番、俺たちのためになると思うんだ。だから今度は、美海の意見を聞かせてくれ」

 

「私の意見なんだけどね、遥と一緒。・・・さっきも言ったけど、私は千夏ちゃんが自分でそれに気づくまで待っていたかった。だけど、こんな千夏ちゃん今まで見たことなくてさ。本当に気づけるのかなって、思い始めるようになったの」

 

 今のあいつの様子は、俺たちにとって未知の領域。どう転ぶかなど、てんで予想などつかないのだ。

 だけど、ここで手を離せば、何も出来ないで転がっていく最悪の状態だけは回避できる。それがたとえ二人の思い出を燃やすことになったとしても、今導き出せる最適解だと俺は信じている。

 

「だから私は、遥の意見に賛成するよ。私たちのために、そして千夏ちゃん自身のために、私たちは一度、友達であることをやめた方がいいと思う」

 

 口では簡単に言えるが、その行動に付きまとう重責は想像を超えるだろう。

 一時、千夏が俺たちの世界から離れたことがあった。けれどそれはあくまで自然の成り行きみたいなもので、心からの選択ではなかった。

 

 けれどこれは、俺たちの決断。俺たちの意志で、千夏を俺たちの世界から切り離そうというのだ。恋愛だけでなく、友愛の関係からも追い出そうとしている。もちろん、千夏は傷つくだろう。

 

 それでも選ぶ。傷つけないようにすることだけが優しさではないことを、俺はここまで生きてきた日々で学んだはずだ。

 

 決断と同時に、美海は少しだけ俯く。分かっちゃいるが、やはりここに来るまで千夏が自分で気づけなかったことを残念がっているみたいだ。

 そして苦し紛れに口を開いて、美海は俺にお願いを言う。

 

「・・・我儘、言ってもいい?」

 

「ああ。聞くよ」

 

「もしその時が来たら、遥だけで千夏ちゃんに伝えてくれるかな。多分私がそこにいちゃうと、より感情的になって、全部ダメになっちゃうかもしれないから」

 

「それでいいなら、そうするよ。だけど先に断りを入れておくと、俺だって感情的になるだろうよ。酷い事沢山言うだろうし、今まで一番千夏を傷つけると思う。美海がいてもいなくても、全部ダメになるかもしれないぞ?」

 

「それでも、私がいない方がきっとなんとかなるって信じてる。だから遥に託したいの。ダメかな?」

 

 美海は心の底から俺を信じていた。保さんがさっき言ったようなことを、俺に投げかけてくる。

 なら俺は頷くだけだ。自信の有無は関係ない。ただやると決めたことをやる。それでもしダメになったとしたら、その時はその時だ。

 

 今こそ周りを敵に回す時だ。俺は俺と美海の勝手な感情のために、千夏を拒絶し、遠ざける。その覚悟は手中にある。

 

「ああ、託された。千夏には俺から言うよ」

 

「ありがと」

 

 そう言いつつも表情はまだ仄かに暗い。その後のことを考えて、美海は少し怯えているのだろう。

 だから俺は言う。大丈夫だと。

 

「ちゃんと自分自身の感情に気づけた千夏なら大丈夫だよ。・・・その時はもう一度、心から友達に戻れる」

 

 俺は信じて疑わない。そのために千夏を突き放すと決めた。

 最初から後ろ向きになる理由なんてない。叶えたい未来を信じないで、どうやってその未来が訪れる?

 

 だから信じる。千夏が本当の姿で俺たちのもとに戻ってきてくれることを。

 それが俺たちのたどり着ける最高点の未来。俺たちの最大の幸せの姿だ。

 

 

 そのために一度、俺たちの世界からかつて抱えていた最大の愛を消し去ろう。




『今日の座談会コーナー』

 αとβの大きな違いとして、遥の「愛」への固執度に大きな違いがあります。αは千夏への恋愛感情を軸に、全ての愛を受け入れ、抱え込むというお話でしたが、βは美海への恋愛感情を頂点に置き、場合に寄っては切り離すというお話になります。受け入れる事は優しさですが、傷つけることもまた優しさ。「優しさ」の定義の違いが、この作品には如実に表れているように思います。
 変わらない部分は、最愛の人と二人三脚で困難を乗り越えていくというスタイルくらいですかね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十七話β 狂ってしまった世界

~遥side~

 

 それはなんの変哲もない平日の夜のこと。学生たちの夏休みが始まろうとするほんの数日前のこと。

 仕事帰りに寄り道をして、俺は海を見渡せるいつもの堤防へ向かった。昔から千夏はことあるごとにこの場所に来る。俺という存在が手元から離れた今でも、懐かしむようにその場所に佇んでいることがある。

 

 そして今日もまた、千夏はそこにいた。海の学校の手伝いの帰りだろうか。仄かに濡れた髪がそれを物語っている。

 俺が声を掛けるより早く、千夏は俺の存在に気が付いた。

 

「あっ、遥くん。どしたの? 今日は」

 

「いや、仕事帰りの寄り道だよ。これから帰る所」

 

「そっかー。社会人はやっぱり大変?」

 

 なんてことないはずの単純な質問ですら癪に思えてしまう。俺の知る千夏はそんなことを聞かなくても俺がどう返すか分かっていたはずだろうに。

 ただ会話のきっかけを作ろうとしているだけかもしれない。・・・けれど、そんな生産性のない会話に何一つ意味がない事を、千夏は知っているはずだ。

 

 心のどこかで、それに気が付いてほしいと願っていた俺は、一応話を合わせることにした。

 

「大変っちゃ大変だよ。ただそれ以上に毎日が充実してる。困難ばかりだった人生だから分かることって沢山あってな。そんな俺だから、同じ悩みを抱えてる人間と歩幅を合わせて歩いていけると思うんだ」

 

「ほんと強いよね、遥くんは」

 

 その時、全てがダメだと悟った。

 むやみやたらに「強い」という言葉を使うなと昔諫めたのは千夏の方だった。それなのに、空元気を貼り付けた今の千夏はもう、言葉の重さも理解できていなくなっている。・・・それは、誰も望んでいないはずだ。

 

 だから・・・ここが終着点。

 悩んでいたはずだったのに、決心は急に固まる。今の千夏は俺たちの世界にとって・・・邪魔でしかない。

 

 冷めた心は言葉を吐いた。

 

「・・・千夏、お願いがある」

 

「ん? 何?」

 

「・・・もう、俺たちに関わらないでくれ」

 

 予想だにしていなかったその言葉に、千夏は少しだけ眉をひくつかせて、動揺に溢れた声音で尋ねた。

 

「な、なに言ってるの・・・?」

 

「関わらないでくれって言ったんだ。・・・今のお前といても、誰も幸せになれない。・・・もう、友達でもなんでもなくていい」

 

「おかしいよ!? 急にそんなこと言うなんて! 本当に遥くんなの!?」

 

「この街に義足を付けた奴は俺しかいないだろ?」

 

 そして、そうしたのもお前だろ? 分かっているのに、現実から逃げるようなことを言うなよ・・・!

 千夏はわなわなと震えて怒れる瞳を俺にぶつけた。心を鉄にした俺は逃げることなくその目に向き合う。

 

「・・・なんで? なんでそんなこと言い出すの・・・!?」

 

「それをお前が分かってないから、こうなったんだよ。・・・お前は友達だったよ、確かに。だけどそれは昔の話。・・・そうだな、さっき千夏は俺のこと本物かどうか聞いたろ? 俺からも言わせてくれ。今のお前は、誰なんだよ」

 

「・・・っ!」

 

 こんな空元気に身を任せ、周りが見えなくなるような奴は、俺や美海の知る水瀬千夏じゃない。似て非なる誰かにすぎない存在だ。

 俺は、そんな奴と友愛を結んだ覚えはない。

 

「無理やり張ったような笑みも、空回りばかりの会話も、正直もううんざりなんだよ。・・・お前、そんな奴じゃなかっただろ」

 

「・・・分からないよ。分からないよ! 私だって、毎日懸命に生きてて、振り落とされないように頑張ってるのに!」

 

「だとしたら、振り落とされないために自分がどうすべきかを履き違えてる。お前は、そんなことも分からないような奴だったか?」

 

 履き違えた優しさは毒。今の千夏は、自分が大切にしている優しさが毒だということを知らずに振りまいている。最終的には周りも自分もその毒にやられて終わりだ。

 俺は美海と幸せになりたい。だから、こんな毒が周りにあるというのなら、排除しなければならない。

 

 一番いいのは、千夏自身がその毒に気がつくことだが、もう待つには遅すぎるだけの時間を費やした。これが最後のチャンス、ヒント。それでだめなようなら、一人で頑張ってもらうしかない。

 

 千夏は自分の感情に整理がつかないまま、ポツリと呟いた。

 

「・・・なんか、変わっちゃったね。遥くん」

 

「変わった? どこが?」

 

「私の知る遥くんはもっと優しかったよ。こんなこと言う人じゃないって信じてた。・・・なのに、こうなっちゃうなんてね」

 

 頭の方の血管が、一つプツリと切れたような気がした。

 次第に苛立ちが体を支配する。俺はそれを喉元でなんとか引き留めた。こんなところで感情的になって声を挙げても、何の意味もない。

 

 だから、出来るだけ感情を抑え込んだ声で、俺は千夏に問いかける。

 

「・・・千夏の言う優しさってなんだよ」

 

「それは・・・」

 

「下手に出て周りの人と接することか? その人を傷つけまいと努力することか? ・・・お前は、それを本当に優しいと思ってるのか?」

 

「・・・」

 

「いい加減にしろよ、お前」

 

 いつまでも続く的外れな言葉に、いよいよ感情が昂る。俺や美海が思う以上に、今のこいつは壊れている。自分たちの世界に戻ってきてくれれば、なんて思っていた自分がバカに思えてしまうほどに、今の千夏には嫌悪感を覚えてしまう。

 

 失ってしまえば、もう二度ともとに戻ることはないだろう。・・・それでも今の俺は、それでいいと思った。

 こんなどうしようもない毒をいつまでも友達だと思っていられない。

 

 けれど、千夏はここまで言われても主張を譲らないみたいだった。

 

「・・・嫌だよ。私、まだ友達でいたい」

 

「あのなぁ・・・」

 

「そうだ、美海ちゃんは? なんて言ってるの?」

 

 そこに救いを求めようとする姿がまた惨めで、俺は歯を食いしばり感情を無にして呟いた。

 

「俺と同じだよ。今の千夏には、関わって欲しくないって言ってる」

 

「そん、な・・・」

 

「だって千夏。・・・俺たちの事、祝福なんてしてないだろ」

 

 千夏は、度々俺たちのことを応援するだとか祝福するだとか言っていた。

 けれどそれは空元気の上での話。本心なんてそこには存在していなかった。

 

 どうやらそれは当たりだったのか、千夏は目元を隠しながら俯いて答えた。

 

「そう、なのかもしれないね。遥くんから見てそうなら、多分今の私ってそうなんだと思う」

 

「千夏・・・」

 

「認めるよ。私、おかしくなっちゃってるね。もう私が私のこと、分からなくなってる。どこがおかしいのか気づけないけど、おかしくなっちゃってるんだ」

 

 顔を上げて笑う。その顔に浮かんでいたものは空元気の作り笑いなどではなく、悲痛に塗れたはかなげな笑みだった。狂った歯車に嘆くその表情は、少なくともあの日から一度も見ていなかったものだ。

 

「・・・一週間」

 

「あん?」

 

「一週間だけ、チャンスをくれないかな。そこまでに、私はちゃんと私に戻るから。・・・その上で、二人の友達でいられるかどうか、もう一回考えさせてほしい」

 

「・・・ああ、分かった」

 

 それから俺は千夏に背中を向けて歩き出す。言いたいことは言った。ある程度の答えまでたどり着いた。それは俺たちが真に望むものではなかったけれど、ちゃんと伝えきったんだ。満足している。

 

 

 一週間、本当に短い期間だ。

 だけど、最後にもう一回だけ、俺は、俺たちは千夏を信じてみる。

 

 だからそれまでの間・・・心からのお別れだ。

 

---

 

~千夏side~

 

 遠くなっていく背中を見送ったあと、私は胸を抑えてその場に崩れ落ちた。

 痛い。苦しい。呼吸が乱れて頭が痛い。目がちかちかして、時折色を失くす。

 

 私、どうしてたんだっけ。私は何を思って生きていたんだっけ。遥くんが、美海ちゃんが望んでる私って、どんな人間なんだったっけ。

 問いかけても誰も助けてくれない。そしてまた孤独の海に沈んでいく。

 

 迷惑をかけたくなかった。暗い感情を抱えて生きてても幸せになれないから明るく振舞うのなんて、誰だってやってるでしょ? 

 なのに・・・。

 

「どうすればいいの・・・?」

 

 突き落とされた井戸は深く深く、地上の光は見えない。誰の助けもない世界で、私はどうやって這い上がればいいの?

 

 感情の逆流で、心がまた痛む。苦痛は想像より遥かにひどく、吐き気も覚える。

 

「帰らなきゃ・・・。こんなところにいても、変わらないでしょ・・・」

 

 ぶつぶつと呟きながら立ち上がる。棒のような足を動かして、家へ帰る。

 ・・・あ、でも、こんな顔じゃ二人に心配されちゃうよね。

 

 力を振り絞って、口角を上げる。そうすれば少しだけ心が落ち着いた。

 

 

 そうしてまた、私は私に帰る。あの日からの私に。




『今日の座談会コーナー』

 主人格が狂っていくシーンって書くの結構難しいですよね・・・。記憶を失っていた千夏とかも結構書くのには苦戦した覚えがあります。さて、ここからどう落としどころを作るか・・・。草案自体は出来ているんですけど、最後の最後まで迷ってしまいそうで。ただ、βはβらしく、αとは違う雰囲気のアフターを展開していきますので、もう少しの間お付き合い宜しくお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百八十八話β 手遅れになる前に

~千夏side~

 

 あの日から、私は何をして生きていたんだろう。

 私はただ・・・友達に戻りたいと思ってただけだった。二人ともう一度、どこかでかかわりを持てたらいいなって、それだけを思ってた。

 その方が、二人にも、お父さんとお母さんにも迷惑がかからないと思ってた。

 

 ・・・なのに。

 

 拒絶はあの日からの私を瓦解させるのには十分で、たちまち全て世界が歪んで見え始めた。もう自分がどうしてるのか分からない。

 ただ、元気でいなきゃと逸る心だけがそこにある。それ以上は、もう何も考えることが出来ない。

 

 

 ある日から、酷い頭痛が訪れ始めた。

 ある日から、絶え間ない吐き気に苛まれるようになった。

 

 邪魔だと告げられたあの日から、だんだんと全てが壊れていく。それでいながら誰かを恨むことも出来ないで、何をすればいいかも分からないでいる。

 

 そして何も出来ないまま、約束の期日の前日がやってくる。

 

---

 

 海の学校に顔を出して、それから、なんてしていると夜はあっという間にやって来る。正直体はどこもかしこも悲鳴を上げていて、酷い眩暈が続いている。時折吐くことも増えてきた。食欲なんてなくて、胃は空っぽだ。

 

 それでも、笑顔だけは絶えずにやってきた。もうそれが当たり前のようになっていた。

 だから・・・お母さんに尋ねられても、私は変わらない。

 

「千夏、大丈夫なの・・・? ここ最近食事もろくに食べてないでしょ?」

 

「ああ、うん。ちょっと食欲なくて・・・。夏バテなのかな?」

 

「それだけじゃないでしょ?」

 

「分かんない。けど大丈夫だから。とにかく、今日は早めに寝るよ」

 

 ひらひらと手を振って、私は自室にこもる。・・・二人だけには、なんとしても弱みを見せたくなかった。

 ・・・けど。

 

 ふと、頭の中に「逆説」がよぎる。本当にこれでいいのかと問いかける自分が、まだどこかにいた。

 その感情にしばらくの間身を委ねてみて、私は毎日つけていた日記に目を通した。

 

「・・・あれ」

 

 その時ようやく、私は私の異常を知った。

 何もない。ちゃんと書いているはずなのに、言葉は「文字の羅列」のようにしか見えなかった。そこに実感や感情などは刻まれていない。ただ、起こった現実の報告と、周りの人の言動と・・・。

 

 そこに、私はいなかった。

 

「なんで・・・。私、こんな風に書いてたっけ・・・?」

 

 急いで押し入れから使い古した前の日記帳を取り出してみる。ちょうどこの日記のページが終わったのは、遥くんに振られたあの日だったはず。

 開かれたページに刻まれていたのは、等身大の私だった。ひどく不器用で不細工で、だけどちゃんと感情にそった私がそこには描かれていた。

 

 何度も「好き」と書いている。何度も「ごめんね」と書いている。それは今の日記を何度読み返しても見つけられない言葉。

 おそらく私はあの日から、自分の感情を放棄していたんだ。・・・違う、捨てていない。ただ見て見ぬふりをしていただけ。

 

 そう考えると、また酷い吐き気が襲ってきた。急いでトイレに駆け込み、逆流する胃液を流しきる。食べ物もろくに入っていないから、胃はキリキリと痛む。

 

 涙が止まらない。防ごうと腕で堤防を作ってみても、目元を拭ってみても、大粒の雫がただボロボロと流れ続ける。私はただ、声を抑えながら無様に泣き続けた。

 ・・・全てのつじつまが合う。ここ最近の体調不良も、あの日遥くんから拒絶された理由も、二人の表情が一向に晴れなかったのも。

 

 全部、全部、私のせい。おかしくなったのは周りじゃなくて私の方だったんだ。

 遥くんに愛を拒まれたあの日から、色恋沙汰になる前の私に戻らなきゃとずっと思っていた。周りから望まれる私になれば、哀しみなど晴れると思い込んでいた。

 

 けど、違ったんだ。周りが望んでいた私は、自分の感情にありのままである私。・・・そんなことにも気が付けずに、私はこの一年を・・・。

 

「なんで、私は・・・!」

 

 こんなにも、無駄な時間を過ごしてたんだろう。

 その後悔と罪悪感に押しつぶされた時、心臓がキリキリと痛みだした。・・・ダメだ、脈が狂ってる。

 

 頭の中で「冷静」という言葉を唱え続け、何度も深く深呼吸を行う。それでようやく体を落ち着かせることが出来た。

 

 ・・・分かっちゃいたけど・・・体、もう随分ボロボロなんだね、私。

 

 ずっと「大丈夫」と唱え続け我慢していたが、本当は今すぐにでも入院するかしばらくの間安静にした方がいいくらい体に異変が起こっている。鏡に映る自分がやせ細ってしまっていることにも、ようやく気が付いた。

 

 ・・・さすがに、これで大丈夫って言う方が無理あるよね。

 

 このまま大丈夫と言い張って我慢し続けても、かえって二人を心配させるだけ。今なら本当にすべきことが見えるような気がした。

 だから涙をぬぐう。今度こそ雫が零れ落ちてくることはなかった。

 

「・・・ごめんね、お母さん。だけど今日と明日だけは許して」

 

 呟いて、私は部屋に戻り日記帳を開いた。ひどく空虚な時間だけど、今日くらいは、あの頃の私に戻って何か書けそうな気がした。

 

 私がずっと、自分の心に蓋をしていたこと。そうした方が、周りの皆に迷惑をかけないで済むだろうと思っていたこと。

 そして、その魂胆には拒絶された愛があったこと。選ばれなかったことが悔しくて、心の底から二人のことを祝福出来ていなかったこと。

 

 文字に起こしてみると、いかにここまでの自分が無駄な時間を過ごしてきたかを常々思わされた。だから、これはこれから歩き出すための第一歩。

 

 明日、ちゃんとこの気持ちを遥くんに伝える。美海ちゃんにも伝える。それで友達に戻れても戻れなくてもどっちでもいい。また一から歩きだす。そのことさえ伝え得れたら、今の私は十分なんだ。

 

 ・・・あ、でも。

 やっぱりちゃんと祝福はしたい。どうせ今の私にチャンスなんてないんだ。それなら一人の友達として、昔から知る仲として、今度こそ私は二人のことを祝福したい。

 

 それに、美海ちゃんが相手なんだ。他の誰にとられるよりもずっといいし、その後の未来も応援できる。 

 ・・・なんでこんな簡単な事、もっと早く気づけなかったんだろうね。

 

 はぁ、とため息を吐く私は、多分苦笑いを浮かべていたような気がする。

 

 日記を書き終わるころ、また頭痛。心はすっきりしても、体の方はすぐには回復してくれないみたいだ。

 だから明日ちゃんと二人の所に行って、そのあと帰ってきたら、真っ先にお父さんとお母さんに謝ろう。

 思い立った私は、もう一度日記を開いて「追伸」、と付け足す。

 

「・・・さて、それじゃ」

 

 明日会いに行くんだ。その連絡をしておかないと。

 ふらふらと立ち上がって、私は電話を取る。遥くんが教えてくれたアパートの番号を打ち込み、受話器を取る。

 

「あ、もしもし?」

 

---

 

 

 朝の陽ざしが部屋に差し込んでくる。その光で私は目を覚ました。

 瞼は重たい。胃がキリキリして、体は怠い。分かっちゃいたけど、一晩じゃこの体は回復してくれないみたいだ。

 

 でも、行くって決めたからね。

 

 時計を見る。約束の時間まではあと一時間くらい。だけど遅れていくんじゃバツが悪いから、ちょっと早めに出ないと。

 洗面所に向かい、顔を整える。昔に比べてやせこけた自分の姿には、もう苦笑いを浮かべるほか出来なかった。

 

 そして部屋に戻って最後の準備を、と思ったその時、背中の方から声がかかった。

 

「出かけるの? 今日、学校のお手伝いはないでしょう?」

 

「あ、お母さん。・・・うん、ちょっと外せない用事があるの」

 

「それは、そんなに調子が悪くてもしなくちゃいけないこと?」

 

 諫めるお母さんの表情はいつになく曇っている。本当ならもっと叱って引き留めてもいいはずなのに、そう言い切れないお母さんはやっぱり優しい。

 だけど分かってるよ、ちゃんと。我儘はこれで最後にする。

 

「うん。しなくちゃいけないこと。・・・だけど、これが最後。今日帰ってきたら、お父さんに頼み込んで病院に連れてってもらおうと思うんだ。やっぱり調子、悪いままだし」

 

「千夏・・・?」

 

「だからお母さん。最後の我儘、許して」

 

 瑞々しい笑顔でVサインを作る。お母さんはそんな私に思うところがあったのか、ふっと息を吐いて頷いた。

 

「分かった。約束ね。帰ってきたらちゃんと病院に行く。それからしばらくの間休む。いい?」

 

「うん。いいよ。・・・ありがとう、お母さん」

 

 

 それから私は部屋へと戻り、身支度を済ました。少し浮足立つ足で、家の外へ飛び出す。照り付ける日差しは酷く強くて、神経が敏感になっている私にはかなり辛いものだった。

 

 踏み出す一歩一歩が重たくなる。熱さから来る眩暈も、今日は一段と酷い。

 だんだんと身体がふらふらとしてきた。身体が右へ左へ揺れて、時折道路沿いの縁石にぶつかる。

 

「ダメ・・・今日だけは頑張るの。・・・今日だけは、言いたいこと言わなきゃいけないんだから」

 

 食いしばると、体は少しだけ元気を取り戻した。痛みと格闘していて気が付かなかったが、だいぶ遥くんのアパートの方まで近づいたみたいだ。遠くにだけど、その影が見える。

 

 えっ・・・?

 

 それは一瞬の事だった。

 

 心臓が止まったような感覚。一瞬意識を失ったのか、私の身体は右にふらつく。縁石に躓いて、体が投げ出されて・・・。

 

 何かが強くぶつかる感覚が訪れたのは、それからすぐの事。

 

 

 身体は、高く宙を舞った。

 

 

 

・・・

 

 

・・・・・・

 

 

「行か・・・なきゃ・・・」

 

 

 いかなきゃ・・・まだ・・・言えてないよ・・・。

 

 

「行か・・・なきゃ・・・。言わないと・・・」

 

 

 

 ・・・・・・遥、く・・・ん・・・。

 

 ・・・・・・幸せに、なっ・・・て・・・

 




『今日の座談会コーナー』

 明確に診断はしていませんが、このルートにおける千夏は精神病(というより統合失調症)の初期段階を発し、調子を大きく崩している状態です。正直書くのにはいろんな意味で苦心しました。最後どうなったのかは・・・よく読んで、考えてください。それにしてもβ√重たいですね・・・。少なくとも前作afterのことを考えると、こんな展開にはならなかったと思うんですが。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百八十九話β 乗り越えるべき壁

~遥side~

 

 千夏を突き放した俺たちは、信じて待つことにした。

 もちろん、そればかりを気にしていちゃこれまでの二の舞。あくまで俺たちの暮らしに千夏は関係ないと、すっぱり忘れ去って日々の仕事に、学校に勤しんだ。

 そうして訪れる土曜日。明日は千夏との約束の期日だ。

 

 家に泊まりに来ていた美海は、思い出したようにその名前を口にする。

 

「明日、千夏ちゃんと約束した日、なんだよね?」

 

「ああ。詳しい事は何も決めなかったからどうなるか分からないけど・・・。けど、明日の千夏を見て、それからのことを考える」

 

「・・・友達に、戻れるの?」

 

「さあな。ただ、少なくともこの間話したときと変わらないあいつなら、もう一生俺たちの世界にいないでくれって思う。・・・誰も幸せになれないからな」

 

 言い方は悪いが、不幸になるなら一人でなってくれという話だ。昔の俺は、こんなことを思うような人間だっただろうか。

 

 もちろん、心の底ではそうならないことを願っている。けれど、願っているからと言って、信じているからといって、それに縋ってしまえばまた堕落する。分かっているから距離は保とうという話だ。

 

 その時、部屋中に電話が鳴り響く。相手は・・・なんとなく予想が着く。

 だから迷わず俺は受話器を取った。予想通りの相手の声が電話越しに聞こえる。

 

「もしもし?」

 

 少なくとも、声音は何一つ変わっていない。・・・だけどどこか掠れている。まるで、さっきまで泣いていたかのような。

 けれど、気にしない。俺は淡々とした声音で接する。

 

「千夏か。どうした?」

 

「うん。明日なんだけどさ、12時頃にそっち行っていい?」

 

 返事より先に、俺は美海の方を向く。美海は一度だけうんと頷いた。

 

「分かった。外出て待っておく。・・・で、話は以上か?」

 

 下手に長引かせると、明日に期日を設けた意味が無くなる。俺は「知人」くらいの距離感で、ただ淡々と千夏に言葉をぶつけた。心を氷漬けにすることも、今はもう抵抗などない。

 

 けれど、思ったより千夏はケロッとしていた。

 

「うん、これだけ。これだけ伝えたかったから。明日のことは、また明日。じゃあね」

 

 千夏はそれっきりで電話を切る。俺は一つため息を吐いて、ソファに座り直した。空いた隣に、美海も腰掛ける。それから俺の方に体を寄せてきた。

 

「どうだった?」

 

「分からん。・・・けど、多分、変わってはいるかもな」

 

「それは、どっちに?」

 

「それが分からないって話だよ。・・・だから、明日確かめないとな」

 

 そのための約束。そのための期日。明日、どんな現実を見せられようと俺たちは迷うことはないだろう。それほどまでに、俺は俺自身と、俺の最愛の人を愛せるようになった。

 

 美海は小さく唸って、天を仰いだ。

 

「ごちゃごちゃ考えるのはダメだって分かってるけどさ・・・本当に、これでよかったのかなって思う時、結構あるんだよ」

 

「主に、どこから?」

 

「千夏ちゃんとライバルだって宣言した時から、かな」

 

 つまりそれは全てにおける原点。美海が俺を異性として意識し始めた最初の頃の話になる。

 

「あの時、千夏ちゃんをライバルとして捉えてなかったら、千夏ちゃんのいなかった五年間で私が遠慮をすることもなかったし、こうやって歪んだ関係になることもなかった。後悔しても意味ないってのは知ってる。けど、ね」

 

「そうだな。・・・あの五年間は、お互いの感情を閉ざしていたからな」

 

 毎日懸命に生きてはいたが、満たされた毎日かと言われればそうではなかった。本当にその時間を生きていたのか分からなくなる日は俺だってある。

 けれど、それを含めて俺の人生で、俺はそれを愛している。かつて千夏に言ったように、傷ついたことですら思い出に出来るのだ。

 

 だから・・・後悔も何もない。

 

「けど、そんな日々だって今では思い出だからな。後悔することもないよ」

 

「思い出、か・・・。確かに、楽しいこともいっぱいあったし、全部が全部悪いことじゃないよね。・・・ただ、やっぱり、千夏ちゃんを敵にしたくはなかったなって思う時はあるんだよ」

 

「難しいな、親友ってのは」

 

「けど、もういいの。今は親友よりも大事なものがある。後悔よりも幸せの方が全然勝るよ。それに、千夏ちゃんのためだけにこれを手放したくない」

 

 ちゃんと美海は何が一番かを分かっているようで、俺の腕を自分の両腕で包んで目を閉じた。その穏やかそうな表情は、いつまでも変わらず愛おしい。

 

「・・・ああ、俺もだよ」

 

 証明するように、後ろ髪を撫でる。

 それから、あることを確かめるべく、俺は美海にそれを尋ねた。

 

「なあ、美海。・・・失う事、もう怖くないよな?」

 

 それは、俺がかつて乗り越えた壁。そして、美海と一緒に突き当たった壁。それを乗り越えることが出来たのか、俺は美海に問いかける。

 少しだけ逡巡の間があって、美海は首肯した。

 

「怖くはない・・・とは言わないよ。だけど、乗り越えられる自信はあるよ。少なくとも、誰かを失うことが、自分が愛したせいだから、なんてことはもう思わない」

 

「・・・そっか。なら、大丈夫だな」

 

 俺たちはちゃんと、目の前の愛を怖がらず、拒まずにいられる。それが分かった俺は、少しだけ胸をなでおろした。

 もう大丈夫だろう。進む道に、迷うことはないはずだ。

 

「美海、約束してくれないか?」

 

「約束? 今更なんの?」

 

「どうなっても二人でいようって約束。どんなに苦しいことがあっても、立てなくなりそうでも、二人で乗り越えていこう。・・・好きだったものはいつかなくなる。それってやっぱり寂しくて、辛いからさ、二人で乗り越えたいんだよ。俺はそうしたいんだ」

 

「うん、約束する」

 

 躊躇う間もなく、一瞬の返事。けれどそれは決して口先だけではなかった。

 それはどこかプロポーズみたいなもの。けれど、結婚したいという気持ちは変わらない。俺の隣はもう、美海しか想像できないから。

 そして美海から見てもそうであると俺は信じている。目の前にある「愛」から逃げることは、もう二度とないだろう。

 

 例えそれが考えも出来ないような困難だろうと、俺は失うことから逃げない。

 

「・・・明日は、晴れるといいね」

 

 ふと、美海が呟く。ただ天気の話をしているだけではないだろうが、別にそれ以上の言葉はいらなかった。

 

「ああ、俺もそう思うよ」

 

 雨は不吉な予感がする。だから晴れてくれれば、千夏から出される答えが俺たちの望んだものであると信じれるような、そんな気がした。

 ただの迷信だと分かっていても、雨にろくなイメージなんてないから。

 

 窓の外の空を見上げる。所々に星はチラついて、月はその姿を全て曝け出していた。・・・明日は、晴れそうだな。

 

 

---

 

 

 約束の日が訪れる。

 俺は支度を整えて、美海と共に家の外で千夏を待つことにした。・・・というより、待ちきれなかった俺たちはアパートへとつながる一本道を下りだした。

 

 しっかりと手を繋いで、前だけ見据える。負の感情に囚われないように、ただそれだけを意識しながら。

 ただ、変に力が入っていたのを見抜かれてか、美海に尋ねられた。

 

「何か迷ってる?」

 

「別に。正直結果はどっちでもいいからな。・・・もちろん、これまでみたいな関係に戻れることを信じてるけどな」

 

「うん、信じてる。そしたらまた遊びに行こうね。二人だけの思い出もいいけど、やっぱり三人でいる時間も楽しかったから」

 

「ああ、そうだな」

 

 美海は瑞々しい笑みを浮かべた。色々歪んだ関係になってしまってはいたが、やはり本心では親友なのだろう。あんなにおかしくなっていたというのに、煙たがる素振りは全く見せなかった。

 

「・・・結婚式も、呼びたいね」

 

「もちろん。ただ、こっちから願うのはちょっと烏滸がましいから、あいつ次第だけどな」

 

「許してくれるよ、千夏ちゃんなら」

 

「ああ。千夏な・・・ら・・・?」

 

 

 繋がれた手が、ほどける。

 

 

 視界の先には千夏がいた。道路の端の木にもたれかかって動かないでいる。俺は美海をそのままに走り出した。

 

 だんだんと光景が鮮明になるにつれて、千夏の異様さに気が付く。

 頭のほうから血を流して、腕は変な方向にねじ曲がっている。地面で擦ったのか服はボロボロになっていて、それから・・・。

 

「おい・・・嘘、だよなっ・・・!?」

 

 近づいて、ちゃんと確認する。そしてそれは、確信に変わる。

 さっきまで抱いていた希望が、全て絶望に堕ちていく。

 

 

 

 かつて確かにあったもう一つの愛は、呼吸を行ってなどいなかった。

 




『今日の座談会コーナー』

 何気に久しぶりの同じ時間軸、別視点だったような気がします。いや、これやると本当に進まないんですよ。心理描写をしっかりと書けるってメリットがあるんですけど、ただの尺稼ぎみたいになるのが嫌なので少し封印してました。
 さて本題。・・・まあ、見ての通りです。サブタイトルは「乗り越えるべき壁」。まさにその通りで、今遥の目の前にあるのは乗り越えるべき壁です。それも、最後の。
 ・・・ef?

といったところで、今回はこの辺で。
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第百九十話β 罪と罰と、その先の

~遥side~

 

 悲惨な状態のまま動かないでいる千夏の両肩を持って、右に左に、前に後ろに揺らしてみる。もちろん、呼吸すらしていない千夏が目覚めるはずもない。分かっていても、俺は手に血を滲ませながら必死に名前を呼んだ。

 

「おい! 返事しろよ!! 千夏!! 千夏!!!」

 

 あとから追いついてきた美海が、酷い有様の千夏を見て声を失う。悲鳴は悲鳴とならず、声はかすれ、その場に崩れる音だけがあたりに響いた。

 

「嫌・・・千夏ちゃん・・・だって・・・そんな・・・!!」

 

 しばらく名前を呼んでみたが、答えることはなかった。だんだんと脳裏に「死」の文字が過って、脈が速くなる。恐怖心が全身を包んで、吐き気も覚える。

 それでも唯一の救いがあるとすれば、まだ体温が失われていないことだった。急いで病院に運べば、なんとか・・・!

 

 その時、また別の方向から足音が近づいてきた。必死の形相をした、俺より少し上の年齢くらいのその男は、どうやら千夏を張本人と見て間違えないようだった。

 冷静さを失っていた俺は、迷わず胸倉を掴み上げる。そうすることに何の意味もないと分かっているのに、声を挙げて目の前の男を責めた。

 

「お前が!! お前が千夏を!!!」

 

「・・・ええ、僕です」

 

 俯き、心苦しそうに男は答える。罪悪感を感じているのは分かったが、だからといって簡単に許せるはずもなかった。

 

「お前の不注意でこうなったのか! ええ!?」

 

「それだけは言い訳させてください! 僕は精一杯止まったんです! けど、その子が車道に倒れこんできて・・・。車内カメラを後で確認してくれれば分かると思うんです!」

 

 必死の弁明は、取り繕った嘘には見えなかった。

 

「・・・もちろん、僕に非があることは分かってます。だから現場から逃げ出したその子を追ってここまで来ました。・・・どんな罰だって受けますよ」

 

 それが苦し紛れの言い訳にはとても思えず、俺は胸倉を掴み上げていた両手を離した。そこでようやく冷静になれて、自分の行動の非を思い知った。

 

「・・・すみませんでした。急に掴みかかって」

 

「いえ、いいんです。・・・それよりあなたは、この子の」

 

「友達です。・・・もう、何年も前から」

 

 友達と言う事にためらいなどなかった。割り切った風なことを言っても、その時が来ると人は自分の心に嘘をつけなくなるみたいだ。

 友達だと聞いて、男はさらに申し訳なさそうに、悲痛な声で言う。

 

「・・・本当に、申し訳ないことを」

 

「もう謝らないでください。・・・それより、やるべきことがあるでしょう」

 

「救急ならもう呼びましたし、じきに到着するはずです。だから、今できるのは・・・」

 

 それまでの救命活動といったところだ。

 そう思って千夏の方を振り返ると、美海が精いっぱいの力で胸骨圧迫を行っていた。ずっと泣きそうな顔で、何度も名前を呼ぶ。

 

「死んじゃダメだから! 千夏ちゃん! 絶対に・・・ダメだからっ!!」

 

 悲痛な叫びだけが、あたりにこだまする。

 サイレンの音がだんだんと近づいてきたのは、それから間もなくのことだった・・・。

 

---

 

 手術中のランプが灯ったまま、かれこれ2時間ほど経過する。ずっと苦しげな表情を浮かべたままだった美海を一度外に追いやり、俺は一人で天井を見上げた。

 今の美海がここにいても出来ることはない。それでいてただ辛くなるだけなら、外の風でも浴びた方が少しはマシになるだろうという話だった。

 

 それに・・・怒りをぶつけられるのは、俺だけでよかったから。

 

 だんだんと二つの足音が近づいてくる。それは紛れもない、千夏の両親のものだった。それはかつて見たことがある、どこまでもひどく暗い感情に飲まれた表情。千夏が冬眠に巻き込まれていた頃も、ずっとこんな表情ばかりだったはずだ。

 

 淡々と、保さんは俺に事実確認だけを行う。

 

「状況は?」

 

「・・・予断を許さない、とは言われました。救急車の中で心臓がまた動き出したんですが、意識はないままで・・・」

 

「怪我の方は?」

 

「臓器の方は分かりません。・・・ただ、右腕が折れてます。それとおそらく、足の方も」

 

「・・・・・・そうか」

 

 どこまでも深く、悲しいため息が一つ。平静を装うとしていながらも、それが崩れかねないくらいには、保さんは酷く落ち込んでいた。

 それはまた、夏帆さんも同様。保さんの言葉が無くなると同時に、夏帆さんは俺の胸を叩いて唇を震わせた。

 

「どうしてあの子ばっかりなの!?」

 

「夏帆さん・・・」

 

「そりゃ、ちょっとおかしいなって思うこともあったよ! だけど、ちゃんとそれを自覚して、帰ってきたらちゃんと休むからって言ってくれたの! なのに・・・なんであの子が・・・あの子ばかりが・・・!!」

 

 そしてそのまま崩れ落ちて、わあわあと声を挙げて泣き出す。俺はただその様子を冷めた瞳で見る事しか出来なかった。

 同情の言葉をかける資格すら、俺にはない。ここ数日の千夏を作り上げたのは、間違いなく俺の言葉なのだから。だから・・・俺も、業を負う必要がある。

 

 佇む俺に、保さんは目を伏せて声を掛けた。

 

「・・・夏帆を、責めんでやってくれ」

 

「責めるなんて・・・俺には出来ないですよ。むしろ逆じゃないですか?」

 

「・・・」

 

「二人に信じてもらってこの結果に導いたのは、俺もそうなんですから」

 

 二人からの信頼などなくなっても仕方がないと俺は割り切っていた。それは酷く悲しい事ではあるが、現実であることには変わりない。期待に応えられなかった俺に、二人に優しくしてもらえる権利なんてないのだ。

 

 殴られようと、罵られようと・・・全てを受け入れる覚悟は出来ている。

 

 それでも。

 それなのに、こんな状況になってでも、保さんは保さんだった。

 

「遥くんは、千夏に気づかせようとしてくれたんだろう?」

 

「はい。・・・ただ、そのためなら、と俺は千夏を突き放しました。自分がおかしくなっていることに気が付いてないなら、もう関わらないでくれと」

 

「・・・そうか」

 

 二人の間に重苦しい雰囲気が流れる。会話が途絶えたその時、手術中のランプが消えた。扉が開いて、中から先生が現れる。

 

「手術が終わりました」

 

「千夏は・・・どうなんですか」

 

 先生は一度うんと頷いて、良いニュースから述べた。

 

「一命は取り留めました。怪我の処置も行いましたし、そこは問題ありません。・・・ただ」

 

「ただ・・・?」

 

「深い昏睡状態に陥っています。事故を起こしたドライバーから『倒れこんできた』という証言を受けてたのですが、調べたところひどく体調不良を起こしてたみたいです。・・・親御さんから見て、自覚はありますか?」

 

 保さんは一度しっかりと頷いた。

 

「過度の食欲不振と、頭痛、嘔吐・・・。見て取れる症状はこんなところだと思う。それと、精神的に危うい状況が続いていたようにも」

 

「そうですか。・・・実際、精神疾患の症状が見て取れてます。間違いないでしょう」

 

 先生が笑みを浮かべることはない。ただ苦しそうな表情で、淡々と現実を述べた。陥ってしまった最悪の状況に、俺は絶望する暇もなかった。

 

「昏睡、って言いましたよね。目覚める目処はあるんですか?」

 

「・・・分かりません。一年になるか、二年になるか、・・・それ以上の時間になることも考えられます。手は尽くしたのですが・・・答えられず、申し訳ございません」

 

 また、どこまでも深い絶望がのしかかる。

 生を引き留めたところで、目覚めるかどうかすらも分からない。そんな状態に、千夏は陥ってしまった。

 俺のことよりも、目の前の二人への罪悪感と心配が勝る。これからなんて顔で会えばいい? なんて声を掛ければいい?

 

 自分の行いひとつで全てが崩れていくのを見て、俺も壊れそうだった。

 

 伝えることだけ伝えて、先生は千夏を別の場所へと連れて行った。再び三人だけの空間が残る。

 夏帆さんはもはや放心状態と言わんばかりの状態でその場に佇んでいた。保さんは、震える腕を何度も殴りつけて平静を保とうとしている。

 

 その絶望を生んだきっかけの俺は・・・ただ、前だけを向いていた。

 嘆いて変わらないことは知っている。けれど、自分は罪な存在で、消えなければならないと思っても誰も幸せにならないのも知っている。

 

 そんな俺は・・・どうしたらいい・・・!?

 

「遥君」

 

 ふと、保さんが俺の名前を呼ぶ。振り向いた先の保さんは、片手に日記帳を抱えていた。見なくても分かる。千夏ものだろう。

 

「・・・千夏の日記帳だ。君が持っていてくれないか?」

 

「俺が・・・? なんで俺に」

 

「一ページ目を読んでみてくれ」

 

 促されて、日記帳の一ページ目を読んでみる。そこにはただ一文、こう書いてあった。

 

『※この日記帳はシークレットなので遥くん以外には見せないこと』

 

 逆に俺になら見られてもよかったのか、と思ったが、それほど千夏は俺のことを思ってくれていたのだろう。・・・自分の家族以上に。

 

「とはいっても、俺たちは読んでしまった。最後の一ページ、昨日千夏が何を思っていたのか、それだけを知りたかった」

 

「・・・」

 

「聞いてくれ、遥君」

 

 俺の両肩に手を置いて、保さんはまっすぐ俺の方を見た。その視線から逃げないように俺も向き直し、ただ言葉を待った。

 

「俺は・・・少なくとも俺は、君を許す。例えこの現状を招いたきっかけに遥君がいたとしても、信じて頼んだのは俺だ」

 

「でも・・・」

 

「ただ、遥君に罪がないとも言わない。本当はどこか、罰せられることを君は望んでいるのだろう?」

 

「・・・」

 

 俺を育ててくれた人間が、俺の内情を知らないはずなどなかった。

 だから保さんは、考えうる限り最大であろう罰を俺に与えた。

 

「だから、その日記は君が持っていてくれ。千夏のことを忘れるのは、俺が許さん。・・・その上で、君がこの日記を読んでたどり着いた答えを為してくれ。それが、俺が君に与える罰だ」

 

「たどり着いた答え・・・ですか」

 

「その答えが、『君自身が幸せになること』でも、ちゃんと悩んだうえでの答えというのなら、俺は君を責めたりはしない」

 

「保さん、あなたは・・・」

 

「いいんだ。・・・俺も背負わないといけないからな」

 

 そしてちらりと夏帆さんの方を一瞥した。

 ここまでの保さんの言葉の全ては、二人の総意ではなく、自分自身だけのものだった。この意見を二人の総意にするのには、それなりの覚悟と時間がいるだろう。

 少なくとも、そこに干渉する権利は俺にはない。二人だけの問題だ。

 

 

 

 だから俺は、俺の抱える問題を解決するしかないだろう。それが二人に対する最大の償いで、今の俺に出来る最大の贖罪なのだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 えーっと・・・何を書けばいいんですかね。もう最終回近いとだけ言っておきましょうか(こんな展開で? となると思いますが、こんな展開だからこそです)。数話前に書きましたが、これは遥が乗り越えるべき最後の試練です。失うことの怖さから克服してきた遥が、千夏という存在の消失危機に際してどう生きるのか、というのを最後まで見届けてやってください。

といったところで、今回はこの辺で。
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第百九十一話β 今、始まる世界

~遥side~

 

 二人がその場を去って、一人だけの待合室で俺は日記を開いた。他人の痴情に触れこむのは好きではないが、これは俺に与えられた罰だ。ちゃんと向き合い、その上で考える必要がある。

 

 そして開く日記帳。始まりの日は、俺が千夏を振った日の事だった。

 愚痴でも書いていてくれればまだ気は楽だったが、書いてあることは自分の鼓舞と、しがない現状報告の繰り返しだった。ただ、その文章からなるだけ周りに迷惑をかけないように、と気を張っていたのだろう。それだけは読み取れた。

 

 けれど、それも段々となくなっていく。虚勢と空元気が当たり前になったのか、自分が無理をしているとも書かなくなった。そしていよいよ、空っぽの文章が続き始める。行動に起こっていたことが、文体でも同じように行われていた。

 

 それは何日も、何か月も続く。

 その負の連鎖が途切れたのは、俺が突き放した日ではなく、つい昨日のことだった。

 

---

 

『8月2日』

 

 一週間前、遥くんに言われた言葉の意味がようやく分かった気がする。私がどうおかしくなっていたのか、何がダメだったのか。

 私はきっと、自分の心に蓋をしてしまっていたんだ。お父さんやお母さん、それに二人に迷惑をかけたくないと思っていた。

 だから、明るく振舞おうと思っていた。昔、そうしていた私が望まれているのかと思っていた。・・・だけど、現実はそうじゃなかった。

 

 みんな、私が感情的で自分の心に従って生きることを望んでいた。それに気が付くまでに、私はボロボロになりすぎちゃった。頭は痛いし、食欲もないし、変な音も聞こえるし、吐き気だってする。もう少し遅かったら、私、壊れてたのかもしれないね。その前に気が付けてよかったと思う。

 

 だから、そのことを明日はちゃんと伝えようと思う。私は、自分が選ばれなかった悔しさのせいで自棄を起こして、無茶苦茶な行動を繰り返していたって。遥くんの言うように、本当は心の底から祝福なんてしていなかったって。

 

 ・・・そして、ちゃんと全部伝え終わって、改めて私は二人のこと「おめでとう」って言うんだ。それが私に出来る事。私のしたいこと。

 心から向き合うこと。これが出来れば、たとえ友達に戻れなくても私は満足すると思う。きっと、二人の為にもなると思う。

 

 私は二人のことを祝福する。二人に幸せになってもらえたら、自分が選ばれなかったことに納得できる。心から応援できる。

 それだけ伝えたら、少しだけ身を引こうかな。これからは、私は私を愛して、前に進まないといけないんだから。

 

 ・・・あーあ、もっと早く気づいていたかったなぁ。

 

【追伸】

 

 お父さん、お母さん、心配かけてゴメン。もう大丈夫だから、明日一日だけ、我儘な娘でいさせてね。

 

---

 

 

「・・・馬鹿野郎っ・・・!」

 

 決まってるなら、無理に逢いに来なくてもよかっただろ・・・! 

