君色の栄冠―小倉北編― (フィッシュ)
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キャラ設定

海崎 柊(かいざき しゅう) 2年1組 投手 左投/左打

11月8日生まれ 167cm/57kg

 

スクリューを軸にした投球をする技巧派投手。

経験不足により精神面や体力面は荒い部分が多いが、高いポテンシャルを秘めた次期エース。

バッティングのセンスも良く、チーム内ではクリーンナップ争いに参加している。

 

クールな見た目とは裏腹にとても優しい心の持ち主で、実はノリが良い。

今までの最高記録は県大会3回戦進出。

 

 

内川 優奈(うちかわ ゆうな) 2年3組 二塁手 右投/左打

9月25日生まれ 165cm/58kg

 

内外野どこでも守れる器用さを持つユーティリティプレイヤー。

高いミート力を持ち難しい球も当てられるが、今まではパワーが無いため前に飛ばせなかった。

監督の指導によりヒットの打ち方を覚え、そこからは安打を量産。

 

走攻守全てに高いポテンシャルを持ち、チームの中では1番の期待が寄せられている選手。

チームのムードメーカー的ポジション。

今までの最高記録は県大会2回戦進出。

 

 

田村 奏(たむら かなで) 2年1組 捕手 右投/右打

11月5日生まれ 157cm/50kg

ボーイッシュな黒髪ショートと緑色のつり目

 

強肩が武器の小倉北の正捕手だが、それ以外の能力は荒い。

当たれば飛ぶが当たらず、キャッチングの技術もまだまだだが指導を受けてメキメキと実力を伸ばしている最中。

 

2年生の中では唯一のツッコミ担当で苦労人。

早川とは中学時代からのチームメイトで親友。

 

 

早川 薫(はやかわ かおる) 2年2組 遊撃手 右投/右打

2月10日生まれ 155cm/48kg

薄い茶髪を後ろで1つに纏めている、紫色の丸い瞳

 

チーム内トップの俊足が売りの遊撃手。

その脚を活かし守備範囲は広いが捕球能力は低い。

肩もそこそこ強いが精度が悪く、攻守に渡り改善点は多くある。

 

チームのムードメーカーだが、わがままも多い。

新たなチームが形作られていく中で、技術的にも精神的にも成長していく。

田村とは中学時代からのチームメイトで親友。

 

 

越川 結衣(こしかわ ゆい) 3年1組 中堅手 右打/左打

6月23日生まれ 159cm/53kg

肩までの黒髪で前髪は長め、赤いタレ目

 

未熟なチームを纏める頼れるキャプテン……のはずだが、後輩からも同級生からもよくイジられる。

野球の実力自体は小倉北の中では高い方で、容姿端麗だが何故かイジられがち。

チャンスにとても強いが、本人曰く1番得意なのは守備。

 

あだ名はこっしー。同級生だけではなく、後輩からもこのあだ名で呼ばれている。

本人は後輩に呼ばれる分には構わないと言っている。

 

 

柳 千隼(やなぎ ちはや) 3年1組 投手 右投/右打

4月23日生まれ 162cm/58kg

腰までの灰色の髪と紫色のややつり目

 

華やかで可憐な見た目とは裏腹に、力強い直球を投げ込む小倉北のエース。

以前は県内を代表する投手になると言われ注目されていたが、怪我により劣化してしまい小倉北に入学した。

 

野球への情熱は冷めていたと思っていたが、高校入学後にその認識が間違っていたと実感して練習はしていた。

越川を弄る時は基本先頭に立っている。

 

 

神崎 京(かんざき みやこ) 3年3組 三塁手 右投/右打

3月2日生まれ 160cm/56kg

茶髪の天然パーマと琥珀色の瞳

 

チーム内トップクラスのパワーを誇る長距離砲。

確実性が課題だったが、監督の指導により着実に成長を遂げている。

安定感のある守備力も魅力だが、打てないせいで守備の人と呼ばれるのが嫌。

 

中学時代に柳と対戦したことがあり、その時は3打席を完璧に抑え込まれた。

 

 

岩城 瀬奈(いわしろ せな) 1年4組 一塁手 左投/左打

3月17日生まれ 159cm/53kg

肩に付く長さの黒髪と桃色の瞳

 

チーム1のパワーを持つが、神崎同様確実性に課題がある。

得点圏では研ぎ澄まされた集中力を見せ、的確に獲物を仕留める。

中堅校からのスカウトが視察に来ていたが、守備難が災いしてスカウトの話は流れてしまった。

 

普段は声が小さく大人しいが、野球をする時には大声を出せる。

頭が良さそうに見られるがそんな事はない。

 

 

志賀 美海(しが みなみ) 1年5組 右翼手 右投/左打

12月6日生まれ 156cm/50kg

茶髪をポニーテルにし、青色の丸い瞳

 

俊足と広い守備範囲を誇る外野手。

ミート力もあり変化球を打つのは得意だが、直球には差し込まれる事が多い。

走力自体はあるのだが、盗塁に苦手意識を持っている。

 

ポテンシャルの高さは誰からも認められているが、精神的な弱さが成長を阻んでいる。

 

 

白土 志帆(しらと しほ) 1年2組 左翼手 左投/左打

9月13日生まれ 157cm/51kg

後ろが跳ねた黒髪ショートで、茶色の瞳

 

高いミート力と強肩を誇る外野手。

肩は強いが送球の精度と捕球能力に難があり、中学時代は使いづらいと言われ続けてきた。

 

守備とは裏腹に打撃は安定しており、特にエース級の投手や逆境の場面には強い。

 

 

萩原 燈香(はぎわら とうか) 1年3組 マネージャー 右利き

3月30日生まれ 156cm/47kg

薄い茶髪のセミロングで、オレンジ色のタレ目

 

緩い野球部を希望して入部してきたマネージャー。

中学時代も野球部でマネージャーをしていた事もあり、知識は十分にある。

 

多少ミーハーな面があり越川のファンだが、部員1人1人に対して愛情を持って接する。

 

 

黒川 美鳥(くろかわ みどり) 監督 左投/左打

 

名前も誕生日も経歴も、個人情報の全てが秘密の謎の女性。

分かっているのは名前と、長い茶髪を後ろで1つ結びにしている事だけ。

 

常に真っ黒のサングラスを着けていて、その下の素顔は読み取れない。

体格や動きからして一般人では無いと部内では噂されているが、その真偽はまだ明かされていない。

担当科目は体育。



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2年生編
第1球 新たなはじまり


博多が舞台ですが、博多弁だと執筆に時間が掛かるので標準語で書きました


放課後。それは各々が好きなように過ごせる時間。

部活動に励む者もいれば、即座に帰宅する者、誰かと一緒に寄り道をする者など過ごし方は様々だ。

 

多くの学生にとってはつまらない授業という時間を終え、明るい声や笑顔があちこちを飛び交っている。

そんな雰囲気の中で、グラウンドでは6人の野球部が体を動かしていた。

 

 

「優奈いくよー」

「はーい! ナイボ!」

 

元気にキャッチボールをしているのは、2年生の内川優奈と海崎柊。

同じく2年生の早川薫と田村奏、そして3年生の越川結衣と神崎京の6人だ。

 

野球は9人でやるスポーツ、この人数では試合すら出来ない。

そもそもここ小倉北高校野球部は、常に1回戦負けが当たり前の弱小校。

やる気すら無く、何となく好きだから野球をやっているだけのメンバーが集まっている。

 

 

「そういや今日、新しい監督来るんだっけ?」

「らしいね、見た目怖いって噂だよ」

「えー、練習厳しくなったらヤだなー」

「ならないだろ、こんな弱い野球部なんだから」

 

2年生4人が新しく就任する監督について話していると、そのタイミングで何やら見かけない顔がグラウンドに入ってくる。

今年から1年生の体育教師に就任した黒川だ。

 

「噂をすればってやつだね、挨拶行ってくるよ」

「こっしー任せたよ!」

「誰がこっしーだ! 何回も言ってるけど、同級生にそのあだ名を許可した覚えはないからね!」

 

“こっしー”と呼ばれた彼女は、このチームを率いるキャプテンだ。

見知らぬ彼女を新たな監督だと思い、率先して挨拶に向かう。

 

 

「おはようございます、キャプテンの越川結衣です。あなたが新しい監督ですか?」

「ああそうだ……部員はこれで全員かい?」

「はい、そうです」

 

――6人もいるなら問題無いな。

 

監督である彼女は、サングラスの奥の瞳を輝かせながら部員達を見渡しニヤッと笑う。

 

「おはよう! 私が監督の黒川だ、これからよろしく!」

『よろしくお願いします!』

 

一部のメンバーは、へらへらと笑いながら挨拶をする。

やる気が無いため監督に対しても、真面目に接するという意識も無いのだろう。

 

 

「さっそくだが新入部員を連れて来たぞ! ほら自己紹介だ」

「は……はい。えっと……一塁と外野の岩城瀬奈です……これからよろしく、お願いします」

「よろしくー」

 

岩城と名乗った彼女は、声も小さく見るからに大人しそうだ。

 

――見た目で人を判断するのは良くないけど、あんまり野球上手くなさそう……。

 

越川はそう思いはしたが、口にはしなかった。

続いて黒髪をショートカットにした少女が前に出る。

 

「レフトを守っていました白土志帆です、これからお世話になります!」

「おっ、レフトか! うち今外野1人しか居ないから助かるよ」

「こっしーがセンターだから、余計に嬉しいね」

「だからこっしー言うな……」

 

最後は薄い茶髪をポニーテールにした少女が、一歩前に出て挨拶をする。

 

「ライトの志賀美海です、よろしくお願いします!」

「しかもライトも来たじゃん! 全ポジション埋まりましたね」

「まあ試合で勝てるかどうかは別だけど……うち弱いし」

「先輩達も自己紹介してやってくれ!」

 

監督にそう促され、まずはキャプテンである越川から自己紹介をする事になった。

 

 

「私がキャプテンの越川結衣です、ポジションはセンター。緩い部だから、気を張らないでいいからね」

「あだ名はこっしーだよ! それで私はサードの神崎京、分からない事があったら何でも聞いてね!」

「だからこっしーじゃ……もういいや」

 

次第に突っ込むことに面倒臭くなった越川は、あだ名について訂正するのをやめた。

次は2年生組の順番となる。

 

 

「私はセカンドの内川優奈……といっても、たらい回しされてバッテリー以外はどこでも守れるんだけどね」

「器用だからね……私はピッチャーの海崎柊、よろしく」

 

内川と海崎が挨拶を終えると、その後ろから明らかに地毛では無い茶髪を1つに纏めた少女が出てくる。

 

「そして私がショートの早川薫! よろしくね!」

「私が最後かよ……キャッチャーの田村奏、これからよろしく」

 

最後に話したのは黒髪ショートの、見た目は少し怖い雰囲気を醸し出している少女。

だが話し方はとても優しく、決して中身も怖い訳ではないと感じさせてくれる。

 

 

 

「全員いい顔をしているな……まずはいつも通りの練習をしてくれないか? それを見てから指示を出したいんだ」

「分かりました、じゃあまずはアップから始めるよ」

『はーい!』

 

越川が率先して声を出し、後輩達にはやり方をレクチャーする。

アップから始まってトス打撃をし、そして最後にノックを行った。

 

「こんな感じでいつもやってますよ」

「ふむふむ……全員集合!」

 

一通りの練習を見せ終わると、監督が部員達を集める。

一体どんな指示が出されるのか、不安と期待が入り乱れた表情で越川は見守る。

 

 

「私は目標を持っているんだ……このチームで全国に行くという」

「えっ……」

 

越川が動揺して目を見開く。

この言葉に驚いたのは越川だけでは無い、全員が顔を見合わせて驚いている。

 

「いやいや、1回戦負け常連のチームですよ? そんなんで全国とか無理ですって」

「そうそう、それに私達そこまでやる気ないんで。全国行くためには練習めっちゃしなきゃいけないんですよね? 無理っすよ」

 

早川と田村が真っ先に監督の言葉を否定し、内川や海崎達もそれに頷いて肯定する。

 

 

「ふふ……私は本気だぞ? 手始めに内川、岩城、神崎!」

「はい?」

「この3人以外は打撃はほぼ練習しないでいいぞ」

「はっ!? 何言って……練習くらい好きにさせてくださいよ!」

「そうですよ、好きにやれるからここ選んだのに……」

 

またしても早川と田村が反発する。

口にはしなかったが、越川や1年生も同じ気持ちだった。

 

「……なら条件を出そう、3週間後に練習試合を組んだ。相手は博多工科だ」

「博多工科って……ベスト8常連の!?」

「よくそんな高校と試合組めましたね……」

「てか練習機材も揃ってないのに、どうやって上手くなれって言うんですか?」

 

神崎が言ったように、弱小校である小倉北には機材など揃っていない。

もしくはあるにはあるが、ボロボロでまともに使えないような物しかない。

グラウンドだって他の部活との兼用だ。

 

 

「機材か? これだけあれば十分かな?」

「なっ、なにこれ……」

 

監督は多くの機材を運んできた。

最新型のピッチングマシンに、新品のバットやボールにヘルメット。

更にはティーやネットも人数分揃っている。

 

「部費は少ないはずです、どこからこんな資金が……」

「別に自腹切って買っただけだぞ?」

「こ、この量を……」

 

――これだけ買ったら200万、いや300万くらいはするかも? こんな大金持ってるとか、監督は何者なんだろう……。

 

目の前にどんどん出されていく機材を前に、海崎は金額の計算を始める。

野球の実力こそアレな彼女だか、こういった機材の価格を調べるのは好きな為すぐさま計算できた。

 

 

「3週間後の試合が終わるまでは私の指示に従ってもらおう。そこからは各自私についてくるか、それとも今まで通りやるか……選べばいいさ」

「3週間耐えればいいだけですよね? なーんだ簡単じゃん」

「だな、試合さえ終わっちまえば今まで通りの練習が出来るんだから」

 

早川と田村の2人は、やはりやる気が無いようだった。

こんな風になったのは単純に、実力や才能の差を何度も見せつけられたから。

 

どれだけ練習してもどんなにいい機材があっても、自分の才能が足りないから勝てない。

そんな現実を何度も突き付けられた結果だ。

 

 

「……とにかく3週間だ! その間は全員しっかり練習しよう」

「そこから先は自由になるとしても、この期間だけは全員真面目にね!」

『はい!』

「はーい」

 

――監督の狙いが何かは分からないし、何者かも分からない……。けど私はキャプテンなんだ、こういう時こそチームを纏めないと。

 

越川はキャプテンとして、このギスギスしたチームをどうにかしようと考えていた。

早川や田村を始めとした反発組、そして入部したてなのにこんな事態に巻き込まれた新入生のケア。

 

少しでも雰囲気を良くする為には、自分が声を上げなければならない。

それを彼女は分かっていた。

 

 

「ちわーっす、野球部終わった?」

「あっ……ごめん! 今から片付けるよ」

「サッカー部来たから全員急いで撤収ー!」

 

室内での練習を終えたサッカー部が、グラウンドを使用する時間になった為急いで片付けを終わらせる。

 

――グラウンドは共用……こりゃ弱くもなるか。

 

監督は小倉北の野球部が弱い原因には、グラウンドの共用による練習時間の短縮にもあると推察する。

練習日は週3日、そのうちずっとグラウンドを使えるのは1日だけという実情だ。

 

 

 

「ごめんごめん、ちょっと新監督来て話し込んでた」

「あーそういや言ってたね、まあうちらもそこまで練習熱心って訳じゃ無いし」

「あはは……ありがと」

「こちらこそ、じゃーね」

 

サッカー部も同じように弱小と呼ばれている。

というよりも小倉北でそこそこ強い部活といえば、卓球部とバドミントン部くらいしかない。

 

「……監督、本当にこれで勝てますかね?」

「私を信じろ……いや、信頼関係の無い今ではこんな事を言っても無駄か。……3週間後に分かるさ」

「はぁ……まあ楽しみにしておきます」

 

――上手くなれるなら上手くなりたいし。

 

野球部はサッカー部にグラウンドを明け渡し、そのまま解散となる。

まだ夕焼けが綺麗な時間帯に練習が終わってしまった。

 

 

 

内川と海崎、そして神崎は一緒に帰っていた。

 

「どう思う? あの監督のこと……」

「正直まだ分からないですね、けど無理そうじゃないですか? 特に薫や奏を説得するのは」

「それに1年生だってどう感じたのか分からないし……私は様子見ですね」

「同じくー、てかここは中立組だよね」

 

この3人は反発している訳では無いが、かと言って監督について行こうとも考えていない。

今はまだ様子を見て、状況がどちらかに寄ればそちらの仲間になろうとしている。

 

 

「……まあでも、私はこっしーの決めた方にしようかな」

「わかります、こっしー先輩のやりたいようにやって欲しいです」

「こっしー先輩今日辛そうだったもんね……あんなギスギスしてたら当たり前だけど」

「んじゃとりあえず、私達はこっしー派って事で!」

 

越川の苦労を知っていた3人は、どんな決断であれ越川の決めた方向に向かうと決めた。

小倉北がこの先どうなるかは、まだ監督以外の誰にも分かっていない。




また君色の栄冠シリーズの投稿を始めました。
今作は2年間という事で、本編よりは話数は短くなる予定です。


それとブログの方で没になったプロ編の選手を公開しているので、良ければ見てください。


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第2球 改造開始!

2年生編完結までは既に予約投稿済みです。
3年生編はまだ2話しか書けてないので、投稿はいつになるか分かりません。


新監督が就任した翌日。

やる気の無かった部員達は、普段とは違う真剣な表情でアップを行っていた。

 

「1つ1つの動きに集中して! ここから強豪校との差がでてるんだぞー!」

「まさかこんなに厳しくなるとは……」

「まあでも、結構楽しいじゃん? 私は好きかも」

「それは同感かな、やっぱり勝てたら嬉しいし」

 

今までの2年で、まともに勝ったことのない越川と神崎。

自分達の純粋な実力で勝てるかもしれない、そのチャンスを掴む為に2人は誰よりも真剣に取り組んでいた。

 

 

「という訳で、昨日名前を呼んだ3人と海崎はマシン打撃! それ以外はノックだ」

「はい! 2人とも行こ」

「はーい」

「はっ、はいっ!」

 

昨日名前を呼ばれた3人と、海崎は既に準備されていたマシンの前に立ち打撃練習を始める。

それ以外のメンバーは、自身の守備位置につき監督のノックを受ける。

 

「まずは簡単な打球からいくぞ……まずショート!」

「私からか……はい」

 

まずは野球経験者なら誰でも捕れるような、適度に緩い打球から。

早川は簡単そうに打球を捌く。

 

 

「脚の運びが遅いぞ! 簡単な打球だからって手を抜くな!」

「うっ……はーい」

 

面倒臭いと顔には出ているが、3週間は言う事を聞くと約束した以上従うしかない。

 

――昨日も思ったが、ポテンシャルが高い奴はそこそこ居るが雑にやってる節があるな……。これは鍛え甲斐がありそうだ。

 

ほぼ全員に緩い打球、ライナー性の打球、左右に揺さぶる高いフライ。

様々な打球を打ち込み部員達は皆ヘトヘトになっている。

 

――越川は良し、早川と白土は範囲は広いが捕球が苦手……志賀は練習だと良い動きするけど、確か実戦だとアレなんだよな。

 

 

監督は今ここにいる全員の守備力を分析をするが、まだノックを受けていないのが1人いる。

 

「田村、キャッチャーフライは得意か?」

「いやー、前の監督打てなかったんで今捕れるか分かんないす」

「なら特訓だな! ほら捕れ!」

「ちょっ、いきなりすぎるっすよ!」

 

空高く打ち上げられた打球を追って、ファールゾーンまで駆けていく。

風に流されるボールを見逃さないように気をつけ、何とかキャッチした。

 

「なーんだ、ちゃんと捕れてるじゃん」

「結構ギリギリっすけど……」

「捕れたから良いんだよ、アウトの取り方だって同じだ。どんな方法でも取れたもん勝ちだ」

「ふーん……なんか高校野球っぽくない事言うっすね」

 

――小中だとそんな風にやっても、基本から外れた動きをすると怒られてたのになぁ。

 

 

「まあレベルの高い高校と張り合うのであれば、普通のプレーをやってるだけじゃ勝てないからな」

「……うっす」

「じゃあ二塁送球も見せてくれ! 早川が二塁入ってくれ」

「はーい」

 

監督はそう言うと田村の前にボールを転がし、田村はそれを捕って素早く二塁に投げる。

低い弾道でノーバウンドで伸びていくボールは、早川のグラブに良い音を立てて収まった。

 

「肩強いな! 強肩の正捕手は良いな〜」

「別に、肩以外はダメっすよ」

「自分で自分の事を下げるな! ネガティブな捕手は投手から好かれないぞ」

「……はい」

 

――田村が強肩だったのは嬉しい誤算だ。海崎の球は速くないから、機動力で攻められたら危険だったからな。

 

盗塁を多く仕掛けられ、得点圏を簡単に作られた場合部員のメンタルが持つか分からない。

その為正捕手の田村が強肩であれば、多少なりとも抑止力にはなる。

 

 

 

「この中でノック打てるやつはいるか?」

「あ、一応自分が打てます……監督ほど上手くないですけど」

「なら今から頼んで良いか? 私は田村と一緒に海崎のピッチング鍛えてくる」

「分かりました、お願いします」

 

監督からノックバットを受け取り、何回か素振りをして感覚を合わせる。

 

「じゃあ田村いくぞー、海崎ー! 少し休んだらピッチングだ」

「はい!」

 

グラウンドの隅でマシン打撃を行っていた海崎は、バットをベンチに置いて駆け寄ってくる。

 

「海崎の球種って何があるんだ?」

「スクリューとパームです」

「珍しい変化球投げるんだなぁ、そういうの好きだぞ」

「はは……ありがとうございます」

 

――単にカッコいいからって理由で投げてるだけなんだけど……まあ褒められて悪い気はしないかな。

 

 

海崎は休憩と軽めのストレッチを終えて、マウンドに立つ。

監督はその斜め後ろに立って投球の様子を観察する。

 

「フォーム綺麗だなー、昔からそうなのか?」

「はい……プロ野球選手のフォームを色々真似しつつアレンジしてたら、今のに落ち着きました」

「完成されたフォームは投球にも良い影響を与えるからな、フォームは変えずにいこうか」

「ありがとうございます!」

 

――遅いけどそこそこ制球は良さそうだな、変化球はこれからだけど……海崎も磨けば光る逸材だ。

 

変化球も含めて何球か見ると、監督は動いた。

 

 

「ただ変化球とストレートの時に、腕の角度が違うのが気になるな。これじゃ球種を絞られる、リリースを同じにしよう」

「この投げ方じゃないと曲がらない場合はどうすれば……」

「だったら握りを変えるんだ、色々試してみよう」

 

――投手ってここまで考えないと駄目なんだ……けど、ちょっと楽しいな。

 

監督から色々と握りを教えてもらい、何度も何度も試していく。

リリースポイントがバラバラにならないように、という部分にも気をつけながら。

 

海崎は心配がいらないと判断した監督が目を付けたのは、田村の捕球の仕方だった。

 

「左脇もうちょっと締めて、それだとストレートの球威に押されるぞ」

「こんな感じっすか?」

「そうそう、あとは掴みにいくなよ。そうすると捕球した際にブレやすくなるし、音だって鳴らなくなる」

「うっす」

 

左肘やキャッチャーミットの角度、そして捕り方について何度も指導をする。

するとまだ30分しか経っていないが、初めの頃と比べてだいぶ形になってきている。

 

 

「ナイボ!」

「良い音鳴るようになったな……ミットの動きや音の大小、そういう細かな部分が投手に好かれるかどうかを分けるんだ。投手に好かれる捕手になれよ」

「……はい」

 

