黒い蹄と白の鱗、TS娘は人の道 (銀ちゃんというもの)
しおりを挟む

一日目 星と山羊

もっと内容詰めたかった。


「大丈夫? ねぇ、聞いてる?」

 

 壁の本棚に並んだ本を放心気味に眺めながら、俺は背後で爆笑する親友に語りかけた。

 

 だが、ひー、ひー、と彼は聞く気がないようで、俺がプイッとそっぽを向いて嫌いになったぞという演技をしてみるとまた笑い始めた。

 

「ぶはっ、ははっひ、ははははははっ!!! ふだ、ふだんの、ぶははははは!! おまひははははっ! かわん……ねひははははっ!!」

 

「もう喋んな、笑い死にしとけ」

 

 ふぁっきんいかれぽんちがと聞こえない程度に俺は呟いた。

 爆笑しながら何かを話そうという努力をしているようだが、途中で我慢しきれず笑い出すあたりで余計俺の怒りのボルテージを急上昇する結果となっている。

 

 コレ相手に怒るのも癪なので、俺はため息をつき、至って平静を装って話し始めた。

 

「俺さ、どうしてか美少女に正体不明な理由でなっちゃったワケ。説明したもんな、お前に、さっき。

 そこでだぞ、そこでな……疑問なんだが俺『意識失って公園で目覚めたと思ってたら幼女!? 誰にも気付いて貰えないパターンの関係リセットとか嫌だぞ?』って割とビクビク怯えながら家に帰ってきたワケよ。

 でな、な? 

 なんで、なんでなの?」

 

「何が?」

 

「……っ!?」

 

 俺が疑問を投げかけた途端、すんっと効果音が入りそうなほど真顔になってこっちを見てきた親友にビクリと怯えてしまう。

 こわ、なんだこいつ。

 

「何が?」

 

「ひっ……ほかに何か言えよ……」

 

「何が?」

 

 唐突に『何が? Bot』と化した親友が下手なホラーより怖くて話が進まない件。なんてタイトルのラノベは売れないだろうかなんて考え始めた時点で案外心に余裕があることを思い出して俺は話を再開する。

 

「何が?」

 

「いやさ、あのさ……俺、もっと俺だって気付いてくれないって思ってたのね? だからさ」

 

「話が長いぞ簡潔に」

 

「お前が、長く、してるのっ!!」

 

 脳天に拳骨一発、と俺は親友の頭に拳を振り上げた。

 が、何事もなかったように俺の柔な腕を掴んで止めてきた。

 無駄な運動神経しやがって。

 

 こいつが黙ってりゃ十秒ありゃ話し終わったんだよ。

 チッと舌打ちひとつして続ける。

 

「簡潔に、『何故、皆、俺だってわかるの?』」

 

「んー? 

 だってお前髪伸びただけじゃん、ちっこいのも童顔も髪質も何もかも変わらねぇよ」

 

「背、背ぇ!! 忘れんなよ背ェ!!! 

 背が縮んでますぅー俺ちっこくなってから洗面台の蛇口の捻りに手を伸ばすのが難しくなりましたー!!」

 

「早口で捲し立てる姿も似合ってるな。さすが黒髪の幼女だ、ちょっと髪が荒いな……目にかからないようにこの髪留めいる? 

 そうだな……オレ、去年、愛玉(まなた)が……ちげーか、もう()ないし愛って名前でいいか。愛ちゃんが愛玉(まなた)だった去年、蛇口をしっかり捻れるようになったぞって背丈自慢して回ったの覚えてるぞ? 

 愛ちゃん、お前本当に()男子高校生なの……ってやめろっ目潰しはなしだろ武力行使に出んなキャー襲わないでーTSしたキャラが親友(かっこ)(かっこ閉じ)に惚れるのはよくある事だけどこの鈴梅(すずめ)くんはやっぱ段階は踏むべきだと思っぎゃ、蹴るな蹴るな座ってる相手に飛び膝蹴りするな!」

 

 この早口ブーメラン野郎、今あえて元男子高校生の『元』を強調しやがった。

 拳一つ一つ全て受け止めた挙句に目潰しも膝蹴りも回避しやがったオーバーリアクション野郎は絶対にいつか殺すと心に誓って攻撃を止める。

 

 髪留めはありがたく付けた。

 てかなんでこいつこんなの持ってるのと思ったがそういえば妹がいたなと思い出す。多分妹の世話をする時髪を留めるものを常備してる方が楽とかそんなんだろう。違ったら違ったで怖くてたまらんのでその可能性は考えないものとする。

 

「ああ、クソ大体よ、こういうのは鈴梅(すずめ)佳織(かお)なんていうおめぇみてぇな俺より女っぽい名前のやつが被るべき被害だろ、なぁ佳織(かお)ちゃん、読み方変えたら、か・お・り・ちゃ・ん?」

 

「何だこのメスガキわからされたいのか……?」

 

「ヒッ……あ、あーそういえばさ、えーっとうーんと……ああ、最近ここらで変死体が道に転がってるって噂が……っ!!」

 

 俺は狂人の毒牙にこの身が犯されるまえに話題を変えることにした。

 

 するとこの鈴梅佳織(欲求不満下半身猿太郎)くんは珍妙なことに、テンションをニュートラルに戻してこいつのカバンの中から一枚の丸めた新聞を取り出した。

 

「あーえっと……どこだぁ?」

 

 何らかの記事を探し始めたようで、見ると地元の新聞のようだ。

 ウチはとってないが、こいつん家はこの新聞をとってたのを覚えてる。

 

「これだこれこれ、見ろよ」

 

 そういってある一面の一部に指さしてくる……謎の性転換事件? 

 今月初めから公園に身元不明の少女が転がっている事件が起こっている。保護された人物全員が自分は一般男性だと話し…………。

 

 あー読む場所を間違えたか、きっとこの下の変死体の記事を指して読めって言ったんだな。ふむふむ……血が抜かれたようになくなってぇ? 

 

「愛ちゃん、現実から目を逸らしちゃいけないよ」

 

「何言ってんだこいつ、このページには変死体の記事しかねぇぞ?」

 

「自己防御のために人間って記憶改竄までできるんだな、初めて知ったわ……目ェ覚ませ」

 

 そんなこんなで、頬に軽い平手をペチペチと食らった俺は事態の真相を追い求め、元の体を取り戻すためにコンクリートジャングルの奥地へ向かった。

 

「髪を愛玉(まなた)の頃の長さまで切れば、愛玉(まなた)愛玉(まなた)以外変わらなくね?」

 

 うっせぇその愛玉(まなた)くんのナニが重要なんだよ。

 

 

 ◇

 

 

「愛ちゃんの記憶を辿って気絶前の場所に来たはいいけどよ……こんな人が多い商店街で何か起こんのか? つーかこんなところで意識失って公園で起きたら幼女って何? 愛ちゃんが黒幕と結託してオレも同じ目に遭わせようとしているとかそういう線、疑っちゃうよ?」

 

「それ言ったら、タイムリーにあの新聞持ってきたお前が実は黒幕で、ロリコン拗らせて最高の幼女を作ろうとしているとか疑うぞ?」

 

「それはねぇな、だってそれなら愛ちゃんが意識を取り戻した頃には既に愛ちゃんは純潔失ってるもん」

 

「俺の中のお前の評価、マイナス25な」

 

 もうやだこいつと行動するの怖くなってきた。

 人混みだからまだいいが、もう一生人が少ないところをこいつと通らないようにしよう。

 

「なんそれ、初耳な点数。元の評価何点だったん? やっぱ親友特別点で500とか1000とか?」

 

「プラマイ両方向に最大100ずつでマイナス75」

 

 ちなみに数秒前までマイナス78点でゴキブリが最下位だった。つまりこいつは計マイナス100点でダントツの最下位に堕ちたことになる。最低点だ。

 

「そろそろ鈴梅(すずめ)さん泣いちゃうよ? いいの、泣いちゃうよ……っと着いたか」

 

「わお、我が親友ながら切り替えが早いぜ! ……で、何処に?」

 

「服屋」

 

「服屋? あぁ、服屋だね」

 

 商店街に着いてからというものの少しづつどこかに誘導されているなとは思っていた。

 だが目の間にいざ服屋大手チェーン店に連れてこられるとなんとまあ展開は察した。

 でも、一応聞いておこうか。

 

「で、その心は?」

 

「TS物の定番ってやっぱ着せ替えだと思うんだよね、オレ。

 ……親友に恋しちゃうTSっ子が愛ちゃんじゃん?」

 

「いい精神科知ってるんだけど……行く?」

 

「産婦人科?」

 

「お前の耳はぶっ壊れてるのか??」

 

「やっぱ恋するためには自分が女の子だって自覚する必要がると思うんだよ……で、服装が手っ取り早いと思うじゃんね。

 それに……」

 

 親友殿は俺の服をねっとりとした視線で凝視してきた。俺は十歳ほどの女の子になったことにより身長が一センチ……いや、二センチ縮んだため当社比ダボダボな服を上下纏っているワケである。

 ジュルリと舌なめずりをした親友を見て一歩下がる。

 

「へへっ……悪いようにしねぇからさぁ」

 

「不審者じゃん」

 

 十歳程の美少女に舌なめずりしてジリジリにじり寄ってくイケメン高校生である。

 警察って何十番(なんとうばん)だっけ……? 

 

 

 ◇

 

 

 スカートすーすーすりゅぅ……。

 

 試着室のカーテンをシャーと開けて。

 ぎゅっと黒いスカートの端を握りしめて顔を赤く染める。

 俯くとベージュのパーカーがやけに目に入ってきてさらに意識してしまった俺は楽しげな視線を向けてくる親友へ恨みがましい目を向けて言った。

 

「あの……俺は男だぞ……?」

 

「顔の赤さも、恥じらいも、モジモジしてる感じも服装も困惑の一言もバッチグーだと思わんかねワトソンくん。惜しむところはそれ全て演技でやってるって、オレが知っちゃってることだと思わない? 

 でも、それも良い……あ、これ全然惜しくねぇな」

 

 なんだこいつ無敵か? 

 理不尽に性転換した現状を楽しんでいたりした俺はこいつのために演技をしていたというのに一瞬で見破るとは……これが親友パワーってか? 

 

 普段暴言厨かってほど罵詈雑言を吐き出しあってるため、こういう風な一面を見るとドキッとした気がしたけど気の所為かもしれねぇ。

 

 これに惚れるとか無理がある。

 というか親友パワーを使うところを間違っている。

 

「うん、ない。ないないない、百歩譲って他の人間はあってもお前にだけは惚れない、無理」

 

「百歩譲れるならあと五十歩近付いておいでよ。なぁに、五十歩百歩っていうだろ……オレから逃げるのに百歩も逃げなくていいじゃないか」

 

「やだよ、俺百歩くらいの距離ならなんとかお前を撒ける自信あるけど五十歩とか即捕まるわ。つか多分その五十歩百歩の使い方は想定されてない」

 

「なぜ捕まえるってわかった?」

 

「………………親友パワー」

 

「……もっかい言ってくんね? 録音するわ、今のすごく可愛かった」

 

 うーん無理だ。

 ミリ単位もドキッとしないこれはやっぱ俺ってばTS百合ルートの娘ではなかろうか。

 スカート履いて試着室のカーテン開けた瞬間途端に恥ずかしくなって顔が熱くなったから親友ルートあるか? って思ったけど少し経った今考えればスカートで公然に出るということに恥じらいを覚えてたんだな、俺。

 人間、冷静になるって大事だわ。

 

 そういえば、佳織は顔が赤いの含めて演技と言ったが単純に恥ずかしさから来た羞恥である。そこらへん、我が親友は親友パワーが上手く働いていないと見える。

 ……親友パワーってなんだろう。

 

 シャーとカーテンを閉めた俺はパパッと元来てた服を来て、ベージュのパーカーとスカートを買い物カゴに入れ、試着室を出てからレジに向かうことにした。

 

 と思ったら何着か服を持った親友が待ち構えていた。

 

「着せ替えって言ったろ? ……じゃなくて、一度に買っちまった方がいいだろ、でもないと面倒臭くてつぎ服屋に来るの半年後とかになるだろ愛ちゃんそういう人間だもんな」

 

「面倒臭くて買わなくなるだろうって理由ならその積み上げられた服に巧妙に隠されたマイクロビキニなんだ」

 

「なんで一発で見抜けるの?」

 

「お前が服を数個持ってきた時点でなにか隠されてるなって察するよねって」

 

「…………」

 

「んお? 急に黙りこくってどした、ようやっと俺に懺悔する気になったか?」

 

「……いやぁ、愛ちゃんを脳内で着せ替えしてた」

 

 とまあ、結局数着試着することになった俺はワンピースにショートパンツに半袖tシャツに長袖Tシャツetc……とマイクロビキニ以外色々と抱えてレジへ向かう。

 

 後ろを付いてくる親友氏と、女の子でちびっ子い俺の組み合わせは、周囲から兄妹のように見られているようだ。

 妹が気恥しさからか、買い物好きだからか前に立ってぐんぐん進んでいき、その後ろを着いてきたお兄ちゃんが振り回されながらも追っていく。

 本当に周りからは見えているのか微笑ましい視線が飛んでくる。

 

 視線を向けられて居心地が悪くなった俺はレジで会計を済ませてそそくさと店を出た。

 だがまだ視線を感じるな、まさか店員さんまだこっちを見てるのかと思って視線の方を見たら親友がじっとりねっとりした視線で俺を見つめてきてた。

 

「本格的に気持ち悪いことになってるぞ大丈夫かお前……」

 

「じゃあ聞くけど、もし愛ちゃんじゃなくてオレがTS美少女になったとしてそしたら愛ちゃんはどういう態度をとってた?」

 

「うん? ……んーと、お前が本気で恥ずかしがる服を探したり、降って湧いた躊躇いなく話せるTS美少女の籠絡にかかったり、心を奪ったり?」

 

「ね、同じでしょ?」

 

「いや、違うよ。お前は直球で落としに来るじゃん、だけど俺はお前の性格をよーく把握してるから一回精神的に疲弊させてそこに付け込む」

 

「ゴミクズじゃねぇか」

 

 俺は直球変態発言野郎ではないから少なくともこいつよりマシ、つまり最底辺ではないのだ。

 精神安定のためにこいつを蹴落とさなければ俺のか弱い精神は疲弊してしまうのだ。

 

「じゃあ言うけどさ、お前の言ってた俺じゃなくてお前がTS美少女になって俺に迫られたらどう思うよ」

 

「原因探ってお前も道連れにする」

 

「わぁ! ここで意見が分かれるか!」

 

「でも、もしTSした要因が簡単に実践できるものだったら、愛ちゃんもオレを美少女にしようとするだろ?」

 

「当たり前じゃん」

 

「なるほどこれが親友パワーか」

 

 ただの人間の欲望だと思う。

 そう思ったが親友パワーに喜んでる親友を邪魔するのはあれなので放置しておくことにした。

 精々それが親友パワーに拠るものだと錯覚してればいいさ。

 

「くはははははっ!!」

 

「こわ、どしたの愛ちゃん、悪役の笑いが漏れてるよ?」

 

 内心こいつを嘲笑ってたら声に出てしまった。

 危ない危ない、と俺は額の汗を拭き取る仕草をした。

 

「そういえばここに来た目的ってなんだっけ?」

 

「うん? ……愛ちゃんの服を買いに来たんじゃなかったか?」

 

「あーそうかもしれねぇ、そうだったか? そうだな。うん」

 

 帰るか、買った服のタグとか外さないとだし。つーか重い、量があるから重い。

 

「どうするー? 昼近いしどこかで食べてく?」

 

「うんにゃ……家帰った方が早くないか?」

 

「それもそうか、じゃあ帰るべ帰るべ」

 

「昼飯なにか作ろうか?」

 

「じゃあ……って今の会話すごく夫婦みたいじゃね?」

 

 大丈夫かこいつ。

 

「なんでもそれに繋げるのどうにかならん?」

 

「この口喧嘩とか長年付き添った夫婦みたいじゃね?」

 

 夫婦みたいじゃねBotくんが現れた。

 正直言って全力で気持ちが悪いので不意打ち気味に蹴ってみる。

 

「うわっ……ぅゎょぅι゛ょっょぃって落とし……転がってったっ!?」

 

 反省はしてない。

 たとえそれでこいつが反動で物を落としてそれがコロコロと路地に転がって行ったとしても……いや、さすがに謝るか。

 ごめんな。

 

「ざまぁ」

 

 おっと本音(思考)と建前が逆になってしまった。

 小声で発したから聞こえていないご様子、もうちょっと大きな声で言うべきだったか。

 軽く嘲笑いながらも表面上は心配してそうな顔を浮かべて落とした物を拾う親友に近付いて……なんだ? 

 

 ふと、違和感を覚えた俺は立ち止まる。

 親友が物を落として一歩踏み入れた路地に覚えがあるのだ。

 

「なぁ、ここ……」

 

「ああ、愛ちゃんも気付いた? やっぱりか……」

 

「……そうだよな」

 

 突如、『やっぱりか』などと俺にしか覚えがないはずの違和感を申し立ててきた親友に困惑しながら、でもその何かに気付けてないことで煽られるのは今度こそこいつを殺しかねないためわかってますよ感を出すために適当に返事をする。

 

「……この通り、不自然なくらいに人がいねぇ」

 

「あ、あーそうだよな、やっぱりいねぇよな」

 

 なるほど確かにと、路地といえど人が三人すれ違える程幅があり、店が数店あるこの通りに人がいなかったことなど俺は覚えがない。うーん人気(ひとけ)が多い路地ってそれは果たして路地判定適応されるのか。路地の定義とか知らないが。

 

 完璧に演じたはずだが親友は妙に訝しむ視線を俺に向けて来た。

 

「お前の気付いたことって何?」

 

「うん? お前は何を言っているんだ?」

 

 俺は誤魔化し通すことに決めた。

 

「へぇ、そうか、じゃあいいか」

 

 なんだ、こいつ諦めたのか? 

 

 そう思ったのも束の間、親友は俺の右手を握って路地の奥へ歩き始めた。

 

「ねぇ鈴梅さん、どうして俺の手を引いてくの?」

 

「それはねぇ、愛ちゃんが逃げられないようにするためだよ!!」

 

 一発でハズレ引き当てる赤ずきんちゃんごっこした俺たちは、イエイッと笑顔で両手でハイタッチした。

 

 直後、その両手をガッと掴まれた感覚に反応して俺は親友の顔を見る。

 するとにっこりとフリーズした笑顔で俺を見つめていた。

 

「お、おいおい、なんだなんだどうしたんだムカつくことに無駄にイケメンな顔にだけ石化攻撃でも食らったのか? 手、退けろよ、今すぐその顔殴って紳士顔をゾンビフェイスに変えてやるから…………いや待て黙るの止めろよ怖ぇよニコニコニコニコとまあよくそんな表情維持できるよな………………ほ、ほほほほら、俺、お前のこと尊敬してんだぜ? そ、そうやって表情を一定にできる表情筋の凄さとか……。すげえよなお前の表情筋、異常発達した感じとか思えない……。

 ごめんなさい吐きます。

 吐きますから、だからその手離して表情を戻してください唇近付けて来ないでください」

 

「よろしい」

 

 何様だこいつ。

 遂に折れた俺が素直になってやると上から目線で話し始めやがった。

 俺のが上の立場だって二日年上な時点で決まってるのに無礼だぞこいつ、不敬罪で死刑では? 