 電話でもよかったんだ・・・ちゃんと、腹が決まってるならただそれを伝えてくれればよかったのに。

 

 涙を流すのは道理ではない。俺が今涙を流したところで、千夏に対する弔いになどなりはしない。

 ならどうする? 千夏が幸せになる時間を奪ってしまった俺に出来る事。

 

 ・・・千夏は。

 

 千夏は、俺たちの幸せを望んでくれると言った。当初はそう出来ていなかったと千夏は言うが、そんなことは関係ない。今は今、今の千夏の意志を尊重したい。

 

 だから俺は、美海と一緒に行く。幸せになる。結婚だってする。

 遠慮して淡々と生きることが望まれているのなら、俺はそうする。けれどそうじゃないなら、俺は迷わず自分の幸せをつかみ取りたい。

 

 それは、自分の為であって、美海のためであって、そして千夏のため。

 みんなが幸せになる答えは、これしかない。

 

 そりゃ、傍から見れば俺たちだけが何喰わぬ顔で幸せになろうとしているわけだから、周りは不信に思うだろう。特に夏帆さんなんかは、俺のことを許してくれないかもしれない。

 

 だけど、俺は俺の意志で決めたこの答えを曲げることは絶対にしない。

 それが、愛に向き合うこと。失ってでも進む覚悟は、もう心にある。

 

 意を決した俺は病院から抜け出した。

 

 フロントから少し離れたところで、美海を見かける。頭は下がったまま、俯いて、時折雫が光輝いて見える。

 俺はその後ろからただ美海を抱きしめた。俺の存在に気づいて美海は震える声で呟く。

 

「なんで・・・こうなっちゃったんだろ・・・」

 

「・・・」

 

「私が・・・私があの時・・・」

 

「もうやめようぜ、美海」

 

「え・・・?」

 

 

 自分の言葉を拒絶されたことに美海は声を失う。けれど、それにはちゃんと意味があるということを俺は続けた。

 

「千夏は死んでない。さっき手術が終わって、そう言われた」

 

「終わったの!? それで、千夏ちゃんは!?」

 

「一命は取り留めたって。・・・ただ、目覚めるのがいつになるかは分からないって、そう言われたよ」

 

「そんな・・・」

 

 昏睡を死と同義に捉えているのだろう、美海は酷く脱力して崩れかけた。それが崩れ落ちないように、俺が後ろから抱きしめて支える。

 俺が思うより美海の心は脆く、酷く傷ついていた。・・・今回に関しては、美海も被害者だ。俺が厳しい言葉を並べたばかりに、この結果を招いたのだから。

 

 だから、俺なりの責任を取る。それは生涯を賭けた宣言だ。

 

「・・・なあ、美海。結婚しようか」

 

「え?」

 

「だから、結婚。もちろんいますぐじゃないけど、美海が高校を卒業し次第、すぐ。・・・俺は美海とこれからを歩いていくために、契りを結びたいんだ。好きだから。お前とじゃないと、嫌だから」

 

 美海の口から零れた言葉は、もちろん拒絶のものだった。

 

「ダメだよ・・・。私たちに、そんな資格なんてあるの?」

 

「誰に遠慮してるんだ?」

 

「それは・・・」

 

「それにこれは、千夏との約束でもある」

 

 そう言って俺は千夏の日記を取り出した。もちろん、それを美海に手渡すことも、見せることもしない。閲覧権限があるのは本人と俺だけだから。

 

「千夏の日記の昨日のページに書いてあったよ。千夏は今日、俺たちに『おめでとう』って言ってくれるはずだったんだ。自分のこと見つめ直して、これから歩き出そうとしていたんだ。・・・だから、千夏の思いに答えるのに、理由なんていらない」

 

「たとえそうだとしても、みんながなんて言うか分からないよ・・・?」

 

「うるせえ! 関係ないんだよそんなこと!」

 

「!!」

 

 声を荒げて俺は美海をきつく抱きしめる。

 

「俺は俺の人生を生きてる。そして美海も美海の人生を生きてる。誰かに遠慮する必要なんてないんだよ! 約束しただろ、お前を一番に考えるって。だから孤立しようが、苛まれようが構わない。お前がこれを罪だっていうなら、一緒に乗り越えてやる。だから・・・俺と生きてくれよ!」

 

「・・・!」

 

 美海は俺の腕を振りほどいて、それから向き直った。真っ赤に目を腫らして、首をぶんぶんと振りながら叫ぶ。

 

「バカ! バカバカバカ!」

 

「なんとでも言え」

 

「私に・・・なんてもの背負わせようとしてるの!?」

 

「好きになるってことは、そういう事だろ。俺は覚悟して、この話をお前にしたんだよ。・・・それでも、美海が嫌って言うなら、そん時はまた考える」

 

「嫌なんかじゃ・・・ない・・・!」

 

 千夏への申し訳なさに囚われた美海だったが、自分の気持ちにまでは嘘をつけなかったみたいだ。その弱さこそが、美海の強さだ。俺なら意地でも貫き通してしまうからな。

 

 美海しばらく迷い、黙り込んだ後、空を見上げて呟いた。

 

「・・・ねえ遥、三つ約束をして」

 

「ああ。来い」

 

「一つ目。・・・千夏ちゃんをこんな目に合わせたんだから、ちゃんと二人で責任を取る。謝れって言われたら謝ること」

 

「ああ。休みにはちゃんと会いに来る。出来る限りのことは全部やるよ」

 

「二つ目。これからも私を守って。私はずっと遥の一番なんだから」

 

「もちろん。一緒に罪を償うって言ってるんだ。俺がお前の傘になってやれなくてどうするんだよ」

 

「最後・・・、三つ目。私と一緒に、幸せになって」

 

 その最後の言葉が、俺の提案への答え。

 こんなに最悪なスタートでのプロポーズを、美海は承諾してくれた。だから俺も意気揚々と答える。

 

「ああ、一緒に行こう」

 

 導いてやるなんて言わない。導いてくれとも言わない。

 俺は美海と、二人で、同じ歩幅で歩いていく。俺たちだけの世界を、どんどん広げていく。いつかそこに、千夏が帰る場所が出来るように。

 

 俺は、千夏が元気で戻ってくれることを信じている。そこに命があるんだ。絶対に、失われたりするもんか。

 

 そしていつか、この罪に濡れた幸福をよどみない輝きに変えることが出来たら。

 

 その時俺たちは、紛れもない「幸せ」を掴んでいるはずだ。

 

 

 始まりは、いつもどん底から。絶望の淵で、遠くの光を見上げている。

 けれど、その光が届かないものだと嘆くことはもうしない。誰かに届いたらと諦めることもしない。

 

 掴みとるために、歩いていく。その道中で何度も突き落とされようと、隣歩くその存在一つで、俺は何度でも立ち上がれる。

 好きになるというのは、そういうことだ。失うことも、奪われることも抱えてそれでも歩いていくこと。

 

 

 

 それを乗り越えた時、世界にはきっと、祝福が訪れる・・・。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 書いていて思うんですけど、αとβで遥の性格だいぶ違ってくるんですよね。その原因はおそらく、相手依存のレベルと置かれている境遇の厳しさのレベルにあると思います。ことβ√においては、水瀬家という居場所を断ち切った以上、遥はもっと強くなる必要がありました。そのため、自分を愛するよう意識していたわけです。だからこうして、いざ壁に直面しても立ち向かう勇気を得たわけですね。おそらく甘えた空間にいることを望んだα√の遥では、この壁には立ち向かえないのかも・・・です。
 afterを除き、次回最終話。

といったところで、今回はこの辺で、
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第百九十二話β 凪を抜け出して

~遥side~

 

 そして冬を越えて、春を迎えて、美海の門出と同時に、俺たちは結婚した。

 といっても、式は本当に小さなものだった。

 

 友達の一人も誘うことなく、家族だけでの小さな結婚式。もちろん困惑もあったが、二人はそれを快く承諾してくれた。

 そして晴れて結ばれた俺たちは、それぞれのやるべきことに勤しんだ。嘆いていても毎日は過ぎていく。仕事だって減りはしない。

 

 だから、精一杯足掻いて、現実に立ち向かう。最初の方は所々で聞こえていた噂話も今では聞こえなくなった。

 そして、結婚から一年が過ぎた。それでも、千夏の時間はまだ止まったまま。

 

 約束こそすれど、何度か迷う事はあった。千夏に合わせて、俺たちも時を止めた方がいいのではないかと、そう美海から提案された。誓っても傷跡は消えない。疼けば自然と言葉になる。そういうことだ。

 

 それでも、歯を食いしばって、俺たちは俺たちの幸せを謳歌した。頭の片隅に千夏を思いながら、という消えない罰を抱えて。

 

 そして、事故から二年たった夏がやってくる。

 

---

 

「で、樹。話って?」

 

「ああ、はい。来年から街への大学に進学しようって思ってるって話をしようと思って。俺も心理学の勉強したいなって思って」

 

「ほー、そりゃ誰かさんのおかげだ」

 

「ホント、誰かさんのおかげです。・・・ありがとうございました。ここまで連れてきてくれて」

 

「バカ言え、ここまで歩いてきたのはお前自身の力だよ。俺はせいぜいきっかけを与えただけ」

 

 二年間面倒を見てきた樹も、ずいぶんと逞しくなった。献身的に向き合ったのもあって、樹は自分の感情を殺さずにここまで育つことが出来たようだ。ちゃんと自分の中で答えを道しるべを見つけて、頑張って生きようとしている。

 カウンセラーとして、これ以上誇らしいことはない。

 

「けどな、樹。一つだけ言っておくことがある」

 

「なんです?」

 

「そこはスタートラインだからな。俺たちは今、スタートラインから逆戻りしてたのがスタートラインに戻っただけだ。だから、幸せになるのはこれから。ちゃんと道筋立てて、叶えたいことを叶えろよ。お前の味方になら、いつでもなってやるからな」

 

「はい!」

 

 どこまでも威勢の良い返事。そんな樹なら、この先どこで立ち止まっても必ず前に進んでいけるだろう。

 しゃんとした背中で歩いていく樹を見送ったタイミングで、時計が12時を知らせる。休憩時間だ。

 

「・・・さて、と」

 

 休憩時間となれば、決まって向かうところがある。俺はエレベーターに乗り、屋上に一番近い個室の病室を訪れた。

 そこには今も変わらず千夏が眠っている。随分とやせ細り、体は機械に繋がれていながらも、ちゃんと、生きている。

 

 ひょっとしたら目覚めてくれないかと願いながら、今日もドアを開けてみる。すると、思いがけない人物が立っていた。

 

「あなたは・・・」

 

「お久しぶりです」

 

 そこにいたのは、事故を起こしたドライバー本人だった。名前は確か、松原聡と言ったような・・・。

 

「松原さん、でしたよね」

 

「覚えていてくれたんですね、島波先生」

 

「よしてください。ここにいる間は、俺はただの島波遥です」

 

「そうですね、失礼しました。島波さん」

 

 松原はそう言ってふっと笑う。その澄んだ笑みが、どうも俺には不思議に思えた。

 この人もまた、自分の行いを咎に思っていたはずだ。それを乗り越えたとでもいうのだろうか。・・・俺よりも深い罪の意識があったはずなのに、どうやって?

 

 その答えは、俺が尋ねるよりも早く訪れた。

 

「千夏ちゃんの両親は、本当にいい人ですね」

 

「・・・へ?」

 

「あの日から、ずっと謝りに出向いていたんです。最初の方はお母さんの方から拒絶されて門前払いを喰らっていましたが、半年して、ようやく通してもらえて」

 

「そんなことが・・・」

 

 分かっちゃいたが、夏帆さんは大分憔悴していた。俺もつい半年前、久しく会話が出来たくらいだ。・・・それほどまでに、あの人の抱えた傷は大きかった。

 そんな人に、千夏をこんな目に合わせた張本人が会いに行こうとしていたのだ。拒絶されて当然だっただろう。

 

「許してくれてからは、本当によくしてもらいました。・・・保さん、ですか。お父さんは、何度も僕に慰めの言葉をくれましたよ。あの事故は誰も悪くないんだって。・・・本当は、憎くてしょうがない相手のはずなのに」

 

「それが、あの人の優しさですから」

 

「知ってるんですか?」

 

「事情があって、俺も昔あの人たちのお世話になっていましたから」

 

 詳しい背景こそ語らないが、その思いに共感は出来ると俺は苦笑した。

 ただ、それより、聞いておきたいことがある。

 

「どうして、今になって?」

 

「一番最初会いに行ったときにですね、門前払いでしたけど言われたんです。千夏ちゃんに近づかないでくれって。・・・それで、千夏ちゃんに逢いに来る許可をもらえたのが、昨日だったんです」

 

「だから、今日」

 

「はい。真っ先に飛んできました。だってそれは、僕が一番会って謝るべき相手だったんですから」

 

 そしてまた澄んだ笑みを浮かべる。あの日は気が動転していて気が付かなったが、この人はどうやらどこまでも筋の通った、真っすぐとした人間みたいだ。

 そんな松原だったが、少し唇を噛みしめる。さっきまで浮かべていた笑みはどこかに消えて、悔しそうに震えている。

 

「・・・どうやったら、千夏ちゃんに償えますかね」

 

「どうって言われても・・・」

 

「二人には許してもらえましたけど、千夏ちゃんに許してもらうことは、また別ですから」

 

 そう簡単に行くものではないと思い、この人はきっと悩んでいるのだろう。千夏に何を言われるのか、多分予想も出来ていないはずだ。

 

「金って言われたらいくらでも払います。死ねと言われたら死にますよ。・・・だけど、自分じゃそれが本当に償うことだと思えなくて」

 

 この人は、贖罪の仕方を知らなかった。罪の意識だけ抱えて、どうにか償わなければと思っていながらも、その先の自分の行動を見据えることが出来ていなかった。

 そんなかつての俺に、今の俺が贈れる言葉は・・・。

 

「忘れてやらないでいてください」

 

「・・・え?」

 

「あなたの世界から千夏を消してやらないでください。そして、千夏の世界にいてやってください。多分俺もあなたも、千夏が目覚めても罪は消えないんです。だから、一生向き合っていくために、千夏のこと、ずっと忘れてやらないでください」

 

「つまり、一生をかけて償うと?」

 

 単刀直入な聞き返しに、俺はしっかりと頷いた。

 

「そうです。俺も一生をかけますよ。・・・けど、それは自分が幸せになることと引き換えじゃない。幸せの片隅で罪を償う。本人がそれを望んでいるなら、それでいいんです」

 

「・・・なら、千夏ちゃんが起きるのを待たないとですね」

 

 どこまでも儚げに微笑んで、松原は手に抱えていた花束を千夏の眠るベットの脇に沿えた。

 

 

「また明日も来ます」

 

「毎日来る気ですよね?」

 

「ええ。仕事で都合がつかない日以外は、絶対に」

 

 その芯の通った行動に、俺はただ脱帽する。言い方は悪いが、千夏を轢いてしまった人間がこの人で良かったと心から思う。

 松原の姿が見えなくなるまで、俺は手を振った。

 ドアが閉まって五秒後ほどだろうか。遠くから足音が近づいてきた。節操なくドアが開く。息を切らした美海がやってきた。

 

「ごめん、遅れちゃった」

 

「いいよ、時間はまだある。・・・そうだ、さっき松原さん来てたぞ」

 

「千夏ちゃんを轢いた人、だったよね?」

 

「ああ。千夏の両親に許しをもらって、今日から面会が許されたらしい。・・・すげー人だよ。自分がやらなきゃいけないこと、あの人は最初から分かってたんだ」

 

 ふさぎ込むことも、逃げ出すこともせず、ただ淡々と自分の罪に向き合っていた。その過程で、どう贖罪を行えば良いか分からないと嘆いていたが、自分に出来る誠意を全て尽くしている上なら、それを咎められることはないだろう。

 

「・・・やっぱり誰も、悪くないんだね」

 

「ああ。正確には、各々に罪があって、それを相殺してる形だな。だから自分は関係ないだなんて無責任なことは言わないし、俺はちゃんと向き合ってくよ」

 

 そうしてお互いの罪を相殺しあって、残った片手にある幸せを握りしめる。それが最適解だと信じて疑わないし、実際そうだとこの二年間ずっと思っていた。

 美海もそう信じているようで、眠ったままの千夏の髪を撫でた。

 

「・・・今日は、気持ちよさそう」

 

「昨日はそうでもなかったのか?」

 

「ちょっと呼吸が短かったというか・・・、うん。よくなかったのかもね。だからやっぱり不安にもなるし、早く起きて欲しいなって思うよ。だって、まだまだこれから、一緒の時間を過ごしたいから」

 

 そう言って美海は少しだけ口元を緩めた。それから白くか細い手を握って、目を瞑る。何かを念じるように、願うように。

 

 もう何十回、何百回と行われた行為。

 けれどそれは、決して形だけのものではなかった。俺たちはいつ何時も、千夏が目を覚ますことを信じて疑わなかった。

 

 

 そして、祈りは届く。幾百回の試みを経て、愛はもう一度結ばれ合う。

 

 

 千夏は・・・ゆっくりと目を開いた。

 

「・・・・・・あ」

 

「千夏、ちゃん・・・!?」

 

 美海はその場で小刻みに震える。その瞳にあるものは・・・もはや語るまでもない。

 だけど、俺には涙を流すよりも先に、やるべきことがある。

  

 あの日伝えたかった言葉を、交わしたかった約束を叶えるために。

 千夏から受け取りたかった言葉を受け取るために。

 

 俺は、閉ざされた世界が開けたことを千夏に伝えよう。

 

「・・・おはよう、千夏」

 

「・・・うん、おはよう。遥くん、美海ちゃん」

 

 それから目線を少しだけ下に動かし、並ぶ俺たちの手元を見つめた。それから鈍い速度で色白の腕を動かし、俺と美海の薬指を撫でて、目を細めた。

 

 そして一番欲しかった言葉が、千夏の口から零れる。

 

 

 

「結婚、おめでと」

 

 

 

 その一言を鍵に、今日も俺たちの世界は動いていく。新しいスタートラインに立って、新しい未来を目指していく。

 例え元に戻らない時間だとしても、俺たちは今日も歩き続けていける。

 

 

 突き落とされた底からでも、道にはぐれて立ち止まっても、俺たちはいつだって、愛を疑うことはない。

 

 

 俺たちは凪を抜けて、幸福の海を進んでいく。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 失うものを嘆かず、拒まず、残ったものを抱えて前を向く。この√もとい、この作品のコンセプトはただそれだけを思っていました。「喪失」は自然の摂理、故意の者ではない限り、そこに罪はない。分かってはいても、誰かが不幸になったことを自分のせいだと思ってしまうことは人間あると思いますし、作者である私がそうです。
 後は、自分の人生は自分のもの、ということですかね。我儘になることで誰かが不利益を被る、というのはもはや人間にとって仕方のないことです。だからといって、それを嫌がり、自分を抑える人生に、何の意味があるのでしょうか。自己犠牲の精神はそりゃ素晴らしいですけど、それを自分の幸福にするには、諦めないといけないものが多すぎるので。
 
 本当に人間って中途半端な生き物なんですね。だからこそ美しいですし、それに対する答えを見つけることが素敵なんだと思います。

 次回、最終回。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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after episode 旅立ちに花を、未来に愛を

最終回です。


~遥side~

 

 足元に転がる真っ赤に染まった紅葉を踏みしめて、俺は空を見上げる。今日はどうも木枯らしがよく吹き抜けるみたいだ。

 

 千夏が目を覚まして四カ月が経った。季節は冬に足を踏み入れ、もうじき白い日々が訪れようとしている。そんな初冬の休みの日、俺は美海と共に千夏のもとを訪れた。

 もちろん、あれだけ酷い事故を経験して千夏の身体が無事なはずもなく、千夏はまだ病院でリハビリ生活を余儀なくされていた。

 

 それでも順調に回復はしているようで、今年いっぱいでの退院は全然視野にあるみたいだ。後遺症も生活に支障が出るレベルではないらしい。・・・本当に、良かった。

 

 職員として通いなれた通路を客人として歩く。道中で、見慣れた人とすれ違った。言葉を交わすことなく、ただ手を振って俺は松原と別れる。毎日来ているみたいだが、会うのは一週間ぶりくらいだ。

 

 そして病室へ行くと、千夏は手元に広げられている机で淡々と折り紙を折っていた。

 

「よっ、遊びに来たぞ」

 

「いらっしゃい。見て見て、奴さん」

 

「通なもの作るよね、千夏ちゃんって・・・」

 

 千夏は元気そうに完成した作品を俺たちに見せてきた。ただ、本当に見てもらいたいものがそれではないことくらい分かる。

 

「手、だいぶ器用に動くようになったんだな」

 

「そうそう。だいぶ前みたいに動かせるようになったの」

 

 それから事故当時は変な方向に曲がっていた腕を前に伸ばして、指を起用に折り曲げては戻し手を繰り返した。目覚めて一か月は動く気配すらなかったのだから、大きな進歩だ。本当に退院が近いのだろうと思わされる。

 

「足の方も、順調そう?」

 

「杖を使わなくても歩けるようになったから、あともう少しかな。流石に海に行くのはまだ時間かかっちゃうけど」

 

「それよりまず、高校の卒業からだな」

 

「ああ、言ってなかったっけ? なんか向こうが融通利かせてくれて、今年中には卒業できそうなんだよね。休学扱いにしてくれて」

 

 一度経験済みなのもあって、千夏は止まった時間をすんなりと受け入れていた。それよりも自分の夢が勝るのだろう。真に大事にしたいことさえ気づいていれば、後はどうでもいいってことだろう。

 

「卒業したらどうするの?」

 

「んー、仕事はそりゃ海の学校のほうでしたいし、話はついてるけど・・・」

 

「けど?」

 

「ちょっと人生の休み時間が欲しいんだよね。一年、いや半年? 何もしないで仕事以外の自分のやりたいことを探して、新しい世界を見つけたいの」

 

 窓の外の南へ羽ばたく鳥を見つめて、千夏は遠くをしのびながら呟く。ずっと張りつめた人生を送っていたんだ。そういう時間があってもいいだろう。

 なら、俺たちが出来る事は・・・。

 

「俺たちも出来るだけ手伝うよ」

 

「・・・」

 

 しかし、俺の提案に対して千夏は穏やかに首を横に振った。千夏には千夏なりの思いがあったようで、目を伏せながらそれを語りだした。

 

「言ったでしょ? 新しい世界を見つけたいって。そこには、これまで同じ世界にいてくれた二人がいちゃダメなの。二人に依存しない、私だけの世界を見つけたいの。もちろん、嫌いになったわけじゃないの。分かってくれる?」

 

 どこまでも澄んだその瞳は、どこかで見たことがあるような気がした。

 そして、全てを納得する。今の千夏には、松原が大きく影響を与えているのだろうと。・・・そりゃそうだ。空いてる時間はリハビリにも付き合ってるみたいだしな。

 それが恋かどうかは分からない。けれど、千夏は確かにあの人との世界を作ろうとしている。

 

 俺が尋ねるまでもなく、千夏はそれを口にした。

 

「・・・松原さんがね、言ってくれたの。退院して、学校も卒業したら、一緒に旅に出てみないかって。贖罪じゃなく、一人の女性として、もっと関わらせてくれって」

 

「告白?」

 

「になるのかな。正直そこはどうでもいいんだ。けど、私もそう、あの人のこと、もっと知りたいと思う。というかお父さんもお父さんだよ。あの人のことすごい気に入っちゃって」

 

 そうして、千夏の口から俺と美海の知らない物語が淡々と紡がれる。

 

 だから、もう大丈夫だと思った。千夏にしても、保さん、夏帆さんにしても、そこに俺がこれ以上踏み込む必要はもうないと思えた。

 俺はようやく、あの人たちの子供のはずだったという呪縛から解き放たれる。きっとこれからは、ほどよく「他人」になれるだろう。

 

 もちろん、身を引くことはしない。俺は今自分のいる立ち位置から千夏の物語を応援しよう。そして、望まれたら駆け付ける。きっと、友愛の距離はこれでいい。

 

 だから、俺たちは俺たちの幸せの道を行く。

 それを伝えるために、俺は今日美海と一緒にこの場所に来たんだ。

 

 一度美海に目配せをする。そのことを千夏に伝えるのは打ち合わせ済み。頷いた美海に微笑んで、俺は一つ深呼吸をしてはなった。

 

「なあ、千夏、お前に一つ報告しておかないといけないことがある」

 

「うん?」

 

「赤ちゃんがね、出来たの。そろそろ二か月になる」

 

 なんだかんだ、俺たちは千夏が目覚めるまで上手く時計を進めることが出来ていなかったのかもしれない。だから千夏が目覚めて時計が動いてようやく、俺たちは俺たちの幸せに挑むことが出来た。

 

 まあ、過ぎた日々を後悔しても意味はない。だから今は、一歩前に進んだというその事実だけを千夏に伝えた。

 千夏は手を合わせて喜んでくれた。どこまでも嬉しそうな顔で、自分ごとのように喜んでくれた。

 

「ねっ、お腹、触ってもいい?」

 

「うん」

 

 美海の相槌から間もなく、千夏はおぼつかない左腕を動かして優しく美海のお腹の方に触れた。まだ目に見えての変化はあまりないが、それでも千夏は何かを分かったように頷いた。

 

 目を伏せて、頷く。

 

 そして美海のお腹から腕を離して、美海に向き合った。どこまでも母親のような表情を浮かべて、微笑む。

 

「元気で過ごせるおまじない、送っておいたからね」

 

「うん。・・・ありがとう、千夏ちゃん」

 

 そこに涙はなかった。嬉し涙といえども、それぞれの旅立ちを告げた門出の今日にはいらないものだ。

 俺たちはこれから、はっきりと別々の道を歩くことになる。それが、俺が生まれてから何度も挫折し、たどり着いた未来の答え。そして、スタートライン。

 

 もちろん、不安だってある。けれどそれ以上に、今を大切にしたいという想いが溢れている。不安さえ押しのけるほどのそれを、俺は心から信じている。

 

 愛することは、信じる事。

 信じる事を疑わない今の俺なら、美海なら、きっと望む未来を選んでいけるだろう。そしてまた、千夏も同じように。

 

 そしていつかまた、三人で集まるその日が来たら、同じ世界で笑い合おう。いい旅路だったと交わしながら。

 

 今日は祝福の日。幸せへの旅路の、新たな門出。

 やがて来る春が、今はただ待ち遠しい。

 

 それから俺は美海の手を引いた。ほかに言い残したことはないかと確認する。

 今の千夏の瞳に移る俺たちは本当に微かな存在だ。友達であっても、時が経てばだんだんと思い出になっていくだけだろう。

 

 だから、これまでの俺たちでいれるのは今日が最後だと思った。明日からだんだんと、俺たちはより「他人」になっていく。

 

 美海は満足そうな表情で首を横に振った。もう何も言うことはないと。「他人」であっても、これで最後ではないだろうと。

 その通りだ、と頷いて、俺は千夏に別れを告げる。

 

「それじゃ、今日はこの辺で帰るな。また仕事の合間とかで顔出すよ」

 

「ほどほどにね」

 

「じゃあ、またね」

 

 手を振りながら、俺たちは千夏の居場所から遠ざかる。玄関に出るころには、吹き荒れていた木枯らしもずいぶんと大人しくなっていた。

 

 二人で、色あせた紅葉を踏みしめる。

 

「・・・ねえ、遥」

 

「なんだ?」

 

「負けちゃダメだからね?」

 

 何に、とは聞かずとも分かることだ。

 いつか来るかもしれないもっと大きな壁に負けない。これから幸せになろうとする千夏に負けない。そして、昨日までの俺たちに負けない。

 

「ああ、負けないよ」

 

「うん」

 

 この言葉に嘘はないことを証明するために、俺は今日を生きていく。どこまでも自信に満ち溢れた俺の言葉に、美海は飾らない笑顔を浮かべた。

 

「行こう、美海」

 

 そんな美海の手を取って、俺たちは前へ前へと進んでいく。

 

 今日は明日より、明日は今日より強く、そして幸せになる。

 ・・・俺は、信じている。その隣には、いつまでも同じ痛みと幸せを分かち合える美海がいてくれることを。

 

 

 

 俺は信じている。

 この世界に溢れる好きの気持ちに間違いなどないことを。

 

 

 

 

 

 そうして幸せを紡いでいける明日を、俺はずっと、信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 というわけで、本話を持ちまして、『凪のあすから~heart is like a sea~』の方を完結とさせていただきます。思い出話多分めちゃくちゃ長くなりますが、どうぞ最後までお付き合いください。
 
 もともとこの作品を始めたきっかけは、前作のリベンジというところが最初でした。前作『凪のあすから~心は海のように~』は自分の中でも何度も読み返すくらい思い入れがありましたが、長いこと小説を書くにつれて、当時の語彙力の至らなさや展開の描写不足に苛立ちを覚えるようになってきたんですよね。張った伏線すら回収してないこととか多かったですし。かといって、修正すればどうにかなるようなものでもない・・・。そこで思い立ったのが、一からの書き直しでした。

 見返してみると、二年間ってのは大きな違いがあって、当時とは全然文体も言葉回しも変わっていました。正直、これに関しては当時実力不足だったんだろうなという想いしかありません。だからこそ、リメイクという方法で着手したのはよかったと思います。相変わらずモチベーションでクオリティの差はありましたが。
 とはいえ、作品のほとんどは前回の焼き直しだったので、文章を丁寧にして、描写をきめ細やかにする、以外のことは特にありませんでした。空白の五年編などオリジナル要素は増やしましたが、序~中盤に関しては本当にただの焼き直しでしたね。だからこそ終盤のオリジナルパートは、自分の持てる全てを出せたような気がします。本当に展開には悩みました。そのために7~8カ月にわたる放置もありましたし、正直もうほったらかしでもいいかなとか思ったりはしていました。

 が、いざ書いてみるとやっぱり面白い。もうどうせ原本ないんだし、自分色の小説にしようと思って書いたのがあれです。なんかもうすごいキメラ。当時のあとがきで何度も触れましたが、執筆期間中に触れた「WHITE ALBUM2」から受けた影響は本当にすごかったです。前作では拒否して逃げた「三角関係」を割と切実な描写で書けるようになったのは、本当にこの作品のお陰だと思っています。・・・まあ、浮気だけは絶対に嫌だったので触れませんでしたが。

 そんなこんなでリメイクを行いましたが、最初はこの作品が終了し次第前作は削除しようと思っていました。そのためのリメイクだと思っていましたし、実質上位互換だと思っていたので、自分が読む分にはこちらを優先すると思うので。ただ、展開が違うとなると話は別、あの作品は過去の自分として残そうと思っています。興味が湧いたら読んでみてくださいね。

 さて、ここまで思い出話を長々と続けてきましたが、この作品で私が結局何を言いたかったのか、というところについて語らせてください。
 この作品で私が言いたかったのは、ざっくり言うと人間賛歌です。絶望に瀕して、全てを諦めようとしても諦めきれない醜さと、立ち上がることの美しさ、まずこれが念頭に来ています。その上で、他者の幸福のために自分の幸福を諦める意味はないという事、人間は、自分の欲望に正直になっていいということです。過度な自己犠牲の否定、というのもだいぶ主題として取り上げました。
 もちろん、それ以外にもありますよ? 家族の美しさ、だとか、「罪」の定義、だとか。けど細かいところまで上げたらきりがないのでテーマに関しては大雑把な紹介だけにしておきます。あとは原作との関連部分で言いますと「好きの気持ちは間違いじゃない」というメッセージは強く意識しました。

 お気づきかもしれませんが(あとがきでも書いていたので)、島波遥という人物には、ずいぶんと自己投影を行っていました。過度な自己犠牲にしても、後ろ向きな見方も、他者に迷惑をかけることを罪と捉えるのも、全部作者である私の癖なように思っています。自己投影をしているわけだから当然愛着も湧きますが、手放しで喜べるような幸せは与えたくなかったですし、そういう展開にしました。それは多分作者である私が、苦難と向き合う人生にこそ美があると思っているからなんでしょうね。

 さて、終わりになりましたが、初めはほんの思い付きだったリメイクがここまで続くとは本当に思っていませんでした。そうなるだけの転機はおそらく、あの放置期間ですかね。前作と似たような展開にするのか、それとも展開を新しくして完全に別物にするか、その選択の末にここに辿り着いたように思います。もちろん、満足の行く話が書けましたし、あの時しっかり悩んでよかったと思います。

 全208話、総文字数約68万、長丁場の小説にここまで付き合っていただき本当にありがとうございました。
 次ハーメルンで小説を書くのがいつになるのか分かりませんが、その時はまた是非読んでいただけたらと思います。もしかしたらそれが、この作品のスピンオフかもしれません。ただ、今はしばらくの間休憩に入ろうかなと思います。

ではまたいつか、このサイトのどこかで会いましょう。


また会おうね(定期)



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外伝 あなたのための物語
プロローグ


※注意

本外伝はβ√の外伝となります。そのため、本ストーリーは本編β√読了後を推奨しています。読まれていない方はぜひ本編の方もお願いします。


~千夏side~

 

 目覚めてすぐ、ここが病院だと分かった。

 そして、遥くんと美海ちゃんの薬指の輝きを見て、過ぎ去った時間を理解した。

 

 頭が痛い・・・。けどこれは、ずっと感じていた気持ち悪さじゃなくて、単に寝すぎただけだと思う。それくらいには・・・今の私の心は晴れ晴れとしていた。

 どちらかと言えば空虚に近いそれだけど、少なくとも目の前の二人の幸せを願う気持ちに嘘はなかった。今はただ、それだけでよかった。

 

「それで・・・私は、どれくらい寝てたの?」

 

「二年・・・だな」

 

「そっか。・・・轢かれ、たんだよね。私。頭の中に光景が残ってるし」

 

「・・・ああ」

 

 どこか辛そうな遥くんの表情。止まった時間が動き出す、その瞬間の痛みというものは私にも理解できる。なら、わざわざ今全てを進めようとしなくてもいいだろう。

 時間はたくさんある。私は起きた。ちゃんと全部のことを思い出している。・・・そりゃ、二年間のズレがあるだろうけど、五年間の眠りに比べればどうってことはない。

 

 今度こそ遥くんを傷つけないために、私は私なりの提案をしてみる。

 

「ね・・・、今日はもう解散にしない? もちろん、二人がまだいたいって言うなら付き合うけど」

 

 あくまでそれは提案であって、二人に強制するようなものではない。独りよがりの善はもう嫌だ。だからちゃんと、繋がった全ての解が欲しい。

 私の提案に、遥くんは首肯した。

 

「・・・そうだな。寝起きで詰めかけるのも負担になるだろうし」

 

「それに、時間ならこれからもいっぱいあるから。・・・そうでしょ? 千夏ちゃん」

 

「うん。・・・だから、二人が会いに来たいときに会いに来て。私はそれを待ってるから」

 

 私の中に残っている遥くんとの最後の記憶は、拒絶の瞬間だ。少なくとも、もう一度友達に戻れたかどうかなんて私には知る由もない。

 だから、私はただ、二人を信じて、願って、待つだけ。来てくれたらそりゃ嬉しいけど、来なくたって構わない。

 

 ・・・あー、ごちゃごちゃ考えるとやっぱり頭痛いや。

 

「じゃあ、またね」

 

「ああ。また来るからな」

 

 手を振って、帰っていく二人を見送る。一人きりになって、改めて私は重たい体を動かして部屋を見回した。

 一通りの服と生活用品、これは多分お母さんが持ってきてくれたんだろう。

 

 ・・・ん?

 

 ふと、私は窓際の花に目がいった。

 誰かが飾ってくれたなんてのは容易に考えられるけど、それにしては数が多すぎる。・・・なんで、花瓶が三本も?

 

 けれど、考えるのもこれが限界。二年の眠りから覚めた体にはとっくに限界が来ていたようで、私は目を閉じた。

 今は何も考えないで、ただ穏やかな眠りにつく・・・。

 

 

---

 

 

 ・・・ん。

 

 眠りから覚めて、重たい目を開く。あれからまた一晩眠っていたのか、昨日見た光よりも若く、青い太陽の光が差し込んできた。多分今は朝なのだろう。

 

「・・・起きたんですね」

 

 ふと、知らない声が聞こえた。だんだんと開けてきた視界に映ったそれは、少なくともこの病院の先生ではなかった。

 上半身を起こそうとするが、思ったように動かない。いや、上半身はまだマシだけど・・・下半身が異様に重たい。まるで自分の身体に異物がくっついているような。

 

「ああ、手伝いますね。ちょっと待ってください」

 

 男性はそう言うと、私のベッドの近くのボタンを押した。するとベッドの上の部分がだんだんと上昇していく。そして私は座る体制に近い状態で、ようやくその人を見ることが出来た。

 

 本当に、知らない人だった。

 ・・・けど、なんとなく、分かる気がする。

 

「・・・あなたは、私を轢いた人、ですよね?」

 

「・・・はい」

 

 急にそう尋ねられた男性は驚いたような表情を一瞬だけ浮かべて、それから非常に覚悟の決まった顔をして頷いた。

 それから改めて、男性は自己紹介をする。

 

「松原聡って言います。・・・二年前の事故で、私はあなたを轢きました。・・・本当に、なんて言えばいいか。この通り、お詫びします」

 

「え、ちょ、ちょっと、やめてください」

 

 言葉の流れで松原さんが地面に膝をつこうとしていたのを、私は必死に止める。・・・あの日のこと、はっきり覚えているわけじゃないけど、少なくとも事故の原因が私にあることも覚えている。

 意識を失いかけて、身体がふらついて車道にはみ出たのは、完全に私のせい。それに目の前のこの人が愉快犯なんかには見えない。だったらちゃんと話を聞いて、そして許したいと思った。

 

 いつまでも消えない罪に囚われて生きるというのは辛い。それを知っている私にしか出来ないことって、あるはずなんだ。

 

「あの日の事故のこと、少しだけ覚えているんです。・・・気を失いかけて車道にはみ出たことと、すごいブレーキ音が聞こえたこと。・・・少なくとも松原さんは、精一杯のことをしようとしてたんですよね?」

 

「はい」

 

「だったら、私はあなたのことを許します。自分だけが悪い、なんて言わないでください。・・・それより」

 

 私は視線を窓際にやって、花瓶に震える指先を伸ばす。

 

「あの花瓶、一つはあなたのものですよね?」

 

「えっ? どうしてそれを?」

 

「やっぱり、そうだったんですか」

 

 今、頭の片隅のほうにあった予感は確信に変わる。

 この人は、どこまでも誠実な人だ。・・・私を轢いたことを、ちゃんと真正面から受け止めて、そして向き合っているんだ。

 

 だから、知りたいと思う。何があってあの事故が生まれたのか、あの日から何があったのか。それを、私の知る人の口からじゃなく、この人の口から聞きたい。

 そんな願いは私が口にするより先に、松原さんから放たれた。

 

「あの・・・、千夏さん」

 

「はい?」

 

「もしよかったら・・・聞いてもらえませんか? 事故の前、何があったか。事故から今日までの日に、何があったのか」

 

 それを望んでいた私は頷いて松原さんの目を見つめる。

 松原さんはそれを受けながら、一つ深呼吸をして最初の一ページを捲った。

 

 

「あの日、僕は確かに失意の底にいました」




『今日の座談会コーナー』

 まさかあれだけの長文あとがき書いた後でこの作品の続編が出ると思いました? 私は思いませんでした。なんて冗談はさておき、外伝開始です。
 プロローグを読んで貰えれば分かると思いますが、これはβ√のanother、そしてafterですね。松原聡という男と、水瀬千夏という女の後日談になります。聡明な読者様ならお分かりだと思いますが、この外伝を書こうと思ったきっかけは十中八九、聡にあります。たった数話しか出ないモブにするのは惜しいと思いましたし、β√にもそれ相応の救済が必要だと思ったので。

というわけで外伝ですが、そんなに長くするつもりはないです。気楽に読んでいただけたらと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第一話 止まらない時

~聡side~

 

 この街に来たのは、ちょうど半年前のことだった。

 なんてことない、海村が近いのどかな街。少なくとも、僕が住んでいた以前の街なんかよりは静かだし、そして住みやすそうだと思った。

 

 ただ、そんなことを考える余裕はその時の僕にはなかった。

 

 当時の僕は、逃げるように前の街を出た。理由はなんてことない。結婚を控えていた彼女の浮気が原因だ。

 これからもっと幸せになれると思って浮足立っていた矢先に訪れる絶望。それでも、なんとかつなぎとめようと思った僕は、彼女に聞いた。何がダメだったのか、やり直せないのかと。

 

 彼女からの回答は、こうだった。

 

「あなたは優しすぎるだけで・・・つまらないのよ。せめて私は、もっとあなたの我儘が見たかった」

 

 それは、修復不可能のサインでもあった。

 慰謝料だとか、裁判だとか、そんなものはもうどうでもよくて、最低限の荷物と金だけ抱えて、僕はあの街を抜け出した。両親には悪いと思うけど、こんな醜態を晒して今更どんな顔をすればいいのか分からなくなった。

 

 そして、流れ着いたのがこの街だった。

 とはいえ、遊びに来たわけじゃない。生きていくためには食い扶持も必要だと仕事を探して回って、最終的にたどり着いたのはこの街近辺の運送会社だった。

 

 よそ者の僕を、何の偏見もなく受け入れてくれたのは、この場所が最初だった。それが嬉しくて、僕はここに尽くそうと腹を決めた。

 

 そして、この街での最初の夏が来た。

 

---

 

 日差しの照る朝八時頃、少し早く着いた僕は会社の門周辺を掃除していた。

 挨拶は好きだ。交わすことで、誰かと繋がっている気分を味わえる。・・・といっても、この会社の従業員、ざっと五人くらいしかいないけど・・・。

 

 そして一番最初に入ってきたのは社長だった。

 

「おはようございます、社長」

 

「ああ、おはよう松原君。・・・暑いのに精が出るねぇ」

 

「いえ、好きでやってることなので」

 

 それに潮風もあるから、この街の夏の方がよっぽど涼しい。遠くに見える海も、また綺麗だ。

 サッサと箒で掃き続けていると、社長は思い出したように声を挙げた。

 

「あ、そうだ松原君。君宛に手紙が来ているんだが」

 

「僕宛に、ですか・・・。それ、ひょっとして美浜って名前の差出人じゃないですか?」

 

「・・・すごいな、正解だが」

 

 一番聞きたくなかった名前を聞いてしまい、少し唇を噛みしめ、表情を歪ませてしまう。忘れるためにここに来たのに、一体どこでこの場所を嗅ぎつけたのだろうか。・・・ひょっとして、僕の両親かもしれないな、全く。

 

「で、この美浜って言う奴は誰なんだ?」

 

「・・・婚約直前に浮気で別れた相手ですよ」

 

「そうか。・・・なんか、悪いことを聞いたな」

 

「いえ、終わったことなんで」

 

 ただ、この手紙の中身はひょっとしたら美浜が復縁を迫る内容なのかもしれない。ああいう奴だ。浮気相手と上手くいってる保証はない。・・・万が一、普通に上手くいっていて、結婚式の招待なんてことをやられたら、ホントに大したもんだけど。

 

 期待しないまま、僕は手紙を受け取る。別に欲しくもないし、今すぐ破り捨てたいところだけど、せっかく社長が預かってくれていた手前、無下にすることはしたくなかった。

 

「それよりどうだ、ちょうど今日で半年くらいだったか、松原君がここにきて」

 

「本当にいいところですよ。さっきの件もありますけど、ちょっと都会の喧騒に疲れていたところなんで。・・・なんかこう、肌に合うって言うか、ずっと昔からここにいたような気分になれるって言うか」

 

「そうか。この会社はどうだ? 君の期待に沿えているか?」

 

「沿えるもなにも! ・・・本当に感謝してるんです。流浪ものの僕を拾ってくれて。もうちょっと拒絶されると思っていましたから」

 

 この街ではないけど、この近くにあった海村が街を閉ざしていたことは何度もニュースで見ていた。だからもっと排他的で封鎖的な街でもおかしくないと腹は括っていた。

 ただ、この街は僕の想像するより遥かにいいところだった。

 

 まだ、海の人とは出会ったことがないけれど、おそらくきっとこの街の人と何も変わることはないだろう。自分を中心として、周りの環境は変わっていくのなら、鷲大師の様子から、海村の事情を把握できる。

 

「それより、そろそろ時間だ。掃除を切り上げて中に入らないか?」

 

 社長が腕時計を一瞥し、俺にそう告げる。正直物足りないけれど、こんなことはいつでもできることだ。ただ・・・。

 

「あれ、他の社員は今日は来ないんですか?」

 

「磯村は今日休み、室戸が外回りですでに現地に行っていて・・・、伊勢は遅刻だな、こりゃ」

 

「またですか、あの人・・・」

 

 僕の四つ上の先輩にあたる伊勢さんだが、どうしてもこういうところがあるみたいだ。親身になって話は聞いてくれるし、人当たりもよいけれど、いかんせん就業態度に難ありで、社長も困っているらしい。

 

「その気になれば一番仕事が出来るから雇ってはいるんだけどな・・・。まあいい、今日は件数そこまで立て込んでいないからな。最悪最初二人でも回る」

 

「分かりました。それじゃ行きましょう」

 

 社長に促されて、会社の屋内へ入る。自分のデスクについて、卓上のカレンダーを捲った。今日は8月2日だ。

 朝礼という朝礼は特になく、社長は淡々と今日の業務を言い渡す。それを確認して、僕はトラックの準備に取り掛かろうとする。

 その時、ついさっき手渡された手紙のことを思いだした。・・・今見るべきじゃないような気はするけれど、その中に何が書いてあるのか、ただそれだけが気になって仕方がなかった。

 

 今更どうするつもりもないけれど・・・、そう思って封を切る。

 

 中身は・・・まあ、予想通りだった。

 

 浮気をして手に入れた彼氏と別れたこと、それ以降人が寄り憑かないこと、ただそんなことが延々と書かれていた。そして最後には、復縁したいという希望を綴っている。

 ・・・今更帰ったって、また同じようになるだけだ。僕が美浜の傍にいる必要はない。そっちの方が多分互いの為だろう。

 

 手紙をロッカーに仕舞って、今度こそ僕は車庫の方へと向かった。

 

 

---

 

 整備を終え、荷物の確認を終えるころ、遠くから人影が近づいてきた。伊勢さんがやっと職場にやって来たみたいだ。

 

「うぃーす、おはよ」

 

「おはようございます。・・・また寝坊ですか」

 

「またってなんだよ、今月はまだ一回目だぞ」

 

「今日がまだ今月始まって二日目なんですけどね」

 

 8月2日で一回遅刻なら、同ペースだと15回は遅刻することになる。この人なら本気でやりかねないのがまた頭が痛くなる話だ。

 

「で、どうしたんだ? 浮かない顔して」

 

「えっ?」

 

 急に振られたその話に思わず硬直する。意識はしていなかったけど、そんな表情を浮かべていたという事だろうか。それとも、この人の観察眼が優れているだけなのだろうか。

 

「・・・ちょっと、旧縁から嫌な手紙がありまして」

 

「女か」

 

「女です」

 

 伊勢さんは神妙な顔つきでうんうんと頷いた。自分の経験からか、はたまた人からの伝聞での知識か、僕の話に理解を示した。

 

「ちゃんと分かれたはずなのに、意外としがみついてくるんだよな。何回そんな目にあったことか」

 

「さすが自称プレイボーイ」

 

「自称じゃねえよ、周りが勝手にそう言ってんだ。大体、自分からプレイボーイって名乗るのはダサすぎるだろ」

 

「そうですね」

 

 などと雑談をしていると、まだ屋内にいる社長と目が合った。それは伊勢さんも感じ取っていたようで、「やべっ」と小さく呟いて、駆け足で建物に向かっていった。

 

「早く行かないと社長にどやされるし、俺は行くわ」

 

「分かりました。・・・といっても、どやされるのは確定ですけど」

 

「それでも、ここで道草喰って罪の上塗りをすることだけはしないようにするよ」

 

 手をひらひらと振りながら遠ざかる伊勢さんの背中を見送って、僕はトラックに乗り込む。エンジンをかけ、車外カメラの電源を入れ、シートベルトを締める。

 ここから先、私情は無し。今はただ目の前の仕事に集中する。

 

 前を見て、アクセルを踏む。スピードを出しすぎてしまうと後々怒られることは分かっているから、極力暴走しないようにメーターも確認する。この街は歩道がないところもぼちぼちあるから、気をつけないと・・・。

 

 と、いちいち神経質になりながら僕は目的地を目指して走る。会社から離れると、海を左手に移す緩やかな下り坂がやって来た。近くの歩道には少女が歩いている。

 

 ・・・え?