――友達だからって、選手として好かれるとは限らない。普段だけじゃなく、プレー中でも海崎に好かれる捕手に……。

 

この言葉に思うところがあった田村は、先程までの怠そうな動きはしなくなった。

1球を受け止めるにも真剣に、集中してプレーするように変わった。

 

――やる気が無いとか言いながら、全員野球が好きなんじゃないか。楽しそうにプレーしてくれてるし、今年もチャンスはあるな。

 

最初はアップや守備もゆっくりとやっていた彼女達だったが、今はほぼ全員がキビキビと動いている。

こういう所の意識も変えていけば、必ず強くなると監督は信じていた。

 

 

 

 

「練習終わり! 急いで片付けろー」

「こっしー、どっちが先にグラセン出来るか勝負しよ!」

「いいけど……ちゃんと綺麗にやるからね?」

「もちろん! 綺麗かつ素早くやった方の勝ち!」

 

――勝負形式の片付けか……意外と良いかも。

 

「柊! 私達も勝負しよ! 先にボール1箱片付けた方の勝ち!」

「おっ、いいね。負けないよ」

「それはこっちのセリフだって!」

 

越川と神崎の会話を聞き、内川と海崎も勝負形式で片付けを行なっていく。

それが伝播していき、全員が競い合った結果いつもより速く片付けは終わった。

 

 

「おお、速い……これからはずっとこの形式でやるか」

「他の部からしてもありがたいですもんね」

「そうだな……全員お疲れ! もう帰っていいからなー」

「あざしたー!」

 

真っ先にグラウンドから出て行ったのは早川。

それを追って全員が走って部室に向かい、練習が終わったというのにトレーニングをしているようだった。

 

 

「ねね、帰りどっか寄ってかない? お腹すいた!」

「こんなに練習したの初めてだもんね、どこ行く?」

「フードコードで良いんじゃない、全員食べる物バラバラなんだし」

「確かにな」

 

2年生組がこれからの予定について話している。

 

「他に誰か行く人ー!」

「夕飯入らなくなるからパスで」

「ごめんね〜、同じく」

 

越川と神崎は今食べると夕飯が食べられなくなるのと、そもそも自宅から反対の位置という事もありパスに。

 

「1年ちゃんは?」

「……私、あんまり遅くまで居られないので……」

「私は平気ですよ」

「私もです」

 

岩城は家の決まりによりパス、白土と志賀は参加する事になった。

急いで着替えを終えた彼女達は、部室から出て解散する。

 

 

 

学校から10分程の位置にあるフードコート。

そこには同じ考えなのか、部活帰りと思わしき高校生の姿が多く見えた。

 

「相変わらず混んでるなー」

「席取っとくから先選んでて良いよ」

「えっ、そんな! 海崎先輩がお先にどうぞ!」

「気にしないで、私優柔不断だから決めるの時間掛かるし」

 

後輩2人はそれでも悩んでいるようだったが、やがて内川にも説得され先にメニューを選びに行った。

 

「なーに食べよっかなー」

「とか言っておきながら、薫はいつもハンバーガーとか食べるじゃん」

「だって美味しいじゃん」

「たまには別の食べれば? 私はうどん食うわ」

「……奏もいっつもうどんじゃん」

 

結局2人ともいつもと同じメニューを選び、他の3人より先に先に戻った。

その頃丁度海崎も何を食べるか決まったらしく、交代で席を立つ。

 

 

 

「全員揃ったね、じゃあまずはお疲れー!」

「お疲れ、いやー疲れたね」

「まさかあそこまでガチとはな……変なプレッシャー掛かってた」

「田村はめっちゃ指摘されてたもんな」

 

今日の練習についての感想や、勉強になった事などを共有し合う。

楽しく話をしていた6人だったが、海崎が切り出した。

 

「正直どう思う? 監督と今の練習について……」

「……まだ分からん、けどまぁ悪い気はしないというか」

「意外と楽しいよね! 上手くなってる気はするし」

「元が下手だからそう感じるだけかも知れないけど、良くなってるのは自分でも分かるよね」

 

まだ1日しか経っていないが、確実に上手くなっている実感はあった。

マイナスがゼロになった程度ではあるが、それでも大きな一歩だ。

 

 

「つーか1年上手い子多くない? なんでウチ来ちゃったの?」

「中学の時、すごく練習が厳しくて……だから高校は緩くやりたいなって」

「結局こうなったけどね……志帆は?」

「私も似たような感じです、守備下手だったから監督に使いづらいって言われ続けてて……なんか嫌になっちゃって」

 

厳しすぎる環境に身を置けば、理不尽に怒られたりする事もある。

いくら上手くなれたとしてもそれは嫌だと思い、2人は小倉北に入学した。

 

「瀬奈っちは? あの子バッティング凄いのに」

「中堅辺りからはスカウトも見に来てたらしいですよ、ただ守備難で話は流れたらしいですけど……」

「あー……まあ守備悪いファーストとか使いたくないよね」

 

守備が下手な選手がやると思われがちなポジションだが、アマチュアレベルでは一塁手が1番大事とも言われる事もある。

安定しない送球が投げられる事も多く、1試合で捕手の次に多くボールを触る。

下手な選手には任せられない、内野の要とも言えるポジションだ。

 

 

「練習ついていけそう? 私達が言えることじゃないけど……」

「多分……監督は変に怒ったりしませんし」

「悪いとこはちゃんと改善方法とか教えてくれるもんね、見た目は怖いけど優しいよね」

「てかあのグラサンはなんなの? 表情分かんないしマジで怖いんだけど」

 

監督の見た目や指導について話す彼女達の表情は、とても明るく充実感溢れるものだった。



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第3球 思ったよりも

校内を歩く1人の少女がいた。

地毛の茶髪を二つ結びにしている、背の小さい女の子だ。

 

――野球部は確か今日もやってるはず、早めに行こっと。

 

小さな足音を立てながら、小走りでグラウンドの方へ向かう。

彼女の情報は正しく、野球部は練習をしている最中だ。

 

――……あれ? 思ってたのと違う……ガチじゃん。

 

“小倉北の野球部は緩い”という事前情報を得ていた彼女は、目の前の光景に面食らっていた。

選手は大きな声を出しながら全力でプレーをし、隙間の時間でも何かをしている者がほとんど。

まるで強豪校を見ている様な錯覚に陥っていた。

 

 

「おっ、入部希望者か?」

ひぇっ……」

 

目の前に立ちはだかるのは、黒いサングラスを掛けた大柄な女性。

明らかに一般人ではないその筋肉の付いた肉体は、少女を怖がらせるのには十分すぎた。

 

「ごめんごめん、怖がらせてしまったか? ……このグラサンはな、ちょっとした事情で外せないんだ」

「はぁ……えっと、マネージャー希望の萩原燈香(はぎわら とうか)です」

「マネージャー希望か、それはありがたいな! 私は監督の黒川だ、よろしく」

 

監督は自分が怖がられた事も気にせず、新入部員を歓迎した。

萩原はズンズン歩く監督の後を、その小さな歩幅でついて行く。

 

 

「全員集合! 待望のマネージャーが来たぞ」

「マネージャー!? やりましたね」

 

マネージャーの存在に1番喜んだのは、越川だった。

監督1人では指導に加えて練習の準備を行うのは大変だと、そう感じていたからだ。

 

「私がキャプテンの越川、よろしくね」

「は、はい……」

 

――わ、かっこいい……。この人がいるなら、入部してもいいかも。

 

越川は部内で1番容姿が良いと言われており、特に後輩からの人気が高い。

萩原も例に漏れず、この容姿に惹かれてしまったようだ。

 

 

「あの……ひとついいですか? 確かここの野球部って緩いんじゃ……」

「あーそれね……今年からガチ方針になっちゃったんだ」

「そうだったんですか……」

「けど練習時間は変わらないと思うし、ぜひ入部してほしいな」

 

越川がこう頼まれては、一目惚れに近い感情を持っていた萩原は断れなかった。

無事唯一のマネージャー誕生となり、部員からは拍手が起こる。

 

「いやー、さすがこっしー! このタラシめ」

「人聞きの悪いこと言わないで……というか練習再開するよ!」

『はい!』

 

 

マネージャー誕生の喜びよりも優先しなければならない事、それは来たるべき試合に向けての練習だ。

キャプテンの言葉に従い、再びグラウンドに散っていく9人。

マシン打撃や越川のノックを受ける片隅で、萩原は監督に仕事を教わっていた。

 

「基本はスポドリの補充かな、重いけど持てるか?」

「多分……おっも! けどこれなら、慣れれば余裕だと思います」

「そりゃあ頼もしいな、今後は任せたぞ」

「はい! それと、チームの目標ってなんなんですか?」

「ん? そりゃ全国だけど」

 

あまりにもあっさりと言うものだから、萩原は言葉を飲み込むまでに時間がかかってしまった。

 

 

「ぜ、全国ってあの全国ですか!? ウチが!?」

「冗談なんかじゃないぞ、このメンバーなら行けると本気で思っている」

「……監督は、何者なんですか? オーラというか、そういう物が一般人とは思えないんですが……」

「それは卒業までの秘密だな」

「ええ~……まあいいですけど」

 

監督が自分の素性や素顔を一切晒そうとしないのには理由があるが、それを部員達が知るのはもう少し後のことだ。

 

「よしっ、海崎と田村! 2人は投球練習だ」

「分かりました」

「りょーかいっす」

 

バッテリーの2人はグラウンドの隅にある、少ないスペースでキャッチボールを始める。

肩が温まってきたら、田村を座らせて本気で投げる。

 

――海崎はセンスがあるから、だいぶ様になってきたな。田村は……まだ時間掛かりそうかな。

 

球威が無くお辞儀していたストレートは、多少のノビが出てきてマシになっていた。

変化球だって変化量が増え、制球だって安定してきている。

 

「上から振り下ろそうって意識が強いのか、パーム投げる時だけフォームが違うぞ」

「本当ですか? どっちに合わせたら良いですかね」

「ストレートの投げ方に合わせる方が良いと思うぞ、パームに合わせると多分制球が犠牲になる」

 

極端なオーバースローは、球威は出やすくる。

その反面、制球をするのは難しくなる。

どんなに強い球を投げていても、ストライクが取れなければ意味が無い。

少しでもコントロールしやすいように、スリークォーター気味に投げろと監督は言う。

 

 

「そういえば、他に投手って作らないんですか?」

「本職すらまともに守れないのばっかなんだ、そんな余裕は無いな」

「それもそうっすね、けど海崎1人で投げ切れってのも酷な話じゃないっすか?」

「一応経験者を探してはいるんだけどな…見つからなっかたら仕方ないってことで」

 

――できれば投手経験者が望ましいが……そう上手くはいかないかな。

 

北部は最大予選で4試合、県予選で4試合の計8試合。

いくら頑丈かつ回復の早い高校生だとしても、1人で投げさせるのはあまり好ましくない。

なんとかして、最低でももう1人は投手が欲しい。

 

 

 

「美海いくよ!」

「はいっ!」

 

バッテリーが投手運用について心配している横で、外野は越川のノックを受けていた。

脚が速く守備範囲も広い志賀に、肩は強いが範囲や捕球能力に不安がある白土。

 

「休憩入るよー…美海は守備上手いね」

「……練習の時だけですよ」

「どういう意味?」

「試合中……特にピンチの場面になると、どうしても動きが悪くなるんです」

 

悲しそうな、今にも泣きそうな顔で声を絞り出す。

 

「もしかして、チャンスで打てないタイプ?」

「はい……」

 

――実力はあるのに、メンタル弱いタイプかー……1番指導しづらいな。

 

 

「志帆は? メンタル面は……」

「特に問題ないですよ、ただ単に守備は苦手ですけど」

「なるほどなぁ……まぁいざとなったら私に任せてくれていいから、守備は得意なんだ」

「ですよね、動きに迷いがなくて惚れ惚れします」

 

越川は自他共に認めるほど守備が上手い。

この両翼のカバーを出来るのは、チーム内では彼女しかいないだろう。

 

「さあ2人とも、休憩したら今度はバックホームの練習するよ」

『はい!』

 

外野は守備における最後の砦。

ここを抜かれれば、それより後ろを守っている野手はいない。

絶対に後ろに逸らしてはならないポジション、それが外野だ。

 

 

 

各自決められた休憩時間を過ごし、部活後半の練習が始まる。

今日はソフトボール部と共用で、練習時間はたったの1時間半。

移動や準備はテキパキと行い、少しでも練習に費やせる時間を増やす。

 

「岩城と神崎! 打撃練するぞー」

「はい、今日はなにするんですか?」

「2人ともミート力無いし、シャトル打ちして鍛えようか」

「バドミントンのやつですか……バットで打つのは難しそうですね」

 

まずは監督が手本を見せてくれるという事で、神崎がトスを上げる。

監督は投げられるシャトルの先端を、バットの芯で的確に打ち返す。

 

「この練習で大事なのは、まずシャトルの軌道を見極めること。それと確実に芯で捉えることだ」

「瀨奈が先に打っていいよ」

「え……いいんですか? ありがとうございます」

「おー、神崎先輩やさしーなー」

 

――単純に先にやって失敗して、恥かきたくなかっただけなんだけど……まあいいか。

 

 

そんな神崎の意図を知らない岩城は、先輩のあげるシャトルをフルスイングで打ち返そうとする。

しかしバットは羽の部分に当たり、シャトルは力なく地面に落ちる。

 

「どんな感じ?」

「予想以上に難しいです、捉えたと思ったのに……」

 

20球ごとに交代しようとなったが、結局岩城がまともに捉えられたのは4球ほどだった。

 

「いかに自分が、今まで雑なスイングをしてきたか思い知らされましたね……」

「恐ろしい練習だね……じゃあトスお願い」

「はい」

 

続いて神崎も挑戦するが、結果は20スイング中6本しか飛ばなかった。

 

 

「最低でも半分は打って欲しかったな~、まあこれから頑張ろうか」

「はい……」

「それと岩城は、来週からは守備練中心にやってもらうから」

「あれ、打撃組じゃありませんでしたっけ?」

 

思わず神崎が疑問を口にする。

 

「実は元からこの予定だったんだ、守備難のファーストはちょっとな」

「ですよね……頑張ります」

 

守備の悪さは本人が1番分かっている。

岩城は苦笑いをしながらも、練習内容の変更に頷いた。

 

――代わりに越川を打撃組に入れて、あとは特に変更無しかな……。早川と田村は期間中は守備に専念させた方が良いよな。

 

 

新生チームの初の練習試合まで、あと2週間。

その間にどれだけ練習を詰め込めるか、これが勝敗を分ける事になる。



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第4球 最初の試合

4月末、遂にこの日がやってきた。

新生小倉北の初めての試合にして、チームの今後の方針が決まる大事な日。

 

今日の結果次第では、また以前のような緩いチームに戻る場合だってある。

監督としてはそれを避けたいだろうが、本人は不安なんて何も無いような晴れやかな顔をしている。

 

 

「さあ試合だ! サインは沢山出すから、集中していこうぜ!」

『おー!』

 

試合は小倉北の攻撃から始まる。

対戦相手の博多工科の2年生エース、河野飛鳥(こうのあすか)がマウンドに上がる。

 

――なんでこんなチーム相手に、と思ったけど……意外と手強そうなチームかな。前まではやる気無かったのに、今は全員気合い入ってるし。

 

「飛鳥、気楽になー。余裕でコールド決めちゃお」

「ああ、けど油断はするなよ」

「心配性だな飛鳥は、警戒するような相手じゃないでしょ」

「……そうだと良いんだけどね」

 

サードを守る平山とショートを守る桜木にそう言われるが、河野は表情を緩める事は無かった。

どんな相手に対しても真剣に、それが彼女のモットーだからだ。

 

 

「さあ一発かましてこい、内川!」

「はい!」

 

1番バッターに任命されたのは内川。

高いミート力と俊足を買われての起用だ。

 

――見た感じだと、サードとショートは油断してるな……痛烈な打球を流してやれ。

 

流し打ちのサインに頷いた内川は、バッターボックスの内の方に立つ。

こうする事で外角の難しい球も弾き返せるようになる。

 

――いつも通りに投げれば抑えられる相手だ。打てるものなら打ってみろ!

 

油断こそしてないが、初球から内角を厳しく攻める相手では無いと思っていた。

投げられたのは外角への直球、内川はそれに対しスイングで応えた。

 

 

鋭い打球が三塁線を襲い、気を抜いていた平山の横を抜けていく。

レフトが処理に向かっている間に内川は一気に二塁を奪う。

 

「ナイバッチー!」

「良いぞ内川! さあ続いていけ!」

 

1年生ながら2番に抜擢されたのは志賀。

高いミート力と選球眼の良さ、本来であれば1番が適正だが。

 

――精神面の弱さから、恐らくトップバッターは緊張して打てない……内川はその点心配無いから安心できたな。

 

 

これからの攻め方を考える監督に対し、マウンド上の河野は明らかに動揺していた。

その隙を突いて責め立てるしかない。

監督は志賀にヒッティングのサインを出す。

 

――いきなり得点圏……大丈夫、今まで練習してきた事を思い出せばきっと打てる。

 

そう意気込んで臨んだ志賀だったが、結果は内角のボールを詰まらされセカンドゴロに終わる。

しかしこれは進塁打になり、1アウト三塁で越川に回った。

 

 

「こっしー先輩頼みましたよー!」

「キャップ打てー!」

 

――クリーンナップの私は警戒されているはず、そこをどうくぐり抜けるか。シフトは前進守備か、なら……。

 

河野が投じた初球は内角へのストレート。

 

――力強く引っ張って、内野を抜く!

 

越川は迷わずに振り抜いた。

三塁線に強い打球が飛び、サードが飛びついたその横を抜けていく。

 

「こっしーナイス!」

「ナイバッチー!」

 

ベンチからの声援を受けた越川は、そちらに向かって拳を突き出す。

まさかの失点を許した博多工はマウンドに集まる。

 

 

「悪い、少し気が動転してた」

「先頭に打たれるとは思わなかったしね……後ろはしっかり抑えよ、飛鳥なら普通に投げれば打たれないから」

「分かってるよ」

 

そう言って内野は散っていくが、河野だけは難しい顔をしていた。

 

――本当に抑えられる相手か? まだ3人しか見てないが、全員良いスイングをしていた……。これは本気を出す必要がありそうだ。

 

長考の末、ようやく笑顔を見せた。

それは気を緩めているのではなく、強敵を前に楽しんでいるように見えた。

本気で小倉北に向かう河野は、岩城と神崎を三振に仕留める。

 

 

「1点止まりかー」

「まぁあの河野さんから点取れただけでも凄いんだけどね」

「だよね! このリードを守り切って勝とう!」

「ハードル高いなぁ……」

 

内川の言葉に苦笑いを浮かべながら、海崎はマウンドに上がる。

緊張している彼女に気付き、田村が駆け寄る。

 

「海崎、大丈夫か?」

「平気だよ。こんな強豪を相手にしたことが無いから、不思議な気持ちになってるだけ」

「なら良かった。向こうみたいに、動揺して失点するのはやめろよ」

「もちろんだ」

 

――私の投球がチームの勝敗を決めるんだ。それが、こんなにも楽しいと思えるなんて。

 

 

「海崎先輩、笑ってる……」

「あれが将来、エースになる人間のメンタルさ」

 

海崎はマウンドの上で笑っていた。

負けることなど、一切思い浮かべていない顔だ。

 

――今の私がどこまで通用するか……試させてもらうよ!

 

プレー開始のコールがされ、海崎は大きく振りかぶる。

ワインドアップからの第一球は、アウトコースへのパーム。まずは空振りを奪い1ストライク。

 

 

次はインハイへのストレートが外れる。

カウント1ー1からの3球目は、彼女の決め球であるスクリュー。

左打者の内に入ってくるその球を引っかけ、ボテボテのゴロになる。

 

「田村ファースト!」

「おっけ!」

 

田村が落ち着いて送球し1つ目のアウトを奪う。

 

「ワンアウトー!」

「おー!」

 

たった一つのアウトだが、それを称えるように内川は声を張り上げる。

このアウトで調子が出た海崎は、初回を三人で終わらせる。

 

 

「ナイピ」

「そっちも良いリードだったよ」

「投手が良いから挑戦的なリードが出来ただけだよ」

「そっか、ありがと」

 

話もそこそこに、7番に入った海崎はネクストに移動する。

打席には白土が立っている。

追い込まれてからのスプリットを掬い上げるが、結果はライトフライ。

 

1アウトランナー無しで、海崎の打席。

初球はインローへのストレートでストライク。

 

――これが全国を視野に入れているチームのエース……ボールの質が全然違う。

 

打席に立って思い知らされる、自分との大きな実力差。

スライダーにタイミングを外され三振に終わったが、海崎の表情は明るい。

 

 

「凄いな……全国にはあの人以上の投手がゴロゴロ居るんでしょ? ……戦いたいな」

「ならまずは予選勝たないとね。その為にも……」

「まずはこの試合に勝つ!」

「そういうこと!」

 

いずれ自分たちが全国大会の舞台に立つには、博多工科クラスのチームに勝たなければならない。

その為にも、ここで勝って相手に良い意識を持てるようにしたい。

 

――私がこのチームを全国に連れて行くんだ、絶対に!

 

なんとかして1勝をもぎとりたい海崎と、格下相手にこれ以上失点をしたくない河野の投げ合い。

試合前には誰も予想していなかった、息が詰まりそうな投手戦となった。

 

4回が終わり、スコアは変わらず1対0のまま。

だが河野が圧倒し始めてきているのに対し、海崎は徐々に捉えられてきた。

 

 

5回に入ってすぐ、3番を打つ平山に甘く入ったスクリューを運ばれ、ノーアウト二塁の大ピンチ。

ここで打席が回ってくるのは、エースの河野。

 

――エースで4番か、羨ましい限りだ。貴女を抑えて、私はチームを勝利に導くんだ!

 

――っ、ここに来て球威が上がった!?

