あなたが私のマスターですか?─RE:I AM─【チラ裏版】 (つきしまさん)
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1話

 ジョーカー星団。星団歴三二三九年。カラミティ星宇宙域──

 

 スタント遊星の接近によりカラミティ星は大きな地殻変動をもたらされ星の崩壊がついに始まろうとしていた。

 カラミティに軍を進めた天照は作戦続行中にナイト・オブ・ゴールドから弾き出されラキシスを失う。 

 A.K.D総力によるラキシス緊急救出作戦の最中、一騎の友軍騎がカラミティから発生した強大な重力圏に囚われていた。

 

『全軍撤退せよ! 急速にカラミティ星が収縮を始めている! 爆発する恐れあり。全軍モーターヘッド撤退せよ! ヤクト・ミラージュ砲撃中止っ!! 全艦高速離脱っ!!』

 

 明滅するサイン。危険を告げるアラーム。激しい震動がコクピット内部を揺らす。

 背中に背負うスラスターを吹かせながら強大な重力圏から逃れようと一騎のモーターヘッドがカラミティ星の空ぎりぎりに留まっている。

 激しい混乱の中で一人の少女が制御を失いつつある騎体を必死に踏み留めていた。わずかな意識の乱れがモーターヘッドをバラバラに空中分解させてしまう。

 その限界はもう訪れようとしていた。

 

「離脱するんだリジ―!」

 

 切迫した呼びかけが卵型のコクピットルームにこだまする。

 限界を迎えた騎体がきしむような悲鳴を上げる。

 その瞬間、溶解した関節部分を曲げて腕が飛んでいた。赤い炎に包まれたソレははるか下のンビドー海の爆心地へ落下していく。

 瓦解する大地が宇宙からもはっきり視認できる。ブラックホールの様な重力場に飲み込まれ消滅していく様子は恐ろしい光景だ。

 ブースターが火を噴いて双翼の一基が破壊される。徐々に巨大な重力場へ引きずりこまれるように騎体は落下し始める。

 

「できませんマスター! バスター砲後に発生したカラミティの異常重力場に騎体が引きずり込まれます。限界圏内まで三八秒……」

「お前だけでも出るんだリジ―。死ぬことはない」

 

 焦るマスターの声が響き渡る。すでに選択の余地がないことをファティマはよく知っていた。

 もっとも生存率が高くマスターを生き残らせる手段はソレしかなかった。

 

「……ごめんなさい」

「何?」

「その命令は聞けません。私はマスターしかいない。あなたは私のすべてです。ここで死なせるなんてできません」

「リジ―! バカ野郎! ……一緒に帰るんだ。じゃなきゃ」

 

 その最後の言葉を少女は微笑んで受け止める。そして呟いた言葉は小さすぎてマスターには届かない。

 

「ありがとうマスター……私のこと忘れないで……」

 

 四──

 三──

 二……

 緊急脱出用のポッドがコクピットごと排出され、ぎりぎり重力場の圏外にいた騎体が赤い炎に包まれる。

 

「リジィーっ!!」

『こちら味方の脱出ポッドを回収した。緊急離脱する! カラミティ星が爆発するぞっ!!』

「行くな。あいつを置いていけるものかよぉっ!」

『黙れっ! お前のファティマがどんな思いでお前を助けたか……』

 

 味方騎が宙域を急速離脱する。

 最後の光を放ちカラミティが限界まで収束し星の命を散らす。

 ラキシスと共に虚海へと呑み込まれたナイト・オブ・ゴールドはカラミティ星の爆発に巻き込まれ、時空の果てに飛ばされる。

 そして同時にもう一人の少女が異次元の海へと放り出され長い漂流の旅へと出ることとなるのだが……

 

  

 どこまでも暗く光のない世界。時すら静止した空間は凍える冷たさですべてを凍らせる。

 破壊されたブラッドテンプルは残骸として虚空を漂う。

 血の十字架を背負ったマシンの中で体を丸め、意識を切り離した状態で少女は残された時間を計算する。

 吐き出す息は白く、凍り付くように寒い。

 ここがどこなのか? 

 それに答える者はいない。

 ここには時間さえも存在しないのだ。

 

「お前ももう、動かないのね……」

 

 少女の問いかけに長く連れ添った騎体は沈黙で答える。

 イレーザー・エンジンも停止している。

 あの爆発で生きていることが奇跡だ。

 それとも私はもう死んでいるのか?

 すごく寒い……

 体を抱きしめ、迫る死を予測する。

 自害すれば苦しみから解放される。

 

「マスター……」

 

 ただ彼のことだけを考えた。 

 希望を抱くことはもはや空しい。

 それでも……それだけが自分の存在を確かなものとしてくれる。

 

 少女は眠る。

 不可思議な光に包まれる夢を見た。

 それははるか遠き、異なる次元世界の軌跡。

 青き星を砕くべく墜ちる巨大な質量をもつアクシズが押し戻される夢を見ていた。

 その夢が何であるのかはわからない。

 少女は観測する。

 その光が自分を導くものであることを知らぬまま。

 暗黒の闇を光が差し込んで残骸として漂う騎体を照らし出した。

 

 暖かい温もりに包まれる──

 

 少女は目覚める。

 異次元から差し込んだ光に手を伸ばす──

 

 

 パナマ沖──珊瑚の島に横たわるは鉄の巨人。海上封鎖された沖合に巡視船が浮かんでいる。

 

「──ご苦労様。ここからは我々にお任せください。野次馬も下がらせていただきたい」

 

 新たに到着した一行が現れ物々しい雰囲気に現場は包まれる。

 謎の漂流物の発見は島の住民を驚愕させたが、それ以上に驚かせたのは戒厳令が敷かれたことだった。

 警察、軍が出動し、さらに白衣の集団の到着だ。島出身の若い巡査が当直に当たっていた。

 

「失礼だがあなた方は?」

「アナハイム・エレクトロニクスの者です。回収に当たりますのでこちらの指示に従っていただきたい」

「わかりました……」

 

 白衣の男たちを見送り、巡査は何だっていうんだ? という目を漂流物であるロボットに向けた。

 

「モビルワーカー? いや、見たことがない型だ。こんなところにモビルスーツ? まさかな」

 

 会長から直々の出向命令を受けてきたのはウォン・リーだ。ウォンはアナハイム本社の幹部であり、会長の懐刀として知られている。

 

「ウォルター、進捗はどうかね?」 

 

 防護服を身につけた男たちに近づいて話しかけた。先着技術陣の全身を覆う防護服は放射線対策だが、ウォンは高級スーツである。

 現場の規則無視のウォンにウォルターは愛想笑いで返した。

 

「コクピットと思わしき部分はロックされているようです」

「コクピットが頭部にあるのかね?」

「そのようです」

 

 意外な答えにウォンはロボットの頭頂部から伸びた一本角に目を向ける。飾りなのか、何らかの用途があって角があるのかは不明だ。

 一見、コクピットは胸部かと思ったが思い違いか。ウォンは担当に質問を続けた。 

 

「いずこのモノか。所属を表すものはないのか?」

「不明ですね……表面が焦げ付いていて認識できません。こんなタイプの機械は初めて見ました」

「宇宙産か?」

「わかりかねます。持ち帰って調べないことには」

「だから来た。早いほどいい」

 

 集まっている野次馬たちをウォンは一瞥する。警備が島民からカメラを取り上げているのが見えた。

 さっさと回収して撤収するのが今日の役目だった。

 

「まずはこいつの正体が何であるのかを確かめよう。何でもいいからコクピットをこじ開けろ。爆薬を使っても構わん」

「ウォンさん、過激ですよ。傷一つつけずに持ち帰れとのことです」

「中に何が入っているのかも不明な機体だぞ? 反乱分子のテロリストが爆弾を抱えていたらどうする?」

「考えすぎです。まあ、空から落ちてきたとして、中に人がいるなら想像したくない中身かもしれないし。そりゃぐちょぐちょな……」

 

 ヘルメットの下でウォルターが顔をしかめて見せた。

 

「仕事を続けてくれ」

「やってますよ」

 

 手元の計器でマシンのコクピットを開けようとウォルターが調整を続ける。

 

「波長合いました! 開きます」 

 

 固唾をのんで見守る男たちの前で頭部のコクピットが開く。

 日差しの影の中にコクピットルームが存在する。

 

「女?」

 

 スーツが汚れることは気にせず、コクピットルームに身を乗り出してウォンは中を覗き込んだ。

 

「見たことがない計器ばかりだな……」

 

 技術屋の癖で機器類を確認するが、すぐにパイロットに目を向ける。生きているのか、死んでいるのかはまだわからない。

 パイロットの座席から細い手足が力なく投げ出されている。

 その華奢な身を包むのは体にフィットしたボディスーツと、その上からマントでゆったり包むようなデザインの服を着ている。

 細い首。小さな顔は子どものようにも見えたが驚くべき美貌であることが見て取れた。

 一流のモデルか何かであれば印象に残りそうだがウォンの記憶にはなかった。

 

「仕事が一つ増えたな……」

 

 生きている──

 生存を確認してウォンは衛星電話に回線を繋いだ。

 

 これはアナハイムが後にひた隠しにすることになる──もう一つのアナハイムの秘密となる少女の数奇な運命にウォンが巻き込まれた日であった。

 

 

「あのモビル……ワーカーの分析結果が出るまで徹夜だ、帰れん。上からの指示とはいえ辛い作業ですね。解析に分解までとは」

「主任、悪いがこれも仕事だ。私もパナマ出向からもう三日帰っていない」

 

 部下に返事を返すウォン・リーの眼下には巨大なロボットがあった。ガラス一枚を隔てた先に全長一六メートルほどの人型の巨人が横たわっている。

 北米にあるアナハイムの本社にソレは運び込まれ、厳重な警戒態勢と秘密厳守が保たれている。連邦政府にすらその正体を教えずにアナハイムが独断で動いていた。

 あれが宇宙から飛来したものであることは調査から判明していた。突如パナマ海上に出現した、という島の住民の証言も得ている。

 その口を閉じているように本社から指示が飛んで目撃者は十分な金を受け取っていた。

 

 破壊され動くことはないが、正体不明のロボットの心臓部であるエンジン部を開けた時の困惑はいまだに自分でも理解しがたいものであった。

 アナハイムが開発してきたどんなエンジンとも異なる機構を持つソレが高度な技術で作られたものであることを理解することができたが、動力源のエンジンがどのようなエネルギーを生み出していたのかがわからなかった。

 ジョーカー星団の無限の高炉であるイレーザーシステム……その光は失われ、動かぬブラックボックスとしてそこにある。

 ウォンは解析結果のプリントを手に取り眉をしかめる。

 

「この素子方程式は我々が知るモノではない。まったく異なる世界の……いや宇宙のモノだ」

「SFですか部長」

「アナハイムが生み出した製品、それこそネジの一本に至るまでわが社の製品は判別することができる。これはなんだ?」

 

 ウォンは手を伸ばし主任にデスクにあった部品の一つを見せる。

 アナハイムが作ったこのネジは普通の家電製品から戦艦に至るまで一般的に使われている代物だ。

 

「NL-19950 18mm?」

 

 主任が型番を答える。

 

「どんな製品にも共通規格の部品を用いることでアナハイムは汎用性を保ってきた。共通規格があるからアナハイムは地球でも宇宙でも製品を売ることができる」

「うん、そうですね」

 

 一般常識と主任が頷く。

 

「モビルワーカーも例外ではない。少なくとも部品の一つや二つはアナハイムの物を用いているはずだ。使わない方が難しいくらいだろう」

「うちの品質にはどこも勝てやしません。オリジナルを使うにしても相当手間でしょうね」

「我々の認識が及ばない新型の機動兵器。だからあれをモビルワーカーとは呼べん。どこか別の人間、勢力が造り上げた新型機動兵器と仮称する」

「モビルワーカーではない……じゃあやっぱりモビルスーツなのでは?」

「コロニーの連中が作ったマシンを地球の海に捨てると思うか? 失敗作だったとしても捨て置いたまま放置するとは思えん」

「じゃあ部長の言う宇宙の第三勢力だとしましょうか? その連中が地球に何らかの意思を示すということでしょうか?」

 

 それは侵略という意味だが、いまいち真剣みを感じない口調だ。

 デスクワーカーの研究者などそんなものだろう、とウォンは部品をネジ山に戻す。

 

「たとえ我々の知らない機動兵器を誰かが造ったとしてもそこにアナハイムの部品が使われていればわかる。しかしこいつは……何一つ該当するものがない。我々が知る部品の規格に一つも当てはまらない。どこで作られたかは知らんが、そいつらは戦争を起こす気かもしれん」

 

 そう未知存在による侵略だ──ウォンの脳裏にパナマ沖の島で見た衝撃の瞬間が蘇る。

 空の胸部のコクピットと連結するようにあるロボットの頭部から現れた少女の記憶だ。

 最重要機密なので主任にもその存在は明かしていない。

 

「じゃあエイリアンですかねえ」

「そんなものがいるわけがない。人類が宇宙に飛び出して以来、謎のエイリアンが接触してきた事例は一つもない。つまりそんなものは存在しないのだ」

 

 だが、という言葉を言いかけてウォンは眼下の機動兵器──ロボットを睨む。

 未知の存在など彼は認めない。科学者として事実だけを見据える。

 

「人型二足歩行の機動兵器か……確か宇宙(そら)に行ってモビルワーカーを見てきた奴がいたな。中身も触ったこともあると言っていたが……」

 

 何処で聞いたのかも、名前も思い出せずに腕を組む。つい最近のはずだが……

 

「ナガノですか? あいつそういうの詳しいですね。でも、兵器部門の開発部長に噛みついたせいで飛ばされてますよ。資材課で今は冷や飯食ってますが」

 

 ウォンの独り言に夜食をほお張る主任が答える。

 

「そう言えばそんなのがいたな……そいつを呼び出せるか?」

「もうみんないませんよ、この時間じゃ」

 

 解析に残っている社員は徹夜覚悟で奮闘中だ。解体したロボットの部品一つ一つを広げてナンバーを割り振っている。 

 

「そうだな……ナガノをこちらに出向させろ。無駄飯食らいじゃないことを証明したら戻してやってもいい」

「それ、部長から本人に言いますか?」

「成果を出すなら考えるさ」

「じゃあ人事部の方に申請送っときます」

「そうしてくれ」

 