 

 そんなことを考えてはいたが口には出さないことにした。

 代わりにこの場所に覚えがあることを吐いていく。

 

「記憶にないのにここに気絶前、商店街の次に来た覚えがあるの? さらに現在進行形でどんどん思い出してきた? ……あのね、愛ちゃん、厨二病っていう病は一生治らないから……気に病むことはないよ?」

 

「違げぇが? なに人様の崇高なる意見と記憶を真っ先に厨二病の戯言で片付けようとしてんだ?」

 

「冗談はさておき、愛ちゃんはあの商店街が最後の記憶なはずだったんだよな? 元々気絶前の記憶とやらだから多少あやふやなことは想定してたけどさ、ここからどれほど歩いてった?」

 

「あーそれはね……ちょうど今この路地に人が入ってきただろ、あの人で説明すると、なんかこう、あの人みたいにぼーっとしてたというかふわふわふわふわって人がいない道を特に意味が無いのに歩いてってな」

 

「うんうん」

 

 そう言いながら俺たちは十メートル程開けて何故か人のいない道に寝ぼけたように入ってきた男を追った。

 

「そう……で、あの角を曲がったら辺かなこんな感じの霧に包まれたような感覚の後に口を何かで塞がれて……」

 

「うんうん、霧で見づらいけど角を曲がって少したところで誰かに口にタオル当てられてるね」

 

「そうそう、別視点で見たらあんな感じだと思う」

 

 男の口と鼻をハンカチで覆って気絶させた黒ローブの人間をじっと見つめながら小声で話している。

 

 おっ黒ローブが男を抱えてどっかに歩き出した。

 

「追うか」

 

「そだね」

 

 一発で当たりを引いた赤ずきんちゃん一行は、一発で犯人(当たり)を引いた確信とともに忍び足を始める。

 こうまでご都合的にトントン拍子で進むと本格的にこいつが黒幕説あるな……と思いながら俺は隣の親友を見た。

 すると、佳織も俺を見ていた。

 

「順調過ぎない? 本当は愛ちゃんが黒幕と結託してるっていう風に思えてきたんだけどさ、やっぱこの説濃厚だと思うんだよね。今ならこの不思議な霧の正体教えてくれたら許しちゃるよ?」

 

 こいつはこのくらいカモフラージュとして言う人間だ、今そういうことになった。

 とりあえず俺はこの親友を黒幕と仮定して行動することにした。

 

 きっと未来の俺はこいつが黒幕だったことを確信することになるから、その時に『こいつはこのくらいカモフラージュとして言う人間』なのかと知ることになるだろうしだったら早かれ遅かれというやつである。つまり仮定でもなんでもなくこいつは黒幕ということになる。なんということだ、数秒前の親友が黒幕だと確信する未来とは今のことであったか。

 

 ドラマの序盤で犯人を当ててしまった気分になった俺はこいつがいつ裏切ってもいいように急所を何時でも蹴れる位置を歩くことにした。

 

 それにしてもこいつは少女を大量に生み出して何をする気なのだろうか。

 まさか美少女ハーレム……!? 少女は少女でも幼女に近い容姿の子を生み出しているとなれば……クソッこいつのロリコンはどこまで覇道を進むつもりだ!? YESロリータNOタッチの紳士の誓いは一体どこへ!? 

 

 TS親友枠の俺としては今すぐこの霧を商店街方向に抜けて身を守りたいところだったが、男を運んでいた黒ローブが一つの家に入って行った所を目撃してしまい、これ以上こいつの被害者を増やしてたまるかという正義感が働いた。

 おのれ、この俺の正義感まで利用して俺を逃がさないようにしてくるとはなんて卑怯な親友なんだ。

 

 そんなこんなで路地を抜けて住宅街に来てもなお、人っ子一人居ない道の角から黒ローブの入って行った家を二人でじっと見ていた。

 

 五分ほどして戸が開いた。

 どシンプル過ぎてもうちょっと凝れよと言いたくなるような黒ローブと脇に抱えられた幼女が出てきた。

 

「あの幼女ってまさか……」

 

「だろうなぁ……俺と同じかなぁ」

 

「怖……なんで『まさか……』って思わせぶりなこと言ったら察せるの? やっぱ何? 俺のこと好き?」

 

「多分いてもいなくても何一つ変わらない」

 

「好きの反対は無関心……っっ!!」

 

「関心はあるぞ? 今だって近くにいるだけで吐き気が……うぇ」

 

「喉に指突っ込んでまで吐き気がするアピールするのやめてくれない? 鋼メンタル正面から砕く気?」

 

 さすがにアレだったので俺の可愛いお口で咥えた指を引き抜くことにする。

 こんなところでこいつのために吐くなんぞしてたまるかという思いより、『鋼メンタル砕く気?』なんて言っておきながらニコニコ笑顔な我が親友に恐怖を覚えたからである。俺が吐き出すことすら性癖のうちか……罪穢れの権化か何かかこいつ……。

 

「いいね、その口から指を出した時に引いた唾液の糸……」

 

「黙れよ国津罪」

 

「個人単体を国津罪って呼ぶ人間初めて見たわ。つーかそのどの罪も犯してねぇよ」

 

 俺だって人生で人間をそう呼ぶなんて思わなかった。

 ついでにいうと国津罪の一つや二つ特に獣のやつはやらかしそうだなと思っていた俺は前言撤回することはない。多分こいつはいつかやらかす。

 

 などと話していたら黒ローブさんがどこかへ向かってしまったのだが、どこかの公園に捨てに行くのだろうか。

 ならこの隙を突いてやる事は決まっている。

 

「「空き巣じゃ!」」

 

 

 ◇

 

 

 不法侵入に躊躇いのない親友のせいで片棒を担がされた俺は、意気揚々とピッキングして玄関からお邪魔した。俺は自分の身を犠牲にできるほど正義感が強いためノリノリで不法侵入するような神経をしてないのである。ちなみにこの家の金目の物なら持っていってもしょっぴかれないかしら。

 

 家の中を軽く回ると二階建ての一般的な住宅だ。

 

 今更だが、他に人の気配はないので手分けして軽く漁ることにした。危機感皆無である。

 

 俺がいるのは二階の書斎だ。

 

 いっぱい本があってついつい気になるタイトルを拾ってしまう。

 別に暇潰しとか面倒臭くなったとか飽きたとかそういうんじゃない。

 ただちょーと部屋の片付けしてる時に本を見つけて読んじゃう感じでここに並べられた本を読んでいる。

 

「山羊の会教本……? んだこりゃ聞いたことない団体……つーか教本って宗教かなんかか?」

 

 なんとまあ、聞いたこともないものである。

 

 体が否定するようにその本を開きたくなくなる嫌悪感と、腹の底から熱く湧き上がる好奇心がせめぎ合うような奇妙な感覚に襲われたが、俺みたいに女の子になっちゃうような摩訶不思議なこともあったんだしと読まないでおくことにした。

 街中を歩いていて直感的に嫌な雰囲気がする路地とか、そういう類のものは好奇心に打ち勝って絶対に行かないのが吉なのだ。

 

「おーい、そっちは終わったか?」

 

「あっまずい」

 

 不用心に、親友が声を出しながら書斎に向かってくる。

 サボってたことに気付かれないよういかにも真面目に探してましたという体で、先程の教本とは違い、机に乗っていた日記を読み出した。

 

 ガチャっと扉が開く。

 見ると、手ぶらではないか。

 机にたまたまあったとはいえ日記を見つけた俺のが優秀ではないか。

 

「ん? なんそれ……」

 

「日記だよ、日記」

 

「日記を読まれるとか可哀想……」

 

「でも、怪しい黒ローブの日記とか、興味ありますよね?」

 

「もちろんだよ愛ちゃん、ところで台所でTS薬ってタグが付けられた白濁液を見つけたんだけどそれに関するもんはなかったかな」

 

「いや、見てない」

 

 そう言ってペラペラと紙をめくって今回のことに関係ありそうな記述を探し出した。なお、白濁という部分は無視するものとする。

 

 するとすぐそれらしき文章が浮いてくる。

 Shub-Niggurath? このスペルはなんだろうか。

 スブ=ニッグラフ……スブ=ニッグラス……ス……ああ、シュかな。

 ……えーっとつまり……シュブ=ニッグラスで読みはあっているのだろうか。

 

「シュブ=ニグラスじゃね?」

 

 ……コホン。

 シュブ=ニグラスであっているだろうか。

 ただその神格を熱狂的に信仰していることが伺える文章がズラリとあり、最近の文章にはTS薬とやらの記述もある。

 ここまで来ると、もうオカルトの一つや二つ身近にあるような気がしてきて、どうしようもない寒気がする。

 

「んーと……丹羽(たんば)日々(ひび)とかいうやつがTS薬を考案したらしいぞ……?」

 

 そう呟くと、TS薬に関する資料を漁っていた親友が日記を覗き込んできたが、構わず読み進めることにする。

 

『月に一度、十歳の処女を黒山羊様に捧げなければいけないが、隠蔽にも限界が出てきた。

 我々がその問題を会議していると、異端の丹羽日々が珍しく実用性のある意見を口に出してきた。

 その有用性を認め、当時の発言をまるまるこの日記に書くことにする。

「美少女処女の生贄が足りない……? デュフフ、じゃあ作ればいいと小生は思うよ」

「一体どう言うことかって、黒山羊様への生贄の十歳の処女を収集するのが大変なら、一見無差別に見えるように誰でも十歳の処女に変えられる薬を作るとかそういうことだよ、デゥフフ」』

 

「雲行きが怪しくなって参りましたぁ!!」

 

「いい趣味だね、今度語り合いたいよ……丹羽日々さん」

 

「お前は誰に語りかけてるの?」

 

「そんなことより推理小説の序盤に犯人のメモにトリック全て書かれてた気分だよ」

 

「わかるっちゃわかる」

 

 どこかに怪電波を飛ばす親友を見ていると、玄関の鍵が開けられる音が聞こえてきた。

 いつ帰ってきてもおかしくないものだが、けれど予想より少し早かった。

 

 急いで本棚の元あった場所に本を詰めてい来ながらも小声で話す。

 

「……っ! 迎撃できる?」

 

「まずい、帰ってきたな…………なんでそんな物騒な考えを真っ先にするの? 相手が何持ってるか何人かもわからないから……どこから逃げる?」

 

「窓だろ、二階の窓から家の外側に張り付いてる物とか横とか後ろの家の壁を利用して降りれないか?」

 

「唐突に出てくる特殊部隊的な発想に驚いてるんだけど、でも愛ちゃんの背丈でそんなこと出来る?」

 

「無理だわ」

 

 だよな、という顔をした親友は、書斎の窓を開けた後に少し下を覗いて俺をお姫様抱っこした。

 

「んぇ!? ちょっとま」

 

「落とさないから安心しろ、少し静かにしとけよ舌噛むぞ」

 

 そういって躊躇いなく俺を抱えた親友は、俺が肩から下げたままの服屋の紙袋に本らしき何かを突っ込み、そのまま二階の窓から降りた。

 そのイケメンムーブに俺は内心お前の方が特殊部隊的なナニカだよとツッコミたい衝動に駆られる。

 

 なんだ今のアクロバティックな動きは。

 

 運動神経抜群成績優秀千人に一人くらいのイケメン……なんとまあ少女漫画のヒーローなことで。

 おモテになられる筈の要素を兼ね備えたこいつがモテないのはまぁ変態故だろう。

 そしてどちらかというとクラスのお調子者ポジである。

 一部のコアなファンはいるだろうが。

 でも、このお姫様抱っこをしながら飛び降りる際、俺への視線の九割が肉欲であると知った時、どれほど熱が冷めない人間がいるだろうか。

 

 俺を抱えたままてこてこと人の居ない道を歩いていく親友殿。結構広範囲が人払いされてるのか、結構な範囲の住宅街に人影かない。

 あまりに可憐で危なげのない脱出劇であった。

 

「だからお前はモテないんだよ……」

 

「唐突にディスられたのなんで!?」

 

「それだからモテないんだよ」

 

「モテないんだよbotちゃん!?」

 

「俺が何を指して何を言っていっているか全て理解したうえで気付かないふり決め込む……そういうところは知らない人間多いんだけどなぁ」

 

「愛ちゃんだけは知ってるよアピール? これはルート入ったか……??」

 

「残念ながら、そのルートは美少女じゃないと攻略できません」

 

「フラグ立ての前提条件に主人公は女が付いてるギャルゲーって攻略不可能じゃないかな?」

 

「俺だけTS百合ゲー世界に生きてるから、今に見てろよ……きっと現れた美少女が俺の心を奪ってくぞ」

 

「……そうなる前に孕まなきゃいいな」

 

「下ろせぇ、今すぐお姫様抱っこから下ろせぇ!!」

 

 さっきの本以上に寒気がした。

 じたばたじたばたと決死の形相で暴れると、しょうがないなぁと言った雰囲気で俺をアスファルトの上へ下ろした。

 俺たちの行動をまるで寸劇として楽しむような笑い声が聞こえた気もした。見せもんじゃねぇぞ!? 

 

「お前、俺が下ろせって言わなかったらどこへ連れてくつもりだった……? 絶対お前ん家に抱えていこうとしてたよな?」

 

「あ、え……そこまでわかったの? さすが親友パワー」

 

「今すぐにでも別行動したい」

 

「……いや、無理っぽいよ?」

 

「なに、まだなにか手を残してるの? 大人しくお持ち帰りされろと??」

 

「いや、違う違う……聞こえなかった? 笑い声が……カラカラカラカラ、クスクスクスクスって」

 

「まじ……いや、え? これって幻聴じゃなかったの? それとも俺を逃がさないための方便?」

 

「疑いすぎではないかな? うん、明らかに近寄って来てるだろ」

 

「人が居ないこの不思議な領域内で?」

 

「そう、笑い声が近付いてくるときた」

 

 いつからこの世界は謎の教団を追うホラーゲームに転職したのだろうか、百合ゲーとかギャルゲー世界であって欲しかった。

 クスクスと姿が見えなのに近寄ってくる声に、俺と親友はそっと背中合わせになって周囲を見る。

 

「いやいやいやいや、怖い怖い怖い」

 

「そういえば愛ちゃんもホラー苦手だもんな、俺も怖い、心臓バクバク言ってる……吊り橋効果期待できるか?」

 

「こんな状況でふざけられる精神には感服するよ!!」

 

 こいつ本当はミリ単位も怖くないんじゃないのか? 

 そう疑いたかったが、こいつがホラー系は本当に苦手ということを俺は知っている。

 二人しかいない、二人とも怖くて使い物にならない、相手が見えない。

 絶望的の三拍子ってか? 

 

「どうすんのこれ」

 

「とりあえず背中合わせてるし、後ろにいるパターンはお互いないと思う……多分。ああ、背中を預けているのが既に化け物パターンとか」

 

「もっと怖いこと言うなぁ!!」

 

「しょうがねぇだろ頭いい俺もこんな時の対処法なんて知らねぇ…………あっがっ、ぁっ……」

 

 突然苦しみ出した佳織の方を見ると、透明ななにかに締められるように藻掻き、抵抗するように何かを掴んでいた。

 少し、地面に血液が垂れている。

 

「うぁあっ!!」

 

 ブチッと引きちぎるような音がすると、親友は地上に着地して何もない空間を見る。

 え、何? 何を引きちぎったのこの運動神経抜群くん。

 

 見ると、少量の親友の血が全体に回って一部姿が見えるようになったのか、文字通り不可視であるが質量がある様子の触手が浮いていた。

 無数の触手の先には鍵爪のようなものがあり、あれで血を吸うのかもしれない。

 ただ俺には既存の生物から大きく逸脱した存在に見えた。

 

「は、ははっなんだよこれ……なんだよアレは!」

 

「…………愛ちゃん、逃げるぞ!」

 

「もうダメ無理っぽ、腰抜かした! 助けて!!」

 

「助けを求めるTS娘っていいねぇ! 抱えて逃げるぞ、いいな?」

 

「さっきは許可貰わずに抱えたくせして緊急時だけ許可貰うの何!?」

 

 血を垂れ流した腕で俺を横抱きにして街を疾走する。

 あまりに行動が早い。

 気持ち悪くも吐き気のする、人智を拒むような先程の生物の速度が遅いのか、親友の足が早いのか、カラカラクスクスと先程以上にヒステリックな声をあげて追ってくるそれは少しづつ視界から離れていく。

 俺達から引き離されていく。

 

 佳織(こいつ)がいなけりゃ今頃アレの餌だな、なんて思ったが、声に出したらお礼になに要求されるか分からないから口には出さないでおく。

 何せ命が対価になっているんだ、本当に何言ってくるかわからないのがこいつの怖いところだ。

 

 言葉の代わりになにかしてやるか、と両腕を首に回して密着しやる。

 こうすればこいつは喜ぶだろ、ほらもっと俺のために働け。

 

 すると親友は何を思ったか、俺の方をじっと見てくる。

 

「な、なんだよ」

 

 気恥しさを感じ、少し目をそらすと案の定。

 

「なに、誘ってるの?」

 

「いや違うけど? お礼だけど!?」

 

「……うーん何を勘違いしてるか分からないけど、命と対価がこれって安すぎると思わない?」

 

「くっそ、しまった。気付きやがった! 指摘されそうだから言葉にしなかったのに!!」

 

 魔王からは逃げられなかったよ。

 二重に危機が迫ってる俺はふと気付いた。

 

「そんなことよりだ、あとからいくつかいうこと聞いてやるから今から言うこと耳の穴かっぽじって聞け!」

 

「言質取ったよ? 録音したよ? しょうがないから聞いてあげるよ……どうしたの?」

 

「常時録音でもしてんの? ……じゃなくて、アレ、名前わからんから透明なやつのことアレって呼ぶからな。

 アレ、もし商店街の方に現れたら、いや人払いがない場所に現れるだけで騒ぎになるぞ! 普段は不可視だが、万が一をとって人払いの外まで追ってくるとは思えねぇ!」

 

「じゃあ、どこまで逃げるんだ……どこまで人払い働いてるかわからねぇぞ?」

 

「商店街方面だよ! あっちは確実に人がいる筈だ、人払いが働いてないって少しでも可能性がある方へ逃げるんだ!」

 

「了解っ!」

 

 なにか取り返しのつかないことを言ってしまった気がしなくもないが、頑張れ、未来の俺。

 心だけは負けちゃいけねぇぞ!! 

 

 

 ◇

 

 

 空が茜から青黒く染まり出した。

 商店街を経由して家の前に着いた俺たち一先ず安堵の息を吐く。

 どちらの家の前かって? 

 隣同士、窓から行き来は出来なくても互いの家まで10秒もかからない間柄でございます。

 

「さて……そっちは人は?」

 

「いるよ、大事をとってどちらかの家に泊まる?」

 

「それだけはご勘弁下さいワタクシ身の危険をとても感じておりまして、出来れば今宵は過去の自分を呪う儀式を行いたく……」

 

 そう言って俺は一歩後ろへ下がった。

 するとグイッと佳織が寄ってくる。寄るなし。

 

 すっ、とスマホを取り出した佳織が録音ソフトを起動させた画面をこちらへ向けてくる。

 

『……うーん何を勘違いしてるか分からないけど、命と対価がこれって安すぎると思わない?』

『くっそ気付きやがった! 指摘されそうだから言葉にしなかったのに!!』

『そんなことよりだ、あとからいくつかいうこと聞いてやるから今から言うこと耳の穴かっぽじって聞け!』

 

 一番新しい録音データを再生したと思うと、あの一連の流れがスマホから流れ出した。

 音声の背後からはやけに気持ち悪いあの笑い声も聞こえる。

 

 ひゅう! コイツマジで録音してやがったぜちくしょうめ。

 

「で、要求はなんだ……ものによっちゃここで敵対するのもやぶさかではない」

 

「え? なに? 

 そこまで俺がおかしなこと言うと思っていらっしゃるの? 