 

アウトローに投げられたストレート。

それは今日1番の球威だった。

河野は振り抜いてライトに運ぶが、打球はライトの定位置に。

 

「ライト……? やめてくれよ?」

 

監督の不安は現実となってしまった。

風に流される事も無く、強い日差しが射している訳でも無い。

この簡単な打球を、志賀は落球してしまったのである。

 

 

「美海二塁!」

「はっ、はい!」

 

越川の指示により、即座にボールを拾い二塁は許さなかった。

だがその間にランナーは生還し、同点に追いつかれてしまう。

 

――どうしよう、またやっちゃった……! これは流石の先輩も、許してくれないはず。

 

不安そうにマウンドの海崎から目を逸らす志賀の元に、思いがけない言葉が飛んでくる。

 

 

「ドンマイ! 逸らさなかったからセーフだよ」

「そうそう、それにナイスリカバリーだったよ」

「……はい、次は必ず捕ります!」

「その意気だ、さあ後続はキッチリ抑えよう!」

 

――あの子を励ますためにも、もう点は許さないぞ。

 

ミスをして落ち込んでいる後輩の為に、ここは1点だけで切り抜けたい。

そう気合いを入れた海崎は、次の打者を空振り三振に切る。

次の打者には進塁打を許しランナーを三塁まで進められるが、2アウトだ。

 

「頼むぞ、海崎……」

 

監督も腕を組んだまま、袖を強く握りしめて見守る。

 

 

平行カウントから投じたパーム、これが甘く入って打ち返されてしまう。

三遊間を破るタイムリーになると思われたが。

 

「ぐうっ!」

 

早川が横っ飛びで打球を捕り、地面に叩き付けられた衝撃で呻き声が漏れ出す。

すぐさま立ち上がって一塁に送球する。

 

「セーフ!」

「くそっ……!」

 

山なりの送球が到達する頃には、バッターランナーは一塁を駆け抜けていた。

三塁ランナーも生還し、終盤での逆転を許してしまった。

 

 

「薫ナイス、よく追いついてくれたよ」

「うん……」

「柊は平気だからさ」

 

内川の言葉通り、海崎はここでも崩れなかった。

後続はしっかり打ち取り、点差を1から広げる事は無かった。

 

海崎はこの後も魂の投球を続けるが、調子を取り戻した河野を打ち崩すことは出来ず、初めての試合は2対1で敗戦となった。

 

 

「ありがとうございました!」

 

整列と礼を終え、博多工科の選手は帰り支度をする。

その中でただ一人、小倉北ナインに近づく者が。

 

「お疲れ様、海崎さん」

「河野さん! 素晴らしい投球でした」

「こちらこそ。こんなに苦戦するとは思っていなかったよ」

 

海崎に声を掛けたのはエースの河野。

互いに好投を称え、握手を交わす。

 

「スクリューとパームだなんて、ずいぶん珍しい球を投げるんだね」

「……投げてる人が少ない球種って、なんかかっこいいじゃないですか」

「あはは、その気持ち分かるなぁ……君は凄い投手になれるよ」

 

こんな言葉は想定していなかった海崎は、目を見開いて驚く。

 

 

「対戦した私が言うんだから間違いないよ……また、大会で会おう」

「……はい! その頃にはもっと、もっと強くなります!」

「楽しみにしているよ、それじゃあ」

「ありがとうございました!」

 

仲間の元に向かう河野の背中を見送ると、海崎は引き締めていた表情を緩める。

 

――あの河野さんに認められた……! ヤバ、めっちゃ嬉しい。

 

 

「しゅー! 反省会するよー」

「あっ、今行く」

 

内川の声で我に返り、既に集合している部員達の輪に混じる。

 

「初陣は残念ながら負けてしまったが、収穫はあったな! 海崎は想像以上のピッチングをしてくれたし、越川や内川が河野を相手に打てたり」

 

監督は明るく話しているが、この場の空気は重い。

敗戦のショックもあるが、理由はそれだけではない。

 

「……今日で約束の期間は過ぎた、決断してもらおうか」

 

試合が終わったということは、3週間が経ったということ。

これからも監督による厳しい練習を続けるのか、今までのようにやる気の無い部に戻るのか。

選ぶ時を迎えたのだ。

 

 

「……私は、前までの空気が好きです」

 

最初に切り出したのは早川だ。

ずっと反発していた彼女の心を動かすのは、やはり不可能だったか。

越川がそう考えるが、早川は続けて言う。

 

「でも、あの5回の守備……もっとちゃんと練習してたらアウトに出来ていた。逆転されることはなかった」

「薫……」

「私は! あんなショボいプレーしておいて、それで終わりなんて嫌だ」

「それってつまり……」

 

越川が次の言葉を促すと、早川は大きく頷いてから監督と目を合わせる。

 

 

「これからも、監督のやり方について行きます!」

「……そうか」

「私だって同意見っす。内川と海崎が活躍してんのに、自分だけ置いてけぼりは癪っすから」

「田村も……」

 

同じく反発していた田村も、熱意の籠った瞳で監督を見つめる。

少しの間無音の時間が流れたが、監督がゆっくりと口を開く。

 

「全員、賛成って事で良いのか?」

「もちろんです!」

 

問いかけに真っ先に返事をしたのは神崎。

彼女も今日の試合でノーヒットで、悔しさを抱いていた。

彼女の発言に賛同する声が全員分聞こえると、越川が一歩前に出る。

 

 

「練習はもっとキツくなるだろうし、対戦相手だってもっと手強い所になるかも知れない。でも皆で力を合わせて、どんな壁も乗り越えよう! 全国行くぞー!!」

『オオーーッ!!』

 

夕焼け空に、覚悟を決めた少女達の声が響き渡る。

ここからが本当の、新生野球部のスタート地点だ。



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第5球 柳はしなやかに

初の練習試合から数日が経ち、部員達は厳しくも楽しい練習に励んでいた。

 

「全員30分休憩!」

「ふぃー、疲れたー……」

「もうクタクタだよ……」

 

中には文句を言う者も居るが、何も本心で言っている訳ではない。

 

「聞きたいことあるんだけどさ、野球経験者ってもう居ないのか? 出来れば投手が欲しいんだが」

「えー、投手ですか? 流石にいないんじゃ……」

「いたとしても、入ってくれる可能性は低いんじゃないですか?」

 

以前の緩い野球部ならまだしも、全国を目指している今は入部のハードルが高くなっている。

仮に経験者がいたとしても、そのハードルを飛び越えてくる者は少ないだろう。

 

 

「神崎? 何か気になるのか?」

「あ、いえ……」

 

ただ1人、神崎だけが考え込んでいた。

それを見つけた監督が問いただすと、やがて重い口を開く。

 

「柳千隼……かつて全国にも出た事のある、速球派投手です」

「え、柳って……ウチのクラスの?」

「うん、というか知らなかったんだ」

「野球の話なんて一切してなかったからなぁ」

 

柳の名を知る者は、神崎の他にも何名か居た。

それ程までに知名度が高く実力のある選手だという事だ。

 

 

「クラスメイトなら、私が説得するよ」

「私も手伝っていい? その……実は中学時代、対戦した事があるんだ」

「そうだったんだ、なら一緒にお願い」

「うん」

 

――柳千隼……なんであれだけの実力がありながら、野球を辞めたのか聞かないと。

 

神崎にとって柳は因縁の相手だ。

そんな彼女が何故、高校では野球を辞めたのか。

その理由をずっと聞きたかったのだ。

 

 

翌日の放課後、越川は柳の机に向かう。

 

「柳さん、少し話したい事があるんだけど時間平気かな?」

「ええ……何かしら」

「も、もう少しだけ待っててもらっていい? もう1人来るから……!」

「分かったわ」

 

――うぅ、気まずい……。早く来てくれよ京ー。

 

2人の間に無言の時間が流れる。

柳の方はあまり気にしてなさそうだったが、越川は気まずさから背中から変な汗が流れていた。

 

「ごめん遅れた! 足止めありがと」

「やっときた……こっちは野球部の神崎京ね、もしかしたら覚えてるかも知れないけど」

「中学の時対戦した事あるよね」

「……さあ、覚えてないわ。私は自分から打った相手じゃないと覚えてないもの」

 

見下すような態度に2人とも顔が険しくなるが、勧誘の為に怒りをグッと堪える。

 

 

「それで? 用事は何かしら」

「野球部に入って貰いたいんだ、一緒に全国を目指してほしい」

「全国? あのチームで?」

「……うん、本気だよ」

 

馬鹿にするような言い方をされても越川は我慢した。

それだけする価値がある選手だと、神崎から何度も言われたからだ。

 

「悪いけど、私はもう野球はしないの。それにまともな実力も無いチームに入るほど、私は落ちぶれていないわ」

「っ、言わせておけば……! あの時のアンタは、誰よりも輝いてた! 絶対に打てないと思った相手だった……それがどうして! なんで野球を辞めたの……!」

「……別に、野球をするしないなんて私の勝手じゃない」

 

柳の言っていることはもっともだ。

野球をする選択なんて、他人に決められる物ではない。

だがそれでも、かつての彼女を見ていた神崎は諦められなかった。

 

 

「……なら勝負して! 私がアンタから打ったら入部してもらう、負けたらもう勧誘はしない」

「はぁ……そんな話に誰が乗ると思っているのかしら? 私は野球なんてもうしないわよ」

「自信が無いの? 落ちぶれてないって言ってたよね……まさか、まともな実力が無い選手に打たれるのが怖いの?」

 

ずっと受け流していたが、ここまで挑発されると気分が悪くなったようだ。

 

「ちょっと、越川さんの連れは何なの?」

「ごめん……けど、意見は私も同じかな。一度だけで良いから勝負して欲しい、それで負けたら潔く身を引くから」

「…………仕方ないわね、一回だけよ」

「よしきた! こっしーありがとう!」

 

こうしていても埒が明かないと思ったのか、柳は勝負を受け入れた。

すると神崎の表情が一変して明るくなり、グラウンドに駆けていく。

 

「本当にごめんね? うちの京が押し強くて」

「……止めなかった貴女も同類だと思うのだけれど」

「うっ、それ言われるとちょっと……」

 

そんな話をしながら、越川と柳もグラウンドに歩いて行く。

 

 

「奏! 急で悪いんだけどちょっと準備してくれない?」

「えっ? な、何のっすか?」

「ボール受ける準備! というか今から1打席勝負するから!」

「勝負って、誰と……」

 

そう聞こうと思ったが、入り口から聞こえてきた足音の方を見る。

そこには越川ともう1人、見知らぬ顔が居た。

 

――うわ、すげー美人さん……キャプテンと並んでると、なんか絵になるなぁ。

 

黒髪ショートカットの越川と、グレーのロングヘアの柳。

2人が並んで歩いている姿は、小倉北の生徒であれば大喜びするだろう。

 

 

「えーっと、私はこの人と組めばいいんすか?」

「そう! 前言ってた柳千隼、持ち球はスプリットとカットボール!」

「……そうなんすか?」

「ええ」

 

初対面の相手といきなり2人きりにされて、どう話せばいいのか分からずにいる田村。

 

「えっと、一応正捕手の田村奏です。2年っす」

「柳千隼、3年よ」

「……とりあえずサイン決めましょうか」

「そうね」

 

――多分無理やり連れて来られたんだろうな……頼むから誰か仲介してくれよ。

 

ミスの無いように簡単なサインを決め、得意なコースなどを確認する。

 

 

「貴女は信頼していいのよね? あの子を打たせる為に、わざと得意なコースに構えたりとかは……」

「それは無いっすよ、そもそもあの人の得意なコースとか知りませんし」

「……そうなのね」

 

――やる気の無い野球部って感じね。チームメイトの得意コースも知らないだなんて。

 

「まあガチでいきますよ、手抜いたら先輩に怒られるんで」

「そうしてくれると助かるわ、さっさと終わらせるわよ」

「うっす」

 

つまらなさそうにしている柳とは対照的に、田村はかつての大エースの球を受けられる事を楽しみにしている様子。

軽い投球練習を終え、同じく準備を終えた神崎が打席に立つ。

 

 

「ヒットにしたら私の勝ちね!」

「あら、そんな事が出来るのかしら? 前に飛んだら、に変更すれば?」

「ぜっったい嫌だ! 全力でかかってこい!」

「はいはい」

 

――本気なんて出さなくても抑えられそうだけど……実力の差っていうのを教えてあげるのも良いかもね。

 

柳は振りかぶって第一球を投げた。

インコースへのストレートは、風を切りながら田村のミットに収まる。

 

「うわ、はっや……」

「たむたむよく逸らさなかったなぁ」

 

平然を装っているが、マスクの下の顔は焦りが滲んでいる。

本人ですらも、何故逸らさなかったのか不思議に思っているようだ。

 

 

――へぇ、私のボールを捕れるのね。予想よりかは、実力があるのかしら。

 

一瞬意外そうな顔をした柳だが、次の瞬間には真顔に戻ってサインを確認する。

一度サインに首を振ってから、二球目を投げる。

またしてもインコースへのカットボール。

神崎はこれに空振り追い詰められる。

 

「京……」

「先輩頼みますよ……」

 

守備についているメンバーが、不安そうに勝負の行方を見守る。

だが、神崎本人は焦りや不安を見せていない。

 

 

――奏は最後は決め球を投げさせる傾向にある。ということは次は……。

 

バッテリーは三球で勝負を決めてきた。

真ん中付近の絶好球に見える球だ。

 

――スプリット! ここから……落ちる!

 

ホームベースの手前で曲がり始めるボール。

神崎はそれを読んでおり、迷い無くフルスイングでボールを叩く。

 

田村はマスクを取って、柳は振り向いて打球の行方を見る。

打球は放物線を描きながら右中間に伸びていく。

 

 

――ここで捕ったら京が負ける。でも……私にだって野球選手としてのプライドがある。捕れるボールを見送るなんて出来ない!

 

越川は落下地点に一直線に走り、最後は飛び込んでキャッチする。

捕球できているか志賀が確認すると、彼女はアウトのジェスチャーをした。

 

「こっしーナイス! ……あーあ、負けちゃったか」

 

――今の打球、抜かれると思っていたのに。捕手といい、私が思っていたより実力者が揃っていたのね。

 

 

「……いいえ、私の負けよ。言ったでしょう? 前に飛ばせば勝ちだって」

「その条件を飲んだ覚えは無いけど?」

「少なくとも私は三振を取れる気でいた……あそこまで飛ばされるなんて想定外よ」

「でも……」

 

やがて焦れったくなったのか、柳は全員の顔を見ながら言い放った。

 

「私はまだ野球が好きだって自覚出来たの! だから……勝敗なんて関係なく、ここの野球部に入部させてもらうわ」

「柳……! ありがとー!」

「忙しい人ね……短い間だけど、これからお世話になるわ。よろしくね……こっしー?」

「なっ……! そ、その呼び方はやめて!」

 

新たな部員が増えた。それも待望の投手が。

かつて県内を代表する好投手が、チームにどんな影響を与えてくれるのか。



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第6球 それぞれの想い

「皆に朗報だ、GWは合宿するぞ!」

 

練習が始まっての監督の第一声だ。

これを聞いた部員達の中には、露骨に面倒そうな顔をする者もいた。

 

「うぇー、せっかくの連休なのに……」

「連休だから合宿するんだよ! まぁ私もそこまで鬼じゃない。前半と後半、どちらか3日を合宿に割こうと考えている」

「今年のGWって確か……」

「5連休だねぇ」

 

半分以上を野球に費やすのは、今まででは考えられなかった。

早川的にはこれでも多いようだ。

 

 

「なら薫は不参加にする? その間にもっと上手くなっちゃおっかな~」

「優奈には負けないし! 私がこの合宿で1番上手くなるもんね!」

 

内川の挑発にまんまと乗せられた早川。

なんだかんだ言いつつも、彼女も変わり初めているのだ。

 

「合宿はどこで行うんですか?」

「近場に安い宿あったからそこで」

「そこは節約するんですね……」

「学校からの支給が足りないから仕方ないんだよ」

 

公立高校ゆえの決断だ。

それに変に遠出すれば、遊びや観光に気を取られる部員もいるのではないかという懸念もある。

 

 

「ほら、前半と後半どっちが良いか決めろー」

「もう予定入ってる人居るー?」

「どっか遊び行きたいって話はしてましたけど、そもそもこの4人なので問題なしです」

「オーケー、1年生は? 遠慮しないでいいから」

 

越川がそう聞くが、誰も予定は入ってないと言う。

 

「皆もうちょっと青春を楽しもうよ」

「いや、元から合宿あると思ってたので……」

 

白土の言葉に、岩城と志賀が頷いて賛同する。

それを見た柳を除く先輩組は、驚愕していた。

 

 

「ぷ、プロ意識が高い……!」

「遊ぼうとしててすみませんでした!!」

「そんな全力で頭下げないでくださいよ……」

 

1年生の方が野球に対しての意識が高く、このままではいけないと改めて思わされた先輩組であった。

 

「で、結局前半後半どうする?」

「気分的にも前半が良いです!」

「薫は好きなもの最後に取っておくタイプだったね、じゃあ前半でお願いします」

「了解」

 

前半の3日間に合宿が組まれる事となった。

まずはGW前の練習にしっかりと取り組み、やる気の入った状態で合宿を迎えようという事に決まる。

 

 

 

そして迎えたGW初日、選手達は学校に集合してバスで宿まで向かう。

 

「うわー、人気無いじゃないですか」

「その方が集中出来るだろ?」

「それはそうですけど……」

 

海の近くにある宿なのだが、小倉北のバス以外には人通りは全く無い。

バスは舗装されている道を走って行き、やがて宿の駐車場に到着する。

 

「お待ちしておりました」

「お世話になります」

「おはようございます!」

 

宿の女将がお出迎えをする。

監督が率先して挨拶をすると、それに続いて選手達も元気良く挨拶をする。

 

 

「じゃあ荷物置いたら早速練習だ!」

「うーっす」

 

部屋に案内された彼女達はすぐに荷物を置いて着替え、宿の外に出る。

 

「バッテリーは私と練習! 野手は越川について行け」

「はい、じゃあ野手集合!」

「柳先輩、行きましょう」

「ええ」

 

海崎達は宿の近くにあるグラウンドに、野手陣は砂浜へと赴く。

 

「さて……2人には新しい変化球を覚えて貰う!」

「変化球……どんな球ですか?」

「柳はスローカーブ、海崎は高速スライダーだ」

「緩急を付けるって事ですか……分かりました」

 

海崎は高速スライダーを、柳はスローカーブを習得する事になった。

その前にまずは怪我を防止する為に体をほぐす。

 

 

「……柳先輩って柔軟性凄いですね、肩甲骨の可動域が広いです」

「その方が球速が出るからね……それと、呼び方は好きにしていいわよ」

「えっと、千隼先輩……?」

「ふふ、そっちが良いわね」

 

――ちょっと気恥ずかしいな。というか近くで見ると、やっぱり美人だ……。

 

「私も名前で呼んでいいかしら」

「ど、どうぞ! 奏もいいよね?」

「何で私も? 別にいいけど」

「ならこれからよろしくね。柊、奏」

 

勝負した日のあの威圧感は今は全く感じられず、むしろ穏やかで大人っぽいオーラを放っている。

ここまで先輩らしい先輩に出会った事のない2人は、少し居心地が悪そうだ。

 

 

「じゃあ軽く投げ込みしよう、そしたら変化球の投げ方教えるから」

「分かりました。千隼先輩は奏と組んで下さい」

「そんなに気を遣わないで、私の方が新参なんだから」

「そうだぞ、それに私も柳の球受けてみたいしな」

 

監督が防具を装着して柳と組む。

あっという間に準備を終えた2人を見て、海崎は諦めて田村を相手に投げる。

 

ある程度正確に投げ分ける事の出来る海崎と、ストライクゾーンの中で荒れに荒れる柳。

投球スタイルは真逆だが、だからこそ相手を翻弄出来る。

 

「よし、こんなもんかな……じゃあまず海崎! 高速スライダーの投げ方はこうだ」

「この握りで普通に投げれば良いんですか?」

「そうだ。注意点としては無理やり曲げようとして捻って投げたりすると、腕に負担が掛かるからあくまでストレートと同じ腕の振りで」

「分かりました」

 

海崎は監督の指示に従って高速スライダーを投げ込む。

初めて投げたこの球は、変化は小さいがしっかりと曲がっていた。

 

 

「初めて投げたにしては良いな! んじゃ次は柳な、スローカーブはこの握り。結構緩く握って、抜くような感じでリリースするんだ」

「はい、ではお願いします」

 

柳は監督が座って構えるのを待ってから、スローカーブを投げ込む。

海崎のものより球速は遅かったが、まだ制球が定まらずベースのはるか手前でバウンドした。

 

「良いじゃん! あとは制球磨けば、すぐにでも実践で使えるぞ」

「ありがとうございます」

「2人にはこの合宿中に、変化球マスターして貰うつもりだからよろしく!」

「はい!」

 

投手陣が新たな変化球を習得する為に奮起する一方、砂浜に着いた野手陣は。

 

 

「燈香、そっちにもお願い」

「はいっ! こんな感じですか?」

「ありがと」

「こっしーキャプテン、コーナープレートなんて置いてどうしたんですか?」

 

円盤状の柔らかいプレートを、部員達がいる10m先に並べる。

狙いが分からない早川が尋ねると。

 

「私達には足腰が足りない! だから砂浜ダッシュで鍛えるよ」

「また地味にキツそうなやつを……」

「2列に並んで、隣の人と競争してもらうよ。適当に組み合わせて変えて5回! 最下位の人は罰ゲームで砂浜ランニングね」

 

競走形式までは楽しそうに話を聞いていたが、罰ゲームが発表されると一気に表情が険しくなる。

 

 

「……この砂浜を? 何周ですか?」

「それは聞いてないけど……まぁ2周でいっか。そうだ、せっかくなら下位2人にしようか」

「絶対負けないからね!」

「私だって負ける気はないけど!?」

 

最下位から下位2人になった事により、更に決死の表情になる部員達。

あくまでゲーム形式で、出来る限り楽しく練習をするのがこの合宿の方針だ。

 

「じゃあ適当に2列に並んで」

「キャプテンもやるんですね」

「私だけやらないっていう訳にもいかないしね……燈香、審判任せたよ」

「任せてください! 正確な判定を下しますよ!」

 

笛で合図が出されたら順番に走り出し、プレートをタッチするまでの時間を測る。

全員が5回のダッシュを終える頃には、全員が疲れて地面にへたり込んでいた。

 

 

 

「燈香……下位2人は誰?」

「えーっと……志帆ちゃんと早川先輩ですね」

「ちくしょー!」

「脚が速いだけじゃダメだからなー……さぁ行ってこい!」

 

いくら俊足の早川であっても、パワーが足りず砂に足を取られることが多かった。

それに終盤になると体力が尽きて、スピードもかなり落ちていた。

 

「あっそうだ、罰ゲーム回避組も休めないからね? 砂浜の上で素振りやるよ」

「ヒッ、鬼がいる……!」

「何言ってんの……ほら早く準備する!」

「はーい……」

 

更に足腰を鍛える為に、ランニングをしている2人以外も実質罰ゲームのような練習を行う。

安定しない砂という足場の上で、極力位置を動かさずに素振りをする。

 

 

投手は新たな変化球を、野手はフィジカル面の強化をして合宿初日の練習は終わった。

夕食も食べ終わり自由時間となり、近くを探索する者や自主トレに励む者などバラバラだ。

 

「あれ結衣? どっか行くの?」

「自主トレ、京もくる?」

「せっかくだしご一緒させて貰おうかな」

 

越川がTシャツに着替えて外に出る所を見かけ、神崎が声を掛ける。

2人はバットを持ちグラウンドの方へと歩く。

 

「……あれ、なんか音しない?」

「ちょっと怖いこと言わないでよ……!」

「いやでも何か聞こえるじゃん」

「うーん……なんだろう、何かが当たる音?」

 

どこか聞き覚えのあるような音に怖がりながらも、音のする方向へ進む2人。

音が近くなり、物陰に身を隠しながら覗くとそこには。

 

 

「千隼……?」

「……あら、2人ともお揃いね」

「なんだ千隼か、練習してたの?」

「ええ、スローカーブを完成させようと思ってね」

 

音を出していた犯人は柳だった。

彼女は壁に向かって投げ込んでいたらしく、壁にはくっきりとボールの跡が残っていた。

 

――跡のある場所がバラバラだ……あり得ないくらい遠くに当たってるのもあるし、千隼でも苦戦してるんだ。

 

越川はボールの跡を辿り、彼女のような才能の持ち主ですら苦戦する事はあるのだと実感した。

 

 

「聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「私に? 答えられることであればね」

「……どうして野球を辞めたの? それに、どうしてウチの部に入ってくれたのかも知りたい」

「また言いにくい事を聞くのね」

 

――けど、いつかは聞かれるのは分かっていた。キャプテン様には言ってもいいかもね。

 

「ごめん! 嫌なら言わないで平気だよ」

「別に平気よ……私は、中学3年の時に肘を負傷したの。幸い痛みも無く完治したけど……最初の頃は思うように投げられなかった」

 

だから野球名門校に進学しなかったのかと、神崎は納得したような顔をしていた。

 

 

「そのせいで強豪校からのスカウトの話も飛んで……その時、私は復活して見返してやろうとは思えなかった」

「野球への熱が冷めたってこと?」

「一時的にはね。……高校に入ってから、この選択を後悔したわ。遊びみたいな生温い野球部しか無かったし」

「ウッ……」

 

お遊びのような野球部に所属して、その雰囲気を継承してきたのは他でもないこの2人だ。

痛いところを突かれて苦い顔をしている。

 

「何だかんだ野球が好きって思いは抑えきれずに、ずっと練習自体はしていたのよ。打者相手には投げてなかったけどね」

「……そうだったんだ」

 

――怪我が原因で野球を辞める人は結構多い。それでも諦めず、ずっと実力を高めていた……千隼が良い投手なのは、そういったところも要因なのかな。

 

 

「それと、何故ここの野球部に入部したかよね。…………貴女達のプレーに心を動かされたから、とでも言えばいいかしら」

「私達のプレーに? 結衣はともかく私は負けたし……」

「でも普通であれば抜けてた打球よ。中学時代私に3打席連続で三振させられてたあの京だとは思えなかったわ」

「覚えてたんじゃん……」

 

入部してから調べたのよ、と柳は答えた。

確かに3打席連続で三振していた選手が、ヒット性の打球を放てば驚くだろう。

 

「私からあんな打球を打てる選手と、それを捕れる選手がいた……ここの野球部は、もうお遊びではないと分かったわ。だから入部した、それだけよ」

「……ありがとう、千隼」

 

越川から礼を言われると、少し恥ずかしそうな顔をする。

 

 

「礼なんて要らないわ、プレーで返しなさい」

「……任せて! どんな打球でも捕るし、どんな相手からでも打ってやるよ」

「私だって負けないよ! ホームランかっ飛ばしてみせるから!」

「フフ……信じているわよ」

 

3人はそれぞれの顔を見合わせて、やがて誰かが言うまでもなく手を重ね合わせる。

 

「夏大優勝するぞー!」

『オーー!!』

 

3年生にして初めて全力で野球に取り組んだ。

最初で最後の本気で挑む夏の大会、彼女達は星空の下で優勝を誓った。



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第7球 勝ちたい!

