柱島泊地備忘録 (まちた)
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一章 着任
序章 艦娘side


 大淀型軽巡洋艦一番艦、大淀。

 

 私は――欠陥品、らしい。

 海に出て戦うことも出来るし、雑務処理も出来る。しかし、私は前に勤めていた鎮守府から追い出されることとなった。

 

 私は――欠陥品らしい。

 前提督は私を含め、所属している艦娘を『兵器』と呼んだ。無論、私も間違っているとは思っていない。だからこそ私は兵器然として海に出て戦い、時には前提督の言う通り雑務をこなしていた。秘書艦娘として執務を手伝い、大本営とやり取りし、出来る限り尽くしてきたつもりだった。

 

 私は――欠陥品らしい。

 ある時、前提督はとある艦娘に夜伽を命じた。ままある事だ。

 提督とは所属鎮守府における最高権力者であるのだから、朝も夜も身は休まらない。故に、夜伽として常に提督をお守り出来る体制が必要である事は理解していた。

 

 だが、私が思っていた夜伽と、前提督が命じた夜伽は違ったらしい。

 就寝前、布団にもぐりこんだ前提督の枕元に座っていた私は、ふと服に手をかけられて理解した。そういう事か、と。

 

 当然、私は拒否した。理由は様々で並べる程も無いが、強いて言えば『そんな暇は無いだろう』というのが真っ先に挙げられる。

 

 前提督は指揮もボロボロで、艦娘達は疲弊しきっていた。

 近海の警備もままならず、資材は常に枯渇寸前。新たな艦娘を建造する余裕も無く、在籍している数十名の駆逐艦や軽巡洋艦のみを運用して体裁を保っていただけだった。無論、それらに駆り出される艦娘達は入渠はおろか、ろくに補給も出来ないままに繰り返し出撃させられるものだから、貴重な戦力でもあり、戦友である彼女達の何隻かは轟沈するに至る。

 それだけでも前提督は評価に値もしないのに、今度は夜伽をしろと。

 

 その時の私は、他の艦娘と同じく疲弊しており憤慨する気力さえ無かった。

 だから彼の手を払い、何とか『お考えなおしください』とだけ言った。

 

 その結果は、見ての通り――。

 

 

 

* * *

 

 

 

 海には毎日出ているが、こうも長い航海は数か月ぶりだった。

 

 前の鎮守府では最初こそ近海警備に赴いていたが、追い出される寸前なんて執務室に篭りっぱなしで深海棲艦よりも文字を見る事の方が多かったので、不謹慎ながらも新鮮に思える。

 

 あれから私は、前提督の罪を全て被って左遷となった。

 

 仲間を轟沈させた作戦を立てたのは私であり、その指揮も私が執っていた……という事になっているらしい。

 その他、資材が枯渇しているのは私が私的に使用していたからであり、大本営に向けての報告もその殆どが私が捏造した虚偽の報告書であると。

 

 ここまで来ると、もう呆れを通り越して無だ。虚無だ。

 

 艦娘としてこの世に生を受け十数年。得体の知れない深海棲艦という世界を脅かす存在に対して唯一の兵器であると自覚し戦い続けて十数年。人類は守られるべきだと妄信して十数年。

 私が得たものは、何も無かった。

 

 残ったのは、何も、無かった。

 

 大本営から前鎮守府に配属され、やっと前線で任務にあたれるのだと期待と不安に胸を膨らませていたあの頃――艦としてではなく、今度は艦娘として今度こそ暁の水平線に勝利を刻み、平和をもたらすのだと誓ったあの頃――深海棲艦よりも先に、人類に、提督に裏切られる事になろうとは誰が想像するものか。

 

 ガタイの良い軍人らしかった前提督は、数年のうちにみるみる肥え、戦うどころか艦娘の尻ばかりを追いかけるようになり、そうして、これだ。

 

「……はぁ」

 

 左遷だと言い渡された私に与えられたのは、移動用の小型漁船が一隻のみ。

 本当ならば身一つで追い出すところだったが、次の提督を迎えに行くのに必要だろうと恩着せがましく言われたのを思い出すだけで溜息が溢れる。

 

 頭の中を悪い思い出ばかりがよぎっていく。

 

 他の艦娘とて私と同じ気持ちで前提督を叱咤するだろうと思っていたのに、あそこの鎮守府にいた彼女達の一部はどうやら良い思いをしていたらしい。

 無暗に出撃せずとも戦果を与えられ、夜伽をしていれば褒章を与えられる。それらは他の艦娘が得た勝利から生まれたのだと知っているにもかかわらず、見て見ぬふりをしてわが物としていた。

 執務室に篭りっぱなしの私が気づいたのは、もうずっと後になってからだったが。

 

 

 そうこうしている内に、命令された沿岸が見え、近づいてきた。

 船速を緩めながら合図に汽笛を鳴らす。

 

 車が一台見えるほかには、車外に二人の影。片方は軍令部の者で、もう片方の軍服を着なおしている男が、私の新しい提督となる男だろう。

 

 前鎮守府を出る時、投げるようにして渡された資料を思い出す。

 

 

 海原 鎮(うみはら まもる)、海軍省付の元大将閣下。

 

 資料で名を見た時には目が飛び出るかと思った。左遷と言いながらも栄進じゃないか、と。

 だが、同紙に記述されていた内容を見て訝しむこととなる。

 

『大本営ヨリ、少佐ニ降格ス』

 

 彼は大将から少佐へ降格という異例中の異例であった。その原因となる理由も、目を疑うもの。

 少佐として横須賀鎮守府という海軍の最重要拠点に着任し、たったの一年で中佐、大佐と出世し、果ては将官にまで成り上がった男は、ある日を境にぱったりと姿を消してしまったというのだ。

 行方不明として捜索隊まで組まれていた彼だったが、いつしか軍部の反艦娘派に暗殺されたのではという噂まで流れる始末。そうして、月日は流れ現在――約六年を経て発見された彼は、横須賀鎮守府の倉庫内で意識を失っていたらしい。

 

 ある重巡洋艦が神隠しだと記事を書いてばらまいていたが、一瞬でもみ消されていた。

 

 資料にあったのは、行方不明となっていた彼が発見されたというだけで、以下は恐ろしくも私が仕えていた前提督に引けを取らない悪行の数々で埋め尽くされており、見れば、方々の鎮守府で沈んだ艦娘達の臨んだ作戦は全て彼が裏で指揮を執っていたとあるではないか。

 

 まぁ、見るからに分かる冤罪、というものなのは私とて理解していた。

 

 私と同じく海軍にとって、主に艦娘反対派にとって不都合な存在は遠くへ追いやってしまおうという杜撰な策に溺れた哀れな軍人なのだ。

 どんな顔をしているのやら、と岸辺に船をつけて、こちらにとぼとぼと歩いてくる影を見る。

 

 無理やりに羽織ったかのようにくしゃついた白い軍服に、顔に対してまっすぐ向いていない軍帽のつば。

 疲れていて、不健康そうな目元のくまも相まって幽鬼が如き姿。

 細い手足はぎこちない動きをしているのに、どうしてか確固たる意志を感じる異質な雰囲気があった。

 戦場で生き抜いてきた故の異質さか、あるいは多くの死を踏み越えて来たぎこちなさか。

 

 

「お待たせしました――」

 

 ここで、私は歩いてきた彼の軍服が血で汚れている事に気づいた。

 見れば、鼻から未だに滴る赤色。

 

 急いで停船させて船から飛び降り、ハンカチを差し出すも――彼の目は、怒りに染まっていた。

 

「きみ……いや、お前、大淀か?」

 

 その怒りは私に向けられているものでは無い様子で、同時に妙に混乱もしているようだった。

 彼――今後、私の直属の上官となる提督に向かって急いで敬礼する。

 

「は、はい! 大淀型軽巡洋艦一番艦、本日より柱島泊地に着任いたしました!」

 

 粗相のないように、と最敬礼した私の事を、彼は既に知っているはずだ。

 長年行方をくらましていた提督とて、私を知らないはずがない。大本営から送り込まれる数多くの『任務娘』の一人であるのだから。

 

 主な私の仕事は大本営と現場鎮守府のパイプだ。

 その任務柄、疎まれることが多いが……提督もまた、同じような人だろう、と感情から落ちる第一印象を、彼は、提督は仕草一つで覆した。

 

 ふう、と一息吐いた次には、怒りに染まった目をそっと伏せて――深く、頭を下げたのだ。

 ただの艦娘である私に対して。

 

「えっ、あ、あの、う、海原 鎮提督、ですよね!?」

 

 思わず再確認する私。提督の後方には未だ軍令部の車が停まっている。

 こんな所を見られでもしたら、私はおろか提督が何を言われるか分かったものじゃない。

 頭を上げてほしいと言う私の懇願に、提督は流麗に頭を上げてからちらりと私を見た後、振り返って問う。

 

「大淀、あれは誰なんだ?」

 

 えぇ、と大声を上げてしまう。

 提督をここまで送ったのだから軍部の者である事は言わずもがなだろう。それに、元とは言え大将閣下をここまでお送り出来る者は限られる。少なくとも、将官である事に間違いは無い。

 冗談が過ぎるかと、と咎めた私に対し、提督は――。

 

「冗談? 俺が冗談を言ってるように見えるのか?」

 

 また、射抜くような視線に怒りを込めて私を見た。

 全身が針で刺されたような痛みを受けたと錯覚するほどの怒気に、私はまたも頭を深く下げてまくしたてた。

 

「ももも申し訳ございませんっ! あ、あちらに見えますのは軍令部のお車かと推測致します! 本日は海原提督が柱島泊地に着任なされるとの事でしたので……! お顔は拝見できかねますが、軍令部のお方かと……」

 

 当たり前の事を口にすることの何と阿呆らしい事か。

 提督の目には私が滑稽に見えているだろうと、視線だけをそっと上げて提督を見やれば、彼はぽつりと呟いた。

 

「軍令部……柱島泊地……そうか」

 

 何が、そうか、なのか。

 

 

 その時の私は知る由も無い。

 数多の深海棲艦を退け、不気味な記録ばかりが残る彼の類稀なる手腕が、欠陥品と呼ばれ追いやられた艦娘達を率いて戦禍を退けることになるとは。

 

「まぁ、いいか」

 

 この彼こそが、艦娘を指揮し戦争を覆すことになるとは。



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序章 提督side

 よくある転生系の漫画や小説で、転生直後に自らの記憶を思い出し正常を測るというものがある。読むたびに、見るたびに『気が動転してる時にそんなことするはずないだろ』とせせら笑って白けたものだが……もう、笑うことは出来ない。

 

「っ!? こ、ここは……ここは!?」

 

「お目覚めか『元大将閣下』よ」

 

「……? あなたは……」

 

 俺が目覚めたのは、見知らぬ車の後部座席。運転席には制服をまとった運転手がおり、助手席には俺にかけられた声の主が運転手と同じような制服の襟を覗かせている。

 

 おかしい。俺は何で車の中にいるんだ?

 確か俺は仕事から帰って、久しぶりの休みだからと、家でゲームを――

 

「混乱甚だしいところすまないが、君は左遷された。流刑とも言えるが、運が良い」

 

 助手席の男はこちらも見ず淡々と言った。

 るけい? させん? なんだそれ。

 

 混乱甚だしいところすまないが、と言っておきながらも、男は事務的に、そして一方的に話し続ける。

 

「大本営は君が犯した罪を償う機会を与えようと言うのだと。もっとも、私はそんな機会は必要ないと言ったが、上役の決定事項に異を唱えるわけにもいかんのでね」

 

「は……? いや、え――?」

 

「君の主たる任務は紅紙にもある通り、泊地の防衛と管理である。君は任務を遂行するだけでよい」

 

 

 言われるがままに手元を見れば、確かに赤茶けた紙切れが一枚。そこには漢字とカタカナを織り交ぜた妙な文体で『貴殿ヲ柱島泊地新規鎮守府ノ提督ニ任命ス』と書かれていた。

 

 海軍だの鎮守府だの、泊地だのと勝手な事を言ってくれている男に憤りかけるものの、しゃあしゃあと話してくれている間に頭の中で目が覚める前の事をはっきりと思い出した。

 

 

 そうだ。俺は『艦これ』をプレイしていたんだ、と。

 

 思い出した瞬間に全身が粟立つ感覚がして、思わず二の腕を抱くようにして身を縮める。

 すると、硬い感触が肌を触った。着なれないスーツの袖に腕が慣れない感覚に似ていると思ったが、否、中学生だったか高校生の頃に着た新品の制服に腕を通したような感覚の方が近い。

 視線を下げれば、俺は純白の制服を身にまとっていた。ボタンの一つも留められておらず、まるで無理やりに羽織らされたかのような不格好。

 

海原鎮(うみはらまもる)……かつてからは見る影もないとは嘆かわしい限り。私としては大本営に上れる足掛かりとなってもらえて喜ばしい故にここで殺したりはしない。安心したまえ」

 

「殺すって、何を――」

 

「ああ、ああ、だから殺しはしないと言っているだろう。どうせ君は()()()()に送られるのだから、死人も同然という意味では無いぞ?」

 

 演技がかった、テレビなんかで見た昔気質の堅苦しい喋りをする男を見れば、粟立つ感覚はより強くなった。同時に、俺の名を呼んだことにも。

 

 俺が質問を投げかける間も無く、走っていた車がゆっくりと止まる。そこは、海岸だった。

 外を見る余裕など無かったものだから、車から降ろされた時にやっと周りを見られる。

 あるのは、山、海、道路に沿ってぽつぽつと見える商店らしき建物がいくつか。ドがつく田舎だ。

 

「あの、すみません。ここは――その――」

 

「なんだそのツラは? やっと自らの罪に気づいて改心でもしたか? 遅いが。ここは岩国だ。もう本土に上がることも無かろうからな、一服の時間くらいはやろう」

 

 車から降りた格好のままだった俺は、そそくさと着せられていた制服のボタンやベルトを整えながら状況整理に努めようとするも、やはり会話は一方的だった。

 やっと正面から向き合えた助手席の男は痩躯で、纏う制服にしわ一つ無い。言うなればアニメなんかに出てくる敵役の手先みたいな小物感が溢れていた。

 

 とは言え、俺と同じ制服から発される威圧感はものすごく、ようやく、その制服が一体何なのかを理解したのだった。

 男が小脇に抱えた帽子を被れば、より一層に威圧は増す。

 

「軍服……!」

 

「何を言ってるのださっきから。現実が受け入れられんのか」

 

「現実って、あの、ですから俺にも一体何がなにやら……なんで俺はここに……?」

 

 ようやく疑問を口に出せた事によっていくばくかの安堵に似た感情が俺を撫でるも、目の前の男は思い切り表情を歪めてつかつかと革靴の足音を鳴らしながら俺に近寄り――がつん、と顔面をなぐりつけた。

 

「いっ!? あ、がっ……なん……っ!?」

 

 殴られた鼻から奥がつんと痛み、頭がぐらついた。

 そして、ぱたたという滴りが鼻先から落ち、服を赤く染める。

 

「貴様はぁ! 海軍省ならびに大本営の期待を裏切るだけに飽き足らず! 上役の温情さえ素知らぬフリで泥を塗るのか!」

 

 何やら喚き散らしているが、俺の耳には届かず、代わりにどこにもぶつけようのない怒りが湧いた。

 殴られたことで思い起こされる、俺が目覚める前の記憶。

 

 

 俺は、いわゆるブラック企業に勤める会社員だった。

 だった、というのは――俺は仕事を辞めたからだ。

 

 朝は早く六時に出社し、夜は終電ギリギリどころか必ず終電を逃して歩いて帰る毎日。ろくに休みも取れず、辞める時には百連勤という嬉しくも無い記録を打ち立てた。

 もちろん、残業代など存在せず固定給のみである。休日出社? そもそも休日がねえ。

 

 身を切る思いで仕事を辞め、使い道無く貯まっていくだけの金を崩しながら次の就職先を探そうとしていたというのに、なんていう仕打ちなんだ。

 社会に貢献し続けていただけの俺に、ゲームをしていただけの俺に、なんて仕打ちだ。

 

 そうして、俺の中ではっきりと浮かんだのは『俺が何をしたんだ』という一言。

 

「何を、したんだ……だと……? あぁ……!?」

 

 口に出ちゃったらしい。

 

「何もしていないから問題になったのだ! 何も! していないから!」

 

「は……?」

 

 じゃあ殴られるいわれは無いが、と言い返しかける。

 

「はぁ……もう、いい。泊地の警備でもしていれば嫌でも思い出すだろう。生きていられたらの話だがな」

 

 

 ぼう、と汽笛が聞こえた。

 海岸へ顔を向ければ、近くに小さな船が見える。

 

 

「ふん、時間通りか……忌々しい欠陥品どもめが」

 

 もう行け、という雰囲気を醸し出す男だったが、そうは行くか馬鹿野郎。

 いきなり殴りつけておいて、じゃあ失礼しますってなるわけねえだろ。

 

「おい、お前――!」

 

 固く拳を握り、頭に浮かぶありとあらゆる恨みを込めた。

 職場の元上司への恨みが大半を占めていたのだが、まあ、多少はね?

 

 と、振りかぶる前に俺は動きを止める。

 

 

「ここで反逆罪としても良いが? 再三言わせるな。これは温情だ」

 

「何の、温情だよ……っ」

 

 

 痩躯の男は流れるような手つきで銃を取り出し、それを俺に向けた。

 やはりどうしても現実味が無く、しかしながら銃口を向けられるという初めての体験から生み出される恐怖に腕を下すほかなかった。

 

「もう行け。願わくば、もう会いたくないがな」

 

 俺だって会いたくねえよ。クソが。

 

 胸中で悪態をつくので精一杯の俺は、目で示された海岸沿いにやってきている船に向かって歩き始める。

 

 

 薄々気づいていた。これは現実じゃないと。

 

 はっきりと気づいていた。いいや、これは現実なんだと。

 

 背後から撃たれたりしないだろうかと戦々恐々としながら歩くすがら、傷一つない革靴が足の甲を押して痛いな、なんていう現実逃避をして気を紛らわせた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 港とも呼べない場所から船へと近づけば、船に乗っているのが一人の女性である事が分かった。

 そしてその女性が誰であるのか、一目で理解した。

 

 ただのコスプレ女の可能性もあるが、それにしては完成度が桁違いに高い。

 

 白と紺を基調としたセーラー服を改造したかのような衣装。スカートの腰部分に何の意味があるのか分からないスリットから覗く白い肌。すらりとした長い足を覆う()()

 潮風に揺れるきらきらとした黒髪をおさえる青いヘアバンドに、知性的な彼女を象徴するアンダーリムの眼鏡は、照り返す波ををうっすらと映していた。

 

「お待たせしました――あ、あのっ……それは……!」

 

 近づくや否や頭を下げた彼女だったが、面を上げた次の瞬間には狼狽し、どこからか取り出したハンカチを持って船から岸へ一足に飛び移って駆け寄ってくる。

 

 自慢じゃないが俺は女性と話したことが殆どない。

 仕事上でのやり取り? 無い。一切、無い。

 こういう時は普通に礼を言うべきなのだろうが、俺は混乱も相まって差し出された手を制するように片手を振ってしまった。

 

 しまった、と思うより早く、謝罪の言葉より疑問が口に出る。

 それも警戒心丸出しの状態で。

 

「きみ……いや、お前、大淀か?」

 

 大淀型軽巡洋艦一番艦――通称、任務娘。

 

 俺の中からさらに現実味が薄れ、どんどんと『これ夢じゃね?』感が募っていく。

 夢にしては鼻っ柱に残る痛みがリアル過ぎるが、まあいい。

 

「は、はい! 大淀型軽巡洋艦一番艦、本日より柱島泊地に着任いたしました!」

 

 おぉ、と声が漏れてしまうくらいに格好良い敬礼を見せられる俺。

 もう夢ならどうとでもなーれ! の精神で頭を下げる。

 

 軍人……というものは見たことが無いが、自衛隊なんかに敬礼をされたら頭を下げたり、胸に手をあてたりするのが礼儀だとテレビで見た。おれはくわしいんだ。

 

「えっ、あ、あの、う、海原 鎮提督、ですよね!?」

 

 彼女は俺の名前を知っているらしい。というか俺は提督らしい。

 艦これしながら寝てしまったのかもしれない。本格的に背筋が薄ら寒くなっている俺とは裏腹に、大淀はあたふたとしながら「頭をお上げください!」と声を震わせる。

 

 どうやら返礼の仕方を間違えたようだ。テレビはもう信じない事にした。

 

 頭を上げてみれば、大淀はしきりに俺の後方へ視線を向けており、振り返って視線の先を探ると、俺が乗ってきた車が気になっているようだと気づいた。

 そこで俺は、ふと問う。

 

「大淀。あれは誰なんだ?」

 

「えぇっ!? いや、提督、流石にご冗談が過ぎるかと……」

 

「冗談? 俺が冗談を言ってるように見えるのか?」

 

 イラついたわけではないが言葉をオウム返しする俺に、大淀は見て分かるほどに顔面をさあっと白くして頭を深く下げた。

 

「ももも申し訳ございませんっ! あ、あちらに見えますのは軍令部のお車かと推測致します! 本日は海原提督が柱島泊地に着任なされるとの事でしたので……! お顔は拝見できかねますが、軍令部のお方かと……」

 

 わたわたとしながら早口で言い終えた大淀は、そうっと頭を上げる。

 俺は大淀が頭を上げ切る前に後方を見ており、どんな表情をしていたかは知らないが、大げさなほどに鼻息が聞こえてくるあたり怯えているかのように感じた。

 

「軍令部……柱島泊地……そうか」

 

 ぽつりと、誰に言うともなく呟く。

 

 どうやら、俺は本当に――

 

 

「まあ、いいか」

 

 

 ――艦これの世界にやってきたのかもしれない。



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一話 飯を食おう【艦娘side】

 彼の第一印象は、恐ろしい、の一言に尽きる。

 

 私が初めて見た時の彼の目は怒りに染まっていた。それも、烈火の如き怒りでは無い。一時的に燃え盛る怒りは砂でもかけてしまえばすぐに消えてしまう。

 

 彼の怒りは、ぐつぐつと煮え滾る溶岩だった。

 

 何に対しての怒りなのかは分からないが、それでも、私が見た中で一番軍人らしい軍人だったと思う。

 鼻血を流しながら痛みに顔をしかめて呻く事など無く、血に濡れようともただ目的を成さんと歩みを進める姿は私の中にある名も知れぬ感情を大きく揺さぶった。

 

 

 

 あれから私達は、私が舵を取る船に乗り柱島泊地へ向けて出港した。

 

 時間にして数時間にもなろう道すがら、適当に押し付けられた小型漁船にしては質の良い自動操舵装置を見つけ、おぉ、と小声で喜ぶ。

 船(艦娘)が船(小型漁船)を操縦するなんていうややこしい事を避けられるのはありがたい。ここまで来るのに落ち込み過ぎて気づかなかったのが悔やまれる。

 

 艦娘ならではの無自覚の知識から自動操舵装置の設定をし航行に問題が無いのを見届けた後、私は操舵室から出て提督の姿を探す。

 

 提督は船の後方、投縄機の付近に腰を下ろして、ぼうっと今来た海路の向こうを眺めていた。

 

 どう声をかけたものか……と逡巡するも、言葉が見つからない。

 

 なぜなら、海を見つめる提督からは先刻の怒りなど感じられず、ただ、どうにも悲しそうな雰囲気が漂っていたからだ。

 

 何を悲しんでいるのですか?

 

 ご気分が優れませんか?

 

 私に何かできる事はありますでしょうか?

 

 いいや、全部違う。でも、声をかけてあげたいというジレンマが募った。

 そうしてたっぷり数分間提督の背を見つめた私から出たのは、機械的でどうしようもない報告だった。

 

「失礼します。提督……操舵室より自動操舵装置が発見され動作を確認できましたので、使用しております」

 

「あぁ」

 

 短い返答のみ。それ以降、私は声をかけ続けるのも躊躇われ、操舵室に戻ろうと踵を返す。

 その時だった。

 

「どうして、こうなった……」

 

「はい……?」

 

 どうしてこうなった……というのは……?

 私が漏らした声に、はっとして振り向く提督。

 

 どうやら私が声をかけた時は気づいてなく、生返事だったらしい。

 しかしこうして振り向いてくれたのだから、その理由でも話題になれば何でもよいと、私は問うた。

 

「提督。どうしてこうなった、とおっしゃいますのは……?」

 

 提督は暫し気まずそうに私の目を見つめて数秒固まる。

 まずい事を聞いたのだろうかと自問するも、当たり前だろう、不躾だと自答が返り、すぐさま頭を下げる。

 

「申し訳ありません、その――」

 

「全部だ」

 

「全部……?」

 

 全部というのは、なんだろう。

 いや、言葉通りなら、全部とは、その通り、環境、そして状況、現状。何もかもをひっくるめた事を指しているのであろうことは分かる。

 

「俺はな、大淀、俺はな?」

 

 唐突に頭を抱え語り始める提督に、ごくりと唾を呑んだ。

 先刻見せた軍人らしい姿は何処にもなく――

 

「働いていただけだ。本当に、ただ働いていたんだ。良かれと思って。それがどうしてこんな事になる?」

 

 ――ああ、否、彼は軍人だ。どうしようもない軍人だと思いなおす。

 

 艦娘の大淀としてではなく、私は軽巡洋艦そのものだった頃を思い出していた。

 国の為、国民の為、そして家族の為に散っていった桜たちが今を見れば、きっと提督と同じような事を言うだろう。

 

 どうしてこうなったんだ、と。

 

 かつての若人たちは、彼と同じように働いていただけだ。それこそ、全ての為に。

 

「提督……」

 

 私の口から洩れた言葉は、憐憫の色が滲んでいた。

 提督と状況こそ違えど、働いていただけの私も同じように、捨てられたが故に。

 

「業績だって悪くなかった。残業だっていくらでもした。休みが無くても従った。でも、変わらなかった……」

 

 提督の独白に、ぐっと口が引き締まった。

 これは、私が聞いてよいものじゃない。しかし、その場から動けない。

 

「だから見限ったんだ、やってられるかって……適当に次の仕事を見つけるまでは休んで、それからのんびり働けばいいだろって……それが、なんでこうなったんだ……」

 

 そうか……提督は……軍を見限ったのか……。

 しかし、海軍省はそう甘くない。辞めたいから辞められるのならば、これまでどれほどの軍人が辞めたか想像したくも無い。それに、艦娘を指揮出来る人材は限られている。

 

 私達艦娘を指揮するのには、特別な条件が一つだけ存在する。

 

 

 それは〝妖精〟が見える事。

 

 

 一言だけでは頭がおかしいと思われがちの条件だが、これは必須であり、無くとも艦娘に命令を下したり指揮したりは出来るが、根本的な違いが発生する。

 妖精を宿していない装備は、宿した装備の十分の一も能力を発揮できない。

 同時に、妖精が見えていなければ、艦娘に下す命令に『共鳴』出来ないからだとされている。

 

 共鳴とは、言葉通り艦娘と指揮する提督との感情、意思が同調する事だ。

 そうする事で命令に強制力が発生し、私達艦娘の能力は飛躍的に向上する。

 

 前提督は妖精が見えなかったために命令に強制力は無く、ただ言われた事に従う艦娘ばかりだった。

 戦時中が故に希少な物品で釣られる者の多かったこと……。

 

「心中お察し申し上げます……」

 

「大淀……」

 

 形だけでも、と声をかけた私を、提督は座り込んだ格好で見上げた。

 そして――私は再び、目を疑う。

 

「て、提督、そ、その肩に乗っている、のは……!?」

 

 大本営から鎮守府に異動し、そこから十数年、数度しか見たことが無い存在が、提督の左肩に乗っていた。

 手のひらサイズの、ほんの小さな存在だが、それは私にとって、ひいては艦娘にとって重要な存在――。

 

「こんな所に、何故妖精が!? ここに来るまで、いなかったのに、なんで……!」

 

 狼狽する私をよそに、提督は「こいつは話が分かるんだ」と言いながら妖精に手のひらを差し出す。

 

 すると、妖精はぴょこんと提督の手のひらに飛び乗って、米粒のように小さなハンカチを持って提督に腕を伸ばす。

 

「こいつはこんなにも優しいのに」

 

 親しげに『こいつ』と呼ぶ提督。

 腕を伸ばす妖精を手のひらに乗せて顔に近づければ、声こそ聞こえないがえんえんと泣き声を上げるかのような表情をしながら、提督の血で汚れた口元を拭っていた。

 とは言え、小さなハンカチが真っ赤に染まっても口元の汚れは変わらないまま。

 

「提督、あの、その妖精はどこから……!?」

 

「この船に乗ってたんじゃないのか?」

 

「そんなの見てませ――」

 

 妖精を見て、私は気づく。

 ねじり鉢巻きに、作業員のような服装をしている小さな存在……工廠にいた妖精とも見えるが、数度見ただけでも間違えようのない妖精たちの中でも、それは見たことのない妖精だった。

 私は急いでその場から船のへりまで走り、殆ど飛び込むような勢いで船外へ半身を乗り出し、小型漁船の側面を見る。

 

 そこには掠れた字で【むつ丸】とあった。

 

 すぐに提督の下へ戻り、妖精の小さな作業着の背を見る。

 そこには――間違いなく同じ名があった。

 

「こんな漁船から妖精が……い、意味が……」

 

 艦娘が、かつての艦の魂を宿した人なのだとすれば。

 

 妖精とは、艦の魂そのものである。

 

 

 かつて海軍省で出回った教本に書いてあった文言を思い出す。

 だがそれは間違いだとして上層部が撤回し、艦娘や妖精に関する事は極秘事項として周知されなくなった。私も見たのはたったの一度だけで、本当にそう書いてあったかさえ定かではない朧げなもの。

 しかし、確かに私の目の前には、葬り去られた教本通りの光景があった。

 

「暁の水平線に、勝利を刻みましょう……か」

 

 今にも崩れ去ってしまいそうな程に脆く、そして優しい表情をする提督を見て、全身に雷で打たれたような衝撃が走る。

 初めて艦娘として目が覚めた時と同じ、かつて人類を救わねばと妄信していた時と同様の感情だった。

 彼の口から落ちた言葉に、心臓が痛い程に鳴る。

 

 

 彼と、海を守りたい。

 

 

 私は感情を抑えきれず、口元を手で隠して嗚咽が漏れないようにするも、両目からは止めどなく涙が流れた。

 嬉しいとか、悲しいとかでは表せない感情の頂点は、涙になるらしい。

 

 それに気づいた提督はぎょっとして立ち上がり、妖精もふわふわと宙に浮いた状態で私に寄って来る。

 

「お、大淀、どうしてお前が泣くんだ!?」

 

「もっ、しわけ、ありまっ……せん……! し、かし、提督……!」

 

 妖精は提督の血に濡れたハンカチを差し出しかけるも、はっとしてそれを収め、新しいハンカチを探すようにポケットを裏返したり、その場でくるくる回ったり。

 提督はハンカチを差し出すどころか、両手を胸の前に上げた状態で振るばかり。

 

「泣くな大淀、あー、た、頼むよ……」

 

「いいえ、提督、頼むのはこちらです……!」

 

「ぁ、え……?」

 

 全身をかき回す感情をそのままに、私は深く、いいやこれでは足りないとその場でがつんと音が鳴るほどに勢いよく両膝をつき、土下座した。

 

「どうか……どうか、この海を……守ってください……! 艦娘の指揮を……!」

 

 涙ながらに殆ど絶叫のように言った私の言葉に、十数秒の静寂。

 船が波を切る音だけが支配する場で、提督の声が後頭部へ落ちてきた。

 

 

 

「わかった。善処しよう」

 

 

 

 軍人らしい重苦しい声に、ぱぁっと顔を上げた私の目に映ったのは、乾いた血をようやく袖で拭った姿だった。

 帝国軍人たるもの、純白の軍服は賜ったもの。決して汚すことなかれ。

 それは如何なる階級の者でも破ってはならないものとして存在する規律。

 

 私と会ったあの時、既に血で汚れていた提督ではあったが、決して自ら血を拭って服を汚す行為はしなかった。それも規律を守っての事なのだろう。

 しかし、彼は同時に軍を見限ったとも言っていた。そして今の行動。

 

 それが意味するところは、私とて理解している。

 

「厳しいかもしれないが」

 

「どのようなご命令でも、必ずやこの大淀が遂行致します!」

 

「俺の出来る事も多くは無い」

 

「その時は、私や他の艦娘をお使いください!」

 

 厳しいかもしれない。それはそうだ。軍部の一部は腐りきっている。

 そうして、提督はその一部によって汚名を着せられ、陸から飛ばされた。柱島泊地という、呉鎮守府の監視下に置かれて。

 

 出来る事も多くは無いなど、また恐ろしい事を仰る。

 

 提督は呉鎮守府という巨大な拠点の監視下なのだから、何もできないはずなのだ。

 

 なのに、多くは無い、と?

 それは、動こうと思えばいくらでも動けると、そういう事だろう。

 

 またも私の背に電流が走る。

 感情で埋め尽くされた頭の中が澄み渡り、まるでないだ海のように明瞭となる。

 

 

 元横須賀鎮守府所属、海原大将閣下――。

 かの御仁は深海棲艦に埋め尽くされた鎮守府近海を瞬く間に攻略し、数少ない艦娘を駆使して敵深海棲艦の拠点とも予測された南方海域の一部をも攻略。

 孤立していた南方沖の資源海域を奪取し、連絡路として開放せしめた。

 

 それだけでも想像のはるか上を行く戦果であるというのに、勲章も賜る事なく、次々と深海棲艦に奪われた海域を開放し続けた。

 

 しかし、海原大将をじかに見たという者は少ない。どれもが人づてで、記録のみが大本営に残っているだけであった。

 

 大進撃を続けていた海軍は、ある日を境に深海棲艦に押し返される事となる。

 海原大将が失踪してしまった日だ。

 

 新たに横須賀鎮守府に着任した提督によって海域を全て奪い返されるという悲劇は避けられたものの、再び深海棲艦の猛攻が始まりいくつもの資源海域が火の海となった。

 横須賀鎮守府にいた艦娘達も健闘したが、上手く能力を発揮できず……。

 

 海原大将についてはかん口令がしかれ、かつて海原大将の部下であった艦娘達も彼の事を一切口にしなくなったという。

 一説では、我々艦娘の装備などを開発している艦政本部によって記憶を消されたなどと眉唾な噂まである。

 

 

 

「まずは……大淀」

 

「はっ!」

 

 

 これが初めての命令となる。私は立ち上がり、直立不動で提督を見た。

 だが、私は提督の気遣いに、軍人らしくないなという感想を抱くのと同時に、また涙を流してしまったのだった。

 なんて優しいお方なのだろう、と。

 

 

「一緒に飯を食おう」



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二話 飯を食おう【提督side】

 転生直後に記憶を整理して云々。せせら笑うどころか白ける云々。

 撤回する。全部。

 

 名前も知らない男に顔面を殴られた次には、大淀と名乗るコスプレ女と共に船に乗って柱島泊地に向かっている俺。

 

 いや、コスプレ女は失礼だな……。

 

 とはいえ、薄々コスプレ女などでは無いというのに気付いている俺もいる。

 船を難なく操縦する彼女の服装は俺の記憶にある艦これの大淀と同じだし、現実感が無くて立ち絵などでは見られない大淀の後ろ姿に感動さえした。

 

 それも数分で白けてしまい、船の後方まで行ってざあざあと波の音を聞きながらぼーっと来た道を眺めた。夢なら覚めろと念じても、覚めるわけもなく。

 

「はぁぁぁ……マジかよ……」

 

 自答しちゃう。マジである。

 辺りを埋め尽くす潮の匂いも、時折顔に当たる水しぶきも全てマジである。びっくりするぐらいマジである。

 とすれば、船でたそがれる俺の周りをくるくると飛んでいる〝何か〟もマジなのであろう。

 

『大丈夫? 泣いてるの?』

 

「泣いてないけど泣きそうだ」

 

『泣かないでー! えーん!』

 

 えーん、て。お前が泣いてるじゃん。

 気づけば俺の周りを飛んでいたそれは、奇しくも艦これに出てくる妖精にそっくりだった。服装なんて覚えてないが、それっぽい作業着を着た二頭身の女の子のような見た目は紛う事なき人外だ。

 実際に目にすると二頭身なんて気持ち悪いだけだと勝手な想像をしていたが、不思議な力で浮遊している妖精に嫌悪感は生まれず、ただ、可愛いなあくらいの認識となった。

 

「ここがどこだか分かるか?」

 

 妖精は俺の言葉に頷く。

 

『船の上だよ』

 

「それは分かってんだよなあ」

 

『?』

 

 不思議そうに首をかしげる妖精に手を伸ばし、人差し指でお腹のあたりをつついてやる。すると、くすぐったそうにコロコロと笑い声をあげ、それから俺に問うてきた。

 

『お名前は?』

 

「俺の? 海原だよ」

 

『うみはら……うみ!』

 

「そうそう、うなばら、って書いて海原だ。海原鎮」

 

『まもるの字は?』

 

「珍しい漢字でなあ……かねへんに、まことって書いて……」

 

 空中に字を書くように指を動かすと、妖精は指先を追って顔を動かす。

 それが面白くて、まもる、と書き終わった後に、くるくると指を動かして見せた。トンボなどを捕まえる時にやるアレだ。

 

『あぅあぅあぅ……まもるの字、くるくる……』

 

「ごめん、後半は嘘だ」

 

『もー!』

 

 むきー! という風に怒って見せるも、妖精はすぐに表情をほころばせてふよふよっと俺の肩に止まった。まるで蝶々だ。

 

『まもるは、艦娘って知ってる?』

 

「ああ、知ってるよ」

 

『艦娘は好き?』

 

「嫌いではないかな。可愛いし、綺麗だし、何より強い」

 

 無意識に、強い、という言葉に力がこもる。

 よく職場の上司に「お前は弱いから疲れたと言うんだ」とどやされたものだ。強ければどれだけの残業をしても体調など崩さないし、もっと会社の為に働けると。

 あの時は職を失う事が怖いのと、暴力的な上司に胸倉を掴まれて気が動転してしまっていたのとで反論さえ出来なかった。

 

 今なら出来る。強さ関係ねえだろそれ、と。

 

 絵に描いたようなブラック企業だったと今になって思う。それから解放されたという安堵を味わう前に、今度は顔も知らない上司面した男に顔面を殴られて海へ放り出されたわけだが。

 

 あ、凄い腹立ってきた。

 

『まもるは艦娘が好きなのに、どうして――』

 

 妖精の声に耳を傾けていた俺は、胃のあたりがぎゅっと掴まれたような感覚を覚えた。

 

『――いなくなっちゃったの?』

 

「ぇ、ぁ……それは……」

 

 

 確か、俺が艦これというゲームに手を出したのは十年も経たない頃の昔だった。パソコンで出来るブラウザゲームというのに手軽さを感じて、社会人になりたてだった俺は気休め程度の遊びとして楽しんでいた。

 戦艦が少女となって敵と戦う……擬人化というジャンルを広く世に知らしめるのに貢献した有名なゲームの一つで、アニメや漫画に熱を上げることも無かった俺をオタクなんていう世界に引き込んだ原因の一つでもある。

 

 艦これは俺にとっての救いでもあった。

 慣れない仕事に疲れて帰ってきた日や、初めて失敗をして上司に怒鳴られた日には艦これを起動しては艦娘達を見て癒されたものだ。アレがあったからこそ、俺は辛い仕事にも耐えられたと言っても過言じゃない。

 

 あらゆる最新ゲームが派手なアクションやグラフィックに力を入れる中で、シンプルかつただ絵があって声があるだけのゲームにどうして入れ込めたのかは分からないが、俺は艦これが魅力的に思えた。

 もちろん、やりこめば戦闘だって奥深いのは知っていた。ブラウザの裏でやり取りされる数値などで勝敗が決まるだけと言えば簡単だが、そこに至るまでに様々な要素がある。艦娘の練度や装備、鎮守府というホーム画面に表示される資材もそうだし、開発や建造だってシンプルな見た目に反して奥深さがあった。

 

 ならば俺はどうして艦これをプレイしなくなったのか。

 答えは簡単だ。忙しくなったから。

 

 時間も経てば仕事にも慣れる。仕事に慣れたら怒られるのにも慣れる。怒られないようにどうすればいいのかという要領だって掴む。

 そうして、プライベートな時間は仕事の時間とバランスが保てなくなり、俺の場合はそれが仕事へと傾いた。結果が、艦これから離れるというものになったわけだ。

 

 というか、家に戻ってもパソコンを起動する前に寝てしまう。疲れで。

 

「忙しかったんだよ。仕事とか、慣れなくて」

 

 そう返すと、妖精は続ける。

 

『それで、なにかよくなった?』

 

「良くなったかって……そりゃあ……」

 

 良くならなかった。何も。

 俺の手元に残ったのは多くない貯金だけで、仕事を辞めた両手には何も残ってなかった。

 

『まもるがいなくなってね、みんなもいなくなっちゃったんだよ』

 

「なんだよ、それ……?」

 

 俺がいなくなって、皆もいなくなった?

 

『でも、大丈夫。まもるが戻ってきたから――今度こそ、大丈夫』

 

「いや、だから、何が大丈夫なんだよ、なあ」

 

 夢なのに不思議な奴だと頭で考えるものの、本能では理解し始めていた。

 

 多分、俺は――自宅で眠ってしまったのだ。二度と目覚めることのない、深い眠りについてしまったのだ。

 自覚はある。日頃の無理が祟って、ふと開放されたあの時がピークだったんだろう。自宅に戻った俺は昔のように艦これを起動して癒しを求めた。そこで、ぱったり、と。

 

『まもる。助けてほしい』

 

「……あー」

 

 ならば、この船はあの世にでも向かっているのか?

 あれだけ会社の為に働いて、ちょっと自分これ以上は無理ッスと意見しただけで唾を散らして怒鳴られるような環境から、こんなにあっさり?

 

 いや、ふざけるなよと。なめんじゃねえよと。

 

 今の今までは言う事を聞くだけだったが、今度は違う。それに向かう先があの世でも何でも、見てみろ、俺に助けて欲しいと言う妖精の顔を。

 

 今にも泣きそうな――

 

『助けてよー、まもるー、えーん!』

 

 ――めっちゃ号泣している妖精を放っておけるか?

 答えは否。否である。

 

 でもね妖精さんよ。俺だって泣きたいよ。だって俺死んだんだよ? 多分。

 しかも目が覚めたら知らないおっさんに怒鳴られた挙句に殴られたんだよ。鼻血とか何年振りに出たか分からないレベルだよ。

 

 そしたら今度は大淀って名乗る女に船に乗せられて柱島泊地に向かってるんだよ。

 どこぞのインキュベーターじゃないが、訳が分からないよ。

 

『お話聞いてくれる? ねえ、まもる、聞いて?』

 

 目のハイライトを消して迫ってくる妖精。

 怖いよ。聞くから。ちゃんと聞くから。

 

『この世界はね、深海棲艦っていう敵がね、世界をね、襲ってね』

 

 うんうん、と相槌をうちながら聞く。

 艦これにおける世界観とでも言おうか、それは何となく知ってはいるものの、あのゲームでは詳しい描写はされていなかったはずだが……。

 

 まるで子どもが一生懸命に説明しようとするかのような口調に口元が緩む。

 

『人間を滅ぼそうとしてるの』

 

「ヤバイじゃん」

 

『ヤバイよ』

 

 人間を滅ぼそうとしてるの、の所だけ流暢に言うのやめてほしい。怖い。

 

 それにしても本当に俺は変なところで目が覚めたんだな、とようやくもって実感する。

 漫画で見たことがある――これは、異世界転生だ。間違いない。おれはくわしいんだ。

 

 

 とは言え、異世界転生にありがちな中世ヨーロッパ風の街並みも無ければ乗っている船も違和感のない漁船だ。いや、乗ったのは初めてだけども。

 俺が転生したのは艦隊これくしょんの世界で、どうやら俺は提督として再び生を受けたようだ。どうせなら赤ん坊からやり直したかったが、言っても仕方がないため良しとしよう。だが、待って欲しい。

 

「でも、のっけから殴るこたぁ無いだろ……」

 

『殴られたの? ひどい!』

 

「酷いよなぁ? 俺は何もしてないってのに……」

 

『何もしてないのに殴られたの?』

 

「そうなんだよ。何もしなかったからだって殴られたんだ。理不尽の塊かよあいつ……」

 

『ひどいね! ひどいや! まもる、よしよしする?』

 

「お前……優しいなぁ……」

 

『お前じゃないよ! 私はむつまる!』

 

「むつまる……? あぁ、名前。ありがとうな、むつまる」

 

 むつまると名乗った妖精の頭を人差し指でぐりぐりと撫でてやる。お前は俺の味方だ。優しい。

 でも、なぁ……。

 

 胸中で吐き続けていた溜息、とうとう口から洩れた。

 

「どうして、こうなった……」

 

「提督。どうしてこうなった、とおっしゃいますのは……?」

 

 背後からの声に驚いて振り向くと、大淀が気まずそうな顔をして立っていた。

 どうやら俺の愚痴を聞かれていたらしい。とすれば、彼女は俺がぶつくさ言っている情けない姿の一部始終も見ているわけで……。

 

 隠したって仕方がないか。どうせいつかはバレるんだ。

 

 だから、どうしてこうなったの意味をそのままに伝えた。

 

「全部だ」 

 

「全部……?」

 

 この大淀、もしや察しが悪いのか?

 艦これ世界では任務娘として小難しい任務も全て統括していた(という設定をどこかで見た気がする)あの大淀が首を傾げるとは、また珍しい。

 

 俺の知っている設定とは違う世界なのかもしれない。

 どうすんだよこれ……と頭を抱えるも、説明し始めたのだから隠し立ても申し訳なく、ありのままに吐露する。

 

「俺はな、大淀、俺はな? 働いていただけだ。本当に、ただ働いていたんだ。良かれと思って。それがどうしてこんな事になる?」

 

 ブラック企業に勤めて粉骨砕身していた俺にどんな落ち度があったというんだ。艦娘の不知火が聞いたらぶち切れながら「不知火に何か落ち度でも?(圧)」って言うに違いない。

 

「提督……」

 

 憐みの目を向けてくる大淀。ブラウザ越しに見るにはアニメ絵だったから可愛い程度で済んだが、今や眼前にいる彼女は本物の人間にしか見えない。正直くっそ美人だが、それさえも吹き飛んでしまうくらいに落ち込む俺には余裕は無い。

 

「業績だって悪くなかった。残業だっていくらでもした。休みが無くても従った。でも、変わらなかった……」

 

 初めて出会ったにもかかわらず、記憶の中にある艦これをプレイしていた頃の俺と同じように、ブラウザの彼女達に向かって語り掛けるかのようにあふれ出す言葉。

 あぁ、だいぶ前にも同じように言ってたなぁ、とどこか冷静な頭の隅で思う。

 

「だから見限ったんだ、やってられるかって……適当に次の仕事を見つけるまでは休んで、それからのんびり働けばいいだろって……それが、なんでこうなったんだ……」

 

 言い切ると、俺は現状を再認識して頭を抱え込んでしまった。

 

「心中お察し申し上げます……」

 

「大淀……」

 

 形だけの言葉なのかもしれないが、それでも俺は少しだけ救われるような気持ちになった。

 肩に乗ったむつまるも『まもるはえらい! がんばったんだよ!』と声を上げてくれている。やはり妖精は味方だ。

 

 と、その時。大淀がむつまるを見つけて声を荒げた。

 

「こんな所に、何故妖精が!? ここに来るまで、いなかったのに、なんで……!」

 

 いなかった? そんなわけないだろ。妖精って艦娘とニコイチ的な存在だし、何なら大本営勤めしてたんだから妖精のこと俺より詳しいだろ。

 まあ俺もそこまでガチガチのプレイヤーじゃなかったし、妖精のいる場所いない場所とやらもあるのかもしれない、と俺はむつまるを紹介するように手のひらに乗せて差し出す。

 

「こいつは話が分かるんだ」

 

 そして俺に優しい。今でさえ『むつまるだって言ってるのに! あ、まもる、血、拭く? きづかなくてごめんね?』とハンカチを差し出してくれる。

 でもごめんな、そんな米粒みたいな大きさだと拭えないと思う。

 

「こいつはこんなにも優しいのに……」

 

 どうしてあいつは優しくないんでしょうか。艦これですか? いいえ、現実です。

 

「提督、あの、その妖精はどこから……!?」

 

「この船に乗ってたんじゃないのか?」

 

「そんなの見てませ――」

 

 見てないわけ無いだろ。この子ずっといたよここに。

 俺が言い出す前に、大淀は突然船のへりまで走り出し、身を乗り出す。

 あっと声を上げそうになるも、飛び込む様子はなさそうで一安心。

 

 艦娘やっぱり少し怖いな。海を見たら自然と飛び込んじゃおうとするの? 元は船だから?

 

「こんな漁船から妖精が……い、意味が……」

 

 すぐに戻ってきた大淀はまじまじとむつまるを見つめる。

 むつまるも不思議そうに大淀を見つめ返すという光景に、俺は自然と艦これで幾度も聞いたセリフを口にしていた。

 

「暁の水平線に、勝利を刻みましょう……か」

 

 勝利を刻む――良い響きだと改めて思う。

 苦楽を共にした艦娘達と難しい海域を突破した時などは心が躍ったものだ。

 何度も敗退し、中破、大破した艦娘を入渠させ、最後には攻略サイトを頼ってしまった俺だが……それでも、暁の水平線に勝利を刻むという言葉は好きだった。

 

 仕事に明け暮れて時間が取れずとも、艦隊これくしょん関連の同人誌などを見るほどに俺を支え続けてくれた言葉でもある。

 

 まぁ、勝利を刻む前に過労で死んだが。

 

 はぁぁぁぁ……テンション下がってきた。泣きたい。

 

「うっ……ぐすっ……ひっ……」

 

「えっ」

 

 俺が泣く前に大淀が泣いた。なんで。

 

 いや、ほんと、なんで?

 

「お、大淀、どうしてお前が泣くんだ!?」

 

「もっ、しわけ、ありまっ……せん……! し、かし、提督……!」

 

 申し訳なくない。大丈夫。俺何も気にしてないし見てないから。やめて泣かないで。

 だめだ。女性の扱いとか分からないし泣いてる理由さえも分からん。

 とにかくこんな何もない海の中でぽつんとしてる状態で俺だって不安なんだから泣き止んでくれ、と手を振ってアピールする。

 はたから見たら泣いてる女性に向かって手を振ってるやべえ奴である。

 

「泣くな大淀、あー、た、頼むよ……」

 

「いいえ、提督、頼むのはこちらです……!」

 

「ぁ、え……?」

 

 何を頼むんだ? 見ての通り俺は着の身着のままどころか、着たこともない軍服に身を包んで所持品は無いぞ。財布すらないからお金を要求されてもどうにもできないぞ。

 

 俺がくだらない事を考えているあいだに、大淀は両膝をついて頭を下げた。

 

「どうか……どうか、この海を……守ってください……! 艦娘の指揮を……!」

 

 俺どころかむつまるも驚いて大淀を見下ろしている。

 それから――むつまるは俺に言った。

 

『まもる。助けてあげる?』

 

 数秒だけ黙り込む俺。

 助けてあげる? 助けないという選択肢があると思う? 無いよそんなものは。

 

 形は違えど、彼女は間違いなく大淀なのだ。

 俺を救ってくれた艦娘の一人なのだ。ならば、助けない理由など一つとして無い。

 

 しかし……艦娘の指揮を執るにも、どうすればいいか分からない。

 ゲームの頃のようにブラウザをかちかちクリックしていればいいのならば楽なのでいくらでも助けてあげられるのだが、現実となると話は変わってくる。

 それに、まだ鎮守府にだって到着していない。

 

「わかった。善処しよう」

 

 何とかそれだけを答えると、大淀は顔を上げて目を輝かせた。

 

 やっべえ……勢いだけで言い切ったけど、確実に助けられるか不安になってきた。

 

 そ、そうだ、俺だって着の身着のまま、右も左も分からずに船に乗せられた被害者なんだから言い訳くらいしておかねば。

 厳しい道のりになるだろう。その時は周りの目など気にせず諦めてしまえばいい。おススメこそしないが、諦めたって悪い事じゃない。出来ない事は仕方がない。

 

「厳しいかもしれないが――」

 

「どのようなご命令でも、必ずやこの大淀が遂行致します!」

 

 ……いやいやいや。別に俺は大淀にそんな命令するつもりは無いよ。

 厳しいかもしれないが、頑張りたいという意味かな? 働き始めたばかりの頃、俺も同じ事を言っていた気がする……まぁ、それはね、そういう気合でって意味だもんな。きっとな。

 

 でも、俺は艦これプレイヤーではあったが軍人ではない。

 出来る事なんてマウスをかちっとするくらいだ。あとちょっとしたパソコン操作なら出来る。書類作成なら問題無いが、軍人らしい事を求められるとちょっとつらい。

 

「俺の出来る事も多くは無い――」

 

「その時は、私や他の艦娘をお使いください!」

 

 はっはぁん、なるほど分かったぞ。

 お前、話聞かない系の大淀だな? 俺には分かる。そういう同人誌もあったからな。

 しかしこれでは埒が明かないし話も進まない。

 

 兎にも角にもいったん落ち着かねばと、俺は大淀に提案した。

 

「まずは……大淀」

 

「はっ!」

 

 びりびりと鼓膜を揺らす声。

 お前さっきまでの大淀と同一人物か? どこからそんな大声出してるの。

 落ち着こう、ね。まずは落ち着こうよ。

 

「一緒に飯を食おう」

 

 そういえば船に乗って一時間かそこら。目覚めてから何も食べていないと思った俺は食事を提案する。

 すると何故か大淀がまた泣き出した。だから何でだ。



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三話 想い【艦娘side】

 


 心優しい気遣いの提案に思わず涙を流してしまった私だが、提督に背を擦られて数分、やっと涙が収まった。

 

「お見苦しい所を、申し訳ありません」

 

「気にするな」

 

 そう答えられた提督は柔らかく笑った後に船上を見回した。

 どうしたのだろうと同じようにして見回している時、はたと気づく。

 

 そうか、食事をしようとおっしゃられたのだから、食べ物か、と。

 

「しょ、少々お待ちください! すぐに何か食べられるものを――!」

 

 慌てて立ち上がった私は、操舵室に何か無かっただろうかと駆け出そうとする。

 しかし、提督は「ちょっと待て」と言う。

 

 提督を見れば、妖精と何やら話している様子だった。

 残念ながら私を含む艦娘は妖精との意思疎通が難しい。姿こそ見えるものの、声は聞こえないために身振り手振りでのやり取りばかりだ。それも、妖精を従えて戦場に出る事の少なかった私はそれが顕著だった。

 話の内容は、提督のお言葉を酌んで予測するしかできない。

 

「……ふむ。そうか……じゃあ……釣り……」

 

 釣り……? 確かに私達が乗っているのは漁船だから、無理な話ではないかもしれないが……道具の使い方が分からないし、道具が残っているのかもわからない。

 魚を釣ろうにも餌さえ無いのだから、食事云々の前の問題の気もするが……。

 

「……それもそうか……よし。そうしよう」

 

 話がついた様子で、妖精は提督から離れて私の横を通り過ぎ、操舵室へと向かっていった。

 かと思えば、一分もしないうちに両手に羅針盤のようなものを抱えて戻ってきたのだった。

 

「大淀、これが何か分かるか?」

 

 妖精から羅針盤を受け取った提督は、それを私に見せるように掲げる。

 

「羅針盤、でしょうか」

 

 言ってから、しまった、と口を閉じる。

 出会い頭に冗談を言ったのかと口にした言葉に憤慨した提督を思い出し、すぐさま失礼しましたと訂正に走る。

 

「ただの羅針盤、では、無いのですよね……妖精が持ってきたのならば、何らかの能力が……?」

 

 恐る恐る言うと、提督は頷き話す。

 隣で妖精が提督を真似るように口をパクパクと動かしているのがなんとも可愛らしく目が滑るが、堪えつつ。

 

「これは艦娘の航路を決定するための道具で……戦わねばならない者と的確に接敵するためのもの……だ。その他にも? 向かうべき場所を指示してくれる」

 

 歯切れの悪い言葉に、違和感を覚える。

 そんな便利な道具があるはずがない。

 そんなものがあったら、深海棲艦の集まる場所を艦娘単体で偵察して、確実に叩けてしまうではないか。

 

 私が所属していた鎮守府でも、羅針盤という道具は使用した事が無かった。

 指揮官である提督が艦娘を通して通信し、右へ行け、左へ向かえなどと海図と照らし合わせながら連携して偵察していたのだ。

 

 艦政本部のみならず、大本営ではもっぱら敵深海棲艦の拠点の捜査に力を入れており、神出鬼没な深海棲艦の拠点発見は常々絶望視されていた。

 そのことから、どこの鎮守府でも同じような戦略がなされた。

 

 ――捨て艦戦略と名付けられた手法である。

 

 捨て艦戦略には大きく分けて二つあり、一つは敵棲地を探るために送り出されるもの。

 もう一つは、運よく発見できた拠点に攻め入るために艦娘を特攻させ航路を開くというものだ。

 

 前者の戦略の場合、広域を捜索するために軽空母や水母などが利用される事が多く、私がいた前鎮守府ではその作戦を遂行し続けたために在籍する空母の殆どを失う結果となった。

 

 後者の場合はさらに酷いものだった。敵拠点までの海路にはやはり多くの深海棲艦が出現する。そのため、進軍は困難を極める。

 そして持ち上がった新たな戦略として、建造される数の多い駆逐艦がターゲットとなった。

 建造されて間もない駆逐艦を海へ駆り出し、轟沈を前提に限界まで進軍させるのだ。

 その後ろにも蟻の行列のように駆逐艦隊を編成し、前が沈めばその後ろを持ってくる……と言った具合に。

 

 もしも、今しがた提督が持つ羅針盤があれば――確実に敵拠点を索敵出来れば、もっと違った結果があったのではないかと思わずにはいられなかった。

 そうすれば、もっと……。

 

「……ど……大淀? 大丈夫か?」

 

「はっ……! し、失礼しました。その、羅針盤というものを、初めて目にしまして……」

 

 提督は不思議そうな顔で羅針盤と妖精、そして私を交互に見てから息を吐き出す。

 そうして、言葉を続けた。

 

「大淀はこれから向かう場所が分かるか?」

 

「柱島泊地でしょうか? それでしたら、およその海域まで行けばすぐに。そこまで到達しましたら、哨戒中の艦隊にも遭遇するかもしれません」

 

「およそ、かぁ」

 

 またも、私はしまったと自責の念に駆られる。

 どうしてこうも曖昧な物言いをしてしまうのだと、思い切り自分を殴りつけたくなる。

 たられば、かも、は戦争で最も忌避されねばならないはずなのに、と。

 

 提督の声に頭を何度目とも分からず頭を下げそうになる私だったが、優しい声がそれを制した。

 

「そういう事が無いようにするための道具……だ、そうだ、これは」

 

 まるで人から聞いたかのような言い方をする提督に、不敬ながらも不信を抱く。

 誰も知らない道具を妖精とともに取り出したのもそうだし、何より提督自身も知らなかったかのような口調ではないか。

 私は、本当に、ほんっとうに不敬を承知で問うた。

 

「提督は、ご存じだったのですか……?」

 

 唇が乾き、舌が口の中で無意識に動く。

 提督は一瞬眉をひそめたが――今度は滑らかに、そして知らなかったような、ではなく、思い出すようにして話し始めた。

 

「俺が知っているのは妖精の操る羅針盤だからな。実際に手に取って見るのは初めてだ」

 

「よ、妖精が操る羅針盤……!?」

 

 妖精が道具に宿り能力を向上させるということは知っている。しかしながら、妖精自身が道具を扱うなど聞いたことも無い!

 工廠での建造作業や、開発などで妖精が道具や私達艦娘を造るのに一役買っているのは知っているが、扱うとなれば話は全く違ってくるではないか……!

 

 前鎮守府で道具を扱った妖精がいたか……? いない。いなかったはずだ。

 

 あったとすれば、それこそ特殊な妖精で――例に挙げれば空母の操る戦闘機などに搭乗する妖精のみ。

 艦娘の手元から離れて遠方を索敵、または爆撃する空母から放たれる戦闘機には妖精がもっとも宿りやすいとされており、妖精のいない戦闘機は複雑な行動は不可能らしい。

 単純な飛行や旋回のみで、索敵などはもってのほかである、と。

 

 提督は知っていると言った。しかし、そんなものは前鎮守府にも、大本営にいた頃にも知らされていない。であれば、艦政本部が秘匿していたのか……?

 いやいやいや、秘匿する理由が無いではないか。羅針盤を使えば確実な海域攻略が可能となるのだから、周知しなかったとしても、大本営が指定した鎮守府などで使えばあからさまに戦果を上げられるはず。

 

 そこまで思考して、私は一つの予測に辿り着く。

 

 失踪していた提督――発見されたにもかかわらず異例の降格――妖精の見える素質――。

 

 

 提督は、もしや大本営の秘密を知って――暗殺されかけたのでは――?

 

 そうすれば、私が見ていた資料に残っている不気味な戦果のみの記録や、提督をじかに見た者がいない理由も説明がつく。辻褄があってしまう。

 

 妖精の見える提督なのだ。そのような素質を持つ者は少ない故に、大本営もおおいに重用していた事だろう。その証拠こそ元の階級が物語っている。

 そんな提督ならば、大本営よりも妖精に通じていて不思議ではない。

 とすると、提督は今のように、妖精から艦娘を指揮するために羅針盤を託された過去があるのかもしれない。

 それを用いて海域を攻略し、戦果を打ち立てていくうちに、大本営が不審に思った――と。

 

 私と出会った時、あれは誰だと問われたのにも、説明がつく。

 怒りを宿した瞳にも。見限ったというお言葉にも。

 

 艦娘を酷使し、いたずらに轟沈させるばかりか妖精のもたらしたものさえも私欲に利用しかねない一部の軍部から、彼は守ったのだ。技術を――ひいては、私達艦娘を。

 

 そこまで考え至って、ぐ、と喉が詰まる。

 だめだ。泣いちゃだめだ。私は光栄に思わなければならないのだ。

 

 涙が零れそうになるのを必死になって堪え、提督を見る。

 

「提督。そちらの羅針盤を、どのように使うのでしょうか」

 

 意を決した問いに、提督はしれっと答えた。

 

「鎮守府に行くんだろう? なら、さっさと進もうと思ってな」

 

 進もうと思って? 失踪から戻ったあなたは技術こそ守れたかもしれない。

 しかし、その道の先は地獄など生ぬるい、修羅の道。

 

 呉鎮守府の監視下にあり、大本営からも監視されるだろう。提督を連れてきた名も知らぬ軍部の、あの者も監視者の一人かもしれない。それでもあなたは、提督として進もうとおっしゃるのですか?

 

 その問いの全ては言葉にできなかった。ただ、一言だけ何とか紡げたのは――

 

「よろしいの、でしょうか」

 

 妄信を失った私にあるのは、人類への不信。そして、裏切りから生まれた落胆。

 それをほんの一瞬でも救ってくれた提督は、艦娘にとって、少なくとも私にとって十分な役目を果たしてくれた。私が守った人々のうち、提督のような方がいたのだと知れただけで満足さえ感じている。

 

 艦娘の指揮を。海を守ってほしい。

 自らの前言を覆すような不安の言葉を、提督は容易く呑み込んだ。

 

「行かなきゃだめだろう。腹も減ったし、な?」

 

 気丈に笑って見せた提督に、私の理性が音を立てて崩れた。

 長年の逃走生活にやせこけたのであろうお身体。くぼんだ目元に目立つ隈――血色の悪い唇の全てさえ、勇ましく見える。

 

 この御仁こそ――本物の軍人だ――!

 

「どこまでも、御伴します――提督――!」

 

 身体が勝手に敬礼の恰好をとる。

 すると、提督は困ったような顔で笑って、私を気遣うように茶化して見せた。

 

「そんなに腹が減ったのか? まあ、俺もだけどな」

 

 艦娘として目覚めた時よりも鮮烈に。

 人類を守らねばという妄信を超えて、強烈に。

 

 私は、この人と共にあろうと誓った。修羅へと続く暁の水平線を背に笑う彼を見て、深く、強く。



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四話 重い【提督side】

 俺の知っている艦これの大淀はもっとこう、眼鏡をくいっと指で押し上げながら「艦隊の規律が――」などと言いそうなイメージだったのだが、今しがたやっと泣き止んで目尻を擦る姿は新鮮だった。

 

「お見苦しい所を、申し訳ありません」

 

「気にするな」

 

 誰が泣いていようが気にしない。俺がいた職場では毎日誰かが泣いていたぞ。

 

 それはさておき、食事だ。ここに来てから何も食べてないし、腹が膨れれば気分だってなおるだろうと立ち上がって船上を見回す――が、流石に食べ物があったりはしないか。

 

 目的地に着いた時にでもどうにかするか、と考えていると、むつまるが耳元で言う。

 

『まもる、ご飯食べたいの?』

 

 最優先で! という程に腹が減ってるわけじゃないが、口寂しいのはある。

 曖昧に、まぁ、と返した矢先、目の前で大淀が立ち上がった。

 

「しょ、少々お待ちください! すぐに何か食べられるものを――!」

『でも、ご飯ないよー?』

 

 両方同時に喋らないで。分からなくなるから。

 というかそんなに腹が減ってたのか……すまん大淀……。

 

 俺は咄嗟に大淀に待てと命じて、むつまるの言葉に小声で返す。

 

「ふむ。なら釣りなんてどうだ? これ漁船だろう?」

 

『できないよー……それより、はしらじまに行くんでしょ? 早く行けるようにしたほうがいいよ!』

 

「……それもそうか。よし、そうしよう」

 

『むつまるも手伝えるよ! まってて!』

 

「うん?」

 

 むつまるはぴゅんっと一直線に飛んでいく。それからすぐに何かを持って戻ってきた。

 その何かを見た瞬間、俺の中に様々な感情が去来した。

 

 ルート……逸れ……うっ、頭が……。

 

 一瞬だけ顔をしかめてしまった俺だったが、すぐさま無表情を装う。

 妖精の持ってきたものは羅針盤だった。艦これをプレイしていた頃に嫌という程見てきたものだ。

 

 羅針盤――艦これでは攻略をする際、海域を進めるのに使っていたもの。双六のようなマップは初期こそ単純だが、後半になってくると多くの分かれ道が発生し、左右どちらに進むのかを決定するのに用いられていた。

 最初は攻略サイトなど見ずに進めていた俺は何度も羅針盤に泣かされてきたのだ……。

 

 羅針盤を持つ妖精むつまるに、それを見る大淀。目の前に広がる艦隊これくしょんな風景。

 

 むつまるに羅針盤を手渡され、大淀に見せてみる。

 

「大淀、これが何か分かるか?」

 

「羅針盤、でしょうか」

 

 そうだね。羅針盤だね。

 

 やっぱり知っているよなあ、と頷きかけた時、大淀が慌てたように言いなおす。

 

「ただの羅針盤、では、無いのですよね……妖精が持ってきたのならば、何らかの能力が……?」

 

 えっ……知らないの……?

 いやいやいや、そんなはずは無い。魔女っぽい服装をした妖精とめっちゃだるそうな顔をしている妖精がくるくる回してただろう!

 

『これはねー、艦娘が進むための航路を決めるための道具でねー』

 

 俺の横で大淀に向かって説明するむつまるだが、大淀は妖精ではなく俺をじっと見つめている。

 むつまるも気づいたようで、ちょんちょんと俺をつついた。

 あぁ、代わりに説明しろと……。

 

「これは艦娘の航路を決定するための道具で……」

 

『戦わなきゃいけない相手をみつけるためのものだよー』

 

 戦わなきゃいけない相手……深海棲艦の事だよな。

 

「戦わねばならない者と的確に接敵するためのもの……だ」

 

 多少それっぽく変えて伝えているが、大淀にはこちらの方が理解しやすいだろう。

 

『ほかにもね! あるの!』

 

「他にも?」

 

『わたしたちが行かなきゃいけないところがわかるよ!』

 

「……向かうべき場所を示してくれる」

 

 やはり俺が知っている艦これとは違うことが多いようだ。ただルートを決定するための道具というわけではないらしい。

 むつまるは俺が代わりに説明したことに満足気に頷いていた。

 

 それにしても――俺は本当に艦これ世界にやってきたんだな……。

 羅針盤を見て確信するあたり、もの悲しさを感じるが、これも提督(プレイヤー)の性よ……。

 

 この世界で俺はプレイヤーとしての提督ではなく、本当の意味での提督――俺を殴ったあの野郎が言うにはだが――なのだから、あまり無知を露呈すべきではないのかもしれない。部下である大淀を無駄に不安がらせることも無いし、多少知識が違っても堂々としておくべきか。

 

 それに俺は――もう、ブラックな企業で働く戦士ではないのだ――!

 

 大淀と言えば任務を管理してくれる艦娘で、大勢の艦娘を束ねる司令塔でもある。

 ならば、だ。この大淀に任せておけば万事オッケーで俺は夜を徹して死に物狂いで働かなくて済む……これは、でかい……!

 起き抜けから朝食すら摂らずに家を出て、満員電車に押しつぶされなくてもいいんだ。だって電車乗る事無いもの。

 会社に到着して社内の掃除をしなくてもいいんだ。だって会社が無いもの。

 怖い上司に怒鳴り散らされて胸倉掴まれなくて――いやこれはさっき経験したな。クソ。

 

 と、感慨に耽っていると大淀の様子がおかしいことに気づく。

 羅針盤と俺を見てわなわな震えているあたり、もしや俺が攻略サイトを見て艦これをやっていた素人プレイヤーとバレたか?

 ……それは無いか。

 

「大淀……大淀? 大丈夫か?」

 

「はっ……! し、失礼しました。その、羅針盤というものを、初めて目にしまして……」

 

 初めて目にした? 一緒に海に出てクルクルしてたんじゃないのか。

 それじゃあ、羅針盤が役に立たない。

 

 むつまるが言うには『艦娘が進むための道を決定する道具』なのだ。俺には使えない。

 向かう場所が分からなければ、だだっ広い海を漂流するのと変わらないじゃないか。

 

「大淀はこれから向かう場所が分かるか?」

 

 俺がそう聞くと、大淀はさらりと答える。

 

「柱島泊地でしょうか? それでしたら、およその海域まで行けばすぐに。そこまで到達しましたら、哨戒中の艦隊にも遭遇するかもしれません」

 

 良かった。柱島泊地への方向すら分からなければ路頭に迷うところだった。

 大淀は艦娘だからどうにかなるかもしれないが、俺はただの人間なのだ。遭難なんて御免こうむりたい。

 

「およそ、かぁ」

 

 言いながらむつまるを見る。大丈夫だよな? およそでも羅針盤は機能するよな?

 

『だいじょーぶ! まかせて!』

 

 頼もしくも、小さな拳でぽすんと胸を叩いて見せるむつまるに安堵する。

 だとさ、と大淀に視線を流せば、何故か頭を下げかけており――。

 

『道をおしえてあげる道具だから! 迷子とか、そういうことにならないよーに!』

 

 あぁ、と納得する。

 大淀は「およそ」しか分からずに申し訳ないと頭を下げようとしているのか。

 問題無い。俺だって分からないから。羅針盤が無ければ漂流決定だった。良かった。

 

「そういう事が無いようにするための道具……だ、そうだ、これは」

 

 念を押して言うと、大淀はほっとした表情――ではなく、怪訝そうな顔で俺に問う。

 

「提督は、ご存じだったのですか……?」

 

 え? 航路の事? それとも羅針盤か? どっちも知らんよ。

 あ、いや。羅針盤の事は知っている。元の世界では深海棲艦よりも羅針盤に泣かされた回数の方が多かった気がするが、敵では無かった。

 ……と、思う。

 

 こうして手に取って見るのは初めてだけど、知ってると嘘を言うのも気が引けた俺は素直に答える。

 

「俺が知っているのは妖精の操る羅針盤だからな。実際に手に取って見るのは初めてだ」

 

「よ、妖精が操る羅針盤……!?」

 

 そうだよ。妖精が『えー? らしんばん、まわすのー?』と面倒そうにクルクルしてたろ。

 艦これの最大のボスは深海棲艦じゃなくて羅針盤だと言われてたくらいだぞ。

 

 大淀は考え込むように顔を伏せ、ぶつぶつと呟き始めた。

 波の音によって全ては聞こえなかったが、素質だの失踪だのと不穏当な言葉が耳に届く。

 

 何それ、俺の知らない新要素が増えたりしたの? 提督の素質機能とか実装されてたの?

 

「提督。そちらの羅針盤を、どのように使うのでしょうか」

 

 顔を上げた大淀は、物凄い形相をして俺を見つめてきた。

 なんだよ……! 上司の次はお前が俺の敵になるつもりか……!?

 

 いつも「提督、作戦を実施してください」って任務画面で微笑んでくれたじゃないか……!

 

 待てよ? そうか、大淀は腹が減ってたんだったな。寄り道するのかってことを聞きたいんだろう。

 しかし残念ながら俺は艦娘じゃないので、大海原を見渡して「あっちに何かいいものがあるかも?」なんて答えられないのである。

 ならば返答は一つ。

 

「鎮守府に行くんだろう? なら、さっさと進もうと思ってな」

 

 ポケットに突っ込まれている紅紙にもあったように。俺は新規鎮守府とやらの提督に任命されているのだ。鎮守府に行けば食堂もあるだろうし、他の艦娘にも出会えるに違いない。

 どうせ生まれ変わったのなら楽しまなければ損である。

 

 俺を縛り付ける会社も無ければ、世界すら違うのだ。

 

 へこへこと頭を下げ続けていた頃を捨て、俺は――自由に過ごすッ!

 

 日がな一日食っちゃ寝なんてことはしないが、無理は絶対にしない。死ぬから、マジで。

 艦これの事ならば覚えている。素人ながらもやるべき事さえ分かっていれば問題無い! はずッ!

 

 朝から晩まで艦これが出来ると仮定してみれば分かりやすいじゃないか。やる事なんてたかが知れている。

 デイリー任務として1-1にさらっと出撃させて、後は建造、開発を数度行うだけ! なんて簡単なんだ……。

 艦娘のレベリングなどもあるだろうが、それこそレベリングに最適なマップは頭にある。

 2-2-1とかぐるぐるさせておけば何とかなるだろ。まぁ、実際の艦娘を目にしてしまっては疲労度無視でがん回しは気が引けるので、それも数度行う程度でいい。他に経験値を稼ぐ方法などいくらでもある。演習とか。

 

 ……いや待てよ? リアルの艦これだから練度の確認とかどうすればいいんだ?

 異世界転生もののように目の前にステータス画面が表示されているわけでもない。感覚が違う……これが、能力……! みたいな状態でもない。それは殴られて確認済みだ。痛かったし力も変わってない。許さんあの野郎。

 

「よろしいの、でしょうか」

 

 おっといかん。大淀を放って自分の世界に入り込みそうになっていた。

 俺は適当にへらへらと笑って「行かなきゃだめだろう。腹も減ったし、な?」と答える。

 

「どこまでも、御伴します――提督――!」

 

 大淀は俺に向かって、出会った時よりも綺麗な敬礼を披露し、目尻に涙を浮かべていた。

 え、えぇ……そんなに腹が減ってたのか……ごめん……。

 

「そんなに腹が減ったのか? まあ、俺もだけどな」

 

 感情豊かな大淀だなぁ。

 むつまるを見れば、大淀を真似るように俺に敬礼していた。お前もお腹減ってたんだな……柱島に着いたら何か食べような……。



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五話 哨戒【艦娘side】

 柱島泊地もそろそろかという頃、私の予想通り哨戒中の艦娘と出会った。

 

 哨戒とは名の通り敵襲に対し警戒する行動である。しかし、妙だ。

 何故そのような事を考えてしまったのかと言うと――私たちの船を見つけてやってきたその艦娘が《たった一隻》しかいない事と、今の状況にある。

 

「所属を言うっぽ……言え」

 

 海よりも冷たく重い声音。それに似合わない語尾ながら、彼女の身体中から発せられる殺気は有無を言わさぬものがあった。

 哨戒中の艦娘がいるという事は既に我々は泊地の海域に進入しているという事になる。ならば到着もすぐだろう。

 

 ざぁざぁと海上を走る彼女は声を上げながら船上を覗く。

 

 私は彼女から見える位置まで移動し、提督を守るよう前に出る。

 

 多少の警戒こそすれど、心配は殆どしていなかった。

 提督が傍にいらっしゃる事もあるが、何より彼女は――

 

「夕立さん、あなたも、ここへ来たのですね」

 

 船に横付けするように停泊した、空が白む朝焼けのような髪色をした少女。

 緑色の瞳は忘れようも無い。私と同じ鎮守府に所属していた艦娘の一人なのだから。

 

「大淀、さん……? なんで……!」

 

「同じ鎮守府に配属されたのですね。私はこちらの提督をお迎えに行っていたんです」

 

 ふん、と鼻を鳴らして眼鏡を押し上げる。

 前鎮守府では私の他に数隻が左遷された事を知っているが、まさか同じ鎮守府に配属になるとは思わなかった。顔見知りがいるだけで心持も変わってくるというもの。

 夕立は私を見てほっとした顔をしたが、すぐにぎゅっと口を結んで提督を見た。

 

 一秒、二秒……そしてたっぷり十数秒経っても、夕立は何も言わない。

 上官に、それも提督になんて失礼な――!

 

 すぐに咎めたくもあったが、声には出せなかった。

 私は夕立が前提督からどのような扱いを受けていたか知っているから。

 

 駆逐艦である彼女は機動力に優れ、夜間戦闘での活躍も期待できる素晴らしい艦娘だ。

 しかし、前提督は駆逐艦に見向きもせず、戦艦や空母ばかりを多用した。近海警備にさえ戦艦を出撃させた時は流石にやり過ぎだと苦言を呈したが、それに対して返ってきたのは罵声と平手だった。

 

『提督! 近海警備に何故戦艦や空母を出撃させたのですか!? 資材の備蓄も多くはありません……出撃させるなという訳ではありませんが、彼女達はもっと別の作戦に起用すべきです!』

 

『あァッ? 貴様ァ……上官に逆らうつもりか! 考えも無しに私が出撃させていると思うのか! この馬鹿者が!』

 

『痛っ……! し、つれいしました……。しかし、何故――』

 

『我が鎮守府にはこれだけの戦力があると誇示することに意味がある! 深海棲艦の奴らもこれを見せられたらたまったものでは無かろう。下級の深海棲艦のいくつかでも沈めておけば、見せしめにもなろうものよ』

 

『見せしめなど……! 資材の消費に見合いません……高練度の駆逐や軽巡を警備させても同様の効果は得られるのではないでしょうか……』

 

『減らず口を……これだから使えん奴は……。貴様ら軽巡以下は私の機嫌取りでもしていろ。作戦には使ってやるが、機嫌次第だ。それに、駆逐艦の小娘は私の言うことをよく聞くようになってきたぞ? んん?』

 

 にやけ面を思い出しただけで気持ちが悪くなってきた。拒否反応と怒りがお腹の中で混ざり合って吐き出してしまいそうになる。

 あのやり取りの後に、彼女がやってきたんだ――

 

『失礼するっぽ……失礼します! 提督さん、大淀さんの言う通りっぽ……言う事にも一理あるかと愚考します!』

 

『っち……また貴様か、駆逐艦……』

 

『盗み聞きしたわけじゃないっぽ……んんっ、偶然、聞こえましたので。私たち駆逐艦もお仕事出来ます! 哨戒任務も、お任せください!』

 

『おい、貴様。こっちに来い』

 

『はい! ――ったぁ!? う、ぐっ……』

 

 あの時、彼女は私の目の前で同じように平手打ちされ、綺麗な髪を掴まれて鼻先で怒鳴り散らされていた。

 

『貴様は! この軽巡と同じく私の言う事を聞かない欠陥品だ! 貴様が出撃を望むだと? ふざけるな! 出撃命令を下すのは私で、この鎮守府における全ての命令権は私にある! 次にふざけた口調で話しかけてみろ、解体処分にしてやるからな!』

 

『つっ、ご、ごめん、なさ……ひぐっ……痛い、ですっ……!』

 

『ふん……ただの兵器のくせにクソガキときたものだ。胸糞の悪い……』

 

 ……彼女の目を見ていると、その時の事が鮮明に思い出されて胸が痛くなる。

 止めに入った私も夕立と同じように怒鳴られ、結局、その後一時間程の説教とともに営倉に丸一日閉じ込められたのだった。

 

「……」

 

 警戒心丸出しの夕立に対し、提督はおぉ、と声を上げて妖精に「上げてもいいだろう?」と言い出した。

 ぎょっとした私をよそに、提督は私に食事をしようと言った時と同じ明るい声音で夕立に言う。

 

「俺がお前の提督になる。夕立、だよな……? よろしく頼む」

 

「え、ぁ……」

 

 彼女は戸惑いを見せたが、さらに警戒を強めたように船から距離を取った。

 提督は不思議そうな顔をして続ける。

 

「船に乗った方が楽だろう? もしかして、任務中か?」

 

 任務中か、とはまた不思議な事を言う人だ。

 我々は曲がりなりにも軍人であり、仕事をしていない瞬間など一時として無い。

 昔ならば一言くらい挟み込むところだが、私はあえて口を閉じた。

 

 彼なら――何か、考えがあるはずだ、と。

 

「任務中っぽ……です」

 

「そうか。というか何だその喋り方は」

 

「っ……」

 

 だめだ、口を挟んじゃだめだ。

 

「ぽいぽいと……お前――」

 

 でも、彼女は私の仲間だ。昔も、今も。

 提督には彼女を否定して欲しくない。その思いで口を開きかけた時、

 

「元気無いじゃないか。元気いっぱいっぽい! というのがお前の売りだろう」

 

「っぽい……?」

 

 あぁ、やはり黙っていても大丈夫なのだと悟る。

 提督は彼女の事をまるで知り尽くしているかのように語り始めた。

 

「夕立には世話になった。あの夜戦火力には目を見張るものがある。雷装、対潜もかなり優秀で先陣を切るにはもってこいだったからな」

 

 提督の仰っているのはいつの事だろうか。元大将閣下ということもあるのだし、大本営などで記録をご覧になったのかもしれない。かつて彼女が《ソロモンの悪夢》と呼ばれた屈強な艦であったのを知っていても不思議ではない。

 

「任務中にすまなかったな。また後で――あ、いや待てよ……大淀」

 

「っは」

 

 声を掛けられ、脊髄反射で返事する。

 すぐさま敬礼の姿勢をとった私に驚く夕立が視界の端に見えるが、きっと彼女も提督の偉大さに気づいてくれるだろう。

 

「ここから鎮守府は近いだろう? なら、このまま護衛という形をとるのは……まずいか?」

 

「いえ、提督のご指示でしたら問題ありません」

 

「だそうだ、夕立」

 

 にっと笑みを向ける提督。夕立はきょとんとしていたが、数秒して顔を伏せ、小さな声で「任務なら……」と呟く。

 そこから彼女は、顔を上げられなくなった。それは――

 

 

「一緒に鎮守府に帰ろう」

 

 

 きっと、提督は何も意識せずにおっしゃられたのだろう。

 そのお言葉の意味も、何もかもを知っているが――軍人たる提督は夕立にこそ、それが必要であると分かっていたのかもしれない。

 

「帰る……? 捨てられ、たのに……夕立は……夕立、は……」

 

 ただ静かに目を閉じ、私は想う。

 無線をつなげているわけでも無ければ、心のうちが通じて分かるわけでもなかったが、夕立に対して穏やかな気持ちを向けられずにはいられなかった。

 

 私達は欠陥品。だから捨てられた。はじめこそ慕い、仕えていた前提督に。

 

 捨てられた艦娘はどうすればいい。海を漂って、沈むのを待つしかないのか?

 

 また冷たい水底に鉄の身を沈め、光を失うしかないのか?

 

 いいや。違う。

 戦争に怒りの目を向け、私に、私達に慈愛の目を向ける真の軍人である提督はそんな事などしない。だから、大丈夫。

 

「大淀も腹が減っててな。帰ったら夕立も一緒に飯を食おう。な?」

 

 つかの間の穏やかな時間。

 砲身が唸る爆音も、硝煙の匂いも無く、波の音と潮の匂いだけが辺りを包む平和な海で、提督は笑った。

 

 夕立は顔を上げないまま、こくん、こくんと首を動かす。

 私の目には、彼女の顔からいくつかの雫が落ちたように見えたが、気のせいではないだろう。

 

「帰る……帰り、たいっぽいぃぃ……」

 

「そ、そんなに腹が減ってたのか……任務前に何か食べなかったのか? まあ、飯を食ってからでも遅くないだろ。行こう、夕立」

 

「ぽ……ぽいぃぃぃっ……ひぐっ、ぐすっ……!」

 

 提督は軍人として、上官として最高のお方だ。

 しかし、女性を慰めるのは不得意なのかもしれない。私にも夕立にも腹が減っていたのかと誤魔化してくださっているが、女性に対して使う理由にはちょっと……。

 だが軍隊とは元より男気質が強いものなのだから仕方がないのかもしれない。そういうところもまた、愛らしくも感じられる。

 

 ……って、私は何を。

 

「夕立、案内を」

 

 夕立はぐしぐしと目元を拭いながら先導する。

 私と提督を乗せた漁船は、ゆったりとした速度で泊地へと進入していった。




UAが1000を超えておりました……。
読んでくださって本当にありがとうございます。


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六話 すり替え【提督side】

 夕立の先導で到着した柱島泊地の鎮守府は、俺の想像を超えてしっかりとした建物だった。

 あの野郎――名前知らないし、これでいいだろう――が言うに俺は左遷されたのだから、下手をすればあばら家が数軒並んだような杜撰さを極めた所かもしれないと身構えていたのに拍子抜けだ。

 

 いつだったかネットで見かけた呉だか舞鶴だかの赤レンガ倉庫のような造りの建造物は、流石鎮守府といったところ。漁船に乗り込んだ港とも呼べないあの場所とも違う。

 大淀の操縦により漁船は停泊し、先導していた夕立も海から重そうな音を立ててあがってくる。

 

 海から上がると、艤装をその場でガチャガチャと脱ぎ、地面へ下ろす。

 少女の細い腕では持てないだろうと思われるそれがひょいと地面に下ろされた時、ごとん、と恐ろしい音を立てた。

 夕立やべぇ……というか艦娘やべぇ……。

 

「提督、到着しました」

「したっぽい!」

 

「あぁ」

 

 漁船を降り、元気いっぱいになった夕立と大淀に労いを込めて笑みを浮かべておく。

 

 ――その笑みの裏では、期待よりも不安が俺を押しつぶそうとしているのだが。

 

 

 来たばかりの俺や大淀と違い、先立って配属されていたらしい夕立の案内のもと、鎮守府へと足を踏み入れた。

 正面玄関から長い廊下を歩くなか、挙動不審にならないようにと気をつけようとするも、どうしても気になって辺りに視線が飛んでしまう。

 これ、あれだ。アニメの艦これで出てきたみたいな鎮守府そっくりだ。

 

「この鎮守府には、夕立の他にもいっぱいいるっぽい! 言われた任務をこなして、提督さんを待つようにって言われたっぽい!」

 

「そうかそうか、それで任務って言ったんだなぁ」

 

 飯を食おうと言って泣かれた一件から多少心配していたが、夕立はいつのまにやら泣き止んで俺のよく知る夕立らしく振る舞うようになった。

 これこれぇ、俺が知ってる夕立はぽいぽい鳴くぽいぬじゃなきゃなぁ!

 

 全く意識せず、俺の隣を歩く夕立に手を伸ばして頭をぽんぽんと撫でておく。今後も頑張ってほしい。

 

「っ……あ、わ……提督さん、あの……」

 

「お、おぉ、すまん、つい」

 

「大丈夫、っぽい……」

 

 いかん。これは触って喋れるゲームなどではなく、現実だ。失念するな俺。

 ただでさえおっさんと年頃の娘が喋るなんて仕事でも嫌がりそうなものなのに、初対面のおっさんに撫でられることほど不快なことも無いだろう。気をつけなければ。

 

「……提督。あちらが執務室のようです」

 

「あ、はい」

 

 大淀が怒っているような、むっとした表情をして一室を指す。

 ごめんて。もう調子乗らないって。マジごめんて。

 

 そうして到着した一室の前。重厚な木製の扉がある。今日から、この先にある部屋が俺の職場となるわけだ。

 いや、職場は泊地の運営と管理なのだから、鎮守府全体が俺の職場なのか。まぁそれはいい。

 

 扉に手をかけ、そっと開く。

 ふわりと香る、新築独特の香り。

 

「……ふむ」

 

 部屋全体を見回すと、まさに艦これのホーム画面で何度も見たものと似た景色がある。

 ここではしゃいでは夕立と大淀に呆れられてしまいかねない。が、部屋の奥にあるデスクには座りたい。

 

 出来る限り落ち着いて、何も気にしてませんけど? という風を装う。

 ゆっくりとデスクに歩み寄り、木製のそれを手で撫でる。とても良い手触りで、質の良さが窺えるそれにため息が漏れてしまう。

 

 おっと、いかん。落ち着け。気にしていない、はしゃぐこともない。

 デスク正面から回り込み、革張りの椅子を引く。社長室とかでしか見たことのないやつだ。

 今日から俺の椅子かぁ……そうかぁ……。だめだ顔がニヤける。抑えろって俺ぇ!

 

 そして、意を決して椅子に腰を下ろし、ぎぃ、と音を立てながら前を向く。

 俺の目の前には大淀と夕立の姿。

 

「……」

 

 思わず目頭が熱くなる。なんて素晴らしい光景なんだ。

 表情を引き締めて二人に悟られないよう、ちょっと目が疲れたわぁ、という風に指で押さえた後、感動で涙がこぼれてしまわないように話題を変える。

 

 そういえば、この鎮守府は新築と見受ける。

 多少の汚れや雑然さは気にしない俺だが、匂いはいただけない。

 新築物件の独特な匂いも実はそんなに好きじゃない。

 

 俺は大淀に向かって「鎮守府の現状を把握したいが、まずは消臭できるものを頼む」と言った。

 

「は、はっ! ですが提督、その、早速ですが……よろしいのですか?」

 

 不安そうな顔をして俺を見る大淀。夕立は俺と大淀を交互に見て、同じく不安顔だ。

 よろしいも何も、職場が臭いの嫌だろう。そういうのは女性の方がもっと気にするんじゃないのか。

 

「このままでも良いと言うなら、無理にとは言わないが……」

 

 潔癖症でも無いしな。と流そうとした時、大淀はその場で首を横に小さく振ってから俺を見つめた。

 

「い、いえ、失礼しました。提督のお考えもありますでしょうから、すぐに集めてまいります」

 

「え? あ、あぁ」

 

 集めるって。消臭スプレーみたいなのがあれば一つでいいよ。

 しかし大淀も張り切っている様子だし、一番最初の仕事が職場の掃除というのも悪くは無いか。

 

「そこまで多くなくてもいいからな。夕立、大淀を手伝ってやってくれるか?」

 

 ちょっと感動に浸りたいんで一人にさせてほしいわけじゃない。

 違うぞ。

 

「そーんなご用事、夕立の手にかかればぽぽいのぽいっぽい!」

 

 かわいい。ぽいぬは正義か。

 

「夕立、提督に向かってそんな……!」

 

「気にするな。自然体でいればいい」

 

 大淀は少し気合が入りすぎている節がある。職場で上司に気を遣うのは必要最低限の常識だが、慇懃も度が過ぎれば無礼となるのだ。

 俺に対しては自然に接してくれたらいい。仕事と混同せずメリハリさえしっかりしていれば問題無いだろう。

 

「提督が、そう、おっしゃるのでしたら……」

 

 納得してくれたらしい。大淀は理解が早くて助かる。

 では、頼んだぞ。と俺が言うと、二人はすぐに部屋を出ていった。仕事が早いのも好感触である。

 

 しかし、夕立はあれでいいとして大淀はまだ少し堅いな……ああいうキャラだからと言われたらそれまでだが、もっとにこやかに出来ないものか。

 飯に誘っただけで泣かれるし――うん? 待てよ……?

 

 俺が飯に誘った時、泣くほど腹が減ってたのかと思ったが、夕立も泣きそうになってたな……。

 待て、いや、違う、ありえない……ありえて欲しくはない、が……。おっさんの俺と飯を食うのが、泣くほど嫌だった可能性も――。

 

 だめだ感動の涙が苦悩の涙に変わってしまう。やめやめ。想像やめ。

 

 と、その時。

 

 ジリリリリリン! ジリリリリリリン!

 

「おわっ!?」

 

 デスクの上に置いてある古めかしい黒電話のベルが鳴り響く。これ飾りじゃなかったのか。

 飾りなわけないか……いや、そうじゃない。出ねば。

 

 そっと手を伸ばして受話器を持ち上げる。耳に当て、静かに、かつ威厳のある提督らしい対応を――

 

「はい、お電話ありがとうございます! こちら柱島鎮守府でございます!」

 

 だめだ、仕事の癖が抜けねえ……!

 

『……海原くんかね』

 

 数秒の間を置いてしゃがれた声が聞こえる。

 俺の名前を知っている人物――そして鎮守府へ電話をかけられる人物は限られる。十中八九、軍の関係者だ。

 

「はい、私が海原です」

 

 先程と打って変わって警戒の色が滲んでしまう。

 受話口の向こう側のしゃがれ声は、短く、声を潜めて言った。

 

『ワシが知っている海原くんかね』

 

「……意味がわかりかねますが」

 

 ワシが知っている海原って何だ。俺は俺だよ。

 俺は、しゃがれ声が続けた言葉の意味を――理解出来なかった。

 

『くっく……ワシも歳をとった……ありえんと分かっておるのに、どうしても聞きたくなってしまってな。すまん、気にせんでくれ』

 

 いや気になるわ!

 

「気になるわ!」

 

 っておいバカ! おもっくそ口に出ちゃったよ!

 

 声の主はくつくつと笑って、話を続ける。

 

『今の状況もわかっておらんと思うが、手短に説明させてくれ。君は、海原では無いだろうが――元海軍大将の海原鎮として鎮守府を運営してもら――うん……? ま、待て、お前、さっきワシに海原と……』

 

 うーん、何だこいつは。イタズラ電話だろうか。いや、声の感じからして間違い電話かもしれない。

 ボケ老人の可能性も……いや、失礼すぎるな……。

 

「俺が海原鎮ですが……失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 

『同名……? いや、しかし死亡したと……まさか……』

 

 死亡したよ。過労が原因でな! だから誰だよお前ェッ!

 

『天は我が身を、否、我が国を見放しておらなんだか……! ち、ちと話を聞いてくれ海原』

 

「ですから、あなたはどちら様なん――」

 

『ワシは海軍省元帥の井之上だ! いいから話を聞いてくれ、頼む!』

 

「元帥!?」

 

 やっべぇ、上司じゃん……突然、胃がぎゅってした……。

 

 井之上と名乗った元帥が切羽詰まったように言うものだから、俺は黙ってしまう。

 

『どこの誰とも知らん君にこのような事を頼むなど、海軍の長として情けない限りだが、どうか、聞いてくれ。海原鎮とは海軍省の大将だったのだが、海軍内の艦娘反対派によってあらゆる汚名を着せられ暗殺されたと情報が入っておったのだ。しかし横須賀で本人が見つかったと続報も入った。それが君だ。まさか同名とは思わんかったが……ワシは好機と君を海原と偽り、降格としてそこの柱島泊地へと異動させたのだ』

 

 艦娘反対派? 暗殺? ちょっと話が飛躍しすぎて分からないが……この世界に俺と同名が存在していたと。

 だからってどうして俺をそのまま柱島なんかに送るんだ。

 

『元帥の椅子に座るワシも既に飾り……それでも、一人の国民として、また一人の軍人としてこの国を救いたいと思っておる。使えるものは素人であろうが使ってやろうとな。で、して……君もよく知っているだろう、艦娘を』

 

「そ、そりゃ、まぁ……」

 

『君に戦争をさせようとは思わん。しかし、一時でいい、海原鎮として提督となり、各所から弾かれた艦娘の面倒を見てやってほしいのだ』

 

「そんな急に言われましても……井之上さんの知ってる海原さんと俺は、違う人で……」

 

『あぁ、そうだろう。君が横須賀で発見された後、異常がないか軍医とともに君を見た。君は痩せすぎだし、血色も悪い。似ても似つかんが、大将と言えど顔が広く知られているわけでもない』

 

「ぐっ……どうしてその時に起こさなかったんですか」

 

『君は覚えておらんようだが……意識のない君は、うなされるように言っていたのだ――出撃を、遠征を……とな。君は熱心なファンか、愛国者だろう』

 

 俺は死んだ後も艦これの心配してたのか。どうかしてやがる。いや俺の事か。

 しかし……井之上さんが言うように俺が鎮守府の運営をすることになっても、暗殺云々なんて聞いたら怖すぎて仕事にならないではないか。

 

『無闇に電子機器を使ってはやり取りが漏れかねない故に、古めかしいものばかりをそちらに詰め込んでいるが……どうか、老い先短いワシの頼みを、聞いてはくれんか』

 

 井之上さんの声に息が詰まった。俺はどうにもお人好しらしい。真偽が定かでない今、自分を心配するのならば疑ってかかるべきだというのに、疑いたくない気持ちのほうが大きかった。

 ポケットに突っ込まれたままの紅紙を取り出し、改めて文面を見る。別に内容が変わっているわけではないが、この紙切れ一枚を送るのに、きっと井之上さんは縋るような思いだったのだろう、と想像してしまう。

 

「……俺は、どうすれば」

 

 零れ出た言葉に、井之上さんはか細くもしっかりとした声で答えた。

 

『艦娘を救ってやってくれ。彼女らは、かつての英霊が現世に生まれ変わった姿にほかならん。幾人もの同型がいるが、その中でも君の下へ集まっている艦娘達は強く強く、海に平和を求めておる。運命のいたずらか、そんな彼女らは尽く艦娘反対派や心無い者の下に仕える事になり、傷ついてしまった――』

 

「その彼女たちを俺に癒せ、と?」

 

 昔は俺が癒やされるばかりだったのに、今度はその逆をしろと?

 

 井之上さんは『そうだ』と言い、続けてこう言った。

 

『ただし、彼女達に素人だとバレないように頼みたい。ただでさえ我々人類を救い、深海から現れた異形に対抗すべく尽力した彼女らからの信頼は地に落ちている。そんな中で今度は素人の下に配属されたと知れたら、どうなると思う』

 

「そりゃ、良くは無い……ですよね……?」

 

『反旗を翻し、我々は今度こそ絶滅するだろう』

 

「ひぇっ」

 

 深海棲艦に襲われてるこの世界がどうなってるのかさえ分からないのに、そこに艦娘が敵として増えたら何十億人いても確実に殲滅されてしまう。

 俺もなんとなくそう思う。ここに来た時に見た夕立の艤装の重さは持たずとも理解出来る。そんなものを軽々と振り回し、アニメやゲームのような砲撃をばらまかれるなんてたまったもんじゃない。

 

『君に悪いことばかりでは無い。鎮守府を運営しやすいよう、出来る限りの便宜を図る。ワシも改めて、頭を下げに行きたいと思う』

 

 ……ここまで言われては、反論さえする気力も無い。

 

「わかりました……善処します」

 

 そう返すと、井之上さんは本当に嬉しそうに『そうか、そうか』と何度も噛みしめるように言った。

 

 多少の事情は分かったのだ。詳しい諸々も後から調べればいい。状況はやばいが運良くもここは艦これの――艦娘のいる世界。軍人としては素人の俺だが、艦これの知識はあるのだ。やってやろうじゃないか。

 

『これからは中々連絡が取れなくなるかもしれん。視察と称して君に会いに行くのも準備がいる。ワシも反対派に睨まれているのでな……っと、い、いかん。すまんが切るぞ! 健闘を祈る、海原くん』

 

 井之上さんが慌てた様子で一方的に電話を切ったのと同時に、ノックの音。

 

 ぽかんと受話口を見つめてしまう俺だったが、何とか「どうぞ」と言う。

 

「失礼します。提督、準備が出来ました」

 

「お、おう?」

 

 準備が出来たならささっとスプレーしていいよ。と言いかけた矢先、大淀が何も持っていない事に気づく。

 

「では、こちらへ」

 

 どちらへ?

 大淀に促されるままに立ち上がり、その後ろへついていく。

 どこへ行く気なんだと思っていたら、長い廊下を抜け、執務室よりも大きな扉の前に到着する。

 扉の上には講堂の文字。

 

「総員を集めました」

 

 なにそれ!? 俺は消臭するものを集めろって言ったんだよ!

 どう聞き間違えて召集するやつが――あぁ一緒だわ。確かに聞き間違えるわこれ。

 

 って違う! 総員を集めただと!? 俺は井之上さんの話をしっかり整理すら出来てないんだぞ!

 

 そこでふと、井之上さんの言葉が頭を過ぎる。

 

「……大淀、ご苦労」

 

 俺が素人とバレてはだめなのだ――せっかく転生して提督になったと思えば、人類の命運が双肩にのしかかっている……!

 

 

 どうすんだ、俺ェッ!!




あっという間にUAが2000を突破しておりました……恐縮です……。

本日も読んでくださって、ありがとうございます!
誤字脱字の報告もありがとうございます!


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七話 提督が鎮守府に着任しました【艦娘side】

 船上での提督は私や夕立に気を遣っていたのか、柔らかく優しい印象だった。

 欲していた言葉を唐突にかけられたであろう夕立はすぐに提督に懐いてしまい、出会った頃のような天真爛漫さの一部を取り戻したように思う。

 

 距離が近いのは上官と部下としてどうなのかとも思うが。

 それに提督も提督だ。私も夕立も欠陥品として弾かれた艦娘――本来なら警戒して然るべきであり、欠陥品とまで呼ばれたのだから命令に逆らう可能性もあると考慮すべきだ。

 なのに全くの無警戒で夕立を手放しで褒めるわ、頭を撫でるわ……っは、私は何を。

 

 ……それはともかくとして。

 

 鎮守府に到着してから、夕立の案内でまずは提督が休めるようにと執務室に向かった。

 私の思惑を感じ取ってか、ぐだぐだと鎮守府を回ることなく一直線に案内してくれた。

 

 入室したのち、まずは休んでいただいて、着替えもお持ちしなければと考え始めたが、ふと提督の横顔を見て、目が離せなくなった。

 

 ぐるりと部屋を見回す提督は、ふむ、と一声漏らして、懐かしむような表情をしていたのだ。

 ここは柱島に新たに建てられた鎮守府――懐かしむこともできないだろうに、と思ってしまう。

 

 しかし、提督は用意された新品であろうデスクを撫で、息を吐く。

 いや、よく見れば新品ではない……?

 

 小声で夕立に「ここにある備品はどこからです?」と問えば、

 

「夕立が来た時にはもう……持ってきたのは、憲兵さんっぽい」

 

 と小声で返ってくる。

 憲兵が持ってきた……? おかしい。

 海軍省内の秩序維持部隊であり、戦闘支援兵科の憲兵隊がいち鎮守府の、それも呉鎮守府の海路くらいにしか扱われない雑用の溜まり場が如き場所に何故……提督は、まだ何か隠しているのかもしれない。

 

 「……」

 

 ぎぃ、と音がなり視線を向ける。

 そこには、椅子に座って私たちを見る提督の姿。

 

 提督が鎮守府に着任した――私たちの、新たな提督が――。

 

 回りかけた思考の歯車が止まる。

 提督が目頭を押さえ、何かを考え込む仕草を見せたからだ。

 

 何を考えて……いや、まずは休んでいただきたい。

 私に会う前だって一悶着があったのだ、少しでも休息をとっていただかねばと口を開きかける。

 

「ていと――」

 

「鎮守府の現状を把握したいが、まずは召集できる者を頼む」

 

「は、はっ!」

 

 や、休まないつもり……!?

 ここに来るまで都合数時間。私に会う前にも内陸を長時間移動していただろうに、一切休む気配が無いじゃないか……!

 まだ血に濡れたお召し物さえ替えていないというのに――!

 

「ですが提督、その、早速ですが……よろしいのですか?」

 

 思わず出た言葉に、私の横にいる夕立も不安そうに提督を見た。きっと夕立も同じく休んでほしいと思っていたに違いない。

 私たち艦娘は人間の体を持ち、艤装を装着していない時は通常の人となんら変わりない力しかないものの、頑強さは比べるべくもない。

 数日の不眠不休、それに加えて激しい戦闘にも耐えうる体なのだ。銃でさえ私たちに傷ひとつ負わせることはかなわないだろう。

 だが提督は違う。船上で聞いた話と資料での記録、私の予想していることが頭の中で交錯する。

 

 失踪していた元大将――その失踪していた年月、実に六年。

 

 私の予想では失踪では無い。

 海軍省の一部から《逃亡》し、船上で見せてくださった羅針盤……あの技術の悪用を防ぐべく《秘匿》し続けていたのだ。

 一般人ならいざ知らず、軍内で根も葉もない噂が流れるなどという可能性は低い。艦娘のうちでも流れた暗殺説は全てが間違っているわけではなく、一部違っただけだとしたら、彼は暗殺されかけたが《生き延び、逃げおおせた》のだ。

 そうして六年もの間、完全に身を潜め誰にも見つからずに生きてきたのだろう。

 

 どうして再び横須賀に現れ、まして軍法会議にさえかけられず降格処分と異動で済んでいるのかは分からないが――それこそが、提督が未だに隠している秘密であるのかもしれない。

 いつ、どこで捕まるか分かったものじゃない状況を六年も続け、軍に戻ってきたと思えば一切の休息無く今度は欠陥品と呼ばれた私たちを指揮するに至るなど、艦娘の私でさえ倒れてしまう。

 

 よろしいのですか、と聞いた手前だが、やはり少しでも休んでいただきたいと言いかけた私にかけられた声。

 何気ない日常の風景が如く、私を、夕立を気遣う声。

 

「このままでも良いと言うなら、無理にとは言わないが……」

 

 このままでも良いと言うなら……。

 

 ああ、やはり提督は分かっている。私たちがどのような境遇にいたのかを。私が何を考えているのかを。

 自らのことよりも艦娘を優先し、励まそうとしている。同時に、一人の軍人として、上官として、お前はそれで良いのかと問うておられる。

 私は提督の命令ならば何を差し置いても優先するつもりがある。だが、はたしてそこに信用や信頼があるのか?

 違う、あの海の上で揺さぶられた感情だけでは提督の言葉の深くにある真意には届かない。

 

「い、いえ、失礼しました。提督のお考えもありますでしょうから、すぐに集めてまいります」

 

 今はまだそれでいいのかもしれない、と、私はかぶりを振って言う。

 いつか、私が提督のお言葉一つ一つの意味にたどり着けた時、きっと何かわかるのだろう。

 

「そこまで多くなくてもいいからな。夕立、大淀を手伝ってやってくれるか?」

 

 ……どこまでも優しいお方だ。

 

 来たばかりの私では、所属する艦娘とは言え、反発される可能性を考慮なさったのだろう。もしかしたら召集に応じない艦娘も出てくるかもしれない、と。

 先に配属されて顔を見られている夕立を連れていけば多少は話を聞いてもらえると踏んでのご判断――たった一言か二言の間にどこまで思考されているのか。

 

 それに、手伝ってやってくれるか? と夕立に選択肢まで。

 提督ならば、手伝え、で良いというのに、彼は夕立の自由意志を尊重している。

 

 夕立は優しくかけられた声に、嬉しそうに口元を緩め、どんと胸を叩いて見せる。

 

「そーんなご用事、夕立の手にかかればぽぽいのぽいっぽい!」

 

 流石に失礼すぎやしないだろうか……!

 慌てて咎める私に、提督は小さく笑って「気にするな、自然体でいればいい」と言う。

 

「提督が、そう、おっしゃるのでしたら……」

 

 駆逐艦はずるい。私はそう思った。

 って、だから私は何を考えているの……!

 

 わけのわからないことを考えているとバレてしまうかも、と私は夕立を連れて足早に執務室を出た。

 

 

* * *

 

 

「大淀さん、ごめんなさいっぽいぃ……」

 

 部屋を出て、艦娘たちにあてがわれたらしい寮へ行く道すがら、夕立がしょんぼりとして言った。

 

「提督が気にしなくていいとおっしゃったのですから、私も気にしてないですよ」

 

 嘘である。本当は私だって提督に撫でられ……っは、また意味の分からないことを私は……!

 

「そ、そうだ! 大淀さん、あのね! 大淀さんは提督さんを迎えに行くのに別々で出ちゃったから教えられなかったけど、赤城さんや加賀さんも来てるっぽい!」

 

「一航戦のお二人が――! それは心強いですね……まずはそちらに向かいましょう」

 

「っぽい!」

 

 思考を切り替え、夕立についていく。

 執務室のある中央棟から出て暫く歩くと、少し離れた位置にアパートのような外観の建物が見えた。

 あれが艦娘の住まう寮だろう。

 

「夕立のお部屋と大淀さんのお部屋は離れてるっぽい……でもでも! 憲兵さんが色々用意してくれたっぽい! シャワーもあるっぽい!」

 

 また憲兵――いや、今はいい。ともかく、提督のもとへできる限りの人員を集めなければ。

 

 夕立は勝手知ったるという風に寮へ入っていく。

 寮の見た目こそアパートだったが、内部は新築ということもあってか、かなり綺麗だった。

 ニコニコとしている夕立の心持ちも察することができる。

 

 私と夕立、そして未だ会えていない一航戦の二人が所属していた鎮守府では、寮こそあったがボロボロの倉庫を改造したような酷い場所だった。

 風呂のような設備は無く、私たちが温かな湯に浸かるなど夢のまた夢。損傷修復のためにある入渠設備さえ冷水だったのを思い出し、溜息が出る。いいや、溜息しか出ない。

 

 夕立がきゃっきゃと嬉しそうに話す声が廊下に響く中、立ち並ぶ扉の一つがかちゃりと開いた。

 扉からそっと顔を出したのは、話題に上がっていた一航戦が一人、赤城さんだった。

 

「夕立ちゃん、あまり大声で話さな――大淀さん……!?」

 

「赤城さん、お久しぶり……です」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 加賀さん! 大淀さんが……!」

 

 赤城さんはすぐに顔を引っ込め、扉が慣性で閉まる前にがっと手で止め、部屋の中へ声を届ける。

 室内から聞き覚えのあるくぐもったもう一つの声。

 

「赤城さん……何を……大淀さんは捨ててやったと、提督が……」

 

「捨てられたのだと思うのならこちらに来て見てください! 早く!」

 

 普段から物静かな印象だったもう一人の一航戦、正規空母――加賀。

 廊下にうっすらと届く声音は物静かどころか、今にも切れてしまいそうな糸のように細かった。

 それから、たっぷりと数十秒かけて再び顔を出した赤城さんの横には、虚ろな目をした加賀さんがいた。

 ゆるゆるとした動きで瞳を動かし、赤城さん、次に夕立を見て、疲れたように、はぁ、と息を吐く。

 

 だが、次に私を見た時、幽霊でも見たような顔をしてぱくぱくと口を動かす。

 

「おお、よどさん……!? ほ、本当に……? あな、あなた、生きていたの……!?」

 

「加賀さん、お久しぶりです。前提督にどのように言われたんですか……まったく」

 

 生きてますよ、と腰に手を当てて眼鏡を押し上げてみせると、加賀さんは転びそうになりながら私に駆け寄り、手をとって早口でまくし立てた。

 

「提督から邪魔だったから捨ててやったと聞いて、私、私……! あなた、どこで何をしていたの……!」

 

「新規鎮守府に着任する私たちの新しい提督を迎えに行ってたんです。異動の手続きも何もかも放り出されたので、私が自分で諸々の準備をしていたのですよ。元の提督が私に用意したのは現提督を迎えに行くための船一隻のみでしたからね」

 

「そう、だったの……でも、良かった……また、生きて会えて」

 

「……はい」

 

 握り合う手に力がこもる。生きて会う――当たり前のようで、当たり前じゃないこと。

 あの鎮守府で酷使され続けていた空母勢の中でも、一際強く八つ当たりされていた一航戦は自分たちの信念を決して曲げない強い艦娘だ。二人を育て上げたある空母から受け継いだ性質か、前提督の無理難題に対してもできる限り穏便に、しかし真っ当に意見していた。

 当然、前提督は一航戦に激しく怒り、そこから事あるごとに一航戦に罵声を飛ばしていた。

 

 誰が聞いても気分の悪くなるような言葉の羅列は、前鎮守府のヒエラルキーをより明確化した。

 下劣な命令でも喜んで従い前提督の味方をする艦娘は何をせずとも戦果を得る。

 敗北しながらも何とか生還し、こうすればよかったかもしれない、ああすれば状況は変わったかもしれないと真面目に報告書を作り意見した艦娘は反乱分子として扱われる。

 

 無論、私も、夕立も、一航戦の二人もヒエラルキーの最下層にいた。

 

 故に、生きることに対しては何よりも執着した。

 

 それなのに、生きて会えて良かったという加賀さんから生気を感じられなかった。

 どうしてと問う前に、加賀さんがぽつりと洩らす。

 

「もう、思い残すことは無いわ……私は、これで……」

 

 続く言葉は予測出来た。だから、力のこもる加賀さんの手を小さく振って言う。

 

「一航戦のお二人が必要です」

 

「大淀さん……あなた、なんで、まだ……」

 

「まだ終わっていないからです。私たちの新しい提督が、召集をかけておられます。提督は無理にとは言わないとおっしゃられましたが、私は行きます」

 

 確固たる意志を込めて言うと、加賀さんは今にも崩れそうな表情で私を見る。

 私の言葉に追いすがる夕立の声。

 

「夕立も行くっぽい! 赤城さんも、一緒に行きましょう?」

 

 赤城さんはあからさまに嫌そうな顔をして、目を伏せる。

 

「私たちは、もう……守るべき人など……」

 

「いいえ、居ます」

「いるっぽい!」

 

 私と夕立の声が重なる。

 

「提督さんは、あの提督さんと違うっぽい! ま、まだ本当に、良い人かは分からないけど、でも……でも、夕立に、帰ろうって言ってくれたの!」

 

 そう、彼は誰よりも優しい心を持っている。

 

「お二人は新しい提督がどのような方だかご存知ですか?」

 

 二人に問えば、こくりと頷きが返ってくる。

 赤城さんが、思い出すようにして言う。

 

「海軍省付の元大将……ですよね。それも、艦娘を故意に轟沈させるような……!」

 

 後半につれ強くなっていく語気だったが、私は首を横に振る。

 

「お二人も相当にやられて、正常な判断がつかないのですね。一航戦のお二人ならば、すぐに冤罪だと分かりそうなものですが」

 

「「冤罪……?」」

 

 二人の視線を受け、確証はまだ無いが、と前置いて提督の来歴を話した。

 

 ある技術を発見してしまい、身の危険を感じてその技術を秘匿すべく軍から姿を消したこと。

 それは私たち艦娘と密接な関係にある、かつての艦の魂そのものとも呼ばれた妖精が操るものでもあり、下手をしなくとも現在の戦況がひっくり返るような代物であること。

 二人も知っての通り、艦娘反対派の存在する海軍の一部には決して渡ってはならないものであり、提督は挺身して技術と、ひいては艦娘を六年もの間守り通したこと。

 私と出会ったときも、悪あがきに暴力を振るわれたであろう提督は、血に塗れても決して折れず、揺るがず、軍規と仁義に従い前を見ていたこと。

 警戒していた夕立に臆すること無く、頭を撫で、任務に従事したことを褒めたこと。

 

 話しながら熱が入ってしまった私の声に反応したように、視界に入る夕立の目が潤んだ。

 両手で自分の頭を触り「あれは、嘘じゃないっぽい……」とつぶやく。

 

「一目でいいのです。どうか、提督に会っていただけませんか」

 

 沈黙。それから――

 

「……分かりました。連合艦隊を率いたあなたが言うのなら、従うわ」

 

 加賀さんの言葉に、赤城さんが続く。

 

「そうですね……。それに、私たちは艦娘……死地へ出向くのも、戦場へ出向くのも、変わらないですもの」

 

 まだ虚ろな目をしている赤城さんだったが、私は確信していた。

 あの提督を見れば、必ずその目に光が戻るだろうと。

 

「提督は多くを集めなくても良いとおっしゃられましたが、私は総員を集めたく思っています。一航戦の力を、貸してください」

「ゆ、夕立からも、お願いするっぽい!」

 

「それは良いですが……その必要は無いかもしれないわ」

 

 加賀さんが視線を泳がせた。それを追うようにして顔を動かせば、廊下に並ぶ扉のいくつかから顔が覗いていた。

 一人は、歴戦の軽空母――鳳翔。

 

「今の話は、本当、ですか?」

 

「鳳翔さん……はい、私の推測もありますが、冤罪については間違いないでしょう」

 

 もう一人……一瞬、覇気が無さ過ぎて目を疑ったが、制服を見るに間違いなく……戦艦、長門。

 

「騒がしいと思ったら、新しい提督だと……? ふん、どうせ変わらん……また、仲間を沈めるような輩だろう……」

 

「長門さん……ですよね……? いいえ、あの方は決してそのような事はしません。この大淀が保証します」

 

「お前が保証したからと言ってどうなる……? 私が、お前を信用しているとでも?」

 

「それは……。いや、あの方は違うと断言出来ます。もし長門さんの仰るような方であらば、私の身を如何様にもしていただいて構いません!」

 

「ほう……?」

 

 提督を見てほしい。そして、知ってほしい。

 一言でもいい、話して欲しいという一心だった。

 

 たかが六年、されど六年、提督はたった一人で艦娘のために戦っておられたのだ。

 私の身一つ程度では対等にさえならないと思うが、それで召集に応じてくれるならいくらでも差し出そう。

 

 説得とも呼べない、身も蓋もない懇願に近い言葉に、長門さんも、鳳翔さんも、ふむ、と逡巡を見せる。

 そして、

 

「……分かった。他の戦艦たちは私が連れて行こう」

 

 長門さんの目には「違えれば、分かっているな?」という暗い光があったように見えるが、私は頭を下げる。

 

「ありがとうございます。では、一航戦のお二人は……」

 

 と、私が空母を誘って欲しい旨を伝えれば、了承を得られた。

 鳳翔さんも「赤城ちゃんや加賀ちゃんが行くなら、私が行かないなどとは言えませんね」と渋々ながら応じてもらえた。

 

「助かります、鳳翔さん。残りの艦種は私と夕立さんで回ってきますので、集合場所は広いところで――」

 

「講堂があるっぽい! そこならみんなが来ても大丈夫!」

 

「――では、講堂で待機をお願いします。全て回ったら、提督をお呼びしますので」

 

 ただ召集をかけるだけでこの労力。なんて重たい一歩か。

 しかし、この一歩が必要なのだ。なんとしてでも提督に繋げねばと気合を入れ直す。

 

「夕立さん、次の場所へ案内を」

 

「軽巡と、重巡と、駆逐艦と……潜水艦と、あっ、あと明石さんも!」

 

「……随分と、捨てられてしまった艦娘が多いですね」

 

「……ぽいぃ」

 

「同じ艦でも、自分の言うことを聞く艦娘の方が良いのは当然、ってところでしょうか」

 

 自嘲気味に笑ってみせたが、夕立にいらぬ不安を与えてしまったかと謝罪する。

 

「すみません、夕立さん。提督はそんなことしない方ですから、ね?」

 

「そう、よね……だよね! 夕立は提督さんを信じてみたいっぽい!」

 

「っふふ。私もです。さぁ、まだまだ回りますよ」

 

「っぽい!」

 

 私達のやり取りを見ていた鳳翔さんが、小さな声で呟いた。

 

「そんな方が、本当にいればよいのですが……」

 

 いるんですよ、と返したかったが、私はあえて何も言わず、提督の任務を遂行すべく寮を行く。

 これは、私へ課された試練。

 そして、提督の器量を見るためのものでもあるのだから。

 

 

「……きっと、提督ならば――」

 

 

 変えてくれるはず。私たちを。運命を。

 人類が危機に瀕する、戦争そのものを。



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八話 提督が鎮守府に着任しました②【艦娘side】

 空母を始め、戦艦、各巡洋艦、潜水艦や駆逐艦の部屋を回りきった私はどっと疲れが出てしまい、額に手の甲をあてて溜息を吐いた。

 空母や戦艦は鳳翔さんと長門さんというリーダー的な存在が声かけしてくれたお陰でスムーズに了承を得られたが、巡洋艦と潜水艦には骨が折れた。

 

『私だけでなく北上さんまで捨てた人間に味方しようってわけ? あんた、なめてんの……!?』

 

『まぁ、大井っちの言う通りだよね~……もうさ、良くない? 戦わせるだけ戦わせて、成果が得られなきゃ全部悪いのはあたしたちのせいでさ。大井っちじゃないけど、作戦が悪いとかも考えてくれないじゃんか』

 

『それに、低劣極まりない目で私たちを見る、あんのッ……!』

 

『大井っち……。ま、そういう事だからさ、悪いけどあたしたちはパスかな~。召集に応じなかった罰があるっていうなら、解体でもなんでもしてって伝えてよ~』

 

 という具合に、取り付くしまもない。

 それでも、それでも、と土下座までしてみせた。

 流石に目の前で土下座されては、と二人は『行くけど、行くけど! 言うことを聞くかどうかは別だから!』と不承不承ながら了承してくれた。

 

 

 数も多くなく貴重な戦力たる潜水艦に至っては、せいぜい一隻か二隻いればと夕立に聞けば、なんと五隻も所属しているというではないか。

 どのような境遇に置かれていたのかは分からないものの、ここでならば活躍も出来るぞと説得の言葉を組み立てていた私の目論見は、見事に外れることとなった。

 

 私が見た彼女らはボロボロの状態で部屋から出てきた。入渠しないのかと聞いても、許可が無いの一点張りで全員の目は死んだ魚より暗かった。

 そう、彼女らは単純に酷使されたのだ。かろうじて会話は出来るものの、艦娘同士で話しているという感覚は無く、聞かれた事に答え、言われた事に従うだけとなる程に。

 

 それが顕著だったのは、伊号第百六十八潜水艦――通称、イムヤだ。

 

『イムヤさん、召集がかけられて――』

 

『任務……?』

 

『任務というほどでも無いですが、新たに着任された提督が我々に会いたいとおっしゃっています。来ていただけますか?』

 

『……』

 

『イムヤさん? あの……』

 

『……任務?』

 

『えっ……あ、あの、ですから、提督が召集を――』

 

『……』

 

『イムヤさん、聞いてないっぽい……』

 

『う、うぅぅん……! イムヤさん、任務です! 提督が召集をかけております!』

 

 思い切って話を合わせて見れば、状況は悪化するわ――

 

『っ……! す、すぐ、すぐに出る、出ます、出ますからぁっ……ひっ、ひぐっ……資材、集めなきゃ……叩かないで……うぅっ……』

 

『あ、あぁぁ……違うんですイムヤさん! 提督があなたにお会いしたいと――』

 

『い、いやぁっ……! もう、解体してぇっ……! ぐすっ……うっ……』

 

 ――思い出すだけで胸が痛い。

 その後、同室だったらしい伊号潜水艦八号や、五十八号、伊二十六、伊四十七がイムヤの泣き声を聞きつけて転がり出てきてからも、一悶着。呼びに来ただけの私と夕立はイムヤに危害を加えたと勘違いされ、危うく乱闘になってしまいかけた。

 

 何とかイムヤを宥めて、伊号潜水艦の皆から話を聞いてみれば、彼女たちは前に所属していた鎮守府で一切の休み無く遠征に行かされていたらしい。それだけならば資材の備蓄が無い鎮守府でもよく見られる光景とも思ったが、彼女たちの口から出てきた事実は私の想像を凌駕していた。

 

 彼女たちは、一度として補給をさせてもらえなかったというのだ。

 

 私たちは不眠不休で働ける頑強さを備えているが、それには補給行為が必要不可欠である。もちろん、艦娘として行動しないのであれば燃料や弾薬の補給は必要無い。何せ艤装を使用しないのだから。直接、燃料や弾丸を経口摂取するわけじゃないのだ。

 

 補給していないならば、いくら低燃費の潜水艦と言えど行動は不可能では無いのかと言葉を返したものの、それがイムヤのトラウマを抉ることとなった。

 五十八号曰く、

 

『ゴーヤたちは、遠征で取ってきた燃料を少しずつ分け合って、何とか行動してたんでち……でも、そうすると提督に少ないって怒られて、また遠征に出て……皆怖くて何も言えなくて……燃料の補給を進言してくれたのは、イムヤだったの』

 

『そんな、ことが……』

 

『イムヤは提督に連れて行かれちゃって、そこから、ずっとこんな調子で……』

 

『……』

 

『も、もうイムヤに無理をさせないでほしいでち! 応じなければ罰があるっていうなら、ゴーヤが代わりに全員分受けるでち! だから、だからぁっ……!』

 

 五十八号の縋る声に、過去を思い出したのか息を殺して震える八号。

 無理にとは言わないが……ここに来て提督の言葉をじわりじわりと理解する。

 

 彼女たちに反発されるかもしれないから、という私と夕立への心配がひとつ。

 各鎮守府でトラウマを植えつけられた彼女たちへの心配がひとつ。

 

 そういうことか、と理解したとて、時すでに遅し。

 私は地雷を踏み抜いてしまったのだった。

 

 提督に言われた事をこなせない、私は……と落ち込みかけた時、夕立が、どん、と自らの胸を叩いた音ではっとする。

 

『あの提督さんは、きっと無茶なんて言わないっぽい! 大淀さんじゃないけど、もしも提督さんが無茶を言って来た時は、夕立が代わりに言ってあげる! それで怒られても、ぜ~んぶ夕立が悪いって言ってもいいっぽい!』

 

『夕立さん……』

 

 駆逐艦に庇われ、励まされるなんて……いや、艦種など関係ない。彼女は前も今も、私の仲間で――目の前で恐怖に震える潜水艦の皆も仲間なのだ。

 

『わ、私も夕立さんと同じく代わりに怒られましょう! ですから、どうか提督にお会いしていただけませんか』

 

 このようにして寮を駆け回り集めた艦娘――総勢百隻余り。

 

 駆逐艦に至っては一棟丸ごと駆逐艦寮としてあったものだから眩暈がしたが、夕立が率先して口を利いてくれたことで何とかなった。

 

 全員を講堂に集め、夕立を信用し『提督を呼んできますので、夕立さんは講堂の皆さんをまとめておいてください』と言うと、夕立は目を輝かせて私を見つめて返事をしてくれた。

 

『~~~~っ! 任されたっぽい! 提督さんのお手伝いも、大淀さんのお手伝いも、ぽぽいのぽいっぽいよ!』

 

『……頼もしい仲間がいて、誇らしいです』

 

 私は夕立の頭を撫でた後、思わず強く抱き寄せる。

 

『わわっ……大淀さん……』

 

『頑張りましょうね、夕立さん。諦めないで、生きましょうね』

 

 それは、夕立に向けてというより、自分に向けた誓いだった。

 

 

* * *

 

 

 提督を迎えに執務室まで戻った時、扉の向こう側から声が聞こえた。

 

『わかりました……善処します』

 

 船の上で聞いたものと、同じ言葉。

 電話をしているのだろうか。何を善処するというのだろうか。

 

 ――盗み聞きすべきでは無い、と頭を振って、ノックする。

 

『どうぞ』

 

 扉を開くと、やはり提督は受話器を片手に持っており、こちらを見ている。

 

「失礼します。提督、準備が出来ました」

 

「お、おう?」

 

 ……仕事が遅すぎたか。

 提督が私に向ける目が少し困ったようなものに見え、しゅんとしてしまう。

 いいや、ここで落ち込んでいる場合では無い。提督に言いつけられた事は何が何でも必ず完遂せねばと前を向き、提督を講堂へと案内すべく頭を下げた。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

 

 講堂までお連れする道すがら、ちらりと横目に提督を見る。

 提督の表情はどこまでもリラックスしており、一見して隙だらけのように見えた。欠陥品と呼ばれた艦娘が詰め込まれた鎮守府で、人間は提督ただお一人。

 艦娘が一隻で深海棲艦の群れに取り残されているような状況と変わらないというのに、どうしてここまで肝が据わっているのか……。

 

 しかし、講堂に到着して総員を集めた事を伝えた瞬間、その隙は消え失せる。

 

「……大淀、ご苦労」

 

「っは」

 

 私は身震いした。

 軍令部の者に対し侮蔑するような、怒りの目を向けていた時に見せた軍人然とした空気が辺りに充満する。

 

 まるで空気そのものが鉛にでもなったかのような覇気――。

 

 提督は軍帽を被りなおし、さっさと手で軍服を整えた後、扉を開く。

 この講堂こそ、この鎮守府における、提督における最初の戦場とでも言うように。

 

 扉の先には、艦種別にずらりと並ぶ艦娘一同。

 夕立が考えて並ぶよう呼びかけてくれたのだろう。

 艦娘たちは血に汚れた軍服姿で現れた提督に一瞬ぎょっとしていた。

 

「――ふむ」

 

 執務室に入った時のような懐かしむような声を漏らす提督。

 だが、身に纏う覇気は一切ぶれることが無い。周囲の艦娘も何かを感じ取ったのか、提督を見ようと身体を向ける。

 

「楽にしてくれ」

 

 そう一言おいて、提督は革靴の音を鳴らしながら部屋の端を――いや、艦娘が並ぶ中央を突っ切って……!?

 

「ふむ、軽空母に正規空母……戦艦に軽巡、重巡……潜水艦までいるのか」

 

 軍帽のつばから覗く眼光は、艦娘を委縮させるに十分な威力を発揮した。

 艦娘の数をものともせず、その中を歩きながら一目で艦種を見抜き数えるように顔を一人一人見ていく提督の、なんと恐ろしいことか。

 

 艦娘は、その数の多さから名前を覚えてもらえないことが多い。

 

 艦種こそ見た目で予想出来るかもしれないが、どの艦娘がどのような名を持っているのかなど、提督に分かるのだろうか――?

 

 私の不安をよそに、提督は講堂の最奥までやってくると振り返り、数秒沈黙。

 そして、突然、つらつらと言った。

 

 まだ短い時間ながらも、その中でも一緒にいた時間の長い私さえ初めて聞くような冷静かつ、身体の芯を打つような声。

 

 私は咄嗟に『ああ、これこそ、提督の本当のお姿なのか』と思う。

 

「本日より柱島泊地、柱島鎮守府に着任する海原鎮だ。よろしく頼む。早速だが新規の鎮守府ということで君達たちの中から数名に仕事を任せたい」

 

 講堂内はにわかに騒めく。

 それもそのはず。挨拶だけかと思いきや仕事を振られるなんて。

 

「まず……明石と夕張は前へ」

 

 歩いて流し見ただけで、所属の艦娘を把握した……!?

 い、いや、まさか。そんなはずはない。記憶力の良い私でさえあんな短い時間に誰がいるかなど覚えきれない。

 

 提督の呼びかけに、おずおずと出てきた明石と夕張。

 提督は「ほう」と声を漏らしてまじまじと二人を見る。

 

 明石と夕張は、前の鎮守府で戦闘の役にも立たず、兵器開発なども満足に出来ないと捨てられた過去を持つ。

 二人は提督に認めてもらえるように最大限の努力をしたらしい。

 寝る間も惜しんで限られた資材の中で私たち艦娘の使う兵器の改良を続け、夕張自身が実験的に装備して近海で射撃を行ったりと、それはもう精力的に取り組んだ、と。

 開発や改良に使う資材はもちろん提督に申請を通したもので、許可がおりたはずだったらしいが、失敗すれば無茶な補填を言いつけられたらしい。

 

 艦娘の使う装備、ならびに艤装を扱うのには相当な技術が必要になる。

 

 私の艤装は私にしか扱えないように、艦娘それぞれの艤装は基本的に本人しか扱うことが出来ない。

 それが出来てしまうのが、あの二人だ。

 

 だが、前提督は『壊れたら入渠して治せばいいのだ!』と二人の持つ技術を重要視せず、あまつさえただ飯食らいと晒し上げたのだとか。

 

 明石も夕張も不安そうに顔を伏せているが――提督の声に、えっ、と間抜けな声を上げることとなった。

 

「工作艦明石、および兵装実験軽巡夕張は工廠における一切を任せる」

 

「えっ」

「えっ」

 

 二人の声が重なる。

 

 あわあわと言いながらも、先に言葉を組み立てたのは夕張だった。

 

「わ、私はただの軽巡洋艦で、そんな、兵装実験なんて――!」

 

「違ったか? お前ほど兵装に詳しい者はいないだろう。対艦、対潜、対空と隙の無い万能な艦娘だと記憶しているが」

 

「い、いやっ、私なんて、足も遅いし、弱いし……っ」

 

「何を馬鹿なことを。何も海の上で活躍する事だけが能じゃない。知識の飽くなき探求は、必ず役に立つ。明石とともに工廠についてくれないか」

 

「っ……」

 

 夕張は混乱した表情で明石に助けを求めるように視線を投げる。

 視線を受けた明石は、ぐっと身を前に出し、眉をひそめて提督を見た。

 

「私たちの記録でも見たのでしょうが、いきなり工廠の責任者になれなんて、聞けません」

 

 明石の言は、ある意味もっともだった。

 着任したばかりの提督が、その責任の一部を初対面の部下に投げているのだから。

 しかし提督は驚くべき一言で明石を黙らせる。

 

「資材の管理は大淀に一任するつもりだ。大淀とよく話しあって開発を進めてほしい。何かあれば全て私が責任を取る」

 

「なっ……し、信じられません、そんな……」

 

 俺、では無く『私』と言っていることにも驚いたが、あれはきっと軍人としての提督の一人称なのだろう。威厳が溢れている。

 しかもナチュラルに私にまで仕事を……!

 それに加えて責任者にしておきながら、何かあれば提督が責任を取るなんて無茶苦茶な、という明石の気持ちも理解できる。そんな都合の良いことあるはずがない。

 

「だが工廠は二人に任せたいんだ」

 

 返答を聞かない、という物言いに聞こえるが、任せたいんだというお願いの言葉が出てくるあたり、やはり提督の内にある優しさは隠せないらしい。

 思わず緩みそうになる頬だったが、ぐっと奥歯を噛みしめて耐える。

 

「……どうなっても、知りませんから」

 

 ぼそりとそう言った明石だったが、工廠を任されたことに対してどこか喜びが滲んでいるような雰囲気があった。同じく、夕張にも。

 

「明石には泊地修理も頼みたいからな。仕事が多くて申し訳ないが、頼りにさせてくれ」

 

 そう言った後、提督は二人を下がらせて続ける。

 

「次に、給糧艦の二人はいるか。間宮と伊良湖だ」

 

 ここまで来ては、もう疑いようは無い。

 提督はどうやらこの場にいる艦娘を全て把握しているようだ。

 

 呼びかけに、明石や夕張と同じように恐々とやってきた二人の姿。

 割烹着に身を包んだ、戦場に似合わない、しかし戦場に不可欠の二人だ。

 

「は、はい……間宮、ただいま、こちらに……」

「伊良湖、です……」

 

 二人を見て、提督は同じように「ふむ」と漏らし、指示をする。

 

「お前たち二人にはこの鎮守府の台所を任せる。戦闘糧食以外にも普段から世話になるが、頼んだぞ」

 

 あまりの自然さ、あまりの的確さ、迷いの無さに周囲の艦娘たちの雰囲気がどんどんと懐疑的なものから、別の何かへ変わってくる。

 

「し、しかしっ、提督は艦娘の作った料理など、お口には……」

 

 伊良湖がそう言うと、提督はここに来て初めて驚愕という感情を見せた。

 

「は、はぁ!? 感謝はしても嫌がるなんて、あるわけないだろう! 人の作った食事がどれだけ活力を与えると思ってるんだ!」

 

「ひっ!? あ、あのぉっ……!?」

 

 二人がびくっと肩を跳ねさせる。周囲も、私もだ。

 周りは理解できないだろうが、私は何となくわかっていた。何故そこまで食事にこだわるのか。

 提督の過去を記録から予想している私だからこそ。

 

 血肉を作る食事は基本中の基本である。

 恐らく、提督はそれが限界まで制限されていたのだ。

 故に、手作りの料理のありがたさを誰よりも分かっている。

 

「……っ、す、すまん。取り乱した。とにかく、お前たちが本領を発揮できる台所こそ、お前たちの戦場になる。頼めるか」

 

 あんなに感情をあらわにされては断れるはずも無い。

 それに、間宮は提督の感情の高ぶりに触発されたのか、薄く笑みを浮かべて口元を手でおさえながら肩を震わせていた。

 

「ふふっ……はい。分かりました。では、この鎮守府の食事は私達が任されましょう。ね、伊良湖ちゃん」

「間宮さんが、そういうなら……」

 

「お、おぉ……そうか……! 楽しみに――んんっ、き、期待している」

 

 咳払いして言い直した提督。間宮と伊良湖の目に宿っていた怯えや恐怖は既に無く――あるのは――

 

「美味しい料理を振舞いますから、私たちのこと、お願いしますね」

「……です、ね……はいっ。美味しいデザートだって作っちゃいますから!」

 

 ……なんという人心掌握術か。

 私は提督の怒りの面を見た。そして、夕立に向けられた慈愛を見た。

 自らをただ晒すわけでなく、状況を考慮してこうも心を惹きつけるとは……。

 

 もしかすると自然な振る舞いをしているだけなのかもしれない、とも思うが、それはあり得ない。

 この講堂に入る前の提督の表情と違い過ぎる。

 

 これが、六年ものあいだ海軍省の目を欺き続けた強者の振る舞い――!

 

 道化を演じ、道化と思い込み、道化として存在する。

 その根底にある煮え滾る怒りと、我々艦娘を守り通す誠実さが陰と陽として完全にバランスを取りあのお方を形作っている――。

 

 提督の境地を、まるで想像できない。

 

「これはのちに通達するが、この泊地の近海警備のローテーションを組むつもりだ。軽巡、駆逐艦を中心にするから、そのつもりで。次に空母についてだが、空母の一部を近海警備に組み込む」

 

(空母を近海警備に……?)

(やっぱり、変わらないんじゃない……)

 

 どこからともなく聞こえてくる囁き声。

 提督はそれらを予想していたように言葉を続けた。

 

「何も空母に遠出して回ってこいと言うつもりじゃない。お前たちの艦載機は何のためにあるんだ」

 

 それに声を返したのは、一航戦の赤城さんだった。

 

「――遠距離索敵をせよ、ということですね」

 

 そうだ。と提督は頷き、続けてこうも言った。

 

「艦載機を発艦させるのも見てみたいしな」

 

 それは――ある意味、空母勢への宣戦布告。

 欠陥品と呼ばれた空母たちに向けられた、試練の一つ。

 

 そう理解した瞬間、空母の並ぶ一列の中からおぞましいほどの殺気が立ちのぼった。

 身じろぎひとつしたわけでもないのに、艦娘全員がそちらを見る。

 中から、細くも強い――鳳翔の声。

 

「……我々空母がどれほどの力量か、見てみたいということでしょうか」

 

 今にも屈してしまい、背を向けてしまいそうなほどの殺気は、鳳翔のほか、その横にちょこんと立っていた軽空母、龍驤からも。

 空母の中でも古参の二人から発せられる殺気を受けてなお、提督は飄々としていた。

 

「力量というほど大袈裟なものじゃなくていい」

 

 ここまで言うと、鳳翔と龍驤からの殺気が若干だが和らぐ。

 

「ちゃんと考えあるんかいな」

 

 龍驤が問えば、提督は――溜息を吐き出した。

 何もそんな煽るような……! と私が危惧するまでもなく、龍驤は「あー……」と頬を指でかいて言う。

 

「悪い、ちょっち失礼過ぎやな。……わぁっとる。ちっと試しただけや」

 

 何を試したのか……?

 私の疑問に答えたわけではないだろうが、龍驤は鳳翔に対して「ありゃあかんわ。うちらでも太刀打ちでけへんで」と言ってから、改めて提督を見つめる。

 

「駆逐と軽巡を上空から援護……ほんで、近海警備は毎日のローテ……空母の発艦訓練と一緒くたにせえっちゅうんやろ?」

 

「……」

 

 提督はニヤリと不敵に笑って見せた。

 

「なんや、けったいな提督かと思ったら、鳳翔より鬼ときたもんや。なぁ?」

 

 よもや通じ合った……? わ、私もまだ提督の御心の全てを知らないというのに……! って、違う違う、何を考えてるの私は……。

 

 名をあげられた鳳翔は「龍ちゃん、私は鬼とか、そんなんじゃ……!」と形無しに縋る。

 

「空母の発艦は色々や。弓道型、からくり型、うちのような陰陽型……発艦訓練なんてしようと思たら、それぞれの場所を用意せなあかん。仮に弓道場を使ったとしても、うまくいかんこともあるやろ。提督はそれを、任務と並行せえ言うんや。失敗して発艦できんなんてこたあ無いやろが、うちらの失敗は即、警備艦隊に繋がる――」

 

 ざわり、と空気が動く。

 

「――遠方索敵なら動くことも無いから、うちら自身の燃費は関係ない……仮に燃料やら弾薬やらをどさっと消費することがあったら……そりゃ戦闘があったらの話に限られる。提督ぅ……えらい頭切れるやん……? えぇ……?」

 

 不敵な笑みを浮かべ続ける提督に、龍驤は額に汗を浮かべて笑みを返す。

 空母の中でも艦娘全体でも古参の龍驤を、ここまで圧するのか、提督は……!

 

「なに、そこまでは考えていない。だが龍驤の提案は素晴らしいものだ。それを採用するとしよう」

 

「なっ……! っち、食えんやっちゃで、ほんま……!」

 

 自分で立てたものじゃない手柄を、わざと掴ませるような真似……完全に手玉に取られた龍驤から笑みは消え、代わりに顔を真っ赤にして声を荒げる。

 

「うらぁ! お前らぁ! 明日から特訓や! 手ぇ千切れても止めへんからな……目にもの見せてやるで! ええなぁ!?」

 

「「「応ッ!!」」」

 

 龍驤を中心に、鳳翔や一航戦、二航戦に五航戦、水母までもが大声を上げる。

 提督を見れば、実に満足そうな表情で――あぁ、やはり、あなたは違う。

 

 意気消沈していた加賀さんの目には、いつのまにか闘争の炎が宿っており、並ぶ赤城さんにも伝播している。

 

 感情が、心が、艦娘たる魂が燃え上がっている。

 

 今こそ、立ち上がる時なのだと。

 

「では、次に戦艦と重巡だが……鎮守府内外の規律維持のために動いてもらう」

 

 提督から語られる任務に一切の無駄は無く、人間に対して強く不信を抱く戦艦と重巡に自らを監視する役目を与えた。

 深くは言及しなかったが、不安ならば好きなだけ自分を監視し続けろというのだろう。

 

「我々に危害を加えられるかもしれんというのに、貴様はそれでいいのか?」

 

 戦艦勢の中から上がる長門の低い声に、提督は恐れずに言う。

 

「危害を加えるのか?」

 

 直球過ぎる返しに、長門はぐっと言葉を詰まらせた。

 次には、感情の片鱗を見せる怒鳴り声。

 

「我々は! 危害を加えられたのだ! 我らが守るべき対象に! その気持ちが貴様に分かるのか!」

 

 ……その通り。一分の隙も無く。

 しかし提督は単純な一言でまたも長門の言葉を詰まらせた。

 

「分からん」

 

「っ……! ならば! 貴様に我らを語る資格など――ッ!」

 

「一度も語ったつもりは無い。私はお前たちが出来る仕事を、出来るように振っているだけだ。お前が私に危害を加えることが仕事だと言うなら、それもいいだろう」

 

「なぁっ……!?」

 

 長門に投げられる、言葉の奥に秘められた問いの真意。

 人間に危害を加える……仕事ならば、それでいい。

 

 それをしてしまったら――私たちは、深海棲艦と同列となる。

 

「わ、我々はっ……私はっ、そんな事……!」

 

「私はな、長門――」

 

 

 

 

 提督は、唐突に語る。

 

 それはのちに、我々艦娘の間で長く語り継がれることとなる、伝説の一端。

 

 

 

 

「私はずっとお前たちに救われてきたんだ。どんなに辛い時も、どんなに苦しい時も、私にはお前たちがいた」

 

「私は、貴様など知ら――」

 

「あぁ、そうだろう。顔も知らなければ名前も知らない。私が一方的に知っていただけだ。私が仕事に疲れた時。私が理不尽な目にあった時、お前たちは変わらずに海を守っていた。どんな強敵が現れても前を向き、運命を変えようと戦っていた。私にはそれが眩しくて仕方が無かった――その姿が、どれだけ私の心を救ったと思う」

 

 

 誰一人として、声を発する事が出来なかった。

 

 

「仕事に見切りをつけた後も、私はお前たちの活躍を見ていた。海を平和にするのだというお前たちの光はどん底にいた私を照らし続けていた。お前たちがどれだけ過酷な状況にあったかは知らん。だが、今度はどうやら、私の番らしい」

 

 

 声が染み渡っていく。

 

 

「お前たちを照らすなどと大それたことは言えないが、出来る限り、善処する」

 

 

 私達が胸に抱えていた想いが、提督の口から出てくる。

 

 

 

「――暁の水平線に、勝利を刻みたくはないか」

 

 

 

 轟、と講堂全体が揺れた。

 誰からか、ではなく、誰一人として漏れず、大声を上げていた。

 海へ平和を、暁の水平線に勝利を、我らに、提督に勝利をと。

 

 

 

「以上だ。今日はゆっくり休め。私も休ませてもらう」

 

 そう言った提督に逆らおうなどという艦娘は、もういなかった。

 一糸乱れぬ最敬礼をし、講堂から去っていく提督が見えなくなるまで、姿勢を解くことはなかった。

 

 血に濡れようとも諦めない我らが提督――彼はのちに、私たちの間で「血濡れの大将」と呼ばれることになるのだった。




いつも誤字報告や感想をいただき、ありがたくて頭が上がりません……!
本日も読んでくださってありがとうございます!


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九話 提督が鎮守府に着任しました③【提督side】

少し長くなってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです!


 おかしい。何がおかしいって、状況もそうだが、全部がおかしい。

 井之上さんによれば俺は艦娘を癒すだけの仕事だったはずだ。

 

 もちろん、だからと言って艦娘と戯れるだけではだめだろうが、井之上さんはこう言ったはずだ。

 

『君に戦争をさせようとは思わん』

 

 なら適当に艦娘と戯れ――いやだからそうじゃない。

 だめだ、混乱して思考がループしている……ッ!

 

 どうしようかと長々考える時間さえ無い。

 

 先程から大淀の視線が俺に突き刺さり、入室を催促されてるような気分になってきた。

 ここで対応を間違えてしまえば……

 

『反旗を翻し、我々は今度こそ絶滅するだろう』

 

 背筋が凍った。ブラック企業をやっと抜け出せたと思ったら、状況はもっとブラックになってしまった。もう破滅する未来しか見えない。

 悪あがきに服を整えたり、軍帽を被りなおしたりしてみたが、たかが数秒で心の準備が出来ようはずもなく、結局、俺は扉に手をかけた。

 

(……あ、汚れたままだ)

 

 時すでに遅し、力を込めてしまった俺の手は驚くほどあっさりと扉を開いてしまい――。

 

「――ふむ」

 

 何が『ふむ』だよ。頭真っ白だよ。

 

 自分にツッコミを入れながらも、俺の目は自然と部屋を見回す。

 ある種の現実逃避とも呼べるが、それを抜きにしても俺は感動してしまった。

 ずらりと並ぶ、艦娘、艦娘、艦娘。所せましと部屋に詰め込まれた、初めて見るはずなのに、懐かしいと思ってしまう光景。

 

 すっと頭が冷えていき、緊張が何となく解れたあたり……やはり俺は、艦これが好きだったのだなと再認識した。いや、好きだった、では無く、今もだなと胸中で笑みを浮かべる。

 

 井之上さんが言うには彼女らは各鎮守府で傷ついた、と。

 戦闘で傷ついたか、はたまた無茶な運用で傷ついたかは定かでは無いものの、一目見ただけで全員の目に光が無いことだけは分かる。

 俺の目が死んでいた昔、彼女たちの目は輝いていたというのに、なんと皮肉なことか。

 

「楽にしてくれ」

 

 最初にそう言って、俺は歩を進める。

 

 百を優に超えるであろう艦娘を、一人一人、しっかりと確認していけば、思い出される名と、ブラウザ越しの出会い。

 あぁ、この子はあの海域を攻略した時にドロップしたな、とか。

 あっちの子は建造で手に入れたな、中々来てくれなくて苦労したな、とか。

 

「ふむ、軽空母に正規空母……戦艦に軽巡、重巡……潜水艦までいるのか」

 

 無意識に洩れた言葉。

 こんな数の艦娘を、この世界の提督は――いや、今はそれを考えるべきじゃない。

 

 講堂の最奥まで歩みを進めたのち、振り返る。

 

「本日より柱島泊地、柱島鎮守府に着任する海原鎮だ。よろしく頼む」

 

 気恥ずかしさを捨て挨拶し、俺は……

 

「早速だが新規の鎮守府ということで君たちの中から数名に仕事を任せたい」

 

 ――全力で仕事から逃げるべく、艦娘に丸投げしようと言葉を紡いだ。

 いやいやいや、本当に仕事から逃げるつもりは無い。本当に。マジ。大マジ。

 

 しかし考えてみて欲しい。提督業を営んでいたと言えど俺が提督だったのは生きていた頃の話であって、こことは違う世界での話である。

 おいそれと艦これの世界にやってきてすぐに提督として手腕を発揮できるわけが無い。

 故に、故に――《艦隊これくしょん》というゲームから派生したアニメや漫画、小説を読んできた記憶と知識をフル活用して、俺は艦娘に仕事を振り、提督らしい唯一の仕事を取ろうと、そういうわけだ。

 

 決して仕事をしたくないというわけじゃない。

 

 俺は一体誰に言い訳をしているんだ。

 

「……」

 

 一瞬の間に考える。

 艦これにおける鎮守府と言えば? ホーム画面を思い出せ――。

 

 まず、ホーム画面の向かって左側に編成、補給、改装、入渠、工廠、と五角形が形成されていた。その真ん中に出撃ボタンがあったはずだ。

 編成……は、出撃の予定が無いからパスでいいだろう。あったとしても、近海警備程度のことだ。追々でいい。

 次に補給、改装、入渠、工廠……これらはゲームの頃ならばボタン一つでカチッと出来たが、ここではそうもいかない。補給するにも改装を施すにも入渠するにも、施設が必要になる。

 

 俺がその施設の責任者なのだが――この鎮守府のどこにあるか分からん。

 

「まず……明石と夕張は前へ」

 

 俺が呼びつけると、艦娘の群れから二つの影がこちらへやってくる。

 ほう、と声が出てしまう。

 

 工作艦明石に、軽巡洋艦夕張。この二人は最初の頃は鎮守府にいない貴重な艦娘のはずだが、これは僥倖である。

 明石は沖ノ島沖という海域マップにて未所持の場合のみ限定でドロップする艦娘で、夕張は建造で手に入る艦娘ながらも、建造最低値でフル回転しても中々当てられなかった記憶がある。それにドロップする海域が極端に少ない。そのレアさ故か初期から装備枠が三つもある頼もしい艦娘でもある。

 二人ともラフな作業着で、肌の露出が多い。

 ワンオフの魅力、十分感じているぞ。

 

 最初から貴重な二人がいて、それも艦これ界隈では工廠の番人――決まりだ。

 

「工作艦明石、および兵装実験軽巡夕張は工廠における一切を任せる」

 

「えっ」

「えっ」

 

 えっ? 君ら、工廠は私達の戦場よ! 的な艦娘だよね?

 

「わ、私はただの軽巡洋艦で、そんな、兵装実験なんて――!」

 

「違ったか? お前ほど兵装に詳しい者はいないだろう。対艦、対潜、対空と隙の無い万能な艦娘だと記憶しているが」

 

 五十鈴に並ぶ潜水艦キラーとは夕張であるはずだが、俺の記憶にある夕張とは随分かけ離れている雰囲気だ。

 弱弱しい口調に、ずっと伏せられている目。俺と目を合わせたくないのかもしれないが、おっさんも傷つくので少しは見て欲しい。

 

「い、いやっ、私なんて、足も遅いし、弱いし……っ」

 

 弱い? 夕張が? ンな馬鹿な……。

 確かに数値上は打たれ弱さの目立つ艦娘だが、大事なのはそこではない。対潜メインとして使われることが多い彼女の強みは万能型であるということだ。

 それに加え、二番艦にすれば九三式水中聴音機、三式水中探信儀、33号対水上電探などを改修出来る。

 潜水艦は彼女を見ただけで泣き叫んで命乞いをするに違いない。

 

 それに、ここは現実。兵装実験軽巡ならではの知識は絶対に役に立つはず。

 

「何を馬鹿なことを。何も海の上で活躍する事だけが能じゃない。知識の飽くなき探求は、必ず役に立つ。明石とともに工廠についてくれないか」

 

 お願いします。工廠の場所すら分からない俺では役に立てません。

 俺の言葉を聞いて一歩前に出てきたのは、明石だった。

 

「私たちの記録でも見たのでしょうが、いきなり工廠の責任者になれなんて、聞けません」

 

 記録じゃないよ。前の世界から知ってるとも。

 しかし明石の言うことも一理ある。工廠の全てを任せるのは流石に重荷になってしまうだろう。ならば分担してしまえばいいだけのこと。

 ブラック企業に勤めていた俺の手にかかれば仕事の分担などお茶の子さいさいである。何せ、いくら仕事を各方面に振っても終わらなかったレベルの量をこなしていたのだから。

 

「資材の管理は大淀に一任するつもりだ。大淀とよく話しあって開発を進めてほしい。何かあれば全て私が責任を取る」

 

 ごめん大淀。資材のあんな細かい数値を一桁まで管理は出来ん……。

 ゲームの頃ならいざ知らず、ここでは実際に書類か何かで提出されるのだろうから、それを逐一確認して、まとめて、など考えただけで泣ける。メイン大淀、サブが俺。決裁ならするから許して。

 こういう細かな作業は大淀が適任だ。明石が変なものを開発したら俺の代わりに叱ってくれるだろうしな。いや、同人誌の見過ぎか……。

 

 それに、責任を取ると言っておけば明石や夕張だって安心するだろう。

 実際に責任を問われるのは俺じゃなくて井之上さんだし、あの人、元帥って言ってたし。

 鎮守府の運営に便宜を図るとまで言ってくれたのだ。ここはおおいに甘えさせていただきたい。

 

「なっ……し、信じられません、そんな……」

 

 っく……なんて強情な……頼むよ、工廠の仕事とか俺は絶対に出来ないから。

 

「だが工廠は二人に任せたいんだ」

 

「……どうなっても、知りませんから」

 

 っしゃあ! 工廠の仕事は全て明石と夕張、大淀に投げられたぜ!

 どうなっても知らない? 大丈夫、井之上さんが何とかしてくれる!

 

 浮かれている場合じゃなかった。一応、フォローもしておかねば。

 

「明石には泊地修理も頼みたいからな。仕事が多くて申し訳ないが、頼りにさせてくれ」

 

 フォローするつもりが思わず泊地修理のことを思い出して仕事を増やしてしまった。ごめん明石。変なものを開発しても全部許すから。

 

 仕事を振れたことで調子に乗った俺は、この際どんどん任せてしまえと声をかけていく。

 

「次に、給糧艦の二人はいるか。間宮と伊良湖だ」

 

「は、はい……間宮、ただいま、こちらに……」

「伊良湖、です……」

 

 ふむ……。ゲームでは図鑑や戦闘糧食を使った際にしか立ち絵を見られない、これまた貴重な二人組。

 現実の女性ともなるとこうも美人なのかと感心してしまった。間宮は落ち着いた大人の和風美人、伊良湖は幼さの残る大人になりたての美人、といったところか。

 

 まあ、きっと仕事上でしか関わらない二人だから、いくら美人でもどうと言うことはないのが悲しいところ。

 

 しかし、この二人には最重要と言っても過言ではない仕事を任せたい。

 

「お前たち二人にはこの鎮守府の台所を任せる。戦闘糧食以外にも普段から世話になるが、頼んだぞ」

 

 食事――それは三大欲求の一角。

 漫画やアニメではどんな料理でもさっと作ってしまえるスーパーウーマンの二人だ。きっと間宮と伊良湖の手にかかれば栄養もばっちりに違いない。

 

「し、しかしっ、提督は艦娘の作った料理など、お口には……」

 

 伊良湖の言葉に、俺は目を剥いてしまう。

 

 エェッ!? 艦娘が作った料理だぞ! むしろ食べたいだろう!

 何なら毎日俺に味噌汁を作ってほしいくらいだが!?

 

「は、はぁ!? 感謝はしても嫌がるなんて、あるわけないだろう! 人の作った食事がどれだけ活力を与えると思ってるんだ!」

 

 聞くに堪えない俺の欲望を、理性が自動翻訳してくれた。

 危ない……。

 

「ひっ!? あ、あのぉっ……!?」

 

 悲しいが、言葉を取り繕うことが出来ても感情は全面に押し出てしまっていた様子。伊良湖も間宮も驚いた顔で俺を見ている。

 ごめんて。おっさんが必死になってるのが気持ち悪かったんだろう? マジでごめんて。

 

「……っ、す、すまん。取り乱した。とにかく、お前たちが本領を発揮できる台所こそ、お前たちの戦場になる。頼めるか」

 

 若干ショックを受けつつも、それを隠しながら言う。

 

「ふふっ……はい。分かりました。では、この鎮守府の食事は私達が任されましょう。ね、伊良湖ちゃん」

「間宮さんが、そういうなら……」

 

 笑われた……。くそ……。

 い、いや、それでも間宮と伊良湖の作った飯が食えると考えれば安いもんだ……!

 

「お、おぉ……そうか……! 楽しみに――んんっ、き、期待している」

 

 調子に乗るな俺。また大淀に怒られてしまう。

 

「美味しい料理を振舞いますから、私たちのこと、お願いしますね」

「……です、ね……はいっ。美味しいデザートだって作っちゃいますから!」

 

 間宮と伊良湖がそう言って、胸の前でぐっと拳を握りしめる。

 可愛い。

 

 ……いかん。仕事だ。そう、仕事の割り振りだ。見惚れている場合ではない。

 

 癒すだけが俺の仕事と言えど、素人とバレてもダメという制約がある今、鎮守府らしい業務が無ければ『なんだこいつ、もしかして初心者か?』と疑われてしまいかねない。

 しかし実際に鎮守府に来て艦娘を前にすると、何をすればいいのかと迷ってしまうのも事実。

 

 そこで俺は、安全かつ一度ローテーションを組んでしまえば、後は勝手にやってくれと言える単純な仕事を提案する。

 最初だからね。これくらいでね。という雰囲気を出しておけば、納得はしてくれるはず。

 

「これはのちに通達するが、この泊地の近海警備のローテーションを組むつもりだ。軽巡、駆逐艦を中心にするから、そのつもりで。次に空母についてだが、空母の一部を近海警備に組み込む」

 

 数の多い軽巡洋艦と駆逐艦がいればローテーションは問題無いだろう。

 何故空母を加えているのかと言うと――これも理由は単純である。

 

 艦載機が飛んでるところを見たい。以上。

 

 本当にそれ以外の理由は無かった。空母を近海警備に出すのはどうかと思ったものの、資材の管理は大淀に任せているから何とかしてくれるはず。赤城や加賀がアニメの如くボーキサイトをドカ食いしなければ問題無い。

 

 と、ここまで考えたところで、空母たちのいる辺りからこそこそと囁き声が聞こえてきた。

 

(空母を近海警備に……?)

(やっぱり、変わらないんじゃない……)

 

 ヤバイ。素人とバレてしまう。

 しかし艦載機の発艦は見てみたい……が、ここは諦めて我慢すべきか……?

 

 いいや! しないね!

 

 ブラック企業に勤めて自由というものを知らなかった俺は、この世界でそれをつかみ取る……!

 飛行機が飛ぶのを見るのは、全男子の夢だろうがァッ……!

 

「何も空母に遠出して回ってこいと言うつもりじゃない。お前たちの艦載機は何のためにあるんだ」

 

 それっぽいことを言って場を濁そうとした時のこと。赤城の声が滑り込む。

 

「――遠距離索敵をせよ、ということですね」

 

 お、いいじゃんその理由。乗っかっておこう。

 そうだ、と返事して頷いて見せ、ついでにな、という雰囲気をたっぷりに、実際の目的を紛れ込ませておく。

 

「艦載機を発艦させるのも見てみたいしな」

 

 俺がそう言うと、先程まで若干ざわついていた空母勢がぴたっと静かになる。

 その静寂の中から細い声。聞き間違えようの無い、鳳翔の声だった。

 

「……我々空母がどれほどの力量か、見てみたいということでしょうか」

 

 元祖一航戦である鳳翔は、現実で見ると本当に小柄で、お艦と呼ぶには幼過ぎるように思えた。

 しかし背負う雰囲気はまさに古参。有無を言わさぬどっしりとした重圧を感じる。

 

 鳳翔にはお世話になった……艦載機熟練度を実戦レベルにまでたたきあげるために、何度も出撃してもらった思い出がよみがえる。

 練習空母の一面も持つ鳳翔は、実物も安心感を覚えられる。

 

 力量、なんて大袈裟に言っているあたり、真面目な性格もそのままだ。

 

「力量というほど大袈裟なものじゃなくていい」

 

 と俺が言い終わると殆ど同時に、特徴的な高い声。

 

「ちゃんと考えあるんかいな」

 

 龍驤である。

 艦これではピーキーな性能を持つ空母として有名な彼女だが、アニメや漫画でもそのピーキーさは際立っていた。

 君、駆逐艦? と冗談でも飛ばそうものなら、関西弁の鋭いツッコミが俺の心臓をぶち抜くに違いない。

 

 しかし、この龍驤はなんというか……怖い……。

 

 龍驤は『やったぁ! やったでぇ! うち、大活躍やぁ! 褒めて褒めてぇ!』と、ぴょんこぴょんこしてるイメージだったのに、俺の目の前にいるのは古強者といった風格である。溜息が出そう。

 

「はぁ……」

 

 やっべえ本当に出ちゃったどうしよう。

 と、俺が慌てる間も無く、またも龍驤の声が耳に届く。

 

「悪い、ちょっち失礼過ぎやな。……わぁっとる。ちっと試しただけや」

 

 試した……? 何を……?

 

 俺が混乱していると、龍驤は鳳翔に対して何か言ってから、改めてこちらを見た。

 

「駆逐と軽巡を上空から援護……ほんで、近海警備は毎日のローテ……空母の発艦訓練と一緒くたにせえっちゅうんやろ?」

 

「……」

 

 とりあえず愛想笑いを浮かべておく。

 

 何を言っているんだお前は……発艦訓練と警備を一緒にするとか、艦これで出来ないことを言い出すなよ……。

 

「空母の発艦は色々や。弓道型、からくり型、うちのような陰陽型……発艦訓練なんてしようと思たら、それぞれの場所を用意せなあかん。仮に弓道場を使ったとしても、うまくいかんこともあるやろ。提督はそれを、任務と並行せえ言うんや。失敗して発艦できんなんてこたあ無いやろが、うちらの失敗は即、警備艦隊に繋がる――」

 

 龍驤がなんか説明し始めたが、一部は理解出来た。

 弓道型、からくり型など、空母は発艦方法が違う。例えば鳳翔は弓道型だ。弓から放たれる矢そのものが戦闘機となる。

 からくり型、というのは千歳や千代田などを指しているのだろう。水母である彼女らは改装を重ねても複雑な発艦方法と思しき立ち絵のままだった気がする。

 陰陽型は言わずもがな、龍驤を指している。

 

 訓練の方法はそれぞれなのだろうが、それを一緒くたにしてしまって本当に大丈夫なのだろうか。

 龍驤の言う通り、鎮守府の傍から近海警備に出た艦隊の補助として艦載機を飛ばすのは良い案のようにも思えるが、無駄じゃないかそれ。

 

「――遠方索敵なら動くことも無いから、うちら自身の燃費は関係ない……仮に燃料やら弾薬やらをどさっと消費することがあったら……そりゃ戦闘があったらの話に限られる。提督ぅ……えらい頭切れるやん……? えぇ……?」

 

 動かないと燃料の消費が無い……龍驤こいつ、天才か……?

 称賛の意を込めて笑顔を返しておこう。彼女はきっと俺の仕事を今後もたくさん肩代わりしてくれる。

 

「なに、そこまでは考えていない。だが龍驤の提案は素晴らしいものだ。それを採用するとしよう」

 

 正直に言うと、龍驤は「なっ……! っち、食えんやっちゃで、ほんま……!」と吐き捨てるように言った。

 

 なんで怒るんだよ! 褒めただろうが!

 

「うらぁ! お前らぁ! 明日から特訓や! 手ぇ千切れても止めへんからな……目にもの見せてやるで! ええなぁ!?」

 

「「「応ッ!!」」」

 

 なんで空母の皆まで怒るんだよ!? ちゃんと褒めただろうが!?

 

 っく、だめだ……お姉さんが勢ぞろいしていると思っていたのに、この鎮守府の空母は全員戦闘狂なのかもしれん。

 相手にしてられるか、と俺は仕事を振る仕事(?)に戻る。

 

「では、次に戦艦と重巡だが……鎮守府内外の規律維持のために動いてもらう」

 

 戦艦と重巡――砲撃戦と言えば、の艦娘である。

 もちろん軽巡も駆逐も、艦娘そのものが主役であるのだが、やはり戦艦と重巡は一言では表せない魅力が詰まっている。

 素晴らしい火力! 頼もしい装甲! 資材ドカ食い!

 最後のは違うか……。

 

 艦これというゲームにおいて俺の提督レベルはそこまで高くなかったので、戦艦と重巡は使いどころが限られていたが、本当に世話になった。

 ゲームの最初の関門とも呼ばれる沖ノ島海域では、痛い目をみたものだ。苦心して育て上げた軽巡や駆逐があっという間に大破させられてしまう中で、初めて建造出来た戦艦が長門であった。

 

 資材をどかどかと消費したものの、戦艦の火力たるや、敵の深海棲艦である戦艦ル級を易々と吹き飛ばしたほどである。その分、育成するのに資材も吹き飛ばされたが。

 

 俺が思い出に浸っていると、まさにその長門の声がした。

 

「我々に危害を加えられるかもしれんというのに、貴様はそれでいいのか?」

 

 えっ、危害加えるの?

 

「危害を加えるのか?」

 

「我々は! 危害を加えられたのだ! 我らが守るべき対象に!」

 

 危害を、加えられた……?

 ブラックな環境で働いていたというのは嘘じゃないだろうが、まさか暴力を……?

 

 思い入れのある艦娘は長門だけじゃない。

 講堂に集まっている全ての艦娘に思い入れがある。

 

 それに危害を加えた奴がいるのか、この世界は――?

 

 長門の悲痛な叫びが講堂に響き渡る。

 

「その気持ちが貴様に分かるのか!」

 

 頭の中が透き通った。

 同時に、ゲームをしていた頃の純粋な《楽しい》という思い出が見えない何かに踏みにじられ、汚されたような気持ちになった。

 

 だから俺は間髪容れずに、正直に答える。

 

「分からん」

 

「っ……! ならば! 貴様に我らを語る資格など――ッ!」

 

 長門の言う通りだ。語る資格など無い。

 故に、語らない。

 

「一度も語ったつもりは無い。私はお前たちが出来る仕事を、出来るように振っているだけだ。お前が私に危害を加えることが仕事だと言うなら、それもいいだろう」

 

「なぁっ……!?」

 

 本当に艦娘の仕事が人に危害を加えることであるというのなら、俺は喜んで受け入れてやろうじゃないか。

 ドエムという意味じゃないぞ。

 

「わ、我々はっ……私はっ、そんな事……!」

 

 しないだろう。分かっているとも。

 彼女たちは身を挺して海と平和を守り、人を守っていたのだから。

 

 後で思えば、俺はこの時に決意したのだと思う。

 

 疲弊しきっていた、壊れかけていた俺の心を支えてくれた艦娘を、今度は俺が支えてやろう、と。

 

「私はずっとお前たちに救われてきたんだ。どんなに辛い時も、どんなに苦しい時も、私にはお前たちがいた」

 

 ふざけた思考は消え、あるのは純粋な、小恥ずかしく青臭い俺自身の想いだった。

 

「私は、貴様など知ら――」

 

「あぁ、そうだろう。顔も知らなければ名前も知らない。私が一方的に知っていただけだ。私が仕事に疲れた時、私が理不尽な目にあった時、お前たちは変わらずに海を守っていた。どんな強敵が現れても前を向き、運命を変えようと戦っていた。私にはそれが眩しくて仕方が無かった――その姿が、どれだけ私の心を救ったと思う」

 

 上司に怒鳴り散らされ、社内で晒し上げられても、俺には彼女たちがいた。

 働いて、食べて、寝て、起きて、また働いて、食べて、寝るだけの生活。

 モノクロだった俺の生活を彩ってきたのは、海と、その上を駆ける彼女たちだった。

 

 たかがゲームでも、間違いなく彼女たちは俺の命の恩人だ。

 

 彼女たちがいなければ、大袈裟でも何でもなく、俺は首をくくっていただろう。

 

「仕事に見切りをつけた後も、私はお前たちの活躍を見ていた。海を平和にするのだというお前たちの光はどん底にいた私を照らし続けていた。お前たちがどれだけ過酷な状況にあったかは知らん。だが、今度はどうやら、私の番らしい」

 

 今度は、俺が身を賭して彼女たちを支えてやる。

 一度死んだはずの俺が蘇ったのは、きっとこのためだったのだ。

 

「お前たちを照らすなどと大それたことは言えないが、出来る限り、善処する」

 

 口癖のようになってしまった言葉を、小さく首を振って訂正する。

 善処などでは無い。俺はこの時を以て、鎮守府に着任する。

 

「――暁の水平線に、勝利を刻みたくはないか」

 

 何度も何度も、彼女たちの声で聞いた言葉を、今度は俺が届けてやろうじゃないか。

 

 そして――講堂が揺れた。

 

「ひぇっ……」

 

 という俺の情けない悲鳴は一瞬にしてかき消される。

 やっべぇ……いらんこと言ったかもしれない……。

 い、いやいやいや、いいんだ、これでいい! 大丈夫!

 

 

「以上だ。今日はゆっくり休め。私も休ませてもらう」

 

 

 そう言い残して、俺は講堂から逃げ出した。

 艦娘全員が敬礼してくれていたが、返す余裕が無かった。

 

 別に怖かったわけじゃない。本当だぞ。

 

 

* * *

 

 

 執務室まで逃げ帰っ――戻ってきた。

 どさりと椅子に座りこみ、盛大に息を吐き出す。

 

「はぁぁぁぁ……緊張した……」

 

 やっと落ち着いた、というところで色々と反省点が見つかるのは、よくある話で。

 

「休めって言ったけど飯も食ってないし、何なら潜水艦に仕事振ってねえや……どうするか……」

 

 あーあー! とりあえず今日は寝て、ぜーんぶ忘れたいわー!

 なーんであんなこっぱずかしい事言っちゃったんだろうなー! あーあー!

 

 胸中で一人反省会をしていると、ノックの音。

 

 休ませてよ! 休むって言ったじゃん! 対応するけどよぉ!

 

「……入れ」

 

 背筋を正して威厳スイッチオンである。

 入室してきたのは、今まさに仕事を振り忘れた潜水艦が一人。ゴーヤだった。

 

「失礼するでち……ます」

 

 可愛い。

 

「硬くならなくていい。どうした?」

 

 用事でもあるのだろうか。

 この鎮守府のことについては聞かないで欲しい。俺もまだ分かっていないから。

 

「あ、あのっ……! 提督は、私たちのこと、どう思ってるんでち……?」

 

 告白かな? 違うね、そうだね。

 

「どう、とは――素晴らしい潜水艦である、と思っているが」

 

「そ、そういうんじゃなくて……!」

 

 あぁ、知識的なことか?

 

「伊号潜水艦第五十八号。巡潜乙型改二の三番艦で巡潜乙型の最後の艦だな。その他にも――」

 

「そんなに知ってもらえて……って違うでち! そういうのじゃないでち!」

 

「そ、そうか、すまん……?」

 

 こういう時に女性と接してこなかった付けが回る。仕事しかしてこなかったし、艦娘もブラウザで眺めるだけだったんだから仕方がないじゃない……!

 

「さっき、講堂で話してる時、潜水艦には仕事が無かったでち……やっぱり、ゴーヤたちはいらないんじゃないかって――」

 

「いらない!? 馬鹿なことを言うんじゃない!」

 

 膝裏で椅子を倒してしまう勢いで立ち上がって机を強く叩いてしまった俺に驚き、ゴーヤはびしっと背筋を伸ばして固まってしまう。

 マジごめん。だが、いらない艦娘など一人としていない。

 仕事を振らなかったのは完全に俺の落ち度です。

 

「仕事を振らなかったのは完全に私が悪い。気を悪くしただろう。すまなかった」

 

「えっ……あっ、て、提督! そんな、頭を下げないで欲しいでち!」

 

 ゴーヤが小走りで寄ってきて、両手で俺の顔を挟み、ぐいぐいと上げる。

 わぁ……やぁらかい……ごちそうさまでち……。

 

「あの、提督! こういう事を言ったら、怒られると思うけど……少しの間、休ませてほしいんでち……」

 

「それは、どうしてだ?」

 

 一応聞いておかなければ。潜水艦だけ休んで他の全員が働いているという状況を作った張本人である俺が一番悪いのは間違いないが、そのせいで潜水艦の皆と周囲との間に溝が出来てしまってはいけない。

 

「ゴーヤたちは、前の鎮守府で補給もせずに遠征に回ってたんでち……それで、ゴーヤたちのリーダーだったイムヤは、まだ……。さっきの提督のお話で元気が出たって言ってたけど、無理はさせたくないんでち……」

 

「なるほど……」

 

 これは、あれか、オリョクルってやつで相当やられたな?

 実際は知らんが、補給もせずというところに引っかかる。沈むじゃんそんなの。

 まぁ、仕事らしい仕事は振ってしまってもう無いのも事実だ。

 俺はゴーヤを安心させるように手を取り、笑ってみせた。

 

 おっさんの笑顔は無料です。

 

「頑張ってきたんだな。よくぞ生きてここに来てくれた。仕事の方はしばらく気にせずに休むといい。何かあれば私か大淀から知らせるように……っと、そうだ、簡単な仕事も、出来そうにないか?」

 

「簡単な仕事……?」

 

 びびっと来た。俺は天才かもしれない。

 大淀は資材管理やらなにやらで忙しい身(にしてしまった)なので、鎮守府の案内を潜水艦たちにお願いしよう。

 

 あと、周りにばれないように口止めもしておこう。

 

 俺は声をひそめ、ゴーヤに視線を合わせるように腰を曲げて言った。

 

「実はな、ここに来たばかりで、どこにどんな施設があるのか知らないんだ。先にこの鎮守府に来ているお前たちにしか頼めない重要任務なんだが、案内を頼めるか? ついでに食堂にも寄って、飯を食いたいんだ」

 

 ここに来たばかりの時はそうでもなかったが、今は緊張の連続で腹が減って仕方がない。

 俺の提案に、ゴーヤは目を輝かせて頷いた。

 

「……りょ、了解でち! ゴーヤに任せるでち! ね! ね! やっぱり他の皆も呼んできていいでちか!?」

 

 見た目も相まってまるで中学生のようである。何とも愛らしい。

 

「もちろんだとも。皆で一緒に食おうな」

 

 あと、おっさんの笑顔を見ても泣かな――

 

 

 

「ぐすっ、ぐすっ……良かった……本当に、良かったでちぃ……」

 

 

 

 ――俺も泣いていいでち?



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十話 評価【艦娘side】

 威風堂々とした背が完全に見えなくなった後も、私を含む艦娘たちはしばらく動けずにいた。

 やっと動けるようになった頃、食の一切を任された間宮と伊良湖はいつでも動けるようにとすぐさま食堂へ向かって講堂を出ていく。それに追随するように、潜水艦たちも出て行った。

 少しばかり気を持ち直したように見えたが、大丈夫だろうか。

 

 

 他の艦娘はと言えば、仕事を任されたものの、あまりの衝撃的な一幕にぽかんとしている者ばかり。

 

 駆逐艦に至ってはそれが顕著であり、一部は涙ぐんでいる者もいる。

 

「っ……す、すごい所に来ちゃった……大丈夫かな……」

「きっと大丈夫なのです、暁ちゃん! あの司令官さんなら、きっと――」

「はらしょー……実にはらしょーな司令官だ……」

「雷たちの新しい司令官なんだもの、あれくらいじゃなきゃ困るわ!」

 

 駆逐艦の中でも、第六駆逐隊とその周りはきゃっきゃと騒いでおり、何とも微笑ましい。

 

 しかし、提督の監視を公認されてしまった戦艦や重巡、練度を試されようとしている空母は微笑ましい空気とは行くわけも無く――。

 

「まだ、認めたわけではない……私は……ッ」

 

 下を向いて拳を握りしめ、地面に声を落とす長門を遠巻きに見ている私。

 そんな長門に恐れず歩み寄って行くのは、高速戦艦の金剛型四人だった。

 

「ヘイ長門。カームダウンするネ。提督も何か考えがあって長門にジョブを任せたに違いないネ」

 

 背後から声を掛けられても噛みついていかない辺り、長門の怒りはどうにか理性におさえられているみたいだった。

 遠目でも分かる程に練度が高い――それなのに、どうしてここに来てしまったのだろうか。

 

「お姉さまの言う通りだわ長門さん。もしも前のような事があれば……私たち四姉妹で提督を止めます」

「そうですよ長門さん! 比叡も、気合、入れて、止めます!」

「榛名もです!」

 

 比叡、霧島、榛名、そして金剛――高速戦艦の四人とビッグセブンの片割れが揃っているというだけでこちらにまで闘気が伝わってきそうなのに、そのすぐ近くには扶桑型の二人までいるときたものだ。

 扶桑、山城の二人は燃えるような闘気ではないものの、仄暗い雰囲気を背負ったまま、提督の出て行った扉を見つめて話している。

 

「あぁ、提督……あなたは、まるで曇天のよう……私たちと、同じ……」

「今にも落ちてきそうな、暗い、暗い空……扶桑姉さま、あの提督は私たちの不幸に耐えられるのでしょうか……」

「分からないわ……それでも、欠陥戦艦の私たちに仕事をくださったんだもの……提督を、監視しても良いという……ふふ、ふふふ……」

 

 提督に護衛を付けた方が良い気がしてきた。後で提案しておこう。

 

 他の様子はどうだろうか、と視線を滑らせれば――やはり、空母に視線がいってしまう。

 あの提督に対して真っ向から啖呵を切った龍驤を中心にして、話し合いをしているようだった。

 私の足は自然とそちらに動き、一言挨拶をしてから話に参加してみようと試みる。

 

「――改めまして、龍驤さん。軽巡の大淀です」

 

「あん? あぁ、なんや、提督を迎えに行っとった子ぉか。よろしゅう」

 

 関西弁であるだけでなく、語気まで強いものだから委縮しかけてしまう。

 しかし、参加しないわけにはいかなかった。

 

 空母勢は提督に遠回しに力量を見せろと言われた艦種だ。

 それは同時に、今後の運用の多さにも関わってくる事柄であることは、少し考えれば分かる。力が無ければ使うことはしない、なんて提督はおっしゃらないだろうが、それでも古参の多い空母たちからすれば喧嘩を売られたも同然。気が立ってしまうのも仕方がない。

 

「あの、空母の皆さんから見て、提督は――」

 

 単刀直入に、簡潔に。私は提督のように頭が切れるわけじゃない。

 艦隊司令部としての経験はあるが、私のそれと提督とでは、レベルが違う。

 私の問いに、龍驤はこう言った。

 

「バケモン。以上や」

 

「龍ちゃん、流石に失礼よ」

 

 鳳翔に咎められるも、龍驤の言葉は止まることなく続けられる。

 

「うちらははっきり言ってこん鎮守府の中以外で見ても古参や。そりゃあの提督も知っとるはずやけど、それを相手に喧嘩を売る神経が分からん」

 

 それは、まぁ……と同意しかけてしまう。

 

「うちと同じ《龍驤》は、探したらどこの鎮守府にもおるやろが……うちはな、深海棲艦っちゅう深海魚どもがこの世に現れたんと同じ時期に目ぇが覚めた艦娘や。それにおもろい事に、ここにもいくらか顔見知りがおるときたもんや――なぁ、特型ァッ!」

 

 龍驤さんが大声を上げる。

 

「ひゃいぃっ!? あ、なっ……龍驤さん! いきなり大声出さないでくださいよぉ!」

 

 悲鳴が聞こえた方へ顔を向ければ、そこには駆逐艦が一人。

 特型駆逐艦一番艦――吹雪。

 

 彼女は多くの妹分を抱える特型駆逐艦の祖であり、艦隊型駆逐艦のベースというまさに長女と呼ぶにふさわしい艦娘だ。各鎮守府にも同型が多く存在していると思うのだが、まさか、ここにいるのが初期型だったとは――

 

「おう特型、ちっとこっち来てんか」

 

「何ですか龍驤さん。もしかして、司令官に焚きつけられたからって反乱なんて起こしたりしないですよね?」

 

「んな事するわけ無いやろ! っち、最初ん頃は可愛げあったんに、いつのまに生意気になってもうたんや……」

 

「何年前の話ですかそれ」

 

 ――吹雪と言えば、悪くいってしまえばドジな艦娘という妙な固定観念があったのだが……私の目の前にいる吹雪はドジどころか、古強者である龍驤さんと対等に向かい合う、戦友という雰囲気があった。

 

「あ、あのぉ? 初期型のお二人が、どうして柱島に……?」

 

 私が疑問を投げれば、答えてくれたのは鳳翔であった。

 

「一応、私も初期型ですよ。端的に言ってしまえば……私や龍ちゃ――いえ、龍驤さん、吹雪さんは《型落ち》だとされたんです」

 

「型落ちって……」

 

「難しい話やないで。強くて高性能な艦娘がおったらそっちを使いたい、古い方はもういらんっちゅうだけの話やったんやろ。鳳翔は速力が遅い、うちは艦載機のベースが古い上にスロットも偏っとる。吹雪は……まぁ、うん」

 

「……?」

 

 尻切れトンボになってしまった言葉に首を傾げていると、吹雪さんが苦笑いしながら答えた。

 

「前の司令官に、乱暴されちゃいまして。抵抗したら、ここに」

 

「あっ――そ、それは、あの、吹雪さん、ごめんなさ――」

 

 慌てて頭を下げた私だったが、吹雪は私の肩を持って止め、首を横に振った。

 

「気にしないでください。〝そういう事をする〟艦娘だっていますし、私は嫌だなって断っただけの話ですから。仕事が無くならないで済んだのは、良かったですけどね」

 

 えへへ、と笑う彼女。

 

 この鎮守府に集められた艦娘は、私が思っているよりもはるかに重たい過去を持っているようだ。

 あわよくば艦隊の士気を上げる一助となれたらと考えていた私が愚かしい。上げるどころか、こうも簡単に地雷を踏み抜いてしまうとは。

 

 いや、少し考えれば分かったはずだ。あぶれた大勢の艦娘が集まる鎮守府なのだから、誰しもが暗い何かを抱えている。私は慎重になるべきだったのだ。

 

 私の失態が提督に繋がってしまわないように、と自身の思惑を弁明すべく口を開こうとするが、それを見た龍驤さんに止められる。

 

「ええんや大淀。昔に何があったかなんちゅうのを話すのは今でも後でも変わらん。それより問題はあの提督やで」

 

「問題、というのは……その……?」

 

「分からんか? 聞いてると思っとったんやけどなぁ……ほれ、この鎮守府にある備品やらなにやら、運んだんはどこの誰やと思う?」

 

「あっ、それは……!」

 

 少し前に夕立と一緒になって召集に回っていた時聞いたのを思い出す。

 この鎮守府にある備品は全て、憲兵が持ってきた、と。

 

「憲兵が持ってきたん、ですよね……? 夕立さんから聞いたんですけれど、それ、私も気になってて――」

 

「そや。元々は大将やったっちゅうても独立部隊の憲兵がわざわざ動くかぁ? ありえへん。あったらアカンこっちゃ。それこそ、動かすなら海でも陸でも()()()()()()()()やなきゃな」

 

 空母の皆も同じように思っていたらしく、うんうん、と頷いている。

 私も、吹雪も頷いてしまう。

 

 あの提督には謎が多すぎる。経歴然り、失踪中の事も然り。

 

 そうだ、と私は龍驤さん達に資料で見た提督のことについて聞いてみた。

 

「皆さんは提督の記録をご覧になりましたか? その、艦隊指揮から離れている間のこと、とか」

 

 言葉を濁して言うと、鳳翔が首を縦に振った。

 

「えぇ、ある程度、ですが。提督は恐らく司令部――大本営と確執があるのでしょう。邪推に過ぎませんが、どうにも内部抗争があるような気がしてなりません。本来ならば軍法会議にかけられ、脱走兵とされるべき事柄です。それが内々に処理されているだけではなく、新たな鎮守府を任されるなど……」

 

「です、よねぇ……」

 

 歴戦の空母は伊達ではない。私と同じ疑問にぶつかっている。

 過去の話とは言え前線を張っていた艦娘である鳳翔でさえ疑問に思っているなら、私たちと同じように考えている艦娘はこの中にまだまだいるだろう。

 

「なになに? 何のお話っぽい?」

 

「わっ、ゆ、夕立さん……!」

 

 ひょっこりと私の後ろから顔を出した夕立に驚いていると、召集の時に話した名残があるような表情をしながら、赤城が「お疲れ様、夕立さん」と微笑んだ。

 

「赤城さんもお疲れ様っぽい! 来てくれて良かったぁ……どう? どうだった? 提督さん、悪い人じゃないっぽいでしょ?」

 

「えぇ。夕立さんの言う通り……優しい人でした」

 

 優しい人、という所に妙な力が入っているあたり、やはり提督に焚きつけられた空母の一人なのだと胸中で頭を抱えてしまう。

 確かに提督の人心掌握の術は素晴らしいものだ。だがどうして、こう、極端に火をつけてしまったのか……提督のお考えは分からない……。

 

「駆逐の。自分、大淀と最初に提督に会った子ぉか?」

 

「私は夕立だよ! 提督が来るまでに哨戒するようにって言われてて、そこで大淀さんと提督さんに会ったっぽい!」

 

「ん、あぁ、夕立、夕立な……。ほんで、夕立。提督と会った時、どないやった?」

 

「んー……えっと……」

 

 夕立は唸りながらしばし上を向いていたが、数秒もすると頬を染めて下を向く。

 そして、自分で頭を撫でるような仕草を見せてから、ぽつりと言った。

 

「一緒に帰ろうって、言ってくれたっぽい。それで……その、頭、撫でてくれて……えへへ……」

 

「……なんや、そうなんか」

 

 意外そうな顔をする龍驤。

 駆逐艦はずるい。

 

「ただのバケモンでも無いっちゅうことか……んでも、分からん事だらけやな……憲兵が動くほどの重鎮で、うちら古参を前にしても動じんどころか喧嘩売るくらい肝も据わっとる……あー、アカン! 考えても分からんもんは分からんわ! 鳳翔、飯いこ、飯!」

 

 頭をがりがりとかきむしった後、龍驤さんの「行くで」の一声で空母が全員動き出す。

 ぞろぞろと講堂を出て行く空母に続き、立ち話も終わった様子の戦艦や重巡も同じようにして出て行き、駆逐もそれに続く。

 最後に残ったのは、私と夕立だけ。

 

「……改めて、すごい場所に配属になってしまいましたね」

 

 と私が言うと、夕立は「っぽい……」と苦笑い。

 しかし何故だか、不安よりも期待の方が大きかった。

 

 

「素晴らしい場所、という意味でありましょうか」

 

 

 背後からの声に、私と夕立は咄嗟に身構え、振り返る。

 

「おぉっと……海軍は喧嘩っ早いとは本当でありますなぁ」

 

 そこにいたのは――私の知らない艦娘だった。

 夕立も知らない。何せ、私たちは《彼女を迎えに行っていない》のだから。

 

 黒い制服に、黒い制帽。対照的に真っ白な肌が浮いて見える、不思議な少女。

 私は脳内に眠る無数の知識をひっかきまわし、彼女の名を探り、口を開く。

 

「寮にはいなかったはずですが――あきつ丸さん」

 

「それはそうでありましょう。自分は少佐殿の演説中にやっとここに到着しましたので」

 

「遅れて着任したと……?」

 

「えぇ、全く、海軍は内輪もめの多いこと……少佐殿の気苦労も絶えないでしょうな」

 

 いつから……否、一体、どこから……。

 彼女から漂う不穏な空気に、自然と夕立を庇うようにして前に出た。

 

 すると、あきつ丸は両手を胸の高さまで上げてニヤリと笑って見せる。

 

「敵意はありませんので、ご心配なさらず。陸軍所属とは言え、自分も艦娘であります。大淀殿や夕立殿の仲間でありますよ」

 

「大淀さん……この人……」

「夕立さんはそのまま後ろに」

 

「……登場が悪かったでありますね。本当に敵意は無いのでありますが」

 

 怯える夕立の前に立ち続けたままの私の目には、あきつ丸が洩らす言葉のように反省している様子は窺えず。

 

 しかし、彼女から発せられた次の話によって、状況は一変する。

 

「自分はその陸軍が扱えないからと海軍に押し付けられ、その後は様々な鎮守府を転々と……ま、所属の艦娘らと似たり寄ったりの境遇というわけでありますよ。違いと言えば――元帥閣下に一度引き取られた事でありましょうが」

 

「っ、元帥……!?」

 

 目を剥く私に、あきつ丸はくつくつと笑って両手を下げる。

 それから、右手の人差し指で制帽をくっと押し上げて言った。

 

「大淀殿や龍驤殿、鳳翔殿が話しておられたことですが――おおよそ、相違ありません。一つお教え出来るのは……少佐殿の今後について」

 

「少佐殿は直近にある呉鎮守府提督の《山元》という大佐に睨まれております。これも大淀殿ならば予想していらっしゃったでしょうが、彼は艦娘反対派の一人……よく言う事を聞くようにしつけた手駒をもって、我らが鎮守府へ挨拶に来るでしょう」

 

「それって……」

 

「なぁに、問題ありますまい。一時とは言え元帥閣下の膝元にいた自分でさえ、少佐殿がいかな手腕を持っているかなど知りません。ただ……」

 

 あきつ丸は一拍おいて、私たち以外いなくなった伽藍洞の講堂を見回す。

 

「……元帥閣下がこう、言っていたのであります」

 

 

 

 

「彼の傍にいれば安心だろう、と」

 

 

* * *

 

 

 講堂を出て、休む前に食事を、と食堂へ顔を出すため歩いている間も、私は混乱していた。

 

「元帥閣下が、提督を直々に指名して艦娘を送り込んだ……? と、すれば、元帥と提督は知り合い……いや、違う、知り合いだからと言って簡単に艦娘を送り込むなんて、艦娘反対派の存在を知っているであろう元帥閣下が、そんな安直なことをするわけが……」

 

「お、大淀さん、全部口に出てるっぽい……」

 

「っは……!? す、すみません、つい……」

 

 黙って考え事をしているつもりが……。

 

 あれから、あきつ丸は提督に挨拶へ行くと言って執務室へ向かって行った。提督の身を案ずるならば一緒に行くべきなのだが、あきつ丸が最後に「自分を救ってくれるやもしれない少佐殿に危害を? 海軍は短絡的でありますねぇ?」と煽り倒してくれたので、行かなかった。

 

 そこを押して行くべきだったのだと言われたらそれまでだが、煽られたことを抜きにしても、提督が誰かにやられる、なんてイメージが浮かばなかったのが本当のところである。

 提督を信頼して、行かせたのだ。

 

「考え事ばかりしても仕方がないですね。今日は休めと提督もおっしゃってたことですし、私たちもご飯を食べたらゆっくりしましょう、夕立さん」

「っぽい!」

 

 食堂に到着すれば、中からがやがやと喧噪が聞こえる。

 恐らく、艦娘たちが食事をしているのだろう。

 私たちもさっさと食べてしまおうと扉を開けば――

 

「おぉ、遅かったな。先にいただいてるぞ」

 

「てっ、提督!」

「提督さん!」

 

 そこには何故か潜水艦たちに囲まれて食事をしている提督の姿があった。

 

 完全に人間不信に陥っていた潜水艦たちはニコニコと提督の傍で定食らしきものを食べており――周囲から完全に浮いている。特に、戦艦や重巡、空母たちから呆れた目で見られていたのだった。

 

「間宮たちは凄いな。この食事を一瞬で用意したんだ。大淀も夕立も早く来い、美味いぞ」

 

「え、あっ、あの、はぁ……」

 

 分からない。今、私の目の前で何が起こっているんだ……?

 

「てーとく! ゴーヤのおかずを分けてあげるでち!」

「あっ、ゴーヤずるいよ! はい、提督、ニムのもあげる!」

「ヨナのも食べる~?」

「はっちゃんのも……」

「皆! 司令官が困っちゃうでしょ! ごめんね司令官、こうやって食事を一緒にとるなんて無いから、皆はしゃいじゃって……」

 

「構わん。これからも同じ釜の飯を食うんだからな。私のことはいいから、ほら、皆食べなさい」

 

「「「「「は~い!」」」」」

 

 すぅ、と深く息を吸い込み、吐き出す。

 もう一度深く吸い込み、また吐き出す。

 そして、目を擦って、前を見る。

 夕立も私と全く同じ行動をしていた。

 

 そして、目の前にあるのは――

 

「この焼き魚、美味いな……間宮にまた作ってもらえるよう頼んでみるか」

 

 ――講堂にいた時と同じ提督のはずなの、だが……。

 

「……っく、わ、我々を前にして、余裕を見せつけるなど――!」

「長門、カームダウン! カームダウン、ネ!」

「ひ、ひぇぇ……」

 

 戦艦たちも――

 

「うちらがおっても関係無し、と……えぇ度胸っしょぉるのぉ……!」

「流石、と言うべきなのでしょうか……赤城さん……」

「食事は大事ですからね。仕方がないですね」

「赤城先輩? ちょっと?」

 

 空母たちも、完全に蚊帳の外である。

 かくいう私も固まっているだけではいけない、と姿勢を正し、提督の傍まで歩み寄る。

 

「て、提督、先ほど、あきつ丸、という艦娘が――」

 

「あきつ丸……? あぁ、揚陸艦の……それがどうかしたか?」

 

「い、いえ、提督がお話をされている途中に来て挨拶が出来なかったからと、執務室へ向かったので……」

 

「あぁ、なるほど、分かった。今から戻って入れ違いになっては悪いからな、ここに来るのを待っておこう」

 

「えっ、あ、よろしいので……?」

 

「よろしいも何も、飯を残して立つわけにはいかん」

 

「は、はぁ……」

 

 大淀型軽巡洋艦一番艦、艦隊司令部付の任務娘でもある私は聡明である。

 不明な事があれば即時調査し、解答を見つけ出す。それが私の仕事だ。

 だが、私はここへきて初めて――

 

「では、私たちも、食事を……とって、いいのでしょうか……」

 

「ああ、カウンターで頼んで来い。あるものなら間宮がすぐに作ってくれるぞ」

 

「はい……」

 

 ――この恐ろしくも優しい提督が、完全に分からなくなったのであった。



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十一話 評価【提督side】

 泣き出したゴーヤを宥めようとした俺だったが、それよりも早く「待ってて欲しいでち! すぐに皆を呼んでくるから!」と執務室から出て行かれてしまって、取り残されてしまった。

 泣きたいのは俺でち。

 

「……泣くくらいなら断れよぉ」

 

 誰もいなくなった執務室で呟く。

 既に色々と投げ出したい気持ちになってきているが、俺の双肩には人類の存亡がかかっているのだ。ブラックな営業で鍛えられたゴマすりで機嫌を取ってやろうじゃないか。大丈夫……まだ、戦える……!

 

 まだ、というか着任初日だから序盤も序盤なのだが。

 

「それにしても、艦娘、なぁ……」

 

 無意識に零れ落ちる独り言。

 

 大淀と夕立が集めた艦娘はざっと見ただけで百隻以上。講堂に詰め込まれていた艦娘を見て思い出に浸ったりしてしまったが、冷静になって考えると、先程執務室を出て行ったゴーヤも、ゴーヤの仲間たちも、ほかの皆も――この世界の他の提督によって傷ついた艦娘なのか。

 同人などでよく見かけた《ブラック鎮守府》と呼ばれるような場所で過酷な労働に従事させられていたのは想像に難くないが、現実の女性があそこまで怯えたり、敵意をむき出しにしたりするなんてよっぽどではないか?

 

 ゴーヤが言っていた潜水艦たちの扱いも、オリョールクルージングと呼ばれる資材集めの一環としては良くあるものに聞こえたが、補給無しというところが引っかかる。

 

 《艦隊これくしょん》において補給とは艦娘にとっての食事であると認識している。とすれば、ゴーヤたちがいた鎮守府では食事を一切させずに仕事をさせていたに等しい。艦娘は頑丈であるのは何となく理解できるが、人間ならば数日もしないうちに倒れてしまう。

 

「飯……そうだな、やっぱ、飯だよな」

 

 案内してもらいながら、機嫌を取って、食事をさせてゆっくり休ませる。それが先決だろう。

 

「さて、そうと決まれば話は早いな。っと……その前に」

 

 鎮守府に到着してすぐに電話がかかってきたり講堂で挨拶する羽目になったりして、執務室を見回ることすら出来なかったのを思い出す。

 俺はデスクに戻り椅子に座ると、デスクにいくつか備え付けられた引き出しをひとつひとつ開けていく。何も入ってないとは思うが、一応な。今後は色々と詰め込まれるだろうし――

 

 上段中央に一つ、右手に三段引き出しがある。右手の一番上の引き出しは鍵付きで、開けばそこには鍵が入っていた。

 ポケットに突っ込んだままの紅紙を取り出して鍵と入れ替わりにしまい込み、そのまま閉じる。

 

 その他の引き出しには、やはり何も入っていなかった。当たり前か。

 

「さ、て、さ、て……他には……」

 

 おっさんになると独り言が増える。悲しい。

 それはさておき。

 座った状態でキコキコと椅子を左右に回しつつ部屋にあるキャビネットやら本棚やらを眺めてゴーヤたちが来るのを待つが……流石にすぐには来な……

 

「お待たせでちぃー!」

 

 バターン! と盛大に扉を開けるゴーヤに驚いて、椅子から滑り落ちそうになる。

 ゴーヤに背を向ける形で椅子が半回転したお陰で情けない姿は見られていないと思うが、万が一にもダサい恰好を見られてしまうわけにはいかないので威厳スイッチオン。

 背もたれを向けた状態のまま、静かに「うむ」と答えておく。威厳スイッチ《う》である。

 

 ちなみに、威厳スイッチは五十音あり……いやそれはいいか。

 

 ゆっくりと振り向き、入室してきたゴーヤと、連れてこられた潜水艦たちを見る。

 

 そこには、ゴーヤの外、伊八、伊二十六、伊四十七、そしてリーダーらしい伊百六十八の姿があった。

 伊十九はいないのか……。あ、いや、別にだからどうこうでは無いんだけど。

 

 不埒な考えが浮かぶ前に咳払いを一つして、俺は伊百六十八――イムヤに声をかける。

 

「お前がイムヤだな」

 

「は、はいっ」

 

「ふむ……」

 

 上から下までまじまじと見る。うーん、スクール水着にセーラー服。何度見ても危ない感じがする。

 まぁ、それを言ったら潜水艦は全員スクール水着なので、執務室にスク水少女が五人いるというだけで危うい雰囲気がたっぷりなのだが。

 

 イムヤを見終われば、次にニム、ヨナ、はっちゃんと見て、損傷が無いのを確認し、一息。

 

「ふぅ……安心した。損傷が残っていたら先に入渠に行かせるところだった」

 

「安心……ですか?」

 

 訝し気に声を上げたイムヤに、俺は軍帽を脱ぎ、デスクに置きながら答える。

 

「ゴーヤから話を聞いて心配していたんだ。イムヤに無理はさせたくない、と」

 

 そう言うと、イムヤは目を丸くしてゴーヤを見る。

 ゴーヤは「提督なら、お話を聞いてもらえると思ったんでち……勝手に、ごめんね」と申し訳なさそうに謝罪していた。

 

「そっか……ありがとう、ゴーヤ。でも、私は資材を集めることくらいしか役に立てないから……もう、大丈――」

 

「聞き捨てならんな、イムヤ」

 

「えっ」

 

 思わず口を挟んでしまった……仲間内の話に他人が首を突っ込んでくること程疎ましいことはないだろうが、艦これプレイヤーの性である……。

 ご機嫌取りをするどころか、嫌われてしまいかねない行動であると自覚もあるものの、言わずにはいられない。

 

 資材を集めることくらいしか役に立てない?

 この世界はどうなってるんだ。おかしい。おかしすぎるッ!

 

「潜水艦は確かに資材収集に大いに役立つが、くらい、とは何だ」

 

「あっ、え、っと……そのぉ……」

 

 艦隊これくしょんで潜水艦は扱いにくい艦種だった。資材を集めながらレベリングが出来る反面、活躍できる場所は限られる。オリョールクルージングやバシークルージング、キスクルージングやカレークルージングと呼ばれる資材周回ばかりに出撃させる提督が多いのも事実。

 だが、潜水艦はそれ以上に有用性が高い艦娘だ。

 

「対潜装備を備えた艦に対しては被弾率が倍増し、中破大破しやすいのは事実だが、それは逆を言えば『対潜能力を有していない艦』からの攻撃は一切受け付けないという事だ。分かるか? 恐ろしい火力を持つ戦艦であろうが、針穴に糸を通すような精密な砲撃を行う重巡であろうが、潜水艦にとってはただの的に過ぎん」

 

「ぇ、あ……」

 

「空母の夥しい数の艦載機が空を埋め尽くしたとしても、お前たちには攻撃が届くことはほぼ無い。駆逐艦や軽巡洋艦、雷巡はお前たちのような潜水艦がいると分かれば最大限の警戒をもってお前たちを先に攻撃するだろう。デコイと言えば聞こえは悪いが、お前たちにはそれだけの力があるのだ。その駆逐艦や軽巡、雷巡もお前たちの先制雷撃の餌食になってしまえば……言わずとも、分かるな?」

 

「……」

 

 扱いにくいと言えばそれまでだが、言い換えれば繊細な扱いを必要とする艦なのだ。

 その繊細さに面倒を感じて放置することもあろうが、潜水艦に〝くらい〟などという表現は似合わない。

 艦隊これくしょんにおいて最凶最悪とまで呼ばれた《第二次サーモン海域》では、潜水艦の存在が勝利を分けたと言っても過言ではない。

 今でこそ弾着観測射撃や夜戦装備などを駆使すれば突破できる海域となっているが、それでも潜水艦は強いのだ! 凄いのだ!

 

 入渠時間が短いというのも魅力である。周回をする際の入渠時間の管理というのは、それはもう手間だった。所持艦娘が少なかった俺は出来る限り入渠時間が長くならないよう、高速修復材を無駄遣いしないよう注意を払ってプレイしていたものだ……。

 

 ――っは……!

 

 何をやっているんだ俺は……案内してもらって飯を食うだけのはずが、潜水艦を呼びつけて無駄なことをだらだらと……!

 これでは説教している面倒なおっさんではないか……くそ、やってしまった……ッ!

 あ、謝らねば……人類が亡ぶ……ッ!

 

「す、すまない。つい、変な話をしてしまった……気を悪くしただろう――」

 

「ひっ……ひぐっ……う、うわぁぁぁん! あぁぁああん!」

「でちぃぃ……! うぇぇぇん……!」

「そ、そんなっ、こと、い、言って、もら……うえぇぇえん!」

「うぅっ……ぐすっ、ぐすっ……」

「っ……」

 

 あ艦これェェッ! 五人も一気に泣かせてしまったァァァッ!

 人類破滅待った無し! ワレアオバ! ワレアオバァァァァッ!

 

 褒めろ! なんでもいいから褒められる所を思い出せ俺! 艦これ知識をフル稼働しろォッ!

 

「あっ、まっ、な、泣くな! マテ! そ、そうだ、お前たちの資材収集能力は凄いものがある! 否定したかった訳ではないのだ! お前たちの働きは鎮守府の運営に大きく貢献していたことだろう!」

 

 ダメだッ! 俺も潜水艦を酷使して資材周回ばっかしてたから褒めるとこがそこしか無ェッ!

 ごめん、井之上さん……人類は終わったよ……。

 

 諦めの境地である。

 俺は静かに立ち上がり、軍帽を深くかぶりなおして潜水艦たちへ歩み寄る。

 

 胸板にも届かない小さな潜水艦たちの前までやってくると、土下座すべく右膝から地面に――

 

「し、しれい、かんっ……うぐっ、うっうっ……うぅぅぅぅっっ!」

 

 片膝をついた状態の俺に、何故かイムヤが抱き着いてきた。

 えっ、ナニコレ、このまま俺の頭、潰されちゃうのか……?

 艦娘パワーで、ぷちゅんってされるのか……?

 

 イムヤだけではなく、右から左から、回り込んで背後からもニムやヨナ、はっちゃんにゴーヤまで手を回してきた。

 俺はまたいつか、皆さんに会える日を夢見て……深く潜る……あっ……やぁらかい……。

 

 数秒、十数秒としても潰される気配は無い。

 潰される事を恐れて腕を広げ、全員に手を回した格好のまま、数分。

 四方八方から聞こえ続ける泣き声に頭はパンク寸前である。大淀助けて。

 

 それからもう数分経つ頃、疲れと緊張はピークに達し――俺は考える事をやめた。

 

 もうだめだ、なるようになる。人類が滅亡しても俺は悪くない。

 こうなったら死ぬ前に一回くらいは間宮の飯を食ってやる。絶対に……絶対にだ!

 

 

 

「……全員、落ち着いたか」

 

 俺の声に、未だにすんすんと鼻を鳴らしながらではあったが、全員が離れてくれた。

 

「ごめんなさい、司令官、その、つい」

 

 イムヤの謝罪に対し、俺は首を緩く横に振って見せた。

 

「私は何も見ていないとも」

 

 そう、俺は何も見ていないし思い出したくない。覚えてないことにしておく。

 着任初日に潜水艦を五人も泣かせた挙句に頭を潰されかけたなど記憶しておきたくない。怖い。

 

 膝をつきっぱなしだったので足も痺れかけている。

 俺は立ち上がり、膝をぱっぱっと払うと、現実逃避すべく「さて……仕事を頼む」と言った。

 潜水艦たちの意識を少しでも俺から逸らすのだ。何としてもッ……!

 現実逃避の方法が仕事というあたり、未だにブラック企業で戦っていた精鋭たる精神が抜けていない俺も俺だが、今はいいか……。

 

「ぐすっ……うん、よしっ! もう大丈夫でち!」

「ヨナも、大丈夫」

「うんっ! ね、はっちゃん?」

「……ん」

 

「それじゃあ司令官、私たちが鎮守府を案内してあげる! さぁ出撃よ。伊号潜水艦の力、見ててよね!」

 

「うむ。期待しているぞ」

 

 もう伊号潜水艦の力の波動は感じたから緩めにお願いしたいが、ここは黙っておく。

 おれはかしこいんだ。

 

 かくして、伊号潜水艦たちの鎮守府案内が始まった。

 

 

* * *

 

 

 鎮守府は俺が想像していたよりもはるかに大きく、広大な敷地を有していた。

 俺の職場の中でもメインとなる執務室がある赤レンガの建造物は《中央棟》として独立しており、それを囲むような形で倉庫区が広がっていた。資材を管理するための倉庫ということらしいが、それにしても数が多いのが印象的だった。全てに資材が詰め込まれている訳ではないだろうが、後日大淀に確認を手伝ってもらおう。俺が生きてたら。

 

 倉庫区を抜ければ、工廠区画があった。渡り廊下のようなものがあり、入渠施設と繋がっているらしい。

 流石の潜水艦。どの艦娘よりも短い入渠時間だが、入渠回数は比にならないだろうから、先に確認していたのかもしれない。

 

 そして、工廠区画と入渠施設の向こう側に艦娘たちの住まう寮があった。

 いくつかの棟に分けられており、空母と戦艦、重巡と軽巡、駆逐艦、そして自分たち潜水艦や明石などの工作艦の部屋がある四棟があるのだと説明してくれた。

 駆逐艦で丸々一棟使うとは……なんという数だ……と思ったが、講堂の出来事を思い出せば、半分に迫る数いたのだから、あれくらいは必要か、と素朴な感想を抱く。

 

 それから、一周する形で中央棟に戻ってきた俺達一行。

 簡単な案内だったが、これで迷子になるという珍事件を起こさずに済む。

 

「案内、ご苦労だった。これで安心して執務に励める」

 

 ちゃんとお礼も忘れない。

 お礼を忘れようものなら、海のスナイパーイムヤに今度こそ頭をぶち抜かれてしまうだろう。

 

「まだ終わってないよ司令官?」

「そうでち!」

 

 イムヤとゴーヤの言葉に背筋が凍りつく。

 まだ、終わってない……? 残業ですか……? それともやっぱり俺を――

 

「ご飯、食べるんだよね……?」

 

「あ、あぁ、そうだ、そうだったな。忘れていた……仕事のことばかり考えてしまって、すまない」

 

 はっちゃんの声にはっとする。はっちゃんだけに。

 おっさんだから許されるギャグである。おっさん以外がやったら空母の群れに放り込まれるから気を付けた方がいいだろう。

 いやそうじゃない。俺はいつまで混乱しているんだ。

 

 いつのまにやら元気になった潜水艦たちに「ごっはん~! ごっはん~!」と腕を引っ張られながら中央棟の中へ。それは夕立の専売特許じゃないのかという疑念も呑み込む。おれはかしこいので。

 

 どうやら食堂は中央棟にあったらしく、案内されたのは執務室のある方向とは真逆の場所だった。

 近づくにつれ、ふわりと良い匂いが漂ってくる。

 スライド式の扉の前まで来れば、その上にはしっかりと【食堂】という看板があった。

 おぉ……やっと……飯が食える……死ぬ前に間宮の飯が……。

 

 がらがらと音を立てて扉を滑らせれば、良い匂いは一層濃くなって鼻腔をくすぐった。

 

「あら、提督。早速来ていただけたのですね」

「一番乗りですねっ」

 

 室内には長卓と椅子がずらりと並び、社員食堂のような雰囲気である。

 入口から見て右手が調理場となっており、カウンターで仕切ってあり、中からは間宮と伊良湖の姿が窺えた。割烹着と相まって風景に馴染んでいる姿に、ほぉ、と息が漏れてしまう。

 

「司令官、何食べる?」

「ゴーヤは提督と同じメニューにするでち!」

「ヨナも……同じのがいい。同じ、メニュー」

「シュトーレン……」

「はっちゃん、それはご飯では無いでち……」

 

 一気に話しかけないで。お願い。俺の耳は二つしかないんだ。

 

「ふむ……間宮、メニューは何がある?」

 

「コンロの火を馴染ませるために魚を焼いていたんですが、焼き魚定食、なんてどうでしょう? それ以外でも、少し待っていただければ――」

 

「魚か……いいな。海の幸を鎮守府で、とは、粋じゃないか」

 

「っふふ、提督は何でも褒めてくださるのですね」

 

 なんでも褒めなきゃ人類が滅ぶだろうがッ!

 まあ、言った事は嘘などではない。

 

 適当な席に腰を落ち着けると、イムヤ達は俺を囲むように座った。

 右手にイムヤ、左手にゴーヤ、正面にヨナとニムとはっちゃん。もちろん、全員スクール水着だ。

 絶望的に食堂に合わない光景だが、艦これでは日常茶飯事である。

 

「出来ましたよ、提督。熱いうちにどうぞ」

 

 早いな!? 座って一分くらいしか経ってないぞ!?

 驚きは顔に出さず、クールに言葉だけで表す。威厳スイッチ《す》である。

 

「素晴らしい早さだな。流石、給糧艦だ」

 

「私と伊良湖ちゃんの戦場、ですからね」

 

 ニッコリと微笑んで六人分の焼き魚定食を並べた間宮は、再び調理場へ戻っていく。

 それを見届け、俺は早速両手を合わせた。

 

「いただきます」

 

「「「「「いただきま~すっ」」」」」

 

 こういう場での食事こそマナーを見られる――かもしれないので、一応気を付けて箸を運ぶ。

 まずは汁物を一口。ありふれた味噌汁だが、一口含むと、程よい塩気と味噌の甘味が口いっぱいに広がり、じんわりと舌を温める。飲み込めば、温かさが食道を通っていくのが分かった。

 そしてご飯。白米ではなく玄米だった。柔らかく炊かれた白飯も悪くないが、しっかりとした歯ごたえのある玄米も味噌汁の後味に合う。

 主菜の魚も絶妙な焼き加減で、箸が触れるだけでほろほろと身が骨から外れていく。

 なんと幸福な時間か……簡単かつ単純な料理とは言え、人の作った食事は荒んだ心をどこまでも優しく癒してくれる……。

 

 感動しながら食事を噛みしめる事に集中する俺。なんだか騒がしくなってきているが、気にする余裕は一切無かった。

 腹も減ってたからな……。

 

「司令官、凄く綺麗に食べるのね……お魚そんなに好きなの?」

 

 イムヤの問いに「あぁ、好きだぞ」と短く答えつつ、漬物もいただく。美味い、美味いぞッ……!

 間宮と伊良湖に仕事を任せて大正解だった。

 

「間宮~、飯ぃ~」

 

 がらら、っと扉が開く音。続く「げぇっ!?」という声。

 その後も続々と「て、提督っ……」などと聞こえ、何なんだと顔を上げれば、入口からなだれ込んでくる艦娘の群れ。戦艦、空母、重巡に軽巡、駆逐艦も勢ぞろいである。

 そうか、皆も食事をしていなかったのだな、と一人納得し「先にいただいてるぞ」と一言。

 何人も俺の食事の邪魔はさせるつもり無いがな――!

 

 と、食事を再開しかけた矢先に、また扉の開く音。

 今度は誰が来たのだろうかと見てみれば、大淀と夕立だった。

 

 あっ、一緒に食べようって言ってたのに忘れてた……。ま、いいか。

 

 もう執務室でイムヤたちを泣かせてしまった俺に未来は無い。今ある幸福を最大限に噛みしめて、後悔の無いように生きると決めたのだ。すまんな人類。

 

「おぉ、遅かったな。先にいただいてるぞ」

 

「てっ、提督!」

「提督さん!」

 

 人はこれを開き直りと言うのである。

 

「間宮たちは凄いな。この食事を一瞬で用意したんだ。大淀も夕立も早く来い、美味いぞ」

 

「え、あっ、あの、はぁ……」

 

 大淀はどうやら信じていない様子だった。

 嘘じゃないんだぞ。一分もしないうちに六人分の定食を運んできたんだからな。本当だぞ。

 

 にしても、想像しか出来なかった艦これ世界が目の前に広がっているというのは、何度見ても面白いものだ。

 百を超える艦娘が大きな食堂を埋め尽くし、ああだこうだと言いながら食事をする――未だに夢を見ているようだと思ってしまう。

 

「てーとく! ゴーヤのおかずを分けてあげるでち!」

「あっ、ゴーヤずるいよ! はい、提督、ニムのもあげる!」

「ヨナのも食べる~?」

「はっちゃんのも……」

「皆! 司令官が困っちゃうでしょ! ごめんね司令官、こうやって食事を一緒にとるなんて無いから、皆はしゃいじゃって……」

 

 魚が好きと言ったのが悪かったのか、イムヤたちがこぞって俺の皿に焼き魚を置こうとする。

 賑やかな食事は嫌いじゃないが、焼き魚はそんなにいらない。美味いけども。

 

「構わん。これからも同じ釜の飯を食うんだからな。私のことはいいから、ほら、皆食べなさい」

 

「「「「「は~い!」」」」」

 

 適当にあしらってから、改めて自分の焼き魚を食べる。

 

「この焼き魚、美味いな……間宮にまた作ってもらえるよう頼んでみるか」

 

 ぽつりと呟き、俺は食事を楽しんだ。

 

 何やら龍驤から話しかけられたが、全て適当に受け答えしておいた。

 ごちそうさま、と俺が顔を上げた時には、俺が適当に受け答えしてしまったからか、全員が泣いていた。

 泣き止んだと思ったイムヤたちまで箸を止めて泣いていたし、調理場の方を見たら間宮も伊良湖も泣いていた。

 

 ヤバイ。食事に集中し過ぎて何を言ったか覚えていないが、また泣かせてしまった。

 

 人類は終わった――――――ッ! 完ッ!

 

 俺は胸中で井之上さんに全力で土下座しまくった。

 

 ごめん井之上さん、来世で会おう、と。




日刊ランキングという、縁の無いと思っていたものに載っていて驚きました……。
この作品を読んでくださっている皆様に感謝を……本当にありがとうございます!

(今更タグが妙な事になっていたのに気づいたのでアンチ・ヘイトを外しました。大変失礼いたしました)


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十二話 提督と妖精【艦娘side】

「いいから飯を食え。美味いぞ」

 

 柱島泊地の鎮守府に所属となった全艦娘に囲まれた提督は、一言、そう仰った。

 青筋を立てて提督を睨みつける戦艦長門や軽空母龍驤を一切気にする風も無く。

 

 殆どの艦娘は演説を聞いて『この人ならば』と希望を持った。軽巡洋艦や駆逐艦は既に提督をある程度信用した様子で事の成り行きを見守っている。

 しかし、空母や戦艦はそうも行かない。敵意こそ無いものの、前に所属していた鎮守府で受けた傷はまだ癒えていないのだろう。それは傍から見る私にだって分かる。その傷の疼きが癇癪に似た感情を生み出し、提督を引っ掻くような言葉となって龍驤の口から紡がれた。

 

「司令官……随分と余裕かましてくれるやんけ……!」

 

 治まったはずの殺気――癇癪に似た、しかし、癇癪とは程遠い圧。

 

「あぁ」

 

 黙々と食事を続けながら、提督は片時も顔を上げずに言う。

 

「な、なんや、うちの目も見られへんっちゅうんか……なぁッ!」

 

「座れ」

 

「ッ……!」

 

 殺気、重圧、強圧、威圧、どれも当てはまらない。

 提督の一声に込められていたのは、歴戦の兵士をしてなお足元にも及ばない圧倒的なまでの強制力だった。

 私や夕立、軽巡、駆逐艦、戦艦、重巡、空母、誰に向けられたものでもなく、それは龍驤に向けられた言葉であるというのに、全員が慌てて着席する。ものの数秒であった。

 

 そこからは、調理場から聞こえる何かを煮るような音と、提督が食事をする音だけが食堂に満ちる。

 

「ち、ちゃう! 何座っとんねん、くそっ……!」

 

 龍驤は思わず座り込んでしまったのをまるで恥じるように立ち上がろうとするが、少し離れた位置にいる私から見ても膝が笑っているのが分かった。

 何度か立ち上がろうと試みるも、最後には思い切り歯を食いしばって、毒でも吐くような低い声で提督を睨みつけながら言う。

 

「考えを聞かせぇや……司令官はここで……何をするつもりなんか」

 

 ここで何をするつもりか。

 龍驤から投げられた問いにはいくつもの意味があるのを、この場にいる誰もが理解している。

 提督はまるで質問される事が分かっていたかのように、間宮の作ったであろう味噌汁をするすると飲み、静かに置いたのち、一息吐き出して話した。

 

「艦隊指揮だ。私が鎮守府を運営する」

 

「ンなもんは分かっとんねん! う、うちが言いたいのは――ッ」

 

「そして艦娘を支える」

 

「っ……そ、そんなん、はいそうですかってうちらが手放しで喜ぶわけ無いやろがい! そらありがたいわ。ごっつ嬉しいのは確かにある! けど、司令官の経歴をうちらは知っとる!」

 

「そうか」

 

「そうか、って……あ、あんたは艦娘を沈めた軍人や言われてんねやで! 見たら分かる冤罪や言うても、不安になるんは悪い事なんかッ!」

 

 ――これぞ、真意。

 私達の中にあるわだかまりの正体だった。

 

「ヒトとは、得てして他人を蹴落とすものだ。私の仕事がそうだった」

 

「そうだった、て……」

 

 私は反射的に、座った膝の上にある手をぎゅっと握りしめてしまう。

 隣に座っている夕立がそれに気づき、そっと手を重ねてくれた。

 

(大淀さん。大丈夫……きっと、大丈夫っぽい)

 

 夕立の囁き声に、私は浅く頷き、前を見る。

 潜水艦に囲まれ食事を続ける提督を。

 

「だからと言ってその者を恨んだところで、仕事は減らん。恨みに恨みを返せば、さらに仕事が増え、余計な被害が増える」

 

 内部抗争の話か。それとも、戦争そのものを指しているのか。

 いいや、これは――どちらも指しているのかもしれない。

 龍驤は提督から語られる言葉の一つ一つを決して聞き逃さないように、目を見開いて身じろぎ一つしなかった。それに倣うように、鳳翔も、ほかの空母も。

 

 提督は昔の話をする時、虚空を見つめる癖があると私は見ている。

 ここに来る前に船上で話していた時もそうだった。虚空、というより、提督の瞳はどこまでも深い闇を見ているようだった。水底のような闇を。

 

「余計な手間は周りを不幸にする。その不幸は伝播して、良い結果を生み出すことは無い。それは〝俺〟が味わって来た」

 

 ふと、私から「あっ」という声が漏れた。私だけではなく、夕立からも。

 提督が自らを私、ではなく、俺と言った事で確信した。ほんの簡単なことであるというのに、それだけで全て本当の事なのだろうと理解する。

 

「ある男が仕事に失敗し責任を俺に投げたことがある。俺はその部下だ。無論、挽回をはかった。当時の同僚も俺に協力してくれたが、結局……上手くは行かず――同僚は消えたよ」

 

「消えっ……!? 司令官、それ、死んだ、て事か……なぁ……」

 

 龍驤の声が震える。

 

「まぁ……二度と、同じ職には就かんだろうな。職場にはよくある話だ」

 

 力が抜けた。

 気遣うような『同じ職には就かない』という表現は、きっと提督の精一杯の虚勢なのだと悟ってしまったからだ。

 就かないのではなく、就けないことを分かっていながら――提督は向き合っている。

 

「ブラックな仕事だ、本当に……。くだらん事ばかりに時間を割いて、口汚く罵ることが仕事なのかと疑いたくなる。故に、俺は二度とそんなことはしないと決めた」

 

「自由だ。自由と平和――安寧を掴むために俺はここにいる」

 

「あらゆるものを捨てて、お前たちと生きる」

 

「だからまずは、飯を食え。そのあとにいくらでも文句に付き合ってやる」

 

 きん、と耳が痛くなるほどの静寂が食堂を包む。調理場でかちりとコンロを切る音が聞こえた。

 それから、提督の小さな「はぁ……美味かった」という声。

 

「ごちそうさま。さ、て……」

 

 提督が顔を上げた時――驚愕の表情となる。

 誰もが言葉なく、涙を流し、提督を見ていたからだろう。

 

「えっ、あっ……!? な、何を泣いているんだお前たち!? どうし……イムヤにゴーヤまで……! 大淀、どうにかしてくれ!」

 

 おろおろとする提督から名を呼ばれた私は首を横に振るしかなかった。

 

 泣くななど、困難な事を仰る。

 あなたもまた、仲間を失った身で――それを知らず我が身の事ばかりを優先していた私たちのなんと愚かなことか。

 提督。嗚呼、提督――どのようなお気持ちで、お話ししてくださったのですか。

 六年もの間抱え込んだその闇を、会ったばかりの艦娘たちに、どうして。

 

「うっ、ぐぅぅっ……くそっ、くそっ……くそぉっ! ンなん言われたら、文句も言えんやろがッ! ボケェッ!」

 

「エェッ!?」

 

 どこまでもお強い方だが、提督は涙を呑んできたからこそ、他人の涙に弱いのかもしれない。

 凛とした雰囲気は無く、ただただ狼狽する提督がおかしくて、とても愛おしく感じられて、私は泣きながら口元がほころんでいくのを感じた。

 

「……食事をしましょう。約束、ですから」

 

 私が言うと、全員立ち上がって、ぞろぞろとカウンターへと歩いていく。

 間宮と伊良湖は涙を拭いながら一人一人に心を込めるよう丁寧に食事を配り、数分もしないうちに全員が席についた。

 

 

「「「「「いただきます」」」」」

 

 

 提督はおろおろとしながらも、全員にお茶を配り歩き、

 

「な、泣かないでくれ……すまん……本当に、すまなかった……」

 

 と謝り倒していた。

 それに対して、殆どの艦娘が「お話ししてくれて、ありがとうございます」と返した。

 意味が分からない、という表情をしていた提督だったが、もしかしたら本当に分かっていないのかも、なんて。

 

 彼は優しさなどという感情と対極にある場所で生き続け、殺伐とした死の上を歩き続けていたのだろうから。

 

 

* * *

 

 

「そ、そうだ、龍驤。それに他の空母もだが、近海警備にはどんな艦載機を使用するつもりなんだ?」

 

 全員が食事を終えた頃、提督がそんな事を聞いた。

 

「あー……九六式の艦上戦闘機と、九七式の艦上攻撃機やけど……」

 

 どこか丸くなった語気で答える龍驤。提督は他にも、鳳翔や赤城、加賀、飛龍に蒼龍と、空母全員の艦載機の種類を聞く。

 空母から聞いた装備は前鎮守府でも前線で使われるようなものばかりで、別段変な所は無かったが――提督は愕然として「は……?」と洩らした。

 

「お前たち、近海警備の上空援護を、それで行うつもりだったのか……?」

 

 全員が頷きつつ、何かおかしなところでも? と首をひねる。

 

「……大淀、資材の備蓄はどれくらいある」

 

「え、あ、っは! こちらに来る前に資料で確認しただけではありますが、燃料、鋼材、弾薬、ボーキサイトが各二千――」

 

 この鎮守府に来る前。提督を岩国まで迎えに行っていた時に見ていた柱島泊地鎮守府についての資料には、確か各資材が二千と少し。全て倉庫区にあったはずだ。

 資材が潤沢な鎮守府ではこの三倍以上、もっと多い所もあると聞いたことがあるが……あいにくと私がいた鎮守府から見たらこれでも多いくらいだと感じてしまう。全員分の補給は出来ないかもしれないが、出撃を控えれば問題無いレベルだ。近海警備程度ならば駆逐艦と軽巡洋艦の燃料補給のみで、あるとしても弾薬の少量消費――と、ここで提督が顔をしかめ額を押さえているのが目に入る。

 

「て、提督……?」

 

「そうか……備蓄は二千で、所属は百以上、と……」

 

 ……訂正しよう。確かに現状、運営は難しいかもしれない。資材と所属の艦娘のつり合いがとれていないのは事実だ。しかしながら、どこの鎮守府も艦娘の装備を入れ替え、使いまわしながら新たな装備を持つ艦娘の建造に勤しんでいる。

 特に建造のしやすい駆逐艦や軽巡洋艦は兵装の予備として標準で持っている装備だけを取り、後は部屋に篭らせておくなんてこともしばしばある。

 

「――任務を追加する」

 

 反射的に一斉に身体を向け、傾注する。

 ここに来て新たな任務? そうすると、流石に資材が……と思った矢先、提督は傍にいた潜水艦たちを見回しながら、申し訳なさそうに、かつ懇願するよう言った。

 

「潜水艦の各位は後で執務室に来てくれ。仕事を休ませるつもりだったが……頼みたいことが出来た」

 

「……わかったわ。後で行くわね!」

「えぇー……せっかくお休みもらえると思ったのにぃ、あんまりでちぃ……」

「ゴーヤ! 司令官からのお仕事なんだから文句言わないの!」

「ぶぅぅ……」

 

 努めて明るく振舞うような――いや、本当に、笑って……?

 提督がどのような話術で潜水艦たちを立ち直らせたのかは分からないが、その目には光が見える。

 

「空母の代表として、龍驤。これから工廠に向かうからついてきてくれ。大淀も頼む」

 

「はっ!」

「な、なんや、いきなり工廠て。建造でもするんか? ……ま、行ったるけどやぁ」

 

 龍驤の言うように建造をして、何らかの装備を入れ替えるつもりだろうか。

 ここで考えても仕方がないことだが、提督のご命令ならば、と私は立ち上がる。

 

「夕立は執務室で待っているかもしれないあきつ丸を工廠まで連れてきてくれ。来てるんだろう、その揚陸艦が」

 

「了解っぽい!」

 

 提督が私を見たので、はっとして何度も頷いた。

 

 

* * *

 

 

 食堂に顔を出していなかった明石と夕張は、提督と龍驤、私の三人がやってきた事に驚いていた。

 

「まだ整理も把握も出来てませんけど、何しに来たんです?」

 

「明石さん、ちょっと……!」

 

「でも、事実だし」

 

 ふん、と鼻を鳴らす明石に作業着姿の夕張がぺんぺんと背を叩いて咎める。

 提督は気にしていない様子で「ちょっとな」と答えるだけ――寛容な方で助かった。これが前提督であらば明石の頬に平手が飛んできていたところだ。

 しかし、ああいう対応が取れてしまうくらいには、提督を信用していると見ることもできる。

 

「装備開発を頼みたい」

 

「装備開発ぅ? はぁ、まぁ、いいですけど……で、予算と期間はどれくらいです?」

 

「予算に、期間だと……? 明日の近海警備に使うものだ。今作るために来たんだが」

 

「はぁ!? たった一日で装備を開発しろって言うんですか!?」

 

「無理なのか?」

 

 提督の言葉に全員が絶句した。

 しかし――

 

「おぉ、来ていたのか。お前も手伝ってくれないか」

 

「提督、誰に話しかけ――っ!? よ、妖精……!」

 

 ――工廠のどこからか現れた妖精。それも一人や二人ではない。

 整理中であったらしい建造ドックらしき大きな機械類の隙間から、壁にある棚に置かれた工具箱の後ろから、はたまた天井からふわふわと、まるでおもちゃのようなパラシュートで降下してくる妖精など、大勢。

 提督の前に来てから手のひらに飛び乗ったのは、私も見たことのある妖精だった。

 

「提督、それ……船の上にいた……」

 

「あぁ、そうだ」

 

 ねじり鉢巻きに作業着の妖精を手のひらに乗せた状態で、すっと明石へ差し出す提督。

 明石は困惑しながらも、ガラス細工を扱うように恐る恐る妖精を受け取り、顔の前まで持ってきて興味深そうに見つめていた。

 

「久しぶりに見ました……一体どこから連れてきたんですか、この子たち」

 

「さぁな。ここは鎮守府だ、どこにでもいるだろう」

 

「は、はぁ……?」

 

 鎮守府だから妖精がいて然るべき、とは異な事を仰る。妖精は艦娘と同じく艦の魂であるという説もあるが、それでもここまでの妖精はいない。

 妖精と呼ばれているのは、めったに見かけないという皮肉も込められているとまで言われているのに。

 

「工作艦明石、兵装実験軽巡夕張。妖精と協力し、艦載機を開発せよ」

 

 きっぱりと言った提督に、明石と夕張はぶんぶんと首を横に振って「無理」という言葉を繰り返した。

 だが、妖精は提督の前に一列に並び、敬礼する。なんだか可愛い。って違う……そうじゃない……!

 

 どうやって妖精と協力して艦載機を開発しろというのだ、と私や明石が問う前に、妖精は『わー!』と声が聞こえてきそうな程にはしゃいだ様子で散り散りになっていった。

 唖然としている私達をよそに、妖精は手に何か――あれは、資材……?

 

「かくいう私も開発を目の前で見るのは初めてでな」

 

 まるで子どものように目を輝かせる提督。

 妖精は持ってきた鋼材らしき板や、石ころのようなボーキサイト、指先ほども無い小さなドラム缶らしきものを持って飛んできた。

 そして、妖精たちはそれらを熱心に小さなトンカチで叩いたりしながら、何かを話し合う。

 もちろん、何を話しているのかは分からない。明石にも、夕張にも、私にも、そして龍驤にも。

 

「な、なんやこれ、何が起きとんのや……」

 

「私にも、さっぱり……ねぇ、明石さん」

 

「いや、待って――あれ、艦載機の翼じゃ……」

 

「えっ?」

「えっ?」

 

 明石はその場にしゃがみ込んで、妖精たちが作る何かを目を凝らして見ていた。

 そして――

 

「夕張! 工具箱持ってきて、早く!」

 

「は、はいぃっ!?」

 

 ――明石にどやされて棚まで走り出す夕張。ほどなくして、工具箱を手渡した。

 妖精たちが資材を用いて作った妙な欠片を丁寧に集めつつ、明石は工具箱から虫眼鏡を取り出して一つ一つを配置していく。

 

「やっぱり……て、提督――開発、出来ます……や、やらせてください!」

 

 そう言った明石に、提督は「元よりそのつもりだ。しっかり頼む」と頷く。

 明石は真剣に、それでいて、私が見てきたどの明石よりも希望に満ちた笑顔で作業を始める。

 まるで、これは……パズルのような……。

 

 妖精たちがパーツを作り、明石がそれを組み上げ、また妖精が小さなバーナーらしき道具を用いて溶接していく。

 甲高い金属音が響く工廠での作業は、ものの五分くらいの出来事だった。

 

 

 

「でき、た……初めて、ちゃんと……」

 

 もう、私は言葉が出ない。

 龍驤が乾いた笑い声をあげて、妖精と明石の前に置かれた『それ』を見る。

 

「は、はは、ははは……嘘やろ……これ、ほんまに艦載機や……」

 

 手を伸ばしてみれば――龍驤の指先が触れた途端に、その姿を一枚の紙に変貌させた。

 提督は満足気に頷いて、仕事は終わりだと言わんばかりに工廠の隅に置かれた作業用の椅子まで歩んで行って、腰を下ろす。

 

「明日、それを使って近海警備に臨むように。その『彩雲』があれば、問題ないだろう」

 

 事も無げに、ただ、提督らしく、そうであるべきだと言うように。

 

「明石。あきつ丸を呼んでいるんだが、ここで待たせてもらって構わんか?」

 

「は、はい! どうぞ!」

 

 あんなものを見せられては――明石と夕張の目に宿っていた疑惑、疑念の色は消失するしか無かったのだった。




夜に総合日刊ランキング9位というのを見て、開いた口が塞がりませんでした……。

色々な方に見ていただけて本当に嬉しい限りです。
感想なども大変励みになっております。改めて、ありがとうございます。

誤字脱字の報告をしてくださる方々も、本当にありがとうございます。

不定期更新なので、ふと更新が止まる事もあるとは思いますが、更新した際には読んでいただければ幸いです。
楽しんでいただけるものが書けるよう、頑張ります……!

※潮さん、曙さん、改二おめでとう……。


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十三話 提督と妖精【提督side】

 もう終わりだ……人類は滅亡する……。

 諦めの境地に達していた俺だったが、本当に仕事を投げ出してしまうほど落ちぶれてはいない。

 こういう時は平謝り一択である。

 

 カウンターに行って間宮にお茶を頼み、それを全員に配り歩きながら謝り倒した。

 機嫌を直してくれた潜水艦たちはおろか、頼みの綱だった大淀と夕立すら「提督……ありがとう、ございます」と泣き続けていて立つ瀬がない。

 

 きっと艦娘たちの言う「ありがとうございます」は「短い間でしたが、お世話になりました」という意味が込められているに違いない。

 短いどころか着任初日なんだぞッ! 生前に職を捨てた俺が、今生でも職を失うことになる事態は絶対に避けねばならない。人類存続も大事だが、俺は俺が大事なのだ。

 

「そ、そうだ!」

 

「ん……なんや」

 

 あ艦これ……あんなに噛みついてきてた龍驤が何故か優しい顔を……。

 これは、あれだ。職場を辞めるという人には何も期待していないから、自然と優しくなってしまう現象ではないか。やめてくれぇっ! アァッ! 提督やめたくナイィッ!

 

 しかし、俺は思いついた。とっておきの方法だ。

 艦これでは、艦娘の装備を開発したり改修したりすると喜ぶのだ。

 例え歴戦の艦娘であろう龍驤とて、新装備を開発してあげれば

 

『ほっほー……ウチのこと、大切に思ってくれてるん? それはちょっち嬉しいなぁ!』

 

 と失態を許してくれるに違いない。可愛い。

 そうと決まれば話は単純。出来る限り多くの新装備を開発して配備し、ご機嫌をうかがうのだ……!

 さぁ、お前の罪を数えろッ! あ、違う、お前の装備を教えろッ!

 

「龍驤。それに他の空母もだが、近海警備にはどんな艦載機を使用するつもりなんだ?」

 

 近海警備を行うと言った手前、どんな艦載機を使用するのか聞いても不自然では無いだろう。全員から聞いたのち『あ、ふーん……新しい艦載機、欲しくない?』で決まりである。

 俺は天才か? いいえ、凡才です。申し訳ありません。

 

「あー……九六式の艦上戦闘機と、九七式の艦上攻撃機やけど……」

 

 龍驤がお茶を啜りながら答える。

 俺の思考が止まりかけ、湯飲みを持っていた右腕がぴたりと空中に固定された。

 

「は……? 艦載機は、ずっとそれか……?」

 

「そやで? まぁ、作戦によっちゃあ九七式でスロット一杯にしたりもあるけど、大体はこれやな」

 

 待て。待て待て待て待て、それマテ茶。

 い、いかん、くだらんおやじギャグが生まれてしまった。

 

 不思議そうな顔でこちらを見ている大淀が視界に入るが、不思議に思いたいのはこっちだ。

 歴戦の艦娘らしき龍驤が〝初期装備〟だと? まさか前の鎮守府では初期装備のまま酷使されていたのか?

 もしかすると改装をした時に持ってくる装備を剥がされ、適当に余っていた艦載機を押し付けられたとか……。どちらにせよ聞かねば分からん。全員に聞いてしまえ、と俺は口を開く。

 

「赤城、お前の艦載機は」

 

「私ですか? 零式艦戦二一型と、九九式艦爆、九七式艦攻……ですね」

 

「……加賀は」

 

「赤城さんと同じよ。それが、何か」

 

「い、いや……一航戦は分かった。では、二航戦の艦載機は」

 

 嫌な予感というものは的中しやすいもので、一航戦と並ぶように座っていた二航戦の二人、飛龍と蒼龍の言葉に俺は絶句するしかなかった。

 

「私たちも、一航戦の先輩たちと同じですが……ね、蒼龍」

「これが標準だよね?」

「うん。だと、思うけど……」

 

「そうか……では、五航戦は」

 

 ここまで来たら疑いようは無いのだが、俺は一縷の望みをかけて瑞鶴と翔鶴を見る。

 

「一航戦と二航戦の先輩方と同じです」

「翔鶴姉も私も、これ以外は載せたこと無いわ」

 

「えぇ……!?」

 

 悪い艦載機では無い。零式艦戦も九九式艦爆も、九七式艦攻も改修すれば非常に強力な兵装になるのは間違いない。

 しかし、それは改修が出来るならば、の話だ。

 この世界における開発や建造も分からない今、開発くらいならば明石の協力のもとでどうにかなるかもしれないという考えで提案しようと思ったのに、なんたる現状――。

 

 開発なんて出来ない、と言われてしまってはどうしようもないが、それ以上に問題は山積みかもしれない。

 

「お前たち、近海警備の上空援護を、それで行うつもりだったのか……?」

 

「そうですが、何か……?」

 

 鳳翔が小首をかしげて俺を見る。美しい。いや違う!

 近海警備だけならば初期兵装で問題無いかもしれないが、それは《艦隊これくしょん》の最初の海域マップならば、の話である。この近海にどのような脅威が存在しているかも分からないのに、万全の態勢で臨めないのは避けねばならない。

 

「……大淀、資材の備蓄はどれくらいある」

 

「え、あ、っは! こちらに来る前に資料で確認しただけではありますが、燃料、鋼材、弾薬、ボーキサイトが各二千――」

 

 しかも資材は二千ちょっとしかねえ! 初期鎮守府じゃねえんだぞ!

 あ、いや、初期鎮守府か……。

 

 考えろ。初期鎮守府とは言え所属している艦娘は百を超えている。それらが一気に補給や入渠を行うわけでは無いから資材が少なくとも問題は無いが、備えあれば、が通用しないのは看過できない。

 終わった――――――人類、補完できません――――――。

 

 マウス一つで遠征に飛ばし、ネットで適当な動画を垂れ流しながら任務を消化しつつ資材を貯められる艦これが懐かしい。カチッとして全て解決したい。

 だんだんと頭痛が起き始めた気がする、と額を押さえつつ、俺は覚悟を決めるしかないかと考える。本当に、艦隊指揮をせねばならない、と。

 

「――任務を追加する」

 

 そんな一声に、全艦娘がこちらを向いた。

 どこぞの鎮守府で傷ついた艦娘たちに仕事を振るしかない現実がとても心苦しく感じられるが、甘いことは言ってられない。

 機嫌をなおしてくれた潜水艦たちに視線を落とし、俺は言葉を紡ぐ。

 

「潜水艦の各位は後で執務室に来てくれ。仕事を休ませるつもりだったが……頼みたいことが出来た」

 

 ごめんよ……ごめんよぉぉ……クルージングレベルの周回はしないから、遠征に行って資材を集めておくれ……。

 資材を集めるために資源海域を調べることもしなければ。あぁぁぁ! やることが多い! 結局ブラックじゃねえかヨォッ! エェッ!?

 

「……わかったわ。後で行くわね!」

「えぇー……せっかくお休みもらえると思ったのにぃ、あんまりでちぃ……」

「ゴーヤ! 司令官からのお仕事なんだから文句言わないの!」

「ぶぅぅ……」

 

 健気に笑みを浮かべるイムヤに、文句を垂れるゴーヤ。ヨナもニムもはっちゃんも、互いを見て頷き合いながら苦笑を浮かべていた。

 たいっへん、申し訳ございません……。

 

 もうなるようになれぇい! とふて寝するわけにもいかず、俺は龍驤と大淀を呼びつけ、工廠へ向かうよう言った。

 

「空母の代表として、龍驤。これから工廠に向かうからついてきてくれ。大淀も頼む」

 

「はっ!」

「な、なんや、いきなり工廠て。建造でもするんか? ……ま、行ったるけどやぁ」

 

 短時間のうちに本当に丸くなったな龍驤……お前に何があったっていうんだ。

 

 そういえば、飯を食っている時に大淀からあきつ丸が来ているとかなんとか聞いた気がするな。

 大淀は工廠に連れて行って、開発の確認だの、資材の在庫などを一緒に確認してもらいたいから夕立に頼んでおこう。

 

「夕立は執務室で待っているかもしれないあきつ丸を工廠まで連れてきてくれ。来てるんだろう、その揚陸艦が」

 

「了解っぽい!」

 

 流石忠犬ぽいぬ、了解が早い。

 これで問題無いだろう? と大淀を見れば、何度も頷いてくれた。

 

 

* * *

 

 

 工廠までは迷わず行けた。良かった、イムヤたちに案内してもらっておいて。

 ここで工廠どこだっけ、と足踏みしてしまったらせっかく丸くなった龍驤のツッコミが俺の心臓を突き破り、大淀のツッコミが俺の背骨をサバ折りにしてくるところだった。

 

 鉄製の重たい扉を開けば、内部はとても広く、雑然としていた。

 その中に作業着姿の明石と夕張が見え、声を掛ける。

 

「二人とも、作業中にすまない」

 

「提督……まだ整理も把握も出来てませんけど、何しに来たんです?」

「明石さん、ちょっと……!」

「でも、事実だし」

 

 そらそうだろう。ぱっと見ただけで普通自動車が何台も入ってしまいそうなくらい広い工廠なのだから、短時間で整理も何も無い。

 適当に流しつつ「ちょっとな」と前置き、龍驤をちらりと見てから言った。

 

「装備開発を頼みたい」

 

 すると、明石は訝し気に眉毛を歪めて腰に手を当てて言う。

 

「装備開発ぅ? はぁ、まぁ、いいですけど……で、予算と期間はどれくらいです?」

 

 えっ、予算と期間って……えっ?

 マウスをカチッとする開発ではないが、予算と期間とか決めなきゃいけないのか?

 いや、まぁ現実的かつ普通に考えれば予算と期間を決めるのは間違っているわけではない。予算の内でいくらかの試作品を作り、期間内に改良を重ねて最終的に出来上がったものを提出する。理にかなっている。

 でも明日使うんだ……それ……。

 

 俺はブラック戦士の頃に嫌という程聞いて胃腸を痛めた言葉を明石に言うしかなかった。

 堂々と言ってしまえ、と本能が理性をぶん殴る。それくらいしなければ、俺を支え続けてくれた艦娘に申し訳なかったのだ。

 

「予算に、期間だと……? 明日の近海警備に使うものだ。今作るために来たんだが」

 

「はぁ!? たった一日で装備を開発しろって言うんですか!?」

 

 大丈夫だ明石。俺の場合はそれが半日だった事がある。とは言わない。

 

「無理なのか?」

 

 ここで無理だと言われたら、今一度別の方法を考えてみよう。倉庫区に何らかの装備がある可能性だって無いわけではない。手早いのはここで装備を開発することで間違いないが、無理なものをやれと言っても良い結果は生まれないのだ。

 

 と、その時だった。

 明石の背後から、ちょこちょこと走ってくる小さな影。むつ丸だった。

 

『まもるー!』

 

 漁船の妖精がどうしてここに、と考えたが、鎮守府の港に停泊してあるんだから居ても不思議ではないか。

 

「おぉ、来ていたのか。お前も手伝ってくれないか」

 

「提督、誰に話しかけ――っ!? よ、妖精……!」

 

 そりゃあ驚くよな。こいつただの妖精じゃなくて、漁船の妖精なんだぜ……。

 艦これにおける妖精と言えば、装備に乗っかっていたり図鑑ページでだらけていたりと様々な場所に登場するもの。時には艦娘を直接的に助ける装備そのものが妖精だったりもする。

 妖精がいれば開発も問題無いだろうと希望が見えてきた俺は、しゃがみこんでむつ丸を手に乗せた。

 

 漁船の妖精、なんて心強いん――あれ、何かいろんな所から出てきたんだが。

 

『いっぱい仲間がいたよ!』

 

 本当にいっぱいいるなぁ……と、工廠のいたるところから出てくる妖精を見て遠い目をしてしまう。

 どこかのアニメ映画に出てくる金平糖を投げたら群がってくるアレみたいだ。

 落下傘部隊が如く天井から現れる妖精もいたのには驚いたが。

 

「提督、それ……船の上にいた……」

 

「あぁ、そうだ」

 

 明石が興味深そうにむつ丸を見るので、手渡しておく。

 覚えていたらしい大淀が眼鏡を何度もくいくいと押し上げながらむつ丸を見る。

 むつ丸はと言えば、恥ずかしそうにねじり鉢巻きの位置を直していた。

 

「久しぶりに見ました……一体どこから連れてきたんですか、この子たち」

 

「さぁな。ここは鎮守府だ、どこにでもいるだろう」

 

「は、はぁ……?」

 

 不思議な質問をしてきた明石。周りから出てきた妖精はどこから来たのか知らないものの、むつ丸は最初から一緒にいた妖精である。

 それにここは鎮守府なのだから、どこにでも妖精はいるだろうに。いなかったら開発や建造は一体誰が手伝って――。

 ここまで思考し、やっと答えに辿り着く俺。

 

 そうか、妖精だ!

 

 脳内に浮かぶのは親の顔よりも見続けた艦隊これくしょんの工廠画面。緑色の開発ボタンにも安全ヘルメットをかぶった緑髪の妖精がいたじゃないか。

 そんな俺の考えをまるで分かっていたかのように、むつ丸は手品みたいにヘルメットを取り出して、小さな頭にすっぽりと被ってみせた。明石はきょとんとしている。

 

 なんて――心強い――!

 

 妖精たちと明石たちに任せれば何も問題は無いだろうという無根拠な安心感が生まれて、さらりと言ってしまう。

 

「工作艦明石、兵装実験軽巡夕張。妖精と協力し、艦載機を開発せよ」

 

 決まった――妖精たちも応えて敬礼をしてくれる。

 

「無理無理無理無理無理! 無理ですってぇ!?」

「提督、何考えてんですかぁ!?」

 

 明石も夕張もよぉぉっ! 妖精さんを見習ってくださいよォッ!?

 見てくださいよ、あの美しくも勇ましい敬礼を! ここは俺たちに任せろと言わんばかりの恰好良さをさァッ!

 

『わー! 久しぶりの開発だー!』

『であえであえー! 材料をもってこーい!』

『わたしはねんりょー!』

『じゃあわたしこーざい!』

『ぼーきさいとを持ってきます』

『たまだー! たまを持ってこぉーい!』

 

 そんな恰好良くないかもしれない。

 

『こうせいのうなやつー?』

 

 ふと、妖精のうち一人がそう聞いたので、頷いて見せる。

 

『りょーかいです! とっておきをみせます!』

 

 やっぱり恰好良い。

 あっという間に材料を持ち寄った妖精たちは、すぐさま作業に取り掛かる。

 

『かんさいきはねぇ、つくるのが難しいんだよぉ』

『開発そのものがむつかしい』

『見られるのはレアです』

『てーとくさんなら、見たことあるかも?』

 

「いやいや。かくいう私も開発を目の前で見るのは初めてでな」

 

 男の子はごちゃごちゃしてるメカが好きなものである。異論は認める。

 目の前で妖精たちが手のひらサイズか、それより少し大きいくらいのパーツや細かなものを組み上げてくのは壮観の一言に尽きる。こういう風に開発してたのか……。

 では、アニメや漫画なんかで明石が設計図を持っていたのは、妖精たちと共に細かなパーツを作ったりするためのものだったのだろうか。

 

 俺が考えているうちにどんどんと出来上がっていくパーツ群。

 妖精たちの作業する目の前にしゃがみ込んだ明石は、夕張に「夕張! 工具箱持ってきて、早く!」と怒鳴った。

 おぉ、なんか、艦これっぽいぞ……!

 

 そうして、明石は妖精たちの作ったパーツを虫眼鏡片手に器用に組み立てはじめ――

 

「やっぱり……て、提督――開発、出来ます……や、やらせてください!」

 

「元よりそのつもりだ。しっかり頼む」

 

 やはり明石はこういうメカが好きなのだろうか。目を輝かせていた。

 というか明石が開発してくれなかったら俺が困るので、自由にやってほしい。

 

『この彩雲があれば、どんなに遠くにいる敵だって見つけられます』

『我に追いつく敵機無し、です』

『余ったざいりょうでぺんぎんさんのぬいぐるみも作ります』

 

 最後の奴ちょっと待て。

 ……いや、まぁ、無茶を聞いてもらったから目を瞑ろう。

 

 妖精たちが言うように、明石がかき集めて組み上げて出来上がったのは『艦上偵察機、彩雲』だった。

 艦これにおいてT字不利という現象を発生させなくなる効果を持ち、高い索敵値を誇る優秀な艦載機である。

 むやみやたらに載せておけば良いというわけでもなく、デメリットも存在するが――それはデイリーやウィークリー、マンスリーといった任務において勝利の方法を指定される事があった場合においてのデメリットであり、何が起こるか分からない初出撃に使用するこの場合は当てはまらないものだ。

 

 ここで彩雲が開発出来たのは相当なアドバンテージとなるだろう。

 多くは必要のないものだが、ひとつは欲しい装備の代表格である艦上偵察機をチョイスするとは、流石妖精、抜け目がない。

 

『てーとく、もっとぬいぐるみを作ってもいいですか』

 

 それはやめてください。お願いします。

 

「でき、た……初めて、ちゃんと……」

 

 妖精がぬいぐるみを作りたいと駄々をこねている横で、明石は出来上がった艦載機の前で溜息を吐き出した。

 龍驤はそれを見て呆れた様子で笑っている。

 

「は、はは、ははは……嘘やろ……これ、ほんまに艦載機や……」

 

 艦載機だよ。見たことくらいあるだろう。

 龍驤のピーキーなスロット構成ならば、艦載数の少ないスロットに彩雲、多いスロットにその他を載せるという運用がベターだ。ネットでそう見た。確か。

 

「明日、それを使って近海警備に臨むように。その『彩雲』があれば、問題ないだろう」

 

 とりあえず、これで一つ問題は解決、としておこう。

 これで仕事終わり! ならばそのまま執務室に戻ってのんびりしたいのだが、そうもいかないのがつらいところである。提督はつらいよ。

 

「明石。あきつ丸を呼んでいるんだが、ここで待たせてもらって構わんか?」

 

「は、はい! どうぞ!」

 

 明石から許可ももらえたので、俺は工廠の隅に転がっていた椅子に腰を下ろして、挨拶のできなかったあきつ丸がここに来るのを待つことにした。

 夕立が連れてきてくれるはずだが、大丈夫だろうか、とぼんやり考えつつ。

 

「ねぇあなたたち、他には!? 他には何が作れるの!? 私も手伝うから、一緒に――」

「あ、明石さん、資材を勝手に使うのはダメですって……!」

「いいじゃないちょっとくらい! 提督なら許してくれるって、ね! だからもっと開発を……!」

 

 

 

 ちょっと止めてこよう。



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十四話 問題【提督side】

「提督、お願いします! 何でも言うこと聞きますから! ね!? ねぇ!?」

 

「後々に多くの開発を頼む事になる。今は工廠の整理を先決してくれないか」

 

「うぅぅぅぅっ……一つ! 一つだけでいいですから!」

 

 あれから、俺に縋ってわあわあと喚く明石と数度同じやり取りをしている。

 夕張と大淀が明石を羽交い絞めにして下がらせようとするも、工作艦の意地なのか一切引く気も無い様子で、ほとほと参っていた。これではまるで子どもじゃないか。

 一喝入れてしまえばいいのだろうが、油断すれば『提督、修理しときます?』とか言われて頭をかち割られかねんので動けない。別にビビっているわけじゃない。

 

 機械いじりが好きなのは艦隊これくしょんに出てきた明石そのものだが、改修資材――通称、ネジと呼ばれるものも鎮守府にあるのか不明なのだ、勘弁して欲しい。

 

「大淀、今の内に資材の残りを確認してきてくれるか。本日はそれを最後の業務とする」

 

 半ば強引に話を進めてしまう。流石の明石と言えど業務が終了したあとに資源を勝手に持ち出して開発をする、なんてことはしないだろう――多分。恐らく。メイビー。

 

「は、はいっ! ちょ、っと……明石! いい加減に、してくだ、さいっ!」

 

「うぅ~……! 大淀は提督の味方なんだぁぁ……艦娘の私には冷たいんだ~……」

 

「元から提督の味方ですっ! 意味の分からないこと言ってないで、明石も倉庫区に行きますよ! ほら、立って!」

 

「うわぁぁぁん! 開発させてぇぇ……!」

 

 そうして、ずるずると引きずられながら工廠を出て行く明石。何なんだアレは。

 残された夕張は気まずそうな顔で俺に何度も頭を下げていた。

 

「申し訳ありません提督! ほんっとうに、申し訳ありません! 後で明石さんにはきつく言っておきますから!」

 

「いいや、構わん。きっと外で大淀にどやされているだろうからな」

 

 大淀を敵に回すと怖いのだ。漫画で見た。

 一方、新たな艦載機を手に入れた龍驤は紙切れに変貌させたはずのそれをまた具現化させ、うっとりと眺めていた。何度か話しかけたが、上の空である。

 

「龍驤。もう戻ってもいいんだぞ。さっきも言ったが」

 

「あぁ……お~う……聞いとるで」

 

「そうか。では明日の近海警備をよろしく頼む」

 

「ん~……任せとき~……へへへ」

 

「……うむ」

 

 聞いてねえ。

 それにしても、ブラウザ越しにしか見えなかった艦載機と龍驤の兵装は不思議なものだった。明石と妖精が共同で開発したプラモデルのような艦載機を、ぽんと触れるだけで紙切れに変えてしまう能力――加えて、それをまた艦載機へと戻す様は現実であるというのに現実感の無い、ファンタジーチックな光景だった。

 その他の空母の装備も、ああいう風に紙切れになったり、矢になったりするのだろう。

 

 さて。もう龍驤はしばらくの間動かないだろうし、あとはあきつ丸と夕立が来るのを待つのみか、と工廠の隅でウロウロとしていた。

 そこから数分して、工廠の扉が叩かれた。

 

「あれ? 誰か来たのかな」

 

「あきつ丸と夕立だろう。私が呼んだのだ」

 

「あ、そっか……。って、あきつ丸……? 講堂にいたっけ……」

 

 夕張は斜め上を見ながら顎に指を当て、思い出すような仕草を見せる。

 ガラガラと扉が開かれ、夕立が――って夕立凄いな。鉄扉を片手で……。

 

「お待たせっぽい! あきつ丸さん連れてきたっぽい!」

 

「ご苦労、夕立」

 

 姿を現したのは、もちろん夕立とあきつ丸。

 夕立は俺の姿を見るや否や、こちらへ小走りでやってきて目の前で急停止。

 

「偉い? 偉いっぽい?」

 

「あぁ、偉いぞ。迅速な対応だ」

 

「えへへ……」

 

 求められている気がしたので頭を撫でておく。面白がって無視でもしようものなら素敵なパーティーと称して工廠を真っ赤に染め上げかねん。

 

「ん~……」

 

 頭を適当にわしわしと撫でているだけであるというのに、気持ちよさそうに目を閉じる夕立。可愛い。

 たかだか数秒のことだったが、そんな様子を見ていたあきつ丸から声がかかった。

 

「少佐殿は夕立殿くらいの娘が好み、と」

 

 ちがわい! 皆好みだい!

 いや違う落ち着け俺。

 すぐさま威厳スイッチをオンにして、俺は夕立から手を離しあきつ丸に身体を向ける。

 

「わざわざ挨拶しに来てくれたのだったか。留守にしていてすまなかったな」

 

 特種船丙型揚陸艦――あきつ丸。

 艦隊これくしょんをしていた頃の俺の鎮守府にもいた艦娘の一人だ。目の前にすると肌の白さが目立つ、と言うのが第一印象だった。

 あきつ丸は『大発動艇』という兵装を装備できるのが特徴であり、艦これにて年に数度行われるイベントにおける上陸作戦などで光る艦娘だった。遠征で使われることもあったのだが、アップデートが繰り返されて大発動艇を装備できる艦娘が増えたことにより中々出番に巡り合わなかった俺の鎮守府の不運担当……いや、流石に失礼か……。

 

「いえいえ、少佐殿もお忙しい様子でしたので」

 

 優しく柔らかな声ながらも、その口調にどこか棘のあるように聞こえたのは、気のせいだろうか。

 これ、あれか? せっかく探してたのに何で工廠で油売ってんだこの野郎ってことか? マジごめん。

 しかし俺は俺で大変なのだ。理解してもらいたい。

 

 百を超える艦娘たちが初期装備かもしれないという疑いがあり、空母に至っては全員が初期装備であることが確定した今、工廠で艦載機を開発することは最優先事項だったのだ。言い訳じゃないぞ。

 飯を食ってたのだって、ここに来るまでに何も腹に入れてなかったから……生命維持、そう、生きるために必要なことだから、食事をしたのだ。決して間宮のご飯食べたら全部投げ出そうとか考えてはいない。本当だ。

 

 本当だぞ。

 

「特種船丙型揚陸艦あきつ丸であります。本日より艦隊にお世話になります。……さて、一つ少佐殿にお伺いしたいのですが」

 

「うん? なんだ」

 

 あぶねえ。脳内で言い訳しまくってて聞き逃す所だった。

 俺は動揺がバレないよう、あきつ丸に威厳を見せるよう、工廠の隅の椅子まで歩み、腰を下ろす。

 

「少佐殿は――海原鎮元大将閣下で、お間違えないですかな?」

 

「……」

 

 ――これについては難しい。

 俺は海原鎮で間違いない。だが、元大将では無い。ブラック企業に勤めていた元社畜であり、過労が原因でこの世界に飛ばされただけの異世界人である。言っても信じられないだろうし、俺だってこの世界を信じようとはしているが受け止め切れていない。それはまあ、いいとして。

 

 俺が別人だと知っているのは井之上さんだけで、バレないように鎮守府を運営して欲しいとお願いされた立場でもある。ここであえて違うと言うのも変だし、これは必要な嘘だと呑み込むしかないか。

 

「……いかにも。私が海原だ」

 

 威厳スイッチ《い》である。

 もう少し威厳を出しておくために、足を開いて、どっしりとした印象を与えておこう。

 

「そうでありますか。いやはや……では、伺いついでにもう一つ」

 

 

 

「――――各鎮守府に所属している艦娘が轟沈した件につきまして、その作戦の指揮を担っていたと。これについては事実でありますか?」

 

 瞬間、工廠の空気が凍り付いた気がした。

 近くに立っていた夕立が拳を握ったのが見えた俺は、咄嗟に手首を掴み引き寄せる。

 勢いあまってこちら側に転ぶような恰好となってしまったが、構わずそれを受け止め――同時に、喉を鳴らす猛獣のような声を上げた龍驤に「やめろ」と言う。少し、大きな声を出してしまったが。

 

「提督さんはそんな人じゃないっぽい! さっき違うって言ってたじゃない! なのに、なんで……!」

 

「お、っとぉ……夕立殿。なにゆえそこまでお怒りに? こちらの少佐殿とは本日が初対面だったはずでは。そこまで肩入れする程の御仁でありますか」

 

「おぉ、おぉ、(おか)のモンがいけしゃあしゃあと、誰に口きいとんねん、アァッ!? あんなもんガセや、ガセェッ!」

 

 俺の知ってる龍驤じゃない……怖い……。

 い、いやいや、引くな。どうしてかは分からんが喧嘩になりかけているのは分かる。

 

 前の職場でもこういう事が幾度かあったな、と一部冷静な頭で考える。

 人員に見合わない仕事量を投げられ、部署そのものが墓場と化していたあの職場において、真面目に、ひたむきに努力して仕事と向き合っていた一人の社員がいた。その人は無理を承知で他の社員たちを助けつつ何とか仕事を回し、当時の現状打破を試みた人でもあった。

 その努力から俺を含む多くの社員から慕われた人だったが、ある日、いつものように無茶な仕事を上司が振りに来た時のこと――罵詈雑言を撒き散らしてその人を怒鳴った上司に、数名が立ち上がって口論となったのだ。

 その時は上司がすごすごと帰っていったことで事なきを得たが、今、この工廠では望めないことだろう。

 

 それで……俺が艦娘を沈めた、だったか。

 

「自分は少佐殿に聞いているのでありますよ。小耳に挟んだもので」

 

 異動先のことくらい調べるよなぁ、そりゃあ……。

 しかし残念ながら俺は艦娘を沈めた覚えなどない。何せここに来てまだ初日である。

 艦隊これくしょんをゲームとしてプレイしていた時も轟沈だけは避けてきた。俺がプレイし始めた頃は大破進撃しなければ轟沈はしないという説が濃厚となっており、大破自体は問題じゃないとされていたのだが、俺は艦娘が傷ついただけでも心臓が止まりそうになっていたヘタレである。

 ……自慢にはならないけども。

 それでも、決して無茶はせず艦これをプレイしていたのだ。お陰でドヤ顔で知識を語るも、それらは全てネットの情報なのが悲しい。実地における知識はそこまで豊富ではないのである。

 

 南方のサーモン海域が俺の最後の攻略だった。中部海域には到達したが未着手である。

 

「沈めた覚えなど無い」

 

 としか言えない。だって沈めてないんだもの。

 

「ッラァッ! 司令官がこう言うとるやろがい!」

「提督さんはそんな事しないっぽい!」

 

 ちょっと黙ってて二人とも。マジで。

 

「……どこからそのような情報が出ているかは知らんが、俺が言えることはこれだけだ。沈めた覚えは一切ない」

 

「しかし――」

 

 まだ食い下がるかあきつ丸ゥ……! それはどこの情報だよぉ!

 

「情報の出所はどこだ。まずはそれを確認してからもってこい」

 

「……各鎮守府からの報告、というのが、何よりの出所であります。相当な恨みを買っているとも耳にしているでありますよ」

 

 俺が沈めたわけでは無い。だが、各鎮守府から沈められたと報告は上がっている。

 導かれる答えは二つ。

 

 俺と同姓同名である海原鎮元大将閣下とやらが本当に沈めたか――虚偽であるか、だ。

 

 そして俺は、どちらが答えか知っている。

 

「それが虚偽でないという証拠を、と言えば、堂々巡りになるな。今の俺には関係の無いことだが、艦隊運営に支障をきたしてはかなわん。あとで調べさせるとしよう」

 

 各鎮守府が嘘を言っているのだ。だって井之上さんが言ってたもん。

 あらゆる汚名を着せられ――って、まさにこのことではないか。

 

 俺はただここにいる艦娘を癒しつつ、艦隊運営と称して近海警備をさせるだけの簡単な仕事を請け負った一般人なのだ。小難しいことは全部井之上さんがすればいい。仕方がないよね、分からないんだもの。

 

「調べさせる? はて、少佐殿にそのようなお力があるとは――」

 

 あきつ丸も大概だな……一応上司なんだから俺……流石に悲しくなるよ……。

 

「面倒なことは井之上の爺さんに投げるか……」

 

 溜息をついてしまった俺に、えっ、と三つの声。

 

「しょ、少佐殿、は、あっ、あっあっあの……えっ、元帥閣下を、爺さん、と……」

 

 いきなりスタッカートが利いた喋り方をしはじめるあきつ丸。

 

「な、え、えぇぇぇええぇええぇ!? 提督さん、元帥さんを知ってるっぽい!?」

 

 すごいビブラートで驚く夕立。抱きとめた格好のままだったので、耳元で叫ばれてきんきんする。

 

「えぁっ、てい、とく、ま、ま……えっ、マ……?」

 

 唐突にネットスラングっぽく驚く夕張。

 

「お、ごっ……司令官、元帥閣下を、そんな、じいさん、て……何言うてんねや……!?」

 

 エッジの利いた驚き方をする龍驤。どうしたんだ皆。題名のない音楽会でも開くつもりか。

 

 忙しい時に限って問題は重なるものだな、としみじみ思う。

 

 百を超える艦娘は全員が初期装備かもしれないし、やっと龍驤の艦載機を一つ作って問題が一つ解決したかと思いきや、今度はあきつ丸が文句を言いにくるときたものだ。

 ただでさえ、この後は明日の近海警備に誰を出すか決めなきゃな……なんて考えていたというのに。

 

 その他にも問題は山積みなんだぞ!? 資材の確認から、遠征用の海域の確認、指定。仕事を休ませると約束をした潜水艦たちのご機嫌取りだってしなきゃならねえ!

 今後の近海警備のローテーションだって作らなきゃいけないし、艦娘たちに挨拶こそ出来たが誰がどんな装備で、どれくらいの練度なのかも確認しなきゃいけないんだ! 出来る限り早くな! クソァッ!

 

 全部ぶちまけて『お前ら全員手伝え! おらぁん!』と言ってしまいたいが、そうすると人類が云々。こんなことを百回くらい考えているんだ。許して……もう許して……これ以上、俺に仕事を増やさない――

 

「て、提督! あの、倉庫の、資材、あのぉっ!」

「開発どころじゃないですってぇぇぇっ! 提督ぅぅうう!」

 

「今度はなんだ……大淀、明石、何があった」

 

 半開きとなっていた扉にがつーん! とぶつかりながら入ってきた明石と大淀。

 大淀は片手にバインダーを持っており、明石は何故か緑色の大きなドラム缶を片手に持っている。お前それどうやって持ってんだ。

 

「て、提督……資材が……あの、落ち着いて、聞いてくださいね……!」

 

「まずはお前が落ち着け大淀。それで、報告はなんだ」

 

「あのですねぇ!? 私と大淀が区画の倉庫を確認したら、空っぽなんです、全部空っぽ!」

 

「はぁ? 何を馬鹿な……二千ほどあったのだろう。艦載機の開発に使用した資材もたかだか知れているはずだ。もう一度よく見て――」

 

「見たんですってばぁ! 二度も! 三度も! ほんっとに!」

 

 ははははは、つまらんことを、ははははは。

 だめだ。変な俳句を作ってしまうくらいには聞きたくない。

 

 ふと、工廠のいたるところに散っていた妖精たちがちょこちょことこちらへ走ってきて、整列する。

 そして、

 

『いっぱいしざいをつかえたので、かんぺきなしあがりです』

『こんごも、わたしたちにおまかせください!』

『ぬいぐるみはふたつしか作ってません』

『むつ丸のないすあいでーあ、です』

 

 と口々に言った。

 あきつ丸が俺の前に整列する妖精に驚いていたりするが、そんなこたぁどうでもいい。

 

「提督、その、どう、致しましょう……」

 

 工廠の扉の前から響く、大淀の美しくも凛とした声が震える。

 

 

 

「……ふむ。では、対策を考えるとしよう」

 

 威厳スイッチ《ふ》である。ぶっ壊れるまで押す。

 

 ――どうしよう? 懐かしいブラックな香りがしてきたぞ。

 



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十五話 問題【艦娘side】

 資材の備蓄確認を仰せつかった私は、開発がしたい、装備を作りたいと駄々をこねる明石を引きずりながら倉庫区へ向かっていた。

 道すがら、諦めたように自分の足で立って歩き始めた明石に対し、目を細めて小言の針をつんつんと刺す。

 

「全く……提督に向かって不遜な態度をとっていたかと思えば、開発が成功したら目の色を変えて擦り寄るなど言語道断です。今後は提督をきちんと敬い、指示に従って開発をするよう――」

 

「あー、やだやだ、やめてってばぁ! 久しぶりにまともなものが作れたから、嬉しかったんだって……大淀なら、私がどこから来たか知ってるでしょ」

 

 その言葉にふと足を止めてしまう。

 

「……警備府から、でしたね」

 

 警備府と言えば『大湊警備府』が先にあがるだろうが、私の横で目を伏せて、先程までの明るさが消え失せた明石がいたのは大湊では無い。所属は、と聞かれたらば大湊警備府『付』と答えなければならない場所――

 

「警備府じゃなくて、警備支部ね、支部」

 

 ――大湊警備府付、北方警備支部。

 青森のむつ市にある大湊警備府ではなく、津軽海峡を越えた北海道側に設立されていた支部こそ、この明石が所属していたところであったらしい。

 彼女は津軽海峡をまたにかけて防衛していた艦隊の泊地修理や、警備支部において新たな艤装の開発を任されていた艦娘である。名目上は。

 

「開発どころか、毎日々々酒保の仕入れだの売り上げだのばっか気にして、艦娘ってより酒保の店員って感じだったんだから。久しぶりに開発させてもらえて成功したら、そりゃ喜びもするじゃない……」

 

 兵装開発は名目上のみで、その実態は酒保の管理と銘打って商売ばかりしていたのだとか。

 そのためか、泊地修理など数えられる程度しか経験が無く、いざ開発を、いざ修理をという場面に遭遇した時にツケが回ったらしい。

 当然、そこからは身を粉にして開発に打ち込んだのだろう。しかし、警備支部ではそれは求められている事では無かった。そうして、明石は一度目の異動となる。

 次に行ったのは警備府付の支部などでは無く、ある一定の海域を任された鎮守府だったと記録にあった。そこで、明石は失敗しないよう、艦娘然とした使命を果たそうと努力してきたのだろうが、結果は――現状が物語っている。

 

「酒保の甘味はギンバイされるし、帳簿が合わなきゃぎゃあぎゃあ喚かれるし……私は艦娘だっていうの! しかも今度は少ない資材に人員一人で兵装を改良しろーって……したらしたで、威力が無い、強度が無い、もっと素晴らしいものを作れ。お前が開発出来ないのは愛国心が無いからだ! って……あー、もう! 思い出したら腹が立ってきたわ!」

 

「あ、明石、分かったから、もう夜になるんだから、声抑えて……!」

 

 余計なことを思い出させてしまった……。

 このまま明石を騒がせるわけにもいかず、私は「早く倉庫を確認して、工廠へ戻りましょう」と促す。

 

「工廠に戻ったらさ、提督、もう一回くらい開発させてくれないかな?」

 

「しつこいですよ。資材にだって限りがあるんですから、提督を悩ませるような真似は控えてください」

 

「一回やったら控えるから!」

 

「その一回を我慢してくれって言ってるんですけど!?」

 

 掛け合いながらも、あの光景を思い浮かべる。

 工廠のいたるところから提督を慕い、求めるように集まってきた妖精たち。そして、その妖精を一声で従え、あまつさえ常識はずれな開発。妖精の作った小さな欠片をパーツだと見抜いて組み上げた明石も、あの時ばかりは工作艦としての魂が揺さぶられたに違いない。

 私が知らないところでの苦悩を払拭するほどの高揚、興奮、そして明石を一括りの《艦娘》としてではなく、《工作艦、明石》として認めているような信頼の預け方。

 

 開発が出来ないかもしれない。

 もしかすると失敗して、資材を無駄にするだけかもしれない。

 

 ただでさえ貴重な資材だが、この柱島鎮守府では重みが違うことは提督も承知のはず。しかしそれを押して明石と夕張を指名したあの口振りには確信があったようにも思える。それこそが信頼、と呼ぶべきものなのだろう。

 まだ一日、いや、半日も経っていない鎮守府を、あの方はどんどんと自らの城へと変えている。

 

 提督の城――柱島鎮守府は、この国の要となる。そう思ってしまう。

 

「提督のこと信用する気持ちも分からないでもないけどさぁ。大淀は神格化し過ぎじゃない? 提督がどういう人かはこれから分かるんだし、気軽に接した方が楽よ」

 

「上官と部下、という関係を念頭に接しているのが、間違いであると?」

 

「ちーがう! 違う違う! 大淀は肩ひじ張り過ぎってことよ! ほらぁ、提督だって男の人だしさぁ、ちょぉっと肌を見せてあげれば開発の一度や二度――」

 

「明石、プライドって言葉を知ってますか?」

 

「警備支部に置いてきたかも。それか別の鎮守府に忘れちゃったかな~」

 

「もぉ……ああ言えばこう言う……!」

 

「あっははは! 冗談よ、半分は。久しぶりに、あれだけの数の妖精を見たし……提督がどんな人なのかってのはまだ分からないけど、悪い人じゃないことくらい、分かってるつもり。迷惑はかけないようにするし、もう失礼なことはしない。これでいい?」

 

「えぇ、まぁ……」

 

 ここまで素直に言われてしまうと口を閉ざすしかなくなってしまう。

 結局、私と明石は倉庫区まで、そこから無言で歩いた。

 

 ただ、悪い気分では無かったのが不思議だった。

 

 

* * *

 

 

「倉庫はいくつあるの?」

 

「ちょっと待ってくださいね、えーっと……」

 

 倉庫区画に到着した私たちは、端から順番に倉庫内を確認していくことにした。

 小さく折りたたんで持っていた資料を広げて見る私に、明石はどこからか取り出したバインダーを手渡してくる。

 

「ほい大淀、使って」

 

「あ、りがとう、ございます……これ、どこから……?」

 

「ふっふん、明石さんの秘密のポッケから」

 

 と言いながら、明石は後ろを向いて、つなぎ作業服の腰をぴらぴらと示した。

 

「腰に入れてたんですか、これ」

 

「癖でね。ほら、酒保とか開発って座り仕事多いもんだから腰を痛めないようにね」

 

「あー……」

 

 明石も明石で大変だったのだな、としみじみ思ってしまったが、このバインダーが生暖かいのは、ちょっと……。まあ、使うのだけれど。

 

「倉庫は全部で八棟ですね。資材倉庫はそのうちの三つで、残りは一つが雑貨、四つが兵装倉庫になってるようです」

 

「それじゃ、見るのは三つだけってわけね、オッケー」

 

「一応、何があるのか確認しておきたいので全て回りますよ」

 

「えぇ……資材の確認だけだし、別に――」

 

「明石ぃ……?」

 

「さぁ! しゃきしゃき回っていこー!」

 

「……もう」

 

 彼女は彼女なりに私を気遣ってくれているのかもしれない、と考えると、厳しい口調なのに口元は緩んでしまうのだった。

 陰鬱として過ごすよりも、明石のように明るくいる方が良いのは当然なのだから。

 

 仕事を始めよう、と私たちは一つ目の倉庫の扉を開く。

 一棟が相当の大きさなので、中に入って確認しなければ漏れが出てしまうかもしれない、と足を踏み入れるも――そこには何も無かった。

 

 レンガ造りの壁に、鉄骨の天井と、大きな荷物を移動させるためのクレーンがあるのみで、中身は空っぽだ。

 

「あれ? 何もない……大淀、ここは?」

 

「ここは……雑貨倉庫ですね。事務机の予備くらいは置いてあるかと思いましたが……」

 

「……ま! 新規の鎮守府だし、こんなもんよね!」

 

「そう、でしょうか……」

 

 新規の鎮守府ならば、もっと大雑把に事務用品や諸々を注文し、予備としてここに詰めておきそうなものだが、私の勝手なイメージだったろうか、と首を振る。

 何もない倉庫で立っていても仕方がないと、すぐ横の倉庫へと移動する。

 今度は、兵装倉庫だ。

 

「ここは装備の倉庫かぁ。ここも何も無し、と」

 

「です、ね……。今後、提督が建造なさった時に改修用艤装を置くために使えそうですから、空っぽでも問題ありません」

 

「そ? じゃ、次ね、次! サクサク行こー!」

 

「明石……仕事ですからね、これ……」

 

「わーかってるって! ほら、大淀、何か書いて!」

 

「な、何かってなんですか! 提督がご覧になった時一目で分かるように、倉庫別にどのような内装か、何が備え付けてあったか、広さはどれくらいかを記録し――」

 

「中身無し! 全部レンガ造り! 百人入っても大丈夫なくらい広い! で、よくない?」

 

「よくありませんっ! まったく……」

 

 これは後で提督に報告して、明石の業務態度に一言貰っておいた方が良いかもしれない。と思いつつ、別の兵装倉庫へ。

 二棟目、三棟目、四棟目と、結局、雑貨倉庫含め五棟の倉庫は空っぽだった。

 ここまで何もないと清々しくすらあるが、提督がお聞きになったら頭を抱えてしまわないだろうか、と不安を覚える。

 流石の明石も楽観できなくなって来た様子で、しきりに「倉庫だけどさ、でもさ、中身何もないって大丈夫なの? 海軍的に」と言っていた。私もそう思う。

 

 さしあたって必要であるのは資材なのだから、と自分に言い聞かせ、資材倉庫の一つへ手をかける。明石も私も、自然と唾を飲んだ。

 

「……空っぽね」

 

「そ、そう、です、ね……」

 

 そこには、何も無かった。

 鋼材やボーキサイトが入っているような木箱も無ければ、燃料の入ったドラム缶の一つすらない。

 私の中で、昔に見た教本の文言が浮かんだ。

 

《艦娘は資材を補給することで戦い続けることを可能とする。妖精と共鳴することで新たな兵装をも使いこなし、その戦いぶりは――》

 

 大本営が一度撤回した、艦娘を運用する提督に向けた教本。

 その中身にはいくつもの注意事項があったとされる。

 

 艦娘を軽んずべからず。

 妖精を軽んずべからず。

 

 それは私たち艦娘や妖精が過去の英霊が現人神とも言わんばかりの姿で現れたことに起因している注意事項であろう。日本人らしい、祟られないように、というものだ。

 

《妖精は多くの資材を使って生み出された艦の魂である》

《ゆえに、かの存在は多くの資材を欲する》

 

 いや、まさか――そんな事――。

 

 待つのよ大淀。撤回されて既に無い教本だとしても、提督は《あの言葉》をご存じだったじゃない。なら、妖精についても私たちより詳しくてもおかしな話じゃない。

 開発をする、と言って空母の代表として龍驤だけを連れて行った理由は? そんなもの、龍驤のスロットへ搭載するための艦載機を開発するためだ。

 ……なら、敢えて龍驤のみにする必要は無い。空母全体が近海警備で上空援護をするのだから、多くの艦載機を開発しても問題無いはずだ。あの提督ならば開発し過ぎるということも無いだろうし、先を見据えて資材運用するはず。

 

 いや、でも、いやいや。

 

 言葉にならない言い訳と感情が入り交じった塊が私の喉に詰まった。

 

「お、大淀、ほらっ、次の倉庫に行こ! 残り二つあるしさ!」

 

「は、はいっ」

 

 あるわけない、と思いながらも自然と駆け足になる。

 次の倉庫を開けば――そこも、伽藍洞。

 

「最後! 大淀、ね! 最後の倉庫に全部詰め込んであるのよ! まぁったくさー! 困っちゃうよね、面倒だからって全部一つに詰めちゃってさー?」

 

 引き攣った笑い声をあげる明石に、引き攣った笑い声を返して、最後の倉庫へ。

 そこには、明石の言う通り雑多に積み上げられた――

 

「あ、ほら! 大淀! あった! はぁぁぁ……良かった! もぉぉ、吃驚するじゃない……」

 

 ――ドラム缶と木箱の山。

 私は安堵の息を吐き出し、バインダーを団扇のようにして顔を扇いで額に浮かんだ汗を拭う。

 

「ふ、ふふっ、まさか、ねぇ? 心配するわけないじゃないですか。ふふふっ」

 

「うっそだぁ? 大淀、こーんなに目が釣り上がってたわよー? へへへっ」

 

「もう、明石っ」

 

 一通り笑いあい、倉庫へ足を踏み入れ、私は木箱とドラム缶の数を資料へ書き込んでいく。

 既に頭の中で『この資料は折り目がついてしまっているから、新しく書き写したものを提督に提出しようかしら』と考えていた。

 

 明石は「あーあー、この中のちょぉっとでいいから、開発に使わせてくれたらなぁー!」と、また駄々をこねる。それも半分は冗談だと分かっているために再び咎めるなんてことはしなかったが、早めに諦めてほしいものである。

 

 と、その時。

 

「ね、大淀、ドラム缶って二百リットルが標準になってるって、知ってた?」

 

 なんて豆知識を披露しはじめる。

 

「だからね? 各二千の資材ってことは、ドラム缶が十個あるってことじゃん。ね、確認が楽じゃない?」

 

「……今後もそういう知識を用いて仕事に励んでいただけると良いのですけど」

 

「素直に褒めてよー! もー!」

 

 はいはい、と受け流し、ドラム缶を数えていく。

 ちゃんと指さし確認を……と数えている途中で、明石がドラム缶を叩いた。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ……」

 

 軽快なこーん、こーん、という音が倉庫内に響いた。

 

「……明石、ストップです」

 

「言わないで、大淀」

 

「そういう訳には、まいりません……! 明石、ドラム缶を開封してください……!」

 

「いやよ! いや! 開けたくない! 見たくない!」

 

「いいから! 早く、開けな、さいっ……!」

 

 こちらに走ってきた明石が、正面から私を抱きしめるようにして動きを封じてくる。それでも、確認せずにはいられなかった。

 

 明石がドラム缶を叩いて数を数え始めた時――違和感を覚えたのだ。その音に。

 中身が入っているにしては響き渡る音。おかしい。あまりに不自然であった。

 

「甘かったわね大淀……私は一万馬力あるのよ……っ!」

 

「私は十一万馬力あるんですよ」

 

「なぁぁぁぁっ!?」

 

 明石を片手で転がすと、ドラム缶に駆け寄って手をかけ、斜めに引き寄せる。

 すると、あっさりと倒れ、がらんがらん、と空しい音を立てた。

 

「やっぱり、こ、これ……!」

 

「うわぁぁぁあん! どうするのよ大淀ぉぉお! 開発出来ない! これじゃ、何も作れないじゃないのよぉおおお!」

 

「す、すすすすぐに提督に報告に行きましょう! 何寝てるんですか明石、ほら、立ってください!」

 

「転がしたの大淀だけどね!? うぅぅぅっ、だめだ、本当に空っぽだぁぁぁあ! うえぇぇええんん!」

 

 明石は器用にもドラム缶を片手で持ち上げ、そのまま倉庫の外へ走り出て行く。

 私も後を追い、工廠へ戻る。

 

 

 半開きになったままの工廠の扉へ、我先にと入ろうとした私と明石は二人して扉でつっかえるようにぶつかってしまうも、伝えねば、という意識が先行して口が動いた。

 

「て、提督! あの、倉庫の、資材、あのぉっ!」

「開発どころじゃないですってぇぇぇっ! 提督ぅぅうう!」

 

「今度はなんだ……大淀、明石、何があった」

 

 明石はドラム缶を振り回しながら、私はバインダーを指しながら言う。

 提督は何故か夕立を抱きしめるような恰好で――って何をしていらっしゃるんですか提督!? 何故、私ではなく夕立を――いや違う、落ち着いて私!

 

 し、仕事を、先に仕事を……!

 

「て、提督……資材が……あの、落ち着いて、聞いてくださいね……!」

 

「まずはお前が落ち着け大淀。それで、報告はなんだ」

 

「あのですねぇ!? 私と大淀が区画の倉庫を確認したら、空っぽなんです、全部空っぽ!」

 

 私が言うべきなのに!

 明石に仕事を取られたことよりも気になる事が多すぎるのもまた、私の思考力を奪っていく。

 夕立は何で抱きしめられているのですか?

 何故、あきつ丸と龍驤がにらみ合っているのですか?

 夕張は何故ぽかんとした顔で立っているのですか?

 

 それよりも、それよりも。

 私たち艦娘が、艦娘として活動するための生命線が一切ない事の方が問題だ。

 

「はぁ? 何を馬鹿な……二千ほどあったのだろう。艦載機の開発に使用した資材もたかだか知れているはずだ。もう一度よく見て――」

 

「見たんですってばぁ! 二度も! 三度も! ほんっとに!」

 

 がなり声をあげる明石に、提督は表情一つ変えず、眉も動かさずに妖精を見る。

 妖精は提督に向かって一列に整列し、綺麗な敬礼を見せた。

 どうするつもりなのか、と私が問えば――

 

「……ふむ。では、対策を考えるとしよう」

 

 ――と答え、ぎし、と音を鳴らして椅子に深く腰を落ち着け、夕立をそっと離して背中をぽんと撫でた後、つらつらと話し始める。

 

「まず、お前たち。持ってきた資材はどれくらいなんだ?」

 

 妖精に向かって話しかける提督を見て、私と夕立以外の全員が驚愕する。

 龍驤が「なっ、司令官、妖精と話せるんか!?」と言い、夕張が「何となくわかる、とかではなく、会話を……!?」と口をあんぐりと開き、あきつ丸が「元帥閣下と通ずるだけでなく、妖精も手中でありますか……!?」と軍帽を脱ぐ。

 

 提督は気を散らすことなく、妖精から何かを聞いている様子だった。

 私たちの目には、口を動かし、身振り手振りをしているのは見えるものの、声そのものは聞こえない。

 

 そして数分後、提督は「なんだ、そういうことか」と言って妖精を解散させた。

 

「提督、何か分かったのですか……?」

 

 私の問いに、提督はこう仰った。

 

「どうやら妖精が見た時点で資材は二千も無かったようだ。先ほどの開発で使用したのは艦載機彩雲用に燃料を六十、弾薬を百八十、鋼材を三十とボーキサイトを三百ほど使用したらしい。そのうちごくわずかは妖精の欲しがったぬいぐるみを作成するのに利用したようだが、少なくとも――報告とは違う」

 

「それ、って……」

 

「この鎮守府に物資を運び込んだ業者にでも聞けば判明するだろう。本を正せばいいだけだ。それよりも……」

 

 どうして提督は困惑しないのか。混乱しないのか理解出来なかった。

 鎮守府の運営が危ぶまれる状況であるというのに、提督の表情からは焦りの欠片さえ見えない。

 それに、物資を運び込んだ業者は――

 

「ど、どないするんや司令官……資材無かったら、うちらも動かれへんで……!? ここに来るんに一回は補給しとるけど、それで動けるんはせいぜい二度か三度の出撃くらいや……それ以降は、流石にしんどいかも……」

 

 龍驤のもっともな言に、提督は片手で額を押さえ、片手を龍驤に向けて制す。

 食堂で見せた、あの考え込む姿だ。

 

 その頭脳でどれだけの策が練られているのか想像さえ出来ないが、少なくともこの時点で、私の中から不安が消えていくのが分かった。

 この人なら、必ずやどうにかしてくれるはずだと。

 

「資源確保のために潜水艦隊を編成し遠征を実施する予定だったが、追加だ。水雷戦隊を二部隊編成し、三艦隊の同時運用で遠征を行う。駆逐艦三隻で近海警備艦隊を編成し、空母を一隻……まずはお前だ、龍驤。お前を組み込み、近海警備も同時並行で行う。三艦隊も出ればある程度資材の回復も図れるだろう。何度も出動させずとも、百名もいるのだから、上手く回せば、遠征で得られる資材と出動で消費される資材のバランスは崩れん」

 

 私だけではなく、この場にいた全員が呆然唖然。

 あるいは、血の気が引いたことだろう。

 

 提督がたった一人で、四艦隊も同時運用する、と――?

 聞き間違えたのだろうか、と私は口を挟む。

 

「て、ていと、あ、あのっ……提督、四艦隊の編成と、運用、ですか……!?」

 

「そうだ。遠征艦隊を三部隊。近海警備に一部隊だ。この後、執務室に潜水艦たちが来る予定になっているから、大淀は近海を確認できる海図を用意してくれ。あとは……おい、いるか!」

 

 提督の声に応え現れたのは――漁船の上で見た妖精。

 しかし、なんだか恰好が違う。三角帽子を被り、棒の先に矢印をつけたものを持っている。

 

「流石、分かっているな。しっかりと頼むぞ」

 

 何が『分かっているな』なのか。私達には何も分からないというのに。

 龍驤が「ちょ、ちょい待ちぃや!」と提督に怒鳴った。

 

「どうした」

 

「どうしたもあらへん! んな無茶してどうすんねん! 司令官の手ぇは二つしかないやろがい! 適当な指示でも飛ばして他の艦娘に被害が出たら笑われへんで!」

 

「ほう――私が、失敗すると?」

 

「――――っ!」

 

 またも、食堂で見せた圧倒的強制力が宿った。

 それだけのことだが、一言に収まりきらない強者の魂が私たちから言葉を奪う。

 

 その中で、あきつ丸が奥歯を噛み締めるようにして「お待ちください少佐殿!」と言った。

 

「……今度は何だ」

 

「しょ、少佐殿に失礼を致しました謝罪を……そ、それと……やはり、『あの噂』は嘘であると証明していただきたくあります!」

 

 冷や汗を浮かべ、敬礼しながら殆ど絶叫のようにして言った。

 

「証明する時間が惜しい。それよりもお前たちに必要なものを確保することが先決だ。私がどのように言われようが知ったことではない」

 

 あきつ丸と提督が話している内容は、聞かずとも分かる。

 資料にも載っている――提督の経歴の傷のことだ。

 

 そんなもの、提督を見ればすぐに……と言葉にしたくなるのをぐっと堪える。

 私と同様の気持ちなのだろう夕立も、下を向いてぎゅっと手を握りしめていた。

 

「上に立つ者こそ外聞に気を遣わねばならないのであります! 冤罪なのですから、それを証明し――」

 

「なんだ、あきつ丸。分かっているじゃないか」

 

 この時の提督の顔は、きっとあきつ丸の瞳に焼き付いたことだろう。

 きりりと引き締められていた口元が少しばかり緩み、目を細めて安心したように、そして愛おしそうに笑みを浮かべている提督の顔。

 

「あっ、いや、これは……!」

 

「お前たちが分かってくれているのならば、気にすることなどない。私は私の仕事を全うし、お前たちの力になるだけだ。もう言いたいことはないか?」

 

「あ、ぅ……」

 

「ふむ……では、また何か思いついたら私のところへ来るといい。今度は茶の一つでも挟んで話そう」

 

 あきつ丸はそれきり、言葉を発せずに立ち尽くしてしまう。

 提督は立ち上がって軍帽を被りなおし、大きく息を吐き出した。

 

「さて――仕事か」

 

 私も、夕立も、明石も夕張も、龍驤も、そしてあきつ丸も、心は同じ。

 これは艦娘におけるある種の《共鳴》なのだろう、と思った。

 

 妖精を肩に乗せて工廠を出て行く提督の背中の、なんと、大きなことか。

 

 やせ細っていて今にも折れそうに見えるというのに、なんたる、安心感か。

 

 

 

 

「……はぁぁ、とんっでもない司令官やで。なんや、四艦隊同時運用て。頭どうかしてんちゃうか」

 

「りゅ、龍驤さん、失礼ですよっ……!」

 

「なんやバリィ? おんなじこと思ってるやろ~? ん~?」

 

「だ、誰がバリですか! 夕張です!」

 

 龍驤と夕張の掛け合いを皮切りに、張り詰めた空気が緩む。

 

「ほんで、陸……いんや、あきつ丸。どや、あの司令官は」

 

 言葉を投げかけられたあきつ丸は、既に去った提督のいない工廠の入口をぼうっと見つめたまま、うわごとのように答えた。

 

「なんて、胆力でありましょうか……」

 

 私と夕立、夕張が首を縦に振って同意を示す。

 

「艦娘を轟沈させたっちゅう噂を問い詰めに来たあきつ丸を黙らせて、資材がまるっと無くなっても動揺もせんわ、おまけにうちら艦娘がどんな性格なんか、どんな装備なんかも分からんまま四艦隊も組んで動かすっちゅうんやから……バケモンとしか言えんやろ」

 

「で、ありますな」

 

 くつくつと笑いあう龍驤とあきつ丸。

 ふと、夕立が恐る恐る二人に問うた。

 

「も、もう、喧嘩しないっぽい? 夕立と、仲間っぽい?」

 

 私と明石がいない間に一悶着あったのだろう。

 夕立の問いに対し、龍驤はあきつ丸に手を差し伸べた。

 

「……悪かった、あきつ丸。君もうちも、この鎮守府の艦娘で――あのバケモンの艦娘なんや。仲良くしよか」

 

「何をおっしゃいます、龍驤殿! それに、大淀殿に夕立殿も、失礼を。このあきつ丸、あの少佐殿と仲間に、この身を預けるでありますよ」

 

「ゆ、夕立も! 夕立も握手!」

 

 握手を交わす二人の間に飛び込んでいく夕立。受け止められながら、緊張に次ぐ緊張と、過去から手を伸ばす不安が溶けて消えていくような感覚を味わうように笑みを浮かべていた。

 

 あぁ、ただ、あなたはそこにいらっしゃっただけなのに……ただ、仕事をしようと言っただけなのに……ここまで、私たちを包み、安心させてくれるのですね――提督――。

 

「細かい話はあとでしよか! うちは空母の子ぉらに艦載機見せてくるわ! へへっ」

 

「では、自分は改めて皆さんに挨拶回りに行くであります! 龍驤殿、空母の皆さんに顔見せしても?」

 

「おぉ、かまへんで! 一緒に行こや!」

 

 各々が動き出す。

 

「はぁ。提督がどうにかしてくれるけど、結局、開発はお預けかぁ……」

 

「明石さん、あの、工廠の整理、終わってないんで……」

 

「夕張やってぇ……」

 

「明石さんもやってくださいよぉ!? ちょっとぉ!」

 

 この鎮守府が、動き出す。

 

「夕立は大淀さんのお手伝いするっぽい! なんだか、まだまだ眠れないっぽい!」

 

「ふふっ、夕立さんは本当に頼もしいですね。では、一緒に海図を探して提督の所へ持っていきましょうか」

 

「っぽーい!」

 

 

 ――私たちの提督が、動き出す。



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十六話 指示【提督side】

 心は落ち着いていた。事態を把握することに集中すれば問題など取るに足らないものばかりだと分かってくるものなのだ。

 何が、どうして、こうなったのか。たったの三つを知れば自ずと解決策は見えてくる。

 

「……まず、お前たち。持ってきた資材はどれくらいなんだ?」

 

 俺は目の前に整列している妖精たちに問う。

 そうすると、妖精たちはこちらに寄ってきてこう答えた。

 

『ねんりょーをろくじゅっこくらいです』

『あと、こうざいをさんじゅっこ、くらいです』

『私はだんやくをいっぱいつかいました。ひゃくはちじゅうも! むふふん』

『なにをー! 私はボーキサイトをさんびゃっこくらい使ったんですよー!』

『さんびゃく……! なんて、ぶるじょわな使いかたをしているのですか……!』

『おかげさまで、すばらしいぬいぐるみが出来ました。じょうじょうね』

『やりました』

 

 ボーキサイトを大量消費したらしい妖精と、ぬいぐるみを作ったことを誇らしげに語る妖精が何故か赤城と加賀っぽいように見えるのはさておき、資材の消費は《俺の知る限り》開発で使用したと言っても何ら不思議ではない量だった。

 

 ゲーム艦隊これくしょんにおいて開発で使用される資材は、提督であるプレイヤー自身が指定する。妖精の言う『ぺんぎんさんのぬいぐるみ』とやらはゲームにおける開発の失敗が生み出す産物であり、そのまま、資材の消失を意味する。ぬいぐるみというアイテムが手に入るわけでもない。手に入ったところで使い道が無い。

 妖精が開発で作ったものは三つしかない。艦載機彩雲と、ぬいぐるみが二つ……それに資材が大量消費されたのでもなければ、別の原因があるというわけだ。

 

 よし、大丈夫だ。俺は落ち着いているぞ。問題無い。

 あきつ丸と龍驤が喧嘩になりそうになったり、夕立の目がなんだかうっすらと赤く光ったように見えて焦って押さえ込んだりしたが。なんら問題じゃない。

 資材が消えた問題だって原因を突き止めてすぐに解決してみせよう。ブラック戦士は簡単にへこたれたりしないのだ。

 

『けんぺーさんがたくさん来てたのです』

『ここにあるものは、ぜーんぶけんぺーさんがはこびましたから。しざいもです』

『さいしょから少なかったですよ? それに、けんぺーさんも、なんだか変なかっこうをしていました』

 

 妖精に変な格好と言われてしまっては憲兵も立つ瀬がないな……。

 

 ――憲兵!? マテ! いや、まっ、えっ、憲兵!?

 

 どうして憲兵の名前が出てくるんだ? 俺はこの鎮守府に来てまだ一日と経っていない……艦娘に手は出してない! 誓っていい!

 というか夕立や明石を見れば手を出す出さない以前の問題だと、艦娘を知っている者ならば理解できるだろう……! あの重そうな艤装を背負い海を駆ける夕立――ドラム缶を片手で持ち上げて走る明石――手を出そうものなら鉛筆を折るよりも容易く俺の腕をぽっきりやるに決まっている。

 だから手を出さないという訳では無いぞ? 違う、そういう問題でも無い。

 上司と部下という立場も利用したくないし、出来れば時間をじっくりとかけて、互いを知り、歩み寄り、いつしか……って何の話だこれはよぉッ!

 

 憲兵だよ、憲兵! どうして憲兵が鎮守府に資材を運んでるんだよ!?

 その上、変な格好って何だ!

 

「ほう、その恰好とは何だ」

 

 バレないよう、明石たちを横目でちらりと見つつ小声で問う。

 

『ひっこしやさんの恰好です』

 

 別に変でも無ェッ……! 動きやすい恰好くらいするだろうがッ……!

 くそっ、妖精に弄ばれている場合では無いのに……!

 引っ越し屋の恰好をしていたなら、それは憲兵じゃなくて業者だちくしょう……!

 

 何だ? 妖精たちの間では引っ越し業者のことを憲兵とでも呼んでいるのか?

 鋼材やボーキサイトなんかを使ってプラモデルのように開発をする妖精のことだ、もしかすると俺が知らない隠語みたいなものがあるのかもしれない。

 失敗作をぬいぐるみと言ったりするんだから、有り得ない話じゃない。まぁ、どこからどうみても確かにペンギンのぬいぐるみにしか見えないからそう呼んでいると言われたらそれまでだが。

 

 俺の考えを見抜いたようにして、妖精たちの中からむつまるが先頭に出てきて安全ヘルメットをこつこつと叩きつつ言った。

 

『謎が謎を……よんでいますね……!』

 

 全然違った……何なんだむつまるお前……。

 

 憲兵という名が出て取り乱しそうになったが、表面上は一切動じないまま、俺は考える。

 もしかすると、新規で立ち上げられた鎮守府は引っ越し業者などを利用せず憲兵の一部を利用しているのかもしれない、とか。小難しく考える必要は無い。現実における真実というものは、得てしてあっけなく、単純なことが多いのだ。

 それにここは曲がりなりにも海軍で、一般人に知られてはならないことは多いはず。憲兵の一部が引っ越し業者として動いていても不思議ではない。

 

 ならば後回しでいいか、と思考を放棄しかけた時、

 

『残りは呉に、といってましたね』

 

「……ほう?」

 

 呉に――呉と言えば、柱島泊地からそう遠くなかったはず。

 

「残りとは、なんのことか分かる者は」

 

 そう聞くと、妖精の中から数名が手を挙げて言う。

 

『呉にある鎮守府のことかもしれません!』

『あそこの提督さんは、とてもこわいのです』

『しざいを使わせてくれないって、仲間がいってました』

 

「……なんだ、そういうことか」

 

 ――なるほどな。そういうことだったか。

 うんうん、はぁ……。

 

 

 全然分からん。よし、次。

 

 

 分からないことに時間をかけ続けるのは得策では無いと俺は知っている。そうしているうちに新たな問題が発生し、取り返しがつかなくなるなんていうのは良くある話で、俺も嫌と言うほど経験してきた。主に仕事で。

 現在把握できていることだけを整理し、後は分かる者を探して任せる、これに限る。そうすれば解決できる人が問題を受けて動く。互いに意思の疎通も図れる。それを人は『連携』と、そう呼ぶのだ。

 

 決して放棄したわけじゃないぞ。本当だぞ。

 

「提督、何か分かったのですか……?」

 

 ううん、分かんねえや。と言うわけにもいかず。

 俺は妖精たちの言葉をそのままに伝える。

 

「どうやら妖精が見た時点で資材は二千も無かったようだ。先ほどの開発で使用したのは艦載機彩雲用に燃料を六十、弾薬を百八十、鋼材を三十とボーキサイトを三百ほど使用したらしい。そのうちごくわずかは妖精の欲しがったぬいぐるみを作成するのに利用したようだが、少なくとも――報告とは違う」

 

「それ、って……」

 

「この鎮守府に物資を運び込んだ業者にでも聞けば判明するだろう。本を正せばいいだけだ。それよりも……」

 

 問題は、資材が無いこと。この鎮守府を任せられた俺が一番気にしなければならないのはそれだけだ。

 資材が無ければ何もできないと言っても過言ではない。艦娘の装備開発、建造どころか入渠や補給さえ出来ないじゃないか。

 

 ゲームでは資材など放っておけば勝手に貯まったものだが、現実の鎮守府でそのような都合の良いことが起きるはずは無いだろう。仮定、に過ぎないが。

 解決しなければならない問題があるとき、最悪を想定して、解決として良い最低ラインを設定する――これもまた、ブラック戦士の俺の知恵である。完璧にこなせないならば、せめて最悪を避ける。当然のことだが、これが中々に辛い。

 上司からは「これだけしか出来ないのか!」と責められるし、部下からは「あの上司は仕事が出来ない」と言われる。いわゆる、板挟みになりやすい。

 

 この場合は、資材の確認を怠った俺の責任になるので、上司……上官? の者に叱責されることになるのだろう。そして、部下である艦娘たちから「私たちが使う資材の管理も出来ないなんて……このクソ提督!」だの、言い訳しようものなら「はぁ!? それで逆ギレ? だらしないったら!」と尻を蹴り上げられることになる。ありがとうございます。いや違う。

 

「ど、どないするんや司令官……資材無かったら、うちらも動かれへんで……!? ここに来るんに一回は補給しとるけど、それで動けるんはせいぜい二度か三度の出撃くらいや……それ以降は、流石にしんどいかも……」

 

 がなり声からかけ離れた細い声を上げる龍驤に顔を向ける。

 もっと、こう――どう落とし前つけるんじゃー! とか言いそうなのに……失礼か。ごめん龍驤。

 

 しかし艦娘たちが不安になるのは仕方がない。こればかりは《提督》と《艦娘》の感覚の違いと言おうか。それか、《艦これプレイヤー》しか分からない感覚と言おうか。

 俺が一切動揺しない理由は、明確に、たった一つだけである。

 

 資材など、無くなって当然。

 俺達《提督(プレイヤー)》は事あるごとに資材を消し飛ばしてきた。

 開発に、建造に――大規模イベントに。

 

 貯め込んだ資材が消えていくのは確かに不安にもなろう。

 それが最初のうちから、なけなしの資材が消えたとあらば狼狽して当たり前だ。

 だが俺は単純な解決策を知っている。

 

 現実であるのにゲームみたいだな、と改めて強く感じたのはこれが初めてだろう。

 自分でも驚くほど冷静に、何百、何千と繰り返してきた業務を思い浮かべる。もちろん、仕事の方ではなく、ゲームの方の、だ。

 

「資源確保のために潜水艦隊を編成し遠征を実施する予定だったが、追加だ。水雷戦隊を二部隊編成し、三艦隊の同時運用で遠征を行う。駆逐艦三隻で近海警備艦隊を編成し、空母を一隻……まずはお前だ、龍驤。お前を組み込み、近海警備も同時並行で行う。三艦隊も出ればある程度資材の回復も図れるだろう。何度も出動させずとも、百名もいるのだから、上手く回せば、遠征で得られる資材と出動で消費される資材のバランスは崩れん」

 

 潜水艦隊と水雷戦隊を二部隊、それに実働艦隊を一部隊の合計四艦隊を同時運用。目的は二つのみ。資材備蓄用の遠征と、近海警備だけとは、なんて楽な仕事なのだろう。

 

 これがイベントであれば連合艦隊を組んで札とにらみ合い、航空基地と並行して運用せねばならない。デイリー任務やらウィークリー任務もある。

 それに比べたら、はんっ、と鼻で笑ってしまうレベルだ。

 

「て、ていと、あ、あのっ……提督、四艦隊の編成と、運用、ですか……!?」

 

 眼鏡をずるりと鼻の頭まで落とし、バインダーを胸に抱いて目を見開く大淀の声。

 ブラックな仕事と比べたら楽も楽……極楽だぞ、大淀……。

 

「そうだ。遠征艦隊を三部隊。近海警備に一部隊だ。この後、執務室に潜水艦たちが来る予定になっているから、大淀は近海を確認できる海図を用意してくれ。あとは……おい、いるか!」

 

 俺が呼ぶのは、もちろんむつまる。

 遠征にも近海警備にも、世話になりっぱなしとなるだろう《アレ》が必要になる。

 

 俺の前にいたはずのむつまるはいつの間にやらどこかへ消えていたが、呼びかけに応じてすぐさま姿を現す。よく見慣れた格好をして。

 

『おしごとなら、おまかせです!』

 

 妖精はやはり、艦娘と提督とは切っても切れない存在なのだろうか。

 具体的な指示を出したわけでもないのに意思疎通が出来るのは、とても気持ちが良かった。

 なんだか心がつながっていて、考えていることが全て伝わるような――

 

「流石、分かっているな。しっかりと頼むぞ」

 

『わたし、かえったら……みんなと、あそぶんだ……』

 

 いらんフラグを立てるな。やめろ馬鹿。

 俺のツッコミよりも早く、龍驤の声が鼓膜を叩いた。流石龍驤、関西弁を操りし艦娘である。

 

「ちょ、ちょい待ちぃや!」

 

「どうした」

 

「どうしたもあらへん! んな無茶してどうすんねん! 司令官の手ぇは二つしかないやろがい! 適当な指示でも飛ばして他の艦娘に被害が出たら笑われへんで!」

 

「ほう――私が、失敗すると?」

 

「――――っ!」

 

 エンジョイ勢とは言え、長年艦これをプレイしていた俺が? 遠征を失敗する?

 こやつめ、ははは。俺が行うのは難しい遠征などでは無い! 簡単かつ短時間、そして微量ながらも反復することで資材を確実に貯められるものだ!

 

「お待ちください少佐殿!」

 

 まぁたお前かあきつ丸ゥッ! もうヤメロヨォッ! これ以上難しいこと言ったら俺の脳みそが燃える!

 

「……今度は何だ」

 

「しょ、少佐殿に失礼を致しました謝罪を……そ、それと……やはり、『あの噂』は嘘であると証明していただきたくあります!」

 

 やっぱりその話か! いい加減にしてほしい……。それは俺と同姓同名の海原さんの噂であって、ここにいる元社畜の海原さんとは別の人なのである。言っても信じてもらえないだろうことに必死になるくらいなら、俺はさっさと仕事に目途を立て、今日の俺はお休みし、明日の俺へ全てを託したいのだ。

 だがそんな事を言おうものならば「やはり海軍、腑抜けでありますな」とか言って懐から拳銃を取り出し、俺の眉間に風穴を開けかねない。やんわりと伝えよう……。

 

「証明する時間が惜しい。それよりもお前たちに必要なものを確保することが先決だ。私がどのように言われようが知ったことではない」

 

 それっぽく話を切れたのではないだろうか。

 どうだ、あきつ丸……これでもう食い下がってこれまい――

 

「上に立つ者こそ外聞に気を遣わねばならないのであります! 冤罪なのですから、それを証明し――」

 

 しつこぉおおおい! 知らないよそんな事ぁ!?

 冤罪なのですから、って自分で言ってるじゃねえか! 分かってることを俺に詰めてくるなヨォッ!?

 

 お、落ち着け、相手を刺激するのは得策じゃない……ここは、大人として、スマートに、冷静に……。

 笑顔だ。笑顔を忘れるな。こういう必死になっている相手を宥めるのに満面の笑みは逆効果である。故に、俺は薄く、出来る限り優しい目で相手を肯定しつつ、話がうやむやになるように仕向ける。

 

「なんだ、あきつ丸。分かっているじゃないか」

 

 相手を立てる。君が分かっているのなら問題無いんだよ、これだけで十分なのだ。

 社畜の技、クレーム処理である。

 自分の発言が墓穴を掘ったことに気づいたあきつ丸が言葉に詰まるが、もう遅い。

 

 俺はさっさと帰って寝……違う。

 執務室に戻って仕事を艦娘たちに丸投げす……これも違う。

 

 そう、執務室に戻り、遠征艦隊に指示を出さねばならないのだ!

 

「お前たちが分かってくれているのならば、気にすることなどない。私は私の仕事を全うし、お前たちの力になるだけだ。もう言いたいことはないか?」

 

「あ、ぅ……」

 

「ふむ……では、また何か思いついたら私のところへ来るといい。今度は茶の一つでも挟んで話そう」

 

 フゥーハハハ! 勝った、勝ったぞ……俺は、揚陸艦に勝ったのだ……!

 これに懲りたら二度と俺に難しい話を振ってくるんじゃないぞあきつ丸。今度似たような話を持ってこようものならお前の前で良い歳した大人の俺が大泣きしてやるからな! ハァーッハッハッハ!

 

 ……はぁ。

 

「さて」

 

 現実は残酷である。

 

 いくら取り繕おうとも仕事は逃げ出さないし、逃げ出すのはいつも人間側だ。

 これが昔なら、俺はどうしていただろうかと、ふと考える。

 もう嫌だ、と逃げていただろうなと瞬間的に答えが出るも、ならば今は? と問いが続く。

 

「……仕事か」

 

 俺は軍帽を深くかぶりなおし、大淀たちに背を向けて歩き出した。

 苦笑を浮かべて。

 

「――頑張ってみるか」

 

 今は逃げない。俺は艦娘を支える提督であるから。

 

 

* * *

 

 

 すっかり日も落ちた頃。俺は魔女の恰好をしたむつまると、そのむつまるが連れてきた数名の妖精たちとで大淀たちの持ってきた海図とにらめっこしていた。

 

 場所は執務室。俺と妖精以外に、大淀と夕立の二名がいた。

 

「……ふむ」

 

 ごめん大淀……それに、夕立……前言を、撤回させてください……。

 

『まもる、これ分かる?』

 

 海図の上を歩くむつまるがこちらを向いて言う。

 俺は目に渾身の力を込め、声無く訴える。

 

 

 ぜんっぜん分からん! と。

 

 

 そもそも海図を見たことが無かったのを思い出した時には大淀たちが持ってきちゃってたし、やっぱ分からないと言って無為に不安を与えるわけにもいかず、とりあえず海図を見つめることしか出来なかった。

 

 艦これと違うじゃん! ゲームじゃこんなの無かったじゃん!

 マスがあって、羅針盤回して進軍するだけだったじゃん……!

 

 どうすべきか考えている時間が長引けば長引くほど、室内で俺の様子を見守るようにして立つ大淀たちからの視線がちくちくと刺さるような気がして、俺は今にも間宮の作ってくれた定食を吐き出してしまいそうだった。

 

「……提督。遠征艦隊は、どちらへ」

 

 大淀ォッ! お前が決めてくれェッ!

 

『てーとくさん、ここと、ここ、どっちがいい?』

 

「ふむ?」

 

 唐突に妖精から海図の一部を指された俺は、大淀をちらりと見てから妖精に囁く。

 

「そこには何があるんだ……?」

 

『しざいです。 ここがボーキサイトで、ここがねんりょーです』

 

「……!」

 

 俺は妖精さんに一生ついていこうと心に決めたのだった。

 お、おまっ……お前、仏か……!? いや妖精だね、ごめんね。

 一見して何が何やら分からない海図を格好つけて持ってこいと言った手前、遠征場所を指定できないという最低最悪な事態は避けられただけで及第点だ。もう、オールオッケーである。

 しかも向かう先にどのような資材があるかも分かるとは、なんと有能な妖精だろうか。今度お菓子を差し入れてあげねば。

 

「まずは燃料を確保する。艦娘たる者、海を駆けられねばな」

 

 俺は堂々と妖精が示した位置を指さし、大淀に言う。

 

「そちらに燃料が……!? 提督は何故、そのような事を知って――」

 

 大淀たちが驚くのも無理はない。だって妖精さんが知ってたんだもの。俺の知識じゃない。

 しかしそれをそのまま伝えたら? 嘘つき提督というレッテルを貼られ、身ぐるみを剥がされて空母の群れに投げ込まれることだろう。もしかすると戦艦の群れかもしれない。どちらにせよ待っているのは凄惨な未来である。

 

「……長年の勘、とでも言っておこう。詳しくは、秘密だ」

 

 真顔でそう言うので精一杯だった。妖精たちは俺の咄嗟の嘘を気にするわけでもなく、じゃあ今度はこっちとこっち、どっちが良い? なんて聞いてくる。

 同じように、ここには鋼材があって、ここには弾薬がありますと丁寧に教えてくれた。マジ天使である。

 残りの艦隊にどちらも行かせる、と囁けば、妖精は笑顔で頷いてくれた。可愛い。好き。

 

「仮の第一艦隊を鎮守府近海警備とし、第二艦隊は鎮守府より南西方面へ燃料を、第三艦隊は鋼材を、第四艦隊はボーキサイトを確保してもらう。第二艦隊は燃料を確保して鎮守府に帰還後、新編成し、今度はこちらへ弾薬の確保へ出向いてもらう。何か質問はあるか」

 

 癖でそう聞いてしまってから後悔する。質問されても答えられねぇどうしよう。

 しかし、予想に反し大淀と夕立は顔を見合わせ、重々しく頷き合った後に俺へ敬礼する。

 

「――了解しました」

「――っぽい!」

 

 了解しちゃった……。

 ちらりと妖精を見る。

 

『かならずしざいをかくほしてきます!』

『わたしたちのぬいぐるみをつくるために!』

『みんなのために!』

『おかし!』

 

 ちょっとお前ら大丈夫か? なぁ、ほんと大丈夫か? 信じてるぞ? その綺麗な敬礼、信じるぞ?

 

 紆余曲折、何とか遠征先が決まったが――今度は遠征部隊を編成しなければ……。頭痛がする……。

 だが今度は大丈夫だ。潜水艦隊は決まっているのだから、残りは三艦隊の編成だけ。

 

 俺の口から自然と編成する艦娘の名がつらつらと出た。

 

「第一艦隊、旗艦に駆逐艦夕立。以下、江風、谷風、後方支援に軽空母龍驤――」

 

 大淀はすぐさまバインダーを取り出し、物凄い勢いでがりがりと鉛筆を走らせた。

 あれっ……今、大淀、そのバインダー腰から出してなかった? ま、まぁ、いいけど……。

 

「遠征部隊、第二艦隊の旗艦を軽巡洋艦五十鈴、以下、駆逐艦秋雲、朝霜、清霜。

 第三艦隊、旗艦を軽巡洋艦球磨、以下、駆逐艦白露、陽炎、不知火。

 第四艦隊、旗艦を潜水艦伊百六十八、以下、伊八、伊二十六、伊四十七、伊五十八とする。

 

 第二艦隊は帰還後、旗艦を軽巡洋艦天龍に移行し、以下、駆逐艦暁、電、雷に再編成し出動させるものとする。

 

 明朝、マルナナマルマルより遠征任務を正式に発令。大淀は第二、第三艦隊となる者へ通達を頼む」

 

「――はっ!」

 

 どうしてこのような編成となったのか――艦これ時代の名残である。

 攻略サイト頼りに攻略をしていた俺は、相性なんていう経験から生まれるような感覚を持ち合わせておらず、艦娘全体の練度をバランスよく上げる事が多かった故に姉妹艦だったり史実に沿った編成だったりをせず、ただただ好きな艦娘を好きな組み合わせで運用する事が多かった。

 攻略の時だけ記載された通りの艦隊を組み、それ以外は完全なる好みの選抜である。遠征然り、海域周回然り。

 

 大淀に知られたら顔面をグーで殴られそうなので、念押しに言い訳――じゃなかった、安心させる一言を付け足しておこう。

 それに、夕立にも近海警備を頑張ってもらいたい。

 

「その編成ならば問題無いだろう。仲も良くなれるだろうからな」

 

「は、はぁ……そう、ですね……」

 

 あ、あれぇ? 余計だったかな……。

 いかんいかん、夕立にもきちんと言っておこう。怪しまれる。

 

「それに夕立が鎮守府近海を守るのだ。これほどの鉄壁もあるまい」

 

「~~~~っぽい! 夕立、すっごく、すっごぉぉく頑張るっぽい!」

 

「……ふふ。頼むぞ、夕立」

 

 可愛すぎて思わずにやけてしまった。これでは気持ち悪がられてしまう……話題を逸らせェッ……!

 

「第四艦隊の潜水艦は、もうそろそろ来る頃だろう。少し一服でも入れよう」

 

 まさにお茶を濁すってな!

 おっさん以外が言おうものなら明石に人体改造を施されるので注意するように。

 

 と、くだらない事を考えていると、こんこん、とベストタイミングでノックの音が響いた。

 

「来たか……入れ」

 

 潜水艦たちには本当に申し訳ないが、頑張ってもらわねばならない……お茶の一つでも入れてご機嫌を取ろう……。

 

「失礼します……でち。あ、あのっ、提督」

 

「おぉ、ゴーヤ、よく来たな。丁度今から茶を入れるところだったのだ、お前も一緒に――」

 

 

 

 

「ここは兵器に茶を振舞うのか。面白い鎮守府もあったものだな」

 

 入室してきたのは、潜水艦たち、では無かった。潜水艦はゴーヤのみで、その後ろからずかずかと入ってきた人物は、俺と同じ軍服を纏った知らない人物であった。

 

「……」

 

 言葉が出ない。それもそのはず。

 

「挨拶も無しとは、まだ少佐の階級には慣れんか?」

 

 居丈高に振舞う俺と同じ年齢くらいの男は、そのまま執務室の中央に置かれた応接用のソファへどっかりと座り込み、軍帽を脱いでくつろぎ始める。

 無精ひげに、浅黒い肌、筋骨隆々の体格に鋭い目つき。俺とは真逆の容姿だ。

 

 い、いやいやいや……あの……。

 

「兵器に茶は出せて、私には出せんのか」

 

「誰だお前は。名を名乗れ」

 

 思ったことが口から出てしまった。

 

「ててて、提督!? あ、あの、こちらの方は、その、呉のぉ……!」

 

 ゴーヤがあたふたとおかしな動きをしながら俺に説明しようとしてくれているが、そんなことはどうでもいい。

 俺は今、やっと息を吐けると思ったのだ。遠征部隊を組み、遠征先を決め、資材の確保を行う目途が立って、近海警備用の艦載機も作って、やっと……!

 

 言い訳ではなく、俺がこういう対応となったのは忙しさも相まった理由がある。

 ひとつ、過去に社畜であった俺はある程度の肩書を持っていた。中間管理職としてのものを。

 もうひとつ、肩書を持つ者として一つの部署を任されていた。その感覚でもって、俺は鎮守府を任されたのだから何とかせねばならないと、一応の責任感を持っている。

 最後に一つ、そんな場所にアポなしで知らない男が来たのなら、責任者として相手を見極め、何をしに来たのか問わねばならない。社畜としてではなく、今度は提督として。

 

「っ、貴様……この私に――! ここは――」

 

「ここは私の執務室だが。ゴーヤが案内したのか?」

 

「で、でちぃ……」

 

「そうか、ご苦労だった……が、今日は対応しかねる。申し訳ないが日を改めていただきたい」

 

 これ以上仕事を増やすんじゃねえ! いい加減にしないと龍驤の心臓一突きツッコミを食らわせるぞ!

 

「……なるほど、外聞に違わぬ阿呆というわけか。まぁいい、ここでハッキリさせておくが、この鎮守府は我が呉鎮守府の傘下となり――」

 

 海図の上にいた妖精はいつの間にか消え失せ、大淀、夕立の顔は引き攣り、ゴーヤは今にも泣きそうだった。一番泣きたいのは俺なのだが、それよりも休息を邪魔された怒りと――今更になって、こちらに来たばかりに殴られた怒りが相乗して爆発したのだった。

 

 人はこれを逆切れと言います。

 

「――これ以上、私の仕事を増やすな。私は彼女らで手一杯なのだ」

 

 嘘じゃない。俺は艦娘を支えないといけないのだ。じゃないと俺も名前も知らないお前も滅亡する。

 おっさんだって、生きていたいだろうがッ……!

 

 人は怒りに振り回されると、簡単なことに気づけなくなるものである。

 突然やってきたおっさんの胸元に、何故か俺より豪華なバッジがついていたりすること、とか。

 

「な、ぁっ……!? き、さまっ……!」

 

 

 

 

 

 

 あ、あれ。もしかして……あなた、提督さん、っぽい……?

 俺の心の夕立が冷や汗をかいた。本物の夕立も冷や汗をかいていた。



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十七話 一触即発【艦娘side】

 これが――提督の本領か――。

 

 提督に頼まれていた海図を執務室に持ってきた私は、この鎮守府に来る前から何度も言葉を失う光景を目にしてきたが、またも声が出なくなっていた。

 

 ふむ、と海図と睨みあい思考する提督は私や夕立が存在していないかのような、それどころか執務室にいることを忘れているのではないかというくらいに考えるという行為に没頭していた。

 海図の上を歩き回る妖精が場違いに可愛く見えるが、その妖精の表情は安心感に満ちており、提督を心の底から信頼しているようにも見える。時折、海図の一部を指す妖精に頷いたり、首をひねったり、何を言っているかは聞き取れなかったが、独り言を洩らす提督を眺める事数分。

 

「……提督。遠征艦隊は、どちらへ」

 

 邪魔をしてしまった、だろうか。

 私の問いに提督は妖精と海図をもう一度見て、こう答えた。

 

「まずは燃料を確保する。艦娘たる者、海を駆けられねばな」

 

 理にかなっている選択。

 私たち艦娘が航行するのに必須たる燃料があれば、万が一にも弾薬やボーキサイトが無くとも海上を目視で警戒することが出来る。駆逐艦や軽巡洋艦であれば電探などを使用し通常の近海警備とほぼ変わりなく任務にあたれる選択だ。提督ほどのお方ならば、もう少し早く決められると思ったのだが、買い被りすぎか……いや、それとも何か別のことを危惧していらっしゃるのか……?

 

 ここまで考えた時、私は重大なことに気づく。

 

 提督はこの鎮守府に来たばかりで、所属している艦娘も全員同じ状態のはず。

 

 何故――資源海域を把握しているのか――。

 

「そちらに燃料が……!? 提督は何故、そのような事を知って――」

 

 待つのよ大淀。考えなくとも、分かるはずじゃない。

 提督は過去にこの国最大の鎮守府を指揮していたお方。ならば横須賀鎮守府近海のみならず、その他の鎮守府の状況も把握していたはずだ。加えて、六年もの長い間、海軍の目を欺き続けたお方でもある。相手を欺くのも闇雲に隠れておけばよいという訳では無い。前鎮守府で斥候として働いてた夕立もそれに気づいたのか、横目に私を見た。ぱちりと目が合うと、意思が通じ合ったように、浅く頷く夕立。

 

 目を欺き続けるのに必要なのは、相手の事細かな情報である。

 それも、リアルタイムに把握しておかなければ裏をかき姿をくらませることなど不可能。

 それを六年間も続けていたのだから、提督は恐らく――全てを知っている。

 

 提督は妖精から授けられた技術を守っていたのだから、その敵は海軍省だけでは無いはず。艦娘反対派の提督にしつけられ完全に駒と化した艦娘の動きも把握していて不思議は無い。それに、その技術は戦争を根底から覆すような代物なのだ……私たち艦娘と人類の敵である《深海棲艦》の動きさえも、このお方の手中なのかもしれない。そんな考えに至った時、私の背筋につるりと汗が流れる。

 

「……長年の勘、とでも言っておこう。詳しくは、秘密だ」

 

 真剣な面持ちに、重たい声。やはり、と思わざるを得ない。

 

「仮の第一艦隊を鎮守府近海警備とし、第二艦隊は鎮守府より南西方面へ燃料を、第三艦隊は鋼材を、第四艦隊はボーキサイトを確保してもらう。第二艦隊は燃料を確保して鎮守府に帰還後、新編成し、今度はこちらへ弾薬の確保へ出向いてもらう。何か質問はあるか」

 

 そこからの提督の指示は的確かつ迅速で、まだ一度も私たちを出撃させていないにもかかわらず、長年この鎮守府で指揮を執ってきたかのような熟練の風格を漂わせていた。

 本当に、提督の頭の中はどうなっているのやら――。

 質問をすれば、必ず納得できる答えを返してくるであろうことなど、考えずとも分かる。この遠征は単純な資材確保のために行われるわけでなく、二つも三つも意義のあるものであろうことも。

 

「――了解しました」

「――っぽい!」

 

 私たちが出来ることは、提督の指示に全力で従う中で意味を見いだすことだ。

 提督を見て、お言葉を聞いて、ただ頷くだけではなく、真意に気づくことが必要なのだ。

 食事はしたものの、提督は鎮守府に来てからお召し物を替える暇さえなく私たちの為にと挨拶をし、工廠で開発を行い、今度は緊急で資材を確保すべく三艦隊の遠征作戦を考案なさった。近海警備も含めれば四艦隊同時運用の――

 

「第二艦隊は帰還後、旗艦を軽巡洋艦天龍に移行し、以下、駆逐艦暁、電、雷に再編成し出動させるものとする。

 明朝、マルナナマルマルより遠征任務を正式に発令。大淀は第二、第三艦隊となる者へ通達を頼む」

 

 ――違う。正確には、五艦隊運用の大規模作戦……ッ!

 龍驤の言葉が頭を過る。バケモノと表現するのはいかがなものかと思っていたが、今ならそれに同意してしまう。

 

 大本営発令の遠征作戦で、いくつかの鎮守府から抜擢して遠征を行うと言うのならば納得できる。しかし提督は、それをたったお一人で、ましてや一つの鎮守府で済ませようと言うのか……!?

 いくら所属している艦娘が百を超えるからと言っても限度がある。作戦で実際に動く艦娘は日に一艦隊か二艦隊。三艦隊も動かせたならば、それはもう天才の領域だ。

 

 私は大本営から各鎮守府へ配属される艦隊司令部付の任務娘という存在だから、幾人もの提督を知っている。運悪く方々へ飛ばされてばかりいたが、中には敏腕な提督がいたのも事実である。

 だがこのお方は、それらとは比較にならない。

 

 たった一度の挨拶しかしていないが、もしかすると提督は一目で私たちの全てを見抜いているのではないかとさえ考えてしまって、胸中で『そんなこと、ありえるはずないわよね』と引き攣り笑いを浮かべる。

 

「その編成ならば問題無いだろう。仲も良くなれるだろうからな」

 

 提督……前言を、撤回させてください……。

 ここまできたら、脱帽するしかない。

 

「は、はぁ……そう、ですね……」

 

 なんとか言葉に出来たのはこれだけで、私の頭はパンク寸前だった。

 仲も良くなれるだろうからな、とは。一体どこまで艦娘想いなのですか……龍驤に噛みつかれ、あきつ丸に詰められたというのに、あなたは怒りを見せるどころか慈愛で包み、あまつさえ私たちの仲の方を気にしてくださるとは。

 ひとたび海へ出れば、確かに私たちは互いの命を預ける身となる。信用、信頼して背を任せねばならない。しかし私たちの境遇では、信じるという言葉はあまりにも薄く、意味を持たない。それはこの鎮守府と、私たちの存在自体が証明している。

 

 なのに、提督は……私たちを信頼し、頭脳を限界まで回転させて鎮守府を支え、私たちの存在を肯定して任務を与えている。

 兵器と呼ばれた私の辞書に、仲間などという言葉は無いと言ってもいいのに、彼はどこまでも私たちをありのままに受け入れてくれる。

 

「それに夕立が鎮守府近海を守るのだ。これほどの鉄壁もあるまい」

 

「~~~~っぽい! 夕立、すっごく、すっごぉぉく頑張るっぽい!」

 

「……ふふ。頼むぞ、夕立」

 

 夕立は目を輝かせ、両手を胸の前にぎゅうっと組んで喜びを必死に受け止めていた。思わず、私も笑みを浮かべてしまう。

 でも、駆逐艦はずるい。私だって提督の為ならばどのような命令もこなすつもりだ。あの慈しみと愛情の溢れる微笑みを向けられる権利は、私にだって……って、何を考えているの大淀! これは鎮守府の危機なの……任務なのだから、真面目にして……!

 

 べ、別に夕立が褒められているのが羨ましいとか、そういうのは無い。決して。

 私は私で任務を全うするんだ。提督が艦娘を支えると言うのなら、私はその提督を支えてみせる。一番初めに提督に出会ったのは私なんだから……ッ!

 って、違う……だから私は何を考えているの――!

 

「第四艦隊の潜水艦は、もうそろそろ来る頃だろう。少し一服でも入れよう」

 

 任務の気配……! ここで私がさっとお茶を入れてお出しすれば、提督も私を褒めてくださるはず……!

 

 と、どこか壊れた思考で「私が入れてまいります」と提案しかけたとき、ノックの音が執務室の空気を揺らした。

 

「来たか……入れ」

 

 私と夕立が、提督の視線を追うように振り返ると、そこにはゴーヤと、知らない人物が一人立っていた。

 

「失礼します……でち。あ、あのっ、提督」

 

「おぉ、ゴーヤ、よく来たな。丁度今から茶を入れるところだったのだ、お前も一緒に――」

 

「ここは兵器に茶を振舞うのか。面白い鎮守府もあったものだな」

 

 私の脳は瞬時に不埒な考えを捨て、状況把握のために回り出す。

 提督と同じ軍服、そして胸元と肩へ視線をやれば、見せつけるように輝きを放つ勲章に大佐の階級章。

 記憶がひっかきまわされる中で、提督が挨拶をした後の講堂で出会ったあきつ丸の言葉が浮かぶ。

 

『少佐殿は直近にある呉鎮守府提督の《山元》という大佐に睨まれております。これも大淀殿ならば予想していらっしゃったでしょうが、彼は艦娘反対派の一人……よく言う事を聞くようにしつけた手駒をもって、我らが鎮守府へ挨拶に来るでしょう』

 

 山元大佐だ。瞬時にそう判断した。

 

「挨拶も無しとは、まだ少佐の階級には慣れんか?」

 

 山元大佐はゴーヤを押しのけ、ずかずかと執務室に入ってくると、中央の応接用ソファに腰を下ろして軍帽を脱ぎ、背もたれに身体を傾ける。

 私や夕立がよく見てきた光景――尊大な態度の山元大佐がとる、背もたれに身体を預ける姿勢は兵器呼ばわりする艦娘を前にして『恐怖や危険など感じていない』というものだ。私たちの提督も恐怖は感じていないだろうが、提督のそれと山元提督の感情は全く逆のもの。

 

「兵器に茶は出せて、私には出せんのか」

 

 軍では上下の関係は絶対である。陸であろうが海であろうが変わらない。

 山元大佐が茶を出せと言えば、どんなに屈辱に思おうとも少佐の階級である提督は大佐を敬い茶を出さねばならない。突然の訪問でも、だ。

 

 あきつ丸がどのようにして山元大佐がやってくる情報を掴んだのかは知らないが、事前に情報を持っていた私や夕立は一時的な驚きはあれど、動揺は少なかった。

 ゴーヤは怯えているものの、提督の姿を見て幾分か冷静さを取り戻したように見える。

 

 しかし、そんな冷静たる私たちを、提督は一言で動揺させる。

 

「誰だお前は。名を名乗れ」

 

「っ……!?」

「ぽぃぃっ……!?」

 

 提督は山元大佐を知らない……? いや、それはあり得ない。この鎮守府に来る時に海域の被っている呉鎮守府の情報も全て掴んでいるはず。

 ならば、提督はどうして誰だと問うのか。階級章とて見えているではないか。

 

「ててて、提督!? あ、あの、こちらの方は、その、呉のぉ……!」

 

 ゴーヤが分かり切ったことを説明しようと両手を虚空にさ迷わせながら言う。

 

「っ、貴様……この私に――! ここは――」

 

 山元大佐のこめかみに葉脈が如き青筋が浮かび上がる。

 

「ここは私の執務室だが。ゴーヤが案内したのか?」

 

 対して、提督はそんな大佐を心底鬱陶しそうな目で見る。しかしながら、ゴーヤに目を移した瞬間には、優しそうなものへ。

 

「で、でちぃ……」

 

「そうか、ご苦労だった……」

 

 大佐を差し置いてゴーヤを労う提督に、私たちの混乱はさらに大きくなる。

 

「……が、今日は対応しかねる。申し訳ないが日を改めていただきたい」

 

「……なるほど、外聞に違わぬ阿呆というわけか。まぁいい、ここでハッキリさせておくが、この鎮守府は我が呉鎮守府の傘下となり――」

 

 一触即発であった。

 

 山元大佐がこの柱島鎮守府に来ているということは、ここまで護衛してきた艦娘も外で待機しているはず。しかし執務室へやってきたのは大佐のみ。

 完全に、なめられている。そしてあまつさえ、傘下になれと。

 

 口を挟むなど以ての外だが、我慢してはならない、決して踏み荒らされてはならない領域というものがある。私にとってそれは、提督のことだ。

 

「っ……お言葉ですが――!」

 

 私の震える声を遮ったのは、提督だった。

 

「――これ以上、私の仕事を増やすな。私は彼女らで手一杯なのだ」

 

「ぁ、てい……とく……」

 

 がつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。全身から力が抜けていくような、そして、胸のあたりが締め付けられるような激痛。しかしその激痛は不快なものでも何でもなく、ただ思考力と行動力を全て奪い去ってしまうだけのものだった。

 

「な、ぁっ……!? き、さまっ……!」

 

 山元大佐がソファから立ち上がり、拳を握る。

 一方の提督は椅子に座ったまま、海図の上に両肘をついて指を組み、その上に額をのせた格好で鋭い視線だけを大佐に向けていた。

 

「いや、これは私が悪いな。失礼した……それで、名前をお伺いしてもよろしいか?」

 

 刹那――提督から発せられる圧力。一点集中して大佐に注がれる圧を見て、ゴーヤも夕立も気づいたのだろう。表情こそ真面目なものだが、そこから危機感や焦燥感がどんどんと薄れ、安心へと変わっていくのがわかった。

 

「貴様から名乗らんかっ! 名前をお伺いしてもよろしいか、だとぉ……!? 部下の貴様が上官に向かって、なんと生意気な……!」

 

「あぁ、そうか、そうだな。私はこの柱島鎮守府で提督をしている海原だ。以後、よろしく頼む」

 

「ぐっ、ぶ、ぶれ、いな……! 貴様ァッ! 煽るのも大概に――!」

 

「無礼? 名を名乗って無礼と言われるのか……難しいものだな、軍の礼儀とは」

 

 提督は私と夕立、ゴーヤを順番に見てから困ったように笑った。

 それは大佐という存在を無視した煽りであり、かつ、私たちを絶対に守ると言わんばかりの行動であるのを理解できないほど、私も愚かでは無い。

 

 しかし、あまりにも攻撃的な態度は綱渡りという表現では追いつかないものだ。一歩間違えれば私たち艦娘どころか、提督の身を危険に晒しかねない。

 数年に渡りたったお一人で海軍そのものを相手にしてきた提督は、刃の上を飄々とした顔で歩けるほどの領域であるというのか……。

 

「~~~~っ!?」

 

 顔を真っ赤にした大佐が素早い動きで片手を腰に滑らせたのが視界に入った。

 それが何を意味しているのかすぐに判断出来たが、かたや提督も同じタイミングで机の引き出しに手をかけた。

 

 そして――山元大佐が拳銃を取り出し、提督が引き出しから何かを取り出す。

 

「貴様は私を公然と侮辱した。そしてここは軍だ――如何様にも理由は上乗せできる。意味が、分かるな……!?」

 

 拳銃を向けられる提督を見て、私は初めて恐怖した。

 人は簡単に死んでしまう。たかだか鉛玉をひとつ受けた程度で絶命するほどに脆い。過去に無礼を理由に発砲された経験のある私は、当時、恐怖は無かった。ただ、怒りをかってしまい申し訳ないと思ったくらいだ。

 だが、提督に向けられた明確な武力を見て、両足が震え出す。

 

「……はぁ」

 

 提督は大きなため息を吐き出し、引き出しから取り出した何かを海図の上へぽんと置いた。

 それは、紅紙だった。

 

「上の者からこの鎮守府を任されたのだ。その者以外の一存でどうこう出来るほどくだらん仕事では無いはずだが」

 

「そっ、そんなもの、どうとでもでっちあげられる! ここにいる兵器どもにも言うことを――」

 

「兵器ども、ではない。〝私の艦娘〟だ」

 

 私の艦娘、という言葉に力が込められているのに、今はそんな場合じゃないというのに、私は俯いて必死に涙を堪えた。

 夕立も、ゴーヤも同じく俯いていた。

 

「後日、正式に挨拶に伺う。以上だ」

 

「ぐ、ぬぅぅっ……!」

 

 完全に、提督の圧に呑まれた様子だった。

 山元大佐は忌々し気に拳銃を収め、脱いでいた軍帽を乱暴に取り上げると、ぐっと被りながら怒鳴り散らす。

 

「ここは呉の傘下であることを忘れるな! 今回は幸運であったと喜んでおけよ、今のうちにたっぷりと。我が鎮守府に来た時には、盛大に歓迎してやる。盛大にだ」

 

 それから、私や夕立、ゴーヤを見て言う。

 

「……荷物をまとめておくことを推奨する。すぐに別の鎮守府へ行くことになるだろうからな」

 

 それが意味する事は――と考えそうになった時、

 

「遠征ついでに、挨拶に行くのも良いかもしれんな」

 

 という、提督の呟き。

 

「遠征ついで、だと……!?」

 

「情けない話だが、我が鎮守府は現在、資材が底をついているようでな。四艦隊を編成して遠征を行う予定だったのだ。明日にでも遠征部隊を組み、それについて私もそちらへ伺わせていただきたい」

 

「な、四艦隊を編成してうかがっ……!? ま、待て! 貴様、言っている意味を理解しているのか!?」

 

 流石の私も思わず息を呑む。

 これは、完全なる宣戦布告ではないか――!