 

 ふと、視界がおかしくなったかと思った。世界がスローモーションになったような気がした。

 けれど、間違いない。少女は歩道を越えて、車道へ倒れこんできた。意識を失っているのか、持ち直す様子もない。

 

「まずいっ・・・!!」

 

 精一杯の力でブレーキを踏み、サイドブレーキを引く。空いた手で車を右によけようとハンドルを回す。

 

 それでも、遅くなっていたのは僕の体感の世界だけ。世界の時計の巡りはいつも通りで・・・。

 

 

 トラックは無慈悲に少女にぶつかった。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 松原聡という人間は、島波遥とは似て非なる存在なんですよね。別に幼少期に親を失っているわけではないので、性格の尖りの部分は小さいですが、根本的な自己犠牲の部分だとか、根は誠実な部分だとか。だから、お互いの小さな差異をこの外伝では楽しんでほしいです。・・・いや、なんで外伝書き始めたんでしょうね。どんだけこの作品が好きなのか・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第二話 砕かれた世界

~聡side~

 

 身体から血の気が引いていく。目の前の光景を疑いたかったが、トラックのフロントの方で何かがぶつかる音が聞こえたのは確かだ。

 瞬間、目の前が真っ白になる。これから自分に待ち受けるであろう絶望の数々の片鱗が見えてきて、体は鉛を詰め込まれたように重たくなる。

 

 ・・・けど、そうじゃない。

 

 起こってしまったことを変える力など存在しない。なら僕は、目の前の少女に向き合わないといけない。こんなところで自分の保身に逃げるような・・・弱い男にはなりたくない。

 

 例えそれが、我儘さを捨てる行為だとしても。

 かつて美浜に指摘された、僕の悪い部分だったとしても。

 

 それでも僕は、誰かを思い生きていきたい。これまでのように、これからも。

 

 トラックを完全停止させ、車から降りて少女を探す。

 しかし、ぶつかったはずの位置に少女はいなかった。血眼で周囲を見回すと、坂を少し上った先、林への入り口の近くに少女はいた。

 救急車手配の連絡を颯爽に終わらせ、僕はまた遠くに離れた少女に声をかける。

 

「あの! 聞こえますか!!」

 

「・・・」

 

 返事はない。ただ何かぶつぶつ唱えながら少女は体を引きずっていた。

 異質な光景だった。・・・少なくとも、そんなことが出来るような状態じゃないはずだ。腕は変な方向に曲がってて、頭の方から血も流れてるのに。

 

 それでも少女は何かに囚われているかのように、ふらふらと彷徨い歩いている。その姿は亡霊のように見えた。

 

 ただ、それもすぐ終わった。近くの木にもたれかかって、そのまま目を閉じ、そこで少女は行動を停止した。僕は改めて少女のもとに駆け寄る。

 その時、同じように向こうから駆け寄る音が二つあった。血相を変えているその表情から、少女と縁のある人とみて間違いないようだった。

 

 青年の方はしばらく千夏と呼ばれる少女を揺さぶったあと、僕の方に鋭い視線を向けてきた。僕がこの子を轢いた犯人だと分かっているのだろう。されるがままに、僕は胸倉を掴み上げられた。

 

「お前が!! お前が千夏を!!!」

 

「・・・ええ、僕です」

 

 逃げも隠れもしない。僕は目の前の青年の怒りを全て受け入れる。それが起こってしまったことの責任の取り方だ。

 

「お前の不注意でこうなったのか! ええ!?」

 

 受け入れるつもりだったさなか、青年は僕が否定したい事実を口にした。自分の保身など興味はないが、会社のイメージのこともある。僕はつい声を大きくしてそれに応えてしまった。

 

「それだけは言い訳させてください! 僕は精一杯止まったんです! でも、その子が車道に倒れこんできて・・・。車内カメラを後で確認してくれれば分かると思うんです!」

 

 ここまで言って、発言の見苦しさに気が付いた。トーンダウンして、最後まで言葉を紡ぐ。

 

「・・・もちろん、僕に非があることは分かっています。だから、現場から逃げ出したその子を追ってここまで来ました。・・・どんな罰だって、受けますよ」

 

 僕の発言に思うところがあったのか、青年は両手を離して、バツが悪そうに謝った。

 

「・・・すみませんでした。急に掴みかかって」

 

「いえ、いいんです。・・・それより、あなたはこの子の」

 

「友達です。・・・もう、何年も前から」

 

 それはある種予想通りのセリフで、だからこそ、一番聞きたくなかった。

 僕はこの人たちの、大事な存在を傷つけてしまったんだ。考えただけで、立てなくなりそうなくらい頭が痛い。

 

「・・・本当に申し訳ないことを」

 

「もう謝らないでください。・・・それより、やるべきことがあるでしょう」

 

 分かっている。・・・ただ、今出来ることは全てやっているつもりだ。

 

「救急ならもう呼びましたし、じきに到着するはずです。だから、今できるのは・・・」

 

 そうして少女の方を一瞥する。そこでは、もう一人駆け付けていた別の少女が必死に救急活動を行っていた。おそらくこの子もまた、千夏ちゃんの親友なのだろう。

 だから僕は、ただ黙ってそれを見つめ、救急車が来るのを待った。しばらくして、サイレンが近づいてくる。

 

 青年は少女の背中をさすりながら、僕の方を向いて言った。

 

「救急車には、俺たちが乗ります。・・・構いませんよね?」

 

「はい。後を追って、すぐにでも病院に向かうつもりです」

 

 そう交わした後、有言通り二人は救急車に乗って病院へと向かった。一人トラックと共に残された僕は、そこでようやく一息を吐く。その瞬間、膝から崩れ落ちた。

 アドレナリンが出ていたせいでなんとか保っていたけれど、本当はこんな平然としていられる余裕なんてなかった。

 

 僕は、僕の手で人を傷つけてしまった。それが故意でなかったとしても、起こってしまった事実は変わらない。どこまでも残酷だ。

 

「ああ・・・僕は、なんてことを・・・」

 

 涙など流す余力もなかった。というより、僕なんかが涙を流してはいけない。そうする資格などない。

 ただ天を仰いで、口をパクパクと動かすことしか出来ない。

 

「・・・そうだ」

 

 事故を起こしてしまったことを、会社に連絡する必要がある。そう思った僕は、手元の携帯電話で会社に連絡を入れた。

 

「・・・もしもし」

 

「ああ松原。どうした? 何かトラブルか?」

 

「それが・・・」

 

 正しく伝えなければいけないことなのに、どうしても言いよどんでしまう。自分が人を撥ねてしまったことを認めたくないわけではない。それだというのに、どこかに抵抗があるみたいだった。

 それをどうにか噛み殺し、僕は全てを覚悟の上で社長に伝えた。

 

「事故を起こしてしまいました。・・・それも、人身です」

 

「人身だと・・・!? 状況は? 相手は?」

 

「海沿いの通りで、道路に倒れこんできた少女を。・・・詳しくは、全部車内カメラに収まっているので、確認していただければと思います。避ける努力は最大限に行ったのですが・・・本当に、申し訳ございません」

 

「お前の方は、怪我とかないんだな?」

 

「はい」

 

 そう返事をすると、一つため息のような、そうでないような息が聞こえた。それから社長は落ち着いた声音で僕に語った。

 

「分かった。とりあえず、取引先への連絡は俺がやっておく。車内にまだ荷物を載せていないのが救いだったな」

 

「はい」

 

「とにかくお前は息を整えて、ちゃんと警察に連絡しておけ。車の方は伊勢と俺の方でどうにかしておく」

 

「分かりました。・・・後のことはお願いします」

 

「ああ。・・・何、心配するな。お前の不注意じゃないって言うなら、俺がちゃんと責任を取ってやる。・・・だからお前は、お前にしか出来ない使命を果たせ」

 

 僕にしか出来ない使命。・・・それは、罪を償いきることだろう。それは他の誰かに請け負ってもらうことは出来ない。

 ・・・警察に連絡したら、まずは千夏ちゃんのご両親の所に行かないといけないな。

 

 重荷のような責任が付きまとう。それは簡単に引きはがすことが出来ない、まるでゲームの呪いの装備のような。・・・だけど、これはゲームなんかではない。

 

 嘆くな。前を向け。

 

 心を殴りつけて、目線は前に。全てを悟れば、後はやるべきことが見えてくる。

 

 ・・・ただ、一つ言えることがあるとすれば。

 

 

 僕の世界はこの日、確実に壊れ砕かれた。




『今日の座談会コーナー』

 この作品を書く大きなメリットとしては、β√でダイジェストになった細かい流れが補填できるというところにありますね。あとはまあ・・・千夏の救済、と言ったところでしょうか。β√にのみ救済を入れるとはどういうことだ、という事にもなりますが、α√に関しては、美海が自分自身で幸せになるための答えを見つけているのでもう手を加える必要がないんですよね。ただ、この√に関しては手負いの千夏と少し距離を置いた世界で生きていくことを二人が選んでいるので、救いがあった方がいいのかなと思った次第です。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第三話 為すべきこと、為したいと思ったこと

~聡side~

 

 事故を起こした、というのもあり、僕は一度警察署へと向かった。そこで改めて車内カメラの映像を確認することとなる。

 そこで出た結果は、白。だからと言って喜べるものではなかったが、警察側から不注意ではないというお墨付きをもらえただけありがたかった。

 

 それでようやく、僕はこの事故のことを「仕方がなかった」と割り切れる。

 

 もちろん、だからといって我関せず、なんてことだけは絶対にしない。どれだけ不幸な事故であろうと、僕は誰かを傷つけた事実には変わりないのだから。

 

 事故を起こして二日後、拘束が解ける。

 夜の七時ごろ一度家に帰った僕はすぐさま家を飛び出した。向かうべき場所があった。

 ただ、それは病院ではない。聞いたところによると、千夏ちゃんは昏睡状態に陥り、いつ目を覚ますか分からない状態らしい。・・・死んでいないことには安堵出来たが、それまで。眠ったまま、なんて言うのは死んでいるのと変わらないものだ。

 

 僕は、そんな目に合わせたことを謝らないといけない人たちがいる。

 今日、僕は、罪を裁かれに行く。

 

 教えてもらった住所を頼りに、千夏ちゃんの両親の家へと向かう。家には明かりがついていて、そこで人影が二つ揺れている。けれど、分かってしまう。遠くから見えるその人影はとても寂しそうなものだった。

 

 自分の罪に押しつぶされそうになる。僕は一度息を絞り出して、家のインターホンを鳴らした。

 

 扉は開かない。けれど、付属のマイクから声が聞こえた。

 

 

「・・・誰ですか?」

 

 ひどくやつれた女性の声。お母さんの方だろう。

 僕は一度唾を飲み込んで、自分の名前を明らかにする。

 

「松原聡と言います」

 

「・・・あなたが」

 

 母親なのだろうその人は、僕の名前を知っていた。当然だ。事故を起こした相手の名前を知らない被害者家族なんていないだろう。

 通話越しに無言が広がる。開けてください、と言うことも出来ず、かといって顔を見ずに謝罪をするということも出来ず、僕はしばらくその場に立ち尽くした。

 

 その沈黙を切り裂いたのは、向こうからだった。

 

「・・・帰ってください」

 

「え?」

 

「今はあなたの話を聞きたくありません。・・・たとえ、どんな事情があっても」

 

「けれど、それじゃあ・・・」

 

「謝られても、あの子は目を覚まさないのよ!!」

 

 悲痛な叫びが通話越しに聞こえる。そこでようやく僕は自分の配慮の至らなさに後悔した。

 ・・・当然だ。娘がひどい目にあって、冷静でいられる親なんていない。・・・それなのに、どうして僕は自分の謝罪を押し付けようとしていたんだ。

 

「返して・・・。ねえ、返してよ!!!」

 

 涙の混ざった怒声。その一言一言が、胸に突き刺さる。その言霊の一つ一つが、僕の罪の重たさを思い知らしてくる。例えそれが、故意でなかったとしても。

 ・・・軽率だった。この人たちに謝罪して、僕はこの先どうすればいいか全く考えていなかったんだ。そんな生半可な謝罪を、誰が許してくれようか。

 

「これ以上・・・私たちから・・・幸せを奪わないで・・・」

 

 その一言で、僕も限界に達した。

 やりきれない思いで天を仰ぐ。吐く息が震えて、声も出ない。

 

 全部覚悟していたつもりだった。それでも、人の思いというのは、抱えきるにはあまりに重たすぎる。

 またしばらく沈黙が続いた。だんだんとすすり泣く声が遠くなっていったかと思うと、今度は男性の声が聞こえた。

 

「・・・松原君、だったか。悪いがもう帰ってくれないか? 今、謝罪なんて欲しくない。それよりも関わらないでいてくれた方が幾分かマシだ」

 

「・・・わかり、ました」

 

「あと、一つだけ約束してくれ。・・・金輪際、千夏には近づかないでくれ」

 

 被害者との直接の面会の禁止。言い渡されると思っていなかったそれには驚かざるを得なかった。

 とはいえ、冷静に考えてみれば当然の事だろう。万が一ばったりこの人たちと会ってしまったらどうすればいい? 答えが出ないという事が答えだ。

 

 だから僕は、なすすべなくそれを了承した。

 

「・・・はい。この度は本当に、申し訳ございません」

 

「ああ」

 

 そこで通話は途切れる。家の奥の方で、少しだけ開いていたカーテンが完全に閉じられたのもすぐ後の事だった。

 僕はふと、この家の中の景色を想像してしまった。しかもそれは、事故が起きる前の光景だ。

 

 両親と、娘と、わだかまりのない家族だったのだろう。だからこそ二人は今、心の底から娘の不幸を悲しんでいる。

 僕は、当たり前だった大切を奪ってしまった。それはこんなにも大きな傷を周りの人にも与えている。・・・きっとあの時駆け付けた二人の友達も、心底僕のことを恨んでいるのだろう。

 

 そう思うと、心は急に鉛を背負ったように重たくなった。深く、海の底へ沈んでいくような感覚。

 せめて泣かないようにと、僕は歯を食いしばった。加害者である僕に涙を流す資格はない。自分の罪を悔いて涙を流すのは、ただの自己満足でしかないから。

 

 だんだんと凍結していく心を抱えて、僕は踵を返した。「帰ってくれ」と言われて、いつまでもこの場所に留まるわけにはいかない。

 

 

 少しずつ、自分と世界が壊れていくような、そんな感覚が体を支配していく。

 

---

 

 

「・・・か」

 

「・・・」

 

「おい、聞いてんのか?」

 

 少し声色の低い伊勢さんの声で僕は現実に引き戻される。この人がこんな声音で何かを話すのは初めてで、だからこそ僕も少し驚いた。

 事故を起こして一か月。罪に問われることがなかった僕は仕事に復帰していた。とはいえど、故意ではないとはいえ事故を起こした僕が車を扱うことは許されず、当分は社内の事務に回されることになった。

 

 けれど効率なんて見ての通りで、使い物になるかならないかを彷徨っていた。それに呆れた伊勢さんが大きなため息を吐く。

 

「いくら事故を起こしたといっても、引きずられちゃこっちもたまんねえよ」

 

「すみません」

 

「謝んなっての。・・・ったく、いつまでそうするつもりなんだよ」

 

「伊勢。・・・そこまでにしとけ」

 

 遠くの方から社長の声が聞こえる。伊勢さんは少しだけ目を細めて僕に残りの言葉を吐き捨てた。

 

「誰も幸せになんねえからな、それ」

 

 それだけ言い残して伊勢さんは車庫の方へと向かっていく。二人きりになった事務所の中で、社長はちょいちょいと僕を手招きした。こっちへ来いとのことだろう。

 何を言われるのだろうと怯える僕に、社長は想像より柔らかい声で話し始めた。

 

「あいつも、悪気はないんだ。分かってやってくれ」

 

「分かってますよ。・・・悪いのは、僕なんですから」

 

「なら、悪いと思いながらお前はああいう態度を取ってるのか? それだとますます伊勢も怒るぞ?」

 

「・・・」

 

 返す言葉もない。僕はどうやら、自分が悪いからという言葉を口にしすぎていた。

 そうする理由は分かっている。・・・僕は、罰せられたかったのだ。

 

 誰かに「お前は罰を受けるべきだ」と言われたかったのだ。警察に、千夏ちゃんの両親に、あるいはこの会社の誰かに。そうすれば、自分が悪いことを誰かが認めてくれる。誰かが定義した「罪」を背負うことが出来る。

 

 けれど、誰にも罰せられない今の状況は地獄そのものだ。「罪」を自分で定義しなければならない。償う方法もどうにか自分で探らなければいけない。誰かが定義した罪なら、「金」だの「命」だので償えるが、自分でその答えを出すことが正しい事なのか分からない。

 

 僕は・・・どうすればいいんだ。

 

 あの日から止まってしまったままの時計を眺める。

 

「そう言えば言ってたな。謝罪の面会、断られたって」

 

「はい。・・・そもそも、僕の方も迂闊でした」

 

「心から謝罪する気がないのに向かったのか?」

 

「そうじゃないです。・・・けど、謝罪を受け入れてもらったとして、その後で自分がどうするべきかなんて、全然考えてなかったんです。・・・謝って償えるはずなんてないのに、償えるのだと思い込んでいたんでしょうね。・・・最低です」

 

 あの日のみっともない自分は思い出したくもない。人生で一番愚かだった日だ。

 社長はうーんと悩んでくれた。そして一つ、大事なことを言葉にする。

 

「で、お前は今どうしたいんだ?」

 

「え?」

 

「謝罪が断られた。警察からも特におとがめなし。うちの制裁も少々の減給くらいなもんだ。その状況で、自分がどうすればいいか悩んでいるから、ああいう風になっているのだろう?」

 

 社長の読みは的確そのもので、僕は力なく頷いた。

 

「その通りです」

 

「だったら早い話だ。お前がどうしたいか、ただそれだけに従えばいい。別に何かに制約されているわけじゃないんだ。自分は悪くなかったとふんぞり返ってもいい。償う方法を模索し続けて足掻くのもいい。・・・本当に自分がやりたいことは、なんだ?」

 

「僕が、やりたいことは・・・」

 

 勘違いしていた。

 僕はずっと、「しなければならない」という感情に支配され続けていた。謝罪も、毎日の生活も、そんな強迫観念によって突き動かされていた。

 そんな僕の「やりたいこと」は・・・。

 

 ・・・ふんぞり返って逃げ出す?

 そんなこと、僕は許したくない。例えそうする資格があったとしても、僕は僕の意志でそれを否定する。

 

 だとしたら・・・。

 

「まあ、時間はいくらでもやるからしっかり考えろ。他の社員への配慮は俺がしておくから、今はたっぷり時間を使って悩め」

 

 社長はそう言って、僕に自分の席に戻るよう促した。それに従って、僕は自分にあてがわれたデスクへ戻る。

 

 

 

 

 僕が今、僕の意志で為したいこと。それは・・・。




『今日の座談会コーナー』

 本編の倍雰囲気が鬱屈としていて息苦しいですね・・・。けど実際どうなんでしょう。事故を起こしてしまった人間は、それが故意でなかったとしても絶対に心に傷を負ってしまいますから。・・・というより、故意じゃないからこそ傷を負いますね。こういう展開は私の好きなノベルゲーム「Aster」に近いところを感じますが、直接の加害者という視点はあの作品にはなかったはず・・・。
 憔悴しきった夏帆さん書くのマジで辛いですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第四話 償いの旅、その一歩

~聡side~

 

 自分のやりたいこと、という言葉が頭から離れないまま、僕は自室のベッドに横たわり天井を見上げた。

 これまでずっと、「自分のすべきこと」としてしか物事を考えていなかった。それは別にこの事故の一件だけではない。美浜といた時も、常に自分より美浜のことばかりを思って行動していた。

 

 だからこそ、愛想をつかされたのだろう。僕が、自分の我儘の一つも言わなかったばかりに。

 

「・・・だからといって、どうしろって言うんだよ」

 

 そんなすぐに見つかる物でもないだろう。生き方というものを根底から覆すのはなかなかに難しいものだ。そんな中で、僕は何をしたいというのだろう。

 ひとつだけ分かっていることがあるとすれば、目の前の全てから逃げ出すことだけは「したくない」という事だ。

 

 誰からも咎められない現状だ。無関心を貫いたところで、責任が追及されるわけでもないだろう。

 それでも、僕はそうしない。そうしたくない。

 

 ・・・あ。

 

 発想の転換、と言えばいいのだろうか。自分がやりたくないことを追求すればするほど、自分がやりたいことが浮かび上がってきた。

 逃げ出すのが嫌なら、向き合えばいい。当たり前の結論に、一周回ってようやくたどり着いた。

 

 けれど、この「向き合う」というものがどれだけ大変で残酷なものかを、ついこの間教えられた。僕はあの二人から拒絶されている。向き合おうにも簡単には許してくれないだろう。

 

 それでも、それが本当に「やりたいこと」なら、僕のほうも簡単に投げ出さないはずだ。逆境を恐れて逃げ出すようなことをしないはずだ。

 だから、僕は一歩目を踏み出す。そのためにやることは・・・決まっている。

 

---

 

 

 それから、僕は週に一度、必ず千夏ちゃんの両親の元を訪れるようになった。

 そこでインターホンを鳴らしては、声を聞いてほしいと願う。

 

 最初数回は帰れと言われ続けたが、やがてインターホンが僕のものだと分かってきたのか、受話器すら取られないようになった。家の明かりは付いているのに人が近づく気配がない。僕と千夏ちゃんの両親との距離は、最初よりもどんどん離れていった。

 

 けれど、構うものか。

 

 僕はちゃんと、僕の思いを二人に伝えたい。心の底から謝罪させてほしい。そして、償わせてほしい。例えそれが自己満足だったとしても、それが僕の「やりたいこと」なのだから。

 

 

 そして今日もまた、インターホンを鳴らす。

 

「すみません! 松原です!」

 

 呼びかけの声に対して返事はない。けれど一つ、足音が近づいてくるような気配が訪れる。

 それから、鍵が解除される音。

 

 事故から半年が経った、ちょうど30回目の訪問の日。

 土砂降りの中、家の扉が開いた。

 

「・・・懲りない奴だな、君も」

 

「すみません。・・・それでも僕は、ちゃんとお二人とちゃんと話がしたいんです。業務的な文章のやりとりではなく、目を見て、声を聞いて」

 

「そうか。・・・上がってくれ。今日は夏帆がいないからな、君の話を少しは聞いてやれる」

 

 千夏ちゃんのお父さんであろうその人は表情を変えることなく、一人先に家へと戻っていった。ついて来いということなのだろう。僕は少し舞い上がり気味の心を押さえつけて、案内されるがままに水瀬家へと入った。

 

 案内されたリビングでは、千夏ちゃんのお父さんが一人椅子に腰かけていた。

 

「座ってくれ、松原君」

 

「ありがとうございます。・・・その」

 

「保だ。水瀬保」

 

「失礼します、保さん」

 

 僕のその呼び方に何かを思ってか、保さんは少しだけ表情を歪めた。まるで、心苦しい何かを思い出すかのような、そんな表情だ。

 けれど、そんな話をするために僕はここに来たんじゃない。それを思い出して、しゃんと保さんの方を向く。

 

「で、君は結局何がしたいんだ? この件に関しては双方の合意で処理が進められているはずだが?」

 

「あんなもので満足できるはずがないじゃないですか。・・・どのような形であれ、お二人の大切なものに傷をつけてしまったんですよ。そのことをちゃんと言葉にして謝罪出来ないと、僕は死んでも死にきれません」

 

「なら謝罪を俺たちが受け入れたら、君は引いてくれるのか?」

 

 それは違う。

 謝るだけならただの子供でも出来ることだ。そうじゃなくて、僕はその先の「贖い」まで行いたい。それが誰かのためであって、自分のためでもある。

 

「いいえ。・・・謝るだけ謝る、なんてのは子供でも出来ます。その上で僕は、社会人として、一人の人間として、償わせて欲しいんです。お二人に、そして千夏ちゃん自身に」

 

「俺たちがそれを望まないと言ってもか?」

 

「一度決めた覚悟は、そうやすやすと折りたくはないんです」

 

 それがどこまでも自己満足に基づくものだったとしても、二人が望んでいないものだとしても、僕は僕のまま、この償いを完遂したい。

 

 その思いが届いたのか、保さんは大きなため息を一つ吐いた。

 

「・・・頑固者なんだな、君は」

 

「ええ。・・・いっぱい悩みました。いっぱい考えて、何をすることが一番正しいのか考えました。けれど僕は当事者として、この一件から絶対に逃げないと決めたんです」

 

「そうか。・・・君みたいな子は人生で二人目だな」

 

 苦笑いを浮かべながら、保さんは天を仰いだ。

 しばらくそのままでいたかと思うと、また最初と同じような表情を浮かべて、僕に難題を突き付けてきた。

 

「なら聞こう。松原君、君はどうやって償うと言うんだ?」

 

「どうやって、ですか・・・」

 

「別に俺たちは金が欲しいわけじゃない。君に命を断ってほしいわけでもない。別に何かを欲しているわけじゃないんだ。その中で、君はどうやって償いを行う? 俺たちが望んでいない方法を除いて、だ」

 

 盲点と言えば盲点であったし、予想できていたといえばそうでもある。

 最初の悩みに帰ってくるのだ。謝罪をして、自分がどうしたいのかという。

 

 償いというのはあくまで抽象的な表現。どのように行動するかという具体的な案がないと、保さんは満足してくれないだろう。

 けれど僕はまだ、その答えを持ち合わせていなかった。

 

 それでも、覚悟だけは決まっている。

 

「二人の、そして千夏ちゃんの傷を埋めることが、僕は最大の償いだと思っています。・・・それがどのような方法で達成されるかは、まだ分かりません・・・。けど」

 

「もういい。・・・本当にそっくりだな、遥くんと」

 

 もう一度ため息。それは果たして落胆なのか、それとも呆れなのか分からないが、保さんは続きの言葉を放った。

 

「今度の土曜、朝の七時に港に来てくれ。そこでもう一度ゆっくり話がしたい」

 

「いいんですか?」

 

「ああ。ただ、事故の話は無しだ。俺はちゃんと、君の育ちと成りを知りたい。君を信じる信じないは、そこでまた決めさせてくれ」

 

 それは、もう一度チャンスをくれるという提案だった。

 しかもそれはたった一度ではない。場合に寄っては、今後への足掛かりにもなる。

 

「ありがとうございます」

 

 心の底から感謝の言葉が溢れ、自然と頭が下がる。

 この人の懐の深さは、ひょっとしたら僕の想像以上なのかもしれない。そのやさしさに、少しだけ甘えさせてもらうとしよう。

 

「ああ、そうだ。一つ条件がある。こうして会っていることは、夏帆にはくれぐれも内密にな。あと、千夏への接見を許したつもりはない。そこだけは留意していてくれ」

 

「分かりました。ご配慮感謝します」

 

 もう一度深々と頭を下げて、僕は踵を返した。

 なんてことない、小さな一歩。だけど確かに僕は、僕のやりたい「償い」のための一歩をちゃんと踏み出すことが出来た。

 

 

 ・・・踏み出すことが出来たんだ。ならばあとは、ゆっくりとその足を進めていこう。




『今日の座談会コーナー』

 どうしても松原聡という人物と本作主人公の島波遥の面影が被りますが、個人的には聡の方が人間は出来上がっているように思うんですよね。罪を目の前にしてどのような行動をとるのか、というところで、至る結論が同じだとしても聡の方が余計な手数を踏むことなく先に辿り着けると思います。まあ、それに関しては遥がひねくれてしまう原因が原因だったので仕方がない事なのかもしれないですが。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第五話 日差しの暇にて

~聡side~

 

 週末、約束通り僕は朝の七時に港へと向かった。夏ではあるが、真正面から浴びる潮風のお陰もあってか、そこまで暑さを感じない。

 海の方まで寄って、僕は当たりを見回す。するとそこにポツンと一人、帽子をかぶって釣り糸を垂らしている人がいた。体格から見て、保さんと見て街がないだろう。

 

 歩み寄って、声を掛ける。

 

「おはようございます」

 

「ああ、来たか。・・・どうだ? 釣りでもしてみるか?」

 

 前回会った時とは大きく違うその態度に、僕は少々呆気に取られた。しかしそれが「前回のことは忘れろ」というサインということに気づくのに、そう時間はかからない。

 

「釣りですか・・・。僕、竿なんか持ってきてないですよ?」

 

「俺の左にもう一本スペアがある。そいつを使うといい。釣りは経験したことあるか?」

 

「何度か。子供の頃、何度か父親に連れて行ってもらったので」

 

「そうか」

 

 それは特に当たり障りのない会話。思ったよりも言葉は自然と出てくるものらしい。

 保さんの隣に座り込み、竿をセッティングして少し遠くへ投げ飛ばす。

 

「いい腕だ」

 

「プロにそう言ってもらえて光栄です」

 

 この人はこの漁協の重役と聞く。とすれば漁業の腕も確かなのだろう。

 しかし、そうではなかった。保さんは、ははは、と苦笑いを浮かべて答える。

 

「プロ、か。・・・そうだったら、どれだけよかったか」

 

「どういうことですか?」

 

「俺が漁協で働いているのは、君も知っているよな?」

 

 最初の書類での連絡交換で、この人と千夏ちゃんのお母さんの職場は分かっている。その情報を思い出して、僕は頷いた。

 

「本来、漁協はほとんど船持ってるやつばかりだ。・・・が、俺にはない」

 

「それは・・・、どうしてなんですか?」

 

「捨てたんだよ、昔にな」

 

 揺らめく海面をただじっと眺めながら、保さんは呟く。

 それからこっちを向いた時、僕の表情がおかしかったのか取り繕うように続けた。

 

「ああ、もちろん捨てたって言ってもそのままの意味じゃない。漁業をしたがってる若いのに譲渡したんだ」

 

「なるほど。・・・でも、どうしてそんなことに?」

 

 しばらく保さんは黙り込む。けれど僕を信用したのか、重々しく口を開いた。

 

「俺の昔話、聞いてくれるか?」

 

「え? ・・・はい。聞かせてください」

 

「そうか。・・・まあ、大した話じゃない。昔船を持っていたころの話なんだがな」

 

 そこで一度言葉が止まって、保さんは衝撃の過去を口にした。

 

「俺は一度、人を死なせてしまったことがある」

 

「死なせたって・・・この海で、ですか?」

 

「ああ。この海でだ」

 

 そうだな・・・、と呟いて、保さんはまだ日が昇り始めてすぐの空を見上げる。今日は雲一つない青が空を覆っていた。

 

「俺がまだ高校を卒業してすぐくらいのことだな。特にやることもなかった俺は、親父の船の手伝いをしてたんだ。どうせ継ぐことになるものだと思っていたしな。・・・けど、心からそうしたいわけじゃなかった」

 

「惰性だったと?」

 

「そうなるな。・・・で、そんなある日だ。その日はなかなか海が荒れててな、正直俺は漁を行いたくなかったが、どうしても譲れないと親父に連れていかれて船に乗ることになったんだよ。・・・ここまで言えば、想像は付くだろう?」

 

「その日、お父さんは亡くなられたと・・・」

 

 保さんは目を伏せ頷いた。もう遠く昔の話のことだろう。それでも心に残る傷というものは深いもので、その表情には残念がる感情がにじみ出ていた。

 

「俺の不注意だった。やる気がなかったからなんだろうな、周辺の監視が甘かった中で、後ろから大きな波を喰らったんだ。身を乗り出して魚と格闘していた親父は、煽られた拍子にそのまま海に落ちた。・・・帰ってきたときには、腕が一本しかなかったよ。スクリューに巻き込まれたんだろうな」

 

 それは・・・とても容易に想像したくない光景だった。

 この人に取っては思い出話。だけど僕はそれを痛いほど共感してしまう。まるで自分のことのように思って、だからこそ、痛かった。

 

 そんな風に心を痛める僕と裏腹に、保さんは自分の竿を一度引き上げ、微調整を行いながら話し続けた。

 

「自棄を起こした。自分の不注意で人を死なせたんだ。もうろくな人生を送る資格はないと思ってた。さっき言ったように船も安く売っぱらって、しばらく何もしなかった。・・・けど、人生って変わってしまうもんでな。俺は出会ってしまったんだよ」

 

 奥さんの事だろう。あの人は海村の出身だと聞いた。

 

「奥さんと出会ったんですよね。・・・でも、そこからどうやって今みたいになったんですか?」

 

「どうやって、か。思えば勝手にスイッチが入って、がむしゃらに動いてただけなんだよな。あの頃の俺は」

 

「がむしゃらに、ですか」

 

「ああ。・・・最初は夏帆からの猛アタックだったんだが、次第に俺もそれに応えたいと思っていたんだ。けれど、あの日発症した海上恐怖症を俺は治せなくてな。代わりに、漁協で出来る事をなんでもやったんだ。だから、今の俺になった」

 

 思い出し、懐かしみながら、保さんはただ語る。 

 それはきっと苦難の日々だったはずだ。けれど、物語るその顔があまりにも清々しいものだったために、僕は戸惑ってしまう。

 

「こんなところで、俺の昔話は終わりだ」

 

「そうだったんですね・・・」

 

「今度は君のものを聞かせてくれないか? そう言う約束だっただろう?」

 

 先ほどまでの穏やかな表情を少しだけ引き下げて、保さんは僕の目をじっと見つめてくる。語るに足らないような平凡な人生だが、それでも「あの事」は言っておきたいと、そう思った。

 

「分かりました。・・・大した話はないですけど、聞いてください」

 

「ああ」

 

 保さんがそうしたように、僕はちゃんと自分の傷を抉る。

 

「僕の昔話・・・、そうですね。僕は、半年ごろ前にこの街に来たんです。それまでは、ここからずっと西の方の街で過ごしてました」

 

「外部からの移転者か。随分と珍しいんだな」

 

「とはいっても、もともとこの街に来るつもりはなかったんです。親と仲が悪いこともなかったですし、前の職場も気に入ってました。言っちゃなんですけど、僕がこの街に来る理由は何一つなかったんです」

 

「それが・・・どうしてこうなった?」

 

 怪訝な表情で尋ねる保さんに、僕は懇切丁寧に語った。

 

「きっかけは、たった一つの小さなすれ違いでした。・・・僕には、結婚を約束していた彼女がいたんです。けれど、婚約直前に分かってしまったんです。彼女の浮気が」

 

 その一言で、保さんはピクリと眉を動かす。そこからの僕がどう行動したのか気が付いたのだろうか。

 気にせず僕は続ける。

 

「その瞬間、全部がバカらしくなって僕はこの街に逃げてきたんです。結婚も、親も、全部がバカらしくなって」

 

「自棄を起こしたときの俺みたいなことを言うんだな、君は」

 

「たぶん誰だって自棄を起こしたらこう言うでしょうね」

 

 苦笑を浮かべるが、心は何一つ笑えていない。何せ半年前のことなのだから。

 二十年も経てば笑い話に出来るだろうが、そこまでの道のりが果てしなく遠い。・・・さらに、事故の件だってあるというのに。

 

 僕のこの話に何かを思ってか、確かめるように保さんは問う。

 

「浮気の理由は、なんて言われたんだ?」

 

「もっと我儘になって欲しかったって、優しすぎるだけでつまらないからって、そう言ってましたね」

 

「・・・なるほど、思った通りだ」

 

 保さんはその答えに納得したのか、二、三度ほどうんうんと頷いて、懐かしむように人名を呟いた。

 

「似てるんだな・・・遥くんに」

 

「え?」

 

「なんでもない。ただ、君に似た子がいたという話だ」

 

「僕に、似た・・・」

 

「ああ。自分のことは後回しにして、誰かを思いやる優しさが一番最初に来るような子だ。そのくせ自分の非を罪と言って自分を苦しめようとするところが、君に似ている」

 

「それは・・・まあ」

 

 言われれば、自分でも自覚のあるところばかりだ。とすると本当にその人と僕は似ているのだろう。

 そして、そんな僕に保さんは告げた。

 

「・・・だったら、俺から君に言えることがあるな」

 

「それは、なんですか?」

 

「君は、ちゃんと君のやりたいことを探した方がいい。頼むから、惰性で生きて欲しくない。君がちゃんと自分のために人生を使えるようになったら、向かうところ敵なんてないはずだ」

 

 それは、前に社長に言われたことにそっくりだった。

 やりたいと思ったこと、ただそれを為せ。・・・それがこうも何人に言われるのなら、僕の目指すものはそこにあるのだろう。

 

 だから僕は、今こうして僕がこの場所にいることが、僕のやりたいことであることを告げよう。ちゃんとその道を歩き出していることを、この人には知って欲しかった。

 

「僕は、今日、保さんに会いたくてここに来ました。・・・あの事故の贖罪なんて関係ない。僕がやりたいと思ったから来たんです」

 

「無理は・・・してないみたいだな」

 

「はい。だから、今、楽しいんです。こうやって話していることが。一緒に釣り糸を垂らして、のんびりとしていることが」

 

 合間合間で話していたことは、重く苦しい事ばかりだっただろう。それでも僕は今日、この場所に来てよかったと思っている。それは僕が、また一歩成長できたような気がしたからだ。

 

 それを分かってくれたのだろう。保さんはそこでようやく、苦笑意外の笑みを浮かべてくれた。

 

「楽しんでくれてるなら何よりだ。・・・おっと、竿、引っ掛かってるぞ」

 

「え、あっ、ホントだ。ちょっと待ってください・・・!」

 

 保さんの指さす先がカーブを描いている。釣り竿に来る手ごたえも中々だ。

 それは先ほどまでの鬱屈とした会話を忘れさせてくれるほどの力を有していた。気が付けば、僕は熱中して釣りに挑んでいた。

 

 

 そして、これでいいのだと気づく。

 これが、「やりたいこと」に素直になることだと、僕は気づく。

 

 

 我儘に生きることは、こんなことでよかったのだと、僕は気づく・・・。

 




『今日の座談会コーナー』

 我儘に生きる、ということの一つの答えとして、「何も考えず、目の前のことに熱中する」ということがあると作者は思っています。我儘、という行為を「自分を一番に考えて動く」と定義した場合、何も考えず目の前のことに熱中するという行為はその定義に当てはまると思います。もちろん、我儘の定義はこれだけではないでしょうが、少なくともこれが前身のきっかけになることはあるんじゃないかと、僕は思っています。

といったところで、今回はこの辺で。
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第六話 信じさせてください

~聡side~

 

 あの日以降、僕は保さんと一つ約束を交えた。

 それは、二週間に一回、同じようにして時間を過ごす事。別に釣りとは言わずとも、お互いを知る機会としてそれくらいは設けようという保さんとの約束だ。

 

 もちろん、僕はそれを了承した。この人の、もっと奥底を僕は知らない。だからそれを知りえることが、今の僕の一番やりたいことだと思ったからだ。

 それほどまでに、この人には人を惹きつける力があった。

 

 そして、一回、また一回と回数が増えていく。

 もはや僕たちがどうして知り合ったのかを忘れてしまう位に、距離は縮まっていった。それは紛れもなく、僕がこの純粋で潔白な時間を好きでいたからだろう。

 

 そうして、事故の日から半年が経つ。

 雪が体に当たっては溶けるような、そんな二月の頭の方。街が静まり返っているようなそんなある日、僕の家に一本の電話がかかってきた。保さんからだ。

 

「もしもし・・・」

 

「ああ、松原君か。今、ちょっといいか?」

 

「ええ。今日は仕事お休みですし、時間は空いています。それが、どうかされましたか?」

 

 尋ね返すが、保さんはしばらく無言のままだった。何かを長考しているのだろうというのが、電話越しに分かる。

 そして帰ってきた言葉は、僕がかつて一番欲しかった言葉で、そして、僕の今後を決めるといっても過言ではないような、そんな言葉だった。

 

「・・・今から家に来れるか? 改めて、話がしたい」

 

「水瀬家に、ですか。・・・でも、それって」

 

「ああ。・・・今日は、夏帆もいる」

 

 それがどういうことか知らない僕ではない。

 これまで保さんと過ごしてきた時間は、現実のものであって、非現実的なものそのものだった。・・・けれどこれは、どこまでも現実的で、残酷なもの。

 お互い馴染んできていた事故の傷というものを、掘り起こす行為。

 

 けれど、その提案に答えるのにためらいはない。僕が一番やりたいと思っていることは「償い」であって、僕自身だけが幸せになる行動ではないのだから。

 

「ぜひ、行かせてください」

 

「ああ。・・・だが、いいのか? 説得こそしたが、夏帆が君にどんな言葉を投げかけるのか俺には予測できんぞ。それは、行き過ぎた逆恨みにすらなるかもしれない。それでも君は、いいのか?」

 

「良いも悪いもないですよ。・・・初めて水瀬家に向かった日から、僕はずっとその覚悟は出来ていましたから」

 

 少なくとも、明確な答えを持っていなかっただけで、あの日の謝罪は惰性によるものではない。だからいざこうしてその現実に直面しても、僕は平然といれた。

 

「なら、よろしく頼む。・・・俺たちも、そろそろ進みださないといけないんだ」

 

「分かっています。・・・ありがとうございます」

 

 それは、これまでの時間、配慮全てに対する礼。

 この人は、長い時間をかけて今日のこの時間を作ってくれた。僕が立ち直るきっかけをくれたのも、この人だといっても過言ではない。

 だから僕は、その恩義に答えたい。それだけが、ただ胸中を支配していた。

 

---

 

~保side~

 

 電話を切り、夏帆の方を向く。

 あの日から時間が止まったままの夏帆は、今日もまた俯き、感情の薄れた表情を浮かべている。それを叱ることも、激励することも出来ないのが、俺の弱さだろう。

 

「夏帆、これでいいか?」

 

「・・・私には、分からないです。どうすればいいか、あの人とどう向き合えばいいか。・・・あの人を、許せるかどうかだって」

 

「許せないなら、許さなくていいんじゃないか。・・・多分あの子は、その覚悟は出来ていると思う」

 

「・・・だと、いいんですけど」

 

 俺たちの娘に、事故とは言え危害を加えられたことを、夏帆はまだ恨み、悔やんでいるだろう。自分自身にも、その感情が流れていたことを覚えている。

 けれど、それだけに支配されないのが夏帆の優しさだろう。負の感情だけが夏帆を支配しているのであれば、この話にはとっくにケリがついているはずなのだから。

 

「・・・半年、か。あっという間だったな。今日まで」

 

「ひどく寂しい時間ばかりですよ。・・・何が楽しかったのか、思い出せません」

 

「・・・ああ、そうだな」

 

 その視界に映る世界は、さぞ灰色に満ちているのだろう。光もなく、色もない、ただ無機質な毎日の中で、夏帆は彷徨っている。

 あの日から、俺に出来ることをずっと探した。味方して一緒に恨むことがいいのか、距離を置いて立ち直らせるべきか、ずっと考えていた。

 考え、悩みされど答えは出ない。その中で一つ分かった答えがあるとすれば、ここまで意見が対立しても、俺はどこまでも夏帆が好きだということくらいだ。

 

 だから、もう一度一緒に進みたい。だから今日の時間を設けた。

 電話からニ十分もしない頃、家のインターホンが鳴る。

 

「俺が出るぞ」

 

「・・・」

 

 夏帆からの返事はないが、俺は扉を開ける。それが新しい明日への可能性と信じて。

 

---

 

~聡side~

 

 

「お疲れ様です。・・・わざわざこんな時間を設けて貰って、本当になんて言えばいいか」

 

「いや、気にするな。・・・それに、この時間が必要なのはひょっとしたら君より俺たちのほうだからな。早速だが、入ってくれ」

 

 案内されて、家の奥の方まで行く。なんだかんだこの家に入るのは、保さんと初めて面と向かって話したあの日以来だろう。

 リビングの方に行くと、一人女性が椅子に腰かけていた。夏帆さんだろう。

 

 ただ・・・半年前、一度見た時より確実にやせ細っていた。見ただけで軽く5~10kgくらいは体重が落ちていることが分かる。それは僕が生んでしまった光景なのだと思うと、少し歯がゆい。

 

 それでも臆さず、僕は一度頭を下げる。

 

「・・・お久しぶりです。松原聡と言います」

 

「・・・そう、あなたが」

 

 暗く沈んだ声が心の奥底に響いてくる。この人がずっとあの日に囚われてしまっているということを理解するには、その一言で十分だった。

 それからどうやって話そうかと悩んでいると、夏帆さんの方が先に声を挙げた。

 

「保さん。・・・一度、二人きりにしてくれませんか」

 

「えっ? ・・・いいのか? 夏帆」

 

「はい。私なりに色々考えたんです。けど、こうやって向き合っている以上、何のためらいもなく話したい。そして、そんな醜い光景を、保さんには見て欲しくないんです」

 

「・・・そうか。分かった。見ないでおくし聞かないでおく。それでいいな?」

 

 夏帆さんはうんと頷く。それを後目に、保さんは一度家から出ていった。本当に何も聞くつもりがないのだろう。

 自分が二人きりで僕と話していたように、夏帆さんにもそうしてもらおうということだろう。

 

 覚悟を決めて、僕は夏帆さんの向かいに座る。それからすぐ、深々と頭を下げようとする。

 

「この度は、本当に」

 

「ねえ、あなたは」

 

 その時、声がそれを遮った。

 

「あなたは・・・何なんですか?」

 

 僕は顔を上げて、夏帆さんのほうに向き直った。その表情に、怨嗟と後悔と、寂寥の感情が見て取れる。

 

「なんで・・・こうやって謝ろうとするんですか? なんで、全部自分のせいにしようとしているんですか? なんで・・・私たちに・・・付きまとうんですか・・・!?」

 

 だんだんと言葉がぐちゃぐちゃになっていく。ただ心の奥底の方から湧いてくる言葉が繋がれただけのそれを、僕は真正面から受け止める。

 目線の先の夏帆さんは、大粒の涙を零していた。それを拭うことも止めることもせず、ただ延々と自分の心の奥底にある想いを表に出し続けていた。

 

「私はっ・・・あなたみたいな・・・、行き過ぎた善意と優しさで出来た人間が・・・嫌いなんですよっ・・・!!」

 

「っ・・・!」

 

 思いがけない言葉の刃に、僕も硬直する。何を言われてもいい覚悟はしてきたが、いざこうして言われてみるとナイフで突き刺されたような痛みが襲ってくる。

 

「関わらないでって・・・言ったじゃないですか・・・!」

 

 掠れた声で叫びきる。それから両手で顔を覆いながら、ただ延々と自分の痛みを垂れ流し始めた。

 

「あなたがもっと最悪で・・・性根の腐ったような人間だったら・・・。なのに、あなたはまるで・・・あの子みたいで・・・。あなたがいると・・・嫌なこと、全部思い出して・・・!」

 

 抱えていた思いは、きっと、僕が想像するより遥かに深いものだったのだろう。きっとこの事故以外にも、心にストレスを抱えるような何かがこの人にはあったのだろう。

 

 そんな夏帆さんに、僕が出来ることは。

 