3日間のGW合宿が終わり、いつも通りの学校が始まった。

連休明けは学校全体がどこか怠そうな空気になっており、野球部のメンバーも例外では無かった。

 

「あぁ〜……テストだるいよ〜!」

「でも優奈成績良いじゃん」

「それはそれ! 勉強だるい!」

「分かる! もっと野球が上手かったら、勉強しないでも許されるのにな〜」

 

――それが許されるのって、多分一昔前な気が。今って推薦入学でも勉強出来ないとダメな高校とかあった気が……。

 

海崎は考えを心の中だけに留めておいた。

 

 

「赤点取ったら練習出られないだろうし頑張ろう、特に保体は」

「保体で赤点取ったらめっちゃ怒られるだろうな〜」

「流石に体育は分かるよ! それにテスト範囲野球のとこだし〜」

「……保健は?」

 

田村がそう尋ねると、早川は一瞬にして真顔になり黙り込んだ。

この反応を見て他の3人は、彼女の保健の成績を察した。

 

野球部である前に学生である彼女達。

決して学業も疎かにしてはいけないのだ。

 

 

 

早川という不安要素を残しながらも、テスト期間は無事終わった。

テスト返却日の昼休み、4人は1組の教室に集まっていた。

 

「テストどうだったよ?」

「はい」

「……お前、テスト前に勉強してないわ〜とか言うタイプだろ」

「実際そこまで勉強してないもん!」

 

内川の試験結果を見た田村は、嫌悪感を出しながら言い放つ。

あんなにテストが嫌だと言っていた彼女は、全教科80点後半以上の好成績を残していたのだ。

 

「そういうのが1番嫌われっからな……海崎は?」

「そこそこかな」

「ふーん……もっと頭良さそうなのにな」

「人の学力をディスるのやめろ……」

 

海崎は見た目から成績優秀に見られるが、実際のところは平均点付近ばかり。

意外と真ん中の成績なのだ。

 

 

「というか奏と薫はどうだったの? 赤点何個?」

「なんで赤点ある前提で話すの! 今回は無事だったよ!」

「……あの、英語が40点台なんですけど」

「赤点回避できたからオッケー!」

 

――あーあ、これ絶対監督に何か言われるな。

 

田村の予想通り練習が始まる前にテストの結果を聞かれ、次回以降はもっと点数を上げるように言われたのは別の話。

 

もうテストの話はこりごり、と言わんばかりに早川はスマホを弄り出す。

そして何かを見てしまったのか、突然机に突っ伏す。

 

 

「おーい、薫どうした?」

「勝ちたいよ〜! まだ練習試合1勝もしてないんだよ!? 柳先輩もいるのに……」

「それに関しては私のリードのせいかもな……」

「いや、違うだろ」

 

この言葉には海崎がすぐに反論するが、田村の表情は浮かないままだ。

 

「海崎ならともかく、柳先輩で勝てないのは私のせいだろ」

「……待て、私ならともかくってなんだ」

「ごめんって、ただあれだけの球投げる人で勝てないのはキツいよな」

「援護が足りないよね……というか投打が噛み合ってない」

 

珍しく打線が爆発したかと思えば守乱で失点し、抑えたかと思えば打線が湿る。

チグハグな投手陣と野手陣から、5試合やってまだ1勝も出来ていない。

 

「まぁ次は柳先輩だし、そこで勝たないとな」

「流石に申し訳ないよね……無理言って入部して貰ったんだし」

「私達も頑張って援護するよ! 勿論守備でもね」

「よーし、最強二遊間の実力を見せてやろう!」

 

4人は次の土曜日に行う練習試合で勝つ為に、改めて気合を入れ直す。

 

 

 

その日の放課後の練習。

海崎と柳は、お互いの投球練習を見て指摘し合っていた。

 

「やっぱり柊は細いわね……だから上手く体重移動しないと、ボールに力が乗らないのよ」

「柳先輩は3ボールにした後、少し制球が雑になりますよね」

「ランナー出しても抑えられるって自信があるからね……けど、野手からしたら嫌なのかしら」

「どうですかね……田村はどう?」

 

答えにくい話題を振ってくるな、と言わんばかりの嫌そうな表情になる。

 

「えー……まぁ、あんま……」

「なら今度からは気をつけるわ、勝ちたいしね」

「柳先輩は四球の多さだけが勿体無いですし、そこさえ改善されたらすぐ勝てますよ」

「海崎は兎にも角にも身体作りね」

 

 

投手陣が課題を克服する一方で野手陣は、今日も厳しい基礎練習と守備練習を行っていた。

 

「二遊間ペッパーやるぞ〜」

「うわっ……キッツいやつ」

「けど上手くなるって決めたもんね、頑張ろう優奈!」

「……だね! よーし、ノーミスでクリアしちゃうぞ!」

 

あの早川が弱音を吐かずやる気満々で練習に励む。

それはずっと彼女の姿を見てきて来た、内川ですら驚いてしまうほど珍しい。

 

「守備なんて反復練習の積み重ねだからな、大会までみっちりやるぞ!」

「はいっ!」

「福岡最強の二遊間になるのは私達だ〜!」

「オー!」

 

内川と早川はそうやって励まし合いながら、監督による意地悪なペッパーをこなしていく。

時には簡単に捕れるトスを、時には飛び込まなければならないトスを捕り続ける。

 

「っしゃー! らくしょー!」

「はぁ……つかれた……」

「2人とも上手くなったなー、最初の頃は全然捕れなかったのに」

 

30分以上のペッパーを終えた2人は、息を切らして地面に倒れ込む。

それを見下ろしながら監督は彼女達の成長を褒める。

 

 

「だってもう1ヶ月以上経ってるんですよ? 流石に上手くなりますって」

「……もうそんなに経ったのか、時の流れってのは早いな」

「なんか年寄り臭いこと言いますね……」

「そりゃお前達と比べたら年寄りだからな!」

 

監督は腰に手を当て豪快に笑った。

年齢に関しては全く気にしていない様子だ。

 

「というか監督って何歳なんですか?」

「俊敏さが失われてないから若そうですけど……」

「…………秘密だ! 人間秘密があった方が素敵になるんだぜ?」

「なんですかそれ」

 

――まだお前達には知られる訳にはいかないからな。

 

茶化すような言い方で誤魔化したが、監督には自分の個人情報を話せない理由があった。

その理由を知れるのは、今のチーム内には誰もいない。

 

 

 

「ふっ!」

「おお〜……飛んだな」

 

グラウンドの隅では1年生の3人が、マシン打撃をしている。

岩城はホームラン性の当たりを連発していた。

 

「瀬奈、もう休んだら? ずっとやってるでしょ」

「……まだ打ちたい。期待に応えられてないし……」

 

岩城の5試合での成績は14打数3安打打率.214、本塁打1本打点3という確実性に欠けたもの。

貴重な長距離砲ではあるが、本人はこの成績に全く満足していない。

 

「でも流石にこれ以上は……」

「……チームの役に立ちたいから」

「志帆と美海の言う通りよ」

「柳先輩!」

 

3人の会話を聞いていたらしい柳が、岩城を止めに入る。

先輩に言われても尚、岩城は納得がいかないという様子だ。

 

 

「瀬奈はまだ1年生で身体も十分に出来ていない……そんな状態で無茶をしたら、怪我をするわよ」

「…………」

「私は怪我で半年間を棒に振った……野球が出来ない苦しみは誰よりも知っているの。あんな思い、誰にもして欲しくない」

「えっ……」

 

――柳先輩って怪我で野球から離れてたんだ。

 

柳の怪我の件を知っているのは越川と神崎、そして監督の3人だけ。

事情を知らなかった1年生の3人は、驚きで目を見開いている。

 

「瀬奈はきっと将来、チームを引っ張る打者になれる……こんな早い段階で潰れさせる訳にはいかないわ」

「……はい、今から休みます」

「分かればいいのよ」

「あの……ありがとう、ございます」

 

岩城が頭を下げてそう言うと、柳は優しく微笑む。

 

「2人も、もっと厳しい態度を取っていいのよ。駄目な事は駄目って言わないと」

「はい!」

「今度から気を付けます」

 

助言だけして柳は去っていった。

彼女はまだスローカーブを完成させておらず、投げ込みを再開した。

 

 

 

空が茜に染まると監督から片付けの指示が飛ぶ。

だらける事なくテキパキと片付けを終えた彼女達は、グラウンドの隅に集まり監督の話を聞く姿勢をとる。

 

「明日は試合だ! という訳で打順を発表するぞ!」

 

次の練習試合の打順が発表される。

 

1番ライト 志賀

2番セカンド 内川

3番サード 神崎

4番センター 越川

5番ファースト 岩城

6番レフト 白土

7番ピッチャー 柳

8番ショート 早川

9番キャッチャー 田村

 

打順を聞くと、それぞれが様々な反応をしていた。

1番に抜擢された志賀は握り拳を作って気合を入れ、7番に置かれた柳は少し不服そうな顔をしていた。

 

 

「話はそれだけだ、帰ったらしっかりストレッチして疲れを取れよ。解散!」

『ありがとうございました!』

 

監督が前日に打順を発表したのには理由があった。

 

――こうやって事前に知らせときゃ、自分に求められている役割が分かる。心の準備を済ませる時間は与えてやったからな。

 

まだまだ経験不足の選手たち。

当日に打順を発表されても、それに適応出来るかは分からない。

それを考慮して前日に打順を発表する事にした。

 

 

だがこの行動は逆に、結果をしっかり残せという遠回しなメッセージ。

これを理解している選手が明日の試合時にどれだけいるか。その確認の意図もあったのだ。

 

夕焼け空の下で不敵に笑う監督。

彼女の目にはどんな結末が見えているのか。



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第8球 未来への躍進

小倉北の練習試合6試合目。

対戦相手は昨年の夏、ベスト16入りを果たした柳山高校。

堅実な守備と県内でもトップクラスの機動力を生かした野球をする高校だ。

 

「さあいくぞ! 初勝利をもぎ取って来い!」

『オー!』

 

監督の声出しから試合が始まる。

先攻は小倉北、打席には1番に抜擢された志賀が入る。

 

 

――志賀は選球眼も良いし当てるのも上手い、ここは粘って後ろの奴らを打ちやすくしてやれ。

 

――了解です。

 

志賀はサインに頷いてから構える。

まず初球のスライダー、これをしっかりカットしてファールに。

 

「これなら当てられそうですね」

「岩崎の決め球はチェンジアップ……それに対してどうなるかだな」

 

並行カウントまで持ち込んでからの6球目。

決め球であるチェンジアップで勝負を決めに来た。

だが志賀はこれをコンパクトに打ち、センター返し。

 

「よしっ、先頭出塁!」

「ナイバッチ美海〜!」

 

――先頭の仕事は果たせたから、後は走塁ミス無くホームに還るだけ。

 

ノーアウトのランナーが出て、打席には2番の内川。

志賀が粘った事によりほぼ全ての球種を近くで見た彼女は、初球のカーブを難なく打ち返す。

 

「よしよし、連打良いぞ! ……さあクリーンナップ、決めて来い!」

「はいっ!」

 

 

まずは神崎が打席に入り、スパイクで土を掘る。

初球のチェンジアップにはタイミングが合わずに空振り。

だが2球目の低めのストレート、これには完璧に合わせて右中間に弾き返す。

 

「志賀、ゴー!」

 

外野の最奥部でセンターが捕球したのを確認し、三塁へタッチアップ。

1アウト一・三塁で回ってくるは越川。

 

「決めちゃえ〜! 得点圏の鬼!」

「何だその異名……」

「でも事実じゃん?」

「まぁそうだな」

 

越川はチーム内でトップの得点圏打率を誇る選手。

安打の殆どが得点圏での物で、内川が言うように得点圏の鬼だ。

 

 

――いい加減千隼だって勝ちたいよな……キャプテンである、私が決める!

 

投じられた1球目は、相手投手が自信を持つチェンジアップ。

しっかりとタメを作り、緩くブレーキの掛かったボールを仕留める。

白球はあっという間に外野のフェンスに直撃し、まずは志賀が生還する。

それに続くように内川が一塁から激走し、こちらもホームに還ってくる。

 

バッターランナーの越川はと言えば、二塁を蹴って更に加速していく。

中継に入ったセカンドが三塁に送る。

 

「ボール逸れた! 右右!」

 

三塁コーチャーに入った海崎が、送球が僅かに逸れたのを確認して指示を出す。

ちゃんとランナー目線で右に行けという的確な指示だった。

 

「セーフ」

「ナイススリーベースです」

「ありがと、さぁもっと続きなよー!」

 

これが越川の高校初のスリーベースだったが、本人は浮かれる事なく後輩達に発破を掛ける。

 

 

越川の言葉が響いたのか、それとも勢いに乗ったのか、もしくは投手が動揺したのか。

恐らく全てがきっかけとなったのだろう。

初回から打者一巡の猛攻を見せ、一挙6得点のビッグイニングになった。

 

「最高の攻撃だったな! 柳、これだけ援護があれば十分だろ?」

「当然です。この半分でも平気でしたけどね」

 

大量の援護を貰った柳はマウンドに向かう。

必ず今日こそ勝ってみせる、そんな強い意志の灯った眼をしながら。

 

「むこうは機動力野球してくるらしいっすから、極力ランナー出さずに抑えましょう」

「分かってるわ……良いリードを頼んだわよ」

「はいっ!」

 

田村と柳はグラブでタッチを交わす。

 

――初めて柳先輩にあんな事言われたな……よし、完璧なリードをしてやる。

 

 

田村は相方である柳が自信を持つ、ストレートやスプリットを多く要求する。

柳もそのリードに応え、気持ちの入ったボールを投げ込んでいく。

初回を三者凡退で終わらせた彼女だったが、2回に1アウトからヒットを許してしまう。

 

――監督からのサインは無し……自分で考えろって事か、上等だ!

 

手始めに田村は牽制のサインを出す。

柳は一度頷いた後、一塁に牽制球を投げる。判定はセーフ。

次も牽制のサインを出し、セーフ。

3回目のサインは低めへのストレート。

 

――なるほど、そういうことね。

 

彼女の意図はちゃんと伝わっていたようで、柳は微かに笑いながら頷く。

 

 

一度目でランナーを牽制し、長い間を開ける。

ようやく投球モーションに入った時だった。

 

「走った!」

 

――そりゃ走ってくるよな! 盗塁なんてさせるかよ!

 

低めにきっちりコントロールされたストレートを捕球し、田村は全力で右腕を振り抜く。

弾丸のような送球が二塁に投げられ、カバーに入った内川が受け取る。

 

「アウト!」

「よっしゃ!」

 

見事ランナーを刺したバッテリー。

この一連のプレーを見て、監督は満足そうに頷く。

 

――2回も牽制を入れたら、走者はもう牽制は無いと思って走ってくる。それに加えてあの柳の間の取り方……あれは完全に、次は投げますと言っているようなもの。2人して上手く誘い出したな。

 

ランナーがいなくなった事により、楽に投げられるようになった。

この後も柳は安定したピッチングを見せ、5回まで1失点の好投でマウンドを降りた。

一方で打線は、初回以降立ち直った相手から追加点を奪うことが出来ていなかった。

6回表の攻撃も三者凡退に打ち取られ、裏の守備を迎える。

 

 

「海崎、点差あるから楽にな」

「了解。変に力んで千隼先輩の勝ちを消したくないしね」

「2回で5失点する方が難しいだろ、お前は」

「まあね」

 

6回の裏からは海崎がマウンドに上がる。

抑えても彼女に勝ち星は付かないが、チームの勝利と自身のプライドがある。

決め球であるスクリューを中心に組み立てた投球で、相手の上位打線を封じ込んだ。

 

 

最後の攻撃。ここで意地を見せると言わんばかりの鋭いスイングで、神崎がツーベースを放つ。

越川には警戒したのか、カウントを悪くすると勝負を避けて四球。

打席には、ここまで犠牲フライ1本の岩城。

 

「瀨奈っちも得点圏強いんだよね~、異名どうしよっかな」

「まだ考えてんのか……得点圏の鬼じゃダメなのか?」

「いや〜、チーム内で異名が被るのはダメでしょ」

「そういうもんなのか?」

 

内川は悩みに悩んだ末、遂に思いついたようだ。

 

「いけ~、得点圏の修羅!」

「なんだそれ……」

「だって瀨奈っちって得点圏だとオーラが変わるじゃん」

「まぁ分かるけどさ」

 

褒め言葉なのか何なのか分からない異名で呼ばれた岩城は、少し恥ずかしそうに笑っていた。

 

 

――得点圏の修羅、か……異名に相応しいバッティングをしないとね!

 

向こうの先発も疲れてきたのだろう。

決め球であるチェンジアップを、甘いコースに投げてしまった。

こうなってしまえば、ただの遅いボールだ。

 

岩城のフルスイングはボールを捉えた。

ボールが潰れて変形してしまうのでは、そう思ってしまう程の強いスイングだった。

白球は一瞬にして外野フェンスの上部に突き刺さり、待望の3点の追加点。

 

この打球を見た両ナインは、いったい何が起こったのか。

そんな感情に支配され、ホームランに対する反応が遅れる。

 

 

「な、ナイバッチ!」

「えっぐい打球だったなー……」

 

練習で岩城の打撃は見慣れている小倉北ナインでさえも、ここまでの打球は見たことが無いのか若干引いてる者もいた。

 

「凄いな……」

「まぁ更に援護は貰ったし、抑えようぜ」

「うん」

 

バッテリーの2人も例外では無かった。

見方の桁違いの打撃に動揺しながらも、2アウトまでこぎ着ける。

 

最後に相対するのは4番打者。

初球はスライダーから入っていき、カウントを取る。

2球目は同じコースへストレートを投げ空振り。

 

――初勝利まで……。

 

「あと1球!」

「三振奪っちゃえー!」

 

後ろから送られる声援と、前から出されるサインの両方に海崎は頷いた。

完成されたフォームから投げられる最後のボールは、彼女の得意球であるスクリュー。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

このコールは、試合終了ともう一つ。

小倉北の初勝利を宣告していた。

 

 

 

グラウンド整備が終わり、試合後のミーティングが行われる。

 

「遂に初勝利だ! 大会前に良い試合が出来て安心したよ」

「投手は文句無しだったね、野手もあの猛攻は良かったよ」

「瀨奈のあのホームランもね!」

「うん……やっと、満足いく打球が打てた」

 

――てことは、あれが瀨奈にとっての普通の打球? 嘘でしょ……。

 

あまりにも規格外な後輩に、苦笑いをする先輩達。

 

「もう大会まで試合は無いが、その分練習を詰め込むからな! 最後の追い込み、全力でいくぞ!!」

『オオー!!』

 

小倉北高校、6試合目にして念願の初勝利。



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第9球 抽選会と背番号

2017年度の福岡県予選抽選会当日。

小倉北ナインは抽選会場に来ていた。

 

「全員揃ってるか? じゃあ入るぞー」

「はーい」

 

監督が先導して会場の中に入る。

そこには既に大勢の福岡の野球選手が集まっていた。

何度も全国出場経験のある強豪校から、一・二回戦敗退常連の弱小校まで、計133校の選手が勢揃いだ。

 

「うーん、相変わらず圧巻だな」

「去年までは適当に札引いてたけど、今年は良いとこ頼むよ〜」

「分かってるって、極力良い山引いてくる」

 

全校の主将が札を引く為に前に出る。

小倉北からは越川がその場へ向かった。

 

 

次々と札が引かれては、各校の主将が校名と共に番号を読み上げる。

とうとう越川の出番がやってきて、彼女は緊張した様子で一枚の札を引く。

 

「小倉北……40番」

 

マイク越しにそう言い札をトーナメント表に貼る。

それを見た部員達は、大きな音は立たないようにしてハイタッチとガッツポーズをする。

 

「よっし、あんま強いとこいない!」

「これなら地区予選は勝ち上がれそうかな」

「いやー、ラッキーラッキー」

 

小倉北は北部のEブロックで戦う。

このブロックには、昨夏ベスト16の桜花高校がいるがそれだけ。

それ以外は基本的に弱小校か、中堅レベルの高校しかいない。

 

 

「こっしーナイス!」

「最後の最後で運が回ってきて助かったよ」

 

彼女達3年生にとっては、泣いても笑ってもこれが最後の夏だ。

その最後の夏に最高のチャンスを手にした事は、とても安心出来ただろう。

 

「博多工は県予選の初戦か……」

「なんとしても、そこまで勝ち上がらないとね」

「そうだね」

 

因縁の相手である博多工は南部のEブロックなので、県予選の初戦で当たることとなる。

そこにたどり着くには3試合を勝たなければいけない。

 

 

 

抽選会は無事終わって学校に帰還する。

そして選手達はそれぞれ最後の詰め込みとして、実戦形式の練習を行う。

 

――さてと、オーダーはどうするかな。固まってきてはいるけど、試合数が少なくて最適なオーダーが組めるとは思えない。

 

監督は未だオーダー決めに悩んでいるようだ。

6試合をやったとはいえ、それでも大会を戦う為の最高のオーダーを決めるにはデータが少ない。

 

――クリーンナップはあの3人で決定として、上位だよなぁ。柳を上げるのも良いけど、多少なりとも打力が衰えてるからな……。内川か、志賀か……もしくは白土か。

 

 

小倉北は越川のような癖のないバランス型の選手が少なく、志賀や岩城のような一長一短なタイプの選手が多い。

それぞれの特徴や考え方を考慮して、オーダーを組むのは予想以上に大変な作業だ。

 

――まぁまだ時間はある。まずは今残ってる事をするだけだ。

 

練習が一段落すると、監督は部員達に集合をかける。全員が集まったのを見てから話し出した。

 

「もう大会近いし、ユニフォームと背番号配るぞ」

「待ってましたー!」

「まあ大体わかってるけどな……」

 

田村の言う通り、部員が少ないので誰がどの番号になるのかは分かっている。

唯一それが不確定なのは、投手の海崎と柳の2人だけだ。

 

 

「まず1番、柳!」

「はい」

「エースは任せたぞ」

「分かりました」

 