 

「そのために新たな装備も開発してある……が、なにぶんまだ勝手をわかっていないのでな。上官の艦娘の装備を参考にさせてもらえたら、ありがたい」

 

 天才と馬鹿は紙一重。そうして、天才は一歩間違えれば狂人となる。

 一見して、提督の行動は完全な狂人である。上官に宣戦布告するなど、海軍内の抗争へ自ら足を踏み入れるなど……。

 

 新たな装備を開発したという手の内まで晒して、呉鎮守府という、こことは規模が倍以上違う地へ向かうなんて常人には出来ない。

 

 ……いや、待って、大淀。

 遠征部隊は一部南西方面へ向かうはず。なのに、遠征隊について呉へ上ると……?

 

「……わ、分かった。いや、唐突の訪問となったのは、呉鎮守府との、海路でもある柱島という特殊な泊地に提督が着任したと耳にして、個人的に、会って、みたく」

 

「……ほう、それで」

 

「っつ……ついては、私が個人で行った、挨拶である。正式な挨拶とあらば、謹んでお受けする」

 

「そうか。それは良かった。失礼を重ねるが、私は軍の礼儀に疎い。どのような形で挨拶をすれば失礼にあたらないか、ご教示いただけるだろうか」

 

 これは、使えない欠陥品とまで呼ばれた私たちさえも武器としてしまう、提督の完全なる意趣返し――!

 

 あー、それは、と話す山元大佐を置いて、提督の小さな呟きが私たちの耳に届く。

 

「……怯えるな。大丈夫、問題無い。大丈夫だ。何があっても俺なら――」

 

 

 あなたは、どうして自らを危険に晒すのですか。

 私や夕立、ゴーヤは欠陥品と呼ばれようが、兵器であるというのに――何故、脆い身体をおして守ろうとしてくださるのですか。

 

 狂人としか見えない行動を取り、上官に歯向かってでも、私たちを守るのは、何故なのですか。

 

 

「こういう時、どう言ったらいいんだ……わ、分からん、が……だ、大丈夫、大丈夫だ……何とかなる。何とかする。明日も美味しい飯を食うんだ……」

 

 

 明日に希望を持てと、そう仰るのですね。

 あなたは、私たちに明日の暁を見せてやると――また、一緒に食事をしようと、そう仰ってくださるのですね――。

 

 軽巡洋艦大淀――もう、迷いはありません――!

 

 

 私の意思が固まった時、ぴりりと頭に走る電流。

 これが、私が初めて自覚した艦娘同士の〝共感〟だった。

 目を見開き横を見れば、同じ顔をして夕立が私を見ていた。そして、ゴーヤを見れば、そこにも同じ表情が。

 

「――であるからして、挨拶に来るならば……」

 

 つらつらと話す山元大佐の額には、汗が見えた。

 提督の威圧に屈さなかったことを大いに誇るといいだろう。歴戦の艦娘である、初期型の龍驤でさえ膝が笑い立ち上がれなくなったのだから、両足をしっかりと地につけて立っている山元大佐は、見た目に違わぬ猛者であるのだろう。

 しかし、それもここまで。

 

「……夕立と伊五十八は任務がありますので、呉鎮守府へのご挨拶には、私が同行いたします、提督」

 

「大淀……」

 

 提督が安堵した表情で私を見た。

 分かっております、提督。決してあなたを一人にはさせません――!

 

「そっ、そうか、同行は貴様一人か?」

 

 山元大佐の問いに、私は一瞬だけ目を合わせたが、すぐに提督へ顔を向ける。

 

「必要とあれば、私が召集いたします。いかがいたしましょう、提督」

 

「……長門でも連れて行くか」

 

 山元大佐の額に浮かぶ汗がどんどんと増えていくのが、見なくとも分かった。

 これでは本当に狂人である。呉鎮守府へ挨拶に行くと宣戦布告し、その長を前にして戦艦を連れ出すと言っているのだから。

 

 執務室内でここまで修羅場が起きているというのに、山元大佐が連れてきたらしい艦娘は全く姿を現さない。外で待機しているのならば、可哀そうに、としか言えない。

 今やこの鎮守府には、欠陥品と呼ばれた艦娘たちが放し飼いとなっているのだから。

 まだよく話したことも無い艦娘ばかりだというのに、私は完全に信頼しきってしまっているのだった。

 

「わっわかった、海原、分かった。落ち着け。此度の訪問と無礼は、私から謝ろう。ここにいる艦娘とも、話してはいない。だから――」

 

「うん? ゴーヤと話したんじゃないのか」

 

「そ、それは! 案内をさせるために――!」

 

「そうなのか、ゴーヤ?」

 

 ゴーヤは山元大佐に脅されて提督のもとまで案内させられたに違いない。

 それを察した提督はゴーヤへわざと問うているのだ。

 

 ゴーヤは山元大佐を見てニッコリと笑い、提督へ言った。

 

「案内してくれって言われただけでち。何も、問題無かったでち」

 

「そうか。ならいいが」

 

 あからさまに安堵の息を吐き出す山元大佐。

 既にそこには、来た時の威厳や圧力は欠片さえ残っていなかった。

 

「では、話はここまでだ。もう遅いし海は暗い――ゴーヤ、大佐を送って――」

 

「い、いや、結構! こ、ここに来るのに秘書艦と数名の艦娘を連れてきているから、大丈夫だ。海原……少佐の、手を煩わせることは無い。では、失礼する」

 

 言うや否や、山元大佐はそそくさと執務室を出て行った。

 出て行くのを見つめ続ける私たち。どうしてか、ぽかんとした顔をする提督。

 

 どうやら、山元大佐は提督と同じ戦場には立てなかったらしい。

 提督の表情は、これからが本番だぞと気合が空回りしてしまった故だろう。

 これではどちらが弱い者いじめをしにやってきたのか分からないではないか、と笑ってしまいそうになる。

 

 お優しいのか、恐ろしいのか。

 

「……夜の潜水艦ほど頼りになるものも無いと思ったんだが」

 

 この人は敵と認めたら本当に容赦がない……。

 

「提督……やり過ぎです」

 

 と私が言うと、ゴーヤは笑って「夜の海で潜水艦を仕向けるなんて、てーとく鬼すぎでち!」と山元大佐が去って行った先を見つめる。

 

「素敵なパーティーになるかと思ったっぽい……」

 

 夕立は……若干、提督よりの戦闘狂かもしれない。良く言い聞かせておかないと、と心に誓う。

 

 

 

「さて……ちょっとお茶をもらえるか、大淀。あとタオルを」

 

「あ、は、はいっ!」

 

 

 

 こうして、私たちは提督の一方的な勝利の目撃者となったのだった。



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十八話 一触即発【提督side】

 突然の訪問者は目の前で顔を真っ赤にして拳を握りしめた。

 部下のいる手前、俺は引くわけにもいかず、ぐっと顔をしかめて軍帽の位置を直し、海図の上へ肘をついた。

 

「いや、これは私が悪いな。失礼した……それで、名前をお伺いしてもよろしいか?」

 

 そう問えば、男はまたも激昂し、唾を撒き散らしながら言うのだった。

 

「貴様から名乗らんかっ! 名前をお伺いしてもよろしいか、だとぉ……!? 部下の貴様が上官に向かって、なんと生意気な……!」

 

 あれこれ対応間違えた? そ、そうかアレだな!?

 海軍式(偏見)の互いにちょっと強めな口調で話すようなのはもう少し先でしたか!?

 

「あぁ、そうか、そうだな。私はこの柱島鎮守府で提督をしている海原だ。以後、よろしく頼む」

 

 当然も当然。先に名乗ることは礼儀である。それは軍であっても変わらないのだな、と考えた。

 疲れからか、はたまた突然の来訪者――今の俺にとって闖入者に等しいが――への対応を考えあぐねた俺は座ったままに名乗りを上げる。無礼じゃなかろうか……。

 

「ぐっ、ぶ、ぶれ、いな……! 貴様ァッ! 煽るのも大概に――!」

 

 ですよねぇ!

 

 しかし決して煽ったわけでは無い。闖入者であろうが名乗れと言われて名乗ったのだから、多少の礼節はあるつもりだ。

 

「無礼? 名を名乗って無礼と言われるのか……難しいものだな、軍の礼儀とは」

 

 しかしどうやら、俺の礼儀は間違っていたらしい。名を名乗れど無礼にあたるとは海軍とは本当に難し――

 

「~~~~っ!?」

 

 つかの間、男は腰に手を滑らせた。軍服の裾から鈍い黒色が顔を覗かせ、一度ならず二度目となった『得物』の登場に俺の思考が鈍る。

 何かせねば。対処を、なんとかそれだけを考えて机の引き出しに手をかけた。

 

「貴様は私を公然と侮辱した。そしてここは軍だ――如何様にも理由は上乗せできる。意味が、分かるな……!?」

 

 銃口を向けられるのも、二度目で――あっもうだめだ冷静でいられるわけねえ。

 

 なんだよ!? というかお前誰だよ!? 俺名乗ったよなぁッ!?

 どうしてお前は名乗らずに煽られたと勘違いして拳銃取り出してんだ!

 その指にかかったトリガーを少しでも引いてみろ、俺は死ぬ。

 

 状況を一言で表すのならば、混沌、だった。

 

 突然ゴーヤが連れてきた男は名乗るわけでも無ければ、呉がどうとか話をはじめ、次の瞬間にはブチギレて俺に拳銃を向けてきている。

 夕立も大淀も、こいつを連れてきたゴーヤも拳銃を見て呆けた顔をしていたように見えた。

 

 ……もしかして、もしかしての話だが。

 この鎮守府に来たばかりの俺の顔を見に来た軍の人であるのは間違いない。それで、俺は昔にネットでみた、ある《ドッキリ》の動画を思い出していた。

 動画の内容は、軍隊で功績を上げた、または昇進した者を呼び出して「お前は秘密を知り過ぎた」などと言って拳銃で脅す、というものだった。軍人の様々な反応が楽しめた動画だったのを覚えている。

 両手を上げて相手を刺激しないよう言葉を選びながら宥める者、拳銃を向けられた瞬間に相手の手首を掴み、目にも止まらぬ速さで制圧する者、果ては命乞いをする者まで。

 

 その動画の最後は、昇進おめでとうという掛け声と共に仲間がやってきてネタばらしをして終わるのだが……これ、あれか? 海軍式のドッキリだな……!?

 

 そしてこれを利用して、俺の力量を見定めてやろうと、そういう事だな……!

 

 ってそんな訳ねえじゃぁぁああああん!! 落ち着けよ俺ぇぇええええ!

 はい、深呼吸! ほら、息を吐き出せ!

 

「……はぁ」

 

 部下たちがいる手前、もう威厳も何もあったものじゃない。俺の威厳スイッチはボロボロだ。今押したら壊れちゃうかもしれない。

 だが死にたくはないっ……威厳スイッチを、押す……!

 あと命乞いスイッチ(新登場)を押す……ッ!

 

 威厳と命乞いという両極端なボタンを押す精神的負担は想像を絶するものだろう。多分この年齢になって初めて漏らすかもしれない。既にちょっと出てるかもしれない。

 何せ両足が震えて椅子から立ち上がることさえ出来ないのだから。当たり前である。

 

 俺が出来ることは、ここで殺されないために目の前の軍人らしき男へ『上司の命令がある』と示し、責任転嫁することだ。

 

 社畜時代にはよく見た光景だったが、まさかこれが今ここで役に立つとは。

 そう言って取り出したのは、最初この世界に来た時に握らされていた紙切れである。

 

「上の者からこの鎮守府を任されたのだ。その者以外の一存でどうこう出来るほどくだらん仕事では無いはずだが」

 

 そうだ。俺はこの鎮守府を海軍の責任者である井之上さんから受け持ったのだ。目の前の軍人がどのような立場であれ、元帥を名乗ったじいさんからの叱責は避けたいはず……!

 

「そっ、そんなもの、どうとでもでっちあげられる! ここにいる兵器どもにも言うことを――」

 

 でっちあげられるの!? お前一体誰なんだよ! というか、何なんだよ!

 情報をでっちあげて俺をここで亡き者にしたところで得なんてなにも無いだろうが! クソァッ!

 

 それに兵器どもだと? ふざけやがって。ここにいるのはただの兵器では無い。艦娘だ。それも『俺の艦娘』だ。思ったより関西弁の語気が強い龍驤率いるやべえ空母勢やら、俺を見ただけで主砲斉射してきそうな長門率いる戦艦勢という戦闘部門のほかにも、美味しい焼き魚定食を一瞬で百食分を用意してみせる食堂の手品師間宮や伊良湖、そしてそのすべてをまとめ上げる(予定)の大淀に、鎮守府の番犬夕立や歩く性癖潜水艦隊……最後のは失礼か……いや全部失礼だな。

 

 と、ともかく、俺の心を支え続けてくれた艦娘を兵器呼ばわりは許せん。

 下手に刺激してしまったら、それこそ俺の額に風穴があいて涼しいことになるかもしれないが……それだけは、訂正させろ……ッ!

 

「兵器ども、ではない。〝私の艦娘〟だ」

 

 は、はは、ははは……言ってやったぜ……!

 

 どうだ大淀、夕立にゴーヤ。俺は立派な提督では無いかもしれないが、せめてこれだけは譲れないという意地を見せてやっ――あっれ嘘だろ全員下向いて呆れてらっしゃる! ショックである。

 

 俺の意地の見せ所があまりにも情けなかったためか、軍人さんも言葉を失っている様子だった。マジごめん、艦これプレイヤーには譲っちゃいけないところがあるんだよ。空気読めなくてごめんて。

 

「後日、正式に挨拶に伺う。以上だ」

 

 だから今回だけは大目に見てやってください、オネシャス……オネシャス……。

 そうこう言い合いしている内に、名も知らない軍人は結局銃を収めて軍帽を被りなおしたのだった。

 

 そして、こう言った。

 

「ここは呉の傘下であることを忘れるな! 今回は幸運であったと喜んでおけよ、今のうちにたっぷりと。我が鎮守府に来た時には、盛大に歓迎してやる。盛大にだ」

 

 えっ。

 

 あの、えっ。ここって呉鎮守府の傘下だったのか……?

 という事は、目の前にいらっしゃるのは、もしや呉鎮守府の提督さん、っぽい……?

 

 俺の心の夕立がまたも冷や汗を流す。これはいかん、と。

 

 社畜時代の俺ならば絶対におかさなかった失態だ。上司に挨拶へ伺わないなど有り得ないことである。

 営業先然り、新しい上司然り、何事も出来る限り円滑に進めるために挨拶は基本中の基本であり、話題が無くともとっかかりの一つとなる重要なステップだ。

 

 口先だけで謝るなど誰でも出来るが、ここは曲がりなりにも海軍――もしや俺はとんでもない事をしでかしてしまったのでは、と焦りが生まれる。

 だからと言ってここで立ち上がってへこへこと頭を下げて謝罪するなど部下からの信用問題に発展しかねない。こいつは一切仕事が出来ない奴だと思われては、俺は今度こそ駆逐艦実弾演習の的にでもされてしまうだろう。ありがとうございます。

 

「遠征ついでに、挨拶に行くのも良いかもしれんな」

 

 さりげなく、そう、さりげなくでいい。挨拶に伺わせていただきますと伝えるのだ。こうすれば、じゃあついでにこの仕事をしてくれないか? それで挨拶がてらに報告も出来るだろうと言ってくれるに違いない。

 社畜の基本は一つの仕事に縛られない事である。言い換えれば、一つの仕事が出来るなら二つも三つも同時並行しろ、なのだが。俺はこれが中々できずに上司にさんざっぱら怒られ……それはいいか。

 

「遠征ついで、だと……!?」

 

 ダメだ。この提督さんはかなりプライドが高い系の上司だ。俺の経験がそう言っている。

 こういうタイプの上司には、自分がいかに情けなく、力及ばずへばっているか、という弱みを見せるに限る。そうする事で気分を良くしてあげれば、満足して落ち着いてくれるのだ。

 今日は社畜の知識が存分に発揮されている気がする。悲しい。

 

「情けない話だが、我が鎮守府は現在、資材が底をついているようでな。四艦隊を編成して遠征を行う予定だったのだ。明日にでも遠征部隊を組み、それについて私もそちらへ伺わせていただきたい」

 

「な、四艦隊を編成してうかがっ……!? ま、待て! 貴様、言っている意味を理解しているのか!?」

 

 理解していますとも。情けない限りです。本当にすみません。

 

 こんな事を他の艦これプレイヤーに言ったら笑いものにされてしまう。いくら新規の鎮守府とは言え、先に資材の確認もせず目先の任務にとらわれて開発し、結果資材が枯渇してしまうなど艦娘たちにさえ笑われておかしくない話だ。

 そんな俺を笑わずに真面目に話を聞いてくれる艦娘はやはり天使で間違いない。

 

 現状の一部を晒してしまったのなら、二つ晒そうが三つ晒そうが同じである。

 死なばもろとも、ではないが、謝罪するのならばもう全員連れて行ってやる……と情けない考えで俺は言葉を続けた。

 

「そのために新たな装備も開発してある……が、なにぶんまだ勝手をわかっていないのでな。上官の艦娘の装備を参考にさせてもらえたら、ありがたい」

 

 ほんと、もう、拳銃向けた事とか気にしないんで、助けて下さい……。

 

 呉鎮守府――艦隊これくしょんでは初期サーバーである横須賀鎮守府の次に実装されたサーバーで、同時に佐世保鎮守府が実装されたのだったか。

 史実でどうだったか、というのはあまり知らないが、少なくともこの柱島鎮守府よりは所属している艦娘の練度も高いだろうし、装備だって充実しているはず。

 挨拶に行くついでに、何なら演習でもして戦いを見せてもらい、装備について色々とご教授願いたい、というのは嘘ではなかった。

 

「……わ、分かった。いや、唐突の訪問となったのは、呉鎮守府との、海路でもある柱島という特殊な泊地に提督が着任したと耳にして、個人的に、会って、みたく」

 

 相手の表情と場の空気が変わった。

 やはり社畜時代の知識は間違っていなかったのだ……!

 

 これで呉鎮守府で色々知識を得られたら、この鎮守府での艦娘の運用もぐっと変わる。装備だって新しいものにしてやれるし、効率の良い遠征で無理なくローテーション出来るようになるかもしれない。

 疲労度――という明確なゲージなんてものは見えないが、艦娘たちを赤疲労にしてまで出撃を繰り返したくはないのだ、俺は。

 

「……ほう、それで」

 

 先を促すように声を掛ければ、呉の提督は俺を上目遣いにちらちらと見ながら言った。

 

「っつ……ついては、私が個人で行った、挨拶である。正式な挨拶とあらば、謹んでお受けする」

 

 デレたぁぁあああッ! よっしゃぁぁぁああッ! いや微妙に嬉しくねえ!

 まさか正式な形で挨拶をさせてもらえるまでにデレてくれるとは思わなかったが、これで色々と糸口を掴めるかもしれないと俺は胸中で小躍りした。やったぜ大淀、見たかよ大淀、俺の華麗な処世術を。

 

「そうか。それは良かった。失礼を重ねるが、私は軍の礼儀に疎い。どのような形で挨拶をすれば失礼にあたらないか、ご教示いただけるだろうか」

 

 威厳を崩さず、尚且つ下手に出ることを忘れずに。油断するな俺。

 ここでまた失態をおかせば全ては水の泡となる。海だけに。

 

(……怯えるな。大丈夫、問題無い。大丈夫だ。何があっても俺なら――)

 

 何度も何度も呟いた。久しぶりに胃が痛い。

 挨拶の仕方だろうか、ペラペラと喋り続ける呉の提督の話など右から左だった。

 

 この鎮守府を存続させること。艦娘たちに嫌われず、威厳を失わないこと。

 明日も間宮の美味い飯を食いたいという欲望を捨てないことばかりが浮かんだ。

 

(こういう時、どう言ったらいいんだ……わ、分からん、が……だ、大丈夫、大丈夫だ……何とかなる。何とかする。明日も美味しい飯を食うんだ……)

 

 嫌われないようにしていたつもりだったが、情けなさが思い切り出てしまっているのは否めない。

 そんな俺があまりにも哀れだったのか、とうとう大淀が助け船を出してくれた。艦娘だけに。いやごめん。

 

「……夕立と伊五十八は任務がありますので、呉鎮守府へのご挨拶には、私が同行いたします、提督」

 

「大淀ぉ……!」

 

 俺一人で行かせてはもっと情けない姿を見せてしまうから、保護者として同行してくれるということだろう。何て優しいんだ。そして本当に申し訳ございません。

 

「そっ、そうか、同行は貴様一人か?」

 

 呉の提督も機嫌を直してくれたようで、こちらに気を遣ってくれるほど。

 同行者を気にするというのは、前言の歓迎に必要なことなのだろう。どうしようもないくらいにダサい姿を見られてしまったが、それも笑いの種にして歓迎会でもしてくれるのかもしれない。

 ごめん呉の提督さん、ただの浅黒くてでっかいおっさんだと思って……体育会系の情に厚い人なだけだったんだな……。

 

「必要とあれば、私が召集いたします。いかがいたしましょう、提督」

 

 体育会系には礼儀をもって体育会系をぶつける。ベストチョイスを俺は知っている。

 

「……長門でも連れて行くか」

 

 戦艦勢代表、長門型戦艦一番艦、ゴリ――いや失礼だな。長門だね。そうだね。

 呉の提督を見ればガタイの良さは言わずもがな、二の腕も胸板も軍服がはち切れんばかりだ。きっと良いプロテインとかを飲んでいるに違いない。

 俺は不摂生の代表みたいなものなので、プロテインなんてものは知らないし飲んだことも食べたことも無いので話題にはついていけないだろう。だが、長門なら知ってそうだ。漫画で見た。

 

 はじめはどうなることかと思ってチビッたが、良い方向に進んでいるぞ!

 あ、いや、ちびってはないぞ。それくらい怖かったって話だ。本当だぞ。

 

「わっわかった、海原、分かった。落ち着け。此度の訪問と無礼は、私から謝ろう。ここにいる艦娘とも、話してはいない。だから――」

 

 うん? と首を傾げてしまう俺。

 此度の無礼とは不思議なことを言う。

 確かに突然訪問されて驚いたが、誰だとか、名を名乗れとか最初に言ったのは俺だ。どう見ても完全に俺が悪いだろ……この人、本当はお人好しか……?

 

 それに気にするほども無いではないか。拳銃を取り出させてしまうくらい怒らせたのは俺なのだから、そんな低姿勢にならないで欲しい。営業がしづらくなる。

 

「うん? ゴーヤと話したんじゃないのか」

 

「そ、それは! 案内をさせるために――!」

 

「そうなのか、ゴーヤ?」

 

 案内をさせるために話した。何も変なことは無いが……。

 ゴーヤは呉の提督をニッコリと笑顔で見たあとに、こちらを見て言う。

 

「案内してくれって言われただけでち。何も、問題無かったでち」

 

「そうか。ならいいが」

 

 なんだ問題ねえじゃん。

 と、ここで呉の提督を突っ立たせたままである事に気づいた俺は、茶の一つでもと提案しかけるものの、正式な挨拶は後日ということになったんだったなと思い出し、この場をスマートにおさめることにした。

 

「では、話はここまでだ。もう遅いし海は暗い――ゴーヤ、大佐を送って――」

 

 きちんと最後までエスコートする。社畜だけではなく、社会人としてのマナーである。

 

「い、いや、結構! こ、ここに来るのに秘書艦と数名の艦娘を連れてきているから、大丈夫だ。海原……少佐の、手を煩わせることは無い。では、失礼する」

 

 と、呉の提督は言うが早いか執務室から出て行ってしまったのだった。

 秘書艦を連れてきている、で「そりゃそうか……」と思ってしまう。挨拶に来たのなら体裁くらい整えてくるのは当然なのだから。気が動転しているのはやはり俺のようだ。なんて情けない。

 

 だが、夜の海といえば潜水艦じゃないか……しっかり護衛出来るのに……。

 

「……夜の潜水艦ほど頼りになるものも無いと思ったんだが」

 

 俺の呟きを聞いた大淀が、呆れた様子で言った。

 

「提督……やり過ぎです」

 

 あっはいすみませんでした。こんな情けない提督で申し訳ありません。

 呉の提督がいなくなった途端に大淀に怒られてしまった俺は、しょんぼりと下を向いてしまった。

 

「夜の海で潜水艦を仕向けるなんて、てーとく鬼すぎでち!」

 

 ゴーヤにまで怒られてしまった。俺はもうダメかもしれない。

 

「素敵なパーティーになるかと思ったっぽい……」

 

 そしてお前は何を言っているんだ夕立。俺の頭は確かにパーティー状態だったが。

 

 

 呉の提督が来るという突発的イベントがあったものの、なんとか命を落とすことは無かった。威厳は地に落ちたが。

 どっと疲れた……もう何もしたくない……と、俺は大きく息を吐き出し、大淀に言うのだった。

 

 

 

「さて……ちょっとお茶をもらえるか、大淀。あとタオルを」

 

「あ、は、はいっ!」

 

 

 

 タオルは汗を拭くために持ってきてもらうのだ。

 

 別にチビッてなんか無いぞ。本当に。




追:2022/01/13 冒頭部分を加筆修正しました。


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十九話 大規模作戦【艦娘side】

『今日はもう休む。大淀は遠征部隊へ通達をしておいてくれ。それが終わり次第、お前も休め。間違いの無いように頼むぞ』

 

『っは、お任せください』

 

『……お前は頼りになる』

 

『そっ、そのような、あの、はい、頑張りますので……!』

 

 山元大佐が帰った後のこと、提督は私が持ってきたタオルを受け取りながら、また海図を見つめた状態でそう仰った。

 姿を消していた妖精たちも、いつのまにかまた提督の周りに集まっているのが不思議だった。

 鎮守府の存続が危ぶまれる状況が重なったというのに提督は一切動じなかった。いいや、動じるどころか、遠征作戦にかこつけて大佐を追い返し、あまつさえ私を労り、お褒めの言葉を――

 

「おい、大淀! なにぼーっとしてんだ?」

 

「……っは! す、すみません、提督に言われたことの、えーと……整理を……」

 

「整理ぃ? ま、小難しいこと言われてんのかもしれねぇけどよ……オレにも分かりやすく頼むぜ?」

 

「天龍に分かりやすくとか、絵本にしなきゃダメなレベルだクマ」

 

「あぁっ!? そこまで馬鹿じゃねえよ!」

 

「ほんとクマ~?」

 

 現在、私は軽巡寮に戻り提督から仰せつかった遠征作戦の概要を、遠征部隊の旗艦となる艦娘たちへ伝えている最中である。

 

 天龍型軽巡洋艦一番艦、天龍――片目の眼帯が特徴的な艦娘は、がりがりと後頭部をかきながら私が持ってきた海図の写しに視線を落とす。

 その天龍の横にいるのは、球磨型軽巡洋艦の一番艦、球磨である。彼女たちは非常に優秀ながらも、やはり欠陥品として前鎮守府から追い出された経歴を持つ。コミュニケーション能力に問題があるわけでもなければ、艦娘として能力的に劣るわけでもない。強いて言えば、個性は強いかもしれないが……それを理由に追い出されたとは考えにくい。

 

 確か、天龍と球磨は同じ鎮守府からやってきたのだったか。

 手元にない資料の記憶を探り、ちらりと二人を見やる。

 

 軽巡寮の談話室で話をしているのは、もう一人。天龍と球磨の背後にある椅子に座り、足を組んで離れた位置から海図を見つめる艦娘――長良型軽巡洋艦二番艦、五十鈴。

 

「で? 提督は五十鈴たちに何をしてほしいわけ?」

 

 単刀直入に問う五十鈴に、私はまた口を閉ざしてしまうのだった。

 どう説明すべきか……任務自体は簡単な資材確保の遠征だが、提督が求められていることはそれに加えて何か、もう一つあるはず。

 天龍や五十鈴と同じく海図に視線を落としたままに、私は唸った。

 

「うーん……任務は、遠征なのですが……」

 

「遠征かよぉ……」

 

「天龍、ただのおつかいじゃないクマ。これは任務クマ」

 

「分かってっけど、なぁぁ……遠征かぁぁ……」

 

「てーんーりゅー……?」

 

「な、そ、そんな目で見んなよ! 俺たちは艦娘だろ? 遠征なんかじゃなくて、やっぱ戦線に立ってこそっつうかよ……」

 

「世界水準とやらを超えた天龍には遠征は物足りないってことかしら?」

 

「ばっ、ちっげーよ! でもよぉ、五十鈴も戦線に立ちたいって思うだろ?」

 

「別に私は、任務ならそれに従うだけよ。まぁ? この五十鈴の提督なんだから、手堅く遠征任務から着手するのは悪くないと思うけれど。あの講堂での話……きっと提督は出世するわ。なんたってこの五十鈴の提督なんだもの――」

 

「《私たちの》提督です」

 

「お゛っ……大淀、目が怖いクマ……」

 

「……んんっ、失礼しました」

 

 なんで私は五十鈴さんに噛みついているの……! 今はそんな場合じゃないでしょう、大淀……しっかりして……!

 

 もう一度咳払いを挟み、私は海図を見ながら五十鈴、球磨、天龍に向かって欲しい海域に鉛筆で丸を書きこむ。それから、近海警備をする夕立たちが哨戒するであろうエリアにも丸をつけ、潜水艦隊が向かう海域にも印を書き込みつつ概要を説明した。改めて見ると、海図が埋まるほど手狭だ。

 

「資材を確保するため、明日、マルナナマルマルに提督より正式に遠征任務が発令されます。五十鈴さんと球磨さんは第二、第三艦隊の旗艦となり、駆逐艦を率いてこの海域にある資源を確保し、迅速に鎮守府へ帰還してください」

 

 簡潔に伝えると、天龍が「俺は?」ともっともな質問。

 

「もちろん、天龍さんを呼んだのも、こちらの遠征作戦に参加してもらうからですよ。天龍さんは第二艦隊の五十鈴さんの帰投後、旗艦を移行して今度はこちらの海域へ向かってもらうことになります」

 

「俺が旗艦!? っしゃぁあ! 提督、分かってんなあ!」

 

「うるさいわよ天龍、もう夜なんだから」

 

「まぁまぁ、旗艦同士仲良くしようぜ、五十鈴!」

 

「あんたより先に私が旗艦になるんだけどね」

 

「それでも同じ旗艦だろ? へへっ、戦線に立つ前にゃ丁度良い運動に――」

 

「……話を続けますよ」

 

 騒がしい通達になるなぁ、と胸中で息を吐きつつ、続ける。

 

「遠征目標が資材の確保なのはその通りなのですが、ただの遠征ではなく、これは大規模遠征作戦となります。艦隊の入れ替えを含めた五艦隊運用となりますので、しっかりとした連携が大前提なのを忘れないようにしてください」

 

「おう、心配すんなよ。俺たちは電探もあるしよ」

 

 天龍が艤装の一部である耳のような電探を指先でこつこつと叩いて見せる。

 私たち艦娘は、艤装を展開、装着することで艦娘としての能力を発揮できる存在だが、艤装が無ければただの頑強な少女……という訳でもない。正確には、常に私達は艤装の一部を身に着けて過ごしている。

 天龍ならば耳のような電探。球磨の髪の毛の一部にしか見えないような、ぴよんと立ち上がるアレも電探らしい。そして、五十鈴のカチューシャもただの飾りではなく、ちゃんとした電探である。

 私も艤装の一部が常に展開されている状態で、眼鏡は無線だったりする。広範囲の通信は出来ないが、柱島鎮守府の敷地内程度であればどこにいても私と話が出来るだろう。艤装を完全に展開すれば、海域を覆うレベルの通信が可能だ。

 

 提督が私に任務の通達を頼んだのは、ただ手近にいたから、初めに会った艦娘だからついでに、という訳では無く、こういった艤装の機能が最大の理由であるように思う。

 もちろん、それ以外の理由があるというのなら、それはそれで光栄の限りなんだけれど――

 

「大淀? お前、本当に大丈夫か? さっきからぼーっと……」

 

「着任初日から結構バタバタしてたっぽいクマ。しゃあなしクマ」

 

「頼むわよー大淀ー、大事な最初の任務なんだから」

 

「っは……す、すみません……」

 

 い、いけない、いけない。任務の通達をしなきゃ……。

 提督のことばかりを考えていたなんて知られたら、なんて揶揄われてしまうか分かったものじゃない。

 私は誤魔化すように海図に記した丸印を線で結んで「えー、それで、ですね」と言葉を繋ごうとした。

 

 羞恥を隠すためのこの行為こそ、提督の考えを掴む糸口になろうとは。

 

「うん? なんで繋いだのよ、その線」

 

 五十鈴が首を傾げて椅子から降り、和室のような談話室の畳の上に海図を広げていた私たちのもとまでやってくると、一段高くなった座敷に腰をかけて海図を指さす。

 天龍と球磨は座敷にあぐらをかいた状態で、五十鈴の細指が線をなぞるのを見ていた。

 

「いや、これは……」

 

「おー、柱島は面白いクマ。資源海域がうまいこと四角形だクマ」

 

「あ、れ……確かに、そう、ですね……?」

 

 柱島を中心として、四角形の下が燃料、そうして、右辺、左辺に弾薬と鋼材。そこから少し上部に離れた頂点にボーキサイトと私の文字で記されているのが目に入る。

 線でつなぐと、まるで柱島を囲むような図となっていたのだった。

 

「う、ん……? す、少し、待ってください……!」

 

「おう、いいけどよ……どした、大淀?」

 

「これ、資源海域……じゃ、無い――?」

 

「あぁ? どういう事だよそれ」

 

 天龍の問いに私の頭が熱を帯びて回転していく。

 

 線を引いたことによってすべてが繋がっている。いや、これは最初から、この鎮守府が立ち上げられた時から繋がっているのかもしれないと、私の言葉が追い付かないほどに想像が繋がっていくのが分かった。

 

 提督は、やはり全てを知っていた――!?

 

「大淀、落ち着くクマ」

 

「ぇ、あっ……は、はい……」

 

「一つ一つ、順番に整理、クマ」

 

 球磨が私の心を落ち着かせるような笑みを浮かべ、ぽん、と肩を叩いた。

 球磨型軽巡洋艦の一番艦、多くの軽巡の姉とも呼ばれる球磨の声は、自然と私の耳から身体に溶け込んでいくような優しさがあった。

 

 そのおかげか、私の頭の中に詰め込まれた数多の情報が距離を取ったような感覚と余裕が生まれる。

 

「……しかし、これは何処から、話したものでしょうか」

 

 資源海域にしてはおかしい。これは資源海域などでは無く――海上の《資源貯蔵地》に見える。

 四角形の左辺、鋼材があるとされる場所は私と提督が鎮守府に向かうために船に乗り込んだ岩国がある。

 そして、弾薬があると予測される右側にはいくつかの島を挟んで、四国の松山。

 下辺の燃料があるとされる場所には伊予市があり、そこから南西に向かって門のようにして伸びる海岸が続いていた。ここに燃料があるのは、妙としか言えない。そこから太平洋へ向かって出ていけるようにしているような……。

 ボーキサイトがある四角形の上辺となる場所は、倉橋島、江田島を挟んで――呉がある。

 

 山元大佐がこちらに来たタイミングもおかしい。初日に顔を見に来たことがおかしいというより、まるで敵地を視察しにきたかのような……い、いや、違う、ここは敵地などでは無い……。

 あきつ丸が講堂で私たちに洩らしたように、山元大佐が艦娘反対派だとしても、百隻を超える艦娘が所属する鎮守府に数名の護衛のみでのこのことやってくるのもおかしい。アレの目的は提督を傘下として引き込もうとした行動では、無い……?

 

「あきつ丸さんは、ご存じ、ですよね」

 

 途切れ途切れに言う私に、天龍が纏う雰囲気がガラリと変わった。先ほどまで姉らしい空気を出していた球磨は逆に不安そうな顔になり、五十鈴も同じ表情に。

 

「……ンだよ、あいつの話、マジだったのかよ」

 

「え……天龍さん、何か、あきつ丸さんから話を――?」

 

 問えば、天龍は「少し前にこっちに来たんだよ」と前置いて話してくれた。

 その時間は、提督が山元大佐と執務室で話していた時間だったように思う。

 

「元々陸軍の艦娘で、大本営に引き取られてたらしいじゃんか。色んなところをたらい回しにされた挙句、また大本営に戻されたって言ってたぜ」

 

「……」

 

 あきつ丸は、出自を話したのか……。提督のお気持ちに触れたから、だけとは考えにくい。

 

「自分が空母だか巡洋艦だか分からねえって、笑ってたよ。龍驤が連れてきたんだけどよ、全員に挨拶してえって。ここにいるなら、全部話しておくべきだって」

 

「全部、とは――?」

 

「そのままの意味だったクマ。艦娘反対派から元帥に守ってもらえたこととか、その元帥に言われて、この鎮守府に来たこととか、クマよ」

 

「で、ではっ、提督が元帥とお知り合いであることも――!」

 

「それにはあきつ丸も吃驚したって笑ってたクマ。っていうかクマたちも驚いたクマよ……何者なんだクマ、アレ」

 

 球磨は顎に手を当てて眉間にしわを寄せ、ぐーん、と不思議な声で唸った。

 

「私はそこまで詳しくは聞く気無かったけど、あきつ丸は義理を欠きたくないって言ってたわね。どんな義理なんだか知らないけど」

 

 五十鈴がやれやれ、という風に首を横に振った。私の思考は一度クリアになったというのに、また深みへはまっていくような感覚に陥るのだった。

 

「あきつ丸が言うにはよ、ここ――呉鎮守府の盾なんだろ? 要は、結局俺たちは捨て駒ってことだ。もしかすると、提督がここに来たのも、逃げる準備期間、だったりしてな」

 

「……!」

 

 私に電流が走る。視線は海図へ落ち、印が繋がれ四角形となったそれに息が詰まった。

 

「大淀が遠征だっつーから、心配し過ぎだったかと思ったのによぉ……」

 

 天龍は眼帯の位置を直すようにもぞもぞと手を動かし、髪をさらりとかき上げる。それから、球磨を見て困ったような顔をしてみせた。

 

「あの提督が逃げるための時間を稼げってんなら、まぁ……少しでも俺たちに希望を見せてくれた礼として、喜んで盾になってやるけどな。もう、俺たちにゃそれくらいしか使い道は」

 

 

「提督はそんなこと――絶対にしませんッ!!」

 

 

「ぅおっ……!?」

「クマァッ!?」

「きゃっ!?」

 

「……あっ、すみませ――」

 

 思わず絶叫した私の声に、三人が目を見開いてこちらを見ていた。

 頭を下げようとした時、球磨の「天龍、今のはクマたちが悪いクマ」と小声で言うのが聞こえた。

 

「あー……悪ぃ、今の無し、な?」

 

 宥めるように声を潜める天龍に申し訳なく、私は再び俯いて海図に視線を落とした。

 目の前に広がる海図。私のつけた印に、四角に繋げられた線。呉が柱島を盾にしようとしているという言葉が何度も何度も頭の中で繰り返される。

 

 提督は、そんな事しない。するはずがない。あの人は私に、夕立やゴーヤに、また飯を食おうと言ってくれたのだ。あれが嘘だなんて思いたくない。それだけは絶対に嫌だと胸が痛くなった。

 口の中がどんどん乾き、唇を噛む。

 

「資材が無いから遠征っていうのは分かるけどよぉ、それにしても大艦隊を即時編成して明日の朝には作戦発令って、龍驤がバケモンだって言うのも何となく分かる気がしたぜ。彩雲まで開発してもらったらしいじゃんか。いいよなぁ……俺もどうせなら新しい主砲が欲しかったぜ」

 

「あ、はは……龍驤さん、自慢してたん、ですね」

 

「おう。すっげぇ自慢してた。な、五十鈴?」

 

「そうねぇ……うちの腕なら瀬戸内海くらいぜーんぶ見れるわ! とか言ってたわ」

 

「絶望的に似ってねぇクマ……」

 

「う、うっさいわね!」

 

 本当に、逃げるために……私達を、囮にでもする、つもりだったのだろうか……。

 わざわざ、開発して、近海警備をするからと龍驤を焚きつけて……。

 

「彩雲だったクマ? あれは、過剰戦力だと思ったクマ……」

 

「あはは、そうですね……工廠で見た時には、私も吃驚、で……――」

 

 言いながら、五十鈴がやっていたように海図の線を指でなぞる私。

 私の艦娘たる知識が無意識に彩雲の索敵範囲を目で追う。彩雲の航続距離を考えれば、確かに警備部隊や遠征部隊が散り散りになった海域を全て回ることも難しくないだろう。龍驤がどれほどの腕かは不明だが、少なくとも柱島近海、延いては呉や四国の沿岸部は確実に見られるはず。

 

 これなら、提督が逃げている間に敵性存在が確認された場合にも安全に……

 

「彩雲を、近海警備に使うなんて、過剰戦力ですよね……です、よね……!?」

 

 湖底の砂がかき乱されるようなざわめきが胸の内に生まれる。

 提督の声が、言葉が、あの戦意に満ちた視線が思い出されて、私は両手で口元を覆い、海図を見つめて色を失った。

 

「大淀? あんた本当に大丈夫? 提督につきっきりだったろうし、何ならここで少し休憩する?」

「そうクマ、無理は良くないクマ。クマお姉ちゃんが美味しいお茶でも入れてやるクマ」

「おう球磨姉ちゃん、俺にも入れてくれよ」

「天龍も姉クマ。甘えるなら別の奴に甘えるんだクマ」

「んだよぉ……ケチくせえなぁ……」

 

「水雷戦隊を五艦隊……うち、一部隊は近海警備、入れ替え含めた四部隊は水雷戦隊で、全艦の武装指定なし……おかしい、遠征なら、ドラム缶でも、なんでも持たせるはず……!」

 

「お、おぅ……大淀の独り言すっげぇクマ……」

「やべえな、マジでお茶でも入れた方がいいぞ、これ」

「ま、あの提督の傍にずっといたなら、疲れそうなもんだけどね」

 

「山元大佐の訪問に何故驚かなかったのか……どうして、長門と私を連れて呉へ行くと言ったのか……呉方面への遠征隊は、長門と私の航行を邪魔しない、潜水艦隊……あぁ、こ、これは……!」

 

 バラバラだった脳内のピースが、全て、ぴったりと、寸分の狂い無くはまり込んだ。

 天龍たちが心配そうに私を見ているのに気づき、首を浅く振って見せて、一言。

 

「予想に過ぎませんが、提督に確認をさせてください」

 

「確認? 何だよ」

 

「今、提督に繋ぎます――」

 

 私は無線付眼鏡のつるに指先を当て、執務室にある黒電話へと通信を試みる。

 すると、あっさりと繋がった。まるで、提督が私を待っていたかのように。

 

『こちら柱島鎮守府、執務室』

 

 凛とした提督の声が響く。

 

「夜分に申し訳ございません、提督。明日の遠征作戦についてですが――」

 

『あぁ、どうした』

 

「指定海域に艦隊を派遣後、資源はどのように鎮守府へ運びましょう」

 

 間違いかもしれない。むしろ間違いである方が正しい。

 私の予測が正しいとすれば、天才だの狂人だのでは表せない作戦となってしまう。

 

『あ、あぁ……あー、そうだな……〝艦娘に無理をさせたくない〟のでな、多くなくともいい。少しずつでも構わないから確実に確保して鎮守府に帰還するようにしてくれ。お前たちの補給もままならんのは申し訳ないが、こちらも出撃が困難にならないよう、編成を替えて反復出撃させるつもりだ』

 

 言葉を選ぶような間を置く提督に、疑惑が解けていく。

 

「――それは、所属する艦娘をあげてでも、と?」

 

『……必要とあらば、私も尽力するつもりだ。遠征中は指示も出しづらくなるかもしれん。みなを頼りにしたいのだ』

 

 私は瞬時に自分を恥じた。一瞬でも提督を疑った私を、一瞬でも絶望に諦めかけた私を。

 やはり――あなたは――

 

「呉鎮守府への〝訪問〟の書類はどうなっているのでしょう」

 

『えぇっ!? あ、も、もう出来ているぞ。すまなかった、遅くなってしまって。確認にもう少し時間がかかるが……』

 

 何をおっしゃるのか。山元大佐からすれば、即日に艦隊を組まれ、正式な文書を用意して提督が出向くなど予想さえもしていないはずだ。

 全く、どこまでも恐ろしいお方だ。

 どこまでも、頼りになるお方だ。

 

『明日の遠征に併せて書類の確認を頼みたい、の、だが……大淀に認めてもらえるかどうか……』

 

 先程までの色を失った顔と心に赤みがさす。提督の声は私以外に、天龍たちにも聞こえていた。

 

「……この大淀、作戦成功に尽力致します。如何様にもお使いください」

 

『お、おぉ……そうか。すまないな、大淀がいるなら、安心できる』

 

「あっ、え、と、その、あ、えへっ……そんな、安心だなんて……」

 

「何照れてんだクマ。はよ切れクマ」

「作戦の説明されてねえんだけど、俺ら……」

「大丈夫なの、ほんっと……」

 

「ん、んんっ……それでは提督、作戦通達はこちらで確実にしておきますので、明日のためにゆっくりとお休みください。時間になったら、伺います」

 

『うむ。では、また明日に』

 

「はい、また明日――」

 

 提督の声が完全に聞こえなくなるまで、私は身じろぎ一つさえせずに耳を澄ませた。

 それから――ぷっつりと音が消えた後、三人に向き直る。

 

「明日はただの遠征作戦ではありません。訂正します」

 

「あぁ? 遠征じゃないって――」

 

「基本五艦隊、必要とあらば編成を何度も替えての波状出撃となります――」

 

「波状出撃って何だよ!?」

「滅茶苦茶クマぁ!」

「なんっ……はぁ、もうダメ、考えらんないわ。大淀、説明」

 

「もちろんです。私も半日以上提督といて、ようやく半分、理解出来たのですから。説明しなければ分からないでしょう」

 

 私は脳内で鎮守府に来る前から今までの出来事を整理しつつ話す。

 

「提督の経歴はご存じかと思いますが――この鎮守府に着任されたのは、元帥のご命令であると思われます」

 

 五十鈴が「そりゃ、命令は大概、元帥発令ってことになるはずでしょ?」と言う。それに対して天龍と球磨が言葉を返した。

 

「元帥発令ってのは建前クマ。各鎮守府の要望なんかを承認するのは確かに元帥だけど、発令自体は各鎮守府の提督だったりするのが普通クマ。五十鈴も知ってるクマ?」

 

「大淀が言いたいのは、そういうのすっ飛ばして元帥が直々にこの鎮守府に着任するよう指名したって事だろ」

 

「……うっそ」

 

 五十鈴がぽかんと口を開いて私を見た。

 

「工廠で少し問題が起きたのですが、その時いらっしゃったあきつ丸さんは元帥の直属だったはずなのに、提督の存在を知らなかった様子でした。呉鎮守府の情報を持っていたのは、元帥がある程度まで調べたことを伝えていたためかと……私はそれを提督に伝えてもらえるようにしたのかと予想しましたが、実際は違ったようです」

 

「……クマたち、欠陥艦娘たちに伝えるため、クマか」

 

「……はい」

 

 私たちは提督を嫌っているわけじゃない。講堂でのお言葉を受けて、心を揺さぶられたのだから。天龍さえ、希望をくれた提督ならば、もう一度くらい裏切られてもいいと言うほどに。

 しかし元帥は提督から直接伝えられるのではなく、敢えて同じ欠陥品扱いされたあきつ丸を通すという形をとって現実を知らしめた。それは、ある意味――元帥なりの誠意なのかもしれない。

 

 人間不信となってしまった私たちに対して、救いはあると教え、現実を教え、伝えて欲しいと頼む行為は、手のひらを返されたら自らを滅ぼすと同義。元帥はそれでも、あきつ丸に伝えた。

 

「提督は六年もの時間をかけて全てを掌握したのでしょう。資材が無くなった時も動揺さえしていませんでした……恐らく〝良い言い訳が出来た〟とでも思っていたのかもしれませんね。大規模遠征作戦と称して各所へ水雷戦隊を派遣するのも、ここに資源以外の《何か》があるからに違いありません。長年の勘……などと言っていましたが……私たちへの言い訳は、お下手のようで……ふふっ」

 

 同時に提督は、先程『艦娘に無理をさせたくないのでな、多くなくともいい』と仰った。それは比喩でも隠語でも無く、直接的意味を持っているはず。

 

「艦娘に無理をさせるな、とおっしゃっていましたが……この鎮守府に来る前に最後だからと補給も入渠も済ませた私たちに、たかだか遠征が負担になるなど、有り得ますか?」

 

「……いや、そりゃねえな。異動前の規則で補給と入渠をしてすぐに動けるようにするってのを逆手に取った、ってわけか」

 

 天龍は賢しい。すぐに気づいてくれたようだ。

 

「皆さんが向かう先には呉鎮守府に関連する《何か》が存在するはずです。恐らくは――呉鎮守府が秘匿している艦娘、という可能性もあります」

 

 話している途中に、ごんごん、と談話室に響く重たいノックの音。

 私たちが振り返ると、そこには長門が立っていた。気まずそうな顔をして。

 

「軽巡寮に戦艦など嫌だろうが、少し、いいだろうか」

 

「――何を言っているんですか長門さん。私たちは同じ鎮守府の艦娘ではないですか」

 

 私に賛同し、天龍も球磨も、五十鈴もニッコリと笑みを向けた。

 長門は思わぬ歓迎ムードに戸惑った様子でおずおずと室内へ足を踏み入れると、後ろ手に扉を閉めて言った。

 

「今しがた、提督から通達があった……呉鎮守府に行くから、同行しろと。詳しくは大淀に聞けばわかるからと言われたのだが……その、やはり私は……〝あそこに戻される〟のだろうか」

 

 提督に強く当たっていたはずの長門は、怯えたように肩を震わせていた。

 私は首を大きく横に振ってみせ、手招きする。

 

 寄ってきた長門はちょこんと座敷に座ると、戦艦というのに軽巡の私たちよりも縮こまって上目遣いに言う。

 

「私が呉の鎮守府からここへ来たと、何故提督は知っているのだ? 人は艦娘になど興味無いのだろう……それに、山元大佐が、その、来たとも……」

 

「えぇ。その場には私が居ました。ですから言わせてもらいますが――提督は、山元大佐に宣戦布告したのですよ」

 

「えっ、あぁ……!? なんてことを……! あ、あいつは――大佐は艦娘反対派の中でも過激派と呼ばれているのだぞ!? 捨て艦作戦を率先して実行し、何人もの仲間を……ッ!」

 

「提督は、それもご存じでしょう。その上で、この作戦を考案なさったのです」

 

 そして私は、表面上の作戦概要を話し、大規模遠征が行われることを伝えた。

 次に、その裏に秘められた本当の作戦を話す。

 

「……長門さんに伺いますが、その捨て艦作戦で轟沈したとされる艦娘は、どのように報告されたのですか」

 

 嫌なことを思い出させてしまうのは忍びないが、聞かねばならないのだと、長門の震える手を取る。

 長門は私の手を握り、言った。

 

「深海棲艦の陽動にのせられたと見せかけるために、瀬戸内海に散り散りとなって沈んでしまったと……そ、それ、で……呉鎮守府に被害はゼロとなったが、幾人もの仲間が轟沈と報告を上げられた、はずだ……」

 

「その深海棲艦は、どのように攻めてきたのですか」

 

「それは……! し、知らない、のだ……私はその時、別の作戦で佐世保鎮守府の援護に行っていて、東シナ海にいたもので……帰った時には、もう……」

 

「おかしいですね」

 

 きっぱりと言う。私の声に、長門が顔を上げて「何が……おかしいんだ……!」と歯を食いしばった。

 

「東シナ海からの深海棲艦侵攻はあり得ない話ではありません。というか、何度も事例があります。駆逐級や軽巡、重巡級が多数目撃されているのは有名な話ですから。その防衛のために佐世保があるのです。問題なのは、どうやって柱島泊地の存在する入り組んだ地形をぬって、呉鎮守府までやってこれたのか、ということです」

 

 私は畳の上に置かれた海図を目で示した。

 いくつもの島が点在し、海域を分断するような形で伸びる四国の地形が目立って見える。

 仮に日本海側から侵攻したとしても、本土侵攻は敵にとって絶望的だろう。海軍が即座に動けずとも陸軍の大歓迎で足止めを食らってしまうはず。その間に、東西から艦娘を送り込まれ挟み撃ちされたらひとたまりも無いと分かるはずだからだ。深海棲艦の殆どは知能こそ低いが、決して馬鹿では無い。

 

「……!」

 

「この柱島泊地は四国、九州、本土の三つに囲まれた言わば完全なる自陣……そこに陽動の深海棲艦が来たとあれば、確かに大事件でしょう。佐世保から離脱も出来ないほどの猛攻を受けていたのですか?」

 

「いや、ちが……そんな、こと……あの時は、接敵も無い、哨戒で……何故、私は違和感を覚えなかったんだ……!」

 

「呉鎮守府のやり方が効いた一例、でしょうね」

 

 圧倒的権力、圧倒的暴力で思考する力を奪い、行動そのものを制限する。

 そして、違和感を覚えることさえできない程に自我を圧し潰す……最低なやり方だ。

 

 呉鎮守府から離れた長門からやっと出てきた感情は、途方も無い怒りだった。しかし、その怒りは呉鎮守府の山元大佐の話題が出るだけで一瞬で消沈してしまう。何よりも、証拠となる感情の動きだった。

 

「な、ならば提督は……何をしようと言うのだ……!」

 

「提督の思考を全て理解出来ているわけではありませんが、海図にある通り、指定された場所に資源と称した《何か》があると仰っています。それを提督は、無理せず確保せよ、と」

 

「大佐は、あの時、何を……呉で沈んだ仲間は……陸奥は……!」

 

「……! な、長門さん、それ……!」

 

 長門の口から語られたのは、呉鎮守府に所属していたらしい、ある艦娘の話。

 

「私が佐世保の援護作戦に派遣された時、陸奥は近海で起きた陽動の対応に指名され、駆逐艦を連れて行ったと聞いたんだ……だが、深海棲艦の陽動を制しきれず、そのまま……」

 

「あ、ぁ……あ、あはっ……」

 

「なっ! なにがおかしい、大淀ッ!」

 

 思わず漏れた笑いに、私の手をばしんと離した長門に、すぐさま謝罪する。

 

「す、すみません、違うんです。ただ……ふふっ、だから、長門さんを指名したのだと、気づきまして」

 

「だから、私を指名した……?」

 

「えぇ……提督は、山元大佐に直接的に脅されたのです。銃まで向けられ、傘下になれと。ですが提督は逆に挨拶へ行くと言ったのですよ。私と、あなたを連れて」

 

「何故、そのようなことをする必要が……」

 

「私も何故、どうして、ばかりでしたよ。今も分からない事がいくつかありますが、一つ分かるのは、資材確保の遠征作戦に近海警備を含む大勢の艦娘を動員するなどおかしな話ということ。海は広しと言えど、彩雲を装備した空母まで持ち出して海を艦娘で埋めるような真似……」

 

「……」

 

 長門は唖然と海図と私とを交互に見た。

 

「呉鎮守府は、何かを隠している……それが何であるのかは明日に分かりますが、これだけは言えます。これは大規模遠征作戦ではありません。艦娘に無理をさせたくない、という提督のお言葉に、長門さんの指名……山元大佐が柱島鎮守府まで足を運んで傘下になれと脅した理由で、繋がりました」

 

 

 

 

 

「これは恐らく――柱島鎮守府の総員による、長門型戦艦二番艦〝陸奥〟のサルベージ作戦です」




ちょっぴり長くなってしまいましたが。勘違いアクセルが全開、いや全壊です。


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二十話 大規模作戦②【艦娘side】

「陸奥のサルベージ作戦、だと……なにを、馬鹿なことを……本日付で着任したあの男が、何故そんなことをする必要があるッ!」

 

「……それは、分かりません」

 

 長門の言葉に返す答えは無い。私は提督では無いから、と無責任なことを言うつもりは無いが、事実、私だって提督がどうしてこのような作戦を考案したのか見当もつかないのだ。

 せいぜい出来るのは予想、予測であり、大抵のことならば全体を通して見れば理解できる範疇である。提督を除けば。

 視野の広さはそれぞれだから、私に提督の見ているものは分からないわ、と長門に答えられたら、どれほど楽なことか。

 

「仮に、大淀の言が正しいとして、提督がそれを考えていたとしても……我々は欠陥品なのだぞ……」

 

「……」

 

 黙ってしまうも、提督の一挙手一投足を思い出しながら何とか言葉を紡がねばと考えた。

 提督と出会った時から、ここに来るまでの間のお言葉を思い出す――いいや、短すぎる。たかだか半日しか無かったのだ。それだけでは情報が足りなすぎる。

 

 少しでも多くの情報を集めて長門を説得出来れば、と私が室内を見回した時、またもドアが開く音。今度は、ノック無しだった。

 入ってきたのは川内型軽巡洋艦の一番艦、川内だった。見るに一人のようで、姉妹艦である那珂や神通はつれていない様子だ。

 用事でもあるのだろうか? と私が「どうされました?」と声を掛ければ、川内は「んー、探検?」と返答する。

 

 夜の鎮守府を探検とは……ああ、見回っていたのか。

 

「もう遅いですから、あまり騒がないようにお願いしますね」

 

 と言えば、川内は軽巡寮に来ている長門を見て「そっちのが声響いてたけど……」と苦笑して言った。

 

「っ……す、すまなかった」

 

「んーん、別に平気。まだフタマルサンマルだし、皆寝てない……っていうか、眠れないだろうしさ。あ、そうだ大淀。さっきあきつ丸が提督に呼び出されてるの見たけど、何か知ってる?」

 

「あきつ丸さんが?」

 

「うん。急いでたみたいだけど……その様子じゃ知らないか」

 

「……何かあったのでしょうか」

 

「さぁ? んじゃ、私はもう少し探検してくるね」

 

 そう言ってさっさと部屋をあとにする川内を見送る私たち。

 何か呼び出されるようなことをしたのだろうか。工廠での龍驤との一悶着を咎めに――? 寛容な提督のことだから、それは無いように思えるが、別の用事があったのだろうか。

 そう思いながら「ふぅん……」と海図へ向きなおろうとした私の視界に、天龍がまたも頭をがりがりかいているのが映る。

 海図にある島々を指さしながら「なぁ、なんでこれシマシマの模様してんだ?」と球磨に問うていた。艦娘ならば海図の見方ぐらい知っておいてほしいのだが……。

 

「天龍……それ艦娘としてやっべぇクマ……」

 

「ぐっ、しゃぁねえだろ! 海は分かっても陸は分かんねえよ……」

 

「艦娘っぽい理由をつけてもダメだクマ。はぁ……陸のシマシマは、高低差だクマ。海のほうにも線が引かれてるクマ?」

 

「海のは水深だろ。それくらい分かるって」

 

「じゃあなんで陸が分かんねえんだクマ!? 全く同じ表記クマ!」

 

「へぇ、そうなのか」

 

「真面目に聞けクマ~!」

 

 ……龍田の苦労が想像出来てしまう。姉よりもしっかりしているイメージの強い天龍型二番艦の龍田は、球磨や天龍と同じ鎮守府から来たと資料にあった気がするが、前の鎮守府でも同じような感じで過ごしていたのだろうか、と少し呆れた。

 

「その調子でいくと、いつか提督に叱られるわよ。海図の見方くらい――」

 

 五十鈴が溜息を吐き出しながら言うと、長門は悲しそうな、懐かしそうな顔をしながらそっと海図に手を伸ばし、天龍に言う。

 

「この〝Sh〟や〝Cs〟という表記は、分かるか?」

 

 話しかけられたのが意外だったようで、天龍は面食らったように一瞬黙ったが、すぐに長門の指先に視線を向けて「わかんねえ」と言った。

 

「分かんねえ、じゃねえクマ……長門、助けてクマ……」

 

 多分、球磨なりに会話に交じり長門の胸の内にあるざわめき、不安のおさまらない心を鎮めようとしているのかもしれない。私と同じように考えているのか、五十鈴と目が合い、言葉なく目で頷き合う。

 

「海図の大まかな見方は私も知っているが、実は、私も昔、陸奥に教えてもらったのだ。底質……海底に積もっているものを現しているらしい。Csは荒い砂が積もっている場所で、こっちのShは貝殻が積もっているという意味らしい」

 

「へぇ……あ、あぁ! 錨を入れるのに、ってことか!」

 

「何だ天龍、のみ込みが早いじゃないか」

 

「へっへ、あったり前だろ? なんたって俺は世界水準を軽く超えてっからなあ!」

 

「世界水準を超えてるなら海図の見方くらい知っとけクマ。長門の説明が分かりやすいだけクマ」

 

「っせぇなぁ! 今知ったんだからいいだろ! な!」

 

 束の間の会話。分かりやすいのは大事なことだ、と考えた瞬間、ぴんときた。

 

「長門さん」

 

「……ん」

 

 長門は私の声に目だけを向けてくる。それから、入室してきた時と同じような、バツの悪そうな表情をして言った。

 

「大淀、感情的になって、すまなかった。私もいっぱいいっぱいで――」

 

「いえ、いいんです。それで、長門さんが気になる作戦のことですが……私たちは提督について呉鎮守府に行かなければならないのですから、分からないことを分からないままにしておくのは、良くありません。せめて納得したい……それは私も長門さんと同じですから。行きましょう」

 

「行く……? 明日の作戦に異議を唱えて拒否するなどしないつもりだが」

 

「違います。これから、提督のところに行って聞きましょう。何故、明日なのか。呉鎮守府に、何をしにいくつもりなのか」

 

 私の提案に、球磨も天龍も五十鈴も、首を縦に振った。

 

「いいんじゃない? 質問にも答えられない提督じゃないでしょうし」

「そうクマ。もし怒られたら、クマお姉ちゃんも一緒に謝ってやるクマ。意外と情に厚いお姉ちゃんなんだクマ」

「んだな。講堂の提督見たろ? 聞いたくらいでグチグチ言うタマじゃねえって」

「多摩って言ったクマ?」

「そうそう、そういうタマじゃ……ん? あ、いや、球磨の言うタマじゃねえと思うけど……?」

「?」

「いや首を傾げて私を見ないでよ……」

 

 天龍たちの掛け合いを見た長門は、幾分か心が楽になったようにうっすらと微笑みを浮かべ「……そう、だな」と呟いた。

 

「……監視の役目も与えられているのだ。夜間警備と言う名目で顔を見に行くついでに、と言っておけばいいだろう」

 

「っふふ、長門さんは真面目ですね」

 

「大淀に言われると変な感じがするが……」

 

「大淀が真面目認定するとか、長門すげえクマ」

「俺も真面目だぜ」

「はいはい、あんたたちと一緒にいたら無駄話ばっかりなんだから。ほら、大淀も長門も、行くならさっさと行ってきなさいな」

 

 五十鈴に手を振られた天龍と球磨は、ぶーぶーと何やら言っていたが、私と長門はそうと決まればと立ち上がり、行ってくると一言残して部屋を出るのだった。

 

 

* * *

 

 

 執務室へ向かう途中、私はあきつ丸が提督に呼び出された理由を考えていた。

 長門は気になることがあれば聞けばいい、という単純明快な答えに行きついてからというもの、質問ばかりが頭に浮かんでいる様子で、私に話す。

 

「提督はそもそも大将だったのだろう? 脱走、脱柵……いずれにせよ、六年も姿を消していたのに降格処分で済んでいるのも本当に妙な話だ」

 

「私たち艦娘の知らない技術の秘匿、海軍内の抗争、理由はいくつも重なっていそうですが、元帥直々の指名で鎮守府に着任されたお方ですから、やはり捨てるなど愚策も愚策、と言わしめる人材なのかと。長門さんも、講堂での演説は聞いたじゃないですか」

 

「まぁ、確かに……今までの提督とはどこか違う印象を受けたな。我々艦娘を見ても動じないどころか、慈しむような……」

 

「そ、そう! そうなんです! 提督は私たちを本当に優しい目で見るんですよ……あの、愛おしそうな目で見つめられたら、なんと言いますか、こう……!」

 

「おっ、おぉ……そ、うだな……とりあえず、落ち着け大淀……」

 

「すっ……すみません……」

 

 長門に言われてから、顔が熱くなるのが分かってしまった私は下を向いてしまう。ずっと近くにいたからか、提督の雰囲気にのまれっぱなしだった私は、あのお方の話になるとどうにも抑えが利かない。

 言葉に表すとすれば、提督に備わっているのは圧倒的なカリスマだ。

 超自然的、超人間的、非日常的な性質が備わっているように思う。何を前にしても物怖じせず、欠陥品と呼ばれた艦娘を一言で従え、それでいて支配するのではなく、手を取って本質を問い続ける姿は、近くにいればいるほどに濃く感じられるもの。

 いつか長門にも味わってもらえれば……と考えているうちに、私たちはあっという間に執務室の近くまで来ていたのだった。

 

 廊下は既に消灯されており薄暗く、執務室の扉から洩れる明かりが見える。

 私たちにもう休めと言っておきながら、自分は仕事をしているなんて、と頭に浮かんだ。

 

「……緊張してしまうな」

 

「私もです」

 

 執務室の扉の前までやってきたものの、ノックしようとする手がどうしても伸びない。眼前にある木製扉が、あまりに大きく見えた。

 

『……し、自分が勝手に話せるような……』

 

『それは承知してい……が、お前しか……』

 

『しかしっ、少佐殿……しかしぃ……』

 

『頼む、あきつ丸……けが……頼り……』

 

 扉の向こうから話し声が耳に届いた。提督と、あきつ丸の声だ。

 長門と私は自然と顔を見合わせ、そのまま――じっと耳を澄ませてしまう。

 

『いくら少佐殿でも、自分には……』

 

『それは分かった。分かっているんだが……どうか、私を助けてはくれないだろうか』

 

『あっ、やっ、やめてください少佐殿っ! そのようなっ……うぅ……!』

 

 な、何をしているの……!?

 私は大袈裟なくらい戸惑った表情をしていたことだろう。長門は眉間に深くしわを寄せて、ゆるゆると首を振った。それから――ゴンゴン、と強めのノックをする。

 

「なっ、長門さ――!」

 

「戦艦長門だ。入るぞ!」

 

 扉を大きく開いた長門は、室内を見てぽかんとした。

 その横からこっそり顔を覗かせた私も、だ。

 

 提督は椅子に座っておらず、デスクの横まで出てきており、そこで深く腰を曲げてあきつ丸に頭を下げているような恰好だった。

 対してあきつ丸は小さなメモ帳程度の大きさをした紙を一枚持っており、困ったような八の字眉をしている。

 

「何をしていた――提督」

 

「なっ、長門……それに、大淀も……!?」

 

 長門はずかずかと足を踏み入れ、あきつ丸の腕を取って提督から離すように引っ張る。戦艦の力で引っ張られたあきつ丸は抗うことも出来ず、腕に抱かれるような恰好で長門に倒れ込んだ。

 

「あきつ丸、大丈夫か。何もされていないか」

 

「あ、ぁ、長門殿、いや、これは……自分は何も……」

 

 顔を赤らめて目を泳がせるあきつ丸を見て、長門は提督をキッと睨みつけて低く声を上げた。

 

「夜分に艦娘を呼び出したかと思えば、何だ……? まさか乱暴でも――」

 

「ち、違う! そんなことをするわけ無いだろう!? 私はただ、あきつ丸に番号を聞こうと思っただけだ! やましいことなど何もない!」

 

「ば、番号……? 連絡先、のことか……?」

 

「そっそうだ。私はあきつ丸から連絡先を聞いて、明日の仕事のことを」

 

「仕事のことならば連絡先など必要あるまい。なのにわざわざ呼び出して、連絡先を……ふん、回りくどいだけで、やはり提督も他の者と変わらんのだな。少しは違うかもしれないと思ったが、見損なったぞ……ッ!」

 

 なんということか。提督がわざわざあきつ丸を呼び出し、連絡先を……?

 提督は「あー……くそ」と小声を洩らし、デスクに戻って腰を下ろした。

 

「……明日の遠征の他に、呉に行く話をしたんだが、その際に必要となる書類について、元帥に伺いを立てようと思ったのだ」

 

「は……?」

 

 長門はまたも口を半開きにし、提督と、あきつ丸を交互に見る。

 

「……私は頼れる人間が少ない。今は井之上さんしか頼れないと言っていい。それに明日の挨拶については提督同士の話なのだから、井之上さんに聞くべきだろうと判断したのだ……新任で右も左も分からないとは言え、あきつ丸を頼ろうとしたのは、その……情けない限りだ。すまない」

 

 提督はそう白状すると、軍帽を脱いでデスクの上に置き、大きく息を吐き出した。

 要するに――早とちりである。

 長門はそうっとあきつ丸から腕を離すと、あきつ丸の両肩の埃を払うようにぽんぽんと叩き、しわを伸ばすよう指先で形を整え――

 

「こ、ちら、も、す、すまな、かった……私の、早とちりだったようだ……」

 

 顔を真っ赤にして固まってしまうのだった。

 微妙な空気が室内を満たす。数十秒の沈黙に、全員の心はちくちくと痛んだことだろう。

 しかしこのまま失礼しましたと帰るわけにもいかず、本題を、と私の理性が口を動かした。

 

「て、提督。明日の遠征と訪問についてなのですが、長門さんが質問がある、と」

 

 提督は伏せていた顔をちらと上げる。

 

「明日の遠征……それに、呉鎮守府への訪問……目的を、教えて欲しい」

 

 顔色はまだ幾分か赤いままの長門だったが、目は真剣そのものだった。

 机を見れば、提督はまだ海図を広げたままだったようで、ペンが転がっているのを見るにあきつ丸を呼び出す前もずっと作戦を考えていたように思える。

 

「明日の遠征の目的は資材の確保だ。呉鎮守府へは……向こうの提督が正式に挨拶を受けると言うから、行くだけだ。挨拶を怠った私の失態への謝罪も含めての挨拶になるとは思うが」

 

「……それだけか?」

 

「それ以外に何がある。この鎮守府には現在、資材が一切ない状態なのだ。お前たちを出撃させることも出来なければ、数度の近海警備で仕事そのものが出来なくなってしまうだろう」

 

 長門が私を見る。それを見たあきつ丸や提督もこちらを見た。

 予想が間違っていた……? と不安になり、私は提督に歩み寄って海図を指して言う。

 

「明日の遠征は資材の確保との事ですが、ここ一帯は呉鎮守府や佐世保が頻繁に行き来する海路で、資源海域ではありません。もしも資源があるとすれば、それは呉か佐世保が途中補給するための海上資源貯蔵地で――」

 

「……ふむ」

 

「――したがって、遠征の意図を理解しかねます。呉へ訪問するのは、もしや貯蔵地から資源を分けてもらうため、なのですか?」

 

 問えば、提督はじっと私を見つめ、黙り込む。

 

「……」

 

「提督……お答えください」

 

 ダメ押しに言う。だが、提督は――

 

「明日は資源確保の遠征。大淀と長門を連れて呉へ訪問。以上だ」

 

 ――短く、それだけを言ってまた押し黙ったのだった。

 全身から力が抜けそうになる。

 

 ただ、それだけ? たったそれだけなのを、私は勘繰りすぎただけだと言うの……?

 情けないやら、しょうもないやら、様々な感情が入り乱れて身体の内側から力を奪っていく。

 

 その時、黒電話からけたたましい音が鳴り響いた。

 驚いて身体が跳ねた私たちだったが、提督は反射的に受話器を上げて耳に当てる。

 

「こちら柱島鎮守府、執務室」

 

『おぉ、海原。っくく、まだ生きておったか』

 

「井之上さん……!」

 

 受話器から洩れる声に、私も長門も、あきつ丸も、脊髄反射で気を付けの姿勢になった。

 

「良かった……あきつ丸から井之上さんの番号を聞こうと思ったんですが、個人的に教えてもらったものだからと……」

 

『おぉ、もうあきつ丸がそちらに到着したか! しかし、あきつ丸とそんな話が出来るような仲になったのか?』

 

 提督はちらりと私たちを見たあと、困ったような顔で言った。

 

「……いえ、私の力不足で。それで、井之上さんは何か用事が?」

 

 話しながら、提督は片手をこちらに振って出て行くよう示す。

 それはそうか、と私は長門さんの背をちょんとついて、扉に目を向けた。

 長門さんはまだ話は終わっていないという雰囲気をたっぷりに、後ろ髪を引かれるような顔で先に部屋を出た。あきつ丸と私も提督に頭を下げ、一旦退室する。

 

 

 部屋の外で――やはり私たちは、耳を澄ましてしまっていて。

 

「い、いいのでありましょうか。提督殿と元帥殿のお話を盗み聞きするような真似――」

 

「仕方がないだろう。質問をはぐらかされて、タイミングも悪く電話まで来てしまったのだから……しかし、提督と元帥が通じているのは、嘘では無かったようだな」

 

 あきつ丸は長門の言葉に頷いて、不思議そうに言う。

 

「元帥殿を名で呼び……それに、親しそうでありましたな。大淀殿、あの電話を盗聴など出来たりしないので?」

 

「盗聴……!? さ、流石にそれは、軍規以前の問題で――」

 

「なぁに、長門殿も何やら気になっていたから大淀殿をともなってやって来たのでありましょう? どうせ自分らは欠陥品と呼ばれた艦娘。ここでいくつか規範を違えたところで咎められることを恐れることもありますまい。盗み聞きしはじめたのは大淀殿でありますしな」

 

「確かに……大淀、頼む」

 

 確かに。じゃないんですけど……!?

 しかも私じゃなくて長門さんから盗み聞きしはじめ……うぅ……!

 うー、うー、と葛藤する私の胸中。

 提督は決して悪い事をしているわけじゃない。ならばわざわざ疑ってかかり、探りをいれるような真似はしたくない。しかし一方で、ただの遠征と訪問であり、他の意味は無いと言い切った提督が『貯蔵地から資材を分けてもらうためか?』と問うた時に黙り込んだあの表情も気になる。着々と進んでいく状況を放っておけば、分からずじまいで終わってしまうのも事実。

 私は、意を決して無線付眼鏡に手を添えた。

 

「れ、連帯責任ですからね……!」

 

 と言うと、長門とあきつ丸は重々しく頷いた。

 

「死なばもろとも、であります。自分らは同期の桜――見捨てたりしないでありますよ」

「あぁ。この長門も、背を向けたりはせん」

 

 それ死んじゃうやつじゃ……い、いや、今はいい。

 柱島鎮守府の執務室に用意されている調度品や事務用品等は全て古いもので統一されており、高度な技術が無くとも現代ならば容易く傍受出来てしまう代物だった。

 しかし、裏を返せばそれは現代の技術とかけ離れた骨董品とも呼べるものであり、使われている技術は今とくらべて単純なもの。そうと知っていなければ決して盗聴などは出来ない、裏をかくようなものばかりなのも気がかりだ。

 

「……っと、もう、少し、でしょうか」

 

「出来れば、我々にもつなげてくれ」

 

「はい……あっ、声が――!」

 

 艤装を操作しているうちに、提督と老人の声が私達の中へ響くように聞こえた。

 

《ザザッ……――それにしても……挨拶を……》

 

《はい。彼女たちは、人を信じられない、という様子で。食事をする時も、泣いている艦娘が多く……ザッ――》

 

 ノイズがだんだんと無くなっていくと、明瞭に二人の会話が聞き取れた。

 

《海原。君は……彼女らを、どう思う》

 

《どう、って、そりゃあ、艦娘だなあ、と》

 

《違う、そういう意味ではない。彼女らを救う気は変わっておらんかと聞いとるんだ》

 

《変わりません》

 

 即答した提督の声に、ぐっと胸が詰まった。

 長門やあきつ丸も険しい顔をして、耳を澄ましている。

 

《そうか、そうか……それを聞けただけで安心だ。君に任せて間違いじゃなかったと胸を張れる日も遠くないやもしれんなぁ》

 

《……そう言っていただける日が来るよう、善処します。それはそうと、井之上さん、ひとつお願いが》

 

 元大将とは言え、少佐と海軍省元帥の会話とは思えなかった。ずっとずっと昔から知り合いかのような軽い口振りに、お二人のリラックスした声。

 

「元帥殿があんな風に話すのは、自分も聞いた事が無いでありますよ」

「そうなのか。では、本当に提督は元帥と……」

 

 長門とあきつ丸が話しながら、表情を少し和らげる。

 

《お願いか。君に〝無茶をさせている〟手前、融通をきかせねばワシの沽券にかかわる。何でも言ってくれ》

 

「無茶をさせている……? それに、元帥が何でも言ってくれなど……!」

 

 思わず声を上げた私に、あきつ丸の手のひらが私の口を塞いだ。

 咄嗟の出来事に、何度も瞬きをする長門。

 

 だが、三人とも考えていることは一緒だろう。海軍省――現在、日本を襲う脅威である〝深海棲艦〟に対抗する唯一の手段である私たち艦娘を管理、運用する組織の頂点である元帥ともあろう人が、離れ小島である柱島鎮守府に着任したばかりの少佐に対してああまで親身になるはずがない。元々大将であったということを抜きにしても、距離が近すぎる。

 社長と平社員、という関係よりもずっと遠いはずの二人。立っている場所は全然違うはずなのに、あれではまるで――裏と表で戦う戦友のような。

 

《俺……あ、いや、私が》

 

《っくっく、気にするな。楽に話してくれ》

 

《俺が至らないばかりに……まだ初日ではありますが、俺を疑っている艦娘がいるかもしれません。大淀やあきつ丸もそうですが、長門まで……》

 

《それは……ふむぅ、困ったな……》

 

《すみません。力不足で……》

 

《何を、やめないか。そんなこと言わんでくれ。横須賀から無理に運び出し、君に汚名まで被せて少佐にしてしまったのは全てワシの不徳の致すところ……どうか、謝らんでくれ》

 

《でも……!》

 

《海原。君のお願いとは、艦娘たちに君は悪くないとワシから伝えることか? 難しいことでは無いが、そうすると君の立場も――》

 

《俺の立場は、この際、もう、いいかな、って……でも、彼女たちはとても真面目で、本気で海を守りたいという気持ちが強いんです。井之上さんが言っていた通り、俺が、思ってた、通りで……それで、どうにか仕事をさせてやりたいんです。明日、呉鎮守府に挨拶へ行くついでに資材確保の遠征を実施しようと思っています。井之上さんには、呉鎮守府に俺が挨拶に訪問する許可をもらいたく――》

 

 聞きながら、やはり聞くべきじゃなかったんだと後悔し始めたのは、私ではなく長門のようだった。

 提督から出た言葉は、間違いなく私たちを考えてのものばかりで……否、私たちのことしか考えていない発言だった。自分の作戦を疑われている。だが、彼女らは海を守りたがっている。仕事をしたがっている。

 自分はどうなってもいいから、どうか、と懇願する言葉ばかり。

 

 と、私たちの身体がまたも跳ね上がる。元帥の大声で。

 

《呉だと!? 海原、何を言っているのか分かっているのか! あそこは艦娘反対派の山元が街をも牛耳っておるんだぞ! のこのこと顔を出しに行こうものなら、君まで巻き込まれてしまう!》

 

《あ、あぁ……そのこと、なんですが……今日、というか、少しまえまで、その呉の人が、ここに来てまして……》

 

《なっ……――!》

 

 長門とあきつ丸が私を見たので、間違いないという意味で頷いた。

 

《山元、さんは……正式な挨拶を慎んで受けると言ってました。ですから、明日にでも長門と大淀を連れて行きたいんです。俺を巻き込みたくないっていうのなら、もう遅いんじゃないかなと……》

 

《遊びじゃ、無いんだぞ、海原……!》

 

《……はい》

 

《やめろ。でなければ、援助はしないと言ったら、どうする》

 

 元帥が慎重になるのは当然だろう。艦娘反対派は今や裏で何をしているかさえ定かじゃない。私たち艦娘をないがしろにするだけでは飽き足らず、私利私欲を満たすためだけに動いている輩もいるほどなのだから。

 私は、提督の本心を耳にして、作戦が決行されなくともいいとさえ思ってしまう。

 

 長門は私の気持ちを代弁するように、ドアに手を添え、音をたてないように額をくっつけた状態で呟いていた。

 

「そう、か……本当に、提督は……」

 

「長門さん……」

「長門殿……」

 

「何故、言わないんだ……大淀や私を連れて行くのだ、隠さなくてもいいはずだ……なのに、どうして……ッ!」

 

《彼女たちは俺を信じていないでしょう。きっと、長くなります。何年か、何十年か……乗りかかった船ですから、死ぬまで面倒を見るつもりです》

 

 ははは、と提督の乾いた笑い声。

 今、提督は、私たちを……死ぬまで、面倒を見ると……?

 

 横を見れば、扉に額をくっつけた状態の長門の目から、ぽろぽろと宝石のようにきれいな水滴がいくつも落ちていくのが見えた。

 そして、あきつ丸の頬にも一筋の光が。私も、どうしてか、視界がぼやける。

 

《……我が海軍の将官がみな、君のような男であればいいとこれほどに思った日は無い。だが、君が言う道は険しいぞ。呉に行けば、話は方々を駆けるだろう。君はそれでいいのか》

 

 最後通告と同義の言葉。それも元帥の口から出れば、重みは想像を絶する。

 

《ははは、ただの挨拶で井之上さんも大袈裟な。任せてください、こういうのは得意なつもりですから》

 

《まったく、地獄に足を踏み入れるのに躊躇いもせんとは。本当に、おかしなやつだ。ところで、海原……君は本当に、艦娘が好きか? この国が好きか?》

 

 元帥の諦めたような声音。

 投げられた問いに、提督はまた、一拍も置かずに即答するのだった。

 

 

 

《愛してますとも。提督ですから》

 

 

 

 もう、だめだと思った。

 

 私はその場で両膝を折り、へたり込んでしまう。

 あきつ丸は直立不動で涙を流し、長門は強く拳を握りしめ、扉の向こうにいる提督に向かって、か細く、今にも消え入りそうな声で「てい、とく……提督っ……私は、あなたに何という、無礼を……ッ」と悔いていた。

 

 もう、疑う余地は無い。

 あの人は艦娘に何も伝えないまま、自分だけで戦うつもりだったのだ。

 

 もしも危険が迫れば、提督は私たちを逃がすために、あえて方々に散らせるような遠征形態をとったのかもしれないとさえ思う。

 そうすれば、鎮守府に残された艦娘たちもどの航路が安全なのか言われずとも連携を取って逃げるだろう、と。

 

《明日、呉鎮守府への訪問だったな……ワシも許可しよう。向こうも正式に受けると言うのだから、他が口を挟むこともあるまい。報告は、そうだな……あきつ丸に頼んでおくといい。だがワシからも一つ》

 

《はい》

 

《……無理はするな。前に言ったように、ワシも出来ることは限られる。君はワシよりももっと動きづらいかもしれん。直接の援助も多少なら出来るかもしれんが、資材の融通だのは他の鎮守府も関わる所だ。君だけに目をかけていると知られては反対派の動きはさらに過激になるだろう》

 

《……はい》

 

《頼んだワシが言えた義理ではないが、よく考え、身を守ってくれ。頼むぞ》

 

《承知……しました……》

 

《それと》

 

《はい?》

 

《しっかり飯を食えよ。君は痩せ過ぎだ》

 

《……っははは。井之上さんも、ご無理なさらず》

 

《くっくっく、老人とはいえ元帥にかける言葉では無かろうが、馬鹿者め。……ではな、海原。しっかり頼む》

 

《……はい。それでは、失礼します》

 

 そして、ぷっつりと音が消えた。

 

 眼鏡から手を離した私の耳に、今度は長門がドアを叩く音が聞こえる。

 慌てて目元を拭って立ち上がると、長門は返事も待たずに扉を開けて室内へ滑り込んだ。

 そして――

 

「提督ッ! すま、なかったッ……私は、とんでもない愚か者だ……ッ!」

 

「えっ、えっえっ、なっ……ま、待て、長門、どうした、えっ」

 

 長門はその場で腰を九十度にまげて頭を下げ、続いて入室したあきつ丸も軍帽を脱ぎ、同じように深く腰を曲げ頭を下げた。

 私は、といえば、拭っても拭っても止まらない涙をおさえるのに必死で、言葉を紡ぐことさえ困難となってしまっているのだった。

 

「ひっ、う、ひぐっ……申し訳ありません、てい、とくっ……あの、私っ……」

 

「大淀まで!? な、泣くな! 頼む、あっ、そ、そうだ! お、おおお茶を入れる! 温まるぞ? な? 間宮のところ行くか? 伊良湖でもいいぞ! だから泣くな、本当にすまなかった、明日の任務の事だったな? ちゃんと井之上さんに許可をもらったから問題ない。だから、あー、うーん……!」

 

 自らを地獄に落とすのを厭わないというのに、艦娘の私たちが泣いただけでなんという狼狽っぷりか。

 長門はゆっくりと頭を上げ、涙を拭わないままに提督に近づき――両肩を強くつかんで、抱きしめた。

 

「ひぇっ……おわっ!?」

 

「提督は、我々を想って、その作戦を考案したのだろう」

 

「えっ、あっはい」

 

「……礼を言う。もう、憂いは無い。提督が見つけ出した砂粒一つ、必ずや我らがものにして見せる。大丈夫……私はあなたと共にある」

 

 ぎゅう、と強く抱きしめられた提督は、目を白黒させて私とあきつ丸を見た。

 彼は、元帥に言ったように――まだ信じてもらえていないと思い込んでいるに違いない。

 形は悪かったが、話を聞いたあきつ丸と長門から迷いは感じられなかった。

 

「このあきつ丸――如何様にもお使いください、少佐殿!」

 

 声を張り上げたあきつ丸に倣い、私も敬礼する。

 提督はやはり目の前の光景が信じられないようで、困った顔で長門から離れ、応接用のソファに座るよう促しながら言う。

 

「わ、わかった、そうだな。明日の仕事、頑張らないとな? とにかく、少しお茶でも飲もう。だから泣くな、頼むから。私も頑張るから」

 

 長門はそんな提督を見て愛おしそうに言うのだった。

 

 

 

「……ふふっ。大淀の気持ちが、今なら少し分かる気がするよ」



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二十一話 大規模作戦③【提督side】

「今日はもう休む。大淀は遠征部隊へ通達をしておいてくれ。それが終わり次第、お前も休め。間違いの無いように頼むぞ」

 

 大淀が持ってきたタオルを受け取りながら、俺は溜息を吐き出したいのを堪えつつそう言った。

 

「っは、お任せください」

 

 頼もしい。このまま全部の仕事を代わってもらいたい……いやそれはダメか。

 本当にどっと疲れた……。着任初日とは言え挨拶して食事した程度だと言うのに、どうしてこうも問題っていうのは重なるのか。

 龍驤然り、あきつ丸然り、悪い娘じゃないことは理解できる――艦隊これくしょんの世界と若干違うものの――が、真面目過ぎるというか、はぁ……。

 呉の提督が来た時、狼狽せずにギリギリ対応が出来たのは大淀たちのお陰なのは確かである。真面目なことは決して悪いことじゃない良い例を目の前で見たのだから、否定する気はない。しかし、しかしだ。

 

 明日の遠征がさらりと終わる気がしない。俺の悪い予感はよく当たるんだ。

 

 呉の提督の来訪に驚いたのか、海図の上から姿を消していた妖精たちはどうやら俺が開けた引き出しの中に逃げ込んでいたようで、そろりと顔を出して呉の提督がいないのを確認すると、安心したようにふわふわと出てきて、また海図の上を歩き回るのだった。

 

『こわかったです』

『そういえば、てーとくの引き出しはさみしいですね』

『おかしくらい、いれておいてください』

 

 うるせえよ! 遠征の行き先を決めるのには大いに役立ってくれたが、呉の提督が来た時は全然フォローしてくれなかったじゃん! 信じてたのに……!

 

『あすのはなしをしよう』

『みらいを、この手につかむのだ』

 

 無駄な決め顔を見せつけてくる妖精たちから、大淀へ視線を向ける。

 お任せください! という心強い眼差しが、今はより一層頼もしく感じる。少なくとも逃げてたかと思えば突然お菓子を要求する妖精よりはマシである。

 

「……お前は頼りになる」

 

 しみじみ言ってしまった。

 大淀は「そっ、そのような、あの、はい、頑張りますので……!」と謙遜しつつ、ゆっくりお休みくださいと残し、部屋を出て行くのだった。夕立やゴーヤにも「きちんと休むんだぞ」と一言声をかければ、笑顔で頷いてくれた。可愛い。

 

 そうして、誰もいなくなった執務室で――ひざ掛けのようにおいていたタオルをそうっと取る俺。

 

「……」

 

 セーフであった。何がとは言わないが、セーフである。

 これでもし染みでも出来ていようものならば俺は二度と立ち上がれなかっただろう。心も体も。

 

「……アホな事やってないで、仕事するか」

 

 タオルを乱雑に丸めて応接用ソファーへ投げると、俺は再び海図に視線を落として、その上を歩く妖精に問う。

 

「遠征先はここでいいんだよな? 燃料とか、鋼材とか、そこにあるんだよな?」

 

『あっ……わたしたちのこと、信じてないですね?』

『そんなぁ……わたしたちはこんなにもてーとくを信じているのに……』

『ぬいぐるみを交換しあった仲なのに……』

 

 交換してないし信じられるような要素が無いから聞いているんだが。

 もちろん、口には出さない。溜息の代わりに、鼻息をふぅん、と出して上着を脱ぎつつ言う。

 

「ぬいぐるみな、ぬいぐるみ……また余裕が出来れば作ってもいいから、明日の仕事の話をしよう。遠征先に資材が無かったら、お前たちの欲しがってるぬいぐるみだって作れないし、俺も艦娘たちも困る」

 

 率直に言えば、妖精たちは顔をつきあわせて二言三言小さな声を交わし、こちらに向き直って敬礼し始める。

 

「な、なんだなんだ……資材はあるのか? ないのか?」

 

『てーとくさんを助けるのが、わたしたちです!』

『なので、てーとくさんは、わたしたちを助けてください!』

 

 話が通じねえッ……! 資材があるかどうか聞いてんだよマスコットがぁッ……!

 ――クールにいこう、そう、クールに。きっと妖精たちも仕事を頑張るから、俺にも頑張れと、そう言いたいのだろう。

 もちろん仕事は頑張るつもりだ。井之上さんにお願いされたのもあるし、何よりここは思い描いたものと違えど《艦これの世界》なのだから、頑張らない理由なんて無い。妖精のためにも、艦娘のためにも、俺のためにも頑張りたい。

 

 だが俺が聞きたいのは〝資材の有無〟であって、助ける助けないの話じゃねえんだよォッ……頼むから俺の話を聞けェッ……!

 

 話が通じない妖精たちに頭を抱えた俺の前に、また新たな刺客がやってくる。

 

『こんばんわ、ようせいです!』

 

「……あ、あぁ」

 

 まぁぁあああた妖精かよおおおおおおお! くっそぉおおあああああ!

 

 大淀たちがいない今、頭を掻きむしりながら地面を転がって大声で叫び出したい衝動にかられるも――威厳スイッチの押し過ぎで無表情から変わらない。悲しい。

 

「どこから来たんだ? 工廠か?」

 

 妖精はどこか話が通じたり通じなかったりするものなのかもしれない。工廠で開発が成功したのも、上手く意図が伝わっただけで、今のような無邪気かつ自由奔放な姿こそが妖精の本当の姿であるとすれば、まぁ……。

 諦めはつかないが、諦めるしかない状況とはかくも悲しいものなのか、と俺は話に付き合うほかないと、指を伸ばして妖精の頬をつついて言う。

 

『呉からきました! とおかった……』

『えんろはるばる、おつかれさまです』

『いえいえ、このたびは、おこえがけいただき、ありがとうございます』

『いえいえいえ、おなじ仲間ですから』

『いえいえいえいえ、ありがたいかぎり』

『いえいえいえいえいえ――』

 

 俺の目の前で井戸端会議のおばちゃんみたいな会話をするなッ!

 というか呉からやってきたって言ったか!?

 何しに来たんだよォッ……モウ、カエレヨォッ……!

 

 い、いかん、このままストレスをためては胃腸が破壊されて俺が深海棲艦になってしまいかねん。クールに、クールに……。

 そうだ、子どもの相手をしていると思えばいいんだ。子どもとは得てして話の通じないもの。親戚の子でもあやすように接してあげれば、満足して仕事の話を進めてくれるかもしれない。目下、必要なのは資材であり、それが無ければ鎮守府の運営など夢のまた夢なのだ。頑張れ俺、負けるな俺。

 

「呉から来たのか。疲れただろうに、よく頑張ったな」

 

 手のひらサイズの妖精の頭は本当に小さく、俺の指が大きく感じてしまう。

 呉からやってきたという妖精の頭をぐりぐり撫でてやると、くすぐったそうにコロコロと笑い声をあげる。

 

『くふふ、みなさんの言う通り、ここのてーとくは優しいひとですね!』

『あげませんよ!』

『なんと……では、わたしがここにくるというのは』

『……それはよいあいでーあ、ですね』

『なかまがふえることは、よいことです!』

 

 勝手に話を進めないで欲しい。

 

「それで……どうして呉から、こんなところに来たんだ?」

 

 問えば、呉からやってきた妖精は海図の上をぴょこぴょこと跳ねながら言った。

 

『ずっとたすけをよんでいたんです! そうしたら、てーとくを頼ればいいっていわれて、ここに来ました!』

 

「助けを呼んでいたって……そりゃまた、どうして……頼ればいいって言ったのは、誰なんだ」

 

『漁船にのったなかまでした!』

 

 それ絶対にむつまるじゃねえか……。あいつ、俺の仕事を増やしやがったのか……信じてたのに……!

 というかどうやって呉の妖精とコンタクトをとったァッ……!

 

「助けたいのは山々だが、俺にも仕事がある。遠征という大事な仕事がな。ほら、見えるか? ここと、ここと、こことここ。四つも回らなきゃいけないし、明日は大淀と長門を連れて俺も呉に行かなきゃいけない。悪いが、すぐに助けるなんて――」

 

『そこは……! てーとくさん……!』

 

「おっ、な、なんだ……?」

 

『~~~~!』

 

 呉の妖精は、いきなり俺の手元まで走ってくると、全身でぎゅうっと指を包むよう抱きしめてきた。

 周りの妖精はきゃあきゃあと声を上げて呉の妖精の背中ごと俺の指を抱きしめる。

 

 遊んでんじゃねぇんだよォッ……オイィィッ……!

 

 そこで、俺は自らの発言にはっとする。

 

「そうだ……大淀と長門を連れて呉に謝りに行かなきゃいけないんだ……長門に言ってねぇ……!」

 

 膝裏で椅子をはじくように立ち上がった俺は、妖精たちが怪我をしないようにふるふると指を振って離れるよう促し「すまん。残っている仕事を忘れていた。遊んでてもいいが、部屋は汚すなよ」と残し、執務室を出ようと歩を進める。

 

『てーとくさん! まって!』

 

「うん? どうした」

 

『しざいがいるんですよね?』

 

「あ、あぁ、そうだ、資材が――」

 

『あしたの遠征には、わたしもついていきます! しざいも、みんなも、ばっちりです!』

 

 呉の妖精が胸を張ると、周りもぐっと両手を挙げて見せた。

 

「! そうか……! お前たちも頼りになるじゃないか……! あー、えーと、そう、明日の遠征部隊の旗艦についていって、場所をしっかり教えてやってくれ、いいな? 頼むぞ?」

 

『おまかせください!』

『わたしたちもさくせんかいぎだー! おー!』

『『『おーっ!』』』

 

「……あ、あんまりうるさくならないようにな」

 

 やっぱり俺の目には、子どもたちが遊んでいるようにしか見えないのだった。

 そんなことより、と俺は部屋を出て、長門を探すべく艦娘寮へ向かう――。

 

 

* * *

 

 

 艦娘寮の前までやってきた俺は、アパートのような形の建物の一階エントランスに到着してから気づいた事がある。

 

「……長門の部屋を知らないじゃないか」

 

 ゴーヤたちから案内してもらった時は寮は艦種別にわかれてる、程度しか聞いていなかったために、どんな構造をしているかさえ知らない。

 鎮守府の管理者なんだからそれくらい知っておけと井之上さんに怒られかねん……ここは――女子寮。それも戦艦と空母の住まう龍の巣である。

 

 女子寮に男がたった一人、しかも今は夜だ。廊下なんかを下手に歩いて長門以外に出会ったら「こんな夜になんの用? ……そ。大概にしてほしいものね」だの「提督さんじゃん、何やってんの!? 爆撃されたいの!?」と言われてアウトレンジで粉々にされてしまうかもしれない。

 ここは細心の注意を払って隠密行動に徹するのだ……。

 

 しかし怪しまれないように、堂々と胸を張って、音を立てず……だめだ混乱してきた。

 

 静かに歩こうにも寮の床は外側がコンクリートとなっており、エントランスから内側はリノリウム。どちらにせよ革靴を履いている俺の足音は消えることなく、静かな空間にコツコツと響いてしまう。

 歩きつつ、階段を使用して二階へ。廊下は左右に伸びており、扉が等間隔に並んでいた。表札でもあれば探すのが楽なんだが――。

 

「……あるのか」

 

 あった。

 どうやらある程度は艦種で揃えているらしい。右側の端から左側までずらりと並ぶ表札を一つ一つ確認していったが、金剛と榛名、霧島に比叡、飛龍と蒼龍、翔鶴と瑞鶴、飛鷹と隼鷹などなど……長門の名は見当たらない。

 部屋割は姉妹艦でまとめているのだなぁ、なんて考えつつ、そのまま階段へ戻って今度は反対側へ。

 

 反対側に着くと先程と同じように右端まで歩いて、順番に表札を確認していく。

 

 鳳翔、龍驤、赤城と加賀、伊勢と日向――

 

「二人で一部屋だったり個人部屋だったり……まぁ、姉妹艦がいなければ、こうなるか」

 

 扶桑と山城、そして――

 

「……長門。ここだな」

 

 確認すると、俺はそのままドアをノックした。

 

「長門。海原だが、少しいいか」

 

 聞こえるよう声を張って言うと、ドアの向こう側からどたん、と音がした。

 まだ夜も八時を過ぎたばかりとは言え、休めと言ったのは俺なのだから休んでいたのだろう。本当にすみません仕事の手際が悪くて……。

 

 出てきた瞬間に「この時間に仕事? 少し整備が必要なようだな?」と首を百八十度捻転させにくるかもしれない。と変な想像を膨らませて身構えるも、すぐに構えを解くという不審者っぷりを発揮しつつ、出てくるのを待つ。

 

 一分、二分と待っているが、ばたばた音が聞こえるだけで出てくる気配が無い。

 

「風呂にでも入ってたのか……? 悪いことをしたな……」

 

 仕事の話をする前に謝罪の言葉を考え始める頭をしているあたり、俺の社畜魂は衰えていないようだった。悲しい。

 と、そこで目に入る長門の部屋の表札。かけ方が悪かったのか、若干歪んでいるようだったので直しておく。それから何気なく視線を下へ向ければ、何かを引きずったような跡が残っていた。荷物を運び入れた時にできたのだろうか?

 

 他愛ないことを考えているうちに、ようやくドアがきい、と開かれる。

 顔を上げれば、半開きとなった隙間から長門の顔が見えた。

 

「お、おぉ、夜分にすまないな。明日の仕事について通達だ」

 

「通達だと……? この鎮守府の規律維持以外で、か?」

 

「あぁ、明日、呉に行く用事が出来たのだが――」

 

「っ……!」

 

「――大淀と一緒についてきてもらいた、く……長門、どうした……?」

 

 話している途中、長門のドアを押さえる手が震えているのに気づく。

 そういえばこの廊下は風が入る。夜風で冷えてしまったのかと手短に話を済ませてしまうことにした。

 

「すまない。冷えるな。呉鎮守府への訪問に大淀とお前を連れて行くことにしたから、急で悪いが、明日は私とともに来てくれ」

 

「て、提督……それは、命令、か……?」

 

「命令……?」

 

 命令って、そんな大袈裟な……と考えたが、業務命令に当たるのだろうと思い、頷いておく。

 

「うむ、命令だ。詳しくは大淀に聞けばわかるから、頼んだぞ」

 

 寒そうだし、俺がいるのも居心地悪かろう、とさっさと退散する俺。

 忘れていた仕事はこれで終わりだ! と執務室へと帰る道すがら、長門は風邪をひいたりしないだろうか、なんて考えるのだった。

 

 

* * *

 

 それから再び執務室。本日の業務はこれで終わりだ! と椅子の背もたれにだらしなく寄りかかる。ぐっと身体を伸ばすと、ところどころからパキパキと音が鳴った。

 遊び飽きたのか、海図の上をちょこまか歩いていた妖精たちの姿は既に無く、執務室には俺一人。

 

「今日はもう働きたくない……頑張ったろ……」

 

 ぽつりと洩れた独り言。もう後は寝るだけだな、と壁にかけられた時計を見れば、時刻は八時半に届くかという頃。

 昔であれば未だ全力で仕事に取り組んでいる頃だが、ここでは違う。

 

 もう、俺は社畜などでは――

 

 ジリリリリリン! と、けたたましい電話のベル。

 

 反射的に受話器を上げる。

 

「こちら柱島鎮守府、執務室」

 

 誰だよぉぉおおおおお! 休ませろよぉおおおおお! 休むって言ったでちぃぃいいいいッ!

 

『夜分に申し訳ございません、提督。明日の遠征作戦についてですが――』

 

 電話の主は大淀だった。ぴんと背筋が伸び、姿勢よく椅子に座りなおす俺。

 大淀には頭が上がらない。足を向けて寝ることも出来ない。これからあらゆる仕事を振る予定であるからというのがひとつ、呉の提督に怒られるという情けない姿を見せたにもかかわらず見てないふりをしてくれたというのがひとつ。

 

「あぁ、どうした」

 

『指定海域に艦隊を派遣後、資源はどのように鎮守府へ運びましょう』

 

 え? と声が出そうになった。

 どのように鎮守府に運びましょうって、そんなの俺に聞かないでくれ……俺は艦娘じゃないから、艦娘がどうやって資材を鎮守府に運んでいたのかなんて知らないうえに、《艦これ》の時はドラム缶を持たせたくらいだ。

 ドラム缶を持たせてもいいか? ということを聞きたいのだろうか。

 そういうのは聞かなくても勝手にやってもらって構わないのだが、指示が無いのも無責任か……。

 しかし、困ったことに――ドラム缶を開発する資材は既に無い。彩雲とぬいぐるみに消えてしまったのだ。大淀マジでごめん。

 

 鋼材やボーキサイト、弾薬くらいなら抱えて持って帰れるかもしれないが、そもそも燃料はこの世界でドラム缶無しに輸送できるのか?

 答えは否、否である。手のひらをすぼめて零さないように持って帰らせるつもりも無いので、方法があるとすれば艦娘の艤装を利用して持って帰ってもらう方法くらいだ。

 

 というのも、船というのは大体、何かあった時のために予備の燃料を積んでおくことが出来るようになっているらしいのだ。ネットで見た。

 艦娘も船なのだから予備の燃料を積むくらいの余裕はあるだろう。サイズ的には期待できないかもしれないが。

 

「あ、あぁ……あー、そうだな……艦娘に無理をさせたくないのでな、多くなくともいい。少しずつでも構わないから確実に確保して鎮守府に帰還するようにしてくれ。お前たちの補給もままならんのは申し訳ないが、こちらも出撃が困難にならないよう、編成を替えて反復出撃させるつもりだ」

 

 少しずつでも確実に。遠征組には悪いが、帰ってきてすぐに燃料の補給、というのは我慢してもらうしかない。持って帰ってくる燃料と消費した燃料を照らし合わせて、上手く運用するのだ。回数をこなせば、いつしか全員に補給がいきわたり、資材も回復できると。自分で考えておいてなんだが、途方も無ぇ……。

 遠征部隊の艦娘には優先的に間宮のご飯が食べられる権利を与えよう。俺も順番を譲ってあげちゃう。ほんとすみません。

 

『――それは、所属する艦娘をあげてでも、と?』

 

 っく……全てお見通しか……!

 直接は言わずとも、伝えたいことは分かる。大淀は俺に『所属する艦娘全員を働かせてやっと資材が回復する、と言いたいのですね?』と圧をかけているのだ。怖い。

 言い訳でもしたら、深海棲艦の餌にされてしまう。

 素直に謝るしかない。皆さんを頼りにさせてください。役立たずで大変申し訳ございません……。

 

「……必要とあらば、私も尽力するつもりだ。遠征中は指示も出しづらくなるかもしれん。みなを頼りにしたいのだ」

 

 はい。俺も全力で頑張ります。遠征で出来ることは無いですが、呉の提督に失礼しましたと一生懸命に謝ってまいります。

 だめだ、自分が情けな過ぎて泣けてくる。

 

 これでは大淀に怒られっぱなしではないか――

 

『呉鎮守府への〝訪問〟の書類はどうなっているのでしょう』

 

「えぇっ!? あ、も、もう出来ているぞ。すまなかった、遅くなってしまって。確認にもう少し時間がかかるが……」

 

 ぐ、ぐわぁぁぁぁッ! 不意打ちに嘘をついてしまったァァァァッ!

 何だよ訪問の書類って! 正式に挨拶を受けてくれるとは言ってたが、そういうのに書類って必要なものなのか!? アポイントメントを取るというのなら分かるが、それは既に先方も了承していることであってわざわざ書類にする必要無いじゃないか!

 

 い、いや、待て待て、あの大淀が言っているんだぞ……もしかしたら海軍ならではのルールがあるのかもしれない。あの呉の提督を見れば分かる体育会系の空気を思い出せ……きっとへんてこなルールが……って思いつかねえよ! クソァッ!

 

 とにかく、それっぽい書類を作り出さねば。

 だがそれを持って行って呉の提督が「何だこれは貴様ァッ!」とか言い出したら本当に死んでしまう。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ということわざもあるのだ……形だけでも書類を作成しておいて、正規の書類の作成方法は素直に大淀に聞いてしまおう。

 

「明日の遠征に併せて書類の確認を頼みたい、の、だが……大淀に認めてもらえるかどうか……」

 

『……この大淀、作戦成功に尽力致します。如何様にもお使いください』

 

 大淀ぉ~! お前ってやつは最高の艦娘だよぉ……!

 仕事を真面目にする気があれば、きちんと教えてくれる。そんな大淀はきっと良い上司になれるだろう。俺の部下にはもったいない。というか俺の上司になってくれ。お願いします。手のひらくるっくるしちゃ――はい、すみません。

 

「お、おぉ……そうか。すまないな、大淀がいるなら、安心できる」

 

『あっ、え、と、その、あ、えへっ……そんな、安心だなんて……』

 

 うーん……大淀は正義である。可愛い。

 安心できるのも嘘などでは無い。大淀が居なかったら俺は今頃、柱島の近海で浮いていたに違いない。

 

『ん、んんっ……それでは提督、作戦通達はこちらで確実にしておきますので、明日のためにゆっくりとお休みください。時間になったら、伺います』

 

「うむ。では、また明日に」

 

『はい、また明日――』

 

 昔からの癖で、黙ったまま数秒間、受話器を耳に当ててしまう。それから静かに受話器を戻し――盛大にデスクへ突っ伏した。

 

「はぁぁぁぁぁ……仕事終わったかと思ったのによぉぉぉ……!」

 

 ひとしきり唸った俺は、嫌なことに気づく。

 

「あれ、大淀、時間になったら伺いますって……確認は、明日するってことか……? ま、待て待て待て……それじゃ間に合わんだろうが……!」

 

 全身にじわりと汗が滲む。頭の中では呉の提督の怒鳴り声が響き出す。

 

「や、やばいやばい、考えろ……! お、大淀に電話しなおすか!? って番号が分からねえ……あいつどうやって掛けてきたんだ……! ほ、他になにか手は……」

 

 こんなことになるなら、無駄にあがいたりせずに井之上さんに聞けば良かった……!

 

 ……うん? 井之上さん……? そうだ、井之上さんがいるじゃないか!

 電話番号は分からないが、幸いにもこの鎮守府には井之上さんの所から来たらしいあきつ丸がいる! やはり天は俺を見放してはいなかったか……!

 

 

 そうと決まれば早速あきつ丸を探さねば、と俺は勢いよく立ち上がり、また鎮守府を徘徊――じゃなかった。捜索に向かったのだった。



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二十二話 大規模作戦④【提督side】

 執務室を出て数分。目的の人物はあまりにもあっさり見つかった。

 艦娘寮へ向かう途中でばったり出くわしたのだ。

 

「少佐殿ではありませんか」

 

 流れるような動作で敬礼をするあきつ丸に、俺は天に感謝しつつ近づく。

 

「少佐殿、上着はいかがなされたので? 暖かくなってきたとはいえ、夜の潮風はお身体に――」

 

「あきつ丸、執務室へ来てくれないか」

 

「は、はい……? なんでありましょう」

 

「お前にしか頼めないことがある」

 

「――なるほど? そういう事であらば」

 

 あきつ丸はきょとんとしていたが、何度も俺に噛みついてきていた頃とは打って変わって素直についてきてくれた。

 誰にも見つかってはならない極秘の任務なのだから、と周囲を警戒しつつあきつ丸を連れて執務室への道を戻る。

 

 

 執務室に到着すると、俺はソファーに投げだしていたタオルや椅子に掛けっぱなしの上着をさっと整理して、あきつ丸に座るよう示す。

 

「すまないな、休めと言った手前なのに」

 

「いえ、問題ありません。して……頼みたいこと、とは?」

 

 流石軍人、流石艦娘、清々しいまでの単刀直入である。

 正直なところ、あきつ丸は天からの救いに等しいが、それと同じくらい俺が頼みたい事は部下に対して情けないことである。簡潔に聞かれると言葉を濁したくなるのが切ないところだ。ちっぽけだが俺にもプライドというものがある。

 

 呉の提督が来た時点でそのちっぽけなプライドは妖精の指先よりも細切れとなって溜息にさらわれてしまったのだが、この際それは置いておこう。

 

「お前は元帥のもとから、こちらへ配属になったんだったな」

 

「……それが、何か」

 

 眉をひそめるあきつ丸。違うんだ、警戒しないでくれ。

 俺はただ助けを求めているだけなんだ……。

 

「いや、それについてどうこう、という訳では無い。勘違いしないでくれ。ただ、その……元帥の連絡先を、紛失してしまったようでな……お前ならば、覚えていたりしないか、と……」

 

 ちっぽけなプライドで――すみませんただの嘘です。嘘も方便という言葉もあるので許してください。本当に情けない提督で申し訳ございません。

 

 しかしその番号が無ければ俺は詰むのだ。前門の呉提督、後門の大淀なのだ。

 俺を救えるのは元帥の井之上さん――ひいては、その井之上さんと繋がっているあきつ丸だけ。少しの嘘くらい許して欲しい。

 きっとこんな状況になったことを正直に白状してしまえば、あきつ丸に「無能でありますなぁ!」と鼻で笑われた挙句に顔面を殴られる……いや、それは言い過ぎか……。

 

「大本営に直接連絡すればよろしいのではありませんか?」

 

「そ、それは……」

 

 誰がもっともなことを言えっつったんだよぉッ! しかしそれさえ知らない俺である。

 井之上さんが言うには艦娘反対派とやらが至る所にいるんだぞ! それはもう、古い中華屋の厨房に出てくる黒いアレみたいに! 言ってたっけ? 言ってたと思う。多分。

 口ごもる俺を不審げに見るあきつ丸。しかし、ふぅ、と溜息を吐いて軍帽をぐいぐいといじりながら、もう片方の手をポケットへ入れて、一枚の紙を取り出した。

 井之上さんが持たせたか、あきつ丸が自分でメモをした連絡先だろう。

 

「少佐殿のお立場は、ある程度わかっているつもりであります。確かに自分は元帥閣下の連絡先を知っておりますが、これはあくまでも閣下が自分個人に教えてくれたものであります。ここに来た艦娘らが過去を背負っているように、自分も方々を回された身……何かあれば、最後の手段にと託してくれたものであります」

 

「……」

 

「少佐殿を信じていないという訳ではありません。ですが……いえ、まだ、自分は少佐殿を見極めさせていただきたい――艦娘として」

 

 あきつ丸の言葉に、小さいとは言え嘘を吐いた自分が少し嫌いになった。

 井之上さんも言っていたはずなのに、どうしてそれを忘れていたのだと自己嫌悪が吐き気となって胸を焼く。

 

「……そうか。そうだな」

 

 言葉が見つからなかった。

 たったの半日で、どうして俺は忘れてしまっていたんだ。

 ここは《艦隊これくしょん》というゲームの世界じゃなく、紛うことなき現実であり、あらゆる共通点があったとしても、違う世界なのだ。

 俺の光であった艦娘たちはおらず、違う世界の同じ存在が〝闇〟に汚されてここにいるんだ。

 傷つき、疲弊し、人間不信となってまでも戦い続けようともがいている。

 

 そう考えた瞬間、俺は突き動かされるようにあきつ丸の前まで来て、勢いよく頭を下げる。

 

 正直に言うべきだったんだ。最初から。

 

 素人が鎮守府の運営など、提督など、そう言われるかもしれない。それを隠す行為こそ嘘も方便と言うのであって、俺のプライドを守るための嘘など魚の餌にもなりはしない。

 

「すまない。私は嘘をついていた。本当は、最初から元帥への連絡手段など無い……目が覚めて、気づけばここに送られただけの男だ。力も何もあったものじゃない。本当に力があるのならば、すぐにでもお前たちを癒し、世界を平和にしていただろうが……私はしがない、ただの一人の男だ」

 

「しょっ……少佐殿……」

 

 自分を支えてくれた艦娘になんという愚かなことをしているのか。

 今更になって実感がわいてきて反吐が出そうになる。

 それでも、今だけは許して欲しいと思っている自分の心が醜くて仕方がない。

 

「一度だけ元帥からこちらに連絡があった。これは、本当だ。そこで俺は現状を聞いて自分とすり合わせるべきだった。何から着手すべきか分からなかったというのは、言い訳に聞こえるかもしれないが、これも本当だ。だから、元帥からは重要なことだけを聞いた。細かなことは聞けなくてな」

 

「しかし、自分が勝手に話せるようなものでは……」

 

 あきつ丸がどんな表情をしているのかは見えなかったが、戸惑うように一歩下がった足元だけ見えた。

 

「それは承知している。だがお前しか頼れないのだ。元帥から何か言われるかもしれないのならば、全面的に私が悪いと言おう。必ず責任は取る」

 

「しかしっ、少佐殿……しかしぃ……」

 

 営業をしていた頃もこんなことがあったな、と思い出す。

 その時は上司が部下に向かって頭を下げるのではなく、俺の失態を先輩が一緒に行くからと頭を下げてもらっていたのだったか。あの時は本当にありがたく、頼りに見えたものだった。

 だが俺はどうだ。自分の仕事もままならず、艦娘に頭を下げるなど。

 

「頼む、あきつ丸。お前だけが、今は頼りなのだ」

 

「少佐殿とは言え、この鎮守府の……いくら提督殿でも、自分には……」

 

「それは分かった。分かっているんだが……」

 

 恥など捨てろ。元からそんなもの持っていないはずだろう、と俺は膝を曲げかける。

 

「どうか、私を助けてはくれないだろうか」

 

 情けない自分を許してくれと言うように、俺は土下座を――

 

「あっ、やっ、やめてください少佐殿っ! そのようなっ……うぅ……!」

 

 その時、執務室の扉が強く叩かれた。

 

「戦艦長門だ。入るぞ!」

 

 思わず顔を上げると、そこには長門と大淀が立っていたのだった。

 長門はあきつ丸の腕を掴んで引き寄せ、俺を睨みつける。

 

「何をしていた――提督」

 

 なんという所を見られてしまったんだ……それも、自ら鎮守府の規律維持を命じた相手に……!

 目を見開いて、どう説明しようか考えている間にも、長門はあきつ丸を心配するような声を上げる。

 

「あきつ丸、大丈夫か。何もされていないか」

 

「あ、ぁ、長門殿、いや、これは……自分は何も……」

 

「夜分に艦娘を呼び出したかと思えば、何だ……? まさか乱暴でも――」

 

 乱暴!? 俺の体型を見てものを言え!

 ただでさえ少しの運動もキツイというのに、乱暴などするはずもないだろうが!

 体力があってもせんわ!

 

 という具合に、自然と反論が浮かんでしまう脳を取り出して海水で洗ってしまいたい自己嫌悪に陥りつつ、言葉を選んで言う。

 

「ち、違う! そんなことをするわけ無いだろう!? 私はただ、あきつ丸に番号を聞こうと思っただけだ! やましいことなど何もない!」

 

「ば、番号……? 連絡先、のことか……?」

 

「そっそうだ。私はあきつ丸から連絡先を聞いて、明日の仕事のことを」

 

「仕事のことならば連絡先など必要あるまい。なのにわざわざ呼び出して、連絡先を……ふん、回りくどいだけで、やはり提督も他の者と変わらんのだな。少しは違うかもしれないと思ったが、見損なったぞ……ッ!」

 

 長門の鋭い視線が突き刺さり、また俺は自分の心が軋む音を聞いた。

 彼女らは基本的に人を信じていない。どうしてすぐ失念してしまうんだ俺は。

 講堂で挨拶をした時もそうだった。長門は言っていたじゃないか。自分達は守るべき対象に傷つけられたのだ、と。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というのを、地で行っていてもおかしくない。何があったのかは知らない。想像も出来ない。だが、だからこそ同情してはいけない。

 そう考える理由があったことを考慮し、俺は傷つくことを覚悟して彼女らと接しなければならないのだ。プライドなどではなく、人として。艦娘という存在を知る一人の提督として。

 

「あー……くそ」

 

 自分を殴ってしまいたい衝動をおさえながら、椅子に座り、俺はゆっくりと事情を説明した。

 

「……明日の遠征の他に、呉に行く話をしたんだが、その際に必要となる書類について、元帥に伺いを立てようと思ったのだ」

 

「は……?」

 

 長門も、それについてきたらしい大淀もぽかんと口を半開きにして俺を見る。

 

「……私は頼れる人間が少ない。今は井之上さんしか頼れないと言っていい。それに明日の挨拶については提督同士の話なのだから、井之上さんに聞くべきだろうと判断したのだ……新任で右も左も分からないとは言え、あきつ丸を頼ろうとしたのは、その……情けない限りだ。すまない」

 

 あきつ丸を探すのに目印になるかな、なんてふざけた思考で被っていた軍帽を脱ぎ、デスクへ置く。なんだか、今の俺にこれを被る資格が無いような気がしたのだ。

 

「こ、ちら、も、す、すまな、かった……私の、早とちりだったようだ……」

 

 俺のあまりの情けなさにか、長門はそう言ってあきつ丸を離して咳払いをした。

 数秒か数十秒の重たい沈黙が、執務室を包む。

 

 それを払拭するように声を上げたのは、大淀だった。

 

「て、提督。明日の遠征と訪問についてなのですが、長門さんが質問がある、と」

 

 仕事の話ならば、いつまでもしょぼくれて顔を伏せているわけにもいかないな、と少しだけ首を持ち上げる。

 すると、長門は俺への憤りをおさえているかのような赤い顔で問うた。

 

「明日の遠征……それに、呉鎮守府への訪問……目的を、教えて欲しい」

 

 十分な説明も無く勝手に決めたのだから、長門の質問は当然。

 俺は出来る限り簡潔に、と言葉を紡ぐ。

 

「明日の遠征の目的は資材の確保だ。呉鎮守府へは……向こうの提督が正式に挨拶を受けると言うから、行くだけだ。挨拶を怠った私の失態への謝罪も含めての挨拶になるとは思うが」

 

「……それだけか?」

 

 それだけも何も……それ以外に目的は無いんだが……。

 

「それ以外に何がある。この鎮守府には現在、資材が一切ない状態なのだ。お前たちを出撃させることも出来なければ、数度の近海警備で仕事そのものが出来なくなってしまうだろう」

 

 と、至極真っ当に答える。

 すると大淀が異議を唱えた。

 

「明日の遠征は資材の確保との事ですが、ここ一帯は呉鎮守府や佐世保が頻繁に行き来する海路で、資源海域ではありません。もしも資源があるとすれば、それは呉か佐世保が途中補給するための海上資源貯蔵地で――」 

 

「……ふむ」

 

「――したがって、遠征の意図を理解しかねます。呉へ訪問するのは、もしや貯蔵地から資源を分けてもらうため、なのですか?」

 

「……」

 

 ここは、答えるべきか? 妖精が指示した場所を適当にお前たちに伝えただけだ、と。

 そんなことをすれば、それこそ人類にまた裏切られたと彼女たちは悲しんでしまう。俺は彼女たちに悲しんで欲しいわけではない。どういう意味であれ、どういうものであれ、彼女たちが泣いているところなど、俺は見たくないのだ。

 

「提督……お答えください」

 

 俺の限界はここまでなのかもしれない、と思った。

 残された選択肢は、全てを正直に話してしまうか、嘘を貫き通すかの二択。全てを正直に話せば、きっと大淀や長門、あきつ丸は海軍を支えている井之上さんに噛みつくことになるだろう。わがままだが、俺はそれも嫌だと思った。

 

 無理矢理に椅子へ座らされた格好となったが、提督になったこと自体が嫌というわけじゃない。それに関しては夢が叶ったと言ってもいい。

 

 でも、この世界で生きてきて、艦娘を大切に想い、魔の手から逃がそうとしてくれている井之上さんと俺は全く違う場所に立っているのだ。だから、それがすれ違いなどで壊されてはならないと、口を噤むしか出来なかった。

 

「明日は資源確保の遠征。大淀と長門を連れて呉へ訪問。以上だ」

 

 これでいい。

 きっと井之上さんならばもっとうまく立ち回ったのであろうが……ただの社畜である自分にはこれが限界なのかもしれない。着任して半日。何が、艦これプレイヤーか。

 

 その時、黒電話のベルが俺の思考を止めた。

 

「こちら柱島鎮守府、執務室」

 

『おぉ、海原。っくく、まだ生きておったか』

 

「井之上さん……!」

 

 まるで見計らっていたかのようなタイミングの電話に、思わず素の声が出てしまう。

 井之上さんの声は老人とは思えないほど明瞭で、受話器越しでも大きく聞こえた。

 

「良かった……あきつ丸から井之上さんの番号を聞こうと思ったんですが、個人的に教えてもらったものだからと……」

 

『おぉ、もうあきつ丸がそちらに到着したか! しかし、あきつ丸とそんな話が出来るような仲になったのか?』

 

 ちらりと大淀たちを見やる。そして、

 

「……いえ、私の力不足で。それで、井之上さんは何か用事が?」

 

 と言った。

 正直に話そうと思ったが、元帥の口から下手に漏れてはならないと、俺は三人に退室するようにと手を振った。

 出て行って、扉がぱたんとしまったのを確認して、再び口を開く。

 

「本当に、すみません……上手くいかないことばかりで……挨拶は出来たのですが……」

 

『気落ちするな。訓練も受けていない一国民の君が、一流の腕を持つ軍人と同じように指揮できるとは思っておらん。それにしても……挨拶をしたか……そうか……』

 

「はい。彼女たちは、人を信じられない、という様子で。食事をする時も、泣いている艦娘が多く……出来る限り、話を聞こうとは思ったのですが」

 

『食事を! 中々に気を遣える男じゃないか海原。ふふ、まぁ、それは置いておこう……して、海原。君は……彼女らを、どう思う』

 

「どう、って、そりゃあ、艦娘だなあ、と」

 

 率直な感想である。本物を見たのはもちろん初めて――当たり前だが――であり、口調や性格の全てを把握していない俺ですら、納得するほどに艦娘。

 しかし、井之上さんが聞きたかったのは別のことだったようで。

 

『違う、そういう意味ではない。彼女らを救う気は変わっておらんかと聞いとるんだ』

 

「変わりません」

 

 これだけは間違いなく、はっきりと言い切れる。

 艦娘を支えたい。出来る事ならば救いたい。その気持ちに嘘は無い。

 ただ……力が及ばないという、果ての見えない壁がある。

 

『そうか、そうか……それを聞けただけで安心だ。君に任せて間違いじゃなかったと胸を張れる日も遠くないやもしれんなぁ』

 

 出来るだろうか。もう、出来ない気がしているような。

 ほんの数時間前に、連絡は難しいと言っていたはずなのに、こうして夜になって電話をかけてくるあたり、井之上さんがどれだけ艦娘を、国を大事に考えているかが窺えて、出来ませんなどとは口に出来なかった。

 

 正直に白状して逃げ出すことは簡単だ。俺の理性は逃げろと言っている。

 だが、本能はそうは言っていない。

 

「……そう言っていただける日が来るよう、善処します。それはそうと、井之上さん、ひとつお願いが」

 

 何のための軍服か。何のための鎮守府か。

 国のため、艦娘のため、平和のための全てではないか。

 

 くだらない仕事に命を賭して、限界を超えたことに気づかず死んだのだ。

 ならば今度は、自らの意思で限界を超えて、彼女らのために前へ進むべきなのだ。

 

『お願いか。君に〝無茶をさせている〟手前、融通をきかせねばワシの沽券にかかわる。何でも言ってくれ』

 

「俺……あ、いや、私が」

 

『っくっく、気にするな。楽に話してくれ』

 

 頭がいっぱいで思わず言葉遣いが悪くなり、すぐさま訂正するも、井之上さんは笑って許してくれた。かっこいい老人である。

 そんな人に現状を伝えるのが忍びない。

 

「俺が至らないばかりに……まだ初日ではありますが、俺を疑っている艦娘がいるかもしれません。大淀やあきつ丸もそうですが、長門まで……」

 

『それは……ふむぅ、困ったな……』

 

「すみません。力不足で……」

 

『何を、やめないか。そんなこと言わんでくれ。横須賀から無理に運び出し、君に汚名まで被せて少佐にしてしまったのは全てワシの不徳の致すところ……どうか、謝らんでくれ』

 

 なんて出来た人なんだ井之上さん……前世は仏か……?

 俺の情けなさに拍車がかかる……本当に申し訳ない……。

 

「でも……!」

 

『海原。君のお願いとは、艦娘たちに君は悪くないとワシから伝えることか? 難しいことでは無いが、そうすると君の立場も――』

 

 悪くなるかもしれない。そう言いたいのだろう。

 だが、この際、俺の立場などどうでもいいのだ。仕事が出来ないと陰で蔑まれてもいい。提督らしい威厳を保ったまま、道化を演じて世界一の馬鹿になったってかまわない。それで艦娘を救えるのなら喜んでやってやろう。井之上さんが助かるというのなら、いくら怒られたっていい。

 

「俺の立場は、この際、もう、いいかな、って……でも、彼女たちはとても真面目で、本気で海を守りたいという気持ちが強いんです。井之上さんが言っていた通り、俺が、思ってた、通りで……それで、どうにか仕事をさせてやりたいんです。明日、呉鎮守府に挨拶へ行くついでに資材確保の遠征を実施しようと思っています。井之上さんには、呉鎮守府に俺が挨拶に訪問する許可をもらいたく――」

 

『呉だと!? 海原、何を言っているのか分かっているのか! あそこは艦娘反対派の山元が街をも牛耳っておるんだぞ! のこのこと顔を出しに行こうものなら、君まで巻き込まれてしまう!』

 

 あの人、艦娘反対派の人だったのかよ……。

 確かに突然拳銃を向けて怒鳴り散らしたりするやべぇ人ではあったけど、最後には機嫌をなおして帰ってくれたし、俺の失態も許してくれたから、ちょっと感情的になりやすい人なのかな? くらいにしか思ってなかった……。

 体育会系は色々な意味で熱い人だし、あれくらいが普通なのかと――いや、偏見だな……。

 

「あ、あぁ……そのこと、なんですが……今日、というか、少しまえまで、その呉の人が、ここに来てまして……」

 

 たった数時間前の出来事である。なんて濃い一日なんだ。前世を全部足しても足りないくら濃い。

 中濃ソースに醤油をいれ――それはいいか。

 呉の提督の名前を今やっと知って「ふぅん、山元っていうんだ……」などと考えながら言葉を続ける。

 

「山元、さんは……正式な挨拶を慎んで受けると言ってました。ですから、明日にでも長門と大淀を連れて行きたいんです。俺を巻き込みたくないっていうのなら、もう遅いんじゃないかなと……」

 

『遊びじゃ、無いんだぞ、海原……!』

 

 耳が痛い。井之上さんの言う通りである。

 

「……はい」

 

 だが、この鎮守府に来た時点で引き返す道など存在しないのも事実。

 ならば進むしかないのだ。前へ、前へと。

 

『やめろ。でなければ、援助はしないと言ったら、どうする』

 

 それは困る。

 ならば、援助無しでもやりますと言うしかない。

 ここで「じゃあ無しで」という程、愚かなつもりはない。

 援助がもらえないのならば、社畜の頃よりももっと働いて、彼女たちが安心して仕事ができるように環境を整えるまでだ。

 その彼女たちが命を賭す仕事をしているのだから、俺も同じく、命を賭して。

 

「彼女たちは俺を信じていないでしょう。きっと、長くなります。何年か、何十年か……乗りかかった船ですから、死ぬまで面倒を見るつもりです」

 

 早速ひもじい思いをさせてしまっているあたり、俺らしい。と考えてしまって、自然と乾いた笑い声が出てしまう。

 そんな無礼も井之上さんは気にせずに、俺を慰めるように言う。

 

『……我が海軍の将官がみな、君のような男であればいいとこれほどに思った日は無い。だが、君が言う道は険しいぞ。呉に行けば、話は方々を駆けるだろう。君はそれでいいのか』

 

「ははは、ただの挨拶で井之上さんも大袈裟な。任せてください、こういうのは得意なつもりですから」

 

 本当に、心の底から情けないが、俺はそこらの人より怒鳴られてきたつもりだ。この世界に来てからは拳銃まで向けられたし、なんならお目覚めおはようパンチで鼻血が出た。もう怖いものなど存在しない。

 あるとすればこの後に待っているであろう大淀たちの説教くらいだ。

 

『まったく、地獄に足を踏み入れるのに躊躇いもせんとは。本当に、おかしなやつだ。ところで、海原……君は本当に、艦娘が好きか? この国が好きか?』

 

 地獄から地獄に転生しただけである。特に問題は無い。

 しかも今度の地獄には艦娘がいるのだから、むしろ極楽まである。賽の河原ならぬ深海棲艦の潜む海でいくらも書類を積み上げ続けようじゃないか。

 

 なんたって俺は――この世界に来る前から――

 

 

「愛してますとも。提督ですから」

 

 

 ――ずっと、艦隊指揮してきたのだから。

 

『明日、呉鎮守府への訪問だったな……ワシも許可しよう。向こうも正式に受けると言うのだから、他が口を挟むこともあるまい。報告は、そうだな……あきつ丸に頼んでおくといい。だがワシからも一つ』

 

 井之上さんの声に、重々しく返事する。

 

『……無理はするな。前に言ったように、ワシも出来ることは限られる。君はワシよりももっと動きづらいかもしれん。直接の援助も多少なら出来るかもしれんが、資材の融通だのは他の鎮守府も関わる所だ。君だけに目をかけていると知られては反対派の動きはさらに過激になるだろう』

 

 ありもしない仕事を作って押し付けてきたり、また突然訪問してきて怒ったりするのかもしれない。なんて過激なやつらだ。

 艦娘を傷つけて仕事を増やして……まだ会社にいたお局さんの方が話が出来るレベルじゃないか。悪魔め……ッ!

 

 井之上さんの気苦労は絶えないことだろう。

 

「……はい」

 

『頼んだワシが言えた義理ではないが、よく考え、身を守ってくれ。頼むぞ』

 

 ちょっと前言撤回したくなってきたかも……工廠で二式大艇でも開発してもらって、乗って飛んでいきたいかも……。

 

 い、いや、男なら一度はいた唾を呑むような真似はしない!

 

「承知……しました……」

 

 でも井之上さんに助けてもらわないと無理かも……。

 

『それと』

 

「はい?」

 

『しっかり飯を食えよ。君は痩せ過ぎだ』

 

 おじいちゃん……。俺は一生井之上さんの部下でもいいかもしれないと本気で思うのだった。

 この後、きっと井之上さんは俺のフォローのために色々と動いてくれるのだろう。夜にもなって老体に鞭を打たせるような形になってしまった……今度お会いする時は初手土下座、いや土下寝して忠誠を誓い心臓を捧げなければならないかもしれない。

 

「……っははは。井之上さんも、ご無理なさらず」

 

『くっくっく、老人とはいえ元帥にかける言葉では無かろうが、馬鹿者め。……ではな、海原。しっかり頼む』

 

 馬鹿者め、という言葉がこれほど頼もしく、そして優しく聞こえたことは無い。

 俺は姿勢を正して、心から敬い、受話器を持ったままに頭を下げた。

 

「……はい。それでは、失礼します」

 

 そして、通話が切れた音を聞いて受話器を戻すと、今度は大淀たちになんと説明して謝ろうか、と考え始め――る前に、執務室の扉がノックされたのと殆ど同時に開かれる。

 

「提督ッ! すま、なかったッ……私は、とんでもない愚か者だ……ッ!」

 

「えっ、えっえっ、なっ……ま、待て、長門、どうした、えっ」

 

 何が起こってるんだ? なんで長門は泣いて……

 

「ひっ、う、ひぐっ……申し訳ありません、てい、とくっ……あの、私っ……」

 

「大淀まで!? な、泣くな! 頼む、あっ、そ、そうだ! お、おおお茶を入れる! 温まるぞ? な? 間宮のところ行くか? 伊良湖でもいいぞ! だから泣くな、本当にすまなかった、明日の任務の事だったな? ちゃんと井之上さんに許可をもらったから問題ない。だから、あー、うーん……!」

 

 間宮と伊良湖はまだ起きてるか!? っていうか食堂はまだ使えるか!? 就業時間的に問題無いか!? これで残業させられたとか言われたら、間宮と伊良湖の残業代を計算しなければならないし、この世界の残業代を知らないから間接的に大淀の仕事が増えてしまうことになりかね――って違う! 落ち着け! 俺ェッ!

 

 問題はどうして長門たちが泣いているのか、という事だろうが!

 

 考えるよりも先に、長門の腕が俺に迫り、ぐん、と抗えないような力強さで引き寄せられる。

 

「ひぇっ……おわっ!?」

 

「提督は、我々を想って、その作戦を考案したのだろう」

 

「えっ、あっはい」

 

 すみません井之上さん。海原鎮、ここに殉職するかもしれません。

 長門型の装甲によってぺちゃんこになってしまうかもしれません……ッ!

 

 どうか俺の亡骸は工廠の妖精たちにいたずらされてしまわないよう、海に、還してくださ――あっ……やぁらかい……。

 

「……礼を言う。もう、憂いは無い。提督が見つけ出した砂粒一つ、必ずや我らがものにして見せる。大丈夫……私はあなたと共にある」

 

 うん? と俺は自分よりも上にある長門の顔を見たあと、とりあえずこの状況をどうにかしてくれそうな大淀とあきつ丸を見る。

 

「このあきつ丸――如何様にもお使いください、少佐殿!」

 

 あっだめだこの揚陸艦、俺の意図が通じてねえや。

 

 いや待てよ……も、もしや……もう、井之上さんが手を回した……!?

 なんという恐ろしい手腕……海軍の元帥は伊達ではないと言うことか……ッ!

 電話を切って数秒で解決したとでも言うのか。軍人というのはそんなに対応が早いのか!? 安い、早い、美味いのご飯屋さんでも数分かかると言うのに。

 

「わ、わかった、そうだな。明日の仕事、頑張らないとな? とにかく、少しお茶でも飲もう。だから泣くな、頼むから。私も頑張るから」

 

 まずはお茶をお入れして、長門と大淀とあきつ丸を泣き止ませねば。

 ただでさえ大淀には情けない奴として見られているかもしれないのだ。

 

 お茶はどこで入れたらいいだろうか、と部屋を見回す俺に対して、長門は優しい目をして呟いた。

 

 

 

 

「……ふふっ。大淀の気持ちが、今なら少し分かる気がするよ」

 

 あっはい。すみません本当に情けない提督で……。



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二十三話 作戦決行【艦娘side・大淀】

 柱島鎮守府、講堂。

 現在そこには、大規模遠征の主となる水雷戦隊の旗艦たちと、潜水艦隊の代表としてイムヤ、近海警備の主となる龍驤と夕立、提督とその補佐として長門と私が集まっている。

 みなの目元は少し赤く、任務に支障は無いだろうが、昨晩は眠れなかったのが窺えた。

 

「早朝からすまないな。本当ならば、数日はお前たちを休ませる名目で交流を図ってもらいたかったんだが」

 

 手元の書類を捲りながら言った提督に、第二艦隊旗艦の交代要員である天龍が腕を組みながら、

 

「気にすンなって! 俺たちは海に出てこそなんだからよ!」

 

 と声を上げた。

 隣にいた軽巡球磨にすかさず横っ腹を殴られていたが、提督は笑って話を続ける。

 

「気力が有り余っているようで、結構。頼りにしているぞ天龍。それに球磨も、よろしく頼む」

 

「了解クマ~。天龍のお守りはお姉ちゃんに任せるクマ」

 

「んだよお守りってよぉ!? 俺は旗艦だぞ!」

 

「五十鈴の後で、ね? 私たちが戻るまで大人しく駆逐艦と留守番しておくのよ」

 

「五十鈴まで……なんだよぉ……」

 

 これから大規模作戦が行われるとは到底思えない、軽い空気が講堂を包んでいた。

 そろそろ任務の話を進めていただかなければ、と私が口を開きかけた時、

 

「はーいはい、皆静かに。司令官が話を進められないでしょー?」

 

 イムヤが手をぱんぱんと叩く。すると、全員がすんなりと静かになった。

 わ、私の仕事が……ッ! と思った反面、私が初めて出会ったイムヤと、今のイムヤは別人じゃないのか、と疑ってしまいたくなるほどの変わりように驚く。

 全員がイムヤの注意にムッとした顔をしないことも、驚きの一つだった。

 もしも今、昨日出会ったばかりの状態であったのなら――誰一人として話は出来ないだろうし、提督の作戦指令など聞き入れはしなかっただろうに。

 

「この鎮守府において初めての仕事となるが、このようにばたつかせて本当に申し訳ない。だが、この局面を打開せねば先に行くことは不可能であることを、念頭に置いてほしい。では、改めて諸君らに任務を発令する――」

 

 昨晩、長門とあきつ丸、そして私の三人は中々泣き止むことが出来ず、結局、夜遅くまでお茶を挟んで提督に慰められるというとんでもない醜態をさらした。

 早く泣き止まねば提督を困らせると分かっていながらも、優しい声で「大丈夫だ。何かあれば私がいる」と言われてしまっては止めたばかりの涙が嬉しさにまた溢れてしまう……という繰り返しだった。

 最後には、それぞれが寮の部屋の前まで送ってもらうという非常にラッキーな――じゃなく、大変情けない結果で幕を閉じたのだった。

 

 私たちが無駄に手間をかけなければ、迅速に作戦をとりまとめ、提督は少しでも睡眠をとることが出来たであろう。しかし、翌朝になって私が執務室へお迎えにあがった時には既に提督はデスクに向かって執務を開始しておられたのだった。

 

 その際、デスクの上には執務室のキャビネットに詰め込まれていたらしい呉鎮守府や漁港等から取り寄せられたのであろう近海情報がうずたかく積み上げられており、妖精たちも寝ずの執務に徹していたのか、提督が講堂に向かおうと立ち上がるまでずっと慌ただしく動き回っていた。

 提督の手には、その際にまとめられた書類が数枚あり、周りには羅針盤を抱えた妖精たちがふわふわと浮いていた。

 

「――第一艦隊旗艦に、駆逐艦夕立。後方援護に軽空母龍驤。以下、江風、谷風の四隻にて哨戒にあたるように」

 

「っぽい!」

「了解や。ほんで、司令官、ちっとええか」

 

「なんだ、龍驤」

 

 噛みつくような語気ではなく、昨日と違って柔らかな声を紡ぐ龍驤。

 

「なんで旗艦だけを集めたんや? 通達やったら、皆おってもええんちゃうん?」

 

 提督は「もっともだな」と頷いて、意図を話した。

 

「本来ならばこういったやり方はするべきでは無いのかもしれんが、常々、私が指示を飛ばして動かすわけにはいかん。今回のように遠方……とはいえ、呉だが……すぐに対応できない場所へ出ている場合もある。その時、お前たち艦娘の連携が極めて重要となるだろう。それの練習――とでも思ってくれ」

 

 龍驤は提督の言葉を聞いて「さよか。練習なんか本番なんか……スパルタやなぁ」と笑った。

 

「そんなつもりは無いのだが……や、やはり全員に――」

 

 撤回しようとする提督を制したのは、夕立だった。

 

「皆がちゃんとお話しできるように、っぽい? なら、夕立は賛成っぽい!」

 

「そ、そうか? 頭ごなしにあれをこれをと言われるよりは、マシだろう、と……」

 

「頭ごなしに言うたりせぇへんのは昨日の〝プロポーズ〟でよぉ分かっとるから、気にせえへんのに」

 

「プロポ……?」

 

 これはいけない。私は大袈裟に「んん゛っ」と咳払いをして提督に続きを促す。

 

「っと……そうだ、第二艦隊は特殊な出撃方法となるので、気を付けてくれ。第一出撃に軽巡洋艦五十鈴を旗艦とし、以下、駆逐艦秋雲、朝霜、清霜の四隻。資材を確保して帰投後、旗艦を軽巡洋艦天龍へ移行。以下、駆逐艦暁、電、雷の四隻に再編成し出撃せよ。各艦隊に補佐として妖精を同行させるので、しっかりと活用するように」

 

「了解したわ」

「おう、任せろ!」

 

「うむ、期待している。そして第三艦隊は旗艦を軽巡洋艦球磨、以下、駆逐艦白露、陽炎、不知火とし、指定海域で資材を確保したのち、帰投して鎮守府で本作戦が終了するまで待機とする。第四艦隊は旗艦を伊号潜水艦百六十八号、以下、伊八、伊二十六、伊四十七、伊五十八とする。お前たちは呉に向かう私と長門、大淀の航路と被る形となるが、その途中で資材があることが予測される。恐らくは……海底の資源回収となるだろう。出来る限り迅速に回収し、速やかに鎮守府に帰投してくれ」

 

「伊号潜水艦の本領発揮ね」

「クマ~」

 

 書類を睨みながら話す提督に、全員が返事する。

 海底資源の回収――というのが妙だが、何かお考えがあるに違いない。

 

 朝方に迎えにいったとき、提督は妖精とともに海図の上にいくつもの印をつけていた。そのうちの一つが第四艦隊の向かう先であったことから、特殊な資材である可能性もある。

 特殊な資材と言えば、工作艦明石にしか扱えない『ネジ』というものだ。装備改修用の素材らしく、それを用いれば既存兵装の能力を底上げできると聞いたことがある。この鎮守府に来ている明石がそれを可能としているかは、分からないが。

 

「大淀と長門は、昨夜言った通り、私が呉鎮守府を訪問するのに同行してもらう。では……」

 

 提督は講堂の壁にかけられている時計を見て、数秒のち。

 

「……マルナナヒトロク。現時刻をもって作戦開始とする」

 

 全員が一糸乱れぬ敬礼をし――作戦が開始された。

 

 

 

 遠征部隊は私や長門が思っていた数倍も早く集合し、提督が移動用の船に乗る前には全員が出撃していたのだった。

 近海警備の後方支援として残った龍驤だけが、私たちの見送りをと穏やかな海の上でひらひらと手を振る。

 

 今日は、とても爽やかな快晴だ。

 

「鎮守府はうちらに任しとき」

 

「頼んだぞ。では、行ってく――あ、あぁ、そうだ、龍驤!」

 

 長門も私も艤装は展開しておらず、燃料を無駄にしないようにと提督と同じ船に乗っている。

 船はゆったりとした速度で鎮守府から離れていく。

 提督は離れていく龍驤に向かって声を張り上げた。

 

「お前たちは連絡を取り合えるだろう! 鎮守府で待機している艦娘たちの統率を頼む! バタバタしてて本当にすまん!」

 

「お、おー! 了解や! っくく……なんや、バケモンか思たら、えらい人間臭さ出してくるやんけ……司令官! 帰ったら何が食べたいんや! 間宮と伊良湖に伝えといたる!」

 

「食べたいものぉ!? あ、あー……! お前たちの好きなもので頼む! お前たちが食いたいものを、私にも教えてくれ!」

 

「はいよー! ほななー!」

 

 移動用の漁船に乗ったその日に見つけた自動操舵装置を起動して操舵室から出た私は驚いた。提督の横にいた長門も苦笑しながら、信じられるか? とでも言うように私に振り返る。

 提督に声を掛けられた龍驤が、快晴に負けないくらいの笑みを浮かべていた。

 

 

 それから、特に変わったことも無く呉鎮守府へ向けて航行を続けること数十分。

 倉橋島と呉の境を通る方が目的地に近いのだが、提督の指示によって大きく迂回するルートを進んでいた。

 出発して数分くらいした頃に、操舵室にある小さな海図を見て言う私に、提督は「広島港から回る航路で頼む。少しでも時間が欲しい」と言った。提督の考案した作戦に必要なことであればと了承したのだけれど、何故か提督は護衛にも使えそうな潜水艦隊には倉橋島の方面へ回るように指示しろと言うのだった。

 

「提督、本当によろしいのですか……? この近海で深海棲艦の目撃情報が無いとは言え、護衛艦隊も無しに……」

 

「ここには大淀もいるし、何よりビッグセブンがいるのだ。何を心配することがある」

 

 その言葉に、口を開くことが無かった長門が反応を示した。

 

「そっ、そうか……? いや、そうだな! この長門がいれば深海棲艦など問題無い。全て吹き飛ばしてみせよう」

 

「長門さん、私たちの進行方向は広島港ですから、冗談でも砲撃戦はしないでください」

 

 市街地の近い海で砲撃戦なんて行われたら、深海棲艦の被害どころの騒ぎじゃなくなってしまう。何より一般市民の目や耳に近い場所で戦闘行為は出来る限り避けたいところだ。

 私に咎められた長門は困った顔で「で、ではどのように提督を守ればいいのだ!? 拳か!?」と訳の分からないことを言っていたが、提督の「いるだけで安心という意味だ」という一声で、再び黙り込んでしまうことになるのだった。

 

 

* * *

 

 

 広島港へ向けてゆったり進むなか、私は無線付眼鏡を起動させて異常はないか確認する。

 船が大きく揺れないように注意しながら、通信範囲を広げるために一部艤装を展開すると、提督は興味深そうに私を見る。

 

「――……こちら大淀。各艦隊、状況報告を」

 

《ザザッ……ザッ……こちら第四艦隊イムヤ。問題無しよ。もう少ししたら海峡部が見えてくるってところね》

 

《資源がある様子は無いでち。もう少し先かなぁ》

 

《まだ、何も見えないから……海峡の付近で、探すね》

 

「了解。以降、異常があればすぐにこちらに知らせるようにしてください」

 

《了解でち! あ、大淀さん、提督は? お話し出来る?》

 

「……ゴーヤさん、今は任務中で――」

 

《ちょぉっとだけでちぃ! ゴーヤじゃなくて、イムヤが話したがってるの!》

 

《なっ、ちょ、やめてよゴーヤ! さっき提督と作戦通達でお会いしたから……!》

 

《イムヤ、遠慮してちゃダメでち! 昨日のお話を聞かせたのは大淀さんなんだから、提督とお話ししたがってる娘はたっくさんいるはずなんでち! ね、大淀さん?》

 

「っぐ……い、痛いところを……あ、あの時は……その、長門さんやあきつ丸さんに提督の本当のお姿を知っていただきたく繋げただけで、皆さんに繋げるつもりは……って、だから今は任務中ですから! 帰ってからにしてください!」

 

 提督に聞かれないよう小声でこそこそと言うと、ゴーヤの不満そうな声が無線越しに聞こえた。

 

《ぶー……大淀さんずるいでち。後で明石さんに言いつけるでち》

 

「なんで明石に言うんです!?」

 

《明石さんくらい大暴れ出来る人なら大淀さんも困ると思ったでち》

 

「的確な選択をッ……! も、もう切りますからね、他の艦隊の様子も聞かなきゃいけないんですから……!」

 

《あ、あはは……ごめんね大淀さん。それじゃ、引き続き警戒しながら進むわ》

 

「了解です。……はぁ」

 

 一艦隊から報告を受けるのにこれである。

 

 昨夜、提督と元帥がお話ししているのを長門とあきつ丸だけに共有していたはずが、状況から起きた手違いで全艦娘につなげてしまっていたようなのだ。もちろん、元帥と提督の話を盗聴していたなどと知られてしまえば私どころか艦娘全員の信用にかかわる。

 言葉を交わさずとも〝知っているけれど、話さない〟という現状なのである。

 話さないというよりは、話せないのだけれど。

 

 昨夜の通話があってからか、総員起こしから作戦発令までの艦娘たちの雰囲気は欠陥品として捨てられたという陰鬱なものでは無く、とても柔らかなものだった。気まずくもあったけれど、それは私が悪い。い、いや、長門やあきつ丸も悪い。

 私は最初、盗み聞きするつもりなんて無かったし、初めにやれと言ったのはあきつ丸で、賛同したのは長門だから私はそこまで悪くない。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけしか悪くない。

 

「大淀。各艦隊の様子はどうだ」

 

「ひゃいぃっ!? い、今確認しています!」

 

「おぉっ!? す、すまん、いきなり声をかけてしまって……」

 

 背後から提督に声をかけられた私は、危うく飛び上がって船から落ちてしまうところだった。

 艦娘が船から落ちて溺れるなんて笑えない冗談である。

 

「いえ、すみません……ちょっと驚いただけですから……んんっ。第二、第三艦隊、報告を」

 

 無線付眼鏡に触れて遠くを見つめながら言う。

 

《ザッ……こちら第二艦隊五十鈴。問題無いわ。浪良し、天気良し、敵影も無し。ま、近海なんだから当たり前なんだけどね。このまま航行を続けるわ》

 

「了解しました。第三艦隊は――」

 

《……クマー……ザザッ……あれ――ザザッ……通信悪いクマね……おーザザ……い、聞こえるかクマー?》

 

「球磨さん? 大丈夫ですか?」

 

《ザザァッ……くぬっ、くぬぅっ……あ、あー、あー。聞こえるクマ?》

 

「はい、聞こえますよ。何か問題が?」

 

《あー……すまんクマ。こりゃ整備されてなかった球磨のが悪かっただけクマ。問題は特にないクマ》

 

「……戻ったら一度明石のところで見てもらってくださいね」

 

《了解クマ。昨日のうちに見てもらうべきだったクマ……》

 

「昨日は忙しかったですから……ただ、緊急通信は出来るようにしておいてくださいね」

 

《そりゃもちろんクマ。いざとなったら不知火も白露も陽炎もいるクマ。頼るときは素直に頼る、臨機応変なクマちゃんなんだクマ》

 

「了解しました。では、以降も警戒をよろしくお願いします」

 

 きちんと整備出来ていれば、と私も一瞬考えたものの、提督が艦載機を開発した時点で資材が無いと発覚したため、たとえ整備するにしても遠征部隊全員は難しかっただろう。その時点で艤装に不備があるかどうかと確認しなかったのは提督の落ち度ではなく、私たち艦娘個人個人の問題だ。

 提督に球磨の通信があまり良くないと伝えるのも仕事のうちだが、そのまま伝えれば、提督のことだ、きっとご自分を責めてしまいかねない。

 

 私は言葉を選び、提督に言う。

 

「提督。第二から第四艦隊まで異常無しです。第三艦隊の球磨も一時通信不良が起こっていた様子ですが、現在は復旧しています」

 

「……ふむ。通信不良か……大丈夫そうか?」

 

 眉をひそめる提督に頷く。

 

「問題ありません。こちらでも密に連絡し、再度異常があれば即時撤退の指示も出せますので」

 

「そうか、分かった。……やはり大淀を連れてきて正解だった」

 

 ふぅ、と息をつき笑みを浮かべる提督。

 お役に立てるのならば、この程度とは言わずどのような状況でも御呼びいただければ即座に対応するというのに。部下へも気遣いし、感謝を忘れないとは良くできた上司である。あなたから一言命令いただければ、私はどのようなことでも――

 

「…ど……大淀? 大丈夫か?」

 

 ――っは……あ、危ない……提督の笑みを焼き付けるので頭がいっぱいになっていた……。

 

「も、問題ありません。いま、近海警備の方へも確認を」

 

「うむ」

 

「……こちら大淀。第一艦隊、応答せよ」

 

《……ザッ……ザザッ……っぽい! 繋がってるっぽい! こちら夕立、問題ないっぽい!》

 

「夕立さん、今はどちらを航行中ですか?」

 

《柱島南方、長島西方の沖合っぽい。 このまま東に向かって一周するっぽい!》

 

「了解しました。また報告をお願いします」

 

《はーいっ》

 

「次は……龍驤さん。聞こえますか?」

 

《はいはい。聞こえてんで。いっやぁすごいな彩雲! しかも妖精付きや! 発艦からぴゅぅーっと、すぐに機影が消えてもうた! それに索敵範囲もダンチや、ダンチ! っははは、ウミネコも吃驚して逃げよるわ!》

 

 随分とハイテンションの龍驤は、どうやら早速艦載機に妖精を乗せて飛ばしたようだ。

 共鳴出来れば相当の戦力となるが、口振りからするに共鳴も発艦も問題無く行えたのだろう。

 

「それは良かったです。それで、何かありましたか?」

 

《いんや、特に何も無しやな。でも司令官の言うことや、何があるかわかれへんからしっかり見とるで。第一艦隊の支援も上空索敵も任せとき。何かあったらすぐに言うわ》

 

「了解しました。ではまたのちほど――」

 

 すっと眼鏡から指を離し「全艦隊、異常ありません」と伝えると、提督は「そうか」と安堵したように海を見た。

 と、そこで長門から声がかかる。

 

「……むっ。そういえば上着は替えなかったのか。見慣れてしまって今気づいたぞ」

 

「あ、そうだな……やってしまった……」

 

「これから訪問なのだから、それではいかんぞ提督。呉鎮守府に行く前に、汚れを落とせるような場所でも――」

 

 長門に言われてようやく、私も提督の軍服がまだ血で汚れていることに気づく。

 出会った当初からずっとそのままだったために薄れた違和感とは対照的に、血痕は若干茶色に変色をはじめている。長門の言う通り、少しでも汚れを落としておいた方が良いだろうと賛同する。

 

「応急処置にはなりますが、呉についたら商店を探して洗剤かなにかで落としましょうか」

 

「それが良いだろう。我々の長が汚れたままというのもな」

 

 私と長門の会話に、提督は「仕事のことばかり目が行って、疎かになっていたな……そうだ。ついでに朝飯でも食おうか」と言った。

 

「す、すぐに向かわなくてもよろしいのですか? そんな、食事なんて……」

 

 という私に対して、提督は表情をかたくして、

 

「構わん。もう少し、時間をかけたい」

 

 と至極真面目な声音で言う。

 先程もそうだったが、提督は呉鎮守府に向かう時間をどうにかして遅らせようとしている。

 

 私と同じ疑問を抱いているのか、長門も訝し気に提督を見るのだが――

 

「……提督が言うのなら、従おう」

 

 明らかにおかしな提案を承諾する。

 私が眉間にしわを寄せて首を傾げた時、その疑問はあっさりと解決したのだが。

 

 

 

 

《ザッ……ザザッ――》

 

「っ……?」

 

 通信? それも、遠征艦隊……からじゃない……?

 

《――ザッ……こちら、あきつ丸。聞こえますかな、大淀殿》

 

「あきつ丸さ――ッ……!?」

 

《おっと、どうかお静かに、そのままで。いやはや、流石に総員起こしからの即出撃は目が覚めますなぁ……。大淀殿。少佐殿にお伝えいただきたいのでありますが》

 

「……」

 

 あきつ丸がどうして通信を……? と思いつつも、見られていないのに頷く私。

 

《こちら問題無し。このまま任務を続行す、と。自分の裁量に任せると仰られたので、同行する艦娘は川内殿にしております、とも》

 

 やはり、遅らせているのは何らかの意図があったのか。

 視認できる範囲では海上には私たち以外いないが、それでも念には念を入れて、提督に近寄り、とんとん、と肩を叩き、振り返った提督の耳元へ囁く。漁船のエンジン音や波の音を考えれば、長門にさえ聞こえないはず。

 

「揚陸艦あきつ丸より、軽巡洋艦川内を連れて任務を続行すると通信が。現状に問題無しとのことです」

 

「……ふむ。それは何よりだ」

 

 詳しく話さないのには、理由がある。あきつ丸が川内を連れて任務にあたっている時点で、予測はできてしまうのだが――提督は徹底的な安全主義なのだろう。

 

《いやはや、出てくるわ出てくるわ……目も当てられませんな。それで大淀殿、第四艦隊の現在地を教えられたし》

 

「第四艦隊は現在、海峡部の付近にいるとのことです」

 

《なんと、時間ぴったりとは恐れ入った。もう、海軍など、とは口が裂けても言えないでありますな。それでは、動きがあればまたこちらから。――呉で会いましょう》

 

「あ、待っ……! 切れた……」

 

 

 

 あっという間に通信は切れ、釈然としないまま、私たちは広島港へと差し掛かる。



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二十四話 作戦決行②【艦娘side・あきつ丸】

※ごちゃ混ぜになってしまいかねないので、あきつ丸の地の文での一人称は『私』となっております。


『ほ、ほら、部屋の前についたぞ! ここで合ってるよな? だよな?』

 

『は、い……ひっく……ぐすっ……』

 

『あー……今日はゆっくり寝て、明日もゆっくり過ごしてくれ。泣き疲れただろう』

 

『じっ自分は任務を遂行できる艦娘であります! 何卒、少佐殿のおそばにっ……!』

 

『無理に仕事をさせるつもりは無い。遠征も他の艦娘に頼んであるから、今は休んでく――』

 

『自分は……やはり、少佐殿のお役には立てないので、ありましょうか』

 

『えぇっ……!? そんな事は無い! お前がお前である限り、十分に私の役に立っているとも! ほ、ほら、講堂でも話しただろう。お前たち艦娘は私の心を支えてくれた唯一の存在であると』

 

 私は、少佐が大淀や長門を部屋に送った後の、最後の艦娘だった。

 自らを守るのに必死だった私が数年にわたって学んだ術は〝良い意味で〟ことごとく通じず、大淀の力で少佐の気持ちを知り、最後には心が折れた。

 

 否、正しくは――溶かされた。

 

『元帥殿の連絡先を渡さなかったからでありますか!? な、ならばこれを……っ』

 

 ポケットからメモの切れ端を取り出して渡そうとすると、少佐は手からメモを取って、私のポケットへ押し込んだ。

 

『いい、いいから! あきつ丸……私の配慮が足りなかった。本当にすまない。それはお前の心の支えだったのだろう? 少し考えたら分かることを、私は自分のことで必死になって、お前を傷つけてしまった。私が井之上さんに連絡を取りたくなったらお前を頼ればいいだけの話だ。井之上さんも何かあればあきつ丸を通すと良いと言っていた』

 

『そ、んな……自分は、やはり……お役に立てない、艦娘なので、ありましょうか……』

 

 私は少佐の手を煩わせるだけでなく、ただの我儘を通して少佐を動きづらくさせてしまったのに気づいた。

 元帥閣下の個人的な連絡先は軍事的に言えば最高機密だろう。それを知ろうとする行為は軍事的犯罪と断じられてもおかしくはない。

 

 だが、少佐は私に『お前から心の支えを奪い、傷つけようとしてしまった』と言う。犯罪だからでもなく、命令だからでもなく、私を慮って、私を想って。

 それに気づけたのは、やはり大淀と長門のやり取りがあったが故であるものの、私は浅慮ながら――齢を十と少し過ぎたばかりの身体の内に脈打つ心臓が、ぎゅうっと痛くなるほどに嬉しかった。

 

《陸軍から来た艦娘だと? まるゆのようなモグラでも送ってきたのか、陸の奴らは……。ここにお前の仕事は無い。自分の飯は自分で賄え役立たずめ》

《まっ、まるゆも自分も立派な艦娘であります! 自分は、よいですから……どうか、まるゆだけでもお役に立てていただきたい!》

《っち、無駄金を使わせる気か。しかし、いいだろう。まるゆは多少なりとも資材の運搬に役立ちそうだ。お前は別の鎮守府で別の仕事を探せ》

 

 仲間を守ったつもりになっていたあの頃の私が胸に抱いた安堵と、少佐の手がもたらした安堵は全くの別物で――

 

《お言葉ですが、元帥閣下。砲撃戦の能力も低く、戦闘用航空機の運用さえままならない……どうしてこのような艦が顕現したのかさっぱりです。現在の戦況を見ても、前線に置けど後方に置けど資材を食い潰すだけかと》

 

 どこからも必要とされなかった。

 

《しかしあきつ丸という艦娘は我が日本を守った栄誉ある艦だ。ワシが預かる》

 

 あのお方だけが、然る日の戦争から目覚めた私を傍に置くと言ってくれた。

 そうして、今の日本を教え、戦っている相手を教え、目覚めたのは国や人、自分のために意味があるのだと言ってくれた。だから、それに縋った。

 意味があるのならば、私に、存在する理由があるのならばと。

 

 私が存在する理由など、漠然としていて理解も出来ていないのに、元帥閣下が孫娘に握らせるかのようにして渡した連絡先にそれを見いだしたつもりになっていた。

 

《心配ごとは消えん。もう何十年と生きているワシが悩んでおるのだから、あきつ丸が悩まんはずがない。それでいい……だが、もしもその不安や悩みでどうしようもなくなった時、ワシの下へいつでも来い。人の汚いところばかりで嫌になっているかもしれんが、そんな人ばかりでは無いとも、知ってほしい》

 

 それから、元帥閣下のお力添えで陸軍に戻り、憲兵隊の一員として〝艦娘反対派〟とやらの調査に協力することとなった。

 だが私が見たのは結局、人と人が理由をつけて争っているところだけで、艦娘反対派というのも艦娘という存在の是非を問うように見せかけた権力争いだった。

 呉の山元大佐をはじめとした艦娘反対派は、艦娘の脅威を理由に街を取り込み、市民を従えてあらゆる権利を手にした。今や市長さえも逆らえない存在となっていることも知っているが、ならば降ろせとも言えない。そうすれば、街を、人を守れない。

 私はその現実を知り……絶望を知り、逃げ出した。

 

 元帥閣下は、少佐に似ている。

 艦娘反対派から街を守れないのならばと、過去の戦争で戦った艦娘を守ることを優先し、傷ついた艦娘たちを集めて柱島へと送った。滅びを待つだけとなるも、余生をほんの少しでも穏やかに過ごせるようにと。

 

 少佐は、元帥閣下に似ている。

 私はお前たちに支えられた。運命を変えようと前を向いて戦う姿は、勇気をくれた。お前たちがいたからこそ、自分はどん底にいても頑張れた。そう仰った少佐は戦うことを諦めているようで――諦めてはいない。春に芽吹くのを待つ桜のつぼみが如く、じっと耐え、堪え、咲きほこれる日を待っておられる。この国は、艦娘は、自分たちは、終わってなどいないのだと。

 

 それに、少佐は誰よりも軍人らしく、軍人らしくない。

 

 命の危機にさらされても眉をぴくりとも動かさないであろうと窺わせるどっしりとした構えに、やると決めればいかな年月がかかろうとも完遂するまで絶対にあきらめない不屈の精神。

 かと思えば、女っ気にとことん弱く、女子がぽろりと一粒の涙でも零そうものならば軍人らしい雰囲気はガラリと崩れ去り、清く初々しい仕草で慌てふためく。

 

 ああ、まさに、このお方は私がかの戦争で見た軍人たちの血筋だと確信する。

 

 故に、役に立てない自分がもどかしく、考えを持ってしまった身体が煩わしく、混乱してしまう。

 それを少佐は――

 

『役に立たないなど言うな! お前は自分をなんだと思っている!』

 

 ――思考の螺旋に陥った私の両肩を強く掴んだ少佐は、まっすぐに目を見た。

 

『特種船丙型揚陸艦……現代で言う強襲揚陸艦――お前がいれば一千人の兵を運ぶことが可能だったと記憶している』

 

『少佐、殿……?』

 

『一千人だぞ? 一千人。一個大隊だ! 一騎当千を体現する艦娘とは、素晴らしいじゃないか! 海で戦う事も出来て、上陸作戦においては先駆的な能力を持つお前が役に立たないなど笑止千万だ! プレイヤーならば……あー……私の同僚たちならば、きっと同じことを言う!』

 

 プレイヤーとは、競技者、などという意味だったか……?

 海軍は英語を良く学んでいたとうっすら記憶にあるが、やはり根っからの……と考えている間にも、少佐は私に熱く語った。

 

『カ号観測機はお前の装備だったろう? それを用いて、対潜哨戒や偵察をも行える。万能さを語ればどの艦娘とて有能も有能なのだ。比べて私を見てみろ。茶を入れるのに時間はかかるわ、井之上さんの連絡先を聞き忘れてしまうわ、仕事においても至るところでボロが出る。あきつ丸――お前は凄い艦娘なのだ。なにものにも代えがたい、唯一の存在なのだ。例え幾人ものあきつ丸が並んでいたとしても、私はお前を選ぶだろう。だから、決して自分を侮るな』

 

『……』

 

『お前が過去に所属していた陸軍船舶部隊……その秘匿名を、お前は覚えているか?』

 

 全身が粟立った。

 何故、少佐が知っているのですか?

 何故、私に向かってそれを今、言うのですか?

 

 あなたは――どうして、私を――必要とするのですか――?

 

『暁部隊……あきつ丸。お前は柱島鎮守府に絶対に必要な艦娘だ。大淀だって長門だって必要だ。我が鎮守府に不必要な艦娘など一人とて存在せん。お前も、暁部隊の名の通り、日の目に勝利を刻むためにここにいるのだ』

 

『その、名は…………ぁ、あ……少佐、どのっ……』

 

 私は自室の扉の前に崩れ落ち、抑圧に抑圧を重ねていた感情が爆ぜたのを感じた。

 人生……いや、艦生において初めて、大きな声を上げて泣いてしまったのである。

 

『アイェェッ!? あ、あきつ丸、い、いい今は夜だししし静かに! マテ! ごめん! いや本当にすまなかった! 説教するつもりなどほんっとうに無かったのだ! な、泣くな! あぁぁああマテ! 待て待て待て! あー!』

 

 少佐は軍服の袖で私の目元を何度も優しく拭い、涙を周りに見せないようにか、胸に抱きしめ、背をぽんぽん、と撫でてくれたのだった。

 誰も寮の部屋から出てこなかったのは、きっと……いや、それはいいだろう。野暮というものだ。ありがたく思っておくことにする。

 

 

 私が泣き止んだのは、それから十数分と経った頃だった。

 少佐は私に『仕事が無いのが嫌なのか?』と問うた。もちろん、艦娘として仕事が無いというのは不安になるが、嫌というほどじゃない。

 私が嫌なのは、あなたのお役に立てないことなのですと伝えると、少佐は困った顔で、黙り込んでしまう。

 

 じりじりと火で焙られるような不安の中、少佐は重々しく口を開いた。

 

『ならば、あきつ丸。お前に一つ任務を与える』

 

『……! 何なりと――』

 

『しっ。これは極秘の任務となる。本来ならば私が担うべきだが……お前がそこまで言うのだ。私はお前を信じたい』

 

 口を塞がれて驚いたが、極秘という言葉に表情を硬くした。

 

『明日の呉鎮守府訪問に際して、大淀と長門を連れて私は鎮守府を出る。その間、この鎮守府の指令系統は龍驤を中心に空母や重巡に任せるつもりだ。駆逐艦も多い故に、連携は極めて重要になるだろうからな。あきつ丸には、別動隊として任務を与えたい』

 

 秘匿名である暁部隊の話をした後に、 別動隊としての極秘任務――。

 瞬間的に、私の脳はトップギアとなって思考を巡らせた。

 

『一人で任務をこなすのが困難であると判断するなら、随伴艦を一人つけてもいい。そこはお前に裁量を与えるから、自由に選べ。いいな?』

 

『はっ……! それで、少佐殿、自分は何を……』

 

 具体的な指令を求めようとした私の前で、少佐は苦笑いしながら言った。

 

『明日は呉の提督に失態を責められるかもしれんから、私もいっぱいいっぱいになるだろう。そういう時、別にしっかりと動ける者がいれば安心も出来るというものだ』

 

 私の元々の所属を、少佐が知らないはずは無い。

 陸軍所属の憲兵隊であることを――

 

『あきつ丸のような者なら、私のこともしっかりと〝見てくれる〟だろうしな』

 

 海軍ならば〝海軍特別警察隊〟――通称、特警隊が憲兵隊と同じ役割を持っているはずだが、特警が活発に動いている様子は見受けられない。

 もしもきちんと機能しているのならば、私以外にも傷ついた艦娘がごまんといる状況を見逃すはずがない……――そういう、ことか……ッ!

 

 トップギアで回転していた思考が、限界を超えて加速する。

 少佐の一挙手一投足、全てのお言葉が線を引き、意味を持つ。

 

『……正式な、任務でありましょうか』

 

『えっ? あ、そー……うだな。うむ。書類などでまとめるようなものでは、無いが……』

 

 熱を持った目元を拭い、軍帽を被りなおす私は、ふ、と笑った。

 当たり前じゃないか。発足したと書類に残せば、それは弱みになる。だからこそ何もない状態でいい。

 その上で、鎮守府の頂点である少佐が正式な任務だと口になさったのだから、一切問題は無い。

 

『名称は、どのようになさいましょう』

 

 問えば、少佐はうーん、と唸りながら「名称!? ネーミングセンスが無いのでなぁ……」と言って「艦娘保全委員会……いや委員って、学生じゃあるまいしな……」などと洩らす。

 

 保全――保護し、安全を確保する事。そんな重要な任務に、私を……!

 

『では、僭越ながら自分が名称を考えておきます。後のことは自分に任せていただければ』

 

『……うむ。頼もしい限りだ。頼むぞ、あきつ丸』

 

 少佐は目元を真っ赤にした私を心配そうに見つめていたが、そう言って立ち上がり、足早に寮を去って行った。

 

 

* * *

 

 

 翌朝、マルゴーマルマル。

 鎮守府内のいたるところにあるスピーカーから鳴る起床ラッパの音に跳ね起きる。

 脱ぎ散らかした制服をさっと着て、さして色味の無い部屋をぐるりと見まわし、呟いた。

 

「……今日から本当の意味で、ここが、この場所こそが、帰る地でありますな」

 

 まだ、胸が熱い。

 目元に残る熱も冷めやらぬままに、私は部屋を出て〝随伴艦〟となりうる艦娘のいる部屋へと向かう。

 

 

 私がやってきたのは、軽巡寮――川内型軽巡洋艦の部屋の前である。

 元帥付の艦娘であった故、元陸軍所属とは言え軍の規律維持のために動いていた経歴を持つ私に知らぬ艦はいないと言っていい。

 この部屋の主である軽巡洋艦川内の過去も、知っている。

 

「……おはようございます。あきつ丸であります」

 

 扉を叩けば、中から「開いてる」と短い返答。

 そのまま開いて入室すると、既に制服をまとった川内が一人でベッドに腰かけ、腕を組んだまま顔をこちらに向けていた。

 

「おや、同室の方はいらっしゃらないのでありますか」

 

「先に食堂に行かせたよ。それで、あきつ丸は何をしにきたの?」

 

「少佐殿より任務を受けました。随伴艦を選定する裁量も」

 

「へぇ、それで?」

 

「少佐殿は本日、呉鎮守府へ訪問へ向かわれます。自分はその前に広島へ入港し、呉鎮守府が少佐を責める《失態》を探さねばなりません」

 

「……はい、ダメ。全然ダメ。何? あきつ丸はもしかして、私のことを信用して任務のことを話したの? がっかりだよ」

 

「えっ、あ、の……」

 

 川内は大きなため息を吐き出して腕を解き、私を見て数秒、首を横に振った。

 それから、自らの横を叩いて示し、座るよう顎をしゃくった。

 

「失礼、します」

 

「ごめん、ちょっと嫌な奴だったね」

 

「いえ、自分も突然、ペラペラと……」

 

「ううん。あと私、ちょっと嘘ついた。嬉しかったよ、あきつ丸があっさり話してくれたこと」

 

「と、言いますのは……――」

 

「昨日さ、寮で大泣きしてたでしょ」

 

「う゛っ……それは……!」

 

 顔に熱が集まるのを感じた私は、軍帽のつばを指に引っ掛け、深く下げる。

 

「っへへへ。いーのいーの。本当にたまたま、散歩してたら聞いちゃってさ。それに、大淀からの通信も聞いたし」

 

「大淀殿の通信……って、昨日の少佐殿と元帥閣下の――!」

 

「そ。だから、私もあきつ丸と一緒。信じてみようかなって」

 

「……」

 

 私が川内を知っているように、川内は私を知っている。陸軍だった私が知らないことも、川内ならばより多く知っているかもしれないという考えが濃くなった。

 その時、

 

「知ってるんでしょ。私が前の鎮守府で提督に使われて色んな所から〝抜いてた〟の」

 

 川内が笑いながら言った。

 彼女は――前の鎮守府の提督に、権力争いの道具として使われていた過去を持つ。

 あらゆる鎮守府の情報を握り、その全てが平和のために必要なのだと信じて前提督に提供していたらしい。しかし、現実は違った。

 

 前提督はそれをもとに周囲の軍事関係者に圧力をかけ、自らの地位を築いていったらしいのだ。それもかなりの数が取り込まれてしまい、その鎮守府が欠けてしまえば戦況が傾いてしまう程に大きくなってしまった。

 

 それこそが――艦娘反対派の前身である。

 

 海軍は現在、艦娘反対派と擁護派というものに二分されており、私を方々にたらいまわしにした陸軍の一部さえ反対派である。

 反対派の言い分は要約すると《平和とは自らが勝ち取るものであり、深海棲艦と似た存在である艦娘は人類にとって害悪であり、脅威でしかない》というもの。確かに私たち艦娘は戦艦などの魂が人の身体に宿ったという異形の部類であるかもしれないが、人類を害す気など無く、その逆だ。

 しかし反対派は頑なに艦娘を拒み、されど深海棲艦という存在に対抗しうる唯一の存在であるから捨ておくこともできず、歪みに歪んだ結果が、私利私欲の満たす道具としての使い道。

 

 言葉巧みに操られる艦娘は数多いとも聞く。

 川内は、そのうちの一人だったのだ。

 

「……提督なら、いいのかな」

 

 ぎし、とベッドを軋ませて私の横に身を投げ出す川内。

 

「自分は――」

 

 私は……私なら、どうだろうか。自問する。

 川内の情報を掴む技術を欲して随伴艦にしようと考えたことを口に出してはいなかったが、彼女はそれをすぐに見抜き……否、昨日の時点で何もかも察して、待っていたのかもしれない。私の答えを聞くために。

 

「――少佐殿になら、この身、この魂、捧げましょう」

 

 そういうと、川内は仰向けの状態で私に視線をやり、口角を上げた。

 

「それ、提督に直接言ったら?」

 

「なっ……! 川内殿、それは――!」

 

「っふふふふ、あはは! ごめんごめん、冗談! ふふ……でも、あきつ丸と一緒だよ、私も。でさ、でさ! 提督にご褒美は何をお願いする!?」

 

「せ、川内殿、落ち着いてください、少佐殿に褒美をねだるなど……っ」

 

「えー? いいじゃんべつにぃ……あっ、そうだ。夜戦演習を組んでもらうとかどう? 私さぁ、艦娘らしくドカーン! って夜戦で暴れたこと少なくてさぁ……他の鎮守府にいる私は、そういうの多いらしいけどさぁ」

 

「……っふ、ふふ……で、ありますか。では自分も、カ号観測機の開発でもお願いしてみましょうか」

 

「お、いいじゃーん! いいよねぇ、そういうの。私好きだなぁー!」

 

 艦娘らしい会話、とでも言えば良いのだろうか。

 とても心地よかった。

 

「では、少佐殿に褒美をもらえるように、随伴艦をお願いできますかな。川内殿」

 

「……ん。隠し事をしなかった正直なあきつ丸に免じて、この川内が力を貸してしんぜよう……なんてね」

 

「心強い限りであります。さて、目的は単純でありまして……」

 

「あー、呉鎮守府の摘発でしょ? いや、粗捜し……でも無いか。うーん……? 問題になるものを抜くにしても、物証がいるだろうし……」

 

「おや、川内殿。強気に出た割には遠慮がちでありますなぁ。海軍は妙なところで紳士淑女ぶる」

 

「な、なにをー!?」

 

「潜入に長けた川内殿に、自分がいれば問題無いでありますよ。必要ならば〝全部抜いてしまえばいい〟のであります」

 

「ぅおぉっ……あ、あきつ丸、本気……? それ、襲うようなもんじゃ……」

 

「っくく、なにも傷つけに行くわけではありません。それに、これでも自分

 

 

 

 

 ――強襲揚陸艦、でありますから」



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二十五話 作戦決行③【艦娘side・長門】

 私は戦艦である。

 眼前に迫るありとあらゆる危機を全て薙ぎ払い、平和を担う存在である。

 

『仕事だ。貴様らにはこれから立ち上げられる鎮守府周辺を視察してもらう。報告は適当で構わん』

 

 私は戦艦である。

 数多の戦場を乗り越え、然る日の光を受けても平和を願い海上に立ち続けた存在である。

 

『長門、貴様は佐世保に行け。支援要請が入っている。お前が戻る頃には全部終わっているだろう。全部な』

 

 私は戦艦である。

 そんな私をもとにした、妹がいた。

 

『提督……どういう、ことだ……陸奥は……一緒に出た、神風たちはどうした……』

 

 私は、戦艦である。

 

『――轟沈だ。屋代島の北方にて通信が途絶えた。詳細は確認中だ。深海棲艦にやられたのかもな』

 

『ま、待て、そんな……おかしいだろう! 戦艦と駆逐艦で構成された艦隊が、深海棲艦にやられただと!? ありえるはずがない……ッ!』

 

『何をもってありえんと言っているんだ貴様は。面倒な艦娘だ』

 

『な、んで、提督……銃を……私に向ける……?』

 

『貴様らは簡単には死にはせんだろうが。今更銃を向けられて何を怯える。これは――しつけだ、役立たずめ』

 

『――ッ』

 

 私は、戦艦である。

 

 大切な仲間と妹を救えなかった、戦艦である。

 

 

* * *

 

 

 広島――宇品港。

 

 私たちが到着したのは、昼もそろそろかという頃だった。

 昼食をとろうと言った提督について、私と大淀が「その前に軍服の汚れを落とすのが先だ」と話している最中のこと、

 

「……ままならんな、仕事というのは」

 

 提督が、そんな事を言う。

 

「どうかされたのですか?」

 

 大淀の問いに、軍服の汚れを指で擦ってどうにか薄まらないかと視線を落としていた私を挟んで、提督は今日何度目かの溜息を吐いた。

 

「お前たちだから言うが、やりたくない仕事というのもあるのだ。気落ちもしてしまう」

 

 出会った頃より、挨拶を交わした頃よりも、たったの一日で距離感が変わった提督の様子が嬉しいようで、恥ずかしいような不思議な気持ちになる。出来る限り、顔には出さないように努めた。

 

「長門、もういいぞ。シミを落とすだけなら、クリーニング屋にでも寄ろう。少し無理を言うが、頼めばやってもらえんことも無いかもしれん」

 

「そ、そうか? 提督がそう言うのなら――まぁ……」

 

 いつまでも提督に引っ付いているのも悪いか、と離れて、私たちは歩き出した。

 白の眩しい軍服の男に、艦娘が二人も歩けば、自然と人目を引いてしまう。通行人が私たちを見るも、提督はさして気にしていない様子で堂々と街を歩いていた。

 時間も昼を回ろうという頃なのに、通行人はまばらだったが。

 大淀もその様子に思うところがあったようで、私に、つん、と肘を当てて小声で話しかけてくる。

 

「……提督は気にならないのでしょうか」

 

「さぁな。講堂で百人の艦娘に囲まれて表情を変えなかった男だ。並の胆力じゃあるまいし、この程度で動じるまでもない、といったところじゃないか?」

 

「私は、少し居心地が……」

 

「っふ……私もだ」

 

 提督は訪問に行くというのに鞄の一つも持たず、護身用の銃さえ携えず、まるで街を散策するような気軽さで歩を進めていく。

 そうして、一軒の店に到着した。何の変哲も無いお好み焼き屋だったが、提督はその店の前で立ち止まって看板を見つめ、私たちに振り返って「お好み焼きとかどうだ。広島といえば、なんて俗ではあるが」と言う。

 

「私は、どちらでも」

「うむ。提督の食べたいものでいいぞ」

 

 二人して答えれば、提督は「なら決まりだな」と言ってあっさりと扉を開いた。

 

 

 店は――店主らしき女性以外誰もおらず、昼時とは思えない静けさだった。

 店内に設置された古いテレビからニュースが流れている音と、店主であろう老齢の女性が煙草を吹かしている息遣いだけ。

 

「すみませーん、三人いけますか?」

 

 ワントーン高い提督の声でぎょっとして視線を向けてしまう私。大淀も同じことを思ったようで、私たちの視線がかち合った。

 

「似合わないですね」

「驚いた、本当に」

 

 こそこそと言い合う私たちに、提督は「似合わないとは何だ。失礼な」と笑って、カウンター席に座った。

 

「……注文は」

 

 店主は面倒そうな、というよりは、嫌そうな顔で言った。提督を上から下までまじまじと見て、今度は私と大淀を見て、煙草の煙を吐き出す。

 それもそうか。ここは広島。それも呉鎮守府も近いとあらば提督が嫌というよりは、艦娘である私たちが嫌という方が大きいのかもしれない。あるいは、両方。

 

 そんなことを考えている時、私と大淀は、息が止まった。

 

「あの、伺いたいんですけども。呉鎮守府の場所ってご存じです?」

 

「あ……?」

 

 提督の言葉に心臓が飛び跳ね、提督を挟むようにして座っていた私たちの動きがぴたりと止まる。

 店主の顔を上目に見れば、みるみるうちに真っ赤になって、怒鳴り声をあげた。

 

「鎮守府の場所ぉ……!? 軍人が――あんたらが街をめちゃくちゃにしよるのに、今度はおちょくりにきよったんか――わかっとんね!?」

 

 店主は突如、カウンター裏にあった調味料を提督に向かってぶちまけ、わなわなと唇を震わせながら提督を睨みつける。

 私は、老齢の女性店主を見て、あぁ、この店主の親か、祖父母ともなれば、私たちが艦娘ではなく、艦である頃を知っているんだろうなと考えた。それよりも先に提督に危害を加えたことに動かねばならないというのに、私も大淀もあまりに突然の出来事で身動きが出来なかった。

 

「見てみんさいや……見たじゃろうが、街が、死んでいくのを……」

 

「……お話なら聞けますが」

 

 話なら聞くとはどういうことだ、と提督の横顔を見れば、軍帽を脱ぎ、上着を脱ぎ、ワイシャツ一枚の姿となって調味料――アオサ、だろう――を手で払い、店主を見つめていた。その目は――

 

「提督、お、落ち着いてくださッ――」

 

「大淀、いい。問題無い」

 

「……」

 

 ――怒りと悲しみが入り交じった、形容しがたい色を灯していた。

 

「な、なんね……その目は何なんかね! うちらがどれだけ苦しい思いしょおるか分かっとんか!」

 

 金切り声を上げ続ける店主に対し、提督は「失礼がありましたら、申し訳ございません」と頭を下げた。

 

「そんな安い頭を下げて欲しい訳じゃないんよこっちは! あんたらが深海のなんたら言うのと戦うのに必要じゃあ言うて、うちらから全部、全部持っていきよんじゃろうが! あんたらが……!」

 

 私は、はっとして店内でニュースを垂れ流し続けるテレビを見た。

 普段は情報統制され、戦意維持の為にと見ることが殆どなかった現実がそこにあった。

 

『――戦線維持のために莫大な予算案が組まれ――現在、海軍省、陸軍省の防衛費は――』

 

 思い出す。何故、こんなにも当たり前のことを忘れていたのか。

 戦争での被害をなくすためなら、私が苦しむのは当然のことであると思い込んでいた。

 

 違う。違ったのだ。

 

 私が苦しんでいる時は――国民も、苦しんでいる――。

 

 私は戦艦長門。 平和のために、苦しみを薙ぎ払うためにいたのに。

 

「それは、呉鎮守府が何かを必要としていたというお話でしょうか」

 

 提督は至極冷静に問う。店主のしわが深く刻まれた目尻が水気を帯び、半世紀以上は生き延びたであろう黒い目が揺れる。

 

「そうじゃ……。あんたは、どこの人ね」

 

 提督の声に冷静さを幾分か取り戻した様子の店主は、そう問うた。

 

「昨日付で柱島鎮守府の提督を拝任いたしました、海原鎮、と申します。呉鎮守府とは別の管轄となりますが、艦娘の管理と鎮守府の運営を任されております」

 

 すらりと言い切った提督に、店主は目を見開いて「呉の人じゃ、ないんか……」と力が抜けたように、すとん、と座り込んだ。

 

「えぇ。これから部下と食事をして、呉鎮守府に向かおうかと話していたところなのです。あの、それで……」

 

 提督は申し訳なさそうに、店主に言う。

 

「……注文、いいですかね……豚玉を一つと、あと……ほら、お前たちも頼みなさい」

 

「提督、あ、あの……? 今、店主さんが……」

 

 大淀が戸惑った様子で言う。私は言葉を紡げなかった。

 このタイミングで注文をするなど、胆力どうこう、という問題じゃない。

 軍人に向かって暴言を吐いた挙句、調味料をぶっかけるなど、しょっぴかれてもおかしくないというのに、何故そのように飄々と座り続けていられるのか。

 

「なに、呉の提督に挨拶に行くのに比べれば、こんなこと、どうという事はない」

 

 店主は提督の言葉に「呉の提督に、挨拶って、あんたぁ……何もんね……? また、うちらから何か取っていくつもりなんね……?」と混乱甚だしい様子。

 

「取るとは、注文です、よね……? あの、豚玉を……」

 

「あんたら軍人は、街に来たら好き放題しょおるじゃろうが! 何を今更、そんなっ……!」

 

 大淀は何かに気づいた様子で、しかし口を挟めず、眼鏡にそっとふれて私に通信を飛ばしてきた。

 

《長門さん、これは提督の策かもしれません》

 

《つ、通信って……すま、ない、声に出さずに通信は、慣れていないもので》

 

《問題ありません。長門さんは前線で声を上げることの方が多かったでしょうから》

 

 こういう時、柱島鎮守府の艦娘の経歴をそれとなく知っている大淀の配慮はありがたいの一言に尽きる。と言っても、こういう配慮をする必要が無いというのが一番なのだが、それを今言っても仕方がないか、と視線だけで伝える。

 

《呉鎮守府の近くになれば、公に情報を集めることも難しくなると踏んで、あえて離れた宇品に上陸したのかもしれません。山元大佐が提督の着任初日を狙ってきたのも、恐らくは迅速に取り込まねばならない理由があったから――》

 

《それが、これだと?》

 

《これだけだと……そう、お思いですか?》

 

 提督を挟んで、向こう側から私を見る大淀の瞳が、提督の瞳に宿っている怒りとは対照的に、輝いて見えた。

 

《この大規模遠征作戦の主目的をお忘れでは無いですよね、長門さん》

 

《そ、れは……だが、もう、陸奥は……仲間は……》

 

《……実は私、器用なんです。いくつものことを、いっぺんに出来るくらい》

 

 唐突の告白に眉をひそめて見れば、大淀はまた眼鏡をいじりながら、ちらちらとテレビに視線を投げつつ通信を飛ばし続ける。

 

《先程、あきつ丸さんから任務に問題無しと通信が来ていました》

 

《あきつ丸から……? あいつは何も任務を受けていないはずだろう? 今頃は鎮守府で待機して――》

 

《えぇ、鎮守府で待機していますよ。呉の、ですが》

 

《ま、待て、大淀、ちょっと、混乱してきた。一体いま、何が起こってるというのだ……》

 

 言われて気づくのは、大淀の瞳がせわしなく動き続けているということくらいで、大淀の艤装の一部であるアンテナが、目立たないよう、腰の部分からほんの少しだけ顔を覗かせているのが見える程度。

 

《艤装を完全に展開してしまうのは無理なので、今は、提督のお邪魔にならないように各艦隊との通信を繋げている電波塔になっている状態、と言えば伝わりますか?》

 

《遠征艦隊に、動きが……?》

 

《――今、繋げます。長門さん、どうか提督のお邪魔にならないよう、お静かに》

 

《大淀、待てっ、何をッ――》

 

 刹那、私の目の前にいる提督と店主の会話と、大淀から流れ込む遠征艦隊の通信音声が脳みそを叩き揺らした。

 

「店主さん、私はまだここに来て一日と経っておりませんので、よく知らないのです。軍人としても礼儀がなっておらず、呉の上司に怒られたばかりでして……それに、常識知らずでもあります。なので、出来る限り気を付けてはいるのですが……」

 

「そりゃ、あんたぁ……ほ、ほいでも、謝らんけんね。あんたら軍人がしとることをよぉよぉ考えんさいや。それとも言わんと分からんね?」

 

《こちら第一艦隊、夕立っぽい! 鎮守府近海、横島沖に艦娘の艤装のかけらっぽいのが浮かんでたの、見つけたっぽい!》

《夕立の姉貴、ぽいぽい言ってちゃ大淀さんに伝わんネェって! それ欠片っぽい、じゃなくて欠片なンだよ! あー、大淀さん、潮の流れから言って屋代あたりから流れてきたのかもしれねェ。大きさからして、駆逐や軽巡、じゃァねえな》

 

「申し訳ありません。本当に無知で、情けない限りです。ですが、上役から仕事を受けた者として、対応させていただきたく思っております」

 

「上役……て、あんた……」

 

「海軍省元帥閣下、井之上より柱島と艦娘を任されたのです。ですから、多少は融通も利くかと。どうか、お話を聞かせていただけますか」

 

《こちら第三艦隊クマ! 妖精の羅針盤がおかしいクマ! おんなじ所ぐるぐる回らされてへとへとクマ……通信がおかしかったのも、球磨たちのいる海域がおかしいせいかもしれないクマ! えー、場所、ここ、場所は……クマ~……》

《ここは中島東部方面よ、球磨さん》

《さっすが陽炎、お姉ちゃんレベルたけえクマ! それで、さっきから不知火は何してんだクマ……》

《妖精さんと遊んでおりましたが、不知火に落ち度でも?》

《落ち度しか無ぇクマ……白露も真面目にしろクマァ! 羅針盤ぐるっぐるで球磨たち迷子かもしれんクマ~!》

《いや、中島が見えてるんですから帰れますって……》

 

 整理が、追い付かない。

 

「元帥が……あんた、井之上さんを知っとるんね!? ねぇ!」

 

「は、はぁ、私をここに送ったのは井之上さんですから……。店主さんもご存じだったんですね。ははは、あの方には迷惑かけてばっかりで、頭が上がらないんですよ……あ、今のは内緒で、どうか」

 

《第二艦隊五十鈴、事後報告で悪いんだけど――深海棲艦と接敵したわ。駆逐ロ級後期型、駆逐ハ級が各二隻。輸送ワ級が二隻の計六隻ね。いきなり出てきたから通信する暇も無かったわよ……ったく。報告書にも書くつもりだけど、大分と四国の間で戦闘を行ったわ》

《こちら大淀、通信は開けたままにしていたようですね。きちんと戦闘を聞いておりましたので、問題ありません》

《あ、そ。もっと骨のあるやつかと思って本気出したかったんだけど……》

《五十鈴さんの戦ってるとこ、スケッチしたかったァァァッ……! すっごかったね、ね!? 清霜、戦艦じゃなくても、軽巡もありかもよ!?》

《んーん、清霜は戦艦になる。朝霜も一緒だもんね?》

《一緒にすんじゃねぇよ!? っつか、無理だろ! はぁ……とりあえず疲れたから、一息いれようぜぇ……?》

《っふふ。第二艦隊の皆さん、お疲れ様です。こちらも提督が順調に〝任務〟を遂行しておりますので、引き続き資材の確保をお願いします》

《あのさぁ大淀、資材の確保って……はぁ、まぁいいわ。提督が言うんだから、そういう言い方も必要なんだろうし》

 

「内緒で、て、ほんまに、あんたぁ井之上さんとこの人じゃったんね……そうね……」

 

「てっ、店主さん!? あの、ちょ、あっ、あー! すみません! ほんと失礼をしたのなら謝ります、あー! 何で泣くんですか!? えぁー!? 困る! ちょっと店主さん、あー! 待って!」

 

《こちら後方支援龍驤。だぁぁぁっもう! 五十鈴の、アレ、あれ何なんやホンマにぃっ! 八幡浜の方で煙あがっとる思て急いで彩雲飛ばしたら、あっちゅうまに終わっとるやんけ! 大淀ォッ! なんか報告あったんか!?》

《先程、敵艦隊と交戦したと報告がありました。もう、終わった様子ですが》

《んなこたぁ分かっとねん! っかぁぁ……彩雲持たしてもろたのに、見つけられへんかったなんて提督になんて報告したらええんや……》

《龍驤さん。五十鈴さんの報告によれば、大分と四国の間と言っていました。八幡浜の方面とは、四国よりですよね?》

《あー、そや。そっから五十鈴らは南下するみたいやが、ええんか? 〝荷物〟が増えとるで》

《問題ありません。補給艦の出現が確認できたということは……そういうことでしょうから》

《あ、そぉ……スパルタやなくて、これ……大規模戦闘になりかねんっちゅうか、もう足先突っ込んどるっちゅうか……提督は何してんねや》

《現在、広島の宇品にて情報の収集を行っています。のちに、呉へ》

《うっわぁぁ……あかん、呉の提督がカワイソになってきたわ……こんな詰め方されたら、どうにもでけへんやんけ……。ま、司令官を敵に回したんが間違いやったな》

《それは、まぁ……んんっ、まだこちらも任務中ですので、変わりがあれば、また》

《あいよ。五十鈴らは燃料ギリギリまで行って戻ってくる、っちゅう感じやな》

《はい。逐次、そちらでも連携をお願いします》

《天龍にも声かけとくわ。兵装は……ま、五十鈴が蹴散らして帰るやろし、とりまそのまんまやな》

《念のため、空母や重巡の皆さんも動けるように――》

《アホぬかせ。鳳翔もおるんや、手ぇ叩いた瞬間に出撃可能やっちゅうねん》

《……ふふ、了解しました。では》

 

「……提督も落ち着いてください」

 

「おっ大淀、お前、さっきから黙って見てたじゃないか……! お、お前も、長門もとにかく頭を下げろ! すまん、後で文句は聞くから一緒に謝ってくれ……!」

 

 情報が整理出来たのは、提督が大淀と私の背に手を回して頭を下げさせてからだった。

 老齢の女性と言えど、涙を見てうろたえる提督の声に呆れながら、私は大淀に答え合わせをするように問うた。

 

《……第一から第三艦隊は遠征と言う名目のサルベージ、とは聞いていたが……資源が敵補給艦からとは聞いていないぞ》

 

《敵から物資を奪えなど大っぴらに言うはずがないじゃないですか。提督を見れば分かるはずですが》

 

《それにしてもだ! しかも、夕立が艤装の一部を発見したという事は、間違いなく艦娘の誰かが付近にいるという事で……球磨についている妖精の羅針盤が狂っているというのは、深海棲艦と関係があるように思える》

 

《えぇ、十中八九、そうでしょう》

 

 深海棲艦――我々艦娘の対極にいる敵。

 かの存在は不可解な瘴気をともなって海上に出現する。深海棲艦の出現した海は荒れ狂い、時には天候さえ変える程だ。日の光は薄暗くなり、赤黒く荒れた海上での戦闘は困難を極める。

 それと同時に、様々な機器に異常をもたらす存在でもある。妖精の持つ羅針盤と言う技術さえ狂わせるのだから、人々の持つ電子機器等は一切役に立たないのは明々白々。

 

 私は提督が講堂で遠征作戦を発令した時に会っただけで、執務室に迎えに行っていないので、その間にどのような話があったのかなど一切知らない。

 提督には悪いが、秘密主義なのか完璧主義なのか、事情を伝えずというのは少しだけ嫌な気持ちになる。信用しろ、という風に振舞っておきながら、まるで自分は私たちを信用していないような……。

 

《信用していないのは提督ではないか……と言いたそうな顔ですね、長門さん?》

 

 頭を下げた状態でちらりと見られ、ぐっと喉が詰まった。

 

「呉の軍人……山元、言うたかね……あの男が呉と宇品、五日市の港の街全部から防衛のために、ちゅうて色んなもんを持っていきよるんよ。漁港も、店も、なんもかんも……一度、深海なんたらっちゅうバケモンに襲われて、確かに助けられたんはある。でもそっからはいっぺんも無い。ほいでも、ずっとずっと、持っていかれ続けとる」

 

「深海の……あー、深海棲艦……なる、ほど……これは私も動くべき、いや、しかし……」

 

「あんたも軍人なんじゃろ!? なら、お願いじゃけえ街のために、人のために動いてつかあさいや! もう、持って行かせられるもんは無いけど、そいでも……ッ!」

 

《そうでは無いか! 私は提督を信用している、信じようとしている! なのに作戦を明確に伝えず、今も、一人で任務をこなそうとして――!》

 

「店主さん。ここにいる部下、見たことはありますか。テレビとかでも、なんでも」

 

「よぉ、知らんのじゃけど……艦娘、言うて、深海のなんたらと戦ってくれとる娘ぉらじゃろう? それが、なんね」

 

《これでは、もう私は、何も守れないではないか――ッ!》

 

「――戦艦長門。あの、戦艦陸奥の姉です。隣のこの部下は、軽巡洋艦大淀。かの大戦における連合艦隊の旗艦たちでは、ご不満でしょうか」

 

「……てっ……い、とく……?」

 

「長門に、大淀……! はぁぁ、この、べっぴんさんが、あの大きい艦って言うんね……!」

 

 通信していたのも忘れ、声に出てしまった。

 頭を上げてそちらを見れば、大淀は店主をまっすぐに見つめていて、提督は私の肩を力強く掴み、熱のこもった声で語る。

 

「私は艦娘たちと共に安寧を掴むため、着任致しました。明日、美味い飯を食うためならば、明日、また変わらず日の目を見るためならば、如何なる苦労も厭いません。ですから、どうか海軍に……我々に、見切りをつけないでいただきたい」

 

 再び頭を深く下げた。

 

《長門さん――提督は、軍人です。私たちも、艦娘であると同時に軍人なのです。艦娘を信用していないから話さずに任務を一人で遂行しているのではありません》

 

 大淀は提督とともに頭を下げたまま、私に通信を続ける。

 

《提督は、私たちに全幅の信頼を置いてくださっているから、実働部隊を放ったのですよ。まぁ、作戦の綿密さに対して情報が少なすぎるのは、良くないことですが……。提督の作戦は細かすぎて、説明するのに時間がかかり過ぎます。それを読み解くのにも時間がかかるというのも考えものですけれど、私たちならば読み解き、実行できると口を閉ざして限界まで機密性を高めていることこそが、信頼の現れではないでしょうか》

 

 通信を挟んで問うべきであるというのに、私は無意識に声に出して問うていた。

 

「では、この作戦は、たったの一日で……い、いや、数時間で組まれて、今朝方に発令されたとでもいうつもりか……?」

 

 遠征作戦に見せかけた陸奥のサルベージ。

 

 接敵した事実から読み解けるのは、近海における深海棲艦の出現予測が出来ていたということ。そして、それを市民に気づかれないうちに迅速に処理し、同時に補給艦から物資を調達――作戦発令の時に提督が持っていたのは、海図の他に、方々から集められたであろう記録の束だったはず。

 

 呉鎮守府への訪問と銘打った、軍規違反の調査、摘発。

 

 二つ、いや三つ……? 四つ、だ……陸奥のサルベージに、敵掃討の出撃に、資材確保遠征に、海軍内における規律違反の摘発を、同時に……。

 

 それも、初対面の艦娘百隻余りを完全に把握した、上で……――!?

 

 龍驤の〝呉の提督が可哀そうになる〟というのは、市民に知られていないにもかかわらず、大規模に艦娘を導入されて逃げ道さえ塞がれている現状への言葉だ。

 通常兵装の艦娘ならば、なりふり構わずに逃げられたかもしれない。しかし前日に『新装備を開発している』と圧をかけ、実際に全遠征部隊には妖精という存在がついている。

 

「長門? どうした?」

 

 提督の声が鼓膜を揺らす。

 私は提督の手を払い、逆に両肩を掴んだ。

 

「この作戦を、あなたは数時間で組み、発令したのかと聞いているんだ!」

 

「ひぇっ!? そ、そうだ……! い、いやすまん! すまなかった! もう少しきちんと作戦会議などを開くべきだったな!? し、ししししかし長門、聞け! 落ち着いて聞けよ!? 時間が無かったのだ! 動けない現状を打開するのに時間はかけられんだろう!? ならば、すぐさま実行に移すしか方法は無かったのだ! そ、それはもちろん? 他から〝借りてくる〟ことも考えた、一瞬だけ考えたのは確かだ! でも、でもだ! 新任の私に貸してくれるような鎮守府は無いだろう! ならばお前たちを頼るしかないと思ったまでだ! すみませんッッッッ!」

 

 一気にまくしたてた提督。

 その両肩を強く掴み続けている私を止めるように、店主がカウンターの向こうから枯れ枝のような腕を伸ばして、私の腕を叩く。私にとって、叩くと言うより、撫でるに近いか弱さに感じられた。

 

「お、落ち着きんさい! うちも悪いことしたんは謝るけぇ、部下のあんたが上司を詰めてどうするんね!」

 

 店主に顔を向け、あ、と声を洩らして手を離すも……別に店主が心配しているような意味で肩を掴んだのではないと伝える力も無く、申し訳ない、と呟く。

 やっと二の句をつげたのは、数秒後のことだった。

 

「取り乱して、申し訳ない。少し、込み入った事情があって……しかし、今、解決、した……」

 

 口を挟まなかった大淀が、通信ではなく、今度は声に出して言った。

 

「提督のお気持ち、分かりましたか、長門さん」

 

「……ふ、ふふふっ……そうか、また、早とちりか……しかし、提督よ」

 

「あっはい」

 

 この人になら、素直に言ってもいいかもしれない。

 いいや、素直に言うべきだ。この人は私たちを――死ぬまで面倒見ると、愛していると言ったのだから。

 

「……我々を信頼してくれていること、感謝する。だが、あなたのレベルには到底合わせられない。そこに行くまでには時間がかかるだろう。だから……少しは、手加減を頼む」

 

「えっ? あ……はい……気を付けるようにする……うむ……」

 

 この人もまた、距離をはかるのが苦手なのだろうと思った。

 私たちに対して多大な期待を寄せてくれていたのだろうが、まだ、私にはその力は無い。思考の極致には、届かない。

 

 だが、私にも、他の者にも――艦娘という唯一の意義がある。

 

「代わりと言ってはなんだが……この戦艦長門の力、必ず提督に見せてやる。店主、あなたにもだ」

 

 店主は私をじいっと見つめ――ほうね、と独特な方言の返事をした。薄く笑みを浮かべて。

 提督は――

 

「長門、本当にすまない、あの、私も頑張るから。凄く頑張るから、な? とりあえずは、飯を食って落ち着かないか?」

 

 ――相変わらず女性に弱く、初々しい反応を見せるのだった。



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二十六話 作戦決行④【提督side】

「あ゛ー……終わらん……仕事が終わらん……」

 

 大規模遠征作戦前夜――俺は――

 

『てーとく、こっちにもしるしー。まるかいてー』

『このしょるいはひつようね。あしたもっていきなさい』

『ていとく、おなかへった』

『あれぇ? これ、まえのてーとくさんがかきわすれたやつだ。こっちにはさいんをください』

『しょくりょうもしんせいしましょう』

 

「わかった……わかったから休ませてくれ、少しでいい……」

 

『こんなしごとでへばってるわけ? だらしないったら!』

『これもぜんぶ、みんなのためです。がんばって!』

『ひろしまのみんながおくってくれたじょーほうをかくにんしてください』

 

「ぐぬぅぅ……っ!」

 

 ――妖精という上司(?)にこき使われていた。言い方が悪いか……いやでも事実だしな。

 

『おんなのこを泣かせたんですから、しごとくらいしてください』

 

「アッハイ」

 

 しかも妖精はどこからか俺の失態を見ていたらしく、大淀や長門、あきつ丸を泣かせてしまったことを知っていたのだった。

 そりゃあ、悪いことをしたとは思う。端的に言えば俺は艦娘に対して嘘をつき続けているのだし、井之上さんの人の好さにおされて死ぬまで面倒見るとまで啖呵を切ったわけだから、この業は文字通り、一生背負っていくつもりだ。

 艦娘に嘘をつき続けることに抵抗は無いのかと言われたら、もちろんある。だから、俺は贖罪にもならないが死ぬ気で仕事をして、彼女たちを支えるつもりがある。

 贖罪に食材申請だってしちゃうのだ。いやごめんて。疲れてるんだって。

 

 でも大淀たちにお茶もいれてあげたし、部屋まで送ってあげたし、何なら困ったことがあれば何でも相談しろってちゃんと言ったし。

 

「私だって一生懸命に仕事をしているつもりなのだが……」

 

『あきつ丸さんにしごとをおしつけて――』

 

「あ、あれはあきつ丸が仕事が欲しいというから、鎮守府の規律維持を担う別動隊として仕事を与えたのだ! 別に適当に仕事を振ったわけでは無いぞ!?」

 

『サボり魔……?』

 

 こいつらァッ……! い、いかん、これでは仕事が一切進まんではないか。

 

「ん゛ん゛っ……決裁、決裁な……確かに食材の申請は必要だな……間宮と伊良湖は食を担っているんだから、迷惑はかけられん……」

 

 現在、執務室は妖精で溢れており、その妖精たちが俺を補佐するようにキャビネットや本棚から書類を持ってきたり、引き出しからいつの間にか用意されていた俺の名の判子を持ってきたりと大忙しである。

 目の前にはアニメでしか見たことの無かったような束の書類が積み重ねられ――これ現実でも見てたわ。というか毎日会社で見てたわ。悲しい。

 

『てーとくさん。おちゃをどーぞ』

 

「あ、あぁ……ありがとう。すまないな」

 

 妖精さん……神か……? いや、妖精だね。

 こういう具合に、時折、俺を労わるようにしてお茶を持ってきてくれたり、執務室の空気を入れ替えるように窓を開けて涼しい風を入れてくれたりするものだから、俺も逆らうに逆らえないわけだ。こいつらには社畜を扱う能力がある。悔しい。

 

 しかし、大淀たちには悪いことをしてしまったというか、バレてしまったというか……。不可思議な早業で大淀たちを納得させた海軍元帥、井之上さんの手腕が一番恐ろしいが、それでも艦娘全員にバレていないというだけでありがたい。

 仕事に打ち込み、真面目な姿勢を見せて大淀たちには贖罪としたいものである。

 

『てーとくさん、あしたのえんせいですが』

 

「うん? あぁ、どうした」

 

『みんなのそうびにわたしたちをつけてください』

 

「それは構わんが……」

 

 どうしてだ? と問う前に、妖精は安心したように笑い、わらわらと俺のもとへ集まってくる。

 

「う、ぉ……なんだなんだ!?」

 

『まもるてーとくはさいこーだー!』

『わたしたちのてーとくー!』

『きゃー! うみにでられるー!』

『これで、みんなとたたかえるね!』

『わーっしょい! わーっしょい!』

 

「おぉ、な、なんだ……ふ、ふふ、悪い気はしないな。なに、任せておけ、私がお前たちの提督である限り、不自由はさせ――」

 

『調子に乗ってないで仕事してください』

 

「あっすみません」

 

 おいなんだこの眼鏡をかけた大淀みたいな妖精は……ってむつまるじゃねえか。流暢に喋ってたし怖かったぞ。おい。なんだ。くそ。怖い。本物の大淀は俺に優しいのに……いやそうでもないな。

 

 しっしっ、と大淀妖精に散らされていく妖精たちを横目に、俺は眼前の書類と格闘を再開する。

 一枚一枚丁寧に見るも、近海で深海棲艦が目撃されたが撃退済み、と書かれているものばかりでさして危険は感じられない。その他は、先程も言ったような鎮守府運営に必要な食材申請だったり、事務用品の申請であったりと、艦隊これくしょんがゲームから現実になったらこういう仕事が多いのだろうなと想像できるものばかり。

 その中で一つ気になる書類を見つけた俺は、判子を捺す手を止めてじっと文面を見た。

 

「四国南部、フィリピン海と東シナ海における、深海棲艦の特性調査の結果……?」

 

 書類にはいくつかの写真がクリップで添付されており、見ればまさに艦隊これくしょんで見た深海棲艦の姿が写っていた。現代でモノクロ写真というのが不思議だったが、それよりも――横倒れに浮いているような深海棲艦の傍にぽつぽつと見える船の大きさが、あまりにも小さい事が気になる。

 写真通りの大きさならば、そこに写っているものは少なくとも想像しうる限り鯨のように巨大なものであることになる。

 

 四国南部って、そこまで遠く無いじゃないか……と手元の海図と見比べてみたりしつつ、こいつらも撃退済みなのかな、とまた写真に視線をうつした。

 

 自然と、俺の口から知識が零れ落ちる。

 

「これ、ロ級、だよな……」

 

 他の写真を、と俺の手が動く。

 

「ハ級に、輸送ワ級まで写真があるのか……現実味が無いな、ほんっと……」

 

 全てが、巨大。人間を一口で何十人と呑み込めそうなくらいだ。

 艦隊これくしょんに出てきた時の深海棲艦は、ボスキャラ以外殆ど立ち絵などゲーム内に登場しないものだから、別角度から見られるというだけで変な感じである。

 俺はそっと写真をクリップから外し、引き出しの中にしまい込む。

 

 別に凄いレアっぽいから欲しかったわけでは無い。仮に欲しかったからと言って引き出しにしまったとしても、ここは職場であって、そのデスクにしまっただけなのだから窃盗だとかそんなことにはならないだろう。大丈夫。多分。恐らく。きっと。メイビー。

 

『うぇ……てーとくさん、そんな趣味が……』

 

「違う! ちょっと欲しかっただけだ! レアっぽいだろう!」

 

『もとからちんじゅふのものはてーとくさんのものですから、さっさとしごとをさいかいしてください』

 

「ウィッス」

 

 また怒られた……もう開発でぬいぐるみ作るの許可してやらんからな……。

 

 

 と、こういう具合に仕事を続けさせられること数時間。

 突然、俺の鼓膜がびりびりと揺れる。鎮守府全体にラッパの音が鳴り響いた。

 

「うぉっ!? なんだぁ!? き、起床ラッパか……!?」

 

『そういんおこーし!』

『てーとくさんはおしごとをつづけててください』

 

「あ、え? はい」

 

『みんなをおこしにいくぞー!』

『とつげきぃ!』

 

 部屋に散らばっていた妖精の半分が器用にドアを開き、ぴゅーんと飛んで出て行った。

 ぽかんと見つめていたが、仕事を続けろと言われたので、気にせずに続けることにした。また怒られてはかなわん。

 

『おしごと、ほかにもあるんですけど……』

 

「まだあるのか……」

 

 俺の前に、またもや初めて見る妖精がおずおずと、自分の身体よりも大きな書類を引きずってきた。見た目は、小さくなった重巡洋艦羽黒のようだ。

 

『ごめんなさい、てーとくさんにばかり……』

 

 可愛い。

 

「構わん。提督としての仕事なのだから当然のことだろう。また決裁か?」

 

『おねがいします……』

 

「うむ」

 

 羽黒妖精から受け取った書類に目を通――

 

『みんなのお菓子をしんせい、してほしくて……』

 

「……うむ」

 

 ――なんだか申し訳なさそうなのが可哀そうだったので、判子を捺しておいた。

 ぬいぐるみを欲しがるのも、妖精なりの娯楽なのかもしれない。許してあげよう。

 

 

* * *

 

 こんこん、とノックの音。入れと声を掛ければ、そこにはまだ少し目元を赤くした大淀が制服をきちっと着こなして立っていた。

 

「大淀か。おはよう」

 

「おはようございます提督。って、休んでいないのですか……?」

 

「気にするな。仕事が終わっていないだけだ」

 

 というか終わらないだけだ。

 時計をちらりと見れば、時間は既に六時を過ぎており、遠くから艦娘たちの声がちらほらと聞こえてきていた。

 最後にあきつ丸を送ったのが二十二時かそこらだったと考えて、俺はきっかり八時間労働していたらしい。大淀が俺を迎えに来て鎮守府にやってきた時から考えれば、十五時間はとうに超えている。社畜の俺にはスタンダードな勤務時間だ。むしろ前よりは短めかもしれない。泣ける。

 

「い、いけません提督、作戦発令まで時間はありますから、少しでも――!」

 

「お前たちのために必要なのだ」

 

「提督……」

 

 嫌味に聞こえてしまわなかっただろうかと、俺は書類から顔を上げて大淀を見て笑って見せた。

 自分社畜だったんで! 全然問題ありません! まだ戦えます!

 

 そのまま言ったらドン引きされるので、威厳スイッチの自動翻訳をかけておく。

 

「お前たちの役に立てる時がきたのだと考えると、眠る間も惜しかったのだ」

 

「っ……ぉ、お茶! お茶を入れてきます! 失礼しますっ!」

 

 俺の顔を見た大淀はばっと顔を背けて、小走りで部屋を出て行った。

 おっさんの笑顔はそんなに気持ち悪いですか、そうですか。

 

 クソォッ……もっと優しくしろよぉ……労われよぉッ……!

 

 泣きそうになりながら、俺は執務室の壁掛け時計をちらりと見て、妖精たちが持ってきてバラバラになった書類の整理を始める。もうそろそろまとめておかなければ作戦発令に間に合わなくなってしまう。万が一遅れて「すまん、遅れてしまった」という状況にでもなれば、講堂に集まった艦娘達から一斉射を食らって俺は塵さえ残らないかもしれない。そんな未来は、認めない――!

 

「ふぅ……海図、は、必要だな。あとは……そうだ、遠征名簿か。とりあえず適当に……」

 

 執務室にパソコンが無かったので、夜を徹して出撃用の艦隊編成書類を手書きで作成したのである。ひな形はないものかと妖精にも探してもらったのだが、見つからなかったので自分で作るしかなかったのだ。まぁ、一度作って書式として覚えてしまえば、後はずっと使えるので面倒なのは今日だけだと考えれば安いもの。

 遠征した後に艦娘が書いてくるであろう報告書のひな形も作りたかったが、流石に手が回らなかったので、あとで大淀を頼ろうと思っているのは内緒だ。

 

 大淀がお茶を手に戻ってきた頃には、整理も殆ど終わっていた。

 

「お待たせしました提督。朝食はいかがなさいましょう?」

 

 お茶をデスクに置いての問いに、俺は首を横に振る。

 

「いや、もう少しで発令の時間だ。食事は後で構わん」

 

「……っは。了解しました」

 

 硬いなぁ大淀……やっぱりあれか……俺が仕事出来ない奴だとバレてしまったが故か……。

 井之上さんのフォローもあってか、周りに言いふらすようなことはしないだろうが、大淀の俺への評価は地に落ちていることだろう。

 少しでも仕事で挽回せねばと思うが、今日……呉鎮守府に謝罪と挨拶回りだもんなぁぁぁ……いやだなぁ……。

 

 あーあー! 思い出したらすっげぇ気落ちしてきたー!

 

 呉の提督は情の厚い体育会系らしい感じが見受けられたが、一日経てば気が変わることだってある。下手をしたら怒りが再燃していて、挨拶と同時に昨日のことを責められるかもしれない。というか、責めてくるに違いない。

 俺が出来ることはただ一つ……最大限時間をかけて現実から逃げるこ――じゃなかった。落ち着いて、ゆっくりと、ゆっっくり堂々と呉へ向かい、誠心誠意謝罪することだ。

 よし、大丈夫だ、俺はまだ戦えるぞ。心は大破しているけども。

 

「……もうすぐで時間だな。講堂へ向かう」

 

「っは」

 

 大淀を連れ、執務室を出た俺は、講堂へ向かって遠征作戦を発令すべく足を動かした。

 

 

 ――講堂での遠征作戦発令は、拍子抜けも拍子抜けだった。旗艦だけを集めた理由を問われたりしたが「朝から大勢の艦娘に囲まれたら俺の胃が大破するだろう」という本音を威厳スイッチで適当に翻訳して、さっさと出撃してもらうことに成功したのだ。

 あんなに噛みついてきた龍驤も何も言わず承諾してくれたし、何なら船に乗って出発した俺に向かって帰ったら何が食べたいかまで聞いてきた。井之上さん凄い。一生ついていきますと心の中で土下座でお礼を言いながら、やはり適当に「お前たちの食べたいものでいい」と伝えてしまったのだが。

 昨日は焼き魚定食だったし、それ以外なら何でも良かったのが本音である。嫌いな食べ物とか特にないしな。

 

 大淀のみならず、長門やあきつ丸を泣かせた挙句に、妖精にこきつかわれて、その上で呉鎮守府に謝罪訪問に行かなければならないという問題に問題を重ねた状況に置かれた俺だが、それよりも何よりも、この先が問題だった。

 

 

 出来る限り呉鎮守府に行く時間を遅らせたい一心でゆっくり行けと命令したのが悪かったのか、はたまた大淀や長門の話を適当に聞き流したのが悪かったのか、それとも勤務時間中にもかかわらず前世では出来なかった旅行気分で広島の宇品に降りてお好み焼きを食べようとしたのが悪かったのか……。

 

 

「鎮守府の場所ぉ……!? 軍人が――あんたらが街をわやくそにしよるのに、今度はおちょくりにきよったんか――わかっとんね!?」

 

 呉鎮守府の場所って知らないなあ、と思い出した俺は、目に入ったお好み焼き屋で食事をしながら店主に道を聞こうとしたところ、突然アオサをぶちまけられたのだった。完全に天罰である。本当にすみませんでした。

 

「見てみんさいや……見たじゃろうが、街が、死んでいくのを……」

 

 店主らしいお婆ちゃんが言うには、宇品は死んでいるらしい。いや人居たじゃん、と言い返しそうになるのを堪えつつ、宇品港で降りて大淀たちと歩いてきた道のりを思い出しながら言う。確かに、何となく人通りは少なかったように感じる。地方の衰退とか、そういう話だろうか。

 

「……お話なら聞けますが」

 

 例えアオサをぶちまけられ、広島と言えばお好み焼きだろ! お好み焼きを食べよう! とミーハーな選択をした洗礼であったとしても、こういう無茶苦茶な場面には慣れっ子である。

 昔、仕事が多すぎて期限ぎりぎりに書類を提出したら上司に熱々のコーヒーをぶっかけられた事があるが、それにくらべればアオサ程度、爽やかな香りを感じられるほどだ。もしかしたら店主は俺にアオサをぶちまけて「あんたがお好み焼きになるんだよ!」と言いたかったのかもしれない。

 

 俺は何を言ってるんだ。完全に疲れ切ってるじゃないか。

 

 まずは話を聞かねば、とお婆ちゃんの表情を窺う。

 大淀が心配してくれたが、別に怪我をさせられた訳では無いからと制す。

 

「な、なんね……その目は何なんかね! うちらがどれだけ苦しい思いしよるか分かっとんかね!」

 

 うーん……クレーマー、と断じるには理由が分からん……苦しんでいるとは何を指しているのか。

 しかしここは社畜の俺、まずは頭を下げて「失礼しました」と謝っておく。

 

 社畜の掟は、一に謝り、二に謝り、三に土下座し、四に徹夜である。

 仕事をし続けることは掟でも何でもなく、社畜にとっては呼吸なのだ。

 

 この程度では……この海原、まだ、沈まんぞ……ッ!

 

 俺には大淀と長門という連合艦隊旗艦たちがいる! お好み焼き屋のお婆ちゃんのクレームなど恐れるに足らず!

 

「そんな安い頭を下げて欲しい訳じゃないんよこっちは! あんたらが深海のなんたら言うのと戦うのに必要じゃあ言うて、うちらから全部、全部持っていきよんじゃろうが! あんたらが……!」

 

 安い頭っていうなよ……ふさふさだぞ俺は……。

 しかし、やはり頭を下げることによって場は繋げた。お婆ちゃんの口から二の句を継げればこちらのものである。

 問題点を喋って欲しくば問うのではなく、待つのである。これも社畜の――もういいか。

 

「それは、呉鎮守府が何かを必要としていたというお話でしょうか」

 

 お婆ちゃんの口から紡がれたのは、鎮守府運営に際して呉鎮守府から何らかの要求をされたというものだった。

 確かに海軍は国のため、国民のために戦っているのだから協力体制があって不思議ではない。だがそれは、相手から差し出されたら断る理由が無いということであって、決して要求し奪うことではない。

 ここで俺は、おや、と思い始める。

 

「そうじゃ……。あんたは、どこの人ね」

 

「昨日付で柱島鎮守府の提督を拝任いたしました、海原鎮、と申します。呉鎮守府とは別の管轄となりますが、艦娘の管理と鎮守府の運営を任されております」

 

「呉の人じゃ、ないんか……」

 

「えぇ。これから部下と食事をして、呉鎮守府に向かおうかと話していたところなのです。あの、それで……」

 

 お婆ちゃんの表情はまだ硬い。ならば、少しでも話題を変えて、一度リセットをかけてから聞くべきか――

 

「……注文、いいですかね……豚玉を一つと、あと……ほら、お前たちも頼みなさい」

 

「提督、あ、あの……? 今、店主さんが……」

 

 大淀が戸惑った顔で言う。

 そりゃそうか。アオサぶちまけられて怒鳴られてるのに注文しているのだから、傍から見ればやべぇ奴である。

 だがな大淀……俺は、呉鎮守府に行って怒られたら、きっと食欲が失せる……だから今のうちに少しでも食べておきたいんだよ……。

 こんなことなら朝飯食ってくればよかったよ……。

 

「なに、呉の提督に挨拶に行くのに比べれば、こんなこと、どうという事はない」

 

 いかん本音が思いっきり出た。

 

「呉の提督に、挨拶って、あんたぁ……何もんね……? また、うちらから何か取っていくつもりなんね……?」

 

 お婆ちゃんが目を丸くして俺を見る。取る? そりゃ取らないとダメじゃん。ここご飯屋さんじゃん。

 

「取るとは、注文です、よね……? あの、豚玉を……」

 

「あんたら軍人は、街に来たら好き放題しょおるじゃろうが! 何を今更、そんなっ……!」

 

 あっ、だめだ話題逸らせねえしご飯も出してくれそうにねえ。

 しかしお婆ちゃんの言葉は聞き捨てならなかった。全ての軍人がおかしい、との口振りは何かがあったことを思わせる。それが分からないほど俺も馬鹿では無い。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というところか、呉鎮守府の提督が何かやっているのかもしれない。柱島鎮守府に来た時を思い出せば、有り得ない話でもない気がする。

 俺は軍人では無いので軍の常識も理解も無いが、あるものは寄越せ、勝つために必要なのだ、なんてテンプレートな悪役みたいなことを要求しているのならば、同じ軍に所属している――ひいては、同じ職場の者が起こした問題なのだから、一応、俺にも頭を下げなければならない義務が発生する。

 たとえそれが関係の無いことだったとしても、同じ職場の上司として井之上さんがいるのだ。俺は井之上さんの顔に泥を塗るような真似をしたくはない。

 

 出来る限り丁寧に、誠意を込め、先程のような「とりあえず下げとくか」というものではなく、きちんと背筋を伸ばした後に、頭を下げた。

 

「店主さん、私はまだここに来て一日と経っておりませんので、よく知らないのです。軍人としても礼儀がなっておらず、呉の上司に怒られたばかりでして……それに、常識知らずでもあります。なので、出来る限り気を付けてはいるのですが……」

 

「そりゃ、あんたぁ……ほ、ほいでも、謝らんけんね。あんたら軍人がしとることをよぉよぉ考えんさいや。それとも言わんと分からんね?」

 

「申し訳ありません。本当に無知で、情けない限りです。ですが、上役から仕事を受けた者として、対応させていただきたく思っております」

 

 俺は仮の看板とて鎮守府を背負う社畜……じゃなく、軍人の端くれ。

 きちんと対応策を練らねばいけない。

 

 お……待てよ……? あれ、これ……街から不安の声が上がってます、的にオブラートに包んで話題として持っていけば、叱責を回避できるのでは……?

 

 はぁぁぁ……俺は社畜ではなく、天才だったか……。(社畜)

 

「上役……て、あんた……」

 

「海軍省元帥閣下、井之上より柱島と艦娘を任されたのです。ですから、多少は融通も利くかと。どうか、お話を聞かせていただけますか」

 

 井之上さんごめんな。名前、使わせてもらいます……人類が滅ぶ前に、俺が滅ぶのを回避させてください……。

 海軍を取りまとめている人物から指名を受けて仕事をしていることが伝わるだけでいい。クレーム然り、文句がある者というのは解決してほしいのと同時に、上の者に向けて愚痴を言いたい節があったりするものなのだ。

 

「元帥が……あんた、井之上さんを知っとるんね!? ねぇ!」

 

「は、はぁ、私をここに送ったのは井之上さんですから……。店主さんもご存じだったんですね。ははは、あの方には迷惑かけてばっかりで、頭が上がらないんですよ……あ、今のは内緒で、どうか」

 

 井之上さんパワー凄い。こんなお好み焼き屋のお婆ちゃんですら知ってるとかやはり偉い人だったのか……俺は声しか知らないが。すみません態度を改めます。

 

「内緒で、て、ほんまに、あんたぁ井之上さんとこの人じゃったんね……そうね……」

 

 さぁ、ここからが本番だ。頭も下げた、井之上さんの名前も出して俺を通せば話が伝わることも匂わせた。これでスムーズにことが運べば、呉の提督の叱責回避のための話題が一つや二つ貰える。

 

 と考えている俺にまたもや天罰が下る。

 お婆ちゃんが突然、よよよ、と泣き始めたのである。

 

 艦娘に次いで今度はお婆ちゃんまで泣かせたとあれば、今度こそ俺の未来は無い。いやもう泣いているから未来など無いのかもしれない。

 

「てっ、店主さん!? あの、ちょ、あっ、あー! すみません! ほんと失礼をしたのなら謝ります、あー! 何で泣くんですか!? えぁー!? 困る! ちょっと店主さん、あー! 待って!」

 

 慌てて、手近にあったお手拭きを手に取ってお婆ちゃんに渡そうとする俺。

 

「……提督も落ち着いてください」

 

 ここに来てようやく口を開いたかと思えば俺に呆れた声を上げる大淀。

 お、おっま……お前ぇッ! さっきまで助けてくれなかったじゃねえかよォッ!

 

「おっ大淀、お前、さっきから黙って見てたじゃないか……! お、お前も、長門もとにかく頭を下げろ! すまん、後で文句は聞くから一緒に謝ってくれ……!」

 

 こうなったら一緒に頭を下げさせてやる。いや下げてください。後で何でも言う事聞きますんで助けて下さい。

 なんて一心で大淀の背に手を回して頭を下げさせる。ついでに横でぽかんとしている長門の頭も下げさせる。

 

 連合艦隊旗艦の二人と、社畜の俺の謝罪で何とか許してお婆ちゃん……!

 

 もう俺には後が無いんだよ! 呉鎮守府で怒られている間にも、資材確認を怠った俺の尻ぬぐいの為に四艦隊も艦娘が遠征に出てるんだ、これ以上失態を重ねたら今度こそ龍驤の「お仕事お仕事~!」というツッコミ右ストレートで心臓を抉りだされてしまう。

 

「呉の軍人……山元、言うたかね……あの男が呉と宇品、五日市の港の街全部から防衛のために、ちゅうて色んなもんを持っていきよるんよ。漁港も、店も、なんもかんも……一度、深海なんたらっちゅうバケモンに襲われて、確かに助けられたんはある。でもそっからはいっぺんも無い。ほいでも、ずっとずっと、持っていかれ続けとる」

 

 お婆ちゃんが掠れた声で話し始めたことに顔を上げる。希望が見えたぁ……!

 

 でも、おかしい。呉の鎮守府が何故、街から色々なものを持って行っているんだ……? 物資調達の一環……にしてもおかしい。新規に立ち上げられたわけでもないのだからある程度の備蓄はあるだろうし、深海なんたら……深海棲艦のことだろうが、それに対応できないほど困窮しているとは考えにくい。

 

「深海の……あー、深海棲艦……なる、ほど……これは私も動くべき、いや、しかし……」

 

「あんたも軍人なんじゃろ!? なら、お願いじゃけえ街のために、人のために動いてつかあさいや! もう、持って行かせられるもんは無いけど、そいでも……ッ!」

 

 お、おぉう……なんという食いつき。

 街のために、人のために動いてくれ――そりゃあ、助けてくれと言われて助けないわけがない。助けますとも。でも俺だけじゃ無理です。

 

「店主さん。ここにいる部下、見たことはありますか。テレビとかでも、なんでも」

 

 はいここでご覧いただきますのは私の自慢の部下です。

 昨日泣かせたばかりで一緒にいるだけで若干気まずい二人ですが、仕事を与えて気を紛らわせてあげれば何とかなるかなとご紹介いたします。

 

 最低なのは承知の上で、俺はさらりと二人を巻き込むのだった。

 

「よぉ、知らんのじゃけど……艦娘、言うて、深海のなんたらと戦ってくれとる娘ぉらじゃろう? それが、なんね」

 

「――戦艦長門。あの、戦艦陸奥の姉です。隣のこの部下は、軽巡洋艦大淀。かの大戦における連合艦隊の旗艦たちでは、ご不満でしょうか」

 

「……てっ……い、とく……?」

 

 えっ、という顔をしている長門が視界の端に映る。

 ごめんな長門……俺はお前たちのためならば粉骨砕身で頑張るつもりだ。お前たちを死ぬまで面倒見てやるとも言った。嘘じゃない。

 

 だが俺の面倒も見てくれ。すまん……。

 

「長門に、大淀……! はぁぁ、この、べっぴんさんが、あの大きい艦って言うんね……!」

 

 お婆ちゃんが長門と大淀を交互に見て、はぁぁ、と息を吐く。

 そう言えば、お婆ちゃんが正確に何歳なのかは分からないものの、実物の長門や大淀を見たことがあってもおかしくないな、と考えた。

 それがこんな美人になって世に戻れば、驚くのも当然である。

 

「私は艦娘たちと共に安寧を掴むため、着任致しました。明日、美味い飯を食うためならば、明日、また変わらず日の目を見るためならば、如何なる苦労も厭いません。ですから、どうか海軍に……我々に、見切りをつけないでいただきたい」

 

 これは、本音だ。

 艦娘たちには幸せになって欲しい。美味しい飯も食いたい。明日も変わらず生きていたいし、そのためなら苦労くらいいくらだってする。

 だから、軍人だからと言って見切りはつけて欲しくない。井之上さんのような素晴らしい人もいるのだ。

 目まぐるしく進む時間が、一瞬だけ止まったような錯覚に陥る。

 

 お婆ちゃんは優しい笑みを浮かべ、俺に――

 

「では、この作戦は、たったの一日で……い、いや、数時間で組まれて、今朝方に発令されたとでもいうつもりか……?」

 

「長門? どうした?」

 

 今いい感じで話がまとまりそうだったよな? 長門? おい?

 

「この作戦を、あなたは数時間で組み、発令したのかと聞いているんだ!」

 

 何で今怒るんだよそれをヨォオオオオッ! 空気読めよ超弩級戦艦さんよォォオオッ!

 

 強く両肩を掴まれ、前後に揺すられる俺の中の怒りは瞬時に失せ、その倍以上も大きな恐怖に襲われる。

 そうだ。こいつは戦艦だ。このまま両肩を握りつぶされてもおかしくない! あ、謝れ……すぐに謝れ、俺……!

 

 長門の怒りは遅効性なのかもしれない。

 既に発令された作戦に対して今更怒るという事は、意見の一つや二つあったのかもしれないが……もう遅いんだよなぁぁ……!

 

 しかしながら、このまま前後に揺らされ続けては俺の脳みそが頭の中でとろけて無くなってしまいかねん。

 お婆ちゃんさえ驚いて長門の腕をぺちぺち叩いて止めようとしてくれている。優しい。アオサかけてきたのは許す。

 

「ひぇっ!? そ、そうだ……! い、いやすまん! すまなかった! もう少しきちんと作戦会議などを開くべきだったな!? し、ししししかし長門、聞け! 落ち着いて聞けよ!? 時間が無かったのだ! 動けない現状を打開するのに時間はかけられんだろう!? ならば、すぐさま実行に移すしか方法は無かったのだ! そ、それはもちろん? 他から〝借りてくる〟ことも考えた、一瞬だけ考えたのは確かだ! でも、でもだ! 新任の私に貸してくれるような鎮守府は無いだろう! ならばお前たちを頼るしかないと思ったまでだ! すみませんッッッッ!」

 

 言い訳のオンパレードである。情けない。

 時間が無かったのは大淀が良く分かっているだろう。時間が無かったが故の作戦なのだ。他の鎮守府から資材を借りることも出来ただろうが、新任の俺に資材を融通してくれるようなところがあるはずも無い。最初から甘えさせてくださいなど言ったら、それこそ井之上さんに面目が立たないではないか。

 だから艦娘を頼ったんです……すみません……すみませんッ……!

 

「お、落ち着きんさい! うちも悪いことしたんは謝るけぇ、部下のあんたが上司を詰めてどうするんね!」

 

「っ……取り乱して、申し訳ない。少し、込み入った事情があって……しかし、今、解決、した……」

 

 お婆ちゃんはお好み焼き屋さんを営む前は調教師をしていたのかもしれない。長門が一瞬で黙った。

 あ、いや、失礼過ぎるな……。

 

「提督のお気持ち、分かりましたか、長門さん」

 

 いじめかな?

 

「……ふ、ふふふっ……そうか、また、早とちりか……しかし、提督よ」

 

「あっはい」

 

「……我々を信頼してくれていること、感謝する。だが、あなたのレベルには到底合わせられない。そこに行くまでには時間がかかるだろう。だから……少しは、手加減を頼む」

 

 えぇ……そんな、人前でいきなり、言わなくてもいいじゃないか……。

 そりゃあお前たちは俺が使えない男と知っているかもしれないが、部下が上司を咎めるなんて、それも、人前で、えぇ……。

 

「えっ? あ……はい……気を付けるようにする……うむ……」

 

 呉鎮守府に行く前に叱責されるとか、予想してないよ……。

 

「代わりと言ってはなんだが……この戦艦長門の力、必ず提督に見せてやる。店主、あなたにもだ」

 

 ちょっとまてお婆ちゃんは関係ないだろう!?

 

 俺は慌てて長門を落ち着かせるべく、長門にも頭を下げるのだった。

 

「長門、本当にすまない、あの、私も頑張るから。凄く頑張るから、な? とりあえずは、飯を食って落ち着かないか?」

 

 

 

 

 

 俺の職場は、やはりブラックなのかもしれない。



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二十七話 資材【艦娘side・球磨】

「こぉれ……どうするクマァ……? 異変があれば通信をって大淀は言ってたけど、この状況は異変って言っていいんじゃないクマ……? もっかい通信するクマ……?」

 

 柱島鎮守府所属、大規模遠征作戦第三艦隊旗艦、軽巡洋艦球磨。

 

 彼女は今、駆逐艦三隻を連れて柱島から東部にある中島沖の海域を航行していた。

 提督の指令にあった通り羅針盤を携えた妖精に従い進んでいるものの、先刻から同じ場所をぐるぐると回らされている状態で進む気配は一向に無い。

 波が少し高く感じられる程度で異常も特に無く、快晴の光が眩しい、気持ちの良い日であるくらいだ。

 

 妖精に何故回るのかと問うても返答は無い。彼女たちは妖精と共鳴は出来ても、細やかな意思疎通というものが出来ないからだ。

 

「妖精さん……この羅針盤壊れてねえクマ? 大丈夫クマ?」

 

 と球磨が聞くと、妖精は羅針盤を見て、球磨を見て、ぐっと親指を立てるだけ。

 

「うーん……こりゃ困ったクマ」

 

「くまったくまった」

 

 横から茶々を入れたのは、第三艦隊随伴である白露型駆逐艦一番艦、白露である。

 

「冗談言ってる場合じゃないクマ。燃料だって積んであるものしか無いんだから、帰りの事も気にしなきゃいけないクマ。このまま資材が見つからずに燃料切れなんか起こした日には提督に怒られちゃうかもしれんクマ」

 

「しかしこの場所を指示して妖精を連れさせたのは司令です。不知火たちに落ち度は無いかと」

 

 自らを名で呼ぶ不知火は妖精を肩に乗せて、指先でちょいちょいと弄りながら海上を進む。球磨の持つ羅針盤に従い進むも、ある程度行ったら右へ、またある程度行ったら右へ、右へ。そうして最終的には、先程と同じ場所へ戻ってくるばかり。

 かと思えば、今度は左へ、左へ、また左へ。そうして、振出しに戻る。

 

 これを何度か続けた頃か、球磨は海上でぴたりと止まった。

 

「あぁ……大淀にもっかい通信するクマ……」

 

「球磨さん、ちょっと、羅針盤見て、ほら」

 

「クマ?」

 

 随伴艦陽炎に言われて羅針盤に視線を落とす。すると、ゆらゆらと進行方向を示していた羅針盤の針は凍り付いたかのように動きを止めており――

 

「おっ! これでやっと進め――」

 

 ――刹那、その場でぐるぐると高速回転をし始めた。

 

「クマァ!? こ、こここ壊しちゃったクマ!? やべぇクマ!」

 

 球磨は壊したと勘違いしたどころか、まるで壊してしまった罪を他に擦り付けるかのように陽炎へ羅針盤を押し付け、あわあわとその場から後退する。

 

「ちょっと、球磨さん!?」

 

「くくくくクマは持ってただけクマ! ひぇぇ……」

 

「なに比叡さんみたいな声上げてるんですか! ちょっと!」

 

「球磨は球磨クマ! 比叡じゃないクマ!」

 

「そういう事じゃなくて! って、こんな事してる場合じゃないのに……!」

 

 陽炎が羅針盤を握りしめて逡巡を見せた時、ふと、球磨の顔から色が失せる。

 

「……」

 

「球磨さん? まさか言い訳でも考えてるんじゃ――」

 

「――待てクマ。いきなり敵艦の気配がし始めたクマ」

 

「えっ」

 

 クマクマ言い続けていたというのに、締まらない語尾をそのままに瞬時に雰囲気をまったく別のものへ変えた球磨は「単縦陣、球磨が先頭になるクマ。陽炎、白露、不知火の順で立て直せクマ」と早口で言う。

 

「はっはい!」

 

「了解!」

 

「了解です」

 

 球磨の頭頂部で寝ぐせのように潮風に揺られていた前髪が、ぴんと立つ。

 彼女のそれは電探であり、敵艦を察知するのに優れた性能を発揮するのは、言わずもがな、彼女たち全員が知っていた。

 

「……おかしい、ちょっと待ってろクマ」

 

 球磨の〝おかしい〟という感覚は間違っていなかった。ここは瀬戸内海、いわば完全に日本の領海であり、敵艦の入る隙は無いはずなのである。仮に敵艦が入り込める余地があるとしても、それは九州南部側からの進入か、四国東部側からの進入しか出来ないはずであり、必ず警戒網に引っかかるはずなのだ。

 

 そのまま片耳に手を当て、どうして、どうやって、という胸中に浮かぶ疑問を押し殺しながら通信を始める。

 

《こちら第三艦隊。未確認の艦を察知クマ――規模はおそらく、六……いや、七隻と予測。少なくとも民間船舶じゃなさそうクマ》

 

 じじ、じじ、と数秒のノイズが艦隊全員の頭に響く。それから、全艦隊の通信を制御していた大淀の声が返ってきた。

 

《こちら大淀。第二艦隊の五十鈴さんが六隻編成の敵艦を撃沈しております。残存勢力の可能性がありますので、警戒してください》

 

《了解クマ。これより戦闘警戒に移行する》

 

 ぷつりと通信を切り、球磨は振り返って視線だけで陽炎たちに合図し、陽炎に向かって投げた羅針盤を再度要求するため腕を伸ばした。

 陽炎は羅針盤を球磨に差し出しながら「まだ、回ってますね……」と訝し気に言う。羅針盤に引っ付いている妖精は回り続ける針を見たあと、妖精サイズの双眼鏡を取り出して周囲をぐるりと見まわした。

 

「五十鈴たちも接敵したと言っていたクマ……もしかしたら、球磨たちのとこが大当たりってところかもしれんクマ」

 

 そう言うと、呼応するように腰と背の艤装が動き、十四センチ単装砲と魚雷発射管が稼働し始める。

 ごうん、ごうん、という重低音が辺りに響くのと同じくして、陽炎たちも兵装を稼働させて周囲を警戒した。

 

 相変わらず羅針盤の針は高速で回転し続けており、妖精も険しい顔で羅針盤を覗き込んでいる。

 進むも戻るも出来ない状態で、羅針盤を参考にせよという指令が確かなのか疑いたくなってしまったのであろう不知火がぽつりと言った。

 

「羅針盤に従うなら、動くなという事でしょうが……これでは、不知火たちは良い的ですよ」

 

「ならそこで縮こまって黙ってろクマ」

 

「くっ球磨さん、妹に、そんな――!」

 

 唐突に球磨の口から飛び出した冷たい声に陽炎が声を挟むも、球磨は至極真剣だという顔で顔を横に向け、視線を後ろに投げて続ける。

 

「遠征っていうのは〝建前〟だって、球磨、教えたクマ? 球磨たちは〝資材〟を探してるんだクマ。提督が頑なに遠征だって言い張ってる理由くらい、考えろクマ」

 

「っ……でも……!」

 

 陽炎と不知火は顔を伏せて黙り込み、白露は困ったような表情で全員を見る。

 

「……っち。これなら提督か大淀の口から説明してもらった方が良かったクマ。球磨お姉ちゃんが説明してあげるのは今回だけクマ」

 

 はぁ、と一息吐き出した球磨が人差し指をぴんと立てた時のこと、

 

《こちら龍驤! 球磨ァ、聞こえるかぁ!?》

 

「聞こえてるクマ。どうしたクマ」

 

 きーんとするような声が全員の頭に響いた。龍驤からの通信ということは、何か発見したのかもしれない、と全員に緊張が走る。

 

《上見えるか? 今彩雲があんたらの直上におるはずやけど》

 

「上ぇ? い、や……何も見えんクマ……」

 

《さよか……ほなら五十鈴はハズレで、球磨が当たりっちゅうこっちゃな。っしゃぁ! 今回は先に見つけたったでぇ!》

 

「……ほーん……電探に引っかかってるのに何も見えない理由がやっとわかったクマ」

 

 球磨がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、龍驤との通信を繋げたままに言葉を濁しつつ話す。

 

《お、なんや球磨、やったことあるんかいな?》

 

「ったり前クマ。どんだけ前の所で使いつぶされてきたと思ってるクマ。それなのに報告書も情報も見ないで、適当なことを書くなとか殴られて……ムカついてきたクマァッ!」

 

《っははははは! そらしゃあないわ! 普通のモンが、はぁ、さよですかってのみ込めるかいな、こないな無茶苦茶なもんを》

 

「それでも腹立つクマァ! 龍驤は言ったら分かるクマ!? っていうか知ってるクマ!?」

 

《知ってるもなにも、九七式使って昔に痛い目見たっちゅうねん……ま、今は司令官が開発してくれた彩雲があるしぃ? 見つかる前に見つけたったけどなぁ!》

 

「っはん! ならさっさと方向を教えるクマ。全部蹴散らして――」

 

《ドアホ。あんたらは〝資材〟を確保して一旦帰投や。こら五十鈴がハズレやから天龍たちに引き継ぎやな》

 

「ンナァァァッ! こぉんな消化不良で終わってたまるかクマー!?」

 

《あーあー、文句はウチやのうて司令官か大淀に言うてや》

 

「言えるかクマ! 球磨の電探引っこ抜かれて怒られるクマ!」

 

《はは、かもしれへんな。まぁ、冗談言うてわろてくれるくらいやろけど……頼むで球磨。あんたは長門と会うて、顔、見たんやろ》

 

「……ん。分かってるクマ。それじゃ、また後で――あ、天龍たちは準備出来てるクマ?」

 

《確保報告があり次第、即出撃可能にしてあるで。そっちの離脱と同時に出すつもりやさかい……きっちり逃げや。中島見えるやろ? そのまま北北西にある小さい島の手前や。スピード勝負やで》

 

「了解クマッ」

 

 会話が終わるのと同時に球磨が「第三艦隊、前進クマ!」と声を張り上げると、羅針盤の針がぴたりと止まり、まさに向かう場所である北北西を示した。

 

「ちょ、ちょっと球磨さん! どういう事なんですか! 説明は!?」

 

 ざぁ、と水飛沫を派手に上げて進む中で問いを投げる陽炎。

 

「提督は全部知った上で計画を立ててたんだと思うクマ! 詳しいところは知らんから提督に聞けばいいクマ!」

 

 と返し、頭頂部の電探を手でぐいぐいと弄り続ける。

 

「艦娘反対派に捨てられた球磨たちなら知ってて当然のこと……あいつらは球磨たちの事をなーんとも思ってねぇクマ。深海棲艦の拠点を探すのに建造されたての艦娘を突っ込むのは当たり前。使えなくなったら解体するのも当たり前。そのくせ、戦況報告は自分たちが聞きたいことしか耳にしないときたもんだクマ。そんな中で沈みたくなくて、海上を漂流し続ける艦娘を、艦娘反対派が何て呼んでるか知ってるクマ?」

 

「し、……――」

 

 陽炎と白露の声が同時に響くも、途中で顔が曇り、ぐっ、と声を詰まらせる。

 不知火は意味が分かって、沈痛な面持ちで口を噤んだ。

 球磨は、まだ言葉を続ける。

 

「そう、そうクマ! あいつらは生きたい、沈みたくないだけの艦娘を〝資材〟と呼ぶんだクマ! 適当な艦娘を仕向けて、仲間同士で攻撃させて、文字通り微量の資材に変えて深海棲艦を撃破したことにして持ち帰るんだクマ! まだ言わないとわかんねえクマ!? えぇ!?」

 

 球磨は説明してやると言っていたが、そこには冷めることのない怒りがあった。

 陽炎も白露も不知火も、怒りに震えているようにみえて、その実、過去を思い出して足がすくんでしまいそうになっている。それでも前に進めているのは、内に秘められた沈みたくないという心というより――

 

「提督は――呉鎮守府が艦娘を資材にしようと計画してたところに転がり込んだに違いないクマ! 元帥閣下と話してたのも、きっとこのこと……それでも提督は、クマたちのために戦うって言ったんだクマ!」

 

 ――海原鎮という提督の、六年にも及ぶ歳月をかけて練り上げられた計画の中核たる心。

 

 昨夜、大淀の通信で聞かされた提督の想い。

 

 陽炎が言う前に、不知火が顔を上げる前に、白露が口を開く前に、球磨はこれから何が起こるか分からないというのに、怒りの込められた声を塗りつぶすような、希望に輝く瞳で前を見据えて叫んだ。

 

「球磨たちは平和のために戦ってんだクマ! 提督も、そのために戦ってんだクマ! 邪魔するなんて許さんクマ! これでもまだ帰りたいと思うか、駆逐艦!」

 

「~~~っ……陽炎型駆逐艦一番艦、陽炎、進みます!」

「同じく二番艦、不知火……進みます……!」

「白露型駆逐艦一番艦、白露、あたしが一番に進むんだから!」

 

 第三艦隊は、全速力で航行を始める――。

 

 

* * *

 

 

 球磨たちが進む先。先ほどまでは何も変わらぬ景色が続く快晴だったというのに、北北西へ進むにつれて波はどんどんと高く、荒れ始める。雲も見えないというのに光は薄暗くなり、辺りには赤黒い霧。

 中島は見えるというのに、穏やかな波など消え失せ、視界のずっと向こうにある島が蜃気楼のように揺れる。

 

「ひっさびさの〝結界〟クマ……っちぃ、視界が……!」

 

「球磨さん! 結界って!?」

 

 白露が辺りのおどろおどろしい空気に惑いながら聞くと「いいから周りをしっかり見とけクマ!」と怒鳴りつつも答える。

 

「お前らは初体験なんだクマ? 深海棲艦特有の妙な能力……奴らがどこからでも湧いて出てくる理由がこれクマ。大規模戦闘に参加した艦娘なら大体が味わってるけど、戦闘中の錯乱による幻視とか言って取り合ってもらえんクマ!」

 

「じゃあ、それって報告も多いはずじゃ――」

 

「それを握りつぶしてんのが反対派クマ。幻視で指揮官がいなけりゃまともに戦闘も出来ないって言って完全管理体制を敷く……あとは独裁クマ」

 

 深海棲艦の生み出す結界は確かに幻視と言われて仕方がない非現実な光景を生み出す。見えていたはずの仲間を見失ってしまったり、敵艦の威圧が何倍にも膨れ上がったように感じたり、海の底から自分の名を呼ぶような声が聞こえたりもする。

 それによって戦意が低下する可能性は、確かに否めない。恐怖に塗りつぶされて動けなくなってしまった艦娘を、球磨は多く見てきた。

 

 報告を上げて対策を練ってもらいたくとも取り合ってもらえない光景も、然り。

 

「酷い……っ」

 

「現実なんてこんなもんクマ。悪く言うつもりは無いけど提督もそう思ってておかしくないくらいには、艦娘が戦闘中に見る幻視として通説になっちまってるクマ」

 

 球磨の声に、不知火が「報告はすべきじゃ、無いんでしょうか」と疑問を呈す。

 暫く考え込んだ球磨だったが、ぽつりと「やめとくほうが、無難クマ」と洩らした。

 

 もしも結界という怪奇現象を信じてもらえず、通説となっている幻視を見ていると判断されてしまったら、出撃そのものが取りやめとなって帰投を命じられるかもしれない。そうすれば、提督の計画も水の泡となり、自分たちが出撃した理由も無意味となる。それだけは避けなければならなかった。

 少なくとも、戦艦長門が妹を失ったと言って見せた悲痛な表情を目の当たりにした球磨にとっては。

 

 そして――

 

「っ! 左舷に敵艦だクマ!」

 

 ――接敵。

 球磨の声に陽炎たちが砲を構えたが、制止される。

 

「威嚇でも砲撃は避けるんだクマ! ここで無駄に弾薬を使ったら資材を守れんクマ! 進めっ、進むクマァァッ!」

 

「っ……了解! 不知火、白露、遅れないで!」

 

「「了解!」」

 

 敵深海棲艦は球磨たちにすぐさま気づき、砲撃を始めた。恐ろしい爆音が響き渡り、近くにいくつもの砲弾が落ち、水飛沫を上げる。

 

 砲弾は多いものの、明らかに戦闘した後に見えた。

 

 遠目から見て、駆逐艦が五隻に、軽巡が一隻の六隻編成。

 

 戦闘に慣れているとは言え、当たればタダでは済まない凶弾が付近に絶え間なく落ち続けるのは恐怖を煽るもの。陽炎たちの足が震え、体勢が崩れかけるたびに球磨の怒号が飛んだ。

 

「陣形を崩すなクマ! 周囲捜索! 早く!」

 

 視界に入るのは赤黒い瘴気、暗い光、高い波に、海、海、海。視界の端から飛び込んでくる砲弾、影、ちらつく敵深海棲艦。

 

「っく、ぅぅうう……!」

 

 陽炎は唇を血が出る程に噛み、血眼になって辺りに何かないか探し続ける。

 その刹那、白露から声が上がった。

 

「あ、っ……あれ! あれぇ! みんな、艦娘! あれぇっ!」

 

「流石白露、一番に見つけたクマ!」

 

 進行方向より少し西側辺りに黒煙が見えた。そこに、大きな影が一つ。

 しかしその影はゆっくりとゆっくりと小さくなっており、まるで海にのまれていくかのように見えた。

 

「あ、れは不味いクマァッ……! 全員急げクマ!」

 

 第三艦隊が砲弾の雨を潜り抜けて到達した時、明らかに人の身体をした影は、もうその殆どを海にのみ込まれており、海面から見えるのは突き出た片腕のみ。

 傷だらけで、しかし明らかな人の手。艦娘の手であった。

 

「間に合わな――ッ」

 

 陣形を崩してしまいつつも全員が手を伸ばす――球磨の手がすり抜ける――陽炎の手が届かず、白露の手は行き過ぎて掠め――

 

「ックソ! クマァァァッ!」

「と、どけぇぇぇッ!」

「いっけぇぇえ!」

 

「――ダメッ……!」

 

 不知火の手が、指先を掠めるも、無情な、とぽん、という音を残して手が消える。

 

「あっ……あぁぁ……!」

 

 全員が絶望した。見つけたのに。急いだのに。手が触れたのに。

 いくつもの感情が赤黒い瘴気に染められ、胸中に生まれそうになった時だった。

 

 

『――――!』

 

 

 不知火の肩から飛び出した妖精が身体を光らせ、海に飛び込んだ。

 何が起こったのか脳が処理しきる前に、海面がまばゆく光り出し――

 

「――……~~っげほ! ガハッ……ぅ、う……ゲホッゲホッ! な、にが……」

 

 一人の艦娘が、海面へ急速浮上した。

 

「不知火、今の……なん、……」

 

 浮上した艦娘を球磨が抱き寄せる。そして、損傷の度合いを確認している間に、陽炎と白露が目を見開いて不知火を見た。

 

「んな事ぁ後クマ! 艦隊反転、撤退開始しろクマ!」

 

 球磨は抱き寄せた艦娘に「頑張るクマ! 立って、ここから離脱クマ!」と絶え間なく声を掛け続けながら撤退を開始する。それについて陽炎たちも敵艦から目を離さずに戦速を上げ始めた。

 

「いっ、今の! 妖精さんは、なにを!?」

 

 海面から浮上した艦娘にくっついていた妖精は、しばらくするとぐったりとした様子で不知火の肩に飛んでくると、ぺしょりとうつ伏せに寄りかかる恰好となった。全身が光ってなどおらず、ただの妖精に戻っている。

 海上を進む揺れに落とされないようにと不知火は妖精をつまみ上げて制服のポケットにそっと入れ「今は、ここに!」と言う。

 

「ひゃぁー! 提督の言う通りになったクマ! さぁさぁ、後はあいつらが球磨たちを追ってくるのをつかず離れず、クマ!」

 

 球磨は全速力で海域を離脱しつつ、前髪をぴんと立て――

 

「球磨たちはしっかり仕事したクマ! あとは提督たちが仕事するだけクマ!」

 

《こちら第三艦隊球磨だクマ! 目標確保! 繰り返す、目標の資材を確保! ほれ、喋れるクマ? 伝えるクマ! 今!》

 

「なん、で、通信、が聞こえ、て……私、沈んだんじゃ……ない……?」

 

《沈んでないクマ! 生きてるクマ! お前の姉ちゃんもいるクマ!》

 

 呼びかける声が通信から聞こえた時、その艦娘の暗い目に光が宿った。

 

《――こちら戦艦長門だ! 聞こえるか! もう、大丈夫だ! よく、生きてたな……良かった……!》

 

「なが、と……?」

 

 球磨にもたれかかる艦娘の艤装が、ぎし、ぎい、と音を立てる。

 

 後方から敵艦が迫り、球磨たち第三艦隊を撃沈せんと絶え間ない砲撃を繰り出し、硝煙のつんとした匂いで潮の香りをかき消した。

 

《資材の損傷は相当クマ! 提督がくれた〝応急修理要員〟を使用して何とか航行を続行中――離脱もギリギリかもしれんクマ……砲撃許可を!》

 

《ザッ……ザ……こちら大淀、砲撃を許可します。何としても柱島鎮守府へ離脱してください。援護艦隊にもう一隻編成するよう、提督からも許可がおりました》

 

 砲撃許可がおりたと球磨が怒鳴ると、陽炎たちは器用に身体を反転させて敵艦隊に向かって轟轟と音を立て、砲弾を放った。

 撃沈させるための砲撃というより、牽制のための砲撃。当たる当たらないは関係無く、敵艦隊の進行を少しでも止めることが目的のものだった。

 

「中々やるじゃないかクマ!」

 

 陽炎たちの砲撃は敵艦に当たってはいないが、それは確実に狙って行われた砲撃なのが球磨にも分かった。陽炎、不知火の連携もさることながら、白露の砲撃も寸分の狂い無く敵の目の前に砲弾が落とされており、敵深海棲艦も戦速をあげることをためらっている。

 

「一応、戦闘経験は豊富なつもりなんで――!」

 

「諸先輩方の指導のお陰です」

 

 陽炎と不知火が交互に砲撃を続け、片方が装填すれば片方が砲撃を、と断続的な轟音を立てる。

 白露は陽炎たちの砲撃にリズムをつけるよう、間隔を保って正確に砲を放ちつつ、隙を生まんと六十一センチの魚雷をも放って見せた。

 

 深海棲艦の群れは馬鹿では無い。白露の放った魚雷の進路から離れるよう進路を変える――そこにまた、陽炎たちの砲撃がくわえられる。

 

 右へ、左へ、翻弄されているのを自覚した深海棲艦たちは怨嗟の咆哮を上げた。

 

「オォオォォオオォ……ッ! アァァアァアァアァアァァァ……」

 

「っくぁ……なんって声……!」

「不快ですっ……」

「耳いたーい!」

 

「耐えろクマ! くそっ……戦えれば楽出来るのに、制限されるってのはきついクマ……! すまん、もう少しだけ我慢してくれクマ!」

 

 球磨は必死に、肩に寄りかかる艦娘――長門型戦艦二番艦、陸奥に語り掛ける。

 

 まだ、柱島鎮守府は見えない。上を見れば、龍驤の飛ばしている彩雲が道案内をするように飛行しているのが見えた。

 

 深海棲艦たちが生み出す結界内では様々なものが歪んで見える。しかし、球磨たちの直上を飛行する彩雲の機影ははっきりと見えた。その意味が分かった瞬間――結界を抜け始めているのに気づく。

 

「もう少しで波も落ち着く――気張れクマァァッ!」

 

「「「はいッ!」」」

 

 球磨は軽巡洋艦である。肩には陸奥。超弩級戦艦の重みが、びきりとした嫌な痛みを生む。

 無茶な航行であることは球磨でなくとも、陽炎たちも、向こう側で声を吐き出し続ける深海棲艦も理解していた。故に、追う事をやめない。距離が縮まなくとも、さして遠くないうちに足を止めてしまうだろうと狡猾な考えで追跡してくる。

 

 また、球磨の肩に痛みが走る。

 

「ぐぁっ……!」

 

 横から、耳を打つか細く弱い声。

 

「わ、たしのこと、は……おいて、行っていい、から……逃げ……」

 

「ざっけんじゃねえクマッ!」

 

「っ……」

 

 必死の形相で航行を続けながら、砲撃を続ける陽炎たちの轟音にも負けない声で球磨は陸奥に向かって言う。

 

「お前の姉ちゃんが待ってんだクマ! そのために球磨たちもここまで来たんだクマ! 戦艦のお前が、駆逐艦の前でなっさけねえ事言ってんじゃねえクマッ!」

 

 陸奥は、痛む身体をおして首をひねり、後方で敵艦を食い止め続ける陽炎たちを見た。超弩級戦艦の彼女にとって陽炎たちの背はあまりに小さく、脆そうで、今にも自らが立てる波にのまれてしまいそうなくらい頼りなく見えた。

 

 それなのに――どこまでも、気高く見えた。

 

「ごめ、なさっ……がん、ばるから……わたし、も……っ」

 

 陸奥は両足に力を込め、浮力を安定させようと身体をよじる。

 

「それでいいクマ! それに――世界水準を超えた仲間が来たみたいクマ――!」

 

 どれだけ航行を続けたのか分からなかった陸奥の朦朧とした意識と視界。その前方からこちらに向かってくる影を見た。

 声が、鼓膜を強く揺らす。

 

「五十鈴が帰投する前に旗艦移行なんて、ラッキーだなぁ、オイ!」

 

「ほっ、ほんとうに見つけちゃったのです……!?」

 

「さっすが私たちの司令官ね! 雷たちも頑張らなきゃ!」

 

「レディーの強さ、見せちゃうんだから!」

 

「……不死鳥の名は伊達じゃないってところも、見せないとね」

 

 陸奥はぼんやりとした頭の中で、いつから、ああいった頼もしい声を聞かなくなったのだったか、なんて考えた。

 戦地へ、死地へ向かうというのに、どこまでも強く生きようとする気迫が、身体の内に力を生み出す。

 

「よぉ球磨! こっからはオレたちに任せな!」

 

「頼んだクマッ! 入渠ドックはどうなってるクマ!?」

 

「鎮守府前に明石が待機済みだ、ほら、急げ!」

 

「戦場にいる時だけは頼りになるクマ……ッ!」

 

「おぉい!? オレはいつでも頼りになるだろ!」

 

 軽い掛け合いをし、影とすれ違う。

 球磨たちが通り過ぎた後、後方から聞こえるのは敵艦の声と助太刀に現れた旗艦の声が――

 

 

 

 

「――うっしゃぁ! 天龍、水雷戦隊、出撃するぜ!」



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二十八話 資材②【艦娘side・天龍】

 天龍型軽巡洋艦一番艦、天龍。

 彼女は自らを「世界水準を超えた艦娘」と言う。

 

 しかし実態は旧型も旧型であり、速力は陽炎型駆逐艦にさえ劣る。燃料、弾薬消費ともに少ないとも言い切れず、使いどころに困る艦娘として疎まれてきた。

 さらに理由が一つ、それは彼女の戦闘方法であった。

 

「複縦陣だ! 暁、しっかりまとめろ!」

 

「わかったわ!」

 

 資材を確保した第三艦隊の球磨たちと入れ替わりに交戦となった、新編成の増援艦隊たる天龍は、あろうことか先頭を切って海を駆け抜け、暁に残り三隻の味方を押し付けるかのように言う。

 暁は何故、などと問うことなくそれを引き受け、暁、電を先頭にして、その後ろに雷、響の順で隊列を組み天龍の背を追う。

 

「砲撃戦、始めっ」

 

「はいなのですっ」

 

 暁の掛け声を皮切りに、どん、どん、と砲撃音が鳴る。駆逐艦の装備した十二.七センチ連装砲は敵艦隊に対してあまりに弱弱しく、牽制になりうるか否かという程度の豆鉄砲に等しい攻撃だった。

 これが過去、艦だった頃ならば相当の痛手を負わせることは可能だったかもしれないが、今や当たれど軽微の損傷しか与えられず、敵艦は突っ込んでくる天龍の無茶も相まって〝破れかぶれの戦法なのだ〟と誤認させるに至る。

 

「ッラァァ!」

 

 先陣を切って突っ込んだ天龍の兵装に砲は無かった。

 薄い装甲をぺしゃんこにしてしまえと敵艦が飽和的に放つ砲弾に真正面から突っ込んで行く様は、狂気という他無い。

 

 これぞ、天龍が疎まれる最大の理由であった。

 

 無茶をせずに勝てようが、彼女にそんなものは関係無く、眼帯をしていない片方の目で捉えた敵を必ず〝切り捨てる〟という戦法。否、戦法と呼ぶことも烏滸がましい。しかし彼女にとっては立派な戦闘法の一つであり――

 

「しっかり狙えよ――なぁ!」

 

 ――誰にも真似できない、唯一のものであるのだった。

 天龍は砲撃を紙一重で回避しながら、距離をどんどん詰めていく。

 

 

 球磨たちとすれ違ってものの数分。

 まだ背後に姿が視認できるほどの距離であった故に、敵艦隊の選択は間違っていなかった。軽巡洋艦を先頭にして、単横陣となって一斉砲撃を加えるその行為。

 幅を広くとり砲弾を放つことは、単純に射線を増やすことであり、回避の余地を潰すことだ。

 こうなってしまえばいくら歴戦の艦娘とて手を焼く。

 夾叉の余波を回避して機動力を落とさないことを念頭に置くならば、大袈裟に動いて次の砲撃に対し調整を求めるような位置を取ればいい。それよりも先手を取るならば夾叉から次弾の発射までの間に相手の位置からこちらの弾道を計算し砲撃すればいい。

 深海棲艦が馬鹿では無いと言われるのはこのためだ。奴らは〝選択を作る〟ことが出来る。言うなれば、その選択によって相手の行動を制限させるほどの知能を持つ。

 

 並いる艦娘ならばこの選択を与えられたとき、制限されてしまったと考えず、どちらかを取って戦闘を続けるだろう。圧勝、辛勝、どちらにせよ艦娘には深海棲艦を上回るだけの性能があるのだから、力で押し、技術で対応すれば問題無いと言っていい。

 

 しかし、天龍は違う。背後で全速航行を続け離れ行く球磨も、随伴艦である暁たちも知っていた。

 

 天龍には能力が無い。

 駆逐艦に劣る速力。数ある軽巡の中でも旧型とされ、同じ旧型と言われている軽空母鳳翔のような戦闘を教え授ける能力も無い。燃費も軽巡洋艦として標準も標準で、弾薬消費も特筆して少ないというわけでもない。誤差レベルの使いやすさ、程度である。

 

 だが、柱島鎮守府に着任した彼女には圧倒的な戦闘センスがあった。

 

 苛烈極まる戦場を駆け抜ける精神力。何が危険で、何が安全であるかを瞬時に見極める判断力。艦娘となって最初に覚えることは何か、と惑う艦娘が多い中で彼女は自らの身体の動かし方を一番に覚えた。上から下から、首がどこまで動くのか、腕がどこまで曲がるのか、足はどこまで衝撃に耐えるのか。

 彼女が砲撃に拘らず戦う所以でもあった。いつの頃か、柱島に着任したのとは同型なれど違う存在である工作艦と、ある兵装実験軽巡に作成してもらった〝刀〟という艦娘にあるまじき近接戦闘兵装は、そんな彼女にぴったりであると、長年の戦友である球磨は言う。

 

「彼女、大丈夫なの……!?」

 

 ずるずると海上を行く陸奥が心配そうに問えば、球磨は痛みに歪んだ顔で笑って言った。

 

「問題無いクマ。あいつも、今の陸奥みたいに結界の中を生き残った奴クマ。それに、アレの怖さは――破損してから、クマ」

 

「それ、って……!」

 

 刹那、海上に一際すさまじい轟音と黒煙が上がった。

 陸奥が再度首をひねって背後を見れば、そこには――変わらず敵の砲弾を牽制し続ける暁たち第六駆逐隊の姿と、轟音から巻き上がる黒煙にのみ込まれていく天龍の姿。

 

 やっぱり、と唇を噛む陸奥の目に映った次の姿は――黒煙を突き抜けて飛び出した〝戦神〟が如き艦娘。

 

「硝煙の匂いが最高だなァ……――オイッ!」

 

 球磨は姿も見ず、空を切り裂くような声を聞いてくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

「普段は馬鹿だけど、戦場のあいつはなめちゃいかんクマ。砲弾の雨が降ろうが、機銃掃射されようが、仮に片目が潰れようが……周りに誰もいなくなったとしても、あいつだけは絶対に戦い続けるクマ」

 

 ――天龍型軽巡洋艦一番艦が欠陥品たる理由の最たるところは、決して消えない闘争心である。

 球磨たちが離れ、天龍たち増援艦隊の姿が霞む頃には、陸奥の表情は信頼へと傾いているのだった。

 

「天龍さん、右舷に駆逐一隻回り込んだのですっ! こちら、引き受けるのですっ!」

 

「頼むぜ電ァッ! こっちゃあ軽巡同士で仲良くやっからよ!」

 

「了解なのですっ」

 

 絶え間ない砲撃音が鳴り響く。一つ、二つと死が近づいてくるような感覚。

 

 天龍は武者震いしながら、やっとのことで警戒し始めた敵軽巡めがけて駆けていく。

 隊列を崩しながらも駆逐を盾に後退しようとする敵軽巡との距離を詰めながら、天龍は猛る。

 

「構えんのが遅いぜ! オラァッ!」

 

 その言葉通り、敵軽巡が砲身を向けた時には、既に天龍の姿は眼前に迫っており、

 

「――オレの名は天龍、フフフ、怖いか?」

 

 工作艦明石や兵装実験軽巡夕張という全ての艦娘の装備を修理、改修出来る二人から作られた刀は硬度、しなりといった全てが日本刀に酷似している。耐久度に至っては比にならず、その切れ味は――

 

「ガッ……ァ……アァアアァァアァ――……」

 

 ――艦の装甲をバターのように両断する。

 爆炎も、轟音も上がらない異様極まる戦闘法。欠陥品などではなく――誰も彼女を扱いきれなかったという真実。

 

 

* * *

 

 

 戦闘そのものは、あっという間に幕切れとなった。

 第六駆逐隊の正確無比な砲撃によって単横陣でばらまかれた砲弾はことごとく防がれ、逸らされ、例外的に防げなかった砲弾は天龍がその身に受け、盾となって防いだことにより、第六駆逐隊は無傷だった。

 その代わりに、天龍は――

 

「このオレがここまで剥かれるとはな…いい腕じゃねぇか、褒めてやるよ」

 

 ――大破である。

 

「よし……周囲に敵の反応なし……さぁ、早く戻ろう」

 

「天龍さん、大丈夫? 私たちが支えるわ」

 

「入渠ドックに急ぐのです」

 

 響が言うと、電と雷が天龍の両脇からひょこんと顔を出し、腕を取った。

 

「お、おぉ? 悪ぃな、いつも」

 

 振り払うでもなく、笑って二人の首に腕を回して素直に支えられながら反転し、鎮守府へ向けて航行を始める天龍。その姿を見て、暁だけ涙ぐみながら「あんな戦いかた、レディーなんかじゃないったら」と呟きプンスカと頬を膨らませる。

 

「いいじゃねえか、どうだって。敵艦隊は全滅、オレたちも生き残って作戦も成功。泣くこたあ無いだろー?」

 

 暁を筆頭とする第六駆逐隊も、球磨や天龍と同じ鎮守府からの異動である。故に、彼女達はいつも天龍とともにあった。

 

「暁たちだって強くなったんだから! 天龍さんに、頼らなくたって……ッ!」

 

 第六駆逐隊は、然る潜水艦隊と同じく遠征で酷使されてきた艦娘である。天龍はその旗艦であり、彼女たちについて様々な海域へ赴いた。

 時には資源海域に出現した深海棲艦との戦闘で窮地に陥ったこともある。その時、常に前に出て身を盾に戦ったのは、第六駆逐隊の誰でも無く、天龍だった。

 

「別に頼られなくてもオレは戦ってたっての。艦娘は戦ってなんぼなんだからよ! それにな、また旗艦になれて嬉しくってよぉ」

 

 へへ、と笑った天龍の背後に回り、艤装を支えるように持った暁は「……ありがと」と涙声で言って、それきり口を開かなかった。

 

「……今度は守ってやりてぇんだよ」

 

 ぽつりと言った天龍の声に、場は静寂に包まれた。

 

 彼女もまた――同型艦である妹を失った、艦娘の一人。

 正確には、天龍の妹分であるもう一人の艦娘は別の鎮守府に異動となった。詳しく聞こうにも、天龍ちゃんに心配をかけたくないの、と言い張って最後まで教えてくれなかった艦娘は、別れの言葉も無いままにどこかの鎮守府へ異動していったのである。

 天龍と同じく遠征に酷使された妹もまた、駆逐艦を守るために全力で戦う天龍に劣らない戦意の持ち主だった。故に、扱いきれない前提督に欠陥品と呼ばれて捨てられた。

 

「それに、ほら、守れたじゃねえか! あれ見たかよ! 超弩級戦艦の陸奥! でっけぇし、かっこいいし……すげぇよなぁ!」

 

「しかも柱島の海域で救われるってよ、なんつうか、ほら、運命っていうのか? くっせぇと思うけど、なんか……運命を変えられたって思わねえか! だろ!?」

 

 興奮気味に口にした天龍に、全員が頷く。

 柱島――戦艦陸奥が沈没した海で、今度はサルベージに成功した。その事実は何よりも天龍に活力を与えるのだった。

 

「あーあ、これならもっと早く、提督に会ってりゃ、さ……」

 

 尻すぼみになった言葉。それからまた、静寂――にはならず。全艦隊に走るノイズ音。

 

《ザッ……ザ……こちら潜水艦隊イムヤ! 現在地は呉と倉橋の海峡部――》

 

「定期報告なのです?」

 

「だろうね。提督は呉鎮守府に到着した頃だろうから」

 

「呉鎮守府に行くのに、何で潜水艦隊を近くの海域に派遣したのかしら?」

 

「私には分からないな。暁なら何を理由に派遣する?」

 

「わっ、私に聞かないでよぅ! んー……護衛?」

 

「護衛なら一緒に行くはずだけど、提督は途中で宇品に寄ってるから違うんじゃないかな」

 

「うー……! わかんないわよぅ! 暁に聞かないでっ」

 

「あーあー、喧嘩すんじゃねえって……」

 

 ぎゃいぎゃいと言い合いを始めた周りを宥める天龍。

 海域は既に結界が消え、穏やかな波と快晴を取り戻していた。

 

《資源を確保したわ! ギリギリだけど、応急修理要員が大活躍ね! さっすが司令官!》

 

「んぁ? 資源に応急修理要員って、どういう……もう一隻いたのか」

 

 天龍の疑問が晴れる前に、通信は続けられる。今度は、あきつ丸からだった。

 

《こちらあきつ丸――少佐殿には未来でも見えているのでありましょうかね? っくく、まぁ、冗談……とも言えないでありますが……こちらも少佐殿と合流したであります。現在は、大淀殿、長門殿、自分と川内殿で大詰めでありますよ》

 

《こちら龍驤。その他周辺海域に異常無しや。ま、番犬がぐるぐるしとったらやっこさんもいったん退避するやろ……。っと、それと、夕飯は焼き魚定食になりそうや。また〝あの飯が食べたい〟ゆうて鎮守府待機組は満場一致やて》

 

《おぉ、良いですな。それで龍驤殿、五十鈴殿が接敵した件についてでありますが、彩雲を使っても発見が一歩遅れ――》

 

《だぁああ! やめえやあきつ丸ッ! 司令官が聞いとったらどないすんねん!?》

 

《あっはっはっは! 聞いておりませんよ。少佐殿は遠征について全て艦娘に一任すると仰っておりますので、ご安心を。それよりも――》

 

「……賑やかな奴らだなぁ」

 

 天龍が笑うと、安心感のある掛け合いを聞いた第六駆逐隊の面々もいくらか表情を緩めた。

 

《――陸奥殿のサルベージは大淀殿から聞いておりましたが、その他の資材は聞いておりませんな。五十鈴殿の方ではまだ報告がありませんが》

 

《ザッ……ザザザッ……こちら五十鈴。ちょっと! これ、帰ったら絶対に提督に文句言うからね! 絶対! 絶対よ!》

 

「おっ」

 

 通信を聞きながら航行を続ける増援艦隊の耳に、現状が伝えられる。

 あまりに荒唐無稽と思える戦況が。

 

《ついてきた妖精さんの殆どが対潜仕様なの、おっかしいと思ったのよ……敵の補給艦で補給〝させた〟のも、これが目的だったなんて……あーもう、疲れた……》

 

《こちらあきつ丸。五十鈴殿、資材は……》

 

《資材はあったわよ! 文字通りの! 資材が! しかも補給艦でね! あー、なんてありがたいのかしら! そのあとの! 何十隻も領海に侵入しようとした潜水艦隊がいなけりゃね!?》

 

《ひぇっ……!?》

 

《多分だけど、四国の門になってるあの無人海域を拠点にしようとしたのね。っていうか提督はどうやって侵入に気づいたのよ! もう東シナ海抜けかけたところまで潜水艦隊が迫ってて、焦ったったら……今度は通信しようと思ったのに、無理よあんなの……はぁ》

 

「……」

 

 天龍は笑う。高らかに、涙を目尻に浮かべて。

 

「あ、っはは……はっはっはっは!」

 

「て、天龍さん!? か、身体が痛んじゃうのですっ」

「気が抜けるような会話なのは分かるけど、無理しないで」

 

 響と電に「わ、わりぃわりぃ」と、まだ襲い来る笑いの波に耐えながら空を仰ぐ。

 

「ほんっと、もっと早くに提督に会いたかったぜ……ったくよぉ」

 

《秋雲はいきなり絵を描き始めるし……あんたも帰ったら提督に報告してやるからね。清霜と朝霜を見習いなさいな。二人はしっかり戦ってたんだから》

 

《エ、エェェッ!? 勘弁してくださいよぉ! ほ、ほら、これは、あれです、あれ。そのぉ……戦闘、記録……? 今度はちゃんと見入りつつも、描けました! 戦闘も一応参加しました!》

 

《それっぽい理由でもダメよ。爆雷いくつか放っただけでしょ、あんた》

 

《……五十鈴さんをかっこよく描いたんですが》

 

《ぐっ……だ、ダメよ》

 

《五十鈴姉さんの戦い方を思い出せる良い絵っちゃあ、良い絵だけどな。あたしらは戦闘経験が多いわけじゃないし、今回は五十鈴姉さんがいたから何とかって感じだったしさ。なぁ秋雲、それくれよ》

《戦艦になる前に、軽巡に進化するのもいいかも! 五十鈴さんかっこよかった!》

《進化は出来ねェだろ……ま、戦力向上は狙えっかもな》

 

《……ほ、報告は以上よ。戦闘になった潜水艦隊も秋雲が描いてるから、報告書に記載しておくわ》

 

「五十鈴のやつ、丸め込まれてやんの」

 

 あらら、と雷が溜息をついている間にも、柱島鎮守府の影が遠くに見え始める。

 

《燃料確保の遠征じゃなくて、継続戦闘のための燃料補給でしたか。天龍さんは万が一の追撃支援艦隊だったと……んー……私も提督の思考にはまだまだ遠い、という所ですね……》

 

 大淀の声が頭に入り込む。天龍は「思考を読むとか、そもそも無理だろ」と洩らした。

 

 資材確保の遠征――戦艦陸奥のサルベージの為に方々へ遠征艦隊を派遣し、確実な発見のためリソースを割いている一見無駄ともとれる素人さえ出さない発令。

 その実、遠征などでは無く、瀬戸内海を埋めるかのように派遣された遠征艦隊一つ一つに、意味があった。夕立たち第一艦隊は近海警備で柱島鎮守府を守る要となり、機動力を以て周囲を走る。五十鈴たち第二艦隊は敵補給艦を撃沈し、その戦闘行為で消費した以上の資材を以て侵入を企んでいた多数の潜水艦隊を撃沈――狙いすましたかのような対潜兵装と先手必勝の動きに、奴らはなす術もなく撃沈されたことだろう。

 第三艦隊は当初の目標であった戦艦陸奥のサルベージを成功させ、天龍たち予備艦隊は増援として見事な勝利を収めるに至る。

 

 天龍の頭に、残る潜水艦隊も確実に仕事をしているはずだが、何を目的としたものなのだろう、という疑問が浮かんだ時、即座に解消される。

 

《応急修理要員を使ったら、一気に浮上しちゃって……これ、通信で言うべきかしら……》

 

《一応、報告を》

 

 大淀がイムヤにそう促すと、気まずそうに、声が紡がれた。

 

《多分、これも遠征で酷使された結果、って言えばいいのかな……燃料、弾薬、ともに枯渇状態、っぽくて……浮上は出来たから、もう大丈夫だけど、これ燃料をイムヤたちから移して曳航でもしてもらうの?》

 

 しばし、大淀の通信から《えー……と……》と口ごもった音声が流れてくる。

 

《現在提督は、山元大佐とお話をされておりまして……我々がどうすべきかの指示が……》

 

 どうやら既に提督は山元大佐と話し合いが始まっているらしい。ならば判断はあおげない、が、確保した資材をそのままにも出来ない膠着状態の様子。

 だが、一言だけ、大淀が迷いに迷って周囲の音声まで拾っていたのだろう、提督の声が聞こえた。

 

《ザ……――挨拶に伺うのが遅くなって申し訳ない。が、その前に聞きたいことがいくつかある》

 

《聞きたいこと? はて、元大将閣下が何を聞きたいのですかな。それに大勢の艦娘までつれて》

 

 明らかな挑発行為をしているのは、山元大佐だろう。それは全艦が理解出来た。

 

《どうにも、海軍から街へ物資を要求する行為があったと、ある市民から聞いたのだ。その事実確認をしたい》

 

《っは、何を聞くかと思えば……我々呉鎮守府は日本国を守る大義をもって艦隊指揮をしているのだ。貴様のようなぽっと出が噂話に振り回されるなど笑い話にもならん。そんな事実は――》

 

《あきつ丸》

 

《っは。こちらであります、少佐殿》

 

《なっ、それは……!?》

 

 音声のみで伝えられる提督の戦いは――

 

《報告と差異の激しい艦娘所属数。遠征で得られた資材の増減幅、取得海域と近隣を哨戒していたはずの通常艦船からの報告が違うようだが、これはどういう事だ。資料には通常艦船は憲兵が主となって運用しているもののようだが。そのほかにも、宇品、五日市、呉と港町に絞って物資を得ているようだな。食料のほか、金品も受け取っていると証言を得ている。まず、私と山元大佐が話すには――これらの問題を解決してからとは思わんか》

 

 ――やはり、一方的。

 

《そ、そんな証言、なんの証拠になるというのだ。食料や金品など大本営から送られてきているもの以外、この鎮守府には無いが? 正式な書類でも持ってこい。昨日のことは水に流してやろうと思っていたが――》

 

《失態は謝罪しよう。初日に挨拶に行くという職務に重要なことを失念していたのは私の落ち度だ。しかし、それとこれは別で……》

 

《我々は深海棲艦という化け物と戦争をしているのだ! 挨拶に伺うということがどれだけ重要なことなのか、貴様は今自らで言ったな? なぁ!? そうだ、連携が無ければ怪物に勝利など出来ないのだ! それを差し置いて重要なことなど他に――》

 

《ほう、連携が大事……提督たるもの、重要も重要だな。その通りだ。私も、そのように艦娘には指示している。手を取り合え、と》

 

 はっとした様子で、大淀の声が挟まれる。周囲の音と同時に拾われている提督や山元大佐の声と違い、直接艦娘同士で通信する時特有のはっきりとしたもので。

 

《……すみません、指示を得ようとしましたが、無意味でしたね。既に指示されていたことでした……大規模遠征艦隊の司令塔として、この大淀が曳航を許可します。柱島鎮守府に到着次第、すぐに入渠するようにお願いします》

《――同じく、戦艦長門も許可する。勝手なことをするなと叱責を受けるときは、私と大淀が前に出るさ》

 

 解決したか、と天龍たちが安堵するのと同じくして、向かう柱島に近づく。

 港には、明石と夕張が手を振ってるのが見えた。陸奥を入渠ドックに送った後なのか、球磨たちが手を振っているのも見える。

 二重三重の安堵が全身の鈍い痛みを消し去るかのようだった。

 

「やぁっと到着か……はぁぁ、さっさと入渠済ませて、次の出撃に備えっか」

 

「しばらくは休んで欲しいのです……天龍さん……」

「そうよ、雷たちも休みたいんだから」

 

「でもよぉ、身体がなまっちまうって……」

 

 港につき、艤装を背負った天龍は重そうに海から上がろうとするも、上手く力が入らず。

 それを後ろから支え、ぐっと艤装を押し上げたのは、響だった。

 

「っとぉ、わりい。ありがとよ」

 

「Всегда пожалуйста(どういたしまして)……私たちの仲じゃないか。気にしないで」

 

「……おう」

 

 ニッコリと笑みを浮かべて、明石や夕張、球磨たちに「向こうも順調っぽいぜ」と一言紡いだ時、

 

《こちらゴーヤ! オッケーでち! 燃料、うまく移せるかなぁ……ね、ね、もうちょっとこっちに寄ってほしいでち!》

 

《あ、あらぁ……でもぉ……》

 

 天龍の足が止まる。

 

《許可が出たからいいんでち! あとはゴーヤが引っ張られるだけで、楽できるでち~!》

 

《ちょ、ちょっとゴーヤ! 任務中なんだから真面目に……!》

 

《ほらほら、任務を早く終わらせて、天龍さんに会わせた方がいいでち! イムヤも手伝って~!》

 

《もぉぉお! ゴーヤったらぁ……!》

 

《あらぁ、天龍ちゃんがいるのぉ? そう……そうなのねぇ……天龍ちゃんが迷惑かけてないかな~》

 

 痛む身体をひねり、振り返って、今来た海路を見た。遠く、見えるはずも無い向こう側を。

 

「こ、の声……嘘だろ、おい、提督……お前、これも見越してたって、知ってたって、ことかよ……!」

 

 明石や夕張は最初からずっと通信を聞いていたようで、呆れたような、それでいて、信頼した安心感をいっぱいに顔に浮かべて、腰に手を当てて、にっと笑った。

 

《初めましてぇ、じゃ、ないわよねぇ……聞いてるかしら、天龍ちゃん》

 

 天龍は崩れ落ちそうになりながら、耳の電探に組み込まれた通信機を起動させ、声を張り上げた。

 

《たっ……龍田!? なぁ、お前、あの、鎮守府にいた、龍田なのか!? オイッ!》

 

《きゃっ……もぉ、大声出さないで~? あの鎮守府って、どこのことかしらね~……私が知ってる天龍ちゃんは、駆逐艦の子たちを守る、かっこいい天龍ちゃんで、うるさくて、弄りがいがあって、ちょっぴり間抜けさんで……》

 

 言いながらも、向こう側の声が歪み、震えているのが伝わる。

 

《さよならって言いそびれちゃった、天龍ちゃんかしら~》

 

《っ……そ、うだよ……あぁ、そうだよッ! 龍田てめぇ、最後に挨拶も無しで出て行きやがって! オレは許してねぇからな! 帰ったら……帰ったら、ぜってぇ……ッ!》

 

 今度こそ、どしゃりと膝をつき、耳に手を当てた格好で、天龍は穏やかな海を見た。

 海面に陽光が当たり、宝石のように光って見えた。それだけじゃなく、日差しが目元で反射しているように滲んで見える。

 

《いっぱい、い~っぱい怒られてあげるから……あなたの提督を、私にも紹介してねぇ、天龍ちゃん》

 

《バカッ……オレの提督じゃねえよ……オレたちの、提督だろ》

 

《……うん》

 

 

 その声は、とても澄んでいて、目の前に広がる海のように綺麗だった。



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二十九話 訪問【提督side】

「食事も出来たし、シミまで落としてもらえるとは。良い人だったな――」

 

 宇品で食事を済ませた俺と大淀たちは、呉に向けてのんびりと移動を開始していた。徒歩のみという訳にも行かず、バス、電車を乗り継いで、だが。

 幸いにも電車通勤が主だった俺は見知らぬ土地でも宇品から呉までの移動に迷うことはなさそうだった。

 

 ――先刻は、お好み焼き屋のお婆ちゃん店主から様々な話を聞きながらの食事となったが、この世界に来てからまだ一日しか経っていない……いや、感覚的に一日と経っていないのに随分と濃い内容の現実を知らされたのだった。

 無礼のお詫びにと俺の軍服についたシミをお婆ちゃんならではの知恵で落としつつ――大根おろしであっという間だった――聞いた話は、あまりに悲しかった。

 

『お婆ちゃん、全部取っていったって言うのは、具体的にはどんなものか、わかりますか?』

 

 前世の癖か、ご高齢の方にはゆっくり大きな声で、という妙な常識が顔を出した喋り方をして問えば、店主は俺の変わりように驚いた表情をした。

 調理場でごそごそと材料を混ぜながら、俺の注文した豚玉を準備して言うのだった。

 

『全部は全部よ、ほんまに、全部……飯、金、それから、使えそうな奴は、なぁんでも……ウチの子もねぇ……』

 

『ウチの子、とは……』

 

『孫がね、憲兵隊に連れて行かれよったんよ。息子は東京に出とって何にもしてやれんかった。でも悪いこたぁしとりゃあせんのよ? ただ、お国の為に働けぇ言うて。孫が最後にここに来たんは――もう、一昨年になるかいね』

 

『……赤い紙を持って、でしょうか』

 

『よぉ知っとりんさる。そらぁ軍人さんじゃけぇ知っとるか』

 

 ひゃひゃ、と力なく笑うお婆ちゃんの顔は、しばらくは忘れられないかもしれない。

 ここに来てようやく、俺は《艦隊これくしょん》の世界が戦争の中にあるのだと自覚し、その戦争は自らが営んできた生活と掠りもしない夢物語であり、忘れ去られるべきではないのに忘れられそうになっている歴史の一部であると知る。

 

 艦これの事なら、艦艇(ふね)の事なら俺はある程度知っている。調べることによって副次的に得られた知識もあったが殆ど興味は無く、ただ〝過去にそうあった事実〟としてなんとなしに頭にあるだけだ。

 

 ただ、憤りだけが胸にあった。義憤を感ずると言えば聞こえはいいが、俺の中にあるそれは義憤などでは無く、子どもじみたしょうもない、我儘や癇癪に似たものであった。

 ――これは、そう、自分のイメージしていた煌びやかな世界で、あってはならないといったような極めて自分勝手なものだ。

 転生者と言えばチートな力を持っており、どのような絶望的な状況でも覆せるのだろう。気に入らない奴がいればねじ伏せ、気に入らない場所があれば消せばいい。しかしながら俺にはそんな力など無く、社畜生活で培った無駄な処世術と、半ば形骸化してしまった知識と、それらに準ずる死んだ仮面だけである。

 

 今や威厳スイッチなどと言って保身のために使っているそれが、俺の唯一の武器であり、この世界と俺とを繋ぐ術であった。

 艦娘という存在無くして、その仮面が役に立たないというあたりも、俺の矮小さを実感させられるようで、どうにも心が軋むのだった。

 

「……呉の鎮守府に挨拶に行くのが、もっと億劫になってしまったな」

 

 俺の洩らした愚痴に対して、大淀と長門が困ったような、気まずいような顔をしてみせた。

 

「呉の実態のみならず、憲兵隊の実態をも知ることになってしまいましたね、提督」

 

 大淀の言葉に、長門は「……少し、良いだろうか」と俯いて口を開く。

 

「どうした、長門」

 

 お好み焼き屋でもそうだったが、長門はどうにも感情的な面が強い。俺の作戦――いや、妖精と俺の作戦についておもうところがあって口を開いても途中で自ら納得して黙り込んだり、微笑んだりと。情緒不安定なのも、もしやこの世界にいる艦娘反対派とやらのせいじゃないのかと考えれば考えるほどに、心の軋みはひどくなる。

 

「山元大佐は、一部の憲兵と繋がっている。今まで……黙っていて、すまなかった」

 

「そうか」

 

 返事をすることしか出来なかった俺は、はっとして後ろを歩く二人に振り返った。

 

「本当に、すまなかっ――」

 

「長門、すまない。いらん気を遣わせたな。例えお前が知っていたからと言って何故言わなかったなどとは思わん。その、なんだ」

 

 こういう時、社畜の経験というものは活きない。

 社畜は互いに慰めあってギリギリを生きていると思われがちだが、実際はそうではなく、関わりを希薄にすることで自己を保っているのだ。故に、人を慰めるという術を知らない。

 ……まぁ、俺はそれが鎮守府に来て顕著に出てしまっているのは、言わずもがな。

 

 泣いている艦娘たちに茶を配って謝り倒すとか、今考えるだけでぶっ飛んだアホだ。でも知らないんだから仕方がないよね。無知は罪なんかじゃないやい! 許せ!

 

 俺は皺が刻まれているか怪しい脳みそから何とか言葉を振り絞った。

 

「女は秘密がある方が魅力的と言うだろう。例えお前たちがいくつ秘密を持っていたとしても、気にはなるが、聞いたりはせん。安心してくれ。それに私にだって秘密くらいある」

 

 転生者でーっす! チーッス! とは言えないので、適当に濁す。

 

「……実は運動が苦手、とかな」

 

「ご冗談を」

 

 すかさず突っ込んできた大淀にぽかんとする俺。長門は顔を上げて目を丸くすると、俺を見てくすりと笑った。

 

「――TPOをわきまえて口説いてくれ、提督。まぁ……礼は言っておこう」

 

「う、うむ……」

 

 口説いてねえよ! っていうか何で笑いやがったんだこの超弩級戦艦がァッ……!

 なんだ? 運動出来ない軍人はありえないってか!? そうだね、有り得ないね。だって俺は軍人だけど軍人じゃないからね。全部海軍が悪い。井之上さんは許す。

 

 

 それにしても助かった。手ぶらというわけでは無いが金のことを考えていなかった俺は、これまた考えなしに飯が食いたいと本能のままにお好み焼き屋に入ったのだが、食事中に気づき「あ、やっべ……これ無銭飲食じゃね……?」と冷や汗をかきながらどう大淀と長門におごってもらおうかと考えていたのだ。それが、手持無沙汰に手を突っ込んだポケットに数万あったのだ。社会人として褒められることじゃないが、俺は癖で現金をそのままポケットに突っ込む癖がある。

 いつもいつも上司にそれでスマートじゃないだの乞食みたいだのと散々言われたものだが、今はそれが俺を救った。流石俺である。それで、再び海を渡るなどせずに陸地を移動しようと思いついたわけだ。時間稼ぎじゃない。違うぞ。本当だぞ。

 

 宇品通りから手近な駅に行って切符を買い、電車に乗り込んで数十分。大淀たちは電車に乗ったことが無いらしく、ずっとそわそわとしていたり、陸地を走る電車から見える景色に小声で「長門さん――!」「なんと……!」と興奮しているようだった。可愛い。やはり艦娘は何処まで行っても正義なのであった。

 

 途中で唐突に「提督、天龍たち支援艦隊にもう一隻追加してもよろしいでしょうか? 資材の件で」と言われた時は面食らったが、艦娘同士で通信でもしているのだろうと適当に「必要ならば構わん」と言って聞き流した。それ以外にも問題は山積みなのだ。

 

 そうして電車を降り、今度は構内の簡易地図で現在地を確認して、街を歩く。

 お好み焼き屋で話を聞いてからは、通行人たちの視線が刺さるようでいたたまれなかった――が、ここで社畜の技が光る。

 

「大淀、長門、少し手伝ってくれないか」

 

「手伝う、とは……それは、そのぉ……?」

「我々に出来ることならば、構わんが」

 

 大淀と長門を連れ、呉鎮守府に向かう道から逸れて、商店街へ。

 

「提督、何を?」

 

「聞き取り調査だ。呉鎮守府がどんな物品を持って行ったのかを調べたい」

 

「なるほど……整合性を取るために、聞き取りを行うのですね。承知しました」

 

「うむ。難しいことは聞かなくともいい。何を呉鎮守府へ持っていかれたか……いや、もしかすると、寄付という形をとっているかもしれんな」

 

「寄付……何故、そのような……」

 

 大淀の問いに、俺はすらすらと答えてみせた。

 会社員時代――接待という名目で経費をきることが難しい場合などによく使われた手段である。ありもしない商品を買い上げた領収書を切ったり、先方の駐車料金が妙に高くなったり……まぁ、その分で浮いたお金を、自分たちが豪遊するために使うのである。完全な横領なのだが、不思議なことに商品名や駐車料金と名がついているだけでそれは合法的な経費となる。要するに、証拠さえあれば問題無いのだ。金はこれに使いました、という。

 

 呉鎮守府がそうしていると確定していないものの、お好み焼き屋のお婆ちゃんの口から孫が憲兵になったという言葉を聞いて、俺は真っ先にそれを思い浮かべた。

 出向、出張――自ら名乗り出て会社のために遠方へ飛ぶ。これもまた社畜にはあるあるなのだ。

 悲しいかな、俺も出張という名目で取引先の会社のやったこともない業務を手伝わされた記憶がある。業務を半年、それも短期で引っ越すわけでも無く、半年の間はビジネスホテルを転々として過ごしたのだ。その間にも家賃は出て行くという出費も重なって金は貯まらないわ、むしろどんどん財布は寒く――あれ、おかしいな、目から汗が……。

 

「お国の為に必要だと海軍が人やモノを引っ張っていくなどと、なりふり構わん恰好で動くとは思えん、という勘だ。人なら有り得るかもしれん。私も紅紙を持たされて柱島に来たのだからな。しかしモノだぞ? 食料は買えばいい。その他の物品も大本営に掛け合えばある程度の融通は利くだろう。艦娘の布団が無い。私が使う机も椅子も無い。艦隊運営に支障が出てしまったらどうするんだと向こうに言えば、最低限度は支給されるはずだ」

 

「しかし、人手が足りないのは確かです。提督になれる者、なれない者と選別するのにも一度は徴兵され、訓練の必要だって――」

 

「ならば聞くが大淀、何故人が足りない? どこに人員が必要なのだ?」

 

「それは……」

 

 商店街の入り口のアーチの下で、遠目に人だかりが出来ているのが視界に入った。

 

「軍の規律維持のためには憲兵が必要なのも、そうですし……他にも、深海棲艦によって被災した街の復興にも人手は欠かせません」

 

 もっともな事を言った大淀だったが、その目にはうっすらと疑念が見えた。

 それでいい、むしろ、それが必要なのだ、と俺は「それだ」と言って頷いた。

 

「狭い檻に入れられて同じ作業をさせ続けると、生き物は思考能力を失う。私もそうだった」

 

 長門が「昔の話、か……」と呟いたので、そちらに顔を向けて目で頷く。

 俺が素人という事は既にバレているのだ。故に隠し事をせず、俺がどのような環境で働いており、どのような仕事をしてきたか――それが如何に軍隊と似ていて、劣悪な環境であったかを語った。

 

「私の居た場所もこうだった……誰もがそれをおかしいと思いながらも受け入れ、いつしか当然なのだと思い込み、内臓を壊しながら戦った。月月火水木金金とはよく言ったものだ」

 

「内臓を、壊しながら――ッ!?」

 

 長門が一歩後退り、自分の腹部を押さえる。

 

「大義名分など誰もが抱えるものだ。それが無ければ人はついてこない。当然だ、私もそれは否定しない。だがな、その下で働く雑兵はどうなる? 生き残っても、最後の最後まで絞られ、最終的には使い捨てられる……この街の人々と何が違うのだろうな? 従軍していないだけで、その荷だけを背負わされるということがどれだけ異常なことか分からんか?」

 

「被災から復興するのに大勢集めたとして、一昨年から帰っていない老店主の孫はどうしているのだろうな? 本当に憲兵として働いているのか? 被災地の復興に危険が無いとは言わんが、前線に立つお前たちがいるのだから直接的被害を被るなど考えにくい。ならば手紙の一つくらい寄越すだろう。 もしも手紙を寄こせないというのなら、その理由があるはずだ。そうは思わんか?」

 

 一息に語ったため、肩で息をしてしまう。

 

 大淀にも長門にも、仕事はしてほしい。主に俺を助けてもらうために。その他は頑張ります。

 しかし、ただただつらい環境に彼女ら艦娘を放り出したいわけでは無い。そうならないためならば、俺は過去の記憶をいくらでも掘り起こそうじゃないか。

 昼飯が毎日エナジードリンク一本だったり、晩飯がインスタントラーメンだった十年近い記憶を。

 いわれも無い仕事のミスを押し付けられて罵詈雑言で胃腸を壊し、出社と同時にトイレに駆け込んで吐き散らかしてからが始業であった生活も、なんでも教えてやる。

 

 恥も外聞もあったものじゃない。街を、国を守る艦娘を前に街に圧をかけ財を奪うなど――艦娘に対する冒涜じゃないか。許さんぞ山元ォッ……! お前の罪を数えろッ!(正しい用法)

 俺がお好み焼き屋でお好み焼きにされかけたのも全部山元が悪いッ! 責任転嫁? そうだよ! くっそぉ、仕事したくないが艦娘の為には動いてやりたい……このジレンマ――クッソォァアァァア……!

 

「て、提督、あの……ッ」

 

「常識を非常識に、非常識を常識に変える――これがどういう意味か分かるか?」

 

「常識を、非常識に……?」

 

 大淀が両手を胸の前まで持ち上げ、考え込みながら手をもむ。

 

「私たちに、関係すること、でしょうか」

 

 そう窺う声に、俺は「半分正解だ」と前置いた。

 

「お前たちにも、街の人々にも、私にも当てはまる事だ。生活を脅かす深海棲艦という非常識が常態化し常識となり、互いの生活を互いで営むという常識は、災禍を退けるために非常識となる――勝利のために、都合が悪い人間に堂々と石を投げられるようになる。甚だ、おかしい話だ。これでは洗脳と変わらん。正義を掲げているのならば、守るべき対象にも石を投げられるのだからな」

 

「あっ……」

 

 大淀も長門も気づいたように口を半開きにした。

 

「これは誰の仕事だ? 何を成すための仕事だ? 己に問い、己で戦い、平和を成す――それは街の人々や国民の仕事などでは無い! 我・々・の! わ・た・し・の・仕事だッ! 他人の仕事でお前たちが蔑まれるなど、我慢ならん! あの山元という男のせいでみなが肩身の狭い思いをしている現状が気に入らん!」

 

 平和を守るのは艦娘の仕事だ。その艦娘を守るのは提督の仕事であり、街の人々は守られるべき対象だ。だからと言って上下が存在するわけでもない。彼女たちの戦いは国の平和に直結しているのだから、その対価が発生しても何らおかしなことはないだろう。その隙間で甘い汁だけを吸う輩がいるのが、俺は気に入らないのだ。

 それに気づけたとき、須臾にして怒りが爆発した。

 

「お前たちが何をした!? あの老店主が何をした!? 街の人々が悪事を働いていて、その制裁でもしているのか!?」

 

「提督、お、落ち着いてくださいっ……!」

 

 ぶつけどころのない怒りは、大淀の制止でみるみるうちにしぼみ、消えてしまう。

 冷静になった時には――遠くに見えていた人だかりは、人数を増やし、俺たちを囲んでいた。

 

「ぉ、ぁ……も、申し訳ない……す、すぐに出て――」

 

 大淀と長門の腕を取り、慌てて逃げ出そうとした時、人だかりの中から、一人の青年が前に出た。

 

「待ってください! 待って、ください……軍人さん……!」

 

「な、なにかね。往来でうるさくしてしまったのは謝るから、どうか見逃してくれないか」

 

「ち、違うんです!」

 

 何が違うんだよ! 冷静になったらすごいやべえ奴だって自覚したから許して! これ以上油売ってたら山元さんにさらに怒られそうだしやっぱ権力には勝てそうにねえや! 悪いな皆!

 社畜の技、手のひら返しである。すみません。

 

「一緒にいる方って、艦娘ですよね。あの、ちょっと前に、憲兵さんの制服を着た女性と、オレンジ色の服の女性が聞き取りをしてるって、話しかけてきて……あ、あなたの部下ではないのかな、と」

 

「う、うむ……?」

 

 憲兵の制服と、オレンジ色の服……俺は記憶にある艦娘カタログをざらざらと探り――

 

「あきつ丸と、川内、か……? いやしかし、二人は鎮守府の規律維持のための別動隊で……」

 

 もごもごと言うと、大淀が「二人は、既に呉鎮守府にて待機中です」と淡々と耳打ちしてくる。

 

 そうか、二人は呉鎮守府に――いやなんで!? あきつ丸が川内と組んで柱島で待機してる艦娘を重巡たちと協力して取りまとめておくって話したよなぁ!? なのに、何で呉にいるんだよ! というかいるなら連絡しろよ!

 

 あれか? 元帥の連絡先を教えてないから、別に自分の連絡先だって教えなくていいでありましょう? みたいなことか!? おっさんだからか? そうか、おっさんだからだな!?

 俺が笑顔の眩しいイケメンだったら出会い頭に連絡先を教えてくれただろうになァッ! クッソァッ! 可愛い顔して「であります」なんて堅苦しい口調でよォッ! 好き!

 

 ……カームダウン。カームダウンね。俺の心の金剛が怒りの荒波を鎮める。

 

「んんっ……失礼した。ならばすぐに呉に向かう。聞き取りは中止……いや、既にあきつ丸がしているのだったな」

 

 どうやって先回りして俺の仕事を取ってんだあいつら……恐ろしい……。

 

「軍人さん」

 

「アッハイ」

 

 青年の有無を言わせぬ圧に屈する俺。きっとうるさくした頭のおかしい軍人は粛清対象にされるのだ……っく……殺せ……!

 

「……ありがとうございます」

 

「へ……?」

 

 青年が頭を下げたのを皮切りに、周囲の人々が口々に言う。

 

「頼むよ! あの人にゃあもう耐えられんのよ! あんたぁが言っとることがほんまなんなら、助けてぇや!」

「はぁぁ……! とんと見ん、本物の軍人さんじゃね、どうか、どうかお国を頼むで……!」

「憲兵の女の人にはちゃんと話したけん、その人に聞いてぇや! それでも足りんのんなら、あんたが来てくれりゃぁいっくらでも話ちゃるけん!」

 

 一気に喋んないで。分かんない分かんない。聞き取れないから。自分、聖徳太子じゃないのであります。

 大淀と長門が目を剥いて人々と俺を交互に見ている。いや止めて。

 

「……承知した。善処する」

 

 善処する。便利な言葉である。出来なくても善処はしたからって言えるもんね。

 ……分かっている。数時間前に井之上さんに啖呵を切って、ここでも感情的に怒鳴って、お前ニワトリよりも記憶力ないんじゃねえのと。出来ないのに大口叩いて社畜時代の鬱憤を晴らすなよと、そう言いたいのだろう。俺もそう思います。大変申し訳ございません。

 俺がチートを使えたのなら、「何度でもやり直す……保身のためなら……!」と最低な時間遡行をしていただろう。

 

 現実逃避に出来る限り時間をかけて宇品で飯を食おうとしたら、天罰が下って面倒ごとが二重三重に積み重なって地獄を見てしまった。

 もう俺はダメかもしれないが、艦娘に見捨てられる方が俺的に再起不能案件なので、艦娘に囲まれながら体育会系に怒られに行こうと決意する。

 

「みなの言葉、しかと聞いたぞ」

 

 聞いただけである。ごめんね。ごめんね……。

 俺は大淀と長門に目配せし、早歩きで商店街から逃げ出した。あ、いや、移動を開始した。

 

 

* * *

 

 

「お、提督ー! こっちこっちー!」

 

「首尾は上々であります、少佐殿」

 

 呉鎮守府に近づくにつれ、人通りは一気に無くなり、廃墟でも歩いているような気分になった。

 そうこうして歩いていると、呉鎮守府から少しばかり離れた道の途中であきつ丸と川内の姿が。

 

 本当にこいつらいたんだけど……俺の言いつけた仕事してないんだけど……。

 

 そりゃあ、俺は素人だから、ちゃんと仕事出来ないかもしれないよ。それでも、一応、一応な、上司なんだぜ、俺……? そんな堂々と仕事を放り出して、俺のところに来るなんて……どんだけ信用されてないんだ……傷つく……。

 

「あきつ丸、川内、ご苦労だった」

 

 でも労っちゃう……艦娘大好きだから……。男は色々と正直だから……。

 

「少佐殿、お荷物は……?」

 

 あきつ丸は俺を見て、次に大淀、長門を見て首を傾げた。

 荷物など、書類一枚をポッケに入れているだけである。

 もちろん、くしゃくしゃにならないよう綺麗に三つ折りにして上着に入れている。ミリタリー映画とかドラマで、軍人が重要書類を内ポケットから取り出して相手に渡しているのを見たのだ。完璧な対応である。

 

「これだけだ」

 

 格好良く内ポケットから書類を取り出す。井之上さんが許可すると言ったので訪問用の書類ではない。俺が持ってきたのは、演習の申し込み書類である。かくも怪しさ満点の山元大佐とて、艦娘を指揮する提督の一人。ならば提督同士、艦娘を見せ合い……あ、いや、艦娘の装備を知りたいが故に妖精と作成したものだ。

 嘘じゃないぞ。他にはどんな可愛い艦娘がいるんだろうなんて考えていないぞ。

 俺は純粋な気持ちで、呉鎮守府に所属している艦娘がどんなに可愛い装備をしているか――うんだめだ煩悩が消えねえ。

 

「そちらは――」

 

「演習の申し込みをしようと思ってな。無論、出来る出来ないはあまり気にしていない。話題の一つ、としてだ」

 

「……っくく、そうでありますか。さて少佐殿、川内殿と集めましたものは、こちらに。ここに移動しながらまとめましたので見づらいところもありましょうが、ご容赦を」

 

「うむ……そうか」

 

 あきつ丸から質の良い革製のバッグを受け取る。何が入っているかと開いて見れば――

 

「五日市、宇品、呉と街を急いで回りまして収集してまいりました情報であります。地域別、物品別……口頭で伺ったものばかりですので、正確性は察していただきたい。それと、呉鎮守府内部にあった資材の備蓄記録と、遠征記録、登録された艦娘の記録と、直近で轟沈と報告されている艦娘たちの記録、ほかには――」

 

 一枚目から早速分からん。飛ばして二枚目三枚目と見ても分からん。細かい数値が並んでいた備蓄状況だけは何故だかあっさりと理解出来たが、そのページだけ数秒眺めて、あとはぱらぱらと見て書類を鞄に突っ込む。

 

「ふむ、分かった」

 

「えっ、えぇっ!? も、もう、把握したので、ありますか……!?」

 

「よく集めてくれた。あとは私についてきてくれ」

 

 ごめんあきつ丸、川内……途中で分からないところが絶対出てくるというか九割九分九厘分かんねえから、助けを求めると思う……艦娘パワーでどうにか助けてくれ……。

 

「では――行こうか」

 

 ぐるりと艦娘を見回し、俺は呉鎮守府へと歩を進める。

 

 威厳スイッチは常にオン――! 俺の背後には柱島鎮守府四天王(命名)がいるのだ、何を恐れることがある――!

 

 柱島鎮守府のスーパーブレイン、任務娘の大淀。俺の分からない言葉をいっぱい使う!

 殴り合いなら任せとけ、伊達ではない装甲で情緒さえもぶち壊す超弩級戦艦の長門!

 艦隊の規律維持のみならず、仕事をしなけりゃ直接消してやれるぞ! 元帥閣下の秘密兵器あきつ丸!

 そう言えばお前静かだな……夜戦忍者になる予定(?)の川内!

 

 ――頼りになりそうで微妙なメンツだなぁぁこれぇぇッ! あーあー!

 

 

 

 四人の艦娘を連れ、俺は呉鎮守府へと足を踏み入れた。

 そこで待ち構えていたのは――駆逐艦が二人。怯えたような顔で、俺を見ていた。

 

「な、長門さんまで……ほ、本当に来たっ……お、おおお待ち、しておりまし、た……山元司令官から案内を仰せつかっています、か、かみ、かぜ、です……」

 

「同じく、松風、だ……です」

 

 可愛い。しかし怯えないで欲しい。おっさんはただ仕事をしに来ただけなのである。

 呉鎮守府の正門で待っていた駆逐艦の二人を見て、大淀と長門が何故か俺をあきれ顔で見た。

 

「な、なんだ、二人とも……」

 

 思わずそう言うと、大淀は「いえ……こうも都合よく進むと、提督が分からなくなりそうだなあと思っただけです」と洩らし、長門は「う、む……その、提督、宇品でも言ったが、せめて我々とは情報共有をしてほしい。最低限でもだ。頼むぞ?」と同じく呆れ顔。

 

 川内に至っては「もう山元大佐、詰んでるよねぇ、これ……」と顔面蒼白にしているし、あきつ丸は「敵に回したのが間違いでありましたな。ま、自分らは知っていたのでありますが、現実となると、不気味ですなぁ」と笑っていた。なにわろとんねん! オォッ!?

 

 い、いかん、俺の心の龍驤さえも暴れ出しそうだ……!

 

 分かってる。仕事が出来ない奴だからって笑うのはいい。艦娘に笑われる、そんな人生もおおいにアリだ。だが……人前ではやめてください、お願いしますッ……!

 

 おっさんにだって自尊心があるんだぞ! ちっきしょうガッ……!

 

 このままではもっと情けない目にあわされかねん、と、俺は案内を仰せつかったと言った神風と松風に対し軍帽を脱ぎ、挨拶をした。

 一応ね、恰好くらいね。威厳スイッチ全開だからね。

 

「――ご苦労。肩の力を抜け。私は仕事をしに来ただけだ。心配することは無い」

 

 そう言うと、神風たちはきょとんとして俺を見上げた。

 それに対し、長門は二人の前までやってきて片膝をつくと、周囲にひとけが無いのを確認して、こう言うのだった。

 

「生きていたのだな……良かった。もう、何も問題は無いぞ、神風、松風」

 

「ひっ……な、長門、さん……あっ、あの、陸奥さんが……!」

 

「……ふふ、今に見ていろ。驚くぞ」

 

 

 

 ――なぁに脅してんだよ長門ォオオオオッ!? 挨拶しにくくなるだろうがこんにゃろおお!



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三十話 訪問②【提督side】

「ひぐっ……ごめ、なさい……長門さん……私たちが、いながら……っ」

 

「僕たちを逃がすために、も、もう、うっ、ぐ……」

 

「……辛かったな。神風、松風」

 

 俺の目の前でしゃがみ、駆逐艦二人を正面から抱きしめ先輩風を吹かしているのか圧をかけているのか分からない長門を見ながら――

 

「――……少し待て」

 

 ――必死に神風と松風の情報を把握しようと、あきつ丸の集めた情報が書き込まれた書類を見ていた。

 いかん、くそっ……! 訪問直後に長門の戦艦パワーで駆逐艦を泣かせたとあらば山元大佐に何を言われるか分かったものではない! こいつは俺の仕事を手伝いに来たのか邪魔しに来たのかどっちなんだよ!? 大淀も長門を見ながらなんてことをしてくれてんだという風に目尻に涙を浮かべているし、どうあがいても叱責を免れることは出来なくなった状況である。

 あきつ丸と川内は後ろでぶつぶつと会話をしているし、ほんと何なんだ……これ以上俺の胃腸を虐めないでくれ……痛い……!

 

 きゅう、と妙な音を立てる胃を無視し、書類をがさがさと見つめる。

 

 どこかにこの子達の情報があれば……泣き止ませるための好物とか書いてたりすれば……!

 

「神風――竣工時期から鳳翔に近しいと思えば、まだ幼さの残る雰囲気……」

 

 うーむ……神風と言えばイベントで手に入れた艦娘だったな。懐かしい。司令部レベルも低い頃に着手したイベントだった故に印象深い思い出だ。基地航空隊の設営だったろうか。連合艦隊を率いての攻略ともあって、艦娘全体のレベルがそこまで高くなくて苦労した……。

 艦隊これくしょんにおけるイベント――いわゆる大規模作戦というのは初心者向けの難易度も用意されている優しい仕様であるが、甲乙丙と三つに分けられた難易度には大きな隔たりがある。端的に言えば、一つ上になるだけで倍以上強くなるのだ。細かく言えば違うのかもしれないが、体感的には倍だ。そして俺は神風を手に入れたイベントで難易度選択を間違えた。丙、という一番低難易度でさっくりクリアして――それでも当時は相当にきつかったが――ステージクリア報酬である神風を手に入れられさえすれば、後は有志たちがクリア動画でも上げるだろうと軽い気持ちでマウスをカチカチしていた。

 その時、新規のイベント艦娘が手に入るかもしれないと慢心していた俺は動画サイトで作業用に垂れ流せる動画を探しながら操作をしていたのだが、それが悲劇を生んだ。

 

 そう、操作ミスである。

 

 丙作戦を攻略するつもりが乙作戦を選択してしまい、初心者だった俺は苦戦を強いられたのだ。

 

 イベント海域を高難易度で突破すれば、突破報酬は相当うまみのあるものが手に入るが、その時俺が参加したイベントでは目ぼしい報酬も無く、結局、貯め込んでいた資材を枯渇させて手に入れたのは改修資材数個と勲章のみであった。今思い出しても泣けてくる。って違う。二人の好物を探すつもりが悲しい思い出が……。

 

「……悲しいな」

 

 ぽつりと洩れてしまった言葉に、長門たちが振り向いた。

 

「提督……?」

 

 怪訝そうに呼ぶ長門に対して、俺は『お前のせいで悲しい思い出が蘇ったやろがい!』と言いかけるも、喉元まであがったそれをのみ込む。普通に考えて長門のせいじゃないうえに司令部レベルが低いのに油断していた俺のせいで苦戦を強いられただけなのである。すみませんでした今度からよそ見操作はしません。

 

「神風と松風は思い出深くてな。二人が泣いているのを見ると、私まで悲しくなってしまったのだ」

 

 神風、松風ともにイベントの報酬艦娘で、神風の次に実装されたのが松風だ。

 一年越しで実装された松風を手に入れる時、俺はきちんと、油断せずにはいすみませんよそ見操作でまたも乙作戦を選び苦戦しました。白状します。

 ――……とは言え、とは言えだ! 一年も経てばエンジョイ勢でガチガチに育てているわけでは無い俺の艦隊とてかなり成長していたので、神風を手に入れた時ほどの苦労はしなかった。けどもう輸送作戦は嫌いになった。そういや、分解した彩雲を運んだなぁ……。

 

「神風に初めて出会ったのは基地航空隊の設営に携わった頃だったかな……」

 

 言いながら、書類を小脇に抱えて長門と神風、松風の傍にしゃがみ込む俺。

 間近で見る神風たちの姿は艦隊これくしょんに出てきた時の立ち絵とは程遠く、かわいらしさはそのままだが、目元は赤く、服はところどころ煤けているのが窺えた。この世界に来て艦娘が大破している姿は見たことないが、立ち絵では嫌と言うほど見てきた俺は、小破しているのか? というような印象を受けつつ、とりあえず泣き止ませるために適当に話題を考える。

 

「基地航空隊とは、提督――いつの……」

 

 神風と松風の頭を交互に撫で、意識せずに長門の問いに返す。

 

「五年前、くらいか。その頃は多くの仲間がいたが、私は日陰者でな……艦隊運営に携わる強者達の後ろで、零れ落ちてくる情報ばかりを集めるしか能の無い男だった。その次の年も成長など全くしてなくて、同じように、作戦に参加していたのだが、やはり零れ落ちてくる情報を得るだけの日陰者であるのは変わらず……まぁ、その情報で海域を突破する糸口を掴んで輸送作戦は成功した訳だが、その頃に見た神風と松風はとても凛々しくてなぁ……」

 

「五年前、四年前と言えば、まだ提督は……い、や……待て……提督、その話は、本当か……? 誰からか彩雲を分解して輸送するなどという、無茶な作戦が出たとは、聞いていたが……!」

 

「あぁ、あったな……防衛強化に、分解輸送で偵察戦力を緊急展開し、戦略偵察……懐かしいものだ」

 

「戦略偵察は、成功してからやっと事後通達されたような機密作戦だぞ……!?」

 

 長門の問いに続き、背後で大淀が唖然とした表情で俺を見て続ける。

 

「提督は、あの『基地航空隊開設作戦』に、『友軍救援作戦』と『光作戦』に従事していらっしゃったのですか……!?」

 

 俺は思わず、あっ、と洩らし慌てて「ただの冗談だ、すまん」と首を振って見せた。

 艦これ世界に来たのは昨日今日の話で、イベントの話など艦娘を混乱させるだけだ。ましてやこの世界で俺は初めて働いていて海軍の何たるかなど知るわけも無いので、思い出話は禁句も禁句……やっちまった……! 井之上さんに素人とバレるなと言われておきながら思いっきり大淀たちにはバレているし、これ以上無能とバレたらこの場で跡形も無く消されたっておかしくねェッ……!

 

「じょ、冗談って……いや、提督……あの作戦は海軍上層の多数の関係者が殺――」

 

「冗談だと言っているだろう。昔の話だ、俺は知らん」

 

「……そう、仰るのでしたら」

 

 ご、強引過ぎたか……? いやしかし、突っ込まれるよりはマシだ、ポジティブシンキングでいこう。

 気を取り直し、俺は神風と松風に言う。

 

「あー……その、なんだ。私が知っているお前たちは、凛々しく、とても気高く、仕事で心が歪みはじめた私を大いに救ってくれた思い出深い艦娘なのだ。だから、泣かないで欲しい。お前たちが泣いていると、私まで悲しくなってしまう。どうして泣いているのか、理由を教えてはくれないだろうか」

 

 まあ長門がいきなり圧かけて泣かせたのは明白なんだが……ここでちらりとでも長門を見てくれたら、俺はそれを理由に『ほーらお前! 怖がらせるからぁ! 下がれ下がれ!』と危険を遠ざけてやるポーズがとれる。後から長門に殴られる可能性は高いが、山元大佐にぶん殴られるよりマシである。

 艦娘に殴られて死ぬなら本望なのだ、俺は――

 

「し、司令官、に……私たちは、雑用でも、していろ、と、言われ……ひっく……」

 

「姉貴……! だ、だめだ、何で言うんだ! こんな事がバレたら、今度こそ沈められちゃうかもしれないんだぞ!?」

 

「沈められる? どういうことだ」

 

 俺の問いに、二人は押し黙る。

 代わりにというようにして、あきつ丸が俺の小脇にある書類をちょいちょいと引っ張り示した。

 

「少佐殿。詳細は、そちらに」

 

「うむ?」

 

 示された通り書類をもう一度よく見て見れば、神風、松風とある情報の中に――轟沈、という報告書があった。

 

「……既に沈んでいるじゃないか」

 

 さらりと口から出た言葉に、神風と松風はびくっと肩を震わせた。俺はきょとんとして二人を見る。

 

「そ、れは……っ」

「もう僕たちは……」

 

「沈んでいるのに、ここにいる。あきつ丸、何だこれは?」

 

 問えば、あきつ丸は暫し俺を見つめて目を丸めていたが、突然大笑いし始める。

 

「何だこれは、とは……っふ……っくく、あははははっ! 少佐殿、ひっどいお方でありますなぁ! あっはっはっはっは!」

 

「えっ? えぇっ?」

 

 えっ、あきつ丸何で笑ってんの? なにこれ? 怖いんですけど?

 俺もしかして変な事言った? いや言ってないよね? 報告書には轟沈って書かれてるけど、でも目の前にいるもんね? 轟沈してないよね?

 あっ……いや、待て、もしかしてこれ、別の神風と松風が轟沈したっていう報告書で、この二人は違う艦娘ということか? いやでも、イベント艦娘だから建造じゃ手に入らんしな……。

 

 混乱している俺を追撃する、大淀と長門の声。

 

「提督……あの、提督の物差しを多少なりとも理解している私たちであればよろしいですが、流石に、その方たちには早いかと……」

 

「そうだぞ提督。混乱してしまうだろう」

 

 混乱してるの俺なんですけど? え? なにこれ、いじめ……?

 

 あきつ丸が大淀たちの二の句を継ぐようにして、神風と松風に話しかける。

 

「あっはっはっは! あー……いやはや、神風殿、松風殿、ご安心ください。少佐殿はお二人を虐めている訳ではありません。寧ろ本当に不思議に思っているのでしょうな。轟沈報告書があるのに、その艦娘が目の前にいるのがおかしい、と……」

 

 そうですけど? という顔であきつ丸を見るのだが、俺の顔を見たあきつ丸は再び笑いの波に襲われ、数秒笑い倒した。隣の川内が「やめなってあきつ丸……っぷ、くく」と笑いをこらえているのも見えた。お前マジ、覚えとけよ川内。夜戦させてやらねえからな。

 

「はぁぁ……少佐殿もユーモアのあるお方でありましたか。このあきつ丸、安心しました」

 

「ふ、ふむ……そうか……」

 

 なんか自尊心すごく傷つけられた気がするが、逆らえないので頷いておく。

 

「しかし、このお二方には説明しておいた方がよろしいのではありませんか? 流石の我々とて少佐殿についていくのが精一杯でありますから、お二方に同じように把握しろというのは、聊か厳しすぎるかと」

 

「いや、私は別に――」

 

「あーあー、分かってるであります。少佐殿の中では優しい方なのかもしれませんが、ねぇ、大淀殿?」

 

「……ですね」

 

 大淀まで!? いやちゃんと頭撫でてあげてるじゃん! 大人として泣き止ませようと対応頑張ってるじゃん!? 褒めろよ! 俺を、褒めろよ!?

 

 俺の気持ちは声には出ず。うーむ、という唸り声に変換されて喉を通り過ぎる。

 それを見かねたように小さくため息をつき、大淀は眼鏡をくいくいと指で押し上げながら言った。

 

「神風さんに松風さん、お二人の轟沈報告は想定内です」

 

 それから「提督、そちらを」と俺の小脇にある書類を示したので渡す。すると、書類をぱらぱらとめくりながら「やはり……もう、提督ったら」とまた溜息。

 もう許して……いじめないで……俺に分かるように説明して……。

 

「お二人の轟沈報告書は、言うまでも無く虚偽の報告書ですよね? お二人はここにいるのですから。他にも二人轟沈報告がされているようですが……まぁ、こちらもすぐに解決するでしょう」

 

 長門は大淀の言葉に一瞬だけ目を閉じ、それから言った。

 

「……提督。これで、止められるのか?」

 

「何をだ?」

 

「っ……分かっているだろう。何故、言わせようとするんだ」

 

 えぇ……わけがわからないよ……。俺は何を止めたらいいの……。

 もちろん、止める必要があったり、止めて欲しいものがあるのなら聞くつもりだ。艦娘が求めているのだから、よほどの事が無い限り俺は承認するだろう。

 しかし長門たちが言っている意味が分からないのだ。勘弁して。

 

「これで、山元大佐を止められるのかと聞いているんだ」

 

 あ……あぁ! なるほどな!?

 虚偽の報告書を書いたり、街の人から色々と搾取している山元大佐を止めろと、そういうな!?

 い、いやいや分かってたし……それくらい余裕で把握してたし……。

 

 俺は力強く頷き、情けない事を言う。

 

「いざとなれば井之上さんにも動いてもらうさ」

 

 はい。最高権力に縋ります。当然も当然である。

 俺はただの素人軍人で、今ある柱島鎮守府の運営さえ右も左も分かっていないのだ。資材が枯渇しているために遠征艦隊を組んだは良いものの、そこから得られる資材がどれほどのものかさえ予想出来ていない。多くの提督ならば遠征に出せばおおよそどれくらい持って帰るだろうと考えられるのかもしれないが、数値で完全に管理されていた艦隊これくしょんならばいざ知らず、ここは現実なのである。

 もしも微量の資材しか得られずに艦娘一人の補給もままならなかった場合など、目も当てられない。

 

「そっ……それは……! 提督は、本当に極端と言いますか、本気ですか……?」

 

 そう言う大淀に俺は大まじめに頷いた。

 既に俺が無能なのは知られているのだから、これ以上醜態を晒すくらいならば上のものに投げた方が幾分も建設的であるのは大淀だって理解出来るだろう、と。

 

「少佐殿は厳しいのか優しいのか……。ま、そういう事であります。神風殿も松風殿も、あとは少佐殿に任せておけば良いのでありますよ」

 

「僕たちは……僕と、姉貴は、助かる、のか……?」

 

「助かるも何も! 少佐殿がこの呉鎮守府に来た時点で話は終了しているようなものであります。ほら、少佐殿、お二方を撫でて甘やかすのも良いですが、大佐がお待ちでありますよ」

 

「えっ、あっ、はい」

 

 混乱し過ぎて神風と松風を無意識に撫でていた……何を言っているか分からねえと思うが、俺も良く分からねえ……。これから俺は山元大佐に怒られに行くわけだが、あきつ丸に早く怒られてこいと急かされたのか……? そうだね、仕事しろってことだね。はい。

 

「……気が進まんが、行くほかないか」

 

 神風たちの頭から手を離し、重い重い腰を上げて立ち上がる。そして――俺は叱責されに――。

 

 

* * *

 

 

 呉鎮守府、執務室前。

 神風たちを連れた俺は、柱島鎮守府の執務室と似たような扉の前に立つ。

 

 松風が恐る恐る扉をノックすれば、太い声が返ってきた。

 

「入れ」

 

「し、失礼、します……! 司令官へ、お客様、が……」

 

「随分と早い到着だなぁ?」

 

 あ、ぁあぁああ……! やはり怒っていらっしゃる……!

 しかしここで足踏みしていてはさらに怒りを買うだけ……死なばもろとも、ここには柱島鎮守府四天王もいる……いざとなれば一緒に頭を下げてもらうのだ……!

 

 勢いをつけて「失礼します!」と入ろうとした俺だが、緊張し過ぎて松風が前にいることを忘れており、押しのけるような形での入室となる。

 それだけでもかなり印象が悪いだろうに、あろうことか威厳スイッチを入れたままの俺の口は失礼します! を自動翻訳。

 

「入るぞ」

 

「っ……!」

 

 や、やっべぇぇえええぇえ!? あ、謝れ、すぐ謝れ俺ェッ!

 とととととにかく落ち着いて、ままだあわ、あわわ慌てる時間じゃない……!

 

 

 呉鎮守府の執務室内も、柱島の鎮守府と殆ど変わらず、細かな内装は違えど、置いてある家具の種類が変わっているくらいだった。

 俺はさっさと部屋に入り、応接用のソファーに腰を下ろしてしまったのだった。

 これが面接ならば即追い返されていただろう。が、山元大佐は俺を見て驚きこそすれ、咳払いを一つしただけで帰れとは言わなかった。

 

 この機を逃せば謝罪の余地は無くなってしまう、と俺は開口一番、山元大佐を見て言った。

 もちろん、叱責を逃れるためにさらりと話題も添える。俺は出来る社畜なのである。

 

「挨拶に伺うのが遅くなって申し訳ない。が、その前に聞きたいことがいくつかある」

 

 俺の声の間に、ごそごそと入室してくる大淀たち。

 

「聞きたいこと? はて、元大将閣下が何を聞きたいのですかな。それに大勢の艦娘までつれて」

 

 元大将閣下、という言葉を聞いて頭の中で無意識に柱島へと送られた日を思い浮かべた。

 状況が把握できないままに鼻っ柱を殴られた日の怒りが浮かんだ時、それに触発されたかのように宇品の街で聞いた話が思い出される。

 

 人の怒りにはたくさんのパターンがあるらしいが、その中でも大きく分けて四つあるという。

 一つ目は、強度の高い怒りだ。一度怒ると気が済むまで怒鳴り散らしてしまうもの。

 二つ目は、長く続く怒り。いわゆる根に持つ、というものだ。思い出して怒る、などもある。

 三つ目は、頻度の高い怒りで、年中怒っているなどがこれに当てはまる。

 そして最後が、攻撃性のある怒りだ。これは何も他人を攻撃するだけではなく、自分を責めることも当てはまるのだとか。

 

 俺はその全てに当てはまった、全力の怒りが胸を焼く感覚を初めて覚えた。

 

 この世界に来る前から、延々と怒鳴られ続けて憔悴しながらも理不尽に対して暗い暗い怒りを抱えていたし、思い出しただけでも胃が熱くなる。

 そしてこの世界に来てからは、艦娘に出会えたことで一時癒されはしたものの、現実を知り、三つの怒りが同時に生まれた。主に、俺の目の前にデスクに肘をついてどっかりと座る山元大佐に関する事で。

 

 人はこれを逆切れと言います。良い子はマネしちゃだめだぞ。

 

「どうにも、海軍から街へ物資を要求する行為があったと、ある市民から聞いたのだ。その事実確認をしたい」

 

 はん、と大佐の笑い声が嫌に鼓膜を揺らした。

 

「っは、何を聞くかと思えば……我々呉鎮守府は日本国を守る大義をもって艦隊指揮をしているのだ。貴様のようなぽっと出が噂話に振り回されるなど笑い話にもならん。そんな事実は――」

 

 俺は大人気なく大佐の話を遮る。

 

「あきつ丸」

 

「っは、こちらであります、少佐殿」

 

 書類を、と言おうとしたのだが、あきつ丸は瞬時に俺の意図を読み取り書類を横から差し出してきた。

 さっき笑ったのは許す。俺は艦娘に対してはチョロインなのである。

 

 俺は書類を一枚一枚捲りながら、書いてある内容を読み上げる。

 あきつ丸が細かくメモをとっていたようで、達筆な字で書いてあるそれを声に出すだけで詳しく見ずとも内容が把握出来た。それと同時に、山元大佐があまりに杜撰な艦隊運営をしている実態を知る。

 

「報告と差異の激しい艦娘所属数。遠征で得られた資材の増減幅、取得海域と近隣を哨戒していたはずの通常艦船からの報告が違うようだが、これはどういう事だ。資料には通常艦船は憲兵が主となって運用しているもののようだが。そのほかにも、宇品、五日市、呉と港町に絞って物資を得ているようだな。食料のほか、金品も受け取っていると証言を得ている。まず、私と山元大佐が話すには――これらの問題を解決してからとは思わんか」

 

「そ、そんな証言、なんの証拠になるというのだ。食料や金品など大本営から送られてきているもの以外、この鎮守府には無いが? 正式な書類でも持ってこい。昨日のことは水に流してやろうと思っていたが――」

 

 デスクに肘をついていた山元大佐が、ぎっ、と椅子を鳴らして座りなおす。

 昨日の事は水に流す? それはありがたいが、それとこれとは別である。

 俺が悪かったところは謝るべきだが、街の人々がやられていることが事実であれば――事実なのだろうが――大問題なのだから。

 

「失態は謝罪しよう。初日に挨拶に行くという職務に重要なことを失念していたのは私の落ち度だ。しかし、それとこれとは別で……」

 

 ダンッ! と大きな音を立ててデスクに拳を叩きつけた大佐に身体が跳ねそうになった。

 こういう時、社畜時代に得たポーカーフェイスは役に立つ。切ない。

 

「我々は深海棲艦という化け物と戦争をしているのだ! 挨拶に伺うということがどれだけ重要なことなのか、貴様は今自らで言ったな? なぁ!? そうだ、連携が無ければ怪物に勝利など出来ないのだ! それを差し置いて重要なことなど他に――」

 

 こいつも話題を逸らすかッ……俺と同じ匂いがプンプンするぜェッ……!

 山元大佐は社畜は社畜でも、社畜を使う方――俺の大嫌いな上司たちにそっくりだぜ……!

 

 しかし残念ながら俺はもう、社畜ではない。嫌味な上司に従う必要も無いのだ。

 何故ならば――俺には井之上さんという素晴らしい上司が既にいるのだからな……!

 

 なので何度でも話を遮る。井之上さんも電話で呉を気にかけている様子があったし、宇品で寄ったお好み焼き屋のお婆ちゃんも井之上さんの知り合いだった。アオサぶっかけられたけど、それはさておき、上司の知り合いが苦しむようなことを部下である山元大佐がしてよいはずがない。

 それに加えて艦娘を泣かせるような仕事をしているなど言語道断。俺も泣かしてるけど、まぁ、俺はね、新人だからね、ノーカンでね。

 

 俺は! 堂々と責め立てるぜ! 屑って呼んでくれよな!

 

「ほう、連携が大事……提督たるもの、重要も重要だな。その通りだ。私も、そのように艦娘には指示している。手を取り合え、と」

 

「そっそうだろう。分かっているではないか……。ならば、それに従事する艦娘も、守られている国民も協力するべきだ、違うか?」

 

「違うな」

 

「なっ……」

 

 勢いで否定しておきながらも、頭は空っぽだった。しかし、言葉は自然と口からすらすらと出てきた。

 

「挨拶など形に過ぎん。挨拶をしたら戦争に勝てるのか?」

 

「……」

 

「艦娘を轟沈させ、街から搾取し、連携が大事だと口にしながらお前は何をしたのだ。言ってみろ」

 

 正直、自分が嫌いになるくらいの八つ当たりが含まれているのは否めない。

 が――俺は言うぜ! 屑って呼んでく……もう呼ばれてそう。

 

「戦争に犠牲はつきものだろう。それを減らし先を見据えるのが軍人の仕事であり、ただただ暴れるだけが仕事では無い。勘違いするな。街の人がなんと言っているか聞いたことはあるか? 苦しい、つらい、もう嫌だ……軍人の仕事は人々を苦しめることなのか? 艦娘を苦しめ、沈める事が仕事なのか?」

 

「言わせておけば――」

 

「質問に答えろ」

 

 その時、俺の耳に神風と松風であろう、鼻をすする音が聞こえた。

 山元大佐がそちらに向いて「何を言った、貴様らァッ……!」と低い声を出した時、目の前がふと、真っ白になった。

 

「――彼女らはお前の部下だろうがッ!」

 

「っ!?」

 

 きぃん、と耳鳴りがするほどの静寂が部屋を包む。その静寂さえも腹立たしく、俺は子どもの癇癪のように怒鳴り散らしていた。

 やはり、艦これプレイヤーの俺はどうしても艦娘を第一に考えてしまって、軍だとか、平和だとかも大事なのだろうが、二の次になってしまう。

 

 立ち上がり、ずかずかとデスクの前まで行くと、座っている山元大佐の前に、ばん、と手をつく。

 

「お前は前線に立ったことがあるのか!? 恐ろしい深海棲艦とやらを目の前にして戦ったのか!?」

 

「それは、艦娘の仕事で――!」

 

「それを指揮しているのが我々提督だろう、甘ったれるな馬鹿者がッ! 言わんと分からんか? 我々は彼女らの命を抱えているのだ、この手に、腕にッ! 見ろ、お前の部下を! 傷ついてもなお鎮守府に帰って来たのだ、平和のためにッ!」

 

 しかし、いや、と口ごもる山元大佐の顔を見て、どんどんと体の熱が上がっていくのを感じながら、俺は資料をばしばしとデスクに叩きつける。

 

「何故轟沈報告が上がっている! 言ってみろ! 彼女らの目の前で、ここで!」

 

「し、ずんだと、思って……――」

 

「ならば訂正するのか!?」

 

「いやっ、もう、大本営に提出して……訂正すれば、その……」

 

 如何に弱弱しい者でも、ひとたび怒れば言い返したり出来ないものである。山元大佐はまさにそれだったのだろう。

 訂正すれば問題無いのか、はたまた問題なのか口にしない山元大佐にもう一度問おうとした時、大淀の声が聞こえた。

 

「提督……轟沈報告は、基本的に訂正される事がありません。前例が、無いので……」

 

「なに……?」

 

 俺が振り返ると、大淀はビクリとして目を伏せ、早口で言った。

 

「ごっ轟沈報告があれば艦娘は所属を失います。ですので、神風と松風は未所属の艦娘として、敵意が無い限りは保護される対象となりますが、ほ、殆どは雷撃処分を――」

 

「もういい」

 

「――は、はっ、しかし」

 

「もう、いいと言っているんだ。嫌なことを言わせたな。すまない」

 

「……」

 

 熱がほんの少しだけ冷め、再び山元大佐に顔を向ける。

 

「……どうするのだ」

 

「どっどうする、とは、なんだ……?」

 

「彼女らは未所属の艦娘となったようだが、お前は彼女らをどうするのかと聞いている」

 

「そ、れは……そ、そうだ、私の所で保護しよう! これでいいだろう? そうすればまた使ってやれる! な!?」

 

 が、再び、倍以上の熱を帯び、目の前を白く染める。

 

「使って、やれる、だと……? お前は、艦娘を何だと、思っている……?」

 

 内臓が全て痛むような怒りだった。聞きたくも無いのに聞いてしまったのは、ほんの少しでも山元大佐から優しい言葉が出てきてほしかった願望が現れたのかもしれない。だがそれは叶わず。

 

「艦娘は我々人類を救う兵器だ! 深海棲艦に唯一対抗出来る……!」

 

「そう、だな……兵器だ。彼女らは、間違いなく兵器だろう」

 

「だろう!? ならば――」

 

「それは一面だ。『兵器でもある』という、ただの性質に過ぎん」

 

「え、ぁ……?」

 

「兵器だから何をしても良いのか? 沈んだらそれで、仕方がない、と。そうか、そうか……」

 

 俺は最低な事をする。そう誰に言うともなく心の中でのちの懺悔を想いつつ、

 

「お、おい、海原、何――ガッ……は、ぉ……!?」

 

 資料を握りしめた右手を、振り抜いていた。

 運動などろくにしてこなかった俺の拳は山元大佐からすれば痛くもかゆくも無いだろう。さりとて、成人に本気で殴られたら、如何に鍛えていたとしても鼻血くらいは出る。

 さらに言えば、油断しているところを殴ったのだから、混乱もするだろう。

 

 山元大佐はぼたぼたと鼻血を流しながら、目を白黒させて俺を見る。

 

「これは私怨だ。裁きたくばどうとでもするといい。だがな、私は認めんぞ。お前のような提督がいるなど、絶対に認めん。神風と松風は私が保護する。異論は」

 

 山元大佐は首をぶんぶんと横に振るも、声は出さない。

 

「――ならば、以上だ。街のこと、憲兵のこと、艦娘のこと……もう答える気はないのだろう?」

 

 数秒、十数秒、大佐は俺を見つめたまま固まっていたが、数十秒経ち、ぽつりと言った。

 

 

 

「……憲兵を、呼んで、いただきたい」

 

「なに……?」

 

「五日市と宇品、呉に駐在している憲兵は、ダメだ……私の息がかかっている。他の駐屯地から呼んでいただけない、だろうか……」

 

 鼻血を止めるように押さえながら、俯いて言った大佐。

 俺が大淀に「呼べるか」と問えば、小さく「っは」と声が返ってくる。

 

「……海原、少佐。何故、そのような」

 

「……」

 

 声を待つように沈黙を返せば、山元大佐は両手を血で染めた状態で顔を上げた。

 

「絶望しないのか……? 深海棲艦が衰える気配は、無いというのに……もう、残された時間を生きるだけの人類に、我々に何が出来るというのだ……? 艦娘を鍛えて戦地へ送っても、微々たる戦果で毛ほども勝機は見えんではないか……なら、いっそのこと……」

 

 艦隊これくしょんをしている時とは重みが違う。これは戦争だ。

 一緒にしてはいけないと分かっていても、どうしても俺はそこを基準に考えてしまって、ふむ、と吐息を洩らす。

 

「無限に湧き続け、危険ばかりだな。だが、それがどうした」

 

「だ、だから、勝てぬ戦争に挑むなど愚かな真似……!」

 

「――なら、勝てぬ未来を変えたら良いだろう? 鍛え続け、戦略を変え、何度でも挑めばいい」

 

 山元大佐はきょとんとした顔で俺を見る。

 

「勝てないから諦める、では何も始まらん。お前は諦めているのかもしれんが、艦娘は諦めていない。だから戻ってきたのではないのか。この世界へ」

 

「……っ!」

 

「敵は多いだろう、我々の想像をはるかに超えて。しかし我々には艦娘がおり、指揮する者がいる。それも一人では無い。三人寄らばなんとやら……それが、倍以上だ」

 

 俺の背後ですすり泣く声。神風か松風だろうか。

 これ以上ぐだぐだと話をしても仕方がない――何より叱責を回避しようとしただけなのに、感情任せに上司までぶん殴ってしまった。

 すすり泣く声に完全に冷静になってしまった俺は、胸中で『感情に振り回される情けない男ですまん……』と謝罪しつつ、話を切った。

 

「ん、んんっ……挨拶をしに来たと言うのに、申し訳なかったな。っと、そうだ」

 

 上着の内ポケットから書類を一枚取り出し、山元大佐に差し出した。

 

「これは……」

 

「演習の申し込みだ。出来ればここの鎮守府にいる艦娘の練度や装備などを参考にしたかったのだが……まあ、いつでもいい」

 

「い、つでも、いいって……海原、少佐……」

 

「憲兵を呼ぶのだろう? 忙しくなるだろうから、また次の機会で良いと言っているのだ。話題作りになれば、あわよくば勉強させてもらえたらと思っていたのだがな」

 

「……っ……ぐ、ぅっ……ぐぅぅぅっ……!」

 

「えっ」

 

 突然、山元大佐が歯を食いしばって泣き始めた。

 

 えっまって。待って待って。ちょっと、えっ? 何で?