 償いの、方法は。

 

 ギリッ、と奥歯を噛みしめる。けれどそれは、己の無力さを呪うものではなく、目の前の痛みを受け入れるためのものだった。

 

 手を取る。

 同じ視線に立つ。

 素直に言うことを受け入れる。 

 

 そんなことで、本当にこの傷は癒えるのだろうか。・・・絶対に、そんなことはないはずだ。

 

 だから僕は、真っ向から向かい合う。この人が言った、善意と優しさだけで出来た人間であることを否定する。

 僕が今からこの人に向ける言葉は、「優しさ」ではない。

 

「・・・それでも僕は、関り続けますよ」

 

「え?」

 

「償い。それが今の僕が生きる理由です。けれど、ただ優しさに任せて、全てを受け入れることが償いじゃない。少なくとも僕は、あなた方の前から消えることが償いになるとは思いませんから」

 

「じゃあ、どうするっていうの・・・!?」

 

「それはこれから時間をかけて考えます。ただ、少なくとも、僕はこの事故のことを一瞬たりとも忘れはしないです。千夏ちゃんが起きても、元の生活に戻っても。そうやってずっと関わり続けたい。それが僕の考える、僕だけの償いです。・・・これって、さっき言った善意と優しさの塊ですか?」

 

 そんなはずはないだろう。

 どちらかと言えばこれはエゴの塊だ。僕は、僕の描きたい未来を信じて動く。その未来で、この人たちにも幸せになってもらいたいだけだ。

 

「・・・優しくないんですね、あなたは」

 

「ええ。・・・だから僕は、あなたが心の奥で描いている誰かとは違います。烏滸がましいことを言いますけど・・・信じてもらえませんか?」

 

「・・・簡単に、信じれると思いますか?」

 

 拒否の意が飛んできたのは、僕の発言からすぐ後の事だった。分かってはいたが、そう簡単にことは運んでくれないみたいだ。

 それでもいい。それで投げ出すようなことはしない。僕は「優しくない」のだから。

 

 そんな覚悟は、向こうにも伝わっていたのだろう。涙混じりにため息を吐いて、夏帆さんは続けた。

 

「だから、信じさせてください」

 

「え?」

 

「これからの行動と、時間で、私に、あなたがあの子と違うと信じさせてください。あなたという人間が、私たちに償いを行えるということを、信じさせてください。・・・そのための時間を設けることを、私は、許します」

 

「夏帆さん・・・。ありがとうございます」

 

 それは全ての許しではない。罪を乗り越え、そして前に進むための時間を許してくれただけのそれは、全てのスタートラインと言っても過言ではないだろう。

 けれど、そのチャンスさえあれば、後はどうとでもなるような気がした。こうして地に足をつけて進むことを、僕は誰よりも望んでいたのだから。

 

「礼はいらないです。・・・代わりに、あなたがどういう人間かを、私に教えてくれませんか?」

 

 少しぎこちなく表情は動いて、やがてそれは小さな笑みになる。

 この人が初めて見せてくれた優しさを僕はみすみす見逃さなかった。

 

「長い話になりますが、聞いてくれますか?」

 

「はい。・・・だからどうかゆっくり、丁寧に、お願いしますね」

 

 

 

 時計の針が、着実に、また一歩進んでいく。

 その音が、耳から、胸の方へとこだまして、僕は少しずつ歩を進めた。




『今日の座談会コーナー』

 ようやく大事なシーンを一つ書けたような気がしますね。この二年間における夏帆さんというのは、本外伝の重要なキーマンになってきますから。
 お気づきだと思いますが、「あの子」というのは島波遥のことです。保さんは最初から全てを覚悟していたため、別れを真正面から受け入れることが出来てしましたが、夏帆さんに関してはもう一人の子供という感情を遥に抱いていたのもあって、かなり心身的ダメージを受けていたということになっています。β√の別れのシーンで夏帆さんに未練がましい描写を設けたのは、ここへの伏線でもあります。それだけならともかく、その後自分の娘が乱れた原因になっていることもあって、愛憎の念がどんどん増したということですね。冷静に考えてみても、そう簡単に許せるはずないと思うんですよね。
 『私はっ・・・あなたみたいな・・・、行き過ぎた善意と優しさで出来た人間が・・・嫌いなんですよっ・・・!!』というセリフ、書いていてめちゃくちゃ辛かったです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等よろしくお願いいたします。

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第七話 迷わない別れ

~聡side~

 

 明確に目的が出来た生は、心が感じる時間の経過のスピードを高める。

 定期的に保さんと会うことが約束となっていたが、次第にその空間に夏帆さんが混ざるようになった。僕を見定めるためだろう。

 

 だからといって、いい格好をするつもりなど毛頭ない。僕はありのままの僕をこの人たちに受け入れて欲しかった。・・・いつのまにか償いは、僕の生きがいになっていた。

 

 もちろん、それは足枷という意味ではない。償いのつもりで始めたこの行為が、僕の人生の楽しみの一部になっていたという話だ。

 ただ・・・時折、こうやって幸せになることが正しい事なのかと迷ってしまうことがある。それは間違いなく、本来この時間を過ごせたはずの千夏ちゃんがいないからだろう。

 

 それでも歩みは止めない。時計の針は進み、事故から一年経った夏を迎える。

 千夏ちゃんには、まだ会いに行けていない。多分、懇願すれば許してくれるかもしれないが、僕は二人の言葉を待つことにしたのだ。

 

 千夏と関わらないでくれ、と言ったのは向こうだ。ならば、それを解除するのもまた二人の意向だろう。そこに僕が介在する隙は無い。

 忘れない。僕はあくまで、「許しを請う」立場であるということを。

 

 けれど今は、それでいい。

 

---

 

 ドライバーとしての復帰は、今年の春先の事だった。

 この会社にも随分迷惑をかけてしまったが、社長は宣言通り僕のことを見捨てようとはしなかった。その恩義に答えたい一心が、今僕がここに在る理由だろう。

 

 本当に、温かい街だ。成り行きで選んだ街だけど、ここにきて本当によかったと思っている。

 

 満ち足りた感情が表情となって表れていたのか、仕事を終えた伊勢さんに後ろから小突かれる。

 

「なんて顔してんだオメ―はよ」

 

「あ、すみません。腑抜けてましたね」

 

「ま、一時の思いつめたような表情よりはマシだろ。・・・んで、仕事の方は終わりそうか?」

 

「あと今日の運送リストをまとめて社長に出したら今日は上がりです。・・・あ、さては飲みの誘いですか?」

 

 伊勢さんがやや高めのテンションの時は大体飲みの誘いだ。あの日からあれやこれやと遠慮や不都合があったが、もうそうは言ってられないだろう。

 

「そ。お前さえよければどうだって感じだけど」

 

「行きますよ。・・・あと、弁明しておきますけど、僕はこうやって飲みに行くの嫌いじゃないんですよ? ちょっと色々あっただけで」

 

「あー、なんだっけ。相手さんの両親と色々やってるんだっけか。よくやるよな、お前も」

 

 僕の取っている行動は傍から見ればおかしいのだろうか、伊勢さんは呆れたような息を一つ吐く。確かに、謝って終わり、に留めないのはおかしいだろうな。

 けど、僕は僕のこの行動に誇りを持ってる。今更恥じることなど何もない。

 

「んじゃ、先に来るまで待機しとくわ。終わったらさっさと来いよ」

 

 ひらひらと手を振って伊勢さんは事務所を後にする。その入れ替わりで入ってきた社長が、遠ざかっていく伊勢さんの様子を見て声を挙げる。

 

「やけに調子良さそうだが・・・、あいつ、またパチンコで大勝でもしたのか?」

 

「じゃないんですかね。飲みの誘いなんて大概そういう時しかないですし。あと社長、これ今日のチェックリストです」

 

「ああ、受け取ろう。・・・よし、問題ないな」

 

 社長は一度うんと頷いた後、そう言えば、と声を挙げる。

 

「そろそろあの事故から一年か。どうだ、上手くやれてるか?」

 

「ええ。あの日叱ってもらったことで、自分が何をすればいいか見つけることが出来たので。今は大丈夫ですよ」

 

「そうか。・・・お前は若手の有望株だからな、期待しているぞ」

 

 社長の言葉に偽りはないだろう。僕はその期待を一身に受けて立ち上がる。

 

「じゃあ、今日は上がりますね。お疲れ様でした」

 

 伊勢さんが去って三分ほど経って、僕も同じ場所に向かう。

 助手席から顔をのぞかせた僕に気が付いて、伊勢さんはロックを外す。

 

「うし、んじゃ行くか」

 

「ですね」

 

 会社を出て、車は緩やかな海沿いの坂を下っていく。それは、忘れもしない運命の場所だ。

 あの時トラックを取りに来た伊勢さんもここがその場所だという事を覚えているみたいで、話にしようかどうしたもんかと表情を歪ませていた。見かねた僕が先に切り出す。

 

「そろそろ、一年ですね」

 

「お前から言うのかよ・・・。その、なんだ? PTSDとかそういうの、大丈夫なのか?」

 

「ひどかったのは最初の三か月くらいですよ。・・・もちろん、最近でも夢に出てくることはありますけど、いつまでも怯えて逃げ回ってちゃ世話ないでしょう」

 

「ま、お前がいいって言うなら問題ないんだろうな。・・・しかしお前は大した奴だよ、本当に。嫌なことに真正面からぶつかれるなんてな」

 

 その言葉でハッとする。

 本当に僕は嫌なことに真正面からぶつかれる人間だっただろうか。・・・もしそうだとしたら、どうして僕はこの街にいるのか。

 

 少なくとも美浜のいざこざがあったあの日、僕は嫌なことから目を反らしてこの場所に逃げてきた。あの頃は、こうやって目を向けることは出来なかったはずだ。

 

 だから今の僕は、確実にあの頃より前に進んだのだろう。

 

「・・・おい、急にボーっとしてどうしたんだよ」

 

「あ、いえ。・・・僕はこの街に逃げてきたはずなのに、いつの間にか逃げずに立ち向かえるようになってたんだなって思って」

 

「人間は成長する生き物だからな。お前も着実に地に足付けて進んできたって事だろ。もっと胸を張れよ」

 

「それは・・・もうちょっと後にしますね」

 

 僕は、もっと誇れる自分になりたい。その日がいつになるかは皆目見当もつかないが、その日までは奢らず、自惚れずいたい。

 

 窓の向こうの海は穏やかで、そろそろ沈もうとしている太陽を迎え入れようとしている。その景色をただぼんやりと眺めながら、僕は心の隅の方で、かつてのあの日を思った。

 

 

---

 

 

 久しぶりに頭を空っぽにしてアルコールを浴びる。と言っても、自我は保っていたいから、そこだけは留意して。

 幸か不幸か、その行動には意味があった。・・・じゃないと、酔いつぶれた伊勢さんを介抱出来る人がいない。

 

「全く・・・調子乗り過ぎですよ」

 

 店から伊勢さんのアパートが近いのが救いだった。家までなんとか送り届けて、僕はようやく踵を返す。疲れたしタクシーを呼んでもいいところだけど、せっかくだし夜風でも浴びながら歩いて帰ろうか。

 

 そして、駅の前を通り過ぎようとした時、僕はそこにあり得ない人影を見た。どうやってここを嗅ぎ付けたのか分からないが、確かにその人は、美浜は、僕の目の前にいた。

 

「美浜、なんで・・・」

 

「やっと会えた。・・・ごめんね、自分の気持ちに気が付くのが遅くなって」

 

 美浜は最後に見た時より少しやせ細っていた。何があったのかは知らないが、あの頃感じていた余裕はもう見る影もない。

 けれど、人間としては今の方が美しく見えた。言葉の節々に、かつて存在していた妖しさはもはや存在していなかったから。

 

 つまり、この言葉は、本心なのだろう。

 

「今更なことを言うけど、ちゃんと私を愛してくれたの、聡だけだったって、ようやく気付いたの。・・・遅いことは分かってる。謝って許されないことも分かってる。でも、もう一度、・・・もう一度だけ、チャンスを貰えないかな?」

 

 それは、ただ都合のいい駒として人を見る目ではなかった。今の僕なら分かる。人が誰かを愛している時の目が、どのようなものかという事を。この瞳は、本物だ。

 僕はかつて、美浜を愛していた。別れることになってからも、恨んだことは一度もなかった。きっと僕が悪いのだろうと思い込んでいたからだ。

 

 今、目の前にして、かつての愛情が湧かないという訳でもない。楽しかった日々は鮮明に記憶に焼き付いているのだ。

 

  

 けれど、それでも。

 僕はもう、鷲大師の人間の松原聡だ。あの街で、美浜と生涯を誓おうとした人間ではない。

 

 だからちゃんと、僕は僕の思いを伝える。

 

「ダメだよ、チャンスは与えられない」

 

「そんな・・・。せめて、理由を聞かせてよ・・・!?」

 

「目標が見つかったんだ。やりたいことがあるんだ、この街で。だから、僕はもうあの街には帰らない。そう決めたんだ」

 

「だったら、私がこっちに来るって言うのは」

 

 理屈の問題じゃない。

 かつての記憶こそあるけれど、今僕が愛したいものは美浜という存在ではなく、この街と、職場の皆と、あの人たち。

 それは、過去の思いを全て断ち切らないと手に入らない。

 

「そういう問題じゃない。・・・はっきり言うと、僕は今でも美浜のことは好きなんだと思う。だけど、それ以上に好きな存在が、この街にはたくさんあるんだよ。全てを抱えることは出来ないし、どちらを選ぶと問われたら、僕は間違いなくこの街を選ぶよ」

 

「・・・」

 

「美浜が本気で僕を求めてくれているのは分かっているし、疑うつもりはない。けど、美浜は言ったよね。もっと我儘になって欲しかったって。だから僕は我儘になるよ。我儘になって、美浜を捨てる」

 

 面と向かって別れを切り出す。好きな存在のはずなのに、心が痛むことはなかった。この別れに、後悔など一つもないのだから。

 俯き、悔しそうな表情で美浜は語る。

 

「・・・皮肉だよね。私、過去の私の言葉で切り捨てられるんだ」

 

「うん、そうだよ。けど、今の僕を作り出すきっかけをくれたのも美浜だから、そこは感謝してる。ありがとう」

 

「やめてよ、礼なんて」

 

 僕は、傷つけることをやめない。それは、僕が進みだすために必要なことなのだから。

 願わくば、僕の世界の外で、知らないところで幸せになって欲しい。今更交わっても、お互いにいい事なんてないだろうから。

 

「ずっと美浜を見てきた僕だから言うね。・・・今の美浜なら、好きになってくれる人は多分どこかにいる。それがあの街じゃなかったとしても、今の美浜なら、真正面から人の気持ちに答えられるはずだよ。だから、もうここには帰ってこないで」

 

「・・・聡、変わっちゃったんだね」

 

「そう。変わったんだよ。そして、みんな同じように何かをきっかけで変われるはずだから。もう、これまでの全てを断ち切った方がいい。僕がそうしたように、美浜も」

 

「・・・やれるかな?」

 

「やれるよ。僕が信じてる」

 

 これがせめてもの慈悲、優しさ。美浜に最後にかけてやれる言葉だ。

 それを受け取った美浜は立ち上がって、目元を拭った。多分今の行動で僕への未練は断ち切ってくれたのだろう。

 

「ありがとね。逢えると思っても、話してくれるとは思ってなかったから」

 

「うん。僕も、ちゃんと話せてよかったと思ってる」

 

「ちゃんと私、帰るから」

 

「うん。・・・さよなら」

 

 手を振って互いに別れる。どちらかが後をついていく、なんてことはしない。確かに今日、僕たちは、逃げない別れを行った。

 その姿が見えなくなるまで手を振って、僕は真反対の方向、僕の家へと向かいだす。

 刹那、口先が動く。それは音を持たなかったが、確かに言葉として耳に残った。

 

 

 ・・・ありがとう、美浜。

 今の僕を、作り上げてくれた、かつて愛した人。

 




『今日の座談会コーナー』

 聡の過去回想はそろそろ終わりです。しかしまあ、この美浜という女もどこから着想を得たのかはた疑問に思っちゃいますね。というか、婚約破棄までした女とかつてと同じくらいの声音で話せるってこの男やっぱり優しすぎますね。後から鷲大師に来た設定にこそしてますけど、前の街だとどんな人間だったのかと思うと・・・。島波遥よりも愛着湧きそうな人物です。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第八話 前を向く「つぐない」

~聡side~

 

 季節は過ぎる。過ぎるされど、時計はいまだに進む気配を見せなかった。

 また、冬が過ぎる。同じ病室に、寝たきりの少女を残したまま。

 

 焦る気持ちがないわけではない。千夏ちゃんが目覚めてようやく、全ての時間が動き出すのだ。目覚めない限り・・・皆前には進めない。

 けれどそれと同時に、どこか心の内に別の感情が見え隠れするようになっていた。時折、千夏ちゃんが目覚めた時、僕はどう思われるのかを考えてしまうのだ。

 

 慣れて、覚悟もしているはずなのに、どうしても恨まれることが怖くなってしまう。それは多分、許される優しさを知ってしまったからかもしれない。

 

 そんな裏腹な思いを抱えて、季節は夏に差し掛かる。

 太陽が強く僕たちを照らす七月の頭、いつも通り僕は二人のもとへ向かった。

 

---

 

 一年と半年、という時間を経て、僕はようやく夏帆さんに受け入れられつつあった。僕が、あの人の思う「誰か」と違うことを認めてくれたのだろうか。

 何度か食事も頂いた。曰く、この家で客人を迎え言える時はそういうルール「だった」らしい。多分そこにも、僕の知らない誰かが関わっているのだろう。

 けれど、そんなの僕からすれば関係ない話だ。知らないままでいよう。

 

 最初は口数が少なかった食卓も、少しだけ賑やかになる。保さんもずいぶん夏帆さんが回復してきたと言っている。僕が行ってきた今日までの行為に意味があったのかもしれないと思うと、少しだけ満たされた気持ちになる。

 

 けれど、自惚れはそこまで。

 

 やがて食事を終えた時、僕はもう一度テーブルに呼び戻された。二人は、何か言たそうな瞳をしている。

 一つ唾を飲み込んで、僕は所定の位置へ戻った。しばらくの無言の後、保さんが口火を切る。

 

「・・・松原君。一度拒絶した立場で俺たちが言うのもなんだが・・・、千夏に、会ってくれないか?」

 

 それは、心の底から欲しかった言葉。この二年間、ずっと願っては諦めていた思い。

 けれどそれを目の前にして、すぐにうなずける僕ではなかった。いたって冷静なまま、隣の方に視線を流す。

 

「夏帆さんは・・・僕がそうすることを、許してくれるんですか?」

 

「私は・・・この一年と半年、ずっとあなたのことを見てきました。憎みながら、あるいは疑いながら。・・・でも、あなたはいい格好を見せようとはしなかった。進んで許されようとしなかった。違いますか?」

 

「違わないです。僕は、演じない僕を見て欲しかったんです。僕が今こうして二人といる時間が、許しを請うためじゃないことを、知ってほしくて」

 

 下手な嘘はつかない。最後までありのままでいるということはこういう事だ。

 例えこの言葉が向こうの望まない返事だったとしても、構わない。

 

 凛として立つ僕を信じてくれたのか、夏帆さんは一年と半年前の答えを小さな微笑と共に告げた。

 

「・・・私たちにこうして接することが出来た貴方なら、千夏を目の前にしても、同じ行動がとれると、私は信じます。・・・だから、会ってあげてください」

 

「ありがとう、ございます」

 

 深々と頭を下げる。この瞬間が、二年前に僕が望んだ一度のゴールだった。

 けれど、僕は知っている。今の自分にとっては、この瞬間もまだ始まり、途中経過に過ぎないことを。

 許されて終わる償いなら、とっくに許しを請う動きを見せただろう。これはそうではない。僕の思う「償い」は、こんなところで終わったりはしないのだ。

 

 というより、こんなところで、この人たちと関係を結ぶことを終わりたくなかった。

 いつからか芽生えた、親愛の感情が胸の方で暴れている。

 

 だからこの想いは、ちゃんと伝えよう。加害者と被害者家族という垣根を越えた先の関係でいたいと。

 

「・・・僕からも一つ、我儘を言わせてもらっていいですか?」

 

「なんだ?」

 

「これからも、時々会いに行かせてください。・・・この二年間、二人という存在があって僕はこうしてここまで生きてこれました。そんな二人との時間が僕はもっと欲しいんです」

 

 それは、二人に対して初めて言った我儘だったと思う。

 受け入れられる保証なんてのも、全然なかった。

 

「・・・なるほどな。俺も出来ればそうしたいと思っていた。・・・少なくとも俺はな」

 

「私は・・・。・・・ごめんなさい。少し考えさせてください」

 

 夏帆さんは少しだけ頭に手を当てて苦しそうな表情を浮かべていた。同じようなセリフをどこかで聞いたのだろうか、過去のトラウマを想起しているのだろう。

 

「あなたを疑うわけじゃないんです。・・・あなたが信頼に足る人間だという事を、私はこの一年と半年で見てきたんですから。・・・でも、どうしても怖くて」

 

「夏帆・・・」

 

「ごめんなさい保さん。・・・でも、これだけは」

 

 よほど嫌な思い出なのだろう。僕はゆっくりと目を閉じて「分かりました」とだけ答えた。

 それが諦めに聞こえたのだろうか、夏帆さんは急いで否定の言葉を入れた。

 

「待って。・・・あなたを拒絶するわけじゃないの。・・・ただ、当分は今の関係でいさせてください。この、時折遊びに来てくれる知人のような、そんな関係で」

 

「・・・それだけ聞かせていただけたら十分です。すみません、無茶なこと言って」

 

「ううん。・・・進みださなくちゃいけないのは私の方だから。・・・だから、少しだけ待って欲しいの」

 

 苦笑いを浮かべた夏帆さんの表情は仄かに苦痛の色を示している。けれど、あの頃ならこうして苦笑いを浮かべてくれることすらなかっただろう。少しは前に進めたと思うと、特に悲観するようなものでもなかった。

 

 いつだって、地に足をつけて一歩ずつ。これまでもそうやって歩いてきたように、これからだって歩いて行けるはずだ。

 

---

 

 次の日、仕事の昼休憩を使って僕は病院へと向かった。

 この病院に来るのは事故以来だろう。千夏ちゃんに逢いに行こうとしてやめたこともない。約束を破る人間にだけはなりたくなかったから。

 

 静かな病室に一人入る。もちろん他の面会客はいないし、ナースもいない。

 

「・・・謝る、のは違うか。それは目覚めてからじゃないと意味のないことだろうし」

 

 そう考えると、今の僕に出来ることはほとんどなかった。言葉も交わせない、見てもらうことも出来ない。

 だから、花を飾ることにした。もう二本ほど並んでいる花瓶の隣に、そっと自分のものを並べる。ここに来ることが出来た証を置いていく。

 

「・・・じゃあ、また来ます」

 

 その時間はわずか十分ほど。僕は病室を立ち去ろうとする。

 背後の扉が開く音が聞こえたのは、その瞬間だった。

 

「あなたは・・・」

 

「お久しぶりです」

 

 向こうが僕を見つめて声を挙げる。その顔には見覚えがあった。事故の時、近くにいた青年だ。

 僕は首からかかっている名札を確認して、その存在を知る。「島波遥」、それが彼の名前だった。・・・まさか、ここの医者だとは知らなかったけど。

 

「松原さん、でしたよね」

 

「覚えてくれていたんですね、島波先生」

 

「よしてください。ここにいる間は、俺はただの島波遥です」

 

 少しバツの悪そうな表情で島波さんは呟く。

 

「そうですね、失礼しました。島波さん」

 

 穏やかな心を保ちながら、そうやって言葉を交わす。あの日散々憎んだ私に対してこの人が何を思っているかは知らないが、もうそんなことは気にしない。

 

 それより、僕はこの人と千夏ちゃんについて話がしたかった。

 この子が目を覚ます前に、この子のことをいろんな人から聞いておきたかった。

 

 けれど、真正面から聞きに行くのも変だと思い、僕は今の僕を少しだけ語ることにした。千夏ちゃんの方を一瞥しながら口を開く。

 

「千夏ちゃんの両親は、本当にいい人ですね」

 

「・・・へ?」

 

 僕の口からそんなことが放たれると思っていなかったのだろう、島波さんは少しの間呆気にとられた表情で固まっていた。

 

「あの日から、ずっと謝りに出向いていたんです。最初の方はお母さんの方から拒絶されて門前払いを喰らってましたが、半年して、ようやく通してもらえて」

 

「そんなことが・・・」

 

「許してからは、本当によくしてもらいました。・・・保さん、ですか。お父さんは何度も慰めの言葉をくれましたよ。あの事故は誰も悪くないんだって。・・・本当は、憎くてしょうがない相手のはずなのに」

 

 すると島波さんは、それを知っているかのように頷いて答えた。

 

「それが、あの人の優しさですから」

 

「知ってるんですか?」

 

「事情があって、俺も昔あの人たちのお世話になっていましたから」

 

 その言葉で、何か、どこかで嫌な歯車がかみ合ったような気がした。

 夏帆さんが人と縁を深く結ぶのを嫌う理由。それはひょっとして、この人が関わっているんじゃないかと、心のどこかがざわざわと騒ぎ出す。

 

 けれど、そんな悩みを遮るように、島波さんは僕に問いかける。

 

「どうして、今になって?」

 

 僕が今日まで見舞いに来ていなかったことを訝しんでいるのだろう。なんてことはない、二人からの許可を待っていただけだと説明する。

 

「一番最初会いに行ったときにですね、門前払いでしたけど言われたんです。千夏ちゃんに近づかないでくれって。・・・それで、千夏ちゃんに逢いに来る許可を貰えたのが、昨日だったんです」

 

「だから、今日」

 

「はい。真っ先に飛んできました。だってそれは、僕が一番会って謝るべき相手だったんですから」

 

 そこまで言って、ふと頭の中に「償い」という文字がよぎった。僕はどうやって千夏ちゃんに償いをすればいいのだろうか、目覚めた時、何を言われるのだろうか、それが不安で、少し俯いてしまう。二人に行う償いと、千夏ちゃんに行う償いでは、また意味が変わって来るだろう。・・・当事者というものは、そういうものだ。

 

 それは言葉となって現れる。

 

「・・・どうやったら、千夏ちゃんに償えますかね」

 

「どうって言われても・・・」

 

「二人には許してもらえましたけど、千夏ちゃんに許してもらうことは、また別ですから」

 

 こんな質問を投げかけられて島波さんも困っているみたいだ。けれど、出した言葉を取り下げることは出来ない。

 

「金って言われたらいくらでも払います。死ねと言われたら死にますよ。・・・だけど、自分じゃそれが本当に償うことだと思えなくて」

 

 どうしようもないことを言っているのは分かっている。けれど吐き出した言葉は流れにのって、次、また次と溢れ出てくる。

 そんな僕のどうしようもない問いに、島波さんは簡単な言葉で答えた。

 

「忘れてやらないでいてください」

 

「・・・え?」

 

「あなたの世界から千夏を消してやらないでください。そして、千夏の世界にいてやってください。多分俺もあなたも、千夏が目覚めても罪は消えないんです。だから、一生向き合っていくために、千夏のこと、ずっと忘れてやらないでいてください」

 

「つまり、一生をかけて償うと?」

 

「そうです。俺も一生をかけますよ。・・・けえど、それは自分が幸せになることと引き換えじゃない。幸せの片隅で罪を償う。本人がそれを望んでいるなら、それでいいんです」

 

 簡単に言ってくれるが、それは簡単なことではない。・・・もちろん、そうしろと言われたら抵抗はないが、生半可な態度で一生をかけることは出来ないだろう。

 一生をかけて償うには、それ相応の覚悟と行動がいる。・・・僕は果たして、その行動をとるべきなのだろうか。

 

 ・・・いや、違うよな。僕はそういう行動をとりたくて、今日まで生きてきたんだよな。

 

 だから、今は・・・。

 

「なら、千夏ちゃんが起きるのを待たないとですね」

 

 置きあぐねていた残りの花を、千夏ちゃんのベットの横の方に沿える。

 これで本当に、今日の僕の役目は終わりだ。次は、明日の僕に託そう。

 

「また明日も来ます」

 

「毎日来る気ですよね?」

 

 当然。

 

「ええ。仕事で都合がつかない日以外は、絶対に」

 

 一生を賭けると今ここで誓う。そのための行動なら、迷う事はないだろう。

 僕がこの街で生きていく理由は、ちゃんとこの手の中にある。負の遺産でない、純真無垢な理由が。

 

 手を振って、病室を後にする。限りなく小さな奇跡を願いながら。

 

 

 

 

 

 そして、その奇跡が叶う瞬間はすぐ近くまで来ていたという事を、僕は思い知ることになった。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ということで、過去回想はこれで終わりです。・・・外伝? もちろん続きますよ。ここからは聡を中心に千夏との物語を書いていくつもりです。また胃薬展開が増えそうな気がしますけど、β√afterで描いているように終着点はハッピーエンドなので、そこだけは気が楽ですね。というかオリキャラ×オリキャラなので外伝、ほとんど二次創作じゃなくて一次創作なんですよね。二次創作の二次創作とか一体どうなるんだろう・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第九話 ほろ苦い目覚め

~千夏side~

 

 そうして、全ての過去を語り終えた松原さんは、俯き、瞑目していた。小刻みに震える体が、私に涙を想起させる。

 本人も、自分が泣いていることに気が付いたようで、何度も何度も目元を拭いながら呟いた。

 

「すみません。僕に泣く資格なんてないのに・・・」

 

「いいえ、どうか泣いてください。・・・だって松原さん、事故の日から一度も泣いてないんですよね? ・・・人の心は、全ての感情を飲み込めるほど強くできてないんですよ? 堪えるだけが、強さじゃないです」

 

 なんて、これも自分が身をもって知ったこと。

 求められる自分になろうとして頑張って崩れてしまった私だからこそ、全てをこらえることが何のためにもならないことを知っている。

 

 私の声に答えてか、松原さんはその場に崩れて、ベッドの隅の方で声を押し殺しながら泣いた。私はただ、その光景を眺める。

 それを目にして改めて思う。・・・本当に、誰も悪くないんだと。

 

 みんな悪くて、それを相殺してるんだって、そう思った。

 私を轢いてしまったことがこの人の罪なら、私の罪は倒れこんでしまったこと、自分の心と身体を自分で傷つけてしまったこと。・・・他にもたくさんの罪があるかもしれないけど、細かいものをいちいち挙げてもキリがない。

 

 それに、そんなことをしても失ったこの二年は決して戻らない。私は二年の間眠りについたままだったという現実も、遥くんが美海ちゃんと結婚しているという事実も、覆ることは決して無い。

 ・・・無いんだ。

 

 心の奥底にある複雑な気持ちを張らすためか、私のぎこちない左腕は松原さんの頭の方を撫でていた。せめてこの涙の向こうに、前向きな明日があることを祈っていたかった。

 きっと多分、それは自分のため、なんだろうけど。

 

「・・・今日まで、お疲れ様でした」

 

「・・・怒っても、いいんですよ? あなたには、そうするだけの権利が」

 

「何を怒ればいいんですか?」

 

 松原さんは私の言葉を聞いてなお、罪の意識を口にした。

 覚悟は決まっていたのだろう。けれど、いざそれを目の前にしてその覚悟が揺らがないとは限らない。私の目を見て、現状を知って、この人の傷が広がったのかもしれない。

 

「傷つけたこともそうですけど・・・僕は、償いなんて称して好き勝手やってただけなんです。・・・それは、本来千夏さんが得るべき時間で」

 

「けど少なくとも、その時間のおかげで、両親は救われたと思います。娘の私が言うんだから、そこは間違いないです」

 

「救われた・・・?」

 

「私が両親の前からいなくなったのは、これで二度目ですから。一度目は埋めてくれる誰かが傍にいたんですけど、今回は、ちょっと違くて・・・」

 

 あはは、と苦笑いを浮かべる。全て終わったことだし、納得も出来ているけど、それでも遥くんもいない二人の時間はやっぱり寂しいものだったのだろう。

 それを、こういう形で松原さんは埋めてくれていた。遥くんと似た方法で、遥くんと違う生き方で。

 

 ・・・ただ、気になる言葉もあった。

 これは後でちゃんと聞こう。そして、真正面から話さないと。

 

「・・・失礼しました。取り乱してしまって」

 

 松原さんは心の踏ん切りがついたのか、すっと立ち上がった。泣き腫らした目はもう濡れていない。

 ふと、私は時計の方に目をやった。時刻は一時から十分ほど前。松原さんは仕事の服装でこの場にいる。ということは、休憩時間はそろそろ終わりじゃないんだろうか。

 

 そう思って、私は提言する。

 

「松原さん、そろそろお仕事の時間なんじゃ?」

 

「え? ・・・あ、本当だ。けど」

 

「いいですよ。また明日以降来てください。その・・・松原さんとは、もっとちゃんとお話ししないといけないと思うので」

 

「ありがとうございます、千夏さん」

 

「あと、その千夏さんってのやめてください。私、結構年下ですよ? そんな代の大人に敬語という敬語使われると・・・ちょっと疲れます」

 

 松原さんは少し困惑したような顔をしながら、言い直した。

 

「じゃあ、千夏ちゃん。また今度」

 

「はい。待ってます」

 

 短くやり取りをして、松原さんは病室を後にする。それから少しの間、廊下で話声が聞こえた。松原さんがそこで誰かと話しているみたいだ。

 そして声が無くなったのと同時に、病室の扉が開かれる。その会話の相手は御父さんとお母さんだったみたいで、二人は体を起こしている私を見るなり急いで近づいてきた。

 

「千夏!!」

 

「お母さんっ・・・!? ちょっと、痛いよ・・・」

 

 看護師をやっているならけが人の扱いも分かっているだろうに、お母さんはそれを無視して私をきつく抱きしめた。・・・私が起きたこと、こんなに喜んでくれるんだ。

 

「千夏・・・ごめん・・・私・・・!」

 

「大丈夫だよ、お母さん。あの時の約束、守れなくてごめんね」

 

 無事に帰ってくるという約束。ちゃんと守りたかった約束。それを無下にしてしまったことは、やっぱり謝らないといけないと思った。

 お母さんは私の左手を握ったまま崩れ落ちた。そのままワンワンと声を挙げて泣く。

 こうなってしまうと話は出来ない、とため息を吐いてお父さんの方を見るけれど、お父さんも天を仰いだまましばらく黙り込んでいた。目頭をぐっと摘まんだまま、動かない。

 

 ・・・五年の冬眠とは、訳が違うもんなぁ・・・。

 

 理解した私は、少しの間黙って二人を待つことにした。

 

---

 

 

 十分もすればお父さんの方は大分落ち着いたようで、ようやくゆっくり話が出来る状態となった。

 

「それで、どうなんだ? 千夏。身体の方は?」

 

「見て分かると思うけど・・・ちょっとね。まともに動くのは今のところ左手だけかな。寝てた時間が長いのもあって、体が慣れてないだけかもだから、検査を待つよ」

 

「そうか」

 

「でも大丈夫。・・・今ならちゃんと、出来る気がするから」

 

 何の自信か分からない。そもそも、出来るって何のことだろうか。

 けれど、自分の気持ちを知って、現状を受け入れて、そうしたら何か出来そうな気がしていた。

 

「それより、松原さんのこと、二人はどう思ってるの?」

 

「そうか、入れ替わりだったもんな。話したのか?」

 

「うん。だから聞いてるの。二人の主観で見たあの人のことも、ちゃんと知りたいと思ってね」

 

 それを受けて、お父さんはどうしたものかと後ろ頭を掻いた。けれど確かに真っすぐな声音で自分の思いを言う。

 

「まっすぐな子だ。けれど、誰かに遠慮するだけの存在じゃないことも知った。なんだろうな、彼のことはすごく気にかけたくなる。俺はそう思ってる」

 

「お母さんは?」

 

「・・・あの人は、いい人だと思ってる」

 

 ちょうどお母さんも泣き止んでいたみたいだ。

 ・・・だから、ちょっとだけ残酷な質問をする。松原さんの話を聞いて、ずっと気になっていたこと。口にするのも禁忌かもしれない。だけど、ちゃんと真意を確認しないといけない。私はそう思ってるから。

 

「ねえ、お母さん。・・・遥くんの事、そんなに恨んでたんだね」

 

「・・・!?」

 

「千夏、お前・・・」

 

「松原さんから聞いたんだ。この二年間何があったのか。私が、二人にどんな形で迷惑をかけてたのか。・・・でね、気づいちゃったんだ。お母さんがずっと、遥君のことを憎んでたこと」

 

 あの感情は、憎悪以外の何者でもない。

 松原さんをずっと遥くんと比較して見ていたんだから間違いない。

 

 私に嘘が効かないと分かっているのか、お母さんはちゃんと自分の心情を吐露した。

 

「・・・許したくなかったの」

 

「夏帆・・・」

 

「最初は、遥君が自分の道を自分の意志で決めたことを応援しようと思ってた。・・・だけど結果的に、あの子の優柔不断な判断の連続が、千夏を傷つけて、そしてこの事故につながったんだよ。大切なものを傷つけられるくらいなら、好きになるんじゃなかったって、思っちゃう自分がいるの」

 

 絶望しきった顔で、お母さんは胸中を吐く。その思いを貶す人間は、この場所にはいなかった。・・・だってそれは、みんなどこか、心の片隅で思っていたことなのだから。

 けど、受け入れて進まなきゃいけないことも知っている。少なくとも、お父さんはそうやって先を行っているのだろう。

 

「憎んでも仕方ないのに、恨んでも仕方ないのに、松原君がやることなすこと全部、あの子の面影が出ちゃうの」

 

「・・・そうだな。俺も最初は、そう思ってた」

 

 お父さんも心底苦悶に満ちた表情で同意する。私たちの歪な関係が周りに与えた影響は、想像の何倍も上をいっていたみたい。

 流石に、この感情はすぐには解決できないか・・・。

 

「ごめんね千夏。こんな、どうしようもない・・・」

 

「やめてよ。・・・絶対に、どうしようもない母親だなんて言わないでよ。そんなの私が許さない」

 

「千夏・・・」

 

「お母さんの気持ちはちゃんと理解してる。多分、私がお母さんの立場でも同じことを思うよ。絶対に、遥くんのことを悔いちゃうと思う」

 

 悔いることは誰にだってある。大事なのはその後。

 

「だから、時間をかけてどうにかしないとね。忘れるでもいい、意識を変えるでもいい。けど最後は、この嫌な感情とちゃんと決別しよう?」

 

「千夏は・・・それでいいのか?」

 

「私の決別自体は、二年前の事故の日から決まってたんだよ? 今更どうってことないよ」

 

 真っすぐな答えに、お父さんは「そうか」と呟いて一度頷いた。

 どこか居心地の悪い、薄暗い空気が部屋の中に漂う。負の感情が生み出しているそれを一蹴するだけの何かを、この場にいる誰も持ち合わせていないみたいだった。

 

 

 

 ・・・五年前は記憶を失くしてたから分かんなかったけど、目覚めってこんなに暗いものだったっけ? 

 ため息は、自然と漏れた。

 




『今日の座談会コーナー』

 ここから現代なんですが、まあ暗い・・・。ここから先のテーマは、「負の感情」と向き合い未来を掴むという物語なんですが、それをレギュラーメンバーではなく準レギュラーメンバーが抱いているのが厄介ですよね。しかも積年の感情のせいでかなりひどくこびりついてますし。ここからは、松原聡が島波遥という存在を認識して、どう動くか、という物語になっていきます。ぜひお楽しみに。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第十話 ぬくもり、失わないように

~保side~

 

 目覚めた千夏と会うことが出来たというのに、二人だけの家の空気は鉛のように重たかった。それはおそらく、千夏が夏帆に尋ねた言葉にある。

 

 遥君を、恨んでいるのかと。

 

 薄々そんな予感はしていた。表では取り繕っていても、内内から湧いてくる感情はごまかせない。俺と夏帆は、それだけの時間と年月を共にしてきた。

 だから、逃げることは出来ない。俺はこの目の前の問題に真正面から向き合わなければいけないと思った。

 

 家に帰ってしばらくして、俺は硬く閉ざしていた口を開いて、夏帆にその真意を問う。

 

「なあ、夏帆。・・・お前は、遥君のことを」

 

「・・・今は、その話をしてほしくないです」

 

「そんなことを言っても、もう逃げられないだろう。疑念を抱いたまま、俺はこの先を生きていきたくない」

 

 疑うくらいなら、その残酷な事象が真実であって欲しかった。知らないままのほうがよかったこともあると言うが、俺はその片鱗を知ってしまった。もう知らないふりは出来ない。

 

 夏帆は、しばらくの間躊躇った。そして覚悟がついたのか、酷く怒りと悲しみに満ちた表情でぽつぽつと話し始める。

 

「・・・私はもう、あの子のことを好きにはなれません」

 

「そうか。・・・けど、遥くんの決断は彼自身の意志だ。それを咎めるのは逆恨みじゃないか?」

 

「逆恨みだとしても! ・・・あの子の中途半端な態度と行動が千夏を傷つけた。最後まで散々振り回して全てを壊すくらいなら、最初から切り捨てて欲しかった! ・・・それとも、迎え入れた私たちが全て悪いんですか?」

 

「それは・・・」

 

 もしそれが正しかったとしても、肯定したくなかった。

 人間というものは難しいもので、自分の行動が間違いだったと簡単に認めることが出来ないみたいだ。

 

「もう、どうすればいいか分からないですよ・・・」

 

 夏帆は両手で頭を抱えて、ぶるぶると震える。極限状態にあることは簡単に見て取れた。蓄積した心へのダメージがまだ抜けきっていないのだろう。

 それでも、憎むのは終わりにしないといけない。俺は夏帆を奮起させることを選んだ。

 

「けど夏帆、千夏は目覚めたんだ。もう、前を向いてもいいじゃないか」

 

「いいわけあるものですか! あの子を恨むのをやめたら、千夏が失った七年間は取り戻せるんですか!?」

 

 涙混じりの怒声に俺は気圧される。いよいよ夏帆は、この二年間どころか冬眠で過ぎ去った五年のことも語りだした。

 少なくとも、そこに対する遥君の責任なんて微々たるものだろう。・・・けれど憎悪というものは恐ろしいもので、一度敵と見てしまえば全ての行動が悪として見えるようになってしまうみたいだ。

 

 今の夏帆からすれば、遥君はもはや、敵だ・・・。

 

「保さん、私たちは甘やかしすぎたんですか? 彼のこと、信じすぎてたんですか?」

 

「・・・分からない」

 

「そうして信じた結果がこの仕打ちって言うなら・・・やっぱり私は」

 

「もういい。・・・悪かったな、嫌なことを語らせて」

 

 それ以上の話は無理に等しかった。

 どこまでいっても今の夏帆の考えは変わらない。積もった憎しみを、俺は解いてやることが出来ない。

 全てが硬直していく。ようやく時計がまた動き出したというのに、俺たちは前に進める気がしない。

 

 ・・・本当に、どうすればいいんだろうな。

 

---

 

~千夏side~

 

 次の日から、お父さんとお母さんは別々に私に会いに来るようになった。二人の距離が大きく開いてしまったことが分かる。

 その原因、思い当たる節は・・・ある。あの日、私がお母さんに言ってしまった言葉だ。

 

 確認しなければならない言葉であると同時に、口にしてはいけないタブーだったんだろう。それを開いてしまった結果がこれだ。

 私はまた、自分の居場所を壊そうとしている。・・・そして、その場所を失ってしまったら、今度こそ私の帰る場所なんてない。

 

 何回ミスをすれば、気が済むんだろう。

 

 俯くと泣きそうになる。だからせめて涙だけは流さないようにと上を向いて時を数えた。そんな中で、病室の扉がノックされる。

 

「千夏ちゃん、いいですか?」

 

 松原さんだ。私は声を振り絞って、どうぞと答える。それから昨日とは違う格好で、松原さんは部屋に入ってきた。

 

「こんにちは、千夏ちゃん」

 

「今日も来てくれたんですね。・・・それも、休みの日に」

 

「いえ、休みの方がこうやってゆっくりと話せるので。千夏ちゃんさえよければ」

 

「・・・なら今日は、ちょっと私の愚痴を聞いてくれますか? この間松原さんの話を聞いて抱いた疑問が、現実に変わっちゃったので」

 

 松原さんは少し驚いた顔して、それから残念そうな、けれど微かに嬉しそうな表情を見せて、頷いた。

 

「聞かせてください。そうするだけの義務と責任、多分僕にもありますし」

 

「・・・この間、松原さんが度々聞いていた、お母さんの言う『あの人』の話をします」

 

 それから、神経をすり減らしながら全てを語る。

 お母さんが憎んでいる相手、それはかつて私が愛していた人だったということ。かつて、その存在と同じ空間で長い時を過ごしていたということ。二人の子供のような存在だったこと。

 そしてそれが、松原さんも知る「島波遥」という存在だということ。

 私がおかしくなってしまった原因に、彼の存在があったこと。

 

 全てを洗いざらい吐いた。それを聞いてこの人が出来る事なんてほんとに微々たるものかもしれないけれど。

 全てに頷きながら、松原さんは話を聞いた。

 

 そして彼が最初に見せた表情は、苦痛のようなものだった。

 

「・・・苦しい話ですね。だって、誰も悪くないじゃないですか」

 

「はい。・・・だから皆、今こうやって苦しんでいるんだと思います」

 

「でもその中で島波さんがのうのうと幸せになろうとしているのであれば、確かに夏帆さんの立場だと許せないかもしれないですね。・・・僕が同じ立場でも、なんであいつだけがって、多分、思います」

 

 松原さんはお母さんの思いに共感してうんうん頷いた。決して健全な感情ではないが、遥くんへの感情移入のきっかけがない松原さんからすれば容易いことだったのかもしれない。

 

 全てを伝えたからか、私の心の奥の弱い部分がむき出しになった気がした。弱気になった心に付け込んで、不安がどんどんと色を塗り始める。

 その不安は間もなく言葉となる。

 

「松原さん、私、怖いんです・・・」

 

「怖い、ですか?」

 

「あの日、遥くんと離れたことで、私にあった大きな居場所が一つ消えました。・・・そして、今、二人がバラバラになると、また私の居場所がなくなる。・・・そうしたら私、一人です。・・・こんな状態で、一人」

 

 身体はボロボロで、手も足もまともに動かない。それなのに、助けてくれる存在がいないなんて。

 そう思うとより一層の恐怖が私を支配する。流れてくる涙は悲哀によって生まれるものではなく、恐怖による怯えから来るもの。孤独がこんなに怖い存在だなんて、思ってもなかったのに・・・。

 

「怖い、怖いよ・・・・・・」

 

 そう呟いて、目を閉じ俯いた時。

 

 

 ふわりと風が吹いて、柔らかく、力強い匂いが私を包んだ。

 

 

---

 

~聡side~

 

 

 千夏ちゃんは、僕に全てを語ってくれた。彼女の、そして島波さんの過去を。

 千夏ちゃんの手前、誰が悪いとは言わない。島波さんのことは今でも大切に思っているのだろう。

 

 けれど僕からすれば、その煮え切らない態度を長い事続けた島波さんは許せない存在に思えてしまった。憎んでも仕方がないし、責める気はないけど・・・。

 

 全てを語り終えて、千夏ちゃんは何かに怯え始める。その様子があまりに痛くて、心の奥の方がぞわぞわし始めた。

 どうにかして、その恐怖を取り除いてあげたいと思った。それは僕が事故の加害者だからではなく、ただ一人の人間として。

 

 ・・・これから僕はどうする?