――やっぱりエースは千隼先輩だよね。まぁ来年は多分私が1番だし、そこまで気にしてないけど。

 

海崎は納得した顔で柳の背番号1を祝う。

それからも背番号は配られていく。

2番は捕球能力が磨かれてきた田村、3番は長打力と得点圏の強さが武器の岩城、4番は器用さと高いミート力の持ち主の内川、5番は低めの球に滅法強い神崎、6番は小技が上手く守備範囲が広い早川、7番は安定感のある打撃を見せる白土、8番は三拍子揃った主将の越川、9番は精神面以外は完璧な志賀。

 

「ラスト! 10番海崎!」

「はいっ」

「左のエース、よろしくな」

「はい!」

 

最後にユニフォームを配られたのは海崎だった。

これで全員に背番号とユニフォームが配布され、公式戦を戦う準備は整った。

後は大会まで練習を続けるだけだ。

 

 

 

ユニフォームが配られてから1ヶ月が経った。

部員達は短い練習時間の中で出来ることをこなしていき、監督が就任した当初とは間違えるほどの実力を付けていた。

 

「今日が大会前最後のミーティングだ! 初戦の相手は棚川高校、毎年1回戦負け常連の……まあ以前のうちみたいなもんだ」

「なら余裕っすね!」

「確かに特出している選手もいないし、守備だって良くない。だからといって油断するなよ? 狙うはコールド勝ちだけだ!」

『オオー!』

 

少しでも投手を温存しつつ、野手も疲れを溜めない為に。

格下相手には確実にコールドゲームを決めて、試合時間を短くしなければいけない。

こうでもしなければ、部員の少ない小倉北は勝ち上がれない。

 

 

「という訳で、初戦の打順を発表するぞ!」

 

ずっと頭を悩ませていた監督も、とうとう決断したようだ。

大事な初戦を戦うスタメンはこのようになった。

 

1番ライト 志賀美海

2番レフト 白土志帆

3番サード 神崎京

4番センター 越川結衣

5番ファースト 岩城瀨奈

6番ピッチャー 柳千隼

7番セカンド 内川優奈

8番ショート 早川薫

9番キャッチャー 田村奏

 

初戦はエースの柳が先発し、海崎はベンチスタートとなった。

上位打線の実に半分を1年生が任される、攻撃的なオーダー。

これでコールドゲームを狙っていくようだ。

 

「初戦だし、エースは温存すると思ってました」

「このブロックは桜花が勝ち上がってくるはずだ、極力データを渡したくない。だから確実にコールドで勝てる相手に投げさせて、球数やらを減らしたいんだ」

「そういう意図でしたか」

 

――なら初戦はカーブは隠そうかしら。投げなくても恐らくは抑えられるでしょうし。

 

柳はかつての実力を取り戻しつつある。

球速は右投手のMAXとしては控えめだが、柳の特筆すべき点は平均球速。

ほぼMAXに近いボールを終盤まで投げる事が出来る彼女は、球速だけでは測れない打ちにくさがある。

なので1球種を封印したところで、打たれるような投手ではないと本人も自覚していた。

 

 

「志賀と白土の2人が出て、それをクリーンナップが還す! そこで打てなかったら最後は柳と内川が決めるんだ」

「私達は最初から期待されてないってよ」

「キャッチャーとショートっていう大事なポジションだからな、お前達は守備で貢献してくれ」

「はーい!」

 

センターラインの中でも特に重要なポジション、それは投手を支えるキャッチャーと花形と呼ばれるショート。

この2人は最初から今まで、打撃を犠牲にして守備を徹底的に鍛えた2人だ。

今年はバットでの貢献はあまり期待されていない。

 

「まっ、私は捕逸ゼロでも目指しますかね」

「じゃー私もエラーゼロにする!」

「目標があるのは良い事だ、意識も大きく変わるからな」

 

もう今の彼女達にやる気の無さは見られない。

監督の目に映っているのは、ただ全国だけを見据えている勝負師10人だ。

監督就任後初めての公式戦まで、あと1日。

今までと同じように初戦で敗戦するか、それとも快進撃を見せて今大会のダークホースとなるか。



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第10球 夏の始まり

越川世代の夏が始まります。
初戦なので短めです。


小倉北と棚川の試合前ノック。

小倉北は練習の成果を見せる安定した動きだったが、棚川は緊張からか簡単な打球も弾いていた。

 

……この感じなら、うちの打線でも打ち崩せそうかな。一番良いのは5回コールドだけど、流石に10点は無理だな。6回7点差コールド目指すか。

 

監督は既に試合の運び方を脳内で組み立てていた。

試合前の整列も終わり、遂に黒川が監督に就任してからの初めての夏が始まった。

 

 

試合は棚川の攻撃から始まり、柳が誰の足跡も無いマウンドを踏む。

彼女の後をついて歩くのは相方の田村。

 

「先輩、カーブは封印するんでしたっけ?」

「そうね。スプリットとカットは普通に投げるから、大変だと思うけどリード頼むわよ」

「任せてください、無失点で終わらせますよ」

「ええ」

 

マウンドでの話も終わり、バッテリーは自分の守備位置につく。

球場に試合開始のサイレンが響き渡る、試合開始だ。

 

 

――緊張してるか分かんないけど、とりあえずストレートから入りましょう。

 

インローのストレートのサインに頷き、柳は右腕を振り下ろして力強い直球をミット目掛けて投げ込む。

1球目から最速に近い速さのストレートに、打者は大きく振り遅れた。

 

――速い球に慣れてないな、こりゃ柳先輩で正解だわ。

 

次は高めのストレートで空振りを奪い、最後は低めのスプリットで三振スタート。

 

「ナイボ」

「ナイスボール!」

 

この大会に調子を合わせてきた柳は、この回は誰も寄せ付けないピッチングを見せ三者凡退で終わらせた。

 

 

「ナイピ、さぁ攻撃だ! 初回から叩きにいくぞ!」

『オー!』

 

小倉北の最初の攻撃は志賀から。

練習試合でトップバッターにも多少慣れてきた彼女は、少し緊張した様子はあるが自信のある顔をしている。

 

――向こうの投手はスライダーとカーブしか投げられない。打てそうなら初球からいけ。

 

ベンチからのサインを受け取った志賀は、構え直して投手と向き合う。

投げられた1球目は海崎よりも遅いストレート、これは簡単に打ち返して先頭打者ツーベース。

 

「白土、いきなり打点ゲットのチャンスだぞー」

「よーし、打ってやろっと」

 

気合い満々で白土が打席に入る。

内角へのストレートが大きく外れ、彼女はすんでの所で避ける。

 

 

――危ないなぁ……でも、これで内角には投げにくいはず。

 

外角にヤマを張った白土は、ホームベース内側に立って外の球を打ちやすいようにする。

2球目はボールからストライクになるカーブ。

これを読んでいた彼女はおっつけて打ち、レフト線に落ちるヒットに。

このヒットでは志賀は生還できなかったが一・三塁のチャンス。

 

これからクリーンナップの打順になり、大量得点に期待が掛かる。

クリーンナップ最初の打者は神崎。

彼女はホームラン狙いのフルスイングでスライダーを打ちに行くが、やや下を叩いてしまう。

 

「いや、この当たりなら!」

「美海準備してよ? ……ゴー!」

 

三塁コーチャーの早川の合図を聞き、志賀がタッチアップし生還。

初回から1点を先取した。

 

 

「ナイスラーン、ナイバッチ!」

「ありがとー、でもまだまだ! こっしー続けー!」

 

ベンチの方向に目は向けず、だが拳は突き出して越川は打席に入る。

 

――威圧感あるなぁ、小倉北(ここ)ってこんなチームだったか?

 

棚川のバッテリーが越川のオーラに不安を感じながらも、ストレートから入る。

迷いなく振られたバットは白球を芯で捉える。

白球はフェンス直撃のヒットとなり、再び一・三塁になる。

 

「瀨奈頑張れ!」

「うん……」

 

越川、岩城とチャンスに強い打者が続く。

大きく外れた初球にはしっかりとバットを止め、2球目。

内角に投げられたストレートを弾き返した。

白土が生還しランナーは一・二塁の状況に。

 

 

この後も柳がタイムリーで続き、最終的に打者一巡の攻撃を見せ3点を奪った。

 

「いやー良い攻撃だったな! 守備も頼むぞ」

「分かってますよ、私が投げるからには1点もやりませんよ」

 

柳はこの言葉通り相手を圧倒する投球を見せた。

4回まで無失点で8奪三振という内容だ。

 

「いい加減追加点欲しいぞ、あと4点もぎ取ってこい!」

「はーい」

 

4回裏の攻撃は下位打線の内川から。

 

――さっきはスライダーで打ち取られたから、またそれで攻めてきそう。

 

 

彼女のヤマは当たり、初球からそのスライダーで打ち取ろうとしてくる。

狙いが的中していれば打てない相手では無い。

内川はレフト前に流してヒットにする。

次の早川にはバントのサインが出て、彼女はきっちりと仕事をこなす。

 

――久々のピンチで動揺してるだろうな、そこを叩く!

 

カウント1ー2からの4球目を仕留め一・三塁にチャンスを拡大する。

 

「田村がヒットなんて珍しいな」

「ほっとけ!」

 

一塁コーチャーに入っていた海崎にヒットを茶化され、軽くその頭を叩いた。

続く志賀は四球で出塁するが、白土が凡退してしまう。

 

 

「すみません……」

「平気だよ、私が決めてくるから」

 

チャンスで凡退して落ち込んでいる後輩を慰めてから打席に入った越川は、宣言通り走者一掃のタイムリーツーベースを放つ。

それを見た萩原は大喜びで飛び跳ねる。

 

「きゃー! 越川先輩かっこいー!」

「……そうだね」

「志帆どうしたの? 私に賛同してくれた事今まで無かったじゃん」

 

萩原の言うとおり、今まで白土は彼女の越川好き発言に乗っかる事は無かった。

それが今日は苦笑いすることもなく同意した、何かがおかしいと1年メンバーは感じた。

 

「そんな反応する!? 私が打てなかった後に決めてくれたんだし、かっこいいとは思うって」

「だよね~! はー……野球部のマネになって良かった!」

 

 

ベンチでガールズトーク行われている間にも、岩城が打ち取られチェンジに。

 

「6回7点差でコールドよね?」

「そうっす、あと1点っす」

「ありがとう」

 

――なら余計に点をやる訳にはいかないわね。……まぁ、初めから失点するなんて思っていないのだけどね!

 

ストライクゾーンで散らばる威力のあるストレート、切れ味抜群のカットボール、そして真っ直ぐと同じ軌道から鋭く落ちるスプリット。

この3球種で相手打線を寄せ付けず、6回まで無失点を維持する。

 

 

「ここでコールド決めるぞ! 」

 

この回はクリーンナップからの好打順だったが、神崎と越川が立て続けに打ち取られる。

今日は5番でヒットも打っている岩城の打席だ。

 

――……あ、甘い。

 

初球のカーブがすっぽ抜けて、ど真ん中に失投が向かう。

当然岩城はこれを易々と見送るようなバッターでは無い。

力感の無い綺麗なスイングで弾き返された打球は、上空高く舞い上がる。

 

「……行ったわこれ」

 

誰かが小さくそう呟いた次の瞬間、ボールはフェンスを越えレフトスタンドにぽとりと落ちた。

 

 

「サヨナラだー!」

「瀨奈っちさいこー!」

「ナイスホームラン!」

 

これが待望の7点目となり、小倉北は初戦を6回コールドで勝利した。

試合を決めた今日のヒロインは、ベンチに戻ると笑顔で手荒い祝福を受けていた。

 

 

小倉北高校、5年振りの初戦突破。



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第11球 チャンスを楽しめ

先日の小倉北の初戦突破のニュースは、どこからか噂になっていた。

とはいえ野球部を同じクラスに持つ生徒の間だけであり、学校全体として広まっていないのが現実だ。

部員達も初戦突破だけで浮かれるわけにはいかず、自らは誰も言っていなかった。

 

「おはよ」

「おーっす、なんか知らないけど初勝利の事クラスに知れ渡ってるぞ」

「ほんと? どっから広まったんだろうな」

「さぁ……まっ、ありがたい事だな」

 

海崎と田村の2人は、野球部の良い話題が噂になる事を嬉しく感じていた。

 

 

「野球部おめー、次は柊が投げるの?」

「そうだよ、相手は確か……霜楓高校」

「聞いた事ないなー、強いとこ?」

「別に……1回だけベスト8に残ったことあるらしいけど、毎年そこまで強くないみたい」

 

二戦目の相手は霜楓高校。

以前一度だけベスト8まで残った高校だが、その一度以外は基本的に三回戦までには消える高校だ。

 

「夏休みだったら観に行ってたんだけどなぁ」

「仕方ないよ、皆も部活あるんでしょ?」

「もし県予選まで進んだら観に行くから!」

「言ったな? ちゃんと来いよ!」

 

田村のこの発言は冗談のように流されたが、2人は至って本気で言っている。

本当に県予選まで進めば、学校中の話題は野球部が掻っ攫っていくだろう。

 

 

 

その日の放課後の練習。

 

「ほれ海崎、スクリューカモン」

「いくぞ」

 

次戦の先発である海崎は、田村を相手に投球練習をしていた。

彼女は真ん中低めからボールになるスクリューを受け止めると、物足りないような顔をする。

 

「うーん……もうちょい変化させらんない?」

「それやったら田村が捕れないでしょ」

「はー? 舐めんなよ! 海崎の球くらい全部捕ってやるからな、こい!」

「仕方ないなぁ……逸らすなよ!」

 

海崎は思い切り腕を振り、今度は同じコースからワンバウンドになるボールを投げる。

そのボールから目を離さなかった田村は、ミットが若干流されたものの捕球した。

 

 

「どうだ! 私だって成長してんだよ!」

「あぁ……そうだな」

 

――本当に捕れるようになってたんだ。……もう少し、田村の事を信じて投げてもいいのかも。

 

ずっと一緒に練習してきたが、以前の彼女の様子が染み付いていた海崎にとって、今のキャッチングは予想していない出来事だった。

投手と捕手は互いに信用していなければ良い結果を残さないポジションだ、やっと田村は海崎にとって心から信用出来る相手になったのだ。

 

「このボールならそうそう打たれないな、次も勝つぞ!」

「言われなくたってそのつもりさ、千隼先輩には負けてられないよ」

 

 

 

数日が経ち、三回戦が行われる日。

スタンドの観客の姿はまばらだが、確実に初戦よりも増えている。

あのコールド勝ちで小倉北に期待する観客が居たのだろう。

 

「今日の相手は霜楓! 打力は棚川よりいいけど、その分守備は酷いからガンガン打ってけよ!」

「小倉北、今日も勝つぞ!」

『オオーー!!』

 

先攻は小倉北からで、トップバッターに任命されたのは内川。

 

「お願いします!」

 

審判に礼をしてからバットを構える。

初球のツーシームは見送って1ストライク。

 

――ストレートだと思って振ると、今のに詰まらせられるって事か……気を付けよ。

 

 

並行カウントからの6球目は縦のスライダー。

内川は落ちる球を掬い上げて、センター前に落とした。

 

「ナイバッチー! 早川行ってこい!」

「はーい!」

 

2番という上位に置かれた早川だが、この打席ではバントのサインは出ない。

 

――しっかり打たないと……ね!

 

3球目のストレートを打ち返した早川。

これが公式戦初ヒットとなる。

 

 

「神崎決めてこい! 求めてるのはヒットだぞー」

「任せてください」

 

先日の試合では犠牲フライ1本の成績だった。

いくら打点を挙げたとしても、ヒットで繋ぎたいという気持ちが彼女にある。

初球のストレートに空振り、続く縦スラも見送って2球で追い込まれた。

 

――この投手は3球勝負はしない、1球見ていけ。

 

監督からのサインに頷いて次の球は見送る。

やはり3球で勝負を決めてくる事はなく、外に外された。

 

投じられた4球目は低めへのツーシーム。

アッパースイングで打ち返した打球は左中間を破る。

 

 

「回れ回れー!」

「よしっ……京先輩ナイバッチ!」

 

この当たりで内川が生還し尚も一・三塁。

しかし1番の期待を背負っていた越川は、初球のスライダーを引っ掛けてしまう。

 

――いや……行けるっ!

 

ボテボテの当たりは二塁方向に転がり、それを見た早川はホームへ駆ける。

霜楓のセカンドはゲッツーを選択し、ランナーは居なくなった。

 

 

「すまん……」

「珍しいわね、こっしーが得点圏で打てないなんて」

「私だって打てない時はあるよ……それと呼び方!」

 

こっしー呼びを咎められた柳はクスリと笑う。

岩城も続く事は出来ずに1点だけで初回の攻撃を終えた。

 

「まぁ先制できただけ良しだ、バッテリー頼んだぞ!」

「分かってますよ〜」

「抑えてきますね」

 

先発のマウンドを託された海崎が投げ始める。

遠慮が無くなり変化の増したスクリューを軸に、新球種のスライダーを組み合わせて三振を奪っていく。

まず初回は三者凡退で締め、順調な立ち上がりを見せた。

 

 

2回表の攻撃は6番海崎、7番志賀、8番白土が凡退に終わり無得点。

裏の守備で海崎は2連打を浴びるものの、後続はキッチリ絶って得点は許さなかった。

 

両投手は好調だったようで、5回までお互い失点を許さなかった。

1点差のまま迎えた6回裏の守備だった。

徐々に捉えられ始めてきた海崎が、四球とヒットで1アウト一・二塁のピンチを作る。

 

――ゲッツー取りたいな。外を見せてからの内角で詰まらせるぞ。

 

 

外角にスクリューを投げた次の球だった。

甘く入ってしまったストレートを完璧に捉えられる。

 

「ライト!」

「っ、はい!」

 

志賀は落下地点に向かって全力で走るが、ボールは彼女が出したグラブの手前に落下した。

 

「ライト逸らした! 回れ!」

「美海、中継!」

 

フェンスの方へ転々と転がっていったボールを捕り、中継に入った内川にボールを投げる。

二塁ランナーは生還し、スコアボードのEのランプが点灯する。

 

 

「……すみません」

「海崎平気か? まだ投げられそう?」

「平気、必ず抑えるから」

「……頼んだぞ」

 

――ここでお前が打たれて負けたら、美海はこれからずっと気にするんだからな。

 

言われなくても海崎は分かっていた。

誰も居なくなったマウンドの上で1人、彼女は目を閉じて息を吐く。

ゆっくりと瞼を上げた時、彼女の瞳には強い決意のような物が見えた。

 

「……抑えられますね」

「だな」

 

ベンチで見ていた監督と柳も、彼女の様子の変化を感じ取った。

境地に立たされたこの場面で彼女は、並外れた集中力を見せる。

 

――いくら味方がエラーをしたって、投手が抑えれば勝てるんだ。だから絶対……打たれてたまるか!

 

海崎はここから二者連続の三振を奪い、この試合最大のピンチを最小失点で切り抜けた。

 

 

「海崎先輩ナイスピッチです……それと、本当にすみませんでした」

「抑えられたんだから気にしないでいいよ」

「けど……練習試合でも、同じ事してしまいましたし」

「うーん……なら、打ってくれたら嬉しいな」

 

それだけでいいなら、と志賀は頷いた。

あと少しのところで追いつかれた後の攻撃は、志賀から始まる打順だった。

彼女はヘルメットを被り、気合の入った表情のまま左打席に入る。

 

――投手が変わった……。

 

霜楓のベンチはここで動き、この試合3人目の投手を出してきた。

長身から投げ下ろされるストレートが武器の大型左腕。だが志賀の口角は微かに上がっていた。

 

 

投球練習を終えて迎えた1球目だった。

外角に投げられたシュートを綺麗に流し、レフト前に落ちるヒットにする。

 

「ナイバッチ!」

「さっすが志賀だな」

 

――左投手が出てきてくれて助かった……。

 

そう、志賀は左打者ながら左投手の方が得意という選手だ。

この場面で左に変えてきてくれたのは、彼女にとっては願ってもない好機だった。

しかし続く田村は打ち取られてしまい1アウト。

 

 

「海崎、あとどれくらい投げられそう?」

「……正直、7回までで精一杯です」

「なら柳、準備しておいてくれ」

「はい」

 

海崎を始めとした部員達共通の課題はスタミナ。

いくら詰め込んだとはいえ、たった3ヶ月で付くスタミナなど高が知れている。

延長戦を戦えるだけのスタミナは柳以外、誰にも無いと言っても過言ではない。

 

「優奈任せたよ!」

「ホームラン打ってもいいんだぞ!」

 

――柊はここまで頑張ってるし、エラーした美海が必死に繋いでくれたんだ……ここで打たないで、いつ打つんだっての!

 

 

内川も対左に強い左打者だ。

初球の内角低めのストレートを力強く引っ張り、打球は一塁線を破る長打コースに。

志賀は三塁、内川は二塁でストップしチャンス拡大。

 

だがここで早川が凡退してしまい、2アウトでランナーは変わりなし。

打席に向かうのは今日1安打1四球の神崎。

 

「京先輩ー! 私達の仇をとってください!」

「ここで打ったらヒロインですよ!」

 

――まさかこんな場面で回ってくるとはね……。けど、なんか楽しいな。

 

試合を決める大一番で神崎は笑っていた。

今までの野球部であれば、こんな場面に立ち合わせる事なんて絶対に無かったと確信している。

だからこそこんな経験が出来る事を楽しく思っていた。

 

 

――笑ってる……? 気味が悪いな、速攻で決めるぞ。

 

霜楓のキャッチャーは、投手が得意なインローに構えて得意球であるストレートのサインを出す。

ピンチの場面で投手の得意なコース、得意なボールを要求するのは投手の気分を上げる意味でも有効だ。

 

だがこの場面ではそれが裏目に出た。

 

――低めだ! 絶対打てよ京!

 

神崎京という選手は、高めには弱いが低めのボールには滅法強い。

元々アッパースイングだというのもあるが、それ以上に低めのボールにバットを合わせて力を乗せるのが上手い。

 

ここでも彼女の特技が発揮された。

芯を若干外されたがそんなのは関係無し、と言わんばかりに全身で振り抜く。

 

 

「いったか!?」

「いや、あれは……」

 

打球は惜しくもフェンスを直撃するだけとなった。

しかしスタートを切っていた志賀と内川は楽々ホームに生還し、最終回で2点の勝ち越しに成功。

 

「京先輩ナイバッチです〜!」

「最高のヒットでしたよ!」

 

ホームに生還した2人から声援が送られると、そちらに向けて手を振る。

まだまだ続きたかったが、後続の越川が打ち取られて攻撃はここまで。

 

「こっしー今日調子悪いね」

「上手くタイミング合わない……」

「そもそもチャンスでこっしー先輩に回せてないってのもありますよね」

「私ってチャンスじゃないと打てなかったのか……」

 

 

自覚していなかった弱点を知ってしまい、越川はかなりショックを受けた様子だった。

そんな風景を見ていた海崎は、笑顔のまま最終回のマウンドに向かう。

2点差もあるので緊張した感じは無く、最後も3人で締めて試合を終わらせた。

 

3対1で小倉北の三回戦突破が決まった。



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第12球 桜よ散れ

北部Eブロック予選の決勝。

小倉北と桜花の試合には、大勢の観客が詰めかけていた。

 

「うわー……人いっぱい」

「大番狂わせと優勝候補の試合だからなー、まぁこんなもんだろ」

 

まさかただの公立高校がここまで勝ち上がってくるとは思わなかったのか、興味を持って観戦に来た者も中にはいる。

このまま勢いに乗った小倉北が予想外の県予選進出を果たすか、それとも例年通り桜花が格下を叩き潰すか。

注目の一戦が始まろうとしている。

 

 

「桜花は今までの相手とはレベルが違うぞ! ミスは極力無くして、隙を見せたらそこを狙っていけ!」

「南部のEブロックは博多工が勝ったらしい。リベンジする機会を得られるんだ……絶対勝つぞ!」

『オー!』

 

試合開始のサイレンがけたたましく鳴る。

先攻は小倉北、トップバッターは志賀。

まずは制球の良いスラーブを見逃して1つ目のストライク。

 

――しっかり役割はこなさないと。

 

前日に監督から命じられた使命は、“粘って球種を引き出す事”だ。

ミート力と選球眼を兼ね備えている志賀だからこそ、監督はこの命令を出した。

 

 

それに応えて彼女は際どい球をカットしていく。

フルカウントから更に2球を粘り、バッテリーにプレッシャーを掛ける。

 

――当ててくるな……とっとと打ち取ろうぜ。

 

焦ったく感じたキャッチャーは低めに構える。

サインに頷いた投手は振りかぶって8球目を投じた。

 

――直球? ……いや、落ちるっ!