 ごめんごめんごめん! 殴ったのはやり過ぎたな!? そうだよな完全に八つ当たりだもんな!?

 

 そ、そりゃあ山元大佐は悪いことをしたのかもしれない。街の人からあれだけの不満が噴出してたのだから、言い逃れは出来ないだろう。艦娘が轟沈した訳でもないのに、轟沈報告を上げるような適当な仕事をしているのも悪い。けど仕事に関して俺は部下であって書類については妖精に手伝ってもらわなきゃ出来ない俺が口出しなんてもってのほかだ。

 あ、そ、それに挨拶な! 挨拶しなかったのは確かに俺が悪い! なのに突然やってきて怒鳴り散らして殴るとか頭おかしいんじゃねえのってな!? はい、すみませんでした! 調子乗りました! 許して!

 

「な、泣くな。軍人だろう! 男だろう!? 泣いて何になるというんだ!」

 

 泣きたいのは俺だ! クソァッ! まーた面倒なこと起こしやがって!

 はい。面倒ごとを起こしたのは俺ですね。すみません。

 

「うぐっ、ぐぅぅっ……! は、はいっ……!」

 

 敬語になるなよぉぉ……。

 

「過去は変えられん、故に我々は未来を変えるのだ」

 

 艦娘に慰められたら元気も出るから! な!?

 という風に慰めるのだが、山元大佐は泣き止む気配などなく――椅子から勢いよく立ち上がり、軍帽を脱ぎ、ずんずんと大淀たちが控える場所まで行くと――その場で勢いよく土下座した。勢いが強すぎて、がつん、と鈍い音が響く。

 

 いやだから何で?

 

「山元勲(やまもと いさお)、この場で腹を切って詫び――」

 

 待て待て待て! 切るなよ!?

 慌てて止めようと口を挟む俺。

 

「切って何になる。それよりも、やることがあるだろう」

 

 仕事とか仕事とか、仕事とかな!? くっそ社畜だから仕事しか浮かばねェッ!

 

「海原少佐……! し、しかし、私は軍人ながらに国に、艦娘に唾を吐くような真似をしたのであります! 腹を切って詫びねば示しがつきません! 憲兵に射殺されようとも、構いません!」

 

 であります口調はあきつ丸の特権だろうが! いや違う、そうじゃない。

 射殺!? いやいやダメだよ! せめて俺の目の届かないところでお願いします! いやこれも違う!

 死ななくていいよぉ……それよりも仕事してよぉ……。

 

 どうすれば――あっ。

 

「あきつ丸。井之上さんに繋げられるか」

 

「は、はっ……!」

 

 混乱した様子であきつ丸はポケットから携帯電話を取り出し――いやお前携帯電話持ってるじゃん!?

 俺に井之上さんの番号教えられないなら、せめてそっちの番号は教えろよ……!

 

 ポーカーフェイスのまましばし待てば、あきつ丸は電話を耳に当てて喋りはじめる。

 

「あっ、元帥閣下、あきつ丸であります。あ、あのっ……」

 

 山元大佐は頭を上げないまま固まってるし、神風と松風は怯えて長門の後ろに隠れてしまっているし、大淀と川内は俺から目をそらしてしまうしで、滅茶苦茶である。泣きたい。

 あきつ丸が「海原少佐殿が、はい、はい……代わりますので……」と言って、電話を差し出す。

 

「井之上さん、何度も申し訳ありません。海原です」

 

『どうしたと言うんだ。何かあったのかね?』

 

「……山元大佐の件についてですが、憲兵に連絡をしてくれと言っておりまして」

 

『そ、そんなこと、出来るわけないだろう! 憲兵の一部さえ操っておるという情報があるというのに……う、うん? 言って、おりまして?』

 

「はい。ですので既に憲兵を呼んでいるのですが、腹を切って詫びるなどと無茶を言う始末で……どうか一言いただけませんか」

 

『海原、お前……何を、した……?』

 

「……えーと」

 

 正直に言えば怒鳴って殴っただけである。言えない。井之上さんマジごめん。

 俺はそのまま電話を山元大佐に差し出しながら、頭を上げるようにと背を叩く。

 

「――井之上元帥閣下だ」

 

「は、はっ……! ――山元で、あります……元帥閣下。お久しぶりです」

 

 井之上さんの声は大きく、やはり少し離れていても会話が聞こえてくる。

 

『何があった。簡潔に話せ。何故海原少佐がワシに連絡を寄こしたのか』

 

「……呉鎮守府における数々の不正、及び、艦娘の私的利用、轟沈報告書類の偽造等について、言及されました。私はすべて認め、憲兵を呼んでいただけるよう、お願いを」

 

『なっ……に、が……山元、一体どうして、手のひらを返すような……』

 

「――真の軍人を、私は初めて見ました……如何に己が矮小か、思い知った所であります……此度の責任は全て私にあります。如何様にしていただいても構いません。せめて、最後は軍の規律に殉じようと思います」

 

『死ぬぞ。構わんのだな……?』

 

「……はい――」

 

 いやいやだから待てってぇ!?

 山元大佐から電話をひったくり、いっぱいいっぱいになりながら言い訳を紡ぐ俺。

 どのような理由であれ俺が関係していることで人が死ぬとか勘弁して欲しかった。

 

「い、井之上さん! 少し待ってください! 確かに山元大佐は様々なことをしたのかもしれません! しかし、彼の知識やノウハウを切り捨てるなど愚の骨頂! せめて……そ、その知識を残す時間をいただけませんか!? 出来れば、あ、あー……えーと、か、艦娘に! 謝罪する機会をお与えいただけませんか!?」

 

『海原!? お前、本当に何を言っているんだ! そやつは虚偽の轟沈報告をしたのだぞ! 言うなれば、艦娘を殺――』

 

「あ、あー……手元の資料によりますと、えー……! 長門型戦艦の二番艦、陸奥、神風型駆逐艦の一番艦、四番艦である神風と松風、天龍型軽巡洋艦の二番艦、龍田の虚偽報告、ですよね!? その他に報告は上がっておりますか!?」

 

『う、む……待っておれ』

 

 沈黙が数分。

 

『呉鎮守府から上がっている報告は、その四隻のみだ。呉鎮守府以外からの轟沈報告は多いが……』

 

「そ、そうですか! あー、えーと……!」

 

 思わず山元大佐の傍にしゃがみ込んで、背中をばしばし叩く。

 お前も言い訳考えろってぇ!

 

「その艦娘は――」

 

 と、言いかけた時、何故か電話も持っていないのに大淀の声が入り込んだ。目の前の大淀は口を開いておらず、ただ俺を見つめている。お前……腹話術できたの……? 何で今するの……?

 

『お話の途中、失礼いたします元帥閣下。軽巡洋艦大淀です。轟沈報告のあげられている四隻については、既に柱島鎮守府の遠征部隊が保護しております。ですので、轟沈報告では無く――異動報告に変更をお願いいたします』

 

 えっ? なんで?

 

『な、んと……そうか……海原が……っくく……そうか……! 大淀、お前は柱島に所属している大淀か?』

 

『っは。海原提督のご指示で、全て問題無くサルベージが済んでおります』

 

『っくくく、海原に代われ、大淀』

 

 大淀は俺を見て、どうぞ、という風に頷く。いやお前、いや、どうすんのこれ!?

 

「か、代わりました、海原です……」

 

『こんの――馬鹿者がぁッ!! あれだけ無茶をするなと言ったのに、舌の根の乾かぬ内にお前はァッ!』

 

「ひぃぇっ!?」

 

『大馬鹿者が……全く、心配をかけるんじゃない……本当に。だが、山元大佐を押さえたのは大きい。よくやった。のちの処理はこちらに任せておけ』

 

「えっ、あ、はぁ……」

 

 

 

 

 

『老体に鞭を打つような真似してくれよって……くっくっく……仕事が増えたわい』

 

「すみません……」

 

 山元大佐だけじゃなく、井之上さんからも怒られた……ショック……。

 というか、遠征隊に資材持って帰ってこいって言ったのに……何で消費する方向で動くの……? バカなの……?




長くなってしまいました……。


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三十一話 報告【艦娘side】

 柱島鎮守府――食堂。時刻、フタヒトサンマル。

 

「これが今後のローテっちゅうわけやな。ほいほい……」

 

「はい。明日一日を空けて明後日からだそうです。本当なら皆さんに声を掛けたかったところだ、とおっしゃっていましたが、流石にお休みいただきました」

 

「仕方ないだろう。昨日から丸一日、働きづめだったのだからな」

 

 私は提督から手渡されたローテーション表を全員に配り終え、やっとのことで席について食事を始めたところである。

 呉鎮守府から帰ってきた私は現在、全員に事の顛末を報告しているのだった。

 

「提督さんは、もう寝ちゃったっぽい……?」

 

 遅い時間だというのに食堂には殆どの艦娘が集まっており、食事を終えている者も提督の話を聞きたそうに私に視線を投げている。

 私の隣には夕立が座っており、そわそわと髪の毛をいじりながら提督の様子を問う。

 

「今の今まで執務をなさっていましたが、休む、と言った後、殆ど気絶するように、そのままお眠りになられて……驚きましたよ。本当なら部屋に戻って寝ていただきたかったんですが、今は執務室のソファーに」

 

 はぁ、と溜息を吐き出しながら、全員が食べたいと言ったらしい焼き魚定食にやっと手をつけつつ、その横にどっさりと積み上げられた書類を一枚手に取り、行儀が悪いと承知の上で話し続ける。

 

「食事をしながらの説明ですが、許してくださいね」

 

「いいっていいって、食いながらでよ。大淀もぐったりだしな」

 

「すみません……」

 

 天龍が頭の後ろで手を組んだ状態で、椅子に斜めに座りながら言うので、ありがたく味噌汁を一口啜った。あたたかな味が口内を満たし、こくりと飲み込むと、また自然と溜息が出た。

 天龍の横に座っている龍田は既に入渠を終えたようで、身綺麗な格好で姿勢正しく座り、ニコニコと微笑んで天龍を見ていた。

 

「呉鎮守府の大佐の息がかかった憲兵隊がこの柱島鎮守府に納める資材を色々と運び込むことになっていましたが、実際には資材の一部――というより、その大部分を呉鎮守府に運んでいたことを認め、その返却が行われました。燃料、鋼材、ボーキサイト、弾薬、それぞれ千七百です。呉鎮守府の山元勲大佐は即時更迭、現在は元帥閣下の指示で鹿屋(かのや)基地から一時的に人員を出向させて、鎮守府を維持するとのことです。鎮守府警備以外の出撃制限をかけられておりますので、我々柱島鎮守府の艦娘の警備地域を拡大し、対応します。宇品、五日市、呉に駐在している憲兵も関わっているということで明日には本格的な調査が行われるそうです。そ、れ、か、ら……えー……呉鎮守府の機能は維持されますが、制限は大きくかけられますので、その間に使われない資材は接収という形で、この鎮守府に運び込まれております。これによって資材の枯渇は完全に解決しましたので、ローテーションの遠征で得られる資材も考慮すれば、余裕を持った運営が可能でしょう」

 

 そこまで言ってから私は一度書類を置き、白ご飯を一口食べ、続いておひたしを食べる。咀嚼している間にも、方々から質問が上がり続けており、私はそちらを見て咳払い。どうぞ、という意味で。

 

「この場にいる全員が気になっていると思うのだが、貴様は途中で提督の話し合いの音声を切っただろう。どうして流さなかった?」

 

「機密事項に抵触する恐れが――」

 

「着任初日に元帥と提督の電話を盗聴した貴様がよく言えたな」

 

「んぐっ、けほっ! ごほっごほっ! そ、それは――!」

 

 ご飯が喉に詰まりかけて咳き込んでしまった……! 質問の主、重巡洋艦の那智の言う通りではあるのだけれど、本当に機密事項であったからとしか言えない……。あの後、すぐに他の駐屯地から憲兵隊が大勢やってきた上に、ばたばたと呉鎮守府をひっくり返す勢いで調査が行われたのだ。所属艦娘に対しての聞き取りや健康状態の検査も含め、蜂の巣をつついたような騒ぎになったのだから。

 提督も憲兵隊に情報の出所を聞かれていたが、それについては「お前たちから漏洩したとは考えんのか?」という厳しすぎる皮肉で閉口し、聴取もされずに終わっていた。

 それ以外にも、提督の怒鳴り声を流すのは如何なものかという理由もあったが、どう答えたものか。焼き魚をつつきながら考えていると、離れた位置に座っていた川内とあきつ丸が代わりに返答してくれた。

 

「逆に、大淀に感謝しときなって思うけどなぁ? 私は」

 

「で、ありますなぁ……」

 

 二人は同時に足を組み、ぎし、と椅子を鳴らしながら身体を反らして背もたれに寄りかかる。

 那智が不服そうな顔で立ち上がり「どういう意味だ」と問えば、あきつ丸が腕組みして思い出すようにしながら話した。

 

「正直に言うでありますが……少佐殿の本気の怒鳴り声を聞いたら、歴戦の那智殿とて悲鳴を上げたでありましょう。自分も、初めて、こう……威圧と声だけで、喉を絞められた感覚を味わったでありますから」

 

「あ、はは……私も、夜戦させてよねー! とか言って和ませようとか考えてたけど、足が震えて声が出なかったよ」

 

 確かに、と深く頷いた私。あの場にいた神風と松風も食堂におり、私と同じようにこくこくと首を縦に振っていた。

 川内とあきつ丸に続いたのは、長門の声。陸奥は戦艦が故に入渠時間が長く、まだ入渠ドックで休んでいる最中である。

 

「間違っても怒らせるな、とだけ言っておこう。艦娘が提督に逆らえないとは言え、戦艦である私に対して暴力的に振舞えた大佐が拳一つで黙ったのだからな。その上、自ら腹を切るとまで言わせたのだぞ? 思い出しても信じられん」

 

 はぁぁ……と食堂全体に様々な意味を持っていそうな個々の声。そんな中で「で、でもっ」と可愛らしい高い声が上がった。本日付で仲間となった神風のものだ。

 

「司令官は、切り替えが早いお方、というか……帰る時は! 私や松風に、お腹は減ってないか? 何かしてほしいことはないか? って、いっぱい聞いてくださって……!」

 

「僕たちは艤装を使えば海を渡れるからって言っても、今は休んでいいんだって船に乗せてくれて……本当に、素晴らしい人だ」

 

 うんうん……と頷いていると、私の横から夕立の「お、大淀さん、頷きすぎっぽい……」と呆れ声。しかし提督の素晴らしさは否定できないのだから仕方がない。如何な悪事を働いていた山元大佐にも慈悲を向け、規律に反しない救いの手も考えていらっしゃったのだ。元帥閣下に直接繋いでしまうというあまりに極端で強引にも思える手ではあったけれど、理にはかなっている。軍の規律に反しないのであれば、その規律に反しているか否かの判断を下せる最高責任者を引っ張り出せばいい。それを地でいって成功させたのだから、とんでもない人、でもあるが。

 

「ままま、司令官がすごいっちゅうんは分かってんねんけどさ、結局大佐はどないなってん? 更迭や言うても相当の処分が待ってるやろ。ウチらんとこから資材パクって、街からもカツアゲやで? いくらなんでも、司令官が元帥閣下に繋いだところでどうにもならんところやろ」

 

 龍驤の言に全員が「あー……」と声を上げる。私は大分昔に、鎮守府へ配属になる前に一度だけ偶然に見かけたことのある海外のホームドラマのような反応だな、と朧げな記憶を思い出しながら言った。

 

「あぁ、それについて……報告の続きでもありますが、更迭された大佐は軍規に則って言えば処刑されてもおかしくありません。しかし提督は『培われたノウハウや知識を捨てるなど愚の骨頂』と言って止めたのです。それに……艦娘への謝罪の機会も与えてほしいと」

 

「はぁぁぁ……なんやそれ。そないな事で許されとったら、海軍は滅茶苦茶になるやんけ。艦娘らぁも会いたくないやろ、なぁ?」

 

 龍驤が長門に視線を投げる。長門は視線を受け、ゆるく首を横に振った。

 

「私や神風たちは謝罪を受け入れたよ」

 

「あぁ!? うっせやん……ええんかそれで……」

 

「本当の事を言えば、許せないさ……。陸奥や神風たちを轟沈させかけた事実は変わらんのだからな。しかし、もし私があそこで許さないと言って大佐を突っぱねれば――私はきっと、仄暗いものを胸に抱えて戦い続けねばならなくなる」

 

「……。それが怖い、っちゅうことか」

 

「少し違うな――私は全力で戦いたいのだ。胸を張って、前を見て戦いたい。だから、許した」

 

「っは、なんやそれ」

 

 龍驤がやれやれと言う風に頬杖をつく。食事を続けていた私は、助け船、とは呼べないかもしれないが、提督のお言葉を伝えねばと口を開く。

 

「――『過去は変えられん、故に我々は未来を変えるのだ』……と、提督は仰っていました。山元大佐はこれを聞いて目を覚ましたように、腹を切ると自分から言ったんですよ。あそこで許さないという選択も出来たのかもしれませんが、長門さんはきっと、それで未来を変えたのだと、私は思います」

 

「大淀……」

 

 長門に微笑みを向けたあと、私は空っぽになったご飯茶碗を持って立ち上がり、カウンターへ。間宮に茶碗を差し出すと「おかわり?」と聞かれたので「多めでお願いできますか……」と小声で返す。

 すぐに白米の小山となった茶碗が戻ってきて、それを受け取って席に戻ると、ちょびちょびと魚を口に入れながら、ごっそりと白米を口に入れ込む。はしたないが……今日は本当に疲れていて、空腹だったのだ。

 艦娘になって久しくなかった感覚に、私は戸惑いつつも嬉しさが勝っており、食事を存分に楽しみたかった。

 

 そんな食べっぷりに食事を終えたはずの夕立も「お、お腹減ってきたっぽいぃ……」と立ち上がり、カウンターへ。間宮に「おにぎり! おにぎり食べたいっぽい!」とねだり始める。

 間宮と伊良湖はくすくすと笑って「はいはい」と準備し始め、夕立はその様子を見ながら「わぁぁ……!」と声を上げた。

 

「驚きましたよ。小さな船で出て行った提督が、輸送船を連れて帰ってくるんですもの。ねぇ、加賀さん?」

 

「鎮守府の艦娘総出で搬入することになるとは思いませんでした」

 

 ずず、とお茶を啜りながら言う一航戦の二人。続けて、二航戦の二人も言う。

 

「資材以外にも、返却する予定だった街の人のお金とかぜーんぶ返したのに、逆に持って帰って欲しいって言われたんでしょ?」

 

「すっごかったよね、食料の量」

 

「ねー」

 

 提督はあの後、呉鎮守府に保管されていた様々なものの返却に奔走した。憲兵隊の一部にも手伝ってもらって三つの街に届けようとしたのだが、金品を返せば、同等かそれ以上の食料や雑貨、お礼の品などを貰って帰ることになったのである。

 結局、一度に持って帰れないが、何度も往復するわけにもいかないということで宇品港にある会社から輸送船を借り受けて運び込むことになったのだ。圧政から解放されたということもあってか、提督は一躍有名人になってしまった。

 

 別に有名人になることが悪いことではないし、私としては、私たちの提督が素晴らしい人であると周知されたことに喜びを感じている。しかし、なんというか、私が一番早くに出会ってその素晴らしさを知っているのだから――……私は何に嫉妬しているのだろう。い、いやいや、嫉妬じゃない。

 

「これでとりあえずの運営の目途は立ちました。明石も運び込まれた資材を見て目を輝かせていましたが、それがいつまで続くやら……といったところです」

 

 ふふ、と笑うと、潜水艦隊の旗艦であったイムヤが首を傾げた。

 

「それってどういうこと?」

 

「明後日から資材の調達に遠征に周っていただくじゃないですか? それで開発の余裕が生まれたので、一日に数度、開発を行うと提督から命令書が出ています。これもローテーションになっていて、レシピ? というものもありまして……私が見ても一目では分かりませんが、明石と妖精に見せれば分かるということで」

 

「何それ、見せて見せて?」

 

「どうぞ」

 

 イムヤは私のもとへ来ると、書類をじっと見つめる。

 

「最低値の開発を最低値、十、十、十、十……建造を三隻、三十、三十、三十、三十……? 次の日は、十、九十、九十、三十……ダメだ、分かんないや。っていうか、建造もするの?」

 

「えぇ。建造ドックも二つありますから、精力的に活動していく、との事です。なんと言いますか……艦隊運営から長年離れていたとは考えられないくらい、手際が良すぎると言いますか……」

 

「確かに……司令官ってさ、ほら、そのー……六年もさ、ほら、ね? なのに何でこんな命令書をすぐに作れたんだろう」

 

「そのことについてだが」

 

 長門が腕組みをして、食堂を見渡しながら話す。

 

「提督はもしかしたら――もしかしたら、だぞ。憶測の域は出ないが、過去に実行されたいくつもの大規模作戦に関わっている可能性がある」

 

 全員黙り込み、カウンターでおにぎりを握っていた間宮や伊良湖、夕立も長門を見て固まった。

 

「な、長門さん、それは言ってもいいのでしょうか」

 

「我々の中で共有するだけならば問題無いだろう。提督のことだ、いずれ話してくれるかもしれんとは言え、全員が気になっていることではないか? 大淀もな」

 

「そ、れは……まぁ……」

 

 長門は呉鎮守府に行っている時の記憶を掘り返すように唸りながら言う。

 

「基地航空隊開設作戦、友軍救援作戦……秘匿名『光』作戦……提督の口から出たのは、この三つだ。神風と松風を見て懐かしいと言っていたが、失踪していたことを考えれば、作戦に従事していたことと矛盾する。それに、提督は自らを日陰者であった、とも言っていた。零れ落ちてくる情報を得ることしか出来なかったが、それが突破口であったともな。ここから考えられるのは、提督が『大将閣下』から降ろされた原因でもあるかもしれん、ということくらいだ。大淀ならば、どう見る」

 

「ん、ぐ……」

 

 少し待ってくれ、というジェスチャーをして口いっぱいのご飯を味噌汁で流し込む。

 

「失礼しました。確かに呉鎮守府前で、そのような話をしていましたね。ご存じの方もいらっしゃると思う……というか、皆さん知っての通り、基地航空隊開設作戦は空母である艦娘にしか利用できないはずだった艦載機を陸上から使えるようにしようという作戦でした。北太平洋前線の環礁で発見された飛行場設営の適地。その地周辺の制海権を確保する前段作戦のほかに、設営隊の輸送作戦――敵の陸上戦力を無力化したあとに設営された飛行場を用いての後段作戦は、永らく制圧されていた泊地に取り残されたままであった友軍の救援に大きく作用したと。……大規模作戦だったために、多くの鎮守府から戦力が派遣されたのを覚えていないというのは、ごく最近建造された艦娘くらいのものでしょう」

 

 私は焼き魚の残りをひょいと口に入れ、咀嚼した後に漬物の残りも平らげ、そっと手を合わせて「ごちそうさまでした」と呟く。

 それから、落ち着いてお茶を飲みながら頭を整理しつつ、話を続けた。

 

「基地航空隊開設作戦については周知された大規模作戦でしたので、知っていても別におかしくはありません。問題は『光』作戦――」

 

「あーあー、あの頭おかしいんちゃうかって言われた作戦やな? 大規模作戦が終わって息もつかん間に実施された、小規模の」

 

 言葉を紡いだ龍驤のほか、空母たちを見つめながら、私は提督の行動、いの一番に開発したものを思い返して、有り得ないという気持ちがどんどん薄れていくのを感じた。

 

「ん、んんっ……おかしいかどうかはさておき、無謀であると言われた作戦です。上層部から承認が下り、作戦自体は実行されました。しかし、艦娘反対派でさえ戦力をおいそれと失うわけにはいかないと首を横に振ったような作戦です。作戦に携わった艦娘は今現在でさえ秘匿されたまま、作戦が成功したとだけ事後通達が行われた……」

 

「事後通達っちゅうんも、ほんまならせんかったかもしれんって話らしいやん。通達っちゅうか暴露に近い形やったしな、アレ」

 

 龍驤の言う通り――『光』作戦は秘匿され続けるはずだった作戦だったらしい、という話もある。

 作戦自体は成功し、大規模な敵泊地の後方兵站線を分断して大幅に戦力を弱体化することができたと聞く。その結果から、深海棲艦の出現は当時から現在にかけて相当数減っており、過去に実施された作戦が如何に大規模な泊地を壊滅に追いやったかが想像できる。

 その功績は作戦を成功に導いた者が受けるべきなのは言わずもがなだが、結局、誰が発案し、誰が実行したのかは闇に葬られたままである。艦娘反対派は手のひらを返して我々が発案して実行したのだと言い張っているが、信じる者はごく少数というのが現実。

 

 作戦を発案した司令官も、実行した艦娘部隊も、何もかもが闇にあり、既に調べる事さえ出来ない。

 

「トラック基地に偵察戦力を増派し、哨戒線を強化して敵戦力を退け、その細い海路を突き進んで、輸送用に分解された彩雲を運び込み、敵泊地を戦略偵察――そして、その情報をもとに組み立てられた新たな作戦で大型泊地を壊滅においやった……。今、自分で口にしておきながらも、どうかしていると思える危険な作戦です。要するに、偵察のための戦力を輸送しただけの作戦のはずなのです、光作戦は。しかし……彩雲を分解して秘密裏に運び込むという迅速な行動を、敵泊地から発見されずに、それも、輸送作戦ならば輸送部隊が組まれていたはずです。少なくとも十隻以上の艦娘を連携させるなど無茶と言われても仕方がありません」

 

 そこまで言って、本当にありえない作戦だなと溜息が出てしまう。

 

「……あ、あの、さぁ」

 

 今の今まで黙って頬杖を突き、あくびをしてぼんやりと話を聞いていた五十鈴が口を開いた。

 五十鈴は提督が帰ってきた時、文句を言ってやるのだと息巻いていたのだが、提督から「よくやった。お前ならば確実に実行できると思っていたぞ」と褒められてしまい、言葉を失って下がってしまった。敵潜水艦の撃沈数を聞いて驚きながらも「流石、五十鈴だな」と褒められてしまっては文句の一つも出なかったのだろう。

 

「どうしましたか?」

 

「いや、大淀、自分で言ってて、気づかないの……?」

 

 首を傾げて見せるも、周りの数名は「ま、まさかぁ!」などと言いながらもそわそわとしだしている。

 

「私と天龍は敵戦力と戦ったけど、それ以外は? イムヤも球磨も、分かってんじゃないの」

 

 五十鈴が目を向ければ、球磨が声を返す。

 

「難しいことはあんまり考えたくないクマ。でも……まぁ、友軍救援作戦に、光作戦を合わせたみたいな作戦、みたいに思えるのは、否めないクマ」

 

「「……」」

 

 しん、と食堂が静まり返る。

 

「当てはめるなら、陸奥や龍田は救援された泊地の艦娘で……敵戦力を彩雲で偵察したのは、龍驤クマ。それも、鎮守府から動かずに……まるで基地航空隊の戦略偵察クマ。そのおかげで球磨たちは結界を突破出来たし、天龍も敵戦力を撃沈できたクマ」

 

「おぉ、確かにな。彩雲が無けりゃ結界の中でウロウロするっきゃできねえしな」

 

 天龍と球磨の声がやけに響いて聞こえた。二人の言葉を継いだのは、龍驤。

 

「ほなら、アレか? 五十鈴は敵戦力を分断するための攻撃艦隊っちゅう、救援作戦と光作戦を極小も極小で再現してみせたって言うんか」

 

「ま、憶測にしか過ぎないクマ。提督はきっと頭が良いクマ。参考にした可能性もあるクマ?」

 

「参考にしたって……事後通達された内容なんぞそこまで詳しいもんでも無かったやんけ。ウチらが話してるのも無茶な中でも合理的に考えればってレベルや。司令官の今回の作戦は泊地の攻撃でも何でもなかったやん。燃料だの鋼材だの弾薬だの、ある意味秘匿名で艦娘を助けたんはそやけど……そや、五十鈴、ボーキサイトも確保する予定やったやろ。提督には報告書上げたんかもしれんけど、ウチら聞いてないで」

 

 あぁ、と一言置いて、五十鈴は言う。

 

「――私が撃沈した潜水艦隊は、多分……敵の偵察隊よ。ボーキサイトって言われてたのは、敵の補給艦の事でしょうね。あえて補給艦をボーキサイトって呼んでたのは――逆を突いた、とも言えるわ。提督が報告に驚いてたのは、私が全部片づけたから、かもしれないわ。先に言っとくけど、これも予想、いいや、ただの想像。龍驤、あんたが発見して天龍と交戦したのは軽巡だの駆逐で編成された敵艦隊よね?」

 

「あぁ、そやけど……」

 

「私たちが敵泊地に偵察先行させるなら、何を送る?」

 

「そら足の速い艦娘をつこ、う、て……い、いやいや、五十鈴、冗談キツイて……」

 

 言いながら、龍驤がサンバイザーを取って額を拭った。

 

「多数の潜水艦で何が出来そう? 泊地に待機してる艦娘なら、もしかしたら――とか、思わないの?」

 

「んなもん無理やろ! た、例えばやで!? やっこさんがこの柱島泊地を乗っ取ったろと思ってたとしてや! もっと戦艦、空母、重巡って打撃力が必要になると思うやろ! それこそ連合艦隊を組んで叩くわい!」

 

「敵の偵察機を発見したら? 例えば、『彩雲』とかいう、速いものを」

 

「敵戦力の再確認、やな。振出しに戻って先行部隊を、組んで……あぁ、あかん、どうあがいても追い込まれるわ……」

 

「……ま、あんたでそう考えるなら、全員一緒よ。提督は選択を作れる敵に選択を返して、行動制限をかけた上でさっさと戦力を回収……その上で呉鎮守府の不正をぶっ叩いて帰ってきたってわけ。それもお土産と一緒にね。文句の一つも出ないわ。完敗よ、完敗」

 

「バケモンや……マジもんのバケモンやんけ……」

 

 龍驤が呆れて大きなため息を吐き出し、頭を抱えた。

 夕立は話が分かっているのかいないのか、やっと動き出した間宮たちが差し出したおにぎりをカウンター付近で立ったまま食べつつ、犬のように首を傾げていた。

 

 私の頭の中で、提督の言葉がリフレインする。

 

『鍛え続け、戦略を変え、何度でも挑めばいい』

 

『だから戻ってきたのではないのか。この世界へ』

 

 私は食器を下げるのも忘れたまま、横に積み上がった書類を手に取り、読み流す。

 

 

 

 

「――明日は休め、とは言っていましたが……これから忙しくなりますよ。これは」

 

 私の声に呼応するようにして、全員が手元のローテーション表を見た。

 遠征、哨戒出撃、開発、演習と大きく四つに分けられた項目には、所属している艦娘の名前がびっしりと書き込まれている。癖のある走り書きのような提督の字は、読みにくくはないものの、どこか戦場で急いで書かれたかのような印象を受けてしまうのだった。




感想返しが遅れておりまして申し訳ありません。
順番にゆっくり返してまいりますので、お待ちいただければと思います……。


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三十二話 事後処理【提督side】

 元帥との電話を終えて小一時間程。

 俺は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている山元大佐を連れて呉鎮守府を回っていた。もちろん、艦娘に謝らせるために、である。

 大淀たちは執務室に残し、憲兵を待つように言っておいた。

 

「う、海原少佐……自分はまだ、艦娘にあわせる顔が――」

 

「いいからついて来い。今のお前に必要な事だ。異論は認めん」

 

 おっさんが顔面崩壊するくらいまで泣くなんてあり得るか! はい。全面的に俺のせいですね、わかります。すみません。

 怒りに任せてぶん殴ってしまったが故、言い訳のひとつも浮かばないので、やはり俺は艦娘に頼る方向で動くのであった。

 山元大佐の日頃の行いで慰めてくれない可能性も否めなかったが、俺ではどうにもできない。

 

 しかし、艦娘だぞ? 海を駆け、煌めく海面が如く眩しい笑みを振りまき、時には勇ましく深海棲艦と戦う艦娘に慰められて元気の出ない提督などこの世に存在するだろうか? いや、いない。断言できる。

 俺も仕事でやらかしてしまった時や怒鳴り散らされた時は、帰宅してすぐに艦これを起動し、艦娘をクリックしまくったものだ……。いつしか聞かなくなってしまったとは言え、あの声々は今でも鮮明に思い出せる。

 

『飛行甲板はデリケートだから、あまり触らないで頂けますか』

 

『何で触るの? ありえないから』

 

 艦娘たちは仕事で疲れた俺をこれでもかというほど優しく癒してくれた。

 これがあったからこそ頑張れたのである。

 

『用があるなら目を見て言いなさいな!』

 

『提督? この手はなんですか? 何かの演習ですか? 撃ってもいいですか?』

 

 ……うーん、そうでも無かったかもしれない。

 い、いやいやいや! 可愛いボイスが実装されている艦娘だっていた! 偶然、そう、偶然、俺の母港に設定していた艦娘がちょっと、いや結構、かなりきつめのボイスだったというだけだ!

 実際に提督ラブ勢と呼ばれている中でも代表的な金剛を例に挙げれば『紅茶が飲みたいネー』と、あれおかしいな紅茶飲みたがってるだけだ……。

 

 とにかく! 山元大佐には艦娘への愛が足りないのである!

 愛が足りないが故に適当に艦娘に接するし、運営も杜撰になるのだ。提督業は艦娘があって成立するものであるのだから、蔑ろにするなど論外も論外。

 鎮守府を運営する上で必要な資材を手に入れてくるのも艦娘であり、出撃して戦うのも艦娘。開発を手伝ってくれるのも艦娘だし、改修も然り。提督である俺や山元大佐は艦娘を支える立場にあり、あれをしろこれをしろと適当な指示を飛ばすだけが仕事では無い。

 艦娘を蔑ろにするから資材が足りなくなって街の人々から奪わなければいけなくなるのだ。

 

「お前は艦娘をきちんと見たことがあるか? 彼女たちの容姿だけにとどまらず、性格や、言動をしっかりと把握しているか?」

 

「……」

 

 山元大佐はこれでもかという程に巨大な体躯を縮こまらせて「いえ……」と呟くように言うだけで、後は黙り込んで俯いていた。

 

「この鎮守府に所属している艦娘で、まず……そうだな、お前が一番強く当たってしまった艦娘は誰か、思い出せるか」

 

「全員に、当たっておりました、ので……」

 

「その中でも、一番強くだ。まずはそこから始める」

 

「っ……」

 

 確かに謝るのは気まずいし辛いかもしれない。が、仕事上の失敗であると割り切って俺も一緒に頭を下げるつもりだ。黙ったまま逃げられては困るので、再び「誰だ」と問う。

 すると、山元大佐は「……では」と進路を変え、来た道を逸れて歩き出した。それについていくこと数分、到着したのは、木造住宅が一軒ある寂しい場所だった。建物の玄関を見れば、そこには軽巡寮という看板がかけられている。

 

「那珂、という艦娘を、ご存じでしょうか」

 

「……ふむ。川内型軽巡洋艦、三番艦か」

 

「明るい艦娘で、いつも私に仕事をくれ、と言うのですが……近海へ適当に出撃させて、戦果があがることも無いと分かっていながら、帰ってきて報告を受け、深海棲艦の一匹も仕留められんのかと、当たり……。彼女はそれでもしつこいくらいに、仕事を求めました。いつしかそれが鬱陶しいと思うようになり、段々とエスカレートしてしまい……お、思い出すだけでも、情けない限りで、あります……」

 

「そう考えるのならば、やる事は分かっているだろう」

 

「……はい」

 

 那珂ちゃんのファンを敵に回したらお前、深海棲艦の餌なんかじゃすまんぞ!?

 あ、俺は別に那珂ちゃんのファンじゃないです。(大嘘)

 

 山元大佐が軽巡寮の扉に手をかけ、がらがら、とスライドさせる。

 するとすぐにパタパタと足音が聞こえ――

 

「おっかえりなさ――……提督!? お顔、どうしたの!?」

 

 うん? と、固まってしまう俺。

 艦娘に八つ当たりしていたというから、俺はてっきり山元大佐の顔を見た瞬間に唾でも吐くかと――いやそれは言い過ぎか……。だが、それくらいのことはしてもおかしくないと覚悟していた。拍子抜けだった。いや、むしろ――

 

「あ、あなた、提督に何を――!」

 

「やめろ那珂! そのお方は、わ、私の、部下だ……」

 

「えっ……提督の、部下……? で、でも、じゃあ何で、その人の手に血が……それに提督も……っ」

 

 山元大佐は玄関から飛び出そうとする那珂を正面から受け止めながら、その顔を数秒見つめ――再び、ぐう、と声を洩らして涙を流した。

 

「えっ、えっあっ、提督!? ご、ごめんね! 痛かった!? な、那珂ちゃんのアイドルパワー、痛かった!? う、うぅぅっ! ご、ごめんねぇぇ……!」

 

 わたわたと両手を振って山元大佐から離れると、那珂はぶつかってしまった大佐の胸板を撫で、今度は両肩を撫で、手を取ってぶんぶん振ってみたりと狼狽した。

 そこで、ああ、やっぱり大佐も提督なんじゃないかと思い、ふうん、と鼻息を洩らして俺は言う。

 

「健気な部下では無いか」

 

「は、いっ……はいぃぃっ……! すまないっ! 那珂、私は、お前たちになんってことをしたのだ……許されることでは無いのは、承知だ……しかし、どうか謝らせてくれ! 本当に、本当にすまなかった!」

 

「提督っ、そ、そんな、頭を下げないでっ! 今日もお仕事、頑張るんでしょ!?」

 

「っ……その、ことだが……私は、少し、鎮守府を離れることに、なる」

 

「え、えぇっ!? なんで!?」

 

「私のした事を償うた――」

 

「出向だ。ちょっとした研修にな。私はそれを手伝いに来た部下、というわけだ」

 

 那珂に真実を伝えるべきかどうかを判断するのは俺ではなく山元大佐本人だが、咄嗟に俺は嘘をついてしまった。どうしてかは、分からない。

 だが、那珂を見ている涙を浮かべた大佐の目は、これから先、艦娘を蔑ろにして粗雑に扱うような男の目には見えなかったのだ。だからかもしれない。

 

「山元大佐がこの鎮守府を留守にしている間は、別の者が来ることになるだろう。元帥閣下がそのように手配してくれるはずだ。山元大佐も、早く戻れるよう、努力するだろうからな」

 

 なぁ? と言えば、山元大佐は力強く頷いた。

 いつ戻れるかは分からないが、ま、井之上さんも後の処理は任せろって言ってたし大丈夫っしょ。多分。

 

「……が、頑張る。粉骨砕身する所存だ! 那珂……不甲斐ない私だが、また、この鎮守府に戻っても、いいのだろうか」

 

 山元大佐がそう言うと、那珂はきょとんとして「提督がいないと、誰が私たちの提督をするの? もう、しっかりしてよー?」と返した。

 本当に天真爛漫な、艦隊これくしょんで見た那珂そのものだな、と思わず笑ってしまう俺。

 

「……っふふ。元気な部下を持っているな。提督冥利に尽きるとは思わんか、大佐」

 

「うぐっふぅぅぅ……! 那珂っ……本当に、すま、ない、那珂ァッ……ぐぅぅぅぅっ……!」

 

「えっえぇぇっ……!? な、泣かないでよ提督ぅ……!」

 

 うーん、なんか既視感を覚えるが気のせいだろうか。気のせいだね。

 

 

 軽巡寮で数名の艦娘に謝罪を済ませた頃、さて、次に行こうと歩を進めかけた俺の耳に大勢の足音が聞こえた。山元大佐が顔面を蒼白にした所を見て、あぁ、憲兵かとすぐに気づき、執務室へと戻る。

 執務室に到着する頃には、入口に数十名にも及ぶ憲兵がずらりと並んでおり、そのうちの一人が俺と山元大佐を見るや否や、ごつ、ごつ、と重そうな足音を立ててこちらに近づいてきた。今いる憲兵を取りまとめているのであろう、濃緑色の制服を纏った目つきの鋭い男が、軍帽のつばを持ちながら「山元大佐を迎えに」と短く言う。

 

「私が、山元だ」

 

 大佐が言えば、憲兵の男は素早く大佐の腕を掴み、そのまま引き寄せ、目にも留まらぬ速さで手錠を取り出して拘束した。

 ぐ、軍人怖くね……? えっ、なんか、もっとこう、無いの……? 何時何分、拘束する、的なの、無いの……?

 山元大佐は抵抗しなかったじゃん……そんな意志もなさそうだったのに、マジかよ……。

 

 と驚愕に閉口していると、憲兵は俺を睨んで「申し遅れた。憲兵隊隊長の松岡だ」と妙なタイミングで自己紹介され、さらに唖然としてしまう。

 数秒間黙ったまま見つめてしまったが、出来る限り落ち着いて名乗り返した。

 

「……海原だ」

 

 さてどうしようかと考える前に、松岡と名乗った憲兵は山元大佐を部下へ引き渡しながら機械的に言う。

 

「山元大佐はすぐに移送し、呉鎮守府の運営権を一時我々憲兵が引き受ける」

 

 うん……?

 

「そのようなこと、元帥閣下から聞いてはいないが――」

 

「大佐が運営出来ないのだ。他の者に任せても同じ海軍ならば変わらんだろう。ならばこちらの人員を――」

 

 山元大佐は顔を伏せ、手錠のかけられた自分の手を見つめたまま動かない。

 おまっ……お前の鎮守府なんだから、少しは言い返せってぇぇ……!

 

 どうして軍人は勝手に話を進めて勝手に解決したみたいな顔すんだよぉぉおおおおクッソォォァァァアアッ!

 

 冷めたはずの怒りが違う形で再燃し、俺はまたも八つ当たりするように怒鳴った。学習しない男である。悲しい。

 

「憲兵隊の出る幕は無い。お前たちは軍規を守ることが仕事であり、艦隊運営とは無関係だ。分をわきまえろッ」

 

「っはん……何を言うかと思えば。海原と言ったか。仕事が出来ない貴様らが引き起こした不祥事だろう? それの尻拭いをしてやろうと言っているんだ。礼こそ言われても、文句を言われる筋合いは無い。不正が発覚したと聞いたから我々がこうして出張ってやっているというのに、言うに事を欠いて――」

 

 あっ、ぷっつんきたこれ。ぷっつんきたよこれ。

 キタコレ! って俺の心の漣が怒っているよ。

 

「その憲兵も噛んでいるから私が来たのだ馬鹿者が! 能書きを垂れている暇があるのならば、艦娘の様子を見て来いッ! 軍規を守るのならば傷ついているかもしれない艦娘の心配をすることが先だろう! それを差し置いて、艦隊運営の権利を口にするとは何事かッ! 軍人ならば己の利よりも先に、周りと部下を気遣えッ!」

 

「っ!? ぁ、う、だ、だから我々憲兵隊は人数をともなって……!」

 

「ぞろぞろと部屋の前で屯しているのが仕事なのか? そうか、ならば今すぐに帰れッ! 邪魔だッッ!!」

 

「ぐっぅ……!」

 

「海原少佐……っ!」

 

 山元大佐の声にはっとし、俺は目頭を指で押さえ、ふぅ、と深く息を吐く。

 落ち着け……カームダウンね……。憲兵隊は悪くない。山元大佐も艦娘に謝ったのだから、事務的に、出来る限り早く仕事を終わらせて、さっさと帰ろう。

 やる事を頭の中でまとめて、あーこれじゃ社畜してた頃と何も変わらんじゃないか……!

 

「……艦娘への聴取、それと健康状態を見て、呉鎮守府の資材の増減の修正、それから、街から徴収した物品の返却、それらが終わってから艦隊運営について、だ。いいな。必ず、軍規に従い、元帥閣下の指示をあおげ」

 

「う、海原、お前にも聴取する必要がある。どうやってこの事を知ったのか――」

 

「お前らから洩れたとは思わんのか? えぇ? 憲兵が一枚嚙んでいると言ったはずだが」

 

「ぐっ……」

 

 だから落ち着いて俺……カームダウンね……。

 

 何度も何度も深く呼吸して、もう八つ当たりしちゃだめだと胸中で唱えながら言うと、松岡は「ぅ、ぐ、りょ、了解、しました……」と口にした。

 良かった、仕事は仕事として割り切ってくれたようだ。八つ当たりしてごめんね……俺も仕事で追い込まれてんだよ……。

 資材を取ってこいって言ったのに食い扶持増やして帰ってくる艦娘を抱えてるもんで……。でもポジティブに考えれば、えーと、陸奥に龍田を連れて帰ってるんだったろうか。いいじゃない。火遊びはダメよ? なんて色っぽく言ってくれる戦艦に、可愛い上にイベント限定の駆逐艦が二人。天龍の妹でありながらお姉さんオーラむんむんの龍田が仲間に加わったのだ。プラス思考でいこう。

 

 そうだ! まだ山元大佐から運営権とやらが移ってないなら、資材を借りれるのでは!?

 はぁ、やはり俺は天才提督だったか……あっはい違いますよね分かってます、すみません。

 

「山元大佐。良いタイミングだ、というのは失礼かもしれんが、柱島鎮守府に資材が無いというのは昨日伝えているな? そこで頼みたいのだが……呉鎮守府の資材を融通してはくれんか?」

 

「そっ、それは……! 海原少佐、何故、今――!」

 

 何でってそりゃ思いついたからだよ。天才的発想だろうが。褒めてよ。

 俺だって社畜なりに頑張ってるんだから褒めてよ!

 資材ちょっとくれよ! 少しでいいから! 先っちょだけ先っちょだけ!

 

「私の確認不足でな、資材があると思い込んで無計画に開発してしまったのだ。どうかここは、大佐を頼らせてはくれないか」

 

「はっ……! 海原少佐の、お役に立てていただけるのであらば……! 少佐、何故、私にそこまでしてくれるのだ……こんな、私に……」

 

 えぇ……してもらってるの俺なんですけど……。

 

「何を言っている。助けてもらっているのは私だろう。この資材の借りはいずれ返す。そうだな……次、演習の予定を立てられるようになったら、でも良いか?」

 

 山元大佐はまたも喉を詰まらせたような声を上げ「はっ……必ず、戻ってまいります……!」と言った後、しばらく俯いていた。

 松岡もしばらく俺を見つめていたが、静かに山元大佐の腕を離した。

 

「軍規上、手錠は外してやれん。だが……資材を運ぶのだろう? ならば案内が必要だ。行ってよし。見張りとして私もついていくがな」

 

「……はい、ありがとう、ございます。行く前に、よろしいか」

 

 松岡が「なんだ」と問えば、山元大佐は俺を見て「どうか、長門たちにもう一度、会わせていただきたい」と言う。俺がよしと言う前に、執務室から大淀たちが顔を出した。

 

「大佐がお呼びだ。長門、神風、松風」

 

 俺の声に三人はおずおずとやってきて、俺の後ろへ。

 

「決して許される事ではないと分かっている。しかし、どうか――」

 

「……許すよ。大佐」

 

「なが、と……」

 

 長門は一歩前に出て、複雑な表情をしたまま、頭を下げた。

 

「――世話になった」

 

「……わ、たし、も……許し、ます」

 

「神風……!? ぼ、僕は……!」

 

「……なぁ、松風。平和を願う我々が、恨みを抱えても、仕方がないとは思わないか」

 

 口を挟むなどという無粋な真似はしない。ただ、俺は見守った。

 これは俺の問題ではなく、大佐と、その艦娘だった彼女たちの問題なのだ。

 

 長門の言葉に松風は逡巡していたが、大きく息を吸い込んでから言った。

 

「……分かった。でも、もう、ダメだよ、山元大佐」

 

 松風の最大限の譲歩だろう。司令官、提督、ではなく、名を呼んだのがその証左である。

 

「あぁ……もう、二度と間違えない」

 

 山元大佐はそう呟き、深く深く、頭を下げるのだった。

 

* * *

 

 

 それから、俺と山元大佐は大淀たちを連れて資材倉庫へと足を運んだ。

 倉庫は柱島鎮守府と違って巨大なもので、一つしかなかったものの、そこに全てが詰め込まれた状態になっていたのだった。

 

 ゲームでしか見たことの無かった資材は、現実で見るとまんまドラム缶やら、木箱に入った弾薬やらで思わず「おぉ……!」なんて声を上げてしまったのはご愛敬。しかし、倉庫の中にはリサイクルショップかな? と思えるくらい様々な雑貨も詰め込まれており、これが街の人から取ったものかと察する。自転車とかあるし。

 

「どうしてこんなものまであるのだ、山元大佐」

 

 問えば、大佐は「使えるものならば、何でもと……鉄であれば、溶かせば多少の資材にもなるので」と言った。

 え? そうなの? そんなのアリなの? と戸惑っていると、俺の後ろから大淀の声。

 

「加工する費用も、という事でしたか……。これは、街へ即時返却でよろしいでしょうか、提督」

 

 いやいや、という事でしたかって言われても。分かんないよ。大淀に任せる。

 

「うむ。しかし資材を運ぶとなればお前たちだけでは難しいな……」

 

 うーむ、と唸っていた俺だが、ふと思いつく。

 街の人頼ればいいじゃん。天才か?

 

 いいえ、人はこれを他力本願と言います。本当に申し訳ございません。

 

「……街に返却するついでに、運べるよう船を借りる。すぐに出発するぞ」

 

「えっ、あ、はっ……! い、今ですか?」

 

「……? 当然だろう。街の人も困っているだろうからな。動ける時に動く。大淀は街に到着次第、船を手配してくれ。私は街の人にこれを返却してくる。松岡、荷を積める車両は借りられるか?」

 

 どこまでも人を頼っていきます。それが社畜の技なんだヨォッ……!

 

「う、海原少佐、車両を貸すのは構わんが、今から回るのか? ヒトサンヒトニー……今から回ったとして、いつ終わるのか――」

 

 時間設定は大事だな。社会人として仕事をする時には重要だ。終了時刻を決めておいて、時間内に終われるようにタイムスケジュールを組む、そしてスマートに無理なく事を進める……まぁ社畜の自分にタイムスケジュールなんてあって無いようなものだったんだけれども。

 

「いつ終わるかなど関係ない。実行することこそ大事なのだ」

 

 とりあえずやることを終わらせる。社畜の悪い癖である。やること、と大雑把に決めているから終わらない、というのは嫌というほど自覚しているのだが、どうしても離れられない思考なのだ。

 仕事でやることなど無限に湧いてくるのだから終わるわけが無いのである。でも仕事だからやらなきゃ……うっ、胃が……。

 

 俺は山元大佐の証言と資料をもとに街のもの、呉鎮守府のもの、と仕分けし、力持ちの艦娘たる大淀たちに車両へ積むように指示をする。

 すると一時間もしないうちに倉庫の大部分を片付けることができた。殆ど大淀たちが動いてくれたお陰だが、山元大佐も松岡も驚いた様子で俺を見る。

 

「海原少佐、お前は、いつもこのように任務を……?」

 

 仕事が遅いという事だろうか。本当にすみません。艦娘だけに任せてすみません。俺も動けばもう少し早く終わらせることが出来たかもしれないが、倉庫の荷物を持ち上げて運んで、なんてしてたらデスクワークでやられた腰にトドメをさしてしまう。そうしたら俺は文字通り二度と再起不能となるだろう。勘弁して。

 

「のんびりしていてすまないな。だが、仕事は終わらせるつもりだから、安心してくれ。何人か借りていくぞ」

 

 頑張りますんでほんと……許して……。

 これ以上文句を言われるのも怖かったので、あとの事は任せて逃げ、いや、仕事に戻ろう。

 

 一台に収まらず数台の車両に分けられた荷を見回し、様子見にでも来たのであろう憲兵の数名を指名して車の運転を任せた。

 

 

 

 まずは呉の街を回った。どの荷物がどこの誰から徴収したものであるのかはあきつ丸が調べてくれていたので、川内、長門が迅速に分けて返却を行った。突然、街に軍の車両がやってきたことで警戒されたが、荷物の返却であることを伝えて俺が頭を下げ「長らくお借りし、返却が遅れてしまい申し訳ない」と一人一人、一軒一軒全て回ることで文句を言われるのを避けることが出来たのだった。

 こういうミスは上の者が頭を下げるに限る。クレーム処理での鉄則だ。

 

 問題は宇品である。俺が商店街で叫び倒したお陰で、軍の車両から降りた瞬間色々な人に囲まれてしまい、手を焼いた。

 

「あ、あんた! こんなすぐ、ほんまに……!」

「ありがとうねぇ……ありがとうねぇ……!」

 

「自分は仕事をしているだけですので……まだ、回るところがあります故、失礼します」

 

 逃げたんじゃないよ。仕事があるから仕方がな――

 

「もう行くのかい? 忙しい人じゃね……」

 

 俺だって休みたいよッ! って、いかんいかん……!

 ……俺は誰に怒ってるんだ。自分にだね、そうだね。

 俺が人に囲まれている間にも長門たちは返却に奔走しており、何やらお礼に色々と貰っているようだった。くそ、俺もそっちに回ってお礼とか貰って適当にとんずらしたかっ……何でもないです。

 

 驚いたのは、宇品にある、あのお好み焼き屋も返却対象であったことだ。それに偶然も重なり――

 

「何事か思やぁ、あんた……!」

 

 ――お好み焼き屋のお婆ちゃんのお孫さんが、車両を運転していた憲兵の一人であったらしいのだ。

 憲兵は車両から転がり降りて、お婆ちゃんに駆け寄る。

 

「ば、婆ちゃん……!」

 

「翔太……げ、元気しよんね……大丈夫なんね……!」

 

「あぁ、僕は大丈夫じゃ。手紙も書けんで、ごめん……僕、今は三次(みよし)におるんじゃ」

 

「三次? なんでそんなとこ行っとんね?」

 

「憲兵隊は本土を順繰りに異動することになっとんじゃって。しばらくは呉におったけど、一昨年くらいから異動しとったんよ」

 

「ほうじゃったんね……元気にしよぉるならええんよ……」

 

 涙ぐみながら翔太と呼んだ憲兵の手を大事そうに握りしめたお婆ちゃんは、俺のもとまでやってきて、深く頭を下げた。

 

「海原さん……ありがとうねぇ……ほんまに、ありがとうねぇっ……!」

 

 やめてお婆ちゃん泣かないで……俺、テレビのドキュメンタリーとかで田舎に泊まる的なやつ見るとき、お婆ちゃんとかお爺ちゃんが泣いてるシーンは見るの苦手なんだよ、もらい泣きすっから……。

 ぐっと表情を引き締め、俺は軍帽を脱ぎ、気丈に笑っておいた。

 

「またお好み焼き、食べに来ますね」

 

「あぁ……いつでもきんさい、待っとるけぇね……!」

 

 そうして、同じように五日市を回り、結局、返却を終える頃には日が沈み始めていた。

 次は車両を呉鎮守府に……と後部座席に乗って揺られながら考えていると、車は何故か呉ではなく、宇品で止まる。

 どうしたのかと運転手に問えば、向こうを見ろという風に目で正面を示した。

 フロントガラス越しに見れば――海岸がある。丁度、俺が漁船から降りた場所でもあった。

 漁船がちょこんととまっている横には、数隻の輸送船。

 

 これは一体、という思考は何度も途切れる。車のドアをノックされ、見れば大淀の姿があった。

 

「提督。資材の輸送船の手配、完了しました。このまま鎮守府に戻れます。資材以外にも、その、提督と私たちにとお礼の品も貰ってしまいまして……一隻ほど多く借りてしまったのですが……」

 

「そうか……わかった。その分、しっかりと仕事せねばな」

 

「はいっ」

 

 貰えるものは貰っとけ精神である。柱島鎮守府には資材もなにも無いというのに食い扶持だけは多いのだ。貰っておいて損は無い。せこいとか言わないで。

 俺は忘れないように運転手の憲兵に「艦娘の様子をきちんと見てやってくれ。出来れば、報告書があるとありがたい。頼めるか?」と聞く。すると、二つ返事で了承された。話が早い人は好き。でも艦娘の方がもっと好き。

 

 車を降りれば、大淀、あきつ丸、川内、長門、そして神風と松風という不思議な一艦隊が目の前に。俺が連れてきた四人の外に、新たに仲間になった二人を前に、艦これの世界だなぁと感慨深く思う。

 

「長門とあきつ丸、川内は輸送船の護衛を頼む。大淀と神風、松風は私とともに船へ来てくれ。大淀、船を頼めるか?」

 

「はっ」

 

 俺、船の操縦出来ないからね。こんな所まで他力本願でごめんね。

 

「し、司令官っ! 私たちも船の護衛をするわ!」

 

「燃料は少ないけど、護衛するくらいなら僕たちも――!」

 

「くらい、とは何だ。護衛をするのに慢心する奴があるか」

 

 あっ、ばっ、違う! 怒ってどうする俺!

 せっかく話しかけてくれた神風たちはしょんぼりと顔を伏せ「もっ申し訳ありません……」と言う。俺はすぐに「すまない。だが大切なことなんだ」と情けなさいっぱいの言い訳。

 

「護衛するという意気は良い。だが、万全を期して護衛の任務にあたらねば、いざと言う時に守れないだろう。今は休んでいいんだ」

 

 っぽい、よな……? ちゃんと『っぽい』理由だよな……!?

 

「でも、僕たちは艦娘だから、働かない、と……」

 

 松風がもごもごと言うので、二人の頭に手を乗せてくしゃりと撫でた。理由は無い。撫でたかっただけである。

 

「艦娘だから、では無い。お前たちが守りたい、守らねばと思ったからこそ出た言葉なのだろう」

 

 俺の言葉に、何故か二人は涙ぐんでこちらを見上げてくる。

 やばい、また泣かせてしまいそうだ。しかし社畜であり艦これプレイヤーの俺、こんな事では狼狽えない。イベントで手に入れた二人の情報はたっぷり頭につまっているのだ……!

 

「数多の修羅場を潜り抜けた神風然り、松風の気持ちも分からんでもない。松風は最後の最後まで仲間を救おうとしたのだから、『守る』という行為に強い想いがあるのかもしれん。ここで正義だの道徳だの説くつもりは無いが、私は、知っているぞ」

 

「えっ……?」

 

「松風――お前は過去、睦月型駆逐艦の七番艦である文月を守ろうと曳航したのを覚えているか? まだ、艦娘では無かった頃だ。お前は限界まで仲間を守ろうとし、最後の最後まであきらめなかった。そうしてまた、この世界に戻ってきてくれただろう?」

 

 そう言えば、うちの鎮守府にも文月がいたな。まだ個人で話したことはないが、松風もいるのだし、これを機会に話しかけてもいいかもしれない。

 

「でもっ、あ、あの時、僕は彼女をっ……!」

 

「柱島鎮守府に彼女はいる。今この瞬間、出来る限り身体を休めて体調を整え、今度こそ守り抜くんだ。文月を、仲間を。今度は神風もいる。ここにいる大淀や長門、あきつ丸や川内だってそうだ。私も、みなを支えるためにいる。だからいいのだ、今は、少しでも休め。よく、耐えてくれたな」

 

 言葉を切って頭をぽんぽんと撫でた後、さぁ仕事に戻るかと気合を入れなおそうと――

 

「うっ……うあぁぁあああああ! あぁああぁぁあああ……ぐっ、えぐっ……うあぁあぁぁあん!」

「ひぅぅぅっ……ぐすっ……えぅっ……!」

 

「えっ」

 

 慰めたじゃぁぁああん!? ナンデ! 泣くのナンデッ!?

 

 い、いかん、まだ憲兵たちも帰っていないのに目の前でいたいけな駆逐艦二人を泣かせたとあれば処刑は免れんっ……!

 なりふりかまっていられるか! 不審者と見られても仕方がない!

 

 俺は二人の手を握って左右に小さく揺らす。

 

「なっ、泣くな! ほら、もう大丈夫だ! 何かあれば大淀たちがいると言っただろう? 私だっているから、何も心配は無いのだ、安心しろ、な? あ、あぁぁぁ……そうだ、何かしてほしい事はあるか? 腹が減ってるとか!? う、宇品に美味いお好み焼き屋があって――だめだ、今から帰るのだったな……ま、間宮! そう、間宮という給糧艦がいるのだが、あいつが作る食事は絶品だぞ! 帰ったら腹いっぱい食べるといい! な? だから泣かないでくれ……頼むよ……」

 

 お前ら助けろぉ! と大淀たちに顔を向けると――大淀を含む全員が何故か俺から離れて輸送船に荷物を詰め込んでおり、なんなら長門たちは既に艤装を展開して船を誘導し始めていた。クソッ! 薄情者がァッ!

 

「わ、私たちも行くか。ほら、もう泣き止め。してほしい事があれば言うんだぞ? な? な!?」

 

「司令、官……あの……ぐすっ……」

 

 松風が涙で濡れた瞳を俺に向ける。うっ、と息が詰まる俺。情けない。

 

「手を……」

 

「手? 手がどうした? け、怪我か!?」

 

「う、ううんっ、そうじゃ、なくて……手を、握っていて、いい、か……?」

 

「あ、あぁ、なんだ、怪我じゃないのか……うむ、いくらでも握っておけ」

 

 良かった……怪我なんてさせたら憲兵に頭を撃ち抜かれるところだった。

 

「わ、私もっ、いい、でしょうか……」

 

「神風もか? 構わんぞ。私の手で良ければな」

 

 そう言えば山元大佐をぶん殴って汚れたのだった、と手袋を脱ぎ、ポケットに突っ込んで素手を二人に差し出す。右手に神風、左手に松風。攻守最強では……?

 

「では、帰ろうか――鎮守府へ」

 

 帰ったら間宮のご飯を、食べるんだ……俺……。

 

 

* * *

 

 

 そう思っていた時期が俺にもありました。

 無理でした。

 

 柱島鎮守府に帰還した俺たちは、すぐさま輸送船の荷下ろしをすることになった。それはまぁ、他力本願で艦娘たち総動員したことによって事なきを得たのだが、問題はそこからである。

 資材の仕分けやら、俺は使わないから艦娘で分けろと言っておいた雑貨の仕分けやらは全てあきつ丸と長門、川内に任せた。ここまでは良かった。

 

「では、提督」

 

 休む? ふざけているのですか? 艦隊司令部にチクりますよ? と言わんばかりの圧で大淀が言うのだ。言葉少なく、仕事をしろと。

 

 わかってらい! 仕事すりゃいいんだろ! しますよ! するする!

 

 ――という訳で、執務室に戻って、後日に回そうと思っていた艦隊運営の予定表を作成する羽目になった。

 帰ってきた俺を追撃するように、執務室には妖精が群がっており、もう、ハエみたいな、いや失礼だな……。

 

『おかえりむつまるー』

『おかえりー!』

『ただいま! つかれたー!』

『おつかれさまであります! むつまる、おやすみしてね!』

『ありがとー!』

 

『あ、てーとくもおかえり。てーとくは、みんなのおしごとをまとめてあげてください』

 

「あっはい」

 

 悲しい。

 

「提督……妖精は、なんと……?」

 

「疲れたから休むらしい。私は仕事だ」

 

「え、あっあの、提督――!」

 

 あーもう仕事増やす気だろ!? 嫌だ! やめろ!

 

「分かっている。艦娘全員を非番としたいが、呉鎮守府の山元大佐がいない今、現在の近海警備では足りんだろう。明日からの鎮守府近海の哨戒範囲を広げ、二艦隊で回す。他は非番だ。それから、明後日からの資材確保遠征の部隊もローテーションを組み、通達する。大佐のお陰で資材もかなり潤ったので明石と夕張に一日に三回、開発と建造を行ってもらう。その他にも鎮守府内で演習を行い――」

 

「てっ、提督、お待ちください! 少しでも――」

 

 余裕を持てって言いたいんだろ!? はいはい考えますよ! クソァッ!

 

「艦娘の所属数を考えれば、お前たちに負担のかからないローテーションを組むことは可能だ。今は少ないが、入渠ドックと建造ドックは、二つずつだったか?」

 

「は、い……」

 

「……ふむ。建造ドックはそのままでいいが、入渠ドックは増設できるよう、上に掛け合おう。当面の活動を明確にしておくから、心配するな」

 

「……」

 

 ど、どうだ……悪くない案だろうが……ッ!

 まぁ全部艦隊これくしょんでやってたデイリー任務から思いついただけなんですけど。すみませんほんと、無能で……。

 

「何か手伝えることはありませんか」

 

「手伝えること? あー……」

 

 こ、こいつ……俺が仕事中にサボる可能性までも潰そうとしていやがる……!

 

 なら受けて立ってやるよ! オラァンッ! そこで座って見てろやァッ!

 

「――では、お茶を入れてくれるか? あとは、そこでゆっくり座っていればいい。分からないことがあれば、聞かせてもらう」

 

「……っは」

 

 返事したのか鼻で笑ったのかは分からない。何せ俺はデスクに座って、すぐにでも終わらせねばと書類を取り出して仕事にとりかかっていたからだ。大淀怖い。

 

 

 

 仕事が終わったのは――完全に夜も更けた頃だった。

 

 頑張った。かなり、頑張った。徹夜の上に日帰り出張みたいなことまでした後、書類に埋もれながらもローテーション表を作ったし、俺の横でふよふよと飛んで遊んでいた妖精がさらりと『レシピあったら助かります』とか言うものだから、朧げな記憶をひっかきまわして思い出したレアレシピで開発表も作成した。でも普段は最低値でお願いします、無駄遣いは死を意味するので。

 

 ほぉら、全部! 手書きで! 書いてやったわ! パソコン無いしなッ!

 

 元気なのは胸中だけである。使っていたボールペンのインクが一日でこんなに減る? というレベルで減った。もう手が痛い。

 応接用ソファーに座ってじっと見張っている大淀に、俺はとうとうギブアップ宣言をした。

 

「……帰ってきて、何時間経った?」

 

「帰投はヒトロクヒトヒト……現在はフタヒトヒトマルですので、五時間ほどです」

 

「そうか……待たせてしまって、すまなかった。これが明後日からの予定となる。艦娘全員に通達を頼む」

 

「提督……あの……」

 

「うむ? なんだ」

 

 デスクのそばまでやってきて書類を受け取った大淀が俺を見る。

 俺は椅子から立ち上がって伸びをし、パキパキと身体を鳴らしながら壁掛けの時計を見た。うわ……マジで夜だ……でも昔にくらべたら大分早いな! 頑張った!

 

「まだ、執務を……?」

 

「いいや、もう休む」

 

 いいよね……? もう、ゴールしても、いいよね……?

 

「皆に声を掛けてやりたいんだが――」

 

「い、いえっ! もう、お休みください提督っ!」

 

「そうか。では、大淀の言葉に甘えさせてもらおう」

 

 ふらり、とソファーに近寄り、そのまま――どさりと倒れ込んで――

 

「倒れる寸前まで、私たちのことを……」

 

 何か大淀が言っていたが、もう何を言っているかさえ聞き取れず。

 社畜をしていた頃の感覚である。帰ってきて、食事も満足にとらず、風呂に入る気力さえ無く、全身から力が抜けていく。

 

 

 

 

「また、明日から、頑張る……から、な……――」

 

「――ありがとうございます、提督」

 

 

 俺の意識は、一瞬で落ちたのだった。




これにて、一章……と言ってもいいのか分かりませんが、一区切りです。

次の更新まで今しばらくお待ちください。


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閑話 【艦娘side】

「――提督の負担を減らすために、この鎮守府における業務の一部を艦娘に割り振ろうと思います」

 

 柱島鎮守府講堂。

 まだ二度しか使われたことのない場所。

 一度目は提督の着任挨拶、二度目は作戦発令の時だった。今後も作戦発令時にしか使われないと思しき講堂には現在、私を含む数名の艦娘が集まっている。

 艦種代表――率先して動いてくれている、動いてくれそうな艦娘――を集め、会議をしている最中である。

 

 私の簡潔な提案に反対意見は無く、会議は好調な滑り出しを見せた。

 

「良いと思います。私たちで出来ることであれば尽力しましょう」

「えぇ。鎧袖一触よ」

 

「……べ、別に誰かを撃沈して欲しいわけでは無いので」

 

「あら、そうなの? 提督の身辺警護は必須かと思ったのだけれど」

 

 空母代表として一航戦の二人、赤城と加賀。空母は空母で代表を決めて来たらしいのだが、軽空母の龍驤や鳳翔が来ていないのは意外だった。この鎮守府に来ている艦娘の中では頼れる古強者なのだが……。

 赤城と加賀は戦力的に頼れる二人であるのは間違いない。もしかすると、前鎮守府の繋がりを考慮してくれたのかもしれない。

 同型艦が多く存在する私たち艦娘は、根っこである性質はほぼ変わらないものの、鎮守府ごとによって微妙に異なる性格をしているのだ。戦闘のみに特化しておりコミュニケーションが取れない艦娘だって存在しているし、その逆も然り。

 一見してスタンダードな性格に見える一航戦だが、その心根は未だ深く傷ついているに違いない。こういう場でしっかりと再起し、元々よりもさらに活躍が出来るようになってもらいたい。

 

「提督の大規模作戦における手腕には感服しました。あの方のもとでなら、きっと素晴らしい戦果を――」

 

「待って、赤城さん。提督は確かに素晴らしいお方でしょう。しかしまだ信用に足る人間であるかどうかを見極める必要があります。前提督のようなことにならないにしろ、艦娘を酷使していることに変わりはありません」

 

 加賀の言葉に反応を示したのは、軽巡洋艦代表として来ていた五十鈴。

 

「一見すれば酷使に思えるわね。でも、別に私は酷使されただなんて思ってないわ。得意分野で存分に活躍できるように采配されているって思うのだけど?」

 

 五十鈴の言には重みがあった。先の作戦で潜水艦隊をほぼ一人で撃滅せしめた彼女は、軽巡艦娘の中でも対潜において右に並ぶ者無しと言えるほど。

 そんな彼女が得意分野で活躍できると提督の作戦を肯定するのも頷ける話であった。

 

 しかし、加賀はそうでは無いらしく、どこか引っかかりが残っているのだと言わんばかりの表情で口をもごつかせた。

 五十鈴は追撃するように言葉を紡ぐ。

 

「提督の何が気に入らないの? あの人になら、思ってることを伝えても大丈夫なように思えるけど」

 

「気に入らないというわけでは――」

 

「信用に足るかどうか~って言ってんじゃない。酷使されたくないのは分からないでもないけど、仕事を放りだしたいの? それとも別の理由?」

 

「任務は遂行します。艦娘である以上、私は平和を成すためにいるのだから。私が言いたいのはそうじゃなくて――」

 

「面倒な空母ねぇ……。なら、何? 信用が無いまま任務をこなすのは嫌だって我儘でも言いたいの?」

 

「ち、違っ……!」

 

 ぴりりとした空気が場を包みかけた時、赤城の柔らかな笑い声がそれを制す。

 

「何笑って――」

 

「いえ、五十鈴さんを笑ったわけではありません。ただ、加賀さんがこんなに感情的になるのも、久しぶりだなぁって」

 

 五十鈴がきょとんとして加賀を見る。加賀は顔を伏せて短い袴の裾を指で弄っていた。

 

「加賀さんは、もっともっと提督とお話をしてみたいんですよ。ね?」

 

「べっ! べ、つに……任務以外で、話すことなど……」

 

「でも、龍驤さんから『司令官が食べたいものを聞いてた』って言われた時、一番最初に提督と同じものがまた食べたいって言ったのは加賀さ――」

 

「赤城さん! や、やめてっ!」

 

「ふふっ、わかりました。やめておきますね?」

 

「……うぅっ」

 

 場の空気が一気に和み、五十鈴も口元を緩めて「あ、そ。まぁ信用も必要かもしれないわね? 主に加賀が提督と話す機会を設けるために」とからかうように言う。

 加賀は完全に押し黙ってしまい、周りはクスクスとした笑い声で満たされた。

 

 この場にいないというのに、ただあのお方の存在が浮かぶだけで緊張が解れていくのが不思議だった。

 

 しかし、業務の割り振りは平等でなければならない。加賀の想いを優先したい気持ちも無いわけではないが、提督と個人的な話がしてみたいのはどの艦娘とて同じだろう。一部を優遇して火種になってしまっては元も子もなくなる。我々は提督の仕事を減らすことを目的にしなければならないのだ。

 私だって提督と個人的な話をしてみたいのだから、同じ鎮守府から異動してきた仲間である加賀だからと言ってそこを譲るわけには――って、ち、違う違う……私は何を考えているの……。

 

 そんな中、駆逐艦代表としてこの場に来ている夕立が声を上げた。

 

「あっ! じゃあじゃあ、毎日交代で提督さんのお傍でお手伝いする人を決めたらいいっぽい! 秘書? っぽい!」

 

 秘書――どこの鎮守府にも存在する業務。通称、秘書艦、と呼ばれるもの。

 なるほど、と私は夕立を見て目で頷いた。夕立もふふん、と胸を張って私を見る。

 

「秘書艦を決めるというのは重要ですね。では、その順番決めを……」

 

 と、ここまで言った私は言葉を途切れさせた。

 頭に浮かぶのは、呉から戻った後の提督の業務風景。

 

 何故かこの鎮守府ではパソコンなどを使わず、提督が全て手書きで書類を作成していた。その理由は定かでは無いものの、提督が自ら手で書いているのだから重大な理由があることは間違いない。

 その業務を補佐するとなれば、機密性を保持することはもちろん、艦娘同士の連携はより一層重要度を増す。提督の仕事を補佐するだけと言えば聞こえは軽いが、艦娘全体に責任が伴う重い仕事となるだろう。

 

「……一人のみに絞って毎日交代、となれば、提督の業務速度に追いつけるかどうかも分かりませんね」

 

 私の呟きに、特務艦の代表としてきていたあきつ丸が唸った。

 工作艦である明石を含む、海上ではなく鎮守府での業務を主とする艦娘の代表ということらしい。

 

「で、ありますなぁ。そもそも、少佐殿はこの先々でずっと通用するローテーションを数時間で組み上げ、殆どの艦娘が非番である今日でさえも過日の報告書を睨んでいるでありましょうから。二人、いや、三人いても少佐殿の片腕たり得るか……」

 

 和やかな雰囲気から一転、今度はうーん、というそれぞれの唸りが場を埋める。

 戦艦代表として顔を出している長門と、過日の任務で救出されて新たに柱島鎮守府の所属となった陸奥も同じように眉を歪めて唸り声をあげる。

 

「数名を選出したとして、その数名に対して仕事を振りなおす提督も手間になりそうではあるな。あのお方ならば造作もなくこなすのだろうが、我々のレベルに合わせてとなれば、なぁ……」

 

 長門の声に、陸奥が周囲をちらちらと窺いつつ「ねぇ、その、提督って、そんな凄い人なの……?」と小声で問う。

 長門はそれに頷きながら「陸奥、神風、松風、龍田の四名を救出した作戦はたった一晩で組まれたのだぞ。艦娘から意見を貰えるような状況でも無かった故に、全て提督たった一人で考案したのだ。その上、種明かしをされたのは作戦中ときたものだ。凄いという次元では無い」としみじみと言う。

 

「今朝見た時は、そんな風には見えなかったけど……」

 

 どうやら、この講堂に集まる前に挨拶を済ませてきた様子の陸奥。

 長門は陸奥に対して首を横に振って言う。

 

「今朝方に入渠をやっと終えた陸奥を気遣ってくれたのだろう」

 

「そう、なのかしら……。でも、呉から艦娘が四人も異動になるんだから、手続きだって手伝わなきゃ――」

 

 陸奥が言葉の先を口にする前に、私がそれを説明せねばと言葉を紡いだ。

 

「既に手続きは完了しています。と言いましても、報告修正という形ですので手間はかからなかったと言いますか……提督が元帥閣下に繋いでおりますので……」

 

「報告の修正?」

 

「え、えぇ、まぁ……」

 

 あなた方は、全員が轟沈の扱いになっていたのですよ、などとは口にできず。私は言葉を濁して目を伏せた。

 しかし、長門は私に代わるようにあっさりとそれを口にする。

 

「陸奥たちは轟沈報告されていたのだ。山元大佐の肩を持つつもりなど毛頭無いが、数日も戻らず、通信も繋がらないとなれば轟沈とされても仕方がないのは分からんでもない。それが目的であったか否かを差し引いても、だ。しかし、気になる点が無いわけでもない」

 

「――通信で救援を求めたのかどうか、でしょ」

 

 陸奥が頭に装着しているカチューシャのような艤装を指先でつついて示す。

 語られたのは、最悪の偶然、としか形容できないものだった。

 

「山元大佐もきっと予想していなかったと思うわ。私だって、あんな領海内で結界が発生しているなんて思わなかったし……結界の中でも通信は出来るはずだからって呉に連絡を入れようとした矢先に接敵が続いてね。弾薬を使い切るわけにもいかないから、神風たちを守って逃がすことに専念してるうちに、通信部を破壊されて完全に孤立よ。何とか神風たちを逃がすことは出来たけれど、あの子達と結界から抜ける前に新手に追われて、私が残って引き受けたってわけ。でも、最後の最後まで戦ったわ? 女の意地、ってやつでね。一体どれだけ戦ったのか全然分からな――」

 

「都合四日だ」

 

 講堂が、しん、と静まり返る。

 長門は腕組みの恰好を解き、感情が交錯しているような目の色で虚空を見つめた。

 

「お前が出撃して四日後には、轟沈報告がなされていた。私が出向から帰投した日には、もう、お前はいないものとされていた」

 

 全員が陸奥と長門を見る。

 長門は隣に座る陸奥に顔だけを向けて、右手で陸奥の手を強く握りしめて言う。

 

「四日間、耐え抜いたのだ。過去の私と同じように」

 

 彼女が口にしているのは、きっと艦娘の今ではなく、艦であった頃のことだろうとみなが理解していた。

 深く深く間をおいて口にされた言葉の重みに、会議の目的とずれていようが邪魔をする者はおらず。

 

「長門……」

 

「陸奥、もう離れんぞ。決して」

 

「……えぇ、ずっと一緒よ」

 

 数分の間、沈黙が続いた。

 それを破ったのは――講堂へ入ってきた金剛の声。

 

「ヘェイ! ここでミーティングをしていると聞いたのデース!」

 

 一斉に顔を向けると、金剛は「オゥ!」と一瞬たじろぐ。

 

「テートクに言われて様子を見に来たネー」

 

「提督に?」

 

 私が問えば、金剛は頷いて陸奥をチラッと見た。

 

「困った事があったら、私も協力するから遠慮せずに言うように、って言ってたヨ! んっふふ、流石テートク、レディーの扱いをよくわかってるネ」

 

 視線だけではあったが、私は陸奥が挨拶に伺った時にミーティングのことに触れたのだろうと察して金剛に「その提督の業務を分担し、負担を減らそうというミーティングですので、逆に提督から仕事を分けていただけるか聞くべきでしたね」と返す。

 すると、金剛は両手を組んで頬に添えながらとんでもないことを言うのだった。

 

「テートクは、やるべき仕事は全部終わらせたから、今度はお前たちとゆっくり話したい……って……ん~! もう、あんなスマイルで言われたら、メロメロになっちゃうネ!」

 

「「「えっ」」」

 

 見事に全員の声が重なり合った。

 

 仕事は全部終わらせた、とは――やる事はまだ多く残っているはずだ。建造や開発……は、ルーティンワークとして毎日やるべきことだから……い、いや、既にレシピとやらを記載した書類を明石と夕張に渡しているから、工廠で行われているか……。

 演習、そう、演習は我々艦娘が主体だから――って、今日は非番……。

 では諸々の手続き……も、昨日の時点で提督が元帥閣下を通しているから終わっている。近海警備の出撃に関しても変更があったものの、昨晩の内に提督が全て終わらせている……。

 

 ぐるぐると考えを巡らせていると――講堂の外からきゃっきゃとはしゃぐ声。駆逐艦のものだ。

 

 私は立ち上がって転びそうになりながら窓辺に行き、外を見る。

 

 

「提督! 早く早く! おっそーい!」

 

「ははは、島風は速……ほんっとに速いなお前!?」

 

 私や代表として来ているみなの目に映ったのは、笑い声をあげる駆逐艦たちとかけっこに興じる提督の姿だった。

 呉から戻った際に貰った雑貨の中にあったボールなどで遊ぶ軽巡や、そんな姿を眺めながらぼんやりと本を片手に日向ぼっこしている重巡なども見える。

 

「え、こ、これは、一体どういう――」

 

 ぎぎぎ、と音が聞こえそうなほどぎこちなく首を回して金剛を見れば、返ってきたのは微笑みだった。

 

「テートクが言ってたデショ? テートクの仕事は、私たちを支える事だって。今、まさに仕事をしている所ネ」

 

 

 もう一度、窓の外を見る。

 

 両肩で息をしながらも、艦娘と戯れている提督の姿に――嗚呼、どうあがこうと敵うことは無いな、と思考を放棄してしまうのだった。



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閑話【提督side】

「んぶぁっ……! 仕事ッ!」

 

 起床してからの第一声が情けない叫び声と仕事という単語で始まった一日。

 

「――……そうだ、もう仕事辞めたんだった」

 

 と安堵の息を吐き出し、うつぶせの状態からごろりと転がり壁掛けの時計を見ると、時刻はまだ日も顔を見せない早朝の五時前を指していた。一瞬だけ丸一日寝てしまって夕方かと考え窓を見るが、夕方には見えず。

 もうひと眠りするか、と地面に落ちている軍帽に手を伸ばし、アイマスクの代わりにと顔に乗せようとした瞬間、はっとする。

 

「えっ、なんだこの帽子」

 

 どこからどう見ても提督の帽子です。本当にありがとうございました。

 じんわりと、ゆっくりと動き始めた思考が昨日の記憶を浮かばせる。鼻っ柱に残る違和感に、鼻腔を血栓が塞ぐような感覚。指を入れて見れば、かりりとした感触と共に落ちてくる細かな血の塊。

 寝起きに鼻をほじるという世紀の間抜けっぷりには目を瞑っていただきたいところである。

 

「あ、あー……」

 

 言葉にならない声を上げつつ、昨日の出来事が徐々に鮮明になっていくのを感じた。

 

「お、ぉー……んー……」

 

 簡単にまとめよう。

 仕事を辞めて帰宅し、艦これを起動して久しぶりに楽しむぞという矢先に寝落ちしたかと思えば、次に目覚めた時には車に乗っていて、知らないおっさんに顔面を殴られ、提督になった。

 大淀と名乗る女に連れられてやって来た鎮守府で、夕立だの龍驤だの、大勢の艦娘と邂逅を果たした。その間に元帥と名乗る会ったことも無い爺さんに頼まれ、艦娘を癒すため、人類の存亡をかけたエクストリーム難易度の接待業――ならぬ、提督業が始まったのだった……。

 

「だった……じゃねえッ! くっそ、仕事を辞めたと思ったらさらなるブラックに再就職なんて笑えねえ――ぞ……」

 

 起き上がった瞬間、びきりと腰が痛んだ。否、腰どころか全身が嫌な痛みに襲われた。

 

 筋肉痛である。船に揺られ慣れていない俺が昨日だけで半日くらいは乗っていたのだから仕方がないとは言え、我ながら貧弱過ぎやしないだろうか。悲しい。

 

「どうしてこんな目に……」

 

 そんな俺の呟き。誰も答えてはくれない。

 室内に響く時計の規則正しい音だけが耳に届く。

 

「風呂も飯も済ませてねぇ……はぁ」

 

 おっさんになると独り言が増えるのである。テレビのニュースなんかに挨拶したりするのは初期症状なのでおっさんになりたくない人は気を付けていただきたい。いや違うそうじゃねえ。

 まずは風呂に入りたい。次に飯、そして仕事だ。悲しいがここは孤島、柱島泊地にある鎮守府。逃げ場などどこにも存在しないのである。さらには大淀などの艦娘のみならず妖精という唯一の味方になってくれそうな存在さえ俺の仕事を監視している現実。もう逃げたい。でも逃げない。艦娘がいるから。

 俺は自分の欲望には素直なのである。

 

「よ、っこら……いてて」

 

 ソファから起き上がり、首をぐりんと回してから右肩、左肩と軽く揉み、帽子を被ると執務室を出る。

 勝手知ったる我が鎮守府、という顔で部屋を出たのは良いものの、風呂の場所は分からない。しかし――すん、と腕や腋を嗅げばほんのりとするおっさん臭。この状態で朝食を食べに行くわけにもいかない。間宮や伊良湖に「やだ、なにこの臭い……」などと言われては二度と立ち上がれなくなってしまう。精神的に再起不能になったら提督業云々以前の問題だ。

 さりとて風呂の場所が分からないならおっさん臭を洗い流すことも出来ない。起き抜けから詰んだ。どうしよう。

 

「あら、提督……おはようございます」

 

「っ……伊良湖か。おはよう」

 

 どうして俺はこうも運が悪いのか――俺の物語、完! ダメだよまだ始まったばっかりだよ。

 執務室から出て廊下を適当に進んでいた俺は伊良湖と遭遇した。何やってるんだまだ五時だぞ……。

 

「朝食でしたら、もう少しだけお待ちくださいね。今、間宮さんと仕込みをしていますから」

 

「ふむ。そうか……」

 

 本当にすみませんでした。こんな早朝からお仕事お疲れ様です。

 俺は伊良湖に加齢臭が届かないようにと距離を保ったまま、こうなりゃ聞いちゃえと「ならば先に風呂でも入ってくるとしよう。浴場はどこだ?」と自然に問う。

 すると、伊良湖は首を傾げて「提督のお部屋では?」と返してくる。そもそも俺の部屋ってどこだよと再び問いを返したくなったが、それを堪えて良い言い訳を考えるのだと思考をフル回転。

 

「湯船に浸かりたくてな。部屋にはシャワーしかないだろう?」

 

 もし湯船もあったら詰みなのだが、それは杞憂だった様子で、伊良湖は手をぱんと合わせて「ああ!」と頷いてくれた。

 

「昨日は出ずっぱりでしたものね……本来は入渠ドックですが、広さもありますからそちらをご利用なさいますか? 今の時間ならまだ誰もいないでしょうし」

 

「入渠ドック……ふむ。では使わせてもらおうか」

 

 どうやら聞くに入渠ドックは風呂の役割も担っている様子。そう言えばアニメでも赤城やら加賀が長い時間入渠していたなと思い出す。

 アニメでは長時間の修復作業中、暇を持て余してしまうために艦娘がタオルで遊んでいたような描写があった気がする。

 

 とはいえ、俺の入浴時間なんて精々三十分かそこらである。未改装の駆逐艦くらい。

 

「あっ、でしたら」

 

 えっ。一緒に入ってくれる――

 

「洗濯物を預かります」

 

「そうか」

 

 ――訳ないですよね。知ってました。分かってましたよ。別に期待してないですけど? は?

 いやいやいや。艦娘は好きだよ。嫌いな艦娘なんていないし伊良湖だって好きな艦娘の一人さ。期待してないって言うのは入りたかったとか入りたくなかったとかゲスな考えなどではなく、もしかしたら伊良湖も朝風呂派なのかな? と気になったから出てきただけであって決して邪な気持ちが一瞬でも浮かんだとかそういうのではない。

 

 違うからな。本当だぞ。

 

 静々とした足取りで俺を入渠ドックまで先導してくれる伊良湖について行きつつ、こらえ切れなかった溜息を吐き出して手持無沙汰に額を指でかいてしまう。

 

「……まだお疲れのご様子ですが」

 

「えっ? あ、いや、そのようなことは無いぞ」

 

 い、いかん、邪な気持ちがバレてしま――だからそんな事考えてねえって言ってんだろ!!

 俺は誰に向かって怒っているんだ。そうだね、自分にだね。

 

「早朝からみなの食事を用意している伊良湖や間宮がいるというのに、風呂というのも中々気が引けてな」

 

 本当は今すぐにでも仕事に取り掛かりたいんです! でもエチケットですから! という雰囲気をたっぷりに言う。提督としての腕より言い訳のスキルだけが上がっているような気がする。

 

「何をおっしゃいますか! 提督はずっと私たちの為に動いてくださっていたのですから、気にせず疲れを取ってください! あがる頃には朝食も準備出来ていますでしょうし、どうぞごゆっくり」

 

「伊良湖……」

 

 天使か? 天使だね。

 

「……お前は良い嫁になるなぁ」

 

「えっ!? あっ、うっ……そ、んな、嫁だなんて、私……」

 

 うん? と顔を向けると、ばっ! と伊良湖の綺麗な髪が風を切る音が聞こえる勢いで顔を逸らされた。

 そりゃあ俺のようなおっさんに良い嫁になるとか言われたらセクハラかもしれないが、別に俺の嫁とは言っていないじゃないか……何もそこまで嫌がらなくても……。

 

 しょんぼりとしたまま歩を進めること数分、地獄のような沈黙も終わりを告げる。

 入渠ドックという名であるからには仰々しい機械類がひしめくような場所なのかと想像していたが、一見してそこはこぢんまりとした銭湯のような場所だった。

 男湯、女湯、と分かれていないのは使用者が艦娘しかいないからであろうが、入渠ドックに近づくだけでほんのりと香ってくる良い匂いが背徳感を撫でる。いかん、これ以上気持ち悪がられないためにも平常心を保たねば……。

 

「仕事中にすまなかったな。また食堂で」

 

「はい……あっ、あの、提督っ」

 

「なんだ?」

 

 軍帽を脱ぎ、上着を脱いだところで動きを止め、入渠ドック入口に立ち尽くす伊良湖を見る。

 

「お好きなもの、とか……ありますか……? 朝食にします、ので……」

 

 えっ……なに急に……。

 さっきのセクハラか……? 最後の晩餐を俺に問う程に怒ったのか……? マジでごめんて。

 俺だってなぁ! 仕事いっぱい頑張ってるんだぞ! 遠征に出て資材を確保しろって言ったのに艦娘を連れて帰ってくるような意味不明なことをしても怒らずに――いや八つ当たりはしたな……。

 呉の提督! あいつが引き起こした不祥事を同職だからと頭を下げて――いや、これも八つ当たりしたしな……だめだ全然頑張ってねぇや。すみませんでした。最後の晩餐ならぬ最後の朝食を選びます。

 

 でも特に好物という好物も思いつかない。何せ手作り料理は好きだと言えるものの、食べる機会に恵まれることなく仕事三昧だったのだ。それに加えて、仕事中に手軽に済ませられるような軽食ばかりだったのでぱっと言われて思いつく好物と言えばカロリーなメイトくらいである。

 伊良湖がせっかく最後の食事を選ばせてくれるというのに市販のものが好きなどと言ってしまえば俺の死は惨たらしいものになるに違いない。それは嫌だ。

 

「好物、と言われると……思い浮かばんな。普段、ゆっくりと食事を楽しむことなど無かったからな。すまない」

 

 正直に言うと、伊良湖はしばし俺の目を見て固まった。

 そして、

 

「では、最中、など……」

 

「ほう、朝から甘いものか」

 

「お嫌いでしたら――」

 

 伊良湖と言えば最中だったな、なんて思い出して口元が緩む。

 艦隊これくしょんにおける給糧艦、間宮と伊良湖は海域攻略のみならずイベントにおいても重要な役割を果たす艦娘だった。アニメでも甘味処で働き艦娘たちの疲労を回復したり、戦意を高揚させたりと大活躍の二人だ。偏った知識ながらも、間宮はあんみつ、伊良湖はアイス入り最中というイメージが強く残っている。

 

「間宮の料理も然ることながら、伊良湖の最中は艦娘たちの戦意高揚にも繋がる貴重なものだろう。それを私などが食べてもよいのか?」

 

 純粋な疑問である。

 艦娘たちの戦意高揚とは、いわゆる『キラキラ状態』といって戦闘においては命中や回避に良い影響を及ぼすものとされていたはずだ。遠征ならば成功の上をいく大成功となり、得られる資材も増えるという素晴らしい効果を持つ。

 そんな伊良湖の最中を普通の人間である俺が食べても大丈夫なのか? というのは、自然な疑問と言えるだろう。食べた瞬間に身体中がきらめきだしたら困ってしまう。

 

「食べてください!」

 

「えぁっ」

 

「やっ……あ、の、食べていただける、なら、嬉しい、です……」

 

 大声で食べろって……怖いよ……食べます……。

 艦娘に求められたら断れない。提督あるあるには逆らえない。(無い)

 

「ふむ……では朝食は伊良湖のデザートもいただこう。ふふっ、かなり贅沢ではあるが」

 

 胸中ではぐだぐだと考えているものの、伊良湖の最中を食べられるとか最後の朝食どころかご褒美である。でも実際はセクハラ発言を怒られる口実だろうと思うので、思わず緩んだ口元をきゅっと引き締める。

 

「ん、んんっ……失礼した。では、後ほど」

 

 昨日は呉で怒られて、今日は柱島で怒られる。難易度エキスパートは伊達ではないのだ。

 でもへこたれない。提督だもの。まもる。

 

 ……ポエムを読んでいる場合でも無いな。

 

 俺は入口の伊良湖に片手を振って入渠ドックへ歩を進め、入浴するのだった。

 

 

* * *

 

 

 入浴中? 別に何も無かったよ。

 起き抜けの艦娘が朝風呂に来て「きゃあ! 何やってるんですか提督!」などというラッキースケベも起きなかったし、妖精たちが労いに背を流してくれたりも無かった。切ない。

 備え付けのシャンプーを使って洗髪し、これまた備え付けのボディーソープで身体を清め、ごく普通に湯船に浸かって疲れを癒した。朝から湯が張ってあるのは不思議だったが、入渠ドックやらは明石の管轄だ。いつでもすぐに入渠出来るようにしてあるのだろう。

 

 それに、昨夜はそのまま寝落ちてしまったが故に話せてはいないものの、陸奥や龍田も新たに仲間となったのだ。神風たちと共に入渠していたのだから、そのまま……うん?

 

 湯船に浸かったままの俺は考える。そう言えば新しくやってきた神風たちは入渠したのだろうか、と。

 

「残り湯……?」

 

 い、いやいや、まさかそんな。流石に無いだろう。

 長く入渠していたかもしれない可能性のある陸奥の姿も無いのだし、夜中の内にあがって、長門の部屋にでも行って寝てるだろう。その間に湯を張り替えた可能性の方が高い。きっとそうだ。

 

 俺は両手に湯をすくって持ち上げ、拝んでから頭からかぶっておく。この行為に特に意味は無い。

 

「……はぁ、あほらしい。さっさと出るか」

 

 長湯も身体に悪いしな。

 

 さっと上がってドックを出れば、俺が適当に棚に突っ込んでおいた軍服は無く、かわりに綺麗に折りたたまれた新品の軍服と手袋、そして下着がちょんと置かれていた。

 きっと伊良湖が用意してくれたのだろう。流石給糧艦、家事全般はお手の物といったところか。

 

「後でお礼を言って――」

 

 って待て! 下着まで新品じゃねえか!?

 身体を拭くのも忘れて下着を手に取り、どうやって用意したのか考えるものの、その答えが出るわけもなく。

 

「――ま、いいか」

 

 無駄なことを考えるくらいなら思考放棄する、社畜の悪い癖が出るのだった。

 ともに置かれていたタオルで身体を拭き、綺麗な軍服を身に纏った瞬間、得も言われぬ万能感に包まれる。風呂は心の洗濯とはよく言ったものだ。

 

 髪を手櫛で整え、乾くまではそのままでいいかと軍帽を小脇に食堂へ向かう。

 

 

 

 そうして、食堂に到着すれば、俺の他には誰もおらず。伊良湖と間宮が世間話をしながら料理をしている姿だけがあった。

 俺が食堂へ来た瞬間、しゃんと背筋を伸ばされたものだから「構わん、楽にしてくれ」と一言。カウンターに寄って温かいお茶を頼むとすぐに出てくるあたり、やはり出来る艦娘だなと感心する。

 

 お茶を受け取って手近な席に腰を落ち着け、ふと問う。

 

「昨晩は食事をし損ねたが、他の者はきちんと食べたか?」

 

 包丁とまな板が奏でる心地よい音とともに答えたのは間宮だった。

 

「はい。提督の分もまだ残っているのですけれど、流石にお出しするわけにはまいりませんので……今、新しいものを――」

 

 昨日の残り物あるの? じゃあそれでいいじゃん。と、特に考えなく俺は言う。

 

「そうか、昨日の分があるのならばそれを朝食にしよう。折角作ってくれたのだからな」

 

「いえいえ! 残ったものは私か伊良湖ちゃんが食べますから――」

 

 えぇ……食べれないのか……。

 

「そ、そうか……楽しみにしていたのだが……やはり寝る前に来るべきだったな……」

 

「あっ、う、うぅぅ……も、もぉ! そのような顔をなさらないでください! 出しますから! でも、出来立てを食べていただきたかったんですよ……? 次からはきちんと、来てくださいね……?」

 

 また怒られる俺である。なんかずっと怒られてばっかりだな。悲しみの向こう側へ行ってしまいそうである。

 間宮はやれやれ、といった顔で調理場にある業務用冷蔵庫からいくつかの小鉢やらを取り出すと、てきぱきとした手際で温めなおして出してくれた。

 

「おぉ……!」

 

 と声に出たのは驚きだった。味噌汁に、漬物に、おひたし、そして焼き魚。昨日と全く同じメニューじゃねえか! でも顔には出さない。威厳スイッチは壊れて押されっぱなしなのだ。

 同じメニューでもこれは手作りなのだ。贅沢も贅沢。ありがたくいただくことにする。

 

「やはり手作りは日を置いても素晴らしい」

 

 やけくその誉め言葉でご機嫌伺いも忘れない。実際に口にした焼き魚も、温めなおされただけだとは思えない美味しさだった。脂ものっていて、かつ、胃もたれするようなしつこさもなく、身体に優しい味だった。

 

「まともに朝食をとったのは何年振りか……」

 

 美味しい食事をとっている間というものは、人間、案外おざなりな言動になってしまう。それは食事が美味でありそれ以外のことをよくよく考えられなくなるという意味だが、俺の場合はそれが顕著だった。

 間宮が俺に話しかけてくれ、続いて伊良湖がそっと最中を差し出して声を紡いでくれていたが、うんうん、そうだね、わかるわかる、あーね、的な上の空の返答ばかりをして、意識の殆どは食事に注がれた。

 

 ――学習しない男とは海原鎮、この俺の事だ。

 

 かつて……というか、つい数時間か数十時間前に同じようなことを食堂でして痛い目を見たというのに、どうしてこうも学ばないのかと後悔する暇も無く、

 

「提督……そ、の……あのっ」

 

「うむ?」

 

 お茶碗にこんもりと盛られた白米があっという間になくなったため、おかわりを貰おうと顔を二人に向けた時、俺の目に飛び込んできたのは、二人が泣いている姿だった。

 

「私……私っ! 提督のためなら、無茶など顧みません! あなたが望むのならば、なんだって――!」

 

 間宮が流れる涙も拭わず、キラキラとした瞳で俺を見て叫ぶ。

 

「ま、待て間宮、すまない、俺は一体何を言ってしまっ――」

 

 いかん、これはいかん。

 学習しない男である俺だが、一度経験した事への回避行動くらいはとれる。簡単な式だ。

 

 艦娘が泣く。人類が滅亡する。責任は俺にある。以上、証明終了。

 

 いやダメだよ! 証明しちゃダメだ! 朝風呂かまして呑気に朝飯食いつつ艦娘を泣かせました? こんな事が井之上さんにバレてみろ。唯一の味方を失うばかりか人類が滅亡し、俺は未来永劫愚か者の代表として語り継がれてしまう。

 愚か者代表は間違ってない? そうですね、すみません。

 

 お、おおお落ち着け。馬鹿なことを考えている場合じゃない、とにかく他の艦娘が来る前に間宮と伊良湖を泣き止ませねば……!

 

「本当にすまな――」

 

「いいのです……お話してくださって、ありがとうございます……。でも、間宮さんの言う通り、私達は提督の手となり足となり、全力でお支えします。ですから、どうか……っ」

 

「伊良湖……すまない、話を聞いていなかっ……!?」

 

 横にいた伊良湖にも素直に謝ろうとした矢先、ふわりと伊良湖が俺に抱き着いてきた。

 完全に思考停止してしまい、目を見開いて『朝日が入ってこないけど、食堂って西日酷いのかなぁ』なんて現実逃避を始めてしまう俺。情けなくてすみません。でも仕方がない、話を聞いていなかった故、間宮と伊良湖が何の話をしているのか分からないし、どうしてこうなったのかもわからん。

 間宮までもが小走りで俺のもとにやってきて、伊良湖とは反対側からか細い腕で俺を包む。

 

 一つ言える事は、だ。

 

 柔らかい。提督になって良かっ――違う! 馬鹿! 違う! そうじゃないだろ!

 

「二人とも……離れなさい」

 

 出来る限り冷静に、静かに言う。

 

「「いやですっ!!」」

 

 えぇ……ハモって言われても困る……。

 

「食事が出来ないだろう。いいから、離れなさい」

 

 至極当然なことを言っているのは俺のはずなのだが、二人は唖然として、否、絶望したような表情で俺を見た。

 俺を包む四つの腕から震えが伝わる。

 

 仕事が出来ないくせに朝風呂の上に呑気に飯、それに対しての絶望なのであろうことは容易に想像できるが、頑張るから、めっちゃ頑張るからそんな顔で見ないで。

 

 俺は二人を安心させるよう、穏便に、そして柔和に笑みを浮かべて、昨夜の大淀に対してしたように言い訳……じゃなかった、仕事はきっちりやるからと伝える。何時から、どの仕事を、どのようにするのかを伝えられたら、流石の二人も多少は見直してくれるはず。

 

「仕事はきちんとするつもりだ。あ、あー……間宮も伊良湖も、私の手となり足となり支えてくれると言うが、それは私の仕事だ。だが、ありがとう。各自が迷わないよう、既に任務の通達もしてあるし、遠征も組んである。近海警備も問題無いはずだ。あとは……そ、そうだ! 非番の艦娘も多かろうからな、一人一人の話を聞いたりして回るつもりだ。幸いにも市民からの援助物資もあることだ、駆逐艦たちの遊び道具だってあるだろう。みなと束の間の休息、というやつだ。まぁ……全員を相手するとなれば相当な時間を割かれるが、必要なことだからな」

 

 ……あれ、なんで俺は仕事じゃなくサボる言い訳してるんだ? 違うじゃん?

 

「……提督が、お決めになられた事に、異を唱えるわけには、まいりません」

 

 下を向いた間宮が震える声で言う。

 

「ならば我々艦娘が、それに足るよう粉骨砕身するのみ、です」

 

「ま、間宮……?」

 

 艦娘と一緒に遊ぶのに粉骨砕身しなきゃいけないの……?

 俺はただの元社畜だから、無茶出来ないよ……?

 

「提督に救われたこの身、この魂――提督の勝利に捧げましょう」

 

 間宮の言葉に続くようにして、伊良湖が可愛らしさの欠片も無い声で言った。

 俺の勝利ってなんだ。もうお前たちがいるだけで勝利だよ。そんな怖い事言うくらいなら俺の仕事手伝って。マジで。

 

 思わず茶碗を持ち上げかけた格好のまま止まっていた俺は、それを置き、震える手で湯飲みを掴んで、一口。

 

 話を丸っとまとめると、あれだな? 要するに仕事をもっと頑張れってことだな? 休むなと。休む暇があるならもっと働きなさいと。わかってますとも。

 どれほどの過酷な状況に置かれようとも、突然顔面を殴られようとも、拳銃を向けられようとも、不眠不休であろうとも、前の職場に比べたらマシだ。だって艦娘がいるのだから。

 

 はい! まもるは大丈夫です! と俺の心の榛名もそう言っている。

 

「……ありがとう。お前たちのような艦娘がいるからこそ、私は何度でも立ち上がれるのだ」

 

 

 とりあえず褒めておく。褒めておけば丸く収まる気がした。

 だからもう仕事について追い詰めてくるのは勘弁してください……。(手のひらドリル)

 

 おかわりする気も失せてしまった俺は、二人の腕を出来るだけゆっくりと解いて立ち上がると、朝食を残したまま執務室へ逃げ――あ、いや、仕事をしに戻った。

 

 逃げてないぞ。本当に仕事をしに戻ったんだぞ。




更新がとても遅くなってしまいまして申し訳ありません……。

バタついておりますが、また折を見て更新します……!


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二章 勘違いカウンセリング
三十三話 報奨【艦娘side】


 早朝、マルロクマルマル。

 

 かの作戦後からたったの数日しか経っていない現在、(大淀)を含む艦娘たちの熱は冷めやらぬまま日々を過ごしていた。部屋を出てすぐに出会うみなの顔は一様に興奮を抑えきれないような様子で、希望に満ちた光を目に灯している。

 

「おはようございます、大淀さん」

 

「あっ、鳳翔さん、おはようございます」

 

 その中でも空母の面々は龍驤の活躍に競争心を煽られたようで、非番であるというのに起き抜け一番に食堂ではなく、訓練場のある方へぞろぞろと向かっているのが見えた。

 まだ涼やかな風が吹く時刻、空母の成す列から立ち昇るような陽炎は目の錯覚であろうと思いたいほど。

 

 通りすがりの私に声を掛けてきた空母のまとめ役たる鳳翔は嫋やかな笑みこそ浮かべているものの、何をしているわけでもないというのに私を圧する雰囲気を背負っていた。

 

「今日は私が秘書艦を務めますが、注意事項などがあれば――」

 

 先日『提督の補佐をしよう』と会議された秘書艦制度は、私を中心にして日替わりで行われることが決定された。

 情けない話ではあるが、私の事務処理の能力を遙かに凌駕する提督の業務速度を補佐するには一人の艦娘では足りないと満場一致であった。

 そこで、連合艦隊旗艦を務めた経験のある私を常任秘書として、もう一人、提督と私の補佐という形で交代制の秘書を設ける事になったのだった。無論、それ以外の意味もある重要な軍務だ。

 

 本日の秘書艦は鳳翔だったか、と食堂へ歩を進め、歩きながら話そうと促した私についてくる彼女に対して口を開く。

 

「提督室での業務は機密保持のため、秘書業務以外での口外は原則禁止です。それは例え同じ鎮守府の艦娘であっても、ですが……ここまでは知ってますよね?」

 

「はい。赤城ちゃんや加賀ちゃ……んんっ、ごめんなさい」

 

 元祖一航戦である鳳翔は、現在前線を任されている一航戦の二人の母のような存在でもあるためか、こうしてポロリとちゃん付けが口からこぼれてしまうようで、恥ずかしそうに咳払いをして前を見る。

 

「赤城や加賀から基本的なことは聞きました。全艦娘が日替わりで行うから、今後は全員がどのような業務内容であるのかを把握できるだろう、とも……少し、時間がかかり過ぎなような気もしますが」

 

 気掛かりとでも言いたげな顔をしてみせる鳳翔に、もっともです、と頷いてみせるも、私は一言補足する。

 

「在籍する艦娘の数からして半年を見越した計画となりますが、それに値する機密ばかりであるとだけ言っておきましょう。鳳翔さんはラッキーですよ」

 

「らっきー……?」

 

 食堂に到着し、扉の前で立ち止まった鳳翔に代わり扉を開いて中へ入るよう身体をずらしてから私は言った。

 

「今日の業務はたんまりとありますよ、という意味です。知りたい事は、凡そ知る事が出来るでしょう」

 

 食堂の中に入れば、艦娘が整然と――という事も無く、ごちゃごちゃと雑多に賑わっていた。

 まだ朝日が昇って数刻もしていないのに、賑やかさで言えば昼下がりを思わせる。

 

 今日のメニューは何だろうか、とカウンタ―の上に立てかけられたホワイトボードを見れば、間宮か伊良湖が描いたであろう可愛らしいイラストと共に『本日のメニュー:五航戦にぎり』なんて文字が目に入った。ボードの隅に書かれた日付を見て、ああ、と声が出る。

 

「今日は金曜でしたか」

 

 鼻息を洩らして言う私に、鳳翔は口元をおさえて笑みを零した。

 

「感覚を失うほど多忙、ですか」

 

「えぇ……まぁ……」

 

 否定はしない。いや出来ない。

 多忙? そんな一言で済ませられるならどれほど救われるか。

 

 提督は鎮守府と泊地の管理のたった二つだと事もなげに言って業務にあたっているが、細分化されたそれらは二つどころか三つ、四つ……一人で処理しきれるようなものでは無い。大袈裟でも誇張でもなく、この鎮守府に在籍している艦娘全てに業務を割り振ってようやく均衡がとれるレベルである。もちろん、朝から晩までみっちりと働いて、だ。

 

 タイムスケジュールの管理だけで言えばバラバラではあるが、提督は自らの業務に加えて非番の艦娘のもとへ赴いて世間話をする余裕さえ見せている。龍驤の言葉を借りれば、本当に化け物としか形容出来ない。

 

「五航戦にぎりって、瑞鶴さんはさっき、訓練場に行きましたよね?」

 

 朝食後の業務を今この時だけは考えなくともいいようにと話題を変えた私に、カウンターでせっせとおにぎりを配っていた間宮が気づいて言う。

 

「あら、おはようございます大淀さん。これ、瑞鶴さんが塩昆布のおにぎりが食べたいって言ったから作ったんです。ただの塩こぶむすび、なんて名前ではつまらないかなあと思って、ね?」

 

「あー……そういう……」

 

 間宮や伊良湖は給糧艦であるが故に気遣いの出来る艦娘であるというイメージはあったが、ここまで細やかなところまで頭を回すなんて、と感心した。それまでは食堂で美味しい食事を提供してくれるだけ――だけ、というのは物言いが悪いだろうか――のイメージだったものの、最近になってこういった小さな楽しみを作っては私たち艦娘の気力をも気遣ってくれる。

 特に可愛らしいイラストはとある駆逐艦から学んでいるとかで、艦娘達からは概ね好評であるとか。

 

「だから瑞鶴が張り切っていたのですね」

 

 鳳翔は笑みをより一層柔らかくして目を細めた。

 

「空母の皆さんは、訓練後に朝食を?」

 

 配膳された五航戦にぎりとお茶を受け取って席について問えば、鳳翔は私の隣に腰を下ろして、えぇ、と肯定を示す。

 

「龍驤に負けていられない、と……皆張り切っています。訓練することが悪いわけではありませんから、支障のない程度にしなさいとは言っているのですけどね」

 

 短くそう言って食事を始める鳳翔に、なるほど、と頷いたあとに両手を合わせてからおにぎりに手をつけた。

 しかしすぐ、うん? と手が止まる。

 

「訓練は提督の指定した訓練とは別の訓練、ですよね」

 

「はい、そうですよ」

 

 小動物のように頬を膨らませておにぎりを頬張る鳳翔は、それがどうしたのですか? といった風に私を見た。

 

 私たち艦娘は毎日訓練をしている。それこそ軍人であるのだから当然の行為であり、日常の一端だ。常日頃から脅威に対して警戒を怠らず、全力を尽くせるよう、それ以上の能力を発揮できるように成長し続けなければならない。訓練と艦娘は切っても切れないものだ。

 提督もそれを理解しているからこそ、毎日朝から昼までに演習を五戦、昼から夕方にかけて五戦、夜間に二戦の合計十二戦の演習表を作成なさっているのであろうと理解している。

 朝から昼までの演習はマルキュウマルマルからヒトフタマルマルまでの三時間という短さで実施されるため、駆逐艦や潜水艦を中心とした小型艦で組まれており、ヒトヨンマルマルからヒトキュウマルマルの五時間の間は、軽巡、重巡、戦艦や空母といった中型から大型艦の演習が行われている。

 

 朝から昼は短期決戦を想定した演習。

 昼から夕方は複雑な戦略性を想定した演習。

 そして夜は空母を除く全艦がまんべんなく夜戦に慣れるための演習。

 

 まだたかだか数日しか行われていない訓練であるものの、一切の無駄を感じられない日程に、前鎮守府で感じていた疲労とは違う心地よいものが常に艦娘たちにあった。

 

 いや、いやいや、問題はそこじゃない。

 

 朝と夜の演習について空母は参加していないので、必然的に訓練の密度は高くなる。それ以外にも近海警備と訓練を並行するようにと初日からの言があるため、空母はみな朝から夕方までみっちりと発着艦を行っているはずなのだ。それとは別に訓練ともなれば、文字通り夜間以外は全て訓練していることになるのだが……。

 

「提督に見合う艦娘であるためには、これでも不足なくらいです」

 

「……」

 

 ここ最近になって激しく、強く思う。

 一致団結していると。

 

 海上に出ることこそ少ないままの私は先程までの現実逃避している自分を恥じて、おにぎりを頬張ってお茶で流し込んだ。

 

 手早く食事を済ませ、いち早く提督の業務を補佐せねば、と。

 

「私も負けていられませんね」

 

 そう呟いた私に、鳳翔は「そんなことありません。今だけでもゆっくり食べてください」と言ってお茶のおかわりを注いでくれた。

 

「空母の中でも大淀さんはよく話題にあがるのですよ? あの提督の常任秘書艦を務められるのは大淀さんしかいないと」

 

「い、いや、そんな事は――」

 

 私の知らぬところで話題になっているなんてと気恥ずかしさを感じているなか、鳳翔は続ける。

 

「着任二日目に実施された作戦もそうですが、機密保持のためとは言え何も説明されないまま決行された作戦で艦娘たちの意思疎通が滞りなくできたのは大淀さんの通信統括があってこそ……それに、初日から提督とともに行動している大淀さんでなければ提督の機微は察することが難しいでしょう。ほら、仕事中はずっと同じ表情をなさっている、ともっぱらの噂ですし」

 

「そう、でしょうか」

 

 提督の表情が同じだなんて考えたこともなかった、と思いを馳せる。

 

 女性に対しては形無しになり初々しいばかりの提督だが、そう言われてみれば確かに業務中は口を一文字に結びっぱなしな気もする。裏を返せば、提督は中四国の重要拠点である呉鎮守府を守るための盾である柱島を担っているのだから気の抜けないお立場であるが故のこととも考えられるが、果たして鳳翔の言うように機微を察するのが難しいほどだったろうか。

 

 それもこれも、今日の業務の時にでも見れば分かることか、とおにぎりをもう一つ食べる。

 

「提督から下される任務についても、大淀さんでなければ即時通達は難しいだろう、とか、色々と話しています。勝ち負けではありませんが、大淀さんの仕事ぶりにも応えられるように訓練しているんです」

 

「そう言われては、もっと頑張るしかないじゃないですか」

 

 思わず、ふふ、と落ちた笑い声。

 

 本日の業務も、頑張らねば。

 

 

* * *

 

 

「失礼します――本日もよろしくお願いします、提督」

 

「よろしくお願いいたします。本日の補佐を担当します、鳳翔です」

 

 朝食後、軽く談笑を済ませた私と鳳翔は提督室へとやってきた。時刻はマルナナサンマル。

 提督は演習が始まる前にでも来てくれたら良いと仰るものの、初日を含め軍務に従事する提督を差し置いて自分達だけのんびりもしていられないと予定時刻の一時間前には提督室に来るようにしていた。

 

「……うむ。よろしく頼む」

 

 しかし、これでもまだ遅い。

 既に昨日の遠征報告書や資材の在庫の確認であろう書類がうずたかく積まれたデスクを見て、私はすぐさま提督のデスクの横に新たに設置された秘書艦専用デスクへ着席した。鳳翔も同じく、もう一つあるデスクへと着席する。

 

 本日が初の秘書艦業務となる鳳翔はここから驚きの連続となるだろう。

 もしくは、呆れの連続か。

 

「本日の――」

 

 私が口を開くと同時に、提督はデスクに積まれた書類の中からさっと数枚を抜き出して私に差し出す。

 ぽかんとする鳳翔だが、既に私はこのやり取りを繰り返しているので動じない。

 

「今日の演習は潜水艦隊が最初だったな。従来の演習用魚雷では実戦的では無いとの意見もあったので明石に改良してもらったものを用意してある。既に妖精によって配備されているが、報告書とは別に使用感を聞きたいとのことだ。朝の演習後、入渠前にでも明石に報告しておくようイムヤ達に伝達を頼む」

 

「っは。了解しました」

 

「あ、あのっ、私は……」

 

 小声で仕事を求めた鳳翔に気づいた提督が顔を上げ、ああ、と声を紡いだ。

 

「今日が初めての秘書業務だったか、すまない。では……そうだな……」

 

 鳳翔の驚愕、第一となるであろう一言。

 

「ある程度は済んでいるのでな。次の仕事はあきつ丸の報告を受けることなんだが、それまでに鳳翔の話でも聞かせてもらおうか」

 

「えっ……えぇっ!?」

 

 目を見開いて、でも、デスクには書類がまだ、ともごもご言った鳳翔に対して、提督は続ける。

 

「これは気にするな。私の仕事はお前たちの話を聞いて運営を改善し続けることだ。ということは、鳳翔の仕事は私に気に入らないことを正直に話すこととなる。何か異論はあるか?」

 

 秘書艦――多くは提督の業務を補佐することであると認識されている仕事だが、この鎮守府、この提督の前では意味を変える。

 

「て、提督に異論など! 滅相も、ありません、が……でも、お話なんて、何のお話をすれば……」

 

「気負う事は無い。気に入らないことが無ければそれに越したことは無いのだからな。戦場に立つお前たちには我慢ばかりを強いているのだから、鎮守府の中でくらい少し我儘を言っても構わん、というだけのことだ。過日の作戦においては右も左も分からない私を支えてくれたお前たちへの褒賞も兼ねている、遠慮はいらんぞ」

 

 提督に手渡された演習表に組まれている潜水艦たちへ裏で通信をしつつ、横目で提督と鳳翔のやり取りを見る。

 鳳翔は「私は鎮守府に待機していただけで何もしていませんので、そんな」などと胸の前で手を振り、首をも横に振って見せているが、提督の困ったような笑みにたじたじの様子だ。

 

「お前たちが鎮守府に待機しているという事実こそ、私を安心させていたのだ。それも立派な任務だから、何でもいいので話を聞かせてくれないか? もちろん、話したくないのであれば無理強いはしない」

 

「……うぅ」

 

 食堂では提督の機微を察しづらいと言った鳳翔だったが、今しがた目の前にいらっしゃる提督の困ったような、気遣うような笑みを見て混乱甚だしい様子を見せた。

 私に助けを求めるように視線を投げかけてくるのに気づいたものの、胸中で『鳳翔さん、ごめんなさい……』と謝罪しつつ、ふい、と目を逸らす。

 

 申し訳ないが、提督から手渡された演習の予定表にびっしりと書き込まれている艦娘たちの装備を通信にて本人たちに相違ないか確認しなければならない上に、それが五組も控えている。提督が間違えるわけも無いのだが、使用予定の演習用弾薬の量もきっちりと確認しておかなければならないのだ。

 これだけで溜息が出てしまいそうになるのに、提督はこの他に昼、夕、夜全ての演習組の確認を済ませているというのだから、やはり秘書艦二人では足りない……と頭を抱えてしまう。

 

 とは言え、何人も室内に詰め込んで仕事を手伝わせてくれなどと言おうものならば、逆効果にしかならないのは明々白々。それを理解してか、提督も出来る限り気負わせないようにするためか、妖精をいくらか連れて仕事を手伝ってもらっているようだった。可愛い。 ……ん、んんっ、何でもない。

 

「提督はただでさえお忙しい身ですし、私も困ったことは何もありませんから、お気遣いだけいただきます」

 

「ふむ。しかしだな……」

 

 二の句を継ぐ前に、提督の前にふわふわと飛んできた妖精の一人が身振り手振りで提督に何かを訴えているのが目に入った。鳳翔も私も何事かと顔を向けるも、提督は「なっ……わ、わかった、わかったから、落ち着け……まったく」と呆れ顔で机の引き出しを開き、何かを取り出す。

 

「提督……そちらは……?」

 

「うん? あぁ、これは金平糖だ。伊良湖に用意してもらったのだがな、妖精たちが好んで食べるので、仕事を手伝ってもらう駄賃がわりだ」

 

「駄賃……」

 

 妖精と提督の顔を交互に見る鳳翔。私の目も同じように動いた。

 数日のうちに見たことの無かった妖精と提督のやり取りは、あまりにも――

 

「~~~? ~~~?」

 

「ダメだ。それは朝食分、残りは昼にな」

 

「~~~!」

 

 一人の妖精が提督の机に降り立ち、ぴょこぴょこと小さな両腕を振り回して抗議するよう地団太を踏む。

 すると、その妖精に加勢するようにして棚の上から、はたまた半分開かれた執務室の窓から飛び込んできた妖精たちも同じように提督の机の上に並び、ぴゃあぴゃあと聞こえてきそうな抗議活動を始めてしまった。

 

「やめないか! 今は大淀も鳳翔も来て――」

 

「~~~!!」

 

 妖精の存在だけでも珍しいというのに、声の聞こえない私たちにさえ伝わってきそうなほどの信頼。そして、甘え。

 艦の魂とも呼ばれる妖精があそこまで人間に懐くことがあろうか? 私の知識にはそんなもの無かった。

 

「あー……わかった。その代わり、一人一つだ。いいな? それを食べたら、仕事を手伝ってくれ。約束出来るな?」

 

「!!」

 

 提督も提督で――また、甘い人だ。

 妖精たちは喜びに最敬礼をしつつ綺麗に列を成し、一つ一つ、提督から手渡しで受け取ると、即座にキャビネットから書類を持ってきたり、提督の使っていたペンを交換したりと働き始める。

 

「ふぅ。失礼した。それで、だ。気遣いだけとは言わず、鳳翔もなにか……」

 

「ふっ……ふふ、ふふふっ」

 

「むっ、な、なんだ鳳翔。何がおかしい」

 

「いえ、すみません。でも、ふふふっ、てっきり、提督はとても、厳しいお方なのかと」

 

「そのようなことは、無いと思うが……」

 

「はい。今のでよくわかりました。ふふっ」

 

 妖精に囲まれて腕だけが別の生き物のように動き続けている提督の姿を見て微笑む鳳翔は、提督の次に私を見て、全てを察して言葉を紡いだ。

 

「機密性の保持。同僚とさえ話題に出さない秘書艦制度……これは、提督のお考えを酌んで、大淀さんが制定したのですね?」

 

「……流石、空母の母、ですね」

 

 提督のただ一つのやり取りを見ただけで察することの出来た鳳翔は、空母のみなが言っていたらしき、大淀さんでなければ務まらない、などというような枠組みに入るのではと思わせた。

 

 そう、この秘書艦制度はただのポーズである。

 

 名目上、というやつで、本来の目的は――提督による聞き取り調査、及びカウンセリングなのだ。

 この場で起こったこと、話したことは守秘義務によって守られる。提督が椅子から立ち上がらずとも艦娘が守られる、提督が初日より考案なさっていたであろう柱島鎮守府における最重要軍務。

 

 その時、窺っていたかの如きタイミングで執務室の扉がノックされる。

 

 提督の「入れ」という声と共に入室してきたのは――この最重要軍務の中核を担う艦娘――

 

「おはようございます、少佐殿。っと……既に到着しているとは。おはようございます、大淀殿、鳳翔殿」

 

 ――白い肌と対照的な真っ黒な軍服に身を包む、あきつ丸だった。

 彼女ともう一人、軽巡洋艦川内は艦娘たちの安全を裏から守る柱である。

 

 秘匿名、暁――名づけに迷ったものだとあきつ丸がごちていたが、提督から提案してもらった名をそのまま使っているらしい、艦娘保全部隊だ。

 

「空母各員は訓練場にて確認しました。駆逐各員は現在食堂にて朝食を……軽巡、重巡は演習参加艦以外、全員が自室にいる模様であります。戦艦各員は空母と同じく、訓練場を使用中であります」

 

「……うむ」

 

 鳳翔はあきつ丸の報告を聞きながら、どんどんと頭の中で状況と予測を繋げていることだろう。

 その全てが寸分の狂い無く繋がれば、それは確信となる。

 

「さ、て……少佐殿。鳳翔殿は何と?」

 

「あ、いや、特に、問題は無いとのことだ」

 

 鳳翔を見つめた提督の言葉に、あきつ丸の目が動く。

 

「で、ありますか。ならば良いのでありますが……鳳翔殿、本当に、何もないので?」

 

 守秘義務、機密性の高さから、常任秘書の私とて知らないことの多いこの任務。全てを知っているのは提督ただお一人であり、私よりも多くを知るあきつ丸でさえ全ては知らないのだろう。

 しかし、それでも不審は抱かない。提督の一挙手一投足には意味があるからだ。

 

「はい。何もありませんよ。この鎮守府で粉骨砕身し、戦争に勝利すべく前進あるのみです」

 

「……ほう」

 

 あきつ丸は鳳翔をじっと見た後、提督をちらりと見る。

 提督はあきつ丸の視線を受け、一瞬、悲しそうな表情を見せた。それも、すぐに真顔となったが、鳳翔は提督の一瞬の表情に気づいたのだろう。ぐっと喉を詰まらせたように声を洩らしてしまう。

 

 歴戦の空母の中でも古参も古参たる鳳翔が、動揺している。

 

 提督の為せる人心掌握の術は、たった一つの表情でこうも容易く鳳翔を崩すのか、と息を呑んだ。

 

 空気が歪む中、あきつ丸が持ってきていた薄い鞄から一枚の紙切れを取り出した。

 何かの書類だろうか? と考えている私の耳に、鳳翔の「そ、それはっ……何故、あきつ丸さんが……!」との驚愕の声が飛び込む。

 

「確かにこれを入手したのは自分でありますが。自分はこれが一体どういう意味を持つもので、何が記されているものなのか、知りません。少佐殿に誓って中身も見ておりません。ですが、鳳翔殿はこれを何か知っている様子でありますなぁ……?」

 

「……っ」

 

 あきつ丸は決して敵などでは無い。が……笑みが、どうも、怪しすぎるというか、怖いというか……。

 提督は軍帽を目深に被りなおし、書類に目を落としてさっさと手を動かし始めてしまう。

 まるで、お前が決めて良いのだと鳳翔の背中を押すように。

 

「何も、無いというのは、う、嘘です……! 提督……どうしてあれを、ご存じなのですか……!」

 

 あきつ丸と、あきつ丸が持つ紙切れを指さして震える声で提督に言う。

 提督は書類から顔を上げず「私は何も知らん」と短く言った後に、かつん、とペンを置いて右手で額をおさえ、下を向いたまま小さな声で問うた。

 

「鳳翔にとって大事なものなのか?」

 

「……はい」

 

「そうか……あきつ丸」

 

「っは。では、鳳翔殿……もう二度と、なくさぬよう」

 

 デスクまで歩んできたあきつ丸から座ったまま紙切れを受け取った鳳翔は、はらりと裏返した。

 それは、一枚の写真だった。ただの、写真だ。

 

 横目に見えたそれには、鳳翔らしき女性と、もう一人……軍服をまとう男が一人。

 

「あ、ぁ……あぁっ……どうし、て、提督、どうして、これを、あきつ丸さん、どうして、どこで、知って……」

 

 鳳翔の目からぽろぽろと涙が零れはじめ、押し殺したような泣き声が室内にこだまする。

 あきつ丸はすぐさま執務室の扉の鍵をかけ、そこから数分、ただ沈黙した。

 

「うっ、うぅぅぅっ……どこで、どうやって見つけて……もう、何も、無くなったかと……全て、無くなってしまったかと……っ」

 

 数分経って、未だ泣き止めない鳳翔の口から洩れた言葉に、あきつ丸は追撃でもするかのように、また鞄から小さな箱を取り出す。

 開かず、ことん、と鳳翔のデスクに置かれたそれを見て、鳳翔は震える両手を伸ばし、開く。

 

 ここまで見て察せないほど私も愚かでは無い。それは――指輪だった。

 

 鳳翔は恐らく、ここに来る前に想い人がおり、愛の約束を交わしたのだろう。しかし、悲しいかな、戦火に気遣いなど無い。感動も、感嘆も、情緒も何もない。

 

 戦争がもたらすものは、ただ一つ、悲しみだけである。

 

「……鳳翔殿。もう、大丈夫であります」

 

 あきつ丸は軍帽を脱ぎ、胸に抱いて鳳翔を見ながら言う。

 

「途方もない道でありましょうが、我々は同じ釜の飯を食った仲間であります。たとえ綱渡りになろうと、身を削ごうとも、仲間の幸福のために戦うことに厭いはありません。故に、どうか……心を捨てぬよう、信念と復讐を違えぬよう、お願い申し上げる」

 

 絶えず笑みを浮かべ、時に鬼となって海上を駆ける空母が母――軽空母、鳳翔。

 その内側は、深海棲艦のみならず、軍部さえも味方してくれないという現実に壊れかけた心を抱える、一人の艦娘。

 

 私の頭に浮かぶのは、鳳翔の来歴だった。

 前鎮守府にて深海棲艦の襲撃に遭い、半壊まで追いやられるという悲劇を生き抜いた艦娘。奇跡的にも戦う術を持つ艦娘たちに轟沈は出なかったものの、不可思議なことに、そこにいた提督だけが命を落としたという。みな一様に深海棲艦が攻め込んできたのだと口を揃えて言うものの、たった一人、深海棲艦などでは無かったと言った艦娘がいた。それが、鳳翔である。

 

 調査をしても深海棲艦が攻めてきた痕跡以外は何も見つからなかったの一点張りで、特警の調査はそれ以上行われず、妄言を吐き散らすばかりの鳳翔は戦意に問題アリとして除名となった。

 だが、いくら性能が劣ろうとも、経験を持つ艦娘をおいそれと処分も出来ず、この柱島鎮守府に閉じ込めるためにと送られたという。後半は私見も交じっているが……この状況を見れば、あながち間違いでは無いのだろう。

 

 あきつ丸の言葉からして――鳳翔は――

 

「鳳翔。何か、したいことはあるか?」

 

 写真と指輪を抱きしめたままに泣き続ける鳳翔は、提督の声にはっとして顔を上げた。

 

 それから数十秒、提督を見つめる。

 

 私たちから見た提督は書類にかじりついたまま顔も上げず、ただ静かに執務をし続けていた。

 

「したい、こ、と……」

 

「何でもいい。したい事があれば、尽力しよう。私にできることであれば、何でも言え」

 

 提督は、選択を迫った。鳳翔にとって究極かつ、苦痛の選択を。

 全てを知った上で言っている。そして――我が手を存分に使っても良いとも。

 

 それらは悪魔のような囁きにも聞こえたが、一方で、まるで両腕を広げて止めるかのような言葉でもあるように聞こえた。

 

「少佐殿……お言葉ですが――」

 

「なんだ」

 

 瞬時、あきつ丸の言葉を両断する声。さしものあきつ丸であれど言葉を失い、いえ、失礼しました、と口を閉じた。

 あきつ丸が鳳翔を見る。

 鳳翔は迷うように、提督にこう言った。

 

「もし……全てを巻き込んでも、成したいと言ったら……してくださるのですか……」

 

「何をだ」

 

 提督はそこでやっと顔を上げて、まっすぐとした瞳で鳳翔を見た。

 私がいつしか船上で見た暗い暗い水底のような瞳ではなく、さざなみの音とともに昇る暁を彷彿とさせる光をたたえた瞳で。

 

「っ……何故そのような目が出来るのですっ!」

 

「エェッ!? 鳳翔、落ち着――」

 

「このようなことをして! 私に、この、私にまだ選択を迫るのですか! 今度は何を失えというのですか! この身を海に沈めろとでも言うのですか!」

 

「なっ……」

 

 提督は目を見開いた。次の瞬間には、鳳翔の言葉を遮り、びりびりとした大声を上げた。

 

「あの人は……あの人は私に生きて良いと教えてくれたのです! だからこうして、心を殺してでも生きようと、している、のに――」

 

「――誰が沈めなどと言った!!」

 

「っ」

 

 提督はデスクをばんと叩いて立ち上がり、デスクを回り込んで鳳翔の前に行こうと動いた。その途中、腰をデスクにぶつけ、書類が音を立てて崩れ落ちる。

 しかし気にすることもなく鳳翔の前までやってくると、正面から両肩を掴んで言う。

 

「鳳翔、泣いてもいい、だが聞け!」

 

「やっ……!」

 

 身をよじって提督の瞳から逃れようとする鳳翔だったが、再び「聞け!」と言われ、固まる。

 

「お前は何を求めているんだ? 泣くほどに難しいことを求めているのか? 沈んでしまいそうなほどに困難なことなのか?」

 

 ……厳しすぎる。そしてやはり、優しすぎる提督の言葉。

 何故言わせなければならないのか。何故自覚させなければならないのか。私には理解しがたい。きっと鳳翔は想い人のために復讐したいという暗く恐ろしい気持ちを持っている。その火種となった海軍、ひいては深海棲艦までをも巻き込んで滅茶苦茶にしてしまいたいという破滅的願望を持っているに違いない。

 提督はその綱の上で、敢えてそれを断ち切ろうとしている。お前が望むのならば、どこまでも一緒に落ちてやろう、と。

 

 背筋に汗が伝う。

 

 ぴりりとした空気の中からでも、提督と鳳翔の背後、あきつ丸から明らかな警戒が見て取れた。

 何かあらば、仲間を手にかけることになっても提督を守ろうとするあきつ丸の雰囲気。

 

「提督……どうして……私を、追い詰めるのですか……」

 

「追い詰めてなどいない! 私はお前の力になりたいのだ! 望みがあれば、それを叶えるために尽力する、ただそれだけだ! それがどうして沈む沈まないの話になる? 難しい話ではないだろう!?」

 

 提督はゆっくりと鳳翔の肩から手を離し、目頭を指でおさえて溜息を吐き出す。

 すまん、と言って背を向け、床に落ちた書類を拾い上げながら話した。

 

「……世界で初めて、最初から空母として設計され、世界で一番最初に竣工した。覚えているか、鳳翔」

 

「……」

 

「人々はお前の小さな身体に、全てを詰め込んだ。希望を、夢を、想いを。そうしてそれらを一身に背負い、役割を終えてたった一人で、静かに解体されただろう」

 

 提督が話しているのは、空母として小型も小型である鳳翔が艦娘となる前のこと。

 比喩でも何でもなく、提督の頭脳には艦娘のみならず、艦全ての情報が叩きこまれているのか。

 

 ただ、静かに耳を傾ける。驚きこそすれ、恐れこそすれ、私は提督の全てを信じると決めた時から、ただお傍でお力になるのだと決めたのだ。故に、私は口を閉ざしたまま、仕事を続ける。

 場違いに響く、私が書類にペンを走らせる音。

 

「そんな、昔のこと、など……」

 

「みなを守り、誰一人おいていかれぬようにと、お前はずっと戦い続けただろう。たった一人となってもだ」

 

 その次、提督から零れ落ちた言葉に、私はほんの少し、本当にほんの少しだけ嫉妬してしまう。

 

「なのに……お前は、私を置いていくつもりか」

 

「ていと、く……?」

 

「私を置いて、一人で沈もうと、そう言うのだな」

 

「っ……私はっ、私にはっ……!」

 

「私は無力だ。そして無能だ。だが、お前たちを支えるためならばなんだってするつもりだ。私の力不足が故にお前が沈みたいなどと言ったのならば……私は、どうすればいい」

 

「っ……! ち、違っ……私はそんな意味で言ったのでは――!」

 

「一蓮托生なのだ。お前も、私も。お前の望みは私の望みであり、仕事であり、全てだ。だから、教えてくれないか。鳳翔、お前が何を求めているのか」

 

 私の全て……か……。

 かりり、とペンが動きを止めてしまう。

 

「……考えさせ……て……いや、考えても、仕方がない、のでしょうね」

 

 鳳翔は力なく椅子に腰を下ろすと、あきつ丸を見て、私を見て、最後に提督を見つめ、小さな唇から声を紡いだ。

 

「誰も、いなくなって欲しくないのです……誰一人も、欠けて欲しくないのです……それが、それだけが、私の望みです。何があっても、守り通してくださると、ここで言えますか、提督」

 

 うつろな目で言う鳳翔に、提督は拾った書類をまとめてデスクへ置きなおして振り返り――ぽかんとした顔を向け、言う。

 

「そ……――」

 

 それは難しい。これは、戦争だ。味方がどこにいるかさえ、不明瞭な。

 一瞬だけ浮かび上がった予測は、簡単に振り払われた。

 

「――……そんなの、当たり前だが……?」

 

「え……?」

 

 今度は鳳翔がぽかんとした表情を返した。

 

「私の仕事はお前たちを守ることなのだから、当然だろう……? 誰かが欠けるなど有り得んが……。い、いやいや、いや、な? 鳳翔、私はな? お前に褒美を与えようと、そういう話をしているのだ。別に当たり前の事を求められても困るだろう。無論、私が無能であってお前たちに不安を与えているのは承知している。しかしだ、私の力不足が故にお前が自分から沈みたいなどと言われては私とて立つ瀬が無いではないか。せめて私が提督らしくあらんために、何かを与えさせてくれと言っているだけだ」

 

 ……こういう人なのだ、提督は。私は安堵とも呆れともつかぬ鼻息を洩らした。

 ぐっ、と変なうめき声をあげた提督に一瞬だけ顔を上げるものの、提督と目があった瞬間、大丈夫だろう、とまた視線を書類へ落とす。

 

「……こ、ここには私だけでなく、大淀もいる。あきつ丸も、その他にも大勢いる。お前は一人じゃないのだ。私もな。私に出来ないことでも、全員に頭を下げてでも望みは叶えてやる。だから……」

 

 大淀もいる、という所に妙に力を込めて言う提督に、ほんの少しだけ笑みが零れそうになるも、堪える。

 

「……罪なお人ですね、提督」

 

 鳳翔が囁くようにそう言って、手に持った写真と指輪を抱きしめたまま、提督を見つめる。

 

「全てを知っていてもなお、あなたは私に沈むなと、そう仰るのでしょう」

 

「えっ、あっ、お、ぉぉん……そう、だが……? え……?」

 

「わかりました」

 

 細指で赤くなった目を拭い、鳳翔は写真と指輪を机に置く。

 

「でも、私はこの人の事を忘れたりなどできません」

 

「忘れなくてもいいと思うが……」

 

「……男として、こう、そういうのは嫌、なのでは?」

 

「な、なんで男としての話になるのだ。お前が忘れたくないものを忘れろなど、そんな無茶な話があるか。お前の大切なものを守るのも、私の仕事だ」

 

 その一言がまた引き金となったように、せっかく拭ったというのに、鳳翔の目から水滴が生まれる。

 

「し、しご、となんて、酷い言い方をする人、ですね……」

 

「え!? あっ、いや、うーん……! し、仕事だから守りたいという意味もあるし! わ、私個人としても守るべきだからと! そういう意味で! な!? す、すすすすまない。別に仕事だからしかたなくということではなくだな……!」

 

 ……私は何を見せられているのだろうか。いや、しかし、提督は『あの日、あの夜』に全ての艦娘に対して死ぬまで面倒を見ると言ったのだから、まぁ、いいのだろうか……。

 それでも、私やあきつ丸のいる前で堂々と……はぁ……。

 

 いつもならばすぐさま思い直し仕事に取り掛かるところだったが、私の手は止まったまま中々動いてくれなかった。

 提督を呆れた目で見つめてしまい、目が合った提督は慌てて言葉を口にする。

 

「あっ、まっ……もちろん仕事もきちんとするつもりだぞ!? 大淀の負担は極力少なくするつもりだ!」

 

「提督……私が言いたいのはそういう事では無く……はぁ、もういいです」

 

 この鎮守府に来るまで揺らがなかった感情が、こうも激しく揺さぶられるなんて、と戸惑いつつ、私は鳳翔を見る。

 

「解決の方向へむかえそうですね?」

 

 様々な感情の渦巻く声で言えば、鳳翔は写真を大切そうに指先で撫でながら頷いた。

 

「……はい。少しずつでも、前に、進めそうです。今度はちゃんと目を開いて」

 

「それは良かった」

 

「ところで――正妻は、大淀さんになるのでしょうか?」

 

 唐突に鳳翔が言うものだから、私は「げふっ!」と変な咳きを出す。あきつ丸は警戒の雰囲気を消し、ただ、くつくつと笑っていた。

 

「せっ、せいさっ……ま、まぁ? そうですね? わ、私は常任秘書で、常に提督のお傍にいなければならないですから?」

 

 混乱してそう言えば、鳳翔は私に会釈し、今度は涙に濡れそぼった瞳のまま、しかし前を見て笑みを浮かべて、提督にも頭を下げた。

 

「今後とも、よろしくお願いします、提督……いえ、この場合は、あなた、でしょうか?」

 

「ほ、鳳翔? え、いやっ、ま、いま正妻と……?」

 

「? はい。大淀さんが、提督の正妻、では……?」

 

「まっ!? えっ、待て、大淀、す、すまない、待ってくれ、私に至らないところがあったのならば直接言ってくれたら直すから、落ち着いてくれ。正妻などと……」

 

 正妻を決めたくない、皆を平等に扱いたいということを言いたいのか、提督はあーだこーだと言い訳していたが、そう言えば私は褒美をもらっていないなと思い、ちらりとあきつ丸たちを見た。

 二人はニッコリと笑って頷く。

 

「提督……これから一人一人に褒美を与えると、そう認識しておりますが……私にも、いただけるのですよね?」

 

「それはもちろんだ!」

 

「では……正妻で」

 

「ぐっ、ぬぅぅ……」

 

 一度言った事は覆さない。そんな性格の提督を逆手にとって……とは、言い方が悪いか。

 それでも、嫉妬だのなんだのという煩わしい感情をともなった騒がしい日常が、これから先に多く待っているのだと考えると、我儘の一つも言ってみたくなるのだった。

 

 提督は私達を見回してから、諦めたかのように椅子に座り、軍帽を深く被った。

 

 

 

「手加減はしてくれ……」




だいぶ長くなってしまいました……。

たくさんの方々から様々な評価をいただき、嬉しい限りです。
感想も全てに目を通しておりますが、返信が中々できず申し訳ありません。ですが物凄く嬉しいです!

不定期更新ながら、それでもこの作品を読んでくださっている方々に感謝を……!

拙い文章で読みにくいところもあると思いますが、温かい目で見ていただければ幸いです……。


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三十四話 鳳翔【提督side】

 社畜に重要なものとは一体何か――それは、全てをルーティン化する事である。

 過酷極まると予測される柱島鎮守府での仕事をこなすためには、自らの行動を限界までルーティン化する事によってあらゆる状況に即座に対応できる余裕が必要だ。

 

 まずは早朝。俺は基本的に用意された部屋では寝ない。執務室こそ我が聖域。この執務室にいれば電話対応――井之上さん以外からかかってきたことはないが――も然ることながら、艦娘が困った際には俺を探したりせず一直線に執務室へ来れば済む。あえて行動範囲を制限することによって不測の事態を減らすのである。範囲が広ければ広い程に艦娘と遭遇しやすくなってしまうため、接触があれば何らかのアクション、アクシデントが起こることは必然。ならば必然を排除すればいいのだ。イエス、社畜知識。

 

 エチケットとして一日一回の風呂は当然。しかし部屋に備え付けられているらしいシャワーを浴びに戻ると同じ鎮守府とて聖域たる執務室から遠く離れてしまう。それはいただけない。ならばどうするべきか?

 

 そう、入渠施設を利用すればいいのだ。

 

 この鎮守府に着任したての頃……と言ってもまだ着任したてだが。そんな時に風呂に入ろうとウロチョロしている所を伊良湖に救われた事がある。疲れているから湯船に浸かりたいなどという我儘を受け入れ、神聖なる艦娘の入渠施設の利用をすすめてくれたのだ。天使が現世に降臨したかと思った。

 

 しかしてその入渠施設を利用するにあたり、艦娘と鉢合わせになったりするのでは? という幸運……じゃなかった、懸念が生じる。

 結論から言って、鉢合わせない。何故ならば俺は夜に風呂に入ったりせず、皆が寝静まっている早朝も早朝に入渠施設を使うからだ。はじめこそ早朝五時くらいに利用していたが、今や利用時間は四時前である。ちなみに就寝時間はまばらだが、大体が一一時前後なので五時間くらいは眠れる。素晴らしい。

 

 早朝と言えば俺の他に起きている艦娘が二人だけ、例外的に存在する。

 

 間宮と伊良湖だ。

 

 この柱島鎮守府の生命線を握っていると言っても過言ではない二人の艦娘は、美味しい食事を提供するためならばと殆ど俺と同じ時刻に行動を開始している。

 百人近くもの食事を用意しなければならないのだから、仕込みも大変であろうに、二人はニコニコと笑顔で料理をする。食の守護天使である。ちなみに、俺は諸事情により一度だけ食事を残してしまったことがあるのだが、それもあって二人に頭が上がらない。今では残さないようにか監視されている気さえする。もう残しませんすみませんでした。

 

 ……話を戻そう。

 風呂を上がれば、既に俺の食事は食堂にて用意されているので、それをさらっといただき、すぐさま執務室に戻る。五時から六時は艦娘が起きぬけてくる時間であり、その時間帯までフラフラしていようものならば捕まってしまう可能性がある。

 

 いや、捕まってしまうというのは悪い意味では無いのだろうと思う。

 非番である軽巡や重巡、戦艦や空母なんていう艦娘は自分で判断し、各自適当に過ごしているのだが、駆逐艦はそうでもない様子で手持無沙汰に俺のもとへやってくるのだ。何をすればいいのか。非番じゃなくてもいいから役目をくれ、と。健気オブ健気だが、休むと言うことも立派な仕事なのだと言うと《仕事》という単語に反応してしまうのか混乱してしまう様子があった。

 

 呉での一件から俺は学んだ。口できちんと言ってあげなければ分からないのは誰だってそうだ、と。お好み焼き屋でアオサをぶっかけられて学んだ。

 

 なので、一見して幼子にしか見えない駆逐艦たちに相応しい非番の過ごし方を教えた。そのターゲットとなったのは島風である。

 彼女は暗かった。俺の知っている島風は『おっそーい!』と連呼してマッハ五くらいで突っ走るオーパーツ艦娘だったのだが、柱島にいる島風は、それはもう暗かった。初めて出会った頃の夕立よりもだ。

 

 歩く艦娘ペディアこと大淀によれば、彼女は前鎮守府でも周りの艦娘と馴染めなかったとか。

 たかだかそれだけで欠陥扱いされるなんてどんな指揮官だと物申したいところだが、詳しく聞くと戦闘も単独先行が目立ってダメ。戦果も挙げられず和を乱す。それは軍において欠陥と呼ばれて仕方のないものであるとか。厳しい。厳しいぞ海軍。いや、軍だから厳しいのは当然だが、とは言え! とは言えだよ! 駆逐艦だぞ……? まだ子どもにしか見えないような駆逐艦に対して和を乱すから、はい、さようなら、なんてただの仲間外れじゃねえか……。

 

 俺は過去、社畜をしている頃にデスクで一人ぼそぼそとカロリーなメイトを死んだ目をして食べていることを思い出して居ても立っても居られなくなり、島風を筆頭として駆逐艦たちを遊ばせた。それはもう疲れてお昼寝しなきゃダメなくらいに遊ばせた。

 

 これぞ朝の第二ルーティンである。

 まぁ、その前に少しばかり執務を挟んだりしているが、それはさておき。

 

 駆逐艦を遊ばせることによって非番の日に過ごし方を迷っている艦娘の殆どが『好きに過ごして良いのだ』ということを学び、各々が読書をしたり、はたまた食堂で談笑をしたりと自由になった。

 ブラックな環境が改善されていくことの、なんと気持ちの良いことか……あ、俺? 俺はブラックのままだよ。

 

 第三ルーティン――秘書艦の監視から逃れるため、真面目に執務をこなす。

 

 これだ。これが問題だ。大問題だ。

 

 大淀が俺の仕事を手伝うという名目で発案したらしい秘書艦制度というものは、俺の想像とは全くの別物であった。

 艦隊これくしょんでの秘書艦とは、メインメニュー……母港画面にて立ち絵が表示される艦娘を指す。主に第一艦隊の旗艦が秘書艦と呼ばれ、様々なボイスを聞かせてくれる可愛い機能である。

 俺はその認識で、せいぜい俺の仕事をちょっと手伝ってくれたりするのかな? と期待して大淀の提案を快く了承した。やっと俺の艦これが始まるんですね、と。

 

 実態は――大淀と日替わりでもう一人を加えた俺の監視である。

 

 大淀は固定で目を光らせて俺の仕事を監視し、もう一人は日替わりで大淀と何やら話しながら俺の仕事を監視している。

 

 いや、ま、ままま、な? 俺だって大淀を悪く言いたいわけじゃない。

 本格的な鎮守府運営に向けての三日目や四日目なんていうのは長門や川内、あきつ丸と言った大淀の管理下にいる(であろう)艦娘という、俺を素人社畜野郎と知っている者をあてがうという慈悲を見せてくれたし、時折お茶をいれて俺を休憩させてくれる。ほんの少しだけ。

 

 執務中にはむつまる率いる妖精たちもよく手伝ってくれている。

 ちょくちょく机の上にのって『まもる。こんぺいとう食べたい』などとのたまってくれやがるものの、むつまる達がいなければ軍務が務まるわけもないので間宮達に頭をさげて金平糖を作ってくれないかと無茶ぶりする羽目になったりと散々であるが。でも許す。可愛いから。俺は素直なのだ。

 

 無論、執務の間に完全無言で俺を監視しているわけでもない。

 大淀は凄いのだ。大淀のみで監視を続けることも出来たのであろうが、それでは俺の精神が完全にぶっ壊れてしまうと踏んでか日替わりで様々な艦娘を連れてくるという発想――そう、世間話である。

 

 執務に集中しつつも日替わりでやってくる艦娘の話を聞いたりして疲れを紛らわせる。艦娘と世間話が出来て俺もハッピー、大淀も俺が仕事を続けてくれるからハッピー。流石大淀、連合艦隊旗艦は伊達じゃない。

 

 

 ――長くなったが、ここまでが俺の朝から昼のルーティンだ。

 

 もう一度言おう……朝から、昼『までの』ルーティンだ。

 

 社畜の戦いは、まだまだ終わらないのである。

 

 

* * *

 

 

「終わらないので、ある……」

 

『どうしたのまもる? 手が止まってるよー』

 

「あっはい」

 

 現時刻、午前七時過ぎ。風呂やら朝食やらを済ませた俺はすぐさま執務室へ戻ってきて、むつまる達が運んでくる書類に目を通しながら辟易していた。

 

「今日のー……えー……朝の演習はー……」

 

『真面目にやって』

 

「ウィッス! 朝の演習は潜水艦隊、イムヤ、以下、伊五十八、伊八――!」

 

『静かにやって』

 

「……」

 

 ふざけているわけじゃないのに怒られた。つらい。

 とは言え、こうなるのも仕方がないじゃないかと愚痴りたくなってしまうのも事実。

 呉鎮守府が機能こそすれど万全とは言い難い今、柱島鎮守府は総動員で二つの警備範囲を網羅しなければならない。柱島泊地だけならばまだしも、呉まで足を延ばそうものならば相応の資材支出が発生する。艦これには無い状況に俺の胃腸と脳が悲鳴を上げている。

 

 色々と勝手が違うのだ。ここは。

 最たるものが、演習である。

 艦これでは演習という経験値ウマウマ機能があり、艦娘それぞれに存在する練度というものを効率よく上げる事が可能である。

 艦娘の練度とは文字通り彼女達の強さに直結する数値的なもの、と理解しているのだが、この世界にもそれは存在していた。書類に記されているだけではあるものの、数値が出てくれたらこちらのものだと思った俺が愚かだったと悔いている。

 

 練度を上げる方法は主に三つある。一つは海域攻略をし、直接、深海棲艦と戦闘を行うこと。敵を倒せば経験値を得る、至極自然な事だ。

 もう一つは遠征。練習航海なんていう任務をこなせば微量ながらも経験値を得る事ができ、建造されたての低練度である艦娘をぐんと成長させることが出来る。

 そして最後が、演習だ。別のプレイヤーが育てた艦娘と戦わせることによって経験値を得ることができる。この演習というもので得られる経験値が、海域攻略や遠征などとは比にならない程に多いのだ。毎日欠かさず行えば、建造したて、またはドロップしたての艦娘とて一か月程度で高い練度に引き上げられる。

 ただし演習には制限があり、三時と十五時という二つの更新時刻によって戦えるプレイヤー入れ替えがあり、一日で最大十戦が限度だ。

 

 演習は艦娘を育てる上で重要――だからこそ、呉の体育会系、山元大佐に縋ってやろうと思っていたのだが、結果はご覧の通りである。

 

 しかし社畜、ただの馬鹿では無い。

 

 ここは艦これの世界ながらも現実……じゃあ自分のとこで無限に演習したらいいじゃん! と、天才的な発想から演習予定を組み、毎日実施することにした。

 

 そして現在、そのおかげで俺は自分の首を自分で締めることとなった。はい。馬鹿でした。すみません。

 

「流石に資材消費が多いか……やっぱ夜戦演習とか削るかぁ? いや、でも川内が可哀そうだしな……夜戦したいって騒がれても困る……」

 

 呉の一件ののち、予定していなかった仕事をこなしてくれた川内から褒美が欲しいと言われ、与えたのが夜戦演習だった。褒美に戦いたいとか戦闘狂か? と言いかけたが呑み込んだことは内緒。

 

 しかしながらやはり現実。ゲームであった艦これとの違い、俺の知識との違いはあまりにも非情だった。

 

 演習にも損害が発生するのだ。

 

 艦これの演習が経験値ウマウマ機能と呼ばれている所以はそこだった。海域攻略などと違い、一部遠征を除いて大破しようが母港に戻れば元通りとなる。

 しかしここでは違う。演習用として存在している弾薬だのを使おうと、艦娘に軽微の損傷が発生するのだ。そうすると入渠しなければならないので資材の消費が発生する。しかも、損傷が発生するということは、一歩間違えば大怪我だって負う可能性があるということ。流石に轟沈とまではいかないかもしれないが、可能性は捨てきれない。細心の注意を払うので俺の胃腸が死ぬ。

 かといって演習を減らして適当な運営をしようものならば大淀から何を言われるか分かったものではない。

 

 まぁ……艦娘が強くなり、そして艦娘らしくあるためにも演習は必要だと俺も思うので、どれだけつらかろうが仕事はこなすのだが。

 艦娘が第一優先、俺の身体は二の次です。提督だからね、仕方ないね。

 

『まもる、だいじょうぶ? ちょっと休む?』

 

 デスクで書類を書きながらうんうんと唸る俺のもとへやってくるむつまる。クソが、ふざけやがって。

 

「……お前たちに必要なことだからな。問題ないさ」

 

 優しくしやがってくそが。くそ……いっぱい好き……。

 社畜は褒められることと心配されることに慣れていないのである。いっぱい頑張る。

 

『じゃあがんばって! はい、これ!』

 

 優しくしてくれたかと思ったらすぐさま追加の書類を差し出された。飴と鞭の差というか、温度差が凄い、風邪ひくわこんなん。

 しかし表情には出さず、やったるわい! と威厳スイッチ連打で対応する。

 

「うむ……。では、続けようか」

 

 と、そんな時、執務室の扉がノックされた。

 壁掛け時計を見れば時刻は七時半を指しており、俺は姿勢を正して低い声で「入れ」と言う。

 

「失礼します――本日もよろしくお願いします、提督」

 

「よろしくお願いいたします。本日の補佐を担当します、鳳翔です」

 

 早いよ……大淀さん、早い……。

 

「……うむ。よろしく頼む」

 

 今しがた頭を悩ませている演習は、艦娘達にも余裕を持ってもらいたいが故に朝の九時からにしている。言うなれば、始業はこの時刻ですよ、と目安になればと設定したのだが……。

 秘書艦としてやってくる大淀たちは大体、朝の七時半には執務室へやってくる。そうまでしなくても俺はちゃんと仕事するから、と言えたらどれだけ楽な事か。素人とバレている今、そんな事を言おうものならば『よーく狙って。てーッ』と吹き飛ばされてしまうかもしれない。

 

 今日の秘書艦は鳳翔かぁ……と書類からちらりと見て、すぐに視線を下げる。

 あまりじろじろと見ては失礼だからな。

 

 ……ごめん嘘。間近で見られて緊張しているだけである。

 

 軽空母鳳翔――艦これの立ち絵でも小柄だった記憶があるが、目の前にやってきた実物は、本当に、今にも消えてなくなってしまいそうな儚さを感じる。初日はもっと怖かった気がするが、どうしてか、今はとても弱弱しいというか。

 

「本日の――」

 

 空母のお艦こと鳳翔の事をもっと考えさせろよ!! とは言わない。

 きっとこれは大淀がきちんと仕事をしているか確認するための一手だ。しかし、社畜をなめてもらっては困る。さっきまで胃腸が変な音を立てるくらい考えてたから仕事は完璧なのだ。

 

「今日の演習は潜水艦隊が最初だったな。従来の演習用魚雷では実戦的では無いとの意見もあったので明石に改良してもらったものを用意してある。既に妖精によって配備されているが、報告書とは別に使用感を聞きたいとのことだ。朝の演習後、入渠前にでも明石に報告しておくようイムヤ達に伝達を頼む」

 

 数度行われた演習での報告書から、俺はこれくらいならば問題無いだろう、というラインを探りつつ口を開き、書類をさっと渡す。

 何故だか知らないが、呉の一件から艦娘たちが妙に張り切っているというか、怖いというか、演習に参加する日になると修羅かな? という気迫を撒き散らしながら行動するのだ。

 報告書もびっしりと書かれているので、要望に応えるために必死である。

 

「っは。了解しました」

 

 よっしゃぁ! 大淀から質問も何も飛んでこないということは、及第点ということだぁ! ひゅぅ!

 

「あ、あのっ、私は……」

 

 さぁて! 続き続きぃ! と仕事に戻ろうとした矢先、鳳翔の声に俺はぎぎぎ、と音を立てそうな動きで顔を上げた。

 鳳翔の傍にいる大淀を横目に見れば、俺の渡した書類をじっと見つめながら眼鏡を光らせている。

 

 抜かった――これは罠だったのだ――!

 

 及第点だという風に見せての二重トラップ……完全に意表を突いての監視……!

 

 まさか鳳翔に『提督は実は素人の無能なのできっちり監視してください』なんてことは言うはずも無かろうが、何も知らない鳳翔は龍驤と並ぶ古参も古参――いわば母なる存在――竣工時期もそうだが、同人誌にそう書いてあった気がする。多分。

 そんな鳳翔からの視点も交えての二重監視、完全に油断していたっ……!

 

「今日が初めての秘書業務だったか、すまない。では……そうだな……」

 

 把握しているぞ? しかし仕事は俺がやっているからぁ……的な雰囲気をたっぷりに、俺は大淀の策を超える。

 

「ある程度は済んでいるのでな。次の仕事はあきつ丸の報告を受けることなんだが、それまでに鳳翔の話でも聞かせてもらおうか」

 

「えっ……えぇっ!?」

 

 フハハハ! どうだ、鳳翔、大淀ォッ! 仕事は済んでいるし次の予定も把握している! その上で俺は堂々とサボって世間話で時間を潰してやるぜぇ!

 俺の瞬時の対応、あまりの臨機応変さに鳳翔も驚きを隠せずに声を上げた様子だった。空母の母、お艦と呼ばれた歴戦の鳳翔とて、提督たる俺にはかなうまい……。

 

「ですが、まだ、その、書類などが……」

 

 困ったような顔で言う鳳翔だが、大人の余裕スイッチ(新登場)でさらりと流す。

 

「これは気にするな。私の仕事はお前たちの話を聞いて運営を改善し続けることだ。ということは、鳳翔の仕事は私に気に入らないことを正直に話すこととなる。何か異論はあるか?」

 

 これも仕事の一部ですから、という感じで言うと、鳳翔は小さな手をこまねいて言う。

 

「て、提督に異論など! 滅相も、ありません、が……でも、お話なんて、何のお話をすれば……」

 

「気負う事は無い。気に入らないことが無ければそれに越したことは無いのだからな。戦場に立つお前たちには我慢ばかりを強いているのだから、鎮守府の中でくらい少しは我儘を言っても構わん、というだけのことだ。過日の作戦においては右も左も分からない私を支えてくれたお前たちへの褒賞も兼ねている、遠慮はいらんぞ」

 

 これは嘘では無い。呉での一件は場当たりも場当たりだったため、殆ど大淀たちの行動でどうにかなったと俺は思っている。というか事実そうである。

 車両を借りた時も憲兵に頼ったし、船を借りた時なんて大淀が全部やってくれたので裏で何をしたのかなんて一切知らないのだ。ほんっとうに無能ですみませんでした。

 

 それに艦娘を支えることこそが俺の仕事だ。未だ勝手がわからないとは言え、井之上さんの声を聞き、気持ちを聞き、そうして艦娘を目の前にして俺は心の底から艦娘を好いていたのだと自覚した。

 彼女達が健やかに、幸せに過ごすためならば、この社畜代表……粉骨砕身する所存であります! と俺の心のあきつ丸もそう言っている。

 

 遠慮はしなくていいんだぞ、と示すために笑みを向けてみるも、鳳翔は首を横に振るばかり。

 まぁいくら優しい鳳翔とておっさんの笑顔はいらないよな。そうだよな。悲しい。

 

「お前たちが鎮守府に待機しているという事実こそ、私を安心させていたのだ。それも立派な任務だから、何でもいいので話を聞かせてくれないか? もちろん、話したくないのであれば無理強いはしない」

 

「うぅ……」

 

 いや、そんなに困らないでも……と俺が考えあぐねていると、鳳翔が大淀に視線を投げたのが見えた。

 しかし大淀はふいと視線を逸らすだけ。き、厳しい……仲間にも厳しい……なんて恐ろしい奴だ……!

 

「提督はただでさえお忙しい身ですし、私も困ったことは何もありませんから、お気遣いだけいただきます」

 

「ふむ。しかしだな……」

 

 やっとの事で鳳翔の口から紡がれたのは、やはり遠慮の言葉であった。良く言えば奥ゆかしいが、欲が無さすぎるというのも上司としては困りものである。褒美を与えたいのに要らないと突っぱねられては、どうやって労えばいいのか分からない。

 

『まもる、おなかへったぁ』

 

「あっ? えぇ……」

 

『おーなーかーへったー! ねーえー!』

 

 そんな時、俺の目の前に流星が如く現れた妖精むつまる。今日は大淀のようなコスプレではなく、何故か駆逐艦時津風のような恰好をしていた。お前ほんといつ着替えてんだ。

 

『まもるー、まもるぅー! まもるってばー! ねぇー! 聞こえてないのー? ぅおーい!』

 

 俺は仕事中なの! ふん、シカトかましてやるわ! と思っていたのだが、あまりのうるささに一瞬で心が折れた俺。

 

「なっ……わ、わかった、わかったから、落ち着け……まったく」

 

 でも黙らせる材料は用意してある。どんなトラブルにも即対応……社畜の嗜みである。

 俺は伊良湖に土下座をかます勢いで作ってくれとお願いしたお菓子を取り出し、一つだけ持たせてやる。

 

「提督……そちらは……?」

 

「うん? あぁ、これは金平糖だ。伊良湖に用意してもらったのだがな、妖精たちが好んで食べるので、仕事を手伝ってもらう駄賃がわりだ」

 

「駄賃……」

 

 鳳翔がぽかんとした顔で俺とむつまるを見る。物でつるとは何事か! と考えているに違いないのだが、仕方がない。こいつらいないと俺が仕事出来ないんで……大目に見てくれ……。

 

『えー……一個だけぇ……? もう一つくらい欲しいなー?』

 

「ダメだ。それは朝食分、残りは昼にな」

 

『ケチー! まもるがお風呂で残り湯かもって頭からお湯かぶってるの言いふらしてやるー!』

 

 お前なんで俺の秘密のルーティンを知ってんだよ!? や、やめ――

 

『そうだそうだー! 毎日お着替え持って行ってあげてるのにー! けちんぼー!』

 

『いつも新品の下着を用意してるのにぃ! もう一個ちょうだぁーい! わー!』

 

 ――着替えまで用意してくれてたのかよ!? いやほんとすみませんでしたありがとうございます……。って違う! やめろ! 今は大淀たちも来てるんだから本当にやめろ!

 

「やめないか! 今は大淀も鳳翔も来て――」

 

『大淀さんに密告してやるぅー!』

 

 ぐわぁぁああ! 密告はやめてくれぇぇええ! じゃなくて目の前にいるからもうアウトじゃねえかよ!

 ちらりと二人を窺えば、大淀は聞こえていないフリをしてくれているのか、はたまた聞いていて俺へ必殺技を放つための怒りゲージを溜めているのか定かでは無い。鳳翔は完全に呆れ顔をしていた。

 もうだめだ、終わった……俺の提督業は、これにて終了となるのだ……。

 

 わかったよ……最後、だもんな……金平糖くらい、くれてやるよ……。

 

「あー……わかった。その代わり、一人一つだ。いいな? それを食べたら、仕事を手伝ってくれ。約束出来るな?」

 

『わーい! ありがとうまもるー!』

 

 でも仕事は手伝ってね……。死ぬかもしれないというのに仕事は忘れない。悲しいね。

 嬉しそうに金平糖を抱えたまま、器用に仕事を再開した妖精たちを見届け、改めて鳳翔に向き直る。

 

「ふぅ。失礼した。それで、だ。気遣いだけとは言わず、鳳翔もなにか……」

 

「ふっ……ふふ、ふふふっ」

 

「むっ、な、なんだ鳳翔。何がおかしい」

 

「いえ、すみません。でも、ふふふっ、てっきり、提督はとても、厳しいお方なのかと」

 

「そのようなことは、無いと思うが……」

 

「はい。今のでよくわかりました。ふふっ」

 

 あ、だめだこれ。完全に鳳翔にもバレている。

 厳しいお方というのは、あれだろう? 仕事をきっかりこなす軍人らしい人かと思っていたけど、実態は妖精にさえ勝てないクソ雑魚提督だと、そういう、な? ああ、また一人、俺を無能だと知る艦娘が増えてしまった……。

 

 頭を抱えそうになってしまう俺の耳に、二人の会話が飛び込んでくる。

 

「機密性の保持。同僚とさえ話題に出さない秘書艦制度……これは、提督のお考えを酌んで、大淀さんが制定したのですね?」

 

「……流石、空母の母、ですね」

 

 大淀、お前……まさか……!

 俺が無能っぷりを隠せないと踏んで、混乱が起きないように、一人一人に知らしめるための策だったのか、これ……?

 お前は柱島鎮守府の諸葛孔明か……?

 

 自分で言っていて悲しくなるが、確かにそうすれば俺が艦娘に嘘をつき続けるという事態は避けられる。一方で無能と知って俺に反発する艦娘も出るかもしれないからこそ、一人一人に時間を設けて、無能だが害は無いと見せるために……なんという策士なんだこいつは……。

 二重、三重と張られた完璧なる作戦じゃないか――!

 

 おののいている俺の意識は、再びノックされた執務室の扉へと向けられる。

 いかん、これ以上俺を無能と知る艦娘が増えては流石の大淀も対応しきれないのでは――

 

「おはようございます、少佐殿。っと……既に到着しているとは。おはようございます、大淀殿、鳳翔殿」

 

 ――なんだあきつ丸か。既に俺を無能と知っている艦娘だったので問題無し。(大あり)

 あきつ丸は大淀と鳳翔を一瞬見ただけで、すぐに俺を見てつらつらと話し始める。

 

「空母各員は訓練場にて確認しました。駆逐各員は現在食堂にて朝食を……軽巡、重巡は演習参加艦以外、全員が自室にいる模様であります。戦艦各員は空母と同じく、訓練場を使用中であります」

 

「……うむ」

 

 あきつ丸もあきつ丸で俺の素性をばらさないようにか、こうして毎日艦娘達がどこにいるか、何をしているかを報告してくれる。実はちょっぴりこれが楽しみでもあったりするのだ。

 日々を過ごす艦娘達に異常があればあきつ丸の報告からも分かるし、何ならあきつ丸は井之上さんと直通しているので問題がおきても解決しやすい。反面、あきつ丸の目にも余るような無能に成り下がったら井之上さんから怒られてしまう可能性が非常に高いという諸刃の剣である。でも今日も可愛いから許す。

 

「さ、て……少佐殿。鳳翔殿は何と?」

 

「あ、いや、特に、問題は無いとのことだ」

 

 あきつ丸可愛いなあと見つめていて話を聞き逃すところだった。あぶねえ。

 褒美も欲しがらないし問題も無いって言ってるし、まあ今日の所は仕事でも手伝ってもらおっかなー? なんて考えていると、あきつ丸の目が細められ、鳳翔へと向く。

 

「で、ありますか。ならば良いのでありますが……鳳翔殿、本当に、何もないので?」

 

「はい。何もありませんよ。この鎮守府で粉骨砕身し、戦争に勝利すべく前進あるのみです」

 

「……ほう」

 

 真面目か! 戦争を勝利に導く、と聞こえはいいが重苦しい言葉を紡ぐ鳳翔。

 その時、あきつ丸が俺を見た。多分、少佐殿もこれくらい真面目にしてほしいであります……といったところか。ごめんなさい。

 

 そんな中で、あきつ丸が動いた。

 持ってきていた鞄の中から、何やら小さなメモ用紙を取り出したのだ。いや、メモ用紙かどうかも定かではない。それは古びているようで、くしゃくしゃになったものを手で伸ばしたような紙切れだ。

 何らかの伝達事項でも書かれているのか? と俺が様子を見守っていると、鳳翔が声を上げた。

 

「そ、それはっ……何故、あきつ丸さんが……!」

 

「確かにこれを入手したのは自分でありますが。自分はこれが一体どういう意味を持つもので、何が記されているものなのか、知りません。少佐殿に誓って中身も見ておりません。ですが、鳳翔殿はこれを何か知っている様子でありますなぁ……?」

 

「……っ」

 

 え? 何それ? あきつ丸が知らないことを俺が知ってるわけないだろ? 何だよそれ?

 もしかするとあれか? こう、女の子同士が手紙とかメモとかを回し読みする的なやつか? ならなおさら分かんねえよ!

 

 分からないことは分かるやつに任せる。前に学んだね? ということで、俺は書類仕事を再開する。別に雰囲気が怖かったからとかじゃない。本当に違う。マジでマジで。

 

「何も、無いというのは、う、嘘です……! 提督……どうしてあれを、ご存じなのですか……!」

 

「私は何も知らん」

 

 知ってたらちゃんと話に参加してるよ。分かんないから仕事してるんだよ。ごめんね。

 しかし声からして何だか艦娘同士での不和でもあるような気がして、こういう時はどうすればいいんだと考えながらペンを置き、とりあえず、立場的に出来る事をと考えて声を発した。

 

「鳳翔にとって大事なものなのか?」

 

「……はい」

 

 じゃあ返してあげなよぉ! と、心で叫び、現実では静かに。

 

「そうか……あきつ丸」

 

「っは。では、鳳翔殿……もう二度と、なくさぬよう」

 

 ただの落とし物かよ! めっちゃドキドキしたわ!

 良かった、仲の悪い艦娘はいなかったんだね……と安堵した矢先、鳳翔がぽろぽろと泣き始めた。

 えぇっ!? そんなに大事なものだったなら俺にも言えよぉ! 一緒に探すじゃんそれくらいよぉ!

 

「あ、ぁ……あぁっ……どうし、て、提督、どうして、これを、あきつ丸さん、どうして、どこで、知って……」

 

 いや俺は知らないです、とは言わない。俺は賢いので。

 

 鳳翔は無くしたものが見つかって相当に嬉しいのか、しばし泣き続けた。

 それから、あきつ丸がもう一つ、小さな箱を取り出して鳳翔の前に置く。

 静かに開かれたその中身は、指輪だった。

 

 俺も指輪を見て何も察せないほど愚かでは無い。きっとあれは、鳳翔にとって本当に大切なもので、もしかすると……いや、これ以上の想像は野暮か。

 この鎮守府にきた艦娘はそれぞれ過去を抱えている。理由は様々だが、捨てられたという事実とともに。

 提督として、男として、俺が出来ることはただ一つ。黙って見守る事だけである。

 

 人はこれをヘタレと呼びます。すみません。

 

「……鳳翔殿。もう、大丈夫であります」

 

 あきつ丸の声に、俺は誰ともなしに頷く。

 

「途方もない道でありましょうが、我々は同じ釜の飯を食った仲間であります。たとえ綱渡りになろうと、身を削ごうとも、仲間の幸福のために戦うことに厭いはありません。故に、どうか……心を捨てぬよう、信念と復讐を違えぬよう、お願い申し上げる」

 

 大袈裟にも思えたが、それだけ大事なものなのは間違いない。

 まぁ元気出せよ! と言えたらどれだけ楽な事か。しかし、無くしたものを相談さえ出来ないほどに内気な性格の持ち主だったというのには驚きを隠せなかった。龍驤と一緒にいる時はもう少し覇気があったが、今や見る影もなく縮こまっているじゃないか。

 不憫に思えたが、同情するのも失礼に思えた。俺は艦娘と対等でいたいのだ。ならば俺が出来ることは何か――仕事にかこつけてでも、元気を出してもらう事である。

 

 幸いにも褒美に何が欲しいかを聞けていない。今がチャンスかと声を上げた。

 

「鳳翔。何か、したいことはあるか?」

 

 何でもいいぞ! 俺が出来ることならな!

 

「したい、こ、と……」

 

「何でもいい。したい事があれば、尽力しよう。私にできることであれば、何でも言え」

 

 何でもいいんだぞ? いやほんと、何なら俺に出来なくても井之上さんとかにお願いしたらどうにかできるかもしれないしな? 今更俺が他力本願なんて全員知ってんだろ? な?

 

「少佐殿……お言葉ですが――」

 

「なんだ」

 

「……いえ、失礼しました」

 

 本当になんだよ……井之上さんを頼ろうとした事が一瞬でバレたか……?

 それでも俺は頼っていくぜ! 屑って呼んでくれよな!

 

「もし……全てを巻き込んでも、成したいと言ったら……してくださるのですか……」

 

「何をだ」

 

 巻き込む……? あー、どういう事だ……?

 全てを巻き込んでも、成したい……皆に協力して欲しいということか? 問題無いと思うが……。

 俺が問い返した瞬間のことだった。鳳翔から出たとは思えない大声が耳を劈く。

 

「っ……何故そのような目が出来るのですっ!」

 

「エェッ!? 鳳翔、落ち着――」

 

 目つきで怒られたのとか初めてなんですけどぉ!? あ、いや、初めてでもないな……。

 社畜時代に上司に目つきが気に入らないとかで怒られた記憶が……違う、そんな場合じゃない。

 

「このようなことをして! 私に、この、私にまだ選択を迫るのですか! 今度は何を失えというのですか! この身を海に沈めろとでも言うのですか!」

 

「なっ……」

 

 ただのヒステリー、などでは無い勢いの物言いに、思わず目を見開く。

 

「あの人は……あの人は私に生きて良いと教えてくれたのです! だからこうして、心を殺してでも生きようと、している、のに――」

 

 

 

「――誰が沈めなどと言った!!」

 

 

 俺は勢いよくデスクを叩いて立ち上がり、鳳翔の前――イテッ腰打った――まで来ると、その両肩を掴んで言った。

 

 沈む? 沈むだと? ふざけたことを抜かすな。

 それは全ての艦娘に対する冒涜であり、全ての提督に対する冒涜でもある。例えどれだけのストレスが溜まっていようとも決して物にあたってはいけないのと同じように、艦娘をおいそれと沈めるなど愚の骨頂。許されざる行為だ。

 一部、艦娘を沈めてでもという提督だっているかもしれない。もしかすると鳳翔の居たところが、そうだったのかもしれない。だとしても、俺の鎮守府では許さない。俺の艦娘である間、絶対に沈むなど許さない。

 呉で学んだと言ったな、あれは嘘だ。

 俺の感情は須臾にして沸騰し、続けて怒鳴り散らしそうになるも、すんでのところで持ちこたえ、涙を流す鳳翔に問う。

 

「鳳翔、泣いてもいい、だが聞け!」

 

「やっ……!」

 

「聞け!」

 

 身をよじって逃げたがる鳳翔を押さえるのは気が引けたが、こうもストレスをためているのだとしたら上司としても、提督としても、男としても話を聞かざるを得ない。

 この時の俺は、ただ純粋に力になってやりたいと思った。だからこそ、感情を抑えられたのかもしれない。

 

「お前は何を求めているんだ? 泣くほどに難しいことを求めているのか? 沈んでしまいそうなほどに困難なことなのか?」

 

「提督……どうして……私を、追い詰めるのですか……」

 

 女性は、難しい。

 女性と接する機会が極端に少なかった人生を悔やむも、今それを悔いても仕方がないだろうと理性に殴られる。今必要とされることは、如何に自分が無能であろうとも、誠実に、ただ彼女を支え、守ることを明言して、力になってやると言ってやる事じゃないか? と考えた。

 

「追い詰めてなどいない! 私はお前の力になりたいのだ! 望みがあれば、それを叶えるために尽力する、ただそれだけだ! それがどうして沈む沈まないの話になる? 難しい話ではないだろう!?」

 

 だが、鳳翔は子どもが駄々をこねるかのように目を逸らすばかりで、俺は、ああ、もしかすると俺の行動もまた、独りよがりなのかもしれないと思い、手を離した。

 デスクから散らばってしまった書類を拾うべく背を向けてかがみこみながらも、お艦だの何だのと呼ばれている鳳翔の、等身大の姿を見て自分を殴りつけたくなった。

 井之上さんからも言われていたじゃないかと、本気で殴ってしまいたくなった。

 

 傷ついている――そう、どんな形であれ、彼女たちは傷ついている。

 

 だから、どうすればいいかを考え、接し、支えなければならない。忘れていたわけじゃない。だが、俺は本当に艦娘を最優先出来ていたか? 答えは否である。

 仕事が多いから、環境に馴染めないから、そんなことは理由にならない。

 提督にあるまじき失態とも呼べる現状に、溜息を吐き出しそうになる。

 

「……世界で初めて、最初から空母として設計され、世界で一番最初に竣工した。覚えているか、鳳翔」

 

 鳳翔は、俺が艦これをゲームとして楽しんでいた頃、建造で手に入れた軽空母でもある。

 かつて初心者の壁とも呼ばれた沖ノ島海域――通称、二-四と呼ばれる場所を突破できずにいた俺を勝利に導いてくれた艦娘だ。空母を手に入れるために建造した時にやってきたのが鳳翔だった。

 少ない艦娘、少ない資材、少ない知識で楽しんでいた俺だったが、海域を突破出来ない歯がゆさはどうしてもあった。ならば建造を続ければいいじゃないかとも思ったが、その時の俺はどうしてか、今ある艦隊でクリアしたいともがいていた。

 

 性能は劣っていると言うしかないものの、低燃費で運用できる特異的空母だった彼女はクリアするために試行回数を増やしていた状態の鎮守府に大きく貢献し、見事、突破へと導いてくれた。

 

 道中大破しようとも、鳳翔は言うのだ。

 

『このまま沈む訳には参りませんっ!』

 

 折れず、強く、そして高らかに。彼女の言葉が、声が、どれだけ俺に気合を入れてくれたことか。

 

「人々はお前の小さな身体に、全てを詰め込んだ。希望を、夢を、想いを。そうしてそれらを一身に背負い、役割を終えてたった一人で、静かに解体されただろう」

 

 いつしか俺は鳳翔という艦が気になって調べたりもした。艦娘の事をよく調べるようになったきっかけは、間違いなく彼女だ。

 彼女は戦争を生き抜き、全てを見届け、解体された。誰一人置いていかないぞと、寄り添ったままに最後を迎えた。

 

 それが今や、自分のしたいことも言えず、俺を励ますような声も上げず、ただ、泣いている。

 なんてもどかしいんだと思いつつも、やっぱり俺は情けなく、他人のせいにしてしまうように言ってしまう。

 

「そんな、昔のこと、など……」

 

「みなを守り、誰一人おいていかれぬようにと、お前はずっと戦い続けただろう。たった一人となってもだ」

 

 言ってから少しだけ胸が痛んだ。

 

「なのに……お前は、私を置いていくつもりか」

 

「ていと、く……?」

 

「私を置いて、一人で沈もうと、そう言うのだな」

 

「っ……私はっ、私にはっ……!」

 

 いや違う、こんな事が言いたいんじゃない。

 どれだけ情けなかろうが、どれだけ他力本願だろうが、艦娘を一番に考えることこそ、提督じゃないのか。

 

 艦娘に救われた俺は、どれだけ恰好悪くても、彼女達を支えたい。

 

 無能であっても。無力であっても。

 

 大淀やあきつ丸という、俺が無能と知ってなお支えてくれる艦娘もいるのだからと、言葉を紡いだ。

 

「私は無力だ。そして無能だ。だが、お前たちを支えるためならばなんだってするつもりだ。私の力不足が故にお前が沈みたいなどと言ったのならば……私は、どうすればいい」

 

「っ……! ち、違っ……私はそんな意味で言ったのでは――!」

 

「一蓮托生なのだ。お前も、私も。お前の望みは私の望みであり、仕事であり、全てだ。だから、教えてくれないか。鳳翔、お前が何を求めているのか」

 

 俺がこの世界に来てから、道はたった一つしか無いのだと言わんばかりに、鳳翔を見つめた。

 

「……考えさせ……て……いや、考えても、仕方がない、のでしょうね」

 

 聞かせて欲しかった。その、心の内を。

 

「誰も、いなくなって欲しくないのです……誰一人も、欠けて欲しくないのです……それが、それだけが、私の望みです。何があっても、守り通してくださると、ここで言えますか、提督」

 

 ――うん?

 

「――……そんなの、当たり前だが……?」

 

「え……?」

 

 えー、っと……ちょっと待てよ? うーんと、なるほどなるほど……。

 これはー……あれだな? 振出しに戻る、というやつだな……?

 守り通して欲しいし誰一人欠けて欲しくない。まあ、当然だな?

 

 って――そんなの! 当たり前なんだよ! オォンッ!?

 

 俺がどれだけのヘタレ提督だと思ってんだ!? お、おま、お前……鳳翔が道中大破するたびに半泣きになりながら即時撤退して、その日は攻略中止にしてずっと母港画面で謝ってたレベルの俺だぞ? あぁ!?

 

 ……カームダウンね俺。

 

 鳳翔の考えはよく分かった。俺が無力、無能だから何も出来んだろうと、そういう事だ。

 

 俺をなめるなよッ! 無能が故の他力本願スキルの高さは、策士大淀さえも動かすほどの情けなさに達しているのだッ! 鳳翔の願いをかなえることなど大淀にとっては造作も無いはず!

 

「私の仕事はお前たちを守ることなのだから、当然だろう……? 誰かが欠けるなど有り得んが……。い、いやいや、いや、な? 鳳翔、私はな? お前に褒美を与えようと、そういう話をしているのだ。別に当たり前の事を求められても困るだろう。無論、私が無能であってお前たちに不安を与えているのは承知している。しかしだ、私の力不足が故にお前が自分から沈みたいなどと言われては私とて立つ瀬が無いではないか。せめて私が提督らしくあらんために、何かを与えさせてくれと言っているだけだ」

 

 ああ、そうさ。全力で頼らせてもらうぜェッ! 大淀ォッ!

 

 と、ちらりと大淀を見やれば、こちらも見ずに溜息を吐いていた。やっべぇ……怖い……。

 

「……こ、ここには私だけでなく、大淀もいる。あきつ丸も、その他にも大勢いる。お前は一人じゃないのだ。私もな。私に出来ないことでも、全員に頭を下げてでも望みは叶えてやる。だから……」

 

 でも頼っちゃう……自分でも吐き気がするほどダサいが、許してくれ……。

 

「……罪なお人ですね、提督」

 

 いやごめんて……本当にごめんて……そんな、罪とか言わないでよ……俺だって仕事めっちゃ頑張ってるんだよ……。

 

「全てを知っていてもなお、あなたは私に沈むなと、そう仰るのでしょう」

 

「えっ、あっ、お、ぉぉん……そう、だが……? え……?」

 

「わかりました」

 

 鳳翔は手に持った紙切れや指輪を机に置いて言った。

 

「でも、私はこの人の事を忘れたりなどできません」

 

 いや誰。知らないよ。覚えてていいよ。

 

「忘れなくてもいいと思うが……」

 

「……男として、こう、そういうのは嫌、なのでは?」

 

「な、なんで男としての話になるのだ。お前が忘れたくないものを忘れろなど、そんな無茶な話があるか。お前の大切なものを守るのも、私の仕事だ」

 

 これは嘘では無い。艦娘が大切に思っているものを守るのは立派な提督の仕事である。

 

「し、しご、となんて、酷い言い方をする人、ですね……」

 

 だと言うのに、何故か再び泣き始めた鳳翔。なんっでだよぉぉぉ!?

 ア、あれか? さっき男としてどうこうって、いや分からんが、それか? どれ!?

 

 俺は錯乱しながらしどろもどろに言葉を紡ぐ。

 

「え!? あっ、いや、うーん……! し、仕事だから守りたいという意味もあるし! わ、私個人としても守るべきだからと! そういう意味で! な!? す、すすすすまない。別に仕事だからしかたなくということではなくだな……!」

 

 やっべえ大淀助けてぇ! と顔を向けると、目が合う。

 仕事もっと頑張るから! 何でもするから助けて! と。

 助けてくれるかと思いきや、大淀は盛大な溜息を吐き出した。

 

「あっ、まっ……もちろん仕事もきちんとするつもりだぞ!? 大淀の負担は極力少なくするつもりだ!」

 

「提督……私が言いたいのはそういう事では無く……はぁ、もういいです」

 

 あっ、ア艦これ。俺怒られるわ。完璧に怒られる流れだわこれ。

 大淀の目は汚物でも見るかのように細められ、さらには、目を合わせることさえ煩わしいと言わんばかりに逸らされる。

 俺は完全に蚊帳の外となった。死にたい。

 

「解決の方向へむかえそうですね?」

 

 何が解決するの? とは聞けなかった。怖くて。

 

「……はい。少しずつでも、前に、進めそうです。今度はちゃんと目を開いて」

 

「それは良かった」

 

 だが、話がまとまりそうな雰囲気を感じ取れる。じゃあ仕事に戻るか、と現実逃避しかけた俺の耳に、鳳翔から飛び出す地獄の言葉。

 

「ところで――制裁は、大淀さんになるのでしょうか?」

 

 あっ……これ、マジ……本当に死んだかもしれない……。

 仕事に戻ろうと椅子に座った俺の眼前で繰り広げられる死刑宣告。

 大淀は俺をちらちらと見ながら

 

「せっ、せいさっ……ま、まぁ? そうですね? わ、私は常任秘書で、常に提督のお傍にいなければならないですから?」

 

 躾みたいな意味で制裁を食らわされるの俺……?

 あきつ丸を見れば、心底おかしそうにくつくつと笑っている。やっぱりこいつは悪魔だ。

 

「今後とも、よろしくお願いします、提督……いえ、この場合は、あなた、でしょうか?」

 

「ほ、鳳翔? え、いやっ、ま、いま制裁と……?」

 

 鳳翔に至ってはとうとう他人行儀になってしまった。もう提督としては見れないという意味に違いない。

 

「? はい。大淀さんが、提督の制裁、では……?」

 

 制裁を食らってやり直せと、そう言いたいんだな!? そうなんだな!?

 でも落ち着け、いくら俺が手が遅い社畜だったとしても評価出来ない点が無いわけじゃないだろう!?

 

 呉の一件だって――! アオサぶっかけられて山元大佐に八つ当たりしただけだな……。

 そうだ、この鎮守府の運営――! も、妖精たちに手伝ってもらってばっかだな……。

 

 うん。だめだ良いとこ見当たらねえや。

 

 し、しかしだ! この艦娘達の機嫌を損ねてしまえば人類滅亡の危機……もう遅い気もしないことも無いが、制裁一つで済むのなら、この海原鎮、身を差し出し……やっぱ怖えよぉ!

 

「まっ!? えっ、待て、大淀、す、すまない、待ってくれ、私に至らないところがあったのならば直接言ってくれたら直すから、落ち着いてくれ。制裁などと……」

 

 情けなく狼狽している俺に、大淀はあきつ丸や鳳翔とニッコリ笑いあって言う。

 

「提督……これから一人一人に褒美を与えると、そう認識しておりますが……私にも、いただけるのですよね?」

 

「それはもちろんだ!」

 

 来た! 一縷の望みが――

 

「では……制裁で」

 

「ぐっ、ぬぅぅ……」

 

 無かったわ。そんなもん。

 しかし策士大淀とて俺がいなくなれば鎮守府運営も危うくなってしまう。井之上さんと繋がっているあきつ丸もそれを理解しているはずなので、死んだりはしないだろう。

 

 いいとも。受けて立ってやろうじゃないか。艦娘の制裁? 我々の業界ではご褒美です。

 俺は胸中で気合を入れつつ、提督の証たる軍帽を深く被りなおす。

 

 ッラァァ! ッシャァァアイ! かかってこいやぁ!!

 

 

 

 

 

「手加減はしてくれ……」

 

 ごめんやっぱ怖いから優しくして。仕事めっちゃ頑張るから。マジ頑張るから。



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三十四話 三策【艦娘side】

 鳳翔も落ち着き、執務を再開して数刻した頃のこと。

 

『では、自分はまだ任務が残っております故。少佐殿、のちほど報告書を』

 

 そう言い残したあきつ丸は既におらず、執務室に残っているのは提督と私と鳳翔の三名となっていた。

 ちらっと時計を見れば既に昼も回ろうかという時間だったので、私は手を止めて提督に言う。

 

「提督、昼食は如何なさいましょう」

 

 提督は鳳翔の問題を解決したからかやる気に満ちた様子で、普段以上の速度で執務を進めており、私が声を掛けても気づかない。もう一度「提督、あの」と呼びかけると、鳳翔も同じように声を出した。二人して声を掛けてやっと顔を上げ、ああ、と短く呟く提督。

 

「どうした」

 

「もうお昼ですので、昼食をと……」

 

 私が時計を指して言うと、提督は目だけを動かして、

 

「ふむ……私はもう少し執務を続けよう。大淀と鳳翔は休憩しなさい」

 

 と、また顔を伏せ、手を動かし始める。

 私は鳳翔と顔を見合わせた。それも何とも言えない顔で。

 

 仕事に精を出すのは私達艦娘としても頼りになる人だと胸も張れるし鼻も高々なのだが、流石に昼食くらいは……言葉にせずとも、鳳翔も同じことを考えていたらしい。

 

「でしたら、こちらにお持ちいたしましょうか?」

 

 本当ならば休憩もかねて食堂に行ってもらいたいところだが、提督の執務の重要性が分からないわけでもない。このお方の双肩には国民と国の未来がかかっているのだから。とは言えど提督とて一人の人間なのだから限界くらいは存在するはず。遅くまで執務されているのは見ていて知っているし、提督とて睡眠をとる事も知っている。

 しかし、提督が眠っているのを見たのはたったの一度だけだ。作戦立案から実行まで日をまたいで行動なされた後、気絶するように眠られたあの時のみ。

 

 本当にこの人はどれだけ働き者なのか……。

 

 流石の提督も食事を疎かにはしないだろうとも思える一方で、もしかするとお国のためだと我慢のひとつやふたつ辞さないかもしれないとも思える。

 ここは一つ鳳翔にもう一声かけてもらおうと同調する。

 

「鳳翔さんの言う通り、ここで食事をとられるのでしたらお持ちします」

 

 提督は顔を上げないまま、かりり、と何かを書き上げて――ふと、ペンを置く。

 

「……少し考え事がしたい」

 

「考え事、ですか?」

 

 小首をかしげた鳳翔に、提督はゆっくりと頷いてみせた。

 中規模――いや、大規模と呼んで差し支えない作戦を終え数日しか経っていないというのに、もしやまた何か……と思考を回転させるも、私には分からなかった。

 

 呉の山元大佐の問題行動は誰がどう見ても完膚なきまでに是正された。強引な手であったとは言え、理にかなった方法で問題を解決したのに、まだ考え事とは。一体何が彼をここまで突き動かしているのか不思議で仕方がない、という感情だけが頭の中に渦巻く。

 

「どうすれば問題を解決できるのか、考えたい」

 

 今しがた書いていた書類に指をコツコツと当てて言う提督に、鳳翔は「でも……提督のお身体の事もありますし……」と困り顔で言う。

 これについては鳳翔に全面的に同意し、私も提督に「そうですよ」と言う。

 

 目深に被っていた軍帽を脱ぎデスクに置き、引き出しから金平糖を取り出した提督は、一つそれを手に取って口に放り込んだ。

 それから、甘い匂いを嗅ぎつけたかのように飛んできた妖精たちに一つ一つ手渡しながら、慈愛に満ちた表情で声を紡ぐ。

 

「お前たちに見合うような男になるために、精進せねばならんからな」

 

 徐々にギアを上げていた思考が、ふと、真っ白になる。

 それと同じくして、顔が熱を持つような感覚。

 

 提督、いきなり何を――そう口にも出せず、私は硬直した。

 鳳翔も同じようにしてぴたりと動きを止めた。違うのは、複雑な表情となった事か。

 

「提督、それは……その……」

 

「ままならんな、まったく」

 

 鳳翔の言葉の先は無く、ふう、と息を吐き出した提督。

 私の顔から熱がゆっくりと引いていく。代わりに、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。その原因が何であるのかは分からないものの、私は下を向いてしまった。

 

「二人で休憩に行ってきなさい」

 

 提督の声に、鳳翔は困り顔のまま返事をして立ち上がる。

 私は無言で立ち上がり、鳳翔の顔を見ることも、提督の顔を見ることも出来ないままに扉へ歩もうとした。その時、提督に呼び止められる。

 

「大淀、少しいいか」

 

「……っは」

 

 私は提督のデスクの前まで来ると、何とか視線を持ち上げた。

 背後では失礼しますと鳳翔の声。

 

 ぱたん、と扉が閉まった後――提督は私を見て、あー、と前置いて頬をかきながら言った。

 

「その、だな……えー……て、手加減は頼むぞ、本当に、本当に」

 

「はい……?」

 

「いや、だから、手加減をしてくれという話だ。情けないかもしれんが……お、男に二言は無い。好きにしろ」

 

 私はその時、艦娘として生きてきて一番間抜けな顔をしていたことだろう。

 ぽかんと口が無意識に半開きとなり、どういう事かと数十秒提督を見つめてしまう。

 

「お、大淀……? す、するなら早く頼む……この後の仕事もあるし、私だって人に見られるのは、その……な?」

 

 察してくれと言わんばかりに視線を逸らされてしまい、私はさらに混乱した。

 人に見られるのは? この後の仕事に支障が出るかもしれないこと、というのはニュアンスで伝わるが……考えるのよ大淀、きっとこれは――と、思考を再始動させて回転させる瞬間、提督のか細い声に、また、思考が音を立てて止まった。

 

「せ、正妻の話だ。私の立場で部下のお前にこういう事をさせるのは本来ならばあってはならないが、私の至らなさ故のことだろう」

 

「え、あっ……」

 

「……痕に残らん程度で頼む」

 

「あ、痕に残らない程度って……? あ、いやっ! わ、わたっ……私、あのっ! そんな……!」

 

 唐突過ぎる提督のお言葉に完全に頭の中が空っぽになり、何を求めていらっしゃるのかを理解した。いや、求めているのではなく、提督はきっと私の心情を察して鳳翔を先に退室させたのだろうが、それでも今……今!? ここで!?

 

 知識にはあるが経験なんて無いし、こ、こういう時どうすればいいの……!?

 

 失われた熱が一気に戻り、目の前がチカチカした。

 先刻とは違う胸の痛み。かつて戦闘で感じた鼓動とは違う、胸の高鳴り。

 

 ちらりと提督の顔を窺えば、覚悟を決めたような顔をされていて、混乱はさらに加速した。

 今にも頭を掻きむしってしまいたいくらいに前後不覚に陥り、足元の感覚さえ分からなくなる。私は今しっかり立てているのだろうか?

 

 まるで足先から頭長にかけて冷たい風に撫でられるような初めての感覚に、何度も声を出そうとするも、あ、とか、え、などとしか紡げず。

 

「提督、その」

 

「う、うむ……」

 

「……立って、いただけますか」

 

 理由も無く目頭が熱くなっていく。泣きたいわけでも無いのに、視界が揺らいでいる。

 頭の中は真っ白なのに、様々な事が過る。それを捕まえられず、ぼんやりと、しかして確かに考える。

 

 今は戦時中だ。こんな事をしている場合じゃない。

 

 これくらいはいいじゃないか。今までどれだけ酷使されてきたと思っているんだ。

 

 いいや、違う。酷使されてきたからこそ、当たり前の事を当たり前にする提督に惹かれていると錯覚しているだけだ。

 

 それこそ違う。私は確かにこのお方に未来を感じたんだ。希望を見たんだ。

 

 たかだか一つの作戦を成功させただけで? 呉の不正はいずれ発覚して正されていたかもしれない。それが一足早まった程度で心を固めたとでも?

 

 この人は違う。本当に、違うの。艦娘を想って、艦娘の為に、そして国のためにと自分を犠牲にしてくれる人。何も厭わずに前に立ち、両手を広げて守ってくれる人だから、私はこの人と海を守りたいと思ったんだ。

 

 馬鹿なことを。妄信して手痛い経験をしたのに学ばないとは。

 

 でも、信じてみたいじゃないか。

 

 ぐるぐるとした考えは一向にまとまる気配は無く。

 

「……来い」

 

 立ち上がり、私の前までやってきた提督の声に、身体が引き寄せられる。

 それから――とすんと、提督の胸に頭を預けた。

 

「おっ……お、よど……? あれ……?」

 

 提督は先見の明のあるお方だ。きっと、私の感情の動きなど容易く見抜いていらっしゃっただろう。だが、それに対して私は、逆の事をしてみたくなった。

 現実を見れば今すべき事じゃない。私だって分かっています、と。

 

「この先は……その……もう少しだけ、我慢、します……」

 

「お、おぉ……?」

 

「け、決して! その! か、軽い、艦娘、では……無いので……」

 

「う、うむ……そうか」

 

 ただ、もう少しだけこのままでいたい、と、私は暫し目を閉じ、提督の音を聞いていた。

 そして、鼓膜に届く早鐘を打つ心臓の音に、提督も緊張するのだな、なんて。

 

「こういう艦娘は、お嫌いですか」

 

「何を馬鹿な。嫌いなわけあるか」

 

 即答した提督に思わず頬が緩み、ああ、もしかすると、人はこういう感情を幸福と呼んでいるのかもしれない、と思った。

 

「……で、では、大淀。休憩を取ってきなさい。私も後で食堂に向かう」

 

「っ……そ、そう、そうですね! 申し訳ありません、いつまでも、こんな……あ、あはは……はは……!」

 

 急に現実に戻され、ばっと音がするほどの勢いで離れた私は、提督の顔をまたちらりと見た。

 先程と変わらない表情の中に、気まずそうな色。

 

 長くは見られず、恥ずかしさのあまりに頭を下げ、退室しようと背を向ける。

 

 扉まで早足で来たものの、もう一度だけ、と振り返り、一言。

 

「……あの」

 

「どうした」

 

「あ、ありがとうございました。申し訳ありません、我儘を」

 

「我儘? 何のことだ」

 

 素知らぬフリをしてくれる提督の優しさに胸がいっぱいになり、嬉しさを抑えきれず「そういうところですよ、提督」と微笑みを浮かべた。

 鳳翔の言う通り――罪な人だ。

 

 

* * *

 

 

「……ど……よど――」

 

「……」

 

「――大淀ってば!」

 

「はっはい!? な、なんですか急に耳元で!」

 

「何度も呼んでたっての! どうしたのさ、調子悪い?」

 

「い、いえ、別に……」

 

 食堂で昼食をとっている間、なんだか全身が綿毛にでも包まれているような感覚がぬぐえず、ぼんやりとしていたため、隣に座る明石の声に気づけなかったようだ。

 明石の大声に周りの艦娘達も私を見つめており、咳払いをして食事を再開する。

 

「さっきからぼーっとしてさぁ、まさか提督に怒られた?」

 

「怒られていませんよ。仕事をしていただけですから」

 

「なら、いいけどぉ……っていうか、これ、ちゃんと提督に届けてよね」

 

「どれですか?」

 

「やっぱり話聞いてなかったじゃん!」

 

「す、すみませんっ」

 

 明石は呆れ顔をしてテーブルを顎で示しながら、本日の昼のメニューであるカレーをスプーンに山盛りにして口に運び、ふんふんふん、と喋ろうとする。

 

「せ、せめて食べてから……」

 

「おおおふぉふぁふぃいふぇふぁふぁっふぁんふゃん!」

 

「な、なんです? え?」

 

「ん、ぐ……大淀が! 聞いてなかったんじゃん!」

 

「あ、あー、すみません……」

 

「ほんと、今日の大淀おかしいよ? 後で工廠で見ようか?」

 

「い、いえいえ! それにはおよびません! 大丈夫ですから!」

 

 これですね、と言葉を繋ぎつつテーブルに置かれたものを見れば、演習用弾薬の使用報告書と、演習用魚雷についての所見だった。

 こういう時、司令塔という役割を持つ艦娘としてありがたいのは思考の切り替えが利く事だ。書類を手に取った瞬間に目が文字を追い、内容が脳髄に叩きこまれていく。

 

「なーんかさー」

 

「……」

 

「私が見てきた大淀の中でも、いっちばん変な大淀かも」

 

「……」

 

「仕事はきっちりこなすし、作戦中は完璧に通信制御するのに」

 

「……」

 

「提督の事になったら一気にポンコツに――」

 

「げふっ!? ごほっ、げほげほっ……だ、誰がポンコツですか!」

 

「あれれぇ? 図星かなぁこりゃー?」

 

「だ、誰が、そっそんな、ポンコツとは失礼ですね! そんな事よりもです! 報告書は後で提督に渡しておきますが……開発報告書が見当たりませんよ!」

 

「あれっ? うっそ、工廠に忘れてきたかも……その中に挟まったりしてない?」

 

 言われた通りに書類をバサバサと捲るも、日課として命ぜられた開発の報告書は見当たらず。ありませんと返せば、明石は目をそらしてカレーを頬張り、もごもごと聞き取りにくい声で「後で探しとくね」などという始末。

 

「この私をポンコツ呼ばわりする明石は、私以上のポンコツですねぇ?」

 

「そ、そんなことないもん! ちゃんと開発出来たんだからぁ!」

 

「へぇー……それはそれは……」

 

「本当なんだからね!? 大淀の調子見るついでに見せてあげようじゃないの!」

 

「私の調子は構いませんけど……それで、何が開発出来たんです?」

 

「報告書に――! ……忘れたんだった。連装砲よ、連装砲。戦艦のね!」

 

「あら……明石にしてはまともな……」

 

「私の開発を何だと思ってるの!?」

 

 軽口を叩き合いながらも、長門と陸奥の協力によって開発したらしい連装砲の話を聞き、素直に凄いじゃないかと口にした。

 元々の装備があるとは言え、資材から作ることは明石や夕張のほか、妖精と連携が取れていなければ出来ない事である。長門や陸奥といった前線に立つ艦娘の細かな指摘などもあったのだろうが、結果が出たことは喜ばしい限りだ。

 

 昼食を終えたら工廠に足を運んでみようか、と考えていると、私と明石の正面に影が落ち、そちらを向く。

 

「こんにちは、お二人とも」

「失礼するわ」

 

「赤城さん、加賀さん……どうぞ。うるさいのが横にいますが」

 

「ちょっと大淀!?」

 

 既に食事を終えたらしい一航戦の二人だった。食後のデザートか、二人は美味しそうな瑞々しい果実の輝くあんみつをテーブルに置いて座った。

 

「いつもお疲れ様です、大淀さん。今日のお仕事はどうですか」

 

「滞りなく。提督が仕事を滞らせるわけもないんですけど……」

 

「ふふっ、ですよね」

 

 赤城は嫋やかな笑みを浮かべてあんみつに載ったさくらんぼをちょいと摘み上げ、口に入れて咀嚼する。それから口元を隠して種を出し、それをお盆の隅へ。

 

「ご法度だと分かっていますが、少し気になったことがありまして」

 

「どうしました?」

 

 赤城が問おうとしている事を察するも、食事を続けながら表情を変えず、報告書に視線を流しつつ返す。

 赤城も加賀も落ち着いた風を装っているが、加賀の目つきはどこか鋭い。

 

「――鳳翔さんの事です」

 

「それがなにか?」

 

「あなたは知っているでしょう。一緒にいたのだから」

 

 加賀の声に、白々しく「何かあったんです?」と重ねて返す。赤城の表情は揺らがなかったが、加賀の視線は一層鋭く細められた。

 

「あくまで守秘義務を貫き通すつもりね」

 

「普通に業務を遂行していただけなのですが……」

 

「それが通用するとでも? 私達一航戦の師である鳳翔さんを――」

 

 それは低く、鋭く、重い声だった。

 

 同じ前鎮守府の所属であった私にでさえ問いたださねば気が済まないというほどに慕われている鳳翔の存在は、一航戦にとって大きなものであるのは理解している。裏を返せば、私だから問いただされているとも受け取れる。お前が信じてと言うから、私達も信じたのに――と。

 

 だが続く言葉が紡がれることは無く、容赦のない声で分断される。

 

 その声の主は、龍驤だった。

 

「何噛みついとんねん」

 

「龍驤さん……!」

 

 加賀が顔をそちらに向けたのと同時に、私の耳に明石の戸惑うような声が鼓膜を揺らす。

 通りすがっただけの様子の龍驤は、片手に持った湯飲みをぷらぷらと揺らしながら赤城と加賀を交互に見て、最後に私に視線を向けて言った。

 

「喧嘩ならよそでしぃや。そも、喧嘩なんてしよ思たら規律違反や言うて止められるかもしらんけど」

 

「しかしっ」

 

「戦艦と重巡を相手にしても止まらんっちゅうならウチもほっといたるわ。悪いことは言わんから、やめとき」

 

「……」

 

 助かった……と胸中で安堵し、目を伏せて溜息を吐く。

 幸いにも食堂が騒がしいおかげで周りの艦娘は気づいていない様子だった。

 

 龍驤は短いやり取りで一航戦を黙らせ、去り際に私に言った。

 

「貸しやで。あー……あとやぁ、ウチは鳳翔から『何も』聞いとらん。そういうこっちゃ」

 

「……了解しました」

 

 ほな、と手を振ってカウンターに湯飲みを置き、食堂をあとにした龍驤の背を見送り、正面に向き直る。

 加賀は納得のいかないといった顔であんみつを食べ、赤城はスプーンで皿の中をゆっくりとかき混ぜながら声を落とした。

 

「龍驤さんが聞いていない、ということは……私達の出る幕では無いという事ですね」

 

 執務室でのやり取りは、扉に耳をぴったりとくっつけてでもいない限り廊下にまで響くなんてことは無いはず。

 鳳翔とて泣きはらした目のまま歩き回るなどという愚行をするはずもないが、もし鳳翔を見かけて私に理由を問いただしに来たのだとしたら、話してあげたい気もする。だが守秘義務を怠ることは鳳翔の心に土足で踏み入ることと同義。

 

 大っぴらに動かれはしないだろうが、どうしたものか……。

 

 そんな時、食堂の扉がからからと開かれ、間宮の「あら、提督」という声に振り返る。

 食堂にいた艦娘のそれぞれから挨拶を投げられつつ、提督はうむうむと頷きを返してカウンターで昼食を受け取り、室内を見回して――私たちの座る席を見つけて歩み寄ってきた。

 はっとして明石をぐいぐいと押してスペースを作り、どうぞ、と言えば、提督はすんなりと私の横に座り、スプーンを手に取った。

 

「お疲れ様です、提督」

「お疲れ様です」

「おっつかれさまでーす!」

 

「うむ。お前たちも、ご苦労」

 

 いただきます、と厳かに言って食事を始めた提督を見た瞬間、先刻の執務室での出来事を思い出しかけるも、さっと視線を逸らすことで何とか抑え込み、適当な話題でもと口を開きかけ――

 

「提督。お話があります」

「か、加賀さん、今は――」

 

 加賀の声。赤城が慌てて止めに入るも、勢いが衰えるはずも無かった。

 私は制止さえ出来ずに声を失い、しまった、としか考えられずにいた。

 

「先程、食堂に来る前に鳳翔さんとすれ違ったのですが、何かあったのですか」

 

「……ああ。ちょっとな」

 

 守秘義務を知っていて、ここまで、というラインを決められるのは鎮守府において提督以外にいない。故に提督の「ちょっとな」という言葉こそが答えになる。

 加賀はその先を求めるような気配を漂わせるものの、継がれた言葉に閉口せざるを得なかった。

 

「私の仕事が至らんばかりに、鳳翔にも大淀にも迷惑をかけてばかりだ。お前たちにも迷惑をかけるかもしれんが、どうか大目に見てくれ」

 

「そ……――」

 

 加賀はしばし言葉を呑み込むべきか、はたまたそのまま出すべきか逡巡するように固まっていた。しかしやはり我慢ならない、というように、静かにこう零した。

 

「……それで、鳳翔さんが目を赤くしてしまうなんて、考えられません」

 

 理性とせめぎあった結果だろう。その声は潜められてはいるものの、出来る限り冷静にあろうと聞こえた。

 

「それも私が至らん故だ」

 

 提督は加賀から発せられる圧にも表情を変えず、カレーを口に運ぶ。

 得も言われぬ空気が流れ続けては周りの意識がこちらに向いてしまうと、私は口を開いた。何でもないような雰囲気で、出来る限り変わらぬ声音で。

 

「提督。のちほど工廠にて開発に成功した連装砲を確認しに行くのですが、ご一緒に確認されますか?」

 

「ほう、連装砲の開発が……いや、大淀と明石なら間違いないだろう。後で報告書を確認しておく。私はすることがあるのでな」

 

「すること、ですか?」

 

 よし、話題の転換は成功だ。

 しかし、あれだけの執務をこなしておいて、まだすることがあるとは……。

 

「ああ。少し散策――……く、呉の様子を見てこようと思っている」

 

 散策に呉に行く……? まあ、提督ほど働いていれば今日を休日にしても構わないだろうが、何故突然、そんなことを言うのか。

 

 その目を見た時、呼吸が止まる。

 

 提督の目には光がある――しかし、それは希望の光では無いように見えた。

 私はその目を知っている、記憶に新しい、鮮烈な第一印象となったあの目。

 

 怒りに燃える目だ。

 

「何か、手伝えることはありますか」

 

 浮ついた心は無く、力強く問う。提督は私に顔を向け、しっかりと瞳を見つめて言った。

 

「大淀は鎮守府を頼む」

 

「……っは」

 

 私に鎮守府を一任するまでに重要な事……!?

 しかし、呉に今更何をしに――散策など――いや、待って、大淀。

 

 考えるのよ。提督は何も用意せず、何も残さずに任務を下すようなお方じゃない。

 

「決裁が必要なものは私のデスクに置いておいてくれ。いいな?」

 

「了解しました」

 

「赤城と加賀は非番だろう? ゆっくりと休むように」

 

 赤城と加賀の短い返事を聞くと、提督は手早く食事を済ませ、食器をカウンターへ返すと、あっという間に食堂を出て行ってしまうのだった。

 早食いも然ることながら、短いやり取りしかなく、私以外の三人はきょとんとするばかり。

 

 恐らく、一航戦の二人は話題にされたくないから逃げ出したのだと思い込んでいることだろう。

 

 この程度で逃げ出すほどに提督が弱いわけが無いのだが……それにしても、あそこまで急ぐ理由は何なのか。それを知るためにも、仕事をこなす前に一度執務室へ戻った方がいいのかもしれない、と私は残りのカレーをかきこみ、席を立った。

 

「あっ、ちょっ、大淀! 工廠は!?」

 

 明石に呼び止められたが、後で向かいます、と言って食堂を出る。

 

 

* * *

 

 

 小走りで執務室に戻り、ノックする。

 しかし返事は無く、既に提督は鎮守府を出たようだった。

 

 早い。早すぎる……!

 

 失礼します、と扉を開いて身体を滑り込ませると――そこには、あきつ丸と川内がいた。

 

「お、やっと来た」

 

「今日の昼食は美味でしたな、大淀殿」

 

「二人とも、何を――」

 

 室内の中央に立っていた二人は、道を開くように動き、提督のデスクを指した。

 デスクの上には幾人かの妖精が金平糖を抱えて座っている以外に、仕事をしている時には無かった本が一冊置いてあるのが見えた。

 二人に誘われるがままに開かれた本を見れば――妖精の一人が、ちょんちょん、と小さな手で一節を示した。

 

 本を持ち上げ、背面を見て、示された一節を見て、もう一度背面を見る。

 

「次の任務であります。大淀殿は何と伺っておりますかな?」

 

「鎮守府を……任せた、と……」

 

 やはり、提督はヒントを残していらっしゃった。

 

「さっすが秘書艦って感じじゃーん?」

 

「……その名に見合う働きが出来れば良いですが」

 

 私は眼鏡を指で押し上げ、本を閉じてデスクへ戻し、二人に向き直る。

 

「先程の食堂でのお言葉を聞き間違えてしまう程度には、明石の言う通りポンコツなのかもしれませんね」

 

「明石殿が大淀殿をポンコツと? あっはっは! それはそれは、柱島の第二の頭脳となろう大淀殿を捕まえて随分な物言いですなぁ!」

 

 あきつ丸の笑い声に、私は自嘲気味な笑みを返して確認の意を込めて言葉を紡いだ。

 置かれた本は――とある古典だ。

 

「――散策、ではなく、孫子の【策に三策なかるべからず】の三策とは……あの人も分かりにくいことを……」

 

 そう言った私に、川内が手を頭の後ろに組みながら、ふーん、と鼻息を洩らしつつ言う。

 

「食堂で、ねぇ……答えがここにあるって知って走って来たみたいだったし、やっぱ提督の考えが一番に読めるってのは大淀じゃないかなって思うけどなあ?」

 

「提督がヒントを残してくれたのですよ。私に向かって書類はデスクに置いておけなんて、あんな当たり前な事を言うはずがありませんから……はぁ、私もまだまだです」

 

「でも、もう分かったみたいじゃん」

 

「ま、まぁ……提督のお考えの全て、とまではいきませんけど……繋がりましたよ」

 

「さて、鎮守府を一任された大淀殿はどう見ておられるのですかな?」

 

 あきつ丸が両手を腰に当てて私を見る。

 瞬間的に思考はトップギアへ。全てが繋がっているとしたら、どこからが始まりなのかを考える。

 

 三策――という事は、三つの策があるはずだ。提督自身が動かれたという事は、それは既に一つ、または二つ目の策が終わったということ。提督はこの鎮守府における頂点であり、提督が動くという事は最終手段に等しい。呉の提督を是正した作戦も、それだけならば提督は動かずに済んだはずだ。恐らくは元帥閣下と共に裏から手を回し、静かに、誰にも悟られずに事を終わらせていたに違いない。

 資材と称して神風、松風、陸奥、そして龍田の四隻を一気に救うという切羽詰まった状況であったために動かざるを得なかったのだ。無論それは成功したが、いつも必ず成功するわけではないのは提督も重々承知であるはず。

 

 その証拠に提督はまた腰を上げて動いている。呉へ行く、と残して。

 

 呉では何があった――? 山元大佐の不正は何だった――?

 

 資材の横領、町民からの不当搾取、虚偽の轟沈報告……不正は全て正され……

 

「……て、ない……」

 

「大淀?」

 

「不正はまだ、全て正されていない……?」

 

「ほう、それはどういう」

 

 私は再び提督のデスクを見る。まだ、何か残っているはずだと。

 本だけ? 違う。いいや、違う。孫子の三策に、呉に残った不正、そこに至るための、確たる――

 

『?』

 

 妖精が私の目の前までふわりと飛んできて、心配そうな顔をして、持っていた金平糖を差し出してくれた。

 険しい顔をしていたのかもしれない、と妖精に「すみません、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」と人差し指を伸ばし、ちょんと突く。

 すると妖精は持っていた金平糖をぐいと前に突き出し、私に握らせた。

 

「これは、妖精さんの大切な食事では――……!」

 

 金平糖――妖精に金平糖をあげるのに、何故わざわざ提督が配る必要がある――?

 伊良湖に頼んで作ってもらったのならば、妖精だって伊良湖の所へ行けばいくらでも貰えると分かるはずなのに、どうして?

 作ってもらったというのは『体裁』であり、恐らくこれは呉で貰った食料品の中に交ざっていたものだろう。お菓子の一部をもらい受けることを艦娘に知られては申し訳ないと考えた提督が伊良湖に頼み込んだのは『作ったことにしてくれ』ということ。少なくとも、金平糖は一日二日で出来るものでは無かったはず。

 

 握らされた金平糖を見れば角は均等で、手軽にさっと作られたものでないことは一目瞭然。

 

 これぞ、残された最後のヒント――全く、手の込んだ事をなさる提督だ――!

 

「……川内さん、あきつ丸さん、金平糖ってなんだかご存じですか?」

 

「金平糖って何って、飴でしょ?」

 

「ですな。妖精が金平糖を好むというのは初めて知りましたが……てっきり、お菓子ならば何でも食べるものかと思っていたでありますよ」

 

「そう、それです、あきつ丸さん」

 

「うん? それ、というのは……」

 

「金平糖とは、その昔、ポルトガルから伝来したものだと言われています。皇室の引き出物としても用いられる高級菓子で、今では手軽に購入できるものらしいですが……長期の保存も可能な事から、縁起物でもあったと記憶しています」

 

 ここまで話すと、あきつ丸は眉をひそめて、続きを促すように瞬きする。

 

「縁起物として様々な意味を持ちますが、今では【永遠の愛】なんていう洒落た意味も持つようです。もう、ここまでで十分ですね?」

 

 川内があきつ丸を見る。その視線に気づいたあきつ丸は、川内に説明するように、間違っていないかと自問自答するように言う。

 

「艦娘を守るために独自部隊を組み、まして自分に裁量まで与えた意味がここで活きてくるとは思いもしなかったでありますが……カウンセリングを行うのならばと自らの意思で艦娘の来歴を辿りその他の不正を探るのに専念していた自分を超えてくるとは、恐ろしいばかりであります……」

 

「あきつ丸の言ってるのって、もしかして鳳翔さんのこと? それなら、私らが調べたじゃん。鳳翔さんがいたところの提督は……――」

 

「深海棲艦の襲撃により死亡。鳳翔殿以外の艦娘は全員『襲撃された』と証言している記録もありましたな。死亡は間違いなく、深海棲艦の襲撃も間違いないでしょう。でなければ鳳翔殿がこの柱島に来るはずもありません」

 

「じゃあ……」

 

 あきつ丸の言葉を継ぎ、私は口を開く。

 

「どちらも嘘では無いとしたら、話は繋がります」

 

「はっはぁん……敢えて記録に残すことで、追加調査を免れた、ってわけね」

 

「鳳翔さんと未来の約束を交わしたであろう前提督との関係を見れば、他の艦娘が襲撃に対応し、提督の傍にいて真実を見た鳳翔さんとの証言が食い違ってしまうのも無理はありません。鳳翔さんは妄言により戦意に問題ありとして柱島に異動が決定した際、真実を訴え続けるという選択肢を失ったのでしょう――生きても良いという約束が故に」

 

 鳳翔の言葉を思い出し、私は強く奥歯を噛みしめた。

 

 

『あの人は……あの人は私に生きて良いと教えてくれたのです! だからこうして、心を殺してでも生きようと、している、のに――』

 

 

 私の中に芽吹こうとしていた嫉妬の種は刹那の内に枯れた。

 その代わりに芽吹くのは――使命感と、仲間をよくも、という怒り。

 

 あきつ丸が鳳翔に向けていた復讐と信念を違えるなという言葉が無ければ、私は怒りに任せて出撃し、暴れていたかもしれないと考えた。それほどに、やはり私は艦娘で、鳳翔を含め、仲間を大切に思っているのだとも考える。

 

「んでもさ、大淀はここでお留守番でしょ? 私とあきつ丸で呉に向かって提督のサポートって感じかな」

 

「ですね。先ほど食堂で赤城さんと加賀さんに詰められましたから。私は鳳翔さんのケアと、一航戦を宥める仕事……といった所でしょう」

 

「それでは、大淀殿には逐次報告をすることに致しましょう。さ、どこから手をつけたものでありましょうかねぇ……」

 

 盛大に溜息を吐き出しつつ、提督のデスクで金平糖を分け合いながら食べる妖精を見つめるあきつ丸だったが、ああ、と声を上げる。

 

「……少佐殿は自分にもヒントを残していたわけでありますか。本当に、化け物でありますな」

 

 うん? とそちらを見れば、あきつ丸は軍帽のつばを指で挟み、言った。

 

「呉の不正はまだ残っていると、その当てはどこかと考えるまでも無かったであります。金平糖の話で、自分も繋がりました――金平糖とは(おか)での甘味、その代名詞でありますよ」

 

 あきつ丸の言葉に、川内が手を打った。

 

 

 

 

 

「陸……あぁ、陸軍管轄の憲兵隊――!」



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三十五話 散策【提督side】

「お、落ち着け俺……落ち着け……猶予期間だ、あれは、猶予期間を与えると、そういう事だ……」

 

 大淀が部屋を出て行った後、俺は犬みたいに執務室をぐるぐると歩き回り心を落ち着けようとしていた。

 

 覚悟を決めて制裁を受けると言った矢先、立てと言われて完全に死を予感した俺を待っていたのは――意図の読めない行動だった。

 大淀が俺の胸板へ頭を近づけてきた瞬間、咄嗟に『あ、これ頭突きされるやつだ』と身構えたのだが、強い衝撃が来ることは無く、ただ甘えるような……。

 

 いいいいいやいやいや! 甘えるって……あの大淀が甘えるって! 無いだろ!

 俺に甘えるような要素があるか? 断言できる! 無い!

 

 自分で言っておきながら情けないが、仕事は遅いし、軍人として素人だという隠し事さえも一日程度でバレてしまうくらいにはアホだ。井之上さんにも怒られっぱなしだし山元大佐にも八つ当たりするようなクズだぞ!? 社畜な上にクズとかもう救いようがないではないか……それに対して甘えられたのかな? なんて都合がいいにも程があるぞ海原ァッ……!

 

 でも大淀、いい匂いし――

 

 ガツン! と音とともに、俺の足先に激痛が走る。

 

「イッタ!?」

 

『あ、ごめんまもる。本落としちゃった』

 

「なんで今落とすんだよ!」

 

 妖精が落としたという本を拾い上げ、デスクに投げ置く。仕事に使うようなものかと思ったが、それは明らかに仕事とは無関係のもので、本棚にあったものでは無いように見えて溜息を吐き出した。

 

「どっから持ってきたんだそれは……いたた……」

 

『さぁ……?』

 

「さぁ、ってお前……はぁ、もういい……」

 

『まもるが変なこと考えてそうだったからつい』

 

「わざとじゃねえか!」

 

 クソッ、ちょっと大淀の香りを思い出しただけでこれかよ……ッ!

 まぁ、香りも何も、入渠施設に備え付けられたシャンプーの香りだったので俺も同じようなものなのだが、それはさておき。

 

 心も落ち着けたところで(落ち着いてはいない)昼食にでも行こうかと執務室の扉へ顔を向けるが、どうせ今行っても大混雑しているのは明らかだ。艦娘たちに囲まれて食事をするのは非常に魅力的ではあるものの、鳳翔を泣かせてしまったことから空母勢とは顔を合わせづらい。

 泣きはらした鳳翔の目を見て俺の仕業と知れば、艦上爆撃機を差し向けてくるのは必至。見つかった途端に徹底的に撃滅されてしまう。せっかく優しくなった龍驤までもが『空母の皆ぁ! お仕事お仕事ぉ!』と号令をかけようものなら、俺はアイアンボトムサウンドに沈んでしまうだろう。

 

 社畜の思考は解決策を導き出すのに時間を要さない。

 

「はぁ、もういい。仕事を――って言っても、あとは報告書待ちだしな……」

 

 柱島鎮守府にてこなさなければならない仕事を羅列すれば、それはもう多くの仕事が挙げられるはずなのだが、実働しているのは俺のうっすい記憶の中にある艦これにおけるデイリー任務くらい。

 

 演習はシフトを組んでいるため俺の仕事は特に無し!

 訓練風景でも見学して改善点を見つけ出したりするのも提督の仕事なのだろうが、素人の俺が見たところでどこをどう改善すべきかなんて分からないのでノータッチ。

 艦娘が海を駆ける姿を見たくはないのか? と問われたら見たいと答えるが、俺がいたら訓練の邪魔にしかならないのは考えずとも分かる。悲しいが艦娘の邪魔になりたいわけでは無いので我慢しているというのが実際のところだ。

 

 開発は明石と夕張に工廠を任せっぱなしなので、これも仕事は特に無し!

 妖精と意思疎通を図りつつ奮闘しているようだが、開発なんてものは必ず成功するものでないのは提督の俺が一番知っているので資材を使い過ぎないようにだけ言いつけ、自由にしてもらっている。

 一日に三回の開発を頼んでいるが、単装砲や機銃など、ちまちまと装備の拡充も進んでいる様子なので問題無しだ。

 

 遠征――これについては完全に仕事無し!

 先日は例外的に深海棲艦が出現したらしいが、それ以降は一切目撃した報告もあがっておらず、平和そのものである。そもそも深海棲艦が出現した場所も柱島から随分と離れたところであったため、現実感が薄く警戒も形だけではあるが、こういう所で慢心すると痛い目を見るかもしれない、と範囲は広げている。

 それと、補給用資源海域とやらが四国付近にあるらしく、警備艦隊はそこで補給を行い、それとは別に微量の資材を持ち帰ってもらうようにしてある。微々たる資材だが、塵も積もればというやつだ。

 

 以上の事から、俺が執務室にこもってやっている仕事と言えば艦娘から送られてくる申請書の決裁だの、井之上さんに送るための報告書の修正だのと細々としたものばかり。井之上さんに送るのは大淀がやってくれているので、実質デスクに座って書き物をしているだけである。まぁ、量は眩暈がするくらい多いので暇ではないが……時間を作ろうと思えば作れる。

 

 そして今、俺は時間を作ろうとしている――それは何故か――

 

「……今日くらいサボるか」

 

 これは言葉のあやだ。違う。サボるのではなく、その、こう……アレだ。

 

『まもる……? 今、サボ――』

 

 妖精たちがじとりとした目を向けてくる。

 俺はすぐさまデスクに戻って引き出しを開け、金平糖を取り出してそっと置く。

 

「視察をしてくる。言い間違えた。視察だ。いいな? ついでに散策的な、な?」

 

『なぁんだ! しさつかー!』

『まもるがお仕事サボるなんて、ありえないもんね!』

 

「はっはっは俺がサボるなんてはっはっはありえるわけはっはっは! まぁ金平糖でも食えよ!」

 

『わーい! あめだー!』

 

「……」

 

 っふ……妖精なんてチョロいもんよ……。

 サボると決まればさっさと執務室から出て身を隠せる場所を探さなきゃな。万が一サボっている事が大淀にバレてしまっては凄惨な未来が訪れる。

 

 うん……? 待てよ……。

 

「視察……そうか、視察か! 天才か俺は……!」

 

 天才的社畜頭脳を持つ俺が導き出した解答(いいわけ)とは――視察。

 そうだ、視察に出かけると言えばこの鎮守府を一時的に離れることが出来るため大淀の目を気にせずにのびのびと過ごせる!

 少しばかり強引な手かもしれないが、視察には俺一人で行くと言えばいい。あーだこーだと理由をつけられたとしても、提督の仕事だからという雰囲気で誤魔化せ……ると思う! 多分! 恐らく!

 

 ならさっさと行くぜ俺は! 空母の誰かに呼び止められても仕事があるからって言えば大丈夫だろ! と、俺のデスクの上で金平糖の破片を豪快に撒き散らしながらぼりぼりしている妖精たちに向かって言いつける。

 

「ん、んんっ……私はしばらく留守にするが、きちんと職務をこなしておくように。無理のない範囲でな」

 

『どこ行くのー?』

 

「お、おーん……それはぁ……」

 

『お手伝いはいるー?』

 

「いやっ! それには及ばん。ありがとうな。前に呉に出かけたろう? その後が気になってな。街の様子を見ておきたいのだ」

 

『まもるは優しいねぇ』

 

「ははは、そんなことは無い」

 

『働き者だねぇ』

 

「ははは」

 

『見習わなきゃね! みんなでお仕事頑張るから、気を付けて行ってきてね!』

 

「はは……は……。う、うむ。では、また後でな」

 

 いかん。これ以上この場所にいると良心の呵責に苛まれてしまう。

 まだ苛まれてないみたいな言い方だが、ちょっとくらいは心が痛んでいる。

 

 しかしながら、ここに来て数日、俺の個人的な時間というものなんて殆どと言っていいほど存在していない。一日とは言わないまでも、ほんの半日、いや数時間でもいいから確保したいと考えるのは罪なことだろうか? あっはい罪ですよね知ってます。でも少し休ませてください。お願いしますほんと……。

 

 軍帽を被って妖精と目を合わせないようにしつつ、俺は執務室を出て食堂へ向かった。

 何故かって? 一応、大淀に一言だけ言っておこうと思って……。

 

 別にビビってるわけじゃない。

 

 ビビッてねえよ!!

 

 

* * *

 

 

 食堂に近づくにつれて黄色い声が耳に届き始め、否が応でも心臓がバクバクと鳴りはじめる。

 大丈夫、問題無い。ただ視察に行くと伝えて、さっと食事を済ませて出るだけだ。それが終われば数時間の至福の時が待っている。小難しい事を考えなくともいい幸福の時間が――。

 

 俺は食堂に到着すると、扉を静かに開ける。すると、方々から艦娘たちの明るい声が飛び込んでくる。

 

「あら、提督」

 

 カウンターから聞こえた間宮の声に返事をして、本日の日替わりメニューらしいカレーを受け取りつつ、大淀の姿を探す。

 

「提督、どなたかお探しですか?」

 

「大淀を、少しな。仕事のことで話がある」

 

「大淀さんでしたらあちらに」

 

「うむ、ありがとう」

 

 間宮が指した方向には大淀の他、明石や一航戦の姿があった。身体が強張るも、ぐっと気合を入れる。

 そちらへ歩めば、大淀は俺を気遣ってか座れるように席を空けてくれた。優しい。

 こんな優しい一面を持つ艦娘に対して、視察をすると嘘をついてサボりに出かけるのか……? と、俺の良心が語り掛けてくる。

 

 だが良心よ――エリート社畜の俺とて体力は無限ではない。まして精神力なんて底をつきそうなのだ。体力ならば寝れば回復出来るかもしれないが、精神力はどうにもならないではないか。

 身から出た錆とは言え、大淀には嘘がバレた状態で共犯者として提督業を続けさせてもらっている。井之上さんからのお願いもあってまさに四面楚歌なのだ。

 

「お疲れ様です、提督」と赤城が会釈する。

「お疲れ様です」と加賀。

「おっつかれさまでーす!」と明石は機嫌良さそうに笑みを浮かべる。可愛い。好き。

 

「うむ。お前たちも、ご苦労」

 

 労ってくれる赤城や加賀、明石の声にまた罪悪感が募る。

 やっぱり……仕事をしよう。逃げるなんてもってのほかだ。俺は提督で、彼女らは艦娘。二つの存在が揃えばやる事はただ一つじゃないか。そのために俺はいるのだから。

 彼女達を癒し、支え、身を粉にして働く。良いじゃないか、何が苦痛か!

 

 彼女達の顔を見てみろ、海を駆け、人類を救おうと奮起している勇ましさといったらもう、間近でそれを見られるなんて幸せ以外――

 

「提督。お話があります」

「か、加賀さん、今は――」

 

 加賀の低い声に心臓が止まりそうになる。加賀の横では、赤城が真っ青な顔をしており……あれナニコレ怒ってる?

 

「先程、食堂に来る前に鳳翔さんとすれ違ったのですが、何かあったのですか」

 

「……ああ。ちょっとな」

 

 あーこれダメだ。怒ってるわ。完全に怒ってるわ。鳳翔さんとすれ違ったのですが何かあったのですか? だと? 無けりゃ言わないだろそんな事よぉ! あったのを知ってて、敢えて俺の口から言わせようとしてるのは明らかなんだよなぁッ!

 大淀がせっかく猶予期間をくれたと言うのに、青鬼につかまってしまうとは……!

 

 ここは食堂。艦娘の大半がいるこの場所で言い訳の一つでもかましてみろ、瞬きする前に蜂の巣になる。

 変な気を起こしてサボろうなんて言うんじゃなかったぁぁぁ……ぐぁぁぁ……と、後悔しようとも時すでに遅し。加賀の視線は鋭さを増すばかりで、物理的にそろそろ刺さるんじゃね? というくらいの威圧を発し始める。

 俺は声が震えないよう小さく、かつ、言い訳をしないように素直に白状するしかなかった。

 

「私の仕事が至らんばかりに、鳳翔にも大淀にも迷惑をかけてばかりだ。お前たちにも迷惑をかけるかもしれんが、どうか大目に見てくれ」

 

「……それで、鳳翔さんが目を赤くしてしまうなんて、考えられません」

 

 正直に話したのに! なんっでだよぉぉおおおっ!

 目を赤くしてしまうなんて考えられないって、ほら、もう分かってんじゃん! 鳳翔が泣いちゃったこと知ってんじゃん! それで詰めてくるとか加賀、おま、お前! ほんと鬼だな!

 お前の事今度から『一航戦の急に歌う方』って呼ぶからな!

 

 もちろん口に出すわけも無く、しゅんとしながら「それも私が至らん故だ」と言って必死にカレーを口に運んだ。そうしなきゃ恐怖でぶっ倒れてしまいそうだったからだ。艦これでは『鎧袖一触よ』というのが口癖だった記憶があるが、眼前で俺を睨みつける加賀は本当に修羅そのものである。

 鳳翔と言えば元一航戦であり、空母の母とはプレイヤーならば周知の事実だが、それはこの世界でも変わらないのだろう。一航戦を継いだ赤城や加賀ともなれば内にある感情は俺の想像以上であることは明白。

 

 仕事の雰囲気を全面に押し出し、今こそ強引に押し切るしか――

 

「提督。のちほど工廠にて開発に成功した連装砲を確認しに行くのですが、ご一緒に確認されますか?」

 

 ――大淀の声が割って入る。加賀が口を噤んだのを見逃さず、俺は大淀に返答した。

 チャンスは今しかない……この好機を逃すな……ッ!

 

「ほう、連装砲の開発が……いや、大淀と明石なら間違いないだろう。後で報告書を確認しておく。私はすることがあるのでな」

 

「すること、ですか?」

 

 よし、話題の転換は成功だ。

 本当に大淀、お前ってやつは俺の頭の中でも覗いているのか? 素晴らしいタイミングでの助け船だ……艦娘だけに。

 ここでばっちりと考えてきた言い訳――じゃなかった、仕事を伝えて速やかに離脱。これしかない。

 未だ俺の頬に突き刺さるような加賀や赤城の視線が怖くて震えそうになるが、何とか口を開く。

 

「ああ。少し散策――……く、呉の様子を見てこようと思っている」

 

 ごめんやっぱ一航戦が怖すぎる。口が震えて正直に言いそうになった。というか殆ど正直に言ってしまった。

 助けて大淀ォッ! 少しだけ休憩させてくれたら仕事頑張るからぁ! お願いだよ……。

 

「何か、手伝えることはありますか」

 

 縋るように大淀を見た。ここで怒られたら、素直に仕事に戻ろうと声を紡ぐ。

 

「大淀は鎮守府を頼む」

 

「……っは」

 

 ……あれ? えっ、いいの? あれ……聞き間違えじゃないよな……?

 今、俺は大淀に仕事を丸投げしたつもりなのだが、それを了承した……?

 

 確認を込めて「決裁が必要なものは私のデスクに置いておいてくれ。いいな?」と言えば、力強く「了解しました」と確りと返してくれた。

 

 や、やった……やったぞ……ついに休憩のお許しが出た! しかも秘書艦である、大淀から!

 

 今度から大淀の言うことは全部聞いてあげよう。海にダイブしろと言われたら喜んで飛び込んであげよう。やっぱ社畜の扱い分かってんなぁ大淀もぉ! フゥー!

 

「赤城と加賀は非番だろう? ゆっくりと休むように」

 

 俺は喜びに小躍りしそうな気持ちを抑え込みつつ残りのカレーを食べ、立ち上がる。

 きっと大淀が許してくれた時間はそう長くない。その時間内にどれだけ羽を伸ばせるかが勝負だ。

 呉に行くことを許してくれたのだから言う通り呉で羽を伸ばそう。そうしよう。

 

 既に俺の脳内は何をして過ごそうかを考え始めており、赤城や加賀を筆頭とする空母勢から怒られるかもしれない、などという危惧は失せているのだった。

 

 カウンターへ行って食器を返す時、間宮に代わり伊良湖が食器を受け取りに小走りにやってきて「……お気をつけて。待っていますから……私」と俺を見つめてきたが、早めに帰って仕事しろよという事だろうと「無論だ。私の帰る場所は、お前たちのいる場所だからな」なんて上機嫌に返して食堂を出た。

 

 

* * *

 

 

 ――そして現在、柱島鎮守府正門に立つ俺。

 振り返れば、そこには重苦しい雰囲気を漂わせる鎮守府がある。

 

 数時間だけだが……あばよ、鎮守府……あばよ、激務……俺はこれから薔薇色の散策へ出かけ――

 

「提督」

 

「あっはい」

 

 ――いつの間に俺の正面に回り込んだのか、声に顔を向ければ、そこには鳳翔の姿があった。

 い、いかん、せっかく鬼門であった食堂を切り抜けたというのに、真のボスが現れてしまうとは……! いや、真のボスは失礼か……泣かせたの俺だしな……。

 

「どちらへ向かうのですか」

 

「呉に視察だ。先日の件もあるので街の様子が気になったのだ」

 

「……本当に、それだけでしょうか」

 

 ……空母の母、と呼ばれるだけはある。

 彼女は俺が全力でサボろうとしているのを嗅ぎ付けてやってきたのだ。

 

 鳳翔は艦これでも真面目で、メリハリのしっかりとした艦娘だった。現実でそうであってもおかしなことは無い。

 だが考えて欲しい。提督の補佐をするための秘書だからといって使い潰すのは違うじゃないか。せめて生かさず殺さず、苦痛は最小限に仕事をさせるのが上司の役目ってもんだろぉ!?

 まあ上司は俺なんだけども。

 

「それだけだ。視察には私一人で十分だから、鳳翔は鎮守府に待機しておくように」

 

「護衛もつけずに視察など有り得ません。せめて――」

 

「護衛が必要な仕事では無い。いいか? 私は、ただの視察に行くだけだ」

 

 言ってくると思ったぜ! 社畜を何年やってきたと思ってやがる!

 

「では、せめて呉までお送りします」

 

「それも必要な――」

 

 必要ないと答えそうになり、口を開いたまま止まる俺。

 そうだ。船じゃないと呉に行けないじゃん。しかも運転出来ないじゃん。

 

 思わず額をおさえて唸り、呉の港までなら、と渋々了承せざるを得なかった。

 

「――港までだ。後は鎮守府に戻って待機、いいな」

 

「……はい」

 

 鳳翔がじっと俺を見つめてくるものだから、視線を逸らして歩きはじめる。

 もう少しの我慢だ、呉につくまでの……。

 

 

 前に呉に行った時と同じように船に乗り込み、鳳翔に自然な流れで「運転を頼む」と言って、離れ行く鎮守府を眺める。

 ああ……これなら大淀の方が良かったかもしれない………気まずいなんてもんじゃねぇぞ……。

 船内に響くのはごうんごうんという船のエンジン音と、波を切る音ばかりで、いたたまれず気分は落ち込む一方だった。

 

 鳳翔が船室にいるお陰である意味一人の時間は確保できているが――なんて考えている矢先に、鳳翔が船室から顔を出して「自動操舵装置がありました」と報告をしてくる。お前は大淀か。違うね、鳳翔だね。

 艦娘というのは見ただけで船を操れるのか? と素朴な疑問が浮かんで口にする。

 

「お前たちは、やはり船に詳しいのだな」

 

「え? いえ、そのような事は……基本的な事は、理解していますが……」

 

「ほう。それでも十分に凄いではないか」

 

「勉強しましたからね」

 

「勉強? 自分で?」

 

「はい、そうですけど……?」

 

 不思議そうな顔でこちらを見てくる鳳翔に、はっとして咳払いをし、当たり前だよな! そら勉強くらいするよなぁ! と曖昧な笑みを浮かべる。

 すると鳳翔は俺の意味不明な笑みを見て不機嫌になったように、むっとしてみせた。

 

「何がおかしいんですか」

 

 今日の俺は油断し過ぎじゃないか……? 地雷を踏み抜きすぎである。

 慌てて片手を振り、もう片方の手で軍帽で目元を隠すようにしながら謝罪する。すみません調子に乗って。

 

「すまない。鳳翔は、やはり勤勉なのだと感心したまでだ」

 

「勤勉、なのでしょうか……。提督は、そうではないと?」

 

「鳳翔ほど勤勉では無いな。っと……上官の私が言ってはならんか。忘れてくれ」

 

 軍帽の下からちらりと鳳翔を見やれば、海を眺めており、その横顔のなんとも様になること。

 俺はふとサボるための言い訳だの、激務への愚痴だの、全てを忘れてしまって口を開いた。

 

「海は好きか、鳳翔」

 

「はい……それと、空も」

 

「空も、か。空母らしい――」

 

「別に空母だから、という意味で好きなのではなく……よく、眺めていたものですから」

 

 尻すぼみになった声が気になり、続きを促すように「ふむ」と相槌を打つ。

 しかし鳳翔から続く言葉は無かった。ただ、海と空を交互に見つめる横顔だけがそこにあり、俺はその無言の時間が気まずいような、このままでも良いような不思議な感覚を抱き、波の音に耳を傾けた。

 

 そこから数分、また鳳翔が口を開く。

 

「詳しくは聞かないのですね」

 

 えっ。何を聞けばいいの。

 きょとんとして鳳翔に顔を向けたが、やはり遠い向こう側を眺めたまま。

 

 俺も倣うように水平線を見つめて言った。

 

「こういう時、なんと言えばいいか分からん。だから、黙っていた」

 

 マジでごめん鳳翔。俺は馬鹿だから説明されなきゃ理解出来ないんだ。

 説明されても分からないかもしれない。

 

「お優しいですね、提督」

 

「……そうでもない」

 

 い、嫌味か……? お前は会話すらまともに出来ないのかって意味か……?

 じゃあ話してやらぁ! 好きなだけなぁ!

 まともな会話をするなんて殆ど無い社畜が喋ったら、どれだけ悲しいことになるかその身を以て味わえよぉ……!

 

 これを開き直りと言います。

 

「会話という会話をしたのは久しぶりなのだ。私は口下手だから自分勝手に喋る事しかできん。大淀もそうだが……龍驤や他の艦娘と話した時も、何を話せばいいかなんて考えで頭がいっぱいで、結局、仕事の話ばかりになってしまう。気の利いた言葉の一つくらい言ってやれたら良いが、私には土台無理な話だ」

 

「意外です……提督が、そんな」

 

「なにが意外なものか。見て分かるだろう。私には仕事しかない」

 

「だからあの時も、仕事だから、と言ったのですか?」

 

「……」

 

 そして地雷を踏み抜いていく。ここまで来たら清々しい。

 女心なんて分かんないよ……もうやめて……社畜いじめはよくないよ……。

 

「仕事しかしてこなかった私は、それでしか応えられないと思ったのだ……」

 

 だから許してください、と鳳翔を見れば、ふと目が合う。

 鳳翔はぐっと息を詰まらせたような声を上げた――かと思えば、目を逸らされる。

 

 そ、そんな、もっと俺に優しくしろヨォッ!? なぁぁっ!

 

「提督には、仕事しかない……だから、仕事だと言った、と……」

 

「……そうなる」

 

「そうですか」

 

 また無言の間。俺の心はボロボロだった。

 そこから呉に到着するまでの時間、会話は無かった。ただ海を眺め、呉に近づいてきたからと停泊するために立ち上がった鳳翔の背を見送り、呟く。

 

「サボるとか考えるんじゃなかったな……」

 

 どう考えても罰が当たりました。本当にありがとうございました。

 

 ともあれ、呉に到着したのだから少しでも気晴らしをしようかと停泊した船から降りた俺。

 船の上に残った鳳翔に振り返り、軍帽を脱いで片手を上げる。

 

「手間をかけたな。帰ってゆっくり休んでくれ。夜までには戻る」

 

「はい。お気をつけて……あっ」

 

 やっぱりついていきます! なんて言い出したらどうしようかと思ったが、杞憂だった。

 

「行ってくる」

 

 耐えた……耐えきったぞ! ここからは気晴らしだァッ! と、鳳翔を背に歩き始めた俺の眼前に――

 

 

 

「提督、早過ぎだって……ギリギリ追いつけたからいいけどさぁ」

 

「今に始まったことでは無いでありましょう? では少佐殿、参りましょうか。手始めに街を回られますかな?」

 

「えっ」

 

 あきつ丸と川内がいた。

 いや……なんで?

 

 俺の背後で港を発った船に視線をやりながら、あきつ丸がニヤリと笑みを浮かべて言った。

 

「少佐殿を押し切って呉まで見送りとは、鳳翔殿も中々豪胆でありますな」

 

「そ、そう、そうだな……?」

 

 俺の脳内は大混乱である。ここまで先手を打たれているなど誰が予想できようか。

 大淀が大人しく送り出してくれた理由が、今、理解出来た。

 

 こいつらをお目付け役に動かしていたからかぁぁっ……!

 

「あきつ丸、このことは大淀に――」

 

 チクるのはやめてお願いします――と言う前に、あきつ丸は無情に言う。

 

「ご心配なく。既に大淀殿には通達済みでありますよ。少佐殿も過保護でありますなぁ」

 

 

 もう、俺の未来は無い……。



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三十六話 異議【提督side】

 もう終わりだ……全て終わりだ……。

 

 俺の培ってきた社畜知識は無駄に終わり、柱島泊地の頭脳たる大淀の手のひらの上で踊らされたまま嘘に嘘を重ねてきた俺は今の地位も名誉も失うのだ……。

 地位も名誉も元々無いのだが。

 

「少佐殿? 如何されたので?」

 

 如何されたので、だと? 如何もイカもあるか!

 

 サボろうとした俺を先回りしたあきつ丸達を見つめたまま絶望した顔をしていたが、こうなったからにはどうにでもなれ精神である。

 全てを悟り――主にこの後に待っているであろう凄惨な未来を悟り――二人に対して微笑みを浮かべる。

 

「いいや、お前たちといられる事が嬉しくてな」

 

 半分は本心で、もう半分は虚勢だ。

 大淀が監視につけたであろう二人。『夜戦忍者』こと川内と『元帥の秘密兵器』であるあきつ丸が相手では逃走も不可能。だが俺も情けない姿ばかりを見せてはいられない。形だけの軍人であろうとも女の子の前では恰好をつけたいのだ。ちょっとだけな、ちょっとだけ。

 それに、艦娘が常に近くにいるというのも艦これプレイヤーだった俺からしたら幸福というのも事実。仮に川内の夜戦演習の的にされようが、あきつ丸のカ号観測機の的にされようがプレイヤーにはご褒美です。ありがとうございます。

 

「っ……ん、んんっ! 少佐殿は……まったく」

 

 あきつ丸が帽子をきゅっと深く被り、顔を伏せる。

 川内はそれを見てクスクスと笑って俺に駆け寄ってきて、右腕に縋ってきた。投げる気だと思う。

 

「褒めておけばいいってもんじゃないんだからね? 悪い気はしないけどさ! ……っとぉ」

 

 投げられるかもしれないと身構えかけたが、いやもしかしたらへし折られるかもしれない、と腕に力を込めてしまい川内を引き寄せる恰好となった。

 川内は一瞬だけあっけにとられた顔をしていたものの、数秒もしないうちに腕を離して俺に背を向け、

 

「ご、ごめんごめん、よろけちゃった……って、そ、そうだ! 提督! 仕事!」

 

 と、慈悲を見せた。

 これはどうやら『少しでも仕事をすればお前の右腕は折らないでやろう』ということらしい。多分。

 大淀が見せた優しさ、そして仕事で挽回せよと慈しみの心を見せた川内にあきつ丸。やはり艦娘は素晴らしい……。

 

 違う! あ、危ない……本来の目的を忘れる所だった……。

 

 半分、否、もう殆ど諦めてはいるが柱島に戻ってこれまで以上の激務に追われる未来は避けられないのだから、ここは意地を見せてやらねば……!

 

 柱島鎮守府に着任して数日。訳の分からない状況に翻弄されようとも俺の意志は揺らがない。

 朝から晩まで監視されながらの激務の日々に戻る前に――サボってやる――全力で――!

 

 決意を固め、軍帽をすっと脱ぎ小脇に抱えて港から一歩踏み出した。

 

 

* * *

 

 

「して……少佐殿、まずはどちらへ」

 

 道すがらに口を開いたあきつ丸に、ぼんやりと辺りを見ながら言葉を返す。

 どちらへと問われたらどこでもいいよと答えたいところだ。サボるためだけに鎮守府を出たんだから。

 しかしサボると言ってもただぼんやりと過ごすだけではダメだ。休息と言えど俺の欲するものは精神の安寧であり、身体的な疲労は殆ど無い。

 

 強いて言えばここに来る前に食堂で食べたカレーは美味かったがゆっくりは出来なかった。おやつがわりの軽食でもつまみながらのんびりとしたい。

 宇品のお婆ちゃんのとこでもいい。アオサぶっかけられなかったら。

 

「本来ならば宇品港に降りたかったのだがな。美味いお好み焼き屋があるんだ」

 

「お好み焼き屋、でありますか」

 

「うむ。以前に大淀と長門と私の三人で昼食をとってな。憲兵隊に勤めている男がいるのだが、そいつの祖母の店なのだ。とは言え距離がある……先に呉鎮守府だな」

 

 呉港にあまり人通りは無く、宇品港で見たような閑散とした風景だった。

 悲しいかな、全力でサボると決意しつつも自然と前回の仕事を思い出しつつ目を配ってしまうあたり、もう仕事にとりつかれているとしか言えない。社畜だからね。仕方がないね。

 

 世間話を交えつつ、ここからならば呉鎮守府にも近いし先にそちらへ寄っていくか、なんて考える。

 

「ふーん……提督は提督で把握済みってわけね」

 

 川内から洩れた言葉に顔を向け「美味い店は仕事にとっても重要だぞ」と言う。

 会社員時代の大半こそ社内のデスクで軽食しかとらなかった俺ではあるが、美味い店、そして美味い食事というのは本当に人に活力を与えるのを知っている。仕事に身が入らない、必死に頭を働かせても体がついていかない、そんな時にこそ人はエネルギーを欲する。それこそが食事だ。

 何年にもわたって不摂生な生活を送っていた俺であれひとたび温かな食事をとれば何時間だって働けた。人が人としてあるべく必要な行為は現代社会において軽視されがちなのは身を以て理解している。あっ、すごい涙出そうなくらい悲しくなってきた。俺の唯一の楽しみが食事か艦これってだいぶヤバイ環境だったんじゃ……。

 

 まあ、艦これがリアルになっただけで環境的に然程変わってないが、それはさておき。

 

「何度でも言うが、美味い飯は人を元気にする。それにな、美味い飯を食っていれば荒んだ心も鎮まるのだ」

 

「なにそれ」

 

 鼻で笑った川内につられたように、俺は笑い返して続けた。

 

「昔は美味い飯を食う暇さえ無くてな。お前たちは知らないか? あの、クッキーのような」

 

 毎日世話になっていた黄色い箱を思い浮かべつつジェスチャーをして見せれば、川内は小首をかしげるだけだったが、あきつ丸が、ああ、と声を上げた。

 

「携帯口糧でありましょう? クッキーとはまた少佐殿も恰好をつけなさる。乾パンでありますよ、乾パン」

 

「あー、清酒とかのことかー」

 

 乾パンに清酒? 何の話してんだ。カロリーなメイトの話だよ。軍では携帯口糧って言うのか?

 あ、いや……そうか……柱島に来た彼女らはずさんな運営をしていた鎮守府にいた者ばかり。ともすれば食事だって酷いものだったのかもしれない。

 ふと山元大佐の事を思い出し、もしかしたら艦娘だからと言って補給だけしかさせずに食事は別だったのでは、なんて嫌な考えが浮かんでしまう。

 流石の山元大佐も所属していた軽巡洋艦那珂の対応から見てそこまでの待遇では無かった様子ではあるが。

 ここにいる川内やあきつ丸がどのような境遇にいたのかなんて詳しいことを知っているわけでもない。俺より滅茶苦茶な食生活を送っていた可能性だってあるのか、と自省して言葉を選びながら口を開く。

 

「乾パンに、清酒、というのは、その……お前たちは、きちんと、あー……食事はとっていたか……?」

 

 俺の問いにあきつ丸も川内も口を揃えて、

 

「もちろんであります」

「あたりまえじゃん?」

 

 と俺を見る。良かった……お腹を減らした艦娘はいなかったんだね……。

 安堵の息を吐き出しながら、俺はへらへらと笑って言う。

 

「変な心配をしてしまってな、すまない。俺のように……携帯口糧? しか食べていなかったのかと思って――」

 

 あきつ丸がその場でぴたりと足を止め、振り返る。

 

「しょ、少佐殿? 失礼でありますが、え……? 官給もありましたでしょうに――」

 

「あるわけないだろう、そんなもの」

 

「えっ、いやいやいや、は、はは、少佐殿もご冗談を」

 

 官給ってあれだろう? 軍人に配られるものだろう?

 ただの社畜に与えられるものは雑多な事務仕事か外回りの仕事くらいだ。時代の齟齬、というのもあるのかもしれないが、あきつ丸の言葉を噛み砕けば、社食を指していることくらいは分かる。

 

 しかし社食が無料で配られる企業などそうそうあるわけもなく、俺の勤めていた会社も社食こそあったがもちろん有料。ブラック過ぎて社食を利用する優雅な時間を持っている社員も多いわけじゃなかったので、どのように運営されていたかさえ朧気にしか覚えていない。

 

「基本的には自分で用意して、持ち場で、という者が多かったぞ。入れ替わりの激しいところだったが、皆余裕など無いものだから持ち場を離れられずな。情けない話だが」

 

 自嘲気味な俺の言葉に、あきつ丸はぶんぶんと大袈裟なくらいに首を横に振った。

 

「な、ななな、情けないなど! 何をおっしゃいますか少佐殿! そうでありましたか……そこまで……」

 

 あっ、これちょっと評価下げちゃったやつだ。無能でごめん。でも仕事片づけるにはそれしかなかったんだよ。

 一度失墜した威厳などあってないようなものだが、形だけでもと俺はいらぬ虚勢をはるのだった。

 

「仕事はこなしていたぞ? 最初こそ失敗もあったが、言われたことは必ず完遂してきた。どれだけ無謀な量を押し付けられてもな」

 

「おっ、ぉぉ……提督がいたところって、そんなに激戦区だったの……?」

 

 川内の言葉に深く頷き、死屍累々だった職場を思い出して目を細める。

 仕事を片付けたと思えば何故か増えている、現代の地獄だった。ああいう企業がごまんと転がっているにもかかわらず世間は平和そのものだったのだから、この世界よりはもしかしたらマシだったのかもしれない。

 

「日が昇って仕事に取り掛かり、日が落ちて横を見れば同僚が倒れて眠っている、なんて日常茶飯事だった。私を含む全員、限界を超えて仕事をしていたから当然と言えば当然なんだが……そうせねばならん理由があったのだから、全面的に誰が悪い、とは言えんが」

 

「それはそうだろうけどさぁ……! それでも……!」

 

 何故か声を荒げた川内に驚き、そちらを見やる。

 

「逃げたら、良かったじゃん……そうしたら――!」

 

「それはダメだ」

 

「っ……」

 

 川内が言うように、職場からバックレたらどれだけ楽なことか。しかし社会人の端くれとして正規の手続きは踏まねばならない。後任となる者にも面倒をかけてしまうし、気にするなと言われても同じような被害者を増やしてしまう罪悪に比べれば多少の手順など天秤にかけるまでもない。

 確かに上司はクソみたいな奴ではあったが、働かねば金は入らないし、生きていけないのも事実。そしてその上司だってそうしなければ金が入らないからこそやっていたのだ。珈琲をぶっかけてきたりしたのは完全に私怨だったろうが、それはこの際許してやろう。もう仕事辞めたしな。

 

「そうせねばならん理由があったのだ。割を食うのは確かに気に食わんが、それが私である限り問題は無い。それにな……誰だって何かを守っているのだ」

 

「何かを、でありますか」

 

「そう、何かを、だ」

 

 なんとなしにあきつ丸の頭を、軍帽の上からぽすぽすと撫でる。

 上司はああすることでプライドを守っていたのかもしれないし、家族を守っていたのかもしれない。業績や会社そのものだった可能性も大いにある。俺だって、同僚だって同じく生活を守っていた。そこに横たわる問題は守るべき生活が侵されているという本末転倒なものだったが……うーん、ブラック。

 

「――それが一体どういうものか、などと考えるまでもないだろう。生活を守り、命を守るために仕事をするのだ。それが本末転倒なことになっているのは否めないが、それでも仕事をすることで救えるものがあるのだから、動くしかあるまい。っふふ、つらいものだ」

 

「……提督は、強いね」

 

 川内の小さな声。遠くに聞こえる波の音に紛れるような呟きだった。

 

「そんな事は無い。私が出来たのだから誰にでも出来る。だが、すべきでは無い。それだけのことだ」

 

 労働基準法を守って清く正しく心地よく働きましょう。まもるとのやくそくだ!

 こんなことは口が裂けても大淀には言えないので、八つ当たりではないが川内やあきつ丸にはこれでもかというくらいに聞かせておこう。もしかすると心変わりして味方してくれるかもしれない。

 

 無能の元社畜とバレてることは明らかとは言え、あまりあからさまなことは避けるべきかと、俺は二人に釘を刺す。問うに落ちず語るに落ちるを体現してしまっては元も子もない。すでに遅い気もしないことも無いが、そこは、な? 

 

「話し過ぎたな。今の話は胸に秘めておいてくれると嬉しいのだが」

 

「は、っは! それは、もちろんであります!」

「……うん」

 

 うーん、この有能っぷりよ。俺とは雲泥の差である。

 大淀に報告するかもしれないという疑いもあるというのにすぐに二人を信頼するあたり、俺もチョロいのかもしれない。仕方ないじゃん、可愛いんだから。

 

「さて……」

 

 話し込んでいる内に目的ではなかったが呉鎮守府の近くまでやってきた俺達は、正門へ向かって歩を進める。

 すると、そこに知らない人物が立っていた。艦娘ではない。

 

「止まれ。どこの所属だ」

 

 恰好を見るに白い軍服じゃないので提督というわけでもなさそうなその人物は、俺を上から下までじろじろと見る。

 どこかで見たような制服だとしばし考えた時、はっと気づいた。憲兵じゃん、と。

 

「柱島鎮守府の海原だ。視察に来たのだが」

 

「視察ぅ? そんな話は聞いていない」

 

 しっし、と犬でも払うかのように手を振られてしまった。

 これはどうしたものかと正門で突っ立ったままで向こう側を見てみれば、知っている姿があったもので思わず大声で呼び止める。もちろん、ちゃんと威厳スイッチはオンです。

 

「おい! 松岡!」

 

 ゴリッゴリ体育会系の山元大佐を容易くふんじばった憲兵隊の男である。

 八つ当たりで怒鳴り散らしちゃった手前、多少フレンドリーに接してさらりと謝ってしまおうなんて考えてはいない。なあなあで済まそうなんて思ってもいない。本当だぞ。

 

「なっ!? 貴様、隊長になんたる――」

 

 正門に立っていた男が俺につかつかと歩み寄ってくるも、数歩手前で松岡の「やめんか馬鹿者」という低い声に動きを止めた。

 

「隊長……! この者は鎮守府に無断で侵入しようと!」

 

 してねえよ! 止まれって言われて止まっただろうが!

 

 松岡は正門までやってくると、俺の後ろを見てぎょっとした顔をしながら、

 

「申し訳ない、来訪が多く連日対応に追われているんだ」

 

 と言った。仕方ないよ、突然来たんだもの。

 あきつ丸たちに振り返れば、二人はすっと姿勢を正して俺を見る。

 そうだね、形だけとは言え仕事はしろってことだね。はい。頑張ります。

 ……具体的に何をすればいいんだ。なんて口には出さずに、視察なんだから適当に見回って帰ればいいかと松岡に事情を説明する。

 

「いいや、こちらも突然の訪問だったのでな。山元大佐は元気か?」

 

 そういや山元大佐ってどうなったの? 完璧な切り口……社畜のコミュ力、ゼロでは無かった……!

 最近天気悪いっすねぇ、と喫煙所かそこらで話すような低レベルさではあるが。

 

「――やはりそれか」

 

「うん?」

 

 やはりって何? そんな低レベルな話すんなってことか?

 それとも、仕事の話とはいえ部署が違うんだから首を突っ込むなという事か?

 どちらにせよ俺には関係の無い話だが。(大あり)

 

 俺はこの後に堂々とサボるために仕事をしたという口実が欲しいだけなのだ。

 

 サボるために仕事をする……? いや、仕事をしてサボる……うん?

 

 自分で何をやっているのか分からなくなりつつ、あきつ丸達がいる手前大淀に最悪の報告をされないためにと松岡に話を合わせる。

 

「そ、そうだ。そのことで話を聞こうと思ったが、大体は分かった。とりあえず視察を――」

 

「大体は分かった……!? っふ、ふはは……海原少佐、お前というやつは……まあいい、提督代理に会いに来たのだろう? 案内しよう」

 

「う……うむ」

 

 やっべぇ……これ松岡にも怒られるかもしれない……適当吹かしてすみません……。

 通りすがりに俺を止めた男に「忙しいのに、すまなかったな。今日は日差しが強い。倒れないように」と声を掛けておいた。ご機嫌伺いも社畜の仕事です。

 

 一度しか通ったことのない呉鎮守府内の廊下を歩きながら、松岡が口を開いた。

 話す内容は、山元大佐のその後の話だった。

 

「山元は降格処分で何とか踏みとどまっている状態だ。海軍の元帥閣下が反対派から差し向けられるであろう口封じも通さないようにと、手元に置いているらしい。一応、形式的に軍事刑務所での収容となっているが……言うまでも無く二次の戦時体制に近い今、海も陸も睨み合いの形をとる他ないからな。前線に立っている鎮守府など海原少佐を含めても片手で足りる惨状さ」

 

 降格処分かぁ……。

 街から色々とかっぱらっていたことから考えるに破格の温情だが、差し向けられる口封じというのは何のことだろうか。もしや山元大佐は別の人物から命令されて横暴な運営をしていたとか? うーん。

 反対派というのは艦娘を虐げている奴らを指しているのも理解できるのだが、前線に立っている鎮守府が俺を含む数か所しか無いとかいうのは分からん。サボってるの? じゃあ俺もそのうちに入らないはずだけど……。

 

 だめだ分からん。俺が知っているのは艦娘のことだけなんだ。すまんな。

 

「そうか」

 

「そうか、って……海原少佐、次の手は考えていないのか?」

 

「えっ!? あ、あぁ! 次の手な! 次の手、う、うむ、もちろんだが!?」

 

「……っふ」

 

 慌てて返答したのがおかしかったのか、松岡は肩を震わせながら笑って言った。

 

「お前ならばもしかしたら、と思っていたが……なるほど、山元大佐が覚悟を決めるわけだ」

 

「覚悟を決めるなど、大袈裟な」

 

 覚悟を決めるもくそも、そんなことはどうでもいいから早く戻ってきて俺の仕事を手伝えと言いたい。

 

「大袈裟と来たか。山元大佐が言っていたことも、あながち、どころの話ではないな。だが海原少佐、一つ約束を」

 

「う、うむ? 約束?」

 

 提督室、とプレートのある扉の前までやってきた俺達に振り返った松岡は、扉をノックしようとする恰好のままでニヤリとした。

 

「あの一件で海原少佐の事は信用している、が、あまり事を進め過ぎないで欲しい。我々憲兵隊も徐々にだが動き出している。俺もその一人だ。分かるだろう?」

 

 その、分かるだろう? ってやめろ! 分かんねえから!

 何なんだ一体! 仕事しろって言ったり仕事進め過ぎるなって言ったり! 俺は社畜じゃ……社畜だったわ。

 

 だが、仕事のペースに関してケチをつけられるほどに落ちぶれたつもりは無い。それに今回はただの視察。進め過ぎることなどひとつも無い! 鎮守府散歩して後はサボるだけなんだもの。

 

「約束するまでもない。私は私が必要たる仕事をするだけだ」

 

「っくく……そうか。振り回される身にもなって欲しいものだが、まあ、いい」

 

 振り回してるのお前だが? と本気で言いかけるも、その前に松岡が扉をノックした。

 ごんごん、と重たい音の後に、向こう側からくぐもった声で「どうぞ」と返ってくる。

 松岡が扉を開いて先に入室し、俺やあきつ丸はその後ろについて入室する。

 

「柱島泊地より海原鎮少佐が視察をしたいとのこと。清水中佐にご挨拶を、と」

 

 山元大佐が座っていた椅子に腰かけていたのは、これまた筋骨隆々の体育会系の男だった。呉鎮守府は体育会しか就職できないのか? などとくだらない考えが浮かぶも、きちんと挨拶をせねばと頭を下げようとしたのだが、山元大佐の一件があったからか、俺の身体は自分でも驚くほどにスムーズな動きで応接用ソファへと歩み寄り、どかっと腰を下ろしてしまう。

 失礼無礼を通り越して、完全に頭がおかしい奴である。

 早く仕事を終わらせねばサボれないという欲望と、大淀に怒られないように仕事をしっかりこなさねばという二つの心がせめぎあった結果だった。頭の中は真っ白で、言い訳がましくも仕事をしに来たから早くしようぜ、と口が動く。

 

「柱島泊地の海原だ。よろしく頼む。早速だが呉鎮守府の視察を行いたくここに来た次第だ。構わんな?」

 

「……う、海原と言ったか。元帥閣下の片腕か知らんが、俺はその元帥閣下から仰せつかってこの呉鎮守府を任せられている上に、お前よりも――!」

 

「元帥閣下? 何故それが今出てくる。私は、この呉鎮守府を、視察したいと言っているのだが」

 

「っ……松岡! 貴様、このような者をどうして通した!」

 

 いかん、俺の奇行のせいで松岡が怒られてしまった!

 ごめん松岡……と謝罪すべくそちらへ顔を向けると、松岡はこらえきれない、という風に下を向いて笑っていた。

 俺は謝るのをやめた。俺だってとんでもないことをしてしまったという自覚があるというのに、追撃が如く馬鹿にしやがって! くそ!

 

「っく、くく……! いや失礼。海原少佐とは面識がありまして、自分の勝手な判断でありました。問題がありましたらお帰りいただきましょうか?」

 

「っちぃ。おい、海原とやら! この鎮守府で少しでも変な真似をしてみろ……元帥閣下に代わり俺が直々に手を下してやる」

 

 変な真似と言われたら既にしている気がしないことも無いが……どうやら視察はさせてくれるらしい。

 俺はさらに怒られてしまわないようにと座ったばかりのソファから立ち上がり、ずっと小脇に抱えていた軍帽を被ってお礼を言っておく。

 

「心配しなくとも仕事をしたら帰る。手間をかけるな」

 

「……ふん。松岡、お前もだ。人員の補充があり次第すぐにでも憲兵には引いてもらうから、無駄な仕事を増やしてくれるな」

 

「っは。では、海原少佐、案内を」

 

「うん? 清水中佐が案内をするのではないのか?」

 

 後任とは言えここの責任者は清水中佐なのだから、関係の無い憲兵の松岡が案内するのはおかしいじゃないか。っていうかナチュラルにここまで連れてきてもらったが何でお前がここにいるんだよ、と今更すぎるツッコミが喉に引っかかる。

 

「っ~~~! 海原ァッ! 貴様、分かっていながら俺に恥を――!」

 

 ガタン、と音を立てながら荒々しくこちらにやってこようとした清水中佐に固まる俺。すかさず間に入る松岡。なんだこの汗臭い地獄のトライアングルは。

 

「落ち着いていただきたい。海原少佐も、言葉が過ぎる」

 

 松岡が困ったように言うものだから、俺も困った顔をしてしまう。

 

「……そうか」

 

 とりあえず謝っとけ精神で「すまんな清水中佐」と言って、俺はあきつ丸達を連れて部屋を後にした。

 

 

* * *

 

 

「細部までは聞き及んでないが、元帥閣下より秘密裡に事は伺っている。陸軍大臣とも話を進めているそうだ。海原がどこまで考えているかは知らんが、早々に解決できる話では無いぞ。まったく……お陰で俺もお前と共同と見られて前線指揮だ。だが、平和のためには必要であるとは承知しているつもりだ」

 

 前に来た時とほとんど変わっていない呉鎮守府内を歩きながら、松岡の話をぼーっと聞いていた俺は、大臣だの元帥閣下だのが進めている仕事になんら興味を持てず。強いて言えば井之上さんの仕事が増えたのはもしかしなくとも俺のせいなので、そこだけは何か手伝える事はないかと道すがらに問うた。

 

「上の話は上で解決してもらいたいところだ。井之上さんから仕事を振られたら尽力するつもりだが、私にできそうなことはあるか?」

 

 無いなら呉鎮守府の艦娘たちときゃっきゃうふふと遊んで帰るけど。

 

「山元大佐の件が皮切りになったんだぞ? 十二分だろう」

 

 これ以上仕事を増やすなって事だろうか。そう言えば井之上さんも仕事が増えたわいって電話で言ってた気がすると思い出してしょんぼりしてしまう。ごめんね井之上さん。

 

「う、うむ……だが何かあれば私にも頼む。少しでも働かねばならん」

 

「海原少佐……」

 

 松岡は俺を見て何故か眉をひそめた後、小さな溜息を吐いて「お前の事は好かん……」と言った。後半はあまりに小さくて聞き取れなかったが、文句を言っていたのは間違いないだろう。

 そんな堂々と言わないで欲しい。社畜だって傷つくのだ。

 

「話を戻すが――今、呉や宇品を範囲とする憲兵隊は一時的に元帥閣下の指示のもとにある。長年目を背けてきたが、我々憲兵隊にもツケが回ってきたというやつだな」

 

 松岡が話す内容は、今まで無能は切り捨ててきたが、井之上さんの指示があって仕方がなく俺を見てやってるという、そういう……? うーん、ここまで無能認定されると悲しみを通り越してきた。

 それでも俺を見捨てずにサポートしてくれている井之上さんは仏か何かか? 艦娘を癒せという仕事を振ってきた本人ではあるものの、衣食住には困らないし、大淀や長門といった頼もしい監視役……じゃなかった、秘書艦もいてくれたりと至れり尽くせりで言う事無しじゃないか。

 

 激務であることを除けば。

 

 しかしながら違う部署の松岡さえも巻き込む事態なのはいただけない。

 無能は切り捨てられるべきとまではいかずとも、適材適所、仕事に向かない者を無理矢理にこき使う事をしないという考えに他ならない言葉を紡いだ松岡には同情を禁じ得ない。

 

「そう言ってくれるな。悲しくなるだろう」

 

「っはは、海原少佐に言われては世話無いな」

 

「何を馬鹿な。場所は違えど私もお前も軍人だ、微力ながら必ずや成果を出すから、手伝わせてくれ」

 

「手伝う、って、海原少佐……ま、まさかとは思うが、憲兵隊にも――」

 

 うん? 話がかみ合ってないっぽい? と俺の心の夕立が首を傾げたその時、今まで黙っていたあきつ丸と川内が口を開いた。

 

「そのために来たのであります、松岡隊長。でなければ自分は来ておりません」

 

 驚いて目を見開きあきつ丸を見る俺。

 

「少佐殿、後の事は自分と川内殿で」

 

 まさか、大淀……俺が仕事出来ないだろうことを分かった上で監視を付け、その上であきつ丸達に仕事を振って……。

 

「提督はここの子達の様子見、でしょ? ほら、行った行った! 私らで話つけとくからさ!」

 

 しかも川内には艦娘と遊びたいという邪な心すらも見抜かれている!?

 公認でサボれと……? いや待て海原、考えろ。これも罠かもしれない。

 そう、これはかまをかけているだけで、実は――

 

「少佐殿の散策、必ずや成功させましょう」

 

 ――完全にバレてら。その上で仕方がないからちょっとくらい遊んで来いって言われてるんだこれ。

 思いっきり艦娘の手のひらの上である。あきつ丸お前、有能過ぎないか……。

 

「では、お言葉に甘えよう」

 

 でも文字通り甘えちゃう。ごめんねダメ提督で。許してね。

 この後いっぱい仕事頑張るから、ごめんね。ほんと、ごめんね……。

 

 この後数時間のサボタージュ、などという夢が崩れた今、俺はあきつ丸達が許したほんの短い時間の解放を心ゆくまで堪能せんと軍帽を深く被りなおし、松岡に片手を振って「何かあればあきつ丸達に頼むぞ」と全てを押し付けた上で逃げ――あ、いや、散策……うーん、ダメだ言い訳出来ない。

 

 ほんっとうに、申し訳ありません……。

 俺は革靴の重たい音を鳴らしながら歩き始めた。まず目指すは那珂がいたあの軽巡寮だ。

 

 

 

 

 

「さて……ここにはどんな子がいるか……!」

 

 心躍らせて、申し訳ありません……。



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三十七話 威儀 【艦娘side・川内】

 まだ頬が熱を帯びている気がする。

 呉鎮守府に到着してからは任務に集中しなければと何度も胸中で意識を立て直そうとするも、私の中で燻るような火は消えてくれなかった。

 

 あんなことするんじゃなかった……ちょっと揶揄ってみようなんて気持ちで提督の腕に縋るなんて大胆な事……。

 

 しかし彼は私を拒否するでもなく、ましてや引き寄せるように腕を動かしてくれた。

 提督の事だからもしかすると私の子どもじみた悪戯に気づいていたのかもしれないし、仕返しに揶揄われたのかもしれない。嫌な気はしなかった、けれど。

 

 ダメダメ、任務よ、私。

 

 去り行く提督の後ろ姿を見て、ふう、と短く息を吐き出した後、憲兵隊の松岡隊長に声を掛ける。

 私の意識は松岡隊長に向けられているようで、その実、提督が歩き去っていた先にほんの少し引っ張られていた。

 

「提督は全部知った上でここに来てるんだろうけど、松岡隊長はどこまで知ってるわけ?」

 

「……川内と言ったか。海原少佐の部下は不躾だな」

 

 嫌味では無く純粋に気になったような様子で言った松岡隊長に対して、何故提督以外に頭を下げ丁寧に接しなければならないのかと不可思議に思ってきょとんとしてしまった私。

 私の横にいたあきつ丸が下顎に手を添えてうむむと唸る。

 

「それにつきましては自分らに礼儀を期待するだけ無駄かと。自分も川内殿も少佐殿をお守りすることを前提に行動しておりますゆえ。まぁ……少佐殿は守る必要も無いのでありましょうが」

 

「この俺程度に気遣う必要も無いと?」

 

「いえいえ! 何を仰いますか! ――松岡隊長以外にも気遣う必要が無いと言っているのでありますよ。無駄話で時間を引き延ばすのも魅力的でありますがぁ……なにぶん、我々も任務を遂行せねばなりませんので、どうかご理解を」

 

 あきつ丸の口振りに、なるほど、そういう方向で行くわけねと納得しつつ私は胸を反らし頭の後ろで手を組んで見せる。良くある手口、という言い方は褒められないかもしれないが、良い警官と悪い警官というやつだ。この場合は、どちらも『悪い警官』もとい、『悪い艦娘』になってしまいそうだが。それも仕方がない。

 私達はたった二人であれど提督から直々に任命された部隊なのだ。どのような手段を使っても任務を完遂しなければならない――提督が話してくれた、()()()()()()のように。

 

 そんな私達《艦娘保全部隊、暁》に必要な要素は五つ。

 観察、分析、記憶、思考、そして――武力。

 

 鎮守府の運営の中にありながらも独立部隊として行動を許された特異な存在たる私やあきつ丸は、日夜、艦娘の為に演習や遠征といった通常任務と並行して働いている。

 随分と動く時間が多いと一度ぼやいた事があったが、真夜中にもかかわらず明かりが灯ったままの提督室を外から見た瞬間、不平不満は吹き飛んでしまった。私達の為に寝る間も惜しんで働いているのだと分かってからは全力をもって事にあたるようになった。

 

 そうして、あきつ丸と共にとある艦娘の思い出の品を探しに鎮守府を留守にしていた数時間の間に集まった情報を頭の中で整理する。

 

 私は考えた。

 提督が柱島に来てから何故唐突に柱島鎮守府の運営より先に呉鎮守府を叩いたのか。その理由を求めるのは自然な流れだった。あきつ丸が私の所へ顔を出し、随伴艦に選んでくれた時の事も、もしかしなくとも提督は織り込み済みで、途方もない計画の一端としているのだろう。私やあきつ丸は、その突起にやっと一本だけ指を掛けられている。私達の思考力を超えているであろう大淀でさえ、きっと片手がやっと届いている程度……提督がいるのは、そのもっともっと上だ。

 

「よく躾けられた艦娘で安心だ。では、俺も遠慮なく言わせてもらおうか。ここに、お前たちの味方など――」

 

 私は松岡隊長の言葉を遮り、

 

「いない。でしょ? んな事分かってるっての。それより提督に選ばれたことを喜んだ方がいいんじゃない? 松岡・た・い・ちょ・う」

 

 ふふん、と鼻で笑って見せる。すると、あきつ丸も同調してくつくつと喉を鳴らした。

 

「選ばれたとは、そのままの意味か」

 

「えぇ、お考えの通りで受け取っていただければ。改めて互いの内情を把握する良い機会でもあります。自分の認識が正しければ元帥閣下は海軍内での全ての動きを把握しきれておりません。これは不敬などでは無く、事実としてであります」

 

 陸海軍は連携して日本という国を守っているように見えて、実際のところ連携はボロボロである。

 陸軍は陸軍で深海棲艦の襲撃によって被災してしまった国民の復興支援に携わっており、憲兵隊は海軍への人的支援でもある――とされているが、それは表向きの理由だ。

 

 深海棲艦への唯一の対抗手段である私達艦娘の殆どは海軍所属であるため、国からの支援は手厚い。陸軍所属の数少ない艦娘であるあきつ丸や、ある潜水艦を交渉材料にその支援の一部を陸軍へ持ってきているのが実情である。

 艦娘の管理には何かと物がいる。人と同じように食事や睡眠、入浴を行わせればそれだけ支出が発生するため、陸軍はあきつ丸を放り出したのだが……陸軍から出向という形をとっているために支援金などの一部は未だ陸軍に流れている。それは元帥も承知しているらしい。

 

 海軍元帥は現実を理解しているだろうが、表面的なものだけではなく、もっと深く――戦場の最前線で起きていることを詳しくは知らないだろう。多くの艦娘が傷つきながらも戦っているというひとかけらを知っているだけに過ぎず、深淵に潜む悪意には気づいていない。

 

「……続けろ」

 

 あきつ丸は松岡隊長から私へ一瞬だけ顔を向けた後、目だけで頷き話を続けた。

 

「艦娘反対派の動きから察するに、我々をただの兵器として扱い虐げているだけと考えるのは早計であったと言わざるを得なかったであります。まず一つ、自分と川内殿は我が同胞たる柱島鎮守府のある軽空母が大切にしていたという物品を奪――返却していただきました。松岡隊長が存じ上げているか分かりかねますが……佐伯湾はご存じで?」

 

「佐伯? それは、まぁ、知っているが……」

 

「では、佐伯湾泊地としていくらかの艦娘を抱えた機関が存在することも、ご存じでありますね?」

 

「それくらい把握している。何が言いたい」

 

「……では、松岡隊長は陸軍憲兵の一隊長として佐伯湾泊地、ないし西日本での海軍の動きは理解しておられる、と」

 

「当然だ。呉鎮守府がひた隠ししていた悪事に憲兵が絡んでいた事に関して気づかなかった無能さは認めよう。だが背後から刺されるような……それも軍内部、局所的に憲兵隊が噛んでいたなど関知しようも無かった。山元は呉のみならず広島を大きく囲っていたのだぞ」

 

「いいえ、『佐伯湾泊地も』であります」

 

「は……?」

 

 ぽかんと口を半開きにしてあきつ丸と私を見る松岡隊長。

 あきつ丸に代わり、私は観察し、記憶し、分析した現実を突きつける。

 

「――……ある軽空母が大事にしてたのは佐伯湾泊地にある小規模鎮守府の提督から贈られたもので、彼女は元々そこの所属。異動の命令を出したのは――」

 

 軽空母――鳳翔。

 彼女は深海棲艦が出現したと同時期に現れた初期型であることに加え、戦闘において多くの知識を持つ特殊な艦娘である。空母としての技量はさることながら、彼女と共に出撃した妖精は瞬く間に精鋭に鍛え上げられたという。

 しかしながら、妖精を見ることさえ減り、彼女の活躍の場は少なくなった。

 

 喜ばしいことだ。艦娘が活躍しなくなるというのは平和に近づいたということなのだから。

 

 ()()()()()

 

 妖精を見る機会が減ったということは、提督としての素質を持つ者が減ったということでもあり、艦娘すらも妖精を見ることが減ったというのに深海棲艦が健在し戦争が終わっていないのは敗北が確実に近づいているということ。

 

 戦争を続ける戦力がありながらも、ほんの一部から出た私利私欲が全てを狂わせているのである。

 

 艦娘を兵器として扱い、あまつさえストレス発散に使う者がいる。

 中には簡単に死なない事を理由に検査と称して艦娘に拷問じみた実験を行う者も、慰み者にする者も。

 

「その佐伯湾にいる提督では無いのか」

 

 松岡隊長は苛立ちを抑えるように目頭を指で押し込みながら言うも、自分の発言に気づいてはっとしながら声を洩らした。

 

「あ、いや……ありえんな……佐伯湾泊地は深海棲艦の襲撃があったと……それも対応の遅れにより提督が犠牲に……」

 

「そ。じゃあ、命令を出す人は空いた椅子に座った人ってことになるよねぇ」

 

 私の声に、すぐさま松岡隊長の声が重なる。

 

「ならばすぐにでも対応が――」

 

 松岡の言葉をあきつ丸が「そこであります」と遮り、

 

「あそこは他方へ指示できる機関が密集している要塞とも呼べる立地でありますよ? 岩川、鹿屋、島を回れば佐世保でも一時的に指示系統を維持する事は可能であったかと自分と川内殿は考えております。しかし、そのどれもが襲撃に対応しきれなかった……おかしくはありませんか? 新たに提督が据えられた佐伯湾は、何事も無かったかのように運営が再開されているのが現実であります」

 

「う、む……」

 

 問いかけるように言葉を紡ぐあきつ丸に引き込まれるように表情を強張らせていく松岡隊長。やはり対人は私よりもあきつ丸の方が得意か。

 あえて口を挟むことをやめ、私は事の成り行きを見守ることに徹した。きっとあきつ丸ならば私よりもはるかに分かりやすく説明するであろう。

 それに今回、私が必要とされる場面はもう少し先になる。

 

「松岡隊長。貴官が伺ったという状況をお教えいただけますかな」

 

「い、いや、それは出来ん。勘弁してくれ。これでも憲兵隊を預かる身なんだ。畑は違えど海軍元帥の手を噛む真似はしたくない」

 

「これ以上の傷は互いの為にならない、と」

 

「そう受け取りたいなら、それでも構わん。海原少佐も含め決して海軍と反目しあいたいわけでは無い。軍規を守る事こそ自他を守る事に直結するのだ。故に俺は――」

 

「部下を守りたいが故に、自らの傷はこれ以上増やせないと、そう言いたいのでありましょう?」

 

「っ……」

 

 松岡隊長が言葉に詰まり、下を向く。

 これではただあきつ丸が隊長をいじめに来たようにしか見えないじゃないか、と白々しくため息を吐き出してあきつ丸を見れば、彼女は私をちらりと見て「わかっているであります」と零した。

 

「松岡隊長、自分らは憲兵隊自体をどうこうしようと考えているわけではありません。事実を事実として理解し、軍規に則りあるべき姿に戻っていただきたいだけなのであります。その過程にこそ少佐殿の成す目的があるわけでありまして」

 

「――そちらの目的をお聞かせ願おう。判断はそれから……これが最大限の譲歩だ」

 

 あきつ丸はその言葉に満足気に頷いた。

 

「結構。少佐殿が成したい目的は三つ、『不当に扱われている艦娘の保護』、『未だ残っている不正の摘発』――『深海棲艦を見逃して鎮守府を襲わせた者の特定』であります」

 

「なっ……――!?」

 

 

* * *

 

 

 あきつ丸の言葉に驚愕し、聞いた瞬間に周囲を見た松岡隊長は、私達を憲兵隊の詰め所となっているらしい仮設の小屋へ案内した。

 中に足を踏み入れると、そこには無機質な書類やら泊まり込みするためのせんべい布団などが雑多に置いてあるだけで、整理されている様子は無かった。山元大佐の摘発から数日経った今も対応に追われているのが見て分かる。

 

 座布団も無く、板張りの床の上に三人で座ってから漸く会話の続きとなるのだった。

 

「し、深海棲艦を見逃した者がいるだと!? そんなもの、軍法会議どころの騒ぎでは無い……国家への反逆だぞ!」

 

「国家? 人類の間違いでしょ?」

 

 私の声に松岡隊長は「そういう事ではなくだな!」とがなり立てた。

 あきつ丸が両手を振って落ち着かせるように声を落とす。

 

「ご安心を。自分の見立てでは少なくとも憲兵隊や陸の者だけ、ではありません。少佐殿が動いているということは海軍にありと言っているに他ならず、山元大佐に抱きこまれていたよりも大規模に憲兵に手が入っているという事でありますよ」

 

「で、では……! いや、待て……続けてくれ……」

 

 きっと頭がパンクしそうになっているのであろう松岡隊長は目を何度も泳がせながら、額に浮かぶ汗を拭いもせずに胡坐をかいている足をもぞもぞと動かした。

 

「少佐殿はとある軽空母と話すまでに数日を空けておりました。その間、自分らは所属艦娘達を独自に調べ、件の品を返還してもらい、襲撃のあった記録にも目を通したのであります」

 

「何故、それを俺に」

 

「話した理由でありますか? うーん、一つは分かりやすく憲兵に行きつくため、もう一つは少佐殿の作戦である、としか。少佐殿のお考えでは諸々あるのでしょうが、自分らは自分らの仕事をするために来ているわけでありますから」

 

「仕事、だと……? 艦娘の仕事は深海棲艦を――」

 

「それらを成す艦隊は鎮守府に待機しております。自分らは艦娘自体を保全するための部隊でありますよ」

 

「それは……俺に聞かせて不利になるなどとは考えていない顔だな。陸にも海にも反対派が跋扈していると知っていて、外部の俺に馬鹿正直に話すなど」

 

「不利? おかしな事を仰いますな、松岡隊長」

 

 あきつ丸は正座のまま無防備に両腕を広げて見せる。

 ただの人間で、提督でも無い松岡隊長が――どうして私達に優位を示そうというのか、と言わんばかりに。

 

「松岡隊長が持てる全てで攻撃を加えようが、自分らが傷つく事はありません。万が一でも自分や川内殿を屈服させようなどと考えているならば、とてもとても……。そのお腰に携えたモノで自分を撃ってみるのも一興かもしれませんな?」

 

「……っ」

 

「誤解なさらず。我々は艦娘と少佐殿を守るための部隊であります」

 

 脅迫に聞こえようが、攻撃の意思こそ無い私達は抵抗の素振りも見せなかった。

 提督と関わり、ほんの少しでも考えに触れたこの人ならばとある種の『信頼』をしているのだと伝えたかった。

 

 聞きたい事があればなんだって答えるよ、と私が言えば、あきつ丸も頷いて松岡隊長を見る。

 

 松岡隊長はと言えば、それが真実か否かを見極めかねているようだった。

 

「お前の……あきつ丸の話は知っている。陸から追い出された役立たずだのと好き勝手言われていることも、お前に代わり陸軍に残っている『まるゆ』が支援物資の運搬に運用されていることも。情けないが、憲兵隊から出た不祥事のみならず、俺があずかり知らないところで不正が行われているのであろうことも……し、しかしだ。それがどうして俺に話す理由になる? 憲兵隊に残る不正の調査には既に乗り出している。山元大佐が噛んでいた件が皮切りになってな。だが陸は陸、海は海で場をあてられている。お前達がしようと言うのは――」

 

「えぇ。憲兵隊にも手を入れることになりましょうな」

 

「っ……それは越権行為と言わざるを得ないぞ!」

 

 自分の膝をばしんと叩いて大声を上げた松岡隊長に対して、あきつ丸は軍帽をするりと脱いで髪を片耳にかけたあとに腕組みをして言った。

 

「それについては、少佐殿が元々大将閣下であったことが所以であるとしか……大将閣下であれば陸の将校殿とも話すことが多かったでありましょうから、昔の感覚で動いているのやもしれません」

 

「そんな単純な……!? ば、馬鹿なことを言うな! 俺とて海原少佐が山元大佐に慈悲をかけ死罪を免れさせた奇跡を知っている。元帥閣下もそれを了承した故に反対派の動向を詳しく探るための道具として甘んじろと言いながらも海軍に籍を残したままにしたと。海原少佐も聞いているのだろうが、元帥閣下は止めなかったのか!」

 

 もっともな言い分にあきつ丸は首を横に振って苦笑してみせた。

 

「元帥閣下は止めるでしょうな。聞いていれば」

 

「そうだろう! ならば何故――」

 

「聞いていないからであります。少佐殿は、自らの意志で動いておられるのです」

 

「は……?」

 

 苛立たし気に額をこつこつ叩いていた松岡隊長の右手が、脱力してぽすんと足に落ちる。

 

「それは、なんっ……ま、待て。じゃあ、あれか? 海原少佐は越権行為であることを理解しながら、元帥閣下に止められるが故に通達も報告もせず、個人で、不正を正すために動き、お前たち艦娘を救わんと動いている、と……? 憲兵の不正をも正そうと? 戦争をしながら?」

 

「はい。提督の仕事は我々艦娘を癒し、支えることであると自分で仰っておりましたから。しかし同時に、松岡隊長にも仰っておられたでしょう? 『場所は違えど私もお前も軍人だ、微力ながら必ずや成果を出すから、手伝わせてくれ』と。言葉通り、少佐殿は山元大佐の一件で松岡隊長を見て、選んだのであります。隊長を同じ軍人として見ているからこそ。でなければ、正門でわざわざ足を止めなかったでありましょう。隊長の名を呼ぶことも無く、海軍の仕事だから黙っていろと、清水中佐のもとへ行っていたでしょう」

 

「……」

 

 松岡隊長は目を伏せて黙り込んでしまう。私もあきつ丸もそれっきり言葉を発さず、数分、沈黙が場を支配した。

 

 そして――

 

 

「……海軍の元帥閣下より伺っているのは『反対派の鎮静化、並びに戦線の再起』という話だ。大部分は秘匿されたままだが、陸軍の調査によれば南方からこちらへ流れてきている深海棲艦が多くなっているらしい。トラックやパラオといった泊地に駐屯している一部憲兵の調査で分かっているのは、泊地で討ち漏らし北上してしまった深海棲艦の対処を宿毛に依頼しているらしいということだ。支援を送れど戦線はギリギリで、泊地もいつ陥落するか……」

 

 

 ――線が繋がりはじめる。

 

「ほぉ、宿毛湾泊地の受け持ちで……佐世保は動いておられないのですか? 戦力で見れば佐世保が適任かと思われるのですが」

 

 あきつ丸の言葉に松岡隊長は同調して頷いた。

 

「俺も同じ見解だが、しかし名乗り出たのは宿毛湾泊地……航路を見ても四国から直接南下出来る宿毛が対応した方が良いのも事実」

 

 四国の高知県西部にある泊地たる宿毛は外洋に繋がっているため、大規模演習の際の休息場所としても利用されることの多い立地となっている。迎撃にも最適で、九州を回って来ねばならない佐世保や、小さな島々に被害を生みかねない鹿屋や岩川よりも身軽に動けるのは間違い無いだろう。

 宿毛が名乗り出たのならば、鹿屋や岩川は気兼ねなく沖縄やフィリピンに並ぶ島々の防衛にあたることが出来る。

 

 たった一つの事実を知る事で、一歩も二歩も先に進める。

 もっと早くに知っていれば……提督の口から聞いていれば、問題はすぐにでも解決できたのではないかと考えてしまうも、大淀が言っていたように意味があるはずだと心を落ち着ける。

 複雑に見えるものも、一つ一つ分解すれば、単純なものの集まりなのだから。

 

 私の頭の中に浮かんでいる事が伝播したかのように、あきつ丸の口から言葉が紡がれた。

 

「するとおかしな点が一つありますなぁ」

 

「何がおかしい。陸の者とは言え海での兵法は多少心得ているつもりだ。かつての軍艦でなく今のお前たちならば、呉や、それこそ柱島からの援護だって――」

 

「えぇ、えぇ。そうでしょうな。理屈だけで考えたならば呉や柱島の戦力を割いて宿毛に集結させ、臨機応変に迎撃が可能でありましょう。しかし……海軍は瀬戸内の手前まで深海棲艦に攻め入ることを許してしまっているのであります」

 

「なに? そんな報告は――」

 

「当然でありましょう。瀬戸内まで攻め込まれ、鹿屋や岩川ならばいざ知らず、宿毛湾の網の目すら掻い潜った多数の潜水艦隊が柱島鎮守府の『たった一艦隊』が撃沈せしめたなど周知されたらば……睨めっこばかりで戦争なんてそっちのけでありました、と知られることになるのですからなあ。元帥閣下が秘匿しておられる一部は、これかと」

 

「なん、たる……」

 

 松岡隊長の脳内でも話が繋がっているのか、そこからはまるで人が変わったかのように早口でまくし立てた。

 

「鹿屋や岩川は何をしていた!? 深海棲艦が本土に踏み込む直前だったのだろう!? パラオもトラックも討ち漏らしてしまう程の量であったのだろうが、前線たる泊地から来るのだと報告が上がれば大騒ぎしたっておかしくないはずだ!」

 

「知らないから騒がなかったのでありましょう。いや、騒げなかった、という方が正しいですかな。瀬戸内にやってきた潜水艦隊の規模からするに長期の航行を目的としていたようだと艦隊からの報告がありまして、少佐殿はそれを見越していたかのように対潜艦隊を組み一気に撃滅しました。柱島鎮守府の伊号潜水艦隊のように静粛性の高い潜水艦隊ならば見逃してしまった、という理由も頷けますが……」

 

「そ、そうか、それで見逃してしまって――!」

 

「潜水艦隊の他に、軽巡洋艦を擁する偵察と思しき艦隊とも接敵しております。後者に至っては既に柱島の警備範囲内におり、下手をすれば広島や岡山から上陸されていたでありましょうな。四国に上陸しなかったのも幸運と言わざるを得ません。ああ、ご安心を、そちらも撃滅済みでありますので」

 

「……」

 

 松岡隊長は絶句していた。

 その頭の中では、恐ろしい絵図が描かれているに違いない。

 海原鎮という男が一瞬でも遅れて着任していたならば、日本は終わっていたかもしれないという惨憺たる、起こり得た未来が。

 

「戦争に負けるかもしれない、人類は滅びるかもしれない。多くの不安がありましょうが、少佐殿にとって些事でありまして……」

 

 あきつ丸の言葉に、提督なら確かに歯牙にもかけないだろうな、と苦笑しかける私。

 

「おかしな点は、潜水艦隊と偵察艦隊を何故見落としたのか、もしくは見逃したのかという事でありますよ。我々が調査したところによれば、これまでにもいくらかの討ち漏らしが発生しておりますが、全て本土上陸前に撃沈されています。そのための泊地、そのための各所拠点でありますから当然でありますが、どうして今回、このタイミングで柱島鎮守府が出撃せねばならない所まで来ていたのかであります」

 

 ぽつりと、松岡隊長から出たとは思えないか細い声が落ちた。

 

「深海棲艦の襲撃で、失われた提督……もしかして宿毛が……い、いや、だがそれでは宿毛の泊地が何度も深海棲艦を見逃している事になる……」

 

 あきつ丸から得られた情報によって出来上がった絵図の虫食いのような穴にはまり込むピースを探すように目を彷徨わせる松岡隊長。

 提督の目は、間違っていなかった。彼の目に宿る疑惑の色の中に――怒りの色が見えるから。

 

「何者かが、宿毛の泊地と偽り報告を受け取っていた……? パラオもトラックも狭い島……あそこに駐屯している憲兵とて防衛に携わっているはずだが……ま、て……待て……海原少佐は、俺に、なんと言った……?」

 

 ゆらり、と動いた目に答えたのは、私。

 

「手伝わせてくれって言ったんだよ、提督は。同じ軍人なんだからってさ」

 

「憲兵が、事実を偽り……パラオやトラックだけでなく、岩川は鹿屋、宿毛までも……遠方泊地とあらば密となっているであろう連携を逆手に取れば……。失われた提督は、それに気づいた口封じに……しかし何故、深海棲艦は上陸しなかったんだ……」

 

「――四国には、補給用の資源海域がありましたなぁ」

 

 あきつ丸から最後のピースが示される。

 

 その時、松岡隊長の目にある疑惑の色が、完全なる怒りの色に染まった。

 私もあきつ丸も良く知る、平和を目指し、不義を許さぬ怒りの目だ。

 

「っく、くく……そうか……海原は……いいや、()()()()は俺に問うたのだな……」

 

 それから、松岡隊長はすっと立ち上がり、落ち着いた動きで小屋の隅に備えてあった湯飲みを三つ取り出してお茶をいれはじめる。あきつ丸は不思議そうに見ていたが、私には理由が分かった。

 ああしていなければ今にも暴れ出してしまいそうなのだ、彼は。

 

 部下を守るため、仲間を守るためだと自身を欺き続けて何もかもから目を背けていた、かつての私のように。

 

「一服入れて、それから、動くとしよう。っは、今更になって自分を殴り殺してしまいたい衝動に駆られているなど、ちゃんちゃらおかしいな……俺が入隊した頃の理由を、思い出せた。海原閣下には二度と頭が上がらんな……お前たちにも」

 

 お茶をいれた後、私とあきつ丸の前にそっと湯飲みを置いた松岡隊長は、そのままの勢いで頭を下げかけた。

 私はそれを制し、湯飲みをもらい受け、息を吹きかけて冷ましながら言った。

 

「私達は提督の部下だから。そういう事は提督にどうぞ。ま、提督は『なんのことだ?』とか言ってとぼけると思うけど」

 

 提督の不思議がる顔が思い浮かんでしまって笑みがこぼれる。

 あきつ丸も同じような顔が浮かんだ様子で「恰好をつけるのも、男の矜持という奴でありましょう」と笑った。

 

 松岡隊長は私達に頷いてから、するると静かに茶を啜り、噛みしめるように言った。

 

「やはり海原閣下の事は好きになれん――あのお方は、恰好が良すぎる」

 

 今度は私達が、深く頷くのだった。



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三十八話 隔靴【提督side】

「や、だっ……放して……!」

 

「潮! 落ち着いて!」

 

「嫌! もう、嫌ぁ……っ! 返してっ……私達の仲間を返してよぉっ……」

 

 俺の目の前で泣きじゃくる少女。

 綾波型駆逐艦十番艦『潮』は、同じく綾波型の姉妹と呼べる八番艦の『曙』に押さえ込まれながらも首をいやいやと横に振り続ける。

 

「話を聞きなさいな潮! この人は――」

 

「返してッ! 漣ちゃんは、朧ちゃんはどこに行ったの!? 海軍の人なら、提督の貴方なら知ってるんでしょう! 返してよ……私達の、仲間なの!」

 

 呉鎮守府、もう一軒の艦娘寮となっているらしい平屋の軒先で、俺は頬を押さえ立ち尽くしていた。

 ただ可愛い艦娘を見て、適当に話でもして時間を潰し、仕事の事を忘れようとしていただけの俺の眼前にある現実は、あまりにも残酷であった。

 口の中に広がる生ぬるく鉄臭い味が、現実だと思い出させるようだった。

 

「どういう事だ、那珂」

 

 俺の問いに、呉鎮守府所属である那珂は困ったような、同時に悲しそうな顔をしながら潮と曙が取っ組み合う様を見つめて言う。

 

「どうにも、出来ない事だったんだよ……私達は、艦娘だから……」

 

 的を射ているようで答えになっていない言葉に、俺は続けてこう問うた。

 

「これの原因は何だ。山元か? それとも、新しく来た清水という男か?」

 

 那珂は潮達から俺へ視線をやると、俺の両目を交互に見つめるように小刻みに瞳を動かして迷うような素振りを見せた。

 言ってもいいのか。否、言うべきじゃない。そんな逡巡をしているのであろうことは馬鹿な俺にさえ伝わってきた。それほどに、那珂の胸中の不安は表出している。

 

「呉鎮守府の、事だからさ……海原さんも分かるでしょ? ほ、ほら、機密事項、みたいな」

 

「私の問いに答える気は無いのだな」

 

「っ……それよりも、うちの潮ちゃんがごめんなさい。医務室まで、案内するから――」

 

 別に苛立っていたわけでは無い。誰しも答えたくないものの一つや二つを抱えている。俺だってそうだ。だから、ただ単純に答えたくないのならばそれでもいいという意味で手を振って言葉を切った。

 

 どうしてこうなったのか――それは、俺が足取り軽く艦娘寮に来たのが原因で――。

 

 

* * *

 

 

「確かこっちに那珂がいた寮があった気がするんだが……」

 

『まもる、こっちー!』

 

「うぉ!? お前らはいつもいつも突然現れるな! そっちかぁ? って、そっちは前に行った寮とは逆方向じゃ――」

 

『いいから! はやくはやくー!』

 

「っく……羅針盤を持って俺を誘導するとは……プレイヤー心を擽りやがって……!」

 

 あきつ丸達と別れて数分のこと。

 前に来た時に山元大佐に案内されて行った軽巡寮へ足を運んでいた俺は、どこからかふわふわと飛んできた妖精に声を掛けられ、サボるという目的が達されるならばいいかと考えもなくついていく。

 羅針盤を持っている妖精についていく、という行為が海を進む艦娘と同じ感じがして少年心というかわくわくするような冒険心を擽られてしまって、俺は言われるがままだった。

 

 仕事を放り出して遊ぶ解放感ときたらもう、言い表せないほどの快感である。

 あきつ丸達に許可をもらったから憂いも無い。ルンルン気分だ。

 

『まもる、なんで笑ってるの?』

 

 先導する妖精が浮遊したまま振り返り聞く。

 何で笑ってるって、そら楽しいからだよ。仕事しなくていいんだぞ!? この瞬間だけな!

 

「妖精に導かれるというのは初めてでな。心が、こう、なんというか……分かるだろう?」

 

 松岡隊長に分かるだろう? と聞かれた時はブチギレそうになったが、いざ自分が同じことを口にすると何故そう言ったのかが分かる気がした。論理的に説明なんて出来ないが、感覚は一緒だろう。

 そうだね、違うね。すみませんでした。

 

『楽しいの?』

 

「楽しい、か……いや、少し違うな」

 

 楽しいのは間違いないが、ただ楽しいだけでは無い。

 期待感が胸を膨らませ、これから新たな艦娘に会えるかもしれないという興奮がさらに俺の足取りを軽くする。まるで風が背中を押しているようだった。

 妖精が導いてくれていることも相まって、自分が必要とされているような気がするのも要因の一つだったのかもしれない。

 

 一応、あきつ丸の許可が得られてサボってはいるが、名目上は【視察】であることを忘れたわけじゃない。突然現れた妖精も、もしかすると妖精ネットワークみたいなもので柱島にいる大淀から視察のことを受け仕事を遂行させようとしている可能性もあるので、言葉は取り繕う。

 

「嬉しいのだ。こういう場で言うべきではないが……仕事としてでも、艦娘やお前たち妖精に必要とされていると感じられると、嬉しくもなる」

 

『まもる……』

 

 歩きながら自然とポケットに手を突っ込んだ時、指先にころんとした感触を感じて、それを取り出す。

 柱島で妖精にあげていた金平糖だった。

 俺はそれを目の前の妖精へ一つ手渡しながら、歩を進める。

 

「根を詰めすぎるな。仕事はするし、私が出来る事はなんだってする。ほら」

 

 まあ食えよ、と金平糖を手渡すと、妖精はそれを受け取ってぴたりと空中で静止した。

 思わず俺も立ち止まり、きょとんとして妖精を見る。

 

「どうした?」

 

『ぁ……あ、あのねっ! まもる、あのねっ!』

 

 何かを伝えようとしている妖精の姿が、一番初めに出会った妖精であるむつ丸と重なって見えて、ほっこりと微笑んでしまう。

 

「焦らなくてもいい、ゆっくり話せ」

 

 手のひらを上に向けて出せば、妖精はそこにちょこんと着地して金平糖を抱えたままにうーんうーん、と一生懸命に言葉を組み立てた。

 

『助けて欲しいの! うしおちゃん! あ、あとあと、あけぼのちゃんも……みんな! いっぱい!』

 

「助けて欲しいって……それだけじゃ良く分からんが、困っているのか?」

 

『うん! うん! 困ってるの! えーと、えーっと……! 行っちゃったの! あやなみがたの子が! 遠くに……うーん……!』

 

「遠くに行ったって……遠征か? まぁ、遠征なら任務か何かだろうが……」

 

 綾波型と言えば、艦これで最初に選べる艦娘、通称《最初の五人》と呼ばれる中にも含まれている。吹雪型の一番艦と五番艦、吹雪と叢雲。暁型四番艦の電。白露型六番艦の五月雨。そして――綾波型九番艦、漣。

 

 ちなみに俺が最初に選んだのは……まあそれはいいか。

 

 妖精を落ち着かせるようにどうどうと口に出し、ゆっくり話せと促す。

 

『提督じゃない人だった! 提督じゃないの! あの人は違う!』

 

「提督じゃない人? 清水の事か?」

 

『その人も提督じゃないけど……違う人! あの、大きな人じゃない!』

 

「大きな人……」

 

 執務室で一言挨拶を交わした程度でしかない《清水》という男。階級は中佐だったろうか。俺の上司にあたる人物となるが、大きな人じゃない言われて頭を捻ってしまう。

 俺に比べて筋骨隆々。ザ・軍人! という風貌の男だった。前任である山元大佐に至っては清水よりも大きかった気がするし、もっと言えば威圧感が違う。俺が部屋に入って怖気づかなかったのは山元よりも見た目が細いように思えたからだ。それでも俺の事を持ち上げてサバ折り出来そうなレベルのデカさではあるが。

 それに銃を向けてきたりもしなかった。あいつは良い奴だ。多分な。

 

 ならば妖精は一体誰の事を指しているのだろうかと考えてみるも、山元、清水、あとは松岡くらいしか思い浮かばず。

 

「名前は? 清水中佐でもなくて、山元大佐でもないと来たら、あとは松岡くらいしか――」

 

『うーっ……! どっちも違う!』

 

「おっ、おぉう……ごめん……」

 

 上手く伝えられないのが歯痒いようで、妖精は手のひらの上で地団駄を踏む。

 くすぐったいだけだからやめてくれ。マジで場違いに笑いそうになるから。

 

「分かった。分かったから落ち着け、くす――」

 

『あっ! そう! くすのきぃ! まもる、すごい! すごい!』

 

「えっ、あっ、くすのき? 誰だそいつ……そいつがどうしたって?」

 

 案外、しょうもないことで一歩進めてしまうというのは世の常である。偶然とも、奇跡とも呼べる。

 俺の一言が引き金となり、妖精は俺の手のひらに羅針盤をぽんと投げ出すと、ふわりと浮かんで人差し指を引っ張る。

 

『くすのきが! しみずにめーれーしてた! うえにあがりたいなら言うこときけって!』

 

「あー……くすのきって奴が上にあがりたいなら言う事を聞けって? 命令して……それで、綾波型の子が困ってると?」

 

『そう!』

 

「なるほど分からん」

 

『なぁんでぇ!? もぉーっ!』

 

 俺の指を引っ張りながら頬を膨らませて怒る妖精。可愛い。

 ――じゃなかった。妖精の話を聞くに、艦娘にとってあまりよろしくない事が起こっているらしい。

 

 一つ分かるとすれば、相当に切羽詰まっているという事。

 

 仕事が増えすぎたり、予期せぬトラブルが起きたりした時に人は焦って言葉足らずになることがままある。社畜時代にはこれが毎日のように起こっていた。要領を得ない話で簡単な仕事が非常に複雑となって伝わるのだ。

 たった数枚の資料を二部コピーして欲しい、会議に必要だったのに足りなくなってしまった! なんて簡単な仕事さえ、自分が出来ないからと人に頼む際、慌てふためき全く違う仕事となってしまう。

 

『重役会議に必要だった資料を用意していたはずなんだけど、足りなかった! 会議まではあと一時間しかないんだが、先に会議室のセッティングをしておかなければならないから、代わりに資料をコピーしておいてくれ。資料はデスクの上に予備がある』

 

『私も別の仕事で手一杯だから、人に頼もう。あぁ、時間が無いんだった! 君、君、重役会議に必要な資料が足りないらしいから、コピーしておいてくれ! データは机にあるらしい! あと一時間しかないから早く持って行って!』

 

『わかりました! でもこちらも仕事が……あっ、いい所に! 君、重役会議に使う資料が無いらしいんだけど、机にあるから持って行ってあげて! もう残り三十分しかない!』

 

『重役会議に使うデータか何かが机にあるらしいんだけど、もう時間無いから持って行って』

 

 たった数人挟まってしまうだけで『資料をコピーする』という仕事が『データか何かを持っていく』という仕事に変わってしまう。冗談のように見えて、日常的に起こる現象だ。

 どれだけ単純な情報であれ、伝える人を増やすごとに変形してしまう。故に人は言葉以外の方法をいくつも生み出した。音声だったり、映像だったり、はたまたメモであったり。噛み砕けばこれこそ難しく思えるかもしれないが、組織において逃れられないものである。

 

 社畜に求められる能力、それは――情報の補完だ。

 何が足りないのかを求め、明らかにし、自身がすべき職務を明確な形にして遂行する能力だ。

 

 基本的に上司からの情報っていうのはあてにならないのだ。悲しいことに。

 朝のニュースでやってる占いくらいあてにならない。

 俺の情報補完能力もあてにならなかったりする。泣ける。

 

「妖精よ、お前は私をどこに連れて行きたいんだ? そこに行けば何か分かるか?」

 

『うしおちゃんのとこ! 全部分かるから! はぁやぁくぅ!』

 

「痛い痛い、指抜けちゃうそれ、待って、ぽきって、変な音してるから、待って待って、行くから!」

 

『うーっ』

 

 そうして引っ張られること数分。辿り着いたのは俺が前に山元大佐に案内されてきた軽巡寮では無かった。軽巡寮、という看板も無い。

 しかし軽巡寮と同じような民家らしい――平屋だが――見た目をしており、中からは女性らしき声も聞こえる。

 妖精がやっと俺の指を離して、玄関先に飛び表札を示した。そこには、駆逐、とあるだけ。

 

「駆逐艦寮か……潮と曙……あぁ、ここにいるという事だな?」

 

『そう!』

 

「そうかそうか。確かウチにも潮と曙はいたが、まだ話してないなぁ……」

 

 ピーンポーン、という音が俺の思考を止める。

 

「えっ」

 

 はーい、と返事が聞こえ、ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。

 驚いて妖精を見ると、いつの間にかインターホンを押した様子で、対応しろ、みたいなジェスチャーをしてくる始末。

 いや、おま、待て! 心の準備させろ! 急だな!?

 

「はい。お待たせしま……――」

 

「むっ……」

 

 急いで威厳スイッチオンにして足を揃え、軍帽をセット。急いで被ったのでつばに指がかかったままになってしまったが良し。間に合った。

 がらがら、と引き戸になっている玄関が開かれて、出てきたのは今しがた妖精が話していた潮だった。

 成人男性の平均より少し高いくらいの俺より小さな身体に似つかわしくないそれはそれは重そうな――いかん、煩悩はいかん。

 

「あなたは――」

 

「柱島泊地の海原少佐だ。前にもここに来たのだが、今回は、あー……」

 

 言い訳を考えろ俺……不自然じゃない言い訳を……!

 

「山元大佐に代わり、呉鎮守府が正常に運営されているかを視察に来た次第だ。何か変わりは無いか?」

 

「提督の……? 今度は……誰を……」

 

「今度は誰を? 何の話だ?」

 

 潮は俺を見上げていたが、顔を伏せて両手を握りしめ、肩を震わせはじめる。

 その背後からどたどたともう一つ足音が聞こえてきて、そちらへ視線をやろうとした時のことだった。

 

 ぱん、と乾いた音。そして頬に走る痛み。一瞬だけ視界が白くなり、ぐいんと横へ向く顔。

 

「っ痛……え……?」

 

「潮! 待ちなさ――あぁっ!?」

 

 艦娘は凄いと思った。

 何故かって? ほんの中学生くらいの見た目の少女から繰り出された平手とは思えないダメージだったからだよ。首は痛いし頬も痛いし、口の中に広がる血の味に脳内は大混乱だ。

 仕事をサボって呉鎮守府に遊びに来たら駆逐艦に平手打ちされるとか、誰が予想できようか。

 

 完全に天罰です。大淀さんすみませんでした。

 

 痛みに顔を顰めつつも、落ちかけた軍帽を被りなおしながら前を向く。

 ばたばたとした足音の正体は、曙だった。

 

 曙は顔を真っ青にして潮の肩を引っ掴んで後ろへ押しのけながら前に出てきて、俺に手を伸ばす。

 

「だっ、大丈夫ですか!? 潮、あんたなんて事……!」

 

「構わん、大丈夫だ。妖精から救援要請を受けたのだが、何か問題があったのか?」

 

「よ、妖精から……!? どういう事ですか」

 

 俺の知っている艦これに出てくる潮と曙と性格入れ替わってない? というくらいに曙は慌てているし、潮はふうふうと歯の隙間から息を吐き出しながら俺を睨みつけている。

 ただサボりに来ただけなのに……なんでこんな事になるんだ……。

 

 視線でインターホンの横で固まっている妖精を示せば、曙はちらりとそちらを見やり、また俺を見た。

 

「妖精が、見えるんですか……?」

 

 口を半開きにしながら言う曙に、当然だろうと頷く。

 

「提督なのだから見えるだろう。それで、問題はなんだ? 潮は大丈夫か?」

 

 俺を睨み続ける潮さんをどうにかしてくれぼのぼの。誰かが押さえなきゃもう一発くらい平手打ちされそうな勢いが――

 

「返して! 私の仲間を!」

 

「っ」

 

 ――また殴られた。めっちゃ痛い。

 しかし俺の心は折れない。これが山元やら松岡だったら泣いて謝っていたかもしれないが、相手は艦娘である。セーフです。ありがとうございます。でももう殴らないでください。

 

 痛みに呻きそうになるのを咳払いで誤魔化す俺。女の子に殴られた程度じゃへこたれないぜと見せつけるように胸を張り、また軍帽の位置を直す。

 

「や、やめなさい潮!」

 

 曙が大声を上げて潮を羽交い絞めにし、潮は瞳を潤ませたまま必死に抵抗しながら俺につかみかかろうとする。

 俺はもう一発殴られるのが怖くてその場で固まっていた。条件反射かもしれない。

 

「ちょっと! 何してるの!」

 

 今度は誰だ!? と辺りを見回すと、離れた所から那珂が走ってくるのが見えた。

 数日ぶりの那珂との再会だというのに、俺はどうして艦娘の前で恰好悪いところばかりしか見せられないのか。別に那珂に恰好良いところを見せても仕方がないのだが。

 

「海原さん!?」

 

 俺の名前を憶えていてくれたらしい。那珂ちゃんマジ那珂ちゃん。ファンになります。

 

 

* * *

 

 

 そういえば柱島泊地にも医務室ってあるんだろうか。あるか、そりゃ。

 俺は那珂に案内された医務室で赤くなった頬を氷嚢で冷やしながらそんな事を考えていた。

 

「ごめんなさい、海原さん……潮ちゃん、ずっとあんな感じで……清水中佐には会わないように止めてたんだけど……」

 

 俺の訪問は予想外だった、と。それもそうだ。突然やってきたんだから。

 

「ふむ。確かに海軍の者だと分かった瞬間に血相を変えていたな。理由は話せないか?」

 

「……うん」

 

「私に手伝えることはあるか?」

 

「……無いよ」

 

 どういう状況であるか聞こうとしてもこれである。

 那珂は申し訳なさそうに俺の前に座って顔を伏せるだけで、何も話してはくれない。

 

 だが重大な何かが起こっているであろう事は分かる。

 温厚で柔和な潮があれだけ激昂し、このクソ提督! と罵ってくるのがデフォルトの曙が提督である俺に敬語を使うレベルだ。艦これプレイヤーなら誰しもが大事件だと勘づくだろう。

 

「――……り、なの……」

 

「うん?」

 

 那珂の小さな声。

 俺が顔を上げてどうしたと問えば、那珂はまた小さな声で俯いて言う。

 

「無理、なの……皆、信じられない……」

 

「信じられないとは、また随分だな。私じゃなければ山元に伝えるか?」

 

「え……? でき、るの……?」

 

 出来るか否かで言えば出来る。なんたって俺には元帥直通電話を持つあきつ丸がいるのだ。

 私用で使おうものならばあきつ丸にも井之上さんにも怒られてしまいそうだが、呉鎮守府の艦娘の用事だから大丈夫だろう。恐らく。

 俺はこの呉鎮守府の提督じゃないから、那珂はきっと自分の提督じゃなければ信じられないのだ。山元め……呉も宇品もめちゃくそにしておきながらもここまで那珂に信頼されているとは、許せん……。

 

「でっでもっ! 提督は出向じゃ無いんでしょ!? 清水中佐が、軍規違反で、って……!」

 

 那珂の言葉に目を見開き、何故それをと言いかけるも――がらりと開かれた医務室の扉の音に那珂が反応したことでギリギリ呑み込む。

 座っていた椅子をきいと回転させて扉の方を見れば、そこにはあきつ丸と川内、松岡がいた。

 

 あぁ……もう公認のサボり時間が終わったのか……。潮に殴られて終わったんだが……。

 

「少佐殿、どうなされたのでありますか!?」

 

「提督っ!?」

 

「閣下!?」

 

 あきつ丸と川内が駆け寄ってくる。そんで松岡お前どうした。閣下て。

 頭でも打ったから医務室来たのか?

 

「何でもない。足を滑らせて顔を打ってしまってな」

 

 潮に殴られたとか言えない。恥ずかしいし情けない。

 俺の言い訳に驚いたような顔をする那珂。やめろ見るな。言い訳させろ。

 

「少佐殿が足を滑らせるなど……」「足を、滑らせたのだ。いいな?」「……そう、仰るのであらば……」

 

 釈然としないあきつ丸だったが、那珂と俺を見て察したように口を噤む。

 ごめんねほんとサボろうとして。罰が当たったよ。真面目に仕事するね。

 

「それで……松岡。いいか」

 

「っは」

 

「……どうしたお前。大丈夫か」

 

 思わず素で聞いてしまう。

 

「問題ありません、閣下」

 

 問題しかないように思えるんだが。

 松岡は椅子に座るでもなく、直立不動のまま俺を見る。

 

 ま、まぁ、いいか……それよりもだ!

 

「那珂が清水中佐より山元が軍規違反を起こしたと聞いているようなのだが……」

 

 確かに山元は悪い事をしたが、最後は井之上さんにも謝ってたし、街の人に返せるものは返した。幸いなことに陸奥達も無事だった。

 だから許せとまでは言わないまでも、那珂にだって謝っていたから俺はあえて大っぴらに悪いことをしたから山元は連れて行かれたんだ! などとは言わなかった。

 中途半端な偽善。自己満足だと言われたらそれまでだが、山元大佐を自身の提督と慕っている艦娘に対して他人から真実を伝えられるなど悲しい事があろうものか。

 

 これは独善だ。だが、上司である井之上さんからきちんと許しを得て、この鎮守府に戻ってきた時に本人の口から改めて伝えられるべきだと俺は思っている。

 

 誰しも失敗くらいする。失態もさらす。

 だからどうしたというのか。俺だって仕事のミスくらいする。

 必要なのは、失敗しないための深い深い《後悔》だ。切り替える前にどん底まで落ち込む時間だ。

 どうして失敗したのか。どうして失敗に至る行動を起こしてしまったのか。切り替えが早ければ早いほどに振り返る時間は少なくなり、同じ轍を踏む羽目になる。しかしながら切り替えが遅すぎてもいけない。ここが難しい。社畜レベルが試されるところである。

 

「っは。山元大佐は軍規――」

 

「おかしいな。山元大佐は、えー……本部に研修へ出向しているはずなのだが」

 

 空気読め松岡ァッ! と目で訴える。

 すると、

 

「! っは。仰るとおりであります、閣下。現在、山元大佐は元帥閣下の下で『研修』を受けているかと」

 

 と敬礼しながら『研修』と強調して答えた。

 松岡お前、本当に頭打ってないよな……? と若干心配しつつも、那珂に向き直る俺。

 

「恐らく、清水中佐に伝達ミスがあったのかもしれんな? さて、それで……那珂。私に言えない事であれば、ここにいるあきつ丸に伝えるといい。私や松岡が邪魔であれば、席をはずそう」

 

「邪魔なんかじゃ! で、も……いや、でもぉ……っ」

 

 あきつ丸と川内を見て顔を伏せ、顔を上げて今度は俺と松岡を見て、顔を伏せ、那珂はあうあうと狼狽していたが、十数秒ほどして、意を決したように言った。

 

「あきつ丸、さん達、だけで……お願いします……」

 

「……承知した。松岡、出るぞ」

 

「っは」

 

 頬を冷やしていた氷嚢を那珂に渡して立ち上がると、俺はさっさと医務室を出た。

 艦娘同士の問題は、艦娘同士が話しやすいのは当然。那珂は俺や松岡には伝えられないと言うのだから、あえて問いただす必要も無い。

 医務室を出てすぐ、松岡が俺に言う。

 

「よろしいのですか」

 

「構わんとも。女性同士のデリケートな問題かもしれん。それと……なんだ、その喋り方は」

 

「これは……いえ、お気になさらず。自分の立場を弁えただけであります」

 

 であります口調はあきつ丸の特権だって言ってんだろうが!? おぉんっ!?

 水滴の残る頬を拭い、問題が解決すればいいが、と考えつつ溜息を吐いた時、松岡がまた問う。

 

「本当に、よろしいのですか」

 

「しつこいぞ。艦娘同士でなければ話せないと那珂が言ったのだ。男が首を突っ込むものではない」

 

「いえ、そのことでは無く」

 

「え? あ、すまん。なんのことだ?」

 

「清水中佐は元帥閣下より鹿屋基地からの出向でこちらに来ております。私は陸軍大臣より方面隊としてこちらへの異動となりました。陸と海で睨み合わせる形は牽制にはなりますが……」

 

 いやほんとなんのことだ? 何で陸軍大臣の話がここで出てくるんだよ。

 山元大佐がいないから清水中佐に一時的に仕事を引き継いでるだけだろうが。それくらい分かってらい!

 

「問題があるのか?」

 

「もっ……問題と言いますか、これでは調査も……」

 

「調査? そんなものは聞いていないが」

 

「聞いていない……? それは――」

 

「お前の仕事の話か? 必要ならば手伝うが」

 

「海原閣下……悠長に構えている暇は無いのです。それは閣下が一番ご存じではありませんか」

 

「えっ……えぇ……」

 

 こんなところで油売ってる暇ねえだろって事かよ……松岡にも怒られた……。

 潮にひっぱたかれて折れかけていた心を、やっとこさ立て直すぞってところでお前……悪魔か……。

 

 しょんぼりとしながら下を向く俺。

 どうすんだこの空気……と思っていると、医務室から川内が出てきた。

 

「早いな川内。もう話はいいのか?」

 

 お前だけが俺の心のよりどころだぞ夜戦忍者……。

 

「うん、もう大丈夫。所属は違っても、一応、私の妹分だしさ」

 

「あ、あぁ、那珂か……そうだな。それで?」

 

「入って、提督。松岡さんも」

 

 改めて医務室に入ると、那珂が潤んだ瞳で俺を見ていた。

 あきつ丸に視線をやるも、井之上さんに電話をかけた様子は無い。

 

「海原、さん……あのっ」

 

「なんだ?」

 

 那珂は立ち上がり、頭を下げる。

 

「漣ちゃんと朧ちゃんを、助けてあげてくださいっ!」

 

「……ふむ」

 

 助けるって……妖精が言っていた事か……?

 いやしかし、潮と曙と……あぁ、嫌な予感がする……。

 

「潮と曙、その他は構わんのか?」

 

「海原さん……それ……」

 

 仕事が増える気がするので、違うよな? と期待を込めて那珂を見つめ、続ける。

 

「清水が命令されていたらしいな。()()()()とやらに。それと関係があるのか?」

 

「なっ、なんでそれを――! 海原さん、どうして――!」

 

「あぁ……なるほどな……」

 

 妖精が言っていたのは、やはり仕事の事だったらしい。

 書類仕事が山のように増えたり、あれもこれもと命令されたりするのかな……と、どんどん表情が暗くなる俺。

 

「た、助けて……提督が帰ってくる前に、私達……皆、バラバラになっちゃう……!」

 

「うん?」

 

「清水中佐に、バラバラにされちゃう……助けて、海原さん!」

 

 切なる声に、心臓がぎゅっと痛んだ。

 あきつ丸と川内の会話が耳に入ると、その痛みはさらに強くなる。

 

「上手く取り入って反対派の力を維持しようという魂胆でしょうな。元帥殿が何の疑いも無く清水中佐を送り込んで憲兵隊の監視も許可したとあれば、今後も艦娘が南方へ送られ続け形だけの戦争が続きましょう」

 

「じゃあ、清水中佐は反対派で――」

 

 川内からこぼれ出た単語に、声を挟み込む。

 

「あきつ丸。川内。清水中佐が、なんと……?」

 

 俺の声に二人の肩が大袈裟なくらい跳ねた。松岡と那珂は何故か姿勢を正す。

 

「は、はっ! 清水中佐は、その……これは、憶測でありますので!」

 

「そ、そうそう! まだ確定したわけじゃないから! 私達でもっと調べて……」

 

「反対派と、言ったか?」

 

「うぐっ、ぅ……」

 

 あきつ丸の呻き声。

 

 艦娘反対派――ここに来るまでに井之上さんからも聞いた言葉。

 艦娘を兵器としてしか見ておらず、あまつさえ危害を加えるという派閥。

 

 俺の問いにあきつ丸も川内も口を噤んだまま、俺を見つめる。

 何で答えてくれないんだ、と今度は那珂に目を向ける。

 

「……那珂。正直に答えてくれ。何があった」

 

 那珂は沈黙した。

 そして――

 

「ふ、ぐっ……ぐすっ……」

 

 涙を流し――

 

「て、提督、は、もう、戻らない、って……どうせ、死ぬだろう、って……」

 

 たった数日の間に起きたことを語った。

 

「その代わりに、俺が、使って、やるって、ひぐっ……お前たちを、有効に、つ、つか、ぐすっ……使って、上に、行くんだって……」

 

 現実は、変えられたと思っても、簡単にはいかない。

 油断しているとすぐにこうなる。仕事を片付けたと思ったら、また増える。

 

 俺は仕事が嫌いだ。ずっと楽をして生きていたい。

 

 だが、今回は――

 

「もういい。よく言ってくれたな、那珂」

 

 ――無性に仕事がしたい気分である。

 

「松岡。ここ数日の運営状況を知りたいのだが、その権限はあるか」

 

「っは。陸軍大臣、並びに海軍元帥より許可を得ております! しかし、鎮守府の提督による閲覧許可が必要であります!」

 

「そうか。では、艦娘の運用について機密となりうる事項はどうだ? 例えば、視察に来た別の拠点の提督が閲覧を求めた場合、などだ」

 

「緊急時であれば可能でありますが――」

 

「結構。今が緊急時だ」

 

「か、閣下、緊急とは……――」

 

 俺は那珂を指し、松岡に言う。

 

「戦場に立つべき艦娘が泣いている。戦意維持に問題ありとして、運営状況を確認し正常であるか判断する。私と、お前とでだ。異論は」

 

「っは! 異論ありません!」

 

 俺は那珂を安心させるためにぽんと頭に手を置き、少し屈んで視線を合わせた。

 

「潮と曙にも伝えてくれるか? 私が何が起きているのか教えて欲しいと言っていた、と。これから私は執務室に行く」

 

「海原、さ、ん……っ……提督は、提督は……!」

 

「戻ってくるさ。お前たちと演習する約束もしてある。それに――資材も借りたままだ」

 

 ふふん、と笑ってみせると、那珂のガラス玉のような瞳からこぼれていた涙が一気に増えた。

 

「う、ぅぅっ……うあぁぁぁっ!」

 

 その姿にぎょっとした俺の横を風が通り過ぎる。川内だった。

 川内は那珂を正面から強く抱きしめた。

 

「ごめん……那珂。気づいてやれなくて、ごめん。でも、もう大丈夫だから。絶対に、大丈夫」

 

「せっ、ん、だいちゃ……うぅ……」

 

「提督が助けてくれるから。大丈夫」

 

 泣きじゃくる那珂を抱きしめたまま、川内が俺を見た。

 俺? 強く頷き返したとも。泣いている艦娘がいるならば、まもる、動きます。

 

 

 

 さて……まずは状況を知らなきゃな……。(振出しに戻る)



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三十九話 閣下【元帥side】

 ――東京都新宿区。大本営。

 

 赤と茶色を基調とした落ち着いた部屋で、その雰囲気とは対照的に室内は騒然としていた。

 

「井之上元帥、前回の作戦報告書です。こちらがパラオ、こちらがトラック――両泊地の戦況は変わらず……」

 

「元帥、新しい戸籍の準備が完了しています、ご確認を――」

 

「陸軍大臣よりご連絡が来ております! 大本営発表では納得できないと言うマスコミへの対応について海軍とのすり合わせを行いたいと――」

 

「元帥。移動の準備が出来ております。山元もすぐにこちらへ到着します」

 

 方々から掛けられる声にしかめっ面をしたまま、初老の男は椅子から立ち上がって右手を振った。

 

「報告書は置いておけ、戸籍の方もだ。あぁ、報告書はコピーを準備してくれ……。陸軍にはこちらからすぐに折り返すからと言って切れ。あぁ、切る前に……憲兵隊の報告書を一度こちらにも送るように言っておいてくれないか。こちらはパラオとトラックの報告書を送るから、と。車は待たせておけ、少し用事を済ませてからすぐに出る。山元は身体検査をしてからこちらに通せ」

 

「っは」

 

「井之上元帥、戸籍はこちらに置いております」

 

「大臣にはそのように」

 

 

 室内に散っていた軍人達がそれぞれ出て行ったのを見届けたあと、机に置かれた書類を手に取った男――元帥海軍大将、井之上巌(いのうえいわお)はしかめっ面のまま目を細め、それらを流し見てすぐに机に投げた。

 

 誰もいなくなった室内に立ち尽くしたまま、額に手を当てる。

 

「……さて」

 

 彼は逡巡していた。

 横須賀鎮守府にて発見された海原鎮の処遇について、また、反対派の手によって消されてしまった()()()()()()()()について、どう話をまとめてやろうか。

 その他にも、彼はまだ海原として柱島に送った男に話していない事がある。それらを話すべきか否かについても迷っていた。

 

 あまりに荒唐無稽な話を海原は信じてくれるだろうか。

 彼の存在がどうあれ、突然戦地に送ってしまったワシの言葉に重みは存在しているだろうか。

 

 だがいずれは話さなければならない。信じる信じないを差し置いてでも、海原に動いてもらわなければならない時が必ずやってくる。

 それに、かの男は見合う働きをしている。

 

「なんと不甲斐ないことか……じゃが、出来ることをせねばなるまい」

 

 誰も聞いていない懺悔の言葉を虚空に溶かし、井之上は机に歩み寄って引き出しの一つを開けると、そこから煙草を取り出して火を灯した。

 一息吐き出せば、ゆらめく紫煙が現実を遠ざけるようで虚しくもあったが、同時に少し安心するような、後ろめたさから逃げ出しているような微妙な気持ちになるのだった。

 

 もう一口、もう二口と煙草を吸っていた井之上だったが、腹をくくって煙草を灰皿へ押し付け、椅子にどかっと腰を下ろした。そして、机の一番したにある引き出しを開く。そこには黒電話が一台だけ入れてあった。

 枯れ枝のようで、傷の多い歴戦を窺わせる無骨な手を伸ばしてダイヤルを回す。

 じーこ、じーこ、という音が引き出しの中で響いた。

 

 受話器を耳に当て、応答を待つ。

 向こう側へ繋ぐ音は数秒も無く、すぐに声が耳に届いた。

 

『元帥閣下! 何かあったのでありますか……?』

 

「――ふふ、お前は相変わらず、ワシを閣下と呼ぶんじゃなあ」

 

 井之上が連絡したのは、横須賀で発見された海原と名乗る男のもとへ送った艦娘、あきつ丸であった。

 井之上はあきつ丸を海原のもとへ送る前、彼に守ってもらえるよう、彼の傍から出来るだけ離れないようにと言いつけていた。

 

『申し訳ありません……陸の癖で、つい……』

 

「構わんとも。それに、突然の連絡すまんな……呉の一件について、形がまとまりそうだったからの、一声かけてやろうと思うて」

 

『そ、そうでありますか! それは少佐殿もお喜びになるかと……! 今こちらにいらっしゃいますが――』

 

「おぉ、かわってくれるか」

 

『っは!』

 

 電話口から聞こえてくるのは、あきつ丸の他、いくらかの人の声。

 他の艦娘だろうか? と耳を澄ませてみるも、よく聞き取れない。ただ一人や二人の声ではない事だけは確かだった。

 

 数秒の後、聞き覚えのある男の声。

 

『お電話かわりました。海原です』

 

 変わり無い元気そうな声に、井之上は安堵した。

 

「おぉ、海原。あれからあまり経っていないが、問題は無いか」

 

『艦娘ですか? それなら、はい。お……んんっ、迷惑ばかりかけているのが情けないところですが』

 

 一瞬だけ自分を俺と言いかけるもすぐに言い直した海原に、やはり彼は敬う心のある良心を持った男なのだろうと、自然と口角が上がってしまう。同時に胸中に申し訳なさや良心の呵責があったものの、彼にも知る権利はあるのだからと自分に言い聞かせて口を動かす。

 

「海原、お前の落ち度はワシの落ち度でもある。気負い過ぎるな。何かあればワシの方からも援助はすると言っておるだろうに……っと、そうじゃ、呉じゃ。呉の話がな、いち段落つきそうだったから連絡をしたのだ」

 

『えっ、あっ、あー……呉の、はい、あぁ、呉のですね、はい』

 

「お前が動いた一件だろう、よく聞け。山元大佐についてはこちらで保護してある。反対派の中核の一人な事もあって随分と色々な話を聞けたのは大きかったが、いかんせん中核であるが故に反対派の動きが派手になってきているのも事実。ここまでは、いいな?」

 

『あー……はい……』

 

「反対派については陸海軍ともに扱いに困っていてのぉ……艦娘という存在が国民に浸透しておる今、海に出て戦う姿が報道されていることも珍しくない。それに恐怖を覚えて戦争を止めろという国民がいるのもまた事実。中には艦娘の存在自体を認めているが、少女を戦わせるなど軍は何をしているのだという声もある。反対派が厄介な所以は、そういった国民をも巻き込んでいるからだ。山元はその中核の一人であったと言えば、分かろう?」

 

『え、えぇ、はいぃ……』

 

 気まずそうな海原の声。彼のことだ、きっと余計な仕事を増やしてしまって申し訳ない、と思っているのだろう。

 それは一部間違っている。仕事は増えたが、決して余計なことでは無い。

 

 日本という国、ひいては人類を守るために艦娘を運用すべき軍の腐った部分を切り取らねばならない重要な仕事だ。私利私欲をひた隠して狡猾に動く者達を密かに、そして確実に捕らえてしかるべき対応をしなければならない。

 しかし海軍の元帥という立場上、軍規違反とて切り捨て過ぎても非難の的となる。厳しく律すべき陸海軍が身を削り過ぎるのは戦力を削ぐのと同義。軍自体が国民の不安要素となってはならないのだ。

 

「これから山元大佐を連れ広島へ向かう。危険は承知だが、山元大佐の処分見送りとしてもう一度呉に据えて反対派の動きを緩和させ――」

 

『山元が戻ってくるんですか!?』

 

 海原の驚愕の声に目を閉じ、大きく息を吐く。予想通りの反応――

 

『あぁ、良かった……! それは良い報告です、井之上さん! 本当に良かった……!』

 

「なっ、よ、良かっただと!?」

 

 ――では無かった。今度は井之上が驚愕の声を上げ、ぽかんと口を開いてしまう。

 それと同じくして、こんこん、とノックの音。恐らく山元であろう、と入室を許可すべく耳から受話器を離し、入れと言う。

 失礼しますと短く言って入室したのは、やはり山元だった。

 

 井之上は目を細め、眉間に寄せたしわを一層深くした。

 

「そこで待っていろ」

 

「……っは」

 

 山元は返事をすると、直立不動となる。

 

 彼はこちらに移送されてからというもの、無駄口一つ叩かなくなった。

 井之上に対してだけでは無く、関わる全ての人物に対して深く詫びるような面持ちで過ごして、数日。

 軍法会議で死刑になろうと脅しても彼は揺らがなかった。ただ、彼は一言。

 

【どれだけの事があっても私を許してくれた彼女らに報いたい。そのために死が必要ならば、決して逃げません】

 

 こう言うのだ。諦めでは無く、それは山元なりの覚悟であったのだろう。

 井之上はそれを聞き、自分でも恐ろしい提案をした。

 お前が生餌となって反対派を誘き出す仕事でも受けるのか、と。

 

 彼は二つ返事だった。こうなっては井之上も言葉を引っ込められない。

 

 陸軍の上層部は反対派も賛成派――艦娘に人権を認めようという、人権派とも呼ばれる――も過激な故に、井之上が持ち出した山元を反対派への餌にするという案をすぐさま了承した。

 なんとも、情けない。

 

 深海棲艦という敵を前にして自陣で争いを繰り広げ続けることの、なんと無意味、無益なことか。

 それらを口に出せたら楽だろうが、深海棲艦も戦争も待ってはくれない。多方面で行動を起こさねば国も民も守る事が出来ない。このジレンマと戦うのに、井之上は必死だった。

 皮肉なことに、軍規違反を犯し艦娘を沈めかけた山元の決死の覚悟を、文字通り自分にも強いねばならない。

 

「……すまない海原、待たせたな。それで、山元を再度そちらに移送することになっているのだが、呉鎮守府には今、清水という男がいるだろう? そやつは艦娘を上手く運用し九州南部の防衛を担っている素晴らしい――」

 

『その事について、あの、ご相談が……』

 

「うん? なんだ、言ってみろ」

 

『今ですね、目の前に清水中佐がおりまして』

 

 ぐっと息が詰まり、眩暈を感じた井之上は白目をむきそうになる。

 目の前にいる? 何故だ。

 海原は柱島の鎮守府にいるはずだろう!?