 やだ、評価最低ねっ!!」

 

 そら、マイナス100ですからね、全力で警戒したくもなる。

 

「冗談はさておき、愛ちゃん……割と相談したいことがあるからどっちか集まろう……最悪徹夜仕事どころか数日かかるかも」

 

「……ん? それは俺の服屋の紙袋に突っ込んだ薄目の本に関係が?」

 

「気付いてたんか……まあいいや、あまり今は外に居たくないだろ。とりあえずお前の部屋行くか」

 

「迷わず自分の部屋でなく俺の部屋を選択してきたその行動に欲望を感じるけどいいか、このままじゃ話が進まん」

 

 正直、俺は一日前まで男だったから内装が女の子の部屋という訳でもないからな。

 女の子の部屋だーってドキドキワクワクする要素がない。

 

 それだけ言い残して俺はさっさとウチの玄関を開ける。

 後ろから付いてきた佳織に自分で脱いだ靴整えとけよーと言って居間を覗く。

 

「おーい母さん、ただいま」

 

「んー? お帰り……かーくんとどこか行ってたの?」

 

「服買ってきてたー」

 

「私が言うのもアレだけど、姿形に適応するの早すぎよ……もう少し恥じらいを覚えたりとかないの?」

 

「何を期待しているのかわからないけど、後でトイレの仕方教えておくれー」

 

「それは大丈夫よ、もとよりそのつもりだったから……髪の洗い方とかも教えるからね。ん、かーくん来たの? いらっしゃい」

 

 後ろを向くと佳織(かーくん)が居ることに気付いた。

 ……コイツさては足音消して来やがったな。

 

「お邪魔します愛玉(まなた)のお母さん……今日泊まってっていいですか? コイツと話したいことがあって」

 

 そう言って俺の頭を拳でコツコツとしてきた。

 やめんか、という意味を込めて振り払おうとすると、今度は手を広げて頭を撫でてきた。

 

 母さんは俺と親友のその様を微笑ましそうに見てくる。

 おい息子を悪漢から助けろよ……いや今は娘か、もっと問題だよ助けろよ!? 違うそうじゃないどちらにせよ問題であって……混乱してきた。

 

「いいけど、明日休みとはいえあまり夜更かしは……っていうのは無理そうね」

 

「“無理そうね”じゃねぇぞナニ言ってんの母さん」

 

「ナニってナニね」

 

「お願いだからそれ以上言わないでくれます?」

 

「大丈夫だぞちゃんと優しくするから」

 

「唯一の安全地帯が消失した瞬間だがこれをどうしろと」

 

 ここにいると言葉の袋小路である。売り言葉に買い言葉を文字通りやらかす前におそらくタイミング的に黒ローブの家から拝借してきたであろう本を読まねばならない。

 

 母さんと親友が何かをまだ話しているようだが先に部屋へ行くとしよう。

 二階へ続く階段を駆け上がり、自分の部屋のベットに滑り込む。

 

「あぁ……おちつく……疲れた寝たい」

 

 そもそもなぜ俺がこんな目に遭わなければならないのかご説明願いたい。

 朝出かけたと思ったら変な術にハマったのか路地に迷い込んで気絶して公園で起きて十歳少女に性転換してて、誰も気付いてくれないかもしれないとビクビクしていたら家族どころか親友も親友の両親も一瞬で気付くし、問題解決してみようと出かけたらなんかスカート買うはめになったし、犯人の家を見つけたと思ったら気味の悪い宗教の存在を知って、果てには明らかに無関係に見えない不可視の化け物に命を狙われる。

 

 これの中の一つでも一ヶ月に一回あったら、濃い一ヶ月認定できる代物である。一日の情報量を超えている。

 眠気に襲われているが、正直今寝ると夕飯を食べ損ねるので何かをやることを探す。

 

 ああ、服のタグ剥がしとか、本読んだりとかがあった。

 

 服のタグ外しは正直非常に認めがたいが衣服の大きさが問題ではないため優先度低めだ。この一件が終わってからでいいだろう。いや、この一件が終わったら体が戻ってるだろうしある意味最優先事項なのかもしれない。

 とりあえず親友が来る前に本出しとくくらいしておくか。

 

 そう思って転がったベットから抜け出し、紙袋の中の服と本を取り出していると、親友が戸を叩きもせず無遠慮に入ってくる。

 

「母さんとなんの話ししてたのん?」

 

「その服を試着室で着た時の愛ちゃんのかわゆさを説いてた」

 

 親友が伸ばした指の先には案の定例の紙袋がある。

 だんだんツッコム気力も失せてきた俺は、そうか……泊まるんだから親に連絡しとけよ、とだけ言って例の本のタイトルを見る。

 

『東西妖薬集』と表紙に書かれたこの本を手に入れた直後にすぐ後に透明なアレと邂逅するという出来事があったからか、おぞましく気持ちが悪く感じてしまうのは本に失礼だろうか。

 

 直感的に表紙から開くのを拒否されるような奇妙な感覚を振り切って開くことにした。

 

 

 ◇

 

 

 読破に約五時間、読書の間に食べた夕飯に約三十分、薄目とはいえラノベくらいの厚さはあった本は、だが精神的疲労を本に与えられたお陰でだいぶ時間を食ってしまった。外は真っ暗である。

 

 夕飯は少し喉を通りにくく、体調が二人揃って悪いのかと母さんに心配をかけてしまった。

 

「ハハッ……不老長寿の霊薬だってよ愛ちゃん」

 

「これが現実逃避というやつか……いうほど逃避できてねぇな。本の中にあるプラス要素だけ脳内で反芻させてるだけか」

 

 俺以上に精神的に参ってしまったらしい親友に戻ってこいと手を振るが反応が少ない。

 ここでリタイアされてしまうと困るのは俺なので仕方ないからあまり使いたくなかった手を使うことにする。

 

 こいつは今、精神的にくるほど狂気的かつ冒涜的な本物が書かれたオカルト本の内容全てという莫大な情報量で処理しきれず不安定になっている訳だし、治してやるのは反対に飲み込みやすい言葉を聞かせてやればいいのだ。

 催眠術の手法? 

 なに言ってるのかよくわかりませんね。

 

「……俺はお前のこと嫌いじゃないぞ」

 

 まぁ、なんだ。

 理屈抜きに、コイツにはこういう気恥しい本心が一番効くのだ。

 

「今、好きって言った?」

 

「言ってねぇよ混乱から覚めたら真っ先にそれか……!? いっそ放っておくべきだったか?」

 

「いや、目ぇ覚めたよ。あんがとな」

 

「そりゃ良かった、これで覚めなかったら次は拳骨だったぞ……って撫でるな! 

 はぁ、それにしてもじっくり五時間かけて途中で飯も挟んで読んだんだ、処理が追いつかない程じゃなかったはずだろ。疲れたのか? もう寝るなら、俺がここにあるイブン=グハジの粉? とやらの製法とかもっと詳しく調べとくぞ?」

 

 それにしてもこの本の内容は例の不可視のアレを見てなかったら信じてなかった。逆にアレを見たからこそ、ここにあるオカルトは実在すると納得してしまう。

 

 抱朴子でもないのに金丹の製法やら、蠱道じみた方法で残った毒虫をすり潰した呪詛薬の製法やら。まったくなんというか、『東西妖薬集』の名にピッタリな中身であった。

 

 もしこの中に俺の状態を治す薬があるのならいいのだが、五時間読んでいる間に近しい記述はあっても直接効果がありそうなものはなかった。対応してくれよオカルト!! いや、再現性ができてるから、こいつらはもはやオカルトというより科学か。

 

 そんなどうでもいいことに現実逃避したくなってきたが、さしあたってこの不可視を可視にするイブン=グハジの粉とやらをアレ対策に制作する必要があるだろう。二百年前の墳墓の塵……そんなものあるかな……。

 

「寝る前に、そのメモだけ読まさせてもらうわ」

 

「ん、ああ、そういえば本から転がり落ちたね」

 

「…………………………は?」

 

「どした?」

 

 転がったメモを飲み終えた親友は、俺の言葉も聞こえない様子で『東西妖薬集』の最後のページを開いた。

 

 どうやらもう一つ紙が挟まっているようだ。

 

「愛ちゃん、この部屋メガネなかったか? 最悪、向こう側を肉眼で見ずに済むものならなんでもいい……」

 

「いや、突然どうしたよ」

 

「神様招来の方法だってよ、なんでも『カルナマゴスの遺言』とかいうやつと同じ効果があるかもしれないから万全を期して肉眼で読むなとか」

 

「まって、なに? 情報量多い多い……催眠紛いの方法で精神状態治したの怒ってる? あれ以外の方法思いつかなかったんだよ?」

 

「違う、マジな話し。メガネとかそういうの渡してくれんか?」

 

 取り憑かれたように次のことに取り掛かろうとするその様に、嫌な予感を覚える。

 

「ダメ、寝ろ……さっきまでの疲れわすれたの?」

 

「心配してんの愛ちゃん……大丈夫大丈夫」

 

「大丈夫じゃない、さっきまでだったらお前『愛ちゃんなに? 以心伝心なの? 俺の事大好きなの?』やらなんやら言ってきただろ……なぁ、寝ろ」

 

「まだ少し」

 

「ダメ」

 

 なんでコイツはこうも頑固なんだ。

 ああ、もうヤダなぁ……でも絶対今佳織は寝かせるべきだ。

 非常に嫌だが、これしかない。

 

 ヤダなぁ、プライドが傷つくなぁ。

 そう思いながらもしゃがみこんで持ったメモを見つめる親友の後ろから抱きつき首に腕を回す。

 左耳に顔を近付けて息を吹きかけるように話す。

 

「寝ろ、添い寝してやる……手ぇ出すなよ」

 

「…………わーったよ寝るよ、寝る……代わりに早起きするぞ?」

 

 わぁ、あまりに俗物すぎるぜ! 

 深夜テンションとは怖いもので、恥もなく言い切った俺自身にショックを覚える。そしてあとから恥ずかしくなってきた。

 ああ、くっそ佳織の癖に人に恥じ掻かせやがって。

 

「疲れが取れるなら、早起きしてもいいぞ」

 

 佳織の後ろにいるから俺の顔が見れないとわかりながらも赤いであろう顔を隠したくてそっぽを向きながら言う。

 

 俺も言葉の鋭さが尽きてきた。

 昼間のテンションならまず添い寝をしてやるなんて吐いてでもしなかっただろう。

 

 俺も疲れてる、とっと寝よう。

 どの道添い寝しなきゃいけないんだ、寝なきゃならん。

 

「風呂は朝でいいか?」

 

「いいんじゃね? 今風呂に入ったら多分湯船で溺れて死ぬ……添い寝を前にそんな終わり方してたまるか」

 

「おぉ? テンションが舞い戻ってきたのか」

 

「襲うチャンスとなればねぇ……とはいえ絶好調じゃないけど」

 

「まって今なんてった?」

 

「パジャマは……いいか、ズボン一枚でいいよな」

 

「おい待てホントに」

 

「先ベット入ってるわ、どっちが早起きか勝負な」

 

「まってやめてまってお願い」

 

「ほら早く来いよじゃねえと俺の狂気が再発するぞ」

 

「……はぁ……あーあーわかりましたよわかりましたともなんもすんなよホントに!!」

 

 上に着てた服を脱いでインナー姿になって掛け布団を剥ぐ、そして入る。

 

「ああもうクソできるもんなら好きにしろ。寝る、おやすみ!!」

 

 寝ちまえばこっちのもんだ。

 さすがにコイツの趣味に睡姦はない……はず。

 寝れば勝ち。

 明日早起きして勝利のブイサインを突き出してやるんだ。

 

「ダブルピース?」

 

 やめんか。




多分誤字あると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二日目 血潮と希望

区切りいい所までかけたので一万文字こしてないけど投げる。


 丹波日々という男は、世間一般的にオタクと分類される人間だった。

 成績は中の上ほど、体育は少し苦手、仲のいい友人とこのアニメがどうだったとか、このラノベのキャラが……と楽しそうに話す人間だった。

 

 はて、それはいつのことだろうか。

 彼がそれを正しく見たのは、夢物語を夢で終わらせる気がなくなったのは。

 

 成人して都会で仕事に励んでいた時? 

 実家で話す土産話をこさえて、故郷へ帰ってきた時? 

 もしくは、山の近いこの地域で風に吹かれて飛んできた新聞を目にした時? 

 十ほどの少女の誘拐事件が多いことに誰も気づかないこの地域に疑問を覚えた時? 

 

 あるいは、初めから。

 

 そう、初めから。

 

 ……母の腹から生まれ落ちるその瞬間から、どこかソレを求めていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 苦しいなぁと思い目を開けると、見慣れた親友の無駄に整った顔があった。

 はて、何事だろうか。

 昨晩の事を思い返すと、思い出してみればこの状態になっているのは俺のせいではないか。

 

 深夜テンションって怖いね。

 

 人を抱き枕か何かと勘違いしていらっしゃるのか、ぐっすり寝ながら人に抱きついてくるコイツがもし美少女なら役得だろうにと、思ってしまう。

 俺は体が女の子とはいえ、心が男である。

 イケメンの親友に抱きつかれたとて、ちっとも嬉しくない。

 

 ただここでこいつを叩き起して文句を言うのは憚れる。

 何せ、添い寝してやると言ったのは俺であるし、その理由がこいつに休ませるためときた。無理にでも起こしてしまったら意味がなくなってしまう。

 幸い、今日も昨日も休日であったのだし、その日に俺のために外に連れ出してしまったのだ、もう少しこのロリボディと触れ合うことくらい寛容に見てやろう。

 おらどうだ喜べよ俺は美少女だぞ。

 

 と、そこまではいいのだが、よくよく考えてみればもうじき明るくなってくる時刻である。

 昨日は疲れすぎて風呂も入らず寝てしまったし、なんならトイレも忘れて本を読んでいたのだ。それこそ夢中になって狂ったように。

 

 まずい、思い出したらトイレ行きたくなってきた。

 この姿になったのは昨日のことで、母さんに女の子のトイレの仕方を教えてくれといったがまだ教わっていない。どうすればいいのかはわからないが、それより何より抱きついてくる親友の腕から逃げ出さなければトイレも何もあったものではない。

 女の子は男よりトイレを我慢しにくいとか聞いた事があるのだけど、それなら尚更今すぐ抜け出さないと不味いことになる。

 

 モゾモゾと、腕から抜け出さんと抵抗する。

 抜け出そうと必死に思いつく限りの手段を試すが全て虚しく終わってしまう。

 あっ、こいつ抱きしめる力を強くしやがった。

 

 いや待って本当に待って、まずいって限界が近付いて来てるのだけど。

 何が高校生になってまでおもらしなどせにゃならんのだよ。

 しかも親友の腕の中で。

 

 起こすか。

 起こそう。

 佳織を起こせば万事解決だ。

 むしろ今までこの緊急事態に何を躊躇っていたのだというのだ。

 

 そうと決まればと、人を抱きしめ続ける親友が起きるように揺すったり話しかけたりする。

 

「起きろ、早く、マジで起きて! はーりーあっぷ!!」

 

 お、薄く目を開いた。

 一拍後にギンギンに血走った目をこちらに向けてきた。

 こわ、なんだコイツ。

 

「……おはよう、愛ちゃんより早く起きて悪戯する気だった俺の今のガッカリゲージの度合いを答える問題でもする?」

 

「一体何をする気だったの!? じゃなくて、腕、腕どけろ!!」

 

「まずはなにもしなかった俺のつよつよ理性に感謝して? 今、合法的に抱き着く機会なので腕をどかすのはまた後でね……」

 

「違う、そうじゃない、俺トイレ行きたいの! 今すぐどかねぇとココで漏らすことになるの!」

 

「おもらしプレイ?」

 

「やめてなにいってるの本当に何を言っているの!? ねぇ、本当に、不味いから、高校生になってまでおもらしとか不味いから!!」

 

「それで涙目になる愛ちゃんとか見てみたい」

 

「トイレから帰ってたら抱き着くくらいしていいから助けろお願いします!」

 

「美少女のおもらしより上の報酬用意しないと離さないぞ? というか、昨日、なんでも言うこと聞くって言った自分の立場理解してる? そんなにわからせられたい?」

 

 何を言ってるの本当にこいつは。

 人の発言を盾に脅してくるようなやつと親友やってるのか本格的にわからなくなってきたが、まあ家族以外で心を許せるのはこいつとこいつの両親くらいと考えるとこうなってしまう。

 なにか対価はないか、変態が俺を離す理由に足る対価で、俺の尊厳が傷つかないやつ……。

 

「あっ! 

 わかった、俺を今トイレに行かせてくれたら後で少し俺の血をあげるよ、どうだ、美少女の血液だぞ喜べよ!」

 

「…………詰めが甘いなぁ、ほら、トイレ行くぞ」

 

「嘘だろお前、脳に血液足りてないから思考が短絡化してるの? 吸血鬼? ヴァンパイア? 昨日のアレと同類? 美少女の血液でおーけーしちゃ……うわっ」

 

 そういった佳織は布団から起き上がったと思うと俺を横抱きにして、トイレに移動し始めた。

 何事かはわからないけど人の煽りは最後まで聞いて存分に苛立って欲しかった。

 

「え、待ってなにをしたいの? 昨日の狂気治ってなかった? 俺一人でトイレ行くから下ろしてくれても……」

 

「え? だって、『俺を今トイレに行かせてくれたら後で少し俺の血をあげるよ』って、一体どこに腕をどかすっつー文言があるんだ?」

 

「ゑ゛?」

 

 トイレは間に合った。けど見られた。もうヤダ。

 

 

 ◇

 

 

 トイレする時まで両手を繋ぎ続けるってなんの拷問? 

 

 変態化の加速が止まらない親友に、本格的に身の危険を感じてきた今日この頃、でも良く考えれば変態化が進行しているのではなく潜在的だったものが顕在化しているという方が正しいのかもしれない。

 聖人の如く清純で有頂天な思想の俺を除いた人類皆、潜在性変態説を是非推したいと思う。

 

 例え男に戻っても、『男の娘もオッケーです』と言いかねないあいつだからこそ今非常に距離を取りたくなっている。

 

 トイレ事件より今現在まで、朝ご飯を食べてる現在も膝の上に乗せられたままの俺はどうすればいいのかわからなくなってきていた。

 

「メス堕ちルートが一番楽だと思うよ」

 

「最も縁遠いルートが楽とはこれ如何に?」

 

 母さんが『あらあらまあまあ』って呟いているのがやけに耳に入ってくる。

 一体なにが『あら』で『まあ』なんですかね。

 こら佳織、あーんさせてくるんじゃない、口は意地でも開かねぇぞ。……なに? じゃあ下の口はって? やかましいわ。

 

「そういえば二人とも、今日はどうするの?」

 

「多分、愛ちゃんと出かけることになると思いますよ」

 

「不本意だけど多分こいつと出かけてくるよ母さん」

 

「手繋いで遊園地でも行くか? 最後は観覧車な」

 

「その腐りきった脳細胞、肥料にして腐海に撒いてきてやるよ、いい栄養になりそうですね」

 

「桃色の脳細胞と言って欲しいかな、不死になれそう」

 

「煩悩いっぱい夢いっぱいおっぱいいっぱいちっぱいな人間が果たして桃を食べた程度で不老長寿になれるのか」

 

「何言ってるの? 俺の思考はプンダリーカだ」

 

「自らを清い蓮だと定義するかこの泥は」

 

 ニヤニヤニコニコと、微笑ましそうにこちらを見てくる母親は何を考えているのか。

 本当にわからない。

 トゲトゲいっぱいのやり取りをあの表情で見れる精神を疑う。

 

 いきなりこの姿形になって、学校とか戸籍とかどうするのかと不安になるが、それ以上にこの親の態度が非常に怖い。

 目が『私は君たちの関係を認めてるよ』って笑ってる。

 実際は親友っていう関係なのですがね、どうしてですかね、何を認めるのですかね。

 

「って、ああ、母さん……今思い出したけど、この姿になって戸籍とか、どうするの……?」

 

「かーくんに見せてもらった『一般男性が何故か性転換させられて公園に捨てられてる事件』のニュースもあるし、数日報告が遅れたくらいどうにでもなるでしょ。今はやりたいことがあるんでしょ、好きにしなさい?」

 

 わお! 清々しいほど適当だ! 

 真っ当な人間ならまっさきに病院に連れていくだろうに、俺の周りには頭のおかしい人間しかいないのか。

 

「というか、その事件が書かれてた新聞……いつ見せてもらったの?」

 

「昨日俺たちが帰ってきたあと、愛ちゃんがとっとと部屋に篭った時あっただろ、あの間に色々説明を……な?」

 

「………………ねぇ()、それとかーくん?」

 

「え、まって母さん、母さんまで俺の呼び方『愛』で定着させるつもりなのねぇ裏切り者なの寝返らないでよ後生だよ頼むよ」

 

「愛、大事な話。先達者の話しよ……よく聞きなさい」

 

 えぇ……この空気でシリアス始まるのマジで言ってるの? 

 切り替え……切り替え大事? 

 俺を膝の上に座らせている親友の顔を覗くと、真剣そのものといった顔をしている。

 

 もしや俺だけか、切り替えできていない人間は。

 

「若いうちだから、多少は無茶してもいいわ。ええ、まだ二人は若いもの……でもね、深追いしすぎはダメ、戻って来れなくなる」

 

 これは、何の話だ? 

 俺はいきなり始まったシリアスに、とりあえず話をあわせる構えをとった。

 

 もし、俺たちが俺のTSの真相を調べていることについての話なら、どうして母さんが知っているの。

 佳織がバラした? 

 まさか、なら、佳織がこんな驚いた顔をするはずがない。演技とは程遠い、いっそ見事なほどの驚愕なんてそう見れるものじゃない。

 と、それっぽいことを考えてみるも、まるで現状がわからない。

 

 とりあえず、母さんはどうしてこの事を知っている。

 会話内容から? 

 顔色から? 

 

「何事も、過ぎたるは及ばざるが如しって言うでしょう? 知りすぎはダメ、でも知らなさすぎても時に危険なことが起こる。程よい塩梅が大事よ……それを理解した上でなら、今日も出かけてきていい。

 

 ……はい、シリアスはお終い! 私は二人が仲睦まじいことを願ってるからね、応援するわよ!」

 

 何だこの母親気狂いか? 

 

 自分の親のシリアスモードとコメディモードの切り替えの速さに、精神を疑ってしまう。心構えをした途端コメディに帰還とか付いてけねぇよコーナーギリギリを曲がってくスポーツカーかよ。

 さっきのムーブは何、電波受信でもしているのか。

 たまにこの親は怪電波を受け取るから困ったものだ。

 

 怪電波続きで、この親友からも電波を受け取ったのか応援するなどと言い始めおった。

 

「それにしても佳織、お前どうしていまだ人をぬいぐるみみたいに扱って来るの?」

 

「愛ちゃんが喜んでるからだよ?」

 

「男に抱きつかれてもミリ単位も嬉しくないし、なんなら今すぐ吐きそうなのですが」

 

「そう、本当に……?」

 

「愛、バレやすい嘘はダメよ……そんな我が物顔で座ってそれはないわ」

 

「母さんも一体何を……?」

 

「昨日の愛ちゃんなら、俺の膝の上とか全力で嫌がってただろうな……」

 

「それはお前が俺をあまりに離さないから諦めたからであって、それ以上の理由があると勘違いしているのならあまりに哀れですので爆笑させて頂きたく……」

 

 我が物顔で座っている? 親友の膝の上で? 