 もうやることはない。新たな解析結果が出るまで時間がある。

 

「出る」

「部長、どちらへ」

「外の空気を吸ってくる」

 

 新たな解析プリントを手に取る主任を背にウォンは頭を冷やしに外に出る。

 

 

「──本気で仰っておられるのですか? 連中はたかるハイエナですぞ?」

 

 社長室に呼び出されたウォン・リーの前に一人の男が立つ。この男の名はメラニー・ヒュー・カーバインだ。

 アナハイム会長にして、地球のみならず宇宙に拠点を持つ巨大企業にアナハイムを成長させた梟雄である。

 ウォン・リーは彼の腹心の部下だ。

 会長腰ぎんちゃくの社長はウォンと入れ替わるように会議に出席するため退室している。

 

「サイアムからの申し出だ。すでに例のことを嗅ぎつけていた。我々が回収した機体と娘のことをな。おそらくはカーディアス・ビストを送り込んでくるだろう。対策は考えている」

「は、リーク元はマーサ・ビストですか? 身内にオオカミを引き込んだようなものです」

 

 辛辣なウォンの物言いにメラニーは眉を動かしたのみだ。

 独自の財源を持ち、連邦政府と強い繋がりを持つビスト家はアナハイムのガン細胞とも言えたが、そのガン細胞を飲み込んでアナハイムは成長してきたのだ。

 お互いの尾を食らい合う蛇のように。

 

「子殺しの獣(ビスト)め。財団は何を要求しているのですか?」

「庇護だ。アレの情報を連邦に漏らすことはない。アナハイムが回収したものを守るためだそうだ」

「腹では何を考えているのやら……」

「こちらも手札をちらつかせて出方を見る」

「わかりました。その手札とやらは目を覚ましたのでしょう?」

「だから来てもらった。君が管理しろ」

「まったく人使いが荒いボスだ」

 

 与えられた役割にウォンは退室し研究室の扉を開く。

 診療所にその娘がいる。パナマで機体共々搬送の手続きをしたのはウォンだ。

 尋問して情報を引き出すのは彼の本業ではないが、これも仕事である。

 

「娘はどこだ?」

「先ほどまでベッドにいたのですが……」

「バカか!」

 

 ウォンは乱暴に吐き捨て室内の痕跡を探す。いるはずの娘が消えている。

 

「部屋をロックしていなかったのか?」

「していました。レベル4のセキュリティ・コードを使っていました。確認しています!」

 

 泣きそうな顔の看護師の相手をしている暇はない。レベル4のセキュリティを解除可能な装置でも持っていたのか?

 緊急警報のベルを鳴らすか躊躇したがすぐに歩き出す。捜索に警備員を借り出す必要はなかった。目的の少女は通路を曲がった先で見つかった。

 数歩先に女が倒れている。

 

「おい……」

 

 警戒はするが、呼吸が荒いことから膝をついて肩を揺さぶった。

 身に着けているのは病人が着る白衣だ。明るい栗毛の髪が一房落ちて広がる。

 体を抱き起す。軽い。痩身で体の肉付きは若い娘としては少なすぎるくらいだ。

 

「アレルギー反応か?」

 

 袖をめくると肌に見える症状をアレルギーと判断する。化学繊維に対する中毒症状だ。このような症状を前にも見たことがある。

 医者ではないが、メラニーの意向があれば世界を飛び回る。

 戦場での医療現場に立ち会うこともあった。応急処置も心得ている。

 呼吸不全を起こしていることから緊急と判断する。抗薬の投薬が必要だ。それに服も着替える必要があった。

 ウォンは娘を抱きかかえ診療所に戻った。

 

「すぐに抗アレルギー薬を用意しろ。それと呼吸器はどこだ? この娘が着ていた服もあるだろう」

「服? ですか?」

「あるだろう。出せ!」

 

 ウォンはベッドに少女を寝かせると勝手に呼吸器を見つけて装着させる。

 

「まったくグズグズしおって! 担当医を早く呼び出せ!」

「は、はい!」

 

 白いカーテンが引かれて看護師が服を着替えさせている。慌てた担当医がようやく姿を現して、やれやれとウォンは一息つく。

 そして警備室への直電を取っていた。

 

 

「──名前、出身、家族構成、所属、階級を述べたまえ」

 

 尋問を執り行う警備員は元は連邦の憲兵士官だ。今はアナハイム抱えの警備員として不審者の身元を調べている。

 取り調べ中の不審者は宇宙から飛来したロボットの中から発見された当時の服を着ているが、拘束衣を上から着させられて手腕の自由は奪われている。

 どんな剛腕でも拘束されていれば身動きできないが、目の前の少女にソレが必要とは男には思えなかった。

 しかしこれも仕事である。繰り返し同じ質問で問う。

 彼には事の詳細は一切明かされていなかった。目の前の少女が何者であるのか──

 

「名前……」

 

 唯一反応したのは名前だけだ。

 

「名前を言え」

 

 高圧的な言葉が少女を打ち据える。尋問の様子をマジックミラーの向こうでウォンと会長が聞いている。

 こうした現場に会長自ら同行することは珍しい。多くの場合、彼はメッセンジャーであり代行者となる人物を立てる。

 

「……リズエラ」

 

 ようやく引き出した言葉は名前だった。

 うっすらと思い出したのはリズエラという名前だけ。

 

「所属、階級を述べよ! いかなる組織の者か! 貴様はテロリストか?」

 

 ぼうっとした顔でその言葉を聞くリズエラの表情に動きはない。

 強面の尋問官と二人きりで心理的圧力を強いているにも関わらずリズエラに動揺の気配はない。

 同年代の娘であれば平気でいることはできないだろう。取り乱したり、状況を良くしようと進んで名乗り出す。

 警備員の顔に焦りが浮かぶ。上司の上司どころかトップの会長が鏡越しに見ているのだ。

 名前以外、何も聞き出せなかったでは済まされない。

 

「ここで正直に話した方が身のためだぞ。監房に入れられれば二度と日の目を見れんのだ」

 

 軍や警察組織ならともかく、アナハイムの施設に監獄は存在しない。この部屋も警備員が使う一室を尋問部屋に改装したものだ。

 脅し、なだめ、説得、そしてまた脅しの文句を投げかけるが「何も覚えていない」と首を振るばかりだ。

 

「あなたは──」

「何だ?」 

 

 ようやく覚えていない、知らない以外の言葉を耳にして警備員は希望に顔を上げる。だが次に出た言葉はより混乱に導くものだった。

 

「あなたは──私のマスターですか?」



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2話

時の鼓動さえ止まった世界の隅で誰にも届かぬ詩(うた)を歌っていた

凍てつく寒さの中で闇の中に咲いたその光が温もりをくれた

 

 

 

 ただ覚えているのは”声”だ。その声が私を呼び覚ました

 あまりにも多くの意識が、言葉がこの体を突き抜けて私の心は宇宙に放り出された

 そして光がどこからか差し込んで来るのかを見た。見えたのは青い星だ。生命をはぐくみ人類を送り出してきた地球

 その星に魂を引き寄せられるように光が生み出したゲートを壊れたロボットと共に飛んでいた

 その後のことは憶えていない。そして自分が何者であったのかさえも

──リズエラの手記──

 

 

 

「あなたは私のマスターですか?」

 

 リズエラの初めての質問に彼はうろたえた様子を見せた。

 

「何を言っている? マスターとはどういう意味だ?」

 

 マスター……それは私に命令をくれる人。何一つ覚えていないけれど、たった一つ、それだけは真実と言えるもの。

 私の存在理由(レゾンデートル)……

 

「──そこまでだ。聴取は中止しろ」

 

 突然スピーカーから尋問室にその声がこだまし警備員は中腰になって立った。すぐに二人の男が戸を開けて入ってくる。

 「君はもう下がりたまえ」と背の高いスーツ姿の男が告げると警備員は敬礼を返して後ろも向かずに退室していった。

 リズエラの目が警備員を追い、新たに現れた二人に注目する。高級なスーツだが一人はのっぽで一人は少し太めだ。

 扉が閉まり部屋にリズエラとスーツの二人だけになる。

 この二人はいったい何者なのか? こちらの質問には答えてもらえるのか? 今の自分が置かれている状況からして回答は期待できない気がする。

 背の高い男が「会長、どうぞ」と席を勧めると恰幅の良い男が取り調べ用のパイプ椅子に座った。

 男が会長の隣に立ってリズエラを見下ろす。その威圧感にリズエラは居心地の悪さを覚えた。先ほどの警備員の尋問でも感じなかった感覚だった。

 目の前には柔らかい笑みを浮かべた男が座っている。対照的な印象を与える二人だ。 

 

「私はメラニー・ヒュー・カーバイン。こちらのウォンは私の部下だ。君を保護した男だが覚えていないかね?」

 

 その問いにリズエラは首を振って応える。初対面のはずだ。

 

「診療所での記憶はないのだね?」

「はい……」

 

 ウォンと呼ばれた男にメラニーが顔を向け頷きが返る。メラニーがリズエラに視線を返す。

 

「私たちは大変困っている。君がどこから来て、何をしようとしていたのか。君が乗っていたアレが何であるのかさえわからない。これがわかるかな?」

 

 見せられたのは写真だ。

 焦げ付いた装甲のロボット。むき出しになった胸骨。分解されたそれらは標本のように並べられている。

 わからない……記憶の欠片の断片でも引っかかるものはあるかと写真を見る。

 彼はそれが何であるのか説明しようとしなかった。ウォンも無言でリズエラの様子を観察しているようだ。

 メラニーはこちらの答えがないとわかると間を置いて話し始める。

 

「君が着ている服も、身に着けていたものも、我々が知る材質ではなかった。これを君はどこで手に入れ、何のために使用していたのかわかるかな?」

 

 ビニール袋に入ったクリスタルが目の前に置かれる。

 

「あ……」

 

 手を伸ばそうとして拘束された衣の中で動いた。無意識の動きだったといえる。

 二人の注意深い観察の目を意識する。

 

「さあ答えて」

「……わかりません。何がどうなっているのか。ここがどこなのかも。私は誰ですか?」

 

 たどたどしくリズエラは答えた。答えが目の前にあるのに記憶は何も教えてくれない。

 アナハイムが極秘裏に保護したこの少女の身元や所属を示す物は、パナマでの発見当時に調べたが何も持っていなかった。

 機体に刻まれた十字のエンブレムと同様のものが服にあったが、それが所属を示すものであれ同一のものを彼らは知らなかった。

 

「我々は君を助けたいと思っている。君の体のことも承知している」

「からだ……?」

 

 顔を上げて二人を交互に見る。

 

「重度のアレルギー体質を抱えているね。現代医療でも治療は難しいようだ。これから生活していくのにおそらく苦労することになるだろう。でも私は助けてあげることができる。その代わり、君も私を助けてほしい」

 

 我々ではなく個人的な「私」という言葉になったことを不思議に思いながらリズエラは頷き返す。

 この状況は自分にとってもあまり良いことではない。

 

「助けてほしい?」

「はい……何も覚えていないのはつらいです」

 

 クリスタルに映る歪んだ自分の姿を見ながら応える。

 

「良かろう。では双方とも合意に至ったところで私は君に取引を申し込みたい」

「取引?」

「ウォン君、拘束衣を解きなさい」

 

 体を縛っていた拘束衣の圧力が解かれる。私はようやく自由を取り戻した。

 二人の前にファティマ本来の服が現れる。

 ジョーカーにおいては宇宙用のマンティック・モードと呼ばれるものだ。体にぴったりしたスーツの上からゆったりした衣を羽織るスタイルで宇宙でのストレスを排除したデザインとなっている。

 丁寧に洗濯されて汚れてはいない。 

 

「これは同意書だ。すでに私の名前が書いてある。君はサインをしてくれればよい。内容について説明しよう」

「はい──」

 

 そして私はその「契約書」にサインすることになる。自分がこの世界で生きていくために──

 

 

「──リズエラ・カーバイン様、お通りください。ようこそインダストリアル7へ」

 

 恐縮するように告げた係りの者へ礼を言ってリズエラは港の改札を抜けた。カーバインの名を持つことの意味をリズエラ以上に彼は知っているようだ。

 記憶を失っていた私はアナハイム・エレクトロニクス社の会長であるメラニー・ヒュー・カーバインの養女として迎え入れられた。

 あのとき差し出された書類は「契約書」だった。

 その契約の証としてアナハイムに協力することを約束させられた。

 その選択に否という答えは存在しなかった。記憶を失う以前のことは何一つ思い出せなかったからだ。

 記憶の唯一の手掛かりとなるのはエメラルドのクリスタル──それは電子情報体の塊であり頭脳そのものと言えるもので私が発見されたときに持っていたという自分の持ち物だった。

 

 ここに来る前にフォン・ブラウンにあるアナハイムの支社で沢山の試験を受けた。

 再度の健康診断に最新機器による耐G圧テストから始まり……大きなマシンの操作やプログラムの組み立てもした。

 自分でもわからないけれどどれも簡単だった。初めてのマシンでも直接触れてみればその子のことは何でも理解できた。

 熟練のパイロットでも困難な芸当もできたがウォンさんに調子に乗るな、と怒られました。

 パスワードを解くのも得意だ。アナハイム最高のパズルを頑張って数分で解いたらウォンさんにもう少し配慮しろ、と言われました。

 ウォンさんはダメ出しばかりします。もっと褒めてくれてもいいのにとリズエラは思うのです。

 地上へ降りるエレベーターに乗り、ゼロG域から重力のある空間へと降りていく。その間の重力カウントを一緒に乗り合わせた子どもたちと一緒にカウントダウンをする。

 

「六、七、八……」

 

 地上の風。いや人口の風を受けてリズエラはインダストリアル7に降り立つ。子どもたちにバイバイを告げて、ターミナル周辺の建物を確認していく。

 

「リズエラ、ちんたらするな」

「はい、マスター」

「それはやめろと言っただろう。マスターではない」

「はい、ウォンさん……」

 

 しおらしく言い直す。でも、私に命令をするのはウォンさんだけです。

 フォン・ブラウンでは会長の養女に命令する人は誰もいませんでした。

 命令されて、言うとおりにできたとき、私はとても嬉しく思います。マスターの命令がないと私は何もできません。

 

「迎えが来るはずだが……」

 