 

 清水中佐は井之上が知る限り真面目な男だった。ともすれば、山元の時とは違って、良い意味で防衛を担う相手として挨拶に足を運んだのかもしれない。それか、逆に海原が挨拶に伺ったかだ。

 なんとか頭を働かせている井之上の耳に――怒号。

 

『動くな! そのまま両手を上げて待機しろ。閣下の邪魔をするな!』

 

「そ、その声、は……」

 

 記憶がかき回される。間違いない。海原の声では無いその怒号は井之上も良く知っている人物の声だった。

 陸軍大臣が直接命令を出して動かしている、直轄の憲兵隊――西日本統括部隊の憲兵隊隊長、松岡忠(まつおかただし)のものだ。

 

 震えそうになる声を抑えつつ、小さく言う。

 

「海原、今、そこには、誰がいる……?」

 

『ここですか? 私と、あきつ丸と川内、清水と松岡です』

 

「は、ぁぁ……!?」

 

 溜息と驚きが同時に出ると意識を失いそうになるのか。そんな場違いな思いを抱きつつ、胃に痛みを感じながらも言葉を紡ぐ。

 

「相談があると、言ったな……ん、んんっ……聞くだけ聞くから、言ってみろ」

 

『ここに着任している清水ですが、遠征という名目で南方海域に艦娘を送っているのです。それも、たった数隻のみを』

 

「遠征ならば、資源の確保を目的として少数艦隊で向かうのも不思議では無いが――」

 

『南方海域と言いましても、パラオやトラックといった泊地のある遠方です。遠征とは言えど資源を持ち帰るのに領海を横切るなどありえるのでしょうか』

 

「何?」

 

 海原の言はもっともだった。今は第一次、第二次とは違う。各国の排他的経済水域を跨ぐように勝手気ままに欲しいから取るなどという事は出来ない。反対派の言葉を借りれば艦娘は日本国所有の兵器であり、非常時たる現在こそ超法規的に拡張した範囲での作戦行動は認められているが、それは深海棲艦の撃滅に際してのみ。

 資源の確保はまた別であり、勝手な行動をしようものならば国際問題に発展しかねない。

 

 海原を独断で着任させている井之上も綱渡りをしているのだ。

 これ以上刃物を増やし、自分の綱を切るわけにはいかない。

 

「EEZ(排他的経済水域)を越えて、という事か」

 

『いーいーぜっと……? ちょ、っとお待ちを……』

 

 海原の声が消えたのも束の間、すぐに声が戻る。

 

『排他的経済水域! はい、はい、そうです。遠征の対象となる場所を確認したところ、トラックやパラオといった泊地のある海域は対象とはなっておりませんでしたので、そこのところ、どうなのか、と』

 

「EEZでのみ遠征を許可しているはずじゃが……それでは足りぬという程、資材が枯渇しているわけでも無い。それにしてもだ、海原。お前はどうしてそんなことをして――」

 

『清水は少数艦隊をいーいーぜっと? を越えて遠征行動させ、戦闘も行わないよう帰還させるつもりだった様子です。清水、間違いないな?』

 

『……』

 

『――閣下が聞いておられるだろう! 答えろッ!』

 

『は、はいぃっ! そうです! そうですっ……!』

 

『……こういう事になってまして……それで、相談と言いますのも、一時的に呉鎮守府の運営状況を見ていただいて、問題があれば清水に代わり私が、という事でして……山元大佐が戻るのなら、それに越したことはないのですが』

 

「なん、と……お前、海原、おま……」

 

 海原の問いに続き、松岡の怒号、そして――信頼して送ったはずの清水の絶叫。

 

 もう、言葉が出なかった。

 井之上は山元に見られているのにもかかわらず口をあんぐりと開けてしまうほかなく、目を見開いて山元を見てしまう。

 

 一体、こやつは何をしているんだ。

 

 どうして、こやつはワシの一歩も二歩も先を歩いているのだ。

 

 そんな思いが頭を埋め尽くす。そして彼に隠していたことを早く話さねば、いや話すべきだと気が逸る。

 山元が戻ってくるのに喜んでいたのは《清水と入れ替えることができる》ためかと納得すると同時に、()()()()()()()と同じ働き――否、それ以上を期待できるぞと歓喜と正義に全身が粟立つ。

 

『もし難しいという事でしたら、別の者に鎮守府の運営をさせるべきかと――』

 

「待て海原。今、ここに山元がいる……話してもらえるか」

 

『あっ、はい! それは、もう、はい!』

 

 井之上は受話器から耳を離し、山元に向かって手招きする。

 山元は相手が海原である事を理解してか、いつにもまして緊張した様子でキリキリとやってきて、両手で受話器を受け取った。

 ジェスチャーで聞こえやすいようにしろ、と井之上が示すと、頷き、少しだけ耳から離した状態で山元は話す。

 

「かわりました。山元です」

 

『山元ぉ……! んんっ……元気そうじゃないか』

 

「っは……! 海原少佐のお陰です」

 

『馬鹿を言うな、私は仕事をしていただけだ。それはそうと山元、お前、呉に戻ってくるらしいな』

 

「はい。元帥のご温情によって、今一度チャンスを、と」

 

 山元がちらりと井之上を見る。井之上は頷き返し、続けろと目で示した。

 

『早く戻ってこい。那珂が心配して泣いていたぞ。それに、潮なんて仲間を返せと怒っていてな』

 

「ぁ……」

 

 少なからず艦娘に関わっていた井之上も理解しているつもりだった。

 どれだけ兵器と呼んで遠ざけようと、そのすぐ近くで生きた者である山元の心にもほんの少しばかり良心があると。

 海原は山元の良心にこそ訴えているのだと。

 

『演習の約束も果たされていない上に、資材も借りたままだ。まぁ、資材については別に急いで返せと言わないならば、ゆっくりと分割で――』

 

「うっ、ぐ……は、早く、早くそちらに戻ります! 一刻でも早く!」

 

 山元は嗚咽を抑え込み、気を付けの恰好で大声で返事する。

 

『……当然だ。これ以上尻拭いをさせるな。私も私の仕事があるのだ。いいな?』

 

「っは!」

 

『お前が戻るまでの間、私の艦隊を動かすつもりなのだが、一時的に呉港を使わせてもらいたい。お前が戻るのならば、許可を出すのはお前になるのだろう?』

 

「それにつきましては……――」

 

 またも山元の視線を受けた井之上は、同じように頷く。

 

「っは。海原少佐でしたら、ご随意に。必要な資材などありましたら、そちらも。全ての処理は私が引き受けます」

 

『ならば良し。これより南方海域へ遠征に向かった艦娘、漣と朧を迎えに艦隊を出撃させる』

 

 海原の声は井之上の耳にも届いている。

 その声音の強さたるや、山元にどれだけの激励となろうことか。

 

 海原の最後の声は、踏ん切りのつかない井之上をも奮起させた。

 

『……裸足で走ってでも戻ってこい。必ずだ。飯の一つぐらい奢れよ――待っているからな』

 

 軍人らしからぬ軽口。

 いいや……軍人こそ口にしてしまう、希望の言葉。未来への約束。

 

 遠き国では、先住民が戦地に赴く際に《今日は死ぬには良い日だ》と言ったという逸話がある。死ぬのに良い日があるはずもなく、その言葉には必ずや生きて帰るという意味が込められているらしい。

 これが決意の言葉であるとするならば、海原の言葉もまた未来を見ている希望の言葉であったのかもしれないと井之上は深く感動した。

 山元の立場を顧慮して諫めるような口調ながらも、上官らしく部下に飯を奢れなど、洒落の利いた男だ。

 

「はッ!」

 

『泣いている暇があるなら身だしなみでも整えろ。艦娘に泣き顔で会うつもりか? ほら、井之上さんにかわれ』

 

「海原少佐……お話、ありがとうございましたっ……! おかわりします……!」

 

 山元は嗚咽を抑えていたが、流れ出る涙は止められなかったようで、目元の水滴も拭わぬまま井之上に受話器を返した。

 

「……かわったぞ。話は出来たようだな。呉鎮守府の指揮権についても、一時的に海原に持たせることを許可する。だがそちらでしっかりと事情を聞かせてもらうぞ。清水中佐に関しても、だ。中佐には待機命令を出す。かわれ」

 

『はい、ただいまかわります――清水中佐。井之上元帥だ、お前に話がある』

 

『うっ……ぅぅ……!』

 

『早く出ろッ!』

 

 数秒の沈黙から、松岡の怒号にぴくりと眉が動く。

 

『か、かわりました、清水中佐であります……! 井之上元帥、は、話を聞いてください! この海原という男が松岡を引き連れ、突然任務の妨害を――!』

 

『なっ……貴様ァッ!』

 

『ひぃっ』

 

 これでは話が進まん……と、井之上は低い声で短く話す。

 

「清水中佐、どのような作戦であれEEZの越境は認められん。そちらには陸軍大臣から命令を受けた憲兵隊がいるはずだ。それに特警も編成している最中である……海原少佐がもしも虚偽の申告をしておったのならば、軍規違反どころか反逆罪として吊し上げられるのは言うまでもなかろう。お前に不当な危害が加えられないようワシからも言っておくから、今は待て。いいな?」

 

『し、しかしっ!』

 

「いいから待て。今から広島に向かう用事もあるから直接ワシが命令もできる。これならば海原はもちろん、憲兵隊も納得できよう」

 

『っぐ……了解、しました……』

 

「……良し。では、数時間後には呉に到着すると伝えておけ。頼むぞ」

 

『はい……失礼、いたします』

 

 その会話の後、井之上は受話器を乱暴に引き出しへ半ば投げるように置くと、机の上の書類をばさばさとまとめて鞄に入れて立ち上がった。

 

「――出発だ、山元大佐。広島に着いたら、海原と話がある。お前も同席で全てを話す」

 

「全て、でありますか……?」

 

「ああ、全てだ。お前も生餌になるのだから、知らねばならん。悪いが、ワシと共に首に縄をかけてもらうぞ」

 

「っは。この命、お国に捧げましょう」

 

 井之上は引き出しを閉じて立ち上がり、新しい煙草を取り出すと火を灯さず、咥えて歩き出す。

 そのすぐ後ろに山元が控え、同じ速度で追いかける。

 

 

 

 

 

「っくく……せいぜい励め。ワシを裏切っても、海原の期待は裏切ってやるな」

 

「……っは」



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四十話 事情【艦娘side・大淀】

 提督が鎮守府を発って数時間。

 誰もいない執務室で私は少しでも提督の仕事を減らさねばと提督の認可が必要なもの以外の書類を処理していた。

 

 ここに配属となる前、一時的に大本営預かりとなっていた頃にやっていた業務と変わらないはずなのに、今生で見たパソコンやスマートフォンといった機器の無い状態で同じ処理をしようと思うと二度手間、三度手間となるのに辟易する。

 

 機密性の保持とは言え申請書類のみならず演習や開発の記録といった日々必ず提出されるものも手書きなものだから、ファイリングするとたった数日でも相当な量となっていた。

 日付を間違わないように慎重に確認を重ねつつ、ファイリングしたものをキャビネットへ収める。そしてまた机に戻っていくつかの書類に目を通し、別のファイルを用意してキャビネットへ、そんな往復だけで数時間だ。

 

 ちらりと提督の机を見れば、まるで本屋で平積みされている書籍の如き決裁書類。

 私の手元にある書類と、キャビネットに収めた記録を合わせても到底同じ量にはならない。倍、いやそれ以上――見ているだけでぞっとしてしまう。提督はあれをどうやって一日で処理しているのか。近くで見ていても理解出来ない。

 変わらない速度で黙々とペンを走らせているだけにしか見えないのに、提督はコーヒーを片手にさらりとアレを消してしまう。人間から見た私達艦娘が化け物であるとするならば、私達艦娘から見た提督はもっと化け物じゃないか。

 

「……はぁ。早く終わらせねばなりませんね」

 

 考え事をするよりも手を動かさなきゃ、と姿勢を正し、机に向き直る。

 

 パソコンの一台でもあればこの業務は半分以上圧縮される事だろう。演習に際しての弾薬使用許可や、毎日の遠征にも四国を通る際に艦娘は検査を受ける。行きと帰りに検査を受け、艤装に異常は無いか、持ち帰る資材に違法性は無いか確認され、問題無ければそのまま帰還できる。検査場となっている港から発行される検査書を報告書と一緒に提出するわけだが、ネットを介せばクリック一つで終わるのだ。

 

 提督は日々提出される膨大な報告書を真面目な顔で眺めているわけだが、時折ふと笑う事がある。

 

 報告書にでもあったのか「今日は良い天気だった、か」と呟くのだ。

 平和である事を心から喜ぶように。

 

 そうして、提督は決まって私にこう言う。

 

『遠征組も演習組もそろそろ戻る頃だろう? 休憩してこい』

 

 私は提督にこう返す。

 

『まだ仕事が残っておりますから、もう少しだけ』

 

 すると、提督は間を置かずに言う。

 

『私がしておくから、皆を見てきてやってくれ』

 

 私はその言葉を断れず、その日の秘書艦を連れて昼食に出る。そんな毎日。

 今日は鳳翔の件もあったり提督が呉へ行ったりと変わった事が多いので対応に手をもんでいる所だが、こんな事で狼狽えて業務を滞らせるなど言語道断。常任秘書として完璧にこなさねばと気合を入れる。

 艦娘の事ばかりを考えてくれる提督のためにも。

 

 その時、私の中に響く声。通信だ。

 

《ザッ――ザザッ――こちらあきつ丸。大淀殿、報告であります》

 

「こちら大淀。どうされました?」

 

《少佐殿が呉港に到着しました。鳳翔殿というオマケ付きで》

 

「鳳翔さんが一緒に? それは、どうして……」

 

《詳しくは、自分も分かりかねます。見るからに鳳翔殿が護衛を買って出た、といったところでありましょうが……少佐殿はそれを断れずここまで、という感じでありましょうかね》

 

「……なるほど、了解しました。鳳翔さんはもう発ちましたか?」

 

《えぇ、もう暫くすればそちらに戻られるでありましょう。して、大淀殿、そちらの状況は》

 

「予想より処理が多く、まだ……」

 

 言いながら、手元の書類を見て溜息を吐く。

 

《あー……鳳翔殿は少佐殿をお送りするのに船を使っておりましたから、そちらに戻るのに暫くは大丈夫でしょう。赤城殿と加賀殿は頼みますよ》

 

「動きは見せておりませんし、鎮守府から飛び出したりしてませんから問題無いとは思うんですが……出来るだけ早く様子を見に行けるようにしますね」

 

《それが良いでありましょうな。では、また変わりがあれば報告をば――ザザッ》

 

「了解」

 

 通信が切れたのを確認して、私はペンを机に置いて突っ伏す。

 

「うぅ……鳳翔さん、何を考えているんですか……」

 

 出来る限り早く事態を収拾させ、提督の視察――三策の一つ――の成功に手をかけねばと思う程に、業務量に対して絶望を抱いてしまう。

 こうしている間にも、提督は作戦を遂行なさっているに違いない。

 あの方の事だ、自らが動くことで最大効率を発揮できると理解しており、私達と自分とを別に考えていらっしゃるだろう。海に出て戦うことこそが艦娘の本分、なれど私も、きっとこの鎮守府にいる幾人もの艦娘も提督の力になりたいと思っているはずだ。思っていてくれる……はず。

 初日に提督が講堂で挨拶をした時、場の空気によって猛った者もいるだろうが、その側面を見れば人間など信じるに値せずといった評価がほんの少し変わっているはず。

 

 真面目に、誠実に、そして限界まで執務にあたっていた提督を知っている。

 演習に向かう者も、遠征に向かう者も、その日開発を任され明石と共に工廠に篭った者も、全員に伝わっているはずだ。そう、思いたい。

 

 ぐるぐると思考する私の中に浮かぶ鳳翔の涙。

 それだけがどうしても気掛かりだった。

 

 ただ悲しかったから泣いていたのか、それとも、提督の心遣いに泣いたのか。

 真意は分からない。でも、違和感を拭えない私がここにいる。

 

 ――こんこん、と扉がノックされ、はっと顔を上げる。

 

「どうぞ」

 

 ぴんと背筋を伸ばして座りなおし、机の上に散らばった書類を整えながら言えば、扉が遠慮がちに開かれた。

 そこにいたのは、駆逐艦の島風だった。

 

「失礼しまぁす……」

 

「あら、島風さん?」

 

「あれ、提督は――」

 

 珍しい来訪に目をパチパチさせていると、島風は室内を見回して提督がいないと知るや否や、出て行こうとする。

 

「提督がいないなら、いいや」

 

「あっ、島風さん! 伝言があるなら、私から伝えておきますよ」

 

「……んーん、大丈夫……です」

 

 目を合わせるでもなく下を向いて言う島風に、私でよければ力になりますと言えば、彼女は値踏みするような視線を初めて持ち上げた。

 

「力になるって……別に、私……てーとくと遊びたかっただけで……」

 

「提督と遊び……あぁ、いつものあの、かけっこですか」

 

 島風は、提督が着任して二日目の朝には既に彼に心を開いている様子だった。講堂の窓から見た島風の眩しい笑顔に提督の疲れ顔は一部の艦娘からは伝説扱いされていたりする。

 あの島風は無敵と思われる提督を唯一疲労させるパワーの持ち主だとか、提督以外には捕まえられない駆逐艦、だとか。

 

 と言うのも、演習や遠征のルーティンが未だ回ってきていない島風は基本的にどこにいるか分からないのである。

 鎮守府内にいるのは確実なのだろうが、自室にも中庭にも、倉庫区画にも工廠区画にも見つからないなんていうのはざらにあるらしいのだ。

 

 艦種で分けられた艦娘寮で個室をあてがわれているのも見つけられない要因の一つかもしれない。

 島風型駆逐艦の一番艦で、島風型の艦娘は他に存在していない。

 

 彼女にはいわゆる――姉妹艦が存在していない。

 

 それが無意識のうちに壁を生み出し、他の艦娘との距離となっているのかもしれない、と私は考えた。

 しかしながら、距離があるからといって無理に詰める必要も無く、一定の距離を保った状態で艦隊運営が出来れば問題無いとも考えてしまう。孤立させるつもりは無いが、望まない集団の中に放り込む必要も無いのだから。

 

「帰る」

 

 そう残して去ろうとする島風の背中を見つめていた私だったが、何故だかふと、声を掛けてしまう。

 

「島風さん――!」

 

「……なに」

 

「あっ……え、っとぉ……あ、あはは、べ、別に何でもなかったです……」

 

 島風を気にするより、先ずは目の前にある仕事に専念しなければ、と私は島風に苦笑を返し、手を振る。

 その時、頭の中に提督の顔が浮かんだ。いつもの調子で、頭の中の提督は私にこう言う。

 

『皆を見てきてやってくれ』

 

 どういう意味だろうか。全員に異常は無いか確認し、報告をすればいいのだろうか。

 違う。そんなわけが無い。

 

「……じゃ」

 

 島風が扉の向こうへ消えていく。扉が閉まってしまう。

 私は反射的に立ち上がり、小走りで扉まで行くと、取っ手を掴んで、また呼び止めてしまう。

 

「島風さん! あ、あの!」

 

「っ!? な、なに……?」

 

 勢いあまって扉を開き、島風の眼前に立ちふさがるような恰好になってしまった私だったが、この時はどうしてもこうせずにはいられなかった。

 何か話さなきゃ、どうして止めちゃったんだ、私は一体何を――。

 

 混乱寸前の脳内から直接飛び出た言葉は、島風を足止めするに充分なものだった。

 

「わ、私、一人っ子、と言いますか、同型艦がいなくて、ですね! それで、あのっ、あー……! お、お茶でも飲んで、休憩を挟もうと思ってまし、て……」

 

「……」

 

「あはは! すみません急に、ど、どうしたんでしょう、私……疲れてるんでしょうか、あはは……」

 

「大淀さんも、一人なの?」

 

「えっ? あ、は、はい、そう、ですね……」

 

 悩み、混乱している時というのは、それらを言葉にしてしまうと容易く整理出来てしまう。

 提督がよく皆を見てきてやってくれと言っていた意味を、真意を理解した時、艦娘となり心というものを持ってしまった私の本心も理解してしまう。

 

 同じ鎮守府から配属となった夕立を見た時、私は何を感じた?

 柱島にやってきて加賀や赤城といった同型艦がいない者同士で、何を感じた?

 

 ――孤独では無いのだという、ぬるま湯のような安心感だ。

 

 私は本心を理解し、言葉として再認識するとどうにも単純でくだらないと思って、笑ってしまう。

 

「あははっ、本当、どうしようもないですね私は」

 

 島風は不思議そうに私を見上げていたが、ふるふると首を横に振って言った。

 

「どうしようもない艦娘なんていない、って、提督が言ってた」

 

「え……?」

 

 彼女から出た声。

 

「あっ、あのね、島風、一人だから、仲間なんていないって、言われてたから……どうしようも無い子だって、言われてたから、だから……それでね、あの、えっと」

 

 彼女なりに言葉を組み立てようと必死なのか、スカートの裾を弄ったり、髪の毛を弄ったり、そわそわとした様子で私をちらちらと見る。

 その姿が何とも健気で、私はまた笑ってしまった。

 

「……っふふ」

 

「なっ! なんで笑うの……」

 

「いえ、すみません。島風さんって、誰も捕まえられない人で、掴めないなぁって思ってたんですが……素直で良い子なんだな、と」

 

「……むぅ」

 

「け、決して馬鹿にしているだとか、揶揄っているわけじゃないんですよ? ふふっ……提督は視察に出ていらっしゃるので不在ですが、お茶でもいかがですか? 休憩しようと思ってましたので。中でお話でもしませんか?」

 

「いいの?」

 

「えぇ、もちろんです。一人っ子同士、ね?」

 

 ふふん、と冗談めかして言うと、島風は瞳を太陽を照り返す海面のように輝かせて頷いた。

 

 

* * *

 

 

「連装砲ちゃんも連れてきてあげたら良かったなぁ」

 

「連装砲ちゃん、とは……いつも抱えていらっしゃる、あの?」

 

「うん。ここに来る前まであんまり整備してあげられなかったから、しばらくは明石さんに預けることになってるの。ちゃんと直してあげるって」

 

「そうでしたか……だから、提督を……」

 

「……うん」

 

 執務室の応接用ソファに並んで座る私と島風は、温かなお茶を啜りつつ互いの身の上を話していた。

 聞くに、彼女は前鎮守府にて最前線で戦っていたらしい。

 正確には戦っていたというより、大破撤退する艦隊の護衛を担っていたのだとか。

 

 大破撤退の護衛となれば戦果などあるわけも無く、無事に艦隊を連れ戻したことが記録されても褒められないで逆に叱責を受けてきたらしい。

 

 艦隊が大破するまで怨敵を追い詰めたのに、お前はみすみす敵を見逃し、その上で尻尾を巻いて逃げてきたのか、と。

 

 私から言わせれば、大破した艦隊を単独で連れ戻しただけでも相当な功績である。

 確かに敵を追撃して撃滅する事だって選択にあったかもしれないが、彼女は一瞬で仲間を守る事を選んで確実にそれを遂行した。褒められはしても責められる謂われは無いはず。

 

 だが彼女は言葉を真に受け、自分はどうしようも無い艦娘なのだと責めた。

 そんなことが続けば、心は閉ざされてしまう、自明の理である。

 

 そうして異動となった彼女は、異動先であるこの柱島でも一人なのだと思い込みフラフラと他の艦娘を眺めていたらしいのだ。

 それを偶然見つけた提督が声を掛け、彼女と話をしたらしい。

 

「提督はね、一人じゃないぞって。お前には皆がついてるって言ってくれたの。でも、どうやって話しかければいいか、分かんないし……」

 

「……難しいですね」

 

「大淀さんでも難しいの……?」

 

 島風がこちらを見て意外そうに言うものだから、私は大真面目に頷いて言う。

 

「とても難しい事です。先ほども、島風さんを呼び止めるのにどうしたらいいか迷いました」

 

「でも、お茶でも飲もう、って……」

 

 そう、それだけでいい。

 どんな作戦よりも困難で、あくびをするよりも簡単な、不思議な一言。

 

 提督が容易く口にした、一緒に飯を食おう、という言葉と同じもの。

 

「とっても勇気が必要でしたよ。島風さんにどう思われるだろう、島風さんに嫌がられたらどうしようって」

 

「そんな事思わないよ! 島風、嬉しかったもん!」

 

「っふふ。それは光栄です。では今度から、島風さんを見つけたら捕まえなきゃいけませんね?」

 

「おぅっ……!? え、えへへ……島風は速いから、捕まらないもーん!」

 

 島風は足をぱたぱたと揺らしながら笑った。

 

「……あの提督が疲労するレベルですから、冗談ではなさそうですね」

 

 私は苦笑して、残りのお茶をくっと飲み干してから湯飲みを置く。

 

「さて、仕事の続きをしなければ……」

 

「あっ……そう、だよね。じゃあ島風、出て行くね」

 

 分かりやすくしゅんとした島風に、私は笑いかけて仕事が終わればまた、と言おうとする。

 その前に別の考えが先行して口から出た。

 

「そうだ、島風さんにも仕事を手伝って貰いたいんですが、よろしいですか?」

 

「ぁ……! うん! 島風に出来ることなら!」

 

 赤城と加賀、両名の監視……いや、一航戦が感情任せに鎮守府を出て行ったり、暴れたりしないのは予想出来る。ならば必要なことはなんだ……?

 一航戦の二人は鳳翔の涙の理由を私に問うた。それは鳳翔が提督に何かをされたのではないかと疑っているということ。同時に、鳳翔は一航戦にとって所属が違えど、大切な存在である事。

 

 それだけで一航戦があそこまで怒りをあらわにするだろうか? 否、考えにくい。

 

 導き出される予測は――鳳翔と一航戦に、私の知らない繋がりがある、という事。

 

「赤城さんと加賀さんを執務室に連れてきて欲しいんです。少しお話がありまして……その間に、もう一杯お茶をいれておきますから」

 

「了解! 島風、出撃しまーす!」

 

「あっ、廊下は走っちゃダメですよ! 危ないですからー!」

 

「はーい!」

 

 走っちゃダメと言ったのに目の前で走り去っていく島風を見て、溜息とも苦笑いとも取れない吐息が漏れる。

 ともあれ、島風が一航戦の二人を連れて来るまでに少しでも仕事を進めようと気を取り直して机に向か――

 

「連れてきたよ!」

 

「はっや嘘でしょ」

 

 っは……!? なんて言葉遣いをしてるの私! ダメダメ……連合艦隊旗艦だった誇りと規律を思い出して大淀!

 出て行ってほんの数分もしないうちに戻ってきて扉をあけ放った島風に驚きを隠せないまま、私は目を白黒させて島風に手を掴まれてやって来た一航戦に座るよう促す。

 

「あ、あの、大淀さん、一体何が、突然風が吹いて、気づいたらここに、なんで、どうやって……」

「ああああ赤城さんおおおちおち落ち着くのよ、ががが鎧袖一触よ」

 

「ふふーん! 島風は速いんだから! ね、大淀さん!」

 

「……そうですね」

 

 深く考えちゃダメなのだろうと本能が追及を止める。が、聞かないわけにもいかず。

 どうやら島風が執務室を出てすぐの廊下で一航戦の二人が歩いているのを見つけ、事情も説明せず引っ掴んで連れてきたらしい。赤城と加賀は演習の見学にでも行こうとしていたところだったとか。

 

 島風をこのまま執務室に待機させるのも申し訳なかったので、私は「まだお茶をいれられてないので……明石の所で連装砲ちゃんの様子を見てきてあげてください。そのついでに、開発の進捗をきいてきてくださると助かります」と言う。

 彼女は心地よい返事とともに、また風のように走り去っていくのだった。

 

「んんっ……急な呼び出しですみません、赤城さん、加賀さん」

 

 切り替えに咳払いを一つして机の上に重なる書類を手に取りつつ話し始めると、二人は自然とソファに腰を下ろした。

 勘の良い二人は私が言わんとすることを察してか、私と島風が使った湯飲みが置かれたままのテーブルを見つめながら沈黙する。

 

「今朝の話とは別……とは言い切れませんが、少し伺いたい事がありまして」

 

「鳳翔さんの事ね」

 

 加賀が平坦な声で言う。対して頷きで返した私は、書類と二人とを交互に見ながら言葉を紡いだ。

 

「どうして鳳翔さんが――と私に問いましたが、守秘義務で答えられず、なのにお二人に伺うなど納得できないでしょうが――」

 

「艦娘に納得など必要ありませんもの。問われたことに答えればいい……前の所も、そうだったでしょう」

 

 赤城は目を伏せて自嘲気味な声音で言った。

 ここはそうでは無いと言いたかったが、今の二人にある私や提督への不信を考えれば逆効果であろうと、心を鬼にして問うた。

 

「艦隊運営に支障が出ては困りますので、率直に問います。お二人と鳳翔さんはどのような関係ですか? 私達が所属していた鎮守府の鳳翔さんではありませんが」

 

 赤城と加賀は顔を見合わせていたが、あっさりと答える。

 

「私達の教導艦でした」

 

 加賀の声に途切れなく続く赤城の声。

 

「艦娘として生を受け、海上を漂っていた私や加賀さんを保護してくださったんです。そのまま教導艦として大淀さんと同じ鎮守府へ配属されるまでの間、お世話になっていました」

 

 うん? と疑問が浮かび、私は立ち上がってキャビネットへ歩み寄る。

 そこから取り出されるのは、私がこの鎮守府に来る前に渡された資料。くしゃくしゃになってしまったのを改めてファイリングしたものだ。

 ぱらぱらとめくって柱島鎮守府に所属している艦娘の目録から赤城と加賀を見つけ出し、内容をざっと見てみるも、そのような事は記されていなかった。

 

 目録にあるのは公式の記録だ。という事は――

 

「空母赤城、加賀……私と同じ()()に所属……その前の記録は無し……大本営付、では無いですよね」

 

 大本営預かりの記録があれば、私が知っているはずだ。

 

「鳳翔さんの前所属は……あ、れ……?」

 

 私の目の前の記録に間違いがなければ、記録には――鹿屋基地、と記されている。

 鳳翔が異動となった原因、深海棲艦の急襲による提督の死亡と、それによる戦意の喪失――。

 

「そう、よね……何故、騒ぎにならなかったのでしょうか……おかしい、本来なら急襲原因を探るはず……」

 

「大淀さん? 聞きたい事はそれだけかしら。もう何もないのなら、演習の見学に行かせていただきたいのだけれど」

 

 明らかにこの場から逃げ出したそうな加賀の声に私は人差し指を立てて「ちょっと待ってください」と強めに言ってしまう。

 私の勢いに一航戦の二人が身を強張らせたのが横目に見えた。

 

 その間にも、私の思考は回転し、目は記録を追う。

 乱暴に頁をめくりながら、急襲の原因に触れようとしている記録は無いのかと探すも、見当たらず。

 これでは無いなら別の記録か、とキャビネットから違うファイルを取り出して探しつつ、赤城と加賀どちらに言うともなく声を投げた。

 

「鳳翔さんにお世話になっていたのは鹿屋基地ですか?」

 

「……そう、です」

 

 赤城の困惑するような声に思考が加速していく。

 

「では、鹿屋基地の提督を見たことがあるのですね? どのような方だったのか分かりますか?」

 

「いえ、直接見たことは――」

 

「保護されていたのに提督を見たことが無いのですか? 変な話ですね。保護とあれば大本営に艦娘登録をして、所属を鹿屋基地へ置いたという記録が残っているはずなのですが。その提督の名前はご存じですか?」

 

 言葉を遮って言う私に二人は閉口する。

 言い返せないからだ、というのは言わずとも分かった。

 

 どうして気づかなかったのか――否、気づけなくて当然だった。

 私は言葉として組み立てれば簡単な違和感に気づかなかったのだ。島風に声を掛けた時のように、当たり前だったからこそ踏み出して考えなかったのだ。

 

「――赤城さんと加賀さんが正式登録されたのは、私と同じ()()()()()()()()()()()である……違いますか?」

 

「「……」」

 

 沈黙こそ、答え。

 

「見たことも無い提督に従い活動を続けていたのですか?」

 

 責めているつもりは無いが、言葉だけ切り取ればそう思われても仕方のない物言いをしてしまう私。

 赤城と加賀は逆に責められることなど想定していなかったかのように狼狽を見せた。

 

 唐突な事で、自分達が隠していた事が露呈してしまったのは、それこそ想定外だったのだろう。

 

 当たり前だったから。自然で、当然であったから。

 

 私と共に過ごしていた事。鳳翔とも過ごしていた事。その間に横たわる記録の無い記憶こそ、二人だけが触れていた、秘匿された真実。

 

「ここで大本営に申告してしまわれると考えなかったのですか? いいえ、それよりも未登録での活動期間を大本営に直接指摘された場合どうするおつもりだったんです?」

 

「お、大淀さ――」

 

「鳳翔さんも未登録である事を認識していた可能性がありますので、後ほど聴取する必要があります。その際には赤城さんと加賀さんにも同席してもらいますからそのつもりで。認識していた場合は鳳翔さんと提督の間でどのような――」

 

「――鳳翔さんは悪くありませんッ!」

 

 下を向いたまま、加賀が大声を上げた。

 赤城は加賀の手を握って唇をかみしめている。恐らく、無意識だろう。

 

「処罰があるならば私が受けます! 未登録期間中、鹿屋基地の提督からの命令はありませんでした! 全て私の独断で行動していたんです! だから、鳳翔さんは悪くありませんッ!」

 

 加賀はそう言い切った後、ぶは、と肺に残った空気と緊張を吐き出して、両肩で息をした。

 

 これは、私が悪いな、とファイルをぱたりと閉じ、ふうと吐息を洩らす。

 

「……すみません、勘違いさせるような言い方をしてしまいました。私は二人に何があったのか聞きたかっただけです。鳳翔さんが一航戦のお二人を保護した後、どうして未登録のままだったのか。舞鶴に来た際に登録となったのならば、保護された時期も申告され記録が残っているはずなのですが、残念ながら私の手元にある資料には残っていません。お二人を知らねばならないのです、私は」

 

「それに……」

「大淀さん……?」

 

「ここは柱島鎮守府――海原提督の預かる泊地です。その所属である私達が仲違いして責め合う理由がどこにありますか。知らねばならないのは、仲間を――お二人を守らなければならないからです」

 

「「っ……!」」

 

 私は言葉を選びながら、アウトプットすることによって自分の思考を整理するように言う。

 

「鳳翔さんが目を赤くしていた理由は、私の口から話すことはできません。守秘義務ですので。ですが、鳳翔さんと関係の深いお二人ならば、鳳翔さんが世間話をしている時にでもポロっと言ってしまう可能性もあるでしょう。食堂か、はたまた談話室か、それはきっと私の関知しない場所でしょうし、万が一お二人が何かを知り得たとしても、お二人の口から私に洩れなければ、守秘義務違反にはなりません。私は知らないのですから」

 

 キャビネットにファイルを収め、眼鏡を指で押し上げてから机に戻って椅子に座ると、私はペンを手に取って書類を処理することで気持ちを落ち着かせる。

 思考から紡がれる会話と、書類の処理、二つを同時にこなすことで強制的に感情を抑えるという、戦場にも似た感覚。

 

「過去は変えられない、故に我々は未来を変える」

 

 ぽつりと言った私に、赤城が「それは、提督の……」と顔を上げた。

 

「赤城さんも加賀さんも、過去に引きずられて未来を塗りつぶしてしまうおつもりですか。それで鳳翔さんに胸を張れるのですか」

 

 純粋な問いは加賀の顔をも上げさせた。

 

「互いを信じられず、どうして提督の艦娘と胸を張れましょう。違いますか」

 

「大淀、さん……でも、私達は、ずっと嘘をついて――!」

 

 加賀の懺悔の言葉に私は首を横に振った。

 

「嘘ではありません。私は同じ所属であったのにお二人の事を深く知らなかった……それだけです」

 

 提督ならば、こう言うかな、なんて思いつつ、恰好をつけすぎただろうかと少し恥ずかしくなって私はまた眼鏡を押し上げた。

 

「鳳翔さんが戻ったら、聞かせてくれますね。鹿屋基地で何があったのか」

 

「……大淀さんが、提督に選ばれた理由が今、分かりました」

 

 赤城の声に首を傾げてしまった私だったが、加賀は赤城に頷いて、私を見る。

 

「ごめんなさい、大淀さん。私はあなたの信用に傷をつけるような――」

 

「加賀さん、私は気にしていないと……」

 

「いいえ、ダメよ。これは一航戦として、恥ずべき事だわ」

 

 ぴしゃりと言い切った加賀は立ち上がる。同じく赤城も立ち上がり、二人は同時に頭を下げた。

 

「なっ、や、やめてくださいお二人とも! 本当に、私は気にしてなんかないですから!」

 

「あなたが何と言おうと、これは一航戦としてせねばならない事です」

 

 赤城に続き、加賀の言葉。

 

「それから……改めて、同所属の艦娘として、言わせて」

 

 

 加賀の声に、私の心臓が跳ね上がった。

 

 

「――鳳翔さんを……救って欲しいの」




不定期更新ながらたくさんの方に読んでもらえて嬉しい限りです。
誤字報告や評価、感想全てに目を通しております……感謝が止まりません……。

返信遅れっぱなしで手を出せておりませんが、お許しを……でも見てます、とても励みになっています……。

この時世、大変なこともあると思いますが、皆様ご無理されぬようご自愛ください。


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四十一話 事情②【艦娘side・大淀】

「鳳翔さんを、救う……?」

 

 私が鸚鵡返しすると、加賀は頷いた後に顔を伏せ、手を揉みながら言った。

 

「どこから話せばいいの、かしら……鳳翔さんは艦娘として生まれてからずっと、鹿屋基地に所属していたらしいのだけれど、私や赤城さん以外にも、訓練している艦娘が大勢いて……それで……」

 

 加賀に助け舟を出すように赤城が話を繋げる。

 

「鳳翔さんは教導艦の代表だったのです。元、ですが……これは大淀さんも、ご存じですよね?」

 

「それは、まぁ」

 

 教導艦――日本に艦娘という存在が多数確認されるようになり、日本の所属となった初期型の艦娘は一番初めに《軍》を求めたという。

 その頃の日本に海軍、陸軍というものは存在しておらず、過去から現在にかけて《自衛隊》という名称になっていたらしいのだ。もちろん、そういった機関があったというのは私も知っている。記録の上で。

 

 日本政府は未知の脅威である深海棲艦に対抗すべく、唯一の反撃手段たる私達艦娘を管理、運用するために海上自衛隊、陸上自衛隊の名称を変更し《海軍》や《陸軍》を再編した。

 一時期は軍国主義になるのかと波紋を広げたが、深海棲艦の被害が増えるにつれ反対の声は薄くなり、軍と名が変わっただけの自衛機関と理解が進んでからは記録上に残る自衛隊があった頃と同じような位置に収まったと聞く。それも、また最近になって反対の声が大きくなっているのは否めないところだが……。

 

 私達が艦娘ではなく艦だった頃を思っての名称変更だったとも聞いている。それこそ言い訳で、もっと深い所に本当の意味があるのだろうが、渦中にいながらも関係の薄い私達では手の出せない場所でもある。

 他国とのやり取りの中で軍を持たない国である日本が、深海棲艦相手とは言え正式に武力を持つことになったのだから、何もできないながらも存在しているだけで私達に意味はあるらしい。

 

 直接的に深海棲艦という脅威に立ち向かう機関の代表として、海軍元帥。

 深海棲艦やその他被害において復興を担う機関の代表として、陸軍元帥。

 

 代表者をあえて分ける事で互いのことに集中して被害を抑えることに成功しているが故に世界は滅びを免れている反面、組織の複雑化によって多方面で問題が起こっているのが現状である。

 陸と海で大臣が二人存在しているのだから、避けられようもないデメリットだが、そうしなければ手が回らなかったとも受け取れる。深海棲艦はそれほどの脅威であり、ひとたび陸上に近づけば沿岸部から崩壊してしまう恐れは十二分にある。

 

 故に、海軍の責は重い。

 それを手助けしながら監視する陸軍の責も同様。

 

「鳳翔さんの他、数年前は各鎮守府に教導艦がいましたが、艦娘と同時期に出現した妖精の作り出した技術――《建造ドック》のお陰で艦娘の数は一時期多くなりましたよね。同じ容姿で存在する私達に混乱もありましたが、それぞれ違う記憶があり、違う毎日を送っている――」

 

 当たり前の事を口にする赤城を急かすように「それで?」と言う私に、加賀は少しビクついて目を泳がせた。

 

「そんな中で、前に一度、聞いた事があるだけ、と言いますか……鳳翔さんが私や加賀さんに相談を持ち掛けてきた事がありまして……あ、いや、相談と、言えるかどうかも……」

 

「平たく、便宜上、で構いませんから、その先を」

 

 苛立っている訳では無い。赤城や加賀は曲がりなりにも私と同じ所属だったのだから、助けになりたいからこその――いいや、これは嘘だ。

 私は少し、腹を立てているのかもしれないと頭の片隅で考える。

 

 同所属でありながら、この鎮守府で出会ってからも彼女達の事を知っていると思い込んでいた自分に、だが。

 私は赤城の事も、加賀の事も知らなかったんじゃないか。

 

「鳳翔さんから()()()()()()()()()()()()()()という話を聞いたんです」

 

「うん……? なんですか、それ」

 

 赤城も鳳翔に同じことを聞いたのだろう。私の疑問に即座に返答する彼女。

 

「恐らくは、解体の事……だと思います」

 

「解体って――それは私達を処分するために沈める事じゃ――」

 

 私の持つ知識とは違う赤城の言に、声が大きくなってしまう。

 無意識に詰め寄ろうとした私が一歩踏み出した時、加賀が前に出てきて私の両肩を正面から掴んだ。

 

「お、落ち着いてください大淀さん! まだ確証は無いんです! ただ聞いただけで、本当に出来るかどうかも、分からなくて……!」

 

 赤城も加賀も真面目な艦娘だ。

 私が知る限り、見てきた限り、確実な事しか言わず、確実な事しか行わない。

 そんな二人から不確定な言葉が出たのが何より私を狼狽させた。

 

 深く鼻で呼吸を繰り返し、いつの間にかじっとりとかいていた汗でズレた眼鏡を押し上げて、話を続ける。

 

「解体によって艦娘が人になれる、という認識で間違いないですか?」

 

 そう問えば、赤城と加賀は目配せした後に、多分、と小さな声で言った。

 

「仮に出来たとしても、問題は山積みのような気がしますが? 艦娘は一人じゃありません、赤城さんや、加賀さんも一人じゃない……私だってそうです。同型の艦娘が同時に解体された場合、同じ人間が二人存在してしまうじゃないですか」

 

 浮上してくる問題はこれだけじゃない。

 

「例えば私が解体されて人間になったとしましょう……ある日、別の鎮守府にいる大淀が解体された場合、先に解体された私と後から解体された私、どちらが本物の大淀になるのでしょう? 艦娘という枠組みがあるからこそ大淀は大勢存在していて不思議では無いのです。お二人は海原提督が二人存在していたのならば、どちらが本物なのかと考えたりしないのですか?」

 

 初期型と呼ばれる艦娘を知っている者は皆が同じように認知している事実がもう一つある。

 ある程度成人に近い容姿をしている艦娘ならばいざ知らず、少女の見た目をしている駆逐艦などに顕著にみられるもの――不老。

 

 私達は深海棲艦に沈められる事以外での死が存在しないのではないかという疑惑。

 

 十数年経とうとも一切見た目の変化が起こらない私達艦娘は――年を取らない。

 

 もしも解体され、人間になったとしたら、どうなるのかも分からない。

 

「大淀さんのおっしゃる事は分かります。私や加賀さんも同じことを話したことだって……。でも、あの鳳翔さんが嘘を言うでしょうか。冗談だとしても質が悪すぎると思いますし、あまりに……」

 

 想像に難くないもう一つの問題は、資材があれば建造できる艦娘そのもの。

 解体すれば人になるのだとしたら、利用価値はどれほどのものになることか。

 

 唯一の救いは、建造できる者が限られている事だけだ。

 具体的には、提督という存在でなければ建造できないとされている。

 

 妖精が建造に力を貸す例は多くなく、この柱島鎮守府においても同じだ。

 

 提督の言いつけによる日に三回行われる建造は艦娘自体が建造されるのではなく、既存の艦娘の艤装のみを作り出しているのがまさにそれだ。

 妖精と会話の出来ない私達ではどういった意図で建造が行われているのか定かでは無いものの、明石は建造された艤装を利用して所属艦娘の艤装改修するという重要な任務を担っている。

 

 もし、もしもだが、建造できる提督が他にも存在しており、艦娘自体を妖精と作り出してしまえるのならば――個人が途方もない武力を持つ事と同義となり、世界はまた変転するだろう。

 

 これは憶測に過ぎないが、あまりにも現実的である。

 

 提督が艤装しか作らないのも、恐らくはこれが理由。

 

「……危険すぎます。私達で行きつく予測を軍部がしていないはずがありません」

 

 何とか絞り出すように言う私に、赤城は力なく頷いた。

 

「私も、そう考えています。それを話してくださった鳳翔さんは、その……解体を、望んだそうです」

 

「……っ」

 

 点が繋がり線となる感覚は嫌いじゃない。だが、今回に限っては背筋が凍った。

 

「前鎮守府の提督と添い遂げるため、ですか」

 

 守秘義務を順守すべき立場であるのは理解しているが、口にせずにはいられなかった。

 私よりも関わりの深い一航戦の二人が知らないはずも無いと、問いかけずにはいられなかった。

 

「私は前鎮守府の提督の顔も、お声も知りませんが……鳳翔さんは本当に提督を愛していらっしゃいました。この戦争を乗り越え、もし解体が許されたのならば、一緒に歳を重ねたいと」

 

 加賀は複雑な、やはり言うべきでは無かった、とでも言いたげな顔をして言葉を繋ぐ。

 

「前の鎮守府は環境も悪くありませんでした。ですが、その中でも教え子であった私達に相談してくれたんです。私達が正式登録されなかったのも、前提督の計らいだったのですから」

 

「計らい?」

 

「私達一航戦は正規空母――驕るわけではありませんが、私か赤城さん、どちらかが戦場にいるだけで形勢をひっくり返すことも難しくありません。それだけの性能が正規空母にはあります。ですが……保護されたばかりの私達には、無くて……それで……」

 

 自らの力を理解している加賀は、基本どの鎮守府でも冷静沈着な性格をしていた。

 私の知っている目の前にいる加賀だって最初はそうだった。

 

 しかし、今は弱弱しく、申し訳なさそうに言い訳を重ねるように言葉を紡ぐばかり。

 

「相応の戦闘技術を得るまで教導艦であった鳳翔さんが正規空母として戦線に立てるまで育ててくれた……そうしなければならない理由があったと、そう言いたいのですね」

 

 加賀は頷く。

 赤城も同じように頷いた。

 

「他の教導艦でも良かったと思いますが、別鎮守府に行けなかった理由は何ですか?」

 

 今度は加賀に代わり赤城が説明を始める。といっても、短く、簡潔に。

 

「その頃の海軍は深海棲艦との戦闘が激化していて混乱も激しかった……海原提督が失踪する以前で、横須賀から南方周辺海域を開放する前でした。あの、多くの仲間を失った作戦が何度も実行された時代だったからです」

 

 

「捨て艦作戦、ですか……」

 

「丁度良い空母が発見された。戦闘はある程度出来るが重宝するまでも無い。ならば現戦力を削るより偶然に手に入った戦力を投入して最初に手をつけ育てていた艦娘を守る方が効率的である。多くの現場がそう判断をして行動していた頃に私達が放り出されていたら、きっと今、ここにいません」

 

 捨て艦作戦が実行されていた時、私達には絶望しか無かったが、ある意味ではその作戦で艦娘同士の結束は強かった。どうにかして自分と仲間を守らねばと躍起になって戦っていた。私も、そうだった。

 人間に不信感を抱いた艦娘も少なくない。

 

 鳳翔は赤城や加賀に、こうやって本気で愛してくれる人もいるのだと知って欲しかったのだろうか。

 希望を持っても良いのだと教えたかったのだろうか。

 知るだけで危険と分かり切ったことを話してしまう程に、赤城も加賀も、鳳翔さえも追い詰められていたのか。

 

 前提督の亡くなった今、真実は闇の中。

 

 ここまで分かりやすく消されてしまっては、なす術など無いじゃないか。

 

 鳳翔の狂言では無かった。

 赤城や加賀は鳳翔が嘘を言っているのではないと知っていても口に出来なかった。艦娘が人になれるかもしれないという情報の爆弾を抱えていたから。

 深海棲艦の襲撃では無く、別の方法で葬られた前提督が消えた理由は明らかになったが、犯人は分からないままだ。

 

 反対派が犯人だと仮定すれば、艦娘が解体されて人になるという情報を洩らされないよう前提督を消したと分かりやすく理由付けが可能だ。

 一貫して艦娘は兵器であり人では無いと言っているのだから、人になってしまっては反対派の核心が揺らいでしまう。そうしないために起こした行動だとすれば分かりやすいのだが……ならば何故、鳳翔は処分されなかったのかが引っかかってしまう。

 

 考え過ぎてだんだんと熱を帯びていく私は、眼鏡を外して目頭を指先でぐっと押さえた。

 

「謎が多すぎますね……前提督が亡くなられた時に傍にいた鳳翔さんが処分されていない理由が、どうにも……」

 

「私もそこまでは……ごめんなさい」

 

 加賀は再び頭を下げかけた時、私はすぐにそれを止めた。

 

「問題無い……と提督のように恰好良く言いきれたら安心させてあげられるのですが、私もまだまだですね。ですが私達は仲間です。出来る限りの事はしましょう。ここにいる限りは安全でしょうし、ね?」

 

「大淀さん……」

 

 赤城が私を見つめる。私はそれに微笑みかける。

 決して鳳翔を貶め傷つける意思は無いと伝わっただけでも及第点だろうか。

 

 思わぬところで爆弾を掴んでしまったが……提督にすぐさま伝えるかどうかも判断が難しい。

 伝えないという選択肢は無いものの、呉鎮守府の視察に行っている提督の近くにはあきつ丸や川内がいるため安全だとは思うが……。

 

 また考え過ぎで熱を帯びかけた私だったが、眼鏡をかけなおし、あきつ丸へ秘匿通信を試みる。

 

「一度報告を入れておくべきでしょう。少なくとも提督は私達を敵視するような事はありません」

 

「でも……っ」

 

 加賀はそこから声を失い、唇を噛んだ。

 信用しているが、信頼すべきか、そんな顔をしていた。

 

《ザッ……ザザッ……》

 

「こちら大淀。こちら大淀。あきつ丸さん、聞こえますか」

 

《ザッ……ザーッ……こちらあきつ丸。どうぞ》

 

「任務中にすみませんが、提督のお耳に入れておきたい話が……」

 

《あー……ザッ……少し、待ってもらいたいのでありますが……ザッ……》

 

 あきつ丸からの通信感度が悪く、どうにもノイズが酷い。

 トラブルでもあったのかとあきつ丸の声を待っていると、しばらくして突然――

 

《ザッ……ブツッ……ザー……》

 

「あれ……? あきつ丸さん?」

 

《ザザッ……これでいいのか? 大淀、聞こえるか? 私だ》

 

「て、てて提督!」

 

 一瞬だけ通信が切り替わるような音が入り込んだと思ったら、提督の声が私の鼓膜を揺らした。

 赤城と加賀も反射的に背筋を伸ばして私を見る。

 

《至急出撃してほしい。庶務は後回しで構わん》

 

「出撃ですか!?」

 

《そうだ。呉鎮守府に所属している駆逐艦、漣と朧の救援に向かってもらいたい。フィリピン海を南下中との事だ。このまま行けば数時間後にはパラオ泊地の付近に到達し、周辺の深海棲艦に発見されかねん》

 

 電話越しからでも伝わる、動くことも許されないほどの怒気。

 何が起こっているのか聞くことも出来ず、私は「ど、どのように……」と聞く。

 

《南方から深海棲艦の北上が何度も確認されているとの情報をこちらで得た。パラオやトラックで抑えきれなかったものが日本に向かってきているらしいが、ラバウル基地で敗走した残存勢力との見解もあるため、大本を叩く》

 

「たっ……!? どれだけの戦力を割くおつもりですか!」

 

 思わず金切り声を上げた私だったが、提督は声色を変えることなく言った。

 

《呉鎮守府に所属している艦娘にも私が指示を出すが、そう多くは無い。練度の高い戦艦を二隻、駆逐艦を二隻、重巡、軽巡を一隻ずつの合計六隻の艦隊を組みたい。編成は――》

 

 何故、どうしてと考える暇も与えられない。

 私はよたよたと机に歩み寄り、紙にペンを走らせる。

 

《第一艦隊として旗艦を戦艦扶桑、以下、戦艦山城、重巡那智、軽巡神通、駆逐夕立、島風を編成してくれ。作戦概要は呉鎮守府所属の漣、朧の救援と敵戦力の撃滅だが、足の速い島風を先に向かわせてほしい。明石に柱島鎮守府にある資材を全て使い込んででも早急に高温高圧缶とタービンの改良を行うように伝えるのだ。島風に搭載し、全速力で二隻に合流してもらいたい》

 

「ま、待ってください提督! 二つの開発を明石に……それも、すぐに出撃って、そんな……!」

 

 異を唱える? いいや、違う。

 無理だ。無謀だ。有り得ない。出来るわけが無い。

 

《第一艦隊の後方支援とし、第二艦隊も編成する。旗艦は空母赤城、以下、加賀、翔鶴、瑞鶴、駆逐時雨、綾波を編成してくれ。第二艦隊の出撃のタイミングは第一艦隊が出撃したあと、追ってこちらから指示する》

 

 無理だと思いながらも、私はメモを続けていた。

 片隅では捨て艦作戦が如き絶望を感じながら、もう片隅では妙な高揚感を覚えながら。

 

 どうしてこのタイミングで呉鎮守府に問題が発生しているのか?

 

 その問題を解決するために柱島鎮守府が動かねばならない理由があるのか?

 

 先刻得た情報をいつ伝えるべきか?

 

 今にも倒れてしまいそうなほどに思考を回転させる。

 

 私は――

 

「了解しました……至急通達します。一時間いただけますか」

 

 ――可能な限り、対応するしかない。

 

《一時間か、分かった。漣と朧との通信が繋がらないらしいので、島風が二隻を発見出来なかった際は……深海棲艦の撃滅に移行してもらいたい。島風は単独で戦闘せず、第一艦隊と合流を待つように伝えてくれ》

 

「……っは」

 

 これだから戦争は嫌いだ。

 考える時間さえ無く、ただ戦いを強いられる。

 

 しかしそれは提督とて同じ事。私だけが苦しんでいるわけじゃない。

 

 まずは明石に開発を急がせなければならないが……妖精と協力しても完成するかどうか……。

 奇しくも島風を明石の元へ向かわせていたのを思い出しながら、私は赤城と加賀にメモをさっと手渡す。

 

 編成と目的が簡単に書かれただけのメモだが、二人は目を剥いて私を見つめる。

 

 言いたい事はなんとなしに伝わるが、私もなにがなにやら、と首を横に振るしかなかった。

 

《各艦の装備は……――》

 

 赤城達に渡したメモとは別の紙に追加で書きとめ返事をすると、提督は後は頼んだという声を最後にノイズを残した。

 それに代わってあきつ丸の声が戻ってくる。

 

《いやはや、バタバタと申し訳ないであります大淀殿。申し訳ついでに報告をしたいのでありますが――》

 

「ま、待ってくださいあきつ丸さん! どうしてこんな、駆逐艦の救援なんて……呉鎮守府は提督が代わったんじゃ――!」

 

 私の混乱の一つはこれだった。どうして駆逐艦がたった二隻で遠方に向かっているのか。

 もしや艦隊で向かったが、他が轟沈してしまって命からがら逃げだせたのが二隻だったのだろうか?

 

《それについての報告でありますよ。どうにも……鹿屋基地から出向となって管理を任された清水という中佐が反対派だったようでありまして。巧妙に隠蔽工作をしていたようですが、少佐殿に暴かれてしまった、というところであります。艦娘が泣いていたからという無茶な言い分を通しておりましたが……。鹿屋基地に所属していた清水中佐は、鳳翔殿が鹿屋にいた頃に基地を任されていた者の後釜だということで――》

 

 まさか……いや、そんな……

 

《秘匿通信で自分に繋いだという事は、大淀殿も少佐殿と同じ結論に到達したという事でありましょう? やはり大淀殿は柱島の第二の頭脳でありますなぁ》

 

「違い、ます……ですが、提督の作戦指令で、い、いま、理解、しました……」

 

 私に話すまで、赤城も加賀も隠し通していた。だから生き延びて、ここにいる。

 提督も、知っていた……?

 

《大淀殿、謙遜を。しかし少佐殿はもう一歩先にいらっしゃいましたよ》

 

「もう一歩先とは」

 

《反対派の清水中佐は四国付近にある補給用資源海域を深海棲艦に明け渡すことによって九州の安全を守っていたらしく、その直近となる四国の宿毛湾泊地もまた、補給海域に侵入した深海棲艦を見逃していたのであります。そうすれば無駄な戦闘を避けることも出来る、と……事実上の白旗でありますな》

 

「それって――!」

 

《艦娘反対派とは――深海棲艦と戦うのを諦めた者の集まりだったというわけであります。卑しくも権力は手放したくないのか、艦娘反対と言いながら我々を使うのだから手に負えない。鳳翔殿の仕えていた鹿屋の提督殿は、何かと都合が悪かったのでありましょう。鳳翔殿と大事な約束をするほど、誠実な方だったのでありますから》

 

 反対派は我が身可愛さに艦娘を、国民を危険に晒した。

 その中でも邪魔だった鳳翔の提督を消した理由は、解体の秘密を知っていたから、という理由の他に、こんな、どうしようもないことで……?

 

 提督は全てを知って、それでも任務をとあきつ丸を通して私に伝えたのか。

 

 赤城と加賀、両名と目が合い、メモを返される。

 私はそれを受け取り、怒りでチカチカする視界の中、もう一度編成を見た。

 

 滾る怒りを限界ギリギリで堪え、理性で抑えこみ、艦娘を救えと私に言った提督の声音がリフレインする。

 

 まるで何千、何万とシミュレーションを行ったかのような無駄のない采配だった。

 

「……あきつ丸さんは、艦娘が解体されるとどうなるか、知っていますか」

 

 あきつ丸にとっては急な問いだったろうに、彼女は短く肯定の声を上げた。

 

「提督には、それをお伝えしましたか」

 

《いいえ。自分と川内殿からは何も。大淀殿も知っているのならば、その情報がどれだけ危険であるかは理解していらっしゃるでしょうに。何故、少佐殿に伝える必要がありましょうか》

 

「それを知っていて、鳳翔さんには何も言わなかったじゃないですか」

 

 震える声のまま言う私に、あきつ丸は少し黙った後、言葉を紡いだ。

 

《伝えましたとも。鳳翔殿は一人では無い。信念と復讐を違えぬように、と》

 

 でも提督は何も、そう言いかけた。

 

《少佐殿も、我々の前で言ったではありませんか。鳳翔殿に向かって、お前は最後まで残ったのに、私を置いていくつもりか、と》

 

 その言葉にはっとして、声が漏れた。

 

「ぁ……」

 

《一人では無い……その言葉通り、多くの艦娘がいる中で、たった二隻の艦娘を救うために、鳳翔殿へ言った言葉が嘘では無いと示すために、作戦を伝えたのでありますよ。現在、元帥閣下が呉鎮守府に向かっておられます。元帥閣下が違うと断ずるならば、少佐殿は迷いなく処刑台へ進むでありましょう》

 

「っ……そ、そんな事させません!」

 

《当然であります。少佐殿とて易々と首を差し出す男ではありませんとも。呉鎮守府の指揮権を元帥閣下と山元大佐からもぎ取って、呉港を握っております。無茶な作戦を確実にするためにと、補給艦をも用意しておいでですよ》

 

「補給艦まで……!?」

 

《補給艦――速吸、神威を編成した補給艦隊が呉鎮守府より出撃します。万が一が起ころうとも、柱島の第一、第二艦隊は継続戦闘が可能となりましょう》

 

 柱島を発って数時間。呉鎮守府で事が起こったのが到着してすぐだとしても、二時間か、三時間。

 執務室の壁に掛けられた時計に目をやる私に同調するように、一航戦の二人も時計を見た。

 

《一瞬の判断、とはよく耳にするでありますが、前回の一晩の立案を超えて数十分の作戦、ときては言葉も出ないでありますよ》

 

 乾いた笑い声をあげるあきつ丸だったが、私はもう声さえも出せなかった。

 

《それと、鳳翔殿がそろそろ戻られる頃でありましょうから、少佐殿からの伝言をお願いできますかな》

 

「わ、わかりました。何を伝えれば良いですか?」

 

 あきつ丸は、提督が全てを知っていると確信させる伝言を残した。

 

 

 

 

 

《軽空母鳳翔殿へ――熟練した妖精がいれば、艦載機へ搭乗させるように選別を、と》



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四十二話 自浄【提督side】

長くなりましたので分割の投稿になります。
後半は今しばらくお待ちください……。


 医務室に響く那珂の泣き声。それが落ち着いたのは西日がほんの少しだけ強くなった頃だろうか。

 

 那珂を置いてさっさと仕事をしようにも足を動かせず、俺はただじっと待った。

 

 その間、那珂は山元大佐がどれだけ大切だったかを川内に訴えていた。

 それを訴える相手は本来ならば俺や松岡、鹿屋から山元大佐に代わりやってきた清水のはずだが、姉妹艦である川内に吐露するところを見るに、飾りのない本心であるとも受け取れ声を挟むことはしなかった。

 

「ここを出る前にね、提督は那珂ちゃんの目を見てくれたんだよ。ちゃんと、真っすぐ」

 

「うん」

 

「久しぶりだったの。ずっとずっと、どうすればいいか分からないって顔をしてて、苦しそうで、辛そうで、だから那珂ちゃんが出来る事なら何でもしてあげたくて」

 

「……うん」

 

「提督は、強くならなくちゃいけないって言ったの。そんなの、那珂ちゃんだって同じだよって言ったら、提督が、頑張ろうなって」

 

「……そっか」

 

 川内の胸に抱かれ、まるで幼子のように頭を撫でられながらぼうっとした表情で語る那珂の赤くなった目元から、やっとのことで止まった涙がまた一粒流れた。

 

「艦娘は人と一緒にいちゃダメなの? 私達は兵器だから、何も考えちゃダメなの?」

 

「そんな事……!」

 

 川内は「無い」と言い切れなかったのか、ぐっと奥歯を噛みしめて那珂を強く抱き寄せた。

 口を挟むべきではないと理解していながらも俺は我慢できずに言う。

 

「一緒にいればいいだろう」

 

「海原さん……」

 

 言った後に、やっぱり俺が口を挟むのは空気読めてなかったよなぁ……! と後悔して俯き、軍帽を目深に被りなおした。

 やっべぇこの空気どうすんの。助けて松岡。

 

 空虚な俺の咳払いに、ふとあきつ丸が言った。

 

「自分も、陸軍には居場所がありませんでしたからなぁ。那珂殿のお気持ち、お察しします」

 

 ぐ、と松岡が妙なうめき声を上げたので、そちらに顔を向けると、松岡も俺を見た。

 松岡は申し訳なさそうな顔をしながら、俺とあきつ丸に静かに言った。

 

「陸軍内部に艦娘を良く思わない者がいるのは事実です。陸の所属であると名乗った数少ない艦娘を受け入れてくれる部隊など指折り数える程度……未知の兵器など扱いきれないと表立って言うものの、それは海軍とて同様であると言うのに、情けない限りであります」

 

 あきつ丸なりの皮肉か嫌味か、と気づくも、事実としてあきつ丸は井之上さんの所に預けられていて、最終的に柱島へやってきた。扱いきれないからと言って大本営に送り返していたらキリがないじゃないか。

 というか送り返すという選択がまず無いだろう。これは完全に俺個人の考えだが……。

 

 俺がいた世界の艦娘はコレクションするものだった。もちろん、敵を倒して育てたり、資材を集めたりと様々な遊び方はあるが、目的は艦娘の収集だ。

 イベント限定艦娘然り、ある海域で期間限定でしか邂逅出来ない艦娘がいたりと、集めて下さいと言わんばかりのゲームだった。

 

 途中から鬼畜難易度が実装されたり海域突破ギミックが複雑になったりしたが、それはまあ、うん。

 

 ……うん。

 

 ともかく! 艦娘を追いやる、なんて考えは無い! それだけは確かだ!

 

 考えてもみて欲しい。ゲームの頃はいざ知らず、艦娘は現在深海棲艦との闘いの主力として海を駆け回っている。素人社畜野郎の俺の鎮守府とて遠征だの警備だので艦娘を運用し、この前なんて勝手に艦娘を拾って帰って来たんだぞ。その上、潜水艦絶対撃滅艦娘こと五十鈴が何十隻という大軍を退け、あまつさえ途中補給を敵補給艦で行って継続戦闘というバーサーカーっぷりを発揮……よくそんな存在に逆らえるもんだ。俺は無理。目の前で戦闘とか見たら失禁する自信がある。

 ネタキャラとして名高い天龍でさえ大破しながらも不敵な笑みを浮かべて敵軽巡を刀で両断したというではないか。報告書をあげたのは同行していた雷と電だったが、内容を見た時は冗談かと思った。敵軽巡洋艦を両断、撃滅を確認って書いてあったんだぞ。敵はハムとかバターじゃないんだぞ。

 

「艦娘を手放すなど有り得ん」

 

 艦娘なんて嫌いだ! どっか行っちゃえー! なんて言ってみろ。人類という種がどっか行く。

 それをそのまま伝えるわけにもいかないが、心証を害するわけにもいかない。オブラートに包んでね、丁寧にそれっぽくね。

 

 俺の声に全員の顔がこちらを向いた。

 目を合わせるのも気まずかったので、また軍帽を深く被り、目元を隠す俺。

 

「……平和を得るために艦娘の存在は絶対だ。戦争の鍵は我々軍人では無く、艦娘なのだ」

 

 これじゃあちょっと冷たいよな……うーん……。

 人間などどうでもいい、と言いたいわけでは無い。人間も大事、艦娘も大事。

 

「ただの兵器として心無く火を噴かせるなど愚か者のする事。彼女らはかの大戦より蘇り、未だ人々を守らんと戦う《心》を持っている。それがどういう意味か分かるか?」

 

「……」

 

 誰も答えず、互いの呼吸音だけが医務室を満たす。

 ……いや答えてよ! どういう意味なのか俺だって分かんねえよ! クソァッ!

 

「人と同じ、だと仰りたいのですか、閣下」

 

 松岡の低い声に、同じく低い声で返す。

 

「そうだ。見たままに艦娘などと呼ばれていると私は思わん。那珂は何故泣いている。川内は何故那珂を抱き、撫でている。あきつ丸は何を察し、声を上げた。そういう機能でもついていたか?」

 

「機能など、そんな事は……」

 

「我々も言葉には表せない程に考え、感じ、生きている。それと彼女らの今と、何が違うのだ」

 

「……」

 

「確かに人では無かろう。私は海に浮かんで砲を撃つなど出来んからな。そこだけを切り取れば確かに兵器と言って間違いでは無い。だが正しくも無い。故に、艦娘なのだ」

 

 あ、あぁぁ……ダメだ、何言ってるか自分でも分かんなくなってきた……。

 初心に立ち返れ俺。艦娘イズジャスティス。可愛いイズジャスティス。これだ。

 

「艦娘は人々を守るために立ち上がった……では艦娘は誰が守ってやれば良いのだ。軍だ。我々こそが彼女らに寄り添わねばならんのだ。心を侵す脅威や一人ではどうにもできない環境から、理性と規律を以て守るのだ。それに……美人の笑顔を守るのは、男の矜持と呼べんか、松岡」

 

 誰がどう見たってあきつ丸は可愛いだろう? 陸軍は後悔しても遅いぞ。返さないからな。

 あきつ丸がいなきゃ仕事出来ないんだから俺。大淀も川内も、というか艦娘がいなきゃ仕事出来ねえんだぞ。どんだけ役立たずだよ俺。本当にすみません。

 

「閣下……」

 

 もう言葉が浮かばない。ごめんな役立たずで。

 

 俺は仕事に逃げるぜ! 仕事から逃げたかったのに、仕事に逃げるってこれもう何したいのか分かんねえ……社畜な思考を恨んでも、どうしようもないのだが。

 

 すっと背筋を伸ばし、威厳スイッチ(故障中)を殴りつけるかの如く連打して威厳を維持しつつ川内に告げる。

 

「川内。姉なのだから、しっかりと妹を見ててやってくれ。那珂も少しは落ち着いたろう? 今度こそ執務室に向かう。もう、大丈夫だな?」

 

「う、ん……はいっ! あ、あの、海原さんっ」

 

「なんだ」

 

 背を向けて医務室を出ようとした俺の背中に、少しだけ無理をしているような、でもほんの少し持ち直したような那珂の声。

 

「ありがとうございますっ。提督が戻ったら、ちゃんと、一緒にお礼を――!」

 

「構わん。そんな時間があるなら、山元をしっかり支えてやってくれ」

 

「……はいっ!」

 

 うーん……やっぱり大正義那珂ちゃん。あの体育会系は日に十回くらい那珂に手を合わせて感謝の祈りを捧げるべきだ。

 俺は山元大佐に若干の羨望の念を抱きながら松岡とあきつ丸を連れて医務室を後にした。

 

 

* * *

 

 

「少佐殿、その、自分は」

 

「あきつ丸は私の補佐を頼む。松岡、お前もだ。軍規に反する事があれば私であれ止めろ、良いな」

 

「っは」

 

 自然と急ぎ足になりながら執務室の道へ進む最中、履きっぱなしなのに一向に柔らかくならない革靴にさえ苛立ちを覚える俺。

 胸中にじっとりと広がるストレスの正体は言わずもがな。胃腸にまで鈍痛を感じる。

 

 俺に定められた仕事は艦娘を癒すことであり、通常の軍人とは内容も難度も桁違いなのだろうが、それにしても杜撰。あまりにもおざなりな仕事ではなかろうかと怒りが湧く。

 おざなり、と言えば俺も人の事は言えないが、形だけでも警備や遠征を行い規定には従っている……と、思う。恐らく。

 

 艦娘を泣かすなど言語道断だ! とも言いたいが知らず知らずのうちに泣かしていたこともあるので、それも人の事は言えない。主に仕事しっかりしてくれという意味で泣かれる事が多いような気もしないこともないが、今回はそんな俺を超えるおかしい事態だ。

 

 艦これの知識を仕事に持ち込んで良いものかどうかはさておき、遠征の真意も分からないまま遠方にたった二隻を送り込むなど、どういう了見か。

 ただそれだけでは誤解を与えかねないので言い方、いや、ここは聞き方か……? には気をつけねばならない。俺が知っている艦これ知識とは違って、この世界での艦娘を用いた遠征は少数で行うものなのかもしれないからだ。

 ゲームの頃ならば燃費を考え低練度の駆逐艦を二隻、ないし三隻編成で二艦隊ほど組んで燃料や弾薬を集めさせたりしていたが、現実にもそういった遠征が行われているのかも確認しなければいけない。那珂や潮が泣いてまで拒否反応を示したのも変な話だ。バラバラにされちゃう、などと口にしてまで。

 

「陸軍は海軍の仕事をどこまで把握している」

 

 道すがらに問えば、松岡はごつごつと重たい足音の中、少しだけ間を置いて答えた。

 

「海軍の機密規定に抵触する事項以外は、おおよそ共有されております。各拠点の記録なども、戦闘、遠征、またはどのような開発が行われているかなども請求すれば閲覧可能であります。開発に関しましては妖精、というものが関係し……っと、閣下はご存じでありますね。失礼を」

 

「妖精が関係している開発は軍規に抵触するため、閲覧は不可能か」

 

「っは、そう定められております」

 

「ならば問題無い」

 

「と、言いますと……?」

 

「私は同じ海軍だ。記録を閲覧するのに階級の問題があるならば、その限りでは無いが」

 

「そ、そうでありますね……事が事なだけに、失念しておりました……!」

 

 おい頼むぞ松岡。お前が知らん事は俺も知らん。というか何も分からんのだからお前とあきつ丸だけが頼りなんだぞ……!

 死ぬ気でサポートしろ!

 

 他力本願は今に始まった事じゃないからスルーで頼むぜ!

 

「少数での遠征は那珂が泣いてしまう程に困難な作戦なのか、というのが気になる。私も先日遠征任務を行ったのだが、敵艦と遭遇したと報告を受けている。駆逐艦を侮っているのではなく、二隻でも問題無いと判断した理由を知りたい。問題無いのであれば、潮があれほどに取り乱す理由を問わねばならん」

 

「閣下、お言葉ですが、真正面からそのように問うて大丈夫なのでしょうか」

 

「なに……?」

 

 聞いちゃだめなの? 那珂ちゃんが泣いてたのに? それこそ何でだよ!

 足を止めて軍帽から理由を聞こうと上目遣いに松岡の顔を窺うと、俺と目の合った松岡はその場でひゅっと妙な呼吸をして気を付けの恰好となる。

 

「どういう意味だ……? 私が分からん事を上官に伺うのは、ダメな事なのか……?」

 

「い、えっ、そのような! じ、じじ自分が言いたいのは、清水中佐が素直に答えるとは思えないと、そういう――!」

 

「何故、素直に答えない可能性がある? 間違ったことをしている訳でもあるまい。艦娘を遠征に出す、何らおかしなことは無いだろう。だが、それでは潮が取り乱していた理由が分からんというだけだ」

 

「ぅ……ぐ……」

 

 え……? もしかして質問するにも軍特有の礼儀があったりするのか?

 軍と言えば体育会系――第一に出会った山元大佐も俺と出会った際は先輩風ならぬ上官風を吹かしていたような気がするが、質問者にはそういう風体が必要であると、そういう事か?

 

 しかしあの時は山元大佐が少佐である俺に挨拶という形でやって来たに過ぎない。今回は少佐の俺が中佐に挨拶、もとい視察に来たわけで高圧的な態度をとるわけにも……。

 視察前に高圧的な態度を取ってしまったようにも思うが、松岡が俺を咎めることも無かった。類推するに間違っている訳では無かった、という事か?

 

 社畜に必要な能力のうちの一つ……類推からの応用……これしか無い……!

 

「……承知した。ならばその分、お前の助けが必要になる」

 

 艦これ繋がりで調べたところ、海外について良く学んでいたと知識にある海軍のこと、きっと威圧に近い乱暴さというのも一つのコミュニケーションなのかもしれない。

 洋画などで見られるスラングを用いた会話なんていうのも良く目にするしな……ネイビーなんちゃらって映画でも「てめえに心配されるくらいならばあちゃんが作ったパイでも食ってる方がマシだぜ」とか言ってた気がする。意味は知らんが。

 郷に入っては郷に従え――自分が知らないからと言って礼を尽くさないのはよろしくない。

 一般人かつただの社畜の俺には高いハードルだが、越えて見せようじゃないか……艦娘のために……!

 

 俺がすべき仕事を具体的かつ簡潔に頭に浮かべる。

 

 一つは記録の閲覧。これまでの遠征記録を見せてもらって、少数艦隊での遠征がおかしいか否かを判断する事。これは松岡も一緒に見ることが出来るため、何らかのルールに違反していないかの判断もしやすい。

 

 二つ目は遠征任務の発令に際して、艦娘から反発があったかどうかの確認。潮や那珂の反応を見れば明らかなのだが、清水中佐には見せなかった可能性は否めない。上司の機嫌を損なわないために曖昧な物言いをしていたら、知らず知らずのうちに仕事が決まってしまって泣きを見るというのは良くある話だ。俺もそうだった。

 清水中佐が遠征に出した意図を知り、俺が潮達を代弁してバラバラにされるのは困ると言っていたと報告すればいい。もしも軋轢が生まれるようであれば、俺や松岡が間に入れば済む話だ。

 山元大佐が戻ってくるまでの間は気まずくなってしまうかもしれないが、嫌な仕事を受け続ける事と気まずい時間を過ごす事とどちらが嫌なのか判断するのは本人だしな。

 

「閣下がなさる事には協力を惜しんだりはしませんが……何を……」

 

 何をって全部だよ! ちきしょお!

 

 ぐるぐると考えているうちに執務室の前までやってきた俺は、深呼吸する。

 

 あきつ丸が不安そうに俺を見上げた。こうやって艦娘に心配されるのはやぶさかでないが、俺とて提督の端くれ……何千何万といる提督の中の一人なのだ。やってやるとも。

 

 社畜時代の礼儀とは真逆――恥も恐れも捨てされ、まもる――!

 

「……さて」

 

 仕事を始めようじゃないか!

 

 山元大佐を思い浮かべながら、俺は扉をノック無しに勢いよく開け放った。

 

「なっ……少佐殿――!」

「閣下――!?」

 

 爆ぜるような勢いで開いた扉の向こうには、驚愕の表情で椅子に座る清水中佐。

 俺は重たい革靴の足音を鳴らして応接用ソファまで来ると、どかっと腰をおろして軍帽を脱ぐ。

 

「なっ、海原、貴様ッ――」

 

「質問に答えろ中佐――間違った事は言うな」

 

 間違ったことを言われたら俺も混乱するからね。お互いにちゃんと確認し合いながら話そうね。

 そんな気持ちで口から飛び出た第一声。

 耳鳴りがするほどに室内がしんとした。怒られてないから間違ってないんだと思う。

 

「呉鎮守府における艦娘の運用は間違っていないか?」

 

「な、何を言うかと思えば……ん、んんっ……鹿屋基地との運用にそう大差は無い。山元の件で警備範囲の縮小こそあったが、それ以外は問題は――」

 

「大佐だ」

 

「あ……?」

 

 威圧的なコミュニケーションでも上司と部下の関係は大事だぞ! あの体育会系でさえ俺の事をちゃんと少佐って呼んでたんだからな! お前がきちんとしていなきゃ俺が礼を尽くしている意味が無いだろうが……!

 

「山元大佐だ。訂正しろ」

 

「ぇ……は……?」

 

「これは陸軍憲兵を交えた正式な視察である。記録の閲覧を含み呉鎮守府の運営に不備が無いかを確認させていただきたい。私が言っている事が分かるな……?」

 

 仕事サボるために来たんだけど、憲兵もいるから適当な仕事は出来んのだ、分かってくれ清水中佐ァッ……!

 伝われ、頼む伝わってくれ、と目で訴える俺。松岡と俺を見て顔面蒼白になっていく清水中佐。

 

 急に仕事だって言われて困っているのが手に取るように伝わった。マジでごめんて。俺もこうなるとか思ってなかったから。恨むなら大淀を恨んでくれ。大体あいつが悪――いや俺が悪いな……。

 

「そんな事聞いていないぞ! 何が正式な視察だ! ならばフダの一つくらい用意して出直せ!」

 

 フダ……ふだ……礼? あ、令状の事!?

 清水中佐のもっともな言い分に俺は唸ってしまう。そらそうだよね、と。

 

「な、なんだ……!」

 

「いや、なに。その通りだと思ったまでだ。松岡、用意しろ」

 

 ごめん頼らせて松岡。今度からちゃんとまるゆみたいに松岡隊長! って呼ぶから。

 

「っは。では書類を取り寄せ――」

 

 それじゃ間に合わねえんだよなぁ! 清水中佐の言う通り、視察をするならそういう書類がいるんだろう? 今ここに無きゃ仕事出来ないじゃんかよぉ!

 だが俺がここで無茶を言って求めるのは、社畜精神を松岡に押し付けてしまうことに……っぐ、しかしそうせねば俺の仕事が終わらない……社畜時代の俺の上司はこのような板挟みを経験していたという事か……! くそぉ! 横暴野郎とか思っててごめんよぉ!(横暴)

 

「取り寄せる? 何を言っている。ここで書け」

 

「か、閣下……しかし……」

 

「大方、書類に必要なのは承認だろう。ならば、お前がここで承認すれば済む話じゃないのか」

 

「っ……」

 

 俺の言葉に松岡は険しい表情で考え込み、数十秒して懐に手を入れ、ペンを取り出した。

 それから、ずかずかと執務室の棚へ歩み寄って適当な紙を一枚用意すると、その場でがりがりと何かを書き始める。

 静かに待っている間にも、清水中佐は顔から色を失っていく。

 

 後でちゃんと謝っておこう。急に仕事させて本当に申し訳ない……あとで余った金平糖あげるから……。

 

「閣下――こちらを」

 

 松岡が差し出してきた紙には『令状』と書かれており、あぁ、やっぱり軍だからこういうのが必要だったんだぁ……なんて思いつつ内容を流し読みする。

 書かれている内容は至ってシンプルなもので、呉鎮守府における不正の有無の確認、といったところ。

 

 仰々しい内容にも見えるが、仕事における契約書も似たようなもんだと俺もペンを取り出し、空いている署名欄にサインする。海原鎮、と。

 

 俺がペンを走らせるのを固唾をのんで見守るあきつ丸の視線に気づき、愛想笑いしておく。ちゃんと仕事するんで大淀にはチクらないでください。

 

 そんな時、目に入った松岡の名前。どうやら松岡忠というらしい。憲兵隊で忠という名前とは、いかにもといった感じだ。間違いは許さないぞ! って伝わってくる。頼もしい限りである。

 特徴的な角ばった字体で西日本統括なんとか……と書かれているあたり、憲兵隊は全国に存在しているようだ。西日本に所属している憲兵隊の隊長の署名があるならば、視察をしても問題無いだろうと、俺はサインし終わった紙を清水中佐へ差し出した。

 

「これでいいか?」

 

「ぁ……ぅぅ……!」

 

「これで、問題無いか?」

 

 清水中佐が受け取らないので、何か不備があったかな、と令状を見直すも、あっているかどうかさえ分からない俺が見ても理解出来ず。

 そこで、はっと気づいた。俺の所属とか書かなきゃダメだったりする!? と。

 

「あぁ、失礼した。少し待て」

 

 松岡の署名を真似するように、その下へ付け加える。

 

《陸軍大臣付西日本統括部隊、大佐、松岡忠》

 

 こいつ、山元大佐と同じ階級かよ……俺の上司じゃん……。なんて考えつつ。

 陸軍での一番偉い人は大臣、という事だろうから、海軍ならば井之上さんになるのか。じゃあ……とさらさら書き加える。

 

《海軍元帥付柱島鎮守府提督、少佐、海原鎮》

 

 よし。完璧である。

 何かあれば井之上さんを全力で頼って行こうという気満々だ。

 

「ほら、これで視察をしても問題は無いな?」

 

 改めて差し出すと、清水中佐は両手でそれを受け取り、内容を見た後にこっくり首を縦に振った。

 っしゃぁ……及第点だろぉ……! 見たかよあきつ丸ゥ! 俺だってやるときゃやるんだぜ!

 

 あとは無茶な事してたら松岡に『これはダメだぞ! めっ!』ってしてもらうだけだ。

 ルールに従った運用であれば問題無いから、仕事も終わり。非の打ち所がない俺の対応力よ……。

 

 じゃあ仕事だ! 那珂ちゃんが泣いてたわけを聞かせてもらおう! 潮にビンタ貰った理由もなぁ!

 

「では清水中佐。呉鎮守府所属の軽巡洋艦那珂は知っているな? その艦娘が泣いていたのだが、その理由は分かるか?」

 

「し、知らん」

 

「知らん、か……那珂は私に《バラバラにされる》と言っていたのだが、これは《解体される》という解釈をすべきか? それとも、互いに離されてしまうと解釈すべきか?」

 

 これが分からない。那珂は提督が帰ってくる前に皆バラバラにされてしまうと言っていた。

 艦これで言う解体が独断で行われてしまうのに恐怖しているのか、はたまた艦娘同士が方々へ飛ばされ、離散させられてしまうのに恐怖しているのか。

 それに、提督は戻らない、死ぬだろうとまで那珂に言ったのだ。裏付けが無ければ虚言と同じ、それを国を預かる軍が口にして良いはずがない。

 

「遠征に向かう事をバラバラにされると、早とちりしたのではないか? 出向で鎮守府を預かっているからと言っても所属している艦娘の建造や解体に関しては裁量が無い」

 

 清水中佐の返しに、あきつ丸が何か言いたげな顔をしたのが目に入った俺は、そちらに声を掛ける。

 

「なんだあきつ丸。言ってみろ」

 

「ぇ、は……はっ! な、何でもないであります!」

 

 そういうのが一番気になるだろうが!

 

「構わん、私が許可する。何が気になっているんだ」

 

 あきつ丸は逡巡し、おろおろと俺と清水中佐を見て言った。

 

「遠征に際して、バラバラにされるなどと、艦娘が言うでしょうか、と……し、私見であります。申し訳ありま――」

 

 あきつ丸の謝罪に食い気味に声を重ねる清水中佐。

 

「艦娘の私見で決めつけてもらっては困る。呉鎮守府を預かっているのは私だぞ。艦娘を最大限有効活用するのに分散させるのがおかしい事か!」

 

 清水中佐の言はもっともだ。数がいればその分出来る事は増える。手が多ければ多い程仕事に対して割ける労力は大きくなる。理にかなっている。

 しかしあきつ丸の言葉は俺が問いたかった疑問にも直結している事……ナイスアシストだぞあきつ丸ゥ!

 

 やっぱりサポートがなきゃ仕事出来ないんだなぁ俺……と、感謝しつつ落ち込みつつラッキーとテンションが上がる感情のジェットコースターをポーカーフェイスでひた隠し、言葉を紡ぐ。

 

「清水中佐の言う通りだ。数が多いならば効率良く動かして最大の利益を得る……当然だな」

 

「だ、だろう!? そう、そうなのだ。艦娘を最大限に活かしてこその海軍であり――」

 

「では、その効率とやらがどれだけの利益を生んでいるか、記録を拝見させてもらおう」

 

「っ――!?」

 

「……なんだ? おかしな事を言ったか? 記録くらい残しているだろう。手書きかデータかは知らんが、清水中佐の運用で軍に有用に働いているのならば私も見習わねばならんからな」

 

 技術を見て盗む、ならぬ記録を見て盗む……仕事とくれば俺は自分の事を優先させてもらう!

 ちゃんと運用出来てるなら柱島でもそれやるから、な? 見せてくれよぉ!

 

「記録は、の、のこ……って、い、ない……」

 

「……ほう」

 

 こいつ……俺と同じサボり魔か……?

 記録に残ってないなら資材の管理も出来ないだろうが! 怒られるぞ!

 しかし考えてみれば、急な呼び出しで鹿屋からこちらにやってきたのだろうから、記録の様式も違ったりしていたのかもしれない。それで記録が用意できておらず、とりあえずは別の形で残していたりする可能性もある。

 

 何度も部署異動したりしていた俺もそういう経験があるので強くは責められない。

 だが記録が無ければ報告だって上げられない。俺の場合はドチャクソに上司に怒られまくって、記録の無い期間は正直に記録できませんでしたという報告を上げて穴あきとして処理した記憶がある。

 

 俺という部下がいる手前、清水中佐は恥を忍んで上司に怒ってもらうとして……そういう処理をしなければならないだろう。

 

「では、早急に処理せねばならんな」

 

「しょっ……!? ま、待ってくれ海原! 記録はある! あるが、実験的運用を兼ねている故に外部には出せんのだ! 憲兵隊がいればなおの事、分かるだろう!?」

 

「ふむ……海軍の機密という訳だな?」

 

「そうだ!」

 

「承知した。松岡、出ろ」

 

 じゃあ出せばいいじゃん。解決である。

 

「……っは」

 

 松岡はすぐに執務室を出て行き、残される俺とあきつ丸、清水中佐。

 清水中佐はぽかんとして松岡の背を見送った後、あきつ丸を見て、俺を見る。

 

「これでいいか?」

 

「……か、艦娘にも見せるわけにはいかん! これは指揮官のみが閲覧できる――」

 

「あぁ、分かった。あきつ丸、お前も出ろ」

 

「し、しかし少佐殿!」

 

「出ろ。軍規上の問題ならば仕方あるまい」

 

「っぐ……」

 

 あきつ丸は軍服の裾にしわが残ってしまうくらい強く握りしめ、清水中佐を睨みつける。

 清水中佐はと言えば、口角をほんのり上げていた。軍規とは言え艦娘を蚊帳の外に追いやるのは申し訳ないが、許してくれ。仕事はするんで。

 

「少佐殿、な、何かあれば、あの、すぐにお呼びを」

 

「うむ。ありがとう、あきつ丸」

 

「……」

 

 あきつ丸が出て行った後、いや、あきつ丸が出て行った瞬間の事だった。

 ぱたりと音を残して扉が閉まった瞬間、前に向き直った俺の視界に映る――この世界で何度目かになる黒光りする獲物。

 

 カサカサしてるほうではなく、ばーんという音が鳴る方だ。

 

「何をしている、清水中佐」

 

「それはこちらのセリフだ……どうやって嗅ぎ付けた……!」

 

 嗅ぎ付けた? 何の話してるんだこいつ。

 

「仕事の話をしたいのだが――」

 

「うるさい、動くな……! 殺しはせん……駆逐からの報告があるまでは、邪魔をしないでもらうぞ」

 

 ……なるほど分かった。こいつ自分の仕事は絶対に邪魔されたくない系の社畜だな?

 はっはぁん、なら話は早い。仕事を邪魔するつもりなど欠片も無いので、邪魔にならない質問をすればいいのだ。

 

 艦娘の運用については遠征中だから邪魔するなという事だろう。

 なら、鎮守府の運営については聞ける。

 

 こうして銃口を向けられても混乱しないのは、疲れや緊張を超えて非現実感が勝っているからだろうな、と考えた。何せ痛みを伴わない。

 

 この世界に一番初めにやってきた時に混乱したのは、名も知らぬ軍人に顔面パンチをお見舞いされて怒鳴り散らされたからだ。俺以外でも混乱するだろう。そらそうよ。

 顔面を容赦なく殴りつけてくるような男が銃を取り出したのならば、撃ち抜かれるかもしれないという恐怖もより濃くなる。だから逆らわなかった。

 

 だがそれ以外に二度銃口を向けられた時は痛みは無かった。ただ向けられただけだ。

 そりゃあ一切の恐怖が無いと言えば嘘になるが、本当に撃てばどうなるかなんて相手が考えていないはずもない。

 山元大佐の時はゴーヤ達がいたし、今回はあきつ丸のほか、松岡もすぐ外で待機している。そこで銃声なんて聞こえてこようものなら俺も清水中佐もお叱りなどでは済まないだろう。

 

「撃つ気はあるまい」

 

 フリじゃないからな。マジで撃つなよ。

 言っておきながら自分で怖くなってくるという世紀のアホっぷりを発揮しつつ、俺は抵抗する気は無いので、と両手を胸まで上げてソファの背もたれに寄りかかった。

 

「き、貴様ァッ……!」

 

「仕事の話をしたいのだが、続けて構わんな? 遠征について話せないのならば、鎮守府の運営について不備が無いか確認させてもら――」

 

 俺の話の途中、清水中佐は立ち上がって銃を強調するように示し言った。

 

「少佐の貴様が死のうとも、中佐の私が残っていれば問題はあるまい……! 分からんのか、あぁ……!?」

 

「いや、だから、仕事の話を――」

 

 ただ俺は仕事を終わらせて鎮守府に帰って休みたいだけなんですぅ……!

 

「貴様のような偽善者が国民を危険に晒すのだ……! 武力の前では成す術など無いと何故分からん……!」

 

「武力の話などしていないだろう。落ち着かんか。私はこの呉鎮守府の運営について――」

 

「我々軍隊は護国のために存在しているのだ……軍規だけでは守れんものが存在しているのを理解しているのか、海原!」

 

 マジでなんの話してるんだよ清水……お前疲れすぎじゃないのか……。

 俺は何だか可哀そうになってしまい、大きなため息を吐き出して上げていた両手を下げ、指を組んで肘を膝につき、ふむ、とだけ呟いた。

 

「仕事は辛いか、清水中佐」

 

「辛いわけがあるか! 護国のためならば魂を引き裂かれても構わん!」

 

「ならばどうして職務を全うせんのだ」

 

「どうしようもないからだ……どう、しようも……!」

 

「何が、どうして、どうしようもないという考えに至った?」

 

 俺は艦娘のケアで手一杯――出来ているとは言っていない――だと言うのに、上司の愚痴にまで付き合わなきゃいかんのか、と頭痛を感じながら言葉を投げ合う。

 

「現状を見て分からんのか? 国は疲弊し、艦娘を運用できる者も限られている今、国民の地力さえ発揮できんのだ。軍がどれだけ踏ん張ったところで、残された道は少ないのだぞ」

 

「運用できる者がいないと、そういう話か?」

 

「……そうだ」

 

「いるだろう。ここに」

 

「は?」

 

「艦娘を指揮する提督はここにいるだろうと言っているのだ」

 

 そうです。俺です。艦隊運営はお任せください!

 すみません調子に乗りました。だが一理も無く言ったわけでは無い。艦娘を指揮するのに俺という存在は微妙かもしれないが、数日とは言え大淀のサポートありきで運営は出来ているし、実績として五十鈴や球磨、天龍達も深海棲艦を撃退だってしている。ちゃんと出来てるだろう? と清水を見る。

 まぁそれも全部艦娘達がやってくれた事で、俺がやった事は書類仕事ばっかりなんだけれども。

 

「貴様の、ような、無能な者が艦娘などというものを、助長し、のさばらせるから……!」

 

「艦娘に恨みでもある物言いだな」

 

「当然だ! あのような得体の知れない存在に縋るなど! ふざけるな!」

 

 ふざけるな、だと……!?

 おいおいおい、こいつ言っちゃいけねえことを言ったな……。

 

 言ったなァッ!?

 

 全国百二十万を超える提督を侮辱するような事を言ったなァッ!?

 

「艦娘が、ふざけているだと……?」

 

「あんな化け物風情がわが物顔で国を歩いて――」

 

 化け物? あの、可愛さの権化の集まりが、化け物?

 教育が必要だ、こいつには。

 

「護国が為に立ち上がった者に対して化け物とは随分だな、清水」

 

「う、動くな!」

 

 ゆらりと立ち上がった俺に対して照準を合わせる清水だったが、そこに恐怖など微塵も無かった。

 あるのは圧倒的怒り――可愛いを否定する者への憤怒――!

 

「ならば艦娘と関わりのない場所で存分に働けば良いだけの話だ。本当に護国を思うのであれば地の果てだろうが問題は無い。違うか?」

 

「詭弁を――!」

 

「詭弁を弄しているのはどちらだ! 答えろ清水ッ!!」

 

「!?」

 

 俺の怒鳴り声に執務室の扉が開かれる。

 あきつ丸や松岡が何やら叫んでいたが、怒りのあまり耳鳴りがしている俺には届かず。

 間を置かずに川内や那珂までやってきてしまうも、気にする余裕など無かった。

 

 ただ可愛いを愛でてはだめなのかと。仕事をしているだけではダメなのかと。

 まとまりのない癇癪を怒りだと胸中で言い訳しながら、情けなくも、俺はまだ当たり散らすのだった。

 

「お前は誰のせいだと理由をつけて己が目的を果たせなかった現実から逃げるつもりか! ならば私も言わせてもらおう――そんなもの知ったことかッ! 責務を果たせ! 艦娘を守れ! 護国を思うならばなおのことだッ!」

 

 艦娘を守るのは自分の仕事であるというのに怒鳴り散らすあたり、完全に狂人なのは俺の方である。

 だがどうしても否定されたくなかったのだ。艦隊これくしょんは、艦娘は、俺の人生の支えだ。昔も、今も。

 

「那珂がバラバラにされるかもしれんと、山元はもう戻らないと言われたと泣いていたのだぞ!? 潮など私の頬を張ってまで仲間を返せと言ったのだ! どれだけの想いが内にあったか推し量れんほど私も愚かでは無い……居ても立っても居られないほどの想いが私の頬を打ったのだ! そんな玩具で脅されようが引くわけにはいかんッ!」

 

 一息で言った後、俺は大きく息を吸い込み、渾身の力で勝手な自負を吐き出した。

 

 

 

「――提督をなめるなッ!」

 

 

「う、ぅぅぁああああ!」

 

 

 

 俺の怒声と、清水中佐の叫びが重なった。そして――ひとつ、轟音が鳴り響く。

 

 時の流れが止まったかと思うほどの静寂に、花火でもした後のような独特な香り、それと……俺の頬に走る、潮に平手打ちされた時とは違う痛み。

 

 清水中佐が銃を撃ったのだと気づくのに、たっぷり数十秒は掛かったように思う。

 

 そこで俺はようやく、銃は本物だったんだなと思うのと同時に、あまり恐怖を感じないことに驚いた。

 年端もいかない子どもの癇癪のような怒りが脳みそが浸るほどの興奮剤を出してくれていたのだろう。

 

 これが冷静な時であれば、きっと土下座をして命乞いでもしていたに違いない。

 

「……ふん。潮の平手の方がよっぽどだったな」

 

「な、ぁ、ぅぁ……!」

 

「言え。艦娘をどこへ向かわせた」

 

 俺がそう言うと、清水中佐は銃を取り落としながらぽつりと答えた。

 

「南方の、海域だ……通信は、切るように言いつけて、ある……」

 

「この際だ、通信を切るように言いつけた理由は後で聞く。では、何故その海域へ二隻のみで遠征に向かわせたか答えろ」

 

「……」

 

「柱島付近でさえ深海棲艦が確認されているのに、二隻のみを送って問題無い海域なのか?」

 

「わ、私は悪くない……私は……!」

 

 どさりと椅子に座り込んだ清水。それを見下ろす恰好となったまま、俺は嫌な予感しかせず、あきつ丸に海図を探すように言う。

 テレビで見たような家宅捜索さながらに棚を中身を引きずり出して海図を持ってきたあきつ丸からそれを取った瞬間の事だった。どこからともなく、大勢の妖精が現れた。

 

『まもる! まもる!』

 

『だいじょうぶだよ。わたしたち、ちゃんといるよ』

 

『手伝う! いっぱい手伝うからね!』

 

 あきつ丸が「よ、妖精が、こんなに――!?」と声を上げるも、俺はすぐにでも漣達を連れ戻さねばと必死に海図を睨みつける。

 妖精達が各々自分よりも大きなペンを持ち上げて海図のところどころに印をつけていくのを見ながら、人差し指を這わせどこら辺にいるのかを考える。

 

「遠征に向かわせてどれだけの時間が経過している」

 

 俺が誰に言うともなく問えば、那珂が「も、もう半日くらいは、経って……」と答えてくれた。

 すると、妖精の一人が海図のある地点に印を書いた。

 

『あの二人のはやさだと、ここらへん! いそげば、まにあう!』

 

「……ここに向かうまでに、同程度……いや、半分かかるとして、二人はどこまで進む」

 

『……これ、くらい!』

 

 ペンを重そうに動かし、もっと南を示した妖精。

 いくつもつけられた印に、見覚えがある。何度も何度も繰り返し出撃した記憶があった。

 

 この世界ではこれが初めてになるかもしれない、と俺は額を手で押さえ、顔を顰める。

 

 大淀達に任せっぱなしの遠征などでは無い。これこそが俺の初陣になるだろう、と。

 

「サーモン……いや、ソロモン海か――」

 

 俺の呟きにすらかき消されそうな、清水中佐の声が耳に届いた。

 

「ぺ、ペンが、浮いて、う、動いて……!? ば、化け物……!」

 

 それに反応さえせず、俺の脳が記憶をかき回す。

 百万を超える提督たちが踏み越えた海域を、俺は今ここで、現実で、越えねばならない。

 

 松岡やあきつ丸、川内や那珂の声さえも遠くなるような感覚の中で、肩を揺らされてはっと顔を上げる。

 

「少佐殿――」

 

 なんだ、と問う間も無く、あきつ丸の唇が動く。

 

「――元帥閣下から、お電話であります」

 

 井之上さんが? と違和感を抱く一方で、艦娘を癒せと言った張本人たる海軍の長の全てを見透かしたようなタイミングに冷静さを取り戻しつつ、俺は差し出された電話を受け取った。

 

 

「お電話かわりました。海原です」



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四十三話 自浄②【提督side】

 元帥からの連絡内容は、俺にとって、いや、呉鎮守府にとって一番の朗報だった。

 先日の一件で井之上さんが海軍に働きかけたのか、山元大佐が呉に戻ってくるというのだ。

 

 艦娘反対派――その中核であったらしい山元は国民をも巻き込んでいた事実があるため、処分するにも厄介であるとの事。処分を見送りにして再び呉鎮守府に据える事で派閥の動きを緩和しようと考えているようだが、俺に複雑怪奇な政治だのは分からない。

 軽率に信用し過ぎなのかもしれないが、俺には井之上さんが悪いことを企んで山元大佐を呉に戻してやろうと考えているなどとは思えず、ただ――

 

「山元が戻ってくるんですか!? あぁ……良かった……!」

 

『なっ、よ、良かっただと!?』

 

 ――と、仕事がこれ以上増えるのを阻止出来たと喜ぶにとどまるのだった。

 井之上さんには呆れられたっぽいが、仕事が増えれば俺の胃腸が冗談抜きでストレスにより爆発四散しかねない。勘弁して。

 

 山元大佐は軍規により……という展開にもならずに済んだだけでも御の字なのに、井之上さんはこれから山元を連れて呉へ戻ってくるとまで言った。仕事ができる人間はやはり何もかも完璧である。俺が苦しんでいるのをどっかで見てたんじゃないかと勘繰ってしまうくらいのタイミングだ。

 

 しかしながら、そんな井之上さんにも予想外の事があった。

 

 ――清水中佐だ。

 

 鹿屋基地から出向となり山元大佐の穴を埋める形で呉鎮守府の運営を任された男は、井之上さんの信用に足る人間だったらしい。艦娘を上手く運用して九州南部の防衛を担う素晴らしい男だと言わしめる人物とのことだが、そんな男も今や電話を片手にデスクに海図を広げる俺の前で力なくぐったりとしているだけ。

 

 一瞬、井之上さんに電話を代われと言われて清水中佐に渡した時は任務を妨害しただのと言われてしまったものの、松岡にガンマンかな? という素早さで取り出した拳銃を向けられ「貴様ァ!」と怒鳴られていた。もちろん止めた。やめてマジで。

 

 海図を見ながら状況を伝え、とにかく漣達を連れ戻したい一心で言い訳をこねくりまわし呉港の使用許可をもらった俺の頭は、生きてきた中で一番働いていたように思う。

 因みに二番目は職場がブラック過ぎて部署の半分が辞めた時である。あの時の仕事量と言ったらもう……それはいいか。

 

 そうして、井之上さんとの会話を終えた俺は現在、さらに詳しい状況を把握するために妖精の協力のもと、ペンの尻を何度も額にコツコツと当てながらどのようにして二隻を迎えに行くか考えた。

 

「二人の速さなら、ここ……既に半日……追いつくのに、どう見積もっても……半分は掛かるとして……いや、しかし……」

 

 ぶつぶつと独り言が漏れる。

 

 妖精たちが印をつけてくれた日本より遙か南にある島周辺は、明らかに艦これで言う所の南方海域――五の一から五の四と呼ばれる全てのマップを重ねたかのような複雑さだった。印を線で繋いでみればより複雑になり……なんだこれ変な事するんじゃなかった。

 

『もう! まもる! せっかく描いたのにぃ! 色を! ちゃんと! 変えて!』

 

「……うむ」

 

 怒られた……。

 幸いにも水性ペンだったらしく、妖精が取り出した米粒みたいなハンカチでこすれば簡単に消えてくれた。ほんとすみませんいらんことしました……。

 そんな様子を見ていたあきつ丸が俺に寄ってきて、スッと数本のペンを差し出してくる。

 

「少佐殿、こちらを」

 

「助かる」

 

 やっぱり艦娘がいないと何にも出来ねえんだなぁ……と情けなさに打ちひしがれそうになるも、いやいや、挫けている場合では無いとペンを妖精達に渡して、もう一度描くよう促す。

 すると、妖精達は色違いのペンを用いて南方海域にある島々の周辺に印をつけ、線を引く。

 

 俺の口から、やはり、と言葉が漏れる。

 どう見たって四つのマップが重ねられたようになっている海図の印に戸惑いを禁じ得ない。

 

 緑色のペンで示されるのは、南方海域前面。

 濃い黄色のペンで示されるのは、珊瑚諸島沖。

 赤色のペンで示されるのは、サブ島沖海域。

 黒色のペンで示されるのは、サーモン海域。

 

 漣達が呉鎮守府を発って半日という事は、俺が鳳翔とともに呉鎮守府に向かっていた頃には既に日本を離れていたという事でもある。何故その時に気づけなかったのだと歯噛みするも、どうにもならない。

 出来る事は常に最悪を想定して、そんな状況にならないように仕事を進めるのみ。

 

 俺の考えている事が伝わっているように、妖精が呉鎮守府から一本の線を引き始める。それはゆっくりと四国の左側を通過し、九州の南部をも越え、奄美から大きく東の海域の途中で止まった。

 

「予想か」

 

『うん。まもるが進めば、二人も進む』

 

 当然極まる妖精の言葉。妖精がペンを止めた所を現在地として、ここからすぐさま迎えに行ったとしても追いつける確証は無い。合流できる地点は予想を超えた場所になるだろう。

 呉鎮守府からの出撃はこの時点で無しだ。少しでも距離を縮めて追いかけなければならない上に、俺は呉鎮守府に所属している艦娘の全てを把握しているわけでは無い。足の速い艦娘がいたとしても、相手は忌まわしき数学の動く点Pのようなもの。なまじ追いつけたと仮定して、連れ戻すのにも危険が伴うとも考えるべきだろう。

 海図上での距離は手のひらに収まる程度なのに、俺も見たことのない艦娘の全速力をもってしても、足りないかもしれない。

 

 妖精が印をつけている南方海域までの距離は漣達である印から見て相当あるが、常に進み続けている二隻とは別に《追跡する艦娘》を考慮すれば、最悪はそちらに到達すると考えた方が良いだろう。

 

 これが艦隊これくしょんならば。これが、ゲームならば。

 頭の隅に浮かぶ、だったら良かったのに、という蛇の尾のような言葉。

 

 艦これならクリック一つだ。出撃も、遠征も、何もかも。

 艦娘を選択し、装備を選択し、肘をついてぼうっとしながら画面を眺めてマップを選び、マンスリー任務の傍らに海域に艦娘を出すだけ。

 後は野となれ山となれ。艦娘が深海棲艦と戦っているのを眺め、ボイスを聞き、可愛いなあ、恰好良いなあと思うだけだ。

 

 でもこれは違う。紛うこと無き現実で、頬に残る熱も痛みも本物だ。

 俺の采配一つで、艦娘は海に出る。

 

 その重さが、心臓を握るように感じられた。

 

「少佐、殿……?」

 

 ペンを握りしめ、海図を睨みつける俺の手に重なる白く柔らかな手。

 温かく、生きている手が、俺の思考を止めた。

 

「……なんだ」

 

 俺の手に触れたのは、あきつ丸だった。

 不安そうに俺を見上げており、潤んだ両目が俺を捉える。

 

「自分に、出来ることがあれば……な、何でもするであります……! どうか、ご指示を……!」

 

 彼女は、艦娘は、俺の光だ。

 死んでいた俺を照らし続けていた希望だ。それがどうして泣きそうな顔で、不安そうな顔で俺を見ているんだ。

 

 癇癪が生み出した興奮剤と、現実が心臓を握る恐怖と、頬に残る痛みと、重ねられた手の熱さが頭の中でマーブル模様を描く。

 

 あきつ丸の目を見つめていた俺の目が、ゆっくりと清水へと向く。

 

「……来い、清水中佐」

 

「ひっ」

 

「早くしろッ!」

 

 座っていた椅子から転がり落ちるようにして俺に駆け寄ってきた清水中佐に海図を示し、俺は言葉を紡ぐ。

 

「遠征先は南方、としか聞いていないためこれは私の予測だが、最悪を想定して話す。聞け」

 

「なっ、なに、を……」

 

「しゃんとせんかッ! 作戦を練る! 漣達を連れ戻すのだ!」

 

「ひぃっ」

 

 ひぃっ! じゃねえよ! 泣きてえのは俺だよ!

 何でこんな怖い思いしなきゃいけねえんだよてめえのせいでよぉおおお!

 

 八つ当たり? 癇癪? 上等上等ぉっ! 他力本願のクソ野郎と呼ばれたって俺は艦娘を優先させてもらう! てめぇの事なんか知ったことか!

 

 俺の頭に浮かぶのは、この世界で、柱島の執務室で井之上さんに向かって宣言した言葉だった。

 

 艦娘は好きか? えぇ、愛していますとも。提督ですから。

 

 たったそれだけだ。否、それだけでいいと何度も何度も言い聞かせる。自分を鼓舞するよう、叱咤するように。

 

「清水中佐は南方の何処へ漣達を向かわせた!」

 

「うぅ……ぐっ……!」

 

「あぁ……お前という奴は……ッ!」

 

 俺が問うても口を開こうとしない清水中佐に苛立ち、ペンをデスクに放り投げて清水中佐の両肩を掴み、強引に俺と向き合わせる。

 

「お前がどのような思惑をもって指示をしたかはどうでも良い! 反対派? それも結構! 認められん事と仕事とは別だ! その上で問う――お前は仲間を見捨てて何を救えると考えているのだ!」

 

「国民、を……わ、私は、軍人で……!」

 

「ならば無用な危険を呼び寄せるような真似はするな! どこに向かったか言え! 泣き言ならば任務が終わった後に井之上さんにでも聞いてもらえ! 私は知らん!」

 

「っ……」

 

 俺と清水中佐の視線が交錯する。

 そして、清水中佐は恐る恐る海図へ手を伸ばし、一点を指した。

 

「――パラオを過ぎたあたり……ニューギニア……?」

 

「も、もう、どうせ私は処刑される……終わりだ……」

 

 パラオとニューギニアの中間地点である海域を指している清水中佐。

 諦めたように唇を震わせる清水中佐の肩を揺すり、俺は詳しく問う。

 

「何故そこに向かわせているんだ。どうせ死ぬなら全て吐いてからにしろ!」

 

「ひぐっ……」

 

 無論、そんなことをさせるつもりなど毛頭無い。

 ここには数時間後に井之上さんが来るのだ。後で土下座でも何でもしてやっからともかく仕事を手伝えってお前さぁ! と、口には出さないが、強く肩を握る。

 

「女子の一人も救えないで何が軍人か! 国民を守りたいのならば、先ずはお前に従った艦娘を救うんだ!」

 

「あ、あんな、あんな! 何を考えているかも分からない化け物を救うなんて……面倒をする、くらいなら……!」

 

「お前が一番面倒だこの馬鹿者ッ!」

 

 落ち着いて俺。本音洩れてる洩れてる。口からまろび出てる。

 清水中佐も混乱しているだろうが、一番大混乱しているのは俺なんだぞ。

 

 仕事をサボるためにやってきた呉鎮守府で仕事に逃げなければならない状況になり、しまいには仕事から逃げられない状態になるなど、これを地獄と呼ばずしてなんと呼ぼうか。そうだね、仕事だね。

 

「し、深海棲艦、は、知能がある……我々人間と対等……いや、それ以上に……そんな相手に目的も分からず、蹂躙されるだけなのだぞ……!」

 

「……」

 

 落ち着け。カームダウン……カームダウンね、俺……。

 清水中佐の言葉は、個人の見解だ。一つの意見で、一つの見方に過ぎない。深海棲艦が脅威であり恐れているのは伝わっている。ああ、そうだ、怖いだろう。実際に見たことのない俺だって柱島の執務室で写真を見ただけでビビったさ。

 あんなどでかい相手が襲ってくるって考えただけで怖いよな? 当然だ。

 

 目的が分からないという言葉にも同意だ。俺も分からん。

 ゲームでさえ明確な設定を持たない敵だったんだ。

 怨念だの残留思念が形を成したものだのと言われているが、実際の所は《正体不明の強大な敵》くらいだ。

 

 ただただ人類を滅ぼさんとする存在なのだろう。

 

 しかしだ。俺達には艦娘がいるだろう? 何度人間に裏切られたって、無茶な命令だって聞いてくれる深海棲艦と対を成す存在がいるじゃないか。な?

 

「深海棲艦はただ、人類を襲う……圧倒的な知能で……圧倒的な、力で……!」

 

「……っ」

 

 ふぅぅ……大丈夫、大丈夫よまもる……大丈夫……落ち着いて……。

 俺の心の妖精(等身大美少女)が宥めるように微笑む。

 話を聞かないくらいに怖い、そういう事だ。一種の錯乱みたいなものだろう。

 

 俺なんて常に錯乱してるようなもんだから大丈夫だ。艦娘でも見て落ち着いていこうぜ。

 

「さ、逆らわなければいいんだ……! 資源を差し出し、遠くへ追いやればいい……ほんの少しの間でも、私達は、助かる……!」

 

「――」

 

 そっと清水中佐の両肩から手を離す俺。

 海図の上の妖精達に向き直り、俺は人差し指で順番に頭を撫で、そっと手のひらでデスクの端へと妖精を集めた。妖精たちは不思議そうな顔で俺を見上げていたが、大丈夫だという風にポケットから金平糖の余りを取り出し、ころんと目の前に置く。

 近くにいるあきつ丸にも微笑みかけ、ちょいちょい、と松岡の傍へ行くよう促す。

 

「は、ははっ……し、知っているか、海原……深海棲艦には、艦娘と、そっくりな奴らもいるんだ……ただの深海棲艦なんかじゃ無い……あいつらには、誰も勝てない……!」

 

「お前の示した海域……南方には、その深海棲艦がいるのだな」

 

「あぁ、そうだ……! あれこそ、化け物だ……まるで漫画みたいだ、質の悪い、冗談みたいな存在さ……長い尾を振り回して、何もかもを壊し――」

 

「そうか。そうかあ……」

 

 ぽんぽん、と清水中佐の背を叩き、頷く俺。

 南方海域、長い尾を振り回す深海棲艦。俺の記憶が蘇る。

 

「確かに化け物だな。勝てる見込みなど無いのではないかと、私も最初は目を疑った。育てに育てた艦娘達があっけなく大破に追い込まれ、撤退を余儀なくされ、何度泣きを見たか分からん」

 

「う、みはら……お前、知って……」

 

「駆逐二隻、軽巡一隻、そして戦艦二隻に囲まれた、異形の戦艦……思い出しただけで頭痛がする」

 

「ぁ……なに、え……?」

 

 そして俺は、またも最低な事をした。

 

「うみは――がぁっ……!?」

 

 至近距離で、俺は清水中佐の顔面に拳を振り抜いたのだ。

 

「もう一度聞くぞ清水。この海域……付近に、何がある?」

 

 目を白黒させて俺をみる清水中佐を見下ろしながら、海図を持って広げて見せながら問えば、清水は金魚のように口をパクパクさせた。

 

「あっ、あぅ……ぁ……そ、こを抜けた場所に、深海棲艦の資源海域が、あって……そこに艦娘を、定期的に、送っていれば、本土には、しゅ、襲撃して、来ないと……楠木少将が……」

 

 出たな、くすのきとやら。それに、少将と言ったか?

 後でうちの空母の群れに放り込んで龍驤にお仕事お仕事ぉ! してもらうからな。海のスナイパーことイムヤに撃ち抜かせた後、島風に括り付けて海上を駆け抜けさせ、戻ってきたところを長門型の装甲で押しつぶし――違う! そんな場合じゃねえ!

 

「艦娘を贄に自らは安寧を、か。軍人が聞いて呆れる。我々の目的を忘れたようだな」

 

「ぁぐっ……」

 

 海図をデスクに置き、清水中佐の前にしゃがみ込んで胸倉を掴むと、数秒睨みつける。

 そして、突き放してから、脱ぎ捨てたままだった軍帽を拾いにソファまで歩むと、それをぐっと被った。

 

「も、く……てき……」

 

「我々の目的はなんだ。言ってみろ」

 

「国の、安全を、守り……深海棲艦を、げきめ、つ……」

 

「そうだ。それに必要なものはなんだ」

 

「深海棲艦を、撃滅できる力……国を守る、力……」

 

「分かっているならば迷うな。我々提督が惑えば艦娘は何処へ進めばいい。艦娘が挫ければ我々はどうすればいい。欠けてはならんのだ、どちらも」

 

「……――っ」

 

「立て、清水ッ! 死地がどうしたッ! 絶望がどうしたッ! 脳みそが煮沸するまで考え、己の身体が砕けるまで戦えッ!」

 

 我が社の社訓である。もう辞めたけども。

 ただの会社では間違っているとしか思えない社訓だったが、この戦地では、これほどにない正解だと思った。だから俺は怒鳴りつけた。

 

 仕事が終わらなきゃ間宮の飯も食えないんだぞ。いい加減にしろ清水。

 

 お前に言い聞かせている間にもどんどんと漣達は先へ進んでいるんだと言えば、清水はよろよろと立ち上がって、頭から落ちた軍帽を拾い上げ、俺の正面に立った。

 

「うみは……貴殿の、教義か……」

 

 教義? 主張……ではあるが、半分は仕事を終わらせたいのと、もう半分は艦娘を救いたいだけだ。

 いや、八割以上、艦娘だろうか。

 

「そんな大層なものでは無い」

 

「死に戦にも胸を張れと、そう、言いたいのか……貴殿は……」

 

「違う」

 

「……?」

 

 死に戦かもしれない、と考える程、俺に知識があって勝てる勝てないを判断できるわけじゃない。

 俺にあるのは艦これの知識と社畜の知恵のみ。あとは艦娘が好きというだけ。

 難しい話じゃないだろう? と俺は清水の胸をどんと叩く。

 

「難しい話ではない」

 

「ならば、どういう……」

 

 あきつ丸や川内、那珂がいる手前、口に出すと情けない事を、俺は堂々と言った。那珂は違うが、既にあきつ丸や川内には俺が無能社畜ってバレてるしな。でぇじょうぶだ。へーきへーき。

 

 

「――恰好をつけたいだろう、男ならば」

 

「……っ」

 

 

 ここにいる艦娘の前じゃ、もうアウトだけどな! と自嘲気味に笑って見せると、清水中佐は俺に殴られた頬に手を当てて振り返り、あきつ丸達を見た。

 そして……

 

「……深海棲艦は通信を傍受している可能性があります。過去に一度、軍内で大艦隊を組み航行した際、すぐに感知されました」

 

「ほう……?」

 

 机にぐしゃりと放ったままになっていた海図をがさがさと広げた清水中佐の横につき、話の続きを聞く。

 

「海原しょう……んんっ、閣下もご存じの通り、数年前、閣下の開放したこの南方海域付近に飛行場を設営する計画が立てられましたよね」

 

 これは……恐らく、井之上さんが言っていた《海原鎮》の事だろうと、頷く。

 

「艦娘の艦載機を飛ばすための飛行場を設営するにあたって、開放された海域の各所に泊地を設けるという計画が同時に立ち上がった所……その計画を阻止するかのように設営地や泊地が攻撃された……。閣下は付近の海域だけでもと大型の泊地を目標とし、後方兵站線を分断……結果的に基地の設営には成功しましたが、一部、大きく損害が」

 

 清水は転がっていたペンを取って、海図に線を引く。丁度パラオとトラックの中間に印をつけたあと、下に矢印を引いた。

 

「敵は西方、ベンガル湾からだったと記録にありますが……私が知っているのはここまでです。後は、閣下がよくご存じかと思われますが」

 

「西方……ベンガル湾……」

 

 清水が目測、ここだ、と示した位置にはインドやミャンマーがある。

 その付近の海域は何だったかと額にしわを寄せて考えていると、ぱっと浮かんだ。

 

「ここは……」

 

 西方海域――艦これで言う《カレー洋》だ。

 俺は清水中佐が握るペンを上から持ち、ここだ、と動かした。

 位置はベンガル湾とインド洋の間にぽつりとある、小さな島だ。

 

「セイロン島? 閣下、なぜここを……」

 

「西方からの空襲、飛行場や泊地の設営にベンガル湾に寄った場所ではなくそれより少し下のインド洋から直接来たのではないか?」

 

「ベンガル湾ならば……あっ、いや……!?」

 

 清水は海図へ顔を寄せ、図にある縞模様を測ったり、島の周囲にペンで印をつけてみたりしながらどんどんと息を荒くする。

 

「空襲、適地……! この立地であれば遠方への攻撃も可能です、閣下! これに、閣下は……!」

 

「南方海域だけではなく、西方の海域にも敵は存在するかもしれん。それこそ……容易に空襲を可能とするものが」

 

「す、すぐに戦力を――!」

 

 デスクの上に備え付けられた電話へ手を伸ばした清水中佐の腕を掴み、待て、と言う俺。

 何故ですかと声を張った中佐だが、数秒もしないうちに、あ、と腕を引っ込めた。

 

「馬鹿者が、まずはお前の尻拭いからだ」

 

「……っは」

 

 何百、何千、それこそ何万と巡り巡った仮想の海戦。

 何百万という提督たちが積み上げた至宝とも呼べる記録の数々、その一片が俺の記憶にはある。

 

 まずは救うべき艦娘を優先する。可愛いが失われる事は、世界の損失なのだ。

 

「あきつ丸! すぐに大淀に繋げてくれ!」

 

「っ――少佐殿は何処まで我々を読んでいらっしゃるんですか、全く」

 

 首を傾げる俺。艦娘は読むものじゃなく愛でるものでは……。

 あきつ丸は懐から携帯電話を取り出し、何やらゴソゴソと自分の額に近づけて唸っている。なんだそれ可愛い。

 ……いやだから、そんな場合じゃないんだった。

 

 海図に向き直り、清水中佐と早口で会話を続ける。

 

「清水中佐、柱島から私の艦隊を出撃させる。水上打撃艦隊と、後方に航空支援の艦隊だ。時間差で出撃させれば――」

 

「通信の制御が完璧であれば、同時に襲われるという心配は無いかと思われます」

 

「結構。では通信は私の所にいる大淀に任せるとする。兎にも角にも、今は漣と朧の救出だ。通信を切っているのであれば発見は困難かもしれんが……――」

 

「……通信を切れと命じたのは、先の通り、深海棲艦に傍受される恐れがあるから、です」

 

 唐突な清水の呟きに、俺は思わず、なんだ、こいつはやっぱり、と口角が上がった。

 

「清水……お前も提督なのだな」

 

「いえっ、私は……!」

 

 深海棲艦への贄ならば、清水は通信を繋げた状態にして見つけやすいようにさせたはずだ。

 それこそが、答えじゃないか。

 

 葛藤の末に口から出たのが艦娘への嫌悪でも、一方では、守らねばならないという軍人の心があったんじゃないか。

 

「いいや、お前はやはり提督だった。安心したぞ。それで、通信が出来なければどうやって発見すれば良いと思う」

 

「……深海棲艦と同じく、艦娘も通信の傍受が可能です。もし、二隻が傍受を試みているようであれば――」

 

「こちらからの通信を受けることは可能である、という事だな。よし、それも含めて大淀に伝えておこう」

 

「し、しかし閣下! それでは閣下の艦隊が危険に――!」

 

 馬鹿めと言って差し上げますわ。うちの大淀さんは凄いんだぞ。多分な。

 仕事の監視に二重三重のトラップを仕掛けるくらいには頭の切れる柱島鎮守府のブレインなのだ、そんなヘマはしない。

 

「なに、心配はいらん。我が鎮守府自慢の頭脳だ」

 

「っ……! 閣下、万が一を考え呉鎮守府に所属している艦娘を動かせるよう、許可を――」

 

「それも取ってある。何か考えがあるのか?」

 

「私の、意見、で……っく……しかし、もしもの事があれば……鹿屋の先達に、申し訳が……!」

 

 あきつ丸と松岡がぴくりと動いた。二人を横目に俺は考える。

 清水中佐の胸中ではどのような不安が渦巻いているのだろうか。

 俺にそれを知る術は無いが、ここは知恵を寄り合わせねば切り抜けられないと、背を強く叩く。

 

「考え続けるのが我々の仕事だ! 言え!」

 

「……――! 呉鎮守府には補給艦が二隻所属しているようです! 補給艦隊を組み、閣下の第一艦隊、第二艦隊の支援に回せば継続戦闘、即時離脱、両方可能かと愚考致します!」

 

 なるほど、と俺は何度も清水中佐の背を叩く。

 艦これの知識しかない俺だけでは、複雑な作戦など考えられない。あったとしても、それは既存の《攻略》に過ぎないのだ。

 

 曲がりなりにも現実で戦って来たであろう清水中佐の考えは、採用するに充分。

 

「採用だ! 全責任は私が持つ、全力で作戦にあたれ、いいなッ!」

 

「はッ!!」

 

 事は性急。清水達と会話している間にも刻一刻と時間は過ぎていく。

 

「少佐殿、こちらを。大淀殿と繋がっております」

 

 あきつ丸が携帯電話を俺に手渡してくる。

 耳に当てろ、というジェスチャーをするので、その通りにすると――

 

「これでいいのか? 大淀、聞こえるか? 私だ」

 

 大淀も携帯電話持ってんのかぁい! 番号くらい教えろよマジで……!

 あ、いや、待て……携帯電話を使っているような素振りは一度も見たことが無い。

 もしかして通信か? いやいやいや、そんな事、今はどうでもいい。

 

《ザッ……て、てて提督!》

 

 大淀の声に胸をなでおろす俺。どうしてか、安心できる状況でも無いと言うのに、もう大丈夫だと根拠もない温かさが身体に満ちた。

 同じく、艦娘を癒さねば、守らねばという初心が俺の思考をクリアにした。

 

「至急出撃してほしい。庶務は後回しで構わん」

 

 大淀達にはこれから先も多くの迷惑をかけることになる。その代わりになることなど何もないが、俺の身であればいくらでも差し出そうじゃないか。安い頭を地面にこすりつけて土下座とかな!

 仕事を監視されるのも許しちゃう! 怒られるのも制裁を食らうのも甘んじて受けよう! 大体が俺の無能のせいだしな! ほんっとうに申し訳ございません大淀先輩。

 

《出撃ですか!?》

 

 またこいつ何言ってんだ突然、という大淀の声。俺もそう思います。全部悪いのは清水です。後で詫び入れさせますんでぇっ……!

 

「そうだ。呉鎮守府に所属している駆逐艦、漣と朧の救援に向かってもらいたい。フィリピン海を南下中との事だ。このまま行けば数時間後にはパラオ泊地の付近に到達し、周辺の深海棲艦に発見されかねん」

 

 電話を耳と肩に挟み、清水と並んでいくつもの印がついてごちゃついた海図にペンを指しつつ、確認の意を込めてとんとん、と示す俺。

 清水は何度も頷き、小声で「出撃時刻にもよりますが、南方海域に同時に到達する可能性を考慮した方がよいかもしれません。パラオやトラック周辺海域での討ち漏らしが日本に北上しており――ラバウル基地でも確認されていますので、敗残の敵かと」と言う。

 

 その言葉を受けつつ、俺は大淀に続ける。

 

「南方から深海棲艦の北上が何度も確認されているとの情報をこちらで得た。パラオやトラックで抑えきれなかったものが日本に向かってきているらしいが、ラバウル基地で敗走した残存勢力との見解もあるため、大本を叩く」

 

《たっ……!? どれだけの戦力を割くおつもりですか!》

 

 通信を傍受される可能性……清水の言葉を思い出しながら、俺は出来る限り少数を分散させるべく言葉を紡ぐ。少なすぎても、多すぎてもいけない。

 ならば艦これよろしく――六隻一艦隊だ。

 

 しかし、足並みを揃えてのんびり向かえる状況でも無い今、無茶さえも作戦に組み込まなければ。

 責任を取ると言ったのはどこの誰でも無く俺自身だ。啖呵を切ったからには、人を信じた艦娘を、俺が信じなければなるまい。

 

「呉鎮守府に所属している艦娘にも私が指示を出すが、そう多くは無い。練度の高い戦艦を二隻、駆逐艦を二隻、重巡、軽巡を一隻ずつの合計六隻の艦隊を組みたい。編成は――」

 

 それでも一瞬迷った。本当にこれでいいのだろうかと。

 艦これの海域攻略の時とは違う、全身から脂汗が噴き出すような緊張が室内に走る。

 

 信じるだけでは救われない。気合だけでは切り抜けられない。

 艦娘の練度、技術、信頼、覚悟、全てを詰め込んでも足りるかどうか不安が残る。

 

 俺はちらりと海図の端を歩く妖精達を見た。

 そのうちの一人と目が合い、俺は小声で「……信じるぞ」と呟いた。

 

『――しょうがないなあ、まもるはー!』

 

 金平糖の欠片を胸に抱いて笑った妖精の顔を見て、俺は――

 

「第一艦隊として旗艦を戦艦扶桑、以下、戦艦山城、重巡那智、軽巡神通、駆逐夕立、島風を編成してくれ。作戦概要は呉鎮守府所属の漣、朧の救援と敵戦力の撃滅だが、足の速い島風を先に向かわせてほしい」

 

 ――最速の艦娘を選択する。

 

「明石に柱島鎮守府にある資材を全て使い込んででも早急に高温高圧缶の開発とタービンの改良を行うように伝えるのだ。島風に搭載し、全速力で二隻に合流してもらいたい」

 

《ま、待ってください提督! 二つの開発を明石に……それも、すぐに出撃って、そんな……!》

 

 大淀の不安が伝わるようだった。しかし、成さねばならない。

 戦争ならば多くを失うのが常だろう。軍人ならば然るべきものだと受け止められるのだろう。

 

 だが俺は軍人以前に、ただの無能で、元社畜なのだ。失うなんて考えたくない。

 

「第一艦隊の後方支援とし、第二艦隊も編成する。旗艦は空母赤城、以下、加賀、翔鶴、瑞鶴、駆逐時雨、綾波を編成してくれ。第二艦隊の出撃のタイミングは第一艦隊が出撃したあと、追ってこちらから指示する」

 

 全身が熱い。考え過ぎて熱が出るというのを本当に実感する日が来るとは思いもしなかった。

 会社員の頃に忙殺されて感じるのは冷たさだった。指先から全身にかけて熱が奪われていくような感覚とは真逆の今、浮かされたように口が回る。

 

《了解しました……至急通達します。一時間いただけますか》

 

「一時間か、分かった。漣と朧との通信が繋がらないらしいので、島風が二隻を発見出来なかった際は……深海棲艦の撃滅に移行してもらいたい。島風は単独で戦闘せず、第一艦隊と合流を待つように伝えてくれ」

 

 組織となれば通達までに時間を要するのは理解していたつもりだが、今は一分一秒さえ惜しい。大淀を急かす時間すらも。

 

 壁に掛けられた時計を見ると、時刻は既に夕方を過ぎようとしている頃だった。

 そこから一時間、西日も消え失せる夜に出撃することになる。

 

 俺は考え得る装備を大淀に伝えた後にあきつ丸に携帯電話を返し、眩暈を感じながら清水に言う。

 

「元帥がこちらに到着するのは作戦中になるだろうが、お前は決して席を外すな。どんな些細な異変も見逃すなよ清水」

 

「っは」

 

「それと松岡。呉港を使用するのに騒がしくなる可能性がある。周辺住民への説明を頼めるか」

 

 騒音で苦情なんて来たら困るからな。

 こんな時にもかかわらずしょうもない事まで考えてしまうあたり、情けないが。

 

「っは! 部下に通達し、すぐに」

 

 松岡は部屋を出る一瞬、清水を見やる。

 清水は松岡が言わんとした事を理解したかのように、床に転がったままになっている拳銃を拾い上げてくるりと回し、銃身の方を持って松岡へ差し出した。

 

「――作戦が終わってから、引き金を引いていただきたい。海原閣下との作戦を完遂すれば、如何様にも処分を受ける」

 

「殊勝な心掛けだ、その白い軍服が赤く染まらん事を祈っていろ」

 

 ふん、と鼻息を残し出て行った松岡の背を見送り、清水にどうしてそんな事を言った、などとは問わず。

 

「何より先に仕事だ。一にも二にも仕事だ」

 

「……っは」

 

 社畜チック――というか、もう社畜としか言えない言葉を清水に届けて、海図をペンで叩いた。

 

「清水。所属の艦娘……その補給艦がどこにいるか分かるか」

 

「艦娘寮にいるかと思います。すぐにこちらに――」

 

「お前はここに居ろ、私が行く。妖精達の相手を頼む」

 

「よ、妖精? いや、しかし私にはそんなものなど見え――!」

 

 言うが早いか、あきつ丸について来いと言って部屋を出る寸前に、清水の悲鳴が聞こえた。

 

 

 

 

「――な、なっ……こ、これ、小さい……人……!?」




とても長くなったので前後半と分けましたが、感想にもいくつか見られる艦娘爆速説について少しだけ。

自分の描写力の至らなさより距離を考えたらそこまで移動できんやろがい! と当然のご指摘をいただいております。
該当描写をいくつか修正したく思いますので、お許しいただければと思います。

艦これ知識どころか距離感も無い作者ですが、決してジェットを搭載したり、クリック&ドラッグで艦娘をブラウザ上で移動させたりなどの艦娘に害が及ぶような危険行為はしておりませんので、安心して読んでいただければ幸いです。

修正には多少の時間がかかりますが、ご了承ください……。

追記:一時的にいくつか修正しております。


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四十四話 化【艦娘side・明石】

 大淀から連絡が来たのは、工廠にやってきた島風の連装砲ちゃん――友達らしい――というきゅうきゅう鳴く不思議な装備を整備していた時だった。

 整備と言っても、汚れを落として、錆びていないかチェックし、錆びたところがあれば修復する程度の簡単なものだった。

 

「長い間整備されなかったの、いやだったねー?」

 

『キュッ――キュッ――!』

 

「あはは。はいはい、こっちもちゃんと綺麗にするからねー」

 

 ぱたぱたと腕のような部位を動かして喜びを表しているような連装砲ちゃんを隅々まで掃除していると、装備をしまうための木箱の上に座り込んだ島風が連装砲ちゃんの腕と同じように足をぱたぱたと動かして唇を尖らせた。

 

「島風が悪いんじゃないもん」

 

「そりゃあ、前の鎮守府で整備が行き届いてなかったのが悪いと思うよ? 島風ちゃんのとこの工廠班は何してたんだかねぇ」

 

「んー……トランプとか?」

 

「えぇ……」

 

「他にはねー、お酒を賭けて遊んでた」

 

「……ちゃんっと綺麗にしてあげるから、島風ちゃんも後で艤装出してね?」

 

「うんっ」

 

 聞くんじゃなかったかな、と後悔しつつ連装砲ちゃんの頭部と思しき場所にある砲身を、こん、と叩く。

 

「ほいっ、おっけー! 他に気になるとこある?」

 

『キュ!』

 

 きこきこ、と音を鳴らして身体を横に振ったところを見るに、満足してもらえたらしい。私は笑顔で「次は島風ちゃんの番よ」と呼びかけた。

 はーい、と小気味いい返事とともに木箱から飛び降りた島風は、私の前に立つと「むっ」と可愛らしい唸り声をあげ、私たち艦娘が艦娘たる所以である艤装を出現させた。

 

 ふわりとした光が島風を包む。それも一瞬で、瞬きすれば島風の腰から背中にかけて光が収縮していき――鈍色の艤装が姿を現した。

 少女の身体に似つかわしくない凶悪とも言える五連装の魚雷発射管に、アクセサリーと呼べるほどの大きさしかない錨。しかし、これらは大きさと反比例する強度と重量を持ち、島風が艤装を顕現させただけで工廠が揺れたとさえ錯覚させる。

 

 私も同じく艤装を顕現させ、身体を傾けてクレーンを手足のように動かす。

 

 島風に近づき、何度も「ゆっくりね」と言いながらクレーンで艤装を引っかけるように持ち上げ、そうっと工廠の床に下ろす。

 

「ゆっくりー……ゆっくりー……」

 

「おっそーいー!」

 

「あっ、ちょ、っと、島風ちゃん! 待っ――!」

 

 じれったそうに身体をもぞもぞ動かした島風の揺れがクレーン越しに私に伝わってしまい、バランスを崩しそうになってしまう。

 

「おっ、っと、っとぉぉ……! ぐぬぬぅっ」

 

 何とか両足を踏ん張り、艤装を落としてしまう最悪の事態を回避したが――がん、と音を立てて開かれた扉に驚き、完全にバランスを崩してしまった。

 

「明石! 作戦発令です! 至急、島風さんの艤装を――!」

 

「わぁっ!?」

 

「きゃぁっ!?」

 

「あうぅ!? 痛いってばぁ!」

 

 ずずん、と工廠が揺れた。今度は錯覚などでは無く、本当に。

 島風の艤装と、それに引っ掛けていたクレーンに繋がった私ごと地面に倒れ込んでしまう。

 すぐさま艤装に損傷が無いか目を配るも、目立った傷も見受けられず、転んだ格好のままほっと息を吐いた。

 転がった恰好の島風は工廠の入口で口元をおさえて驚いている大淀に向かって声を上げる。

 

「もぉ! 大淀さぁん!」

 

「ごっ、ごめんなさい、まさか丁度作業していたなんて……!」

 

「大淀……あんたねぇ……! どっちかが艤装出してなかったら大事故よ! 大事故ぉ!」

 

「うぅっ……本当にすみませ――じゃなかった! 明石、それよりも緊急任務です! 提督より指令が出ています!」

 

 提督は今日は呉に出ていたんじゃ……と首を傾げる。

 昼過ぎには食堂で提督が視察に出ると言っていたじゃないかと大淀を訝しむも、その表情から焦りが見え、島風へ「そっち持って! いくよ、せぇ……のっ!」と無理矢理体勢を立て直してから、改めてそちらを向いた。

 

「指令って何よ? 今日の分はもう昼に報告書渡したでしょ?」

 

「それとは別です! 現在、呉鎮守府から南方海域へ向けて出港した駆逐艦二隻と通信が出来ない状態にあります。視察に出た提督から救援のために出撃せよと連絡がありました。事態は急を要しますので、明石への指令だけをお伝えします!」

 

「えっ? あっ、え……りょ、了解! 何をすればいいの?」

 

 内容も聞かずに了解してしまったが、内容を聞こうとも了解するしかないのでそれはそれでいいか、などと考えながら続きを促せば、大淀は胸に抱いたバインダーからばさりと一枚のメモをはぎ取るようにして私に差し出した。

 

 走り書きしたのであろう乱雑な大淀の文字。読めないほどではないが、声に出して確認してしまう。

 

「高温高圧缶の開発に、タービンの改良……? な、何よこの無茶苦茶な指令は!?」

 

「朗報ですよ」

 

 大淀が困ったような、不安そうな、それでいてどうしようもなく希望に満ちた不思議な瞳を私に向けた。

 

「大好きな開発の許可が出ました。資材を全て使ってでも必ずや開発を、との事です。あなたの開発の成否によって出撃時刻が変動します」

 

「は、はぁぁッ!?」

 

 大声を上げた私の横で、島風がぴょんぴょんと跳ねながら大淀に言う。

 

「もっと速くなってもいいの!?」

 

「はい。提督から直々に、島風さんにも指令が出ています。島風さんは第一艦隊として作戦に参加していただき、単独で南方へと向かってもらいます」

 

「え……単独……?」

 

 途端に島風の顔色が悪くなる。

 南方――多くの深海棲艦が目撃されていると艦娘の間でも話題にあがる事のある海域にたった一隻で向かうなど、自沈と一緒じゃないか、そう考えている顔をしていた。

 だがその先に紡がれた言葉で島風の表情は一変する。

 

「――今回は速さが重要です。提督は迷いなく、島風さん……あなたを選んでおられるようでした」

 

「提督が……?」

 

「えぇ。二隻がいるであろう海域まで急行し、捜索をお願いします。明石、時間がありません、開発を」

 

 島風から私へ視線をうつした大淀。

 クレーンに引っ掛けた艤装を下ろし、私は大声で何度も無理と怒鳴った。

 

「無理! 無理無理無理! ぜぇぇぇえったいに無理だってば! 何考えてんの!」

 

「そんな事はありません。あなたは提督の目の前で、あっという間に彩雲を作って見せたではありませんか」

 

「それとこれとは違うってぇの! あれは妖精がいたからよ! それに……提督が妖精に向かって開発しろって言ったのよ……私は、それを組み立てただけ」

 

「明石……」

 

「改良くらいなら出来るかもしれないわ。丁度、これから島風ちゃんの艤装整備しようとしてたし」

 

「一時間です」

 

「え?」

 

 大淀は島風に近づくと、私に手渡したのとは別のメモを握らせて、もう一度「一時間です」と繰り返す。

 

「一時間って――」

 

「出撃までに確保した時間です。これから指定された艦娘に通達して、即時編成を行わなければなりません。これでもかなり時間を取ったつもりですが……」

 

「ま、待って! ストップ大淀! 一時間でタービンの改良と開発、二つをこなせって言ってんの!?」

 

 ぴんと来た瞬間に眩暈がした。私は片手で顔を覆い、質の悪い冗談だろうともう片方の手を振る。

 だが大淀は一切表情を変えないまま、やっぱり希望に満ちた目で私を見るのだった。

 

「一時間もあるからと余裕ぶっていてはダメですよ明石。これは緊急の任務です」

 

「どこが余裕ぶってるように見えんのよ!? だから無理だって――!」

 

 自分でも耳がきんきんするくらい声を張り上げている最中、横目に島風がくすぐったそうに身体をよじったのが見えた。私と大淀がそちらを向くと、島風は今にも泣きそうな顔で自分の中にある感情を処理しきれないと言った表情を浮かべる。

 

「すごく、怖いけど……でも、海に出られる……提督の役に立てる……」

 

「島風さん……」

「島風ちゃん……」

 

「独りぼっちで、敵艦がいっぱいいるかもしれない海域に出なきゃいけない……でも、皆、後から来てくれるんだよね……?」

 

 その心の内の大部分は、不安。

 私から見ても明らかなそれは、目ざとい大淀から見ればなおのことだろう。

 

 大淀はバインダーをすっと腰の後ろへ回し、島風に近づくと、ぴょんと立った耳のようになっている黒いリボンに触れ、頭を撫でた。

 

「独りぼっちではありません。島風さんならば仲間を助け出すと信じておられるから、提督はあなたを選んだのです。私も全力で、島風さんをサポートします」

 

「……ん」

 

 言葉で励ましても島風の表情が和らぐことは無い。

 私は大淀のように彼女の記録を見ていておおよそを知っているなんて事は無いし、この柱島に送られたという事は何らかの圧力がかけられ飛ばされたのだろうかと予想出来る程度。私も似たようなものだから、と言うと元も子もないけれど。

 

 提督を信じていないわけでは無い。さりとて、信じきっているわけでも無い。

 仕事を任せてくれた。開発だってさせてくれた。工作艦としての在り方を思い出させてくれた。

 

 しかし、危険な海域に行けと言われて喜んで出られる程に心を開いたわけじゃない。

 

 提督の役に立てる――海に出られる――でも、喜びよりも不安が勝っている。

 島風の心中ではどれだけの葛藤が繰り広げられているのだろうか。

 

 私が今出来る事は、冷たくとも正直に話すことだ。

 大淀が嫌いなわけじゃない。しかしながら、同じ艦娘だからこそ言わねばならない。

 

 代弁するとまで大それた考えでは無いが、私は口を挟んだ。

 

「後から合流するったって、駆逐艦一隻だけを南方に先行させるなんて正気の沙汰とは思えないわね」

 

 目を細めて言うと、大淀はこちらを見て同じように目を細めた。

 

「単独での戦闘はしないようにと仰っておられました。決して島風さんを無暗に危険に晒そうとしている作戦ではありません」

 

「戦闘を避けたとしても単独先行の時点で危険じゃない。救援が必要なのは分かるけど、その二隻を救援するのに駆逐一隻ってのがおかしいって言ってんの」

 

「そ、それは――……否定、出来ませんが……」

 

「否定できないのに承服したってわけ? 意見具申も無く?」

 

「意見具申をする時間さえ無いほど切迫している状況だったからです! たった二隻とは言え同じ艦娘が危険な目に遭っているのですから、救援に向かうのは当然で――!」

 

「何が当然なのよ。こんなの《捨て艦》と同じじゃない。提督が嘘を言っているなんて思っちゃいないけど……結果がもし、島風ちゃんの轟沈なんてもんになったら、私は……」

 

 言葉にしている内に心が整理出来てきたが、整理の末に形作られたのが本心なのか虚勢なのか、ぞんざいに扱われ続けた当てつけなのかは分からなかった。

 

「――私は二度と、開発なんてしない」

 

「明石……」

 

 連装砲ちゃんを磨いていた手ぬぐいを地面に投げ腰に両手を当てて言い放った私に、大淀が目を見開く。

 島風が私と大淀を交互に見ながら口をもごつかせるも、言葉は出てこないようだった。

 

「だ、第一艦隊にも通達しなきゃいけないんです! 島風さんが二隻を確保すれば、後から追いついてくる艦隊と合流して大本を叩くと……! 戦艦二隻をも編成しているのですよ!?」

 

「だから何? 戦艦を編成してるから安全なんて言いきれないじゃない。どこかの鎮守府なんて火力があればいいって戦艦のみで艦隊を組んで大失敗したって聞いたわよ?」

 

「っ……」

 

 売り言葉に買い言葉ならぬ、想いの応酬。

 沈んで欲しくない。沈みたくない。勝ちたい。負けたくない。

 考えている方向は同じはずなのに、島風を挟んだ私と大淀の舌戦は続く。

 

「お願いします明石……あなたの腕が頼りなんです……」

 

「……」

 

 この場で思うべきではないのかもしれないが、純粋に頼りにされるのは嬉しかった。

 酒保の店員としてではなく、海軍に属す艦娘の一人として私を見てくれている大淀の存在は私にとってとても大きなものだ。軽口を叩き合った初日の開発の時も、もっともっと役に立ちたいからと駄々をこねた。

 楽しくて、嬉しくて、失敗した時の事など微塵も考えず腕を振るいたいと思った。

 

 ――でも、私の失敗で仲間が危険な目に遭うかもと考えると、一歩も動けない。

 

「タービンと缶の開発って……いくら艦娘だからって、そんな特化兵装、耐えられるかも分からないわ」

 

「……はい」

 

「スピード勝負だから提督はそう言ったのかもしれないけど、いくら艦娘だって耐久には限界があるの」

 

「……充分、分かっています」

 

「もし私が開発したとして、追い付けるかどうかだって、分からないじゃない」

 

「仰る、通りです……」

 

 大淀は私から目を逸らし、俯いて腰に回したバインダーを手に取ると、メモを見つめながら言う。

 

「提督に同行しているあきつ丸さんから、詳しい話を、聞いています……既に半日経過しているそうです。呉鎮守府の二隻に追いつくには、最速以外の選択は無いと提督もご判断なさったのだろう、と」

 

「不確定要素しか無いってわけね」

 

「……」

 

 大淀が力なく頷くのと同じくして、私の服の袖が遠慮がちに引っ張られる感覚。

 見れば、島風が今にも涙が零れ落ちそうなくらい瞳を潤ませて私を見上げていた。

 

「やる」

 

「は……? し、島風ちゃん、話聞いてたでしょ? 速くは出来るかもしれない。でもね、私達にも耐久の問題があって、その他にもたくさん――」

 

「やるもん!!」

 

「お、落ち着いてよく考えて! 島風ちゃんが危なくなるのを黙って見過ごして開発なんて、私は絶対にしないからね!」

 

「いやっ! やるの! 明石さんが開発してくれないなら、このままだって出撃する! 提督が……島風を選んでくれたんだもん!」

 

「なっ……」

 

 ぐいぐいと私の袖を引っ張る島風に、大淀が右腕を伸ばして止めようとするも、作戦を実行せねばという使命感がそれを阻むのか、虚空を彷徨わせるだけ。

 

「島風さん……そのままでは、追い付けません」

 

 大淀にそう言われた島風は、う、と口を噤み、私を見上げた後に、俯いてしまった。

 

 島風が艦娘になる前の速力は知っている。艦娘となった今、より速く動けるのだろうというのも簡単に想像できる。

 戦闘能力など猫の手よりも頼りない私だって、艦娘となって出来る事は幅広くなった。

 考え、動き、開発し、修理し、改良し、見ただけで物の構造が想像できる頭だってある。

 

 大淀が言う通り、私が見た通り、島風は艦娘の中でも抜きん出た速力を誇る。しかし、大淀が追い付けないと言うのならば、そうなのだろうとしか言えない。

 彼女は連合艦隊を率いた艦娘だ。ありとあらゆる状況を集約し、予測し、何千通りと想像して指示を出す判断力がある。

 

 私では想像し得ない数の予測を経て追いつけないと言うのならば、どれだけの偶然が重なっても、それは不可能だ。

 

「……タービンの改良だけでもお願いします、明石」

 

 私を全否定しないための譲歩だと分かった。提督の無茶な指令を実行できなかったとして責を負うのはどちらになるのかなんて、考えるまでも無い。

 私はそれでも、一歩踏み出すことが出来ず――

 

《ザザ……》

 

「つ、通信? 誰から!?」

 

 唐突に頭の中に響いたノイズに思わず声を上げた私だったが、私以外にも、大淀や島風にもそれは聞こえるようだった。

 

「これは……あきつ丸さんです。追加の指令でしょうか。こちら大淀。あきつ丸さん?」

 

《ザ……ザーッ……せ、ん……しているようで……制御が……》

 

 確かにあきつ丸の声。だが、ノイズが酷く聞き取れない。

 大淀は合点がいった様子で自らの眼鏡に指を当てて調節するように眉をひそめた。

 

「こちらで制御します、お待ちを――あきつ丸さん、応答を」

 

《ザッ……あきつ丸。こちら、あきつ丸。問題無いでありますか?》

 

「はい、感度問題ありません。どうされましたか?」

 

《自分、こういった手合いは得意なつもりだったんでありますが、大淀殿のようにはまいりませんなあ……っと、そうそう。開発の進捗をと少佐殿が気にされておりましてな》

 

「あっ、そ、それについては……」

 

 工廠の私のもとへ来る前に指令を受けていたであろう大淀だが、ここに来て言いあっていただけで、多少の時間を浪費している。進捗は言うまでもない。手も付けていないのだから。

 

《……あー、承知しました。では第一艦隊と第二艦隊の編成は》

 

「それも、あの」

 

《……で、ありますか》

 

 みるみるうちに大淀の顔色が白くなっていく。

 

《こちらは補給艦隊の編成が完了しております。そちらの第一、第二の出撃準備が完了するまでは待機でありましょうか》

 

「お願いしま――いや、ぅ……」

 

《……ふむ。少々お待ちを》

 

 大淀も動揺しているのか、通信を絞らず私や島風に聞こえたままの状態で目を泳がせる。

 数秒して、またあきつ丸の声。

 

《少佐殿にはしばし待機をとお伝えしておきましたが、何やら問題のようですな。状況報告をお願いしても?》

 

「……その、速力を重視した特化兵装では、島風さんの耐久に問題があると」

 

 簡潔に伝えているようで、その言葉は濁されている。

 私が勝手な思いから開発拒否しているだけだと言えばいいのに、大淀はあえて違う問題を取り上げた。

 それに続き、大淀は問題点があるとして私の口にしていない言葉を紡ぐ。

 

「私から見ても、速力特化では兵装に問題があるのではと足踏みをしている状況です。二隻の確保が出来る出来ないにかかわらず、道中での接敵があった場合、自衛に問題が生じるかと思われます」

 

《確かに、一理ありますな》

 

「第二艦隊が直接掩護をしたとしても、速力特化の島風さんと同期しての行動は、難しい、かと……」

 

 私も、あきつ丸のように胸中で確かに、と考えてしまう。

 

《申し訳ない、またしばしお待ちを》

 

 それからまた数分。返答を待つ沈黙が工廠に満ちる。

 その間に、私は思考する。どうすれば島風の速力を落とさず、火力無くして安全を確保できるかを。

 

 私は工作艦だ――ありとあらゆる兵装の知識がある。

 

 私は工作艦だ――それを実現する能力がある。

 

 私は――意気地の無い、工作艦だ。

 

 自らの手で作り出したもので仲間を失うかもしれないと考えると、動けなくなる。

 でも、どうしてか、一縷の可能性が私の心を叩く。

 始めは弱弱しく、とん、とん、と薄い板を割らぬようにと。

 

《お待たせして申し訳ない。最悪の場合を想定して二隻の確保は……――》

 

 島風の装備可能スロットは二つ。私の目に留まる魚雷発射管。

 タービンを改良し、高圧缶まで載せようものならば魚雷発射管は飾りとなる。

 

 それこそ耐久度に直結し、島風自身が危険に晒されてしまうだろう。

 

 目の前にいる艦娘だけでも守らなきゃと理性が心を抑え込むも、それを補える方法があると本能が叫ぶ。

 

「見捨てると……言う事ですか……」

 

《そうする他ありません。確保できないならば敵戦力を撃滅するのみであります。我々の目的をお忘れで?》

 

「っ……ですが! 他に方法を探るということもできます!」

 

《一時間。大淀殿は自分でそう仰ったではありませんか》

 

「で、では、もう三十分でもお願いします!」

 

 姿が見えているわけでも無いのに頭を下げる大淀の姿に、その大淀を見つめて拳を握りしめる島風。

 二人を見て、私は――

 

「第一艦隊と第二艦隊を編成して出るのに、どれくらい掛かるの」

 

「え……? そ、それは……開発が済めばすぐにでも……」

 

《うん? 大淀殿? その声は明石殿でありますか?》

 

「――三十分で出撃準備して。それまでに私も仕上げる」

 

《ほう……これはこれは》

 

「あ、明石!? ですが火力にも耐久にも問題があると――」

 

 私は大淀と島風から離れ、工廠の壁を覆うようにして備えられた棚へと歩みながら言う。

 

「火力にも耐久にも問題はあるわ。でも、戦闘はしないってことは……火力が無くてもいいんでしょ。なら、耐久の問題だけでも解決させるわ」

 

「出来るんですね?」

 

 大淀の言葉に頷き、棚から道具箱を引っ張り出した私は島風の艤装の前に座り込んで大きく息を吸い込む。

 それから、よっし、と小さく呟いた途端――わぁ、と方々から妖精達が群がってきた。

 

 私に妖精の言葉は分からない。けれど、妖精は私の言葉が分かるはず。

 

「出来る出来ないじゃなく、やるしかないんでしょ。さ、手伝ってもらうわよ、妖精さん」

 

『――! ――!!』

 

「火力が無くても安全なようにするなんて理屈の上じゃ簡単な話よ。攻撃が当たらなければいい。当たらないくらいに、速ければいい」

 

 設計図は全て頭の中に。実現する力は目の前にある。

 艦娘の私から見ても不可思議な力を行使する妖精の手でたったの数分で作り出された彩雲という実績から考えれば、三十分という私の言葉は決して豪語では無い。

 

「聞いてたんでしょ? なら、何をするかは分かってるわよね? 組み上げたら私の所に持ってきて。全部組み込んで見せるわ」

 

 私の言葉に呼応して、妖精達は一斉に作業を開始する。

 

「明石……!」

 

《話がまとまったようで何より。では少佐殿には三十分で出撃できると改めて伝えておきましょう》

 

 あきつ丸の声は消え、通信が切れた。

 大淀は私を見て「……また、あとで」とだけ残して走り去った。

 

 別の事を言いたかったようだが、それよりも優先せねばならない事だらけの今、大淀の行動はあれが一番正しいのだろうと小さく笑う。

 

「……明石さん、あの」

 

 連装砲ちゃんを抱きあげた島風の声。

 

「島風ちゃん、約束して」

 

「うん?」

 

 座り込んだ私の傍まで寄ってきた島風を見ることも無く、手元で作業を続けつつ。

 

「誰よりも、何よりも速くしてあげる。だから――」

 

「……」

 

「――ちゃんと私のとこに修理しに顔出すこと。いいわね」

 

 それは帰還を前提にした約束だった。

 島風は嚙みしめるように返事をすると、じっと私の作業を眺めるのだった。

 

 

* * *

 

 

 作業も終わり、島風と共に港へ行くと、既に第一艦隊と第二艦隊の面々が揃っている様子だった。

 艤装を展開して水面に浮かんだ一同に向かって大きな声で作戦概要を伝えている大淀は、後ろから歩いてくる私達を見つめる皆の視線に気づいて振り返る。

 

 良く見れば、港には鳳翔の姿もあった。

 

「本作戦は時間との勝負です! 第一艦隊は先行する島風さんを追跡し、道中で深海棲艦と遭遇した場合は、第二艦隊の航路を開くために撃滅しながら進んでください! 第二艦隊は第一艦隊と時間差の出撃となります! 出撃するまではこの場から航空支援を行い――……島風さん……こちらへ」

 

「ほら、島風ちゃん。いってらっしゃい」

 

「は、はいっ」

 

 私に背を押された島風は、水際まで走っていくと、艤装を展開すると同時に水面へと飛び降りる。

 ばちゃん、と水飛沫が上がり、陽光を反射させながら虹を作り出した。

 

 その虹が出たのも一瞬で、もう陽は殆ど沈んでいる。

 

「……続けます。第二艦隊は始め、こちらで航空支援を行ってもらいます! 戦闘行動半径に到達次第、即座に帰還させ、それから出撃となります!」

 

 誰も、口を開かない。

 表情は強張り、みなの視線はちらちらと島風に向けられている。

 

 大淀の説明が終わった頃合いを見計らって、私は島風に向かって言う。

 

「島風ちゃん。工廠でも言ったけれど、戦闘は無理よ。火力兵装は無いけれど……その代わり、誰よりも速いはず」

 

「……うん」

 

 火力兵装は搭載していない――それを初めて知ったのか、第一、第二艦隊の全員が口々に大淀と私に驚愕の声を投げた。

 

「火力兵装無しで救援ですって!? 何考えてんのよ!」

 

「ず、瑞鶴、口を慎みなさい……! あなたの言いたいことは、わかるけれど……」

 

 第二艦隊、瑞鶴と翔鶴がいの一番に声を上げた。

 続いて第一艦隊の那智からがなり声。

 

「おい、大淀! 貴様、まさかこれを知った上で承服したのではなかろうな! 先行した島風は第一と第二とで後方から支援出来ると思っていたのに……ふたを開けてみればこれとは……!」

 

「……提督の、命令です」

 

「命令だったとしてもだ! やはりあの男は信用ならん! 私は今からでも降ろしてもらう。おい、島風、あんな男の言う事は聞くべきではない! こんな、駒を捨てるような真似――!」

 

「……」

 

 集めることは出来たが、全てを説明しきれてはいないというのがありありと感じられた。

 提督が鎮守府にいない今、言葉の集中砲火を受けるのは大淀ただ一人。

 

 赤城と加賀だけは黙って唇をかみしめ、下を向いている。

 

 その時――またも通信が入った。

 

《……ザッ……ザザッ……》

 

「なんだ?」

 

「あきつ丸さんからのようです」

 

 那智が顔を顰めながら大淀を見る。

 大淀は全員に通信を繋ぎつつ声を発した。

 

「こちら大淀」

 

《出撃準備は整ったか》

 

「提督……!」

 

 大淀がまずいという表情をして通信を絞ろうとするも、その前に那智の声が入り込む。

 

「おい貴様! 島風に南方へ突っ込んで行けとは何事か! 説明してみろ!」

 

《その声は、那智か。大淀から説明を受けてないのか? 呉鎮守府から発った二隻と通信が取れない状況にある。本作戦はその二隻を救援し――》

 

「それは聞いている! 問題は! 島風に火力兵装が積まれていない事だ!」

 

《……あぁ。追いつくべくそうさせたまでだ》

 

 嘘だ、と私は歯噛みする。

 提督は決して火力を落とせなんて言っていない。大淀から聞くに、速度重視とは言ったが、可能な限りの火力を積んでいくとは想定しているはずだ。せめて自衛出来るレベルに。

 連装砲ちゃんという兵装も、速力を限界まで高めた島風には同行出来ないために、今は工廠で留守番をしている。

 

 しかし提督はまるで私の施した改良や改造を知っているかのように話した。

 

《島風のスロットは二つ。タービンの改良と缶を載せようものならば火力が積めん事など考えずとも分かる。何かあれば私が責任を取るからそうしろと明石に指示したのだ》

 

「もしも何かあればどう責任を取るつもりだ!」

 

《それを決めるのはお前では無く、上の仕事だ。我々は可能な限り最善を尽くすのみ。質問は以上か?》

 

「っ……! 島風に何かあれば、覚悟しておくことだ。決して逃がさん……必ず貴様を見つけ出して、責任を取らせてやる」

 

《……戦意は十分あるようだな。結構》

 

 那智の憤怒の声を戦意と見るなんて……提督は何を考えているの……!?

 呉から戻ってきたらどうなるか考えていない口振りは、那智をさらに怒らせるも、既に提督の意識は別に向けられているようで。

 

《島風はそこにいるか?》

 

「て、てーとくっ! いるよ! 聞こえる!」

 

 島風がぴんと背筋を伸ばして空に向かって声を上げる。

 通信なのだから普通に話しても聞こえるだろうに、島風は遠い呉まで声を届けようとするように話した。

 

「あのね! 私、頑張るからっ! だから……っ!」

 

《あぁ、信じているとも》

 

「うんっ……」

 

《お前は、鎮守府でも一番速い艦娘であると私が選んだ。お前のその速さで、必ず二隻を発見するんだ。そして、協力して第一艦隊と合流しろ。……頼む》

 

 最後のか細い、頼む、という声。

 那智の顔から、否、全員の顔から怒りが薄れる。

 

 提督も分かっているのだ。無茶な作戦であると。

 ならば自らが受け持った鎮守府以外の艦娘など捨て置けばいい。

 だが、そうすれば私達と出会った時の言葉が嘘になる。

 

 真綿で自分の首を絞めてもなお、彼は信じようとしている。

 

《お前たちの力で、救うのだ》

 

 通信の後ろから、がやついた声。

 知らない男の声がいくつかと、艦娘らしき声が交じり合っているのが聞こえた。

 

《積めるだけ積み込め! 閣下の第一艦隊、第二艦隊の命綱となるのは――》

 

《こちら補給用資源の搭載、完了しましたぁ!》

 

《皆さん、準備はいいですか? 両舷、前進、微速……はい、ここで待機してください!》

 

 再び、提督の声。

 

《――抜錨せよ》

 

 島風の顔から、全ての不安が消え去った。

 いいや、あれは覚悟を決めた顔、というべきだろう。

 

「はいっ! 島風、出撃しまーす!」

 

 きぃん、という高音と、重低音が重なり合って辺りに響き始める。

 島風は港から少し沖まで行くと、そこから体勢を低くし、両足に力を溜め込むように上半身を沈めた。

 

 次の瞬間、私を含む全員が目を疑う光景が広がった。

 

「島風! 待っ――ぐ、あぁっ!?」

 

 那智の悲鳴。第一、第二艦隊どころか、港そのものに降りかかる――島風の巻き起こした波。

 

「……あ、あんなものを追跡しろだと!? ふざけるなぁっ!」

 

「那智さん、文句は後です。山城、準備はいいわね?」

「はい、扶桑姉さま」

「ふふっ……追いつくのにどれくらいかかってしまうのかしら……あぁ、不幸だわ……」

「全くです……私達の速力を考慮していらっしゃらないのでしょうね、提督は……それとも、嫌がらせかしら」

 

 扶桑と山城がくつくつと笑いながら第一艦隊の面々を見回す。

 

「島風さんから、目撃した敵艦の報告があれば良いですが……」

「大丈夫っぽい! 夕立達で第二艦隊の皆の道を開いてあげるっぽい!」

「っぽい、では困るのですけれど、あのぉ……」

「神通さんもいるし! 夕立も頑張るっぽい!」

「う、うぅ……が、頑張ります……!」

 

 派手な水飛沫をあげながらあっという間に遠ざかっていく島風を見つめる神通の手を取ってぶんぶんと振る夕立。

 

 大淀の張りのある声が港に響き渡る。

 

「追跡を開始してください!」

 

「第一艦隊、出撃いたしますっ」

 

 扶桑の号令と共に、五つの水飛沫。

 残った第二艦隊の顔と、大淀の顔が私を見た。

 

 私は――不安が残る顔のままだったかもしれないが、口元だけは変に歪んでいて。

 

「明石、本当に、あれ、三十分で……?」

 

「提督と大淀が言ったんじゃない。そりゃ作るわよ」

 

「で、でも、あれ、艦娘の中でも見たことのない速さで――!」

 

 

 

 

「提督が信じてくれたんだから、これくらいはお返ししないとさ? でも、本業は修理だから!」

 

 なんて、頬をかいてそっぽを向くのだった。




アンケートに答えて下さった皆様、ご協力ありがとうございました。
今後は統一して投稿してまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。


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四十五話 過【元帥side】

 大本営から呉までの数時間、移動中の車内は井之上がぽつぽつと話しては山元が短い相槌を打ち聞くという静かなもので、運転手をしている軍服を纏った妙齢の女性は呉鎮守府に到着するまで一切口を開かなかった。

 

「戻るのは怖いか」

 

「正直に申しますと、少し」

 

「血反吐を散らす訓練と元の鞘とであらば、どちらを選べば楽であろうと考えておる」

 

「それは……」

 

「っくく、前者じゃろうて。顔に出とる」

 

「……」

 

 傍から見れば井之上が部下を虐めているようだが、その実、井之上は彼を労わっていた。

 山元が大佐になる前、艦娘という存在が出現し始めた頃、彼は《反対派》などでは無かったと知っているからだ。

 

 それがどのようにして反対派となってしまったのかを知る事になったのは、山元が呉を握って既に手を出せなくなってからだった。

 

「勝てぬ勝てぬと延命を望んだお前が、今になってどうして立ち上がろうと考え直したのか……」

 

「……」

 

「やはり、海原か」

 

「っは」

 

 移送され、一度は大佐という立場を失いかけた山元に対する何度目かの同じ問い。

 井之上の言に山元はゆっくりと手を組み、助手席からちらりとバックミラーを見た。

 ミラー越しに目が合った井之上は不敵な笑みを浮かべて見せたが、山元にはどうにも、申し訳なさそうにも見えて不思議だった。

 

「お前は、海原に会ったこと無かっただろう」

 

「はい。柱島が初めてです」

 

「一目見て手のひらを返すほどの男だったか」

 

「いえ……」

 

「うん? 何を否定する。お前は現にこうしてワシに手綱を握らせたじゃろうに」

 

「手のひらを返すほども、無かったのです」

 

 山元はミラー越しに井之上と視線をかち合わせていたが、ふいに前を見た。

 高速道路を駆け抜ける一定の速度の中、篭り切ったごうごうとした音に混じる声。

 

「井之上元帥は紛うことなき上官であります。実権で言わば最高指揮官であり……私は井之上元帥のお言葉ならば如何様な命令をも実行いたしましょう。しかしながら、私の手綱を握っておられるのは――海原少佐であります」

 

「ほぉ……目下の少佐がお前を握っておると。くっく、良い冗談を言えるくらいにはなったか」

 

 井之上の脳裏に浮かんだのは一種の陶酔だった。

 きっと彼は海原という男の勢いに、力強さに、底抜けの誠実さに胸を撃ち抜かれたのだろうと察する。

 自らの立場を顧みても山元の言動は軍において非常識と言わざるを得ず、はっきり言って有り得ない。

 さりとて今は群衆の前にあらず、運転手を除き男二人の空間である故に、あえてそれを咎めはしなかった。それよりも何よりも、海軍が再編成され、その中でもずば抜けて能力の高かった男が深海棲艦にズタボロにされたプライドを取り戻したことが喜ばしく、喉に引っかかるような笑い声が漏れるのだった。

 

 井之上は座席に放り投げていた鞄に手を突っ込んでいくつかの紙切れを取り出すと、それを眺めながら思い出を語るように話す。

 

「自衛隊の頃は若きにして一等海佐。海将補も見えると言われたお前が海軍として再編され大佐になった時は冗談のように笑ったが――今は……《らしい》顔になっておる」

 

「過分なお言葉、光栄であります」

 

「慇懃な奴め」

 

 冗談交じりに嫌味を返す井之上。高速道路を滑るように走る車が呉に差し掛かった頃、山元はようやくぎこちない笑みを浮かべた。

 

 

* * *

 

 

 呉鎮守府に到着すると、山元はたったの数日しか離れていなかったというのに感慨深げに正門から向こうにある建物を見つめ、井之上は久しぶりの呉鎮守府に変わらんな、と洩らす。

 

 鎮守府にほど近い場所に陸軍の基地もあるため、反対派と疑わしい加担者を探るのも難しいとして大規模な異動が起こった。呉鎮守府に至っては、艦娘をおいそれと大量異動出来ないため言わずもがな。

 現在は各地から集められた人員で再構成された憲兵隊が門の前に立っているが、山元がいた時よりも物々しい雰囲気が漂っていた。

 

 車が停まると、門に立っていた二人の憲兵が近づいてくるも、すぐさま見当がついた様子で敬礼した。

 運転席から降りた女は後部座席のドアを外からそっと開く。鞄を引っ掴んでのっそりと井之上が車を降りると、憲兵は緊張をあらわにして全身を強張らせた。

 

「暑い中ご苦労。執務室まで願えるか」

 

「「はッ!」」

 

 きびきびとした動きで正門を抜けていく憲兵たちに連れられ、井之上一行は執務室へと歩む。

 鎮守府内に人気は殆ど無く、遠目に艦娘らしき影がいくらか見えただけで無人と言っても良い様相だった。

 海原から連絡を受け数時間――今は柱島から南方の海域へ救援が向かっているはずだが、作戦行動中とは言えどよその鎮守府をここまで統率出来るのか? と疑問が浮かぶ。

 

 通りすがりに艦娘と直接遇うような事も無く、井之上達はあっさりと執務室の前へと到着した。

 

 憲兵の一人が扉をノックすると、電話越しでしか聞いたことの無かった声が返ってくる。

 

「入れ」

 

 山元の全身が一気に硬直した。井之上はそれにあてられることも無く、堂々と扉が開かれるのを待つ。

 憲兵が大きな声で「失礼いたします」と扉が開かれた時――山元の喉がごくりと鳴った。

 

「大本営より井之上元帥、山元大佐がお見えになられました!」

 

「うむ」

 

 うむ、だと? 井之上は訝しむ。

 執務室に入った直後、二人は瞠目した。ついてきていた無反応を極めていた妙齢の女もまた、息を吞む。

 

 提督として椅子に座っている細身の男。目深に被った軍帽から覗く眼光は海図に注がれており、その横ではまるで魔法のようにペンがひとりでに踊っている。

 否、常人の目には見えない妖精という存在がそこにあるのだろうと知識で理解するも、作戦行動のさなかで目の当たりにするのは井之上も初めての経験だった。

 

 山元は口を半開きにして驚愕していた。胸中で、そんな数の妖精、この鎮守府には存在していなかったはずなのに、と。

 

 不眠不休で戦い続けている兵士と思えないすらりとした体躯に、少しこけた頬。その頬に走る一筋の赤い線は、一見して銃創には見えなかったが、室内に残る硝煙の匂いが意味を頭に叩き込んでくる。

 それら全てを跳ねのける不屈の精神が宿っていると確信させる目の光は、並の兵士、いや、粒ぞろいの特殊部隊をもってしても委縮させるに十二分な威を醸していた。

 兵士として戦えるのかと不安しか浮かばなかった井之上は、電話で飯を食え、飯を食えと再三言っていたが、前言を撤回しても構わんだろうと眉をひそめる。

 

 ――彼に、隙というものが見当たらなかった。

 

 戦争の中で武を語るのはお門違いかもしれないが、例えるならば井之上も山元も剛である。

 強さこそなければ何者をも守れぬと己を苛め抜いて戦争に耐え得る身体を作り上げた。そして精神を養い、最後まで戦い抜く気合を手にした。

 

 それを彼は、たった一言さえ無くして井之上と山元に理解させた。

 

 狂気を感じるまでに愚直さ。剛でもなく、柔でもない。

 

 正義と正義のぶつかりあいである戦争の中で異質と思しきものこそが、彼にはあった。

 

「ご足労いただき、ありがとうございます。井之上元帥」

 

 車から降りた時の井之上と同じくゆったりと、堂々と椅子から立ち上がった海原は軍帽を脱いで頭を下げた。

 山元は慌てて敬礼する。井之上も思わず、敬礼をしていた。

 海原は頭を上げると、敬礼している二人をしばし見つめ、厳かに敬礼をしてみせた。

 

 三人が腕を下ろす。そうしてようやく、井之上と山元、そして付き人の女は海原以外の人物が室内にいることに気が付いたのだった。

 

 壁際には井之上のもとで世話をしていたあきつ丸が。そして隣に目を伏せて直立不動の艦娘が一人。横須賀鎮守府の切り込み隊長とも呼ばれた那珂という軽巡洋艦の姉と呼ぶべき存在の川内。そして、横須賀に所属している艦娘とは別の、不安そうな表情を浮かべて目を泳がせる呉鎮守府所属の那珂に、井之上と山元の部下にあたる清水中佐。そして、憲兵隊隊長の松岡。

 

 海原という存在があまりに強大で、異質で、この面々に気づけなかったなど有り得ようものか。否。否である。

 井之上は込み上げてくる笑いを抑え込みながらも、応接用のソファへと歩み寄り、腰を下ろした。それから、山元へ座れと顎をしゃくると、失礼しますという声とともに山元が正面へ座る。

 

 海原は机に広げられた海図の上で踊るペンに向かって「あきつ丸の報告の通りに書き込んでくれ」と言ってから井之上の正面、山元の隣に腰を下ろした。

 

「まずは作戦の進捗を聞かせてくれるか」

 

 井之上が低い声で言う。態と威圧を込めて。

 

 南方海域へたったの二隻で遠征に向かわされた艦娘達。付近にある基地、泊地で討ち漏らされた深海棲艦が漂う地獄のような場所に艦隊を向かわせた男が、この数時間で何を知り得て、察し、事を進めているのかを確かめるべく。

 誰かの喉が、またごくりと鳴った。

 

 井之上の鋭い眼光に射抜かれた海原だが、一切の動揺は見せず。

 ああ、と洩らして立ち上がると、机に広げられた海図を手に取り、戻ってくる。

 

「えー……現在、柱島鎮守府から二艦隊、呉鎮守府から一艦隊の計三艦隊を向かわせています。二隻の捜索のために先行させている第一艦隊の島風という駆逐艦からの報告を待っている最中です」

 

「それで?」

 

 あえて切り込む。

 単純明快、簡潔に状況を説明した海原を試すような物言いを隠すことなく口にした井之上に、山元はおろか、室内の全員の空気が張り詰めた。

 

 では、海原は?

 

 やはり微動だにせず、井之上の思惑など歯牙にもかけない口振りで言う。

 

「帰還中にも危険が生じる可能性がありますので、島風を追跡させている第一、第二艦隊には深海棲艦の撃滅を指示しています。島風は接敵しても交戦しないように言ってますので、発見した深海棲艦の種別を後続に報告させ、柱島にいる大淀を通して全艦と共有させ、対応しています。目標地点に到達する前に第一と第二を追わせている補給艦隊を合流させ、補給後に待機……島風の捜索次第で、発見後には二隻は深海棲艦撃滅済みの航路で呉へ戻って来られるかと」

 

「……これは、海原、お前が考えた作戦か?」

 

 もう井之上の中に懐疑心は欠片も残っておらず、あるのはただ、興味。

 かつての《海原》とここにいる《海原》は同じ名をした違う男だと分かっているのに、どうしても重ねてしまう。山元や清水はこの男を間違いなく元海軍大将の海原鎮だと思っているだろうが、井之上は違う。

 

 故に、全身が粟立つ程に興味が湧いた。

 

 どこで訓練を受けたのか。どこで学び、戦場を知ったのか。

 一切不明の男、海原鎮。

 

「はい」

 

 短い返答に、井之上は心して問う。

 

「作戦終了の目途はどうだ」

 

「呉所属の二隻が出て半日以上経過していますので、それと同じか、もう少し掛かるかと思います」

 

「作戦行動中に話すべきではないかもしれんが、少し時間を貰いたい」

 

「は、はぁ……それは、もちろんですが……」

 

 己の立場を利用して邪魔をしているような気がしない事も無いなとバツが悪かったが、一方でこれは海原の立場を明確にすべく必要な事なのだと心の内で均衡を取りながら、井之上は海原と山元以外の退室を求めた。

 清水中佐は松岡隊長に睨まれており、逃げ出すような馬鹿な真似はしないだろうと思われるものの、艦娘達は海原を気にかけているようで、中々部屋から出て行こうとしない。

 

 井之上が「全員、別室で待機していろ」と再度声を上げた時、ようやく退室していく。

 

 全員が出て行ったのを見届けた後、海原はたっぷりと数十秒黙り込んだあとに、大きくため息を吐いた。

 

「はぁぁぁ……す、すみません井之上さん……私が頼りないばかりに、艦娘にも、皆さんにも迷惑を……」

 

 ころりと変わった口調に山元は驚いていたが、井之上は一安心したように微笑んだ。

 

「様になっておるじゃないか。頼りないなどと卑下するな」

 

「いえいえいえ、本当に、井之上さんがいて下さったから何とか……」

 

「そうかそうか。だが気を抜くな、作戦中だろう」

 

「あ、は、はい、すみませんっ」

 

 井之上の中にある海原を勝手に柱島へと送り込んだ申し訳なさと、軍部という体裁をギリギリの所で持ちこたえている情けなさ。

 海原から漂う井之上への無防備なまでの信用から生まれる砕けた口調や雰囲気が相まって、まるで互いが旧知の仲のような空気を生み出す。

 

 山元はそれを見て思う所があるような顔をしてみせたが、二人に悟られないようにと顔を伏せた。

 

「さて……まずは海原、お前を軍人としてではなく、海原個人として見て言わせてほしい」

 

 井之上は頭を深く下げた。

 

「あっ、えっ!? 井之上さん何ですか急に! ちょっとちょっと!」

 

 狼狽する海原に構わず、井之上は山元の前で言う。

 

「此度は《君》に汚名を着せてまで柱島に送りつけた事を、謝罪したい。全ては海軍を統率しきれず手を揉んでいたワシの不徳の致すところ。如何様に言われても返す言葉も無い」

 

「井之上さん……俺は……」

 

 海原から洩れた一人称に、山元は口を挟まず耳を傾けた――

 

「海原鎮――同名である君を利用した罪は、老い先短いワシの人生の全てで償わせてもらいたい。どうか許してはいただけないだろうか」

 

 ――が、しかし、同名という言葉に山元は「なっ!?」と声を上げてしまった。

 すぐさま声を潜め、扉の向こうに聞こえていないかと気遣うように声を挟み込む。

 

「井之上元帥、どういう事ですか」

 

 海原は顔を伏せて目頭を押さえていた。

 山元の問いに井之上は大本営で首を括ってもらうと宣言した通り、話し始める。

 

「山元よ。この目の前にいる海原鎮は、海軍大将の海原鎮では無い」

 

「なん、ですって……!?」

 

「ただの同姓同名――下手をすれば、一般人であったかもしれん」

 

「元帥、それはその、徴用したという事でありましょう……?」

 

 罪を重ねた山元であるからこそ、井之上には潔白でいてもらいたかったという思いがあったのか、縋るように言う。

 妙な思惑に民を巻き込んでしまっていたのならば、何をどう言い訳しようとも井之上も山元も、目の前の御仁に二度と顔向け出来ない、と。

 

「見方を変えれば、徴用とも言えよう。じゃがワシは違う。彼が何者であれ、戦争の中に起こる無用な賛成だ反対だという内紛を一瞬でも凌げたらという葛藤に負けた。魔が、差した」

 

「う、海原少佐! 違いますよね!? 何らかの作戦でありましょう!? い、言うなれば、そ、そう! 反対派であった私を含め、内紛を収めるために大将から降格し、末端から正していこうと、そういう……!」

 

 何とか理屈という形を作り出そうとする山元だったが、海原の口から零れた一言で、閉口する。

 

「井之上さんの、言う通りだ。私は元々、軍人では無い」

 

「海原……少佐……」

 

 下げ続けていた頭を上げた井之上は、やはりそうか、と言いながら海原を、山元を交互に見る。

 

「清水中佐の件は後に回す――ワシの用はもう一つある」

 

 持ってきていた鞄の中から取り出される書類。井之上は手に取った二枚の書類のうち片方をテーブルに置き、話した。

 

「海軍大将、海原鎮――反対派によって殺されたと思しきあの男もまた、軍人では無かった。いや……軍人ではあるが《この世の軍人では無かった》と言う方が、正しかろう」

 

「井之上元帥、それは?」

 

 大本営で聞いた全てを話すという井之上の言葉はこれか、と察した山元は続きを促すように問うた。

 海原は目頭を押さえていた指をそのままに、さらに顔を強張らせる。

 

「海原鎮は……艦娘が存在していない頃の男だったらしい。ワシと海原の間でのみ、軍部の最高機密を超えたワシらしか知らぬ。あの男は――かの戦争の渦中におった兵士の一人じゃった」

 

 かの戦争――艦娘が存在していない頃――導き出されるものは一つだけ。

 

「荒唐無稽も甚だしい……痴呆と思われても仕方のない事じゃが、誓って嘘では無い。事実、海原鎮という戸籍は存在しておったが、遠い昔に死んでいるはずの男が現代に現れたなど、到底信じられまい。調べたとも、隅々まで歴史を辿ってな。その中に一人、確かに海原鎮は存在しておった」

 

 テーブルの上にある書類は、戸籍謄本だった。

 だが山元の知る書式では無く、どこか古ぼけており文字も掠れている。

 

「これをどこで手に入れたと思う? っくく……役所などでは無いぞ」

 

 山元が言い淀んでいると、井之上は冗談みたく言う。

 

「資料館じゃよ。いまや昔の戸籍など、そこにしか残っておらん。死した者の籍であらばなおの事、電算化はされておらんでな。そしてこれが――」

 

 古ぼけた書類の横に、山元も良く知る書式の戸籍謄本が置かれる。

 

「――海原を大将とすべく作り出した《新たなる身柄の証明》じゃ」

 

 海原鎮、出身地、神奈川県横須賀市。連なる文字の全てが真実でありながら、現代では有り得ない内容。

 

「戦時で戸籍が消失するなどという事はかの戦争を思えば無い話ではあるまい。嘘はついておらん。じゃが、これを認知させる必要も無い。ワシらよりもはるかに戦争に詳しいあの男に保険を持たせる事こそワシが出来る誠意じゃった」

 

 話の途中、山元のストップがかかる。

 

「井之上元帥。その、も、もう一人の海原大将とやらは、いつ、どうしてこの時代に……?」

 

 当然の疑問。井之上は「それも話す、慌てるな」と鼻息をふうと鳴らした。

 

「……海原は、艦娘に保護されたのだ。太平洋上でな」

 

「太平洋上で……」

 

 井之上は古ぼけた戸籍を指で撫でながら話す。

 

「元々は船乗りではなく、飛行機乗りだったと聞く。半ば錯乱状態だった男の話を聞き不審に思った医者が、精緻を極めた話の内容をワシの元へ届けたのじゃ。深海棲艦と世界中が戦争しておる今、ワシは男の話に深海棲艦という名が出ないのが気にかかり、会うことにした」

 

 ごそり、と煙草を取り出した井之上は、一本咥えて火を灯す。

 紫煙の中に今でもその光景があるかのように目を細めて語った。

 

「昔、タイムトラベルを題材にした映画があったんだが、男の話は不謹慎ながらも不思議で、興味深いものでなぁ。まさに時空を飛んでこの世に現れた軍人だった。あいつはしきりに日本が戦争に勝利したかを気にしていたが、敗北したと知るや否や今度は民の心配をしておった。ワシはてっきり怨敵を討つのだと騒ぎだすものとばかり思ったが、平和になったか、人は笑っているか、国は豊かになったかと何度もワシに聞いてきた……」

 

 ちりり、と火種の燃える音がはっきりと聞こえるくらいに静寂に包まれる室内。

 海原はさっと立ち上がり、机の上に置かれていた灰皿を取ると井之上の前にそっと置き、小さくどうぞと言う。

 

「艦娘という存在がある今、あの男が過去の軍人であることを認めるのにさして抵抗は無かった。何より、あいつは頭が切れた。既に敗戦が濃厚であったと自覚していたあいつは、どうすれば勝てたかもしれんとワシと深く話したりしての。じゃがワシとてずっと時間があるわけでは無い。海原に現状を伝え、まだ世界は戦火に包まれておること……今度の敵は得体の知れぬ化け物である事を話した。海原は混乱するかと思いきや……国のためにまだ戦えるならばと、ワシに詰め寄ってきよったんじゃ」

 

 かつて飛行機乗りであったという海原大将。

 空から見下ろしていた海で、風の中で聞いた声で、彼は考え抜いたという。

 

 如何に勝つか。如何に出し抜くか。如何にして退けるか。

 

 熟考に熟考を重ねて導き出された戦術を試した井之上の戦果が皮切りとなり、海軍は一時的に深海棲艦を遠くへと追いやり、奪われ続けていた多くの海域を取り戻した。

 それを機に元帥という立場を使って井之上は男を軍に据え、籍を与え、戦友として迎え入れた。

 

 男は艦娘を正しく兵器として利用し、奇しくも井之上の目の前にいる海原と同じく、南方の海域にまで足を延ばした。

 危険が伴ういくつもの作戦を成功させた海原の名は海軍内で都市伝説のように囁かれ、表舞台に出ずとも名が残った。それを快く思わない虚実の栄光を求める者達は戦争の陰で内紛を過激化させ、しまいには……この現状を導いた。

 

 時に人のせいにして、時に戦争のせいにして、時に艦娘のせいにして。

 

 無情なれど、人の性であると井之上は言う。

 争いを起こすのはいつだって人であると。

 

 海原大将は《平和》を求めた。何物にも代えがたい人々の目指すべき道はそこにあると信じて疑わず、自身に危険が及ぼうとも突き進み続けた。死した者を代弁する気が無い井之上とて、彼に後悔は無かっただろうと考える。恥ずべき人生などでは無かったと胸を張っているだろう。

 

「ワシはあいつと共に戦って後悔はしておらん。戦艦達が艦娘として蘇り戦う今、あの男も蘇っただけだったのだと割り切っておるつもりだ。……お前と同じ名を持つ者は、そのような男だった」

 

 まだまだ気になる事は残っている井之上だったが、話すべき事はこれが全てだと煙草を咥え沈黙することで示した。

 そうですか、と呟いたのは海原で、彼は山元と井之上を交互に見て、テーブルに置かれた書類を見て、重たい声を落とす。

 

「お話、ありがとうございました、井之上さん」

 

「必要と思ったまでじゃ。礼を言われることではないとも」

 

「それでも、俺の前でこうしてお話をしてくださって、誠意を見せてくださった。それの、お礼です」

 

「……ふふ。そうか」

 

 目元をくしゃりと歪ませて笑った井之上の耳に次に飛び込んできた言葉は――その目尻に水滴を生み出す。

 

「――俺……いや、私も、この世界の者では、ありません」

 

 すっと頭を下げた海原に、山元は、ぐ、と変な声を洩らす。だが、口を挟めないでいた。

 

「やはり、そうか」

 

 井之上の相槌に頷く海原。

 

「私は、その、なんと申したらよいか……飛行機乗りでも無ければ、船乗りでも無く、ただの、人です」

 

「……続けてくれ」

 

「頼りなく、力もなく、頭も切れるわけではありません。ですが、し、仕事は出来ます……!」

 

「……」

 

「平和を願うほど高潔な人間では無いかもしれません! ですが……ですが! 私は提督です! 柱島のみならず、全ての艦娘を守りたく思っています! どうか……私にも、仕事をください……」

 

 立ち上がった海原は、その場で腰を曲げてより深く頭を下げた。

 

「仕事ならば、今しておるだろう。この作戦を成功させ、実績を作れ」

 

 井之上は海原の言わんとする事を理解しているつもりで言った。山元も井之上と同じように考えており、自らの部下であるはずの海原をさらに尊敬してしまう。

 騙されていたなどとは考えない。山元は最初から海原という男を知りもしなかった。ついこの間、その片鱗をみたばかり。

 

 今目の前にいる海原少佐の口から飛び出す言葉の数々が、想いの証拠として鼓膜を揺らす。

 

 それだけで、山元は、井之上は、信ずるに値すると互いを見て頷き合う。

 

 ただの人と男は言った。同時に提督であるとも。全てを口にせずともそれこそが井之上への答えであり、彼もまた時を超えて、世界を超えて蘇った軍人の一人である証左。

 井之上の胸中に浮かぶかつての海原が洩らした一言。

 

【軍人だの何だのと威張る気はありません。自分はただの、人です】

 

 偶然の一致かもしれない。しかし、そうは思えなかった。

 

「じ、実績を作れば、私にも籍を与えていただけるでしょうか……! 何でもします。艦娘を守れるならば、全てを差し出しても構いません! ですから……」

 

 山元はほころびかける口元を必死に一文字に結んでいたが、井之上はくすりと笑った。

 

「我々は今、軍人だ。そしてこれからも軍人として生きることになろう。戦争に勝つためではなく、仕事をくれとお前は口にしたのだ。ならば実績を作るのは当然のこと……もとより居場所が無いのが困るのはワシも同じだ、海原少佐」

 

 井之上は咥えていた煙草を灰皿に押し付けて立ち上がると、海原の前に歩み寄って正面から見る。

 

「初めに言ったように、ワシは老い先短い人生の全てを賭して罪を背負い続ける。目を背けたりするつもりは無い……お前はワシに騙され、良いように利用され、戦っているに過ぎん」

 

「井之上さん、それって――」

 

「仕事は変わらんとも。最初に言った通りの仕事を続けてくれ。小難しい事はワシが全て片付けておく……あの男が現れてから、泥を啜ってでも国を守らねばと決めたのはワシの勝手じゃからなあ。せいぜい、ワシの仕事を増やし続けてくれ、少佐」

 

「……はいッ!」

 

 

* * *

 

 

 全ての話が終わった後、作戦に戻る前にと一服を入れている中、海原が用意した茶を飲みながら山元が言った。

 

「自分も聞いて良かったのだろうかと、まだ不安であります」

 

 井之上はにやりと笑いながら湯飲みを置き、こう返した。

 

「言っただろう、一緒に首に縄をかけてもらうと。ワシかお前か、どちらかが倒れでもしたら、海軍は戦争どころでは無くなるぞ? 要するに……」

 

「共犯者が欲しかったと」

 

「……っくく、平たく言えばそうなる」

 

「そんな事をなさらずとも、自分は……!」

 

「分かっておる。皮肉は言う癖、冗談は受けられんとは堅物じゃのう。これはワシなりの……お前への答えだ、山元」

 

 海原がはっとして井之上に目を向けた。その視線を受けた井之上は頷き、山元に言う。

 

「ワシは仏では無い。許すのは一度だけじゃ。今度こそ軍人として、男として、戦い抜け()()()()

 

 山元は思い出す。そうだ、自分は戦場に、鎮守府に戻ってきたのだと。

 

「はっ」

 

 返事をして浅く頭を下げて見せる山元だったが、途端にそわそわと室内を見回したり、時計を見たりし始めた。

 その様子を見た海原は、ふう、と一呼吸置いて井之上に目配せをする。

 

 海原の口から紡がれる声は、海軍大将の海原鎮とは違う――不撓不屈の《柱島鎮守府提督、海原鎮》のもの。

 

「――山元。作戦行動中、お前は邪魔だ。現在この鎮守府の指揮権は私にある。作戦終了時まで、適当な場所で待機しておけ」

 

「え、あ……? し、しかし少佐、自分にも何か――」

 

「お前に手伝える事は無い。暇だと言うなら艦娘の様子を見てきたらどうだ」

 

「……っ!」

 

「ここからは私と井之上元帥のみで話をする。以上だ。質問は」

 

 山元は突き上げられたように立ち上がり、最敬礼したものの、これではまだ足りないという風に軍帽を脱ぎ、深く、深く頭を下げてから駆け出す。

 

「いえ、待機命令、了解しました! 失礼いたします!」

 

 井之上の前だというのに扉を乱暴に開け放って飛び出した山元の後ろ姿を見届ける二人。

 

「な、那珂! 皆はどこだ! 帰った……帰ってきたぞ!」

 

 軍人らしからぬ様相だったが、今だけは目を瞑ってやろうと茶を啜る井之上に、海原から早速仕事が一つ、舞い込んだ。

 

「井之上元帥。清水中佐についてですが」

 

「背負うとは言うたが、こんなに早くになるとはな。して、清水をどうしたい」

 

「……くすのき、という少将と繋がりがあるようです」

 

 情報と呼ぶには短くも、それに込められている量は尋常では無かった。

 長年軍人として生きてきた井之上をして頭がパンクしてしまいそうな情報を、どうして平気な顔で口に出来るのかと海原に声を荒げたくなる。

 

 そして同時に、やはりあの過去の海原が如き軍人なのだと興奮を禁じ得ず、喉を鳴らした。

 

「ふふ、楠木か。証拠もなく国に尽くすあの少将に目を付けたとは思えんが、清水を使っていたとなれば……話は艦娘反対派の前身が現れた頃から繋がっておるようじゃな」

 

「私には、分かりかねますが……井之上元帥ならば解決していただけるかと」

 

「内々で片づけられたら御の字と考えておいてくれ。清水中佐は、本作戦が終了した時点で鹿屋へ戻す。移送は無し……が良いのじゃろう?」

 

 海原は井之上から発せられる威を含んだ声に、何故か安心したかのように「はい」と答えた。

 己の威さえ通じない男に半ば呆れてしまうが、今の海軍に必要なのは海原のような異常、異質とも取れる仕事への愚直さなのだろうと感情を吞み込んだ。

 

「軍部に無理を押し付けて出てきておるので、明日の早朝までしか滞在できん。表に出れば憲兵が騒ぐであろうから、ここで作戦を見届けさせてもらうが構わんか」

 

「あー……それは、あの、はぁ……」

 

 仕事姿を見られるのが嫌だ、とでも言いたげな海原に愛嬌を感じ、井之上は「ならばそうしよう」と言い切ったあと、少し間を置いてこう続けた。

 

「お前の仕事ぶりに興味もあるからのお」

 

「……善処します」



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四十六話 風【艦娘side・島風】

 鎮守府を発ちどれだけ経った頃か。

 

 島風は未だかつて経験したことのない速度を全身で受け止めながら、ただひたすらに海上を駆けた。

 艤装についてきた妖精も飛ばされないように器用に隙間に入り込み、頭だけを半分ほど出して周囲を警戒している。

 

 艦娘は《艦》であった時とは違う。姿も違えば意思もある。それらを示すことの出来る新たな身体を持っている。

 艦であった頃では出来なかった事が何でも出来るようになった。

 温かな食事を食べ、移り行く景色を見た感動を分かち合い、時に笑い、時に泣き、時に咆える声を持った。

 

 悲しいかな、それらが喜びや嬉しさといったものに割かれることは殆ど無かったが、それでも島風は艦娘であって良かったと思っていた。

 そう、自分に言い聞かせていた。

 

「――……っ! 駆逐、四隻……イ級ですっ! うち一隻は後期型、その先にロ級が一隻っ」

 

『――ザザッ……――了解! 島風さんの現在地は確認出来てるけど、だ、大丈夫なのその速度!?』

 

 提督からの命令通り、任務通りに高速航行を続けながら発見した深海棲艦を伝達する。

 島風が予想していたよりも深海棲艦の数は多く、ここが本当に日本のEEZであるのかと疑いたくなる。

 

 深海棲艦は派手に直線移動する島風を発見するや否や攻撃を加えようと動くも、そこは艦娘最速と謳われる島風、易々と照準さえ合わせられる速度では無い。

 敵艦がどれだけの迅速さを持とうが、精密さを持とうが、風の前には無意味。

 

 明石が開発、改良した機関も相まって口や鼻から空気が叩きこまれるような感覚がとても苦しくもあった。

 

「だい、じょうぶ……っ」

 

『雑音が酷い……島風さん! 大丈夫なの!? 応答を!』

 

 島風と後続の艦隊を繋ぐ通信が雑音だらけであるのが、その航行の無茶を物語っているかのようだった。

 心配する扶桑の声が、よく聞こえない。

 

(提督が……私を、選んでくれたんだもん……!)

 

 前提督は島風を鬱陶しいガキと呼んだ。

 周りに馴染めず、資材に見合う戦果も挙げられない役立たずだと一蹴し、果ては捨て艦作戦と呼ばれる特攻作戦に彼女を迷いなく投入した。

 幸か不幸か、島風はその捨て艦作戦にて本領を発揮した。

 

(提督は、どうして私に魚雷を持たせなかったんだろう。艦娘を助けてあげて……敵を撃滅するなら、ひとつくらい……)

 

 駆逐艦に見られる回避能力の高さは、島風の持つ速度からして言わずもがな。それに加えて、かつては現状にそぐわず余力を割く必要無しと判断されて量産を打ち切られてしまった高コストに見合う攻撃力、航続距離、運用コストを持っていた。

 故に、捨て艦という見習うべくもない決死の作戦において高水準の能力を持つ島風は適当ではなくも【艦娘としてならば】経済性に優れていた。

 

(第一艦隊の皆に任せて、島風が突っ込んじゃえば、勝てるかもしれないのに)

 

 燃料が無かろうが、弾薬が枯渇していようが、艦娘が持つ本来の能力さえ発揮できれば良い弾丸となったのだ。

 随伴艦とともに目標へ放てば、他の駆逐艦よりも確実に打撃を与えられる。そんな胸糞の悪くなる理由であれ、狂気の戦争のさなかでは正当となる。

 

 得体の知れない敵に、得体の知れないものをぶつける、ただそれだけの話であると前提督が言ったのを、島風は忘れていない。

 放った弾丸がタダで帰って来るのだから経済的だと笑ったあの顔を、忘れてはいない。

 

(でも、この速さなら――ぶつかっただけでも――)

 

 だからこそ、提督は――海原鎮は、そのような理由で自分を推薦したのだと心の隅で疑っていた。

 それでも自分を必要だと真正面から言ってくれた。そんな人の命令ならば、前提督のように暴力をふるい、罵詈雑言を浴びせるようなこともなく、お前が必要だと言ってくれた人のためならば、私は喜んで敵陣に飛び込んでみせよう。

 そんな心持で駆け抜ける島風の速度は、艦であった頃の速度を大きく超えていた。

 

『ザザッ――代われ扶桑! おい、島風! 聞こえるか! 重巡那智だ! 先行が過ぎる、少し速度を落とせっ』

 

 艦娘になるまえから通信設備が充実していた島風ではあるものの、艦娘になってそれが活かされたのは、悲しくもやはり捨て艦作戦の時だけであった。

 島風は多くの悲鳴を聞いていた。沈みたくないと叫ぶ仲間の声を。

 

 その通信能力さえ、今は心許ない。

 艦娘の中でも随一を誇る島風の高速移動に追いつけないのである。

 頭の中に響くのは雑音とも声ともつかぬ音ばかり。

 

「はや、く、見つけなきゃっ……」

 

 そんな島風の中に響く数多の音の中に、全身が硬直してしまいそうなほどの恐怖に塗りつぶされた音が混ざる。

 確かに、聞こえた。否、聞き逃すことなど出来なかった。

 

『このままでは後方支――も間――ザザ……合わん――島風! おいっ しま――ザザッ……』

 

『ダメだ、ノイズがひど――ザッ――届いてない可能性が高――このまま追跡を続行す――しか――……ザザッ……ザー……』

 

 

 

『……たす……ザザッ……け……――ザッ……て……ザー……誰か……』

 

 

 

 

「い、今の……妖精さん! 今のは!?」

 

 

 * * *

 

 

 島風の豪速に荒々しく波が立ち上がる。

 こまごまとした波を切り裂く島風の速度は限界に達していた。

 

 それを維持しようとする機関は異音ともつかぬ絶叫を上げながらもうもうと煙を立ち昇らせ、海上に一筋の線を描く。

 

「どこ……どこに……うぅっ……!」

 

 旋回するにも小回りの利かない速度であるためか、島風は大きな弧を描くようにして周囲でノイズに交じった声の主を探す。

 柱島を発った時は快晴だった空模様も、今や曇天。

 不気味な静けさの中、艤装からの音だけがいやに響き渡る。

 

 こんな事になるならば照明の一つくらい装備するべきだったのでは?

 当然のことを考えるも、探照灯を持とうものなら文字通り良い的になってしまいかねない。この作戦は救助なのだ、とかぶりを振る。

 

 そんな時、場違いにも、あ、と声が漏れた。

 

「そ、うだ……救助……助けに、来たんだ……」

 

 提督に選ばれた喜び。戦場に再び立たねばならない恐怖と不安。

 救援せねばという使命感。それらが交じり合って生まれた疑心から、目標を見つけたら、その救助対象を逃がして突貫せねばなどと本来の命令を見失いかけていた事を思い出し、今度は先程よりも大きくかぶりを振る。

 

 艤装から顔を出している妖精が視界の端に映った。

 とても、不安そうな顔をしている。

 

「――……そうだよね。助けなきゃ、だもんね」

 

 妖精が力強く頷くと、島風は先程よりも少し鋭い目つきで周囲を探索し始めた。

 通信が傍受できるようにと、頭にリボンとして装備されているアンテナを振る。

 

 過ぎていく時間は、たったの数分、数十分だけではあるものの、永遠に感じられた。

 

「わ、私が通信を飛ばしちゃ、まずい?」

 

 ざざん、とゆっくり減速しながら妖精に問えば、妖精は艤装から完全に身体をぴょこんと出してから、うーんと唸り声が聞こえてきそうなほど悩んでみせる。

 第一艦隊とは秘匿された通信でのやりとりだ。たとえ深海棲艦であれ容易に傍受はされないであろうが、救援信号として発されている通信がどのようなものであるのか定かではない。

 しかし、危険を取ってでも迅速に発見するためにこちらから周囲へ通信を試みるべきか否か、島風は判断しかねる。

 

 妖精が悩んでいる間に、島風の航行速度は荒い波にのまれない程度にバランスを取るほどの鈍足となり、ついにはその場に立ち尽くしてしまう。

 

「……ごめんっ」

 

 島風は提督にとも妖精にともつかず謝ると、瞬時、周囲に向けて通信を開始する。

 

「こちら柱島鎮守府所属、第一艦隊の島風ですっ! 応答願います! こちら――!」

 

『……ザッ』

 

『ザザッ……』

 

 返って来るのはノイズばかり。しかし島風は諦めず呼びかけ続ける。

 

「こちら、柱島鎮守府所属の、島風です……!」

 

 いつだったか、思考というものは案外抽象的なものであると聞いたことがあった。

 前提督か、いや、それよりも以前、艦娘になってすぐの頃だったか。

 

「呉鎮守府より救援要請を受けましたっ……応答を……!」

 

 その思考を整理し、形にする一番簡単な方法が言葉である。

 どれだけこんがらがった頭の中であろうとも、たったいくつかの言葉を口にするだけであっという間に理解出来てしまう事があるという。往々にして、そのような事にあふれているのが、世界である、とも。

 

「こちら、柱島鎮守府、所属……」

 

 通信を続けていた島風が何度も発する、柱島鎮守府所属、という言葉。

 思い出されるたった数日しか過ごしていない、同じ場所にいて、ただ遠くから眺めていただけの同所属の面々の顔。

 その中でも、二つの顔が鮮明に浮かんだ。

 

 島風を気にかけ、ただ通りすがりに構ってくれただけであろうが、優しい声が鮮明に思い出される。

 

【島風か。お前はやはり目立つな】

 

【提督、何か用……?】

 

【用が無ければ声を掛けてはいかんのか……あ、いや、それもそうか……おっさんに声かけられても困るもんな……】

 

 眉根をひそめて何やら独り言を洩らす顔。

 

【島風、かけっこは好きか】

 

【か、かけっこぉ……? なに、それ……】

 

 人なんていうのは、大体最初だけ優しい。そして戦場に駆り出し、私が使えないと分かると途端に手のひらを返す。

 戦場を恐れた私を前提督は役立たずだと言った。

 敵前にして腰が引けてしまった私は一瞬にしてボロボロにされ、命からがら帰還すると、罵倒された。

 

 玉砕も出来ない兵器があるものか! なんて。

 

【かけっこを知らんのか? お前は速さが売りの艦娘だったように記憶していたんだが。どちらが速く走れるか競争する……というのが、かけっこだ】

 

 私の速さはなんのためにあるんだろう、提督。

 

【速くても、別に……いいことなんて……】

 

 敵を前にして走り回るだけの私に、何の意味があるんだろう、提督。

 

【何を!? 馬鹿な……お前は速さの重要性を知らんのか……島風……!】

 

【えっ?】

 

 敵にどれだけ早く損害を与えられるか、とか?

 一息も入れさせずどんどん駆逐艦を突っ込めば、同じくらいの損害は出せるよ。

 

【速いという事は艦である上で外せんだろう。火力、装甲、装備、そのどれも大事だが……お前はどれをとっても高水準の駆逐艦だ。雷装、火力、お前が海を駆けるだけで戦況がひっくり返る事も十分、十二分にありうる。その中でも速度に特化したお前など、想像するだけで……わくわく……んんっ……心強いだろう】

 

 速いだけじゃ、ダメだって……前提督は……。

 どうしよう……島風……頑張るって、決めた、のに……やっぱり、怖い……。

 

 頭の中でリフレインしていた会話も捜索するために広げた通信から流れ込むノイズに霞んでいく。

 

「こちら、柱島鎮守府所属……第一艦隊、旗艦……しまか……ぜ……」

 

 ざざ、ざざ、という波の音に立ち尽くす。

 ざざ、ざざ、というノイズの音に絶望が湧く。

 

 通りすがった深海棲艦が追ってくる気配は無い。後続が片づけてくれているのだろうと冷静になって考えるも、やはりその傍らに潜む恐怖は徐々に心を浸食してくるのだった。

 

「通信、拾えない……」

 

 その時。

 

『ザッ……こ、こちら呉鎮守府所属! 遠征艦隊、朧です! 柱島鎮守府所属、島風さんへ! 聞こえてますか! こちらザザザッ……――』

 

「!」

 

 ぴん、と背筋が伸びた。

 すぐさま通信と、周囲への大声との両方で呼びかける。

 

「通信、確保してますっ! こちら島風! 救援にきました!」

 

『繋がったぁっ……! もう、燃料が殆ど無くて、下手に動けなくて……!』

 

「先に合流を! 後から補給艦隊も来ます!」

 

『補給艦隊も!? 清水中佐は、何を考えて……』

 

 

* * *

 

 

 たったの二隻で遠征という名目で危険海域へと駆り出された朧と漣は、すぐに発見に至った。

 あとは第一艦隊後続との通信を回復させ、第一艦隊と補給艦隊が到着するのを待ってから、呉鎮守府へ向かうだけに思われた。

 

「よかったよぉ……! 通信は切っておけって言われたから、捨てられちゃったんだって思ったよぉ……!」

 

 ぽろぽろと零れる涙を拭う朧にあてられてか、目尻から今にも涙をあふれさせそうになりながら漣が歯を食いしばる。

 

「おかしいよ……清水中佐も、ご主人様も……! ご主人様は突然いなくなるし、龍田さんや陸奥さん達も異動になったって言うし……何が起きてんのさっ」

 

 二人から発せられる嗚咽と不安、混乱の言葉に島風は返す声が出なかった。

 救助して帰還する、たったこれだけの事で頭がいっぱいで慰める余裕などない。

 

「……あの」

 

《アァァアアァァアッ――――!》

 

「っ!?」

 

 それでも一声かけなきゃ、と口を開きかけた瞬間の事だった。

 周囲が一瞬にして薄暗くなり、海が暗く、赤くなる。

 

 深海棲艦と接敵したのは、言うまでもない。

 

「残りの燃料は!?」

 

 咄嗟に二人にそう言った島風の目は、恐怖に染まっていた。

 朧も漣も、ああ、逃げるのだなと察して「もう少しだけなら、走れるけど……でも、逃げ切れるほどじゃ……!」と言う。

 

「――逃げて」

 

「「え……?」」

 

「この海域から逃げるの! し、しま、島風が、お、おお、おと、おとりに、なるから……っ」

 

 言いながら、どんどん声が震える島風の顔を見た二人に恐怖が伝播する。

 同じ海に立って同じ状況でありながら、可哀そうになるくらいに怯えた島風の顔。

 

「だ、だめだよ! 一緒に逃げよう! 怒られるかもしれないけど、漣達も一緒に謝るから! っていうか、漣達が、悪いんだから……!」

 

 朧が漣に賛同して首を縦に振るも、島風はゆるゆると首を横に振ってぎこちなく笑った。

 

「か、考えてみてよ。二人と、一人……どっちが大事か」

 

「何を……」

 

「損害を、考えたら……ほ、ら……二人が帰らなきゃ、いけないんだよ……だから、行って」

 

 怖い。 私は、ここで沈むんだ。

 

 島風の恐怖に呼応したかのように、周囲の海面が揺らめく。

 遠くに、駆逐級の深海棲艦が見えた。少なくとも、一、二……数えるべくもなく、多数。

 二隻を放っておけば撤退は可能だろう。自分の速さがあれば、振り切るだけならば。

 

 だが提督は言った。二人を救えと。

 

「提督が言ったんだ……二人を助けろって。し、島風はそのために……来たんだよ……」

 

 航行途中に過ぎてしまったが、自分が沈んだのはフィリピンの海だったろうか。

 確か〝あの時〟もこんな風に多くの敵に囲まれて、どうしようもなかったんだっけ。

 

『ザザッ――島風! 聞こえるか! 那智だ! おい! 応答しろ!』

 

「ぁ……」

 

 通信を開いたままにしていたからか、それとも立ち止まっていたからか、島風に届いた第一艦隊の重巡那智の声にはっとする。

 

『島風! 二隻を捜索中か!?』

 

「ぇ、あ……」

 

『島風――おい――ザ……――島風ッ! またノイズが……!』

 

 怖い。

 

 助けなきゃ。

 

 状況を伝達しなきゃ。

 

 すごく、怖い。

 

 沈んじゃうかもしれない。

 

 また、痛いのかな。

 

 どうしよう。怖い。怖いよ。また、あんな暗くて、寒いとこに、沈んでいくなんて。

 

 いやだ。

 

 でも、任務を。せめて、二人だけは。

 

『こっ、こちら島風っ! 二隻は確保しました! 繰り返しますっ! 二隻は! 確保!』

 

『も、もう発見出来たのか!? っく……全力でそちらに向かうが、もう少しだけ耐えろ!』

 

『……二隻の燃料の残りで、海域から離脱可能です! 二人を先に離脱させます!』

 

『なっ……何を言っている馬鹿者! お前は火力兵装を積んでいないんだぞ!?』

 

 わかってるよ、そんなこと。でも、助けなきゃいけないんだもん。

 こんな海の真ん中で、二人っきりで、心許ない燃料で帰る事も出来ないなんて嫌だよ。

 

 だから助けに来たんじゃない。

 

 一種の自暴自棄にも似た愚痴を胸中で零す。その正体も分からずに。

 

「他の艦娘が来てるの……?」

 

 朧の声に振り返り頷いて見せる島風。歪んだままの口元で「ここを抜ければ、大丈夫」と言う。

 顔に幾分か生気が戻ったような漣に視線で頷きを示し、短く「行って」と言えば二人は迷いを見せたが、背中を押すように島風は言った。

 

「大丈夫。島風のことは、心配しないで」

 

 朧の「ごめんなさいっ」という声。

 漣の「補給艦隊が来るなら、またここに戻って来られるってことっしょ!? そ、そしたらすぐに――!」という声。

 

「……うん」

 

 島風は今にも崩れそうな顔で笑って二人を送り出し――

 

『ザッ……ザザッー……』

 

「……?」

 

『ザザ……やっと繋がったであります。島風殿、状況は?』

 

「あきつ丸さん……?」

 

 話した事は無いが、声であたりをつけて名を言えば、その声はそうだと返事した。

 

『二隻の発見と離脱、聞こえていたのでありますが……こちらからの通信が中々上手く届かず、申し訳ないであります』

 

「あっ、その……えっと……」

 

『先に二隻を離脱させた判断、少佐殿が褒めておいででした。判断の速さも一級でありますなあ』

 

 緊張感の無いあきつ丸に肩の力が抜けそうになるが、そうものんびりしていられない状況である島風は漣と朧とは逆方向へ進み始める。

 

 深海棲艦は賢い。既に二隻よりも一隻――島風を目標として不気味な鈍足さで近づいてくるのが見えた。

 砲撃戦をするには遠すぎる距離だったが、不安や恐怖を煽るのに不足は無い。

 

『あのっ、多数の深海棲艦に、囲まれて……先に二人に逃げてもらって、私が、時間を稼ぐから……それで……』

 

『……――ふむ』

 

「っ……て、提督!?」

 

 あきつ丸の声から、一転。低い声が島風の全身に降りかかるように聞こえた。

 バランスを崩しそうになるのを堪え深海棲艦を連れるようにしながら直進を続けるも、意識は完全に提督の声に持っていかれていた。

 

『二隻の確保がここまで早いとは、恐れ入った。島風、深海棲艦に囲まれていると言ったな』

 

「は、はいっ」

 

『そうか――ならば――』

 

 役立たずの駆逐艦になりたくないのなら、沈んででも突貫しろ!

 前提督の声が島風の胸の中心を鷲掴みしようと手を伸ばす。

 

『――そのまま逃げ続けろ。お前の速さならば攻撃も回避出来るだろう』

 

「え……ぁ……どう、して……」

 

『燃料の残りに気をつけろ。第一艦隊が到着したら周辺を一掃し、補給をしてから改めて作戦の継続を判断する。第二艦隊の航空部隊の方がそちらに到着するのが早いかもしれん。何か質問はあるか』

 

「どうして……提督……なんでぇっ……」

 

 海原鎮――島風の新たな主人として柱島に就いた提督の声は、あっさりと島風を抱き寄せた。

 逃げ続けろなんて、戦いの場において決して有り得て良い言葉じゃない。なのにそれを臆することなくどうして口に出来るのか、島風は理解出来なかった。

 

 故に、船速を上げながら金切り声で怒鳴る。

 

「ここで、沈んじゃうかもしれないのに! 逃げろなんて! 何で……!」

 

『沈めないために艦隊を組み、お前を選んだのだ』

 

「分かんない……分かんないよそんなのっ……!」

 

『問題無い。お前はただ――速く走れ』

 

「……!」

 

 きぃん、とタービンが音を上げる。

 次には、降りかかろうとした波が切り裂かれ、ごう、と風が吹いた。

 

《オォォオオオォォッ――!》

 

《――ァァアアアアアア》

 

 深海棲艦が島風の速度に驚いたように急発進するも、追い付けるわけが無い。

 速すぎる船速に旋回も満足にできない状態ながら大きく弧を描き、島風はただ、がむしゃらに走った。

 

「なんで……なんで……なんで……っ!」

 

 私は、フィリピンで沈んだんだ。

 

 そしてまた、あのくらい、さむいばしょに――

 

 

 

『フィリピンはもう過ぎただろう? お前は今、その先にいる』

 

 

 

 「……ぁ」

 

 通信が繋がったままで、声が出ていたらしい。

 島風の「なんで」という心からの問いに返ってきた提督の声は、心底不思議そうだった。

 

 フィリピンはもう過ぎた。それは状況を指しているんだろう、きっと、ただ事実を述べただけ。

 そう思おうにも、島風はどこか希望を探すように思考を巡らせる。

 

『障害物も無い海洋だ。お前の速さを存分に発揮できる』

 

 あぁ……やっぱり。彼は、提督は、私に言ったんだ。

 狭苦しい、あのオルモック湾という過去を越えたんだと。

 

 この人のためなら、怖くたっていい。

 

 この人のためなら、沈んだっていい。

 

 

 いや――

 

 

 

 

『島風――走れ』

 

 

 

 

 ――この人の為に、私は速くなったんだ。

 

 

 

 刹那、島風から迷いが消える。

 

「うん……任せて! スピードなら誰にも負けません! 速きこと、島風の如し、です!」

 

 その次に、深海棲艦は初めての状況に統率が乱れ、追跡の隊列が崩れてしまう。

 それもそのはずだった。

 

《――ォ……ァ……!》

 

 ただでさえ追いすがるのに空母型の深海棲艦が持つ恐ろしい速さを誇る艦載機が欲しいという場面であるのに、あの艦娘は――瞬きしただけで別の場所にいると錯覚するほどの速度となっている。

 

 遠くから空を突き抜けるような速度で現れた艦載機――軽空母ヌ級のものだ――に笑い声のようなおぞましい音を上げるも、急転直下。艦載機の放つ弾丸が――

 

「っ! 当たらないんだから!」

 

 ――掠りもしない。

 

 遠くから聞こえていた、島風の何故、という問いを、今度は深海棲艦たちが抱くこととなる。

 

 それは何故か。

 解はあまりにも、どうしようもなく、単純明快だった。

 

 彼女が欠陥艦娘と呼ばれた最たる理由は、戦闘に臆して満足な戦果を挙げられないからだった。

 ある一面では、突貫させても戻って来られる便利な鉄砲玉としか見られていなかったが、今ここで、その真価が発揮された。

 

「私には誰も追いつけないよ!」

 

 ()()()()のである。

 放っておけば燃料が尽きて勝手に止まる、当然のことさえ、もしかすると彼女には当てはまらないのではないかという荒唐無稽な考えすら浮かんでくる。

 暗く、赤黒い海の中で、島風がうっすらと光を帯びているかのような錯覚が深海棲艦たちを包む。

 

 当の彼女はと言えば――不敵に、笑っているのだった。

 

 島々を吹き抜ける風。それらは波が起こすものである。

 であらば、深海棲艦たちが今見ているのは、島風そのものが生まれ出る瞬間なのかもしれない。

 

 艦載機がわたわたと島風に集中しているあいだにも、追随を試みる多数の深海棲艦とヌ級の艦載機。

 

 その状況こそ、自らの首を絞める事となるのに気づくことも無いままに。

 

 

 

 

『――こちら第二艦隊航空部隊、旗艦赤城! 敵機確認、制空権を取り戻しますよ!』

 

『航空部隊、加賀……島風を確認。そのまま走りなさい、駆逐艦』

 

『アウトレンジで決めちゃうから、当たらないように避けなさいよね! 島風!』

 

『ず、瑞鶴! 当てちゃだめよ!? 聞いてるの瑞鶴!?』

 

『あ、はは……じゃあ、僕らは対空警戒かな』

 

『補給艦隊の護衛も、ですね。早く皆を追いましょう』




久しぶりの更新になりました。遅くなってしまい申し訳ありません……。

一応生きています……許して……許して……。


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四十七話 転化【提督side】

 俺は今――危機に瀕している。

 

 場所は呉鎮守府執務室から移り、現在は通信室。

 艦これのアニメでしか見たことのない、何に使うかも分からない機械が所狭しと詰め込まれた一室にて、俺を柱島鎮守府の提督に任命した張本人である井之上元帥と、呉鎮守府の提督である山元、そして諸事情により山元に代わり一時的に呉鎮守府を運営する予定だった清水の三人で海図を囲んで睨んでいる状態だ。

 その他には、川内があきつ丸と一緒になって手際よく機械を弄っている。

 

 作戦遂行に清水は必要なのでいてもらわなければ困るが、それだけでは不安なので通りすがりに医務室で那珂といちゃついていた――ただ話してただけかもしれない――山元を捕まえて「仕事を見届けろ」と連れてきたのだ。俺がもしも変な事して責任を負うことになったら少しくらい庇ってくれるかもしれないという打算的な意味合いが強かったが、大丈夫だろ。な?

 

 って、いや……なんだこれ。

 

 なんだよこれェッ! 艦これェッ!

 

 お、落ち着け、カームダウンねテートクゥ……俺の心の金剛がティータイムをすすめてくれるが、そんな余裕があるはずもなく。

 

 俺はただ、サボりに来ただけのはずだった。

 それで……えーと、それで、なんだ?(大混乱)

 

 仕事ぶりを見たがる井之上さんがいる以上、仕事をしないという選択肢は消えてしまったわけで……俺は補給艦がいるというので艦娘達の住んでいる寮に顔を出して「出撃を頼みたい」とお願いし、後は清水に投げようと――してない。してないよ。ごめんなさいちょっとしてたかもしれない。

 

 そうして、俺の緊張に強張った顔を見た呉鎮守府所属であるらしい――まあ寮にいたのだから所属なのは間違いないんだが――神威と速吸という、艦これ初級者、よくて中級者の俺にとってレアもレアな艦娘を動かす運びとなった。

 断られたらどうしようという危惧もあったものの、それが杞憂であったことは僥倖とも呼べよう。やっぱり艦娘は優しい。

 井之上さんが来る前に出撃させていたのも非常にプラスな行動だ。

 補給艦の二隻のみを出撃させ、第一艦隊が切り開いた航路を進んでもらう。もちろん、万が一に備えて航空支援が出来るように柱島にいる第二艦隊は一番最後の出撃となる。

 鎮守府からの航空支援だけではなく出撃までさせるという無茶はブラック企業さながらだが、無能な俺に免じて許してほしい。

 

 それに、井之上さんは――見ず知らずの俺に艦娘を預けるほどに追い詰められていたのだ。世界が生んだ偶然か、俺は艦娘という存在を知っており、かつ、この世界の人間ではない。

 それを知っていた井之上さんは俺と同じ名を持つ男に寄せた期待や希望を一瞬でも俺に寄せてくれていたというわけだ。

 

 こうなれば――俺も黙っている訳にはいかない。

 どれだけ怖かろうが、どれだけの目に遭おうが、艦娘を支え、井之上さんに報いねばならない。

 艦娘を酷使するということに繋がってしまうのは全て俺の責任とし、全力を尽くすしかない。

 

「清水、これをどう見る」

 

 海図の上には世界的ゲームとも呼べるテ〇リスの凸みたいな形をした赤色と青色のブロックが点々と置かれており、室内の中央に置かれたテーブルには海図のほか、山元が差し出した過去の出撃報告書などが散乱していた。妖精が海図の上を歩き、凸を見て唸っている。

 井之上さんの重苦しい言葉を受けた清水は神妙な面持ちで直列に並んでいる青色の凸をゆっくりと動かし、その後、赤色の凸を先頭の青い凸を取り囲むように動かした。

 

 妖精は清水を見上げた後、山元、そして俺を順に見て頷く。

 

「海原閣下の第一艦隊――島風の先行がここまでとは予想外でしたので……捜索に割かれる時間にもよりますが、長引けば……」

 

「……で、あろうな」

 

 清水の言葉に井之上さんは浅く頷き、鋭い視線で俺を見た。

 

 いや、すみませんほんと。でも違うんです。その作戦を考えたのは俺なんですけど、そうなんですけど、違うんです。大体は清水が悪いんです! 信じて下さぁいぃ! と、俺の心の阿武隈が叫ぶ。

 

 本当に叫べたらどれだけ楽なことか。

 俺の仕事ぶりを見たいと言った井之上さんがいる手前、下手な発言をすれば俺の首が飛ぶどころか清水や山元まで巻き込まれかねん。

 今出来ることは情けない顔を晒さないように全力のポーカーフェイスを維持しつつ――

 

「問題無い」

 

 ――と、何の根拠もなく言い切るだけである。

 いや、根拠が無いのは言い過ぎか。

 

 清水が駆逐艦をたった二隻のみで派遣した理由など欠片ほども興味は無いが、俺が出来る事をするしかない。

 那珂が泣いていた。潮も泣いていた。曙なんて「クソ提督!」と言ってくれもしない。そりゃ俺は呉の提督じゃないから言われたら言われたで困るんだけども。言って欲しい。

 

「先行させている島風との通信を確立し、救助対象を確保する。ただそれだけの仕事だ」

 

 自分で言ってて既に情けなさが限界突破している。当たり前の事しか言えないんだもの。

 そりゃ救助対象を確保するって仕事だから当然だろう、と言い返されたらどうしようかと心臓がバクバクと音を立てたが、幸いにも井之上さんは「ほう」と息を洩らしただけだった。もしかしたら溜息だったのかもしれない。ごめんね。

 

 俺の発言を受けてか、あきつ丸と川内は機械群を次々に弄り倒し、必死になって通信を試みてくれた。

 本当に出来た艦娘達である。俺はと言えば頭真っ白である。

 

「しかし海原閣下……島風のここまでの先行は前代未聞……ほ、本当にこの速度で先行していらっしゃるので……?」

 

 不安そうな清水の声に重なる、山元の唸り声。

 

「うむ」

 

 俺は生返事。

 

 この速度で先行してるかどうかって、分からないよ。君らが動かしてるじゃんその凸をさあ。

 それに全力の艦娘がどれくらいの速度なのかなど分からない。艦これでいうマップのマスとマスを移動するくらいの速度にしか見えない俺には、凸の動き方が不可思議には見えず。

 

 一方で、島風には先に行って二人見つけておいてね! 見つけたら帰っておいで! くらいの感覚で伝えたつもりなのだが、海図を見るに明らかな先行であることは確かに否めない。凸の位置を見れば随分と後方、日本寄りに二艦隊。呉から一艦隊。

 柱島にいるのは航空支援出来ればラッキー程度に考え、ゲーム同様、決戦支援艦隊なんてあったよなあという記憶をたよりに即時結成した第二艦隊が控えている。しかしながら、それがどのように作用するかも不明だ。海上警備に問題無く艦載機を使用できたと報告書にもあったから……という薄い根拠しかない。

 

 どんな敵が出てくるかも分からないために水上艦を確実に落とせるようにと一航戦と五航戦を駆逐艦たちとともに編成したし、大淀を通し、鳳翔という正妻空母……じゃねえ軽空母に熟練した妖精を選定もさせた。

 

 一航戦と五航戦がどれだけの実力を持っているか分からずとも、熟練した搭乗員がいればと考えたのだ。

 

 艦これでは艦載機に《熟練度》というものがある。これが高いものと低いものとでは雲泥の差が出るのだ。

 制空権を確保するのに通常の艦載機と熟練度が最大まで上がったものでは、数字で言えば二十二も変わる。きっと提督諸兄らならば「わかる」と頷くに違いない。

 そしてその熟練度というものを上げるには艦載機を実戦に投入することが必要なのだが、その繋がりで鳳翔は非常に有用な艦娘だったのだ。

 

 スロットに偏りが無く、優れたコストパフォーマンスで熟練度を満遍なく上げられる艦娘と言えば鳳翔が真っ先に挙がるほど。

 実際には妖精が操縦するらしい艦載機。そこに搭乗する妖精をスーパー軽空母、またはお艦こと鳳翔が選んで間違えるはずがない。俺は艦娘を無条件に信用します。

 

 先行させた第一艦隊も艦これで言えば普遍的な編成だ。様子見をしている暇は無いものの、敵に後れを取るわけにもいかない。少ない艦隊で出撃するよりも、資材消費を考えず出来る限り大勢で行けばという素人思考なのも否めないが。数は力とは歴史が証明してきたのも事実である。

 

 この世界での常套手段や普遍的戦略なんてものは知らないため、知識や記憶が勢いよく叩き出したような艦隊が井之上さん達の目にどう映っているかも分からない。

 

 分からないことだらけで嫌になる……助けて大淀……。

 

「少佐殿、補給部隊との通信が確立したであります」

 

 あきつ丸の声に「よくやった。そのまま続けてくれ。連携を密にしろ」と返す。大淀がこの場にいないのが悔やまれる。いたら全力で頼るのに。自業自得なんですけどね。

 

「ここまでの大艦隊を即時編成し、たったの数十分で出撃させるなど……」

 

 清水から零れた言葉に海図から顔を上げたのは俺だけじゃなく、山元や井之上さんもだった。

 

「南方海域への攻略も兼ねていらっしゃるのでしょうが、海原閣下と言えど朧と漣の救助を並行するのは、無茶であるとしか」

 

 山元が一瞬だけ清水を見やると、清水はびくりと震えてすぐさま顔を伏せた。

 おいやめてやれよぉ……確かに清水も悪いけどさぁ……お前だって那珂ちゃん泣かせたじゃん……。

 那珂ちゃんだけに。

 

「無茶、か。仕事に無茶じゃない事があるのか?」

 

 俺の言葉に山元と清水が口を閉じる。

 話題を逸らして助けてあげよう。二人とも上司、というか階級的に俺が一番下っ端になるしな。社長……じゃねえや、井之上元帥もいるから喧嘩なんてしないだろうが、心証を悪くする必要は無い。

 俺は柱島の皆なら大丈夫だろの精神で言葉を紡ぎ続けた。二人とも喧嘩はダメよ、と。

 

「人のみならず、物事というものは不条理なものだろう。それを様々な解釈を以て理解し、道理であると決めつけているに過ぎん。無理が通れば道理が引っ込むとは、我々にとって皮肉にも当てはまることではないか。それに私の部下はみなが思うより優秀だ。私が保証しよう」

 

 残業代が出ないのは異常なこと。法律違反だというのに見つからなければ罪じゃないのだからと横行しているような現代だぞ? 連続勤務がどれだけ続こうが、指先一つで勤務時間が改ざんされるような世の中だぞ? 滅茶苦茶だが、それが現実だ。

 

 部下が優秀であれば優秀であるほど、ブラックな企業は漆黒に染まるのだ……悲しいけど、現実なのよね……これ……。

 

 俺も自然とブラックな職場を作り出してしまっているのが申し訳なさすぎるところである。

 支えるつもりが艦娘を方々に出撃させて自分は鎮守府で座っているだけなのがいたたまれない。

 

 いかん、現実が切なすぎて逃避しかけてしまった。

 今は那珂や潮の涙に嘘をついてしまわないように仕事に専念せねば。

 

 すっかり黙り込んだ山元と清水をそのままに、俺はあきつ丸に再び声をかける。

 

「大淀に繋いでくれ。時間との勝負だ」

 

「っは。既に繋がっているでありますよ。して、少佐殿――第一艦隊の方が騒がしいようですが」

 

「どうした」

 

 えっえっ、まさかもう俺の作戦(と言っていいかどうか分からない)が破綻した?

 流石に早過ぎない?

 失礼、と一言置いて海図の上にある凸を妖精達によけてもらい、それを持ってあきつ丸のもとへ。

 

「先行する島風殿との通信が不安定のようであります。那智殿が指示を、と」

 

 那智と言えば、出撃前にすっげえ怒られたな……そりゃ島風一人を先に行かせろっていうんだから当然っちゃ当然だが、ここで俺が妙な事を言えばまた怒られてしまうだろう。

 何なら俺が喋っただけで「貴様ァッ!」と初対面だった頃の山元よろしく怒鳴ってくる可能性もある。

 

 だが、指示をしないわけにもいかんしなぁ……。

 

「島風との通信を続けさせろ。航路の途中での問題は大淀に繋げ」

 

 柱島鎮守府の黒幕――じゃなかった――ブレインたる大淀に任せれば大概の事は何とかなる。俺は学んだんだ。

 あきつ丸は短く返事をすると、また機械にかかりっきりとなる。

 

 というかその並んでる機械ってなんなの?

 

「海原」

 

「はっ」

 

 井之上さんに声を掛けられ驚いた俺は「はい」と言い切れず変な返事をしてしまう。

 それを気にするでもなく、井之上さんはしかめっ面ながらも口元だけ歪ませた恐ろしい顔で俺を見つめて言った。

 

「ここを一時的に大本営にしようと、そういうわけか」

 

「……はっ?」

 

 どういうこと……?

 俺の疑問符に答えてくれるわけもなく、井之上さんは「こいつめ」と溜息を吐き出して用意されていたパイプ椅子の一つに腰をどっかりと落とした。

 

「山元がワシの移送で戻るというのに喜んでおったのは、これが目的だったか」

 

「……」

 

 ちょ、っと話が見えてこないですね……。

 

「井之上元帥、それは、どういう事でしょう」

 

 清水がおずおずと問えば、山元は先に合点がいったように「まさか」と俺を見る。こっち見るんじゃねえ。どう言う事か説明しろ!

 

「空母も戦艦も引っ張り出して南方へ艦隊派遣など、大規模作戦そのものじゃろうが……一つの鎮守府で艦隊を動かすならまだしも、呉と柱島――近しいとは言え二つの拠点からとあらば必然的にワシの許可が必要になる」

 

「で、では、海原閣下は……まさか……」

 

 井之上さんの言葉に清水は青ざめた顔を俺に向けてきた。

 もう少し詳しく教えてくれるっぽい? まもる、難しいお話分からないっぽい……。

 

「私には分かりかねる」

 

 正直に言うと、井之上さんは「っくく」と笑いながら言う。

 

「ワシさえも利用してやろうと、そういう事か……海原」

 

「いえ、そのような事は。私には井之上元帥が何を仰っているのか分からないのですが……」

 

 俺がただの社畜だと分かっている井之上さんの真意が分からず胸中で呻いていたが、逡巡しているうちにはっとした。

 お前は責任者であるワシがいるから無茶してもまぁ大丈夫だろ、とそういう……?

 

 井之上さん……なんて……あなたはなんて……!

 

「そうしてくださるのであれば、私としては安心して指揮を執れます」

 

 天才かよぉ! 確認の意味を込めて申し訳なさげに笑いかけると、井之上さんは目を見開いていた。お前マジかよみたいな意味かもしれなかったが、清水を抜いて俺の正体を知っている人ばかりなのだから体裁を保つ必要も無い。

 清水にさえバレなきゃいいんでしょ? へーきへーき!

 

 ともあれ、呉鎮守府の二隻を救助したいという気持ちに一切の嘘は無い。

 

 俺にあるのは艦これの知識であって戦争の知識じゃない。

 ここは大先輩である井之上さん達、そしてあきつ丸達、柱島や呉、皆の力が必要なのだ。

 

 仲間を救うのに仲間を頼る。怒られる事があれば全部俺が被る。完璧な布陣である。

 土下座? 余裕!

 謝罪? バッチ来いよ!

 

 艦娘が笑顔なら世界は平和なんだ! 艦娘が笑ってりゃ提督は幸せなんだい!

 艦娘の損失は世界の損失と言うじゃないか! 言うよね?

 

 暴走しかける自分を落ち着けるように咳払いを一つして、俺は井之上さんを見下ろさないようにと静かに椅子に座り、海図を握りしめたまま正面から言う。

 

「私に出来る事は多くありません。ですが、使えるものは使わせていただきたいのです。我々を救わんと奔走する艦娘を救うのに、我々が無理をせずして顔向けできましょうか」

 

 この気持ちも、本当だ。

 人々の為に海を駆ける彼女達のために、提督は存在しているのだから。

 

「――じっとこらえてゆくことが、男の修行、か」

 

 井之上さんはぽつりと何かを呟く。

 聞き取れず、聞き返そうとした俺よりも先に言葉が続いた。

 

「海原よ。ここを大本営とするならば、お前はどうする。柱島を前線として呉から兵站を伸ばすまでは分かるが、島風を突貫させる意味はどこにある」

 

「それにつきましては……いくつも理由がありますが……あー……」

 

 島風を先に行かせた理由など、速いから、以外にない。

 それを言ってしまえばどうなることか。だが、ここで嘘をつくほど俺も馬鹿じゃない。そのまま言っても馬鹿なのは承知の上だ。

 

 意味を成さない威厳スイッチ全開で、艦これ知識をフルに使ってまともな事が言えたらいいのだが、通用しそうもない。

 

「……島風は、速いのです」

 

「は、はぁ?」

 

「艦艇の頃より高速を誇っていた島風ですが、艦娘である今、彼女の速さは目を見張るものがあります。タービンを改良し、新型の高温高圧缶を載せるよう柱島鎮守府に所属している工作艦に要請し、それを実行しました」

 

「海原、お前は艦娘の事をどれだけ知っているというんじゃ。それに兵装の開発など……」

 

「知っております。全員と話をしたわけではありませんが、私は――彼女達を見ておりました」

 

 これも嘘じゃない。

 俺は彼女達を知っている。俺がいた世界では、数万、いや数十万という提督が、彼女達を見ていた。深海棲艦に勝つために、あらゆる兵装を開発し、時に涙し、時に腹をたて、時に不満をもらしながら戦った。

 

 俺は確かに彼女達と――戦っていたんだ。

 

「一辺倒な知識ではありますが、今は違います」

 

 ネットで得た知識ばかりの俺だが、今は彼女達と意思疎通が出来る。

 怒られてばかりだけどね……。

 

「彼女達と話が出来ます。彼女達と飯を食えます」

 

「……」

 

 クリック一つじゃなく、今は声を掛けてやれる。

 

「彼女達に、帰ってこいと言えます。故に、先行させました」

 

 俺の考えは言葉の通りだ。島風が危ないと判断すれば、敵前逃亡になろうが帰ってこいと言える。そうならないために支援できる艦隊も用意したし、清水の案を採用し途中補給できるようにと過剰とも言える戦力を投入した。《艦隊これくしょん》じゃ有り得ない。

 

 二隻を迎えに行って、深海棲艦がいれば倒して戻る、ただそれだけだ。

 

「――少佐殿、島風殿と通信が繋がりそうであります!」

 

 井之上さんが何かを言う前に、あきつ丸の歓喜したような大声が通信室に響いた。

 

「よくやった。島風に繋げてくれ」

 

 無理な仕事任せてごめんね、と一言くらい謝らねばという考えが浮かんで、より一層情けない顔をしそうになるが、これも威厳スイッチで誤魔化し、あきつ丸を宥めるように声を掛ける。

 

「あきつ丸、出来る限り落ち着いて声をかけるのだ。戦場に立っている島風を安心させてやってくれ」

 

 安心させるのは本来提督の仕事では? という問いは無しでお願いしたいところである。

 そもそも俺が井之上さん達の前で落ち着けてないからあきつ丸に任せたいわけではない。

 

 違うからな。

 

 

 * * *

 

 

「……やっと繋がったであります。島風殿、状況は?」

 

 暫く自分を落ち着けるようにして片耳に手を当てて通信を聴いているような恰好で静止していたあきつ丸が口を開いた。

 

 椅子から立ち上がり、機械を弄り続けていたあきつ丸と川内に歩み寄る。

 あきつ丸が多数の機械のうち一つのボリュームのつまみのようなものに指をかけて俺を見たため、なんとなしに頷いた瞬間、通信室に様々な音が一斉に響いた。

 

「っ!?」

 

 両足が竦む。その場から動けない情けなさマックスの俺。

 山元と清水の驚いたような声と、井之上さんが動いたのか、がたん、という椅子の音が続けざまに聞こえた。

 

『こちら第一艦隊扶桑! 島風より通信が……二隻を確保! 繰り返す! 島風が二隻を確保! 現在、残燃料の限り撤退させています! 第二艦隊の航空支援も間に合いました! これより、後続の補給艦隊に二隻を引き渡し、戦闘海域へ突入する前に補給を――!』

 

「ふむ」と安心してへたり込みそうになるのを堪えつつポーカーフェイスで言う俺。

 

 島風のみならず、他の艦娘達との通信も繋がっているようだった。

 

「なんと……!」と目を見開く清水と山元。

 

「ほぅ……!」と言いながら力を込めて握った拳を嬉しそうに机に叩き下ろす井之上さん。怖い。

 

 俺は轟音により真っ白になった頭のまま、必死に思考した。

 もっと冷静に状況を見て指示を飛ばさなければならないというのは百も承知。だが俺に出来ることは責任を取ることだけ。悲しい。

 

「少佐殿、ご指示を」

 

 あきつ丸と川内、四つの目が俺を見る。

 しかし、逃げろ、以外の指示が思い浮かばない。なんて、格好悪い……。

 

「航空支援もほどほどにして二隻の撤退を最優先させろ。撃滅は可能であればの話だが、撤退の時間を考えれば道中の敵を蹴散らせただけでも十分だ」

 

 既に時刻は夕方から夜へと移り変わるところである。

 夜になってしまえば完全に空母は戦力外となってしまうため、このギリギリの時間で一撃でも与えられたらそれでいい。

 

「っは」

 

 俺の頭には自然と南方海域のマップが浮かんでおり、どうしてか、空襲マスがあったな、という記憶が離れないのであった。それゆえの航空支援艦隊だ。

 あきつ丸の短い返事のあと、艦娘達がとる複雑かつ奇妙な通信はどんな理屈で繋がっているのだろうと考えながら、片手に握りしめたままくしゃくしゃになってしまった海図を広げて呻く俺。

 

「二隻を即時撤退させた、か……流石島風、判断も、といったところだな」

 

 現実でそれが起こるかどうかはさておき、制空権を奪われるのだけは避けたい、という提督的本能がそうさせたと言えばいいだろうか。

 どんどんとゲームをしていた頃の思考が俺を包み、冷静になっていく。

 

『あのっ、多数の深海棲艦に、囲まれて……先に二人に逃げてもらって、私が、時間を稼ぐから……それで……』

 

 俺の中に蓄積された知識は決して俺一人のものじゃない。

 何十万という提督が積み重ねてきた、結晶そのもの。ここで冷静さを欠いて指示を出そうものならば、俺は井之上さん達のみならず、世の提督全てから笑われてしまう。

 

 ある一つの機械のスピーカーから洩れた島風の声に、俺はあきつ丸を見る。

 すると、あきつ丸は機械類に埋もれるようにしておかれていたマイク付きヘッドフォンのようなものを俺にさっと手渡した。それを迷いなく装着し、俺は――

 

「……――ふむ」

 

 もしもし、の代わりとでも言わんと零れる言葉。威厳スイッチが切れる気配は無い。

 

『っ……て、提督!?』

 

 はい、あなたの提督、海原鎮でございます。

 

「二隻の確保がここまで早いとは、恐れ入った。島風、深海棲艦に囲まれていると言ったな」

 

 率直に問えば、島風は切羽詰まった声で返事する。

 戦場に立っていないために現実感が薄いものの、俺にとって現実など島風の声一つで理解するに足るものだった。

 

 自分で出した指示であるが、幼さの残る彼女が文字通り必死になって二隻を救った事実は揺ぎ無い。それ以上に敵を倒せなどと、俺はとてもじゃないが指示出来なかった。

 火力を捨てて速力に特化させた島風を戦場に置くなど愚の骨頂。導かれる答えは一つ。

 

「そうか……ならば……――そのまま逃げ続けろ。お前の速さならば攻撃も回避出来るだろう」

 

『え……ぁ……どう、して……』

 

 どうしてもこうしても。お前が傷つかないためにだよと喉まで出かかったが、なんとか言葉を変換して返す。

 

「燃料の残りに気をつけろ。第一艦隊が到着したら周辺を一掃し、補給をしてから改めて作戦の継続を判断する。第二艦隊の航空部隊の方がそちらに到着するのが早いかもしれん。何か質問はあるか」

 

 艦娘の性質として《戦いたい》という意志があるのかもしれない。

 海を平和にしようとしているのだから納得できる性質でもあるが、それは彼女達が生還する事が大前提だ。火力の無い島風が敵をどうして撃滅できようか。それ無理ゲーだよ。攻撃出来ないんだから。

 

『ここで、沈んじゃうかもしれないのに! 逃げろなんて! 何で……!』

 

 そしてどうして柱島の艦娘はこうも沈みたがるのか……。沈ませるわけねえだろ! 俺の艦娘なのに!

 

「沈めないために艦隊を組み、お前を選んだのだ」

 

『分かんない……分かんないよそんなのっ……!』

 

 分かってよぉ……頼むよぉ……。

 仕事に疲れてぶっ倒れそうな俺を無理矢理連れ出して『提督! かけっこしようよー!』とか言ってほしいんだよぉ……。

 

 ヘッドフォンから続々と入りこむ音声は非常にやかましく、誰が何をしているかさえ分からない。

 

「問題無い。お前はただ――速く走れ」

 

 ちょっとだけ俺の欲望というか願望が出てしまったが、これでいい。沈まないためにはどうすればいいか? 簡単だ、逃げればいい。

 速力特化の島風の回避率は数字にせずとも理解出来る。だって速いもん!

 

『なんで……なんで……なんで……っ! 私は、フィリピンで沈んだんだ……そしてまた、あのくらい、さむいばしょに――!』

 

 ぶつぶつと呟く島風の声に、うん? と海図を見る。

 俺の行動を察してか、妖精が一人がふわふわと飛んできて海図のある場所を示した。

 先程まで凸が置かれていた場所よりも下方、南方海域にほど近い位置を示す妖精に、俺は首を傾げてしまう。

 

「フィリピンはもう過ぎただろう? お前は今、その先にいる」

 

 頼むぞ島風。お前がしっかりしなきゃ俺はどうにもしてやれん。

 好きなだけかけっこしてもいいからとにかく生きて帰れ……頼む……。

 

「障害物も無い海洋だ。お前の速さを存分に発揮できる。島風――走れ」

 

 俺の想いが通じたか、一拍おいて島風の声が鼓膜を揺らした。

 

『うん……任せて! スピードなら誰にも負けません! 速きこと、島風の如し、です!』

 

 ……やっぱり走るの好きなんだなあ。

 

 場違いにほっこりする俺だったが、島風が走り出したのかノイズで声が消えたと思った矢先に、別の声が俺の意識を叩き揺らした。

 

『接敵! 空母一隻……重巡と軽巡一隻、駆逐三隻です! 砲撃戦を開始します!』

 

 扶桑の声に交じり、山城や那智の怒号が聞こえはじめる。

 現実であるというのに、その実感が薄いような、それでも現実であるという恐怖が実感を濃くするような、得も言われぬ恐ろしい感覚がまとわりつく。

 

 

 時間にしてたった数十秒という短い間。砲撃音であろう轟音、怒号が通信室に響き続ける。

 そのうちから、柱島にいるであろう大淀が第二艦隊として控えていた空母たちに向かって発艦を促す声が交じりだす。

 

『こちら大淀! 二隻の撤退を最優先に、第二艦隊は戦闘行動半径より突出しないよう注意を――』

 

『こちら赤城。了解です。ただ一つ、気になることが……』

 

『気になる事ですか?』

 

『えぇ……制空権も確保し、道中の深海棲艦も第一艦隊が確実に撃滅しているのですが……晴れないんです』

 

 赤城の声に、あきつ丸と川内がそろそろとした動きで振り返り俺を見る。

 その視線を受けて「どうした」と問うも、二人は口ごもったまま言葉を紡がないでちらちらと井之上さんや山元達を見ていた。

 

『晴れない……ですか……? そんな、まさか……』

 

 大淀の不安そうな声に、川内が噛みしめた歯の隙間から漏らすように言った。

 

 

 

 

「……結界だ」




不定期更新ながら、読んでくださる方々がいて嬉しい限りです……!
誤字報告などもありがとうございます。まもるが土下座してお礼します。


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四十八話 転化②【艦娘side・赤城/扶桑】

 艦娘として生を受け、遠い未来に目覚めた時――私は心が躍った。

 また戦える。今度こそ守れるのだと。

 

「第一攻撃隊、全機帰還を確認しました――補給艦隊は大丈夫ですか?」

 

「はっ……はい!」

 

「速吸も問題ありません!」

 

 第一艦隊の上空援護として加賀や五航戦の翔鶴、瑞鶴と共に発艦させていた攻撃隊は全機無傷で帰還を果たしたが、状況は一切の好転を見せなかった。

 

『ザッ……こちら大淀。第二艦隊へ、状況の報告を』

 

 柱島にいる大淀からの通信にこめかみを押さえながら、私はゆっくりと深呼吸して答える。

 

「こちら第二艦隊旗艦赤城。第一艦隊、敵深海棲艦の撃滅を確認しています。しかし、島風さんを追っての乱戦……救助海域から随分とずれてしまいました」

 

 未だ第一艦隊には追いつけず、やっとのことで私達と合流した補給艦隊にも緊張による疲労の色が窺えた。

 それに、通信で大淀に報告したように、救助対象である呉の艦娘を確保した地点から南東方面へと流れるように移動してしまっている。

 

 島風の見せた速度に頼りきった回避には目を見張るものがあったものの、それを追跡しながら砲雷撃戦を繰り広げた第一艦隊は本来ならば安全であるソロモン諸島の周辺にまで到達してしまっており、このまま戦闘を続けてしまえば諸島に損害が発生しかねないという緊迫した状況だ。

 我らが師である鳳翔から託された艦載機に搭乗している熟練の妖精達は疲労こそ見せてはいないものの、状況を理解してか小さな額に小じわを寄せて甲板の上で私を見つめている。加賀や瑞鶴の甲板に乗っている妖精達も同じような表情をしているのだろう。

 

『そう、ですか……結界の方は、どのように』

 

「いえ、結界が発生しているとは伝えていません」

 

『どうしてです!? 正確に報告をしなければ、いくら提督だって戦略を練られません! せめてあきつ丸さんか川内さんに――!』

 

「一応、伝わるようには報告してあります。晴れない、と」

 

『そんな報告では――っ』

 

 伝わらない。そんな事は理解している、と私は奥歯をかみしめた。

 

 結界――深海棲艦の生み出す異常気象とも呼べる現象。

 計器は狂わされ、海は赤黒く染まり、空は暗く淀む。それらはまるで異界に呑み込まれるかのようなもの。戦闘経験が豊富である艦娘であればあるほど、この結界は範囲や異常を極める。

 

 ――前線で酷使され続けていた私達を覆う結界は、見たことのない範囲となっている。

 

 結界を知る艦娘でも練度的な意味で若い者が経験するのは、凡そにして海域の一部を覆う程度のものだ。それは私や加賀も経験している。

 その場に存在する数隻の深海棲艦を撃滅してしまえばあっさりと結界は消え去り、海はいつもの顔を取り戻すという事も知っている。

 

 それが今はどうだ。

 

「……提督のいる呉鎮守府には、提督以外の上長官がいるんですよ? それどころか、元帥まで――結界などという妄言と一蹴されそうなものを、どうして信じてくれましょう。提督に報告すれば通信記録として残る事は確実です。大淀さんならばその限りではないと、報告しているじゃありませんか」

 

 私の言葉に、大淀の慌てたような咳払いに数秒間のノイズが入りこむ。

 

『っ……私の通信制御も絶対とは言い切れません、あきつ丸さん達にも伝えられるように通信を繋いでいますが、切ったり繋いだりと簡単なわけではないんですよ。そう言う事は、もっと先に……!』

 

「分かっています」

 

 短く返して、第一艦隊を追うべく前進を続ける。

 その間にも大淀と私の声は結界を介しても届くものだから、やはり連合艦隊の旗艦であった彼女の能力は……などとぼんやり考えた。

 

「救助対象の――」

 

 私が口を開いたのと殆ど同時に、その救助対象たちの姿が目に映る。

 丁度第二艦隊の前方からこちらに向かってきており、安堵の表情を浮かべていた。

 

 険しい表情で不安にさせてはいけない、と私は微笑んで見せる。

 

「――漣さんと朧さんが、丁度合流しました。お二人にはこのまま呉鎮守府へ帰還をしてもらえばよいのですか?」

 

『夕刻を過ぎる前に合流出来ましたか……! で、では! お二人は呉鎮守府へ帰還を。呉へ帰還できるだけの燃料を補給してください』

 

「了解。帰路は安全でしょうから、お二人の装備でも問題無いと思います」

 

『了解です。では、第一艦隊の戦況報告が上がり次第、そちらに』

 

「はい」

 

 良かった、良かった、生きてる。しきりに言い合う二人の装備を見ながら大淀に伝えると、神威と呼ばれる給油艦が、ざざん、と波を切って二人に近づいて正面から抱きしめた。

 

「漣さん、朧さん――! 良かった……間に合ったようで……」

 

「神威さぁん……! 良かったよぉ……もう、皆に、ご主人様に会えないんじゃないかって……っ」

「うっ、ぐすっ……あれ、さっき止まったのに、あれ……? また、涙が……」

 

 二人は神威に抱きしめられた状態で声を殺して涙を流した。漣は生きているのを実感するかのように両手を強く握りしめ、朧は手を握りしめる代わりに、神威の胸へと顔を埋めて鼻をすすっている。

 

 神威は二人を離さないまま器用に二人の艤装部へ手を伸ばし、静かに給油を始めた。速吸もそれに倣う。

 

「帰りの航路は安全です。柱島の艦隊の皆さんのおかげで」

 

 速吸が給油をしながら言えば、朧が顔を上げて私達を見た。

 涙に濡れる瞳の中には、言い知れぬ感情が見えるようだった。

 

 ごくごく小さな声で神威に向かって「柱島って……盾って言われてた……」と言ったのが耳に届くも、私も、加賀や他の者も聞こえないフリをして視線だけを逸らす。

 

 私達は柱島鎮守府がどのように呼ばれているのか知っている。海原鎮という提督が着任するまで、柱島は《墓場》であった。

 もしかすると、この状況を見るに、今もそうなのかもしれない。

 きっと漣や朧の目にはこう映っているのだろう――墓場の艦娘が救うためだけに突貫してきたのだ、と。

 

 捨て艦作戦を遂行するためにありとあらゆる鎮守府、警備府、支部から集められた練度の低い艦娘達が海域攻略のために鎮守府の波止場を発ったと言われているのは、ある程度の艦娘ならば殆どが知っている。

 そんな場所から救助が来たのだから、助からない事を前提に、自分達と交換するかのように突撃する、そう思っているに違いない。

 

 漣達の考えを読むなど出来ないが、少なくとも私ならばそう考える。

 

 だから、例え捨てられたのだとしても、欠陥品だと罵られたとしても、墓場と呼ばれる鎮守府へ異動した後に戦い、守って散れるのであれば、私は本望だと思った。

 

 海原提督が講堂で演説したあの一瞬でも希望を持てた。

 それだけで私の心は大きく揺れ、諦めという暗く湿ったような感情が、肯定的な意味へと傾いた。

 

 艦娘として沈む。ミッドウェー海域という越えられなかった運命を、別の形で辿るだけ。

 

 そこに今度は誰かを救えたという希望がある。安心がある。それでいい。

 

「――よしっ! 補給完了です! では……また呉で」

 

 神威の声にハッとして目を向ける。

 

「赤城、さん……?」

 

「どうかしましたか……?」

 

 漣と朧の不安げな声。聞かれただろうか? なんて考えているのだろうか。

 私は首を横に振り、腰に手を当てて笑った。

 

「いえ、この先の戦闘について少し。一航戦の誇りを持ち、必ずや帰還します。ね、加賀さん?」

 

 話を振れば、加賀は無表情のままではあったが、頷いて見せた。

 口癖のようなそれを声に出す。

 

「問題無いわ。鎧袖一触よ」

 

 私の考えが伝わったか、瑞鶴や翔鶴も笑顔を見せて二人を元気づけるようにして言った。

 

「幸運の空母たるこの瑞鶴がいるのよ! 安心なさい!」

 

「それを言ったら私は……んんっ。でも、心配はいりません。一航戦の先輩に負けないくらい活躍して、帰ったら自慢しちゃいますから!」

 

「っはん……せいぜい私の足を引っ張らないでちょうだいね、五航戦の七面鳥の方」

 

 加賀の言葉に瑞鶴は笑顔のまま固まり、口元を歪める。

 

「へ、へぇぇ……《ここの鎮守府》の加賀さんもそう言うわけ……? へぇぇ……まぁ、どっかの焼き鳥製造機さんよりはマシだと思うけどさぁ……!」

 

「私は体温が高いだけです」

 

「加賀さんのことを言ったわけじゃないんだけどぉ? 自覚があるんだぁ?」

 

「……頭に来ました」

 

「ちょ、ちょっとお二人とも! やめてくださいよこんな所で! 任務中ですから!」

 

 ……瑞鶴と加賀は仲が悪い。どこの鎮守府でも、基本的性格を持った艦娘であれ二人はこうだった。

 本気で嫌いあっているわけでは無いにしろ、まるで犬猿の仲であれとでも定義づけられているかのような二人の関係性は、普段ならば苦笑して宥めるのも面倒だと放っておくものだが、この場において冗談めいた口喧嘩は不穏な事を考えずに済む良い薬となった。

 翔鶴が二人の間に割って入り「やめてくださいー!」と顔を真っ赤にしているのを見て、私はふふ、と声を洩らす。

 

「……ね? 大丈夫そうでしょ?」

 

 漣達に顔を向けて言えば、ぽかんとした表情を見せる。

 

「は、い……」

 

「空母って、こんな喧嘩するんだ……」

 

 先程の涙はどこへやら。気が抜けたような喧嘩に二人は幾分か元気を取り戻したように背筋を伸ばした。

 

「あの、ご相談なんですが!」

 

 そう言ったのは朧だ。

 

「相談ですか? 何を……?」

 

「救助してもらっておいて、変な話ですが……基本兵装ですから、最低限戦う事は出来ます! ですから、その、島風……さんと再度合流させてもらえないでしょうか!」

 

「え、えぇ……!?」

 

 突然の申し出に困惑していると、隣の漣も同じように「行かせてください!」と言う。

 流石に私のみならず、他の面々も唸った。

 

「せめて提督に確認をしなければ……損傷は、ないようですが……」

 

 二人を見ながら大淀へと通信を繋げば――

 

『――こちら大淀。なにか動きが?』

 

「いえ、その……呉鎮守府所属の漣さんと朧さんが、戦闘の参加を希望しており……」

 

『――』

 

 しばしのノイズと無言の間。

 

『……提督が、そのつもりだ、と』

 

「えぇ!?」

 

 私の大声に、漣達がびくりと震える。

 通信が届いていた第二艦隊の面々からも、同じような声が上がった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ大淀さん! 提督さんの作戦じゃ、二人は救助対象なんでしょ!? なんで戦闘に参加なんてさせるの! それに、こんな――!」

 

 瑞鶴がその先を言う前に、加賀がそれを制した。

 

「瑞鶴――口が過ぎるわよ」

 

「でも……っ」

 

 瑞鶴の言いたい事は理解しているつもりだ。

 一目見ただけでも……漣と朧は、練度が高いように思えない。

 航行に問題は無いだろう。戦闘も、駆逐イ級と呼称されている深海棲艦が相手ならば難なく勝利出来る程度。

 

 だが、その程度。

 

 私達空母が発艦させた攻撃隊が支援した第一艦隊の戦っている深海棲艦は、それ以上の戦力を有している。

 一歩間違えば、それは轟沈を意味する選択だ。

 

「提督に意見具申を……お二人では、危険です、と」

 

『……低練度でも砲撃支援ならば問題無いとの事です。それに加えて、指示が』

 

「新たな任務ですか」

 

『海図は携行していますか?』

 

「一応……でも何故――」

 

『これから言う場所へ印を。提督の戦略をお伝えします』

 

「は、はいっ」

 

『第一艦隊が移動してしまったというソロモン諸島周辺での作戦です。南緯――時――分――秒――東経――』

 

 大淀の声はあきつ丸の通信を通しているのか、途切れ途切れだった。

 言われた通りに海図へと印を付けていく。全てを印をつけたあと、浮かび上がった作戦海域は――

 

「諸島への被害が出ない、ギリギリの範囲……!」

 

『第二艦隊、及び補給艦隊は漣さんと朧さんの二隻を加え、第一艦隊の支援へ向かってください。ソロモン諸島の海域にて第一艦隊が警戒態勢で待機しています』

 

 危険な状況であるというのに。

 一切の予断を許さない状況であるというのに。

 

『各地点の呼称をアルファベットで統一してあります。第一艦隊は現在A地点とB地点の頂点となる島の周辺にいます。全速力で向かってください』

 

 何故か、全て提督の手中にあるかのような錯覚に陥る。

 

「……了解しました。第二艦隊赤城、補給艦隊と二隻を率いてそちらに」

 

『――ご武運を』

 

 

* * *

 

 

「どうして奴らは途中で逃げ出したんだ……!」

 

 第一艦隊の那智が忌々し気に吐き捨てる。

 島風はぜぇぜぇと肩で息をしながら私と妹分である山城に支えられ休んでいた。

 

「島風さんを追えば私達に砲撃される。かといって、私達と砲雷撃戦をすれば島風さんが手薄になって隙になる……危険ですが、最良の判断であったと言わざるを得ません」

 

 私は島風の背を撫でながら言う。山城は島風の頭をリボンの上から撫でながらしきりに「よく頑張ったわね……偉いわね……」と言っていた。

 

「それは、否定できんが……ここまで大きく移動した後だ、深海棲艦を捜索し撃滅しようものなら、消費は無視できるものじゃないぞ」

 

 あれだけの手勢に追われ、さらには艦載機にまで追われていたというのに、彼女は全て回避しきって見せた。これは過分などではなく、間違いなく偉業と言ってよいだろう。

 数多の深海棲艦のみならず、途中から第二艦隊の航空支援があったとは言え多くの艦載機にさえ追跡されたというのに、島風は諦めることなく回避し続けた。一切の損害無く、だ。

 

 島風の艤装から駆逐艦とは思えない排熱が行われているのを見て分かるように、彼女は限界を超えて走り続けたのだった。

 がむしゃらに回避して航路もめちゃくちゃだったおかげで詰まれた燃料は第一艦隊の全員がギリギリである。だが、それを見越しての補給艦隊の編成が成されている。

 

 那智の言うように補給をした後に見失った深海棲艦を見つけ出して追撃するとなれば、相応の消費は免れない。最悪の場合は、見つからず資材を消費するだけに終わる可能性だってあるのだ。

 

「不幸だ、と言う暇がないわね……山城」

 

「お姉様……そう、ですね」

 

 自嘲気味な私の言葉に賛同する山城は、心配そうに島風を撫で続けた。

 

 補給艦隊の到着を待機している間、夕立と神通が周囲の警戒を行っている現在、那智は呉鎮守府にいるあきつ丸へ向かってがなり声を上げ続けていた。

 

「何? 海図? 今更なにを……! ――分かっている。待て」

 

 少しでも通信の負担を減らすべきだろうと私や山城、島風は通信を那智に任せていたが、海図を広げたのを見て気になり、傍受だけでもと通信を試みた。

 通信からは、あきつ丸が戸惑っているかのような声が聞こえてくるのだった。

 

『――と、印をつけた地点において指示するであります。航路を絞って深海棲艦を捜索し、発見次第撃滅とのこと。中破した時点で撤退するようにと仰っておられます』

 

 撤退の許可は出ているのか……。

 それだけで安心できるというものだが、それはそれで歪んだ認識をしているのだろうか? と私は暗雲の立ち込めたままである空を仰ぎ見た。

 深海棲艦の生み出したであろう結界は空を覆ったままで、夕日さえも見えない。光度こそ多少あるため艦載機が飛行するのに支障は無いと思われるが、それもいつまで飛ばせるかは分からない。

 結界内は時間の経過が曖昧で分かりづらく、まだ昼だ、まだ夕方だと思っていたら突然暗くなって夜になっていた、なんて異常な現象も平気で起こるのだ。

 

 油断は出来ないが――提督は、どこまで見ているのか。

 

「撤退させてもらえるだけありがたいが、深海棲艦が発見出来なかった場合はどうする。提督ではなく、貴様ならば」

 

『……情けない話、自分は海戦の経験は殆ど無しと言って差し支えないであります。故に発見できなければそのまま撤退する、とは簡単には考えられません。陸であれ海であれ、敵を見つけて倒してこいと言われたら、敵を見つけて倒さねばならないのでありますから。ですが、少佐殿は……その』

 

「なんだ、言わないか」

 

 那智が眉根を寄せて急かすと、一瞬だけ、ぷつりとノイズが入る。

 

『あまり詰めないでいただきたい。元帥閣下の手前、記録には残るのでありますから……。自分が言おうとしたのは、少佐殿が一切迷っておらず、今しがた印をつけていただいた箇所のどこかに、必ず潜んでいると睨んでいるということでありますよ』

 

「何? そんなもの、どうしてわかる」

 

『それこそ自分が聞きたいでありますよ! ……あ、いえ、何でもないであります。いえ、はい――』

 

 あきつ丸は那智ではなく別の誰かに言い訳するような遠さで言う。

 提督だろう。そこには元帥もいるというではないか。柱島から第二艦隊と補給艦隊に向けての指示を大淀へ一任したように、あきつ丸に通信をさせているのだろうが、丸投げしているような行動とも受け取れる。

 

 だが、それに対して元帥がいるという事実が別の事柄を私達へ提示する。

 

【暁の水平線に、勝利を刻みたくはないか】

 

 数日前に講堂でそう豪語した提督の目には――光があった。

 私達を見る目に、愛があった。

 

 私達を包む忌々しい結界と同じように、例えそれが幻想であったとしても、私はどこか、彼の目に灯る光に縋りたい気持ちを隠せずにいた。

 

 ただでさえ欠陥戦艦と呼ばれた私だ。山城も、その他の艦娘達も欠陥艦娘と蔑まれ捨てられた身。言い方は悪いが、傷心を癒そうとする行動を誰が責められようか。

 

 責任と言う責任を投げ出せる。いや、責任という責任を持ち、私達を受け止めてくれる存在がいる。それだけで、十分に思えた。

 

『んんっ……失礼。先ほどのこと、さらに言わせてもらえば……妖精も否定するような素振りをしていないのでありますよ』

 

「妖精が否定していないと言われてもだな……!」

 

『では、言い換えましょう。反対派の上官を黙らせた上で改心させ、さらにはその男が妖精さえ見れるようになった、と言えば……如何か』

 

「は……――?」

 

 那智の声に、恐らくは全員が声に出さずとも傍受していたのであろう。同じく、は、と声が上がる。

 那智は何故傍受などと言う事は些末であるとでも言わんばかりに目を見開き、第一艦隊の面々を順に見る。信じられん、と。

 

 私も、同じだ。

 

『少なくとも、自分は少佐殿を疑うなどしていないであります。そんな事をして少佐殿の手を煩わせ作戦行動に支障が出れば、それこそ本末転倒でありますから。それで、那智殿。貴艦はどうするのでありますか』

 

 あきつ丸の問いに呼応するようにして、那智の艤装からふわりと妖精が飛び出した。その妖精は腕に羅針盤を抱えていた。

 

「羅針盤……? これ、を、どうやって……」

 

『少佐殿が仰るには、その羅針盤は全ての地点へと安全に導いてくれる道具だそうで。妖精の持つ道具の一つであると――』

 

「ま、待て待て! 事が性急過ぎる! 妖精の道具は見たことあるが、こんな羅針盤など作戦で一度も使ったことがない! どのように使えばいいと言うんだ!」

 

 那智の手にひょいと渡された羅針盤。

 針はクルクルと回り続けており、通常の羅針盤とは思えないものだった。

 

『……んんっ、通信、記録に戻ります』

 

 那智の問いに答える前に提督が動いたのか、あきつ丸の声がかたくなる。

 

「なっ……くそっ。それで、深海棲艦を捜索し、撃滅だったな。どれだけの数を撃滅してくればいいんだ」

 

『……ザザッ……那智か。私だ』

 

 提督の声。

 

『深海棲艦の数は未知数だが、本隊と確認できる敵艦が出現する可能性は大いにある。油断するな』

 

「っ……貴様はどれだけの数が出ると予想しているんだ」

 

 また、しばしの無音。

 

『……私の経験から言えば、山城と扶桑がいる時点でこの海域の攻略は不可能だ』

 

「はぁ!?」

 

 私と山城の名が出てきて、思わずぴくりと目元が痙攣する。

 

『この海域――ソロモン諸島の攻略には高速戦艦の編成が必要だろうと見ている。だが、今回は状況が違う。この作戦は扶桑と山城という低速の戦艦が本隊に辿り着けるか否かにかかっている』

 

 不幸、という二文字が私の頭を埋め尽くした。

 無理だ。やはり、私は――

 

『――私は、扶桑と山城が不可能を覆すと信じている。第一艦隊が第二艦隊の支援を受け、その海域へたどり着けたという時点で、私の中での不可能を一つ、いや二つ以上覆しているのだ。島風然り、お前達艦娘を見る私の目は……やはり狂っていない』

 

「な、にを言っている、貴様……この作戦如何によって戦況が変わるかもしれんのだぞ!」

 

『あぁ。そうだな』

 

「そうだな、だとぉ……!?」

 

 憤りが頂点に達しそうになっているのか、那智は顔を真っ赤にして拳を握り、歯を食いしばっていた。

 彼女の背景を、私は知らない。どうしてそこまで提督に噛みつくのかも分からない。だが、過去に上官と何かあったのだろうと思わせる口ぶりや感情の動きは、自分以外の艦娘を慮っての事であろうと推測できる。

 それ故か、夕立や神通、山城や島風も、通信を聞いても口を挟まない。

 

『私の知る戦況と、今の戦況は違う。だから期待している……那智、お前にだ』

 

「っ」

 

 提督は落ち着き払った口調で、あの日の講堂で語った時と同じ声で言った。

 

『お前達は、ただの鉄塊では無い。今なんだ。私も、お前も』

 

 話しているうちに、第二艦隊と補給艦隊の影が遠くに見えた。きっと、同じ通信を聞いている。

 

『一つ、二つ、三つと不可能を覆し、過去を塗り替えた』

 

「きさ、ま……何が、言いたい……」

 

『那智……お前が次に見るのは、燃え盛る扶桑と山城か? それとも、柱島鎮守府の波止場か?』

 

『島風が見るのは、空を埋め尽くす敵機か?』

 

『赤城や加賀、瑞鶴や翔鶴が見るのは、沈みゆく仲間か?』

 

『違う。違うだろう――』

 

 合流した第二艦隊と補給艦隊は、他に……救助して呉に戻ったはずの漣と朧を伴っており、二人は山城に抱かれて休んでいた島風に近づいて気合の入ったような笑顔を見せていた。

 那智の瞳が漣達に向けられ、揺れる。

 

『全ての過去を塗り替えるのだ。今、ここで』

 

 提督は……軍人として最高峰のお方だろう。扇動するその力は、戦地において決して捨て置けない能力だ。

 

 だが、男としては……一流とは呼べない。

 艦とて、艦娘という《女子》である今、彼の言葉はあまりにも――

 

『それに……お前達がいないと、私は何も出来んのだからな。頼むぞ』

 

 ――甘すぎる。

 

「ふ……腑抜けたことを言うなッ! 仮にも上官だろう!」

 

 那智のがなり声に漣と朧が驚くが、その他の面々は違った。

 何せ、別の意味で顔を真っ赤にしている那智など、どの鎮守府でも見たことが無かったからだ。

 

「軟派なのか硬派なのか、分からないお方ね」

 

 口をついてでた言葉に、山城が思わず、といった様子で小さく笑った。

 呼吸の落ち着いた島風が提督の声に気づき、ぐっと身体を持ち上げる。

 

「島風は、まだ、走れるよ……提督……まだ、頑張れる……!」

 

「し、島風さん! 無理しないで! 私もいるから!」

 

「そうだよ島風! 漣達と一緒に、ね!」

 

「二人とも……!」

 

 周囲を警戒していた夕立と神通も戻り、手早く補給を済ませたのち、提督から正式に作戦の継続が発された。

 

 

 

 

 

 

 

 

『第一艦隊、及び、呉鎮守府所属の駆逐艦漣、朧に通達。ソロモン諸島周辺に潜む深海棲艦を撃滅せよ』

 

『第二艦隊は可能な限り補給を続け、第一艦隊を掩護せよ』




今年の頭より連載している本作品をご愛読くださり、本当にありがとうございます。
是非、来年もこの『柱島泊地備忘録』をよろしくお願いいたします。


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四十九話 経過、打破【???side】

 人類を脅かす深海棲艦という化け物が現れてから、世界は一変した。

 二十世紀、いや、もう少し先に訪れるであろうと議論され続けていた技術特異点――それは人類が思っているよりも早くに我々の目の前に現れた。

 

 化け物――Abyssal Fleet――を伴って。

 

 人という種が発展させてきた科学技術を以てしても傷つかず、人類の持つ最悪の技術とも呼べる核爆弾、核爆雷、核砲弾を母なる海へ撃ち込み汚してもなお、深海よりぬるりと現れては恐怖そのものとなって昼夜問わず人々の営みを脅かした。

 

 犠牲となった者達を数で表せば、然したる大きさにはならない。

 それがまた油断を生み、深海棲艦に有利を与える事となったのは、今や言うまでもない。

 

 ――制海権の半分を喪失。

 

 我々に突きつけられたものは、あまりにも大きかった。

 空を奪われなかっただけでも幸運と呼ぶべきか、縋るべきか。

 しかしながら、我々人類が世界中に種を広げられる一手であった海という存在を奪われた事実は、数百、数千という年月をかけて積み上げられた歴史をあっけなく崩すのに十二分の威力であった。

 

 それらはまるでパンドラの箱を開いてしまったかのような現実。

 事実として、一部の人々の間では化け物をパンドラと呼称しているらしい。

 

 地獄から顕現したかのような化け物は時として人の形をとり、我々に語り掛けてくるという。私がその意味を知ったのは、化け物を倒すための術を研究するための機関へ異動してからすぐの事だった。

 

 『シズメ シズメ』

 

 私も聞いたことがある。直接ではなく、研究資料として映像を見たことがある。

 日本が自衛隊という機関を海軍という名の武力に変え自国を防衛しながら、各国へ映像として提供されたものの一つだ、と聞いた。

 

 奇しくも、化け物は恐怖と圧倒的力をして世を一つにした。何とも、皮肉なものだ。

 各国の協力体制のもと、化け物の研究は続けられたが、その脅威は依然として人類に牙を剥き続け、もう反撃の余地は無いかと思われたが――その化け物と対となるかのような存在が発見された、という情報が一足遅れで通達された。

 

 それが、化け物を唯一殲滅出来る存在――fleet girls――であるというのは、発見された時からすぐに分かったという。

 何せ、人類が全戦力と言っても過言ではない武力で攻撃を加えてもびくともしなかった存在が、今にも波にのまれてしまいそうなほどの少女の姿をした存在が放った砲弾により沈められたからだ。

 

 日本では、艦の娘と書いてカンムスと呼称しているそうだ。

 そうして、海のどこからか現れる化け物を深海からやってきているのではと仮定し、シンカイセイカン、と呼んでいるのだと。

 

 そこから人類の反撃が始まるかと言われたら、実はそうでは無い。

 愚かしくも、人類は反撃の余地があると見るや否や、化け物を打ち倒す力を持った少女を武力そのものとして見て内戦が始まったのだ。

 

 なんとも愚かしい。なんとも嘆かわしい。

 一つの国だけではない。世界中の国々で内戦が起こるなど、もう人類の未来も何もあったものじゃない。

 人生を賭して人を救わんと決意し研究職へ就いた私でさえ呆れてものも言えない。

 

 では、世界に混乱がもたらされたか? と問われたら、そうでもないと言うのも歯痒く情けない話である。

 科学は人々に伝える力というものを与えた。そして人はこの期に及び、助かる目的ではなく、自分自身の影を隠蔽するために使った。平たく言えば、印象操作と言ってよいだろう。

 

 軍という集まりが威信を失墜させないままに、国をかき回し、人を騙し、そして国は軍を掌握せんと情報戦を繰り広げ、全てのしわ寄せがか弱き民へ。

 ただの一研究者である私もまた、か弱き民である事は、現状が物語っている……。

 

 

* * *

 

 

 深海棲艦研究者――名も無きただの研究者であった私は、あの日、本物の艦娘を見た。

 

 私は元々、アメリカの西海岸はシアトルの出身だった。

 ローレルハーストというちょっとした海に面している場所に生まれ、育ち、独り立ちしたが――シアトルから離れる、いいや、両親から離れて生活するというのに及び腰だったために近所のコーヒーショップで働いて生計を立てていた。

 たまの休日には両親を訪ね、近況を報告して一日過ごして、翌日には家に帰る……そんな普遍的で幸せと呼べる日常を送っていた。

 

 私の生活が一変したのは、未確認生物がアメリカ西海岸を襲撃したというニュースが入って数日が経った頃だ。

 アパートにやってきた海軍(ネイビー)に半ば無理矢理に連れ出され、宿舎と名のついた無機質な建物に閉じ込められ、事のあらましを雑に説明された。

 

『ミズ……あー、ミズ・ソフィア。先日、我が国が未確認生物に襲撃されたのはご存じで?』

 

『えぇ、知っているわ。ニュースで。それよりもこれは何? 突然連れ出してこんな場所に閉じ込めて……こんなの人権侵害よ』

 

『それは分かっていますが、我が国は未曾有の危機に瀕している。今は何としても力を借りられる者を集め危機に対処しなければならないのです。ミズ・ソフィア、あなたは大学在学中、生物学を専攻していらっしゃった』

 

 数枚の紙切れを手にした軍人らしき男は、それらと私とを見比べながら話した。

 無機質な部屋の中にぽつりと置かれたベッドの上に座ったままの私は、目の前の男に対して警戒するよりも前に、嫌な予感が胸中を埋め尽くしていくのを感じていたのだった。

 

 生物学を専攻していたという言葉通り、私はシアトルにある大学である生物を研究していた。

 なんのことはない、海洋生物全般――主に、深海生物について。

 

 この地球という星について、私達人類というのはあまりにも無知である、とは私の師の言葉だ。

 地上についての殆どを知識として蓄えている人々だが、こと、深海となると私達の知識というものは無力だ。同じ星ながらに環境は全く違う。想像だに出来ない事象が毎日平気で起こり続けているのが、深海。

 データ、予測、予想、培ってきた全てで深海を知った気になっているだけだ。その実態は、たったの数パーセントしか解明されていない。いや、数パーセントであるというのも、また仮定に過ぎない。

 

 ――話が逸れたが、海軍が欲しているものの理由は理解出来た。だが、どうして私なんだ?

 

『博士号を取得したような覚えなんて無いのだけれど』

 

『えぇ。存じています。ミズ・ソフィアは真面目であったが、向上心とは別だ、と』

 

『あら、コーヒーの一つも出さないのに文句はあっさり出てくるのね?』

 

『……失礼。しかし、あなたのお力が必要なのです。あなた以外にも深海を研究していた者をアメリカ中から集めています。事が事ですから、選定する時間は無く……無作為と言って良い状態なのが現状です。人権侵害だと言われても無理はありません。ですがステイツの危機である事実は揺るぎません。どうか、お力を』

 

 男は私に持っていた紙を一枚手渡す。見て見れば、そこにはつらつらと長ったらしい条文。

 要約すれば――徹底的に守秘を行うため、この契約書にサインしそれを確約しろ、というものだった。

 

 対価は一般人である私では一生をかけても手に入らない大金。それが毎年のように入って来る。

 これならば私以外に連れてこられたという者達は契約しているかもしれない。だが、アメリカ中から連れてこられたというのだから人数だってそれなりにいるはずだ。払えるのか?

 

『これが嘘では無いという証拠は?』

 

『ミズ。何度も言いますが、ステイツの危機です。こんなジョークをナプキンに書いてばらまく暇など海軍にはありません』

 

『……』

 

 ふと頭を過るニュース。海岸線に現れた謎の生物とやらが一瞬だけ映ったテレビ画面。

 ただ、気になった。私はたったそれだけの理由でペンを要求した。

 考えずとも、サインせず拒否したところでただで帰してもらえるわけが無い、とどこか冷静に思えたから、というのもあった。

 

 私からのサインを受け取った海兵は満足気に頷くわけでもなく、その場でどこかに連絡を取って私をまた連れ出した。

 

 そして、次に連れてこられた場所は、無菌室だった。場所は分からない。宿舎らしき建物から車で移動して一時間程度、といったところ。

 即席の研究所のような場所の無菌室は部屋というには大きく、厳重な扉がいくつも部屋を隔てていた。

 室内には私と海兵、それから私と同じように連れてこられたであろう研究者のような人が数名。数は多くなく、あの紙を信じずに帰った者の方が多かったのであろうことに驚いたのを、覚えている。

 

 それから、その中で見たものは、生涯忘れられないだろう。

 黒く光り、青い目をしていて、てらてらとぬめっていて、それから……それから……。

 

『これが西海岸を襲ったの……?』

 

『襲うのに便利そうなものが口から出てるだろう?』

 

 私の呟きに、別の研究者らしき男が口を開いた。

 言われた通り、私の目に映った通りのものが、その部屋を半分以上埋め尽くす巨体の先端についた生々しい口から突き出ている。

 成人男性の大きさをゆうに超え、体長は数メートル。まるで鯨だ。

 

 銃身……いや、あれは、砲身だった。

 忌々しそうに剥き出した歯が砲身を嚙みしめるように固定しているのが、一目で分かる。

 

『――ネイビーではこれをデストロイヤー、と呼称している。これを見て欲しい』

 

 海兵がリモコンをどこかから取り出し、操作する。

 すると、部屋の壁の一面に天井から吊るされたプロジェクターで映像が投影された。

 ニュースでも見た西海岸が襲撃された映像だが、テレビでは流れなかったその先が流れている。

 

 海岸から離れた位置で煙があがり、黒い点が放物線を描いて海岸に迫る。黒い点が海岸へ到達すると、爆発。一度のみならず、二度、三度とそれが続き、ビーチにはパラソルの数よりいくらか少ないほどの赤い点が広がった。

 

『あ、ぁ……なん、て、これ、嘘でしょ……あぁ、神よ……』

 

 私の呟きに重なるように、周囲からどよめき。

 

『これが三日前の映像だ。だが、神は我々を見放したりなどしていなかった、とも言っておこう』

 

 ピッ、という音とともに映像が切り替わる。次に映ったのは、別の海岸線。

 そこにも目の前に横たわる化け物と似たような存在が映っていたが、それとは違う影もあった。

 

『デストロイヤーは西海岸以外にも確認されている。現状では、日本、中国、それからロシアはオホーツク、イエメン、オマーン、インド、ノルウェー……同時多発的に襲撃されたとの事だ。各国との連携のもと情報収集を行っているが、現状把握されているのは、この化け物には一切の攻撃が効かないことだ』

 

『それ――』

 

『あぁ、映像の通りだ』

 

 映像には、轟音を立てて空を切り裂く戦闘機が映っていた。そこから放たれる火球が化け物をとらえるも、黒煙の向こうでは動きを一切緩めない化け物の姿があった。

 

『……ここだ、これ、ここを見て欲しい』

 

 ぴたりと映像が停止する。

 海兵が壁に歩み寄り指さすそこには、海面にぽつりと、一人の女性が映っていた。

 

 最初は目を疑った。おかしいじゃないか。そこはビーチで、確かにブロンドの美女がいておかしいことは無いだろう。

 問題なのは、彼女が水着などではなく、機械で身体を覆っていた事だ。まるで、どこかの兵器開発を生業とするエゴイストのヒーローのような。

 

『……鋼鉄の男などでは無いと言っておくよ。ここに映っている彼女は彼のように空を飛んだりしなかったし、話を聞くにインダストリーは営んでいないそうだ』

 

 映像が再開される。海上に立つ彼女は怒涛の勢いで化け物と戦っていた。身体を覆う機械――私達の目の前にいる化け物の持つ砲身よりも細いそれから噴き出す火はあっというまに化け物を薙ぎ払った。

 それから、空を飛ぶ戦闘機を見上げ――間違いなく、笑っていた。それに、何かを言っているような。

 

『まずは紹介をしておこうか。ミズ!』

 

 海兵が部屋の奥へ向かって声を掛けると――そこには――ブロンドの女。

 

『ハーイ! ……って暗いわね? んんっ。アイオワ級戦艦、ネームシップのアイオワよ。USAが生んだ最後の戦艦である私を知らないなんて人は、いないわよね?』

 

『はっ……?』

 

 私の声以外にも、いや、ここにいる海兵と、アイオワと名乗ったブロンドの女以外の声が重なった。

 

『――ここにいるデストロイヤー達を倒せる兵装を持った、同じ未確認生物――』

 

『ヘイ! ミスター。未確認生物なんてエイリアンみたいな呼び方をしないでちょうだい。私は、戦艦アイオワ。オーケー? 何度言っても未確認、未確認って、私を見てるでしょう?』

 

『ミズ・アイオワ。これは形式上だ。彼、彼女らに理解してもらいやすいようにする、呼称だ。ニックネームみたいなものだから、気に入らないだろうが少しだけ我慢してほしい』

 

『んん……』

 

 納得いかないように口を歪ませたアイオワと名乗った女は、その場で腕を組んで私達を見回す。

 

『デストロイヤー(破壊者)じゃなく……じゃあ、これは……デストロイヤー(駆逐艦)……?』

 

 誰かの呟きに、アイオワが『Exactly(えぇ、その通り)』と答える。

 混乱にぐるぐると脳みそが回る感覚。眩暈を覚え、その場で額に手をつく私に、アイオワが近づいてきた。それから、背をとんとん、と優しく叩く。その感触は人間そのものだった。

 場違いにも、私が何か悲しいことがあると、母がこうして慰めてくれたなと思い出してしまう。

 

『あー、ん……ミズ……ミズ……』

 

『……ソフィア』

 

『オーケー、ミズ・ソフィア。混乱するなという方が無理よね、でも、安心して。私がいるわ』

 

 励ますような声音に顔を上げると、アイオワと目が合った。

 彼女は微笑み、それから――。

 

 

 

* * *

 

 

「……っ」

 

 轟音に驚き、私はびくりと身体を震わせた。

 

 私がこの島に連れてこられたのは、一昨年ほど前になるだろうか。

 死なない程度の食事を与えられながら、昼か夜か決まっていないものの、砲撃音を合図にドラム缶や鉄クズを持って現れる化け物の言う事を聞きながら過ごす生活を送り、死を待つばかりの毎日を過ごしていた。

 

 とある朝、昔見た鯨のようなものじゃなく、人の形をした黒く、そして青白い顔をした化け物がふらりと海岸線へ現れた。

 私と同じ性別のように見えたため、ここではあえて彼女としよう。

 

 彼女、あるいは彼女らは異国の言葉で――日本語だったろうか、私には分からないが――私に向かって何かを言う。おおよそ、持ってきたガラクタを運べ、という事なのだろうが、既に私はこれらを拒否する気力を持っていなかった。

 

 数年前、コーヒーショップの店員から研究者という不可思議な転身を遂げた私が見た化け物とは違う個体であろう、知性を窺わせる相貌を持つ彼女らは時折こうして島にやってきては、ガラクタを運ばせ、一定の場所へそれを集めさせる。

 危害という危害こそ加えられていないものの、逆らえばいつか見たニュースのように、ビーチに広がる赤い点に変えられてしまうのは馬鹿な私でも理解していた。

 

 同時多発的に世界を襲った深海棲艦と言う化け物と人類との戦争は――いつ終わるのだろうか。

 

 そんな事を考えながら、故郷の両親はもう私を死んだと思っているのかな、とか、ネイビーは私を見捨てたのだろうか、とか、数年、毎日ずっと思っている。

 

 ――また、轟音。

 

 ガラクタを早く運ばなきゃ、早く、早く。

 

 海岸から離れた位置で威嚇するような、戦闘でもしているかのように化け物たちが砲撃音を上げ続ける。

 

 ネイビーは何をしているの、アイオワは? そんな事を当てつけのように思うことも無くなった。

 生きなきゃ。こんな場所で死んじゃだめだ。狂気の中でこの二つだけを考えた。

 

 食事――ただの海藻や、生魚ばかりだった――はある、火だって起こせる。なら、助けが来るまで生きることを諦めちゃだめだ。

 

 海岸へと打ち捨てられるように流れ着いた重たいガラクタを両手いっぱいに抱えて、島の奥へと運ぶ。何往復かすれば、砲撃音は止み、また嘘のような静寂が訪れる。今回の砲撃音は、長かったな……。

 

「はっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 着の身着のまま、二年かそこら働いた研究所からホノルル、スパと経由してニュージーランドにある研究所へ異動する事になった私は、飛行機では化け物の操る攻撃機に墜落させられるとのことで輸送船で移動した。

 アイオワの他に、サウスダコタやワシントンと呼ばれる艦娘に護衛されていたのだが、ニュージーランドに到達する前に深海棲艦に襲撃され、私を含む数十名に及ぶ研究者や海兵は海へと投げ出された。

 戦闘の衝撃に気を失った私が目覚めた時には、既にこの島だ。ここがどこかさえ分からない。深海棲艦が私を働かせているのだから、ここまで運んできたと仮定して――ニューカレドニア? バヌアツ?

 

 分かっているのは、小さな無人島ということだけ。連絡手段も、何もない。

 

「これで、最後……っと!」

 

 がしゃん、と音を立てて金属片を島の中央へ投げる。

 うずたかく積み上がった金属片や、小さな見た目からは想像できない重量をもつドラム缶の前にどさりと座り込み、荒い息を吐き出した。

 

「ここに来て、もう、七百……」

 

 砂の地面に指で文字とも模様ともつかぬものを描きながら、疲れと狂気を紛らわすように声を落とす。

 ここに来て何日経過したかなど、もうとうに興味は無い。ただ声に出して何かをしていなければ今にも発狂してしまいそうなだけだった。

 

 私はとりとめもなく地面に指を這わせていたが、ふと立ち上がって海岸へ戻った。

 深海棲艦がいなくなったかを確認したかったのだが、そこで私は初めて、記録映像以外で、アメリカ以外の艦娘を見た。

 

 唐突で、突然で、急で、もう、声さえ上げられず、ただ――そう、ただ、彼女らの姿を見た時、助かったとか、もう大丈夫なんだと思うよりも先に――

 

『――殲滅完了だ! 扶桑、損傷は!』

 

『大丈夫よ。山城、夕立ちゃんも神通さんも、大丈夫ね?』

 

『はい、問題ありません。島風さんが敵をかく乱してくれているお陰で、砲撃も殆ど。漣さんも朧さんも損傷無しです』

 

『うー……! 夕立も! いっぱい頑張ってるっぽい!』

 

 夕暮れ。空のかなたにある太陽が曇天を真っ赤に染め上げる中で、海を守る存在を見た。

 

『ふふ、そうね。さぁ……このまま進むわよ。進行方向は?』

 

『このまま……北北東だ。この先に本隊がいるとの見立てらしいが……ここまで来ると疑いようも無くなる。まったく、あの軟弱者の予測には恐れ入った』

 

『あら、那智さん。軟弱者だなんて……顔は笑っていますよ?』

 

『こっ、これは……! その、敵艦を打ち倒せる喜びだ! 帰ったらあの軟弱者には活を入れる!』

 

『でもでも! 提督さんはやっぱりすごいっぽい! 島風ちゃんに兵装を積まずに出撃させたのも、島風ちゃんが回避に専念してかく乱? いーっぱい走って敵を驚かせて、夕立が素敵なパーティーできるっぽいよ!』

 

『はぁっ……はぁっ……島風も! たーのしー! もっと速く走れそう!』

 

『げほっ……うぇ……島風ちゃん速くね? おかしくね……? マジヤバなんですけど……』

 

『漣が運動不足って、わけでも、ない、みたいだよね……はぁっ……はぁっ……しんっど……』

 

『朧もすっごい汗だよ……いやぁぁ、なめてた、島風ちゃんなめてた……』

 

 何を言っているか分からなかった。でも、彼女達は、笑っていた。

 傍らには、深海棲艦らしき残骸が沈んでいくのが見える。あの、砲身を噛みしめた恐ろしい存在が――。

 

 ぶぅん、と音が降ってきた。

 

 空を仰ぎ見れば、そこには深海棲艦が飛ばす恐ろしい異形の羽虫などではなく、美しい両翼を気持ちよさげに広げる飛行機が飛んでいた。いくつも、いくつも。

 

 何故か視界が歪む。声が震える。

 

「あっ……あぁっ……!」

 

 どうしてこんな絶望の海で笑っていられるの? どうしてこんな場所に、艦娘が?

 疑問が頭を埋め尽くす。

 

 編隊を組んでいる飛行機のうち一機が、突然群れから幾何学的な動きで離れ、降りてきた。

 それが私のもとへやってきたかと思えば、両翼の飛行機とは思えない動きで私の周りを器用に周り、それから……地面に降り立つ。私のつま先くらいしか無い飛行機から出てきたのは、もっと小さな存在。

 

「これは……いや、あなたは……!?」

 

 操縦者――? でも、こんなの見たこと無い。明らかに、考えずとも人では無い。まるで、童話の妖精だ。

 

 海岸で、妖精の前で跪いている私の耳に声が飛んでくる。

 遠くから聞こえてきていた声がどうやって私の耳に届いていたのか。まるで夢の中にいるようだった。

 小さな飛行機の中からも、声が聞こえてくる。

 

『こちら第一艦隊那智……赤城か。……何!? 海岸に人ぉ!? ま、待て! この航路だと砲弾は島に飛んではいないが……待て待て! すぐに捜索する! 島風、周りを見られるか! というか扶桑! お前が旗艦なのだから少しは通信を受けもて!』

 

『な、那智さんに突然怒られたわ……なんて不幸なの……』

 

『姉様……! 那智さん、通信よりも先に話が――』

 

『そんなものは後にしろッ! 島風! 夕立! 確認を!』

 

『ぽい! って、あ……! 島風ちゃん、あそこ! あそこぉ!』

 

『ほんとに、人だ……! すぐに助けなきゃ!』

 

 ――彼女達が、近づいてくる。

 

 声を、なにか、声を。

 

「た、助け……助けて! 助けてー! 私は、ここ! ここに! 助けてー!」

 

『え、英語ぉ!? 夕立ちゃんパスぅ!』

 

『ぽい!? 夕立も英語は分からないっぽいよ! で、でも、へるぷって……』

 

『行こう!』

 

『うん!』

 

 一瞬だけ立ち止まった二人の少女は、顔を見合わせた後に、手を振りながら海岸へやってきた。

 濡れるのも構わずばしゃばしゃと海へ飛び込んでひざ下まで海水に浸かった私を、二人は強く抱きとめてくれたのだった。

 

『もう大丈夫だよ。島風が来たから! 分かる? 島風!』

 

『夕立もいるっぽい!』

 

「シマ……カゼ……ユー、ダチ……! ありがとう……来てくれて、ありがとう……!」

 

『そう! 島風! それに夕立!』

 

『ねぇ、島風ちゃん……提督に報告するっぽい。もしかしたら、他にも……』

 

『うん、すぐに報告しよ! ……あきつ丸さん、第一艦隊、島風です! あの、M地点にある島に人が……うん……英語を話してて……えと……』

 

 耳に手をあてて話していた、露出度の高い服装をしたシマカゼという少女が私を見て何かを話している。しばらく話し込んでいたが、不意に頭につけたリボンをぽすんと触った次の瞬間――まるでスピーカーから発されているかのような音が鳴った。そこからは、男の声。

 

『あー、ハロー? ハロー?』

 

「……! ハロー! あなた、英語が話せるのね!?」

 

『あー……あーん、イエス。イエス』

 

「私! 随分と前にこの島に流れ着いて、それで、わた、私、私はその、シアトルの出身で、違う……えー、あー……!」

 

『オーケー』

 

「わかったって……あの……!」

 

『……問題無い』

 

「っ……!」

 

 話しぶりを聞くに、きっとこの声の主は日本人だろう。拙い発音ながらに、そのきっぱりとした物言いは私を安心させるのに十分な温かさと強さがあった。

 

 こんな状況で、訳の分からない島で聞く問題無い(ノープロブレム)という言葉がここまで心強いだなんて。

 

「私は、ここから出られるのね……? 助かったのよね……!?」

 

『イエス。ノープロブレム。イッツオーケー』

 

「よか、った……うっ、ぐぅぅっ……うぅぅっ……!」

 

『……清水、私は先の作戦を見直す。代われ』

 

 声の主は日本語で何かを話すと、今度は先程より幾分か低い別人の声がした。

 

『あー……こんにちは。私は、日本海軍の、シミズ、という者です。拙い英語ですが、伝わりますか?』

 

「えぇ、えぇ、分かるわ!」

 

『あなたは今、ウラワという島の付近にある地図上では確認できない島にいるようです。今、ソロモン諸島は危険海域として島々の住民が避難していたはずなのですが、あなたは逃げ遅れた人ですか?』

 

「違うわ……私は、アメリカ海軍の研究所に勤めている者よ。輸送船でニュージーランドに移動する前に襲撃を受けて、気づけばこの島にいたの。深海棲艦、分かるわよね? 深海棲艦にさらわれたみたいで……何か、ガラクタをずっと島に運ばされて……」

 

『そう、ですか。現在、私の部下……あ、いや、上官であるウミハラマモルという軍人が指揮を執り、ソロモン諸島の奪還作戦を遂行しています。今ここであなたを別の安全な場所へ逃がすより、周辺を掃討したためその島にいた方が安全です。もう少し、待てますか?』

 

『清水、いらんことを言うなよ。ただ大丈夫とだけ伝えて――』

 

『閣下、問題ありません。私の上司が助ける、とだけ伝えております』

 

『……ならいいが』

 

 また日本語が挟まる。助けてくれる、という話し合いか、それとも。

 

『お名前をうかがっても?』

 

「ソフィア……ソフィア、クルーズよ。アメリカ海軍アビスフリート研究機関の、ソフィア」

 

『では、ミズ・ソフィア。もう暫くそちらで待機をお願いします。今は時間が無く、迅速に作戦を遂行せねばなりません。しかしご安心を。ここにはウミハラというコマンダーと、イノウエというアドミラルがおります。何も心配はいりません』

 

「コマンダーに、アドミラル……!? そんな大規模な作戦が……ソロモン諸島で……!?」

 

『これ以上は機密事項になりますが、ここまで言えばお分かりですね』

 

 きっと、私の人生における幸運というものの大半はこの場で使われたことだろう。

 全身から力が抜け、どうしようもない安堵が私の意識を持っていく。

 

『もう暫くお待ちを、ミズ・ソフィア。コーヒーの一つも出せないのが申し訳ないのですが』

 

 シミズと名乗った日本人の男が精いっぱいのジョークで私を励まそうとしてくれている。

 思わず笑みが零れ、私は返事をするのだった。

 

「私、私ね……元々は研究者じゃなくて、コーヒーショップの店員で……ふふ、ごめんなさい、突然。なんだか、力が抜けてね」

 

『そうですか。あなたが日本に来た時にはそのコーヒーを飲んでみたいものです』

 

「えぇ……必ず。とびっきりのコーヒーをごちそうするわ。ミスター・シミズ。それに、コマンダー・ウミハラにも」

 

『楽しみにしております。……予定では、あと数時間も待たせないでしょう。何か荷物があれば、今のうちにまとめておいてください』

 

 軽口を叩けるまでに一気に精神が回復した私は、その会話の後、いくらか少女達が話してから、日本語でしきりに『すぐに来るから! 待っててね!』と残して海岸を離れるのを見送った。

 

 日本の軍人……私に短く声を掛けただけの、強く、太く、それでいて優しい()()()()()()という男の声が、鼓膜を未だに揺らすようだった。

 波の音と男の声と、海を駆けていく少女達の声が重なるようで、私はボロボロの白衣の裾を波に揺らしながら夢のような光景を見た。

 

 深海棲艦と対となる存在――艦娘。それらを統率する、日本のコマンダーの存在。

 

 だめだ、こういう時に研究職は考え込んでしまう。今は、ただ待っていよう。

 彼女らを指揮する男が言ったのだ。問題無いと。それを今は、信じよう。

 

 

 

 

 

 

 

 そこから数時間――ソロモン諸島の上空に、綺麗な星が煌めいた。

 

 雲は、無い。




あけましておめでとうございます。
本年一発目の更新です。今回は少し違った視点で書いてみました。


一昨年、去年と大変な日々が続きますが、体調を崩さぬよう、皆さまご自愛ください。
また、皆さまにとって素晴らしい発展と躍進の一年になるよう、心からお祈り申し上げます。


本年も海原鎮率いる勘違い艦隊と柱島泊地備忘録をよろしくお願いいたします。

追記:
作中に出てくる「ジェネラル」という表現が適切ではないとのご指摘がありましたので「アドミラル」に修正いたしました。ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。

誤字報告も随時対応しておりますので、更新は今しばらくお待ちください。


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五十話 撃【艦娘side・扶桑】

 海原鎮――柱島という墓場に捨てられた私達の前に現れた、あらゆる艦娘を沈めたとされる男。

 異動前に調べたところによれば、陛下の膝元である――今は総理といったか――軍令部の将官であったという。

 

 深海棲艦との長きに渡る戦争を指揮し、時には敵生息地として陥落したとさえ言われた難攻の海域をも智謀を以て攻略せし恐ろしい軍人。

 しかして実態は、将官達が無理であると首を横に振るような作戦を強行する男であったというのが、艦娘の間では通説だった。

 将官を脅し、すかし、弱みを握っては艦娘を方々へ送り込んで無茶をする……そうして沈められてしまった艦娘の数は知れず、かの墓場、柱島鎮守府を設立したのも彼であるという噂もある。

 

 捨て艦と呼ばれる特攻作戦の先陣を切った鎮守府である、と言われているが、実はそうでは無い。そもそも、柱島泊地とは呉鎮守府を守る要であり、警戒網の一部であるというだけの認識だった。

 軍令部の指示によって鎮守府が置かれたのだ。捨て艦作戦のためだけに。

 

 捨て艦作戦で使われた鎮守府があそこまで綺麗なはずがない。それは何故か?

 簡単だ。使われなかったからだ。

 

 艦娘は波頭の先に見える柱島の港へ逃げたかったことだろう。そこに逃げ込めば目覚めた命を無駄に捨てるような愚かしい行為に猶予が出来る。一日、ないし、数時間は生きていることを実感できる。

 実態は、一瞬たりとて止まる事を許さぬ死への突貫。柱島鎮守府は、あのレンガの建物は幾人もの艦娘を見送ってきたに違いない。

 

 それが分かった頃から、実際に海原鎮という男の声を、想いを耳にしてから、私の中で何かが変わった。

 

 講堂で話した彼が、夜に想いを通信に紡いだ彼が、そんな事をするのだろうか?

 

「……反応無しだな。このまま進むぞ」

 

 那智の声に艦隊の列がゆらりと進路へ傾く。

 提督の言いつけ通り、ついてきた妖精の持つ羅針盤の示す方向通りに右へ左へと進んでいく私達は、ソロモン諸島でいくつもの驚愕を味わった。

 

 まず――接敵。最初にして最大の驚愕は、間違いなくこれだ。

 接敵自体が驚くことでは無い。戦時下である今、海に出て深海棲艦に遭遇しない確率など良くて五分、悪くてもっと高いと言ってもよいだろう。

 問題は、その接敵が殆ど無いことだ。

 

 ソロモン諸島。通称、南方海域と呼ばれるこの場所は海軍から言わせれば敵の生息地であるはず。それは欠陥戦艦だのと小馬鹿にされる使い走りさえさせられない末端の私ですら知っている事実だが、この諸島の海域を堂々と航行しているにもかかわらず、提督から正式に作戦発令されてからの戦闘はたったの三回。

 

 二つ目は、その接敵について――全ての敵艦隊がこちらへ突っ込んでくる形での丁字有利。私達は驚きこそすれ、一斉に砲を向けて迎撃して相手に壊滅的打撃を与えられた。敵からしたらたまったものでは無かっただろう。通信を続け居場所を知らせている的のような私達を襲撃せんとやってきたというのに、まさに迎撃という形で先制砲撃をなす術もなく食らうのだから。

 

 そして三つ目――夕立や島風による追い込み戦法。

 私や山城、重巡の那智という火力に重点を置く艦娘のもとへ駆逐艦二隻の自由航行によって追い立てられる深海棲艦は、これまた、那智の正確無比な砲撃によって轟沈させられる。欠陥たる私や山城の副砲は射程こそ長いが正確さは無い。故に私達の砲撃はブラフ。どの砲弾が危険か、など深海棲艦が考えて判断しているかなんて分からないが、一斉に飛んで来たら動けなくなってしまうことなど、考えるまでもない。

 戦艦と重巡の一斉射撃。敵じゃなく、戦艦の私とてそんなものを食らえばひとたまりもないのだ。

 討ち漏らしも一切ない。一度だけ砲弾の雨を運よく切り抜けた深海棲艦がいたものの、神通によってあっけなく沈められていた。第二艦隊の航空支援も威力を遺憾なく発揮し、快進撃を続けていた。

 

 抜け目がないとしか形容出来ない。

 仔細を伝えずとも自然とそのような形をとって戦闘を行ってしまう。まさに艦隊、艦娘を知り尽くしている者にしか成し得ない離れ業の作戦。

 

 同じような戦闘が三度続いた。戦闘意欲の高いであろう那智はこれに気をよくして提督の命令に大人しく従い、初めこそ意味が分からないと怒鳴っていた羅針盤と妖精の示す道なき道を突き進んでいる。その先に勝利があると確信しているように。

 

「お姉様、お身体は大丈夫ですか?」

 

「えぇ、大丈夫よ。山城は――?」

 

「問題ありません。お姉様が無事なら」

 

「……そう」

 

 那智の後ろについて船速を調整しながら進む私の背にかかる声。

 

 山城は私を心配し過ぎるきらいがある。欠陥戦艦と言われ始めたのが私からだった故か、それとも、戦艦の姉妹であるが故か。あるいは、その両方かもしれない。

 同じ時に目覚め、同じ鎮守府へ配属され、同じ境遇からの理不尽な罵倒……ふと思い出すだけでも両手では足りないほどの痛苦にまみれた記憶には、いつも山城がいた。

 

 私が初めて欠陥だと言われたのは、軍令部から私を捨て艦作戦の中核に起用するか否かという話が出ている頃だったか。もっと昔からだったかもしれない。

 欠陥と呼ばれることに甘んじようと思ったのは、捨て艦作戦でも人の役に立って命を守れるのならばと形だけの演習に参加した時のことだった。

 

 演習用の砲弾を撃ち出した私は、その場で大きく揺れ、横転したのだ。

 

 一度ならず、何度も。

 その上、砲弾は的を大きくはずれ、結果は散々だった。

 

 まさに、欠陥戦艦。

 

 私の身体と、艤装のバランスの悪さから生まれる不安定な砲撃は的にさえ当たらないのだから、役に立つか立たないか以前の問題である。

 さらには同じことが山城にも起きた。姉妹艦である私達の構造は基本的に似ている。妹分の山城は多少の改良が加えられた過去を持っているからか、私のように大袈裟な横転はなかったが、副砲を連続で撃てばそれだけ横転の数は多くなった。

 

 ……そんな私達を起用して難攻不落の海域を突破し、運命を変えろなどという提督が少し怖くもある。本当に、大丈夫なのだろうか。

 

 いつしか、山城が口にした、不幸という言葉。

 

 いつのまにか私にもそれがうつり、二人揃っては全てを不幸だと呟くようになった。

 

 空はあんなに青いのに。

 雲はあんなに遠いのに。

 今日も風は気持ちよいのに。

 明日もきっと来るだろうに。

 

 私達は、不幸だ、と。

 

「扶桑さん。顔色が優れないようですが……」

 

 ふと、山城より後ろに控えていた神通から声がかかる。

 私は振り向かずに「大丈夫よ」とだけ伝えて前を見た。振り返ったところで、本当に顔色が悪いとバレては具合が悪い。

 

 理由は明白だった。

 

 私は、この作戦で一切の活躍をしていない。敵に砲撃を与えられてもいなければ、那智の砲撃を彩りさえもしていない。ただ、その場の空気に合わせて派手に音を立てているだけの欠陥品だ。

 

 なんて、情けない。

 

「――敵反応ありだ!」

 

 那智の声にハッとして視線を上げる。

 

「なッ……こんな数を相手にしろと言うのか……!?」

 

 続く声に、絶望する。

 

「接敵! 接敵! 夕立、島風、遊撃に回れ! 決して攻撃をもらうな!」

 

「ぽい!」

「おぅっ!」

 

「朧と漣は対空射撃! お前達も決して攻撃をもらうんじゃないぞ!」

 

「「はいっ」」

 

 那智の勇ましい声とは裏腹に、海域全体が瘴気に覆われるような感覚が艦隊を襲った。空は相も変わらず暗いまま、赤いまま。それらがより一層濃くなる。

 

「う、そ……こんな数……勝てるの……!?」

 

「山城さん、那智さんの後ろについてください! ……神通、いきます!」

 

 戦闘の始まりは、いつも突然だ。先程の戦闘だってそうだった。

 だが、今回は違う。今までは敵側は全て六隻編成。対してこちらは呉鎮守府の駆逐艦を二隻率いた八隻編成。後方には第二艦隊の航空支援もある。数の有利、位置の有利を持っていた。それが、どうして――

 

「――こちら第一艦隊! 聞こえるか! 接敵した……比べ物にならんぞこれは……。間違いなく本隊だ!」

 

『ザザッ……こちらあきつ丸。報告を』

 

「場所は提督の読み通り、ソロモン諸島P地点! 目視で輸送ワ級、それに駆逐ロ級の後期型が多数……少なくとも十隻はくだらん! 補給しながら諸島を周っていたのかもしれん……輸送も三隻。重巡ネ級と戦艦ル級が二隻ずつ! 軽空母もだ!」

 

『これはこれは……大歓迎でありますな……人型深海棲艦もお出ましとは……!』

 

「島風を追い回していた敵機はこの本隊の一部だったのかもしれん! このまま戦闘に突入するぞ!」

 

『本営、了解であります』

 

 通信に紛れるノイズの後、那智の雷鳴のような声が響き渡る。

 

「敵は右舷だ! しっかり狙えッ! 砲撃戦、用意!!」

 

「お姉様、那智さんの支援を!」

 

「え、えぇ、そうね……!」

 

 島風が機関をうならせ、波間を切り裂いて飛び出していく背中が見えた。

 夕立がその背に追いすがりながら、鋭く咆える。

 二隻の後ろには漣と朧が小さな単装砲を手にロ級達が近づきすぎないようにと牽制砲撃を行っているのが目に映った。器用に機銃さえ操作し、赤い点線が空へ続く。

 

 私の背に流れる汗が、とても冷たい。

 

 顔にかかる海水の匂いが、硝煙にかき消される。

 

「航空機の支援はM地点の警護にも回されている、あまり期待し過ぎるな!」

 

 あぁ、そうだ。あの島には女性がいたな、と那智の声にぼんやり思い出す。

 戦闘から意識を逃がすかのように考えれば、敵艦隊の砲撃の音が耳の中で鈍る気がした。

 

「朧が守り抜きます!」

 

「朧も、でしょ! さぁ、逃げられないよ! 漣はしつこいからっ!!」

 

 呉鎮守府の二隻が猛る。本来ならば救助対象だった小さな駆逐艦でもあんなに気張っているというのに、私は何をしているのだろうか。

 那智の横について副砲を放ちながら、ただ視界に多くの敵艦をとらえる。これだけの数がいても当たらない。どれだけ撃てど、当たらない。

 

 悲しいが、欠陥と呼ばれる所以は、どうしても私を離してくれない。

 

「山城、大丈夫? 砲戦よ」

 

「はい! お姉様!」

 

 心配されっぱなしの私の癖が出る。

 支援に手を掛けたのは山城が最初だったというのに、姉の体裁でも守りたいのか、こうして私は山城を心配するような言葉を口にすることで欠陥であることから目を背けようとするのだ。

 

 山城は優しい。私のこうした言葉を聞いて返事をしてくれる。いいや、何を言っても、彼女は私を受け入れ、不幸にすら甘んじてくれる。

 

 苦しい。

 

「扶桑! 何をしている、列を乱すな! 攻撃をもらいたいのかっ」

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 那智の声に慌てて態勢を整え、副砲を撃ち続ける。

 旗艦であるというのに、何をやっているんだ私は。

 

「夾叉だ! 波にのまれるなよ!」

 

「はいっ! 那智さん、左舷、もう一隻!」

 

「了解だ、山城、援護を頼む!」

 

 刻一刻と戦況は変化する。那智の砲撃は一分一厘とてぶれる事無く私達を囲む駆逐級の敵艦に降り注ぎ、朧や漣は直上に襲い来る敵機を近寄らせず、夕立と島風の遊撃も重巡や戦艦を的にさせんと高速航行を見せた。

 戦場の様相としては、数の不利はあっても優勢と言ってもいいだろう。

 

 私さえいなければ。

 

「――扶……――扶桑……――いっ……扶桑っ……聞いてい……!」

 

 私の副砲から立ち上がる煙が視界を遮った。同じくして、轟音が鼓膜を揺らし、周囲の音が歪む。

 

「――……桑――避……――……っ」

 

 この煙が晴れたら、もう一度砲撃を――

 

「――扶桑! 回避行動を取れぇぇぇッ!」

 

「えっ……ぁ」

 

 きゅん、という音が耳元で聞こえた。

 次の瞬間には、背後で水柱が高く上がり、衝撃で巻き起こった波が私を前へと押し出した。

 

「きゃぁぁっ!?」

 

「お姉様!」

「扶桑!」

 

 どしゃりと海水が私の目や鼻、口に入りこむ。前後不覚になりながら顔を起こそうと首を持ち上げるも、見えるのは真っ黒な水面ばかり。

 身体を捻って何とか顔を上げたが、艤装の重さに起き上がれない。

 

「ぐ、ぅっ……!」

 

「くそっ! 山城、扶桑の援護をしろ、私が前に出て時間を稼ぐ!」

 

「はい! お姉様、立てますか……!」

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい……私……!」

 

 欠陥。

 

「損傷は……なさそうですね……どうぞ、お手を! 立て直しましょう!」

 

「……えぇ」

 

 欠陥だ、お前は。

 

「副砲、再装填! お姉様、ここは山城が時間を稼ぎます。態勢が整えば那智さんに続きましょう!」

 

「そう……ね……っ」

 

 人々に言われた声がリフレインする。

 頭の中をかき回すように跳ねる幻聴を振り払うように大きく首を振って、ぐっと身体を持ち上げた、その時だった。

 

「逃したっ……山城! 回避を!」

 

「えっ、あ!? お姉様! 早くこちらへ!」

 

 山城の元へ伸びる影が見えた。魚雷だ。

 まずい、と思った私の身体が再び倒れ込む。頭をもたげる魚雷がちょこんと海面に見えた時、私を掠めた砲弾が起こした波よりも強い衝撃が全身を走った。

 

「お姉様ぁぁぁあ!!」

 

「扶桑ぉおおお!!」

 

 右舷損傷。中破……いや、ギリギリ小破でとどまった。

 艤装が使えなくなるほどの損傷では無かったが、私の精神を大きく削り取るには十分な攻撃、と言えよう。

 

 過去をなぞっているかのような戦いだ。

 

「ぁ、がっ……!」

 

 痛みが精神を蝕む。

 苦しい。怖い。

 

 ただでさえ艦娘となって実戦の経験など殆ど無い私だ。演習の的にばかりされていた時は、演習用の砲弾にくわえて、同じ艦娘からの攻撃なのだからと手心だって加えられている。痛みなんて殆ど無かった。

 

 それがここに来て、深海棲艦の攻撃はどうだ。

 

 怨恨が込められているかのような攻撃はどれをとっても命を狩らんとした凶悪なものばかり。その上、おぞましい声が海域に響き渡り、陽の光さえも私達を見届けることは無い。

 

「通信! 通信! こちら第一艦隊! あきつ丸! 応答しろ!」

 

『――如何した!』

 

「扶桑が右舷からの敵魚雷により小破! 立て直しが難しいかもしれん! こちらは八隻だ……戦艦が抜けるのは痛いが、航行には問題ないだろう。一度下げるぞ!」

 

『戦艦が先に小破とは……!』

 

 通信はこういう時、嫌だな、と思う。鼓膜を揺らす目の前で起こる音は鈍るのに、通信は直接頭に響くのだから、はっきりと聞こえてしまうのだ。

 

 先に小破とは……と、あきつ丸から洩れた言葉が、私が欠陥である何よりの証左。

 戦艦としては、防御も、速力も劣る。強く勇ましい他の戦艦達と私は違う。

 

『ザッ……ザザッ……どうした』

 

『あっ、いえ、あ、その……! 魚雷により、第一艦隊旗艦、戦艦扶桑が小破。航行に問題無しとの事ですが、那智殿の判断により一度下げる、と』

 

『なに?』

 

 提督の声が聞こえた。

 

 ごめんなさい、提督。私はやはり、お役に立てそうにありません。

 

『扶桑が小破したか……で、那智がそう判断したと』

 

『は、はっ……!』

 

『分かった。戦線維持に問題は』

 

『八隻の編成ですので、維持に問題無いとのことであります。第二艦隊の航空支援も含めての判断であるかと』

 

『そうか』

 

 戦闘は続く。轟音も消えない。硝煙もけぶったまま、空も暗いまま。

 

『しかし……その、小破なのだろう?』

 

『そうで、ありますが……』

 

 提督の不思議そうな声。あなたも、やはり戦艦ならば何故そんな所で損傷など受けるのか、とお思いなのでしょうか。

 

『やはり過去とは違うな』

 

 声が響く。頭の中だけであるというのに、それはまるでうなばらへと響いているかのようだった。

 

『しょ、少佐殿、何を悠長に……』

 

『あきつ丸は知らんのか? 扶桑と言えば、陸奥の爆沈を傍で見ていた船だろう』

 

 つらつらと、ただ、つらつらと。

 

『彼女はあらゆる苦しみを知る戦艦だ。南方進出は陸奥の爆沈を秘匿するための出撃だったのではないかとも言われている。そのまま遠方へ置いていかれた、とな。長門との出撃もそうだが、扶桑はかつて南雲機動部隊と出撃しミッドウェー海戦にも参加していた戦艦でもある』

 

『……』

 

『今はどうだ? 陸奥は沈んでいない。長門は鎮守府にいるし、扶桑はこの作戦が終わったらみなを連れて戻って来る。未来は、違うのだ』

 

『少佐殿……』

 

 提督の声に、胸がじわりと疼く。

 帰りたいという熱がある。欠陥と呼ばれたくないという意思がある。

 

『それにな……欠陥戦艦などと呼ばれているらしいが、私はその理由を知っている』

 

『無茶な増築を繰り返した結果、扶桑は損傷が起きやすい。実際に沈む沈まないは別なのだ。それが何故か分かるか? あいつの火力の高さ故だ』

 

『火力の、高さ……?』

 

 戦闘を続けるみなには聞こえていないのだろうか。那智も、島風も夕立も、山城でさえ叫び続けながら、敵艦と睨み合っている。

 ただその中心でぽつりと膝をつく私だけが、提督の声を聞いているかのようだった。

 

『そうだ。東方、日の出づる大樹……私はそれを、勝利への名づけとは別に……大空を突き抜ける程の火力を現しているのであろうと考えている。あの美しい艦橋は、日を見るにはさぞや便利だったろう。扶桑の持つ火力を見届けるのにもな』

 

 帰りたい。

 

 その思いがじわりと広がる。

 恐怖からか、他の戦艦への羨望からか、自らへの諦めからか。

 

『長門型の装甲、伊勢、日向の航空技術、金剛型の高速機動、どれも素晴らしいものだ。我が日本の象徴とも言って良い、戦艦の代表、大和や武蔵もそうだが……』

 

 提督は、きっと私などに話しかけているのではないだろう。

 大本営と化した呉鎮守府で、他の佐官やあきつ丸と話しているだけ。

 しかし、それでも、その声は私に間違いなく届いていた。

 

『日本の威信をかけて生まれた扶桑が欠陥であるはずがなかろう。彼女は日本の誇りだ。その期待は大和型の戦艦を生んだ時と同等、いや、それ以上のものがあったはずだ。誰よりも、何よりも強く、決して敗北しないためにと生み出された扶桑の火力はな……――』

 

 途中から、私は無意識に立ち上がり、重たい艤装をぎしぎしと鳴らして動き始めていた。

 既に多くの駆逐艦や艦載機は墜ちており、奮戦が窺えたが、敵の戦艦や重巡は健在。

 

 人型の深海棲艦は知能も、その武装から生まれる火力も桁違いだ。

 下手に近寄ってはこちらが手痛いなどでは済まない被害を被るだろう。

 それらを警戒して、遊撃していた夕立達も上手く距離を取りながら周りから殲滅を図っている。那智も同調し、確実に主力を残しつつ数を減らさんと駆逐や軽空母を狙っていた。

 

 一撃を加えるのは、戦艦の役目。

 

 私が動いたことで、山城が息を吹き返したように戦線復帰し、砲撃を始める。

 

「お姉様! こちらは私が――!」

 

「……いいの、山城」

 

「お姉様……何を……!」

 

 私が海を往けば、無茶な増築を繰り返された艦橋が揺れたため、ゆらり、ゆらり、そう揶揄された。

 妹の山城も、同じように揶揄されたことだろう。私が情けないばかりに。

 

 姉としての、戦艦としての誇りを取り戻すには……どうすればいい。

 

 帰るには――

 

「私が、出るわ」

 

 ――あの鎮守府に帰るには、どうすればいい。

 

 那智から「扶桑! 無理をするな、残存している敵も多くは無い、あとは戦艦と重巡を確実に包囲して――」と何やら声が上がっていたが、ゆるゆると首を横に振ってみせる。

 

「お、ねぇ……さま……?」

 

「第一艦隊旗艦として、命令します。各員、私の後ろへ」

 

「何を馬鹿な事をッ……!? 盾にでもなるつもりか!」

 

 盾? そう言えば、柱島は盾、と呼ばれているのだったか。

 そういったあだ名も悪くは無いかもしれない。だが、私には似合わない。

 

「もう一度だけ、言います。 ――各員、私の後ろへ」

 

 私の艤装が、みしり、と鳴る。

 

「ッ……各員に伝達! 至急、旗艦の後ろへ回れ! 繰り返す! 各員――!」

 

 ギャリリリッ! と私に積まれた六基の主砲が、敵へと向いた。

 その音は荒々しく、搭乗している妖精達へも荒さが伝わったかのようだった。

 

『――! ――!』

 

 妖精達が艤装の中へ急いでと入りこむ。その理由は、言わずもがな。

 

「突破します……」

 

「な……っ」

 

 私の様相を見てか、全員が迅速に戦闘位置から離れ、私のはるか後方へと駆けた。

 深海棲艦達の目にはそれが逃げたように見えたのだろう。げっげっ、という不気味な笑い声を上げながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

 弾薬が尽きたか、はたまた人型の主力に勝てぬと踏んだか、そう見えている。

 

「……ハッハッハ……アーッハッハッハ……!」

 

 戦艦ル級のものであろう笑い声が全員の鼓膜を引っ掻いた。

 深海棲艦と艦娘の相性は最悪だ。声を聞いただけで耳から血を流す者さえいる始末。今、私がそうであるように。

 

「ケッカン……カンムスガ……シズメ……シズメェッ……アハハ……!」

 

「えぇ、そうね……私は欠陥戦艦……欠陥などではないと、そう言ってくれた提督には悪いけれど……自分が、よくわかっているわ……」

 

 撃ったことなど殆ど無い主砲を、今、ここで。

 

「帰ったら、きっと怒られてしまうわね……」

 

 きっと私が盾になると考えた艦隊の面々は、背後から敵へ砲撃を加える。

 頭上を抜けていく砲弾の、なんと力強いことか。

 

 その雨はまたも確実に敵を捉えるが、人型の深海棲艦にとって損傷などあってないようなもの。欠陥の私とは違う。

 痛みなど感じていないかのように振舞い、ただ嗤い、沈めんと距離を詰めてくる。

 

「……もっと」

 

 私の呟き。

 

「……まだ、まだ」

 

 敵が、もう目の前に。

 

「……もう、すこし」

 

 だん、という轟音のあと、閃光が私と、第一艦隊の視界を覆った。

 

「やめ……っ!? 扶桑ォォオオオオッ!」

「いや、いやぁぁぁぁぁっ! お姉様あぁぁあ!」

「扶桑さっ……!」

「う、そ……扶桑、さん……どう、して……! 何で、避けなかったっぽい……!」

「っ……た、立て直して! 列を崩さず、扶桑さんの後ろから抜けないでください! 朧さん、漣さん、こちらへ! 爆風に巻き込まれますっ!」

 

 

 

 黒煙で前が見えない。

 

 

 

 

 

 痛みで、身体が軋む。

 

 

 

 

 

 それでも、倒れちゃいけない。

 

 

 

 

 私は両足にこれでもかと力を込め、歯を食いしばった。

 

 

 

 

 

『……――扶桑はな。自らの火力で船体が歪むのだ。欠陥などでは無い。あれは火力の高さを知らしめる証拠なだけだ』

 

 

 

 

 

 あぁ。分かったわ。私が、帰りたいと思った理由が。

 私は何も知らないの。何故そこまで信じられるのか。何がそこまであなたを突き動かすのか。

 そんなのずるいわ。だって私、殆ど、いいや、全く喋ってもいないのだもの。

 

 

 

 

 

『私の艦娘は、きっと……いや、絶対に――強いぞ』

 

 

 

 

 

 だから、あなたのもとへ帰りたいの。提督。

 

 

 

 

「主砲、副砲、一斉射!! てぇーーーーッ!!!」

 

 

 

 

 

 私の絶叫に揺れる大気。

 主砲から、副砲から上がる黒煙は先刻受けた深海棲艦の砲撃から立ち上ったものよりもはるかに多く、連続した轟音が波さえも退けた。

 

 比喩などではなく、私の立つ場所から円状に波が広がり、私の身体を大きく傾ける。衝撃から後ろへ倒れ込むような体勢になっても、私は叫び続けた。

 

 負けたくない。伊勢にも、日向にも、長門にも金剛にも大和にも。

 

 妹を不幸だと言わせる、私自身にも。

 

 

 

「ァ……ァアアァァアァアアァアアアッ!?」

「ゴオォァァアアァァアアアッ」

 

 

 

「まだ、まだァァァアアアアアアアアッ!」

 

 

 

 敵艦の絶叫さえもかき消すほどの大音響。

 黒煙が生まれ、続く砲撃にかき消され、また黒煙が生まれ、それを何度繰り返したことか。

 

 私の身体が完全に仰向けになり、ばしゃんと音を立てた時、艤装から伝わる衝撃と、力を込めた喉の痛みがやっと伝わるも、私は必死に残弾を撃ち続けた。

 

 倒れても、負けてなるものか、と。

 

 そうして、どれだけ経った頃か。

 私の砲身と艤装は音を立てて歪み、動きを止めた。

 

「かはっ……! はぁっ……はぁっ……は、ぁ……!!」

 

 だが、沈んでいない。

 情けなくぷかぷかと艤装に支えられるように海上に浮かんでいるだけだったが、私は越えられなかった過去ではなく、未来に浮いている。

 

「なっ……なななっ……!?」

 

 那智の声が、まだくぐもって聞こえた。

 

「せん、せんっ、戦艦の、火力、これが!? ハァァァァアアッ!?」

 

「空に、砲弾、が……雲が、吹き飛んで……」

 

 朧だったか、漣だったか、誰の声かも分からなかったが、なんだかすっきりとした気持ちに満たされていた。

 その気持ちを確固たるものにするように、神通の呆気にとられたような声が、じんじんと痛む耳に届く。

 

「敵、戦力……殲滅……いや……消、失……を、確認……しました……」

 

 私は未来で――

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁっ……帰りは曳航してもらわなきゃ、無理ね……ふ、ふふっ……! なんて不幸なの、かしら……」

 

 

 

 ――笑っていた。



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五十一話 檄【提督side】

「南方海域――開放であります――!」

 

 あきつ丸の声が通信室に響く。彼女の横にいた川内が頭からヘッドフォンをむしり取りながらあきつ丸に抱きつく光景を、俺は帽子のつばの向こうに見ていた。

 俺の背後では山元と清水が「たったの……一日、で……」と呟いている。

 

 この場で静かにたたずんでいるのは、俺と井之上さんの二人だけだ。

 

「開放……か」

 

 井之上さんの呟きに、俺は背を向けたまま俯き、軍帽を目深に被った。

 

「えぇ」

 

 短い俺の言葉に、井之上さんが笑う。しゃがれていて、掠れたような老人特有の重みのある声。

 

「くっくっ……そうか。再び、暁が望めるのか、あの地は」

 

「……っは」

 

 またも短い俺の返答。

 それも、そのはず。

 

「海原。よくやった」

 

「――当然です」

 

 当然です。その一言に全てが詰まっている。

 

 ……だって南方海域って過去に制圧してたんだろぉおおお!? じゃあ開放出来て当然じゃん! いや、違う! 開放じゃない! 再開放、だ! 再開放!? はぁ!?

 

 同姓同名の男が開放してたって言ったじゃぁぁん!

 

「一度開放された海域に、艦娘が出張っただけに過ぎません」

 

 これだ。これに尽きる。

 海を駆ける艦娘は練度が一の時でさえ敵の駆逐艦を撃沈出来る強さを持っているのだ。それも駆逐艦の練度一だぞ。

 そんなもの、他の鎮守府で酷使されていたような練度の高そうな艦娘が揃いも揃って出撃したら開放出来るわ!

 

 初期装備だったのが唯一の不安要素だったが、あの悪夢のような海域で完全な夜戦となる前に終わったという事が何よりの証明になる。

 彼女達は強い――そして、優秀であるのだと――。

 

 あれ? これ俺いる? いらないよね?

 

 まぁ待て。一応な、提督という立場だからな。逃げ出したりはしなかったさ。

 慎重になり過ぎて戦力過多だろって艦娘を投入したくらいだ。

 

 ……そうだね。ビビり過ぎだね。

 

 火力自慢の戦艦を二隻も引っ張ってきて、そこに夕立や島風という高性能な艦娘を編成した上、水雷戦隊の華とも呼ぶべき神通に、勝って兜の何とやらでおなじみの那智戦隊(個人)のゴリゴリ脳筋第一艦隊。

 

 支援艦隊には赤城、加賀という航空戦ならこいつら出してりゃとりあえずは大丈夫だろ! という初心者丸出しの一航戦に、後輩ポジションでおなじみの五航戦、随伴艦には鬼と呼ばれる綾波に、時雨の二隻。隙という隙が無い。あるわけが無い。

 

 しかも、だ。情けなさが限界突破している要因の一つでもあるが、本来ならば救出すべき艦娘だった朧や漣という駆逐艦二隻までも第一艦隊に加わっているのだ。負けるわけが無かった。継続戦闘? 補給艦だって二隻も出したよ。

 

 海図の見方すら分からなかった俺には妖精達がついて、艦これの攻略マップよろしく印までつけてもらった。分かりやすくな。

 

 過保護か! はい。過保護です。

 

 井之上さんには悪いと思いつつも、俺がここで出来るのはヤバくなったら山元と清水から何らかの指示を仰ぐ事と、全ての責任を負うことのみだった。

 無論、作戦の立案から実行は俺の力だけではなく、事実として清水の見立てがあったからこそ。それを実行しろと言ったのは間違いなく俺だから責任を負うのに迷いはない。

 でも、でもだよ。よくよく考えたら清水も言ってたじゃん。過去に基地を建てようとした所に打撃を食らったって。そこに艦娘を突っ込めば打撃を食らう事までは予想出来るが、過去に海域を制圧したからこそ基地を建てようとしてたわけで……なら一度打撃を受けただけで完全に撤退して手付かずだったとは考えにくい。

 俺の記憶が正しければ、あの近く――距離はあるが――には多数の基地がある。

 

 この世界における基地や泊地、鎮守府がどれだけあるかは知らないものの、もしも艦隊これくしょんの通りだとすれば、ソロモン諸島の近辺にはラバウル基地、ブイン基地、ショートランド泊地という三つもの拠点がある。

 

 艦これには戦果ボーダー、というものがあり、各鎮守府、各基地によってその傾向が異なるのだが……その中でもラバウル基地は戦果の高いユーザーが多かった。

 この世界では恐らく、俺が考えているよりも何段階も上の戦果に違いない。だってあの被弾しまくる事で有名な扶桑が小破で済んでいるのだ……! まぁ扶桑の被弾率については俺の偏見ではあるけども。

 

 はい、ここでもう一つ導き出される答えです。

 

「全ては、みなの努力が成した結果でしょう」

 

 そうだね。皆の頑張りのお陰で俺が助かっただけだね。

 

「海原……」

 

 井之上さんが「全く、お前という男は」と言いながら煙草を取り出し、火を灯して深く煙を吸い込み、ふわりと吐き出す音。

 本当にすみません井之上さん……俺、ここで「扶桑は凄いんだぞ」みたいな世間話しかしてなかった気がします……というかマジでそれしかしてません……。

 

 恰好つけて「ソロモン諸島周辺に潜む深海棲艦を撃滅せよ!」とか言った手前、ビビり散らかしておろおろするわけにもいかなかったから気を紛らわせていただけなんです……ほんっと無能ですみませんでした……。

 

「……それよりも、艦娘を労ってやってはくれないでしょうか」

 

 殆ど無い威厳の拠り所はそこしかなかった。

 海図を握りしめて突っ立ったままだった俺は、新聞紙のようにそれを畳み、振り返って清水に手渡しながら軍帽を脱いだ。

 

 いつからもぐりこんでいたのか、帽子の中から妖精が一人こんにちはしてきたことで情けなさにダサさがプラスされてしまう。ダサプラス妖精編である。攻略対象はいない。いたとしても、むつまるくらい。

 

 うっせぇよ! クソァッ!

 

「私など、この場において通信を聞いていただけに過ぎません。前線に出て戦ったのは艦娘です。彼女達がいたからこそ、助かったのです」

 

 主に俺の立場が。

 

「お前の言いたい事はわかっておる」

 

 井之上さんが苦笑しながら煙草を挟んだ片手を振って座るよう促してくるので、正面の椅子に腰を下ろす。

 

「ここで口にすべきでは無い事を承知で言わせていただきます」

 

 俺はそう前置きしてから言った。

 

「本当ならば……私は彼女達を戦地になど送りたくありません」

 

「……」

 

 しん、と静寂に包まれる通信室には、各々の息遣いだけが満ちた。

 井之上さんは静かに煙草を吸いながら、続けろ、という風に咳払いをする。

 

「私の作戦は正直、危険であったと言わざるを得ません。この成功も、決して私の指揮のお陰などではありません。彼女達が努力し、二隻を救い、海域を再開放したのです。私がしていた事など……本当に……」

 

「海原」

 

「……はい」

 

「もういい。言いたい事はわかっておるとも」

 

 ――全てを知っている井之上さんに嘘はつきたくなかった。だから正直に話した。しかし井之上さんは俺の言葉を聞いてもなお、厳めしい雰囲気に似つかわしくない微笑みを浮かべて「これからも、彼女らを頼むぞ」と言った。

 

「で、では……私は、仕事を続けても……――!」

 

「当然だ、と返しておこうか」

 

 またもしゃがれ声で笑った井之上さんに、俺は思わず立ち上がり、勢いよく振り返る。振り返った先には、襟を正したあきつ丸と川内。

 今だけは、許して欲しい。

 

「お前達……!」

 

 違うから。これセクハラじゃないからな。マジマジ、本当に。

 

 胸中では茶化していたものの、込み上げてきた嬉しさを抑えきれずに一歩、二歩と小走りに近寄り、小柄な二人を両腕で捕まえて抱き寄せてしまう。

 

「よかった……これで……!」

 

 仕事を失わず、艦娘を失わずに済む――!

 ぜーんぶ艦娘のお陰である。あと他の基地の皆さんのお陰でもあるかもしれない。サンキュー先人たち!

 

 現実を受け止めているようで、夢うつつの中を漂うかのような世界でやっと両足を地につけた感覚が俺を包んだ。

 

「ぁ、わ、わわっ! ちょ、提督……皆いるのに……!」

 

「少佐殿ぉっ!? は、はふん……っ」

 

 二人が俺の腕の中で身体をよじって逃れようとしたので、素直に離す。

 俺はヘタレなので。

 

 嫌われたくないのでぇ!!

 

「くっくっ……はっはっは! 作戦も戦果も二の次で、目先の女子を守る事が軍人か!」

 

 井之上さんどころか、清水や山元にも生温かい目で見られて笑われる俺。切ない。

 だが女子を守る事が軍人か、と言われて黙っている俺では無い。

 

「彼女達だから守りたいのです」

 

 提督だから艦娘を守る。これね。大事ね。全プレイヤーが胸に持つ思いだからね。

 

「なっ……もう! 提督! 作戦はまだ終わってないでしょ!」

「そっそうでありますよ少佐殿! ま、全く! 全く全く! けしかりませんな!」

 

「す、すまない……その、こちらの話で勝手に盛り上がってしまったな……」

 

 怒られた……不幸だわ……。

 俺の心の山城がしょんぼりである。

 

 しかし二人の叱責に冷静になった頭で考えれば、俺が仕事をこなさねば提督という地位に座り続ける事が難しいかもしれないという話は、井之上さん、山元、俺の三人の間でしか話されていないこと。知るわけもないのだから、至極当たり前の反応だと思う。

 調子乗ってすんませんっした。

 

 情けない姿に顔を真っ赤にして怒る二人をこれ以上激怒させないように、と俺は落としてしまった帽子を拾い上げて被る。

 

 そういやソロモン諸島のどっかで人を見つけたって言ってなかったっけ?