 百歩譲ってそうだとして、それは俺の下に成り下がった親友に対するドヤ顔という解釈にならないのだろうか。背中にあたっている硬い棒状のものの感覚に恐怖を覚えながら俺は訝しんだ 。

 

「愛ちゃん愛ちゃん、そろそろ出掛ける用意した方がいいと思うのだけど」

 

「話が一瞬にして変わったな……まあ、いいんじゃないか?」

 

 この一件については問い詰めるのもあれなので、放置安定と脳内会議が満場一致で決定した。

 

 

 ◇

 

 

「本はどうする?」

 

「もしあの本を辿ってここまでこられちゃ困るし、持ってった方がいいと思わない? 辿るも何もあの透明なやつが尾行してない限り考えられないけど考えられないことを云々。そんなことより、俺すごくお前が持ってるバールの方が気になるんだけど……てかそれどこから取り出したの? ここお前ん家じゃないんだけど?」

 

「気にすることじゃないだろ、大丈夫大丈夫もーまんたい」

 

「問題提起してる人間は俺な気がするんだけど!?」

 

 さすがに腕は離してくれた親友と出かけの準備をしている。

 昨日は軽装だったけど、アレに会う可能性があるとならば動きやすい格好の方がいいと思ったからだ。

 

「愛ちゃん愛ちゃん、スカートの方が楽じゃない?」

 

「そこら辺どうなのかわからないし、どうせ全力で逃げるならお前が抱えるだろうからだったら長ズボンの方が得だろ?」

 

「俺が抱えるからこそ、俺得なのだけど。短パンもはかないの? どうして意地でもおみ足を晒さないの?」

 

「どういう抱え方するつもりなの……今朝のお前の行動で身の危険を感じてるからだよ」

 

「一緒に夜を過ごした仲なのに?」

 

「語弊がありすぎません?」

 

 いや、わかるよ? 

 せっかく今美少女になったからね? 

 オシャレしてみたくもなるよ。

 でもなんかコイツの前でだけはなんかヤダ。

 何されるかわかったもんじゃない。

 

「それにしても愛ちゃん……昨日、愛ちゃんが後ろからしなだれかかってきた時思ったんだけどさ」

 

「それも語弊が……ありませんねすいませんでした出来ればその記憶をなくせやオラァ!!」

 

 全力をもって、親友の頭に殴り掛かるも、パシッと俺の拳をいとも容易く捕らえられてしまった。

 ちっ。

 

「ああやってさ、性転換したから自分の体で人を利用したり煽ったり遊んだりして愉悦に走るTS娘ってわからせたくなるよね、というか多分そのルートが正規だよね」

 

「御遠慮します」

 

 俺が殴りかかった事実などなかったように平然と次を話し始めた親友を内心恨む。

 こいつはどうしてこう運動神経が異常なのだろうか。

 昨日、透明なアレに血を吸われたというのに平然と行動しやがって……ってあれ? 

 

「待って、お前昨日アレに噛まれたかなにかで腕から血、流してたよな? あれいつの間に止まったの? ねぇ、俺ん家にたどり着いた段階で既に流れてなかったよね?」

 

「止血したからね」

 

「あの走ってる状態で?」

 

「あの全力疾走してる状態でだよ」

 

「あの時心臓全力稼働してましたよね?」

 

「そりゃ、本気で逃げてたからね? ん? 俺の心臓の音聞いてたの、乙女なの?」

 

「俺は最近お前という生命体がわからなくなってきたよ」

 

「ミステリアスでしょ?」

 

 人間かどうかが疑わしいのだが、まさかこいつアレと同等な生命体ではなかろうか。

 ぺちゃくちゃと話しながらも家を出て暫くした俺たちはそこであることに気付いた。

 

「……行先、決めてねぇ。愛ちゃん、どこ行く?」

 

「当てもなく彷徨うって表現かっこよくない?」

 

「かっこよくてもなりたくない状況ナンバーワンなんだけど」

 

 昨日みたいに、明確な目的地があればいいのだが、手がかりとして浮かぶ場所は全て人払いがある可能性がある場所にしかなく、そこに行くということは命を危険に晒すということで運動神経の高い親友が俺に条件をふっかけやすい環境でもあり、つまりはなに要求されるものかわかったもんじゃない。

 ただでさえ、昨日の『いくつかいうことを聞く』でなにいわれるのかビクビクと怯えているというのに不安要素を増やしたくないのである。だからといって親友と別行動するのも論外だ、俺一人ではアレどころか人間にすら勝てないし、別行動した親友が決定的な何かを見つけたら見つけたでそれと引き換えに何をされるかわからない。

 

 やだ、俺の不安の過半数が佳織(コイツ)由来……! 

 

「ねぇ愛ちゃん、昨日アレが出てきた場所行かない? 次は絶対勝つからさ」

 

「戦闘狂か何かか? やだよ、イブン=グハジの粉とか絶対作れないって結論下したでしょ? 不可視を可視化する粉が作れないなら不可視の生物に対してはいつだって後手に回らざるを得ないでしょ? あいつの攻撃一個一個が致命的だし、次は何体来るかわからないよ?」

 

「大丈夫だよ、勝てる勝てる……というかもう着くよ」

 

「は? …………は??」

 

 適当にぶらついてたらいつの間にか昨日の遭遇現場にたどり着いた件について。

 待ってここ危険地帯じゃん、なんの覚悟もなく踏み入れちゃったよ。

 相変わらず人っ子一人いない伽藍堂の住宅街である。

 

 さっと近くの塀に背をつけた俺は左右を見る。

 

「何してるの愛ちゃん」

 

「いや、いやいやいや……アレがいつ現れるかわからないじゃん。

 やだよ? 無音で寄ってきたあいつに首をカプリといかれて美味しく頂かれるのは、まだミイラになりたくないよ?」

 

「だいじょぶだいじょぶ、その前に俺が美味しく頂くから」

 

「美味しく頂くの意味が違うっ!!」

 

「男の子がいい? 女の子がいい?」

 

「ヒッ」

 

 なんでこいつは、こう……執拗に俺の体(ロリボディ)を狙ってくるの? 

 黙ってりゃモテるキャラしてるんだから入れ食いだろ。とっとと誰かとくっついて少子高齢化対策に貢献してろ。

 やめろこっち来んな、怖いよ……その顔でこっち見んな羨ましいわ。

 

「そのモテ要素、寄越せぇ!!」

 

「うわ、なに? 思考の跳躍!? 思った以上に唐突で困惑を隠せないよ?」

 

 俺にキレろと囁く本能にしたがって佳織の急所へ蹴りかかったが一歩下がって避けられた。

 

「ちっ、今度は外さない」

 

「なんで突然金的してくるの? ねぇ、明らかに数秒前までそんな会話してなかったよね!?」

 

「俺、気づいたんだよ。お前を気軽にTSさせる方法」

 

「玉潰す気満々じゃないか」

 

「ついでにタマとるわ」

 

「死神かなにか!?」

 

 ワーワーギャーギャーと緊張感もなく俺が玉を潰しにかかっていると、避ける片手間とでもいうかのように親友が二枚紙を取り出した。

 

「避けんじゃねぇ!」

 

「はいはい、そんなことより愛ちゃん……これなんだと思う?」

 

「知らん、死ねぇ!!」

 

「ちょっと一回黙ろう?」

 

 顔面にグーパンを噛まそうとしたが、その手を掴まれ手を体ごと引かれて回されてあっという間に無力化された。

 何が起こったのか全く分からないが、とりあえず今理解できるのは体の前面を道路に押し付けられてることだけである。

 何という武道の何という技かも知らないが、とりあえず近接戦ではどうやろうとも勝てないなと改めて認識した。

 

「これは、昨日、本から出てきた二枚のメモだよ……一枚は万が一に備えて肉眼で読んじゃいけないとか何とか。……まあ、それはいいとして一枚目の方についてのお話だ」

 

「はぁ……そういえばそうだったね……忘れてた。で、中身は?」

 

「TS薬の前身、あのイブン=グハジの粉だって。霊体を物質化させた例もある変質させる性質を利用したとか」

 

 ……? 

 …………?? 

 

「え、いや待って、それ、それって、それってつまり、イブン=グハジの粉を解毒する薬があれば俺も元に戻れる?」

 

「かもね、だったらいいね、まあそんな薬見つけ次第全部焼却炉行きだけど。…………というか存在する確率は低そうだけど、直接ふりかける薬だしすぐ解けるのに解毒薬とか作る必要ないし」

 

「……? 最後の方なんて言った? 声小さいから聞こえなかったぞ? 聞こえたのは焼却炉行きらへんまで……まあいか、それって幼女ハーレムを作るため? 勿論、俺が飲んで戻ってからのことだよね?」

 

「ハーレム……なんのこと? 愛ちゃんに飲ませないためにだよ」

 

「……裏切り者?」

 

「裏切るはずもない忠実なる騎士様です」

 

「じゃあ俺を男に戻して?」

 

「断るよ、騎士だってね……姫様が間違えていたら一言やりすぎないよう忠告をするんだ」

 

 なるほどああ言えばこう言うってこういうことをいうのか。

 姫プされるのは悪い気分ではないので今後こいつには下僕になってもらおう。

 

 じゃあ下僕働いてこいと、俺は命じて未だ地面に押さえ込んできてた下僕を退かして家へ歩き出した。

 

「どこ行くの愛ちゃん」

 

「ん? 家だよ、あと下僕なら敬語使えや、ほらほら」

 

「俺その特殊な趣味はないんだけど……まあいいか、なんで家? 元に戻る方法探すんじゃないの?」

 

「だって下僕が探してくれるんでしょ? 寝て待ってるよ…………そういえば風呂入り忘れてたし、先入ってくるわー」

 

 じゃのー、と手を振って家に帰える。

 下僕なら裏切らないよね。

 そう思ってたら首根っこ引っ掴まれて抱き寄せられた。

 

「おま、そこまで人肌恋しいか!? イヤーヒトケノナイバショニツレテカレルー」

 

「見当ハズレなこと叫ばないでよ愛ちゃん……ほら、耳すましてみ?」

 

 仕方なく、耳を済ませて異様なまでに無音なはずの住宅街の音を聞いてみると、小さくカラカラクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 ……いや待って、これ呼び寄せたの俺じゃないよね? 

 ね? 

 

 そういう意図を込めて親友を見上げたが、うーんむしろあんなに大声出して気付かれてないって思ってる方が不思議だよと返されてしまった。

 ぐぅの音も出ない。

 なんて口達者なんだこいつは……まさか、その話術を利用して俺に大声を出させるように誘導していたのか。狙いはなんだ、アレを呼び寄せて俺の前で倒すことで吊り橋効果の結果キャーステキーダイテーを狙っていたというのか!? 

 

 親友の悪魔的策略に戦慄を覚える。

 

 どうでもいいけど、ダイテーをダンテーに変えるとなんか面白いよね。考える人のポーズしたくなっちゃう。

 

「何その表情、愛ちゃんまた変なこと考えてない? あれほど思考はピョンピョンさせちゃダメって言ってるでしょ?」

 

「事実じゃん、俺はお前が黒幕説まだ推してるからな」

 

「ところで愛ちゃん、三方向くらいから狂った笑い声が近づいてくる地獄なわけだけど……このピンチ切り抜けたら惚れない?」

 

「ごーとぅーへる」

 

「『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』ってか?」

 

「じゃあ裏切り者のお前は寒い所行きだねぇ」

 

「「はっはっは……で、どうしようか」」

 

 化け物のヒステリックな笑い声が複数近づいてきている現状どう解決すればいいというのか。

 だからここに来たくなかったんだよクソ野郎。

 コキュートス行きが確定した親友の目を期待の眼差しで見てみるも少し不安そうな目をしている。

 

「佳織、俺の事ここまで連れてきたんだから、この数のアレら相手にどうにかする手段があったんだよね、そうなんだよね? まさかどうにかする手段がないとか言わないよね? 嘘だと言ってよジョー!」

 

「これ、切り抜けられたら割と惚れてくれてもいいんじゃない?」

 

「マッチポンプってご存知でいらっしゃるでしょうか」

 

「故意じゃないからセーフだとは思わない?」

 

「まったく」

 

「これっぽっちも?」

 

「うん、これっぽっちも」

 

 気を紛らわせるため、ふざけた会話をしているうちに、ヒステリックな大合唱が俺たちを取り囲んでいた。

 嗚呼、お父様お母様もうちょっと生きたかったです。今思うと、全てこれも朝のお母様の警告を無視しやがった親友のせいでございます。

 うん、そうだ、本当にこれはこいつが悪い。ここに来なければこんなことにならなかったのだからこいつが悪い。

 

「うん、ねぇ愛ちゃん……割とどうする?」

 

「今ね、実は記憶を失ってるけど過去に神社の不思議な女の子とよく遊んでいたっていう記憶を探してる。多分助けてくれる」

 

「淡い希望だよ愛ちゃん」

 

「信じりゃ多分助けてくれるっしょ」

 

「何万分の一?」

 

「隕石が都合よく降ってくるより高い」

 

「どっちも五分五分だと思う」

 

 いよいよ以って、獲物を狩る狼のように、慎重に迫るように笑い声が寄ってくる。

 

「俺、お前と心中とかヤダ」

 

「うーん、俺は別にいいかな」

 

 少しでも抵抗しようと、拳を構える佳織と、佳織の持ってきたバールを構える俺が背中合わせになる。

 

 勝敗など見るまでもない、数でも質でも生物としても敗北している。改めて人間の弱さを思い知らされるようで、絶望感に支配された心を、空間を、狂気の笑い声が侵してくる。

 

 そも、一体であろうと、本来なら人間が争うことすら叶わない理外の存在なのだ。血を一瞬で吸い尽くされて楽に死ねるなら最高、ただ人が望めることはこれだけだ。

 死に方さえ選ばせて貰えない、最も望める希望は楽な最後のみ。

 

「最後の一瞬だけ緊張感を作ってもしまらないよなぁ」

 

「まこと認めたくないけどこればかりはお前に同感だよ」

 

 そうして、視界が暗転した。

 

 




隕石でなんのネタか察した人は猛者だと思う。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二日目 流水と絶望

十二神将のマキラちゃんとアンチラちゃんが可愛いくてだいぶ遅れながらもグラブル始めました。


 夢物語とは物語だ。

 物語とは架空のものだ。

 ならば夢物語とは、夢とはこの世にないもの……本当に、そうだろうか。

 

 夢物語のように将来を語り、揶揄され、しかし諦めずその『将来』を現実に変えた者もいる。

 しかし、日曜朝のTVの中に出てくるヒーローになりたいと願った子供は、『願い』を現実にすることは出来ない、途中で諦めてしまう。

 二つの違いはそう、『諦めたこと』だ。

 

 なにも、『諦めなければ願いが叶う』などと綺麗事をいう訳じゃない。

 

 だが、一人くらいは、夢見がちな俺くらいは、一生夢を現実に変えられると信じて厨二な思いを抱えて過ごしてもいいじゃないだろうか。

 

 そういって、日常にある僅かな違和感一つ逃すことのなく過ごした一般人は、やがて彼らと出会ってしまう。

 

 出会ってしまった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 気絶が場面を切り分ける。

 暗転が認識を遮断する。

 果たして場面転換のその先にあったものは樹木であり、霧であり、石畳だった。

 

「…………っ!」

 

 呼吸を思い出すかのように俺は跳ね起きて座り込んだ。

 

 先程とは違うが、またここも異様な空間、何一つおかしなところは見つからない奇妙な世界。

 不可視のアレらに囲まれたあそこを狂気の領域とするのなら、ここはまるで神域だ。

 アレらに囲まれる中で感じた非現実の匂いだ、明らかに日常のそれではない。

 しかし狂気は存在しない、霧に包まれた神聖な世界。

 

 意識に張り付いた恐怖が払拭されて、澄んだ世界が心を洗う。

 その心地良さ気味の悪さを駆り立てる。

 

「ここはどこだ? 今はいつだ? アレらはどこだ? 

 …………そうだ、佳織は!?」

 

 この世に同じものはただ一つない、親友の姿を求めるように探す。

 だいぶ古い付き合いである。

 多くの場面ですぐ横にいた俺の親友だ。

 常に共にある、自分の半身のようなものだ。

 

 探すものは案外すぐに見つかった。

 軽く手を動かすとすぐ横でなにかに当たる。

 見ると親友の姿だった。

 目を瞑ってピクリとも動かないので心配になった。

 

 手を当てると胸は僅かに動いている。

 耳を近付ければ呼吸の音が聞こえる。

 肌に触れれば熱が直接伝わってくる。

 

「よかった……」

 

 しっかりと、生きているようで安心した。

 

 しかしそれも束の間、ここがどこかもわからないのだ。

 悠長に寝ている暇などどこにもない。

 自分の都合で連れ回して危険な目に合わせてしまっているのだから休ませてやりたいが、ここが休んでもいい場所なのかもわからない。

 

 何より、人の気配が全くないのだ。人がいないということは人払いが働いていてアレがやってくるかもしれないと言う事。

 本能がいくら安全だと訴えてきても理性的な思考がそれを許さない。

 全く、どっちが本能か理性かわかったものではない、そんな奇妙な感覚に襲われる。

 

 多少荒くでも、と佳織の体を大きく揺すって、耳元で起きろと囁く。

 

 だいぶ深く寝ていたように見えていたのだが、すぐにうっすらと瞳を開いた。

 朧気な視線はゆらゆらと海流に流されたクラゲのように泳いで俺に止まった。

 

「……お、おはよう」

 

 俺がそう言って三拍。

 

 カッと目を見開いた親友がすぐに起き上がって抱きついてくる。

 

「うわっこらやめろあほ、110番(ひゃくとうばん)通報するぞ!? ばーかこのロリコン死ねぇ!!」

 

「愛ちゃん」

 

「あ゛ぁ?」

 

「……うん、愛ちゃんだ。良かった……無事? ここはどこ?」

 

「知らん……どこかもいつかもどういう状況かも知らんが、お前の親友の猫崎愛玉(ねこさきまなた)様がそうそうくたばるかアホ!」

 

「オレより弱いのに?」

 

「え? 染色体がYの字に欠けてる不完全生命体が何言ってるんですか?? DNA単位で負けてますよ? 悔しくないんですか? 生物として俺はお前に勝ってるんだよ!」

 

「すげぇ、これがその不完全生命体に戻ろうと死ぬ気で努力してる奴のセリフか? XY染色体でここまでイキるメスガキ概念は初めて見たよ……」

 

 そこまで言うと、一度黙った親友が頭を軽く撫でて腕を離した。

 その瞬間、俺は勢いよく佳織から離れる。

 ロリコンに引っ付いたままだと何されるかわかったもんじゃないから必死である。

 

「まあ、今回はわからせるのは許してあげるよ」

 

「なぜそれを許す許さないの話に持っていくんですかねぇ……」

 

「だって愛ちゃん、オレの事心配してくれたんでしょ?」

 

「は……はぁ? し、心配……? ……してねぇよ。なーに言っちゃってるんだ頭の中ぱっぱらぱーか?」

 

「突如親友が下手なツンデレを始めたのですがどうすれば良いでしょうか。図星を突かれた愛ちゃんなんて何年ぶりに見たかな……そんな表情してちゃ説得力ないよ?」

 

「……? …………?? 