 

大きく曲がる変化球にバットを止めようとするが、ハーフスイングを取られて三振に終わる。

 

「どうだった?」

「カーブ系……多分ナックルカーブです」

「ありがと」

 

 

志賀から決め球として投げられた球種を聞き、2番に入った内川が打席に向かう。

彼女に対しては初球からそのナックルカーブを投げ、2球で追い込む。

 

――曲がりが大きいから捨てていこうかな。

 

1球ボールを挟んでからの4球目。

インに食い込むスラーブに手が出ず見逃しの三振。

 

――カーブが頭に残ってると、あれを投げられるって事か。意外と厄介そうな相手だなぁ。

 

続く神崎もナックルカーブに翻弄され、珍しく初回を三者凡退にされた。

 

 

「初回三凡かぁ……地味に初めてだな」

「本当にレベルが違いますね。あれでも滅多に全国行けないんですから、全国の壁って高いですよね」

「私らはそこを乗り越えるんだけどな」

 

監督はこの世代で全国に行く気満々である。

その気持ちを受け取った柳は、田村と共に歩き出す。

 

「今日はスローカーブも使うんすよね」

「ええ、だから緩急をつけられるわ」

「こっちも色んな配球試せるし、楽しみっす」

「よろしく頼むわね」

 

バッテリーは笑顔のままグラブタッチを交わす。

それぞれが自分の守るべき位置につき、遂に試合が始まった。

 

 

――手始めにまずはストレートから。

 

アウトローに1球を投げて見逃しのストライク。

打者はこちらの出方を伺っているのか、振ってくる気配は無い。

ならば遠慮せず攻めていくのが田村と柳だ。

 

カットボールを続け、最後は真ん中から落ちて低めに決まるスプリットで空振りの三振を奪う。

 

「うっし、楽勝! ボール走ってるっすよ!」

 

――この様子なら今日も完投は出来そうだな。

 

春からボールを受け続けてきた田村は、今日の相方の調子が良いことを感じていた。

それは投げている本人にも分かってる事で、多少攻めたリードをしても首を振ることなく投げてくれる。

 

 

「ストライク! バッターアウト!」

「ふぅ……良い感じね」

「っすね、ヒットも殆ど打たれて無いっすもん」

 

4回裏の守備が終わった時点で5奪三振の好投。

だが良いニュースだけではない。

こちらの打線も同様に抑えられてしまったいる。

 

「そろそろ均衡破りたいな……内川、高めのスラーブ狙ってけ」

「わかりました~」

 

――今までの傾向から、左にはスラーブを決め球にしてくることが多い。なら追い込まれるまでは待って……ここだ!

 

インコースのスラーブを引っ張ってシングルヒット。狙い通りのバッティングが出来た。

 

 

――ここは仕掛けるけど、初球は見て行けよ。

 

ベンチからそのサインが出ると、内川はヘルメットを触って了承する。

緊張した面持ちで、でもどこかスリルを楽しんでいる様子だった。

 

――失敗したら流れが一気に向こう行くよね。初球は見て……うん、投げてこなさそう。行くぞ。

 

投球モーションに入る直前にスタートを切る。

ここまで完璧に走られては、バッテリーは為す術無く二盗を許す。

 

「ナイスラン!」

「優奈良いよー」

 

ノーアウトでランナーは二塁の大チャンス。

ここで出番が回ってくるのは神崎。

 

――ここで私に求められてるのは長打だ。甘い球が来るまでは手を出さないよ。

 

 

好球必打を実行した彼女は思惑通りに打てた。

左中間を破るツーベースとなり、これが先制打となる。

 

「ナイバッチー」

「こっしー先輩も続きましょ」

「うん」

 

前の試合では4番に座りながらもノーヒットという悔しい結果に終わった彼女。

悔しさを振り払うように打った打球は、レフト線を破るヒットに。

 

――打球強すぎ……流石に帰れないな。

 

球の勢いが強すぎたのと、引っ張り警戒のシフトを引かれていたためレフトを越せなかった。

二つの要因により神崎がホームに還る事は叶わず。

 

 

「けどうちにはまだこの子がいるもんね!」

 

《5番ファースト 岩城さん》

 

内川に“得点圏の修羅”と称された岩城。

その異名に相応しく、いつにも増して修羅の様なオーラを出している。

 

――向こうの投手は多少なりとも焦ってる、今が攻め時だ。

 

ベンチからのサインを確認した3名は、相手に気づかれないように驚きの表情をした。

だが全員が自身の役割を理解した。

投手が投げようとした時だった。

 

「走った!」

 

――また盗塁か! けど今度はタイミングが遅いし刺せる!

 

 

明らかにスタートは遅れていた。

桜花側は刺せると判断し、ショートがベースカバーに入る。

岩城は広がったヒットゾーンを狙って打ち返す。

逆を突かれたショートも何とか飛びつくが、グラブが届くことは無かった。

 

「こっしー先輩も回って!」

 

――えっ? けど、やってやるか!

 

三塁に到着する前からホーム突入の指示が出る。

苦笑いを浮かべながらも、越川はスピードを落とさないままホームに突っ込む。

ベースへのタッチと越川へのタッチは、同じタイミングに見えたが。

 

「セーフ!!」

「よしっ」

「キャプテンナイスラン!」

「一気に3点入っちゃった」

 

試合中盤での3点はかなり大きい、このまま逃げ切れる。

この時まではそう思っていた。

 

 

雲行きが怪しくなったのは6回表。

1アウトからヒットと四球でピンチを招く。

 

「タイム」

 

一度間を取ろうとタイムを掛ける。

 

「先輩、これ……」

「えぇ……完全に嵌められたわね」

 

一巡目で打ってくる気配が無かったのは、柳のボールをよく見るため。

3イニングまともな攻撃が出来なくても勝てる、桜花にはその自信と打力があったのだ。

 

 

「とりあえずはゲッツー狙いましょ」

「そうね」

 

――ゲッツー取るなら、速い球見せてからのカーブかな。

 

ストレートを2球続けてカウントを取ってからのスローカーブ。

しかしそれを投げた瞬間、バッテリーには嫌な予感がした。

 

「っ……、ライト!」

 

田村にとっては渾身の配球だった。

だが現実はスタンドまで軽々と運ばれ、同点にされた。

勝利を確信していたチームの空気が一気に重くなる。

 

 

「コラー! 何諦めてんだ! まだ同点だぞ!」

「……うっす」

 

――今一番ショックを受けてんのは先輩だ。捕手の私が励まさねぇと……!

 

「その、先輩。今のは私が悪かったと言いますか……読まれてたっす」

「そうみたいね。球筋を見極められ、配球を読まれ……失点するのは当然ね」

 

分かってはいても、いざ面と向かって言われると傷つくのか田村は俯く。

 

「でもね、それでも抑えなきゃいけないのがエースなの。奏が気にする必要なんて無いわ」

「はっ? いや、今のは私がちゃんとしてれば……!」

「私にたらればなんて必要無いの……桜花、見てなさいよ」

 

エースとしてのプライドを傷つけられた柳は、桜花ベンチを睨む。

その様子を見た田村や他の部員達は、自分では抑えようがないと判断してこの場から離れた。

 

 

「柳先輩が怖いんですけど……」

「あんな柳見たこと無いもんなぁ」

 

ベンチでは一部始終を見ていた萩原が怯えていた。

 

「海崎は今からはよく見とけよ、あれがエースだ」

「……はい」

 

対して海崎は柳から一切目を離さなかった。

同じ投手として、次期エースとして。

今からの柳のピッチングが参考になると確信していたから。

 

――同点ホームラン? 冗談じゃないわよ。私は小倉北のエースなの。このチームを全国に連れて行くの。こんな所で負ける訳無いでしょう!

 

「ストライク、バッターアウッ!」

 

同点にされてからのピッチングは圧巻だった。

ストレートの球威は増し、変化球のキレや変化量、コントロールも良くなっていた。

まるでかつての彼女を彷彿とさせるボールだ。

 

「私はもう点は取られないし、援護も必要ないわ」

「へっ? それってどういう……」

 

――……まさかな。

 

自信満々な彼女の言葉の意図を理解したのは、同級生の神崎と越川のみだ。

だがその2人も、まさか実行は出来ないだろうと思っていた。

そう、思っていたのだ。

 

 

《6番ピッチャー 柳さん》

 

同点のまま迎えた最終回の攻撃、トップバッターは件の柳だ。

威圧感に近いオーラを放ちながら打席に入る。

まだここまでノーヒットのピッチャー。

打力が無いと判断されたのだろうか、初球はストレートから入ってくる。

 

――やっぱりそう入ってきたわね……これはさっきのお返しよ!

 

全身を使ったスイングで捉えられた打球は、レフト方向に大きく舞い上がる。

レフトが打球を懸命に追うが、まだ白球が落ちてくる気配は無い。

 

「う、嘘でしょ……?」

 

最後まで白球がグラウンドに落ちてくる事は無かった。フェンスを越えた先の、スタンドに落ちた。

 

 

「さ、サヨナラー!」

「柳せんぱーい! ナイバッチ!」

 

エースによるホームランでサヨナラという劇的な幕引きに大盛り上がりな中、神崎と越川だけは違っていた。

 

「本当に打ったよ……」

「ホームラン打つ気なんだろうなとは思ったけどさ……ほんとに打っちゃうか~」

 

予想はしていたが現実になるとは思って無かった。

圧倒されながらも笑顔で、文句なしの本日のヒロインを出迎る。

 

小倉北高校、史上初の県予選進出決定。



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第13球 大番狂わせ

試合は小倉北のサヨナラ勝ちで終わった。

事の結末を見届けてしまった桜花側ベンチは、泣き崩れる者が大半を占めている。

ベンチだけではなく、応援席にいるベンチ入りを果たせなかった選手達もそうだ。

 

――私達が終わらせたんだ、この人達の夏を……。これが勝ち上がるって事なんだ。

 

今まで倒してきた高校は負けるのが当たり前、と思っている節のある所ばかりだった。

だから負けても泣き崩れる者は殆どいなかったし、笑顔のまま激励の言葉を送ってくれた。

それが今は誰も話しかけて来られずに、その場に蹲って泣いている。

 

ずっと野球をやってきて、一度も経験した事の無い居心地の悪さを感じる越川は、そんな事を考えていた。

 

「……行くわよ、整列よ」

「あっ、うん……」

 

柳に声を掛けられてようやく歩き出した。

涙を流す桜花の選手に対し、越川は何も言えずに握手と礼を済ませた。

そんな彼女を見ていた柳は問いかける。

 

 

「まさか、勝たなきゃ良かったなんて思ってるんじゃないでしょうね?」

「そんなことは……ただ、変な感じがするだけだよ」

「……そう」

 

これ以上柳が越川を問いただすことは無かった。

今は1人で気持ちの整理をさせる時間が必要だと判断した。

 

場所を移動して球場の外。

移動用のバスを待ちながら試合の振り返りだ。

 

「これで県予選出場が決定したな! 初戦の相手は博多工科……リベンジする機会だ」

「また河野さんが投げてきますかね?」

「今日の試合は温存されてたし、多分な」

 

今日の試合で河野の出場機会は無かった。

となると考えられるのは、小倉北と戦う事になる県予選の初戦。

そこで先発として登場すると見て良いだろう。

 

 

「試合は3日後だ。今日投げた所悪いが、河野対策として柳にフリー打撃の相手をして貰いたいんだ」

「平気ですよ、スプリット中心でいった方が良いですか?」

「そうだな、よろしく頼むよ。スライダー対策は海崎に任せる」

「分かりました」

 

河野の球種はスプリット、カーブ、スライダー。

その内の2球種は柳が投げられて、スライダーは海崎が投げられる。

試合まで短い期間しか無いが、出来る事をこなすしかない。

 

 

 

見事地区予選を突破した翌日。

部員達が自分のクラスに入ると、口々に県予選出場を祝われる。

どこの部も際立った成績を残せていない中、唯一好成績を残した野球部の事を学校中が注目していたのだ。

 

「一気に人気者になっちゃったよ」

「どれだけ勝ってなかったのよ、ここの高校は」

「史上初の地区予選突破だからね……」

 

越川はこの事態に現実味を感じておらず、どこか他人事のように話す。

それに少し呆れながら話すのは、このような経験には慣れている柳。

 

「……この期待に応えたいね」

「そうね、必ず勝つわよ」

「うん」

 

2人は博多工科への勝利を誓い合う。

高校最後の夏でここまで残れたんだ、折角なら全国に行きたいのだ。

 

 

 

その日の放課後の練習はあっという間だった。

そう広くはないグラウンドで、柳と海崎が野手陣を相手に交互に投げていく。

打席の待ち時間も無駄にはしなかった。

待っている選手は各々壁当てをしたり、ペッパーを受けていた。

 

ほんの少しの隙間時間でも活用すればもっと上手くなれる、誰もがそう信じて研鑽していた。

就任当初からは想像も出来なかった光景に、監督は腕を組んで満足そうに頷く。

 

 

次の部活にグラウンドを明け渡す時間になったが、様子がおかしい。

本来ならサッカー部も二桁は部員がいるのに、この場には主将しか来ていない。

 

「あれ? 他の部員は?」

「それなんだけどさ……大会終わるまで最終下校まで使って良いよ」

「えっ……だってサッカー部だって大会あるだろ?」

「そうだけど! でもさ、野球部結果残してるじゃん。行けるとこまで行って欲しいんだよ」

 

小倉北の名前を全国に広めて欲しい。

サッカー部の主将は真剣な眼差しでそう言った。

 

「それ、他の部員は納得してるの?」

「勿論だ、じゃなきゃ言いに来ないよ」

「ありがとう……必ず勝ってくる」

「期待してるよ」

 

グータッチをしてサッカー部の主将は去って行く。

その様子を見た部員達は、休憩もそこそこに練習を再開する。

ノックにマシン打撃にバント練習……走塁や盗塁の技術も高めた。

博多工科は今年はベスト4が狙えるとの評価をされているチーム、生半可な努力では敵わない相手だと部員達は知っていた。

 

 

珍しく日が暮れるまでたっぷりと練習が出来て、部員達はいつも以上に疲れている様子だ。

だが片付けは手早くこなして最終下校には間に合わせる。

 

「しゅうごーう! 明日の打順発表するぞ!」

「イェーイ! 待ってました!」

 

監督は博多工科と戦う打順を発表する。

 

1番セカンド 内川優奈

2番ライト 志賀美海

3番サード 神崎京

4番センター 越川結衣

5番ファースト 岩城瀬奈

6番レフト 白土志帆

7番ピッチャー 海崎柊

8番キャッチャー 田村奏

9番ショート 早川薫

 

 

「先発は海崎だけど、柳にもリリーフで投げてもらうから準備はしておけよ」

「分かりました」

「海崎は5回までは投げ切ってくれ」

「はい」

 

海崎5イニング、柳2イニングで逃げ切る作戦だ。

博多工科は今年戦う相手の中で一番小倉北を分かっている。

だから継投をして戦った方が抑えられる確率が高いと判断された。

 

「今日はしっかり体を休めて明日に備えよう! いいな!?」

『ハイ!!』

 

打順と継投を発表したところで本日は解散となる。

各々監督の言いつけを守ってストレッチやマッサージなどを自宅で行い、因縁の相手を前に万全の準備を整えてきた。

 

 

 

そして遂に迎えた県予選初戦。

博多工科対小倉北の試合は、観客席が満席になるほどの大人気だ。

 

「はぁー……凄いな」

「ウチからも吹部が来てくれてるし、パワーになるよ」

「向こうとの人数差やばいよ〜、あれが私立か……」

「そこに私立と公立関係無くないか?」

 

2年生組が満員のスタンドを見て思った事を口にする。

確かに小倉北にも応援に駆けつけてくれた生徒達は居るのだが、博多工科と比べると数は少ない。

それでも自分達の為にこれだけの生徒が応援に来てくれていると考えると、自然と力が湧くものだ。

 

 

両チームの試合前ノックも終わり、とうとう試合が始まろうとしていた。

今日の試合は博多工科が先攻、小倉北が後攻となった。

先攻に決まった博多工科のベンチでは。

 

「向こうは海崎さんだったね」

「まぁ予想はしてたけど……柳さんのが良かったんじゃないのかな」

「確かにそうだけど、練習試合の時みたく油断はするなよ。……小倉北は舐めてかかっちゃいけない相手なんだから」

「分かってるって! もうあんなミスはしないよ」

 

河野の他にも桜木と平山もスタメンに名前を連ねていた。

練習試合でかなりの接戦に持ち込まれた彼女達は、小倉北を格下と判断して油断することは無かった。

 

――強くなるとは思っていたけど、まさかここまで来るとはね……どこまで成長したか見せてもらうよ。

 

河野は不敵な笑みを浮かべながら小倉北のベンチを見る。

 

 

「予想通り先発は河野だったな! アイツの球筋は覚えてるだろうから、今日はガンガン点取って、守り抜く野球をしよう」

 

博多工科の先発の欄には2年生エース・河野の名前が記されていた。

他のスタメンも殆ど練習試合の時と変わらない顔ぶれ、お互いにデータが豊富にある状態での対決となる。

 

「絶対にリベンジするぞ!!」

『オーーッ!!』

 

越川のいつもより気合の入った声出しに呼応し、小倉北ナインはいつも以上の声量で叫ぶ。

博多工科と小倉北、どちらが勝ってもおかしくない運命の一戦が今始まった。



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第14球 ライバル

「プレイボール!」

 

球審のコールと場内に鳴り響くサイレンから、県予選の第一試合が始まりを告げた。

博多工科のトップバッターはセンターの大塚。

 

彼女に対しての初球はアウトコースへのカーブ。

合わせられるもののタイミングが遅かった為、ライト方向に切れていくファールとなる。

続くストレートとの球速差で空振りを奪おうとするも、これもカットされてしまう。

 

――でも2ストライク……遊び球は要らない、3球で決めるぞ。

 

海崎はサインに頷きワインドアップから勝負球を投げる。

当然得意球であるスクリューを低めに投げ、先頭打者からは空振りの三振を奪う最高のスタート。

 

 

「ナイピー」

「ナイボ!」

 

――スクリューの調子は良さそうだな。

 

次に戦う打者は2年生ショートの桜木。

彼女は練習試合で3打数無安打という屈辱を味わった選手だ。

悔しさで海崎対策に1日を費やした日もある。

 

まずはスライダーを見送ってストライク。

綺麗に外に決まる良いボールだった。

2球目は練習試合の時に空振りをしていたスクリュー。

 

――少しでも落ちたら見送る!

 

「ボール!」

「よしっ……」

 

ボールが落ちるのを見てバットを止め、ボール。

特にスクリューへの対策をしてきたようだ。

だがカーブには体制を崩されてセカンドへのゴロになる。

 

 

「ナイピ!」

「ツーダン!」

 

――まずいな……。2人目に変化見極められるとか聞いてないぞ。なんでバット止まるんだよ。

 

レベルアップしたスクリューを前にし、当たり前のようにバットを止めて見送られた。

その様子に嫌な予感をしながらも田村は構え直す。

幸い最後の打者はそのスクリューで三振を奪い、初回は無失点で切り抜ける。

 

「こっちも初回からガンガン攻めていくぞ!」

「よーし、打っちゃうぞー」

 

今日もトップバッターは内川。

チーム内でも打率はトップ3に入り、脚もある彼女が1番に最適だとされた。

 

 

――前の試合では初回に点を取られたけど……今日はそうはいかないよ。

 

河野はノーワインドアップから右腕を振り下ろす。

真ん中低めにコントロールされたストレートが、捕手のミットに突き刺さる。

 

「ストライク!」

「速くなってやがる……」

「私と同等か、それ以上の球速ですね」

 

今でこそ本格派投手になってしまったものの、かつては速球派として福岡で名を轟かせていた柳。

その彼女の今の球速とほぼ同じか、それ以上の速さのボールを河野は投げている。

 

 

――これはストレート……いや、スプリットか!

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

追い込まれてからの最後のボールはスプリット。

高いミート力を誇る内川が、一打席目とはいえ手も足も出なかった。

 

「内川どうだった?」

「キレが増してます……見極めが難しそう」

「なるほどなぁ、ありがとな」

 

――たった3ヶ月でここまで強くなるか……流石はプロ注目投手。

 

1年の秋から頭角を現し始めた河野。

その秋季大会では15イニングを投げわずか1失点。

完封勝利も達成し、1年生の頃からプロのスカウトが視察に来るレベルの投手だった。

 

2年生になってから背番号1を背負い、強豪・博多工科のエースとして君臨した。

だが彼女はそれに驕ることなく努力を続け、2年生ながら他校の3年生を寄せ付けない投球を見せてきた。

 

 

その実力はこの試合でも、いやこの試合だからこそ発揮されている。

まさか自分が初回に先制点を取られるとは思っていなかった。

そんな悔しさや怒りを全て練習に注ぎ込んだ。

3ヶ月間の猛特訓で彼女は更なる成長を遂げ、県内……いや、全国でも有数の投手となっていた。

 

「ストライク! バッターアウッ!」

「三凡か……」

 

初回はこちらも三者凡退に抑えられる。

ただ博多工科と小倉北で違いはある。

海崎は当てられながらも何とか抑えたのに対し、河野は全くバットに当てさせる事なく抑え込んだ。

初回の攻撃だけでも実力差はハッキリと見えた。

 

――あれが河野さんのピッチング……。私もそこそこ成長したつもりでいたけど、本当に凄い投手と比べると全然だったんだ。

 

海崎はライバルである彼女の圧倒的な投球を見せつけられるが、落ち込んでなどいなかった。

それよりももっと上手くなりたい、良い球を投げたいという気にすらなっていた。

 

 

両先発ともに4回まで無失点の好投を見せた。

それどころか河野は一巡目パーフェクトだ。

球数は河野が34球、海崎が68球と大幅に違う。

試合が動いたのは5回表だった。

 

――球数が多すぎるな。スライダー狙われてる感じするし、ならあえて……。

 

初球から狙われているスライダーを投げさせる。

大塚は流して痛烈な打球を打つものの、打球はショート正面。

 

――ここまで打撃じゃ全然貢献出来てないけど、守備ならっ!