 あ、いやいや忘れてないよ。大丈夫。

 

 俺は咳払いを一つ。

 

「……んんっ。では、各艦隊が帰投する前に……続きを」

 

 続きというのは、赤城達が発見したらしい人について。

 あきつ丸から通信を代わられたかと思えばめっちゃくちゃ早口の英語でまくし立てられて良く分からなかったから、井之上さん達いるから大丈夫っしょの精神でノープロブレムとだけ言って清水に投げちゃったわけだが……。

 

「――ソフィア、という人物について、調べがつきました」

 

 清水がいつから弄っていたのか分からないノートパソコンを半回転させ、ディスプレイを井之上さんに見せる。

 

「ソフィア・クルーズ。記録からすれば、現在は三十二歳……アメリカの深海棲艦研究者であり、二年前に輸送船でニュージーランドへ移動中に深海棲艦に襲撃され、死亡した、と通信で話した通りの内容が。アメリカの研究所では主に深海棲艦、特に人型と呼ばれるものについて研究をしていたようです」

 

 死んだ……? いや、でも英語めっちゃ元気に話してたじゃん……。

 それに人型の深海棲艦って。頭痛くなるわ。ダイソンと小鬼とか思い出すわ。

 いざとなったらもう一度扶桑に吹き飛ばしてもらおう。

 

「多数の研究者が死亡した事故でありますが、その……全員が、遺体となって発見されたと報道もあり……何故、今になって……」

 

「生きているが」

 

 俺の余計な一言に、山元が、ぐ、と声を詰まらせる。

 ごめん。黙ってます。

 呉に来たばかりの頃に神風と松風にも同じ事をやっていたことを思い出してまたしょんぼりしかけてしまう。

 

「……知っているのだな。山元」

 

 井之上さんから発される声に、重々しく頷いた山元。

 知ってんのかよ! じゃあお前に任せるわもう! ぜーんぶお前らと艦娘の皆が仕事してるだけじゃん!

 俺突っ立ってるだけじゃん! 俺の決意とか覚悟とか、艦娘を守るために戦争に参加する事になっても……! とかいう奮い立たせた心とか返せよ!

 

 しかしながら癇癪やらストレスやらで山元や清水をぶん殴った俺がそんな事言えるわけもない。

 

 俺に出来る事は、また胸中にじんわりと広がる子どもじみた癇癪を抑え込みながら顔を顰めたままあきつ丸と川内の頭を撫でることのみ。

 艦娘が俺の心の癒しだよぉ……。

 

 赤くなっていた二人は、今度は泣きそうになって俺を見上げる。そら自分の上司にセクハラ三昧されてるんだもんな。大丈夫だ、心配するな。帰ったらいくらでも殴られてやるから。死なない程度に頼むな。

 

「問うまでも無いが……アメリカとの共同研究に関わっているのは、楠木少将だ。あやつが南方海域の防衛線を維持しながらラバウル、ブインと行き来しながら深海棲艦の研究に協力しているのは、何故だ?」

 

 井之上さんの言葉に、山元は静かに答える。

 

「研究のため拡大される経済水域に伴う資金を防衛費へと回すためであると、聞き及んでおります……」

 

「それは表向きだ。きょうび、学童とて知っておる」

 

「っ……はい。その他には……深海棲艦の、研究を進め、より、効率的に、敵生息地を、特定、し……我が軍のみならず、全世界と情報共有し、危機を脱する、ため……」

 

 なんか……怒られてる、っぽい?

 庇ってあげたいのだが俺の知らない話だ。首を突っ込めずにいると、帽子の中がうぞうぞと動いた。

 

 怖いよ。何なんだよ。

 

『まもるー! おとしものがあったって!』

 

「声がこもっていて良く聞こえんが」

 

「もっ……申し訳ありません……!」

 

 あ、ごめんごめん! 山元じゃないの! 妖精だから!

 俺が訂正する前に、帽子の中で妖精が話し続ける。

 

『島をとんでた子たちが拾ってかえってきてます! 窓! あけて!』

 

「……ふむ?」

 

 妖精にも逆らわない。艦娘と一緒に仕事してくれてたからね。一番下っ端は俺だからね。

 妖精の言う通りに俺はあきつ丸達から手を離して、近くにある窓に歩んでいくと、かたん、と開く。観音開きの窓から吹き込む風は冷たく、夜が来たのを知らせるようだった。雲一つない綺麗な夜空だな、と現実逃避してしまいそうになる。

 

 そのうち、ひゅーん、という風を切る音とともに、エンジン音のようなものが聞こえてきた。

 

 何かが見えるな、と目を細めていると、こちらに向かってきている艦載機が――艦載機ぃ!?

 

「……」

 

 おおおお落ち着け! ここで叫ぶな俺! 冷静に、冷静にだ!

 ただでさえ役立たずで突っ立てただけでも井之上さんが仏心で仕事を任せてくれたのだ。ここで狼狽えては今度こそ「ふむ、シベリア送りだ」と言われかねん!

 ……言い過ぎか。

 

 って違う!

 

 窓から迎え入れるように半身を翻せば、艦載機は迷うことなく窓から音を立てて入りこみ、通信室の天井付近をぐるぐると旋回する。

 機体の下部には、ひらひらと何かが括り付けてあった。

 突然の来訪に清水や山元はその場で上を見上げて転げてしまうも、井之上さんは動じず。流石である。

 

 艦載機は徐々に速度を落とすと、机に見事に着地。

 

 場違いにも艦載機の着艦ならぬ着机を目にした俺は感動していた。かっこいい。

 

「見事だな」

 

 という俺の感想。やべっ、と意味も無く「時間通りだ」と付け加えた。

 何が時間通りなのかは分からないが、艦載機が着陸したのがかっこよかったからです、なんて言おうものなら清水にノートパソコンで頭をぶっ叩かれるかもしれなかったからだ。しないだろうが。

 

「これは……階級章……?」

 

 清水の呟きに、離れた位置からでも良く見えるそれを観察してみる。

 俺の着ている軍服にもついているもので、マークこそ違うものの、同じものであることは確かだった。俺のものは黄色地に黒い線が一本入ったものだ。そこに桜のマークが一つだけついている。

 艦載機が脚に括り付けて持ってきたものも、桜のマークが一つ。

 違いは黄色地に黒い線が入っていないくらい。

 

 ……俺が落としたんじゃないよな?

 

 と、不安がっていると、井之上さんは艦載機から丁寧に階級章を外してから、俺をじろりと睨んだ。

 

「海原……お前……」

 

「……」

 

 ま、まままマテ……俺のか!? いや違うだろ! だってついてる! ほら!

 示すように視線を動かして自分の階級章を見る――ふりをして顔を伏せた。

 井之上さんの顔が怖かったからなどではない。

 

「……ここにある通りである、としか言えません」

 

 俺のついてるし……という風に言えば、井之上さんは椅子をぎしりと鳴らして立ち上がり、階級章を握りしめたまま震える声で言った。

 

「清水……山元、両名に告ぐ……これより先は一級の機密であることを承知しろ」

 

「「はっ……!」」

 

「各所より送付される報告書に虚偽があることもある、など……ワシとて承知しておる。基地の運営、鎮守府の運営……気苦労も多かろう。戦果を偽らねば大本営送付分の資材ではままならんことも、分かっておるつもりだ。軍規上は戦果を譲る、譲らないなど……あってはならんという記載も無い」

 

「「……」」

 

「その上で……もう一度、聞く」

 

 しばしの間。俺も黙り込む。

 

「各所より、いいや……南方海域の基地から送付されている報告書に()()()()の虚偽は、あるか」

 

「「……」」

 

 二人は黙り込んだまま、じっと下を向いていた。

 虚偽報告……俺が知るのは、山元が陸奥達が轟沈したとするもの。それ以外にも、資材云々で虚偽はあったが、それ以外にも虚偽が横行しているのか?

 

 いいや、そんなことはあり得ない。虚偽にまみれた報告書を見れば上層部は判断を誤ってしまう。そのために監査があったりするのだが、この際それはいいとして……。

 

 井之上さんは軍帽に手をかけた状態で背を向けたまま問い続ける。

 

「無言は否定と受け取りたいのじゃが……違うのだな」

 

「わ、私が、知る限りでは――南方より上ってくる深海棲艦の撃沈数の差異が、いくつか……」

 

 山元が声を発したことを皮切りに、清水も震えた声を上げた。

 

「鹿屋にお、おき、おきましても……鹿屋基地、並びに、宿毛湾の撃沈数に差異がある事を、認識して、おりました」

 

「……それで」

 

 井之上さんの促しに、清水が言葉を紡ぎ続ける。

 

「ブイン基地に駐在しておられます、く、楠木少将より、防衛線維持のため、資材の融通が必要で、あると……! 輸送船の護衛を含め、アメリカとの共同研究には不可欠だと聞いて、おりました……! 戦果の代わりは、あると……」

 

「清水中佐……()()の示した輸送船の事故について、知っている事は」

 

「ありません……」

 

「で、あるか。ならばよし。さしずめ地位に踊らされたか。前任の()()()()についても、何か知っているのだな」

 

「……仰る通りで、あります」

 

 青い顔をした清水は、俺を見た後、山元を見る。

 目の合った山元は、清水に続き言った。

 

「当該基地に憲兵隊の派遣を命令したのは、自分であります。ブインの治安維持のために別途人員が必要であると要請を受け、いくらかの異動を」

 

「……そうか」

 

 山元は清水と違い、声は震えていなかった。

 

「異動の殆どは宿毛湾からであります。輸送船の行き来に寄港した際に機密情報の漏洩阻止のため、海軍以外の手は入れたくない、と」

 

「もう、よい」

 

「その他……」

 

「もうよいと言っておるのだ。山元大佐。この件は一度大本営に持ち帰る。二隻の救助に際してもブインやショートランドに協力を要請せず強行した理由も分かった。……なぁ、海原」

 

「っは?」

 

 えっ、何で俺? 思わず間抜けな返事をしてしまった。

 

 井之上さんは妖精の持ち帰った階級章を手のひらの上に置いて見つめたまま話す。

 

「ここまで読んでおったか。いやはや、あっぱれ、見事、堂々と褒賞を与えられんことをここまで悔やんだことは今までに無い。まこと、将官の慧眼よ。だが――」

 

 こちらに振り向き、井之上さんは……悲しそうな表情を見せた。

 

「――柱島で、お前は何を見た? さして、報告書も何もない更地と言ってもよい柱島泊地に、お前は何を感じて動いたのだ?」

 

 何故悲しんでいるのか分からなかったが、どうしてもそれが気に食わなかった。癇癪やストレスなどとは違う不快感が俺を襲う。

 胃が痛むことは無かったが、代わりに胸が痛んだ。老人の悲しむ顔はどうしてこうも心を締め付けるのか。

 

 ここでもやはり、その表情に嘘をつけなかった俺は、正直に言う。

 

「何も無ければ、誰も悲しんだりしません。私の柱島泊地の艦娘が泣いておりました。この呉鎮守府の艦娘もです。街の人が泣いておりました。宇品にあるお好み焼き屋に、立ち寄ったのですが……ただ偶然立ち寄った食事処を営む方でさえ、悲しんでおられたのです。泣いている者の為に動く事が、おかしいことでしょうか」

 

「そこは……まさか……!」

 

 そう言えば、お好み焼き屋にいたアオサをぶっかけてきたお婆ちゃんは井之上さんを知っている様子だったな、と思い出す。

 

「井之上さんのことも、よくご存じの様子でした。しかしただの偶然です。その偶然が、私を動かしたのです」

 

 これが真実である。

 井之上さんに伝えたことが全てだ。その発端が山元に挨拶を忘れてただけだとか、仕事をサボりに来ただけであるとかいうのは措いといて。

 

「……艦娘のためならば、どのような事であれ仕事を致しましょう。井之上さんの助けになるのならば、私は不眠不休で戦いましょう。それに、山元や清水にも、同じ心があるはずです」

 

 なんか怒られてるが、これで心を入れ替えて一生懸命働くだろ? な!?

 

 そんな想いを込めて二人に近寄り、腕を掴んで立ち上がらせる。頼むから井之上さんを泣かせるな。艦娘泣かせた次は老人いじめとかマジで笑えんからな!

 

「上司を泣かせる馬鹿がどこにいる。そうだろうが。山元、清水」

 

 俺の言葉に、二人は――

 

「うっ……ぐぅぁ……! ふぐぅぅぅっ……」

「ぐぅぅ……!」

 

 ――いや何でお前らも泣くんだよぉおおおおおお!?

 一番泣きてえのは俺だよ! 馬鹿! このバーカ! お前らなんて戦艦の装甲にぷちゅんって押しつぶされた上に潜水艦にオリョクルに連れて行かれてしまえ! この野郎がぁッ!

 

「泣くなッ! 今泣きたいのはお前達では無い! 仕事を全うするのだ! これから!」

 

 俺は仕事をしながら泣いちゃうかもしれないが。

 

「海原……我が軍は、まだ、生きているのだろうか……なぁ……」

 

 井之上さんが俺を見る。

 

「生きております。ここに」

 

 皆死んでないよ! 井之上さんまで幻覚を見始めたのか!? ピンピンしてるだろここによぉ!

 

「誰も死んでなどおりません。誰一人として。ですから……」

 

 こういう時に恰好良く何かを言ってあげたいのだが、俺には何も思い浮かばない。

 きっと土下座をかませば艦娘だって協力してくれるはず。艦娘は正義の味方なのだ。俺はこれから先も頼りまくるぜ!

 

 だからこそ、最後まで自分に正直に。

 

 

 

 

 

「……仕事をしましょう」

 

 

 

 

 

 社畜だからね。仕方がないね。

 おっかしいなぁ……サボりに来たはずなのに何で俺こんなに仕事してんだ……?



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五十二話 実態【新見/楠木side】

「少将――少将――!」

 

 どんどん、と扉を乱暴に叩く音が無機質な機械の並ぶ部屋に響いた。

 その室内にあるガラス張りのプールのようになった機械の前に立っていた男は、顔を顰めながら扉の方を睨みつけ、遊びを邪魔された子どものような声で「入れ」と言う。

 

 扉が開いた先には、息を切らせた憲兵が一人。

 手にはいくらかの紙束があり、何度も捲ったかのような跡があった。

 

「失礼いたします! ご報告が!」

 

「こんな時間に一体なんだと言うんだ」

 

 男の腕に巻かれた時計の針は頂点を指しており、言う通りとも取れるが――

 

「は……っは! それにつきましては申し開きもございませんが、火急の用件でありまして――!」

 

 火急の用件? 少将と呼ばれた男はますます顔を顰めた。

 

「南方海域が、数時間前に、その、開放され、えー……!」

 

「は……?」

 

 ぽかん、という表現はまさにこの状態を指すのだろう、と男はどこか他人事のように考えてしまう。

 南方海域が開放された? それは有り得ない。

 

 何故ならば、南方海域を閉鎖しているのは()()であるのだから。

 

「何を馬鹿な事を。大本営からの通達か?」

 

「はい……それに加え、海原少佐の嫌疑について、証拠不十分にて棄却という話も……」

 

「待て」

 

 何が、起きている?

 

 男――日本海軍少将、楠木和哲(くすのきかずのり)は慄いた。

 だがその反応もほんの一瞬で、すぐさま冷静になって仔細を話せと憲兵を促す。

 感情こそ押し殺したように見えるものの、ガラス張りのプールへ無意識に伸ばされる手は動揺をあらわしているようだった。

 

「証拠不十分だと? 事を仕損じたか? 各方面での轟沈としているはずだろう」

 

 ()()()()()への記載は違うが、と付け加えながら話す楠木だったが、憲兵は何度も首を横に振る。

 

「それは間違い、ありません……」

 

 憲兵の男もまた信じられないといった表情で楠木を見ていた。この名もなき憲兵こそ、楠木よりも現実を受け入れられないといった顔をしているのもまた、混乱を加速させていく。

 

「横須賀へ出向いたのは自分です! 確かにその時、自分が――! 轟沈の報告も全て……」

 

「息があったまま逃げたのではないのか?」

 

「それこそあり得ません!」

 

 一際大声を発した憲兵は、すぐさまはっとして頭を下げる。

 

「しっ失礼いたしました……」

 

 楠木は諫めるわけでもなく「構わん。もう一度近辺の海域の情報を収集しなおせ。実験体諸共この基地を一度放棄する」

 

 こめかみに人差し指を当てながら話す楠木。その思考速度についていけず、憲兵は数度瞬きをした。

 

「少将、それは……」

 

 言っている事は理解できる。だが、どうしてその結論に至ったのかを理解出来ない、という顔をしていた憲兵に対して、楠木は呆れたような声を発するのだった。

 

「貴様に説明している間にも、大本営がどのように動いているのか調べられそうなものだが」

 

「……」

 

 ぐっと言葉を詰まらせる憲兵に、はぁ、と溜息を吐いて楠木は続けた。

 

「いいか? 六年だ。貴様らに仕事を任せたツケが六年も経った今、まわってきた。確実に仕留めろと言ったにもかかわらず、だ」

 

「……はっ」

 

「まぁ、いい。陸しか知らん馬鹿であろうが仕事は確実にこなす貴様らの事だ、間違いなど犯していないのは分かる――大方、大本営が失墜を恐れて別の者を仕立て上げたか……はたまた、居もしない人間の名だけを使っているかだ。関西方面に動きは無い上に、万が一本人であったとしても六年も経った後に見つかった男など使い物にならんだろう。本土から離れていようが私の耳に入らんはずも無い」

 

 質問は、と問う楠木に、いえ、と小さな声。

 

「中四国、九州と報告書も問題無い。とすれば、反対派を恐れた元帥が代役を放り込んで時間稼ぎをしようとしている……そんなところだろうな。関西をおさえられている人権派の立場からして動きの目立つ反対過激派から目は離せないだろうからな――それにしても、大本営も中々に面白いことをしてくれる」

 

 全てとは言わずとも、楠木の側仕えである憲兵は男のしている事を理解しているつもりである。

 楠木は戦争をしている。

 

 ――世界と。

 

「こんなに経って海原が見つかった? それに南方海域を開放? っは、笑わせる。数年越しの大規模作戦を将官にも伝えず実行か。それで、作戦を実行した部隊はどこの所属だ?」

 

「そ、それが……」

 

 どうして世界と戦争をしているのか、など深い事情は知らない。知りたくもない。

 ただ、日本海軍はおろか、世界中がこの男の手のひらの上にある事だけは確かであった。

 

 深海棲艦が出現して何年と経っただろうか。楠木という男はまるで待ち構えていたかのように行動を起こした。

 

 元々海上自衛隊の一等海尉であった楠木は、自衛隊が海軍と名が変わった後も動じることなく職務を遂行し続け、順当に出世し、海将補――現在の少将にまで至った。

 それもこれも、献身的な働きによるもの。

 

 海外と早期に連携を取るべきであると進言し、深海棲艦と同時期に現れた艦娘という存在を完全管理することによって統率を図り、同時進行で深海棲艦の研究をするべきであると言った男だ。

 軍隊という性質上、発言の一つでも間違えば世論は大きく手のひらを返す。

 世は彼を聡明な男として見ている。元帥、ひいては軍全体も、良くも悪くも賢しい男であるという認識なのは間違いない。

 

 海外と連携を取る事によって武力を行使した内戦を避け、前線に出て防衛を担う――どこの誰が見ても、楠木は英雄だった。

 

 ただ一つ、その原動力が何に向けられているのかも分からない憎しみであることを除いて。

 

「柱島鎮守府であります……」

 

「――なかなかに賢いな。捨て鉢かと思ったが、違うようだ」

 

 その英雄の正体を知っている憲兵にとっては、賢しいという見方こそ相違無い。

 

「ならばその代役である海原二号にも頑張ってもらおうでは無いか。その間に我々はシンガポールへ移動する」

 

「シンガポールへ……?」

 

「何もかもを説明せねばならんのか? 貴様も随分と私に甘えるようになったのだな」

 

「いえっ、そのような事は――! 申し訳ありません、自分も、混乱しておりまして……」

 

 楠木の言う通りにしていれば全て上手くいった。男の抱える憲兵の大半は少なからず甘い汁を吸ってきた。どれだけの地獄を目の当たりにしようとも、それを見て後悔しようとも、既に引き返せない場所まで来てしまっている。

 

「この基地を放棄するのだ。我々の職場が失われるのも困るだろう? だから、シンガポールの基地へ移動する」

 

「ですが、それはどのように大本営に説明するのです?」

 

「それこそ聞かずとも分かるだろう。私は、この基地を放棄すると言ったのだ」

 

「……ッ!」

 

 憲兵の視線がゆっくりと楠木から、その隣にあるプールへと移動する。

 ガラス張りのプールには――女性が一人、浮かんでいた。いいや、女性ではあるが、人ではない。

 あれは――艦娘だ。艦娘だったものだ。

 

 肌は死人のように白く、土左衛門のように膨れてはいないが、その表情に生気は無い。

 ただただ無機質な目を楠木に向けており、ぱくぱくと口を金魚のように開閉している。

 何かを言っている? 分からない。声が聞こえるはずもない。

 真っ白な髪がクラゲのようで、その生々しさが憲兵に嫌悪感と恐怖、吐き気を与えるようだった。

 

()()がラバウルとブインを襲ったため、防衛線維持が不可能であると判断した。我々はラバウル基地の提督の賢明な判断により離脱させられ、入り組んだ海域を進んでシンガポールへと逃れることとなる。南方を開放した矢先、油断した隙を突かれたのだ」

 

 この戦争が起き、楠木と共に仕事をするようになってからずっと見てきた光景だった。

 

「では、また――」

 

「……そうだな。有能な指揮官がまた一人、戦火に散る。悲しいことだ」

 

 悲しいなどと嘯く楠木に、憲兵は震えあがる。

 一度罪という炎で焼けた手は二度と元通りになることは無いと心底理解させられる。

 それは楠木のみならず、己もである事は、言わずもがな。

 

「――では、そのように」

 

「今度は行方不明などでは無い。鹿屋と同じだ」

 

「……っは」

 

 憲兵は無意味と分かっていても、過去を顧みずにはいられなかった。鹿屋基地での出来事を。

 

 あの日は今日の空のように雲一つない天気だった。

 憲兵は楠木の密命により鹿屋へと赴いていた。単純かつ、困難な任務を遂行するために。

 楠木から預けられた()()を用いて鹿屋周辺へ出向き、アレを放った。

 

 そして自分は鹿屋基地へ直接乗り込み、そこにいる男を――

 

「出発は、いつにしましょう」

 

「先に情報の収集を行いたい。六年も懐にしまっていた作戦が簡単に成功した理由が知りたいのもそうだが……南方海域を開放するのに何故私を通さなかったのかが分からん。呉の山元が移送されたのはついこの間だろう」

 

 ――螺旋に陥る思考を無理矢理に引き上げ、楠木の言葉に耳を傾けて頷く。

 言葉の通り、呉の山元大佐の不正が関西の憲兵隊隊長に見つかり、軍規に則り移送されたという情報は入っていた。

 楠木に言わせれば、それこそ手中の出来事。かの山元大佐はただの隠れ蓑の一つであり、呉どころか、岩川を含めた関西の全体を掌握しているのだ。予備となる不正はいくらでも転がっている。

 

 少将の目論見通りに世間はこう見るのだろう。

 南方で必死に前線維持に努めているかたわらで、本土の人間は何をやっているのだ、と。

 それこそが楠木の思うつぼであるとも知らず……。

 

「それにつきましてはこちらを」

 

 憲兵はここにきてようやく手に持った紙束を楠木に手渡した。

 察したであろう楠木は紙束をぺらりと捲る。

 

「大佐の報告書偽造……轟沈無し……元帥承認済……」

 

 紙面に転がるワードを拾い上げるように声に出す楠木。

 次の言葉を待つ憲兵だったが、眼前の楠木から段々と表情が失せていくのを見て、額に汗を浮かべた。

 

「少佐の嫌疑は証拠不十分として棄却……。な、何を、馬鹿な……大将に、据えなおす……!?」

 

 憲兵さえ、何度も紙面を読み直し、疑った。

 故に、その紙束は摩擦に歪んでいる。

 

「元帥が代理に立てたとして、大将に据える理由はなんだ……!? まさか、本当に生きて……――」

 

「それは、有り得ません……少将」

 

 憲兵が事の重大さを理解したかと言わんばかりに言い含めれば、楠木は顔を上げずに感情を押し殺すように低い声を吐いた。

 

「作戦を組みなおす……貴様らは大本営の動向を探れ。柱島鎮守府も含めてだ」

 

「……っは」

 

「出来る限り急げ。この際だ、動員数は問わん。ここの指揮官は私が適当に処分しておく」

 

 憲兵は返事するや否やキビキビと部屋を出て行く。

 楠木はそれを見送った後、数分のあいだ扉をじっと見つめていたかと思えば、今度はプールへと身体ごと向けて、自身より高い位置に浮くそれを見上げるようにして呟いた。

 

「ここまで来たのだ……失敗は出来ん。海原め……」

 

「……シズメてやる」

 

「日本だろうが、世界だろうが、全てシズメてやる。お前を使って……」

 

「なぁ? ヒトナナヒトフタ……いいや――サラトガ

 

 楠木がそれの名を呼べば、プールの中にじわりと暗い色が滲んだ。

 

 

* * *

 

 

 あくる日、新見信夫(にいみのぶお)はすぐさまラバウルを出立し本土へと向かった。

 都合数日に及ぶ移動となるが、命令は絶対だ。逆らうわけにはいかない。

 輸送機にでも乗れたら楽が出来たのにと文句の一つも言いたくなるが、呑み込むしかない。

 

 船を操船しながら南方海域を恐る恐る進んでいたが、通達の通り、深海棲艦の影は一切無かった。

 驚くことに、船に積んでいた遠距離索敵用の特殊レーダーには海軍のものとみられる反応もいくつかある。

 

 哨戒の艦娘か、海軍の乗った船か、どちらかは分からないものの、これに見つかるのは面倒だ、と舵を切り進み続ける。

 鹿屋に行った時も同じ気持ちだったな、と考えながら晴天の下を進む。こうして心を殺すのも、何度目になろうか。

 

「傍受出来そうな通信があります、如何しましょう」

 

 船に搭乗でき、かつ迅速に行動できる人数ともなれば限られる。

 新見を含め、船に乗っているのはたったの三人だった。予備の燃料が積まれた船内は狭い。

 荷物に埋もれるようにして機械を弄る一人の声に、新見は頷いた。

 

 スピーカーの出来が悪いわけではないものの、環境が悪いのか、傍受した通信は非常に音質が悪かった。

 

『ザッ……ザリリッ……――本隊より、本隊より、そのまま()へ進行との報告あり――』

 

「……! 音量を上げられるか!?」

 

 新見の声にすぐさまスピーカーからの音が大きくなる。

 

『ザー……――本土に行く方が安全では――どちらの判断で――』

 

『ザザッ――大将のご意向である。ザザッ――は――にて対応されたし――』

 

 行き交う男たちの声。艦娘では無かったか、と一安心する。

 艦娘の戦闘力は人間の知識を大きく上回っている。演習では軍艦と同じような扱いで問題無い――大きさこそ小さいが――ものの、外海へ出向いた時の艦娘は、あらゆる法則を無視するかのような動きをする。

 かつて数度だけ確認されたとされる艦娘の最大出力は、戦闘機さえもかくやというものだったというのだから、化け物と称されても仕方のない事だ。

 加えて艦娘の破壊力たるや、いや、考えるまでもない。

 そんな艦娘を扱えるような人間など、かつて楠木少将を無意識に追い詰めた海原大将を除き存在しないのだから。

 

 虎視眈々と目的を果たさんとして動く少将に従うしかない自分達に、安全な道など無いのだ。

 

『了』

 

 傍受が遅かったか、ぷつりと切れた通信に新見は舌打ちをした。

 しかし悔いている時間が惜しいと速力をあげる。

 

 通信の内容からするに、哨戒しているのは海軍の人間だ。艦娘が出ていないのならばそれだけ危険度が低いということ。開放されたというのは大本営の見栄などでは無かったということになる。

 そこから考えられるのは、いや、考えたくはないが――深海棲艦に侵される側としては考えるべきだろうが……いいや、それはいい。

 

 ぐるぐると回る思考を振り払い、新見は鼻から長く長く息を吐く。

 舵を握る手がじっとりと汗で濡れていた。

 

「……ほかに傍受出来そうな通信があるか探し続けろ」

 

「っは」

 

 何とかそれだけを口にすると、新見はまた思考の海へ身を浸す。

 

 艦娘ではなく、外洋を遠出しているのが海軍の人間だという事は――南方海域は通達よりもずっと前、少なくとも通達の数時間以上前には完全に制圧された事になる。遠距離まで索敵出来る特殊レーダーと言えど、それに引っかかる距離まで海軍が出張っているのだから、南方海域開放作戦の余波は大きい。

 長らく閉鎖されていたのだから、制圧したとなれば人類側の領海がぐっと広がる。通達は即時行われたに違いない。であれば、楠木少将が予想したように何年もかけて練られた大規模作戦が弾丸が如き速さで遂行されたと……それこそ、考えづらい。

 

 閉鎖していた南方海域には楠木少将の《道具》がいくつも転がされていたはずだ。

 その道具がそこに転がっていても不思議では無い状況も作り上げられていた。

 

 海外の船が沈められた、という揺ぎ無い事実があった。

 

 そこにどうして戦力を投入しようというのか。

 まずは南方海域を任されている楠木少将へと伝達され、然るべき対応ののちにソロモン諸島にある基地全体で制圧を試みるのが妥当。

 なのにどうして――どうやって――?

 

 陸軍出身である新見には見当もつかない。知識だけとはいえ海での兵法は頭にある。

 どれだけ突飛な作戦であろうが、深海棲艦には通用しない。まずもって戦力が違う。

 

 駆逐、軽巡だけならばまだしも、重巡や戦艦、空母などの深海棲艦が出現したならば、流石の艦娘とて手を焼く。それもたったの数隻を相手にするだけで、だ。

 南方海域の周辺には、駆逐や軽巡が多数いたはず。空母だっていたのだから、本土から艦娘が全力で出撃したとしても継続戦闘は望めなかったはずだ。なまじっか補給したところで、被害が多少おさえられるか否か。損害は確実である。

 

 有り得るとすれば――完全に有利な状況で接敵し、戦闘に勝利し続け、航行可能な状態を維持したままに南方海域を周回すれば、あるいは。

 

 そんな夢物語があるわけない。

 

「新見隊長、レーダーに反応です。針路を変更しましょう」

 

 その声に、新見は声を発さずに舵を切る。

 蛇行するようにして進むなか、燃料の残量を気にしつつ、いくつもの中継地点を頭に浮かべた。

 

 ラバウルから出立して、ここからパプアニューギニアの沖合を進み、何度か陸地へ給油しに戻らねばならない。西パプアを越えて北マルク、そしてフィリピンと台湾を経由――軍事行動として乗り切れれば御の字だが、日本海軍の信用がどこまで通用するやら、と新見はまたも溜息を吐くのだった。

 

 その時。

 

「隊長――艦娘の通信です――!」

 

「なに!?」

 

 一人の声と共に、スピーカーから女の声が聞こえた。

 戦場に場違いとも思える、妙な語尾。それと、間延びした声に、きんきんと響く声。

 距離がある程度近かったのか、その音は鮮明だった。

 

『あーあー……非番かと思ったらすぐに出撃なんて、提督も酷いクマぁ……』

 

『いいじゃねえか、俺達の本分なんだからよ! つっても……護衛ってのはなぁ……』

 

『あらぁ、ダメよぉ、ちゃんとお仕事しなきゃ。提督が言ってたでしょう? 天龍ちゃんだから任せられるってぇ』

 

『そっ、そりゃあ……でも敵はいないんだろ? 俺は戦いたいんだよ! もっと、こう、がつーんと!』

 

『私は天龍ちゃんが戦ってるのも好きだけどぉ……恰好良く護衛するのも見てみたいなぁ?』

 

『――ま、龍田が言うなら護衛も悪くねえか!』

 

『……天龍の扱いに長けてるクマ。見習うクマ。ついでに拝んどくクマ』

 

『あ、あらぁ……』

 

 天龍――? 軽巡洋艦の艦娘だったろうか……。

 レーダーの反応はこれか、と新見は納得して離れるように動こうとするが――

 

『っと、待て。感ありだ。こりゃお迎えに行く前にもう一仕事……』

 

 ――まずい! ここは広域通信で哨戒中とするか? 他にも海軍が出張っているならば……!

 高速で回転する新見の脳内だったが、スピーカーからまたも声が響く。

 

『こちら第一艦隊、扶桑です。護衛艦隊は天龍さん達だったんですね』

 

 なに……? 扶桑、だ……?

 新見の手から汗がぶわりと噴き出る。

 

 そうこう考えているうちに、レーダーにはぽんぽんと笑えて来るほどの反応が出始めた。

 同乗していた他の者から、さあっと音が聞こえてきそうなほど血の気が失せる。新見も、同じく。

 

『おー! 扶桑かよ! んだよぉ、敵かと思っちまった……んじゃ、第二艦隊もいんのか』

 

『こちら第二艦隊、赤城。第一艦隊の後方に――あ、そちらに近い方なので、前方になるんですかね?』

 

『赤城も扶桑も、任務お疲れクマ。護衛対象はどうしてるクマ?』

 

『今は船で眠っています。元帥と提督の指示でアロアハに寄港して船をお借りしたのですが……英語が分からなくって大変だったんですよ……』

 

『クマぁ……それはドンマイだクマ……』

 

 いち、にい、と目だけでレーダーの点を数える。誤動作であることを願いたかった。

 映っているだけでも、十隻以上。だめだ。勝てる勝てない、逃げられる逃げられないの次元ではない。

 見つかってはだめだ。

 

 自分がしてきた事がどういったものであるのかを理解している新見は、まるで閻魔に裁かれる前の亡者の様相で祈った。祈れど意味無しと分かっていても、祈らずにはいられなかった。

 

『何とかなったから良かったのですが……また、提督に助けてもらっちゃいました』

 

『提督は英語も出来るクマ? いよいよやべえ奴クマ』

 

 どこの所属だ、そう考えるまでもなく。

 

『数日で少佐から大将に戻るようなお方ですから、英語くらい造作もない、という事でしょう。船を借りたい時は、単純にシップ、プリーズ、で伝わると学びました』

 

『ふふ、加賀さんったら、ずっとそればかりね』

 

『え、英語を学べたから、復習を兼ねてです……!』

 

 少佐から大将に戻るようなお方――この艦娘達は、柱島の――

 

『あ、ねね、船の方』

 

『何かしら五航戦。船の方じゃ分からないわ。英語と日本語は違うのよ。きちんと分かるように――』

 

『なぁんで加賀さんって私にそうきついのよ!? 船の方でお客さんが目を覚ましたみたいだよ! これでいい!?』

 

『日本語が上手ね五航戦』

 

『日本語しか話せないわよ!』

 

 ――次に聞こえた異国の言葉に、新見は舵を離して乱暴に通信設備の電源を切った。

 同時に、全て読まれているのではないかと震えあがった。大本営などでは無い。

 

 死んだはずの男、海原鎮に。

 

『I have never seen such a beautiful sea――……』

 

「隊長……!?」

 

 行動に驚いた全員が新見に顔を向ける。

 そうか、ここにいる者達は知っているにしても大体のことだけだったか、と新見は聞かれるわけもないのに声を潜めて言った。

 

「い、今の、声は……沈んだはずの船に乗っていた、女の声だ……」

 

「はい……? それ――」

 

 合点がいった各々だったが、そこに加えられた言葉に、息を呑む。

 

「ソフィア・クルーズ……深海棲艦研究者だ……」

 

「――!」



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五十三話 手中 【大淀side】

 本隊と思しき艦隊を第一艦隊が撃滅してからしばらく、日が変わったのち――地図に載っていないらしい件の島で保護されたソフィア・クルーズという女性を安全に日本へ護送すべく元帥閣下、ひいては海軍そのものが大きく動いた。それも、たったの数時間という短い時間でそれ以外の事も様々な形で進むこととなった。

 上を下への大騒ぎ……ではあるのが本来のはずだが、大きく動いた、いや、動いているはずなのに、呉と柱島を除いて、一切の波及が無いのが不気味であるのが印象的だった。

 まるで、これが海原鎮という男がどうして名と記録ばかりで、誰も見た者が存在していなかったのかの答え合わせであるとでもいうような感覚だ。

 

 大きく進んだものの一つ、海原提督の視察により発覚した清水中佐の無謀な資源確保行動による書面での処理、および元帥閣下による処分。

 これだけを挙げても非常に複雑かつ入り乱れた動きがあったものの、提督のお言葉を借りて言わば「本を正せば単純なことだ」というものだろう。

 

 清水中佐は楠木少将からの指示で呉鎮守府から無作為に見繕った駆逐艦を二隻南方へ放り出すことを条件に《風通し》を良くしてもらう算段だったらしい。これは本人が元帥閣下と海原提督に直接白状したのだとか。

 しかし、二隻を南方へ放り出す事の真意こそ知らされておらず、意味は分からなかったし考えたところで合点のいくような目的は分らなかったという。

 

 それもそうだ。私だって分からない。

 

 囮として使うなら――決してあってはならないが――まだしも、たったの二隻をただ捨てるためだけに南方海域へ放り出せば昇進が見える? いいや、おかしい。どんなに話をこねくりまわしたって話の辻褄さえ考えられない。

 

 例の二隻は柱島鎮守府と呉鎮守府の合同艦隊による追跡により事なきを得たが、これによって楠木少将が動きを見せる可能性があるとは元帥閣下曰く。

 海を隔てた遠い国に出張っているとは言え、楠木少将が情報をどのようにして得ているのかも分からない今、元帥閣下を悩ませているようだった。

 

『……――という所で、少佐殿の奇策縦横な働きが光ったわけであります』

 

 声高に話すあきつ丸の声に、どうやら呉鎮守府では既に提督達と別行動になったのであろうと察した私は、少しばかり肩の力が抜けた声で返事した。

 

「奇策縦横なのは分かっていますよ……まったく……」

 

『っくく、大淀殿もお疲れでありますな。しかし、まだ作戦行動は終わっていないわけでして』

 

 世間話のような気軽い声で話すあきつ丸にわざとらしく溜息をついてみせるも、通信から返ってくるのは心底愉快そうな吐息ばかり。

 

「しかしどうして、その、提督はそこまで見通しておられたのか……」

 

『大淀殿が分からぬものを自分に聞かれても困るであります。南方海域を開放することこそが目的で無いのは明々白々。少佐殿はおそらく、これから艦隊が帰還してくるこの瞬間こそが目的であろう、というのは理解しているのでありますが――』

 

 あきつ丸の言葉に見えずとも頷いてしまう私。

 

 柱島鎮守府の通信室は整えられてはいるものの、一度も使用した形跡もなく、新築と見紛うような一室で一人機械を操作しながら言葉を紡いだ。

 

「そう、ですね……扶桑さんが敵本隊との戦闘行為で損害を受けるであろう、その程度まで考えていたような口ぶりでしたから、この先の行動もきっと、意味があるはずです」

 

 私の頭に浮かぶのは、回線を統制している中で聞こえてきた提督のお言葉に、扶桑の奮闘の絶叫。

 

【扶桑が小破したか……で、那智がそう判断したと】

 

 その声だけを切り取ったのならば、この柱島鎮守府に来る前の私ならば、きっと、絶望していたに違いない。

 大した戦果も挙げられないままに損害を受けた? ふざけるな! と、罵声を浴びせられて頬を打たれるか、はたまた足蹴にされるか。

 

 しかし提督は、あのお方は違った。

 

【しかし……その、小破なのだろう?】

 

【やはり過去とは違うな】

 

 私達を慰めるでもなく、ただ事実であるからとでも言わんばかりに、そして自分の事のように自慢気に語る提督の声がリフレインする。

 

【今はどうだ? 陸奥は沈んでいない。長門は鎮守府にいるし、扶桑はこの作戦が終わったら戻って来る。未来は、違うのだ】

 

 思い出すだけで胸が締め付けられるような感覚に陥る。

 

 絶望的状況に対し、どうだ、まだ戦えるぞ、まだ熱は失っていないぞと猛った扶桑の働きもまた、通信を聞いていた私に衝撃を与えた。

 

 

 ――暁の水平線に勝利を刻むその時まで、決して立ち止まる事はない。

 

 提督はそれを示してみせたのだ。元帥閣下の前で。清水中佐や、山元大佐の前で。

 

「アロアハに寄港した際の言葉も気になるところです。何故、提督は船を借りるのに【Ship please】――発送せよ、などと現地人へ言ったのか……」

 

 提督はソフィア・クルーズという深海棲艦研究者の女性を本土に護送するのに、他国から船を借りたのだ。それも正式な軍事行動として。

 国をまたぐ軍事行動とは人々が考えるよりもよっぽどデリケートなのは言わずもがな。しかしあえて軍事行動として船を借り、ましてや発送せよ、なんて……。

 

『――それについて、大淀殿』

 

 すっ、と声を低くしたあきつ丸に、気がぴんと張り詰めるのを感じた。

 たかが数日数週間、されど数日数週間の付き合いである私達だが、どうしてか以心伝心したように私は通信を切り替える。

 秘匿通信に切り替えた時に発される特有のノイズが走ったあと、あきつ丸は小さな声で『流石でありますな』と前置いて言った。

 

『どうにも、ソロモン諸島にあるウラワ島のアロアハに未登録の造船所があったようで、少佐殿は最初からそちらを利用しようと考えている様子でありました。未登録と言えど現地人が漁に使うもので……』

 

「と、言うと……密漁などを行うための――」

 

『はい……ボロボロの造船所でありましたが、航行に問題無しと。現地には、その、深海棲艦によって集積されたと思しき資源もいくらか……』

 

「……は?」

 

 状況を整理しようと眼鏡のつるを弄っていた私の指が止まる。

 通信機器を弄っていた手が、ぱたりと力なく落ちてしまうも、私にそれをどうこうする意識は既に無かった。

 

 どういう……いや、何が起きているのか、分からない……。

 

 未登録のはずの造船所を、どうして提督がご存じなのか。

 そもそもそんなものがどうして残っているのか。

 

 どうして。何で。一体、何が――

 

『少佐殿はソフィア・クルーズという研究者を安全に本土へ送るために必要だと言って、山元、清水の両名から安全だと思われる機関へ連絡を入れ、駐屯している海軍を動かして南方へ向かわせたのであります。殲滅したとは言え、いついかなる事が起こるか分からないから、と言っておりましたが、どうにも、動きを――』

 

「――動きを邪魔されたくないかのような、行動ですね」

 

『そ、そう、そうなのでありますっ』

 

 必死に整理しようにも提督の動きが速過ぎて私の思考が追い付かない。

 清水中佐は楠木少将の手のひらの上で踊らされただけに過ぎず、また、山元大佐も反対派として楠木少将の動きにあやかって街を疲弊させながら延命行動を取った。ここまでは私が理解している範疇だ。

 ここから推測するに、楠木少将が怪しい動きをしていると断定しても、あえて国に敵対する行動を取るだろうか?

 

 深海棲艦の撃破数の差異や、轟沈数の虚偽――呉鎮守府という巨大な拠点でさえ杜撰な報告を提出するくらいなのだから、既に楠木少将の手は深くまで及んでいると推測して差し支えないだろう。それにしてもだ。理由が分からない。

 

 国を憎んでいる? 日本もろとも、世界を混乱に陥れるため?

 

 現実味がない。利益も無い。例えば、深海棲艦へ有効な打撃を与えられる方法を握っていたとして、それを独占するために混乱を起こしたのだとするならば、あるいは、世界全てに憎悪を向けていたとしたら? いや……そんなはず、無い……。

 

 楠木少将をじかに見たことなどないが、彼だって人間だ。きっと、人間だろう。

 私が守るべき人だ。艦娘が守る人類の一人だ。それが、敵に寝返るどころか、敵にも国にも背を向け、ただ何らかの憎悪に突き動かされて牙を向くなど、ありえるか……?

 

「あきつ丸さん。もしもの話ですが」

 

『なんですかな』

 

「あきつ丸さんだけが深海棲艦を確実に撃滅できる方法を知っていたとして、その方法を秘匿するならば、どうしますか」

 

『と、唐突でありますな……。うーむ……戦果を挙げれば頭が出る。かといって自陣防衛のためだけならば利益も無く、信用できる相手にその方法を売るにも、経路を絞らねば粗が出てすぐにばれてしまうでありましょうし、難しいでありますね』

 

「……」

 

 そうだ。難しい。そんな戦争屋のような商売など、成り立つはずもない。

 かつての日本、かつての世界ならばいざ知らず。

 艦娘と深海棲艦、技術の発達した現代という舞台において、戦争を握るなど。

 

 だが、私の頭の中には一つの恐ろしい絵が浮かんでいた。

 

『大淀殿? 通信、通信、繋がっているでありますか?』

 

「し……」

 

『お声が遠いであります。大淀殿? 混線でも――?』

 

「もし……」

 

『もし? もしもーし? 大淀殿?』

 

「もし、その者が――深海棲艦を独自に生み出せるとしたら――?」

 

『なッ……!!』

 

 

* * *

 

 

 通信はしばしの静寂に支配された。

 呉鎮守府の通信室にはあきつ丸だけ、柱島鎮守府には私、大淀だけ。

 遠く空間を隔てた場所にいるにもかかわらず、通信越しの私達の吐息はすぐ近くに感じられた。

 

『そんな事、あ、ありえてはなりません! 人が深海棲艦を生むなど……ま、まして! 大淀殿がそのような荒唐無稽な事をっ』

 

「ですから、もしもです」

 

『仮定であったとしてもであります!! 何を口になさっているか分かっておられるのですか!?』

 

「分かっています。ですが、そうすると、不思議と理屈が通るんです」

 

 恐怖、畏怖、そのなかに侮蔑と、言い知れぬ不快感。

 感情の入り乱れる中で、机上の空論ともつかぬ空想の話をする私。

 

「楠木――んんっ、もし、少将が深海棲艦を生み出せる、または準ずることが可能であるとすれば、その深海棲艦を滅する方法も同時に開発するでしょう。爆弾を作っておいて解除方法はありません、なんて愚かな事は誰もしないでしょうから」

 

『……』

 

「そうすれば、深海棲艦を生み出し、目的地へ向かわせ損害を出すなど容易も容易――それらを撃破する事も可能ですし《撃破させる》ことも可能なはず。しかし向かわせるのに命令は出さねばならないでしょう……それも、私達艦娘の使う通信のような方式があれば、少将の使う回線を使用させ軍事行動であると偽ることは難しい事ではありません」

 

『し、しかしっ』

 

「それに加えて、結界です」

 

『け、っかい……?』

 

 それらを口にするのを逡巡さえもせず、私は淡々と可能性の話を続ける。

 

「近距離通信ならばまだしも、各基地局との通信を断つ深海棲艦が生み出す結界は隠蔽にはもってこいではないですか? 深海棲艦の発する結界内では艦娘の通信は瞬時に見つかります。隠すにも、見つけるにも有利に作用するでしょう」

 

 話が進むうちに、あきつ丸の頭のうちでも絵が浮かび上がってきたのであろう。

 緊張があらわれたような掠れた声で『で、ありましょうが……』と返ってくる。

 

 何度も胸中で繰り返す。これは仮定であり、荒唐無稽な空想だと。

 

 しかし、過日に繰り広げられた提督の作戦や、この瞬間にも続いている深海棲艦研究者の護送、ソロモン諸島の周囲索敵が否が応でも現実という色を落として最悪な絵をより鮮明に浮かび上がらせる。

 

『では仮定として、深海棲艦を生み出す技術があったとして――戦争を終わらせず、加速させて利益を生んだとして、それで世界を支配でもするつもりでありますか? 動機が分かりません。皆目見当もつかないでありますよ! 微々たる利益と人類とを天秤にかけるなど!』

 

「それは私も同じ意見です。技術を販売しようも値を付けられるようなものでもないでしょうから。ただの兵器売買とはわけが違います」

 

『で、ありましょうよ! いくら大淀殿の言とて、荒唐無稽が過ぎれば自分も流さねばならないのは心苦しくあります。どうか冷静にお願い申し上げる』

 

「私は至って冷静です。少し、怖いですが」

 

 怖い、というのは、未来に対してでは無い。

 自分の思い浮かべた事に対する恐怖が一切無いと言えば嘘になるが、そんなもの取るに足らないほどの恐怖が私の中にあった。

 

『大淀殿が弱気な発言を――』

 

「いえ、そうではなく」

 

『そうではなく、とは?』

 

「……提督の行動には、意味がある。私はそう考え、短いながらも、今日まで秘書艦として常に提督の傍におりました。一人一人、私達艦娘の話を聞いて真に心配してくださった提督の行動にも、きっと意味があるのでしょう。心置きなく戦えるように、国を守れるように、と」

 

『それは、まぁ、そうでありましょうが……』

 

「……この作戦が開始される前、陸に不正ありと見たあきつ丸さんならば、分かるのではないでしょうか」

 

『陸に不正ありとは、あー……柱島の、執務室での、あの』

 

 あきつ丸はきっと金平糖の事を思い出していることだろう。私も同じだった。

 同時に、軽空母――鳳翔の事も。

 

「何はともあれ、調査をせねば確実な事は分かりません。どれだけ滅茶苦茶でも、指針が無ければ調査だってできません。提督が調査もせずに行動する、など……」

 

 待って、大淀。

 調査もせずに提督が行動するなど、何?

 

 行動するはずもない。そう、そうよね。あのお方の事だから、きっとそうなんだろうって思って口にしたのよね。

 

 じゃあ、何故、彼は既に行動を起こしているの――?

 

『……お、大淀、殿、その、荒唐無稽は、承知の上、その、あの』

 

 あきつ丸が言葉を詰まらせながら語りかけてくる。私は、返事さえ出来なかった。

 

『ちょう、調査、しなければ、少佐殿とて、行動しないでありましょう。でしょう? です、よね?』

 

「……」

 

『自分が、調査、し、したのは、鳳翔殿の、思い出の品というだけで、お優しい少佐殿の事でありますから、海軍の強硬かつ杜撰な調査と事件の終了につき失われてしまった《菅谷中佐》との指輪と写真を奪還し返してやれということかと。それを、鳳翔殿に、お返ししたことで、自分らの任務は完了したものと』

 

「……はい」

 

『完了したのではなく、これが、敵情調査であるとしたならば、本作戦は、前哨作戦で、ある可能性が……』

 

「呉鎮守府の不正摘発は、作戦開始の合図でも何でもなく、()()()()()の情報を確定させるための行動……」

 

 たった今、あきつ丸と私の意識が完全に同調した。

 

 

 

 

 提督にとって――海原鎮という軍人にとって、この作戦は最初から最後まで、繋がっている――?

 

 

 

 

「あきつ丸さん、今すぐ情報の整理をっ! 鳳翔さんの所属していた鎮守府で亡くなられた提督がどのように死亡処理されたのか、そして当該鎮守府に所属していた艦娘達からの証言を再度照らし合わせてくださいっ! 証言に差異が無ければ、それも一手となるはずです! その中に動機の一端がある可能性も捨てきれません!」

 

『了解であります! お、大淀殿は――!』

 

「第一艦隊と第二艦隊、補給艦隊も含めすでに柱島へと帰還を開始しています。深海棲艦研究者が柱島へ到達するのも時間の問題でしょう。ソロモン諸島やその航路には既に海軍が哨戒、索敵に回っていますが時間はそう残されていません……! 相手は海軍少将という大物です……そう簡単に尻尾を出すわけもありませんが、提督は既に哨戒という形でソロモン諸島周辺を包囲しはじめています。一縷の望みでも、尻尾を掴まえられる瞬間があれば……」

 

 ぐっと下唇を噛みしめ、戦闘に際する通信統制のみに気を取られていた自分を歯がゆく、そして恨めしく思った。

 どうして戦うことだけが戦争だと思い込んでいたのか、私は――!

 

 情報、それこそ裏から戦争という事象を操る糸。

 

 

 悔しさや情けなさから制服のスカートの裾を握りしめた時、ころりとした硬い感触に気づく。

 取り出してみれば、それは提督が置いていったであろう金平糖が一粒。

 

 ああ、確か執務室であきつ丸や川内と合流したときに持ってきてしまったのだったか、と思い出す。

 

 それと同じくして、金平糖に込められた言葉をも、思い出す。

 

 

 最近では、金平糖に【永遠の愛】などという洒落た意味も込められているらしい、と。

 

【鳳翔。何か、したいことはあるか?】

 

 提督が投げかけた言葉。

 

【みなを守り、誰一人おいていかれぬようにと、お前はずっと戦い続けただろう。たった一人となってもだ】

 

 提督はいつも、艦娘を知っているように言う。

 

【なのに……お前は、私を置いていくつもりか】

 

 いつも、私達と共にあると言う。

 それでいてどうして、私は提督に見合うよう動かないのか。

 

 どうして、誰よりも孤独と戦い、海軍さえも信じられなかったあのお方をお一人で戦わせようというのか――。

 

 私達のために戦うと言った提督を、死ぬまで面倒を見ると元帥へ言い切ったあの海原鎮という男を、誰が孤独にさせようものか――!

 

 

 

 

 無意識に両手を握りしめて立ち上がった私の耳に、あきつ丸と交代したかのように息を切らせた川内の声が飛び込んできた。

 

『あきつ丸、これ秘匿通信!? 記録通信? ねぇちょっと!』

 

『ど、どうしたでありますか! し、しぃー! お静かに……元帥閣下達も鎮守府におられるのでありますから……! 秘匿でありますよ……!』

 

『い、今! ラバウル基地に派遣されてた憲兵が確保されたって――!』

 

 確保、された……?

 私にそのような通信は入っていない。ならば、提督に直接……?

 

 それとも……元帥閣下へ向けて……?

 

『確保ぉっ!? は、早……いや、それはいかな理由での確保でありますか?』

 

『護送に向かってた天龍達と鉢合わせたみたいなんだけど、哨戒してるって言ってて……でも、提督と元帥が指示を出した人員には名前も無くて、提督が一緒に戻って来いって、今、戻って来てる途中みたい……ラバウルに所属してる憲兵みたいだけど……』

 

 天龍や龍田が私やあきつ丸を通さず直接元帥や提督へ通信をつなげたとするならば、その理由は一つ。

 

『あ、は……ははっ……はっはっはっはっは! 少佐殿、いやはや、まったく! 神算鬼謀? 神機妙算? いいや、もうこれは、くくっ、はっはっは!』

 

 大声をあげて笑うあきつ丸に、戸惑うような声の川内。

 

『あ、あぁあああきつ丸!? ちょっと大淀! どうしよう! あきつ丸が壊れたぁ!』

 

「……壊れたわけではなく、まあ、その、そうなってしまうでしょう」

 

『どういうことよ!?』

 

 私だって説明できない。説明しても川内だって信じないだろう。

 恐ろしい絵を思い浮かべ、恐怖に震えそうになりながらも覚悟を決めて立ち上がった私とて、力が抜けて、ぽすりと椅子に落ちてしまう。

 

 恐らく楠木少将は深海棲艦に深く通じた事情を持っており、鳳翔や一航戦が所属していた鎮守府を深海棲艦が襲撃した事件に関連している可能性があり、同じく、本土を度々脅かしていた包囲網すらかいくぐって来た深海棲艦の襲撃の原因でもあるかもしれないその一端を、一切の抵抗さえ許さず、一滴たりとて情報を漏らさないままに、相手を攪乱してやろうという目論見で放たれたであろうトカゲのしっぽさえも予測し、たった今確保された。

 あとは、楠木少将本人を探し出し、軍法会議にひったたせるだけだ。

 

 とでも、説明すれば信じてくれるだろうか?

 いいや、信じないだろう。私だって信じない。

 

 信じられるわけがない。

 

 

「……最初から最後まで全て、提督の手中であるとしか言えません」

 

 

 私はこらえきれぬ溜息とともに、かろうじてそう口にした。



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五十四話 叱責【提督side】

 仕事をしましょう――などと見得を切った手前、俺にサボタージュという選択肢は残されていなかった。

 

 ドウシテ……オレ、イッパイ、働クノ……?

 

 い、いかんいかん、危うく俺が深海棲艦になってしまいかねない。

 

 俺の横で大の男が二人えぐえぐと泣濡れ、正面では力無く階級章を握りしめたまま立ち尽くす井之上さん。ぽかんと間抜け顔で突っ立つ俺。もう滅茶苦茶である。

 そんな中で仕事? 何をしろってんだよ! クソァッ!

 

「二隻の確保は完了しているのだ。何を焦る必要がある」

 

 あえて言葉にすると、清水と山元がゆっくりと顔をあげた。

 

「海原少佐……その、それはどういう……?」

 

「どういう、だと?」

 

 俺は、こちらに顔を向けて不思議そうな表情をする清水を睨む。

 

 言ってて情けないくらい当たり前の事を口にさせるな! お前が駆逐艦をたった二隻、南方海域とかいう艦これでも屈指の高難易度マップに飛ばしたのが原因だろうが! 艦これ提督達がこんなん見たらおま、お前……戦艦と空母の群れに放り込まれた挙句二十四時間ずっと那珂ちゃんのライブ見せつけられるレベルだぞ!

 

 ちなみに俺はそれでもいいです。艦娘は可愛いので。

 

 ……ともかく! 艦娘を泣かせるんじゃねえやい! お前も提督だろぉ!? オォン!?

 

 と言えたら非常に楽なのだが、これはゲームの艦隊これくしょんではなく、何度も言うが現実である。

 南方へ向かわされた漣や朧の練度がどれほどのものか知らないが、仮にカンストしていたとしてもあのマップに出現する深海棲艦にたった二隻で勝てるはずもない。

 

 深海棲艦には艦種とは別に強さを分ける指標が四つある。

 

 まず、ノーマル。文字通り普通の深海棲艦だ。

 

 次にエリート。ノーマルと呼ばれる深海棲艦よりも装甲や火力が高いものの、毎日演習や遠征などで練度を高めた艦娘であらば問題無く撃破可能なものだ。

 

 問題なのはここから……エリートを超える、フラッグシップ、フラッグシップ改と呼ばれている深海棲艦達だ。

 火力や装甲は駆逐艦であれ重巡や戦艦を容易く中破、大破させる威力を持ち、回避能力などを考慮すれば万全を期して勝負して勝てても、そこから先は疲労度の関係上、五分、下手をすればそれ以下の勝率となる。

 

 ゲームの頃ならば順番に砲撃戦をして耐え抜けばそれで戦闘終了。S勝利だろうがA勝利だろうが、戦術的勝利だろうが潜り抜ける事は可能だ。

 むしろ高難易度海域になれば必ずS勝利をもぎ取って進まねばならないということもない。ボスマスに到達して勝利さえすれば、その海域は突破扱いになるのだから。

 

 だが、現実ではそうもいかないだろう。これは単なる俺の予測だが。

 いくら高練度とて、いくら判断力が優れていたとて、一つの間違いが命取りとなる。

 

 故に提督の俺や山元達は最大限に艦娘を信頼信用し、彼女たちに――頼るしかないのだ――!

 

 ごめんね役立たず提督で。でもちゃんと頑張るからね。ごめんね。涙出てきた。

 

 しかしここで泣くわけにはいかない。威厳スイッチを入れて背筋を伸ばし、すべきことを明確にしようじゃないか!

 

「彼女らの出撃が間違いであると分かっていたのだろう?」

 

「は、はっ……!」

 

「ならば彼女らがきちんと帰還出来る今、焦る必要がどこにある」

 

「それは、そうですが……しかしっ、南方にて保護された研究者もそうですが、海原少佐の行動如何によってはさらなる被害が発生するかもしれないのですよ!?」

 

 明確にする前にちょっと待って。何それ? 被害が発生する?

 

 してねぇだろ……? してないよね……?

 

「被害だと? 何を根拠に被害が発生すると予想している。南方海域は開放され、二隻の確保も完了した。それに、()()にも遭難していたらしい女性も艦娘の素晴らしい索敵能力によって発見できた」

 

 うーん、言葉にするとこの、艦娘の有能っぷりというか、超人っぷりよ……。

 俺はただ二隻が遠くに行っちゃったから迎えに行ってあげて、くらいの感覚で出撃命令を出したのだが、艦娘が関わるとこうも抜け目無く様々な問題を解決してしまうとは。

 海域の開放は俺の過保護があってのことかもしれないが、南方海域は、ゲームにおいて高難易度マップと言えどボスを除けばフラッグシップがいくらか出現する程度だった。

 フラッグシップ級の空母はそれはまあ油断のならない敵ではあったものの、基本的に艦隊一つで突っ込まねばならないからこその危険性である、とも言える。

 

 たったの六隻が連戦で数十隻の敵と砲雷撃戦を行うとなれば高難易度マップかつ危険度の高い任務だろうが、こっちは補給艦隊に柱島から二艦隊。多くの敵に多くの艦娘をぶつけるとなれば、その勝負の行方は言わずもがな――可愛いが勝利する以外にあるわけがないのだ!

 

 もちろん、フラッグシップ級の空母が出たとしても大丈夫なようにと空母を編成するこの俺の提督レベルの高さよ。褒めろよ清水ゥ!

 

 はい。そうですね。素人編成丸出しですよね。

 遠い世界にいる艦これ提督の皆様大変申し訳ございません。

 でも俺だって必死なんです。社畜も頑張ってるんです。

 

 偶然、という言葉を強調しながら艦娘の有能っぷりをアピールすることで、清水に対して「お前はそんな可愛い子達に無茶をさせたんだぞ! めっ!」と分からせる俺。

 

「――有能さに感謝するばかりだ」

 

 はぁ、と若干の本音交じりに溜息を吐き出してしまう。

 

 なぁ、お前らもそうだろ? と清水へ顔を向けると、何故か顔面蒼白で目を泳がせて顔を伏せられてしまった。

 

 ……うんうん。ごめん。清水、お前が言いたいことも分かる。井之上元帥がいる前で他力本願な物言いするとかお前大丈夫かって事だろ?

 でも平気なんだ。なんたって井之上さんは俺をただの社畜って知ってるから。

 なんなら山元も俺の事をただの社畜って知っちゃったから。

 

 次に山元大佐の前で生意気な態度を取ろうものなら、あの丸太のような腕で吹っ飛ばされるかもしれない一方、俺を社畜の一般人と知ったからか若干優しくなったあたり、軍人さんってやっぱすげえやと思うばかりなのであった。

 

「う、海原少佐が仰られる事は、重々承知して、お、おり、ます……」

 

「うん?」

 

 山元の声に視線だけを向けると、山元も顔面蒼白になって目を泳がせた。

 えっ、ごめん何? どういう、え? 仕事しようよ。

 俺の事いじめてる場合じゃないって君たち。

 

「この度の処分は如何様にされようと受け入れる所存であ、あ、あり……井之上元帥にも多大なるご迷惑をおかけした事に関し、深く、謝罪を申し上げます……!」

 

 山元が井之上さんへ一礼、そのまま機敏な動きで回れ右をして、俺へ一礼。

 あ、あー……なるほどね。そういうことね。

 

 山元……ごめん、仕事しなきゃって頭がいっぱいで社会人としての礼儀を忘れていたよ……。

 そうだね、俺が清水の尻拭いをするみたいな恰好だったのに、結局井之上さんと山元を呼び寄せたあげく責任を丸投げしようとしたんだもんね。

 

 なんっだコレ! 艦これ! いや違う! 俺、情けなさ過ぎるだろう!?

 

「……」

 

 言葉が出ず、山元に倣って頭を下げた清水を見て、険しい顔をする井之上さんをちらりと見る。

 あぁ、流石の井之上さんもこれにはカンカン、艦これってか……。

 だめだ手が震えてきた。やっべえ久しぶりの感覚だこれ。会社で初めて上司に怒鳴り散らされて「あっ、この会社ブラックだ」って気づいた時くらい震えてる。

 

 震える両手を握りしめ、俺は背後にまだあきつ丸と川内という部下がいるにもかかわらず、恥を捨てて――

 

「ぁ、あぁ!? う、海原少佐、そ、そのよう、な……」

「少佐……!」

 

 ――足を折り、その場で綺麗な土下座を披露した。ちなみに会社でもしたことある。

 

 内心であたふたしつつ、ふざけつつ、しかしその本心では俺に仕事を与えようと言ってくれた井之上さんに感謝しているのだ。

 故に、その仕事を分からないからと艦娘達に丸投げしているのも然り、自らの至らなさによって山元や清水が率先して頭を下げるまで、汚名返上ばかりを考えている自分の弱さを許してもらうためにも、頭を下げ、額を地面にこすりつけた。

 

 井之上さん……ほんっとうに……申し訳、ございません……。

 

「井之上元帥、この度の責は私にあります」

 

「海原、お前――……」

 

 他力本願ばっかりの社畜で、すみません……。

 その上で――まだ他人を頼っていかねば仕事が出来ない俺を許してください――!

 

「この仕事のあと、処分があるならば私もそれを受けるべきであると思っております。艦娘達を任せていただいたばかりであるのに、申し開きもございません」

 

 山元ぉ、清水ぅ……俺も謝るから後でちゃんと助けてねぇ……!

 

 額を地面に擦って数十秒、いやさ、数分経った頃だろうか。

 かたん、と立ち上がる音がした。

 

 顔をあげてはいないので定かではないものの、座っていたのは井之上さんだけだったから、そうなのだろうと考えた矢先の事――。

 

「そうか……そうか……そこまでの覚悟を見せるか、海原」

 

 眼前に影が落ち、ぽんと肩に手が触れた。ごつごつとしている、男の手。

 

「……っは」

 

 こうなればもう引っ込みはつかない。殴られようが蹴られようが艦娘と一緒に仕事をさせてもらえるなら安いもんだ、と虚勢を張って声を上げる。

 

「彼女たちを任せていただけるのです。山元や清水も補佐をしてくれることでしょう。これ以上ない環境を用意していただけたのですから、責任を負うのは当然のことです」

 

「……っくく、そうか」

 

 今、笑った――?

 

 俺が思わず顔を持ち上げそうになる前に、井之上さんから岩をすり合わせたかのような低く重い大声が上がった。

 

「山元大佐、並びに清水中佐! これは大本営、海軍元帥の辞令である!! 海原鎮少佐に掛けられた嫌疑につき、証拠不十分として元帥の権限を以て棄却とし、並びに、海原鎮少佐を元階級へ復帰させるものとする! 処理の日付は本作戦の開始前としすれば、問題もなかろう! すぐに電信せよ!」

 

「な、ぇっ?」

 

 俺の声? 井之上さんにかき消されたよ。

 

「その手続きの証人となり、今後、諸君らは海軍大将、海原鎮の直属としてこの手続きを進め、大本営に繋ぎ発布せよッ!」

 

「「……――はっ!!」」

 

 びりびりと鼓膜が痺れる。

 

 やっとの事で顔をあげた俺。頭上には満足気な顔で俺を見下ろす井之上さんの顔。

 首を捻って周りを見れば、山元達は綺麗な敬礼をしており、背後では何故かあきつ丸や川内までもが敬礼していた。

 

 あっあっ、待って、あのっ、あっあっ……俺も敬礼しなきゃ……!

 

 震えて上手く動けないまま、緩慢に立ち上がって、のそのそと敬礼した俺。

 どこからかふわりと現れた妖精が数匹、転がっていた軍帽を持ち上げて、ぽすん、と俺の頭にのせたことで情けなさがマックス。

 

『まもるがちんじゅふにちゃくにんしましたー!』

『これより、かんたいのしきをとりまーす!』

 

 や、やめろお前らっ! これ以上俺の情けなさを加速させるなクソォッ!

 

「海原――お前がまずせねばならん仕事は、なんだ?」

 

 井之上さんの厳かな声に、俺は必死に頭を回転させる。

 

 まず!? えーとですね……! あー……!

 

 あっ! 保護! 艦娘が保護した人がいるって言ってましたよね!? あいつら仕事増やしてくれやが――ちっがう! 落ち着け俺!

 

「……艦隊が保護をした人物を安全に運ぶ事を最優先事項とすべきでしょう。ソロモン近海に船を借りられそうな場所を探し、そちらに連絡を取り協力を仰ぎます」

 

「くっくっく……良い目をしておるぞ、海原」

 

「……っは」

 

 今、俺、泣きそうになってない? 大丈夫? 平気?

 勢いで船借りるって言っちゃったし、また他力本願じゃねえか感がすごいけど平気?

 

 って、ソロモン近海って海外じゃん。また英語じゃん。船借りるって、英語で借りなきゃいけないの? どう言うんだよ。分からんて。

 

 船……シップ、だろ? シップ、貸してくれ、貸してください……ぷ、ぷりーず?

 

 そうだ! 英語は勢いでも伝わると言ってた! ネットで!

 何かあったらノープロブレムで解決よぉ! ふぅ!

 シッププリーズ、これで行こう! 頼み込むように言えばきっと伝わるだろ!

 

「現在の艦隊の位置は――」

 

 最寄りの島を探すべく声を上げた俺に、妖精が海図を持って飛んできてくれる。

 お前らって奴はほんとに……俺を小馬鹿にしたいのか甘やかしたいのかはっきりしろ……踊らされる身にもなれって……ありがとう……。(素直)

 

 ばさりと目の前に広げれば、妖精が矢印のついた指し棒でソロモン諸島の南を示す。目を凝らして近くに寄れそうな島がないか確認していると、妖精が『ここ近いよ!』と言ってくれた。

 

「ふむ……アロアハ……」

 

 アロアハってハワイの挨拶じゃないっけ。違うな、アレはアロハだ。

 などとくだらない事を考えつつ。

 

「現地に通信を繋げ清水。ソロモンと言えばかつては観光地だったはずだ。まだ連絡は取れるだろう」

 

「は、はっ……しかし少……大将、南方海域が開放されたのはたった今。それまでは危険区域としてほとんどの住民が内陸へ避難しており――」

 

「現地に人はいないと?」

 

「その可能性が、高いかと……」

 

 やる前から諦めんなよ! いいから連絡取れ!

 お前がそんなんだと俺もぜーんぶ諦めて柱島に帰ってみんなと遊ぶぞ!

 

「可能性は可能性だ。一度連絡を取れ」

 

「……了解」

 

 清水は通信設備の方へ動き、せわしなく操作をしながら英語で何かを呼びかけ始めた。

 

『こちら日本海軍、呉鎮守府。こちら日本海軍、呉鎮守府。本日より南方海域は全面的に開放となった。繰り返す、本日より南方海域は全面開放となった。ソロモン諸島全域に残っている者は日本海軍より一時避難を支援する。応答できる者がいれば――』

 

 英語話せるってすげえなあ、と眺めていると、またも顔を白くした清水が振り返って俺を見る。

 

「……反応があります」

 

 ほら見ろォッ! 人がいない観光地なんてあるわきゃねえだろ!

 

「そうか。船があるか聞いて、あればそれを借り受けよう。そのついでに避難も手伝えばいい。周囲に深海棲艦がいないとも限らん。山元は動ける人員を見繕って南方へ派遣し、航路の安全を確保させろ。私の艦隊と協力してだ。いいな?」

 

 他人に任せて指示を飛ばすには長けた俺である。すみません。

 

「い、今すぐに!」

 

 色めき立って英語でまくし立てる清水。声を掛けられて慌てて動き出す山元。

 忘れずに「きちんとシッププリーズと言うのだぞ」と言う俺。

 

 清水は振り返って逡巡するそぶりを見せたが、井之上さんも山元も控えているのだからと安心してか、深く頷いた。

 

『……そちらに、あなた方の使わないものがあれば一緒に発送してください。これからそちらに来る日本海軍の者にそれらと船を貸していただきたい。同じく、あなた方も安全な地域へと護送し――』

 

 もうここまで来たら怒られる事が確定してんだからお前らも頼りまくってやるぜ!

 

 ……ほんっとすみません。ただの社畜で。

 

 

* * *

 

 

 ――という事で。そこからまた数時間後。どうしてか大騒ぎになってしまった現在、俺は通信室にあきつ丸を残し、それ以外の全員と執務室へと移動してきたところ。

 

「清水中佐、大本営への電信は完了した。すぐに海軍全員に通達が行くはずだが、手続きはどうだ」

 

「っは、自分の署名は完了しております。大佐、ご確認を」

 

「……よし。問題無い。元帥、こちらに署名をお願いいたします」

 

「――うむ。どんどん進めてくれ。海原の作戦を邪魔せぬように」

 

「「っは!!」」

 

 

 普通の会社なら既に残業という範疇を大きく超える勤務時間である。

 

 それはさておき。

 

 責任を取るというのならそれらしい肩書でも持ってろという井之上さんの采配から俺を大将にすべく、山元と清水は大本営に向かって連絡を取ったりとバタバタとしており、井之上さんは御付きの運転手という女性を補佐に書類の処理をしていた。

 

 俺? 俺は応接用のソファが埋まってしまっていたので提督の椅子に座ってぼーっと……いやいや、何か見落としは無いかと海図と睨めっこの最中である。

 

 見落としって言っても、もう、出来る限りの事はした気がするんだけどな……。

 

 たったの二隻、危険な海域から戻ってこさせるのにここまでの大騒ぎになるとは、やはり軍というものは特殊な仕事なのだなあと他人事のように考えてしまう。

 その二隻さえも作戦に加えていらん仕事をさせる俺の無能っぷりに一種の感動すら覚えてしまい、吐き散らかしそうである。

 これはきっと、柱島に戻ったら大淀から制裁を食らわされるに違いない。長時間の説教か、もしくは艦娘パワーの込められたグーパンチで顔面が吹き飛ぶかの二択だ。

 

 だが……それもこれも、他力本願ばかりの俺が悪いのだ……。

 

 ほら、よく言うではないか。悪者が一人いれば、周囲は一丸となって収まると。俺が悪者になればみなが丸く収まるのだ。一丸だけに。

 

 って、やかましいわッ! クッソォオォォオオオアアアアア!

 

「……すまんな川内。補佐などさせて」

 

 綺麗な姿勢で俺の横に立って事の成り行きを見守る川内に声をかけると、彼女は慌てたように胸の前で両手を振りながら言った。

 

「なっ、何言ってるのさ提督! 艦娘の仕事のうちなんだから! 当たり前じゃん!」

 

「……そうか」

 

 夜戦忍者が優しい……帰ったらいっぱい夜戦させてあげよ……。

 

『わたしたちも、いっぱい頑張ってるんですが』

『まもるのおてつだい、してるんですが』

 

 ふわふわと妖精たちが俺の目の前を飛び交う。

 そうだね……帰ったらいっぱい金平糖あげよ……。

 

 ふぅ、と鼻で溜息をつき、海図の上にペンを立ててコツコツと鳴らす。

 

「提督、気になる事があるの?」

 

「うん? あ、いや」

 

 待て鎮。ここで気になる事が無いと正直に言ってみろ。ただ手持無沙汰でサボってるのがバレたら川内忍者に「アイヤーッ!」と爆発四散させられかねん。

 ここは、気になるが、そこまで深刻なことではない。なーに、優秀なお前たちがすぐに解決してくれるだろう? と信頼した笑顔で、落ち着いて言うのだ。

 

 あとは皆の帰りを待つだけなんだから……。

 

「……なぁに、すぐに解決する」

 

 ニッコリと笑みを浮かべて海図へペンを立てると、川内が小さく「ひっ」と声を上げて一歩後退る。

 やめろ。おっさんの笑顔が気持ち悪いからってそんなドン引きするな。俺だって傷つくんだぞてめぇ。やっぱ夜戦させてやらん。神通に怒られてしまえ。

 

「私は私の出来る事をやった。あとは帰還を待つだけだ。そうだろう?」

 

 それ以外に何かあります? という顔で川内を見ると、一歩引いた格好のまま、川内はコクコクと首を縦に振る。

 いや、そんな引かなくていいじゃん……イケメンとはいかずともフツメンのおっさんをそこまでいじめなくたっていいじゃんか……。

 

 そんな時、ぴくりと川内が動いた。

 

「……提督。天龍から通信が」

 

「何か問題か?」

 

「えと、提督か元帥に繋げって……」

 

 やべぇ……これ問題起きたパターンだ……。

 

 井之上さんを見やれば、ガリガリと書類にペンを走らせており、邪魔出来る空気ではない。自然と導かれるのは、俺のみ。

 

「私が対応する。繋げられるか」

 

「……っと、待ってね」

 

 川内はむむ、と唸りながらデスクの上にある電話から受話器を上げたのち、はい、と俺に手渡した。

 え、何それ、そのむむって何。可愛い。

 

 違う仕事しろ俺。

 

「――私だ」

 

 お前だったのか――という声は返って来ず、天龍の明瞭な声が俺を呼んだ。

 

『おう提督! わりいな忙しいだろうに!』

 

「なに、気にするな。それでどうした?」

 

 おおよそ上司に向けての言葉遣いではない天龍の口調が受話器から漏れていたのか、ぎょっとして俺を見る川内。思わず顔をこちらに向けてくる山元達。

 俺は艦これの提督だったが故に違和感など覚えることもなく、自然と会話を続ける。

 

『ソロモンから抜けてから海軍の護衛艦がいくらかいたんだけどよ、提督が寄越してくれたんだよな?』

 

「あぁ、そうだが」

 

 つい数時間前に山元達に指示して動かした人員の事だろう、と肯定する。

 だが天龍は何か納得がいかないような声でうんうんと唸る。

 

「どうした。気になる事でもあるか」

 

『いやぁ……ちょっと気になったっていうかよ、護衛艦以外にも、民間船舶まで駆り出したのか?』

 

「……少し待て」

 

『お、おう?』

 

 艦娘を守るのに普通の船じゃダメだろ。そんなこと社畜の俺にも分かるぞ。

 受話器を耳に当てたまま山元へ届くよう大きめの声を上げる。

 

「山元! お前、民間船舶を出したのか?」

 

「な、何をおっしゃいますか閣下! 自分が指示したのは護衛艦です! それも自分が連絡をつけた者ばかりですので、名簿の代わりも――!」

 

「名簿があるのか。見せてみろ」

 

 言わずもがな、山元も有能である。

 持ってこられた名簿――もとい、連絡網のような資料を見ながら、天龍へ声をかける。

 

「搭乗している者の名前は分かるか? その船の名前でも構わん」

 

 名簿には丁寧に名前と所属している部署のようなもの以外に、乗艦先も記されていた。こんなにきっちりとした仕事が出来るなら初めから艦娘をいじめたりして仕事をさぼらないでもらいたいものである。

 

『おいあんた、名前教えてくれるか? 提督に確認してっからよ』

 

『じ、自分達は、そ、その、ソロモン諸島が開放されたという報を受けて海軍として動いており、そちらからの指示ではなく、海軍の――』

 

『んなこたぁどうでもいいんだよ。名前だよ、な、ま、え! あんたらも海軍なら分かるだろ? 作戦中なんだからサクっと頼むぜ、おい』

 

『ひ、ひぃっ! そ、そのように、刀を向けないでいただきたい!』

 

『ちょっと、天龍ちゃん、だめよぉ……? 人に向けちゃぁ……』

 

『龍田! んでもよぉ……まどろっこしいのは嫌いで――』

 

「……」

 

『自分達の所属を明かせないわけではないが、今ここで無駄に時間を使うわけにも、い、いかんのです! 本土へ向けて移動する任務の最中であり……か、海軍としての任務を妨害するのであれば……』

 

『だぁから、妨害じゃねえって! あんたらの作戦区域と俺たちの作戦区域が被ってるなら、それこそおかしいじゃねえか! 提督からそんな指示貰ってねえしよ。名前を教えてくれりゃあすぐにでも通すって。ってか海軍なのに何でそんな服装――』

 

 あぁもう面倒くさい! さっさと教えてよぉ! 泣くぞ!? いいのか!?

 

「――天龍。話しているところ申し訳ないが」

 

『うぐっ……! て、提督、わりぃ、その……!』

 

「代われ。私が聞く」

 

『……あ、あぁ』

 

 最初から俺が聞けば解決である。天龍に無駄な心労をかけてしまった。

 ごめんね天龍。また旗艦にしてあげるからね。主に遠征で。

 

「――柱島鎮守府所属の海原だ。君達は本作戦における行動海域にいると聞くが、山元大佐からの指示を受けて動いている者か?」

 

 それっぽく小難しい言葉を並べて問えば、受話器の向こう側からはざあざあと波の音だけが届く。

 数秒待ってみるも、声は返って来ない。

 

「……もう一度聞くが、名前を伺ってもよろしいか? こちらには作戦に参加している者の名がすぐに分かるよう名簿を用意してある。君らの仕事を邪魔しようというわけではないため、面倒だろうがお答えいただきたい」

 

 丁寧に聞くも、沈黙。

 痺れを切らせて川内に投げちゃおうかな、と考え始めたその時、か細い声が鼓膜を揺らした。

 

『り、りく、陸軍、しょぞ、くの……新見、信夫で、あります……』

 

 どうした突然。船酔いか?

 

「陸軍? 新見信夫殿か。確認するので、しばしお待ちを」

 

 にいみ、にいみ、と頭の中でつぶやきながら名簿を見るも、そのような名前は一切無い。

 なーんだ。別の作戦中の人か。そもそも海軍でもないじゃねえかよ。陸軍て。

 

 天龍も有能なんだろうが、有能が故にちょっとしたことでも気になるのだろう。

 ゲームのような艦娘固有の個性ではなく、柱島の天龍でしか見られない表現し難い個性を感じた俺から自然と笑みが零れた。

 

 世界水準の天龍は可愛さもでかでかとしたものではなく、急所を刺すような素晴らしい艦娘なのだ――。

 

「新見信夫殿、陸軍所属と言ったか? こちらの名簿では君の名前は確認出来なかった。仕事の邪魔をして申し訳ない」

 

 改めて名を呼んで謝罪した後、天龍に代わってもらい行ってもらっていいぞと伝えようとしていたところ、視界に入る井之上さんのぽかんとした顔。

 その他、鎮守府の巡回をしていたらしい松岡もいつのまにやら戻ってきており、扉の前で俺を見て口を開けていた。

 

 え? また、いらんことしちゃった、っぽい……?

 

 俺の心の夕立が首をかしげて冷や汗を流す。

 

 はい、ここでまもるの方程式(新登場)を当てはめましょう。

 困った時は?

 

 そうだね。他力本願だね。ここには皆がいるからね。安心して任せられるね。

 

「本土へ向けて移動する最中と言ったか」

 

 視線は皆に向けたまま言うと、受話器からは短く返事が。

 

「では、そのまま私の艦隊とともに本土へ向かうといい。航路には艦娘の他に護衛艦も配置してあるから、安全かつ迅速に移動できるだろう」

 

『っ……』

 

「天龍に代わってもらえるだろうか」

 

『ぐ、ぅ……は、はい……』

 

『お、おう提督、その、どうしたんだよ、いきなり静かになっちまって……船に乗ってる他の奴らも、皆静かに……』

 

 新見以外にもいたのかよ!? もぉおおおお! 確認漏れだよそれ!

 ま、まぁいい。本土に向かう途中なんだから、一緒に片付けてしまえば手間が増えたとて怒られる程度で済むだろう……。

 

「こちらの話だ。気にしないでいい。天龍達にはその船を加えて帰還してもらいたいのだが、問題はあるか?」

 

『いや、無い、けどよ……いいのか?』

 

「何がだ」

 

『いや、陸軍を連れて帰っても……』

 

「構わん」

 

 だってここには松岡隊長いるし。何かあったら松岡がどうにかする。

 

「こちらには憲兵隊の隊長である松岡という男が待機している」

 

 な! 助けてくれよ同じ軍人のよしみでさ! な!?

 という視線を松岡に投げたのだが、松岡はその場で携帯を取り出してどこかへ電話し、電話口へ怒鳴り声をあげながら部屋を出てしまった。

 

 無能どころか人望も失いそうな俺である。悲しい。

 

 おそらく松岡は部下だか上司だかに連絡を付けて俺の尻拭いをしてくれているのだろう。ほんっとすんません。今の一瞬で俺が問題を起こしたかもしれんと対応に走るその機敏さを見習いたく思います。松岡にも後で金平糖あげよう……。

 

『な、ま、マジかよ……! ったく、作戦のうちならちゃんと言ってくれよなあ、提督! 頼むぜ! 気づかずに通してたら危なかったじゃねえか……』

 

 その上で天龍にも怒られる始末である。泣こう。もう泣いてもいいだろう。

 

「すまんな天龍。だが、お前を信頼しての事だ。龍田ともども、頼りにしている」

 

 ゴマすりも忘れず抜け目のない俺。松岡とは雲泥の差である。

 下っ端根性をこれ以上見せて失望させるのも忍びないので、俺は天龍に「迅速に帰還せよ」とお願いだけして受話器を置いた。

 

「……ふぅ。川内、面倒をかけたな」

 

「いやいやいや! 私、何もしてないし……何も……」

 

「何もしてないだと? お前達は謙遜が多い……傍にいてくれるだけで十二分に助かっているとも。ありがとう、川内。後はやっておくから、お前は少し休憩してこい」

 

「えっ!? で、でもぉ……!」

 

 ちょっとでも休ませないと、艦娘を酷使するブラック提督と思われちゃうだろ!

 上司のいる手前、休憩に出にくいという気持ちも分からんでも無いが、怒られるのは俺が引き受ける! 行くのだ川内! 俺に構わず行けーッ!

 

「構わんとも。 ……よろしいか?」

 

 誰ともなしに言えば、井之上さん達全員が頷いてくれる。

 

「――とのことだ。行ってこい川内」

 

「……う、うん。な、何かあったらすぐに呼んでよ? 絶対よ!?」

 

「もちろんだとも」

 

 何度も振り返りながら執務室を出ていく川内を見送る。うーん可愛い。

 

 

 

「……閣下の部下は幸せ者ですな」

「大佐の仰る通りです。まったく……」

「くっく、お前達は海原のようにのんびりできる立場か? 手を動かせ、手を。こうしている間にも、彼奴は頭目に手をかけとる。くっくっく」

「「……っは」」

 

 

 

 皆に嫌味を言われる俺。

 そろそろ、泣いてもいいでち? と俺の心のゴーヤが半泣きである。



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五十五話 失跡【川内side(鳳翔side)】

 提督から休憩してこいと言われて執務室を出てから、通信室に残っているであろうあきつ丸や通信先の大淀に事の顛末を伝えてしばらく。

 真夜中であるにもかかわらず私達は情報の整理という名目で忙しなく手元を動かし、あきつ丸の持ってきていた資料にある軽空母鳳翔の元々の所属であった鎮守府――鹿屋基地について話し合っていた。

 

 柱島鎮守府の通信からは、艦載機に搭乗する妖精の選定こそ命令されたものの出撃命令は出されておらず待機状態であった鳳翔の声が呉鎮守府の通信室内に響いていた。

 

 防音設備もしっかりしていたため外部に音が漏れることは無いが、明確な記録として録音するには艦娘達の持つ通信方法のみでは信ぴょう性は薄くなるだろう、とは大淀曰く。

 

 海軍の機密中の機密である終了した事件についての再捜査を艦娘が自ら行うなど軍規に反するどころか越権行為も甚だしい。だが、そうせねばならない理由がある。

 闇に葬り去られてはならない真実があるのだと、私は自分に言い聞かせながら必死に資料に目を通した。

 

「――して。資料に残る証言が変わるはずもないのでありますが……やはり、鳳翔殿以外の艦娘は一様に《深海棲艦による襲撃があり、即時迎撃。しかし基地は攻撃を受けてしまい、それによって提督は死亡してしまった》と……んん、映像記録の一つでもあれば良いのでありますが、書面からは何とも……」

 

 あきつ丸の言う通り、映像記録は無かった。画像に残されているものも、基地の被害状況を知らせるようなものばかりで、敵深海棲艦の砲弾によって破壊された施設や道、海岸沿いにある倉庫区画の写真ばかりだった。

 痛々しく、それでいて攻撃の激しさが窺える建物の崩壊っぷりときたら、鹿屋基地に所属していた艦娘達に同情を禁じ得ない。

 

「この半壊具合からして、鳳翔さんのところの菅谷中佐が亡くなられたっていうのも、まあ……頷けちゃうかな」

 

 ぽろりと口から零れた正直な感想。しかし私は次の瞬間にはっとして口を噤んだ。

 何をやってるんだ私は……鳳翔とも通信が繋がっているというのに……!

 

 それも残せるようにと録音もしてあるのに、なんで油断して――

 

『ですので、再調査は行われませんでした』

 

「あ……」

 

 私の口から零れ落ちた言葉に、鳳翔の言葉が返ってくる。

 思わず謝罪しそうになるも、私はぎゅっと口を噤んだままに資料を捲ることで意識を逸らした。

 

 傷ついた同じ艦娘としてならば、彼女のことを気遣い、謝るべきなのだろう。

 

 だが彼女はただの同じ艦娘ではない。同じ鎮守府に所属し、同じ提督のもとで戦う仲間なのだ。だからこそどれだけ残酷であろうとも一片の嘘さえ口にしない。

 歪み、捻じれた現実を元通りにして前を向くには、避けられぬ痛みなのだと自分に言い聞かせる。

 

『――川内さんのような方がいて、安心ですね』

 

 鳳翔の呟きに、ぴたりと手が止まった。

 

「……まあ、川内殿はお強い方でありますから」

 

 あきつ丸が同調し、次に大淀の声。

 

『川内さんならではの強さなのでしょう』

 

 どういう意味なのよ大淀? そんな事も聞けず、私は一つ咳払いをして言う。

 

「再調査が行われなかった理由は、違和感を覚えるほどもなく証言通りに見えたからでしょ。基地のあらゆる箇所が破壊されるほどの攻撃を受けて、それにほら、鳳翔さんの証言も記録に残ってる。菅谷中佐が亡くなった時の証言は違うけど……基地への攻撃は激しく、即時迎撃し撃退出来たのも皆の協力があったからって」

 

『どれだけの訓練を積んでいても、いざという時こそ分からないものです。訓練で反応出来ていたって、本物の深海棲艦の砲弾は演習と違って大きな被害をもたらします。当たれば痛いなどでは済まされません。それに――海上での砲弾ならば回避の選択も出来ますが、背後に守るべきものがあるとなれば、話は変わってきます』

 

 一言一句、その通りだった。

 私達艦娘の戦闘は、艦娘の名の通り海上が主である。

 

 ならば砲弾が飛び交うのも海上であり、回避の選択は常にあるのが当然の道理。

 傍に仲間がいたとすればともに砲弾を打ち落とすなんて曲芸のような選択だって可能だろう。もちろん可能であるかは別問題なのだけど。

 

 傷ついた仲間を背にしていたのなら、回避の選択は消えていたかもしれないが、戦場において庇うことで戦力を倍失うことになるのならば、体力の多い方が回避を選び生き残ることで先を開くというのも、無い話ではない。

 冷たいかもしれない。残酷だし、非道だし、仲間を見捨てることでもある。

 

 しかし戦争を勝ち抜くためには、そんな狂気に満ちた選択さえ迫られる。

 

 鳳翔は――鹿屋基地にいた艦娘達は、それを迫られた。

 

「襲撃の時刻は夜半……襲撃なのでありますから、おかしくはありませんな。北上してきた深海棲艦は防衛網をすり抜けており、既に基地近海まで迫っていたために即時迎撃という形のほか無かった、と……んー……」

 

 鹿屋で鳳翔の指輪や中佐の写真を取り戻してきたあきつ丸は、かの基地を思い出しながら考えを巡らせているのか、親指で額をかきながら軍帽を何度も被りなおすような仕草を見せる。

 

 敵は非情だ。待ってなどくれない。

 あきつ丸が無意識に読み上げているであろうただの文字である記録群にさえ、その非情さ、狡猾さは現れている。

 

 油断も隙もありはしないとはよく言ったものだ、とぼんやり思う。

 

『鹿屋基地の当時の被害状況については、証言や残されている画像記録に相違は無いでしょう。ですが、何かあるはずです。見落としが、どこかに』

 

「そうなのでありましょうが……自分らは大将閣下のような慧眼も頭脳も無いわけでありまして……い、いけませんな、弱気なことを……」

 

 通信室に集まってから、さして何時間と経過していない。

 が、少なくとも一時間程度。その間中ずっと紙に穴が開くほど目を通し、同じ話題を堂々巡り。

 

「もう一度聞きますが、証言の変更などは無かったのでありますよね? 自分がこれらを入手したのはそうでありますが、証言のすり合わせが可能であったのは鳳翔殿ただお一人……」

 

『皆、間違った事は言ってません。基地の執務室付近だって攻撃を受けていましたから。襲撃の激しさからしても、深海棲艦の砲撃による建物の崩壊に巻き込まれて亡くなったと思うでしょう』

 

「……うん?」

 

 私は、ふと思う。

 

「鳳翔さん、私さ、空気とか読まないし、すっごく嫌な奴に聞こえると思うから、先に、謝っとくんだけどさ」

 

『そんな事ありません! 私は大丈夫ですから、どうぞ、気になることがあるなら』

 

「菅谷中佐は、鳳翔さんの前で、深海棲艦の襲撃じゃない理由で、亡くなったんだよね?」

 

『はい。公式の記録には錯乱して幻視した可能性が高いと書かれてしまいましたが……あれは確実に、人でした。人間です。誰かまでは、分かりませんけど……』

 

「だよね。うん、うん……じゃ、鳳翔さんの言う通りだとして、ってか、提督が動いてるんだからそうなんだろうけどさぁ……っとと、じゃなくて! 菅谷中佐は、どうやって亡くなったの?」

 

 そうだ。どうやって亡くなったと処理されたのだ?

 

 一人の軍人、それも中佐という階級の人間が死亡したとなればそれ相応の処理が必要になる。如何に杜撰な調査とて、そのあとにだって処理はまだ続いたはずだ。

 基地の再建から周辺住民への説明、それから、菅谷中佐の葬儀。

 

 ともすれば、中佐は葬儀の前に調査の名目で遺体を解剖されていてもおかしくはない。

 

 いや、深海棲艦の襲撃によって死亡したのであれば、敵の情報に繋がる欠片でも残っているのではないかと解剖していなければおかしい。

 

 私は知っている。戦争の残酷さを。

 だからこそ、この醜く恐ろしい違和感が私に訴えかけてくる。

 

 死した者の墓に潜り込み、水底よりも暗い闇に呑み込まれようとも、真実を追えと――。

 

『それは――』

 

「お願い、鳳翔さん。大事な事なんだ」

 

 私がそう言うと、鳳翔さんはゆっくりと声を紡いだ。

 

『……襲撃があった夜、秘書艦であった私はすぐに菅谷さんの……す、菅谷提督の元へ向かいました。その間に、執務室からは放送が行われ、迎撃用の編成が伝えられて――』

 

 

* * *

 

 

 ドン、という衝撃で目を覚ましたのを覚えている。

 壁からぱらぱらと粉が落ち、窓が揺れ、一斉に艦娘達が起き出して基地は騒然とした。

 

 地震とは違う、海上で、戦場でしか感じることのない独特の衝撃は艦娘達を瞬時に覚醒させた。

 

『今の――! ほ、鳳翔さん……!』

 

 同室の艦娘の一人が私の顔を見る。

 動かねば、と混乱をおさえつけて『皆を集めて港へ行ってください! 迎撃の準備を!』と半ば叫びながら言いつけ、走り出した。

 

 彼の元へ行かなきゃ――彼の補佐を――!

 

 執務室へ向けて駆け出した私の耳に、きぃんという音と、少しのノイズ、それから、彼の声がスピーカー越しに届く。

 

『緊急、緊急。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。現在、基地近海に深海棲艦の反応が見られた。各員は直ちに迎撃の準備をせよ。繰り返す、直ちに迎撃の準備をせよ。現在、哨戒中であった第三艦隊が交戦している。今から名を呼ばれた者は第三艦隊の支援を行うため工廠へ行き兵装を――』

 

 順番に名前を呼ばれる。その中に私の名前は無かった。

 当然だ。今は夜更けで、軽空母の私に夜間戦闘は不可能。

 

 他の空母ならば他の艦娘をまとめることが出来るかもしれないが、その中でも私は秘書という任務を預かる身。

 

 役に立たずとも指示を繋ぐ事は出来るはず、そう思って足を止めず走り続け、執務室へと向かった。

 

 

 それから……それからは……あっという間だった。

 

 菅谷提督の迅速な指示によって艦娘達は迷うことなど無かった。

 交戦していた第三艦隊の支援を行うために工廠へ行き兵装を整え出撃する者、名を呼ばれずとも支援艦の即時交替が行えるようにと出撃準備をして近海へ出る者、各自が動いた。そんな中で、私だけが……不安で、彼の元へ走った。

 

 私は、どこかに欠陥があるのだろう。

 

 守るべき人が居なくなるかもしれない、そう考えるだけで不安になって、戦場よりも彼の傍を選んだのだから。

 

 私が執務室へ駆けつけた時、ノックもせずに開けた扉の先にあった光景は――崩れ落ちる菅谷提督に、開け放たれた窓から飛び降りていく人影。

 どしゃりという音に続く水音に、私の、叫び声。

 

『っぐ、ぅ……ほ、しょ……』

 

『菅谷、さん……い、いやぁぁあああああああッ!』

 

 すぐに駆け寄った。地面に力なく倒れこむ彼の横にほとんど転ぶようにして縋り、出血が酷くなるかもと抱き起しこそしなかったが、両頬を手で包み、何度も名を呼んだ。

 

『菅谷さん! いやっ、なん、なんでっ、どうしてこんなっ……! 菅谷さん目を開けて! 開けて――開けてください! 目を閉じてはダメです!』

 

『ぅ、ぅぅ……ほ、うしょう、さん……すまない、君を、置いていく、など……』

 

『すぐに救護班を呼びますから! ですから! 目を閉じないで!! 喋らないでいいですから、目を閉じないでください! 起きてッ!』

 

『ごほっ……ぐっ……』

 

 私の両手から命が零れ落ちていくようだった。

 艦であった頃のように、一人になるまで見送るあの気持ちが蘇るみたいだった。

 

 救護班を呼ばなければならないのに、何故彼の傍を動けなかったのか、私は今でも分からない。

 

『救護班を、よ、呼ばなきゃ……あ、あぁぁっ……早く……早く、菅谷さんが……!』

 

『も、無理、だ……こ、れは、助からない、だろう……』

 

『やめてくださいッ! そんな事、仰らないで……助かります、から……だから……いやぁっ……菅谷さん……やめて、やめてぇっ……!』

 

 頬を包んでいた私の手に力がこもり、彼の首を持ち上げる。

 少しでも、傍に、と。

 

 私の膝にのせ、出来る限り楽であろう体勢を維持しようと慎重に動かすと、彼はほんの少しだけ苦悶の表情を和らげた。

 しかし――

 

『んっ、ぐぅ……! こんな、ことになる、なら……もう少し、勲章をもらっておく、べきだったか……? ふふっ……げほっ! ごほっ!』

 

 ――彼の胸から、とめどなく血が流れ落ちる。

 

『こんな時に何を――!』

 

『勲章、を、ほら、多くぶらさげて、おけば、邪魔では、ある……が……げほっ、この傷も、防げた可能性が、ある、かもしれん、だろう? それに……鳳翔さんも、鼻高々で、いられる、か、と……』

 

 こんな時まで、私の事など。

 

『私はただの兵器ですっ! 艦娘です! 私の事などどうでもいいですから……菅谷さんの傷を――!』

 

『聞き捨て、な、らんな……鳳翔、さん……君は、ただの、兵器なんかじゃない……生きて、いいんだ……もっと、自由に……』

 

 そこからどんどんと彼の顔から血の気が失せ始めた。

 同じく私の顔からも赤が引き、冷たい汗が噴き出す。

 

『だ、だめっ、目を閉じないで! 開けて! 開けてって言ってるんですッ! 菅谷さん! 寝てはダメッ!』

 

『く、そ……もっと、早く、渡せば、よか、った……鳳翔、さ……ん、これ……』

 

 彼がごそごそと手を動かし、軍服のポケットから取り出したのは――

 

『なっ……! こんな、時、に……う、受け取れません! こんな! 菅谷さん! あな、あなたが、元気になってからですッ! 敵を退け、仕事が終わってから、いくらでも、いくらでも……受け取り、ますから……だから、目を、開けて……』

 

 ――指輪だった。

 

 鹿屋基地に来てから、何度か好意を伝えられた事はあった。

 しかし私は艦娘。そして彼は軍人だ。現を抜かすような暇など無い、なんて言い聞かせ、真顔であしらってきた。

 

 私は艦娘ですから。

 

 私は型落ちですから。

 

 私より良い人がいるでしょう? 外に、いくらでも。

 

 私は、艦の頃から、最後まで一人だったんですから。

 

 だから、一人の方が性に合っているんです。

 

 ほかに、なんて言ってあしらっただろうか。

 

『受け取って、くれ、るのか……は、ははっ、少しは、変わってくれた、か……』

 

『え――?』

 

『君、は、真面目過ぎ、る……そこが、魅力的、だったんだが……それでも、優しく、仲間思いのところに、惚れ込んだんだ……どうやら、女性を、見る目は、間違ってなかったらし……いな……鳳翔、さ……ん……良い、人を見つけ……しあわ、せ……に――』

 

 彼は、それから

 

『菅谷、さん……? ねえ、何を、しているのですか……菅谷さん……』

 

 目を閉じた。

 

『指示を、菅谷さん……菅谷提督っ、迎撃の指示を、出してください、それから、指輪の件を話ましょう……? お、起きて、菅谷さん……菅谷さん――』

 

 窓から吹き込む冷たい風。

 襲撃の余波により停電し、非常灯の薄明りだけが灯った執務室に、外から仲間の戦う声と、砲撃音が立て続けに響いた。

 

 彼の手に握られた指輪はころりと床に落ち、私はそこで――

 

『どうして、私を』

 

 孤独という恐怖を思い出した。

 

『置いて、行くの……菅谷さん……』

 

 

* * *

 

 

『――即時編成された迎撃支援艦隊の他、哨戒していた当時の第三艦隊と入れ替わり立ち替わりの、総力戦と言ってもおかしくない様相でした。菅谷提督の簡潔な指示のおかげでもあったのかもしれません。各自が迷うこと無く、ただ敵を殲滅するためだけに動いたこともあり、基地の全壊は免れましたが、逆に簡潔であったがために情報統制などなく、証言の一致こそあれ、一部違う証言をした私とすり合わせるような事も出来ず、といったところでしょうか』

 

 淡々と話している鳳翔だったが、時折声が震えていたのを聞き逃さなかった私。

 いいや、私以外にも、あきつ丸や大淀も気づいていただろう。だが、あえて口にはしなかった。流石に、そこまで野暮ではない。

 

「……なるほど、ね。じゃあ、その深海棲艦じゃなく、人間だっていう襲撃者は菅谷中佐をあっという間に、って感じだったわけか……だとすると、その痕跡を残すほど馬鹿でも無いだろうね」

 

 資料を見る限り、襲撃を受けたという執務室も砲撃の跡が見てとれる。

 馬鹿では無い、と言ったのは、鳳翔が菅谷中佐の死を見届けたのちに、その証拠を消し去るかのように砲撃が加えられたのであろうことに対してだ。

 

『彼を連れて執務室から逃れ、救護班へと引き継いだのですが、そこからは……見てません。救護班が言うように、襲撃による死亡、とされていることでしょう。私がいくら、()()()()()()()()()()()と言っても、信ぴょう性が高いと思われるのは、直接処置を施そうと試みた救護班の方かと……』

 

 八方塞がりに見えるこの事件だが、提督はどこをどうやって糸口を見つけたというんだ? 私は深く眉間にしわを刻み、考え込んだ。

 だが、分からない。柱島にもさして周辺拠点の状況を知るような情報のある記録なども残っていないというのに、提督はどうして動いているんだ、と頭を抱えてしまう。

 

 鹿屋基地の見取り図、それから、当時の襲撃された建造物の被害状況、修復過程、襲撃されたのち救護された艦娘の修理状況などなど、何度確認したところで文字が変わるわけでもない。

 

 二の足を踏むとはまさにこのこと。

 提督の作戦に寄与するのだと意気込んだものの、大淀もあきつ丸も提督の真意が見えたと思った矢先、それがただの通過点であったことを思い知って意気消沈する寸前なのだから、私が同じ状態になるのも当然と言えば当然なのだが。

 

『救護班に引き渡した後は、そのまま処理が進められたという事ですよね……まあ、迎撃して損害を受けてしまった艦娘の治療や修理だってあるのですから、次に、またいつくるかも分からない襲撃を警戒して迅速に処理をしてしまうのも……』

 

「待った」

 

『はい?』

 

「川内殿、どうかいたしましたかな?」

 

『何か私の話に不備でも……?』

 

 救護班に引き渡す。そこから迅速な処理。何も、おかしくない。

 

 いいや、違う。

 

「包囲網を抜けた深海棲艦、それに、南方へ飛ばされた漣達……大淀さんの仮定の話はちょっと驚いたけど、仮定のまま話を進めれば――その深海棲艦は操作されていた可能性が高い、ってわけだよね」

 

 天龍達から本土へ向かっていた陸軍を確保したと知らせたあと。

 聞かされた大淀の驚くべき予測の数々。無茶苦茶も過ぎる話ではあったが、それらが過去から現在に向けて歪み一つなく整然と通ってきていることを考えれば虚構であるとも一刀両断できず、素足で冷たい海面をつつくような心持で話す。

 

『はい。深海棲艦を作り出す、なんていう技術がどのようなものかなどは説明できませんが……どれだけ突拍子が無かろうと、そう考えるとすべての辻褄が合うのは確かです。海軍へこんな事を正式に報告しようものならば、きっと病院送りか、解体でしょうが……あえて記録に残しているのは、提督ならば、簡単に切り捨てたりしないだろうという思いからですし』

 

「うん。私も、大淀さんと同じ気持ちだよ。でさ、迅速に処理されるのも、そりゃおかしい話じゃないんだけど――救護班って、艦娘?」

 

 簡潔に問えば、大淀に代わり鳳翔の声。

 

『いえ、違います。工廠を任されていたのも人でしたし、ここの明石さんのように艦娘で工廠の一切を任されている柱島のケースの方が珍しい、というか、ここだけでしょう。艦娘の艤装修理に関しての人員も含めて、確か……』

 

 やはり、と私は口角が上がりかける。

 

「――艦政本部(かんせいほんぶ)、違う?」

 

『そ、そうです。艦政本部から派遣された人達で編制されて……というか、柱島を除く殆どの鎮守府がそうでは……?』

 

「うんうん、そうだよ。そりゃ、気づかないよねぇ……見落としちゃうよねぇ……」

 

 私は資料をばらばらと捲り、当時の鹿屋基地にいた人員を再確認する。

 

 すると――私の言う通り、鳳翔の言う通りに艦政本部からの派遣された軍人のみで構成されていた。

 

 

 艦政本部――通称、艦本(かんほん)は、分かりやすく言い換えれば海軍の技術省だ。

 艦娘の艤装の修理や新兵器の開発、その他一切の技術的なものを任されている海軍の中枢の一部とも呼べる組織は、日本全国にある基地や鎮守府に支部を持つ。

 必然――鹿屋基地にも。

 

「治療する技術も能力もある。艦娘の艤装を研究してる組織でもあるんだから、その威力だって知ってる。なら当然……その威力から被害を想定することだって難しい話じゃない。襲撃が起きたんだから、血まみれだろうが何だろうが違和感なんて覚えないし、鳳翔さんが菅谷中佐を運び込んで治療をお願いするのも、変な話どころか、当たり前の流れだよね」

 

 ここまで言えば、分からない愚か者などこの場には存在しなかった。

 

『……今、同じ資料を見ているのならば、私が見ていることに間違いはありませんね、あきつ丸さん、川内さん』

 

 大淀の声に返事する私達。

 

『本を正せば単純な事、とは、提督も簡単に口になさいますが……まったく、軍規に則ってと口酸っぱく言っていた理由がここに生きるとは――』

 

 敵を逃さぬ証拠が、また一つ。

 

『あ、あのっ……大淀さん、私、やっぱり私が、何か不備を……!?』

 

『いいえ、不備どころか。真面目であればあるほど、この落とし穴に気づけないと言っても過言ではないでしょう。自らの持ち場を理解し、相手の持ち場を理解しているからこそ、無駄なく動く鳳翔さんだからこそ、ショックもあり気づけなかった……残念ながら、提督が編制した《艦娘保全部隊、暁》のお二人の目は、誤魔化せなかったようですが』

 

 大淀の言葉に、あきつ丸がくつくつと喉を鳴らした。

 

「何を仰いますか。柱島の頭脳たる大淀殿も気づいているようではありませんか」

 

『いいえ、競うことでもありませんが……ここは、どれだけの暗闇であろうとも――その闇の中が戦場であった川内さんが、MVPかな、と』

 

「……当然の結果ね。いいのいいの、そんな褒めなくっても!」

 

 私は冗談めかすべきじゃないと分かっていながら、それでも、権力闘争や暴力のためではなく、純粋に仲間のために軍規を正さんと動ける今が、幸福に思えて笑った。

 

 その勢いのまま立ち上がり――手に持った資料をぽいと虚空へ放り投げる。

 

 そして、私を包む幸福を邪魔する悪意に怒りを覚えながら、艤装の一部を顕現させ、忍者の持つクナイのような兵装を投げた。

 

 ばさり、ばさり、と音を立てて地へ落ちかけた資料は艤装を出した私の余りある膂力から放たれるクナイの勢いに押され、どっ、という低い音を立てて壁に突き刺さる。

 

 提督は実力を見せた。

 文字通り荒唐無稽と思えるほどの突出した神懸かり的な作戦を全て成功させた。

 

 呉鎮守府の不正摘発に始まり、同時並行して捨てられた艦娘を救い、息をつく間も無く、今度は南方へ放り出されてしまった艦娘さえ救い、もののついでだと言わんばかりに南方海域を開放せしめた。

 

 そして――私達を攪乱しようと、否、恐らくは口封じのために放たれた《実行部隊》さえも、鎮守府に座したままに捕えてみせた。

 

 提督が海図にペンを立てて笑ったあの表情に恐怖を覚えたのは、きっと私が、過去に権力闘争の道具として戦っていた自覚があったからだ。

 地位を確立するために表を着飾り、その醜く汚れた裏側を隠す。私はその道具だったから、あの目が怖いと本能的に感じ取った。

 

 だが提督は――彼は、作戦中の今、面倒をかけたな、なんて言葉をかけてくれた上に、私を信じて送り出した。

 

 今度は――人々を、私達を守るために、と。

 

「――艦政本部長は《原則、海軍中将が就任す》って言う軍規を乱すのは、良くないよねぇ……? ま、これは手始め、ってところかな?」

 

 クナイが突き刺さった先には、とある名前が――

 

 

 

 

【日本海軍少将、艦政本部長――楠木和哲】

 

 

 

 

 ――確りと記載されていた。

 

 

 

 

 

「あっ、あの、川内殿? ここ、呉鎮守府でありまして、壁の補修などは……」

 

「あっ……あぁぁっ!? ど、どうしよう! つ、つい勢いで……大淀さん何とかしてぇっ!」

 

『えっ、えっ!? 何をしたんですか川内さん! ただでさえ提督の作戦行動中であるというのに、問題を――!?』

 

『どうかしたんですか!? え、えと、その、川内さん、何かあれば私も一緒に提督に謝りますから、とにかく落ち着いて……!』

 

「うわぁぁああん! どうしよぉおおお! せっかく提督が信頼して任せてくれたのに、こんなしょうもないことでぇぇええ!」

 

「……自分も大将閣下に謝罪するでありますから、とりあえずは、その、壁に刺さったクナイを抜いていただいて……」

 

『くっ、クナイを壁に!? 何やってるんですか川内さん! あっ、これ記録に残ってるんですからね!! 通信統制以外に仕事を増やさないでください、まったく!』

 

「ごめぇぇんっ!!」

 

 

 艦隊が帰還するまで、残り、数時間。



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五十六話 保革【清水side】

 現時刻――マルゴーフタヒト。

 空は白み始め、呉鎮守府沿岸が騒がしくなりはじめた。

 

 執務室で二時間にも及ぶ……いいや、たったの二時間で海軍省の内部を大きく動かした仕事が終わりを告げた。

 

「大本営より、大将閣下のご就任の通達を確認しました。これを以て、任務完了です――」

 

 ぴっ、と通話を切り携帯電話から顔を上げると、自分の横にいた山元大佐と、目の前にいる井之上元帥が重く頷く。

 それから自分は、現階級へ就任した、正確には、復帰した海原大将へと顔を向けた。

 

「これで、正式に海軍省大将閣下であります」

 

 そう伝えるも、海原大将は海図の上に肘をついて、組んだ手の上に額を乗せたままの恰好で返事もしない。

 中佐である自分や山元大佐ならまだしも、元帥閣下を差し置いて応接ソファでなく呉鎮守府の提督の椅子にどっかりと腰を下ろしたまま堂々としている姿には、一種の狂気を感じざるを得ない。

 国の中枢を担う元帥閣下と肩を並べようとも、曲がりなりにも部下だろう、と思ってしまうのだが、それを言い出せない要因がいくつもあってか、私はただその姿を見つめることしか出来なかったのだった。

 

 もう艦隊が帰還する。海原大将の艦娘達が柱島へ到着したと連絡を受けてからだいぶ時間も経過している。

 松岡という憲兵隊長が騒がしくなるやもしれんと周辺住民が混乱せぬよう部下を引き連れて海岸へと向かったのも、少し前の話だ。

 

 

 ――恐ろしい男。

 それが、私が嘘偽りなく感じた海原鎮という男に対しての印象だ。

 

 ――徹頭徹尾、軍人。

 それが、ここ数時間のうちに感じた海原大将という存在に対しての印象。

 

 

 元帥閣下の命により大本営へ少佐階級から大将へと復帰させよと辞令があったと連絡を取りながら処理をしていた際に、少なからず大将閣下の働きを知る事となった。

 無論、出会う前から様々な任務の舵を取り深海棲艦という恐ろしい存在を容易く退けた経歴の持ち主であることは知っていたが、ここにきてそれが眉唾などではないと実感して逆らう気も失せたというのが、平たい感想になろうか。

 

 この男は全てを知っている。その上で、艦娘という存在を認められず軍人の意地とやらで必死に戦い、結局、根負けして延命措置に逃げ出した私や山元大佐を守らんとして部下の前であるというのにもかかわらず土下座までした。

 どれほどの屈辱であろうか。それは私も想像さえ出来ない。

 

 命が惜しい。しかし、勝ちたい。だが、怖い。

 

 それらから生まれた複雑な感情は弾丸となって放たれたが、凶弾は大将閣下の頬を掠めただけに終わった。

 大将閣下は私にこう言った。

 

 潮の平手の方がよっぽどだったな、と。

 

 艦娘にさえ手をあげられ、感情の濁流と生死の狭間にいる今、私なら大将閣下のような行動を取れただろうか?

 答えは考えずとも、否である。

 

 戦場という狂気の舞台で、彼は未だに一人で戦っている。

 

 故に、故に――

 

「……大将閣下は、もう、全てをご存じなのですよね」

 

「中佐、何だ突然」

 

 山元大佐の声に目を向けるも、ただ視線だけでこれだけは問わせてくれと訴え、再び大将閣下に視線を戻す。

 

「……」

 

 大将閣下からのお声は、無い。

 

「鹿屋を預かる私がどのような立場であったのか。楠木少将が何をなさろうとしているのか、全て、ご存じなのでしょう?」

 

「……うむ」

 

 たったの一言だったが、あぁ、それならば良いのです、と私は満足気に懐へと手を入れた。

 かさり、と指先に触れる感覚。それを取り出してテーブルへと置けば、今度は元帥が目を見開いてその()()に手を伸ばした。

 

「これは……」

 

「鹿屋の前任、菅谷中佐の手紙です」

 

「何故、清水中佐が持っておる」

 

「……先輩に、もしもの時は、と渡されておりました」

 

 捨てよう。もう、逃げよう。そう思っていたのに捨てられなかったものだ。

 中身がなんであるのかは、私も知らない。

 

 もしかすると軍人らしく遺言であるかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

 だが、まだ私が前を向いて戦っていた頃に、お前ならばと手渡されたものだった。

 菅谷中佐が、鹿屋基地に勤めてしばらくしてから、だったろうか。

 

 菅谷中佐と私は、元々同じ階級では無かった。

 先輩が亡くなられて、そのポストへと自分が納まったに過ぎない。

 

 厳しい訓練の課される一等時代よりも前から、日本を守ろう、人々のために戦おうと言い合っていた仲間だった。

 

 そんな菅谷中佐が鹿屋の配属となり艦娘という得体の知れない存在を任された時から、色々な話を聞かされたものだ。

 艦娘というからどんなものかと思えば、自分達と変わらん存在だったよと。

 

 やはり女子は甘味が好きなのか、与えれば花が咲いたように笑って喜ぶんだ。

 幼い姿ながらに海上で恐ろしい敵と戦う駆逐艦だが、戦闘を終えて戻れば、人の子と変わらない無邪気さで遊びまわるのだ。

 軽巡や重巡の艦娘は、少し背伸びしたがりが多い。色恋の話となれば黄色い声をあげて騒ぎ出すものだから食堂は毎日かしましいぞ。

 

 私は、艦娘が好きだ。

 彼女らとともに戦える事を、嬉しく思うよ。

 

 そう語った菅谷中佐の姿を思い出しながら、私は大将閣下へ向けて言う。

 

「今更になって嘘は申しません。私は楠木少将の提案だという事で、鹿屋の提督というポストへ納まり、そして少将の使いを通して受けた命令として深海棲艦の撃破数を偽った報告書を提出し、包囲網から発される警報も楠木少将の遂行する任務上避けられないものであるという不審な言葉も呑み込み、見逃してまいりました」

 

「……うむ、うむ」

 

 大将閣下の相槌に、元帥閣下の重たい息遣い。

 山元大佐は膝に肘をついて、手で口を覆って顔をしかめていた。

 

「私の優柔不断によって、国民を脅威に晒した処罰は、大将閣下の受けるべき罰ではありません。大将閣下のお心遣いを無駄にするような真似をお許しください。それでも……それでは、鹿屋の先達に……菅谷先輩に、申し訳が立たんのです」

 

「……」

 

 分かってくれたか、と息を吐き出した私だったが、突然――がたりと音を立てて大将閣下が立ち上がった。

 

「ね――ッ」

 

「っ!?」

 

 空気が揺れる? いいや、違う。

 大将閣下の丹田で練り上げられた気迫が固体化して部屋中を打ったかのような大声だった。

 

「眠たい事を言うなッ!!」

 

「ひっ――!」

 

 数秒、空白の時間。

 それから大将閣下は周りをゆっくりと見回し、静かに腰を下ろした。

 

「……失礼した。寝ぼけていたようだ」

 

 何を言うかと思えば、寝ぼけていた、だと?

 それは自分の考えも、既に起こした行動も覆されることは許せないという事か?

 

 じわじわと痛む両耳に意識を持っていかれまともな思考が出来ないのは私だけでなく、大佐や元帥閣下も同じようだった。

 大将閣下は元帥閣下の持つ手紙に気づいたようで、ぴくりと動いてそれを問うた。

 

「井之上元帥。それは、あぁ、えー……手紙だったでしょうか」

 

「あ、あぁ、そうだ。菅谷中佐の遺した……」

 

「ふむ。であれば、私が受け取りましょう。よろしいですか?」

 

「それはもちろんだが……。いや、海原、眠たい事など、今やワシが言えた立場でもないのじゃが、清水中佐の想いも分からんでは無い。お前の誠実さが、こいつを正したんじゃ。相応の罰を受けねば気が済まんという男の気持ちも、分かってやってはくれんか」

 

「え? なんの話です?」

 

「……海原、お前の気持ちも分かる。あれだけの覚悟を見せたのだからな。じゃが恥にはならん。それどころかむしろ、お前のあの行為によって、こやつは全てを正直に話して仕事を全うしようとしておる」

 

 情けない……まるで父親から叱責を受けた子どもが、祖父に庇ってもらっているようではないか。

 その情けなさを加速させるように目頭が熱くなり息が詰まる。

 

 こんな気持ちになったのは、何十年ぶりだか。

 

「いえ、ですから、井之上元帥、私は――」

 

「わぁかっておる。お前の作戦は見事成功し、無事に山元や清水も手元へ戻って来た。それだけで良い」

 

 既に私は口を挟めず、ただ事の成り行きを静観するのみ。

 

「それだけで良いって……それは、まあ、私の仕事は漣と朧を連れ戻す事でしたから……」

 

「うむ、うむ。それは成された。これ以上にワシがお前に望む事は無いとも。なあ、清水中佐」

 

「っ……はっ」

 

 何とかそれだけを返事して、顔を伏せてしまう。

 そうだ。これ以上、大将閣下のお手を煩わせる事こそが、本当に失態に繋がりかねない。

 

 恥を忍んだ大将閣下を眼前に見ただろう。

 ならば私のすべきことは何だ。考えろ、考えろ……!

 

「では……これ以降、私の仕事は柱島の艦娘達を支えること、という……その、元々の仕事へ戻ってもよろしい、と?」

 

「……問題が無ければ、じゃが」

 

 しばしの沈黙に顔を上げると、元帥閣下が私を見ていた。

 見つめあっていたが、大将閣下へ視線を移せば、彼もまた、私を見ていた。

 

 元帥と大将という海軍において中枢も中枢、いや、その頂点に座す二人は、私だけでなく、山元大佐も見つめていた。

 

「……――僭越ながら、私に出来る事ならば、いえ、どのような事でも、遂行いたします」

 

 震えた声だったが、はっきりとそう言い放った私に、山元大佐が肯定を示してくれた。

 

「であるならば、清水中佐の上席である自分が動かない理由もありません。元帥閣下と大将閣下のご命令とあらば火の玉となって降り注ぎましょう」

 

 山元大佐……! と顔を向けると、海軍特有と言うべきか、軍特有と言うべきか、理性的かつ、そのうちでも抑えられなかった感情を、ばしんと背を叩く事で表現する大佐。

 

「……無能が動いても仕方が無い。私は大人しく持ち場へ戻らせてもらうとしよう」

 

 どこまでも厳しいお方である。無能ならば動くななど。

 海上自衛隊の時代から思い返しても海原鎮という男ほど厳しい軍人は見たことが無い。

 

 だが言い換えればそれは――大将閣下が、私を部下として認めてくださる第一歩。

 

「本作戦は大淀やあきつ丸、川内が統括している。気になる事があれば彼女らに聞け。いいな? 間違っても、逆らうな」

 

「っは!」

「そのように」

 

 勢いよく立ち上がって敬礼する私と山元大佐。

 

 そして丁度――扉が開き、名の出た二人の艦娘が顔を出した。

 

「大将閣下。柱島を経由し補給を終えた艦隊が、到着したであります」

「継続戦闘は可能だけど、流石に連戦ってなると艤装が危ないかも……どうする?」

 

「ふむ。では迎えに行こうか。継続戦闘は無しだ。漣と朧を工廠へ連れていき回復させることを優先し……そうだ、大佐。工廠を借りるぞ。うちの艦娘の修理もしたい」

 

 律儀な人だ。ここで山元大佐が断るわけもないのに。

 もちろん、山元大佐はと言えば――

 

「っは。我が呉鎮守府は大将閣下のお預かりする一部に変わりありません。ご随意にお使いください!」

 

 ――と、敬礼を崩さないままに声を上げるのだった。

 

「結構。迷惑ばかりかけてすまんな……」

 

「な、何を迷惑など……っ! それは自分達のセリフです。これ以降、大将閣下の厳命通りに任務を遂行致します!」

 

 艦娘を任されて日は浅くないであろうが、大将閣下が現在預かる柱島に着任してから数か月とも経っていない。

 あきつ丸と川内という艦娘が私と大佐を見て驚愕の表情をするのも無理は無かろう。

 

 ただでさえ各方面から飛ばされた艦娘だ。信頼関係もままならない状態で任務の連続。そして少佐という階級を無視するかのような不正摘発に、特進とくれば、心中は如何ばかりか。

 

 ……無駄なことを考えている場合ではない。

 今後の任務、その中核となろう()()()はこの艦娘達との連携が肝となる。

 

 鹿屋の艦娘達には悪いが、彼女らに形式的に挨拶した時よりも緊張しながら、私は山元大佐に負けぬくらいに声を上げた。海軍式、というやつだ。

 

「現鹿屋基地所属、清水昭義(しみず あきよし)中佐であります! 今後の作戦に従事し、粉骨砕身する所存であります!」

 

「並びに、現呉鎮守府所属、山元勲(やまもと いさお)大佐であります! 如何様にもご命令ください!」

 

 私と大佐の言葉を受けた二人の艦娘は――綺麗な答礼を見せる。

 

「柱島鎮守府所属、揚陸艦あきつ丸であります。今後のご連絡は御二方に回せばよろしいか?」

 

「「はっ!!」」

 

「了解であります。では、そのように」

 

「柱島鎮守府所属、軽巡洋艦川内型一番艦、川内。夜戦なら任せておいて」

 

「せっ、川内殿、きちんと答礼いただきたい……! あとで大将閣下にご報告する時、一緒に謝らないでありますよ……!?」

 

「うぐっ、そ、それは困るって……! あ、あー。よろしくおねがいしまーす!」

 

「なっ……んていう、適当な……」

 

 ……どうやら杞憂だったようだ。

 私と大佐はおろか、元帥閣下の目の前であるというのに、大将閣下が傍にいるからか肩の力が抜けるような二人のやり取りは、堂々としていて、それでいて――頼もしくもある。

 

 そうだ。先輩も言っていたじゃないか。

 

 彼女ら艦娘はただの女子ではない――自分達のために再び立ち上がった仲間であるのだと。

 

 

* * *

 

 

 港へ向かうと、そこには総勢十名以上もの艦娘がずらりと整列して待機していた。

 元帥閣下と大将閣下を先頭にぞろぞろと迎えに行けば、艦娘は一糸乱れぬ敬礼をし、その後、大将閣下の「楽にしろ」という言葉で姿勢を解いた。

 

 港には既に松岡隊長や他の憲兵の姿が無いところを見るに……――確保された陸軍所属の不審な者達は連れていかれたと見て間違いないだろう。

 

「――全員、ご苦労だった。突然の無茶な任務を無事に成功させてくれて、心から喜ばしく思う」

 

 軍帽を脱いだ大将閣下はそう言った後――静かに、腰を曲げて頭を下げた。

 

「「「っな……――!」」」」

 

 艦娘一同が驚く。私も大佐も、元帥閣下も驚いて声を失った。

 

「本来ならば非番であった者まで引っ張りだしてしまったのは、自分の実力不足が故だ。本当に、申し訳なかった」

 

「な、ま、待ってください提督! そんな、私、そのような――!」

 

 声を上げたのは、巨大な艤装を背負ったままの戦艦。扶桑、と言ったか。

 彼女の制服であろう、コスプレのような巫女服が如きそれは煤や海水でボロボロになっており、言っては悪いが、目に毒で視線のやり場に困る恰好だった。

 

 それでも目を逸らせないのは、痛々しい姿をする原因となったのが自分であるというのが一因だろう。

 それ以外にも、彼女の戦果についても、決して捨て置けるものではない功績であるからこそ。

 

 南方海域、ソロモン諸島を周回して接敵した彼女ら艦娘は見事に敵を撃破して進み続けた。

 その中でも、絶望的な数の深海棲艦を全力で吹き飛ばしたのが、この第一艦隊旗艦である、扶桑なのだ。

 

 国名を背負う戦艦の雄々しい姿から目を逸らすなど、ありえない。

 

 女子相手に雄々しいというのも失礼なのかもしれないが。

 

「扶桑にも、無理をさせたな。だが、助かった」

 

「わ、私っ、そのっ」

 

「ああ、分かっている。呉鎮守府の工廠を使えるようにしておいた。すぐにでも入渠を――」

 

「違うんです、私、欠陥戦艦で、あのぉっ……」

 

「何を言うか。欠陥などでは無い。お前は素晴らしい戦艦で――」

 

「――聞いてください、提督!」

 

 どうやら何か言いたい事があるような扶桑は、大将閣下の言葉を遮り、私達がいることも忘れたように、熱に浮かされたが如く口にする。

 

「私……私、不幸だと、言い続けていたんです。私のような戦艦は役に立てないだろう、って」

 

「だから、お前は欠陥などでは――」

 

「違うんです!」

 

「……」

 

 大将閣下の声が、扶桑の声によって掻き消える。

 

「……提督が、通信でお声をかけてくださったから、戦えたんです」

 

 あぁ、彼女の事を自慢げに話していたな、と思い出し、綻びかける口元。

 今の口ぶりからするに、大将閣下はどうやら――彼女たちに信頼されている、という自覚は無いらしい。

 

 おべっかに近いくらいに褒めちぎるのも嘘ではなかろうが、それでも足りぬほどに、大将閣下は彼女らを信頼している。

 

 故の作戦への謝罪。故の、恥を捨てた土下座――私と大佐への叱責。

 

 間接的にとは言え、()()()()()()()()()()()()()と示した大将閣下は、あきつ丸や川内といった艦娘に情報を伝えているのだろう。

 私と大佐はその情報を基に……私達を飼っていた元の飼い主の手を噛んでこいと、そう示したのだ。

 

 先達の手紙を受け取った後に任せてきたのだから、私は、どのような恐怖に遭おうとも、死を前にしようとも、一歩も引くわけにはいかない。

 

「提督の元へ、帰りたかったから、戦えたんです……私も、お仕事ができるんだって」

 

「仕事……あぁ、そう、そうだな。仕事が、出来るんだな、扶桑は」

 

「はいっ!」

 

「……今後とも頼むぞ扶桑。それに、お前達も」

 

「「「はい!!」」」

 

 大将閣下の言葉に、艦娘全員の返事が響く。

 

 そこからはまた、忙しなく動くこととなった。

 

 

「これを以て、作戦を完了とする。皆、よく頑張ったな」

 

 

* * *

 

 

 帰還した大将閣下の艦娘の修理には、わざわざ柱島から出張ってきたらしい明石という工作艦が就く事になった。

 人の手に任せるよりも確実だろう、とは大将閣下曰く。日が昇った早朝から修理が始まり、昼前には明石の驚異的な手腕により完了し、すぐに柱島へ帰還が可能となった。

 

 それと、深海棲艦研究者、ソフィア・クルーズは一度柱島で検査を受けて食事をしてから、数刻遅れて呉鎮守府へと到着した。

 休ませることが先決であり、大将閣下のお膝元である柱島がこの日本中のどこよりも安全であろうが、またいつ楠木少将の襲撃に遭うかも不明の今、万全を期して憂いなく戦えた方が良いだろうと大淀という艦娘の判断で呉鎮守府へ移送されたとのこと。

 あきつ丸と川内は柱島鎮守府と密な連携を見せた。

 大将閣下の下へ来る前は欠陥だのと言われていた、とは到底信じられない働きである。

 

 ここまでで、もう寝ずに丸一日と経過しただろうか。軍人とは言え少しばかり眠気が襲ってきている。

 

 元帥閣下は大本営に戻り、急ぎ調査を続けると言って止める間も無く呉を発った。

 先日までは更迭され収容されていた山元大佐は、あんまりにあっさりと呉鎮守府に戻され、その上で任せたとまで言われたものだから興奮に混乱も合わさり、胸中は混迷の極みのことだろう。

 

 菅谷中佐を裏切るような真似をして後方に引っ込み、それでもひそひそと上席を狙っていた自分もまた、改心こそしたが大佐とともに大役を任されて混乱甚だしいのだけれども。

 

 しばし艦娘の様子を見てくる、と言って大佐と私にソフィア・クルーズを任せた大将閣下は、漣達を連れて艦娘寮へと向かっていった。

 

 そして私と大佐は、大将閣下が残してくれたあきつ丸と川内とともに、執務室でソフィア・クルーズという女性と対面していた――。

 

 

 

『初めまして。通信で少しお話ししましたね。日本海軍に所属している、シミズと申します』

 

『えぇ。数時間ぶりになるかしら。初めまして。今回は助けてくれて、ありがとう。では、その隣の方が、コマンダー・ウミハラかしら?』

 

 服を洗濯してもらったのだろう。ところどころに補修の見られる白衣に既に汚れは無く、汚くも無いしボロついてはいないものの、不思議な恰好の彼女。

 海外らしい日本人とは違う金髪に青い目、救助されるまで食事もまともではなかったのか、少し肌がかさついた彼女ではあったが、海外女優のような美しい人だった。

 

『いえ、この隣にいる男は、この呉鎮守府を預かるコマンダー・ウミハラの部下で、ヤマモト、と申します。コマンダーはまだ仕事が残っておりまして、代わりに私達が事情聴取を――お辛いことを話していただくかもしれませんが、どうかご容赦ください』

 

『いいのよ。生きて帰れただけでも我儘なんて言わないわ。でも、後でコマンダー・ウミハラにもお礼を言わせてちょうだい。それくらいなら構わないでしょう?』

 

『それはもちろんです。拙い私の英語を聞きながら喋るのは苦痛かもしれませんが、それもご容赦くださいね』

 

『あら、そんな事ないわ? とっても上手よ。小難しい話ばかりする私の元上司と話すよりずっと楽だわ』

 

 元上司、という言葉に一瞬黙り込んでしまう私に、ソフィアは続ける。

 

『どうやら、本当に元上司になっちゃっているみたいね』

 

『……はい。あなたは深海棲艦を研究するために移動する途中での事故で、死亡したことになっています。現在は日本海軍のアドミラルであるイノウエという者が、日本政府へ働きかけている最中です。そう遠くなく、アメリカ政府へ救出成功と、生存報告がなされるでしょう。その点はどうかご安心を』

 

『そうだわ……! 両親に、生きていると伝えてもらえるのよね!? で、電話……出来れば、私が直接――!』

 

 彼女の気持ちはもっともだ。生き残れたのだから、両親へ電話で生きていることを伝えたいことはなんらおかしい事じゃない。

 だが……おいそれと連絡を取らせる事は、難しい。

 

 私が横を見れば、山元大佐が困り顔で首を横に振った。

 

「すまんな。私も英語を話すことが得意ならば事情を伝えたのだが、中佐に頼ってしまって」

 

「いえ、それは全然……大佐が代わりに記録を取ってくれておりますので。それで、やはり連絡は……」

 

「うむ、我々の一存では、まだ無理だろう。先に彼女のご両親に連絡をして少将に漏れんとも限らんからな……ここは悪者となろうが、我慢いただこう」

 

「です、よね……」

 

 部屋の隅に控えていたあきつ丸から「フォローは致しますが、自分らは英語など話せないでありますよ?」との声。

 同じ女性だからフォローしてもらえるのは願ってもないが、言語の壁は大きい。

 

『……ミズ・ソフィア。日本海軍としては、まだ連絡を取らせるわけにはいかないのです。事情をお話しすることも出来ない身を、お許しください』

 

 素直に言って軍帽を取り頭を下げると、彼女は何か言いたげな表情をしていたものの『まぁ、そうよね』と肩を落とした。

 彼女も深海棲艦という存在を知り、研究していた者なのだから、日本でなくとも海軍とは関係が深いだろう。ともすれば、連絡を取れない理由だって察しがついているのかもしれない。

 

『話を戻し、事情聴取をさせてください。ミズ・ソフィアはアメリカの研究機関からどちらへ移動のご予定だったのですか?』

 

『ニュージーランドよ。そこにある研究所に異動になったの』

 

『なるほど。では、元々働いていた研究機関では、深海棲艦の生態の研究を――?』

 

『えぇ。ステイツを襲って倒された深海棲艦のサンプルが持ち込まれては、それを解剖する毎日ね。そういえば、ステイツでも私は死んだことに?』

 

『こちらを』

 

 私はテーブルに置かれたノートパソコンを開き、いくつかの記事を表示させて彼女へ見せた。日本記事を機械的に翻訳したページ以外にも、海外ニュースのサイトにもちらほらと過去の事故が掲載されていたのだった。

 ただし、大々的、ではない。

 

『研究者の数十名が事故にあったところで、世界は興味なし、なのね』

 

『――それが、そうでも無い、というのが我々の見解です』

 

「おい、清水中佐……!」

 

「詳しくは話しません。大将閣下に叱られてしまいます。ですが、彼女に何ら希望が残されていないのは、悲しいではないですか」

 

「それはそうだが……っ! はぁ、大将閣下に魅せられ過ぎだ、お前も」

 

「ははっ、お前も、という言葉で理解しておきましょう」

 

「全く。だが、慎重にだ。いくら喋れなくとも何を話しているかは分かっているぞ、中佐」

 

「もちろんですとも。記録に残しても問題無い程度に話します」

 

『二人とも、日本語で話されちゃ分からないわ』

 

 ソフィアの声に『失礼』と返して、私は話した。

 

『深海棲艦研究者は日本において軍事的な機関に所属しているものであり、アメリカのように民間、軍事問わず多く存在しているわけではありません。その中でも大きな事故である本件、多くの研究者が失われたこの事故について不審に思うような記事を出しているのは……アメリカや日本の圧力がかかっていない、誤解を恐れず言うと、()()()()です』

 

『それは……?』

 

 私はソフィアに向けていたパソコンをこちらに引っ張り戻してから操作し、いくつかのニュース記事を辿るようにクリック音を鳴らした。

 

 そして、ニュース記事とは別のページを表示させ、彼女に見せる。

 

『どこかの新聞社が出しているようなものではなく、個人やフリーの記者達で運営されているニュースサイトの記事だけが、事故を報道していたのです』

 

『なんで――私達は世界の脅威に対抗するために研究をしていたのよ!? それが、どうして、リーカーの記事だけだなんて……!』

 

 この事実に気づいたのは、残念ながら私や大佐では無い。

 

『言われなければ気づかないでしょう。しかし、私やヤマモトはこの記事にある、あなたを襲った事件に関連のあるかもしれない任務に従事しています。その任務のトップこそ、コマンダー・ウミハラなのです』

 

 話せるのはここまでだ、と言葉を切って示せば、ソフィアは椅子へ身体を預けるようにして力を抜き、息を吐き出した。

 

『はぁ……ステイツでも、機密、機密、機密。日本に来ても、機密、機密……機密ばかりなのね。私の人権はどこにいってしまったのかしら』

 

『……それは、申し訳ありません。何分、我々も仕事でして』

 

『私だって仕事だったわよ! 妙なクリーチャーを生臭いのを我慢しながら何度も解剖して! 何度も運んで! 今度は異国で仕事をしろって放り出されたかと思えば深海棲艦に襲われて……!』

 

 海外映画のようなヒステリックだったが、その理由も止められるものではなく、黙って聞くしか出来なかった。

 

『それで、今度は、何よ……今度は何に巻き込まれたのよ……』

 

 それも、伝えられない。

 日本海軍の上層部の仕業かもしれないなどと、言えるはずもない。

 

 ぽろぽろと泣き始めてしまった彼女に何がしてあげられるだろうか、と考え、茶の一つでも出して落ち着いてもらおうかと立ち上がりかけた時のことだった。

 執務室の扉がこつこつと叩かれる。

 

 あきつ丸の「誰でありましょうか」と問う声に、返事はない。

 だが、こつこつ、と扉を叩く音は止まらない。

 

 不審に思いながらも身構えて扉を開いたあきつ丸と川内から「えっ!?」と声が上がった。

 

 間もなく、私と山元大佐からも同じ声が上がる。

 

「あ、あれは……大将閣下の、妖精……!?」

 

「どうして、ここに……」

 

 いつの間にか私にも見えるようになった、話にしか聞くことのなかった妖精という存在がふわふわと室内へ飛んでくる。

 その腕には、金平糖が一つ抱えられていた。

 

 妖精はゆっくりとした速度でソフィアの前まで金平糖を抱えて持ってくると、差し出された手のひらの上にとすりと着地する。

 

『この子……島でも、似たような子が……!』

 

『艦娘と同じ、我々と戦ってくれている存在なのは、ご存じであると思います。我々はそのまま妖精、と呼んでいますが……どうして、今……』

 

 何とか説明してみようと口を開くも、説明すら出来ない私。

 妖精は金平糖を持ち上げ、ソフィアに示している。

 

『これ? これは、何……? 私にくれるの?』

 

「――! ――!」

 

 何かを訴えている妖精だが、声は聞こえない。

 しかし、どこか元気を出してと言っているようにも見えた。

 

『それは、日本のお菓子で、コンペイトウ、というキャンディです。おそらくは、コマンダー・ウミハラが持たせたものかと』

 

 私の言葉に、ソフィアは涙に濡れた目を細め、そう、と言って妖精から金平糖を受け取って、口に含んだ。

 

『女の子にお菓子、なんて……男の子の考えそうな事ね。でも、少し落ち着いたわ』

 

 ありがとう、と妖精を指先で撫でるソフィアに、しばしの沈黙が室内を包んだ。

 

 それから――

 

『そうだ……そうだわ! 両親に連絡を取れないなら、その、少し時間が必要でも、海軍はどうかしら! 私と仲良くしてくれたフリートガールがいるの! もしも変わらずに海軍で働いているのなら、彼女がいるはずだわ! 彼女に生きていると伝えてほしいの!』

 

 勢いに押され、どうどう、という恰好で『落ち着いてください。確認を取ってみますから』と言って名を聞けば――彼女から、日本の外では聞かぬ名はいないであろう、艦娘の名前が飛び出すのだった。

 

 

 

 

 

『ステイツが誇る戦艦、アイオワよ。名前くらいは知っているんじゃない?』

 

 

 

 

 

 彼女と私は仲が良かったんだから、と彼女は笑った。



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五十七話 捕獲【提督side】

 労働基準法、総則、第四章。

 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇について。

 第三十二条――使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。

 一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

 

 俺が柱島から出たのが前日の昼前……いや、昼過ぎだったか……。

 

 既に夜は過ぎ、空は明るくなっている。

 室外からは呉鎮守府の艦娘達が起きたのであろうか、ガヤガヤと遠く声声が響いているが、ここ執務室では相も変わらず厳かというか、立ち上がる事すら憚られる空気が充満しており息が詰まりそうだった。

 

 労働基準法はどうした! 仕事しろお前も!

 

 それ以外にも――

 

(ね、眠い……くそっ、こんな眠気いつもなら我慢できるというのに……!)

 

 ――猛烈な睡魔が俺を襲っていた。

 

「……大将閣下は、もう、全てをご存じなのですよね」

 

 俺は海図の上に肘をついて組んだ手の上に額を乗せ、寝落ちるすんでのところで思考を回転させて眠気を追い払おうと努力した。

 だが、視線を上げようとしても、ぐらり、と下がり海図へと落ちる。

 

 妖精達は睡眠をとらないのか、未だ元気に机の上を走り回りながら海図へ落書き――もとい、何かのマークを書き込み続けている。

 時折、俺の肘や腕が邪魔なのか間を縫うようにして飛んでいるのが目に入るのだが、今や動かす気力も使いたくはない。これを使い切っては本当に寝てしまいかねん。

 

 ここの労働基準、どうなってんのォッ!

 

 井之上さんだってお年を召していように、全く疲れた気配を見せないではないか!

 

 清水や山元に至っては出会った時と表情一つ変わって……いや、むしろ少しやる気が出ているくらいだ。お前らは終盤になるにつれ強くなっていくスロースターターみたいなやつか。休めマジ。ちょっと休憩入れろ。頼むから。

 

「鹿屋を預かる私がどのような立場であったのか。楠木少将が何をなさろうとしているのか、全て、ご存じなのでしょう?」

 

 難しい言語が鼓膜を打つたびに睡魔がより強力になって俺の意識を奪い去ろうとする。

 懐かしき感覚。と言ってもこの世界で目覚めて数週間。ここに来る前、前職にいた頃から考えても数か月と経っていないのだから懐かしいというのもおかしな話だが、この睡魔に襲われながら小難しい仕事を片付ける時間はいつまで経っても慣れないのだった。

 

 かつての職場では営業と称して外に出て多少サボる事が可能だった。

 しかし今はどうだ。無理である。柱島の最強頭脳、大淀によって監視されており、その手先――いや、大淀も部下なのだから俺の手先と言えば手先なのだが――であるあきつ丸や川内という目は俺を見逃してくれることなど無いだろう。

 

 井之上さんに土下座したときよろしく、あきつ丸達に土下座して「休ませてください!」とお願いすればチャンスが無いわけではなかろうが、井之上さんに土下座したところを見られた上に自分達にまで休みたいからなどと言う理由で再びあの情けない姿を披露しようものならば、冗談を抜きにしてぶん殴られかねない。

 

 艦娘は可愛い。だから何をされたって構わない。

 どれほどの酷いことをされてもきっと俺にとってただのご褒美――んんっ、許容範囲であろう。

 

 しかしだ、あきつ丸や川内は艦娘だぞ?

 

 柱島に来たばかりの頃に見た夕立を思い出せ。あの可愛かったぽいぬを。

 

 海岸に上がってから下ろした艤装から放たれた重低音と重量感よ。駆逐艦ですらアレを軽々と持ち上げているのだ。ならば揚陸艦や軽巡など倍、いやそれ以上なのは間違いない。

 

 そんな可愛い怪力無双たる艦娘の二人に本気で殴られてみろ。

 暁の水平線に勝利を刻む前に暁に向かってぶっ飛ばされるわ。

 

「……んんむ」

 

 くそっ、だめだ。怖い事を想像しても艦娘が可愛すぎて効果が薄い! 眠い!

 

 変な声が出てしまうのを軽く咳払いで誤魔化しながら、もっと真面目な事を考えようと思考を切り替えてみる。

 

 南方海域へ出た二隻についてだ。そう、これなら俺の頭もさっぱり冴えるだろう。

 

 弱気でオドオドしている事でおなじみの潮が激怒して俺に平手を食らわせるくらいの事態に陥る原因となった清水中佐の無茶な作戦は、どうにも昇進が目当てだったような感じがしていた。

 あの時は艦娘に無茶を強いた意味不明な遠征に怒っていたために銃を抜かれようが一歩も引けず、なんて無茶をしてるんだと怒鳴り散らしたのだが、今になって考えたら銃て。しかも撃たれたしな。何で平気なんだ俺。

 

 そうだね。不眠不休で働いているから思考が正常な判断力を失っていたんだね。

 少しもサボれなかったからって大淀から逃げ出そうとしたのに、うまい事誘導されただけで普通に働かされてるからだね。全く、大淀は最高だぜ! クソァッ!

 

 本当に判断力を失っていたか、と問われたら、そうでもないのだが。

 

 俺は提督だ。今や本物の、提督だ。

 現実である実感こそあれど提督の実感は薄い。しかしてその地位は既に与えられ、艦これプレイヤーであった俺はそれに縋ることに一切の不満も不審も抱かなかった。

 

 艦娘と働ける! やっほう! 任せろよ井之上さん! 俺、やるよ!

 

 で、結果がこれです。はい。

 艦娘に素人とバレないように提督として働き、支えてやってくれと言われた結果がこれですよ。

 

 柱島に着任した初日に艦娘の気迫におされるばかりか、潜水艦達を泣かせ、大淀を泣かせ、夕立を泣かせ、あきつ丸、長門、そして呉鎮守府の面々まで泣かせてしまっている。

 山元の失態をだしに新たな艦娘を迎え入れるなんていう欲望極まる行為をした上に、今度は清水の失態に足を突っ込んでこんな大事にしてしまい、お偉いさんである井之上さんまで呼び出してしまう始末。

 

 そら土下座の一つくらいするよ。靴? 舐めさせてください。もう舐めます。べろっべろいきます。

 なんならそれくらいじゃ足りないですよね。オッケーです。残業します。不眠不休で戦いましょう!!

 

 ……と、まぁ、仕事をしているときに居眠りなど言語道断だが、寝てはならない理由がこれだけあるのだ。

 ただの社畜である俺を働かせてやると言ってくれた井之上さんの菩薩が如き心の広さに感謝こそすれど、唾を吐くわけには絶対にいかん。

 

 眠気によりまとまらない思考でこんなことを必死こいて考えているというのに――

 

「今更になって嘘は申しません。私は楠木少将の提案だという事で、鹿屋の提督というポストへ納まり、そして少将の使いを通して受けた命令として深海棲艦の撃破数を偽った報告書を提出し、包囲網から発される警報も楠木少将の遂行する任務上避けられないものであるという不審な言葉も呑み込み、見逃してまいりました」

 

 ――清水、お前は睡魔の権化か!!

 

 眠くなる! ヤメロ……ヤメロヨォッ……!

 

 ムズカシイハナシ、スルナヨォッ……!

 

「……うむ、うむ」

 

 あー、はいはい。なるほどね、みたいな相槌で何とか眠気を誤魔化すが、清水の声、山元の声、井之上さんの声が頭の中でぐるぐると回る。

 静かに話している声というのはなんともまあ、眠気を誘うものだ。

 

 だからもうやめてくれ。マジで怒るぞ。

 せめて艦娘が帰って来て仕事終わり! ってなるまでは寝ないんだからな。

 

 ほんっとうにやめろよ。こんな情けない事で、怒らせ、ないで、く……

 

「私の優柔不断によって、国民を脅威に晒した処罰は、大将閣下の受けるべき罰ではありません。大将閣下のお心遣いを無駄にするような真似をお許しください。それでも……それでは、鹿屋の先達に……菅谷先輩に、申し訳が立たんのです」

 

 ……んんんんんんぁぁぁぁあァアアァアアアアッ!

 

「ね――ッ」

 

 完全に意識が飛びかけた。一瞬寝てたかもしれない。いや寝てた。

 清水ぅうううお前はよぉおおおお!

 

「眠たい事を言うなッ!!」

 

「ひっ――!」

 

 立ち上がって大声を出してしまう俺。ドン引きの清水達。

 

「……失礼した。寝ぼけていたようだ」

 

 そして、静かに謝り座る俺。

 

 ごめんごめんごめん! あーやってしまった! 何でこう、あぁもう!

 くそぉ……だってこんなにキッツイ仕事とか思って無かったんだもぉん……せめて睡眠時間はくれよぉ……。呉だけに。呉鎮守府だけに。

 

 ……すみません。

 

 しかしおかげで眠気が少し失せた俺は井之上さんへ視線を移し、その手にある一枚の紙を見て言う。

 

 あぁ、話? 聞いてた聞いてた、それあれだよね、鹿屋基地の提督……清水の前にいた人から渡された手紙だよね? と声を上げる俺。

 

 柱島にも鹿屋基地から来た艦娘がいたはずだ。そう、鳳翔だったな。

 ということは、その手紙は鳳翔に渡せば間違いないはず。いや待て……井之上さん宛かもしれんな。一応聞いておこう。

 

 艦娘の事ならお任せよ。ふふふ、凄いか?

 

「井之上元帥。それは、あぁ、えー……手紙だったでしょうか」

 

「あ、あぁ、そうだ。菅谷中佐の遺した……」

 

「ふむ。であれば、私が受け取りましょう」

 

 受け取ってどうする! それは鳳翔宛ですか? とか聞けよ!

 

「よろしいですか?」

 

 しかし飛んで行ったはずの睡魔の欠片が言葉を濁してしまう。

 

 が、幸運にもどうやら間違ってはいなかったらしい。

 

「それはもちろんだが……。いや、海原、眠たい事など、今やワシが言えた立場でもないのじゃが、清水中佐の想いも分からんでは無い。お前の誠実さが、こいつを正したんじゃ。相応の罰を受けねば気が済まんという男の気持ちも、分かってやってはくれんか」

 

 どの話ですかそれ?

 

「え? なんの話です?」

 

「……海原、お前の気持ちも分かる。あれだけの覚悟を見せたのだからな。じゃが恥にはならん。それどころかむしろ、お前のあの行為によって、こやつは全てを正直に話して仕事を全うしようとしておる」

 

「いえ、ですから、井之上元帥、私は――」

 

「わぁかっておる。お前の作戦は見事成功し、無事に山元や清水も手元へ戻って来た。それだけで良い」

 

 山元や清水が手元に戻った、という意味は分からんでもない。

 社内の派閥的な争いの中、社長と副社長……身分こそ違うが、そういった類の争いで権力が云々といったものはどの業界にもある話だ。

 

 俺はそういった話を好まないが、事実として、権力が不必要かと問われたら、俺は否と答えるだろう。

 何をするにも立場が必要。それは社会人としての常識なのだから。

 

 だから井之上さんは仕事をさせるのに対して俺に肩書を与えたわけだ。

 仰々しく聞こえるが、まあ、お飾り程度の肩書であろう。

 

 もちろん、艦これのような知識で物言いしているわけではなく、だ。

 

 課長、部長、室長、なんていう肩書ならばその課を、部を、一室を預かる身。もっとも、さらに小難しいなんたらプランナーやらエグゼクティブなんたら、なんて肩書を以て社内の権力として扱う事もあるくらいだ。

 ……俺が勤めていたブラック企業だけの可能性は、あえて否定しない。

 

 井之上さんが俺に与えた大将という肩書は、仕事上に必要であると判断したからだろう。百名を超える艦娘を預かる身なのだから当然である。

 窓際課長、みたいに辺境の柱島で艦娘の面倒を見るだけの仕事なのだから肩書なんてあまり気にしていないが。

 

 それに井之上さんも言っているじゃないか。それだけで良い、と。

 

「それだけで良いって……それは、まあ、私の仕事は漣と朧を連れ戻す事でしたから……」

 

 あえて確認するように口にした言葉に、井之上さんは頷いた。

 

「うむ、うむ。それは成された。これ以上にワシがお前に望む事は無いとも。なあ、清水中佐」

 

「っ……はっ」

 

 ……うん。まあね。清水がいくら失態を犯したとは言え、俺よりも前に海軍に勤めてた男だ。俺はいわゆる中途入社。立場は俺が上のようでも先輩なのは清水や山元だ。複雑な立場だなあ……俺……。

 

 だが! 井之上さんは! 俺に! 希望を! 残した!

 

「では……これ以降、私の仕事は柱島の艦娘達を支えること、という……その、元々の仕事へ戻ってもよろしい、と?」

 

「……問題が無ければ、じゃが」

 

 問題!? 無いです! やったぜ! 元の仕事に戻れ……あれおかしいな、やっぱり仕事は仕事じゃねえか。

 うん? おかしい……いや、おかしく、無い、のか……?

 

 そうだよな! おかしくない! 俺は柱島に戻って艦娘を支える当初の仕事に戻るだけでいいんだ! 小難しい仕事はぜーんぶ井之上さんに投げちゃってもオッケーなのだ!

 

 ふはは! 勝ち申した!

 

「……――僭越ながら、私に出来る事ならば、いえ、どのような事でも、遂行いたします」

 

 清水の声に、内心小躍りしていた俺が固まる。

 

「であるならば、清水中佐の上席である自分が動かない理由もありません。元帥閣下と大将閣下のご命令とあらば火の玉となって降り注ぎましょう」

 

 山元の言葉に、俺の不安は確信へ変わる。

 

 これ……ハメられたんじゃね? と。

 

 小難しい仕事は全て受け持ってやるから、柱島の仕事はお前がするんだぞ、という意思に他ならない二人の言葉は、裏を返さずともあの恐ろしい仕事量を確定させられた事と同義。

 

 演習、遠征、哨戒、演習、遠征、哨戒。

 日が昇って頭を無理やり覚醒させて日程を確認し、膨大な量の決裁書類を手書きで、ハンコで処理する、アレを毎日やるんだぞと、そう、仰ってるっぽい……?

 

 だがここで嫌だと言ってみろ。艦娘と会えないどころか、今度こそ俺に残された道は――死――!

 

「……無能が動いても仕方が無い。私は大人しく持ち場へ戻らせてもらうとしよう」

 

 即決である。艦娘に会えない人生とか要らないのだ。

 

 まもる、働きます!

 

 クッソォオアアアアア!! もしや大淀はここまで読んで俺を呉鎮守府へ……俺が無能なあまり周りを振り回し事を大きくして完全に逃げられなくなるであろうことまで想定してサボタージュする計画を黙認したのか……!?

 

 連合艦隊旗艦の頭脳をなめ過ぎていたのだ、俺は……!

 

 ならば、一手でもやり返してやる……そう、俺を監視していたお前らになァッ!

 

「本作戦は大淀やあきつ丸、川内が統括している。気になる事があれば彼女らに聞け。いいな? 間違っても、逆らうな」

 

 ヒャッハー! やってやったぜぇ! と俺の心の隼鷹が大暴れである。

 でも逆らっちゃだめだぞ。演習の的にされちゃうかもしれないからな。

 

「大将閣下。柱島を経由し補給を終えた艦隊が、到着したであります」

「継続戦闘は可能だけど、流石に連戦ってなると艤装が危ないかも……どうする?」

 

 ひぇっ。

 噂をすれば影とはまさにこのこと。山元達に警告していた丁度そのとき、扉が開かれたものだから思わず息が止まってしまった。

 だが寝ぼけて絶叫するという黒歴史を刻んだ俺に既に死角は無い。資格も無いかもしれん。

 

 だが威厳スイッチ、オンである。

 

「ふむ。では迎えに行こうか。継続戦闘は無しだ。漣と朧を工廠へ連れていき回復させることを優先し……そうだ、大佐。工廠を借りるぞ。うちの艦娘の修理もしたい」

 

 しかし怒られてはかなわんので、ご機嫌取りは忘れない。社畜の業を光らせる。

 

 いやぁ! ほんと艦娘の皆様にはご迷惑をおかけしまして……へ、へへっ、自分に出来ることならなんでもしますんで! ね!

 

 まずはお疲れを癒していただくために艤装の修理とお体を休めていただきましょう! ね! へへへ!

 

 ……情けないとか言うな。

 

「っは。我が呉鎮守府は大将閣下のお預かりする一部に変わりありません。ご随意にお使いください!」

 

 山元はあの一件以来、俺の必死さが伝わったのか、艦娘に逆らってはならないと学んだ様子だった。流石体育会系。弱肉強食の掟には忠実である。

 

「結構。迷惑ばかりかけてすまんな……」

 

 俺が素直にそう言うと、山元は大袈裟に言った。

 

「な、何を迷惑など……っ! それは自分達のセリフです。これ以降、大将閣下の厳命通りに任務を遂行致します!」

 

 そうだね。それくらいへりくだらなきゃね。艦娘は可愛いからね。

 決してそういう趣味じゃないもんね俺たち。可愛いには勝てないだけだもんね。

 

「現鹿屋基地所属、清水昭義中佐であります! 今後の作戦に従事し、粉骨砕身する所存であります!」

 

 清水が発した大声に驚き、続く大佐の声に固まる俺。

 

「並びに、現呉鎮守府所属、山元勲大佐であります! 如何様にもご命令ください!」

 

 これが――体育会系――これが、弱肉強食の世界か――。

 

「柱島鎮守府所属、揚陸艦あきつ丸であります。今後のご連絡は御二方に回せばよろしいか?」

 

「「はっ!!」」 

 

「了解であります。では、そのように」

 

 お、脅すなよあきつ丸ぅ……その二人、部下だけど先輩なんだよ俺の……。

 

 せめて川内は優しく挨拶してやってくれ、と懇願の視線を向けると、川内はこちらこそ見ていなかったが空気を読んでか肩の力を抜いた挨拶をした。

 

「柱島鎮守府所属、軽巡洋艦川内型一番艦、川内。夜戦なら任せておいて」

 

 うーん、これこれ! 艦これ! やっぱ艦娘の挨拶は簡潔! かつ、可愛く!

 

「せっ、川内殿、きちんと答礼いただきたい……! あとで大将閣下にご報告する時、一緒に謝らないでありますよ……!?」

 

「うぐっ、そ、それは困るって……! あ、あー。よろしくおねがいしまーす!」

 

 ちょっと待てお前ら。何か問題起こしたのか。なあ。おい。

 

 

* * *

 

 

 南方海域から帰還した総勢十名を超える艦娘達を迎えにぞろぞろと軍服の男たちウィズ俺が移動する。

 

 移動する間のシミュレーションはばっちりだ。

 

 非番だと言っておきながら十数名を超える艦娘を動かして休日出勤させてしまったのだから、やることは一つ。

 

 ずらりと並ぶ艦娘に感動する暇など一瞬もなく、俺はすっと軍帽を脱いだ。

 

「――全員、ご苦労だった。突然の無茶な任務を無事に成功させてくれて、心から喜ばしく思う」

 

 決まった――……。

 

 社畜の高等技術、謝罪。

 ごめんなさい。すみませんでした。申し訳ありません。そんな言葉を一切使っていないのにどこが謝罪であるのかと、そう気になる諸兄もいるだろう。主に俺の後ろにいる山元やら清水やら。

 

 謝罪は言葉だけにあらず。腰を曲げて深く頭を下げる事でこそ示せるシーンもあるのだ。それが今であるのは然り。

 

 休日出勤の上、艦娘の身を危険に晒すような真似をしたのは間違いない。

 だが彼女らの能力の高さを信頼して送り出したのは本当だ。過保護ではあったが、全力で事にあたれるようにと人数も増して南方海域へ送った。彼女らの仲間を救うために。

 

 それを成功させて帰って来た彼女らに対して、第一声がすみませんなどと情けないことがあろうものか。

 

 まずは、労い、称えるのだ。君達はやはり素晴らしい存在だったと。

 

 そして、俺は朝日に目を向けず、ただ地面を見つめるだけ。

 

 この恰好で伝わるだろうと、俺はしばし沈黙した後、ようやく言葉を紡いだ。

 

「本来ならば非番であった者まで引っ張りだしてしまったのは、自分の実力不足が故だ。本当に、申し訳なかった」

 

 嘘を言わないのも重要だ。実力があれば別の方法を取れたやもしれないが、私はあなたたち艦娘を頼る以外に思いつかなかったんです、と。

 まあ艦娘を頼る以外に思いつかなかったというより、艦娘の事以外何も考えてないだけである。

 

「な、ま、待ってください提督! そんな、私、そのような――!」

 

 一番初めに上がった声に顔を上げた。あぁ、この声は。

 

「扶桑にも、無理をさせたな。だが、助かった」

 

 扶桑型戦艦一番艦、扶桑――彼女こそ、この作戦における功労者だ。

 すぐ隣にいた山城にも視線を送る。

 低速を補ってあまりある高火力を持つ二人が居てくれたからこそ、南方海域に出現したらしい深海棲艦を退けることが出来た。

 

 艦隊これくしょんならば土台無理な話のはずだった。あそこは高速編成でなければ羅針盤が逸れるのだ。

 それらを覆し、奇跡を起こした。不幸姉妹? んな馬鹿な。

 

 彼女らは低レベル司令部の提督達の希望の星だぞ。

 具体的にはル級を軽く吹き飛ばせる。俺はブラウザ越しにそれを見た。

 

 鳳翔という勝利に導いてくれた軽空母もさることながら、扶桑を手に入れた時は被弾率に辟易したものだ。しかし、ある時、敵深海棲艦、そう、戦艦ル級に砲撃戦でクリティカルヒットをさせ一撃轟沈させた時は驚愕に硬直してしまったものだ……。

 

 なんだお前のその火力。化け物か、と……。

 

「わ、私っ、そのっ」

 

「ああ、分かっている。呉鎮守府の工廠を使えるようにしておいた。すぐにでも入渠を――」

 

 お疲れでしょう。どうぞお体を癒して―― 

 

「違うんです、私、欠陥戦艦で、あのぉっ……」

 

 だから欠陥戦艦じゃねえって! 扶桑おま、お前なぁ!

 お前が損傷するのは火力の高さと速力のせいであって、構造が悪いからだの不幸だからだのじゃない! 確かに増改築を繰り返されて個性的な艦橋になっているのかもしれんが、それが致命的に欠陥となってお前が過小評価されたわけじゃないのだ!

 竣工時期、それから戦況、様々な要因がお前をそう呼んだだけであり事実とは違う! だから自信を持て!

 

「何を言うか。欠陥などでは無い。お前は素晴らしい戦艦で――」

 

「――聞いてください、提督!」

 

 はい! まもる黙ります!

 

「私……私、不幸だと、言い続けていたんです。私のような戦艦は役に立てないだろう、って」

 

「だから、お前は欠陥などでは――」

 

「違うんです!」

 

「……」

 

 ほんっとすみませんでした今度こそ黙ります。

 

「……提督が、通信でお声をかけてくださったから、戦えたんです」

 

 声、かけたっけ。

 もしかして雑談、聞こえていたのか……?

 

 あ、あぁああなんという事だ……! サボっていたわけじゃないんです……!

 

「提督の元へ、帰りたかったから、戦えたんです……私も、お仕事ができるんだって」

 

 こ、これは……そういう、事、だよな……。

 

「仕事……あぁ、そう、そうだな。仕事が、出来るんだな、扶桑は」

 

「はいっ!」

 

「……今後とも頼むぞ扶桑。それに、お前達も」

 

「「「はい!!」」」

 

 お前より、私達の方がよっぽど仕事出来るわ、と。

 一言一句その通りでぐうの音も出ねえ……。

 

 と、とりあえず、さ! ほら! 皆のお仕事はこれで終わりということで!

 

「これを以て、作戦を完了とする。皆、よく頑張ったな」

 

 入渠、お願いしまーす! 俺は雑用でも何でもしまーす!

 ……はぁ。

 

 

* * *

 

 

 そしてところ変わって、呉鎮守府、艦娘寮前。

 

 ソフィア、という救出された女性について気になったのだが、無能の社畜たる俺がその場にいたところで役に立たないどころか邪魔になりかねないので山元達へと丸投げして、漣と朧を連れて艦娘寮の前に佇んでいた。

 

 佇んでいて、それだけかって?

 

 それだけも何も。そりゃ、ねえ。

 

「こ、こここのたびはぁ! 本当に、ご、ごめんなさぁい! どんな処分でも受けますぅ! うぅぅっ!」

 

 ばっるんばるんさせながら頭を下げる潮。

 何がばっるんばるんなのかは言わない。まもるは紳士なのだ。

 

「わ、私からも謝ります! ほんとに、うちの潮がすみませんでしたっ!」

 

 クソ提督! なんて一言も言ってくれない曙が心から申し訳なさそうな顔で頭を下げる。

 

「ありがとうございます、海原さん、本当にありがとうございます!」

 

 泣きながら土下座でもするのかという勢いで九十度以上曲がってると確信するくらい深く頭を下げる那珂ちゃん。やめてくれファンに殺されてしまう。

 

「頭を上げてくれ。礼を言われる事などしていない」

 

 俺がそう言っても、三名の艦娘は頑なに頭を上げてくれない。

 顔を見せてよぉ……キュートフェイスをよぉ……。

 

「本件は臨時として提督を務めていた清水、ひいてはその上司である私に責任がある。君達に謝ることはあっても謝られることは無い。だからどうか頭を上げて、涙を拭いてはくれないか」

 

 俺の言う通りなのである。清水が無茶な遠征をたったの二隻に課し、通信まで切れなど、轟沈しろと言うようなものだ。

 扶桑率いる柱島の艦隊に頼み込んで事なきを得たが、もう少し遅ければと恐怖を覚えてしまう。

 

 しかし愚かな社畜の俺。喉元過ぎればなんとやら。

 

「これ以降、決してこのような事が無いように厳命しておいた。井之上元帥も承認済みだ。今後、何かあれば心置きなく、堂々と私や……あぁ、いや、そうだな……柱島の大淀という艦娘に伝えるといい。そちらの方が、気が楽だろう」

 

 潮なんて俺の頬をぶっ叩くくらいだったからな。同じ艦娘の方が話がスムーズに進むのは間違いない。

 

「……はい、ありがとう、ございますっ」

 

 うるんだ瞳で見上げてくる潮。泣き過ぎだ。

 しっかしまあ、驚くほどの美少女である。潮のみならず、曙も那珂ちゃんも、連れてきた、もとい連れ帰ってきた漣も朧も、テレビでアイドルでーす! と出演してても違和感が無いくらいの美少女である。すげえな艦娘。やっぱ正義だわ。

 

「何度言っても言い足りないくらいです! 本当にありがとうございます! 海原提督!」

 

 朧の声に、

 

「ほんっとうですよー! いやぁ、かっこよかったよね、柱島の艦娘……キタコレ! って感じ!」

 

 漣の声。

 

 ここに来るまでに何度もお礼を言われ過ぎてむず痒くなってきた俺は、薄ら笑いで適当に「もう礼はいい」と言ってから、これで仕事はオッケー! と井之上さん達がやっている綺麗な敬礼を真似する。

 

「では、私はこれで」

 

「「「っ!」」」

 

 ざざっ、と音を立てて敬礼した艦娘達。俺よりも姿勢が綺麗だった。切ない。

 ま、まぁ? 俺は? 座り仕事ばっかりで腰弱くなってるかもしれないし?

 

 ……誰に言い訳をしているんだ。さっさと帰――

 

「っと……ど、どうした」

 

『まもる!』

 

 急に目の前に飛んできた妖精。慌てたような様子に問題でも起きたのかと身構えた。すぐ後ろの潮達からも身構えるような空気を感じる。

 

『おなか減った! こんぺいとうちょうだい!』

 

「……」

 

『ねーねー! おーなーかーへーったー! いっぱい頑張ったよー! らしんばんもー、こうろもー、だから、ね? おーやーつー!』

 

 こいっつら……!

 

「……お前達も、ご苦労だったな」

 

 でも渡しちゃう。可愛いんだもの。まもる。

 

『わーい! ありがとー! えへへぇ、あっ、そうだ! 新しいてーとくにも分けてあげよーっと!』

 

 し、清水か? 山元か? 渡してもいいけど仕事の邪魔はしてやるなよマジで。頼むぞ。フリじゃねえからなマジ。

 

 ポケットから取り出した金平糖(常備しておくことにしたのは妖精には内緒である)を一粒手渡すと、一匹のみならず、わらわらと集まって俺の手に群がる。

 なんだか怖い。

 

『あめだぁ! さっすがまもるぅ!』

『まもるはわたしたちがまもる』

『なーんちゃって!』

 

 俺と同レベルのダジャレを言うな。やめろ。後ろに潮達がいるんだぞ。潮だけに。

 ……ふふ。これくらいのダジャレレベルになってから俺に戦いを挑むんだな――

 

「よ、妖精が、こんなに、人に寄り添うなんて……」

 

 曙の声に、うん? と振り返った俺。

 

「どうかしたか?」

 

「っ! な、なんでも、無い、です……」

 

 そ、そんな顔伏せなくてもいいじゃん……傷つくって……。

 いいもんいいもん! 俺には柱島にいーっぱい甘やかしてくれる艦娘がいるもん!

 

 幻覚ではない。大淀が一番甘やかしてくれる。次点で鳳翔。

 休んでいいよって言ってくれるもん。形だけ。

 

 だめだ考えるな涙が出るぞまもる。

 

「……そうか。っと、失礼、情けないところを見せたな。では、これで」

 

 二度目の挨拶をして、俺はようやく艦娘寮を発ったのだが――そういえば一番初めに飛んで行った妖精はどこに向かったのかと気になった。

 まさか本当に清水や山元の邪魔はしていないだろうかと道すがらに考えながら歩幅がどんどん広くなっていく。

 

 呉鎮守府は当然、柱島鎮守府と構造が違うため執務室の場所こそ分かるが、そこ以外の場所はどこに何があるのか不明である。

 かろうじてカンカンと作業音の聞こえる方向から工廠の場所は把握できたものの、工廠は現在、作戦終了した艦娘達であふれかえっているだろう。

 

 じゃあ、邪魔出来ないね。

 

 ならば執務室へ行ってせめてお茶汲みでもするべきか、と考える。

 

 そうだね、そっちの方が邪魔だね。

 

 ――どうしよう完全に手持無沙汰だよ。

 未だに俺の手のひらに群がる――どころか、その上でボロボロと欠片をこぼしながら金平糖を貪り食う妖精達に口を開く。

 

「お前達。今から仕事をするならば俺はどうすれば……って、おい、待て、やめろ! もうちょっと丁寧に食え! こぼし過ぎだ!」

 

『えー。ここが一番おちつく……』

 

「お、落ち着く……そうか……? まぁ、あまりこぼさないように食べてくれたら……」

 

『まもるちょろーい』

 

「……だぁ、もう! 散れ散れ! 仕事させろ!」

 

『わー!』

『きゃっきゃ!』

『まもるがおこったー! きゃぁー!』

 

 はぁ……はぁ……くそっ! 妖精に翻弄されるのはブラウザの中だけでいいんだよ!

 

 黄色い声を上げながら飛んで逃げる妖精を一匹でも捕まえてデコピンをかましてやろうと追いかける俺。遊んでるわけじゃないから。これも俺の仕事、いや使命だから! 絶対に許さん!

 

『こっちこっちー! まもるー! こーっちー!』

 

「逃がすか!」

 

『残念こっちでしたー!』

 

「なっ、そっちにも……ぐぁぁぁ……逃げ足の速い……!」

 

 ……遊んでません。本当なんです信じてください。

 幸いにも呉鎮守府は各々の仕事に専念しているのか廊下などに人影は無かったものの、早足で妖精を追いかけまわすように一直線に進む俺はどこの誰が見ても間抜けオブ間抜けだろう。

 

 ある扉の前でぴたっと止まった妖精達。

 

 ふっふっふ……馬鹿めと言ってさしあげますわ……!

 一塊で追い詰められるなど、所詮は妖精よのぉ! ここで成敗してくれるわぁ!

 

『まもる』

 

「なんだ。今更謝ろうってか? 俺を小馬鹿にしたんだ、デコピンの一発くらい――」

 

『ねえ、まもる』

 

 うん? とわきわきさせていた両手を止める。

 ぱたりと手を下ろせば、妖精達のうち一匹が前に出た。よく見れば、それはむつまるだった。

 

「なんだ。むつまるだったのか。どうした、謝るなら今のうちだぞ」

 

『まもる。今なら、引き返してもいいよ』

 

「あぁん? 駆け引きしようってか? ここで引き返したらデコピンは避けられるかもしれんが、俺たちは柱島に戻るんだぞ? 戻った時が最後、伊良湖達にお願いして金平糖の製造を打ち止めにすることも可能だ……!」

 

『きいて、まもる』

 

「よかろう。言い訳を述べてみよ!」

 

 

 

 

 

 

 

『艦娘が、死にかけたんだよ』

 

 

 

 

 

 

「ッ……」

 

 

 

 

 妖精の言葉に、俺の思考は停止する。

 

『でも、まもるなら、できるかもしれない。艦娘を助けられるかもしれない』

 

 舌足らずだった言葉遣いがどんどんと明瞭になっていくのに恐怖は感じなかった。気持ち悪さも無かった。

 

『あの人は、ダメだった。皆を助けてあげようって言ってたけれど、あと一歩のところで、ダメだったわ。でもあなたなら未来を変えられるかもしれない――あの人が変えた未来を生きるあなたなら。私達の幻を操り、戦ったあなたなら、救えるかもしれない』

 

「急に、なんだよ……何の話を……――」

 

『振り回して、ごめんなさい。でも、救って欲しいから。出来る事なら、まもる――あなたに艦娘を救ってほしいから』

 

 ズキン、と突然の頭痛。ぐっ、と声が漏れたが、頭痛なんざ社畜時代、仕事中にいくらでもあった。妙な対抗心を燃やして頭痛を振り払うようにかぶりを振って、むつまるを見る。

 

「ぁ、え……?」

 

 むつまるじゃない……いや、むつまるのはずだ。しかしどうして大きいんだ?

 

 俺の眼前に居たのは艦娘だった。かつて、ネタにして笑った事があるくらいに馴染み深い、柱島にもいる艦娘だ。

 

「陸奥……?」

 

『提督、頼む』

『貴様が頼りだ。だから、選んだんだ』

 

 周囲に声。俺は驚いて顔を左右に振って声の主を見る。

 

「長門に、木曾……お前達、何で――!」

 

 思考が回転してくれない。何も考えられない。

 陸奥どころか、長門も木曾も柱島にいたはずでは? ならばこの目の前の艦娘達は、どこから来たというのだ?

 

 それに答える者はいない。

 

『提督……お前と戦えたことを誇りに思うよ。だから、この世界に呼んだんだ』

 

 木曾に途切れず続く長門の声。

 俺は声を発することも出来なくなった。

 

『お前はぐちぐち、ぐちぐちと仕事の愚痴ばかりだったが、私達と向き合い、希望を感じてくれていただろう。そんなお前に、私達は希望を感じていたんだ』

 

『勝てば勝つほどに、運が良かったと一人呟くあなたが、面白くてね』

 

 陸奥がくすくすと笑った時に、思い出される艦これの記憶。

 ああ、確か陸奥が快進撃をしたことがあった。それまでは中破大破が続いて撤退の毎日で、仕事でプレイ時間が限られていた俺は毎日のように攻略に挑んでは敗退し、ゲームだというのに艦娘に申し訳なくて。

 

 しかしある時、編成を変えて陸奥を加えて出撃したとき、乱数というべきか、快進撃が起こったのだ。

 あれはもう、運が良かった以外に表現できない。だからそう言ったんだという顔をしてみせる。

 

『ふふっ、その顔も久しぶりに見たわ。でも、余計なことを思い出させてしまったわね……提督。元の世界に、帰りたい?』

 

 縫われたように開かない口だったが、ぶは、と息を吐き出して、俺は……

 

「か、帰りたいって、お前、俺は死んだんだぞ!?」

 

『……私達の力でなら、生き返る事が出来ると言ったら――?』

 

「馬っ鹿お前! 断る! 断ぁる! 断固! 拒否だ! 艦娘に会えなくなる人生なんてこっちから願い下げだね! 母ちゃんと親父にはあの世で土下座でもかましてやらぁ!」

 

 ……なんて言うのだった。

 

 すると、陸奥達はぽろりと涙をこぼした。

 

『ただの夢よ? 幻で、ゲームかも。ただの艦隊これくしょんかも。なのに提督は、まもるさんは私達と一緒にいたいの?』

 

「当たり前だろうが! 俺の人生は、艦娘のもんだッ!」

 

『……そう』

 

 

 

 

 

『ありがとう。提督。私達をよろしくね』

 

 

 

 

 

 

「なっ、待て、陸奥――長門、木曾――ッ!」

 

 

 

 

* * *

 

 

「――閣下――閣下――?」

 

 ぼんやりと視界が開ける。声の主は、松岡だった。

 

「ん、ぉ……?」

 

「どうなされたのです、このような場所で。まさか、新見の様子を?」

 

「新見?」

 

 キョロキョロと辺りを見ると、どうやら俺の眠気は限界突破して立ったまま寝ていたようだ。すごくね? いやごめんて。マジ限界だったんだって。多分。

 

 しかし何か忘れているような……?

 

「はい。閣下の艦隊が捕獲した、新見という憲兵です。私の部下でもあるのですが、ラバウルやブインを行き来して任務に従事していたかと思えば、このような大事を隠していたとは……見落としていた自分の落ち度です……」

 

 拳を握りしめる松岡。その両手は真っ赤で――うわお前それどうした!?

 

「松岡、お前、怪我を――!?」

 

「あぁ、いえ、これは新見の血です。ご安心を」

 

 ご安心できませんけど!? 何で新見さんとやらの血が拳についてるんだよ!

 ただでさえ仕事出来ない無能なんだから下がってろみたいな空気が充満してんだよこの鎮守府は! それにこの肩書なんだから責任を取らされかねんだろうが!

 

 艦娘については喜んで責任を取るが男は知らん!

 

 と俺は松岡を押しのけながら目の前の扉を開こうとする。

 

「退け! もう私がやる! お前は下がっていろ松岡!」

 

「か、閣下!? お待ちください! まだ尋問中です!」

 

「尋問!? お、おまっ……」

 

 もうだめだアァアアアアアアッ! ア艦これェェエエエッ!

 

 乱暴にドアを開け放つと、そこには地下へ続く階段が。

 無我夢中で駆け下り、責任を取らされてなるものかと続く道の先へ飛び込んだ。

 

 重厚そうな鉄の扉を渾身の力で蹴り――イッタッ! 硬っ!――開けた先に見えた光景は、血まみれの顔面でぐったりとした、数名の男の姿。

 グロ耐性の低い俺、静かに言う。なお威厳スイッチは万一のために入れっぱなしです。ご安心ください。

 

 

 

 

「なんだ、これは……掃除しろ……今すぐに掃除しろ……!」

 

 

 

「あ、あぁっ、ひいぃぃッ」

「ゆゆゆ許してくれッ! 違うんだ! 俺は何もしていない! 違うんだ! 聞いてくれ! もう、やめ、やめてくれぇッ! 全部話す! 話すから!」

「ッ……ぐ、ぐぅっ……」

 

 なんだコレ……。と固まる俺に、追い付いてきた松岡が肩で息をしながら言った。

 

「っは、無論です。ですが、掃除の前に情報は聞きださねばなりません。閣下のお気持ちもご推察致しますが、なにとぞ、ご辛抱ください」

 

「辛抱だと? ふざけた事を抜かすな。こんな汚れを掃除せずしてどうする。一分一秒たりとも残してはおけん。ここは鎮守府――私の管轄だぞ」

 

「っ……おっしゃる通りですが、なにとぞ、なにとぞご辛抱を……」

 

 辛抱したらこれ解決する!? 大丈夫!? ちゃんと怪我とか治してよ!?

 こんな訳の分からんことで絶対に責任取りたくないからな!?

 

「……迅速に片付けろ。ほかに問題は」

 

 と問えば、松岡は部屋の隅に固まって憲兵に囲まれて震える男たちを目を細めて見ながら笑った。

 

 何で笑った……?

 

「閣下ご自身がそのような様相で来られたら問題も何も、もう解決してしまいました。すぐに情報をまとめ、あきつ丸殿に共有を」

 

 また難しい話……しかもお前、あきつ丸って、艦娘の名前出して俺にも責任取らせる気満々じゃねえか……。

 

「……わかった。では、私は戻る」

 

 でも逆らえねえ……怖いんだもの顔が……。

 俺は松岡へ「迅速に」と言った通り、お手本を示すように迅速に部屋を後にした。

 

 

 

 これは逃げてもいいだろ。いや逃げるべきだろ!? なぁ!?

 

 助けて艦娘ゥウウウウウウッ!



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五十八話 覚悟【艦娘side・明石】

「ソフィアさんは大丈夫でしょうか……いくら緊急であるとは言え、殆ど休まずにこちらに移動させたのは良い判断だったのかどうか……」

 

 第一艦隊の中でも一番の損傷具合であった扶桑の艤装を修理する私は、浸水箇所が無いかを確認するために妖精と協力して艤装の周りをのそのそと這いまわりながら目をじっと細めていた。

 

 そんな中でかけられた赤城の声に顔を上げないままに返事する。

 

「それについては私も同意見ですねぇ。柱島から私まで引っ張り出したんですよ? まだ工廠の整理も残ってるっていうのに――」

 

「それだけ切迫している状況であった、と言う事でしょう。最低限、食事の時間はありましたし、身綺麗にする時間も設けられたのですから問題は無いかと」

 

 私のぼやきに、加賀の抑揚のない声が入り込む。

 

 一航戦の二人は支援艦隊であったためか損傷という損傷も見られず、修理の必要は無いと判断したものの、艤装の細かな確認はする、と約束して順番を最後に回している。

 修理をするならば我先にと混雑するのがどこの鎮守府でも見られる光景だったが、柱島の面々は私がやりやすいように順番を決めても文句は言わなかった。

 

 この後にまた出撃があるかもしれないのに、という私の考えを見透かしたのか「大丈夫ですよ。提督が継続戦闘は無しとおっしゃっていたようですから」と言ったのは神通である。

 

 柱島に着任して日が浅くとも、演習や遠征に際する補給などで必ず顔を合わせる。私は提督よりも多く艦娘達と過ごしているために、殆どの艦娘と会話をしたことがあるのだ。未だ会話していないのは、大体が数の多い駆逐艦程度。それも一部くらいだ。

 

 それはさておき。

 

 神通の言葉の通りに受け取るならば今現在、差し迫った作戦は全て終了したという事で、一息入れられる。

 艦娘が一息入れている時こそ、私の仕事時である。

 

「ま、提督が問題無いっていうなら、いいんですけど」

 

 ふん、と鼻を鳴らして妖精にレンチを持ってきてとお願いしていると、工廠のところどころで休んでいる艦娘のうちの一人、瑞鶴の呟きが耳に入る。

 

「……おかしい」

 

 え? と殆どの艦娘が声を上げた。私もそうだ。

 

 何がおかしいんだ? と問う前に、瑞鶴は私達全員を見回しながら今度はより大きな声で言った。

 

「おかしいと思わない? ここの鎮守府の駆逐艦を救出するっていう名目は分かるけど、違和感、無いの?」

 

「違和感って?」

 

 瑞鶴に聞き返したのは島風だ。

 

「駆逐の。別にあんたの事を疑うとかどうこう考えてるってわけじゃなくて……あれだけの深海棲艦に追われて、艦載機にまで追い回されたの、今までに経験したことある?」

 

 作戦中の話であろう。その作戦が遂行されている間の事は私の関与しないところだ。

 私と妖精が製作したタービンがたった一度の出撃で焼き付きを起こしていたことから、想像だにしない数の深海棲艦に追い回されたのであろう。

 

 扶桑、その次に機関に悲鳴を上げさせながら帰って来た島風、その順番で修理すると言っていたために、島風は私のすぐそばで足を投げ出して座っていた。

 

 島風のリボンがまるで生きているように跳ね、それから、しゅん、とへたる。

 

「……うーん、無い、わけじゃないよ。島風はいつも先頭を走らされてたから」

 

 前の鎮守府のことを指していることは全員に伝わっていた。

 だからあえてそれに言及せず、瑞鶴と島風の会話に聞き入る。

 

「あー……ちょっと聞き方悪かったな……。じゃ、こう聞けばいい? 逃げろって言われたの、おかしくない?」

 

「それはっ! ……変、だと思った……かも」

 

「でしょう!? 敵前逃亡なんて普通なら解体よ! 解体! それなのに、逃げ回ってろなんて……それに撃滅しろって言ってこんな大艦隊で南方海域に作戦概要もあやふやなまま出撃させてさぁ!」

 

「う、うぅん……」

 

 島風はどう言葉を返したものかと考え唸るが、続く声は無い。

 かくいう私も、この作戦については瑞鶴と完全に同意見――とまでいかずとも、理解できなくは無かった。

 

 呉鎮守府から南方へ発った駆逐艦の救出。

 危険の伴う海域のために編成された打撃艦隊、支援艦隊、補給艦隊。

 それが大本営発布の何日にもわたって考え出された計画であったのなら、瑞鶴の言う違和感とやらは無かっただろう。

 

 違和感の正体とは――つまり――

 

「……あの提督は、何かあるわ。絶対に!」

 

 ――ということだ。

 

「何か、とは具体的にどんなことなのかしら」

 

 加賀が腕を組んで目を細めて問う。

 すると瑞鶴は先程よりも大きな声で、殆ど怒鳴るように言った。

 

「おかしいでしょ普通に考えて! 南方海域って言えば開放されたのにまた奪い返されたくらいの激戦区よ!? いくら大艦隊を組んだからって即日即決で突っ込ませるなんてどこの命知らずがするのよ! 加賀さんだっておかしいって思ってる癖に!」

 

 加賀と瑞鶴、大枠で言えば一航戦と五航戦はどうにも、どこの鎮守府で見ても仲が悪い。

 柱島で言えば加賀と瑞鶴。あるところでは赤城と翔鶴、はたまた、赤城も加賀も瑞鶴も翔鶴も、全員が孤立して仲違いしているパターンも見たことがある。

 

 私から見れば加賀と瑞鶴だけ仲が悪い程度可愛いものだったが、その言い合いが()()()()()()()()()()()()の話だ。

 

 やり玉に挙がっているのが提督である故に、私も言いたい事があったものの口を挟むのは憚られた。

 

「提督の作戦は成功したわ?」

 

「それは私達のおかげでしょうが!」

 

「確かに戦場に立ったのは私達です。しかし、作戦を考えたのは提督よ」

 

「はぁ? じゃあ、何? 加賀さんはどんな危険な命令でも聞くってわけ!? これじゃ……」

 

「どんな危険な命令でも聞くなんて言っていないわ。本当におかしな作戦ならば提督に意見具申すればいいだけ。五航戦はそんな事も考えられないのかしら」

 

「っ……! そういう事じゃないわよっ! ただ使い潰されるだけじゃなく、やっと役に立てると思ったのに、こんな――!」

 

「瑞鶴、落ち着いて……!」

 

 見ていて我慢できなくなったのか、瑞鶴に駆け寄ったのは翔鶴だ。

 彼女は今にも噛みつく勢いの妹分を抑えるために後ろから服を引っ張り、加賀から距離を離そうとした。

 加賀はその場で腕を組んだまま瑞鶴を睨みつけ、その横にいた赤城は顎に手を当てて考え込むように斜め下へ視線を投げるばかり。

 

「やっと役に立てると思ったのに――何?」

 

「~~~っ! 仕組まれてたみたいだって言ってんの!! 全部言わなきゃわかんないわけ!? 駆逐艦の救出だけじゃなく、あの女の人も、島に残ってた深海棲艦の集積した資材も、途中で寄った島だって……おかしいじゃん! 何であっさり船が出てくるのよ!? 資材を運ぶのに現地の人と話したのは提督じゃなくて、ここの代理になってたらしい提督で、元々はそいつが漣や朧を送り込んだんでしょう?」

 

 疑問を曲げることなくまっすぐに投げかける瑞鶴に、流石の加賀も違和感が無かったわけではないのか、一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 

「……確かに、穴のない作戦であったかと問われたら、疑問が残ります。南方海域が激戦区であったことも、理解しているつもりです。その再攻略のために私達が選ばれたのも、きっと何か理由が――」

 

 ザザッ、ザリリ、と通信のノイズが走る。

 

 刹那、全員の顔が強張るも――通信から聞こえてきた声に、一瞬の安堵。だがしかし、心臓は別の意味で跳ねた。

 

『作戦通信を切ってからお話いただけると助かるのですが、何か問題でも?』

 

 柱島鎮守府、通信統制艦――大淀の声だった。

 

 通信統制艦とは、柱島にいる艦娘達が勝手に呼び始めた名だが、その一分の隙も無い完璧な通信統制と作戦統率の手腕は提督が常任の秘書艦として置いておくのに納得のいく艦娘だった。

 

 演習こそ決められた各艦隊がそれぞれで通信を行いながら近海で戦闘訓練を行うため出る幕は無いものの、遠征、哨戒、と実戦の可能性のある場面で必ず大淀は通信を繋げている。

 この作戦の間中も、然り。

 

「大淀さん――ね、ねぇ! 教えてよ! この作戦、おかしいと思わなかったの!?」

 

 未だ熱の冷めぬ瑞鶴は通信であるというのに工廠内に響く声で言う。

 

 大淀はまるでまだ私の作戦は終わっていないのだと言わんばかりの声の低さと冷静さで瑞鶴に声を返した。

 

『いいえ、おかしくはありません。ですが、それを伝える暇が無かったのは確かです。提督は呉鎮守府での不正摘発の時点で、本作戦への布石としていたようですから』

 

「え――? それ、って、どういう……」

 

『会話を盗み聞きしていたわけではありませんが、通信が繋がったままで言い合っていたものですから、大体は把握しています。その上で言いますが――全て、提督の手中です』

 

 大淀の声に工廠が静まり返った。

 瑞鶴達が言い合っていても手を止めなかった私だったが、思わず、動きが止まる。

 

「手中……? い、意味が分からないわよ。手中なんて言ったら、まるでこうなる事まで予測した上で、流れをなぞるだけみたいな……」

 

『瑞鶴さんの言葉を、そのままお返ししましょう。おかしいとは思わないんですか?』

 

「お、おかしいわよ! 聞いてたんなら分かるでしょ! 島風に逃げろとか、二隻を救出するだけだったはずが南方海域の深海棲艦を撃破しろとかぁ! 扶桑さんにだって本来なら攻略できないかもしれないなんて、あんな事を言っておいて――!」

 

「……! ま、待ちなさい、五航戦」

 

「なによ!? 文句なら後にしてっ!」

 

「違う、違うのよ。わ、私も今、分かったわ……」

 

 加賀が顔を青くして瑞鶴に向かって首を横に振る。

 続けて赤城も気づいたかのように「あっ」と声を上げ、「いや、でも、しかし……」とまた黙り込む。

 

 それから――歯の隙間から毒でも吐くような息をしていた瑞鶴が、噛みしめる力を弱めた。

 

「全部知ってなきゃ、予定通りに、行かないじゃない……」

 

『その通りです。無論のこと、戦場では予定通りにいかない事も考慮に入れて行動しなければいけませんが、提督の突拍子もない奇策とも思える戦略は、ある意味では王道と言っても良いでしょう。もう一度言いますが――おかしいとは、思いませんか? これは本当に、二隻の救出と、海域攻略が主眼の作戦だったのでしょうか?』

 

「おか、しい……おかしいじゃんそれ……! 本命は二隻の救出じゃなく、南方海域の攻略でもなかったってわけ!?」

 

『その通りです。提督は危険度からして二隻の救出を最優先事項としましたが、瑞鶴さんは提督が着任した初日をもうお忘れなのですか?』

 

 思い出される柱島鎮守府、講堂での演説。

 

 いいや、演説なんてものじゃない。あれは、今になって思えば、心情の吐露だった。

 

 

【私はずっとお前たちに救われてきたんだ。どんなに辛い時も、どんなに苦しい時も、私にはお前たちがいた】

 

【今度はどうやら、私の番らしい】

 

 

 どうしてか、修理の手を止めていた私の顔に淡い熱が走る。

 理由は分からなかったが、工廠を頼むと言った提督の顔を思い出してしまい、ああ、そうだ、任されたのだから全力で取り組まねばと、目元を拭った。

 

 拭った理由は、その、汗だ。工廠は熱がこもりやすいから。

 

 大淀達の会話を片耳に、工廠には再び私の作業する音と、妖精達が艤装に歪みは無いか叩いて確認する甲高い音が響き始める。

 

『その証拠に、提督は二隻の安全が確認出来てから戦線に加え、南方海域の攻略へ移行しました。その後に、提督は帰還前に、なんとおっしゃいましたか?』

 

「……救出された女性を、最優先に、って」

 

『――疑問は解消されたでしょうか?』

 

「……」

 

 瑞鶴はしばらく沈黙したが、じゃあ、とまた声を上げる。

 

「救出された女性はどうなのよ!? あれは予定のうちなの? それとも、予定外?」

 

『それについては、私も分かりません。決定的な証拠となるものはありませんから。ですが……私個人としては、予定のうち、かと』

 

「あぁもう、なんなの、滅茶苦茶じゃない……っ!」

 

『……否定はしません』

 

 瑞鶴はがりがりと頭を掻きむしって歯ぎしりした。

 無茶苦茶、その通りだ。

 

 本来ならば大艦隊を組んで南方海域を再攻略するだけの作戦――だけ、というのも変だけど――のはずが、予定が二度も狂わされたことになる。

 呉鎮守府の二隻、艦隊が発見した遭難者の存在は作戦を根底から覆してもおかしくない不協和音。

 

 二隻が戦闘可能か否かを現場からの通信のみで判断し、その上で予定の艦隊に加えて戦力とし、発見された遭難者に危険の及ばない航路を見出し、艦娘へ理解できるよう、視覚的に羅針盤という妖精の操る道具で伝達して最小限の損傷で南方海域を再開放した。

 あとは帰還するだけ……と言う所で、明らかに不審な海軍と名乗っておきながら手のひらを返して実は陸軍だとのたまう輩まで天龍が捕まえたというではないか。

 

 たったの一日で、どれほどの事が起きたことやら。

 

 呉鎮守府で轟沈扱いとされてしまった艦娘達を救出した事を無理矢理に偶然だと片付けてしまう事は可能だったかもしれないが、こうなればもう偶然という一言では片付けられなくなってしまう。

 

 私の番だ、と言った提督は、根本(海軍省)から解決を図っているのだ。

 

 そう、一連の出来事の全てに偶然など無い。

 

 腐敗極まる海軍省という環から外れることによって、外部からその仕組みを完全に把握し、最小限の被害となるように計画されていたものであることに、他ならない。

 

 その結果、海原鎮という男は――悪魔的な不確定要素さえも座したままに退けてみせたのだ。

 

 これではもう、大袈裟でもなんでもなく、軍神そのものである。

 

 艦娘達が軍艦であった頃。巨大な鉄塊であった頃に彼の存在があれば、間違いなく未来は全く違ったものになっていたはずだ。それほどの戦果なのである。

 

 彼は人だろう。艦娘が泣いただけで狼狽してしまうくらいの初々しさがあるものの、決して不義は許さず、だが、地獄へ叩き落すわけでもない。どこまでも優しく、強く、そして頼もしい人間だ。

 

『もっとも、詳しい話を聞きたいのならば、あきつ丸さんや川内さんがそちらにいらっしゃるでしょうから、ご自由に……。ただし、一つだけ。提督は私達を信頼して、この強硬にも思える作戦を遂行しました。ここまでは成功していますが、それは皆さんの献身的な働きがあってこそ、でもあります。しかし、それは作戦が存在しているから動けた、ということでもあると理解してください。よく考え、提督を見ていれば、きっと分かるはずです』

 

 見ていれば分かる。そんなこと、言われずとも。

 

 だから、私はきっと――仲間が戦えるように、腕を振るおうと――彼に見合う艦娘になろうと――

 

「ん、んんっ! げほっげほっ」

 

「明石さん?」

 

「ご、ごめんね、ちょっと埃が舞っちゃったみたいで、あ、あはは……」

 

 って……な、なに考えてるのよ私は! 明石! 修理に集中して!

 

 頭に浮かぶ提督の顔を振り払い、道具箱をひっかきまわすことで意識を逸らす。

 

『さて! 作戦は終了していますから、そちらでしっかりと体を休めてくださいね。詳しい話は、また後ほど……。そうだ、報告書をまとめるのは誰になるんですか?』

 

 切り替えるように手を打つ音が通信越しに聞こえ、大淀がそう問えば、全員が顔を見合わせた。

 

「第一艦隊の旗艦なんだから、扶桑さんじゃないの?」

 

 と瑞鶴。そこに翔鶴が服を引っ張った格好のままに返す。

 

「殆どが艤装のみの損傷とは言っても、私達の中で一番損傷があったのは扶桑さんですから……代わりに私が出しておきましょうか……?」

 

 すると、加賀が冷静に言った。

 

「私達は支援艦隊だったでしょう。第一艦隊の報告書は、第一艦隊が出さなければ意味が無いわ。支援艦隊の報告書は……まぁ、私が出しておきます」

 

 瑞鶴と言い合って空気を悪くしてしまったお詫び、とでも言うような申し出に、瑞鶴が「それなら私が出しとくわよ。その……なんか、空気、悪く、その」とモゴモゴ言うものの、加賀は「五航戦が書くよりは私の方が確実です」と返され、一瞬だけかっと熱が上がりかける。

 

 しかし、加賀の表情が柔らかかったためか、瑞鶴は「あっそ」とだけ。

 

「じゃあじゃあ、第一艦隊の報告書は島風が書くよ! 任せて!」

 

 島風の提案に反対の声は無く。

 

「……大淀さん、ありがとうございます」

 

 なんて赤城が小声で言ったのだが、それは通信を通して全員に聞こえており――大淀は『何のことでしょう? ふふ、では、また柱島で』と言って通信を切った。

 

「ね、加賀さん」

 

「なに」

 

「大淀さんってさ……ちょっと、提督に似てきた?」

 

「……気に食わないけれど、同じことを考えていたわ」

 

「っくく、ね。やっぱりそうだよね」

 

「えぇ、まったく」

 

 私も、とは誰も言わなかった。

 

 ただ、全員が微笑みを浮かべていた。

 

 

* * *

 

 

 そんな工廠の雰囲気が一変したのは、修理という修理も長引かず割とあっさり終わったね、なんて皆で話し合いながら休憩をしている時のことだった。

 

 工廠に提督がやってきたのだ。それも――後ろに点々と赤い足跡をつけながら。

 

「修理の様子はどうだ」

 

 入室して開口一番に言った提督に全員が立ち上がって最敬礼すると、提督は少しだけ疲れたような表情で答礼する。

 

 提督がはたから見ても分かるくらいに疲れた表情をしていたのは初めてのことだったために、全員が不安そうな雰囲気を醸し出す。

 

「修理は終わりましたよ。後は入渠組だけですかねー。損傷も言うほどひどくなかったですから」

 

 私がそう言うと、提督は「そうか」と疲れた表情の中に安堵の色を見せた。

 

「心配だったんですか?」

 

 なんて冗談めいて言ってみれば、提督は当然だろうと言いながらそのまま工廠内部へ。

 

「少し、休ませてくれ」

 

「え? そりゃあ、お好きにすればいいですけど……大丈夫ですか提督? 何か――」

 

 ありましたか? など、聞かずとも分かる。あったに決まっている。

 

「あー、いや……何も、無かった。心配をかけてすまんな」

 

 言葉を濁す提督に全員が声をかけあぐねてしまい、先ほどまでの柔らかな空気は霧散してしまう。

 

 それどころか、提督を追うようにして工廠の扉が開かれ――両手を真っ赤に染め上げた憲兵と、その部下達がぞろぞろと列を成してやってきたことで、空気が澱む。

 

 全員が完全に硬直し、否でも提督に何かがあったのだと分からせた。

 

「修理の最中、失礼する」

 

 列の先頭にいた男――明らかに、隊長だ――は私や他の艦娘へ形だけの敬礼をしたかと思えば、提督のもとへ一直線に歩んでいき、今度は直立不動の最敬礼。

 

「――全て吐き出したと思われますが、如何いたしましょう、閣下」

 

 全て吐き出した? 何を?

 

 その疑問は、先刻の大淀の言葉から思考が勝手に回りだし、解を示す。

 

 大方、天龍の捕まえた不埒な輩を指しているのであろうことはこの場にいる者全員が理解していることだろう。

 しかしながら提督は驚いた表情で固まり、憲兵たちを見た後に、私達を見回す。

 

 まるで、見せたくなかった、というような顔で。

 

 提督はわなわなと震えながら立ち上がり「松岡……何故、そのままの恰好で来た……! ここには艦娘がいるのだぞ……!」と恐ろしいほど低い声を吐いて、憲兵隊長、松岡の前に立つ。

 

「っ!? し、しし失礼いたしました! 情報を最優先に――」

 

「私は掃除をしろと言ったのだ! 最初に私がすると言っただろうに……お前が任せろというから任せたのだぞ……ッ!」

 

 明らかな激怒。

 提督が怒鳴っているのを見たことがある艦娘はここにはおらず、ただ、唖然としていた。

 

 ……いや、少し、嘘をついた。

 

 島風は驚き過ぎたのか目に涙をためて下を向いてしまっているし、赤城や加賀は口を一文字に結んで前を向いているものの、額からとめどなく冷や汗を流している。

 視線を移せば、翔鶴や瑞鶴も同じように前を向いているものの、小刻みに足を震わせていた。少し離れた私から見ても分かるくらいに。

 神通に至っては、ただでさえ白い肌が死人のように色を失っている。

 

 怒鳴られ慣れている私であっても、質の違う提督の激昂に目が泳いでしまう。

 

「た、大変、申し訳も、ございません……! 少しでも多くの情報をと……!」

 

「情報、情報と……そんなものはいらんッ! もういい――私が掃除する――!」

 

 意味が分からないほど、私達は愚かでは無い。

 

 ここにいる人間よりも長く、戦争を味わっている。その自負がある。

 

 だからだろう。艦娘となった今、自分達を支えると言った人物が手を汚そうとしていることを理解した上で、身体が動いた。

 

 松岡を押し退けて進んだ提督が私の横を通り過ぎる瞬間、腕を掴んでいた。

 

「っ……ど、どうした、明石」

 

 先ほどまで喉が潰れるのではないかというくらいに怒鳴っていたのに、この人は出来る限り優しい声を出す。

 

 それは心があるということに他ならない。

 

 怒りに染まる心を、どうしてか、止めなければと思った。

 

 本音の底の底にある私の気持ちを恥ずかし気も無く言わせてもらうなら――彼に、そんな事をしてほしくなかった。

 

 ただの我儘だ。戦争には不要なものだ。

 

 冷静に、冷徹に、怒りというマグマを氷の蓋で隠すことこそが戦争であるのを知っていながら、彼にはそうあって欲しくないと思った。

 

 自分達、艦娘の方が戦争の経験がここにいる人達の誰よりも長いと思えど、提督だけは、もっともっと、引き返せない場所にいるように思えてしまって、私の腕で引き戻せるならと、思ってしまった。

 

「ぁ……そ、の……」

 

 言葉が紡げない。だが、私が動いたことによって、他の艦娘も動き出した。

 戦闘の際に感じることがあると言われている艦娘の共鳴が――戦闘でもなんでもない、ただ一人の男を引き留めることのためだけに、覚醒した。

 

 驚きはしなかった。

 

 赤城や加賀、瑞鶴、翔鶴、神通、島風、きっと今は入渠しているであろう者の気持ちが同じ海水となって、溶けあい、体一つで揺蕩うような感覚。

 

「提督! 行っちゃダメっ!」

 

 島風が堪え切れなかった涙を流しながら言う。

 

「提督……勝手な事を言って、ごめんなさい。後でどんな処罰でも受けます……ですから、行かないでください」

 

 赤城の静かな声に、加賀も同調。

 

「なんで提督さんが行かなきゃいけないのさ……も、もう、いいじゃん……ねぇ……! 作戦も、終わったじゃん……! 成功したじゃんか……!」

 

 先ほどまで提督の事を滅茶苦茶だのおかしいだのと言っていた瑞鶴が、両手を握りしめたままに、視線を合わせられずとも、心をまっすぐに伝える。

 翔鶴や神通は走って工廠の入り口に行き、両手を広げた。

 

「い、いい、行かせません……提督、あなたを行かせるわけには、いきません……二水戦の名にかけて、あなたにそのような真似は、させません……!」

 

「っ……」

 

「お、お前達――!?」

 

 憲兵を押し退ける恰好で固まった提督だったが、それでも、ぐい、と一歩前に進み出てきて言った。

 

「……私はただ、掃除をするだけだ。無能でも出来る簡単な仕事だ。行かせてくれ」

 

 誰にでも出来るだろう。あぁ、その通りだ。

 

 戦争には誰にでもそれをさせる狂気がある。

 そしてあなたは、その災禍の中心で生きてきた。

 

 それは――私達も同じだ――だから――!

 

「私達の前で、そんなことさせませんよ、提督……!」

 

 汚いかもしれないが、提督がそんなことをするくらいなら、私達の知らない、別の人間がやればいい。そんな考えまで浮かんでしまうくらいに必死だった。

 

 

 提督は――

 

「……わ、私は……お前達の役に立てる……まだ、出来るから……頼む……」

 

 ――その場で小さく呟いた。

 

 嗚呼、あなたは……自らの心を滅ぼしてまで……その身を血の海に浸してまでも、私達の事を想ってくださるのですね。

 

 もう我慢できず、ただ泣きながら、腕を引き寄せ、油で汚れているにもかかわらず、私は提督を抱きしめてしまった。

 首筋に額を埋め、何度も言う。

 

「やめて……やめてください……お願いです……なんでも、します……開発だって、我慢しろっていうなら、我慢しますから……ね……? だから、そんなこと、しないでほしいんです……」

 

 本能に突き動かされた私の感情が伝播し、ゆっくりと、しかし確かな足取りで皆がやって来て、両腕で提督を包んだ。

 

「そ、こまで……お前達……」

 

 提督の掠れた声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「松岡……掃除は、もう、いい……皆、少し休もう……少しでいい、休もう」

 

 激戦という激戦をくぐり抜けてきた兵士のように、疲れ果てた提督の声が、工廠に溶けて消えた。

 それから、提督は力が抜けたように項垂れたのだった。



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五十九話 休息【提督side】

「……はぁ」

 

 こんにちは。まもるです。

 

「その、お前達も、休んでいいんだぞ……? 作戦も終わったし、残りの者達の入渠が終われば柱島に帰るだけなんだ。それに明石、私は別にどこか悪いわけじゃ――」

 

「いーえ、ダメです! 艦娘を診る事が本業ですが、医療の知識だってあります! 提督が一番に! 休まれるべきです!」

 

「おっ……おぉ……そ、そうか……しかし私は本当に大丈夫だから……」

 

 明石に怒鳴られながら改めまして……こんにちは、まもるです……。

 いよいよ艦娘達から鎮守府の掃除すらまともに出来ない無能であると烙印を押されたまもるです。海軍所属の、大将()です。

 知ってるか? 大将は、掃除すら出来ない奴でもなれるんだぜ。

 

 休もう、とは言ったよ。間違いなくな、自分で言ったさ。

 

 不眠不休で艦娘達の任務を見守って、清水や山元が俺の代わりに元帥に謝ったりして、もう何がどうしてこうなったのか分からない! と大混乱に陥りながらも出来る限りの事はしてやろうじゃないかと必死に頑張ったさ。

 

 これだけ頑張った俺の努力とやらは、少し前に完全に打ち砕かれることになったが。

 

 明石が涙を流して掃除をするなと言うだけなら、ぐっと堪えられたかもしれない。

 しかし俺の作戦に従って帰って来た艦娘の全員が泣きそうになりながら、いいや一部泣きながら、やめてくれと言ってきたらどうだろうか?

 

 そりゃあ、もう、大人しくする以外の選択肢は無い。

 

 人生で一番ショックを受けたかもしれない。上司に殴られるよりつらい。

 

 しかしだ……――

 

「お前達は持ち場に戻るなり、もっと過ごしやすい場所で休んでいいんだ。大佐には私から話を通しておくから、今は仕事を気にせずに休んでく――」

 

「ダメっ! 提督、しつこいよ! 島風達が離れたら、また仕事をして休まないつもりでしょ!?」

 

「何を言うか! や、休むとも!?」

 

 可愛い島風にも怒鳴られた……なんでや……。

 

 執務室では山元達が仕事をしている。では休む場所はどこになるか、と言えば、必然的にそこ以外となるわけで。

 中庭でぼけーっと過ごすわけにもいかず、ならば食堂で飯でも食おうか、などという元気も湧かず。

 

 自分の職場ではあるが持ち場ではない呉鎮守府の食堂にずかずか上がり込んで飯を要求するほど肝が据わってはいないのだ。

 社畜時代から社食は行ったことないしな……自分の鎮守府で食べるわそれなら……。

 

 というわけで、俺は現在、艦娘達に支えられて鎮守府にある医務室にやって来たのだった。

 

 松岡率いる憲兵たちは何があったのか両手に怪我をしている者が多く、その治療も兼ねてということでやって来たのはいいのだが、それにしても、これはよろしくない。

 

「提督、何か必要なものはありますか? 食事か……食欲が無いのであれば、何か飲み物でも――?」

 

「い、いや、問題無い。食事は、いい」

 

「やはり食欲が……!? す、すぐに横になってください! そんなベッドに座っていなくてもいいですから!」

 

「今は眠くなどないから、大丈夫なんだが……」

 

「眠気を誤魔化してきたから感覚が鈍くなっているだけですよそれッ! いいから、横になってください!」

 

 俺の目の前にいる明石が正面から肩を押さえて寝かせようとするのだが、俺は抵抗して手を振り払う。

 抵抗するよそりゃさぁ! いくらなんでも無能だからって寝てろは酷いだろ!

 

 可愛いからってなんでも許されると思うなよ! 俺にだって矜持がある!

 

「横になるわけにはいかん。曲がりなりにも提督で、飾りと言えど大将なのだ。お前達に見合う男ではないかもしれんが、だからと言ってはいそうですかと休むわけには――!」

 

「っ……なんで、提督はそうやって……!」

 

 はぁん!? まぁたそうやって涙を目にためて……許されると思うな! いつも明瞭快活な明石が両目に涙をため込もうが俺は言うぞ! オラッ! 言うぞッ!

 

「あ、明石、泣かないでくれ、すまない。私が不甲斐ないばかりに、本当にすまない。頼む、涙を拭いてくれ……!」

 

 うーんだめだやっぱ艦娘には勝てねえわ。

 好きなんだもん。しょうがないよね。

 世にいる提督は艦娘に勝てない。それは世の理であり真理なのだ。俺が弱いわけじゃない。

 

 はい。俺が弱いだけです。(前言撤回)

 

 しかしこれではいかんと危機感を覚えるのも事実である。

 俺がすまないと謝れば情けなさからか明石どころか一航戦と五航戦の四人も表情を暗くするし、俺の尻拭いのせいで松岡にまで迷惑が掛かっている。

 

 松岡には当たり散らしてばかりだったが、陸軍と海軍、職場の違う部署、という感覚で接していたからこそどちらの責任であるか云々といった感情で押し流すことが出来た。

 では、冷静になった今はどうだ。

 

「……松岡も、すまない」

 

「閣下、おやめください……! ……部下に慈悲をかけようとした、自分の落ち度です」

 

 部下に慈悲をかけようとした――というのは、松岡の部下であるといった新見という奴を指しているのだろう。

 部下の失敗は上司の責任。その上司の上司である俺がどうにかしろと保身ばかりを考えていたが故に、諸々の処理を置いて掃除なんていうしょうもない事に時間をかけていたら、結局、俺に理不尽に八つ当たりされた。

 

 それが果たして本当に松岡の落ち度か? 違うね。完全に俺のせいだね。

 

「当然の話だ。自らの部下の事なのだから、慈悲などという言葉すら必要のないこと……守ろうとしたのだろう」

 

 上司が部下に責任転嫁せず、ただ守ろうと動いた。これが俺の上司だったらどれだけ社畜時代が報われたことか……。松岡、お前は素晴らしい上司だよ……。

 まぁ、それがただの掃除であるというのが大問題なのだが。

 

「……」

 

 松岡の沈黙に、俺は言葉を紡ぐ。

 

「全く、馬鹿馬鹿しい話だ……本当ならば松岡にさせるべき仕事でも無いと重々承知していたのに、お前に押し付けて私は……何をしているのだろうな……」

 

「閣下……」

 

 今この世界中のどこを探したとて、大の大人が雁首揃えて掃除一つでしょんぼりしている場所はここしか存在しないだろう。ここまで来たら笑い話である。

 

「くそっ……」

 

 俺の呟く声に松岡や憲兵たちの視線。

 艦娘達も俺の顔を心配そうに見つめてきたが、すまない、と片手を振って軍帽をぱさりと脱ぎ、ベッドの脇へ置いた。

 

「お前達は真面目だな。真面目過ぎる。……しかし、一人で仕事をしていた時より、心が楽だと、思ってしまった。このような場面で言うなど、ふざけているかもしれんが」

 

「そんな事はありませんが……閣下、何故それを、今……」

 

 何故と問われたら、先に言った通りとしか言い様がない。

 上司の仕事も、その上司の上司の仕事も押し付けられて終電を逃して徒歩で帰宅するような毎日を送っていた俺が、今は一人じゃないのだから、心が楽なのだ。

 

 職種の違いからあまりに無能である今の俺は、立場こそあろうが艦娘の頑張りや松岡たちの機転、井之上さんという有能上司が居なければ何もできない。

 追い出されたっておかしくないのに、彼や、彼女らは俺を上司として扱い、無茶をするなと気遣ってくれる。

 

 

 あぁあああああほんっとうにすみませんでしたぁあああああッ!

 

 社畜まもる、改め、大将()まもる、心を入れ替え誠心誠意お仕事頑張りますので! 文句言わないので! 書類だろうが会議だろうが笑顔でこなしてみせますんで! お願いだからしょんぼりしないでくれよぉおおおおッ!

 

「……独りよがりは、もうやめることにしよう。私にできる事が限られていることなど、最初から百も承知だったのだ。情けないかもしれん。上席として私が言うべきことでも、無いのかもしれん……だが……」

 

 いっぱい頼らせてくださぁああああいッ! 反省します! いっぱいします!

 

 でも後悔はしません。自分に正直なので。

 艦娘とお仕事出来るだけでちゃんと満足しますんで。ね?

 

 クズって呼んでくれよな!

 

 はぁー! ……もう泣こう。

 

「……お前達を、頼らせて、くれないか」

 

 目頭を指で押さえていた俺だったが、あまりの情けなさに本当に涙が出てしまった。滂沱の涙では無かったが、確かに一筋、ぽつりと軍服のズボンへと染みを作った。

 

 掃除すら出来ないやつですけどぉ……書類処理は得意なんでぇ……!

 許してくださぁいぃー! と心の阿武隈が大号泣。

 

「提督……!」

 

 明石が工廠で抱きしめた時のように、正面から優しく包み込む。

 

 これが今のような場面でなければどれだけロマンチックで、どれだけ心が躍ったことか……くそ……くそぉぉ……。

 

 やぁらかぁい……!

 

「なら、私も、言わせてください……提督……。あなたのような人に拾ってもらえて、本当に、よかった――……!」

 

 明石が何か言っていたが、普通の人では考えられない奇抜なピンク色のふわふわな髪の毛から漂う、得も言われぬ香りにより聞こえなかった。

 前世から女性と殆ど関わってこなかった俺なのだ。許せよ、世の提督達。

 

 だが、両手をだらりと下ろしたまま抱きしめられているのもまた情けない。

 

 理性という理性を総動員した俺は、威厳スイッチオンのまま片手を持ち上げて、ぽん、と明石の頭をひと撫でした。

 

「優しい娘達だ、お前達は」

 

 本音がちょっぴりこんにちはしてしまったが、誰からも咎められなかったから聞こえていなかったのだろう。良かったです。

 多分、聞こえていたら「提督? やっぱり修理しときますね?」とレンチとかでぶん殴られておやすみなさいと言われていたかもしれない。……それは無いか。

 

 ともあれ、俺の無能はこうして医務室にいた全員に知れ渡り、同時に協力を仰ぐことが出来たので良しとしておこうじゃないか! な!

 

 ……な!?

 

 

* * *

 

 

 医務室で休む休まない論争が無能の俺を皆で支えようという明後日の方向を突き進んだ結果に着地して一段落した頃、コツコツ、と控えめなノックの音が部屋に響いた。

 

 こういう時くらい率先して俺が返事をしようと声を上げると、来訪はどうやら山元達のようだった。

 

「山元大佐であります」

「同じく清水中佐であります」

 

「お前達か。入れ」

 

「「失礼致します」」

 

 声を揃えて入室してきた二人に、どうかしたかと声をかけようとした俺だったが、その後ろに金髪が揺れていることに気づいて視線を移す。

 どうやら、山元達は第一艦隊が発見して救出したという女性を連れてきた様子だった。一応、形式上でも身の安全を確認させておこうという事だろうか? と身体を傾け、正面に座ったままの明石越しに姿を見ようとすると、その女性を視認した瞬間、ぴゅん、と一筋の光が。それは俺に向かって一直線に飛び――ムゴォッ!?

 

「んぐっ……!?」

 

『サボるなまもるー!』

 

「んぐぐ……む、むつまる……お前、今までどこに……!」

 

 確か艦娘寮では一緒に居た筈だったが、どこでどうやって別れたのだったか。

 姿を消していたむつまるは俺に飛んできたかと思えば、口に金平糖をダイレクトイン。

 勢いあまって突っ込まれた金平糖を呑み込んだが、咳き込んでしまってはまた周りに心配をかけてしまう、となんとか耐えて口にひっついたむつまるをひっぺがす。

 

『あの、入ってもいいかしら……?』

 

 金髪の女性――名は、ソフィアと言ったか?

 

『し、失礼。どうぞ、お入りください』

 

 なんだ。日本語喋れるのかよ。

 と、思った矢先、俺にひっぺがされて指先でつままれた状態でぷらーんとしていたむつまるがぎゃいぎゃいと喚いた。

 

『むつまるのおかげなんだから! おれい言って! ほめて!』

 

 何がお前のおかげなんだよ。いきなり金平糖突っ込んできやがって。

 俺の事を暗殺でもする気だったのか? 可愛い手法で殺そうとするな。

 

「提督、英語まで出来たの……!? っていうか、すごい、流暢ですね……」

 

 明石の声に、うん? とむつまるから視線を移す。

 周りを見れば、皆が目を見開いた同じ顔で見ていて、俺はまた、むつまるを見る。

 

 あっ、これ、え?

 

『ほ! め! て! おしゃべりできないとこまるでしょ!?』

 

 むつまる、お前……!

 

 妖精にまで世話をしてもらうなんてもう俺、立つ瀬がねえよぉ……。

 い、いかん泣くなまもる。心を入れ替えると誓ったばかりではないか!

 

 しかし未来から来たどこぞのロボットのようにそんな便利なものがあるのであれば、作戦中に教えてほしかったものである。こっちゃあ必死におーけーおーけーで押し通したんだぞ。おかげで清水にまで迷惑かけたんだからな!

 

 二度目は無いぞ! ……い、いや、三度くらいまでなら……うーん、しかし妖精と艦娘は俺の愛する存在で、まあ、四度、いや、五回くらいまでなら……。

 

 って違う!

 

『妖精にキスされるくらいに愛されている提督がどんな人かと思ったら、案外、細いのね?』

 

 すげぇ、映画の吹き替えみたいだ……口と声が合ってねぇ……。

 違和感に戸惑いながら、むつまるを明石に手渡し、ベッドに置いていた軍帽を被って立ち上がる俺。

 

 これは、うーん、言い回しとか気を付けるべきか……?

 

 日本的な言い回しが自動翻訳金平糖(むつまる製非売品)に対応してるかも不明なのだから、安牌を選ぶべきだろう。

 

『上司である井之上元帥からは、きちんと食事をとれと言われてばかりですよ。しかし妖精や艦娘に愛される体形を維持しなければならないと努力しているのです。世にいる女性たちには、負けてしまうかもしれませんが』

 

 くぅぅ……なんだこの恥ずかしい言い回し……!

 しかし金平糖の効果であろうか、するすると出てきてしまう……。

 

 視界の隅に映るむつまるは面白がっているようにころころと笑い声をあげながら明石の手のひらの上で転げまわっているし、お前、くそ、面白がるんじゃねえ!

 

 ボロついた白衣の金髪、という現実味の薄い恰好でやってきたソフィアは、海外女優かな? というくらいに美しい女性だった。ただし艦娘には負ける。まもる調べである。

 

『まぁ……! お堅い話でもされるのかと思ったら、ジョークなんて言ってくださるのね……』

 

 ちらり、とソフィアが山元達を見た。

 二人は視線を受けて気まずそうに大きな体を縮こまらせて俺に頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません閣下……事態が事態なもので、形式ばってしまって……」

 

 清水、謝らないでいいんだ……大体は俺が悪い……。

 

「気にするな。お前はお前の仕事をしたのだ。よくやった」

 

「閣下……」

 

 スムーズに日本語も喋れる……妖精ってすごい……。

 それはさておき。

 

 救出されたソフィアを見れば、顔色は悪くないものの少し疲れているように見えた。

 俺は明石にそこを空けるようにとジェスチャーをしてみせ、半身をひるがえした。

 

『こちらへどうぞ。初対面でベッドへお誘いするのは、大胆過ぎたでしょうか?』

 

『あっ……い、いえ、いいえ、そんな事はないわ! あ、ありがとう……』

 

 軍帽のつばに指をかけて目深に被りながら視線を落として言う俺に、ソフィアは疲れからかぎくしゃくとした動きでベッドへ移動し、腰を下ろした。

 俺は明石のあけてくれた椅子へ腰を下ろし、そこでまた軍帽を取って頭を下げる。

 

『――この度は、日本海軍の捜索の甘さから発見が遅れてしまい、申し訳ありませんでした』

 

 南方海域は深海棲艦に奪われた海域――のはずが、何故か人がいた。

 それは間違いなく、俺の言葉の通りであることは疑いようもない。

 

 俺が言えた立場では無いが、肩書もあるのだから、これくらいは言っても大丈夫だろうと言葉を紡げば、ソフィアは本当に映画みたいに大袈裟な驚き方をした。

 口を開けて息を吸い込み、両手で口元を押さえて『いや、そんな……!』と。

 

『……私が助かったのも、神のお導きよ』

 

『であるならば、私もその神へ感謝と、謝罪を』

 

『あ、あなた、本当に日本の人……? 日系じゃないわよね?』

 

『は、はい……? 私は日本人ですが……海原鎮、と……聞いておりませんでしたか?』

 

『いえ……こんなに、話せるなんて思わなくて……』

 

 ソフィアが何に驚いているのか分からないが、清水が言うように形式的な事ばかりで落ち着けなかったのだろうと察して、俺は清水へ声をかけた。

 

「清水。何か飲み物を頼めるか」

 

「っは!」

 

 そうだ、とソフィアへ視線だけを向けて問う。

 

『何か、お好みのお菓子などは?』

 

『えっ、あ、あぁっ……えーと……あなたの、くれた、キャンディー、とか……?』

 

『私が……?』

 

 俺が戸惑いを見せかけた時、キャンディーと言えば持ってるな、と思い出して、軍服の上着のポケットへ手を突っ込む。

 取り出されるのは、伊良湖が包んでくれた金平糖。

 

 ひっついてしまわないようにと紙に包んでくれる伊良湖の気遣いよ……まあ色々とあって少しくしゃついているが、ごめんねソフィアさん。

 

『キャンディーとは、こちらのことでしょうか?』

 

『そ、そう! それ! そ、それでいいわ!』

 

『ふむ……では、こちらを。お好みの飲み物などは?』

 

『こ、コーヒーを……』

 

『承知しました』

 

 再び清水へ視線を向けると、既に清水は動き出しており、医務室の隅にあった流し台を漁り用意を始めていた。

 やっぱお前も元々は有能なんだなぁ……清水……。

 

『あの、海原提督――ミスター・山元にも言ったのだけれど、アメリカ海軍と連絡を繋ぐことは可能かしら?』

 

『アメリカ海軍に、ですか』

 

『えぇ。私の安否を知らせるには手順を踏まなければいけないというのは嫌という程分かったわ。でも私が生きていることを誰も知らないなんて……って思ったの。両親に知らせるのが後になるのも、私が深海棲艦研究者だからなのも、理解してるつもり。ならそれと戦ってる海軍になら、どうかしら』

 

『深海棲艦、研究者なのですか……!』

 

 えぇ、そんな人いんのかよ!?

 と俺が驚愕していると、俺の近くにまで寄ってきていた山元が思い切り溜息を吐き出しながら首を振った。

 

「閣下……そのような演技、おやめください……分かってますから……」

 

 演技じゃねえけど!? いやなんだお前突然、失礼な奴だな!?

 

『……んんっ。部下が失礼を。それで、何故深海棲艦の研究者がソロモン諸島などに取り残されてしまったのですか?』

 

『それをまた話さなきゃいけないの!?』

 

『お゛ぅ……!? いえ、その……すみません……』

 

 欧米風島風みたいな驚き方をしてしまった。欧米風てなんだ。

 

 だがどうやら相当酷い目にあったのは事実らしく、宥めつつ大まかに聞けば、深海棲艦の研究をするためにアメリカからニュージーランドへと移動する際に、深海棲艦に襲われてしまい、そのまま乗っていた船は沈没してしまったそうな。

 

 恐ろしい事故に遭遇したものの、運よく生き延びて無人島に流された彼女は、島に時折やってくる深海棲艦に殺されないように振る舞い、知識を振り絞って生き抜いたのだとか。

 

 映画かな?

 

『……事情は、分かりました。アメリカへ戻るのであれば、その手続きを急ぐように自分からも一声かけておきましょう。海軍にいるお知り合いにも連絡が取れるように手続きを――』

 

『アイオワと話せるのね!?』

 

『……今、なんと?』

 

『アイオワよ! アイオワ! 艦娘の子でね、私と昔から知り合いで、向こうの研究所に居た頃からずっと仲良くしてくれてたの! あの子と話せるのなら、両親と連絡が出来ないのも少しの間我慢するわ!』

 

 あい、おわ……?

 

 俺の心臓が早鐘を打つ。理由は、明確に一つだけだった。

 

 彼女が連絡を取りたがっているのならば、すぐにでも話をさせてあげるべきだ、と。

 

『我々の全力を挙げて、あなたのご友人へとお繋ぎします』

 

 震えそうになる声をおさえつけて言うと、俺は山元へ視線も投げず、顔も向けず、ソフィアさんを見つめたままに続けた。

 

「山元。井之上元帥へ繋げ。アメリカ海軍の所有する艦娘、戦艦アイオワに用がある、とな」

 

「は、はいっ、今すぐに! しかし閣下……アメリカ海軍との共同戦線を締結させたのは少将でありまして……閣下が動かれるのは得策とは……」

 

「なに……?」

 

 動かさなかった顔を、ぎぎ、と向ける俺。

 

「ひぇ……! で、すから……基本的には少将を通してか、元帥直々での連絡でアメリカ海軍に繋がねば、問題が起こりかねないかと……」

 

 え? あ、そうか、そうね。当然ね。

 大丈夫、まもるはちゃんと意識はっきりしてるから。別に問題ないから。

 

「だから井之上元帥へ繋げと言っているのだ。難しい話か? 無人島から生還した友人が、艦娘に会いたいと言っているのだ――どこにおかしい話がある」

 

「……――っ!? そういう事でしたか……! まったく、閣下もお人が悪い! 脅さないでいただきたい!」

 

 突如、山元が表情を崩してがはは、と笑った。

 なんだよ。いきなり笑うなよ。怖いよ。

 

「では、井之上元帥に取り次いだ後に閣下に……いえ、ソフィアさんに繋げばよろしいでしょうか?」

 

「当然のことを聞くな。早く繋いでやれ。友人が心配しているかもしれんだろう」

 

「っくく、了解しました」

 

 よ、よし、これでいい。これで――

 

「先に一度だけ、閣下にお渡ししても?」

 

 ――ダメだバレてたわ。アイオワと話してみたかったの思いっきり見透かされてたわ。ごめんなさい。心入れ替えたけど心が変わったわけではないんです。

 仕事はちゃんとするんで。大丈夫なんで。お願いします。

 生の声を聴きたいんです、あのアイオワの「Did you call me?」が聞きたいんです! オネシャス! オネシャス!

 

「……無論だ」

 

 と答え、ソフィアに言う。

 

『何度も、形式と申し上げるのは心苦しいのですが……一度だけ、私に話をさせてください。どうか、あなたのご友人と話をする許可を、いただけませんか』

 

『……ふふ。そんな顔でお願いしなくても、そのつもりよ。……難しいお仕事だって、彼女もずっと言ってたもの。あなたのお仕事なのも、わかってるつもり。私を救ってくれた人の要求を突っぱねるなんて、それこそ彼女に怒られてしまうわ』

 

『……ご理解いただき、ありがとうございます』

 

 

* * *

 

 

 連絡は、案外あっさりとついた。

 井之上さんはソフィアの要求を予想していたのか、東京へ戻る道すがらも各所へ連絡を続けていたらしい。

 

 それ以上に難しい話というのは頭がこんがらがってしまい全てを理解は出来なかったが、身柄の保護を海軍が引き受けただの、安全の保障は大将の名義で行っているだのと言っていた。

 

 要するに何かあれば俺が責任を取る、という事だが、そんなこたぁ問題じゃない!

 

 松岡達にはしばらく休んでていいということと、新見という男も休ませてやれ、と伝えて、明石を含む作戦を遂行した艦隊の娘達には食事でもしておいでと食堂をすすめ、執務室へ移動してきた俺達。

 

 何故か松岡に泣きながら礼を言われたりしたが、そんなこともどうだっていい!

 

 山元がスマホ――うちの鎮守府には無いのに……――を俺に差し出し、頷く。

 

 俺も重々しく頷き返し、応接用のソファに座っているソフィアをちらりと見て、内心で土下座をかましながら、恰好ではウインクを飛ばしながらスマホを受け取った。

 

 ウインクをしたのは俺の意思ではない。大体はむつまるが悪い。

 

『……もしもし』

 

 受け取ったスマホを耳に当てて言うと――

 

『ハーイ! ミーが戦艦、アイオワよ。私を呼んだのは、あなた?』

 

 ――んんんぅうううう可愛いんだけどなんかちがぁああああうッ!

 

 くっそぉおあああああなんだこの、これ、この、モヤっとしたぁあああ!

 

 表情を必死に保ち『えぇ、そうです』と返答する。

 清水達にも見えているだろうにお構いなしに執務室の提督の机の上を転げまわりながら爆笑する妖精達。お前らこれ分かってて金平糖を食わせたのかァッ……!

 

 だが、確かに俺の鼓膜を揺らす力強い声は、艦これで聞いたままの、戦艦アイオワのものだった。

 

『急に連絡をして申し訳ない。私は日本海軍に所属している提督、海原という者だ』

 

『オゥ! ユーが日本のアドミラルなのね? ふぅん、いい声じゃない! それに、とても流暢な英語ね?』

 

 ……可愛いんだけど。なんだろうか、この、そこはかとない、金剛風味。

 きっと金平糖の効果が切れたらまともに聞こえるのだろうが……もやもやする……。

 

『お褒めにあずかり光栄だ。さて、単刀直入に言うのだが……聞いているかもしれないが、君の友人と名乗る女性が、ソロモン海域で保護された』

 

『それ、って……!』

 

『ソフィア・クルーズという女性だ。聞き覚えは?』

 

『あ、ある……あるわ! 私の友人、いえ、私の大事な人よ……! ほ、本当に、保護って、彼女は大丈夫なの!? 怪我は!? 病気なんてしてない!?』

 

『安心して欲しい。彼女はコーヒーを飲んで私と談笑するくらいには元気だ。少し、やつれているが……彼女の願いで、君と連絡を取って欲しいと言われてね。話してもらう事は可能か?』

 

 モヤっとしてしまったが、嬉しいのは変わりない。まもる、満足です。

 さぁ、こっから仕事か、と名残惜しい気持ちに浸りつつ。

 

『もちろんよ! 代わってもらえる!?』

 

『あぁ。……ミズ・ソフィア。どうぞ』

 

 スマホをソフィアに手渡したあと、俺はさっさと執務室を出て仕事に戻ろうとした。すると、何故か山元も清水もついてくるでは無いか。

 

「どうしたお前達?」

 

「閣下に倣ったまでです。せっかくの再会なのですから」

「えぇ、そうですね」

 

「お、おん……? まぁ、そうか……? それはそうと、仕事だ。仕事。私は入渠している艦娘の様子を見に行くのだが、あとの事は頼めるか?」

 

 艦娘の入渠って長いからなぁ……帰る準備が出来ているのなら、艦娘には動かしっぱなしで申し訳無いがさっさと柱島に帰りたいところだ。

 向こうに戻り、いつもの書類仕事を終わらせ、ゆっくりと眠りたいんだ……。

 

 贅沢言うなら、眠る前に間宮と伊良湖のご飯を食べたいです……。

 

「っは。あきつ丸殿と連携し、必ずや」

 

「……そうだな。あきつ丸や川内……お前達がいるのだから、安心だな」

 

 尻拭いしてやるから! と豪語しておいて尻拭いをされる阿呆はどこのどいつなのか、全く……。

 

 まもるだよ! 大変申し訳ありません!

 

 でも無駄に足掻いたりしない! まもるは学んだのだ!

 

 出来る出来ないが分からないなら、出来る者に仕事を任せる。それでいいじゃない。そうやって社会の歯車は回っているのだから、間違ってないんだ。

 申し訳なさを押し殺した俺は、あきつ丸と川内には逆らうなよ? 特に大淀とか。と言い含めてから、執務室に背を向けて歩き始める。

 

「「失礼致します!」」

 

「うむ。また、のちほどな」

 

 ちょっとだけ仕事を忘れ、正直になってベッドに座り休んだ(?)ことで、俺の足取りは先刻よりも軽かった。

 

 

 

 

 

 

「ここの鎮守府も、入渠はやっぱ風呂なのかなぁ……」

 

 

 

 別にしょうもない事を考えながら歩いてたから、しっかりした足取りだったわけではない。

 

 ラッキースケベとか期待してねえから!! やめろ!!



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六十話 入渠【艦娘side・夕立】

「はぁ……生き返るっぽいぃ……」

 

「ふぅ……」

 

 私の声と同じくして大きく息を吐き出したのは、駆逐艦、時雨。

 

 ちゃぷん、と水音が入渠ドックに響く。

 

 がやがやと騒がしい呉鎮守府内であったが、ある時から、ぴたりとその喧噪は止んだ。

 第一艦隊、支援艦隊、補給艦隊の三艦隊が帰投してから数十分後には、もう、ぱったりと。

 

 大方、提督への作戦報告と、それに伴う軍議で一か所にまとまっているのだろう、などと考えながら、私は温かな修復液に浸かっていた肩をより深く沈ませ、ぷくぷくと口元で泡を立てた。

 

 戦闘による損傷は激しいものでは無かったが、砲撃戦によって傷を負った私や後方支援で空母を護衛していた時雨、その他にもいくらかの艦娘が、以前に所属していた鎮守府よりも広い入渠ドックで身体を休めていた。

 

「……僕の知ってる夕立じゃないみたいだ」

 

「っぽい?」

 

 首をかしげて、隣にいる時雨を見る私。

 知っている夕立じゃないみたい、という呟きに疑問を持ったのは、私が時雨にいつも見せている顔をしていなかったからだろうか、というものではなく――

 

「時雨が知ってる《夕立》は、私とはちょっと違うっぽい?」

 

 ――別の鎮守府からやってきた時雨が知っている私と、同じ名を持つ駆逐艦が、どう違うのだろうか、というもの。

 

「僕が知ってる夕立は、もっと……どう言えばいいかな」

 

「元気いっぱいっぽい?」

 

「――ううん。その逆。いつも、暗い顔をしてた」

 

「……ぽいぃ」

 

 じゃあ、私はその子と変わらないよ、と喉元まで出かかった声を、さらに深く、鼻先が浸かるぎりぎりまで沈むことで呑み込んだ。

 

「ここの夕立と話をするのは初めて、かな。よく覚えてないや」

 

 声を受けて少し浮上した私は「よろしくっぽい!」と元気に答えて見せたが、時雨の表情は、作られたような笑みを浮かべただけだった。

 形だけでも笑顔で対応しておいた方が、軋轢は生まれづらいだろう? とでも言いたげな雰囲気が感じられた。

 

 ――これは私の偏見かもしれないけど。

 

 私と時雨は、浅からぬ因縁がある。

 鉄塊であった艦の頃は同型というだけで、合同作戦に従事した回数が多いわけでもなければ、第二十七駆逐隊に所属していた時雨が、神通から第二水雷戦隊を受け継いだ能代を筆頭に縦横無尽に活躍していた、みたいな朧気な知識があるだけ。

 ここにいる時雨が、どれだけ夕立という存在に対する知識を持っているのかなんていうのは知らない。

 

 ただ、時雨が知っている私は、いつも暗い顔をしていたらしい。

 

 少し前の私がそうだったのだから、間違いだと言い切るつもりはない。

 

「時雨は、前の夕立と今の夕立、どっちが好きっぽい?」

 

 きょとんとした時雨が顔を向けてきたものだから、私は気になっただけっぽい! と言ったのだが、その問いが私にとって地雷ならぬ、機雷になろうとは思いもしなかった。

 

「――僕は、どっちも好きじゃない」

 

 各々が身体を休めようとしている入渠ドック内は柔らかな雰囲気だったが、その一言で凍り付いた。

 しばしの静寂。それから、私が口を開く前に、同鎮守府に所属していたという山城が修復液のシャワーを傷口に当てた格好のまま咎める声を上げた。

 

「時雨、やめなさい」

 

「おや、山城は夕立の肩を持つのかい? 同郷のよしみで僕の肩を持ってくれるものだと思っていたのに」

 

 ふふん、と笑った時雨に、山城はさらに語気を強めて言う。

 

「やめなさいと言っているの。同郷だなんて、そんな事を言うものではないわ。今は海原提督の艦娘で、私達は柱島の所属なんだから」

 

 山城の姉にあたる戦艦扶桑はと言えば、何も言わず、事の成り行きを見守るように浴槽の端っこで足を伸ばして目を細めるばかり。

 

 ――まあ、考えずとも、どうしてか浅からぬ因縁のある相手。

 

 前の鎮守府でも、ここでも、きっと私達の仲は――良くなる事など無いのだろう。

 

 大淀と共に前提督に仕えていた頃も、時雨とはあまり話さなかったし、仲が良いわけでもなかった。それは柱島に来た今でも変わらない、ということだ。

 しかしながら、ソロモンを抜けて帰って来た今の私は疲れているのか、心に余裕があるのか、はたまた余裕が無くて考える暇が無かったのか、ただ少し申し訳なくて彼女にこう返す。

 

「ご、ごめんね時雨。夕立、賢くないから……変な事を言ったら、今みたいにズバッと言ってくれていいっぽい! 夕立は――」

 

「――そういうのが嫌いだって言ってるんだよ。分からないのかい?」

 

「うっ……ぇ……?」

 

「またソロモンに行けて楽しかったでしょ。今度は勝てたね? 誰も失わず、帰還出来た……だから嬉しいんだろう?」

 

「えっ、あ、あの……時雨……夕立は――」

 

「佐世保の時雨なんて呼ばれてたんだから幸運艦かもしれないって期待されてた僕よりもよっぽど素晴らしい活躍だったね。本当、尊敬するよ。僕なんて護衛だけで手いっぱいだった。艦載機を引き付けて、この身で攻撃を受けて帰って来ただけでも幸運なのかもしれないけど、君と比べたら、全然さ」

 

「時雨! やめなさい!」

 

 山城の怒声。それでも時雨は止まらず、興奮したようにざばんと音を立てて湯船から立ち上がり、私を見下ろして声を紡ぎ続ける。

 

 作戦時に通信で聞こえてきた強気で頼りがいのある声とは別人のような物言い。

 

 まるで――

 

「あの頃を思い出したよ。川内さんの救援にも向かえず、白露も五月雨もぶつかって、もう勝つ勝たないどころの話じゃなくなって逃げ出したあの頃をね。まあ、それに比べたら凄い戦果かもしれないね? 海原提督は凄い人だ。ソロモン諸島を周回させて敵艦を沈めまわらせて、その余波が本土に及ばないようにって僕達をつけるなんて、昔の僕でも、今の僕でも、考えられない発想さ。資源に余裕があったわけでも無いのに、逆転の発想だね。僕がこの程度の傷で生きて帰れたのも、ある意味で本当に幸運艦らしいことなのかも」

 

 ――艦の記憶に引っ張られているように見えた。

 

「……そんなの、知らないよ」

 

「何だい夕立? 何か言った? ふふ、僕の知ってる夕立みたいに小さい声だ」

 

 私も艦娘だ。艦の頃の記憶は朧気ながらある。知識だってそうだ。

 それによって感情が強く引っ張られるという事もあった。

 

 暗闇が怖かった。私が放つ砲弾が、魚雷が、仲間に当たってしまうかもしれないという恐怖があった。

 

 この作戦だって――怖かった。

 

 これも一種の共鳴と言うべきか、私が無意識に知らないと言い返したことをきっかけに、入渠ドックは怒鳴りあいの場と変わり果てる。

 

「時雨の考えなんて知らないっぽい! 幸運艦とか呼ばれてたのも、夕立には関係ないっぽい! 知らない! 知らないっぽい! どうでもいいっぽい!」

 

「吠えるねえ? ソロモンをくぐり抜けた勝者の叫びってやつかな?」

 

「時雨、いい加減にしなさい! 救出に成功して戻ってこられたのだから――!」

 

 

 

「僕だって頑張ったんだよ――!」

 

 

 

「っ……!」

 

 時雨のひときわ大きな声に、しん、と再び静まり返ったドック内。

 きぃんという残響が消えてからすぐに、時雨は残響が消えたことさえ腹立たしい、という具合に金切声を上げた。

 

「いつもそうだ! 前の鎮守府でも、ここでも、頑張って、頑張って、生き残っても、次の出撃がある! 次は生き残れないかもしれない! 今回は運が良かっただけだよ! 本当に、幸運だっただけだよ……! もう嫌だよ……あの、提督の顔を見ただろう……? 次の出撃を考えている顔だった……この戦争の中心へ突き進む顔をしてたんだ……扶桑や、山城みたいな顔で……でも、最上達みたいな、優しい声で……」

 

「……それで?」

 

 途切れた声に、扶桑の声が入り込んだ。

 

「海に立ってる時は、頑張ろうって、まだ戦えるんだって、思えるんだ……でも、一度海から上がると、もう一度出撃する時、今度こそ前みたいに、一人に、なるんじゃないかって……」

 

「……そう」

 

 扶桑が修復液を塗り込むように手を動かし、首筋、肩を撫でる水音がする。

 

「私は乗り越えたわ、()()

 

「それ……?」

 

 どれ? と疑問が顔に出ていたのだろう。顔を向けた私に、扶桑が柔らかな笑みを浮かべて言った。

 

「あなたは、一生懸命になり過ぎて、気づかないうちに越えていたのかもしれないわね」

 

 扶桑の言葉に合点がいったような山城は、ああ、と納得したような声を出した後に、時雨をちらりと見やり、先ほどとは打って変わってまるで放っておくみたいに背を向けてシャワーを浴びなおしはじめた。

 

 時雨は分かっていないようで、出撃したばかりの時の自分と、帰投してからの自分を頭の中で比べているのか、突っ立ったままに下唇を噛みしめていた。

 

「乗り越える、乗り越えないなんて簡単な問題じゃないよ……――!」

 

「誰も簡単なんて言っていないわ。とても、難しかったし……怖かったもの。私にはきっかけがあった――時雨にも、いずれやってくるわ」

 

「そんなもの……ッ!」

 

「ぁ……」

 

 時雨が怒鳴る前に、私も合点がいった。

 

 きっと提督は意識していないのかもしれないが。いいや、彼のことだ、もしかすると作戦にあえて組み込み、私達を試しているのかもしれない。

 もしもそうならば、彼は本当に厳しい提督だ。

 

 そして――誰よりも私達を考えてくれる、優しい提督だ。

 

「……過去を、越える戦い……っぽい」

 

「はぁ……!? どうしてここでそんなふざけた事を言えるんだろうね君は! 何が過去だ! 何が戦いだ!」

 

「……」

 

「終わらせるために、今度こそ終わらせられると思って来たのに……まだ……っ」

 

 そのための戦いでもあるのだと言えたらいいのに。私は声には出さなかった。

 

 私がここで時雨に何を言おうと、きっと聞き入れてくれないだろう、と口を噤む。

 と、閉じたのもほんの数秒だけだった。

 

 時雨が私を睨み、見下ろす姿に腹が立って私も立ち上がり、真正面から見据える。

 

「そんなに戦いが怖いなら、引っ込んでたらいいっぽい!」

 

「こっ……怖くなんか無いよ! 僕だって戦える!」

 

「さっきはもう一度海に行くのが怖いって言ってたっぽい!」

 

「言ってない! 今度は一人になるんじゃないかって言ったんだ!」

 

「怖いって意味っぽい! 時雨は、怖がってるだけっぽい!」

 

「~~~ッ! 違う! 違う違う違う! 君達が先に沈んで、僕だけが生き残ったらって面倒だって意味だよ! 僕は幸運艦なんだ! 君達よりも先に沈むわけがない!」

 

「幸運艦の癖に負傷したっぽい? っはん! 時雨の幸運っていうのもあてにならないっぽい! まだ夕立の方が戦えるっぽい!」

 

「何をぅ……!? こ、こん、こんな……ぽいぽい言う艦娘が戦えるなんて思えないね!」

 

 

「へーん! 夕立は敵の駆逐艦をちゃーんと沈めてきたっぽい! 時雨は敵の艦載機でいっぱいいっぱいになってたんじゃないかしら?」

 

「艦載機と駆逐艦は別じゃないか! そんな事も分からないのかい?」

 

 ふん、と顔を背ける時雨だったが、私の幼稚な言い返しにまたこちらを向く。

 

「それくらい分かってるっぽい! 物の例えっぽい!」

 

「何も例えてないじゃないか! やっぱり夕立は馬鹿だ! バーカ! バーカ!」

 

「んなッ……! 馬鹿って言った方が馬鹿っぽいー! バカー!」

 

 ……どうして私はこんな言い合いをしているのだろう。

 頭の片隅は冷静なのだけど、時雨が私の両肩を掴んで押し倒そうとしてきた事で意識は逸れ、こちらも時雨の肩を掴んで押し返す。

 

 馬力の差はあれど、ぐぐぐ、と均衡する私達に、山城の怒鳴り声が三度入り、今度は扶桑のくすくすという笑い声まで。

 

「や、やめなさい時雨! 夕立も! あーもう、どうしてこんなことに……!」

 

「ふふふっ……二人とも、仲良しね」

 

「仲良くない!」

「仲良くないっぽい!」

 

 

* * *

 

 

 がるる、と二人して喉を鳴らし、どちらかが湯船に倒れ沈むまで、みたいな力比べをしている最中の事だった。

 

「司令官が修復にあとどれくらい掛かりそうか聞いて――って何やってるんですか二人とも!?」

 

 ドックの扉を開いたのは、時雨とともに支援艦隊の任務についていた綾波だった。

 私と時雨が取っ組み合いになっているのを見て、制服も脱がず早歩きでドック内へ入ってくると、互いの肩を掴んでいた腕をがっしりと握り「やめてください!」と言った。

 

「夕立は悪くないっぽい! 先に絡んできたのは時雨だもん!」

 

「僕が悪いって? 言うじゃないか、馬鹿の癖に!」

 

「い、い、か、ら! 二人とも、手を放してください!」

 

「やっ!」

「お断りだね!」

 

「もぉぉぉっ! 司令官が外で待っておられるんですよ!?」

 

「提督さんが!?」

 

 私がはっとして力を抜いた瞬間、ぐらりと身体が傾く。

 

「うわっ!」

「っぽい……!?」

「きゃあ!?」

 

 ばしゃん、と水しぶきを上げて私と時雨が湯船に倒れこむ。

 綾波までもが巻き込まれ、しぶきは高い天井に届くのではないかというくらいに飛んだ。

 

「げほっ……な、何で私まで……制服がぁ……!」

 

「いきなり力を抜く奴がどこにいるんだ! 夕立!」

 

「邪魔! 時雨、どいてっぽい!」

 

「あっ! 夕立さん待っ――!」

 

「あらあら、あんなにはしゃいで」

 

「お姉様! そんな悠長な――! 夕立! 待ちなさい!」

 

 文句を言う時雨を押し退け、扶桑と山城の声を振り払い、私は湯船から飛び出した。

 

 艦娘の修復に使われる修復液は、体表面の殆どを一瞬で修復することが出来る。

 それはこれ以上血液――艦娘の体内に流れているものも赤色だが、もしかすると油なのかもしれない――を流出させないための働きらしく、内部の修復には多くの時間が必要となる。

 

 大淀が昔に教えてくれた事なのだが、それを今になって実感するとは。

 

 湯船を飛び出した私は一見して無傷だったが、腕や足に受けた砲弾の衝撃によってできた傷は癒えておらず、びき、とした嫌な痛みを訴える。

 

 それでも、提督が来てくれた――ただの仕事だったとしても、会いに来てくれたのかもしれない、と思うと胸が熱くなり、いてもたってもいられなくなったのだ。

 

 ドックを抜け、脱衣所に到達するも、タオルで修復液を拭う時間も惜しいと私は駆けた。

 

 そして脱衣所から廊下へ続く扉に手をかけ――

 

「提督さん――!」

 

「あぁ、夕立か。思ったよりも修復は早かったみたぁぁああ――!? な、なっ! 夕立! タオルはどうした!?」

 

 ――駆けた勢いをそのままに、扉の前に立っていた彼に飛び込む形になった私を真正面から受け止めてくれたのも嬉しく思った。

 その嬉しい、という感情の種別がどういったものかは、分からない。

 

 しかしながら、港に帰って来た時とは違う、ああ、この場所こそが私のいるべき場所なのだという理屈も根拠もない安心感だけは、無機質な嘘ではなかった。

 

「夕立! いっぱい頑張ったっぽい! あのね! あのね!」

 

 私が乗り越えられず、暁を迎えることの出来なかったソロモンでの戦いが、どれだけ過酷であったことか。

 その戦いで聞こえたあなたの声が、どれだけ私の心を燃やしたことか。

 

 作戦報告書などでは無く、生きて帰ってきた私の口から、聞いて欲しい。

 

 逸る気持ちを言葉にしようと頭を働かせようとするも、ずき、と痛んだ足に言葉にならない声が漏れた。

 

「夕立ね! 敵の駆逐艦をね――いっ……!」

 

「!? どうした、身体が痛むのか!?」

 

「へ、平気っぽい! これくらい、全然痛くないっぽい!」

 

 それよりも私の活躍を、と顔を上げて提督の顔を見ると、彼の顔はみるみるうちに真剣なものになり――

 

「修復が済んだら話くらいいくらでも聞いてやる! 痛みを我慢するなど何を考えているんだ! 修復を優先しろと言っただろう!」

 

「ひぅっ!? 提督、さん……あ、あの、夕立、ち、違うの、いっぱい頑張ったから、聞いてほし、くて……」

 

「お前達が頑張っていることなど知っている! どれだけの戦いであったのかも通信で聞いていた! それは己の身体を蔑ろにすることとは別だ馬鹿者!」

 

 ――な、なんで……私、たくさん頑張っ……

 

「きゃ!?」

 

「すぐにドックに戻れ! お前の身体が第一だ!」

 

 頭が真っ白になった事は、今までに数度ある。

 

 戦場で敵に囲まれ、退路を断たれた時。

 命からがら切り抜けた先に、新たな戦力を確認してしまった時。

 中破、いいや、大破状態で航行もぎりぎりで辛勝したあと、別の艦隊に追いつかれてしまった時。

 

 弾薬を全て撃ちきり、燃料が底をつきそうになるも、なんとか帰港できた時。

 

 

 作戦を見直してもよかったんじゃないか、と前提督に口にして、思い切り殴られた時。

 

 入渠もさせてもらえず、傷だらけのまま、居室に何日も放置された時。

 

「夕立さん! 外には司令官がいるんで――きゃぁああああ!?」

 

「綾波か! どうして夕立は飛び出してきたんだ!? ドックに問題でもあったのか!?」

 

「なっ……ななな何もありません! 異常無しです! ですから早く出て行ってください!」

 

「出ていけるわけが無かろう! 修復も終わっていないのに夕立が飛び出してきたのだぞ! 問題があるのなら私が責任を負うから隠さなくていい! 退け綾波!」

 

「何もないですよ本当に!? あ、あぁぁあっ! だめです司令官! まだ皆さんが修復中で――!」

 

「大丈夫かお前達――!」

 

 ――戦況よりも、戦果よりも、輝かしい武勇伝よりも――私を見てくれる、提督に抱きかかえられてしまった時。

 

 脱衣所まで追ってきていたらしい綾波の声も、器用に足で入渠ドックへの扉を開けた提督の行為も、その中から聞こえてきた声も、私には届くはずも無かった。

 

 私は、一糸まとわぬ姿のまま、縮こまって提督に抱えられ、真剣な顔を見上げていたから。

 

「きゃああああ!? なっ何しに来たんですか提督! と、とうとう本性をあらわしたというんですか!? お姉様が目当てですね!?」

 

「て、提督、どうしてここに……!」

 

「山城! 修復状況を報告しろ! し、時雨は大丈夫か!? どうしてそんな恰好で固まって……やはり私が無茶をさせてしまったから――!」

 

 かろうじて聞き取れたのは、呆れたような、それでいて心底面白がっているような、初めて聞く、明るい扶桑の声だった。

 

「あ、あははっ! ふふ、提督、ご安心ください。順調に修復は進んでいますから、もう数時間とかからないはずです。もう少しだけお待ちを。夕立さんを連れてきてくださったんですね? お預かりします」

 

「あ、あぁ、頼む……問題は無いのだな? 大丈夫なんだな?」

 

「はい、大丈夫ですよ。提督も、お戻りください」

 

「本当に問題は――!」

 

「ありません、ご安心を。それとも――私達と入渠を?」

 

 濡れたタオルで身体の前面を隠した扶桑が片手で私をそっと受け取り、戦艦ならではの力で抱えたままに問えば、提督は数秒固まったあと、慌てて軍帽で顔を隠して背を向けた。

 

「……失礼した。入渠とは言え、女子の入浴中に入り込むなどと不埒な真似をして……何か問題があっては仕事に支障を来すと思い……」

 

「――夕立さんが飛び出してくれば、緊急事態かと勘違いしてしまいますよね」

 

 あっ、とやっと意識の戻った私は、飛び出してしまって提督に無用な心配をかけてしまったのだと気づいた。

 

 戦果であろうが報告であろうが、今は修復作業中。

 

 一見してただの入浴に見える行為でも、艦娘にとってこれは治療行為なのだ。

 

 その治療行為中にもかかわらず艦娘が飛び出してきたのであれば、緊急事態が発生したのかと提督が顔色を変えてしまうのも、当然。

 

「ごめんなさい……夕立、その……」

 

「お前達が無事ならそれでいい。本当にすまなかったな。私は外で待っているから、しっかりと回復を優先してくれ。いいな」

 

「そのように」

 

「っぽい……」

 

 山城は扶桑と提督のやりとりを見て落ち着いたのか、口を挟まず、そそくさと湯船に逃げ込み、隠れるように顔の半分まで修復液に浸かった。

 時雨は立ち上がる寸前の中腰の恰好のまま固まっていて、脱衣所に続く扉の前で綾波は目を白黒させたままだ。

 

「……では、帰るときに、また」

 

「はい。またのちほど、提督」

 

「うむ」

 

 ツカツカと入渠ドックから出て行った提督を見送った後、私は……

 

「――んんんんんんん! 何やってるの私ぃー! 提督さんに心配かけちゃったっぽいぃぃぃ!」

 

 床を転げまわった。

 硬いタイルの上だったものだから色々な意味で痛かったが、羞恥や申し訳なさの方が勝ってしまう。

 

「夕立さん……治療行為中に患者が飛び出したら、それは緊急事態だと言っているようなものです。私達は女子であると同時に、海軍の艦なんですよ? いいですか?」

 

「っぽいぃ……」

 

「お姉様……だからと言って、て、提督に……殿方に裸体を見られるなど……!」

 

「山城もよ。提督に対してなんて失礼な事を言うの。後できちんと謝るのよ?」

 

「えぇ!? なんで……お姉様ぁ……」

 

「見られた……提督に見られ……」

 

「時雨も、身体を冷やしてしまうわ、湯船に戻って」

 

「あ、あう、あうう……」

 

 私を含め、山城と時雨を宥めて湯船に戻る扶桑。

 入口に立っていた綾波は「わ、わたし、もどります、はい」と混乱甚だしい状態のまま、出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

「提督さぁん……」

 

 私の空しい声が、入渠ドックに響く。

 

 修復が完了するまで、もう少し掛かりそうなのだった。身体も、心も。



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六十一話 帰還【提督side】

 先に断っておくと、俺はラッキースケベなんて求めちゃいなかった。

 

『じとー』

『じっとー……』

『まもるのへんたい』

『へんたいてーとくだ』

 

 本当だよ。だからそんな目で見るな。

 

『むっつりすけべめ! むつまるだけに!』

『それではむつまるがすけべみたいじゃないですか!』

『た、たしかに……!』

 

 妖精に取り囲まれ、呉鎮守府にある中庭に備え付けられていたベンチに腰を下ろし、ぐったりとしている俺。

 

 入渠している艦娘にあとどれくらいで修復作業が終わるのかを聞こうと思ったところでバチが当たったのである。

 同時多発的に発生し続ける仕事が悪い。俺は悪くない。

 

 違うね。全面的に俺のせいだね。

 

 バチとは言え、身体的に痛めつけられるわけでは無かったのが幸いしてか、まだ俺は生きている。

 その代わり、あの「空はあんなに青いのに……」と根暗で定番の――失礼なのは承知している――扶桑までもが笑顔で「何しに来たんですか? 覗きです? 一緒に入渠でもするつもりです?」と今にも主砲でドックごと噴き飛ばしそうな雰囲気を醸していた。

 

 どうして五体満足でいられるのか分からないくらいに怖かった。

 

 あと……デッッッ――何でもない。

 

『すけべだなんて……ひどい……』

『あー! むつまるを泣かせましたね! ひどいやまもる!』

『のぞきだけにあきたらず!』

 

「それは濡れ衣だろうが!?」

 

 好き勝手言っていた妖精達に罪を増やされる始末。

 滅茶苦茶である。

 

 艦娘ってどう入渠しているのだろう? という俺の――いいや、全国にいる提督の疑問を解消すべく、健全に、ごくごく健全に聞いてみようと、そう思っていただけなのだ。本当だ。信じてくれ。俺は決して覗きをしようなんて考えてなかった!

 

 そりゃブラウザゲームの艦これで艦娘達の様々なボイスを聞いていた俺だ。同人誌や漫画、アニメでも入渠が風呂という形で表現されていたと記憶にある。しかしてこれは現実――本当にお風呂みたいに入っているんですか!? という純粋な疑問が生じたとしておかしなことがあろうか? いや、無い。多分。

 もしかすると、仰々しい機械に囲まれてハリウッド映画だかみたいにコンピュータグラフィックスかと見紛う精密な治療である可能性だってあったわけだ。それはそれで男心をくすぐるというものではないか!

 男とは常に欲望に忠実である。気になったら見てみたいのだ!

 

 おかしいなこれじゃ俺がマジで覗いたみたいじゃないか。違うぞ?

 

 ……などと冗談めかしているが、覗こうなんて考えていなかったのは事実である。

 

 艦これプレイヤーだったとは言え、この世界では提督でも素人である俺の考案した数で押してしまえと言わんばかりの作戦を遂行した彼女たちは、作戦こそ成功させたが、負傷して帰還した。

 これは他の誰でもない俺の責任である。山元や清水、井之上さんは言及しなかったが、人類を救わんと戦っている艦娘を俺の不手際で負傷させたなど、本当に首を飛ばされてもおかしくなかった。

 

 健気に、誠実に、ましてや俺にまで真摯に向き合った彼女たちに邪な心が抱けようものか!

 ……なんだよ本当にそんな気持ち無かったから睨むなよお前ら!

 

 心を見透かすような視線を突き刺してくる妖精達にしっしと追い払うように手を振った俺だったが、妖精達は遊んでもらえるとでも思ったのか指や手の甲にひっついてきゃっきゃと声を上げた。

 

「遊んでるんじゃねえんだよォ……散れよォッ……!」

 

『たすけてあげたのにぃ?』

 

「――作戦中に補佐をしてくれたことには感謝してるとも。それは、ありがとう。でも今は休憩したいんだよ……」

 

『おしゃべりできるようにしてあげたのにぃ?』

 

「お喋りって……あれか……それも助かったけども……! でもだな、突然、口に飴を突っ込むような危ない真似――!」

 

『むつまるたち、いーっぱいがんばったのにぃ?』

 

「うっ……」

 

『そっかそっか……まもるは他の子たちの方が大事で、むつまるたちはどうでもいいんだねぇ……ふぅん……』

 

「そんな事は一言も――」

 

『いいんだよ、きにしないで。わたしたちは、へいきだから……ぐすっ』

『むつまる……なかないでー……』

『うぅ、ぐすぐす』

 

「……」

 

 やめろ。マジで、お前らやめてくれ。

 俺は休みたいだけなんだ。艦娘が入渠してる間、ほんの数時間でいい。

 

『……チラッ』

 

「噓泣きじゃねえかよ! 心配させんな!」

 

『やだぁ! 心配してくれてたの? てれるなぁ! やっぱりまもるは、まもるだねえ! で、何して遊ぶ?』

 

「くっそぉおお……ッ!」

 

 ――かくして、俺は、休憩という選択肢を失い、妖精達の遊び相手、もとい暇つぶしに付き合わされるのだった。

 

 こっちにきて、花が咲いてる!

 向こうに猫がいたよ!

 今日は波がしずかだねえ!

 

 妖精達は日常に溢れている景色の全てが輝いて見えているかのようで、楽しそうに俺を連れまわした。

 

 妖精達に連れまわされている最中、何か大切なことを忘れている気がして落ち着かなかったが、妖精はお構いなしに俺の指を引っ張って進んで行く。

 呉鎮守府の中庭から様々な場所を移動する道すがら、誰とも出会わなかったのは――俺以外、仕事しているからだろう。すみませんほんと。

 

「扶桑達が戻るまでだからな」

 

『わかってるってー!』

 

 それから、俺達は海岸沿いへと辿り着いた。

 むつまるや他の妖精は波止場の先までふわふわと飛んでいくと、岸壁側の方にあるロープを結ぶための突起であろう場所の上にぽすりと着地。あれは、なんという名前だったか……テレビで見たことがあるんだが……。

 

『これはね、ビットっていうの!』

 

「心を読むな」

 

『声に出てたよ』

 

「……」

 

 どうやら俺は口が軽いらしい。気を付けます。

 

 むつまるを先頭にして、岸壁へ腰を下ろしていく妖精達に倣い、最後に俺も傍に座り込んだ。

 

 足を投げ出し、ゆらめく海面に視線を落として潮の香りを感じながら、これも一種の休憩にはなろうか、と息を吐く。

 

 何十時間働いたんだ……頑張ったな……。

 

 殆ど皆に頼って怒ってたか焦ってたか死にそうになってただけだけどな……。

 

 つかの間の休息。さざ波の音に耳を傾け、再び襲ってきた睡魔に目を閉じたその時だった。

 

「ここにいたんだ」

 

 うん? と少しばかり驚いて顔を上げた瞬間、丁度吹いた潮風に軍帽が頭から落ちた。

 

「あっ」

 

 と、俺が声を上げたのと、声の主――川内が離れた位置から一足飛びに岸壁から海へと飛び込み、海上をスケートが如く滑り軍帽をキャッチしたのはほぼ同時だった。

 

「よっ……! ふぅー、セーフ。はい、提督」

 

「おぉ、すまないな川内」

 

「へへ、どういたしまして」

 

 一見して艤装は出ていないようだが、艦娘が海上に立っているのを至近距離で見るのは初めてで、感動で声が出なかった。軽やかな身のこなしはまさに忍者といったところ。

 前に夕立と初めて出会った時も艦娘が海を進む様を見たが、、近くとは言え船の上からしか見られなかったものだから、手の届く距離で観察できるとは……と不躾にも見入ってしまう。

 ほんの短い時間の間に、俺の頭の中に、あぁ、こういう風に彼女たちは海を駆け抜け、戦ってくれていたのだな、とか。それ以外にも、先の作戦中、大勢の艦娘がこうして海を行き、未だ見たことのない恐ろしい深海棲艦という存在と戦う勇ましい姿が思い浮かんだ。

 

「ふむ……」

 

「どうかしたの?」

 

「その靴……も、艤装か。どのようにして浮いているのか、とな」

 

「あー……どうしてだろ。私もよくわからないんだよね。感覚で立ってる、って言えばいいのかな……」

 

「ふぅむ、感覚か」

 

 救出されたあの女性、深海棲艦研究者なんて人もいるくらいだから解明されていそうなものだが、不思議パワーで浮いているだけなのか。それはそれでなおさら凄い事なのだが。

 はい、と川内から手渡された軍帽を、今度は落ちないようにと目深に被ってから、上司の俺が座り込んでいてはいかんかと立ち上がって臀部をぱんぱんと手で払う。

 

「感覚で立っている上に、得体の知れないものと戦っているのだから、怖いだろうな」

 

 意識せずして口をついた言葉だった。しかしながら、理屈のある言葉でもある。

 

「怖いって、それはまあ、誰だって戦うことは怖いんじゃないかな」

 

「それもそうだ」

 

 川内の返しに笑みを返し、戻るか、としゃがんで手を差し出すと、川内はぼうっと俺の顔を見つめる。

 

「――……川内、どうした」

 

「ねぇ、また、仕事?」

 

「しごっ……う、うむ。それについてなのだが……松岡や周りを頼らせてもらおうという話になって、だな……私の仕事はどうにも、杜撰過ぎる。出撃させたお前達が傷ついて帰ってくるくらいにはな」

 

「それは、私達は艦娘だから――」

 

 艦娘だから傷ついて当然、とでも言いたいのか。

 間違ってはいない。が、それこそが提督の慢心に――艦これプレイヤーの慢心に繋がるのだ。

 

 傷ついて当たり前。小破は無傷、中破は平常、大破でやっと溜息を吐いて帰還を選ぶ。みながみな、そうではないだろうが、少なくとも一時期の俺は攻略に躍起になってこのような状態に陥った事がある。

 そして、大破で進軍をしてしまった。

 

 あれは――運が良かっただけだった。

 

 敵深海棲艦の雷撃、航空機からの爆撃、砲撃戦の全てがミスに終わり、中破や大破の続出していた俺の艦隊は、鬼神もかくやと奮戦して戦略的勝利。

 今になって思えば、杜撰、という言葉ですら物足りなく感じられるほどの酷い指揮だった。

 

 そう、あのクリック一つが、あの時の俺の提督としての指揮そのもの。

 

 ではそれが現実となったならばどうすべきか? 簡単だ。艦娘を優先すればいい。

 

 どれだけの物的被害が出ようが、艦娘を無事に鎮守府へ帰還させることを最優先に考え、遭遇した敵に勝てないのであれば逃げ、安全な選択をし続ければいいのだ。

 

 それをさせないのが……現実だったわけだが。

 

「事実、そうなのかもしれん。現実もそうだ。しかしそれは私の仕事において、選択が他にあったということでもある」

 

 手を伸ばした格好のままに「わかるか?」と問えば、川内はおずおずと俺の手を掴み、

 

「……わかんない」

 

 と言った。

 

「戦うという選択があるのなら、逃げる、という選択があるはずだ。一方で、どうしても逃げられない状況があるやもしれん――ならば発想を転換させるべきだったと思ったのだ」

 

「逃げるだなんて、初めて聞いたよそんなの。提督なら、逃げないって思ってた」

 

「っくく、そうか? 私はいつも逃げてばかりだが」

 

「嘘」

 

「嘘なものか。私はいつだって、逃げてきた。傍目に見れば仕事にとりかかっているようで、本質を見ることを恐れて逃げ回っていたのだ」

 

 もう全部バレてっからな! という気楽さからか、俺は包み隠すこともなく、川内の手を握り引き上げながら笑った。

 艤装が無いからか、川内はあまりに軽く、ひょい、と持ち上がってしまう。

 

 決して俺が力持ちであるというわけではない。

 お前ちゃんと食ってんのか川内! 井之上さんに飯食えって言われるぞ!

 

「提督は戦ってたじゃん。私もあきつ丸も、知ってるよ」

 

「ほう? 私が戦っていたとは初耳だ」

 

「大佐とも、中佐とも、戦ってくれたじゃん」

 

 違うよそれ。八つ当たりしただけだよ。しかもそのあと謝ってたんだよ俺が。

 

「違うぞ川内」

 

「違わない」

 

「いいや、違うとも。言っただろう。発想を転換させるべきだと」

 

「どういう……?」

 

「敵ではなく――味方にすれば、戦い続ける意味など無い」

 

 おかげで大佐と中佐に仕事を丸投げ出来たしな。実績ありだぞ。すごいだろ!

 ふふ、と微笑んで見せた俺に、川内は目を見開いていた。

 ごめんて。そんな顔するな川内。頼むから。悪かったって。

 

 完全に私の落ち度だと俺の心の不知火が半泣きである。

 

「提督は……何をしようと、してるの……?」

 

「私がしようとしてること? 別に変わらんとも。仕事だ」

 

「仕事、って――」

 

「お前達を支え、ともに生きることが私の仕事で、私の人生だ。今までも、これからも」

 

 まあ大体が大淀に仕事を貰い、他の艦娘に監視されつつサボらないようにきちんと艦隊運営することになると思うけどな!

 鎮守府の運営って大変なんだぜ! 書類の量だけで言わば前のブラック企業なんざ目じゃねえや! ひゅう!

 

 ……なーんていう俺の情けない言葉は、威厳スイッチを入れていても隠し切れなかったのだろう。

 川内は俺の言葉に返事もしないまま、話題を変えた。

 もしかすると俺が可哀そうになったのかもしれない。

 

 艦娘は優しいね。

 

「っ……そ、そうだ提督。後の仕事についてだけど、山元大佐と清水中佐に伝えておくことはある? あきつ丸でも私でも」

 

 かつ、仕事の心配をさせない気配りまで完璧である。夜戦忍者は夜戦だけでは無かったか。強い。

 

「私よりも仕事は出来るだろうからな、あの二人に伝えるほどのことも……あぁ、いや、一つだけ頼めるか」

 

「なになに?」

 

「無理をせずゆっくりするんだぞ、と」

 

「……やっぱり、提督はまだ一人で――」

 

「うん? どうした川内?」

 

 何か呟いた気がしたのだが、俺の問いに川内の「なんでもない!」という少し怒っているかのような声が耳を打つ。

 

「す、すまん、何か気に障ったのなら謝る」

 

「なんでもないってば! ……ねえ、提督。周りに頼るって言ってたけど……その中に、艦娘は、私は、いる?」

 

 これは――この問いに間違った返しをしようものなら――怒られる――!

 

「……あぁ。当然だ」

 

 ごめぇええええええん! だって俺は書類仕事以外出来ないからぁああああ!

 頼らせてくださぁあいいい!

 

 ここでむせび泣いてしまいたかった。川内どころか、全員に頼らねばどの書類から片付けるべきかも分からない可能性があるくらいには無能の社畜なんです。無能どころかもう、無の王です。

 

「そ、っか……へへ、そっか……仕方が無いなあ提督は!」

 

 うーん天使。夜戦天使。いや怖いな夜戦天使は。

 

 俺の情けなさは限界突破して、庇護の本能でも擽ってしまったのかもしれない。

 艦娘と仕事が出来るなら、それでもいいかと思えてしまう俺も末期である。

 しかしこのままでは威厳スイッチとまで名付けた、俺の威厳が……!

 

 まあ無いも同然なのだが、それはさておき。

 

「……行くか」

 

「ん!」

 

 俺は波止場のビットに座ったままの妖精達に「戻るぞ」と一声かけてから、呉鎮守府へと歩を進めた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 数時間後、入渠を終えた扶桑達や、第一艦隊、支援艦隊が勢揃いした状態で、再び波止場へと戻って来た。

 

 艦隊はみな既に海に立っており、艤装から錨をおろした状態で待機していた。

 

 港には俺達以外にも、松岡達憲兵隊や、山元大佐、清水中佐、那珂や漣、朧、潮や曙までいる。

 よく見れば、呉鎮守府にはこんなにも多くの艦娘がいたのかと驚く人数が一言も喋らず、直立不動で整列している。柱島にもいる、潜水艦ゴーヤ、イムヤ、ハチと同じ艦娘を目にすると少し混乱しかけるが、俺の目には不思議と同じ姿をしていても別人に思えた。

 

「これ以降の任務は、お任せください、閣下!」

 

 山元の心臓を打つような太く大きな声が港に響く。

 続けて、清水の遠くまで届きそうな芯のある声。

 

「閣下にお救いいただいたこの命、護国のために!」

 

 ……堅い。堅いよ。

 だがこれこそが仕事人のあるべき姿だぞと言わんばかりの空気である。

 

 俺は二人よりも上の肩書を持っているが、二人の方が大先輩なわけで。

 そんな二人がそのような雰囲気を出すのならば、それに倣わないわけにはいかず。

 

 せめて部下である艦娘の前でくらいしっかりせねば! と背筋を伸ばし、見様見真似で不格好であろうが、しっかりと敬礼をしてみせた。手袋も忘れずに。大きな声で、お礼も忘れず。

 

 癇癪や大騒ぎの痕たる赤い染みばかりの俺。対して山元達のまっさらな白い軍服。

 

 くぅ……これが提督レベル(?)の違いか……。

 

「この度の任務に際する助力、感謝する! 呉の向こうに私はいる。決して一人ではない! お前達もだ!」

 

 目が落ちてしまうのではないかと心配になるくらい泣いていた潮や、仲間を想い必死に助けてと声を紡ぎ出した那珂、話すらも出来なかったが、目に光を持つそのほかの艦娘達に向けて言うと、はい、と返事が心地よく鼓膜を揺らした。

 

「では、失礼する」

 

 いつのまにやら迎えに来ていた鳳翔の乗った小型の船に歩む俺。

 大淀の差し金――じゃなかった……大淀から迎えに行ってと頼まれたのであろう。仕事の出来る艦娘である。

 

「――任務、お疲れ様でした、提督」

 

 扶桑達が続々と抜錨と声を上げて海を行くなかで、船に乗り込んだ俺にかけられる鳳翔の声。

 

「うむ。鳳翔もわざわざすまないな」

 

「いえ、このくらい……本来ならば大淀さんが迎えにくるべきだとは思うのですが……」

 

「何故だ……?」

 

 誰でもいいよ迎えに来てくれるなら。

 

「いえ……その、制裁ですから……?」

 

「えっ」

 

 待てよ!!!!!!

 

 ちょっと待てよ!!!!!!!!

 

 滅茶苦茶だったかもしれないし大佐どころか中佐まで勢いでぶん殴ってしまったが、それは漣や朧をたったの二隻で危険な海域と分かっていながら遠征させたからであって! 最終的には井之上さんまで引っ張り出してしまったが土下座したんだぞ!! 罪は!! 認めたよ!!

 

 その上で実は無能の社畜でした! ごめんね! えへへっ!

 

 って白状したんだ! 過程はどうあれ仕事はこなした! 結果は出したろうが!?

 誰だチクったのは! あきつ丸か!? 川内か!? クッソォオオオ!

 

 ……うーん、ダメだ制裁される理由しかねえ。

 

「お、大淀が、そう、そうだな……」

 

「提督、どうかしました?」

 

「い、いや……」

 

 ごうん、ごうん、と船のエンジン音が港から遠ざかる。

 俺達の姿が見えなくなるまで、山元達は敬礼を崩さなかった。

 

 普段ならばすげえすげえと興奮や感動で目を離せなかっただろうが、俺はそれどころではない。

 

 制裁!? 制裁なんで!? と、俺はもう、今度こそぶん殴られるのだと恐怖に震えていた。

 

 震える手で、何か、別の話で何とか誤魔化せないか……! 悪あがきを試みる。

 

 そうだね、これが無能と呼ばれる所以だね。

 

「……菅谷中佐より、手紙を預かっている」

 

「ッ――!?」

 

「鳳翔にとって大切な人だったのだろう?」

 

 前の提督なんだから、大切に決まっている。

 その証拠とも言わんばかりに、鳳翔の表情が物語っていた。

 

「手紙なんて、な、どこで……!?」

 

「呉鎮守府を一時的に預かっていた清水という中佐は、菅谷中佐と知り合いだったようだ。後輩である、と。鳳翔の大切な人の後輩であるのならば、私の後輩と言っても過言では無い」

 

 だから仕事手伝ったんです! ですから許してください! オネシャス! オネシャス!

 しかし命乞いが表情に出れば「取り繕う事も出来ないんですか。泳いで帰ってください」と言われてしまうかもしれん。

 

 軍帽のつばを指でぐいぐいと下げて顔を隠し続ける俺。

 

「……中身は見ていない。だが、鳳翔――」

 

 手紙を受け取り、手紙と俺とを幾度も交互に見ているのが、つばの下から見えた。

 

「――私の意志が弱いことなど、承知している。男ならばしっかりしろと自分で言いたくなるくらいだ。だが、だからこそ……制裁などと、言わんでくれ」

 

「てい、とく……」

 

 船が海を進む。周囲に広がる大艦隊。声は無い。

 

「みなの為ならば、私の命など惜しくはない。私は命よりも何よりもお前達が大事だ。誓って、この言葉に嘘は無い」

 

 でも艦娘に命を散らされるのは違うじゃん!

 それもアリかナシかで言えばアリだけどさ!

 

「……言いたいことは、それだけだ」

 

 あとは、死刑宣告を待つ囚人が如き心持ちで、鳳翔の言葉を待った。

 

 鳳翔は船上で手紙の封を切り、数枚の紙きれをそっと取り出して、じっと読む。

 数分か、数十分か。

 

 周囲から完全に人工物が消え去り、景色は海色一色となった。

 

 昼も過ぎ、俺は柱島から出て二度目の夕日を見た。一日目で既に貫徹を決め込んだというのに、今度は二日とは新記録更新である。寝たい。

 

「あの人も、変わらないですね……変わるわけも、無い、ですね……」

 

「鳳翔……?」

 

 手紙を読み終えた様子の鳳翔は、大事そうにそれを懐へしまい、俺を正面から見据える。

 自動操舵装置の音なのか、船室から聞こえる、ぴこ、ぴこ、という音が心音のように俺と鳳翔を包んだ。

 

「中佐は……菅谷さんは、私と、小料理屋を開いてみたいと、言っていたんです」

 

 なんの話だ突然。小料理屋? 居酒屋鳳翔、みたいなことか?

 

 ほう、と相槌を打つ。頭の中では漫画や同人誌で幾度も見た、こぢんまりとした居酒屋を営む鳳翔が浮かんでいた。

 アリかナシかで言うまでもなく、アリである。

 

 疲れた夜には居酒屋に寄り「お疲れ様です提督。はい、今日のおすすめですよ」と料理を差し出されたい。その代わりに俺は全財産を差し出す。

 

「……変でしょうか、艦娘が、こんなこと」

 

「何故だ?」

 

「えっ……? 何故って、それは……私達は、どうあがいても兵器で、人間などでは――」

 

「そうだな。お前達は、そう言うかもしれんが……」

 

 人間じゃなかったらいけないのか? うーん、よくわからない。

 

「艦娘で何が悪い。それを言うならば、同じ人間とて区別される。無数の区別や分別の中に生きているのだから、違いがあって当然だ」

 

「同じでいたいというのも、当然ではないですか……!」

 

 食って掛かるような鳳翔の言葉に、俺はきょとんとしてしまって、軍帽を指で押し上げて鳳翔を見つめてしまう。

 

「同じでいたいのならば、いくらでも方法はある。同じものを身に着け、同じものを食べ、同じものを見て、同じものを感じ――同じ道を行く。違うからこそ、同じ道を行きたいと思えるのだ」

 

 同じものばかり食っても飽きるから、味を変えたりするのだ!

 そういえば今日の鎮守府の飯は何だろうか、と考え始めたあたりで、俺があまりに不真面目だったためか、鳳翔はその場で泣き崩れた。

 

「お、おあああ!? 鳳翔! どうした!? な、泣くな! 泣かないでくれ!」

 

 やめろ今俺たちは大艦隊に包囲されているんだぞ!? みんなのお艦こと鳳翔を二度も号泣させたとあれば一斉砲撃で跡形もなく消し飛ばされる! 泣くな鳳翔! 泣くなァーッ!

 

「すまなかった……鳳翔、お前の考えもあるだろうに、私は自分のことばかり、本当に、すまなかった……! 泣かないでくれ……!」

 

「ひっ、うっ、うぅっ……! こん、なに、想わ、れ……あ、あぁっ……!」

 

 なに!? なんて!? 言うことなら聞くから泣かないでくれってば鳳翔!

 

 鳳翔はしばらく、海の上で、船の上で、泣き続けた。

 俺も泣きそうだった。

 

 

 

 ――落ち着いたのは、それからまた、十数分と経ったあとのこと。

 

「すみません、提督。でも、悪いのは……あなたなんですよ」

 

「う、うむ……」

 

 泣いた後にはすぐにお説教。俺は無能を通り越して無になりかけていた。

 

「大淀さんというものがありながら、あなたは見境が無いかのように……」

 

「そ、それはっ」

 

 違う! わけがない。その通りである。しかし言い訳くらいはしておく。

 

「……お前達だからこそだ」

 

「……」

 

 柱島の皆以外にはしっかりしてましたから!

 ちょっと潮にぶたれましたけど! 泣きませんでしたから!

 

「私の心を照らし、私の運命を変え、私の人生を知らず知らずのうちに支えてくれた力強いお前達でなければ、ダメなのだ。……長門が私に、お前のことなど知らんと言っていたな。長門どころか、大淀も、私の事など知らんだろう。だがそれでいい……今はもう、私を知っているだろう」

 

 ただの社畜ってバレちゃってるからね。

 

 でもこれからは頑張ります! とゴマすりも忘れず。

 

 艦娘のためなら命なんて惜しくない、とは嘘などでは無いのだ。二徹できたのも艦娘の皆様のおかげです。本当にありがとうございます! まもる、まだ働けます!

 

 ……ちょっと嘘言いました! 晩御飯を食べたら少しだけ寝たいです!

 

「明日からも、私はお前達のために生きる」

 

 明日からも、と強調して言う俺。今日はね、頑張ったからね。仕事は翌日にね。

 明日やろうは馬鹿野郎、の馬鹿野郎はまさに俺のことである。

 

「鳳翔さえよければ……ほんの少しだけでいい。私を見てはくれないだろうか」

 

 大淀の制裁を止められるのは、お艦だけなのだ……頼むぅっ……!

 

「……不束者、ですが」

 

 鳳翔が不束者とか言ったら、俺はもう存在しないレベルなんだが……。

 未熟なわけが無いだろ! 完熟だ! うん? ちょっと意味が違うな……。

 

「不束者ではないとも。鳳翔――お前は、お前自身が思うよりも、素晴らしい人だ」

 

「はい――……!」

 

 鳳翔が、笑った……!

 俺は、制裁を免れた……!?

 

「帰ったら、大淀さんにも、きちんと報告しなければ、ですね……。形だけではなく、心から、提督のお言葉を賜りました、と……ふふ」

 

 あっれおかしいな!? 上げて落とすのやめてよ鳳翔さんよォッ!?

 

『まもる』

 

 あっ! むつまる! 助けて!

 

 と、船に同乗していた様子の妖精むつまる様に助けを求めるように視線を向ける俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

『もどったらほうこくしょ書くんだよ。あとね、あきつ丸さんと川内さんにちゃんとお仕事おねがいするんだよ』

 

 くっそお前も俺に仕事を求めるのかよ! くそ! クソォォオオオオオオッ!

 

『……ばーか』

 

 しかも悪口まで言われた!

 

 俺は静かに空を見上げた。涙が零れないように。



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六十二話 帰還【艦娘side・大淀】

 提督が艦隊とともに柱島鎮守府へと帰還を果たしたのは、日が完全に顔を隠した頃だった。

 

 ――前日の昼前に出てから、翌日の夜という一日を超過する程度の間に起こった数々の出来事について、着任後すぐに実施されたサルベージ作戦の時よろしく、柱島に所属する殆どの艦娘が食堂に集まって食事をしながら話を聞きたそうに私へ視線を向けていた。

 

 今回、私は正式に通信統制――もとい、情報統制を任されていたため、作戦に従事した艦娘でも事の全容を知るものはほんの一握りしかいない。

 

 私、川内、あきつ丸、そして――鳳翔。呉の艦娘を除けば、たったの四名だ。

 

 第一艦隊の一部に話した事さえ、たったの一部である。

 

 数多もの視線を受ける私は、どこから話したものか……と気まずい顔をしないよう平静を装い、初日とは打って変わって白米を呑み込みにくく感じて、何度も噛みしめながら、んん、と唸る。

 

「扶桑達は第一艦隊で、支援艦隊には赤城や加賀も出てたんだろ? 提督は説明しなかったのかい? 大将の座をぶんどる為の強硬作戦だってぇのは」

 

 堂々とした出で立ちで、湯呑を片手にゆらゆらと揺らして食堂のテーブルに肘をつきながら言ったのは、飛鷹型軽空母二番艦として海軍に登録されている隼鷹だった。

 正規空母でも手練れ筆頭たる一航戦の二人を臆することなく呼び捨てにする軽空母は、彼女と、もう一人くらいのものだろう。

 

 彼女は飛鷹型二番艦と登録はされているものの、元々、艦娘になる前の本来の軍艦であった頃から言えば飛鷹型ではなく、隼鷹型として起工されていた。元隼鷹型一番艦、とでも言えばいいだろうか。

 

 軍艦として最初から存在したわけではない。彼女は貨客船である。

 

 そのため姉妹艦である飛鷹も元は貨客船であり、二人は改装を経て軽空母となったのだ。

 

 軽空母とは名ばかり、とも思える貫禄と、軽空母では考えられない二万四千総トンを優に超す数値を誇る。

 

「大将に戻るための作戦だった、とは言い切れないと思うけど? 隼鷹は短絡的に考え過ぎよ。……大将に戻らなきゃ出来ない何かがあったから、強行した、とかさ」

 

 飛鷹の言葉に「そうかぁ?」と適当とも思える返事をして湯呑を煽る隼鷹を見て、どこから話したものか、というよりも、食堂などという場所で話してもいいものかと、言葉を紡げずにいた。

 

 無論、話せる範囲はある。

 

 呉鎮守府での不正摘発後、一時預かりとして鹿屋からやってきた提督代理の清水中佐が問題無く艦隊運営出来ているかの視察をしていた際に、駆逐艦二隻、漣と朧をソロモン諸島という閉鎖されているはずの危険海域へ送り込み資源の確保をしようとしているのを発見した。

 ほんの短い時間で実施されてしまった二隻の遠征は、摘発後すぐという、提督の素早い行動によって何とか事なきを得た。

 

 その間に偶然にも山元大佐が呉鎮守府へ再移送されるとのことで、井之上元帥が直々に不正摘発後の呉鎮守府を訪問。ほぼ同タイミングで視察が実施された。

 山元大佐が戻された理由は言わずもがな、提督が海軍大佐という立場を持つ山元を庇ったためであり、艦隊運営における知識、ノウハウの流出を防ぐためであるという名目があった。

 

 こうして、呉鎮守府は小型とは言え大本営化――海原少佐、清水中佐、山元大佐、井之上元帥という四名の指揮官が集まり、その場で山元大佐へ正式に呉鎮守府の提督へ戻るという辞令が下された。

 

 時を同じくして、漣と朧を救出すべく組まれた艦隊は無事に二隻を確保。

 そのまま南方海域からの離脱を試みたが――敵深海棲艦に発見され、戦闘となる。

 

 海原提督の指示によって編成された第一艦隊、支援艦隊は敵に囲まれぬようソロモン諸島を周回しながら深海棲艦を確実に撃破せしめ、最終的にはソロモン諸島海域を開放させるに至る。

 

 遠方にある海域のため、帰還が困難である場合を想定して追加で出撃した補給艦隊の支援によって、偶然にも第一艦隊や支援艦隊が補給できたため、航空支援も問題無く、ソロモン諸島の暁に勝利を刻んだ。

 

 これにより、清水中佐の領海を横切るような資源確保遠征は、急遽()()()()()()()()()()()()()()()()()へと変貌を遂げた事となる。

 

 

 その機転、実力を評して、海原提督に掛けられた多くの嫌疑は証拠不十分として棄却され、本来の階級である大将の座に返り咲いた――。

 

 私はここまでの出来事を客観的に整理してから、ことん、と静かに茶碗を置いたあと――もぐもぐと口を動かしたまま、無線付眼鏡をはずし、顔を両手で覆ってしまう。

 

 

 ――無理がある! どう繕っても、海原提督の戦果は嘘八百と笑われてしまうくらい、荒唐無稽が過ぎる!

 

 これを話したところで誰が信じるのよ! もしも未来に海原提督の伝記が出て過日の作戦とともにこの出来事が記されていたとしたら、誇大表現だと言われてしまうわこんなもの!

 

 作戦における通信統制を任され、提督のいない間に柱島鎮守府に問題が起きぬようにと待機していた私でさえ未だに信じられない。というか、信じられるわけがない!

 

 しかも、これは()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 真実は――もっと、恐ろしい。

 

 深海棲艦の防衛網突破から、あらゆる鎮守府から提出される報告書における虚偽、反艦娘派閥の起こす問題の中核をと思われた山元大佐や清水中佐はただのトカゲの尻尾で、その先には巨大な陰謀が広がっていた……黒幕は、味方にあり、と。

 

 陰謀は想像もしたくもない事だった。

 

 今、私達が戦っている相手――深海棲艦の一部を作り出しているかもしれないという疑惑。それも突飛な話でもないという証拠さえある。

 

 それら全てを看破し、柱島から重い腰を上げて呉へ出向いた提督は、その時の上席である大佐や中佐はおろか、井之上元帥までも呼びつけ、呉鎮守府から一歩も足を踏み出さないまま、遠方の海域を開放して元帥へ真実を知らしめた。

 

 あきつ丸や川内から聞くに、提督は中佐と大佐を庇い、土下座までしたらしい。

 

 そして、まだ海軍は生きているのだと元帥を説得し、作戦を強行。

 否、強硬ではあったが、強行はされなかった。中佐も大佐も元帥も、そして一時的とは言え柱島を預かった私でさえ、その作戦は危険極まると理解していながら、出撃を了承した。

 何故か? 簡単だ。彼の作戦が成功すると思ったからだ。

 

 島風に搭載された新型のタービンは明石が兵装を製作出来ると見込んでの提督からの命令だった。

 明石は難なくそれを遂行し、島風も機関こそ損傷させたが最大限の性能を発揮させて、生還した。

 

 欠陥艦娘だと烙印の押された戦艦の扶桑は、その戦艦たる火力を遺憾なく発揮し、島風を追い回す深海棲艦を撃滅。

 那智や神通、山城や夕立の砲雷撃戦も完璧であったと言うではないか。

 

 扶桑が敵の攻撃を一身に受けた事にも起因しているが――神通と那智に至っては、無傷の帰還である。

 多くの艦載機に遭遇する事も想定されており、支援艦隊の空母達には鳳翔の選定した妖精がつけられていたこともあって制空権は一度として敵側に渡らず。

 支援艦隊が到着してからは島風を追い回そうとした敵機は殆ど一方的に撃墜させられた。

 運悪く時雨が敵機を撃墜した際に負傷した程度で、問題にもならなかったという。なにせ、小破にも満たなかったのだから。

 

 時雨はどうやら夕立と喧嘩をするくらいに悔しがっていたと扶桑から聞いているが、その程度。

 

 ここまでの作戦を成功させておいて、提督は川内にこう言ったらしい。

 私の仕事はどうにも、杜撰過ぎる、と。

 

 彼は――海原鎮という男は――この作戦を完全秘匿した状態で遂行しようとしていた、確固たる証拠――。

 

 私一人に絞られた通信統制、作戦に参加する艦娘以外には一切伝えられなかった全容、呉鎮守府の憲兵隊など、鎮守府を封鎖して一般人が鎮守府周辺にさえ近づけないようにしていたらしい。

 

 それもそのはず。渦巻く陰謀に巻き込まれた、海外の深海棲艦研究者である女性までもが救われ、本土へ上陸しようとしていた陰謀の一端たる人物さえ確保したのだから。

 

 これらが杜撰であると?

 ああ、提督。そうでしょう。自らに完璧を求めているようなあなたは、杜撰と言うかもしれません。

 

 私もこうして対外的に話をしようとなった今、杜撰とも言えるな、と思ってしまいます。

 

 しかし、これは正確には杜撰ではなく――やり過ぎというのですよ……!

 

 こういった大規模な作戦は、国家単位で、年単位で、長期的にじっくりと行われるものです! 決して個人が一日程度で済ませる任務ではありません!

 

 私がこう思う、または、準ずることを言うのも想定していらっしゃったのでしょうね。

 今なら、あなたが私にどう返すか、想像できてしまいます。

 

 ――急を要する事態だったのだ。艦娘が危険に晒され、閉鎖された海域であるというのに無人島で生存者が発見されたのだから、強行せざるを得なかった。

 

 なんて言うのでしょうね! まったく! まったくまったく!

 

 事実ですから言い返す言葉もありません! あなたが居なければ陰謀はさらに闇を大きく、深くして日本海軍はおろか世界中を混乱に陥れていたことでしょう!

 

 あぁ、もう……これを……どうやって説明すれば……!

 

「大淀? 大丈夫? 顔色が悪いわよ。まあ、一日中ずっと通信室と執務室を行ったり来たりしてたから、無理もないけど……」

 

 飛鷹の声にはっとして顔を覆っていた両手を離して、咳払い。

 

「んんっ、失礼しました。今回の作戦については、どこまで話してよいものか、分からないのです」

 

 正直に、こう言う以外にない。

 自分達の仲間であるとは言え、完全な秘匿性を求めて遂行された提督の作戦が、柱島の全艦娘は知っているなんて状態を作り出してしまったら、それこそ提督はまた自分を責めてしまうだろう。杜撰な仕事をしてしまった、と。

 

 私としては、自分の仲間であるのなら伝えてしまっても構わないのではないかと考える。

 曲がりなりにも軍属であるのだから、ぽろっと漏れるなどありえない。

 

 それこそ、提督として命令すれば私達艦娘はそれを絶対遵守せざるを得ない。

 

 秘匿せよ。それだけで良いのに、彼は……隠し事も、出来る限りはしたくないのだろう。

 

 そういう所もまた、優しさのあらわれなのだと思うと……私はどうしてか、ちょっぴり嬉しくなって……って違う違う! 何を考えているの大淀!

 

 提督は夜を徹して私達艦娘を心配してくれていたのに、なんて不埒な……っ!

 

「まあ、提督の事だから、隠しておきたいっていうよりも、触れられないなら話さないってスタンスなんだろうけどな。腹芸が得意なんだか苦手なんだか分かんねえ人だよ」

 

 隼鷹の言葉が、不思議と胸にすとんと落ちた。

 

 なるほど。彼は自分から話さないだけで、聞けば教えてくれるのかもしれない。

 陸奥を救った作戦も、開始前こそ一言も話してくれず、ただの資源確保のための遠征だと言い張っていたが、陸奥が救われた後は資源の確保手段を呉へと移し、大佐から支援してもらうことで解決するという方法をとっていた。

 

 白々しく、資源が無いことを確認せずに開発してしまったから助けてくれ、と。

 

 自分の事については一言も助けてなんて言わない癖に、私達に関わる事になると平気で自分を捨てる彼は、言葉が足りない事が多い。

 

 行動で示す――よく言えば昔気質、悪く言えば独りよがりで、意固地とも呼べる彼の生き様こそ、私達に対する正直な姿なのだろう。

 

 そして照れ隠しのように、偶然だと言い張るのだろう。

 

 ……無理がありますけどね! 偶然って! 無理ですよ提督……こんな大規模作戦を遂行して元帥まで呼びつけて偶然って……もぉぉ……。

 

「……隼鷹さんの仰られる通り、でしょう」

 

 私がそう言うと、隼鷹は「だろうな」と面白そうに笑った。

 

 貨客船であった過去からか、飛鷹と隼鷹は提督と話したことがなくとも、遠目に見ただけでその性質を見抜いていたのかもしれない。

 

 ざわめく食堂内。私と隼鷹達の話を呑み込めない艦娘は、まだまだ多くいる様子だった。

 駆逐艦なんて――

 

「邪魔だよ夕立。もっと向こう行ってよ」

 

「時雨が向こうに行けばいいっぽい。ここは夕立の席っぽい!」

 

「席なんて決められてなかったと思うけど? そうやって自分の席を決めて独り占めなんて感心しないな。提督に言いつけるよ」

 

「っはーん! 提督さんはこんな事じゃ怒らないっぽい! きっと時雨の方が怒られるっぽい!」

 

「はぁ、これだから夕立は馬鹿なんだ。ここに帰って来てから提督が僕になんて言ったか知ってるかい? 頑張ったな時雨、お前の活躍があったからみなが帰ってこられたんだ……って褒めてくれたんだよ? そんな提督が夕立に怒らず、僕に怒る? ありえないね」

 

「夕立だって褒めてもらったもん! 頭まで撫でてもらえたっぽい!」

 

「は――?」

 

「っふっふーん!」

 

 は――? 夕立さんが提督に頭を撫でていただいた――?

 

 はぁ――?

 

 ……い、いけない! 私なにを考えているの!?

 

 少し話が逸れたが、さして関わりも無く関係性は薄いと思われる二人は、作戦を経て柱島に戻ってからずっとあの調子である。

 そんな二人を周りが止める、という構図が出来上がっていたのだ。

 

「夕立ちゃん、や、やめなよぅ」

 

「睦月ちゃんは時雨の肩を持つっぽい!?」

 

「そうじゃないけどぉ……」

 

 睦月、と呼ばれた駆逐艦がしょんぼりと顔を伏せると、時雨がそっとその肩を抱くように近づき、

 

「睦月ちゃんになんて事を言うんだ夕立。謝りなよ」

 

「うっ……ご、ごめんね、睦月ちゃん……」

 

「僕にも謝りなよ」

 

「ごめんね、しぐ……って! 時雨には謝らないっぽい!」

 

「……っち」

 

 と、こんな具合。

 一見して犬猿の仲にも見えるかもしれないが、駆逐艦以外の艦娘は全員が、温かな目で二人のやり取りを邪魔せず見守っていた。

 

 ――こんなにも感情を剝き出しにして争っているのに、平和に見えることなどあろうか。

 

 違う艦隊ながらも同じ作戦に従事した二人は、確実に、近づいたのだ。

 

 本当に大喧嘩していたら、提督が止めているに違いないし、なにより、二人がぎゃあぎゃあと争っている理由も、たった一つの椅子を奪い合っているからであって――別々の椅子に座ればいいのに、二人は狭そうに、椅子に半分ずつ座っている。

 

「……狭い」

 

「時雨、もっとあっち寄ってっぽい!」

 

「夕立が寄れば? ふんっ」

 

「むぅぅっ……!」

 

 そんな様子を見れば、かの作戦が如何に無謀で、如何に無茶苦茶であったとしても、私を含む、心の傷ついた艦娘達が提督に不審を抱き問い詰めに執務室へ大挙することなどあり得ない。

 

「ガキどもがこうなっちゃ、オレらも詰めらんねえっていう考えがあった、とも受け取れるぜ?」

 

 未だ食事を続けながらに口を開いたのは、艦隊が帰還するための航路を哨戒するために急遽柱島から駆り出された天龍だ。

 深海棲艦研究者である、ソフィアという女性も目にしており、天龍と同じく、龍田もその哨戒に参加していた。

 

「ほぉんと、すごいお方ねぇ、あの提督はぁ」

 

 間延びした声で言う龍田は、天龍にそっとお茶を差し出しながらニコニコと笑うばかり。

 

 こうしてみると、いつも微笑みを浮かべている龍田の方が感情も考えも読めないように思えるのだが、その龍田をしてすごいお方と言わしめるのだから手に負えない。

 

 結局、私は隼鷹達に言った通り、説明しきれる事態ではないと降参するしかないのだった。

 

 提督の見据える未来に近づくか、はたまた、事態がさらなる展開を迎えなければ、言葉だけでは理解など到底出来ないだろう。

 陸奥達を救った作戦と同様、終わりを迎えねば皆はきっと事を吞み込めない。

 

「ほんで、司令官の横にずっとついとった川内とあきつ丸はどないしてんや。執務室で司令官の手伝いか?」

 

 空母が一塊に座っているエリアの中心に位置する席から龍驤の声。

 

「先ほどまでは執務室にいたようですが、現在はまた、呉へ。向こうの鎮守府に到着次第、一日休んでから行動を再開するとのことです」

 

「また呉ぇ? はぁ、仕事熱心なやっちゃなあ……司令官の命令かいな」

 

「まぁ、そう……ですね。今回の作戦について、少し」

 

「次の作戦も呉と柱島の合同っちゅう作戦にしたいんやろが……そしたら足の速い娘やないとしんどいやろけども、川内もあきつ丸もご苦労なこっちゃ」

 

 ふぅんと息を吐き出しながら言う龍驤だが、その本当の意味が分かっているかのような口振りに、私の鼓動が速くなる。

 そして、次の瞬間には、一際大きく心臓が跳ねた。

 

「それか、表向きには作戦終了して、司令官も晴れて大将に戻らはった、めでたしめでたし……ちゅう事にしてるだけで、まだ作戦は終わっとらん、とかな」

 

 にやりと笑った龍驤に、食堂のざわめきが波のように広がった。

 まあまあまあ、と片手を振って周りを落ち着かせた龍驤は、私を見つめたままに言う。

 

「仔細は知らんで。けど、呉の大佐の件もあるんや。大本営から正式な通達で大将に戻りました、なんて呉と柱島、あとはぁ、鹿屋やったか? その三か所の拠点以外から見たら、ああ、疑惑が晴れて大将として戻ったんやなあ、程度の認識にしかならんやろ。上役の入れ替わりなんて軍じゃなくとも転がってんねや、別におかしい話やない。それでもまあ、大将から異例の少佐への降格から、時間も経たんと大将に戻されるっちゅうんやから、《どっかの派閥には》相当な圧力になるやろな。ほんでもや、うちらは柱島の艦娘――少なくとも、鳳翔がわっざわざ妖精を選んで赤城達に連れさせたんは知っとる。その、重大さもな」

 

 やはり初期型。やはり百戦錬磨。

 

 龍驤の考えは、間違ってはいない。

 

「駆逐艦がアレだけ言い合えるくらいの仲になる理由。欠陥や何やってカスみたいに捨てられた艦娘が胸ぇ張って帰ってくる理由。だーれも、司令官に言及せん理由なんて、たった一つや……一歩間違えたら、大惨事になりかねんほどの任務を成功させた。どや、違うか大淀?」

 

「……」

 

 声は出ず、ただ、頷く。

 

「っは。まあ答え合わせはいつでもええわ。ただ一つだけ聞かせてぇや。この作戦は、この日本海軍が今まで実施した中でも、相当な難易度やろ」

 

 それについては、首を横に振る私。

 拍子抜けしたように、あら、そうなん? と小首をかしげてサンバイザーを指で弄る龍驤は、続く私の言葉に、サンバイザーを脱いで頭を抱える事となる。

 

「――世界中でも、提督しか成しえない、軍神が如き采配によって成功した作戦です。同じ作戦を、同程度の被害で遂行するならば、少なくとも国家単位での協力は必須でしょう」

 

「なっ……は、ぇ……ばっ……んな阿呆な事あるかいッ!」

 

「誇張表現ではありません。呉を預かっていた中佐が海域についての説明を行ったようですが、それも海域の現状についてであり、加えてソロモン諸島近海における過去の作戦での被害説明だけであったようですから」

 

「そしたら、司令官が全部一人で命令したっていうんか! 扶桑らと、赤城らだけじゃなく、面識もない呉の艦娘にも命令して!?」

 

「……はい」

 

「また、三艦隊運用かい……いや待てや……天龍と龍田が哨戒に出た言うてたな……」

 

 ぼそぼそと言う龍驤に、哨戒に駆り出された面々が声を上げる。

 

「そうだな、オレと龍田……球磨もだろ?」

 

「そうクマ。あとは、北上と大井も出てたクマ」

 

 えぇ!? とまたも周りがざわめくのも仕方が無い、と私は何度目か分からない溜息を吐き出す。

 

「北上と大井も、て……近海の哨戒に出てるんちゃうかったんかい!?」

 

 そう。龍驤の言う通り、本来ならば彼女達二人はローテーションに従い近海警備に出ているはずだった。

 しかし、その近海警備をも利用して、提督は四国方面へと足を延ばさせ、艦隊の安全を確保していたのだ。

 

「大淀さんに言われたから少し航路を変更しただけだよー。ま、大井っちは反対だったみたいだけどさあ」

 

 北上がそう言うと、忌々しそうな声で大井が吐き捨てる。

 

「命令なんだから従わないわけにはいかないですし。私だけなら、絶対に行きませんでした。またどんな危険があるか分からない場所に北上さんを行かせるなんて考えられませんから――!」

 

「んでも、艦隊を迎えに行くだけって言うから、一応ねー。肩慣らしの航海にもなるって大淀さんも言ってたしさー」

 

「北上さんはすぐに人を信用し過ぎです! 大淀さんの口から出たとはいえ、あの男の命令ですよ!?」

 

「提督の悪口はそこまでクマ」

 

「球磨姉さんまで――!」

 

 北上と大井、球磨型軽巡洋艦は序列が厳しいのか、はたまた本当に姉と慕っているのかは分からなかったが、球磨の一言で大井はそれ以上に口を開く事は無く、ただ、むすーっとした顔で腕を組んで黙り込む。

 

「そ、そしたら、何艦隊運用になるんや……? 非番の奴らも含めて、また、四艦隊の大規模運用か!? あのバケモンの頭ん中身、どないなって――」

 

 私もそう思う、と口にするつもりが、私の性質が故か、別の事が言葉となって口をついて出る。

 

「呉鎮守府に駐在している憲兵隊にも指示をしておりました。大きく分けるなら、救出のための第一艦隊、そして支援艦隊に、補給艦隊、帰還に際する哨戒艦隊に、憲兵隊、が正しいでしょう。それとは別動隊であった川内さんとあきつ丸さんにも指示を出しながら、呉鎮守府に所属している艦娘達の様子も見に行ってたようです」

 

「……元帥が、呉に来たて、言っとったな……川内達がおれへんから、分からんかもしれんけどや……元帥は、それを黙認したんかい……!?」

 

「それについては、私がお二人から伺っています」

 

「流石に元帥はんも待ったをかけ――」

 

「作戦に集中できるようにと、雑務を買って出た、と」

 

「……あ、あかん……ちょっち、疲れてるみたいや……ほ、鳳翔、お茶くれ……」

 

 ふらり、と立ち上がった龍驤に、帰って来てからどうしてか間宮と伊良湖に頭を下げて料理をさせてくれとお願いしていた鳳翔が、厨房から顔を出す。

 

「あら、お茶ですか? 待っててくださいね、今出しますから」

 

「作戦に直接参加してへんかったって言うても、鳳翔も鳳翔でよう料理なんてしとるな……何でそんな動けるんや……」

 

「いえ、私など、まだまだですよ。今この瞬間も、休んでくれという私や大淀さんに、お前達のためだからと言って仕事を続けている提督の足元さえも見えません」

 

「まだ仕事しとんかいあのバケモン! 話聞いただけで倒れそうになるのに、何やってんねや!?」

 

「ふふ、でも、それが終わったらちゃんと休んでくださいと言ってありますから……はい、お茶です」

 

「お、おぉ、ありがとう……。休む言うてもやなぁ、もう夜も夜やし、今何時や? フタヒト――」

 

 食堂の壁にある時計は、丁度フタヒトマルマルを指している。

 

「――飯も食わんと、ほんっま、人間やめかけてんなぁ、あの司令官……」

 

「そんな事はありませんよ。晩御飯は食べる、とおっしゃってましたから。……さ、私はこれを執務室に持って行ってきます」

 

 かちゃりとお盆に料理をのせて厨房から出てきた鳳翔に、うん? と顔を向けた私。

 作戦報告書の提出と、不在の間に問題が無かったかの確認、その他には、川内とあきつ丸と連携して呉鎮守府の補助を、ということ以外は特に聞いていないが、食事ならば私が持っていこう、と立ち上がる。

 

「それなら私が――」

 

「大丈夫ですよ。私が持っていきたいんです」

 

「鳳翔さんもお疲れでしょうから、ご無理はなさらないでください。私は提督の秘書艦ですから、それくらい――」

 

「いえいえ、大丈夫です」

 

「提督から何か新たな任務が言い渡される可能性もありますから」

 

「大丈夫です。その時は、大淀さんにお伝えしますから」

 

「……秘書艦は――」

 

「私が、提督に、持っていきます」

 

「うっ……」

 

 鳳翔は微笑んでいるが、その雰囲気から醸される圧力は立ち上がった私を一歩退かせる。

 な、なにが起きてるの……まさか、提督、鳳翔さんにしか頼めない任務を……?

 

 いやいやいや! 秘書艦である私に一言くらいあってもおかしくない……ならば任務ではなく、個人的に鳳翔が持っていきたがっているだけ……それも、ありえない……否、私は何を根拠にあり得ないと……?

 

 私のみならず艦娘を心から想う提督のことだ。鳳翔がそれに応えるべく夜食くらいならと持っていくのは別におかしな話ではない。

 それでも秘書艦の私にここまでの圧をかけておいて何も無いなどというおかしな話があるだろうか――いや無い!

 

「わっ、私も行きます!」

 

「あら、大淀さんは作戦中ずっと通信統制していてお疲れでしょうから、ここで休んでいても……」

 

「行きます!! 提督の仕事の様子も窺わねばなりませんのでッ!」

 

 私はがたりと席について、残っていた食事を全て無理矢理に口に詰め込むと、お茶で流し込んで食器を持ち、厨房の間宮達に渡す。

 

「ごちそうさまでした! では、失礼します!」

 

 抜け駆けはさせませんよ――鳳翔さん――!

 連合艦隊旗艦の意地、ここで――……あれ、私は何でムキになって……?

 

「な、なんやなんや……これ、なにが起きてんねや……なぁ……?」

 

 龍驤の声は食堂のざわめきに消える。

 続く飛鷹達の声を背に、私と鳳翔は食堂を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督に比べたら、鳳翔さんも大淀も、腹芸は苦手みてえだな、ひゃっひゃっひゃ!」

 

「二人がああなるほどの人なのかを見極めるのは、これから、ってとこかしらね」




まだまだ謎を残したままですが、一応、これにて第二部は終わりです。

次回から、様々な艦娘達との勘違いを巡る日常回を多くお送りしつつ、じっくりと謎に迫っていくお話となります。

長らくご愛読くださり、ありがとうございます。
多くの感想にもやる気をモリモリ貰えております。
まだまだ続くので、海原鎮と柱島鎮守府の艦娘達を見守っていただければ幸いです。


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三章 柱島泊地備忘録
六十三話 幾世①【艦娘side・大井】


 海軍の人間など信用に値しない。

 

 これ以外に必要あろうか?

 球磨型軽巡洋艦四番艦、あるいは、軽巡、または、()()()

 

 私の名を呼ぶ者など殆どと言ってよいほどおらず、かつて見てきた日本という国は目覚ましい発展を遂げた事と引き換えに、心を失っているようだった。

 

 私が目覚めたのは、ある鎮守府の工廠で、私より先に海軍へと採用された姉とも呼ぶべき、同じく球磨型軽巡洋艦三番艦の北上さんと同時期だった。

 目覚めた理由は分からなかった。

 

 ただ、私の意識が人の身体があると理解した時、本能的に気づいたのだった。

 私が守った人々が危機に瀕しているのだと。

 

『おい、そこの。目が覚めたのならモタモタするなッ! とっとと出ろッ!』

 

『えっ、あ……――』

 

 目覚めたばかりの私に掛けられた第一声。

 

 幾度も幾度も私の中で聞いた怒声。しかしてその性質は全く異なるもの。

 

 建造ドックに備えられた鋼鉄のカプセルのような機械の中で横になっていた私は、自分の手をまじまじと見る時間さえなく、ぎこちない動きで身体を起こし、カプセルから出た。

 

『……ったく、何で俺がこんなバケモンの面倒を――早く起きろ! そっちのも!』

 

 声の主は私の横にあるカプセルへ向かって怒鳴り声を上げたのち、起きるのも確認せずに背を向けてドックを出て行く。

 

 怒鳴られた当の本人である艦娘は、体の動かし方がまだ分からないといった風に目だけを動かして辺りを見回していたのだが、扉を向こう側から蹴るような、ばん、という音に驚いて反射的に体が跳ねたのをきっかけに、のっそりとカプセルから身体を起こした。

 

『あ……あー……あーあー、あー……?』

 

 怒声によって思わず声が漏れた私とは違って、彼女は自分で喉を触りながら、はじめは掠れ声で、そして次第にどう音を出すのかを理解したように何度も発声した後、顔を私に向けて問うた。

 

『大井っち?』

 

『……――っち? えと、はい、大井、ですが……』

 

『あぁー! やっぱりぃ! ほら、アタシだよ、分かる?』

 

 人としての顔を見た事は初めてなのに、彼女は私の名を呼んだ。この世界の誰よりも早く、私を私として認識し、目を見た。

 右も左も分からず、目覚めた理由さえ本能だけで勘づいているに過ぎない私はきっと、彼女と共に何かを成すのだと思ったとて、不自然では無いと今でも確信している。

 

『きたかみ、さん……?』

 

『そぉー! 良かったぁ……いきなり目が覚めたと思ったら怒られてるし、何がなんだかって感じだねぇ』

 

『そ、そうですよ北上さん! 何で軍艦である私達が人の身体になって、目が覚めるんですか! わた、私、確かに、魚雷を受けて、身体が……っ』

 

 はっとして視線を下げ、腹部を見る。

 もちろん、そこに傷など無く、服を捲ったところで傷一つない素肌があるのみ。

 

『あ、あら? 傷が、無い……敷波さんが私を連れて行ってくれようとしたけど、耐えられなく、て……それで……あれ……?』

 

 記憶の混濁。それは欠落を伴い、私の視界をぼやけさせた。

 

『生きて、る……まだ、生きてたんだ……私……』

 

 無意識に流れる一筋の光が頬を伝う。

 そんな私に近づいて、ぎこちない動きで背をぽんと撫でてくれる北上さんだったが、先刻、私達に向かって怒鳴った男が戻って来て、乱暴に扉を開け放って、三度がなり声を響かせた。

 

『何をぼうっとしている、早く出ろと言っただろうが! 任務だ!』

 

 私は初めて、私達に向かってがみがみとうるさい男が軍服を着ていることに気づいた。

 嫌な予感、というより、どうか私の勘違いであってくれという切実な願いだった。

 

 ――しかしながら、私の願いというのは容易く崩れる事となる。

 

 ああ、もう、だめだ。これ以上は思い出したくも無い。

 

 とにかく、私は海軍の軍艦でありながら――艦娘でありながら――海軍が、大嫌いであるということだ。

 

 

* * *

 

 

「……本日の秘書艦補佐、大井です」

 

 今日は私が提督の秘書艦補佐の日。

 この鎮守府に着任してから暫く経ったが、一向に任務という任務を与えられないものだから飼い殺しにされるものだとばかり思っていたが――数日前に実施された北上さんとの哨戒任務以降、柱島鎮守府は以前にもまして精力的に活動していた。

 

 日々の遠征、哨戒に加えて、呉鎮守府との合同演習も予定されているらしいと知った時は、多少はまともな指揮官のもとに着任できたのだと安堵していたのだが――

 

「よろしく頼む」

 

「あ、あの……?」

 

「なんだ」

 

「私は、こちらで作業をすればよろしいので……?」

 

 短い挨拶を交わす時だけ顔を上げたかと思えば、すぐさま書類に視線を落としてカリカリとペンの音をたてはじめる提督。

 ……せめて指示くらいは出しなさいよ、と胸中で愚痴りながら問えば、提督は冷たい目で「座っていてくれ、すぐに終わる」とだけ。

 

 これもまた一つの指示か、と言われた通り秘書艦補佐のために用意されたのであろうデスクについた時、提督と同様執務に集中していた大淀の顔がやっと窺えた。

 

 連合艦隊旗艦、大淀型軽巡洋艦一番艦――どこの鎮守府でも、彼女の手にかかれば事務作業から雑務などと言ったものは瞬時に消し去られる。

 設立されて、放置され、また再始動した全国でも稀有な鎮守府であるこの柱島の執務室とて彼女の手にかかれば何ら問題は無いのだろう、と思っていた。

 

 しかし、私の目に映ったのは――

 

「提督、申し訳ありません、も、もうすぐ、終わります……!」

 

「無理はするな。十分に助かっている」

 

「……はい」

 

 無茶な運用、ずさんな管理で目が死んでいたりといった事はおいておくにしろ、私が過去に見てきた幾人かの大淀は、どちらかと言えば提督の補佐というより、お目付け役といった印象が強かった。

 各鎮守府は日本国防衛のために艦政本部とは別枠として日々の開発、研究を任されているが、大淀はそういった開発や研究、それに関するデータの収集を目的とした演習や哨戒の管理を一任されている事が多かった。

 

 横須賀や呉、佐世保、舞鶴といった比較的大きな鎮守府であれば提督以外の手もあるため開発や研究を行う余力がある。しかしその他の拠点は違う。特に柱島なんていう防衛を目的とした泊地など研究どころか、開発さえままならないなどざらである。

 それをせっつく――というのもおかしいか――のが大淀の役目、要はそういった印象であるということ。

 

 だが目の前にいる大淀はどうだ。

 

 過日、食堂で提督が実施した作戦概要を事後報告ながらにも説明してくれた彼女の頭脳は、あの時点で証明されていた。あれだけの大規模な作戦だったのだ、参加していた艦娘も少なくはなかった。私や北上さんだってそうだ。

 それらを統率し、冷静に作戦を遂行していた彼女が、提督から次々と手渡される書類に追われ、目を回している。

 

 唖然とする私に指示はなく、ただ十数分、沈黙の時間が続いた。

 

 それからようやく、切りのいいところだったのか、提督がペンを置いた。少し遅れて、大淀も。

 

「すまない、待たせたな」

 

「いえ、別に」

 

「……そうか」

 

 横目に提督を見ながら言う私。それで? 私は何をすれば? 言葉なく雰囲気を醸すことで伝えようとする私。

 

 海軍の人間などと口を利くのも億劫だというのに補佐艦などと……早く終わればいいのに。

 そんなことを考えている私の心でも見透かしたかのように、提督は言った。

 

「……やはり北上と一緒でなければ、任務はしたくないか」

 

 えぇ、そうですが、問題でも? 私はそう言ってやろうと――いいや、嘘だ。

 一手目に核心を真正面から貫いた言葉に、私は動揺してしまった。

 

 顔には出ていなかったと思うが、それでも、ごくりと喉が鳴ってしまっていたと思う。

 

「何故そのようなことを? あぁ、私の記録でも見たんですか?」

 

「うむ。お前は……――」

 

 提督が引き出しから数枚の紙きれを取り出し、目を通しつつ言葉を紡ぐ。

 その記録に私はどう記載されているのか。考えるまでも無い。

 

 前の鎮守府で、私と北上さんはとにかく酷使された。

 前線への出撃は当然のこと、雷撃処分されて既にどの艦のものだったのかも判別できない鉄くずを拾わされ、微量の資源を抱えて帰れば、息つく間もなく遠征へ行かされる日々。

 

 そんな日々を、二人で耐え抜いてきた。

 

 提督はそれを――

 

「北上と一緒にいた方が良いな。丁度良い任務がある」

 

 ――見抜いている。

 

 反射的に大淀を見た私。もしかすると、キッと睨んだようにも見えたかもしれない。

 しかしながら大淀は一切の不安も心配もしていない目をして、私を見つめ返していた。

 

「任務ですね。了解しました。それで、どちらに出撃すればよろしいんです?」

 

 わざとらしく溜息を吐いて言った。そうすれば、提督はかつての軍人達と同じ態度を取ると思ったのだ。

 殴るか、蹴るか、いずれにせよ憤慨し私を罵倒するだろうと。

 

「出撃では無いんだが……大井。お前の出撃回数の多さや、それらから必ず帰還を果たした実力を考慮し、駆逐艦の教導の任に就いてもらいたいと考えている。ここに来てからというもの、私が右往左往していたせいでお前達の事についての細かい把握が出来ていなくてな、昨日からやっと手を付けたところなのだ」

 

「ぇ……は……――?」

 

 今、提督は私に、なんと――?

 

 実力を考慮? 駆逐艦の教導? 一体、何を言っているの――?

 

 提督が右往左往していたなど、そんな事は聞かずとも分かる。どこであろうが鎮守府に着任したては忙しいものだ。

 だが彼の忙しいという言葉は、着任に際しての手続きや鎮守府の把握ではなく、大規模作戦を立て続けに二つもこなした事であって……細かい把握が無ければ、作戦に従事する多くの艦娘を指揮する事なんて出来るはずも、なくて……。

 

 彼の言っている事は矛盾している。

 

 戸惑う私に対して、大淀が補足するように声を上げた。

 

「柱島鎮守府に在籍している多くの駆逐艦の戦闘能力――練度にバラつきがあるとの事で、提督が是非に、と。大井さんの他に、北上さんや、鹿島さん、香取さんを教導として抜擢するそうです」

 

「うむ」

 

 提督は椅子に座ったまま次々と書類を取り出し、ぱさり、ぱさり、といくつかの山に分けた。

 

「艦娘に練度という分かりやすい数値があって安心したところなのだが、それを引き上げるのに私では厳しかろう。同じ艦娘である大井や北上が演習や座学を教えてくれるのならばそちらの方が確実であると判断した。何か質問はあるか?」

 

「……特には――じゃなくて! な、何で私がそんな事を――!」

 

 思わず声を荒げたが、別にやりたくないわけではなかった。

 艦娘の本分は戦闘。しかし、教導の重要さも理解している。

 

 それに、傷つかずに出来る仕事があるなど、考えてもみなかった。

 

 私を見てくれる北上さんを守る事、それに繋がる戦闘以外の任務は受けたくも無い。

 

 そう口を開く前に、じりり、とけたたましい黒電話のベルが執務室の空気を揺らした。

 

「すまん。――こちら柱島鎮守府執務室」

 

 電話に出て、相手方の声が聞こえた瞬間、提督の表情がいくらか和らぐ。

 

「おぉ、山元か。どうした」

 

『――』

 

「ふむ……ふむ……」

 

『――』

 

「はっはっは! そうかそうか、お前も形無しだな!」

 

 楽しそうに笑い、そして、

 

「なに、女子に振り回されるのが我々男の仕事だ。せいぜい尻を叩かれて仕事をすることだな、っくっく」

 

『――ちょっとクソ提督! あんた憲兵さん達に差し入れを用意するって話だったじゃない! なに油売ってんの!? 誰と電話を――』

 

『――』

 

『はぁ!? それならそうと早く言いなさいよ! ちょ、ちょっと貸しなさい!』

 

 離れた位置からでも聞こえてくる、電話口の向こうの声。明らかに艦娘の声だ。

 提督は尚更に面白そうに笑い、優しい声音で言う。

 

『あっあの! 呉鎮守府所属、駆逐艦の曙です! 先日は提督がお世話に――』

 

「曙か。あれからどうだ? 何か困った事はないか?」

 

『問題ありません! あのクソ――んんっ、提督も、前みたいに私達と話をしてくれて……』

 

「……そうか。それは何よりだ。お前達のクソ提督を、どうかしっかりと見てやってくれ。私もこれから、何度も助けてもらわねばならんものだからな」

 

『はい――! 突然、お電話を代わって、申し訳ありませんでした、海原大将』

 

「気にするな。私も曙の元気な声が聞けて安心した。では、山元に」

 

『はいっ』

 

「――どうだ艦娘との仕事は。楽しかろう」

 

『――』

 

「お前のように有能な男であれば、問題も無いだろうが……そうだ、例の件はくれぐれも頼むぞ。私とて忙しいのだ」

 

『――っは!』

 

 最後の返事は、はっきりと聞こえた。確かに男の声で、話を聞くに呉の提督、山元大佐であるのは明白。

 ああ、この人は本当に、たったの数日で大将へと戻ったのだと確信に至る。

 

 受話器を置くと、失礼した、と一言置いて、提督は私に改めて話した。

 

「――話の腰が折れたな。ここに、練度別に分けた駆逐艦の詳細を記した資料がある。大井一人に任せようというわけではないが、お前は北上と一緒の方が仕事が捗ろう。今後、北上と大井、鹿島と香取の二組に分けて座学と練習航海を行ってもらいたく思う。練度を引き上げ、一定に達した駆逐艦を近海警備に順次投入し、さらなる練度向上を図りたい」

 

 異例の降格を受けた男――再び、大将の座に返り咲いた軍神――作戦終了した夜に大淀が龍驤と話していた内容が頭を過るほどに、一分の隙も無い、そして無理のない任務。

 

「わ、かり、ました……――」

 

 言い返す事も出来ず圧倒されてしまった私は、提督から資料を受け取り、承諾するしかなかったのだった。

 

 

* * *

 

 

「それで任務を受けてきたんだ? 珍しいねえ」

 

「私はまだ納得してませんけどね! なんで私と北上さんが、駆逐艦なんかの教導を……」

 

 提督の補佐をするはずが、いつの間にか用意されていた鎮守府の使われていない一室を利用して駆逐艦達へ座学を行うことになっていた。

 私は北上さんを寮まで迎えに行って事情を説明し、現在は資料にあった駆逐艦数隻――睦月型駆逐艦の、睦月、卯月、望月の三名を空き部屋、改め、教室に呼び待機している。

 

 駆逐寮は型で分けられており、睦月型駆逐艦は二名から三名で一室を使う、という風にこれまた個別に分けられているという気の配りよう。前の鎮守府であれば倉庫のような部屋に何十名と詰め込まれていたものだが、とぼんやり考えてしまう。

 

 呼び出した三名は、睦月を除いた二名があんまりにだらしなかったので早速一言怒鳴ってやった。

 

 卯月は私の話を聞かず延々と睦月に悪戯をしているし、望月に至っては私が来たのにもかかわらず布団から出ようともしなかったからだ。

 

『提督からの命令で駆逐艦に座学が行われることになったわ。準備するものはないけど、そのだらしのない恰好を正してさっさと中央の一階にある空き部屋に来なさい。場所は――』

 

『えぇ……何それぇ……面倒くさぁい……』

 

『なっ……!』

 

『うーちゃんは勉強なんて嫌いっぴょん! もっと楽しいことしたいっぴょん!』

 

『――っ! さっさと準備なさい駆逐艦ども! わかった!?』

 

『『ひぇっ』』

 

 ……こんな調子で教導なんて出来るのだろうか、と頭を抱えたくなる。

 北上さんだって駆逐艦などとかかわるのも――

 

「教導かぁ、ここの提督は面白いことを考えるねぇ。へへ、楽しそうじゃん、教導」

 

「えぇ!? き、北上さん、でも、前は、駆逐艦、うざいって……」

 

 私の言葉に、北上さんは教卓代わりに使おうと部屋の隅から持ってきた机の上に腰かけ、そうだよぉ、と間延びした声で返事する。

 

「駆逐艦はうざいよ。うるさいし、遊びたがりの癖にすぐに疲れて寝るし、出撃したら――」

 

 ここまで言われて、続く言葉が出る前に、私はしまった、と後悔する。

 どうして分からなかったのか。北上さんとずっと一緒にいたのに、と。

 

「――大体、帰ってこないしさぁ」

 

「ご、ごめんなさい、北上さん、私そんなつもりじゃっ……!」

 

「えー? あぁ、いいのいいの、別に、そういうのじゃないから」

 

「でも……」

 

 これも提督の策略のうちであったのかもしれない。私が手玉に取られたと気づいたのは、駆逐艦達の教導を始めてから、随分と経った後の話だったからだ。

 

「いつもアタシを守ってくれる大井っちから教えてもらえるんだから、安心だよねぇ。アタシも教えられること、しっかり教えてあげなきゃなぁ」

 

「北上、さん……――はい! 北上さんに恥じぬよう、きっちりみっちり教え込みます! それこそ! 敵の戦艦を一隻で撃破出来るくらいの艦娘にします!」

 

「あはは、それは難しいんじゃないかなぁ。でも、大井っちならできそうだねぇ。信頼してるよぉ」

 

「し、ししし信頼……! 必ずや――北上さんのご期待に応えてみせます――!」

 

 教室の扉が、おずおずと開かれる音に、私は背筋を伸ばして制服スカートを払い、襟を正す。

 

「失礼しまぁす……睦月です……」

「来たよー」

「来たぴょん!」

 

「遅いッ! さっさと着席なさいッ!」

 

「「「ひぇっ!?」」」

 

「これから座学を行うわ! 今日はノートをとらなくてもいいけど、次回からは課題も用意するからそのつもりで! ほら、さっさと座る!」

 

「よろしくねぇ、駆逐艦たちぃ」

 

 腕を組んで大声を上げる私に、ひらひらと気楽な様子で手を振る北上さん。

 

 人類史から見てまだ生まれて一秒と経っていない程度の私達の基本について、兵学校で見たような机を三つ並べて――実際には、片付けの際に港へ運ばれたものを海の上から目にしただけだ――そこに着席する三名へ問う。

 

「まずは基本よ。そこの。私の質問に答えなさい」

 

 私の声に肩を跳ねさせて「にゃしぃっ!?」と妙な声を上げたのは睦月と呼ばれる駆逐艦。太陽が水平線の向こう側に沈むその最後に放つ一番明るく濃い空のような髪を揺らし、背筋を伸ばす。

 

 答えよう、という気概が見て取れる。まあまあ、ここまでは良いだろう。

 

 一度受けたならばきっちりとやり遂げねば私だけではなく北上さんの評価まで下がってしまいかねないため、私は面倒だとか、どうして私が、だとか様々に浮かぶ気持ちを抑えこんで問うた。

 

「駆逐艦の役割は何か答えなさい」

 

「え、えと……えと……! 哨戒! です!」

 

「……」

 

 私は腕を組んだ状態でじっと睦月を見つめるだけ。

 数秒の沈黙のあと、横から北上さんが柔らかな声を紡いだ。

 

「んー、哨戒だけぇ? 駆逐艦って、もっと色々やってた気がするけどなぁ」

 

「あっ……そ、そうだ……えーと……」

 

 まだ口は挟まず。睦月から言葉が出るまでは、と堪えた。

 この時点で本来なら怒鳴り飛ばしてやりたいところだが、せっかく北上さんが与えたチャンスなのだから――無駄にするんじゃないわよ睦月……!

 

「遠征、と……あと、護衛もです! 戦闘にも参加します! 私達は小さいですが、速いですから、偵察とか……潜水艦に対しても戦闘能力があります!」

 

「よろしい。勘違いしている子はいないだろうけれど、再確認しておくわ。軽巡、重巡、戦艦、潜水艦、空母、それぞれに役割があるけれど、その中でも多岐にわたって任務に従事することになるのが駆逐艦のあなたたちよ。とうに忘れたけれど、どっかの鎮守府でふんぞり返ってた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()指揮官とそのお友達は駆逐艦には火力が無いと言って居室とも呼べないゴミ部屋に艦娘を詰め込んでいたわね」

 

 思い出しかけて語気の荒くなる私だったが、咳払いで意識を切り替えて組んでいた腕をほどき、腰に当てて話を続ける。

 

「んんっ……私達が艦娘であろうが軍艦であろうが重要なのは、役割を理解し、その役割を果たせるだけの練度を保つ事、ここまではいいわね」

 

「はいっ」

「んー」

「ぷっぷくぷぅ……」

 

「卯月ぃ……?」

 

「わ、わかってるぴょん!」

 

「っち……背筋を伸ばしなさい」

 

「うぅっ……うーちゃん遊びたいぴょん……」

 

「座学が終わってからになさい。これも任務よ」

 

 任務よ、という言葉に卯月はしばし虚空に視線をさまよわせていたが、それはどうやら任務という言葉と現在の状況が頭の中で噛み合っていなかったから、らしい。

 続く卯月の言葉に、彼女の置かれていた環境を嫌でも想像してしまい、私は顔をしかめてしまったのだった。

 

「任務って……突撃するんじゃないっぴょん……?」

 

「……」

 

 無視して話を進めるべきか、はたまた形だけでも慰めてやるべきか、私には分からなかった。

 北上さんとしか話してこなかったし、北上さんの事しか考えてこなかったし、それ以外は必要のない、意味のないものばかりだと痛感しているから。

 

 卯月もまた、私が北上さんを守り、北上さんに守られる事で繋いできた時間という概念を、突撃し、生きて帰ってくるという極限の往復で繋いできたのだろう。

 一片の比喩も無く、文字通りに、決死で。

 

 この鎮守府は本当に、掃き溜めなのだと認めざるを得ない。

 

「任務は、提督からくだされる命令のことで、突撃することが……あなたの任務の一つだったのかもしれないわね。でも、ここでは練度を引き上げるために学ぶことが任務よ。分かったのなら真面目に取り組みなさい」

 

 淡々とした事実だけを口にすることでお茶を濁した。

 同じ艦娘とて、私が彼女にかけられる言葉なんていうものは無い。

 

 北上さんなら、名前を呼んで、もう大丈夫、私が守ってあげるよぉ、と今にも溶けていきそうな力の抜けた笑顔で言うのだろう。

 だから今は、いっぱい勉強しようねぇ、なんて柔らかな言葉を使うかもしれない。

 

 ――私には出来ない芸当だ。

 

「大井っちと私から学べるんだよ? こりゃあ卯月達が駆逐艦で頭一つ抜ける実力になるのも時間の問題だねぇ……突撃なんてしなくたって強くなれるんだからさぁ」

 

 北上さん……あなたは、やはり女神ですか……?

 

 い、いけないいけない。気に食わない男から科せられた任務とは言え、これは北上さんとの共同任務なんだから――きょ、共同!? 

 これは実質私と北上さんの共同作業……ともすれば、朝は教え、夜は教えられ……

 

「ね、大井っち?」

 

「あっはい! 私は上でも下でもどちらでも!」

 

「何の話?」

 

「えっあっ! な、何でもないですぅ。あはは……んんっ、卯月! 真面目に聞いておきなさいよね! わかった!?」

 

「理不尽に怒られた気がするっぴょん!?」

 

「うるさいわね! 座って聞いてなさい!」

 

「もう座ってるっぴょん……」

 

「あはは、大井っちどうしたのさぁ」

 

 乱れていくペースに危機感を覚え、これではいけない、と鼻で深呼吸を一つ。

 すると、そのタイミングで――教室の扉が開かれた。

 

「失礼する。急にすまないな。一応、様子を――続けてくれ」

 

「提督――……! お、お疲れ様ですっ!」

「あっ、司令官! 司令官にぃ、敬礼! ぴょん!」

「んあー、どうしたの司令官?」

 

 駆逐艦それぞれの挨拶。慌てて頭を下げる睦月に、敬礼とは言い難いふざけた挨拶の卯月に、そもそも敬礼さえせず背をもたれた首をだらんと後方に向けて逆さまに提督を見る望月。

 

 こ、これでは座学をしていないと思われてしまう――!

 

「起立――気を付けェッ!!」

 

 私の怒号に駆逐艦は悲鳴も上げられず立ち上がり、直立不動の恰好となる。

 続けて私は丹田から練り上げられた圧力をともなうような声を教室を発破せん勢いで口から吐き出した。

 

「回れぇ――右ッ!」

 

 睦月達が一糸乱れず私の方から、提督の方へ振り返る。

 

「海原大将に、敬礼ッ!」

 

「「「っ……!」」」

 

 身に刻まれた動きは、軍艦であろうが艦娘であろうが、身体を勝手に動かすもの。

 駆逐艦の全員、先刻の腑抜けた敬礼などではなく、指先にまで神経を使うような最敬礼だ。

 

 ふぅ……何とか、誤魔化せたでしょう……!

 これでも艦娘になる前は練習艦だったんだから、どれだけヘタレていようが、扱いにくい奴が相手でも動かせるだけの気迫を持ってんのよ!

 

 どうだ、見たことか、と提督をちらりと見た時、その目が私を見ているのに気づくのと同じく――笑っているように見えた。

 

「……力を抜け。邪魔をするつもりは無かったんだ。本当に。大井、授業を続けてくれ」

 

「くぅ……っ」

 

 誰にも聞こえていなかったであろうが、私から悔しさから喉を絞るような声が出てしまった。

 

 資料を見た、と口にしていたじゃないか、と思い出した頃にはもう遅い。

 提督は私の過去を知っている。それは前の鎮守府での待遇が如何に酷いものであったかを知識として資料から読み取ったという意味では無く――軍艦であった過去から現在に至るまで、全てを見通している、という事だ。

 

 故に――乗艦訓練が行われる練習艦であった私を、駆逐艦、いわば新米の練度上げに抜擢したのだ――。

 

 してやられた、という思いと、何か一泡吹かせてやろうという対抗心が拮抗したとき、気づくのだった。

 

 

 

 

 

 この鎮守府は、まだ、私に過去を振り返る時間を与えてはくれない。

 

 あの提督は私に、まだ、前に進めと言っているようだ、と。




大変申し訳ありません。

操作のミスから途中の文章がごっそりと抜けていたようです……。

妖精のいたずらに違いありません……。


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六十四話 育成①【提督side】

 

 

 現在時刻午前四時。

 再び訪れた呉鎮守府での作戦を終えて柱島に戻って来た俺は、結局、あれから日付が変わるまで事後対応に追われる事となった。

 

 事後対応と言えど、どういった処理をすれば良いのか――なんてものを俺が知っているわけも無く、最後の最後までむつまる率いる妖精達に助けてもらったというのが実のところである。

 妖精、主にむつまるから指示された内容は字面こそ小難しいことばかりが並べられていたものの、簡単にまとめれば使用した資源、作戦で消費されたその量であったり、負傷した艦娘を修復するのに掛かった時間や、同じく消費資源の記入。

 

 これが各鎮守府から送られてくる大本営は、それらを加味した資源を各鎮守府へ配布する――といった具合らしい。そりゃあ戦果を挙げたがるわけである。

 戦果を挙げねば艦娘を養えず、戦果を優先するが確実に来る見返りでもない資源をあてに貯蔵されたものを消費すれば、それこそ本末転倒となってしまう。

 

 なるほどこれが提督の苦悩というものか。

 一応俺も提督なんだけども。

 掃除すら出来ない俺が大将なんだけども。

 

 それはさておき。

 

 呉鎮守府での作戦も終わり、報告書も書き上げ、ようやく俺は本来の職務である柱島鎮守府の艦娘を支えること、日々の運営である近海哨戒や遠征、演習などに勤しむことができる環境となったわけだ。

 であるからには気合を入れ、呉鎮守府でのなっさけない姿を払拭せねばならない。

 

 とにもかくにも風呂である。丸一日も風呂に入らずに動き回ったおっさんが、二日目もシャワーさえ浴びずに執務室で仕事をしていたらどうだろうか?