 な、ななな泣いてませんが?? 妄想幻覚虚構空想どれかしらんが、頭どっか打って知覚障害起こしてるんじゃねぇの?」

 

「泣いてるなんて一言も言ってないよ?」

 

「結局、ここってどこなんだろ」

 

「話し逸らしたね、お見事。百点満点の無理な話題転換だ!」

 

「石畳が続いてるし、沿って進んでみるか? 下手に周りの森に入ったら危険だろ?」

 

 いまだワーだのキャーだのと親友が言ってくるが、どうせ狂人の戯言である。無視だ。

 

 辺り周辺を見渡してみるが、先程までここで気絶していたと思われる石畳の他には木、木、霧。

 少しひんやりとした空気で払われた空気感は、否応なく非常を想起させ、異界を連想させる。

 

 それを認識したと同時、いつの間にか、石畳の道に鳥居と木組みの建物が現れていたことに気づいた。

 

 石で作られた鳥居と木組みの建物の間に俺たちはいるようで、既に入口をくぐってしまった後のようだ。

 

「……っ」

 

 まるで初めからあったかのように。

 はるか昔からここにあったかのように、もしくは本当にここにあったのか。

 木組みの建物───社のような建設物から当然、敵意など感じることはないのに、その神聖さゆえか鳥肌が立ち、体が震える。

 それは蛇に睨まれるように、毒蛇に囲まれるように。

 

 霧はいつの間にやら晴れていた。

 

 

 

 

「よく見れば、ここって山の神社だよね」

 

 初めに沈黙を破ったのは親友だった。

 あまりの神秘、神威に気圧されるように正気を失っていたとでもいうべきだろうか。

 恍惚と似て非なる未知の感覚にいつの間にか俺たちは飲まれていたようで、時間にして五分は口を開けて呆けていた。

 口の中が乾燥して少し喉が痛い。

 

 正気を引き戻した親友の一言を聞いて、辺りを今一度見渡してみる。

 そうだ、俺たちの街には山がある。

 山の中にはこの神社がある。

 名前は確か……。

 

「…………?」

 

「どしたの愛ちゃん?」

 

「いやぁ……ここの名前、なんだっけ?」

 

 この地域に住むものなら老若男女、誰でもこの場所を知っている。

 なんなら、初詣はみんなここに来るのだ。

 

 そういえば、ここの神主さんはどこにいるのだろう。

 思い返して見れば巫女さんの一人も、ここで見た事がない。

 待て、ここは小さな頃から知っているはずだ。

 第一、人がいないなら、落ち葉も綺麗に掃除された境内は、誰が保っているというのだ。

 

 深く考えるほどに生まれる疑問点。

 

 おみくじを置いたのは誰だ。

 毎年、お守りを売ってくれているのは誰なんだ。

 

 モヤがかかったように何も頭に現れない。

 何一つ、人間の影が現れない。

 

 キョトンとしてまだわかっていない様子の親友に事の重大さを伝えようとするが、その瞬間、視界の端に人影が映った。

 

 人だ。

 そうだ人だ。

 

 無人という不気味さに気づき始めた俺は、それを否定するであろうモノに出会うべく、ただ人影が人のものであると疑いもなく信じてしまった。

 

「行くぞ!」

 

「うおっどうしたどうした!!」

 

 親友の手を引いて、人影を追う。

 いきなり俺が駆け出したのは、この不安と思考の霧を払ってしまいたかったからか。

 急いで、走って、駆けて、石畳を足で蹴って。

 

 人影が……後ろ姿が、見えたっ! 

 

「……おやぁ、目覚めたのかの?」

 

 人だった。

 黒髪であった。

 鱗()あった。

 

 いや、訂正。

 鱗()あった。

 鱗を纏った長い尾があった。

 

 狩衣か巫女装束か、判断が付きにくい衣服を身にまとったそれは、振り返って人間の少女の顔で微笑んだ。

 

 あれはなんだ、人間か。

 否、人に尾はない。

 

 あれはなんだ、物の怪か。

 否、()()()のような冒涜を孕んでいない。

 

 だというのなら、それは、彼女は。

 

「ふむ、頭の回転が思った以上に早いの……『狂人の洞察力』というやつかの? まあ、よい。疑問に答えてやろうではないか、わしはの…………俗にいう神様、というやつなのじゃ」

 

 …………。

 

「…………」

 

 ……………………。

 

「…………?」

 

「ほ……」

 

「……ほ?」

 

「ほら見ろいったろ佳織! 神社の不思議な女の子が助けてくれたぞ!!」

 

「うっそでしょ、愛ちゃんの縁が時々よくわからないよ……」

 

「うっそじゃろ主ら、この言葉を聞いた時点で疑うなりひれ伏すなりしろと、とても言いたいのじゃ……おや、どうしたのかの?」

 

「神様、神様、大変不躾ながらご質問がございます」

 

「……許そう、なんじゃ?」

 

「実は昔、『神社で会える不思議な少女』として俺と遊んでいたりとか……」

 

「んなわけないのじゃよ、わしはお主らについて全て知っておるが……主らは今この時、初めてわしを認識したはずじゃ」

 

 爬虫類の尾が生えた少女は、自らのことを神だと名乗った。

 まだこの件に関わっていない段階、一昨日まではこの子が、仮定神様が今のような発言をしたとして自分は信じていただろうか。

 そんなどうでもいいありきたりなことを考えたが、なんだかんだあの尾を見て自分は信じていたななんて結論に至る。妖怪とか宇宙人の可能性とかが浮かぶが、日本の神格とか妖怪とか人間かなんて人の思想によるんだから、俺がこれを神様だと思うならそれでいいのだ。

 

「この件に巻き込まれた者の中で最も頭の回る者を呼び出したのじゃが……些か早まったかの」

 

 視界の先では、俺と親友を交互に見てため息をついて頭を抱えるという一連の動作を終え、悩む顔で額に手をついた神様がうーんうーんと唸り声を挙げている。可愛らしい仕草に見えるが、しかし俺の瞳には一挙一動に威が宿っている。とても萌え談義をできるような存在ではない、明らかに霊威を散らす上位の存在である。

 それだけは、確かなことなのだ。

 

 ……ただ、一つ問題がある。

 眼前に存在するだけで畏怖を振りまくような存在であろうと、神様の容姿に言葉遣いと、可愛らしすぎる。

 あまりに現代人の理想に近すぎる。

 故に、()()()()()()()()()

 

 これなら、目の前に天皇陛下がいた方が驚くし、必死に口調を正す。

 いっそ驚いて口が回らなくなるかもしれない。

 

 考えてもみて欲しい、我々は信仰薄れた現代日本人ぞ。

 全く実感が湧かないし、なんなら、どういう言葉遣いをすればいいかすらわからない。

『御前を汚すことをお許しいただきたい~~』などでも言って跪けというのか、というお話である。

 

 つまるところ、とてもじゃないが緊張感が生まれない。異世界転生物のラノベで初めに謎の部屋で神様に出会った主人公の気持ちが少しわかった気がした。

 

「ふむ、そういうものじゃったのじゃな。久しくこの体で人と関わっていなかったのじゃ、多少は知っておるが、わしを前にした反応など知らぬ」

 

 待ってください、貴方様、今私の心を読んでいらっしゃいます? 

 あ、いや、そのまま声に出さずに返してしまいました申し訳ありません。

 

 驚いて妙な言葉遣いになったが、慌てて返事を返す。

 俺の無様な返事が面白かったのか、神様が呵々と笑った。

 

「別に馬鹿にしている訳ではないのじゃが……ああ、面白いのぉ。主ら相当仲がいいのじゃな、全く同じことを考えておったぞ……二人揃ってわしへの評価がまるまる一緒じゃ、これを笑わずして如何にしろと」

 

 思わず佳織を見ると、向こうさんもこちらへ顔を向けた。

 

「同じこと考えてるって愛ちゃん、やっぱオレ達お似合いでは?」

 

「さっきお前が気絶してる時にタマ潰しときゃ良かった」

 

「思った以上に物騒なお返しでびっくりだよ」

 

佳織(かお)くんから、佳織(かおり)ちゃんになるその時を待ってるね」

 

「ん、愛ちゃん愛ちゃん……その、佳織(かお)くんってやつ、もう少し舌足らずな感じで言って……お願い!」

 

「どういうことなの」

 

「本題に入れないのじゃが、その不毛な掛け合いを一旦やめる気はないかの?」

 

「そうだよ愛ちゃん」

 

「まるで俺一人が原因でこの口論続いてるかのようにいうのやめて貰ってよろしい?」

 

「ほーれ、ほれ。煩い、少し黙るのじゃ!」

 

 パァンッと柏手一つ。

 神様の鳴らした音は俺たち三人しかいない境内に広く響いて、何事かとキョロキョロ見ると、すぐ隣で口をパクパクとさせている親友の姿を見つけた。

 

 なんだこいつ、金魚の真似でちゅか? 

 

 そして気づく、赤ちゃん言葉で話しかけたはずだというのに声が出ない。

 俺の口も、パクパクパクパクと動くだけである。

 

「お主らあれじゃろ、こうでもせんと一生立ち話できる(たち)の人間じゃろ……居ったわ居ったいつの時代どこの国どの生物にも居ったわ、ムーにもいたのじゃ」

 

 そして次に、そう呟いた彼女また一つ柏手を打つ。

 

 パンッ……と軽快に鳴り響いた音と同時に俺は崩れ落ちた。

 まるで憑き物が落ちたように途端に体が軽くなり、今まで以上に自由に動かせるようになった。

 

 驚いた顔の佳織が神様を睨むが、俺が待て待てと手で静止する。

 首根っこ掴んで敵対認定するのは、俺に何したのかを聞いてからでも遅くない。

 

「物騒じゃのぉ……簡単じゃ、あれの祝福(のろい)を祓った。お礼? 既に得ておる……和の手法はあまり得意ではないから、練習台にさせて貰ったのが代金じゃ」

 

 あれの呪いとは? 

 佳織の呪いかなにかだろうか、我が親友が独自に俺にマーキング代わりの呪いを掛けていたとしてもなん驚きもない俺はとりあえず親友から一歩離れることにした。

 なるほど、俺はいつの間にか親友によって呪詛をかけられていたのか……!! 

 

「違うのじゃが」

 

 神様はそう否定してくるが、きっと優しい彼女はすぐ近くに敵がいたというショックに俺が陥らないよう気を使って言ってくれたのだろう。

 おそらくそうである。

 安心してください、神様、俺コイツを打倒して呪縛から解き放たれてみせます! 

 

「ツッコミが追いつかんのじゃが」

 

 そうと決まれば思い立ったが吉日である。

 今この場で隣の親友を去勢してやろうではないか。

 奮い立った俺は、勇猛果敢にも親友に殴りかかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 佳織に組み伏せられたまま俺は神様の説明を聞いていた。

 

「なるほどの……これが即堕ち二コマというやつなのじゃな……」

 

 堕ちてはないのですが。

 オチです。

 というか説明は? 

 

 地面に両手を抑えられたまま地面に押し付けられた俺が親友に離せと抗議の意味を込めてジタバタ暴れていると、神様が妙なことを宣うものだからツッコミを入れてしまった。

 

 どちらも対して意味は変わらないけど堕ちの方は後からかっこ意味深と付けられそうでイヤなのだ。

『組み伏せられた』と表現を使っただけに非常にイヤなのだ。

 

「なるほどのぅ……」

 

 何がですか。

 

「まあよい、主ら面倒な奴らに目をつけられておるのじゃろ? 昔、人間が星の精やら星の吸血鬼やらと呼んでいたのを耳にしたことはあるのじゃが……わしの邪魔なのはそれを手繰る人間の崇める彼奴(きゃつ)なのじゃ……」

 

 星の精……それを操るといえば一番怪しいのはあの山羊の会とかいうカルトだと思う。

 つまり邪魔なのはシュブ=ニグラスとかいう神格? 

 

 あの……宗教戦争に巻き込まないで頂けませんか? 

 

「ええじゃろええじゃろ、先っぽ、先っぽだけじゃ。七面倒な世界に先っちょ浸かるだけじゃよ、いいじゃろ? いいじゃろ? そもそも、お主らどうせあの山羊を崇める奴らと敵対するのじゃろ? 敵対しておるのじゃろ?」

 

 敵対したいのではなく、この体を元に戻したいだけなのですけれど。

 

「同じじゃ、おーなーじ……やることは大して変わらん。わしは山羊が鬱陶しい、お主は体を戻したい。ちょーっと仕事が増えるだけなのじゃ」

 

 ちょっとで神殺しの任務を与えないでください。

 あと、口、空気の振動を使った言語を使いたいので戻して頂けませんか? 

 

 いまだに喋ることの出来ない俺は、喋ることが出来ない佳織を言語未発達の野蛮人か? と煽れないのだ。

 重大問題である。

 

「ブーメランが咲き誇る季節になってきたのじゃね」

 

 現代を知らなそうな神様がどうしてその用語をご存知なのかお聞きしたいのですが。

 

 ブーメランの元凶の神様は、まぁとりあえずと括って最後にこういった。

 

「目標の親玉の居場所じゃ、役に立てるのじゃぞー」

 

 

 

 ◇

 

 

 

治司(はるし)神社……大昔、この地を治めていたとされる蛇の神格が祀られる地元の神社。

 神格、その名は不明、過去に損失した可能性あり。

 国外から伝来した神格だと思われ、時期はおそらく西暦600年より前と思われる、最低でもアジアのものが大元ではないと思われる。

 神仏習合なんてのが起こったのがいつ頃からだっけ? まあそれに紛れてやってこなくても、この不思議国家日本ならいとも容易く受け入れるか……」

 

「誰かが信仰を広めに来たんだろうね……本人とか神様自身が、とか」

 

「自ら信仰を広めるために足を運ぶ神様……フットワーク軽くないっすか? もっと傲慢に行くべきだと俺は思うんだけど」

 

「もし傲慢だったら、さっきオレ達のとった態度だと確実に首飛ばされてるよ」

 

髑髏(しゃれこうべ)にして飾るのかな?」

 

「オレは頭だけじゃなくて愛ちゃんの全てが欲しいなぁ」

 

「死んでもろて」

 

 雑談をしながら、俺は手元にある和紙を見た。

 そこには、雑に、しかしわかりやすく、あの山羊の会とやらの本拠地と思われる建物までの道が書かれていた。

 

 あの後、神様のあの声を最後に、いつの間にか本来の神社の境内に立っていた。

 神聖な気配は漂っていたが、あの空間ほど異質というワケではなく。しかし異界と形容できないワケではなく。まあ、なんだ、ごく一般的な神社に戻っていた。

 

 手元には地図が描かれた和紙をいつの間にやら持たされており、とりあえず親友と顔を見合わせるところから始まったのだが……。

 地図を無視して真っ先に図書館に来た俺達の行動は正解なのだろうか。

 こちらが何もわかっていない神様の元には就きたくないからね。

 本拠地へ行くので制限時間一時間、そこで調べられる限りを調べ尽くして出てきたのが先程の情報である。

 先程の情報だけである。

 あれでも推測も混ざっている。

 

 あれで本当に正月には初詣の客として街の人間みんなあそこに行くというのだから不思議でならない。

 誰でも知っているはずの神社なはずなのだが名前すら古い書類を漁らなければ出てこないとは。

 

 だいぶ話は変わるのだが、図書館から出て気づいた。

 実は、現時刻は夕方、それも夜になる寸前だったりする。

 本拠地を今すぐにでも叩きに行った方がいいのではないかと、オカルトは夜という謎先入観を持った俺たちは考えているのだがただ問題がある。

 

 明日、学校である。

 れっきとした高校生である俺たちはもちろん通わなければならないわけであり。

 さらに、俺の体をどう説明するか、人として生活する上で最大級の問題がある。

 そして何より今からカチコミをかけるとなると帰宅は朝方になってしまう。

 それのなにが問題かって、考えても見ろよ、TSした息子を容易に受け入れ挙げ句の果てに男友達と泊まることも許して応援してるよなんて言い出す(ヤツ)だぞ。

 実際は悪の組織にカチコミ掛けていたとしても、朝帰りしたりなんかしたら「昨日はお楽しみでしたね」って笑顔で言われて孫の名前考え始めるに決まってる。

 俺の子の名前は俺の手で決めたい……じゃなくて、俺は美少女ではなく男である。体が美少女になっていようとあと少しで戻るはずなのだ、そして美少女とゴールインand幸せな家庭である。

 誰がなんと言おうとそうである。

 朝帰りかっこ意味深が真実じゃなくても矜恃というものが存在するのだ。

 

「どうしたの愛ちゃん、言い訳に必死みたいな顔してるよ?」

 

「ちょっと何言ってるかよくわからないです。もう二度と言わないでください」

 

「Hey愛ちゃん、俺に愛の告白をして」

 

「ピコンッ、すいません聞こえませんでした、もう二度と言わないでください滅ぼしますよ?」

 

 スマホの機能のモノマネごっこでとりあえず迫る変態の恐怖は乗りきった、はずである。

 

「家よりやっこさんの本拠地のが近い現状をどう思う?」

 

「そもそも、組織ぶっ潰すって確実に俺みたいなか弱い子の役目じゃないよね」

 

「都合がいい時だけ女の子アピしてくるTS娘は一回ずっとその姿のままなんだって自覚させてあげるべきかな……ハハッ冗談冗談、さすがに外ではしないさ。

 うーん、複数回にかけて侵入して内側に爆弾仕掛けるとか? それならちっこい愛ちゃんとオレの組み合わせって最適だと思うんだよね」

 

「日に日に発言内容が二重の意味で過激になってくのやめん?」

 

「日に日に? まだ二日目だけど、ああ……もう戻れなくなった未来を確信してオレに言い寄られる妄想をしているのね」

 

 人間とは業が深い生き物である。

 何せこんな思い込み野郎が誕生してしまうのだから。

 

 それはそれとて、俺はいまだ、この姿にした黒幕がコイツだと少し疑っている。

 実は山羊の会が少したりとも関係ないという可能性も視野に入れて数秒ごとに親友へジャブを入れているのだ。

 

 あしたのためにその一である。

 ただ、今のジャブで疲れて灰になりそうなのでもうやめておいた。

 

「……はぁ、はぁ……今日のところはこれくらいで勘弁してやる」

 

「愛ちゃんは昔っから思い込みが激しいよねぇ……」

 

「は? それはお前だろ?」

 

 ぶつくさといつもの言い合いをしばらくして、取っ組み合いが始まりそうになる。

 その余裕そうな顔を今日こそ屈辱に染めてやるよ!! 

 

「じゃあ俺は恥辱の限りを尽くしてあげるよ……」

 

「ひぇ……。あちっ……ッ!」

 

「どしたの愛ちゃん?」

 

 突然、片手に持っていた地図を描いた和紙が発熱した。

 急激に高温になったものだから思わず手を放してしまった。

 

 俺の突然の行動に疑問を覚えたのか、俺と同様に俺から離れた和紙を目で追っていた。

 

「…………っ!」

 

「……は?」

 

 唐突な事だ、なんの前触れも……いや発熱してたから前兆はあったか。

 とにかく、地図が燃え始めたのだ。

 和紙の地図の書かれていない余白の場所のみ局地的に。

 

 そうはならないだろうとツッコミを入れたくなるほどに余白の一部だけがいきなり燃えた。

 火の勢いに比例してすぐに自然鎮火されたが、どうやら焼き尽くされたワケではなく何故か焦げが綺麗に残ったようだ。

 

「……文字?」

 

「みたいだね、焦げで文字が書かれてる」

 

「……えーと、『はよう行動するのじゃ』……監視されてる?」

 

「見られてるんだね……実質常時視姦だよ。トイレ行ってる時は露出プレイだ! よかったね愛ちゃん、美少女にいじめられるのが夢だったんだよね?」

 

「そんな夢語った覚えないんだけど、どういう思考回路してるの?」

 

「四六時中監視って、神様ヤンデレ気質なのかな」

 

「それは否定しない」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「というわけでやってきました山羊の会ー!」

 

「カチコミかけてぶっ潰していきましょう!!」

 

「「いえいっ!」」

 

 思った以上に息があって嬉しくなったのか親友がハイタッチしたそうにこちらを見ているので、優しい俺はノってやった。

 

「あったなー息ピッタリだったなー!」

 

「昨日の赤ずきんちゃんごっこ以来だね」

 

「……意外と最近だったね」

 

 急速に氷点下までテンションが低下した。

 良く考えれば毎日一回はこういうことがあることを思い出した俺たちは冷めた瞳で山羊の会本拠地を見つめる。

 

「やる気さがったな」

 

「帰るかー?」

 

「帰ろうか、うん」

 

 うっせぇモチベーションゼロで能動的に行動したあかつきには悪い結果しか起こった事ねぇんだよ。

 ただでさえ低い肉体のパフォーマンスがそれ以下に落ちて、まるで冬に寒くて鈍くなるような状態になるわ。

 

「愛ちゃん愛ちゃん、帰ったら添い寝して」

 

「やだよ昨日とは状況大違いだわ」

 

「え? だって今すぐ突撃しないっていうことは元の体にまだ戻りたくないってことだよね? ……どうしたの突然手を繋いで、ヤダ、大胆ね!うわっちょ、引っ張らないでも行ってくれればついて……」

 

「正面突破じゃ、それ突撃ぃ!」

 

 突如やる気が湧き上がってきた。

 あーなんかすごく満ちている! 

 なんかこうよくわからないけど目の前のカルト集団の本拠地潰して解毒薬入手するくらい楽勝に思えるほどやる気に満ちてる! 