 

早川はしっかりと打球を掴んで一塁に送球する。

しかしそのボールは岩城の手の届かない場所に投げられた。

 

「二塁いける!」

「奏急いで!」

「おう!」

 

カバーに入っていた田村が急いで捕球して二塁に投げるも、俊足のランナーは既に二塁に滑り込んでいた。

 

 

「早川せんぱいぃ……」

「まさかノーアウトで出るとはなぁ」

 

ノーアウトからエラーの走者が二塁に。

パーフェクトからの嫌な流れに、内野陣は一度マウンドに集まる。

 

「ごめん……」

「平気だよ、この後抑えればいいだけだし」

「それに三塁まで進まれなかったからね、まだマシだよ!」

「それな」

 

他の2年生に励まされるものの、早川の表情は浮かばれない。

内野陣がグラウンドに散っていって、試合が再開される。

 

 

――とはいえ、スライダーを打たせる戦法もリスク高いな。やっぱスクリューで抑えるしかねーか。

 

2番の桜木には初球のスクリューを掬い上げられるも、セカンドへのフライとなり1アウト。

なんとかして抑えたいこの場面で迎えるのは、3番の平山。

 

「スクリューは気持ちボールの上を叩く感じで振るといいかも」

「了解」

 

凡退した桜木からスクリューの攻略法を聞いてから、彼女は右打席に入る。

初球のアウトローに決まるストレートは見送る。

続くスライダーは打ち損じるも、キャッチャー後方へのファールとなる。

 

――簡単に追い込まれた……。練習試合では1本も打てなかったからな、ここでは打たせてもらうぞ!

 

 

3球目はアウトローにスクリューが投げられる。

それだけを狙っていた平山はバットを振り抜く。

しかし打球はボテボテの当たりとなり、ショートへ転がっていく。

 

――ランナースタート切ってるけどここは安全に。

 

早川は打球に対して前に突っ込むことはせず、ゆっくりと待って捕球し一塁へ送りアウトを取る。

そのプレーを見ていた監督は不機嫌そうな顔になった。

 

――お前は確かにミスは多いさ、だけどそれを気にして慎重なプレーをするのは違うだろ……!

 

 

「ツーダン!」

「しっかり抑えてこーぜ!」

 

何はともあれこれで2アウト三塁。

外野フライでも得点は入らない状況になり、少しだけ落ち着ける。

 

《4番ピッチャー 河野さん》

 

――ここで河野さんが相手か……。2アウトだけど油断は出来ないな。

 

外野は長打を警戒して定位置より下がる。

内野も同様に若干後方に下がって、強い打球に備える姿勢だ。

シフトを敷き終わって田村はサインを出す。

投じられた初球はインコースのストレート。

 

だが海崎が投げた瞬間、河野は口元に笑みを浮かべていた。

その異質な雰囲気を感じ取ったバッテリーは、背筋がゾッとした。

 

 

大きくて高い打球音が球場内に響く。

白球は青空に白い放物線を描きながら、レフトへと伸びていく。

やがて放物線は下降していき、レフトスタンドにポトリと落ちた。

 

「よっしゃー! 先制スリーラン!」

「飛鳥最高!」

「さっすがエースだね!」

 

笑顔でダイヤモンドを一周する河野とは対照的に、マウンドの海崎は俯いていた。

 

――ごめんね海崎さん、私達も負けられないんだ。

 

河野は海崎の方を一瞥すると、憐れむような笑顔を浮かべながらホームベースを踏む。

ベースの踏み忘れが無いか確認した後、田村はマウンドに駆け寄る。

 

 

「海崎……」

「ごめん、こんな場面で打たれた」

「そう落ち込むなって! 今の打たれたらしゃーない! 後ろはしっかり抑えようぜ」

「……ああ」

 

5番打者に対してはスクリューから入っていく。

これも弾き返され痛烈な打球が右中間を襲う。

しかしその打球を懸命に追う者がいた。越川だ。

 

彼女は一瞬だけ打球を見るとそれ以降は前を向いて全速力で走る。

そして最後にもう一度打球を見て、最後は脚から滑り込む。

 

「アウト!!」

「こっしー先輩ナイス!」

「キャプテンナイスプレー!」

 

越川は地面に落ちるスレスレのところでキャッチした。これでようやく3アウトを取ってチェンジ。

 

 

「3点差は大きいが取り返すしかないな! 最後まで諦めずに、まずはどんな形でも塁に出るぞ!」

『オオッ!!』



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第15球 もっと早くに

3点を先制されてからの5回裏の攻撃。

スリーランを放った河野は続投だ。

9番の早川から始まるこの回。

 

「かっ飛ばせー!」

「エラー取り返せよ!」

 

打席に立つ彼女にベンチから声援が飛ぶ。

特に際立って声を上げていたのは、中学時代からの親友である田村だった。

初球のストレートを打ちにいってファール、続くスライダーには空振りを喫して追い込まれる。

 

 

――簡単に追い込まれた……。確か河野は格下相手には三振狙いでスプリットを投げてくるって監督が言ってたな。

 

早川は狙いをスプリット1本に絞った。

スプリットなら低めにバットを出して打ち返す、それ以外が来たらボールの下を振って空振り。

そんな賭けをしなければ打てないと悟ったのだ。

 

河野はロジンバックを触って間を取る。

それを見た監督はフルスイングのサインを出す。

早川は頷きながらヘルメットを触って、サインを受け取る。

 

――スプリットは挟んで投げる以上、すっぽ抜けの危険性が高い球種だ。スプリットはすっぽ抜けたら絶好のホームランボールにもなる。ロジンをあんな念入りに触るって事は、絶対に失投はしたくないって事。

 

――つまり次に投げられる球種は……スプリット!

 

 

早川と監督は完全に読んでいた。

読み通りのスプリットが内角低めに投げられ、早川はそれに対してフルスイングで弾き返す。

低い弾道で鋭く三遊間を襲う打球だったが。

 

「アウトー!!」

 

この打球にはショートの桜木が飛びついた。

彼女は捕手が内角に構えたのを見て、引っ張りを警戒して三塁側に寄っていた。

相手の一枚上を読んだバッティングをしたのに、敵はさらにその上をいった。

 

 

「ごめんなさい……」

「良いスイングだったぞ、成長したな」

「……はい」

 

早川は今にも泣き出しそうな顔で頷いた。

配球は読んでいたし、手応えだって良かった。

それなのに野手の間を抜ける打球が打てなかった、それが悔しくて堪らない。

 

「薫、キャッチボールに付き合いなさい」

「へっ? は、はい」

 

ベンチで座らせておくよりも、多少は体を動かした方が気も紛れるだろう。

柳の行動にはそんな意味が含まれていた。

そんな事を知らない早川はなぜ自分なのかと困惑しながらも、エースを相手にキャッチボールが出来る事を楽しんでいた。

 

 

頼みの綱であった内川と志賀も打ち取られ、この回も無得点で終わってしまう。

 

《小倉北高校、選手の変更をお知らせ致します。ピッチャー海崎さんに変わりまして柳さん》

 

小倉北の背番号1を背負った柳がマウンドに上がると、小倉北側の応援席が沸く。

ここまで13イニングで3失点のエースの登場に、球場のボルテージは最高潮まで上がっている。

 

「すみません、後は任せました」

「任せなさい。これ以上点はやらないわ」

 

海崎からボールを受け取った柳はマウンドをスパイクでならす。

柳が投球練習を始めると、ベンチにいる河野はその様子をジッと見つめる。

 

 

――あれが小倉北の1番か。映像はあるが実際に見るのは初めてだ……良い球投げてるな。

 

河野を含む博多工科ナインは知らない。

柳は3年近く実戦から離れていて、これだけのボールを投げている事を。

 

この回の博多工科の攻撃は6番から。

実力を確かめてやる、そう言わんばかりに柳はストレートから入っていく。

次はスローカーブでタイミングを外し、そして勝負の3球目に選んだのはスプリット。

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

まず先頭打者を三振に奪うと、そこからどんどんとギアを上げていく。

2人目もアウトコースのストレートで見逃しの三振を奪い、最後も追い込んでからのスプリットで空振り三振。

 

 

「ナイピー!」

「調子良いっすね!」

「ええ、だから援護頼むわよ。延長までいっても私は抑えられるから」

「分かりました! じゃあまずは先輩達が打ってくださ……」

 

内川がこの回先頭の神崎とその次の越川に声を掛けようとしたが、彼女達は既にベンチを出て歩き出していた。

その背中から感じられる程の気迫。

圧倒的な強者のオーラに内川はつい後ずさる。

 

《3番サード 神崎さん》

 

ここまで3年生としてチームを、そして打線を引っ張ってきた神崎。

いつも見る穏やかで優しそうな笑顔は無い。

獲物を喰らうタイミングを見計らっている、肉食獣のような目でマウンドを睨みつけている。

 

――怖。練習試合の時はこんなんじゃ無かったのに……。私も、小倉北も。この短い間に成長してるんだな。

 

 

睨みつけられても尚、河野は笑っている。

強敵と戦える事に対する愉しさがあるのだろう。

 

「神崎打てよ!」

「京、いつものバッティングよ」

「ホームラン打ってください!」

 

声援から力を受け取ったとでもいうのか。

今の神崎は普段とは違う打撃スタイルを見せた。

ホームランや長打を狙ったフルスイングではなく、狙い球や甘い球が来るまでカットして粘り続けている。

 

――私が低めが得意なのはとっくにバレてるはず。だから向こうが耐えきれずに低めに投げてくるまで、とにかく意地で粘る!

 

苦手な高めのボールもめちゃくちゃなスイングで当て、無理やり粘る。

そして10球を粘った時だった。

 

 

――ここまで粘られるとか聞いてないよ。……これ以上逃げてても仕方ない。最高のスプリットで抑えてやる!

 

このまま高めにボールを集めていても抑えられないし、下手をすれば甘く入ってスタンドに運ばれる恐れがある。

覚悟してスプリットを投じた河野だったが、投げた瞬間に違和感に気付いた。

 

――しまった、すっぽ抜けっ……!

 

粘る神崎に対しての怒りを抑えつけ、早めに勝負を決めたいと焦ってしまった。

その結果、失投となったスプリットが低めのストライクゾーンに向かってしまう。

 

――絶好球貰ったぁ!

 

1番好きなコースへの失投は逃さない。

神崎は全身でバットを振り抜き、その勢いで最後は地面に膝をつく。

白球はあっという間にスタンドに吸い込まれていき、これで1点を取り返した。

 

 

「ナイバッチ!!」

「ナイスホームラーン!」

「ようやく1本出たわね」

「大変お待たせしました〜」

 

神崎の公式戦初ホームランがようやく飛び出した。

こうしてベンチが盛り上がっている間にも、試合は進んでいく。

 

《4番センター 越川さん》

 

彼女の名前が呼ばれると1番の歓声が飛ぶ。

ここまで全試合で4番を任されており、打点と安打数、更には打率もチームトップ。

そして今日の試合では好守を見せており、小倉北を応援している者からは1番人気の選手だ。

 

 

――この人も恐ろしい集中力してるな。けど4番とはいえ長打力はそこまで無い。攻めていこう。

 

越川は神崎や岩城と比べると長打力は無いが、得点圏の強さと打率の高さで4番に座っている。

ホームランを打たないのではなく、打つ力が無い。

博多工科側はそのように越川を見ていた。

 

その為初球からストレートで攻めていきストライクを取る。

2球目もスライダーでカウントを取りにいったが、僅かに外に外れてボールに。

 

――研究されてるのに柊は3点に抑えてくれた。私は一度守備で貢献しただけ……私は4番なんだ。打撃で貢献しないと意味無いんだ。

 

越川は冷静に野手の守備位置を確認する。

内野は引っ張りを警戒し、外野もレフト側に寄って長打を警戒している。

 

 

3球目のサインが出されると同時に、ショートが下がった。

 

――ショートが下がるって事は、強い打球に備えるって事。つまり打たせて取る……甘いコースから落ちるスプリット!

 

越川はホームランを打てないのではなく、打たないのだ。

一か八かの為に打率を犠牲にするより、ホームランは無くともヒットを量産した方が貧打気味なチームの為になる。

 

そう考えて常にコンパクトなスイングを心がけ、積極的に長打を狙う事は無かった。

だが6回裏2点差の場面では違う。

彼女は……この大会で初めてホームランを狙った。

 

 

甲高い金属音が響いてから空に消えていく。

白い放物線は低く鋭い弾道を描き、フェンスの僅か上を越えていった。

1点差に迫る、起死回生の二者連続ホームランだ。

 

「こっしーー!!」

「い、1点差……!」

「これ追いつけるんじゃね?」

 

まさかの連続ホームランに大興奮の小倉北ベンチ。

戻ってきた越川をそこそこ強い力で叩いて出迎える。

 

 

 

「飛鳥、大丈夫か?」

「大丈夫です……すみません、私がスプリットに拘ったからです」

「だとしても要求したのは私だ、飛鳥は悪くないさ」

「……後続は抑えます」

 

――向こうのエースを見たらスプリットを打てるのは知ってた。それでもどこか、自分の球が打たれるはずが無いなんて慢心していた……くそっ!

 

屈辱を浴びせられた河野は、悔しそうに口元を歪ませながらも後続は抑えていく。

決め球のスプリットは封印し、スライダーとストレートの2球種だけで。

 

「1点差に追いつけたのは最高だったな! この回も抑えて攻撃に繋げよう!」

『ハイッ!』

 

 

河野と入れ替わりで柳がマウンドに立つ。

彼女はこの試合展開に何か思うことがあるようで、投げる前にスコアボードを見つめていた。

 

『私にたらればなんて必要ないの』

 

――そう言ったのは自分だったわね。でも、それでも……! もっと早くに野球部に入っていたらって、もっと早くに柊の才能に気付いていたらって思わずにはいられない。

 

そうしたらきっと、この試合だって完封リレーで勝てたかも知れない。

そんなIFを想像すればするほど、もっと早くに野球部に入部していたかったと後悔する。

その後悔を相手打線にぶつけ、柳はこの回も3人で抑えた。

 

 

「最終回1点差! さぁどうすれば勝てる?」

「ランナーが2人いる状態で優奈に回す!」

「正解! さあ打ってこーい!」

「よっしゃー!」

 

泣いても笑っても最後となる攻撃が始まった。

トップバッターは柳。

打席もマウンドで向かい合うと嫌でも意識してしまう、自分との差。

 

自分はスプリットに拘って打たれたのに対し、向き合っている彼女は全ての球種を満遍なく使って封じ込んだ。

意識しすぎて制球が乱れてしまい、柳には四球を与えてしまう。

 

「先頭出た!」

「ここはどうします?」

「バントかエンドランか……」

 

――とは言ってもここでエンドランはリスクが高すぎるし、バントも消極的か? いや、最低この回で同点に追いつけばいいんだ。得点圏にランナーを置くのは間違ってないはず……。

 

 

悩んだ末早川にはバントのサインが送られる。

きっちりとランナーを二塁に送った早川は、ハイタッチをしながらベンチに戻る。

迎えるは9番の田村、彼女はまだノーヒットだ。

 

――ホームラン二連続で撃たれて、先頭に四球出して……。こんなのはエースの投球じゃない。

 

マウンドの河野のオーラが変わった。

焦っていて、どこか不安そうな顔だった彼女は、空を見上げて深呼吸をした。

するとまるで別人のように凛とした顔付きになる。

 

 

――私の武器は確かにスプリットだけど、それ以外にも良い球はある。たった1つの武器に拘って失点するなんて……かっこ悪すぎる。

 

スプリットはあくまで見せ球として使い、ストレート中心で田村を抑え込んだ。

7回裏2アウト二塁、打席に入るのは1番の内川。

 

 

――追い込まれるまでは内角は無視……どうせヒットには出来ないし。

 

初球の内角へのスライダーは見送って1ストライク。

次のスプリットは見送って1ボールとなり、3球目のストレートも見送り追い込まれた。

ここで内川はバッターボックスの前方に立つ。

 

――内野が前に出たって事は、詰まらせる自信があるって事だ。てことは来るのは……内角!

 

内川は普段より早めに脚を上げて、大きく前に踏み込む。

投げられたのは内に入ってくるスライダー。

 

――曲がり始めの瞬間に、前のポイントで捉える!

 

肘を畳んでバットを振り抜いてボールを捉え、体の回転で持っていく。

痛烈なライナー性の打球になり、ファーストの横を……。

 

 

 

「アウトッ!!」

 

抜ける事は無かった。

ファースト真正面へのライナーとなり、ゲームセットのコールが聞こえる。

内川は一塁とホームベースの間で立ち止まり、俯いたまま動かない。

 

「……優奈、行こう」

 

海崎は何も言わない内川の肩を抱きながら、整列に向かう。

一部の小倉北の選手の瞳は潤んでいるが、それ以上に負けた実感が湧かないのだろう。

呆然とした表情のまま握手をする選手が大半だった。



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第16球 最初の夏の終わり

制服に着替えて球場の外に出ても、越川と神崎の2人は涙ぐんでいた。

それに加えて内川も悔しさが顔に滲んでいる。

誰1人として言葉を発さず、暗い空気がこの空間を支配していた。

 

「……あの、相手に挨拶行ってきます」

「おー、行ってらっしゃい」

 

この中で真っ先に声を出したのは海崎。

彼女はただ1人博多工科に挨拶に向かった。

迷いかけながらも暫く歩き回っていると、一際目立つ集団が座り込んで何かを話していた。

 

「どうも」

「あ、海崎さん。お疲れ様」

「お疲れ様です」

 

声を掛けられた河野が真っ先に集団から前に出て、海崎を優しい笑顔で迎える。

 

 

「強かったです、あこそで打たれるとは思ってませんでした」

「はは、たまたま上手くいっただけだよ……正直、あそこまで強くなってるとは思わなかった」

「あ、ありがとうございます……」

 

憧れの河野に真正面から褒められると、嬉しくも恥ずかしいようで海崎は頬をほんのり赤く染める。

 

「そっちの4番にはまた打たれちゃったしさ」

「越川先輩は……まあ、ウチの要の選手なので」

「そうみたいだね、というか3年生は明らかにオーラが違ったよ」

 

柳は自身の選択に後悔しながら気迫の投球をし、神崎と越川は最後まで諦めずに強いスイングで立ち向かった。

最後の夏にかける想いがプレーから伝わってきていた。

 

 

「……勝ってくださいね、私達の分まで」

「任せて、必ず優勝してくる」

 

想いを託して海崎と河野は握手をする。

そして自分の仲間の元に帰ろうと海崎が蹄を返すと。

 

「海崎さん! ……来年も戦おうか」

「……はいっ! 次は負けませんよ」

「次も負ける気は無いからね」

 

ライバルである彼女達は1年後の再戦を誓い合う。

今度こそ海崎は仲間達の元に戻るために歩き出した。

河野はその背中が見えなくなるまで見届けた。

 

「飛鳥もしかして、あの子の事気に入った?」

「まあね……最高のライバルだと思ってるよ」

「ふーん、飛鳥がライバル認定するなんて珍しい」

「来年はもっと強敵になってるはずだ、私達ももっと強くなろう」

 

平山と桜木は物珍しそうな顔で河野を見る。

河野は中学時代は県内ではかなり知名度の高い、超有名投手だった。

そんな彼女に太刀打ちできるような選手はおらず、今までライバルと認めた相手は居なかった。

 

それが練習試合と公式戦の2試合で、1点差とはいえ勝った相手チームの2番手投手に注目している。

かなり珍しい光景を見たと、友人である平山と桜木は思った。

 

 

 

「よっ、海崎」

「待っててくれたのか?」

「場所移動したから教えるためにな」

「わざわざありがと」

 

田村は2人分の荷物を持って待機していた。

いつも通りに話しているようだが、目線を合わせなかったりどこか様子がおかしい。

 

「……田村?」

「なんだよ」

「いや、何というか……平気?」

「……ごめん、平気じゃねーわ」

 

ぽつりと小声で呟くと、田村は瞳に涙を滲ませる。

一度込み上げてしまっては堪え切れず、大粒の涙が顔を伝って地面に落ちる。

 

「海崎はあんなに良い投球してんのによ、私はヒット1本も打てなかった……! ほんとに悪い……!」

「田村……私だって打てなかったよ。強くなろう、それで来年は勝つぞ」

「っ、あぁ!」

 

お互いの背中を摩りあって2人は思う存分泣き腫らす。

暫くして落ち着くと、お互いの赤くなった目や鼻を見て笑いあう。

どこか清々しい気持ちで2人は歩き出し、悔しさを共にした仲間の元へと向かう。

 

 

暫く歩くと仲間の姿を見つける。

まだ空気は重く、誰も話し出すことが出来ないようだ。

 

――確かに私達の夏は終わったけど、これで良いのか? こんなに暗い空気のまま学校に帰るのか? せっかくベスト16まで残ったっていうのに……うん。

 

「いつまでも沈んでちゃいられないな!」

 

その長い沈黙を破ったのは越川だった。

彼女も先程までずっと泣いており、若干鼻声だ。

 

「確かに悔しかった……1点差だったし。でもベスト8常連をあそこまで追い詰めたんだ、それは誇って良いと思う」

「結衣の言う通りね。確かにあんなに惜しかったから悔しいのは分かるわ、でも敗戦は引きずる物じゃない……糧にする物よ」

「この悔しさをバネにいっぱい練習しよう! 私達も卒業までは付き合うからさ」

 

1番悔しいであろう3年生が後輩達を慰める。

その姿を見せられては俯いてる訳にもいられず、全員涙を拭って顔を上げる。

 

 

――へぇ……意外と良い雰囲気だな。

 

インタビューを終えた監督が部員の元にやってきた。

率先して最上級生が励まし、それを受けて奮起する後輩の姿を見てそう感じた。

 

「良い試合だったな。だが負けたのには理由がある、全員分かるな?」

「……打力不足です」

「そう、越川と神崎のホームランだけでしか点が入らなかった。それ以外はヒットどころか粘る事すら難しかったからな……チームの弱点が露骨に出た試合だと感じたぞ」

 

少し球速が速い投手相手には対応が出来ず、3球で勝負を決められてしまうのが今の小倉北打線だ。

最低でも粘って四球を奪えるような対応力は欲しい。

理想を言うのであれば、そんな事はせずに普通にヒットに出来るだけの打力を身に付けたい。

 

「課題はとにかく打力! それと長い大会を勝ち進めるだけのスタミナ。個人の課題は自分で分かってると思うし、夏休みからはもっとビシビシいくぞ。まぁここまで頑張ったし今日はメシでも……」

「すみません監督、それは後日にしましょう……今日は帰って練習するぞ!!」

『オオー!!!』

 

越川がそう言って部員を纏め上げた。

この光景を見た監督は面食らった顔をするが、すぐに腰に手を当ててニヤッと笑う。

 

 

――自分達から練習したいと言い出すとはな……指導してきた甲斐があるってものよ。

 

「良いだろう! 日が暮れるまでとことん打って打って打ちまくれ!」

『ハイッ!!』

 

バスですぐさま学校に帰り、言葉も無く準備をして打撃練習を始める。

ある者は映像を撮ってもらい自分のフォームの問題点を見つけ、ある者は苦手なコースの球を徹底的に打ち込んだ。

 

今日はリリーフで球数が少なかった柳も、練習相手として打者相手に本気で投げ込む。

全員が敗戦の悔しさを振り払うように、何回も何十回も何百回もバットを振り続ける。

 

こうして新生小倉北の最初の夏は終わっていった。

日が暮れて解散の時間になる頃には、若干の悔しさを残しつつも気持ちは前に進み始めた。

1年後に福岡の頂点に立つために、憧れ続けた舞台(甲子園)に立つために。

ずっと落ち込んでいる訳にはいられないのだ。

 

 

小倉北高校、史上初のベスト16入り。



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第17球 強くなれ

終わってしまった夏の大会。

敗戦の悔しさをいつまでも引きずるわけにはいかず、すぐさま小倉北ナインはいつも通りの練習を再開した。

 

「ほら田村ァ! もっと下半身使って! 腕だけで打ってるぞ!」

「ハイッ!」

「薫も頑張れ、最後意地見せろ!」

「はい!」

 

監督と越川による、田村と早川の打撃強化が行われている。

高速でトスを上げそれを打つだけ、と聞くと簡単そうに聞こえるが実際はそうではない。

いくら下半身や腕が疲れていてもトスを上げる手は緩められず、カゴ1つ分のボールを消費するまでは絶対に終われない。

 