 そんなこと想像するまでもない。大淀には「艦隊司令部に触らないで!」どころか「来ないで!」とドストレートに拒否されるかもしれん。そのような事態を迎えたらきっと俺は死ぬ。

 

 執務室のソファに寝転がっていた俺は節々の痛む身体を起こし、ところどころに赤い染みがついたままの上着を脱いで放り投げながら、デスクの上に置かれたままの書類へと手を伸ばす。

 

 ――その時。デスクの上に妖精達が眠っているのが見えた。

 

 一瞬死んでるのかと思った……。

 

 というか妖精も寝るんだな。

 

「……」

 

 デスクの上では身体も痛かろうに、と手につけたままだった手袋を脱ぎ、ソファに投げ出した上着を取ると、ぐるぐると適当に丸めたあとに、デスクの上へ。

 一人一人、妖精を起こさないようにつまんで上着の上に乗せ、布団替わりにでもなるだろうと手袋をそっと被せた。

 

「……よし」

 

 寝かせてくれと懇願していた俺をあらゆる方向からつつき寝かせなかった妖精達への仕返しである。たっぷりと俺の手汗を吸い込んだ手袋で悪夢でも見ればいいのだ。ふはは!

 

 ……何やってんだか。風呂行くか。

 

 俺は出来るだけ音を立てないように執務室の扉を開き、部屋を出た。

 

 

* * *

 

 

 掃除すら出来ない無能として周囲に認識されてしまった今、俺が出来る事とは――社畜が社畜たるルーティンを完璧にこなす事である。

 それも数日と経たずあっという間に崩れてしまったが、まだ大丈夫! まもる、挽回できます!

 

 電灯もついていない静かな鎮守府の廊下を歩きながら、ぐっと拳を握る。

 

 今日から新たに海原鎮の柱島鎮守府生活を、ここから始めるのだ――!

 

「昨日より任務お疲れさまでした、提督。おはようございます」

 

「……うむ。おはよう、伊良湖」

 

 伊良湖ォッ! いきなり声をかけるんじゃないよォッ!

 もう少しで絶叫しかけたよぉ……。

 

 鎮守府の廊下は別にカーペットが敷いてあるわけでもなければ、普通の板張りであるというにもかかわらず足音さえさせずにこの俺に近づくとは。やはり艦娘、侮れない。可愛いだけでは無かったか。

 

 くだらない事を考えている俺をじっと伊良湖が見つめてくるものだから、すっと一歩、二歩と下がる。

 

「っと、すまないな。帰ってから執務に没頭していたから、汗臭かったろう」

 

「えっ!? あ、いえいえいえ! そのような事は……むしろ全然……――んんっ、では、提督はこれからお風呂へ?」

 

「うむ。今日も忙しくなりそうだからな。朝食はみなが来る前に早めに済ませたいのだが、可能か?」

 

「そうですか……では、先に提督のお食事を用意しておくようにしますね。間宮さんにも伝えておきます。タオルはご用意いたしましょうか?」

 

 新婚ほやほやのようなこの掛け合い……控えめに言って最高である。

 悲しいかな、余裕のあるスマートな男を演じられず、素直に「忙しくなるかもしれない……」と弱音を吐く辺りが社畜のまもるクオリティ。

 

「うむ、頼めるか。この時間から働かせてすまない」

 

「何を仰いますか。皆さんが起きる前に仕込みをしなければならないのですから、この時間に働き始めるのが当たり前なんです。ふふ」

 

 まるでそんな弱音を聞いていなかったかのように伊良湖は優しく笑みを浮かべ、

 

「では、タオルは入渠ドックへ持って行っておきますね」

 

 と言ってくれた。

 こんな素晴らしい職場、他にあるものか! ただし勤務時間は考慮しないものとする。

 

 可愛い艦娘と一緒に居られるんだから二十四時間働けますよね? と問われたら俺は働けます! と即答する。

 

 伊良湖に挨拶を済ませ、昼間は艦娘達の癒しの場となっている入渠ドックへ足を踏み入れ、さっさと服を脱いでドック、もとい風呂場へ。

 入渠ドックには既に湯が張られており、もくもくと湯気が立ち込めていた。

 湯を張ってしばらくそのままにしておいたのか、はたまた換気されていないのか、漫画みたいな湯気の量である。

 

 俺が戻ったからにはこの時間に利用するだろうと急いで準備してくれたのかもしれない。至れり尽くせりじゃないか……。

 感動もそこそこに「ふぅぅーい……」とおっさんくさい声を漏らしつつかけ湯をし、銭湯が如く並ぶ洗い場の前にどっかりと腰を下ろす。

 

 ここで社畜の技が光る。頭を洗い、身体を洗う、その間に癒しなど無い――この時間こそ一日の流れを組み立てる重要なポイントとなるのだ。ちなみに俺は身体から洗う。

 予め一日の動きを決めておくことによって、アクシデントに遭遇した場合ルーティンをずらせるよう余力を残す。極めて窮屈に感じられるこの思考こそ、仕事には肝要である。

 

 余裕を持ったスケジュールを頭の中で組んでおけば、何か問題が発生してそちらへ注力せねばならなくなった場合、本来やるべきだった事を組みなおしやすいのだ。

 トラブルも解決できて、一日の仕事もきちんと片付けられる。社会人として必須のスキルであるのは言わずもがなである。前にも言った気がするが上手くいった試しは無い。

 

 ……しかし! やるのとやらないのとでは全く別だ!

 

 今日一日の仕事がもしも終わらせられず、昨日のように夜中の一一時ギリギリまで掛かろうものなら、ただでさえ、役立たずですみませんでした、皆さんを頼らせてくださいと撃沈してしまった俺の評価は地を突き抜けて地獄へ行くだろう。

 そうなればいよいよ艦娘からそこを動くなと言われて呼吸以外許してもらえなくなってしまう。

 

 それは提督の名折れ……絶対に避けねばならない。

 俺は! 艦娘の役に立ちたいのだ!

 

 下心は無い!

 

 ……ちょっとしか無い!

 

「うむ?」

 

 手早く身体を洗ったあと、目を閉じたままシャワーを浴び、ガシガシと頭を流してからシャンプーを手に取ろうと両手を前に伸ばすも、指先がボトルに当たる気配が無く、違和感を覚える。

 ここらへんにシャンプーボトルがあったはずだが、と薄目を開けて前を見れば、

 

「んぁ……すみません……ぁい、どうぞぉ……」

 

「お、おぉ……ありがとう」

 

 横からにゅっと伸びた手が俺にボトルを手渡してきたので、受け取って、コスコスとポンプを押して多めに出し、頭を洗い始める。

 このシャンプーは柱島の艦娘達全員が使っているもの――俺は今、艦娘の香りに包まれているのだ――。

 

 仕事は頑張るから、香りくらいは楽しませてください。

 艦娘にはノータッチなんで。セクシャルハラスメントはダメ絶対なんで。

 

「……むっ!?」

 

 いや待て! 俺にシャンプーを手渡したの誰だよ!?

 

 寝起きでくだらない事ばかり考えていたために完全に反応が遅れてしまった俺は、両手を頭の上に乗せて泡だらけという間抜けな恰好のままにぐりんと首を回して横を見る。

 

 そこには、湯煙にちらちらと隠れていたが、見紛う事なき艦娘の姿が。

 

「んぇ……? あ、てーとくでしたかぁ……いやぁ、あはは、まだ眠くって……聞いてくださいよぉ、昨日、島風ちゃんのタービンを直してる時にですねぇ、強度を高められそうな仕組みを思いついてですねぇ……?」

 

「明石、こ、この時間は……私が、使っている、はずなのだが……?」

 

 目をしょぼしょぼさせている明石は、事態を把握出来て居ないのか、頭上に鳥でも飛んでいるかのような表情のまま固まっている。

 

 言うまでも無く、ここ柱島鎮守府は俺以外に男は存在しない。

 自然と鎮守府の設備はトイレを除き殆どが女性ばかりが使用しており、艤装という特殊なものを扱うこともあって、俺が使うと言えど、実態は、艦娘を通して、である。

 工廠の建造ドック然り、開発に伴う資源の管理然り、名目上は提督である俺の管理下にあるため、俺が使っているようなものだが、建造も開発も指示を出すだけ。

 

 そして、この入渠ドックも艦娘以外に使う者は居ない――午前四時過ぎの今を除いて。

 

 午前四時は俺が風呂場として借りると大淀に伝えてある。

 大淀はその時間ならば誰も使っていないし、そもそも哨戒に出ている艦娘以外は起きていないと言っていた。だからこの時間は俺が唯一安心して全てをさらけ出せる時間のはずなのだ。

 

 ああ、全裸になるって意味ね。

 

 いや決して全裸になる時間が大事というわけではなく、風呂に入るのが俺の癒しの時間であるという意味でだめだ混乱してるわこれ。

 

 呉鎮守府に続いて我が職場たる柱島鎮守府でも、同じ轍を踏むとは――油断していたッ――!

 

 目を白黒させている俺。頭が覚醒してきたのか、みるみるうちに目を見開いて漫画のように顔を赤くしていく明石。

 

「き……――」

 

「明石、待っ――!」

 

「きゃ――ムグゥッ!?」

 

 あっぶ、あぶ、あぶぶ、あぶねえ! この時間に入渠ドックで女性の叫び声が響いてみろ、ここは鎮守府だぞ分かってんのか明石お前ェッ!?

 五秒で艦娘の誰かが飛んできて、六秒後には俺が噴き飛ばされてるわッ!

 

 明石の口をおさえた俺は「大声を上げるな、いいな」と、もう犯人じゃん、みたいなセリフを吐く。

 こくこくと頷いたのを見てから、ゆっくり手を離すと――

 

「ぷはっ……すすすすみません提督! あの、この時間に提督がお使いになられるって知ってたんですけど、来る前にさっさと入渠して少しだけ仮眠を取ってから仕事をしようとして、それで、それでっ――!」

 

 ――俺の作戦で負傷して入渠させてしまった第一艦隊の面々を思い出してしまい、一瞬にして頭が冷静になり、不埒な考えが消えてしまう。

 いつもならば艦娘と鉢合わせるなんて前世か前々世から引き継いできた幸運を全てつぎ込んでしまったのではないか!? と歓喜していた事だろう。

 

 だが、呉でもここでもそんな気持ちにはなれなかった。

 

 傷ついた夕立や扶桑、山城、時雨に申し訳ない気持ちでいっぱいになったし、ここでは遅くまで開発に勤しんでいたであろう明石に睡眠時間を削るなど、なんて無茶をしているんだと一言漏らしてしまいたくなる。

 

 自分も睡眠時間を削って仕事をギリギリで片付けているため、その言葉こそ出てこなかったものの、それにしても仮眠程度で一日の仕事を片付けられるとは思えず。

 俺でさえ最低四時間くらいは寝ているのに、今から寝ても総員起こしは午前五時、もう一時間と残っていないじゃないか。

 

「……この時間まで開発を行うなど感心せんな。我々は身体が資本だ。日々の開発や建造を任せているお前が支障を来すことは、私の仕事が滞る事と同義――何より、私が心労で倒れてしまうかもしれん」

 

「あっ……そ、そのぉ……」

 

「かくいう私も夜更かしが多くてな。自分で言っていて、耳が痛いとはおかしな話だ……今回の事については不問とする。いいな?」

 

「は、ぃ……」

 

「ついでに、お前と鉢合わせてしまったことも、不問にしてもらえると助かるのだが」

 

 健気にも島風のタービンについて考えて夜を徹して作業をしていたらしい明石に、朝っぱらから説教をしてしまい自己嫌悪に陥る自分を誤魔化すよう、明石に笑いかける。すると、明石は寝起きであるためか、シャワーから出ている湯の温度が高いためか、ぽーっとした顔で「それは、あの、はい」と途切れ途切れの返事をした。

 

「ふふ、命拾いをした。乙女の柔肌を見たとあらば土下座ではすまんだろうからな」

 

 まあもう見ちゃいましたけども。

 (まもる的に)小粋なジョークをかましてからさっさと頭を流しきると、俺は立ち上がって入渠ドックを出て行く。

 

「では、また開発の時に。今日は開発と建造が終わったら、半休として午後はしっかりと身体を休めるように」

 

 部下の勤務時間管理も、まもるのお仕事です。

 

 脱衣所へ抜けていくと、ちょうどタオルを持ってきた伊良湖と遭遇してしまった。その時はきちんと隠していたので大事には至らなかったものの、無能の上に覗きまでしたとあらば、もう何も言えないのであった。

 

「きゃあっ!? あっあのっ、すみません提督、こんなに早く上がられるとは思わず、タオルを持ってくるのが遅くなり……!」

 

「気にするな。汚い身体を見せてしまってすまないな」

 

「あの……ご、ご飯、たくさん、食べてくださいね……?」

 

 遠回しにモヤシ扱い。その通りなので何も言い返せなかったのも悲しかった。

 

 朝っぱらから散々である。

 

 

* * *

 

 

 執務室に戻って来た俺。明石に遭遇してしまったので湯船には浸かれなかったが、濡れた犬みたいな匂いがするよりはマシだろう! と無理矢理に元気を出して早速仕事にとりかかろうとデスクへついた時、うん? と声を出してしまう。

 

 デスクの上で寝ていた妖精達がいない。上着も手袋も無い。

 

『こらぁっ!』

 

「いてェッ!?」

 

 後頭部からバサリとかけられる布――もとい、軍服の上着。

 階級章だのバッジだのがついているので案外痛い。

 

『おふろいくなら起こしてよ!』

『そうだそうだー!』

『おきがえ持っていけなかった……』

 

「お、お前達……いや、寝てたから起こすのも悪いかと……」

 

 むつまるを先頭にして空中にふわふわと浮いている妖精達は随分とご立腹の様子。

 ふふふ、しかしまもる慌てない。艦娘に比べたら妖精なんてチョロいもんよ――なんたって俺には武器がある! そう! 金平糖という、伊良湖に作ってもらった最強の兵器が――!

 

「まぁまぁ、落ち着け。朝飯、まだだろう? ほーら、お前達の好きな……あれ……?」

 

 ――無い。

 

 金平糖が、もう無い。

 

「……あっ」

 

 ――そうだぁあああ! 呉鎮守府で使い切ったんだ……ソフィアにあげたり口に突っ込まれたり、何だかんだで結構な量を消費してしまっていた……不覚……ッ!

 いやまだだ、まだ終わらんよ……デスクの引き出しに予備の金平糖が……!

 

 俺はむつまる達を宥めつつデスクにつき、引き出しを開ける。そこにはしっかりと予備の金平糖が――ってここにもねえ!? 何で!?

 

『わたしたちのすきな、なに?』

 

「金平糖をぉ……あげようと思ったんですけどぉ……あのぉ……な、無くてぇ……」

 

『ふーん……?』

『へーぇ……』

『そうなんだぁ……』

 

「……あとで伊良湖に貰ってくる」

 

『……許す』

 

 許された――! 流石むつまる。寛容である。

 うーん、どうして俺は妖精にすらこびへつらっているのか。

 

 まあ、それもこれも、俺が無能な社畜であるが故なのだが。

 柱島鎮守府のヒエラルキーで俺は最下層なのだ。頂点はおそらく大淀だろう。怖い。

 

「ついでに朝食を済ませてくるとしよう」

 

 溜息をついて立ち上がり、むつまるに投げられた上着の袖に腕を通すと――違和感。

 

「――いつもすまんな」

 

 すまん、と言いながらも、俺の声は笑っていた。

 

『ほんとだよ! まったく! まもるはしょうがないんだから! もどったらお仕事だからね!』

 

「うむ」

 

 新しい上着を用意してくれるくらいには、妖精達は優しい。

 人はこれを手玉に取られる、と言います。

 誰がチョロい提督だ。俺が一番よく分かってらぁ!

 

 そうして、忙しくなることを見越して早めに朝食を済ませ、再び執務室に戻る。

 既に時刻は総員起こし数分前である。いつ大淀がやってきても良いようにとデスクに座り、執務開始。

 

 着任初日からバタバタとしていたおかげでまともな柱島鎮守府の運営管理はこれが初めてとなろう。

 ブラウザゲームの艦これよろしく日々のルーティンを組んだ時も管理していたと言えばそうなのだが、今日からは本格的に毎日行わなければならないのだから、気合も入るというものだ。

 

 さて――何から手を付けるべきか――……。(無能)

 

「……そうだ。今日の演習がどうなっているか確認せねばな」

 

 夜更かしをしてしまった明石に午後は休めと言った手前、演習を行ってしまうと嫌でも修理作業が舞い込んでしまうだろう。と言うことは、演習は本日に限り無し。

 非番なのに任務だと言って引っ張り出した娘もいるのだから、一日くらいお休みしても大丈夫だろ! という甘々な精神である。

 

 お国を守るどころか俺のお守りまでしているのだ。彼女らが優先されるべきなのは言うまでもない。

 

 昨晩、というか日付が変わったとて数時間前の事だが、その時に処理をした書類に埋もれていた演習に関する書類を抜き出し、翌日へ持ち越すために適当なバインダーへ挟んで避けておく。

 次々と処理せねば大淀が……大淀が来る……と、時計を気にしつつ手を動かす俺。

 

 そんな俺の様子を見て『しかたがないなあ……』と呆れ顔ながらにキャビネットから必要書類を抜き出しては往復して持ってきてくれる妖精達。

 

 本当に仕事出来なくてごめんて。頑張るから。許してって。

 

「ふぅむ……この際だし、所属してる艦娘の資料を読み込んでおくか」

 

 こいつ何喋ってんだ? みたいな顔を向けてくる数名の妖精がいたが、あえて気づかないフリ。

 おっさんになると独り言が増えるのだ。許せ。

 

 独り言は悪い事ばかりではないんだぞ!

 

 確かに周りに人がいるにもかかわらず延々と独り言を漏らしながら仕事をしていたら邪魔になるかもしれないが、それこそ本当に一人で作業をしているときの独り言というのは作業の効率をあげたりすることだってあるのだ!

 

 ネットで見た。信ぴょう性は知らん。

 

 妖精に「艦娘の資料を頼む」と言えば、全員が様々な艦娘の資料を――多い多い多い! 一枚ずつ持ってこないでまとめて持って来い! 個別に持ってきて俺に突きつけるな!

 

 妖精によって作られる書類の壁が眼前に迫る。悪夢かな?

 

「置いてくれたらいい……見づらい……」

 

『あ、そう?』

 

 お前らそれ素でやってたのか……いじめかと思ったよ……。

 

 机に置かれる艦娘達の記録。

 大本営が作成したらしい書類には、顔写真付きで性能が記されており、大まかな経歴なども確認できた。

 実際に数値を目にすると、現実なのにゲームのような、不思議な感覚である。

 全国の鎮守府から集められた艦娘の記録には、違和感を覚えるものばかりだったが。

 

「同艦隊の艦娘の轟沈……うち、二隻のみが帰還……なんだこれは」

 

 ……悲しいが、艦これであろうが現実であろうが、人と同じく艦娘にも死と同等の概念が存在する。

 それが轟沈――提督である俺が最も忌避せねばならないもの。

 

 偶然手に取った記録は、大井と北上のものだった。

 

 記録には、大台の三桁に届きそうな出撃回数が記載されており、それと同じくらいに艦隊に轟沈が出ている。それも、北上と大井を除くものばかり。

 この記録が俺の目についた理由はほかにもある。

 

 【沖ノ鳥島海域掃討作戦】という記述が見えたからだ。

 

 艦これに出てくる海域の名前は実際の海域を元ネタにしたものが多く、記録にある沖ノ鳥島海域、というのは新米提督の最初の壁となる沖ノ島海域――いわゆる二-四と呼ばれる序盤のマップにあたる。

 強力な敵が出現し始めるマップでもあるが、大井や北上を投入するのであればその限りではない。

 

 もちろん、艦載機を搭載する空母なども出現するので難関ではないと言い切れないマップではあるのだが、素人提督の俺でさえ切り抜けたマップだ。そんな場所で轟沈など……。

 

 大井と北上と言えば艦これでおなじみの二人組。重雷装コンビである。

 甲標的という兵装を積むことによって開幕すぐに雷撃を行うことのできる艦娘の代表とも言える二人だが、無論、同じ兵装があれば開幕雷撃が可能な艦娘は他にも存在する。

 

 大井と北上が代表格である所以は、その開幕雷撃の破壊力にある。軽巡洋艦ならではの資源消費の軽さと比べ物にならない圧倒的破壊力は敵の戦艦を本格的な戦闘が開始される前に撃沈せしめるほど。

 夜戦になると攻撃はさらに強力になり、深海棲艦があっという間に吹き飛ぶ。

 

 強烈なキャラクター性である、というのも印象深いポイントであるのかもしれない。

 ハイパー北上様、クレイジーサイコレズ大井、と名誉なんだか不名誉なんだか分からないあだ名があるくらいだ。

 

 ただし大井のあだ名は口にしてはいけない。魚雷で消し飛ばされたくなければ。

 

「……妙だな」

 

 俺の知る限り、艦これでの轟沈は大破進撃しなければ起こりえない事態である。

 手元の記録の通りに何度も轟沈が発生したとあらば、それは大破進撃を繰り返していることにほかならず。

 大井や北上という艦娘が大破した仲間を見ていて進撃を選ぶだろうか?

 

 仮に命令が下ったとて、大井などは「っち、なんて指揮……魚雷ぶち込みますよ!?」と憤慨しそうなものである。これは俺の偏見もあるが……。

 提督という存在を慕う艦娘が多く存在する艦隊これくしょんにおいて、真正面から指揮について言及するという一面を見せる珍しい艦娘である彼女の経歴にしては、おかしいと思ってしまうのだった。

 

 柱島の大井と話したことは無い。

 しかし同艦隊の艦娘が轟沈したという過去を初対面から聞くほど俺も馬鹿では無い。

 

 ――考えられる理由はいくつかある。

 

 一つ目は、所属していた鎮守府の提督が大破進撃を命令し、二人が従った。

 二つ目は、大破した艦娘が自ら進軍を望んだか。

 三つ目は、現実では一撃轟沈という事態が起こりえる可能性。

 四つ目は……北上と大井が僚艦の大破を無視して進軍したか。

 

 個人的に、四つ目はありえないと思いたかった。

 駆逐艦をうざがるセリフがある北上に、そんな北上を慕う大井。

 北上が駆逐艦を毛嫌いしているとはいえ大破した仲間を見捨てるように仕向けるだろうか?

 

 否。否である。

 

 少なくとも、俺が目にしてきた艦娘は――仲間のためならば上司ですらぶん殴る強い娘達ばかりだ。

 仲間のために泣き、助けを求め、戦うことを選ぶような存在が、こんな……。

 

 大井と北上の資料を手元に置き、他の艦娘の書類へ目を通していく。

 

 よほど戦況が悪かったのか? それもある。しかしそれだけではない。

 どういう事だよ……と、百枚に及ぶ資料をどんどんと捲り、置き、目を通し、また捲り。

 

 時間にして十数分と経たず、俺は――

 

「練度か……?」

 

 ――と、もう無能丸出しの結論に至る。

 

 敵が強い? 勝てない? 練度と出撃回数で倒れるまで殴り続けろ! とは世にいる艦これ提督達の言葉である。

 これでは語弊があるが、要するに、高い練度と試行回数を重ねればいつかは勝てる、と至極当然のことを言っているのだ。これがまた、その通りであって……。

 

 艦これは試行回数が物を言う一面を併せ持っているため、一概に間違いであるとも言い切れないのだ。

 

 しかしながらこれは現実。数値が高ければそれで何とかなるゲームとは違うのだから、俺の練度の低さが原因では? という考えは無能も無能であるということ……でもこれしか考えられないんだもの!

 

 じゃなきゃ他の提督が大破進軍させまくって貴重なロリ……んんっ、可愛い駆逐艦の艦娘達を故意に轟沈させまくっているということになるじゃないか! そんな馬鹿な話あるかァッ!

 

「……ふむ」

 

 ここで、海原鎮の天才的頭脳が光る。

 名案かもしれんぞ、とにやりと笑う俺。

 

『……』

 

 おうむつまる、なんちゅう目で見てんだよ。やめろ。泣くぞ。

 

「まずは……」

 

 本日の演習が無くなったことが幸いして、朝から処理しなければならない書類は無い。

 他にあるのでは? もちろん、あるとも。呉鎮守府での作戦報告書やらなにやら、たんまりと。

 

 いいや、違うな……あった、が正しい表現だ。

 

 井之上さんから大将という肩書を貰った俺なのだ……処理能力をなめるなよ!

 

 と、昨晩からむつまる達にせっつかれて完成させた書類を取り出してデスクにセットしておく。

 処理能力が高いわけでは無く、前日の夜に次の日の書類に手をつけていただけである。

 本当にありがとうございますむつまる様。おかげで今日は楽が出来ます。

 

『サボる気ぃ……?』

 

 目ざとく俺の考えを見抜いたようなむつまるの声に、一瞬で言い訳――じゃなかった、考えを伝える。

 

「そんなつもりは無い。だが気になる事があってな。鎮守府に在籍している艦娘の練度のバラつきが酷い。戦艦や空母は多用されてきたのか、殆どが改や改二に至る練度だが……駆逐艦は殆どが改にさえならん練度だ。ありえるかこんなの?」

 

『んぅ……わかんない、けどぉ……』

 

「少なくともここは俺が知っている艦隊これくしょんの世界じゃない。大破進軍しなければ轟沈しないはずとは考えているが、それが果たして当てはまるのか、というのも定かじゃないんだ。あらゆる可能性を考慮し、一つ一つ、確実に潰して原因を探るしかない」

 

『まもる……!』

 

「会社でもそうやってきたからな!」

 

『あ、ああ……そう……』

 

 ここまで話して、ふと思う。

 

 俺はどうしてむつまるに、艦隊これくしょんの話を――?

 

『あっ、まもる、そろそろ皆起きるよ!』

 

「お、おぉ、そうか」

 

『しゃきっとして! しゃきっと!』

 

「ウィッス! 本日も、よろしくおねしゃぁっす!」

 

『うるさいよ!』

 

「……」

 

 理不尽である。



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六十五話 育成②【提督side】

 その日は演習を中止したのもあって、ほとんどの艦娘を今度こそ本当に非番とし、近海警備に出動させた艦娘以外は自由に過ごしてよいと大淀から全員に伝えてもらった。

 

 それに……それにだ……!

 

 前日に書類を片付けていたおかげで、なんと――大淀に怒られずに一日を終えたのだ――!

 

 これに味を占めた俺は、基本的に夜遅くまで執務室で作業することとなった。

 しかしこれがまた捗ること捗ること。残業で社内に何泊もしていた頃を思い出す。

 

 皆が寝静まった鎮守府、真夜中の執務室は集中するのに極めて良い環境だった。

 そのうえ自分が大好きでたまらなかった艦これについての――現実だが――作業なのだから苦痛のはずもない。

 

 あの頃は上司に呪いをかける気力さえも失い、ただ目の前にある仕事を片付けねばと死人のような顔で作業していたが――今回は艦娘が相手である。

 寝かせてもらえないのはつらいが、寝ないのは平気――強いられなければまもるは強いんだ!

 

 強いられた瞬間に雑魚になるということでもあるが、それはね。誰だってそうだろうからね。

 

 

* * *

 

 

 そうして俺はぼんやりと計画を練り、数日経ったある朝、執務室へやって来た大淀にある提案をした。

 

「大淀――柱島に在籍している艦娘全員の練度を把握しているか?」

 

「ぜっ全員ですか!? ある、程度は……」

 

 ある程度でも把握してるとか化け物かな? 俺は全く把握してなかったよ。

 しかしそれなら話は早い――と、俺はブラック企業に勤めて以来久しぶりに作成した気がする提案書を大淀へ手渡す。

 

 それはつい昨日になってやっと手をつけたものでもある。

 

 きちんとまとめておきました! 分かりやすく練度別、艦種別に分けてグラフも作ってあります! 手書きで!

 

 いい加減パソコンが欲しい。定規とか久しぶりに使ったぞ。

 

「見ての通り、練度別に分けられた表だ。他の鎮守府から集められたが故に練度にばらつきが生じているのが分かるだろう」

 

「こ、これ、こんな……執務の間に、これを……?」

 

 サボってたわけじゃないよ。ちゃんと仕事はしてたよ。妖精達にも監視されてたしな。

 いや……久しぶりに提案書なんて作ったから見づらかったのかもしれない。ごめんね大淀。我慢してね。

 

「うむ。演習を中心に練度の向上を図ろうと考えていたが、それでは大多数をしめる駆逐艦に後れが生じてしまう。かと言って駆逐艦ばかりで演習を組み、空母や戦艦、重巡や軽巡、潜水艦や補助艦の演習をおろそかにするわけにはいかん」

 

 すらすらと口から出る理由は単純だ。世にいる数万という艦これ提督達が生み出したローテーションに手を加えているだけなのだから――!

 

 すみませんほんともう俺の頭だけでは考えられませんので皆さんのお知恵を貸してくださいオネシャス! オネシャス!

 と、今や遠い世界へ向けて胸中で土下座をしておく。

 

 艦隊これくしょんは、艦娘を集めることにあり――それ以外にもう一つ。

 無理なく資源をため込む、貯蓄ゲームであるとも言われていた。

 そこをこの世界でも利用してやろうと、そういうわけである。

 

 貯蓄ゲームと言われる所以は、資源を無駄遣いしない事にある。

 提督の諸兄からは当たり前だろうと笑われるかもしれないが、現実となれば演習でも被害が発生するため、多少なりとも資源消費があるのは前の通り……。

 その資源消費すらも極力おさえねばならないなら――勉強すればいいじゃない! と。こういうことである。

 

 もちろん、根拠はある。

 

 この世界で艦娘達は互いにコミュニケーションをとっている。という事は情報の伝達が可能であるということ。

 どうすれば被弾を減らせるか、どうすれば敵に攻撃を当てられるか、そういった細やかな――

 

『じー……』

『ほほぉん……』

 

 ――はいすみませんアニメでもやってたからこうやったら俺の仕事が少しでも減るかなって思ったんです。

 

 ……い、いかんいかん。胸中で言い訳しようとしていると妖精達の目が厳しくなるような気がする。

 

 と、ともかく!

 

「ならば、その経験を練度の低い者へ共有すべきであると考えたのだ。幸い、座学が可能であろう者は数名見繕ってある」

 

「て、提督、あの」

 

「なんだ、何か質問か?」

 

 あんまり突っ込んだことを聞くのはやめてね。答えられないかもしれないから。

 

「何故、提案書など? 提督から命令をいただければよろしかったのでは……?」

 

 秘書専用デスクの上に書類を置き、こちらを不思議そうに見つめる大淀。それをぽかんと見つめ返す俺。

 

「何を言っているんだ……? 勉強をするのは私ではなく、皆なのだぞ……? 命令で勉強するなど、嫌だろうに」

 

「い、嫌だろうにって……ふ、ふふふっ、提督ったら、もう、ふふふっ!」

 

 なにわろてんねん!? こっちは真面目にやってんやぞ! と心の龍驤がご立腹である。

 でも言わない。仕方が無いね。怖いもの。

 

「分かりました。では、私はこの提案に賛成します。任務として組み込んでも問題は無いでしょう。提督が作成なさった日程表から見ても、任務を詰め込める日は――」

 

 おっと待てぇい! 大淀ォッ! そこは口を挟ませてもらうぜェッ!

 

「――休日は決して潰さん。お前達は近海警備とは言え海に出て脅威に立ち向かっているのだ、一日、ないし二日は必ず非番の日を作る。それで十分に対応できる数の艦娘が在籍しているのだからな」

 

 任務を詰め込むとか! そういうことをするから! ブラック企業が根絶しないんですよ!

 やめてください大淀さん! 俺がブラックなのは構わないが、艦娘がブラックとか許せないんで!

 

 目に力をこめて大淀に「休日は潰さないでやってくれ」と再度言葉にする。

 すると、大淀はまた笑った。なにわろとんねんこっちは真剣なんだぞ。

 

 まあ、考えれば誰しもたどり着くようなことを何度も口にしていれば大淀も「一生懸命考えたんですね、うふふ」みたいな気持ちになるのだろう。それでも承認してくれるあたり天使オブ天使だからまもるは大丈夫です!

 

「わかりました。そのように。それで――提督がお考えの、座学が可能である艦娘とは……」

 

「まずは練習巡洋艦の鹿島、香取の二人だ」

 

「あぁ、それなら――」

 

「それと、大井。この三名を最初に抜擢しようと考えている」

 

「大井さん、ですか……?」

 

 ふむぅ、と可愛らしく唸り声をあげて顎に手を当てる大淀。眼福です。

 だが見とれているだけでは仕事は進まないし減らない。

 

「大淀も知っているだろう。大井はかつて海軍兵学校の最上級生の乗艦実習に使われた練習艦でもあった。であるならば、鹿島や香取同様、教えるという行為については問題無いのではないかと見ている」

 

 これは完全に俺の私的見解なんだが、しかし一つ心配事がある。

 

「記録を見るに、大井は同じ鎮守府に所属していた北上と常に同じ任務に就いていたとある。ここは全国から集められた艦娘で構成されている鎮守府だからな……もし、大井が一人で任務を遂行することに難色を示すようであれば、北上を加えた四名で当たってもらうべきか、とも考えているのだが……大淀は、どう考える?」

 

 無能ってバレてるから素直に意見を頂戴出来る。ある意味バレてて助かった。

 だが連合艦隊旗艦、甘くはない。

 

「――提督の案で進めましょう」

 

 にっこりと笑みを浮かべて提案書を突き返してきた……こ、これではまだ足りないのか……っ!?

 

 くそ、どこに不備が……と返されてしまった提案書を受け取って中身を再確認。

 どれだけ見ようが内容が変わるわけもなく。

 

 ま、なるようになるっしょ! と半ばあきらめの精神で笑みを浮かべるのだった。

 

「では、これで座学を行ってもらうとしよう。内容はそれぞれに決めてもらうとして……今日の補佐艦は――うぇっ……!?」

 

 大淀が作成してくれたらしい【本日の補佐艦】と描かれた壁掛けプレートを見ると、そこには――大井の名が。

 

 や、やばい、大淀に伝えてもらおうと思ったのに……俺が伝えなきゃいけないのかこれ……。

 

「これを見越して、今日になって提案書を私に見せてくださったのですよね?」

 

「……う、うむ」

 

 逃げるな、と。はいはい、なるほどね、オッケーオッケー……。

 

 っしゃあお前見てろよ大淀オラ! お前がそういうスタンスならこっちにだって考えがあらぁッ!

 

 

* * *

 

 

 俺の考え、もといささやかな反抗――再確認をせず、大淀へ前日に処理しておいた書類をどんどんと手渡す――!

 

 ふぅはははぁー! どうだ大淀ォッ! お前にこれが処理できるかなぁ!

 

「あっ、あっ……す、すぐに処理しますので、少しお待ちを……」

 

「ああ、ゆっくりでいいぞ」

 

 でも無理はしないでね。間違えてるとこあったら言ってね。

 

 本来なら間違いが無いのを再確認して大淀に最終確認をしてもらう、という流れで作業しているところだが、今日は大井に駆逐艦へ座学してやってくださいオネシャス! とお願いせねばならなくなったので全部大淀に任せてしまう。

 

 なっさけない上に仕事を押し付けるなど最低とは自覚しているが、今回ばかりは許せよ大淀……これ以上の大仕事があるのだ……!

 

 言葉選びを間違えてみろ。大井の魚雷に沈みかねんのだぞッ……!

 

 内心ソワソワしつつ、表情は変えないまま作業を続ける事しばらく。

 

 時刻が午前九時になった時、執務室の扉が開かれた。

 

 大井は俺の定めた始業時刻通りにやってきた。

 大淀と鳳翔は本来の始業開始時刻の九時を無視して七時とかにくるものだからゆっくりできないのが困りものなのだ……まあ、それはおいておこう……。

 

「……本日の秘書艦補佐、大井です」

 

「よろしく頼む」

 

 短く挨拶をかわし、さて、どう提案したものか、と考えを巡らせる。

 練習艦としての過去を持つ艦娘である彼女だが、駆逐艦に座学をしてやってくれとお願いして、はいわかりましたと快諾してくれる未来が見えん。

 

 そもそも他の鎮守府で艦娘が艦娘に座学を行う、という実情があるのかさえ分からない。

 

 人はこれを準備不足と言う。

 

 もうちょっと下調べしておけばよかったか、と後悔したところで、既に大淀に提案書まで出してしまった手前、やっぱ一旦保留で! なんてことは出来ない。

 

 そんなことをしては大淀がせっかく出してくれたゴーサインを無駄にしてしまう。同時に、既に露呈している無能さがさらに顕著なものになる。

 

 う、うむぅ……これは、見切り発車過ぎたか……!

 

「あ、あの……?」

 

 ひぇっ、と心の比叡が驚くが、表面上の俺は無である。

 

「なんだ」

 

「私は、こちらで作業をすればよろしいので……?」

 

 あ、あぁ、ごめん自分のことでいっぱいいっぱいになってました……。

 

「座っていてくれ、すぐに終わる」

 

 考えろまもるぅ……どうお願いするのか、考えるんだァッ……!

 時間稼ぎをしようと手元の書類をちらちらと見て――ダメだここ間違えてたわ。書き直そう――確認を終えたものをどんどん大淀へ手渡す。

 

 もちろん、これも前日に処理しておいた書類なので大淀が処理する速度と俺の手渡すスピードのバランスは悪い。

 しかし大淀、物凄いスピードで処理をしていく。やっぱり仕事の化け物である。

 

「提督、申し訳ありません、も、もうすぐ、終わります……!」

 

 謙遜が過ぎれば慇懃であるとはよく言ったものだ。

 俺がいなくても大淀一人いればこの鎮守府は安泰だよ。安心して。

 何が申し訳ないのか分からないが、その処理速度は常軌を逸しているよ。

 

 俺が一晩かかって片付けた書類を、大淀はこの場で数分とかからず片付けている。

 やべえ奴である。

 

「無理はするな。十分に助かっている」

 

「……はい」

 

 仕事をどう頼もうか必死に考えている十数分間、大井は本当に黙ったまま、一言も発さずに待機していた。

 このままではいかんか、とペンを置いた時、丁度大淀もペンを置く。

 

 まさかお前……全部処理したのかよ……凄いな、連合艦隊旗艦……。

 

「すまない、待たせたな」

 

 ジャブ代わりに大井へ声をかけるも、

 

「いえ、別に」 

 

 

「……そうか」

 

 と冷たい返答。圧が凄いよ、圧が。

 既にへこたれてしまいそうになる。

 

 しかしここで諦めては俺の仕事が減らな――違う。

 艦娘達の練度向上を図れない! それは困るのだ! 提督として!

 

 練度が低ければそれだけ艦娘が危険に対処出来ない可能性が多くなるという事。そうなると艦娘が傷ついてしまうので俺が悲しい。

 ということで、君には練度のばらつきが酷い駆逐艦に座学を行ってもらい、俺が悲しくなったりしちゃわないよう、可愛い可愛い艦娘達の楽園を――!

 

 ……いいや、違うな。

 

 ふと、頭に過る記憶。

 

 潮の涙に、那珂の切羽詰まった声。

 傷ついてしまった扶桑や山城、夕立に時雨。

 作戦中の通信から聞こえてきた、悲痛な漣や朧の声が、リフレインする。

 

 俺はデスクに置かれたままの提案書を、ぱらりと捲った。

 

 それから、純粋に問う。

 

「……やはり北上と一緒でなければ、任務はしたくないか?」

 

 それに対して大井は、明らかに警戒したような声音を返した。

 冷たい声だった。

 

「何故そのようなことを? あぁ、私の記録でも見たんですか?」

 

「うむ。お前は……――」

 

 引き出しにしまったままの資料の中から、大井の記録を取り出す。

 井之上さんの言葉が何度も何度も頭を跳ねまわった。

 

 傷ついた艦娘を見てやってくれ。

 

 そう、俺の仕事は、彼女達を見てやることであり――無理をさせることが仕事じゃない。

 一人で無理をさせないよう、気の置けない仲間と仕事してもらおう。

 

「北上と一緒にいた方が良いな。丁度良い任務がある」

 

 自然と口をついて出た言葉は、一度出てしまえば、というものなのか、大井に遮られても、すらすらと続いてくれた。

 

「任務ですね。了解しました。それで、どちらに出撃すればよろしいんです?」

 

「出撃では無いんだが……大井。お前の出撃回数の多さや、それらから必ず帰還を果たした実力を考慮し、駆逐艦の教導の任に就いてもらいたいと考えている。ここに来てからというもの、私が右往左往していたせいでお前達の事についての細かい把握が出来ていなくてな、昨日からやっと手を付けたところなのだ」

 

「ぇ……は……――?」

 

 これでは説明不足だろうか、と続けて言葉を紡ぐ前に、大淀がフォローに回ってくれた。

 

「柱島鎮守府に在籍している多くの駆逐艦の戦闘能力――練度にバラつきがあるとの事で、提督が是非に、と。大井さんの他に、北上さんや、鹿島さん、香取さんを教導として抜擢するそうです」

 

 単純明快、簡潔に説明してくれる大淀。

 同調の声を上げ、俺は艦娘の資料を簡単に仕分けてデスクへと置く。

 

 改以前の練度のもの、改に至る練度のもの、さらに、改二に至る練度のもの。

 

 その中でも、出撃回数が多いのに練度の低い三名を抜き取り、まとめる。

 

「艦娘に練度という分かりやすい数値があって安心したところなのだが、それを引き上げるのに私では厳しかろう。同じ艦娘である大井や北上が演習や座学を教えてくれるのならばそちらの方が確実であると判断した。何か質問はあるか?」

 

 俺が海に出たところで泳ぐくらいしか出来ないからね。なんなら運動不足で足つっちゃうかもしれないね。

 

「……特には――じゃなくて! な、何で私がそんな事を――!」

 

 やっぱりダメですかぁッ!? もうこうなりゃ呉鎮守府で炸裂した土下座を大井にもお見舞いして――と、ここで電話が鳴り響く。

 

「すまん。――こちら柱島鎮守府執務室」

 

 大井に片手を振ってから電話に出ると、受話口から聞きなれた野太い声。

 だが妙だ。

 

『お疲れ様です閣下、山元であります……』

 

 どうしてお前コソコソ喋ってんだ。筋骨隆々のお前のASMRとか誰も得しないぞ。

 

「おぉ、山元か。どうした」

 

 呉鎮守府での一件から、八つ当たりをしていた艦娘に謝罪をして心を入れ替えると明言した山元から連絡とはどうしたのだろうかと耳を傾ける。

 すると――

 

『閣下のおかげもあり、段々と艦娘達にも笑顔が戻ってまいりました。改めてお礼をと思いまして……』

 

「ふむ……」

 

『近海警備の他、任務も問題無く行えており、憲兵隊も街の治安維持に一役買ってくれております。しかし、その、問題がありまして……あれから、艦娘に、よくせっつかれまして……特に、曙という駆逐艦を覚えておられるでしょうか?』

 

「うむ」

 

『あの、曙からクソとまで罵られ……自分がしてきた事を思えば返す言葉もないとは思うんですが、世話を、その、焼いてくれながら、クソ提督、クソ提督と鎮守府で怒鳴られては、自分の立場が……』

 

「はっはっは! そうかそうか、お前も形無しだな!」

 

 どうやら問題は無いらしい。曙からクソ提督とかお前、それご褒美だよ。

 ほら喜べよ。喜べ山元ォッ! クッソォオオオオオ! 俺も言われたかったのによおおおおおッ!

 

「なに、女子に振り回されるのが我々男の仕事だ。せいぜい尻を叩かれて仕事をすることだな、っくっく」

 

 などとオブラートに包んで笑って流しておく。

 すると、電話の向こう側から、当の本人である曙の声が。

 

『――ちょっとクソ提督! あんた憲兵さん達に差し入れを用意するって話だったじゃない! なに油売ってんの!? 誰と電話を――』

 

『おぁっ!? あ、曙……! す、すまんすまん、差し入れは既に用意してあるのだが、近況報告をと、海原大将に連絡をだな……』

 

『はぁ!? それならそうと早く言いなさいよ! ちょ、ちょっと貸しなさい!』

 

 くそぉ……俺は大井に仕事を頼まねばならない究極の状況にあるというのに、こいっつらイチャイチャしやがってよぉ……。

 

『あっあの! 呉鎮守府所属、駆逐艦の曙です! 先日は提督がお世話に――』

 

「曙か。あれからどうだ? 何か困った事はないか?」

 

『問題ありません! あのクソ――んんっ、提督も、前みたいに私達と話をしてくれて……』

 

「……そうか。それは何よりだ。お前達のクソ提督を、どうかしっかりと見てやってくれ。私もこれから、何度も助けてもらわねばならんものだからな」

 

 曙が幸せなら、オッケーです!

 たっぷりとあの筋肉だるまを罵ってやってくれ。

 

『はい――! 突然、お電話を代わって、申し訳ありませんでした、海原大将』

 

「気にするな。私も曙の元気な声が聞けて安心した。では、山元に」

 

『はいっ』

 

 それから、遠ざかっていく曙の『海原さんに迷惑かけんじゃないわよ!』という声。

 数秒して、俺は山元と艦娘の仲が多少は修復されたのだろうと、嬉しくなってしまい、口元が緩むのを感じながら言葉を発する。

 

「――どうだ艦娘との仕事は。楽しかろう」 

 

『……悪くは、ありません。以前よりも、明日が来ることに期待しているような、不思議な気持ちであります。より一層軍務に励み、閣下の御力になれるよう、努力する所存であります』

 

「お前のように有能な男であれば、問題も無いだろうが……そうだ、例の件はくれぐれも頼むぞ。私とて忙しいのだ」

 

 例の件――とは、演習の事である。山元にはこれで通じるだろう。

 

『――っは!』

 

 うーん有能。

 

 ついでだ、この勢いで大井にお願いしちゃえ! と、電話を切った俺は受話器を置くと殆ど同時に喋り始める。

 

「失礼した――話の腰が折れたな。ここに、練度別に分けた駆逐艦の詳細を記した資料がある。大井一人に任せようというわけではないが、お前は北上と一緒の方が仕事が捗ろう。今後、北上と大井、鹿島と香取の二組に分けて座学と練習航海を行ってもらいたく思う。練度を引き上げ、一定に達した駆逐艦を近海警備に順次投入し、さらなる練度向上を図りたい」

 

 勢いで押し切れなかったら、その時こそまさに海原鎮式きりもみ回転土下座を披露するしか残された手は――

 

「わ、かり、ました……――」

 

 大丈夫そうだ。よかったです。

 俺があんまりに必死過ぎたのが伝わったのか、ドン引きしたような表情の大井から了承を得た。

 

 これで俺の仕事が一つ減ったわけである。やったぜ!

 

 

* * *

 

 

 仕事もそこそこに、座学がどのように行われているのか気になった俺は、素直に大淀へ「様子を見に行きたいのだが」と頼んでみた。

 すると意外にもあっさりと快諾され、俺は執務室からの離脱に成功する。

 

 もちろん、サボるための口実に見に行きたい、と言ったわけではない。

 

 違うぞ!! 本当に違うからな!!

 

 俺は純粋な気持ちで! 大井と北上の授業が聞きたいだけだ!

 

 その証拠にピュアな学習意欲を汲み取ったであろう妖精は一人として俺の監視についていない。

 むつまるに『行ってもいいけど邪魔しちゃだめだよ』と言われたくらいである。

 

 子どもじゃねえんだから邪魔はしないっての……。

 

 ところで、大井と北上は一体どこで座学をしているのだろう、と鎮守府をうろうろする事数分、偶然通りがかった部屋の前で北上の笑い声が聞こえた気がして立ち止まる。

 ここが使われているのだろうか? とドアノブへ手をかけ開いてみると、学校で使われるような机が三つ並び、そこに座る睦月型の三人、睦月、卯月、望月の姿――そこは小さな教室と化していた。なんだこれ可愛い。

 

「失礼する。急にすまないな。一応、様子を――続けてくれ」

 

「提督――……! お、お疲れ様ですっ!」

「あっ、司令官! 司令官にぃ、敬礼! ぴょん!」

「んあー、どうしたの司令官?」

 

 あらぁー! 可愛いねー! お勉強ちてたのー!?

 まもるも一緒にお勉強しちゃおっかなー!

 

「起立――気を付けェッ!!」

 

 ひぇっ!?

 突如教室に響き渡る大井の声。

 

 俺は反応すら出来ず、硬直した。

 

「回れぇ――右ッ!」

 

 号令に睦月達は一糸乱れず動き、俺へ向く。

 

「海原大将に、敬礼ッ!」

 

「「「っ……!」」」

 

 そして、敬礼。

 

 

 

 

 

 

 

「……力を抜け。邪魔をするつもりは無かったんだ。本当に。大井、授業を続けてくれ」

 

 むつまるの言葉の意味を理解出来た気がした俺は、泣きそうになっていた。

 おっさんが泣き出してはまずい、と必死に泣くのを我慢していた。

 

 大井がこちらを睨みつけながら「くっ……」と何か言っていた気がしたが、もしかするとクソとかクズとか言っていたのかもしれない。

 

 俺は大井を見つめて心の中で何度も謝罪した。

 

 邪魔してすみませんでしたほんと。もう、はい。ごめんなさい。

 

 今度から大淀に意地悪しないし、むつまるの言うことも聞きます。

 大井と北上の座学も邪魔しないし、ご飯は残さず食べます。

 

 なんで魚雷だけは勘弁してください。オネシャス! オネシャス!!



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六十六話 幾世②【艦娘side・北上】

「じゃあ、手始めに――卯月。私達軽巡洋艦や駆逐艦の主兵装である酸素魚雷の優位性を答えてみなさい」

 

「ぷっぷくぷぅ……ゆーいせい? とか、そんなの分かんないっぴょん……」

 

「ちっ……酸素魚雷が他の兵装に勝っていたり、便利であったりする点を挙げなさいと言ってるのよ」

 

 アタシは大井っちの横でただ笑みを浮かべる。

 悟られないように提督を盗み見ると、提督は部屋の後ろで立ったまま授業を真剣に聞いていた。

 

「うぅ……どんなものでも、敵に当てられたら十分っぴょん……」

 

「そういう事じゃないわよ! これは基本的な知識を確認するための質問なの! 使ったことが無いの?」

 

「な、無いと思う……ぴょん。多分……」

 

「はぁ……分かったわ。使った事が無いなら、じゃあ……睦月か望月は? 使ったことないの?」

 

 大井っちに視線を向けられた二人は顔を見合わせ、それから望月がそろり、と手を挙げて言った。

 

「一応、あたしはあるけど……」

 

「なら、答えられるわね。酸素魚雷の優位性はどういったものかしら」

 

「ん、んえぇ……? あー……かなり遠い敵に、当てたことがあったかな……進む距離、とか」

 

「……射程、ね。まあまあ、よしとしましょう」

 

「おぉっ、さっすがもっちーっぴょん!」

 

「すごいすごーい!」

 

「一つ答えられた程度で調子に乗ってるんじゃないわよ駆逐ども!」

 

「「「ひゃいぃっ!」」」

 

 大井っちは駆逐艦を見回したあと、ちらりと提督を見て不服そうな表情をした。

 それもそのはずで、教導を、と命を下したという提督がまさに教室と化したこの場にいる状態で、様子を見に来た、とまで言っているのだから、駆逐艦への教育がどの程度のものかを見極められている状況では下手な教え方は出来ない。

 練度の向上を図るための教導――海上で戦うのに必要な知識を身につけるための時間なのだから。

 一分一秒とて無駄にするわけにはいかない、と考えていることだろう。

 

 アタシはニコニコとしたまま、もしもアタシや大井っちが目覚めた後にこういった時間があれば、苦しんできた環境も少しは違ったのだろうかと考えていた。

 

 艦娘が二種類に分けられているのを、アタシは知っている。

 

 後へ繋げられる者と、その場で使い捨てられる者。

 

 艦政本部で建造された艦娘は、大本営によって設立された訓練校で様々な知識を身につけ、戦闘訓練を行い、卒業してから鎮守府へ配属される。

 各鎮守府で建造された艦娘は、所有権こそ大本営が握っているが、その扱いは鎮守府ごとに一任されている。

 

 一定の基準を満たすまで実戦に投入せず訓練させ、問題無く航行し、輸送を行える程度になった艦娘は練習遠征から始める、というルールを設けているのは横須賀鎮守府だったろうか。

 そういった制度が全ての鎮守府にあれば艦娘を()()せずに済んだろうに、それが何故浸透していないのか。

 

 こう考える事は、あの環境では野暮だったのだろうか。

 

 柱島に来る前――アタシ達がいた鎮守府で学んだのは、苦痛を誤魔化す術だけだった気がする。

 学んだ、というよりは経験した。それらは海上での戦いとも呼べない我武者羅な砲雷撃戦での経験だ。

 いいや、砲雷撃戦でも無かったかもしれない。

 

 兵装を失い、時に深海棲艦に突っ込んで相手の兵装からの誘爆に巻き込まれながら特攻もしたし、大井っちに低速航行しか出来ないほどの被害が出た時なんて、魚雷を敵艦に発射するんじゃなく、手に持って叩きつけた事だってあった。

 

 アタシは艦娘だから、どれだけの怪我を負っても入渠すれば修復が出来る。

 

 それを盾に、なんだってやってきた。

 

 大井っちを――アタシの妹分を守るために。

 

 大井っちは元々が練習艦だったのもあってか、海上に出るたびに色々なことを考えながら動いていたみたいだけど、アタシは目の前の脅威からどう逃れるか、逃れられないのであれば、どう沈めるかだけを考えていたから、ある意味では楽だったのかもしれない。

 

 ――前にこんな話をしたら、大井っちに、それは楽なんかじゃないですって泣かれたっけ。

 

 しかしアタシにとっては苦痛を伴ったとしても、楽だった。

 

 ただ、撃ち、沈めて、一緒に居てくれる人を守るためだけに突き進めば良かったんだから。

 

「こほん……では! 提督……よろしいですか……?」

 

「む……私か。なんだ」

 

 そういった時間を長く過ごしてきたアタシと大井っちは、外へ多くの感情を向けるのをやめた……はずだった。

 

「提督でしたら答えられるかと。私や北上さん、駆逐艦の主兵装である酸素魚雷の優位性」

 

「ふむ……」

 

「分からないんでしたらご無理なさらず、駆逐艦と一緒に聞いていてくださいな」

 

 ――アタシは笑顔を保とうとしていたのだけれど、ゆっくりと、顔から力が抜けていく感覚を覚えた。

 大井っちは対抗するような口ぶりで目を細めていたが、どこか楽しそうにも見える。

 

 どうしてアタシ以外に、などという、そんな仄暗い感情じゃないことは分かっていた。

 アタシと大井っちに届く提督の声が、その口から出てくる知識が、もっともっと早く届いていれば、苦しまずに済んだのに、という後悔の感情だ。

 

 提督から学べていれば、アタシは痛い思いをせずに済んだかもしれない。

 

 提督が指示してくれていたら、アタシと大井っちが見送って来たあの子達は、まだ、笑っていたかもしれない――

 

「……望月が答えた圧倒的な射程の他、速度もそうだが……最大の優位性は、熱走式魚雷のように燃料と圧縮空気を利用して進むものと違い、文字通り、酸素を利用しているところにある。従来の熱走式魚雷は発射後に排気ガスによる航跡が残ってしまう。波打ち際ならまだしも、急に一筋の航跡が見えてしまっては敵に魚雷であると知らせるようなものだ。それを辿って発射位置を予測される可能性もあれば、進行方向も分かってしまう。そうなると相手にとって回避は容易だ」

 

 ――どうして、もっと早く、ここに来られなかったんだろう。

 

「酸素は燃焼効率が良い。先に言った射程と速度はこれに起因する。そして何より、酸素を燃焼させて進む魚雷から排出されるのは二酸化炭素だ。海水に溶けやすいために航跡が残りづらく、敵に発見されにくい、というのが優位性だろうな。攻撃に隠密性があれば、敵に発見される前に撃沈も可能であるというわけだ」

 

「おぉ……提督、す、すごいにゃし……」

「さすがぁ……」

「何言ってるか全然わかんないっぴょん」

 

「私の知識では無い。ある艦娘からの受け売りだ」

 

 ふぅ、と息を吐く提督は、分かりやすく答えられただろうか? といった顔をして駆逐艦や大井っち、アタシを順番に見た。

 

「っぐ……ぐぬぬ……!」

 

 アタシの横で悔しそうな声を上げて拳をかたく握りしめる大井っちに気づいて、ああ、ここなら、アタシは無理に笑ってなくてもいいのかもしれないと思った。

 少しくらい、自由にしたって、いいのかもって。

 

「……」

 

「北上さん、何か提督に出題してやりましょう……艦娘しか分からないような事を――……北上さん?」

 

 大井っちの声に、どうしたの? と笑いかけたつもりだった。

 笑顔も崩れていないつもりだったのだが、どうやらアタシは――無表情になっていたらしい。

 

「あ、あはは」

 

 乾いた笑い声をあげるも、表情が上手く作れず、どうしたものかと腕を抱いてしまう。

 そして頭の隅で今の状況とは別に、提督への問いがいくつも浮かんでくる。

 

「じゃあ……逆に、教えてもらおっかな……」

 

 問いのうちの一つが口から出たのに気づいたのは、提督がアタシに困った顔で言葉を紡いでからだった。

 

「……提督。艦娘を有効活用する場合。提督ならどうする? どうすれば、敵を効率良く倒せるんだろうね?」

 

「北上さんっ……?」

 

 大井っちが慌ててアタシの制服の袖を引っ張り意識を向けようとしてきたような気がしたのだが、口をついて出た問いに対する提督の答えに、全てを持っていかれてしまって、反応できず。

 

「作戦による」

 

「なら――アタシ達を何人も建造して、資源の限り突っ込ませていけば勝てる?」

 

「……理論だけで言えば、その可能性はある」

 

 限界を超えて貯蔵された感情という感情が溢れそうになるのを、これでもぎりぎりで耐えている状態だった。

 不平、不満、不安――先行きへの期待が裏返った言葉の砲弾となって提督を撃つ。

 

「だから海軍はそれを実践してるんだ?」

 

 感情は周りを巻き込む。それを何度も見てきたから、アタシは笑い続けるつもりだった。

 そうしていれば、不安に涙を浮かべる子を、大井っちを安心させてあげられたから。

 

「そう、なのか……」

 

「そうなのかって、提督は大将なんでしょ? ついこの間、大将になったんでしょ? なら、知ってるのにどうしてそんな顔するのさ」

 

 何故、提督が悲しそうな顔をするんだ、と心に生まれる煤けた感情。

 

「提督のすごい作戦があればアタシと大井っちは、この子達は助かる? 国を救える? こうやって勉強してればどうにかなるの?」

 

「……分からん」

 

「分からないってなにさッ!!」

 

「っ……――! 北上さん、お、落ち着いてくださいっ」

 

 袖を引っ張っていた大井っちが、袖どころか、アタシの腕を強く引いた。

 それを振り払い、もう抑えのきかなくなった感情を、皆の前であるというのに吐き出し続けた。

 

 暁の水平線に勝利を刻みたくないかと講堂で啖呵を切った男は、本当に信頼に足る男であるのか。

 多くの艦娘は提督の働きを見て、一歩だけ前に進み、彼に近づいた。

 

 アタシは立ち止まったままだ。

 

 大井っちはアタシを守るために疑い続けてくれたのだろう。

 それに甘えて笑っていれば、なあなあに毎日を過ごせるのではと楽観視していた。

 

 敵に突っ込めと言われたら、前と同じように突っ込むだろう。

 日常は変わらなかった、けれど、少なくとも前よりはマシ。その程度。

 

 提督は困難な作戦を成功へ導き、数日で大将へ返り咲いた。

 呉の駆逐艦を救った。柱島にいる戦艦陸奥も、軽巡龍田も、神風や松風という艦娘も救ってみせた。

 

 だが、不安を払拭しきれずにいるアタシがいる。

 

 優しい言葉の裏側なんて誰にも分からない。

 一時的な感情で物を言うことの愚かさを私は知っている。今、この場にいるアタシがそうであるように。

 

 だが同時に、一時的に爆ぜるその感情こそが尊いものであることも、知っている。

 

「仲良くなった子から消えていく――目をかけた子が次の日には鉄くずになって帰ってくる――」

 

 艦娘になったあとのアタシの感情と記憶。

 艦娘になる前の、アタシの感情と記憶が混濁し、喉を焼く声となって部屋を劈く。

 

「守るために戦いたいのに――死ぬために戦わせるなら勉強なんて――くだらないことさせないでよ!」

 

 これ以上、アタシの中にある不安が大きくなったら――今度こそ、沈んでしまう。

 

「それは、違う」

 

「何が――」

 

「違うぞ、北上。死ぬために戦うなどあってたまるものか」

 

「でもっ、ずっとそうだったじゃんか!」

 

「……学んで終わりじゃない。あらゆる事を知り、後に続くものへ伝え、繋いでいくために学ぶのだ。少なくとも私は、お前達にたくさんの事を学んだ。諦めず、前に進み続けるということを学んだ」

 

 悲しそうな顔でアタシを見るな。

 

 そんな顔をさせないために戦ったのに。

 あの時散ったあの人達は、未来の人達が笑えるようにと戦ったのに。そんな顔をするな――!

 

 大井っちの制止の声を振り切り、座っている三人を押し退け、部屋の後ろにいる提督の前まで大股で歩いていくと、私は提督の胸倉を両手で掴んだ。

 

 これこそが、アタシの一歩。

 

「――どうしてそんな顔するのさッ」

 

「無知は罪なり、知は空虚なり、だったか……そんな言葉を、思い出していた。どこの誰が言ったのかも分からん程度には、私は無知で愚かだ」

 

 艦娘と人間の力の差は明らかで、駆逐艦が本気を出せば大の大人が数人がかりでも押え込めないというのに、軽巡洋艦の私に掴まれているはずの提督は、一歩として動かせなかった。

 もしかすると、私が力を出しているつもりで、出せていなかっただけかもしれない。

 

 しかしそれでも、その光景は異様だった。

 

「無知は罪という言葉を、私は常に痛感している。今この時もだ。知らなかったでは済まされないことが、世には溢れている。だから学んでほしいのだ。どのようなことであっても」

 

 提督はアタシの感情の塊となった手に、白い手袋に包まれた手を優しく重ねる。

 その手は……震えていた。

 

「私にまだ、言いたい事はあるか」

 

 あぁ、まだ、これだけじゃないってことも、提督は知ってるんだね。

 

「……ある。まだ……いっぱい、ある」

 

「そうか。では、いくらでも聞こう。場所を変えるか」

 

「ん……うん……うんっ……」

 

 ぽろぽろと零れる光が床へ落ちる。背後で大井っちや睦月達の心配しているような息遣いが聞こえた。

 提督は大井っちに向かって「少し席を外すが、授業は続けてくれ」と言って、私の手をぽんぽんと叩いた。

 

「行くぞ、北上」

 

 

* * *

 

 

 連れてこられたのは、執務室だった。

 そこでは大淀さんが書類仕事をしていて、目を赤くした私が提督の上着を子どものように掴んで連れてこられたのに驚いた表情をしていたが、それも一瞬で、ぱっと立ち上がって執務室のさらに奥にある部屋へ消えていく。

 

 応接用のソファに座らされ、部屋の奥からこぽこぽと水音がして、数分もせず大淀さんが温かなお茶を持ってやってきたところで、鼻をずび、と鳴らして一言だけ「ごめん」と漏らす。

 

「いえいえ。何か食べますか?」

 

「……ん、平気」

 

「そうですか。では」

 

 大淀さんは秘書用のデスクへ戻ると仕事を再開し、提督はアタシの正面に腰を下ろして、いつも目深に被っている軍帽を脱いだ。

 クマの目立つ目元に、どこでつけてきたのか、こけた頬に赤い傷。軍人らしい顔つきを見ると、かつての私に乗っていた人々を思い出してしまうのだった。

 

「さて……北上。お前は大井とともに随分な扱いを受けてきたと、記録を見ている。海軍に対して思うところもあるだろう」

 

「……」

 

「ならば、分かっているな」

 

 ……そりゃ、そうだよね、と胸中で諦めの笑み。

 どんな理由であれ、アタシはいきなり感情的になって上官の胸倉を掴んだんだ。

 

 処分は免れないだろう。

 

「大淀、意見書の準備をしてくれるか?」

 

「はい」

 

「えっ……?」

 

 ふと頭が真っ白になり、何を言っているんだ? と赤い目のまま提督を見た。

 

「私に至らぬところがあったのかもしれん。お前達を不安にさせてばかりで、呉でも怒られてな……だが、仕事はやり遂げるつもりだ。どんな事があっても、立場を振りかざすことになっても、お前達の考えや思いは尊重する。だから……な?」

 

 まるで泣いている駆逐をあやすような、困ったような、それでいて心配し、アタシを見てくれる目が、思考を貫いた。

 

「形式的で申し訳ないが、ルールはルールだ。しかし北上の意見は必ずや井之上元帥へ届けよう。責任は全て私が取る。お前に損が無いようにするから、思うところがあるのならば好きなように書くんだ」

 

 数枚の紙を持ってきた大淀さんが、ペンと一緒に私の前へそれらを置く。

 

 長い間溜め込んだ感情が爆発しただけなのに、ただそれだけで提督は、形にして届けてやろうって、そう言っているの?

 

 理解が追い付かず、あの、とか、いや、とか言っていた気がする。

 

 すると提督は顎に手を当てて唸りながら言った。

 

「井之上元帥に届けると言った手前、言い訳がましくて悪いのだが……意見が通るかどうかは別だ。望まぬ結果になることも留意しておいてくれ。それでも、北上がどうしても我慢ならない、という時は……私を好きにしていい」

 

 ぴし、と音がした気がした。

 視線だけを動かすと、書類仕事を再開していたはずの大淀さんの手が止まっているのが見えた。

 

 きっと彼女は既に提督を信頼しているのだろう。だから、危害を加えられないかと警戒しているのだ。

 感情が爆ぜた今、もしかするとそういった手段もあったのかもしれない。

 

 でも、アタシは――それを選ばなかった。

 

「アタシの言うことを、聞いてくれるってこと?」

 

「……出来る範囲で、聞こう」

 

 我儘でも? と続ければ、ああ、と短い返事。

 

「じゃあ……球磨姉達と、同じ部屋にしてって言ったら?」

 

 艦娘を管理する上で、上限を設けて部屋を分けるのは軍規上重要な事項である、とは過去に聞いた話だ。

 本を正せば原因は海軍にあるとアタシは思っているが、よからぬ事を企んで結託する可能性が高まるとして、海軍は基本的に艦娘を一塊にしたりはしない。

 

 反旗を翻す意思も消し飛ぶほどに衰弱した艦娘ならばその限りでは無い――アタシと大井っち、大破したまま放置された駆逐がそうだったように――が、反乱の芽は徹底的に踏みつぶす、それが、反対派、なんて呼ばれている奴らのやり方だった。

 

 アタシの行動は軍規違反だ。

 

 提督へ突きつけたのは、アタシの感情という砲口そのもの。

 

 もしもアタシが反乱を目論み、同型の軽巡洋艦を集めようとしていると見れば、軍規に則って却下され――

 

「ふむ……」

 

「……っはは。冗談だよ、冗談。やっぱりダメ――」

 

「やはり、姉妹艦は同じ部屋が良いか……?」

 

「えぁっ……?」

 

 ――提督は、思っていた事と違う事を言われた、という表情で眉を八の字にした。

 初日に講堂で威圧の塊だったような人が、ただ、姉妹と一緒の部屋が良いと言われただけで。

 

「それは意見書を出すほども無いな……よし、分かった。本日から北上と大井を含め、球磨型軽巡洋艦は同室で過ごしてもらうとしよう。他の艦娘の中にも同じことを考えている娘がいるかもしれんな……北上、授業をするついでで構わないから、それとなく聞いてはもらえんか? その、こういうタイミングで言うのは情けない限りなのだが……」

 

「いや、提督、あのさ、アタシは――!」

 

「わ、わかっている! 本来ならば私が気づくべき事だったのだ! しかし、人の心を見抜くような目など持っておらんのでな……お前達を頼りっぱなしなのは良くない事とはわかっているのだ。だが、うーむ……」

 

 なんだ、これは。

 

「私はどうも、要領が悪いのでなぁ……怒られるのも無理はないのだが……」

 

 艦娘に対して、人の心……?

 

 もうアタシは、馬鹿馬鹿しくなってしまい、

 

「あ、あっはっはっは! 提督ってば、要領が悪いとかじゃなくて、あは、あははは!」

 

 止めどなく涙を流しながら、心の底から大笑いした。

 

「ぐ、ぐぅ……すまん……」

 

「な、なに、謝って、いやいや、アタシが馬鹿みたいじゃんか! あっはっはっはっは!」

 

 気まずそうに身体を縮こまらせた提督は、軍人と呼ぶには細くて、今にも折れそうなくらい弱弱しかった。

 アタシや大井っちを蹴り飛ばした、鍛え抜かれた軍人達の手にかかればあっという間に投げ飛ばされてしまいそうなくらいな姿なのに、誰よりも、何よりも大きく見えるのだった。

 

「はぁぁ……あー……提督ってさぁ……ほんっと……」

 

「う、うむ……」

 

「変な人だねぇ」

 

「うぐっ……わ、私個人としては、普遍的な、社会人であるつもり、なのだが……」

 

「いーや! 変だね! 変! すっごく、変!」

 

「北上、その、すまん、分かった。分かったから、勘弁してくれ……」

 

「あっはっはっはっは! アタシの事なんか適当にうるさーい! って放り出せばいいじゃんか。何で勘弁してくれーなのさ?」

 

「ほ、放り出す? お前は柱島の艦娘なのだから放り出すも何も……部屋から出したところで明日にまた会うだろうからな……」

 

「明日会うから怖いとでも言うの? あっはっはっはっは! 何それ! 馬鹿みたいじゃんか! あーはははは!」

 

 明日にまた会う。アタシがずっと、目指していた、簡単なようで、どんなことよりも困難だったこと。

 提督は、簡単にできちゃうんだもんなあ。

 

 提督は、今まで見た人の中で、いっちばん凄いよ。

 

「いやぁ……笑った笑った……お腹いたー……はぁ。ごめんね急に! 記録見たんなら、もう知ってるんだよね? アタシも色々と大変だったからさ。大井っちと一緒にここに来られたのは、ラッキーだったねえ。大変そうだけど」

 

 ニヤニヤと、大変そう、と区切りながら強調して言うと、提督はもっと縮こまってしまった。

 

「むぅ……そ、そう、なるかもしれん……」

 

「ね、提督。アタシもちょっとだけ――手伝っても、いいかな」

 

 ずっと敵と闇しかなかった眼前には、今、提督がいる。

 アタシの横には、大井っちだけじゃなく、たくさんの艦娘がいる。

 

 まだまだ始まったばかりで、時間はかかるかもしれない。それでも、きっと提督なら、大丈夫。

 

「手伝ってくれるのか……?」

 

 提督が一人じゃないと示してくれたように、アタシもきっちりと、示してあげなきゃいけない、と頷いて見せた。

 

 

 

 

 

 

 

「ま、大井っちと組めば最強だし? このスーパー北上様に任せときなよ。 ね!」




追:少しだけ加筆しております。描写不足でした。申し訳ありません。


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六十七話 鎮【提督side】

 目元を赤くした北上が部屋を出た後のこと。

 

「――……提督!」

 

「おわぁっ!? ど、どうした大淀、突然大声など出して……」

 

「どうしたもこうしたもありません! 何を考えていらっしゃるのですか、もぉぉ……っ!」

 

 大井達の様子を見に行った際、お前、艦娘の知識あるのか? と言わんばかりの質問をされ、その内容が「あ! ここやったことあるぅ!」というなんちゃらゼミよろしく聞いたことのあったものだったため、俺は自信満々に答えた。

 座学の邪魔どころか参加までして提督らしくかっこよく答えた――つもりだった。

 

 睦月達にすごいと褒められたものだから、艦隊これくしょんのアニメで吹雪が答えてたんだよ――もちろんそのままは言わなかったが――と馬鹿正直に言ったところ、大井に睨まれ、北上にまでバレてしまったのか俺ではどうにも答えられない質問を投げかけられてしまった。

 

 資源の限り艦娘を突っ込めば敵に勝てますか? と。

 

 勝てるだろうな。理論的には。そう答えた。

 しかして俺は艦これプレイヤーかつ社畜。

 資源はギリギリまで使わないし計画も無く敵に突っ込ませたりなどしない!

 

 前科? 漣と朧の時はどうなんだって? ちょっと……分からないですね……。

 

 冗談めかすべきではないと理解しているし、北上や大井の記録を偶然見ていた俺は質問がどういった意味で発されたのか分かっていたために、そこは真面目に答えた。

 

 学ぶのに意味が無いなら学ばせないでくれという北上に、そんな事は無いんだよと。

 

 浅学菲才の俺から学ぶことは確かに無いかもしれない。

 だがしかし、俺の中には遠い世界にいる数万、数十万に及ぶ提督達が積み上げてきた血と汗の結晶たる知識だけはある。役に立つかも分からないが、知っているのと知らないのとでは違うかもしれない。

 故に後世に繋ぐべきであると伝えた。

 

 ゲームは現実ではない。その逆も然り。

 しかし艦これの素晴らしいところはそこであるが故に、知識を役立てて欲しかった。

 

 彼女らの兵装、酸素魚雷について俺が答えた時、反応を見るに間違えていなかった様子だった――ということは、ゲームに登場する装備もまた、存在しうる可能性があるということの証左。

 もちろん、現実に存在した兵装をモデルにしているのだから可能性どころか、存在するだろう。

 

 現実からゲームへ、そして再び現実へ。知識は流転出来る。

 

 俺が出来ることは多くない。北上の想いを受け止められたとしても、答えられることは限られている。

 お前達を虐げた鎮守府に及ぶ力は持ち合わせていないが、井之上元帥という頂点に繋ぐ事は出来るのだと証明すべく、執務室へ連れてきた。

 

 思うように俺を使えばいい。それは彼女らを信頼しての言葉だ。

 

 北上が俺に海軍を潰せと言うだろうか? 深海棲艦とともに人類を滅ぼせ、とでも?

 

 いいや、無い。世に絶対はないと言うが、唯一あるとするならば艦娘の誠実さだけは、絶対であると俺は言いきれる。

 

「考えるも何も、北上が意見があるというから……他の者がいる手前、堂々と文句を言わせるわけにもいくまい。北上にも立場というものがあるのだ」

 

「そういう事じゃありませんっ!」

 

「えぇっ!?」

 

 北上は過去をのみこみ、ただ一つ我儘を言わせてくれ、と軽巡洋艦球磨と同室にしてくれなどと言うでは無いか。

 あんな健気な……ほんっと、どうして海軍はあんな素直で良い子を虐げているんですかァッ!?

 

「好きにしろという点です! もしもあの時、北上さんが提督に危害を加えたりした場合、私一人ではどうなるか……」

 

「危害? 前に講堂でも長門が似たような事を言っていたが、私は何もされていないぞ。ああいうのはな、ポーズを取らねばならないのだ」

 

「は、はぁ……!?」

 

 大淀が顔を赤くしたり白くしたりしながら秘書用のデスクをバンバンと叩いて言うのを落ち着かせつつ、上着のボタンの上をいくつか外し、ぎし、とソファにもたれる。

 

 意見であろうが文句であろうが、どういった感情を以てその結論にたどり着いたのかを明確に示すためには、ポーズが必要となる。無機質な言葉を並べ立てたところで説得力など発生しないのだ。

 それが個人的であろうがそうでなかろうが、命を賭して戦う彼女らの言葉であるのなら、なおの事。

 

「私もそうであったように、北上も上司に楯突かねば改善されないと考えたのだろう。それほどに前の環境がのっぴきならないものであったという証拠ではないか」

 

 お前も記録を見ているのだろう? と大淀に訊けば、下を向いてしまうも、はい、と返事する声。

 

「私はまだ記録をつぶさに見たわけではないから何とも言えんが、井之上さんからも聞いている。お前達は様々な鎮守府で傷ついてしまった……とな。北上と大井の記録を見れば、いくら私が阿呆とて分からんわけが無い。そうやって傷ついた艦娘を支えて欲しいと、元帥としてではなく、井之上さん個人としてお願いされたのだ」

 

「……」

 

「もちろん、私が正式に柱島鎮守府の提督という立場になった時、改めて海軍元帥としてもお願いされたが――私はそれを仕事として受けた」

 

「仕事として……提督、鳳翔さんにも仕事と仰っていましたが……私は未だに、分かりかねているのです。その意味を、お教えいただけますか」

 

 大淀とこんなに明け透けに話すのは初めてだな、と思いながら、親指と人差し指で目元をおさえて唸ったあとに、一つ前置いて言った。

 

「これは私個人が誠実であると思う表現なのだ。信頼も信用も、個人間で生まれにくい。もしも大淀が海軍の艦娘では無く普通の女性であったとして、私も軍人ではなく、ただの男であったとして……初対面の私が、お前の悩み事を解決してみせると言ったら、どこまで信用する?」

 

「そっ! れ、はぁ……」

 

 勢いよく信用できるとでも言おうとしたのだろう。大淀の声は威勢こそあったが、すぐさま板張りの床に落ちて消えていった。

 

「信用など出来るわけが無い。私が同じ立場であったら信用せん。個人の信用、信頼とは時間の経過と誠実さによって徐々に積み重なっていくものだが、仕事は別だ。立場によって最初から一定の信頼があり、仕事さえしっかりとこなしていれば、どれだけ人間性が畜生であったとしても問題の解決には足る」

 

 自分で言ってて首を絞める理論なのは否めない。悲しい。

 実績を積み重ねれば信頼はより厚くなるのだ! と締めくくりたいところだが、実績もなにも全部艦娘のおかげで俺は何もしていないのだから発言権など無に等しいのだ……。

 

 北上にも言った、立場を振りかざしてでも、とはまさにこの状況である……。

 

 ごめんねスーパー北上……さらりとバレてしまう程度の無能な社畜で……。

 

「だから私は、北上に意見書を書けばよいと言った。私の立場と責任を以て上に届ければ、それはある種の信用になるだろう。私がお前達にとってどれだけの無能であろうとも――」

 

「提督」

 

「――なんだ」

 

「お言葉ですが……」

 

 大淀がペンを額に当てた格好のまま固まる。そこから数秒の沈黙。

 

「……提督は、今、柱島にいる艦娘に信用されている、とお考えですか?」

 

「は……?」

 

 え? 俺の口から言わすのそれ? なにこれ? 艦これ?

 

 新手のいじめ……?

 

 い、いかん、大淀の鬼畜っぷりにラップのような思考に陥ってしまった。

 威厳スイッチ全壊……じゃねえ。全開の真面目モードでお前達の職場環境を良くするぞ! という空気たっぷりに話していたというのに、唐突に……。

 

 そんなの聞かなくても知ってるよ! 無能社畜の情けなさが限界突破して憐れんで目をかけてもらってるだけだってことくらい理解してらァッ!

 

 それでも……それでもぉ……提督でぇぇ、いたいんですぅぅ! んはあああっあーあー! あぁああーん!

 

 心の鎮、大号泣。表情は無。

 

「……まだ、信用という言葉すら見えていない、と思っている」

 

 まだ、と若干の希望を残しておくあたり、自分のへっぴり腰が窺えて鬱である。

 

「ま、待ってください提督。あのですね、提督は、呉での作戦の他、南方海域という海軍が一時的とは言え閉鎖していた海域を開放したのですよ? その上で、呉に所属している駆逐艦をも救出したんです。それで、信用されていない、と?」

 

 ぐっ、ぐぬぅ! それも全部お前達が頑張っただけじゃんかよぉ!

 くそぉ……大淀のサディストっぷりをなめていた……。

 

「全て、お前達の……働きの結果で……」

 

 そうです……まもるは呉でおっさん達と世間話してただけです……。

 なんならそのおっさん達のうち二人をぶん殴ってます……すみません……。

 

 反省してます……艦娘いじめてたから後悔はしてないけどな!

 

 でも艦娘からいじめられるなんて話は聞いてなかったぜ! どうなってやがる井之上さぁん!

 

「なっ……提督、あなたは……――!」

 

 大淀ががたんと立ち上がった時、手のひらを向けて「わかっている!」と続けざまに放たれそうになった言葉を止める。

 

「呉でも、明石達に正直に話をした。私は出来ない事の方が多い……だから、頼らせてくれと。分かっているとも……お前達を支えねばならない私が、どうして頼らせてくれなどと言えるのか、自分で言っておいて情けない限りだ……」

 

「提督……」

 

「仕事さえ、満足にこなせない……それでも、お前達に誠実に向き合おうとするならば、私には仕事という選択しかないのだ……」

 

 講堂での出来事。たった数日前の記憶が遠く蘇る。

 

「立場を盾に啖呵を切るしか出来ない私だが――」

 

 大淀に対して弱音を吐露するのは二度目だろうか。

 一度目は、柱島に来る前、船の上だった。

 

 妖精むつまるに慰められ、大淀にも憐れまれ、ああもう……あのブラック企業での激務を耐え抜いた精神はどこに行ったんだ俺……。

 

「血へどを吐くような環境を耐え、共に働いていたはずの同期が全員消えても、過去の私は働き続けた……」

 

 だが、許してくれ大淀……お前くらいしか、吐露出来んのだ俺は……!

 

「新人が来てもろくすっぽ教えられないまま現場へ飛ばされ、気づけば消耗品のように消えていく。私のもとへ来た新人も、翌日にはいなくなる……私は北上の言葉に、似たようなものを感じたのだ。無論、その重さは比ではないだろう。お前達の辛さは、想像も出来ない。お前達を苦しめるような上司はクソッたれだ! 私はお前達を傷つけたクソッたれどもの上司となった! どこに信用できる要素がある! 仕事も満足にできず、泣いているお前達に出来ることも限られている! 私個人で出来ることなど皆無だ……だから、上司としてならばと、思っただけなんだ……」

 

「……」

 

「上司としての信用ならば、ほんの一握りくらいはあると……信じたい」

 

 黙り込んだ大淀に「……聞かなかったことにしてくれ」と呟き、かぶりをふって軍帽を目深に被り、ボタンを全て留めなおす。

 

 長い溜息のあと、俺は身体を前に倒して肘を膝につき、両手を組んで鼻先へ。

 

「どれだけ苦しかろうが、仕事はやり遂げる。井之上さんとの約束であり、仕事の契約だ。お前達を支える事が私の仕事だが――ここから先、多くの苦労をかけることになろう。決してお前達の権利が侵されず、目的を壊されないように努力する。だから、そこだけは信用してほしい」

 

「……」

 

「すまなかったな。だが、どれだけの仕事が課されたとて、この身が朽ち果てようとも、絶対にお前達だけは守り抜く」

 

「……やめて、ください」

 

「断る」

 

「やめてくださいッ!」

 

「断ると言っているだろうがッ! 周りにどれだけ下らない奴だと笑われようが、これが私の生き甲斐なのだ! 人生そのものだ! 例え愛する艦娘に否定されようとも、危害を加えられようとも、私が私である限り、絶対にこの仕事にだけはしがみつき続ける! 他がどうなろうが知ったことかッ!」

 

 あーあーあー……違う、やめろ俺……違うだろうが……大淀に八つ当たりしてどうする……!

 

 これ以上ここに居ては自己嫌悪でぶっ倒れてしまうかもしれん。

 しかしここで逃げ出しては本当にクソ提督になってしまう。

 俺は立ち上がり、自分が提督であるための椅子へ歩み寄り、どっかりと腰を下ろした。

 

 大淀は――口元をおさえ、立ち上がり――

 

「ごめんなさいっ……」

 

 と、小走りに部屋を出て行ってしまう。

 なにやってんだ俺は……本当に……。

 

 その時、じりりん、と黒電話が鳴った。

 出る気にもなれなかったが、気を紛らわすためだと自分に言い訳しながら受話器を上げた。

 

「……こちら柱島鎮守府執務室」

 

『お疲れ様であります、あきつ丸であります! 閣下、山元大佐からお電話は来ましたかな?』

 

「あきつ丸か……」

 

『お、おや……どうかされたので……?』

 

 そういえば、呉で残っている仕事があるかもしれんとあきつ丸達に押し付けて行かせたんだったか……。

 一度負のループに陥った思考はそうそう簡単に抜け出せるものでは無かったが、いらぬ心配をかけるくらいなら愚か者のままでいいんだと、俺は「何でもない。どうかしたか?」と平静を装った。

 

『何もないのなら、よろしいのでありますが……っと、そうであります。閣下が予測しておりました通り、深海棲艦の出現記録、撃沈報告からその殆どが南方海域からのものである、との見解書が見つかったであります』

 

「……ふむ」

 

 何の話だよぉ……俺の予測ってなんだよぉ……多分それ大淀の予測じゃないのか。

 しかし大淀は今しがた俺の八つ当たりによって泣かせてしまい、不在である。

 

 俺に出来る誠実な対応とは何か、と考えた時、答えはすぐに出た。

 

 適当な受け答えでその場を乗り切り、下の者へ迷惑をかけていた俺の上司とは違うんだとでも言わんばかりに、俺は愚者を演じるべくその場でペンと紙を取り出し、受話器を頬と肩に挟んで言う。

 

「それで」

 

『こちらを元帥閣下へ持ち込むのも一手でありますが、それでは海軍全体に問題が波及し、否が応でも戦力の分散が発生するやもしれません――先んじて少将の動きを監視し、見解書はこちらで確保しておいて手札としておくのが確実であると愚考するであります』

 

 言葉の通りにメモをとる。

 

「……分かった。ではその見解書はあきつ丸が戻り次第、私が手元に保管しておくとしよう。この話を大淀に伝えても構わんか?」

 

『え? それは、もちろんでありますが……何故自分にそれを問うので……?』

 

 ばっか! 俺のバッカ! この社畜! 無能! バーカ!

 ……だめだ自分で罵って自分で傷つく。

 

 大淀は恐らく仕事を進めるのに俺の名前がある方が体裁的に良いと判断して色々なことを進めてきたに違いない。あきつ丸は俺が無能であると知っていても、仕事自体は大淀とともに進めていると思っているのだろう。

 

 ただでさえ無能の社畜を隠して騙すような真似をして良心の呵責に苛まれていたのに、二重三重と騙さねばならないのは精神が壊れる……。

 

 けれども、そうせねば彼女の居場所も仕事も守れない。

 そうだね。なら艦娘を選ぶしかないね。

 自分の精神くらい捧げる捧げる。オッケー!

 

 と、俺は半ばヤケになりながら言葉を紡いだ。

 

「情報に齟齬が生じないように、とな。あきつ丸の働きを正しく大淀へ伝えなければ、仕事も上手くいかんだろう」

 

 騙しているが、嘘はついていない。

 仕事を他人に振って生き延びる俺のような社畜じゃなきゃこんな器用な真似できねえぞ!

 

『あ、あぁ、そういう……了解であります。大淀殿にお伝えください。それで、閣下』

 

「うむ」

 

 大淀が戻った時に渡そうとメモを引き出しにしまおうとしたとき、ぐっと息が詰まった。

 

『本当に……大丈夫でありますか……?』

 

「っ……何がだ?」

 

 怪しまれないようにと何度も胸中で唱える。

 

『いえ、なんだか……お疲れのようで……』

 

「睡眠時間をとれていないからかもしれん。今日の執務は殆ど終わっているのでな、早めに切り上げて休ませてもらえば問題無い。鎮守府の運営も、問題無しだ」

 

『あっはっは、鎮守府については心配しておりませんとも。閣下がおられるのですから。自分が心配しているのは閣下の御身体であります。どうか、ご無理をなさらぬよう――』

 

「ああ」

 

『他に追加の任務はありますか? まだ川内殿も自分も動けますので、ご随意に仰ってください』

 

「いや、十分だ。もしも追加で必要な仕事があれば帰って来てから大淀に訊いてくれるか? 問題があった場合は、私に言ってくれたらいい」

 

『っは、了解であります。では、これより一時帰還するであります!』

 

「気を付けて帰って来い。こちらには何時に着きそうだ?」

 

『そうでありますねぇ……今がヒトヒトフタマルでありますからぁ……ヒトゴーマルマルまでには帰還できるかと』

 

「分かった。昼食はそちらで済ませられるか? 戻ってから食べるか?」

 

『どうしたのでありますか閣下、そんな気遣っていただけるとは……』

 

「い、いや、食事は大事だからな。食事を抜いては仕事も満足に出来んだろう?」

 

『まぁ、そうでありますが……では、急いで帰還して柱島で食べるといたしましょう』

 

「……うむ」

 

 それでは、と言って電話が切れる。

 俺はしばらく、受話器から聞こえる、つーつーつー、という音を聞いていた。

 

 ぼうっとしたまま十数秒。溜息と共に受話器を戻し、また目元をおさえる。

 

『……まもる』

 

「うぉ……ああ、むつまる――じゃ、ない……」

 

『かがです!』

 

 デスクの上に、ミニ加賀が居た。いや、加賀の恰好をした妖精だ。

 

「すまん……今はちょっと、かまってやれる元気が無いんだ。飴か? それ以外のお菓子なら、伊良湖か間宮にでも頼んでくるが」

 

『ごめんね』

 

「……どうした、急に」

 

『ううん。ごめんねって、言わなきゃって』

 

「何に謝ってるんだ? 今度は何をやったんだ……ぬいぐるみでも大量に作ったのか? 資源は有限だから、あまり無駄遣いはしないよう――」

 

『――()()に呼んだのは、紛れもなく私達だからよ』

 

 突如として舌足らずで鈴のようであった妖精の声音が、本当の加賀のように、静謐で流暢なものになる。

 驚愕にのけぞりそうになったが、身体が――動かない。

 

「っ――!? ――!」

 

 声も出ず、座った格好のまま、俺は小さな加賀から視線を外せずにいた。

 金縛りというやつなのか、思考も身体も追い付かないだけなのかも分からない。

 

 それに、私達って言ったか?

 

『陸奥さんは提督なら大丈夫って言ってたけれど……でも提督、あれは無いわね。大淀さん、泣いていたじゃないの』

 

 頭を下げるどころか声も出ないので、俺は目だけで訴える。

 本意だが、不本意だったんだ。

 

 艦娘を守りたいのは嘘じゃない。けれど俺には力が無い。学も無ければ能力も無い。

 ただ働くことだけは出来る。だからなんだってやる、それだけは誰にも否定させない、と。

 

 大淀に言うことでも無かったかもしれないが。

 

『そうね。大淀さんに言う事では無かったわ。仕事だと言っているのだから、男なら黙って態度で示さなければ恰好悪いわよ、提督』

 

「……」

 

『私達だって、そう何度も助けてあげられません。提督をここに連れてくるだけで精一杯だったので……。提督なら悪い方向に転ばないって信じているから、どれだけすれ違っても笑って見守れるの。けど、泣かせないであげて。彼女達には――あなたしかいないのですから。私達のように』

 

「……!」

 

 あなたしかいない。その一言に全てが詰まっている。そして俺はそれを理解している。

 どうして――こんなにも簡単な事に気づかなかったんだ――?

 

 あらゆる鎮守府から集められた艦娘達。

 傷つき、疲弊しても、人々を守ろうと前を向き、俺を救い続けてくれた艦娘達。

 

 彼女らは、提督を失った艦娘達――。

 

『ふふ、本当にここまで話せるなんて。面白いものね、妖精というのは。しかし問題は、他の艦娘がいると意識が保てないし、覚えてもらえない――』

 

 加賀の姿をした妖精の言葉を遮るノックの音。

 

『――ここまでのようね。久しぶりに提督と話が出来て、嬉しかったわ』

 

「航空母艦、加賀です。入ってもよろしいでしょうか」

 

『あら、私が来たみたいですね。ここはゆずりたくありませんが……しかたありません』

 

 妖精の声は、また高く、鈴が鳴るようなものとなり。

 痺れた足にじんわりと血が巡るような感覚とともに、俺の身体が動くようになる。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 ――……って、そうだ。俺はあきつ丸の仕事を大淀に伝えるためにメモを……それで……。

 

 こんこん、とノックの音。

 

「提督――?」

 

「あ、あぁ、入れ」

 

「失礼します。すみません、お忙しかったかしら」

 

「いや、問題無い。少し集中していたものでな。どうかしたか?」

 

 今さっきまで加賀と話していたようなデジャヴを感じながら、デスクの上に置かれた書類を片付けるように手を動かした。

 そこには加賀と同じ格好の妖精がおり、俺を見ている。

 

 お前ら妖精はコスプレの種類が豊富だなほんと……。それでいつ現れたんだお前……。

 

「演習の報告書を。それと、先ほど大淀さんが走って出て行くのが見えましたが、何か緊急事態ですか?」

 

 うっ、と小さく声が漏れてしまったが、咳払いして俺は言った。

 

「……私のせいだ。加賀、今日は予定があるか?」

 

「午前の演習も終わりましたから、あとは昼食後に弓道場で個人的に訓練を行うくらいです」

 

「その、だな。大淀の様子を見てやって欲しいのだ。私が至らん間抜けが故に、大淀へ、八つ当たりをしてしまってな……これは命令では無い。断ってくれても構わん」

 

「提督が八つ当たり、ですか。大淀さんの様子を見に行けばよろしいのですね?」

 

「……頼めるか」

 

「わかりました。大淀さんに理由を訊いてもいいのでしょうか」

 

 加賀は、本当に、ゲームやアニメで見た加賀のまんまだった。

 毅然とした態度で上席であろうが、俺をも公平な目で見ようとしてくれている。

 

 八つ当たりをした、と正直に言っても、まずは大淀の話を聞かねば分からない、と考えているのが表情を見るだけで分かる。

 場違いにも、やはり俺の大好きな艦娘なのだと思って少しだけ心が救われた気になるのだった。

 

「ああ。それで私に言いたい事があるようであれば、また教えてくれるか」

 

「えぇ、わかりました。では、報告書はこちらに置いておきますね。失礼します」

 

 ツカツカと執務室から出て行く加賀の背中を見送り、一人となった瞬間――盛大に溜息を吐き出して、天井を仰ぎみる。

 

「はぁぁぁぁ……ままならんな、本当に」

 

『まもる!』

 

「……なんだぁ」

 

『お勉強してみよ!』

 

「えぇ? 何でいきなり勉強なんか……」

 

『いっぱいお勉強して、ちゃーんと、お仕事できるようにしよ!』

 

「出来る、かなぁ」

 

『わかりません』

 

 きっぱりと言った妖精に思わず「いやそこは出来るって言えよ!」と突っ込んでしまう俺。

 そもそも仕事出来るようにしよって、妖精にすら仕事になってないのバレてんじゃねえかよ……。

 

 他力本願しかしてこなかった俺が、いまさら勉強したところで出来る事なんて限られてるだろうが……。

 

『でも、まもるはいっぱい知ってるでしょ! 艦娘のこと!』

 

「そりゃ知ってるとも。妖精のお前にも負けんぞ」

 

『はー? わたしの方が知ってますけどー!』

 

「じゃあ加賀が焼き鳥って呼ばれるのを嫌がってる理由は?」

 

 丁度加賀が来たものだからと口にした瞬間、ぴゅん、と風を切るような音がして――ばちん! と鼻に鋭い痛みが走った。

 

「いったぁぁっ!?」

 

『せっけいがわるかっただけです』

 

「普通に答えろよ! 何で鼻にビンタなんて……いったたた……!」

 

『がいしゅういっしょくよ』

 

「……ちきしょぉ」

 

 妖精にすら殴られる始末。

 

 でも、どうしてか――鼻に残る痛みが、俺の背筋をぴんと伸ばした。

 

「勉強……だな。せめて、皆がどれだけ辛かったのか、受け止めなきゃな」

 

 なんたって、提督なんだからな、俺は。

 そうと決まれば、と俺を殴ってくれやがった――あっすみません睨まないでいただいて。

 

 俺に気合を入れてくださった素晴らしい妖精様に「記録を持ってきてくれ……ください」と情けない頼み方をして、百隻を超える艦娘達の記録を用意してもらった。

 加賀の恰好をした妖精が動き出したのを機に、執務室のいたるところから艦娘のコスプレをした妖精達が現れて、記録とは別にキャビネットへおさめられていたファイルを持ってくる。

 

『よみおわったらこっち!』

『よんでるとちゅうのものはこれに!』

『よむまえのものは、こっちにわけてね』

 

「……うむ。助かる」

 

 うーん、優秀。

 俺は軍帽の位置をなおし、少し腰を浮かせて座りなおす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っしゃあ! 気合入れるかぁ!」

 

『黙ってやって』

『うるさいよまもる』

『これがおわったらあやまりにいくんだよ』

 

「……ウィッス」



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六十八話 護【艦娘side・加賀】

「あら、加賀さん。これから弓道場ですか?」

 

 執務室から移動している最中、私は赤城さんに出会った。

 鎮守府中央棟から出てすぐの、艦娘寮へ移動する道すがらのこと。

 

「いいえ、提督に頼まれごとを」

 

「まぁ! 提督とお話し出来たんですね?」

 

 私が提督と話をしてみたい、というのを知っている赤城さんは私が提督と世間話でもしてきたと思っているようだったので、それは違うわ、と首を横に振った。

 

「演習報告書を提出した時に頼まれごとをしただけです。ところで赤城さん、大淀さんを見なかったかしら」

 

「大淀さんですか? いえ、見ていませんが……執務室にいなかったんです?」

 

「いなかったから頼まれたんです。その……赤城さん、ちょっと」

 

 他の艦娘にならば話さなかっただろうが、私とずっと一緒に居る赤城さんになら話しても大丈夫だろうと思い、耳打ちをする。

 

「提督が大淀さんに八つ当たりしてしまったから、様子を見てきてくれ、と……提督を深く知っているわけではありませんが、おかしいと思うの」

 

「八つ当たり……あの、提督が?」

 

「えぇ」

 

 あの提督、というのは私達の主観であって、私と同じく、赤城さんは提督を深く知っているわけではない。

 たった数日前に着任し、その後すぐに大規模作戦を立案、遂行して柱島鎮守府の地位を確固たるものにした人物――海原鎮という男が、八つ当たりなど考えづらい、と思ってしまうのは、私達艦娘とは似て非なる存在、人という種の行動傾向を曲がりなりにも知っているからだった。

 

 悲しいかな、私や赤城さんの所属していた前鎮守府で培われた処世術とも呼べるそれらは、一言で言うなれば、顔色を窺えばすぐに分かる、というどうしようもないものなのだけれど。

 

「何か事情がありそうですね。私もついて行きましょうか?」

 

「助かるわ。私一人では事情を聴くにも、誤解を与えてしまいかねないでしょうし」

 

「加賀さんは気張り過ぎよ。同じ鎮守府の仲間なんだから、それこそ、大淀さんは前の鎮守府から一緒だったでしょう? 私達二人の方が気楽かもしれません」

 

「……そうね。ありがとう、赤城さん」

 

「ふふっ、いえいえ」

 

 私と赤城さん、そして大淀さんの所属は、前から一緒だった。

 

 舞鶴鎮守府――太平洋に面する日本最大の拠点横須賀と対を成す、日本海を守護する要である鎮守府出身である私達は、日々、厳しい生活を送っていた。

 

 近海警備に空母や戦艦を駆り出し、たった数隻の駆逐艦相手に資源を無視した総攻撃を仕掛けて撃沈し続ける毎日。

 はじめこそ空母や戦艦揃いの艦隊は無傷で任務を遂行することが出来た。

 深海棲艦が攻撃をする前に艦載機で撃沈することもあれば、遠距離から戦艦の高火力で消し飛ばすこともあった。

 

 しかしそれは最初のうちだけ。

 次第に資源は枯渇し、入渠も、ましてや補給もままならない状態での出撃が増えてきて――最後には、大艦隊で棒立ちとなり、深海棲艦を追い払うなどという無謀極まる運用が常となった。

 

 大本営から配布される資源もカツカツの運用。

 それでも私達は海を、人を守らねばと必死になって戦った。

 

 大淀さんは幾度も提言したが、聞き入れてはもらえず。

 出撃など殆ど無く、あるとすれば突貫――そんな駆逐艦達の中で夕立さんさえ提言した。

 

 しかし提督は意見する艦娘に暴力をふるい、時に、戦果という甘い蜜をチラつかせ扇動した。

 

 曰く、愛国心が足りぬから威圧にもならない。

 曰く、お前達の貧しい心を敵に見抜かれている。

 曰く、気概があれば護国は成せる。敵から奪ってでも弾を撃て。

 

 そうして、疲弊した艦娘達は次第に心が壊れていった。

 

 前線に出ていた私や、赤城さんも。

 

 艦娘反対派である前提督ではあったが、故意に轟沈させ、微量の資源にして持ち帰るという事をしなかっただけマシだと言えるかもしれない。

 そういった事をマシだと思えるくらいには、私の認識が歪んでしまっているとも言える。

 

 けれど歪んだ認識であるが故に、八つ当たりされただけで大淀さんが冷静さを欠いて執務室を出て行った、などと考えられないのだった。

 

 私は赤城さんへ、その通りに言葉にして伝える。

 

「私達と同じような扱いを受けていた大淀さんが、提督に八つ当たりをされて部屋を飛び出すなど、あり得ると思いますか?」

 

「うーん……そうですねえ。あり得るかどうか、という話だけで言えば、あり得るかもしれません。大淀さんは私達とは違ってずっと提督の傍にいましたから、私達が耳にしていない話だってしていらっしゃるでしょうし、それに、ほら」

 

「……?」

 

 赤城さんが変な踊りのようなジェスチャーをするものだから、私は立ち止まってしまう。

 

「赤城さん、あの、その踊りは……」

 

「お、踊りじゃありません! 大淀さんは、提督に、これで、こうです!」

 

 両手の親指と人差し指で輪を作り、胸に当てて小首をかしげ、その後、人差し指を立てて頭に持ってくると、頬を膨らませて足踏み……これは、一体何の暗号――?

 

「……わかりません」

 

「もう! 大淀さんは提督に憧れを抱いていて、何が何でも役に立とうとしたんでしょう。提督は私達に無理をするなと言う人ですから、大淀さんが提督の仕事を手伝おうとしたとか、代わろうとしたとかで……提督が、これは私の仕事だー! とか、そういう可能性もある、ということです!」

 

「い、今のジェスチャーにそのような意味が……!」

 

 言葉にすると長いものを、赤城さんはたったの数秒に満たない動きだけで表現したというの――!?

 流石、一航戦赤城……私の想像だにしない暗号で表現を――

 

「暗号じゃないですからね」

 

「心を読まないでください赤城さん」

 

「加賀さんは分かりやすいんですよ」

 

 ふに、と頬を指でつつかれる私。

 ……こんな事をしている場合じゃなかったわ。

 

 私は赤城さんと共に大淀さんを探した。中央棟を練り歩き、食堂に顔を出し、昼食をとっている艦娘の中に大淀さんの姿は無いか見回すも、おらず。

 ならば訓練場ならと顔を出してみるのだが、昼食時であったためか、艦娘の姿さえ無かった。

 

 寮に戻っているのだろうか? と艦娘寮へ足を運び、軽巡と重巡の部屋が並ぶ廊下の前で出会った長良型軽巡洋艦三番艦、名取さんに大淀さんを見かけていないか訊くも、見ていないと言われてしまう。

 

「大淀さんがどうかしたんですか?」

 

「用があって探しているのだけど、執務室に居ないとのことでしたので」

 

「うーん……見てないですね。ごめんなさい。これからご飯前のランニングに出るので、私も探してみましょうか?」

 

 昼食前にランニング……?

 

「い、いえ、大丈夫です。ランニングもいいけれど、食事を忘れないようにしてくださいね」

 

「あはは、大丈夫ですよお! 鎮守府の周りを十周くらいするだけですから!」

 

 鎮守府の周りを十周? 相当な距離になると思うのだけれど……!?

 私がぽかんとしている横で、赤城さんが「呼び止めてすみませんでした。ランニング頑張ってくださいね」と言って私の手を引く。

 

「あ、赤城さん……私達も、発着艦訓練だけではなく、艤装を装着しない身体トレーニングが必要なのでしょうか……?」

 

「加賀さん、目的が変わっているわよ」

 

「っは……! す、すみません……鎮守府の周りを十周もするという衝撃に意識が……」

 

「ま、まぁ、長良型の皆さんは着任初日から食事時と就寝時以外は訓練し続けるようなストイックな人達ですから……」

 

 赤城さんの言う通り、長良型の軽巡洋艦は演習でも話題になるくらいに訓練の鬼である。息切れひとつせず長時間の訓練をこなせる理由が「艤装があるから」というとんでもないもので、彼女達は艤装を装着せず訓練することで得られる疲労感が非常に心地よいのだとか。

 

 あまりの衝撃に話が脱線してしまった……が、どこを探しても大淀さんは見つからなかった。

 

 昼食時間が終わり、午後の演習が始まったのが遠く聞こえる砲撃音で分かった。

 演習場にも顔を出してみようか、と赤城さんとそちらへ行くと――演習場が見渡せる岩場の陰に座り込む人影を見つけた。

 

「――ここにいたんですね、大淀さん」

 

 私が後ろから声をかけると、振り返った大淀さんは――目元を真っ赤にして、泣いていた。

 

「大淀さん、大丈夫ですか? そんなに泣いて……本当に提督が八つ当たりを……?」

 

 赤城さんの言葉に、大淀さんはギョッとして座り込んだままに「ちっ違います!」と驚いた。

 私は執務室に報告書を届けた際に探して欲しいと言われた事、八つ当たりをしてしまったから様子を見てきて欲しいと言われた事を伝え、隣にしゃがみ込む。

 大淀さんを挟むように逆隣へ赤城さんが座り込むと、いつだったか、こうして三人で並んで死んだような目で訓練をする艦娘達を眺めていたなと思い出すのだった。

 

「ここの艦娘は、一生懸命ですね」

 

「赤城さんもそう思いますか」

 

「えぇ、前に比べたら……本当に」

 

「……そうね」

 

 四角四面に頼まれごとだからと事情を聴くことも出来たが、私や赤城さん、鳳翔さんの事を考えて必死に動いてくれる大淀さんに冷たく思われたくなくて、あえて世間話を始めた赤城さんに同調し、しばし黙り込んだままの大淀さんを挟んで、声を交わす。

 

「前なんて、演習に使う弾が無駄だからって、動作訓練だけをずっとしてましたっけ。ちょっと前の事なのに……思い出したら、何だか面白くないですか?」

 

「赤城さんだけでしたね、笑いを堪えていたのは」

 

「真面目にやってましたよ! 本当に戦闘になった場合、動作訓練だけでも意味はありますから。でも、でもですよ? 加賀さんも私も、矢もつがえていない弓を持って、第一攻撃隊! 発艦します! びゅーん! びゅんびゅーん! って口で言うだけって……っくくく、ふふ、皆、もう冷静さを欠いて何時間も大真面目にやってるものですから、面白くって」

 

 ばっと立ち上がって弓を構えるような恰好をして子どものようにはしゃぐ赤城さんに、私も思わず頬が緩む。

 はたから見れば、異常だろう。

 戦場に立つための訓練であって、笑いごとではない。私達の一挙手一投足は人々の命と直結しているのだから、真摯に訓練を行わなければならない。

 

 それでも確かに、言われてみれば、と柱島鎮守府から少し離れたところで訓練をしている小さな影を眺める。

 

 砲雷撃戦を想定した演習に使われているのは殺傷力を限界まで低くしたハリボテのような弾薬だ。明石さんが開発したらしい。ペイント弾に似ているが、それよりも安価なのだとか。

 当たれば痛いし、一歩間違えれば怪我だってする。故に全員が真面目に訓練に取り組んでいた。

 

 提督の案で開発したと聞いていたが、訓練用の弾丸、という単純な案でここまで訓練が一変するなど考えてもみなかった。

 砲雷撃戦に使われる弾薬以外に、私達空母にも訓練機が配備された。

 

 弾薬こそ使わないが、制空権を争奪するために、実際に艦載機を発艦させられるというのは根本から感覚が違う。先の作戦での支援と訓練を比べても遜色無いほどだ。

 

 それ以外にも近海警備に空母を毎日海へ出して、航空支援を行うものだから、感覚はより研ぎ澄まされていく。

 

 艦娘を知り尽くしているかのような提督の采配。それに加えて、大淀さんの提督に対する信用と信頼に、私達はいつのまにかそれが当たり前のように感じていた。

 これこそが私達の本来あるべき姿なのだと。

 

 だから、提督が八つ当たりしたというのも、大淀さんの反応から事情は全く違うのだろうと察していた。

 

「夕立さんの、あれ、覚えていますか」

 

 私が問えば、赤城さんは「えっとぉ……?」と首をかしげていたが、私が「ぽいぽーい」と小声で言って片腕を伸ばすジェスチャーをすると、噴き出して笑った。

 

「ぶふっ……! 赤城さんと加賀さん、撃破っぽい! ってやつですね? 加賀さんったら、撃破されてません、って言って弓を構えてびゅんびゅん言い返して……」

 

「……ふふ。あの時はどうかしていたわ」

 

「いつの間にか、笑わなくなって……夕立ちゃんがぽいぽい言わなくなってしまって……それが、ここに来てまた、元気いっぱいになってくれましたね」

 

「えぇ。とても、良い事だわ」

 

「はい。とっても、素晴らしい事です」

 

 ふう、と一拍置き、赤城さんがぽつりと言う。

 

「夕立ちゃんを元気づける事が出来て、大淀さんが憧れるような人が八つ当たりをしたとあれば――私は一航戦としても、仲間としても、提督を詰めるしかありませんね」

 

 一瞬だけ固まってしまったが、赤城さんの視線を受け言いたい事が分かった私は、しゃがみ込んだ格好のまま膝を引き寄せるように腕を丸め、そうね、と言った。

 

「私と赤城さんの仲間を泣かせたのですから、相応の理由を問い詰めなければなりません。本当に八つ当たりだったのですか、と」

 

「――違うんです……わ、私が、勝手に……飛び出して、我慢、でき、なくっ……てっ……」

 

 ひく、ひく、と喉を鳴らして顔を伏せた大淀さんの肩を、赤城さんがそっと抱いた。

 

「私達の事も、鳳翔さんの事も、しっかりと事情を聴いてくださった大淀さんは――私達に事情を聞かせてくれないのですか?」

 

「……ひっぐ、ぐす」

 

「大丈夫です。私や加賀さんに協力できることがあれば、何だってしますから、遠慮せず」

 

「……うぅぅぅっ」

 

 何だってしますから、という言葉を聞いた瞬間、大淀さんはさらに泣き出してしまい、予想と反する反応だったのか赤城さんは困り顔で私を見た。

 私を見られても、と私も眉が下がってしまう。察するにも限界はある。

 

「何があったんですか、大淀さん」

 

 結局、私は単刀直入に聞くしか出来なかったのだった。

 

 大淀さんは私も赤城さんも見たことも無い、子どものようなしゃくりをあげながら話してくれた。

 話を聞きながら、赤城さんは優しい声音で頷く。

 

「て、ていっ……とくは、し、しぃ……ぐすっ、ぐす……」

 

「うん、うん」

 

「死ぬつもり、かも、しれないんですぅっ……!」

 

「「……え?」」

 

 

* * *

 

 

「ど、どういうことですか大淀さん、それ……?」

 

 赤城さんが唖然として問う。

 私の頭の中では、まとまらない考えがぐるぐると回っていた。

 

 死ぬ? それは、本当に、どういう……。

 

 奇策縦横の名将――たった数日でも理解させられる提督の手腕をもってしても、戦争という災禍にコールタールのようにへばりつく死は免れないと、そういうことだろうか。

 はたまた、そうせねばならない理由が?

 

 いいや、そんなはずはない。だって、彼の手腕を私達は知っている。

 

 難攻不落となってしまい、深海棲艦が徐々に勢力を増していくのを指をくわえて眺めることしか出来なかった海軍に活を入れ、南方海域を片手間に開放し、艦娘を救うような男に、死という概念は遠い存在であると思っていた。

 

 だが、大淀さんはそれを恐れ、子どものように泣きじゃくっている。

 

「し、執務、室でっ……あの人の、私達への、考えを、直接聞いたんです……信用、して、いるのか、と……ひぐっ……」

 

「えぇ、それで……?」

 

 黙って聞けばよいものを、私は無意識に先を促してしまう。

 

「けれど、提督は、私達の記録を見て、たくさん、傷、つい、ていると……うぅぅああああああっ! わぁぁああああんっ!」

 

「あ、あぁっ! 大淀さん、大丈夫よ、お、落ち着いて。大丈夫だから……!」

 

 冷静沈着、泰然自若。百戦錬磨の戦艦や空母をして物怖じせず前を向ける艦娘である彼女が、ここまで大泣きするなんて。

 私と赤城さんはもう冷静ではいられず、二人で大淀さんの背中をさすりながら、大丈夫、大丈夫、と何度も言い聞かせる。

 

 しかしそうすると、大淀さんは駄々っ子のようにいやいやと顔を両手で覆って首を横に振り、要領の得ない言葉の羅列を口から零すだけ。

 

「自分は、クソだと、違うのに、提督は違うのにっ……! 危害を加えられても、必ず、私達を、守り抜くと……でもっ、でもぉっ……!」

 

「大淀さん、私も加賀さんもここにいますから、ゆっくり、呼吸を整えて。大丈夫です……ほら、大丈夫……」

 

 赤城さんが背中から大淀さんを抱きしめる。

 あやすように、ぽん、ぽん、と頭を撫でること、しばらく。

 

「……ぐす」

 

 まだ泣き止んではいないが、大淀さんは少しだけ落ち着いた様子で話した。

 

「提督は、私達の記録を見ています……大変だったのだろうと、仰っていました。それで今朝、北上さんと大井さんに、練度の低い艦へ座学を行ってくれと任務を課しました。私はてっきり、練度の向上を図る、そのために行われるのだと、思っていたのです」

 

「座学、ですか……ふむぅ。それは確かに、練度の向上が見込めるかもしれませんねえ」

 

「そうですね。知識があれば、戦場での視野も広がるでしょう」

 

 提督の案は間違ってはいないように思える。

 私達は空母という性質上、常に戦場全体を見なければならないが、砲雷撃戦を主とする艦娘は目の前の事で手いっぱいになることもしばしばある。

 座学を行うことによって知識を得られたら、それだけ考えられる幅が広がり、ひいては余裕が生まれるということ。

 

 艦政本部から訓練校へ行く艦娘ならまだしも、鎮守府建造であったり、私達のように海上保護された艦娘にとっては願ってもないことだ。

 

「座学の様子を見に行った提督は……北上さんに、詰められた、ようで……それで、やはり自分は、信用されていないのだと、考えたのだと思います……そんな事は無いのに……そ、それ、でっ……うぅっ……提督は、これから、先、苦労をかけるだろう、と……この、座学を含め……私達だけでも、学び、運営が出来る、こと、で……うっ……うわぁぁああああん!」

 

「あ、あぁぁっ! せっかく落ち着いたのに……!」

 

 赤城さんと私は、また大淀さんを抱きしめ、必死に宥めた。

 大淀さんは長い間、泣き続けた。

 

 私達がどれだけ宥めても、絶望の未来が見えているかのように。

 

 いつのまにか海上から聞こえてきていた砲撃音は収まり、別の艦娘に入れ替わったのか、航行訓練が行われているようだった。

 遠い波間に粒のような影がすうっと移動しているのを横目に、大淀さんは震える手で眼鏡を外して目元を何度も何度も拭った。

 

「私の、悪い、想像なだけかもしれません。いいや、そうであって欲しい、です」

 

「そ、そうですよ! 大淀さんは深く考えられる人ですから、ね? ちょっと悪い方向に考えただけなんですよ!」

 

「……提督は私に、鎮守府を頼む、と……一日とは言え、運営権を渡しました」

 

「えと、それは、呉の朧さんと漣さんの……」

 

 赤城さんの言葉に、こっくりと頷く大淀さん。

 

「着任してすぐに作成された演習から、近海警備、日々の開発のルーティンワークは、この先でずっと通用するものです……それがあったため、私は迷うことなく、鎮守府の皆に指示を出し、作戦の通信統制に集中出来ました」

 

「……」

 

「それから……座学を行うと提案書を貰い、私はそれを、承諾したのです。全ての艦娘の練度が綺麗にまとめられ、どの艦娘から練度向上を行うべきか、一目で分かるものでした。提案書の通りに進められたら、この鎮守府は半年も経たないうちに横須賀や舞鶴と比べても遜色ない戦力となるでしょう」

 

 たったの半年で、そこまで引き上げる?

 もしも前提督が言ったのならば、鼻で笑っていただろう。そんなことが出来るのならばやってみろ、と。

 しかしあの人ならば、可能かもしれない、否、可能であると、思ってしまう。

 

「私達の権利が侵されず、目的を壊されないように、努力すると仰っていました……苦労をかけるなど、提督がいて、苦労なんてしていないのに……そ、そん、なの……まるで……この先、あの人がいなくなるみたいじゃないですかッ……!」

 

 突飛過ぎる――と、言いたかった。

 赤城さんも、きっと私と同じことを言おうとしたのだろう。

 

 口を半開きにして言葉が紡がれるその前に、大淀さんから告げられた事実の数々が、繋がってしまう。

 

「……それは、大淀さんが私達に話していない、作戦について、ですね」

 

 私の言葉にはある種の確信があった。

 流れるような作戦遂行の中にあった、予定調和のような違和感。

 

 敵と交戦し、艦娘を救い、南方を開放した困難極まる作戦が、あたかも通過点であるかのような拍子抜けする感覚。

 

 まだ、これには先がある。

 大淀さんが話していない、何かが。

 

 提督が死ぬかもしれないとまで言っているのだから、私は問わずにはいられず、大淀さんに顔を向けて言う。

 

「話して、くださいますね」

 

「……はい」

 

 それから、大淀さんから告げられたのは――呉で発覚した海軍の実態。反対派の攪乱に、南方を拠点とした深海棲艦の――開発――。

 それらを握っているのは、私達のみならず、海軍全体に影響を及ぼす――少将という存在――。

 

「な、何故、そのような重要事項を隠して……! 確かに機密事項にあたる大事件かもしれませんが、鎮守府の皆に隠して進める理由が分かりません!」

 

「深海棲艦を……なんて……」

 

 思わず声を荒げる私。

 赤城さんも動揺して声を上げたが、すぐに消沈。

 

「情報漏洩を恐れたのなら、それこそおかしい話です。艦娘を柱島から不用意に出さなければいいだけで……い、い、わけ……でも、無い、ですね……。情報を絞れば、それだけ、安全性は高まります……提督の行動は、理にかなっています……」

 

「しかし、それでは私達を信用していると言って、信用していない事になるではないですか!」

 

「……信用しているから、戦果を、あげているんです」

 

 大淀さんの声に、私達は黙り込む。

 

「多くの濡れ衣を着せられ、柱島に飛ばされた私達が南方海域の開放という大戦果を引っ提げていれば、その海域を掌握していた反対派はそう簡単に身動きが取れません。海軍の上層部全体も、私達を認めざるを得ないでしょう……その上で、私達がその情報を知らなければ、不用意に疑いを向けられることも、無い……」

 

 体温が、海風に奪われていく。

 

「もしも、反対派が深海棲艦の一部を生み出しているという情報が、私や、数名の艦娘から漏れたとしても、所属している大多数がそんなこと知らないと言ってしまえば、前の鎮守府での、鳳翔さんのように……踏みつぶされるどころか、気にもされないでしょう……提督は、立場を盾にしても、お前達を守ると、言ったのですから……」

 

 息が、出来ない。

 

 冷たい海底に沈んでいく感覚――

 

「私は、人々を守るために、戦っているんだと……でもっ……でも、提督はっ……そんな私達を、守るために、ひ、ひと、り、で……あ、ぁぁっ……!」

 

 ――光が、遠ざかるような錯覚。

 

「まだ、そうと決まったわけではないじゃないですか! 提督に訊きましょう! 例え怒られても、それこそ、提督に殴られたって、そんな事はさせられません! ね! ね!?」

 

 赤城さんが立ち上がった時、不思議そうな声が飛んでくる。

 

「おやおや、赤城殿に加賀殿、それに大淀殿まで、どうなさったの、で――お、大淀殿……!?」

 

「ちょちょちょ、どしたのさ!?」

 

 あきつ丸さんと、川内さんだった。

 いつの間に帰って来たのだろう、と思えば、日が既に少し傾きかけていたのに気づく。

 

「いや、あの……」

 

 事情を説明しようにも言葉を整理出来ない私に代わり、赤城さんがかいつまんだ説明をすると、あきつ丸さんと川内さんも、私と同じ顔色になった。

 

「……連絡をしたときに、閣下が大淀殿に伝えても良いかと問われたのは、そういう事でありましたか」

 

 大淀さんが涙に濡れた目を向ければ、あきつ丸さんは言った。

 

「反対派の動きを調査するのに、南方海域から深海棲艦がやってきていたのではないかという見解書が見つかったのであります。山元大佐の協力もあり、呉鎮守府に残っていた過去の資料を一から十まで漁ってきたわけでありますが……山元大佐も、例の件を頼む、と言われていたようで、最優先に手伝ってくれたのであります。先ほど、執務室にて見解書を渡してきたのでありますが……確かに、我々の記録を真剣に読んでおられましたな」

 

 続いて、川内さんが呟いた。

 

「王手まで持っていくのが私達の役目……少将との対峙は、戦争も海軍もひっくり返す、汚れ役……」

 

 私達の行動は、確かに被害を取り除き、未来の人々を救い、海軍の不正を正してきた。

 では、その先は――?

 

 私の胸中で生まれた問いに、あきつ丸さんの言葉が解となる。

 

 

 

 

 

 

 

「閣下は、戦果にもならない海軍の腐敗を取り除くため――相打ち覚悟、ということでありますか……!」




日常回……日常……?

日常です(断言)


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六十九話 始動【提督side】

「これ、は……本気で、書いてるのか……?」

 

 コスプレ妖精加賀バージョンに殴ら――活を入れていただいてしばらく。

 読み込めば読み込むほどに、恐ろしい文字の羅列が俺の脳を揺さぶった。

 

 ――処分。

 

 柱島に所属している艦娘の記録の殆どに、そういった文字が並んでいた。

 仲間を失った、と片付けるにしては不自然極まる記録は、素人社畜の俺の目から見ても明らか。

 傷ついた――と井之上元帥が言っていたのは、心であるとか、精神的なものの比喩だとばかり思っていた。

 ()()()()()()()()。これが、正しい認識であったのだ。

 

 大淀型軽巡洋艦一番艦――大淀。

 鎮守府近海にて展開された哨戒作戦における攻撃的指示により、第一艦隊の一部を損失。当該作戦目標である深海棲艦の撃滅に失敗。

 他、舞鶴鎮守府貯蔵の資源を無断で使用、私的に開発を行い、故意に資源を損失させる等、命令違反多数。

 解体処分申請後、却下。運営に支障の出ないよう一時的異動処分の後、正式辞令を待つ。

 

 同鎮守府所属、正規空母、赤城型一番艦、加賀型一番艦、命令違反により処分。

 

 同鎮守府所属、白露型駆逐艦四番艦、夕立、命令違反及び当該鎮守府の提督に対する暴言、勤務態度の悪化により処分。

 

「あり得るのか……? 大淀達が……いや、そんな、馬鹿な話が……」

 

 疲労によって充血しているであろう俺の目が持つ熱が、顔中に広がっていく。

 かつてブラック企業で書類を処理していた時よりも速く、手が、目が、体中が情報を頭に叩き込まんとして動き、初めこそゆっくりと書類を運んでいた妖精達は、次第に俺についていくので精一杯なくらいに忙しなく飛び回った。

 

 視界の端をぴゅんぴゅんと飛び回る妖精の影すらも意識することなく、嘘だ、いやまさか、そんな言葉を漏らして資料を読み込んだ。

 

 鹿屋基地所属、鳳翔型軽空母一番艦、戦意維持困難のため異動処分。

 当該鎮守府にて○月○日○時頃に発生した深海棲艦の襲撃における出動拒否、及び聴取での虚偽。

 菅谷啓介中佐の死亡に関する証言の虚偽。精神に異常の疑いあり。

 

「鳳翔は、中佐に、生きろって言われたって……本人が……清水も先輩から手紙預かったって、言ってたろ……?」

 

 大湊警備府付、北方警備支部所属、工作艦明石。

 支部運営の酒保にて横領の疑いあり。

 警備支部運営における必要資源の私的使用、ならびに、支部長命令の開発の拒否。

 

「開発の拒否って、いやいや、開発したくて、しょうがなくって、俺にしがみつくような奴だろうが、明石は――!」

 

 俺が資料を読み込んでいる途中、呉からあきつ丸達が帰って来たのだが、俺はそれどころではなく、見解書とやらを受け取った後は早々に「今日は休んでいい」とだけ伝えて、またそれに没頭した。

 そうして数時間は経過したが、結局、俺が全ての資料を頭に叩き込んで、太陽が沈んだ後も、大淀は執務室に戻ってこなかった。

 

 

* * *

 

 

 八つ当たりしてしまったという事実は、きっと艦娘全体に知れ渡っているだろう。

 食事をする気にはなれなかったので、今日はこのまま寝てしまおうかと資料を抱えた変な恰好のまま椅子の上で脱力して、ぼうっと壁を眺めていた。

 

 俺が今、何をすべきか。

 

 俺がこれから、どうすべきか。

 

 頭では理解していた。気持ち的には簡単に済ませられるが、いざ行動となると難しい。すまなかった、という謝罪をするべきである。分かっている。そんな事は。

 

 しかし秘書艦を買って出た大淀が執務室を飛び出してから、長い時間が過ぎて、もう夜だ。

 情けない俺は、大淀に謝るよりも、八つ当たりした分、彼女か、はたまた、彼女とその仲間達に同じだけ罵倒された方がいいのではないかと本気で考えていた。

 

 それも、恐らくは資料を読んでしまったからだと思う。

 

 彼女らの任務に対するひたむきな姿勢を知っているものだから、あの資料に書いてある事こそが嘘である。

 でなければ井之上さんが支えろなどと言うだろうか?

 

 そんな彼女達に対して、俺は、自分の事だけを考え、彼女達と一緒に仕事をしたいのだという欲を優先して子どものように怒鳴り散らした。

 申し訳なさで、死んでしまいそうになる。

 

『……まもる。今日はもう、やすむ?』

 

 妖精のうちの一人が目の前に飛んできて、まっすぐな目で俺を見つめて言う。

 今度は鈴谷のコスプレか。気楽なもんだな。

 

 ……何が気楽か。妖精に対してまで、何を考えているんだ俺は。

 

 負の思考というのは、重い腰と違って持ち上げる事が難しい。動作でどうこう出来るものではないという意味と、もう一つ――根本の解決が求められるからだ。

 

 するとやはり、謝罪する、という結論に戻ってくるのであった。

 

「謝ってから休んでも遅くないだろう。なにせまだ十九時になったばっかりだ。それに、大淀を泣かせたまま休めるはずもなかろう」

 

『そっか』

 

「……うむ。俺が悪い。だから、謝る」

 

『うん』

 

「謝った上で――仕事をさせてくれと、お願いする」

 

『うんうん』

 

「それでもダメだと言われたら……」

 

『言われたら?』

 

「……土下座でも何でもするさ」

 

『かっこわる』

 

「っは、なんとでも言え」

 

 冷たい物言いの妖精だったが、その表情は優しいものだった。

 

『んじゃあ、とつげきいたしましょー!』

 

「――うむ!」

 

 俺は気合を入れて立ち上がり、軍帽をしっかりと被った。

 

 資料を乱雑に机の上に置くと、妖精達がぴーちくぱーちく文句を言っていたが、それどころじゃないんだと言えば『まもるは! もう! もう!』と言いながらもファイリングし始めてくれたのだった。

 

 そして、執務室を出て、今にも地面へ沈んでしまいそうなくらい重たい足を気力で前へ、前へと持ち上げて進む。目的地は、この時間であらば多くの艦娘が集まっているであろう、食堂。

 

 会社へ向かう時よりも辛い時間だった。

 上司に罵倒されようが、あっつあつのコーヒーをかけられようが、ああそう、で済ますことのできる擦り切れた精神が、ここにきてまるで新品に入れ替わったとでも言わんばかりにピリピリと頭を焼いた。

 これから、自分の人生でもあった艦娘に罵倒されるかもしれない。

 冗談抜きにして暴力を振るわれるかもしれない。そう考えただけで足がすくむ。

 

 だが傷ついているのは俺じゃない。彼女達だ。

 

 過酷な仕事に従事していたというのに、訳の分からない濡れ衣で名誉を汚され、働きさえ否定された彼女達が、誰よりも深く傷ついているのだ。

 

 新たにやって来た鎮守府で、また海を守りたいと俺に頭を下げた大淀を泣かせたのは――傷つけたのは、間違いなく、俺なのだ。

 

 俺が働き続けられるかどうかなど、もとより大淀の知ったところではないというのに、漠然とした不安をどうして部下にぶつけることができようか。

 傷ついた彼女たちが、同じ上司という立場の俺に不信感を抱くことに疑問が生まれようか? あるわけが無い。

 

 当たり前を、当たり前でなくしたのは、俺自身じゃないか。

 

 前職で失敗した時の、ああ、申し訳ないなという自責の念よりも濃い苦汁の原液か、単なるストレスから逆流する胃液か分からないものが俺の喉にせりあがって不快感をもたらす。

 

 それでも進まねばならない。彼女達の背を追い続けるのだ、俺は。

 

 食堂に近づくにつれ、艦娘の声が聞こえてきて、さらに胸が苦しくなる。

 そして、扉の前に来ると、俺は深呼吸をして、がらりと開いた。

 

 初めて柱島で彼女達と対面した、講堂の扉よりも、重たかった。

 

「失礼する。大淀はいるか」

 

 喧噪が――ぴたりと止んだ。一瞬にして静寂が俺を襲う。

 あれだけ憧れていた存在だというのに、艦娘達の視線が突き刺さり、俺はその場で気絶してしまいそうだった。

 

「何や司令官。話にでも来たんかいな」

 

 静寂の中から、龍驤の声。そちらに視線を向けると、龍驤は酷く不機嫌そうな表情で俺を睨んでいた。

 話はやはり、知れ渡っているらしい。

 

 艦娘に囲まれるようにして、食堂の中央の席に、大淀が座っていた。

 

 顔は伏せられていて、表情は窺えない。

 

「……そうだ。大淀に、話があってきた」

 

「大淀にぃ? っは、おっかしいやっちゃのぉ……ウチらに、の間違いやろ? あぁ?」

 

 龍驤の声が鼓膜を破る鋭さを持っているのではないかと錯覚してしまう。

 何をするにも、全身が痛んだ。

 

 ここで逃げ出しても良かったのかもしれない。

 

 だが、前職から逃げ出した俺は――艦娘からは、逃げたくなかったのだ。

 

「そう……だな。お前達にも、話さねばならん」

 

 覚悟を決めろ――海原鎮――。

 

「言い訳は後だ。大淀――すまない。全て、私が悪かった。本当に、すまない」

 

「……」

 

 誰からも声は上がらない。

 俺は言葉を紡ぎ続ける。素直に。正直に。

 

「私はお前達の事ならば何でも知っていると思い込んでいた。だが、記録を全て見て――ただ、表面上の事しか理解していなかったのだと痛感した。お前達にはお前達の苦しみがあって、お前達の歩んできた道があることなど、当たり前のことなのに、私はそれを見ようともしなかった。私が出来ることをする、それこそが私がここにいる唯一の理由なのだと、必死になっていた」

 

「……っ」

 

「私は最初から最後まで、独りよがりだった。呉での仕事も、柱島での仕事も、こうしておけば問題無いと、取り繕うような事ばかりしていた。こうすることでお前達といられるのなら、ほんの少しでも縋れる場所があるのなら……そうして、目的を見失っていた」

 

 大淀からだろうか、それとも別の場所からか、鼻をすする音が聞こえた。

 それもそうだ。こんなおっさんが必死になって女の子たちの前で言い訳をこねくりまわし、それでも仕事がしたいと懇願しようとしているのだから、情けなくなるのも無理はない。

 

 信用されていないと? 大淀の問いに、答えは出ている。

 

 信用していないのは、俺であった、と。

 

 俺を信用していないのなら、まず、鎮守府に俺が着任した時点で仕事をさせるわけが無い。それがどうだ。妖精にひっぱたかれ、大淀には出し抜かれ、どんな形であれ仕事を貰えていたじゃないか。

 

「私の仕事は、必死になって逃げる事ではないんだ。違う……違ったんだ……――私に、課せられた任務は――お前達を、支えることなんだ」

 

 俺と彼女らはずっと――すれ違っていたんだ。

 

「――私は、お前達の提督でありたい。これまでも、これからも、私が死ぬまでずっとだ! 要領も悪く、杜撰な仕事も多い私のことだ。どれだけ必死に頑張ったとしても、お前達には想像を絶する苦労をかけることになるだろう。しかし、それでも……」

 

 目深に被った軍帽を脱ぎ、俺は深く、頭を下げた。

 

「……お前達を支えようとする私を、支えては、くれないだろうか」

 

 体感で数時間は頭を下げていた気がする。

 実際はたったの数秒だ。

 

 俺が言っていることは無茶苦茶だ。支えなければならないのに、支えてくれ、などと。だがこれが、俺の誠心誠意の謝罪であった。

 声はなく、息遣いだけが支配する食堂で、頭をあげられず、俺は祈るように言った。

 

「どうか、お前達の傍に、いさせてくれ」

 

 それから、ゆっくりと頭をあげようとした時。ガタン、とか、ガツン、という乱暴な音が響いて――俺の身体が、後方へ強く飛ばされた。

 

 最初は、殴り飛ばされたのだと思った。

 倒れてはいけない。これ以上情けない姿を見せてはならない、と踏ん張った時に、胸元に大淀の頭が見えて、思考が止まる。

 

「お、ぁ……?」

 

「うっ……ぐっぅ……――」

 

「大淀……?」

 

「うわぁぁああああああああんっ! あぁぁああああっ! て、てい、とく……うわぁぁあぁぁんっ!」

 

 大淀の人の目を憚らない大泣きっぷりに狼狽さえ出来ず、ただ、俺は胸中で方々へ謝罪した。

 

 遠い世にいる提督の諸先輩方、井之上元帥、山元、清水、松岡……ごめん。

 俺の柱島での物語は、ここで終わりを迎え――オブゥッ!?

 

「司令官、ほんっま、お前ぇ! 泣かせてから言うくらいなら最初から言えやぁ! こんボケェッ! オォイッ! ぐすっ……!」

 

「提督ぅ……! なんでも、話してくれていいんでち! ゴーヤ達だって、いっぱいお手伝いするでち! だからぁぁ! うわぁぁあん!」

 

 龍驤やゴーヤの他、大勢の艦娘が俺の腕に、腰にしがみ付いて泣きわめいていた。

 ゴーヤにおいてはもう、それはもう、すごい、ちょっとお前それすっごい鼻水ついてるが。ちょっと。

 

 目を白黒させながら状況を把握できないでいる俺。そんな俺を大勢で囲む艦娘。

 

 新しい包囲殲滅作戦かな? 違うね、落ち着こうね俺。

 

 続いて、混乱している俺の耳に届くのは、長門の声だった。

 

「……提督よ。言っただろう。私はあなたとともにあると。どんな任務であれ、この長門がついているとも」

 

「長門……」

 

「あら、長門だけじゃないわよ? お姉さんの仕事だって見てみたくない? ね、提督」

 

「陸奥……!」

 

 艦娘は、素晴らしい。

 社畜の俺にこうまで真摯に向き合い、仕事を手伝うと言ってくれる心強い存在に、ああ、俺はなんてことを……。

 

 口々に「手伝う」と言ってくれる艦娘に、俺はもう胸がいっぱいになり、セクハラになるかも、なんて考えてはいたが、ちょっとくらいはね、まあ、ね。

 

 と言い訳にもならないことを考えつつ、胸元で泣き続ける大淀の頭をそっと撫でた。

 

「私が不甲斐ないばかりに、また泣かせてしまったな」

 

「いえっ……いいえっ……いいんです……私、だってっ……提督が、どれだけ苦しんでいたか、悩んでいたのか、分からなく、てっ……ぐすっ……」

 

「お前達よりも苦しんでなど……――いいや、そうだな。みな、仕事でいっぱいいっぱいになっていたんだ。それでいい。だが、お前達がいるのだ……私も、全力で戦える」

 

 百人以上の艦娘が手伝ってくれるのだから、出来ない仕事とかあるわけがない。

 今なら漫画みたいに積まれた書類を突きつけられたって五秒で消し去ってやるぜ!!

 

「……明日からも、私は提督でいても、いいのか?」

 

 改めて問えば、大淀はゆっくりとした動作で俺から離れ、その他も同調するように一歩下がり――真剣な眼差しで、敬礼した。

 

 大袈裟な艦娘達め……だが、これでいいんだ!

 

 俺も最大の敬意を以て、艦娘達に敬礼した。

 

 

* * *

 

 

 あくる日。俺は謝罪もあって艦娘達に囲まれて食事をするのがどうにも気まずく、しかし逃げ出さないと決めたものだから手早く食事を済ませてから「今日は早めに休ませてもらう。明日から、頼むぞ」と言い残して、柱島に来て初めて、早めに就寝した。

 

 意識が沈む少し前に時計を見た時はまだニ十ニ時にもなっていなかったため、翌朝の四時には感じたことのない爽快感と共に目が覚めた。

 

 全身がむず痒いような感覚が残っていたが、今日から心機一転だ! と俺は執務室のソファから跳ねるように――あっ、だめだ座り仕事ばっかだから腰が無理……。

 

 そっと身体を起こし、よれた上着を脱いで虚空へ呼びかける。

 

「誰かいるか」

 

 すると、ふわふわと妖精が一人、デスクの方から飛んできた。

 むつまるである。

 

『おあよ……』

 

「どうした、元気がないぞむつまるぅ! 今日も元気に仕事だ! っふふ、その前に風呂に入るが! 身だしなみは大事だからな――!」

 

『あー、ふく、あたらしいふくね……』

 

「うむ! 頼む!」

 

『むにゃ……うるさいなあ……あ、ちゃんとごめんなさいしてきたの?』

 

「うむ!!」

 

『うるさい』

 

「……謝ってきました。サーセン」

 

 やはりむつまる、厳しい。

 朝っぱらからハイテンションですみませんね。

 

 しかしハイテンションにもなるってものだ。自分の情けなさを呑み込み、認めた上で、愛する艦娘達に仕事を手伝ってくれとお願いしたら、やっと認めたかとばかりに泣いて快諾されたのだから。人生で一番幸せな日と言っても過言ではないだろう。

 

 今日から始まるのだ、海原鎮提督の、イチャラブ柱島鎮守府物語が――!

 

 決裁書類にまごつく俺に、大淀が「あらあら提督、ここはこうするんですよ。ふふ、連合艦隊旗艦の、この大淀が手伝ってあげましょう」とか言って優しくペンを取り、隣で優しく教えてくれ――時には、演習のルーティンを変えた方が良いのか悩む俺に、那智が「貴様の采配は悪くない。だが、勝利を手にするためにはこうした方が良いだろう……っふ、この那智に任せておけ」と恰好良く手伝ってくれたりしちゃうかもしれないのだ! フッフゥーウ!

 

 いやー、遠い世にいる提督諸君、すまんな! まもる、甘えちゃいます!

 

『……じゃ、頑張ってね』

 

「お、おぉ。うむ……?」

 

 俺からあふれ出る幸せオーラにやられてしまったのか、まだ眠そうなむつまるは新しい軍服とタオルを俺に手渡すと、再びデスクへ戻り――引き出しの中に入っていく。

 新しいタイプの猫型ロボットみたいな住処だなそこ。

 

 それはさておき。

 

 執務室を出た俺は、意気揚々と入渠ドックへ向かう。

 道中で伊良湖に会う可能性は高い。この時間から既に仕込みを開始しているというのだから、ここは挨拶がてらに感謝を伝えるのもいいな、と考えながら歩み続ける。

 

 そして、廊下の向こうから伊良湖が歩いてきたのが見えた時、調子に乗って控えめながらも片手をあげて挨拶してみちゃう俺。

 

「おはよう伊良湖。今日も早いな」

 

「おはようございます提督。あら、今日は着替えをご用意していらっしゃるのですね」

 

「仕込みの邪魔をしては悪いからな。いつも、助かっているぞ」

 

「ふふ、いえいえ。朝食はどうなさいますか?」

 

「もちろん、いただこう。今日のメニューはなんだ?」

 

「今日はめかぶひじきに、筑前煮……あとは、駆逐艦の子達が食べてみたいと言っていた、ミートボールを」

 

 うーん、何だろう、給食感。

 いやいや悪いわけではない! なにせ艦娘が作ってくれる食事なのだ。

 それはもう完全食と言ってよいだろう。

 

 普通に栄養を考えてくれてそうだしな!

 

「ふむ、美味そうだ。では、風呂から上がったら直行せねばなるまい」

 

「もう、提督ったらお上手ですね」

 

「ふふ、本当のことを言ったまでだ。では、またあとでな」

 

「はい、また後で」

 

 あぁー! これこれ! 艦これ!

 こういうの求めてたんだよ俺はぁ……!

 

 おっさんどもと狭い部屋の中で訳の分からん小難しい専門用語がやかましく飛び交うような仕事ではなく、こういった艦娘と接し、幸福を感じるような日常を求めていたのだよ!

 

 だがまもる、油断してはいけない。

 

 彼女達は、深く傷ついてきたのだ。それを念頭に置いて真面目に仕事に取り組むんだ。

 遠慮して腫れもの扱いをするようなことも、傷つける要因になるかもしれない。だから、俺は俺らしく、社畜魂バッチバチで働くぜ!

 

 ただし艦娘に手伝ってもらいながらな! フゥハハハァー!

 

 そうして俺は足取り軽く入渠ドックへ行き、服を脱いでさっさと身体を洗おうと洗い場へ。

 鼻歌交じりにシャワーで頭を濡らした直後の事だった。

 

 

 

 『総員おこーし! 総員おこーし!』

 

 

 

 鎮守府が震えるような大音量に、素っ裸のままひっくり返る俺。

 

「なぁっ!? なんっ、えっ!? 総員起こし!?」

 

 まだ四時だったよな!? と記憶を掘り起こす。

 俺の社畜ボディに内蔵されている時計はきっかり四時に俺を目覚めさせたはずだ。壁に掛けられた時計でもそれは確認済みである。

 

 では今日に限って何か特別なことが予定されていたかと考えても、ルーティンはいつも通りのはずで、艦娘達は少なくともまだ一時間は寝ているはずだった。

 

 何が起きているのか把握する前に、鎮守府のいたるところに備え付けられているスピーカーから大淀の雷鳴のような声が炸裂し続ける。

 

『本日の演習組、第一艦隊は訓練場へ! その他、近海哨戒部隊はただちに出撃準備を整え、マルヨンフタマルまでに港へ集合!』

 

「えっ……」

 

 何が、起こってんだ、これ……?

 

 訳も分からず、俺は身体を手早くどころか超特急で洗い流し、頭も適当に洗ってばたばたと入渠ドックから走り出た。

 軍服を着て、脱衣所のドアを開けると――たかだか数分しか経っていないというのに、大勢の艦娘がキビキビと行動を始めており――。

 

「あっ、司令官! おはようございます!」

 

 丁度通りかかった長良に「ど、どうしたこんなに早くから!?」と聞けば、やる気に満ちた表情で、むんっ、と胸元で拳を握りしめて言った。

 

「大淀さんからお話聞きました! 司令官のお仕事、全力でやってみせますよ!」

 

 可愛い。

 

 っじゃねえ!

 

「わ、私の仕事をやるとは……その、演習や遠征のルーティンは作ってあるだろう? それに従ってくれたら問題は――」

 

「ダメです!」

 

 えっ!? 俺の不眠不休の努力の結晶なんだがダメでしたか!?

 

「あれでは……司令官のお仕事は出来るかもしれませんが、私達のお仕事はできません! ですよね?」

 

 う、うーん、確かにあれは、とりあえずこれさえしておけば問題無いだろう、という程度の感覚で作成されたものではあるが……。

 他の鎮守府ではあれの倍以上の事をしているのが普通であるということか?

 

「あれはみなに負担にならないようにと組んだものであってだな……」

 

「でも、司令官には負担になってるんですよね……?」

 

 う、上目遣いで見るな長良ァッ!

 健康的な小麦色の肌と浴衣が実はすごく似合う艦娘ランキング堂々の一位の上目遣いの破壊力を朝から発揮するんじゃないよォッ!

 

 可愛いことを自覚しろテメェッ……!

 

「負担など、仕事にはついてまわる当然のことだ。私は――」

 

「昨日、手伝ってくれって、言ってくださったから……あ、あの、えっと……」

 

 んんんんんんん! よし分かった、うん、オッケー!

 俺も急いで朝食を済ませて執務室行きます! オッケーです!

 

「そっ! そうだな! 私が言ったことだったな! いいや、すまない、お前達を心配するあまり、余計な気遣いを……」

 

「し、心配だなんて、えへへ……大丈夫です! この長良、全力で走りきりますから!」

 

「う、うむ……頼もしい、限りだ……」

 

 では! と元気よく敬礼した後に走り去っていく長良の背中を見ながら、俺は冷や汗をかいていた。

 

 

 

 

 

 

「……何が起こってるんだ」

 

 おかしいな。前の職場みたいな匂いする。



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七十話 始動【艦娘side】

 話は少し遡る。

 

 

 泣きはらした目を擦る大淀が、一航戦の二人と、あきつ丸、川内に食堂へ連れてこられたのは、夕方過ぎの事だった。

 丁度食事時で大勢が食堂を利用していたため、何があったんだとざわめきが起こったのは言うまでもない。

 

「その、大淀さんが、提督に八つ当たりをされたみたいで――」

 

 と、提督から言われたままに伝えた加賀であったが、それは悪手でしかなかった。

 

「ほら見なさいよ! あの男を簡単に信用しちゃダメなのよやっぱり! ねぇ北上さん、やっぱり考え直した方がいいですってぇ……!」

 

「違うって大井っち、アタシ何度も話したっしょ? 提督はそんな人じゃないって。もしもそうならアタシが連れていかれた時点でここにいないって」

 

「ま、まさか、北上さん……あの男に口封じされて――!?」

 

「だぁからぁ……違うってぇ……なんでそうなるかなぁ! 提督はアタシらに学んで欲しいだけって言ったじゃんか! 球磨姉達とも同じ部屋にしてくれたんだよ!?」

 

 軽巡洋艦大井の怒鳴り声、それに反論する北上を皮切りに、食堂内のざわめきはより大きくなる。

 

「八つ当たりって……んな馬鹿な事すっかよ提督が……」

 

「そ、そうねえ……周りの事をよく見ているお方、でしょうからあ……」

 

 天龍の呟き、それに同調する龍田も信じられないといった様子。

 その周りに陣取っていた駆逐艦、響や雷が戸惑ったような声で話した。

 

「大淀さんに八つ当たり? それは、ハラショーじゃないな……でもどうして……」

 

「司令官だって大変なのよ! 多分……い、雷には分からないけれど、きっとお仕事で追い詰められて、とかぁ……それかぁ……う、うぅん……」

 

 雷の言葉はいい得て妙であったが、本質をついているとは言えない、とあきつ丸は周りを宥めるように大きめの声で言った。

 

「まあまあまあ、貴艦ら、落ち着いていただきたい。雷殿の言は当たらずといえども遠からずであります。八つ当たりというのもある意味ではそうかもしれないでありますが、誤解でありますから!」

 

 それに川内が同調し、大淀に渡す予定だった資料をばさばさと掲げて示した。

 本来ならばそれはあきつ丸と川内、そして大淀を筆頭に極秘で進められるべき作戦の核となる情報である。

 

 しかしこうなってしまってはもう隠して統率が取れようはずもないと即座に判断して、川内はそれを示したのだ。

 大淀に劣らず、いいや、彼女はもしかすると柱島の中では大淀を凌ぐほどに情報の取扱いに長けている。太陽が陰り暗くなった水面下のような過去を持つ川内にとっては苦い記憶ではあるが、ここで活きるならばと、大淀に代わって判断したのである。

 

「皆落ち着いて! ちゃんと話すから! はぁぁ……提督が杜撰な仕事って言ったのは、まあ、分からないでもないかもなあ、これ……」

 

 その声に、川内の心の内にある感情の全てが詰め込まれていた。

 

 百隻を超えんとする艦娘を相手に情報統制を敷くのではなく、情報戦をしかけたようなものなのだ、かの男は。

 いくつかの秘密を隠す程度ならばきっとこの先、永遠に知られることは無かっただろうが、秘匿したまま大規模作戦を遂行し続けるのは、もう人間の業ではない。

 

 くしくもこうして騒ぎになってしまったことで、海原鎮という存在が決して人外ではないことが証明されてしまったのも皮肉なものである。

 

 川内に続く赤城の説明する狼狽の滲む声。

 

「八つ当たりというより、お互いの想いのすれ違いといいますか……!」

 

「おう、赤城加賀、ちょいこっち来てんか。君ら鳳翔の次は大淀て、なぁ」

 

 龍驤がちょいちょい、と手招きをしたのに対してびくりと肩を震わせる一航戦だったが、あきつ丸の「龍驤殿も、話を聞いていただきたい」という一言に「あぁ、ちゃうねん、別にどついたろとかそんな話やなくてやな……」と気まずそうな顔をする。

 

「てっきり、作戦の後か前か、鳳翔から話聞いとるもんやと思い込んでたんや、ウチは。鳳翔と大淀やったら提督の事をウチらより知っとる。その鳳翔から話聞いてんやったら、赤城も加賀もウチらが予想せん何かを知っとるんちゃうかってな? んでも何も知らん風で八つ当たりされた言うて、あきつ丸も川内も落ち着けーって、こらもう大事に首突っ込んでるて言うとるようなもんやろ」

 

 誰も否定しない。出来ない。その通りである。

 自分たちが知らぬ間に巨大な何かに巻き込まれている。その先頭を切っていたのは間違いなく大将として返り咲いたあの男であり、しかしてその部下である艦娘の全てが、自分たちがどのような作戦を遂行したのかも把握していない。

 

 表面上、呉の作戦に参加した艦娘達は作戦の概要を知っている。

 

 では大騒ぎになる理由が無い。ただ大淀が八つ当たりされてしまったという事実があり、やはりあの男も海軍の人間で、かつ信用できない側の人間であったというだけの話で終わってしまう。

 

 それをあきつ丸と川内という、提督に仕事を任されて柱島を離れた二人が違うというのだから、どこをどうまわっても、柱島の一同が問題の中心に足を踏み入れているのだという事に帰結するのだった。

 

 件の鳳翔はと言えば、かの提督に手紙を渡されたものの、その内容を誰かに話していたわけでは無かった。その内容もまた、心にしまっておくべき事なのかもしれないと鳳翔が判断していたためだ。

 

 私は中身を見ていない。そういった提督の言葉を、心のうちにとどめろと受け取っていたのである。

 

 すれ違い、噛み合っていない歯車がいびつな音をたてるが如き状況に、鳳翔はぎゅっと袴の裾を握りしめて、手紙に書かれていた不確かな情報を伝えるべきか否か迷っていたのだと言った。

 ここで話さなければどう話がこじれるか分からない、故に言葉を紡いだ。

 

「赤城さんにも加賀さんにも、話していません……これもまた、軍規に反する事だからです。私は鹿屋にいた艦娘。二人は舞鶴にいた艦娘……――菅谷中佐が舞鶴にいる接点の無い艦娘を心配するような文言を書いていたら、不自然ではないですか……?」

 

 龍驤はそれで事情があるのだと察したが、問題はそこではない、と鳳翔へ身体を傾けて言った。

 

「そら不自然やが知らんこっちゃ。ウチらが聞いたとこでどうも思わん。問題はそこちゃうやろ。赤城と加賀に話してない内容や、それとは別の」

 

「……彼女達が舞鶴で受け入れてもらえるとの事で、菅谷中佐は舞鶴の提督と、その、なんというか……」

 

 大淀が泣いている事情も聞かねばならない、あきつ丸達の話も聞かねばならないし、口振りからして明らかに同所属の過去を持つ一航戦と鳳翔の話も、どうやらどこかの歯車と噛み合いがある様子。

 

 賢しい者であれ頭がパンクしてしまいそうになる複雑怪奇の極まる状況に、サンバイザーを脱いで机に投げて声を荒げた龍驤を咎める者はいなかった。

 

「だぁぁもう! まどろっこしいねんて! 違う鎮守府に配置になってた言うてもウチと鳳翔は初期型の仲やろが! なんでもええから話してみいて!」

 

「っ……」

 

「だーいじょうぶやから! なんや、鳳翔んとこの司令官をどうこう思うことも無いし赤城も加賀もどうでもええ! あ、ああ、どうでもええっちゅうのはウチの認識は変わらんちゅうことやで二人とも、な? ままま、せやからぱっぱと話そ! ぱっぱと!」

 

 赤城と加賀に手を振ってぎこちなく笑う龍驤に急かされ、鳳翔はざわめきがほんの少し静まった瞬間、言葉を紡いだ。

 

「二人は建造艦娘ではなく、海上で救助された保護艦娘です……二人を正式に受け入れる場合、大本営への保護申請と、登録の申請が必要でした。しかし、鹿屋には正規空母を保護し、運用する余裕が無かったんです。だからと言って放り出すわけにもいかず、時間を置いて、手続きを取ろう、と……。過去に登録されている艦娘であれば異動処理で終わりですが、二人は保護艦娘、検査だって必要です。そこで菅谷中佐は見知った上官のいる舞鶴を頼ったんです。戦果も一定以上挙げ続けていて、検査出来る施設も揃っている。何より国内でも大きな拠点でしたから。すると、快く受け入れてくださるとの事で、二人は中佐と一緒に舞鶴へ……赤城さん達が知っているのは、ここまでかと」

 

「おん、おん……それでや」

 

 前置きの話に耐えるよう貧乏ゆすりをする龍驤だったが、話の続きを促すだけ。

 

「菅谷中佐は、二人がその場で舞鶴の所属になった時に、大変に後悔したと、書いてありました……舞鶴の現状をその時に初めて知ったのだと。しかし上官に逆らっては二人がどんな扱いを受けるかもわからず、鹿屋の艦娘にも影響が出るかもしれない。行動を起こせなかった自分は、二人を見捨てたようなものだと、記されていました。中佐は最後まで後悔していたんです。……ですから、私へ、今一歩、踏み出せなかったと」

 

 艦娘の関知しない、人間の中にある序列。

 序列の中に生まれる、強制力と軋轢、危惧。

 

 決して混ざることのないマーブル模様のそれが、立場を持つ者の感情が描くものであると理解出来ない者はその場にいなかった。

 

「腐敗などという言葉は、明確ではありません。生きとし生ける者の生存手段――ただ暴力で戦うだけでは、生き残れないのが、人間なんです。それでも、中佐は守ろうとしたんです……赤城さんや加賀さん、私を……!」

 

「あ、あーあー! そこは疑ってへん! 平気や、鳳翔の言うてる事も分かる! ただ……それが何の関係があるんや、八つ当たりだの、作戦だのに――?」

 

「……舞鶴は、保護艦娘を即座に移送しなかったという軍規違反を処分をしない代わりに轟沈数を偽った報告書を出せ、と」

 

「は――!?」

 

 がたりと龍驤が立ち上がる。

 轟沈数を偽る? と理解出来ない様子の艦娘がいくらかいたものの、噛み砕くまでもなく、言葉の通りなのであろうと分かった途端、怒りであるのか悲しみであるのか分からない感情に眩暈でも起こしたように全員が息を吐き出した。

 

「それに従った鎮守府に限り、舞鶴が不祥事をもみ消していたんです。東日本なら横須賀、西日本ならば舞鶴――大本営に持ち込まれる前に、一度は報告が通る……大本営直下である片方の舞鶴がもみ消せば、そう簡単に虚偽が明るみに出る事はありませんから……」

 

「……舞鶴の提督を詰める事はできんか」

 

「舞鶴の責任者を――西日本を統括する責任者を知っているのなら、龍驤さんは可能ですか?」

 

「……バケモンみたいな頭しとるんは、ウチらの提督だけじゃないっちゅうことか」

 

 そこまで言うと、力が抜けたように椅子に座り込む龍驤。

 それってさ、という声を上げたのは、ここまで一度も声を上げてこなかった軽巡洋艦、多摩である。

 

 球磨型軽巡洋艦の二番艦である彼女は一番艦の球磨と同所属であったが、性格が故か、面倒ごとに首を突っ込むことなど一切無かった。言うことを聞く、それだけで自分の生存が約束されているのならそれでいい、と心が壊れかけている一人だったからだ。

 しかし姉のような存在たる球磨が日に日に目を輝かすようになってからは、彼女もまた変わり始めた。それは多摩の声音に如実にあらわれていた。

 

「陸軍だと、西日本の統括は松岡って人だったよにゃ」

 

「うぉ、多摩、何で知ってるクマ……?」

 

「軍人なんだから味方のお偉いさんくらい把握してるにゃ」

 

「い、いやいやいや、それにしてもおかしいクマ。どんだけ軍人がいると思ってんだクマ!?」

 

「球磨姉は不真面目だにゃぁ……勉強不足にゃ」

 

「多摩にだけは言われたくなかったクマーッ!? ……んんっ、そ、それで、その松岡って人がどうしたんだクマ?」

 

「んにゃ、松岡さんがどうこうじゃにゃくて、統括者が誰かって話にゃ……陸軍で言うなら西日本の統括者は松岡さん。海軍で言うなら、楠木少将になるってことにゃ」

 

 少しばかり腫れて重そうな瞼をこする大淀が、ぴくりと反応を示した。

 あきつ丸や川内も表情こそ変わらなかったが、纏う雰囲気が変わる。

 

 目ざとくそれに気づいた多摩は、気の抜ける語尾のままに、鋭く言った。

 

「そろそろ、そっちの話を聞いた方がいいかにゃ?」

 

 食堂の入り口近くの席へ座っていた大淀達は、多摩に促されて食堂の中央の席へ。

 改めて腰をおろすと、まずは川内が持っていた数枚の書類を机に置いた。

 

「あきつ丸と一緒に呉の資料室で見つけたのが、これ。五年とか六年前の記録もあるけど、呉も大きな拠点っちゃ拠点だからね、写しを保管してたみたい。どこの鎮守府も深海棲艦の撃滅数に差異があるみたいで、これがまた小賢しくてさぁ……どこも数隻だけ見逃しちゃってるの。たったの数隻よ? 数隻。なら、簡単な話よね。あたしたちみたいに結界を幻視する艦娘が見間違えただけだって言えるんだもん」

 

 わらわらと艦娘達が中央に寄って、全員で書類をのぞき込む。

 小さな駆逐艦達も戦艦や重巡の足の間からすっぽりと抜け出して見ているが、どれだけ理解出来ているかは定かではない。

 ただ、それが皆の苦しんでいる原因の一つであることは、分かっているようだった。

 

「山元大佐も清水中佐も、元帥閣下と大将閣下と相対しては耐えられますまい。見事陥落したからこそ協力を仰げたわけでありますが……こうして改めてみると、ほんの小さな積み重ねだったのであります。徐々に、時間をかけて、ゆっくりと情報に虚偽を交ぜ込み――決して結論へ辿り着けぬように策略されていたのでありますよ」

 

 あきつ丸の言葉に川内は頷く。

 しかし、まだ分からない、という艦娘がいるのも然り。

 

 それもそうだ。一連の出来事がどこをどうして繋がっていると考えられよう。

 ここにきてからようやく、泣き続けて掠れた大淀の声が食堂に満ちた。

 

「――何が端を発したのかは、分かりません。ですが、かつて深海棲艦が世界を襲った時、どれだけ酷い様相であったかは皆さんもご存じの通りかと思います。それが時を経るにつれて、まるで知能を持っているかのように、的確に拠点を攻めるようになってきました。どんどんと進化し、今や戦略を持っていると言っておかしくない侵攻が起こっています。佐世保、鹿屋、宿毛湾……そして、柱島。もちろん横須賀や北の警備府にも起こっていますが、何故、沿岸部全体を襲撃しないのでしょうか。深海棲艦や私達が目覚めた――あの頃のように」

 

 誰も、何も話さない。

 大淀こそが答えに一番近いと思っているからだ。

 

「明らかに人為的な攻撃であるのは、記録から見ても明らかです。轟沈数に差異があり、多ければそれは戦果を求めた虚偽であると考えられますが、少ない場合ならば、どうしてそう偽らねばならないのか……分からなかったんです。でも、提督は――南方海域を開放した際に、一つ、元帥へ証拠を示したそうです」

 

 あきつ丸は、大淀の声を遮らないように囁いた。

 しかし、いつしかざわめきがおさまり静寂となった食堂では、大きく聞こえる。

 

「……少将の階級章が、ソロモン諸島で発見され、妖精の手によって持ち帰られているのであります」

 

「もしもこれが私の誇大妄想に過ぎないのであれば、それが一番です。ただ私達という存在が深海棲艦と同じく受け入れられていないだけですから……いくらでも手段を講じることは出来ると思います。ですが……一方で、もし、深海棲艦側についている人間がいるとすれば、話は、複雑化するとは思いませんか」

 

 段々と浮かび上がる事象に待ったをかけたのは、工作艦明石だった。

 

「それはつまり、どういうことなの? 深海棲艦と一緒になって人を襲ってるってこと?」

 

「私が言った通り、どこの鎮守府にも記録がある通り――深海棲艦が的確に拠点を襲っているというのは――()()()()()()()()()()()()()()()という事です。でなければ、出現した当初のように沿岸部を波状攻撃し続けるだけで、私達という戦力はそれだけ分散されます。押し返す事は可能でしょう。ただしそれは、限界を迎える時が必ず来るという未来を避けられません。どうやって生まれてくるのか分からない深海棲艦を相手にとって、波状攻撃を耐え続けるなど、愚策過ぎます……」

 

「あ、あー……それは、まあ……。じゃあ、操る術があるなら波状攻撃し続ければ勝てるって事じゃん! いや、私達が負けるなんて困るんだけど……そうしない理由が……」

 

「目的が人類では無く、海軍であるならばどうでしょう。そして深海棲艦を作り出す、もしくは類する事が可能であれば、さらに確実性は増します」

 

「――!?」

 

「海軍、もしくは、私達艦娘を壊滅させることを目的としているのなら、戦力を分散させて無暗に攻撃し続けるよりも、内部の情報を操り、最小戦力で撃破する方が確実です。腐敗させ、まともな運営の出来なくなった鎮守府で様々な種類の甘い汁を吸わせておけばいいのですから。私達が出現し続ける深海棲艦を各個撃破してきたように――統制の崩れた海軍の拠点を各個撃破すればいい」

 

 いや、それでも、食堂がそんな声声であふれる。

 だが大淀はさらにこう付け加えた。

 

「……提督が失踪した六年前からです」

 

「何がよ」

 

 大淀は明石を見て、ただ事実を告げた。

 

「深海棲艦が、急激に勢力を伸ばし始めた時期です」

 

「あ……」

 

「開放した南方海域が再び奪われ、周辺拠点はそこへ完全に釘付けにされました。ラバウル、ショートランド、トラック、パラオ……南方海域から本土へ向かう深海棲艦の動向を注視するしかなかった――そこに少将が出張り指揮することはおかしなことではありません。それでも……被害は徐々に拡大し続け、南方にある拠点は機能を完全に集中させる選択肢しかなくなった……」

 

 掠れたままの声が痛ましく、ぐるる、と喉の奥で時折鳴る号泣の残滓。

 

「全部妄想なら、それでいいんです。私がおかしいだけで……! でもっ、提督はこれから先、迷惑をかけると言って……ルーティンを作り、それをこなせば鎮守府の機能を失わずにいられるようにして、座学なんて、ものまで……私達だけで、やっていけるようにしてる、みたいで……私、提督に訊いたんです。」

 

 誇大妄想もここまでくれば天晴れであると称賛できるくらいに、滅茶苦茶な話である。

 もしも少将が無実であれば完全な精神異常者として大淀は解体以外に道は無くなるだろう。

 

 しかし――先の作戦に、大淀の言った全てを当てはめたとしたら、海原鎮の行動の意味が、浮かび上がる。

 

「提督は全てを守ろうと、しているのだと思います……国も、人々も、海軍も……私達も……でもそうすると……提督は、たったお一人で、戦う、ことに……」

 

「めちゃくちゃじゃんかそんなの! いや、ありえないって! そりゃあ呉で不正があったとかも聞いたし、知ってるし……駆逐艦を助けたのだって凄いと思うよ! もっと、他に理由があったりさぁ……!」

 

「たっ確かに! まだ考えられる理由はあるやもしれません! これは大淀殿の、一つの考えというだけでありますから! まだ、確定はしておりませんから!」

 

 喚くように言ったのは北上だった。あきつ丸が驚いて宥めようとするも、止まらず。

 先刻まで提督の肩を持っていたというのに何故、という顔を大井が向けたのも仕方が無い事だろう。

 だが、否定した理由は――北上が、自らにも浮かんでしまった大淀と同じ考えを、否定したいからこそ。

 

「そしたら……アタシにあんな事言ったのは、いつ死ぬか分からないからみたいじゃんかっ!」

 

「っ……」

 

 北上の悲痛な叫びに、大淀の目にまた水滴が生まれる。

 彼は、出来ることを、出来るだけ多くせねばと、生き急いでいるように思えて仕方が無かった。

 

 艦娘を救い、部下を救い、では誰が――彼を救ってくれるというのだ――?

 

 全員に疑問が生じたその時、食堂の扉が、がらりと開かれた。

 しんとした食堂内に――彼が、現れた。

 

「失礼する。大淀はいるか」

 

 大淀は思わず顔を伏せた。

 それを横目に、龍驤が口を開く。

 

「何や司令官。話にでも来たんかいな」

 

「……そうだ。大淀に、話があってきた」

 

 まだ、隠そうとするのか。

 全員が落胆しかけるも、龍驤は怒っていて、それでいてチャンスを与えるかのように言う。

 

「大淀にぃ? っは、おっかしいやっちゃのぉ……ウチらに、の間違いやろ? あぁ?」

 

「そう……だな。お前達にも、話さねばならん」

 

 どこからともなく、息を呑むような音。

 

「言い訳は後だ。大淀――すまない。全て、私が悪かった。本当に、すまない」

 

「……」

 

 沈黙の中で語られる、かの男の想い。

 

「私はお前達の事ならば何でも知っていると思い込んでいた。だが、記録を全て見て――ただ、表面上の事しか理解していなかったのだと痛感した。お前達にはお前達の苦しみがあって、お前達の歩んできた道があることなど、当たり前のことなのに、私はそれを見ようともしなかった。私が出来ることをする、それこそが私がここにいる唯一の理由なのだと、必死になっていた」

 

 違う。そうじゃないだろう。艦娘の誰もがそう言いたかった。

 あなただって苦しんでいるはずなのに、どうしてそこまで私達を想えるのかと、叫び出しそうだった。

 

 軍人という立場であるからこそ、あなたは人を救わねばならないと考えているのでしょう。

 

 それこそがあなたの生き様なのでしょう。

 

 しかしあなただって、傷ついているのは一緒じゃないか。

 

 全員を見回して話す提督は、大淀達が話したのであろう事を察した顔で言葉を紡ぎ続ける。

 

「私は最初から最後まで、独りよがりだった。呉での仕事も、柱島での仕事も、こうしておけば問題無いと、取り繕うような事ばかりしていた。こうすることでお前達といられるのなら、ほんの少しでも縋れる場所があるのなら……そうして、目的を見失っていた」

 

 拠り所になれるのなら、私達でいいのなら、だんだんと艦娘達の心が共鳴しはじめる。

 

「私の仕事は、必死になって逃げる事ではないんだ。違う……違ったんだ……――私に、課せられた任務は――お前達を、支えることなんだ」

 

 私達とあなたはずっと――すれ違っていたんだ。

 

「――私は、お前達の提督でありたい。これまでも、これからも、私が死ぬまでずっとだ! 要領も悪く、杜撰な仕事も多い私のことだ。どれだけ必死に頑張ったとしても、お前達には想像を絶する苦労をかけることになるだろう。しかし、それでも……」

 

 苦労など、もう十分にかかっている。

 提督が秘匿し続けた真実を見つけるのに、あの大淀がここまで大泣きしたのだと、誰ともなく思った。

 

 しかしそれは、提督が私達を必要としていることの証左。

 

 提督と話したことのない艦娘もいる。

 ただ遠くから見つめていることしか出来なかった娘も、一言だけ挨拶を交わしただけの娘もいる。

 しかし彼はずっと、私達を見ていた。

 

 初めて会った日に言ったように、ずっと見ていてくれた。

 私達は、ここに来てやっとあなたを見たというのに。

 

 深く頭を下げた一人の男を見た瞬間――

 

「……お前達を支えようとする私を、支えては、くれないだろうか」

 

 ――柱島の一同は、今までに経験のない強烈な共鳴を起こした。

 

 彼が、弱さを見せたその瞬間の事である。

 海を守らねばという艦娘の心の熱が、全身を巡り、滾った。

 

 私達の提督は――他の誰でもない、この人なのだと。

 

「どうか、お前達の傍に、いさせてくれ」

 

 それからは――語るまでも無いだろう。

 こうして全員が全てを知り、提督の想いを受け、立ち上がったのだから。

 

 

* * *

 

 

 その後、提督が言葉少なく食事を済ませて早めに休むと言って去った。

 きっちりと「明日から、頼むぞ」と大淀に言いつけて。

 

「おやすみなさい、提督」

 

 見送ったあとの事――大淀は腫れぼったい目を恥ずかしそうに前髪で隠しながらもそもそと食事を続けた。

 そんな大淀の横にどっかり腰をおろしたのは、飛鷹だった。

 

「それでぇ? 我らが秘書艦様は提督に抱き着いて満足そうだけれど、明日からのことについて何かないの?」

 

「んなっ……あ、あれはっ……! そのぅ……皆さんだってそうじゃないですか……」

 

「ふふふっ、冗談よ。でも……よく、気づけたわね、あんな気難しそうな提督の考えなんて」

 

 温かなお茶をあおる飛鷹の向こう側から、椅子に足を乗せた格好の隼鷹が同意した。

 

「ほんっとだよぉ。しかもとんでもねえ事をよくあたしら艦娘に隠せてたな。知ってたのは大淀とあきつ丸と川内、くらいなんだろ? ソロモンに出て行った第一艦隊と支援艦隊にはどう隠してたのさ。任務にも出たってのに」

 

 もう全員が知っているという安心感か解放感か、大淀は漬物をちびちび噛みながら言う。

 

「完全に隠し通せていたというわけではありません。ヒントは多くありました。それに、瑞鶴さんは、違和感を覚えていたみたいですから」

 

 ほぉ、と感嘆の声が湧き、多くの艦娘が瑞鶴を見た。

 当の瑞鶴と言えば、首を横にブンブンと振りながら顔を赤くして否定するのだった。

 

「ち、違う違う! ほんと、ちょっと変って思っただけよ! 作戦自体は、ちゃんとしたものだったし……拍子抜けしちゃったのが、おかしいって思う原因だったのかもしれない……かな。だってあの南方海域よ!? 今考えても、信じらんないわ……大淀さんの言う通りなら、まあ、開放自体は、通過点だしなあって、今になって納得しちゃった」

 

 大きく息を吐き出した瑞鶴は、ね、と隣に座る翔鶴へ同意を求めるように顔を向けた。

 翔鶴は話題を振られた途端、慌てたように頷いたが、曖昧な顔で笑うだけ。

 

「わ、私は、よくわからなくって……すみません」

 

 重巡の那智がしかめっ面で「分かるか! あんなもの!」と憤慨しながら翔鶴の言葉を肯定する。

 憤慨こそしているが、その目元はやはり、心を開いてもらえたという事実に濡れていた。

 

「こんな数を相手に提督もよくやるわね、ほんとに――でもこれで、明日からの動きは、変わるのよ、ね?」

 

 陸奥が大淀を見て言えば、はい、と声が返ってくる。

 しかし、その声は迷っているようだった。

 

「何よもう。ここまで来たら隠し事は無しよ」

 

「それはそのつもりなのですが……ただ……演習や座学について、私の見立てでは、私達全体の練度が底上げされたと実感出来るのは、半年後になるかと」

 

「半年? まぁ、半年で少しでも強くなれるなら、いいんじゃ……」

 

「呉を除けば、きっと私達は外部との演習は難しいでしょうから、実感するのが、半年後であるということです。対外的には欠陥であるという認識でしょうから。練度という数字だけで言うなら、横須賀や舞鶴と並ぶ可能性もあります」

 

「ちょっとちょっとちょっと、待って、そ、そんなに!?」

 

 陸奥の驚愕する声に頷いた大淀は箸を置いて全員に言った。

 

「隙間なく詰め込まれているルーティンですが、前提としてそれぞれに二日ほど非番の日が設定されています。朝から夜まで順繰りに演習が予定されており……二艦隊ずつ、朝、昼、夜と分けられています。――哨戒と遠征の交替を含め三艦隊、演習に六艦隊、合計五十四隻は常に鎮守府から出て活動をしていて、残りは待機なんです。隙のない、模範的ルーティンと言ってもいいでしょう」

 

「それを本当に一晩で振り分けたの、あの人……?」

 

「はい。私は手伝っていません。これは――提督がいなくなった場合でも通用するように組み上げられたものです。提督が全力で戦うとおっしゃった今、私達に求められることは――艦娘としての練度の向上――それも、圧倒的な、向上です」

 

 ざわ、と食堂の全員が波のように動いた。

 それは否定的なものではなく――

 

 

 

 

「提督の覚悟に見合う艦娘となるために――このルーティンを、圧縮します」

 

 

 

 

 ――大淀の声に呼応する、強い意志。

 艦娘達の胸中に浮かぶあの男の姿。

 

 各々が越えてきた苦境など、あの提督の覚悟と天秤にかけるまでもない、と全員の目がギラついていた。

 

 そうして、大淀はその場で即座に《圧縮した日程》を書き出し、配布した。

 息を呑むもの、拳を握りしめるもの、鼻を鳴らすもの、様々な反応であったが、もれなく、全艦娘は挑戦的な笑みを浮かべていたのだった。



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七十一話 指導【提督side】

 まさか既に食堂に全員が集まっているのではないか、という不安は杞憂に終わった。

 まだ俺一人のようである。

 

「あ、あら、提督、もうあがられたのですか?」

 

 間宮と伊良湖がキョトンとした顔で俺を見るものだから、普段から烏の行水と思われてしまうかもしれないと――この時の俺は混乱していたのだ――いらぬ言い訳をしてしまう。

 

「う、うむ……その、やることが、あるのでな……?」

 

 やることって何だよと自分で突っ込みを入れたいところだが、そんな場合ではない。

 俺にやることなど仕事以外に無いのだから。

 

 それよりも! ちょっとあなたたちッ! 答えなさいッ!

 

「前までは五時に総員起こしだったと思うのだが、今日は何かあるのか?」

 

 席につきながら二人に問うた後になって、これでは俺が把握していないみたいではないか! と後悔したが、いくらさわやかに起きて風呂に入った後であったとしても、思考までしっかりと覚醒しているわけではなかった。気が回らなかったのはもう誤魔化すしかないと胸中でもやもやと考える。

 

「いえ、特筆するようなことは……」

 

「えぇ……?」

 

 間宮が食事を運んできながら言う。まもるは大混乱である。勘弁して。

 特筆するようなことが無いのに四時に起きるって、お前ら艦娘は超人か?

 

 そうだね。超人だね。だって早いもん!(起床時間)

 

 テーブルに並べられた食事は、今朝、伊良湖に聞いた通りのメニュー。

 めかぶひじきに、筑前煮、ミートボールに麦飯、そして味噌汁。

 続けて、ことりと横に置かれる温かなお茶。

 

 どうぞ、と俺に笑顔を向けてくる間宮。はい百点満点。今日も一日頑張ります。

 

 ――……って違う! そうじゃない!

 

 四時て! 現在の時刻、四時!

 

 食堂の壁掛け時計もそう示している。決して俺が先ほどまで艦娘に囲まれて甘えられている夢を見ている状態というわけでは……んんっ。

 決して、俺が仕事を頑張っている夢を、そう、そういう夢を見ていて、未だ夢の中というわけではないと、そう言いたかったのである。これは現実だ。

 

「提督……昨夜は早めにお休みになられてましたが、どこか具合が悪かったりするのですか……?」

 

 俺の狼狽が伝わったのであろう。間宮が心配そうに見つめてくるものだから、そうではないと伝えるために帽子を脱ぎながら否定する。

 

「いや、むしろ久しぶりに気持ちよく目覚められた。お前達に……」

 

 部下全員の前で頭を下げる。あの行為は上司として本来ならばあるまじき姿である。

 そもそもにおいて上司が失敗をしてしまった場合、部下にいらぬ心配をかけぬように解決した後、酒の席か食事の席か、そういったところで笑い話にする――というのが、俺の理想だ。

 

 まあ、そんな理想を体現できず昨夜は手伝ってくださいとお願いしちゃったわけなのだが……。

 

「……情けない姿を見せてしまったのでな。心機一転、というやつだ。出来ることを出来るだけやるつもりだから、体調管理も心配はいらない」

 

「でしたら、いいんですけど……」

 

 と、このように、自分の首を絞める結果となってしまうのであった。

 ちっがう! 仕事がしたいわけじゃない! あ、いや仕事はするよ。艦娘達を助けるためならまもる、誰よりも頑張っちゃいます! と俺の心の長良もそう言っている。

 

 ……だからそうじゃねえッ!

 

「入渠ドックから出た時、長良に出会ってな。放送でも演習をと言っていたが、朝の演習は九時からだったろう。十分に時間もとってあるはずだが……」

 

 艦隊これくしょんの知識をフル活用して不眠不休で作成した演習表は、朝の九時から昼の十二時まで三時間、そこから二時間ほど休憩時間を取らせて、十四時から十九時までの演習。これだけでもゲーム時代から考えれば相当な速度で練度を上げられるだろうに、朝の四時からて。

 午後三時と午前三時に演習相手が更新されていた頃とは違うのだ。手動ならぬ口頭で演習相手を切り替えて何度だって戦える。経験値……といった数値こそ無いものの、それで十二分な成果は得られそうだと必死になって考えたのに……どうして……。

 

 他の鎮守府ではこれが普通なのか? 軍隊だから?

 

 いやいや、曲がりなりにも俺だって艦これプレイヤー。多少なりとも、その方面の知識はある。

 

 俺が生きていたあの日本でいう軍隊――正確には防衛のための組織で、国際法上で軍隊という扱いらしい――は、朝早いと言ってもせいぜいが六時起床。身辺整理から始まり、朝食を済ませ、そこから清掃を行ったりして、訓練となっていたはずだ。

 

 ここに来ている艦娘は全員が他の鎮守府で心や身体に傷を負ってしまった者ばかり。

 であるならば、支え、癒す事が目的であるのだから、仕事、または任務なんてものはポーズだけで良いとさえ俺は考えていた。もちろん、任務をしないというわけではない。

 そのために、遠征や演習、近海警備まで組み込んで計画を立てていたというのに。

 

 九時に始まって十九時に終わる。そして休憩を二時間、あとは自由時間。実働勤務時間は八時間。

 全員が演習に参加するわけではないので、非番以外にも待機という形で艦娘が休めるようにもしてある。これ以上とないまでに完璧かつ美しいローテーションだろうがッ……!

 

 井之上さんが見たらきっと褒めてくれるに違いないというのに、なんでぇっ……!?

 

「大淀さんの提案だったのですが……提督の任務に従事する以上、練度の向上は最優先事項である、と……」

 

「えっ」

 

 大淀テメェェェエエッ! あいつの仕業かコラァッ!

 と、俺の心が怒りに燃えたその瞬間、がらりと開かれる食堂の扉。

 

「おはようございます――あっ、提督!」

 

「……大淀か。ちょっとこっちに来い」

 

 件の大淀が出現。昨夜の事がある手前、強くは言い聞かせられないが、ここは心を鬼にして大淀に総員起こしが何故一時間も早まったのかを聞かねばなるまい。これではスケジュールが滅茶苦茶なのだ。

 

「あっ、は、はい……」

 

 大淀は早朝であるにもかかわらず身だしなみをきちんと整えており、顔もすっきりとしていた。

 あれだけ大泣きしていたものだから目元は少しだけ重たそうだが、今日も抜群の可愛さである。

 

 い、いかん。まもる、呑まれるな……心を、鬼にしろ……!

 

「失礼します……」

 

 ちょこん、と俺の真横に座る大淀。理性はまだ大丈夫。

 

「スケジュールの変更を行ったようだな。驚いたぞ、こんな早朝に総員起こしとは」

 

「も、申し訳ありません! その、提督を……手伝いたくて……」

 

 ……耐えろ。まだ、まだいける。

 

「スケジュールの変更については、私よりも大淀の方が他の鎮守府を知っている分、参考が多いであろうから私は何も言わん。しかし、こうも早く起床させてはみなもつらかろう」

 

「……え、と」

 

 大淀は「はい……」と消え入りそうな声で返事をして、顔を伏せてしまう。

 あっ、ち、違うんだ大淀! って違わない! 違わないぞまもる、お前が正しい! 呑まれるなって!

 

「私はお前達がどのような境遇にあったかを知っている。だから無理をさせぬようにと予定を組んであるのだ。それにな、大淀。組んだ予定とて無理をせぬようにとは言っているが、あれで十分な勤務時間を確保出来ているのは見て分かるだろう?」

 

「し、しかし、その……練度にバラつきがあると仰られていましたので、早急に練度の向上をするには、これが最適で、あると……」

 

 んんんんん! じゃあその予定を見せてみなさいヨォッ!

 おかしな点があったら全部直してやっからさァッ! ほらほらァッ!

 

「大淀が最適であると考えているのならば、そうかもしれんな。しかし何度も言うように、私は時にお前達に無理を強いる可能性のある立場なのだから、普段は楽に過ごしてほしいのだ。その気持ちも、分かってくれ」

 

「提督……」

 

 少し行儀が悪いものの、食事をしながら言う俺に、大淀の声。

 そちらに顔を向ければ、上目遣いでこちらを見るうるんだ瞳。

 

 んぐぉぁっ……や、やめろ……ソンナ目デ、見ルナヨォッ……!

 

「提督がお優しいから、甘えて、しまうんです……しかしそれでは、私達は……」

 

「何を言うか。甘えることのどこが悪い。私とて甘えられて嫌なわけが無かろう。いつでも来い」

 

 ちょっと本音がこんにちはしてるよ俺! もっと耐えろ馬鹿!

 

「……それよりも、だ。大淀、お前の組んだ予定表はあるか?」

 

「あ、はいっ! それならこちらに」

 

 どこから取り出したのか、すっと俺に差し出される数枚の紙。

 俺がまとめたものよりも格段に綺麗で見やすいのでちょっぴりショックを受けてしまうが、それどころではない。

 

 見てみれば、それはもう、言葉にならないくらい――

 

「必ず二日は非番の日を、と仰っていましたので、各員の時間を調整し、二日ごとに一日の非番を設定してあります。資源確保の遠征は基本的に潜水艦の皆さんに行っていただいているので、予定の調整は殆どしておりませんが、夜間に行われる演習に参加してもらう形にし、明るい間は遠征行動を取ってもらうように――」

 

 ――完璧である。

 

 大淀がつらつらと説明している間、きっと俺はぽかんと口を半開きにしていたことだろう。

 朝から昼までの予定、昼から夕方までの予定まで完璧だ。そして夜には演習が少しあるだけで、哨戒を行う艦娘は必ず翌日は休みに設定されている。

 多少タイトなスケジュールにも思えるが、時間通りに行動する事が基本であるのだから、問題という問題にはならないように思えた。

 

 総員起こしが四時になっている原因は、そのタイトさにある。

 四時から行動を開始している分、演習が大まかに三つに分かれていたものが、一つ増えているのだ。

 

 しかしそれでは演習に参加しない艦娘を叩き起こす理由にはならない。

 穴を見つけたぞ! と思った矢先、よくよく見てみれば、一時間早い行動にはきちんとした根拠があるようだった。

 

 ――夜間哨戒組との早期交替である。

 

 そう、翌日が休みに設定されている夜間哨戒組を早く交替させる事によって休日となる時間を伸ばしているのだ。

 それ以外にも、夜間演習に参加していない艦娘の自由時間が伸びているため、実質的な勤務時間に変更は無い。

 

 今日の哨戒組との早期交替要員は、俺が今朝出会った長良であった。

 

 哨戒のルートにも変更は無く、哨戒時間が短くなったわけでも無い。

 簡単に言うなれば、早くに出撃し、早くに帰還、交替して、哨戒を続ける。

 

 なんだコレ。魔法か……?

 

「……トラブルがあった場合はどう対応するのだ」

 

 俺の問いに、大淀が待ってましたと言わんばかりに、俺が持つ紙の一点を指さした。

 

「艦娘保全部隊――あきつ丸さんと川内さんを筆頭に、日替わりで駆逐艦の皆さんを組み込むことで、トラブルに対応できるようにしてあります。こうしておけば、多くの駆逐艦が時間を持て余してしまうという事もないかと。自由時間に外で遊ぶ駆逐艦も多いですから、その……提督にだけ、平たく言いますと、お散歩がてらに見まわってもらえるなら、そちらの方が皆も気が楽かなあ、と思ったんです……」

 

 そう……そうね……うんうん……。

 

「……」

 

 俺は紙をそっと机に置くと、間宮と伊良湖特製ミートボールを一つ口に放り込み、咀嚼する。

 その後、麦飯を口に詰め込み、味噌汁で流し込むと、やっと声らしい声が出た。

 

「ふむ」

 

 ――完璧じゃぁん!? これじゃ俺、この鎮守府で一番いらない奴になるじゃぁん!?

 これじゃまーちゃん(※まもる)が活躍できないっぴょん! ぷっぷくぷー!

 

 馬鹿! だから落ち着け俺ェッ!

 

 ここは、ほら、もっと上司らしく「私の許可無く勝手にスケジュールを変更するな! 馬鹿者!」とかあるだろ! ビシっと言うんだ!

 

「……これを一晩で?」

 

「は、はい……提督が作成してくださったものに手を加えただけなのに、一晩もかかってしまいましたが……」

 

「いいや、一晩で作成出来ただけで素晴らしいことだ。大淀、よくやったな」

 

 俺は憤怒の表情で大淀に手を伸ばし、ふんわりと頭を撫で……アレェッ!?

 違う! 違うんだ! 俺は大淀に勝手に俺の仕事を奪うんじゃねえと一発かましてやろうとして……。

 

「ぁ……て、提督、あの……ありがとう、ございます……」

 

 へにゃん、と表情をほころばせる大淀。今日も一段と可愛さが爆発している。はい百点満点。

 って、だーかーらー!! おっま、まもる、ほんとおっま、ちゃんと仕事せェ!

 

 心の龍驤に活を入れてもらうも、俺は何とか完璧なスケジュールを再調整し、艦娘達に少しでも楽をしてもわらねばと、明後日の方向に思考が回転しはじめるのだった。

 

「では、本日はこのスケジュールで運営に問題は無いか、見まわって確認させてもらうとしよう」

 

「はいっ!」

 

 

* * *

 

 

 朝の執務は、大淀のスケジュール変更を一時的に承認する決裁の他、普段と変わらないものだった。

 本日の補佐艦としてやってきた加賀を加え、俺と大淀の三人でサクサクと済ませてしまい、昼前には手持無沙汰となってしまう。

 

「提督は……普段からこの速度で、この量の処理を……?」

 

 ふぅ、と息を吐き出しながらペンを置き、書類をまとめてくれる加賀の声に肯定する。

 

「うむ。大淀も加賀もいるものだから、楽なものだ」

 

「い、いえ、楽なのでしょうか、これ……」

 

 俺のデスクに積み上げられているのは、誇張でもなんでもなく、数百枚に及ぶ書類である。

 難しそうに見えるだろ? でもこれ、確認してサインするだけなんだぜ。

 

 前職のように書式もひな形も無い状態で一から全て作り出し、その上でデータと紙の両方を用意しろと言われるより楽なものである。なにせ着任後すぐに作成した書式に、艦娘が報告を書いているだけ。

 こんなもの、超ホワイトである。

 

 ブラック企業がブラックと言われる所以は、なにも勤務時間に無茶があるというだけではないのだ。

 仕事の順序が立てられていないが要求だけは多い。もしくは、その要求が常に必要人員を大幅に上回っていることが常態化しているか、である。

 

 仕事の順序を立てるのが社会人の役目だ! とかつて知り合いに言われたが、否定は出来なかった。

 そうすることで仕事をどう効率よく回すのかが社会人の力量の見せどころで、そこにこそ経験の差が出るというものだろう。

 しかし、その知り合いは俺の言葉で閉口することになった。

 

『百人分の仕事を一人で明日までに片付けろと言われたら、どうやって順序立てる?』

 

『そりゃお前、百人分の人員を用意してこいって跳ね返すしかないだろ!』

 

『それを上司の誰もが出来ないから、ブラックなんだろ?』

 

『ああ……』

 

 これこそが答えなのだった。

 部下の要求を呑まない上司。しかし自らの評価だけは上げたいため、仕事だけは取ってくる。

 無茶な量を押し付けて、自分はさらに違う仕事を得る。それが自転車操業のように続けられた結果に出来上がる職場こそが、ブラックと呼ばれるものだ。

 

 もとより労働基準法など守られていないのだから、是正は難しい。

 それをしようとするのなら、手っ取り早く人員を総入れ替えする方がよっぽど現実的だろう。

 

 そこにまた親族経営だの横と縦の繋がりだのと複雑に事情が絡み合っているために、ほぼ実現不可能であるのが実情なのだが……これを加賀や大淀に話したところで仕方が無い。

 

「私にとっては楽、というだけだ。殆どはお前達の素晴らしい働きによってなされた事なのだから、私が大変なわけがなかろう」

 

 確認作業は大淀と加賀が率先してやってくれるものだから、俺は本当にサインしかしていない。

 確認漏れが無いかくらいはざっと見ているが、二重確認されているのだから間違いがあるはずもないし、必然的に二人より作業が速く見えてしまうのも仕方が無い。

 

 ごめんね二人とも……甘やかせてもらってるのは俺の方だね……。

 

 しかしこれでは俺の立場が無ぁいッ! いかんぞまもる! 艦娘を支えることが俺の仕事だろうがァッ!

 

 と、俺は静かに立ち上がり、事務仕事で凝った首を鳴らして二人に言う。

 

「訓練の様子を見に行く」

 

 何故か二人はビクッと大袈裟なまでに驚いて、俺を数秒間見つめてくる。

 なんだよ……み、見に行くぐらい、いいじゃんかよ……。

 

「く、訓練の様子ですか? その、ど、どちらへ……」

 

 大淀がバタバタと立ち上がって問う。その横で片耳に指をあてて斜め下を向き、目を泳がせる加賀。

 加賀もいることだから、空母の訓練でも見てみるか、と軽い気持ちで言う。

 

「近海警備に出ている空母以外の訓練がどのように行われているのか見てみたいのだが」

 

 すると、先ほどまで目を泳がせていた加賀のサイドテールが風を切る音をさせるくらいに、ばっと顔を上げて俺を見る。

 その目は、そう――お前邪魔しに行くつもりか、オイ、と、そう訴えているように見えた。

 

「……邪魔か?」

 

 俺は決して邪魔するつもりは無いので、邪魔になるのなら行かないよという意味で言った。

 加賀はぶんぶんと首を横に振って、ぴん、と背筋を伸ばした。首取れるよそれ……。

 

「わ、わかりました。陸でも発艦の動作訓練が行いやすいので、弓道場を使っているのですが、そちらでよろしいですか?」

 

「ほう、弓道場か……」

 

 自分の鎮守府であるのに弓道場まで足を踏み入れたことのない俺は、アニメで見た光景を想像して少しワクワクしつつ頷いた。

 

「では、見せてもらおう」

 

 まもる……忘れるなよ……これは、艦娘が少しでも楽が出来る点が無いかを探すための見学なのだ。

 いくら大淀が可愛くて――違う、完璧で無理のない予定を組んでいるからと言って、全員が本当に問題無く過ごせているのかは別問題なのだ!

 

 さぁ、限界社畜まもる! 無能提督まもる! 今こそ汚名を返上するのだ!

 

 

 

 

 そうして、加賀と大淀に連れられてやってきたのは、艦娘寮にほど近い場所にあった武道場のような場所。こんなとこあったんだ……という表情をしてしまったが、見られてないのでセーフです。

 

 外からでも赤城と鳳翔の声が聞こえてくるほどに周囲は静かである。

 スライド式の扉を開き、玄関で靴を脱いで入っていく。

 靴下越しからも伝わる板張りのひんやりとした感触が気持ちよい。

 

「――……集中が切れていますよ、葛城さん」

 

「は、はいっ」

 

 俺の目に飛び込んできたのは、アニメの風景、そのものだった。

 横一列に並ぶ空母が弓をしっかりと構え、離れた位置に見える的に向かって鋭い視線を送っている。

 

 そのすぐ後ろでは赤城、鳳翔が綺麗な姿勢の正座で弓を構える艦娘達に指導していた。

 

 葛城の他、二航戦の飛龍と蒼龍、五航戦の翔鶴と瑞鶴、端には祥鳳と瑞鳳の姿もある。

 

 葛城以外の艦娘は身体に一切のブレを感じず、ひゅ、という短い風切りの音の後、遠くにある的へ、小気味よい破裂するような音をともない命中させていく。

 しかし葛城は一向につがえられた矢を放つ気配は無い。

 斜め後ろ、弓道場の入り口付近の俺から見ても、腕が震えているのが分かった。

 

 アニメでは加賀の弓道スタイルについて物議を醸していたが、こうして実際に見ると、ここに来る前に加賀が言っていた通り、動作訓練としては悪くないように思える。

 一方で、艦娘の発艦方法の一つ、弓道とは異なるスタイルを一部で《空母道》と呼んでいた事を思い出す。波のある海の上で発艦させるためにアクロバティックな恰好で射る必要があるのだ! との声が散見されたものだが、陸だとこうも静かなのか……と息を殺してしまう俺。

 

 俺がここに来て本当に大丈夫だった……? 邪魔になってない……?

 

 と不安に駆られていると、やっと俺が来たことに気づいたようで、鳳翔と赤城がちらりと俺を見た瞬間、はっとして立ち上がろうとする。

 

 あーあーあー! ごめぇぇええん! やっぱり邪魔だったよねー!?

 

 しかしここで慌てては限界社畜の汚名返上は出来ない。冷静に、クールに、かっこよく。

 

「座っていろ」

 

 一言だけ言って片手で座るようジェスチャーし、弓道場の入り口から隅の方へ移動し、腕を組む。

 ここなら邪魔にならないでしょ!? ね!? もう、数分も見たら帰るんで! すんませんっした!

 

 俺の声に気づいたのか、各々の姿勢に変化があった。

 さらに、ピリピリとした空気が弓道場を包む。邪魔した本人である俺は既に泣きそうである。

 

 目的であった無理をしているようならば止めねば、という考えはとうに消え、あるのは「やっぱり俺が来た方が邪魔だし無理させちゃうよね」という当然たる結果だけだった。

 

 ぴゅん、という弓の音が、言語化するならば、シッ、という高音に変わり始める。

 

 そんな中でも、葛城は未だに矢を放つ気配は無い。

 ……これが止めるタイミングでは? と絶好のチャンスを見つけ出した俺は、すまない、と一声。

 

「――葛城。いいか?」

 

「っ……は、はい」

 

 俺の声に構えを解いた葛城は、額がべっとりと汗で濡れていた。

 いやこれもうすっごい無理してるじゃんか! あーもうやっぱりぃ! 大淀ォッ!

 

「体調が悪いか」

 

 単純な問いに、葛城はキョトン、として首を横に振る。

 

「え……? いえ、特には……」

 

 あ、あれ……?

 

「では、何故矢を放たなかった」

 

「あ、それ、は……」

 

 離れた位置のまま会話する俺と葛城。

 そんな葛城が視線を鳳翔へ向けた。俺の視線もそれにつられて鳳翔へ。

 

 鳳翔は正座したまま、静かに説明してくれた。

 

「……葛城さんは弓を使用しての発艦を行うのですが、少し、違うのです」

 

 違う……? としばし考えたところで、俺はある一つの事を思い出す。

 雲龍型正規空母――彼女らは艦これの中では龍驤達と同じ方法で発艦を行うのだ。

 一番艦雲龍、二番艦天城は《陰陽スタイル》と呼ばれる発艦。

 その中でも唯一、三番艦の葛城だけは《ハイブリッド》と呼ばれる発艦方法である。

 

 弓を使って射出するが、つがえる矢は式神、そんな特異なスタイルであることは、艦これプレイヤーならば常識である。

 

「葛城は陰陽と弓道、複合式の発艦方法だったな……それがどうして、矢を放たない理由に?」

 

 大丈夫です、安心してください。まもるだって提督です。うっすらしたものであろうが知識はあります。

 ただの無能ではないと言うことが証明できただけで自分を褒めてやりたいくらいに甘々な俺。

 鳳翔と赤城のみならず、他の空母は俺を見て何とも言えない表情をしていた。

 やめて見ないで。いたたまれないだろうが。

 

 大淀と加賀は助けてくれる気配も無い。厳しすぎんか君ら。

 

「提督の仰るように、陰陽――式神の発艦は高い集中力を必要とします。ですので、ただ矢を射るだけでは発艦出来ないのです」

 

 鳳翔の言葉に頷く。

 ……ほーん。なるほど? 平気平気、分かってたし。見て分かったし。

 本当だから。ちゃんと理解してたから。

 

「……ふむ。その集中を高めるために、構えたまま、じっとしていたのだな。しかし、長時間集中して放つものなのか?」

 

 そうなんだね、へぇ! くらいの感覚で言ったつもりだったが、式神って要するにアレだろう?

 艦載機に乗る妖精みたいなもんだろ……? そんなに集中してたら本当に発艦しちゃうじゃん。

 鎮守府を艦載機が飛び回るとか、おとぼけ提督が瑞鶴に怒られる時くらいしか見んぞ。主に同人誌とか。

 

 ここまで考えたところで、自分が場違いかつ余計な事を言っているのに気づいて弁明する。

 

「すまない、別に鳳翔の指導に異を唱えるわけでは無いのだ。少し、気になっただけで……」

 

「……提督、お願いがあるのですが」

 

 鳳翔が鋭い目つきで立ち上がった。やべえ、これは怒られる――ッ!?

 

「一度、見せていただけませんか。提督のお力を」

 

 えっ? いや……えっ?

 

 俺の力……? 書類の処理能力くらいしかないけど、ここで……?

 

「私が? いや、しかし……」

 

「これも一つの勉強になるかと思います。無茶を言っている事は承知していますが、どうか」

 

 鳳翔は俺の前までくると、すっと弓を渡してきた。

 ――無理だよォッ!? ただの社畜が弓道とかできるわけないじゃんかよ!

 

「練度向上の一助に、お願いします」

 

 弓を受け取りはしたものの、頭を下げる鳳翔に、俺を見つめる空母達に対して上手く言葉を紡げない。

 ここは素直にやったことが無いから無理と言うべきなのだろうが……やる前に諦めるなんて違うよな! と妙なやる気が出てくる。

 

 そうだ、まず矢を放つことなど出来ないだろうが、一度やってみせ、失敗した後に、こう言うのだ。

 

 何事も挑戦が大事なんだぞ。俺は失敗したが、これが普通なのだ。こんなにも難しい事をやり続けるお前達は凄いんだ! だから、無理はせず、適度に休憩を挟むのだぞ……。

 

 これだ。完璧じゃんかぁ……俺ぇ……!

 

 よし、これで行こう! 既に情けない姿なんてたくさん見せてるんだ、一度や二度の失敗で笑う艦娘達では無い! 失敗しても大丈夫、そういう所を上司の俺が見せれば、皆はきっと気が楽になるはずだ!

 

 ここまでコンマ秒の速度で思考した俺だったが、大勢の空母に見られている状況に吐き散らかしそうであった。

 仕方ないね、怖いもの。

 

「肩入れはなさいますか?」

 

 鳳翔の言葉にキョトンとする俺。肩入れ? 既に艦娘には肩入れしてるけど?

 

「必要なかろう」

 

「えっ、あ……そう、ですか……」

 

 不安そうな目で俺を見る鳳翔。安心しろよ、俺が一番不安だよ。

 そうして、葛城が先ほどまで立っていた場所まで来た俺は、左手で弓を持ち、構えたところで――矢がねぇ! という事に気づく。

 

 すると――射る場所から遠くにある的の間にある屋根のない部分から妖精達がふわりと現れた。

 その妖精達の手には矢があり、しかたがねえなこいつ、みたいな顔で俺へ手渡してくる。

 

 ……すみません妖精様方、もう何から何まで。

 

「……」

 

 静寂に包まれたままの弓道場。妖精達は矢を渡すだけ渡して早々に屋根の向こうへ消えていく。

 俺の背後では息を呑むような雰囲気。

 

 失敗するつもりで立ったというのに、何故か失敗は許されない空気が漂う。

 

 アカーン……ちょっちピンチ過ぎやぁ……!

 

「……っ」

 

 大の大人であればどれだけ不格好であれ弓は引ける。ただし、飛ぶかどうかは別問題である。

 集中するどころか、矢をつがえて一秒もせずに俺は指を離した。

 

 当然、矢は飛んだが、的に届く前に、道半ばにしてひょろりと地面に落ち、ぱすん、と刺さった。

 

「うっそ……え……?」

 

「今の、なに……?」

 

「提督さん、今の……」

 

 やめてやめてやめてェェェエエッ! 素人なんだから射れるわきゃねえだろうがヨォオオッ!

 飛龍と蒼龍の声に続き、瑞鶴の声が矢の如く俺に刺さる。弓道なだけに。

 

 ってやかましいわ! クッソァッ!

 

 そ、そうだ、もう逃げよう! 空母達には悪いが、お前らは、ほら、簡単には疲れないだろう!?(暴論)

 だから別の艦娘が無理してないか確認しよう! そうしよう! うん!

 

 俺は失敗は誰にでもあるんだからね、という当初の目的を果たすためだけに口を開く。

 

「……出来ん事は出来んものだ。出来る事を積み重ねるのが大事であることを忘れるな」

 

 よし、オッケー。逃げよう。

 俺は空母達の顔も見れず、腕だけを伸ばして弓を返す。誰か受け取って、と。

 おそらくは鳳翔であろう。ぱたぱたと軽い足音の後に「あ、ありが、とう……ございました……」という声が耳に届いた。ごめんねお艦、まもるには無理だったよ。

 

 そうして、俺はそのまま弓道場から出るために歩き始める。

 

「て、提督! お戻りになられるのですか?」

 

 加賀の言葉に、俺は体裁だけは保つのだと冷静に返答した。

 

「他の者の様子を見に行く。今日の執務はある程度終了している、加賀はここで訓練するなり、自由に過ごしていいぞ」

 

「は、はい……!」

 

 加賀の声を背に受けつつ、空母達の雰囲気に敗北を喫し、弓道場を後にしたのだった。



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七十二話 指導②【艦娘side】

 弓道場に残された空母達は、提督が出て行った方面を向いたまま固まっていた。

 その中でも唯一、鳳翔だけが動き、提督の放った矢が刺さったままになっている地面へ向かう。

 

 妖精が見える人間。それだけならば、海軍に長くいれば鳳翔でなくとも見たことくらいはある。話を聞くに呉の大佐や中佐も妖精が見えるようになった、というのだから、自分達艦娘とかかわった人間には少なからずその可能性があることも、理解している。

 

 しかしながら海原鎮は違った。アレは、見える、という次元を超越している。

 自由気ままながら言うことを聞いてくれるものの、姿を殆どあらわさない故に妖精と揶揄されている存在でもあるのに、提督は妖精を従えている。

 

 私達艦娘を従えるのと同じように、まるで変わりない存在であるかのように。

 

 提督の働きを知っている鳳翔をして、衝撃的な光景だったのは言うまでもない。

 

 矢を放とうと弓を構えた提督に向かって、どこからともなく現れた妖精。

 その妖精が渡した矢は、鳳翔の見間違えで無ければ、訓練に使われるものでは無かった。

 

 発艦に弓を使う空母の戦闘法とは弓道と似て非なる。

 それは――艦娘式弓術、または、空母式弓道と呼ばれ、艦娘の中でも限られた空母にしか扱えない特殊な戦術である。

 そして精神性を重んじる訓練は、海上の戦闘において冷静さを失わないためのものである。

 

 故に、訓練の様式は弓道と共通点も多い。

 戦後に制定された射法八節に限りなく似ているが、それは動作訓練においてのみであり、どの流派にも属さない。

 徒歩か、騎馬か、長距離を通す堂前か――否、彼女らの主戦場は海である。

 

 強いて言わば堂前に近いものがあるが、通す、では無く、発艦を目的とするために、射るための的は《一点に集中する意識を持つ》ための目標というわけだ。

 

 使用される矢も発艦用の兵装を模してはいるが、ジュラルミン製の安価なものだ。

 重量こそ発艦訓練用に調整され、通常のものより重くしてあるが、ただその程度。

 

 鳳翔をはじめとする初期型の空母が積み重ねてきた技術の粋は一朝一夕で会得できるものでもなければ、矢が変わったとて揺るぐものではない。

 

 戦闘で培われ、生き残り、伝わってきた空母の技――それを、たった一矢で、あの男は塗り替えた。

 

 鳳翔は見定めたかっただけで、決して、試したかったわけでは無い。

 

 いかなる戦場でも顔色一つ変えず淡々と指揮し、拳銃を向けられ死に直面しても、彼は一歩も引かなかったという。

 山元大佐や清水中佐に銃を向けられているのを、いくらかの艦娘は直接目にしている。それは誇張でも何でもなく、事実なのだろう。

 しかしながら果たして本当に彼の心は凪を維持し続けているのか?

 それが、鳳翔は気になっただけだった。

 

 弓道場にやって来て、指導中の葛城に声をかけて無理をしていないか心配していたのも、別に気にしてはいない。

 彼自身が艦娘――葛城の発艦方法を知っていたというのもあるが、そこまで集中せねば放てないのかと言ったのが、引っかかっただけ、ただそれだけだった。

 

 はず、なのに。

 

 陰陽と弓術の複合式。葛城の特殊を極めた発艦方法は鳳翔のみならず、龍驤も指導を考えあぐねていた程である。

 他鎮守府の葛城が会得している、素早く、正確に、かつ大量に艦載機を放つ術は共有されるべき事項であるというのに、戦果を多く挙げんとして、それさえ秘匿されている。

 

 しかして、鳳翔は彼に――葛城への指導を見た。

 

 足袋のままに砂利の敷かれた矢道へ降り、提督の放った矢の場所までくると、それをじっと見下ろす。

 

「……出来んものは、出来ん、ですか」

 

 ぽつりと呟く鳳翔の視線の先にある矢は、矢じりが二股に分かれた、鏑矢(かぶらや)というものである。

 

 別名――鳴鏑(なりかぶら)

 

 かつての日本で武将が戦の合図に使用したとされるそれは、放つと大きな音を立てるという。

 しかし、一切の音は無かった。弓のしなる音も、弦も鳴らず、ただ、静かに放たれ地へ刺さった。

 

 確りと。

 

 鳳翔の行動が目に入らないのか、他の空母達はきゃあきゃあと話す。

 飛龍の甲高い興奮に満ちた声。

 

「提督にも出来ない事ってあるんだねぇ……でも、見た? あの速さ……打起こしたと思ったらもう離れてんだもん、びっくりした」

 

 それに対して蒼龍が何度も頷く。

 

「驚くよそりゃあ! しかも鏑矢って、音鳴らさずに飛ばせるんだね……」

 

 一航戦に次ぎ実力派である二航戦は、放たれた矢がどのようなものであったのか、そして放つまでの一連の流れが如何に異様であったのかを理解している様子だった。

 それらが異様である事は雰囲気でこそ伝わったが、どこがどのように異であったのかまでは詳しく言葉に出来ない五航戦の瑞鶴と翔鶴は、奇怪なものでも見たと言わんばかりに訝し気な顔を見合わせる。

 

「翔鶴姉は、どう思う……?」

 

「どう、って……瑞鶴も見たでしょう? 足踏みも無かった……胴作りどころか、弓構えも、初めて弓を触ったみたいに見えたわ……」

 

「だ、だよね!? 離れも、小さい動きで……」

 

 先ほどまで静寂に満ちていた弓道場が声に満ちる。

 それを制したのは、赤城だった。

 

「あれは……弓道では、ありません」

 

 正座したまま、鳳翔の立つ矢道、提督の放った矢のあった場所をじっと見つめながら言う赤城に対して、祥鳳が恐々とした様子で問うた。

 

「弓道では、ない……?」

 

 赤城はじっと見開いていた目をそこでようやく閉じてから、ゆっくりと首を横に振る。

 

「艦娘が敵の気配を探ろうとする時のように……感じていました。そのままの意味で。電探も無ければ、レーダーすらも無い人間である提督に備わっている、第六感、とでも言えばいいのでしょうか。私も全ては、分かりませんでしたが……空母が夜の海を往くとき、発艦が出来ない分、気配に敏感になるものと同じ雰囲気を、感じたんです。動きを見ていましたか? 最小限にとどめられた動き、決して弓を離さず、落とさないよう、残心無く次の動作へ移るように、抱えていました。あれは間違いなく――私達の弓術と、同じものです」

 

 そう語る赤城だったが、瑞鶴が「流石に無いですよ赤城先輩! 提督は人間ですよ?」と苦笑いする。

 だが赤城は至極真面目な顔のまま、鳳翔に向かって言った。

 

「ただ……落ちただけなのでしょうか」

 

 その言葉を耳にして、鳳翔は初めて矢に指をかけ、地面からすっと引き抜く。

 特に抵抗も無く砂利から抜けた矢の先端には――何もない。

 

「ほら、やっぱり! 提督さんにも出来ない事くらいありますって!」

 

 瑞鶴の言葉を無視して、鳳翔はそのまましゃがみ込み、砂利を矢じりでかきわけた。

 

 すると、そこには――

 

「ですよね鳳翔さん? 出来なくっても別に――」

 

「鏑矢とは、音を発して合図するための矢であり、殺傷力など考慮されていません……ましてや、()()()()()()()()()など、ありえないでしょう」

 

「え、っとぉ……鳳翔さん……?」

 

 ――両断された、百足の姿があった。

 鳳翔は全員を呼びつけ、それを見せる。

 

「ひっ……!? 気持ち悪い! なんでこんなのが弓道場に――!」

「うぇ……!」

 

 瑞鶴と蒼龍が口を押さえ、しかめっ面をする。

 赤城の言っている事が理解できたのであろう翔鶴、祥鳳、瑞鳳は、真っ青な顔でそれと鳳翔を交互に見た。

 

 赤城と加賀は顔を見合わせ、何度も瞬きした。通信もしていないのに、興奮を伝え合うかのように。

 混乱しながらも現状は分かっている様子だったが、いや、ありえない、そんな事を延々と考えた。

 

 葛城に至っては――集中していた時よりもじっとりと多くの汗を額に浮かべていたのだった。

 そして鳳翔に、こう問うた。

 

「こ、これ、偶然です、よね……? こんな事、出来るわけ……」

 

 鳳翔は目を伏せ、こう返す。

 

「出来ないものは、出来ない。提督が仰っていたじゃありませんか。これが、答えです」

 

 全員が言葉を失い、再び、地面に視線を向けた。

 いかに矢が強いとはいえ、これを、本当に一撃で、あの、一瞬で……?

 

 その疑問に答えられる男は既におらず、ただあるのは、全員の背にかかる戦場と同じ緊張感。

 

「訓練を続けます。葛城さん、いいですね」

 

 鳳翔が言うと、全員がぞろぞろと元の位置へ戻りだす。

 葛城もまた、頷いて元の位置へ。

 

「集中を――今度は、発艦の極致まで、ゆっくりとではなく、一瞬で意識を持っていくのです」

 

「――はいッ!!」

 

 弓を構えた全員の瞳は――燃えていた。

 

 まだ、自分達の力量が足りるわけなど無いのだ、と。

 

 

* * *

 

 

 皆の様子を見て回る、と言って大淀と共に鎮守府を歩く提督が次に訪れたのは、弓道場からさして離れていない場所にある武道場であった。

 弓道場とは違い、十分な広さのあるそこでは演習を行っていない艦娘が白兵戦の訓練を行っているはずだ、と大淀は提督へ説明する。

 

「現在は軽巡と重巡の方達が訓練なさっているかと思います。見て行かれますか?」

 

 自分で訊いておいて、行かないわけがないだろう、と思っていた大淀であったが、それはあっさりと裏切られた。

 

「いや、私が行っても邪魔になるだけだ。練習はしているようだから、問題は無い」

 

 武道場の外から中の様子をちらりと覗いただけで過ぎ去ろうとする提督に違和感を覚え、大淀は思わず「よろしいんですか?」と呼び止めてしまう。

 

「……邪魔になるかもしれんだろう」

 

 どうにも、邪魔、邪魔、という提督が気になり、それでは、と大淀は提案する。

 

「提督が見学しても問題無いか、聞いてきますが……? もちろん、邪魔になるようであれば遠慮なく言うようにと伝えます」

 

「うむ……しかし、弓道場でも、邪魔になったであろうからな……」

 

 私達が提督を支え、提督が私達を支える、と昨夜に言っておきながら、邪魔になるなどと何度も言われると流石に傷ついてしまう。それが表情に出てしまい、大淀はしょんぼりと顔を伏せてしまった。

 すると、提督は先刻まで矢を放っていた凛々しい顔を崩し、狼狽しながら言った。

 

「そ、そんな顔をするな。決して大淀の予定に問題は無いだろうと思っているからこそ、みなには私の事を気にせず訓練をして欲しいだけなのだ」

 

「……はいぃ」

 

 一度タガが外れて大泣きしてしまった弊害か、提督に否定されてしまったのではと考えるだけで心が不安に揺れてしまう。

 かつて信じた提督に裏切られ、暴力まで振るわれた艦娘なのだから、仕方が無いと言えばそれまでだが、大淀はどうにも落ち着けず、提督を見つめてしまう。

 

「……わかった。一応見に行くとしよう。ほら、だからそんな顔をするな」

 

「……」

 

 まるで子どもをあやすような言い方をするものだから、大淀は顔が熱くなってしまう。

 別に大丈夫です、とふてた子どもみたいに言ってしまって、これではあやすように言われるわけだ、と自己嫌悪。

 

 だがしかし、一方では、こうして感情の起伏が激しくなっているのに驚く自分と、それを嫌な顔をするわけではなく、正面から受け止めてくれる提督にどこまでも安心を覚えてしまう自分がいるのだった。

 

「失礼する。訓練の様子を――」

 

「提督、あぶな――きゃぁっ!?」

 

 扉をガラリと滑らせると、武道場では丁度、綾波と神通が組み手を行っていた。

 入るタイミングが完全に悪かった。

 

 神通に投げ飛ばされたのか、綾波が宙を舞い、先頭になって入った提督目掛けて飛来。

 投げ飛ばした格好のまま、顔をこちらに向けて叫ぼうとする神通が言葉を言い切る前に、綾波は提督と衝突した。

 

 頑丈な艦娘の心配は無いが、問題は提督である。

 艤装を付けていなくとも相応の質量を伴ってぶつかったのだから、衝撃はかなりのものであるはずだったのだが――提督は綾波を受け止めるように両手を広げ、腹部をくっと曲げて衝撃を殺すように臀部から落ちた。

 

 神通の目は、そこからさらに足で地面を蹴って残る衝撃を逃がしていたのを見逃さなかった。

 

 それから、がしゃん、と扉に肩をぶつけながら背を地面に打つ音。

 

 ここまで、三秒にも満たなかっただろう。

 

「っ……綾波! 怪我は無いか!?」

 

「て、提督っ、あ、あのっ、すみ、すみま、ませ……!」

 

 綾波と神通、そして武道場で一連の流れを見ていた摩耶、鳥海、天龍、龍田が走り寄って提督へ手を伸ばす。

 

「だ、大丈夫ですか司令官さん!?」

 

「おいおい、気を付けろって提督」

 

「摩耶! 気を付けようが無いでしょう、今のは!」

 

「ここは武道場だぜぇ? 何が起こるか分かんねえんだから、気ぃ張って入るだろ」

 

「なっ……もう!」

 

 提督は綾波をそっと離し、手を伸ばす艦娘達に掴まって立ち上がる。

 大淀はその背を押して支え、軍服についた砂を払った。

 

「驚いたわぁ、急に入ってくるからぁ。大丈夫ですかぁ?」

 

「今のナイスキャッチだったな、提督!」

 

 大淀は、流石にこれは怒られる、と目を閉じてしまうが――。

 

「う、うむ。綾波に怪我が無いのならば、それでいい。しかし、どうして飛んでいたのだ……いつもこのような訓練をしているのか……?」

 

 ――杞憂に終わる。

 これは心が広いなどという言葉では足りない。一言くらい気を付けろと怒鳴っても誰も言い返せないだろうに、この人はどうして平気そうな顔で立てるのだと大淀は顔を青くしたり白くしたりと大忙しである。

 

 投げ飛ばした本人たる神通が何度も頭を下げながら謝りつつ歩いてくるという器用な登場をしたところで、提督はまた「問題無い」と片手を振った。

 

「それで、いつもこのような訓練をしているのか? どうなんだ?」

 

 その問いに、全員が当然だと頷けば、提督は「はぁ……そうか」と溜息を吐いた。

 何を意味する溜息だったのか、大淀を含めた全員が分からず。

 しかし続けて提督が「怪我の無いようにだけ気を付けてくれ」と言った事で、鳥海が反応を示した。

 

「白兵戦における訓練に、怪我をするな、と?」

 

 提督は鳥海に顔を向け、当たり前だろう、と一言。

 

「訓練に多少の怪我はつきものかもしれんが、あんなに投げ飛ばされては軽い怪我では済まないぞ」

 

 提督は艦娘の頑丈さについて知っているはずである。知らないはずもない。

 例え神通が綾波を投げ飛ばしたとて、訓練にはよく見られる光景で、おおよそ、綾波が力いっぱいに神通へ向かっていったところをいなされ、その力を返されて飛んだだけ。

 地面に落ちようが、玄関に強くぶつかろうが、怪我らしい怪我などしないだろう。

 

 だが、軽い怪我では済まない、という表現は妙に引っかかった。

 

 鳥海はさらに問う。

 

「実戦を想定して、仰られていますか……?」

 

 提督はまた、当たり前だろうと一言。

 

「実戦を想定して行うのが訓練だろう」

 

 当然たる答え。そのため、誰もぐうの音も出ない。

 そして提督は「やはり私がいては邪魔だろう。執務室へ戻る」と言って背を向けたが――神通が、待ったをかける。

 

「お、お待ちください提督!」

 

「どうした」

 

「提督は、このような訓練は、したことが……?」

 

「……無いが」

 

 無い――? あり得ない。

 海軍にいる以上、訓練兵だった時代もあるはずで、その訓練が受けられないほどに戦闘が激化した時代など、私達が現れるまで無かったはずだ。

 

 全員が訝し気に提督を見る。

 

 その中で、神通が提督を見て、さらに問いを投げかける。

 

「では、訓練無しで、戦闘を?」

 

「……訓練も戦闘もしたことなど無い。私をなんだと思ってるんだ。仕事しか出来ん男だと言っただろう」

 

 その言葉で、全員が確信した。

 

 戦闘とは兵器を用いて攻め、時に防ぎ、相手を制圧する事だ。

 往々にして、それは――どちらかが息絶えるまで行われる。

 

 特にこの時流において、それは重く意味を持つ。

 

 では提督の言う戦闘も訓練もせず、仕事しか出来ないと言って現在の地位にいる理由は?

 簡単な事である――どれだけのエリートであれ必ずや行われる戦闘訓練を経験していないと言ったこの男は――仕事と表現したのだ――経験したのは、全て任務での【一方的制圧】――。

 

「提督、先ほどの無礼に並び、無理を承知でお願いします」

 

「どうした神通、何故頭を下げ――」

 

「どうか私と、一戦を」

 

「……無理だ」

 

「何故ですっ! 提督は、私達を支え、私達は提督を支えるために、訓練を――!」

 

 神通は根っからの努力家である。

 その性格は広く知れ渡っており、鎮守府ごとに違う性格を持つ艦娘であっても神通という艦娘は努力家、という面は必ず持っていた。

 ここ、柱島における神通も多分に漏れず、そうであるように。

 

 神通とてなにも本気で組手をしようとは思っていない。

 どれだけ強靱な肉体を持つ相手だろうが、人と艦娘である。

 本気を出してしまえば、反応さえ出来ず大怪我することは必至。

 

 提督が顔をしかめて断るも、神通は食い下がる。

 

「それは分かっている。私自身が頼んだ事なのだ、感謝もしている。しかし訓練となると私は役に立てんのだ……分かってくれ。きっと相手にならん」

 

 相手にならん、と言った瞬間、まずい! という顔をしたのは、天龍と摩耶、そして鳥海。

 龍田はすぐに一歩引き、綾波は神通の前に立ちはだかる。

 

「……い、今、なんと」

 

「相手にならんと言ったのだ。時間の無駄だ。お前達を邪魔しに来たわけでは無く、私は大淀が早めたスケジュールに問題が無いか確認したいだけなのだ」

 

「私が、あい、てに……ならないと、仰いましたか……提督……?」

 

「神通さん、落ち着いてください! きっとそういう意味では――!」

 

 そして、この柱島に集められた艦娘は、欠陥と呼ばれた者ばかり。

 神通が欠陥と呼ばれる理由は――飽くなき強さへの探求、などと生ぬるい表現では足りぬ――

 

「御免ッ――!」

 

 ――負けず嫌いである。

 

 前鎮守府では捨て艦作戦にて突貫し、駆逐艦が討ち漏らした深海棲艦を撃滅せんと立ち向かった。それこそ、轟沈寸前まで。

 しかし多くの仲間を失い、その上で前提督に罵倒され、弱いと言われた。

 

 生きて帰って、褒められもせず、罵詈雑言を浴びせられ、日々積み重ねた努力さえ否定されてきた神通には、我慢のならない言葉である。

 

 神通が目にもとまらぬ速さで綾波の脇へ片腕を滑り込ませ、綾波の片足に自らの片足をかけて力いっぱい腕を振りぬく。すると、強制的に軸足で回転させられた綾波は木の葉のように横へ吹き飛ばされてしまう。

 

 一歩。

 

 天龍と摩耶がとびかかった。同じ軽巡洋艦の天龍ならばまだしも、馬力の違う重巡洋艦の摩耶でさえ――歯が立たない。

 先ほどと同じ手順で地面へ転がされる天龍。逆側から手を伸ばす摩耶の手首をつかみ、神通は流れるように懐へもぐりこんだ。

 

 一呼吸さえも許されない刹那、神通の小柄な背中が摩耶の胴体前面を強く打つ。

 衝撃はあっという間に全身へ広がり、摩耶は肺から空気が押し出され、う、という声しか出せず、地へ伏す。

 

 二歩。

 

 鳥海が神通の背後から右腕を掴んだ。続けて後ろへ引っ張ろうとした時、神通の身体は驚くべき反射神経で腕を掴み返し、ただ、半回転させる。

 人間の構造とは複雑で、様々な方向へ力を入れる事が出来る。しかし、関節は別である。一方にしか曲げられない関節を多く持つ事で、人の身体は全方向へ対応しているにすぎず、関節自体は一方にしか曲がらない。

 鳥海が上から神通の腕を取り、神通が後ろ手を右側へ回転させるだけで、鳥海の腕の関節は全て逆側へ曲げられ、痛みから逃れんと反応すれば――まるで魔法のように地面へ身体を打ち付ける結果となる。

 

 三歩。

 

 もう提督は目の前にいる。大淀は提督の後ろにおり、神通を防ごうにも間に合わないだろう。

 しかして伏兵は常に背後にいるものである。

 そう、提督の背後では無く、神通の背後には、鳥海の他、龍田が残っていた。

 龍田は天龍譲りの戦闘センスを持っているためか危険を察知する能力に長けている。仲間であれ、これは危険であると判断すれば最大限の武力で制圧を試みる。

 仲間にして頼もしく、敵にして絶対に相対したくない艦娘は誰かと問われたら、多くの艦娘が龍田の名を挙げるだろう。

 神通を一瞬でも無力化するならば足だ、と判断した龍田が足払いをかけようとすらりとした右足を突き出すも、神通は意識の外から来た攻撃さえ予測していたかのように跳躍。

 

 もう、間に合わない――誰もが悲惨な未来を想像してしまったが――

 

「あっ……ぶない! 何をしている神通!?」

 

 ――神通が跳躍したのに合わせて、提督はたった一歩、進んだだけである。

 しかしその一歩で跳躍した神通の真下へ移動し、落下した神通を、事もなげに受け止める。

 

「ぇ……?」

 

 何をされたのか、一番理解できていないのは神通本人なのは言うまでもない。

 

「くっ……!」

 

 抱きすくめられるような、いわゆる、お姫様抱っこされた状態であっても一撃を与えんとする神通がもぞもぞと動くが、提督はまたも「危ないだろうが!」と怒鳴って神通の背と足に手を回した状態で、折りたたむようにその場でしゃがみ込んだ。

 

 こうなるともう反撃どころでは無い。

 

 武道場にいる誰もが、相手にならないという言葉が、そのままの意味であったと理解する。

 

「うっ……く……なん、で……動きが、読まれ……ッ!」

 

 神通は絶望していた。

 しゃがみ込んだ提督が、腕を開いて神通を離し、地面へ座らせた後も、顔を真っ赤にしたまま。

 

「神通、怪我は無いか!? お前、どうして突然……!」

 

「一戦を――!」

 

 一戦を交えたかった。そう言う前に、提督の怒号が飛ぶ。

 

「遊びではないんだ! 怪我をしないようにと言っただろう!」

 

「ぁ……」

 

 そして――神通は、静かに謝罪した。

 強制的な権力でもなければ、自らを圧し潰すような物量でもなく、ただ一人の男に向かって、拳もなく、足もなく、まして、痛みも無く――完全に敗北した。

 

「申し訳、あり、ま……せ、ん……」

 

 その敗北は――神通の未来を決する。

 

「う、くぅぅっ……」

 

 敗北の涙は、華の二水戦と呼ばれた艦の魂を揺り起こす。

 

 

 

 

 大淀はここでやっと気づくのだった。

 これは見回りではなく――提督直々の指導なのだ、と。

 

 故に、直接的に怪我をする可能性のある武道場に足を運ぶのを躊躇ったのかと納得するも、時すでに遅し。

 

 神通が涙を流してしまった事により、指導どころでは無くなってしまった提督は、地面に座り込んだ神通の背を何度も擦りながら「やはり怪我をしたのか!? どこだ!? どこが痛む!?」と聞いているし、吹き飛ばされた綾波達は顔を真っ青にして提督を見ているしで、滅茶苦茶である。

 

 事の発端は自分の我儘であることを自覚している大淀は、頭を抱えてしまうのだった。



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七十三話 指導③【提督side】

 誰だァッ! 艦娘と甘々な日常を送りながらのんびり左団扇で鎮守府運営出来ると思ってた大馬鹿者はァッ!?

 

 はい。空母の雰囲気にすら負けた大将のまもるです。

 

 弓道場で情けない弓矢の腕前を披露して逃げ出した俺は、大淀に内心で笑われてるのだろうか、などという被害妄想に襲われながら弓道場から一刻でも早く離れねばと早歩きしていた。

 

 怖いよ。皆の視線が怖いし痛かったよ。

 無理じゃん普通に考えてさあ! 素人だぞこっちゃあよぉッ!

 

 なーにが「一度、見せていただけませんか。提督のお力を」だッ!

 俺の力が見たいというのならば執務室に来い! 死にそうな顔で書類と格闘してっからよッ!

 お艦と赤城め……くそぉ……可愛かった……。正座もちょこんとしてた……。

 

 って、そうじゃねェッ!

 

 文句たらたらの胸中であるが、艦娘が如何に難しい訓練をこなしているか、という勉強になったのは言うまでもない。

 鳳翔率いる空母達の弓を構える姿は美しく恰好良かったし、それについては文句無しである。

 それに、実際に弓を触って分かった事が一つある。

 

 ――飛ばないのだ。それも、全然。

 三十メートルあるかないか程度の距離に設置された的を狙ったつもりが、その付近にすら届かず途中で落ちるくらいに矢も重かった。空母達の弓が鳴らすような音もなく、ぴょんって。ぴひょんって。やる気のない卯月みたいな飛び方してたよ。

 

 それは卯月に失礼か……。

 

 空母達は弓での発艦を海上で行っているという事実に、アニメや漫画では知れなかった努力を現場で感じられた。

 葛城も汗びっしょりだったので心配してしまったものの、あれだけ至難の訓練なのだから集中して汗が浮かぶのも分からんでもない。

 

 ともかく、それだけ難しい訓練を真面目にこなしている、ということである。

 本当にお疲れ様です空母の皆様……大人しく執務室に戻ってお仕事します……。

 今度からご飯いっぱい食べても怒らないようにするね……。

 

 歩みを進める事、数分程した頃だろうか、弓道場とは違う別の建物の傍を通り過ぎた時、その中から艦娘の声が聞こえた。

 

『はぁぁっ……!』

 

 これは、綾波の声だろうか?

 

 気合を入れるような声の次に、畳と肌が擦れるような音――そして――どたん! という大きな音。

 ちらりと見てみれば、建物の入り口には木製看板があり、しっかりと武道場と記されているのが目に入った。

 

 弓道のみならず格闘技までやってるのか艦娘は……本当に超人じゃねえか……。

 

 すると、俺がチラチラと武道場を見ていたのが気になったのか、大淀の声。

 

「現在は軽巡と重巡の方達が訓練なさっているかと思います。見て行かれますか?」

 

 いやいいよ。弓道場で恥かいたの見てただろう大淀。恥の上塗りを強制するな。

 

「いや、私が行っても邪魔になるだけだ。練習はしているようだから、問題は無い」

 

 と返答し、さっさと離れようとしたのだが、大淀はさらに「よろしいのですか?」と言葉を紡ぐ。

 よろしいも何も、武道場に行って艦娘が格闘訓練してるのを見学したところで、少しは恰好良いと思うかもしれないが、それよりも痛そうという思いが先行してしまいそうだ。

 一昔前にテレビでやっていた総合格闘技でドカスカと殴り合っていたのを見るだけでしかめっ面してしまいチャンネルを変更したくらいだ。それに前職で殴られ罵倒される事には慣れているが、人のそれを見るのには慣れていない。

 

 格闘訓練を目にしたらきっと「ひぃん」とか情けない声が出てしまうだろう。

 

 ちょっとまもる的にはNGです……。

 

「……邪魔になるかもしれんだろう」

 

 察してくれ大淀……百歩譲って見回りは続けようじゃないか。な?

 それで手を打ってくれ。艦娘が殴り合うとかもう恐怖しかない。

 

「提督が見学しても問題無いか、聞いてきますが……? もちろん、邪魔になるようであれば遠慮なく言うようにと伝えます」

 

 んんん! 強情な軽巡洋艦めッ! 可愛さがあれば何でも許してもらえると思うな!

 お前は俺の部下だろうが! なら俺の言うことを聞けッ! あぁんッ!?

 

「うむ……しかし、弓道場でも、邪魔になったであろうからな……」

 

 などと考えるも、本当に邪魔になったら困るだろうと言葉に出てしまうのであった。

 俺の仕事を支えてくれる艦娘達の本来の仕事は、ああいった訓練であったりするのだから、ここで俺が顔を出して「チィーッス! やってるー?」と鈴谷みたいな雰囲気を醸しながら入ろうものなら鬼の綾波に腕の一本くらい持っていかれてもおかしくない。

 これでも、仕事はできますよね……提督……? などと言われて腕をもっていかれようが俺は頷く。必ずだ。

 

 だからさっさと戻るぞ大淀ォッ! 怖いからァッ!

 

 と大淀を見ると、俺が見回ると言い始めたにもかかわらず戻ろうとするので自分のスケジュールに不安でも覚えたのか、子どものようにしょんぼりと顔を伏せてしまう。

 や、やめ……やめろよぉ、そういうの、ずるいだろぉ……。

 

「そ、そんな顔をするな。決して大淀の予定に問題は無いだろうと思っているからこそ、みなには私の事を気にせず訓練をして欲しいだけなのだ」

 

 結局、正直に白状するしかなかった。

 それでも仕事はしてほしいのか、大淀の「……はいぃ」という可愛らしすぎるしょんぼり声に心が折れる俺。一撃必殺であった。

 

「……わかった。一応見に行くとしよう。ほら、だからそんな顔をするな」

 

 手のひらくるっくるである。仕方無いね、提督だもの。まもる。

 大淀が後ろでぶつぶつとふてくされていたものの、ちゃんと仕事はするから! と示すためにさっさと武道場へ向かい、扉を開く俺。

 

 数分か十数分か見学して、問題が無いようであれば執務室に戻ればいいだけの話なのだ。何を気張る必要がある! 行くのだ、まもる!

 

 艦娘達の格闘技も、悪くないかもしれないじゃないか、な!

 

「失礼する。訓練の様子を――」

 

「提督、あぶな――きゃぁっ!?」

 

 俺の目の前に、外からも聞こえていた声の主、綾波がいた。

 否、正確には、飛んできた。それも背中を向けた状態で。

 

 海原鎮、無能の社畜であろうが艦これプレイヤー。そして今は提督。

 愛する艦娘の背中だけで誰であるかを見分けるのは容易である。

 

 特に数の多い駆逐艦が似たような制服で、似たような髪型で、声がどれだけ近くとも、俺は決して間違えたりはしない。

 

 故に俺は背中を見ただけで綾波であると判断し――って危なぁぁああああいッ!!?

 

 俺はとっさに両手を広げ、腕以外から力を抜く。

 

 社畜の技――脱力受け――!

 

 格好つけているが、上司に物を投げつけられることの多かった我が社の社員ならば大体が会得している技術である。

 マグカップであったり、ただの書類であったり、ペンであったり、電話であったり、あらゆるものを投げられてきた俺にとって人が飛んでくるなど初めての経験だった。

 そもそも人が飛んでくる経験なんてしている奴はいないだろうが。

 

 自分に何か投げられた場合、どうすれば怪我をせず、かつ、投げられたものを傷つけずに受け止められるか――先にも言った通り、脱力が重要となる。

 

 反射的に身を固めると、マグカップであったりした場合、単純に硬いので痛い。

 それが書類であった場合、くしゃくしゃにしてしまいかねないため、あえて当たって折り目がつかないように優しくキャッチする。先方に渡す書類だったりする場合もあるのだ。

 そして、それ以外――電話であったり、小さめの機械、パソコンであったりする場合も同様。跳ねのけたりすれば壊れるので、結局のところ、回避するという選択肢は無いのである。

 

 両手を広げて綾波の背を受け――腹部に肘がクリーンヒット――そのまま痛みに身体を折り曲げ、無様に吹き飛ぶ俺。

 その上、身体はどうしても踏ん張ろうと反射してしまう。しかしここで踏ん張っては綾波のキュートかつ鋭利な肘が俺の鳩尾をさらにえぐり、朝に食べた筑前煮とめかぶひじきがスプラッシュしてしまいかねない。

 

 強硬手段だ、と踏ん張りかけた足をあえて蹴り、さらに飛ぶと――中途半端に開いていた扉に両肩がヒット。綾波、綾波の肘、扉、最後に腰と背中、五点着地ならぬ五連撃をモロに食らいながらダウン。

 

 一秒か二秒か、今日も空はあんなに青いのに……と玄関の外まで吹き飛んだ俺が仰向けになって綾波を抱き止めたところに、妖精達がちらりと登場。

 

『かんかんかーん!』

『けーおー!』

 

 うるっせぇよッ!

 っは! そんな場合じゃない!

 

「っ……綾波! 怪我は無いか!?」

 

「て、提督っ、あ、あのっ、すみ、すみま、ませ……!」

 

 綾波はくるりと身体を半回転させて起き上がると、ぺこぺこと頭を下げる。

 いや君吹き飛んでたが……綾波の方が大丈夫なのか……?

 

 そして、武道場にいたのであろう艦娘達が玄関までやってきて、俺に手を伸ばしてくれる。

 

「だ、大丈夫ですか司令官さん!?」

 

 鳥海が小走りでやってきて、黒くぴっちりとした手袋に包まれた手を伸ばす。

 

「おいおい、気を付けろって提督」

 

 その横から摩耶が同じような手袋をした手を伸ばして笑う。

 

「摩耶! 気を付けようが無いでしょう、今のは!」

 

「ここは武道場だぜぇ? 何が起こるか分かんねえんだから、気ぃ張って入るだろ」

 

「なっ……もう!」

 

 いつもならばこういったやり取りに不埒な事を考えるところだが――ああいや、違う違う。アレだ、別のね、関係のない事を、考えるところだが、とそういうね。

 

 鳥海と摩耶の後ろにうっすらと見えるステルス妖精達に睨まれる俺。即座に心の中で否定。伝わっているかは知らん。

 お前らはどうしてこういう俺が情けない場面に限って新技のように色々な要素を見せつけてくるんだよ。俺はそれにどう反応したらいいんだよ。

 

「驚いたわぁ、急に入ってくるからぁ。大丈夫ですかぁ?」

 

「今のナイスキャッチだったな、提督!」

 

 龍田と天龍もいた様子で、同じく手を伸ばしてくれる。

 そんなに手を伸ばされても全員分握ってあげられないから、ごめんね……。

 

 と、しょうもない事を心配する俺をよそに、全員が俺の腕を掴んで引き起こしてくれるのであった。

 大淀は俺の背に砂でもついてしまったのか、ぱんぱんと払ってくれている。

 

 うーん、介護かな……。

 

 驚きはしたが黙ったままでは逆に心配をかけてしまう、と、節々に痛みが走るのを無表情で耐えながら言った。

 

「う、うむ。綾波に怪我が無いのならば、それでいい。しかし、どうして飛んでいたのだ……いつもこのような訓練をしているのか……?」

 

 そうだよ。どうして飛んでたんだよ。艦娘は海を駆けるもので、飛ぶものではないだろうが!

 空まで飛んだらそれはもう違うヒーローか何かだよ!

 

 俺の問いに誰かが口を開く前に、武道場の奥から水飲み鳥みたく頭を下げながら現れる軽巡洋艦、神通。

 まさか……お、お前が綾波を……?

 

 華の二水戦――その名は提督であれば一度は耳にした事があるだろう。

 正式名称、第二水雷戦隊。大戦時、最前線で活躍していた艦隊の名前である。

 強力な兵装を装備した各艦に乗る兵士も屈強な者が揃っていたというその艦隊は、切り込み部隊として花形と呼ばれていたのだとか。その初代――開戦時――旗艦が、今しがた、腰折れるよそれ、と言いたくなるくらいに深く頭を下げ続けている神通である。

 

「も、問題は無い」

 

 問題は無いというか、問題しか無くて問題じゃなくなってるというか。

 

「それで、いつもこのような訓練をしているのか? どうなんだ?」

 

 いくら艦娘であれ少女が吹き飛ぶような過酷な訓練をしているなら、大怪我してしまうじゃないか、と問う。すると驚くべきことに、全員が不思議そうな顔で肯定を示した。

 うっそだろ、オイ……危ないって……。

 

 無論、戦場を駆ける彼女らに対して口にするなど愚かであると理解しているが、訓練でまで大怪我してしまったらそれこそ本末転倒である。

 怪我をしたら、治療している間は訓練など出来ないし、何より修復が可能であっても鎮守府の懐が痛む。鎮守府の懐が二割、俺の心が八割くらいの割合で痛むからやめて欲しい。

 

 思わず盛大に溜息をついてしまうも、俺が訓練に対して口を挟める余地など無いのも事実。

 ならばせめて怪我だけはしないように言いつけておこう、と静かに「怪我をしないように」と告げると、何故か鳥海が反論するように言った。

 

「白兵戦における訓練に、怪我をするな、と?」

 

「当たり前だろう……?」

 

 格闘技の経験など無いが、突き指をしたり、柔道であれば何度も地面に叩きつけられるから耳の形が変わったりなんていう話くらいは聞く。競技ならばまだしも、これは戦闘を想定した訓練であろうことも分かっている。しかし、怪我をしないようにするのだって訓練じゃないのかと素人の俺は思ってしまうのだった。

 

「訓練に多少の怪我はつきものかもしれんが、あんなに投げ飛ばされては軽い怪我では済まないぞ」

 

 そうだろう? と同意を求めるのだが、鳥海はさらに不思議そうな顔をする。

 

「実戦を想定して、仰られていますか……?」

 

 鳥海、お、お前……それは流石に、俺を馬鹿にし過ぎではないか……。

 実践を想定せず訓練するなんていうのは、もう訓練ではないじゃないか。

 

「あ、当たり前だ。実戦を想定して行うのが訓練だろう?」

 

 そう言った途端、全員が黙り込む。

 おかしな事は言っていないと思うが!? と周囲を見回すも、やはり誰も口を開かなかった。

 

 考えられる理由は二つ。艦娘、または格闘経験者でなければ分からない理屈や感覚があり、それに反する素人意見を頭ごなしに言う上司の俺に納得は出来ないが、俺を立てて反論しない。

 もう一つは――単純に怪我することは当たり前なのだから無茶を言うなというもの。

 

 どちらにせよやっぱり俺が居ても邪魔なんじゃん! なんだよなんだよ! ちきしょう!

 

 でもまあ、怪我をした時にすぐに入渠出来るようにしておくのも俺の仕事であるのは否めない。

 艦娘達が任務や戦場以外で怪我をしてしまうのは心が痛むところだが、ここはぐっと我慢して執務室に戻ろうじゃないか。綾波が吹き飛んできたのも見れたしな。もう、ね。

 

 いいだろ大淀! 逃げていいだろうッ!?

 

「やはり私がいては邪魔だろう。執務室へ戻る」

 

 戻るぞ大淀、と視線を送った時、背中を叩くような神通の声。

 

「お、お待ちください提督!」

 

 ひぇ。

 ……あぶねぇ! もう少しで本当に声が出るところだったぞ! もっと優しく「提督?」って語尾にハートがつくような呼び方してください! オネシャス!

 

 何でもないように振り返る俺。

 

「どうした」

 

「提督は、このような訓練は、したことが……?」

 

 単純な質問である。もちろんそんな訓練経験は無い。

 学生時代に打ち込んだものは何かと問われても部活やサークル活動です! とも答えられない程度にはインドア派だったのだ。強いて言うなら昼寝が好きだったよ。何も考えなくていいからな。 

 

「……無いが」

 

 正直に答えたところ、神通はさらに問う。

 

「では、訓練無しで、戦闘を?」

 

 うん……? 待て。どうして戦闘した事があるみたいになっているんだ?

 食堂でも話しただろう、と、俺はきちんと否定した。

 

「……訓練も戦闘もしたことなど無い。私をなんだと思ってるんだ。仕事しか出来ん男だと言っただろう」

 

 自分で言ってて悲しいが、まもるに出来る事は書類仕事くらいだよ。

 俺の返答を聞いた神通は、そこでどうしてか頭を下げた。

 

「提督、先ほどの無礼に並び、無理を承知でお願いします」

 

「どうした神通、何故頭を下げ――」

 

 俺に出来る事なら何でもするよ。書類とか。お茶汲みとか。土下座でもいいぞ。

 

「どうか私と、一戦を」

 

 ごめんそれは無理だわ。

 心の中で即答してしまうも、声に出ず。慌ててからからになった口を開く。

 

「……無理だ」

 

「何故ですっ! 提督は、私達を支え、私達は提督を支えるために、訓練を――!」

 

 何故ってこっちが聞きたいよ!? 何で俺と戦闘訓練したがってんだ神通!

 俺はお前達を支える、お前達は俺を支える、それは違いない。

 

 けど訓練に俺を巻き込むのは違うだろッ! 死ぬ死ぬ死ぬゥ! 無理ですゥッ!

 

「それは分かっている。私自身が頼んだ事なのだ、感謝もしている。しかし訓練となると私は役に立てんのだ……分かってくれ。きっと相手にならん」

 

 今にも震えそうな声を振り絞って言ったのが悪かったのか、神通が聞き返してくる。

 

「い、今、なんと……?」

 

「相手にならんと言ったのだ。時間の無駄だ。お前達を邪魔しに来たわけでは無く、私は大淀が早めたスケジュールに問題が無いか確認したいだけなのだ」

 

 そして問題はありませんでした! オッケー! 解散です!

 

「私が、あい、てに……ならないと、仰いましたか……提督……?」

 

 ()()相手にならないのではない。()()相手にならないのである。

 

「神通さん、落ち着いてください! きっとそういう意味では――!」

 

 しかし神通の反応は何よりも速かった。きっと島風が見たら泣いて敗北を認める。それくらいに速かった。

 

「御免ッ――!」

 

 まるで侍が如き猛りに続き、俺の目には冗談みたいな光景が広がった。

 川内と同じ目立つオレンジ色の制服が、しゅん、と風を切って視界から失せたのだ。

 

 その次に、俺の前に立っていた綾波が消えた。いや、横に吹き飛んだ。

 あっ、と思う前に、天龍、摩耶が地面に叩きつけられていた。ここまで瞬きもしていない。鳥海に至っては勝手に転んだように見えた。

 

 そうして、後ろから龍田が裾の短い制服がめくれてしまうのもいとわずに綺麗な足を伸ばすのが見えたと思ったら――視界がオレンジ一色となる。ここでやっと、神通が俺に向かって跳躍したのだと気づいた。

 

 俺が()()()()起こった事を理解出来たのは、神通が飛んだということだけ。

 

 どうして飛んだのかと疑問が生まれる前に、綾波を受け止めた時のように、瞬間的に神通が怪我をしてしまうと判断して一歩前へ。

 

 落ちてくる人間を受け止めると、人はどうなるか。

 落ちてくる位置が高ければ高い程、大怪我を負うことになるだろう。だが、自分の頭上程度ならば、怪我をせずに済む可能性は十分にある。

 

 例えるなら、高い位置にあるものを取ろうとして、落ちてきたときなどだ。

 危ない! と受け止める事は容易だろう。

 

 ただし――腰は逝く。

 

「あっ……ぶない! 何をしている神通!?」

 

 と怒声を上げたのがトドメとなり、俺の腰から鳴っちゃいけない音が。

 ぴしぃ、とか、ぴきぃ、という感触が全身に走った。

 

 神通が何やら驚いていたが、一番驚いてるのは俺である。マジで何やってんだお前はッ!

 

 危険な訓練をするなと言った矢先にこんな真似をするとは、と怒りに染まるも、怒ろうとする前に抱きとめた神通がもぞもぞ動くため、俺の腰に追加ダメージ発生。

 危ないだろうが、と怒鳴ったため、さらに追加ダメージ発生。

 

 んぐぅぅぅぉおおおあああああッ! や、やめんかぁぁぁああ神通ぅうううッ!

 

「くっ……!」

 

 と、捕まった女騎士みたいな声が漏れてしまうも、まずは怪我が無いかだけでもと床におろした神通を見る。

 

「神通、怪我は無いか!? お前、どうして突然……!」

 

「一戦を――!」

 

 飛び掛かって奇襲が失敗したにもかかわらず、まだ戦闘続行の意思を見せる神通。

 

 バーサーカーかな?

 

 神通は確かに華の二水戦を率いた屈強な艦娘だ。だが俺の知っている艦これの神通は引っ込み思案だったはずだ。かつての激戦がトラウマになってしまい、受け身になってしまったという話だって聞いたことがあった。

 三度の飯より夜戦が大好き! という長女の川内や、解体――じゃなかった。艦隊のアイドルゥ! 那っ珂ちゃんだよぉ! と元気いっぱいの三女に挟まれた苦労人。そんな俺の中にあったイメージが音を立てて崩れ去っていく。

 

 やべぇくらい怖い娘じゃぁん……勘弁してよぉ……!

 

 運よく受け止められたが、それは俺の腰と引き換えに、だ。

 艦娘達にはじゃれあい程度なのかもしれないが俺にとっては生死にかかわる。

 

「遊びではないんだ! 怪我をしないようにと言っただろう!」

 

 もう怪我したけどな俺が! 腰が痛いよすごく! 責任取って可愛く自己紹介しろ! ウラァッ!

 艦娘に怪我をしてほしくない、かつ腰に走る激痛に耐えていた俺から出た怒声は武道場に反響してより大きく響いた。

 

 それに驚いてしまったのか、全員が固まり――神通は、静かに謝罪する。

 

「申し訳、あり、ま……せ、ん……」

 

 もう二度とするなよ。今度は本気で俺の腰が死ぬからな。いいなッ!?

 と言う前に。

 

「う、くぅぅっ……」

 

 座り込んだ神通がしとしとと泣き始めてしまったでは無いか。

 な、なんっ……どうしてよッ! 突然飛び掛かって来て泣くとか情緒不安定過ぎるだろうが!

 

 いや待て怪我か!? 怪我したのか!?

 

「やはり怪我をしたのか!? どこだ!? どこが痛む!?」

 

 そう問いながら神通の肩や腕をぽんぽんと触ってみるが、痛むような素振りは見せない。

 

「ち、ちが、うぅぅっ……ぐすっぐすっ……負け、わた、し、負け……」

 

 勝敗で泣いてるのか神通ッ……どこまでお前は戦闘狂なんだッ……!

 

 いかに前の鎮守府で傷ついたとは言えこれは流石に許容できかねる、と俺はしっかりと言い聞かせるべく神通の頭に手を置いて言った。

 

「落ち着け、泣いてもいいから、とにかく呼吸を落ち着けるのだ」

 

 どれだけ大変な思いをしてここまでやって来たのか、知っている。

 前の鎮守府で神通は前線で戦い続けていたらしい。それも、捨て艦と呼ばれる作戦に従事する駆逐艦と共に、だ。北上や大井がそうであったように、軽巡洋艦という打撃力のある艦娘を守る盾にしていたのだろう。

 ゲームでもそういった戦法は耳にした事があるが、それを実際に行うと、艦娘はこうまで心が壊れてしまうものなのか。

 

 神通は駆逐艦を守り通してきた。恐らく、そんな彼女は常に強さを求めているのだろう。

 ここに居る仲間を守れるように、と。

 

「……神通。お前がどのような気持ちであるか、分かると言ったら嘘になる。だが、物事には順序というものがあるのだ」

 

 強くなりたいのは否定しない。艦娘が強ければ、例え危険な任務があったとしても、生還する確率は高まる。

 提督としても、俺個人としても、艦娘には無事でいて欲しいし、強い艦娘が仲間であることは提督である俺にとっては心強いことなのだから否定するはずもない。

 

 しかし俺が言うように、物事には、順序が存在する。

 

 故に、誰彼構わず手合わせしてはいけないし、無能上司だからといって飛び掛かってはいけない。

 

 バーサーカーが故の戦闘意欲なのかもしれないが、それを抑える努力もしなきゃいけないし、何より俺の腰は労わるべきである。ただでさえ事務仕事で座りっぱなしなのだから、普段から持続ダメージが入り続けているのだ。そこに直接的打撃を与えようものなら現実的に再起不能になってもおかしくないんだぞ!

 

 ひっくひっくと喉を鳴らす神通を宥めようと撫でながら、どう説明したものかと言葉を途切れ途切れに伝える。

 

「……強くなり、勝利するために強い者と戦う事は間違ってはいないだろう。だがその相手は、私ではない」

 

「提督……」

 

 激しく動いたためか、神通の前髪は乱れ、頬に流れた涙に髪が張り付いている。

 それを指でちょいちょいと直しながら継ぐ言葉を考えつつ、腰の痛みにしかめっ面をしてしまわないようにと平静を保つ。俺は一体何をしているんだ。

 

「仲間と手合わせするのも良かろう。だがな神通、私はお前が強い事を知っている。優劣をつけるつもりは無いが、決して、お前は弱くなどない。ならば、誰と戦うべきかは、考えずとも分かるだろう」

 

 俺じゃなくて、近海警備に出て、駆逐イ級とか見つけたら懲らしめてやってくださいよ……。

 

 あっだめだ痛みが酷くなってきた。

 

 俺は腰を刺激しないようそっと立ち上がり、大淀に「執務室へ戻るぞ」とだけ短く言って背を向ける。

 

「あ、あのっ」

 

 もうやめて神通! 俺の腰のライフは無いの! ゼロなの!

 

「……なんだ」

 

 涙に歪んだ神通の声が問う。

 

「どう、すれば……私は、もっと……強くなれ、ますか……」

 

「――そうだな」

 

 ……んんんんん分かんないよそんな事ぉぉああ! 書類に強くなる方法でもいいですかッ!?

 徐々に痛みが激しくなってくる腰に手の甲を当てて支えながら、額に浮かんでくる脂汗を軍帽を深く被ることで隠す。

 

「よく見る事だ。必ず、間違いがある。一つか、二つか、どのようなものであれ、必ず存在する。それをどうすれば思い通りに出来るか、最小限の労力で済ませられるかを考え、動くのだ。指先一つで、どうとでもなるものだぞ」

 

 そうすれば確認漏れはなくなると思います! 以上です!

 

「最小限の、労力で……」

 

 神通の呟きを聞き届ける前に、俺は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 んぁぁぁあああ痛ぁああああいッ!! 腰が痛ぁぁああいッ!!



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七十四話 枯死【元帥/大本営side】

 柱島泊地と呼ばれる小さな島で、大勢の艦娘相手に一人の男が腰を痛めながら孤軍奮闘している頃。

 東京、お台場にあるビル群のいくつかに設置されたモニターには、連続してニュースが放送されていた。

 その内容は人々に様々な声を生む。感嘆、興奮、熱狂。

 

 しかし一方では、陰謀論者が如くプロパガンダだという声もあったが、とにもかくにも、東京都だけではなく、日本の至る所で危機に瀕した人類が反撃の一歩を踏み出したと報道している。

 ニュースキャスターが抑揚なく淡々と原稿を読み上げているが、その途中で「記者会見場と中継が繋がりました」と場面が切り替わった。

 

 横断歩道の信号機が青に変わって人の波が移動する中で、足を止めてモニターを見上げる者は少なくなかった。

 

『えー、長らく閉鎖海域となっておりました、あー……南方の、大洋州にあります、ソロモン諸島、が、えー……一昨日より、日本海軍の、おー……奮闘により、開放されました事をご報告いたします』

 

 スーツを着た一人の男が壇上に立ち国旗を背にそう言った瞬間、フラッシュの明滅でモニターがちらつき始める。

 数秒の沈黙の後、男は撮影タイムは終わったか? と言わんばかりの表情をした後、言葉を続けた。

 

『国民の皆様も憂慮の絶えない事だったと存じますが、本件につきまして、えー、詳しいところを、海軍元帥に、説明いただきたく存じます』

 

 演台から原稿を退かすような仕草の後、男は記者団に向かって一礼し、舞台袖に視線を送った。

 すると、軍服を纏った男が重々しい足取りで演台までやってきて記者団に一礼。

 

 通行人からすれば、今や見知った顔とも言える白い軍服の男――井之上巌。

 彼は強面で威圧的な印象を与えるのだが、軍人が故か、はたまた上役や政治家に見られるくたびれたような見た目にあらず威厳ある風貌をしているため、不思議と発言に力があった。

 無論、実際の発言力とは違うものであるが、国民にとってそんなものは些細な事に過ぎず。

 戦場に立つわけでも無く、兵に志願するわけでもなければ普通に生活を営んでいる者の中には役立たずとも言う者もいるが、それはさておき。

 

『説明代わりまして、海軍元帥、井之上であります』

 

 先ほどのスーツの男よりも明瞭かつ淀みない口調で、井之上は時折演台に視線を落としながら声を発する。

 そんな井之上の後ろ、舞台袖からはカメラの画角に映りこむ女性の姿が見てとれる。その光景もまた、国民には既に馴染みあるものであった。

 

 制服ではなくスーツを身にまとっている女性だが、奇抜な髪色からして、どう見ても艦娘である。

 彼女は艦娘ではあるが、海上に立つ存在ではないという所は、国民の知るところではないかもしれない。

 

 なにせ艦娘は同じ顔が多い。名前だって、艦の名をそのままに使っているのだから、同じ名前に同じ顔は不気味に映るか、不思議に映ることだろう。

 ()()を好き好んでいるのは、画面の向こうの偶像(アイドル)として見ている若者か、祖父や曾祖父が知っているという理由で畏敬の念を抱く老人層の一部である。

 

 おおよそ、受け入れられてはいるが、好かれているかどうかは別、というのが実情。

 

 それも当然だ。化け物だなんだと好き勝手に言っても――どう見たって、彼女らは可憐な少女なのだから。

 

『六年前より行われておりました南方海域の閉鎖につきましてご存じの方も多いかと思われますが、攻撃性個体群、深海棲艦の襲撃によって著しい被害の出た地域であり、大洋州という事もありまして、ソロモン諸島の国民は一時的に諸外国へ避難し、多くは、オーストラリア、また、パプアニューギニア首都圏へ受け入れられておりました』

 

 形式的に説明をしながら、井之上は平静を装っているつもりであろうが、誰がどう見ても不機嫌そうな顔をしているのは明らかだった。

 その理由は、説明の途中にもかかわらず野次のように飛んでくる記者団からの質問であるのは言うまでも無く、これらは記者会見のたびに見られる光景でもあった。

 

『ソロモン諸島の政権は依然として存在していると認識しているのですが、南方海域の開放については各国との協力体制のもとで行われたのでしょうか!』

 

 不躾に声を上げた一人の記者を睨みつける井之上だったが、一人が声を上げれば、二人、三人と続いてしまう。

 

『速報にもありませんでしたが、それは秘匿していたのですか!』

 

『海軍の独断との声もありますが、国家間の問題になりえるのではないのでしょうか!』

 

 礼儀もなにもあったものではないが、井之上はその声に反論する術を持っていなかった。

 国民を守る存在である海軍、その頂点たる井之上のみならず政府へ野次が集中するのは必然である。その中でも井之上へ飛んでくるものなど政府関係者の内でも少ない方なのも理由の一つ。だからこそ井之上は辛抱強く、声が止むまで口を噤んだ。

 

 質問が飛んできたとて、答えを欲するならばいずれ沈黙の静寂がやってくる。

 

 その瞬間を見計らい、井之上は続けた。

 

『……質問は、説明の後に受け付けます。ソロモン諸島の防衛にあたり、各国との協議の結果、保有艦娘数が多い日本が率先して鎮守府を設立、各員を派遣するという事は過去に決定された事項でありますので、それに従い、海軍はソロモン諸島へは三か所の拠点を設置し、その対応にあたっておりました。ラバウル、ブイン、ショートランドにおいて攻撃性個体群の動向を注視しつつ、無人島を含むソロモン諸島全体の防衛、ならびに、避難出来なかった国民の捜索を六年にわたって行ったところ、いないと判断するにたりうる状況となったため、今回の作戦に踏み切った次第であります』

 

 ここまで説明したところで、野次を飛ばしてきた記者が納得するかと言えば、端的に――しない。

 だがまたしても野次を飛ばそうものならば、説明どころでは無くなることも理解している賢しい者でもあるため、まだ沈黙は破られなかった。

 

『先にも申しました通り、防衛の主体は日本海軍にありますので、独断ではありません。ソロモン政権も、ブーゲンビル州を擁するパプアニューギニア政権も、ソロモン諸島における戦闘行為については容認事項であります。また、南方海域開放における作戦につきましては陸軍大臣の承認、防衛許可として内閣総理大臣の決定もあり、実行したものであります』

 

 許可はある。それだけで記者団はさらに沈黙を深くした。

 しかしながら、まだ納得出来ないとして腰を上げる勢いで声を投げる記者が一人。

 

『総理大臣の決定があってから開放までの時差を考えると、以前より手を付けていたのではと考えられるのですが!』

 

 井之上はそれに対して一切の間も無く答える。

 

『軍事的決定は速度が無ければなりませんので、国民の皆様には報告が前後してしまいますが、ご理解いただきたい。沿岸警備以外にも、内陸部の安全を確実なものとするため、陸軍の憲兵が治安維持にも動いております。西日本統括として日本陸軍、憲兵隊隊長の松岡忠中将が筆頭となり――』

 

『しかし――!』

 

 さらに声を荒げた記者を見る井之上の目が、きゅう、と細くなる。

 よくよく見れば地方新聞の記者であった。

 

 そういう記者は、正義感が強いと井之上は知っている。独善であろうが、それが間違っているとも断じることはできず、どちらかと言えば国民によりそった考えを持っているのは彼なのだろうと心を納得させて、小さく溜息を吐いた。

 

『ソロモン諸島より北上してくる攻撃性個体群によって、日本沿岸部に被害が出ていたのは周知の事実であります。本件に関しては、ソロモン諸島のみならず、日本沿岸部、そして各国への被害を最小限にとどめるために強硬的に行われたことを否定はできません』

 

 否定できない――その言葉は記者団達から野次を引き出すには十分なものだった。

 途端に記者団からガヤガヤと声が上がり始め、井之上はさらに表情を険しいものにする。

 

 モニターを見上げていた国民も記者団にあてられたかのように、友人や知り合いと声を交わす。

 実質独断でやったんじゃん。自衛隊から名前変わっただけじゃないのかよ。

 

 数年前までは諸手を挙げて歓迎していた雰囲気は、ここ最近になって反転しはじめていた。それは井之上や陸軍大臣の()()()()()と言うべきであろう。

 それが、かの男が強硬した作戦においてもう一段階進んだと考えると、険しい顔の裏側では、笑みを浮かべてしまう。

 

 その心は――

 

『その強硬的な作戦で、海軍所属の艦娘への被害は――』

『過去に実行された作戦で酷使された艦娘のその後の報告を――』

『人権保護という観点における海軍の見解は以前と変わりないのでしょうか――』

 

 ――井之上のみぞ知る。

 

『……海軍所属の艦娘についての質問は軍事機密に抵触いたしますので、回答いたしかねます。この会見は、南方海域の開放報告ですので』

 

『海外の軍事機関における艦娘の処遇については――』

『新たな艦娘を日本へ招致するという話もありましたが、どの程度進行して――』

『ソロモン諸島の開放によって航路が確立出来たのであれば、やはり諸外国との協力を――』

 

 目まぐるしく入れ替わり立ち替わり、記者団から向けられるボイスレコーダーに向かって答えていく井之上の姿は、その後十数分にわたってモニターを占拠した。

 

 国民の興味はすぐに逸れ、立ち止まっていた通行人もまた、いつしか変わってしまった日常へ馴染むように歩みを進めていくのだった。

 

 

* * *

 

 

「お疲れ様です、元帥」

 

「……ああ」

 

 記者会見からしばらく。井之上は大本営へ戻る途中の車内でかけられた声に疲れも隠さずに返事した。

 

「久しぶりでしたね、あの感じ」

 

「開戦当初を思い出したわい。少女を戦争に駆るとは何事かー! とな。くっくっく」

 

 運転手の声は高く、揺れる薄紫色の髪が、井之上の目には楽しんでいるように映る。

 かくいう井之上も、不機嫌な表情をしていたが、内心は()()と同じであった。

 

「せいぜい仕事を増やせとは言ったが、あいつが動くとここまで波紋が広がりおる。しばらくは柱島に閉じ込めておかねばならんかな」

 

「そんな事言って、山元大佐に何かあればすぐに通せと仰ってる癖に」

 

「おや、お前には隠せんかったか。くっくっく……陸の方でも大規模な人事が起こっておるからな、事に乗っかり出世した……いや、出世させた男も呉に駐屯しておる」

 

「隠すって――当たり前ですよ! あきつ丸さんまで向こうに行ってるのに! 人事の方も、大佐が今回のいわくに引っ張られないようにと、理解してるつもりです。……それはそうと、あの、元帥……向こうの艦娘は、今、どう過ごしているんでしょうか」

 

 青葉の言葉に、井之上は確信をもって答えた。

 

「少なくとも、任務を拒否はしていないようじゃ。ワシのもとにきた報告書には元気に哨戒を行っているとあったぞ。さして心配はしておらん」

 

「そう、ですか……それは何よりです」

 

「で、あろうよ」

 

 新宿へ向かう高速道路へ続くレーンへ車が揺れた時、ふと、青葉の声音が低くなった。

 

「――この後の会議についてですが、横須賀の司令官は参加が難しいと」

 

「……もとより来ないものと認識しておったよ。横須賀と呉はな。で、他は」

 

「岩川、鹿屋、佐世保、舞鶴、大湊は参加が確認出来ました。既に、大本営で待機しているみたいです」

 

「ふむ……参加艦は」

 

「岩川からは駆逐艦電、鹿屋は軽空母龍鳳、佐世保から軽巡洋艦阿賀野、舞鶴は駆逐艦天津風が秘書艦として参加するようです。大湊は……軽巡洋艦、由良、と」

 

 井之上は妖精こそはっきりと見えない男だが、特異な能力が一つあった。

 それが、艦娘が通信する際に発する特殊な電波を感じ取る、というものである。

 

 というのも、正確にどのような通信内容であるか、どこと通信しているか、までは分からないが、チッチッチ、というノイズのようなものが聞こえるのだ。

 青葉もそれを知っているため、井之上の前では隠し事なんて出来ないと理解し、最初こそ構えていたものの、今ではすっかり元帥付の運転手兼秘書として定着している。

 

 呉へ山元大佐を移送する際にも一緒に行っており、()()()も知っているし、見ている。その前の男のことも然り。

 

 青葉は大本営にいる艦娘と通信しながら、現在がどのような状況であるのかを井之上につぶさに伝えた。

 

「舞鶴の司令官が、呉の大佐は出頭しないのか、としつこく聞いているようで……対応している朝潮さんがどうすればよいか、と」

 

「大規模作戦後の処理をワシに押し付けられたから鎮守府に縛り付けられているとでも伝えておけ。それでも食い下がるようであれば知らんで通しておいてくれ……ワシから説明しよう」

 

 しばらく沈黙する青葉。井之上の耳に届くノイズ。

 

「……伝えました」

 

「くっくっく、腕が一本無くなった程度で揺らぎおるか。油断は出来んが、かの知将が我が陣にいると思えば、少しは余裕に思えるもんじゃな」

 

「それとぉ……や、やっぱり寄るんです……? お昼……」

 

 青葉が恐る恐る聞くものだから、井之上は不機嫌な顔のまま器用に目を丸くして言った。

 

「当然だ。この前、約束したじゃろう? ワシは良く分からんが、甘い、なんだ、パンを食べてみたいと」

 

「パンじゃなくてパンケーキですっ! って、そうじゃなくてですよ! 会議のために司令官達が揃っていらっしゃるのに……!」

 

 井之上はここでようやく不機嫌そうな顔を緩め、笑みを浮かべる。

 

「記者らも言っておっただろう。艦娘の人権をと。ワシは海軍を預かる身として、青葉の望みをかなえねばならん。それに、約束を破る男は嫌われてしまうかもしれんじゃろう。ワシは青葉に嫌われては仕事が手につかなくなってしまうかもしれんのだが……どう思う?」

 

「も、もぉ……怒られても知りませんからねぇ? これも元帥の作戦なのかもしれませんが、青葉は心臓がもちませんよ……海軍是正の一手だとか、なんとか」

 

 しばらく車を走らせていた青葉だったが、ハンドルを切って高速からおりて下道を戻り始める。

 高速のすっきりとした道からごちゃごちゃとした看板の目立つ道に戻ったのを窓越しに見た井之上は満足そうに笑いながら、軍帽をさっと目深に被り、似ていない誰かのモノマネをしてみせるのだった。

 

「私には分かりかねる」

 

「もぉ! 元帥!」

 

「がっはっは! 冗談じゃ、冗談! しかし苛立っても待たねばならんだろうよ。ワシが記者会見に出ているのも知っておる。どこぞの信号に捕まったと言えば嘘だと断じられんじゃろうて」

 

「そんな、身もふたもない……」

 

「海原よりはマシじゃろう。たかだかお前と食事をするのに時間を取っている程度、可愛いもんじゃ。あやつならば出頭しておる者ら全員を半死半生になるまで殴り飛ばしておるやもしれんが、青葉はどちらがマシだと考える?」

 

「……元帥です」

 

「そうじゃろうが。それにな、記者団が終わったというのに、今度は部下と戦わねばならん。一瞬の仕事であれ、堪えるんじゃよ……元気づけると思って、老人に付き合ってはくれんか」

 

「……ずるいですよ、それ」

 

「そうか? 誰かのがうつったのかもしれんなあ、はっはっは!」

 

 そうして井之上はまた車内に響くような笑い声をあげて、この後に控える多くの事後処理の事を頭の片隅に考えながら、青葉と共に昼食へと向かった――。

 

 

* * *

 

 

 大本営の会議室では、五名の男が艦娘を伴って憮然とした表情で椅子に座り、煙草をふかしていた。

 岩川基地よりやって来た男は無言のままで火のついていない煙草をくわえ、同じく、大湊からやってきた男も灰皿へ何度も煙草を打ちつけ、火種が落ちてもそれをやめなかった。

 

 先刻、大本営付の艦娘、駆逐艦朝潮に向かって元帥へ連絡を取れとしつこく迫っていた舞鶴の提督、金森正平(かなもりしょうへい)は厭味ったらしく、自分の秘書艦のみならず、それぞれが連れて来た艦娘を見まわしながら言った。 

 

「護国を担っているというのに役に立たん者が多い。このままでは海軍が枯死するのもあり得ん話ではないかもしれんな」

 

 それに対して、佐世保からやってきた提督、八代元(やしろはじめ)が鼻を鳴らす。

 

「金森中将、正直なのも考えものですぞ。それでは戦果の挙がらぬ者はいよいよ頭も上がらんではないですか」

 

「しかしだ八代少将、見てみたまえこの者らの様相を。護国は二の次、戦果も挙げず鎮守府で兵器を気遣うような軍人しかおらん。南方の開放とて呉と柱島、鹿屋の合同とは言うが……実情はどうだか」

 

 看過できない、という雰囲気を背負って金森中将の後ろに控えていた駆逐艦、天津風が小声で言う。

 彼女の視線は鹿屋の艦娘へも向けられており、対外的にはせめて悪口は控えてくれないかと懇願するようだった。

 

「その、他の方々もいる手前ですから、えっと……――」

 

 金森は途端に形相を変え、今にも立ち上がって殴りかかりそうなほどの怒気を込めて低い声を吐く。

 

「あぁ……? 誰が口を開けと言った。おい」

 

「っ……申し訳、ありません」

 

「必要な時は声をかける。今、俺はお前に声をかけたか?」

 

「……」

 

 天津風は顔を青くして首を横に振る。

 

「全く、これだから艦娘は。八代少将のところを見習わんか。恥ずかしい」

 

 金森の視線を受けた八代はニンマリと笑い、腕を組んで煙草のフィルターを噛んだ。

 

「お褒めにあずかり光栄ですな。金森中将は優しいですから、艦娘も自由にしておるのでしょう。うちの艦娘は夜にしか喋らんので、それもそれで困りものなんですがね」

 

「それはどこの鎮守府もそうでないのか? はっはっは!」

 

 下賤、下劣極まる会話ながら、岩川の男も、大湊の男も決して口を開かなかった。

 あからさまに反対派であると誇示するような佐世保と舞鶴と違って、前者二箇所の拠点は艦娘に反対するでもなく、擁護するでもない中立であるが故に会話に加わらなかったというのもあるが、実のところ、岩川と大湊の提督は、鹿屋基地の提督――清水中佐が会話に参加しなかったのを訝しんだのだ。

 

 大湊の提督の後ろで議事録をとれるようにとメモを準備している軽巡洋艦由良に対し、岩川基地からやってきた提督の横で周囲と視線を合わせないよう、不安そうな表情を伏せ続けている駆逐艦電もまた、仕事でなければこんなところに来たくない、といったところだろう。

 

 舞鶴の金森も、佐世保の八代も、てっきり鹿屋は乗ってくるものだと思い込んでいた。

 

 清水中佐は会話になど一切興味は無い、と言わんばかりに、連れて来た軽空母龍鳳に向かって小声で何かを話している。

 会議室でそれぞれが座っている席に距離は無いため声こそ聞こえるが、内容までは分からない。

 

 しかし、清水中佐に話しかけられていた龍鳳がくすりと笑ったのを見て、金森が不機嫌そうに言った。

 

「楽しそうじゃないか清水中佐」

 

 金森の声にびくりと震えた龍鳳だったが、そこでなんと、清水が龍鳳の腕をぽんと叩いて宥めたではないか。

 初めての光景に、電や由良は驚いて目を見開く。

 

「これは失礼。個人的な話をしておりました」

 

「個人的ぃ? それはそれは……随分と親しくなったのだな。新しい()()か?」

 

「夜警、とは……彼女は自分の秘書艦ですが」

 

 わざとらしい隠語で伝えたというのにもかかわらず表情一つ変えない清水中佐に煽るつもりなど無かったであろうが、それは金森のみならず八代までも苛立たせる態度であった。

 まして中佐は、この室内において一番の下っ端である。それがさらに苛立ちを加速させたのだろう。

 

「前任から受け継いだだけの素人指揮官でも時間が経てばそれらしく生意気になるものだな。先の作戦について南方に近かったのは鹿屋も同じであろうに、こうも余裕をかましていられるなんざ」

 

 八代の言葉に「同じ椅子に座っていても経験に差は出るということだろう」と嫌味を上乗せして言うも、やはり清水中佐は一切たじろぐ様子も見せず。

 

「何か失礼を言ったようでしたら、謝罪します。申し訳ない。なにぶん、色々と予定もありまして、龍鳳と楽しみだなと話しておりました」

 

「楽しみ、だと……?」

 

 金森が眉をひそめる。

 

「ご存じの通り、今は龍鳳と呼んでおりますが、この娘はもともと潜水母艦、大鯨と呼ばれている艦娘でした。鹿屋には潜水艦がおりませんので、この先に会えるかもしれない潜水艦達はどのような艦娘達なのだろうと話していたのです」

 

「なんだ、それは。そんな話知らんぞ」

 

「ただの合同演習ですよ。呉鎮守府が柱島泊地と合同演習を行う予定がありまして、日程は詰めておらんのですが、山元大佐に頼み込んで自分も参加させてもらえないかと交渉しているんです。舞鶴鎮守府ほどの拠点で行われる演習であれば話も広がっているでしょうが、手を噛んだのではと言われている呉が演習しようが、気にもされんでしょう?」

 

 痛烈な皮肉。だが清水は反対派に傾いていた身であるため、皮肉であるのか、はたまた本当に気にすることもないだろうと思って口にしたのか、金森には分からなかった。

 八代は、一度いわくがついたとは言え、拠点として大きな呉の演習にあやかろうとは弱小基地めと、見下すような目をして清水と龍鳳を睨む。

 

「――件の柱島の大将も参加せんと来たものだ。これはいよいよ、といったところに思うのですが、ねえ、中将」

 

 その八代の声に、金森は頷く。

 

「名ばかりの大将など一度として参加せんかっただろうが。いずれにせよ、井之上元帥が会見から戻れば全て分かる事。南方の開放にともなってあの拠点群がどうなるかも聞かねばならん」

 

 

 それからは、また煙草の紫煙と沈黙が室内を支配する。

 

 かれこれ一時間は経とうか、という頃になって、ようやく会議室の扉が開かれた。

 がちゃんという重々しい音に全員がそちらに顔を向ける。

 

 もちろん、やってきたのは――海軍元帥の井之上巌である。

 

 全員が起立し、敬礼した。井之上も流れるような動作で答礼し、軍帽を脱ぎながら椅子へ腰をおろした。

 

「待たせた。中継も終わったというのに記者の質問が止まんでな。ようやっと解放されたわい」

 

「いえ、お疲れ様であります元帥。して、会議を――」

 

 金森が井之上の顔色を窺いながら言葉を紡ぐも――最後までは紡げず。

 その理由は、井之上元帥の一方的な発言が故だった。

 

「――件の海域において呉鎮守府、柱島泊地、呉へ出向してもらった鹿屋基地の清水中佐に勲章を与えるという話をまとめたい。呉の山元においては周囲への示しもあるので一時保留せねばならんが、鹿屋の献身的な働きには報いねばなるまいて。清水、どうだ」

 

「なっ……」

 

「わぁっ……!」

 

 金森は喉が詰まったように声を失い、話を振られた清水は驚いた顔で座ったばかりなのに立ち上がってしまう。秘書艦の龍鳳は深く事情を知っているのかいないのか、その上で喜んでいるのかは分からないものの非常に嬉しそうである。

 

「く、勲章でありますか!? 自分は、あの時何も――!」

 

「あの時? はて……それがどの時を指しているのかは分からんが、ともかく、南方海域の開放は勲章を与えるのに申し分ない戦果じゃろう。山元らの代わりに受け取っておくのも手ではないか?」

 

「や、山元大佐にも与えられないのであれば、自分は勲章など……」

 

「じゃが、これはワシの一存ではない。南方を開放した者に対して何も無しで褒められるのは、昔の話よ。今や働きに見合った褒賞が無ければそれだけで非難の対象にもなりかねん。長らく閉鎖されておった海域じゃぞ? なぁ、違うか?」

 

 井之上が視線を向けたのは――中将でも少将でもなく、岩川と大湊の提督達。

 二人は黙ったまま、ただ頷いた。

 

 何故だと八代と金森が考えるべくもなく、その答えは明らか。

 

「こういう事じゃ。まだ処理があるのでな、しかして直接これを伝えんとワシが元帥たる理由が無くなってしまう。許せよ清水」

 

「い、いえっ……自分は、あの、しょ、承知、しました……」

 

「っくく、勤勉で結構。ここのところ数年前のように頻繁に沿岸を襲う動きは見せておらんが、今後ともこれが続くということは決してありえんと心得ておけ。国民のみならず、我々の油断が命取りとなる。よいな。では……以上だ」

 

「お、お待ちください井之上元帥! 南方で実行された作戦について大本営、いえ、元帥から説明は無いのですか!? 突発的にしては大規模が過ぎる作戦でありました! それに、南方の管轄は――」

 

 立ち上がった井之上を呼び止める八代だったが、井之上はちらりと視線をやっただけで、すぐに背を向け、部屋を出て行きながら言った。

 

「まだ処理をしておる途中でのお……南方海域の拠点に別段変更はかけておらん。以前と同様の任務を課すつもりでおるよ。深海棲艦の動向に注視せよとな。作戦参加の拠点は通達の通りじゃ。岩川にも大湊にも、同じように通達しておるはずじゃがなあ……」

 

「な、なんっ……!?」

 

 扉が閉まった途端、八代のがなり声が響く。

 

「岩川と大湊は何か知っているのか!? どういうことだッ!」

 

 金森はと言えば、額に青筋を浮かべて視線を伏せたまま。

 

 岩川と大湊の提督は元帥に名指しにされたにもかかわらず一切の動揺を見せず、会議はこれで終わりだと立ち上がって去ろうとする。八代の呼び止めにも応じる様子は無かった。

 大湊の提督は一言も発さず秘書艦を連れて部屋をさっさと出てしまい、後に出ようとした岩川の提督が、足を止める。

 

「待て! くそっ……説明しろッ! 貴様にはその義務があるぞ、郷田ッ! 貴様も呉と共犯だろうがッ!」

 

 八代が唾を飛ばしながら怒鳴る様を見て、わざとらしい溜息を吐き出す。

 

 岩川基地統括――海軍少将、郷田航(ごうだわたる)は軍帽を指で押し上げ、訳知り顔で言った。

 大袈裟なまでに震える電の肩に手を置いて落ち着かせるような仕草は、八代と金森という反対派閥の顔に唾を吐くようなものであった。

 

「共犯とは人聞きの悪い――俺は同じ軍人として呉の要求に応えたまでだ。戦果を譲って欲しい、というな。それに部下である大佐が俺に頼みごとをすることのどこがおかしい? 南シナ海からいつ何時深海棲艦が来るか分からん上に、偵察機などは見つけ次第撃墜しているのだから、確かにうちは戦果を挙げている……ならば少し譲ってくれというのはそんなにおかしな話か? 貸し借りで言うなら、いくらか駆逐艦を借りただけだ。きちんと返却したぞ。出し渋る舞鶴や佐世保とは違ってな」

 

「こっ……こちらとて出し惜しんではおらん! 貯蔵分で事足りる程度に戦果も挙げている! 艦娘を借りねば戦果も挙げられん岩川とは違うわ!」

 

「貯蔵分で賄えているならば、それほど素晴らしい話は無いな。俺はてっきり気に入らん艦娘を次々と飛ばして、必死に従順な艦を建造しようとしては大本営に小遣いが足りんとせがんでいるものだとばかり思っていたよ。資源は無限ではないのでな、少しはこちらにも回してくれ」

 

 はん、と笑い声を漏らす郷田に対して、さらに八代は激昂した。

 

「言わせておけば……たかだかコバエを落として悦に入っているだけだろう!」

 

「そのコバエが飛んできても気づかないのはどちらか。召集と近海哨戒以外にも仕事は転がっているぞ八代。貴様の教育が足りんのならば、俺の育てた艦娘を貸してやろうか」

 

「移籍でもなく即時出向でもさせるつもりか? 貸し借りなどという文言で誤魔化せると思うな……通達前の転用は軍規に反するだろうが……ッ! 目論見を知っておきながら白々しい!」

 

「お前が軍規に縋るとはたまげたな。それに元帥や呉、柱島が何を考えているかなど俺が知るわけも無かろう。強いて言うなら……戦艦と軽巡洋艦、駆逐艦が異動した事は知っている。長門もそれに含まれていたらしいな。さて、八代。言葉を返そう。いよいよだな? いつものように高みの見物を決め込んでいてはどうだ。お前達の飼い主が助けてくれるかは知らんがな」

 

「ぶ、侮辱か貴様ァッ!」

 

「――分が悪いぞ八代。分からんのか。閉鎖されている南方が開放されたのに、ここに楠木が来ていないのが答えになっていると思うのだが……それも分からんくらい脳が塩漬けになったわけではあるまい。元帥の顔を見ただろう。いずれ海軍は傾くぞ、枯死ではなく、諸君らが嫌がる方向へな。俺としては、どちらに傾こうが、国を守れるのならばそれでいい。賛成反対などと言う貴様らもどうでもいい。何をどう取り繕おうが、造れるのならば兵器として活用するまでだ。……行くぞ駆逐艦」

 

 そう言い残し、郷田は電を連れて部屋を出て行く。

 残されたのは、八代と金森、そして清水と三名の秘書艦娘達。

 

「し、清水……上官命令だ……知っている事を言え――ッ!」

 

 唖然とする八代に代わり、金森がやっとの事で振り絞った声。

 清水こそ目を白黒させて混乱しているのだと示したのだが、その口が滑る。

 

 清水は、もしかすると、井之上元帥はこれを狙っていたのかもしれない、と口を滑らせてしまった後に考えた。

 

「自分は、作戦を見ていただけで――……っ!」

 

 金森も、八代も、嘘だと思った。

 山元が南方を開放する戦力を有するはずもない。あったとしても、どうやって。

 それに、作戦に名を連ねていた、あの男が生きているはずが無い。

 

「見ていた、だと……? 名前しか出ておらんのにか!? あいつが発見されたのも嫌疑の棄却もはなからおかしいと思っていたのだッ! 吐け、清水ッ!」

 

「この狐めが、それで欺いているつもりか……!」

 

「そう、言われましても、呉と柱島が合同で開放したのは、本当のところでありまして……大将閣下がお戻りになられているのも本当でして……」

 

「戻っているはずが無かろうが……クソッタレの嘘吐きめ!」

 

 八代の怒号。金森の怨嗟。

 清水は賢しい男である。故に――ああ、と井之上元帥の考えの一端に触れた。

 

 触れた上で、自分がもしもここで――あり得ないが――八代と金森に捕まるか、攫われたとしても、龍鳳を逃がして事情を()()()()()()へ伝えられたら、あくびをするよりも簡単に盤はひっくり返るのだろうと、呆れ半分、安心半分で言い返せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――では、その目で確認したらいかがか。あの御仁の正面に立てると言うのであれば、ですが」

 

 そんな清水の真っ直ぐな目に、金森も八代も言葉を失うのだった。




追:またも若干の抜けがあったので修正してあります。


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七十五話 腰【提督side】

 腰の痛みが時間の経過とともに変化していく。今は、痛みが引いている。

 綾波を受け止めてから神通のダイブを食らって、あれからどれくらい経ったか。

 一時間か二時間、いや、三時間くらいだろう。

 

 武道場を出てからすぐに、俺は大淀へ「一人にしてくれるか」と言って別れた。

 昼の時間は疾うに過ぎており、俺は昼食を食べる事も出来ないまま――柱島鎮守府にある波止場に来ているところである。

 俺を探しに来たであろう大淀が波止場のビットに奇妙な恰好で座っているのを見つけて話しかけてきたが、俺は海の向こうで演習をしているいくつかの小さな影を見つめることで再び痛みが襲ってくる前に腰を落ち着け回復に専念しつつ、脂汗をしきりに親指で拭うばかりだった。

 

「提督……その、食事を、済ませてまいりましたが……」

 

「……そうか」

 

「提督はよろしいのですか? 間宮さんや伊良湖さんが食事を用意しておいでですよ」

 

「今は……すまん、ちょっとだけ、待ってくれ」

 

 んんんんん! これはやっちまってるぜェッ!

 

 俺は過去に二度、ぎっくり腰というものになった経験がある。故に慌てていない。

 だがこの痛みは三度目の経験となれど慣れるものではない。外という事もあって横にもなれず、最短距離で休める場所を探した結果が――ここ、波止場だったのだ。

 

 ぎっくり腰で下肢の痺れや異常な痛みが数日続く場合などは病院に行くべきだが、今回の痛みは案外すぐに引いてくれたので、腰回りの周辺の筋肉が攣っただけの可能性もある。社畜は腰回りの知識が案外深いのである。

 

 だが……少しでも動けば違和感もある上に、腰を攣った瞬間、すぐに動きを止めたりせずにダイブをかましてくれた神通をそっとおろしたり――艦娘を地面に放り投げるなど選択肢にない――怪我をしていないかどうか、しゃがみ込んだ格好でぐりぐりと腰を捻るような動きも厭わず調べてしまったものだから、追加ダメージが酷い。

 ぎっくり腰だか腰の筋肉が攣ったのだか素人の俺には判断できないが、唯一分かる事は、痛みがあるのに動かしてしまったという間違いを犯したということだけだ……ッ!

 

 ひぃん……痛いよぉ……。

 

 大淀が俺の斜め後ろに佇んだまま、あの、とか、その、と何かを言いかけては、すみません、と謝るような奇怪な行動をとるものだから、俺は軍帽を被り直しながら言った。

 

「どうした、言いたい事があれば、言ってくれ」

 

「……私では、ダメですか」

 

「何がだ」

 

「提督が、お話ししてくださらないのなら、私は待ちます……でも、私でダメなら、鎮守府の、誰でもよいですから……話してくださいね」

 

「……うむ?」

 

 別に話すことは無いけども。大淀でもいいなら話すとかではなく、ちょっと腰を揉んでくれマジで。

 大体お前がスケジュールを変更しなければ鬼教官の神通にジャンピングアタックされなくて済んだんだぞ! 揉め! 優しく揉めオラァッ!!

 

 ……そうだね。これはただのセクハラになるね。ダメ、絶対。

 

 くだらない事を考える俺への天罰なのか、じわり、と腰に痛みが戻る。

 またも、っく、と声を漏らしてしまった俺は、誤魔化すように左の拳を口に当て、右手でさらに目深に軍帽を被る。痛すぎて涙出そう。いや出てる。

 

「……っ」

 

 待って待って、本当にごめん大淀。全部俺が悪くて、大淀様が正しかったです。

 だからほんっとうに腰の痛みどっか行ってく――んんぁぁあああああッ!!

 

 これが自業自得というものです。

 

 大淀に落ち度は無い、と心の不知火もお怒りである。

 普段からきちんと運動をしていれば、あの程度のことで腰を痛めることなど無かったのだ。仕事が忙しいからと椅子に座りっぱなしならば誰だってこうなる。まもるも、こうなる。

 

「っぐ、ぅ……」

 

「提督……?」

 

「……すまない、今は、少し、待ってくれないか」

 

 震える声でそれだけ伝えて、痛みを逸らす方法を考えねばと仕事をしている時よりも高速回転する思考。多分、この思考速度で作業をすればいつもの半分くらいの時間で仕事は終わるだろう。

 

 別の事を考えろ、痛みから意識を逸らすのだ、まもるぅッ……!

 

 そ、そうだ。訓練! 訓練の事でも考えよう! 本はと言えば俺が見回りを始めると言い出したことなのだから神通は悪くない! 綾波も訓練して吹っ飛ばされただけだ! それが既におかしいわけだが、いやいやおかしくない! 身体を鍛えておかなかった俺が悪いのだ! いやぁ、それにしても、向こうで訓練をしてる艦娘達は一体どんなことをしているんだろうか? 遠くにいても、祭りの時に響くような断続的に聞こえてくる、ドン、ドン、という砲撃音。懐かしいような、それでいて迫力がある不思議な感覚である。艦娘だってあんなに頑張っているのだ。俺のような社畜こそもっともっと頑張って愛する艦娘のために生きねばならないのだからこんな腰痛程度で弱音を吐くわけには――

 

 ――あっ、ダメだ……これ……。

 

 痛ぁいッ! 説明不要ッ! 思考中断ッ!

 

「く、くそっ……くそぉっ……どうして、こんな時に……」

 

 痛いの……。

 

 人間に備わっている、我慢という機能。それらはかなりの広範囲をカバーできる素晴らしいものだ。我慢しよう、と意識しただけで大抵の感覚はどうにかできる。

 もちろん、感覚を消す、なんていう魔法のような機能では無いが、表情に出さない、声に出さない、人に悟られないようにするには十分過ぎる機能である。

 

 しかし、我慢できないタイプの感覚だっていくつか存在する。そのうちの一つが、痛みである。

 大抵の痛みは我慢の範囲内にあるが、やはり人間は完璧な存在では無い。範囲外の痛みだって存在する。それらの中で誰にも身近であろうものが、歯痛と、腰痛である。

 

 現代医学によってあらゆる痛みを薬などで凌ぐことが出来るようになった人類だが、逆を言えば薬が無ければ我慢は出来ない。当然の摂理である。

 俺の手元に薬は無いし、柱島に腰痛に効く薬がありますか? と聞いても答えはノーだろう。訓練で怪我をしたときの艦娘は入渠をすれば修復が出来るのだから、そもそも医務室にある俺専用のものはちょっとした怪我に対応できる程度のものばかり……そして、今、言うべきでは無いが……俺はもし薬があったとて、使いたくなかった。

 

 何故か? 簡単だ。入渠で済むとは言え、艦娘がどんな怪我を負うか分からないし、俺にその方面の知識がないため、万が一のために残しておきたいのである。

 

 提督だからね。艦娘が優先なのは当然だね。

 

 以上の事から、ぎっくり腰で再起不能であると確信に至るまでも無い状態ならば、俺は耐える以外の選択をしたくなかったのだった。

 

 ――……もう、大の大人が泣いてるわけだが。

 

「てっ……い、とく……?」

 

 大淀が驚いたような声で駆け寄り、片膝をついて俺の背中に手を当てる。

 背中じゃねえんだ大淀……腰、腰なんだよ……!

 

「すっすまな、い……幻滅、したろっ……は、はは……ぐっ……ぅぅ」

 

「い、いえ! そんな……そんな事ありませんッ!」

 

 大声を出すなァァアアッ! 腰に響くだろうが眼鏡っ娘がァァッ!

 

「っ……」

 

 びくりと震えただけで腰がぴきぴきと痛みを訴える。

 大淀はそれを見て「す、すみません……!」と謝罪した後、また、あの、と言葉を探すように口をもごもごと動かした。

 

 後ろにいたから見られていなかったというのに、すぐ横に来たものだから、大淀にはおっさんが号泣した情けない顔を見られたことだろう。

 たかが腰痛と侮るなよ大淀、お前が艦娘であったとしても、事務を基本とするならばいずれは訪れるかもしれん未来なのだ、これはッ……。

 

「その、どう、して……提督は、泣いて……――」

 

 腰が痛いからだよッ!

 

「痛いのだ……こんな痛みは、もう二度と、味わいたくないと、思っていた……」

 

「痛み……」

 

「情けないが、医者を呼べるなら、この痛みを、どうにかして欲しいくらいに、痛いのだ……」

 

「……」

 

 俺の背に添えられた手が震えている。あぁ、大淀……分かっているとも……。

 たかだか女の子を受け止めた程度で腰をやるなど、俺は提督失格さ……。

 

 でもこれはどうしようも無いってぇ! 愛する艦娘が相手でも不可抗力じゃんかこんなのよぉ! んんんんん! 痛いデース!

 

 だめだハイテンションで誤魔化そうとしているが無理だこれは。

 

 しかし、痛みから意識を逸らさねばならない、と話し続ける。

 そうすることで多少は楽な気がしたのである。

 

「昔も、あったんだ……こういう事が……私がまだ、働き始めてそれほど経っていない頃に……同期が片付けられない仕事を頼んできてな、私は、この程度どうってことないと思って、それを引き受けた……かなり時間はかかったが、どうにか、その仕事を終える事が出来た……ふふっ、これを、慢心というのだろうな」

 

 軍帽を目深に被ることでは既に誤魔化しきれない程、ぼろっぼろに泣く俺。痛いです。

 

「同期も言っていたよ、痛い、痛いと。もう嫌だと言っていた……医者にかかろうが、これは職業病のようなものだ……慢性的に麻痺した感覚でも、身体は正直なものでな……ふとした時、襲ってくるのだ……まるで、悪夢だ」

 

 大淀は黙ったまま話を聞いていたが、横で、ぐす、と鼻をすする音が聞こえてきて、首を動かすのも怖かった俺は視線だけをそちらに向ける。

 よく見えないものの、大淀が眼鏡を外し、目元を拭っているのだけは分かった。

 

 ごめんて……腰痛だけでこんなに弱音吐くような奴いなかっただろうが、社畜にとっては切っても切れない問題なんだよこれは……。

 

「お前に聞かせる事では無かったな。すまない、忘れてく――」

 

「そんな、こと、ありませんっ……わ、私、ちゃんと、聞いていますから……提督のお気持ち、聞いてます、から……」

 

 うーん、女神かな。

 

 いや待て。大淀は艦隊これくしょんで実装されるまで任務娘と呼ばれ立ち絵だけの存在だった――ともすれば、彼女はそれまで事務仕事ばかりしていた可能性も……。

 

 ここまで考えた俺は、止められない涙を拭う事もせず、そうか、と言った。

 

「お前達の苦しみとは違うだろう……こんなもの、お前達の境遇と比べるまでもない……だが、だがな大淀……私は、弱い……」

 

 特に腰……。

 

「ちょっとした衝撃で身体が思い出したのかもしれん。私が忘れたと思い込んでいるだけで、身体は、忘れていなかったのかもな」

 

「はい……はいっ……」

 

 待て、これでは艦娘のお前らが重たいせいでぎっくり腰になっちまったじゃねえか! うわーん! と情けなく泣いている男に見られかねんではないか。

 決してそんな事は無い、訂正せねばッ!

 

「お前達の、は、羽のように軽い、身体が……」

 

 普通の健康体の女性くらいの重さはあった気がするが、いいやここはもう、大袈裟なくらいに軽いって言っとけ! と、俺は半ばやけくそになりながら言葉を紡いだ。

 

「……書類一枚で片づけられるような、身体が、私には、痛くて、痛くて」

 

 支離滅裂である。自分でも分かっているが、痛みというのは往々にして正常な思考を乱すものだ。

 流石に我慢云々の問題では無くなってきたところで、俺は諦めて大淀に頼み込んだ。

 

「二日、いいや一日でいい、休ませてくれないか」

 

「えっ……?」

 

 大淀の上げた声に、俺は何も言わず。ただ、ほんっとすみません、一日だけ安静にさせてください。という想いを込めて目を閉じた。

 

「わかり、ました」

 

「……すまない」

 

 渋々といったところか……そらそうよね……。

 しかし柱島の頭脳大淀に許可がもらえたのだから、素直に休ませてもらおうと、俺は腰に出来る限り刺激を与えないようにそっと立ち上がり、その場で静止。

 すぐに動いては再び激痛が走る可能性もある。

 

 手の甲を腰に当てて支えながら、三度浮かぶ脂汗を軍帽の内側で拭うようにして深く被り、子どもかお前は、というレベルでぐずぐずと鼻をすすった。痛い。

 

 遠くで演習をする艦娘に心の中で謝罪する。ぎっくり腰で休みます、と。

 

「大淀……執務室まで、傍に、いてくれないか」

 

「……はい」

 

 少し落ち着いた腰に痛みが走らないよう祈りながら、ゆっくりと振り返り、首を若干下に向けて歩き始める俺。

 幸い、執務室まで痛みが襲ってくるようなことも、道中で他の艦娘に会うことも無かった。

 到着した執務室に入る前に、大淀に言いつけておく。一応ね、仕事だからね。

 

「今日と明日については、お前のスケジュールに任せたい。問題が起こった場合は、すぐに知らせてくれ」

 

「了解、しました……」

 

 ベッドで休んだ方がいい事は分かっているが、今はもうソファでもいい、早く横になろう……。

 

「あ、あのっ! 提督っ!」

 

「っ……ああ」

 

 ドアノブに手をかけたところでかけられた声に驚いて、身体がまたもびくんと跳ねる。痛みは無かった。セーフ。

 

 もおおおお大声を出すなお前はヨォオオッ!

 

「私は――わ、私達は! あなたの傍にいますから! 決して、お一人には、しませんっ! だからっ……――」

 

 そら同じ職場なんだから一緒に決まってるだろいい加減にしろ連合艦隊旗艦!

 それ以上訳の分からんことで呼び止めたら大泣きしながらお前の眼鏡に指紋つけるぞ! オラァッ! 嫌だろうが! さっさと休ませてくださぁいッ!

 

「……ありがとう」

 

 でもありがとう大淀。優しいね。

 艦娘は提督に対して特効ダメージを持つので仕方が無い対応である。

 まもるがチョロいわけでは無いのだ。

 

 

* * *

 

 

 そして、執務室に鍵をかけ――万が一ソファに寝転がっているのを見られては気まずいので――俺は唸り声を上げながらうつ伏せになっていた。あれからまた、二時間後のことである。

 

「うぅぅっ……痛い……何年振りだこんなの……」

 

『まもるひんじゃくー』

『ひんじゃくひんじゃくぅ!』

 

「やめろ! うるさい!」

 

『やーいやーい!』

『つついちゃお。つーんつーん』

 

「っぐぉぁあああッ! や、やめろ! やめてくれ! 頼む!」

 

 そして妖精にいじめられていた。流石に酷いのではないだろうか。

 しかし、それに対して俺が言い返すにとどまっているのには理由があった。

 

 ぎっくり腰のため立ち上がって捕まえ、デコピンをお見舞い出来ないから、という理由以外に――つついちゃおう、と言った妖精を筆頭に、どこからか持ってきた湿布を貼ってくれているのである。

 

 いじめながら労わるとかこいつらほんとブラック企業の上司みたいだな……。

 

 しかし可愛いので、まもるは大丈夫です!

 

「フーッ……フーッ……! 貼るだけなら普通に貼ってくれ、頼むから……!」

 

『えへへ』

『ごめんね』

『いっぱいがんばったね』

『ようせいじるしの、とくせいしっぷです!』

 

 許した。

 

 って、いかん! これでは俺が本当にチョロ提督になってしまう!

 ここはぎっくり腰にかこつけて、真正面から何でも言ってやれ、と口を開いた。

 

「大淀から一日は休みを貰えたからな、悪いが仕事は無しだ。この痛みが引くまではとてもじゃないが動けん」

 

『えぇ……』

『サボリじゃぁん……』

 

「病欠だろこれはッ!?」

 

 なんて厳しい……! しかし俺は妖精へ言い返す。

 

「い、いいんだな……無理に働かせれば、大事なものを失うぞ……」

 

『な、なに!?』

『まもるいなくなるの!? やだやだ! ごめんね!』

『やだよー! まもるー!』

 

 腰の上でぴょんぴょんと跳ねていた妖精達がふわふわと俺の眼前まで飛んできて、頭を下げたり、頬にぴったりと抱き着いてきたりするものだから、面食らってしまう。

 

「えっ、あっ、いや、金平糖を伊良湖に作ってもらわないぞ、と……」

 

『いらない! まもるがいればいいから! だからいなくならないでー!』

『うわぁーん! やだやだぁ!』

 

 な、なんだこいつら……俺がいればいいなんて、可愛い事言うじゃないか……。

 へへっ、馬鹿だなぁ、俺はいなくなったりしないさ……。

 気恥ずかしさを感じながらも、冗談だ、と笑った。

 

「冗談だ、私はここにいるとも。妖精と艦娘がいなきゃ、私が提督でいる意味も無くなってしまうだろう? 金平糖だってちゃんと伊良湖に頼んでおいてやるから、な?」

 

『あたりまえでしょうがー! このー!』

『こんぺいとうのうらみー!』

 

 妖精は泣いていたかと思えば、またふわりと飛んで俺の視界から消え、腰に衝撃が走る。

 

「いぃぃッ!? 金平糖の恨みっておま、お前ぇッ! 結局それかよぉッ!」

 

『今日と明日はがまんしてあげます』

 

「……すみません、助かります」

 

 妖精にさえ負けるまもるです。本当にお疲れさまでした。

 この鎮守府のヒエラルキーは、頂点から、大淀、あきつ丸と川内、他の艦娘達と妖精、最下層が俺、という構図だろう。切なさが炸裂しそうである。

 

 と、ここであることに気づく。

 

 妖精がぴょんぴょんと跳ねていた腰から、いつのまにか痛みが消えていたのである。

 

 横になって時間も経っているし、どうやら湿布が効いてきたらしい。妖精がいなければ数分で治まっていたかもしれんが。ま、まぁいい。

 

「……ついでに、寝ようかな」

 

 まだ日は高い。

 こんな機会もなかなか無いだろう、と俺はそのまま目を閉じた。

 

 妖精は相変わらず俺の腰を公園か何かと勘違いしてるのか、おままごとを始めたが、それがまるで、窓の外で遊んでいる子ども達の声を聴きながら労働にくたびれた身体が溶けていくような、あの頃のようで、意識はゆっくりと落ちていった。

 

 

 

 ジリリリリン――ジリリリリン――!

 

 

 

 黒電話のベルがけたたましく鳴り響き、部屋を劈いた。

 はっとして意識が急浮上し、身体を起こそうと腕を立てた瞬間、腰に若干の痛みが走り、一時停止。

 

「電話が――! いっ……てぇ……ふぅ、ゆ、ゆっくり、ゆっくり……」

 

 いつのまにか妖精達はいなくなっているし、窓の外を見れば、既に太陽は無く、代わりに満月が昇っていた。

 

 ベルは絶え間なく鳴り続けており、そうだった、と俺はそろそろとした足取りでデスクまで行くと、受話器を上げる。

 

「……こちら柱島鎮守府、執務室」

 

 寝起きで声がガラガラである。すみませんね。

 

『鹿屋基地、清水中佐であります! 夜分に申し訳ありません、閣下!』

 

 声うるっさ!? 耳キーンなるわ! 清水お前ェッ!

 うっ、と顔をしかめ、一瞬、受話器を耳から離す。

 

「静かにしろ、夜だぞ」と俺が言えば、清水は『し、失礼しました……』と謝罪したが、それより、と言葉を続けた。

 

『申し訳ありません閣下、その、本日、南方海域開放についての記者会見と事後の報告のために軍議がありまして――』

 

 寝起きに聞かされる仕事の話ほど頭に入らないものは無い。

 あーはいはい、と片耳をほじりながら話を聞いているようで聞いていない俺はおざなりな返事をする。

 

「うむ。そうか、ご苦労だったな」

 

『いえ、そんな、自分は何も……』

 

「それで、軍議がどうした」

 

『その、軍議と言えど、要するに褒章を与えるという話を井之上元帥自らが周知させるための形だけのものであったのですが、国内の鎮守府間にある軋轢が自分が予想していたよりも酷くなっている様子でありまして……――その原因が、南方海域なのだろう、というのは分かったのですが……』

 

「閉鎖されていたのが開放されたのだ、悪い事はなかろう」

 

『それはもう、閣下の仰られる通りで……しかし、その、舞鶴と佐世保に至っては憤慨しておるところでして……そのぉ……えとぉ……』

 

「……はっきり言わんか」

 

『は、っは! 佐世保の提督、八代元少将が大本営に二日滞在の後、佐世保に戻る際に、呉と、柱島を見てみたいと……視察とともに、柱島との演習を、望んでおられます』

 

「断れ」

 

 即答である。演習の申し出はありがたいが、今はそんな場合ではないのだ。

 明日は丸一日休むつもりな上に、その次の日にすぐ演習など無理だ。

 

 いくら限界社畜のまもるであっても出来る事と出来ない事ぐらいあるんだぞ!

 

 寝起きの頭が覚醒しはじめ、清水の立場もあるのだろうが、と俺は言った。

 

「お前の立場もあろうが、明日は諸事情で一日空けられん。二日後になると言っても、こちらも用意が出来んのでな……清水に押し付けるようで悪いが、どうにか断ってくれんか」

 

 相手は少将――階級的に部下と言えど俺にとっては大先輩である。

 話したことも無いような上司、もとい大先輩に対して断りを入れるのは気が引ける……人に押し付けるというのも失礼この上ないが、分かってくれ清水ゥ……。

 

『し、しかしぃ……』

 

「どうにか、頼めんか」

 

 うーん、とお互いに唸っていると、執務室の扉がノックされた。

 清水に一言断り受話器を置いて、扉まで歩いて鍵を開けてみれば、大淀がお盆に料理をのせてやって来たようだった。

 

「すみません、電話中でしたか……」

 

「構わん。そうか、もう晩飯の時間だったか……わざわざすまないな」

 

「……いえ」

 

 何だか暗い雰囲気の大淀に「大丈夫か?」と問えば、はい、と返事されるが、明るい声に似合わない引き攣った笑顔だった。

 腰痛如きでダウンしてしまった俺を情けないと思っているに違いないが、取り繕ってくれてるだけでもありがたい限りである。

 

「そこに置いておいてくれ。食器は後で持っていこう。……っと、すまないな清水。それで、どうだ、やはり難しそうか」

 

 デスクに戻ってから受話口に向かい改めて問えば、清水は申し訳なさそうに『自分では、どうにも』と言う。

 

 うーむ、これは困った。演習自体は構わないが、大淀のスケジュール変更がかけられたのは今日で、その二日後には他の鎮守府と演習をするから予定を変えてくれないか、とも頼みづらい。

 だが清水だって上司の相手をしていたわけで、伝える先である俺も清水の上司にあたるのだからさらに心苦しいことだろう。

 

 今日だけで大淀に何度謝罪したか分からないが、ここは俺が折れて清水を助けてやらねばならないか、と、食事を置いてお茶をいれてくれている大淀に声をかける。

 

「清水、少し待て。大淀、少しいいか」

 

「はい、どうしました?」

 

 受話口を手で押さえた状態で、端的に事を伝えれば、大淀は逡巡するような様子を見せていたのだが、それも十数秒のことで、わかりました、と短く答えた。

 

 わ、わかりました? え? いいの?

 

「……い、いいのか、私が言うのもおかしな話だが、二日後だぞ?」

 

「はい。スケジュールを調整するのには問題ありません」

 

 お、大淀ぉ……! やっぱ女神じゃぁん……!

 

「そうか。助かる。私も明後日には仕事に戻るから、調整は頼む」

 

「私は問題ありませんが……提督は、大丈夫ですか……?」

 

 俺の腰の心配まで忘れない。艦娘が俺を気遣ってくれている事実だけで大丈夫以外の答えが無いが? ありがとう! ……すみません。

 

「あぁ、それまでには、戻れるようにしよう」

 

「……はい」

 

 大淀がお茶を入れに戻ったところで、俺は清水に言った。

 

「何度もすまんな。スケジュールの調整を行うから、視察と演習の申し出を受けよう。二日後で間違いないな? 時間は?」

 

『閣下……! 二日後の、昼過ぎにはそちらに到着するとの事です。山元大佐も柱島に行くことになると思いますが……』

 

「ふむ、山元も来るのか。ならば山元も艦娘を連れてくるのか?」

 

『恐らくは。八代少将との演習ですが、軽巡洋艦一隻……阿賀野、という艦娘をご存じでしょうか』

 

「阿賀野……うむ。もちろん知っている」

 

『練度も極めて高く、今や前線に出ている艦娘の中でも油断の出来ない相手でしょう。自分がお伝え出来る情報は、これが精一杯で――』

 

 う、うん? 阿賀野が演習に来るのは分かった。他は?

 

「他は」

 

『ほ、他でありますか? 申し訳ありません。同じ提督と言っても佐世保の提督は少将でありますので、自分が調べる事は難しく、事前にお伝え出来るのも艦娘のことだけでして……』

 

「い、いや、そうではない。演習を行うのだから他の艦娘も来るのだろう。ならばその艦娘くらい分かるのではないかと思ってだな」

 

 当然の問い、だと思ったのだが、清水はそれだけでも十分な情報だろうと言わんばかりに驚いたような声を上げた。

 

『一隻のみでありますが……さ、佐世保の阿賀野ですよ!? 練度を差し引いても、戦闘能力の高さは現在の前線を引っ張っている海外艦と変わりません! 佐世保は見せしめに柱島の艦娘を痛めつけてやろうとしているのです! 閣下に銃を向けた自分が言うことでは、ないかもしれませんが……直接手を下すよりも、かなり、狡猾な手であると言わざるを得ません』

 

 そんな事もあったなぁ、とつい先日のことながら遠い記憶のように思い返す。

 必死になり過ぎて潮ビンタの方が痛かったと白状したことしか思い出せんけども。

 

 それに艦娘が艦娘を痛めつけるって。ないない。

 しかも一隻だけというなら、演習だってきっと簡単なもので、挨拶程度の形式的なものかもしれない。

 

「それについては、当日にならねば分からんが――最善は尽くす。心配はするな」

 

『……了解しました』

 

 重苦しい声で返事した清水は、電話を切る前に一言だけ俺に言った。

 

『これも、自分が言うことではないかもしれませんが――信じております、閣下』

 

「うむ? ……う、うむ」

 

 とりあえず任されました! 佐世保の提督と演習すればいいわけだろう?

 何かあったらきちんと謝るし、大丈夫だろ!

 

 俺の心の那智さんだって任せておけって言ってるから問題無い!

 

 それから、電話を切って、大淀が持ってきてくれた晩飯を食べ、食器を返しに行こうとしたら大淀に「私が持っていきますから、提督はお休みください」とまたも気遣われ、執務室に一人残った俺。

 

「はぁ……寝るか」

 

 数時間ごとに起きてしまう睡眠ばかりだったが――明日は丸一日、空いている。

 予定の調整は大淀に任せたし、今日は艦娘に腰を()()()()()以外はなんら問題はなさそうだった。ならば明日も大丈夫だろう、と楽観視しつつ、俺はまたソファへ身体を横たえた。

 

「あ、そう、か……明日……丸一日、寝られる……?」

 

 その時、改めてその事実を認識した瞬間――俺の意識は――

 

「やった――ぜ――……」

 

 ――社畜時代よりも早く落ちたのだった。



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七十六話 蕾【神通side】

 訓練の時間こそ、何も考えず過ごせる憩いの時間だった。

 憩いというのもおかしいかもしれないが、間違いなく、そうだった。

 

 艤装も装着せず、足を、拳をただ我武者羅に振るうだけの時間。

 

 鉄塊ではなく人の身となった今では、一時間も身体を動かせば全身から汗が噴き出し、肺が酸素を求めて激しく収縮する。

 心臓の振動が鼓膜を揺らし、目の前がチカチカしてもなお、身体を動かす。

 

 ある一定の疲れや苦しみを超えた先に――何か、言葉で言い表せないものが待っているような気がするのだ。

 それを私は追い求め続けた。

 

 前の鎮守府で使い潰されていた頃と、目指す場所は同じ――人で言わば死。

 もしかすると――あり得ないが――こうする事で、私は苦しみぬいた先の先を求めていたのかもしれない。それが死であると、そう思っている。

 

 私は柱島に来てからもずっと訓練を欠かさなかった。

 

 大規模作戦の時も、それ以前も、以降もずっとだ。

 

 そんな私は――艤装をつけていないとは言え、提督に敗北した。

 

 いいや、もうあれは勝敗などのラインにすら立てていなかった。

 多くの深海棲艦と戦って生還し、使い潰されようとも立ち上がった私の戦闘能力を知っていたとしても、人間が艦娘に対して徒手の戦闘で勝利できようものか。

 こんなこと、常識も常識。石を投げれば地面に落ちるくらいに当然の摂理。

 

 彼は――たった一歩前に進むだけで、覆して見せた。

 

 前線で使い潰されながらも生き延びている私より強い艦娘など知らない。

 艦種や練度の差こそあれど、技量、気力、どれをとっても一線を張れるという自負があった。

 だから、前の鎮守府を追い出された時は絶望した。

 

 私はお役に立てませんでしたか? どうすれば、もっと人々のために戦えますか? 

 ついぞ、その問いに答えは無く、前提督は私を捨てたのだった。

 

 しかし今は、その不幸に感謝している自分がいるという不思議な気持ちでいっぱいである。

 私よりも強い御仁が――私の前に立って――

 

「神通。じーんつう! ちょっと!」

 

「はぅ!? す、すみません! はい!」

 

「大丈夫? 提督に負けて泣いてたらしいじゃーん?」

 

「なっ……姉さん、やめてください!」

 

 ――柱島泊地、食堂。

 午前の演習組も近海から戻った今、食堂は多くの艦娘で賑わっていた。

 

 既に私が武道場で提督に勝負を挑み敗北したことは殆どの艦娘に知れ渡っており、姉とも呼べる存在、川内に茶化されて言い返した時に初めて、視線が集中している事に気づいた。同型が故に、自然とそう呼んだ()()()()()はからからと笑う。

 ため息交じりに視線を外し、食堂を見回すと、周囲は早く話を聞かせろとばかりに身をこちらに傾けてくる。

 

 それらに対して、やめてやめて、と箸を持った方の手を振った。

 

 正直言って居心地が悪いし、少し失礼じゃないだろうか、と考えてしまう私だったが、負けた事へのショックの大きさと、提督の人間離れした反射神経に大敗を喫したあまりの清々しさに、味噌汁と一緒に考えがお腹の中へ落ちていく。

 

「さっきからぼーっとしてさぁ。やっぱショック?」

 

「それは、まぁ……ショックもなにも、ないですよ……」

 

 それ以外に感想を聞かれても、言葉に出来る自信は無い、と私は本日の昼食メニューである鰯団子にかじりつく。鰯団子と言えば、姉さんのメニューでもあったんだっけ、と朧気に思い出しながら虚空へ視線をさ迷わせた。

 ぼうっとする私の意識を引き戻したのは、天龍と龍田、摩耶の興奮気味な声。

 

「それでそれで?」

 

「オレと摩耶が腕を掴んで引き寄せようとしたんだよ、そっしたら、ぐって! こう、ぐーって捻られてよ! あっという間に転ばされちまったんだ。っかぁぁー! 素手じゃなかったらもう少し食いつけた! ぜってー食いつけたね!」

 

「私なんて見えても無かったのに、避けられちゃったのよぉ。すごいわよねえ」

 

「やっぱりレディーは強くなくちゃいけないのね!」

 

「それはそれで違うような気がしないでもないのです……」

 

 第六駆逐隊の娘達へ話す天龍に対して、摩耶が笑いながら自分の胸をぽんぽんと叩いた。

 

「ばっかお前。転ばされた程度だろ? アタシなんて背中打ち付けてきて息できなかったっての。あれで軽巡だぜ……軽巡……」

 

「重巡摩耶様でも敵わねえ相手がいるんだなー?」

 

「う、うっせえ! 防空なら負けねえし!」

 

「防空と白兵戦はもう別モンだろそれは……」

 

「だからノーカンなんだよ」

 

「どういう理屈だよ!」

 

 や、やめてほしい……確かに私は訓練は好きだけど、地面に転がしたり打ち付けたりするのが好きなわけじゃない……。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、二人の会話は止まらず。

 

 摩耶の近くに座っていた鳥海が、はぁ、と溜息を吐き出しながら会話に加わった。

 

「私、触った途端に転ばされたんですけど……」

 

「あらぁ、大丈夫? よしよしする?」

 

「愛宕、傷を抉るのはやめなさい」

 

 愛宕が鳥海の背を撫で、呆れた声でそれを諫める高雄。

 

 駆逐艦達が集まっている席からは綾波が夕立や時雨に挟まれた状態で話しているのも聞こえてきて、私は顔から火が出てしまいそうだった。

 

「鬼教官と言いますか……相変わらず勝てるビジョンが浮かびません……気づけば地面に倒れてるんですから、よっぽどです」

 

「すごいっぽい! 夕立も神通さんに教えてもらいたーい!」

 

「ぽいぽい言いながら戦闘するのかな? 流石夕立、変な子だね」

 

「言わないっぽい!」

 

「言ってるじゃないか」

 

「い、言ってないっぽ……言ってないもん! ね、ね、綾波ちゃんから神通さんにお願いしてみてっぽいぃ……!」

 

「えぇ!? わ、私からなんて……夕立さんが直接言ってくださいよ……。第一艦隊でも一緒になったんですから」

 

「作戦以外では話しかけた事あんまりないっぽい……」

 

「コミュニケーションも立派な仕事だよ、夕立」

 

「むっ……じゃあ時雨は言えるっぽい!?」

 

「……綾波、言えるもんね?」

 

「なんで私に聞くんですか……?」

 

「ね?」

 

「綾波ちゃんに圧かけるの禁止っぽい! 時雨あっち行って!」

 

「いやだね」

 

 姦しいとはまさにこのこと。食堂は賑やかである。

 その賑やかな会話の中心が私でなければ、もっとよかったのに、と顔を伏せて食事を続ける。

 

 しかし会話は止まらず、食事を再開したはずの姉さんが私の二の腕を指でうりうり、とつつきながら言った。

 

「提督に勝負を挑んだのが間違いだったねぇ」

 

「むぅ……わかってますってばぁ」

 

「ふふふっ、じょーだん! でも、本気で落ち込んでたらどうしようって心配しちゃったよ」

 

「え? 姉さんが……?」

 

「妹の心配くらいするよぉ!?」

 

 これくらいの仕返しは許されるだろう、と口にした言葉に大袈裟に反応してくれる姉さん。多くの艦娘達が会話しながら食事をしている光景が初めてで、とても新鮮で、それでいて――悪く無いな、と思えた。

 

 あれだけ強い御仁が私達の提督なのだから、鼻高々というものである。

 

 しかし、私は見落としていた。

 

 彼もまた、人であるということを。

 

 

* * *

 

 

 それを知ったのは、午後の訓練も終わって日没も過ぎた頃だった。

 再び食堂に集まった艦娘達は、演習に疲れたとか、そういうたわいもない話題でのんびりとした時間を過ごし、私もまた、流石に昼のように弄られる事も無く平穏に過ごしていた。今が戦時下であるというのが嘘みたいな日常だ。

 

 私は午後の演習にも組み込まれておらず非番であったため、本来なら自由に過ごしてもよいはずだったのだが、やはりどうしても提督に負けたのが悔しくて武道場で汗を流して過ごした。

 それに付き合ってくれる艦娘はいなかったが、一人になるとより集中出来たため悪い時間ではなかった。心地よい疲労感と共に、どうすれば今よりももっと強くなれるのかを漠然と考えながらちょびちょびと麦飯を噛む。

 

 そんな和気藹々とした空気の食堂内に提督の姿は無く、そういえば昼間も来ていらっしゃらなかったような、と考えた時、丁度、食堂に大淀がやって来たのが目に入る。

 間宮と伊良湖と二、三言交わすと、大淀はお盆に食事をのせて食堂を出て行った。

 

 提督に持っていく食事であろうか? とぼんやり思い、大規模作戦から日も浅いから執務に勤しんでいるのだろうと胸中で一人納得する。

 頭が下がる思いだ。百隻に近い艦娘達を統率しながら柱島泊地を運営し、大規模作戦のみならず、元帥閣下や呉の大佐、鹿屋の中佐とまで連絡を取り合っているのだろうから、忙しさは想像もできない。

 

 そんな提督に対して私を含む艦娘が出来る事は、しっかりと任務をこなし、日々の訓練を怠らないことだろう、と思う。我ながら模範解答過ぎて、つまらないというか、なんというか。

 

「提督も大変ねぇ、お昼も来てなかったじゃない」

 

 偶然聞こえて来た重巡洋艦足柄の声。

 私以外にも気づく人は気づくものか、とそちらへ視線をやる。

 

「仕方が無いにゃ。大規模作戦の事後処理もあるにゃ?」

 

「球磨達にはどうにもできんクマ。報告書くらいしか書けないクマ」

 

「大規模作戦の報告書は提督と艦娘で別にゃ。球磨姉が出来たとしても字が汚くて読めんにゃ」

 

「クマァ……? 姉ちゃんの達筆見てえクマァ……?」

 

「二度と書かないで欲しいにゃ。球磨姉にさせるくらいなら多摩が書くにゃ」

 

「……クマァ」

 

 ……変な話が聞こえて来た気がしないでもないけれど、大規模作戦の事後処理ならば、忙しいのも仕方が無いのか、と考えた時、先ほど出て行ったばかりの大淀がすぐに戻って来た。

 そして食堂の入り口からすぐのところで、ぱんぱん、と手を打つ。

 

 自然と全員がそちらを見た時、大淀は淡々と予定の話をし始めた。

 

「お食事中すみません、明日の予定は変更ありませんが、明後日の予定が変更となりました。佐世保鎮守府の提督がいらっしゃるそうです」

 

「何故だ? 大規模作戦後だし、処理も多いだろう。時期が悪いように思うのだが」

 

 茶碗に信じられないほど麦飯を盛って、魔法のように胃袋へもぐもぐと入れていた長門の声。全員が同じ考えだったようで、不思議そうに大淀を見る。

 

 大淀はと言えば、苦しそうな、調子が悪そうな顔をしたまま、うーん、と唸ったあと、半開きにしていた食堂の扉をしっかりと閉めてから言った。

 

「その、柱島泊地の視察を行うそうです。鹿屋基地の清水中佐とお話しされていたようで――」

 

「また盗聴したんか」

 

「しっ……してません!」

 

 龍驤の言葉をすかさず否定した大淀は、咳ばらいを一つしてから話を続けた。

 

「電話口のお声が大きかったもので……先程、食事を持って行った際に、少し……。どうにも、反対派が小突きに来る、という風に聞こえたのです。視察を行う時に、演習も行うとのことで……その相手が悪いと言いますか……」

 

「自分で言っちゃなんだけど、アタシ達もそこまで練度は低くないよ? 相手が誰でも、演習くらいは問題ないっしょ」

 

 そう言ったのは軽巡洋艦北上だ。しかし大淀の顔色は変わらないままで、どうしてか、ちらちらと私と目が合う。

 私は、なんだろう、と間抜けな顔をしていたことだろう。

 

「佐世保鎮守府からは……軽巡洋艦、阿賀野さんがいらっしゃると」

 

 食堂に波が起きた。

 

 佐世保鎮守府所属――阿賀野型軽巡洋艦一番艦、阿賀野。

 彼女の事を知らない艦娘は、ほぼいないと言って良いだろう。

 

 かの南方海域が閉鎖されたばかりの頃、海域からあふれんばかりの深海棲艦が日本沿岸部にめがけて大侵攻した事があった。

 その際に駆り出された多くの艦娘の中でも、彼女の働きは一、二を争うものだった。

 

 軽巡洋艦にして平均よりやや上という性能をものともせず、嚮導艦(きょうどうかん)という過去もあってか、おびただしい数の駆逐艦の動きを全て読み切り、日本への脅威を退けた武勲艦である。

 

 恐るべきは、その大侵攻後も多くの作戦に従事し――その練度を、八十という高水準まで持って行ったことであろう。

 

 この鎮守府にも高練度の艦娘は在籍している。私が知る限りでは、長門を筆頭として戦艦勢は軒並み七十前後であり、川内姉さんは六十八だったか、七だったと記憶している。

 駆逐艦の中にだって高練度の艦娘はいるし、この鎮守府の質は悪くは無いと言える。

 捨て艦作戦の弊害で、駆逐艦の中でも高練度であるのは一握り。その殆どは三十にも満たないので、平均を見れば低く感じられるだけだ。

 

 しかし、佐世保の阿賀野は次元が違う。

 

 艦娘の練度とは、五も差があればひっくり返すのは容易ではない。

 ということは、八十もの練度と戦うのならば最低でも七十五を超えた練度を持つ艦娘でなければならないということ。

 

 無茶な作戦であろうが何度も無理に駆り出されて、強制的に練度が上がった彼女はきっと――()()()()()()()()()()()()とは、違う。

 

 大淀が私を見ている理由を理解してしまって、残り一口程度残った麦飯を口に運べずに、かちゃん、と茶碗を置いてしまった。

 

「佐世保の阿賀野とは……あ、あの阿賀野か……?」

 

 那智さんが喉を鳴らして問えば、大淀さんは重々しく頷いた。

 そして、悪い報告は続く。

 

「それと、明日一日、提督は休みます」

 

「あん? どないしてんや、無茶ばっかしとったから体調崩したんか?」

 

 そう龍驤が問えば、大淀は曖昧に「……ええ」と頷く。

 私と武道場で会った時は体調を崩しているようには見えなかった。それどころか、万全の体調であったはず。というのも、私が敗北したという事実が、体調の悪い状態の提督に敗北した、というさらに酷いものになるのが気に食わないというのが本音のところであったが……。

 本当に体調不良であるのなら不謹慎な事を考えるべきではないか、とかぶりを振った。

 

「うーわもう、なんやねんなぁ……司令官はダウンするし、佐世保から阿賀野が来るて、まあ事情ある拠点やからこの先なんかあるやろとは予想しとったけど、早過ぎるし、そりゃないでしかしぃ……」

 

 面倒くさそうに大袈裟な溜息を吐き出す龍驤だったが、ふと、大淀を見てサンバイザーを押し上げながら言う。

 

「……ほんで、何が気になってんねん」

 

「えっ? いや、別に、明日の予定は変更なしですが、提督がいらっしゃらない事と、明後日の演習のためにスケジュールを変更するという報告を……はい……」

 

「ええからええから! もう悪い話あるんやったらさっさと言うて! あれか、神通の事負かしてもうて申し訳なさそうにしとった、とかか? え?」

 

 龍驤の冗談に、周囲が小さな笑いに包まれる。

 悪意のある言葉では無いと私も分かっていたために、もう、と言って顔を伏せたが、笑った。

 あれだけ強い御仁に負けたのなら、悔しくはあるが、仕方が無い。

 事実を受け止め、さらに強くなれるよう精進するしかないのだから。

 

「……恐らく、ですが、提督は――戦争神経症を、患っていらっしゃるのかもしれません」

 

「はっ……――!?」

 

「えっ」

 

 龍驤の声のみならず、私まで、顔を上げて大淀を見ながら声を上げてしまっていた。

 周りの艦娘も、一人残らず全員だ。

 

「まだ確定したわけではありませんよ!? 診断書があるわけでもないですし、ですけど、えっと……」

 

「診断書が無いからどないしてんや! そう判断する事があったっちゅうことやろ! な、なにがあったんや!」

 

「……その」

 

 大淀のさ迷っていた視線が、ぴたりと、私へ向いた。

 その瞬間、全員の視線が私を貫く。

 

「えっ……あっあの……わ、私が何か――!?」

 

「神通……別に君を疑うわけやないが、武道場で負けたいう話……あれ、ほんまか? それだけか?」

 

「そ、それだけですよ! 提督のお力が知りたくて、白兵戦をしかけてしまいました……でも! 何も、出来ず……私以外にいた人達だって――!」

 

 私の言葉に、天龍達が同意して声を上げてくれた。

 それにしても、戦争神経症なんて……そんな素振りは無かったはずだ。

 

 私に攻撃さえさせず、受け止めた提督は、何なら私が怪我していないかを心配していたくらいだ。自分だって綾波を受け止めて盛大に転んでいたというのに。

 

「あの後は神通に向かってちょっとした指導? ってーのか、強くなりたいなら、戦う相手を間違えるんじゃねえって話して終わりだよ。そのまま戻っちまったし」

 

 と摩耶が言えば、龍驤は「せやったら何で神通見んねん」と大淀へ再度視線を向ける。

 私も同じく大淀を見れば――彼女は、たっぷりと数十秒ほど逡巡の様子を見せたあと、口を開いた。

 

「……泣いて、いたんです」

 

「泣いっ……!? 嘘やろ!?」

 

 ふるふると首を横に振る大淀。

 

「痛い、痛い、としきりに言って、涙を流しておられました。神通さんを受け止めた時に、その衝撃で、身体が思い出したのかもしれない、と。身体的に痛いと言うのならば、その部位を押さえたりするでしょうが、そういった事も無く……座って、ただ泣いていて……」

 

 大淀の話に、頭がぐらぐらとし始める私。

 どうして受け止めた時に身体が思い出したのか、その理由は、私が求めずともすぐに大淀の口から紡がれた。

 

「昔、提督の同期の方が出来ないと言った仕事を肩代わりなさったらしいのですが、提督はお優しい方ですから……多くの仕事を、引き受けてこられたのだと思います。提督が失踪する前、まだ深海棲艦との戦いも手探りで被害も多かった頃のことでしょうが……神通さんの羽根のように軽い身体が、書類一枚で、片付けられるような軽さが、痛い、と……」

 

「待ちぃや、大淀、それ――」

 

「……多くを、見送って来られたのだと、思います」

 

 言葉を失い、私は唖然としてしまう。

 毅然とした態度で私達を導いている提督の過去に触れ、動けなくなる。

 

「そ、そら、そらそうや……はは、そうやな……冗談言うてる場合、ちゃうかったわ……バケモンでも、ウチらが守らなあかん人なんや……なんで……くそっ、なんっでこんなん気づけへんかったんや……ッ!」

 

 龍驤に続き、長門の声。

 

「私達を支えるから、私を支えて欲しい……そういう、意味か」

 

 ざわめく食堂の中、私はいてもたってもいられず、残りの食事をかきこんで、食器を厨房の間宮達に押し付けるようにして返すと、入り口に立ったままの大淀の横を通り過ぎようとする。

 

「じっ神通さん! どちらへ――!」

 

「……武道場です」

 

「もう夜間ですよ!? 訓練なら明日の朝に――」

 

「なりませんっ――!!」

 

 びりびりと震える空気。こんな大声、どれくらいぶりに出しただろうか。

 もしかすると、戦場でも出したことが無かったかもしれない。

 

「っ……」

 

 全員が沈黙し、静寂に包まれた食堂で、私は深呼吸して、拳を握りしめた。

 

「私は――提督の艦です。あのお方を守れずして、何が艦娘でしょうか……ただの負けず嫌いで……何が、華の二水戦でしょうか……ッ!」

 

 悔しい、という感情だと思い込んでいた私の胸中にある靄。

 それの正体を知った今、私はどうしようもない怒りに満ちていた。

 

 トラウマをおして私達を導こうとしている相手に飛び掛かっただけでなく、あの人ならば大丈夫という根拠も無い安心感を抱いてのうのうと明日を迎えようとしていた自分自身への怒りが、今にも破裂してしまいそうだった。

 

 私はきっと恐ろしい目をしていたに違いない。

 

「ちょっと妹に付き合ってくるよ。大淀さん、ごめんね」

 

「姉さん……?」

 

 椅子からぴょんと軽快に立ち上がった川内姉さんは、こきりと首を鳴らして言った。

 

「あー、ほら、なんていうの? 一応、姉だからっていうかさ。神通の気持ちも分からなくないっていうか……ね」

 

 共鳴とは違う。だが、不思議と姉さんには伝わっているのだと確信して、私は頭を下げた。

 

「仮に武道場を使うことを許可しても、怪我でもされたら困るのは提督なんですよ!? 入渠の時間も考えてください!」

 

 大淀のもっともな言葉に、私がどうすれば許可を貰えるか問いかけようとした時、先に姉さんが言葉を紡いだ。

 

「大丈夫。入渠させなきゃいいわけだから。怪我もさせないし、私も怪我しない。ね! 頼むよ大淀さぁん!」

 

 努めて明るくふるまうような姉さんに、大淀さんは「うっ、うーん……!」と唸り声を上げる。

 

 そうしているうちに、ガタガタと食堂に響く椅子と地面の擦れる音。

 はっとして見れば、全員が立ち上がり始めており、大淀は顔を真っ青にする。

 

「だっ、ダメですよ!? 許可しません! できません! 神通さんも、川内さんも、皆さんもです! 夜間の訓練は――」

 

「訓練? いやいや、そんな事はせん。しかし、ちょっと哨戒組が気になってな……少し海の様子を見に行こうと思うのだが」

 

 ここに来て初めて口を開いたのは、戦艦日向。続いて、伊勢も同じような事を言う。

 

「そうそう、ちょーっと気になってね。大丈夫、燃料は使わないようにするから! 弾薬も無し!」

 

「燃料も弾薬も使わずにどうやって様子を見に行くおつもりですか! こ、これは秘書艦としての命令です! 訓練は、いけません!」

 

「ふむ。大淀殿の言う通りであります。命令権まで行使されたのにもかかわらず無茶をするのであれば、艦娘保全部隊として、自分は川内殿ともども、止めねばなりませんな」

 

「あきつ丸さん……!」

 

 妙な空気に包まれた食堂内だったが――あきつ丸から続く言葉に、大淀は真っ青な顔を、今度は真っ白にした。

 

「で、あるからして――大将閣下がどれほど心を痛めようとも、我々は知らぬふりをせねばなりません。いかな訓練をしようとも、人ならば、一日の付け焼刃など無意味でありますからな。……人ならば」

 

「なっ……あきつ丸さん、あなた……!」

 

「いえいえいえ! 大淀殿、勘違いしないでいただきたい! 自分は大将閣下と閣下が重んじる軍規を一番に考えておりますとも! 神通殿を気遣ったらしい大将閣下ならば、きっと広いお心で自分らを受け止めてくれるでありましょう。佐世保の強者、阿賀野殿に凄惨な敗北を喫したところで、きっと優しく言ってくださいましょう……よく頑張った、と」

 

「っ……だ、ダメなものはダメです! 私だって無茶を承知でスケジュールの変更を行ったというのに――!」

 

「おや? おやおやぁ? 大淀殿、もしや大将閣下が作成なされた予定を変更したのは閣下の決定前、事後であったのでありますか!? これはこれは……」

 

 私のみならず、既に全員が――臨戦態勢であった。

 こうなるといくら大淀でも分が悪いと思ったのか、ぐっと唇を噛みしめ――自らの眼鏡に指をあてる。

 

 すると、遠くでベルの音が響いた。

 数秒の後、全員の頭に響く、御仁の声。

 

 枯れていて、掠れていて、今にも折れてしまいそうな、提督の声だった。

 まるで、今の今まで、泣き続けていたかのような弱弱しい声だ。

 

「夜分に大変申し訳ありません。大淀です」

 

『ん、ぉ、おお……大淀か……どうした、問題か……?』

 

 苦しんでいるのはあなただというのに、すぐに私達へ気を回す。

 どうして、あなたと言う人は、本当に。

 

 言葉としても組み立てられない感情がぐるぐると巡り、熱を発する。

 

「おやすみになられていましたか、すみません」

 

『いっ、いや、起きていたぞ。いつでも、対応出来るようにと……ただ、明日は……』

 

「はい、大丈夫です。既に全艦に通達しておりますので、ゆっくりとお休みください。それで、提督……夜間訓練を行いたいとの申し出がありまして……」

 

『夜間訓練……? う、うむ、そうか、構わんぞ。燃料は使うか?』

 

「えっ……」

 

 先読みされて驚いたのは大淀だけではなく、全員だった。

 目を丸くしてそれぞれが互いに見つめあってしまう。

 

「よ、よろしいのですか?」

 

『うむ。呉からの余剰分もあるから、心配はするな。何か私が出来ることがあるなら――ぐっ……』

 

「てっ提督!?」

 

『う、ぐ……すまない、大丈夫だ。まだ、少し痛むだけで……』

 

「……」

 

 まだ、苦しんでいる。

 提督の苦しみを背負おうなどと大それた事は言えない。

 

 だからせめて、私は――私達は――提督の道を阻むものを薙ぎ払う、艦娘に――。

 

「許可をありがとうございます。それでは明日はゆっくりとお休みください……」

 

『あぁ……ありがとう。そうだ、大淀』

 

「はい?」

 

『演習には、神通を採用したいと伝えておいてくれ』

 

「――了解しました。では……」

 

 ぷつりと通信が切れる。

 

 大淀の鋭い視線が私を射抜いた。

 私の身体の中にある熱が、もう逃げ場も無く暴れ出す。

 

「聞いた通りですが……神通さん、相手は練度八十もある、佐世保の阿賀野さんです。期限も一日と短く、訓練でどうにかなるような問題では、ないですよ」

 

「……何とかします」

 

 瞬時、私の脳内で様々な場面が浮かんでは消えていく。

 練度八十の猛者。それを相手取ってどうすれば戦えるのか。

 

【……強くなり、勝利するために強い者と戦う事は間違ってはいないだろう。だがその相手は、私ではない】

 

 では、誰なのでしょうか。

 今ならば、まさに佐世保の阿賀野がその相手ではないのですか。

 

【仲間と手合わせするのも良かろう。だがな神通、私はお前が強い事を知っている。優劣をつけるつもりは無いが、決して、お前は弱くなどない。ならば、誰と戦うべきかは、考えずとも分かるだろう】

 

 誰と戦うべきか。仲間に協力してもらって演習……?