 

「ひゃっはー! 覚悟ォ!!」

 

 

 

 

 山羊の会とかいう厨二臭……カルト集団の本拠地は都会の事務所程度の大きさの建物だった。三階建ての建物で、軽く中を回ったが黒さの欠片も無い、まあ怪しい宗教かな程度だった。ちなみに人の気配もない。

 

 メタ読みをするしかなかろうと、地下に何かあるだろうなとあるかもわからない地下への入口をとりあえず探したら案外すぐに見つかった。

 

「トントン拍子がすぎるってばよ」

 

「まるでダイジェストだったね」

 

 そんな話をしながら地下へ続く梯子を降りていく。

 

「いや、なんで俺が上にいるの? どうして先に降りる座を譲らないの?」

 

「ん? 見上げると美少女がいるってなんかこう、役得じゃない? 愛ちゃんがスカート履いてたらもっとやる気出てたかもしれない」

 

「朝、トイレ行く時、わざわざ付いてきて色々とこう……あの、あれとか……み、見ただろお前」

 

「逆の立場なら同じ行動してるでしょ?」

 

「……いや、まあ、そうだけどさ」

 

「だいたい、下に何がいるかわからないのに愛ちゃんが先に行ったら大変なことになるでしょ? 触手の苗床になってもしらないよ?」

 

「……うー」

 

 ぐうの音も出ない。

 反論の一切を潰された俺は下にいる親友を一睨みしてあとはもう、何も考えないことにした。

 

 カンカンと鉄の梯子を降りる音がしばらく鳴る。

 といっても一分も掛からず下に着いたのだが。

 

 地下は不気味な空間だ。

 常にどこからか声が聞こえ続けるような錯覚を覚え、閉鎖的だからか逃げられないという感情に体が支配される。

 

「いや、声は本当に誰か複数人が発しているよ。それもひとつの部屋から……」

 

「ひゃっ」

 

 小声で話しかけて教えてくれるのはいいのだが、わざわざ口を耳元に近づけて息を吹き込むように話すのはやめて欲しい。

 ゾワゾワっと鳥肌が立って変な声が漏れてしまった。

 

「愛ちゃん静かにっ」

 

「んぐっ」

 

 慌てて俺の口を手で塞いだ佳織がキョロキョロと当たりを見て、どこからか聞こえる声が途絶えてないのを確認したからか、ほっと息を吐いた。

 

 耳元ボイスといい、口を塞いだ手といい、これ全部無自覚ってマジ? 

 普段の言動とは大違いというかどうしてこう、乙女ゲーのヒーローみたいなムーブを取れるのか。

 普段からこれだけしてれば天然イケメンとしてモテるのではないのだろうか。

 

 というかそろそろ手を口から放して欲しい。

 

 そういった抗議の目を向けると、今更気づいたように俺から離れた。

 

「涙目愛ちゃんキタコレ、惜しむのは今ここで写メったら敵に音でバレそうなところかな」

 

「そんな無駄なこと話すからバレるんだぞ……で、どうするんだ?」

 

「愛ちゃんの体を元に戻す薬見つけてから強襲かける? 強襲かけてから解毒薬探す?」

 

「……なぁ」

 

「うん? どしたの」

 

「今更だけどさ、いや、ずっと気になってたんだけどさ。

 お前、何が目的なの? 

 俺は確かに元の体に戻りたいよ? 戻りたいけど、お前は俺を元の体に戻す手伝いをする意味無くない? ……途中まではさ、遊びとか、俺がぽっくり逝かないように付いてきてくれてると思ったんだけどさ」

 

「ほんとにどうしたの? シリアスしたいのなら無理があるよ?」

 

 佳織がここまで付いてくる理由なんてぶっちゃけ無い。

 この美少女ボディに好意を持ってるなら、力の差で無理やり止めることだってできたし、それをしないまでも俺に付いてこない選択だってできた。

 むしろ、俺はこいつがいないと安全を確保できないのだから付いてこないとなると俺も自然と動けなくなるのだ。

 

「どうして? 協力してもらってる身でこれを聞くのはなんとも嫌だけどさ」

 

「……」

 

「ここで聞いても遅いとは思うんだけどさ?」

 

「……ひ・み・つ……で、納得してくれないよね?」

 

「もちろん、なにか理由を話すまで問い詰めるぞ?」

 

「敵の本拠地だって誤魔化しても?」

 

「関係ない」

 

「…………」

 

 そこまで言うと、佳織は顎に手を当てて二十秒ほど沈黙する。

 なにか喋れとハイキックを入れようと思ったら、びっくりするほど優しい笑みを作って俺に理由とやらを話してきた。

 

「TS薬を見つけて、オレも飲むためからかな? ちとばかし、女の子になった気分を味わってみたくて……もちろん、解毒薬を見つけたあとだぞ。お前とは違って、俺は戻れなくなりたくないからな」

 

「いや、すごく戻りたいのだけど?」

 

「姫様、ご冗談を」

 

「……まあ、いいか。理由はそれだな、それでいいか」

 

「愛ちゃん愛ちゃん……オレ、このやり取りの必要性がわからなかったんだけど」

 

「いんや、途中から面倒くなったんだよ……さっきのが本当であれ嘘であれ、どうせお前の行動理念なんてアホくさいもんだろ?」

 

「もうあれだ、あの時の『なんでも言うこと聞く』の使い道決めた……帰ったらしっかりわからせてやるからな?」

 

「どうしようもないことでしっかりキレないで。ついでにその目論見は解毒して、潰させて貰うよ」

 

「本当に……潰せるかな?」

 

 軽口を叩きあって、親友の顔から少し緊張が緩んだように見えた。

 

 よかった、前衛職が慌てふためいて実力発揮できませんでしたじゃ俺まで大変な目にあうからな。

 

「あの部屋だよ、あそこからブツブツと声が聞こえてる」

 

「……なぁ佳織、なんて言ってるかわかるか?」

 

「んー…………うが、なぐる……ならーく…………よら……しゅぶにぐらす……いあいあ……せんのこを……千の仔を孕みし、森の黒山羊よ……」

 

「うっわぁ……」

 

 断片的に聞いてもただの邪悪な呪文である。

 一部分以外それ本当に地球語かと疑いたくなる。

 

 試しに俺も聞き耳を立ててみると、気味の悪い声に交じってたまに人のものとは思えない、ドスンといった音が聞こえる。

 

 人間以外にもいるというのか、化け物か、怪物か、怪異か、どれでもいい、どうだっていい、異形なのには変わりないだろう。

 どうしても、不可視のアレら……神様曰く星の精とやらのような化け物を思い浮かべてしてしまう。

 まだ、それが生物の出した音だと決まっているワケではないというのに、どうしてもその冒涜的な異容を想像してしまう。

 

 これはまずい、そう思った。

 しかし思考の加速は止まらない。

 既に回り始めた思考はただ()()()()()()想像を、可能性があるだけの恐怖を、それこそ無数に考え始めてしまう。

 人智を遥かに凌駕した化け物、悲鳴の権化かつ狂気の呼び声が回想のように覚えのない記憶を脳裏に焼きつける。

 

 神様はシュブ=ニグラスがいるように語っていた。

 じゃあ邪悪な神はこの世に存在するのだろう。

 そしてその他にあの神様も存在するのだ、二柱とは決して限らない。

 どれほどこの星に存在している? 

 どれほど昔から、人間の社会にどれほど溶け込んでいる? 

 

 そうだ、星の精なんてものもいるのだ。

 邪悪な神だけじゃない、そのほかの化け物もごまんといるのだ。

 人間の想像を遥かに超えた怪物共が。

 

 いや、待て、星の精……星の精、星なんて名が付くほどだ、地球産ではない存在もまさかこの星にいるというのか。

 もし仮に他の星に逃げれても、そこがヤツらの住む星かもしれないというのか。

 

 一体、彼らは、ヤツらは宇宙にどれほど存在するのだ。

 

 億、兆? 

 もっとだ、もっといるに違いない。

 人の数など遥かに凌駕しているに決まっている! 

 

 人間など、地球など、その気になればそこらの野菜を噛みちぎるようにあっさりと潰せるような神がこの世界にたくさん存在するのだ。

 そうだ、きっとそうだ! 

 

 待て、ダメだ。

 これ以上何も考えるな。

 所詮、狂った思考が見せた仮定だ、妄想だ、だから落ち着け、鎮じろ、考えるな。

 もし仮に核心にまで至ってしまえば、正気のまま『日常』を送れなくなるぞ! 

 

 ドツボにはまり込んだ思考、荒くなる息。

 冷や汗を大量に垂れ流し、焦点が定まらなくなっている。

 比例するように早く刻まれる鼓動が俺の不安を駆り立ててくる。

 怖い、恐い、こわいこわいコワイ!! 

 

 恐怖と狂気に思考が塗りつぶされそうになる。

 飲み込まれた意識が俺の未来を暗闇で包み上げていく。

 あるいは、既にこの件に巻き込まれた時から、この街で生まれた時から、先は奈落だったのかもしれない。

 

 その時、なにか暖かいものが、俺の体を包み込んだ。

 力強く、しかし優しく俺を抱くなにかだ。

 

「愛ちゃん、大丈夫?」

 

 佳織だ、佳織の腕に俺は包み込まれていた。

 愛すべき家族に最も近い存在の、俺がこの世で最もどんな事があろうと最終的には信じている幼少期よりの親友の腕に、俺は抱かれていた。

 

 朝は邪魔だとしか思えなかったこの腕も、その熱が不思議と俺の不安を吹き飛ばしてくれる。

 早鐘を打った心臓もなりを潜め、過呼吸に陥った呼吸も正常なものとなってきた。

 

「昨日の夜、愛ちゃんがオレを正気に戻してくれたでしょ? そのお返し……あとは、まぁ、そのまま発狂して金切り声なんてあげたらあいつらにバレちゃうからね……」

 

「……ありがとう、助かった」

 

 面と向かって礼を告げると、先程とは違う理由で鼓動が早くなったのを感じた。

 だが、心地よいドキドキだ。

 それはそれとて、少し恥ずかしいので顔は逸らしてしまったが。

 

 ああくそ、仄かに顔が熱いのはこの少女の体のせいだ。

 違う、そうじゃない、そうだあれだ……うん、それだ。

 せっかくさっき、あの時、昨日の夜佳織を正気に戻したことで例の『何でも言う事を聞く』を帳消しにできるのではなんて思ってたのにプラスマイナスゼロではないか。

 

 さっきの醜態はなんだ。

 元来怖がりだったのだ、もとより怯えてた恐怖じゃないか。

 未来が真っ暗なんて当たり前の事じゃないか、元々不確定なものだ。

 

「目ェ覚めた……ありがとな」

 

 腕を取って少し離れていく親友に、もう一度お礼を入れて深呼吸する。

 まだ少し恐怖はあれど腹は決まった。

 あとは殴り込みをかけるだけである。

 

 佳織は……言われるまでもなくいつも通りの笑みに少し緊張を貼り付けただけだ。

 

「行くか」

 

「おー行こー」

 

 ずっと鳴り響く呪文の大元、狂気の根源は一体何が行われているのか、少しの好奇心と警戒心を持って、扉を開いた。

 

 すると……。

 

 

 

 

 

 

 

 全ての声が止んだ。

 

 

 

 

「……は?」

 

 待ち構えているであろう強大な化け物の影などない。

 声を出していたであろう沢山の人間達の姿すら一つもない。

 何も、ない。

 

 ああ、いや、塵はある。

 ホコリのような……ゴミのような。

 まるで掃除していないのだ、とは思うことが出来ないただ塵の世界。

 

「なんだこりゃ……」

 

「……うーん、あっ」

 

「どうした佳織!」

 

「いや、足元見てみなよ……白い床の部屋なのかと思ったけど、全部塵だ。雪を踏んだ時みたいにオレたちの足跡が残ってる」

 

「ほんとだ、泥だらけの靴でお前の顔を踏んだ時みたいに足跡が残ってるな。けど、それ以外の足跡が不自然にない、一つも」

 

「あったねぇ、昔愛ちゃんが踏んできたねぇ」

 

「懐かしいなぁ、あの時は……なんでああなったっけ?」

 

「いや、あの時って限定できるほど少なくないでしょ回数、喧嘩する度に踏んできたでしょ」

 

「……ハハッ、あーあ。床のやつ除けたらなんか出てきたぞー。赤い文字?」

 

「うん? …………これ、魔法陣じゃない?」

 

 そう言った親友の方を見てみると、親友も軽く足元の塵を退けたのか、形状的に大きな縁を赤い物で描いたようになっていた。

 赤い物の正体なぞ、考えたくもない。

 考えるまでもない。

 

「じゃあ、これ魔法陣ってこと?」

 

 

 

「イグザクトリー、正解だよ! おめっとさん!」

 

 

 突如、部屋の何もなかった場所から声が聞こえてきた。

 この二人のどちらのものでもない高い声だ。

 

「……だれ、だ?」

 

「……っ!?」

 

 親友の誰何(すいか)の声も、虚しく途絶えた。

 俺に至っては喉が詰まったように言葉が出なかった。

 

 俺と親友が見た先、塵の世界に二つの影があった。

 

 片方は笑っていた。金の髪をした少女の笑顔だった。自然なその笑みはこの空間において不自然であり、薄らと開かれたその瞼の先にある瞳は俺を見ていた。

 

 片方は、ミイラだ、赤子だ。

 手足はただ伸びるばかりで、微塵の弛緩も感じれない。

 ひたすら弱々しいといった感想を与えてくる。

 例えるなら……そう、一度も呼吸することがなかった中絶胎児のよう。

 だがそいつを、そいつばかりは見てはいけないと本能が訴えていた。理解するな、思考するな、知覚することを止めろ。心がそう訴え、精神が叫ぶ。

 

「小生……ああ、ゴホン。わたしの名前は丹羽日々(たんばひび)って言うんだ。ふふっ、どうせ体がこうなら、ロールプレイまで完璧に、ね? その方がいいよね?」

 

「……は?」

 

 丹羽日々…………こいつがあのTS薬の考案者!? 

 

「……あっ、ごめんね? もちろん君みたいな俺っ娘TS娘を否定しているわけじゃないからね?」

 

 あはは、と笑ったその少女はとても不気味に見えた。

 

「何が、目的なんだ……そいつはなんだ!」

 

「んー、ふふっ。この子には少しここを壊して貰いたかったから喚んだだけだよ」

 

 壊す? 

 ここにいたはずなのは山羊の会の連中である。

 そして、丹羽日々という人物は、そいつらの仲間だったはずだ 。

 

 なぜ、なぜこんなことをしている? 

 

 待て、状況を整理しよう。

 ここに山羊の会の連中がいたはずだ。という予想が大前提だ。それ以外は俺たちは何もわからない。だって他の部屋は飛ばしてきてしまったから。

 山羊の会の連中がここにいたのだとしよう。そいつらを『ここを壊した』という表現で壊したのなら跡はどこだ。どこに行った。

 

「丹羽日々……TS薬の考案者、TS薬は愛ちゃんがイブン・グハジの粉とかいうやつを元に作られたと言っていた……この塵が……いや、それはないか」

 

「ん? ああ、そこまでつきとめてるんだ。いいねぇ、まるで君たちはホラーの主人公だ!」

 

 ……イブン・グハジの粉? 

 製法は微塵にしたアマランスに、二百年遺体が埋葬された墳墓の塵に、木蔦の葉を……いや待て、塵? 二百年遺体が埋葬された墳墓の塵? 

 確か、佳織が言っていた、そんな難しい難易度の塵をこいつらは『クァチル・ウタウス』とかいう神格を使うことで解決したとか。塵、塵、塵、地面にこの部屋に蔓延しているのは塵。

 そのクァチル・ウタウスとやらが塵に関係している? 

 塵を作る力? それでは二百年遺体が埋葬された墳墓という条件が達成されない。この場には遺体が一つたりともない、山羊の会のやつらがいたはずだというのに。

 塵に変える力? いや、二百年の年月をクリアするのなら、塵に変えるための時間経過……経年劣化を引き起こす。莫大な時間を進める!? 

 

「待て!」

 

 今にもあの二つの影に殴りかかりそうな親友に静止をかける。

 もし、もしあの少女の傍らに控える化け物がその、クァチルウタウスだったら……取り返しのつかないことになる。

 

「どしたの愛ちゃん?」

 

「うん? おや、そっちの子はこいつが何者か薄々気づいてきたみたいだね。早いねー賢しい賢しい。その内包する力も気づいて……ははっそう怖い顔しないでくれよ。そうだなぁ、じゃあ……そうだなー、そっちの男の子、友達? その子がこいつの餌食になりたくなかったらわたしに攫われてよ」

 

「突然、何を言って……」

 

「……待て佳織! 丹羽日々……もし断ったらどうするつもりだ、俺が承諾すればこいつは、佳織は無事なのか? 本当に何もしないのか?」

 

「うん、しないよ、しない。約束しよう」

 

「何言ってるんだ愛ちゃん!」

 

「佳織、俺たちは……情報が少なすぎた。まるで足りないんだ、あの化け物が、クァチル=ウタウスという神格が一体どういう条件でいかなる力を使うか知らないんだ。危険すぎるんだよ、逃げることすらできるかわからない!」

 

 もし、あの塵にする力が、あの化け物の視界全てに及ぶのなら? 

 わからない、何一つ情報がない。

 不可視の化け物だっているんだ、人智を超えている。もはやなにをどうすればいいのかすらわからない。

 

 少しづつ、少しづつ俺は少女のもとへ歩いていく。

 ごめんな佳織。

 対策したお前なら、この弱そうな神格くらいならあるいは、神殺しをできたかもしれない。けど、対策したらだ。勝ち目がない。なら俺はお前に生きていて欲しい。

 

 そうして俺は丹羽日々の元へ辿り着いた。

 

「あ、ああぁぁあああああ!!」

 

「……止めろ佳織!!」

 

 親友が分厚い本で殴りかかろうと駆け出した。

 明らかに冷静じゃない。いや、俺のせいか、俺が説明も殆どなしに攫われようとしているから。

 どうするどうするどうすればいいんだ何をすればいいんだ。考えろ猫崎愛玉! 

 

 視界で奇妙なことが起こった。

 化け物が伸びきった腕を佳織に向けて伸ばした。分厚い本がその腕に触れる。

 変化は一瞬だった。分厚い本は一瞬にして古びて、なおそこでは止まらなくて、塵に変わるまで、経年劣化で粉と成り果てるまでその時間加速は続いた。いや、触れている最中は塵になっても続いているのかもしれない。

 

「納得した? かなわないよ。そいつには勝つ方法など存在しやしない……運ぶのに邪魔だね、少し眠っててもらおうか」

 

 そんな声がすぐ横で聞こえ、俺の意識がぐらつく。

 暗くなっていく視界の中で、俺は化け物が親友に、佳織に触れようとしているのを見た。




満足行くできじゃないの悔やまれるけどこれ以上は泥沼な気がする。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三日目 山羊と蛇

前半とか終わり方とか我ながら酷い出来だなと思いながら最終話です。


 日々という男は、ひたすらに夢を諦めなかった。

 日々という男は、作業的にも夢を諦めなかった。

 

 何よりも、それが原因である。

 

 夢を追いかけて追いかけ続けて常識を疑って僅かな違和感も逃さず全てを伏線だと思い込んで、線が繋がってしまった。なぜ繋がった? 

 追った先にいた初めて見てしまった化け物に会い発狂したのは、会ってしまったから、なぜ会った? 

 化け物に心を削られ、性癖とも呼べる欲に狂ってしまった、なぜ狂った? 