 ターミナル広場の時計をウォンが確認する。時刻は夕刻に差し掛かった頃だ。

 

「てい」

 

 リズエラは噴水の淵に立ってバランスを保ちつま先だけで歩く。迎えが来るまで暇を潰すことにした。

 宇宙での無重力に慣れると、1G重力下でのバランス感覚がひどく鈍る。約ゼロコンマ%程度の感覚のずれをこうやって修正しているのだ。

 

 出会った頃に比べればリズエラの感情の表し方や行動には変化が見られる。

 年相応に振る舞うように指示はしたが、短期間でずいぶんと変わった。初めはまるで感情のない人形のようだったが……

 ウォンの観察の目がリズエラに向けられる。

 

 リズエラが着ているのは新品の制服だ。アナハイム工業専門学校の制服だが、その服の仕立ては通常のモノとは少し異なっている。

 はた目からそれが天然素材で作られているとは気が付かないだろう。特別なアレルギー体質に配慮した制服なのだ。

 極めて自然光に近い夕日を浴びてリズエラはヴァイオレットカラーの瞳を細める。市内は地球で見かける町と何ら変わることのない日常の光景が広がっている。

 すれ違った人々の好奇の目が二人へと向けられる。親子というには二人の雰囲気は違い過ぎていた。

 

 アナハイム直轄の会社統治領としてインダストリアル7は存在している。サイド5の密閉型工業用コロニーで建造歴はまだまだ浅いため拡張を続けている最中だ。

 なので大地として人々が活用できる空間は限られているが、すでに市と言えるほどの人口規模と経済活動を行うのに問題がない施設が建てられている。

 リズエラが通うことになるアナハイム工業専門学校もその一つだが、それは隠れ蓑だ。彼女がここに来させられた目的は──

 

「ウォン様とリズエラ様ですね。私はガエル・チャンと申します。お迎えに上がりました」

 

 屈強な体つきの青年に声を掛けられ、リズエラはヴァイオレットの瞳を黒いスーツの男に投げかける。いかつい顔をしているが物腰は柔らかい。

 その名は知っている。彼がビスト家のボディーガードで執事だということはウォンさんから聞いていた。若いができる男だと。

 

「理事長のカーディアス様がお待ちです」

 

 ガエルのすぐ後ろにはリムジンが控えている。

 

「ではよろしく頼む」

 

 二人は迎えのリムジンへと乗り込んでいた。

 向かう先はメガラニカ。ビスト家の本拠があるインダストリアル7の中核だった。

 ウォンさんからはビスト家では大人しく振る舞え、会長の養女らしくしろと命令を受けています。

 はい、私は命令通り振る舞えます。マスター。

 

 

 現ビスト家の当主カーディアス・ビストは当年四〇歳。男として円熟期を迎える年齢だ。

 すでに外は夜の暗黒に包まれていた。窓ガラスに映るカーディアスの後ろには執事のガエルが控えている。

 アナハイムから来た二人との会見はすでに終わっていた。

 

「あれがアナハイムの手札というわけか……ガエル、お前にはあの娘はどう映った?」

 

 視線を外に向けたままガエルに問う。

 先ほどまでこの部屋にアナハイムのウォン・リーと会長の養女リズエラがいたのだ。まだ片付けていないカップがテーブルに残っている。

 

「普通のティーンエイジャーの少女ですが、あの年頃にしては落ち着いて見えます。カーバイン会長の養女となれば当然かもしれませんが……」

 

 噴水で戯れていた姿ではなく、この屋敷に来てからのリズエラを思い出してガエルは答える。

 名うての企業家であるメラニー・ヒュー・カーバインが突然養女を迎えたというのも驚きの話だ。それもアナハイムが極秘裏に回収したロボットと共にいた少女であるという事実──

 ビスト家はアナハイムとは切っても切れない強い繋がりがある。内部のビストと繋がる関係者が常に情報をもたらしてくれる。

 宗主である祖父サイアム・ビストがアナハイムの専務の娘と結婚して名門ビスト家を継いだ。

 その後、社会貢献事業を隠れ蓑にしたマネーロンダリング組織を作ってビスト財団を立ち上げ今の礎を築いたのだ。

 当主の座と財団を継いだカーディアスはそのかじ取りのすべてを任されている。 

 あの少女にどれほどの価値があるというのか? それを見極めるための会見であったが、こちらの意図を知っていたのかウォン・リーとの対話に時間を割かれた。

 

「会長の腹心か……しかし、あっさりとこちらの要求通りにあの娘を送り込んできたからには注意を怠るな」

「二人とも監視は引き続き行います」

「うむ、下がってくれ」

「はい」

 

 ガエルが退室する。

 あの少女──見た目は非常に美しい娘だ。その姿に心惹かれる男は数多といるだろう。

 初対面であったしろくに会話はなかったが、何か表現しがたい感覚を感じた。

 それが何であったのかを言葉で表現することは難しい。しかし時間はある。その答えをあの少女自身から得られるかもしれない。

 アナハイムとビスト財団に利益をもたらす存在であるのか?

 

「あるいは……」

 

 その言葉の続きは夜の空へと消えた。

 

 

「必要なものはすべて揃えてある。私の部屋は隣だ。何かあれば呼べ」

 

 ビスト邸の一室。来客用の部屋はただの学生には広すぎる一室だった。

 調度品の一つ一つが地球産というのも、美術品や骨董品などの世界遺産を保護するビスト財団ならではといえよう。

 特に感慨もなくリズエラは室内を見回して「わかりました」とウォンに頷く。リズエラに芸術のことはわからない。

 開いた扉の側にもう一人案内をしたメイドの少女が立つ。

 

「外部との接触はほとんどなく決められた者しかこのメガラニカの区画には立ち入れん。セキュリティに関してはまったく問題はない。必要なものが揃うまでお前には普通の学生をやってもらう」

「はい」

 

 それが契約である。その時が来るまでアナハイム・エレクトロニクス工業専門学校の生徒として過ごすのだ。

  

「起床はゴーマルマル。朝食を済ませたら毎朝医師の診断を受けて外出の許可を貰え。学校の送り迎えの時間には遅れるな」

「ウォンさんは来ないのですか?」

「私が学校に通う必要がどこにあるのかね?」

「通いませんか?」

「当たり前だ」

 

 眉をしかめるウォンにそうですか……と呟いてメイドの少女に見られているのに気が付く。

 赤毛にとび色の瞳のメイドはリズエラとほぼ同じ背丈で年頃もほぼ変わらないだろう。

 

「学校までは私が同行します。私はニムエと申します。リズエラお嬢様」

 

 お嬢様? 呼ばれなれない響きだ。アナハイム会長の養女であるという自覚はリズエラにはまだない。 

 幸運にもその立場になれる人物は万人に一人もいないのだが、その価値があると認められ選ばれた存在に対する興味がニムエの目にあった。

 ウォンのニムエに対する目は厳しい。ニムエがビストの監視役の一人だと見抜いている。

 

「あなたも同じ学校に通うのですか?」

「はい。ご一緒させていただき光栄です」

 

 役目から出た言葉なのかはわからないがリズエラは「よろしくお願いします」と返す。

 

「ここでは誰にも心を許すな。うかつなことも何一つ漏らすな。学校での会話や、あの娘に話したことも漏らさずすべて私に報告するように」

「わかりました。すべて記憶します」

 

 ニムエが退室した後、ウォンが切り出したのは報告の義務である。 

 真剣、な顔のウォンにリズエラも真剣、という顔を作って返事を返す。

 あれ、敬礼した方がいいのですか?

 

「何だその手は」

「了解という意味です」

 

 軍人風にポーズを決めるリズエラにウォンは手厳しい。

 

「いちいちやらんでいい」

「はい……」

 

 少し気にいっていたので残念です。

 こうしてインダストリアル7での私の新しい生活が始まったのです。

 

 

検体の報告書──

 

 外に気配がないことを確認してウォンは鞄から書類を取り出す。

 ウォンの手元にあるその報告書はリズエラの診断を行った医師のものだ。それは前に一度、直々に聞いたことでもある。

 体に出たアレルギー症状を抑える薬を投与し、ようやく落ち着いたリズエラが眠る横で聞いたものだ。

 

「信じがたいことですが……あの少女は普通の人間ではありません」

 

 全身をスキャンし投影した画像を持つ担当医の手は震えている。

 

「普通ではないとはどういう意味だ?」

「現人類の遺伝子とあの少女の遺伝子配列が異なるのです。自然に生まれた生き物にはない遺伝子があるのです」

 

 遺伝子治療の治験はアナハイムでも行われている。それは使いようによっては肉体の強化や、失われた機能の再生に用ることができるものだ。

 遺伝子移植は珍しい技術ではないので聞き流す。

 

「骨格も異なります。一般的な女性の骨格と比べるとよくわかります。医師であれば誰でも気が付くと思います」

「わからんよ。それだけでは。少し落ち着きなさい」

「ええ……」

 

 興奮気味の担当医が一息つくのを待つ。

 

「……動物や私たち人間の体には共通して流れる微量の電子があるわけですが、採取した細胞に同量の電気を流してみたところ情報伝達の速さが異常でした。並の反応速度ではないのです」

「それは肉体の反応に現れるものか?」

「はい。神経の反応速度だけではなく肉体能力も想像を超えた機能を発揮するはずです。アスリートの比ではない」

 

 もし娘に意識があればウォンは無事ではなかったかもしれない。 

 

「人の神経であればこの反応速度ではすぐに焼き切れてしまう。一度に大量の情報を受け取ればショートしてしまうのと同じです。人間の有機細胞では耐えられません。しかし……この細胞は強靭です。凄まじい量の情報を一度に伝達し処理する機能を備えている」

「わかりやすく言え──」

「彼女の脳は伝達された情報を高速で処理し、瞬時に判断し機能することができる。云わば人間電子演算機です」

「人の反射神経を遥かに上回るコンピューター人間?」

「そう言っても過言ではないと思われます」

「そんな人間が地上やコロニーを闊歩しているというのか? にわかには信じられん話だ」

「それに……生殖能力はありません。少なくとも通常の方法で妊娠することはありえない」

 

 通常の交配で生まれてくることがない人間。今の世の中ではクローン人間すら生み出せるが、人を超越した能力を持つ人間となると、薬物や遺伝子実験による強化以外ではありえないと言っていいい。

 そして人工的に生命を創り出すことは禁忌である。少なくとも今の世ではそうだ。

 しかし目の前にあるモノが狂った実験の産物だというのならば──ウォンは初めてうすら寒いものを背中に感じていた。

 

「もう何を聞いても驚かん。つまりアレは人間コンピューターで、人を超える反射神経、腕力を持つ……人造人間だとでも言うのか……報告書に書ける話ではないぞ?」

 

 それが紛れもない事実だとしてもだ。そんな真実は世間に公表できるものではない。人類を脅かす存在であるからには。

 

「誰にも口外は無用だ。老後の年金と生活を満喫したいのならな」

「とうてい信じてもらえる話ではないでしょう……」

「違いない」

 

「マスターか……」

 

 自分に与えられた役どころをウォンは呟く。

 口ではマスターと呼ばれることを否定しても、あの娘を制御するのに必要な部品として自分も送り込まれたのだ。

 目の前にある書類は本社の担当医が語ったことを証明するものだ。アナハイムはこの少女の存在をブラックボックスに隠す。

 誰にも知られず、誰も知ることなく、一部の人間だけでその存在を隠し通すこととした。

 メガラニカはそのための檻であった──



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3話

「レイ課長、RCX-76ラインの調整完了しました。ようやくこのモビルスーツ・プロジェクトも佳境ですね」

「ん? ああ、そうだな」

 

 テム・レイ課長はアナハイム社のガンキャノン開発主任だ。

 RCX-76はMBT(主力戦車)として開発が進められ、その実験機としての形が完成したばかりだ。

 ミノフスキー博士の一番弟子ともいえるレイ博士にとってこのプロジェクトは人型機動兵器の礎となるもので、同社のガンタンクに並ぶ軍事部門の主力製品となるはずだ。

 惜しむらくはMBTの枠内として扱われたので仕様に対する制約が多かったことくらいだろう。

 

「ガンキャノンのプロトタイプ実験が終われば、課長も次のプロジェクトに移られるのでしょう?」

「まあ、そうなるだろうな。モビルスーツ事業はおそらく拡大する。他社に後れを取るわけにはいかないからな。次のプロジェクトが進められるだろう」

「課長もモビルスーツ開発チームに参加なされるのでは?」

「どうかな? 私にお呼びがかかればだが……」

 

 そう言いながら遅めの午後のコーヒーを口にしてテムはモニタに移るガンキャノンを眺める。その隣に息子のアムロの写真がある。

 声をかけられるという自負はある。ガンキャノン開発を軌道に乗せ、次のバージョンもお披露目が可能なところまで来ていた。

 テスト機の開発が終わればこのチームを離れることになるだろう。

 今日は早めに帰ってアムロと久しぶりに食事をするのもいいだろう。父親らしいことをするのも久しぶりだ。

 

「課長、それ、何ですか?」

 

 テムの机にあるディスクを部下が目ざとく見つける。

 

「ああ、本社の友人が解析班にいるんだが興味深い映像があると言ってこっそり送ってきたんだ。社外秘だぞ」

「へえ、それはそれは……大丈夫、黙っておきますよ。こう見えても口は堅いんです」

 

 部下は口にチャックするしぐさをする。

 

「そうしてもらえると助かる。まあ社外秘と言っても大した映像でもあるまいよ」

「そうですね。ではお先に失礼します開発主任殿」

「気を付けて帰りなさい」 

 

 どうせ大したこともあるまい。部下にも言った通りテムは軽い気持ちでディスクの再生ボタンを押した。

 

●REC:

 

 画面に一人の女が映った。技術者定番の白衣姿だ。

 研究者らしい外見で化粧もナチュラルで大雑把な部分も見られるが当人は恐ろしいまでの美女だった。

 テムとしては初対面だが、彼女がクリスティン・マリア・ナガノであることは知っていた。

 アナハイムは男やもめの技術者が多い世帯であるので美人博士の存在は噂に上がる。

 十代で天才博士の名を得たという。確か兵器部門にいたはずだ。

 