 それでは間に合わない。たったの一日しかないと言うのに。

 

 どうすれば、私はもっと、強くなれるのですか……。

 

【よく見る事だ。必ず、間違いがある。一つか、二つか、どのようなものであれ、必ず存在する。それをどうすれば思い通りに出来るか、最小限の労力で済ませられるかを考え、動くのだ。指先一つで、どうとでもなるものだぞ】

 

 よく、見る事……間違いが、一つか、二つか。

 どうすれば思い通りに、出来るのか。

 

 そうだ。仲間と戦い、強くなる。そこに間違いがあったのだ。

 

 演習を行い強くなっていく、間違ってはいないだろう。

 正道であり、海軍省の艦娘として模範的な選択の一つだ。

 

 仲間と戦う、その先を見ていない、これこそが、私の中にある間違い――敵は深海棲艦のみにあらず、己の心に刺さった負けず嫌いという諸刃の剣そのものなのだ。

 負ける事が嫌いな理由は? 悔しいからだ。自分が弱いと罵られるのが嫌で嫌でたまらないからだ。この認識こそが私の敵だったのだ。

 

 負けてはならない、その理由は何か――最初から分かりきっていた事じゃないか。

 

 日本を、そこに住まう人々を、守らねばならない。

 艦娘を守ると言った彼を、艦娘である私が守らねばならない。

 

 その前に――心に刺さる諸刃の剣を、守るための一刀に変える。

 

 艦娘に勝つために最適な相手など、目の前にいるじゃないか。

 

 立ち上がった屈強な艦娘達を見回し、私は人差し指を立てた。

 私の中に浮かぶ、自沈と変わらない、しかしこれだと思う案。

 

 それを口にしたとき、全員が無茶だと言った。

 だが私の表情を見て、それ以上に反論する声は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいる――全艦娘と、戦います」

 

 これが私の――華の二水戦、神通の往く道である。




追:加筆済みです。


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七十七話 華【艦娘side・神通】

 演習とは()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 どうして私が全艦娘と戦うと啖呵を切ったのか、夜の港で艤装を装着して水面を見つめる私に、大淀は問うた。故に、そのように返答した。

 あらゆる状況を想定して行う訓練をして、阿賀野に近づきたい、否、ほんの一瞬でも超えたいのだと。

 

 提督はまるで考えを見透かしていたかのように私を指名した。

 ならば、それに応えねば私の覚悟は嘘となる。

 

 私の戦いが、嘘になる。

 

「どのような形式でも構いません。ただ、演習の意思がある方とは全艦と戦わせていただきたいのです」

 

「しかし……」

 

 大淀の躊躇うような物言いも、理解出来なくはない。

 様々な理由もあって止めるに至るのは論ずるべくもないだろう。

 

 たった一晩、長く見積もっても一日。

 まるで兵科試験の前に一夜漬けするようなものだ。

 

 演習を行いたいというのは完全に私の我儘であり、それに付き合う必要性など皆無。

 しかしながら焚きつけられたように多くの艦娘が港へと集まってくれていた。

 流石に夜間であるために空母の本格的な参加は望めなかったものの、私の奇行を見届けてやらんとして同じく港へ足を運んでくれている。

 

 

 提督から許可がおりたとは言え、大淀の胸中に渦巻く混乱は如何ばかりか。

 連日、演習用の弾薬を開発と並行して製作している工作艦明石と夕張に至っては、大義名分を得て資源を使えると喜んで妖精達と一緒になり今もどんどんと弾薬を作り続けている。それがさらに大淀の頭痛を酷いものにしているのかもしれない。それほどに彼女は顔をしかめていた。

 

「ここまで来たのですから、夜間訓練は行うとして……どのような形式で行うべきか……まずは夜戦を想定した砲雷撃戦を行い、続いて潜水艦の方々と雷撃戦での回避行動訓練……それからぁ……えー……!」

 

「阿賀野さんは、そのような訓練をなさっていたと思いますか?」

 

 私の口から飛び出した言葉に、大淀は、まあ、と答える。

 しかしながら私の答えは違った。

 

 彼女と同じ鎮守府にいた私は――少なくとも、一時期は同じ事をやっていたから、何故強いのかを知っている。

 

「海軍が拠点周辺の防衛に重点を置くようになった、あの大侵攻の後も……阿賀野さんは前線で戦っておられました。私も、そこにいたのです」

 

「神通さんが佐世保にいらっしゃったことは知っています。しかし、だからと言って訓練も無く強くなるなど――」

 

 あり得ないと紡がれかけた言葉を、故意に遮る。

 

「あり得るんです。あり得て、しまうのです……あの鎮守府では」

 

 捨て艦作戦――反対派の対深海棲艦殲滅用の戦略を認知しているものは艦娘のみならず、多くの者が知っている事だろう。名の通りであるのだから、知らなくとも想像に容易い。

 駆逐艦を盾に敵の蠢く航路を突き進み、本隊と思しき艦隊を火力のある艦娘が叩く。言葉にすれば、吐き気がするほどあっさりとした単純な戦略である。建造出来てしまう存在で、時折、海で拾えてしまう私達は兵器であり、道具であり――消耗品であるという認識のもと敢行される作戦、というだけだ。

 

 あの凄惨な海で認識される事は、たったの二つ。

 どれだけ沈んだか、どれだけ沈められたか。

 

 心優しい人は言う。大変だったろう、と。

 大変? そんなわけあるか、私は心でいつも叫んでいた。

 

 そんな一言で済ませていいわけが無いんだと、声なき悲鳴を上げていた。

 

 報告書で重要視されるのは撃滅数に限られ、深海棲艦を倒すのに有用であるかもしれない情報の塊であるそれを数字を見ただけでゴミ箱へ放り込む。

 

 深海棲艦が結界を作り出す事も――私達の感情を乱し、記憶を混ぜ返し、憎悪を掻き立てることも、全て捨てられる。

 昨日会ったばかりの少女が海へ沈む毎日を送るのだ。沈む前に記憶を取り戻したかのように「また、あの、冷たい場所へ」と呟いて海水へ呑み込まれていく様を目に焼き付けられることの、何が大変だ。

 

 ――この世の地獄だ。かの大戦の繰り返しだ。

 

 訓練などとは比にならない苦痛の海上に立ち続ける毎日を送っている彼女が、どうやれば弱くなるというのか。

 生き残り、今いる隣人を守ることだけを考えて命令に従い突き進む日々に、一切の容赦などあろうはずもない。

 

 捨てられた私は運が良かっただけであると確信を持って言える。

 前提督――八代少将に対して根気強く作戦を見直すように進言し続け、危険を察知すれば命令に違反しようが随伴艦と共に勝てるよう立ち回る事を心掛けた。戦力を減らさぬように、八代少将へ勝利を持ち帰れるようにと。

 

 そんな私に八代少将が放った言葉は「命令違反をする弱い艦娘はいらない」というものだった。

 無論、謝罪はした。命令違反をしたことは紛れもない事実であったためだ。

 しかし、結果がどうあれ、彼にとっての弱さとは数字の少なさにある。強さはその逆だ。

 

 仲間を十人失っても、百体の深海棲艦を沈められたら強い。命令違反していようが不問となる。

 仲間を失わなくとも、十体の深海棲艦しか沈められなかったから、弱い。命令違反していれば、解体される。

 

 あり得ないだろう。今になって考えても、あり得てよいはずが無いと私は思う。

 だが、この正常と思しき認識こそ、戦場では大間違いである。私達は艦娘であるから。

 

 道具を失っても建造すれば元通りなのだ。十人失ったのなら、十人造ればいい。

 だから、沈めてこい。

 

 意思の疎通が出来る兵器なら、命令を忠実に遂行しろ。

 

 ……八代少将が、かつて私を異動させる時に吐き捨てるように言った通り、私は欠陥品の艦娘なのだろう。

 いらぬ進言、いらぬ判断をする兵器など、欠陥と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 それに引き換え、阿賀野さんは艦娘としては文句なしの()()()だ。

 

 逆らわず、文句も言わず、命令を忠実に実行し続けた。

 それに伴い、練度は上がり続け――今では、海軍所属の艦娘の中では間違いなくトップとなった。

 八代少将はきっとこう思っている事だろう。自分は間違っていなかった、と。

 

「私は先に出ます。大破判定はお任せしますね、大淀さん。皆さんには、どこからでも、どのような方法でもよいとお伝えください」

 

 そう言った後に、私は波を切って進み始める。夜の海は静かで、ただ音だけがそこにあった。

 

「あっ、神通さん! ど、どこからでもって……!」

 

 

* * *

 

 

 明かりの無い海というのは、本当に何も見えない闇そのものだ。月明りで見えるのは空の美しさのみ。

 探照灯を使用すれば、波の高さからどのような航路を進めば安全であるか判断できる。

 だがこれは仲間がいる前提で使用されるべきだ。単艦の今、探照灯を使い場所を知らせてしまうと一斉に飽和攻撃されて、なす術も無く大破判定をもらってしまうだろう。

 回避に専念したとしても、対応出来てせいぜいが六から八隻まで。距離をとれば何とかなる――が、それは同時に私も相手を見失うことと同義。ならばこの選択は無しだ。

 

 考える事をやめるな――神通(わたし)。一瞬でも止まれば、それは敗北となる。

 

「右舷! 砲撃開始!」

 

「っ!」

 

 闇を切り裂く声――これは伊勢の――!

 

 私は瞬時に前進し、声の方角から距離を取ろうと行動を開始する。

 轟音から数秒もせずして波を打つ音と、飛沫が高く上がる音が聞こえた。

 

 滑り出しは悪くない、と私は航行を続けながら大きく旋回し、風下を目指す。

 

 砲撃の匂いを辿るのだ。そうすれば、相手がどこからどう動いたかのおおよそは分かる。

 南方へ出た時も同じように動いていたが――今は、提督の指示も無く、大淀の通信制御も無い。

 ひとたび行動を間違えば、立て直す判断は難しいだろう。大胆に、しかし慎重な行動を求められるこの場面は――かの作戦(南方海域)を彷彿とさせる。

 

「移動したわ、日向!」

 

「わかっている! しかし、演習弾とは言え本当に――」

 

「仕方ないでしょ、あんな顔されちゃ……ほら次! 最大戦速! ばら撒いて!」

 

「ちぃっ――これじゃすぐに終わるぞ……!」

 

 どん、どん、と音が響く。今度は左右からだ。声の主は戦艦伊勢と日向――自分で言っておいてなんだが、本当に手加減はしてくれないらしい。いや、あえて通信せず声に出すあたり、手加減されているのか。

 すぐ終わる、という日向の言葉も、どういった意味かすぐに理解出来た。

 

 一方から砲撃音が聞こえるだけなら、見失うことを覚悟で離脱してしまえばいくらでも態勢は立て直せる。さらには情報として伊勢と日向が相手であるとも分かっているのだから、戦艦の側面を叩く算段を立てればよいだけ。

 だから伊勢と日向はあえて互いの移動先を予め決めておいて、両端から互いに当たらない位置へ砲撃しているのだろう。たった一隻である私はそれだけで選択肢を潰される。

 

 仮にこの時、片側の伊勢か日向に接近して潰そうとすれば、戦艦の装甲を以て耐えきることへ集中された場合、もう片方に駆けつけられて私は背後から一撃を貰う。

 逆に逃げ続ければ、その時間が長くなるほどに私の位置は連続の砲撃によって正確に把握され、追い詰められる。戦艦二隻に軽巡洋艦一隻など、分が悪いという言葉では足りぬ戦力差なのだ、追い詰められることだけは避けなければならない。

 

(よし……大丈夫……私だって、追い付ける……彼女に……)

 

 まだ序盤。まだ、考え続けられる。私は大丈夫。

 

 周囲を注意深く見回す。再び砲撃が開始された時にいち早く片方に寄り、魚雷を放って先制しよう。魚雷のあるうちは、数度試みればいい。一度でも当てられたら十分に勝機はある。

 すると、またすぐに、ドン、と音が上がる。ぐるんと首を回してそちらを見れば、残火の光が見えた。

 

 私は全速力でそちらへ向かいながら、酸素魚雷を模した演習弾を放てるように準備して光が消えるほんの一瞬前まで走り続けた。そして、残光が失せたと同時に、航路を予測し魚雷を発射する。

 

 どぽん、と言う音は砲撃音の余波に消え、暗い海では演習用とは言え酸素を充填してある魚雷の雷跡を目視する事などほぼ不可能。

 

 当たれ――!

 

「装填完了した。砲撃を再開す――くっ!?」

 

 ――轟音とともに、海面に強烈な光が走った。

 しかし、

 

「――まあ……後部甲板は盾ではないのだが……小破するよりマシか」

 

(防がれた……それも小破未満……!?)

 

 甘くはない。私がいくら劣悪な作戦を生き延びたとて、それは彼女達も同じ。

 どこから来るか分からない攻撃に対して警戒を怠るはずもなかったのだ。例え、演習であっても。

 

 ならば次だ、と私は船速を上げるが、伊勢と日向がいたであろう方角から、さらなる刺客の声に前のめりに転びそうになった。

 

「彼女が本気なのですから、手加減は無礼ですね……山城、砲戦よ」

 

「はい、姉様」

 

 まずい――戦艦がさらに二隻、それも同じ作戦に従事した扶桑と山城だなんて――!

 彼女達のバカげた火力は身に染みて分かっている。山城の一撃は敵艦隊を分断し、扶桑の砲は空を割る。

 

 冗談でも何でもなく、もっと集中せねば、と乾いた口に唾液をまわす。

 

 日向に魚雷が命中した事によって戦艦達の警戒はさらに強まり、言葉なく連携して自分達の手前ギリギリに砲撃を落とし込み、互いの距離を測っている様子だ。

 私が彼女達の外側にいれば好機を逃さず攻撃を仕掛け、内側にいれば場所を特定できる……攻撃を仕掛けたとしても狙えて一隻か二隻、そうすると残りの戦艦が私の位置を特定して砲撃を叩き込む。

 

 どこまでも戦略的、どこまでも忠実――故に、逃げ場は無い。

 

 頭の片隅で、ああ、深海棲艦はこうして追い込まれてゆくのかと想像してしまい、死がゆっくりとした速度で手を伸ばしてきているように感じた。

 冷静な心で、これは演習だと言い聞かせても、身体は正直なものである。

 

 回避ばかりでは埒もあかない、だが攻撃を仕掛ければ居場所がバレる可能性がぐっと高まる。

 

 どれだけ警戒していても、私も彼女達も闇から突如として砲弾が飛来しては防御のしようもない……と、ここまで考えた時、夜間に捨て艦作戦を敢行することの多かった八代少将の思惑がようやく分かった気がして、場違いながらも、ああ、と吐息が漏れた。

 

 場所がバレても、盾があれば攻撃に専念できる。

 いざとなれば盾を捨てて、判明した敵艦の後ろへ回り込み油断しているところを叩けばいい。

 

 確かに、理に適っている作戦だ。

 盾を放置すれば敵は後ろからの攻撃を貰うことになり、盾を放置すれば火力が無くとも数に押される。

 二者択一、かつ必殺。もしも敵側が迅速に攻撃側か盾側を選び沈められたとしても、タダでは済まない……最低な作戦だ。どこまでも、どこまでも、賢い作戦だ。

 

 提督も、一度は考えた事があったりするのだろうか。

 

 ふと浮かんでしまった考えは私の油断となった。ただ、考えた事があるのかと思っただけだったが、その()()は私の船速を緩ませ――

 

「主砲、四基八門、一斉射!」

 

(声が近づいて――)

 

 ――チッ、と演習弾が身体を掠めた。高く波が上がり、私の身体は飛沫に呑まれ軽々と足をすくわれる。

 声を上げてはダメだ、と歯を食いしばるも、続く砲撃が艤装に掠り、びき、と全身に衝撃が走って肺から押し出された空気が音を発してしまう。痛みは無くとも、身体の反射は嘘をつかない。

 

「ぐぁッ……――!」

 

「っ! 左舷だ! 追撃するッ!」

 

 日向の声は遠い。まだ、離脱は不可能じゃない――!

 足に力を込めて立ち上がり、魚雷を撒くように四方へ発射して離脱を試みる。

 

 断続的な音に紛れて、必死に海を進んだ。

 魚雷と砲弾の残りを確かめて、何か確実な手は、と思考を巡らせ続けるも、異臭がそれを遮った。

 

「……っ!?」

 

(機関部から煙が……! 無茶な動きをし過ぎたから……!? 航行には問題なくても、匂いで位置が……――)

 

 どうする。どうすればいい。確実に、一撃でも与えねば。

 追い詰められていく思考、凍り付いていくように冷える肌。

 それとは逆に熱を上げんと激しく鼓動する心臓の震えが、神経にまで響く。

 

 離れるべきか、いいや、位置の特定とて闇夜の中なら時間の差が生まれるはず、違う、逃げるべきだ、立て直す時間も必要で、このままではあっという間にやられてしまう。どうすれば、どうすれば……!

 阿賀野さんならばどうする――随伴艦も失った状態で、夜の海で戦艦級と接敵したならば、どう動く――!?

 

『ザザッ……迷ってるねえ、神通』

 

 通信――!

 

 通信位置から場所を割り出されるかもしれない、と強制的に切断しようとした私に、声の主――川内姉さんは語りかけてくる。

 

『これが神通の望んだ状況? 佐世保の彼女と同じ状態になれば、似たような戦法が思い浮かぶかも、とか?』

 

「……」

 

 切断すればいいのに、私は姉さんの声に無意識に安心してしまっていたのか、軽い声音を聞きながら今いる場所から離脱を始める。まだ私を探しているようで、砲撃の光があちこちに見えた。

 

『阿賀野だっけ? 別にあんたは阿賀野じゃないし、阿賀野もあんたじゃないんだよ。同じ事は出来ないって』

 

「……ッ」

 

 出来るか出来ないかなんて、やってみなきゃ分からないじゃないか。

 演習に柱島へやってくる彼女の練度は八十もある。対して私は五十九で戦艦勢や川内姉さんにも届かない。しかし私は決して弱くないと証明したい。

 ただ負けたくないのではなく、自分の意志を貫き、提督の役に立てる艦娘であることを証明したいのだ。

 

 そのためには、練度を、あと――

 

『練度を一でも上げたい、そうすれば壁が越えられそうな気がする――なーんて考えてそうな顔』

 

 ふふん、と笑う姉さんの声に、自嘲気味な笑い声を返す私。

 ああ、そうだ、たった一だけでも上がれば何か変わるかもしれないと思っている。

 

 ただでさえ高いとも低いとも言えない中途半端な練度である私は、いつしか自分という存在や価値を見失っていたのかもしれない。

 鍛え続ける事で艦娘としての存在を確立しようとし、その強さを証明することで神通という存在を世に刻みつけたがっている。

 

 八代少将に言われた――弱い艦娘はいらない、という言葉を覆したいのだ。

 

 ここまで考えて、私は気づく。

 

 ――今、姉さんは何て言った……? 考えてそうな、顔……?

 

 

 

「それじゃ変わらないよ、神通」

 

「ッ!!」

 

 

 

 肩に川内姉さんの手が触れる。

 反射的に背後へ右腕を振りぬいたが、虚しく空を切る音しか得られなかった。

 いつのまにか、背後を取られていたのだった。

 

 ちゃぷん、という音さえなく、ぼうっと闇に浮かぶように立つ川内姉さんに身体を向け、正面に立ち、構える。

 夜戦を好む性格の多い川内型一番艦の彼女は、まるで闇を抱くようにしてそこにいた。

 

 練度で言えば差はあるが、意表をついて白兵戦で仕留め――

 

「人の真似をして勝てるなら、みーんな真似してるよ。私だってそうする」

 

「――ふっ!」

 

 惑わされるな。

 

 私は川内姉さんへ大股で一歩踏み込み、容赦なく腹部目掛けて腕を振りぬく。

 だがそれも空を切り、姉さんは後ろへ倒れこむように動いて回避した。

 

 ならばともう一歩踏み込むも、私が進めば姉さんはさらに後ろへ。

 そうするならばと私も後退して単装砲を構え、威嚇の砲撃を叩き込もうとするも――姉さんは視界に広がる闇へ溶け込むように消えた。

 私が位置がバレてしまう覚悟を決める前に、風のように。

 

 否、正確には消えたのではなく、さらに後退して暗闇へ紛れただけ。

 

『夜はいいよねえ、夜はさ。一人になると、よく色んな考えが浮かぶしさ』

 

「っ!!」

 

 届かない。苛立ちが募る。

 私を意にも介さないような姉さんの行動に、顔が熱くなる。

 弱くなんて……私は、決して弱くなんて……!

 

『提督に褒められたらしいじゃん。強いって。何で信じられないの?』

 

「私は、まだ――!」

 

『その言葉を呑み込めるほど、自分を信じられない、とか?』

 

「……」

 

 私の中の蟠りに触れられ、言葉を失う。

 ……そうだ。私は、信じられないのだ。

 

 南方を開放した時も、活躍したのは扶桑と山城で、敵艦から島風を守ったのは那智や夕立だ。

 私はただ、その列に加わって海に浮かんでいただけ。そう思っている。

 

『神通の中にある《もの》は、悔しいんだよ。私だってそうだった。あきつ丸に声をかけてもらえるまで、提督に仕事を任されるまで、ずーっと、同じ気持ちだったよ。きっとね』

 

「姉さん……」

 

『でもさぁ、提督は信じてくれてるよ。神通の強さを。だから、選んでくれたんじゃないの?』

 

「そ、れでも……まだ、強く、なんて……私は……ッ」

 

『ソロモンの海で、何を見たの?』

 

「皆を、見ていました……私が、沈んだ島を……」

 

 気づけば私を探す砲撃の音は近づいてきていたが、姉さんの声に動けないでいた。

 逃げなきゃいけないのに、逃げられない。そんな事は無いのに、海から伸びる手に足を掴まれたように、浮かぶのすら困難になっていくみたいな錯覚に襲われる。

 

 私はかつて――ソロモンのある島で、大破し沈みゆく瞬間まで砲撃し続けた。

 

 艦橋を歪ませ、後ろに倒れこんでもなお、空へ砲弾を放ち続けた扶桑を見た。

 敵艦の攻撃を避け続け、海を駆けまわる島風を見た。

 持てる武器を全て使い戦った夕立を見た。

 仲間を絶対に傷つけさせない気迫をまき散らす、那智と山城を見た。

 

 だが、今の私はどうだ。

 逃げ回り、必死に息を殺し、魚雷を放って牽制し、一つの目標すら絞れていない。

 

 その時だった、

 

『――神通か?』

 

「ていと、くの声……?」

 

『訓練中のトラブルかと思ったのだが、川内が、神通に声をかけてくれないかと、連絡が来たんだ』

 

「姉さんが……? どうして――」

 

『トラブルではないのか?』

 

「いえ、トラブルは、なに、も……」

 

 姉さんの意図が読めず、うまく言葉を紡ぐことができない私に、提督は言った。

 

『トラブルでないのならいいのだが。――()()()()()()()()、もう夜も遅い。神通、大淀から聞いたと思うが、明後日の事は頼むぞ。まあ、あれだけ強いのだから心配もしていないが』

 

 枯れた声で笑った提督の声に、全身が須臾にして熱を帯びた。

 きっと彼はただ予定を伝えられたか確認し、遠回しに夜間訓練もほどほどにと言っただけ。

 強いのだから心配もしていない、というのだって、私が無礼にも飛び掛かったあの事を指している皮肉に過ぎない。

 

 けど、どうして――あなたは――()()()()を口にしたのですか――?

 

 あっさりと切れた通信の後、砲撃音がすぐ近くまで来ているのにもかかわらず、私はその場で兵装を一つ構えた。

 

 提督の求める強さは、破滅的なものじゃないだろう。

 一見して狂気のような、私自身の中に眠るものを指していらっしゃるのだろう。

 ああ、姉さん、提督、思い出しました。あなた方のおかげで、私が、一体どのような艦であったのか。

 

 バチンッという激しい音とともに、周囲の海面が照らされる。

 

「くぅっ!? 眩し――探照灯だと――!?」

 

「囮……じゃない……ッ! 神通を発見! 輪形陣を組んで! はやぁく!」

 

「神通さん、どうして探照灯なんて……?」

 

「分からないですね、姉様と私以外にも、大勢いるのに――」

 

 伊勢、扶桑、日向、山城、私が認識していた四人以外にも、ぞろりと闇の海に浮かぶ艦娘の影が見えた。

 

「――この数を相手によく逃げ回れたものだ。神通、その働きは十分に練度を上げるに値するだろう」

 

 長門の声に、私は探照灯を照射した状態で――すっと目を細める。

 全身が熱い。

 

「これにて訓練を終了し――」

 

「私はまだ、動けますが」

 

「何を言っている神通。練度の高くない駆逐艦もいるが、ここには殆どの艦娘がいるのだぞ。どれだけ奮戦しようが、流石にこれは無理だ」

 

「無理、ですか」

 

「……ああ。私とて仲間を故意に傷つけるような真似は出来ん。機動力を活かした離脱や日向への一撃は見事なものだった。演習弾で戦艦に傷をつけるなどそうそう出来る事ではない」

 

 戦艦から放たれるものであれば、簡単である、とも受け取れる言葉に、私はどうしてか、もう苛立ちを覚えなかった。事実、そうだろうと、すとんと胸に落ちる。

 だが、だからどうした、という不思議な感覚が私の全身を覆っているのが分かる。

 

「チャンスですよ。一斉砲撃で私を航行不能にするなら、今しかありません」

 

「なっ……馬鹿な事を言うな!」

 

 長門が吠えた瞬間、私は残った魚雷を全て放った。

 狂ったのかと思われるような行動に、全艦がさあっと距離を取って、あっさりと魚雷は外れる。

 

 ならば、と単装砲を唸らせて艦娘達の先頭に立つ長門に向けて砲を放つも、やはり演習弾、艤装へ当たれど、がつんという音を響かせて傷を与えるだけ。

 傷は傷でも、本当に擦っただけのような軽いもので、航行の可否を左右するほどのものでもない。

 

「神通、もういい!」

 

 かちん、と金属音が響く。弾が切れたのだと知らせる音を聞いて、長門は周りの艦娘達と顔を見合わせた後、溜息を吐き出した。

 

「この鎮守府で一番の戦意の持ち主であるのは、神通だろうな。認めざるを得ない。だがもう、終わ――」

 

 私はそれでも駆け出す。

 

 真っ直ぐ海を駆ける私に牽制の砲撃がどこからか放たれるも、それよりも早く懐を目指し身体を低くして船速を上げた。

 背後で水飛沫がたち、驚いたような声が聞こえた。

 

「……その意気、見事だ。神通」

 

 長門の砲身が、がこんと音を立ててこちらを向いた。寸分の狂いも無い照準の先には、私がいる。

 

「提督には私からも謝罪しよう。明日は一日休むと良い」

 

 言い終わると、一拍の間を置いて、長門の大声が夜空を突き抜けた。

 

 諦めてたまるか――

 

 

 

 

 

「全主砲、斉射!て――ッ!!」

 

 

「――ここですッ!」

 

 

 

 

 

 武器が無くとも、この身がある限り――私は前を向いてきただろう――!

 

 長門から放たれた砲弾がゆっくりと迫って見えた。沈んでしまったあの時と同じ、容赦のない攻撃が。

 彼女は本当に私を認めてくれているからこそ撃ち込んだのだろう。全身全霊で。

 華の二水戦……なんて名前、やはり私には似合わない。こんな泥臭い戦い方しか出来ないのだから。

 

 私はその場で急停止するように足を前に突き出して片足を海面に沈めながら、右腕を思い切り突き上げた。

 

 ごめんなさい、提督。私はやっぱり、まだ弱い艦娘です。

 あなたの言うように、最小限の労力で戦うことは難しく、また、指先一本で、なんて、とてもとても。

 

 しかしあなたの声を聴いて、分かった気がするんです。

 

 強く、気高く見えるあなたでも、声を枯らしてしまうほど涙を流すように――私もまた、幼子みたく自分を認められない、不完全な存在であると。

 でも……これで、いいんですよね。

 

 あなたのお傍にいられるのであれば、不完全でも、弱くても、ただ――諦めなければいい。

 

 足を突き出して止まろうとしたが故に飛んだ海水が()()を濡らした。

 そして――

 

 

 

 

「砲弾を、下から叩い……ッ!?」

 

 

 

 

 ――私の魂が、目覚めた気がした。



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七十八話 完調【提督side】

艦これの春イベントが始まりましたね。
提督の皆様におかれましては攻略にご無理なされぬよう、お気を付けください。


 昨晩は寝ている途中に大淀から連絡が来て目が覚めてしまい、再び寝るぞと横になって意識が飛んで少ししたあたりで今度は川内と神通から連絡が来て、寝入りはあまりよくなかった。

 記憶は確かでは無いが、夜間訓練を行いたいという許可をもらうために大淀が連絡をしてきて、その訓練中に川内が神通に声をかけてやれだの言っていたのだったか。

 

 あとは、佐世保鎮守府の提督が視察をしたがっていて柱島に来るとか……清水が言っていた気がする。

 

 ぼんやりとした頭を起こし、窓から差し込む陽光の暖かさに目を細めながらぐっと伸びをすると、ぱきぱきと体中の関節が音を立てた。

 あっ、と思い出して腰に触れてみると、昨日貼ったはずの湿布は無く、その代わり――身体が軽く感じる。社会人になってからとんと感じた事の無かった身軽さに笑みを浮かべながら、寝返りの途中で落としたのであろう軍帽を床から拾い、ソファに寝転がったまま応接用テーブルの上に投げて、寝返りをうつ。

 

 今日は休みだ。どれだけ自堕落に過ごしたって大丈夫な日である。

 

 なんて素晴らしい――世界は愛に満ちている――!

 

 今日に限っては難しい事など考えなくて良いし、大淀に任せているから安心である。その上、明後日……いや、もう明日か。明日の重要事項である佐世保鎮守府からの来客に至っては演習の申し出も受けてスケジュール調整もばっちり。演習に参加する艦娘も選定済み。憂いが無いという心情がここまで精神に影響を与えるとは、と覚醒途中の頭に朝日の爽快感を染み込ませて、鼻息を鳴らした。大淀様々だ。

 

「マルキュウマルナナ……っふ、たっぷり寝てもまだそんな時間か」

 

 時間の読みも午前九時だの、朝九時だのと言わずにマルキュウ――と口にするあたり、短い期間で自分も随分と変わったものだと考え、よっこら、という掛け声とともに身体を起こした。

 もうひと眠りしても良いのだが、長く眠り過ぎると頭痛が酷くなる。

 

 過去に働いていた会社で奇跡のように降ってわいた休日を睡眠に費やして丸々一日を過ごしたことがあるが、あれはよろしくない。長く眠る事によって体内の調子も狂うとネットでも言ってたしな。起きよう。

 

 くしゃくしゃになってしまった軍服の上着を脱ぎ、ワイシャツだけになると、寝癖のついた髪を手で撫でつけながら部屋を見回す。

 寝て起きただけなのだから何も変わっているはずもないのだが、こうして日に照らされたシックな執務室を見回す提督という姿もまた味のある――

 

『こらぁ! まもる!』

 

「ひぇ」

 

 声に驚いて仕事机の方を見ると、そこには【!えらはをうといぺんこ】と書かれた横断幕を掲げる妖精達。おもちゃみたいな拡声器を手に怒鳴っているのは、むつまるだった。

 

『やくそくだったでしょ! こんぺいとう! みんなのぶん! むつまるのも!』

 

「ま、まぁまぁ、待たんか。起きたばかりだからもう少しだけ。後で伊良湖に貰ってくるから――」

 

『だめ! いま!』

 

「……どうしてもか?」

 

『腰治してあげたのにわがまま言うのぉ!?』

 

「あっ、はい、そう、はい。そうね。今すぐ貰ってこような。そうだな」

 

『きびきびはたらけまもるー!』

『そうだそうだー!』

『しごとしろー!』

『くっきーもほしいです』

『おちゃもほしいね』

 

「今日は休みだよ! それと要求を増やすな! ったく……」

 

 そうか、腰を治してくれたのは妖精達だったな。

 口では言い合うものの、俺は横断幕を掲げる妖精達の方へ歩み寄ってそれを指でひょいとつまんで取り上げた後、手のひらでまとめて妖精達の頭をぐりぐりと撫でた。

 

「助かった。おかげでよく眠れたぞ」

 

『ぉ……え、えへへぇ……』

『むっ、むつまる! だめ! そんなチョロい妖精じゃないでしょ!』

『っは! そうだよまもる! わたしたちはそんなチョロくない!』

 

「お前達がいるから、俺は頑張れるんだぞ」

 

『……ほんとぉ?』

『そう言われると、がんばるしかないですねぇ』

『いっぱいたすけてあげなきゃね!』

『わたしたちも、まもるがいるからがんばれるんだよ!』

 

 っふ、チョロい奴らめ。お前らは今日からチョロ妖精と呼んでやる。

 

 ところで、もう時間も時間だし朝食は終わっているだろうか、と再び時計を見る。今から行けばギリギリ食べられるか……?

 

 昨夜からたっぷり寝たおかげで身体が調子を取り戻したのか、結構な空腹だった。

 最後に来た川内の連絡が二十三時あたりだったから、そこから寝たとしても九時間以上も深く眠っていたのだから空腹にもなるというものだ。

 朝風呂としゃれこみたいところだが、休日なのだし今日くらいは順番が前後してもいいか、と半ば適当に、軍帽も制服の上着も置いたままに俺は執務室を出た。

 

 

* * *

 

 

「あら、提督――って、酷い顔ですよ……!?」

 

 食堂に入ると、艦娘の姿はすでになく、厨房へ続く窓口に食べ終わったあとのものであろう食器がいくつも重なっていて、間宮と伊良湖は忙しそうに洗い物をしていた。

 いやいや、それよりもだ。

 

 朝から酷くない間宮? あれ? おっかしいな、ごめん、今までかなり仕事頑張って来たつもりだけど、やっぱりただの社畜では頑張りが足りませんでしたか?

 

 出会って早々に間宮と伊良湖に唖然とした顔を向けられた俺の心は大破寸前である。

 人が気分よく起きたってのによぉッ! てめえらはァッ!

 

「と、とにかく朝食を……伊良湖ちゃん、これ持っていってさしあげて!」

 

「は、はいっ!」

 

 席についた俺の前に置かれる朝食。今日は茄子の辛子漬けと麦飯、それに芋の入った味噌汁らしい。伊良湖が簡単に教えてくれたが、茄子の辛子漬けというものを初めて聞いた俺は、ふんふん、と空返事して箸を手に取った。

 

「あの……提督……大丈夫、ですか? 顔色が……」

 

「うむ? ああ、問題無いが、どうしてだ?」

 

「いえ……」

 

 いえ、じゃなくてなんだよ! 寝起きのおっさんはそんなに顔を真っ青にするくらいに気持ちが悪いってか!? 傷つくだろうがぁ……。

 ハイテンションに返して元気なことをアピールするのも一つの手かと考えたが、さらにドン引きされるであろうことなど手に取るように分かるので、俺はいつも通りにこびへつらう事にしておいた。

 言い方は悪く聞こえるかもしれない。しかし空元気で接したり下手に取り繕うよりも、お互いに気持ちの良い言葉を使う方が無難というものである。

 

 人はこれを社交辞令と呼びます。しかして嘘は言わない。まもるは正直者なのだ。

 

「いつだって、お前達の事を考えれば元気も湧いてくるというものだ」

 

「……今日は、お休みなのですよね」

 

 渾身の社交辞令は華麗に無視である。流石艦娘、甘くない。

 

「ああ。大淀に無理を言ってしまったのだが、今日はな。昨日はもうダメかと思ったが。ははっ」

 

「……」

 

 大人がなす術もなく号泣するくらいの激痛だったのだ。ダメだと思ったのは嘘ではない。大淀に泣きながら休ませてくれとお願いするレベルが如何に情けな……じゃない、如何に危険であったかを、味噌汁をすすりながら言う。

 

「どうして私は生きているのかと自問自答するくらいの激痛だった。人は生きながらにして痛みを抱えるものだが、ああいうのは勘弁願いたいところだな」

 

 なにせ避けようのない事故みたいなものだ。重いものを持ち上げたり、普段と変わらない生活をしていても腰を痛める可能性はどこにだって潜んでいる。恐ろしいことだぜこれは……。

 

 間宮達だって艦娘全員の食事を作っているのだから、重労働だろう。厨房をちらりと見れば、間宮が大きなしゃもじを片手にもって俺を見つめていた。

 わかっているとも。そのしゃもじこそが間宮の武器……どれだけ辛くとも、重くとも、それを使ってみなの身体を考え、かき混ぜているのだろう……めっちゃ腕痛くなりそうである。

 そもそも下ごしらえする時点で大量の食材を運んでいるのであろうから、腰もきつそうだが。

 

「お前達も頑張っているのだから、私が弱音を吐くわけにはいかんのだが……どうしても、甘えてしまう。私の悪い癖だ」

 

「嘘吐き……っ」

 

「えっ」

 

 お盆を持って俺の横に立っていた伊良湖の声に、思わず顔を上げる。

 そこには目にいっぱいの涙を溜めた伊良湖の顔があった。

 

「どうした! す、すまん、私がまた何か変な事を――」

 

「甘えてくださらない癖に……一人で抱え込んでいらっしゃる癖にっ! わ、私達は、そんなに頼りないですか……!?」

 

「エェッ!?」

 

 仕事は抱え込んでますけどぉ!? それも殆ど大淀やお前達に振ってますけどぉ!?

 待って待って、カームダウンね伊良湖……。

 

 先ずお前は何で泣いてるんだ突然。甘えてくれない、一人で抱え込んでいる、言葉通りに受け取ればこれに対して怒っている事は分かる。だがしかし、俺は甘えっぱなしだし抱え込んでいる事と言っても今は何もない。全部大淀に投げちゃったから。

 

 しかし、甘えないから怒られるとは……俺はどれだけ無能の極みにいると思われているんだ……しかも言い返す言葉も浮かばねえ……。切ない。

 

「……甘えているから、ここに来ているのだ」

 

 よくわからない事を口走る俺。飯くらい自分で何とかしろ! の世界に生きて来た俺にとって他人である間宮達が当たり前のように食事を用意してくれている環境は甘い以外に例えられない。

 そもそもにおいて、人が当然のように食事を作ってくれる環境などありはしないのだから、甘やかされてると言ってもおかしくないだろう。あっても実家くらいだ。

 甘やかし……そうだなぁ、甘やかされてるなあ俺……と自分で考えておいて自分でダメージを食らうというしょうもない現象を起こしてしまうも、ことん、と味噌汁を置いて、漬物を食べながら言った。

 

「ここに来ればお前達がいる。例え仕事であっても、俺に声をかける誰かがいる。今の二人のようにな。それがどれだけありがたい事であるのか……分かっているとも。しかし、そうだな、伊良湖には悪いが、抱え込む、という事については……私にはよくわからんのだ。不器用であるから、お前達にはそう見えているだけかもしれん」

 

 ここまで言ったところで、間宮がしゃもじを置いて厨房から出てきて、俺の座っている席までやってくると、失礼しますと一言言ってから腰をおろした。

 伊良湖も間宮に倣うようにして、俺を挟んで空席へ座る。

 

「――大淀さんから、伺いました。提督の痛みを」

 

「……そうか」

 

 間宮の言葉に気まずくなり、俺は食事を再開することで意識を逸らした。

 そうか……大淀、言ったんだな、腰痛の事……。

 

 そりゃあ仕事を休むくらい痛かったからお願いしたのだし、それを周知するのはおかしな話じゃないが、俺はもう情けないというか恥ずかしいというか……ただの腰痛で休んですみません……次の日には元気になってて、すみません……。

 仮病ではないんです! 本当です! と言いたいが、ここで言うとさらに仮病のように思われそうで、口を開けなかった。

 

「私達では、やはりお力にはなれませんか」

 

 えっ……ただの腰痛で……?

 整体の知識があるという意味なのか、整体師でも紹介してくれるのだろうか、と麦飯をつつきながら考えたものの、柱島に整体など見たこともなかったため、恐らくは前者であろうと仮定して言う。

 

「そういう方面に関して、知っているのか」

 

「……これでも、艦娘ですからね」

 

 間宮が愁いを帯びた表情で笑った。

 そうか、艦娘といえば艤装を装着して長い時間航海しているものだから、やはり身体に関しては素人の俺より知識があってもおかしくはない……。

 

「痛みが出た時は――どうすればいい」

 

 単刀直入に問う俺。

 

「簡単に払拭できるものではありません……私も、伊良湖ちゃんも、きっとみんなも、どこかで痛みを抱えています」

 

「……それは、そうだろうな」

 

 何なら俺よりも重労働なのだから異論はございません。

 

「そういう時、私は料理をするんです。伊良湖ちゃんと一緒に、ご飯を作ったり、お菓子を作ったり」

 

「――うん?」

 

 えっ、痛いのに働くの……? マジ……?

 

「美味しい、美味しいって言って食べてくれる皆を見ていると、何だか心がじんわりと温まって……頑張ろうって思えるんです」

 

「間宮、それは、お前――……」

 

 めっちゃブラック思考じゃねえかよォォオオオッ!

 良くないぞ、それ! ブラックは心を壊す! それは壊れている一歩手前だ!

 

 だが考えろまもる。本当にブラックであるのかどうかを見極める事は極めて重要だ。ブラック扱いをして業務体系を変更することで社員の態度は軟化したが、業績が落ちたという企業は腐るほど見て来た……。俺は井之上さんにこの鎮守府を任された責任者だ、業務効率が落ちて「お前には任せられんわ! バーカ!」と言われたら腰痛で泣いた時よりも泣く。泣いてもう一度土下座する。

 

 しかし一方で、仕事に打ち込む事で不調を誤魔化して効率を維持し続けるのが良いことであるわけがないという認識もある。俺がそうであったように、間宮や伊良湖がもしも体調が悪いのに誤魔化して料理を続けているのであれば、それは俺にとっても、鎮守府にとっても良くない事だ。

 

 俺を挟んで座る間宮と伊良湖の顔を交互に見た後に、俺は深く息を吐き出してから茶碗を置いて、茶を啜った。

 

「……今は、私の事を棚に上げて言わせてほしい」

 

 お前もやろがい! と言われたら黙るしかなくなるのでね。ごめんね。

 

「提督……?」

「棚に上げて、とは……」

 

 伊良湖と間宮の両方から視線を向けられてちょっとだけ恥ずかしくなりうつむく俺。美人に挟まれて見つめられたら誰だってこうなる。まもるもこうなる。

 

 咳払いを一つしてから、俺はゆっくりと考えながら言葉を紡いだ。

 

「んんっ……痛みを完全に消し去る事は、難しいだろう。慢性的なものであればあるほど、それは消えない傷となる。だが、今ある傷の痛みを消せるのならば、それに越したことはないと私は考える。これは治らないと割り切っていても、生き方一つでどうとでもなったりするのだ」

 

 座りっぱなしにならないとか。普段から少し運動するとか。

 疲れたらきちんとやすむとか。食生活に気をつけるとかな。

 

「間宮も伊良湖も、つらければ遠慮なく私に言ってくれ。出来る事であれば何だってするから、決して無理はしないで欲しい。山元や清水、それに井之上元帥だって力を貸してくれるはずだ」

 

 話を混ぜ返した癖に、ただ繰り返しの言葉になってしまった……ごめんね二人とも……まもる、そこまで賢くないから……。

 しかしこうして普段から何でも言えよと伝えておかねば、このブラック臭さは抜けないだろうという心からでた言葉だ。

 

「提督は、どう痛みを消すおつもりなのですか」

 

 間宮の問いには、簡単な答えを返した。

 

「――お前達に任せて寝ることだ」

 

「……えっ」

 

 伊良湖の面食らったような声に、心の中で「な? クズだろ?」と開き直りつつ、表情は変えないまま、目を伏せるにとどまる俺。

 大淀が腰痛で休んでると周知したので俺は無敵の人である。

 

「大淀は頼りになるし、あきつ丸や川内も細かなことに気が付く。ここに来れば間宮達が作った美味しい食事にありつける上に、通りすがっただけで声をかけてくれる艦娘に溢れているこの場所は……私にとっての、安心できる場所なのだ」

 

「提督、それは――」

 

 間宮が、目を見開いて俺を見る。

 

「でなければ、痛みで泣くことも無いし、休ませてくれなど言わんとも」

 

 これが私の正直な気持ちだ、と言葉を締めくくった後に、いくらなんでも正直に言い過ぎだろうと自己嫌悪で険しい顔になってしまう。

 だが間宮と伊良湖はひょこん、と身体を傾けて俺の顔を覗き込んだあと、顔を見合わせて微笑みあった。

 

 ごめんて。笑わなくてもいいじゃんかよ。マジで腰痛かったんだからお前達に任せたんだって正直に言ったんだから気を遣え。いくら無能の社畜だって感情はあるんだぞ。ここで泣いてやろうか? あん!?

 

「提督なりに、甘えてくださっている、と……?」

 

 伊良湖の言葉に、ふい、と顔を逸らしてしまう。

 

「甘えてくださった結果が、その状態、ですか……」

 

 顔を逸らした先にいた間宮からも顔を逸らすため、最終的に下を向く俺。

 

 や、やめろやめろ! 俺をいじめるな! 本当に悪かったと思ってるよ休ませてもらって! でも俺がいなきゃまずいのは明日なんだから、今日くらいはいいだろうが! 右も左も分からん状態で巻き込まれて、井之上さんにお願いされたし艦娘もいるしと思って頑張ったんだから休日の一日や二日くらいあったっていいだろうがよォッ! うわぁああっはっはぁぁあああん!

 

 心のまもる、大号泣。

 

「ね、寝起きは悪くなかったぞ」

 

 ぼそぼそとよくわからない言い訳をかます俺。追い詰められ過ぎである。

 

「窓から、暖かい陽が差していてな、妖精達も元気な様子で……そ、そうだ、伊良湖、妖精達に頼まれていたのだが、金平糖は用意できるか? 出来れば、クッキーか、そういった菓子もあれば用意してほしい」

 

「暖かい陽が差していてって、ふ、ふふふっ、もう、提督ったら」

 

 伊良湖お前、また笑うじゃん……朝ごはん食べに来ただけなのに……話題も逸らしたのに……。

 心はバキバキ。でも艦娘が居ればノープロブレムです。

 

「笑ってくれるな。これでも正直に話した方なんだ……それで、用意はしてもらえるか?」

 

 もういいもん! ご飯食べたら執務室戻ってふて寝してやるからな!

 だが金平糖とクッキーは貰っていくぞ。ふて寝しようとしてもそれが無かったら妖精達に今度こそ腰を折られてしまうかもしれん。

 

「分かりました。すぐに用意しておきますから……その前に、お顔を洗ってきてください。目のくまも酷いんですから」

 

 伊良湖の言葉に間宮も同調する。

 

「本当ですよ、もうっ! 驚いたんですからね? 甘えるのは構いませんが、心配はかけないでください!」

 

 朝からめっちゃ怒られるじゃん……もう今度から休むとか言わないでおこう……。

 

「……うむ」

 

 そうして俺は気まずい朝食を済ませた後、演習で誰もいない入渠ドックで入浴を済ませてから食堂へ戻ってお菓子を手に入れ、執務室へと戻ったのだった。

 

 

* * *

 

 

 その日は、妖精達にお菓子を渡した後、大淀が様子を見に来た以外は何もなく昼を過ごした。

 昼に食堂で会った艦娘達も元気はつらつ、俺とは大違いの気力だった。

 

 演習で使った燃料が多かったように思うが、大淀が言っていた夜間演習で使ったのだったか、と問えば「明日の演習に向けて訓練したいと仰った神通さんに、皆さんが付き合った形でして……」と困った顔で説明してくれた。

 

 大淀はどうにも俺が燃料や鋼材を大量に使った事を怒るかもしれないと見ていたようだが、訓練に使うのに多かろうが怒ったりなどするはずもない。

 それどころか、入渠まできちんと行ったというのだから誉めるべきだと思い「きちんと入渠したのだな。えらいぞ」と言った。

 

 訓練と入渠に資源を使う事が悪いわけが無いので感覚的には変な感じがしたのだが、大淀達の記録を全て見た今ではこうすべきであると思ったのだ。

 

 彼女達は無茶な作戦のあとに長い期間入渠できずに放置されていた実態がある。

 

 ゲームの艦これでは入渠待ちのために数隻を放置したまま就寝した事があるものの、そわそわして落ち着いて眠れなかったものである。

 今では彼女達は自分の意思で入渠して傷を治してくれるのだ。資源? どうぞどうぞ、使ってください。足りなくなったら山元か清水に言います。それでもだめなら井之上さんにお願いするんで。(他人任せ)

 

 まぁ、ゴーヤ達、潜水艦組が遠征して資源を持ち帰ってくれているから、しばらくすれば貯まるものでもある。心配はいらない。

 

「それと、提督……お休みなのにお伝えするのも、と迷ったのですが……」

 

「なにか問題でもあったか?」

 

 そうして夕食も済ませ、執務室でのんびりと茶を飲みながら艦娘達の記録を眺めつつ――茶を片手に読み込むものではないのは承知している――演習や開発で問題は無かった、と報告している大淀の言葉に顔を上げないまま声だけを返す。

 

「明日の演習に指名した軽巡洋艦、神通さんに関しまして……その、確認いただきたい事が……彼女をお呼びしてもよろしいですか?」

 

「ふむ。構わないが。怪我ではないな?」

 

「それは、はい。問題ありません。――神通さん、こちらへ」

 

「うむ?」

 

「しっ……失礼、します」

 

 どうやら既に外で待機していたらしい神通がノックの後に入室してきた。

 もじもじと何故か恥ずかしそうにしている神通は、何も言わないままだ。

 

「神通、昨晩の訓練の時に川内から連絡があったのは覚えているが……問題は無かったか?」

 

 そう問えば、神通はちらりと上目遣いで俺を見た後に、はい、と消え入りそうな声で答えて下を向いた。

 

「そ、そうか……? なら、いいが……で、大淀、確認したい事とはなんだ」

 

 変わりなくね? と顔を向けるも、大淀は俺と神通を交互に見つめるだけ。

 え、えぇ……何だよ一体……実は前髪を数センチ切ったんですとか言われても分からんぞ俺は……。

 

 と、ここで、俺は気づいた。

 

 ここに来たばかりの時に見た神通と、今の神通には違いがある、と。

 

「神通、お前、その鉢金……」

 

「昨夜の訓練中、神通さんの艤装に変化が生じた様子で……艦政本部で艤装に手を加える大規模改装に似た事象が、人の手にもよらず起こっ――」

 

「改二か!」

 

 大淀が喋っている途中にもかかわらず、がたんと立ち上がって資料を机に投げ、神通に駆け寄ってしまう俺。

 そうか……川内が連絡してきたのは、練度が上がりかけていたからか……!

 

「改二!? 何ですかそれ!」

 

「大淀、お前は改装を知らんのか……? 艦娘は、一定の練度に達したら大規模改装が可能になって飛躍的に強さが向上するという特性を持っているだろう」

 

「そ、それは艦政本部にて艤装を改装する場合の話ですよね!? 柱島で言うなら、明石や夕張さんでなければ艤装に手を加えることなんて……でも、違うんです提督! 神通さんの艤装は一人でに……!」

 

 興奮気味かつ狼狽しながら言うものだから、俺は首をかしげてしまう。

 

「む……確かに、独りでにとなると、妙な話だな……」

 

「そもそも改二とはどういう……艦娘の大規模改装は、改と呼ぶはずで……」

 

「そうだな。艦娘は改装を経て改と呼ばれる存在になるものだ。だがその先だってあるだろう。なぁ?」

 

 机の上でのんきにクッキーを食べてやがる……いらっしゃる妖精に言えば、あ、と思い出したように妖精が言った。

 

『きのうのよるも、おしごとしました! じんつうさんもがんばってました!』

 

「……なんだ、そういうことか」

 

 最初から言え! 大淀様が困ってらっしゃるだろうが!

 

「提督、妖精は、なんと……?」

 

「妖精が手伝ったとのことだ」

 

 と言えば、何故か額をおさえ、一歩ほど後ろへふらりと下がる大淀。

 神通は目を輝かせて妖精と俺を見る。

 

「昨夜の事を、み、見ていてくれたのですか、提督……!」

 

 えっ、ごめん神通、寝てたよ。思いっきり熟睡してた。

 しかし目を太陽のようにきらめかせて言われては見ていない、とは口に出来ないへたれな俺は、しかし嘘も言いたくは無かったため、曖昧に答えた。

 

「――知っているとも。神通が懸命に頑張っている事を、私が知らないはずも無いだろう。妖精が手伝ったのも、改二になれたのも、全ては神通が今まで積み上げてきた結果だ」

 

 そういうと、神通は嬉しそうに両手をぎゅうっと胸の前で握りしめ、はい、と呟いた。可愛い。流石、華の二水戦である。

 確認したい事はこれだけか? と大淀に訊くと、神通とは真逆の困惑した声音で、はい、と返って来た。

 

「うむ。ならば問題は無いようだな。私もこれで、一安心だ。ああ、っと、そうだ……前にまとめておいたものがあるな……大淀、こちらにあるリストの艦娘には、重点的な訓練を頼む。神通のように改二になれるかもしれん」

 

「他にもですか!? う、ぅぅん……!」

 

 主に妖精が手伝ってくれたらの話だが。

 デスクの引き出しから資料を取り出すと、大淀の前まで歩いて行って手渡す。

 資源が多く減っていたのは、妖精が手伝って大規模改装したからかと納得出来てさらに一安心である。俺がいなくてもこの鎮守府は回るのだ。

 

 ……いいやそれは悲しいな。

 

「明日からは私もきちんと改装に立ち会えるようにするから、大淀はそのリストにある艦娘に声をかけるだけかけておいてくれ。……神通も、よく頑張ったな」

 

 大淀に資料を手渡したついでに、神通の頭をなんとなしに撫でてしまったが、すぐに手を引っ込める俺。調子に乗ってたら今度こそ地面に叩きつけられる可能性がある。すみませんでした。

 

「ぁ……て、提督! 私、もっともっと、頑張りますから……ですから……!」

 

「ああ、期待しているぞ」

 

「明日の演習も、その……」

 

「うむうむ、見ているとも」

 

「はい!」

 

 うーん、この可愛さよ。見てみろ大淀、神通の可愛さが天井知らずだぜ、と顔を向けたが、大淀は今にも爆発してしまいそうなくらい不機嫌そうな顔をしていた。

 これは完全にやっちまったやつである。

 

「おごっ……お、大淀も、そのリストに入っているのだが……」

 

 怖すぎて噛んでしまった。

 

「私もですか!? なんで、こんな重要な事を……も、もう……ああ……」

 

 えっ……大規模改装って、どこの鎮守府でもしてるんじゃないの……?

 だって改はあるって言ってたじゃん……?

 

 俺が二の句を継ぐ前に、大淀は神通の腕を掴んで言った。

 

「神通さん、と、とにかく急いでこのリストに載っている艦娘のもとまでご同行を。明日の演習以降、何が起こるか分かりませんから」

 

「は、はいっ、では、提督、ま、また明日! 見ていてくださいね!」

 

「あ、あぁ……」

 

「報告書は置いておきますので、明日に処理をお願いします。失礼しますっ」

 

「わかった……――何だったんだ、急に」

 

 あっという間に部屋から出て行った二人を見送った格好のまましばらく立ち尽くしていた俺だが、振り返った時、妖精がぴらぴらと紙切れを俺に示しているのに気づくのと同時に理解した。

 

『まもる。おしごと』

 

「大規模、改装、申請、書……?」

 

『これ書いてね』

 

「え、あっ……待っ……あぁぁぁぁッ――!?」

 

 

 

 

 

 

 

 仕事がまた増えたようです。まもる、明日からも働きます。



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七十九話 実験【艦娘side・大淀】

 神通を連れ、提督から渡されたリストにある艦娘がいる部屋を回ってしばらく。

 数名を伴って私達は工廠で作業を続ける明石と夕張のもとを訪れた。

 

 昨夜の訓練で起こった異常――仲間に向かって異常と表現するのも申し訳ないが、私にはそうとしか見えなかったのだ――を調査すべく、明石と夕張に神通の艤装を検査してもらっていたのだ。

 私も自分が使っているもの以外の艤装の知識はあるが、それは基本的な知識というもので、どの艤装にも当てはまるような構造上のもの。

 しかし昨夜の異常は私のみならず他の艦娘全員が知らないものだった。

 

 正しくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 提督に報告した結果、その現象が妖精の手によるものであったと判明したのは良い事だが、それでも不明な点はいくつもある。

 艦政本部にいる明石達の手による大規模改装は、耐久力の向上や機動力の向上を見込めるものだが、それだって多くの資源をつぎ込んで何日か、何週間、いずれにせよ時間を要するものだ。訓練中、長門が神通へ砲撃する前後という時間にしてたった数秒というラグと言っても過言では無い瞬間的な改装など、異常としか表現できないではないか。

 

 連日、夜に駆逐艦を連れだすというのも気が引けたので、とりあえずは軽巡以上の艦娘のみに絞って連れ出した今、ごちゃついた工廠のまんなかに無理矢理作ったようなスペースに神通の艤装を置いて弄りまわす明石へ声をかけた。

 

「どうですか。何か分かった事は」

 

 こめかみにペンを押し付けて頭痛に顔をしかめている私に対して、片手に持っていた工具をくるくると器用に回しながら腕を組み、唸り声を上げる明石。

 

「うーん……そうねえ。改装には、間違いないわ。構造自体に大きな変化は無いけれど、強度も機関効率も大違いね。神通さんの()()も、前までは無かったものでしょ?」

 

 工具を指示棒みたく使って神通の額を示した。

 それと同時に、工廠へやって来た多くの艦娘の姿に気づいた様子で、こんなに……? と声を漏らすのだった。

 

「気づいたら、つけてたみたいで……これで砲弾を防げたりするのでしょうか?」

 

「絶対にやめてください」

 

 神通が鉢金をこつこつと指で叩いて言うものだから反射的に止める私。

 演習用の砲弾とは言え、昨夜の光景は訓練に参加していた艦娘全員の心胆寒からしめるものだった。

 回避できなければ身体で受けるという事は乱戦になればしばしばあることだ。無いに越したことはないが、軌道を読んだ上で致命的なものにならないと判断できれば、下手に回避を試みて機関部をやられたり、主兵装を損壊させられたりするよりもよっぽど生還率は高い。

 

 だが、どこの誰が砲弾を下から手の平で打ち上げて跳ね飛ばすと想像しようか。

 

 ……するわけが無い。そもそも、出来るわけが無い。そう思っていた。

 彼女はその常識をあっさりと覆し、長門から放たれた砲弾を思い切り跳ねのけた。

 演習用の砲弾だったが直撃すれば中破は免れなかっただろう。神通にとってはアレが最善の手であったという。その後は、戦艦長門をして反応が遅れる速度で迫り――十四センチ単装砲を腹部に突きつけてから、砲弾の代わりに言葉を放った。

 

【――油断しましたね。次発装填済みです】

 

 ビッグセブンと言えどぴったりと腹部に単装砲を突きつけられては反撃のしようが無い。

 結局、その日の演習は長門が白旗を掲げたことによって終わりを告げた。

 

 長門は悔しいという気持ちよりも、混乱が勝った様子で、朝の演習も上の空のままだったらしいとは、陸奥曰く。

 

「私も曲りなりにも艦政本部に顔を出したことがあるから、改装に携わったりしたけど……これは、改だけれど、改の上をいくものね」

 

「それです明石! 提督が改二、と……」

 

 執務室に報告へ行った時の様子を話すと、明石は回していた工具を取り落として、は? と固まる。

 

「大淀、それ……本当に提督が言ってたの……?」

 

「え、えぇ。何か知っているんですね?」

 

「知ってるっていうか、うーん……! でも、あれって実戦投入は出来ないって頓挫した話だったし……!」

 

「どのような事でもいいですから、話してください。提督はここにいる以外にもさらに多くの艦娘が改二になるような口ぶりだったのですよ」

 

「待って待って! 私だっておかしいって言って転げまわりたいの我慢してるんだから! 他にも!?」

 

 明石は両手を突き出して私を止める。

 それから神通に手招きをすると、神通を手近にあった椅子に座らせてから鉢金をまじまじ見つめたり、周りをうろうろとしながら制服を見つめたりしたあと、神通が置いていった艤装を小突きながら言った。

 

「昔、艤装を大規模改装出来るんじゃないかって言った別の私がいてね。艦政本部じゃ兵装の他に艦娘の研究を進めていたから、井之上元帥の許可のもとで始まったのが【艤装改装計画】……ね。別の私の目論見通り、計画は成功したわ。全体的な性能の底上げだけじゃなく、装備出来る兵装が増えた艦娘もいた。今じゃ改になってる艦娘を探せばすぐ見つけられるくらい普及した手法なのは皆も知っての通り。駆逐艦や軽巡洋艦ならある程度の資源で改装は可能だけど、それでも結構な資源を消費するわ。戦艦や空母となればさらに……って感じね。探せば、神通さんの改装記録だっていくつかあると思う。私が覚えてる限りだと……搭載弾薬を増やせるのと、艤装に直接手を加えるから、鋼材がいくつか……二百か三百あれば事足りるくらいかしらね。改装すればその分、消費する燃料や弾薬も増えちゃうのは言うまでもないかしら」

 

「二百……それくらいなら――」

 

 口を挟んだ私だったが、全国にどれだけの神通がいるかもわからず、あ、と言葉が途切れてしまう。

 

「そ、全員を改装するのは現実的じゃない。だから、高練度の艦娘に絞ってるわけ。神通さんって確か練度は五十九だったっけ?」

 

「は、はい」

 

「大本営の直下である横須賀や舞鶴なら、改装は可能な練度ね。佐世保もやろうと思えばできると思うけれど……あえて改装するくらいなら、そのまま運用した方が安上がりっていう理由で改装しなかったのかな」

 

「私には、分かりかねますけど……前提督は、私が弱いと言っていたので……それで改装しなかったのかな、なんて……」

 

「この長門の砲弾を片手でカチ上げるような軽巡洋艦に弱いだと? その指揮官の目が疑われるな」

 

 嫌味でも皮肉でもなく、至極真面目な口調で言う長門。

 神通は顔を赤くして「すみません……夢中で……」と返したが、長門は薄く笑った。

 

「頼もしい仲間が弱いと言われているのが気に食わなかっただけだ。神通に向かって言っているわけではないさ」

 

「うぅ……」

 

 訓練で見せた、二水戦の魂の輝きが現れたような眼光は既に無く、ここにいる神通はいつもの引っ込み思案で受け身な少女だった。

 私はそれが信じられず、またペンをこめかみへ押し付けた。

 

「問題は、提督が言ってた【改二】よね……でも、私が知ってる話とは違うわ。それも眉唾な噂って感じだし」

 

「今はその情報が頼りです。お話しいただけますか」

 

 私が前のめりに問えば、明石は夕張に「バリ、ちょっとお茶お願い。あと椅子」と言って、ふうと息を吐き出した。

 夕張が持ってきた椅子にそれぞれが座ったあと、明石は確認をとるように言った。

 

 夜も更けて来た時間帯で、工廠の無機質な照明も相まってこれから怪談話でもされるような雰囲気だ。

 

「もう一度言っとくけど、これは噂。いいわね、噂よ。実際に見たことがあるわけでもないから、信用度は察してね」

 

「わかっています。それでも、聞くのと聞かないのでは訳が違いますから」

 

「はぁ。でも、うーん……私が知ってる話と神通さんの改二は全く違う感じだし……んー……!」

 

 話すと言っておきながら未だ迷いを見せる明石をジトリと睨めつけると、わざとらしく「ひぃー! やめてよもう!」と手の平を私へ向けて視界から消すような仕草をする。

 それから、ゆっくりと話し始める。連れて来た艦娘の誰かが息を呑むような音が工廠へ響く。

 

「――艤装の改装するって計画が成功した後に、さらに改良出来ないかって話が持ち上がるのは当たり前の話よね。艦政本部の明石達はあの手この手で艤装の改良を試みたらしいわ。鎮守府に既に所属している艦娘の艤装だけが建造できちゃう事があるでしょ? それを用いて、機関部を新品に入れ替えてみたり、同じ構造だからって艤装を解体(バラ)してバルジ化出来ないか試してみたり……結局、どれも上手くいかず、改装計画は成功したけれど、そのもう一歩先はダメだって話でおしまい。ここまでが、知ってる人は知ってる艤装の改装のお話ね」

 

「ぎ、艤装を解体って、それ、大丈夫クマ……?」

 

 提督に手渡されたリストに入っていた軽巡洋艦、球磨が恐る恐る問う。

 明石は片手を振って返答した。

 

「平気よ、ぜーんぜん。建造に使うカプセルあるじゃない、アレ」

 

 夕張が丁度お茶を持ってきたところで、それを受け取りながら、背後にある建造用ドックを指す。

 

「資源を投入してカプセルを閉じたあとは、妖精達が作業するわけだけど――その鎮守府だったり基地だったりに所属してる艦娘がそのまま出てきちゃったなんて例は一度も無いわ。その代わり、艤装が出てくるけれど……例外は、艦政本部にあるドックくらいじゃない? あそこは基本的に艦娘がそのまま生まれてくるから。一度、建造中にカプセルを開いたって話もあるわね」

 

「ひぇっ……!? な、なにが出てきたの……?」

 

 短く叫んだのは金剛型戦艦二番艦の比叡だ。この場には長門型戦艦の二人以外に、金剛型戦艦の四名も揃っており、この戦力で何を怖がることがあろうかと思ったのだが、これは私がずれているだけだろうと思う。

 比叡の横に並んだ戦艦榛名も怯えた表情をしていた。平気そうな顔をしているのは、金剛と、末妹にあたる四番艦の霧島だけだ。

 

「何も怖がる事なんてないデース! カプセルをオープンしたところで、作業中なら何も入っていないはずでショ?」

 

「お姉様の言う通りです。もしも別のものが出て来たのならば、データに残しているはずですから」

 

「――それについては、残ってんのよね、データ」

 

「うっ……!?」

 

 明石の言葉に霧島は眼鏡を指で押し上げる恰好で固まり、金剛も笑顔のまま停止。

 

「建造が終了するまで、妖精達はドックのカプセルが開けられないように警護というか、警備というか……近づかないようにするでしょ? その途中で手を加えることは出来ないか、なんて実験があったらしいわ。正式には、作業中なのを知らなかった海軍関係者が立ち入ったため緊急で中止したらしいけど――そんな適当な話、あるわけないでしょ」

 

「小さいですけど、バーナーみたいな道具を使っているのを見たことがありますし……作業中に近づかないようにするのは当然のように思いますが」

 

 私がそう言えば、明石は「それもそうね。でも、作業を中止したら、開けられそうじゃない?」と言う。

 

「作業を中止……言われてみれば、確かに……」

 

「ま、中止する意味なんて無いけれど。艦政本部で一度だけ作業を中止して中身を確認したデータが残ってるのは本当よ。カプセルを開けた中身は――真っ白な液体だったらしいわ。真っ白なのに、その液体の成分は完全に海水そのものだった、って」

 

「ひっ、ひぇぇ……!? なんですかそれぇ! 怖い話じゃなくて改装の話するんじゃないんですか!?」

 

「もちろん、改装の話に繋がってるわ。真っ白い海水の成分の中には、使用した資源が溶け込んでいたともデータが残ってるの。誰がカプセルを開いたのかは知らないけど、そのカプセルの中身である白い海水は検査後に戻されて、建造を再開したらしいの。すると、艦娘は生まれなかった……けれど、艤装だけ建造されたらしいわ。そのデータをもとに、建造中にカプセルを開いて、さらに資源を投入すれば強い艤装や艦娘が生まれるんじゃないかって――」

 

「マッドサイエンスじゃないですかぁ!」

 

 比叡の声が工廠に響く。

 

「……興味が無いと言えば、嘘になるわ。私も工作艦だからね。で、その結果だけど――残念ながら、普通の艤装が完成しただけっていう拍子抜けの結果だったみたい」

 

「ざ、残念ながらって……明石さん……」

 

 榛名の言葉に明石は冗談だと笑ったあと、本題である艤装の話に繋げた。

 

「さらに研究を進めるべきだって言って、艦政本部が深海棲艦をそっちのけで私達艦娘の事を調べ始めたのは、それからの話らしいの。普通の人間と違う生まれ方をする私達は、元々は白い海水から生まれる――そんなオカルトみたいな話を信じたのが、艦政本部の本部長ね」

 

「それは……」

 

「楠木少将よ」

 

 私の問いとも呼べぬ声にそう返した明石は、ここからが噂よ、と前置いた。

 

「艦娘の魂は海からやってくると考えた本部長は、海外の研究機関と連携してデータの交換を行ったらしいの。そこで深海棲艦の解剖データを手に入れて、艦娘との共通点を探り、さらに強くなれる方法は無いかと模索した――本部長は秘密裏にオカルト的な実験を続けた。そのうちの一つが――お(ふだ)を艤装内に仕込む、という方法よ」

 

「お札を仕込む……? というのは……艦内神社を模倣しようとした、ということでしょうか」

 

 榛名が首を傾げながら言った言葉に、私を含めた全員が、ああ、と声を漏らした。

 

「さぁねぇ。ま、噂に過ぎないし、仕込んだところで……と思ったんだけれど、南方海域からの大侵攻の際、それを施された艦娘がいくらかいたって話なのよ。ね? 信ぴょう性なんて無いでしょ?」

 

「施された艦娘がいた事と改装と、何の繋がりがあるんですか?」

 

 どうにも話に線を引けない私。明石の話が糸のだまのようになってしまって、頭が混乱しかけている。

 

「防衛にあたって大戦果を挙げた武勲艦は、艦政本部で改装を受けた艦娘ばかり……阿賀野さんも、その一人じゃなかったかしら」

 

「あ……で、でもですよ、その改装を受けたから改を超えて強くなったなど……」

 

「だぁから眉唾な話だって! ただ不思議なもんでね、その改装を受けた艦娘は特定の海域にしか出撃出来なくなるーなんて話も聞いたわ。なんでも、私達艦娘が沈没した場所だとさらに強くなるとか。未練を断ち切る、みたいな願掛けかもよ? 佐世保の阿賀野さんがどこに出撃してるかなんて知らないけどさ」

 

 ここで無言を貫いていた神通から、ぽつりと、肯定の声が上がった。

 

「阿賀野さんは、南方海域から北上する深海棲艦撃滅のため、トラック島へ何度も、出撃していました」

 

「……え」

 

「佐世保とトラック島を行き来していましたが、戦闘海域は、トラック北方の沖……彼女が、沈んだ場所であると、記憶しています」

 

「うそ、でしょ……?」

 

 神通が明石に顔を向けて「そ、その話の続きは――!」と言えば、気圧されながらも明石は話した。

 

「本部長は艦娘の研究に携わって長い人だから、改装の時にも立ち会う事は多かったって。それで、防衛にあたる多くの艦娘を改装する計画が持ち上がった時には、本部長も参加してたらしいの。そこで改装を受けた艦娘は、ただの改ではなく、札を仕込まれている――【特殊作戦改装】……特改(とっかい)って呼ばれてるらしいわ」

 

「なによ、それは……どういう……」

 

 陸奥が口元をおさえ、顔を白くして言う。

 明石は噂は噂だからと考えているのか、表情を変えないままだ。

 

「札を仕込まれた艦娘は、通常の改装とは比べ物にならない性能を発揮するって話よ。昨日の神通さんみたいにね。私が知ってるのは【特改】で、提督が話しているのは【改二】……変な話よね。本人に聞けばすぐに分かりそうなものだけど、本人達は分からないし、そんなのは知らないっていうんだから、それで眉唾ってことよ」

 

「変ではないか! 艤装に得体の知れない札を仕込むだけでそこまで強くなるなど――!」

 

「私達の出生を理解して言ってらっしゃいます? 長門さん」

 

「そっ……それは……!」

 

 白い海水から生まれ出る、人とは違う、限りなく人に近い存在――艦娘(わたしたち)

 

 明石は「私が知ってる話は、こんな感じ」と締めくくり、お茶を啜った。

 艦内神社と言えば、なんて場を繋ぐように言ったのは夕張だった。

 

()ですけど、私の中には夕張神社がありましたよ。それを疑似的に再現して、神頼み、じゃないですけど……そういった事をしようというのは、分からなくはありません。あの頃のように大きくはなれませんけど、強くなれるように、とか」

 

「それで強くなれたら世話ないでしょ。私達の仕事がなくなってもいいのバリぃ?」

 

「夕張です! それに、明石さんからそんな話、初めて聞きましたけど――」

 

「だって初めて話したもん」

 

「茶化さないでください! その、特定の海域にしか出撃出来なくなるっていうのは、何故なんですか?」

 

 夕張のもっともな疑問。それは夕張のみならず全員が気になるところだった。

 

「さぁ? お札っていうくらいだから、すごく偏見だけど……必勝祈願とか……もしくは封印、とか?」

 

「ふ、封印ってなんですか、封印って……」

 

 明石は軽く口にしたが、自分の言葉にぞっとした様子で湯呑から口を離して「ご、ごめん、私も思いついたから言っただけで……」と前言を撤回しようとする。

 

「……海域に、魂を縛り付けてる」

 

 夕張の言葉を補足するように言葉を発したのは、霧島だった。

 

「ひぇ! データにないんだから変な事言わないでよ霧島ぁ!」

「そ、そうよ霧島! やめてください!」

 

 比叡と榛名に咎められるも、霧島は冷静に返す。

 

「話の組み立てとしてはありえなくない、というだけの話です。建造途中のカプセルの中身は白い海水、過去に軍艦であった私達、繋がりが無いわけではありませんから。軍艦だったころの記憶だってうっすらとあります。おかしいのはそちらの方ではないですか。高速戦艦霧島はここだけにあらず、他の鎮守府にだって存在しています……まるで、分霊のように。ならば、その分霊の一部がお札によって海域に縛り付けられるという話も、オカルト的ではありますが、なくはないと、私はそう分析したまでです」

 

 霧島がすらすらと話した内容に、工廠の空気が冷たくなったような錯覚に陥る。

 

 その時、明石が急に立ち上がって湯呑を夕張に押し付けると、工具を手に持ち、置かれたままになっている神通の艤装に飛びついた。

 あまりの速さに誰も止める事は叶わず、神通もまた、自分の艤装であるにもかかわらず、ぽかんと見つめたまま固まっていた。

 

「も、もし、もしも提督がそんな事してるなら――!」

 

 がちゃがちゃと音を立てて艤装を分解しようとする明石に向かって、やっとのことで動いた口を開く私。

 

「……ま、待ってください! 神通さんは提督のいない海上で光を放って、それから今の姿になったのです! 決して提督が手を加えたわけでは――!」

 

 明石のあざやかな手捌きによってあっという間に艤装内部が露出させられるも、そこには――何もなかった。

 いや、機構がぎっしりと詰まってはいた。ただ、それ以外には何も見当たらなかっただけだ。

 

「あれ、なにも……無い……」

 

 私は立ち上がって明石を羽交い絞めにするように掴むと、ずるりと一歩下がる。

 

「落ち着いてください! 検査の時も分解したのなら中身を見ているはずでしょう!」

 

「そ、そう、そうね……ごめん、霧島さんの話を聞いてたら、なんか、怖くなっちゃって……」

 

「それは私も同じです。ですが、一見して通常の改装と変わらないけれど、能力の向上が認められたのでしょう? 問題はそこですよ! 妖精が手伝ったようであると提督も仰っていたと言ったじゃないですか!」

 

 焦り過ぎだ、と諫めて明石を落ち着けたのだが、疑問は解消されないままだった。

 妖精が手伝ったから通常の改よりも大幅に能力を向上できた上、普段から装着している艤装の一部たる制服にも変化をもたらした。それだけでは解決とは呼べないだろう。

 霧島の言葉だって飛躍しているのではないか、と私はさらに言う。

 

「分霊というのもおかしな話です! そもそも分霊とは、神を分けるという意味であって――」

 

 そして途端に、反論のために組み立てようとした言葉が瓦解した。

 

「……ワタシ達は、祀られてますネ」

 

 金剛の静かな言葉によって。

 

 では、この話が噂や仮定ではなく、本当なのだとしたら――未だ前線で戦い続けているという阿賀野は――特改を受けている可能性があり、故の強さを誇っているということ――?

 

 そうなると仮定で言うならトラック島から離れている柱島での戦闘など不可能なはずだ。

 佐世保の提督が視察のついでに演習でも、などと言うわけがない。

 

 一体、どういう……。

 

「……対深海棲艦撃滅でなければ、その制限の限りでは無いとしたら、どうでありましょう」

 

 がらん、と工廠の鉄扉を開いて入って来たのは、あきつ丸だった。

 開口一番に、先ほどまでの話を聞いていたように言った彼女は、こつ、こつ、と足音を立ててやってくると、真っ黒な軍帽のつばに指をかけた状態で、私の前で立ち止まる。

 

「閣下より大淀殿に伝言が。明日の演習は良い勉強になるから、皆で見学するように、と」

 

 私に答えを持ってきたと言わんばかりのあきつ丸の表情に、とうとう、話が繋がってしまった。

 

「明石の話が本当であるならば、練度八十という佐世保の阿賀野さんは大侵攻の防衛に際して少将の率いる艦政本部から特改を施されており、前線以外では戦闘が不可能……その代わり、捨て艦作戦に乗じて艦娘を犠牲にしながらも確実に練度を引き上げて来たと」

 

 脳内で整理しながら言う私に、あきつ丸が続ける。

 

「自分にはそのように聞こえましたな。失礼、盗み聞きをするつもりは無かったのでありますが……川内殿と共に閣下へ本日の報告を行った際に伝えてくれと頼まれましてな。川内殿も改装のリストに入っている、とも」

 

 あきつ丸の言葉に呼応するように、突如として上方向――工廠の天井からひらりと姿を現す川内。

 忍者のような登場に驚くどころか、全員が話を理解するので精一杯になっており、今にも頭を抱えそうな表情で固まっていた。

 

「よ、っと……。今の話じゃ、まるで少将の【特改】が邪道で、うちの神通が自分で手にした【改二】が正道……みたいに聞こえるけど? そこらへんどうよ、大淀」

 

 目を背けたい現実がいよいよ色濃くなって、私達に突きつけられる。

 

 佐世保からやって来るという軽巡洋艦阿賀野。それを連れる八代少将は――南方海域を開放した提督を、力によって圧し潰そうとしている……。

 改二に目覚めると提督が目を付けた神通は、その日のうちに、改二という――戦艦の砲弾を弾き飛ばすという――極致に達した。

 

 提督の言葉を思い返す。

 

【全ては神通が今まで積み上げてきた結果だ】

 

【こちらにあるリストの艦娘には、重点的な訓練を頼む】

 

 そうして、私は工廠に集まった艦娘を見まわした。

 

 言葉を発さず、じっと話を聞いていた空母達、そして、戦艦に重巡洋艦、軽巡洋艦。

 さらには、ここにいない駆逐艦が多数――それが、神通のように改、改二になる可能性を秘めている。

 

 全てを知っている提督は、佐世保からやってくる提督をなぜ受け入れ、演習を受けたのか。

 全員に、勉強になるから見学するように指示を出したのか――。

 

 私達に――全てを知る時が来たということ――?

 

 

 

 

 

 

 

「明日、午後の予定を全て変更し、佐世保からやってくる提督と、その艦娘……阿賀野さんをしっかりと見ておいてください。提督が私達を支えると仰ったように……私達も、提督から示される真実に向き合い、支える時が来たのかもしれません」

 

 私の言葉に、了解、と声が重なった。



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八十話 実検【提督side】

 現在時刻、マルサンサンマル。

 悲しいかな、社畜という生活を長年続けていた俺は、仕事があると意識した途端に予定時刻より早く目が覚めてしまう。

 

 今までと違うのは、艦娘がいるという職場環境と体調くらいなもので、仕事量自体はさして変わりない。

 

 ――が、今日こそ俺はやる。見せつけてやるのだ。社畜まもるは実は凄い男なのだと艦娘に知らしめ、この柱島泊地にて地位と権力を確固たるものにするのだ!

 

『おはようまもる! おふろにする? ごはんにする?』

 

「んぉ……お、おお……」

 

 妖精の声にのっそりと頭を動かす。

 

 さあ、身体を起こして身だしなみを整えろ俺。今日は呉の山元が佐世保の提督を連れて鎮守府を視察しに来る日である。事が始まる前に全てを終わらせておくことこそ、社畜の見せどころだろう!

 

『まだ眠そうだねえ』

『そうだねえ。まもる、まだ時間あるよ? ねる?』

『ねんねーん、ころーりー』

 

「んん……」

 

 ソファでうつぶせになった状態から顔を動かして壁掛け時計を見ると、俺は再び自分の腕に顔を埋めて深く呼吸を繰り返す。

 

「あと、三十分眠れ……る……」

 

 まあ、仕事はね、もう少しね、後でもいいかなって。

 休日をゆっくり過ごした延長みたいな時間を堪能したって――

 

「んぶぁっ!? い、いかんいかん! 起きる、起きるぞ!」

 

『わぁ!?』

 

 俺の頭上をくるくると飛び回っていた妖精達が一斉に散っていく。

 無理に身体を起こしたせいで血が巡らなかったのか頭がぐわんとした感覚に覆われるが、目を強く擦って完全に起き上がることで誤魔化し、机に置いていた軍帽を被って寝癖を隠してから上着のシワを伸ばすと同時に自らを起こすように数度叩いた。

 

 兵士とは起きぬけたその瞬間から戦えるもの。

 社畜とは起きぬけたその瞬間から仕事が出来るもの。

 

 ……違うね。そうだね。

 

 俺の脳は起き抜けから瞬時に覚醒して自分のやるべき仕事を整理し始める。

 

 昨晩は神通が改二になったという報告を受けたのだったか。この世界にも改二があるのだと分かり喜んで終われたらよかったのだが、大淀と妖精の様子から『大規模改装申請書』という書類を書かねばならなかったという事実を知ってショックを受け、そのままふて寝……じゃなかった。今日の朝一番に処理をしようと思って眠ったのだった。

 大淀が置いていった報告書も処理せねばならないし、今日の昼までにやることが多い……!

 

 佐世保から提督が視察に来る――運営は正常であるか、違反は無いかを確認するだけと言えば問題無さそうに思えるが、既に俺は一つ、落ち度がある……。

 

 机の上に置かれたままになった報告書とともに、一枚の申請書類を手に取る。

 

 内容は簡単なもので、大規模改装をする艦娘は誰か、予定している日はいつか、というもので、あとは責任者の署名が必要なだけのものだ。

 

 大淀が俺に呆れ顔をしていた原因はこれである。

 これは大本営、つまり俺の上席にあたる井之上さんに提出して許可を貰ってから改装を行わねばならなかったという事。

 

 ……うーん、これ。

 

「初回はセーフ、かな……?」

 

『なにが?』

 

「いや、何でもない。気にするな」

 

 思わず妖精に同意を求めてしまったが、先日の作戦で井之上さんには多大なる迷惑をかけているのだ。既に初回はセーフ理論は通用しないだろうと冷静な思考が俺を咎めるが、社畜な思考はそうは言っていない。セーフです! セーフ!

 

 ということで……と、独り言を漏らしつつ、俺は早速、引き出しからペンを取り出して立ったまま腰をかがめ――痛みが無いというのは素晴らしい――申請書に神通の名前と俺の名前を書き込み、申請日を訓練をした二日前にして書く。

 決して偽造では無い。違うぞ。これは、実は出そうと思ってたんだけど忘れてましたと、そういうていで――ていじゃない! 違う! 忘れてたんだ! そう、忘れてただけ! これでオッケー!

 

 ……井之上さんには事情を説明して土下座するしかない。

 

 忘れないうちに、と大規模改装申請書を用意した俺は、再び時計を見る。

 まだ四時前。戦いとは始まる前にどれだけ準備ができるかが重要である。

 

 視察が来るのは昼。その時間までに俺が出来るあらゆる接待コース……用意してみせるぜ……社畜の技をよォッ!

 

 キリッとした顔で俺は準備を進めるべく部屋を出――

 

『まもる!』

 

「なんだ」

 

『よだれのあとついてるよ』

 

「……うむ」

 

 ――妖精が持ってきたハンカチで口元を拭い、俺は執務室を出た。

 

 クソォッ……かっこ悪い……。

 

 

* * *

 

 

「昼に来るなら食事の用意か。後は、何が必要だぁ……?」

 

 ぶつぶつと独り言を漏らしながら入渠ドックへ向かっていると、いつもの如く、廊下で伊良湖と出会う。

 あれ、まだ四時前なんだが……?

 

「おはようございます提督」

 

「うむ、おはよう伊良湖」

 

「本日は視察があるのでしたよね? 私達に出来る事はありますか?」

 

 この有能っぷりよ……伊良湖……お前はいい嫁になるよほんっと……。

 朝から気持ちの悪いおっさんの微笑みが出てしまうが、いかん、と咳払いを一つ。

 

 伊良湖が不審なものを見る目を向けて来たのがショックだったので言い訳もひとつまみ。

 

「提督……?」

 

「す、すまない。仕事のことで頭がいっぱいになっていたのだが、伊良湖の顔を見たら全部忘れてしまってな。はは、我ながら情けない」

 

「な、何を言ってるんですか朝から! もうっ!」

 

 いらん事言いました。申し訳ございません。

 朝っぱらから一喝され、まもるしょんぼり。

 

 怒りゲージを溜めているのか、エプロンをもじもじと手で弄る伊良湖からゲージ消費必殺平手が飛んでくる前に話題を逸らす俺。怒られ慣れたものである。悲しい。

 

「そうだ、伊良湖。昼から佐世保の提督に付き添って、呉から山元も来るのだ。先に聞いておけば良かったのだが、人づてに聞いたもので聞きそびれてな……一応、二人、いや、阿賀野もいるから三人……山元が誰か秘書を連れてくる可能性もあるから、四人か……? うむ、そうだな、余分に四人分の食事も用意しておいてくれるか」

 

 俺の言葉に、伊良湖はハッとして顔を上げ、思い出したように「わ、わかりました!」と返事する。

 

「大淀さんから、午後の予定は演習の見学と聞いておりましたが、午前中は準備の時間にあてるということですね?」

 

「――うむ。理解が早くて助かる」

 

 この柱島泊地は俺以外全員が有能である。頼もしすぎる。

 

 視察――社畜の俺にとってそれは監査という方がしっくりとくるそれは、拠点の運営状況を見るだけと言えば単純明快なものだが、それによって是正すべき点を指摘される可能性があると言う事。それ即ち、正常ではないと判断されたという事。

 

 俺の今回の仕事は、一つの指摘も受けず佐世保の提督に気持ちよくお帰りいただき、井之上さんの憂いを無くし、ひいては山元に見せつけるのだ、まもるはすごいんだぞと……!

 

 役立たずを極めに極めて艦娘全員に迷惑をかけた上、上席の井之上さん、部下ながら先輩である山元と清水の前で土下座してしまった汚名を返上し、提督としての名誉を挽回するのだ!

 

 挽回する名誉が無い気がしないでもないが、重要なのはそこじゃないッ!

 

 俺がちゃんと働けるというところを見せるのが最重要なのだッ!!

 

 ぐっと拳を握りしめる俺。表情をこわばらせて俺を見る伊良湖。

 すみません、急におっさんが気合入れ始めたら怖いよね。そうね。

 

「風呂に入ったら、すぐに朝食を済ませ、午前中までに書類を片付ける。ばたつかせて申し訳ないが、着替えを頼めるか。何かあれば執務室にいる妖精に手伝ってもらってくれ」

 

「はい、伊良湖にお任せください!」

 

「期待している」

 

 威厳スイッチ、全開だァァッ!!

 

 

 

 ――と、思ってましたけど、やっぱ休みの次の日だからと自分に甘いまもるです。

 入渠ドックに来ると、頭と身体を洗うだけでさっさと上がっていた俺だが、今、湯船に浸かっている。

 サボってるんじゃないんです。ちょっとゆっくりしたかっただけなんです。

 

「つってもなぁ……佐世保の阿賀野と演習かぁ……」

 

 呉と演習する、と言っていたのに、先に佐世保からやってくる艦娘、阿賀野と演習することになったのは個人的に嬉しい反面、山元との約束を反故にするようで申し訳なかった。

 たったの数日とは言え濃密な時間を過ごした相手で、演習させてくれと頼んだのはこちら側なのだから、後ろめたいような気持ちも湧いてくるというものだ。

 濃密な時間というと語弊があるけども……ま、まあいい。

 

 そんな山元も一緒に来るのだ、もし山元が艦娘を連れて来たのなら阿賀野とあわせて演習するというのも面白いかもしれない。

 別に艦娘同士がかっこよく乱戦しているのを見てみたいという俗な考えが浮かんだわけでは無い。決して違う。

 

「那珂を連れてきたら、神通のかっこいいところも見せてあげられるんだが……」

 

 欲望が駄々洩れである。湯船に溶け込むくらいに駄々洩れですみません。

 しかしただ俺が見たいからという理由だけで考えているわけではない。日々、戦いという俺の想像とは百八十度違うであろう恐ろしい仕事をこなしている艦娘達のことだ。姉妹艦と一緒に仕事ができるならば、それに越した事はないのではないか? と思っているのだ。

 

 北上が、姉にあたる軽巡洋艦球磨と同じ部屋にしてほしいと頼んできたように、他の艦娘だって姉妹と一緒に居たいと思っているに違いない。

 ならば、呉の那珂に、こちらの川内と神通を引き合わせることも上司としての優しさではなかろうか。

 

 何か問題が起きそうだったら大淀に任せたらいいだろ。(他力本願)

 

「……ま、今だけ今だけ」

 

 ふぅ、とおっさん臭い溜息を吐き出して湯船に浸かっている姿、プライスレ――

 

『提督。おはようございます、大淀です』

 

「ンゴォッ……!? んんっ……お、大淀か、おはよう。どうした」

 

 突如ドックへ続く扉から聞こえて来た声にずるりと湯船に沈んでしまう俺。

 まだ四時前だろうが! 早いんだよお前はァッ!

 

『本日の予定ですが――』

 

 大淀の凛とした声に、俺の脳はフル回転。この声は、完全に仕事モードだ。

 下手に「今日はぁ、阿賀野との演習だけなんだけどぉ……那珂ちゃんがくるかもしれないから川内と神通と会わせてあげて一緒に遊べたらなって思ってぇ」などと言ってみろ、十センチ連装高角砲(砲架)を容赦なく「てーっ!」とされてしまう。

 

「午前中は改装についての申請書の処理を行う。午後はお前が予定を変更してくれたのだったな」

 

『は、はいっ』

 

「素早い判断だ。ありがとう大淀。午後は参加出来る艦娘を集め、演習の見学を行ってもらうだけだ。他の鎮守府に所属している艦娘がどれだけの力量であるかをしっかり見極め、今回のことを糧にしてほしい」

 

『――っは!』

 

 真面目だし堅いなぁ……そこが良いところなんだけど、もう少し、こう、さぁ……。テートクゥー! バーニングラーブ! とかさぁ。それは金剛か……。

 金剛にも言われた事無いんだけどさ……。

 

 だめだ、だめだ。今回ばかりは俺の身の振りひとつで鎮守府の印象が大きく変わる大事な日なのだから、真面目にしよう。

 ともあれ大淀に予定を把握していなかったんですか? このクズ! と言われずに済んだのは大きい。予定もそこまで難しい事が詰まっているわけでも無いから当然であるが、こうして周知しておけば間違いも減るというもの。

 

「先に執務室で待っていてくれ。すぐに向かう」

 

『了解!』

 

 俺の百倍くらい気合の入った大淀の返事の後、気配はすぐに遠ざかった。

 

「……仕事するかぁ」

 

 のっそりと立ち上がり、湯船から出る――前に、両手にお湯を救い上げ、そっと頭からかぶっておく。昨晩も神通が入渠していたらしい。

 別にこの行為に意味は無い。本当に。

 

 本当だぞッ!

 

 

* * *

 

 

 ――午前中に終われば御の字だな、と申請書類や決裁書類を片付け始めたが、案外すぐに終わってしまった。現在時刻はヒトヒトフタマル。

 演習の予定も変更して無くなったようで、午前中から不気味なほど静まり返った柱島泊地の執務室では、俺が手持無沙汰にペンを机にコツコツと当てる音だけが響いていた。

 

 心配事の一つだった大規模改装申請書の日付が二日前になっているのも、大淀が確認した際に「処理は二日前ですね、了解しました」とあっさりとした反応のみで、大方日付のずれというものが常態化しているのだろうと察した。

 実際にはそういった事はあってはならないものだが、今回の視察が終わったら俺自らが二度と杜撰な処理をしないようにしつつ周りに示していかねばならない。

 人の振り見て我が振り直せ……とは違うが、どれだけ情けない寝起きよだれ社畜であっても姿勢を見せていくことは非常に大切なことである。

 

「……さて」

 

 山元や清水から連絡が来ていない辺り、形としては抜き打ちの視察なのだろうと思い、時間は早いが抜かるわけにはいかんと立ち上がる。

 くっくっく……佐世保の提督さんよ、社畜をなめてもらっちゃ困るぜ……。

 

 こちとら上司のご機嫌伺いなんざ日常茶飯事だったんだからよぉ!!

 

 時間よりも早く出迎え、丁寧に対応して招き入れ、有能な艦娘達はきちんと仕事が出来るんですよ! と見せつけてやる。

 

「提督、もう行かれるのですか?」

 

「当然だろう。時間通りに行動する事は正しいことだが、それよりも前に余裕を持っておけばどのような問題が起きても対応が出来るというものだ」

 

「は、はいっ」

 

 おら大淀! ぽかんとしてないで行くんだよッ!

 とは口に出さず、なにやら普段とは違う色とりどりのバッジが付いた上着をしっかりと着こんで、俺は波止場へと向かった。

 

 驚くべきことに、その道すがらで俺を見かけた艦娘達が出迎えと気づいて殆どがついてきた。流石に有能過ぎてちょっと俺の立場が危うい気がするが、ここは甘えておけと無言で突き進む。今日も甘えてんのかまもる、みたいな顔を向ける妖精といくらかすれ違ったが無視しておいた。

 

 

 そうして波止場に到着する頃には、多くの艦娘が背後で直立不動となっており、先頭に立つ俺は後ろでに手を組んで海を見つめるという構図が完成していた。

 視察前に監視されている気分である。大丈夫だよちゃんと仕事はするって。

 海の向こうを見つめている俺に、大淀から声がかかった。

 

「提督。哨戒班からこちらに向かっている船を確認したと通信が入りました」

 

「ふむ。山元達だろう。すぐに護衛に入ってここまで案内するように伝えてくれ」

 

 哨戒班にまで甘やかされているまもるです。お前ら何でも出来るじゃん……。

 

「っは」

 

 ここで過保護な部下に気圧されるな、まもる!

 ちゃんと上司としての責務を果たして華麗に仕事をこなす姿を見せるんだろ! なぁッ!

 と、ここまで考え自分を鼓舞している時、ふと後ろを振り返った。

 思い出して振り返った、という方が正しいだろう。

 神通が目に入った時、俺は彼女に手招きをして横に呼んだ。

 

「あ、あの、何か」

 

「ここにいろ。佐世保の提督と言えば、お前の元上司だろう。思う所はあるかもしれんが、ここでしっかりと職務を遂行している姿を見せておけ」

 

 神通は戦線に立てる戦力では無いという理不尽な烙印を押され、この鎮守府にやってきた艦娘である。

 そんなわけがあるかと。お前は神通の強さを知らんのかと。

 

 華の二水戦の名を欲しいままに戦った彼女は、数多く存在する軍艦の中でもひときわ目を引くものだった。それは軍艦の知識――いわゆるミリタリー知識に乏しく、艦隊これくしょんの延長線上で調べて知っただけの俺でさえ驚くほどの戦果だった。

 かつての帝国海軍において最終局面に投入される最強の軍艦を取りそろえた第一艦隊を支援し、かつ、先陣を切る役目を担っていたという第二艦隊。

 その中でも、第二水雷戦隊と呼ばれた部隊は最新鋭の軍艦が揃っており、乗艦していた兵も屈強な者達ばかりだったという。

 

 酸素魚雷を携えて敵陣に突っ込んで奮戦する様は、まさに戦場の華だったとか。

 

 日本どころか世界中でも最強と謳われた精鋭集団をまとめ上げていた軍艦こそ、この軽巡洋艦神通である。

 

 そんな彼女が戦線に立つ能力が無いなど、目が腐っとるのかッ!?

 

 確かに常に内股で内向的な印象を受ける彼女だが、きっと戦場では――

 

「あ、あぅ、はい、えっと……でも、やっぱり、私……」

 

 ――ちょ、っと不安になってまいりましたね。

 俺は後ろに組んでいた手をほどき、隣にやってきた神通の頭をぽんと撫でた。

 

「記録でしか知らんが、上官に弱いと言われたのだろう。だが、そんな事はないと言っただろう? 南方での作戦を成功に導き、生きて帰った武勲艦なのだ。今更になって何を恐れる必要がある」

 

 艦これでも内気なキャラだったけど、戦闘じゃかっこよかったろ!

 もっと自信持てよ! こんな社畜でも頑張ってるんだからお前が頑張らなくてどうする! 頼むよぉっ!

 

「……が、頑張りま――」

 

「提督、見えました」

 

 神通が何かを言いかけた時、大淀が海を指さした。

 そちらを見れば、確かに小さな影が見えた。

 

 それは近づくにつれ、みるみると大きくなり――大淀と俺が柱島にきた時とは比べ物にならない程に巨大な船である事が分かった。

 

 艦これをプレイしているときに色々と調べた知識を探っていると、ああ、と合点がいく。

 くしくもそれを誘導するように連れて来たのは、同じ名前を冠する艦娘だった。

 

「おう! 連れて来たぜえ、提督!」

 

 訓練支援艦、くろべ型――てんりゅうである。

 現実の世界で、艦娘の軽巡洋艦天龍が、自分よりもはるかに大きな訓練支援艦てんりゅうを連れてくるという光景があまりにも感動的で、場違いにも感極まった俺は「……ふふ」と声を漏らしてしまうのだった。

 

 天龍は龍田に誘導を任せてから俺のもとまで来ると、俺と同じように感動した様子で言った。

 

「すっげぇな、今の艦ってよ! しかも俺と同じ名前だぜ!? ぐっとくるよなぁ……!」

 

「て、天龍さん……これから視察ですから……!」

 

 大淀が咎めるも、俺はまあまあと片手を振った。

 

「山元の計らいだろう。少将を漁船に乗せるわけにもいかんだろうからな。私は山元達を出迎えてくる」

 

「ああ、ここで待ってるぜ!」

 

「うむ」

 

 今日も天龍は元気はつらつで可愛い。これだけで仕事も頑張れるというものである。

 

 

 さて、ややこしいが、天龍が連れて来たてんりゅうが停泊したところで、乗降用のボーディングブリッジなどない港でどう降りてくるのだろう、と背の高いてんりゅうの側面に近づいて待っていると、がらがらと派手な音を立てて近づいてくる長門達に気づいた。

 

 戦艦長門に陸奥、金剛型戦艦の霧島と比叡が四人がかりで大きな搭乗口となる橋を()()()()()きたのである。俺は言葉を失ってそれを見つめていた。

 の、脳みそまで筋肉で出来てんのかお前らッ!? それ何キロあんだよ……。

 

 しかしこれで憂いも無くなったというもの。がちゃんと設置された橋の下で待っていると、ほどなくして現れたのは――小太りのおっさんだった。

 あっれ……山元みたいな筋肉だるまが来るものだと……。

 いや、失礼だな……筋肉の塊……も、変わらんな……そう、軍人らしい体格の良い男が現れるものだとばかり思っていたのだ。

 拍子抜けするその姿は、ある意味では偏見にもとづく上司っぽいものだった。

 その横には、まぶしいお腹をちらりと陽光に晒す軽巡洋艦、阿賀野の姿。

 

「ご苦労。下がっていいぞ艦娘」

 

 そして登場して開口一番に、長門達に向けて放った言葉がこれである。

 ……ま、まあな、ここまではな、うん。大丈夫、まもる、平気です。

 

 続いて現れた、さっきまで一緒だったろ、くらいの認識である山元は相も変わらず筋骨隆々で軍服はぱっつぱつ。安心である。何がとは言わない。

 

 山元はてんりゅうから降りる前に港の向こうに見える鎮守府へ向かって敬礼し、のそのそと降りて来た佐世保の提督――八代とは正反対なキビキビとした動きで降りると、長門達にも敬礼した。

 偉いぞ山元。艦娘のすばらしさを懇々と説いた甲斐があるというものだ。

 

 最後に降りて来たのは――軽巡洋艦、那珂である。

 予想が的中してくれてありがたい。神通にも面目が立つ。

 

 山元達とようやく顔を合わせた俺は、見様見真似の敬礼をしてみせた。

 

「柱島泊地を預かる海原鎮だ。以後、よろしく頼む」

 

 八代はじろりとした目つきで俺を上から下まで見た後にやっと敬礼した。

 

「佐世保鎮守府の八代元であります。本日は急にお伺いすることになって申し訳ない」

 

 海軍式の威圧的コミュニケーションは少将ともなると無くなるらしい。

 しかし威圧されないのなら好都合、と、山元への労いもそこそこに俺はそのまま柱島泊地の施設へ招くように身体を翻した。

 

「山元大佐もご苦労だった。さあ、お疲れのことだろうから、まずは食事でも」

 

 ここから、まもるの全力接待が始まるのだ……さぁ、ご機嫌を伺っていくぜぇ!

 

「佐世保で世話になったという神通にも挨拶をするように言ってある。顔を見てやってほしいが、構わんな?」

 

「っ……え、ええ、もちろんです。大将閣下の御役に立てる艦娘では無いかもしれませんが、如何様にも使ってやってください。練習の的くらいには役に立ちましょうから」

 

 港から拠点中枢へ続く道にずらりと並ぶ艦娘達を見て驚いた様子の八代だったが、口振りだけは上司らしいというか、厭味ったらしいものだった。

 左遷した艦娘のことは気にしてないってかぁ!?

 

 大丈夫。まだゲージ溜まってないから。癇癪ゲージ四分の一くらいだから。

 にこやかに、食事をしにいく道中、神通は頑張っているんだというアピールも忘れない俺。失敗は許されないのだッ……! 神通の名誉は俺が守るッ!

 

 まもるだけに。

 

 ごめん今の忘れて。

 

「ははは、練習の的になどせんとも。今回はそちらの阿賀野との演習と聞いて、ならば同じ鎮守府に所属していた艦娘の方がやりやすかろうと思って神通を選定したのだ。素晴らしい能力を持っていることを認識してもらえたら嬉しい限りだ。那珂も、神通の活躍を見れることだろう」

 

 那珂へ視線を向けると、緊張した面持ちで頷いている。

 そりゃあ、こんなおっさんどもが居たら緊張もするよな。

 

「こちらは前線で活躍している阿賀野を連れてまいりました。大将閣下の胸を借りるつもりです」

 

 八代の斜め後ろを歩く阿賀野をちらりと見たが、彼女は俯いたままだった。彼女も緊張しているのかもしれない。

 八代は八代で柱島の景色が物珍しいのか、はたまた迎えの艦娘達が気になるのか、キョロキョロと辺りをを見回して忙しなかった。

 

 山元は上司二人がいるからか、真っ青である。

 大丈夫だって俺とお前の仲だろうに、と声をかけてやりたいが、ぐっと我慢。

 

 胸を借りると言った八代には、上司らしくどんと構えて返す。

 

「安心しろ。神通はしっかりと訓練しておいた――失望はさせん」

 

 ごめんね神通。何だか俺の手柄みたいに言ってるけど許してね、あとで飛び蹴り一発くらいなら食らうから今だけ勘弁してね、と何度も胸中で謝り倒しておく。

 無言のままついてきていた大淀と神通だったが、俺の言葉に顔を上げて、神通は阿賀野と八代を交互に見た後に言った。

 

「本日は、よろしくお願いいたします」

 

 それから――

 

「おか、しい……こんなに……いや、でも――」

 

 後半部分は聞き取れなかったが、神通の表情は不安そうではなかったので良しとしておく。

 

「ところで大将閣下、食事とは……艦娘が作ったもので?」

 

「そうだが。何か嫌いなものでもあったか」

 

 くっそおおおおお早速失敗してらぁああああ! せめて山元に聞いておくんだった! 馬鹿! 俺の馬鹿ァッ!

 

「い、いえいえ、軍人たるもの、好き嫌いなどありません」

 

「そうか。ならば安心だ。間宮と伊良湖という艦娘が作ってくれているのだが、これがまた絶品なのだ……一口食べれば、天にも昇ると言うと大袈裟だが」

 

 ふふ、と笑ってしまいつつ言うと、八代は額に浮かぶ汗を拭いながら笑った。

 そこまで暑くもないが、もしや疲れているのだろうか。

 

「八代、大丈夫か?」

 

「っ、だ、大丈夫です。問題ありません」

 

 神通に向かって弱いと言ったお前がここでへたるな! 頑張って歩けそこまで遠くねえんだからよッ!

 

「どうした。足場が悪いわけでもあるまい」

 

「あ、足場……そ、そうですな。はは」

 

 石畳が途切れ、拠点中枢までは土ばかりの道になると、八代は途端に地面をじろじろと見つめながら俺と歩調を合わせて足跡をたどるように歩きはじめる。

 なんだこいつは、挙動不審な……。

 

 おい山元ォッ! こいつなんなんだよォッ!

 

 下ばかり向いて気づかない八代を放って歩きつつ顔だけ振り向いて山元を見ると、何故かジトっと睨まれる俺。

 

「やりすぎです閣下……!」

 

 声を潜めて言う山元に、ぽかんとしてしまう。

 何がだよッ!?

 

「なんの事だか分からんが」

 

 と正直に言い返すも、山元は額をおさえて溜息を吐き出すだけ。

 いやほんとに何ィッ!? 教えてってェッ!

 

 朝の決意はとうに崩れ去り、俺の【これでパーペキ! まもるの接待術!】の頓挫が見えて来た。やばい。

 

 八代お前、もっとしっかりしろ! 少将だろうが!

 

「下ばかり向いてどうした。何にぶつかるとも分からんぞ、前を向け」

 

「っ……!? は、はは、靴に汚れがついておりまして、気になっただけで……はは、は……」

 

 後で誰かに頼んで布でも何でも持ってきてもらうから安心しろってもぉ……。

 

 

 

 

 

 

 

「靴の汚れか。安心しろ、すぐに気にならなくなる」

 

 頑張れまもる! この接待を成功させるのだ!

 八代は汗をとっとと拭いてくれ!



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八十一話 実検②【提督side】

 食事をすれば緊張もほぐれるだろう! ということで、柱島泊地の敷地に足を踏み入れてからもしきりに周りを気にする八代と無言の阿賀野、顔を青くしたままの山元に緊張でアイドル感を失った那珂ちゃんさんを連れて食堂へやってきたまもる一行。

 すでに食堂からは食欲をそそる良い香りが漂っており、入り口には伊良湖が立っていた。

 

「おぉ、伊良湖。準備は出来ているか?」

 

「はい、提督。八代少将、山元大佐、お初にお目にかかります。給糧艦の伊良湖と申します」

 

 ゆったりと、それでいて美しい所作を見せた彼女は、頭を下げてからそっと扉を開いた。

 扉の向こうにはずらりと並んだ椅子や長机は見当たらず、中央にクロスの敷かれた見慣れないテーブルがあった。それは良く見れば長机を二つくっつけた簡易的なものだったが、掃除が行き届いているのも相まってそこだけレストランのような光景だ。

 銀色のナイフやフォークがいくつも並び、これどれ使ったらいいの? 状態である。

 

「お、おぉ……このような……」

 

 山元が感嘆の声を上げ、八代は手の甲でしきりに汗を拭いながら言った。

 

「ここまでもてなされるとは思ってもおりませんでした。閣下の御心遣いに感謝します」

 

 残念ながら俺もここまでもてなしてくれるとは思ってませんでした。

 間宮と伊良湖が気を利かせてくれたのだろう。それもそうだ。食事を用意しておいてくれ、としか言っていないのだから。

 俺がきっちりと指示をしていれば良かったのだが、社畜の接待とは、やはり俗と言うか庶民じみているというか、せいぜいがお高めの店を予約してそこで必死にごまをするくらいのもの。本当の接待とはこういう事を言うのだぞと見せつけられているようで、この場で俺が頭を下げてしまいたくなる。給糧艦は伊達では無かった。すごい。

 

「私の用意したものではなく、給糧艦の二人が用意してくれたものだ。間宮も伊良湖も、ありがとう。ついでに悪いが、八代少将に何か拭くものを頼めるか。靴に汚れがついているとのことでな」

 

「靴、ですか……? 承知しました」

 

「い、いえいえ、気のせいでありました。失敬、緊張してしまいましてな」

 

「そうか」

 

 気のせいってなんだよ八代。お前大丈夫か。

 

 ここで八代に突っ込んだり、見栄を張っても仕方が無いので、間宮達には素直にお礼を言って、八代には空返事しておく。

 それから食堂に入り、用意された五つの席の下座――違う違う、一応自分が上司なのだから上座に座らねば、とテーブルをぐるりと回ってから座る。変な動きしてすみませんねほんと。

 俺が着席すると、順番に、八代、山元、それから阿賀野、那珂と着席し……あれ?

 

 ここで俺は神通の席が無い事に気づいた。おめーの席ねえじゃぁん!?

 

「提督、私はこちらに」

 

 入口を静かに閉めてから入って来た伊良湖に椅子を用意してくれと声をかける前に神通に耳打ちされ、先に食事を済ませたのかと察して頷いた。

 神通はそのまま俺の背後にある壁際に立つと、まるで置物のように不動となる。

 なんなら気配まで消えてるから本当にいるか不安になって振り返ってしまう。もちろん消えているわけもなく、壁際にちゃんと立っている。

 俺と目が合うと、視線だけで八代や阿賀野を見て、また俺を見つめる。

 

 はい、すみません、ちゃんと前を向いてます。

 

 小学生の頃だったか、授業参観に来た両親が気になって何度も後ろを振り返っては、顎をしゃくるようにして前を向けと示されていたのを思い出し、懐かしい気持ちになりつつ座りなおすよう身体を捩った。

 

 気を取り直して、上司らしく、それでいて気さくに、と口を開いた。

 

「このような場ではあるが、どうかマナーは気にしないで力を抜いて好きに食べてくれ」

 

 俺もマナーなんてそこまで知らないんで。

 

「っは。お気遣い、ありがとうございます」

 

 山元が座ったまま頭を下げ、八代は無言である。

 どうやって粗を探し出そうか、と考えているに違いない。

 仕事とは言え視察する側で上司の粗を探すような真似、俺ならしたくない。

 

 指摘している時は気持ち良いだろう。就業規則に従い、と大義名分があるからだ。こちらはそれを是正しろと言うだけで済む。しかし、そういった仕事であると割り切って行動をとれる人間などそういないとも知っている。指摘する側は気まずいし、部下から指摘される側――今回で言う俺なら、情けないやら悔しいやら腹が立つやらと様々な感情が渦巻いて泣き出すかもしれん。いや泣く。盛大に泣く。

 冗談はさておき、負の感情が巡ればその人物に抱く印象というものも変わってくるであろうという話である。清水曰く、八代が反対派であるという情報と長門達に向かって言った「ご苦労、艦娘」などと個として認識していない物言いで、既に印象はマイナスなのだ。さらに仕事が出来ていないじゃないかなどと指摘されようものなら、と考えてしまう俺の気持ちもおかしくはないじゃないか。

 

 はぁ、いかん。こういうネガティブな考えで頭をいっぱいにするから仕事がうまくいかんのだ俺は。今は食事を楽しみ、八代に艦娘の素晴らしさを説き、どうして艦娘に冷たいんだと聞いてその理由を互いに噛み砕いて仲を深め、あわよくば粗探しせずお帰りいただく――違うね、ちゃんと仕事しますね。

 

 上座からは厨房の様子がよく見えた。

 こちらを睨んでいる妖精達も見えた。すみませんでした。

 

「間宮、頼めるか」

 

 俺が言えば、間宮と伊良湖はこれまた美しい所作で料理を運んできた。

 今日のご飯は何かな、と軍帽を脱ぎながら待っていると――

 

「こちら、呉からいただいたお野菜をスモークサーモンで包んだファルシです」

 

「うむ?」

 

 なんて? 野菜をサーモンでバルジ? ごめんもう一回言ってもらえる?

 

 間宮達が持ってきた料理は、俺の想像しているものとは全く別物だった。

 一目で料理とは思えないほど綺麗に盛り付けられた野菜に、花びらのような薄切りの刺身……じゃないな、スモークサーモンって言ったっけ……が載せられた少量の料理。皿は恐らく呉の人達がくれたものなのか、いつも見ている金属製の食器ではなく、真っ白な陶器の皿だった。食べづらそうな平べったい皿である。

 

 お、おお落ち着けまもる大丈夫だマナーを気にするなって俺が言ったんだから何も気にせず自由に食べて部下である八代や山元にも気兼ねなく食べてもらえばいいんだでも待てよ那珂や阿賀野もいるし艦娘の前でこんな綺麗に盛り付けられた料理をぐしゃぐしゃにしてもいいのか? だめだ、ダメに決まってるだろとにかく俺から手を付けなきゃ皆食べづらいだろうし早くナイフでもフォークでもいいから手に持て俺――!

 

 コンマ秒の思考だったろう。俺が選んだのは――艦娘に恰好つける方でした。仕方が無いね、提督だからね。

 

 ここまで来たら持ち得る知識をフル動員だ! と、テレビだったかネットだったか、はたまたビジネス書で見ただけだったか、ぎこちないマナーを披露することに。

 

 いくつか並んだフォークの一番外側を手に取り、そのまま料理に手を伸ばし――

 

 あっだめだ怖い! これ崩すの怖い! 怒られない? 平気!?

 

「崩すのがもったいないほどに美しい盛り付けだな」

 

 フォークを手に硬直しているのも情けないからと場繋ぎに口にして笑うと、山元はぽかんとした顔で俺を見た。やめろ見るなテメェッ!

 八代を見れば、フォークも手に取らず俺をじっと見つめている。

 

「どうした。食べないのか?」

 

「っ、いえ、閣下の仰る通り、美しい盛り付けで、崩すのも、はは」

 

 何わろとんねん! 嫌味か!

 もうこうなったら崩してしまえ、食べるのだから仕方が無いとフォークをサーモンに刺して口に運ぶ。

 

「……うむ」

 

 人は美味しすぎると黙るものである。カニなどを食べる時が良い例だ。身をほじるのに必死になって黙っちゃう。

 高級料理を口にした経験がないわけじゃない俺ではあるが、その時は店の雰囲気や周りの人の方が気になって美味しさなど感じられる状態では無かった。だがここにきて間宮達の料理はどうだ。今まで食べた事のある食材であるにもかかわらず、スモークサーモンも野菜も絶品であった。周りの雰囲気など気にする余裕さえ失われるほどに完成されたものが、皿に載っている。

 

「閣下、本日の演習ですが――」

 

「仕事の話はあとでも良いだろう。今は、食事を楽しまんか」

 

 うるせえ八代! 食え! この上手い飯を食うんだ! 今しか食えんぞこんなの!

 

「っ……し、失礼、しました」

 

 量が少ないのが悔やまれる。なんと素晴らしい料理なんだこれは。

 ゆっくりと食べていたつもりだったが、あっという間になくなってしまうサーモンのなんとか。なんだっけ。

 

「間宮、これはスモークサーモンの、なんといったか」

 

 皿の上に残った野菜をフォークですくいあげながら問えば、間宮の声が静かに届いた。

 

「スモークサーモンのファルシです。詰め物のような料理の総称ですが、肉詰めよりも野菜と魚の方がさっぱりしているかな、と」

 

「ふむ……サーモンを入れ物に見立てたわけか。これは洒落ているな」

 

「お褒めいただき光栄です、提督」

 

 だってよ、と言わんばかりに顔を上げると、山元と那珂が美味しそうに料理を食べているのが見えた。美味いよな。すげえよな。もう語彙が無くなるよなこんなの。でもこれいつも食べてるわけじゃないけどな。茄子の辛子漬けとか食ってるもんいっつも。

 

 一方、八代は一口食べては呑み込むのに十数秒。

 恐る恐るもう一口含むと、視線だけ厨房へやりながら、咀嚼して、また数十秒して呑み込む。堪能したいのは分かるが堪能し過ぎじゃないかそれ。

 

 だが気持ちは分かる。美味いもの。

 

 八代の視線が間宮に移動すると、間宮はニッコリと微笑んだ。

 

「お口に合いますでしょうか?」

 

「あ、ああ。素晴らしい味だ」

 

「それはそれは……安心しました」

 

 ほっと胸をなでおろす間宮は、全員が食べ終わったのを見計らって今度はスープを持ってきた。完全にフルコースである。すげぇよ給糧艦……すげぇよ!

 

 ここまでされては視察に尻込みしている場合ではないと気合も入るというもの。

 俺は堂々とスプーンを手に取り、スープを堪能しながら肩の力を抜いていく。

 仕事の話は後でいいと言った手前だが、提督同士の共通の話題と言えば艦娘の事か、と俺は山元に話題のトスを回す。

 内容は仕事じみて聞こえるかもしれないが、艦娘達は元気にしてるか問う程度であればそこまで肩ひじ張らずに済むだろう。

 

 ちゃんと会話を繋げろよ山元、頼むぜ……!

 

「そう言えば山元、あれからみなはどうだ。曙には尻に敷かれている様子だったが」

 

「ご、ごほっ! ごほごほっ!? 閣下、なにも、ここでそのような……!」

 

「懸命に支えてくれる部下にせっつかれている上司というのも、おかしな話ではあるまい。それで、どうなのだ?」

 

「達者に過ごしております。元気過ぎるくらいで、士気も上々であります――閣下と比べられる自分の気持ちも察していただきたいところですが」

 

 ニヤリとして言う山元に惚れかける俺。お前ぇ……良い感じに雰囲気崩してくれるじゃないのぉ! やっぱ筋肉達磨は軍服の張りも違うぜ!

 那珂も少し緊張がほぐれた様子で、山元と俺を見て微笑む。

 

「はっはっは、士気も上々であるなら結構。我々のように狭い部屋に閉じこもって書類を相手に呻いているよりもはるかにマシだろう。なぁ?」

 

 ここで八代にトスを回す。ですねぇ! という相槌だけでも会話に参加している感じが出て和やかなムードになること請け合いの素晴らしい会話回しである。

 まもるは天才なのだ。ただの社畜じゃないんだぜ俺はよォッ!

 

「ぐっ……そ、そう、ですな、はは」

 

「どうした八代。やはり具合でも悪いのか……?」

 

 海に揺られてきたのだから、すぐに食事をさせるべきでは無かったのか、と今更になって冷静になり顔色を窺う。汗は噴き出ているし顔は真っ青である。

 こ、これ水か何か飲ませてほうがいいかな……。

 

「八代に水を頼めるか」

 

「は、はいっ」

 

 間宮が透明なコップに水を入れて持ってくると、八代はそれをしばし見つめたあと、ひったくるようにして受け取り、一気に飲み干した。

 やはりちょっと気持ちが悪かったのかもしれない。

 

「間宮、料理は少し待ってくれ。八代の気分が優れんようだ」

 

 給糧艦、こういったトラブルも想定していたか――!

 いつもの食事であれば一度に全て出てくるため、料理は冷めてしまうしテーブルの上に放置されている図というのも見た目によろしくない。

 間宮達が用意してくれたコース料理ならば、一品ずつ出てくるためテーブルの上もごちゃつかず、気分が良くなるまでの時間も繋ぎやすいときたものだ。なんて用意周到な……やっぱこれ俺いらない子ではないのか。

 

 じゃあ、気分が良くなるまでのんびり話して時間潰そう。

 なんならそのまま視察も終わろう。と俺は口を開いた。

 

「船に揺られて来たばかりであるというのに気が回らずにすまなかった。ここは暫く歓談といこうではないか」

 

「は、い……そう、ですな」

 

「無理に喋らずともよいからな。気分が良くなるまで楽にしていてくれ。横にならなくていいか?」

 

「いえ、け、結構……」

 

「そうか。承知した」

 

 じゃあ山元と喋ってるわ、と八代から視線を外す。

 

「ところで山元、仕事の話は後でと言った手前だが、那珂の練度は今いくつなのだ?」

 

 神通が改二になったばかりなので、恐らくは同程度か、と問えば、山元はスープを丁度飲み終わった様子で、スプーンを静かに置いて答えた。

 

「那珂の練度は現在四十五です」

 

「ふむ……であれば、改装の予定はそろそろ、といったところか?」

 

「改装でありますか? そうですな……予定を立てたい気持ちは山々ですが、大本営に申請して改装するとなれば、数日は掛かるので……」

 

 うーんどうして俺は自分で地雷を踏み抜きに行くのか。

 申請を通す前に改装しちゃったよ。妖精さん達がよ。

 

「申請書類を送付して呉で改装するという手は無いのか」

 

「無い手ではありませんが、技術者を呼ぶにも多少の時間がかかります故」

 

「技術者……?」

 

 俺が眉をひそめると、山元も俺を見て眉をひそめたが、ああ、と言葉を繋げた。

 

「艦政本部から呼び寄せると、という意味であります。支部から呼べばそこまで時間はかかりませんが、いくら呉鎮守府からの要請であれ鹿屋や岩川に駐屯している技術者は良い顔をしないでしょう」

 

「それはまた、どうしてだ」

 

「付きっきりでの作業となれば艦娘も必要となりましょう? 艦政本部なら常駐している艦娘が入れ替わることで長時間の作業にも耐えましょうが、出向の艦娘が付きそう形での作業となれば、まあ……。誰しも閣下のように精力的とは言えませんからな」

 

「あぁ、そういう」

 

 俺も精力的じゃないよ。大淀にせっつかれて働いてるだけだもの。

 

 明石や夕張のように工廠に詰めている艦娘が出張した上に何時間も作業となると、心労も計り知れないといったところか、と山元の言葉に納得して頷く。

 うちの明石はよだれ垂らしながら開発を頼み込むような艦娘なんだが……それは言い過ぎか。

 

 しかし、山元の鎮守府――呉にも妖精がいるはずだ。

 ならばそれに頼ればいいだろう、と俺は言った。

 

「お前のところにいる妖精に頼めばよかろう」

 

「妖精でありますか!? い、やぁぁ……意思の疎通が難しい相手でありますから……それに、改装を妖精に頼むというのも初耳でありますが……」

 

 山元がちらちらと八代を見る。

 

 確かに意思疎通は難しい相手だけども、金平糖あげてりゃ大体は頑張ってくれる有能な奴らだよ。悪戯してくるのは勘弁してほしいが。

 それに妖精に改装を頼むのが初耳というのが初耳だよ。

 

 艦娘の艤装に宿る妖精以外にも、兵装にだって妖精は存在している。明石や夕張、他の艦娘と比較しても妖精よりも艤装に詳しい存在はいないだろう。

 ゲームと現実の違いだろうか、と俺は問うた。

 

「改装を妖精に頼むのが、変か……。しかしだ山元、艦娘の……ほら、那珂の装備している兵装にも妖精というものは宿っているだろう。それに頼めば細かな作業もしてくれるであろうことは、考えられんか?」

 

「あわっ、わ、私ですか!?」

 

 ごめんね那珂ちゃん。君じゃなくて妖精ね。

 

「確かに、言われてみればそうでありますな――……しかし閣下、妖精が見える者は限られております。自分や清水であれば可能であるかもしれませんが、おいそれとどこの提督も改装しようとは思わんでしょう。燃費とて馬鹿になりません。艦政本部の者を一声で呼びつける事が出来る将官でなければ、とてもとても」

 

 再び八代をちらりと見る山元。なんなんだお前も。上司だから心配してるのか?

 

 それはさておき。

 

 ふーむ……艦これの頃ならば改装可能な練度になった途端にすぐに資源をぶん投げていたものだが、やはり現実となると難しい場面も出てくるらしい。

 八代が連れて来た阿賀野は聞くに練度八十。改装していてもおかしくなさそうだが、とそちらを見やる。

 

 阿賀野は、無表情のままじっとテーブルクロスを見つめていたが、俺の視線に気づいたのか顔を上げ、視線がぶつかり合った瞬間、びくりと肩を震わせてすぐに下を向く。

 あ、あがのん……それは酷くないか……やっぱ自分の提督じゃなきゃキモイと思っちゃうのか……?

 

 おい八代ォッ! お前ェッ!

 

「八代も、そう言った理由で阿賀野を改装しておらんのか」

 

 ちょっと助けてェッ!

 

 自然とまた声をかけてしまったが、俺の目には阿賀野は未改装に見える。

 もしかすると改装済みなのかもしれないが、ゲームの時と違ってカードのような背景は無い。それがあるならば金色の背景か虹色の背景で見分けられるのだが――厳しい。提督としての目を疑われてしまいかねない。

 俺の背後にいる神通や、山元の連れてきた那珂であれば改装されているかどうかの見分けはつきやすい。神通ならば鉢金、那珂であれば制服も違ってくる。

 現に神通と那珂の制服は全く異なったものであり、那珂は大人しい服装だが、神通はもう、脇の部分がぱっくりである。さらしが見えちゃう。

 だが見ない。まもるは紳士なのだ。じゃあどうしてさらしって知っているんだという質問は受け付けることが出来ない。

 

「か、改装はしております。前線を張っている艦娘ですから、練度も申し分ありません。兵器としては十二分な能力を持っておると自負しております」

 

 ここで気分が多少持ち直した様子の八代は背筋を伸ばして、隣に座る阿賀野の肩を叩いた。神通と同じく肩が露出しているため、阿賀野の肌が、八代の手でぱちんぱちんと音を立てた。

 くそ! セクハラだぞそれ! ちきしょうがッ! 触れるんじゃねえうらやまし――軍人たるもの女子に気安く触れるとは何事かァッ!

 

 別に妖精に睨まれている事に気づいたわけではない。

 

「練度は八十であったか? そこまで育て上げるのに苦労しただろうに、阿賀野もよく頑張ったものだ」

 

 疲労度無視の反復出撃を行えば届かない練度では無いが、現実として疲労している艦娘に鞭を打つような真似は出来ない。ともすれば、練度八十とは長い時間戦ってきたという証であるため、素晴らしいと思わずにはいられない。

 

 が、まもる、馬鹿ではありません。

 

 こちらに来た時の長門に対する対応、阿賀野への態度、他の面々が揃っている前で堂々とした兵器呼ばわり――さらには、山元が丁重に対応しているところを見るに、この男は間違いなく反対派だ。

 無論、ここで反対派がどうのと高尚な説教をたれるつもりは毛頭無い。

 

 しかし人の身を持ち感情を見せる彼女らを兵器として見ていたとしても、敬意を感じられない。

 

 阿賀野はずっと無言だし、練度からして無茶な運用を強いられてきた可能性は非常に高いと見た俺は、阿賀野へ問うた。

 

「阿賀野、正直に言ってかまわん――大丈夫か」

 

「ぇ……?」

 

「つらいのだろう。仕事だからと頑張っていたのかもしれんが、この後の演習も難しいようならば無理はしなくていい。しっかりと食事をして、少し休んで帰ってもいいのだぞ」

 

「閣下、演習の中止など――!」

 

 うるせえなおっさんがよぉ! ……俺もおっさんだったわ。

 八代の目論見は高練度の阿賀野と柱島の艦娘を戦わせ、力の差を見せつけ黙らせると、そういう浅いものだろう。清水も言っていたことだ。

 

 鬼の神通さんに噴き飛ばしてもらうのも一つの手だが、戦うのは俺でもなければ八代でも無い。阿賀野と神通なのだ。二人が万全の状態でなければ意味も無いだろう。

 

「中止したくなくば、阿賀野の体調くらいしっかり管理せんか。顔を真っ白にしてどこが万全に見えるのだお前は。神通、阿賀野を工廠へ連れて行って、明石に診てもらえ」

 

「っは」

 

「お、お待ちいただきたい閣下! 演習前にそちらの工廠で細工などされてはかないませんぞ!」

 

 がたんと立ち上がった八代に対して、売り言葉に買い言葉、俺はテーブルに拳を叩きつけながら怒鳴った。

 

「私が卑怯な真似をするとでも思っているのかッ!!」

 

「うぐっ……!?」

 

 そりゃあ俺はおっさんとは言えどここでは若輩のぺーぺー提督だ。だからといって艦娘に汚い手を使えと指示などするわけがないし、つらい思いをしてまでも仕事は投げたくないと頑張っている艦娘達に唾を吐くような真似はしない。

 俺の悪口はいい――わきゃねえだろうがッ!

 

 俺の悪口も艦娘の悪口も許さねえェッ! クズって呼んでくれよなッ!!

 

 八代も八代でボロボロの阿賀野を連れてきて勝てるとは思ってないだろう。そう思っていたとしたら本物の愚か者である。

 整備はしてきたが、それ以上に弄られては困る、というところか。

 

 現実である今、艦これでは存在しなかった独自のセッティングや具合といったものがあるのかもしれないのも否定できない俺は、目頭をおさえながら八代に言った。

 

「ならば同行すればよかろう。八代が見ている前で整備すれば、細工のしようもあるまい。山元、お前も来い」

 

「は、はっ……!」

 

 食事も途中だっていうのによ、と胸中でぶつくさと文句を垂れながら立ち上がり、軍帽を被る。

 食堂を出る際には、間宮達へ「すまんな、食事は後でしっかりもらうからな」と言っておいた。くそがよぉ……美味しい間宮飯、食い足りねえってのによぉ……これだから仕事ってやつは……。

 

 無意識に不機嫌な顔をしていたらしい俺を見た間宮は、先に食堂を出た八代達が見ていない事を確認してから小走りで寄って来ると、そっと手を握り……いや手を握られたんですけど!?

 

「提督……ご無理、なさらないでくださいね。私達がいますから」

 

「うっ……うむぅ……」

 

 情けない返事をする俺。優しすぎんかお前達……まもる泣いちゃうよこんなの……。

 

 よっしゃ! 間宮パワーも貰ったし正面対決してやるぜ! 正々堂々とな!

 俺は間宮に「世話をかける」と囁いた後、機敏な動きで振り返って八代達を追った。

 

 

 道すがら、神通に半ば支えられる格好で歩く阿賀野を見て、調子が悪かったんだろうという考えが確信に変わる。

 声を出すのもつらいのか、阿賀野と神通はこそこそと小声で会話をしていた。

 

「何を話している、艦娘!」

 

 八代が強く言うと、阿賀野は「な、なんでもありません! ごめんなさい! 気分が、悪くて……ごめんなさい……!」と必死になって謝罪し始める。

 もうここまでくると酷使されてきた事は明々白々。柱島にやってきた艦娘同様――弱いと吐き捨てられた神通同様の扱いを受けて来たに違いない。

 

「兵器の分際で気分が悪いなどと……生意気な……っ」

 

 八代の言葉を聞き逃したりはしなかった。

 

 心を壊してまで高練度にしなければならない程に逼迫した戦況であったのは分かる。大淀達が必死になって開放してくれた南方海域が如何に危険な場所であったかも理解しているつもりだ。前線で戦ってきた阿賀野も、そのような場所に立ち続けていたのだから、それを見て来たわけでもない俺がどうこうと言うことさえおこがましいことだろう。

 だが、俺の中にある理屈は極めて簡単なものだった。

 

 提督たるもの、艦娘とともにあれ。

 

 これに尽きる。共にブラウザ越しに海域を制覇してきた提督達は、どのような形であれ艦娘と戦ってきた。時に乱数に泣き、時に乱数に喜び、羅針盤を憎み、ダイソンをぶっ飛ばしてきた……。

 それは日々の積み重ねであり、艦娘達と築いてきた歴史そのものだ。

 

 八代は、その歴史に泥を塗るような真似をしている。

 艦娘に唾を吐きつけ、踏みにじるような真似をしているのだ。

 

 異常が見つかったらてめえ阿賀野に謝らせるからな、と怒りに満ちた俺は、それをそのまま言葉にしてしまうのだった。

 よろよろと歩く阿賀野があまりに不憫で、心配そうにそれを見つめる那珂や、険しい表情の神通が、俺の心を酷く惑わせた。

 

 前に山元を怒鳴りつけた時とは違う、低く掠れた、冷たい声が喉から這い出る。

 

 

 

 

 

 

「異常が見つかれば――分かっているな、八代」

 

「っぐ、ぅぅ……!」



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八十二話 実検③【提督side・艦娘side(明石)】

 工廠に着くと神通が扉を叩く。鉄扉から鳴るけたたましい音に、中から「はいはいはいはい!」とまるで迷惑なセールスでも来たのかと思わせる明石の声が響き、何かを蹴り倒したような音や夕張が「ちょっと明石さぁん!」と咎める声。

 

 扉が開けば、桃色の髪が風に流れて扉の隙間から顔を出し、続いて明石の目がひょっこりと覗き込んだ。陽光に照らされた瞳が深緑から金色にうっすらと変わり、ぞろぞろと列を成してやってきた来客をぐるりと見た。

 

「神通さん? それに、どうしてここに阿賀野さんが……どうしたのよ、今は佐世保の――えぁっ!?」

 

 神通、阿賀野と視線が移動して、それから八代や山元が目に入って驚いた様子で半開きにしていた扉を開け放った。後方に俺を認めた明石はすぐさま半身を引き、工廠へと招き入れるように敬礼をしたのだった。

 後方から俺が「佐世保から来た阿賀野の様子を見てやって欲しい。体調が悪いようなのだ」と言えば、敬礼の恰好のまま目を見開き、はい、と短く返事した。

 別の鎮守府から責任者達がやってきている緊張があったのだろうが、仕事となれば切り替えの早い明石の頼もしさに安心感を覚えつつ、先に工廠へ足を踏み入れた神通に続けと山元達へ顎をしゃくった。

 

 工廠には昨日の訓練で減ったのであろう演習用の弾薬を補充していたのか、そこかしこに弾が入っている木箱が積み上げられており、工廠内には鉄と油の独特な香りが漂っていた。

 明石は工廠の隅にある作業台の横へぽつりと置かれた椅子まで神通達を案内すると、阿賀野に座るように指示してから夕張に工具箱を持ってくるように言いつけた。

 

「体調が悪いっていうのは、外傷的な意味……では無いのよね」

 

 阿賀野に問えば、座り込んで両腕を抱くようにして顔を伏せたままに彼女は頷いた。

 俺や山元達がいる手前でやりにくいであろうが、食堂で細工されないか心配された件もあるため八代の不躾な視線が艦娘達に向くのをぐっと堪え、腕組みをして成り行きを見守った。

 

 艦娘の事は知っているが、艤装の事は殆ど分からない。

 アニメでは海中にある機械が鎖で引っ張り出されて、出撃、と表示された足場に乗った艦娘に殆どぶつかるようにして装着されていたのを見たことがあるくらいだ。足元は確か、海外映画に出て来た鋼鉄のヒーローみたいな演出だった気がする。

 

 それが今や目の前で見られるのだから、不思議なものである。

 

 明石に「じゃあ、艤装をお願い」と促された阿賀野が、弱弱しい声で返事して目を閉じると――赤っぽい光の粒子がふわりと腰や足元に集まり――艤装が出現した。

 光が収まると同時に、阿賀野に艤装の重量がかかったようにぐらりと身体がよろける。

 

 明石も瞬時に艤装を出現させ、よくできたコスプレのようなクレーンを阿賀野の艤装へ引っ掛けて支える。瞬きの間に起きた出来事だった。

 艤装の装着もさることながら、明石はやはり工作艦なのだと実感が湧く。

 

 的確に艤装へ伸ばされたクレーンのワイヤーがぴんと張るのと、全員が阿賀野の具合が先ほどよりも明らかに悪くなってきているのに緊張するのは殆ど同時だったように思う。

 

「これ、は……阿賀野さん、ちょっと、艤装をおろすわね……? 夕張! 手伝って!」

 

「はいっ! ゆっくりー……はい、もう少し、はーい、オッケー! 阿賀野さんは椅子に座っててください」

 

 装着していた艤装が離れ、地面に置かれると、彼女はぐったりと椅子に座り込んだ。

 どこをどう見たら演習出来るように見えたんだ八代お前ェッ……!

 

 だがここで口を挟んでは、またどんな難癖をつけられるか分かったものではない。

 浮足立っている様子の神通を呼び寄せて「タオルか何か用意してやってくれ、すごい汗だ」と伝えると、すぐさま工廠を走り出て行った。それも数分で戻って来て、阿賀野に寄り添い、額どころか胸元まで滴るおびただしい汗を拭いていく。

 

「八代。これで演習が可能に見えたのか?」

 

 俺の問いに八代はだんまりで、明石が工具を取り出して艤装に手を伸ばすのをものすごい形相で睨みつけるばかり。

 

「八代! 聞いているのか!」

 

「っ!? は、はい、それは、もちろん。呉にいる時はこのようなこと……」

 

 その言葉を受け、山元に視線を向ければ、山元もこちらを見ており、頷いた。

 

「ならば呉を発ってから、具合が悪くなったということか」

 

 八代は声など聞こえていない様子で、再度、俺が大声を出そうと息を吸い込んだ直後、山元が代わりに答えた。

 

「口数こそ少なかったですが、疲れた様子もありませんでした。てんりゅうに乗ってこちらに向かう途中からでしょう。自分はてっきり緊張しているものだとばかり思っておりましたが――艤装の方に明らかな異常が――」

 

「――機関部、開きます」

 

 明石の声が割り込み、山元も俺もそちらに顔を向ける。

 工作艦ならではの腕か、驚くべき早業で阿賀野の艤装は既に半分ほど分解されていた。

 見慣れない棒状の工具を艤装の隙間に差し込んだ状態の明石は、俺をじっと見つめている。

 

 許可を出してほしいのだろう、と察して俺が口を開いたと同時に、八代の声が工廠に響いた。

 

「やめろ!」

「構わん、開けろ」

「……くそぉおおおっ!」

 

 明石は八代の声を無視して、艤装を開いた。

 

 ――その瞬間の出来事だった。

 

 どん、と全身が前方から押されたような衝撃と、一瞬だけ聞こえた轟音が俺を襲う。

 一瞬と言うのも、それこそ、衝撃と轟音の両方が俺に影響したその時から、音も、感覚も、全てが消えたように感じたからだ。

 

 目の前が真っ赤に染まり、ゆっくりと、いいや、恐らくは相当の速度で俺は後方に飛んだのだろう。

 そして、前面を襲った衝撃とは違う、だん、という背中を打つ硬い感触に、肺胞から空気が押し出されて強制的に呼吸を奪われる。

 

 音は無く、ただ全身に伝わる振動で、俺が無意識に「げほ」と咳き込んだような声を出したのだと知覚できているのは、いわゆる生命の危機という状態にあって、思考速度が経験したことのないほど高速化しているからなのだろうか、と考えた。

 しかし意識的に考えられたのもたったそれだけで、あとは、じんわりと冷たい感覚に覆われ、深く沈みこむように気を失ったのだった。

 

 

* * *

 

 

「閣下っ!!」

 

 私が分解していた艤装が爆発を起こした。それも、非常に局所的で、明らかに異常な範囲だった。

 艤装を分解していた私や、すぐそばで椅子に座っていた阿賀野、さらにはその横にいた神通は爆発の背後にいたために無傷だったが、炸裂した閃光と音に反応が遅れてしまい、提督が数メートル後方へ吹き飛んでいく途中で、爆発が起きたのだと認識できたのだった。

 

 八代少将や山元大佐も爆発に巻き込まれていたが、爆発に近かったものの、直線的に発生したそれは殆ど影響を及ぼさず、真っ白な軍服を焦がす程度だった。

 山元大佐が提督に走り寄る一方で、八代少将は服に燃え移った異質な()()()を必死に手で叩いて消火を試みていた。

 

 私は、その場で何が起こったのかを理解していながら動けず、夕張も神通も同じ様子だった。

 顔を見合わせ、飛んで行って地面に仰向けに倒れている提督を見て、何度も、え? とか、嘘、と声に出すばかり。

 起こったことは分かる、でも、どうして突然? 艤装は一見して異常は無かった。

 弾薬が積まれた場所には触るわけが無いし、燃料に引火するような要素だって無かった。

 

 艤装は大破こそしていなかったが、機関部を損傷。

 

 分解して清掃や修理するなんて日常になってきたところで、まさか失敗した?

 

 ぐるぐると巡る様々な考えを一刀両断するように、山元大佐の怒号が工廠を跳ねまわる。

 

「救護班はいるのか!? 早くしろ! 出血が酷いぞ!」

 

 じわりと地面に広がる赤色に、ああ、と息が漏れる。

 嘘、何で、急に爆発したのなら、私や夕張も巻き込まれてたはずなのに、なんで。

 

 艤装に何か爆薬でも仕込まれて――と、開いた機関部へ視線を落とせば、そこには、一枚の紙切れがあった。高温になる機関部に貼り付けられているにもかかわらず焦げた跡ひとつない、不気味な札だった。

 噂は本当だったのだと考えた時、さらに声量を上げた山元大佐の声に、全身がばねになったように跳ねて立ち上がる。

 

「立たんかァッ! 動けェッ! 閣下の艦娘だろうが! 動かんかァッ!」

 

「ぅ、あっ……! 緊急通信を……!」

 

 二度目の怒号に逸早く反応して行動を始めた神通は、金切声で叫び倒した。

 

「こちら工廠! こちら工廠! て、提督がっ……提督が爆発に巻き込まれましたっ!」

 

 阿賀野を見れば、外傷こそ無かったものの、突然の爆発に気を失ったようで、椅子にもたれた状態でぐったりとしたままだ。

 片腕に燃え移った炎をやっと消せた八代少将が、わなわなと震えながら懐から何かを取り出したのが見えた。

 

 状況に追いつけず、全員が硬直したが――山元大佐だけが提督に呼びかけ続けていた。

 身体を揺らさないようにしながらも、軍服を脱がしながら出血箇所を探して応急手当を試みているようだった。

 上着を脱捨ててワイシャツを乱暴に破り、提督の腹部へぐっと押し当てているのが見えた。

 

「くっ……ダメだ、止まらん……っ!」

 

 混乱極まる現場へ艦娘達が駆け付けたのは、神通が通信して間もなくの事だった。

 工廠から轟音が響けば当然だったが、駆け付けた艦娘達も、やはり、工廠内の光景を見て硬直してしまう。

 入口付近まで吹き飛ばされた提督の顔は私からは良く見えなかったが、入り口に大挙した艦娘の目に焼き付いたことだろう。

 

 不思議と叫び声は上がらなかった。多分、誰も上げられなかったのだ。現実が、あまりに唐突過ぎて。

 

 艦娘達をかき分けるようにして、大淀が姿を見せた。そして顔を真っ青にしながら山元大佐の横に滑り込んで提督を何度も呼んだ。

 

「て、提督っ!? 提督! 聞こえますか! 提督!」

 

「大淀、ダメだ、意識が戻らん。少し弱まったが出血が続いている。救護班はおらんのか!?」

 

「は、泊地には、私達と提督以外、だ、誰も……!」

 

「救急セットは!!」

 

「あ、あああります! すぐに持ってきます!」

 

 何度も腰を抜かしそうになりながら走り出した大淀と入れ替わって、あきつ丸が携帯電話を片手に怒鳴りながら現れた。

 

「どういう事でありますか元帥閣下! こちらも緊急事態で、工廠で事故が――……ぁ……え……?」

 

 あきつ丸の手から、かしゃん、と地面に落ちた携帯電話から、工廠に反響して、元帥閣下の声がよく聞こえた。

 

『あきつ丸、いいから聞かんか! 艦政本部での改装は――あきつ丸、聞いておるのか、おい、どうした』

 

「こ、れは……どういった、状況でありますか……」

 

 山元大佐はあきつ丸に「来い!」と言って呼び寄せ、言われるがままにやって来たあきつ丸の手を掴んで、真っ赤に染まる破けたワイシャツを押さえさせた。それから、地面に落ちた携帯電話を拾い上げて怒鳴る。

 

「元帥閣下でありますか! 山元大佐であります!」

 

 乱暴につかんだからか、オンフックになってしまった様子で、元帥の声がさらに大きく工廠へ響いた。

 

『山元か!? 何故お前があきつ丸の電話に……今、あきつ丸は呉におるのか!?』

 

「いえ、柱島泊地です! 事情を詳しく説明するのは後にさせていただきたい。現在、泊地にて佐世保鎮守府から視察に来ていた少将が連れて来た艦娘、阿賀野の艤装が爆発を起こし、海原閣下が巻き込まれて重体であります! ついては呉の病院へ緊急搬送したく思いますが、よろしいですね!?」

 

『視察だと!? そんな事、一言も……どうして八代がそっちにおるのだッ!? 艤装が爆発など……戦闘行為か、事故か!』

 

「事故であります! 泊地に所属している明石が阿賀野の艤装を検査するために機関部を開いたところ……急に、爆発を……」

 

『また、頭痛の種を……! 海原を死なせるわけにはいかん! お前も分かっておるだろうが、どんな手を使ってでも救えッ! お前の首が吊られなかった恩をここで返すんじゃ!』

 

「当然でありますとも――! 呉から訓練支援艦のてんりゅうを出していたのですが、それでは間に合わない可能性もあります! 松岡殿はお戻りになってますか!」

 

『広島から動いておらんはずだ、書類上の処理しか済ませておらん』

 

「僥倖ですな……では、憲兵に協力を要請しても!?」

 

『許可するッ! 呉の余力を全て割けッ!』

 

「了解!」

 

 通話を切るや否や、今度は脱ぎ捨てた上着から山元大佐個人のであろう携帯電話を取り出して操作し、電話をかけ始める。

 すぐに繋がった様子で、続け様に大佐は言った。今度は向こう側の声は聞こえなかった。

 

 大佐は通話しながら入口を塞ぐように押し寄せていた艦娘に、道を開けろというジェスチャーをする。

 

「――駐屯地か! 松岡殿を出してくれ! 呉の山元だ! 松岡隊長だ! だから! 呉鎮守府の! 山元! 早くせんか!」

 

 入口が開けると、電話を耳から離して「担架を用意しろ!」と怒鳴った。

 やっとのことで事態を呑み込めた様子の艦娘達。そこからは極めて迅速な行動で、医務室から救急セットを抱えて走って来た大淀があきつ丸と一緒になって止血をはじめ、幾人かは演習用弾薬を工廠の外へ運び出し、安全を確保する。空母や戦艦達は爆発を起こした艤装からこれ以上被害が広がらないようにと壁を作るようにして私や夕張を囲んだ。

 

 その輪の中には、八代少将も存在した。

 

「は、離れろ……俺から離れんか艦娘ども! 退け! 道をあけろ!」

 

 混乱収まらぬ様子ではあったが、その中で長門が声を上げた。

 

「申し訳ない八代少将。現場を保存せねばならん上に、また爆発しないとも限らない」

 

「ならば俺も離れねばなら――」

 

 ここで、私の中で膨れた感情が、ようやく言葉として口から出た。

 

「無理に決まってんでしょうが! これ、何よ! これはッ!」

 

 阿賀野の艤装へ手を突っ込み、それを引き剥がして突きつける。爆発で高温と化した機関部に手を入れるなど馬鹿な真似をして、私の手から焦げ臭い匂いが漂う。

 それは、何が書いてあるかも分からない一枚の札だった。多くの艤装や兵装を見て来た私は、陰陽型と呼ばれる兵装を何度も目にしてきた。それらはヒトガタと呼ばれる形をしていたり、長方形の札であったりしていたが、必ず、使用者に関連する《名》や《艤装名》が書き込まれているものだ。

 

 例を挙げれば、龍驤が使用する巻物型の飛行甲板などには航空式鬼神召喚法陣龍驤大符、とあったはずである。

 

 飛鷹や隼鷹なども似たような方式の兵装を使用しており、決して――墨をぶちまけて書いたような、恐ろしい見た目などしていない。

 

 手に持っているのも気持ち悪くおぞましい札を見て、八代少将はうめき声を上げながら私からそれを奪おうとする。

 反射的に、これは奪われてはならないものだと胸に抱いて身体を捩り、手を避けようとしたが――八代少将の両手は私に届く事なく――左右から、二航戦の飛龍と蒼龍に掴まれた。

 

「ぐぁっ……!? 離せ! く、離さんか艦娘風情がぁっ! 貴様ら兵器は知らんでも良いものだ! 将官に逆らうつもりか! それを寄越せェェッ!」

 

「艤装が爆発したのに、何でそれは燃えてないのよ」

 

 八代少将の言葉を無視して飛龍が言うと、それに続いて蒼龍が問うた。しかし、答えを求めているような素振りはなく、飛龍と掛け合う。

 

「もしかして、自爆装置だったりする? それとも提督を殺しに来たの? ねえ、教えてよ」

 

「自爆装置ならここらへん吹き飛ばさなきゃ意味ないでしょ。明らかじゃんこんなの」

 

「だったらおかしいよね。提督を殺すつもりだったならもっとやり方あったと思うんだけど」

 

「事故に見せかけて柱島の高練度艦を沈めるため……あわよくば、提督も、ってとこかな」

 

 二航戦の瞳からどんどんと光が失せていくのを目の当たりにした八代少将は怯みこそするが、唾を散らしながらも怒鳴り続けた。

 

「お、おお俺がそんな! 小賢しい真似するわけが……! 艤装の不調だ! それは……――!」

 

 工廠のあちこちで響く大声が、ぴたりと止んだ。あまりにも不自然に。

 その現象の一端が、山元大佐の電話に現れる。

 

「そうだ! 大将閣下を輸送するためには訓練支援艦などでは間に合わんのだ! そちらから多用途ヘリを――おい、松岡? 松岡殿! くそ、バッテリー……じゃ、ない……電波が……!?」

 

「は、はは……ははは! 流石だ! 流石だぞ! 貴様らも終わりだ! ははははは!」

 

 電子機器の異常――工廠の電灯が明滅し始め、地震の前触れの如く、ゆらりと揺れる地面。

 揺れが激しくなる事は無かったが、その代わりに――哨戒班からノイズの酷い通信が飛んできた。

 

《ザッ……ザリリッ……こちら……ザーッ……班! 聞こえま――か――ザザッ……!》

 

 提督の止血をしていた大淀がすぐさま通信制御に入った時、八代の狂ったような笑い声が不気味さを増したように感じたのだった。

 

《こちら第四艦隊哨戒班、吹雪です! 深海棲艦を確認しました! 繰り返します、深海棲艦を確認しました! あ、明らかに、おかしいです! 宿毛湾から通信も無いのに、急浮上して――! くっ……戦闘許可を!》

 

 哨戒班として出払っていたのは天龍と龍田、それに駆逐艦の吹雪、敷波の四隻だったはず。

 八代少将達を柱島に誘導してから、また出動していたのだったかと考えを巡らせていると、大淀の「許可します! 数は!?」という声に頭が真っ白になる。

 

《駆逐ハ級が四隻に、軽巡ホ級と重巡リ級が一隻――!》

 

 報告を聞くに対処出来ない相手ではないと全員が判断しかけただろう。

 しかしながらそれは早計であった。

 

《未確認の、人型深海棲艦も一隻確認――》

 

「未確認ですか!?」

 

《見たことありません、あんな――!》

 

 大淀が通信統制しているにもかかわらず、ノイズが生じる。

 深海棲艦が発生させる特有の妨害電波とでも言おうか、その音は艦娘全員の顔を顰めさせるに十分な威力を発揮したが、それ以上の――

 

【ザザッ……ザーッ……――ニドトフジョウデキナイ…シンカイヘ……ザッ……アッハハハハ……】

 

「ぐ、ぅ、かはっ……うぁああああああああッ!?」

 

「あ、阿賀野さん!?」

 

 ――混乱をもたらした。

 

 ノイズに混じる未確認の深海棲艦の()と思しきノイズが通信に混じった瞬間、気を失っていたはずの阿賀野の身体が弓なりにぴんとしなり、絶叫したのだ。

 

「深海棲艦を、呼び寄せたの、か……?」

 

 笑い声を上げ続ける八代を見つめながら呟いた長門の声に、八代が吐き捨てるように言った。

 

「は、はははっ! 貴様らではどうにも出来んぞ、欠陥ども! 退けっ! おら、起きろ艦娘! 呆けている場合か、このっ!」

 

 力が抜けたのか、二航戦に掴まれていた両腕を振って拘束から抜け出すと、椅子の上で苦しむ阿賀野に近寄り、胸倉を掴んで立たせようとする。

 ふらふらと立ち上がった阿賀野は、八代に向かってか、虚空に向かってか、何度も謝罪の言葉を紡ぎながら涙を流していた。

 

「ご、めんなさ……わた、私が、守れなかった、から……ごめ、なさ……」

 

「うるさいこのボロが! 艤装を装備しろ、出撃して深海棲艦どもを沈めてこい!」

 

 私は反射的に阿賀野の艤装の前に立ちはだかり、両腕を広げた。

 

「なっ何言ってんの! さっきの爆発で前部缶が損傷してんのよ!? 一目見たら分かるでしょ! こんなので航行出来るわけがないわ!」

 

「貴様、この俺に指図するつもりか! 兵器ならば壊れるその瞬間まで戦え!」

 

「もう殆ど壊れてんのよッ! こんなので海に出たらそれこそ沈められちゃうわ!」

 

「それならまだ稼働出来るだろうが! 沈められる前に沈めてしまえば問題にはならん、それだけの練度もある!」

 

「八代少将、あなた何を言って――!」

 

 不毛な言い合いに、阿賀野が割り込む。

 

「しゅ、つげき、します……私、戦えますから……今度こそ、守りますから……」

 

「は、はは! そうだ! お前を守って沈んだ駆逐艦どもに面目が立つまい! さあ艤装を装備して――」

 

 だん、と地面を蹴る音が聞こえた。

 なまじ、艦娘の身長は人と同じであるために、それを一足に飛び越える事は容易では無い。

 

 しかし、私のみならず、後ろで震えていた夕張や、戦艦、空母達の目の前に――まるで岩そのものが降りかかって来たような光景があった。

 

「深海棲艦どもを沈め――げはぁっ!?」

 

 それは鋼のような筋肉に覆われた上半身をむき出しにした山元大佐で、艦娘の壁を飛び越え、容赦のない膝蹴りを八代少将の顔面に叩き込んだと気づくのに、数秒は要したと思う。

 少将は地面に倒れ込んだ衝撃で口の中が切れたのか、膝蹴りの衝撃によって切れたのか定かではない出血に目を白黒させながら顔を上げ、山元大佐を見た。

 

「閣下に代わり、一時的に柱島泊地の指揮を執ります。八代少将は安全のため後方で待機していただきたいのですが、よろしいですかな」

 

 口調こそゆったりとしていたが、有無を言わせぬ恐ろしい形相だった。

 

「き、貴様も裏切るのか! 山元ォッ!」

 

「はい」

 

「はい、だとぉ……!?」

 

「閣下の御言葉をお借りして言わせていただくなら――仕事をせねばならんのです。国と、人と、艦娘を守るという仕事を」

 

「なっ……」

 

 指揮を執るが構わんな、と声を張り上げた山元大佐に、全員が返事した。

 

「未確認の深海棲艦の持つ戦力は未知数だ、今ある戦力を我武者羅にぶつけたところで何が起こるか分からん! 南方海域開放作戦に従事した第一艦隊を先遣隊とし、戦力の確認を急げ! 哨戒班のみではどこまで持つかわからんぞ!」

 

「「了解!」」

 

 壁を作っていた艦娘の中から、即座に扶桑と山城が走り出る。

 入口にいた重巡洋艦那智と駆逐艦夕立、綾波と合流し港へ駆け出した。

 

 私の近くにいた神通も駆け出そうとするが、山元大佐に「待て!」と止められる。

 

「私も行かなければ――!」

 

「分かっている! 那珂を連れて行ってもらえんか」

 

「え、那珂ちゃ……那珂さんですか!?」

 

「私を!?」

 

 混乱の中で山元大佐の後ろについてオロオロしっぱなしだった那珂は、急に名指しされたものだから目を見開いて神通と山元大佐を交互に見ながら「でも、でも……!」と怯えた様子。

 

「那珂、難しい事は考えんで良い……神通はお前の姉のような艦娘だろう。手を貸そうとは、思わんか。愚かな私に従えとは言わん、だから、姉の仲間を助けてやってくれ」

 

「大佐……」

 

 神通はきゅうっと目を細め、山元大佐を見つめた後、走り出した勢いのままに那珂の手を掴んだ。

 

「行きますよ! 那珂ちゃん!」

 

「は、はいぃっ!」

 

 第一艦隊に選定された六名と那珂が見えなくなり、今度はお前だ、と言わんばかりに、伏せたままの八代少将を見下ろす山元大佐。

 見下ろしたまま、私の名を呼び、彼は言った。

 

「明石殿、阿賀野の艤装はどのような状態だ」

 

「え、ぁ……機関部、六つある缶のうち、前部の四つが損傷……後部の二缶は辛うじて動くみたいですけど……整備しなきゃ、動かすのも危険、かと……」

 

「修理を頼む。閣下の泊地で艦娘が再起不能になったなどという汚名は決して許されん」

 

「……了解っ」

 

 私が作業のために振り返ると、夕張もやっとのことで持ち直したように工具を手に取った。

 私達に呼応したように工廠のいたるところから妖精達が手に手に工具や資源を持って現れた時、大佐が天井を仰いで驚愕の声を漏らす。

 

「わ、私に、話しかけているのか、お前達……?」

 

「え――?」

 

 誰からか声が出るも、急な出来事が連続し過ぎていて、対応は出来なかった。

 ただ、大佐が妖精に話しかけられたらしい、ということ――

 

「……明石殿! その札を! 早く!」

 

「は、はい! こちらです!」

 

「く、くそっ! 渡してなるものか――がはっ!?」

 

「黙っていろ鬱陶しい!」

 

 ――起き上がりかけた八代の背中を踏みつけ、私から札を受け取った大佐は、それを思い切り破った。

 すると、どさりと音がした。音の方を見れば、阿賀野が椅子に倒れ込んで、再び気を失っていた。

 

「大佐、今、妖精に話しかけられたって……」

 

 壁のうち、戦艦伊勢が問えば、大佐は手の中にある破った札を見つめながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よ、妖精に……――今のあなたなら助けられると、言われたのだ」



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八十三話 実見【艦娘side・哨戒班吹雪】

 柱島泊地より南西方向、防予諸島の端に位置する海域にて出現した深海棲艦は、私や敷波、天龍型軽巡洋艦の二人にとって倒せない相手ではなかった。脅威には違いないが、それは呼称上の脅威であるというだけに過ぎず、ましてやあらゆる深海棲艦を見て来た()()()の私にとってはB級映画に出てくるサメよりもくだらない存在だった。

 もちろん、映画に出てくるサメは魚雷なんて発射しないし砲撃戦をしかけたりしない。しかし、何度も戦っていると深海棲艦にも癖がある事に気づく。そして一度でもその癖に気づくと、後に戦う深海棲艦の動きにも規則性があることを理解するのだ。

 

 奴らは海面に顔のような部位を覗かせながら航行し、海流に逆らわず進む。

 

 日本列島より南から来る深海棲艦は日本海流、いわゆる黒潮に流されながら進むため、太平洋側へ抜けて行くことが多い。

 一部、海流から逸れてやってくることがあれば、宿毛湾や横須賀が対応する。

 

 定期的に発生する魚群の襲来が如く、餌でも欲しているのか、現れる深海棲艦は海流に逆らうようにして現れ、逆に海流を断ち切るようにして現れる艦娘と戦う事となる。

 日本海流から逸れて対馬海流に乗ったり、日本列島の北部からリマン海流に乗って来たものは、佐世保や舞鶴、大湊といった鎮守府や警備府が対応にあたる。

 これがいわゆる、日本海軍の防衛行動だ。

 

 外海にある拠点は主に深海棲艦の生息地の特定や、出現データの収集、さらには攻略といった事に重きが置かれる。

 

 では、柱島泊地はどうか。

 

 柱島泊地は立地からして防衛が主となる。

 外洋に出撃して攻略するには出入口が入り組んでいるし、作戦行動には不向きだ。

 故に、哨戒という海軍における日常的警戒行動も一苦労である。

 

 但し、防予諸島、柱島群島は防衛に大きく作用する。そこに哨戒もあわせれば、後方に呉という巨大な拠点もあるため鉄壁と言っても過言では無い。

 日本海流に乗って流れつく深海棲艦は宿毛湾の防衛網に引っかかり、その場で撃沈される事が殆どであり、稀にそれらを運よく抜けて来たところで諸島に阻まれるため本土への侵攻は困難を極める。

 岩川、鹿屋が内陸から航空機を飛ばすだけも十分な戦力となるわけだ。

 

 それがここに来て、二度も防衛網を突破されている。

 

 一度目は柱島の五十鈴が大量に撃沈した潜水艦隊や、陸奥を沈めんとした深海棲艦達――二度目は――まさに今。

 

「龍田! 吹雪を連れて右舷に回れ、固まってたらまとめてやられちまうぞ! 敷波はオレについてこい!」

 

「はいっ!」

 

「任せて。ほらぁ、吹雪ちゃん、行くわよぉ」

 

「了解!」

 

 防衛網を突破された上に未確認の深海棲艦の出現だけで心臓が痛いほど鳴っているのに、全身がピリピリするほどの恐怖が私を襲っていた。

 緊急通信に響いた神通さんの悲痛な声――提督が、爆発に巻き込まれた――。

 

 その理由を問う前に、私達は敵を発見してしまい、考える暇さえ無く戦闘となっていて、もう、今にもこの場で胃の中身を吐き出してしまいそうだった。

 戦いには慣れていると思っていたのに、ここにきて、どうして。

 うぐ、と何度もえづきながら必死に奥歯を噛みしめて、天龍、龍田を先頭に二手に分かれ敵を分断しようとする試みに従う。

 

 無茶な戦いの目立つ天龍ではあるが、状況を見極めて即断即決する判断力は信頼に足る。

 四隻しかない戦力を分散させる事は愚かに思えるものの、ここは柱島からそう遠い場所ではないため、先に相手を分断して相手取る事で後に投入されるであろう戦力で速やかに排除するための布石であるのだろう。

 

 ここで無理に撃滅するのではなく、ほんの一瞬の時間稼ぎだ。

 

 その理由は、上記以外にもう一つ。それは言わずもがな。

 

「駆逐を狙え! あのやべぇ奴は相手にすんな! 敷波、せめて軽巡か重巡のどっちかは落とすぞっ! 行けるよなぁっ!」

 

「心配いらないって! 撃ち方、始め!」

 

 天龍と敷波が私と龍田から逸れて行きながら砲撃を始める。

 轟音につられて駆逐艦が一隻ほど流れかけるのを狙い、私は側面へ砲撃を叩き込んだ。

 

「当たって!」

 

 人の頭蓋を伸ばしたかのような異形の駆逐艦は私の声と砲撃に反応を示し、不気味な動きで四隻ともこちらへと向かってきた。砲弾は外れたが、問題は無い。

 よし、と船速を上げて天龍達から引き離していきつつ、駆逐や軽巡、重巡の後ろに浮かび不気味な笑みを浮かべる未確認深海棲艦を視界内におさめる。

 

 あれは目を離しちゃいけない、と本能がそう告げるのだ。

 

「砲雷撃戦、始めるねぇ」

 

 龍田の砲撃は四隻いるハ級のうち一隻の上空を通り過ぎて行く。

 深海棲艦は知能を持つ。攻撃し、防御し、相手を絶望の淵へ追い込む狡猾さを持つ。龍田の砲撃があっさりと外れたことをあざ笑う知性は――しかして彼女を上回ることが出来なかった。

 

 艦娘は艦娘。沈める対象であるとしか考えていないであろう深海棲艦は知る由もないだろう。間延びした声、戦場に不釣り合いな朗らかな笑みの裏側に――天龍型軽巡洋艦の鋭すぎる戦意が隠れていることに。

 ハ級の一隻が、げっげっげ、と異質な笑いとも威嚇ともつかぬ声を上げたのも、ほんの刹那のこと。

 龍田は自らの放った砲弾を追いかけるように肉薄しており、その手に携えた薙刀を一直線に振りぬいた。

 

 不気味な緑色の光を灯す目と思しき部位を容赦なく切り裂き、どす黒い液体が噴出する。

 

 砲雷撃戦を始めると口にしながら、それは砲撃でも雷撃でも無いのではと場違いに考えた時、胃が回るような気持ち悪さが和らいだ。

 

「龍田さん、もう一隻来ます!」

 

「はぁい! ほらほらぁ、吹雪ちゃんも手伝ってぇ! 全部私が貰っちゃうわよぉ」

 

「は、はいっ!」

 

 軽口を叩く龍田に心の中で感謝しながら、私も、と砲撃を続ける。

 軍艦である頃より少ない挟叉を経て、砲弾がハ級へ着弾し、それを数度繰り返せば――力を失ったように黒煙を上げて海へ沈んでいく。

 

 龍田が切り伏せたものと合わせて二隻、残りを片付けてすぐに天龍達へ加勢すべく、私は弾を数えながらさらに砲撃を繰り出した。

 

「いち……に……さん、し……っ!」

 

 あまり撃ち過ぎては未確認深海棲艦へ対応が出来なくなる。

 視界の端に見える軽巡も重巡も戦闘を続けており、軽巡は相当の損傷を与えられているが重巡は無傷。

 

 こちらは四隻、対して向こうは沈んだものも合わせて七隻。

 流石の天龍も慎重にならざるを得ないか。早く加勢を、と考えた時だった。

 

「アハ……ハハハ……! ソノテイドカ……?」

 

 ハ級を全て沈めきった私と龍田が船速を調整して旋回し、同時に軽巡を沈めた天龍と敷波が、次は重巡だと目で合図したのと同時に、視界がぐらりと揺れ、歪んだ。

 空がさらに黒く、暗くなり、海が深い赤色に染まる。

 

「くっそ――結界が酷くなりやがった――!」

 

 警戒していなかったわけでは無かった。結界内の敵を沈めればこれは消えるものだと心を落ち着け、通信越しに聞こえた天龍の舌打ちに言葉を返す。

 

「天龍さん、今のうちに重巡を仕留めましょう!」

 

「あぁ! 龍田ぁ! お前の方が砲撃得意なんだから、オレに当てんじゃねえぞ!」

 

 天龍は刀型の兵装を構えて重巡へ駆ける。

 その動きに合わせて、前方へ向けられた敵艦の砲塔が天龍を狙わないようにと、敷波が砲撃を誘って動いた。

 

 どちらが危険であるか。敵の判断は択一であり、迫りくる天龍を狙えば、敷波や私、龍田の砲撃を受ける事となり、天龍の攻撃を装甲で防ぎ周りを狙おうとも、三隻に狙われているため、確実に二隻分の砲撃を食らう事になる。

 

 言葉を挟む隙も無い瞬きの時間、海上で繰り広げられる死の舞踏。

 

 敵は天龍を選んだ。砲身が、がこんと音を立てて向けられ、天龍はそれに突っ込んでいく。恐怖など感じていないかのように。

 

「オラァッ! しっかり撃てよな――お前らァッ!」

 

「当てたらごめんねぇ、天龍ちゃん」

「天龍さん、避けてくださいよ!」

 

 当てる事を前提にしたような言い方だったが、天龍は恐れず、刀を振りかぶる。

 私も照準を合わせ――

 

「いっけぇぇぇぇええッ!」

 

 ――砲弾を放った。

 

「ガッ、アァァァアァアァァアアァアッ――」

 

 直撃。それも、三隻分。

 さらに天龍が踏み込み、爆炎を上げる重巡にとどめの一撃を入れて、撃沈。

 

 次は気色の悪いお前だ、と身を翻し――

 

「……え?」

 

「う、そぉ……」

 

「んだよ、コレ……!」

 

「あ、らぁ……」

 

 ――倍以上に増えている深海棲艦の姿に、思考が停止した。

 

「ちくしょうッ……単縦陣を取れ! オレが先頭になる! 龍田、殿を頼む!」

 

「わ、わかったわぁ! 吹雪ちゃん、敷波ちゃん、こっちに!」

 

 これはダメだ。まともに相手をすべきじゃない。

 天龍の言に従って、敷波と一緒に二人の間に滑り込むように移動して距離を取るべく動きはじめる。

 

「逃ゲルノォ……? 無理ヨォ、無理無理……ダメダッタラァ……アッハッハッハッハ……!」

 

「ぐぁっ……耳が、いってぇ……! なんつー声してやがる、あいつはよぉ!」

 

 未確認深海棲艦の声に耳を押さえる天龍達。私は痛みに耐えながら鎮守府の大淀へ向かって通信することで痛みを誤魔化していた。

 

「こちら吹雪! 未確認深海棲艦以外の敵を撃沈! し、しかし、撃沈後に増援を確認しました! 数は……目視でも十隻以上……全て、こちらに向かっています!」

 

 離脱しては諸島に被害が出るかもしれない。

 しかしながら離脱せざるを得ない。ここで私達が身を挺して戦ったところで、沈められるのがオチだ。そうすると牽制さえ出来なくなって被害がさらに広がってしまうだろう。

 

 そう考えたのだが、深海棲艦は諸島など目にも入っていない動きで一直線にこちらを追ってきている。

 

《――こちら山元大佐だ! 一時的に指揮を執ることとなった! 哨戒班の吹雪だな?》

 

「た、大佐!? はい! 吹雪です! 今、増援が――」

 

《ああ、聞いていた! こちらからも南方海域開放作戦に従事した本隊を出撃させたが、このまま迎撃しては柱島にも本土にも被害が出かねん――無茶を言うが、島をぬってフィリピン海へ出ろ! とにかく戦闘範囲を確保できる場所へ行くんだ! 航空支援も間もなく到着する!》

 

「……っ」

 

 無茶だ――だが、このまま柱島へ逃げたところで私達の拠点が危険に晒されるのも確かで、山元大佐の指示に是非は無い。

 

「了解、しました……天龍さん! 聞いていましたよね!」

 

「分かった! 島風の速力が欲しいとこだぜ……ったくよお! 全艦旋回! 回避運動を続けろ! 攻撃してる暇はねぇぞ!」

 

 通信から、柱島の混乱も伝わる。

 山元大佐のがなり声に、明石であろう甲高い声が夕張や妖精に指示を飛ばしている声、さらには重巡や戦艦、空母達の声。

 

 そこで一度、回避運動に集中するためでも、逃げるためでも、通信を切れば良かったと後悔した。

 

《多用途ヘリはまだか松岡殿! 病院の受け入れぇ!? いいから早く――》

 

《大淀殿!! AEDの心電図を確認!》

 

 がなる大佐の声を押し退けるあきつ丸の声に、どくんと心臓が鳴った。

 

《はいっ、はいぃっ……!》

 

《く、ぅぅっ……閣下、起きてください! 閣下!》

 

《提督、お願いです……お願い、ですからっ……! ん、むっ……!》

 

《だめでありますか……! あっ、ショックの表示であります、大淀殿、離れて!》

 

《はいっ……》

 

《押します! いち、に、さん!》

 

 じじ、というノイズの後、再びあきつ丸の声。

 

《っく……胸骨圧迫を再開するであります! いち、に、さん、し、ご……!》

 

 視界が揺れ、吐き気がさらに酷くなってきて、私の足元がぐらついた。

 転倒しそうになった私の襟首を掴んで、龍田さんが声を上げる。

 

 どこの鎮守府でも物静かなイメージのある彼女から発された大声は、かろうじて私の意識を繋ぎとめた。

 

「吹雪ちゃん! 前を向いて! 私達しかいないの! 今、日本を助けられる場所にいるのは、私達なの! お姉ちゃんでしょう、あなた!」

 

「おねえ、ちゃん……」

 

 特型駆逐艦の祖――外洋における作戦行動を可能とする初の駆逐艦である私を、姉と例えるのか。

 確かに、そうかもしれない。でも私は兵器で――

 

「提督に報告出来ないわよ、それじゃあ!」

 

 あ、と声が漏れた。

 希望的観測である言葉なのは、分かっていた。

 

 通信で聞こえ続ける声を、龍田もまた聞いているはずだからだ。

 

 それでも、それに縋れるのならばと私は足に力を込めて、無意識に流れそうになる涙を拭って大きな声で返事した。

 

「――はいっ!」

 

 

* * *

 

 

 敵はさらに数を増し、背後には夥しいほどの深海棲艦が追ってきていた。

 私達は幸運にも一度として被弾しないまま防予諸島を抜けて四国を南下し、フィリピン海まで抜ける事が出来たのだった。

 

 予断を許さない状況に変わりはなく、航空支援が到着して爆撃したにもかかわらず減らない敵勢力に恐怖を覚える。

 さらに増援が来るのではという最悪の想像が浮かび、船速は無意識のうちに上がっていく。

 

 制空権こそ確保出来ているが、長く支援が出来るはずもなく、ある程度の爆撃を終えると機影は日本側へと戻って行った。

 

「ついて来てるかぁ!?」

 

「よそ見もせずに釘付けです! 爆撃も受けてんのに、なんて奴ら……!」

 

 天龍が振り返らず突き進みながら問えば、敷波が潮風に押されつつ答える。

 

 外洋に出たとは言えど、軽々しく進行方向も変更出来ずどうしたものかと歯噛みしている時、私は慌てて懐を探った。

 取り出したのは――提督から持たされていた、羅針盤。

 

「吹雪ちゃん、それ、どうするの!?」

 

「わ、わかりません! でも、確か提督が大淀さんに進むべき方向を教えてくれるものだって――!」

 

 はっきり言って、希望に縋りたいだけだった。

 結界内では電子機器はおろか羅針盤すら作用しないのだから、取り出した羅針盤の針もぐるぐると回り続けているだけ。

 

 突き進む中で海風に飛ばされないようにと私の手にしがみ付いている妖精も、羅針盤を見て険しい表情のままだ。

 でも、打破できる糸口がどこかにあるはずと、羅針盤を睨みつけたまま私は言った。

 今出来る事をすべきだ、と。

 

「意見具申します! このまま南下して、敵戦力を分散させましょう!」

 

 誰ともなしにそう言えば、天龍が「フィリピン海で援軍待ちじゃ間に合いそうにねえしな! 通信しろ! オレは航路を維持する!」と許可を出す。

 

「ありがとうございますっ! ――こちら第四艦隊哨戒班、吹雪です! 大佐へ意見具申を!」

 

《ジジッ……ザーッ……こちら山元。言ってみろ!》

 

「現在は日本からフィリピン海へ出たところにいますが、航空支援では削り切れません! このまま南下を続けたく思います! パラオやトラックから増援があれば、敵戦力を分散し、各個撃破も可能かもしれません!」

 

《……有能な艦娘をまとめておられたのだな、閣下は》

 

「え?」

 

《こちらの話だ。吹雪の案を採用する! こちらからパラオとトラックへ増援の打診を試みるが、南方海域が開放されたばかりで戦線の変更が掛かっており、整っているとも限らん――ともかく、少し時間をかけてそちらへ向かってくれ! 燃料の方は持ちそうか?》

 

「満タンで出撃はしましたが、戦力分散にパラオとトラックを回れば……長期の戦闘は難しいと……」

 

《わかった、呉からも補給艦を出す。持ちこたえてくれ!》

 

「了解っ!」

 

 こうして通信をしていると、ほんの少しだが心に余裕が生まれる。

 たった一滴にも満たないものだが、航行を続ける気力を回復させるのには十分だった。

 

 遠くから、当てる気があるのか分からないが、間違いなく怨恨や怨嗟が込められているであろう凶弾がいくつも近辺へ落ちるのを尻目に、右手に持った連装砲を握りしめた。

 

「――ははっ、大佐のやつ、提督と同じ方法をとってやがる」

 

 ふと、轟音に紛れて天龍の笑い声が聞こえた。

 

「テンプレートっていうのかしらぁ、スタンダード?」

 

「だな。誘い込むのにも追い込むのにも対応してるたぁ、やっぱどうかしてやがるぜ、提督はよ」

 

「ふふふっ、そうねえ、私達の提督だものぉ……それくらいじゃなきゃ、困るわぁ」

 

「何を暢気に喋ってるんですか天龍さんも龍田さんも! まだ砲撃されてるんですから! ちゃんと見て!」

 

「敷波ちゃんはお堅いわねぇ……せっかく可愛いのにぃ……」

 

「かわっ……今は真面目にしてくださいってぇ! もぉ!」

 

 欠陥艦娘の集まり――柱島泊地は、艦娘の墓場である――私はそう聞いていた。

 しかし私は、この戦局において、この状況において、安心感を覚えている。

 

 もちろん恐怖はあるし、戦いへの震えは止まらないし、後方に迫りくる深海棲艦達への嫌悪もそのままだ。

 でも、真っ黒に塗りつぶされている感情のうち、ほんの一部だけが、色づいていた。彼女らの軽い掛け合いと、提督の作戦によって。

 

 呉鎮守府で悪行の限りを尽くしていたという山元大佐でさえ、今や私に燃料は持つか? などと聞く始末だ。変わっている。何かが。

 

 だからここで止まっちゃいけないんだと、恐怖に負けちゃいけないんだと前を向いた。

 

「燃料の限り時間を稼ぎましょう! 航空支援もすぐに再開されるはずです!」

 

「おうっ! っしゃあ、天龍、水雷戦隊! 進むぜッ!」

 

 船速を維持し、燃料の消費をおさえながらフィリピン海を南下し続ける。

 幸いにも前方から新手の戦力が出現することは無く、順調にトラック方面へと進むことが出来た。

 

 しばらくすると戻って来た航空支援が爆撃を再開し、深海棲艦の数を減らしていく。

 減った先から、未確認深海棲艦と思しき笑い声と共に増えるという堂々巡りではあったが、私達への攻撃に間が出来る事によって誘導は確実なものとなった。

 

 そうしているうちに、通信が入った。

 

《ザッ――こちら山元。トラック、パラオともに対応可能であるそうだ! じきに増援が来るはずだ! だが気を付けろ、南方は件のこともある》

 

 件のこと、とは――南方海域開放作戦の直後であること以外にも、大淀が話していた内容が含まれているのだと察し、ごくりと喉を鳴らした。

 

《未確認の深海棲艦は八代少将が呼び寄せた可能性のあるものだ。十分に注意して、決して少数のまま真正面での戦闘にならないよう徹底的に避けろ! いいな!》

 

 既に隠すことさえせずに口にした大佐に返事をした時、手のひらをぱちぱちと叩かれるような感触に気づいて視線を下げる。

 妖精が私を見上げており、そこには――針の止まった羅針盤。

 

「あっ……あの! 大佐!」

 

《どうした!》

 

「羅針盤が、方向を示しています! 南東……トラック方面です!」

 

《羅針盤……通信は維持、出来ている……》

 

「大佐……?」

 

 大佐は数秒ほど黙り込んだあと、私に問う。

 

《今更に問うことを許してくれ。電子機器を狂わせる結界とは、どういったものだ?》

 

「えぇ!? え、えっとぉ……空が暗くなって、海も荒れます! 黒いというか、赤いというか……それで、声が……」

 

《声?》

 

 自分で言っていて、あれ、と思考が滞った。

 声とはなんだ、と。

 

「声が、聞こえる、気が……して……」

 

《なんの声だ!?》

 

「んだよ声って、あいつの声じゃねえのか!?」

 

「あの美人さんの事かしらぁ?」

 

「美人なわけないでしょう! 青白いし足も無いし! 幽霊みたいですってぇ!」

 

 違う、あの未確認の深海棲艦の声などではないと首を横に振った。

 意識すれば薄れ、無意識の時には知覚出来ず、しかし聞こえていて、知っている声である――気がする。

 

 こうして戦闘をしていると、どこからともなく、大海原に響いているように聞こえるのだ。

 

《なんでもいい、その声はどういったものだ!》

 

 大佐に急かされて、うー、と声を詰まらせてしまった私だったが、見計らったかのようなタイミングで、その声が意識に割り込んだ。

 

【シズメ……シズメ……ツメタイ、ウミヘ……――】

 

「あぐっ……!?」

 

 酷い頭痛が襲ってきて、私は隊列からはみ出てしまう。

 すぐさま龍田が追いすがり、私を横から押すようにして支えてくれた。

 

「吹雪ちゃん、どうしたの!?」

 

「い、今、はっきりと、声が……!」

 

「声!?」

 

《吹雪! 声はなんと!》

 

「し、沈め、と……」

 

《……八代が連れて来た阿賀野も、声を聞いたと、言っている》

 

「え……?」

 

《まだ詳しい話を聞ける状態にないが、恐らくは吹雪と同じものであると考える》

 

「そんな……」

 

《艦娘には、共鳴というものがあったと記憶している。提督や妖精と共鳴して力を発揮するものであると。戯言だと聞き入れなかったが、かつて……私のところの那珂が同じ声を聞いたと言ったことがあるのだ》

 

「じゃあ、これは深海棲艦の声と、共鳴を……?」

 

《詳しいところは分からん、だが深海棲艦に関するものであるとは予想出来る。多くの敵に追跡されている今、吹雪が聞いている声もまた、本当なのだろう》

 

 誰に言っても信じてもらえなかった異常を、大佐が認めただけで、私は途端に頭痛を振り払うことが出来た。

 

《私の具申では大本営に認めさせることは難しいかもしれん。大した戦果も無い上に閣下に不正を庇っていただいている身だ。だが――閣下ならば、可能かもしれん》

 

「提督なら可能って、でも提督は――!」

 

《生きて帰れ。お前達に今出来ることはそれに尽きる。一度大淀に代わるぞ》

 

「待ってくださ――」

 

《担架を揺らすな! 止血帯を締めろ! もっとだ! ヘリの降下をそこで待機!》

 

 山元大佐の声が遠ざかり、大淀の消え入りそうな声が頭に響く。

 

《――こ、こちら大淀、です……現在、呉から、ヘリが……提督の緊急搬送が行われています……》

 

「おい、大淀! 提督はどうなったんだよ!」

 

「天龍ちゃぁん、前を見て! 前を!」

 

「船速維持を! っくぅぅ……龍田さん、牽制をお願いします!」

 

「もぉぉっ……お触りは禁止よぉっ!」

 

 断続的な轟音。天龍は、くそ、と吐き捨てながら前を向いて声を荒げる。

 

「大淀! 爆発の規模も何も聞いてねえんだこっちは! 工廠で何があったんだ!」

 

《佐世保から来た阿賀野さんが不調であると見た提督が、艤装の検査をと、工廠へ……明石が阿賀野さんの艤装を開いた時に、爆発が起きたんです……》

 

「それに巻き込まれたってのか!? 明石は何やってんだよ!」

 

《ちっ違うんです! 明石に不手際はありませんでした! 艤装の中に、札が仕込まれていたんです! 八代少将も、それを知っていたようで……!》

 

「札って、話してた、あの……! あのオッサン、戻ったら八つ裂きに――!」

 

《八代少将は、札の他に……妙な、欠片を……》

 

「欠片ぁ?」

 

 天龍の声に、大淀は枯れた声で数度咳き込んだ後に呟いた。

 

《深海棲艦の艤装の一部……に、見えました……》

 

「うっ……!? それ――」

 

 全員が船速を落とさないよう細心の注意を払いつつ後方を見た。

 ざあざあと波を切り裂いて追ってくる深海棲艦達の向こうで、幽鬼が如き姿でゆらゆらとついてくる未確認の人型深海棲艦の姿が見える。

 

 軽巡洋艦那珂のようにまとめられた片方の髪は全ての光を吸い込むような漆黒で、潮風に揺れる片側の髪は死神のローブのようだった。

 

《真っ黒な、髪留め……みたいなものを……手にしていたんです。逃走されないよう、今は長門さん達が押さえていますが、その髪留めに触れると激しい痛みが走るようで、八代少将はそれを盾に、工廠の隅に――》

 

 追い詰められているが、捕まえることが出来ない。それは今の私や天龍達にとってさほど問題では無かった。

 泊地から逃げたところで、逃走先など無いだろう。

 

 ましてやあそこは、孤島なのだ。支援艦に乗ろうが、そこが墓となるであろうことは考えずとも分かる。故に悪あがきとしてそれを盾に時間を稼いでいるのだろう。

 

 今の私達の時間稼ぎとは全く違うものだったが、それはいい。

 

 問題は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《八代少将が持っているものは、その未確認の深海棲艦を呼び寄せた媒体であるかと……推測します……》



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八十四話 実見②【艦娘side・大淀】

 提督を乗せた多用途ヘリがばらばらと音を立てて空へ浮かんでいくのを見上げながら、震えの止まらない両手で、未だ唇に残る冷たい感触を確かめるように触れていた。

 通信統制をすることによって辛うじて繋ぎ止められている理性や冷静さといったものが、提督が離れて行くにつれて一緒に飛んで行ってしまうように感じられ、私は無意識のうちに「う、ぅぅ」と呻いていたようだった。

 

 私の隣ではあきつ丸が数名残った憲兵達に事情を説明しており、そのついで、工廠の隅に立てこもっている八代少将を明らかな反逆行為であるとして怒鳴っていた。

 

「大将閣下の謀殺を企てた将官など、国に牙を剥いた事と同義であります! 深海棲艦と繋がりのあろう者をどうして庇い立てするのでありますかッ!!」

 

「庇っているわけではなく、我々にも踏まねばならぬ手順があって……」

 

 怒鳴られている憲兵のうちの一人、まだ青年になったばかりに見える若い男が自動小銃を肩にかけたまま、あきつ丸を止めるように手の平を向けた状態で無線機に向かって言う。

 

「あー、こちら泊地派遣の飯塚、泊地派遣の飯塚――現場の艦娘より証言あり」

 

 冷たい物言いに、()()()()()()()()()()、全てが敵になってしまったのではないかという考えが過り、事の成り行きを見守るしかできず、通信から聞こえ続ける戦闘の音もまた、遠く聞こえるのだった。

 

「飯塚殿と仰ったか。これは海軍のみならず国を脅かす大事でありますよ! 諸君らも無関係ではありませんッ! 少将を拘束しないというならば――自分らの手で――!」

 

『まぁ待てあきつ丸殿』

 

「その声……松岡隊長……!」

 

 若い憲兵があきつ丸へ無線を突き出してそっぽを向く。

 それがどういう対応の仕方であるのか意味を考える間もなく、矢継ぎ早に声が飛ぶ。

 

「松岡隊長、今どちらにおられるのか! そちらで調査を進めるとの事で自分は呉の資料を持ち帰るだけにとどめたというのに!」

 

『調査はした。今や世は海軍に頼り切った風潮だが、あきつ丸殿は陸の者であったろうに、我々を信用しておらんのか?』

 

「何を悠長に――!」

 

『悠長ではないとも。そちらが切迫している事は否定せんが、内海に出現した深海棲艦に対する警報が呉を中心に中四国と九州の東岸で鳴りっぱなしなのは考えずともご理解いただけるな? その対応に追われる身なのだ、こちらも』

 

「っ……」

 

『……ご理解いただいているようで結構。では、無線越しながら失礼して話をさせていただく。海軍元帥閣下とは連絡をとられたか?』

 

「大佐殿が、大将閣下を緊急搬送する許可を貰う際に、一度。それに、艦娘の改装に関して、予定があるのならば艦政本部を通すのは待て、と……」

 

『であるか。では、山元大佐はそちらにおられるか』

 

 工廠近くの広場にいる私やあきつ丸、多くの艦娘が声を聞いて首を回せば、工廠からワイシャツを失った状態で上着を羽織り小走りでやってきた山元大佐が目に入った。

 大佐は憲兵達に敬礼とも呼べぬ恰好で手を上げた後、一人の憲兵があきつ丸に突き出している無線を見つけて言った。

 

「松岡殿は来ておらんのか?」

 

『おお、山元大佐。暫く……でも無いな。閣下の容態は部下から確認した。緊急手術の用意も手配出来ているから、呉へ到着次第、対応出来るだろう』

 

「ありがたい――! 元帥閣下よりまだ広島におられると伺ったが、処理の方は終わっておられんのか」

 

『一週間程度を予測して動いていたのでな。これでも最短で見積もったつもりだが、いかんせん、閣下の速度には追いつけなかったようだ。これが現陸軍と海軍の限界……というところか。だが、手続き上の事は終わっているのでな、()()の行使は可能だ。首の皮一枚……だな』

 

「良かった――では――!」

 

『まあ待て、順序がある。あきつ丸はまだそこにいるか?』

 

「……こ、ここに。松岡殿! 一体何の話をしておられるのでありますか!」

 

 痺れを切らして怒鳴ったあきつ丸は、まるで周囲の艦娘達を代弁するかのような様相だった。その通りに、私以外の艦娘は全員が無線や憲兵達を睨みつけており、さらには工廠で八代少将の前に立ちはだかり逃走を阻止している者達からも、怒鳴るような声が消えている。

 先ほどまでは「動くな!」という長門の声が聞こえていたのに、今はぱったりと止んでいる。伊勢や日向の声も、金剛のまくし立てるような英語も聞こえない。

 

 現実味も無く、本当に、映画か何かのワンシーンを遠くで見つめているような気持ちだった。

 

 伊勢や日向は提督とさして会話をしたことが無いのに、爆風に吹き飛ばされた後の、倒れ伏した彼の力ない顔を見てしまったのだから無理もないのかもしれないが。

 それに金剛も、カタコトの日本語でにこやかに話していたあの雰囲気は一切失せ、スラングであろう英語を何度も吐き出していた。金剛の怒りに霧島や比叡が手を出さないようにと押さえていたくらいだ。榛名は八代少将と金剛の間に立ち、庇っているのか、逃がさないようにしているか分からなくなっていたほど。

 

 柱島が壊れてしまう。この鎮守府が消えてしまう。

 そんな非現実が、現実と入れ替わろうとしているみたいで、私はまた冷たい唇をかみしめた。

 

『あきつ丸殿や川内殿が仰った、大淀殿の予測、というものを調べていたのだ』

 

 声は無く、反応も出来なかったが、思考の先が無線の声に向いた。

 

「陸軍の、まして憲兵が調べられる範囲など――」

 

 あきつ丸の声を遮り、松岡隊長は静かに言った。

 

『あるのだ。海軍の補佐、という名目上で通っているが、我々陸軍の本分は内陸の守護にある。内陸が危険に晒される可能性があるとすれば排除する……という役目を担っているのはおかしい話ではなかろう。言い換えれば、我ら陸軍は海軍にとって目の上のたん瘤のようなものであるということだ。軍規を遵守しないのであれば、我々は元帥閣下であろうが軍法会議に出頭させる特権を持っている』

 

「まさか、松岡隊長、自分らを――!」

 

『ここで、本題を話そう。先日、自分はその元帥閣下すらも軍法会議に出頭させる権利を行使できる立場となった。――日本陸軍、西日本憲兵隊統括隊長、及び陸軍法務部中将となった、松岡忠だ。改めてよろしくお願い申し上げる』

 

「なっ……は、え……!?」

 

 あきつ丸の軍帽が頭から落ちて、ぱさりと音を立てた。

 山元大佐は険しい表情のままだったが、口元だけ笑っており「仕返しもそこまでにした方が良いかと思いますよ、松岡殿」と咎めた。

 

『失礼、あきつ丸殿に陸軍の本分を説教されたので、ムキになってしまっただけだ。そのような場合では無いことは重々承知している。して、あきつ丸殿、事情を話そう。海軍元帥は陸軍大臣と協議をしていたのだ、水面下でな。陸軍……中でも憲兵の報告に違和感があると見ていた者が少なからず存在していたらしいのだ。私のように見て見ぬふりをせず、報告を上げていたものもな。悲しいが自業自得で、私も大臣から疑われた身であったというわけだ。海軍元帥の働きかけによって知らぬ間に疑われた私は、知らぬ間に信用を回復したということになる……渦中にいると思っていた自分が実は蚊帳の外であったというわけだ。笑えてくるだろう』

 

 事情を呑み込むのに必死なあきつ丸だが、私だってそうだ。

 元帥閣下も独自に動いているであろうことは知っていたが、柱島にあきつ丸を送った張本人である元帥閣下が、そのあきつ丸に事を隠したままに動いていたとなれば、松岡が答え合わせのように話すのも理解できなくは無いが、どうしてこのタイミングで……と、いつの間にか恐怖と混乱を押し退けて浮かぶ疑問が私を支配していた。

 

 傍らの通信では、吹雪達が順調に深海棲艦を撃滅している声が響く。

 

《ザザッ――駆逐、一隻落としました! 次、来ますッ!》

 

《吹雪ちゃん、一度戻って! 重巡の砲撃範囲よ!》

 

《了解――天龍さん、お願いします!》

 

《任せろッ! うおらぁあああッ!》

 

 爆音、爆音、爆音。

 怒声、怒号、雷声。

 

 それらが思考を乱し、疑問への答えに続く道を不明瞭にしていく。

 

「では、松岡殿は、法務部中将になり、え? ど、どういう事でありますかっ!」

 

『事は複雑でな。時間をかけていたならばもっと単純になっていたであろうが……南方海域の閉鎖前に現地の警備に派兵された憲兵、及び楠木少将の補佐として協力にあたった者全てに出頭命令を出してある。楠木少将にも、そちらの泊地にいる八代少将にもだ』

 

「出頭、命令が……今になって……?」

 

 ようやく、私の口から零れた言葉を、憲兵の持つ高性能な無線機は拾い上げていたようだった。

 

『大淀殿もおられたか。……閣下は軍を挙げて必ずや救ってみせる、安心しろとは言えんが、どうか、待っていてほしい』

 

 松岡の言葉に、その場で私は崩れ落ちてしまいそうになる。

 

「あ、あぁっ……ぅ、あ……お、ねがい、します……どうか、どうか……!」

 

「それで、出頭命令の理由は! 松岡殿!」

 

 あきつ丸が吠えると、松岡は「しばし待て」と言って無言になり、数秒して話した。

 

『これらは巧妙に隠されていた、と言い訳しておこう。楠木少将はどうやら艦娘の研究データと深海棲艦の研究データの交換を条件に取引を行っていたとのことだ。丁度良く南方から帰って来た例の部下達が教えてくれたよ。閣下の手で死ぬか、法の下に身を晒し清めてから首をくくるかの二択しか無い部下達だ……今更、虚偽を話すわけもあるまい。海原鎮という元帥閣下の虎の子を警戒して暗殺を企てたという情報も手にしている。並びに、海軍中佐、菅谷という男の謀殺の証言も得た』

 

「菅谷さんの……!」

 

 提督がヘリに運ばれていくのを見守っていた艦娘のうちの一人、軽空母鳳翔が駆け寄って来て無線機を見つめる。

 

『これもまた憲兵の失態であることに変わりはない。閣下は()()()()()()()逃げおおせたようだが、六年越しに動き出した閣下に即応したところを見るに、隠れ蓑を捨てて姿をくらますつもりだろう。出頭命令を無視して逃走するであろう事は予想している。移動を考慮しても一か月以内の出頭、連絡が無ければ、A、B、Cとトリプルクラウンの戦犯となるわけだ。八代少将! 聞いておられるか! 貴官もトリプルクラウンだ! 喜べ!』

 

 松岡が大声を上げるも、工廠には届いていないだろうが、その声に込められた力は、さながら自らの無力を恨んでいるようだった。

 多くの人を抱える軍はどうしても端から端までを把握できない組織構造であり、上席とて例外では無い。

 

 楠木少将はそれを逆手にとって、全てをかき乱していたというわけだ。

 

 だが、そこにも一つ、いや二つ、楠木少将にとっての間違いが存在した。

 提督が神通に言ったことが、目の前で立証される。

 

『軍議の帰りに様子を窺おうとした一人の男がいてな……山元殿も良く知る男だ。これから基地に戻って会議を行うため話す時間は多くないが、声を聞いておかんか。かの男も国を守るために全てを差し出せる男だと井之上元帥閣下の御墨付きであるらしい。そも、山元殿から閣下が事故に巻き込まれたと聞いた時に憤慨したのは彼で――』

 

 無線から雑音が鳴り、続いて怒鳴り声が聞こえた。

 

『いつまで話している、陸軍の犬っころ風情が! 陸軍の憲兵は子どものお使いもまともに出来ん奴らだとは知っていたがここまで酷いものだとはな! 恰好をつけている暇があるならば動け! くそったれどもがのさばっていて、泊地に送ったうだつの上がらなそうな顔の馬鹿がようやく陸海軍を正してくれるのだと思ったのに艦娘の事故に巻き込まれただのと……あいつは本当に大将の器なのか! おい、山元! 聞こえているか! おい!』

 

 聞いたことのない男の声に、山元大佐は脊髄反射なのか、軍帽を脱いで気を付けの恰好で言葉を詰まらせながら驚愕した。

 

「がっ、ご……郷田少将!?」

 

 

* * *

 

 

 日本海軍少将――郷田航。

 私の記憶にある限り、彼は岩川基地を任されている者だったはず。

 

 どうして彼が、と思考しようにも、うまく考えがまとまらない。

 

 ただ話を頭に入れ込むことで、整理を後回しにすべきであると判断した私は、流れる涙を何度も拭いながら通信統制に集中する。

 

『あれだけ罵倒に罵倒を重ねたにもかかわらず、艦娘どもを連れて南方攻略に乗り出したと事後報告を受けた時は見上げた根性の持ち主だと思ったが……何だ? 事故で腹を吹き飛ばされただと!? 山元ォッ! 貴様は一体、何をしていたんだ、えぇっ!? そこに所属の艦娘はいるのか! おいっ!』

 

「は、はっ……! げ、現在、閣下を搬送したばかりで、まだここに……!」

 

『代表者を出せッ!』

 

 集まっている全員が私を見た。

 慌てて返事すれば、郷田少将は血管が切れんばかりの勢いで怒鳴り倒した。

 口悪く罵り、しかし、どうしてか私はその空気が、懐かしいような気がした。

 

『その声……軽巡洋艦の大淀だな! 貴様は、大本営からそちらに派遣された艦娘か! それとも欠陥でどこかから飛ばされた艦娘か!』

 

「まっ舞鶴鎮守府より異動となりました……!」

 

『舞鶴――金森のところのか……どいっつもこいつも……! 日本国に泥を塗っている自覚を持たんかこの間抜けどもが! 曲がりなりにも元は大将だからと情けをかけてやった結果がこれか! 柱島では即時活動出来るように全てを揃えてやっただろうが!』

 

「全てを、揃え……て……?」

 

 私の頭の中で、ぱちんと小さな電流が走った感覚がした。

 柱島泊地にある鎮守府には、憲兵が運び込んだと聞いた記憶がよみがえり、その線の先には山元大佐と、その大佐に従っていた憲兵が繋がっていたのだが、電流の衝撃によって線が断ち切られてしまう。

 それが、新たな真実へと繋がる。

 

『我が日本が! 臣民が! 我々の内乱で脅かされる事があってたまるか! こんの、大馬鹿者どもが!』

 

『し、司令官さん、落ち着いて欲しいのです……!』

 

 無線機の向こう側から、少女の声が聞こえた。

 それが駆逐艦電である事に驚く間もなく、郷田少将が怒鳴り過ぎて咳払いして言う。

 

『くそっ……駆逐艦にまで宥められる始末か。んんっ、ごほっ……ああ、思い出したぞ。六年も動きを見せなかった無能を岩国くんだりまで迎えに来た艦娘は貴様だったな。大本営への足掛かりになった喜びから一発にとどめておいたが、こんなことになるのならばもう数発くらい殴ってから送れば良かったと後悔している。事が終われば挨拶に寄越せ。腹の中身をぶちまけてでも謝らせろ!』

 

「あっ……!」

 

 ぴんと糸が繋がった先には、私が提督と出会った海岸の風景。

 鼻血を垂れ流しながらも何かに憤っていた提督は、てっきり軍部の男――彼に対して怒りを覚えていたのかと思っていたが、その実、提督の怒りは常に《不義》に向けられていたのだと悟る。

 

 まぁ、いいか。

 

 提督の言葉は、郷田少将の中にある不義への収まらぬ怒りを理解してのものだった……!

 

 山元大佐の息のかかった憲兵が運び込んだ、それは間違いでは無かったが、正しくも無かった――山元大佐が動かせる、郷田少将の息がかかっている憲兵だったのだ。

 呉鎮守府という佐世保鎮守府と共に西日本の防衛を担う巨大な拠点を任されていたが故に私は見誤っていた。身の回りであるならまだしも、他鎮守府へ手を加えようなどという行動がとれるのは、かつて食堂で龍驤が言っていたように、重鎮に限られる。

 

 海軍少将、郷田航――海軍大将、海原鎮――重鎮達の言葉無き思索の交錯に、楠木少将は隠れ蓑として目を付けたのか――!

 

『それで、状況に変化は』

 

 落ち着いた様子の郷田少将の声に、山元大佐は直立不動のままに答えた。

 

「現在、柱島哨戒班が敵勢力を内海より引き離しており、南方海域を開放した際に編制された閣下の本隊をトラック泊地へと向かわせております! 周辺拠点へ協力を要請し、未確認の深海棲艦の撃滅を目標に――」

 

『はぁぁ……分かった。必要なものは』

 

「は、はい……?」

 

『っぐ……! その、撃滅に際して、必要な支援は、あるかと聞いているのだが。怒鳴った方が分かりやすいかね。戦果を求める時以外は、察しが悪いのか山元? ん?』

 

 怒りをおさえるような低い声に、山元大佐の表情は明るくなり――

 

「で、では! 僭越ながら航空支援の増派をお願いしたく――! トラック泊地まで敵を誘導しているのは哨戒班であり、継続戦闘能力に不安が残ります。手厚い航空支援があれば確実に拠点まで誘導し、そちらで本隊と、呉から出撃させた補給艦隊と合流出来ますので、準備が整い次第、攻略が可能であると愚考致します!」

 

『承知した。急ぎ岩川に戻り次第、増派しよう。ただし、今回の戦果は譲れん』

 

「それは、もちろんでありますが……!」

 

『大将に戻った男への支援なのだ。見返りはきっちりと元帥閣下に用意してもらうから貴様も口添えしろ。いいな』

 

「……っは」

 

 かの男、郷田の口振りは乱暴で、粗雑で、あんまりなものだ。

 だが私も、きっと周りの艦娘も同じ事を考えていたのだろうと思う。

 

 故に私は失礼を承知で、無線に向かってこう言った。

 

「郷田少将……一つ、質問をお許しください」

 

『なんだ? 話は終わりだ、すぐに戻って航空支援の手続きを取らねばそちらの兵器の数が減るぞ』

 

「は、はい、それは、もう。その……郷田少将は、艦娘を、兵器であると認識なされているのですよね」

 

『お国の役に立つかどうか、それが重要だ。それ以外に必要があるのか? えぇ?』

 

「では、そちらにおられる駆逐艦、電も――」

 

『当然だ。駆逐艦なのだからな』

 

「見返りの要求は、働きによる当然の報酬である、と」

 

『大淀、貴様……いくら上官の艦娘とて看過できん線は存在するぞ、口の利き方に気を付けろ』

 

「その見返りでさらに上に上り、郷田少将は一体何を――」

 

『日本国に兵器は必要無いのだ! 欠陥品ならばなおの事! 俺の目的は貴様ら兵器を尽く解体することにある! 無駄口を叩く暇があるならば戦え! 職務を全うしろ! くそっ……』

 

『あっ、司令官さん! 待ってほしいのです! あうっ……!?』

 

『あ、あぁっ、電殿! 大丈夫ですか!?』

 

 言いながら遠ざかった郷田少将の声に、追いすがる駆逐艦電の声。

 それに続く、どさりという音に、松岡隊長の声が、私達に無線の向こうに広がる光景を想像させた。

 

 嗚呼、彼は――提督と同じ軍人で――

 

『足元に常に気を付けろと言っているだろうが駆逐艦……! 何度転べば気が済む……貴様の趣味か? この欠陥が……膝を出せ!』

 

『ごめんなさい、なのです……うぅ……』

 

『転びそうになったら一部でも艤装を展開しろと再三再四言っているだろう、出さぬからいらん怪我をするのだお前は!』

 

『はいぃ……』

 

 ――平和を目指す、偏屈な男なのだ。

 この男もまた、波乱の前兆を察知して動いていたのだと分かった私は全身に力を込めて、提督が助かるように祈りながら戦うしかないのだと身を翻した。

 

「お、大淀殿! どこに行く!」

 

 山元大佐の声に顔だけ横に向けて答える。

 

「通信室へ向かい現場の統制を行います。あきつ丸さん、手を貸していただけますか」

 

「もちろんでありますよ。いやはや、海軍には閣下に負けず劣らずの変人がいたものでありますな……っと、もう無線は切れておられますかな?」

 

 あきつ丸に対して憲兵は微妙な表情をして無線を肩付近にひっかけ「切れてます」と言って自動小銃を持ち直した。

 おお、怖い怖い、と言いながらも、私と同じく目元を赤くしたあきつ丸が早足に歩を進める。私はそれを追いかけ、通信室へと向かった。

 

 一度だけ振り返った私が見たのは、憲兵達が銃を構えて工廠へ立ち入る光景だった。

 

 

 

 

「――陸軍憲兵隊であるッ!! 八代少将、ご同行いただこうか! 下手に動けば撃つぞ、松岡中将より許可がおりていることを心掛けろッ!」

 

「憲兵……! くそ、まだ、俺は――!」

 

「取り押さえろッ! 一班は艦娘達の容態を確認! 二班は現場の保存に回れ! ――松岡中将より派兵された、憲兵隊の飯塚です。貴艦はこちらの工廠の責任者か?」

 

「は、はいっ! 私、工作艦、明石です! この子はまだ動かさないでください、艤装の修理が――!」

 

「承知した、そちら以外の現場を保存させていただきたいが、よろしいですか」

 

「わかりました! あ、そっちは演習用の弾薬がまだ残っているので――」

 

「了解した。おい二班! そこの木箱に触れるな!」

 

「「了解!」」



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八十五話 濶ヲ縺薙l【豬キ蜴滄式side】

【次は――次は――降り口は右側です――足元にご注意――】

 

「……んぉ」

 

 仕事疲れから寝ていたようで、ぐらぐらと揺れる電車の中で響くアナウンスの声に目を覚ました。

 既に電車内に乗客の姿はなく、俺は座り直しながら取り落としそうになっていた鞄を抱えてもう一度目を閉じた。深呼吸すると、空調から香る独特の匂いが、今日の終わりを告げるように感じられた。

 

 ピリリリッ

 

 再びまどろみかけた意識が瞬時に浮上し、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出して画面を見た。上司の名……ではなく、そこには、母と表示されていた。

 時間は既に二十三時も近くなっており、実家で何かあったのかと心配した俺は、乗客もいないし構わないだろうと通話の表示をタップする。

 

「もしもし、母さん? どうかした?」

 

 電車の中で電波が悪いのか、ノイズが酷かったが、声は聞き取れた。

 

『ザッ……ザザッ……まもる? あんた、お盆は休み取れるの? 戻って来られそう?』

 

「え? あー……」

 

 もうどれくらい実家に帰っていないのだったか。

 仕事、仕事、仕事。悲しいかな、好景気とは程遠い現代で一流大学や専門学校などを卒業したわけではない俺は、名も知らぬような企業に就職して、労働基準法とは縁のない仕事をしていたため、両親とはめっきり連絡を取らなくなっていた。

 稀にこうして、生存確認をしてくれる母の電話には出ていたが、俺の口から出るのは決まって、

 

「ごめん。難しいかも……その、忙しくて」

 

 という、定型文だった。

 申し訳ない気持ちはあったし、正直言って、実家に戻ってしばらくはニート生活でもしたいと考えているくらいだ。

 しかし現実というのは甘くない。一人暮らしの俺は多くの税金を払い、家賃や光熱費などの固定費を払って、あとは少ない残金で日々の食事をまかないながら殆どを会社で過ごしている。

 

 高校、大学の頃の友人は地元で就職した者達ばかりで、俺だけが地元を飛び出して新天地を目指した。結果、泥沼の広がる世界しか無かったのだが。

 

 ブラックな仕事というのは不思議なもので、ブラックであると分かっていながら、ネットなどで愚痴る癖に、抜け出せない。抜け出す気力すらない。

 上司から理不尽な量の仕事を押し付けられ、スキルだけは一丁前に上がっていくものの、やはり、スキルが便利に、かつ正しく使われることなど無く、往々にして他人が楽をするために消費されていくばかり。

 そういった事が一度でもループすると、あと一回、あとこれだけ、今回だけ……と、無限螺旋へと足を踏み入れる事となる。それが、今の俺だ。

 

『……もう。ご飯は食べてるの? ちゃんと洗濯や掃除はしてる?』

 

「してるしてる。食べてるし、大丈夫だよ。俺もオッサンなんだから心配する事じゃないでしょ」

 

『それなら、まぁいいけれどね……お盆は一日でも難しそうなの? おじいちゃんの墓参りもあるし、せめて線香だけでも――』

 

「無理だって。休めないよ」

 

 俺が休めば仕事に穴があく。迷惑を被る人が出てきてしまう。そんな事は無いと頭では分かっていても、感覚的にそれを避けてしまうのもまた、ブラック企業ならではの思考というか、日本人的思考というか。

 いい歳したオッサンが母親に心配されるのも切ないものだが、今更になって顔も見たことのない祖父の墓参りなど、祖父も困るだろうと冗談めいて言ったところ、母は少し悲しそうな声で言った。

 

『そういう理由が無いと、帰ってこられないでしょう、あんた』

 

 母は分かっているのだろう。忙しい事も、それが正しい意味での忙しさで充実しているわけではない事も、こんな時間に疲れた声で電話に出る意味も。

 

『まあ、いいわ。ちゃんとおじいちゃんに挨拶しときなさいね。わかった?』

 

「わかったわかった。挨拶ね、はいはい」

 

 適当に返事してから、また、と言って電話を切った。

 すると電車は丁度駅に着いたようで、窓の外に滑り込むように駅の景色が流れた。

 

 がこん、と一拍の振動の後に電車が止まり、俺は立ち上がって自動ドアの前に立つ。

 自宅近くの駅は、この時間になると俺以外に誰もいないのが常だったが、今日は珍しい事に一人だけ男が立っていた。

 その男は不思議な恰好で、なんというか――冬場でも無いのに首元にファーのついたつなぎを着ており、きょろきょろと辺りを見回していて、かかわると面倒そうな雰囲気があった。

 

 仕事で疲れてんだこっちは、とそのまま電車を降りて改札へ向かおうとしたところ、目ざとく俺を見つけた男は野太い声で言った。

 

「おい! そこの!」

 

「うわ……もう、くっそ……」

 

 思わず漏れる声。男は無遠慮な足音をさせて俺に近寄って来ると、辺りを見回しながら大きな声で喋る。

 

「迷ってしまったようでな、すまんが道をお尋ねしたい」

 

「はぁ、どちらに行かれるんですか?」

 

 道案内をするつもりは無いが、教えるくらいなら時間もそう取られまいと答えれば、男は一言、駅の看板を指さして言った。

 

「きさらぎ、という場所を探している。俺はどうやらそちらに向かわねばならんようなのだが、ここはきさらぎでは無いだろう」

 

 見りゃ分かるよ。きさらぎってどこだ。木更津じゃないのか?

 木更津なら電車に乗り継げば行けるだろうが、この時間では無理だ。

 

「木更津じゃなく?」

 

「……失礼、耳が悪いのか」

 

 悪くねぇよッ! 失礼なオッサンだなこいつはよぉ!

 

「いえ、聞こえてます。すみません、その、きさらぎ? という場所はこの近くには無いと思うんですが……」

 

「なんと――では、困ったな」

 

 俺も困ってるよ。暑苦しいおっさんに話しかけられてよ。

 勘弁してほしかった。身体はだるいし、昼も夜も食べていないからか腹は痛いし、普段とは比べ物にならないくらいに足元も重く感じている。

 仕事に疲れているのだからと理由をつけて無視するべきだったかと後悔するも、時すでに遅し。男は顎に手をあてて呻っているし、俺は鞄を持ってぼんやりとした顔のまま、どうすんの……と突っ立ったまま。

 

「暫く飯も食っていなくてな……二日か、三日か……」

 

 嘘つけぇっ! そんな食ってなかったら倒れるわ!

 

「え、えぇ……交番とか……」

 

 ここまで言って、あ、と言葉が途切れてしまう俺。

 交番がないわけではなかったが、いかんせん距離がある。

 

 徒歩で行けば数十分で着ける距離を、どうしても案内するのが億劫で、仕方が無いかと鞄を開いて紙切れとペンを取り出して地図を描こうとした。

 

「どうした」

 

「ここから交番までの簡単な地図を描きますから、それで交番に行けばきさらぎってところも分かるかもしれません。簡単なもので申し訳ないですけど……」

 

「地図か、それは助かる! 礼を言うぞ」

 

 変な喋り方だなこのオッサン。季節の変わり目にはおかしな人が湧きやすいというが、その類だろうかと考えた矢先に、いや失礼だなそれは、と思い――ふと、笑ってしまった。

 なんだか矢継ぎ早の思考が、遠く、懐かしく感じられたからだ。

 

 仕事をしているときは、こうやって感情的なことは考えられなかったから。

 

「なんだ? なにか面白いことでもあったか」

 

「いえいえ、すみません。ちょっと疲れてて、変な事を考えちゃって。はい、これ地図です。分かりますかね……ここが今いる駅で……改札を抜けて、北東の方に向かって――」

 

 説明している間、男は俺と地図とを交互に見て相槌を打ちながら頷き、説明が終わって紙を手渡したところで、わかった、と返事した。

 

「手間をかけた、この恩は必ず。では、失礼する」

 

 左手に地図の描かれたメモを持ち、右手を額に添えて敬礼した男に対して、また、ふ、と笑う。敬礼って、今どきのオタクでもしないぞ、そんなの。

 そういえば彼は食事もしていないと言っていたな、と思い出した俺は、仕事で疲れているのに笑わせてくれたお礼に何かコンビニで食べ物でも奢ろうと、背を向けて去ろうとする男に声をかけた。老婆心である。オッサンだけど。

 

 ……これは老婆なのにオッサンと言う高度な――まあいい。

 

「あの!」

 

「む、伝え忘れか?」

 

「いや、ご飯、食べてないんですよね?」

 

「う、うむ……情けないが、この駅の近くをずっとうろついていてな、来る者もおらず困り果てていたところだったのだ。金も無い」

 

 やべぇじゃん……ホームレス、には見えんが……。

 俺の自宅近くの駅は人が少ないというわけでも無いが、偶然、声をかけても答えてくれる人はいなかったというところだろうか。

 妙な恰好をした古のオタクみたいな敬礼をするオッサンの相手なんざ誰もしたくないだろうが、それでも無視することはないだろうに、と憐れみを覚えてしまい、あらあ、なんておかしな声を出してしまう。

 

 ここで会ったのも何かの縁だし、コンビニの弁当程度なら奢っても構わんだろうと、俺は男へ提案する。

 

「自分もまだ飯を食っていないんですよ。弁当かなにか買って帰ろうかなって思ってたんですが――どうです?」

 

「その、良いのか?」

 

「良いも何も、何も食べてないなんて言われちゃ放っておけないじゃないですか。ここで会ったのも縁ってことで、ひとつ」

 

「……かたじけない」

 

 うーん、古風。

 

 それから足早に改札を抜けて駅を出たところまでは良かったが、困ったことに、俺の住む街もお疲れのようで――店という店に電灯は灯っておらず、シャッターはしめられているし、光る看板のひとつさえ無かった。

 我らが社畜の味方、二十四時間いつでも頼れるコンビニエンスストアすら改装中という張り紙が自動ドアに貼ってあり、ガラスドアの向こう側に見える冷蔵庫すらも動いていない様子だった。

 

 なんだよマジでよぉ……えぇ……!?

 

「どこもやっておらんようだが……」

 

「やってないですね……いや、おかしいな……何で……」

 

「ふむ……夜半ともなれば店じまいも当然か」

 

 当然なわけないだろ現代なめてんのかオッサン。

 ……俺もオッサンだったわ。

 

 どうです? と恰好をつけた手前、残念でしたねえ、では古のオタク(仮)に申し訳が無いと、普段ならば絶対にしなかったであろう提案をする。

 

「あー……仕方が無いか……! あの、自分の家が近いので、何か食べていってください。食べた後にでも交番に行きましょう」

 

「何? 俺を家に、あげると……?」

 

 そうだよ。文句あんのかよ。飯やらねえぞ。

 見るからに持ち物は無いし、強盗などでは無さそうだ。

 

 警戒するに越したことはないのだろうが、強盗ならば俺が間抜け面で地図を描いているときにでも鞄をひったくっていけただろうに、彼はそうしなかった。

 ひったくったところで財布には三万くらいしか入っていないのだが。それはいいか。

 

「食べ物を奢ると言ったのにやっぱり無かったですなんて、いい大人が情けないでしょう。助け合いですって、これも」

 

「そうか……助け合い、そうかぁ……!」

 

 笑顔のオッサンプライスレスです。

 俺の家にはレトルト食品くらいしかない気がするが、許せよな!

 

 そうして、俺はオッサンを連れて……いや、おじさん?

 古のオタク……我ながら全部失礼だなッ!

 

「そういえば、お名前をお聞きしても?」

 

「俺か? 俺は海原鎮という。うなばらを、しずめると書いて、海原鎮だ」

 

 

* * *

 

 

 道すがらに、同姓同名に出会った事に妙な感動を覚えた俺は興奮気味に自分とまったく同じだと彼に話して、いつのまにか仕事の愚痴を聞いてもらっていた。

 

「ふむ……同じ名の男がそのような境遇にいるのは、聊か気に入らんな」

 

「ほんっとですよぉ! 俺の代わりにもっと言ってやってください!」

 

「お前の代わりに俺が言うのか? 自分で言わんか、それくらい」

 

「無理ですって……上司めっちゃ怖いんですから……」

 

 彼は聞き上手で、俺がどのような話し方であれ興味深そうに聞き入り、反応を示し、言葉を返してくれた。

 多分俺は、誰かにこうして話を聞いてもらいたかったのだと思う。

 

 何年も独りで過ごし、仕事での会話も少なく、毎日あるのは上司の怒鳴り声だけだった。

 彼もまた上司によく怒鳴られていたというのだから、話も盛り上がるというものである。

 

「上席が怖い事は、どこも同じだな。お前が先ほど言った、物を投げられるという、アレな、投げられるのは中々に怖いものだろう」

 

「あっつあつのコーヒーを投げられた時は流石に泣きそうになりましたね。いい歳して俺何やってんだろう、って」

 

「俺もな、こういう、長い棒でな、ケツを、ばしん! としばかれた事がある。何度もしばかれていると座るのもつらくてなぁ……」

 

「うっわ……えぇ? それ流石にヤバイんじゃ……」

 

「それを言うならお前もコーヒーなどという高級品を投げつけられて侮辱されているのだから変わらんだろう。火傷もしかねん」

 

「高級品っていうか、まあ、火傷はしましたけど……」

 

「だろうが。いつまで経っても消えん風潮とは、納得しがたい」

 

「そうですねぇ、本当――あ、ここです、ここ」

 

 話しているとあっという間に自宅に辿り着いた。

 家賃五万のワンルーム。殆ど寝るためだけに帰る場所で――俺の唯一の癒しの場である。

 

 そんな場所に初めて会った男を招き入れるなんて、面白い日もあったものだな、なんて考えながら男とエレベーターに乗り込み、ボタンを押すと、彼は「おぉ!」と面白い反応を見せた。

 田舎出身か――いやいや、エレベーターくらいは乗ったことあるだろうに、と思った矢先に、彼は面白い例え話をした。

 

「飛行機が離陸する前にな、こう、少しだけ足元が浮くのだ。それにそっくりだぞ」

 

「飛行機ですか。あれにも似てます、ジェットコースターとか」

 

「じぇっと……? いや、二重反転式のプロペラだが」

 

「プロペラでジェットコースターが走ったら怖いでしょ」

 

「そりゃあ乗るのは誰でも怖いだろうが、仕事なんだから仕方が無い」

 

「うん?」

 

「うむ?」

 

 話が嚙み合ってないが――ぽーん、という音とともにエレベーターの扉が開いてしまい、会話は中断されてしまう。

 それよりもさっさと飯を食って、彼を交番に送り届けよう。

 

 短い廊下を渡り、部屋の前に来ると鍵を開けて彼を招き入れた。

 汚くも無いが綺麗でもない室内には、ぼうっとしたPC画面の明かりだけがあり、そういえば艦これを起動したままだったのかと、それを横目に明かりをつけて冷蔵庫を開ける。

 

 冷蔵庫の中身も寂しいもので、栄養ドリンクが数本と、食べかけの総菜がいくつか。コンビニで貰ったはいいが使わないまま放置されたわさびだのからしだの、調味料の小さな袋が散らばっていて、興味深そうに冷蔵庫を覗き見る彼から隠すように身体を動かして栄養ドリンクを二本取り出し、冷蔵庫の扉を閉めた。

 

「……ちょっとだけ待ってくださいね。飲み物がこれで申し訳ないんですけど」

 

「これは?」

 

「栄養ドリンクです。水の方がよかったですか?」

 

「いや、これをいただこう。いやはや、面白いな、ここは」

 

「面白いっていうか、汚くてすみません」

 

「なに、宿舎と比べれば一流の旅館みたいなものだ。なあ、鎮、あれはなんだ?」

 

 オッサンも鎮だろうが、と心の中でツッコミを入れつつ、彼が指さす方向を見れば、PCがぽつりとデスクの上に置かれていて、俺が「ノートパソコンです」と答えると不思議そうな顔を向けられてしまう。

 

「あれが、ぱそこん、か。向こうで何度か見たが形が違うな」

 

 パソコンを触ったことが無い、という人は珍しいが、いないわけではないため、俺は便利な機械ですとだけ言って、台所の戸棚をばたばたと開ける。レトルトのカレーくらいあったろ……? あれぇ……?

 

「おい、鎮、来てくれ」

 

「はい? ちょっと待ってください、カレーをレンジに――」

 

「カレーか! ……んんっ、いいから、ちょっとこれを」

 

「なんですか、また気になるものでも?」

 

 戸棚にひっかきまわしてやっとのことで見つけたレトルトカレーとレトルトの白米。

 レトルトカレーを袋から出して皿に盛りつけると、キッチンラップをかけてレンジに突っ込み、同じく、常温保存されたレトルトの白米を二つレンジに入れて、ボタン操作してからようやく彼の方を見た。

 

 彼はPCの前に座り――図々しいなオッサン――画面を食い入るように見つめていた。

 画面には艦隊これくしょんのログイン画面が映っており、俺の所属しているサーバーの名がボタンの上に表示されている。

 

「これ、吹雪だろう? なあ?」

 

「え? 知ってるんですか?」

 

「知ってるぞ! この右のは大井で、上のは赤城だ! はは、覚えているぞ! 懐かしいな……!」

 

 オッサン……艦これプレイヤーかよぉッ!!

 思わず歓喜して駆け寄り、座椅子に座った彼の横にしゃがみ込んで画面を指さして言う。

 

「その横が戦艦伊勢で、下にいるのが最上です! なんだぁ、鎮さん、提督だったんですねぇ! こんなに長く続いてるけど、近くにプレイヤーなんていないもんだと思って……案外近くにいるもんだなあ」

 

 このゲームを知ったのは偶然だった。ネットで広告が出ていて、試しに見てみただけだったが、ある時から急に人気が急上昇し、一時期サーバにログインできない状況が続いたほどだ。

 俺はそうなる前にプレイし始めており、シンプルかつ深いゲームに魅了された。

 

 ただ女の子の立ち絵が動いて、喋って、ピコピコとエフェクトが出るだけのゲームだったが、俺にとってそれは――色鮮やかな出会いだった。

 

「ふふ、提督か。そうだな。……艦隊これくしょん、か」

 

 俺はそのままマウスを操作してログインする。

 

『か・ん・こ・れ!』

『提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮に入ります』

 

 艦娘の声が古くなってきたノートパソコンのスピーカーから響いた。

 ワンルームに同じ名前のオッサンが二人、PCゲームにかじりついている……ホラー映画かな? そうだね、紛れも無いホラーだね。

 世に言う腐った方々にも遠慮されそうなむさくるしく意味不明な絵面である。

 

「今の声、早霜か……?」

 

「鎮さんすごいですね、声で分かるって」

 

「間違えるわけもなかろう。私の、部下だった」

 

「嫁ですか?」

 

「嫁だと!? 馬鹿を言うな! 彼女は、立派な艦娘であり、自慢の部下であって――! 嫁は別にいる!」

 

「ははは、まぁまぁ、分かりますよ。でも鎮さん……正直になりましょうよ、提督同士……嫁艦はいくらでもいるものだって……」

 

「やめんか軟派者が! ま、まったく……」

 

 俺は、へへへ、と笑いながら「提督なんですから、これくらいはね」と言った。

 

「お前も、提督なのか……?」

 

 え、そこ? 早霜ちゃんの前髪きゃわわ! きゅんきゅんきゅい! っていう話じゃなくて?

 

「そりゃ提督ですから艦これやってるんですよ。ほら、ここ」

 

 母港画面、いわゆるメインメニュー画面の左上を指し示す。そこには、海原鎮、と思いっきり本名が表示されていた。

 かつて登録する時、ゲームで使用される名前であるのか登録するだけの名前であるのか分からなかったため本名を入力したのだが、それがそのままプレイヤー名となってしまって今に至る。少し気恥ずかしくもあったが、同姓同名の彼にならネタにもなるだろうと思って見せたのだった。

 

「柱島泊地……これは、お前の所属する泊地か?」

 

「そんなところですね。あー……全然攻略進んでないな……艦娘いっぱいいるのに、宝の持ち腐れだこりゃ……」

 

 編成画面を開いて、所持艦を一つ一つ確認しながら呟く俺に、彼は言う。

 

「お前、これ、大艦隊ではないか……」

 

 そんな言い回しするほどのものでもないが。持ってるだけだよこれ。

 難しいゲームでもあるまいに……。

 

 いや、突き詰めてプレイすれば相当に小難しいゲームでもある、と言った方が正しいか。艦娘や装備に設定された数値を計算し、作戦海域に出現する深海棲艦の数値と比べて、わずかな調整を繰り返しながら何度も何度も攻略する、物好きでも匙を投げるようなゲームだ。

 昨今ではギミックも複雑化し、攻略情報を見ずにプレイしようものならばあっさりと大破撤退に追い込まれる程度には、難しい。

 

 彼にそれを懇々と説明したところで、彼もまた提督なのだから同じ苦しみを味わっているのだろうし意味も無いか、と、母港画面に表示されている軽巡洋艦大淀を見た。第一艦隊の旗艦にしたままだったか。どこを攻略してたんだっけ?

 

「鎮、貴官はどこを攻略しておられたのだ」

 

 急に堅苦しい口調になった彼に驚きながら、えー、と言葉にならない声を前置いてから言った。

 

「確か、南方海域の一部を開放したばっかりで、今はイベントも無いんでゆっくりと資源の貯蓄を――あれ?」

 

 ぶぅん、とレンジの音が大きく聞こえた。

 出撃のボタンを押してどこまでクリアしたか確認しようとしたところで、画面はエラーとなる。少女が転んでいる姿に、猫が背を向けて座った画像が表示されてしまい、俺は「あれ、すみません」と口にしながらブラウザを更新する。

 問題無くログイン画面は表示されるが、ログインしてもう一度出撃を選ぶと、エラー画面が出てくる。二度、三度と試すも上手く繋がらず、かといってネットの問題でも無さそうで原因が分からず、俺は唸った。

 

「うーん……? 向こう側のエラーですかね」

 

「……で、あるかもしれんな。いいや、こちら側の不具合かもしれんぞ」

 

 彼は硬い表情のまま立ち上がり「飯を食おう」と言った。

 ゲーム出来ないなら仕方が無い――っていうかゲームをするために招いたわけじゃねえッ! そうだよ、飯を食って交番に送り届けるんだった!

 

 丁度良く、レンジが温め終わったと音を鳴らし、俺は彼にスプーンを手渡して一人用の小さなテーブルの上にカレーと白米のプラスチック容器を置いた。

 二人分のカレーを並べただけでいっぱいになったテーブルを前に床に直に座り、いただきます、と声を合わせて言えば、あとは黙々と食事の時間が続く。

 

 カレーを食べながら、彼はどこからやってきたのだろうと、今更になって問うた。

 

「そういえば、鎮さんは……って、変ですねやっぱ、同じ名前なのに」

 

「そうだな。それで?」

 

「あの、どちらからいらっしゃったのかな、と」

 

「柱島だ」

 

「いえ、ゲームの話ではなく――」

 

「俺が居た場所の事だろう? わかっている。だから、柱島だ」

 

「え、まさか本当に柱島に住んでいらっしゃった、とか……? あそこって人住んでるんですか?」

 

「住んで――まあ、住んでいるようなものだったな、しばし世話になっていた」

 

「へぇ……じゃあ、ここにはどうして? きさらぎに行かなきゃいけないっていうのは分かってますけど、どなたか家族でも?」

 

「家族の所在は分からん。だが、元気にしている事は知っている。もう一人の所在も、分かる」

 

 俺をじっと見つめる彼の視線に耐え切れず、目を泳がせた。

 聞いてはいけない事情があったのか、と俺は小さな声で謝罪する。

 

「……なんか、すみません」

 

「うむ」

 

 先ほどまでフレンドリーだと思ってたら情緒不安定なオッサンである。

 しかめっつらでカレーを食べる彼に対して振る話題も思いつかず、また黙々とした食事が続いた。

 そうしてカレーを半分程度食べた頃、彼から話題を振られて顔を上げる。

 

「鎮、お前は――祖父を知っているか?」

 

「祖父、ですか……? あー、俺もいい歳ですからね、そんな覚えてないんですよ。会ったこともなくて……祖母からよく話は聞いてましたけど」

 

「ほう、なんと」

 

「おじいちゃんは戦争に行ったんだ、と……祖母もかなり高齢ですから、どこまでが本当なのかは知りませんが、結婚して子も生まれたばかりだったのにといつも言っていました。母方の祖母なんですけどね」

 

「その祖母は――」

 

「施設にいると思います。実家近くの――なんて言ったかな。母と父が顔を見せに来いと言うんですが、仕事にかまけて帰ってなくて、祖母の顔も久しく見てないんです」

 

「……そうか」

 

 彼はしばし黙り込んだあと、カレーをのせたスプーンに視線を落としたままぽつりと言った。

 

「男というものは、どうしようもないものだ」

 

「え?」

 

「……ちょっと思い出したことがあっただけだ」

 

 そうしてカレーの残りをかきこみ、かちゃんとスプーンを置いてから手を合わせ、頭を下げる。

 

「ごちそうさまでした。さて――思い出したついでだ。鎮、一飯の礼に一つ教えよう」

 

「はい?」

 

 スプーンをくわえた俺に対して、彼は手を付けていなかった栄養ドリンクを開封して匂いを嗅ぎ、一口飲んでしかめっ面をする。

 そして一気にそれを飲み干したあと、かつん、とテーブルに置いて言った。

 

「……お前は戻れ。我々は親不孝だが、やるべき事があろう」

 

「実家の話なら――」

 

「違う。もう、実家には帰れんだろう、俺も、お前も」

 

「え、えぇ? あの、どういう意味ですかそれ? すみません、要領悪いっていうか、頭悪くて……鎮さんは何の話を――」

 

「我々のいるべき場所の話だ。俺はもう、事を終えてしまったが――お前はまだ、終えていない。ここで終えようというならば、それこそ本当に親不孝者になるぞ。俺とて怒る」

 

 えぇッ!? なんでオッサンに怒られなきゃいけないんですかァッ!

 カレーあげたじゃんかよぉ……くっそぉ……。

 

 迷子になった上に飯も食ってないっていうからオッサンだけど老婆心を見せてご飯くらい食っていけよと高度なダジャレ……は、言ってないな……。

 優しさを見せてやったというのに! なんて奴だ! 比叡のカレー食わせんぞ!

 

 そう言えば柱島にいる比叡のカレーは食べてないな。いつも間宮と伊良湖の美味しいご飯ばかり食べていたから考えたことも無かった。まあ、まだ死にたくないから頼んだりしないが――。

 

 うん? いやいや、ゲームの話だよなこれ。

 どうして柱島にいる比叡のカレーだの、間宮と伊良湖の飯だのと……。

 

「……あれ」

 

 痛い。

 

 腹が、熱い。

 

「鎮。戻れ、今すぐ」

 

「ぅ……い、った……え……? なん、だこれ……痛……!」

 

「痛かろうが、今ならば戻れる。戻るんだ、お前のいるべき場所へ」

 

 彼は立ち上がり、腹を押さえて痛みに目を白黒させている俺を一瞥し、玄関へと歩んでいく。

 待って、という前に彼が玄関を開くと――そこに広がっていたのは、普段見ていた街並みではなく、暗く、冷たい岩や砂にまみれた風景だった。

 

 混乱し、それが一体どういったものであるのかを思考するよりも先に、彼は誰ともなしに呟く。

 

「なるほどな……きさらぎ。きさらぎか。死してなお敵地で戦えと言うのならば、戦ってみせようではないか。お国のために、愛する者が生きる未来のために」

 

 彼が右手を突き出せば、玄関の外にその手が出た瞬間、とぽん、と水面を叩いたような音が部屋に響いた。

 それから――多くの真っ白な手が彼の腕を掴んだのが見えた。

 

「う、ぐっ……何が、起き……待っ――!」

 

「六年ぶりか、深海棲艦ども――今度は俺だけじゃないぞ――我が子孫の大艦隊は必ずや貴様らを撃滅し、暁の水平線に勝利を刻むだろう! それまでは俺が遊んでやるッ!」

 

【アハハ……ハハ……テイトク、アァ……テイトクモ、ウミノ、ソコヘ……シズメ――!】

 

 ずるん、と白い腕が彼を引っ張る瞬間、彼の言葉がはっきりと聞こえた。

 

「動け――鎮――!」

 

 室内の電灯が明滅し、薄暗くなった室内は冷たく、息苦しく感じた。

 ネクタイを外そうと首元に指をかけたが、そこに感触は無く、代わりに、ぱちん、と留め具が外れたような音が聞こえ、頭からぱさりと何かが落ちた。

 

 桜に、錨のマーク――それが軍帽であると気づいた瞬間、俺は全てを思い出したと同時に――玄関へ這いずって向かった。

 

「そう、だ……ぐ、ぅぅっ……し、仕事……」

 

 俺が玄関に近づくと同時に、再び多くの白い腕が伸びたが、扉を強くしめ、鍵をかけた。

 

 これで終わり? いいや、違う、なにか、行動を起こさねば。

 

 俺はどうして家にいるのか。彼は一体誰だったのか。それは、おおよそ考えがつく。

 では、俺はここで何をしているのか、混濁する意識を無理矢理に整理しようと腹を押さえてよろよろと家を徘徊し、最終的にノートパソコンの前に座り込む。

 

 そうだ、阿賀野の艤装が爆発を起こして、それに吹き飛ばされたのだったか。

 

 ならばここはあの世か? 思い切り自宅だけれども――自宅があの世とは皮肉がきいているじゃないかと痛みを誤魔化すために笑い、無意識にパソコンを操作した。

 艦隊これくしょんの画面で、何度出撃を選ぼうとも、エラーを吐き出す。

 

 では、と編成画面を見ても、ただ変わらず艦娘の表示があるだけ。

 

 演習も、遠征も機能していなかったが、母港画面に立つ大淀の立ち絵にカーソルを持って行った時、パソコンからノイズ雑じりの声が聞こえた。

 

『本隊はそのままトラック泊地へ向かってください。道中の深海棲艦とは戦闘行為を控え、後方の航空支援に任せ――ザザッ』

 

「大淀……一体、向こうで……何が……」

 

 再び母港画面から出撃画面に移行を試みた時、そのまま画面がフリーズし、数秒してから――南方海域と思しきマップが表示された。

 だが、見たことのないマスの配置で、艦隊であろう印が三つも表示されている。

 

 南方、トラック泊地に近いマスと、日本から南下している長い長い線でつながれたマス、さらに、パラオと思しき場所にも一つ。

 

 接敵してもいないのに、深海棲艦の絵がゆらゆらとマップ上に揺れていた。

 

 何度も戦ってきた、忌々しくも懐かしい敵の姿。

 

 事態の把握に努めようとするも、痛みがそれを邪魔してしまう。

 まるで悪夢の中で意識を取り戻したようなおぞましい感覚に、何度も口汚く、くそ、と言葉を吐き出す。

 

 そんな時、マウスを握っていた右手に、ぽんと何かが乗った感触がした。

 見てみれば、そこには――

 

「お、ま……むつまる……!」

 

『まもる、ごめんね……まもるを、たすけられなくて……!』

 

「俺は死んだのか! なぁ!?」

 

 むつまるは砂粒みたいに小さく光を放つ涙を流しながら俺の手に縋りついて何度も謝罪していたが、俺の言葉には首を横に振った。

 

『まだ、しんでない、けど……でも、もう……大佐も頑張ってくれてるけれど、私達だけじゃ無理かもしれない……っ! 提督を、守れない……!』

 

 瞬きをした瞬間にむつまるの姿は消え、代わりに俺の手を握ってさめざめと泣く陸奥が目の前にいた。

 驚くよりも先に、自分の部屋に陸奥がいるという事に妙な違和感を覚えてしまって、は、と喉を掠めるような笑い声が出た。

 

 痛みを誤魔化すでもなく、陸奥を元気づけるわけでもない、純粋な感情だったように思う。

 

「守るも何も、それは……()の仕事だ。今何が起きているか説明してくれ」

 

 むつまる――陸奥はしゃくりをあげながら、阿賀野の爆発に巻き込まれた後に、何が起こったのかを話した。

 八代少将が連れて来た艦娘、阿賀野の艤装に不審な札を仕込んでいた事。深海棲艦の艤装の一部を用いて、深海棲艦を呼び寄せた事。事態の収拾に山元大佐が艦娘を指揮している事。見たことも無い深海棲艦から俺の艦娘が逃げながら戦っている事。

 

 ――山元大佐や、協力者である郷田という少将では、あと一歩力が足りないかもしれないこと。

 

『ごめんなさい、提督……私、私ぃ……!』

 

「泣くな陸奥! いや、むつまる……あぁ、もう、どっちでもいい! とにかく泣くな! 何とかする!」

 

『何とか、って……』

 

「わからん! 分からんが、これ、この状態なんだろう!?」

 

 パソコン画面をこつこつ叩いて示せば、陸奥は目元を擦りながら頷いた。

 

「……少し待て! ほんの少しでいい!」

 

 じっとマップを睨み――俺は多くの提督達が積み上げて来た知識の全てを思い出しながら唸った。それも、たったの数分で、俺は痛みに腹を押さえながら立ち上がる。

 

『て、提督! 待って! ここから出ないで! 外は危険なのよ! 私達が、守れるのは、この部屋だけで……!』

 

「動かないといけないんだよ! 今、ここで! ()()()()に情けない姿なんて見せられんだろうがッ!!」

 

 玄関へ行って扉に手をかけた俺を後ろから引っ張る陸奥だったが、俺は構わず扉を開いた。

 

『待って! 提督、やめ――!』

 

 

 ぶわりと、服を翻すほどの強い風が吹き込む。

 

 潮の香りがする、海の風だった。

 

 

『――う、み……何で、海が、広がって……』

 

「仕事に戻るぞ。しっかり手伝ってくれよ、提督とは言っても、私はただの社畜なんだからな」

 

『ま、待って! 私も、私達も一緒に行くから――!』

 

 陸奥の手を掴んだ瞬間、彼女は小さくなり、それを手の平に包んだ俺は、大海原へ一歩踏み出した。

 

 

* * *

 

 

「破片の除去は完了していますが、輸血量が相当――」

 

「熱傷もなぁ……これ、こんなもの、見たことが無いぞ……艦娘の艤装からだろう?」

 

「ああ。こりゃ、三か……」

 

「一部が二……どちらにせよ運が良かったですよ。制服のおかげでしょうかね。吻合、そっちは間に合うか」

 

「はい。あとは――」

 

 声が鈍く聞こえる。

 瞼に光を感じてゆっくりと開いた。腹のあたりがもぞもぞと動かされている感覚にじわりと意識が戻ってくると、数名が俺を囲んで立っている事に気づき、からからに乾いた口を開く。

 

「こ、こ……は……」

 

「っ! おい麻酔! 術中覚醒だ!」

 

「えぇ!?」

 

 慌ただしく声が飛び交う中で、逆光にもかかわらず、全員が顔を青くしたのが見えた。

 俺の声は酷く低く、室内に反響していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「艦隊の指揮を、執る……はや、く……済ませろ……ッ!」



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八十六話 飛行機乗り【楠木side】

「クソ……ったれがぁ……!」

 

 楠木は呻いた。

 軍事施設にしては科学めいた風景の中にぽつりと立ち尽くして、力が込められた手にあるいくつかの書類を読んでいた。それから、彼の両腕は、力を失って、だらりと下げられた。ばさり、と書類が地面へ落ちていく。

 周囲にある液体で満たされたガラスプールの中身はひとつを除いて空っぽで、なんらかに繋がっていたと思しき管が漂うだけ。まるで楠木の心情をあらわしているようだった。

 地面に散らばる書類に視線もやれず、彼はただ一つ中身の残ったプールへと歩み、また呆然と立ち尽くした。

 

 ――彼の計画は完璧だった。

 

 どのような事態が起こったとしても対処できる手札を用意し、あらゆる場面を想定して手数を打てるようにもしていた。彼はそのために海軍の上層部の半数にも及ぶ軍人を掌握し、西日本を統べ、防衛外交――今や軍事外交と呼ぶべきであろう――にまで手を延ばした。

 

 陸軍の一部すらも掌握した彼の計画は、どこをどう突かれても狂わない――はずだった。

 

 南方海域開放によって捨てざるを得なくなった拠点とて、数ある手札の一枚を捨てるだけであり、痛手は痛手だが、無くて困るものではなかった。

 本土へ送ったはずの憲兵との連絡が途絶えても、狼狽えることは無かった。

 

 大方、海軍の哨戒にでも引っかかったのだろう。

 だからどうした。奴らが計画を話したところでそれを信じる者がどこにいる。

 

 彼はそう思っていたからこそ、ソロモン諸島にある、無人島の一つに隠された研究所でほくそ笑んでいられた。

 

 海さえあれば、俺は世界中のどこへだって攻撃が可能なのだから、と。

 

 

* * *

 

 

 彼が置かれている状況を話す前に――楠木和哲という男の生い立ちを話すべきだろう。

 

 楠木は青森県は八戸市で生まれ育った、普遍的な男であった。長男として生まれた彼は三歳の時に弟を、五歳の時に妹を得る。両親は共働きしていて家を空けることが多かったが、往々にして愛に溢れて育ったと言えよう。

 彼の父は自衛官である。厳格ではあったが子どもに甘く、理想的と呼べる父親のもとで育った。兄弟と悪戯をして拳骨をもらって大泣きした時などは母は子の味方をして父を宥め、子に反省を促す。その逆も然り。これ以上ない普遍的な家庭であろう。

 

 そんな彼に四度の転機が訪れる。

 

 一度目は、父の働く姿を見た時であった。楠木が十歳の時のことである。

 航空自衛隊に所属していた楠木の父は、静岡で行われた日米親善を兼ねた基地航空祭の航空ショーに出る事になっており、家族でそれを見に行ったのだ。

 楠木が仕事をしている父と直接話したりすることは無かったが、父の搭乗した飛行機が空を切り裂いて飛んでいく様を見ていたく感動し、強烈な憧れを覚えた。

 

 無限の大空など、楠木少年にとってただ天気の変わる風景の一部でしかなかった。鳥が飛んで、雨が降って、太陽が照り、月が顔を覗かせる。時節を感じるための一つの現象が起こる場所。もしくは、もの。そういった漠然とした感覚しか抱いていなかった。

 しかし父は空を飛んでいた。恰好良い飛行機に乗って、風を切り裂き、轟音を響かせて人々を圧倒し、空に線を描いていた。

 

 子どもの心は単純である。けれども単純であるからこそ、その時に焼き付いた憧れというものは墓の底に行くまで胸の奥深くに専用のスペースを得る。

 

 楠木にとって空を飛ぶ父はヒーローで、憧れという心のスペースを占領するに申し分のない存在であった。

 それからというもの、彼は流行りの漫画やゲームには目もくれず、ひたすらに飛行機について学んだ。そうして、あの時に父が乗っていた飛行機がF-15などという名称である事を知った。

 その飛行機を駆るパイロットはイーグルと呼ばれているなんて知った日には、父の事がどうしようもなく誇らしくなって、飛行機の乗り心地を夢想したものである。

 

 二度目の転機は、彼が立派な飛行機、または航空自衛隊オタクになって偏屈を極めた高校二年生の頃に訪れた。

 その頃になると楠木の父も飛行機乗りという立場から退いており、教官となって部下に様々な事を教えるようになっていた。

 昇任によって地上勤務が増えた事もあり、パソコンと向き合う日々が続いて視力が落ちたのだと父は楠木少年に語っていたが、その実、多忙を極める職務に伴う金銭と家族とを天秤にかけた末の結果であったのを知ったのは、少年が大人になった後の話である。

 

 ある日の食卓で、父は楠木に問うた。

 

『和哲。夢はあるか』

 

 楠木は悩んだ顔をしてみせたが、答えは一つしかなかった。

 

『自衛隊に入りたいんだ』

 

 父は白米を運んでいた箸を止めたが、それは一瞬のことで、すっと口に米を詰めると、しばし咀嚼した後に、母が作ってくれる好物でもある()()()()を飲んでから、喜んでいるのか、それとも嫌がっているのか分からない、複雑な表情をした。

 

『他には』

 

 短い言葉に、楠木少年は少なからずショックを受けたのだった。

 きっと父は同じ道を志したことを喜んでくれるものだとばかり思っていたからだ。

 そのため、楠木が父から投げられた問いに返す言葉は随分とぶっきらぼうになった。

 

『適当な会社に入ってサラリーマンとか』

 

 小中学生である弟と妹は、長兄と父の間に流れる微妙な空気を感じ取り、居心地悪そうに漬物を食べていた。

 母はと言えば、いずれそうなることを予見していたかのように、ただ黙って父の手元に置かれた空のグラスにビールを注ぎ、微笑むばかり。

 

『もっと、あるだろう。他にも』

 

 楠木の言葉に怒ることもなければ、悲しそうな顔をするわけでもなく、父はさらに問う。

 それは息子を思っての言葉で、息子を想っての猶予であったのかもしれないと楠木が考えたのは、ずっとずっと後になってからの事で、もうその時点で、取り返しがつかない未来は決定していたのかもしれない。

 否、それを決めたのは少なくとも、日本という国に生きる普遍的な、父に憧れた少年であるのは、言うまでもないだろうか。

 

『あんまり考えてないって。まだ』

 

 こうして、食卓に流れる気まずい空気をそのままに、会話は幕を閉じた。

 転機と呼ぶには弱いかもしれないだろうが、楠木和哲という少年にとっては、四度ある転機の中でも大部分を占めるものである。これは彼の根幹である。

 この会話があったからこそ、彼は、父の背を追ったのだ。

 

 三度目の転機は――二度目から間を置かず、高校卒業が見えて来た頃に訪れた。

 その頃より前から、高校を卒業したらどうするかと身の振り方を問われるのは常の事。卒業も間際となればより明確な進路を問い、具体的な話を進めなければならない。担任に提出を求められた進路相談のプリントに、楠木少年は父から譲ってもらった金属製のシャープペンシルで力強く、こう記した。

 

 ()()()()()、と。

 

 進路相談のプリントにも書いた。担任にも話した。周りの学友にだって、俺は自衛官になるんだと言い切った。

 さあ、これでもう後戻りなど出来ないぞ。自分を追い込んだように見せて、楠木少年は父を追い込んでいた。きっと彼の小賢しさは、航空機を操る父譲りである。

 

 こうなると父はもうお手上げだ。

 それから、地上勤務にもかかわらず出ずっぱりだったのに、いつしか家にいる事の方が多くなった父と食事を挟んで向き合い、かつて問われた事を、かつて答えたように、話すのだった。

 

『和哲。夢はあるか』

 

『自衛隊に入りたいんだ』

 

 父はやっと、そうか、と笑った。

 しかしすぐに真面目な表情をして低い声で言う。

 

『とても厳しいぞ。本やネットなんかで見たものとは、比べ物にならんくらいに』

 

『だと思う』

 

『思うじゃない。厳しいんだ。それでも、なりたいのか』

 

『なりたいよ』

 

『……そうか』

 

 険しい顔をしている癖に、父はずっと母をチラチラとみているものだから、威厳もへったくれもあったものじゃなかった。

 それらが完全に崩壊したのは、母が笑いながら『良かったじゃない』と父に言ってからだ。

 何がだ、と父は素知らぬふりを決め込んでいたが、母曰く、ずっと喜んでいたらしい。

 

 息子が俺と同じ道を選んでくれたんだ。自衛官だぞ! そう簡単に目指そうと思えるものじゃない。だが息子はその道を選んだ。あの頑固さは俺譲りだ。

 

 バラされてしまっては父も形無しとなり、母に向かってやめてくれと小声で反抗するも、はいはい、なんて言ってビールを注いでもらっただけで閉口してしまう。

 

 ――そうして少年は、いや、楠木は、高校を卒業し、防衛大学校へ進む。

 規律の厳しい生活だったが、憧れの自衛官への道すがらであると思えば苦しくなど無かった。それどころか、規則正しい生活によって航空機の事ばかり調べて夜更かしを繰り返していた高校時代よりも健康的な生活である。

 

 ただ、親しい友人、というものは出来なかった。

 

 防衛大における厳しい生活についていけず、日を経ずして辞めていく者もいれば、一年踏ん張ったのに、心が折れてしまった者――残った者は()()()()を共に乗り越えたおかげで連帯という面においては信用に足る奴らばかりだったが、だからといって互いを深く理解するような、いわゆる、青臭い関係にはならなかった。

 

 時間と共に苦楽が楠木という人格を育て、卒業する頃には、立派なエリートと呼ばれる人材となったのだった。

 

 そして念願だった自衛隊に入隊してからは、防衛大卒という経歴もあり、そこで培われた能力によって頭角を現し、考えうる限り最短で、ウイングマーク――パイロットたる資格の証――をその身に輝かせた。

 

 父と同じ場所に来た。

 

 これから自分は、父と同じ景色を見るんだ。

 

 夢想し続けた大空を、風を切り裂いて線を描くのだ。

 

 楠木和哲、二十四歳のことである。

 夢にまで見たパイロットという仕事が、案外空を飛ぶばかりでないのだという現実を知るには十分に大人であった楠木は、パイロットスーツを着て待機所で二十四時間過ごさねばならない勤務を経験しても、さして落胆は無かった。

 

 なにせ自分はパイロット。憧れの父と同じ、戦闘機乗りだ。

 

 日本国の領空を守る唯一の存在にして、あらゆる厳しい訓練と検査を超えた先に立つ存在。何を苦しく思う事があろうか。

 家族を守り、国民を守り、日本そのものを守る。

 そのために自分は大空を切り裂く鋼鉄の鷲となったのだ。

 

 誇りを胸に数年、最後の転機が訪れた。

 

『アメリカ西海岸にて未確認生物が確認されたとの報告』

 

 その日の管制塔は、どう表したものか、ともかく、大騒ぎだった。

 年間にして四桁に及ぶ緊急発進(スクランブル)を経験していたから油断した、という事は無い。それはまさに異常だったのだ。

 

 どこから現れたのかも不明な生物が海岸線に襲来している。

 初めは映画の宣伝でもしているのじゃないかと思っていた。

 

 馬鹿馬鹿しい。なんだそれは。胸中で訝しむも、しかしスクランブルに応じないわけにはいかない。これが楠木の職務であるのだ。

 

 アメリカのみならず、各国から報告が上がった。

 とりわけ日本はかなり激しい攻撃に見舞われたと知ったのは、一連の騒動が落ち着いた後だ。

 

 海自、陸自、そして自分らが総出で事にあたり、未確認生物とやらが一体どんなものであるのかを見た。

 

 ――化け物である。海底で地獄の門が開いたのだと楠木は本気で思った。

 人の頭蓋を伸ばしたような異形の口と思しき場所から舌ではない棒が伸び、その先端から業火が噴き出していた。

 

 海岸に面した町はほぼ壊滅の状態となり、海上自衛隊では多数の死者が出たと言う。陸自も同じく、海岸より応戦したが、一切の兵器が通用せず、最終防衛用である炸裂兵器さえも持ち出したが、結果は、言わずもがな。

 

 空を埋め尽くすような異形の飛行物体とも応戦したが、彼奴等は楠木の夢をあざ笑った。

 戦技未達とは無縁のトップパイロットである楠木をして、異形のコバエは地獄の妖精が如く舞い、楠木を含む多くの仲間の攻撃をかいくぐり、お前達は何も守れないのだと言わんばかりに地上へ唾を吐いた。

 

 考える間も無ければ、感覚が浸透する間も無く、人類は敗北を喫した。

 このまま人類は死するのか――いいや、そうではない。

 

 そこに希望が現れた。異形では無く、少女という姿で。

 

 くしくもそれらが艦であるというのを理解してからは、人々はここぞと踏ん張り、被害の拡大を防ぐことが出来た。

 ……拡大は、防げた。

 

 被害は出ていたのだ。

 

 日本沿岸部――特に、北太平洋側の関東沿岸は悲惨なものだった。

 

 多くの人が、大切な家族を失った。楠木は、化け物に夢を奪われた。

 

 楠木が家族の安否を確認出来たのは、襲撃が収まってしばらくしてからのことである。

 

 家族は、誰一人として残っていなかった。

 

 

 急転直下。平凡から非凡へ、憧れから現実へ上り続けた楠木の物語は、海底へ沈む鉄のように、緩やかに、いいや、見るよりも早く落ちていった。

 

 

 深海棲艦と呼称されるようになった攻撃性の高い個体群は、目下のところ人類が撃滅せねばならない目的となり、同時に出現し対話が可能であった非攻撃性の個体群を人類の協力者として迎え入れ、それらは日本を含む全世界に大きな変化をもたらした。軍事機構の復活である。

 実のところ名称的な変更を彼女らが求めただけであり、大きな混乱こそあれど国民の殆どが生き延びるべき道に敷かねばならないのであらばと首を縦に振らざるを得なかったが、事実上、国民に対して力の行使が及ぶことは無かった。

 

 自衛隊は軍となり、陸軍、海軍として再編制され、航空自衛隊は日本海軍航空隊として吸収された。

 

 彼は海軍の人間となってからも精力的に活動を続け、異形から人々を守るために必要な事ならば何でもやってのけた。

 艦娘、と呼ばれるようになった少女達が効率よく敵を打ち倒すためには、彼女らをより深く理解せねばならず、同時に敵がどのようなものであるのか調べ上げねばならない。

 

 地頭の良かった楠木は道筋を組み立てるのが得意で、目的を達するのに必要な最低限かつ最短の方法を導き出せた。艦娘を調べるのならば、そのような機関があれば良い。異形――深海棲艦を調べるのならば、それも同じく。

 では何が必要であるか。人である。

 

 彼は自らで艦娘の調査する一切を取り仕切る艦政本部の立ち上げを提案し、それを実現した。

 もう一方は他国にさせるべきであると考えたのはその時である。二足の草鞋を履くような真似をしていれば必ずどこかでボロが出る。一つに絞れば問題も最小限で済む。

 

 海軍でも一目を置かれる存在となった楠木は防衛外交として海外の研究機関と艦娘のデータをやり取りし、その見返りに深海棲艦の研究データを得た。

 

 深海棲艦が出現して、二年、三年と経つにつれ、艦娘のデータの蓄積は大きくなり、また深海棲艦から得られるデータも大きくなったが――人類が危機に瀕していようとも、政にかかわる上役の愚かさは変わらないものだった。

 愚かと一括りにすべきではないとも理解していたが、やはり、どうしても愚かだと感じてしまう。

 一見して理解出来る人類の共通の敵である深海棲艦を前にすれば一時的には清廉潔白を叫ぶが、それも数年経てば、やれ予算だの、やれ外交だの、まるでかつての冷戦を模倣するような様相を呈した。

 データを出し渋る、出し渋られる。金や資源、果ては人材までも交渉の材料にして自分だけが得をするようにと狡猾さを見せた。

 

 自分だけ、その規模は国に及んでいる。その得の正体とは生きる時間、あるいは命そのものである。互いが互いの国を守るために、牽制しあった。

 

 それは転機ではなく、彼を()()()()にした出来事だった。

 

 彼は、海外とのやり取りを続ける中で、一人の艦娘と関係を深くした。

 その艦娘を――Lexington級二番艦、大型正規空母、サラトガという。

 

 なんて事はない。人類を脅かす敵に立ち向かおうと心を燃やす男に、海外から派遣されたすらりとした美人の艦娘が惚れただけである。日々、命のやり取りをするような世界において情愛が発生することはなんらおかしなことではなかった。

 彼もまた、研究機関とのやり取りで度々逢う彼女を「サラ」という愛称で呼び、深海棲艦に家族を奪われた傷を徐々に癒していった。消えずとも、忘れずとも、その記憶が遠い彼方へいくように。

 

『また、沿岸が襲われたって』

 

『ああ……私の力が足りないばかりに……研究が、間に合っていれば……』

 

『そんなことないです! ……私は知っていますもの。あなたがとても頑張っていること』

 

『サラ……』

 

『約束したでしょう? 全部終わったら、海に出ようって。今度は二人で、好きな服を着て、なぎ、なぎ……?』

 

『渚を歩こう、だったか……ああ、そうだな。約束だものな』

 

『ええ。約束ですもの』

 

 まさしく楠木は英雄に足る男である。深海棲艦と艦娘のデータをもとに、艦政本部と南方海域を行き来していた彼は人類を救うかもしれない一手を見出した。

 

 深海棲艦を一掃せんと大規模艦隊が動いた時、それらが尽く阻まれた。その際、楠木は――艦娘達が通信と呼ぶ連絡方式と、深海棲艦が連携の際に発する電波が非常に似通った超長波である事を発見したのだ。

 どれだけ遠くにいようとも確実に互いを認識する方法としてポピュラーなものだったが、唯一、その超長波がどのようにして送信され、どのように受信されているかが不可解であった。

 

 楠木が手をこまねいている間に、深海棲艦は、海軍でも精鋭と呼ばれた、ある男の大進撃を止めた。

 

 艦娘は受信機構として妖精という媒介を通しているのであろうと予想した楠木はさらに研究を進めたが、オカルト的でスピリチュアルな存在である妖精を見ることはかなわず、研究は難航した。彼女らは艤装を介するが、その電波の発生源では無かったのだ。

 一方で、深海棲艦はその超長波の受信に艤装の一部を介しているというデータを得た彼は、深海棲艦を外海へ遠ざける事が可能であるかもしれないとして、艦娘サラトガの協力のもと超長波発生装置の開発に取り組む。

 

 サラトガは楠木の開発した装置を身にまとい、何度も出撃してデータの収集に励んだ。

 多くのデータは深海棲艦の()と思しきものであったが、貴重なものであるとして共有された。

 確実性は未だ無いとして表沙汰にはしなかったものの、彼はこれが世界を救うと信じてやまなかった。

 

 しかしある時、異変が生じる。

 

 サラトガの調子が良くない。日を追うごとに彼女は艤装の展開すらも難しくなっていった。

 原因を調べても分からず、入渠させても変わらず、口数も減り、ただ海を眺めるだけの日々。

 

 艦娘を戦わせろ。

 

 ソロモン諸島で研究に励む楠木に、いつしかそのような声が本土から届くようになってから、彼は無理はさせられないとしてサラトガを秘匿するようになった。

 

 それも、あっという間に終わりを告げる。

 

『提督……声が聞こえるの……向こうの海から、声が……』

 

『サラトガ、もういい、やめよう。こんな研究がなくたって私が何とかする』

 

 出撃出来なくなっていた彼女が、突如として艤装を展開して出撃を望んだのである。

 もちろん楠木は止めた。サラトガの調子が思わしくないこともあったが、何よりも彼女は海外から派遣された艦娘であり、互いの立場があったからだ。

 睦まじい関係も、互いの立場と利害が一致していたからであり、どれだけの想いが間にあったとしても、彼女が大きく傷ついてしまえばこの関係は終わってしまう。

 

 研究を一時停止すると海外の研究機関に伝えたところ、それは却下されてしまった。

 ならば少しだけ、彼女の回復を待っている間だけでもと頼ったが、それもまた、却下されてしまった。

 

 海軍内で研究を停止すると明言すれば、きっと彼女にも非難は集中するだろう。

 

 人類の滅亡か、艦娘一人の命か。当然だ、天秤にかけるまでもない。

 

 彼は必死だった。彼の唯一の心のよりどころと言ってもよい存在が消えてしまうかもしれない。

 大空を飛んでいる間に失われた家族のように消えてしまうのだけは避けたかった。

 

 ――賢いからこそ、悲しむ人は一人で良いと戦ってきたからこそ、彼は追い詰められてしまう。

 

 人は追い詰められた時――他人を蹴落とすものである。

 

 捨て艦作戦――苦心に苦心を重ね、苦悩の末に彼が選んだ、間違いだった。

 

 たった一人の艦娘を守りたかったが故に彼は全てを捨てた。

 自分と、自分を救ってくれた彼女が生きるためならばと。

 

 超長波の研究は停止されず、彼は多くの艦娘に新兵器の研究であると言って装置を持たせて深海棲艦へ特攻させた。大惨事になるかと思いきや、それは最悪の形で結果を出し、深海棲艦を退けた。

 弾丸もかくやと特攻されてしまえば深海棲艦も太刀打ちできないのかと、多くの者が模倣した。

 

 人が壊れるまでの過程は、あまりにも単純で、残酷で、短い。

 

 楠木は模倣する者達を操り、サラトガをひた隠しにし続けた。

 

 戦いが激化するにつれて艤装を展開して長時間の維持ができなくなっていた彼女が、今度は逆に、艤装を収められなくなってきているのにも気づかず、彼はどんどん艦娘を特攻させていった。周りも彼のやぶれかぶれの戦法を力強き猛将の策だと謳い、どんどん、どんどんと特攻させた。

 

 本土で反対派と人権派が形になった頃には、サラトガは入渠ドックから出られなくなるまでに衰弱し、美しい白い肌は、まるで死人のような灰色になっていた。

 艤装もボロボロになっており、それがどうして損傷しているかも原因は分からず。

 

 だが、入渠ドックにいる時だけは、彼女と会話が出来た。

 

『サラトガ、君は艦娘だから、きっと治せる。きっと治る。だろう?』

 

『……もう、やめましょう』

 

『研究を? ダメだ、止められない。深海棲艦の侵攻がある限り、きっと世界は止まらない。どちらかが歩みを止めてしまえば、一方が消えてしまう。これはそういう戦いなんだ』

 

『でも、つらいわ』

 

『……すまない。君がつらい思いをしているのは、知っている。だが、絶対に治してみせる。深海棲艦の動きも予想出来るどころか、多少ならば誘導できるまでに研究は進んでいるんだ。これならば遠くないうちにサラの不調の原因だって分かるはずだ』

 

『分かっている、でしょう……? 見てください、私の、姿を』

 

『分かっている……分かっている……!』

 

 海の向こうから聞こえる声を受け止め続けた彼女は――すでに、サラトガと呼べる姿では無かった。

 

 声は消えないという。どれだけの深海棲艦を撃滅しても、声は聞こえ続けるという。

 楠木はもう、自分の心さえ捨てて、彼女を救うべきだと考えた。

 

 何としても彼女を隠し通すのだと感情を殺して、海軍のみならず陸軍さえも欺くために、彼は世界を救うために研究していたデータ番号で彼女を呼び、秘匿した。

 

 研究番号、ヒトナナヒトフタ。

 深海棲艦の長距離通信における超長波の受信機構、及び、艦娘の長距離通信における超長波の送受信について。

 各検体をもとに研究中ながら、深海棲艦については艤装の一部を模倣する事により誘導できる可能性あり。

 

 彼は声の正体など、どうでもよかった。一滴の興味さえなかった。

 

 邪魔をするならば全てを排除する。それが自軍であろうが深海棲艦であろうが、もう関係ない。

 ただ、家族を失った自分を受け止めてくれた彼女を救うために、世界を敵に回してやる。

 

 多くの艦娘を犠牲にしながら深海棲艦を鹵獲し、艤装の一部を採取して弱らせた状態で解放する。

 その艤装の一部を用いてあらゆる場所へ誘導し、彼は世界を翻弄した。

 

 

 これは、彼が人でなしになった、どうしようもない軌跡である。

 

 

* * *

 

 

「不確定要素にここまで踊らされるのも愉快なものだ。そうは思わないか、ヒトナナヒトフタ」

 

 ガラスプールに手袋に包まれた両手をぴったりとくっつけ、水族館で綺麗な景色を見つめるような表情を向ける楠木に対して、ヒトナナヒトフタと呼ばれた彼女はゆらりと動いて、手を重ねた。

 

 ぱくぱくと口が金魚のように動いているが、楠木には何も聞こえなかった。

 修復液の温度を保つためにつけられたヒーターの稼働音だけが、部屋を支配する。

 

 端的に言わば、彼は失敗した。

 

 邪魔になる存在を順次始末していき、最終的には日本海軍どころか世界中の軍事機構を一斉に襲って麻痺させ、自らが用意した手段によって深海棲艦を撃滅するという計画は、全て水の泡となった。

 

 たったの一日。

 

 内陸部を攻めるのに最適であると選んだ呉鎮守府、柱島泊地の襲撃に失敗。

 

 たったの二日。

 

 軍事行動としても常識外れのスピードで南方海域が攻略された。

 

 たったの数日。

 

 殺したはずの男が大将となって戻って来た。

 それも、こちらの手札を全て潰すかのような勢いで周囲を巻き込んで。

 

「どうしようもない正義とやらが、救えもしない人々のために立ち上がって戦う……美しいな。反吐が出るほどに美しい、なんて、愚かな」

 

『……』

 

「見てくれ、これを」

 

 ガラス越しに重ねた手を離して、楠木は室内にあるテーブルに歩み寄って紙束を手に取り、ガラスプールへ押し付けた。

 疲れたような声で話す彼に、彼女は悲しそうな眼を向ける。

 

「日本国はまだ諦めていないらしい。こちらから送った艦載機は全て岩川や鹿屋の付近で撃墜され、取りこぼして日本海側へ回った奴らも舞鶴におさえこまれているし、太平洋側なんて、殆どが横須賀にやられている。私の予想以上に戦果を挙げているとは優秀な事だ。……アレを有効活用しているのは佐世保と舞鶴くらいのものか」

 

『……』

 

 彼女が何かを言っている。だが楠木はプールに押し付けた紙束をプールからの逆光で読んでいて、視線は交わらないままだった。

 

「海原という男が消えて、瀬戸内海から、と思ったら――はは、どうだこれは、冗談みたいだろう。呉を潰すために送り込んだ潜水艦隊は四国の付近で反応が途絶えた。全てだぞ? 偵察隊と一緒に送り込んだ水上部隊すら柱島の近くで沈められている。帰って来たんだ、あの男が。邪魔をされんようにと――殺したはずなのにッ!」

 

 だん、とガラスプールに拳がぶつけられたが、その中にいる彼女は微動だにしない。

 彼女はその理由を知っているようだった。彼はその理由が分からないようだった。

 

 海さえあればどこにでも攻撃が可能である彼がここにいるように――

 

「忌々しい……提督風情がッ……!」

 

『……』

 

 ――海があればどこへだって助けに現れる存在がある事を、彼女は知っている。

 だから、彼女は、どうか届いて欲しいと、愛する男へ向かって何度も訴えかけた。

 

 そして――

 

「どう、すればいい……どうすれば、あいつを……!」

 

『オワラセ……マショウ……』

 

「ッ!? こ、声……声が……!」

 

『ナギサ…デ……。イツカ…ナギサデ……――』

 

「そ、う、そうだ、そうだ! 終わらせよう! 一緒に終わらせるんだ! なぁ!」

 

 その言葉が、正しく伝わっていることは無かった。

 彼はすでに彼女を見ているようで、見ていなかったから。

 

 ガラス越しで、紙切れ越しで、データ越しで、消えゆく家族の記憶と同じ場所にあるくらいに、遠かった。

 

「佐世保が放ったアレが動いているんだ! お前も、私と一緒に行こう! 全部終わらせてやろう! そうしたら、きっと、一緒に……!」

 

『ア、ァ……ワタシヲ、ミテ……ヒカリヲ……ミテ……』

 

 楠木はばさりと紙束を投げ捨てるとガラスプールへ背を向け、歩き去っていく。

 全てを破壊し、なんのしがらみも、邪魔もない世界で、記憶のうちにある彼女と渚を歩むために。



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八十七話 覚醒【提督side】

 夢だったのだろうか。

 現実味はなかったが、部屋で食べたカレーの味も、あの人の笑い声や力強い声も、全て覚えている。

 部屋を出る直前のことだって、都会の隅にある俺の部屋に吹き込んだ海の風の心地良さだって覚えている。

 あれは本当に、ただの夢だったのだろうか。

 

 ふんわりとした疑念とは裏腹に、心は燃えていた。動かねばならないと。

 その熱により、治療中に目を覚ました俺は――

 

「さっさと済ませるんだ……私は、艦隊の指揮を執らねばなら――!」

 

 生きねばならないのだと、彼女達を救わねばならないのだと、闘志を燃やし――

 

「麻酔を追加しろ! お前は鎮痛剤を! 二度目の麻酔とは……気管挿管の準備!」

「はい!」

「追加します」

 

「ん……のだぁ……」

 

「なんというお方だ……目を覚まして一言目に艦隊の指揮だと……?」

「麻酔が効いていたとは言え、腹を噴き飛ばされてるんだぞ……冗談じゃない……!」

「て、手が震えて……すみません、少しだけ、待ってください……」

 

 ――わりとあっさり現代医学に負けた。

 いやいや負けてない負けてない。治療中だったんだから仕方が無い。

 

 歯医者で虫歯を治す時くらいしか麻酔の経験が無かった俺は、それとは別格の強制的な力により、抵抗する間もなく意識を失った。

 

 目が覚めた時に一瞬だけ見えた光景は明らかに手術室のような場所であったし、何より阿賀野の艤装が起こした爆発に巻き込まれて漫画みたいに吹き飛ばされたのだから無事なはずもなく、治療されていることなど考えずとも理解出来る。

 腹の表面を触られている、ではなく、もっと奥の方で人の手が動いている感触は今後忘れたくても忘れられないだろう。こんな経験したくなかったです。

 

 そうして、意識が強制的に途切れたあと、二度目に目を覚ました場所は病室だった。

 

 

 ソファよりも柔らかく背を受け止めてくれるベッドの上で意識が覚醒した時、手術中には感じられなかった鈍痛が腹部を襲う。

 それと、喉に違和感があった。

 

 目だけを動かして室内を見れば、俺の横に――松岡が立っていた。

 

「お目覚めになられましたか、閣下」

 

 んだよお前かよぉ! ここは艦娘が「提督ぅ!」っていう場面だろうがァッ……!

 

 松岡に声をかけようにも喉の違和感が酷く、身体の感覚も鈍かった俺は、ゆっくりと手をあげることで意識がある事を示した。

 目覚めには松岡よりも艦娘が良かったと失礼極まりない事を考えられるくらいには意識も覚醒している。

 

「手術中にお目覚めになられて、艦隊の指揮を執ると言い出して医療班を怖がらせたと聞きましたよ。全く閣下は、なんという――」

 

「ぐ、ぅ……! んぐ……!」

 

 声を出そうとして力むも、喉の違和感がさらに酷くなるだけだった。

 そんな事はどうでもいいんだよ! 艦娘が出撃してるんだろ!?

 俺知ってるんだからな! 夢で見たんだから! 早く行かせろ!

 

「おっと……少しお待ちください、すぐに医療班を呼んできます」

 

 別段、松岡の動きはゆったりとしているわけでは無かったが、じれったくて、ベッドの端にある柵を握りしめる俺。

 ドアを出てすぐに「閣下が目を覚ましたぞ!」と松岡が大声を出すと、すぐさまばたばたと大人数の足音が近づいて来て、病室の扉が乱暴に開かれた。

 

「提督!」

 

 部屋に飛び込んできたのは手術室で見た男達ではなく――戦艦長門だった。

 髪を振り乱し、目元を赤くしているのが見えた瞬間、胸のあたりがぎゅっと痛くなる。

 長門ォ……心配してくれたのかぁ……いっぱい好きだよぉ……!

 

 と、感動に浸る間もなく、長門の背後からするりと白衣の男達が入室してきて、俺に一礼した後、手を伸ばしてきた。

 

 その時ようやく、俺の口元にテープが貼られていて、なにか管のようなものが喉を通っているのに気づく。

 白衣の男達の中の一人が手際よくテープを剥がしてから、ゆっくり息をしてください、と言って管を抜き去ると、喉を中から擦られる感覚にえずきそうになり、ずるん、と抜けきった時、咳き込んでしまった。

 

 じわりと腹部が痛むも、声は堪えた。

 

「あ、あぁっ、提督……無事か……!? 傷の方は……――!」

 

 長門が不安そうに俺と白衣の男――手術を担当した医師だろう――を交互に見ながら言うと、医師は険しい表情のままに頷いた。

 

「酷い熱傷でしたが、内臓に異常はありませんでした。制服の頑丈さに救われたのでしょう。しかしまだ安静にしていてください。艤装の爆発に巻き込まれたショックと出血によって一時的に心停止までしていたのですから、経過を観察しなければなりません。しばらく、動くのは厳禁です。命に別状はないでしょうが――」

 

「よ、よかった……本当に良かった、提督……っ」

 

 ありがとう長門……今度から筋肉よりも優しさが詰まってる素晴らしい艦娘としてお前を――って、良くねえよッ!? いや、待て! また南方海域に出撃してるんだろ!? トラック泊地に向かって!

 

「なに、が……良い、ものか……げほっ……うぐ……戦況を、報告しろ……ッ!」

 

 俺の言葉に全員が顔を青くしてこちらを見る。

 

「戦況……!? 提督、何故知っている……? あなたは工廠で、心臓が……」

 

 夢の中でパソコン画面に表示された大淀が言ってたんだよッ! いいから早く――……うん、待て待てまもる。カームダウン。

 俺が工廠で意識を失ってから経験した事をここで話して信じてもらえるだろうか? 否である。

 きっと爆発で吹き飛んだ時に頭を強打して混乱しているのだと思われるに違いない。

 

 しかし、あの部屋で、俺と同じ名の――思い出す事もなかった祖父との会話の後に聞いた大淀の声がトラック泊地へ艦隊を向かわせていると言っていたのが、本当にただの夢であったとも思えない。

 ここで伝え方を間違えれば、また麻酔を打たれておやすみなさいしかねんぞ……。

 

 パソコン画面に表示されていた実装されているはずもないマップに、マップ上で揺れていた深海棲艦の姿を思い出すと、やはり悠長に構えている時間もない。

 

 俺があのマップで見た敵のアイコンでも、とりわけ目立つものが懸念事項なのだ――まず間違いなく、()()()()がいる。

 

 八代少将が深海棲艦の艤装を用いて呼び寄せたのだと、むつまること陸奥も言っていた。

 阿賀野の艤装の中に仕込まれていた札の正体は不明ながらも、軽巡棲鬼と阿賀野には、ゲーム内で繋がりがあるのではと言われていたくらいだ。軽巡棲鬼を呼び出すための媒介にしていても違和感はない。

 デザイン的に元ネタでは? とネット上で推察されているだけだったが、現実世界の今、俺は本能的にそれを事実だと理解している。

 

 トラック泊地で艦隊決戦に持ち込むつもりであろう大佐の策は間違ってはいない。

 航空支援を行い、水上艦隊で叩くというのはスタンダードな手法だ。

 

 だが、南方を開放した第一艦隊を海域へ投入したところで、軽巡棲鬼を日本から遠ざけている哨戒班はたったの四隻。合流したところで十隻。詳しいところは知らないが、勝敗以前の問題だ。

 さらに多く投入すれば解決すると断言できるわけではないものの、水上打撃部隊として機能させるには少ないと言わざるを得ない。

 現実世界での艦隊決戦では十隻の軍艦が七百機にも及ぶ戦闘機を配備して戦った……などというぼんやりとした知識があるものの、それは軍艦であって艦娘では無い。艦娘がそんな数の艦載機を発艦させられるとも思えず、これを理由に増やせと言おうかとも考えたが――どうにも説得力を持たせられる気がしない。

 

 腹部の鈍い痛みが思考を邪魔してくるおかげで良い言い訳も思いつかず、ぐう、と変な声を上げている時、はっとして俺は声を上げた。

 

「おい、いるか」

 

 医師たちでもなく、松岡でも長門にでもなく、空中に向かって声を上げると――丁度長門の長い髪の陰から、ふわりと妖精が姿を現した。

 迷彩柄のベレー帽をかぶり、おもちゃのような鉄砲を持った妖精は、艦これの任務画面で見る妖精だった。手を伸ばせば、妖精はそこに着地し、敬礼する。

 

「妖精達から戦況はおおよそ聞いている。山元がトラック泊地へ第一艦隊を向かわせ、哨戒班と合流させるつもりである、と……編成自体は悪くないが、十隻では心許ないのでもう二隻ほど追加を考えているのだ」

 

 医師達が「よ、妖精……!? まさか後遺症が……」と小声で話しているのを聞いて、血の気が引いていく俺。

 あっあっ……違うんです! まもるは大丈夫です! 仕事出来ますんで! あれはやめてください勝てません! 絶対に寝ちゃうんで! ダメですぅ!

 俺の心の吹雪が必死に両手を振るも、医師のうち一人が無慈悲に動き出す。

 

 それを制したのは、松岡だった。

 

「我々にとって縁のないものだが、妖精は存在する。閣下は南方を開放したお方だぞ」

 

 松岡ァ……! さっきはお前じゃなくて艦娘が良いとか言ってごめんなぁ!

 しかしながら妖精が言ってたからそうなんだろう、というだけでは説得力に欠けるのもまた事実であり、妖精が見えない人間からしては「妖精から聞いた」なんて言い始めた方が頭を強打してあっぱらぱーになってしまったと思うだろう。そうだね、確かに俺はあっぱらぱーだね。

 

 ここで俺は深呼吸し、信じなくともいいが、と先に言ってから話した。

 

「……夢を、見た」

 

「夢でありますか……?」

 

 松岡が目を丸くしてこちらを見るものだから、やはりやめた方が、と喉元まで出かかった言葉を呑み込みかける。

 視線を落として妖精を見つめると、敬礼した格好のままじっと俺を見つめており、それが大丈夫だと言っているように思えて、自然と言葉が紡がれるのだった。

 

「かつて私の祖父は戦争に行ったと祖母から聞かされていたのだが……その祖父に、夢の中で出会ったのだ。仕事に疲れて帰っている途中で出会った祖父とカレーを食べてな、ふふ、レトルトのカレーを、狭い部屋で男二人で食べて……それで……」

 

 あれは、祖父だった。会ったことなどない。幼い頃に写真を見た気がするが、顔さえ覚えていなかった存在だ。だがあの人は――間違いなく、俺の生きる未来を守った人々の一人だ。

 祖母から何度も聞かされた祖父の偉業。あの人は飛行機に乗ってある戦艦を守っていたのだという。

 その話を今更になって思い出した俺は片手で腹を押さえて、まだ腹の中にあのカレーが残っているような気がして口元を綻ばせた。

 

「仕事帰りに会うわけもない。あれはただの夢だったのかもしれん……だが、夢の中で祖父に言われたのだ。鎮、動け――と。それから、大淀が必死に通信しているような声が聞こえた。皆が必死に戦っていると、妖精が俺に訴えかけた。だから俺は動かねばならんと、狭苦しい部屋を出た。そうしたら、目が覚めたというわけだ。……何も出来ないかもしれん。知識とて足りん。知恵も無い。しかしそれは動かない理由にはならんだろう」

 

 痛む身体をおして身体を起こそうとした時、妖精が慌てたように両手を振ったが、構わず俺は起き上がる。

 その途中で、長門が駆け寄って俺の背を支えてくれた。

 

「てっ、提督、無理は――」

 

「戦っているお前達を前にして寝ている方が無理というものだ。ぐっ……激しく、動くことは出来んが……私は座っているだけなのだから、問題は無い」

 

 艦これでもマウスクリックするだけだったからね。

 なんなら、艦娘達に南方に行ってもらった時に動いたのも土下座した時くらいだからね。

 

「しかしっ」

 

「山元が指揮を執っているのだろう? 長門、現在出ている艦娘は」

 

「え……?」

 

 南方で戦った第一艦隊は、確か……扶桑、山城、那智、神通、夕立、綾波の六隻。今は哨戒班を追っていることだろう。

 哨戒班は天龍と龍田、吹雪に敷波――戦艦が二隻、重巡が一隻に、軽巡が三隻、駆逐艦が四隻……二隻追加すれば水上打撃部隊として機能を発揮できるかもしれない。

 現実とゲームは違えど、やらない理由は皆無。出来ることならば何だってやるべきだ。

 

 社畜魂、魅せてやっからよォッ! いっぱい手伝ってくださぁい!(本音)

 

「哨戒班の天龍、龍田……それに吹雪と敷波だ。第一艦隊の扶桑、山城、神通、夕立、それに、綾波が合流して戦闘を行っている。呉鎮守府から補給艦隊を出して継続して戦闘……かなりの数を撃破しているようだが、終わりが見えないようでな……」

 

「では現在、数にして二艦隊が出撃しているのだな?」

 

「呉からの補給艦隊も合わせて三艦隊だ。山元大佐が連れて来ていた那珂も合流し、奮闘している」

 

「そうか……では、新たに投入出来る艦隊を……う、うむ……?」

 

 そうだ、俺は治療を受けて寝ていたんだ……出撃してから、どれだけ経っているんだ……?

 

「……私が眠って、どれだけの時間が経過している」

 

「一日と、少しだが……?」

 

「何だと……!?」

 

 

* * *

 

 

 俺は、腹の痛みも、病室であることも忘れて、松岡や医師達に大声で指示を出していた。

 医師達には海図を持ってくるように言いつけ、ベッドの上に食事用のテーブルを出してその上に海図を広げた状態で松岡に山元と連絡を繋げろと言えば、病室は大騒ぎとなる。

 

「か、閣下! こちら海図です! え、えー……日本近海、それから、南方と、こちらは南半球全体が見られるものと……!」

 

「近くの壁に貼れ! ペンを頼む! 書ければなんでも良いが二色、いや三色用意しろ! メモができる紙もだ! 作戦海域の情報が見られるものは全て用意しろ!」

 

「はっ!!」

 

 妖精にペンを渡せば、指示をせずとも、俺に分かりやすいようにか、艦これに出てきたようなマスを書き込み始める。

 夢で見たものと同じ位置に書き込まれたマスの一つに、ちょんちょんと点を三つ書き加えたところを見るに、現在はトラック泊地の近辺で哨戒班と第一艦隊、補給艦隊が合流していると見てよいだろう。

 

「松岡、山元と連絡は取れたのか!?」

 

「い、いい今連絡を――あっ、こちら憲兵隊の松岡だが、山元殿か!? たった今、閣下がお目覚めに――」

 

「代われッ!!」

 

「ひっ!? 山元殿、代わるぞ!」

 

 俺は鬼の形相だったろう。

 松岡からスマートフォンを受け取った俺は、室内がびりびりと震えるほどに怒鳴った。

 

 腹からじわりと血が出たかのような感覚が伝わるも、それどころではない。

 

『閣下、お目覚めになられたのですな……!』

 

「心配をかけたな、すまん。それよりもだ! 山元、追加の艦娘は出撃させておらんのか!?」

 

 これである。

 実際、軍艦が戦う場合は何日であろうが補給し続けていれば問題は無いだろう。相手の攻撃を受けて損傷しない限り、燃料や弾薬の心配だけしていればいい。

 

 しかし今は違う。彼女らは艦娘なのだ――必ず、疲労する。

 

『補給艦隊を追加で編成し――』

 

 違う、そういう事じゃない! と俺はさらに大声を上げた。

 

「この――大馬鹿者がッ!! 貴様は飯さえ食えたら遮蔽も何もない戦地で休みもせずに無限に戦えるのか!? 違うだろうがッ!」

 

『っ……!』

 

「今から言う艦隊をそちらで編成し、出撃準備を整えろ! 燃料も弾薬もしっかり補給させるのだぞ! いいなッ!」

 

「りょ、了解しました! 大淀殿にも繋げます!」

 

「急げッ!」

 

 艦娘を兵器として扱ってきた山元だから、というわけでは無いだろうが、彼女達は人とは違う。

 強く、逞しく、海を駆けて戦える。故に忘れやすいのだろう――彼女ら人にあらずとも、人の身を持っているということを。

 

 汗をかき、涙を流し、食事をして、眠り、人と変わらない生活を送っている。

 生きているのだ。疲れない道理が無いではないか。

 

 艦これのように疲労マークが出ていない今、提督である俺はそれをしっかりと見てやらねばならない。山元も同じ立場であるのだから、それは言わずもがな。

 ここに来て当然と思っている事が、別の人にとっての当然ではないというすれ違いの事実に腹の傷とは別に頭痛までしてきた。

 

 ベッドに座った状態で、目の前に広げられた海図を睨みつけて人差し指をこつこつと何度も叩く。

 

 水上打撃部隊を編成して出撃させ前線と交代したとして、一日以上も戦闘して数の減らない深海棲艦を撃滅できる保証はあるのか? そんなものは無い。

 呉から出ている補給艦隊を一度下げて、再度補給可能にしてからもう一度出撃させるのもまた疲労度の問題が出てくる。しかし水上打撃部隊を補給させられなければ長期の戦闘は不可能だろう。なおかつ、これはゲームでは無い。一戦ごとにリザルト画面が出て、マスを移動して洋上補給をして、次の戦闘を行うなどという事がありえるわけがない。

 彼女達は海上で戦い続けながら、時に引き下がり、合間を縫って補給しつつ戦っているのだろう。

 ならば補給艦隊がいたとて確実に全員が補給できるとも限らない。

 装備や練度が充実しているとは言い難い今、低燃費でギリギリの運用を、とも考えられない。

 

 無い無いづくしだが――逆を言えば、ゲームのような制限もまた存在しない。敵も、味方も。

 

 俺の中にある知識を最大限に活かしつつ、現実を意識した上で――彼女らを信じるのだ。

 

「水上打撃部隊の第一艦隊は旗艦を戦艦金剛にし、比叡、榛名、霧島、それから軽空母鳳翔、重巡足柄を編成しろ」

 

『は、はい、えー、金剛、比叡、榛名……!』

 

 山元の声が枯れているのに気づいて、一瞬だけ思考が途切れる。

 一日以上も指揮を執っていたのだから山元も疲れているのかもしれない、と気が回らなかったことに気づいてから、俺は自己嫌悪に陥ってしまう。しかしここでウジウジしている暇はない。

 

「耐えろ、山元。もう少し耐えてくれ、頼む」

 

『……はいッ』

 

 スマートフォンのスピーカーが揺れた時、そこに一瞬だけノイズが走った。

 それから大淀の声が聞こえて来た時、俺は無意識に安堵してしまう。

 

『提督! 目が覚めたのですね!』

 

「大淀か――心配をかけたな。少し眠り過ぎていたようだ」

 

 気丈に答えるのもそこそこに、新たに艦隊を編成する事を伝えれば、大淀はすぐさま全艦娘に通達すると言ってくれた。

 ふと、山元が小さな声で『申し訳ない……呉の方も対応せねばと考えると、後手に回ってしまい……』と弱気な事を言い始める。

 

 それはそうだ。山元は柱島の提督ではなくて呉の提督。俺の代わりに仕事をしていただけなのだから怒鳴られるいわれはない。ごめんね。まもるもいっぱいいっぱいだったんだよ。帰ったら伊良湖の金平糖やるから許せよな!

 

「深海棲艦の出現に際しての対応もあったのだろう。私も目覚めたばかりで多少混乱していた。すまない」

 

 大淀が艦娘達に連絡を取っているであろう間に、俺は深海棲艦を呼び出した原因である八代はどうしているのかと山元に問うた。すると――

 

『そちらの方は問題ありません。動けませんので』

 

「動けない……? 拘束したのか」

 

『はい。松岡殿が派遣した憲兵に拘束されております』

 

「……ならばよし」

 

 憲兵が提督を拘束するのを見るのは二度目だよぉ……八代が実際に取り押さえられてるのを見たわけじゃないけども……。

 駆逐艦に悪戯してなくても、悪い事をすれば憲兵さんに怒られるのは現実でも同じなんだね……。

 

『提督、通達完了しました』

 

 大淀の声が再び入り込んだことで思考が切り替わり、すぐに第二艦隊の編成を伝える。

 

「第二艦隊は旗艦を軽巡洋艦北上、それから軽巡大井、球磨、多摩の四隻、駆逐艦の島風、時雨の二隻で頼む。連合艦隊として第一艦隊と第二艦隊には連携を密にしてもらいたい。――次に、空母機動部隊の編成を伝える」

 

 俺の言葉に、しん、と室内が静まり返った。

 

「大淀? 聞こえているか? もしもし? 山元?」

 

『し、失礼しました、空母機動部隊ですね?』

 

 大淀の声に、うむ、と返して編成を伝える。

 

「第一艦隊として伝えるとややこしいので、第三艦隊、第四艦隊とするぞ。第三艦隊には――」

 

『お待ちください閣下! そ、そのように多くの艦娘をどのように連携させるおつもりですか! 戦闘となってしまえば我々に出来る事など――』

 

 何を言っているんだ山元ォッ! 金平糖が欲しくないのか!? えぇ!?

 ……そうじゃないね。

 

 山元が焦ったように言うことも分からないでもないが、俺が連携させるつもりなどない。山元が言うように、俺や山元に出来る事は限られており、彼女達が海上に出て行ったあとは、座して結果を待つのみとなる。

 

「出来る事などない。ああ、そうだ。だから今なのだ、動くのならば」

 

 俺の言葉をうまく呑み込めない様子が電話の向こうから伝わってくる。

 しかし俺も、この思考をどうやって言葉にしたものか、うまく組み立てられない。

 

 間違って伝わって欲しくはないが、伝えなければ山元の不安はぬぐえない。

 そこで俺は、空母機動部隊の編成を考えていたからか、鳳翔達の顔を思い浮かべながら言った。

 

「山元――矢を放ったことはあるか」

 

『な、は、はい? 矢、でありますか……?』

 

「そう、矢だ。矢を放つまでに、お前はどんな事をする」

 

『弓道は、かじった程度で……構え、放つくらいでは……?』

 

「そうだな。はたから見れば、たったそれだけの動作だ。弓を構え、狙いを定めて矢を放つ。こう聞けば、あまりに単純な動作だろう」

 

 しかし違うのだ。単純に見える一連の流れにはいくつもの短く重い意味を持つ動作が存在している。

 艦これで言わば、編成し、出撃させて勝つか負けるかを見守るだけのゲーム。だが、そうではない。

 

 海域によって最適な艦娘を選択し、編成した後にはまた最適な兵装を探して装備させなければならない。

 出撃する前には長い時間をかけて艦娘を鍛え、改装し、彼女ら自身を強くせねばならない。

 装備一つとっても、改修を重ね強くすれば、海域を突破する可能性はぐっと高まる。

 零と一が画面の向こうでピコピコと切り替わるだけの単純なものが、複雑な過程をもたらす。

 

 出撃ボタンを押すその前こそが――提督である俺達に委ねられた戦場なのだ。

 

「だが、こうも考えられんか。弓をどう構えれば力を込められるか、矢をどのように持てばより遠く、より鋭く飛ばせるのか。弦はへたっていないか、自分の狙いは正しいのか、風向きは、狙う先までの距離は、考えれば考える程、これでも足りんと思えてはこんか」

 

『そ、れは……その、通りでありますが……』

 

「矢を放った後は……何も出来ん。故に、最善である手を選び抜き、信じるしかない。私だって数で押せばなんとかなるとは思ってはいないが――数を活かせる方法だって存在するのだ。だから、私の我儘を見逃してくれ、山元」

 

『――……わかりました』

 

 山元と俺の間に数秒の沈黙が流れる。

 それから、大淀に「すまん、改めて編成を伝える」と言って話を再開した。

 

「第三艦隊は旗艦を正規空母赤城に……それから加賀、飛龍、蒼龍、戦艦の伊勢と日向を編成する。第四艦隊の旗艦は軽巡の川内を、以下、重巡摩耶、羽黒、駆逐艦は陽炎、不知火、神風を編成。連合艦隊、空母機動部隊として制空権の確保とともに水上打撃部隊と深海棲艦の撃滅を行ってもらう。水上打撃部隊を先行させ、空母機動部隊は直掩機を出して先行部隊に合わせ本隊を救援するのだ。戦艦伊勢と日向の速力は違えど、これならば問題にもなるまい」

 

『は、はい、すぐに通達を――!』

 

「まだだ」

 

『えっ』

 

 これは、俺の希望的観測で、可能であるかどうかが重要になる。

 もしも可能であるのなら――と大淀へ問うた。

 

「大淀、海上で補給する際、補給艦がいなければ不可能か?」

 

『それは……どういう意味でしょうか……?』

 

「補給艦を使用せず、戦闘海域から離れ安全であることが確認できた場所で物資を持った艦娘から補給を行うということは可能か? という意味だ」

 

『ま、まぁ……その場で停泊する事にはなるかもしれませんが、補給は可能かと……』

 

 海図を叩いていた指が止まり、視線が動く。

 すると俺の視線に気づいた妖精がペンを持って飛びあがり、上空から海図を見下ろしてしばし停止。そして――ぴゅん、と飛び降りていくつかの海域へ印をつけて俺を見る。

 

「長くはとどまれんか」

 

 小さな声で問えば、妖精は頷いた。ならばやめた方が……と考えたが、妖精がいくつか印をつけた場所に線を引き始めた。

 俺はそれを見てすぐに口を開く。

 

「……安全に補給が可能であろう海域をいくつか見繕った。多少のロスが発生するが、第一、第二と分けて補給を行い、逐次戦線へ復帰するとしたら――どうだ」

 

『移動して、洋上補給を小分けに……? それなら問題はありませんが――しかし提督、その、多くの艦娘と連携する場合、流石に遠方からの指示では混乱が――』

 

「私に考えがある」

 

『考え、ですか……?』

 

 艦娘が第一、それが俺のモットーである。

 疲労度を無視するような戦いはしないし、出来る限り無茶はさせない。

 

 誰もが出来ることを、出来るだけ。

 出来ないのなら人に任せる、これ、とても大事です。

 

 特にブラックな仕事ならな! まもるは身をもって知ってんだ!

 

「洋上補給用の輸送部隊を編成する。旗艦を軽巡長良、それから五十鈴……駆逐艦には、第六駆逐隊の四隻を編成してくれ。水上打撃部隊、空母機動部隊と共に出撃し、作戦海域に入り次第、呉の補給艦隊と共に補給のみに注力してもらう。入れ替わりに、現在前線に出ている戦闘部隊を鎮守府へ帰還させるのだ」

 

『お待ちください提督、こんな数の運用――!』

 

「そして大淀、お前を――現場に出ている全ての連合艦隊の、旗艦としたい」

 

『私、を……――?』

 

「お前は艦隊司令部施設を装備出来るはずだ。現場の司令塔として、動いて欲しい」

 

 大淀が鎮守府からいなくなるのは不安要素でしかないが、大人数を遠方で指示しろなんて酷な真似は出来ない。かと言って俺が船に乗って直接指揮に向かえるわけもない。お腹痛いので……物理的に……。

 だがしかし、彼女ならば可能だ。かつて連合艦隊旗艦をしていた――大淀ならば。

 

 艦隊司令部施設を持つ彼女であれば、中破、大破した艦娘が出た場合も撤退の指示を出せるだろう。

 

 大混戦となれば傷ついてしまう艦娘が出る可能性もある。例え戦力が減ったとしても護衛撤退が可能だ。

 一方で、戦力が減っても戦線を維持できるだけの数が必要になる。

 

 そこで、四艦隊までしか編成出来ないゲームでは不可能だった――連合艦隊三つの運用――大連合艦隊である。

 

「大淀の負担が大きいのは理解しているが、無論、私もこの場で逐次報告を受け、どのように動くべきかを考えて指示を出せるようにする。どうだ、やれんか」

 

 痛む腹に力を込めて問う。大淀は――

 

『……了解しました。連合艦隊旗艦として、出撃しますッ』

 

 ――気持ちの良い凛と通る声で返事した。

 

「編成が完了次第、装備を整えて抜錨してくれ。私も出来る限りの支援をする」

 

『はい!』

 

 大淀がもう一度返事をすると、電話を切る瞬間のような、ぶつんというノイズが走る。

 だが電話自体は切れていないようで、山元の震えた声が聞こえて来た。

 

『か、閣下……』

 

「山元、話は聞いていたな。ばたつかせてすまんが――」

 

『いえ、そうではなく、閣下は手術をしたばかりで……!』

 

 あぁん!? 関係あるかよそんな事ォッ! 前の職場じゃ高熱が出てもゲロ吐き散らかしながら出社してたぞ! それに比べりゃ在宅ワークなんて贅沢なもんよォッ!

 

「ベッドの上で仕事をさせてもらえるなんて、優しいものだ。走り回っている艦娘やお前に申し訳がない。して山元、トラック泊地にどのような危険があるか分からんので、他の鎮守府……例えば、鹿屋基地などに支援要請を出したいのだが、可能か?」

 

『……はぁ』

 

 突然溜息を吐かれて困惑する俺。

 

 なんだよ、いいだろ別に頼っても。こんだけ頑張るぞって姿勢を見せてるんだからよ! お腹いてえのすっげえ我慢してんだぞ! なんならここでお腹が痛いから無理ぃ! って泣いて欲しいのか!? エェッ!?

 

 しかしここは先輩の山元、俺の邪推は外れており、どうやら既に鹿屋のみならず、岩川基地にも支援を要請していたらしい。

 素晴らしいぞ筋肉軍人! やっぱ頼りになるな筋肉は! ……うーん筋肉はあんま関係ないか。

 

『既に鹿屋と岩川から航空支援を行っております。トラック泊地との行き来となれば相当の消費ですが、相手の規模が規模なだけに、出し惜しみしている場合ではない、と』

 

「ふむ……であれば、私に良い考えがある」

 

 海図に引かれた線を指でなぞりながら、話していると、妖精が俺の人差し指にくっついてくるので頭を撫でておく。いっぱい頑張らせてすみません。まもるも頑張ります。

 

「大艦隊が動くとなれば相手も下手に近づいてはこれまい。道中支援ではなく、トラック泊地周辺での決戦支援に切り替えるのだ。航空支援が終われば即時帰還――道中で消費して戻るよりも一点集中させた方が撃破効率は良いだろう」

 

『っは、了解しました。すぐに鹿屋基地と岩川基地へ連絡を』

 

「頼む。ああ、それと、宿毛湾は動かせそうか」

 

『宿毛湾でありますか? 防衛用であり、出撃は……』

 

「いや、違う。柱島に戻るよりも宿毛湾で一息つける方が安全だろう。受け入れ態勢は整えられるか、ということだ」

 

『は、はい、それは可能かと思います! すぐに連絡を!』

 

「うむ。頼むぞ」

 

 優秀な人達ばかりで助かります。ベッドの上で指示するだけとか本当にすみませんね……。

 しかし、トラック泊地に出ている部隊を帰還させつつ戦闘出来る準備は整った――!

 

 俺はスマホから聞こえてくる騒がしい音を聞きながら、覚悟を決めるように言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「山元」

 

『っは』

 

「――勝つぞ」

 

『……っは!』




追記:オーパーツと呼ばれたスーパー軽巡洋艦の球磨ちゃんが分身していたようです。大変失礼しました。
(違:球磨 正:川内)


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八十八話 戦【艦娘side・トラック泊地近辺】

 あれからどれだけの時間が経ったのか。

 高く昇っていた日は沈み、長い夜を経て、また日が昇り始めた。

 白む空に目を細める余裕すらなく、今ある光景を一瞬でも逃せば凶弾に沈められてしまうかもしれないという苛烈極まる戦場を、艦娘達は駆け続けた。

 彼のもとで戦えるなら、何かが変わるかもしれないと思い続けて。

 

 それは青臭く、不確かな希望だった。

 

 山元大佐が指示したのであろう航空支援の往復があったために戦線はギリギリのところで維持され続けており、支援の途切れている間に砲撃戦を、支援が来れば離脱して補給を、という戦いを繰り広げていた。

 しかしそれらも往復に時間がかかるため、そう何度も期待はしていられない。

 

 今や航空支援も切れ、純粋に自分達の力だけが試される状況である。

 

 深海棲艦という存在と、自分達という存在が生まれてすぐの頃を思い出す。それほどに激しい戦場。

 かつての日本は我武者羅に戦っていた。艦娘も人を死なせてなるものかと己を省みず戦った。

 

 まるで、かの大戦と、あの大侵攻をなぞっているような戦い。

 

 何が端を発したのかさえ、すでに考えられなかった。とにかく、眼前の敵を打ち倒すしかない。

 

「龍田、射線を切れ! 龍田ァッ!」

 

「天龍さん下がって! 前に出過ぎよ!」

 

「駆逐どもの燃料があぶねえだろうが! オレを盾にして下げろ! おい龍田聞いてんのかッ! 駆逐を! 下げろッ!」

 

 山城の制止を振り切り、天龍が龍田に向かって怒号を飛ばしながら波間を埋め尽くす駆逐級の深海棲艦へ駆け出す。刀型の兵装は既に刃毀れしており、敵艦の装甲をバターのように削ぎ落す能力は失われていた。その代わりに天龍は艦娘ならではの膂力だけで相手を圧し切り、鋸の要領で敵駆逐艦の丸太よりも太い胴と思しき部分を傷つけていく。

 叩きつけ、切れ目のついたところにギザついた刃を立てて思い切り引けば、ぞり、と刀身を伝ってくる鉄と肉を混ぜたかのような感触が脳髄を震わせた。

 

「う、らぁぁあああッ!!」

 

【ォオオオァアアアアッ……――!】

 

「ハァッ……ハァッ……は、ははっ……こりゃ新記録だぜ……! なぁ……!」

 

「天龍ちゃん! 敷波ちゃんと吹雪ちゃんを下げたわ! 補給して戻っ――きゃぁああっ!」

 

「龍田ッ!」

 

「大丈夫……挟叉よ……!」

 

「び、びびらせんじゃねえよ……ほら、右舷接敵だ、こっちに来いッ!」

 

「ふふ、天龍ちゃんとこんなに本気で戦う事になるなんて、ねっ!」

 

 何度も砲撃戦を繰り返しているうちに鼻がやられたようで、海の匂いさえ感じられなくなった龍田だったが、天龍から漂う硝煙のつんとした刺激だけを頼りに追いすがり、薙刀を振るい、時に砲撃をし、敵を退け続けた。

 

 戦場は、地獄という表現以外に最適な言葉が見つからない様相である。

 哨戒班である龍田、天龍、吹雪、そして敷波は、未確認の人型深海棲艦を見事に翻弄し続けフィリピン海を抜けトラック泊地の付近まで誘導に成功した。

 トラック泊地からの援軍が来るかもしれない。あと少し、あと半日、いや一時間、半刻もすれば――無限に思える時間、そう考え続けて戦っていたが、トラック泊地からの援軍は影さえも見えなかった。

 

 それもそのはず。これだけの深海棲艦が湧き続けているのだから、簡単に泊地からここまでたどり着けるわけもない。援護に向かおうとしている艦隊があったとしても、同じように戦わざるを得ないのだろう。

 

 だが見捨てられたわけではない。

 

 黒く染まった結界内でもかすかに聞こえ続ける大淀の声が哨戒班の気力を辛うじて繋ぎ止めている状況だった。

 

 そうして、山元大佐の命令によって出撃した第一艦隊と補給艦隊が合流した頃には、既に夜も更けており、砲雷撃戦も落ち着きを見せた。

 ここまでで沈めた数は艦娘として生を受け、ここに来るまでよりも多く、間違いなく新記録。前人未踏――ならぬ、前()未踏の偉業だろうと確信に至るほど。しかしてそれでも足りぬと敵は湧き続けており、頭目たる深海棲艦の笑い声が海域に響き続け、その影は遠くなるばかりだった。

 

 闇に紛れて補給を済ませ、敵艦を探し出して砲雷撃戦。

 轟音と光に誘われてやって来た新たな敵と戦闘し、またその光に誘われた敵と――ずっとその繰り返しであった。まるで無間地獄。

 無傷で戦い続けることなど土台無理な話で、哨戒班、第一艦隊、さらには補給艦隊まで尽くが最低小破の損害を被っていた。高練度とは言わずとも、敵と戦ってきた経験の多い部類であるため小破で済んでいるとも言えようが、泊地への帰還など絶望的。

 だが航行は可能。だが砲撃戦は可能。だが雷撃戦は可能。

 

 誤魔化すように戦い続けて、朝を迎える前にまた闇夜に紛れて弾薬を補充し、空が白み始めた瞬間、まとまって撃破されないようにと散開して戦闘を再開する。

 

 戦っているうちに、各艦は深海棲艦から発される音だか声だかに耳を完全にやられてしまい、互いの声を通信で補い合うしかなくなっていた。

 考えるだけで伝わる、艦娘に許された素晴らしく便利な機能であるのに、冷静さはそこに回ることはなく、叫ぶと同時に思考として変換し通信を飛ばす形となってしまい、柱島泊地の大淀達へ届く声は凄惨な悲鳴となる。

 

《ザザッ……現在、水上打撃――を先頭――ザッ……ザー……は、先に爆――ザッ――ザザッ……急い――ザザッー……》

 

 互いの声が、通信を押し退ける。

 

「敷波ちゃん、弾薬の残りは――!」

 

「こっちは……持って五、六隻かな……アタシの腕なら七隻かもねッ」

 

 吹雪の問いに敷波が気丈に答えた。吹雪はすれ違いざまに笑いかけ、なら証明してみせてよね、という風に中距離まで迫っていた駆逐艦を砲撃した。それに続き敷波も逆方向から近づいて来ていた軽巡へ砲撃を繰り出し、中破へと追い込む。

 

「七隻は難しいんじゃないかなッ! 敷波ちゃん回避運動をッ!」

 

「はいよ――っとぉ!」

 

 敷波が中破させた軽巡へ吹雪の追撃が突き刺さり、撃沈。

 

 一戦につき数秒から数十秒という高速の戦闘に息をつく間は失せ、完全に日が昇った頃には空の暗さが結界によるものなのか、敵艦からのぼる黒煙によるものであるのか判別が困難になっていた。

 

「っ……へへ、アタシもちょーっとだけ疲れてきたかな……まだ、戦えるけどねッ!」

 

「五隻くらいは落としてもらわなきゃ困るよ? ふふ……あ、っと――次、来ます!」

 

「オッケー! 十九駆の意地の見せどころだねぇ!」

 

「じゃあ、私も特型駆逐艦の初期型として――やらなきゃね――!」

 

 強気な声。だが――

 

「退きなさい二人とも! 道を開くわ――主砲、てぇぇええッ!」

 

 ――吹雪と敷波は涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 もう、助からない。これは無理だ。心の奥底でそんな気持ちが沸々と湧いていたのだ。

 

 轟音が鳴り響き、扶桑の砲撃が吹雪達の頭上を過ぎ、多くの敵を蹴散らすも、すぐに補充されるかのように深海から姿を現す。

 山城も扶桑に合わせ砲撃を叩き込むが、やはり、沈めた数と同じか、それ以上に湧き出す。

 

【フフ……アハハ……絶望シテイケ……終ワラナイ戦イヲ楽シメ……沈ム瞬間マデ……!】

 

 点のように小さく、遠くに見える深海棲艦からの声に、ギリリと歯噛みしていた那智が猛った。

 

「な、め、る……なぁあああああッ!」

 

 ごうん、と一際大きな砲撃音。那智から放たれた砲弾は放物線を描きながら遠くの深海棲艦へ飛来するも、着弾する直前に別の重巡級深海棲艦が割り込み、自らを盾に直撃を回避させた。

 怒りの込められた砲弾を受けた重巡級深海棲艦はあっという間に沈んだが、その背後から――

 

【アラァ……ザンネン、ネェ……? アーッハッハッハッハ……!】

 

「この――っ」

 

 那智の思考が怒りに染まりきった瞬間、そこを狙ったかのように真横から砲弾が飛んでくる。

 三百六十度、深海棲艦が見えない場所が無い。どこから撃たれるか分からない状況で冷静さを欠く事は死に直結すると分かっていたからこそ、吹雪も敷波も、天龍も龍田も、第一艦隊のみなもわざと気丈な言葉を吐き出し続けていた。そうして怒りから意識を逸らし続けていたのだ。

 

 だが那智は一瞬だけ、それに呑まれた。

 

「那智さん!」

 

 夕立と綾波が速力を活かして那智を突き飛ばし、回避させようと試みる。

 だが、遠く、届かない。

 沈む、だめだ、避けて、どうすれば、嗚呼、もう。

 

 二人の思考よりも速く――神通の一歩の踏み込みが凶弾へ届いた。

 

 過集中により完全に瞳孔が開いた状態の神通は存在が希薄で、言葉も、意識すらも全てが状況を打破する事の一点に絞られていた。故に深海棲艦達の視線を抜けられた。

 敵の凶弾へ迫るその速度は、常軌を逸していた。

 

 島風が見たら、きっと嫉妬するだろう。

 第一艦隊も、哨戒班も、飽和砲撃によって自らを守っていた補給艦隊や山元が派遣した軽巡那珂も同じ事を考えた。それくらいに、速く、鋭く――

 

「那珂ちゃん、これが――私達、川内型の戦い方です――常識など、捨てなさい――!」

 

「神通ちゃ――」

 

 ――非常識。

 

「ここ――ッ!」

 

 凶弾に対して真横から掌底を叩きつけ軌道を逸らす軽巡洋艦など、どこにいようものか。

 那智は、神通の名の通り神懸り的な紙一重の一撃に救われたことで冷静さを取り戻して謝罪の言葉を紡いだ。

 

「神通、すまない……助かった!」

 

「っ……問題、ありません……!」

 

 それと同じく、神通の腕が震えている事と、痛みをこらえているような表情に気づいた。

 

「……ちぃっ」

 

 心を乱し、和を乱し、連携を崩そうとする狡猾さを失わない深海棲艦達を睨みつけ、那智は砲雷撃戦を再開。

 

 終わらない。終わる気配が、ない。

 

 

 ふと、深海棲艦達の動きが変わる。道をあけるように動いた先には、あの未確認の深海棲艦。

 

【――怖イネェ……悲シイネェ……? ソウ言エバ……提督、大丈夫カシラァ……?】

 

「ッ――!!」

 

 何故知っている? そんな事にも気が回らない。

 ただのブラフである可能性への考慮も無い。

 

【援軍モ、モウ来ナイノカシラネェ……? アナタ達、提督ニ、見捨テラレチャッタノカモネェ……!】

 

 全艦の弾薬はまだ残っている。燃料も、航行に足る。継続戦闘は、もう少しだけならば可能だ。

 だが――補給艦隊から補給をすればの話。ここまで戦わせておいて、あの深海棲艦は動く気配を見せなかった。今になって突如として妙な動きを見せたのは――全員の戦意を完全に喪失させるためだった。

 

「何を、言って……提督さんは……」

 

 夕立の瞳が揺れ、綾波が声を聞くなと言おうとするも、間に合わず。

 

「提督さんは夕立達を、見捨ててなんか……」

 

【本当カシラァ……!? アッハ……アーッハッハッハッハ!】

 

「ッ!! 提督さんは皆を見捨てたりなんかしないっぽい――ッ!」

 

「夕立さん、待っ」

 

 夕立が吠え、駆けた。

 その時、未確認深海棲艦の脚部と思しき部分が、ばくん、と口を開き、砲身が姿を現す。

 火を噴いた。それは影のような砲弾を一直線に放った。

 

 ソロモンの悪夢とまで呼ばれた夕立の驚異的反射神経にかかれば、回避は不可能じゃなかった。

 しかし、長時間の戦闘行為によって身体にほんの少しの歪みが生じており、その歪みは――がくりと足から力を奪う。

 

【遅イ……ザンネェン……――】

 

「えっ……ぁ……」

 

「夕立さんッ!」

「夕立!」

 

 誰の声が夕立を呼んだのか判別すらつかぬ間に、爆炎が上がる。

 

「が、ぁう……げほっ……ぁ……」

 

 直撃。夕立は艤装を大破させ、その場にどしゃりと倒れ込んだ。

 海面に浮かぶだけの存在となった夕立にすぐさま駆けた綾波が、腕を掴んで引き上げ、離脱を試みる。

 

「夕立さん、立って! 私に寄りかかっていいですから、立って! お願い……ですから、立ってください……! 一度離れましょう……! は、はやく……!」

 

 綾波の震えた声に、夕立は「ぅ……ぁ……痛、いよぉ……」と涙を流しながら返答ともつかぬ声を上げた。

 

「夕立! くそ、龍田、援護に回るぞ!」

「はぁい! 扶桑さん、山城さん、お願いします!」

 

「殿は引き受けるわ、これでも戦艦――装甲で受けられます!」

「姉様、一度副砲で周りを牽制します!」

「えぇ、山城、お願いね……残弾で道を開くわ!」

 

 ぞろ、ぞろ、と距離を詰めてくる深海棲艦達。響き渡る笑い声。

 

 全艦娘が一時的に下がるべきだと判断して航路を開こうとするも、互いの通信すら認識できないほどに混乱が広がっていた。

 

「また数が増えて来てるぞ! 航空支援はまだかよ!?」

「那珂ちゃん、前に出ますよ、少しでも時間を稼ぎましょう!」

「神通ちゃん左舷に接敵! ここは引き受けるから、先に前へ!」

「ここはこの那智が受け持つ、補給艦隊は夕立と共に下がれ! 早く! はやぁく!」

 

 もうだめだ、仲間が沈む。私達はここで、終わる。

 

「最大戦速! 行け! 行けェェッ!」

 

 叫び過ぎて天龍の喉は枯れ、酷く醜い声となっていた。

 カラスの方がよっぽど聞こえが良いと思えるほどの声は全員の危機感をあおるのに十分で、疲労と絶望が精神を蝕んでいく。

 

 間違いなく、この戦いは歴史に残るものだろう。

 連合艦隊に補給艦隊まで追加されて、大規模作戦でも何でもない緊急出撃で一日以上も戦闘を継続しているのだ。寝る間も無く、ただ砲撃を繰り返し、ただ雷撃を繰り返し、海面には死が広がっている。

 

 数多の深海棲艦の死体を踏みつけ、血液なのか重油なのかも分からないどす黒いものと海水に塗れて、全身が悲鳴を上げても動き続けるのを映像に残したのならば、きっと教科書にでも使ってもらえるのではなかろうか。

 まあ、艦娘自体を好いていないような人もいるのだから、意味も無い考えかもしれないが。

 

 通信越しに互いの思考が混ざり合うような、全てが海の色に消えていくような恐ろしい感覚だけが、すんでのところで生命をかろうじて保っていた。

 

 この蜘蛛の糸よりも細いと思しきものが切れた時、全員、倒れ伏し、沈む。

 

《こちら大淀――ザザッ――現在――ザッ……ザー……泊地に向かっ――ザザッ……》

 

 大淀の声が聞こえるも、うまく通信を受信できず。

 それよりも航空支援はどうしたんだと誰かが怒鳴った。

 

 まだ来ない。いや、もう、来ないのかもしれない。

 

 一瞬だけ浮かんだ絶望を見逃さず、深海棲艦は恐ろしい声を上げた。

 

【アァアア……ゲッゲッゲ……オォオオオオアアア……】

【ォオオオォォォォオォォォオオォ……――】

 

「くそっ……くそっくそっくそっ! どうしてこんな……!」

 

 常に前を向いていた天龍が陰る。

 

「天龍、ちゃん……まだよ! 前を向くの! 私達が戦わなきゃ誰が戦うの!」

 

「わかってる……わかってんだよ、そんな事ぁ! でもっ……オレ達がいくら、戦っても、減りゃしねえ……ただ湧いて出たような深海棲艦でも、ねえんだろうが……!」

 

「それは……」

 

 黒く染まる思考を、誰も間違いとは言い切れなかった。

 ただ湧いただけのものではない。確かにこれは、意図的に湧いて出た深海棲艦だ。

 

 人々を脅かす存在を、どうして人為的に呼び出すのか理解が及ばない。

 

 守るべき人々がどうして死へ向かって歩むのか分からない。

 天龍の思考は、さらに鈍っていく。戦意が薄れていく。

 

「守らなきゃなんねえ……でも、守られる気もねえ奴らが呼び出したんだぞ、こいつらをッ……! どうしてオレは、こいつらと戦ってんだ……!」

 

 皮肉にも、戦闘こそが軍艦の、艦娘の華であると信じて疑わない天龍は、自分の奥底にある本質に気づくのだった。

 守りたいのだ。愛すべき人々を。愛されるべき人々を。なのに、その人々は一度自分を裏切った。

 

 さらには、本来ならば必要のない戦いに駆り出し、死を突きつけてきている。

 

「く、そぉっ……! あぁぁぁぁあああッ!」

 

「天龍ちゃん!」

 

 龍田を横切り、さらには殿であった扶桑と山城をも振り切って深海棲艦の群れへ突っ込んでいく天龍。

 それに気づいた全員が援護に砲撃を加えるも、それより速い速度で天龍は深海棲艦達を切りつけた。

 

 がこん、と艤装が死屍累々となった深海棲艦の残骸にぶつかって傷つくも、止まらない。

 

「……ぅ、うぁあああああああっ!」

 

「那珂ちゃん! 待って!」

 

 天龍のあまりに悲しい戦いぶりに、那珂が振り返って駆け出した。

 神通もそれを追いかけ、離脱しようとしていた艦隊は動きが鈍ってしまう。

 

「このっ! このぉっ! 皆から、離れてッ!」

 

 那珂の砲撃を食らっても、深海棲艦の波は止まらない。収まらない。

 一度狂った歯車は永遠に噛み合わなくなってしまう。すれ違い続けてしまう。

 

 いびつなままに動き続ければ――残る道は、崩壊のみ。

 

【アハハハハ! ソウ! ソウヨ! ソレデイイノ――モット、絶望シテイケ――!】

 

 赤く染まる空に、黒く濁る海に声が染みていく――。

 

 

* * *

 

 

 ぶううううん、と低い音が響き渡った。

 

「ッ……な、何だ……?」

 

 海面が影で埋め尽くされた。天龍が唖然と空を見上げる。

 続いて、炸裂音が連続し、離脱しようとしたがその場で立ち止まることとなった第一艦隊と哨戒班、補給艦隊の航路が強制的に開かれる。

 

 空を埋めているのは空母から発艦したであろう艦載機の群れで、仲間であると理解できるものだったが、鹿屋基地、岩川基地から来たものにしては数が少ない。

 

 那智は今しかないと声を張り上げた。

 

「全艦反転! 全艦反転だッ! 一時離脱を開始する! 補給艦隊、早く行け!」

 

「ぜ、全艦反転!」

 

 那智の言葉を聞いてハッとした那珂が理性を取り戻し復唱した事で、全員が敵に背を向けて離脱を始める。天龍は半ばヤケクソになりながら刀を振り、近場の深海棲艦を切りつけてから離脱を開始。

 

 深海棲艦達との距離が開いたのを見計らったように艦載機の群れが不規則な動きで多くの深海棲艦達を攻撃し始め、追手の数がどんどん減り始めた。

 

「岩川か? 鹿屋、にしても、この艦載機の動き……変だぞ……!」

 

 多くの敵と間近に戦ってきた天龍が背後に広がる頼もしくも恐ろしい光景を見つめて呟く。

 

 岩川から来たものも、鹿屋から来たものも、航空支援の際は編隊を組んでいた。

 規則正しい飛行で一直線に道を切り開くような爆撃だったのが、ここにきて不規則になるなど何があったのだと疑念を抱かせる。

 

 もしや資源に限界が見えてきたために各個撃破に切り替えたのか、とも考えた。

 

 しかし答えは違った。

 

 海の底から震わせるような叫喚が辺りに響き渡り、全艦隊の身体に直接音を叩きつけた。

 汽笛だ。これは、戦艦の汽笛だ。

 

 誰よりも先にいて、大破した夕立を逃さねばと動いていた駆逐艦の綾波の声が、通信を通して聞こえた。

 

「ぁ……あぁっ……! え、援軍、です……援軍が来ました……!」

 

 そして、陽気な声が怒りに染まっているのを聞いた。

 

「ヘェイ、お待たせしましタ! 水上打撃部隊のお出ましネー! 間に合った、みたいデスネ……!」

 

「金剛さん!!」

 

 援軍が組まれたのか? もしや山元大佐が――いや、違う――。

 天龍達の脳裏に否定の言葉が浮かんだのは、その水上打撃部隊よりも後方に影が伸びていたからだった。

 あのような()()()を動かせるバケモノを、天龍、ひいては柱島の艦娘は、知っている。

 

 声を聞いたわけでも無ければ、通信統制している大淀の声すら既に思考に入り込まないくらいに必死だったのに、たった一つの光景を見ただけで提督は生きているのだと確信させた。

 

【今更、来タノカ……? エェ……? シズメ――!】

 

 戦艦とは思えない速さで天龍達と入れ替わり戦場へ突っ込んでいく金剛に、誰かが「危ない」と言った。

 その言葉通り、金剛は深海棲艦から集中砲火を食らい、多くの挟叉が生み出した海水を被る。

 

【ハハ、ハハハハ! 逃ゲラレナイワヨォ……!】

 

 おぞましい声に、今まで戦っていた艦娘達の背にぞくりとした感覚が走る。

 しかし金剛の笑みは消えず。いや、笑みに――怒りを灯して、ぎらりとした歯を見せた。

 

ok……it's fine(そう、そう来るのネ)

 

 金剛が右手を上げると、ざざ、と波を切り裂いて、比叡、霧島、榛名が背後に追いつく。

 

「私達の仲間を泣かせたこと……後悔させてあげるネ」

 

 すっと右手が前に振られると――比叡と霧島が、どん、どん、と砲撃を放った。

 それらは扶桑と山城が屠ったほどの数を一挙に沈ませるに至るも、まだ、湧き続ける。

 

「霧島」

 

 金剛が名を呼べば、霧島は眼鏡を指で押し上げながら言った。

 

「比叡姉様との砲撃で撃沈した数、爆風に巻き込まれた数も合わせれば……殲滅は可能な範囲かと」

 

「比叡」

 

 次に名を呼ばれた比叡は、顎に手を当てて、うーん、と軽い声を上げながら言う。

 

「そうですねぇ……ティータイムにはちょぉっと間に合わないかもしれません。()()()()()()()()

 

「Hmm……榛名は、どう見るネ」

 

 榛名は金剛達の背後から前に出ると、警戒を強める周囲の深海棲艦を見て、一言。

 

「撃ち漏らしても片付けられそうなので、榛名は大丈夫です!」

 

「……フフ、なら、オッケーデース」

 

 金剛はさらに笑みを凶悪に歪ませ、怒りと理性の均衡を保つように拳を握りしめ、右手の中指を相手に向かって立てた。

 均衡を保とうにも――怒りに傾いているのだぞ、と見せつけるように。

 

 そこで天龍達に、やっとのことで大淀の通信がはっきりと届いた。

 

《水上打撃部隊、空母機動部隊、補給物資輸送部隊、現着しました。呉の補給部隊と合わせて海域の周回を開始します――全艦、行動を開始してください。現場の指揮は、連合艦隊旗艦、大淀が執ります》

 

 全てを塗りつぶす絶望を――圧倒的な()()()で覆す指揮がそこにあった。

 

 天龍達が唖然とする目の前で、夥しい数の深海棲艦(ぜつぼう)と、艦娘(きぼう)が相対する。

 

 欠陥と呼ばれた艦娘ばかりのはずなのに、天龍の目には、龍田や、戦い続けて来た哨戒班や第一艦隊、補給艦隊の目には、涙が浮かんでしまう。

 

 先頭を切って前に出た金剛達もまた、欠陥のはずなのに――美しく、気高く、義憤を纏って仁王立ちしていて――

 

「ンだよ……く、そ……おっせえんだよ……!」

 

 ――どうしようもなく、頼もしかった。

 

 欠陥として左遷された金剛型戦艦は――確かに、艦隊を組むことを前提に考えれば、個々としての能力は突出していると言えず、一隻、または二隻ずつの配置では力を思うように発揮できなかった。

 ただでさえ戦艦の燃費を考えれば多くを投入するなど考えられず、かといって一隻や二隻程度の敵艦にぶつける火力でも無く、使いどころが限られる存在。

 

 それらから導き出されるものは、極めて単純なものである。

 ただの一度もそれらが発揮された事は無いが――

 

 

 

 

 

 

Bring it on, mother fxxker(かかってきな、クソッタレども)

 

 

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()状況に、四隻が揃った時こそ――彼女らの本領が発揮されるのだ。



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八十九話 戦②【艦娘side・水上打撃部隊】

 金剛型戦艦は――戦艦にあって、戦艦にあらず。

 

「比叡、榛名……霧島。テートクが用意してくれたパーティの場デス、ドレスをあまり汚さないようにネ」

 

「わっかりましたぁ! 気合、入れて、いきます!」

 

「榛名、頑張ります!」

 

「はい、金剛姉様。さて……どう出てくるかしら」

 

 彼女らは、速力は最大の防御という思想のもと建造された軍艦であった過去を持つ。潜水艦や航空機によって漸減された戦場に現れ、戦艦としての火力を存分に発揮して敵戦艦を打ち倒す――そういった想定で建造されるのが戦艦だ。

 しかし、実際のところ本来の意味での活躍の場は無く、様々なしがらみに加えて戦況と作戦が噛み合わず、戦艦として理想的な戦場というものに恵まれる機会は訪れなかった。航空機の活躍によって戦場は掻きまわされ、戦艦同士の砲撃戦というものも真正面から行われることなど殆どなく、金剛型の強みである速力が空母機動部隊と行動をともにできるものであるとして、便利に使われてきただけだった。

 改装に改装を重ね、使い勝手の良い速き戦艦となれど、金剛は()()としての意を求めた。強く、雄々しく、美しく、戦艦としての本懐を遂げたかった。

 

 兵力を投入するような場面で、旧型の軍艦であるにもかかわらず、とにかく使えるものはなんでも突っ込めという形で海を駆けた。海軍からしてみれば旧型でも性能はあり、失われても痛手とならない艦として積極的に投入された彼女らは最も活躍した戦艦と言われている。

 

 巡洋艦よりも小さな艦を圧倒し、戦艦を相手に取らず。

 速力を活かして巡洋艦と直接殴り合うことの無いように――改装を重ねられた後の金剛にとって、そんなものは犬の糞以下だと吐き捨てたくなるもの。

 相手など関係ない。私は、私達は逃げるために速さを得たのではなく、誰よりも先に敵へ立ち向かうための速さなのだ。

 

 私は戦艦だ。弱き者の盾となり、敵を貫く存在でありたい。

 力を活かし、速力を活かし、全てを薙ぎ払える存在でありたい。

 

 だからこそ、彼女らは燻っていた。

 

 本来、自分達は戦艦であり、艦隊決戦の場において活躍するべき存在だ。

 だが彼女らはただの戦艦ではない。

 高速、と名付けられたように、戦艦にはない速力を持つ。

 目覚めた時、自らの身が改装された艤装に包まれていると知って歓喜したのもつかの間だった。艦娘となってから、それらが活かされる機会など、とんとやってこなかったからだ。

 

 彼女らは燻っていた。

 

 当初、主砲には十二インチ五十口径連装砲塔五基の搭載を予定していたが、砲身にブレがあって命中率が下がってしまう事が明らかとなり、一基減らして十四インチ四十五口径連装砲塔四基の搭載となった。重量もさして変わらず、火力を確保することに成功したのである。副砲の搭載位置も後部艦橋を取り払う事で効率的稼働を可能とした。

 

 しかし、搭載数が減る、という事は単純な砲撃数に差異が出る事となる。

 艦娘となってからもそれらは艤装に現れており、戦艦としてはスリムな形となった。

 それらは彼女達に多くの不満をもたらした。

 

 故に、()()()()()

 

 彼女らは戦艦にあって、戦艦にあらず――過去に多く改装を経ている。

 元々は装甲巡洋艦として計画されていた彼女らは、船体延長や機関換装を施された結果、高速戦艦となったのである。

 

 海原鎮が彼女らをよこした戦場は、まるで彼女達が今まで出来なかった事を全てやって来いとでも言っているような、彼女達にしか出来ない要素を全て詰め込んだ場所であった。

 速力が無ければ突破出来ず、装甲が無ければ耐えられず、燃料を多く貯えられなければ継続戦闘など望むべくもない。

 さらには彼女達が存分に活躍できる編成がなされており、金剛型のみならず、軽空母鳳翔や、重巡洋艦足柄、第二艦隊には球磨型軽巡洋艦達や、駆逐艦島風、時雨といったあらゆる状況に対応しうるバランスが確立された水上打撃部隊――。

 惜しみなく戦力が投入された決戦の場で、戦うことができる。

 

 彼は知っている。私達の事をどこまでも、見ている。

 自分達の出来る事と出来ない事を分かっていて、それらを采配し、出撃させている。

 

 艦娘となって抒情的となった金剛は、立てていた中指をすっと下げると、今度は胸が痛むような仕草をした。両手で胸を押さえ、目を閉じた。

 

「……テートク」

 

 その感情の名を、彼女、また彼女らは知らない。

 だが一つ分かることがある。

 今までならば、兵器がそんな必要のないものを持つなと言われる部類のものである、と。

 

 彼ならば今の金剛を見てどう言うだろうか? と考え、かつて、一度だけ訪れた執務室で交わした会話を思い出していた。

 金剛は姉妹がバラバラにされないように、出撃しなくとも、離れることがないようにと歎願した事があったのだ。

 

『テートクゥ! 私達を引き取ってくれてThank youネ!』

 

『金剛か、おはよう。礼を言われるようなことは無いが……至らんことの多い私を、よろしく頼む』

 

『oh……そ、そんな事ないネ! それと、急にこんなことを言う、のは……おかしい事だって、分かってるんだけど……その』

 

『うむ? なんだ、私に出来ることであればいいのだが』

 

 ここまで言っておいて、礼儀がなっていなかったかと後悔するも、それより、自分達を離れ離れにしないでほしい――と頼む事で頭がいっぱいだった。

 口にするまで数十秒の逡巡があった。意を決して口を開こうとした時のこと、提督となった男は、先ほどまで鋭い目で書類を睨んでいたのに、目じりを下げ、自分を愛おしそうな表情で見た。もしかすると、勘違いで自意識過剰であっただけかもしれないが、金剛はその時確かに感じたのだ、自分の知らない感情を向けられている、と。

 

『きっとこれから、私はお前達、金剛型の()()にたくさん頼ることになるだろう。その前払いになるのだから、遠慮せずに言ってくれ』

 

『ぁ……』

 

 彼の言葉を聞いた瞬間、戦場に立つ今と同じ感情と痛みが胸を襲った。

 耐えられないほどの痛みだった。頭の中にある全てが爆ぜ、混ざり、淡い色の塊となって瞳から溢れ出たのだった。

 

『こ、金剛ッ!? 何故泣くのだ! そんなに難しいことをお願いしようとしていたのか!? 確かに私に出来ることは多くないが、とりあえず言ってみてくれ、最大限の努力をするから……! あ、あー……泣かないでくれ、頼む……せっかくの美人が台無しだぞ、な……!?』

 

『No……It's OK……ぐすっ、え、えへへ……そ、そっか……テートクは、そういう、人なんデスネ……』

 

 兵器が涙を流す。それだけで憤慨する者達ばかりだったのに、彼はポケットをひっくり返しながらハンカチを探し、無いとなれば執務用の机に身体をぶつけながら立ち上がる狼狽っぷりで近づいてきて、軍服の袖で彼女の目元を優しく何度も拭った。

 大丈夫だと言っても溢れ続ける涙が止まった後は、提督にお礼を言って、なんでもない、あなたならば、きっと大丈夫なのだろうと伝えて部屋を出て、姉妹達にもそれを伝えた。

 比叡や榛名、霧島も、着任初日に壇上に立つ彼を見て思う所があった様子で、さらに金剛が涙を流すほどの相手であるのならばと信じた。

 

 金剛型戦艦――その長たる金剛が抒情的であるのならば、妹分たちもまた然り。

 こと、戦場においてそんな場面を思い出すほどに、彼女らの目は輝いていた。

 

 熱が上がらず、もやもやとした黒い煙だけが渦巻いていた彼女らが今、爆ぜようとしていた。

 

「ホーショー、様子は?」

 

 金剛が通信越しに第二艦隊と共にいる鳳翔へ声をかければ、空を飛びまわる艦載機の一つが後方へ戻って行くのが見えた。

 旧型であるのに、その動きはどの航空機よりも機敏で、あれが鳳翔の操るものであるのは誰の目にも明らかだった。

 

《ザーッ……――前方、未確認の深海棲艦まで、駆逐艦と軽巡洋艦、混在して七十から八十といったところです。まだ湧いてくるかもしれませんので、倍以上になる可能性も……金剛さん、本当に四人だけでよろしいのですか……? 大淀さんは、四名でもいいとは、言っていましたが……》

 

It's no big deal.(大した問題じゃないネ) デショ?」

 

 通信を統制している相手へと名も呼ばず同意を求めるように言えば、金剛と同じく、まるで気にしていないという風な声が帰って来る。

 

《ザザッ……こちら大淀。問題無しと見ています。鳳翔さん、敵深海棲艦の記録は完了していますか?》

 

《記録は出来ています。後で艦載機を明石さんに提出すればいいんですよね?》

 

《はい、よろしくお願いしますね。では金剛さん、漸減を任せます》

 

「OK」

 

 ぷつん、と通信が切れたのを聞き届け、金剛は周囲に蠢く深海棲艦を見た。

 

【艦娘――風情ガ――!】

 

 鼓膜に爪を立てて引っ掻くかのような痛みを伴う未確認深海棲艦――提督は、軽巡棲鬼と呼称していたか――の声に、金剛達は目を細めるだけ。

 

【数デ押セバ、勝テルト思ッタノカ――マダマダ、コチラガ有利ナノニ変ワリハナイノニナァッ……! ハハハハ!】

 

「Hmm……? おかしな事を言いますネェ。海藻でも耳に詰まってるノ?」

 

 金剛は相手を煽るように指で自分の耳をとんとん、と示した。

 

【コノッ……】

 

All’s fair in love and war.(愛と戦争は、いつだってフェアなのヨ)

 

【~~~ッ! シズメェエエエエ――ッ!!】

 

 ぞわ、と深海棲艦達が動いた。

 金剛が猛る。

 

「比叡、合わせて! テートクのハートを掴むのは、私達デース!」

 

「はいッ!」

 

 比叡が前方へ出た瞬間、金剛が後方へ滑り込む。前傾姿勢となった比叡の艤装がぎゃりりと音を立てて動いた。

 金剛は仁王立ちのまま両足に力を込めて声を張り上げた。それに続き、比叡も吼える。

 

「Burning Looove!」

「主砲、斉射、始め!」

 

 轟音が波を退け、二人を中心にして円状の波が巻き起こる。

 戦艦二隻の砲撃の威力ときたら、敵駆逐艦が紙切れのように噴き飛ばされるほど。

 

 だが、これが本領では無い。

 

「榛名、霧島! Let's roll!」

 

「主砲! 砲撃開始!」

「主砲、敵を追尾して! ……撃て!」

 

 金剛、比叡に続き、榛名と霧島が二人を挟むように移動し、瞬きも許さぬ間に連撃に加わる。

 通常の戦艦では在り得ない攻撃方法。この金剛型四姉妹をして、可能である唯一の砲撃。

 

 主砲を交互に使用することによる――四隻同時射撃。

 

「まだデス! そこに届くまでノックしてやるデースッ! Ding-dong!」

 

 連撃。

 

【グッ……!? オマエタチ、モット、モット前ニ出ロ! 私ヲ守レ!】

 

 連撃、連撃。

 

「ヘイヘイヘェエエエエエイッ! まだMain gunの温度は低いままネ!」

「お姉様、弾薬五パーセント消費です!」

「六……七……まだ、気合、足りませんね!」

「三十パーセント消費まで二十パーセント切りました!」

 

「All right! Battle fieldを広げますよ! 第二艦隊のために!」

 

【マ、マダダ……オマエタチヲ絶望デ、シズメテ――】

 

 連撃、連撃、連撃。

 

【間ニ、合ワナイ……!? フザケルナ!! 絶望ニ染メテ、艦娘ヲ、深海ヘ――絶望ノ水底ヘ――!】

 

「お姉様、十六パーセントを超えました! 残り、十四パーセントです!」

 

 榛名の声に金剛が「出し惜しみは無しデース!」と言葉を返した。

 すると、鉄の雨のように降り注いでいた砲弾が増える。

 

 軍艦ではなく、艦娘であるからこそ実現された機銃掃射もかくやという四人の連撃は――やはり、非常識と言わざるを得ないものだった。

 

「umbrellaは持ってますカー!? heavy rain showers(局所豪雨)に注意ネー!」

 

【コノ程度……耐エラレ――】

 

「――彼女達は、夜が明けるまで耐えましたよ」

 

【ッ――!】

 

 轟音で辺りが埋め尽くされているはずなのに、霧島の声は、はっきりと軽巡棲鬼の耳に届いた。

 たった四隻、されど四隻の集中連撃に、百に迫る深海棲艦と軽巡棲鬼は押されている。

 

 かたや百に迫る深海棲艦達の攻撃を、ボロボロになりながら耐え抜いた第一艦隊と哨戒班、補給艦隊の面々の表情を思い出し、軽巡棲鬼は奥歯が砕けるほどに噛みしめた。

 だが、これを耐えれば――と軽巡棲鬼はさらに深海棲艦を呼び寄せる。

 

 呼んだそばから沈められる。海面に顔を覗かせた瞬間に砲弾に直撃し、爆炎をあげながら沈んでいく。

 ならば潜水艦を呼ぶべきか? 馬鹿な、そんなものを呼んだところで、後方にはそれ以上の艦娘が控えている。軽巡棲鬼から余裕の表情は失せ、焦りが生まれ始めた。

 

「残り、十パーセントです!」

 

 比叡の声に、一瞬だけ軽巡棲鬼の目が見開かれる。

 これを耐えれば反撃の余地が――

 

「オーケイ……()()()()()()()は決戦用に残しておくネ」

 

【ハァ……ッ!?】

 

 今、艦娘達は、なんと言った?

 

 三十パーセントしか使っていない――?

 ここに来るまでに、道中でも接敵があったはずだ、と軽巡棲鬼は考えた。

 ただ恐怖をあおり絶望させるためだけに艦娘を追っていたわけではない軽巡棲鬼は、そこらに転がっている深海棲艦達とは比べるべくもない知能を持っている。言葉を介し、相手の感情を揺り動かせる知性がある。ならば戦略的なことを考慮する知恵だって持ち合わせている。

 

 フィリピン海から南下していく艦娘達を追跡しながら、彼女達を徐々に消耗させつつ、軽巡棲鬼は多くの深海棲艦を遠洋へばらまいてきた。

 彼女らとて愚かではない事を知っているからだ。

 どこかで必ず援軍が駆け付けるであろうことは予想していた。それらをも消耗させ、戦場に現れた時には彼女らを絶望に叩き落せるだけの数を用意して沈めてやろうと目論んでいた。

 

 それが、まだ弾薬を余しているだと?

 

 物資補給艦隊が来ていると言っていたか。しかし相当な数の艦娘だ。単純に多くの補給艦を用意していたとしても、給油にだって補充にだって時間は取られるはず。消耗した矢先に補給してやってきたのか? それにしては早過ぎる。

 ならばどうやってここまで来たのだ。

 

 ちらりと空を見やれば、航空機が見える。

 そうか、航空機で道中を片付けてきたのならば辻褄は合う。

 

 しかし、そう考えれば違う違和感が現れる。

 

 ――何故、艦載機が途切れなく攻撃を続けられるのだ?