 

 根本は全て夢を諦めなかったところに至る。

 

 しかし、狂ってしまったのは夢のせいであるが、そうまでして夢を追いかけ続けるのも狂気に取り憑かれていたのではないだろうか。

 

 まぁ、そんなことはどうでもいいのだ。

 

 この丹羽日々という人物は、ひたすら俺の耳元で全てを語っていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 塵の海にモゾモゾと動く影がある。

 大柄な男だ。

 若々しく活気に溢れているであろう年頃の少年だ。

 

 しかし、男……鈴梅佳織(すずめかお)の整っていてイケメンと分類されるはずの顔は激情に酷く歪んでいた。

 

 脇には時間が早送りになるように朽ちていくメモ用紙のようなものが落ちていた。

 

 異様な光景。

 

 前後左右上下を囲まれたその部屋は地下にあり、入口など一つしか存在しない。

 

 区切られた空間であり、この世のものとは思えない空気に佳織の怒号が溶けた。

 

「は、ははは……何やってんだオレは」

 

 クァチル=ウタウスと推測される神格に触れる寸前、懐に忍ばせていた《クァチル=ウタウス》に関するメモを使い接触を避け、メモ用紙を犠牲に助かったのだ。

 

「守りたかったもんに守られてどうする?」

 

 丹羽日々と名乗る少女は愛玉(あいちゃん)を抱えて霞のように消えた。

 しかしその場所をひたすらに睨んでいても何かある訳ではないのだ。

 

「そうったってどうすりゃぁいいんだろうな。何をすりゃいいのかな、愛ちゃん。どうしたら助けられるの?」

 

 独り言を呟いてふらりと立ち上がった佳織は部屋を出た。

 

「あれで愛ちゃんったら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を願ってることだろうなぁ」

 

 地下と地上を繋ぐ梯子を登って、山羊の会の建物そのものの玄関へ辿り着く。

 

「神様に聞きゃ愛ちゃんの居場所とかどうにかなるかな、頼みひとつ聞いたんだ報酬が欲しいよなぁ」

 

 そう呟いて敷地の境を跨いだ。

 

 

 

 

 すると、いつの間にか暗い境内に立っていた。

 

「……あの時みたいなテレポート? 神社? あの神様!?」

 

 あまりに都合が良すぎるタイミング。

 まるで図ったような事態に佳織は狼狽した。

 無理もない、情報が押し寄せ思考が活発化して思考が困惑しているのだ。

 

 例えば、なぜここに来たのが境をまたいだ瞬間なのかとか、なぜ愛ちゃんも転移させて救わなかったのかとか、そもそも神様はどこにいるのかとか。

 

 もはや周りの雰囲気を気にするのすら忘れるような情報の荒波にただ困惑していた。

 

 もはや何一つ考えられないようで漠然とあたりを見渡すと動く影が彼の視界に映った。

 ああ、神様かな……そこにいたのか。

 そう漠然と考えたその思考は、しかし影が二つあることに気付いた。

 

 どちらも見覚えがある。

 なに、神様が二人に分裂したから見覚えがあるとかそういうものではない。

 神様の他、もう片方の影も佳織は面識のある人物だったというだけだ。

 

「なんなら、親と愛ちゃんの次くらいに見覚えのある顔なんだけど……」

 

「あら、かーくん夜遅くにこんな場所来ちゃダメじゃない? もう夜遅いのよ、おうちに帰りなさい?」

 

「のぉ……主、白々しいにも程というものがあるのじゃがの……」

 

「ふふふ、何を言っているの? これは本心よ、確かにあの子達が巻き込まれているのはわかっていたのを成長の手段と私は放置したけど、貴方は大した情報も与えず本拠地に突っ込ませるなんて一体何を考えているのかしら」

 

 ニコニコと、愛ちゃんにによく似た可愛らしい顔をした女性が微笑んでいた。

 しかし、とても平静を保っている様子はなく「ねぇ、私たちが現役の頃もゆっくり情報収集してからというのを忘れてない?」と蛇の少女へ詰め寄った。

 

「……あー……うー、あっあーあ、そこの、ほれお主をここに呼んだのは勿論わしじゃよ。ほれちこう寄れ、お主の友を助けたいのじゃろう?」

 

「えっああ、そう……ですけど」

 

「ねぇ言ったじゃない、ろくな情報渡さずにひとの息子とそのお相手を危険な場所へ連れていきやがってって。もう一度、同じことをするの? イグ、答えなさい」

 

「ひっ」

 

 イグと呼ばれた神様を脅すその女性こそが愛玉の母、真っ先にTSした愛玉が会いに行き、なんの疑いもなく愛玉であるのだと気付いた正真正銘の狂人である。

 

「……あの、愛ちゃんのお母さん……?」

 

「んー、かーくんちょっとまっててね、このイグを問い詰めてあの子を助ける為に直接動いて貰うまで追い詰めるから。ああ! あとそうね、愛を連れて無事帰ってきたら深追いしすぎんなって言ったろって説教ね」

 

 目が笑っていない。

 佳織は神様……イグと愛玉の母が知り合いであるということまでは察したがそれ以上……というかそれ以前がわからない。

 具体的には二人の上下関係とか、どうしてここにいるのとか。

 

 そういえば、朝ごはんの時に見透かすようにシリアスモードに入って忠告してたな、なんて思い出してきた佳織は、もうこの関係について考えるのは無駄だと今できることを考えることにする。

 そうだ、愛玉は攫われたのだ悠長に問い詰める時間などないはずだ。

 

「愛ちゃんのお母さん! 神様を説得するのにどれほどかかりますか? そんなに時間がかかるようじゃ愛ちゃんに何されるかわからないんです!」

 

「大丈夫よ、私の息子よ? 攫ったのは人間なのだし、即興口先八丁で五時間はもたせられるわよ」

 

「うむ、わしの読心の中に大量の情報をつぎ込んでくる癖はこやつそっくりじゃぞ、わしの説得でお主を行かせるまで間に合うじゃろう待っておれ」

 

「違うんです! 愛ちゃんを攫ったのは口先でどうにかなるような人物じゃないんです! 触れたものを塵にする神格を侍らせていました、自分の仲間を躊躇いなく塵にするようなやつでした、自力でかテレポートもしていました! そんなもの相手に愛ちゃんの安全がっ」

 

 佳織の叫びは、突如眼前に迫ったイグに驚き途絶えた。

 

「主、お主! 今なんと言うた。触れたものを塵に……それはまことか!?」

 

「……塵に変える……塵を踏むものクァチル=ウタウス!? イグ、妙な意地はらずに手伝いなさい!」

 

「ダメじゃよ、いや、無理じゃ! 分体のわしにあんなのに勝つ力など残されとらん……いや、あやつを攫ったの者は聞く限り魔術に慣れておる、わしが行けば警戒されて終わりじゃ! 最悪、ほかの神も招来されるのじゃぞ!」

 

「じゃぁ、私が……っ!」

 

「それこそ最もダメじゃ! 却下じゃ! お主が、主らが()退()した理由を忘れたわけではあるまいな、神格など目視すれば次は助からんぞ!!」

 

「あれもこれもダメって反抗期か! じゃあどうしろというの!?」

 

「だから先程から言うておるじゃろう!」

 

「かーくんを行かせる気? こんな事態になっているというのに!?」

 

「主らも幾度もなったじゃろう、過保護がすぎる、過保護が!! 

 ほれ、来い、佳織(かお)とやら! 己が人の(かお)を、お主の愛する者のために人間としての一面を捨てる漢気(おとこぎ)はあるかの? 力を授かる勇気は、わしの配下になる覚悟はあるかの!?」

 

 あまりの急展開に、もはやついていけていない佳織は突如投げられた質問は佳織にとって願ったり叶ったりのものであった。

 聞く限りからして、イグが佳織にさずけようとしているのは力だ。彼の愛する者を救うための力だ、そのためなら人の一面を捨てるのなど何を躊躇う必要があろうか。

 ここで躊躇うのは、躊躇いなく己を犠牲に攫われてまで佳織へ被害が及ばぬようにした聡明な親友への不敬に当たるのだろうと。

 

「ある! 人間であることがどうとか、なんでもいい、愛ちゃんを助けるための力が欲しいです!」

 

「ほれ、契約の同意は得られたぞ! もう口を出すことは出来んな!」

 

「……ちっ……かーくん、多分こいつはあなたとの契約を結んだらあの子の居場所を知らせてこの空間の外へ放つ気よ! だから年寄りの、硬い年寄りのお節介だと思ってこれだけ持っていきなさい!」

 

 そういって、愛玉の母は試験管のようなものを投げ寄こした。

 佳織は掴むと、中に入った粉末を眺める。

 

「……これは?」

 

「ヘルメス・トリスメギストスの毒塵……そうね、地球外生命体にかけるとそれだけでその生物が溶ける粉薬よ」

 

 ふと、彼は少し前にあの不可視の生物をイグが()の吸血鬼だのと呼んでいたのを思い出し納得した。

 

「ありがとうございます!」

 

「ふむ……良いかの? ……汝、鈴梅佳織、わしの配下となることを誓え」

 

「誓う、誓います」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「やっとだよ、私がずーっと追いかけてきた夢が叶ったんだ 。これほどに嬉しいことはない」

 

「……クァチル・ウタウスとやらを呼ぶことが夢だったのかよ。なんだ? それとも自分がTSすることが夢だったのか?」

 

 気づけば、どこか研究所の一室のような場所に俺はいた。

 手足は拘束され、首輪をつけられ壁とを紐で結ばれている窓の外は暗く、大して長い時間気絶していなかったのか、それとも丸一日以上寝てしまったのか。

 ……もし丸一日以上寝てたのなら、学校、どうしよう。

 

 日々を、神格まで召喚して見せた誘拐犯を下手に刺激すれば何をされるかわかったものではない。

 首を絞めるなり、心臓を突き刺すなり、もう一度アレを呼び出して塵にするなり自由である。

 

 だから日々が勝手に話してきたものに乗ってやることにした。

 受け答えが出来れば少しは気分を良くして、無事に助かる可能性もあるだろう。……希望的観測? いやいや、夢は持っていこうぜ。

 

 もしかしたら、佳織が助けに来てくれるかも……いや、俺は気絶前にあの神格が親友に触れようとしているところを見た。

 無事ではあると思いたいが、それだけに逃げていて欲しいものである。

 化け物(丹羽日々)はここにいる。

 山羊の会は塵となった。

 もう危険な化け物はいないはずだ。

 

「どれも過程だよ。……私の夢、聞きたい? そうか、聞きたいか、ならば聞かせてあげる」

 

「俺をここに攫った理由に繋がるようなら聞かせろ、もし俺を遊び半分で攫ったのなら解放しろ」

 

「んーもちろん、攫ったことに理由があるよ。いや、さらったことこそが目的のための最後の準備段階だな……といっても、実感は湧かないか。殺したり、生贄にしたりはしない、そう考えてくれたらいいよ」

 

 そうして狂人、丹羽日々は語りづらそうに口を開いた。

 

「どこから話したものか……そうだな、まずはわた……小生の性癖から」

 

 訂正、攫った理由に性癖を含めてきた異常者はなんの躊躇いもなく話し始めた。

 というかなぜ一人称戻したのか。

 

「小生、女の子同士のイチャラブが好きなんでふよ……デュフフ……ガールズラブ、レズ、百合……まぁ、どれも個人個人の解釈がある言葉でふからねそこは君のために固定しないでおくよ……デゥフフフ」

 

 ロールプレイスイッチをオフにしたおそらく素と思われる変質者の性癖大暴露など誰得だというのだろう。

 そんなことより、その笑いをどう身につけたのかを問いただしたくウズウズしてくるも、好奇心は猫を殺すのである。我慢我慢と自分に言い聞かせた。

 

「……ガールズラブ、少女が愛し合う尊み溢るる言葉でふが、その中でも『永遠の愛』というものがすきなのでふ」

 

「あ、あの……」

 

「永遠、いいことばでふよね。デゥフフ……永劫に寿命があれば、ずっと愛し合うことが出来る。長命美少女二人が昼夜ところ構わず愛し合う、それが小生がもっとも好きなシチュでふ!」

 

「あの!」

 

「……? どうしたんでふか、小生の理想の美少女たん」

 

「ひぃっ!? …………ああ、あの、いやー口調戻して……じゃなくてロールプレイしたまま話してくれるととても助かる……助かります」

 

「それは無理なのでふ、あのTS少女日々たんはこんなことを話さないのでふ」

 

 もうヤダこの狂人。

 俺は既に内心涙目である。

 佳織のがましな人間なぞ初めて見た。

 そう思って親友の顔を思い出してみると『それはねぇな、だってそれなら愛ちゃんが意識を取り戻した頃には既に愛ちゃんは純潔失ってるもん』だの『産婦人科?』だの昨日か今日かさらに前の日か現在の日付がわからんから確定はできんが朝に人のトイレまで着いてきてずっと手を繋ぎ続ける奇行だのと、数多の言動を瞬時に思い出した俺は丹羽日々も親友もどっこいどっこいであったかと嘆いた。

 まともな人間がいねぇ。

 

「話を続けるでふよ。小生、どうしても、どうしても性癖を、夢をミラクルなドリームを諦められなかったのでふ」

 

 挙句の果てに性癖をまるで輝かしい夢を追う青春のようなことを言い出した。

 

「で、その夢とやらの詳細はなんだ」

 

「さっきも言ったのでふ、美少女になって美少女と永劫をベットのイチャラブで過ごしたいのでふ」

 

 さっきまでのより悪化していると思うのは俺だけなのだろうか。

 嫌な予感がしてきた俺は、自分の顔がどん引きといった表情をしているのを感じる。

 

「追い求めた結果がこの体でふよ。本当は()()()はもっとゆっくり探すつもりだったのでふが……想像以上に好みであるてぃめっつぷりてぃーで天使のようなTS娘が小生の前に現れたのでふ、デゥフフ。君のことでふよ」

 

「ひぇ」

 

「TS薬、開発した甲斐があったのでふ。小生も美少女になれて、理想を超えたお相手を作ることができて一石二鳥なのデゥフフ……『君がもし私を愛してくれなかったとしてもどこまでやったら堕ちるのかな』とTS少女日々たんが言ってまふ」

 

 こっちからしても想像以上に業が深かった狂人と現在この空間に二人きりという状況に恐怖を覚えている。

 いきなりTSさせられたと思ったら多分現在この国でもっとも人間の煩悩と欲望が渦巻く現場にポイである。

 

 星の精なんかとは別種の狂気、恐怖を感じる。

 幽霊や怪物なんかよりよっぽど人間のが怖いと言う人がいるが、違うと思った。

 同じ恐怖でも違うのだ。化け物へと人間への恐怖は違う。根本から違うのだ。

 人への恐怖は……そう、ある宗教の人間がそうじゃない人間が行う()()()()()()()を見るような。異質で異端な心への恐怖だ。

 思想の違い、そのズレを正しく認識した時に感じる途方もない違和感。

 真の意味で他者と自己は違う、全く同じ人間などいやしないのだと。

 普通と異端すら、『あの人は周囲とすごくズレている』という言葉の『すごく』が己の尺度であり他人の主観では自分と同じ大きさでは受け止められていないと。

 言葉で真の意味で伝えることが出来るのは0か100で0が自分その他全てが100であると気付かされた時のような。

 真の正気など自分しか存在しないと叫ぶ結論のような。

 

 そんな普段は気にならない漠然とした恐怖が表層に出てきて心を蝕む。

 

 ああ、嫌だ。

 

 化け物の存在に怯えたと思ったら、今度は人にも怯えなければいけないのか。

 

 眼前の狂人を視界に収めつつ、そう思った。

 なんだあの狂人、瞳孔開き切ってんぞ……交感神経イキイキしてますねぇ……。

 

 いや、ああ、いや待て、永劫? 

 

「永劫が、永遠が好きっていってたよな」

 

「そうでふよ? デゥフフ……」

 

「俺もお前も、定命の身だろ」

 

「ん、ああ、そうでふね……TS美少女たんには今から色々説明してあげるのでふ……先に言うとそれがあるからこそ、まだ君に手をだしていないのでふ」

 

 そう言って、どこからともなく丹羽日々は小瓶に入った白濁液を取りだした。白いシールがはられていて、そこに試作品TS薬五号と書かれている。

 

「この薬はでふね、イブン=グハジの粉っていう見えないものを見えるようにする粉薬の幽霊を一時的に物質化させたという記録を元に作った薬なんでふ……。

 物質非物質の可視可能にする変質が効果でふ、この変質を元に作っているのでふから、イブン=グハジの粉の性質を少し残しているのでふよ、デゥフフ……」

 

「例えば、イブン=グハジは時間経過で解けるからもとより解毒剤なんて存在しないとかでふね、薬を作った側も使った側も効果切れて欲しくないし」、そんな致命的な一言は脳内で検閲処理して忘れ去った。希望はまだあるのだ。

 

「TS薬の効果は『十歳の少女に体を変質させる』ことでふ……効果時間はずーっと。ただ、試作品達は容姿がただ『十歳の少女』になる合法ロリ生成薬だったのでふ……デゥフフ。

 でも、十歳の少女のように見えるだけじゃ本当の年齢まで若返った訳ではないのでふ、だから容姿が変わらなくても歳をとるのでふ……いつか寿命がやってくるのデゥフ」

 

 しかし、しかし! 

 

 そう、声を大にして丹羽日々は続けた。

 

「今ここにはない、小生が摂取した完成品TS薬は『完全な十歳の少女』に変える薬、精神以外全て十歳の少女に変えるこの薬は『完全な十歳の少女』に変質させたことで、イブン=グハジのかかったらしばらく可視可能なままという性質を受け継いで摂取したら永劫に『完全な十歳の少女』のままなのでふ!!」

 

 いまいち理解しきれていない俺を前に丹羽日々は熱く燃え上がっていた。

 いや、どちらかというと美少女に萌えていた。

 

「『完全な十歳の少女』のまま、つまりはそこで老化成長は停止、死ぬまで死なない、寿命で亡くなることはない、寿命が訪れないのだから! そうなるのでふ! 

 デゥフフフフ!!」

 

 ……言葉が、出なかった。

 言っている意味はわかるのだ、しかし古来より人間の求めていたものがこうもあっさりと新しく作られてしまうとは、そう驚いている自分がいた。

 

 そんなもの、もはや本作用の『十歳の少女に変えること』などおまけみたいなものだ。あまりにあっさりと新開発された不死の妙薬である。

 

「だがしかーし、君の飲んだ試作品はまだ試作品! だから次の夜、新しく完成品を作って飲ませてあげるのデュフフ……え? 新しくTS薬を飲んで理想の容姿から変わらないのかって? この薬は『十歳の少女にする』効果を持っているから元から十歳の少女の見た目を持つ君はあとは結果的に老化の停止がつくだけでふ!」

 

 傍から見れば美少女が語尾に「デゥフフ」だの「でふ」だのと笑っているのかなんなのか珍妙な単語を付与するおかげか怯えればいいのかわからなくなってきた俺はとりあえず怯えてみることにした。

 そもそもわざわざ説明してくれているがだんだん言ってる意味がわからなくなってきたから致し方ないのだ。

 

 わたしようじょだからむずかしいことばわからない! 

 

 人間の欲って恐ろしいな……。

 

「でも」

 

 そう発した日々のテンションは軽かった。

 先程までの口調がうそだったように雰囲気が変わる。

 

「わたしね、完成品を作る前でも味見くらいならいいかなーって思ったんだ!」

 

「……は?」

 

「んふふ、痛くないからね?」

 

「いや、あの、完成品ができて俺が飲むまでがタイムリミットとかそういう流れだと思ってたんだけど、というかしっかりそう言ってたじゃん! だから手を出してないって明言してたじゃん前言撤回するなよアホ!」

 

「ウェアーイズ助けが来るルートって? イットイズノー、あるわけないでしょ、ね? だってそんな時間作る必要ないでしょう!」

 

 にっこりと、とても演技(ロールプレイ)とは思えぬ自然な笑みを浮かべて近寄ってきた。

 

「ひっ」

 

 足を動かして下がろうとするも、結ばれた手足では逃げることは能わず、辛うじて起き上がっていた姿勢も寝転ぶこととなった。

 

「首輪がさ、君の首にはつけれらているんだよん? 例え歩けても首が絞まるだけだけど?」

 

 倒れ込んだ体で床を這って逃げることも出来なかった。

 首輪と壁を繋げる紐がピンッと張る。

 首が少し絞まった。

 

 あの笑顔はなんだ? 

 近寄ってくる少女の笑みを見て自分に問う。

 己を犯そうとする悪魔の貌だ。

 

 あの手はなんだ? 

 服を脱がそうと触れてきた手を感じて自分に問う。

 己を穢す狂人の手だ。

 

 待て、考えろ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 相手は美少女だ。

 お望みの美少女であるぞ。

 何を嫌がる理由がある? 

 

 わからない、なにもわからない。

 だが嫌だ。

 笑って人の服を脱がそうと、いや俺の服を破いたこの手の好くままにするのは絶対に嫌だ。

 

 ビリビリッと布の破ける音が聞こえて上半身が少し肌寒くなった。

 

「やめて……」

 

「んー?」

 

「やめて、助けてっ!」

 

「安いなぁ……そんなベタなセリフをして助けられたヒロインは山ほどいる。けどそれは所詮『感動のお話』、一部だけさ。そう小説より奇なりなど起こってたまるか」

 

「いやだ、やだ……佳織、助けてっ」

 

 ひたすらに叫んだ救済を求める言葉は部屋に木霊した。

 さっきは無事に逃げていて欲しいなどと願った存在に助けなど求める自分はなんて浅ましいのか。

 

 しかし自己嫌悪より、眼前の存在の食い物となることへの嫌悪が大きく優って視界が滲む。

 

 そうか、そうだよな。

 助けなんて来るはずないよな……。

 

 攫われた本人がここがどこかわかりゃしないのだ。

 向こうが追えるわけがない。

 

 そう諦めた時。

 助けて、なんて言葉に返答が来る。

 

「はいよー」

 

 涙で滲んだ視界には見えないがきっと、その声の持ち主は酷く聞きなれたものだった。

 

「……あー救済フラグ立てたわたしが悪いね。思い返しゃなんて露骨な……」

 

 日々の声が聞こえる。

 そして確信を覚えた。

 

 これは佳織だ。

 聞くだけで安らぐ親友の声だ! 