「私はクリス・マリア・ナガノ博士。パナマ沖で見つかったというこのマシンの解析チームに参加して三日が経っている。このビデオは解析班の記録用メモリに保存され倉庫行きだ。きっと日の目を見ることはないだろう。このマシンも封印されブラックボックスとして扱われなかったことにされるのかもしれない。それはともかくだ。我々が解析したマシンがなんであるのか大雑把だが解説していきたい」

「マシン?」

 

 時間を気にしながらテムは映像が移動するのを見守る。送り主のメモではとんでもないものが見れるとだけあった。

 

「何だ、これは?」

 

 解体され、すべての装甲と電装部品を取り除かれたそれは人体の骨格標本のように横たわっている。 

 上からのカメラと横からのカメラが同期して映し出される。

 人型のモビルワーカー……いやモビルスーツに違いない。ジオンで開発されているというMSの存在はまだ噂の域を出ない範囲だが把握している。

 それがどのような性能を持つのか……連邦もアナハイム上層部も脅威と見ていないことも。

 

「このマシンの胸骨から腰までのものが人間の骨格を思わせるものであることが見て取れる。マシンの竜骨フレームがこれほどの太さを持つことは私たちの常識にないことは見ての通りだ。これまでに開発されてきた機動兵器でこれほど人体に近い構造のマシンは存在しないと言っていい」

 

 次にマシンの関節部。手、腕、腰、脚、足に至るまでの映像が流れる。

 思わず身を乗り出して細部を確認しようとするが解像度の問題で細部までは確認できなかった。

 

「ええい、カメラが遠すぎる」

 

「これらの関節部にこもった熱などを排出する機能も興味深いものがある。肩骨と鎖骨の間にある器官。あえて器官と呼ぶが、関節部にたまった熱を肩骨の下から排出する機能があるのが見て取れる」

 

 背中、排出機関らしい部分を映すが黒く煤けている。

 

「ボディの構造を見てほしい。肩甲骨に当たるフレームに両腕が釣り下がるようにある。片腕がないが、鎖骨、上腕部のパワーシリンダーとリンクし連動するようになっている。これは非常に人間に近い動きを可能にする構造だ。肩から背中にかけてある装甲は非常に硬く作業用のダイアドリルを砕くほどだ。これを破壊するのは不可能に近いだろう。それよりも強固なのが腰の骨盤だ。人間の骨盤とは異なるが機能的には同じと言っていい。実に重層で解体不可能な部分だ。脚部とはボール型のジョイントで繋がっていて非常にシンプルな構造と言える。脚部のデザインも非常にパワフルで美しい構造になっている」

 

「ミス・ナガノは脚フェチと見えるな」

 

 冷めたコーヒーをテムは口もとに運んで笑う。技術者にはありがちなこだわりだ。

 

「関節部を動かすためのパワーシリンダーの繊細さはまさに芸術的だ。パワーシリンダーは人間の筋肉と腱同様の働きをする。伸ばしたり走ったり、人同様の動きを可能とする。この膝部分にあるV型のシリンダーは膝やかかとを伸ばし、X型のシリンダーは相当の衝撃を吸収し、また躍動する関節から圧倒的なパワーを生み出すものだ。これらの駆動系シリンダーを動かすエネルギーはエンジンから賄われているものと推測する。関節個別事のモーターやギアは存在せずパワーシリンダー単体が駆動の主軸となっている」

 

「信じられん。まさに人体の動きを完全再現するために作られたマシンか……」

 

 次に映し出されたのは卵型のコクピットルームだ。頭部から外されてナンバーを振られ単独部位として扱われている。

 

「これは見ての通りコクピットであると思われる。とはいえ、通常の機動兵器で想像するものとはいささか趣向を別にする。このコクピットは多重構造で高圧ジェリーの中に浮いたような形になっていた。なっていた、というのもそのジェリーも分析に回してしまっているからだ」

 

 そこは不満だという顔でクリスはホワイトボードの前に立ちペンで図面を描き出す。

 

「ここにあるコクピットは中に浮いている部品だ。ここにマシンが得る情報が集まるが興味深いことに人間の頭蓋骨と大脳に近い設計だ。竜骨神経を通じて情報伝達の受信を行っている。文字通りここが頭脳となる場所だと言える。惜しむらくはその頭脳とは別にもう一つコクピットが胸部に存在した。おそらくこのマシンの操縦を知る上で最も重要な部分は欠損している」

 

 アンノウンのコクピットに丸が入る。

 パイロットの肉体の動きを直に伝え、反応速度に応じた行動をマシンが実現させると続き?マークが書かれる。

 

「ふむ……しかしそれ相応の反応速度がなければ兵器に対する対応は遅れるだけではないのか? よほどの訓練を積まなければ難しい気がするが……」 

 

 従来の機動兵器とコンセプトが違い過ぎる。そのような兵器をどのような目的で作ったのか?

 白兵戦にしても人間の身体能力で考えると現実的ではない。

 

「頭脳である頭部のコクピットとは別にもう一人の操縦者がいたはずなのだ。その一端でも知るべくあらゆる方法でマシンが起動できるか試したが不可能だった。このマシンに用いられる電装システムは見た目は私たちが知るものと非常に近いものがあるがまったく異なるエネルギーで動いていたのだ」

 

「まったく別のエネルギー? いったい何だ?」

 

「このマシンの心臓部。つまりエンジンがこれまでのモーター産業史に存在しない技術で作られているものだということは技術者であれば一目で見抜くだろう。もったいぶったがこれがそのエンジンだ!」

 

 無数のプラグが頂点に集中し硬い傘の金属に繋がっている。幾重にも重なる傘が殻のように球体上の核部分を覆ってた。

 

「これはなんだ? そう思うことだろう──」 

 

「これは……なんだ? エンジンだと? これがエンジンだというのか?」

 

 食い入るように映像を見ていたテムが立ち上がって机を叩く。誰もいないオフィスを見回してこぼれたコーヒーをふき取る。

 

「エンジンと考えるとこれだけの質量があるマシンを動かすには小さすぎるように見える。このエンジンの中核は何重もの堅固な装甲で覆われ守られている。この中心にある核のようなものが途方もないエネルギーを生み出していたのだ。我々の常識を凌駕するこのエンジンがどれほどのエネルギーを生み出すのか? 答えは逆算的に計算するしかない。このマシンのボディと質量に加え、竜骨の強度。機体にかけられたであろう負荷を分析し解析する──」

 

 クリスの説明を聞きながらテムはとっくに帰ると決めた時間を過ぎていたことに気が付く。

 

「もしこれを見る者がいるとすればだが、これはお伽話だ。科学者が見る夢物語として記憶に留めておくといい。そしていつの日かこのマシンの様な兵器を創り出す時が来るのかもしれない。科学の進歩と共にね……この一見ただの装甲に見える金属もただの金属ではない」

 

 クリスが下がり床に置かれたナンバーを振られたいくつもの装甲が映される。

 

「これが解体前のマシンの姿」

 

 ホワイトボードにモーターヘッドの骨格のシルエットが描かれ、取り外す前の装甲の絵が重ねて描かれる。

 

「絵心はあるな」

 

 テムが想像するMSの姿とはだいぶ異なる。張り出した肩の装甲の構造は、それがどんな意味を持っていたのかは想像しにくい。

 キュッとしまった腰の部分は装甲らしきものは見えないが相当な耐久力があることは理解できる。

 最初に見た竜骨の堅牢さからそれは明らかだ。

 腰元から伸びたスカートは腰回りを防護し女性のフォルムのようにも見えた。

 無骨なマシンだが美しい芸術品を思わせた。テムからすればまるで理屈に合わない姿だ。

 これは兵器と呼べるのだろうか? 誰が求めるのだろうか、と?

 

「さて一見ただの鉄板に見えるがこの金属は生きている。生きているというと語弊があるかもしれないな。これは三日前に撮った同じ装甲だ。並べて見てもらうとよくわかるだろう。傷ついた部分の比較を」

 

 現在の装甲の色、つやは明るく写真は煤けている。そして装甲についた傷は現在のものは薄く消えかかっていた。

 

「この装甲には全く細工はしていない。三日前からほぼ放置していたものだが、明らかに再生している。再生金属。元の形に戻ろうとする性質がある金属は一般的に知られているがまったく別のものだ。これは明らかに人体が傷を治すように復元し回復させている。ここまで来るともうSFと言っていいだろう」

 

 架空の科学小説、ドラマ、映画。一昔前の虚構は今では圧倒的に現実の技術が上回る世界ではSFという言葉は陳腐なという意味での呼び方でしかない。

 だがテム・レイ博士にとっては違った。彼は打ちのめされる。このビデオは紛れもない本物だと直感が告げている。

 友人がなぜこれを送ってきたのかの意図はわからないでもない。ビデオは終わりモニターはテムの顔を映した。

 

 テムはミノフスキー博士の弟子という強い自負を持ちながらも、現状の機動兵器の常識を超えるものを作ってはいなかった。 

 この私にガンキャノンで満足しろと? 

 自らの手でモビルスーツを造る──密かに胸の内に温めていたものがふつふつと熱を帯びて現実のものになろうとしている。

 これは何だ? 科学の躍進だ──

 オフィスを後にしてテムは暗い闇の向こうを見据え帰宅の途に就く。 

 

「父さん帰ったの? お帰り……」

「ただいま、アムロ」

 

 玄関の音に息子のアムロが階段から降りて下を覗く。いつも通りの遅い父親の帰宅だ。

 

「食事は済ませたか?」

「ああレトルトを食べたよ」

「ちゃんとバランスを考えて食べなさい」

「わかってるよ、父さん」

 

 食べるものに口を出されて迷惑とアムロは返す。父親らしいことなど口先ばかりが父という人だ。

 

「父さんは食べないの?」

 

 慌ただしく階段を上がって部屋に入るテムの背中に言葉を投げかける。

 

「まだ仕事がある」

 

 そう言って奥の部屋に入っていくのをアムロは階段上から見送るのだった。

 

「家でも仕事か……だから大人ってのは……」

 

 アムロは分解中の機械の整備に部屋に戻っていた。

 テムは部屋に入ると着替えもせずに鞄を放ると早速コンピューターを立ち上げる。サーバーたちが電子音を立てながら室内に光の列を作る。

 テムが所有するコンピューター群は家にいても仕事ができるように環境を整えてあった。

 新型RX計画。

 ガンキャノン開発の傍らでテムが内密に進めてきたモビルスーツの全容がそこにある。

 

「私は夢物語に留めるつもりはない──」

 

 モニターを睨むその目はあのディスクのせいで燃え上がっているのだった。 

 

 

 ──北米アナハイム本社。一人の若い女がコート姿で表に姿を現した。冷徹な美貌を持つ顔は目元を隠すバイザーで覆われている。

 警備の横を抜けて歩くさまは一流のモデルのようでもある。黒く長い髪は艶やかに腰まであったがよく手入れされて輝いている。

 

「ナガノ博士でいらっしゃいますね?」

 

 背の高いスーツ姿の男がクリスの進行前に立って声をかけた。バイザーで表情を映さない女の目線が男に投げかけられる。

 

「どちら様ですか?」

「マーサ・ビスト・カーバイン様が車でお待ちです」

 

 クリスの先に止まっている車がある、黒塗りの高級車はアナハイムの幹部用といったところだ。

 それは有無を言わさぬ命令であった。相手が誰であるのか知らぬでは通らない名前もある。

 むろん、クリスは彼女の名を知っている。が、その人物との接点はまるでなかった。会ったことさえないはずだ。

 兵器部門では開発部長に逆らって爪はじきにされ、開発チームを追い出されて田舎の資材課に飛ばされたクチだ。

 それが呼び戻され謎のマシンの解析チームに組み込まれた。すべての情報を口外しないという機密書類にサインさせられチームは解散となっている。

 それがビスト? ビスト一門に目を付けられるようなことをした覚えはない。

 それもアナハイムにおけるビスト代行人である彼女から直々に呼ばれるなどありえないことだ。

 壮大なクビ宣言というわけでもなさそうだ。

 クリスは逆らわずに歩きだす。一生乗るかわからないような高級車のドアが開き、同じく高級ブランドの服に身を包んだ女が座っている。

 広い後部座席に乗り込んでクリスはマーサ・ビスト・カーバインと向かい合う。

 

「あなたはアナハイムの研究員の中で最も若く、最も優秀な技術者と聞いているわ」

「どうでしょうか? 人に逆らって左遷されて物置でくすぶっていた女です。戻っては来ましたが、そのチームも解散したので今は社内のフリーランスですね」

 

 フリーランスと言ったが、資材課に帰れば物置場の管理者である。戻る場所といえばそこしかない状況だ。

 

「はっきりモノをいう性格ね。そういうところは好きよ、あなた」

 

 マーサの探るような目をクリスは無表情でかわす。バイザーを外し、自分を呼んだ意図が何なのかを尋ねることにする。

 

「では、何の用ですか? 私はご機嫌取りはしません。そういうことができる質ではない」

「私の周りにそういうのは溢れるほどいるから心配はいらないわ。私はあなたが欲しいのよ。新しく立ち上げるプロジェクトにね」

「プロジェクト?」

「ビストとアナハイムで進めるモビルスーツ開発計画……その責任者にあなたを雇います」

「モビルスーツと仰いましたか?」

「あなたのレポート読んだわ。素晴らしい観察眼の持ち主ね。そして柔軟に対応する能力を持っている。あなたを解析チームに入れたウォンの目に狂いはなかったわね」

 

 ウォン・リー。会長の腹心という人物。クリスはウォンが自分を解析チームに入れた当人だとは聞かされるまで知らなかった。 

 

「私を雇う? ビスト家がですか?」

「アナハイムからの正式な辞令の通達も出すわ。しかるべき立場で主任として開発チームを率いてもらいます。十分な施設と工場を提供もできる」

「私をチームに入れると決めた理由をお教え願いたい」

「気に入ったからよ。あなたは従来の古い考えを正し、新しい世界を切り開くことができる。男に逆らったからといってその道を潰すことはない。これからはそういう時代なの。あなたは若く、美しい女で、可能性を実現させる意思がある」

「買いかぶっておられるようです」

「いいえ、買いかぶってはいない。あなたはきっと引き受ける。連絡を待っているわ。三日以内に返事を頂戴」

 

 マーサが差し出したカードには連絡先が記してあった。それを受け取りクリスはバイザーを身に着ける。

 