 

 鋼鉄の雨の中で傍受した艦娘の通信がそれに対する答えとなる。

 

《こちら空母機動部隊、赤城。第一次攻撃隊を帰還させました。これより第二次攻撃隊の発艦を開始――》

 

《こちら大淀、空母機動部隊の皆さんは航空支援に間を置かないよう、補充を続けてください――物資補給艦隊の皆さん、残りの報告を》

 

《こちら補給艦隊、長良です! まだまだ残ってますよー! 消費率は二十パーセントと言ったところです!》

 

《了解しました。では第一艦隊と哨戒班が宿毛湾に戻れるように物資を分配し、残りを空母機動部隊へ充ててください。発艦位置を気取られないよう、海域の移動は絶え間なくお願いします》

 

《こちら暁! 了解よ! レディーに出来ないことは無いんだから!》

 

《……ふふ、頼もしい限りです。第六駆逐隊の小回りを活かして、周回をお願いしますね》

 

《ザザッ……ザー……私だ。問題は》

 

 低い声が通信に割り込んだ時、戦艦達からの砲撃がさらに激しさを増した気がした。

 

《はい、問題ありません提督――予定通り、金剛さんたちが道を切り開いています》

 

《ふむ……やはり金剛型は四隻揃ってこそだな。補給を決して切らすな。常に最大火力を発揮出来るようにして敵勢力を殲滅しろ。万が一、中破した者が出た場合はその場で即座に護衛艦を付け撤退するように。柱島に指示してすぐに追加の者を送り出せるよう、編成する》

 

《――っは!》

 

 艦娘が大艦隊を編成してきた理由が理解出来た瞬間、軽巡棲鬼の目に焦りとも怒りとも、絶望ともとれる複雑な色が宿る。

 ――単純な物量で潰そうとしていた自分とは違って、彼女らには司令塔がおり――その司令塔は、さらに上の司令塔を持っている。

 

 二分された管理体制のもと、海上に()()()()()()()()()()()()()持ち出してきやがった――!

 

 倒しても、倒しても、また新手が来てしまう――軽巡棲鬼の手法を、そっくりそのまま、さらには司令塔まで個別に用意して潰しにかかってきやがった――!

 

 それに気づいたところで、既に軽巡棲鬼が生み出した絶望へ続く多くの選択は潰えた。

 

 思考する間に、海上に立つのは、

 

「――だいぶ綺麗になりましたネ」

 

 ――戦艦四隻と、多くが残骸となり果てた深海棲艦と、軽巡棲鬼のみとなる。

 

 

* * *

 

 

 軽巡棲鬼にとっても、艦娘にとっても、経験したことのない戦いだった。

 

 苛烈極まる戦場において一度でも押してしまえば、なし崩し的に戦況は覆るということを忘れて一方的なものとなり、あとは時間の経過とともに終わりを迎えるのが殆どであった。

 ここにきて定石通りなのに、定石通りに進まない意味不明な状況に置かれた軽巡棲鬼は、なりふり構わずに突撃してきた軽巡洋艦の天龍のように猛り狂って深海棲艦を呼び出し続ける事しか出来なくなった。

 

 後方でニヤついていたのに、今や自らも砲撃戦に参加してどうにか砲撃を加えんと躍起になって叫ぶ。

 

【サセヌ……サセヌワ……ッ! シズメ、欠陥ドモメッ!】

 

 金剛、比叡、榛名、霧島の連撃は止んだが、軽巡棲鬼にとっての絶望はまだ終わらない。

 

 今まで以上に呼び出した深海棲艦に同じ連撃を加えてくれば、弾薬を打ち尽くして一度下がるしかなくなるだろうと目論んでいたところで、第二艦隊が追加で投入されたのだ。

 

 尽く、術中。

 

 水上艦だけでは圧し切れない、やり過ごせない。

 さらに潜水艦まで呼び寄せたが、軽巡棲鬼は投入された第二艦隊の編成に気づいて、愕然とする。

 

 軽巡洋艦――さらに、駆逐艦――打撃力のある戦艦を前に押し出して、あとから軽巡洋艦や駆逐艦を投入するなど、決戦における定石と真逆の行為に、どうしてここまではめられているのだと頭をかきむしった。

 

「うわ、潜水艦までいるっぽいじゃん。こりゃ私達が呼ばれるわけだねえ」

 

 戦場に不釣り合いなほどに軽い声。軽巡洋艦北上の言葉に、大井がイラつきを隠さない口調で言う。

 

「こんっな汚らわしい場所に北上さんを連れ出すなんて、あの男、帰ったら絶対に魚雷をぶち込んで――!」

 

「大井、口が悪いクマ……お姉ちゃんは悲しいクマァ……」

 

 球磨が眉尻を下げて嘆くような素振りを見せると、大井はわたわたと両手を振って「ちっ、違うんです! 魚雷を、ぶち込みあそばせてやるわあの糞男と言いたかっただけで……!」と言えば、多摩がのほほんとした雰囲気で言葉を返した。

 

「全然綺麗な言葉遣いじゃないにゃ。なんなら――ちゃーんと、生きて帰るつもりにゃ」

 

「多摩姉さんまで……! 私が言いたいのは! 北上さんをこんなきったないところに連れてくるような采配をした提督に腹が立つということで――!」

 

「でも、北上が傷つかないように大艦隊にしてくれたのかもしれんにゃ?」

 

「っ!? た、確かに……! でもそうすると、提督は北上さんを傷つけたくないという……まさか北上さんを狙って――!?」

 

「どんだけぶっ飛んだ理論で言ってんだクマ。いいから潜水艦沈めてこいクマ」

 

「むっ……い、言われなくても仕事はします! それじゃあ北上さん、一緒に……」

 

「んぁ? あ、あー、うん、そうだねえ。大井っちと一緒なら、魚雷も光るってもんだもんねー」

 

「北上さぁん……!」

 

 どうして、笑っている。先ほどまで絶望していた癖に、お前達はどこを見ている。

 軽巡棲鬼が怨嗟の言葉を吐き出そうとした時、航空機の攻撃に気づけず、弾丸が頭を掠めた。

 

 ばちん、と髪留めが切れ、ばさばさと髪の毛が落ちる。

 

【コ、ノ……艦娘メェエエエエェエェエェッ!】

 

 軽巡棲鬼が拳を握り、金剛達が到着した際に鳴らした汽笛よりも大きな声を上げた。

 するとそれに呼応した深海棲艦達の動きが早まり、第二艦隊へ襲い掛かる。

 だが、第二艦隊の面々に焦りの色は一切無かった。

 

 あるのは、必ずや打ち勝つという意志のみ。

 

 徹底的に撃滅へと絞られている無駄のない行動は、北上と大井の二人が交差しながら航行して互いに魚雷の航跡の上を走らないようにしている事からも分かるほど。

 さらには、球磨や多摩も水上艦の撃滅へ一役買っており、金剛達が討ち漏らした残りカスのような深海棲艦達へ確実にとどめをさしていく。

 

 まだ負けていない。私は無限に深海棲艦を呼び出せる。

 軽巡棲鬼の驕りが、さらなる悲劇を呼び寄せた。

 

【ッハハハ! ナラ……オマエタチガ、絶望スルマデ……何度デモ……――】

 

「直上、注意が疎かになっていますよ」

 

【ッ――ガハッ……!?】

 

 鳳翔は軽巡棲鬼が通信を傍受しているであろう事に気づいており、あえてそれを伝えず、静かに、矢を放つ瞬間を見逃さないよう息を殺して待っていた。

 頭上に飛ぶ多くの艦載機に交じっていた鳳翔の艦載機――熟練した妖精が搭乗する九九式艦上爆撃機が風を切って迫っており、それが放った攻撃によって視界が煙った。

 

 さらに、

 

「第一戦速、砲雷撃、用意! 撃てぇー!」

 

 飢えた狼が獲物を見つけたかのような猛攻を加えてくる。

 ただの重巡の攻撃など、軽巡棲鬼の装甲を貫けるわけがない。

 

 そのはずだった。

 

「十門の主砲は伊達じゃないのよッ!」

 

【ガ、ァ……クソッ――!】

 

 自分達の防御などまるで考慮していないかのような、攻撃に全て振り切った行動によって生み出される無慈悲な火力。これは重巡だけの攻撃では無い、と煙る視界に走る影を血眼になって追う。

 

 とらえた、と思ったところで、もう軽巡棲鬼になす術は無かった。

 

「おっそーい! 足柄さん、もっと速くー!」

 

「島風ちゃん、これでも私だって弾幕張ってるんだからね!?」

 

「僕が手伝うよっ」

 

「時雨ちゃん……! こっちに来て、あの深海棲艦に集中を!」

 

「了解!」

 

 回避に専念せねば確実に攻撃が当たる。かといって、回避しながら攻撃に一瞬でも意識を割けば航空機からの爆撃に遭う。

 回避一択にして相手の意識を逸らそうにも、さらにそれの意識を惑わせるように、海上を縦横無尽に駆け回る島風が現れる。

 

 足柄と時雨を放っておけば、軽巡棲鬼は攻撃を食らい続けてしまう。

 

 しかし金剛達を無視する事も出来ない。鳳翔や、後方から飛来し続ける航空機にも目を配らねばならない。

 

 軽巡棲鬼は呻いた。

 

 私の手の内にあると思っていた絶望が離れていく。

 

 こんなにも力強く、圧倒的で、どうしようもない希望で、海に溶けていく。

 

【ハ、ハ、ハ……! アッハハハハハハ! ナラ、ココデ……消エテ……!】

 

 沈んでたまるか。お前達が沈むのだ。絶望の水底へと。

 軽巡棲鬼の目に青い光が灯り、攻撃を食らう前提で、いや、既に多くの攻撃を食らいながらも、脚の側部にある六インチ連装速射砲を乱れ撃ちながら絶叫する。

 

【シズメ――シズメ――全テ、水底へ――!】

 

 怨念の込められた凶弾は自陣の深海棲艦をも貫き、艦娘達へ飛ぶ。

 そこで艦娘達の表情に、一瞬だけ恐怖が滲んだのを軽巡棲鬼は見逃さなかった。

 

 嗚呼、その表情が見たかった。

 

 しかしながらそれは本当に刹那の事だった。

 

 誰かに当たればいいとばら撒かれた凶弾の前に――またも、戦艦達が立ちふさがったのだ。

 

「金剛! 避けろクマッ!!」

 

 軽巡球磨の声に対して、金剛は結界によって暗くなっている空間を照らすようにニッと笑顔を見せた。そして――四隻は凶弾を真正面から受け止めた。

 

 轟音に続き、黒煙が巻き起こり、空へ昇っていく。

 

 一矢報いてやった――軽巡棲鬼がよろけながらおぞましい笑い声を漏らす。

 

【ヒヒッ……ヤッテヤッタ――】

 

 

 

「彼女達みたいに一日中じゃない。一瞬を耐えるだけ……It's a piece of cake.(簡単よネ)

 

 

 

【ッ……フ、ザケ――】

 

 黒煙が晴れた時、金剛型の四隻は小破していた。

 真正面から受け止めたのだから、当然のこと。それよりも小破で耐えている方がおかしいとさえ思える。

 これこそが、装甲巡洋艦から戦艦へと生まれかわった過去を持つ金剛型の強味であった。

 生半可な破れかぶれの砲撃など、取るに足らず。

 

 四隻の瞳は輝きを失っておらず、まだ、まっすぐに前を見ていた。

 

 ならばもっと――!

 

 それも、叶わず。

 

 怨念の全てを撃ち出してしまったかのように、連装速射砲が、かちん、と虚しい音を立てた。

 

【クソ……ガ……ッ!】

 

 艦娘達がゆらりと動き、全ての砲塔が、主砲が、軽巡棲鬼を捉えた。

 私の想いは、私の怨念はまだ尽きていない、まだ、この世界に恨みはある。

 

 まだ、まだ、まだ、まだ、いくつもの()()が浮かぶ。

 

 そうして、軽巡棲鬼は言った。

 まだ終わりではないのだと。私が消えようとも、この怨念はこの海の底に積もっているのだと。

 

 おぞましい声を上げたが、どうしてか軽巡棲鬼はそれを伝える瞬間に、自分の中に怨念とは違う別の何かが生まれたかのように感じた。

 

 お前達の進む先にはどれだけ恐ろしいものが待っているか、想像も出来ないだろう。

 

 進むのならば覚悟しろ、お前達の航路に安全など無い。

 

【ススムガ……イイサ……】

 

 私はここで沈む。怨念を全て撃ち切った。

 くそ、なんて気持ちなんだ。

 

【その、先には……!】

 

 なんて――清々しいんだ――。

 

 

 

 

 

「全砲門――Fire――!」

 

 

 

 

 

 金剛の勇ましい声が空を突き抜けた。

 それから、頂点から少し沈み始めた太陽が海上を照らしたのだった。




※史実とは異なる場合があります。

追:一部修正済みです。


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九十話 戦③【艦娘side・空母機動部隊】

 空母機動部隊の取り仕切りを任されていた第三艦隊旗艦、空母赤城は混乱していた。

 軽巡棲鬼と呼称された未確認深海棲艦は、実力に申し分ない哨戒班に加えて、南方の開放に寄与した第一艦隊の面々を夜通し痛めつけるだけに飽き足らず夕立をも大破させる程の戦力を有していた。

 大艦隊を組んで反攻に転じたとは言えど、最終的な数で言えば圧倒的不利な戦況であったのだ。

 

 駆逐艦、イ級後期型三十二隻。ハ級十五隻。ニ級十三隻。

 軽巡洋艦、ホ級二十五隻。

 重巡洋艦、リ級八隻。

 潜水艦、カ級十隻。

 特殊個体――軽巡棲鬼、一隻。

 

 これは上空から艦載機で確認できた、水上打撃部隊が撃沈せしめた数である。

 

 水上打撃部隊が到着する前に撃沈された数は不明であるものの、同等か、以下は無いだろう。

 一航戦や二航戦、五航戦を教え子に持つさしもの鳳翔であれ、戦艦を連れているからとここまでの戦果を挙げようものなど、空母機動部隊の面々は想像だにしなかった。

 混乱の原因はこれにとどまらず、他にもあった。

 

 空母機動部隊は物資輸送部隊と共に作戦海域となったトラック泊地周辺に向けて、マクル・アイランズを壁として発艦場所を隠蔽し、さらにはホール諸島を抜けてトラック泊地へ近づくように航路を取った。

 これは連合艦隊旗艦である大淀の指示であったが、大淀から言わせれば「山元大佐はフィリピン海へ抜けて泊地に支援要請を、としか言ってませんが、提督はトラック泊地周辺と作戦海域を指定し、決戦支援を鹿屋基地と岩川基地へ要請していました。補給位置は、第一補給海域と第二補給海域として指定されたもので……これは一時的な補給線です。敵勢力が北上しないよう、監視を兼ねた防衛線でもあるのでしょう」との事だ。

 

 防衛線とはもっと長大な範囲を指定するものであると認識してしていたのは赤城だけではなく、加賀や、二航戦の飛龍、蒼龍も同様であった。

 例え一時的とはいえ、これではまるでトラック泊地そのものが危険海域に指定されているようなものである。

 あの男に限って管を以て天を窺うような真似はしないだろう、とは加賀の言葉だが、赤城はそれだけでは説明しきれない、記憶から呼び覚まされる本能からくるような危機を感じていた。

 

 まだ、終わっていないのではないか、と。

 

 赤城の言葉を受けて語ったのは飛龍だった。

 

「反攻作戦、とは言え……物資はまだまだ残ってますね。金剛さん達が贅沢に使った分を補給したって半分以上は余りますよ。残存勢力は認められないみたいですけど――大淀さんの言葉も、まだ帰還する感じじゃないですし」

 

 残存勢力の確認のために艦載機を飛ばしていたのは二航戦であり、水上打撃部隊の支援に多くの戦力を割いた一航戦よりもわずかな余裕があった。

 飛龍の言うように残存勢力は確認できず、艦載機が帰還してくるのを陽光に目を細めながら見つめていた。蒼龍も言葉こそ紡がなかったが同意のようで、んん、と唸るだけ。

 

 そこでふと、周囲を警戒していた伊勢が呟いた。

 

「――なんで()()()()なんて呼んだんだろうね。しかも、鬼って……。深海棲艦って呼び方をし始めたのが誰からだったかなんて覚えてないけどさ、それにほら、提督がずっと気にしてた空母も出てこなかったじゃん」

 

 大艦隊が作戦海域となったトラック泊地へ急行している最中、提督がずっと気にしていたことだった。

 

【全艦種に対応できる艦隊だが、決して油断するな。水上打撃部隊を先頭に進んでもらうが、空母機動部隊は必ず直掩機を出し続けるんだ。消耗はあるが、これは必要だと割り切って欲しい】

 

 そんな言葉を思い出し赤城の視線が鋭くなるも、加賀以外に気づく者はおらず、会話は進む。

 

「何で空母を気にしてたんだろう。軽巡棲鬼が呼び出してたのは駆逐艦とか軽巡洋艦で……あとは、潜水艦くらいでしょ?」

 

 伊勢の言葉に対して日向は腕を組んで言った。

 

「くらい、では収まらん数だったようだが。こちらも金剛型四隻を投入しているのだから当然たる結果、と言えよう」

 

「でもさ日向、金剛さん達が航路を開くって言って撃滅した数からして過剰戦力だよ? 提督が警戒し過ぎてただけじゃない?」

 

「過剰とも言い切れん。金剛達の連撃は、おいそれと真似できるものじゃないんだ……。まぁ、警戒し過ぎる程度が丁度良いというものだ。私達は空母を守るために編成された戦艦だが、こうして働かないでいるのが一番なんだからな」

 

 提督を疑っているわけではないにしろ、伊勢や日向の言に対して否定にたるものを持つ者もまた、この場にいない。

 空母は航空支援を行っただけ、戦艦伊勢や日向、第四艦隊の川内達は周囲の警戒を行っていただけ。近場に深海棲艦がいくらか湧きこそしたが、取るに足らない駆逐艦ばかりで、水上打撃部隊の激戦に比べれば児戯にも等しい一方的制圧だった。

 それらが警戒を緩める、といった新兵が如き油断は生まれなかったが、反面、勝利を収めたのに勇み足を踏んだ気持ちになってしまうのだった。

 

 第三艦隊の会話を聞きながら、赤城は大淀へ通信を試みる。

 

《こちら空母機動部隊赤城。大淀さん、聞こえますか》

 

《――ザザッ……こちら大淀、感度問題ありません。異変ですか?》

 

《いえ……大淀さんは、今どちらに?》

 

《現在は水上打撃部隊と合流し、マクル側の海域に展開中です――そちら側から物資補給部隊が到着次第、再補給して提督へ撃沈数の報告を行おうかと》

 

 物資補給部隊は空母機動部隊から離脱して安全の確保が出来た航路を進んでいる。

 水上打撃部隊も既に反転し、作戦海域から少し外れた位置に移動していた。

 残骸の残る場所で補給するのが物理的に危険であるが故だが、支援を要請しておいてこちらに一隻たりとも艦娘が寄越されなかったトラック泊地周辺に深海棲艦が潜んでいる事は確実であり、大部分を片付けられたのだから、一時的に離れて補給すべきであるとの判断であった。

 

《……なるほど、了解しました。それで、聞きたい事が――》

 

《ヘーイ赤城! 航空支援、助かったデース!》

 

《ちょ、ちょっと金剛さん、まだ作戦中ですよ! 小破とは言え傷ついているのですから、あまり動かないで――》

 

《Nonono! 感謝はすぐに伝えなきゃダメネ! 私達が思い切りBattle出来たのは、赤城達のお陰なんですからネ! それに、こんなものかすり傷デス! 金剛の美しさは健在ネー!》

 

《空母機動部隊の任務を全うしただけですよ。金剛さんも、お疲れ様です》

 

《んん……クールなんだから、赤城ったら。でも、感謝しているのは本当デス! 帰ったらお礼に間宮のディナーをごちそうするネ!》

 

《それ、金剛さんが作るわけじゃないんですから……》

 

 大淀の言葉を押し退ける金剛の底抜けに明るい声が通信を通して作戦に参加している全員に届き、少しの苦笑が含まれる声が漏れた。声音だけは明るく、赤城は言葉を返した。

 しかし赤城と加賀は無表情を貫いたまま、んん、と通信にも乗らず、周りにも聞こえないくらいに小さな声を漏らす。

 

「赤城さん、何か気になる事が?」

 

 加賀の声に、赤城は頷いた。

 

「提督が戦艦や空母がいないかと気になさっていた事もそうですが、軽巡棲鬼の言葉が、引っかかっていて」

 

「――その先には、ですか」

 

「……ええ」

 

 赤城は、自分が気にし過ぎているだけ、ナーバスになっているだけだと思いたかった。

 大淀の声を聞くに切羽詰まったような警戒の色も感じられず、自分の思考を妨げるのは危機感ばかりで明確な言葉としての形を成してはくれなかった。杞憂であればそれでいい、しかしその確証が欲しい。赤城の言いたい事は極めて単純ながら、口にすることが憚られるような気がして、通信に思考を乗せようにも、ううん、とおかしな呻きにしかならないのだった。

 

 軽巡棲鬼は沈没する寸前に「その先には」と、何かを言いかけていませんでしたか?

 それを警戒しても物資の消費が生じるようなことはありませんし、ここにとどまりませんか?

 なんでしたら、私が提督に意見具申してもいいですか?

 

 仮組された言葉は思考に浮かぶ数々の否定の言葉にあっけなく崩れ去る。

 

 軽巡棲鬼がどうして私達に向けてあのような言葉を放ったのか。わざわざ警告しますか? 敵なのに?

 ではここにとどまったと仮定して、何もなければ帰港する、と? 提督が目を覚ました今、中四国を中心にして民間に巻き起こっているであろう混乱を収めるには撃滅しましたと報告して戻る事が有効的では?

 空母機動部隊の旗艦である私が意見具申して、さらに警戒を強めて海域の周回を続けるべきだと言えば、自らの前言を覆すことに繋がってしまう。大艦隊の移動となれば資源の消費は少なくない。

 持ち帰れるのならば、そちらの方が良いに決まっているのだから。

 

 だが、提督に一考を委ねるべきだ。この逡巡の間こそがもったいないのではないか。

 

 かつての戦争を思い出すと聞き入れられる可能性は無いに等しいように思えるのだが、今は違う。時代も、状況も。

 

 赤城は口に溜まったねとついた唾をぐっと喉へ押し込むように舌を動かして、通信を発した。

 

《……大淀さん。軽巡棲鬼の言っていた、先があるような言葉が気になっておりまして――報告の後でもいいので、提督に警戒を続けられるよう、意見具申をしてもよろしいでしょうか》

 

《あ、っと……それについてですが、私も同じことを考えておりました》

 

《大淀さんも?》

 

 警戒したような口調でもなく、いつもの調子、いつもの声音である大淀が同じことを考えていたのに驚きを隠せない赤城は、ぽかんとして無意識に加賀を見た。加賀も眉をひそめている。

 

《はい。どうにも……本土で動きがあったようで》

 

 本土と、こちらでの警戒に繋がりが思いつかず赤城は黙り込む。

 軽巡棲鬼を呼び出した八代少将は既に憲兵隊によって拘束されており、阿賀野も柱島で休んでいるはずだ。明石は艤装の修理を行っているだろうし、他に問題が起きたのだとしたら……提督か、はたまた……新手の反対派が問題を起こしたか……。

 

《動き、とは……?》

 

《提督が、さらなる進軍を考えている様子なのです》

 

《進軍を――!?》

 

 大淀は自らに届いた通信の内容を説明した。

 

《トラック泊地周辺での作戦の際、丁度、金剛さん達が戦闘をしている最中に提督が仰っていたのですが……》

 

【そちらの海域にどのような深海棲艦が出るか分からんが、もしも軽巡棲鬼以外で人の形をした深海棲艦が出現した場合は最大限の警戒を以て戦闘してほしい。これに確証は無いが、深海棲艦についてすべてが解明されているわけでもない今、軽巡棲鬼がどのような敵を呼び出すかも分からん。物資に余裕があり、なおかつ水上打撃部隊の損耗が少なければ、そのままトラック泊地より東へ向かって周辺に深海棲艦がいないか捜索をしてくれ。何も無ければそのまま帰還していい】

 

 大淀から聞かされた言葉に、伊勢が通信しながら声を上げる。それほどに驚いた、とも見えた。

 

「何で今になって言うのさー!? もー! 皆に通信を繋いだままにしておけば良かったじゃん!」

 

 伊勢の言う通り、提督の指示は大淀を通して常に聞こえていた。

 先に言った内容は大淀以外聞いていない。

 ここに来て何故そう判断したのか分からずに憤る伊勢の気持ちも理解できる、という風に日向が「この大艦隊なのだから風通しは良くしておくべきだろう」と付け加えた。

 

 大淀は《不安を煽るべき場面では無かったと判断したのです》と言った後に《戦闘が終わらない限り、物資がどれだけ残るか、損耗がどれくらいになるかも分かりませんでしたから》と冷静に返す。

 

「うっ……で、でもぉ……!」

 

《考えてみてください。ここまでの大艦隊を編成して軽微な消費のみで軽巡棲鬼を撃破出来たのですから、これだけが目的であったとは思えません。提督は元々、トラック泊地にある拠点からの支援は期待していなかったとも受け取れます》

 

 機動部隊の面々は言葉無く頷いてしまう。

 大淀が言うように、支援をあてにしていれば、少なくとも空母機動部隊と水上打撃部隊のみで編成されていたはずだ。

 物資輸送部隊が編成され、作戦に随伴したということは、大淀の言葉と相違はないように思える。

 

 表面上だけとらえるならば、物資輸送部隊は連合艦隊の継続戦闘を可能にするため、ということ以外に、南方を攻略した第一艦隊と哨戒班、呉の補給部隊に向けられた帰還用の措置である。深く考えるまでもなく、遠洋であるトラック泊地から日本へ帰還しようものならば相応の消費が発生するのだから当然の采配だ。

 多くの深海棲艦と日をまたいでの戦闘を行った上に、金剛達が間に合ったから良かったものの、駆逐艦夕立は大破、それ以外は小破や中破で、無傷の艦娘など一人としていなかった。

 一刻も早く戦闘海域から離脱できなければ、今度こそ本当に沈んでしまうところだった。

 間一髪とはまさにこのことである。

 

 決して練度が低いとは言えない艦隊を壊滅に追いやったほどの戦力を撃滅するだけだったのか、と改めて問われると、大淀の言う通りのように想定できる事はいくつも浮かんでくるというもの。

 赤城は自分の感覚が的外れなものではなかったのだと思うと同時に、進軍――もとい、敵勢力の捜索に意欲を示した。

 

《では、補給部隊が到着したらすぐにでも――》

 

 赤城が言い切るよりも早く、大淀から物資補給部隊がやって来たと声が返ってきた。

 

《補給を開始します。これが終了次第、水上打撃部隊と空母機動部隊の隊列順序を変更し、空母機動部隊を先頭にトラック泊地東側の海域へ向かって航行を開始してください》

 

《――了解》

 

 そこから暫くは通信越しの会話が続いた。

 第四艦隊の面々の会話は、水上打撃部隊の戦闘に参加する隙が無かったのを嘆いていたり安心していたりと自由奔放そのもので、加賀が数度止めようと声を挟んだものの、会話が止まることはなかった。

 これもつかの間の休息だ。メリハリとしてこういう空気もありか、と加賀は溜息を吐くだけで、さらに強く止めようとはせず、赤城もぐるぐると巡っていた思考が落ち着いた様子で装備に不備は無いかと確認しながら、大淀からの指示を待っていた。

 

《あたしが呼ばれたからには敵の艦載機がぶんぶん飛んでくるもんだと思ってたのによー……結局、赤城さん達の発艦眺めてるだけで終わっちまったじゃねえか》

 

 摩耶の言葉に羽黒が《で、でもでも、私は、それで良かったような……》と弱気な相槌を打つ。

 

《にしてもだよ! せっかく活躍できるかもしれねぇって時に――》

 

《ひぅぅ!? ご、ごめんなさいごめんなさい!》

 

《なっ、なんだよ羽黒、別に怒ってるわけじゃないって!》

 

《ごめんなさいぃぃっ……!》

 

《摩耶さん、羽黒さんを泣かせて……》

 

《おぉい!? 陽炎までやめろよな!? 不知火もそんな目で見るんじゃねえよ!》

 

《これは摩耶さんの落ち度かと》

 

 重巡二人を呆れた目で見ているであろう駆逐艦陽炎や不知火、言葉が無くとも微妙な表情をしていそうな神風が目に浮かぶようであった。

 欠陥として集められただけの艦娘であるはずの全員は、いつのまにやらそんな陰鬱な空気を纏わなくなっている。

 

 そんな時、水上打撃部隊に属する第二艦隊の北上の声が聞こえて来た。

 

《あー……提督はさ、東って言ってたんだよね》

 

 大淀が返事をすると、北上は先の戦闘と、海上に残っているであろう深海棲艦の残骸を思い出しながら言う。

 

《金剛さん達と戦闘になった駆逐艦と軽巡は殆ど沈んでいってたけどさあ、潜水艦がいくらか変な感じというか、変な動きっていうか……》

 

 潜水艦? と誰もが首を捻った。撃沈したのならそのまま沈んだのでは、と。

 しかし北上が言いたいことは沈んだか否かでは無い様子で、じっと海の向こう側を見つめて言うのだった。

 

《なんか、さ……最初はアタシと大井っちの魚雷を回避するために動いてるのかなって思ってたんだけど――東に向かおうとしてたっぽいんだよね、どうしてかは、分からないんだけど》

 

 それを受けて、大井が続ける。

 

《そう言えば北上さん、私が声をかけた時に遠くを見ていらっしゃいましたが……》

 

 大井は言わずもがな、北上をよく見ている。北上しか見ていないかもしれない程だ。

 気にも留めていなかったが忘れてはいないという大井の言葉に頷きながら、北上はさらに続けたものの、途中で言葉が途切れてしまう。

 

《深海棲艦がどうやって出てくるのかーとか、全然分かんないし、アタシは難しいこととか考えらんないからさぁ、軽巡棲鬼? って奴が仲間を呼んだんだろうなってくらいに考えてたんだよね。多分、呼んだことは呼んだんだろうけど、微妙に違うような、何隻かはばらばらに動いてたし……んあー、ダメだ、なんて言えばいいのか分かんないや》

 

《全てが統制下にあるようには思えなかった……という事ですね、北上さん》

 

《そう! それだよー! 流石大井っちだねぇ》

 

《いえ、北上さんはもっと深く考えていらっしゃるでしょうから、私なんて足元にも……》

 

 大井が冗長に北上を褒め始めたあたりで大淀は反射的に通信を絞ったが、言い得て妙であると険しい表情となる。水上打撃部隊の補給を進めながらも、これは何かあるやもしれない、と見て赤城へ言った。

 

《東へ向かう前に、一度索敵を行いましょう》

 

《――ですね。了解しました。それでは偵察機を》

 

《はい、お願いします。こちらも補給を急ぎますので》

 

 

* * *

 

 

 話が噛み合えば行動は早いもので、一航戦の消耗を考慮して二航戦が偵察機を放った。

 経験に差はあれど腕に大きな差は無い。索敵を行うのにも二航戦は申し分ない艦娘である。

 

 二航戦はニ式艦上偵察機に搭乗する妖精と共鳴しながら、トラック泊地を過ぎた東の海域を広く見ていた。

 

「どうですか、飛龍さん」

 

 加賀の問いに、飛龍は虚空を見つめながら「んー」と唸る。

 

 虚空を見つめていながらも、飛龍の瞳は絶え間なく細かく動いており、共鳴している妖精がつぶさに確認しているであろうことが伝わってくる。

 上空から海を見下ろして索敵するというのは案外重労働なもので、艦隊単位のものであれば見落とすことは殆どないが、少ないものであると光の加減や海面の反射で見落とす可能性もある。それらを限りなくゼロに近づけるためには数度の往復が必要であるため、燃料の消費も馬鹿にならない。だからといって一往復しただけで終わるなどあり得るはずもなく、飛龍と蒼龍の放った艦載偵察機は海域の往復を続けた。

 

 すると、

 

「あれ……?」

 

 飛龍の声に続き、蒼龍も声を上げる。

 

「あれって海軍の艦艇、だよね? 一隻だけでこんな遠洋を航行って……?」

 

 索敵中は警戒態勢となっているのは無論のこと、飛龍達は既に大淀に通信を繋いでいたため、一隻のみの艦影を発見した時点で大淀に伝わっており、その大淀はすぐさま提督へと報告を上げる。

 

《――こちら連合艦隊旗艦、大淀》

 

《どうした》

 

 ざざ、とノイズが走った後に聞こえてくる提督の声の背後はバタバタと騒がしく、おおよそ、病室が作戦室と化しているのであろうと想像させた。

 

《トラック泊地東側の海域に海軍の艦艇を確認しました。種別は――》

 

 飛龍と蒼龍が同時に答えた。しかしその答えに対して大淀は提督へ向けて報告できず、え、と小さな声を漏らすだけとなる。

 

「艦番号が、見当たらないんだけど……護衛艦っぽいけど、主砲も副砲も、なーんにも、無い……」

「番号が抹消された艦艇って、あるの……?」

 

《え……》

 

《大淀? 何か問題でもあったか?》

 

《い、いえ……空母機動部隊に偵察機を出してもらっていたのですが、そこで発見された海軍と思しき艦艇に艦番号が見当たらないようで……》

 

《ふむ。少し待て》

 

 提督の声が遠ざかり、数分して戻ると――

 

《番号が抹消されている艦艇は今のところ海軍に存在しないそうだが、その艦は一隻のみか》

 

 大淀が飛龍達に問えば、一隻だけ、と返ってきたのでその通りに伝える。

 すると提督は息を吐きながら、再び、待て、と数十秒沈黙した。

 

 その間、飛龍と蒼龍は小さな違和感がどんどんと膨れ上がるのを感じていた。

 

 トラック泊地という拠点があるとは言え、未だ小規模の敵艦隊が不定期に湧く海域なのに、どうして友軍艦艇が一隻のみで遠洋を航行できようか、と。

 こうして言葉として頭に染み込めば、あまりにあり得ない状況に違和感は一気に形を作りだす。

 

「お、おかしいよねやっぱ、変だよね蒼龍? ね、ねぇ?」

 

「……」

 

「……蒼龍?」

 

「ま、待った……」

 

「どうしたのさ」

 

「甲板に、人がいる」

 

「海軍の人じゃないの? あっ、海軍の人なら所属を問い合わせれば――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「深海棲艦と一緒に、甲板にいる……っ!」

 

 通信から漏れだすホワイトノイズが、大きく響くほどの沈黙が全員を包んだ。



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九十一話 提督とは【提督side】

 病室とは、傷病者を収容する部屋である。

 治療を受け身体を休め、完調させるために存在している。

 

 現在、呉の鎮守府の広い敷地内にある軍病院の一室は酷い有様だった。

 陸軍憲兵隊が大人数で出入りし、呉鎮守府からやってきた艦娘――曙や潮といった見知った顔だ――も忙しそうに書類を運んでいる。

 

 書類とは作戦概要が記されているもので、山元から許可を得て松岡にノートパソコンを持ってきてもらい、この場で俺が作成したものである。ジュラルミン製であろうケースで厳重に持ち込まれた時は流石に及び腰になったが。

 過去の作戦概要の記載された書類を参考にするために、呉鎮守府の山元が指揮を執った過去の作戦記録を参考にしたのですぐに作成できた。パソコンの中に入っていた文書作成ソフトにもひな形があったので社畜の技を光らせてやったのだ。きらきらである。

 わざわざ定規を持ち出して丁寧に線を引いて……としないでいいとなれば、コーヒーを淹れている間にぱっぱと出来上がってしまうのだから楽なもの。さらにはひな形まで用意されているなんて俺にとってはホワイトな仕事です。

 

「モニターのコードはそこに繋げ! そこ……違う右側だ! コンセントがあるだろう!」

「はい! こ、ここですね? 設置しますよ!?」

「ああ、設置を――そこのコードは抜くな! 閣下のパソコンのコードだ!」

「ホワイトボードはまだかー! モタモタするな、早くせんかぁ! 戦況は変わっているんだぞ!」

「大本営の方は準備出来ているそうです! あとは元帥閣下を待つだけだと――」

「当然だろうが! 向こうはこっちと違って最初から全部揃ってるんだ! 元帥閣下がお戻りになる予定時刻は!」

「三十分程度との事であります!」

 

 憲兵隊の屈強な男達が怒鳴ること怒鳴ること……うるさい。もう、すっごくうるさい。

 曙や潮は俺の事を青い顔をしてみているし、本当にもうすみません……バタバタしてて……。

 

「繋げられるか。モニターテスト」

「テスト開始します。接続まで、三、二、一……はい、問題ありません。遅延も無いです」

「マイクの方もテストしろ、すぐに!」

「マイク入ります、あー、あーあー、テスト、テスト……こちら作戦本部、あー、あー」

 

『こちら新宿大本営。届いてます』

 

 病室に設置されたモニターと言えば、手術後の経過をみるための心電図くらいのものだったはずが、今や室内は大本営に映像と音声を届けるための設備で三分の一以上が埋まっており、俺は酷く後悔していた。

 夢で会った祖父に情けない姿を見せてはならない、どれだけ痛みがあろうと艦娘に心配をかけてはならないと気合を入れたのが原因である。

 

 ぼうっとする意識を理性という鎖でがんじがらめにして、俺はベッドの上に座った状態で前を向く。

 

「閣下、準備が整いました――!」

 

「ああ。無理を言ってすまんな」

 

「いえ、作戦に協力でき、光栄であります!」

 

「……うむ」

 

 松岡では無い、名も知らぬ若い憲兵に敬礼されたので、座ったままでごめんね、と頭を下げる俺。

 時間の感覚も曖昧で、準備が整ったという声をかけられた時にはもう三十分も経ったのかと耳を疑ってしまいそうになったが、ちらりと壁にかけられた時計を見れば、長針はその通りに進んでいるのだった。

 

 ベッドの真正面に設置されたモニターに視線をやると、丁度井之上元帥が室内にやってきた様子が映し出されており、顔も知らない大勢の軍人達が直立不動で敬礼しているのが見えた。

 向こう側は会議室のようで、そういえば前の会社にいた頃にリモートワークを導入して二十四時間、寝ている時以外は常に働けるようにしようかという恐ろしい案が出たことがあったなと朧気に思い出しながら、傍に立っていた長門へ「上着と帽子を」と声をかける。

 

「提督……本当に無理は……」

 

「座っているだけだぞ? どこが無理なものか」

 

 新しく用意してくれたのであろう上着を両手で丁寧に差し出す長門に笑顔を見せ、さらに、問題無いと念押ししてから上着に腕を通そうとした時、医師の一人が近づいて来て、小声で、失礼します、と言い俺の腕を取る。

 ゆるりと頭を回して見れば、ぷつりと痛みが走った。おかげで一瞬だけ目が冴えて、点滴の針を抜かれたのだと気づく。仕事中に傷が痛まないようにと鎮痛剤を打ってもらったのだったか。

 

 ああもう、とんでもないブラックじゃねえかよ……超ド級にブラックじゃねえかよぉッ!

 八代の奴がいらん事をしなければ俺も怪我なんてしなかったのに……海軍はどうなってやがる!

 

 なんて、今更だよな……なんて胸中で一人ツッコミ。

 

 前の職場では病気による辛さが原因で今とそっくりな状況だったが、今回は怪我なので酷くはならないだろうという意味不明な理論で無理矢理に常識的な思考を押し流して、軍服を羽織ってボタンを留める。

 長門から軍帽を受け取って、ぐっと被れば――自然と身が引き締まった。

 

 これ、あれだ。スーツ着た後にネクタイを首元まで締める感覚と似てるんだ、と息を吐いた。

 似ているだけで同じではないのは、やはり自分を取り巻く環境が非現実めいている事と、自分が大怪我をして虚脱状態であるからで、似ているところと言えば、身が引き締まる思いがするところ以外は、身体の辛さを理性によって誤魔化し奮い立たせているところだろう。

 

 これは、いわば一種の自己暗示なのだ。業の深き社畜にしか扱えない技術なので、一般人が真似をするとたちまち死に至る。真似しないでね、まもるとの約束だ。

 

 軍服の上着と帽子だけを着てから、ベッドの前に設置されたカメラを操作している憲兵へ「いいぞ」と言えば、モニターに映る面々の表情が硬くなったのが見え、病室の映像が届いている事を感じ取った。

 俺の見る画面の中央に座す井之上元帥は神妙な面持ちで口を開いた。

 

『さて、海原よ。挨拶は結構だ。貴官の作戦は道中に聞いておるが、本題に入る前に確認してもよいか』

 

「はい」

 

『現在、柱島泊地の周辺に出現した未確認の深海棲艦を南方の遠洋へ誘導し、トラック泊地へ艦隊を進軍させ深海棲艦を撃滅する作戦を遂行中であると――これに間違いはないな?』

 

「はい。目下進行中であり、山元大佐を通してトラック泊地との連携も試みておりますが、そちらの方でも深海棲艦の出現が確認され、双方で戦闘が行われている状態です」

 

『……ううむ』

 

 井之上元帥は疲れた様子を窺わせない覇気を纏っており、モニター越しからも頼りがいのある空気をひしひしと感じた。ただ劣悪な環境であるブラックな職場とは違い、頼れる上司の存在というのはやはり素晴らしい心理効果をもたらすな、と肩の力が抜けていくのを感じた。

 頼りっきりですみませぇん……ただでさえ迷惑かけっぱなしなのに、えらい大事にしちゃってすみませぇん……。

 

 でも井之上さんも悪いんだからな! わざとらしく溜息ついたってまもるゆるさないぞ!

 

 でも、もうまもるの手には負えません……。手のひらくるっくるですみません……。

 そもそも最初からお前の手に負えるわけがないだろうが、みたいな顔でテーブルから俺を見上げてくる妖精は手の平をかぶせてしまっておく。

 

 いかんいかん、ぼうっとしているのを理由に無駄な事ばかり考えてしまう。

 俺は手元にある海図へ視線を落としながら、ペンを片手に話した。

 話す内容は――実のところ、既に井之上元帥も知っている。というより、井之上元帥が、こう話せ、と前もって大筋を作っている。

 井之上元帥によれば、世間体というものが必要だそうで、それも国民を守る仕事なのだから面倒でも形を作らなければならないらしい。雑用の俺には分からん世界です。

 

 大事になっている原因である八代少将の視察時に起きた事故はその場であきつ丸や山元が元帥に伝えていたらしく、俺が暢気に――暢気ではないか――夢を見ている間に、井之上さんは今の状況を作ることを考えたとの事だった。井之上元帥は「隠し立て出来ないのならば、公的に記録を残して被害の拡大を防ぐしかあるまい。汚点を非難されるのも仕事のうちだ」と言っていた。

 

 モニター内の井之上元帥が、こつん、と指を机に当てて音を鳴らした。合図だ。

 

 俺は()()()()()の言葉を口にする。

 

「――この作戦は私が完了させます。井之上元帥、作戦終了を機に、海軍の一部の再編をご検討いただきたい」

 

 モニターの向こうが、ざわめいた。

 

 

* * *

 

 

 病室が騒がしくなる、少し前の事。

 

《ザザッ……――こちら大淀。水上打撃部隊、空母機動部隊、物資輸送部隊は作戦通りトラック泊地へ向けて南下中です――接敵は今のところ多くありませんが、未確認の深海棲艦が連れていたと思しき駆逐艦級や軽巡洋艦級の深海棲艦が計六隻……足止めかと思われます。現場に到着するまでに、さらに出現する可能性は高いかと》

 

 俺が向かわせた艦隊は順調に天龍達を追いかけていた。

 病室にやって来た長門は艤装を一部展開し、松岡から借りたスマートフォンを通して大淀や山元と連絡を取れるようにしてくれており、スマートフォンの画面は真っ白な状態でアプリを起動しているわけでもないのに、まるでラジオのように機能していた。お陰でテーブルの上に置いているだけでスムーズに意思疎通が可能となっているのだから艦娘というのはやはりすごいのだと実感させられる。

 

「空母機動部隊の艦載機で撃滅しながら進むんだ。水上打撃部隊が天龍達に追いつく事が出来れば問題は無い――金剛達の行く手を遮るものは全て沈めろ」

 

《っは》

 

 テーブルの上に広げられた海図以外に、壁に貼りだされた南半球が大きく描かれている海図へ妖精に印をつけてもらう。撃沈場所と、俺が夢で見た艦これのマップを頭の中で照らし合わせると、それらは尽く一致しており、背筋に汗が伝う。

 

 夢の記憶なんていうのは目覚めた瞬間は覚えているが、そこから一秒二秒もすれば徐々に薄れ、最後にはどんな内容だったか思い出せなくなるものだ。しかし俺に残る記憶は鮮明なまま。

 何百か、何千回とクリアしてきたマップでもあるまい。艦隊これくしょんに紐づけられているから忘れられないのだろうかとも考えたが、どうにも、これについては俺がやり遂げねばならないという妙な使命感に駆られていて忘れられないといった方がしっくりくる。

 

 祖父に影響を受けたのか。あるいは祖父が部屋を出て行った瞬間の光景が俺に恐怖を与えていて、ああなりたくないと必死になっているだけなのか。

 

 ただの一般人で、ブラック企業に勤めていただけの無能である俺がどうして安い想像上で「できるかもしれない」を艦娘に実行させているのか分からない。

 ゲームのようにクリックして進軍させれば良いわけでもなければ、実際の軍艦が過去にどのような戦争を戦い抜いたのかだって、知識にあっても明瞭に覚えているわけでもない。

 

 しかしながら、不思議と俺は迷いなく、淡々と指示を出せていた。

 

 妙な感覚だった。

 

「未確認の深海棲艦を、今後()()()()と呼称する。軽巡洋艦に、深海棲艦の、せい、最後に、鬼と書いて軽巡棲鬼だ。どれだけの戦力を有しているかは不明だが、お前達を足止めする程度の手下はいるという事を忘れるな。それと――件の軽巡棲鬼は多くの仲間を連れている可能性がある。空母や戦艦が出てきてもおかしくない事を留意するように」

 

《せ、戦艦に空母ですか……!? それに、あれをどうして軽巡などと……》

 

「私の偏見だ、それはいい。可能性の話だ」

 

 構えておいて損は無い、という意味で口にする。

 艦これではボス級――いわゆる、姫や鬼と呼ばれる特殊な深海棲艦が存在する。

 圧倒的装甲、圧倒的火力、圧倒的物量で攻めてくる彼女らに何度苦汁を嘗めさせられたことか。

 

 六隻のみの編成、または連合艦隊でも十二隻の編成で挑み、敗北を喫し撤退するというループは、艦これイベントにおける提督にとっての当たり前である。思い出したらちょっとお腹痛くなる。

 

 編成に制限が無いため、俺は素人どころか小学生が考えたような、まもるがかんがえたさいきょうのかんたい! を向かわせているのは、これが現実で起きていることで、制限もへったくれもないからである。

 これでは遠い世界の諸兄に叱責されてしまいかねないが、それはおいておく。

 

 大淀に最大限の警戒を怠らないように言いつけてから、今度は山元に声をかける。

 柱島の様子も聞いておかなければならない――なんて忙しさだよ……。

 

「山元、そちらに今、あきつ丸はいるか」

 

《っは。代わります》

 

《ザッ……こちらあきつ丸であります!》

 

「柱島のみなの様子はどうだ」

 

《閣下がお目覚めになったのを伝えてからは少し落ち着いた様子であります。八代少将も拘束されており、倉庫区画の一つを営倉の代わりにして詰め込んでおりますので、動くこともできますまい》

 

「ふむ……」

 

 倉庫に閉じ込めるって憲兵怖過ぎだろう……阿賀野が苦しむような細工を艤装に仕込んでいたし、擁護する気も無いから気の毒とは思えど因果応報であるのだが。

 

「このまま呉の方で指揮を執るから帰るのが遅くなる。私が戻るまでは、あきつ丸、お前がしっかりと見てやって欲しい」

 

《っは! もちろんであります! それで……閣下、お身体の方は……》

 

「指揮を執れる程度には問題無い。医者曰く、命に別状はないとの事だ。心配をかけたな」

 

《そうで、ありますか……》

 

 こんな俺でも心配してくれるんだから艦娘ってのは最高だぜ!

 いかん、あきつ丸にデレデレしている場合ではない。

 

 軽巡棲鬼の撃滅を優先しなければならないところだが、八代少将の問題は俺の手には負えん。

 あきつ丸に連絡を取ってもらうことも考えたが、ここでも甘えていては示しがつかないと俺は山元へ再度代わるようにお願いする。

 

《代わりました》

 

「うむ。それで山元、阿賀野の様子は」

 

《気を失ったままでして……明石殿によって艤装の修復はある程度完了しているのですが、気を失った状態で入渠させるのは危険であるとの事で……》

 

 そりゃ気を失ったままお風呂に入れたら溺れちゃうよ。あぶねえよ。

 

「それは、そうだな……艦娘を何名かつけて入渠させてやってくれ。出来る限りの事をするんだ」

 

《っは!》

 

「それと、これから大本営へ繋ぐ。井之上元帥に現状を報告したい」

 

《元帥閣下でありますか? それは――》

 

「緊急の事で出撃は私の判断だが、以降の判断は私の一存で決めるべきではない」

 

 要するに俺の手におえる事柄じゃないってことです! 分かれよ!

 

《……やはり、少将について、でありますか》

 

 山元が言うように一部はその通りだが、俺が井之上さんにお願いしたいのはそうじゃねえんだ……。

 

 深海棲艦は大淀達に何とかしてもらうんで……その、雑事を、全部、ってところぉ……ですかねぇ……。

 クズですみませぇん……。

 

 現場の指揮を執ったところで俺に出来ることなど、深海棲艦を倒す艦娘達のご機嫌をとること以外には艦これ知識で、もしかしたら、といった情報を与えるまでのこと。その他と言っても、編成について、兵装について、艦娘に関する事で知っていることを話すくらいのものだ。実はゲームの知識なんですけども、とは口が裂けても言えない。

 

 山元や清水と同じようなパターンであれば俺にも何とか出来たかもしれないが、阿賀野の艤装が爆発するくらいに無茶なことをした男だ。阿賀野を救えたとしても、八代についてはどうにもできませぇん!

 

「出来る限りの事はするつもりだが……私の手には負えん」

 

 正直に言うと、山元は低い声で唸った。

 

《う、むぅ……閣下であれ、手の施しようがないとなれば……少将は、もう……》

 

「私が出来ることは――井之上元帥の意を汲み、それに従う事のみだ。お前や清水についても、私は口添えこそしたが、決定したのは井之上元帥であり、私の意思ではないと言えば分かるか」

 

 今回に限っては八代は倉庫に突っ込まれてる上に俺は病室で、軽巡棲鬼まで出現していて指揮を執っているのだから身動きが取れない。少将という立場があるのだから相当に頑張って来た男なのだろうが、俺にとって他人であり、艦娘もまた俺にとって他人ではあるが好意すらないときた。

 好ましい相手であれば、仕事ができる相手であれば、相手が心から反省して礼を尽くしてくれる山元や清水のような男であれば――いくつもあるたらればにさえ当てはまらない男だ。冷たいかもしれないが、俺だってトンデモ世界で生きねばならないのだから、これ以上面倒は見ていられない。

 

 ただでさえ大勢の艦娘の面倒を見なきゃいかんのだぞ!

 

 艦娘のためならいくらでも働くが他は知らん! 自分で何とかしてぇ!

 

《では、自分は……どうすれば……》

 

「――このまま大本営に繋ぐから、お前は正直に話せ」

 

《っ……》

 

 山元の沈黙を肯定と受け取り、俺はそのまま長門を見る。

 すると、彼女は重々しく頷き、目を閉じた。

 

 スマホの画面は真っ白なままだったが、通話を繋げるようなぷるる、という小さな音が入り込み――数コールで女性の声が返って来た。

 

《こちら日本海軍司令部――》

 

 あれ大本営じゃないのか? と俺が長門を見るも、彼女は頷くだけ。

 大本営には違いないが、電話では司令部と受け取るのだろうか、と考えつつ言う。

 

「柱島泊地所属の海原という者だが、元帥閣下はおられるか」

 

《え……はい……?》

 

 電波悪いのか?

 

「柱島の、海原だ。聞こえるか」

 

 ゆっくりとした口調で言うと、女性は「な、なんっ……!? しょ、少々お待ちください! 今、元帥閣下は大本営におられないのですが、すぐにお繋ぎしますので!」と言って保留音を流した。

 電話口から聞いたことも無いオーケストラのような曲が流れたのもつかの間、すぐに聞き馴染みある声が出る。

 

《井之上だ》

 

「井之上元帥……! 連日、何度もすみません……少将についてお話が……」

 

《聞いている。八代が柱島において事を起こしたそうだな》

 

「はいぃ……。それと同じくして深海棲艦も出現してしまい、もう……」

 

 おっと、いかん――! 長門や松岡が俺の事を知っているとは言え、上司がさらに上の上司に泣きつくような事を言うなど……しかし、つける恰好がないのも事実……せめて落ち着いた口調で、泣き言じゃなく、私では判断できませんからという雰囲気で話すのだ……すまんじいちゃん……俺は親不幸どころか皆に不幸を振りまいている気がしますぅ……。

 

《時は待ってくれず、か。海原、深海棲艦の方は》

 

 深海棲艦が問題なんじゃねえんだよ! 艦娘が深海棲艦に負けるぅ!? あり得ないね!

 だって艦娘だから!(理論破綻)

 

 それよりも問題は艦娘を傷つけた方ですって! と俺の心のろーちゃんが憤慨中である。

 

「深海棲艦が問題なのではありません。問題なのは……八代少将です」

 

《山元よりある程度話は聞いているが、お前の口からも説明してくれんか》

 

 確認、というやつだろう。やっぱ仕事出来る人はこういうところからして違うのだな、と自分に至らなさに辟易しながら話した。

 

「今日――じゃないですね……先日、視察と演習を申し込まれましたので、八代少将を迎え入れましたが、少将の連れていた艦娘、軽巡洋艦阿賀野の体調が思わしくなく、柱島に所属している明石のもとで異常が無いか確認してもらったところ、今回の事故が発生しました。怪我人は私以外にいない様子ですが、私が倒れている間に山元大佐が憲兵へ連絡を取ったようで、現在は憲兵が柱島の倉庫に拘束中である、と。八代少将はどうにも深海棲艦の艤装の一部を所持していた様子でありまして、それを用いて深海棲艦を呼び出したものと理解している状態です。深海棲艦については艦隊を即時編成して撃滅へ向かわせていますが……私が出来る事は、ここまでで……」

 

《っくく……ここまで、か。流石のお前とて庇いきれんとは、我が軍のことながらほとほと呆れる》

 

「元々、庇う気など……」

 

 不思議に感じて間抜けな声を出す俺だったが、井之上さんは自嘲気味な笑い声で言った。

 

《呑み込めんのは、ワシとて同じ事よ。諸外国と共同戦線の締結までした男の傀儡がここまで派手に動いたとあらば、この争いを隠し立てする意味など失われたも同義。お前はよくやった。多くのしがらみをここまですり抜けて動ける軍人など、お前の他におるまいが――最後に一つ聞いておく。良いのだな、海原》

 

「よ、良いとは……?」

 

 井之上さんの言葉の意味は分かる。好き勝手に動くお前すげえなと。すみません。

 しかし良いなという最後通告のような言葉の意味が分からず問えば、井之上さんは深呼吸をするような間を置いて、重々しい声で言葉を紡いだ。

 

《これは――賭けだ。軍人として決して手を出すべきではない大博打だ。お前はそれでも、ワシについてくるというのだな》

 

 え、えぇ……賭けって何ですかぁ……。

 そりゃあ俺を救ってくれたのは井之上さんですからついて行かない選択肢がないですけどもぉ……。

 

 井之上さんは艦娘を大事にしているし、あきつ丸の事だって大切に考えてくれている人だ。

 それに秘書艦としてか、呉に()()()()()()()だって連れて来ていたくらいに提督らしい人なのだから問題は無い。

 

 艦娘を守るために必死になって働いている井之上さんに、まもる、ついていきます!

 

 その必死になって、という殆どが最近において俺の尻拭いなのが申し訳なさ過ぎて、俺は見えてもいないのにテーブルに両手をついて頭を下げていた。許して井之上さん。今度美味しい間宮羊羹――あるかどうかは分からん――を差し入れするから……。

 

「艦娘を救い、国を守るために働く井之上さんという上司に救われた私になんの憂いがありましょうか。私はあなたの部下なのです。お聞きになるまでもないでしょう」

 

《……言うまでも無いが、体裁が必要となる。これは海軍という機構の改革だ。ワシのみならず、陸軍どころか政府をも巻き込む大改革になるだろう。決して楽な道ではない。その時、お前は本当にワシを――》

 

 井之上さんまで難しい話しないでくださいよぉ!! まもるついていくって言ったでしょッ!!

 

「井之上さん」

 

《……》

 

「私は、あなたの部下です」

 

《海原……》

 

「あなたの指示であるならば、出来る限りの事はします。ですから、どうか」

 

 これ以上難しい話はしないでください……全部ぶん投げるために電話したんですから……。

 

《全く、お前というやつは……あぁ、本当に……――海原よ》

 

「っは」

 

《国を守る剣となり、盾となってくれるか。彼女らを、守ってくれるか》

 

 それは聞くまでもないでしょう、と息を吐き出す。艦娘がいる時点でそれは成されているのだ。

 艦娘が戦うのだから、それを支えるのが提督である俺の仕事。ならば井之上さんの言葉に対して、やはりイエス以外の選択は無い。

 

「謹んでお受け致します、井之上元帥」

 

《……ワシにはもったいない部下よ、お前は》

 

 役立たずですみませんけど電話口ではやめてください。長門や松岡もいるんで……。

 

「おやめください井之上さん。私と井之上さんの仲ではありませんか」

 

《やめろやめろ、年甲斐もなく目元を熱くさせんでくれ。……ふぅ。では、すぐに手筈を整えるが、言い切ったお前にはいやーな仕事を任せてやろう》

 

 えっ。

 

 待ってくださいよ井之上さん。

 

「井之上さん、それは……」

 

《艦娘の教育、管理の責任者としてお前を据えることを前提に――抜本的な改革の提案をしてもらいたく思う》

 

 待ってくださいよッ!! ちょっとッ!!

 

「え、あの、井之上さん。艦娘の教育と管理の責任者だなんて、私は柱島泊地の提督であって、深海棲艦の撃滅が艦娘の仕事で――え、ええと……!」

 

《くっくっく。その仕事を続けたくばしっかりと働け。言ったであろう、体裁が必要になるのだと。我々は国畜だぞ? 絵図を描かねばならんのだ》

 

 こくちくって何だよ! 社畜の仲間ですか!? グレードアップさせないでくださいよぉッ!!

 いや、この場合はグレードダウン……? ってそういうことじゃねェッ!

 

「体裁って、それはそうでしょうが……!」

 

 国や国民を対象にしている仕事なのだから体裁というものは大事なのだろう。

 最初は艦娘の面倒を見るだけで良いって言ったじゃん! 井之上さんの嘘吐きッ! こ、この……ハゲ……ては無かったな……老人……にしては山元に負けず劣らずの筋肉だったし……ナイスミドルって感じの……畜生、欠点という欠点もねえ! 無敵か!?

 

 俺は艦娘の面倒しか見ないからな! いくら井之上さんがお願いしたって無理なものは無理……と、ここで俺は気づく。

 

 艦娘の教育と管理の責任者――体裁が必要――まもるの天才的頭脳は導き出した。

 

 艦娘の面倒を見る、と言えばあんまりに単純な言い方だが、井之上さんは教育と管理と言った。

 体裁ってそういう事ぉ!? もぉ驚かすなよ爺さんさぁ……。

 

「はぁ……承知しました。井之上さんのやりやすいようにお願いします。ですがせめて私にもやりやすいようにお願いします。深海棲艦を倒すために出撃している艦娘へ指示も出さねばなりませんので」

 

《ワシを相手に溜息か! はっはっは! それが一度で済めばよいがな!》

 

 すみません無意識に出ちゃったんですって。ごめんて。

 

《時間をかけて原稿でも用意してやりたいが、お前の事だ、要点だけを伝える。ワシが調査したところ、艦政本部での不審な動きがいくつか見られた――だが不審なだけで、詳しい調査をしようとなれば多くの手続きが必要となる。さらに、本部長の楠木以下、八代を含む数名の少将、舞鶴の中将にも出頭させて公正に裁判せねばならん。名目は……まぁ、どてっぱらを噴き飛ばされたお前に言うまでもなかろう》

 

「……事故の調査ですね」

 

 大丈夫です。まもるそこまで馬鹿じゃありません。

 井之上さんはこの事故の原因は何だったのかを調査するために、艦政本部に手を入れるつもりなのだろう。艦政本部とは海軍の技術省――これくらいの知識はある。艦これプレイヤーなので。

 原因を調べるついでに艦娘に対して悪さをしている奴らがいたらを叱ってやろうという寸法だな!?

 

 っへへ、任せてくださいよ……その皮切りの役目くらいこなしてみせますとも……!

 雑事は全部井之上さんがしてくれるのだからお安い御用である。

 

《大本営に戻り、すぐに軍議を開く。お前も参加できるようにそちらで設備を整えろ。呉の鎮守府からでも憲兵でも何でも使え》

 

 うーん、どうしようちょっと失敗したかもしれない。

 ちょっと怪我してるんでぇ……と言い訳をかまそうとするも、逃げ道はあっという間に塞がれる。

 

「軍議には参加でき――」

 

《馬鹿者、容態は分かっておる。東京に出てこなくとも良い。そちらから遠隔で軍議に参加しろ。いいな》

 

「……だ、だめですか」

 

 それ絶対に参加しなきゃダメなやつですか……艦娘に指示も出さなきゃいけないんですけども……。

 

《当然だろう》

 

「……そうですか」

 

《働き過ぎるのも考えものだな、まったく》

 

 じゃあ休ませてよぉ! とは言えないヘタレの俺、閉口。

 それから、井之上さんに多くの指示を受けた俺は頭をぐらぐらさせながら了承した。

 

 お、覚える事多くない? 大丈夫? などという弱気な事も言えず。

 

 そうして――

 

 

* * *

 

 

 モニターの向こうのざわめきがスピーカーを通して聞こえても、俺は言葉を紡ぎ続けた。

 

「件の事故を受け、艦政本部のやり方や各鎮守府における管理体制が果たして本当に正しいのかと、甚だ疑問でなりません。現在は柱島に所属している工作艦明石に修理を行わせ、同時に調査させていますが――如何お考えでしょうか」

 

 井之上さんを責めるような口調もまた、彼にお願いされたものだった。

 一見して追い詰められているような形だが、これこそが今の海軍には必要なのだと彼は言う。

 

『艦政本部の管理については、楠木少将に一任しておるが、その責任者は誰かと問われたらワシであると言う他無い。此度の事故についてはしっかりと艦政本部を調査させ、改装記録も全てあらためる』

 

「お願い致します。それと併せまして、責任の所在を伺いたい」

 

『……』

 

 黙り込む井之上さん。

 すると、井之上さんが予想していた通りに周囲の顔も知らない軍人達が口々に話し始めた。

 

『事故の被害者であることを考慮しても、いきなり顔を見せたと思えば元帥閣下を責めるなど……!』

『艦政本部の調査にどれだけの手続きが必要になると思っているんだ、大将閣下は……ぺら紙一枚でどうこうなる話では無いとご存じであろうに……』

『艦政本部が調査されるとなれば、アメリカにもこれが知れる事になるんだぞ……』

『海原大将も手続き上の事を済ませるので手一杯であったから軍議にも参加出来なかったと聞いているが?』

『大規模な作戦を遂行中なのだから、大本営に事を投げたのは英断であるとも受け取れる』

『国民への説明はどうするのだ!』

『だから、それを投げたのだろう。大将閣下は作戦に集中して確実な殲滅を考えておられるのかもしれん』

『だとしたら……まさか……』

 

『今回の事故と作戦に乗じて、海軍の改革を裏で済ませてしまおう、と……!?』

 

『なんったる……――!』

『そうなれば、体制の変更のみを国民に知らせるだけで済む。西日本全体に迫っていた危機が去った証拠さえあれば、追及はうやむやにできるかもしれん……! しかし、メディアに陰謀論でも報じられてはたまらんぞ……!』

 

「――戦っているのは我々です。戦えなくなるかもしれなかった大事故なのですから、私の提案もご納得いただきたい」

 

 俺が口を挟むと、さらに会話は加速した。

 

『官僚らはそれで納得すると思うか? 自分はそうは思えんのだが……』

『下手な命令をすれば深海棲艦という脅威に対抗する手段を失うのは向こうも同じであろうが……』

『だが、深海棲艦の出現すら牽制に使おうなどとは……国民から顰蹙を買うどころの話ではないぞ……』

『政府を脅すわけではあるまいが、元帥閣下はどうお考えか……』

 

『静粛に』

 

 井之上元帥の声にざわめきは嘘のようにぴたりと止まった。

 

『海原大将の言はもっともだ。管理体制の抜本的改革を視野に、艦政本部への本格的な調査を行うべきか……意見のあるものは』

 

 先ほどまでの会話からして一つや二つくらいは何か言われそうなものだったが、誰一人として発言することは無かった。

 

『では、海原大将の調査要請を受理し、管理体制の変更についても検討しよう。海原大将から何かあるか』

 

 井之上さん……恨むぜ……と、いう気持ち。

 これで艦娘と過ごせるぜ、ありがとう井之上さん……と、いう気持ち。

 

 対極な気持ちが混ぜ合わさるのを感じながら、俺は軍帽のつばに指をかけて、またも予定された言葉を口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

「よろしければ、私が艦娘達を全て引き受けましょう」

 

 ざわめきでは収まらない音が、病室に設置されたスピーカーを揺らした。



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九十二話 提督とは②【提督side】

 病室に響く大本営会議室のざわめきに、憲兵達も、長門も、曙や潮も顔を真っ青にしていた。まもるも顔真っ青です。これ俺が考えて言ったわけじゃないの知ってるだろお前らッ! とツッコミをいれたいところをぐっと堪えて、長門だか誰だかが用意してくれた新しい軍服の首元が苦しくて指をひっかけ、襟を直しながら話を続ける。

 

【以降は……どうか、お前の気持ちを伝えてやってほしい】

 

 打ち合わせがあったのはここまでで、各員の説得はきっとお前の言葉が必要になると井之上さんは言っていた。

 んでも、無理だよぉ……だって艦娘の面倒を見るのになんて言えばいいか分からないんだもの……。

 

『海原閣下、ご自身が何を言っているのか分かっているのですか!』

 

 軍人の一人がモニターの向こう側から初めて俺に向かって声を上げた。

 分かってるよ。ただでさえ百人近くの艦娘を抱えてるのに、これ以上抱えるって言ってるんだからとんでもねえ話だよな。俺だってそう思ってるよ。

 でも井之上さんが言ったんだもん!! そう言えってッ!!

 

 

「分かっている。ただでさえ私は自らに任された泊地に大勢を抱えている身だ。君らはこう言いたいのだろう――お前一人に何ができるのか、と」

 

『武力を占有するような発言はいくら閣下と言えど看過できませんな』

 

「武力を占有するなどという意図は一切無い。勘違いしないでいただきたいが、私の言う艦娘を引き受けるというのは職場環境の改善を前提としたものであり、方々の艦娘を私の手元に置いておくという意味では無い」

 

 武力占有――お堅い言い方だが、確かに視点を変えれば俺の言っている事はとんでもない事である。

 人類に仇なす深海棲艦に対抗できる唯一の存在たる艦娘を全てよこせ、と言っているように受け取られても仕方が無いし、俺だってあえてそれ自体を否定はしない。

 

 ……艦娘に囲まれて働きたいという意味ではない。

 いや、まあ、一部は、うーん、もう少し……結構、そういった意味が含まれているかもしれないが、それが主題でもなければ本質でもないと言いますか、ね。ほら。

 

「彼女らに囲まれて働くのも魅力的ではあるが」

 

 すみませんね、ちょっとまもるのお口が軽くなってるみたいで、へへ……。

 

『環境の改善? おかしなことを仰る。改善が必要なのは一部の心無い者達であり――』

 

 阿賀野に――艤装だが――噴き飛ばされてあっぱらぱーになりかけていた俺は、ある軍人の言葉にぴくりと反応して声を挟んだ。

 

「そこが問題なのだ」

 

『はい? 問題とは……心無い者達、のことでありましょうか』

 

「違う。それよりももっと根本的なものに問題がある」

 

 モニターには各々が顔を見合わせて訝しむ様子が映っており、正面の最奥に見える井之上さんは両手を組んで目だけを動かし、周囲の反応を見ていた。

 

「自分には関係無い……その意識が問題なのだ」

 

『それは……もちろん、我々海軍の是正すべき問題であると認識しておりますが、だからと言って艦娘を全て引き受けるなどと……』

 

「あえて言おう。これはこの国が抱える空気そのものが、この問題を引き起こしたと私は考えている」

 

 鎮痛剤が効いているはずなのに、じくじくと腹が痛み出した。

 痛みが思考を鈍らせる事はなかったが、しっかりと思考が回転している一方で、意識は別のところへ浮かんでいるような、無理に飲んだ酒で悪酔いでもしてしまった感覚がしていた。

 副作用なのか、吐き気もこみあげてくる。

 

「っ……ぅぐ……失礼」

 

 右手の拳で口元を押さえて数秒静止して、吐き気が弱まったのを見計らい、再び口を開く。

 

「――諸君らは、彼女らをうまく扱える自信があるか?」

 

 単純な問いに、誰も答えない。

 ならば、と俺はさらに言葉を紡ぐ。

 

「では言い換えよう。諸君らは部下を御する事が出来るか?」

 

 それなら、といくつかの声が上がった。

 

『自分の部下ですから――』

 

「ならば何故艦娘をうまく扱おうとせんのだ?」

 

『それは――艦娘が兵器であり、個々にブレが――』

 

「で、あろうな。理由はいくつもあるだろう」

 

 吐き気は俺の意識をさらに朦朧とさせ、腹の痛みによっての覚醒さえ阻んだ。

 俺は再び拳を口元に持ってきて、ぐ、と吐き気を堪える。

 働き過ぎなんだよぉ……俺もう、ダメかもしれない、じいちゃん……。

 

「提督……っ」

 

 傍にいた長門が俺の背をさすった。

 

「大丈夫だ、問題無い」

 

 長門のお陰で治った。大丈夫です。(大丈夫ではない)

 

 吐き気や痛みによって無意識のうちにストレスがかかっていたのか、それに同調するように、どうして初対面の軍人に仕事の在り方を懇々と説かねばならんのだと怒りが形を作り出す。

 

『井之上元帥、失礼をお許しください』

 

 一人の軍人が井之上さんにそう前置いてから、カメラ越しに俺を見た。

 

『この場で言うべきではないことを承知で口にしますが、実のところ私は反対派に対して思う所はあれど、意見は分からんでもないと思っております。言葉無き兵器であれば丁寧に手入れし、いつでも使えるように、その通りの能力が発揮されるようにしていることでしょう。しかし艦娘は人の形をし、話し、あまつさえ人の心を思わせるような素振りを見せる。それらを御するとなれば、どれだけの負担であるか……大将閣下ならば、お分かりになりませんか』

 

 彼の言うことに反対意見は無い。そりゃあその通りだ。

 海の上を駆ける少女達が自分を駆逐艦だ戦艦だと言って砲撃戦をするのだから、アニメや映画ならばいざ知らず、現実となって目の前で繰り広げたあとに、ただいまと帰って来られたらどう声をかけていいものか考えてしまうのも無理はない。

 

 しかし言い換えれば――彼らは心のどこかで、艦娘という存在を理解し始めている事でもあると思えて、俺は強く伝えねばならないのだと吐き気を殺すように声を上げたのだった。

 意識は朦朧、というより、酩酊の方が近かったかもしれない。

 

「そうだ、それだ……その通りなのだ! 分かっているのだろう、諸君らも!」

 

『っ!?』

『閣下……!?』

 

「艦娘は兵器であり、兵器ではない! それを理解しているからこその劣悪な環境である! この国を見渡せばどこにでも転がっているような環境であるからこそ諸君らは気づかなかったのだ!」

 

 あっ、やばい吐く。だめだめ、耐えてまもる。吐いたらダメよ。

 大声を出してしまったおかげで喉元まで出かかったすっぱいような苦いようなものを呑み込み、拳でテーブルを叩く。

 がしゃん、とテーブルを叩いた衝撃で手元にいた妖精が飛んで俺の頭に着地。もっと着地場所考えろ! とんでもなく情けない絵面になってんぞ!

 

 あ、だめだ出る。出そう。うぷっ……。

 出てきちゃダメですぅ! と心の吹雪が必死である。

 

 俺はごくりと喉を鳴らしたあとに深く息を吸い込み、一息で言う。

 

「人間の命を部品として使えるのは、人間だけだ! 国や社会を守るためだと命を部品にして歯車を回して発展させる事を間違いだとは言わん。しかしそれは人ではなく、人間の所業だ! 我々は人間であると同時に、人だろう!? どうしてそれを忘れて国を守ることが出来ると思いあがれる!」

 

 どうしてか、俺はかつての職場の上司を思い浮かべながら熱く語っていた。

 ブラック、ダメ絶対、と。

 

「これは正義や悪などといった高尚な話では無い! 部下であると認識しているのならば態度を改め、上司らしく振舞え! 彼女ら部下に恥じぬように! 国民に恥じぬように! 命を預かる我々が命を部品にしてどうする! 一般の会社ですら命を軽んじるような場所はごまんとあるのに、唯一の存在である我々海軍がどうして軽んじることができようか! 我々が! 示さねばならんのだ! 人の在り方を! 未来へ残るやり方を!」

 

 ここまで言ってから、やっと収まりはじめた吐き気に安堵しつつ、額に浮かぶ汗を指で拭う。

 

「……取り乱して申し訳ない。しかし分かっていただきたいのは、兵器であれ、人であれ、我々の中にはそれを軽んじてしまう魔が潜んでいるという事だ。さらにはそれを正当化するために様々な理屈をこねくり回し、使い潰す知性がある。他の者へどう説明する? あれは仕方が無かった。いいや、これはこういうものだから。壊れたのだから取り替えた。作れるのだから乱暴に扱った。資源に限りがあれど、自分が使ったものはきっと別の誰かが補完するだろう。必ず……我々は、人のせいにする。私ならばこうした、普通はこうする、常識ではこうだ、と。そう言い始めたら、一体どこの誰が自分の潔白を証明し、環境を是正出来るというのだ」

 

『……』

 

 騒がしかったスピーカーは電源のコードでも抜けたのかと疑うくらいに静かだった。

 

「自分はしていないから。そう言って、自らだけは違うと主張し、目を背ける」

 

 ブラック企業に勤めていた俺だからこそ分かる。辞めたからこそ、分かる。

 劣悪な環境の改善を諦めたのだ。もうあれは是正出来ないと。

 

 さらにはその環境から逃げ出した。それが悪いとは今も思っていないが、必要なのは諦める前に是正を試みる事である。出来なかったのならば他の手段を考えねばならない。

 ……出来ない人達が集まって使い捨てられるからこそのブラックなんですけどもね。

 

 俺もまた、是正の方法を模索していたが、結局は分からず、命が無くなる前にと逃げ出したくちなのだから、どの面下げて生意気言っているんだと怒られてしまいかねない。

 しかも逃げ出したのに命が無くなってこの世界に来てるのだから説得力もへったくれもない。理屈はただの綺麗ごとで、必死さだけで訴えたって、軍人という超絶ブラックな立場を持つ彼らがそれを呑み込んでくれるなんて――。

 

『……閣下、ひとつ質問を』

 

「なんだ」

 

 難しい話はやめて欲しい。言い切っておいてなんだけども、あんまりに情けない事を必死に訴えていたのに気づいて今泣きそうだからさ。

 出来れば好きな艦娘と、好きな艦これBGMとかの話にしてほしい。

 

 ちなみに俺が好きな艦娘は――

 

『手始めに、何をお考えなのですか』

 

 あ、はい、すみません。環境是正の話でしたね。オッケーです。

 真正面から問われると、何から手をつけてよいのか分からないが……柱島に来た彼女らを基準に考えるなら……と、数秒の間を置いて俺は言う。

 

「……週休二日。ここから始める。無論、緊急時にはきちんと出動してもらうが」

 

『……はい?』

 

 あ、あれ? そういう話でしたよね? 違った? あ、あー! ごめんごめん、そうね、艦娘の環境改善だから、えーっと……そうだ、北上や大井達に頼んで実践してる事があるんですよぉ!

 建造されてすぐに海にぽーんと放り出すなんて危ないかもしれないし、練度だって低いと任務以前の問題だからさ、ね!

 

「週休二日はものの例えだ。環境の土台としてのな。艦娘を海軍の兵器として、かつ、我々の仲間として迎えるのであれば、艦娘に対する教育機関も必要になるだろう。彼女らは生まれた瞬間から意思を持ち、対話する事が出来る――即ち、知識を最初から持っているという事だ。ならば、その知識を現代においてどのように活かすべきかを我々が考えねばならん。諸君らが訓練し、勉学に励んできたように、彼女らを海で最強の艦にするには須く勉強させるべきだ。最小単位で言えば、海上戦闘の経験のある艦娘が、建造されたばかりの艦娘に対して、どのように戦えばよいか、など……現在で言えば、柱島泊地では軽巡洋艦北上、大井、練習巡洋艦の香取や鹿島が数の多い駆逐艦の教導にあたっている」

 

 モデルケースがあります! 大丈夫です! 適当に仕事してるわけじゃないんです! と示すことが出来れば、俺がブラック企業で使い潰された能無しであったとしても、多少は使える奴であると認識されて意見も通りやすくなるやもしれない。

 

 軍人達は小声で口々に何かを話しあっているようだったが、先ほどまで大音量で揺れていたせいかマイクが上手く音を拾ってくれなかったようで、スピーカーからは会話の内容が聞き取れなかった。否定的な内容だったらどうしよう……。

 

 井之上さんにお願いされたのだ……ここでくじけるなまもる……ッ!

 

「人にも時代にも、流れが存在している。戦況とてそうだ。流れを変えたいとは思わんか? 今がチャンスなのだ、この時こそが」

 

 仕事を取るのに必死で営業していたスキル――を、使い切ったあとの懇願がまさにこの状態である。仕事をください。商品を買ってください。最終的には目的を正直に伝えて頭を下げるのが営業の常である。

 

 ただしこの場において井之上さん以外の者もいるのに土下座なんて必殺技を放ってしまうと身体からいろんなものが出て来てしまいそうな上に、威厳スイッチもぶち壊れてしまうので、俺は握った拳から力を抜いて、人差し指を立てて言う。

 

「――諸君らが、この海軍を変えるのだ。井之上元帥や、私や、艦娘達とともに」

 

 もう会議はこれで終わっていいですか? さっきから、あの、スマホの方で大淀達が何か喋ってるみたいなんです。

 流石にそのままには伝えなかったが、俺も俺の仕事があるんで、すみません……という雰囲気を醸して言う。

 

「仕事が残っているのでな。先に進ませてもらうぞ」

 

 それじゃ、とパソコンに立ちあげられていた会議用のソフトを閉じようとしたとき、井之上さんに待ったをかけられる。

 

『海原、もう少しだけ待て』

 

 スマホからは相変わらず大淀達の会話がうっすらと聞こえてきていた。

 

 おそらくは金剛達が軽巡棲鬼と戦闘しているのであろうが、耳をすませば確かにヘイヘイヘェエエエエエイ! とハイテンションな金剛の声も聞こえてくる。可愛い。

 金剛型は四隻揃ってこそだよな! とは、アニメで彼女らが手作りの舞台に立って歌って踊っていたのを見たからで深い意味は無かったが、高性能かつ高火力な彼女らの事だ、連合艦隊も組んでいるので万が一があっても撤退は出来るだろう。詳しいところは、大淀からの正式な続報を待つしかない。

 

 会議の途中だったが、一度マイクをミュートにしてから、俺はスマホに向かって言う。

 

「大淀、聞こえるか」

 

《ザザーッ……こちら大淀、聞こえます提督》

 

「そちらの海域にどのような深海棲艦が出るか分からんが、もしも軽巡棲鬼以外で人の形をした深海棲艦が出現した場合は最大限の警戒を以て戦闘してほしい。これに確証は無いが、深海棲艦についてすべてが解明されているわけでもない今、軽巡棲鬼がどのような敵を呼び出すかも分からん。物資に余裕があり、なおかつ水上打撃部隊の損耗が少なければ、そのままトラック泊地より東へ向かって周辺に深海棲艦がいないか捜索をしてくれ。何も無ければそのまま帰還していい」

 

 軽巡棲鬼――艦隊これくしょんにおける中ボス的存在は基本的に多くの駆逐艦や軽巡洋艦、潜水艦を連れてくる。

 重ねて言うが、中ボスである。彼女はボスではないのだ。

 確実とは言えないまでも、ボスとして姫級と呼ばれる存在が出たって何らおかしくはない。故の忠告。

 

 大艦隊を組んだのは、勢いあまって、という所もあるが、俺の心配性が功を奏したとも言えよう。

 ゲームでは考えられない数の敵と戦っているというのだから、過保護もあながち間違っていなかったというわけだ。

 

 もう大淀だけでいいんじゃないかな……としょんぼりしてしまうくらいに素晴らしい働きを聞かされている身としては立つ瀬がない。しかし、自分を胸中で叱咤しつつ、俺が出来ることはなんでもやらねばならないし、知っている事はなんでも伝えねばならないと、ぼやける頭を必死に働かせて現実とゲームを擦り合わせた場合に考えられる危険性を伝えた。

 大艦隊だから撤退出来る――というのもまた、驕りに繋がる可能性がある。

 

 言葉こそしっかりしたものだったが、要は「気を付けてね!? ほんっとうに気を付けてね!? 何があっても逃げろよ!? 何もなかったらすぐに帰れよ!? いいな!? 艦娘がいないとかまもるの存在意義も価値も無くなるからな!?」ということである。情けなくてごめん。

 

 それからマイクのミュート機能を解除し、会議はまだ続くのか? と問う。

 

「それで、他に議題はありますか、井之上元帥」

 

『……いいや。無いとも』

 

「でしたら――」

 

『海原よ。作戦の進行具合を報告してくれんか』

 

「ひぇっ……」

 

 思わず変な声を上げてしまう俺は咳払いでそれを誤魔化す。

 井之上さん! 味方じゃん! 井之上さんは味方だったじゃん!

 何で唐突に俺を追い込んでくるんだよッ!! こんの……ッ!

 

 だめだボキャブラリーが貧弱すぎて悪口の引き出しがねえ!

 

 と、慌てている俺の頭上で、妖精がぺしぺしと軍帽を叩く。

 

『ちゃんとつたえてあげて』

 

 あっはい。

 妖精にすら諭されるまもる。これでも大将である。

 

「……失礼。現在、金剛型戦艦を主軸にした水上打撃部隊が深海棲艦の殲滅を行っています。相当数との戦闘になることを予想しておりましたので、水上打撃部隊の航空支援に空母機動部隊、さらには継続戦闘のため物資輸送部隊を編成して作戦を遂行しておりますが――特に、問題は無いかと」

 

『問題はない、か……それだけの大艦隊を動かしているのだから、問題が起きようはずもない、とも聞こえるな?』

 

 その通りですけど? とは言えない。怖い。

 しかしここでまもるの艦これ知識と言い訳スキルが発動する。

 

 井之上さん……俺の素性を知ってるんだから、あまり試すような真似をしないでくれ……! 別の意味でお腹痛くなるから……!

 

「かつての軍艦とは違います。今や彼女ら艦娘は、小柄でありながらも人知を超える戦力を有しており、司令塔さえあれば連帯することが可能なのです。見ていただきたいのは作戦の内容などではありません――彼女らの本当の強さです」

 

 主題である軽巡棲鬼など艦これにおいて周回するようなやべえ提督達の玩具だった。その一端に俺もいた。

 故に勝てる、などと油断するつもりは無いが、彼女らは深海棲艦に勝利するだろうという確信があった。練度、兵装、コンディション――全てにおいて縛りの無い世界ならば、きっと彼女らは――さらに輝くはずだと。

 

『しかしだな海原、西日本全体に警報が鳴ったくらいには国の一大事で――』

 

()()()()が一大事なのですか?」

 

 反射的に漏れた言葉に、あっ、と思うも、せっかく静まった会議室の映像が一瞬乱れるくらいにざわめいてしまう。

 井之上さんだけは、俺をいじめがいのある部下だと思っているのか、これは被害妄想だが……それくらいに瞳を輝かせてテーブルに手をついて身を乗り出しながら言う。

 

『お前は……か、彼女らは勝てるのか! 深海棲艦に!』

 

「当然です。彼女らは深海棲艦を倒せる存在なのですから、勝てねば嘘になりましょう」

 

 そういうもの、というあんまりな認識だが、それ以外に表現のしようがない。

 そこに指揮官である人間が多く集まっているのだから、一時的に撤退するようなことがあっても、覆せないくらいに負けるなんて俺は想像できないのだった。

 

「それに、艦娘を指揮する人間がここに多くいるではありませんか。ですから、私は言っているのです、流れを変えるのは今しかないと。誰も先頭に立たないのならば、私が立つ……それだけの話です」

 

 最初の話に引き戻して、じゃあ、俺はこういう結論だから! と押し付ける。

 社畜の最低な秘技――自分がそれするんで、他はよろしくお願いします――の呪言である。

 

 こうすることによって無駄な仕事を押し付けられる前に「俺はこの仕事やってるんだから、他はお前らがしろよな」と他の社員へ仕事を割り振れるという、社会人としてお前ギリギリだな、という技。

 視点を変えれば、自分がやるべき仕事と、他の者がやっても問題の無い仕事を判断しているだけなのだが、人の気質は難しいもので……俺や同期はそうする事で互いを削り合ってギリギリを生き抜いていた……互いに傷つけあっても、いい事なんてひとつもないのに……。

 

 いかん、悲しくなってきた。元気出せまもる。

 

『閣下のお考えは、分かりました』

 

 井之上さんに代わり別の軍人が声を発すると、全員がこちらを見た。

 

『――正式な決定には多少の時間が必要になりましょうが、私は閣下のお考えに従いましょう』

 

「そ、そう……か……」

 

 これ、納得してもらえたっぽい……? と恐る恐る言えば、他の者も同様に頷いていたのが見えた。

 

『体制の大幅な変更はメディアどころか国民の不安も煽るものですから、叩かれましょうな』

『官僚らから嫌な顔をされそうです。まったく、酷い仕事だ』

『しかし閣下だけを矢面に立たせて傷だらけにしようなどとは、海軍の名が廃ります』

『なに、協力体制を敷く陸軍の方にも矛先を向けてやればいい』

『はっはっは、それは名案かもしれませんぞ。どうでしょう元帥』

 

『一考の余地はあるな。的を分散させるのは、あながち悪い案ではない』

 

 ……違うよ? ねぇ、皆、あのね?

 人のせいにしちまえ! っていう意味じゃなくてね……?

 

『ふむ……まずは出頭命令が出ている楠木が戻って来るか否かでありますなあ』

『出頭命令無視となれば除籍の可能性が高まります。嫌疑如何によっては……』

『だが、南方から折り返しは無いのだろう。この状況下でなければ出頭命令に即時連絡が無いなど、ありえんことだぞ』

『やる事が山積みですな。楠木、八代……それから、舞鶴の方にも陸軍の法務部中将から出頭命令が出ているのでしたな』

『艦政本部の調査、楠木らの出頭、軍議。それから現在の作戦の完了を待って――軍部の体制変更……これは、数年がかりの大仕事になりましょう』

『これでは家内に叱られてしまいます。仕事にかまけるなと』

『男など、どうしようもない生き物ですからな。頭を下げるしかありますまい』

『で、ありましょうなあ』

 

 待って待って。和やかな雰囲気になるのやめて。まもるだけ話についていけてないから。

 しばらくは俺を置いてけぼりにした状態で軍議が続いた。俺? 黙ってたよ。ずっと。

 

 そんな時、隣でなにやらメモを取っていた長門が、とんとん、と俺の肩を叩いた。

 振り返れば、一枚の紙切れを渡される。そこにはずらずらと深海棲艦の名前が書いてあり――

 

「殲滅が完了したようだ」

 

「……そうか」

 

 ――マジかよ。これ以上、俺を置いてけぼりにするのやめろよ。

 俺は閉じられた軍議の扉をこじ開けるように、よろしいか、と低い声を出した。

 

「たった今、深海棲艦の撃滅が完了した報告が上がった」

 

『なっ……はい……?』

『まだ一日しか経っていないのですよ閣下! 本当に目標を撃沈したのかどうか――』

 

 ええい! うるさいうるさい! 艦娘が倒したって言ってるんだから倒したんだよ!

 なんて言っても信じてもらえるわけが無いのは百も承知。きっと大淀もそうなる事を予見していたに違いない。迅速に長門へ報告して、それを俺が受けて上席の井之上さんへ伝える。

 

 どう見ても完全にただの伝言役です。本当にありがとうございました。

 

「駆逐艦、イ級後期型三十二隻。ハ級十五隻。ニ級十三隻。軽巡洋艦、ホ級二十五隻。重巡洋艦、リ級八隻。潜水艦、カ級十隻。特殊個体、軽巡棲鬼と呼称しているものが、一隻。合計で百と四隻の撃沈が確認された」

 

『ひゃく……!?』

『な、う、嘘だろう、そんな数、大侵攻で一部沿岸に迫った数と、同等か……それ以上の……』

『すぐに各所へ連絡を回せ! 閣下の艦隊が撃滅したと!』

『警報レベルの引き下げを――』

『少し待て! まだ警戒は解くな! 残存勢力がいないとも限らん!』

『しかし百隻だぞ!? 百隻の深海棲艦を、ものの一日で……!』

 

『ふ、ふふ……』

 

 これでは完全に俺が仕事していないではないか! と、大淀達には申し訳ないが、最後の見回りくらいは俺が指示したんだと示すために言った。

 それと井之上さん笑ってるの見逃してねえからな。絶対に後で青葉にチクってやっからッ!!

 

「その他の拠点では対処しきれん可能性があるので、艦隊を周回させ、残存勢力の確認を急がせます」

 

 しかし、やはり俺がした仕事ではないために良心の呵責に苛まれてしまい、素直に付け加えるのだった。

 

 

 

 

 

 

「諸君――これが、艦娘本来の能力だ」



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九十三話 提督とは③【提督side】

『――という事は、練度そのものが改装に関係しているとお考えなのですか?』

 

「これは私の見解であり、確実ではないが、その可能性が高いであろうと考えている。駆逐艦であれば練度が二十から三十もあれば改装に十分な練度であると言えよう。もちろん、それ以上に練度が必要な場合もあるかもしれんので、そこは工作艦の明石や兵装実験軽巡の夕張と言った艤装に詳しい艦娘とよく相談すべきでもあるが……」

 

『閣下、もう一つ質問を』

 

「……なんだ」

 

 軽巡棲鬼を撃破した報告の後、俺はモニターの向こうにいる軍人達から質問攻めにあっていた。

 中には艦娘を研究している者もいた様子で、基本的な知識以外にも専門的な観点から気になっている事まで幅広く質問されてしまい、抜き打ち試験されている学生のような気持ちになりながらそれらに分かる範囲で答えていた。

 それもこれも、艦娘本来の能力、という言葉が引き金になっていたようだった。

 

 俺の中にあるものはゲームの知識であって、現実の艦娘に対する知識ではないため、俺は必ず「私の見解では」と前置いて言う。個人的、とは違って自分が調べたわけではない上に、半分どころか殆どが攻略サイトやゲーム内図鑑で見られるような知識ばかりなのだから、現実世界に持ち込んだところで通用するか否かなど言わずもがな。

 これではまるで俺が艦娘を個人的に調べているみたいではないか! と思わなくもないが、質問に答えられないとなれば今の今まで熱弁をふるった言葉が嘘になってしまう。仮に全てに言葉を返さなくとも、分かるところ、思いのあるところに対しては誠実に返答すべきだと考え、ペンを指示棒のように振りながら声を交わすのだった。

 

『私を含め、大勢が未だに()()なるものの存在を目にした事がありません。だから信じていないというわけでは無く……しかし同時に、説明のつかない現象を見たことがあるが故の質問であるとご理解いただきたいのですが――妖精は、存在しますか』

 

「存在する」

 

 これには、間を置かずにはっきりと答えた。

 私の見解でもなんでもなく、事実であると。

 

 モニターには映っていないのかもしれないが、くるくると室内を飛び回っている妖精や、軍帽を休憩所とでも勘違いしているのか、どこからか持ってきた座布団を敷いて、その上でお茶を飲んでいるセーラー服の妖精もいる。こいっつほんと……。

 怪我しても必死に働いてるんだから、お前らも働けオラァッ!

 

 と、そのまま言葉にはしなかったが、俺は手に持っていたペンを虚空へ掲げて言った。

 

「見えないものを証明する事は難しいが、間接的に存在を知らしめる事は可能だ。妖精が見える者と見えない者の違いは分からんが――妖精自身が、自らを晒せる相手を選んでいる可能性は考慮すべきだろう」

 

 意図を察したセーラー服でお茶を嗜む妖精がふわりと浮かんで掲げられたペンを掴む。

 俺がそのまま手を離すと、妖精はペンを持ってその場で静止する。

 

『なん、と……それは……』

『ペンが……』

『それは閣下が指示したのですか!?』

 

「いや、指示はしておらんが……どう証明すべきか、という話をそばで聞いていたのだから、察してくれたのだろう。諸君らにはこのペンが浮いているように見えるのか?」

 

『い、やぁ……どこから見ても、浮いているのですが……!』

『これではオカルトを織り交ぜたプロパガンダと言われてしまいますぞ……』

『海軍の体制変更に際して広報にでも使えたらと考えましたが、艦娘や妖精を前面に押し出す広報は無しですね。艦娘ならば触れられる上に話せますが、妖精となると、途端に信じがたく……』

『陸軍にも艦娘は所属しておりますでしょう。陸海軍の協力はより強固なものとなったとでも銘打って――』

『ふぅむ……であれば、大本営で事務に埋もれている艦娘にも新しい仕事を回せるでしょうが、そうすれば人員の不足に繋がりかねませんぞ。おいそれと建造するのは閣下の意に背く可能性もあります。今いる人員を如何に活かすかを考えた方が建設的でありましょう』

『艦娘を広報に使うのだから、それはそれで人を集められる気がするが?』

『私もそう考える。彼女らの見た目からして、なあ』

『それこそ国民の意見が割れましょう。海軍の一部とは言え、反対派の発言によって悪いイメージを持っている者も少なくはありません』

『立場や環境の改善……となると、難しいところですな。数年の歳月をかけて固められた印象を百八十度変えろというわけでありますから。我々、と一括りにしては語弊がありますが、少なからず私は彼女らを少女として見ては仕事にならんと、兵器として線を引いて扱っておりましたし』

『しかし、人類を脅かす存在と口汚く罵られてもあきらめず戦う少女達が、誹られたままで良いわけがありません。我々とて動くのならばそれだけの覚悟を持たねば』

『威信をかけた大改革でありますからな……せめて、先人の戦いに泥を塗らぬ働きをせねばなりますまい』

『先人と、艦娘……さらには、我々の意義にかかわります』

 

『……くくっ』

 

 モニターの向こうでひそひそと会話をしている様子が見えたが、小声で話すのは止めて欲しい。聞こえないので。

 井之上さんは周囲が話し合っているのを口元を綻ばせながら眺めているだけだし、ちょっと、働いてくださいよ井之上さんよぉッ!

 

『わたしたちが、おかるとだといっています。失礼しちゃいますねえ!』

 

 話している内容が聞こえていたらしい妖精が簡潔に教えてくれたが、オカルトなのは否定しない。オカルトだもの。小人だし飛んでるし気づけばいたりいなかったりするしお前らなんなんだ本当に。

 艦娘は過去の軍艦が少女になったもの――妖精は、軍艦の魂そのものなんていう説があった気がするが、最初の頃は公式にさえ名は無かった。

 

 もともと設定という設定が固められていないゲームであるが故とも言えるが、妖精と呼び始めたのは俺を含む艦これプレイヤー達――提督なのである。

 ゲーム内のあちこちに姿をあらわしては、建造や開発、出撃中にいたるまで必ずどこかに彼女らはひっそりと登場していた。

 

 建造に至っては数時間で艦娘を一人生み出すほどの技術力を持ち、開発では艦載機、主砲、副砲、機銃となんでも作ってみせる存在である一方、ぬいぐるみを作ってみたり、艦娘と共に出撃して艦載機を操ったり、主砲にくっついていたりと、血なまぐさいはずの戦争をポップなものとして柔らかな印象を抱かせる重要な存在でもある。これをオカルトと呼ばずしてなんと呼べばよいのか。

 

「まぁ、オカルトだからな」

 

『まもるまでそんなことを……! ひどいや! わたしたちはこんなにもがんばっているのに! おに! あくま! しゃちくぅ!』

 

「……」

 

『こ、この……えっと……おゆかぶりへんたい!』

 

 不名誉な異名やめろッ!!

 思わず口をついて出そうになる言葉をぐっと呑み込み、ペンを持って浮かぶ妖精を指でつまんで頭の上に戻す。相手に見えていないのなら間抜け面にならないと思うので大丈夫です。

 

 俺の頭の上に戻されて何故か機嫌の直った妖精は、ぶつくさ言いながらではあったが、再びお茶を啜り始める。

 

 短い間であるのに、今や目の前で自由にふるまう妖精は艦娘はおろか、俺にとって切っても切れない存在になりつつあるのも、確かにオカルトに思えてくるのだった。

 

 そこでふと思い出す。

 

「……むつまるはどうした」

 

 夢の中で部屋から連れ出したむつまるの姿が無い。

 俺は途端に不安に駆られて頭上の妖精や、病室内を飛び回る妖精達に向かって問う。

 

『むつ……? 閣下、それは戦艦の陸奥でありますか?』

『戦艦陸奥がどうしたのでしょう』

 

「違う、妖精だ。妖精のむつまるだ」

 

『妖精にも名前が?』

『いや、閣下が名付けた可能性もあるが……』

 

 体温が奪われていくような感覚が全身を襲い、痛みや吐き気から来るものとは違う汗が額から噴き出す。

 俺をこの世界へ呼び戻したむつまるが居ない事に気づいた俺は――

 

 ――もぞ、と軍服のポケットが蠢いた。

 

「……」

 

 恐る恐るポケットへ手を突っ込むと、むに、とした柔らかな感覚。

 それとかさりとした紙の感覚が指先に伝わった。

 

 それをつまんで引き抜くと――

 

『あ』

 

「……何をしているんだお前は」

 

『え、えへへぇ。まもるを呼びにいってたりしたから、おなかへっちゃって……へへ……』

 

 ほっぺを金平糖で膨らませたむつまるがいた。

 ビビらせんじゃねえよッ!!

 あ、い、いやビビッてねぇし。別に気にしてなかったし。

 

 確かにむつまるが居なかったら俺はこの世界に来てないし?

 いろんなことを助けてくれたから感謝してるけど、だからといって別にむつまるがいようがいまいが、俺にとっては関係無いことで? いたら、まぁ、助かるけどぉ?

 

 こいつ俺に仕事ばっかさせてくるし?

 

『しんぱいかけてごめんね? でもむつまるはだいじょうぶだよ』

 

「……そうか」

 

 は? 心配してねえし? は? はぁ? 思いあがるなよほっぺ膨らませやがって可愛かったら許されると思ってんじゃねえぞてめぇ。

 

『こんぺいとう、おいしいね』

 

「うむ……」

 

 くそが……可愛くねえし……けど許す……。

 

『か、閣下……?』

 

 スピーカーからの声にはっとして顔をあげた俺は、すまない、とむつまるをテーブルの上におろしながら言った。

 

「いつもいる妖精が見当たらなくてな。いらん心配をかけた。どうやら腹が減っていたようで私のポケットに隠れて金平糖を食べていたようでな――」

 

『金平糖を? はっはっは! 自由な存在でもあるようだ』

『妖精が空腹を……ふむぅ……艦娘とも深くかかわりのある存在で、見えずとも食事をとる、と』

『ポケットに隠れられるサイズと言えば、数センチ程度か?』

『数センチと言ったら。ペンよりも小さいでは無いか。踏みつぶしてしまいかねんぞ……』

『ペンを浮かせていたのを見るに飛行が可能であるのでは? 妖精の安全上必要であると思われる軍規の制定を――』

 

 待て待て! お前ら生真面目過ぎるだろ! 妖精に軍規って!

 話が脱線した会議はさらに進んで行く。俺を置いて。

 

『見えないものに対して軍規を制定するとなれば、また難しいところも出てきましょう。例えば入隊してきた新兵に対しても説明が――』

『だがかつての日本軍はパイロットの適性を調査するのに手相を見ていたなんて話もある。それが真実か否かは論ずるまでもないが、オカルト国家であるのは否定できん。妖精に関する軍規があっても、艦娘が存在している今、否定に足る材料もあるまい』

『士官以上の者に限れば問題無いでしょう。艦娘と間接的にかかわりを持つ者は多いが、せいぜいが出入港に際しての手続き上でかかわる程度です』

『ならば妖精には地上高一メートル以上の飛行を規定し、地上での活動を制限致しましょう。そうすれば我々が踏みつぶしてしまうこともありません』

『この大本営にも妖精は存在するのだろうか?』

『それは、わかりかねますな。艦娘に聞いてみては?』

『今の今まで仕事だなんだと冷たくあしらってきた彼女らに聞けますかな?』

『……確認は、追々するとしよう。まずは妖精に対する軍規の詳しいところを――』

 

「待て。目下進めねばならんのは深海棲艦の撃滅だろう。それから、楠木とやらの出頭についてではないのか」

 

 これ以上妖精をのさばらせないでくださぁい! まもるの仕事が増えますぅ!

 どうして詳しいところを知らない俺が軍議の舵取りをしなければならないのか……。

 

 しかし、俺の一声によって会議室の空気はぴりりと一変し、再び緊張感のあるものとなった。

 

『失礼いたしました閣下。深海棲艦の撃滅に関しましては閣下の艦隊が進行中でありますから、我々はそれをもとに各拠点へと連絡を回しましょう』

 

 そう言った軍人が、おい、と言えば、秘書らしき艦娘――香取が画面に映り込んだ。大本営に勤めている香取の表情は、柱島にいる香取よりも緊張に強張っているように見えたものの、どこか会議室に流れる空気に戸惑っているようにも見えた。

 

『西日本での警報レベルの引き下げを検討しているという旨を各拠点へ伝えてくれ。だが、未だ閣下の艦隊が作戦行動中であるため、緊急出動が出来るようにだけ構えておくようにと』

『かしこまりました』

『ところで香取』

『っ……はい』

『――まともに名を呼んだのは初めてなような気がするな。お前も聞いていただろうが、閣下の預かる泊地のように……教導をしてみたいという気はあるか?』

『え……?』

 

 一人の軍人が言うと、別の軍人も会話に参加するように口々に言葉を発し始める。

 

『香取といえば純粋な練習巡洋艦の艦型だったと学んだな』

『練習巡洋艦であるどころか、彼女は潜水艦隊を率いた旗艦だろう』

『あぁ、ミッドウェー海戦の伊号潜水艦の』

『第百六十八だろう? まさかあれの教導は――』

 

 香取は目を丸くしたまま、ええ、と頷いた。

 

『教導ではなく私は独立旗艦でした。確かに、彼女達は私の指揮下におりましたが……』

 

『ほう! なれば教導にはもって来いではないか!』

『閣下のお考えである教育機関への参入も視野に入れて、大本営から出向してみんか、香取』

 

『えっ? あの、私は……あのぉ……!?』

 

 これは再び脱線してしまうかもしれないと俺が声を挟む前に、井之上さんの声がそれらを止めた。

 

『これ以上話を躍らせても仕方あるまい。まずは、楠木らをここに立たせねばいかんのだ』

 

『――失礼いたしました。元帥閣下』

 

『貴官らがやっと()()()()()()()()事は喜ばしいが、片付けるべき問題からだ。楠木と連絡が取れた者はおらんのか?』

 

 井之上さんの問いに声は返ってこなかった。誰も楠木という男を捕まえられていないらしい。

 そもそも、俺にとって楠木など、顔も知らないような男である。名前を何度か耳にした程度で、海軍では少将という立場であり井之上さんも過去にはそれなりに信頼していたような話くらいしか知らないのだ。俺に出来ることは少ないかもしれない。

 

 楠木少将――諸外国と連携して艦娘や深海棲艦を研究しているのだったか。清水か山元か忘れたが、言っていたような気がする。多分。

 

『南方に位置する拠点……トラック泊地に関しましては別動隊として深海棲艦撃滅に尽力しておりますので除外しますが、パラオ泊地、ラバウル基地、ブイン基地、ショートランド泊地では動きが掴めていないとの事です』

 

『うぅむ……海原が派手に動いた事もある。察知されたのやもしれんな……』

 

 えっ。なんですかそれ。働いてたのに怒られるんですかァッ!?

 

『井之上元帥が情報部を抑えたから良いものの、呉の不正に続き出向させた鹿屋の中佐までも閣下に押さえられましたからな。一将官に部署そのものが先んじられたとあれば不満も噴出するでありましょう。井之上元帥が動かれたと聞かされた時は我々とて耳を疑いました。……っと、閣下に他意のある発言ではありませんのであしからず』

『話からするにどのような鬼が出てくるかと戦々恐々としておりましたからな。爆発事故に巻き込まれた翌日に軍議に参加するようなお方であるともくれば、致し方ないことかと。いやはや失礼、これも表面的なイメージの話でありますので』

 

 数人が、ふふん、と半笑いで頭を下げた。

 俺は憤慨してしまいたかったが、ここで逆切れしてはいかんと理性的に「構わん」とだけ言って顔を伏せた。

 嫌味を言われたのかもしれないと泣きそうになっているわけではない。

 

『なにか報告は上がっておらんのか?』

 

 井之上さんが顎を撫でながら問う。

 

『ラバウル基地とブイン基地の両方から深海棲艦の出現数に異常がある、との報告が上がっておりますが、全て撃滅可能な範囲であると。直近の出現数から二割ほど増えているようですが――閣下の艦隊の撃滅数を聞いた後ですから、調査するまでもなく虚偽はないかと』

『ふむ……』

 

 最近では会議などで見られることは少なくなった光景が、モニターの中にはあった。

 なんてことはない、ただ軍人がそれぞれ煙草を取り出して火をともして煙をくゆらせたり、手元にあるカップを傾けたりしているだけだ。

 井之上元帥も煙草を吸い始め、画面にうっすらとフィルターでもかけられているかのように白む。

 

 俺の手元には金平糖しかない上に、術後という事もあって口に含んで良いものか分からなかったので手持無沙汰にペンを弄るだけだったが、部屋の中にいたと思っていた曙はいつのまにやら出入りしていた様子で、俺のもとへ飲み物を持ってやってきた。

 小さな声で「飲み物は大丈夫だそうです」と言ってくれたのを見るに、医師か看護師に聞いて来てくれたのだろう。

 なんて出来た子達なの……山元はこんな子にクソって言われてるのか……うらやま――けしからん奴だ本当に……くそ……。

 

 カップに視線を落とせば、湯気を立ち昇らせるコーヒーだった。

 

 一口ゆっくりと口に含むと、ほのかな苦みが吐き気を緩和して、香りが心を落ち着けてくれる。

 

『ラバウル基地はビスマルク海の防衛を主にしており、報告での撃沈場所も殆どがビスマルク内海に集中しております。ニニゴ諸島が怪しいと見ているようで、ブイン基地との防衛線を確立でき次第、そちらに偵察部隊を送ると』

 

『わかった。ではブイン基地の報告を』

 

『っは。ブイン基地は開放後よりソロモン海を周回している様子ですが、閣下の艦隊が撃滅して回った作戦もありますので、出現数としては増えているものの、特筆すべき強力な深海棲艦は見られていないとの事です。閣下が独自に遂行した作戦でありますから、ブイン基地から応援要請が無かったことに機密保持すべき作戦であったのかと問い合わせが……』

 

『で、あるか。ここにいる将官らに言うまでも無いが、機密保持が必要でありそうか?』

 

『それは――』

 

 軍人たちがカメラ、もとい俺を見る。

 コーヒーを飲みながら軍帽のつばの下から視線を合わせれば、全員がさっと俺から目を背けた――わけでは無いだろうが、すぐに井之上さんへ顔を向けた。

 オッサン同士仲良く出来るかと思ったのにこの仕打ちである。酷い。

 

『――区別で言わば、軍機でしょう』

『それ以外にありえませんな』

『待っていただきたい。それでは我々の頭に銃口を突きつけることと同義ですぞ。軍機となれば官僚の殆ども閲覧不可能――首相や防衛に際する者の一部しか――』

『戦線での一挙手一投足を官僚らが知りたがる理由など、それこそたかが知れているだろう。情報の共有をしないとは言っていないのだから、黙らせるしかない』

『そもそも閣下のご尊顔を見た瞬間から、我々に逃げ道が残っているとも思えん』

『……はぁ。返す言葉も無いとはこの事ですな』

『逃げ道とは、まるで及び腰ではないか』

『言葉のあやですとも。ここまで話を聞いておいて逃げだすような性根であればこの椅子にも座っておりません』

 

『ならば、本作戦を含め、南方開放に関する事項は軍機であるとして返答しろ』

 

『了解しました。ブイン基地はラバウル基地と共同で防衛線の確立の作戦を模索している現状であるとの報告です。南方海域どころか海が安全であるとは言えない今、二つの拠点が連動して作戦を遂行することを拒否する理由もないかと考えております。閣下は如何でしょうか』

 

「……」

 

『閣下?』

 

「……う、うむ?」

 

 必死に話を聞いていたものの内容の半分くらいしか分からなかった気がする。

 ラバウルとブインが防衛線を張るって話だよな? と壁に貼られた海図を眺めながら、俺は話を合わせた。

 

 南方海域を防衛するならどうすれば効率的であるのか、すらも分からない。

 

 ペンを持って、空中越しに壁の海図へいくつか線を引くように動かすも――分からない。海という広い戦場でどうやって安全を確保しろというのか。

 しかしそれを言い出しては元も子もないので、素人意見であろうが、笑われてしまおうがとにかく防衛にはこれくらい必要ではないのか? と自身で考えられる範囲で発言をする。

 もちろん言い訳もセットです。すみません。

 

「すまない、防衛に関してならばどうすべきかと、考えていて……」

 

『い、今ですか? なんでしたら、まずは防衛箇所を絞り――』

 

 うるさいよ! 今必死に考えてるんだから黙ってて!

 

「ラバウルとブインが共同するのならば、ショートランド泊地とも共同させるべきだろう」

 

『ショートランドも、ですか……?』

 

 言葉を組み立てながら、戦略らしい戦略は何かなかったかと艦これの海域マップを思い浮かべたり、さらには過去に催されたイベント海域などを思い返す。

 海図を眺めていると、細かな島々が目に入るのと同じくして、軽巡棲鬼という特殊な個体を思い出して、一つの案が浮かんだ。

 

 防衛線というくらいなのだから、突破されてしまうと戦況が変わってしまう重要なラインであるなど然り。

 戦況を変えず、強固に守らねばならないのならば相応に資源が消費される。

 

 艦娘達が戦えるように資源を補給できるようにするには――集積地が必要である。

 

 過去のイベントに出現した集積地棲姫というボス級の深海棲艦が同じような事をしていた記憶がある。あのタフさ、超火力、ふざけた航空戦力には頭を抱えたものだが、今は同じ事が可能であるのだから使わない手は無いだろう。

 俺に限った話だが、一度は攻め落とした事だってあるのだから、対策だって考えられる。

 

 大発動艇や対地噴進砲、迫撃砲を持ち出されたとしても、俺よりも知識のある会議室の軍人達ならば対処を知っているはずだ。

 

 もしも却下されたら別の案を考えてくれるだろうしな!

 

 他力本願って言うな。

 

「ラバウル基地とショートランド泊地から艦娘を派遣し、タンガ諸島、リヒア諸島を集積地として利用するのだ。資源の移動はブイン基地が行えばいい。陸上を移動するならば海上よりもよっぽど安全だろう。ラバウル基地の北にあるニューアイルランド島は防衛に適した地形をしている。住民がいればニューブリテン島へ避難させればより安全に生活も守れる」

 

 壁に貼ってある海図から、手元の海図へ視線を落として、キャップがはまったままのペンで島をなぞりながら言えば、会議室は、しんとした。

 

『……閣下、続きを』

 

 つ、続きぃ!?

 えー……と、ですねぇ……!

 

「南方に防衛線を張れば、攻め落とす場所は必然的に絞られる」

 

 いかん、何を話してるのか分からなくなってきた。

 だが誠実に、真面目に仕事をしなければいけない。これは艦娘のみならず人命がかかっているのだ……!

 じいちゃん助けてぇっ……!

 

 もう何回転したか分からない手のひらをひっくり返すような思考が言葉になって口からこんにちはしてこないように必死に考えながら、ポーカーフェイスを保って俺は言った。

 

「――そうすれば、トラック泊地やパラオ泊地と言った拠点が目標となるだろう」

 

 ああ、もうだめだ。これだとトラックやパラオを生贄にしろとしか聞こえないじゃないか……と、前言を撤回する前に、テーブルの上のスマホから声が上がった。

 

《――こちら連合艦隊旗艦、大淀》

 

 長門をちらりと見れば、スマホと俺を交互に見て頷かれる。

 会議を中断する事になるがこれも仕事なんでね、という顔をして「失礼」と言った後に大淀に応答する。

 

「どうした」

 

《トラック泊地東側の海域に海軍の艦艇を確認しました。種別は――》

 

 スマホの音を聞くために手元に引き寄せたことで、会議室へも通信の内容が聞こえた様子で、全員に緊張が走る。

 しかし会議室でそれぞれが反応を見せてくれた事で俺は逆に安堵していた。

 

 俺の周りには有能な者しかいないのである。素晴らしい。

 俺の仕事なのにすみません。

 

『トラック泊地の東側に艦艇を出した記録は』

『いえ、今のところはありません』

『では拠点側が哨戒に出したのか?』

『艦娘の随伴があれば可能性はありましょうな』

 

《え……》

 

 多くの声が聞こえて来たから驚いたのか、はたまた別の問題でもあったのか、大淀の戸惑ったような反応。

 

「大淀? 何か問題でもあったのか?」

 

《い、いえ……空母機動部隊に偵察機を出してもらっていたのですが、そこで発見された海軍と思しき艦艇に艦番号が見当たらないようで……》

 

「ふむ。少し待て」

 

 なんというタイミングであろうか。たった今、丁度分かるであろう人達が揃ってるんですよここにぃ! 助かったぁ……ッ!

 しかし俺が仕事をしていないのではないかと不安を抱かせるわけにもいかないので、スマホをそっと手の平で押さえた状態で会議室の面々に向かって問いかける。

 

「私の艦隊が艦番号の見当たらない艦艇を発見したようだが――」

 

 艦番号とは、説明するまでも無く、軍に所属している艦に割り振られる番号だ。

 管理しやすくするためでもあるそれが見当たらないとなれば一般の船である可能性もあるため、もしかするとここでは分からないかもしれないが。

 

『南方に出られるような艦艇など限られておりますからな、調べればすぐに分かりましょうが、番号が無いとなれば抹消されたものか……』

『おい、鹿島、調べてくれ』

 

 画面に映っていないだけで、鹿島もいた様子の会議室。

 高い声の返事が聞こえたあと、ぱたぱたと足音が遠ざかっていく。

 

 足音すらも可愛いと思えるのは、やはり鹿島という艦娘が――

 

『閣下』

 

 あっはいすみません。セクハラは考えていません。

 

『その艦艇に、心当たりがある様子ですな』

 

 はぁ? あるわけないだろ、何を言ってるんだオッサン……。

 俺は軍帽を被りなおしながらコーヒーをもう一口飲み、空になったカップを長門へ差し出して「お代わりを貰えるか」と言ってから、モニターへ顔を向けた。

 長門はあっという間に新しいコーヒーを淹れて戻って来る。

 

「私は知らんが」

 

 大淀は知ってるかもしれない。

 

『……』

『知らん、と……』

『確定事項ではないという意味でしょうか?』

 

「確定もなにも、どんな艦艇であるかも分からんだろう」

 

『……』

 

 全員がこちらを訝しむように見つめる。

 大淀助けて。オッサン達に睨まれてる。まもるの危機だよ。

 

 ……大淀ォッ! 今、調べに出て行った鹿島でもいいから助けてってェッ!

 

 俺の祈りが届いたのは数分後の事だった。

 鹿島が走って戻って来たのがスピーカーからかすかに聞こえる足音で分かった。

 

『現在、抹消された艦艇はありませんでした。大侵攻の折に沈んでしまったもの以外は、再登録されているはずである、と……』

 

『万が一も考えたが……やはり、そうであろうな』

 

 井之上元帥は艦番号を全て覚えているわけではなくとも、心当たりは無かった様子で言う。

 俺は手の平をスマホからのけて大淀へ伝えた。

 さらなる情報があるなら、会議室へ繋がねばと問うことも忘れない。

 

「番号が抹消されている艦艇は今のところ海軍に存在しないそうだが、その艦は一隻のみか」

 

《はい……一隻のみです》

 

「分かった、少し待て」

 

 俺が伝えずとも会議室には一隻のみという情報は大淀の声として届いており、またも声が飛び交う。

 

『一隻のみの艦艇が南方を航行中とは意味が分からんが、作戦中でもあるまいに』

『通信を試みるべきだろう。南方の一部だ、楠木の管轄ということもある。アメリカの艦艇であるかもしれんぞ』

『可能性としてはあり得るが……どちらにせよ、研究目的の航行であれ報告も無しというのは問題だろう』

『……待っていただきたい』

『どうしたのかね』

『出頭命令が出たのを知ってか、命令が出ることを予想して、研究者かその関連の者が南方からの離脱を図っているのだとしたら……?』

『な、なにを……将官が逃げる理由は揃っているが、さしもの楠木とてそこまで馬鹿ではあるまい。出頭命令は裁判が前提にあるが、出頭せねば無条件の敗訴だぞ。賢い男ならば、法廷に立って弁明する方がまだ賢明であることくらい理解しているはずだ』

『八代の件をお忘れか』

『……まだ確定はしておらん。疑わしきは罰せずだろう』

『八代や舞鶴の金森がかかわっていることも調査中だ。それらを明確にすることが優先されるべきではないかね』

『深海棲艦の艤装の一部を使用したとの目撃証言がある上に、大艦隊が南方で撃滅した特殊個体のこともある。百が揃っても一の不明瞭があるから不問に処すとしてきたから現状があるのではないか』

『……うぅむ』

『八代が使用したとしても、それが楠木に繋がるというのは短絡に過ぎんか』

『艦娘の研究に手を貸している代表の二人であろう。短絡ではない』

『データの提出を積極的に行っているだけでしょう。データ収集に関しては海軍全体で行っていることであり、まずは公平に取り扱うべきだ』

 

 交錯する会話に、井之上さんの重たい声が落ちる。

 

『様々な意見があって結構――しかし決定的な証拠が正式に提出されるか、この作戦終了後に八代が大本営に出頭せねば話は前に進められんだろう。いずれにせよ――全てを一気に片付けることなど不可能――』

 

《てっ、提督……艦艇に、人が確認出来ました……!》

 

 井之上さんの声を遮った大淀の震える声に、会議室から音が消えた。

 

「人か。海軍の者か」

 

《お、おそ、らく……しかし、その、甲板に……》

 

 泣きそうな声、泣いている最中の声、大淀から色々な声音を聞いてきた俺だが、恐怖に震えあがるような声は初めてで、緊張で身体に力が入る。

 危機的状況であるのはそうだが、それ以上に、深海棲艦が出現する海域で人が船に乗ってのんびり航行しているわけでもなさそうで、状況を知るべく俺はさらに声をかけた。大淀を落ち着けるには、俺が慌てるわけにはいかない、と声音は変えないよう、出来る限りいつも通りに、と。

 

「大淀」

 

《あ、あの……え、と……!》

 

「大丈夫だ。落ち着いて、一つ一つ対処すれば問題じゃない。今、何が見える」

 

《二航戦のお二人に、広域偵察を行ってもらっており……その最中に見つかった艦艇の甲板上に、人が、いて……》

 

 同じことを話していたが、これも自分を落ち着け、頭を整理するためなのだろうと俺は声を挟んだりしなかった。

 

「うむ。それで」

 

《甲板にいる人は、海軍の、軍服を着用しているようです……それに、隣に……深海棲艦と思しきものが見えると……!》

 

「……ふむ」

 

 深海棲艦が人と一緒に船に乗っている?

 うーん……ちょっと……。

 

「意味が分からん光景だろうな」

 

 意味が分からないですよねぇ……。

 

《て、提督! これはどうすれば……!》

 

『軍の者が深海棲艦と艦艇にぃ!? どういうことだ!』

『早く通信を試みるべきです、閣下!』

『いや待て、ここで通信しては近辺にいるであろう艦隊が危険に晒されてしまいかねん!』

『百を超える深海棲艦を撃破する艦隊を抱えておいて背を向けるほうがおかしいでしょう!?』

『そっそれはそうだが……!』

 

 お、おおおちちち、落ち着け落ち着けまだ慌てる時間ではあわわわわ……。

 会議室の混乱が俺にも伝播してしまうようで、そわ、と両腕が粟立つ。

 

 俺は長門がお代わりにと持ってきて置いてくれていたコーヒーを一気に飲み干してから大淀へ言う。

 

「通信を飛ばせるか。もし危険であると判断した場合は、全力で撤退することを許可する。艦に乗っているのが深海棲艦か否かも確認せねばなるまい。もしもそうであれば、人型なのだろう、それは」

 

《は、はい、今から通信を――》

《提督っ! あれは深海棲艦だよ! 絶対に!》

 

 きーんとするような蒼龍の声がスマホから響いた。

 会議室へも大音量で響いたらしく、全員が肩をすくませて耳を押さえた。

 

「蒼龍、落ち着け。まずは通信を試みる」

 

《っ……わか、ったけど……でもっ……!》

 

 深海棲艦のみが相手ならばいざ知らず。人までいるのだから彼女達も混乱しているのかもしれない。

 だが俺は彼女らを安心させられる手札がある。

 

 ――軍議に参加している大勢の軍人という手札が!

 おう。そうだよ。他力本願だよ。文句あるのかむつまる俺を睨むんじゃねえ。

 

「井之上元帥以外に、多くの将官と会議をしている最中でな。何があってもここで解決させられるだろう。もし出来なくとも、対処くらいは問題無い」

 

 ですよね? と視線を向ければ、モニターに大勢が頷く様子が映る。

 

《通信を、試みます……提督に繋いでいても……?》

 

「ああ」

 

 俺なんかで良ければなんでも押し付けてください。

 難しい事は会議に集まってるオッサン達が何とかしてくれます。

 もちろん俺だって一生懸命働きますし、考えますから。

 

《――こちら、柱島泊地所属、連合艦隊旗艦、大淀。応答願います》

 

《ザザッ……ザ……》

 

《こちら、柱島泊地所属――》

 

 数分、ノイズに対して声をかけ続ける大淀の声だけが場を支配した。

 そして――

 

《ザッ――そちらから出向いてもらえるとは光栄だ、柱島の艦娘》

 

《ッ……!?》

 

 スマホから聞こえて来たノイズ雑じりの声は、疲れたような男の声だった。

 

『この、声は……!』

『間違いありません、これは』

『閣下は行動を読んでおられたとでもいうのか!?』

『南方の防衛線に、ブインかトラックと的を絞った物言いからして、そうであるとしか言えんだろう!』

『待て待て、出頭するために出た可能性もある!』

『だが――!』

 

 一気に混乱していく会議室と通信、そして病室。

 ぽかんと間抜け面をしているのは俺だけで、長門や曙、潮、それに憲兵隊の面々は顔を青から白へ変えて固唾をのんでスマホを見つめている。

 会議室は議論をしていたわけでもないのに紛糾の様相を呈す。

 

 大淀から件の男の声に返答は無く、ならば俺が代わってやらねば、と声をかけた。

 

「大淀に代わり失礼する。柱島泊地を預かる、海原という者だ。現在、そちらの海域は深海棲艦の出現もあり危険なのだが、あなたは海軍の者か?」

 

 軍服を着用していると聞けど、確認はね、一応ね。

 

《っはは、白々しい男め。少し、声が変わったか?》

 

 何だこいつは……声が変わった……?

 もしや、俺の前にこの世界にいたじいちゃんを知っているのかもしれない。

 

 それにしても、祖父のように真面目にしか見えない人を知っている相手が艦娘を虐げているかのような話しか聞かない男であるのが信じられず、俺は祖父の顔に泥を塗らないようにしつつも訝しみが隠せない、低く唸るような声が出てしまうのだった。

 

 もちろん、この場には知らない者も多いため、はっきりとは口に出来なかったが、井之上さんならば俺が場違いな事を言っても意味は分かるだろうと、言葉を紡ぐ。

 

「……世話になったな」

 

《ッ……ふ、ふはは、そうか、やはり気づいていたか、お前ほどの男ならば……くくく……!》

 

「気づく? 何をおかしなことを――」

 

 じいちゃんとの話を指しているのなら分からないです。

 関係性を知らないんですもの……ごめんね……。

 

「そこは作戦中の海域なのだが、どこへ移動しようとしていたのか聞いてもよろしいか」

 

《――本土だ。もう目的も分かっているのだろう》

 

 その声に会議室はさらに騒がしくなった。

 

『やはり出頭のためだったのだ!』

『ならば同乗しているものは何なんだ!』

 

 その声をスマホのマイクが拾ったようで、相手の男――楠木から、気の抜けたような《は……?》という声が漏れる。

 すみませんずぼらな仕事してて……会議と作戦とを並行してるんです……しかもベッドの上でコーヒー飲みながら……これじゃじいちゃんに怒られてしまう……。

 

「私も仕事でな。形式的で申し訳ないが、名前を伺ってもよろしいか? それと、同乗している者の名前も教えていただきたい。本土へ行く理由如何によっては、艦娘を同行させる」

 

《な、ん……海原、貴様ァッ……どこまでも、俺の邪魔をッ……!》

 

「すまんな。これが仕事なのだ」

 

《真正面からしか、戦わん気だな……その、その貴様の姿勢が、気に入らん……気に入らんかったのだ……全てを救えるような、貴様の振る舞いがッ……!》

 

 何を言っているんだこいつは……。

 

 職務質問をする警察官とかってこういう気持ちだったのかな……違うだろうけども……。

 頭の隅でそんな事を考えつつ楠木の声を待っていると、ばちん、という激しい音と共にザザー、というノイズ音が流れた。

 

「……どうした」

 

 俺が問えば、さらなるノイズの後、大淀の声が返って来る。

 

《て、偵察機が撃墜されました! 甲板の上にいた者から艦載機が――あれは深海棲艦で間違いありません!》

 

 え、えぇっ……!? まさか本物の深海棲艦と一緒に……?

 もしかすると見間違えただけかもしれない、などという希望的観測を交えた思考が回るよりも、会議室の軍人、そして井之上さんに判断を仰いだ方が早いと視線を向ければ――全員が硬い表情をしていた。

 

「こういう場合は、どうするべきでしょうか」

 

 単純な問いに、井之上元帥は顔を伏せた状態で額をおさえたまま言った。

 

『……自軍への攻撃行為を認める。深海棲艦を撃滅し、可能な限り、楠木の捕縛を試みろ』

 

 俺が頷くより前に、スマホから大淀の《了解!》という声が聞こえた。

 続いて――スマホの画面が切り替わり、ぴこんと音を立てる。

 

 よく見れば、待ち受け画面の上部にあるステータスバーに通知の表示があり、スワイプして確認してみると、一枚の画像ファイルが届いていた。

 俺のスマホじゃないと分かっていたのだが、その時、何も考えず自然とタップしてしまった。

 

 そこに表示されていたのは――上空から撮影したと思しきぶれた画像が。

 

 確かに、深海棲艦――見たことのあるもので――俺から漏れた声が、会議室の緊張をより大きなものにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「これは、深海海月姫じゃないか……――!」



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九十四話 真【提督side】

『閣下……その、クラゲとは……』

 

「あっ……い、や……!」

 

 スマホの画面を見つめて口走ってしまった言葉は既に現実世界にあり、引っ込めることなど出来るはずもなかった。

 井之上元帥ならば訳を話せば理解してもらえたかもしれないが、艦娘達が海に出て戦っている今、俺は指揮を執ることを優先しなければならず、軍人達に「私は、実はこの世界の者では無いのだ」なんて語る時間など無い。

 

 スマホからは戦闘が始まったようで、艦載機を発艦させているであろう空母機動部隊からの声声が響いている。

 

《何なの、あの艦載機は!? 速過ぎて狙いが――!》

《飛龍そっちもう一機行ったよ!》

《分かってるってぇ! こっちは連合艦隊だってのに、何よこの数は……!》

 

 艦娘達と、深海棲艦と、軍部の闇と思しき男と、提督として妖精にこの世へ呼び出された俺が――衝突していた。

 

 軍人達が俺を見るも、モニターに向かって声すら上げられずに固まってしまった。

 そこからしばらく沈黙が流れたが、軍人達がさらに追及する。

 

『閣下は、出現した深海棲艦を知っておられるのですか……?』

『あの声は間違いなく楠木です。その楠木が深海棲艦を連れている事を知っていたのですね?』

 

「っ……楠木少将が、深海棲艦を連れている事など、知らん……私が知るわけ――」

 

 一つの否定で彼らは納得するか? しないだろう。するわけがないだろう。

 艦娘をどのように扱っていようとも彼らは日本という島国を守るために必死に働いている軍人であり、一握りの情報とて命と同様に重たいもの。

 言い換えれば、俺の持っている知識は、この世界においてたかがゲームと一括りに出来ないものであり、自らが積み立てたものでなくとも、俺の知識こそが打破の鍵となりうるものである。

 

 如何に馬鹿な社畜だと自虐するような間抜けであれ、俺が理解できないわけがない。

 

 痛みの残る腹を押さえながら、取り繕う言葉も無く、俺は――

 

 

『海原は、日本海軍大将だ。私が選んだ、男だ』

 

「井之上、さん……」

 

 

 ――ざわめいていた会議室が静寂に包まれた。

 井之上さんの重たい声は全員を黙らせるのに十分な圧があり、さらには追及の発言さえも許さないという強制力があった。

 井之上さんは曲がりなりにも――失礼だが――日本海軍の元帥という立場にある男であるのを忘れかけていた俺にも緊張が走り、コーヒーの後味の残った唾をごくりと吞み込んでしまう。

 

 何を言おうとしているのか全く見当もつかず、モニターを見つめる俺。

 

 長門、曙と潮、憲兵達も固唾を呑む。

 

『全ては私の責任である事を前置く。海原鎮という男を見た事がある者は……ここにいないだろう』

 

「……」

 

 声も出ず、思考も回らず、今の今まで歪に回っていた歯車が正されようとしている。

 そこに俺の意思が入る余地など無く、あるのは、沈黙と、井之上さんや軍人達から発される重苦しい空気だけ。

 

『この、海原という男は――』

 

『元帥閣下。遮る真似をお許しください。閣下、今そちらに憲兵隊がおられますね?』

 

「あ、あぁ……医師達も、いくらか……」

 

 軍人の一人が片手を振って言う。

 

『ここから先は軍機でありましょう。それに先ほどから画面に映りこんでいる艦娘……そちらは閣下の艦娘で?』

 

「長門は、そうだが――呉鎮守府に所属している、曙と潮という駆逐艦も――」

 

『では呉鎮守府の艦娘と憲兵隊は退室を。長門、聞こえているかね』

 

 画面越しの声に反応した長門が返事すると、軍人は言う。

 

『人払いをしてくれ。誰もそちらに近づけないように……それに長門、悪いが君にも、退室してもらう。ここからは海軍内部、それもごく一部でのみの話になるだろう。陸軍の諸君らもいらん話を聞いて首を飛ばされたくはなかろう。ですよね、元帥』

 

『お前……どうして……いや、そう、だな』

 

『では、退室を。閣下、作戦海域にいる艦娘に何か指示を出されますかな?』

 

「あ、う、うむ。大淀――聞こえるか」

 

《提督! 現在、深海棲艦の艦載機が大量に――!》

 

 顔をしかめながら、俺は全てがここで終わるのかもしれないという心持ちで大淀へ指示を出した。持ちうる知識を詰め込み、対処できるように。

 艦娘を放り出すような真似をしたくは無かったが、この場で怒鳴り散らして逃げ出し、指揮に集中できるわけもなく、腹の傷だって痛む。完全にお手上げだ。

 

 ――だが、深海棲艦に負けるような指示など出せようはずもない。

 彼女らが沈むような指揮を執れるはずもない。

 

 ぐっと奥歯を噛みしめながら、俺はスマホを持ち上げた。

 

「大淀。暫く、指示が出せなくなるかもしれん。だからよく聞け」

 

《えっ、提督、それはどういう――》

 

「いいから聞け。頼む」

 

 モニターの向こう側に言われるがままに憲兵隊は病室を出て行き、医師達も点滴スタンドを引きながら痛みが出たらすぐに呼んでくれと残して退室していく。

 曙と潮は何度か俺や長門の方を振り返っていたが、残っていたところで話が聞けるわけでもないと理解してか、静かに出て行った。

 残った長門が俺を見つめていて、俺も長門を見つめたまま、大淀への指示を続ける。

 

「恐らく、その深海棲艦の飛ばす艦載機は並の性能ではない。空母機動部隊は物資が許す限り発艦させ、制空権を決して相手に握らせるな。制空権が奪われた場合――覆す事は厳しい」

 

《ッ……! 了解しました! 空母機動部隊に告ぐ! 空母機動部隊に告ぐ! 制空権を奪取されないよう戦闘機を全て発艦させてください! 繰り返します! 制空権を奪取されないよう、戦闘機を――》

 

「これは可能性の話だと留意しろ。……さらなる随伴艦が現れる可能性がある。だが空母機動部隊は支援を後回しにしても制空権を維持する事だけを考えるんだ」

 

《随伴艦まで……どう、して……それを知っているのですか、提督……》

 

 どうしてだろうか。

 簡単だ。ゲームだったからだ。ゲームに、出てきた敵だったから、それだけだ。

 ゲームと違う状況で出て来たところで、そのものの攻略法を知っていることはおかしいことだろうか?

 

 おかしいのだろうな、と無意味な自問自答が胸中で繰り返される。

 

 深海海月姫――理想郷(シャングリラ)と呼ばれた深海棲艦は、かつてゲームで初めて()()と名付けられた敵だった。戦艦、空母、重巡、はたまた、イロハで別けられた級でもない海月とも名付けられた。

 その敵は――絶望を連れてやってきた。

 

「……爆撃機は、シャングリラから発進した、だったか」

 

 高性能なスマホだったのか、俺の小さな呟きは大淀にも届いていたようで、いいや、大淀はおろか、空母機動部隊の旗艦である赤城にも、その言葉は届いていたらしい。

 

《シャングリラから、爆撃機……!? それは、まさかあの時、飛行長が探し出そうとしていた――!》

 

 赤城はきっと、過去の記憶の話をしているのだろう。

 

「違う」

 

《え、ちが、う……?》

 

「理想郷など、存在せん。あるのは撃滅すべき敵と、現実のみだ」

 

《……》

 

 俺は赤城に対してはっきりと言うと、大淀に向かって続く指示を出す。

 

「随伴艦が出た場合――水上打撃部隊が率先して撃滅を図れ。先ほどの軽巡棲鬼の比ではない。決して油断せず、連携を崩さないように一隻ずつ確実に倒すのだ。大破艦が出た場合、一隻の僚艦を連れて海域から離脱するんだ。離脱した者と同じ艦種を柱島から緊急出撃させ、海域に合流させ数を維持しろ」

 

《提督、お待ちください! ていと――》

 

 俺は目を閉じたままスマホを長門へ突き出した。

 

「聞いていたな」

 

「あ、あぁ……」

 

「大破が出ても戦うような真似は絶対にするな。必ず倒せる、だから……」

 

「……わかった。あなたが倒せると言うならば、私は何も言うまい。だが提督」

 

「……」

 

「私は、あなたを信じている。あなたが私達を信じてくれたようにな」

 

「ッ……長門、私は――!」

 

「また、あとで」

 

 病室に残されたのは多くの機械に囲まれた俺。

 

 それから、モニターの向こうでも香取や鹿島が部屋を出て行くのが見えた。

 しかし、それだけにとどまらず、軍人の一人が立ち上がってカメラに近寄り何かを弄り始めたではないか。

 画面が揺れ、軍人の手を覆う白い手袋だけが数分の間、画面を占有した。

 

 俺は何が起こっているのかさっぱり分からないままその画面を見て、不思議そうな顔でモニター付近を飛んでいるむつまる達を視界内におさめていた。

 

 軍人達は俺が楠木の事に関して知っているが、話せないと思っているのだと考えた。故に人払いをさせて、真実をこの場で聞こうとしているのだと。

 しかしながら俺は本当に楠木という男を見たこともなければ、実際に声を聞いたのは今が初めてであり、何をしていたかなんてことさえも分からない。

 艦娘に対して非道なことをしていた――それだって人づてに聞いたものなのだ。

 ここで話せと言われても話せないし、詰められたところで困るだけで……井之上さんも楠木を優秀な男であると認識していたのだから、手のひらを返して、実は、なんて話をしようはずもない。俺の手のひらと井之上さんの手のひらでは、重さがあまりにも違い過ぎる。

 

 一つの会社ならばいざ知らず。例えば上司が今までやっていた仕事と全く違う事をやれと言えば、会社員だった俺は文句も言えず従っていただろう。

 だが彼は、井之上さんは違う。日本海軍を預かる元帥にして、国民の命に直結する人で、ともすれば俺のような一般人がおいそれとかかわれるものではないはずの人だ。なんの因果か、この世界で軍人となった俺は完全なる異分子。

 

 世を乱す存在に変わりない。

 

 それが良い方向に傾くのか、悪い方向に傾くのか、それらをコントロールするのは他の誰でもなく、自分自身であるというのに――どうして俺は何も喋れないのだろう。

 

『……失礼。これでも情報部の椅子に座る男ですので、部外秘であるならば細工せねば記録も残る上にどこから足がつくかも分からんですから、この作戦後、一切の機器を廃棄させていただきたい』

 

「それは……――?」

 

『おい忠野(ただの)、何をしておる』

 

 忠野と呼ばれた軍人は白髪交じりの髪の毛を撫でつけながら席へ戻ると、井之上さんに向かって浅く頭を下げて言った。

 

『これは自分なりの誠意です。井之上元帥が如何に国民の事を考え、自分らの事を考えて動いているのかを知っているが故の行動であります。楠木の事に関して、恐らくは元帥閣下ご自身で動かれるのは危険と思い、大将閣下を動かしておられたのでしょう? それが功を奏す前にして、楠木本人とぶつかってしまった――という所であると見ておりますが、如何でしょう』

 

『……違う』

 

 井之上さんはテーブルの上に乗せられた拳をぐっと握り、忠野へ向かって首をゆっくりと横に振る。

 他の軍人はどうしてか小さく笑いながら『忠野中将の予測が外れるとは、情報部もなまったものですなぁ』と茶化すようにして言っていて、俺の混乱はさらに加速した。

 

『なに、これは一つの予想だ。情報部はいくつも手札を持っているからこその情報部なのだぞ。では元帥閣下――大将閣下が仰られた()()()()()とやらに関連した事であるかを、お聞かせいただけますか?』

 

『……関係無いとは、言えんな』

 

『なるほど。では、大将閣下』

 

「っ……なんだ」

 

 ぱっと顔を上げてモニターを見る。

 忠野は真っ直ぐに俺を見つめていて、カメラ越しからでもその目の光が分かるほどに見開かれていた。

 

『何か、ヒントを』

 

「……ヒ、ヒント?」

 

『こんな事をしている場合ではないとお思いでしょうか。しかしこれは必要な事なのであります。情報部には元帥閣下にさえ秘匿していることがごまんと存在します。それは元帥閣下も承知のこと――全ては国民の安全と、人類の存続のため』

 

「……」

 

 重苦しい空気。鉛そのものが肺に入り込んでいるように息苦しい。

 

『故に、妖精というオカルトでさえ我々は真実であると受け止めているのであります。もっと言えば――神の系譜を頂点とする国家ですから、それが我々の普通でもあるのです。ただ、それらの認知が薄れているだけで、我々にはそれらを許容する資質があります。この国内ならば、どこの、誰であれ』

 

 井之上さんがとうとう頭を抱えたのが見えた。

 俺も軍帽を脱ぎ、額を押さえた。

 

 忠野は、彼らは何を知っている? どこまで艦娘や妖精の事を理解しようとしているのだ?

 

 それに対する解を俺が持ち合わせるわけもなく、純粋に、問うしかなく、答えるしかないのが現実。

 

 非現実と現実が交錯した時――どうなるのか――自然と手が震えた。

 信じてもいなかった神に祈るような気持ちで、それもまた不敬だと余計な事をも考えつつ、俺は口を開いた。

 

「深海棲艦の事を、私は……知って、いる」

 

『……どうぞ』

 

 促され、俺は途切れ途切れになりながらも言葉を組み立てた。

 

「艦娘の事も、どちらも知っている。私は、それを知っていたし、見ていたし……()()()していた」

 

『プレイ、ですか』

 

「ああ、そうだ……一人のプレイヤーとして、提督として、彼女らと深海棲艦が戦うのを、ずっと、見ていた」

 

 モニター付近にいたむつまるが俺のそばまでやって来て、ぴたりと頬にくっついた。

 不安を払拭しようとしてくれているのか、小さな声で、大丈夫、大丈夫、と何度も言ってくれていたのが後押しとなって、今度は途切れず、井之上さんや忠野、全員をまっすぐに見つめて言葉を紡ぐことができた。

 

 

「私は……――この世界の人間でも無ければ、軍人などでは無い。故に、彼女らも、敵のことも、知っている」

 

 

 今度こそ、音も何もない静寂が室内を支配し、耳鳴りがした。

 

『なん、と……』

『大将閣下……』

 

 かつて死んだ海原鎮の亡霊だと思っているのか。

 それとも、俺を艦娘と同様、人外であると思っているのかは分からない反応だった。

 数十秒、いや数分、再びの沈黙が流れる。

 

 それから、ぱん、と大きな音が鳴った。

 忠野が手を打ったのだと気づくのにもまた数秒を要したが、驚いているのは井之上さんと俺だけで、忠野を含む他の軍人は腕を組んで紫煙をくゆらせたりしたまま。

 

『続いては元帥閣下のお話を。先ほどはお言葉を遮るような失礼、どうかお許しください、元帥閣下。では、どうぞ』

 

『どうぞ、などと……ま、待たんか忠野! これ以上は本当にお前達の――!』

 

『首に縄をかける……でしたかな? 懐かしい話ですな。元帥閣下はご自身の部下に必ずそう仰る。言い回しとしては脅し文句にしか聞こえませんが……一蓮托生の身であると言わんとしていたと理解しているつもりです。もしや元帥閣下はご自身の部下を信頼しておられないと?』

 

『ぐっ……そのような程度の話では――』

 

『その程度の話であるのです。良いですか元帥閣下、我々は未知の生物と戦い、人類存続を双肩に担っているのです。艦娘という超常の存在を仲間に引き入れ、海軍としてまるで公然とした秘密結社として世を守っております……まぁ、軍でありますが……そうした世にいて、我々が目的とする事はたったの一つ、単純な話なのです』

 

 忠野に続き、別の軍人が声を発する。

 

『忠野殿、我々こそ元帥閣下のお立場こそ顧みるべきかもしれません。アメリカとの共同戦線、研究を自ら志願し実現した楠木という有能な人材が手を噛んだのですから、我々とて部下という括りから見れば信ずるに値しないでしょう。情報部も楠木の動向を掴めなかったのは事実なのですから』

(たちばな)殿……それに関しては、申し開きもない。確かに情報部が掴んでいたのは艦政本部に不明瞭な動きがあるというだけで、それがどういった動きであるのかまでは分かりませんでしたからな。アメリカから受け取ったと楠木や艦政本部が提出してきた深海棲艦のデータさえも、改ざんされているのではないかと公表どころか使用すら出来ないものばかりだった』

 

 橘と呼ばれた男は、大きな眼鏡をしきりに指で押し上げながら言った。

 

『これを転機ととらえるべきでしょう。大侵攻より防衛の一方だった我々が、反攻に出る第一歩とも言える。それが妖精や艦娘と同じく()()()()()()()大将閣下の先導であれ、人類の存続には必要なのですから是非も無い』

 

 井之上さんはそこで初めて大袈裟な音を立てながら立ち上がり、橘や忠野、他の軍人を順々に指差しながら大声を上げた。

 

『ま、まさかお前達……ワシの制限を無視して――!』

 

 モニターの向こうで繰り広げられる光景に、俺は頬にくっついたむつまるに手を添えることしか出来なかった。

 むつまるは大丈夫と言っていたが、目だけを動かしてみると、むつまるもモニターに釘付けになっているのが見えたのだった。

 その表情は――まるで、懐かしんでいるような――?

 

「――むかしね」

 

「むつまる……?」

 

「むかし――えらいひとたちが、いっぱいあつまって、いろんなはなしをしてたの。ちょーのうりょくとか、せんりがんとか」

 

 何の話だ……?

 きょとんとしている俺の頬から離れたむつまるは、俺の両手を引いてテーブルの上に乗ると、手のひらの上に座り込んでモニターを見上げて言った。

 徐々に明瞭になっていく口調が、やけに耳に残った。

 

「おかしいよね。そんなふしぎな力が……あるわけもないって、分かっているはずなのに……でも彼らは本気だった。戦艦に神社を建てるくらい、何でもやってみせた。まるであの人達みたい。人を救うためなら、きっとあの人達は……」

 

 俺は視線を上げてモニターを見る。

 

『情報部に制限をかければ軍部の闇を葬れる、と……元帥閣下も相当に悩んでおられたのですね。部下として恥じ入るばかり……それで、かの御仁は、一体なんなのでしょう』

 

『っ……』

 

 ぐっと唇を噛む井之上さんの視線と俺の視線がかち合う。

 俺は――ここで全て話すべきだと頷いた。

 

『……今ここに居る海原鎮は、二人目じゃ』

 

 訛りのある口調に、忠野が姿勢を正す。

 

『一人目の海原鎮という男は……かの大戦を駆けた男じゃったという。大昔の人間がどういうわけかこの世に降り立ち、渦中で生き延びた術を、知恵を、知識を駆使して深海棲艦と戦ってくれた。太平洋上で艦娘に保護されて本土へ来た男は、飛行機乗りであったと――守るべきものを守れなかったが、世界は平和になったのだろうかとしきりに気にする根っからの軍人に、ワシは魔が差し……それを、利用した。今度こそ守れるのではないかと、甘言を吐いてな』

 

 井之上さんが力なく椅子に座り込んだ。

 むつまるは逆に、俺の手のひらの上で立ち上がった。

 

『あの男が言った事が嘘ではないのかとワシは調べた。かの大戦で焼け残ったわずかな資料の中に……確かに、奴の名があった。軍艦を空から守る飛行機乗り……海原鎮の名が、な』

 

『電算化されていないものを、引っ張ってきたのですな』

 

『……ああ』

 

 ゆったりとした動きで机に置かれた煙草の箱を手に取り、一本取り出すと、それをくわえて火を灯した井之上さんは、深呼吸して煙をもわりと吐き出した。

 

 たかが戦争、されど戦争――人同士が争うだけでなく、深海棲艦や艦娘といった存在が加わり、そこへ海原鎮という男が加わったのだから、複雑怪奇となった現実。

 戦争に際して権力を得ようとする者。立場を利用して甘い汁を吸う者。艦娘を利用する者。艦娘を蔑視する者。深海棲艦を生み出す者。深海棲艦さえ利用する者。人類を存続させるべく戦う者。欺き、欺かれ、情報を錯綜させながらも、前を向く者。

 

 そして――ぽっかりと浮かんだ、海原鎮という存在。

 

『奴は人権派と反対派の小競り合いに巻き込まれて……行方不明となった。あの男を捜索しようにも、大々的には……』

 

 井之上さんを絶望させる気は無かったのに、俺は口を開いてしまった。

 

「その人は、もう、死んでいます」

 

『……っ』

 

 こじれにこじれ、ダマになった数多の糸にねじ込まれる真実が、それらを解きほぐしていく。

 

「事故によって心停止してしまったと、聞きました。私は恐らくその時、夢を、見たのです」

 

『……続けて』

 

 井之上さんに代わり、橘の声に頷く。

 

 俺は夢の内容を話した。それは自分で口にしていても、実に荒唐無稽な内容だった。

 会社帰りに電車に乗っていたと思ったら、不可思議な恰好をした男に出会い、一緒に家に帰って艦娘と深海棲艦が戦うゲーム、艦隊これくしょんをしようとした事。一緒にカレーを食べた事。互いに親不孝だと自嘲したが、やるべき事があるのだと、互いの道を進むために扉を開いた事。その時になって初めて、海原鎮という男が、同名の祖父であると気づいた事。

 

 ――最後の最後まで気高く、深海のような暗き道の先へ突き進んでいった自分の祖父の事。

 

『海原……お前、まさか、軍人でも、なんでもなく……!』

 

 井之上さんの震える声に、重々しく頷いた。

 

「私は……ただの、会社員でした。私が艦娘や深海棲艦を知っているのは、それらをゲームとしてプレイしていたからです。私が生きる世界には、艦娘や深海棲艦などおりませんでした。別世界、というべきなのかは、分かりませんが……祖父が行方不明になっている事に間違いはありません。幼い頃、よく祖母に聞かされておりましたので……」

 

『ワシは、なんという勘違いで、海原の子孫まで巻き込んで……!』

 

 井之上さんは、ぱしん、と音がなるくらい強く額を押さえた。

 

『ゲーム……ゲーム、ですか。なるほど。興味深いですな、それは』

『忠野殿』

『なに、茶化してはおりません。橘殿も気になるところでしょう。一般人である彼が大将として数日、数週間ですかな? 大きな作戦を成功させてきて、轟沈のひとつも出していない。それは事実です。それに――事故で腹が噴き飛んでも艦娘達の指揮を執ろうとするような狂人だ』

『狂人とは言い得て妙ですな。それではまるで我々を揶揄しているようではないですか』

『揶揄しているのですよ』

『はは、では、忠野殿はこう言いたいのですな?』

 

 井之上さんが忠野の言葉を遮ろうと煙草を挟んだ手を上げる前に、井之上さんと俺以外の声が重なった。

 

『『『彼もまた軍人たる男だと』』』

 

「え……?」

『あ……?』

 

 糸は、一本となればあまりにあっけなく、頼りない。

 えてして真実とはそのような荒唐無稽と思えるもので構成されているのだと忠野という男は言った。

 

『元帥閣下、それに……こう呼ばれては居心地が悪いやもしれませんが、大将閣下、あるものを受け入れねば我々は進めません。人類は艦娘を受け入れるのに多くの時間を要しました。それでもまだ受け入れられないという者は、この海軍に多く存在します。それらを説得するのにゲームをしていただけの閣下を巻き込むのは非常に心苦しい』

 

 忠野が言いたい事を呑み込めず、俺は皮肉を言われているか、追い出そうとして言っているように聞こえてしまって、口をもごつかせることしか出来なかった。

 しかしながら、続く言葉に対して、がたん、と前のめりになった。

 

『かの大戦を駆けた男の子孫は、この世界に来て巻き込まれたと言えど艦娘と共に海を往こうとしておられる。それを止めるほど野暮な男ではありませんよ、自分は』

 

「そ、それは、私を提督として――!」

 

『無論、成果は出していただきます。日本海軍を以てしても追随を許さないほどの戦果を挙げていただかねば、少なくとも私は大将閣下と共に首に縄をかける真似はできません。なにせ()()()()()()()()()()()のですから』

 

「……はい」

 

 追い詰められているはずだった。井之上さんもそう思っているに違いなく、モニター越しの視線は不安に揺れていた。

 狂人と言われようが俺にそれを否定する材料など皆無――俺は間違いなく狂っていた。

 

 ……その、ブラック企業で頭があっぱらぱーになっていたという意味ではなく。艦娘好きという意味で。

 

『番号の無い艦艇に楠木と一緒に乗っているという深海棲艦をくらげひめ、と呼称しておられるが、それもゲームに登場したから知っていたのですか?』

 

 橘から問われ、素直に頷くと――さらに問われる。

 

『では……軽巡棲鬼と呼称していたのも、同じく、と』

 

「はい。それ以外にも深海棲艦は多く存在しています。少なくとも……私が確認してきた駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦などはいわゆる雑兵に過ぎません」

 

『雑兵!? で、では……軽巡棲鬼は……!』

 

「……指揮官クラスですが、せいぜい、中間に出てくるボス、といったイメージでしょうか」

 

『そう、ですか……それは……』

『うぅむ……』

 

 忠野と橘が唸る。

 ゲームの感覚で語るのはおかしいと分かっているものの、これ以上嘘や勘違いを重ねないためにと慎重に言葉を選んでいるつもりだった。

 無論、初心者にとって軽巡棲鬼なんてボスクラスが出てきたら勝敗以前の問題になるが、百隻にも及ぶ艦娘を現実に抱える今、ゲームとして見ても初回特典大盛でプレイしているようなもので、対策さえ出来れば軽巡棲鬼は勝てる範疇。

 現実であるが故に、彼女達と話をして、一緒に飯を食べたが故に多大な緊張が俺に覆いかぶさっているが、それでも彼女らの練度と連携があれば、取るに足らず。

 

 如何に俺が無能とて彼女らが優秀過ぎるのである。

 それはさておき。

 

『海原、ワシはてっきり、海原と同じ名の軍人とばかり……どうして一般人であると言わなかったんじゃ……』

 

 背もたれに力なく身体を預ける元帥に向かって、俺は、えぇ、と声を上げた。

 

「ただの人ですと言ったじゃありませんか」

 

『その物言いであればワシとてただの人じゃ!』

 

「……」

 

 うーん、確かに。これはまもるが悪いかもです……と心の秋津洲が言っている。

 い、いやいや、まだ話は何も解決していない!

 

 俺は楠木とやらがどうして深海棲艦と一緒にいるのかも分からないし、まして楠木がどういった男なのかも知らないのだから、せめてそれくらいは聞かねばと、誰ともなしに問う。

 

「それで、楠木という男は一体……?」

 

『……閣下が知らんと言ったのはその通りの意味でありましょうからな。ここまで来て軍部だ機密だと言うつもりはありませんので、説明いたしましょう』

『そも、閣下の存在が艦娘や妖精同様の軍機では』

『茶々をいれるな橘殿。……全く。それは追々、元帥閣下に詳しいところを聞くから』

 

 ごほん、と咳払いを一つしてから、忠野は言った。

 

『楠木和哲――日本海軍少将の地位にあり、我々軍令部とは別にある艦政本部という艦娘やその兵装に関する――』

 

「技術省であることは存じております」

 

 俺の身元が一般社畜であることが分かった今、生意気な口を利くことも出来ないと丁寧に言えば、忠野や橘は複雑な表情を見せた。

 

『……その口調は、違和感がありますな。前の通りにしていただけますかな。一応、立場もありますので……我々は立場で成り立っておりますからな。海軍式と呑み込んでいただいて』

 

 エェッ!? やっぱり威圧的コミュニケーションって存在するんですかッ!?

 やっぱ俺は間違ってなかったんだ……山元ォッ!(風評被害)

 

「うむ……そう、か……?」

 

 でも気まずいよぉ……今更じゃんか、忠野さぁん……。

 

『っと、脱線しましたな。その艦政本部の長が楠木という男であります。楠木は深海棲艦や艦娘が出現した当初からアメリカを含む諸外国と早期に連携を図り、深海棲艦侵攻の対処に一役買った男です。深海棲艦の動きを予測する、といった研究を進め始めた頃から不審な動きが増え……情報部は独自に楠木を調査しておりました。しかし彼は元帥閣下も一目を置く存在であり、元帥閣下には申し訳ありませんが、秘密裏に調査しようものならばきっと元帥閣下の動きで彼が勘づくであろうと、情報部はこれを秘匿し続けたのです』

 

『……ワシもまた枷であったか』

 

『元帥閣下、それこそ勘違いをしないでいただきたい。元帥閣下にしか出来ぬ仕事があるように、情報部や、海軍における様々な兵科にしか出来ぬ仕事というものが存在しております。ただそれだけの話なのです』

 

『……』

 

『結局のところ、我々が掴めた情報は楠木が海外から派遣された艦娘と深海棲艦の動きを察知する研究を行っており、それらの報告が途切れたところから一切の動きが掴めなくなった事と……南方海域を閉鎖する事によって、あの海域へ多くのものを隠蔽し、闇へ葬っているのであろう事しか分かっておりません。最後については、情報部の勘、ですが』

 

 楠木が海外の艦娘と深海棲艦について研究を――?

 深海棲艦の研究と言えば、南方海域で発見された人がいたな、と思い出して、俺は彼女の名を口にする。

 

「南方海域には、ソフィア・クルーズという深海棲艦研究者がいたな。作戦中に発見し、作戦終了後に呉鎮守府に連れ帰ったはずだが」

 

 うーんやっぱ気まずいよこの口調……。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、忠野は頷いた。

 

『ええ、存じております。元帥閣下がアメリカ海軍への引き渡しに手続きしたことも、それを手伝った部署こそ、情報部です。ですから自分はてっきり、大将閣下が楠木の動きを掴んでいて、ソフィア・クルーズなる研究者を救い出して彼を追い詰めたものだとばかり……事実は小説より奇なりとは、全く皮肉なものです』

 

 すみませぇん……だってそれ艦娘が見つけたんだもの! 妖精とさぁ!

 そういや妖精が階級章とか持って帰って来てたな!?

 

 俺は手の平の上でぼーっと立っているむつまるに、おい、と声をかけた。

 

「階級章を持って帰ってきた妖精がいただろう。あれはなんだったんだ」

 

 するとむつまるは言った。

 

「んぇ……? あ、ごめんね。あのひとのことおもいだして、なんか、ぼーっとして……あのひとがのってたひこうきも、まもるも、ずっとわたしたちのことをまもってくれてるんだなっておもったらね、すっごくうれしくてね、むねが――」

 

「それは後でいいから、階級章を呉に持って帰って来た話を――!」

 

「~~~っ! もうっ! おとめごころがわからないんだから! まもるのばか!」

 

 ぴょん、と手の平から飛んでむつまるは、俺の鼻っ柱にビンタを一撃。

 

「いっ……!?」

 

 その時のことである。

 

『……今、閣下の目の前にいる、その、鼻を殴ったのは』

 

「いたた……す、すまない忠野殿、なんだ?」

 

『いや、閣下、目の前におられるでしょう、その、小さな、嘘だろう、まさか、いやいや、橘、おい、あれ』

『忠野も見えるか? なあ、本物かあれは、なあ。いくつも飛んでるが』

 

 全員が病室の外に出て行ってから音量の絞られたはずのスピーカーが振動する。

 忠野、橘と呼ばれた軍人以外も、こちらをじっと見つめる様子が見えた。

 井之上さんもぽかんとした状態で俺と――むつまるに、部屋を飛び交う妖精を見つめていた。

 

 それらが何を意味しているかを呑み込む前に、病室の扉が乱暴に叩かれる。

 

「提督! いるか! 提督!」

 

「なっ!? 長門か!? どうした!」

 

 長門は扉をこれまた乱暴に開けると、握りしめたスマホを俺に突き出しながら言った。

 

「新たな深海棲艦の出現が確認された! 人型の……くらげ、というものとは別の深海棲艦だ! これ、分かるか!?」

 

 スマホにはどのような原理で送られて来たか分からないものの、ぶれた画像が表示されていたが――俺には分かった。

 やはり単体な訳が無いかと考えて、指揮に戻らせてくれるよう頼むべきモニターに顔を向けた矢先に、井之上さんのみならず、忠野や橘が言った。

 

 その大声は俺の心臓を跳ねさせた。

 

 どちらかと言えば、悪い意味ではなく、使命感のような緊張だった。

 

『海原、指揮へ戻ってくれ! お前ならば勝てるのじゃろう!』

『お戻りください閣下、あなたの話を我々は信じます。ですから、どうか!』

『艦娘を――頼みます――!』

 

「……わかった――全力を尽くそう」

 

 安静にすべきだ。ただでさえ腹を開くような手術をして、一晩しか経っていないのだから。

 しかし俺はこんな場所で指揮を執るべきじゃないとベッドから立ち上がった。

 

 痛みに顔を顰めるも、歩みは止まらず。血が滲めど、思考は止まらず。

 

「て、提督!? し、指示はここでいい! 無理に動かなくても――!」

 

「私の鎮守府はここでは無い、柱島泊地にある。長門、ついてこい! 松岡、松岡はいるか!」

 

 大声を上げる俺に廊下の向こうにいたのか、松岡のみならず憲兵隊の男達がすっとんで来た。

 俺は「移動手段を用意しろ、柱島に戻り指揮を執る!」と怒鳴った。

 

「なにを……い、いや、了解しました……! 多用途ヘリを屋上へ回せ!」

 

 目を白黒させている長門は俺の背を支えていたが、俺は振り返ってその手を取る。

 

「長門!」

 

「あっ!? 提督……!?」

 

「深海海月姫を倒すにはお前が必要になる――柱島に戻り次第、出撃準備をしてほしい」

 

「出撃を!?」

 

「事は作戦が終わった後に全て話す。だから今は私を信じてくれ、頼む! お前が頼りだ!」

 

「わ、私が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ――お前の一撃が、戦況を変える! 作戦に参加するのだ、長門!」

 

 必死さからか、勢いからか、長門はそれに呑まれたように何度も頷いた。



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九十五話 真②【提督side】

 起き上がれると言えど先ほどまでベッドに座ったままだったため足に力が入らず。

 さらには術後たったの一晩ということもあって、腹にまかれた包帯が赤く滲む。

 俺が屋上へと向かうのについて来ていた医師達に腹の傷が開いたのかと問えば、見てみなければ分からないが、開きかけているのは確実であると言われて舌打ちをした。

 

 そりゃそうだ、と他人事のように考えてしまうも、ずるずると足を引っ張るようにして進みながら俺はスマホに向かって指示を出す。

 

「山元、聞こえるか」

 

《っは! 閣下、先ほど長門から待機命令が出たと聞きましたが――》

 

 軍部と話すのに退室させたのをそう伝えたのかと察し、待機は取り消しだと言って俺は話し続ける。

 

「これから柱島に戻り艦隊の指揮を執る。新たに長門を旗艦とした艦隊を編成し出撃させようと考えているのだが、お前には私の指揮の補佐を頼みたい。一緒に指揮を執ってくれるか」

 

《新たに艦隊を出撃させるぅっ!? それに、も、戻るなど、閣下は腹を噴き飛ばされたのですよ! 病院でならばまだしも――》

 

 エレベーターに乗り込み、屋上へ向かう。エレベーターの扉が開くと、バラバラという大きな音が建物内からでも聞こえて来て、スマホもその音声を拾った様子で山元の語気は一層強くなった。

 

《ヘリの音……! お考え直しください! 閣下の指揮であれば病室からでも問題はありません! 海原閣下!》

 

「いいや、私は柱島に戻る」

 

《閣下! ちょ、聞いておられますか! お身体を優先して――》

 

 松岡と長門に背を支えられた状態で、病衣の上に軍服を羽織っているというちぐはぐな恰好をした俺はそのままヘリに近づいていく。

 俺の姿を認めたパイロットが、コックピットから後ろを見れば、後部座席に乗っていたであろう憲兵が中から扉を開いて大声を上げた。

 

「松岡中将閣下! このまま柱島泊地へ向かえばよろしいのですね!」

「ああ、そうだ! こちらの海軍大将閣下をお運びするんだ! 機体を大きく揺らすなよ!」

「また難しい事を仰る! 了解しました! 大将閣下、足元にご注意を!」

 

 俺は片手を上げて礼を示した。

 

「面倒をかける!」

 

 大声を上げたことで腹がずきんとした痛みを訴え、顔をしかめてしまう。

 それを見かねた医師の一人が同乗を申し出た。

 

「閣下の治療を担当しました、佐崎(ささき)と申します! 自分も同行してよろしいか!」

「こちらは構わん!」

 

 ヘリの搭乗者が頷いて手を振って搭乗を促したところ、佐崎と名乗った医師は俺を見たので、頷いて、先に乗り込めと顎をしゃくった。

 

《閣下、お戻りください! 閣下のお身体に万が一があっては――》

 

 しきりに戻れと言うスマホ――もとい山元の声。

 ぷつりとした感覚が腹に走ったが、痛みをおして医師に続くようにヘリに乗り込んでから、俺は鋭く怒鳴った。

 

「柱島に戻ると言ってるんだ!」

 

《そのような無茶、いくら閣下であれ許すわけにはいきません!》

 

「ええい、うるさいッ! しつこいぞ山元ッ! 艦娘が戦っているのに腹が痛いからと言って寝込んでいられるかッ! 私は提督だぞッ! 彼女らを指揮せねばならんのだッ!」

 

 ヘリのメインローターの轟音をかき消すほどの大声に、ついぞ山元も制止を諦めたようで、ぼふぼふとした音をたて――恐らく溜息かもしれない――間おいて言った。

 

《……閣下が新たに編成する艦隊が進む航路に、深海棲艦は多く出現するでしょうか》

 

「可能性はあるが、長門の速力を考慮すれば水上で殴り合わせるなど時間の無駄だ! 軽空母を二隻と駆逐艦三隻で艦隊を編成し、軽空母に深海棲艦を牽制させながら進ませる! 私と長門がそちらに戻ったら、すぐに出撃させるぞ!」

 

《選定の方は――》

 

「戻り次第すぐに選定する! 執務室に練度順にまとめてある資料がある! お前は艦娘達が出撃できるように準備の通達を!」

 

《……了解!》

 

 俺、長門、佐崎と松岡がヘリに乗り込むと、ばたんと扉が閉じられる。

 続いて先に搭乗していた憲兵らしき男からヘッドフォンのようなものを渡された。

 

 ヘリ内部にはモーター音が響き渡っており、普通に会話できるような空間ではないためかとすぐに理解してそれを装着する。コックピットのパイロットであろうくぐもった声が「離陸します」と言ったのが聞こえた。

 多用途ヘリはあっという間に地上から離れ、空高く飛び上がる。

 

 人生で初めて乗ったよヘリ……と感動しかけたのだが、そう言えば意識が無い時もヘリで運ばれたのだろうかと場違いに松岡へ問うた。

 

「私が倒れた時も陸軍のヘリで運ばれたのか?」

 

「はい? そうですが……」

 

 くぐもった音声でのやり取りも新鮮かつ現実味がないものだったが――これから戦場にいる艦娘達の指揮を執るという緊迫した状況も重なっているというのに、俺は落ち着いた気持ちで言った。

 

「二回目であるというのに新鮮なのは、得をした気分だな」

 

「か、閣下……全く、あなたというお人は……」

 

 松岡の呆れた声。すみません。でも新鮮だったので……。

 痛みを誤魔化すための気丈な言葉でもあったが、長門の「て、提督、血が……」という声に意識を引っ張られ、視線を下げる。

 軍服に赤色がぽつぽつと滲みだしているのに気づくと、痛みはさらに激しくなった。

 佐崎が、失礼、と言って軍服のボタンを外し、病衣をはだけさせて包帯を取りながら、持ってきていたらしい鞄から茶色い瓶やガーゼを取り出して処置を始める。

 

 取り去られた包帯の下には――傷など無かったまっさらな社畜の肌に、見ただけでぞっとしてしまうほど痛々しい火傷に変色したガーゼがいくつも張り付いており、嗅いだことのない生臭さがヘリの中に漂った。

 

「うっ……!? なんて酷い……」

 

 長門が瞳が揺れるほど涙を溜めて俺を見たが、死ぬかもしれないという危機感など俺にはなく、それこそ自分の身体の事なのだから如何な大怪我であろうと医師までいるので心配は無いと、彼女に笑ってみせた。

 

「傷は男の勲章と言うだろう。勲章にしては少し痛々し……いっ……!?」

 

「閣下、張り付いたガーゼを剥がしますよ」

 

 佐崎さん、剥がす前に言ってくださいよォッ……!

 ばり、と音を立てて乱暴に剝がされたガーゼを地面へ投げ落としつつ、佐崎は鮮やかな手つきで消毒をしていく。それがもう、痛いこと痛いこと。

 俺は長門の前で情けない声を出すわけにはいかんと必死に歯を食いしばった。

 

 社畜でもぉ……頑張れますんでぇっ……んんんんんッ! 痛いデース!!

 

「っ……ぐ、ぅぅ……!」

 

 歯を食いしばっても隙間から押し出されてしまう呻き声に、長門がさらに泣きそうになりながら俺を呼ぶ。

 

「てっ、提督! 提督! 大丈夫か!?」

 

 まもるは大丈夫……じゃないかもしれないです……痛い……涙出そう……。

 俺は声を出さぬよう耐えているが、心のまもるは大号泣である。

 

 必死さから無意識に、現実となった艦娘への想いや意地が言葉となった。

 

「お前達の痛みに、比べれば……こんなもの……どうってことないとも……!」

 

 虐げられて柱島へやって来た艦娘達の顔が頭に浮かぶ。

 長門と山元は和解こそしたが、彼女だって妹や仲間を失う寸前だったのだ。

 

 その痛みに比べれば俺の傷など取るに足らな――

 

「閣下、動いたことで傷口が開きかけています。緊急ですのでここで縫い直しますよ」

 

「ぐぅぅッ……!?」

 

 あああああ嘘!? いや嘘じゃないけど! 嘘じゃないけど待ってそれ、くの字に曲がってる針見たことあるよテレビのドラマで! 縫う時に使う――いたたたたたッ!?

 

 佐崎の容赦ない攻撃(治療行為)に歯を食いしばり過ぎたのか、口の中に鉄の味が広がる。

 そ、そうだ、目を逸らすから酷い想像をしてしまって痛みが激しくなるのかもしれない!

 

 俺はあえて治療されている腹部をちらりと見た。

 阿賀野の艤装が爆発した際に破片が飛び散ったのか、ところどころに痛々しいくぼみが出来上がっており、一番大きな破片が刺さったのであろう横腹には小指の先から第一関節程度の縫い痕があった。

 細い糸が皮膚を掴んでいるのが見えた途端、俺は後悔する。

 

 痛いものはどう足掻いても痛いのである。阿賀野だけに。

 

「力を抜いてください閣下――はい、いきます」

 

 阿賀野だけ、にぃいいいいんんんんんダメだ痛すぎるゥッ!

 

「っ……! ふぅ……ふぅ……ッ!」

 

 荒くなる呼吸を続けることしばらく、外の景色はビルなどの建物が見えない真っ青な海へと変わっていた。

 

 俺はここで握りしめていたスマホに向かって声を発する。

 大淀達の状況を確認するためが九割で、一割は痛みから逃れるためだ。

 

「んん、ぐぅぅ……! 大淀、聞こえるかっ……!」

 

《こちら大淀! 聞こえます提督!》

 

「もうすぐで柱島に戻る……そうしたら、長門をそちらに送るから、それまで何とか凌ぐんだ……いけそうか……!?」

 

《は、はい! 了解しました! 現在は水上打撃部隊、空母機動部隊ともに敵艦隊と拮抗――制空権の維持も何とか……! しかし、水上打撃部隊の方は出現した人型深海棲艦の三隻の攻撃を回避する一方で……物資の消費もかなり激しい状態です!》

 

「回避の一方、か……いや、待てよ……?」

 

 画像に映っていた深海棲艦達は間違いなく()()()()()()()()、それに()()()()だった。

 連合艦隊を二艦隊で拮抗する力を持つらしい現実の深海棲艦とは言え、そこには楠木もいたはずだ。

 もしかすると深海棲艦は楠木を盾に戦っており、二艦隊ともに攻撃に転じられないという状況かもしれないと予想して問えば、大淀は戸惑うような声音で返事した。

 

「作戦海域には楠木がいるのだろう、それで攻撃が出来ず制空維持と回避の一辺倒になっているのか?」

 

 ぷつ、ぷつ、と肌を刺される痛みに耐えながら大淀の声を待つのだが――帰って来たのは――

 

《いえ、それが――ザッ……ザザーッ……》

 

「大淀? どうした、応答しろ大淀、おい――」

 

《ザリリッ……ザーッ……バカナコトダ……オロカナコトサ……》

 

「この、声……ッ!?」

 

 長門の顔色が青を通り越して血の気を失い、真っ白になる。

 

「深海海月姫の声か……はは、懐かしい相手だ……ッ!」

 

「提督、懐かしい相手って……――」

 

 長門がこちらを見ていたが、視界のうちにあるだけで俺は視線を合わせないまま、口元だけ笑っていて、眉根にしわを寄せた状態で大淀に呼びかけ続ける。

 

「大淀! 応答しろ! 大淀!」

 

《ザッ……す、すみません、通信の維持が……! ザザッ……回避運動を! 全艦! 回避運動をとってください! 敵の艦載機が来ます!》

 

 ヘッドフォンをしている状態にもかかわらず俺の手の中で震えるほどの大音量を発するスマホから、戦場の激しさが伝わる。

 治療中であることも忘れて無我夢中になって考えた。どうすれば彼女らを安全に勝利に導けるのかを。

 これは戦いだ。安全に勝利することなんて土台無理な話で、しかし提督として、指揮を執る者として、どう危険を排除するかを現場におらずして考え出さねばならない。

 

「大淀、敵艦隊を分断しろ! お前は空母機動部隊について航空機を吐き出す深海棲艦を水上打撃部隊から切り離すんだ! 水上打撃部隊は残った深海棲艦の撃滅に集中しろ!」

 

《は、はいっ! 水上打撃部隊に告ぐ――水上打撃部隊に告ぐ――》

 

 大淀が指示を伝え始めたのを聞き届けたのと同じくして佐崎の手が止まる。

 

「これで、処置はいいでしょう」

 

 額に浮かんだ汗を袖で拭った佐崎はさらに鞄を漁り始める。

 俺は力が抜けて、スマホを持っていた腕をぱたりと座席に投げだした。

 消毒をしてから新しい包帯に巻き替えたあと、佐崎が鎮痛剤を新たに打ったのであろうか和らいだ痛みにぐったりとしながらヘッドフォンの位置を直しつつ、されど残滓のように疼く痛みから意識を逸らし脱力した声を出した。

 

「ふぅぅ……なあ、長門……」

 

「ああ、ああ……! 聞いているぞ提督……!」

 

 俺の横に来て手を握ってくれる長門に対して、何故手を握るんだとも問えないで俺は続ける。

 

「帰ったら、皆に、話したい事が、あるんだ……話したい、じゃないな……話すべきことがある」

 

「それって――」

 

 長門がその先を求めているのは分かったが、まだ話すべきではない。

 深海棲艦と大艦隊が戦闘しており、新たな深海棲艦も確認されているのだ。

 まずは、それを片付けてからである。社畜の心得、出来る事から順番に。

 

「作戦が終わったら話す。その上で、お前達に……選んでもらいたい。それを受け入れるかどうかは、お前達が決めるべきなのだからな」

 

 呼吸が落ち着いてきたところで、妖精が軍服のポケットから飛び出した。むつまるだ。

 むつまるは機内をくるくると回った後に、長門の頭の艤装にぴたりとくっついた。

 

「よ、妖精……? どうしたんだ、急に……」

 

「はは……私の気持ちが伝わったのかもしれんな」

 

「……」

 

 長門の瞳が落ちたのではないかと見紛うほど大きな水滴が落ちた。

 

「どうした、何が悲しい。泣くな、長門」

 

「し、かしっ……ていっ、とく……どうして、今、話してくれないのだ……そんなに、苦しんでいるのにっ……」

 

 しゃくり上げて子どものように泣く長門に縋られても、今話しては艦娘達に動揺を与えるだけだ。

 一方で、隠し通してこの先やっていけるはずも無いと分かっているために、俺はこうして前もって言っているのだと長門に伝える。

 

「このままでは、いかん……だから、話すべきだと私が考えているだけだ。軍部の者達は私を信じ、お前達を頼むと言ってくれた。だからこそ、お前達にも伝えなければいかんのだ」

 

「ぐすっ……う、ぐっ……提督……い、いなくなるなんて、言わないだろう……? 違うよな……っ?」

 

 言いたくないとも。出来る事ならばずっと長門や、大勢の艦娘に囲まれて幸せに暮らした――んんっ、しっかりと仕事を続けたいと考えている。

 

「ああ、出来る事ならば、ずっと一緒に居たいよ……私は、お前達とともに……」

 

 やっと痛みが消えた、と一息吐き出そうと目を閉じた瞬間――

 

「提督……?」

 

 うん? と言ったつもりが、身体中に力を込めてから脱力したおかげで声にならず、ふう、という吐息になって出て行く。

 

「う、そ……い、いやだっ! 提督ッ! 提督ッ!!」

 

「なっ、なんだなんだ、どうした……!?」

 

 びくりと身体が跳ねてしまい、目を見開く俺。

 何故か目の前で俺と同じように身体を跳ねさせて驚く長門。

 

「ぇ、あ……あれ……? 提督、大丈夫、か……?」

 

「だ、大丈夫も何も、治療していたのを見ただろう……大きな声を出すな突然……」

 

 ヘッドフォンしてるから直に耳に届くんですよ長門さん、頼みますよ。

 まったく、といった風に座り直し、俺は柱島鎮守府に戻ってからどのようにどのような指示を出して深海棲艦を撃滅すべきかに思考を回そうと上を向きながら目を細めた。

 すると、ぬうっと長門の手が俺の顔に伸びて来て――ばしん、と、顔を手で挟まれてしまう。

 

 痛ァいッ!? な、長門お前ェッ!? とうとう無能を極めた俺に反抗するつもり――

 

「いっ……!」

 

「紛らわしいことをするな! 馬鹿者っ!」

 

「エェッ!?」

 

 ――急に怒られた……。

 

 松岡や佐崎は何故か俺達を見て呆れ顔をしており、長門はこちらを睨み、睨まれている俺は半泣きである。

 そんな騒がしさを抱えたまま、俺達はやっとのことで柱島泊地へと到着した。

 

 

 スマホを握りしめたまま俺はパイロットたちをヘリに残して柱島泊地の中枢施設へ足を踏み入れた。俺の帰還に柱島泊地に残っていた艦娘達がばたばたと足音を立てて大挙したので、俺は「心配をかけたな」と言って片手を振る。

 

「山元大佐から聞きました。本当に大丈夫ですか提督……!」

「軍服に血が滲んで……っ」

 

 先頭を走って来たのは間宮と伊良湖だった。

 俺は軍服の血をぱんぱんと叩いて「処置をしてもらった時についただけだ。心配はいらん」と強がりを言い、山元の姿を探す。

 すると、俺の行動を見て艦娘達の中から一歩前に出て来た龍驤が鋭い視線で親指を立てて中枢施設の執務室を指し示した。

 

「山元大佐は執務室におるで。誰が指名されても出撃する準備も出来とる――どないな事言うても指揮を執るっちゅうんやろ、司令官」

 

「……当然だ。私はお前達の提督だからな」

 

「ほんっま……このアホッ!」

 

「えぇっ……!?」

 

 また怒られた……仕事頑張ろうとしてるんだから怒らないでよ……。

 しょんぼりしてしまいそうになるのをポーカーフェイスで堪えつつ、病衣のままでは恰好もつかんと伊良湖達に指示を出す。

 

「伊良湖、すまんが着替えを頼めるか。それから間宮は松岡と佐崎に飲み物の一つでも出してやってくれ。松岡達は食堂で待機だ。各自も通達があるまで待機していてくれ。いいな?」

 

「っは、了解しました!」

「執務室におられるのでしたら、身体に異常が出た際にはすぐにお呼びを。お願いしますよ」

 

「――……うむ」

 

 

* * *

 

 

 執務室に到着し、その執務室のさらに奥にある小さな給湯室で伊良湖から持ってきてもらった新しい軍服に着替えた俺は、そう言えば山元も俺の出自を知っていながらも、井之上さんと同じような認識なのだろうかと艦娘達へ指示する前にさらりと問う。

 

 執務室の椅子に座ることなく、反対側に立った状態で海図の上を歩く妖精の間を縫うようにしてペンを動かす山元の表情は真剣そのものだった。

 

「山元、そう言えばお前は私の出自を聞いていたな」

 

 山元は俺の声に顔を上げてぽかんとした。

 

「は、はっ……井之上元帥と、はい、それは、お伺いしましたが……?」

 

「では、私がこの世界の軍人ではないと知っているな」

 

「閣下、艦娘達に聞かれては困るでしょう、何もここで聞かずとも――……」

 

「軍部に全てを話した」

 

「はっ!?」

 

 海図の上を走っていたペンに力が入り、それらに引きずられて海図や資料がばさばさと机から落ちていく。真剣だった山元の表情は、今度は驚愕の表情へと変貌する。

 しかし、これでもう隠し事はないぞという意味で伝えたかった俺は、言葉を紡ぎ続けた。

 

 呉鎮守府に出張っていた時も一日戻らなかっただけだったのに懐かしく感じる執務室の匂いは、病室から一晩経って戻ってもやはり懐かしく感じられて、俺はがらんどうの胸の内が埋まっていくような安心感を覚えつつ、いつのまにか着慣れてしまった軍服の袖のシワを伸ばすように撫でる。

 俺の様子を見つめていた山元は手に持っていたペンすらも取り落とした。

 

「この作戦が完了次第、彼女らにも話すつもりだ。彼女らの誠実さ、真摯さ、底抜けの優しさをお前は知っているだろう。それに嘘をつき続ける事など……私には出来そうにない」

 

「し、しかし閣下……ッ!」

 

 社畜をしていた頃の果敢無げな残像がいつまでたっても消えない俺。

 この世界に来てから右も左も分からないまま怒涛のように過ぎた短い時間を生きた軍人としての俺。

 祖父と過ごした泡のような夢の記憶――全てが噛み合った今、それらを歪めるわけにはいかないと、俺の中にある本能のようなものが混ざり合い訴えていた。

 

「井之上元帥はどうやら、俺を別世界からやってきた軍人であると思っていたらしい……ただの一般人、ただの会社員であった俺をだぞ? ふふ、面白い勘違いもあったものだ」

 

「ぇ……あ……会社、員……?」

 

「そう、俺は別世界から来た、会社員だった男だ。だが軍部にいた彼らは超常の存在である艦娘を受け入れているのだから、今更になって別世界から来た俺を受け入れることなど、人命と比べれば是非も無いと言っていた。忠野と橘という男を知っているか?」

 

「忠野中将と、橘中将が……そ、それは情報部の忠野中将と、広報部の橘中将で間違いない、のですか……!?」

 

「ああ、忠野は情報部がどうこうと言っていたな。間違いないだろう。それで、どうだ山元――この小生意気な元会社員である俺が艦娘の指揮を執るなどとのたまっている現実を、お前ならばどう受け止める。戦場を生きた私の祖父……海原鎮と違う、この私をどう見る」

 

 これでもしも山元が納得できないと憤慨したり、冗談だと受け止めるようであれば、それはそれで仕方が無い。出来る事ならば長門が南方へ向かう道中の指揮の補佐もお願いしたかったところだが。

 

「せ、せめて作戦が終わってからお伝えいただきたかったのですが……」

 

「……それは、どういう意味だ」

 

「受け止めきれないという意味です! 考える暇も与えていただけないなど、閣下はどうして、そう……あぁ、もう……! それに、海原鎮が祖父って……んー……!」

 

 ごめん山元ぉ……でも伝えなきゃいけないって思ってぇ……まもるも素直に話したんですけどぉ……。

 床に散らばった状態の資料や海図を拾い上げながら「お前も仲間なのだから、嘘はいかんと思ってな」と実直に口にすれば、山元もしゃがみ込んで資料を集めながら溜息を吐いた。

 

「はぁぁ……どう、受け止めるか、でありますか」

 

「うむ」

 

「――……軍人の立場など、あってないようなものであると、自分は考えております。前までは、軍とは選ばれた者で構成されていて、軍人は誰よりも偉く、誰よりも強いものであると思い込んでいました」

 

「ほう」

 

 上下逆さになってしまった資料を直しながら相槌を打つ。

 

「防衛大学を出て士官を目指す者もいれば、一般の企業に勤めていたのを辞めて自衛隊……海軍に転身する者もいるのですから、出自など些細な問題……いや、問題ですらないと、今になって改めて思うのです。必要とされるものは、戦場の知識や、知恵、前を向き続ける精神力や気力であります。その知識が極めて重要なのですが――閣下は艦娘の事をよくご存じでいらっしゃる」

 

「……知識ならばあるぞ。私がいた世界には艦娘も深海棲艦も実体としては無かったが、実存としてはあった。それも、ゲームとしてな」

 

「ゲーム、ですか……?」

 

「っはは、忠野と同じような反応をするのだな、山元」

 

 山元は俺の言葉に忠野の反応を想像したのか、口元をへの字に歪めながら拾い上げた海図を机に置く。

 

「そう。ゲームだ。私は提督と呼ばれるプレイヤーとしてそのゲームを狂ったようにプレイしていた。海を駆けて深海棲艦を打ち倒し、人類を守る存在である艦娘に惚れ、何千何万回と戦い続けた――彼女らと一緒に。それが気づけば現実となってここにある。それらの知識と運だけで、私はここまでやって来た。厳しい訓練や頭痛がするような難しい勉強など一切しておらんのに、お前と同じ場所に立っている俺を、お前はどう思う」

 

「……自分が――」

 

 資料を全て拾い集め机に置いたあと、山元は執務室の机に視線を落としてからしばし逡巡の様子を見せ、それから俺をまっすぐに見た。

 

「自分が初めて閣下にお会いした時――銃を向けましたね。我が鎮守府の傘下になれ、と言って」

 

「……あったなあ」

 

「閣下は私を恐れるどころか、この机の引き出しから紅紙を取り出して見せ、言いましたね。くだらん仕事ではない、と」

 

 命乞いのために井之上さんに全てなすりつけようとしていただけなのだが、とは言えず。

 何ならビビり過ぎてちょっと出そうだったよ。何がとは言わんが。

 

「その通りです。くだらん仕事ではないのです。しかし、誰しもが立ち上がり成す事の出来る仕事でもあるのです。勝てぬからと背を見せて逃げることにあらず、我々に必要なのは閣下のような狂人だ」

 

 ……うん?

 

「心臓が止まっても指揮を執るのだと目を覚ますような狂人でなければ、超常の存在が跋扈する海という戦場を駆ける艦娘の指揮など務まりません。ですので、仰る事が真実であると受け止めたとしても、自分は海原鎮という男を、閣下と呼び続けるでしょう。私を殴り飛ばし、私のために土下座をした元会社員の男を」

 

 み、認めてくれてる……よね、これね、多分ね。

 うん、だよね。狂人とか言われてるけど大丈夫だよね。忠野にも言われたよそれ。

 

 失礼な奴らだな! お前だって筋肉達磨だろうが! 筋肉狂人が!

 

 しかし、俺の口から出た言葉は礼だった。何に対するものかは分からない。

 ただ礼を言いたかったのだ。

 

「――ありがとう、山元」

 

「やめてくださいよ気持ちが悪い」

 

「……お前なあ」

 

 ほんとこいつ。絶対に曙にチクる。那珂ちゃんに泣かされろ。那珂ちゃんだけに。

 

 ――海軍は、生きているのだろうか。

 呉で悲しい顔をして俺に問いかけた井之上さんに、次に会った時は「生きています」と胸を張って言い切れると、俺は抑えきれず笑みをこぼした。

 それも一瞬で、すぐに戦場で戦う彼女らの指揮をせねばと気持ちを切り替える。

 

 艦娘の練度がずらずらと書かれた資料を見て刹那の判断を下した俺は、手の甲で書類をぱんと叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし……長門を旗艦とし、軽空母の飛鷹、隼鷹、駆逐艦の卯月、文月、皐月で艦隊を組む。南方トラック泊地の東側海域までの道中に深海棲艦が出現した場合は軽空母の艦載機で蹴散らして進ませるぞ。駆逐艦には物資を持たせて作戦海域に到達する前に補給させ、長門の最大火力を敵陣へ叩き込む――そこからが勝負だ」

 

「っは! すぐに通達してまいります!」



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九十六話 心【艦娘side】

 大淀は全身を海水でずぶ濡れにしながら、無線付眼鏡がずり落ちないように片手で支え、最大戦速での航行を続けていた。

 その背後から空母機動部隊、第三艦隊の面々が単縦陣で追随しており、さらに背後には第四艦隊の面々が追いすがる。

 

 吹雪達哨戒班と呉の補給艦隊と別れて数時間。

 戦況は決してこちらに傾いているとは言えなかった。

 

「海月姫と空母棲姫、さらに艦載機を発艦させてます!」

 

 羽黒の金切声に全員の動きが連動して揺れる。

 

「羽黒、もっと下がれ、近づき過ぎだ! 降って来た敵機にぶつかっちまうぞ!」

「は、はいぃっ!」

 

 摩耶に怒鳴り飛ばされながらも対空砲火を続け、一機ずつ確実に撃墜していくも、空を舞う地獄の蠅のような敵機は減っている気がしなかった。

 残骸が雨のように降るのを回避し続ける二人。

 

 殿を務める第四艦隊の重巡摩耶と羽黒は駆逐艦陽炎達と共に恐ろしい羽音を響かせる艦載機を撃墜するのに精いっぱいで、視界の端にちらつく真っ白な深海棲艦の姿に足が震えてしまうのも堪えられず、ただ大声で猛る事によって恐怖していると考えないようにして、自分に課された役割を果たすべく戦う。

 

 戦場の司令塔である大淀は何度も首を回して振り返りながら全員の位置を把握し続けており、都度、通信で一人一人に呼びかけて互いの立ち位置を微調整させていた。

 聞くだけではなんてことのない行為であるそれは、実際、深海棲艦という存在と艦娘という存在がこの世界に出現してから一度として実行されたことのないものであり、たった一つの呼びかけが如何に重要であるのかを知らしめるのに十分な効果を発揮していた。

 柱島泊地の大淀は間違いなく偉業を成している。だが本人にその意識は無い。

 必死さが生み出した偉業、とでも言うべきか。

 

 ――ここまで、被弾ゼロなのである。

 

 現在まで、都合数時間に及ぶ戦闘において連合艦隊を二艦隊、さらには空母機動部隊と物資輸送部隊の位置をリアルタイムに微調整し続けているのだから、彼女の頭は提督が生きていたという喜びや、重傷をおしての指揮で無理をしてほしくない、などという気遣いが出来る余裕は無かった。

 

 回避に重きを置いて、出来る限り損傷せず攻撃をせねば。

 しかしながら、それは相手を一方的に攻撃出来るという意味に直結しておらず。

 提督に言われたように空母機動部隊は制空権の確保一辺倒。水上打撃部隊は切り離された海月姫と空母棲姫以外の深海棲艦との砲雷撃戦に集中しているが、やはり、互いに攻撃を食らわないようにするのに必死であり挟叉ばかりの拮抗状態であった。

 

 赤黒い海、暗い空。

 ここにきて結界に見られる異常は極致へと達しており、それらは艦娘達からおぞましくも悲しい、慚愧の記憶を引き上げる。

 

「もう、雷撃処分なんてさせません……あの五分間を繰り返すわけにはいきません――!」

「誰かを残して沈むわけにはいかないわ。今度こそ……今度こそ、私は……!」

 

 一航戦の二人の頬に流れるのが汗であるのか、海水であるのか、それとも別の何かなのかは分からなかったが、一航戦のみならず、二航戦や、伊勢、日向に至るまで全員が結界の内部に充満する黒煙に、かつての戦場を思い出しているのは明々白々であった。

 

 油断など一瞬たりともあろうはずがない。

 

 神経は限界まで研ぎ澄まされ、大艦隊が航行することによって蹴り上げられた水飛沫の一滴すらも虚空に止まっているように目に映るほど、時間の流れが遅く感じられる。

 トラック泊地東側の海域――エメラルドブルーの美しい場所であるそこは、本来ならば浅瀬の底を目視できるくらいに透明度が高い。

 重油と鉄に濁っていたのは過去の話で、長い年月をかけて自然に浄化されたはずの海は、再び、火薬と油、鉄の匂いに埋め尽くされ、海面から数センチ下も見えないほど濁った。

 

 鼻をつく死を彷彿とさせる黒い煙そのものが一筋のぼるような感覚は、砲撃をするたびに、艦載機を発艦させるたびに、魚雷を発射するたびに、もう一筋、もう一筋と増えて脳髄へと黒い手を伸ばす。

 提督の指示という希望の詰まった脳を覆う薄い膜を掴み、握りつぶそうとしているみたいで、全員気づいていないが、泣きながら戦っていた。

 赤城、加賀、飛龍、蒼龍、伊勢、日向、川内、摩耶、羽黒、陽炎、不知火、神風――空母機動部隊だけではない。水上打撃部隊、物資輸送部隊も全員が泣き叫びながら戦っているのである。

 

 相対する深海棲艦、空母棲姫や戦艦棲姫達は反対に大声で笑っており、これを地獄と呼ぶのならば百人が百人納得する光景だった。

 

 その中でも唯一、涙を堪えて指示を出しているのは大淀のみである。

 

 では全員が冷静では無いか? と問われたら、いいや、冷静だと答えるだろう。

 大淀が下がれと言えば返事をして戦速を落とすだろうし、上を見ろと言えば摩耶も羽黒も艦載機が来たのかと警戒するし迎撃もする。

 水上打撃部隊が逃した駆逐艦や軽巡、重巡が空母達めがけて突貫してきても伊勢や日向は落ち着いて撃沈するだろう。それくらいに冷静だが、しかし、泣き声なのか怒声なのか分からないくらいに絶叫しながら戦っている。

 

 故の、異様。

 

《ザッ……ザザッ……こちら柱島泊地。艦隊旗艦、長門! 出撃する!》

 

「――柱島泊地より長門さんが出撃しました! 到着まで戦況維持を!」

 

 大淀が泊地より通信を受けて、間髪容れずに全艦娘へ伝達する。

 深海棲艦の猛攻を避ける動きはさらに激しさを増し、挟叉の数も増え、砲撃の轟音が海域を埋め尽くした。

 

 何度目になろうか、一航戦と二航戦が艦載機を発艦し尽くし、今度は制空維持のために妖精と共鳴を始める。脳内にはいくつもの視界が現れ、およそ人間には処理しきれない大量の情報が流れ込む。

 一機は敵と並んで飛び、機銃を撃ちあう。一機は特攻してきた敵機を翻弄し、一機は海月姫の動きを阻害すべく当たりもしない攻撃を海面へとばらまく。一機は空母棲姫の発艦を抑えるべく発艦軌道上を低空飛行し、一機はその二隻の深海棲艦が狙いを定めて味方の航空機を撃墜しないようにと的となる。

 

 それらを、何時間続けただろうか。

 鎮守府で過ごしていたのならば、きっと気にもならない時間だったかもしれない。

 

 訓練を終え、昼食をとり、期せずして自分のもとへ舞い降りたつかの間の平和という時間を過ごす数時間はあまりにも短く感じるのに――ここではたったの一秒が、永遠に思えた。

 回避運動を、右舷に敵艦あり、砲撃を開始して、左舷に敵機、撃墜を、声声が飛び交い、通信の音声となって全員の精神をすんでのところで繋ぎ止める。

 

 戦場に終わりは見えなかった。

 

 長門が来れば何か変わるかもしれない、なんていう希望的観測すらもない。

 あるのは、ただ、戦わねばならないという意識のみ。

 

 なんのために戦うのか。人のためだ。日本という国のためだ。

 

 だが――

 

「随分と粘るじゃないか艦娘。海原はよほど教育熱心だったと見える」

 

 日本と人々を守るべき軍服を纏っている男の言葉に、全員の動きが鈍った。

 ――日本海軍少将、楠木。その男は艦娘達の前に、深海棲艦と共に現れた。

 

 飛龍達が偵察機にて発見した数時間前から、楠木は全てに対して敵意を剝き出しにしていたのが分かった。艦載機からの視界越しというのにもかかわらず飛龍も蒼龍も震えあがるくらいに、彼は全てを憎んでいるように見えた。

 

 人類に仇なす存在、深海棲艦という存在と並ぶほどの憎悪――その理由など、柱島の艦娘達は知る由も無い。

 

 かの大淀でさえ、楠木という男が艦娘達が虐げられる原因を作ったのだと予想できても、発端や動機は欠片も分からない。

 彼が何を憎み、何を恨み、何を以て敵に与しているのか。

 

「提督の名を――あなたなんかが呼ばないで――っ!」

 

 伊勢が空母棲姫に向かって砲撃するも、意思を持った敵機に阻まれる。

 まるで生きた盾だ。

 

 伊勢に共鳴したように日向が叫び、さらに砲撃しようとも、同じく敵機が飛び込んできて身を挺して空母棲姫を守り、互いに一進一退。完全なる膠着状態である。

 

 楠木の乗った護衛艦を中心にして、前方空母機動部隊側に深海海月姫、空母棲姫。

 護衛艦の後方に戦艦棲姫、駆逐古姫、重巡ネ級、駆逐艦や軽巡洋艦多数。

 

 二分された連合艦隊は敵艦隊を囲んでいる有利な状態であるはずなのに――どうして――。

 大淀はぐっと唇を噛んだ。

 

 提督に言われたように敵を二分割すれば、優勢になると思い込んでいた。

 水上打撃部隊も空母機動部隊に輸送部隊を気にせずに砲雷撃戦に集中できるようになったのだから必ず数を確実に減らしていけると思った矢先の事、軽巡棲鬼と同じく、戦艦棲姫と駆逐古姫が深海棲艦を呼び出し始めたのである。

 さらには今までに見たことも体験したことも無い馬鹿げた火力で自陣の駆逐艦や軽巡洋艦を巻き込みながら砲撃を加えてくるものだから、さしもの金剛型戦艦の四人も攻めの姿勢になりきれずにいた。

 艤装と呼んでもよいのか分からない腹の底から体温を奪うような恐怖を与える巨大な存在の手のひらの上に優雅に佇み、氷の如き微笑みを浮かべて死をまき散らす戦艦棲姫。

 憎悪という憎悪を全て片腕に集約したような艤装から砲撃はおろか雷撃をも放つ駆逐古姫。

 

 意思と呼べるかもわからない行動を取る深海棲艦達。

 

 先刻、軽巡棲鬼から受けた攻撃で小破となれど健在たる四人の火力は、たった二隻と雑兵の存在によっておさえこまれている。

 

「諦めてもいいぞ」

 

 冷たい男の声は轟音によってかき消されてもおかしくないくらいに普通の音量なのに、全員の耳にはっきりと届いていた。

 諦めてたまるか。誰かから叫喚の声が上がると、楠木は鼻で笑いながら、流麗な仕草で右手をすっと横に伸ばした。

 

 すると――先ほどまでの猛攻が嘘のように止まった。

 

 空を飛ぶ敵機も、何もかもが時間を止められたように静止し、轟音など初めから無かったと言わんばかりに、波の音だけがその場に残される。

 

「は、ぁ……!? なんっ……だ、これ……」

 

 摩耶が空を見上げて目を丸くする。

 羽黒は理解の及ばない事象を目の当たりにして、歯をガチガチと鳴らした。

 

 急停止してしまった敵機に空母達の艦載機が慌てたように回避運動を取る。

 

 金剛の「What the……!?」という声を押し退け、楠木はゆらゆらと海上に浮かぶ深海棲艦達を見渡しながら言った。

 

「……貴様らは何のために戦っているんだ?」

 

 単純明快な楠木の問いに答えられる者はおらず、戦意を失ったわけではない水上打撃部隊の面々が、今が好機と砲撃するも――途端に時が動き出したようにして空から飛来した敵機がそれを防いだ。

 何度砲撃しようとも同じで、減った分だけ、空母棲姫の艤装から敵機がわらわらと蠅のように湧いて出る。

 

 驚くべき事象しかないその空間に、さらに悪夢のような光景が広がった。

 

 護衛艦の甲板上にいた楠木が、海へ飛び出したのである。

 

 それだけにあらず、楠木は海面に衝突するわけでもなければ、ばしゃんと音を立てて沈むわけでもなく――海上に立ったのだ。ごくわずかな、ぱちゃんという水たまりでも踏んだかのような音を立てて。

 

「彼女らの声を聞いたことがあるか?」

 

 海軍指定の革靴が海面を踏みしめているという意味不明の状況に、誰も声を上げられない。

 楠木はその場でくるりと半身を翻して、左右に割れた連合艦隊の艦娘の顔を一人ずつ確認しながら、同じ言葉を吐いた。

 

「――彼女らの声を、聞いたことがあるか?」

 

 軍帽の下から覗く真っ黒な瞳が、ある一点で停止。その先には、大淀がいた。

 楠木はゆっくりとした動きで大淀へ向かって歩みながら言う。

 

「艦娘と深海棲艦が現れてから、俺はずっとお前達がどんな存在であるのかを研究してきた。かつての大戦で活躍した軍艦を名乗るお前達艦娘は、どうして現れたのだろうか? とな」

 

「……っ」

 

 大淀が一歩後退ると、赤城と加賀の声が響いた。

 

「大淀さん! 耳を貸してはなりません!」

「迎撃用意を! 大淀さん――大淀さんっ――!」

 

 今が攻撃のチャンスだと分かっているのに、大淀に声をかける一航戦も、二航戦も、戦艦伊勢や日向も動けずにいた。

 明らかに人ではない――海上に立つ人など存在するわけもない。なのに、誰も楠木を攻撃出来ない。

 

 当然だった。有り得なくとも、彼女らは楠木を人として認識してしまっている。

 人として認識していながら、どうしても脳裏に焼き付いて振り払えない感覚が、さらに身動きを取れないようにしている。

 

 海原に感じた艦娘に対する暖かさと対極にある身の毛がよだつ寒さを感じた時、それが自分達とにらみ合う深海棲艦が抱えるものと同じであると気づいた。

 

「お前達だけでなく、深海棲艦についても俺は諸外国と協力して研究し続けた。深海棲艦とお前達艦娘について面白い研究データがあるのを知っているか?」

 

 ぱしゃん、ぱしゃん、と大淀に近づいていく楠木は空母棲姫とすれ違う寸前、左手を伸ばして空母棲姫の艤装を撫でた。

 すると、ぎし、と重たい音を立て――小破とも呼べなかったが、艦娘達の奮闘で傷をつけたはずの箇所が修復されていく。

 

 とんでもない事が起きている――頭では分かっていても、やはり誰も声に出せず。

 空母棲姫はにっこりと楠木を見やるが、楠木は鼻を鳴らすだけだった。

 

「――艦娘も深海棲艦も、海から生まれる。お前達は白い海水に鉄やボーキサイトなどが溶け込んだものから建造されるんだ。不思議だよなあ。人間ではないお前達がどのように生まれても、そういうものとしか受け取れんところもあるが」

 

 ある一定の距離離れている艦娘と深海棲艦の間に線は引かれていないが、明らかに境界線としての空間があった。

 その手前にいた海月姫のところまで歩んだ楠木は、彼女に両手を伸ばす。

 

 海月姫は楠木から伸ばされた両手に、同じように手を伸ばし――そっと握った。

 

「艦娘は広大な海のどこであれ発見される可能性がある。海外の女研究者はドロップ……と言っていたな。落ちるのに浮上して見つかるなどちゃんちゃらおかしい話だ。っは、まるでゲームのようで笑ったのを覚えているよ。深海棲艦も同様に、広大な海のどこにだって出現する。我々海軍を含む人類が目撃している深海棲艦など、極々一部に過ぎんということだ。お前達のように、深海棲艦は想像もできないほど多く存在している」

 

「ア、ァ……トテモ、サムイ、ノ……ツメタイ……ノ……」

 

 海月姫が楠木の両手を自分の頬に持っていきながら何かを言っていたが、楠木は構わず饒舌に話し続けた。ただ、愛おしそうに海月姫と見つめあいながら。

 その黒い瞳には彼女が映っているはずなのに、楠木には何も見えていないように感じられたのは、大淀だけではなかっただろう。

 

「艦娘と深海棲艦は互いに逆の行動を取る。一方は人類を襲い、一方は人類を守護する。俺は一つの仮説を立てた。もしやお前達と深海棲艦は同一の存在ではないのか、とな」

 

 戦場に立ち講義でもしているかのような物言い。

 楠木の独壇場だった。

 

「仮説から導かれるのはもっと単純な結論だ」

 

 それを口にするな。誰もがそう思えど――

 

「お前達は……――同じ存在だ」

 

 

* * *

 

 

「違う……同じわけが無いでショ……!」

 

 楠木の背後から金剛の絞りだすような声が聞こえた。

 そのすぐ横では、榛名が表情を絶望に染めていた。

 

「深海棲艦、と……共鳴、しているのですか……彼は……!?」

 

 榛名の声に比叡が「そんなバカな事――!」と反射的に漏らすも、霧島が眼鏡を押し上げながら額に流れる汗もそのままに呟く言葉に押し込められる。

 

「ありえない話、と思いたいですが……実際に、目の前で、起こっています……否定の材料は、ありません……提督にお声をかけていただいた私達と似たような事と真逆の事が起こっている可能性は、あります」

 

 波間に届く声に楠木がその場から動く事は無かったが、ざん、と一人の艦娘が自らの存在を限界まで希薄にして迫ったのに対して目を動かす。

 

 数多の敵艦に反応すらさせず肉薄したのは、川内だった。

 

 川内はクナイのような艤装を片手に海を駆け抜ける風よりも速く楠木に迫った。

 多くの敵艦の凄まじい猛攻を回避し切った島風が目を見張るほどの速度。

 

 彼はもう人間ではない。捕縛せよと大淀が井之上元帥から命令されたのは今よりも少し前の事だったが、捕縛して本土に連れ帰るなど考えられないほどに、彼から立ち上る気配は禍々しく惨烈なものだった。故に川内の判断を間違いだと止める者は一人もいなかったものの、楠木という者もまた、守るべき人でもあった。いや、ある、という思考が決断を鈍らせた。

 川内の特徴的な強さはそこにあった。慎重な行動をする彼女だが、決断したあとの動きに迷いは無い。

 迷いのない動きには反射でしか対応できない。だからこそ、川内型軽巡洋艦のネームシップたる彼女は単独で無類の強さを誇っている。

 

 クナイを持つ力の込められた右腕が楠木の背後に迫った。

 多くの艦載機を操っていた空母棲姫の高度かつ人知を超える思考速度を以てしても反応を許さぬ速さ、希薄さ。

 闇夜にあらずとも空間そのものに溶け込む川内は忍者と比喩するに相応しいものだったが――クナイの切っ先が軍服を突き通し、楠木の肌へ到達した時、あらぬ音が響く。

 

 ガツン――ッ!

 

 およそ、人の肌が出す音ではなかった。

 

「――深海棲艦も艦娘も、その原動力は科学などでは証明しきれないものだった」

 

「え、嘘、刺さらない……! なん、っで……――ゲホッ……!?」

 

 楠木は振り返りざまに鬱陶しそうに腕を振りぬいただけだった。

 その腕は川内の腕どころか上半身を巻き込み、弾き飛ばす。

 

 ばしゃん、と海面に数度バウンドしながら飛んでいった川内を受け止めるべく陽炎達、駆逐艦の三人が駆けた。

 三人がかりで受け止めても衝撃を殺しきれず、川内を受け止めた格好で後方へと滑るように飛んだ。

 

「川内さん! くぅっ……!」

「不知火、踏ん張って!」

「分かっています……!」

「二人とも、背中を失礼しますっ――!」

 

 陽炎と不知火が二人がかりで川内を受け止め、その二人の背を神風が支えたが、ざあざあと波をかき分けて後方へ。

 停止したのは、楠木から見て一番後ろに位置する大淀の目の前だった。

 

「お、ぇぁ……ゲホッ……かはっ……!」

 

 大淀の唇が青くなり、震える。

 攻撃とも呼べない楠木の一振りを受けた川内の艤装は音を立てて歪み、さらには咳き込み、えずきながら胃の中をぶちまけた。損害として見れば、中破であろうか。

 艤装を除き外傷という外傷は見受けられないのに、たったの一撃で川内を戦線に復帰させるのは危険であると知らしめるほどの様相。

 

「燃料や鉄、ボーキサイトを艤装に取り込み、物理法則を尽く嘲笑うような能力を発揮する……人類が手出しできないはずだ。たかだか中高生にしか見えない少女達は、か弱いように見えて、艤装を展開した瞬間に生半可な兵器を受け付けない鋼鉄の軍艦と化すのだから、当然と言えば当然。たった二本の足で超重量を支え、海をスケートリンクのように滑り、駆け、時には海面を蹴って跳躍までしてみせる始末だ。我が日本に多く艦娘が見られることもまた不思議だが……お前達は抑止力としても素晴らしい効果を発揮した。お陰で防衛外交は捗った。だからこそ研究に没頭出来た」

 

 これはその礼だ、と楠木は言った。

 川内への一撃を目にして攻撃に転じようなどと愚かな行動を起こす者などおらず、圧倒的武力、強制力を前に、忌々しい声を聞かされ続ける。

 

 大淀を含む全艦娘の通信は作戦海域にいる者に限れば問題無かったが、遠い柱島泊地や、そこから出撃したであろう長門へは繋がらなかった。

 結界がさらに強度を増しているのは言わずもがな。

 虚しいノイズ音だけが聞こえ、提督や長門に呼びかけても返答は無い。

 

《大淀さん……一時離脱すべきです……! 深海棲艦どころか、楠木少将までもが……おかしい……!》

 

 通信越しの声は水上打撃艦隊の鳳翔のものだった。

 視線だけで遠くに見える鳳翔をとらえた大淀はその提案を呑み込めずに苦し気な声を返す。

 

《分かっています。分かっていますが……》

 

 ここで離脱してしまう事は不可能ではないが、離脱すれば敵艦隊は北上し、本土へ向かうだろう。

 それらの足止めに空母の艦載機を利用しようにも、物資を補給し続けたところで完全な足止めは不可能。空母機動部隊が制空権を維持し、水上打撃部隊が湧き続ける深海棲艦を殲滅しながら戦艦棲姫や駆逐古姫を小突いているからこそ、この場での足止めが成立しているのだ。

 拮抗し、膠着しているこの状態からどちらかが動いてしまえば、確実に被害を受けるのはこちら側である。

 本土への侵攻阻止に加え、分断した敵艦隊の戦力を削ぐ事に集中していてもなお、気を抜けば一瞬にして均衡が崩れるほどの不利な状況。

 

 大艦隊を以てして、未確認深海棲艦がたったの三隻を中心にして戦力を押し返しているのだから、離脱という選択を安易に取るべきではない。

 

 だが離脱せねば、楠木の空気に呑まれてしまうかもしれない。

 

《本土へ向かわせてはいけません。一海里でも譲れば、今の空母機動部隊と水上打撃部隊が全力を出しても、再び足止めする事は困難になるでしょう》

 

《っ……》

 

 提案した鳳翔も、理解していた。

 熟練した妖精が搭乗している艦載機を操り、状況を俯瞰していたからこそ、より深く理解していた。一航戦と二航戦、そして自分、五名の航空戦力で拮抗なのだから理解出来ないわけがない。

 

「海外にも艦娘が存在しているが、日本と比べるべくもない。お前達の存在は図らずも世界に多くの効果をもたらした。国のパワーバランスを変え、経済を回し、人々の心を良くも悪くも動かした。俺も、心を動かされた一人だ」

 

 頬に添えられた海月姫の手の上に自らの手を重ねて大切そうに撫でながら、楠木は目を閉じる。

 

「艦娘は希望だ。では深海棲艦はどうだ? 人類に仇なす絶望か?」

 

 目を閉じたままの楠木に変化が現れる。

 真っ白な軍服に前触れなくぽつぽつとした模様が現れ始めたのだ。背に血管のように根のようなものが伸びはじめ、軍帽まで到達すると、ぱき、と音を立てて硬化する。

 模様だと思っていたそれが()()()()で、背に伸びた血管のようなものが根の形をした()()()であると気づくのに、海を駆け続ける艦娘達に時間は必要なかった。

 

 人だったものが、人でない何かに変化していく。深く、深く、どこまでも冷たく、戻れないところまで。

 

「俺が言ったように、艦娘も深海棲艦も同じ存在なのだ。ならば――深海棲艦もまた、希望だ。どのような姿であっても、希望だ」

 

 ぴしりと一際大きな音が鳴った。

 

「彼女らは終わらせるために蘇ったのだよ。貴様ら艦娘と同じ想いが形となったのだ」

 

 その音の正体を正面から見ていた空母機動部隊と、司令塔の大淀は今度こそ、絶望した。

 

「アァ、モウ……アナタ、ハ……ヒカリヲ……」

 

 深海海月姫の声をかき消す戦艦棲姫と空母棲姫の声が、絶望を色濃くしていく。

 

「アッハッハッハッハ! ソウ! ソウヨォ! ダカラ――シズメニキタノヨォ――!」

 

「ナンドデモ……ナンドデモ……シズメテアゲル……!」

 

 荒い海風が楠木の軍帽を押し上げた時――その顔が半分以上、真っ黒な仮面のようなもので覆われているのが見えた。

 くしくもそれは――深海海月姫の半面を覆っている黒い焦げた痕のようだった。

 

 ぎぎ、と妙な音を立てて楠木が動き、右腕をすっと上げ――進め、という風に振り下ろされる。

 その動きに連動し――時が動き出したように戦場へ轟音が戻った。

 

「――っ!? 全艦回避運動を再開! 全艦回避運動を再開! 捕縛は中止です! 目標を深海棲艦の殲滅へ移行します!」

 

 大淀の咄嗟の判断に各自が急発進する。

 倒れ込んでいた川内も咳き込みながら立ち上がり、空母機動部隊へ近づこうとする敵機へ牽制の砲撃を放ちながら移動を開始。

 

 海域全体がさらに赤く染まり、空気すらも血煙で構成されているかのようだった。

 そこに、深海海月姫の恐ろしい悲鳴と、楠木の声が響いた。

 

「ア、ァアアァアアアァァアアア――! イズレ、キサマラモ……コノ、ホノオニ…ヤカレテ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺ノ希望ヲ砕カセハセンゾ艦娘ドモ――全テ、シズメテヤル――」







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九十七話 心②【艦娘side】

「俺は固定観念にとらわれていたのだ」

 

 まるで深海棲艦の発する声のように歪んでいた楠木の声音が、先ほどまでの人間らしいものに戻ったのもつかの間、悲鳴と轟音を取り戻した戦場はさらに激しさを増していた。

 砲雷撃戦も航空戦も、互いの全てを吐き出すような戦場は楠木という存在だけを浮き彫りにして海を凄惨な地獄へ変貌させていく。

 

「艦娘とは、深海棲艦とは……そんな事を考え続けていたおかげで、艦娘は艦娘で、深海棲艦は深海棲艦などという簡単で惨たらしい観念が俺の思考を鈍らせ続けた」

 

 しかし、先ほどの戦闘とは違いが一つあった。

 それは楠木が深海海月姫の傍にいて、海月姫が新たな艦載機を発艦させていない事だ。それでも空母棲姫から吐き出され続ける敵機の数が多いため楽になったとは言い切れない。だが空母機動部隊の艦載機は制空権の維持という一辺倒から変わり始めていた。

 徐々に、ゆっくりと、しかしながら確実に敵機を撃墜していきながら黒い空を自機で埋めていく。

 

 楠木はそんな事は些事であるとでも言わんばかりに、海月姫と手を取り合ったまま、見つめあったままにつらつらと話し続けていた。

 轟音の中で届くはずも無い声が艦娘達の精神を蝕むようで、互いに「耳を貸すな! 聞かなくていい!」と言い合い続ける事で戦線を維持する。

 

 それでも、耳に届く声はどうしようもなく――

 

「艦娘であろうが深海棲艦であろうが、彼女は彼女に違いないんだ。そうだろう? なあ、サラ」

 

 ――絶望的な現実を突きつける。

 

「サラ――!? し、深海棲艦に名前が……!?」

 

「聞くなってんだろうが不知火! 耳を貸すんじゃねえ!」

 

「で、でも摩耶さん! 楠木少将は確かに、海月姫をサラと――」

 

「あたし達には関係無い! 知るべきでもない! 沈みたくなきゃとにかく戦うしかないんだ! わかってんだろ不知火も!」

 

 摩耶の怒声に不知火の表情が曇るも、言い分に反論はなかった。

 深海棲艦、艦娘、どちらも海から生まれる――それを事実であると理解しているから、楠木が言うように――もしかしたら、自分達は……そう考えた瞬間は一度も無かったかと問われたのならば、不知火どころか艦娘達は無いと否定できない。

 支離滅裂で狂ったような楠木少将の言葉は、狂っているようで真理を突いていると思わざるを得ない。

 

 楠木が海に立った時に語った言葉が心を侵蝕している。

 

 本質そのものを鷲掴みする言葉は連合艦隊の動きを鈍らせ、優勢に傾けさせる速度を奪っていくようだった。

 

「ァ……アア……アナ、タ……ワタシ、ハ……チガウ……チガウ、ノ……」

 

「違う? 何が違うんだ……君はサラだ。どんな姿になっても、俺が愛したサラなんだ。違わないさ」

 

「イヤ……イヤ、ァ……アツイ……アツイィッ……!」

 

「あぁ、そうだな。渚を歩くんだ。静かな海を、一緒に歩こう」

 

 言葉が噛み合っていない。明らかに異様な光景を目にした面々は、とてもじゃないが戦闘に集中できず、通信越しに怒鳴りあう。

 

「何なんですか、あれは……深海棲艦を名前で呼んだり、会話しているのに噛み合って無かったり……!」

 

 神風は嫌悪や恐怖といった感情に表情を強張らせて言った。

 

 その間にも、駆逐古姫の放った魚雷が航跡を伴って、神風へ迫る。

 紙一重でそれを回避しながら海面に向けて砲撃をばら撒けば、魚雷が他の艦娘へ衝突する前に水柱となって消えた。

 互いが互いを守りながら確実に前進しようと藻掻く。

 ほんの刹那、水柱が視界を遮り、神風はぬらりと現れた軽巡級深海棲艦への反応が遅れた。逸早く気づいた北上が、自分よりも神風の近くにいた大井へ滑り込んで腕を叩く事で危険を知らせ、大井は叩かれたのとほぼ同時に駆け出し、水柱に視界を失っている神風へ迫る。

 完璧な立ち位置の切り替わりに敵艦の動きに迷いが生まれ、その迷いに対して北上は容赦なく魚雷を叩き込む。

 油断を誘い、仲間を救う完璧な連携――北上と大井だからこそ実現した戦術。

 

 大井は背後から神風の腕を取り力いっぱいに横方向へ引っ張りながら魚雷を放つ。

 すると、水飛沫が収まって姿があらわとなった軽巡級深海棲艦へとタイムラグ無く衝突し、轟音と黒煙を噴き上げた。

 

「ッ……すみません、大井さん!」

 

「お礼は北上さんに! 次が来るわ!」

 

「はいっ!」

 

 神風が移動しながら北上を探し目を動かせば、丁度視線がかち合った北上が頷く。

 さぁ、まだまだ弾薬はある。さらに攻撃を――そんな神風の気合が、消失しかけた。

 

 否、神風だけではなく、全艦隊が瞬きの間だけ止まってしまった。

 

 結界の中では幻視する。

 多くの軍人、提督に言われ続けていたものを、彼女達は初めてその通りであると手のひらを返したくなってしまった。

 

 海月姫が――燃え上っている。

 

 一見して損傷は無い。だが、楠木少将と手を取り合う彼女は確かに青い炎に包まれており、楠木の軍服も、楠木自身も燃えている。

 燃え上っているのにもかかわらず二人が焼け落ちるといった事は無く、非現実的な、意味不明な、説明のつかない現象がそこにはあった。

 

 サラ、と呼ばれた海月姫は黒い涙のようなものを瞳から流し続け苦しそうな声を発しているが、楠木はどこまでも優しい笑みを浮かべ、焦げに覆われた半面の瞳を青く光らせて語り続けていた。

 

「俺は全てを失ったが……それでも、サラがいる。君がいればそれでいいと気づいたんだ。例えどんな困難があっても、それを受け入れて進めば良いのだと気づいたんだ。馬鹿げた戦争も、進まない研究も全て無意味であると気づいたんだ。俺は一人じゃなくなったんだ」

 

「ヤメ、テ……モウ、オワリニ、シマショウ……ワタシタチハ、コンナ、コト……シタインジャナイ、デショウ……? オネガイ、ダカラ……」

 

「ああ、分かっている。俺がお前を救う。お前を守ってみせる。どんな姿になったとしても、誰にもお前を奪わせたりしな――」

 

 ガァン! という轟音に、黒煙が楠木と海月姫を襲う。

 それは大淀の放った砲弾で、しかし二人に傷をつける事は出来なかった。

 

 だが、意識は――逸らせた。

 

「貴様ァ……何ヲ……――!」

 

 ぎらりと瞳を光らせた楠木が大淀を見た。

 大淀はがちがちと奥歯を鳴らすほどに震えながら、十五.五センチ三連装砲を構えたままの状態で言う。

 

「そ、その、その深海棲艦は……深海棲艦では、無いのですね……! どこかで、み、みみ、見たことが、あると、思っていました……変わり果てた、姿、ですが……!」

 

「ナニィ……? 大淀、貴様ハ大本営ノ差シ金カァ……?」

 

 空母機動部隊の面々が大淀へ敵意が向いていると察知し、輪形陣を組む。

 それは本来ならば空母を守るための陣形であったが、大淀を中心にして十二隻の空母機動部隊が二重の障壁となり、どのような攻撃が来るかも分からないままに防御せねばと体勢を低く構えた。

 

「いいえ、わ、わた……私は、柱島泊地所属、常任秘書艦です……前の所属は、舞鶴鎮守府――楠木少将の傘下、金森提督の部下でした……!」

 

「カナモリ……あぁ、あの豚か……豚に飼われていた艦娘が、何を知っているというんだ」

 

「楠木少将――あなたはとても、賢い人です……自らに矛先が向かないようにする事も容易で、あらゆる人脈を駆使し、海軍を欺き続けてきたことは、想像に難くありません……その上で、数名に情報を握らせる事で、信頼させ、あえて自分より立場が上の金森提督へ公表されては手痛い情報さえ与えて、それを、確固たるものとした……違いますか……!」

 

「――ほう。存外、頭の切れる艦娘モいたモノだなぁ……? それに、手癖モ悪いときたものダ……ドコでその情報ヲ得タ……?」

 

「手癖が悪いなど……職務として、あの人の仕事の殆どを肩代わりしていたから知り得ただけです。都合よく舞鶴の防衛する日本海側に深海棲艦がやってきては、一定の戦果となるなどおかしな話で――数字を与えるために、あなたが指示したことに過ぎなかったというだけの話……」

 

「自信満々にしてハ、随分と薄い根拠ではナイか。どこに俺が関与シタという決定的なものがあルノダ? エェ?」

 

 空母機動部隊の二重の盾のうち、蒼龍が大淀に向かって声を上げた。

 

「どういう事よ大淀さん!?」

 

「提督が遂行してきた多くの任務……それを辿るうちに、私は深海棲艦が操られている、もしくは、作り上げられているのかもしれないと、荒唐無稽な仮説を立てていました。最悪なことに、深海棲艦を操っているという予測は的中しましたが……どうやら、もう一つの方は外れたようです」

 

 蒼龍の声にほんの少しだけ落ち着きを取り戻した様子の大淀は、まだ手が震えてはいたが、歯を鳴らすほどもなくなったようで、ぐっと唾を呑み込みながら空いている方の手で眼鏡を押し上げた。

 レンズのふちについた海水がぽつりと落ちていく。

 

「もう一つって……深海棲艦を、作り上げるって方……?」

 

 飛龍が深海棲艦を睨みつけたまま言えば、大淀は肯定の返事をする。

 

「……深海棲艦のようになっている彼女が動かぬ証拠でしょう。違いますか、楠木少将。それに、アメリカ海軍所属、深海棲艦研究派遣員の――Lexington級二番艦、正規空母――サラトガさん」

 

「正規空母……サラ、トガ……!?」

 

 前を見ていた飛龍と蒼龍が思わず振り返る。

 大淀はじっと楠木少将と海月姫を見つめており、二人もまた大淀へ視線を向けていた。

 

「捨て艦作戦が敢行され始めた頃、捨て艦となった艦娘には新兵装が配備されましたよね。深海棲艦の生息位置を特定するためのものであったか、通信方法を解析するものであったと記憶しています。生き残った艦娘達の中で、噂が流れ始めた――声が聞こえると」

 

「……」

 

 大淀は油断を見せず、じり、じり、と自分の位置を調整するように動き、その大淀の動きに呼応して空母機動部隊も移動する。

 空にはやはり絶え間なく炸裂音が鳴り響き、艦載機同士の熾烈なドッグファイトが繰り広げられていた。

 

 警戒しながら、艦載機で制空を維持しながら極限へ達していく緊張に、空母達の顔色が悪くなっていく。

 疲労の色が濃くなるものの、どうしても膠着状態は解けず、このまま徐々に艦隊が瓦解してしまうのではないかという危機感が芽生えそうになっていた。

 

「結界の中では海は荒れ狂い、空は淀み、赤く、暗くなる……そこで声が聞こえるなどと報告をあげれば、確かに妄言と一蹴されてしまうでしょう――あなたは、それを利用して研究の裏に……派遣員であった艦娘のサラトガさんを、秘匿した。違いますか。恐らくは、声に共鳴したのです……楠木少将が仰るように、私達と深海棲艦が同一の存在であるとするなら、共鳴する可能性はある。一緒……なんて、考えたくないですが」

 

「……八十点、とイッタところカ」

 

「高得点をいただけるのですね……及第点でしょうか」

 

 強気に言う大淀だったが、その場から動けないまま。

 楠木は、海月姫――サラトガ――の両手をぱっと離して、青い炎に焼かれながら、身体中からギシギシと異音をさせて海上を歩いた。

 

「あア。そうダ。俺は確かニ深海棲艦と艦娘について研究を続けル中デ、声の存在を知ッタ。サラと共ニ、その声の正体を解明シテ……そんナ事ヲ考えたのは、一瞬だったよ。声を聞いてしまったサラは苦しんだ。海の向こうから声ガ聞こえるとイッテ、艤装の展開スらも満足に行えなくなった。共鳴したのかもシレンな。妖精と艦娘が共鳴するようニ。声を聞いたカラ……サラは、こうなった……!」

 

 お前達のせいで。そう怒鳴って、楠木は近くにいた駆逐級深海棲艦の巨大な身体と思しき側部を蹴り上げた。

 すると、ぎぃ、と気持ちの悪い声とも音ともつかぬ高音を上げて、深海棲艦は逃げるように離れていく。

 

 楠木が話し始めてからも空では戦闘が続けられていたが、海上にはまたも嘘のような落ち着きが広がっており、艦娘だけが戦々恐々としていた。

 

「絶望シたよ……修復液に浸けても治らないナド、艦娘がますます理解できなくナッた……」

 

 ジジ、ジジジ、と通信を支配し続けるノイズ音。

 楠木の声は、空間に、通信に、脳内に直接浸透していくようで、殊更に恐怖を煽るものだった。

 これも策略のうちか、はたまた楠木の無意識の行動かは、分からない。

 

「だが、俺ハ彼女を失いたくなかった……彼女以外、どこの誰が傷つこうが、関係ナイ……彼女さえ、失われなけれバ……俺も、サラも、立場ガあって、成立する関係なんダ……どこにも、救いなどないんだ……。艦娘に戻れないナラバ、受け入れられない……深海棲艦になったのなら、沈めラレる……だカら、こうして……――」

 

 っは、と笑い声が楠木の声を遮った。

 その声の主は――軽巡洋艦、北上。

 

「なーんか、どっかの誰かに似てるくらい熱い人だなーって思ったら……っはは、あんた提督に似てるんだ」

 

「き、北上さんっ……!?」

 

 大井が驚いて名を呼ぶも、北上は呆れたような顔で言葉を吐き捨てた。

 

「ナニ……?」

 

「必死さが似てるんだよ。提督にそっくり。でも――提督とあんたには大きな違いがある。提督はね――あんたと違って、まっすぐに見つめてくれる人だよ。見つめたうえで、私達の事を考えてくれる人。自分の事を捨ててでもね」

 

「オマエガ……俺ノ、何ヲシッテイルと言うンダ……艦娘風情ガ――!」

 

 楠木が右腕を振り上げた瞬間、全員の身体が強張った。また始まる、と。

 しかし、その腕が振り下ろされることは無かった。

 

 海月姫が動き、その腕を掴んだのだ。

 

「ナニヲ、してイルンダ……サラ……?」

 

 空母棲姫や戦艦棲姫、駆逐古姫が目を細めてその行動を見つめていた。

 一体何が起こっているのか、理解している者はこの場において一人としていなかったのに、理屈ではないものが事を起こしているのだけは胸の中心にある()()()が知っていた。

 

 兵器だと言われ続け、人と違うと言われ続けていた彼女らであるからこそ、それはより鮮明だった。

 

 海原鎮という男に、持っていると気づかされたものだ。

 

「あんた気づいてないの? 海月姫……いや、サラトガさん、泣いてるじゃんか」

 

「ァ……?」

 

 腕を掴まれた楠木が海月姫を見た時、まさに今、正気に戻ったと言わんばかりの反応を見せた。

 海月姫に腕を掴まれたまま、二人で燃え盛ったまま、言葉にならない声を上げて後退ろうとする楠木だったが、腕は離れず、力強くしっかりと掴まれたまま。

 

「ヤメ、やめテくれ、サラ……どうして、俺ヲ……!」

 

「ヤット、ワタシヲ、ミタ……」

 

「ヒッ……!? ぐ、ぅあ……!」

 

「モウ、オワリニ……シマショウ……」

 

 海月姫の手に込められた力がどんどん強くなり、楠木の腕にぽつぽつと付着していたフジツボが割れたような、ぱきん、という音が響く。

 しかし立て続けに起きた次の光景に、今度は海月姫が目を見開いた。

 

 ぐしゃん、という耳を覆いたくなるような痛々しい音。

 

 楠木の背から伸びる白い腕。

 

 胸を突き抜けた腕が、鼓動を続ける()()()()()()を掴んでいた。

 

 その後ろにいたのは――戦艦棲姫だった。

 

「ェ……ァ……?」

 

 楠木が状況を理解出来ずに海月姫を見る。

 海月姫は楠木と、その背後にいる戦艦棲姫を見て硬直しており、周囲の艦娘もまた、固まっていた。

 

「え、何……嘘……少将に、攻撃、した……!?」

 

 艦娘のうち、誰が言ったのかは分からないが、全員が同じことを考えており、攻撃にも防御にも転じられず。

 ぞわりと身を震わせる()()の深海棲艦の声が――海へ響く。

 

【タノシカッタァ……?】

 

 口が裂けるような満面の笑みを浮かべた戦艦棲姫の行動を皮切りに、空母棲姫がニコニコとして楠木へ近づいて来て、戦艦棲姫と同様に背後から手を伸ばして、頬に触れる。

 

【アッハ……アッハハ……ワタシタチヲ操レテ、嬉シカッタネェ? タノシカッタネェ? ソレデェ……愛ノ告白ハ、モウオワリィ……?】

 

「キサ、マ……ラ……ッ!?」

 

【カンムスガー! シンカイセイカンガー! アッハハハハ! ナァニイッテルノォ……ワタシタチノコトヲ、イーッパイベンキョウシテェ……ワカッタツモリデイルノネェ……? 本気デ操レルッテェ?】

 

「ガフッ……!」

 

 楠木の口の端から真っ黒な液体が流れる。

 戦艦棲姫の声も、空母棲姫の声も聴き分け出来ないほどに同一で、おぞましく、底冷えするような恐怖があった。

 海月姫とも違う。あたりを埋め尽くす深海棲艦の発する高音とも違う。

 

 楠木から立ち上っていた憎悪よりも濃く、純粋な――狂気。

 

【ワタシタチハ、ケッコウ、タノシメタワァ……。カンムスタチモ、ケッコウシズメラレタシィ……ネェ?】

 

【エエ、ソウネ――デモ――】

 

 駆逐古姫がゆらゆらと楠木へ近づき、巨大な口のようになっている艤装で楠木の片足を噛んだ。めき、という音を立てて楠木の片足はあっけなくちぎれ、ばしゃりと海面に浮かぶ。

 楠木から叫び声が上がった瞬間に空母棲姫に口元を押さえられる。

 

()()()()()()()()()()ナンテ――興味ナイ】

 

「ア、ガアアアアアァァアアアアァアッ!? ヒッ、ヒィッ……ヒィッ……! ア、足がっ……――ムグッ!?」

 

【シィー……シィー……イタイノハ、ミーンナ、イッショヨ……ワタシモ、アナタモ、イタイノ……アナタハ……イタイノガイヤデ、逃ゲタ……ソウデショウ?】

 

「ムゥゥウウウッ!? ムーッ!!」

 

【アァンッ、ダメヨ。アナタハモウ、コッチガワナンダカラ。一人ガイヤダッタンデショウ……? コンナ子ヨリ、モーットタクサン、素敵ナ子ガイルワ……アナタハヒトリジャナイ……】

 

 空母棲姫の声に、楠木が血を流し、涙――それは黒かったが――を浮かべながら目を向ける。

 背中から心臓を掴まれた状態で混乱しているのもあったのだろうが、一人じゃない、という希望のようにも聞こえる言葉が吐かれた時、空母棲姫が手を少しだけずらして隙間を作った瞬間、楠木は縋るような声で言う。

 

「ひ、一人じゃ、ナイ、のか……!? 俺は、一人ジャ……!」

 

「アナ、タ……?」

 

 やっと目が合った――たった一瞬だけでも互いに本当の意味で見つめあった二人の間に亀裂が走る。

 再び逸らされてしまった楠木の目に、もう海月姫は映っていなかった。

 

【ソウヨォ……モウヒトリジャナイノ……】

 

「お前達が、俺と、一緒にイテクレルの、か……?」

 

【……】

 

 空母棲姫と戦艦棲姫が背後からニッコリと笑う。

 そして、

 

【――馬鹿ナ人】

 

 ぐしゃりと、心臓を握りつぶした。

 

「ぁ……」

 

 楠木の目から、青い光が失われていく。

 だが意識は失われていないようで、どうして、どうして、と壊れたラジオのように繰り返しながら虚空を見つめ、力無く海月姫から離れ、空母棲姫と戦艦棲姫に抱き留められる。

 

【コウイウ人、ダァイスキナノ……トテモ、愚カデ、全テヲ見テイルヨウデ、ナーンニモ見エテイナイ人】

 

 くすくす、と空母棲姫が笑う。

 

【暫クハ、タノシメソウネ……チャーント、連レテ帰ッテアゲルワ】

 

 ニコニコと戦艦棲姫が言う。

 

 海面に浮かぶ片足を拾い上げて、壊れた玩具でも眺めるみたいに振りながら駆逐古姫が誰ともなしに問うた。

 

【ヤッパリ、私達ガ全部壊スシカナイノ?】

 

 それに対して空母棲姫と戦艦棲姫が呟く。

 

【ソウネェ……】

【ホネノ無イ艦娘ヲシズメルナンテ、ツマラナイケド】

 

 戦闘海域となったトラック泊地東側にいる艦娘は、この瞬間に理解した。

 

「狂ってる……狂ってやがる、こいつら……!」

 

 摩耶が歯の隙間から押し出すように言い、全員が頷き――絶対にここで沈むわけにはいかないと兵装を構えた途端の事だった。

 

 

 

「主砲一斉射! て――ッ!!」

 

 

 

 水上打撃部隊の背後、方角にして日本側の空から砲弾が降った。

 回避行動すら許さない刹那の時間、それは空母棲姫と戦艦棲姫、楠木と海月姫の頭上へと飛来し――衝突。

 

 轟音、爆音。

 黒煙と炎が大きく花開き、空へ昇る。

 

「なっ――長門さん! 長門さんの艦隊が到着しました!! 全艦、戦闘を再開してください!」

 

 

* * *

 

 

 大淀が叫喚し、全員の時が三度動き出す。

 長距離砲撃だったのか、長門の姿はまだ見えず遠くにいる様子だったが、長門の声が聞こえたという事は――通信が確立できる距離にあるという事。

 

 一筋の希望の光が差し込めば、そこは暗闇とは呼べなくなる。

 

 空母機動部隊の面々の顔色は悪い状態ながらも生気を取り戻し、狂気の戦場を終わらせるべく弓を構えた。

 

「蒼龍、行くよっ!」

「おっけーおっけー……! 全艦載機、発進!」

 

「慢心してはダメ。全力で参りましょう! 加賀さん!」

「鎧袖一触よ。心配いらないわ」

 

 一航戦と二航戦が動き出せば、その師たる立場の鳳翔も視線を鋭くして声を上げた。

 

「風向き、よし――航空部隊、発艦!」

 

 空母達の動きに連動し、水上打撃部隊も一斉に海面を駆けた。

 この狂気に呑み込まれてはならない。今こそが反撃に転じる勝機であるのだと。

 

 空を埋め尽くす敵機と自機が交錯する中、新たなる艦載機の姿が交ざった。

 ヒトガタのような紙切れが切り裂くように飛んできて、火花を散らしながら航空機へと姿を変える。

 

 陰陽型の特徴であるそれが――飛鷹と隼鷹の艦載機であると察した鳳翔の口元に、笑み。

 

《ザザッ――ザーッ……――こちら旗艦長門! 聞こえるか、大淀!》

 

《はいっ……はい、聞こえます、長門さんっ……!》

 

 安心したような、大淀の震える声。

 通信越しの長門はすぐに追いつけると言い、もう少し踏ん張ってくれと勇ましい声を届けた。

 

《遅れて悪かったな……空母棲姫と戦艦棲姫、駆逐古姫だったか……それと、深海海月姫はどうだ!》

 

《い、今確認を――!》

 

 小破に持っていくのさえ辛かった恐るべき装甲を持つ四隻へ視線を向けた大淀は、今度は別の驚愕に口をぽかん開いたまま固まってしまった。

 

《……海月姫が中破、して、ます――!》

 

《よし! 提督の言う通りだったな……!》

 

《長門さん、提督が何か仰っていたのですか!?》

 

《あぁ。勘違いさせるような物言いだったが、大淀の反応からして本当のようだ……どうやら私は、この戦場における()()()らしい!》

 

《特攻、艦……!?》

 

 大淀が顔を青くする前に、長門は違うと何度も口にした。

 

《違う違う! 大淀、違うぞ! ははは、私も勘違いしたクチだがな! 提督が言うは海月姫に特別な効果をもたらす艦娘であるという事だ! 特別な効果で、特効艦だ!》

 

《どうして、そんな事を提督が……知って……》

 

《私も気になるところだが――帰ったら全てを話すと言っていたし、ここに来るまでにきっちり約束してくれた! 約束したのだから、信じて戦うしかないだろう!》

 

 整えようとしている思考が乱れ、それでも整えようとして、やはり乱れ。

 大淀の脳内がぐしゃぐしゃになっていくのと比例して、戦場は激しさを増していく。

 

《ともかく、今はこの戦場に勝利を刻むのだ! 待ちに待った艦隊決戦だぞ大淀! 胸が熱いな!》

 

 通信から聞こえる長門の声は、何を根拠に持っているのか、どこまでも明るかった。

 ただ戦い、勝利し、人々を守るという艦娘の本分を体現するかのような声に、大淀の思考は、難しい事は鎮守府に帰ったら提督を問いただせばいいかと、どうしようもなく、あんまりな結論へ辿り着く。あの人がいれば、きっと大丈夫。

 

 しかしそれは、大淀の震えを完全に止めた。

 

 

 

 

 

 

《全艦に告ぐ――全艦に告ぐ――反撃を開始してください!》



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九十八話 心③【艦娘side】

 南方、トラック泊地周辺海域へと長門達が向かうほんの少し前。

 

 柱島泊地の中枢施設にある通信室から飛んできた通信に呼び出された六名が港に集結し、出撃準備を整えながら待機している時の事だった。

 艦隊旗艦となった長門の表情は暗く、今にも泣きだしてしまいそうなくらいに瞳を波のように揺らしていた。

 

 展開された艤装を点検しながら何でもない風を装ってはいるものの、その表情に気づけないほど艦隊の仲間の目は節穴ではない。

 艦隊決戦の場に全力の一撃を叩き込むための補給物資を妖精の開発したドラム缶に詰め込み、艤装へ積み込む卯月達を手伝いながら、飛鷹が長門へと声をかけた。

 

「帰って来てからずっとその顔ね。提督は無事だったし指揮にも戻った――まだ他に不安があるの?」

 

「いいや、不安などないさ」

 

「へぇ。なら、いいけど。私はそう何度も聞いてあげないからね」

 

「う、む……」

 

 突き放しているようで、話すなら今だぞと誘導する物言いは飛鷹の癖のようなものだった。そうする事で言葉を引き出しやすくなる、また、相手も今しかないならと固く閉じた口を緩める。しばしばそれで本当に話さなくなる者もいたりしたが、飛鷹の言葉を継ぐ隼鷹の声が、確実に言葉を引き出す決め手を担うのだった。

 

「仄暗い気持ちで戦いたくない――とか言ってた奴の顔じゃないねぇ。長門、あんたの不安はこいつらにだって伝わるんだよ? あんたは旗艦なんだ。気になる事があんならぱっぱと言っちゃいな。提督が来るまでは待機なんだしさ。酒はないけど話は聞いてあげっから」

 

「……」

 

 隼鷹が示すこいつら、とは、駆逐艦の三人の事である。

 補給物資を積み終わり、ほい完了、と言って隼鷹が卯月と文月、皐月の頭を順々にぽんと撫でれば、彼女達は気まずそうな顔で長門を見上げた。

 

 彼女らとて艦娘で――如何に年端もいかぬ幼子の姿をしていようとも軍艦の端くれであり、これから戦地へ向かう仲間。

 隼鷹の言葉通り不安を伝播させ彼女らの戦意を削ぐような真似をしたくない長門の心理を上手くついた優しい言葉だった。

 

 艦隊旗艦――世界に誇るビッグセブン――長門の背に圧し掛かる名前が無用な不安や心配をまき散らすなどあってはならない。プライドが許さない。

 プライドに相対する行為である心情の吐露をここでするべきなのかも、分からない。なにせ長門は旗艦なのだ。常に強気で前を向いていなければならない事など言うまでもない。それこそが長門の在り方だからだ。

 

「……ヘリで柱島に戻る途中、提督の傷が開いてしまって、処置されるのを見たんだ」

 

 そんな言葉から始まった長門の話は、決戦前の静けさに覆われた柱島泊地の施設や港に漂う空気に滲んでいく。

 

「それを見て――多くの人々が倒れて、消えていくあの頃を思い出した。どうしようもない傷で、もう生きられない事を悟って、それでも戦って……最後の一瞬まで絶対に諦めてなるものかと猛る軍人を、思い出したんだ。懐かしかった。悲しいくらいに、遠い過去の事なのに、それがまた繰り返されるのかと……私は自分の無力を呪いたくなった」

 

 その光景を想像してしまった文月と皐月が、制服のスカートの裾をぎゅっと握りしめて俯いた。飛鷹は展開前の飛行甲板となる巻物を背負いなおすと文月達へと近寄り、頭に手を添える。隼鷹は卯月の頭頂に跳ねる髪を指でくるくると弄りながら「ああ」と相槌を打った。

 

「提督がな、話すべきことがあると言ったんだ。この戦いが終わったら……作戦が終わったら話したいと。その上で私達に決めて欲しい事があるらしい」

 

「決めて欲しいこと?」

 

 それってなぁに? と問う卯月を見て、長門は分からないと首を横に振った。

 

「分かっているのは、軍部を納得させたらしい事と、私達が受け入れるか否か、という話である事くらいで……詳しいところは分からん。だが……だがっ……」

 

 そこまで話したところで、途端に我慢ならなくなったように長門の瞳からぽろぽろと涙が零れた。駆逐艦のようにしゃくりを上げて泣く様に、さしもの飛鷹と隼鷹もぎょっとして長門へ駆け寄り、その背をさすって言葉を促した。

 

「うえっ!? お、おいおい長門、泣くなって、なぁ」

「出撃前にあなたが泣いてどうするのよ……ほら、どうしたの、続きは?」

 

「ていっ……とくは、ずっと、私達と一緒にいたいと、言ってくれたんだ……できる事なら、ずっと一緒にいたいと……痛みに苦しんでいるのに、でも、話してくれない事が……私はっ……!」

 

 嫌だった。たったそれだけの事が戦艦長門の心をこれほどに揺さぶっているのに、大した驚きはなかった。海原鎮という男が艦娘の心の奥深くまで浸透している証拠に過ぎず、良いか悪いかで判断すべき事柄でもなかったからだ。

 いずれにしろ、出撃前に全て吐き出してもらって、最低限戦えるようになってもらわねばならない。飛鷹と隼鷹の思惑は一致しており、二の句を促すよう話を繋げていく。

 

「軍部を納得させた事で、出来る事なら一緒に居たい……作戦が終わったら全部話す――まあ、そういうこったろうなあ」

 

 隼鷹が後頭部をがりがりとかきながら言えば、飛鷹は眉間に皺を寄せた。

 

「――十中八九、楠木少将についてでしょうね。軍部を納得させるだけの材料を揃えたって事は、二つに一つ……山元大佐や清水中佐のように籍を残して提督の部下に据えるか……さようなら、か」

 

 長門は何度も目元を拭い、なお落ちてくる涙を疎ましそうにしながら、うう、と唸って頷いた。どうやら飛鷹達と同じ結論に達していたらしい。

 

「あの人は、私達のためとなれば、きっと鬼にだってなる人だ……憲兵隊の一部が南方で発見された時の話だって聞いた……隊長である松岡に処理をさせようとしたけれど出来ず、ならば自分がすると言いだして……明石に止められ、思いとどまったと……だが今度の相手は楠木少将本人だ。提督とて万策を考えただろうが、あれは、全て、悟っているような……表情で……」

 

 そうして、軍議において幹部達を説き伏せた上で、覚悟を決めて鎮守府へ戻った――出現している深海棲艦達がありありと状況を物語っている。さようなら、を選んだのだと。

 この程度の事、わからいでか。話の一部を聞いただけでも予想できる帰結であると飛鷹は大きなため息を吐いた。隼鷹も同じく。

 駆逐艦達は不安そうなまま目を丸くしていたが、心のどこかではやはり、提督が苦しんでいて、長門が悲しんでいて、その理由が自分達がまったく関知しない遠いどこかで起きているという理不尽な現実そのものであり、複雑な戦争という現象であると分かっているために、戦うことに否定の意はない様子だった。

 完全にかかわりがないと言えば嘘になる。捨て艦作戦が海軍に蔓延ったのは間違いなく楠木という男の所業であるのだから。

 自分達は艦娘――命令を下されたのならば出撃しないわけにはいかない、それを知っていて事を起こしたのだから。

 

 しかし今はそれを拒否できる環境にある。きっと出撃したくないと言えば、提督は他の人員を見繕って出撃拒否した艦娘を休ませるなりするだろう。

 あってはならないが、あって然るべき――今、そんな場所に自分達はいる。

 

 その上で、国と、人を考え続ける彼のためならば私達は刃となる意思がある。

 

「提督に手を汚してほしくない。そんな甘ちゃんみたいな考えを口にするつもりは、ないでしょうね」

 

 飛鷹の厳しい言葉に、長門は頷く。

 口にするつもりはない、でも心ではそう思っている。飛鷹達にも分かり切ったことだったが、こうして否定し、考えそのものさえも持っていないかのように振る舞うことで戦意がどうか失われないようにと窮余の一策を講じるしかなかった。

 

 どうあがいても、これは戦争である。

 超常が大海原を跋扈し、己が存在に火薬を詰め込んでぶつけ合う戦争である。

 

「うーちゃんも頑張るっぴょん! だから、長門さん……い、一緒に頑張るっぴょん! ね?」

 

 お調子者で自由奔放な性格を有することで知られる卯月に気遣われた長門はうっすらと笑みを浮かべて返事する。

 卯月に続いて文月と皐月も同様に長門を励ました。

 

「あたし、難しい話とかよく分からないけど……司令官のために頑張るから! 長門さんのお手伝いもいっぱいするからさ!」

 

「ボクもだよ!」

 

 駆逐艦に励まされて情けなくねえのかよ、と冗談めかす隼鷹に、長門は涙を拭って今度こそ笑った。そうだな、と口にした長門の目元から新たな水滴は流れなかった。

 出来る事を全力でやるしかない。かの戦争を繰り返さないために、私は全力で戦うのだ。長門が、ぐっと拳を握りしめた時――港に、ざりざりと革靴が地面を擦る音が響いた。

 

 全員が振り返ると、そこには軍服に身を包み、覚悟を決めた顔の提督がいた。

 

「揃っているな――かなりの数を出撃させているが、現場は拮抗状態から抜け出せないようだ。指揮を執る大淀から通信が入らないところから、制空権の維持と雑兵で手が塞がっていると予測している」

 

 淡々とした声、作戦指揮を執るに相応しい冷静な態度。

 背後から駆けて来た山元大佐が提督に向かって「宿毛湾から第一艦隊と哨戒班の入港を確認したと連絡がありました! 宿毛湾にある修復施設で対応が可能であるとの事でしたが――如何いたしましょう」と声をかければ、提督は短く「修復を優先しろ。完了次第、鎮守府に帰還させてくれ」と返答する。

 山元大佐は小気味よい返事をして戻って行く。それを横目に見送った提督は艦娘達へと顔を向けた。

 

「……あー」

 

 冷静で冷淡な声のままだったが、提督が艦娘達を見て口ごもった事で全員の表情が硬くなる。

 作戦の遂行に困難が生じる予想をしているのか、それとも、この大規模戦闘を惹起した八代少将の事か、楠木少将の事か。どれも当てはまる状況に全員が喉を鳴らす。

 

「楠木の捕縛など二の次でいいが、この作戦において長門は必要不可欠な存在だ。私は長門の一撃が戦場を覆すと考えている――だから、全力でみなを助けてやってほしい。その長門を現場まで安全に送り届けるため、飛鷹と隼鷹には道中で深海棲艦が出現した場合、二人で処理をしてもらう事になる。無茶を強いるが、どうか頼んだぞ」

 

 戦艦の一撃が戦場を覆す――違和感が残らないはずもない。

 既に金剛型の四人がいるのに、もう一人が戦線に加わっても、優勢になれど覆すなど――長門本人が一番に理解しており、どうしてと問わずにはいられなかった。

 

「提督、どうして、私なんだ」

 

「……理由は多くある」

 

 提督はそれだけで黙り込んでしまい、軍帽のつばを指で挟んで目元を隠すように深く被った。

 

「聞かせては、くれないのか……?」

 

「これは作戦終了後に、私が話したいといった事に関連する――だから、話の前後が無ければ理解出来んだろう」

 

「それでも――っ」

 

 私はあなたの口から聞きたいのだ、という長門の懇願に、提督はさらに俯いた。

 迷っているのは自分達だけではない。提督だって軍議で多くの幹部を納得させてきたのに、その上でさらに艦娘まで納得させろと迫られているようなもの――ただでさえ大怪我をおして戻って来た彼を追い詰めたいわけではないが、聞かずにはいられないというジレンマが彼女達を気まずくさせた。

 

「……一部だけ、話そう。だが一部だ。長門、お前は病室で、俺を信じると言ってくれたな。だから俺もお前達を信じて話す。続きはお前達が帰って来てから話すと、約束しよう」

 

 生還前提の約束を否定する者などおらず。艦娘達は黙り込む。

 

「私はお前達を知っている。それはここに来たばかりの時にも言ったが――私は、深海棲艦の事も、知っているのだ」

 

「どういうこと……?」

 

 長門や飛鷹達は黙っていたが、皐月が純粋に問うてしまう。

 その続きは作戦が終わらねば聞けないのではと思っていたが、提督は皐月の目にやられたという風に息を吐き出して言った。

 

「……艦娘の事も、深海棲艦の事も知っているのは――私は全てを見ていたからだ。だがここでは勝手が違う。しかし知識があるのと無いのとでは雲泥の差が生じる。私はそれを以て軍部の者達から信用を得て、お前達の指揮を頼まれた。長門も、飛鷹も、隼鷹も……皐月も卯月も文月も、昔は軍艦だった、違うか?」

 

「そりゃ、そうだけど……」

 

 隼鷹が戸惑った声を上げる。

 

「私はかつて、歴史をなぞっていた。深海海月姫というのも、空母棲姫と戦艦棲姫というのも、駆逐古姫というのも私の記憶にあり、知識にある存在だ。その中でも深海海月姫については長門に深く関係しているからこそ、お前を選んだんだ」

 

「私が、関係して、る……?」

 

「――クロスロード作戦を覚えているか」

 

「……」

 

 長門はぽかんとしていた。何を言っているのか分からない、という顔でもなく、何故それを知っているのか、という顔でもない。ただただぽかんとしていた。

 それがどういった意味なのかを考えても、長門の頭の中にはまばゆい光ばかりが思い出されて要領を得ない。

 

「長門、酒匂、プリンツ・オイゲン、サラトガ……その他多くの軍艦を標的とした核実験があっただろう。深海海月姫は――そのクロスロード作戦に参加していた、正規空母サラトガの可能性が高い」

 

「ぇ……?」

 

 

* * *

 

 

 なんで提督がそんな事を知ってるんだよ!

 隼鷹ならばそれくらい言うかもしれないという飛鷹の不安は杞憂に終わった。

 彼女は長門と同じような表情をしていたからだ。

 

 飛鷹とて問いたい気持ちでいっぱいだった。しかし前置かれた「帰ったら全てを話す」という提督の言葉を無下にも出来ずに、胸中に濃い靄がかかる。

 

 全てをここで話さなくとも、何故、未確認の深海棲艦たる深海海月姫を海外の艦娘、正規空母サラトガと見ているのかは聞いてもいいだろうと口を開く飛鷹。

 

「どうして、深海棲艦がサラトガなの……? サラトガって、確か――」

 

 飛鷹の声に隼鷹の声が重なる。

 

「アメリカから日本に来た艦娘だったろ。艦政本部の本部長と一緒に深海棲艦の研究をしてるはずだ」

 

 らしいな。

 そう言った提督は手袋に包まれた左手で顎を撫で、右手をポケットに突っ込みながら話した。

 

「深海棲艦についてはいくつも説がある。過去の怨念とやらが表出した形が深海棲艦であると言う者もいたし……怨念にとりつかれた艦娘であるという説も、それらを複合した説もある」

 

「えっ……!? ま、待ってくれ提督! わ、私達艦娘が深海棲艦と同じ存在だと言いたいのか!?」

 

 長門が思わず声を荒げるも、提督は動じることなく言葉を紡いだ。

 

「ありえない話ではない。しかし私にとって重要なのはそこじゃない」

 

「重要だろう! わ、私達が、深海棲艦と同じなど――!」

 

 既に艤装を展開して海に浮いている状態の長門は、ざざ、と岸壁へ寄って提督を見上げる。

 提督は痛みに一瞬だけ呻きながらも、その場にしゃがみ込んで片膝をつき、長門へ目線を合わせるように顔を向けた。

 

「重要では、無いのだ。これは私の見解だが、どうか聞いてくれんか」

 

 覚悟を決めた顔のままで、あんまりに優しい声音で言われては長門もさらに声を荒げるなど無粋な真似はできず、形になった言葉を口から吐き出せないままに、でも、いや、と分解されたような言葉にしてぽつぽつと言った。

 飛鷹達も駆逐艦の三人も衝撃的過ぎる提督の言葉に硬直したまま、続く言葉を待った。

 

「人は争うものだ。時には非道な方法で傷つけあい、多くの理屈を並べて言うのだ。これが私の正義だと。そして、相手も同じ事をする。争っている時、相手に向かってこう言うのだ――お前は敵だ、と」

 

「それは……っ」

 

「なにも高尚な正義を説くために話しているのではない。何度も言うが、これは、海原鎮という男の考えに過ぎん。深海棲艦は人を襲い、傷つける。故に倒すべき存在である。ああ、その通りだ。異論はない。同意だ。私は今や柱島泊地を任された提督であり、日本海軍の大将という立場にある――ならば部下であるお前達を守る義務があり、人を守らねばならない責務がある。だから、艦娘だ、深海棲艦だ、というのはあまり重要ではないのだ。有り体に言うならば、これが私の仕事なのだ。もっと言えば……日本を守ろうというお前達を守るのが、私の仕事だ」

 

「ぅ、く……でもっ……!」

 

「長門。考えて見てくれ――私には、お前達の知識と、深海棲艦の知識があるのだぞ。そんな私には、お前達のような頼れる部下がいる」

 

 提督は手袋を外してポケットにねじ込むと、長門の顔へ両手を伸ばして頬を包んだ。

 

「深海海月姫を――サラトガを、救える可能性があると言うことなのだ」

 

「――!」

 

 全員の表情に変化が現れた。

 驚愕だけにあらず、そこには疑念と――希望があった。

 

「クロスロード作戦に参加した艦という繋がりから、長門の一撃であれば深海海月姫を撃破出来る可能性は高いと見ている。私らしく言えば、長門は特効艦だな」

 

「えっ」

 

 長門の口から空気が漏れる。

 

「とっ――特攻!? 待ちなよ提督、流石に聞き捨てならないよ特攻なんざ!」

 

 隼鷹がざばざばと乱暴な足取りで港へ近寄れば、提督はしまったという顔で長門の頬から手を離して両手を振る。

 

「待て待て! 勘違いさせてしまったな! とっこう、などと言えばお前達ならばそう受け取ってしまうと考えられたのに……配慮が足りなかった、すまない。私の言うとっこうは、攻撃とは書かん! 特別な効果をもたらす艦と書いて、特効艦だ!」

 

 説明するから、と軍帽を被りなおした提督は、片膝をついたまま全員を見回して話した。

 

「紛らわしい言い回しですまないが、特効艦とは知識にあるものでな。クロスロード作戦の標的となった軍艦である長門とサラトガには深い繋がりがある。単純にそれだけで凄まじい効果があって攻撃が通りやすい……という知識だったが、今は少し違う考え方をしているのだ」

 

 提督は再びポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。

 ――妖精である。指につままれ、ぷらんとした状態の妖精は恰好とは裏腹に凛々しい顔つきをしていた。

 それが場違いに面白くて毒気が抜かれてしまった面々は、余計な事を考えず、提督の話を聞いてみるべきだろうと心を落ち着けていく。

 ぱっと手放された妖精はどこからか手品のように羅針盤を取り出して、駆逐艦達のもとへ飛ぶ。

 

「深海棲艦と艦娘が同じ存在であるかもしれないのも、ここからきているのだが……恨みか、憎悪か……私には想像し得ないナニカに囚われているものが深海棲艦で、それらから解き放たれた姿が艦娘であると見ている。だから、クロスロード作戦に参加したお前とサラトガの深い関係に意味があり、彼女を救えるのではないかと考えているのだ――もちろん、それ以外の理由もある」

 

 長門が見つめれば、提督は嚙みしめるように言った。

 

「私の心を救い、地獄のような闇から解き放ってくれたお前達の事を――信じているからだ」

 

 飛鷹が「なによ、それ」と言って、隼鷹が「かーっ、なんだよそりゃよ」と飛鷹に同調する。その顔は、暗いようには見えなかった。

 一方で駆逐艦達は、虐げられていた頃とは真逆の言葉に目を輝かせ、感情を受け止めるのに精一杯の様子で互いに顔を見合わせて何度も頷きあっていた。

 

 長門は――

 

「……信じて、くれるのか」

 

 ――今度は涙などではなく、眩い光で瞳を揺らしていた。

 

「当然だ。お前達の言うことなら空が落ちてくると言っても信じるだろうな」

 

 はは、と笑った提督は気恥ずかしそうに帽子を目深に被ろうとしたが、長門は手を伸ばして提督の腕を掴み、両手を包むように握って大きく息を吸い込んだ。

 

「提督の話も、信じるよ。帰ったら聞かせてくれるのだろう? その、全てを」

 

「……ああ、きっと驚くぞ。荒唐無稽なんてものじゃない、嘘も甚だしいと皆に怒られるかもしれん。もしかすると、嫌われてしまうかもな。だが、絶対に話すと約束する。お前達には、嘘なんて吐きたくないからな」

 

「――そんな事はないさ。きっと、皆……」

 

 受け入れてくれるに決まってる。

 しかし長門はそこまで口にせずに顔を伏せて数秒、よし、と声に出して提督の手を離した。

 

「歴史を見てきた、か……なら、私の事を何でも知っている、というのか、提督は」

 

「何でもじゃないさ。分からない事の方が多い。だからこれからたくさん教えてくれ。俺の知らないお前達を。歴史を塗り替えるお前達を」

 

「……なら、一つここで歴史を塗り替えよう」

 

 長門は岸壁からある程度まで離れると、ざ、と優雅に、それでいて雄々しく振り返った。

 傾きかけた陽光に水飛沫を輝かせながら、鈍色の艤装を照り返し、腕を組んで提督を真正面から見つめる。

 

 塗り替えるとは、作戦を成功させるという意味だろうか? と考えていた提督だったが、そんな事は大前提だと言わんばかりの長門の表情に、不思議そうな顔を向けた。

 

「私と陸奥はかつて、無為な時間をここ柱島で過ごすことが多かった。伊勢達や、扶桑達も同じ、無為な時間を多く過ごした。そんな私達は柱島艦隊と言って揶揄されたりもしたんだ。知っているだろう?」

 

「長門……お前、それ……」

 

 提督が腹部を押さえて立ち上がり、目を見開く。

 

「扶桑や伊勢達に続いて――今度は私が出るのだ。この長門をよく見ていてくれよ、提督」

 

 ああ、ああ、と頷く提督は力強く言った。

 

「柱島艦隊、旗艦長門! 本作戦海域にて目標、深海海月姫を――救出せよ!」

 

 長門が長い黒髪を揺らして背を向けるのに続き、飛鷹と隼鷹がばさりと袴を潮風に翻して背を向ける。

 駆逐艦卯月が元気よく「頑張るっぴょん!」と言えば、文月と皐月が「うーちゃんは締まらないなぁ」と笑い、同じように背を向けた。

 

 柱島艦隊の背中は――海原鎮の目にどう映っているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――戦艦長門、出撃するぞ! 続け!」

 

 そうして彼女らは、海を往く。



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九十九話 真心【大淀side・サラトガside】

 長門が戦線に加わったことにより、流れは大きく変わった。

 良い方か悪い方か、どちらとも言い難い方向へ。

 

【オチロ……!】

 

 空母棲姫から放たれる艦載機と呼んでよいのかすら分からない球形の飛行物体は、金属質な外殻からは想像もできない生々しい口を開き、目と思しき部分を光らせてキィキィと鳴きながら黒く煙る空を舞う。

 また、それとは別に鋭利な形状をした敵機は自壊を厭わず特攻し、一航戦や二航戦の艦載機と衝突して爆炎を噴き上げた。衝突の寸前に妖精が艦載機から脱出してふわふわと落下傘で海上へ落ちていくのを、すかさず別の艦載機が引っ掛けるように助け、一航戦達のもとへ送り返す。

 空母達はその場で補給をしながら、海上にある飛行基地と化して発艦し続けるも、深海棲艦の放つ敵機を徐々にしか押し返せない。

 

 それでも押し返しているとも言えようが、相手はたったの二隻なのだ。

 

 楠木少将は心臓を握りつぶされてから戦艦棲姫に突き放されたのだが、沈むわけでもなければ、ぼうっと佇み空を見上げて「全部、完璧ダッタノニ……ドウシテ、オレハ……独リニ……」と言い続けるばかりで、地獄となった海域に取り残されている。

 示し合わせたわけでもないのに、深海棲艦と艦娘がぶつかり合う戦場で楠木少将の周りだけがぽっかりと空間を作っており、時折横切る駆逐級深海棲艦とぶつかっては膝をついてしまうが、立ち上がって、また空を見上げる。

 

 大淀の目には、それがあまりにも虚しく、悲しく見えた。

 

 大淀以外の艦娘は戦闘に集中しており、誰一人として彼を見ている者はいない。

 

 その彼女でさえ、通信を統制し続けながらやっとのことで繋がった柱島泊地の通信室へ戦場の音声を届けるので精一杯で、視界の端にちらつく楠木少将を認識はしている、という程度。

 

「こちら大淀――長門さんの到着を確認しています! 現在、深海海月姫の損傷は中破! このまま戦線を維持すれば撃破出来る可能性は高いです――! しかし、物資消費も相当で、合流した艦隊の分を含めると……!」

 

《――こちら柱島。大淀、決して油断するな。敵を一塊にせず空母は切り離し続けろ。海月姫は長門に引き付けるんだ。長門の艦隊は別途物資を持たせてある、お前は空母機動部隊と水上打撃部隊の消耗だけを気にしていれば問題無いだろう》

 

「……了解!」

 

 戦闘の最中、長門から聞いた言葉に大淀は不安を抱いていた。

 全てを知っているような口ぶり、そして提督が長門達に伝えたらしい、彼女の口から聞かされた――深海海月姫の救出という新たな任務。

 

「提督は海月姫を正規空母サラトガだと知っていたんだ! 彼女を助けられると言ったんだ! 私ならば――!」

 

 大淀が戦場に来て、楠木少将を前にして、名を聞いてやっとのことで辿り着いた答え。

 提督はとうの昔に通り過ぎていた――ここまで来ては神算鬼謀などという文言では表現しきれない。

 さらに物資の消費速度まで見越していたように、一切の無駄がない。

 

 大淀の予測では、このままいけば物資が底をつく前に――勝てる。

 

 しかしそれこそが、大淀の不安だった。

 勝利への道筋が見えてきた戦場。地獄でありながらも、自分達に全てが傾いているかのような流れに違和感を覚えずにはいられなかった。楠木少将の捕縛も二の次でいいと長門に言っていたというのだから、軍部を説得したらしい提督の本気というものがここに体現されているのだとひしひしと感じる。

 

 ではどうして不安なのか――前にも感じたように、戦場として完成され過ぎているのだ。

 それが嫌であるとか、恐怖を感じているわけではないが、この場にいる自分を含めた全員が一つでも予想から外れるような動きをすれば何もかもが壊れてしまうような危うさを感じてしまう。

 勝利への一歩を踏み出したい気持ちと同じくらいに、この一歩が正しいのかと自らを疑う心が大きくなる。

 

「っ……――水上打撃部隊へ告ぐ! 戦艦棲……い、いや、駆逐古姫、を……」

 

 どちらを先に倒すべきだ。

 

「大淀さぁん! どっちぃ!? あっ……ぶない――!」

 

 島風が一瞬だけ動きを緩めて大淀に問うた瞬間、敵の砲撃が彼女の付近へと落ちて水柱を上げる。

 速力のある彼女は水柱から即座に距離を取って相手へ牽制の魚雷を放った。

 

 島風のみならず、今度は時雨が「戦艦からかい!?」と問う。大淀は返事をしようとしたが、迷いが生じて「せんっ……かん、か……うぅ……っ」と瞳が戦艦棲姫と駆逐古姫を追う。火力で言わば戦艦棲姫を先に叩くべきだが、駆逐古姫の素早い動きと、戦艦棲姫には及ばずとも駆逐と呼ぶには高すぎる火力と、隙を生じさせぬ雷装からの攻撃は無視できない。

 火力で押し切るならば小破であろうとも金剛型の四人で一気に叩くべきだ。徐々に削っていては空母機動部隊の物資が先に尽きてしまう。金剛型を戦艦棲姫にぶつけたとして、駆逐古姫と湧き続ける深海棲艦を水上打撃部隊の第二艦隊に任せるべきか? いいや、火力が間に合っていない。

 北上、大井、球磨、多摩の軽巡洋艦の四人がかりならば駆逐古姫を安全かつ一方的に攻撃出来るが、そうすると島風と時雨が多くの深海棲艦を相手にしなければならなくなり、島風ならば回避に重点を置いて隙を探れば良いが、時雨の速力では避けきれないだろう。乱戦になっているからこそ、彼女は戦えているのだ。それに、やはり火力が足りない。

 

 空母機動部隊の第四艦隊を引っ張って水上打撃部隊に加えるか? とも考えた。

 目だけで確認しながら数秒、数十秒、果ては数十分後まで予測するも、空母が危険に晒されてしまうと思考が止まる。

 空母機動部隊についている伊勢と日向は空母棲姫がゆらりと不気味に動いて近づこうとするのを牽制しているし、第四艦隊の摩耶と羽黒、陽炎と不知火、神風は敵機を撃墜していて川内は中破。制空維持に貢献している第四艦隊を水上打撃部隊へ割いてはせっかく優勢に傾いている制空を奪われてしまうだろう。

 

 手札がない。

 

 かと言って水上打撃部隊のジリ貧が続けば金剛型四人の小破もあって損害が拡大しかねない。

 新戦力たる長門が海月姫を引き受けてくれたが故の航空優勢。長門が連れて来た駆逐艦の文月、卯月、皐月も十二センチ単装砲以外は長門の物資しか積まれていないため、長門の補助は出来ても戦力として投入するには危険すぎる。

 せめて戦艦棲姫と駆逐古姫だけならば――たらればが頭を埋めていく。

 

 手札が、ない。

 

 提督が送り込んだ長門達を加えてこの戦線であるというのに、完璧にしか見えないのに、勝利への道は見えているのに、どうしてギリギリなんだ……?

 提督が落ち着いているのは、どうしてなんだ……?

 

《――大淀、焦るな》

 

「提督……っ!」

 

 大淀は無意識にどうすればよいのか考えている内容を口にしていた。

 通信越しに聞いていた提督からの低い声にハッとして眼鏡のつるへ指をあてながら返事するも、焦燥感は募るばかり。

 

《……勝負は一瞬だ。ほんの一瞬なんだ》

 

「勝負は、一瞬……」

 

《たった数秒かもしれん。お前ならば必ず出来る。そう、私が――》

 

 保証する、と大淀の頭に浮かんだ言葉は、塗り替えられた。

 

《――信じている》

 

 大淀は目を見開き、戦場の様相と真逆に、思考の海が凪いだのを感じた。

 この戦場を聞いていて、提督はきっと知っていて、それでいて信じていると?

 

 私達の性能を見て勝てると思っているのかもしれない。もしくは、これだけの大艦隊をぶつけているのだから勝てるというどうしようもない、前提督のような考えをしているのかもしれない。

 そんな邪な思考から、冷静な思考まで、あらゆる考えがまっさらになって、海色に溶けて消えてしまった。

 

「……水上打撃部隊に告ぐ! 攻撃を中止し、回避運動を!」

 

「はぁ!? 何言ってるのよ大淀さん! 正気なの!?」

 

 大井の声に「正気です!」と返した大淀は、通信越しの提督と山元大佐の会話を耳にしながら、目を細めた。

 

《閣下、本当に大丈夫でありましょうか……!》

《どこに問題があるんだ? 大淀は連合艦隊旗艦だぞ、任せておけばいい》

 

 周囲には投げやりに聞こえるかもしれないが、大淀には――自ら踏み出せと聞こえた。

 故に大淀は地獄の底みたいな戦場で息を殺し、自分の言う通りに動いてくれる水上打撃部隊に感謝しながら、ざあざあと後退して戦場全体を見渡す。

 

 轟音と黒煙の支配する海を見て――まだ、まだ、と光を探すように目を忙しなく動かした。

 

 右舷前方に駆逐艦、左舷には軽巡洋艦、数えるまでも無く一目で劣勢と分かる数だが、もれなく全員が眼前の敵を撃ち沈めるのに意識を持っていかれているため、大淀に砲撃は飛んでこなかった。

 大淀の凪いだ思考から徐々に波が生まれる。

 

 大淀型軽巡洋艦一番艦――彼女は不穏を察知する能力に長けていた。

 かつての戦争では補給もままならない状態で空襲を回避した。

 時に爆弾を二発、至近弾を受けたりもしたが、全て不発だった豪運もあった。

 

 今、ここで――()()()を超える戦果を挙げる――。

 

 回避に専念する第一、第二艦隊に向かって「第一艦隊は梯形陣を! 第二艦隊は警戒陣のまま第一艦隊の砲撃範囲から抜けて周囲の深海棲艦を引き離してください! 空母機動部隊の皆さんは艦上戦闘機の発艦を続けて――! 伊勢さん、日向さんは航空隊の前へ!」と大淀が怒鳴った。

 

 何故通信ではなく声で? そんな疑問を投げかける刹那の時間すらなく、全員が連動する。

 戦艦棲姫と駆逐古姫が水上打撃部隊の動きに反応し、大淀を横目に見てにやりと笑った。

 

 そうやって誘導するつもりか。ならばこちらは逆の逆を突いて、お前を襲ってやろう。

 ぎしり、と戦艦棲姫の恐ろしい姿をした艤装の砲身が大淀に向き、駆逐古姫がゆっくりと動きを合わせる。

 

 水上打撃部隊はその時になってやっと大淀の策に気づき、同じくして空母機動部隊の面々も大淀が何を待っているのかに気づき、凄まじい鉄の嵐の中であるというのに、笑みを浮かべる。

 深海棲艦達はその笑みに怒りを露わにして猛った。

 

 そして、時が来る。

 

【シズミナサイ!】

 

 戦艦棲姫の絶叫。

 

【ヒノ……カタマリトナッテ……シズンデシマエ……!】

 

 空母棲姫の怨嗟。

 

【ナンデサ……ナンデ アキラメナイノヨォ……!?】

 

 駆逐古姫が艦娘達の希望に光る瞳に戸惑う。

 それから――砲撃音が止んだ。

 

【ナッ……!?】

 

 それは非常に単純な事だった。周囲に湧き続ける深海棲艦も、戦艦棲姫も空母棲姫も、駆逐古姫も、隙が生まれたのならば最大火力を以て撃滅しようとする。ともすれば、激しい砲雷撃戦、繰り返される発艦に装填という行為が間に挟まる。苛烈極まる戦場であるからこそ、轟音に紛れて互いが無意識に行っていたそこに――大淀は勝機を見出したのである。

 彼女は、あえて相手に対して一斉に装填させる隙を作ったのだ。

 それに気づいて回避に専念していた艦娘達は既にいつでも反撃が出来るようにと、回避しながらに装填を済ませていたのだった。

 

「そう――これが本当の大淀型の力よ!」

 

 戦艦棲姫の背後で、じゃりん、という音がした。金剛型の四人の砲身が向いたのだと知るのに、振り返る必要は無かった。

 空母棲姫の真横で、がこん、という重苦しい音がした。伊勢と日向の突き刺さるような戦意が向いたのだと知るのに、やはり動く必要は無かった。

 駆逐古姫の周囲で、艤装が稼働する多くの音が響いた。火力の心許ない、我が装甲を貫けないはずの軽巡洋艦や駆逐艦に油断してしまったのだと気づいた時には、もう自らに残された道は無かった。

 

 切り離されて戦闘を行っていた海月姫さえも、長門達によってあっという間に追い詰められ――提督の言う通り、まさに一瞬で互いの運命が決まった。

 大淀が十五.五センチ三連装砲を構える。

 

 

 

「全砲門――よーく狙って――」

 

 

 

【ナンドデモ……クリカエス……カワラナイ…カギリ……!】

【ダメナノネ……】

【ク、ソ……艦娘ドモメ……!】

 

 

 

「てぇえええええええっ――!」

 

 

 

 真昼のような光が、辺りを包んだ。

 

 

* * *

 

 

「コレデ……コレデ、イイノカモシレナイ……ワタシハコレデ……ホントウニ、ネムリニ……」

 

 長門から放たれた砲撃に倒れながら、私は日本の艦娘達が何かを叫んでいるのを聞いていた。

 肌を焼いていた得体の知れない青い炎や、引き攣るような半面の感覚が溶けだしていくような心地良さに安堵しつつ、一抹の悲しみを重りにして暗い暗い水底へ沈んでいく。

 私の周囲で、多くの深海棲艦が同じように沈んでいくのが見えた。

 

 苦しそうに藻掻きながら沈んでいく空母棲姫と呼ばれた深海棲艦や、巨大な手に全身を委ねたまま眠るように沈んでいく戦艦棲姫。

 片腕の艤装がばらばらに砕けて、その破片を追うようにして沈んでいく駆逐古姫をぼうっと眺め、海面を見上げた。

 

「コノ、ヒカリ……」

 

 過去の記憶が掘り起こされた私は、どうして長門がやって来て、私を沈めたのか理解した。

 いいや、理解したつもりになっただけかもしれない。人々を守るために、国を守るために最後の最後まで身を捧げた長門のことだから、私が過去に泥を塗る前に沈めてくれたのかもしれないと考えた。

 

 しかし、そうすると、最後の砲撃の轟音に紛れて聞こえた言葉が引っかかる。

 

「目を覚ませ」

 

 彼女は確かに、私に向かってそう言った。目を覚ませなんて言いながら撃つなんて、酷い人だわ。

 おかしく感じてしまった私は脱力した笑みを浮かべながら、どんどんと沈んでいく。

 

 計算し尽くされたような完璧な布陣だった。眼鏡をかけたあの艦娘が考え出したのか、元々そういう作戦だったのか、今となってはもう分からない。

 互いの砲撃が当たらない位置、維持され続けた制空権。最後の一撃を放つ、あの一瞬まで保たれた緊張。

 艦載機の残弾までも数えていたのかと疑うくらいにぴたりと止んだ音に感動すら覚えた。

 あんなに静かになる戦場があったのか、と。

 

「……デモ」

 

 もう少し、艦娘でいたかった。そんな思いが去来する。

 脳裏をかすめる艦娘になってからの記憶は美しくもあり醜くもあった。

 

 ()()()はどうしているだろう? ゆるゆると首を回して姿を探せば――私と同じように沈んでいく彼の姿が遠くに見えた。ああ、あんなに離れていたのね……そう考えながらも、私の手は伸びてくれずに、ゆらゆらと揺れるばかり。あれだけの砲撃なのだから、巻き込まれていて当然だ。

 人々を救おうと研究していた彼はどうしてああなってしまったのだろう。

 

 私が、愛してしまったからいけなかったのだろうか。

 

 艦娘が人を愛したから、世界が怒って私と彼を引き裂いたのだろうか。

 

 それとも――私は最初から愛されていなかったから、こうなったのだろうか。

 

 まとまりのない想いの形がぶつかり合っては消えていく。

 

 出会った頃の彼は機械的で、ただ艦娘と深海棲艦を研究し、人類の存続を考えていた。

 私も仕事と割り切ってパイプ役に徹していたが、ひたむきに仕事に打ち込む彼の姿が素敵だと思ったのが、始まりだったか。そこから母国と日本のパイプ役というよりは、彼の補佐として付きっきりになって、それから……それから、どうしたっけ。

 

 約束を、した気がする。

 

 あれは確か、深海棲艦の通信方法を探る研究の際に出来上がった受信機の説明をしている最中で、私がたわいない言葉を発したのが最初だった。

 

 静かで綺麗な海を見てみたいんです。

 いつも海の上を走っていたけれど、今は足があるから――今度は歩いてみたいの。

 

 彼は私に、渚を歩きたいのか? と問うた。渚の意味が分からなかった私は、受信機の説明をしていた最中だったのに辞書を探し出して調べたりして。

 

 いつか歩けるようになる。深海棲艦のいなくなった世界で、好きなだけ歩けばいい。

 

 私はそう言った彼の微笑みに心を奪われたんだ。

 

 なら、その時はあなたと歩きたいわ、と言ったんだ、私は。

 

 はっきりと思い出した時、一抹の悲しみが膨れて、重みを増し、水底へ沈んでいく速度が上がった。

 ぐ、っと全身にかかる力が、私の中に残っていた空気を全て押し出していく。綺麗な水の泡が上へ上へと昇って行くのを見つめ、全身の真っ白な肌が剥がれていくのを見つめ、これが終わるという感覚なんだと目を閉じた。

 

【サラ……サラ……】

 

「声……?」

 

 一度閉じた重たい瞼を持ち上げて辺りを見ると、沈みながらもこちらへやってこようと身を捩る彼が見えた。

 私は――

 

「……ごめん、なさい」

 

 ――動けないまま、声を紡ぐ。

 海の中なのに、苦しいのに、どうして声が出せているのかなんて考えもしなかった。

 ただ、彼を壊してしまったのは私かもしれないと、謝っていた。

 

【オレヲ……オイテ、イカナイデクレ……サラ……オレガ、スベテ……カン、ペキニ……】

 

「あなたは……最後まで、真面目なのね……」

 

 二度と悪夢を繰り返さないための研究だと言っていたのに。やっぱり、全部私が……そう考えると体がさらに重くなって、沈んでいく。

 

「ねえ、あなた」

 

【サラ……――】

 

 彼の姿が近づいて来て、もう少しで手が届きそうな距離だった。

 

「私のこと……愛してる……――?」

 

【アア……アイシ、テル……サラ……】

 

 嗚呼、これで少しは、私の心も――

 

【オマエガ、イレバ……シンカイ、セイカンモ……ゼンブ、ゼンブ、シズメラレ……】

 

「ぁ……な、た……」

 

 彼の手が私に届く前に、光の消えそうな暗い海中にあり得ない音を聞いた。

 けたたましいエンジンの音――風を切るプロペラが回る音――。

 

 私どころか、彼も驚いたように音のした方を見た。それは、深海からだった。

 

 どうして深海から音が聞こえて来たのかを考えるよりも前に、真っ白な手がいくつも伸びてきているのが見えて、死んだ身であるというのに恐怖した。あれらは私を捕まえようとしているんだと本能で理解したのだ。

 

 そんな真っ白な手を振り切るように、ぶわりと割って飛び出したのは――飛行機だった。

 

 深海から飛び上がって来た飛行機は優雅に泳ぐように真っ白な手の追随を回避しながら、空母棲姫や戦艦棲姫を横切り、駆逐古姫の真下を通ってこちらに迫って来る。

 

「あれは……!」

 

 私の声よりも速く迫った飛行機は、下部にある一本の脚のようなものを私のすぐ横にいた彼の身体にがつんとぶつけて飛び去って行くも、反転してまた迫って来る。

 その上さらに機体の上下を反転させており、がたがたと上部のコックピットが開かれようとしているのが見えた。

 

【マ、テ……マッテクレ……! オレハ、マダ……!】

 

 機体をぶつけられた衝撃で離れて沈んでいく彼を見た後、私は混乱しながらまた飛行機を見た。

 がしゃん、と海中に音を反響させながら開かれたコックピットから日本人らしき男が顔を出して、片腕を伸ばしたまま迫る。

 

 激しく回るプロペラに、古そうな機体のエンジンの発するチカチカとした光に続いて、海面からうっすらとしか届いていなかったはずの陽光が強くなっていくのを感じた。

 

「な、なに……が……何が、起きて……どうして、飛行機が……」

 

 私が空母だから、こんな夢を見ているのだろうか。

 これは走馬灯の一部が見せた幻なのだろうか。

 

 陽光が私の視界を奪っていく。

 飛行機から手を伸ばす男の顔すらも逆光で見えなくなっていくのが、いつか沈んだあの時みたいで、私は――

 

「この、光……私……」

 

 ――また、沈むのか。

 今度こそはっきりと、沈みゆく現実に恐怖を覚えた。

 彼からも愛されていなかったと認識した上での恐怖は孤独を伴ってより色濃く私を襲うようだった。

 けれど、

 

《ザッ……ザーッ……ザザッ……こちら長門! 提督! 海中から反応がある! 何かが浮上しているようだ!》

 

《警戒を解くな。何が起きても対応できるように構えておいてくれ》

 

《了解……!》

 

 声が聞こえて、いや、違う、ただの声じゃない。

 これは、通信だ。

 

 私の身体は沈んでいる途中で止まり、眩い光の中から手が伸びて来て、私は無我夢中でその手を掴んでいた。

 諦めていたつもりだったのに、本心では生きたかったのだろう。

 生きたところでどうすればいいのかも分からないのに、それでも私は、飛行機から伸びて来た手を掴んでいた。

 

 

「私だって……サラだって、まだ……――!」

 

 

 

「――よく言った。孫によろしく伝えてくれ」

 

 

 

「ぇ、あ……!?」

 

 

 力強く私の手を掴んだ男、もとい飛行機はぐんぐんと海面に近づいて――。

 

 

* * *

 

 

「ぷぁっ……! ゲホッ、ゲホゲホッ、カハッ……!」

 

 息が、苦しい。

 

「浮上を確認! 浮上を確認しました! 曳航の準備を! 物資補給部隊の皆さん、お願いします! 摩耶さん、深海棲艦の残骸が邪魔にならないように一緒に航路を確保していただけますか!」

「あ、ああ! ははっ、本当に助かりやがった……すげえなおい……どうなってんだよ、ほんっとによぉ!」

 

 身体が熱くて、潮の香りが、胸いっぱいに広がっていて。

 

「ハァ……ハァ……ケホッ……こ、こは……私、どうして、ここに……」

 

 耳に残る飛行機のエンジン音が、周りの声を鈍くしていた。

 ばしゃりと目の前で膝をついて私の肩を掴む、長い黒髪の艦娘と目が合う。

 

「聞こえるか? 分かるか!? 私だ……!」

 

「あ、なた……は……」

 

「どこか痛いところは無いか!? すまない、一度、沈めなければならないと聞いて……やむなく……だが良かった……もう大丈夫だ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「Nagato……?」

 

「ああ、そうだ! 私が長門だ! 艦娘になってからは初めて会うな、サラトガ!」



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百話 提督と艦娘

 浮上したサラトガを曳航する道中に深海棲艦が出現してきた、などという報告もなく、彼女らは任務をつつがなく終えた。

 急場をしのぐためとは言え、柱島泊地近海に出現した深海棲艦の撃滅に際して大艦隊が組まれた事は日本に波紋を呼ぶ結果となった。

 

 それよりも前に様々な要因があったが、八代少将が呼び出した軽巡棲鬼を皮切りに、世界中を襲った大侵攻と匹敵する規模の深海棲艦が撃滅された事は日本海軍を以てしても隠し通せるわけもなく、ならば国民を安心させるべく大々的に報道してしまえ、と連日連夜メディアを賑わせた。これは、海軍情報部の忠野の仕業らしい。

 仕業、というのも、艦娘達からしての見方であり、当の本人はニュースや新聞が自分の名前一色になっている事など知りもしないだろう。何せ彼は、トラック泊地周辺海域と寄港中の宿毛湾泊地から帰還した艦娘達を港で迎えると安心で糸が切れたように倒れてしまい、そのまま呉の軍病院に再び搬送されてしまったからだ。

 

「おかえり」

 

 この一言を言うためだけに彼は艦娘が戻って来るまでの数時間、港に立ち続けていたと聞かされた作戦に従事した艦娘達は、彼が軍病院で目を覚ます二日後まで気が気じゃなかった。

 佐崎という軍医が柱島泊地に逐次彼の状態を連絡して命に別状はないから安心しろと言っても、なお艦娘がソワソワとするものだから、早く指揮に戻って欲しいとボヤいていたとは、佐崎と共に彼の傍についていた陸軍の法務士官松岡中将の言である。

 彼が目を覚ますまでは海軍元帥と陸軍大臣の命令によって呉鎮守府、及び軍病院の周辺は首相顔負けの厳重警戒が敷かれ、二日間は物々しい空気が呉を覆っていた。

 一般車両が近くを通りがかっただけで止められて身分証明をさせられたというのだから、市民からしたらいい迷惑のような気がしないでもないが、呉に住む人々は身分証明を快く受け入れて、軍病院にて眠る男を心配していたという。

 これに驚いた警備にあたっていた憲兵達は改めてかの偉業がどれだけ異質なものであるかを再認識したのだとか。

 

 彼は忠野の言いつけた通り、日本海軍において比類なき戦果を挙げた。

 これをきっかけに彼の名を知らぬ軍人はいなくなった。

 海軍情報部によって多少の改変が加えられているが、地獄を生き延び、それに巻き込まれてしまったアメリカの艦娘を救った、ということになっている。

 海軍で一番の大規模作戦の指揮を執った男――その指揮下で鬼神もかくやと奮戦し、途方もない数の深海棲艦を全て沈め切った艦娘の存在は、不安を煽れど、それを超える希望となった。

 

 水上打撃部隊第一艦隊、旗艦、金剛。以下、比叡、榛名、霧島、鳳翔、足柄。

 同上、第二艦隊、旗艦、北上。以下、大井、球磨、多摩、島風、時雨。

 

 空母機動部隊第三艦隊、旗艦、赤城。以下、加賀、飛龍、蒼龍、伊勢、日向。

 同上、第四艦隊、旗艦、川内。以下、摩耶、羽黒、陽炎、不知火、神風。

 

 物資輸送部隊、旗艦、長良。以下、五十鈴、暁、響、雷、電。

 

 決戦艦隊、旗艦、長門。以下、飛鷹、隼鷹、卯月、文月、皐月。

 

 先行哨戒班、旗艦、天龍、以下、龍田、吹雪、敷波。

 

 先遣隊、南方開放第一艦隊、旗艦、扶桑。以下、山城、那智、神通、夕立、綾波。

 

 柱島泊地連合艦隊、旗艦、大淀。

 

 数にして四十七名の艦娘を動員した作戦が絶望を生むわけもない。

 

 日本海軍所属、艦政本部の元本部長である楠木和哲少将は深海棲艦生息地の特定のためにトラック泊地近海を調査中、第二次大侵攻に巻き込まれ戦死。同行していた正規空母サラトガは大侵攻を阻止すべく合流した柱島泊地の各艦隊と奮戦し、生還。

 楠木少将の研究は新たに本部長となった忠野中将に引き継がれ、問題無く続行されている――という事になっている。

 

 情報部と兼任しているところから勘の良い者ならば不都合を闇に葬るための人事であると分かるあからさまなものだったが、それらを言葉無くして黙らせる事が出来たのもまた、海原鎮大将と、彼の艦娘が打ち立てた戦果が成せる荒業と言えよう。

 

 忠野中将のみならず井之上元帥も、そして各メディアと通ずる広報部の橘中将もこれを真実であるとした。

 そも、そうしなければならない()()()()()()ため、渦中の艦娘であった深海棲艦研究派遣員であった正規空母サラトガもこれに同意し、真実であるとした。

 

 図らずも彼女は日本海軍の闇に巻き込まれてしまったが、同時に、日本海軍に融通を利かせられる艦娘の一人としてアメリカもこれに納得した形となる。

 一時的にでも帰国させては情報を抜かれてしまう危険性が高いと忠野は見ていたようだが、彼女は一切を真実としてそれ以外は知らないと貫き通しているという。

 サラトガの身柄がアメリカで宙吊りになってしまうことも無かった。

 というのも、深海棲艦研究員として彼女を引き取った研究者がいたからだ。その者は南方海域で海原鎮に救われた女研究者――ソフィア・クルーズという。

 

 これではまるでマッチポンプではないか、とアメリカ側の政府が疑念を抱いたのは言うまでも無いが、日本側の政府もまた自国の軍を否定していてはやり取りもままならないために、海軍再編を以てそれを納得させるしかなかった。

 手のひらを返されないためにと戦力の派遣も辞さない構えを示し、日本政府は諸外国に対して綺麗な言葉をたて並べて海軍へそれを押し付けたのだった。

 しかし井之上元帥はこれを是とし、再編するにあたって嫌疑から軍規の違反が確定した軍人を尽く前線へ送った。もちろん、そこに善悪の感情など一切無い。

 

 海軍元帥の立場から言わせれば、二度と過ちを犯しませんと誓った軍人達に対して慈悲をかけたに等しい行為なのだ。ならば前線で戦い、生きて帰って来いという猶予である。その上で、戦地で起きた事象の全てに対して自身が責任を負うとした。

 情報部が闇に葬った凄惨な事件も、彼が背負うべきであるからして、甘い汁を吸うために艦娘はおろか国民を裏切った者達の手綱を握ったのである。

 一度でも噛みつかれたら最後、井之上自身が稀代の無能として晒し者になって未来永劫、国賊として語り継がれてしまうであろう事も承知の上で。

 

 かくして、日本政府にとっての海軍のイメージは損なわれたが、失墜を免れた。

 自国の軍人の一部が諸外国と軋轢を生むどころか戦争になりかねない研究を秘密裏に続け、その爆弾が国を崩壊へ導きかけたのだ。煮え湯を飲まされるどころの話では無い。一方でそれを抑え込める戦力がある事も確認できた故に、一切合切を呑み込むしかなかったのもまた事実。

 家族を失った楠木という男の自我が生んだ孤独を恐れる気持ちと、悲しくも賢しい完璧主義がもたらした一連の事件は、こうして幕を閉じたのだった。

 

 世の中とは上手く出来ているもので、それを有能な者達が回すのだから釈然とせずともやはり呑み込むほかない。決して日本政府が無能ではなく、事態があまりに大きすぎたのである。アメリカや日本、諸外国といった枠組みではなく――人類の存続にまで発展したのだから。

 

 海軍の再編成――艦政本部の体制の見直し――所属している艦娘達の教育機関、並びに再編に伴う人員募集――さらには艦娘のみならず再編するために入って来る新たな人材を教育する手法さえも大きく変わり、訓練校が日本各地につくられる計画まで持ち上がった。異例のスピードで変わっていく海軍に、国民は称賛半分、不安半分といったところである。

 

 

* * *

 

 

 さて、目下の大規模作戦は大戦果を挙げ成功に終わったが、海原というしがない男の物語はまだ終わっていない。むしろ、ここが最大の山場というべきであろう。

 呉の軍病院から退院するのに丸一週間かかった。

 入院中は回復に集中させるために面会謝絶となり、軍関係者も元帥の許可を得た将官以外は様子を窺う事も出来なかった。元帥はたったの一度だけ柱島泊地の艦娘代表としてやってきた軽巡洋艦大淀の面会を許可したが、彼女は病室のベッドに横たわる海原の顔を見てすぐに帰ったという。

 

 佐世保鎮守府所属の軽巡洋艦阿賀野の艤装爆発に巻き込まれ、その破片の除去に開腹手術までしたのだから一週間の絶対安静は当然たる結果だが、軍医曰く「手術後一日で指揮に復帰して数時間も潮風に晒されたまま直立不動だったのだから、気絶で済んでいる事がおかしい」との事。その軍医の横で訳知り顔の山元大佐は「自分ならば一か月は寝込む」と大きく頷いたとか。

 ところで、艤装が爆発してしまったという当の阿賀野はどうなったのかと言うと、事故の件もあり保護という形で大本営に引き取られる形となった。

 佐世保鎮守府に所属している艦娘には阿賀野は無事だと説明した上で八代少将の運営についての聴取を行うと同時に、広報部の橘が一時的に預かる事で佐世保鎮守府に広がる混乱の鎮静化を図っている最中である。

 

 閑話休題。

 

 軍病院から呉鎮守府を経由して、軍部の大人数を伴って帰って来た海原鎮は――たった今、柱島泊地にある中枢施設内の講堂に立っている。

 海原の後ろには井之上元帥のほか、ずらりと軍部の男達が白色の眩い礼装で背筋を伸ばして立っており、一歩前に立つ海原鎮もまた胸に多くの勲章を輝かせた軍服姿で立っていた。柱島泊地にて勲章の授与式の()()をとって、災禍の中心となった柱島泊地の艦娘達と彼の間に横たわる問題の解決に踏み出したのである。

 

 背後の堂々たる顔つきの軍人達とは裏腹に、海原の表情は曇っていた。

 

 講堂に集められた総勢百を超える艦娘達の視線は海原一人に向けられており、いつか着任した時と同じようでいて、全く違う状況に艦娘達は煩悶した。

 

「……帰ったら話すと言っておいて、倒れてしまう情けない姿を見せて、申し訳ない」

 

 頭を下げる事から始まった海原鎮の話に、講堂が耳鳴りのするほどの静寂に包まれた。建てられてから数度しか開けられていない窓越しに海の音が聞こえた。

 

「病室で目が覚めた後、元帥から連絡を受けた山元大佐から、私が倒れている間の話を聞かされた。柱島泊地の運営責任者でありながら多大なる迷惑をかけた事を、重ねて謝罪する」

 

 艦娘は誰一人として身じろぎもせず、口も開かずに傾聴する。

 その様子に尻込みしているような海原の表情は、一週間待ちぼうけを食らった艦娘達からしたらもどかしく、早く先をと雰囲気で促すに至る。

 醸される雰囲気を察した海原は、癖のように軍帽を目深に被ろうとつばに指をかけたが、つばを押し下げるような真似はせず、逆に顔が良く見えるくらいに押し上げた。

 

「ここに来ている大本営の者達は、私の事情を全て知っている者達だ。本来ならばお前達に一番に話さねばならなかったのに、順番が前後してしまった事も、改めて――」

 

 聞きたいのは謝罪じゃない、と声を遮ったのは――なんと戦艦陸奥だった。

 

「提督、話したい事はそれなの?」

 

 軍部の者達まで揃っている場で私語を口にする意味が分からないほど愚かな艦娘達では無いが、軍部の者は誰一人として咎めず、これは彼と彼女らにとって必要なのだとぐっと気持ちを落ち着けた。

 海原のすぐ背後にいた井之上元帥も、わざわざ時間をとって東京から柱島泊地まで足を運んだのだから、事の成り行きを見守るべきだと鋭い視線のまま、皆を見つめた。

 陸奥の言葉を受けて、海原は一瞬だけ視線を下げてから、もう一度彼女達を見る。

 

「……単刀直入に、結論から言おう。私は――」

 

 声を大にして言いかけた言葉が、海原の喉に詰まった。

 

「私は……――海原鎮であって、海原鎮では、ない」

 

「は? 何よそれ……」

「海原鎮やないて……別人っちゅうことか……?」

「紛らわしい言い方で分かんねえって」

 

 講堂がざわめくも、数秒して言葉の続きを待つように静まった。

 それを見計らって海原は言葉を紡ぐ。

 

「単純で、複雑な事だ。言っていて自分でも意味が分からんが……私は元々海軍に所属していた海原鎮という人物と同姓同名の、別人だ」

 

 艦娘達の声が重なり、まるで波の音のようだった。

 

「海軍に所属していた一人目の海原鎮は、太平洋上で保護された、お前達が軍艦として戦っていた頃の軍人だったらしい。信じられないだろうが――日本海軍大将、海原鎮は――私の祖父だった」

 

 少し代わろう、と言って重い足音を立てて井之上が海原の横に立った。

 腰の後ろへ回された手を前に持ってきたとき、数枚の紙があらわとなる。

 遠目には詳しい内容まで分かるわけもないが、一目でそれが彼女達が一度目の生を受けた時代のものであるのが分かった。

 

 艦娘達の先頭に立っていた大淀の目が見開かれる。

 無線付眼鏡に反射する光の中に見た書類は、いつか、見たことがあるものだ。

 いいや、見たことがあるというのもおかしな話か。それを彼女は、知っている。

 彼女はそのために建造され、それもまた、彼女のために建造されたもの――過去と未来を繋ぐ飛行機の計画書の一部であった。

 

「詳しい事は病院で海原が目を覚ました時にワシから話しておる。情報部の忠野が調べ上げてくれた……あの男の生きた証がこの世界にあるとは思わんかったが……」

 

 さらなるざわめき、だが声は止まらない。

 

「仮称二式高速水上偵察機――紫雲を駆る海原鎮飛曹長は、時代と世界を超えて海を守りに来た軍人だった。太平洋上で艦娘に保護された海原という軍人をワシが現代の軍人として戦場に駆り出したのだ。これは決して、妄言などでは無い。保護した艦娘、そしてあの男が指揮した艦娘達は多くの戦果を挙げたが、反対派や人権派といった内部抗争に巻き込まれた末に……亡くなった。海原の死後、あの男の旗下にあった艦娘は方々に異動し……捨て艦作戦にて、沈没しておる」

 

「そんな……元帥がいたのに、どうして……っ」

 

 また、艦娘達の中から声が上がる。

 

「――返す言葉も無い。内部抗争を鎮静化せねばならんこと、いつ侵攻してくるか分からん深海棲艦に対応せねばならんこと、日本政府とのやり取りや、陸軍大臣と協力しての外交……ワシは多くをこなそうとして、結果、かような失態を犯した。これについては後で言及するが……非難の的としてワシという存在を長に据え続け、時を見て前線に送った者達とともに座を降りる事となろう。老い先短いワシの死に価値は無い。時間が経つにつれ国民も多くを知る事になる……その時、ワシの首を吊るよりは、生きている間に声を受け止め、責任を負い、背を蹴られる事が……ここに居る海原の祖父である、飛曹長に出来る償いであると考えておる」

 

「……」

 

 静寂。それから、井之上に代わって再び海原が口を開いた。

 

「今、元帥が話したように……私は祖父と同じ、こことは違う世界から来た男だ。横須賀鎮守府の倉庫で保護された、軍人でも何でもない、ただの一般人だ。お前達の事を知っているのも、深海棲艦の事を知っているのも――私が生きていた世界では違う形で存在していたからなのだ。艦隊これくしょん――という名のゲームで、私はお前達が戦っているのをずっと見ていた。提督と呼ばれる艦これプレイヤーとして艦娘が戦っているのを、見ていた。だから知っていたんだ。海月姫が救えるかもしれないというのも、多くの深海棲艦が襲ってきたのに対処したのも、知識として頭にあったからこそ出来ただけに過ぎんのだ」

 

 ここまで言った海原は、軍帽をさっと脱いでからぴんと腕を伸ばし、深く頭を下げた。

 

「……お前達を騙すような真似をして……嘘を吐いて、本当に、すまなかった。こんな私に、お前達を指揮する資格など、ないだろう」

 

 数十秒の沈黙が講堂を支配した。

 その間に、艦娘達の中で互い違いに回っていた歯車が組み替えられていき――海原の過去の言動がどういったものであるのか、真意を掴むに至った。

 しかして不思議な事に、彼女らの中で歯車が組み替えられたというのに、相も変わらず、それは回り続けていた。

 

 変わらないのだ。何せ彼女らは海原鎮という男を、一人しか知らないのだから。

 ただ――

 

「ちょっち、聞いてええか?」

 

 艦娘達をかき分けて前に出た小柄な影。龍驤である。

 

「ああ。私に答えられることならば、なんでも」

 

 壇上に立つ海原が言えば、龍驤はしばし考えるような仕草をしてから、ぴっと人差し指を立てて言う。

 

「一般人て言うたな、司令官」

 

「ああ、そうだ。私は海軍の訓練を受けたことも無ければ、勉強したわけでもない……どこにでもいる会社員だった」

 

「はっはぁん……そか、そか。ほなちょい言わせて欲しいねんけどや」

 

「……うむ」

 

「こことは違う世界から来た、ただの会社員が、ゲームの知識だけでウチらを指揮した挙句、妖精にも命令するわ、山元大佐やら清水中佐やら、そこのお偉いさんを説き伏せてこの場を設けたっちゅうんやな。しかも司令官の前におったっちゅう同姓同名の軍人は司令官の祖父で? なんや、紫雲に乗ってたっちゅうんか」

 

「……そうだ」

 

 龍驤は、はぁ、と溜息を吐き出しながら額をぱちんと叩き、大淀を見た。

 大淀は目を潤ませて海原を見つめたまま動かずにいて、見れば、両手は震えていて、今にもへたり込んでしまいそうな雰囲気があった。

 龍驤が小声で「やって、秘書艦。どないや」と言ったのが決め手となり、大淀はついにその場に座り込んで制服の胸元を涙でしとどに濡らした。

 

 それを見た海原も泣きそうな顔になって、それでも涙を堪えながら頭を下げようとする。

 

「っ……本当に、すまな――」

 

「あーあー、ちょい待ちぃや司令官。勘違いしてんちゃうか」

 

 龍驤に続き、戦艦達の集まる中から長門の良く通る声が壇上の海原や軍人達を叩く。

 

「とんでもない男を連れて来てくれたな」

 

 長門の言葉に海原の顔色はどんどん悪くなっていき、軍帽を持つ手に力がこもった。

 それから、ぱさりと帽子を落とす事となる。

 

「世代を超えて私達を守ってくれるような男を、よく連れて来てくれたな」

 

 井之上は長門の言葉に目を丸くして、海原は下げかけた頭を上げて彼女達を見た。

 誰も言葉を紡がない中で、泣きながら震える声を上げたのは大淀だった。

 

「ひっ、ひぐっ……お、覚えているんです……私、覚えてるんですっ……!」

 

「大淀……」

 

 大淀は語った。軍人の名は分からずとも、自分から飛び立ち、優雅に空を舞い、私達を見守ってくれていた飛行機を忘れた事は一度たりともない事。

 その飛行機を駆るのは無理であると誰もが言っていたが、ただ一人、試験飛行した男が、その飛行機に乗る予定の者達へ「お前達ならば出来ると俺は信じている」と言っていたのを聞いていた事。

 言葉通りに紫雲に未帰還機は無く、無事に航空廠に還納された事。

 

 それらが、ここにいる、自分達の提督である海原と重なって見えた事。

 

「私、守らなきゃって、ずっと守らなきゃいけないんだって……ずっと、一人で戦ってるつもりに、なって……でも本当は、私が人々を守っている間に……提督達に守られてたんだって、気づいて……私ぃっ……!」

 

 大淀は覚束ない足取りで立ち上がると、一歩踏み出す。

 

「あなたが、会社員であったなんて……知りません……」

 

 もう一歩。

 

「別の世界から来たなんて話も、私に、とって、どうでも、いいんです……っ!」

 

 もう、一歩。

 

「私が……今の私達が知っている海原鎮は、あなただけなんですっ!」

 

 さらに一歩踏み出せば、壇上に立つ海原に手を伸ばせば届く距離となる。

 海原は壇上から降りて大淀の前に立った。正面から彼女の視線を受け、どんな事を言われようとも受け止めるという覚悟の決まった顔で、ああ、と返事をした。

 

「あなたが倒れた時、私がどれだけ怖かったか分かりますかっ!? 私だけじゃなく、ここにいる全員がどれだけ不安になったか――分かっているのですか!」

 

「……本当に、すまない。情けない限りだ」

 

「っ……!」

 

 違う。もっと、私が言いたい事はこんな表面上の事ではないと大淀の意識は心の奥深くまで潜り込む。

 

「私達の提督は――あなたしかいないんですっ!! 私達が聞きたいのは謝罪などではありませんっ!! もっと、言うべき事があるじゃないですかっ!!」

 

 海原は、小さな声で何度も「いや」「しかし」「私は」の三つを繰り返して、両手を虚空にさ迷わせる。

 壇上に立ったままの軍人達は目を伏せた状態で何も言わない。

 

「こ、これからも、私は、お前達の、指揮を執っても……お前達の傍にいても、いい、だろうか」

 

 不安げな声音に、大淀は涙を流しながら首を横に振る。

 海原はそれを見て絶望したような顔をして、そうだよな、と肩を落とした。

 

「そうじゃ、ないじゃないですか……提督……あなたは、私達が戻るまで、港で待ってくれていたじゃないですか……だから――今度は、私達に言わせてください。ね……?」

 

 あ、と口から空気が漏れたあと――海原は振り返って軍人達を見る。

 順々に軍人達が頷き、最後に、井之上がゆっくりと頷き言う。

 

「軍人にとって、これほどに大事な言葉は無い。ワシが言えた立場ではないが、会社員ではなく、日本海軍大将の海原鎮として――どうか、頼む」

 

 その核となる気持ちが海原の口から言葉となって紡がれた時――あの時のように、講堂が揺れた。

 

 

 

 

 

 

「……――ただいま」

 

 

「おかえりなさい、提督――」

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 あれから――長い時が過ぎた。

 

 第二次大侵攻という激動の年から数年が経っても落ち着きのない海軍は、新設された海兵訓練校の入校式が行われる日を迎えていた。

 入校式は各訓練校のある都道府県別に行われているが、日程は同じで、日本各地でお祭りムードである。

 

 訓練校が設立された当初は賛否両論の世の中は、入校式に合わせて一般人が出店で稼ごうとするくらいには強かなものだった。いつの世も商売だけは廃れないものである。

 それはさておき。

 場所は広島、呉。そこに一人の艦娘と、一人の新兵がいる。

 

 艦娘は白露型六番艦、五月雨といい、新兵の男は、相川栄一(あいかわえいいち)という。

 

 どうして提督でもない相川が艦娘を連れているのかと言うと、訓練校が設立されてから入校する際に行われる適性検査というものが原因である。

 日本海軍大将、海原という男と艦政本部の忠野中将が設立に大きくかかわっていると勉強したが、相川は詳しいところを良く分かってはいなかった。

 艦娘を指揮するためには特殊技能と言うものが必要になるのだと言われたが、それは軍機として明かされていない。

 入校前の適性検査については決して口外しないという誓約書を書かされた事と――妙な小人を見せられた衝撃だけは忘れられない。それが軍機である理由という事は確かだった。

 小人が見える、と驚愕にひっくり返ったところで、幻覚を見ているからと追い出されるものだとばかり考えていた相川はあれよあれよという間に艦娘と引き合わされ――今に至るというわけだ。

 適性検査に通った者には、初期艦娘、というものをあてがうのだとか。

 

 山元少将の運営する――海軍と言えば鬼の清水、閻魔の山元、の文言は有名だろう――広島の呉にある訓練校に入校する事となった相川以外にも、そこには多くの艦娘と新兵が二人一組で集まっていた。

 軍人と言えば男、という偏見のあった相川だったが、そこには艦娘ではない若い女性軍人の姿もちらほらと見受けられるのもまた衝撃であった。

 

「相川さぁん! 待ってくださいよぉ……! はぁ、はぁ……」

 

「おわ! ごめんごめん……緊張して早足になっちゃって……」

 

 そんな若き新兵、相川には夢がある。

 

「もぉ……これでは相川さんを護衛できません!」

 

「護衛って……ドジな五月雨に守られちゃ軍人なんて勤まらないよ」

 

「なぁっ!? 誰がドジですか!」

 

「五月雨も大本営で見た、ビシッとした大淀さんみたいな人だったら……」

 

「柱島艦隊のぉ!? や、あれは艦娘じゃないです。艦娘じゃない何かです。一緒にしないでくださいよぉ!」

 

「はぁ……」

 

「何の溜息ですかー!」

 

 それは、日本という国を守る立派な軍人となる事である。

 世論では、やれ艦娘の人権だの、やれ軍人は必要無いだのと言われるようになってきたが、深海棲艦の脅威は未だ世界中に潜んでいる。相川はいつしかヒーローのような軍人となって国を守るのだという青臭い夢がある。

 

 その第一歩が、この広島、呉にある訓練校には詰まっている――。

 

 齢にして二十代にもう少しで手が届く程度に若い相川は勤勉家だが、どこか夢想家でもあり、五月雨はそんな彼にピッタリだろうとは適性検査で出会った清水大佐曰く。鬼の清水大佐に出会った時は生きた心地がしなかったのは内緒である。

 訓練校へと足を踏み入れ、相川は五月雨と共に入校式へ間に合うようにと指定場所となっていた広場へ向かった。

 

「まず、入校おめでとう。諸君らはこれから二年という短い期間で海軍の軍人となるべく厳しい訓練と勉学に励んでもらい――……」

 

 お堅い軍人の演説を聞きながら、相川はぼーっとしていた。

 物々しい雰囲気が広場を包んでおり、自分とは縁のないお偉いさんでも様子見に来ているのだろうか、と頭の片隅で考えていると、隣に立つ五月雨に何度も肘でつつかれて、はっとして前を見た。

 ちら、と横目に五月雨を見ると、表情を緊張に強張らせているのが分かった。

 

 ははぁん、閻魔の山元少将でも来ているのか? と、相川が前を見ると――

 

「……さて。本日は柱島泊地より海原大将閣下が諸君らの入校を祝いに来てくださった」

 

「えっ」

 

 途端に周囲にざわめきが広がるも、曲がりなりにも訓練校に入校を果たす勤勉家ばかり。

 数秒しないうちに静かになった広場に、ごつん、と重々しい革靴の音が響いた。

 

 そこには――

 

「話は手短にしよう。ひとつ、君達に問いたい――」

 

 ――どこにでもいそうな男が一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君達は――艦娘が好きか?」




これにて一応の完結です。
本作品を長らく読んでくださった皆様に感謝を申し上げるとともに、これからもまた本作品を思い出した時にでも読み返していただけると幸いです。

感想を下さった方々、多くの誤字脱字を修正してくださった方々、本当にありがとうございました。


追記:後日談も載せますので、今しばらくお待ちください……!

追記②:修正を完了しました。


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後日談
あれから【海原鎮side】


「死ぬ……今度こそ死ぬ……」

 

『しぬわけないでしょ! はやくこれにサインして!』

 

「待ってくれむつまる。それにお前達も……ここ最近ずっと朝から晩まで書類を片付けてるのに終わらないんだぞ……!? 少しは休ませてやろうとかいう気持ちはないのか……!」

 

 執務室を飛び回る妖精達がぴたりと動きを止めて俺を見る。

 

『ふーん』

 

「……な、なんだよその目」

 

『やすんでもいいよ。そのかわり、おおよどさんとか、ながとさんたちにやってもらうから。それでいい?』

『みんな、えんしゅうとかでつかれてるのになー……まもるのおしごとまでしなきゃいけないんだー……そっかぁ』

『まもるのかわりに、だいほんえいにいったりして、いーっぱいがんばってるのになー……』

『ぱそこんのむこうからじゃみれなかった、まもるのかつやくがたくさんみられるとおもったのになー……』

『ねー』

『ねー?』

 

「そうだな、これは提督である私の仕事だ。お前達にも情けない姿は見せられないな! 今日も張り切って仕事を終わらせよう!」

 

『はたらけー!』

『わー!』

『きゃっきゃっ』

 

「くぅ……っ! くそぅ……」

 

 拝啓、じいちゃんへ。

 

 長かった梅雨もあけ、初夏の風が爽やかな季節となりました。じいちゃんはいかがお過ごしでしょうか。

 仕事に明け暮れて墓参りにも行けず、挨拶はあの夢でカレーをともに食べた時が最後となるようなどうしようもない孫の俺は、じいちゃんの言う通り、親不孝にも元の世界へ帰ることも考えず、この世界で提督として働く毎日を送っています。

 これまたじいちゃんの言う通り、男というのはどうしようもないものであるとも思っている次第で、この日本という島国を守る男として、今度は社畜ではなく国畜として――決して悪い意味ではありません――日々軍務に励んでおります。

 私を生んでくれた母や、厳しさを教えてくれた父にも恥じぬよう、柱島泊地の艦娘達とより一層――

 

「失礼します」

 

 こんこん、というノックの音に現実逃避していた意識が戻って来て、入れ、と反射的に返事すると、建付けの良い隙間のひとつも無い木製扉が開かれ、少しばかりの、きぃ、という音と共に常任秘書艦である大淀が顔を覗かせた。

 その手には冗談みたいな量の書類が抱えられており、不躾とでも思っているようで、顔を赤らめて「すみません、はしたなくて」と身体と片足で扉を押しながら入室してくると、再び「失礼しますね」と言って執務室の机の上に、どん、と重たい音をさせて書類を置いた。

 

「……大淀、それは」

 

「大本営より事後処理のための承認をと――それから、艦政本部で人事異動がありましたので、情報部の忠野中将から確認しておいた方が良いだろう、と入電がありました。あとは……こちらが演習の報告書、こちらが哨戒班の報告書……大本営に出向いているあきつ丸さんからの報告書が、こちらです。あきつ丸さんは本日ヒトロクマルマルまでに帰還するとの事でした。ソフィアさんともお話ししたそうですよ」

 

「……そうか」

 

「さ、私も手伝いますね!」

 

 眼鏡を指で押し上げた大淀に微笑み、片手を振る。

 

「いいや、これくらい問題無い」

 

「そ、そうですか……? では、お茶でも淹れましょうか」

 

「うむ」

 

 忠野……あいっつ……あんの白髪野郎……! どんどこ書類送ってきやがって……俺をシュレッダーとでも思ってんのかァッ!? くそったれぇい!

 もちろん表情には出さず大淀に「重かっただろう。呼んでくれたら私が取りに行ったのに」と声をかけると、彼女はにっこりと笑みを浮かべて「あなたの秘書艦ですから」と言った。

 うーん、エンジェル。百点。

 

「そろそろお昼ですが、昼食はこちらで?」

 

「うむ。食堂に顔を出したいが、流石にこの量を放ってはおけんのでな」

 

「では、あとで昼食をお持ちしますね。本日はカボチャの煮物らしいですよ」

 

「ほう、それは美味そうだ。ありがとう」

 

 例の一件からしばらく――大淀が旗艦となったあの作戦は、世間では第二次大侵攻と呼ばれているらしいと知ったのは、山元大佐が哨戒ついでにと呉鎮守府の艦娘に新聞やら雑誌を持たせて柱島泊地に届けてくれてからだった。ちなみにその時やって来たのは潮と曙、漣と朧、那珂の五名である。

 傷の具合を心配してくれて、もう大丈夫だと腹を叩いて見せたら、恐る恐る五人に触られるという、もう至れり尽くせりハッピーセットな……んんっ。

 傷は塞がったと安心させた。以上である。別に何もなかったし、むつまる率いる妖精達に後から弄られたりはしていない。

 

 ……してねぇっつってんだろ! いい加減にしろ! 土下座すんぞ! むつまるオラァッ!

 

 大淀に微笑み返していたらむつまるに睨まれたので、すっと視線を書類に戻して作業を再開しつつ、頭痛のしてくる小難しい文面を読み込んでは、確認したという判子を押していく。別にびびったわけじゃないです。

 

 第二次大侵攻を撃滅する作戦完了後、大淀達に本当の事を話してからが大変だった。

 結局一度も会う事の無かった楠木少将のしでかした軍規に反する様々な研究内容の調査であったり、楠木と繋がっていた八代少将を含む将官達の処分や、ブラックボックスと化した南方海域にある島々の調査が行われて、その報告を受けては柱島泊地の艦娘達に、連日聴取を行う事になったりと――特に南方海域を開放した第一艦隊の扶桑達には申し訳なくなるくらいだった――激動の日々である。陸軍憲兵隊の方でもかなりの人事異動が起こっているとの事だ。

 

 楠木少将と深く関わりのあった正規空母サラトガの処遇については、くしくも扶桑達が救出した研究者を名乗った女性、ソフィア・クルーズが引き受けてくれたらしく問題という問題もなく、忠野が上手く処理して無事に帰国を果たしたらしい。井之上元帥がわざわざ連絡をくれて教えてくれたのだ。

 さらには、たった今大淀が持ってきた書類にもある艦政本部の人事異動に伴い、日本出資のもとでアメリカとの共同研究を継続する事になったらしく、ソフィア・クルーズとサラトガ、そしてアイオワの三名の来日が決定しているというのだから、一般企業と違って軍というのは動きが早いのだなと驚くばかりである。ただの白髪交じりオールバックのイケオジじゃないんだな忠野。すげえぜ忠野。

 ……流石に失礼か。

 

 ともかく、海軍情報部の長と艦政本部の本部長を兼任する事となった忠野、それから海軍広報部の橘とは将官であるという理由の他にも、俺の出自という海軍における最重要機密を共有する間柄としてよく連絡を取るようになった。

 なんなら、俺と同じように事後処理に追われる山元大佐や清水中佐のもとへ行くのに東京から西日本に来た際には必ず俺に連絡を寄越してくれる。日帰りで呉鎮守府へ顔を出して山元と忠野、橘、清水と俺という奇妙な五人組で宇品にあるお好み焼き屋にこっそりと食事に行ったりという事もあった。

 

 ……そこにも問題はあるのだが、これは後でいいか。

 

 それから、楠木少将について山元や清水と協力して調査を行っていたあきつ丸と川内についても、忠野は聴取を行った。

 清水については第二次大侵攻の作戦に協力した事と呉での一件もあり、遅くなったが真実を話した。清水は現実味の無い話に驚くより、それを一番最後に知らされたことの方がショックだった様子だが……すまんな清水……。

 

 聴取内容をもとに各地で軍規違反――多くは艦娘に対する軍規違反で、その他は資源の私的流用や各地で政治家と結託して賄賂のやり取りがあったりと、忠野も忠野でだいぶ頭を抱えたらしい――を続々と検挙するに至り、元陸軍所属だったあきつ丸は海の上ではなく、陸で立派な戦果を挙げたのだった。

 本人は「自分は大将閣下の艦娘、強襲揚陸艦のあきつ丸でありますよ?」と、その結果を当然のように語っていた。

 

 広報部によって海軍内に艦娘保全部隊『暁』の存在も公表され、艦娘に対する扱いもかなり改善されたとの事だった。艦娘はすごいのだ。まもるより優秀なのだ。切ない。

 

 井之上さんは俺を柱島に据えた当初、こんな事になるなど夢にも思わなかったと言っていた。明け透けに「急場しのぎが出来ればと考えておったワシが一番情けないわい……だが、二度も背は見せん」と語ったのは記憶に新しい。

 鎮守府の講堂で全てが明らかになったあの日、井之上さんは罪を背負うと言っていたが――俺はそれを是としなかった。井之上さんは出来る事をやったのだから、堂々と元帥として海軍を率いて欲しいと思ったのだ。

 そんな俺の言葉に同意を示してくれたのは、忠野や橘だけでなく、軍部の全員である。

 

 それではワシの気が済まんと井之上さんは言っていたが、俺はそこでようやく、井之上さんに言ってあげたかった言葉をかけられた。

 

「海軍は、まだ生きています。ですから海軍元帥として、これからも私を助けてはくれませんか」

 

 俺の言葉を耳にした井之上さんは、そうか、としか言わなかったが――それからはもう、人間を辞めたみたいに精力的に活動している。この書類の半分は忠野のせいで、もう半分は井之上さんのせいである。ぜってえ許さねえ。いつか青葉に情けない写真撮られてばら撒かれたらいいんだ。寝顔とかばら撒かれたらいい。

 冗談はさておき、井之上さんがこれまで以上に活動的になったのは、俺がこうして柱島泊地の執務室で仕事に追われていることからも分かるだろう。

 彼は陸軍大臣に懇々と艦娘の重要性、深海棲艦の撃滅を慎重かつ大胆に行い続け日本のみならず世界を守らねばならないと説き、日本政府にも働きかけた。

 

 日本政府の現首相はこれまでの海軍の体制からは考えられない献身的な井之上さんの働きに感銘を受け、アメリカとの共同研究の継続交渉を行ったというのだからとんでもないことである。井之上さん何者なんだよって話だ。そうだね、海軍元帥だね。

 一度は損なわれたらしい海軍の威厳と信頼を、あっという間に取り戻す手腕――やっぱり海軍はやべえ奴らの集まりなのだ。

 

「提督、入るわよ?」

 

 こんこん、と再び木製扉がノックされる。

 開かれた扉の先にはいくつもの新聞や雑誌を抱えた陸奥がいた。

 どうやら本日の新聞が呉鎮守府の哨戒班から届いたらしい。

 

「はいこれ。ここ最近は毎日コレばっかりね」

 

 ふふ、と美しい顔をほころばせる陸奥。うーん可愛い。百万点。

 

「……提督?」

 

「ん、お、おぉ、すまない。ありがとう」

 

 これではセクハラクソ提督として陸奥が砲塔の爆発を利用して俺をお仕置きしかねないので素直に「そこの応接用のテーブルに置いてくれるか?」と言って立ち上がる。

 陸奥の、毎日コレばかり、というのは第二次大侵攻に関する記事を指している。

 応接用ソファに腰をおろして新聞を手に取れば、どれもこれも大きな字体で、

 

【日本海軍、凄惨な過去を塗り替える】

 

【大侵攻を撃滅! 日本海軍の奮戦!】

 

 などなど……。

 これだけならば困ったりはしない。問題は――

 

「あら、この写真良く撮れてるわね。会見の時かしら。ほら大淀さん、見て?」

 

「まぁ……ふふっ、見てください提督。凛々しいお顔ですよ」

 

「……やめてくれ」

 

 俺は新聞で顔を隠して二人の視線から逃れる。

 その新聞にもでかでかとした見出しが。

 

【護国の鬼神、海原鎮――「私の仕事をしたまでだ」】

 

【海軍大将に見る、仕事ができる男の十か条!】

 

【剛勇、海原鎮の神算鬼謀が導いた勝利への軌跡】

 

 そう、問題は――東京の大本営に出向き、元帥の開いた記者会見の場に立った事と、それらから巻き起こった俺への地獄の如き取材オブ取材。

 忠野に言わせれば、海軍内でも名ばかりが独り歩きしていた海原鎮という存在を明らかにすることに重要性があるとかないとか。

 

 海原鎮というただの元社畜が海軍内での抑止力になるんだから、分からないものである。

 

 おかげで柱島から気軽に広島に遊びに出る事も出来ない事態にまで発展しているのである。立地のお陰で柱島泊地にいる分には安全なのだが……。

 忠野と橘、清水が来るっていうなら山元も誘ってお好み焼きでも食うか! と軍服姿で街を往けば、どこから湧き出したのか取材を求める記者にカバディされてしまうのだ。悪いがまもるは艦娘の指揮は出来てもカバディは出来ない。

 かといってわざわざ松岡に頼んで憲兵隊を引っ張り出すわけにもいかず、こそこそと見つからないようにおっさん五人組でお好み焼き屋に避難するわけだ。

 お好み焼き屋のおばあちゃんは取材陣が来ると強気に追っ払ってくれるので安心である。

 

 俺達? 縮こまって豚玉つついてたよ。女性に勝てるわけないだろいい加減にしろ。

 

 しかし、おばあちゃんに迷惑をかけ続けるわけにもいかないので、一か月か二か月に一度、五人が揃った時だけと限定する事にしていたりもする。

 

 海軍という括りだけでも、これほどの変化があった。

 そしてそれはここ、柱島泊地の鎮守府にも。

 

「あら、むつまるちゃん。今日も可愛いわね。ふふ」

 

『むつー! きょうもいいにおいだねー!』

 

 羅針盤を携え海に出ることもあれば、開発に協力したり、修復を手伝ったりと万能の妖精――その正体が妖精達の口からはっきりと明かされたのである。

 彼女らは艦娘としての身体を持たない代わりに、妖精として俺や柱島泊地の艦娘達のサポートをしていたのだと言った。

 

 偶然にも、大淀が俺を迎えに行くために乗った漁船《むつまる》に適合できた元戦艦陸奥は――新たに元艦娘、現妖精むつまるとしてこの世界に生まれ変わり、柱島泊地の妖精を率いるリーダーのような存在になったのだとか。

 

 その代償にむつまる達は元の世界とのつながりが希薄となってしまい、元の世界との記憶と、この世界の記憶の齟齬が生じると妖精の持つ力が働き、俺の存在が曖昧になってしまわないようにと記憶を無意識に消してしまっていたらしい。

 ではどうして今はそれをはっきりと認識できるのか、と問えば――祖父との食事が原因であるとの事だった。

 

 元の世界で神隠しのように消失した祖父は、実際のところ、むつまるが意識して呼び出したわけでは無いという。

 むつまるが意識したのは――海原鎮という存在であった、と。

 

 その時に気づかなかったのかと問えば、むつまるは深海棲艦に世界が壊されるほど逼迫していたために、祖父を俺そのものと思い込んであれやこれやと艦娘を指揮させたのだという。やっぱ社畜を作ったのはむつまるじゃねえか、と冗談めかして言ったのだが、本気で落ち込まれたので病室で謝り倒したりもした。それはいいか……ね、うん。

 

 一度目の深海棲艦の侵攻に疲弊した世界を立て直すべく、むつまると祖父、そして当時の艦娘達はありとあらゆる策を講じて侵攻を押し返し、南方海域を開放し、この世界にあるかつての大戦の記録をもとに多くの功績を残した。

 時を同じくして、楠木の研究から端を発した捨て艦作戦が敢行されはじめ――侵攻を効率よく抑えられなくなった祖父がああでもない、こうでもないと手をこまねいていたところを、使えなくなったとして謀殺……。その流れのうちに、鹿屋基地での謀殺も発生したらしい。

 

 夢であった祖父も、謀殺された事に気づいていようが、それを悔しく思っていない様子だった。

 自分が死んだと分かっても、俺はまだまだ戦えると扉の向こう側へ突き進んで行った姿を――俺は生涯、忘れないだろう。あの背に恥じぬ男にならねばならないからこそ――俺は艦娘を指揮する提督を続けているのだから。

 

 あと艦娘がいっぱい好きだから。これ、大事です。

 

「相変わらず、何を言っているか分からないのが残念だわ。ね?」

 

『むつまるもだよぉ……』

 

「あなたも残念がっているのかしら。あ、そうだ……むつまるちゃん、伊良湖さんがおやつを作ってたわよ。一緒に食堂に行く?」

 

『おかし!』

『おかしだー! であえー! であえー!』

『わー!』

 

「あ、あらあら、いっぱい来ちゃったわね。提督、この子達、借りていくわね?」

 

「ああ、連れて行ってやってくれ」

 

 出来ればそのまま仕事が終わるまで拘束しておいてくれ。

 このままでは弄られまくって心が折れてしまう。

 

 陸奥が妖精達と執務室を出て行ってから、俺は一息吐き出して新聞を改めてばさりと広げ、流し読みしていく。

 ここに来たばかりの頃は外部の情報なんて一切無かったものだから、柱島泊地にいる間はこれが俺の唯一の楽しみなのである。小恥ずかしい記事は全部読み飛ばすが。

 

 むつまる達が居ないのだから、多少は休憩がてらに新聞読んでもいいっしょ!

 と、独り言をふんふんと漏らしつつ新聞を捲っていると、お茶を淹れにいっていた大淀が戻って来て、応接用テーブルへ湯呑を置いた。

 

「どうぞ」

 

「うむ、ありがとう」

 

「提督、私も拝見してよろしいですか?」

 

「うん? ああ、雑誌か? 構わんとも」

 

 ソファに並んで座った状態で、静かな時間が過ぎていく。

 束の間の平和な時間は、あ、と大淀が声を漏らした事で終わりを告げる。

 

「どうした」

 

「そういえば、提督に聞いてみたかった事があったんです。最近はバタバタしっぱなしで聞けなくて――」

 

「ほう。なんだ? 私が勤めていた会社の話なら面白い話がたくさん――」

 

「あ、それはあまり興味無いです」

 

「……そうか」

 

 大淀は読んでいた雑誌をぱたんと閉じて、別の雑誌を手に取ると、それを読むでもなく、手に持ったまま俺を見つめて問うた。

 

「その、艦隊これくしょん……というゲームについての話なのですが」

 

「ふむ」

 

「そのゲームにも、秘書艦という制度はあったのですか?」

 

「あー……そうだな、正式名称だったかは覚えていないが、第一艦隊の旗艦に設定している艦娘が母港……いわゆるメニュー画面に表示されるようになっていて、それを、秘書艦と呼んでいた」

 

「なるほど……私達がゲームになっている世界というのも、面白そうですね」

 

「そうか? 私はお前達に触れられる方がいいが」

 

 本音がこんにちはしてしまった。これでは完全にセクハラである。

 だ、大丈夫! 故意に触れたりしません! セクハラ、ダメ絶対ですもんね!

 だから憲兵さんには言わないでください! オネシャス! オネシャス!

 

「も、もう……提督ったら」

 

 大淀は困ったように笑い、雑誌で口元を隠した。何それ可愛い。

 

「では、その秘書艦というのは、どなたに設定なさっていたのです?」

 

「確か……」

 

 夢で見たPC画面を思い出し、俺も大淀のような、あ、という声を漏らす。

 

「お前だったな」

 

「私、ですか……!」

 

「ああ。お前は任務娘、とも呼ばれていてな――ここでいう大本営から各鎮守府へ通達される任務を管理してくれている、という設定の艦娘だったのだ。最初から実装されていたわけでは無く、お前は後から大本営より鎮守府にやってきたイメージがある。艦隊に加わった時の感動といったら……。出撃でどうしても旗艦を変えねばならないという時以外には必ずお前を第一艦隊に据えて秘書艦として表示させていたよ」

 

「そ、それ、それは、あの……あ、え、と、え、えへっ……光栄、です」

 

 これは艦これの話であって、実際の大淀をつんつんしたりは出来ないので、節度ある距離感を保ち、威厳のある提督として頑張る所存であります。

 しかしどうしてゲームの話が気になったのだろうか? と大淀に問えば、彼女は単純明快に答えた。

 

「提督の事を、たくさん知りたいからです」

 

「……そうかあ」

 

 じゃああのブラック企業の話を聞いてくれてもいいじゃんかよぉ……とは言わないでおいた。

 しみじみとオッサンみたいな返事をする俺。

 まあオッサンなんだけれども。

 

「忠野もゲームに関してあれこれと聞いてきたな。これについては艦娘の兵装や深海棲艦の情報収集という意味合いが強かったが、艦政本部にて開発が可能であれば、妖精と協力していくつか試作してみると言っていたぞ」

 

「新たな兵装の試作ですか……それは素晴らしいアイデアですね。装備が充実すれば、苦戦を強いられる事も減りますから」

 

「うむ」

 

 返事をしながら新聞をたたみ、今度は雑誌でも見てみるかとテーブルへ手を伸ばした時、情報収集としては些か使いづらい雑誌が一冊あるのが目に留まった。

 俺がそれに手を伸ばす前に、大淀が気づいた様子でさっと持ち上げて表紙を見る。

 

「結婚情報誌……届ける前に紛れ込んだのでしょうか」

 

「かもしれんが……それにしても、結婚情報誌とは。山元の私物、ではあるまい」

 

 まさかあいつ結婚するんじゃねえだろうな。筋肉達磨の癖に。

 筋肉達磨の癖にッ!! 仕事しろオラァッ!!

 

 いかん、こんな邪な気持ちで軍務にあたるんじゃないぞまもる。

 心穏やかに……と考えている時、ある事を思い出して口を開く。

 

「結婚と言えば、艦隊これくしょんにもケッコンカッコカリという機能があったな。忠野に話したら大笑いしていたよ」

 

 何気なく話題に出したそれに対し、大淀は目を見開いて雑誌と俺を交互に見る。

 ごめんて、冷静に考えたらこれも思いっきりセクハラにあたるよね、マジごめんて。

 

「あ、あー、すまんかった。これはゲームの頃の話だ。決して俺が――」

 

「その機能とは」

 

「――うん?」

 

「提督。その、ケッコンカッコカリという機能とは、何ですか」

 

 近いて。大淀近いよ。圧が凄い圧が。

 

 結婚情報誌が歪んでしまうくらい手に力を込めた大淀に迫られ、下手なことを言うと雑誌で頭を叩かれてしまうのではないかと恐れた俺は、小さな声で言う。

 

「ゲームでは、練度に限界があってな……? 練度が九十九に達すると、それ以上に練度が上がらないようになっているんだ。それを突破するための特別なアイテムに、書類一式と呼ばれるものがある。それを練度九十九の艦娘に使用すると、ケッコンカッコカリが出来るのだ。ま、まぁ、ほら、婚姻届のようなものだ。そして、ケッコンカッコカリをした艦娘には限界突破するための指輪が贈られ、練度が九十九から百七十五まで上げられるようになる。その他にも燃費の向上であったり、火力や装甲といったステータスが向上する恩恵がある、機能、で……」

 

 話していくうちに大淀の目が細められていくのが、俺の神経が削られていくみたいに見えた。

 

「提督は、どなたかとケッコンカッコカリをしていらっしゃったのですか?」

 

「ま、まあ……」

 

「その、お相手は?」

 

「はは、それはいいじゃないか。ゲームの話であって、ここは現実なんだ。限界突破するような兵装がおいそれと開発されるわけでもないのだから、聞いたってしょうがな――」

 

「しょうがなくありませんが」

 

「えっ」

 

「しょうがなく、ありませんが」

 

 なんっ……え、大淀さん、なんか怒ってる……?

 もしや俺が柱島の艦娘に対してそういった不埒な感情を抱いているとか思われてる……!?

 

 ば、ばっかおま、大淀お前! 俺がそんな、なぁ!? 思ってるわけないじゃぁん!

 

 日本海軍大将、柱島泊地を預かるこの海原鎮だぜぇ!? ないない! ないってぇ!

 

 あの、ほんとに、すみません。ちょっとだけありますけど、本当にちょっとだけなんです。

 

「――そのお相手は、いなかったのですか?」

 

「……一応、いたが」

 

「差し支えなければ、教えてくださいますか?」

 

 拒否権ねえやつじゃんかよそれェッ! 差し支えしかねえよォッ!

 

 ダメだ大淀の圧に勝てる気がしねえ。深海棲艦に勝てるわけだよこりゃ。

 きっとサラトガもトラック泊地付近の海域でこの大淀の圧にやられたんだ。

 やべえよ。怖すぎる。

 

 大淀の無言の圧力に屈した俺は、とうとう、その相手を白状した。

 

「……陸奥、だった」

 

「陸奥さん、ですか……へぇ……そうですよね。陸奥さん、お綺麗ですし」

 

「あと……」

 

「あと!? ま、まさか提督、他の方とも結婚を――!?」

 

 そうだよ悪いかよ! 艦娘ハーレムを築いてやろうと頑張ってたんだよ!

 仕方がねえだろ皆大好きなんだからよぉ! 愛してんだよぉ! クソが!(摩耶)

 

「そのお相手は、どなたなんですか」

 

「……お前だ」

 

「えっ」

 

 ああ、もうダメだ。

 俺は柱島泊地で元社畜の変態クソ雑魚ナメクジ提督まもる(笑)として艦娘達から侮蔑の目を向けられるんだ……じいちゃん、ごめんよ……俺、やっぱ親不孝者――

 

「……少し用事を思い出しましたので、失礼します。忠野中将に連絡を取らねばなりませんので」

 

「ぉ、あ、う、うむ?」

 

 ばっ、と音がするくらい素早く立ち上がった大淀は、結婚情報誌を持ったまま執務室を出ようと扉を開けた。

 その扉の向こうには――何故か川内と青葉が立っており――

 

「ど、どもぉ……恐縮ですぅ……元帥からお届け物を……あはは……」

 

「提督……あの、さ……演習報告書の、修正、を、さ……」

 

 気まずそうな顔をした青葉達を見た俺から血の気が引く。

 いやいや、俺が知ってるゲームの青葉と、今しがた執務室にやってきた井之上元帥の秘書艦である青葉は違う。というか何で来たんだアオバワレェッ!

 あ、お届け物って言ってましたっけ。すみませんねそれどころじゃなさそうなんです今。

 

 青葉の隣で、同じく気まずそうな顔をしながら頬をかく川内は言う。

 

「提督の護衛はするよ? うん、ちゃんとする。でも……これに関しては、ごめん、パスで。流石に百人以上相手にしたら守れないかも」

 

 これに関してはって何!? これって何! 艦これのこと!?

 

 俺が混乱している間にも、大淀は執務室から出て行きながら眼鏡に指を添えて通信し始めていた。

 

「――忠野中将ですか? 柱島の大淀です。お世話になっております。提督からケッコンカッコカリという艦娘の限界突破が可能らしき機能と兵装のお話を伺いまして、つきましては忠野中将がこれから試作する兵装の候補の一つとして……ああ、提督から伺っておられましたか? はい、そうです、その話を私もたった今――」

 

「ま、待て大淀! マッテ! 今ある仕事が全部片付いてから! それから兵装についての話を進めんか!? な!? 忠野聞こえているか! 兵装の開発は少し待って欲しい! おい忠野!」

 

 なんとかやっていけそうな、いけなそうな――

 

「あれ? 青葉さんに川内さん、お疲れ様です! どうしたんですかこんなところで」

 

「ああ、秋雲、提督に用事? 今は立て込んでるから後の方がいいかも」

 

「で、ですねぇ……あはは……」

 

「用事ってほどでもないですけど、画材の申請を通していただいたのでお礼をと思いまして! あ、提督! 画材届きましたよー! ありがとうございます! これで提督がどれだけ凄い指揮官なのか世間に知らしめてやりますからね! 漫画でも描こうかなって思うんです! 題名は、柱島泊地備忘録っていって――出来上がったら軍部に送って――」

 

「後にしてくれ秋雲、すまん! あと漫画はダメだ、軍部にも送るな! いいな!?」

 

「えぇー!? そんなぁ!」

 

 ――まだまだ問題は山積みで、忙しい毎日を送ることになりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい……はい……検討していただけるのですか!? それは良かったです、中将――!」

 

「話を聞かんか大淀! 忠野も聞こえているだろうが! おい!」




本当なら同時に投稿する予定でしたが、修正していたら遅れました……。

この後日談を以て本当の完結です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。


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