終盤になると疲労によりフォームが崩れ始めるが、それは簡単にバレて指摘される。

最初から最後まで自分のフォームと鋭いスイングを維持し、全ての打球を芯で捉えなければならないキツい練習だ。

 

 

「ラストッ!」

「しゃー!!」

「こっちもラスト!」

「おりゃー!」

 

最後のボールを打ち終わった瞬間、2人は地面にへたり込む。

息も絶えており、水分を補給する元気も無いようだ。

 

つ、つかれた……

「死んだ……え、生きてる?」

「ちゃんと生きてるから安心しろー」

「よかった……」

 

疲れ過ぎて自分が生きているのかすら疑わしかった早川だった。

心配せずとも意識はあるし、ただ極端に疲労が溜まってるだけで生存している。

その一方で田村の方は、喋る余裕すら無さそうだ。

 

 

「田村大丈夫かー?」

……無理っス

「声ちっさ」

 

普段大声で指示を出している人と同一人物か怪しいくらいに、か細い声で返事をしていた。

滅多に打撃練習をしない2人だったから、余計に疲れたのだろう。

 

「んじゃしっかり休憩しとけよー、早川はこの後ノックするから」

うっす……

「はーい」

 

 

監督と越川がノックの準備をしている場所から少し離れたところで、1年生は素振りをしていた。

 

「瀬奈、ホームランの打ち方教えて」

「私達も長打力欲しいからさ」

「えっと……バットを腕じゃなくて、腰で回すイメージというか……」

「よく言うよね、けどそのイメージが分からなくてさ……」

「……じゃあスイング見せて貰っていいかな?」

 

来年の打線には越川と神崎、そして柳が居ない。

そうなると一気に長打力や巧打力の持ち主が抜け、打線が弱くなる未来が見えている。

その問題は今の時点である程度打てている、この3人が更に打力をつけることで解決する。

 

「……志帆ちゃんはその感じのまま下半身使ったスイングしたら良いと思う、美海ちゃんは……そもそも長打打つ必要あるかなぁ」

「えっ」

「確かに、美海に求められてるのは打率だからな」

「そう言われれば……」

 

岩城は神崎のようにホームランを打てる打者に、白土は越川のようにチャンスで打てる打者になるのが適正だろう。

だが志賀はそのどちらとも言えず、かといって柳のようなタイプでもない。

 

 

「美海ちゃんは、内川先輩みたいな打者を目指したらどうかな?」

「確かにそこが1番かもな」

「内川先輩かぁ……良いね」

 

ミート力はあるが長打力はそこそこ。

だが確実に打線の軸となる存在……それが内川だ。

そこを目指すのが本人のスタイル的にも最適だろう。

 

「じゃあ私はもっとミート力を鍛えようかな」

「てかそれよりメンタル鍛えた方が良いんじゃない?」

「そ、それは言っちゃダメだよ……!」

「……大丈夫だよ、自覚してるし」

 

――瀬奈にも認知されてるの結構クるな……。来年は先輩になるんだし、頼れる選手にならないと。

 

目指す方向を決めた彼女達は練習を再開した。

夢の打率3割を目指して、黙々とスイングをし続ける。

 

 

 

「二遊間ノック始めるぞ!」

「よっしゃー! かかってこーい!」

「バッチコーイ!」

 

休憩を終えた早川と、マシン打撃を終えた内川が守備位置につく。

ファーストには神崎が入ってくれる事になった。

越川からボールを受け取った監督は、手始めに二遊間に緩い打球を放つ。

 

「私捕る!」

「任せたよ」

 

早川がしっかりと声を出して自分が捕ると主張し、それを聞いた内川は二塁に向かう。

打球を逆シングルで捕球した早川は、グラブトスで内川にパス。

それを受け取った内川は一塁に送球するフリをする。

 

「グラブトス良いじゃん! もっといくぞ!」

「しゃーこい!」

「へいへーい!」

 

二遊間の守備は当初と見違えるほど固くなった。

早川は範囲が広くなって難しい打球にも追いつけるようになり、内川は送球の精度が上がった。

福岡最強の二遊間という早川の言葉は、嘘では無かったのかもしれない。

 

 

 

グラウンドの隅では疲れを取った田村が海崎のボールを受けていた。

変化球の調子は良さそうだが、いつものコントロールはどこかへ行ってしまっている。

 

「おーい海崎平気か? 制球乱れてんぞ」

「……大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないでしょ、全く……」

「おっ、柳先輩」

 

そこにやってきたのは柳。

彼女は海崎の投球を見てから、呆れてため息を吐く。

 

「自分がエースになるからって、そんなに焦らなくて良いのよ。焦ってても怪我するだけよ、私みたいに」

「で、でも……全国でも通用するような投手になりたいんです」

「なら尚更焦ってちゃいけないわよ……仕方ないわね、球速を上げる方法を教えてあげるわ」

 

今の海崎の球速は、左腕ということを差し引いても遅い。

対して柳は右投手としては遅いものの、左腕として考えた時にはそこそこ速い部類に入る。

 

 

「まず何度も言ってるけど、柊は体が細すぎるわ。もう少し体重を増やして、基礎トレーニングもしっかりやって体を大きくすること。これだけでも10キロ近くはアップすると思うわ」

「そんなにですか?」

「柊の場合は、技術はあるのに体が追いついてない状態だから」

 

技術があって投げ方が完璧でも、フィジカルが足りなければ速いボールは投げられない。

体重を増やすのが1番の方法だ。

 

「もう一つは……はい」

「っと、これ何ですか?」

「ウエイトボールよ。これを掴んで、離して……これを繰り返すのよ」

「意外と簡単ですね」

 

ウエイトボールと呼ばれるトレーニング用具。

柳が使用しているのは3キロの物だ。

これを掴んで、離して、また掴んで……これを繰り返すことによって指先の力が鍛えられ、球速アップに繋がると柳は伝えた。

 

 

「慣れてきたらボールを回しながらやってみて、こんな感じに」

「速っ! やってみます……うわ、キツいですね」

「これを続けてればさらに5キロはアップするかもね」

「合計15キロアップですか……そうなりたいですね」

 

今から15キロもアップしてしまえば、少なくとも地区予選で打たれるような事はないだろう。

更に球速が上がると同時に体も鍛えられるので、打撃でも良い変化が見られる可能性もある。

 

「そういや先輩は進路とか決めたんすか?」

「ええ、社会人野球に進むわ」

「おおー! スカウトとか来たんすか?」

「この一件だけだけどね」

 

せっかく自分をスカウトしてくれたのだから、とそのチームに進むことを決めた彼女。

仕事をしながら野球をするという初めての体験だが、不安がっている様子はない。

 

 

「結衣と京は同じ大学に行くそうよ」

「へー、2人もスカウトなんですか?」

「セレクションで合格したそうよ」

「おお凄い! まさかウチからそんな選手が出てくるとはなぁ」

 

小倉北の野球部とは思えない程、輝かしい進学実績を得た先輩達を褒め称える。

こうして徐々に大学や社会人チームとのパイプが出来ていき、後輩達の進学時に有利になる。

彼女達3年生が残した功績はとても大きい。

 

「来年こそ優勝頼んだわよ」

「任せといて下さいよ、私と海崎のバッテリーで全国行きますから」

「田村の言う通りです! 私が必ず優勝決定のマウンドに立っているので、ぜひ見てくださいね」

「……ええ、楽しみに待っているわ」

 

――貴方がこのチームのエースになる日もね。

 

先輩から受け継いだ技術や教訓を胸に、必ず来年こそは全国に行くと誓った後輩達。

県大会決勝のグラウンドで、最後に笑っているのはどのチームになるのか。

柳はそれが今から楽しみで仕方ないようだ。



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第18球 終わりの時

短いですが2年生編の最終回です。


秋も過ぎ、冬を越え、現在は春。

小倉北の秋の大会は他の高校と連合チームを組む事になったが、お互いの高校を行き来することによる練習時間の減少、それに加えて単純な戦力不足もあり2回戦で敗退となった。

 

この負けをきっかけに更なるチーム力の強化を掲げ、冬には基礎トレーニングを中心に行う1週間の合宿を行った。

この合宿だけでも海崎や早川といった体格に不安要素のあった部員も、フィジカル面で強くなることに成功した。

 

 

一方で越川達3年生は、プロ入りする者は居なかったが新たな舞台で野球は続けるため、しばしば部に顔を覗かせて共に練習を続けていた。

夏からさらに体格が良くなり、柳は以前のような投球を完全に取り戻し、越川はさらに長打力が付き、神崎は巧打力が身に付いた。

 

3年生は新しい舞台への、1・2年生は新入部員が入ってくるかの心配をしながらも前を向いて日々を過ごしていたのだった。

 

因みにライバルである博多工科は夏は準決勝で惜しくも敗退し、秋もベスト8に入り春季大会に出場したが、5回戦で敗退した。

決勝に向けてエース河野を温存した結果だ。

 

 

 

そして迎えた卒業式当日。

桜は満開となり、卒業生の門出を祝っているように見えた。

散っていく桜を見つめる3年生は、清々しい表情をしている。

 

「終わっちゃったねー……」

「今年は短かったなぁ」

「それだけ充実してたってことよ」

 

高校生活で初めて県大会に進出し、進路だって他の生徒よりも早めに決まった。

しかもその進学先や就職先が、そこそこ野球の強いチームだというのだから練習にも気合が入っただろう。

 

「おーい3年、ちょっとこっちこい」

「はい? なんですか監督」

 

卒業式が終わって余韻に浸っていると、監督に呼び出される。

越川達は黙ってついて行くと、唐突に監督が振り向く。

 

「……!? え、か、監督って……!」

「フッ……これはアイツらには言うなよ、来年までのお楽しみだ」

「は、はい……」

 

監督はサングラスを外した姿を3人に見せた。

その素顔を見た3人は監督の正体を知ったが、後輩は伝える事は止められた。

 

――なるほど……あの指導力やノックでの打球速度は、こういう理由があったのね。

 

3人とも今まで疑問に思っていた。

何故ここまで指導が的確で、ノックなども異常に上手いのかと。

正体を知った今はそれに納得した様子だ。

後輩達を心配させないようにと、サングラスをかけ直した監督に連れられて校門の方へと戻る。

 

 

「あ、先輩達! どこ行ってたんですか? というか様子変ですけど、大丈夫ですか?」

「いや、ちょっとね……うん」

「少し衝撃的なものを見てしまっただけだよ」

「……そうね」

 

3人が何を言っているのか分からない後輩達は、不思議そうな顔をしているが、彼女達が監督の正体を知るのはまだまだ先だ。

 

「つーか泣く奴居ないんだな」

「結構前向きな気持ちになってるしね〜」

「それに、優勝するまでは泣かないって決めたから」

「その意気だ! ……来年は必ず優勝して、全国に出てくれよ」

「はい!」

 

自分達が叶えられなかった夢を、後輩達に是非とも叶えてもらいたい。

そう思った3人はバッグから野球道具を取り出す。

 

「ちょっ、なんで卒業式にそんなん持ってきてんすか」

「ほら欲しい物がある子は持ってって良いよ」

「へっ? 良いんですか!?」

「私はチームに合わせた色の道具を揃える予定なのよ、だから気にしないで貰ってちょうだい」

 

社会人チームではチームカラーに合わせたグラブをオーダーする選手も多い。

今の道具は使わなくなるのだから、それならば後輩にあげようと考えていたのだ。

 

 

「私こっしー先輩のバット欲しいです!」

「神崎先輩の守備手欲しいです……」

「じゃあ私は越川先輩のバッテ下さい!」

「や、柳先輩の走塁手袋……」

 

尊敬する先輩の道具が貰えるとなれば、当然後輩達は嬉しくなる。

それぞれ希望を言っていき、被りが無ければ決定だ。

 

「…………」

「あら、柊はいいの?」

 

輪の中に入らずに遠くから見つめていた海崎。

それを発見した柳は近寄って声を掛ける。

 

「ち、千隼先輩……その、私は平気です」

「相変わらず分かりやすいわね……はい、柊にはグラブあげるわよ」

 

遠慮している様子の彼女に、柳は左利き用(・・・・)のグラブを手渡す。

流石にそれは想定していなかったのか、即座に元の持ち主に返そうとする。

 

 

「私は右投げだからそれは要らないわよ」

「でも流石にグラブは申し訳ないと言いますか……」

「……迷惑な先輩のお願いを1つ聞いて欲しいの。柊にはこのグラブを使って、全国に出て貰いたい……そして私の想いも連れて行って欲しいの」

「千隼先輩……」

 

全国に出られなかった後悔は柳にだって勿論ある。

その想いを後輩に託すと同時に、自分の想いが込められたグラブを使って結果を残して貰いたいと考えていた。

 

「……分かりました、このグラブと共に全国に行きます!」

「ありがとう、小倉北のエースは頼んだわよ」

「ええ、先輩の後を完璧に継いでみせます」

 

新旧エースの誓いがこの場で交わされた。

自分の想いを引き継いだ海崎が夏の大会でエースとしてチームを引っ張っていく未来が、柳には既に見えていた。

 

 

道具を貰ってウキウキしている1年生の元に越川が向かう。

 

「3人も4月からは先輩だからね、後輩の見本になるような選手になるんだよ」

「はい! 越川先輩のような人になってみせます!」

「……クリーンナップでいっぱい打ちます」

「私ももっと精神面で強くなれるように頑張ります」

 

いつまでも最年少気分ではいられない。

あと数日もすれば彼女達は2年生となり、先輩となる。

後輩から憧れの目で見られるような先輩になる為に、実力を高めて行くと心に決めた。

 

「2年もそうだよー、次から最上級生なんだから! 人としても選手としても、最高にならないと!」

「まー選手としてはぼちぼち頑張るっすよ、人としては……知らねっす」

「キャッチャーに人格なんて期待してないよ」

「性格悪い奴が大成するポジションだからな」

 

2年生はこの1年で大きく成長した。

早川と田村の2人は守備面でかなり頼りになる選手に変わり、内川と海崎は攻守共に優れたチームの中心人物に。

この4人が来年の結果を担っていると言っても過言ではないだろう。

 

 

「さてと、写真でも撮るか!」

「全員集まってくださーい!」

 

先程からカメラの準備をしていた萩原が全員を呼び、野球部12人が集まる。

タイマーをセットしてから萩原も輪に混ざり、12人で最後の集合写真を撮影する。

3年生が中央に集まったその写真には、全員がとても良い笑顔で映っていた。




とりあえず今書けているのはここまでです。
またやる気が出た時に書きます。


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3年生編
第1球 再び始まる


一応書けてる分だけ投稿しておきます。
それとブログにて2年生編のメンバーを公開しました。


4月、入学式の日。

新入生が参加する行事に全く関係の無い在校生は、既にグラウンドで練習を始めていた。

 

「新入部員何人来るかな?」

「最低でも2人入ってこなきゃキツいんだよね」

「2人は入ってくるでしょ、腐ってもベスト16だよ?」

「ここより設備の良い高校が15校あるって事だし、そっち行きそうだけど……」

 

練習時間の短くなる連合チームではなく、小倉北として再び県大会に出場したい。

その想いを持っている海崎と内川の2人は、今年の新入部員の数を心配していた。

いくらベスト16といっても、部員は少なく設備も整っているとは言いづらい。

 

昨年の快進撃はマグレと称され、全く部員が入ってこない可能性だってゼロではないのだ。

 

 

「ほら、そんなシケた顔すんな! 心配しなくても新入部員連れてきたぞ」

「本当ですか!? よかった……って」

「……それで全員ですか?」

「ああ、そうだぞ」

 

監督が入学式終わりの新入部員を引き連れてきたが、その体の後ろに居たのはたった4人だけ。

 

「4人だけっすか」

「えー、少なくないですか? これでも地区予選勝ったチームなのに」

 

近くに来た田村と早川も、この人数には不服なようだ。

 

「去年は3年の活躍で勝てたと思われてるからな……博多工科との試合でそれを印象付けちまったしな」

「あー……だから先輩方の居ない小倉北には期待してないと」

「多分な」

 

全国出場を目指さずに身内だけで楽しく野球をやりたい、そう思ってベスト16の高校に入部してくる選手は居ないだろう。

つまり、小倉北は有望な新入生に尽く見限られたという事だ。

 

「……でも、4人いれば大会には出られますよ……?」

「瀬奈っち! そうだね、まずはそれを喜ぼう!」

「うん、新入生の子達は入部してくれてありがとう」

 

何はともあれ試合が出来る人数は揃った。

数少ない小倉北を選んでくれた1年生達に、先輩である彼女達は礼を言う。

 

 

「んじゃ自己紹介よろしく! 名前とポジションな」

「はっ、はい! 九十九杏里、ポジションはサードです! これからよろしくお願いします!」

 

――よし、サードが来てくれた。後は外野守れる子と投手が理想だけど……。

 

「北村椎奈、ショートです。これからよろしくお願いします」

「榊怜奈です、ポジションはキャッチャーとファースト。よろしくお願い致します」

「よろしく〜」

 

埋まっていないポジションはあと1つ、センターだけだ。

最低でも外野経験のある選手であって欲しいと、全員がまだ自己紹介をしていない最後の1人に期待を込めた目で見る。

 

「松野楓です、ポジションはセカンドを守っていました。これからお願いします!」

「これで全員だ、んで早速なんだが……岩城」

「は、はい……」

 

何を言われるのかは予想が付いてないが、自分にとって悪い事を言われるというのは直感で分かった。

息を呑んで監督が喋るまでの間を耐えると。

 

 

「今年からライト守ってもらえるか?」

「へっ……? ライト、ですか?」

「そう。志賀をセンターに回して、岩城がライト。そうすればポジション埋まるだろ?」

「そ、そうですね……」

 

志賀をセンター、岩城をライト、そして九十九をファーストに。

すると全ポジションが綺麗に埋まる。

 

「実力を見ないで決めても良いんですか?」

「外野を2年にしたかったんだよ、同い年の方が何かと楽だろ?」

「確かにそうですけど……瀬奈はそれで良いの?」

「……出番があるなら、どこでも」

 

ここで拒否してスタメン落ちするより、苦手な守備を頑張ってコンバートする方がマシだと彼女は思った。

 

 

「そんで松野と北村! いきなりで悪いけど、投手の練習も頼むわ」

「へ? 投手ですか?」

「ウチ今海崎しか投手いないからな……急造でも居ないよりかはマシって考えだ」

「助かります、流石に7試合前後を1人で投げ切るのは……」

 

いくら頑丈な選手だったとしても、全試合完投なんてすれば体のどこかがおかしくなる。

未来ある若者を潰す訳にはいかない監督は、急造ではあるが2人の投手を追加しようと考えた。

 

「球数制限の導入とかありますもんね〜」

「導入はまだだけどな、てかアレはエース酷使の対策にはならん」

「そうなんすか? じゃあどうやればいいんすかね」

「日程キツイのが1番の問題だろ、試合は週1か2にすれば解決しそうだけど」

 

先発で完投した投手が中1日で再び完投、という例も少なくない。

それを改善する為に1週間での球数制限の導入が話に上がっているが、監督はそれでは改善出来ないと断言した。

 

「中3日くらいあれば、高校生なら余裕で回復出来ますね」

「だろ? まあ若くても連投するのは良くないんだが……私の頃はエース1人で全試合投げ切るのが当たり前だったからな。今の時代にそんな事やって、海崎を壊す訳にはいかないからな」

 

――そう、私のようにな。

 

監督は寂しそうな顔をしていたが、部員達にサングラスの下の表情を読み取られる事はなかった。

 

 

 

「さあ投手育成の時間だ! まずは普通にマウンドから投げてみてくれ」

「はい!」

「……ふぅ」

 

松野はショートなので肩や運動神経には自信があり、いきなりマウンドに立たされても平気な様子だ。

それとは対照的に北村は初めての投球に緊張している様子。

 

「田村と榊! ボールを受けてやってくれ」

「りょーかいっす」

「……分かりました」

 

田村は正捕手の座を守れた事で安心しているのか、普段と変わらない様子で防具を身につける。

一方でファーストに回された榊は若干不満そうな顔をしながら、マスクを手に持ち歩き出す。

 

 

監督が見守る中、急造投手の育成が始まった。

松野も北村も始めてなので構えたコースには投げられないものの、良いボールは投げられている。

 

――松野は結構球速出そうだな、ならカーブとか覚えさせるか。北村は……どちらかというと技巧派に育ちそうだからチェンジアップやツーシームかな。

 

バラけた場所に投げられるストレートを受け続ける捕手2人。

どんなボールでも両者共に良い音を鳴らして捕球している。

 

「まずは制球出来るようになるまで投げ込みだな、それが終わったら変化球覚えてもらうぞ」

「はい、何個かですか?」

「そうだな……多分1つ2つだな」

「分かりました! 早くコントロール付けようね、椎奈ちゃん!」

「う、うん……」

 

勢い良く同意を求めてきた挙句いきなりちゃん付けをしてきた松野に、北村はかなり押されている。

 

 

「やる気十分だな」

「肩は強い方なのでそこそこ良い球は投げられる自信はありますし、それに出番が貰えるので……」

「人数カツカツだからな、2人が居なかったら終わってたぞ」

「少しでもチームの力になれるよう、頑張ります」

 

高校入学して早々投手をやれと言われても、1年生から試合に出られるどころか主力として期待されている。

そんな待遇を受けて喜ばない2人ではない。

 

「よーし、じゃあ1日50球くらい投げ込んでもらうか! そこから段々球数増やしたり、インターバルもやったりとかするか」

「分かりました! 一緒に頑張ろうね椎奈ちゃん!」

「……うん、負けないよ」

 

来年には二遊間を組む事を考えると、未来の相棒とも言える相手だ。

その相手と今年は同じ投手のライバルとして関わっていく事になる。

 

――さてと、あと心配なのは岩城か……。

 

 

元々守備力に不安のあった岩城は、ファーストと比べると広い守備範囲を求められる外野に回ってどうなったか、監督は心配で仕方なかった。

小走りで2年生の元へと向かう。

 

「瀬奈……予想以上に守備苦手なんだね」

「フライの処理危なっかしいな。まぁ外野に飛んでくる打球ってスピン掛かってるからしょうがないか」

「……ごめんね」

「けどまだ初日だし、これから鍛えていこう!」

 

予想通り岩城はかなり苦戦していたようだ。

素直な軌道で向かってくるライナーや平凡なゴロなら何とか捕れるが、スライスする打球や距離感の掴みにくいフライは全くと言っていいほど捕れていなかった。

 

「岩城、まずは捕らないでいいから打球の行方を確認する所から始めよう。ずっと打球を見続けたら多少は感覚が掴めてくるはずだから、実際にノックを捕るのはそれが終わってからにしよう」

「は……はい!」

「私達の動き、近くで見とく? 少しは参考になると思うし」

「……2人ともありがとう」

 

経験者である白土と志賀、特に志賀は守備が上手い方なのでプレーを見るだけでも勉強になる。

今日のところは実際に打球を捕りにいかず、打球の軌道や2人のやり方を見て終わった。

 

 

 

「そろそろ撤収だ! 急いで片付けろー!」

「あれ、終わるの早いんですね?」

「ベスト16まで行ったのにグラウンド共用だからな……」

「そ、そうなんですね……」

 

未だにグラウンドはサッカー部やソフトボール部との共用だ。

県立高校で予算に余裕が無いし、1度結果を出したから野球部だけ特別扱いしろとは口が裂けても言えない。

そんな状況に部員達は不満はありつつも、テキパキと片付けを済ませていく。

 

「去年もだけど、今年は全員野球で勝ち上がっていくぞ! 明日からはもっと厳しくいくからな、しっかり体を休めとけよー」

『はい!』

「んじゃ解散!」

『ありがとうございました!』

 

年度が変わってからの初めての練習は終わった。

今年はどれだけの成績を残せるのか。



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