「話は聞きました。では、失礼」

 

 短く告げてクリスは車を出る。微笑むマーサを後にしてドアが閉まる。そして車は走り出して夜の街に消えた。

 野心的な女だ。ほんのわずかな合間の会話でクリスはマーサの目に宿る野心めいたものを見た。

 

「可能性……モビルスーツか……」

 

 そう呟いてクリスは踵を返して歩きだす。

 宇宙世紀0076年初春──後にRX-78と呼ばれることになるモビルスーツの開発計画が初動を開始しようとしていた。




 


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4話

 月のフォン・ブラウンを出港した輸送船の白い船体にはAE(アナハイム・エレクトロニクス)の船籍を示すマークがある。

 航路はサイド5を目指す。その航路をさらに伸ばせば地球から最も離れたサイド3にジオン公国のコロニー群があった。

 汚れた地球から吐き出された宇宙の棄民たちスペースノイドは地の果てでコロニーを建造し、やがて彼らはサイド3で自給自足を可能とするまでに成長した。

 地球連邦からの脱却を宣言し、サイド3独立の礎を築いたジオン・ズム・ダイクンの死から八年余りが経つ。

 ジオンが築いた地位を簒奪したザビ家の支配が確立したサイド3ジオンは不気味な沈黙を続けていた。

 

「──奥様、グラスをお下げしても?」

「あら、もう一杯くらい楽しむ余裕はあるのではなくて? お兄様もあそこから逃げ出しはしないでしょうし」

「はい、奥様」

 

 女の手元にあるグラスに新たなワインが注がれる。

 地球から離れ遠くサイド5──ルウムの宙域にまで来たのは物見遊山ではない。アナハイムとビスト財団の「共同事業」の試金石を届けるためだ。

 暗礁地帯のコロニー群を抜けた先にインダストリアル7がある。

 アナハイムが所有する工業コロニーの一つとして存在するが、そこにビスト家の本拠があることは一般には知られていなかった。

 

「死にぞこないが眠る棺桶……もうあなたの時代ではない。おじい様」

 

 男の社会に切り込むのだ。これは手始めの挨拶に過ぎない。 

 マーサ・ビスト・カーバイン──アナハイムに表と裏で君臨する二つの名を戴く妖艶な美女。グラスに映る自分の顔を眺めて芳醇な液体を呑み込んだ。

 マーサは母譲りの美しい髪を指先で梳く。兄のカーディアス・ビストとは歳は五つ離れている。

 まだ世界が明るく光に満ちていると信じていた少女時代に父を奪われた。あの頃の私は無力で愚かな娘でしかなかった。

 残酷で恐ろしいことに実の祖父が父を殺したのだ。それを知って以来、マーサの胸に宿った黒い怨念は男社会への復讐という消えぬ炎となって身を焦がし続けている。

 カーバイン家に嫁いだが野心の炎を継がせるには夫は脆弱過ぎた。会長の縁戚である夫はただの腰ぎんちゃくでしかなった。

 男の後ろを歩くだけのお飾り。利用されるだけの女で居続けるつもりは毛頭ない。

 そして証明して見せる。自分の力を──

 

『インダストリアル7が見えます。入港手続きに入ります──』

 

 艦内放送が響き窓の外に目を向ければ闇夜にぽっかりと白く輝くコロニー──インダストリアル7が見えた。

 

「そのためならば何でも利用してみせる──」

 

 マーサは後部座席に座るもう一人の同乗者に目を向けて笑うのだった。

 

 

 リズエラは今日の授業の予定を確認する。

 アナハイムの学校での生活は一週間目を迎えました。スケジュールは全部記憶していますがこの授業は初めてですね。

 課外授業なので全員が移動だ。ニムエはいつも一緒です。

 教室を出て前を歩く同じクラスの男子(まだ話したことない)の会話を漏れ聞いた。

 

「くそ、この後って二年と合同課外授業だろ? モーターラクロスってやったことあるか?」

「ねえよ」

「ええと、それ、どうやって試合するんだよ?」

「知らねえのかよ、ちっこいマシンに乗ってボールを取り合うのさ。んでゴールして得点すんのさ」

「ルナボールみたいだな……」

「基本ルールはルナボールだけどポッドに乗って試合すんのさ」

「げぇ、マジかよ……」

 

 ルナボール? という競技についてはよく知りません。ニムエに聞いてみましょう。

 

「リズエラ様」

 

 袖を引っ張られ前を見ればそこにいたのは二年生たちだ。一年生たちを出迎えるように競技場で待っていた。

 

「歓迎するぜ、一年坊主ども。モーターラクロスはうちのしきたりなんだ。たっぷり遊んでやるからな」

 

 陰湿な笑みを浮かべた上級生に一年男子たちは震えあがるのだった。

 

 ──時速三百キロ近い速度で打ち出された球体が壁面にある円に命中しホイッスルが鳴った。弾んだボールが転がってさらに点数差が開いていた。

 

「得点三〇点! 二年生チーム」

 

 得点が加算され二年生と書かれたボード下の数値が入れ替わる。すぐ横に一年生とある。

 得点差は一三〇になっていた。二二〇対九〇──圧倒的に一年生チームが差をつけられている。

 宇宙の空を背景に球技場ではモーターラクロスの試合が行われていた。

 丸い体形のずんぐりとした機体は約三メートルほどの丸い作業用のスペースポッドだ。主に宇宙船外活動、コロニー設備整備用に用いられるものだ。

 後にボールと呼ばれるバーニア付きのMSもどきの原型であるが、パワードスーツの延長線上で開発されたもので戦闘などを考慮に入れたものではなかった。

 モーターラクロスという競技用に改造されていて、腕に当たる部分にはフィンの様なものが付いている。

 その腕でボールを吸い寄せたり、打ち出すことができる構造となっている。別の用途としてお掃除マシンとしても使われるが一般的な使い方ではない。

 元はAE工業専門学校で使われていた教習用機体であるが、競技用に改造されたものは旧式となって払い下げられた品である。

 モーターラクロスという競技も生徒たちが遊びで作ったもので、インダストリアル7以外のコロニーには存在しないモータースポーツだった。

 

「二年生相手に勝てるわけねーつーの。遊ばれてるぜ……」

 

 一年生の間ではもう諦めモードである。マシンに強い連中を中心にチームを組んだが、この競技を知り尽くしている二年生相手に勝てるわけがない。

 これは一年生を歓迎する上級生からの洗礼もかねたいびりであった。

 リズエラとニムエは元より選ばれず蚊帳の外であった。一〇分の休憩時間となり、まだ時間はハーフタイムを残している。

 

「怪我してるじゃないか。誰か保健室まで連れて行ってやれ。誰か交代、いないか?」

「怪我人が出たようですね……」

 

 ポッドから出された怪我人を連れていく姿を見送ってニムエが呟く。

 

「すれ違いざまの接触事故。相手がフィンで風圧攻撃をした」

「それって反則じゃないですか!?」

「反則ではない。未必の事故? うん」

 

 反則ではないというリズエラの答えに不服という顔でニムエが顔を向ける。

 

「勝てますか? リズエラ様」

「無理」

 

 リズエラは興味なく足元に丸いマシンを描いていたが、〇.〇〇五秒のエミュレート計算で結果はどうやっても惨敗という計算をはじき出しニムエには即答で返した。

 うん、フィンはちょっと大きいけどまあいいか。可愛く描けたポッドに満足する。 

 

「勝率は二.二九八%。残り時間と部隊の士気を加算すると限りなくゼロ」

「そこを何とか?」

 

 手を合わせるニムエ。リズエラにはそれがどういう習慣なのかわからない。

 

「残念、ならないのです。ゲームオーバーです」

「では私とリズエラ様ならどうでしょう? ズバッといってババッと勝つのです!」

 

 手を合わせたままニムエが立ち上がる。

 

「勝ちたいのですか?」

 

 こだわるニムエに良くわからないとリズエラは顔を向ける。勝ち負けにこだわるような何かをかけた勝負ではない。

 

「だってそうですよ! 相手はズルしてるんですよ!」

「ズル?」

 

 はて? 一応競技の説明とルールは聞いたが見ていた限り二年生チームはズルはしていない。

 目立つとすれば一年生いじめのパワーアタックや妨害行為くらいだろう。それもルールに照らし合わせればプレイ中の接触事故という程度だ。

 ニムエの動機はどうやら悔しいからやり返したい、というものだと推測する。

 

「ズバッといって……」

「ババッと勝つんです!」

 

 ニムエが握り拳で力説する。根拠のない自信である。

 

「試算では逆転の可能性はあります」

「本当ですか?」

 

 その期待に満ちたキラキラ具合がまた無邪気で無駄に眩しいのである。

 

「ああ、うん……私の指示通りにチーム。いえ、ニムエが動ければ二人でも勝てます」

 

 元より即席のチームであるからには連携など期待はできそうにない。そこを二年生チームに突かれて惨敗しているのだ。

 であるなら、ニムエだけでも言ううとおりに動くことができるなら、という前提での勝ち目はあった。

 

「交代希望! 二名ですっ!」

「あ……」

 

 ニムエが手を挙げて交代宣言してしまうのを見送る。

 

「仕方ありません。やるからには勝ちますよ」

 

 よっこらせっとリズエラは立ち上がって、交代にあてられたポッドの機械類を確かめる。

 

「簡単に説明するが慣性も働くから気をつけろよ」

 

 ニムエ共々説明を受けるが、リズエラからしてみればこんなものはおもちゃも同然だ。

 うん、とてもとてもシンプルな構造。座席に乗り込んでグリップを握る。オイルの匂いが妙に馴染む。ここが自分の居場所のように感じる。

 機械の癖や、動力部の油圧バランスなど、振動するパワージェネレーターから感じ取れるマシンの情報を体で感じ取っていく。

 大丈夫、私は一〇〇%この子の性能を引き出すことができる。

 休憩時間が終わりハーフタイムのホイッスルが鳴っていた── 

 

 

「──というわけで勝ちました」

 

 ウォンさんへの定時報告は毎日の義務です。朝の定期検診を受けた後で報告を済ませて朝食です。

 担任のバンクロフト先生がモーターラクロスの一年生勝利に歴史的価値があると認められたことも話しました。

 バンクロフト先生は学年主任ですがまだ全然若いです。

 宇宙史の歴史を専門に教えていて、授業は退屈という生徒も多いですが、独特の史観をたまに披露するので面白く聞いています。

 そうそう、最新の情報ではバンクロフト先生は二七才で結婚したばかりだとウォンさんの報告に沿えます。

 でも今日のウォンさんは報告にはあまり興味はないようで用件を切り出してきました。私の成果をもっと褒めるべきです(プンスカ)。

 

「──荷物ですか?」

「今日、必要なものが届く。学校も行かなくていい」

 

 ウォンさんから指示をされニムエがおかわりのコーヒーをカップに注ぐ。

 二ムエといえば試合では想定以上に良い働きをしました。モーターラクロスの経験があったのでしょうか? ポッドを扱いなれた機体のように操っていましたっけ。

 試合の後、勝利した私たちのチームは話題となってみんなに知れ渡りました。

 カーバイン会長の養子ということもあって、それまでは誰も積極的に話しかけてこなかったのですが、試合を契機に風向きが変わったようです。

 クラス女子にニムエと一緒に昼食を誘われたりしたもしました。これまでにはなかった変化が起きているようです。

 おかげで情報が入りやすくなりました。バンクロフト先生のことも「じょしばな」で得たものです。

 

 いつもよりウォンさんの様子は昂っている。待機という名の退屈に気持ちを持て余していたのだろう。

 無理もない。インダストリアル7は工業都市で娯楽が少ない。それは大人の男性が楽しむ娯楽という意味でだ。

 そういう施設はあるのだが、どういうものであるのかまでは知らない。ウォンさんが連れて行ってくれないのだ。

 自分は屋敷に閉じ込めて大人は勝手に外に遊びに行きます。とてもずるいと思います。

 

「その恰好はダメだ。新しい服を用意する。ニムエに服を取りに行かせる。これがその店だ」

「はい、ウォン様」

 

 畏まってメモを受け取りニムエが食器を下げた。

 

「この服ではダメですか?」

 

 リズエラは着慣れてきた制服を見る。着るものはどれもがオーダーメイド。

 学校の授業で用いる宇宙用の作業服ですらそうだ。一般の規格品はどれ一つリズエラのアレルギー体質を保護できるものはない。

 

「大事な人と会うんだ。失礼のないようにな」

 

 ウォンさんはポーカーフェイスでそう言いますが、緊迫感があります。その人のことがあまリ好きではないのかもしれません。

 

 

 港を抜けた工業区域。巨大な搬送用の路面に装甲に覆われたマシンがそびえる。搬送される途中らしい。リズエラたちのちょうど目の前にあった。

 軍事兵器なので一般の目に触れる機会はほとんどないが、ここにいる一般人はほぼアナハイム関係者といっても過言ではない。

 重厚な装甲を持つ両肩に低反動キャノンを搭載し、両腕部にバルカン砲が四門ずつある。

 脚部はキャタピラで巨大な戦車と言った方がしっくりくる。

 

「RX-75 ガンタンクだ。主動力は熱核融合炉。アナハイムが地球連邦軍に卸している主力製品だ」

「フォン・ブラウンで見た子とちょっと違う……」

「こいつはテスト用のRCX76の一つ前のものだ。お前が乗るのはこれではない」 

「ふうん?」

 

 じゃあ、どれに乗るのだろう?

 いまだアナハイムが密に進める計画の一端すら知らされていない。

 

「ウォン・リー、久しぶりね」

 

 全身高級感あふれる服に身を包んだ婦人が現れウォンに親し気に話しかけた。

 

「これはマーサ夫人。わざわざご足労感謝します」

「あら、私がただの荷物運びの使い走りにこんな場所まで来ると思って?」

「はぁ……」

「そっちの子が例の子ね。会長肝いりの切れない手札とか?」

 

 マーサの視線がリズエラに向けられる。話しかけにくい状況なので直立不動でいたが、リズエラはその視線を真正面から受け止める。

 新しい服は会長の令嬢に相応しいものだ、と客観的に見てもフォーマルなものであると認められます。

 なので格好的には失礼なことはおそらくないでしょう。

 

「私はマーサ。マーサ・ビスト・カーバインよ」

 

 差し出された手にリズエラも手を伸ばす。

 

「……カーバイン?」

 

 それにビスト?