 千夏ちゃんは目覚めた。けれど何も前に進んでいないどころか、目覚めたことで後退を始めたものもある。

 

 そんな中で、僕が出来る「償い」は。

 

 

 ・・・違う。この感情は、償いじゃない。

 

 

 あの日、千夏ちゃんが目覚めた日、千夏ちゃんという存在に触れた日、僕はこの子に惹かれたんだ。恋愛感情であるかどうかなどは知る由もない。ただ、人として、この人は大切にしたいと思った。

 

 だから僕は、この子をどうにか幸せにしたい。それがエゴだとしても、今の僕のなすべきことであり、為したいことである。

 ただ、それを伝えるだけの言葉が出てこない。

 

 ならば、と僕は動き出していた。

 精一杯の力を持って、優しく千夏ちゃんを抱きしめる。

 

 予想にもなかった行動に千夏ちゃんは戸惑っていたが、覚悟を決めた僕の心に迷いはなかった。ここにきてようやく言葉がすんなりと現れ始める。

 

「守らせてください」

 

「え・・・?」

 

「もし誰も悪くないというなら、誰か一人に罪があるという訳じゃないというのなら、僕に抱えさせてください。痛みも、怖いことも、全部」

 

 ようやく状況を理解し始めたのか、千夏ちゃんは少し焦ってたじろいだ。・・・けれど、否定もしなかった。この一方的な行為を、優しく受け止めてくれた。

 

「・・・居場所になってくれるんですか?」

 

「ならせてください。・・・その人生に、関わらせてください」

 

「でも私、こんなのですよ? 腕も足も満足に動かないお荷物で・・・」

 

「そんなことどうでもいい! ・・・その全てを抱えさせてください」

 

 僕がなしたかった「償い」の形が、やっと分かったような気がする。

 それは、花瓶を割ってしまったことを謝ることではない。謝って、作り直すことでもない。

 作り直した花瓶に新しい花を植えて、育て続ける。それが僕の為したい「償い」の答えだった。

 

 僕は今、心から千夏ちゃんを幸せにしたいと思っている。もう一度心から笑ってほしい。この先の人生、報われて欲しい。

 それが愛であってもなくてもどっちでもいい。

 

 どこまでも深く果てしないエゴを、僕は千夏ちゃんにぶつけた。当然、拒絶されたって不思議じゃない。「何様」だと突き放されて、罵られることも想像に難くない。

 

 帰ってきた答えは・・・そのどちらでもなかった。

 

「・・・なら松原さん、二人のこと、助けてあげてください」

 

「ええ、分かってます。そうすれば、千夏ちゃんは自分の居場所を失わずに済みますからね」

 

「もしよければ・・・そこにいてあげてください」

 

「もちろんです」

 

 それが、僕が千夏ちゃんの居場所になるという答えだった。

 僕もそれを望む。全てが壊れないことが一番だ。それに、二人のことを何とかしたいと思う気持ちは、僕もそうだったから。

 

 気持ちに一区切りついたところで、僕は思い出したように千夏ちゃんから離れる。ようやく理性も戻ってきて、少し頬を赤らめた。

 

「すみません、急に抱き着いちゃって」

 

「いえ。・・・少し、嬉しかったですよ? 私の事大切に思ってくれているって事、信じさせてくれましたから」

 

「つい、言葉が出なくて」

 

 急に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。少々強引だったことが祟っているのだろう。

 そんな僕に苦笑交じりの微笑みを浮かべて、千夏ちゃんは思いもよらぬ言葉を吐いた。

 

「もしよければ、時々こうしてハグしてくれますか?」

 

「え?」

 

「こう・・・あったかい気持ちになれるんです。私、ここにいてもいいんだ、頑張っていいんだって思えるんです。・・・そして、今その役を任せられるのは多分、あなたしかいないですから」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

 受け入れられた嬉しさは、もちろんある。

 けれどそれが、今の千夏ちゃんが頼れる存在が本当に少ない事の裏付けにもなっていて、どこか悲しい顔をせざるを得なかった。

 

 本当は、そうするだけの人はいる。僕はその間を繋ぎ留めなければいけないだろう。

 

 だからまずは、目の前の千夏ちゃんの心が離れないように。

 

 

 もう一度だけ、軽く、優しく、千夏ちゃんに自分の肌を寄せて少しだけ抱き着いた。




『今日の座談会コーナー』

 作中の状況が最悪すぎて絶句せざるを得ないですね・・・。本文中にも書いてあるように、千夏視点で見れば遥は遠くへ行き、両親の間にも不和ってなっていますからね。ほかに友達がいたとしても、親友に足る存在がいないと頼ることは出来ませんから。負けヒロインを救済する物語なのに、どん底のスタートからさらに底を見せようとしているわけですからまあまあ苦しい話ですよね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第十一話 僕のために

~聡side~

 

 あれから僕は、会社にも無理を言いつつ千夏ちゃんの元を訪れるようにした。休日も平日も関係ない、割ける時間はリハビリに面会に、全てに費やした。

 ・・・そうでもしないと、千夏ちゃんの世界が崩れてしまいそうな気がしていた。

 

 保さんと夏帆さんの間の溝はだんだんと深まっているらしい。それぞれ、自分の気持ちをうまく割り切るのに苦労しているのだろう。そうなるだけの理由は理解できるし、仕方がないことだとも思う。そこを責めるつもりなど僕にはない。

 

 だから僕は、二人の分まで千夏ちゃんへの思いを背負うと決めた。そして二人が帰ってきたとき、最善の状況で出迎えてあげることが出来れば。ただそんなことを思っている。

 

 

 そうして僕は今日も病室へ向かう。今日は仕事終わりの数時間くらいしか余裕がないが、出来ることはあるはずだ。

 病室の扉をノックする。小さな返事は一秒もせず帰ってきた。

 

「こんにちは、千夏ちゃん」

 

「松原さん、お疲れ様です」

 

 それから僕は無言で歩みよって、小さく肩を寄せるだけのハグをした。そうしよう、と二人で決めた約束だ。

 そして二秒もかからないほどで体を離して、千夏ちゃんの目を見る。

 

「今日のリハビリは?」

 

「そうそう、見て欲しいものがあるんです」

 

 そう言った千夏ちゃんは、これまで微動だにさせる事のなかった右腕をプルプルと伸ばして、手を握ったり開いたりしてみせた。リハビリ開始から一か月経って初めて、目に見える吉兆が見え始めたのだ。

 

「右腕、動くようになったんですか?」

 

「ちょっとだけですけどね。・・・けど、あれだけ苦しい思いをしてたんですから、こうやって目に見えてよくなっているのが分かるの、嬉しいです」

 

 少し伏し目で千夏ちゃんは喜びを語る。・・・それなのに、ちっとも嬉しそうに思えないその表情が、たちまち僕を苦しめた。

 何度もリハビリの手伝いをしてきた僕だからこそ分かる。あれだけの苦労の対価がこれっぽっちでは、思うところもあるだろうと。

 

 そう思うたびに、この状況に陥れてしまった自分に腹が立って来る。もう戻れないとしても、意味がないとしても、後悔だけは捨てきれない。

 

「・・・あと、どれだけ頑張ればいいんですか」

 

「え?」

 

 ふと、千夏ちゃんは俯いてそうこぼす。その表情は僕の角度からは見えないが、酷く辛く、寂しそうな表情をしているのだろう。

 

「頑張っても頑張ってもゴールは見えないし、お父さんもお母さんもバラバラだし、元の生活に戻っても、そこはもう・・・二人はいないし」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

「ははっ、なんでだろう。・・・せっかく一歩進んだはずなのに、全部馬鹿に思えちゃんですよ」

 

 元の生活に戻ったとて見返りがないのでは頑張ることすら無意味だと、千夏ちゃんは毒を吐く。・・・確かにそうだ。誰だって頑張り損なんてしたくない。

 そしてそれを示し合わせるかのように、千夏ちゃんは僕にとんでもないことをぶつけてきた。

 

「ねえ松原さん」

 

「なんですか?」

 

「ぶっちゃけるとですね・・・。私、今、こうしている時間が多分一番幸せなんです。松原さんがここにいてくれる今の時間が」

 

「・・・僕がいる、ですか?」

 

 コクンと小さく頷いて、目線を真下にやりながら千夏ちゃんは続けた。

 

「今のお父さんとお母さんは二人とも辛そうで、苦しそうで、一緒にいてもこっちが苦しくなるだけ。遥くんと美海ちゃんが来ても、幸せそうな二人を見て胸が苦しくなる私がいるだけ。・・・一人ぼっちの病室はもっと寂しい。・・・だから、松原さんがいてくれる時間が、一番楽なんです」

 

「けど、それって・・・」

 

「まあ、リハビリ終わっちゃったらなくなっちゃいますよね。・・・このままだと私、居心地悪い家に帰らないといけないことになっちゃいます」

 

 それは酷く絶望しきった目で放たれる、残酷な言葉。

 千夏ちゃんは、元気になって欲しいという周りの期待と、頑張ることに意味を感じていない自分の間で揺れ動いている。どちらも正しいし、どちらも間違いなのかもしれない。

 

 ・・・そんな僕に出来ることは、何がある?

 

 その時、ふと、千夏ちゃんが目を覚ました日の島波さんの言葉を思い出した。

 

『千夏の世界にいてやってください』

 

 僕が、千夏ちゃんの世界にい続けるために出来る事を探す。

 こんな、被害者と加害者の関係に留まらない、その先の世界を探す。

 

 ・・・あれ、これって。

 

 

 まるで、僕が心から千夏ちゃんに惹かれているみたいだ。

 

 

 その事実が心の底を過った時、ふと笑ってしまった。笑っていいものか分からないが、笑ってしまう。

 ただの償いが、いつのまにか心からの一目ぼれに変わってしまっていたなんて。

 

 もちろん、その感情は簡単に許されていいものではないだろう。けれど、それを飛び越えて千夏ちゃんの傍にいたいという気持ちは、紛れもなく僕のものだ。

 

 自分で見つけた、自分だけの答えなんだ。・・・もう、少しくらい我儘になったっていいはずだろう。

 

 その思いは、不細工ながら、真っすぐと言葉になる。

 

「・・・もっと、千夏ちゃんの傍にいてもいいですか?」

 

「え?」

 

「こんな病院だけの関係じゃない、その先にいる千夏ちゃんを、僕は知りたい」

 

「・・・告白?」

 

「かもしれないですし、そうじゃないとも思います。ただ一つ言えるのは・・・」

 

 

 もっとあなたを知りたい、ということ。

 

 

 僕の吐露を全て聞き終えた千夏ちゃんは、目の端から少し零れている雫を拭いながら笑った。

 

「松原さんって、実は結構大胆だったんですね、油断してました」

 

「そうなんですか? 少なくともそんな人間じゃないと思ってたんですけど」

 

「・・・さっきの話、嘘じゃないですよね?」

 

「はい。償いも贖いも越えた先の関係が、僕は欲しいんです」

 

「だったら具体的に、私をあなたとどう結び付けてくれますか?」

 

 突き刺すような鋭い瞳。それにすら僕は気圧されることはなかった。何も考えていなかったのに、冴えた答えはみるみるうちに心から出てくる。

 

「千夏ちゃんが高校を卒業したら、旅にでも出てみませんか?」

 

「旅?」

 

「鷲大師も、向こうの街も越えた、二人とも知らない所へ行くんです。新しい世界が広がるのって、楽しいじゃないですか」

 

 かつては言うことすら出来なかった、為したい夢、叶えたい我儘がつらつらと出てくる。それが拒絶されることなど、今となってはどうでもよく思えてきた。

 

 我儘になるということがどういうものか、ようやく分かった気がする。

 

 僕の広げた落書きの図を見て、千夏ちゃんはまた微笑む。その微笑みは、この病室に来た時一番最初に見せたものとは全く別物の、何にもとらわれない純白のものに見えた。

 

「松原さん、私のこと好きなんですか?」

 

「多分。おそらく。いや絶対、心から惹かれてますよ。・・・素敵な人だと思います」

 

「結構ずばずば言われると、ちょっと・・・」

 

「けど、今はそれまでです。だって僕は、ここじゃない場所での千夏ちゃんを知らないんですから。・・・だから、知りたいんです」

 

 恥ずかしいことを言っているのは分かっている。それでも、どこか気分はよくて、思いが止まる気配はなかった。

 千夏ちゃんは僕の言葉の一つ一つを頷いて、理解して、そして今度こそ曇りない瞳を見せてくれた。

 

「じゃあ、リハビリ頑張ってみます」

 

「え?」

 

「だって、頑張って退院出来たら、松原さんが外の世界に連れてってくれるんですよね? 見てみたいんですよ、外の世界。私だって、まだまだ知らないこと沢山ありますから」

 

「そうですか。・・・なら、もっと全力でサポートさせてもらっていいですか?」

 

「言ったじゃないですか。松原さんがいてくれる時間が、"今"は一番好きなんですから」

 

 範囲を限定しながらも、千夏ちゃんは僕のことを認めてくれた。それはやっぱり嬉しくて、だからこそもっと頑張ろうと思える力をくれる。

 だから立つ。前へ進む。傷つけた過去はそのまま、消えない心の傷と思い出にして、僕はこれからも歩いていこう。

 

 ・・・やるんだ。全員が笑える終わりを迎えるために出来ることを。

 千夏ちゃんのために。千夏ちゃんの両親のために。千夏ちゃんの友達の二人のために。

 

 

 そして誰よりも、僕自身のために。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 人生は取捨選択であり、誰かが喜びを得る時別の誰かが悲しみを得るという作りとなっています。そんな中で全ての幸せを願うことは傲慢だ、ないし、綺麗事だと言われますが、そうした綺麗事を望む人間が世の中にいなければ世界はどんどん暗くなっていくんじゃないですかね。願わなければ奇跡が起こらないなら、奇跡を願うことは大切なことですから。合理的な判断を最後まで続けようとした遥と、早いうちからそれを理解した聡、それがこの外伝のキーだったりします。

といったところで、今回はこの辺で。
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第十二話 分厚い雲の切れ目に

~聡side~

 

 あの一件から千夏ちゃんは生きることに随分前向きになってくれたみたいだった。だからこそ僕も後ろから背中を押されるような気分を味わうし、それに殉じたいと思うようにもなる。

 

 やる気があればなんでも出来る、とは過言に思えるかもしれないがその通りで、千夏ちゃんは事故から二か月もしないうちに自分の足で立てるようになった。歩くためにはまだ補助が必要だったりするが、それでもこれは大きな一歩だ。

 

 そうして、僕と千夏ちゃんは一歩ずつ前に進んでいる。

 ・・・けれど、それじゃダメなんだ。僕と千夏ちゃんだけが前に進むだけでは。

 

 心に霞が見え始めたある日、いつも通り千夏ちゃんのリハビリに向かおうとしていたその時、ふと後ろから僕の名を呼ぶ声があった。・・・思えばそれは、この場所では初めてのことだったかもしれない。

 

「松原さん、少々お時間、いいですか?」

 

「夏帆さん。・・・お仕事の休憩時間ですか?」

 

「はい。一時間ほど。・・・それで、いいですか?」

 

「いいですよ、付き合います。幸い、僕も今日は休みですし」

 

 千夏ちゃんが目覚めてからも何度かこの人たちとも同じ時間を過ごしているが、千夏ちゃんが目覚めるより二人の関係は悪化しているし、二人ともずっと浮かない顔を続けている。・・・僕は、この人たちにも前に進んでほしかった。

 

 だから、今日、この時間は僥倖だったのかもしれない。

 

 スタスタと進んでいく夏帆さんの背中を追いかけながら、僕は同じくらいのスピードで付いていく。追いつくことがないよう、追い越すことがないよう。

 そして誰もいない、鈍く光る秋の曇天の屋上で夏帆さんは立ち止まる。

 

「ここなら、多分、誰も来ないでしょうから」

 

「そうですね。・・・せっかくだし、座りましょうか」

 

 きっとこれは、長話になるだろう。・・・というより、抱えている暗い感情を、簡単な、手短な言葉なんかで片付けて良いはずもない。

 僕の言葉に納得して、夏帆さんは人1人分のスペースを開けて僕の隣に座る。それから二、三回呼吸を挟んで、僕に語り掛けた。

 

「・・・松原さん。今のあなたにとって、千夏は何ですか?」

 

「何、ですか・・・」

 

「分かってるんです。あなたは精一杯千夏のためになろうとしてくれている。そして、私たちの事も思ってくれている。・・・だけどもし、千夏がちゃんと回復したら、その先はどうするんですか? まだ、あなたからその答えを聞いていません」

 

「それは・・・確かに、まだ言っていなかったですね」

 

 夏帆さんは悲痛な目をして空を仰ぐ。おそらく、裏切られた過去に心を痛めているのだろう。・・・誰も悪くなかったとしても、夏帆さんが裏切られたという気持ちを抱くのは、不自然な話ではない。

 

「もし、何も考えることが出来てないのなら・・・もうこれ以上、私たちに近づかないでください。安易に、あの子の人生に関わらないでください。いっそ、忘れてくれた方が、私たちも楽でしょうから」

 

 その言葉は、いつか聞いた言葉の裏側の世界だった。

 島波さんは、償うことを「忘れないこと」と言った。だけど、償われるべき対象のこの人たちは、「忘れられること」を望んでいる。傷が広がらないうちに。

 

 ・・・忘れるなんて、出来るはずがない。

 

 今日までこの街で過ごしてきた日々が、空っぽだった僕を満たしてくれた。その恩は簡単に捨てられるものではない。

 それに、こう言われると益々思ってしまう。僕が思う以上に千夏ちゃんに惹かれているということを。

 

 ただ、それを口にしてこの人が許してくれるかどうか、だけど・・・。

 

「夏帆さん、最初の質問、お答えしていいですか?」

 

「はい」

 

「僕にとって千夏ちゃんが何なのか、ですけど・・・。はっきり言います。僕は今、とても千夏ちゃんに惹かれていますよ」

 

「え?」

 

 僕の答えがあまりにも真っすぐ過ぎたのか、しばらくの間夏帆さんは呆気にとられた表情をしていた。良いも悪いも言わないまま。

 

「できれば、事故なんてきっかけなしに、僕は千夏ちゃんに出会いたかったです。・・・あんなに素直な子だって事、もっと早くに知っていたかったですよ」

 

「出鱈目を言ってる?」

 

「これがあ出鱈目に見えますか? ・・・それにまだ、夏帆さんには僕が罪悪感だけで千夏ちゃんに接しているように見えますか?」

 

「・・・」

 

 その沈黙は、否定を物語っていた。

 二人でいる時間は、僕が今過ごしている毎日の中で一番楽しい。事故というきっかけがない出会い方をしたかった。これらの感情は、全部、全部、本当だ。

 

 あの日虚ろな目をして現実を呪った僕は、今はもうここにはいない。僕は心から千夏ちゃんに惹かれて、千夏ちゃんのことを知りたいと思っている。

 ・・・好き、なんだ。絶対、間違いなく。

 

 ただ、それを伝えるためにはどうしても被害者と加害者という垣根を越えなければならない。事故によって生まれたすべての哀しみを克服しなきゃならない。

 だから今、こうして中途半端なところで立ち止まってしまっているんだ。

 

「分かってますよ。今、安易に千夏ちゃんに好きだと伝えてはいけないこと。それがみんなをかき乱すことは知っています。・・・だけど、僕のこの気持ちに嘘はないんです。・・・やっぱり、怖いですか?」

 

「怖い、に決まってるじゃないですか。・・・過去って、そう簡単に拭えるものじゃないんですよ。・・・あなただって、いつ心変わりをするか」

 

 瞳は常に後ろを向いて、現実のいる前の方を向こうとしない。

 それにだんだんと腹が立ってきて、呆れた僕はつい口を滑らせてしまう。

 

「・・・千夏ちゃん、困ってますよ」

 

「あ・・・」

 

「この間、千夏ちゃんがこんなこと言ってたんですけど・・・聞きますか?」

 

 頷いた夏帆さんに、僕はゆっくりと先日のことを語りだす。

 

---

 

~過去~

 

 足が動くようになった千夏ちゃんは、もう曇った瞳を浮かべることはなかった。明日はどこまで行けるかと、ワクワクしながら日の出を待っている旅人のようだ。

 目を窓の外の夕焼けに向けて、千夏ちゃんは僕に語り掛ける。

 

「あーあ、早く退院したいんだけどなぁ」

 

「ご両親のことは、いいんですか?」

 

「・・・あー、そう言えばそうでしたね。なんかもう、すっかり忘れてて」

 

 どうやらそれは本当のようで、千夏ちゃんは悪びれる仕草の一つも見せなかった。目の前ばかり見ていると、周りのことなど気にならなくなるみたいだ。

 

「お父さんとお母さんには悪いけど、私もう、遥くんの事どうでもいいんです。そりゃ、大切な友達だけど、それまで。悔しいとか、大好きだとか、そんな気持ち、もうないんですよ。・・・ただ、まだそれを伝えられてなくて」

 

「伝えても二人がはいそうですかって分かってくれますかね?」

 

 首を横に振りながら、千夏ちゃんはため息を吐く。

 

「無理でしょうねー・・・。けど、いい加減前に進まないとダメだと思うんですよ、二人も。だからせめて、私がもう引きずっていないことを分かってほしくて」

 

「そうですね。・・・僕も、そう思います」

 

---

 

~現在~

 

 

「あの子が、そんなことを・・・」

 

「信じられないのなら後で本人の所で確かめてあげてください。・・・けれど確かに、今の千夏ちゃんはとっくに前を向いて進んでいますよ。本当に強い子です」

 

 夏帆さんは少しの間考え込むように黙り込んだ。それは一分ほどに及び、そして僕にある言葉を漏らした。

 

「・・・あなたは、千夏のことが、好きなんですか?」

 

「好きって言ったら、夏帆さんは認めてくれるんですか?」

 

 その確証がないから黙っていたが、夏帆さんが認めてくれるなら話は別だ。

 ・・・が、現実はそう甘くない。それを示すだけの答えを夏帆さんは告げた。

 

「・・・やっぱり、すぐには」

 

「まあそうですよね」

 

「・・・ですが、あなたの気持ちは信じます。もう少し、千夏の隣にいてあげてください。そして、・・・全てが終わったその時に、まだ千夏が好きだと言うのなら私はあなたを受け入れます」

 

「ありがとうございます」

 

 少しだけ、夏帆さんの雲の切れ端から太陽が見えた気がした。すぐに陰ってしまうかもしれないそれは、うかつに障ることが出来ないだろう。

 だから僕は待ち続ける。きっと夏帆さんが前を向いてくれる日は、そう遠くないかもしれないから。

 

 そして、事故というきっかけすら超えた時、僕はもう一度、千夏ちゃんに思いを伝えたい。それが僕の持つ答え。人生を賭けるという事。

 

 

 僕は、千夏ちゃんとずっと歩いていきたい。

 




『今日の座談会コーナー』

 着々と外伝にも終わりが近づいてきましたね・・・。実際書いてて思うんですけど、こうしたきっかけで出会った二人が結ばれようとする時、加害者側は本当にこれでいいのかとなると思うんですよね。あくまで自分の恋愛におけるスタンスは「双方の納得」なので、きっかけはどうでもいい部分がありますけど、現実社会はそう簡単にいくものではないでしょう。創作だからこそ出来る話ですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十三話 愛憎の雨が止み

~夏帆side~

 

 あの人は、遥君と同じではない。

 ずっと分かっていたはずなのに、理解もしていたはずなのに、どうしても心がそれを受け入れなかった。また、振り回すだけ振り回して、全てをばっさりと断ち切るのではないかと、そんな未来が雲を生む。

 

 いつからか、私は心から人を信じる事が出来なくなりつつあった。それは多分、千夏に対しても、保さんに対しても。

 こんなことに何の意味もないと分かっているのに、意地を張ったみたいに思いだけが暴れている。

 

 ・・・けど、もういい加減にしないと、みんな一生幸せになれない。全ての足を引っ張っているのは私だ。

 

 だから、この現状と、彼の気持ちをちゃんと受け入れたい。信じてみたい。それはとても怖くて仕方がないけれど、何もしないでいるならダメもとで期待してみた方がいいのかもしれない。

 

 そのために・・・この胸中をどうしても伝えたい人がいる。

 

---

 

 仕事から帰る。物寂しいリビングにいつものように保さんはいた。

 あれから会話もずいぶんと減ってしまった。二人だけの食卓は常にお通夜みたいな状態で、寝る時も背中合わせ。人1人分開いてしまった空白を埋められない日々が何日も続いていた。

 

 ・・・それでも、保さんはずっと変わらないでいてくれた。

 

「・・・ん、帰ったのか? お帰り」

 

「・・・ただいま」

 

 なぜかふと、目頭が熱くなった。私がどこまでも周りをかき乱していたというのにずっと変わらずにいてくれたこの人の優しさがどこまでも身に染みた。私を信じて、待ち続けてくれているのだと、やっと気づいたのだろう。

 

 身体はふらふらと保さんの方に向かって歩き出す。そしてそのまま、その胸に飛び込むように保さんに抱き着く。

 

「夏帆?」

 

「・・・分からないんです」

 

「・・・」

 

「彼を信じたいのに・・・私がどうすればいいか・・・分からないんです」

 

 私の口からそう零れることが意外だったのだろう。保さんは少し黙り込んだ後、空いている手で私の頭を撫でた。ごつごつとしていながらも、柔らかい手だ。

 

「信じたいと、そう思ってくれたんだな」

 

「・・・あの人と一緒にいる時の千夏、幸せそうなんです。リハビリも、これまで以上に懸命にやっていて。・・・まるで全部、あの人が変えてくれたみたいで」

 

「実際、そうなんだろうな。・・・俺たちじゃ、目覚めたままの千夏を支えることが出来なかっただろう」

 

 少し歯がゆそうに保さんは言う。事故から目覚めて今日この日まで、一番千夏の支えになってくれたのは松原さん、その事実に間違いはない。ずっと同じ場所で見てきた私だからこそ分かる。

 

 だから、託してみたい。千夏を幸せにしてほしい。

 なのにその勇気が出ない。認めることが出来ないで、何をすればいいか分からないでいる。

 

 こんな歳にもなって、私は無力さに打ちひしがれていた。

 

「私は・・・何を」

 

「なあ、夏帆」

 

 ふと、保さんの声が私の吐露を遮る。そこから繰り出されたのは、私が今何をするべきかという問いに対する真っすぐな答えだった。

 

「確認だが・・・、夏帆は今、松原君のことを信じたいと思っているのか?」

 

「はい。・・・最後にもう一度だけ、あの子のことを誰かに託したいと思っています。・・・千夏のことを、幸せにしてほしいと思っています。彼は・・・千夏に惹かれていると、はっきりそう言いましたから」

 

「なら、もう答えは出ているじゃないか」

 

「え?」

 

 少なくとも、私は気持ちの部分しか喋っていない。それのどこに答えがあったんだろうか。

 答えはすぐに保さんが語ってくれた。

 

「信じたいと思ったなら、後は待つだけ。それでいいじゃないか」

 

「・・・あ」

 

「今まで俺たちはずっとそうして来ただろう? たまたまそれが上手くいかなかっただけで、急に自分が何か出来るわけじゃないんだ。・・・俺はそうして、最初から全てを彼に託していたつもりだ」

 

「でも、どうしてそんな簡単に人を信じられたんですか?」

 

 顔を上げた私の問いに、保さんは首を横に振って応じる。

 

「簡単じゃなかった。だから、長い時間を使って確かめたんじゃないか。松原君が、俺たちの事をどう思ってくれているか、千夏のことをどう思っているか」

 

「そういえば・・・」

 

「彼は底抜けに優しい。けれど優しいだけじゃない。今はちゃんと、自分だけの誇りと、自分だけの願いをもって俺たちに接してくれている。そしてその自分の願いの中に千夏がいることも、俺は分かっているつもりだ」

 

 初めにこの人と出会った時に思ったことを思い出す。

 保さんは、どこまでも人を見る目があった。その人の弱みと強みと、いいところと悪いところを全部見つけ出すのが上手かった。そして、それに応じて人に接することも上手かった。

 

 私は保さんの、そんなところが好きになったはずだ。だから今もこうして、あの日々と同じように惹かれている。

 

 保さんなら、信じられる。その保さんが信じているものを、私は信じたい。

 それが「夫婦」であるということ。同じものを見て、同じ思いを共有できる生き物。時々すれ違いや衝突もあるだろうけれど、最後は同じ場所に辿り着く。

 

 そう考えてみると、私はあの人に全てを託してみたくなった。仮に結ばれない道を取ったとしても、彼はきっと、千夏を傷つけない選択をするだろう。そう思えてきた。人間は、考え方一つでどうとでもなる生き物みたいだ。

 

「・・・親、だからな。千夏の思いを信じてやらんといかんだろう」

 

「そうですね。・・・これまで私がどうしてきたか、ようやく思い出したような気がします」

 

 千夏が五年間の眠りに着いた時も、上手くいっていない時も、ずっと子である「千夏」を信じて生きてきた。今更それを覆す事なんてできはしないから。

 私はこれからも親であり続けたい。だから、もう一度、何度でも、千夏と、その周りにある想いを信じることにする。

 

 答えなんて、それだけでよかった。

 そう思うと心の緊張は急にほどけて、飾らない言葉が現れてきた。

 

「・・・保さん」

 

「今度はなんだ?」

 

「好きです」

 

 保さんは突然のそれに驚いたように息を漏らす。だけどそれを受け入れてくれるのも保さんで、少し恥ずかしそうにしながらではあるがちゃんと答えてくれた。

 

「・・・ああ、俺もだ」

 

「これからもずっと、お願いしますね。同じ景色を見て、同じものを信じて・・・」

 

「分かってる。ずっと一緒にいてくれないと、俺も困るからな」

 

 そこからしばらく時が止まったような気がした。この柔らかい二人だけの時間はいつぶりだろうか。初恋の頃に戻ったような感覚に、私も少しだけ苦笑した。

 結局今日この日まで進めなかったことを謝ることが出来なかったが、多分それでいいのだろう。謝罪よりも、明日を見ることの方がきっと素晴らしい。

 

 ・・・私はもう大丈夫だから、いつでも戻っておいで、千夏。

 

---

 

 数日後、いつも通りの職務中。

 千夏は私の心に動きがあったことを見抜いていたようで、柔らかな笑みで一度「そっか」と呟いた。きっと謝ったら千夏は怒るだろうと思って、私は敢えて何も言わない。

 

 ただ、一つだけ「リハビリ、頑張ってね」とだけ伝えて。

 

 そして廊下に戻った時、久しぶりに彼とすれ違った。・・・因縁の、彼だ。同じ職場にいながらこうもすれ違うことが無かったのはきっと、私から避けていたからなんだろうけど。

 

「あ、夏帆さん」

 

「お疲れ様、遥君」

 

 募る想いはいくらでもある。この災禍を生んだ原因の一部でもある彼のことは、まだ少し怖く思えてしまうけれど。 

 それでも私は、もういつも通りの私だった。

 

「これから、千夏の所へ?」

 

「はい。・・・えっと、その」

 

「何?」

 

「・・・いえ、何もないです」

 

 何度か苦しそうな表情を見せたが、結局遥君は何も言うことはなかった。

 分かっている。私が彼に抱いていた感情を、彼は知っているのだろう。そして、それを確かめようとして、やめた。

 

 けれど、それを沈黙のままにされても少々気分が悪い。だから私は、少しだけ意地悪してみることにした。

 

「遥君は、今、幸せですか?」

 

「え? ・・・はい、幸せですよ」

 

 戸惑いながらも、迷いない答え。千夏を切り捨てて得た彼の人生には、ちゃんと光が当たっているみたいだった。

 だから私は笑顔で言う。それを損なうことなかれ、と。

 

「なら、どうか最後まで幸せになってくださいね。・・・私も、応援していますから」

 

 かつて、我が子と同じように愛情を注ぎこんだ子。今となってはもう手が届かないところにいる他人。憎い気持ちがないわけではないけれど。

 それでも、応援していると送った言葉に嘘はない。子はいつだって親の元を離れていく生き物だ。離れていった存在を、いつまでも睨みつけてはいけない。

 

 頷いた彼は千夏の部屋へと向かっていく。これからも、彼は千夏にとっての「友人」であり続けるのだろう。私はただ、その行く末を見守る。

 

 

 おそらくそれが、私の憧れた「親」なんだろうね。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 こうしてみて思いますけど、水瀬保という存在、めちゃくちゃメンタルが強いんですよね。多分この作中屈指だと思います。さて、小説は作者の思いの反映と言いますが、水瀬保に至っては私の憧れる「親」の像そのものと言っても過言ではないと思います。子を信じる芯の強さ、全てを包括、許容する優しさ、目の前の出来事をまっすぐ捉えられる胆力。そうしたものを兼ね備えた人間を、私はどこか尊敬しているのかもしれないですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第十四話 太陽の差す方へ

外伝の愛憎劇だけで一本作れそうな気が・・・。


~千夏side~

 

 リハビリが始まって三か月が過ぎる。窓の外に見えていた紅葉は深紅に染まり、今にも燃え尽きようとしている。もうじき寒い寒い冬がやって来るだろう。

 

 しかし、私にとっての春が近いこともまた事実だった。リハビリは比較的順調に進み、杖を使って自分で歩けるくらいには足も回復した。もう一か月もすれば退院に迎えると先生も言ってくれている。

 

 そんな最近だからこそ・・・私は、私の夢と、秘密をそろそろ松原さんに打ち明けないといけない気がした。

 私の思いは常に海にあること、私が海に干渉出来る存在であること。・・・松原さんとは、住む世界が違う事。それら全てを打ち明けないといけない日が、多分すぐそこまで迫っていた。

 

 あの人への好意が明確な恋に変わってしまう前に、それを伝えないといけない。悲惨な終わり方だけは、もうごめんだから。

 

---

 

 いつものように松原さんは仕事の昼休憩にやってきた。手に握っているスチールの缶コーヒーが、外の肌寒さを思わせた。

 

「寒いんですか? 外」

 

「ええ。これから冬になりますけど、僕がこの街に来てから初めての冬なんです。だから、どんなものか分かってなくて」

 

「昔はすごかったらしいですよ? ・・・私が眠っていた、五年間は」

 

「・・・眠っていた?」

 

 ここから先は、私が初めて松原さんに伝える真実。これからさらに、同じような反応をするだろう。それでも伝える。それが優しさだという事を、私はもう知っている。

 

「・・・松原さん、今日、私はあなたに伝えなきゃいけないこと全部伝えます。それは絶対、簡単には想像できないことでしょうし、受け入れることもままならないと思います。・・・だけど、伝えさせてください。私が、あなたと距離を縮めるためには、必要なんです」

 

「・・・それほどの事なら、聞かない方がバカでしょう。聞かせてください」

 

 松原さんは、全てを受け入れる覚悟を持った目をして私を見つめ返してきた。その視線が歪まないことを願いながら、私は一つ一つを語っていくことにした。

 

「私の実年齢、何歳だと思います?」

 

「実年齢、ですか? ・・・確か今、高校三年生でしたよね? ・・・それに、二年の昏睡期間を足して、20・・・」

 

「はい。見た目年齢は20であってます。・・・ただ、私は生まれてから25年経っているんですよ」

 

「・・・え?」

 

 どうしてそうなっているのか、理由が想像できないのだろう。しばしの間、松原さんは口を開けたまま頭に手を当てて何かを考えていた。

 しかしそれはまとまりきらない。当然だ。エナを持っていて、冬眠に巻き込まれて、なんてことを、根っからの陸の人間であるこの人が知る由はないのだ。

 

「・・・千夏ちゃん、あなたは」

 

「目が覚めて三か月間、ずっとあなたに言ってなかったことがあります。・・・それは、私にはエナがあること、海で生きることが出来る人間であること。そして、数年前の海村の冬眠に巻き込まれて五年の時を過ごしたということです」

 

「エナ・・・冬眠・・・?」

 

「松原さんは外の街から来たので、聞き覚えがありませんよね。エナは、海の中でも呼吸が出来る性質です。私はそれを持っているんですよ」

 

 予想もしていなかった真実だろう。私が眠っていた二年間、誰の口からも聞かされていなかったみたいだ。

 表情は苦悶のような葛藤のような感情で歪んでいく。ただまっすぐ、視線だけを私の方に残しながら。

 

「まあ、ぶっちゃけ五年の冬眠についてはこの際どうでもいいんです。もう終わってしまったことですし。・・・問題はここからなんです」

 

 それは、私が海に心を引っ張られているという事。

 海のために生きたい。海で仕事をしたい。それが私の夢である事。

 

 松原さんとは"住む世界が違う"ということを私は伝えなければならなかった。

 

 これだけよくしてもらった。思いさえ伝えてもらった。

 だけど・・・だからこそ、この話をしなければならない。棘で締め付けられた心がジンジンと痛む。けれど逃げることが優しさではないことを、沢山の人に教えられたから。

 

 大きく吸った息と引き換えに、確かな言葉が産声を上げる。

 

「松原さん。・・・私は将来、海で仕事をしたいと思っています。これは、誰にも邪魔されたくない、私だけの夢なんです。愛より、恋より、私はこの夢を大事にしたい」

 

「・・・」

 

「やっと叶いそうなんです。海と陸の隔たりがなくなって、私も大きくなって、ようやく昔から抱いていた夢が叶いそうなんです」

 

「そう、ですか」

 

 落胆しているようには見えなかった。それよりは先ほどから続いていた葛藤の色が増したと言うべきか。松原さんはずっと何かを考え込むような表情を続けていた。

 下心など微塵もない、純粋に私のことを考えてくれているのだろう。それほどまでに、この人の誠意は真っすぐだった。

 

 だからこそ、私も意識してしまう。どうしてもこの人を傷つけたくないと。

 それでも譲れないものはある。それにこの人の性格だ。中途半端に私が夢を投げ出す方がよほど嫌なのだろう。

 

 部屋には、居心地の悪い無言が続く。

 

 

---

 

~聡side~

 

 打ち明けられる事実は、停滞していた現状をどこまでも壊していく鋭い一撃だった。そしてそのどれもが僕にとって残酷なもの。

 今、千夏ちゃんは明確に"住む世界が違う"ということを突き付けてきた。予想だにしていなかったその言葉に、胸が苦しくなる。

 

 ・・・僕の一番の望みはなんだ?

 

 あの日からずっと抱いていた疑念を、何度も問いかけた言葉を、もう一度自分に問いかける。

 

 僕は、あの人たちに幸せになって欲しい。そして、出来るならそこに自分もいたい。ずっとそれを願ってきたはずだ。

 そして、千夏ちゃんはもうすぐ夢を叶えようとしている。それは幸せになることそのもので、背中を押してあげるべきことだ。

 

 それで、いいはずなのに・・・。

 

 

 そこでようやく僕は、我儘が行き過ぎてしまっていたことを知る。

 自分の叶えたい望みが前に出てきたことで、今こうして相反する二つのものがぶつかり合っていることを知った。その狭間で自分が何を一番大切にすればいいか分からなくなっている。

 

 だんだんと頭が真っ白になっていく。どうすればいいか、その解は今すぐ出るものでもなさそうだ。

 

 深く、深く悩みこんでいると千夏ちゃんが沈黙を切り裂く。

 

「・・・もう、終わりにしませんか?」

 

「え?」

 

「私のリハビリも順調に進んでいます。もう二か月もしないうちに退院できるって先生も言ってました。・・・もう、松原さんが手を加えなくても、私は歩いて行けるんです」

 

 明確に"いらない"と口に出されたのは初めてだった。それがあまりにも唐突すぎて、思わず僕は聞き返してしまう。

 

「僕は・・・もう邪魔ですか?」

 

「そんなことはないです! ・・・ないですよ、そんなこと」

 

 一度声を張り上げて、千夏ちゃんは俯く。その反応が見れただけで、僕は今日までやってきたことが無駄ではなかったと思い込むことが出来た。

 でも、だからこそ、距離を取ることに踏ん切りがつかない。

 

「私の夢のある場所に、松原さんが介在することは出来ない。それなのにズルズルと関係を続けても、お互い辛いだけなはずです。だから、もう・・・」

 

 言葉はもう耳に入ってこなかった。言っていることが何一つ変わっていないからだ。

 それを差し置いて僕はただ、「これからどうすればいいか」だけを考えていた。夏帆さんとの約束、島波さんに言われた言葉、僕の、千夏ちゃんの願い、それをうまく擦り合わせて答えを探す。

 

 けれど、辿りついた答えは、逃げの一手と言っても過言ではなかった。

 

「・・・半年だけ、猶予をくれませんか?」

 

「え?」

 

「前にお誘いしましたよね? 旅にでも出てみないかって。そこで僕はもっと千夏ちゃんを知りたい。今の話を受けても、その気持ちに変わりはありません」

 

「・・・行きたいですよ、私も。でも、いいんですか?」

 

 何が、とは問われないが分かっている。仲を深めれば深めるほどすれ違った時の痛みが大きくなるという事だ。

 ただ、覚悟は最初から決まっていた。痛みを受け入れることを、今更拒む必要もない。それに、旅に出てみればまた何かが変わるはずだ。僕はそれを信じている。

 

「僕は、後悔しない自信しかないですよ? それでも千夏ちゃんが嫌というならやめますけど」

 

「・・・いえ、私も行きたいです。それが、遠慮なんかじゃない私の気持ちです」

 

 それから千夏ちゃんは、どこから吹っ切れた笑みを浮かべて、冗談めかしくとんでもないことを口にした。

 

「・・・松原さん、ちょっと提案、いいですか?」

 

「はい?」

 

「付き合ってみませんか? 私たち」

 

「・・・はい?」

 

 確かに僕は惹かれていると口にしたけれど、千夏ちゃんの全貌のまだ数割しか理解できていない。それで好きなんて言っていいものだろうかとずっと葛藤していたというのに、千夏ちゃんは何のためらいもなくそれを口にして見せた。

 

 そしてそれからクスクスと笑いながら続ける。

 

「ただ、普通にするのもなんなので、仮契約、みたいな形はどうですか? 仮恋人、みたいな」

 

「なんでまたそんな回りくどいことを・・・」

 

「多分松原さんのことだから、ちゃんとお互いを知ってからにしたいとか言うんだろうなって思ったので、この提案です」

 

 バレていたみたいだ。

 

「恋人という関係になってしまったら、私たちは嫌でもお互いのことを意識しないといけなくなるでしょう? 半年も猶予を取るなら、忘れることが出来ない日々にしたい、そう思いませんか?」

 

「違いないです」

 

「・・・夢は譲りたくありませんけど、私はことが上手いように運ぶことを信じているので。きっと旅の途中でその答えが見えたら、なんて」

 

「ありがとうございます。・・・そう言ってもらえて」

 

 本当に芯の出来上がった人だ。お母さん譲りの思慮深さと、お父さん譲りの優しさを千夏ちゃんは兼ね備えている。

 

「じゃあ、契約成立ってことで」

 

「はい。喜んで」

 

「それじゃ、一つ契約に組み込みたいのが・・・」

 

「?」

 

「恋人が台頭な間柄というのなら、敬語はなしで。私はそうしたいの」

 

「・・・なるほど。確かに、遠慮して話すのも堅苦しいか」

 

 ずっと、大切にしなければと思っていた。それは自然と言葉にも表れていて、僕はどこまでもへりくだることに慣れた存在になっていた。

 けれど、それを終わりにしたい、していいと向こうが望むなら、僕は改めて、一人の女性として目の前の千夏ちゃんを認識しよう。

 

「じゃあ千夏ちゃん、これからもよろしく」

 

「うん、よろしく。松原さん」

 

「・・・呼び方は変わらないんだ」

 

「それはもうちょっと時間を置いてから、ってことで」

 

 前途多難なのか、順風満帆なのか分からない前進。

 けれど確かにそれは僕にとっても、千夏ちゃんにとっても大きな一歩だと確信して、僕は心の底から笑って見せた。

 

 

 ・・・今はただ、この日々を楽しもう。僕達は、仮とはいえ糸を結んでしまったのだから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 書いててなんですけど、この二人のコンビの空気って遥×千夏とはまた違ってくるんですよね。歳の差というのもあると思いますけど、そうした差がありながらお互い押しまくるというところが本編二人と違うように思います。というより、覚醒後千夏は悟りを開いていると言っても過言ではないので、本編のどの状態よりもしっかりしているんですよね。それがこの二人の距離感に繋がっているのではないかなという風に思います。

と言ったところで、今回はこの辺で。
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第十五話 いつか、誰かの恵みの雨

~聡side~

 

 12月がやってくる。

 千夏ちゃんのリハビリもほぼ終わりを迎え、次第に千夏ちゃんに元気が戻ってきていた。もう杖を使わなくても歩けるし、微動だにしなかった右腕も着実に回復している。

 

 そうすれば、後はこの場所を抜け出すだけ。元の世界に帰るだけ。

 しかし、それについて少しだけ千夏ちゃんは浮かない顔をした。

 

「松原さん、ちょっといい?」

 

「ん、どうしたの?」

 

「相談、というか不安。ぶちまけてもいいかな?」

 

 構わない、と僕は頷く。これから歩いていく約束をしているんだ。障害は一つでも取り払っておきたい。

 

「二人との関係、どうすればいいと思う?」

 

 千夏ちゃんの言う「二人」というのは、島波さんとその奥さんのことだろう。千夏ちゃんはその二人とかつて親友だったという。

 しかし、二年の時で環境が大きく変わってしまった。トライアングルは崩壊し、千夏ちゃんはただ、結ばれた両矢印を遠くから眺めるだけの存在となってしまっている。そうして膠着してしまった関係をどうすればいいのか、という問いだ。

 

「別に、二人のことが嫌い、なんて思ってもないし、今はただ純粋に心から応援してる。・・・けど、だからこそなのかな? 私が、そこにいていいのか分からなくて」

 

「なるほど・・・。確かに難しい問題かも」

 

 僕自身を千夏ちゃんの立場にあてはめて考えてみる。期間こそ短いが、濃い時間を過ごしてきたはずだ。・・・同じ痛み位、投影できるはずだ。

 

 もし、僕が千夏ちゃんの立場なら・・・。

 

 先を行ってしまった二人を見て、自分が何をするか考える。おそらく千夏ちゃんと同じように、今もなお親友だと思っていることには変わらないだろう。けれど、多分僕は・・・。

 

「・・・一歩引いて考えてみようか」

 

「一歩引く、か・・・」

 

「二人との関係を大事にしたいのは理解できる。けど、同時に千夏ちゃんは二人に対して引け目も感じている。それは多分、同じ距離にいるから辛いんじゃないかな」

 

「同じ距離?」

 

 少々複雑な例えだったのだろう。一つ咳ばらいをして、僕は言い直す。

 

「千夏ちゃんと島波さんとその奥さん・・・美海さんだったかな。三人の関係は多分、綺麗な正三角形だったんだと思う。各々が、相手のことを自分と同じほどに大切だと思っていたんじゃないかな。・・・けど、今はそうじゃない。歪になってしまっている。多分これは追い求めても、もう元には戻らないよ」

 

「だから、一歩引く・・・」

 

「親友をやめろ、とは言わない。・・・けど多分、これまでと同じように二人を見続けることはしんどいと思う。だから、三角形はもう終わらせるべきなんじゃないかな」

 

 つまるところ、かつて自分と同じほど大切だと思っていた二人を「他人」として扱う、という話だ。

 それもまた辛い事だと理解している。すぐに受け入れろ、という方が無理なものだ。

 

 けれど、僕の一通りの話を聞いた千夏ちゃんは愛も変わらずケロッとしていた。あたかもそれしか答えがないと知っていたかのように、儚く笑む。

 

「やっぱり、これまでと同じようには交われないよね」

 

「最初から、この言葉を聞こうとしてた?」

 

「うん。多分これしか答えがないだろうなって思ってて、本当にそうなのかなって松原さんに聞いたの」

 

 最初からあきらめることは苦く辛いことだ。それでも、こうして笑えている理由はなんだろうか。

 

「・・・悲しくないんですか?」

 

「悲しい・・・? まあ、少しは。だけどもう潮時かなとも思ってたし、それに松原さんが連れ出してくれるんでしょ? 一人ぼっちなら怖かったし、悲しかったけど、私のことを思ってくれる人がいるなら、これくらいなんてことないよ」

 

 そう口にする千夏ちゃんの目線は、すっかり僕の方を向いていた。お前に全てを賭けている、そう言わんばかりの視線が胸を突き刺していく。

 けれどそれはまぎれもなく僕が望んだことだ。何も悪い気はしない。

 

「・・・そうだ、松原さん」

 

「ん?」

 

「今日、この後二人が来てくれるんだけどさ。・・・ちょっと席を外してくれないかな?」

 

「席を外す・・・か。帰れ、じゃないんだね」

 

「うん。二人がいなくなった後でまた来てほしい。・・・だって仮にも"恋人"だからね」

 

 少し茶化しながら、千夏ちゃんは僕にそう投げかける。そうならば、と僕は納得して頷いた。

 おそらく、これが「三角形」の最後になるだろう。その世界に異分子である僕がいてはいけない。だから、千夏ちゃんの知らないところで見守ろう。

 

「じゃあ、また後で」

 

 手を振って、千夏ちゃんの病室を後にする。随分離れた廊下まで戻ってきたところで、開いたエレベーターから二人が出てきた。いいタイミングだったみたいだ。

 軽く会釈をして、手を振り、二人を見送る。どうか、幸せな終焉を、と祈りながら。

 

---

 

~千夏side~

 

 二人は、いつもと変わらない二人だった。しっかりと互いの手を取り合って、それでいて表情は常に穏やか。その世界におそらく私は少ししかいないし、むしろいなくてもいいと思えた。・・・それに、新しい命もそこにあるとなると。

 

 けど、それが妬ましいわけではない。羨ましいわけでもない。ただ応援したいと思った。それは多分、私が私の道を歩くために。

 二人と穏やかに決別することが出来れば、私はもう自分の道を歩くしかなくなる。

 昔はそれが嫌だった。だけど、私の道に着いてきてくれると言ってくれた人がいる。だからもう怖くなかった。

 

 だんだんと遠ざかっていく二人を見送る。部屋を出て三分もしないうちに、エントランスから向こうへと出ていく二人の姿を見た。

 

 ・・・これで、よかったんだよね。

 

 別に、友達をやめるという話ではない。金輪際関わらないわけでもない。会おうと思えばいつでも会えるし、心から離れ離れになるわけでもない。

 なら・・・私の両の目から溢れてくる涙は何だろう?