 

 人間など単純なものだ。

 助けが来たことが嬉しくて仕方がない。

 

「佳織!」

 

 思わずそう叫んだ俺へ言葉が返ってくる。

 

「愛ちゃぁん助けに来たよぉ……」

 

 

 ……………………とびっきり卑下た声色の言葉だった。

 

 さっきまで感じなかったねっとりした視線を感じる。

 とても助けとは思えないヒロインを囲って襲おうとしているモブテンションだ。

 

 知ってた。

 知ってはいた。

 だけど! けれどもさ!! 

 

「愛ちゃん無事に帰ったら愛を育もうぜ」

 

「一瞬感動した俺の気持ちを返せ!!」

 

 俺の周りにろくな奴一人たりともいねぇ! 

 とりあえず俺は救いの手がさらなる地獄への誘い手だったことを悟った。

 自力でこの場から逃げないとバッドエンド待ったナシじゃねえか! 

 

 ただ、その手で拾われるならいいかなと一瞬考えてしまう。

 けど即否定して今すぐ舌を噛みちぎった方が俺は幸せなのではなかろうか。

 クソ! 思考が混濁して世迷いごとを考えるようになってきた。

 

 日々は俺から手を放して佳織と戦おうとしているのかブツブツと悠長に何かを唱え始める。

 

「シィッ」

 

 そんな隙を見逃すはずもなく。

 佳織の拳が日々の腹を捉える……が、硬い音とともに佳織の拳が日々の直前で止まった。

 

「……!」

 

 驚いた顔をした佳織が警戒するように一歩身を引くと、日々がニッと笑った。

 

「……いあ、くとぅぐあ」

 

 そう日々の口から漏れると同時にごうっと近くの照明の一つが爆発的に燃え上がり、彼女を守るように佳織の前に立ちはだかった。

 

 化け物だ。

 また化け物だ。

 この化け物をまたこいつは喚び出したのだ。

 

 炎の塊に物理的な判定はあるのか、そう考える。

 既知の法則のままに存在しているはずがない。

 

 運動神経がいくら良いとはいえただの一般人である佳織ではとても相手にならない。

 相手になろうはずがない。

 

 ヤメテ~ワタシヲトリアワナイデ~。

 シリアスシーンではあるが、言っておくべきセリフにだと思って言った。

 悔いはない。

 

「せっかく、この子を頂いたら見逃してあげるっていったのに来ちゃうなんてねー。

 これからはもう少し考えて行動することをおすすめするよ。ああ、これからは来世の事ね。君はもうさようならだよ」

 

「君を目の前で殺した方が、この子の反応が可愛いかもー」なんてありえないほどあっさりとした言葉が聞こえた気がした。

 炎の塊が生き物のように佳織へ襲いかかる。

 

 嫌でも()()()()()の塵の山を想起する、想起させられる。

 あの灰のような塵を、今まさに目の前で行われているのは逆のこと、このままでは炎がもやし尽くし塵のような灰を作り出してしまう。

 

「佳織っ!」

 

「うっわーどうしようか……ここに来る前にヘルメスなんちゃらの毒塵使っちゃったんだけど……」

 

 たまらず俺は叫ぶも、コトダマなんてものはそう便利なものでもなく、フラグは回収させる癖に助けの声には応えない。

 

 炎熱の具現、ただ熱いというよりはひたすらに『火』の印象を周囲に与える化け物は無い足を使って飛びかかり、無い腕で抱擁するように面積を広げた。

 

 たまらず瞳を瞑ってしまった俺には嫌に敏感になった聴覚の情報がなだれ込んだ。

 

 聞こえたものは、燃え盛る炎の音と日々の驚愕の叫び、そして佳織の苦悶の声だった。

 

「つぁ……熱っちぃ!!」

 

 あまりに命の危機にしては情けない声をあげたその声に、薄目を開けると佳織はほぼ無傷であった。

 いかなるカラクリを使ったというのか、まさか親友の服は防火仕様だったりとか……はないか。

 

 どこからか取り出した水筒の水を炎の生き物にぶっかける親友は、「ハハッ半信半疑だったけど神様、ちゃんと愛ちゃんを守る力くれたんだ」なんてこちらが不安になるようなことを喚いていた。

 

 ちなみに炎は水で簡単に消えていた。

 弱点は水だったのか……。

 

「ヘビ人間? ……しかし、彼らはこんな装甲していないような……しかし服から見えた鱗はなんなのかな? ……特徴はあそこにいたイグに似通ったようにも感じなくはないかな…………いやいやいやいやっ、まさかっ……待てっ……ぐはっ」

 

「長考しているようで悪いが、寝てもらうよ」

 

 そういった佳織は何やら考え始めた日々を殴り飛ばした。

 しかし、日々は依然として無傷だ。きっと先程もあった膜のようなもので防がれていたのだろう。

 

「その防御だって、無限に尽きない訳じゃないんだろ? ひたすら殴って装甲貫通してやるよ!」

 

「クソッ脳筋が!」

 

 頭脳もいいはずの佳織が脳筋を極め始めた瞬間を目撃してしまった俺は親友をどうすればもとの文武両道に方向修正できるだろうかと考えてしまった。

 

 それはさておき、とにかく野性味溢れ始めた蛮族(かお)さんが美少女(ひび)の装甲をただ殴っていた。

 絵面が酷いとか言ってはいけない。

 

 おおっと、ここで佳織選手が遊びに出たぁ! 

 ジャブだ、「明日のために」と呟きながらジャブを放ったぞ!! 

 これにはたまらず日々選手よろけてしまう……が日々選手の代名詞、絶対の盾たる防御の膜は壊れていない! 

 

「……ふんぐるい、むぐぅ……っ!!」

 

 反則技の呪文を使いまたなにか摩訶不思議な現象を起こそうとした日々選手! 

 だがここで佳織選手の正拳突きだー!! 

 早くも防護が壊れてしまう! 

 殴られ弾き飛ばされた日々選手が宙を舞う、素晴らしい、なんと強力なパンチなのか! 

 

「世界を狙えるパンチだな……」

 

 そう呟いた俺は一撃ヒットしただけでピクリとも動かなくなった少女を見て親友の筋力に怯えていた。

 今この瞬間あの細腕にはどれほどの筋力が詰まっているというのか。

 

 気になることは山ほどあるがこういう時に初めに言うべきはやっぱりあれだろう。

 

「なぁお前……」

 

「んー? ……遅れて駆けつけてきたヒーロー佳織くんにきゃーすてきーありがとーだいてーの感謝の言葉?」

 

「いや……()()殺してないよな?」

 

 目元を引き攣らせてすっと日々を指さした。

 

「Oh……炎に包まれた親友より自分を襲おうとした人間を心配する愛ちゃんにショックで襲っちゃいそう」

 

「ハッハハハ……ジョーダンジョーダンアメリカンジョークヨ!」

 

 そう目を逸らして言った俺はため息をついた。

 

「……また、お前に借りができっちまったなぁ」

 

「そうだねぇ、今回はなんと愛ちゃんの操まで守ってあげたんだから高くつくよん」

 

 これだからコイツには借りを作りたくないのだと睨むように佳織見ると「いいねぇその目、唆るね」なんて親友は呟いた。

 呟きながらもこれ以上の展開に発展しないよう、紐で日々の手足を結んでいる所を見ると物語のセオリーにガンメタ張ってんなぁとありがたいながら呆れ気味に思う。

 

 ただこの感謝の気持ちばかりは表に出すのはなんか嫌である。

 というか感謝なんて感情を表に出すのは癪というか……なんというか……。

 両手両足を結ばれ首輪で壁と繋がっている俺はイイ笑みを浮かべてこちらを見下ろしてくる親友を俺は視界にとらえた。

 

「あの……助けてくれませんでしょうか」

 

「助ける……? えー感謝の言葉の一つもない人を助けるのかーヤダなー!」

 

 ニヤニヤとした佳織は今にも拘束状態のまま俺を持ち帰りそうだ。

 それだけはダメだ、最も危惧すべき事柄である。

 ちっ、と俺は一つ舌打ちしたあと結ばれた手足をどうにかうにょうにょ芋虫のように動いて土下座の姿勢を作った。

 

「鈴梅佳織様、先程は誠に申し訳ございませんでした。そしてお救い頂きありがとうございました。

 よろしければお手数でございますが貴方様の慈悲深い心で私の両手を繋ぐ拘束具と私の両足を繋ぐ拘束具と首と壁を繋ぐ首輪を外していただけると嬉しいです。

 というか外してくださいお願いします何でもしますからその妙な手をやめてっ!」

 

「ん? 今なんでもって」

 

「なんでもするとは言ってない」

 

「FF外から失礼してもそればかりは誤魔化し切れないよ愛ちゃん。フラフラと躱すのはそろそろ限界だと思うのだけど……そろそーろ腹括って」

 

「縄で首括ってしまった方が楽な気もしてくるのだが」

 

「え、首絞めプレ……」

 

「おい未成年! お前の年齢を思い出せ!」

 

「本当によくブーメランが飛び交うよね最近」

 

「ブツブツいいながらも枷を取り外してくれるその態度はツンデレかなにかか? 男のツンデレなんか需要ねえんだよォ!」

 

「少女漫画と乙女ゲーに謝れ! ツンデレキャラもいるんだぞ!!」

 

「知るかぁ! 俺が需要ないっていったら需要はねぇんだよ!」

 

「傲慢か!? その中途半端に破かれた服完全に破いてわからせてやろうか?」

 

「なっ……え、あっ……」

 

 忘れていた。

 佳織との会話が楽しすぎて服を破かれていたのをすっかり忘れてしまっていた。

 ちょうど拘束具が外れると共に少し佳織から距離をとって残った服の部分で胸を隠した。

 

「愛ちゃん愛ちゃん」

 

「…………なんだよ」

 

 先程までの佳織の視線の先がどこに行っていたかを知った俺はキッと睨みつけた。

 

「まだ女の子になって二日目だよね……? それなのになんで胸を隠すって動作が板についてるの……!? 恐るべしTS娘……っ。イイネ唆るね睨む時の涙目!」

 

「うっせぇ!」

 

 睨んだ先の佳織は戦慄した面持ちでこちらをじっと見ていた。

 興味を持つのはそこなのかよとツッコミを思わず入れる。

 

「……どこを気にして欲しいのさ……ああ! 愛ちゃんのお胸はちびっこいから隠さなくとも需要はそこまでないと思うよ?」

 

「ばーか! お前に需要があることくらい理解してんだよロリコンめ!!」

 

「自分をロリであると認めたね!」

 

「お前こそロリコンであるって認めたな!」

 

「ああ、認めるとも! むしろ生涯ロリコンではないと否定したことなぞ一度もない潔白なオレであるぞ!」

 

「潔白の二文字を一度辞書で調べてみろよ如何にお前に似合わない言葉かってわかるからよぉ!! お前は白は白でも潔白の白じゃなくて白濁の白だよ脳汁白濁液くんがよぉ! いつまでピンク妄想して過ごしてるつもりだ??」

 

「愛ちゃんまずいよ幼女が言っていいワードの限界突破しちゃってるよ君もう男の子じゃないんだよ慎む心を持っ」

 

「青少年保護育成条例違反の具現化がなに常識人ぶった発言してんだおらっ! つーか胸とかその先っぽのはR18指定されずセーフらしいから上半身の服が破けても別に俺はR指定くらいませーん、その点お前はどうだ! 危ない発言ばっかしやがってこの」

 

 

 

「うるせぇ!!」

 

 突如第三者の声が響いた。

 佳織と少し沈黙が流れ、すっと声の先に視線を向けるとそういえばこいついたなぁと存在を忘れられつつあった日々が喚いていた。

 哀れ、俺を辱めようとしたヤツは佳織の手によって既に縄で結ばれてしばらく動けなくされているのである。

 

「延々と痴話喧嘩だか夫婦喧嘩だか聞かせるんじゃねぇ!」

 

 と、ロールプレイ美少女ver日々ちゃんは怒鳴り散らすので、もはや佳織との口喧嘩などどうでも良くなってきてしまった。

 

「……帰るか」

 

「うん、帰ろうな」

 

「え、いやちょっと待とうか君たち帰ってしまうの? なら縄を解いて欲しいなーって」

 

 先程のカリスマの見る影もない日々はギャンギャンと吠える。

 

「ああ負け犬の遠吠えが聞こえるわー」

 

「だなー……ハッハッハ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 妙に長く感じられた夜も明けてきた。

 そうとはいってもまだ暗い住宅街だ。

 少し肌寒い。

 

「愛ちゃん、明日から学校だよ? どうする?」

 

「まず俺は病院に行って俺の状態伝えた方がいいと思うんだけど」

 

「そうだねー……あ、達成感で忘れてたけど山羊の会とか今の日々の居場所とか通報しないと」

 

「事情聴取のときどうすりゃいいんだよこれ」

 

 正直警察にオカルト話しても精神科に投げられるか薬を疑われるだけだろう。

 

「そんときゃどうにかなるべ……それより愛ちゃんや」

 

「なんだね爺さん」

 

「ふぉっふぉっふぉ…………それは仲睦まじく爺さんばぁさんになるまで夫婦として過ごす未来の暗示っていうことでおーけー?」

 

「あ、いや……俺寿命で死にはするけど外見変わらんらしいぞ」

 

「なん……だと!? オレは……オレはいつの間にか合法TSロリを何時でも抱ける立場にいたというのか!?」

 

「いや何時でもは抱けねえよ? 確実に努力次第だし妙な幻想を抱くのはオススメしないぞ」

 

「…………努力、次第?」

 

「うん? ……あーいや、その。あのな?」

 

「うん」

 

「俺は可愛いと思うんだ」

 

「……まぁ、そうだね」

 

「絶対寄ってくるやつがいると思うんだよ」

 

「なんなら男だった時も可愛かったしいつかオカルト的な事件でTSするのを期待して狙ってたヤツらいたもんね。なんならTS展開すら狙わず男の娘を狙ってたヤツもいた」

 

 異世界転移とか不思議なお薬とか魔法の力で女の子に! を期待してたやついっぱいいたぞ。とのことである。

 人間はやはり愚か……滅ぼさなきゃ……そんな使命感に燃えそうである。

 

「それは初耳だけど!? ……まあ、だからさ、その狙いも誰かとくっ付いちまえばきっとなくなるだろうよ、ね? 

 まぁ、本当に寄ってくる奴がいた時の最終手段だけど……どう?」

 

「どう? って、それはつまりつまるところラノベのような偽装でお付き合いしてるフリしてたけどそうしているうちに互いに意識しあって、以下省略?」

 

「お付き合いしてるフリまでしか当たってないぞ」

 

「ドキッ、いつもはイヤな奴だけどいいとこあんじゃん! そんな時に二人でロッカーに隠れて急接近!?」

 

「漫画アプリの広告で流れてきそうなノリにはならん」

 

「愛ちゃんったら……い・け・ず」

 

「ひっ……やはり先程のお話はなかったということで……」

 

「ダメだよ愛ちゃんいうこと聞いてもらう権限発動!」

 

「あっずる!!」

 

「ずるくありませーん。拒否権はないし、悔しかったら過去の自分を恨んでくださーい!」

 

「やっぱお前キライだよクソ野郎! ふぁっきんハゲ!」

 

「あっ! ……昨日までだったら『ふぁっきん人生のくそぬーぶ! 後でFPSでタイマンしろ! 逃げるなよ死体撃ちしててめぇの死期まで罵ってやるよ!!』くらい言ってたのに言動柔らかくなってるね」

 

「なんで言おうとしたこと言い当ててるの……? こわ……読心能力者かよ……気持ち悪っ」

 

「言おうとしたのになんであそこで抑えたのかな愛ちゃん? ねぇ、ねぇ……なんでもいうこと聞いてもらう権限発動! 理由を話せ!」

 

「卑怯すぎる! 乱用! 権限の乱用だぁ!!」

 

「で、理由は?」

 

 助けてくれた恩人の親友に対してたまにはトゲを減らしてやろうかななんて思ったっていったら三年は煽られるよな……。

 いかに嘘つかずに俺への被害少なく理由を語るか、なんてかぐや姫の難題より難しいことを考え始めた俺はひとつため息をついた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「イグ、かーくんになんて呪いをかけたの?」

 

 まだ暗く不気味な神社で影が二つ。

 

「むぅ……呪いとは失礼じゃの。簡単じゃよ……あれはの──」

 

「あれはね、あなたも知ってるでしょう? 『名状し難い契約』ってやつを」

 

「割り込んでくるでないわ黒山羊!」

 

 いや、三つ。

 

「待ちなさいイグ! 名状し難い契約? あんなおぞましいものをかーくんにかけたというの!?」

 

「いや、落ち着くのじゃあれはの……」

 

「あれに似通った契約というだけよー? といってもそう副作用は作らないだろうし……力を授ける代わりに少し鱗が生える、その程度じゃないかしら、正解よね、イグ?」

 

「ぴったんこじゃの……相も変わらず人の考えを読んできおるのぉ……」

 

「だって幾度か夜を過ごした中ですもの!」

 

 ルンルンといった様子で妖艶な女性が蛇の神格イグの分け身……愛や佳織が神様と呼称した少女に寄りかかった。妖艶な女性の招待は千匹の子を孕みし森の黒山羊こと豊穣の母神シュブ=ニグラス。

 黒山羊賞賛の儀式を山羊の会が積み重ねるように幾年に渡って繰り返したおかげで中途半端に招来された彼女は、実は人の姿になってイグの祀られる神社で惰性を貪り、まれに色欲を暴走させていたりするのほほんとした生活をしていた。主な色欲の被害者はイグであるのだがそれはまた別の話だ。

 

「……かーくんにこれ以上、異常が起きたらしっかりケジメつけて貰うわよ。指詰めなさいね?」

 

「おぅ……じゃぱにーずやくざ」

 

 神を涙目に変えた愛の母親は、とても笑っているようには見えないのに笑顔であった。とても愛のこもった笑顔である。

 

 神は恐れた。

 神である我が身が眼前の人間はとーっても恐ろしいものだと訴えてきたのだ。

 横で見てくる情欲女神は助けるつもりもないらしくイグの涙目を手元に持った長方形の薄型物質でカシャリと撮っていた。「いや待てお主は神じゃろいつの間にスマホなど!」と叫びたかったがひとまずは話を逸らすことに全集中することにした。そのスマホのために使った費用の出処、後で問い詰めるからなとギャグキャラに貶められた蛇神は心に誓う。

 

「のぉ……お主いつまでここにいるつもりじゃ?」

 

 この人間が最も興味を持ちそうな話題は……と神の人理を超越した思考でたたき出した演算結果を口から出力した。

 

「……それはもちろん、かーくんがここに愛と帰ってくるまでよ……きっと吊り橋効果で凄いことなってるわよー?」

 

「その時は私がお祝いしてあげるわね! 孕みやすくなる祝福よ!!」

 

 姦しくガールズトークを始めた二人をよそに呆れたような顔でイグは黙った。少し余計な情報だが、シュブ=ニグラスは人間の女性になれるがその代わり人並みの脳になってキャッキャとガールズトークを楽しめる喜びに包まれていたりする。

 

「あの黒山羊がこうなるとは……世も末じゃの。さて、主、あの佳織と愛じゃったか? 彼奴ら既に帰っておるぞ」

 

「えっどこ!? もうこの神社に辿り着いたの?」

 

「いや、主の家じゃの……今ちょうど玄関開けて『ただいま母さん……どこー留守?』『電話かければいいんじゃないの愛ちゃん』『あの人電話持ってないから……』『出会って十数年目にして衝撃の真実!』とか話しておる……お、おおおお主!? なに突然走って帰ろうとしておるのじゃ!」

 

「……早くあの子たちに会いたいのね? 子に対する親の気持ちってそんなもんよー」

 

「お主は子が多すぎじゃよ! もう少し節操を……」

 

「イグ、イグ!!」

 

「どうしたお主! 走って帰ったのではなかったのじゃ!?」

 

「転送しなさい! 私を家まで送ってちょうだい!」

 

 イグから、確かにプチッと何かが切れる音がした。

 

「……ギャーギャーやかましいのじゃ! 主ら一旦そこに直れい!」

 

 人も神も騒がしいのは変わらなく、またどちらもため息をつくらしい。

 ふと、そう思ったイグは眼前の莫迦どもを見て一言、莫迦は神でも人でも通じ合えるのじゃな、と。

 自分も通じあっていたことには気付いていないイグであった。




どっとはらい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。