 

「ええ、そうよ。カーバイン家にビスト家から嫁いだの。二つの名を持つのって大変なことよ。それだけに世界を背負う役目を担っているのよ。あなたもその一員としてね」

「っ!?」

 

 ぎゅっと手を掴まれリズエラは一歩前に踏み出した。

 

「あなた……ほんと男たちが群がりそうなキレイな子ね。これから一緒に新しい世界を切り開きましょう。私はそのお手伝いをしにここに来たのよ」

 

 耳元で囁かれた言葉にリズエラはマーサの顔を見つめ返す。

 

「そうですか……」

「そうそう、紹介を忘れていたけど、もう一つの荷物は彼女。ミス・ナガノ!」

 

 マーサが手を叩くと背を向けていた女が振り向く。呼ばれるまで律義に順番を守っていたようだ。

 コート姿にバイザーは変わらず、クリス・マリア・ナガノは手荷物の鞄のみを携えている。

 

「例のロボットの解析チームにいた彼女よ。会長が役に立つと判断して荷物に組み込んだの。ビストとアナハイムが進めるモビルスーツ開発プロジェクトに有用に使って頂戴ね」

 

 マーサが来訪の意図をあらわにし、インダストリアル7でのリズエラのモビルスーツ開発実験の日々が始まるのだった。  



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5話

チャプター18,19、20が完了して当初の3000字から7000字越えしたので5話を再投稿します


「あれ? お姫様いねーの?」

 

 教室に入って一番に目ざとい男子がリズエラの不在を残念と嘆いた。

 この日のリズエラは学校を欠席していた。モビルスーツ開発の第一段階が詰めに入りつつあり、連日メガラニカの秘密工場に入っていたからだ。

 

「先週も病欠してたよな。今日もか?」

「病弱なんだってさー。すごいよなアナハイムの姫ちゃんはさ。俺らと違って別に勉強しなくても困らねえし。留年しようが落第しようが関係ねえのよ」

 

 席に行儀悪く座って陣取る男子に何人かが集まる。

 

「でも頭の出来は俺らなんかと比べ物にならないじゃん? 特別な人間ってのは本当にいるもんだよな」

 

 やっかみと妬みと羨みの言葉が混じる。アナハイムの会長令嬢という地位はただの学生から見れば殿上人に等しい存在だ。

 

「人のことより自分を心配しろよ。前期の成績Cで落第一歩手前のやつ」

「それくらいすぐ取り戻すさ。いいよなバーチは、親父がここの工場長だろ? 跡を継げばいいやつは気楽だな」

「跡継ぎだって気楽なわけじゃないぞ──」

 

 男子たちの雑談が続く。

 このコロニーも学校もすべてアナハイムという世界企業の一部でしかない。

 彼らからすれば卒業後の就職企業であり、どこに配属されてもアナハイムの息がかかっている会社や工場なのだ。

 リズエラ・カーバインという支配階級にある人間が同級生というのは奇跡である。自然とクラスメイトの間では「お姫様」という名称が定着した。

 頭脳は明晰で機械にも強い。二年生相手にモーターラクロスで奇跡の逆転を果たしたときも相棒はニムエのみで勝利をもたらした。

 リズエラがいるだけで世界は華やいだように変わる。男女の羨望と嫉妬を同時に受ける存在であった。

 

「──だろ? あのお嬢様やべーよ」

「おいよせって……」

 

 お姫様に関する噂に興じるお調子者の男子を見かねてバーチが止めに入る。

 

「何だよ? 本人ここにいねえし……」

「見ろよ、お姫様の取り巻きが睨んでるぜ?」

 

 彼が後ろ指で指した先に赤毛の髪をポニーテールに結ったニムエがいた。男子たちを睨んでいて怖い顔をしている。

 その隣にいるのは地味な黒髪のタリアだ。

 リズエラが親しくすると決めたタリアはクラスメイトとして一番近くの席にいたからだが、理由はともかくとして、そううるさいことを聞いてこないタリアは付き合って問題がない生徒だった。

 

「ふん、だ」

 

 バカな話で調子に乗る男子をニムエが一睨みすると男の子たちは慌てて目線をそらし、集まっていた机から離れる。

 こう見えても目力には自信があるのだ。

 

「ニムエ。リズはどうしたの? 今日もお休みみたいだけど……ごめん、変な詮索してるね」

「リズお嬢様は今朝からお体の具合が悪くて……」

 

 ニムエが用意しておいた言葉をタリアに返す。

 病弱であるためお嬢様はしばし学校を休学する。その間は授業内容をノートに記してリズエラに渡すのが今のニムエの役目となっていた。

 そのお嬢様がメガラニカで行っている実験などについては一切口外は許されないし、情報が漏れることがあってはならないと執事のガエルから厳命されていた。

 

「そうなんだ。お見舞いに行きたいけれど……ダメかな?」

「気持ちは伝えておくわ、ありがとうタリア。この間もノート作ってくれたし」

「いいの……それくらいしかできないから」

 

 かすかに聞き取れる声量でタリアが応える。タリアにとってニムエも特別な存在の一人だ。

 会長令嬢の取り巻きと悪口を聞くこともあるが、ニムエは飾り気のない性格だし、お嬢様であるリズエラも少し変わっているが高飛車なところはない。

 気弱なタリアからすれば、遥か目の上の存在であるリズエラからリズと呼び掛けていいと了承してくれて、それだけでも天に昇るような気持だったのである。

 

「おい、バンクロフトが来たぜ席に着けよ」

「あれ、誰だ?」

「知らねえ……」

 

 男子の囁きを聞きながらニムエは前を見る。

 学年主任のバンクロフトは一人の女性を伴っている。見かけぬ顔だが新しい教員かもしれない。

 

「みんな静かに。今日は新任の先生を紹介する。イズミ先生が育休でしばらくお休みとなるが、担任に新しい先生が入る。自己紹介をどうぞ」

「今日から皆さんと同じ学校の一員となりました。アンナ・リンクスと申します。専門は一般教養課程です。よろしくお願いします」

 

 教壇の前で挨拶をするアンナ・リンクスは相当若く見える。実際彼女は教師になり立ての新人先生であった。

 

「へえ……美人だな」

 

 男子の間で囁き声が漏れる。

 

「まったく男子って。でも、あの先生キレイな人ね……」

「そうだね」

 

 ニムエがタリアの呟きに答える。

 でも、リズエラ様の方が百倍は美しい。どんな美人でもお嬢様の前では霞むほどだ。

 監視対象でありながら、この半年間ですっかりリズエラびいきになっているニムエであった。

 

 

 メガラニカ──秘密工場。一般には知られぬ工場がメガラニカには存在する。ビスト家が管理するため、アナハイムの公式地図には存在しない場所であった。

 そこに組み立て途中の人型を模したマシンがあった。全長一八メートルほどの大きな機体はまさにモビルスーツと呼べるものだ。

 建造途中であるため装甲はなくむき出しのフレーム部分が人体の骨のように露出している。

 唯一頭部の部分は顔らしきものがあって、人の顔を模してはいるが、それが見た目通りの顔というわけではなかった。

 頭部はカメラセンサーの塊といってよいくらい配線が集中している。

 

 モビルスーツ黎明期におけるコクピットの有視界モニターはMS開発の初期段階ではごく限られたものであった。

 プロトタイプとして開発されたジオンのザクは、ほぼ人間の視界と同程度の情報しかカメラで得られなかったのである。

 一年戦争から始まる宇宙世紀の戦争を経て、モビルスーツのコクピットはマルチディスプレイ化。

 三六〇度視界が採用されてパイロットが処理する情報も高度化していく。

 しかし、この時代に採用されていないはずの全方位視界ディスプレイのモニタがこの「機体」には搭載されていた。

 

 突如閃光が弾けてモニタ一を包み込む。三六〇有視界のコクピットではその閃光は防ぎようのない致命的なものとなってパイロットの視界に飛び込んでくる。

 高速で飛行する機体に追いすがるように三機の機影が背後から攻撃を加えた。

 回避運動を行いながら質量のある爆発の衝撃が機体を揺らし、中にいるパイロット──リズエラを襲う。

 かかるG圧のショックが体機能を低下させ、まともな判断力をも奪うのだが、彼女にとってそれは何の障害にもならなかった。

 

「捕捉」

 

 閃光の向こう側にいる三つの目標を捕らえ攻撃する。ビームガンから迸った三条の光線が真空の宇宙を飛ぶ高速戦闘機に命中し爆散する。

 同時に三機を撃墜する離れ業を見せて、リズエラの表情を映さないコンタクトが正常な色合いとなってヴァイオレットの瞳の色彩を覗かせた。

 宇宙戦用に開発されたこのアイコンタクトはリズエラのために作られたものである。

 多くの検証サンプルを開発チームに提供しながら、リズエラが提案した改善案はこうして有用に用いられている。

 元はファティマもこうした表情を映さないアイコンタクトを星団歴に使用していたが、星団歴三〇〇〇年以降はこれを付けないファティマもいて、全体的にファティマを規制する法が撤廃されていった経歴がある。

 リズエラに元の世界を示す記憶は残っていなかったのだが、こうしてファティマとしての姿を再現したのは偶然だろうか。

 

 その額に装着されているのはファティマをサポートするコンデンサシステムだ。

 ヘッドクリスタルの輝きがコクピット内で反射してきらめく。ファティマのみがこの情報電子体にアクセスし使いこなすことができた。

 マシンと統合しあらゆる演算を可能とするクリスタルはファティマの精神と融合しもう一つの頭脳として機能する。

 失われた記憶同様、クリスタルもリズエラに関する情報を明かすことがなかった。

 リズエラでもその原理を説明することができないまま、なぜか扱えるのだという認識しかなかった。 

 アナハイムの技術でもこのクリスタルの分析には失敗し、中身を知ることは一切できなかった。

 無理にこじ開ければファティマの精神崩壊をもたらしかねないものであったが、無理な解析をせずにリズエラの元に返したのは僥倖であったといえよう。

 リズエラをアナハイムの財産として扱うことを決めた会長の意思がそうさせたのだ。

 

 管制室──開発チームが占領するこのエリアでは多くの職員がモニターを観察しデータ収集をしている。

 メガラニカの秘密工場のラボラトリ。多くの技術者がここに詰めている。そのほとんどがマーサ・ビストが連れてきた研究員たちだ。

 開発中のMSシミュレーターはありとあらゆる状況を設定し、体感や受けるショックまで再現可能なアナハイム最新のマシンだ。

 シミュレーター実験を繰り返しながら、検証したデータを基にテスト機の建造計画が進められている。 

 

『目標を撃破しました』

「次は地上戦だ。重力下での再調整をする」

『もうできました、博士』

 

 直ぐに返事が返ってきてクリスは面食らう。

 驚かされるも何度目かだが、どのような難問を与えても、さらりとその先の回答まで用意してくるので、彼女自身がリズエラに挑むという立ち位置の逆転がしばし起こる。

 リズエラが人造人間であること──いずこの機関によって造られたものかは不明だが、アナハイムが保護したこの少女の価値は戦艦一〇〇隻と比べても劣るものではなかった。

 その価値を理解できる者は地球連邦政府や軍関係者にはおそらく存在しないだろう。

 それだけの価値があるとアナハイムが認め、会長の保護下に置いているということはクリスにはよく理解できた。

 戦争下において彼女の存在が知られれば、命の価値など知らない連中に戦いの道具とされる未来しかない。

 

「また勝手にプログラムを書き換えたのか? 山岳地帯。地上MS部隊からの対空砲火と飛行戦隊からの歓迎を受けろ」

『ウェザーコントロールのシミュレーションも可能ですよ』

「そう簡単に言うな。天候システムのバージョンアップは来週だぞ」

『ラジャー』

 

 リズエラはさらりと機械に埋もれたチューブを掘り起こしながら端末片手に改造コードを仕込むのだが、なれた技術者でもそんな簡単にできる作業ではない。

 それができてしまうのがリズエラという少女なのだ。

 あっさりと機械に順応し使いこなしてしまう人種──ニュータイプではないか? という言葉が思い浮かぶが、クリスはその安易な表現を好まなかった。

 ニュータイプとは宇宙に出た人がたどり着く理想の存在である。かつてジオンの指導者はそう説いた。

 そうであるならば、人が人である必然性を脱してはいけないのだ。造られた存在を人が造ったマシンに乗せている。そのこと自体がニュータイプという存在を否定しているようにも思えた。

 それは技術者としての考え方ではない。極めて個人的な感覚で感じるものだった。

 

「──再加速を開始します。G負荷圧上昇中。脈拍呼吸も正常内」

 

 管制室のオペレーターの声が響き、青白い光に照らされた白衣のクリスがモニター群を見つめる。 

 

「体感率を最大レベルに」

「ラジャー。最大レベルに上昇。最大速度に到達」

「地上はどうだ。リズ?」

 

 マイクでクリスが呼びかける。

 

『問題ありません』 

 

 素っ気ないリズエラの返事が返る。

 宇宙の無重力世界から重たい感覚に切り替わるが飛行状態を継続したままマシンの中にいる。

 青い空に浮かぶ白い雲を追い抜いて地上の重力と慣性をその身に受けて彼女は笑った。宇宙でも地上の空でも飛んでいるときの高揚感はこの身にエネルギーを与えてくれるかのようだ。

 

『ゲームを開始します』

「実戦と思いなさい。戦場ではイレギュラーが発生するものだ」

『予期しないエラーのリストなら三千万通りほど作りましたけど使いますか、博士?』

「今は仕事に集中しなさい」

『はーい』

 

 リズエラは再設定された敵の配置を確認する。地上部隊のMSガンキャノン、ガンタンク部隊と戦闘機編隊の組み合わせから成る混成部隊だ。

 シミュレーターでは現実に起こりうるトラブルまでは再現されない。機械系の故障や整備不良、天候不順、磁気を帯びた宇宙嵐etc。

 突発的なトラブルに遭うことはなく、マシンは常に最高の性能を発揮できる状況で動かすことができる。

 急降下し、地上への掃射から開戦を告げて旋回し雲の中に戦闘機部隊を誘い込む。

 リズエラが機械的に撃破していく様子をモニタの前で眺めながら、クリスは最後の一機が打ち落とされるまで微動だにしなかった。

 