 

 その時、扉が開く。私の顔をしっかりと見て松原さんは一度口を開いて、何か後ろめたそうな表情を見せた。それから・・・。

 

 ・・・。

 

 私の身体に、慣れ親しんだ重さと柔らかさが伝わる。抱きしめられてようやく私はゆっくりと息をすることが出来た。

 喉を奮わせて、松原さんに尋ねる。

 

「松原さん、私、なんで泣いてるんだろう?」

 

「・・・寂しいから、じゃないかな」

 

「寂しい・・・。それって、悲しいとは違う?」

 

「違うと思うな、僕は」

 

 それから私の背中を何度も撫でて、松原さんは似て非なる二つの感情の説明を始める。

 

「悲しい、って、どこか嫌な感情だと思うんだよ、僕は。でも、寂しいって本当にそうなのかなって思ったりもする。いくら素敵で、鮮やかな別れだとしても、それが嫌なものじゃないと分かっていても、寂しいと思うことはあるでしょ?」

 

「確かに・・・」

 

「多分、千夏ちゃんは二人と心から理解しあって別れた。それに対して嫌な気持ちなんて微塵もないんでしょ?」

 

 私は頷く。少なくとも、どこか心が痛んだだけで、二人のことを嫌に思うことはなかった。

 だから・・・この気持ちは、「寂しさ」ということなんだろうか。

 

「だったら、この寂しさってどうやって拭えると思う?」

 

「・・・無理だと思うな、僕は」

 

 松原さんは少しトーンを下げて、寂しさは拭えないと語った。その瞳には、過去の人物が映る。いつか話してくれた、元婚約者の人だろう。

 

「僕は美浜と関係を断った。それこそ、千夏ちゃんが二人に話したこと以上の言葉で。・・・割り切ってたはずなんだけどね、やっぱり、寂しかった。思い出がよぎったんだろうね」

 

「・・・」

 

「だから、無理に拭ったり、抑え込むことはしないでいいんじゃないかな。それより前を向いて、未来を考えた方が、ずっともっと楽だと思う。新しい何かで上書きするって言うのかな、そうした方がいいんじゃないかなって、僕は思う」

 

 松原さんの言葉は、どこまでも温かさを帯びて心に染みてきた。だんだんとそれが馴染んできて、私の怯えも少しずつ消えていく。

 上書き・・・と言っても、そう簡単に出来るものではないはずだ。私が二人と過ごしてきた時間は、私が思うより随分と私の根幹に関わっていたのだから。

 

 だから、それを埋めていくのはこれから。ゆっくりと、少しずつ。

 そうしたら、寂しい思いもきっといい思い出だったと思えるようになるだろうから。

 

 疑わない瞳で松原さんを見つめる。彼の眼はいつものように真っすぐで、だからこそもう疑う余地もなかった。

 

 

 そうして、12月の空に恵みの雨が降る。いつか来る旅立ちを花で彩るための雨が。




『今日の座談会コーナー』

 寂しさと悲しさは似て非なる存在、というのは間違いなく作者の見解ですね。「悲しい」という感情ははたして、心から満足できる素晴らしい別れに際しても現れる感情なのでしょうか。おそらく私はそうじゃないと思っていますし、そういう時に感じる負の感情に似た感情を「寂しい」と考えています。これに関しては、「涙」だとか「寂しい」という感情に負のイメージが付きまといすぎてしまったことが問題点になっているのかなとも思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十六話 未来へ往く

多忙of多忙・・・。


~聡side~

 

 12月ももうじき終わる。明日になれば新年がやって来るという、街がそわそわしだす今日、この日。

 僕の人生において一番めでたい日が訪れた。

 

 仕事もない、年末休暇の初日。僕は安全運転の範疇で車を全速力で飛ばし、病院へ向かった。駐車場に車を止めると、見慣れた一台の車がある。一番最初に来ようと思っていたのに、どうやら先を越されたみたいだった。

 

 一つ息を吐いて、車から降りる。ドアの閉まる音で向こうも僕の存在に気が付いたのかこちらを向いて、小さく会釈をした。

 

「おはようございます。保さん、夏帆さん」

 

「ああ、おはよう」

 

「おはようございます」

 

 今日の二人はいつになく穏やかな空気を醸し出していた。それもそのはずだ。今日は僕にとって一番喜ぶべき日であり、二人にとってもそうなのだから。

 

 千夏ちゃんが、今日を持って退院する。

 四カ月にも及ぶ死闘を終えて、今日、元の世界へ帰って来るのだ。

 

 それはどれだけ喜ばしい事だろう。・・・事故の加害者であることを踏まえると、手放しでただ喜ぶだけとはいかないだろうが、それでも僕の大切に思う人が元気な姿を外で見せてくれることはたまらなく嬉しい。

 

 だからこそ、一番に来たかったんだけどなぁ・・・。

 

「お二人より早く来ようと思っていたんですけどね・・・」

 

「自分の娘の退院に立ち会うというのに、他の奴には負けてられんだろう」

 

 保さんはそんな冗談を言いながら小さく笑う。それには夏帆さんも同意していみたいだった。そこにそっと言葉を添える。

 

「負けず嫌いなんです、私たち」

 

「知ってますよ。千夏ちゃんがそうですからね」

 

 親あって子供あり、だ。千夏ちゃんの負けず嫌いの片鱗は何度も見てきたし、それは容易に想像できることだ。

 ははは、と小さく笑って天を仰ぐ。芽ぐみの雨が明けてからはしばらくの間快晴だった。そして今日もまた、澄み渡るほど蒼が広がっている。

 

 その時、ふと余計なことを思った。

 千夏ちゃんが二人のもとに帰ってきたら、僕はどんな顔で二人に会いに行けばいいんだろう。

 

 もちろん、ビジネスなお付き合いを二人としていたわけではない。そこに千夏ちゃんが入ってきても上手くやっていく自信はあった。

 が、その光景がどうしても想像できないのは、二年という年月が想像以上に重たいからだろう。

 

 暗い顔なんか見せられない、と邪念を振り払いながら、僕は病院の出入り口の方を見る。その時、付き添いの看護師が扉を開けたと同時に、今日の主役がゆったりとした足取りで外に出てきた。

 

「・・・こりゃまた豪勢なお出迎えだね」

 

 冗談を言いつつ、千夏ちゃんが苦笑いを浮かべる。ふっと隣を一瞥すると、夏帆さんが口元に手を当て、震えていた。保さんはその背中に手を置き、励ますようにうんうんと頷く。

 

 だから、前に出るべきは僕だった。

 

「お帰り、千夏ちゃん」

 

 微笑と共に右手を前に差し出す。仮とは言え僕たちは恋人。まだ足元がおぼつかないというのなら、支えになるのは義務みたいなものだ。

 

 千夏ちゃんは少し恥ずかし気に、けれど確かに僕の手を掴んで前に歩き出した。そして保さんと夏帆さんから二歩ほど手前の場所で立ち止まる。

 

「ただいま」

 

「ああ、お帰り。・・・よく頑張ったな、ここまで」

 

 僕が手を離すのと一緒に保さんは千夏ちゃんの頭に手を置いて、その髪を撫でた。

 

「恥ずかしいよ、お父さん」

 

 とは言いつつも、まんざらではない表情で千夏ちゃんはされるがままになる。僕はそんな二人のやり取りを、少し引いたところでただ見守った。

 

 僕はまだ、そこにいるべき人間ではない。

 

 そんなことを思ってしまったのだ。当然だ。親子水入らずの空間に、まだ何者でもない僕が立ち入る隙は無い。それに、この神々しいまでの光景を汚すことをしたくなかった。

 しばらくしていると、泣き止んだ夏帆さんが千夏ちゃんの両手をしっかりと握った。それから軽く抱擁をして、口を開く。

 

「・・・生きててくれて、本当にありがとう」

 

「大げさだって。・・・大丈夫だよ。もうちゃんと歩いていけるから」

 

 千夏ちゃんは夏帆さんの背中をポンポンと数回叩いた。それから身体を離してようやく僕の方を向く。

 

「松原さん、今日までありがとうね」

 

 その言葉に他意はないだろう。けれど僕は、単純な感謝の言葉にドキッとしてしまった。

 これが、別れの言葉に聞こえてしまったから。

 

 もちろん、そんなつもりはないだろう。約束をしたんだ。その約束が出まかせだったなんてことはきっと、千夏ちゃんもしないはず。

 それでも不安になった僕は、少々わざとらしく答えてみた。

 

「うん。・・・これからもよろしく」

 

「こっちこそ」

 

 心配は杞憂に終わったようで、千夏ちゃんはちゃんと答えてくれた。約束は嘘や都合のいい言葉ではないと証明してくれた。

 

「・・・さて、こんなところでずっと立ちっぱなしなのもなんだ。そろそろ行かないか」

 

 ダラダラと停滞していた空気にいち早く気が付いてか、保さんが区切るように声を挙げた。夏帆さんも、千夏ちゃんも、僕も頷く。

 千夏ちゃんには、元の居場所が一番似合う。早くそこに辿り着いてほしかった。

 

 そして、まだそこに僕はいらないだろうから。

 

「それじゃ、今日はこの辺で・・・」

 

「? 何を言ってるんだ?」

 

 僕が帰りの言葉を切り出そうとすると、何を言っているんだと真っすぐ保さんが尋ねてきた。言葉こそないが、夏帆さんも同じ目をしている。

 

「このままうちまで来てくれるんじゃないのか?」

 

「え? ・・・いいんですか?」

 

「俺たちはてっきり来るものだと思っていたが・・・なあ?」

 

「ええ」

 

 俺を試すような夏帆さんの笑みがチクリと刺さる。この人の本性が垣間見えた気がした。

 

「それに、せっかくの年越しだ。一緒にどうだ?」

 

「松原さん、まさか帰るとか言わないよね?」

 

 ・・・どうやら、僕が積み上げてきたものは僕が思っている以上に大きくなっていたらしい。

 初めはただ謝罪するだけだと思っていた。けれどそこに「一緒にいたい」と思う心が生まれて、それが膨張して、こんな関係になった。

 何度もすれ違ったが、こうして今は受け入れて貰えている。それがどれだけありがたくて、素晴らしい事か。

 

 もう、罪の枷なんていらないと思っていいのだろうか。

 罪悪感を全て拭い去って、ただ幸せを望んでいいのだろうか。

 

 調子に乗るとダメになってしまう自分を想像して、少し足踏みをしてしまう。

 それでも、心からの本心には勝てなかった。

 

「ぜひ行かせていただきます。・・・一人で年越しなんて、寂しいじゃないですか」

 

「じゃあ、決まりだな。・・・千夏」

 

「ん?」

 

 保さんは自分の車の方を一瞥して、千夏ちゃんに問いかける。

 その仕草で何かを感じ取ったのか、千夏ちゃんは「あー」と小さく呟いて、一度だけ頷いた。顔を上げた先の視線には、僕の車が映っている。

 

「それじゃ、行くか」

 

 保さんは夏帆さんを連れて、少し足早に自分の車に乗り込んだ。そのまま千夏ちゃんが乗るのを待たず発進していく。

 

「露骨すぎるよね、お父さんも」

 

「え?」

 

 二人きりになって、千夏ちゃんはもう一度僕の手を握った。保さんは僕と千夏ちゃんの今の間柄を薄々察していたのだろう。だからこうして、二人だけの時間を作ってくれた。

 

「公認、ってことになっちゃうのかな?」

 

「さあ・・・。まあでも、バレてはいるだろうね。直接二人に明言したわけじゃないんだけどなぁ」

 

「まあ、どうでもいいことか。私たちも行こう?」

 

「そうだね」

 

 千夏ちゃんをエスコートしながら僕は車に向かう。僕は運転席に、千夏ちゃんは助手席に乗り込んで、お互いにドアを閉める。

 

「こうやって家族以外の車に乗るの、いつぶりだろう」

 

「そもそもこの街自体車を持ってる人が少ないからね。ちょっと驚いた」

 

「ね、面白いでしょ? 鷲大師って」

 

 面白い、か。

 ・・・ああ、面白い街だよ。だから大好きになったんだ。

 この街を、あの二人を、千夏ちゃんを。

 

 思いにつられて笑顔は生まれる。小さく鼻で息を吐いて、「そうだね」とだけ答えた。話せば長くなるだけの思いだ。これからゆっくりと語り明かしていけばいいだろう。

 

「じゃあ、僕たちも行こうか」

 

「うん」

 

 車が走り出す。後ろめたい思い出と、甘酸っぱい思い出が沢山詰まった病院を後にして、ゆっくりと未来へ走っていく。

 

 

 ここから先は、誰も知らない世界。そこで僕は何を思い、何をするんだろうか。

 ・・・分からない。けど、一つだけ確かなこともある。

 

 そこに千夏ちゃんがいて欲しい。

 

 

 この思いだけは、絶対に揺らぐことはない。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 実に何カ月ぶりでしょうか。煮詰まって放置して、という繰り返しが始まって気が付けばこれだけの期間が開いちゃっていました。前の八カ月よりはマシかぁ・・・。
 さて、ここで私は岐路に迫られています。ここで打ち切りの如く終わるか、更に掘り進めて水瀬千夏を幸せにするか。幸せにしたいのはヤマヤマなんですが、前書きにあるように多忙を極めすぎた結果こっちに回せるリソースがないんですよね。進めようと思うと、またかなりの時間がかかります。
 なのでまあ、長い目で見てください。そのうち復活します。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第十七話 それぞれの朝

やっぱりやめられないんだよね。


~千夏side~

 

 

 

 頭上を風が吹いていく。

 

 もう季節はすっかり春となり、私は長い時間を経て高校をようやく卒業した。・・・生まれた年から数えると、本当の私は25歳。それが今となって高校卒業となると・・・苦笑いすることしかできない。

 

 けれど、今はもうそんなことはどうでもよかった。肩書なんて、立場なんて、それに縛れるものでもないとここまでの人生で気が付けたから。

 

 たくさんの出会いがあった。そのたびに傷ついて、再起できるかどうかの瀬戸際に立たされた。けれど、最後まで大切なものだけが残って、今ここにある。

 

 そうして迎える旅立ちの日。

 自分の部屋から、ありったけの服と小物を引っ張り出してバッグに詰める。さすがにどこかで洗って、の繰り返しにはなるけど、これから長い長い旅が始まると思うとあれもこれも詰め込みたく仕方がなかった。

 

 これから始まるのは、私自身を探す旅。

 夢以外に、私にとって大事なものがあるのか、それを確かめる旅。私の恩人、大切な人と迎える一か月だ。

 

---

 

 家のインターホンが鳴る。荷物を持って玄関に出たところで、リビングからお父さんとお母さんが顔を出した。

 

「もう行くのか?」

 

「うん。松原さん、来ちゃったしね。・・・ごめんね? 治ってすぐ、こんなことしちゃって」

 

「ううん、私は全然大丈夫。あの頃に比べると、千夏、すごい幸せそうな顔してるから。・・・だから、信じて送り出せるよ」

 

 あの頃のお母さんの悲痛な表情は今でも簡単に思い出せる。それが微塵も感じられないということは、もう大丈夫だということなのだろう。

 長い時間をかけて、私は二人を私の世界から切り離した。今はもうただの友人となった二人に、私の何かをゆだねることはない。

 

 ・・・まあ、問題は私が私のことを誰にゆだねるべきか、まだそれが決まりかねてるってことだけど。

 

「ちゃんと時々連絡するね。二人の声も聴きたいし」

 

「ああ、そうしてくれると嬉しい。・・・けど、せっかくの旅なんだ。楽しんできてくれれば俺たちはそれでいいからな」

 

「うん、遠慮しないよ」

 

「それじゃ、行ってらっしゃい」

 

 お母さんが声と一緒にゆっくり背中を押す。私はそれを受けて、玄関の扉を開けた。目の前には、恋人(仮)となった松原さんがそわそわとしながら待っていた。前に結婚寸前までいった彼女がいたといっていたが、本質的には結構初心なところがあるのだろう。その様子に思わず笑みがこぼれた。

 

 

 ・・・待っててね。今、そこに向かうから。

 

 玄関の扉を開け、新しい世界へと一歩を踏み出す。

 

---

 

~聡side~

 

 ついにこの日が来てしまった。

 僕は今日、自分の意志で千夏ちゃんを外の世界へと連れ出す。この町どこからこの地方のどこでもない、二人とも知らない場所へ。

 大げさなことはあまり言いたくはないが、それが僕たち二人のこれからを変えていくものになることを、僕は知っている。

 

 そう思うとどうしても胸が苦しくなった。息が詰まって、呼吸が早くなる。それは同時に、僕が千夏ちゃんを一人の異性として確かに認識している証拠でもあった。

 

 そうしてそわそわしていると、水瀬家の玄関の扉が開く。出てきたのは大きな荷物を抱え、ニマニマと笑っている千夏ちゃん一人だった。

 

「迎えに来たよ。・・・どうしたの? なんか不自然な笑い方だけど」

 

「いや? なんでも?」

 

 いたずらっぽく笑みを浮かべて、千夏ちゃんは僕をからかう。その真意はわからないけれど、そんなことを気にする必要もない。

 わざとらしく一つ咳ばらいをして、玄関の向こうにいるはずであろう二人のことを訪ねてみる。

 

「二人は中に?」

 

「うん。特にお母さんがね、外で私がいなくなるところまで見送っちゃうと泣き崩れてしまうかもって言ってたから」

 

「そっか、そうだよね」

 

 夏帆さんが涙もろいことは、この二年間でしっかりと理解してきた。子供への愛着が強い人なだけに、いなくなることが寂しいのだろう。それがたとえ、正しい別れだったとしても。

 かつて同じ感情で涙を流した千夏ちゃんのことを僕は見てきている。子供がそうなら親もそうなのだろう。

 

 一言くらい挨拶はしておいたほうがいいのでは、と思ってはいたが、事情が事情なだけに僕はそれを断念した。一つ呼吸をはさんで、改めて千夏ちゃんのほうを向く。

 

「それじゃ、行こうか。荷物、車に載せるね」

 

「うん、お願い」

 

 千夏ちゃんが両手で持っている大きな荷物を抱えて、僕はそれを後部座席に置く。それなりの重量があるこのバッグが、これから一緒に過ごす時間の長さを物語っている。

 

 ・・・一か月。

 

 最初は半年なんてのたまってはいたけれど、経済的にも、仕事の都合としても交渉して一か月が限界だった。それでも休職扱いにして、「いつでも待っている」と言ってくれた社長には頭が上がらない。本当にあの場所を選んでよかったとそう思わされる。

 

 そして僕は、その与えられた一か月で答えを出さなければいけない。夢を追う千夏ちゃんとどう向き合うのか。

 答えなんて変わらないと思っていた。結局僕は心から千夏ちゃんに惹かれているし、あの二人のことも同じくらい大切だと思っている。一緒にいたいと心から願うほどに。

 

 それでも、それが千夏ちゃんのためにならないとしたら・・・僕は、どうすればいいのだろう。

 

 葛藤だけが渦巻いて、うまく言葉が出ない。・・・だめだな、楽しい旅にしないとせっかくの一か月が無駄になってしまう。

 答えを探すためだけじゃないんだ。これは僕と千夏ちゃんの人生の休暇。ふいになんてできないし、したくない。

 

 だから笑うんだ。これから来るであろう幸せな時間を想像して。

 

 荷物を載せ終えて、千夏ちゃんのほうを振り向く。きょとんとして遠くのほうを見ている千夏ちゃんに、僕は手を差し伸べて声をかけた。

 

「それじゃ、行こうか」

 

「うん」

 

 ゆっくりと助手席のドアを開いて、主役をエスコートする。閉められたのを確認して、僕も運転席に着く。鍵を回してエンジンをかけると、千夏ちゃんが声を上げた。

 

「おー、いよいよだ」

 

 映画の幕開けを楽しみにしているようなそのセリフに、僕も思わず微笑んだ。ああ、いよいよだ。純粋に、ずっと楽しみにしていたんだ。わくわくが止まらない。

 

 今はただ、この気持ちだけでいい。

 

 アクセルを踏むと、車がゆっくりと動き出す。水瀬家から海のほうに出る坂道を下るが、普段とは違う方向へと僕は曲がった。まもなくすればこの街を出る。そこからこの旅のスタートだ。

 

 信号に引っ掛かり、車を一度停めたところで、しばらく無言のままだった車内に会話が生まれる。

 

「なんかさー、こうしてみると不思議だよね」

 

「何が?」

 

「私たちがこうして同じ車に乗ってるって」

 

 それは、事故の加害者と被害者が同じ空間にいることが、ということだろう。言葉を濁していても、真意は伝わる。

 別にもう気にしてなどいない。終わったことだし、千夏ちゃんもそれを根に持っているわけではない。・・・とはいっても、苦笑いは避けられなかった。

 

「それ言われるとちょっと困るな」

 

「ああ、そういう意味じゃないよ? でも、不思議だなって思ってるのは本当。きっかけは最悪だったけど、結ばれた感情は本物だってことが、不思議」

 

「そうだね。僕もそう思う」

 

 今はただ純粋に、この子を好きだと思っている。一緒にいたいと切に願っている。超えた垣根は相当大きいはずだ。

 だからあと一つ、もう一つだけ大きな垣根を越えたい。その結末がどうなるかはわからないけれど。

 

 それにしては、やっぱり時間が短すぎるか。

 

「ごめんね、たいそうなこと言って一か月しか取れなくて」

 

「ううん、ちょうどよかったと思ってる。大体半年もあったら、この国を何周もできちゃうよ」

 

「あはは、そりゃそうだ」

 

 でもきっと、そうやって「飽きた」と愚痴を吐けるほど一緒にいれたら、もっと幸せなんだろうな。

 心の中で生まれたボヤキにはふたをすることにする。

 

「それじゃ、そろそろこの街を抜けるけど、最初行きたいところとかある?」

 

「ああ、それなら・・・」

 

 千夏ちゃんが手持ちのカバンから地図を取り出して、じっくりと眺める。それを尻目に僕はアクセルを踏み、また車が動き出す。

 

 

 さあ、行こうか。ゴールまではまだまだ遠い。

 

 




『今日の座談会コーナー』

というわけで、帰ってきてまいりました。本当は前回で終わらせても良かったのですが、自己満足はまだまだ終わらないみたいです。というより、多分この作品を終わらせたくない自分がいるのかもしれないですね。ほかの作品を書くたびに、思い立ってはここに帰ってくる。自分にとってこの作品は宿り木ではないのでしょうか。
とはいえ、ここから先がそんなに長くなるとも思っていないので、どうか最後までお付き合いよろしくお願いします。この外伝が、この作品の最後となるはずなので。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第十八話 越えられない隔たりは

~聡side~

 

 車で移動を始めて三時間ほどたつと、僕たちは見も知りもしない町の海辺に着いた。そこは鷲大師なんかよりもよっぽど小さな町で、買い物をしている場所すら見当もつかないくらいのものだった。

 そんなところ、普段なら行くことなど絶対にない。だが、それでも、この街にしかないものがあるみたいだった。

 

「ここで本当に良かったの? 千夏ちゃん」

 

「うん。多分」

 

 海辺の駐車場に車を止めて、僕たちは堤防の近くへ降り立つ。海から香ってくる潮の匂いは、この場所でもそう変わらないみたいだ。

 僕が背伸びをしている間に、千夏ちゃんは上に羽織っていた服を一枚脱いだ。唐突なその行動に、僕は背伸びをやめて尋ねる。

 

「何してるの?」

 

「まあ見てて。ちょっと話しておきたいことがあるから」

 

 そういうなり、千夏ちゃんは堤防にぐっと飛び乗ると、そのまま勢いよく海へダイブした。着替えもせずに、だ。

 そんなこと、僕の知る世界では考えられない。半ばパニックになりながら、声を張り上げた。

 

「何してるの!?」

 

 追いかけるように飛び込もうとするが、一度冷静になって立ち止まる。千夏ちゃんがこうする意味を僕は考える。

 

 ・・・いつか、「エナ」のことを話してくれたよな。確か、海の中で呼吸ができるとか。

 

 多分、その説明をしようとしているのだと理解した僕は、二度ほど深呼吸をして鼓動を落ち着かせた。それと同時に、海面からひょこっと千夏ちゃんが顔を出す。肌は僕の知らない色で光っていた。

 

「うーん、こっちのほうはあったかくていいね。鷲大師ってここよりもう少し北のほうだから、少し水温が低くて」

 

「潮の流れとかもあるんじゃないかな?」

 

「かもね。あの町以外の海なんて初めて来たよ」

 

 満面の笑みを浮かべた千夏ちゃんはもう一度深く潜り、さながら人魚のようにスイスイと遊んで回った。その光景が光で反射して輝いて見える。

 それはどこまでも美しくて、まるで、人とも思えなくて。

 

「・・・僕は、とんでもない子を好きになったのかもしれないな」

 

 そう呟いてしまう。

 改めて住む世界が違うと思わされた。別にそれくらいどうってことないと思っていたが、千夏ちゃんの「海が好きだ」という気持ちがひしひしと伝わって、どうしても心が苦しくなる。

 

 おそらく、やりようならいくらでもある。千夏ちゃんは別に、海で起き、海で寝たいと言っているわけではない。それは本人の口からも聞いた話だ。

 それでも、海で働きたい、海に生きたいという気持ちに僕が干渉できないことは変わらない。だからもし海で何かが起こったとしても僕は助けに行くことができず、ただ固唾をのんで見守るだけになってしまう。

 

 そして、悲惨な結末を迎えるかもしれない。

 

 千夏ちゃんは早いうちからそれを危惧していたのだろう。僕が思いを伝えたあの日から、僕のことを受け入れてくれた日から。

 そんなことになるくらいなら、一緒にいないほうがいいと。住む世界が違うとはっきりと口にした。

 

 僕は、どうすればいいのだろう。

 

 僕は幸せになりたい。ただ、それ以上に千夏ちゃんに幸せになってほしい。わがままは言いたいけれど、好きな人に幸せになってもらうこと以上に幸せなことなんてない。だから、千夏ちゃんの夢は奪えない。

 

 答えを見つける旅だというのに、早々からとんでもない壁に当たってしまう。

 

 言葉を失い、ただジーっと水平線を見つめていると、海のほうからザバッという音がした。千夏ちゃんがもう一度顔を出していたみたいだ。

 

「何か考え事?」

 

「・・・あ、いや。大したことじゃないよ」

 

「・・・隠し事禁止」

 

 不服そうに千夏ちゃんは頬を膨らます。そのあざとさに折れた僕はため息をついて正々堂々真っ向から向き合うことにした。

 

「本当に、住む世界が違うんだなって思ってたところだよ」

 

「松原さんも案外、エナを持ってるかもしれないよ?」

 

「ははは、さすがにそれに期待して飛び込むのは勇気がいるよ。それに僕の地元は少なくとも最寄りの海村から百キロは離れてる。両親や親戚がエナを持っているとは思えないな」

 

 もしかしたら、遠い血族にエナを持った人間がいるかもしれないけれど、期待できるほどの距離じゃない。悔しいが、僕は本当にただの人間だ。

 

 会話がなくなり、少しばかり空気が暗くなる。このままではだめだとすぐに気づいた僕は、強引に話を逸らすことにした。千夏ちゃんの機嫌と僕の不安を取り繕うために。

 

「・・・綺麗だったよ」

 

「へ?」

 

「ここからだと反射で海底までよく見えるんだけどさ、泳いでる千夏ちゃんが綺麗だなって思ったんだよ」

 

「またまた、そんな風におだてて。・・・なんて、そんなことないよね」

 

 照れ隠しをするように千夏ちゃんは軽くいなそうとするが、僕の瞳に嘘はないと悟ったのだろう。少し頬を紅潮させながらうつむき、小さな声でつぶやいた。

 

「そっか、綺麗なんだ」

 

「うん。心からそう思うよ」

 

「彼女冥利に尽きるね」

 

 二へッと笑って、千夏ちゃんは階段を見つけて僕のもとへと戻ってきた。それから僕のほうをじっと見つめて、視線を逃がさないように声をかける。

 

「・・・松原さん、ちゃんと見ててね」

 

「何を? ・・・って」

 

 視線の先の千夏ちゃんの肌が、先ほどと同じ色の光を放つ。すると衣服にしみ込んだ水分と、肌の表面にあった水滴が次第に消え始めた。・・・消えるというよりは、肌に吸い込まれていくというか。

 

「これが、エナ・・・?」

 

「そう。なんだかんだ見せるのは初めてだなって思って」

 

「・・・すごい、こんなものがあるなんて、全然知らなかった」

 

 複雑な感情よりも先に、純粋な驚きがやってきた。海村のことなんて図書室の端のほうにある資料でしか読んだことがなかったし、あるのかどうかも疑問視していたくらいだ。改めて自分の世界の狭さを知る。

 

 そしてようやく、さっきと同じ複雑な感情がやってくる。今度はそれをどうやって抑えようかと悩んでいたところ、千夏ちゃんがすっかり乾いた手で僕の手を取る。

 

「松原さんは、海、好き?」

 

「・・・好き、かな。どこか境界線があるように思うけど、それを抜きにしてもやっぱり綺麗だなって思うんだ」

 

「そっか。そう言ってくれるの、うれしい」

 

 透き通るような笑み。そこから千夏ちゃんは、少しほの暗い話を切り出す。

 

「昔はさ、海の人間って嫌われてたんだ」

 

「そうなの?」

 

「うん。海村の子たちが学校を求めて陸に上がってきたんだけど、衝突しちゃってさ。臭いだのなんだのって、変なこと言い合って。・・・同じ人間なのに、ひどいよね」

 

「なんでそんなことになってたんだろう?」

 

「さあ、私もよくわからない。・・・けど、人ってそんなよくわからない理由のせいで、他人との隔たりを作るんだよね」

 

 すっかり笑みは消えて、過去に耽りながら千夏ちゃんは淡々と話をした。その瞳の裏に移る感情を、僕は見破れない。

 けれど千夏ちゃんは僕を待ってなどくれなかった。

 

「・・・松原さんは、私が心から”海の人間”だったとしても、好きでいてくれる?」

 

 急に投げつけられる、選択を迫られる言葉。旅が始まって数時間でこれを聞かれるなどと思ってもみなかったから、さすがに戸惑った。

 でも、知っている。ここで安易な答えを投げること”だけ”は間違っていると。

 

 正解かどうかわからないが、僕はあいまいな言葉で濁す。

 

「それを見つける旅、だと僕は思ってるよ。だから恋人関係も仮であって、一か月という時間があると思うんだけど?」

 

「あはは、そうだよね。もしここで好きなんて言われてたら、私は今すぐに帰ってたかも」

 

 心から笑ってはいるが、笑ってはいられない言葉を千夏ちゃんは言う。僕は正解の回答を引いたことにひとまずホッとした。

 しかし、こんなものはただの延命でしかない。ずっとこの言葉に逃げて先送りにするだけの時間は、僕たちに与えられてないから。

 

 あと一か月。僕はこの一か月で、どんな答えを出せるのだろうか。

 悶々と悩み、頭に手を置いたところで、千夏ちゃんは一つ、ある提案をした。

 

 

「・・・ねえ、早速だけどさ、数時間の間、一人にさせてほしいな」




『今日の座談会コーナー』

 さすがに新章なだけあって、展開を考えるのにも一苦労ですね・・・。恋人関係も仮なのでイチャコラできたりはしませんし、作者の技量的にもちょっと無理なところがあります。まあこっちは気が向いた時でいいのかな。
 うーん、やっぱり楽しいね。こうしてこの作品の世界線が広がっていくのが最高に楽しくて、そのたびにこの作品を書いてよかったなって思うんです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第十九話 境界線の向こう側に

~千夏side~

 

 松原さんにこの場所に連れてきてもらったのには、大きな理由があった。

 この世界には、海と、陸との世界が存在する。私は、私の知らない海の世界を知るためにここにきた。ここには、汐生鹿とは違う別の海村があるという話だ。

 

 この街で海で生きる人は、陸とどのように関わっているのか、そのことがどうしても気になった。汐生鹿で聞いても、私を知る人間からの言葉はどうしても忖度になってしまうから。

 

 私の提案を聞いて、流石の松原さんも少しばかりの不安を見せた。

 

「一人になって・・・何をするの?」

 

「この海のね、海村に行きたいの。私の知らない海の世界の人の言葉を聞いて、私のためにしたい」

 

「そっか・・・。うん、そういうことなら行っておいで」

 

 松原さんは嫌な顔一つすることなくそれを了承した。本当ならもう少し寂しそうな顔をしてもいいはずなのに、私の言葉を信じて疑わなかった。

 そんな私にできることがあるとすれば、遠慮しないこと。せっかくくれた私だけの時間を悲しい色になど染めたくはなかった。

 

 軽く手を振って、今度こそ深く深く潜っていく。呼吸は苦しくない。私は普通の人間と違うのだから。

 せめて光の反射でその姿が見えなくなるまでと思い、私は松原さんの方を見ながら深く深く沈んでいった。

 

---

 

 そこに展開されていた海村は、汐生鹿よりは一回り小さい集落だった。言い方は悪いが、あの場所よりも人の流出は多いだろうし、排他的にもなっているのかもしれない。

 一抹の不安を抱きながら、私は集落に足を踏み入れる。背後から声がかかったのは、それから間もない時だった。

 

「嬢ちゃん、見ない顔だね。・・・ほかの海村の子かい?」

 

 少し太い声。振り向いた先に映る男の人は、見た限り50歳を過ぎたあたりだろうか。光のお父さんより、一回り下のように見える。

 私は相手の出方を伺うように、少しばかり身を引いて正直に答える。

 

「えと・・・確かにほかの集落なんですけど、海村というか・・・」

 

「・・・驚いた、陸の子ってことか」

 

 男の人はあごひげに手を当てながら、何かに感心するようにつぶやいた。

 

「増えたもんなぁ、陸に出てくやつが。けど、そこで過ごす連中がエナを持ってるとは驚いたもんだ。嬢ちゃんの両親は両方海村の出身かい?」

 

「いえ、母は海村ですけど、父が」

 

「なるほど、時代は変わったって訳か。・・・せっかくこうして来てくれたんだ、なんの理由があるかは知らないが付き合おうか」

 

 私が特に理由を語るでもなく、男の人は一度頷いて私にそう提案した。私からすれば願ってもいない話相手、降りることはせず、感謝の念を述べた。

 

「ありがとうございます。ちょうど、話せる人を探してたので」

 

「そうか。・・・っと、名乗っておいた方がいいか。俺は船津」

 

「水瀬です」

 

「じゃあ水瀬ちゃん、ちょいと着いてきてくれ。茶くらいは出したい」

 

 私の返事を待たずに、船津さんは前を歩いていく。その背中を追ってしばらくすると、この村の神社のようなところにたどり着いた。

 どこかで見たことがある光景に、私は思わず声を上げる。

 

「ひょっとして、船津さんはこの村の宮司さんですか?」

 

「宮司、って名乗れるほどたいそうなことはしてねえが、そうなるな。まあいかんせん、この村も人が少なくてな。俺含めて過ごしてるのは50人くらいなものさ」

 

 後ろ頭を掻きながら、どこか恥ずかしそうに船津さんは笑う。光のお父さんは頑固者だったと聞くだけに、この人のおおらかな態度は真反対に思えた。ただ、それがいいか悪いかと言われれば悪いなんてことは決してない。

 

「ちょいと待っててくれ」

 

 そう言い残して船津さんは社の方へ消えていく。3分も待たないうちに、白い湯気が立つ湯呑が乗った盆とともに船津さんはもう一度現れた。

 

「ほれ」

 

「ありがとうございます」

 

 それを大事に両手で受け取って、私は赤いクロスが敷かれた椅子に腰かける。そこから二人分ほど距離を開けて船津さんは座った。一度お茶を体に流し込んで、腹の底の方から太い息を吐く。

 場が整ったのだろう。それを境に、船津さんの方から本題に入る。

 

「で、水瀬ちゃんだったかな? なんでこんな村にやってきたんだ?」

 

「うーん・・・。人生の迷子、ってやつですかね。あはは・・・」

 

 笑い事ではないが、苦笑してしまう。この村がどういったところかを知りたかっただけで、まさかこうして易々と人と話せると思ってもみなかったものだから、いざその場面に直面して何を聞けばいいのかわからなくなっているのだ。

 

 けれど、ここまでの厚意を無駄にするわけにはいかない。私はこの人に、できるだけの自分を曝け出そう。

 

「・・・この村の人に、陸とどう関わっているか、どう関わるべきか聞きたかったんです」

 

 私からようやく本当の言葉を聞いて。船津さんは表情を変える。笑みのない神妙な顔つきで、どう答えようかと悩んでいた。

 

「水瀬ちゃんは、海で生きようとしているのか?」

 

「・・・はい。汐生鹿という海村が、今私が恋焦がれている場所です」

 

 一瞬脳裏をよぎった松原さんの顔をかき消して、私がかねてから持っていた夢を語る。今は、そういう時間だ。

 

「汐生鹿・・・。話には聞いたことあるが、ずいぶん遠いところからきたもんだ。・・・なるほど、水瀬ちゃんは、心の底から海の人間になりたいわけだ」

 

 そう一言で括ってしまうのは少し危険な気がしたが、あながち間違ってはいないだろうと小さく首を縦に振った。

 私の反応を確認して、船津さんはもう一度「なるほど」とつぶやいて。しばらくの間天を仰いだ。それからゆっくりと話を続ける。

 

「陸とどう関わるべきか、って聞いたよな。それなら、俺と、この海村の見解を言っていいか? 汐生鹿にとってそれが参考になるか分からないが」

 

「聞かせてください」

 

 食い気味に反応した私に少しの間困惑したが、船津さんは小さく咳ばらいをしてこの村のすべてを語った。

 

「最近、どんどん陸を目指してこの村を出ていくやつが増えたが、俺たちはそれを止めることはしなかった。もちろん、これからもするつもりがない」

 

「・・・意外ですね。最近、海に雪解けが来たとは言っても、どこの海村も排他的で閉鎖的になってたはずじゃ?」

 

「らしいな。最近あったかくなってようやく人が戻ってきたみたいな話は聞いたが、うちとは無縁の話だよ。うちはずっと昔から去るもの追わず、来るもの拒まずだ。・・・ま、来るものなんてほとんどいなかったが」

 

 はっは、と軽快に笑い飛ばして、船津さんは心痛い話を続ける。それも、衝撃的な一言とともに。

 

「この村に、未来はない」

 

「・・・ずいぶん、あっさり言い切るんですね」

 

「村のやつらはみんな言ってるよ。・・・けど、これでいいって奴だけがここに残ってるんだ。何も不安なことはない」

 

 暗い未来を明るく笑い飛ばすその姿勢は、私にはとても真似できないもの。うらやましくも思ったし、単純にすごいとも思った。

 そんな人の気などお構いなしに、思いはまだまだ語られる。

 

「人生における行動範囲なんてのは広いもんだ。海だけじゃなくて、陸も、なんだったら空だって存在する。それなのに、この場所だけに縛っておくわけにはいかんだろ。だから俺たちは、外への門戸を開いたんだ」

 

「そうして、人口がどんどん減っていったと」

 

「それはいいことだと思うんだ。みんな夢とかやりたいこととか見つけて出ていったんだから。・・・だからここは、俺たちは、そうして出ていったやつの帰ってくる場所でさえあればいいんだ。例えいつか死ぬ日が来たとしても、な」

 

 そこまで言い切って、船津さんは少し冷め始めたお茶に口をつける。私もそれに合わせるように、まだ仄かに温度の残る湯呑を持ちあげ、お茶を流し込んだ。

 

「水瀬ちゃん、想い人がいるんだろ」

 

「っ!?」

 

 思わずむせそうになったが、どうにかそれを飲み込んで、どうしてわかったのか、という目で船津さんを見つめた。

 

「で、多分その男は陸の人間で、エナとは全く無縁の人間で。違うか?」

 

「違わないですけど・・・どうして分かったんですか?」

 

「わかるさ。この村から出ていくやつを何人も見ていったんだからな」

 

 揺れる水面を仰いだ船津さんは、先ほどより僅かばかり寂寥をにじませた表情をしていた。抵抗はしなかったのだろうが、この村を去っていく人を見るということは寂しさと隣り合わせだったのだろう。

 そしてそんな私の稚拙な考察はその通りだったようで、船津さんは自分のことを口にした。

 

「・・・ちょうど水瀬ちゃんと同じくらいのうちの娘が、1年前に陸へ出ていったんだ」

 

「え?」

 

「この間はがきが来たよ、結婚しますってさ」

 

 これまでの話を聞いて、祝福していいものかどうか悩んでしまう。だって、海にとどまることを決めたこの人からすれば、娘が幸せになっていく瞬間をその場で見ていられないのだから。

 

 海と陸で別れるということは、こういうこと。だから私は、松原さんのことを選びきれないでいる。どちらかを諦めなければいけない。

 けど、海から陸を思うこの人の顔は、私にとってあまりに辛くて・・・。

 

 

「なあ水瀬ちゃん、俺の話を聞いてくれないか?」

 

 行き詰った思考に言葉の矢が刺さる。私は船津さんの方を振り向いた。

 

「大事なものを諦めて後悔するくらいなら、大事なものすべて抱えて苦しい思いをする方が、絶対に楽だと思うんだ」

 

「え?」

 

「娘の旦那からちょくちょく手紙が内緒でくるんだ。海のことを心配してか、時々泣いてる日があるって。でも、そう出来るのって幸せじゃないか?」

 

「そういわれても・・・」

 

 いまいち実態がつかめない私に、船津さんはとどめの一撃を放った。

 

「好きなものについて一生悩めるって、素晴らしいだろ? 好きな場所を、人を、一生忘れないでいれる。それって、すごくないか?」

 

「・・・」

 

「まあ、だからと言ってそういう生き方がすべて正しいかと言われたらそうじゃないだろう。考えすぎてつぶれる人間だっている。でも、こういう生き方があるってことは、どうか覚えておいてほしい」

 

 話を聞き終えるころには、湯呑の中はすっかり空になっていた。私は無言のまま立ち上がって、ずいぶん太陽の移動した水面の向こうの空を見る。

 多分、この水面はいつまでも私にとっての境界線となるだろう。エナを持っていない松原さんにとってはもちろんのこと、エナを持つ私にとっても境界線だ。

 

 この人の言っていることは分かった。痛いくらい理解できた。だからあとは・・・。

 

 あとは、本当に松原さんが、私にとってそれだけの価値があるのかを見極める時間だ。

 

 そう思うと、これから先の旅の肯定を楽しめる気がする。心のままに向き合って、彼が私にとっての何なのかを探せばいい。

 ずっと億劫になっていたけれど、私はきっとわがままになっていいのだろう。この人は、ただ実直にそれを教えてくれた。

 

 湯呑を盆において、心からの笑みで放つ。

 

「ありがとうございました」

 

「おう。もう行くのかい?」

 

「ええ、待たせてる人がいるので」

 

「そうか。・・・水瀬ちゃんのやりたいこと、全部叶うといいな」

 

 その言葉に返事はしなかった。ただやんわりとした笑みをぶつけて、私は地面を蹴って海上へ昇っていく。

 

 叶うといい、なんて神頼みみたいなことはしないよ、船津さん。

 

 

 私は、私の全てを自分の力で叶えるんだから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

この作品に限らず、自分の作品においてよくあることですが、「わがまま」というのは一つキーワードなんですよね。多分これは筆者である自分が遠慮しがちな部分が強いというところが起因していると考えられます。
最近になって分かったことですけど、小さな遠慮はともかく、大きな遠慮は絶対にしない方がいいのではないでしょうか。それで夢を諦めたり、チャンスを誰かに譲って後悔してしまうと、きっと簡単に拭えないはずなので。
だからといって驕るのも違いますけどね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第二十話 reincarnation

~聡side~

 

 一時間ほど車内で仮眠をとって、もう一度海へ出てみる。しばらくの間水面はただ風に揺れるだけだったが、僕がもう一度外に出て三十分ほどして人魚のように海中で体を操る千夏ちゃんが現れた。

 その表情は、飛び込む前よりもはるかに清々しく、何かあったのだろうと思うのに時間はかからなかった。

 

 ・・・もちろん、千夏ちゃんの中で折り合いがついただけで、それが僕にとって不都合なことかもしれない。そう思うと素直に喜ぶことはなかなかできなかった。

 

 何も発せないまま、千夏ちゃんは陸へと上がる。先ほどみたいに皮膚が体の水滴を全部吸い上げて、何事もなかったかのように千夏ちゃんは体を伸ばした。

 

「どうだった?」

 

「うん、色々あったよ。会ったのがいい人でよかった」

 

「そっか」

 

 そこで言葉に詰まる。色々、と濁された手前、何を聞けばいいのか、何まで聞いていいのか、その線引きに困っていた。

 けれど千夏ちゃんがそんなことで気分を害すようなことはなかった。むしろ何も考えてないのではないかと思えるくらいに弾んだ笑顔で、僕の肩を叩いた。

 

「行こ?」

 

「行こって・・・もういいの?」

 

「もともと大した用事があったわけじゃないしね。それよりほら、あそこ行こうよ。私がずっと言ってたやつ」

 

 悩みなどないのではないかと思うほどに千夏ちゃんがせがむものだから、僕もすっかりその気になって、先ほどまでの少々陰鬱としていた心がすっかり晴れてしまった。久しぶりに頭を空っぽにして、朗らかな表情を浮かべて快諾する。

 

「分かった。今が三時くらいだから・・・今日はそこで終わりでいいかな?」

 

「うん。明日のことは、また明日になって考えよっか。時間はいくらでもあるんだから」

 

 ここまで来て、ごちゃごちゃと考えるのもばからしい。時間はいくらでもあると千夏ちゃんは言うが、一か月という月日は絶対に短いだろう。二年間目覚めを待ち続けた僕だからこそ分かるものもある。

 

 だから、その与えられた限りある時間は、せめて楽しい思いだけしたい。これからの僕がどうするか、とかではなく、ただ思い出だけを積み重ねたい。

 車に乗り込み、シートベルトをして、車はもう一度走り出す。

 今度は海に背中を向けて。

 

---

 

 日が沈み、月が山影から顔を出す。あたりはもうすっかり暗くなって、部屋のぼんやりとした明かりがより一層際立つようになった。

 

 ここはどこともしれない山中のとあるコテージ。海になじみがある生活な反面、自然の緑に囲まれる生活というものになじみがなかった千夏ちゃんがねだったのは、キャンプというものだった。

 

 とはいえ、怪我が回復して間もない千夏ちゃんのことを考慮すると、テントを張って準備して、などというのは到底無理。落とし込めた妥協点が、このコテージだった。

 

 当の本人はというと大変満足したみたいで、バタバタとひとしきり建物の中を走り回ってから満足そうに笑んだ。それだけで、僕も満足になる。

 

 それから荷物をほどくなり、買い物袋をさばいて千夏ちゃんはキッチンに向かった。そこに僕のつけ入る隙なんかなく、おとなしくただ料理が並ぶのを待つ。

 

 終わるなり二人で木目のテーブルに並んだ料理を向かい合って食べる。何度かお邪魔しているから分かるけど、千夏ちゃんにしても夏帆さんにしてもずば抜けて料理がうまい。ここまでくると生まれ持ってのセンスなんだろうなと感心。

 

 そして片づけまで終わったところで、僕はコテージに備え付けられたベランダに出た。思ったより座り心地の良い木調の椅子に腰かけて天を仰ぐ。僕が想像している何倍も、月と星が煌びやかだった。

 

「隣、座るね」

 

 ベランダにつながる扉が開いて、目の前にある机に二人分のコーヒーを置いて千夏ちゃんが隣に腰かける。僕と同じように空を見つめて、綺麗だねと呟きながら、しばらくの間ぼーっとしていた。そんな時間があまりにも愛おしくて、終わってほしくないとさえ思ってしまう。

 

 儚さに包まれ始めたころ、湯気立つカップを一つ持って、千夏ちゃんがこちらを向いた。

 

「こうして二人きりになるの、なんか新鮮だ」

 

「そうだね。・・・こんな経験、もう二度とないだろうって思ってた」

 

「・・・ねえ松原さん、ちょっと失礼なこと聞くけどさ。・・・やっぱりその、前好きだった人のこととかって、結構覚えてたりするのかな」

 

 ズズッとコーヒーを啜って千夏ちゃんは表情を隠す。僕はそれを尻目に嘘偽りなく答えた。

 

「覚えてるよ。忘れることなんてできなかったし、多分これからも無理だと思う」

 

「そっか。・・・やっぱり、そうだよね」

 

「彼のこと?」

 

「うん、そうなる」

 

 今はもう別の誰かと結婚して、千夏ちゃんのいた世界から遠ざかってしまった彼。千夏ちゃんもそのことは割り切っていると思うのだが、やっぱりまだ思うところはあるのだろう。

 

「心が痛い、とかそういうことはないんだけどね。こうして年の近い男の人と二人でいるとさ、どうしても思い出すんだよ、遥君のこと。・・・そりゃ、結構長い時間同じ屋根の下で過ごしてたから、仕方がないことなんだけどね」

 

 未練、というわけではないのだろう。

 ただ、新しい思い出を作ろうとするのに必ず現れる過去の亡霊が気になっているだけだろう。そしてそれは、僕もまた同様の話。

 

 僕は美浜の、千夏ちゃんは島波さんの亡霊を見ている。

 だから、僕たちはちゃんとこの旅でこの亡霊を祓わなければならない。結ばれようと結ばれなくとも、僕たちがこの亡霊のもとへ帰ることはもう二度と出来ないのだから。

 

「塗りつぶせるといいな」

 

「何が?」

 

「あ、いや。・・・僕らの中にある、それぞれの思い出をってことだよ。過去が消せないなら、それ以上のことで上書きするしかないんじゃないかな」

 

「よかった。松原さんもそう思ってるんだ」

 

「え?」

 

 考えもみなかった返答に、僕は思わず声を挙げる。千夏ちゃんはカップを机に置いて、まだ少し震えの残る腕で僕の手を柔らかく結んだ。

 

「こんなことをいうのもなんだけどね・・・私、やっぱりまだ松原さんのこと信じ切れてなかったんだと思う」

 

「・・・うん、いいよ。聞かせて」

 

 そういうだけの理由があると、僕は知っている。だからちゃんと聞く。これは、未来へ行こうとするサインなんだから。

 

「私と松原さんが出会ったのは、あの日の事故がきっかけ。これは絶対に変えることができない現実。・・・それをきっかけにして私たちは出会って、松原さんは私のことを好きになってくれたって言ってたけど、やっぱり、負い目とか、責任感とか、そういったものがあるんじゃないかってずっと怖がってたの」

 

「・・・」

 

「私のことを好きになってくれたのは嬉しいの。・・・ううん、もう隠せないからちゃんと言うね。私も松原さんのこと好きなの。夢も、この気持ちも諦めたくない。・・・だから、どうしても事故っていうきっかけがノイズになっちゃってる」

 

 なんだかんだ同じ時間をそれなりに過ごしてきて、初めて千夏ちゃんの口から「好きだ」と告げてもらえた気がする。

 それはもちろん嬉しいこと。・・・なのに、こんな暗い言葉のさなかで聞かされるとは思ってなかった。

 

 けど、今は聞く時間だ。最後まで聞き届けて、それを受け入れよう。

 

「私、嫌だった。松原さんが前に好きだった人のことを懐かしんで、『いい思い出だった』って言われることが。じゃないと、最悪のきっかけで出会った私が、一生勝てなくなる気がして・・・!」

 

「だから、僕が美浜と過ごした記憶を上書きしたいって言ったことを喜んでくれたんだ」

 

 言葉の代わりに首肯が一つ。

 

「・・・僕らの出会いを、やり直そう」

 

「え・・・?」

 

 全てを聞いて、やっぱりこの旅が僕らにとってかけがえのないものになると思った。

 けど、最初と意味合いはまるで違う。千夏ちゃんの思いが変わったから。

 

 この旅は、僕が千夏ちゃんに振り向いてもらうためのアピール期間のように思っていた。何かを諦め切り捨てようとする千夏ちゃんに、僕は見てもらいたかった。あまり言葉にしたくないけど、それがこの旅の動機だった。

 でも、千夏ちゃんは言ってくれた。夢も、この思いも諦めたくないと。

 

 だから、僕たちはもう一度心から巡り合うのだ。事故も、誰かへの配慮もない出会いを果たす。心から嘘偽りない思いで結ばれあう。そのための時間に今、変わった。

 

 もう、取り繕うことはしない。心から結ばれるために、もう一度出会うために、僕は僕の全部を見せよう。千夏ちゃんが素顔で向きあってくれるために。

 

 この旅が、絡まった線路の終着点になるように。

 

「全部塗り替えよう。それぞれの過去も、出会いも。だから僕は、もういい人にはならないよ。無理やり煽てて一歩引いて、千夏ちゃんが望むがままに、なんてことはしない。それが素顔の僕だから。・・・だから千夏ちゃんもどうか、そうあって欲しいんだ」

 

「それが、出会いをやり直すってこと?」

 

「かくいう僕もね、ずっと遠慮してたと思うんだ。一度不幸にしてしまった分、絶対に幸福にしないとって思い詰めてた。・・・だからちゃんと、償いなんて言葉のない思いで千夏ちゃんと結ばれたいんだ。もう、こんなに好きになってしまったから」

 

 こう出来るのは、僕が千夏ちゃんを好きだと思っている感情だけは嘘偽りがないから。あとは、この感情をもっと本物にしたい。

 

 僕のわがままを聞いて、千夏ちゃんは小さく噴き出した。

 

「何かおかしい?」

 

「おかしいよ、もう全部。出会いをやり直そう、なんて言い出してさ。松原さんと知り合ってから今日までの日々、忘れられると思う?」

 

「無理だね」

 

「だから、上書きして新しい二人として結ばれる。・・・松原さんはすごいな、やっぱり」

 

 いつの間にか目の端にうっすらと溜まった涙をぬぐって、千夏ちゃんはこれまでとは違う笑みを浮かべた。儚さの残る、少し甘酸っぱいような、そんな笑み。そして僕は、初めてそれが千夏ちゃんの本当の姿なのだと知った。

 

「遠慮しない私は、もっと面倒くさいよ? いちいち悩みこんで、それを吐き出そうともしないで、抱え込もうとする子だよ?」

 

「それでも好きになれる自信はあるよ」

 

「・・・それじゃ、明日からどうするか考えよ?」

 

 これまでの自分を脱ぎ捨てるということは、昨日までの自分たちが組んだ行程も全てリセットすること。まあまあしっかりと組み立てただけに、この行程が白紙になるとなると大問題だ。

 

 でも、ああ、楽しいから、いいか。

 

 

 ようやく、心からの笑みが咲いた。

 




『今日の座談会コーナー』

ここからがクライマックスです。何話続くかは知りませんが、この外伝を締めくくるために一番な重要なポイントが出てきました。
「事故というきっかけをなかったことにする」、これがこの旅の最終目的です。もちろん、きれいさっぱり忘れるということはできないので、やはり「上書きする」という形で。その上書きするだけの思い出を作れるかどうかというのがキーポイントになるのと、真の意味で遠慮しなくなった二人がちゃんと結ばれるのかどうかというところがメインになってきます。

といったところで、今回はこの辺で。
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第二十一話 今、私を越えて

~千夏side~

 

 巡り、巡り、日々は巡り続ける。

 もう一度出会いをやり直すという松原さんの言葉が発されてから、かれこれ三週間は経過した。私たちは今もまだ旅の途上にいる。

 

 あの日の言葉を皮切りにして、松原さんは変わった。・・・というより、本性を見せたのだろう。私が描いていた人間像なんていうものはあっという間に反転した。

 

 私がわがままを言えば「だめだ」ときっぱり断るし、私が抱え込んだら力になりたいと必要以上に関わってきた。素直で、謙虚で、控えめなどと思っていたが、実際はそうではなかった。

 

 そうするうちに、だんだんと居心地が悪くなっていくのを感じる自分がいた。・・・嫌いじゃない。わかっているけど、どうしても居心地だけが悪い。そんな複雑な気持ちは、日を増すごとに私の言葉と行動に紛れて現れるようになった。

 

 ・・・そのせいで、最近はピリピリとした空気が張り詰めるようになった。

 

---

 

「千夏ちゃん?」

 

「・・・」

 

「無視されても困るんだけどなぁ」

 

 鷲大師から遠く離れた街のデパート、車に乗り込んだところで松原さんが話しかけてきたが、私はツンとしたままろくに口を開こうともしなかった。

 

 今日は成り行きで「映画を見に行こう」ということになった。これは私の提案。けれどここですんなり引き下がらないのが今の松原さんで、「おすすめの作品がある」と言って聞かず、最終的には私が折れる形となった。

 ここまではいい。

 

 悔しいことに、その作品がとても面白かった。心に響いた。

 生と死を鮮明に描いたヒューマンドラマ。私は微塵も興味などなかったが、ふたを開けてみれば涙を流していた。何に惹かれたか思い出せないけど、ただ、自分も「生きたい」と思った。それが確かだったから。

 

 けれど、これを松原さんに伝えると負けた気がして嫌だった。私が選んでいたら、ひどく陳腐な結末になっていたのではないかと思ってしまうのも、嫌だった。だから、何も言わないでいる。

 

 最近は、ずっとこんな感じなんだ。何かがおかしい。なぜか分からないけど、これまでの自分じゃなくなっている。

 この旅は残り一週間。おかしくなってしまった今では、心のどこかで「早く終わってしまわないか」とまで思ってしまっている。楽しくて、愉快な時間もあったはずなのに、日を増すごとに、どんどんその気持ちが歪んでいってしまってる。

 

 けど、吐き出す場所がない。私には、頼るべき場所がない。

 あの町から遠く離れてしまった今の私には・・・。

 

「・・・今日は、ここで終わりにしよ?」

 

「んー・・・。分かった。ほかにどこか行く時間があるわけでもないし、行きたい場所があるわけでもないしね」

 

 松原さんは少しだけ硬直したが、自分の言い分がなかったのか素直に私の言葉に乗っかって車を動かした。昨日のうちに予約しておいた宿に車を停めて、それから泊りの手続きを済ませる。業務的な会話だけ交わして各々の部屋へと向かう一連の時間は空虚そのものだった。

 

 同部屋、車中泊など様々なことも経験したが、ここ最近はずっとこうして別々の部屋で寝泊まりしている。気分が良ければどっちかの部屋に行ったりはするけど、このまま別々で夜が明けるのを待つということも増えた。

 

 ・・・なんでこうなったの?

 

 荷物を置いて、ベッドに倒れこんだところで、体が震えだす。胸の方を起点にして、気持ち悪さが体中に広がっていく。旅の最初の方ではなかった感覚だ。

 

 私、我慢しているつもりないのにな。ちゃんと言いたいことは言ってるし、二人で話し合って行程を決めるのも悪くないのに、なんで。なんで・・・。

 

 二年前の私がフラッシュバックする。

 一人で抱えて、誰にも話せずに、壊れていく、あの日の私が、月明かりの出始めた窓辺の方から影を覗かせている。

 

「嫌だ・・・誰か・・・」

 

 目を伏せた時に、脳裏に人影がよぎった。

 遥君かと思ったけれど、違う。もう一つ、いや、二つ。私を支えてくれた暖かい人影だ。

 

 気が付けば私は部屋を飛び出していた。談話室にポツンと置かれた公衆電話にたどり着くなり、ポイントが満タンに溜まっているカードを挿して、震える指で慣れた番号を押す。

 

 電話がつながったのは、コールが二回鳴ってすぐだった。

 

「もしもし、水瀬です」

 

「・・・お母さん、私」

 

「千夏? どうかしたの?」

 

 この一か月聞くと思っていなかった優しい声に、思わず涙が出てしまう。二年前のあの日も、こうやってすべてが壊れる前に話していたら・・・。

 いや、違う。それだけは口にしてはいけない。言葉にしてしまうとまた、今日までの日々が全部壊れてしまう。

 

 無理やり呼吸を整えようとしたところで、お母さんの方から訪ねてきた。

 

「何か、嫌なことでもあった?」

 

「ううん、嫌なことなんてないの。ただ、私、おかしくなっちゃった」

 

「・・・うん。ちゃんと聞いてあげるからゆっくり、ね」

 

 憔悴しきっていたころのお母さんの面影はもうどこにもなく、ずっと私が見てきた、優しく包み込むような声色を投げかけてくれるお母さんがそこにはいた。それに安心して、私はすべてを吐き出す。

 

「旅行、すごく楽しいものになると思ってた。実際、二人であれこれ考えて行き先を決めたりするのは楽しかったし、いっぱい松原さんの本音も聞けた。・・・でも、最近、すれ違ったり衝突が増えたりして・・・」

 

「それは、松原さんが嫌いになったから?」

 

「それだけは違うと思う。・・・だから、おかしいの。嫌いじゃないのに、ずっととげとげしい態度しか取れなくて」

 

 私が話す言葉に対して、しばらくの間お母さんはうんうんと相槌を打つばかりだった。そしてすべて聞き終えて、核心を突く一言をあっさりと放つ。

 

「多分それって、素直になれてないだけなんじゃないかな?」

 

「素直に、なれてない・・・?」

 

「うん。・・・ねえ、千夏。松原さんのことは、好き?」

 

 そう尋ねられて、私は言葉に詰まった。・・・でも、その答えは多分一か月前から変わってない。

 

「好き、だと思う」

 

「だったら、どうしてそれを伝えられないと思う?」

 

「それは・・・」

 

 なんでだろう。その理由だけは言えなかった。

 

 ・・・いや、本当は分かっている。私にまとわりつく亡霊が、そのせいだ。

 

 私は、「好きな異姓」を思い浮かべるときに、必ず遥君のことを想像していた。別に彼に未練があるわけじゃないけど、「彼みたいな人だったら」と心の中でそう描いていたんだ。

 だから、最初松原さんと会ったときに直感的に惹かれたんだ。あの時の彼は、遥君にそっくりだったから。

 

 それが剥がれて、困っていたんだ。あの人は変わらない思いで私に接してくれていたのに、私がただ変わった彼を知らず知らずにうちに拒んでいた。

 

 それはおのずと言葉になって、電話越しのお母さんに伝わる。

 

「多分、ずっと、松原さんに遥君の影を思い浮かべてたのかもしれない、私」

 

「そう。やっぱり」

 

 お母さんは私がそう思っていることを分かっていた。満を持して現れた「やっぱり」という言葉が、それを物語っている。

 

「お母さんもね、最初はそう思っていたから」

 

「松原さんのことを?」

 

「うん。すごく似てると思って、拒否して、逃げようとしてた。・・・けど、当たり前だけど、やっぱり違うんだよね。違うんだって思えて初めて、彼を受け入れられたよ」

 

 淡々と話すお母さんの言葉を受けて、私は改めてこの人の娘なのだと思わされた。

 ・・・うん。私ももう、遥君のことを払拭できるだけの時間を過ごしたはずだ。今度こそ、彼の幻影を追うのをやめよう。それが彼に見せる、本当の私だ。その時ようやく、出会いをやり直せる。

 

「ねえ、千夏」

 

 お母さんが問いかける。

 

「もう一度聞くよ。松原さんのこと、好き?」

 

「・・・うん、大好きだよ。ちょっと強情なところがあって、根は頑固者だけど、ちゃんと人のことを思える素敵な人だと思ってるし。・・・なんだかんだ、あの人と言い合いして意地の張り合いをするのも楽しい。多分、これまで以上に前途多難かもしれないけど、私はあの人のこと、大好きだよ」

 

「そう」

 

 松原さんは、全部が全部完成されているわけじゃないし、私と反りあわない部分も結構ある。それは今日までの旅路で分かったことだし、これからすぐに治るものでもないと思う。好きな映画も、趣味も、利き腕も違う。

 けど、私が好きになりたいのは、遥君でもその類似品でもない。等身大の彼だ。

 

「だから、私は・・・」

 

 そこで、ツー、ツーと電話が切れる。カードの残量が無くなったみたいだ。目の前の間の悪さに、苦笑いを浮かべる。

 

 けど、ちゃんと話せてよかった。お母さんのおかげで、私は今を持って生まれ変われる。今度はちゃんと間に合った。

 

 ・・・行こう。

 

 

 踵を返す。前を向く。目指すのは自分に宛がわれた部屋じゃなく。

 

 

 私を待つあの人のもとへ、初めての私を見せに行こう。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 この外伝のメインテーマで言うと、「水瀬千夏」が「島波遥」とお別れをする話なんですよね。その点で言えばこの回は、初めて千夏が心から「遥」という存在を上書きして「聡」のことを好きになりたいと思った回なので、その意味合いは大きいと思います。そして、事故を起こす前のシーンと対比になっているのでそこもチェックしていただけたら、という感じです。
次回、山場。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十二話 今、出会うとき

~千夏side~

 

 私の隣の部屋のドアをコンコンとノックする。中から聞こえてくる「開いているよ」という声を受けて、私はゆっくりと扉を開いた。

 松原さんは、ベッドに腰かけ、ぼんやりとテレビを見ていた。私に気づいてようやく、こちらを向く。

 

「どうしたの? 千夏ちゃん」

 

「・・・暇だったから」

 

 違う、こんなことを言いたいんじゃない。もっと素直にならなきゃ。

 歯を食いしばる。自分の情けなさが申し訳なかった。

 

「そっか。まあ、せっかくだしおいでよ。ちょうど観光者向けの番組やってるんだ」

 

「なら、失礼しようかな」

 

 ようやく、少しだけ素直になった私は歩を進め、靴を脱いで松原さんの後ろに陣取る。私が座り込んだ場所に疑問を抱いたのか、松原さんはテレビに視線を向けたまま困惑の色を織り交ぜて言った。

 

「見にくくない? そこ」

 

「ううん、ここがいいの」

 

「ふーん? ならいいけど」

 

 実際、私の視界はほとんど松原さんの背中で塞がれていた。テレビの音も、集中できていないせいかノイズにしか聞こえない。

 けれど、それが今はとても心地よかった。ここまで心穏やかになれるのは結構久しぶりのことで、気を抜いてしまうと泣きそうになる。

 

 いい匂いがする。安心できる匂いだ。

 大きく見える目の前の背中が、とても愛おしく思える。・・・なんでだろう、昨日まではここまで胸が弾むことなんてなかったのに。

 

 なんて言っても、答えは決まってるか。

 今、目の前にいる人が、遥君を越えたんだ。私が目覚めてからの数か月と、この三週間の道のりで、その存在を上書きしてくれたんだ。

 

 私は、この人を心から好きになりたい。今は間違いなく、そう思ってる。

 だから彼のことを、「いい思い出だった」なんて言ってあげない。遠い初恋の相手で、今は程ない関係の友人。それまで。

 

 ・・・ねえ、松原さん。さんざん迷惑かけて、いろんなこと言っちゃたんだけどさ、今はもう、こんなにあなたのことが好きなんだよ?

 

 両手を広げて、不意打ちのように後ろから抱き着いて、溢れんばかりの心の声を余すことなく音にする。

 

「もう、いいよね?」

 

 急に抱き着かれて松原さんはしばらく呆然としていた。そんなことお構いなしに、私は全部、全部を伝える。

 

「もう、ちゃんと松原さんのこと、好きって言っていいよね? 大好きだって、言ってもいいよね? 新しい私、全部松原さんに見せてあげられたか分からないけど、この言葉、伝えていいんだよね?」

 

「・・・まいったな。僕の方から切り出そうとしてたのに」

 

 松原さんの第一声はそれだった。頭を掻いて、半ば悔しそうに、けれど嬉しそうに口先でそう語る。手元のリモコンでテレビを消して、抱き着いた私の腕をほどいて、こちらをゆっくりと振り返る。

 

 松原さんは、泣いていた。頬のあたりを小さくしずくが伝う。

 

「ずっと、不安だった。偽らない僕の姿でいたら、千夏ちゃんの心が遠ざかってしまうんじゃないかって、ずっと不安だった」

 

「どうして、そんなこと・・・」

 

「だって、君の後ろにはずっと彼がいただろう?」

 

 震える松原さんの声は、確かに私の心の奥の黒い部分を射抜いた。

 

 松原さんも、ずっと分かっていたみたいだ。私が遥君への思いを消せずにいたこと。彼と目の前の松原さんを重ねていたことを。

 分かった上で、松原さんは私のことを心から好きになろうとしてくれていたんだ。被害者と加害者という垣根を超えたやり方で。一人の人間として好きになってほしいという思いを、ただ一心に伝えてくれていたんだ。

 

 ・・・うん、だからこそ、あなたは過去の全てを越えたんだよ、松原さん。

 

 鼻がツンとして、涙が溢れそうになる。それをごまかすように、今度は向かい合って松原さんを抱擁した。

 

「さんざん、言い合っちゃったね。ずいぶんわがままも言ったし、喧嘩もしちゃった」

 

「うん」

 

「だけど、こんなこと初めてだったから、私もどうしていいかわからなかったの、ごめん」

 

「大丈夫だよ」

 

「・・・これからも多分、こんなことになるだろうけど、でも、一つだけ、ちゃんと言わせて。・・・大好きだよ。何よりも、誰よりも」

 

 誰よりも、という言葉をちゃんと口にして、私はずっと付きまとっていた亡霊を払い去る。

 

 ・・・ごめん、遥君。ずっと好きだったよ。

 今日の今日まで、ずっと君が好きだったんだよ。もう届かない恋だとしても、これまでの出会いで一番だと思っていたんだよ。

 

 でもね、私、好きな人が出来ちゃったの。私とどこまでも歯車が合う君以上に。

 かみ合わないこともあるけど、ちょっと不器用なところもあるけど、それでも、大好きになったんだよ。

 

 ちゃんと私は、君を乗り越えたんだよ。

 

 ・・・じゃあね、遥君。私たちが幸せになる世界は別々だけど、私はちゃんと君と美海ちゃんのことを応援できるから。

 だからどうか、知らないところで私を応援してほしいな。

 

「あっ・・・」

 

 もう、ダメだった。

 松原さんから体を放して、私は蹲る。嬉しいのか悲しいのかも分からずに、涙は堰を越えてしまったのだ。

 

 声を挙げて、わんわんと泣く。なんで泣いているのかも分からない。

 

 でも、それを掬い上げてくれるのが松原さんだった。崩れそうな体を支えて、さっきの返答をしてくれる。・・・少し不機嫌そうに。

 

「ずっと言われっぱなしだったから、癪だ」

 

「え・・・?」

 

「だって、そうだろ? 僕の方がずっと前から君のことが好きだったのに、さんざん大好きって先に言われて、告白だって奪われて。・・・だからさ」

 

 

 空気が止まる。

 自分の唇に唇が触れていることに気が付くのは、それから間もないころ。

 

 五秒、十秒と時間が経過しても、終わらない接吻。私は目を伏せて、ゆっくりとそれが終わるのを待った。

 

 そしてゆっくりと口づけが終わる。

 目を開くと、子供っぽい笑みを浮かべた松原さんが強気に放った。

 

「彼のことなんて知るもんか」

 

「松原さん・・・」

 

「ああ、そうだよ。ずっと悔しかったんだ。何をしても、君の周りの人の心に彼がいて。僕じゃそこにつけ入る隙がないって、何度思ったことか」

 

 多分、私だけじゃない。お父さんもお母さんも、ずっと彼の亡霊に囚われていた。そこに無理やり入り込むようにして、松原さんは自分の居場所を作ったんだ。誰になんと言われようと、自分だけのやり方で。

 

 そしてこの人はここまで来てくれた。彼に囚われない私の心を引っ張り出してくれた。・・・かなわないなぁ、ほんと。

 

「だから、何回でも言ってやる。僕の方が君のことを愛してる」

 

「・・・何それ、聞き捨てならない」

 

 涙でぐちゃぐちゃになりながらも、私も口を窄めて食いつく。順番なんてどうにせよ、今の私の気持ちは負けてなんかいない。

 

「・・・ははっ、あはは」

 

 本当におかしくなって、二人とも笑い出した。こんな場面でも意地を張りあうって、どれだけ不器用なのだと、互いに見合って声を挙げて笑う。

 

 ああ、そうだよ。だから私は松原さんのことが好きなんだ。

 

 冷静沈着で、常識があって、素直で、謙虚で、なんて虚像は遥君のもの。

 本当のこの人は、確かに常識があって素直だけど、冷静さなんてすぐなくなるし、決定的に謙虚さが彼と違う。子供っぽくて、すぐに維持を張って、自分の貫きたいわがままを通そうと必死になる。もちろん、極限のラインで相手を気遣いながら。

 

 そんな松原さんが、やっぱり私は好きだ。ごちゃごちゃ理由を考えるまでもなく、好きなんだ。

 

 私が好きになったのは、ありのままの松原さん。事故を起こして常に謙虚に徹した彼じゃなく、無邪気さが残る等身大の彼。

 

 彼が好きになってくれた私は、遥君の亡霊に囚われない私。そう信じてる。

 

 だから今、私たちは出会いをやり直せたんだ。過去の遺恨は全部消えないけど、それを上書きして、ようやく一歩を踏み出せたんだ。

 

 やっぱり、夢も彼も諦めたくない。辛い思いをすることになったって、私は全部を手に入れるんだ。だって、好きなことで苦しめるってことは、素晴らしいことなんだから。

 

 松原さんが私の手をぎゅっと握る。一体何が起こるのだろうと、私は息を飲んで彼の言葉を待った。

 そして、予想していたような、そうでもなかったような言葉を聞く。

 

「結婚しよう」

 

「・・・そうきたかぁ」

 

 強い瞳の裏側に、してやったりという感情が映っている。きっと、今度こそは自分の方が先に言ってやると思っていたのだろう。

 ・・・あーあ、先越されちゃったな。

 

 流れのままに私の方が言ってやろうかと思ったみたいだったけど、ダメみたいだ。仕方がないか、松原さんはこの言葉を言うことを、もうずっと前から待っていたみたいだから。

 

 私なんかでいいの、なんてことは言わない。私は選んで欲しいのだから。私はこの人を、選びたいのだから。

 短いようで長い間をこの人と一緒に過ごしてきたんだ。もう互いのことはちゃんと知っている。断る理由なんて、何一つない。

 

「・・・いいよ。結婚しよう」

 

 口約束が、いつ形になるのか知らないけれど、この人は裏切らないことを知っている。だから私は、安心して身を委ねるんだ。

 

 それより今は、この約束が口約束で終わらないように、私はそーっと後ろ手を伸ばして、指が触れたボタンを強く押す。

 

 

 

 今は、明かりが消えたこの夜で、それを確かめたい。 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 松原聡という人物は冷静沈着で、常識があって、素直で、謙虚な性格という風に描いていましたが、これはどちらかというと千夏と出会ったことではなく美浜と婚姻関係を結ぼうとしていたところに影響しています。文中では語っていませんが、聡は周囲の期待に応えようとする所謂優等生タイプの人間だったので、自然とこういう風に性格が変遷していった、ということになります。そして今見せているのが本当の姿、というところですかね。聡もまた、過去を越えたわけです。

といったところで、今回はこの辺で。
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第二十三話 僕だけの物語

~聡side~

 

 カーテンが閉ざされ、なおも明かりのない部屋の中。隣で寝息を立てている千夏ちゃんをよそに、僕は一人天を仰いだ。ここまで来てようやく真っ白になっていた脳がもとに戻り、冷静な思考が出来るようになる。ここに来て恥ずかしさがこみあげてくる。

 

 それでも、やっぱり嬉しいものは嬉しい。

 今度は手遅れになる前に、本当の自分を見せることができた。それでいて、好きでいたい人に好きと言えて、好きと言ってもらえた。愛していた人に裏切られた痛みは消えないだろうけれど、千夏ちゃんははっきりと己の未練を上回ったと言ってくれた。

 

 過去の傷は癒えないだろう。少なくとも僕は一度この子を傷つけたし、人生を狂わせた。本来なら好きなんて言っていい立場なんかではないだろう。

 だから、ちゃんとやり直した。嫌われるような真似だってして、それでも本当にいいのかを確かめた。

 

 ・・・そっか、演じ続けた日々も、もう終わりなんだな。

 

 そう思うと急に疲れがこみあげて、一つ大きな息をついた。その時、小指の方がきゅっと捕まれる。目を向けた先の千夏ちゃんが目を覚ましていたみたいだ。

 

「ごめん、起こした?」

 

「ううん、目が覚めちゃっただけ。・・・それより、聡さんはずっと寝てないの?」

 

「ちょっと寝付けなくてね。色々あって疲れたはずなのに」

 

「ほんと、色々あったからね」

 

 一つ大きな境界線を越えたのがついさっきのことだ。身体的にも精神的にも疲弊してもなんらおかしいことはない。

 多分、興奮が疲弊を上回っていたのだろう。精神が極限に研ぎ澄まされると、人は疲れていたことすら忘れる。

 

 千夏ちゃんは布団の中でもぞもぞと動く。先ほどは肌着をつまむ指先だけで繋がれていたが、今度はしっかり両腕で僕の体に抱き着いてきた。暗闇の中でも、小さくはにかんでいるのが分かる。

 

「どうしたの?」

 

「なんか、こうしてみたくなった。それだけ」

 

「そっか」

 

 こんな触れ合いに大層な理由などいらないだろう。つい数時間前とは一転して甘えてくるようになった千夏ちゃんを、僕は素直に受け止める。

 

 でも、その時だった。急に現実に立ち返ってしまう。

 僕たちの間には絶対に越えられない境界線があるということを、思い出してしまう。

 

 もちろん、それくらいのハンデは乗り越えて生きていけると思うし、今更それで全てを諦めるなんてことはしない。・・・分かっていても、どうしてもこの問題は一生付きまとってくるのだ。

 

 僕の表情から喜びの感情が抜け落ちたことに、千夏ちゃんは瞬く間に気が付く。

 

「・・・どうしたの?」

 

「いや、大したことじゃないんだ。・・・ただ僕も、海で生まれた人間ならよかったなって、そう思っていたところだよ」

 

 嘘はつかないけれど、ダイレクトな言葉でも伝えない。

 千夏ちゃんは僕のこの一言をちゃんと理解してくれたみたいで、、少しだけ目を伏せて、寂しそうな笑みを浮かべた。

 

「・・・仕方がないことだよ。世界はそういう風に出来ているんだから」

 

「でもおかしな話だよね。昔はもっと陸と海が繋がっていたっていうのに。今じゃお互いがこんなに離れて生きてるなんて。・・・なんで、こんなことになったんだろう」

 

 伝承の部分については千夏ちゃんから何度も聞かされた。長い年月を経て、かつて海で生きていた人々は陸へと赴き、それが分断される形になったと。

 その長い歴史の末端にいる僕は、理由など知る由もない。ただ不可解で、そして悲しい事実だけが残っている。

 

 僕にはどうしようもできないことだと分かっていても、悔しくてきゅっと唇を噛む。考えないようにと思っても、一度種が植わってしまえばそれを抜くのは困難なことだった。

 

 そんな思考が支配する僕の頭を、千夏ちゃんがふんわりと撫でる。

 

「私は大丈夫だよ」

 

「うん。・・・僕もちゃんと乗り越えるよ」

 

 それだけの話なのだ。違う境遇を嘆くことなんて全く無意味で、僕らはただこの壁を乗り越えるか、割り切って回り道をするしかない。

 分かっているから、もうこれ以上の言葉はいらない。

 

 僕はグッと全てを飲み込んで、この話を終わらせることにした。今日という日を、ブルーな気分で塗りつぶしたくはなかったから。

 千夏ちゃんが僕の背の方に巻いていた腕をもとに戻すと、僕はすかさずそれを捕まえて、しっかりと握った。少し驚いたような、だけどまんざらでもないような表情に僕は安堵する。

 

 クスクスと笑って、千夏ちゃんはふいに問いかけた。

 

「ね、聡さんにまだ聞いてないことがあったよね?」

 

「ん?」

 

「私ね、あなたの夢を、まだ聞いてないの」

 

 とても穏やかで、まるで春のような温かさを持つ声音に、僕の心はスンと落ち着く。でも、その質問は今までになかったものだから、どう答えればいいか固まった。

 

 さすがに突拍子もないことは向こうも知っていたのだろう。補足するようにつづけた。

 

「私はさ、海で生きたいって夢をずっと持ってた。そしてそれはこれからも変わらない夢。聡さんに関係しない、私だけの夢。・・・だからさ、聡さんの、私に関係しない昔からの夢を教えてほしいの」

 

「・・・僕だけの夢、か」

 

 思えば、ずっと僕は周りのみんなに幸せになってほしいという一心だけで生きてきた。それは鷲大師に引っ越してくる前から、ずっと。

 気持ちがよかった。自分の頑張りで誰かが喜んでくれることが、たまらなく。いつからかそれは僕の生きがいになっていて、僕の全てになっていた。

 

 でも、そのせいで、僕は僕自身のために生きることを忘れていたのかもしれない。常に誰かが大事で、僕なんか二の次で。そんな風に思っていた。

 

 多分それはこれからも簡単に変えることはできないだろう。間違ったことはしていないし、誰かを幸せにしたいという気持ちは変えたくないから。

 

 だからこうして、返答に困っているわけだけど・・・。

 

「・・・ないの?」

 

「いや、違う。ないって訳じゃないんだ。・・・ただ、僕はずっと自分の幸せを誰かに依存していたのかもしれないって思ってるよ。越してくる前からずっと、誰かを大切にしたいって一心で動いていたから。・・・あ、でも」

 

 そして、ふと思い出す。

 僕がまだ制服を着ていたころに思い描いていた、たった一つの夢。

 

「あったよ、僕だけの夢」

 

「聞かせて」

 

 千夏ちゃんは興味津々と言わんばかりの瞳を僕に向ける。僕の夢を聞いてどう思うか分からないけど、全部伝えることにしよう。

 

「僕は、一冊の本を書きたいと思っているんだ」

 

「本?」

 

「そう。・・・ノンフィクションでさ、ありのままのことを全部書くんだ。生きてきた日々の中で、何が嬉しいと思ったか、何が悲しかったか。僕が生きてきた道のりとすべての感情を、忘れないように一冊の本にしたい」

 

 誰かを幸せにして、幸せになった自分のことを記録にしたい。それがまぎれもない、僕の夢だった。

 結局誰かに依存していることには変わらないけど、僕の文字で、僕の言葉で記すそれは、間違いなく僕だけのものだ。

 

 そんな僕の夢に、千夏ちゃんはややあきれ笑いを浮かべた。つまらない、とかそういう感情ではなく。

 

「・・・全部って、とんでもない時間がかかるよ? それに、長い時間を記そうとすると、絶対どこかで忘れた何かが出てきちゃう」

 

「忘れないよ。そのために、日記だってつけてる。生憎、記憶力だけはいいんだ」

 

 そのせいで散々悶々としてきたけど・・・。でも、幸せな記憶のおかげで救われた瞬間だっていくらでもある。

 

「日記かぁ・・・。私の日記、渡しちゃったからなぁ。・・・でも、あれは私の未練そのものだったから、今の私にはいらない」

 

 おそらく、渡した相手は島波さんなのだろう。それがいつのことかは分からないけれど、千夏ちゃんはそれを未練と名付け、そして譲渡したと言った。それ以上のことは考えなくていいだろう。

 

 千夏ちゃんははぁ、と大きな息を吐いた後、満面の笑みを浮かべて、繋いだ手を自身の胸の方に押し当て、目を伏せた。

 

「・・・うん、素敵な夢だと思う」

 

「千夏ちゃん」

 

「出来れば、私もその夢に協力したいな」

 

 その言葉に嘘がないことは顔を見れば明らかで、たちまち僕は安心する。今日交わした言葉の全てに嘘はないのだと信じることができた。

 

 だから、また、愛おしさが溢れる。美浜と愛の契りを交わした時のそれなど、優に超えている。

 

 

 その思いに言葉などいらない。もう一度触れるだけの接吻をして、僕は目を伏せた。

 




『今日の座談会コーナー』

 この作品恒例といえばそうなんですけど、「誰かに影響しない自分だけの夢」というものがこの作品ではたびたび出てきます。今回は聡partというわけですね。
 しかしまあこの外伝ももう二十話overですか。あんまり長いこと書くつもりはないなって思っていたのに、まず過去を語るだけで相当話数使いましたからね。ここまでくるとまた終わらせたくない症候群が発症してしまうのがなんとも・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
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第二十四話 いつか帰る場所

~聡side~

 

 夜が明けても、僕らは手を取り合ったままだった。

 目が覚める。隣の千夏ちゃんはまだ目を閉じたまま、すうすうと穏やかな寝息を立てている。その横顔に口づけを、と思ってはみたが、昨日再三やったばかりだ。少しは遠慮しよう。

 

 ・・・それに、これからだってそんな時間を過ごせるんだ。焦った話じゃない。

 

 そう思うと僕の心はどこまでも澄む。これまで抱えていた重荷を全て捨て去って箍が外れた心になった今なら、どんなことでもできそうな気がする。

 

 グーっと体を伸ばして、一人先に顔を洗いに向かう。もう一度ベッドに変えると、千夏ちゃんが上半身を起こして、ベッドの背もたれに持たれかかっていた。

 

「おはよう」

 

「おはよう、聡さん。・・・今、何時くらい?」

 

「8時半だね」

 

「ちょっとお寝坊さんだね、二人とも」

 

 いつもならこの時間には車を動かしてどこかに向かっていた。こんな時間に目覚めて、だらだらと朝を迎えることの方が明らかに少なかった。

 けど、そんな急ぐ必要はもうない。そもそもこの旅は僕のわがままで千夏ちゃんに振り向いてもらうためだったから、言ってはなんだが僕の目的はもう果たされたのだ。あとは千夏ちゃんの要望をできるだけ叶えてあげたい、ただそれだけだ。

 

 クシクシと髪を掻いて軽く解いて、千夏ちゃんは思い出したように言う。

 

「ねえ聡さん、今日はどこ行こうか?」

 

「うーん・・・なんかパッと出てこなくてさ」

 

「だったらさ、一つ言っていいかな、わがまま」

 

「いいよ、聞いてあげる」

 

 軽い心のままで、僕は千夏ちゃんの言葉を待つ。

 しかし放たれた言葉に、そんな浮ついた心は砕け散った。

 

「聡さんの両親に、会いたいな」

 

「・・・あ」

 

 どこかでそうする必要があるとは思っていた。

 けれどいざそれを目の前にすると、どうしても胸が痛い。あの町に帰って、両親に会うなんて。

 

 あの町を出てから2年、僕は一度も二人のもとに帰らなかった。事故を起こしたことも電話で連絡しただけで、それっきり。

 二人は特に何も言わなかった。ただ、「起こしたことにはきちんと責任を取れ」とだけ。この年になって僕を子ども扱いしないのは当然のことだけど。

 二人は二人でちゃんと千夏ちゃんの両親に会ったみたいだが、そこに僕は同伴しなかった。顔向けなど出来はしなかったから。

 

「・・・嫌って言うかもしれないけど、そうしないと私は結婚してあげないよ?」

 

 渋い顔をしていたのだろう。千夏ちゃんがしっかりと釘をさしてくる。

 流石にこれに応えないのは不義理だろう。僕はちゃんと今自分が思っているすべてを千夏ちゃんに吐き出した。

 

「別に嫌って訳じゃないよ。・・・ただ、怖くはあるんだ。かれこれ2年も会ってないし、今日までのことを電話で報告することすらしてなかったから。・・・千夏ちゃんと付き合ってるなんて知ったら二人、なんて言うか」

 

「怖い人なの?」

 

「いや。・・・ただ、ちょっと不愛想って言うか、真面目過ぎるんだ。僕のことをちゃんと育ててくれたし、親として感謝はしてるんだけど、この年になると距離の詰め方が分からなくて」

 

 そう考えると、千夏ちゃんと保さん、夏帆さんの関係がとてもうらやましく思えた。水瀬家は僕にとって理想の環境過ぎたんだ。ああであってくれればよかったのにと、何度思ったことか。

 

 そんな弱気な僕の言葉を聞いて、千夏ちゃんはクスクスと笑った。

 

「真面目な人か、なんか想像つくね」

 

「いうほど似てるか分からないな」

 

「多分似てるよ。・・・だから、ちゃんと会ってみたい」

 

 千夏ちゃんは自分の思い込みを信じて疑わなかった。いつもそうだけど、そのまっすぐな瞳に充てられると、いよいよ僕は何も言えなくなる。

 ちょっと虚勢を張って反抗してみたりしたけど、結局の僕は相手の望むことを叶えるのが好きなのだ。今更自分に嘘はつけないから。

 

 

「分かった。行こう。ここからだったら夕方ごろには着けるはずだよ」

 

 そう言うと千夏ちゃんは少しだけ嬉しそうにして、一度自分の荷物が置かれている部屋へと戻っていった。支度に三十分くらいかかるのはこれまでの旅路で把握済みだ。

 その間を見越して、僕は両親に電話をかけることにした。実に何年ぶりだろうか、普段の報告どころか、年末年始の挨拶すらやっていなかったんだから、本当になんて言われるか。

 

 ボタンを押す指が震えるが、なんとか最後まで押し切って受話器を耳に当てる。今日は土日だし、どっちか家にいると思うんだけど・・・。

 

 悶々としているうちにコールは四回を数え、そしてつながる。

 

「もしもし・・・」

 

 母さんだ。

 

「・・・もしもし、僕だよ。聡」

 

「・・・そう。久しぶりね、聡」

 

 電話越しでも、動揺の色が見える。言葉にしないけれど、同じ屋根の下で二十年近く過ごしてきたんだ。分からないはずもない。

 

「それで、なんでこんな時間に電話を?」

 

「ああ、うん。・・・今日、そっちに帰るつもりなんだけど、大丈夫かなって」

 

「いつ頃?」

 

「夕方」

 

「なら全然大丈夫。・・・別に、家に帰るなら電話なんてよこさなくていいのに。ちゃんと鍵だって持っているんでしょ?」

 

 母さんはあきれた声で、「そこがいつでも僕の帰る場所である」ことを言ってくれる。・・・不愛想だけど、優しさはあるんだよな。

 でもなぜか、今はその優しさが胸にしみて、そして痛かった。僕は水瀬家にお熱になるあまり、昔からあった自分の居場所をないがしろにしてしまったんだから。

 

「聡?」

 

「あ、うん。大丈夫だよ。・・・父さん、元気にしてる?」

 

「それは自分の目で確かめなさい」

 

 スンと胸を突くような声。母さんはそれ以上を語るつもりはないみたいだ。

 だから、この電話はここで終わり。母さんの言うように、僕は全てを自分の目で確かめる必要がある。

 

「それじゃ、今日の夜までにはそっちに行くよ」

 

「うん。じゃあまた後で」

 

 本当に必要最低限のやり取りだけを行って、僕は電話を切る。・・・血のつながった実の家族だと言うのに、ずいぶんと心の距離が離れてしまっているような気がして、とてもつらい。

 

 ため息が漏れかけた時、とんとんと後ろから肩を叩かれた。振り向いた先に、千夏ちゃんがいる。

 

「やっぱり、ここにいた」

 

「・・・準備、出来たの?」

 

「ううん、まだ。だけど、多分聡さんのことだから律儀に電話を掛けに行ったんじゃないかなって思って、ここに来た」

 

「・・・全く、叶わないな」

 

 半年近く一緒に過ごしてきた分かったことがある。千夏ちゃんは、とても観察眼に優れているのだ。その人が次の行動をどうするのか、その時何を思っているのかを、ちゃんと見抜いて、それにあった行動をしてくる。

 

「なんでもお見通しって感じだね」

 

「ううん、そんなことないよ。・・・今までだって、何度も失敗してきて、たくさん傷つけた。だからこそ、今の私があるんだけどね」

 

 儚い笑みの裏側に見える無数の後悔に、僕は気づかないふりをする。千夏ちゃんはそれを乗り越えて今日まで生きてきたんだ。今更当人ではない僕が掘り起こす必要なんてないのだ。

 

「・・・大丈夫? 辛くなかった?」

 

「んー、どうだろう。・・・ただ、電話をして、すこし寂しくなったんだ。二人はちゃんと、そこが僕の帰る場所だって言ってくれているのに、僕はそんな場所をないがしろにしていたんだなって思って」

 

「そっか。・・・大丈夫、まだ間に合うよ」

 

 まだ間に合う。

 それは一度、すべての居場所を失いかけた千夏ちゃんだからこそ言える言葉だ。本当に全部なくなりかけて、それでも全部をつなぎとめることができた千夏ちゃんだからこそ。

 

 だから、僕は信じることにする。きっとうまく行くんだと。

 それに、好きな人の言葉なんだ。信じれないはずがない。

 

 出来るだけのさわやかな表情を作って、千夏ちゃんの方を振り向く。こんなところでモタモタとしている意味はないから。

 

「それじゃ、早いところ準備しようか。夕方ごろには着くって言っても、かなり長距離の移動になるしさ」

 

「うん。そうだね」

 

 

 そうして僕らは手を取り合って、同じ場所へ向かっていく。

 未来はまだ不透明で、胸が痛くなるような思いばかりだらけだけど、繋いだこの手は信じられる。そう思えるから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ということで、聡の両親について初めての明言になりましたね。これまで一度も出してこなかったのは、ここで際立たせようと思っていたからということになります。思えば遥には両親がいなかったから、主人公の両親というキャラは初めてになるんですよね。ネタバレではないですけど、墓前報告みたいなことにはならないのでご安心を。さすがに存在する両親書かないとね。