「すべて撃破を確認しました──」

「再設定開始。宇宙にデブリを設置して」

「デブリ配置します」

 

 コンソールに自分で打ち込んでクリスがデータを再編集する。

 最終戦は収集したリズエラのデータから再構築した最新のマシンモデルだ。

 飛行形態のマシンが画面に出て兵装を換えていく。まるでゲームで遊んでいるように見えるが、実際のパイロット訓練に用いられる高度なシミュレーター・マシンである。

 現状使っているマシンデータのアップデート版であるので今のリズエラよりも動きが速い。

 

「次はデブリ内で自分と再戦してもらう。五分で片をつけなさい」

『ラジャー』

 

 真っ暗な宇宙のアステロイド・デブリ群をすいすいとかわしながら飛行してリズエラは標的を確認する。

 相手は自分自身を想定している。本気でかかるつもりでリズエラは自分自身の動きをエミュレート開始する。

 

「今日はずいぶんと長いな」

 

 クリスの横にウォン・リーが立つ。

 

「今日はこれでおしまいです。来月までに実験機が組みあがります。乗り込んでのテストも開始できるでしょう」 

 

 クリスは一応の上司に報告する。元は研究者だがウォン自身が現場から離れて長い。会長の懐刀としての活動が主で研究室は彼にとってすでに畑違いの現場となっていた。

 

「脳波コントロールとやらもこいつでシミュレートできるのか?」

 

 むき出しのチューブに繋がれたシミュレーターは一人乗り用でモビルスーツのコクピットを想定した造りになっている。

 リズエラはずっとこの中にこもってデータ採取をしていた。 

 

「シンクロテストはすでに合格しています。実験機のフレーム設計にも組み込まれていますよ」

 

 クリス・マリア・ナガノが提唱する、これまでにないマシン構造体ムーバブルフレームを用いた新たなモビルスーツの建造。

 ボディそのものを装甲として組み立てる従来のモノコック仕様ではなく、人体の構造に近い機体骨格と装甲を二分した構造を持つフレームの開発には当初チーム内からの大きな反響があった。

 周囲の反対はこれまでに培った方式を捨ててでも新しいフレームを作り上げることへの強い不安からくるものだった。

 それに加え開発にかかる資金が莫大なものになるという試算もあった。通常の予算では二、三年では済まないだろう。

 

 しかし、それらの反対を押し切ってでもムーバブルフレームにこだわる理由がクリスにはあった。

 すべてはパナマで見つかったモーターヘッド──その謎のマシンの解析チームに参加したクリスだからこそ設計しうる機体。

 それをモビルスーツとして構築し再現することが彼女の目標となった。

 モノコック仕様のボディの強度に頼った開発ではあのマシンの再現には至らないという結論に達してのことだ。

 元の技術体系が異なりすぎることもあって、完全な再現に至らないことを承知しながらも今の形に持っていくことができた。

 反発はあったがわずか半年ですでに実験機の始動にまで漕ぎつくことができたのは優秀なチームがいたこと。

 さらにビスト家の支援。それにテストパイロットであるリズエラの存在が大きかった。

 一つ実験をするたびにリズエラが上げてくるレポートはクリスが分析した数値以上の成果を出した。

 そのすべてが実験機にフィードバックされている。

 

『撃破。終わりました』 

 

 リズエラの声が少し弾んで響いた。バイタルデータは少し興奮気味──

 

「今日はもう終わりだ。出てきていい」

 

 コクピットが開閉し、マンティックスタイルのリズエラが跳ねるようにシミュレーターから飛び出す。

 

「ウォンさん、見てくれました? 五分かかりませんでしたよ?」

 

 飛びつくようにリズエラはウォンの前で自分の成果を報告する。褒めて褒めてとリズエラはオーラ全開である。

 その様を見れば年頃の少女のようにも見えるのだった。

 

「パイロットならできて当然だ。調子に乗るんじゃない」

「くぅ~ん」

 

 いつものように塩対応のウォンさんなのでした(まる)

 

 

 リズエラの前には紅茶のカップと受け皿、ケーキが乗った皿がある。さらにニムエ特製の糖分控えめクッキーまであった。

 

「あむ……んー!?」

 

 その一口は思考を至高の頂へと誘うものだ。甘々口の中でとろけ疲れた脳を癒しの世界へと誘う。

 

「はむ……もぐ……」 

 

 咀嚼し、味わい、飲み込んで、紅茶の味わいを口に含んでリズエラはさらなる風味の世界に浸る。

 

「ふにゃあ……」

 

 しあわせにゃー。

 警戒感ゼロ。お嬢様の仮面もどこかに放り出してリズエラはすっかりご満悦である。

 ウォンはすでにビスト邸に戻っていた。

 その様をずっと観察していたのはクリスだ。本人も残った紅茶を飲み干してソファにくつろいでいる。

 

「クリス主任はお茶のおかわりはいかがです?」

「いや、私は結構だ」

 

 甲斐甲斐しく給仕するニムエは学校から直接工場に来ているので制服姿だ。

 クリスは片手で端末を操作しながら資料をすごい速さで速読している。

 この部屋は工場に設置されたプレハブで、窓から外を見れば工場のむき出しの天井やキャットウォークなどが見える。

 開発主任室という名目だが、実質ここにクリスは住んでいた。

 ビスト邸に住むことをクリスが拒否したため、セキュリティの観点から工場に住むことを自ら希望していた。

 本人いわく、ここは秘密基地なのだとのこと。必要なものは発注すれば届けられるので本人が買い物などに出向く必要はなかった。

 

「リズ様は?」

「はーい、いただきまふ」

 

 甘さにとろけた声で返す姿は外で見せる会長令嬢の姿とは程遠いのだが、糖分、甘いものなくしてリズエラは稼働できない体質であった。

 ニムエもクリスもリズエラのそういう姿にはもうすっかり慣れっこだ。 

  

「来月にはモビルスーツが稼働するのですね」

「うん、これほど早く稼働実験に移れるとは私も思っていなかったよ。これもみんなの熱意とリズのおかげだ」

 

 資料から目を覗かせてクリスが応える。言葉使いは周囲の大人に対するよりもだいぶ砕けたものとなっている。

 女同士ということもあるが、ニムエとクリスの歳はそれほどの差はなかった。

 一二歳で最初の博士号を取得し、一五歳までに三つ目の博士号を得てアナハイムに入社した英才は、実年齢はまだ一七歳と青春真っ盛りのティーンエイジャーなのであった。

 

「うふふ、私のおかげですね~」

 

 ふふん、とリズエラが得意げにカップを口元に運ぶ。おかわりの紅茶は熱々でフーフーして冷ます。

 

「クリス主任はご家族はどちらに?」

「その主任というのはいいよ。クリスと呼んでくれ」

「じゃあ、クリス?」

 

 ニムエが言い直しクリスは頷く。

 

「うん、グラナダにいるよ。私も家を出るまではずっと月に住んでいたんだ」

「そうなんですか」

「だからコロニーに実は住んだことがなかった。月と地球しか知らないからインダストリアル7が初めて居住するコロニーということになる。もちろんほかのコロニーに行ったことくらいはあるけれど」

「でも博士号三つなんてすごいです。私ってばおバカだから勉強は……」

「ここの学校に入学できているということは才能があるからだ。得意な分野を伸ばすことだ。そうすれば必要とされるようになるさ」

「そうですね、私も負けないよう頑張ります」

「私もまだまだ勉強することが多いよ……」

 

 こんな若輩がモビルスーツ開発計画の中枢に抜擢されるなど、アナハイムという巨大な組織でも通常あり得る人事ではなかった。

 当初の周囲の疑念もあって、開発チームとは大いに議論を白熱させたりもしたのだが、今ではクリスの熱意に押されるようにチームもまとまっていた。

 元より集められたメンバーたちは、組織の中で出た杭として打たれ、閑職部署に飛ばされた才能ある技術者たちで構成されていたのだ。

 多少の苦境くらい反骨精神で乗り越える意思を持った若者たちの集団だ。それが意思を一つにして取り組めば、いくつもの技術的な困難を乗り越える力を発揮した。

 マーサが彼らを選び呼び寄せた。その意図がどうであれ、モビルスーツはついに組みあがろうとしている。

 クリスが先ほどまで読んでいた資料にはこのMS開発計画のプロジェクトネームが記載されていた。

 そこには「メサイア計画」と記されているのだった──



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6話

 宇宙で星が瞬くことはない。暗転とした空は人工の天井だ。そこにきらめく光の点が星のように浮かんでいる。

 ライトバックの光を浴びた巨大な人のシルエットが格納庫に浮かび上がった。エンジンが起動しその唸りを響かせている。

 頭部から伸びた一本の角が光った。

 その下にあるマシンの顔ともいえるフェイスは人の顔を思わせるデザインで印象に残りやすいものだ。

 ほっそりとした腰部分から下に伸びたスカートは段構造でどのような動きにも対応可能な装甲部分となっている。

 唯一異なるのは肩の部分だ。よりコンパクトに腕を動かせるように装甲が変更されている。

 白い機体はどこまでも美しい──

 クリス・マリアのデザインしたマシンはブラッドテンプルの姿を再現された形でそこに立つ。

 

『ミノフスキー粒子散布を開始。通信途絶まであと三秒……』

「ふふん♪」

 

 電子機器が奏でる音を鼻歌で流してリズエラは狭いコクピットの中でリズミカルに指を動かす。

 マシンが伝えてくる振動を呼吸のように感じモビルスーツの感覚を広げていく。

 この空間内でのミノフスキー粒子の散布はそれほど意味はなかった。演習場の内部構造と地形をリズエラは知り尽くしている。

 モビルスーツの実機演習はこれで何度目かになる。

 今日対峙するのは同型機一機のみだ。両機が組みあがってから最初の模擬戦であった。

 

「両機ともスタンバイOKだ」

 

 ミノフスキー粒子が散布されていてもラボラトリ―からの直接のオープン回線は繋がる。行動を開始するまでは会話可能だ。

 

「リズエラ機、機体の「損傷」は深刻か」

 

 シミュレーションでよく使う設定をクリスはいつもの癖で口にする。

 パイロットに負荷をかけていかなる状況にも対応できるようにするのも訓練の一環だった。

 出力を絞ってどれだけ戦えるかのテストも兼ねている。

 

「ジェネレーターバイパスを破損、二八%の出力が低下中。稼働可能な時間は後七分一三秒でーす」

「向こうは武器を持っている。ライフルは模擬用のペイント弾だ」

「当たっても痛くもかゆくもないのってシミュレーターの方が実戦ぽいかもですね」

 

 シミュレーターの方が状況を再現できるというのは皮肉だが、実機である以上パイロットの損耗は避け安全を第一に考えられた。

 リズエラはモビルスーツの一歩を踏み出す。

 全高一八メートルの機動兵器はエンジンと駆動音を暗黒の空間に響かせてその全容を現した。

 モビルスーツの機体骨格は宇宙で最も硬いルナ・チタニウムで構築されている。

 その身を覆う装甲は、骨格に対し防御に有効な部位に施され、従来のモノコック仕様のモビルスーツよりも遥かに軽量化され、機動性を重視された造りとなっていた。

 ムーバブルフレームを採用した機体の設計はあくまでもシンプルな構造体だった。

 後にガンダムで知られるコアファイターを内包したコアブロックシステムとは異なり、分離合体のシステムではない。

 限りなく人に近い骨格構造を持つ、モーターヘッドの姿を模したレプリカだ。

 クリスがこだわり開発チームが全力を挙げて完成させた本物のモビルスーツがここにあった。

 アナハイムのガンタンクやガンキャノンとは設計思想そのものを異にする機体は限りなく人に近い動作が可能だ。

 

「これよりRX-M01、02の模擬戦を開始する」

 

 クリスの宣言をリズエラは聞いていなかった。すでに無線の範囲内から遠ざかっている。

 M01。正式名称をメサイアと呼称するモビルスーツが組みあがるまで実戦と呼ぶには程遠いテストしか行ってこなかった。

 もう一機の実験機M02が完成することでようやく同型機による戦いが実現することとなったのだ。

 Mという単語はメサイアのことだ。

 

 それも大きなハンデ付きだが、テストパイロットであるリズエラは文句の一つも言ったことはない。むしろこのハンデを「楽しんで」いる風でもあった。

 少ない稼働時間も、機体の性能低下も彼女にとっては問題ではなかった。どんな状況であろうが切り抜けることを目的として行動する。

 ミノフスキー粒子によってすべてのレーダーは無力化され、視覚でしか標的を確認できない。

 

 リズエラ機は破壊されたモビルスーツを跨いで戦場となる区画に足を踏み入れる。

 破壊された機体の形状はガンタンクだった。

 模擬戦とはいえ実戦だ。性能の確認のためにいくつものモビルスーツとの実戦をしたが、開発陣の満足を得るようなデータは未収穫だ。

 もう一人のテストパイロットがリズエラの相手をした。

 

「距離五四〇……」

 

 外部からの光は頭上でわずかに反射する光線のみだ。センサーや収音機を使わずに震え伝わってくるもう一機の気配のみでその位置を把握する。

 この区画だけコロニーの設備は凍結され闇の中に世界を埋没させていた。

 モビルスーツが触れる外界の情報をそれだけで判断した。その感覚に間違いがないと確信している。  

 ──ロールアウトして間もない実験機M02のコクピットでもう一人のパイロットが大きく息を吐き出した。

 全身を覆うパイロットスーツは最新式で耐G圧ショックや耐放射線に優れた機能を持っている。この機体の突然の加速にも耐えうる設計となっていた。

 閉じたヘルメットに吐き出した白い息がわずかな膜を作る。

 

「行きます……!」

 

 誰が応えるでもない呟きを吐き出して操縦レバーを前進に押し出してモビルスーツは格納ベースから前に踏み出した。

 背後でシャッターが閉まる音を聞きながらM02は武器であるライフルと模擬専用のハンマーを携えて戦場に飛び出すのだった──

 

 

 ピピピ! とけたたましい音を立てて目覚まし時計が起床を告げた。

 起きない主のそばで丸い物体が声を上げる。

 

「アムロ! 起きろ! 起きろ!」

「うるさいよ、ハロ……」

 

 目覚ましハロを蹴飛ばしてアムロは目覚めた。朝の光が窓から差し込んでその眩しさに目を細める。

 すぐに意識の焦点は現実に合わせて明確になった。

 