といったところで、今回はこの辺で。
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第二十五話 こんな御伽噺

~聡side~

 

 ハンドルを握ってかれこれ五時間ほど過ぎて、僕の町の目印のビルが見えてきた。程よく都会で、程よく静か、それくらいの魅力しかないと思っていたふるさとが近づいてきて、だんだんと胸が締め付けられる。

 

 ブレーキを踏んで車が止まった時、千夏ちゃんが感嘆の声を挙げた。

 

「ここが・・・。すごい町だね」

 

「ここを出るまではそんなこと一度も思ったことなかったんだけどね。・・・でも不思議だ。いざこうして帰ってみると、すごく懐かしいし、いい街に見える」

 

 いい思い出、そんなにないのにな。

 

 そう呟こうとした口は直前で止まった。美浜のこともとっくに割り切ったんだ。もうこの街に恨みなんてない。

 ただ・・・連絡もほどほどにふらっと消えてしまった僕のことを覚えてくれている友達などいるのだろうか。そんなことを思う。

 昔からそうだ。どこまでいっても希薄な縁しか作れなかった僕には、帰る場所がなかったんだ。だから今、あの町を愛おしく思っていて。

 

「・・・やっぱり、怖い?」

 

「怖い、って言ったらそうなんだけど、後悔がね。・・・もっと友達に親身に付き合った方がよかったとか、そんなことばかり思ってるよ。・・・それほどまでに、あの町の暮らしが楽しいから」

 

「そっか」

 

 少しだけ嬉しそうに、だけどそれを喜んでいいのか分からないと言わんばかりの複雑な笑みで千夏ちゃんは僕を見る。

 あまり見られたくないものだと、車の発進と同時に僕は前だけに集中した。こんな雑念ばかりの表情、千夏ちゃんには見せられないし見せたくなかったから。

 

「・・・ねえ、聡さん」

 

 動き出した車の中で、少しだけトーンを落として千夏ちゃんは語る。

 

「もしどんな結果になっても、私たちは二人でいようね」

 

「・・・そんな未来、起こらないよ」

 

「もし起こったらの話。私だって信じてないよ。・・・でも、そんなこと言わないとさ、私も不安なんだ」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

 それほどまでに僕を思ってくれている。そう考えれば手放しで喜べることだけど。

 でも、そんな未来があっても不思議じゃない。未来なんて誰も語れないのだから。

 

 だったら、うじうじなんてしてられない。隣で手を引く人間として、僕はただ前を向いて立っていたい。誰かに否定されても、運命に捻じ曲げられても、選択した全てを誇れる生き方をしたい。

 

 それは、今となっては僕の一つの夢だから。

 

---

 

 家の駐車場に車を停めて、僕は生暖かい春の風を浴びる。

 潮の香りの一つもない、海とは無縁の町。だけど確かに僕の居場所があった町。少し離れただけで、人は大切だったことをこれほどまでに忘れてしまうみたいだ。

 

「いこっか」

 

 不安にあおられないように、僕は千夏ちゃんの手を取る。ためらう間もなくそれを取った千夏ちゃんとともに、僕は実家のインターホンを鳴らした。スピーカー越しに、父さんの声が聞こえる。

 

「僕だよ、聡。帰ってきたんだ」

 

「・・・まあ、上がれ」

 

 感情の読み取れない、低く落ち着いた声。思えば昔から僕の父さんはそうだった。

 

 自分でカギを挿して、右に回してロックを解除する。ドアの向こうで出迎えてくれていたのは母さんだった。

 

「お帰り、聡」

 

「あ、・・・うん。ただいま」

 

 謝ろうと思った。けれど、おかえりと言われたらただ素直にただいまと言いたくなる。

 少しうつむいた僕の後ろで、先ほどまで隠れていた千夏ちゃんがひょこっと顔を出す。

 

「・・・こんにちは」

 

「あら、あなたは」

 

「・・・水瀬、千夏です。・・・初めまして」

 

 その名前には聞き覚えがあったのだろう。母さんの表情が変わっていく。さすがにノータッチとはいかないみたいで、母さんは僕に問い詰めた。

 

「どういうことなの? 聡」

 

「・・・結果から話すとね、付き合ってるんだ。僕たち」

 

「です」

 

 そしてまた、表情が変わる。けれど、決してそれは暗いものではなかった。

 

「そういうことなら早く言いなさいよ! あんた1人と彼女を連れてくるのじゃ話は違うじゃない」

 

「うん、まあ・・・。・・・怒らないの?」

 

「うーん、そうね。それは話を聞いてからになるけど、私一人でどうこう言う問題でもないし、お父さんにも話をしてからになるわね。・・・でも聡、これはあんたがあんた自身の意志で決めたことなんでしょ?」

 

「もちろん」

 

「なら、私は文句なんてないわよ。ちゃんと話、聞かせてくれたらね」

 

 そう言って母さんはリビングへと帰っていく。ついて来いと背中で語りながら。

 

「・・・緊張した」

 

 靴を脱ぎながら、千夏ちゃんがボソッと呟く。

 

「多分、これからだと思うけど・・・」

 

「私さ、人の親って自分の知る人しかいなかったから。・・・こうして別の場所まで来て会うのが、こんなに緊張することだとは思わなかった」

 

「・・・そういわれてみると、あの二人の前でそんなに緊張しなかったのが不思議だ」

 

「私のところは、ちょっと特殊だから」

 

 もちろん、僕の両親が悪いとかそういう話ではない。ただ、あの二人の優しさがずば抜けているだけであって。

 

 準備を終えた千夏ちゃんの手を引いて、僕は虚勢を張ってリビングへと進んでいく。奥に見える食卓には、四人分のコップが置かれていた。その奥に、少し険しそうな表情の父さんと、ニマニマと小さく笑んでいる母さんが。

 

 その向かいに座って数秒後、最初に口を開いたのは父さんだった。

 

「おかえり、聡」

 

「・・・ただいま。ごめん、しばらくの間連絡もしなくて」

 

「ほんとだ。心配させられる側の気持ちにもなってみろ」

 

 ぐうの音も出ない。

 

「それで? 今日こうして急に帰ってきたわけだが」

 

「うん。色々と話があるんだ」

 

 そこで千夏ちゃんに目配せをする。受け取った千夏ちゃんはすこしあわわとしながら、父さんの方に向かってぺこりと頭を下げる。

 

「はじめまして、水瀬千夏です」

 

「そうか、君が。・・・うちの馬鹿息子が悪いことをしたな」

 

「いえ、そんなことないです。あれは私の方にも至らないところがあったので。・・・というより、もういいんです、事故のことは。全部忘れましたから」

 

「当事者がそう言うなら・・・」

 

 父さんはむず痒いと言わんばかりの表情で頭を掻く。当事者間で完全に解決しているとは言っても、僕の親として思うところがあるのだろう。

 

 少しでも口を噤むと、会話が途切れそうになる。

 分かっていた僕は、流れのままに口走ることにした。

 

「で、父さん、母さん、ここから本題なんだけど・・・。僕たち、付き合っているんだ。・・・それで、結婚も考えている。今日はその連絡に来たんだ」

 

「・・・あら」

 

「そう来たか」

 

 母さんも表情を崩して、父さんはなおも苦虫をかみつぶしたような表情で呟く。そこにすかさずフォローを入れたのは千夏ちゃんだった。

 

「ちょっといびつなことにはなっちゃいましたけど、でも、気持ちは本当なんです」

 

「分かってる、そんなこと」

 

「え?」

 

 父さんが僕の想像と違う言葉を吐いたものだから、素っ頓狂な声が出てしまう。

 

「そんなもの、今更言われなくてもわかってる。聡、お前を見ればな。大体、誰の息子だと思ってるんだ。今更隠し事なんてできると思うな」

 

「父さん・・・」

 

「大体、お前の心の底からの選択を否定する必要なんてないだろ、俺たちに」

 

「・・・」

 

 二人は、僕のことを何の疑いもなく信じてくれていた。それが親の無償の愛だと知って、グッとこみあげるものがある。

 ・・・話がここで終わるなら、よかったのに。

 

 僕たちにはまだ伝えないといけないことがあった。それは、二人の間に越えられない隔たりがあることだ。

 

 さえない顔をしているのだろう。父さんが僕に問いかけた。

 

「認めるって言ってるのに、やけにさえない顔だな。何かあるのか?」

 

「えっと・・・」

 

「お義父さん、エナって知っていますか?」

 

 行き詰った僕に、千夏ちゃんが助け舟を出す。

 

「私は海に行くことが出来る力のある人間なんです。・・・だから」

 

 

「あら、やっぱり」

 

「え?」

 

 そこで話を遮ったのはお母さんだった。向いた視線の先で、肌が鈍い色に光る。この光は・・・。

 

「この街だと私と少しくらいしかいなかったから、そうないものだと思ってたけど、まさか聡が海村に通ずる子と仲良くなってたとは知らなかったわ」

 

「母さん・・・?」

 

「お義母さんは、海村出身の人なんですか?」

 

「違うわよ、ずっとこの街で育ってた。・・・だけど、どうだったかしら。私の遠い祖先が海で生きていたって聞いてるわ」

 

 そして母さんは、柔らかい笑みを僕の方に向ける。

 

「・・・だから聡、きっとあなたにもあるわ。海に流れる血と、エナの力が」

 

「そんなこと、分かるの?」

 

「私だって最初はないものだと思っていたから。でも、その血を引いてるってことは、大丈夫だと思うわ。風の噂で聞いたの、海が門戸を開いたって。私のはもう使わなくなっちゃってずいぶん薄れてしまったけど、今の海にならきっと飛び込めるわ」

 

 そんな奇跡が、あっていいのだろうか。

 僕と千夏ちゃんが未来永劫一緒にいることが出来る未来が、あっていいのだろうか。

 

 頭を抱えて、フルフルと震える。まだそうなったと決まったわけじゃないけれど、目の前に提示された無数の可能性に、僕は悶絶せざるを得なかった。

 

「なあ、聡」

 

 そこでようやく、父さんが間に割って入る。

 

「エナがあるとかどうとか、俺は全く知らない。少なくとも俺はそうではないからな。・・・だけど、どうであっても関係ない。海で生きられないとしても、もしもの時にそこに飛び込んでいけない関係だとしても、聡。俺はお前の全てを許す。俺は永遠にお前の親だ。お前が正しいと思った選択を、俺たちはずっと尊重し続ける。ずっとそうしてきたつもりだ」

 

「あ・・・」

 

 ぼろぼろと涙が零れ落ちる。ずっと離れていて、もうすでに失われていたと思っていたぬくもり、久しぶりに触れたそれに、僕はいよいよ耐え切れなかった。

 

「千夏ちゃん」

 

「え、あ、はい!」

 

「情けない息子だが、誠実さだけはいっちょ前だと思ってる。どうかかわいがってやってくれ」

 

「・・・はい、存分に」

 

 千夏ちゃんが笑っているのが分かる。父さんも母さんも、暗い表情の一つ浮かべていないだろう。こんな空間でただ泣いているのはとてもみっともない。

 

 涙をごしごしと拭って、僕も満面の笑みで答える。これから訪れる未来が良いものと信じて疑わなければ、自然と表情も晴れた。

 

 

「ありがとう、父さん、母さん」

 




『今日の座談会コーナー』

 この回は、ずいぶんと悩みました。この回というよりは、この話のオチ自体を。普通に考えてみればこんなご都合的な展開があっていいかと悩むところではありますが、この作品はできるだけ多くの人を幸せにしたいんです。限られた幸せに満足するビターエンド、なんてのは似合わないと私は思っています。
 話の筋としても、通らないわけではないと思っていますよ。原作で紡がそうであったように、血縁のうちにある海村の血がトリガーしてエナの出現につながる、という理論は開拓されていますから。昔はたくさんの人間が海に生存していた、という設定が原作にある以上、海村に近い町でなくてもエナを持っている人が多くてもおかしくないとは思っています。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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第二十六話 辿り着く場所は

~聡side~

 

 急造で出来上がった普段より豪華な夕食を終え、千夏ちゃんは風呂場へ向かった。その間で、僕は二人に呼び止められた。分かってはいたが、ここからが正念場、ということだろう。

 

「さて、聡。せっかくだから色々聞かせてくれ。あの子がいた手前、お互い少し遠慮していた部分もあるだろうしな。・・・この二年で何があったか、何が今のお前を作ったのか、それを教えてくれ」

 

 父の声は、少しでも気を抜けば委縮してしまいそうなほど太いものだった。怒りではないが、それに近い感情を感じる。今は少なくとも親子の時間なのだ。その全てを、甘んじて受け入れよう。

 

「うん。・・・事故が起きてから、僕はまず千夏ちゃんの両親のところに毎日通ったんだ。最初は、謝るために」

 

「・・・俺たちが同じ立場なら、そんなことされても嬉しくはないな」

 

「同じこと言われたよ。・・・だから、僕は見方を変えることにしたんだ。この人たちに謝ることじゃなくて、この人たちの力になることをしようって。・・・結局、そのためにもあって話をしたかったから、通うのは続けたけど」

 

 そして、それが実ったことが全ての始まり。僕は千夏ちゃんの両親に少しずつ受け止めてもらえて、ようやくスタートラインに立った。

 

「といっても、特に何か出来るわけじゃなかった。だから、話をして、たまには釣りに出かけて、そんなだらだらした時間を一緒に過ごした。それが僕は、親身になって考えることだと思ったんだ」

 

「あら?」

 

「・・・」

 

 そこで母さんが試すような目を父さんに向ける。しばらく無言を貫いたまま、父さんは少しだけ目線を下に逸らした。

 

「どうしたの?」

 

「昔ね、父さんが私をデートに誘うことがあれば、だいたいそんな感じだったのよ。釣りなんてして、のんびり話して、なんてそんなことばかり。血は争えないわねって話」

 

 改めて、僕がどんな親から生まれたのか、ということを思わされる。

 

「・・・まあ、そんなことをしていて二年が経ったんだよ。そうして千夏ちゃんが目覚めて、リハビリを手伝ったんだ。その日々で、僕はしがらみを抱えたうえで、彼女のことを好きになった」

 

「なるほどな。一緒にいる時間が長いんだ、そう思っても仕方ないだろう」

 

「うん。・・・そして、そのしがらみをちゃんと断ち切るために、僕と千夏ちゃんは互いに了承して、旅に出たんだ。その終着点が、ここなんだ」

 

 それが、今日まで僕が歩んできた日々。端的に語ってはいるけど、こんな簡単に言い表せられるほど淡白な日々など送っちゃいない。あの頃の一分一秒は、僕の人生を狂わすほど価値があったんだ。

 

 全てを聞き終えて、父さんは神妙な顔で頷いた。僕の行ってきたことを噛み砕いて、受け入れているのだろうか。

 その間に、口を開いたのは母さんの方だ。

 

「・・・全部、乗り越えた?」

 

「乗り越えたと僕は思っているよ。あの子を傷つけたことも、それでも好きになったことも、すべての障害を僕は乗り越えたと思っている。それが世間からみて正しいことかどうかは分からないけれど、僕は自分の気持ちに嘘はつきたくないんだ」

 

「そう。ずいぶんと成長したのね。私たちが見ないうちに」

 

 満足そうな笑みの裏に、大きな感情が隠れている。親が子を思う、というのはこういうことなのだろう。飛び立つ鳥を見て、儚げに、けれど満足そうにうなずいている。

 

 そして言いたいことが定まったのか、父さんもようやく僕の方を向いて言葉を放った。

 

「それで、お前は幸せになれるんだな?」

 

「え?」

 

「なれるんだな?」

 

 おそらく、そこなのだろう。

 最初からそうだ。おそらく父さんは、僕が通ってきた道を踏まえて、そのうえで僕がこれが選ぶ選択で僕が幸せになれるかどうかしか興味がないのだろう。親はいつも、子の幸せを願っている。

 

 だから、僕が子として親になせることはただ一つ。選んだ道に胸を張って、それを貫くこと。

 少し声を大きくして、僕を知るすべての人に誓う。

 

「幸せになるよ。これから、もっと。多分、これ以上ないくらいに」

 

「・・・そうか。二年前には聞けなかった言葉が聞けて良かった」

 

 その言葉にハッとする。

 今、僕が千夏ちゃんを幸せにしたいと思っている気持ちを、美浜にも同じように僕は持っていただろうか。

 幸せにしたいとは思っていただろう。だけど、それで僕が幸せになるかどうかなんてそんなに考えていなかった。美浜が幸せになれば、僕も幸せになるのだろうだなんてそんなことを思って、自分の幸福を相手に依存していたんだ。

 

 今は違う。僕は千夏ちゃんを幸せにしたいだけじゃなく、今度こそ自分の本心から幸せになりたいと願っているんだ。あの時の気持ちとはもう違う。

 

 それに満足してくれたのだろう。父さんは今度こそ、僕の未来を了承した。

 

「ならもういよいよ、お前の結婚を止めることなんて出来ないな。・・・あれだけ啖呵を切ったんだ。ちゃんと幸せになれよ」

 

「うん。絶対に」

 

 そこで話は終わる。父さんは徐にテレビの方に向かい、母さんは食器の片づけを再開した。僕は僕で、自分の部屋を整えにいく。

 

 二年間の空白などなかったように、僕はまたこの場所に溶け込んでいく。

 

 

---

 

 この街で迎える久々の夜。家族との時間はそれはもう長いものだが、二人で過ごすというのは本当にいつ以来だろうか。

 美浜との思い出が薄かったわけじゃない。けれどそれ以上の濃密な時間が、すっかり僕の記憶を書き換えていた。

 

 ベッドに腰かけて天を仰ぎ、二回ほど大きなため息をついた後で、部屋のドアが開く。小脇に抱えられた枕と一緒に。

 

 

「邪魔するね」

 

「いいけど・・・。ここで寝るつもり? 僕はいいんだけど、流石に狭いよ?」

 

「それでもいい、・・・というか、そっちの方がいい。客間に通されて一人で寝るのも寂しいじゃん」

 

 僕の部屋に布団一式持ってきて、という発想はないらしい。・・・けど、そんな中途半端なことは僕だっていやだ。

 

 千夏ちゃんは有無を言わさず、ベッドに置かれた枕の隣に自分の枕を添える。それから僕の隣に座って、もたれかかるようにこちらに体を預けた。

 

「・・・かっこよかったよ」

 

「何が?」

 

「さっきの、幸せになるよって言葉」

 

「・・・ああ、聞こえてたんだ」

 

 あの瞬間だけ声を大きくしたのもあって、風呂場までちゃんと届いていたのだろう。千夏ちゃんは満足そうに語った。

 

「やっぱり、一緒なんだって思ったの。聡さんも、私も、・・・多分あの人も、自分が幸せになることより、誰かを幸せにしたいって思ってここまで来たんだと思う」

 

「うん」

 

「だけど、そうじゃないんだよね。自分が幸せにならないと、誰かを幸せに出来ない。今ならそう思えるよ」

 

「僕の場合、それに気が付くまでずいぶんと時間がかかっちゃったけどね。・・・大きな失敗も、何度もしてきたし」

 

「けどまだやり直せる。そうでしょ?」

 

 そうだ。だから僕はこうしてここまでたどり着いている。

 人間の終わりは、死ぬその瞬間まで。変わろうとする意志があれば、人は時間がかかっても変わることが出来る。遅すぎたと思うことがあったとしても、変われないことなどない。

 

 だからこれからも、僕は変わっていく。正解は常に変わり続けるのだから、有り余るほどの幸福におぼれて何もしないなんてことだけはしないように。

 

「・・・ねえ聡さん。この旅、楽しかったね」

 

「うん。・・・またいつか、こんなことを出来るといいな。思い出を作る旅に終わりなんてないよ」

 

「そうだね。・・・それで、最後にもう一か所だけ行きたいところがあるんだけど」

 

「聞くよ。どこ?」

 

「・・・海、一緒に行こう?」

 

 

 その言葉に、どれだけの意味が籠っていることだろう。

 ただぼんやりと眺める、ということを言っているわけではない。千夏ちゃんは、無限に広がる青の世界に、一緒に飛びこもうと提案しているのだ。

 

 僕にはたどり着けない場所だと思っていた。けれど母から提示された可能性に、僕の心と未来はぐらついている。

 

 本当にあるのだろうか。僕にそんな力が。この先、千夏ちゃんと永遠をともにする権利が。

 

 だけど、もうマイナスには考えない。僕は提示されたこの可能性を信じてみたい。賭けてみたい。

 

「ああ、分かった。一緒に行こう」

 

 

 軽く結ばれていた手をしっかりと握り返す。この手が離れない限り、僕はあの青の世界にさえ飛んでいけるような、そんな気がする。

 

 




『本日の座談会コーナー』

 先に言っておくと、この作品はあと二話で終わります。本編に至っては次回が最終回となります。三十話以内でおさまりはしましたが、ずいぶんと長いこと書いていたような気がしますね。松原聡という人間への感情移入で、本編主人公を嫌いになりかけることもしばしば。両方とも自己投影の面影があるというところが、少々もどかしいところです。
 この作品はβ世界線における千夏の救済という名目で始まりましたが、α外伝を掻くつもりは「今のところ」ないです。理由としては簡単で、遥と千夏の世界から美海が切り離されていないからです。だから美海は自分で幸せになれるし、救いの手を差し伸べてくれる誰かをもう待っていないんですよね。まあこまごましたSSを掻きたくなったらまた考えます。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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第二十七話 蒼の世界のその果てへ

外伝本編最終回です。


~聡side~

 

 次の日の朝早く、僕たちは実家を立ち去った。今日向かう場所は鷲大師、僕の新しい居場所。ここから五時間とかからないが、今の僕たちの報告を早く保さんと夏帆さんにしたいというのが僕たちの答えだった。

 名残惜しさはあるが、これで終わりじゃない。僕はまたいつかここへ帰ってこれる。そう思うと、胸を張ってこの場所を後にすることができた。

 

 鷲大師へと向かう道中、特に主だった会話はなかった。もう旅が始まってずいぶんと経った。ホテルなどで疲れを取るのには限界がある。そうして溜まった疲労のせいか、僕たちは何か起こそうという気にもならなかった。

 それでも、心地のよい時間は続く。無言で淡白だけれど、柔らかさが漂う空間。それが今は愛おしくて、ただそれに身を委ねた。

 

 そうして、鷲大師の看板が見えてくる。ここからおよそ20kmほど。15分とかからないだろうタイミングで、先ほどまで転寝をしていた千夏ちゃんが目を覚まし、眠たげな眼をこすりながら言った。

 

「ん、もうついた?」

 

「ううん? だけど、あと二十分もかからないよ」

 

「そっかー。もう終わっちゃうんだね」

 

「最後にとびっきりのイベントが待ってるけどね・・・」

 

 疑っているわけじゃない。けれど不安はある。

 それを隠すように、僕は少し笑って見せた。それが伝染してか、同じような表情で千夏ちゃんも笑む。

 

「・・・楽しかったね、ほんと」

 

「うん。途中、いっぱいギクシャクしちゃったけど、全部楽しかった。後悔なんて・・・、あー、いや、今のなし」

 

「後悔、あるの?」

 

 少し不満げに口先をとがらす千夏ちゃんに、僕は弁明する。

 

「もう少し早く、自分の心に素直になれたら、って思ってる。そこだけは後悔かな。もっと早く、うまいこと出来たら、あの日々よりもっと楽しくなったんじゃないかなって」

 

「それは違うよ、聡さん。・・・回り道は必要。そうしないと気が付かないことってあるの。分かるでしょ?」

 

 優しい声で千夏ちゃんは諭してくる。そしてそれがあまりにも身に覚えがあるものだったから、僕はぐうの音も出なかった。

 こうして、後悔しない出会いを迎えることが出来たのは、婚約破棄、逃亡という手数を踏んだから。それは紛れもなく、僕の人生にとっての回り道だ。こうして回りくどいことばかりして今日にたどり着いたのだ。最短ルートなんてないに決まっている。

 

「その通りだね、ごめん」

 

「ううん、いいの。素直になった方がよかったなって思うのは、私も一緒だから」

 

「ほんとだよ。保さんたちから頑固さが残って融通が利かないところがあるって聞かされてはいたけど、まさかここまでとは思ってもみなかったし」

 

 相手のことを思いやれる優しさを持っていつつも、本質的にこの子はお姫様なのだろう。頑固でわがままで、アグレッシブで度胸があって、本当に魅力に事欠かさない。

 

「それでも、好きになったんでしょ?」

 

「もちろん。むしろ張り合いがあって、生きてて楽しいよ」

 

「分かってたけど、聡さんも結構強気なところ見せてくれたしね」

 

「自分でも驚いたよ、僕の本性ってこうなんだって。・・・それを見つける旅でもあったのかな、なんて」

 

 そうこうしていると、鷲大師に入ったことを表す看板がやってくる。

 

「帰ってきたねー、安全運転、ご苦労様でした」

 

「普段から意識してないと、会社の車壊しちゃうからね」

 

「・・・あのトラックって、どうしたの?」

 

「さすがに引き取ってもらったよ。他の人を乗せるわけにもいかないしね」

 

「そりゃそうだ。はたから見ればいわくつきだし」

 

 こうしたブラックジョークだって、今となってはいい思い出だ。傷跡をなぞって痛む心はあるけど、互いの理解のもとで、こうやって笑いに昇華されていく。 

 

「・・・あ、ここで」

 

 千夏ちゃんがふと声を挙げる。車を停めて降り立った場所は、この街の中でも僕があまり立ち寄らない場所だった。千夏ちゃんにとっては、何か意味があるのだろうか。こんな、人の寄り付かなさそうな堤防に。

 

 グーっと背伸びしながら、千夏ちゃんは語る。

 

「ここはね、私のお気に入りの場所なんだ」

 

「何かあったの? パッと見ても普通の堤防のように思えるけど」

 

「まあ、なんの変哲もない場所だね。だけどここは私にとって待ち合わせ場所だったの。長いこと、ずっとね」

 

 それから千夏ちゃんはゆっくりと語りだす。一人で寂しい思いをしていた時、この場所でぼんやりと海を眺めていたこと。島波さんとよく通ったこと。

 全てを語り終えて、少しうつむいて、わずかに湿っぽい声で続ける。

 

「・・・退院してから、ずっとここに来るの嫌だったんだ。何をしても彼のことを思い出して、そのたびに寂しくなっちゃうから。・・・だから、ありがとね。私のこと、救い出してくれて」

 

「もう、傷は癒えたんだ?」

 

「もちろん。彼より好きなあなたがここにいるんだから、傷なんて何一つないよ。今日からここは、聡さんとの思い出の場所になります」

 

「そっか。すごく光栄だよ」

 

 湿っぽい声音はどこへやら、カラッと笑った千夏ちゃんは僕の両手を自分の両手で覆った。しっかりと繋いで、目線を合わせてくる。

 

「だから、招待するね。私が好きな海の世界へ」

 

「・・・このまま飛び込んでも、大丈夫? 服とか」

 

「エナがあるなら、結構簡単に乾いてくれるよ」

 

 そうして手を引かれ、僕は堤防の上に立つ。そこから流れる深い蒼は、眩さと、仄暗さの両方を兼ね備えている。突如、それがとても怖く思えた。もし、そこに僕の立ち入る隙が無かったら、と。

 

「・・・結構怖いね、これ」

 

「大丈夫。私を信じて」

 

 今の僕には、まだエナの片鱗も見えない。それだというのに、千夏ちゃんは僕を信じて疑わなかった。まっすぐな目をして、大好きな海を思っている。

 

 だったら、委ねよう。全て。

 

繋いだ手をほどいて、僕は両腕を千夏ちゃんの背中の方に回し、そのまま抱き着いた。

 

「・・・こっちの方が、落ち着く」

 

「分かった。・・・それじゃ、行こっか!」

 

 高らかな声と同時に、僕の体は勢いよく海へと沈んでいく。深く、深く、奥底の方へスイスイと千夏ちゃんが泳いでいく。僕はまだ、目をつぶったままだった。

 

 呼吸が出来ないものかと、口を開こうとする。瞬間、海水が思い切り口内へと侵入してきて、無意識のうちに大きく口を開いてしまった。酸素がなくなり、体が苦痛を覚える。

 

「大丈夫だから。・・・絶対、大丈夫だから」

 

 千夏ちゃんの声が遅れながら聞こえてくる。

 でも、僕には・・・。

 

 だんだんと意識が遠のいていく。この海は、やっぱり僕のことを受け入れることはないのだろうか。

 

 こんなに好きなんだ。・・・一緒に、いたいのに。

 

 全てを諦めかけ、目を伏せた時・・・、静かに声が聞こえた。

 

『耳を澄ませて、目を開いて。・・・あなたが待つ人が、そこにいます』

 

 その時、シャラシャラという音が耳に響いた。砂のような何かが肌にまとわりついて、しみ込んでくるような感覚。

 もうすっかり苦痛を感じることはなくなって、僕はゆっくりと目を開いた。

 

「・・・あ」

 

 アクアリウムのど真ん中にいるような、そんな光景が目の前に広がっていた。水面の向こうの光で時折反射をしながら、スイスイと左右を通り抜けていく魚たちを僕は呆然と眺める。

 

 そして、繋がれた手の先の千夏ちゃんを見て、ようやく自分が今海の中にいることを知った。

 

「これが・・・海」

 

「ね? やっぱり大丈夫だったでしょ?」

 

「こんなに・・・綺麗な世界が」

 

 千夏ちゃんの言葉なんてそっちのけで、僕はただ目の前の光景に恍惚としていた。自分の身近に、これだけの世界があるなんて思ってもみなかったから。

 

「聡さん、腕、見てみて」

 

 その言葉でようやく千夏ちゃんの存在を認識して、僕は腕の方を見やる。母のそれよりももっと鮮やかな光が僕の腕にも表れていたのだ。

 

「・・・僕にも、エナが」

 

「ところでさ、聡さん。・・・さっき、声が聞こえた?」

 

「え? あ、うん・・・。あれって、千夏ちゃんの、じゃないよね」

 

 うんと頷いて、千夏ちゃんは遠くを見つめて語る。

 

「誰かが、最後の置き土産をしてくれたんだと思うよ。私が大好きな人をこの場所に迎え入れるための置き土産を。それがトリガーになったんじゃないかな」

 

「よくわからないけど・・・。でも、すごく温かい声だったと思うよ」

 

 ありがとう、僕を助けてくれた見知らぬ誰か。

 僕にあなたのことを知る手段はないけれど、この気持ちだけはちゃんと伝えよう。

 

 ホッとしたと同時に、胸の奥底の方からぶわっと感情がこみあげてきた。全てのしがらみを越えてここまでやってきたことの達成感、この場所にたどり着けたことと、千夏ちゃんとこれからを歩んでいける嬉しさ。それがあふれ出して仕方がない。

 

 けど、涙は違う。僕たちがこれから歩いていくのは、幸せに濡れた日々なのだから。

 

 揺らぐ水面の中で、仕組みの分からない呼吸を行って、僕は叫ぶ。腹の底から、力を振り絞って。

 

「好きだ!!」

 

「えっ!?」

 

「僕は誰よりも水瀬千夏が好きなんだ!!」

 

 誰に向けて叫んだのだろうか。

 目の前の千夏ちゃんにかもしれない。かつて彼女の中心にいた二人にかもしれない。保さんや夏帆さんにかもしれないし、僕たちの知らない誰かにかもしれない。

 

 あるいは、僕自身にかもしれない。

 

 けれど、どうでもいい。僕は彼女が好きなんだ。自分の人生を全て投げ打って、互いの最善最高の未来を掴みたいんだ。これは、その宣誓だ。

 しばらくして、後ろから優しいパンチが飛んでくる。横腹の方をポスっと殴られて、僕はそっちを振り向く。千夏ちゃんは顔を真っ赤にしていた。

 

「・・・馬鹿。恥ずかしいよ」

 

「じゃあ、千夏ちゃんもやる?」

 

「ううん。・・・私の答えは、これだよ」

 

 そのままもう一度手を組みなおして、水中で押し倒すように千夏ちゃんが唇を奪いに来る。なすすべもなく、僕はそのまま唇を重ね、目を伏せた。

 

 キスが終わるなり、二人で笑いあった。腹を抱えて、あるいは声を挙げながら。誰も見ていない、二人だけの世界で、幸福だと笑いあう。

 

「それじゃ、行こう?」

 

 人二人分ほど距離が開いた先で、千夏ちゃんがこちらを振り向き、手を挿し伸ばす。向いている方向には、彼女が愛してやまない汐生鹿の街があるのだろう。

 けれど、僕はその手を素直には取らない。そこはもう、僕が導かれる場所ではないのだから。

 

 千夏ちゃんの隣まで泳いで、横並びになって初めて手を握る。これから二人が歩む歩幅が一緒だとそう伝えるために。

 

「・・・やっと、辿り着いた」

 

「ううん? これからだよ。こんなところがゴールだなんて思わないでよね?」

 

「もちろん、分かってるよ」

 

 今日という日は、昨日まで生きてきた僕の一度目の終着点だ。全てのしがらみを断ち切って、一度僕の目標ボックスは空っぽになる。

 けれど、幸せへと続く旅路はまだまだ続いていく。空っぽになったボックスを満たす旅路だ。

 つないだ手を信じれば、もう二度と間違えることはない。

 

 足の裏に力を込めて、すっと蹴りだす。体が海流を切り裂いて、先へ先へと進んでいく。

 

 

 深い深い、蒼の世界へ。

 君が大好きで、僕もこれからたまらなく好きになる世界への中へ、ゆっくり、ゆっくり、飛び込んでいく。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 二話前の座談会コーナーで語った通り、この結末にたどり着かせるかどうかは最後まで悩みました。けれど、作者は、「ひたむきな心で現実に向き合い、挑んだ生にはそれ相応の報酬があって当然」と思っているので、このような幸福な結末を与えることにしました。自分で生み出したキャラならなおのこと、幸せになって欲しいんです。
 ここで自己解釈の説明をしておきます。聡が持っているエナの才能を引き出したのは、やはりおじょしさまの残留思念ということになります。これに関しては、似た感情を持つ千夏を引きずり込んだ負い目の部分に起因しており、「千夏の幸せのために協力する」という思念が残した最後の置き土産ということになります。遥の視力が回復することも、あの時の千夏にとっては幸せになるために必要なことでしたから。

 アフター、どうしようかな。日常回をもうちょっと書きたくなるかもしれないので、一通りのアフターを作って、細かめのSSを以降投稿することになるかもしれません。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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after episode 紡がれる物語

~聡side~

 

 ゆら、ゆら、ゆらり。

 海の奥底の街で、伸びた海藻がゆっくりと揺れる。水面の向こうの太陽に照らされて、時折色を変えながら。

 

 思えばこの光景も随分と馴染んできた。この街に越してもう五年以上は経つのだから、当然と言えば当然なんだけど。

 旅を終えた僕たちは、千夏ちゃんが仕事に就くのと同時に籍を入れた。そこから子供が生まれるまで、およそ一年と少し。

 その間も随分といろんなことがあった。ささやかながら結婚式も挙げたし、仕事をどうするかの問題もあった。・・・まあ、仕事に関しては僕があの会社を捨てきれなかったから、結局続けることになったんだけど。

 

 そうして授かった子供。生まれた女の子には、夏菜という名前を託した。小さいころから暴れん坊っぷりを見せて、よく困惑したことを覚えている。・・・それでも、健やかに育ってくれている喜びに勝るものはない。

 

 穏やかに時間が流れていく。まるで、これまでの激動を全て洗い去るかのように。僕の頬にも少しずつしわが増え始め、齢も30をゆうに越えた。

 

 だから僕も、また歩き出さないといけない。

 

---

 

 底冷えするような冬が終わり、地上では桜に少しずつ花が付き始めた、そんな春の日。久々の休暇だというのに、今日は誰も家から出るそぶりを見せなかった。

 六歳になり、来年小学校の入学を控えている夏菜が居間で昼寝をしているのを後目に、僕はダイニングのテーブルでぼんやりと窓の外を眺めている。

 

「はい、紅茶いれたよ」

 

「ありがとう」

 

 向かいの席に千夏ちゃんが座る。色違いのカップを片手に、僕の顔をまじまじと見つめていた。

 

「・・・どうしたの?」

 

「いや? 何考えてるのかなーって」

 

「何も考えてないよ。そろそろ春だなって」

 

「そうだね。あと一年すればこの子も入学かー。私も生まれて三十年経ったって考えると、もう恐ろしいのなんの」

 

 最近体も鈍ってきたし、なんて言って、千夏ちゃんは徐に体を伸ばす。それより体が笑えないことになっている僕は、苦笑いを浮かべるほかなかった。

 もうすっかり人生の最盛期は過ぎている。ここから緩やかに、あるいは急激に衰退していくのを待つだけの日々だ。

 

 だからこそ、今どう生きるか僕は考えたい。いつ終わるとも限らないこの平穏の中で、何か大切なものを残せたらと、そんなことを思う。

 

 紅茶を啜って、暇を持て余しているかのように千夏ちゃんは指先をいじり始めた。こうした何もない時間も確かに必要だが、どうしても喪失感は否めない。

 それを向こうも分かっているのだろう。ため息交じりに口を開いた。

 

「・・・ね、何かしない?」

 

「何かしないって言われてもなー・・・」

 

 その時、ふと使命感に駆られた。

 昔、僕は千夏ちゃんにある夢を語った。・・・そろそろ、その夢を追いかけてもいい時間じゃないのかと、内なる自分が語りだす。

 

 思いが体にめぐった時、目の色が変わったのだろう。いち早くそれに気が付いた千夏ちゃんが、僕に尋ねる。

 

「・・・何か思いついた、って顔だ」

 

「思いついたわけじゃないけどね。ねえ千夏ちゃん、紙とペン、あったっけ」

 

「えー? あるにはあるけどそんなに枚数なかったような気はする。待ってね、探してくるから」

 

 立ち上がってごそごそと戸棚を漁り、あるだけの紙を引っ張りだしてきた千夏ちゃんが不思議そうに尋ねる。

 

「で、これをどうするの?」

 

「昔、僕が千夏ちゃんに語った夢があったよね。・・・今が、その時なんじゃないかなって思ってるんだ」

 

「夢・・・。あっ」

 

「うん。一冊の本を、書き上げてみようと思うんだ。もちろん、人生の終わりまで書き続けたいから、簡単にエンディングは迎えないけど、そろそろ書き始めるにはいい時間じゃないかな」

 

 いつか僕も老けて記憶を無くしてしまうかもしれない。保さんが最近物忘れが増えてきたと語っているように、僕もそうなるのだろう。

 だから、大切な全てを覚えているうちに、僕は僕の生きてきた道を記したい。そこで触れあった誰かの言葉を残したい。そうすることで、僕の人生はまた形を持つことになると、そう信じているから。

 

「とりあえず、今まであったことを書き出してみようと思う」

 

「じゃあ、私が知らない聡さんがまた出てくるってわけ?」

 

「どうだろう? 小さいころの話も、もうずいぶんと語っちゃったからな」

 

 クスクスと笑いあって、まだ幼かったころの自分を想像してみる。どんな人間だったか、何が夢だったか。

 けれど、思ったより出てこない。思い出そうとしてもブレーキがかかったり、明確に思い出せなかったり。もう自分が若くないことを痛感させられる。

 

「・・・思ったより出てこないな」

 

「歳?」

 

「まだまだ大丈夫だと思ってたんだけどなぁ・・・。ちょっとショックだ」

 

 だからこそ、このタイミングでよかったのかもしれないとも思う。もう少しすれば、記憶の最初のほうから少しずつ消えていくのだろうから。

 一度コトッとペンを置いたとき、投げ出された僕の手を千夏ちゃんがとった。

 

「何もできないときは、休憩も大事だよ。聡さん、頑張りすぎなんだから」

 

「そりゃそうだ。・・・して、休憩しようって言っても」

 

「せっかくだし、陸の方へ上がってみない? そろそろ桜も満開になるころだと思うし」

 

 千夏ちゃんの提案に頷こうとするその時、居間の方で転がっていた夏菜が動き出す。眠たげな眼をこすって、むっくりと起き上がった。

 

「あ、おはよう夏菜」

 

「ん、おはようお母さん」

 

「起きてすぐだけど、お母さんたち今から陸に遊びに行こうかなと思ってるんだけど、どう? ついてくる?」

 

「んー、いい。ちょっと探検したいから」

 

「遊びには行くんだな・・・」

 

 意識がしっかりしたのだろう。グッグッと体を動かした夏菜は、さっきまでのけだるそうな雰囲気はどこへやら、近くにかけてあった帽子を取った。

 

「それじゃ、遊びに行ってくる!」

 

「晩御飯までには帰って来いよ? お父さんたちもそのころまでには帰ってくるから。あと鍵」

 

「大丈夫。ズボンにつけた」

 

「じゃあ、行ってらっしゃい」

 

 最後は千夏ちゃんに見送られて、夏菜はバタバタと真昼の汐生鹿に繰り出していく。ドアの閉まる音と同時に、千夏ちゃんは呆れの混じった息を吐いた。

 

「ほんと、どっちに似たんだろうね」

 

「千夏ちゃんじゃないかな。インドアってほどじゃないけど、僕はそんなに外に遊びに出るような子じゃなかったし」

 

「元気なのはいいけど、ちょっと心配かも」

 

「・・・もし何かあっても、うまくやると思うよ、あの子なら」

 

 なぜか知らないけれど、心からそう思える。自分の子供なら信じられるとでも言うのだろうか。はたまた、オカルト的な何かか。

 それでも、あの子から感じる無限の可能性には期待が膨らむ。何か大きなことをやってくれそうな気がするんだ。

 

「それじゃ、私たちも出ようか」

 

「そうだね」

 

 一息ついて、今度は僕たちが準備を行う。夏菜とは違い、ゆっくりとした足取りで、急ぐことなく。

 十分ほどして家の鍵を閉め、地上へ向け、足を動かす。まるで空を飛ぶかの如く、水中を抵抗なく泳いでいく。

 その道中、一度だけ千夏ちゃんが遠くに向けて手を振った。あの子は・・・千夏ちゃんの友達の、美海ちゃんだったか。

 

 そんなことは気にせず、陸に上がる。千夏ちゃんの思い出の場所である堤防を越えて、千夏ちゃんが指をさし案内する場所へ向かう。

 たどり着いたのは、小さな丘だった。山頂を囲むように、十本ほどの桜が咲いている。見たところ、八分くらいだろうか。

 

 その中心で僕らは寝転がって、雲一つない晴天を仰いだ。青白く広がる空は、光に照らされて輝く水面に似ている。

 

「・・・うん、いい景色だ」

 

「なんだかんだ、二人でこうするのって久しぶりかも。ここ最近はずっと夏菜のことで忙しかったし」

 

「そうだね。・・・と言っても、ますます忙しくなりそうだけど」

 

「だから、こういう時間が愛おしく思えるんじゃないかな」

 

 そりゃそうだ、と小さく息をついて笑う。僕らを待ち受けている未来は常に形を変える。だからこそ、変わらない時間が愛おしいんだ。

 

 目を閉じて、そよぐ風に身を任せる。凪のような穏やかな時間に、少しだけさわさわと音が混ざってくる。心地の良い空間だ。

 

「ねえ、聡さん。人生って何だろうね」

 

「いきなりどうしたの? 何か悩んでたり・・・」

 

「悩み事じゃないよ。ただ、今日まで歩んできたたくさんのことを思うとね、人生ってすごいなって思えちゃったの。そんな中で、私たちは何を幸せって言って、何に満足して生きているのかなって」

 

「そんなに深く考えたことなかったな。・・・でも、案外そんなに深く考えることでもないのかもね」

 

 千夏ちゃんから提示された命題は、とても奥の深いものだ。人生の何たるかは、その終末までたどり着かなければ語ることはできないだろう。

 けれど、今の僕にだって言えることはある。

 

「僕は、今がすごい幸せだって思えてる。これ以上ないくらい最高の時間だよ。・・・でも、運命って奴は姑息な奴でさ、どこかでそれを必ず壊しに来る。生きることを頑張るってことは、それらからこの日々を守ろうとすることなんじゃないかな。人生が何かなんて分からないけど、いい人生ってきっとそうして生きる日々のことを言うんだと思う」

 

「じゃあ、さぼっちゃいけないわけだ」

 

「息抜きは必要だけどね。・・・僕はこの日々を、全力で守り切るよ」

 

「なら私がそばにいないとね」

 

「そうだよ。その時は夏菜も一緒だ」

 

 家族は、平穏を壊しに来る運命に立ち向かうためのチームだ。一人だって欠かすことはできない。だから互いに守りあって、明日を紡ぐんだ。

 僕は、そうして生きていきたい。

 

 きゅっと手が結ばれる。たまには、僕の方から。

 満足そうな笑みを一度だけ見せて、千夏ちゃんは目を閉じた。時を同じくして、僕もそうする。

 

「・・・頑張ろうね、これからも」

 

「うん」

 

 大事なことは、こうやって宣誓する。誰に聞かれるわけでもないけど、この言葉を受け取っている誰かがいるかもしれないから。それこそ、神様だっていてもおかしくない。

 

 だから誓う。僕たちの物語に祝福が訪れることを願って。

 

 

 かけがえのない今を守り抜き、幸福を探し続けることを、誓う。

 

 

---

 

 

~side ???~

 

 少女は海をさまよっていた。いつもつけていた目印を失念してしまったのが事の発端だ。

 

「・・・まいったね、どうも」

 

 こういったことには慣れているのか、後ろ頭を掻きながらやれやれとため息をつく。そこに微かな、誰かのすすり泣く声が聞こえた。声に引き寄せられるように、少女は動く。

 

 そこには男の子がいた。蹲って、寂しそうに真下を見つめている。

 

「どうしたの? 迷子?」

 

「・・・」

 

 無言のまま、少年が首を振る。その背中を少女は・・・松原夏菜は叩いた。

 

「そっか。んじゃ、一緒に帰ろっか」

 

「えっ・・・?」

 

「私も迷子だけど、まあそこは心配しないで」

 

 心配しかない、と言わんばかりの目だが、ようやく少年は夏菜に目を合わせた。根拠のない自信が籠った夏菜の瞳を見て、少年はなぜだか安心を覚える。

 そのまま、夏菜から差し伸べられた手を取った。二人で行こうという意思を固めて、夏菜を見る。

 

「そだ。名前、教えてよ。私は松原夏菜」

 

 夏菜が問いかける。 

 少年はしばらく無音のまま口をパクパクと動かして、そして俯き恥ずかしそうにしながらも、今度はちゃんと音にして、その名前を語った。

 

 

「島波、湊」

 

「そっか。湊くん。よろしくね」

 

 

 

 

 

 手が繋がれ、また物語が紡がれていく。誰も知らない、海の底の御伽噺が。

 

 

 

~完~




『今日の座談会コーナー』

この外伝もついに最終回を迎えてしまいました。幕間の物語としてちょこちょこかいつまんで書くことがあったとしても、長編物語としてこの話を書くのはこれで最後です。ここまで三年間、本当に本当にありがとうございました。
さて最終回ではありますが、本編最後のところについて説明させていただきます。この時点で最初の三人の関係(遥、美海と千夏)ですが、修復されたとは言っても完全回復とはいかず、会えば話す程度の仲となってます。それについては千夏が聡に遠慮している節もありますし、今更会って何をすることもないというところが挙げられます。またβ最終回で語っているように、遥は陸に住んでいるため、海との関りが減っているところも大きいです(湊は海の小学校に通っているという設定でいますが)。そのため、まだ小学生になっていない夏菜と湊にはっきりとした面識がなかったということですね。
ここからの物語は、想像こそしていますが、書くのは無粋でしょう。この後の物語は皆さんの胸の中に。

さて、外伝いかがだったでしょうか。道中何度も折れかけましたが、やっぱり好きには勝てないんだなというのを痛感させられましたね。
終わってしまうのか、と一番思っているのは多分自分だと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
またいつか幕間の物語書くことがあるかもしれません、その時お会いしましょう。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)


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