「ふわ……お腹減ったな……ん?」

 

 空腹を感じて部屋から出ると父テムの部屋の戸が少し空いていた。昨日帰って来た時も開けっ放しだったような気がする。

 明かりもつけっ放しだった。

 

「いいぞ、悪くない動きだ……」

 

 覗いた向こうにテムの背中が見えた。その手に持つのは機械の腕だ。ほぼ人の腕と同サイズでテムが手元の機械で操作している。

 

「何してんだ?」

 

 マシンの指がとても滑らかに動く。

 玩具? かと思ったがそのマシンの腕は無骨すぎる。片腕だけのようだ。

 機械をいじるのはアムロも同じだが大人が玩具で遊んでいるようにしか見えない。

 

「アムロ、勝手に部屋を覗くんじゃない」

 

 アムロの気配に気が付いてテムが振り向いて言った。

 

「鍵をかけてないのは父さんじゃ……それにもしかして寝てないの?」

 

 テムはシャツにスラックス姿だが目の下にはクマが見えた。

 徹夜明けの顔というのはこのところ珍しいものではなかった。

 

「学校はどうした?」

「今日は休みだよ。ボク、お腹減ったんだけど……」

 

 食事の用意を期待したことはないが催促はしてみる。

 

「私はいい。冷蔵庫に買いだめがあるから温めて食べなさい」

「わかったよ父さん。夜更かしはできるだけしないでね」

 

 アムロなりの親への気遣いである。

 

「わかっているさ」

 

 返事を返すテムがこちらに興味を向けないことを見て戸を閉めた。

 アムロは一階に降りて朝食の準備をする。Tシャツに短パン姿だが家の中での格好を気にしたことはない。

 

「コロニー開発の仕事にあんなの使うのかな? 人型のマシンならモビルワーカーかな?」

 

 アムロなりに納得できる理由を探した。ただの趣味であんなの使うのかな? と思いながら。

 テムが仕事の話をすることはあまりないが、アムロにはコロニー開発事業の仕事をしていると教えられていた。

 コロニーのことにはまるで興味はなかったので、アムロからも仕事の内容について父に尋ねたことはほとんどない。

 

「まったく……どっちが子どもなんだか。子どもほったらかして機械の腕で遊んでるんだぜ、ハロ」

「ハロ!」

 

 ハロがアムロの愚痴に返事を返す。

 

「食べたらもうひと眠りするかな……」

 

 パンに焼き卵とベーコンを挟んでかぶりつくのだった。

 

「これより記録を開始する……」

 

 徹夜の疲労感も寝不足もテムにとっては問題外である。彼の頭には機動兵器モビルスーツのことしかないのだ。

 何か月という歳月をそれだけに費やしてきたといってもいいくらいだ。彼を突き動かす原動力となったのは一枚のディスクが発端だ。

 未知のマシン「モーターヘッド」の解析現場を目にしたのだ。テムがこれまで手掛けてきたモビルスーツ事業は何の価値もないものとなってしまった瞬間であった。

 あれ以来、テムは求めるもののために時間を惜しんで新型モビルスーツの創案を考え続けてきた。

 

「稼働可能な部位が増えることで制御システムを再構築したが、このプログラムには難がある。アナハイムの従来のモビルスーツの管制システムでは人間に近い、それ以上の速さを持つ動きを制御するには足りないのだ。あくまでも人間の反応速度に追随してサポートするコンピュータだからだ」

 

 教育コンピュータは光結合回路を使用した非ノイマン型コンピュータだ。学習型コンピュータとして非常に優れており、アナハイムが生産するモビルスーツにはすべて搭載されていた。

 操縦者の動きを覚え、動作プログラムを更新し続けることが可能だ。正確にマシンを動作させるシステムとしてなくてはならないものとなっている。

 人の動きの一歩先を行くが、テムが求めているのは二歩も三歩も先を行くサポートマシンであった。

 

「動態制御をサポートするための新たな管制システムを再構築する。パイロットの意思を実現するため教育コンピュータと連動したものが必要だった。その回路は、人の意思を伝達するシナプスの微弱な電流を察知し読み取る機能を有する」

 

 学習コンピュータに脳波コントロールの概念を加えたシステムがテムの考える新たなプログラムであった。

 テムの考えるモビルスーツは駆動系制御に重点を置いたものとなっている。

 ボディは従来のコアブロックシステムを採用することになるが、モビルスーツの機動性を引き出すことでより戦術的な動きが可能となるはずだ。

 

「システムのアップデート方法も教育型コンピュータの学習機能に準ずるが、データにはない動作を覚えさせるにはパイロットによる操作が必要である。データ通りの動作に不満を持つ場合も、自身が操縦してデータを修正する必要があった。が、この回路を実現させれば、機体は覚えた動きをパイロットの脳波指示で受け取り自由な変形を可能とし常にアップデートし続ける」

 

 テムはモニタの中にあるデータ群から仮想構築したマシンを呼び出して作動させる。

 ガンダム──テムが名付けたモビルスーツの名称。

 

「私は脳科学の専門家にいくつもの設問をし、この回路が人体に与える影響を最小限に留めることを考慮しつつ脳波読み取りの機能と教育コンピュータとの連動を可能にする回路を研究した。憂慮すべき点は人の脳に与える影響である。モビルスーツが受けとる外部の情報が人体に影響を及ぼすことがあってはならない。シナプスへの電流実験では悪影響は確認できていない。しかし感受性が強い人間がどのような影響を受けるのか、そのサンプルは取れていない。被験者としての私の見解を述べた」

 

 その装置もテムの手作りである。頭に着けているヘッドギアは実験のためのものだ。

 シナプスに微弱な電流を与えてスムーズに腕を動かす実験はうまくいっている。

 しかしそれがモビルスーツほどの大きさのものを動かすのにどれだけの資金を費やすことになるのか、その予算を確保できる目途は立っていない。

 首脳陣を納得させるだけのデータが必要であった。 

 

「ストップ。撮れたかな……再生」

 

 寝不足の震える手で録音を再生する。そのときテムの足元に何かが当たった。

 見ればハロがいる。 

 

「ん? 玩具か……アムロめ管理を怠っているな」

「ハロ!」

 

 ハロが返事を返すがテムは再び録音ボタンを押した。

 

「難点は教育コンピュータに直接回路を取り込んだ場合の問題だ……その実証までに外部アセットによる取り外し可能な回路とすることが望ましい。コアブロックシステムもそうした機密保持の観点から作られているが、不具合が生じた場合の対処法としてパイロットがそれを管理する。あくまでも実験データを採集するまでの繋ぎとして扱う。教育コンピュータと同じシステムに組み込めると判断できるまでということだが……」

「ハロ?」

「外部アセットか……持ち運び可能なツール……うむ、ちょうどよい大きさだな」

 

 ハロを見下ろすテムの目があやしい輝きを帯びるのだった。

 

 

 テム・レイがモビルスーツへの野望を燃え上がらせている頃、インダストリアル7で行われた模擬戦はリズエラの勝利で終わっていた。

 

「いたた……」 

「動くな、きちんと貼れないだろう」

 

 パイロットスーツを半ば脱いでハンガーデッキにいるのは赤い髪のニムエだ。  

 

「クリス、あざになってませんかー?」

「痕は残らないから心配はいらん」

 

 クリスがシップを痛めた場所に貼り付けてニムエが小さな悲鳴を上げる。

 

「わかってても負けるのは悔しーですー」 

 

 見上げれば格納ベースに収まった二体のRX-Mが並んでいる。模擬戦を終えて今日の仕事は終わりである。

 M01の開いたハッチからひらひらした服のリズエラが姿を現して昇降機で降りた。その無駄のない動作をニムエは目で追っていた。

 モビルスーツ戦でリズエラはパイロットスーツを身に着けたことがない。

 リズエラの体質に合うスーツは本人があまり好いてないこともあって免除されていた。宇宙空間ではさすがに着なければまずいのだが。

 リズエラは華麗に降り立つとクリスらがいる方へ歩いてくる。

 

「まったく情けない。手も足も出ずに撃破されるとは。それでも選ばれたパイロットか?」

 

 敗戦したニムエにウォンが容赦ない。まるで期待外れという発言だが、ウォンの態度はいつものことだ。

 ビスト側が用意したテストパイロットとはニムエのことであった。

 メサイア二号機が組みあがるまでの間、ガンタンクやガンキャノンで模擬戦を行っていたのもニムエだ。

 モビルスーツの操縦技術は初めのころに比べたら格段に上がっている。

 リズエラの戦闘シミュレーションを元に訓練を繰り返し、今やテストパイロットとして十分な力量を持つまでに成長していた。

 それでもリズエラに勝てる要素はまるでなかったのだ。

 

「ニムエは善戦した。接敵してから一七秒持ちました」

「テストの結果が不甲斐ないと言っているのだ。何のための模擬戦だと思っている? まだシミュレーターの方がマシではないかね?」

「ふええ……」

「よしよしです。よくできました」

 

 ウォンの辛辣なセリフにニムエが涙ぐんでリズエラが慰める。

 戦闘を開始して三分足らずでリズエラ機は無手の状態でニムエ機を撃破している。

 接近戦用の腕に仕込んだ衝角槍がメインカメラである頭を潰し、左腕部を関節技で破損させていた。

 

「あそこまで鮮やかに格闘戦を決められては、武器を持っている方が不利だったというのは確かに参考にはならないな。だが通常のパイロットの反応速度であれば十分な対応をしている。ニムエ、ご苦労様」

「はい、博士」

 

 渡されたコーヒーのカップをニムエが受け取る。敗北のショックは少し和らいでいた。

 他の誰かに負けたのであれば悔しいが、リズエラ様であるのなら仕方ないことなのだ。

 

「そうだ、リズ。この後は研究所に行くのだろう?」 

「はい、今日はたくさん検査をする日です」

 

 クリスに答え、ちょっと苦手な行事にリズエラは眉を寄せた。何せあそこは「甘く」ない。

 

「文句を言うな。これも仕事と思え」

「はーい」

 

 ウォンにすねるようなリズエラの返事が返る。

 ファティマという存在を維持するには莫大な費用と管理するための設備を必要とした。

 そのアレルギー体質から来る身に着けるモノへの制限は最低限の保障に過ぎない。

 劣性遺伝の塊であるリズエラの肉体を維持するための遺伝子的な治療、予防に対応するための研究所が作られた。

 不老の肉体を持ち、人間をはるかに上回る身体能力、知能とマシンに対する親和性を持つリズエラはアナハイムとビストの共同財産として扱われている。

 インダストリアル7に秘密裏に作られた遺伝子研究所はリズエラのために設立されたといってよい。

 表には決して明かされない秘密機関なのだ。

 それは同時にリズエラの研究を進めることでファティマという存在の謎に挑んでいるのだ。

 その指揮を執っているのがマーサ・ビスト・カーバインであった。

 メラニー会長からの信頼とビスト総帥である兄からの協力を取り付けてこの研究所は成り立っている。

 

 それをリズエラは必要なことと理解はしているが、苦手なこととして認識していた。マーサに対する個人的な苦手意識もそれを手伝っている。

 

 人に無条件に従うことをダムゲートというマインド・コントロールの手段によってプログラムされているのがファティマだ。

 しかし、リズエラのダムゲートは変調の兆しを見せて記憶を喪失させるという事態に陥らせている。

 通常のファティマよりも感情豊かな表現をするのは、ファティマという存在からすればすでに異常なことであったのだ。

 本来、騎士しか主と認めないファティマがウォンをマスターとして認識していることがまさに異常性の顕著な例である。

 それを治し、正すことのできる医師はこの世界には存在しない。

 

 宇宙世紀におけるマインド・コントロールの技術はいまだ未知数の分野であり、人の心を精神崩壊させることなく操作できる域には達していない。

 後にニュータイプを人工的に生み出すという目的のためにその技術は発展し、強化人間という存在を生み出すこととなるのだが、この時代におけるマインド・コントロール技術はいまだ未完成なものであった。

 精神的に不安定になりがちなリズエラをファティマの完成体に近い状態に維持することは、彼らにとって目下差し迫ったことであった。

 マーサが指揮する遺伝子研究所は、後の強化人間開発の礎となる基本研究ともなるのだが、今はまだそれを語る時期ではない──

 

 

 メガラニカ最深部──一人の老人が冷凍催眠用のベッドに横たわっている。天井には地球の姿が映し出されていた。

 リアルタイムな地球の姿だ。通常ならばサイド5から遠く離れた地球をリアルタイムで見ることは難しい。

 だがそれをこのメガラニカの真の主は可能とする。サイアム・ビストが世界中に張り巡らせた光のネットワークであった。

 伸びた髪はすべて真っ白で額に金属の輪をはめている。自らの意思を伝達することで電子的な操作を可能とするリングだ。

 寝ながらにしてこの施設内の設備をそれで操作することができた。

 齢いくつなのかもわからぬその肉体は痩せて、もはや自らの力で起き上がることもままならない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

 しかし、サイアムは世界中で更新されるあらゆる情報を手にすることができるのだ。

 

「カーディアスか……」

 

 顔を空に浮かぶ星に向けたままサイアムはその名を呼んだ。

 

「おはようございます。お爺様」

 

 ビスト家の現当主カーディアス・ビストが枕元に立つ。

 

「これで何度目の目覚めであったか──」

「冷凍催眠装置に何か問題でも?」

「いや、寝ている間は私は何も感じることもない。故障があったとて気が付くこともなく朽ちていよう」

「ここのシステムは完璧です、故障はあり得ません」

 

 すでにサイアムの齢は九〇を越えている。

 冷凍催眠装置を使って寿命を延ばし時間を稼いでいるのは生への未練ゆえか、それとも過去への悔恨からくるものか──

 

「そうだな……例の娘はどうしている?」

「すでに実験機の起動に成功し二号機もロールアウトしています。実験機同士の模擬戦も行いました」

「モビルスーツか……」

 

 カーディアスが見せる資料にその姿がある。

 

「この時代にまた人は人の姿を模した兵器で争おうとしている。人が求める本能の性か……それが人の希望を実現しうる力となるものであろうか?」

「メサイア計画。人類を救う救世主を生み出す力となるものですか?」

「あれはメラニーの肝いりだ。あの男の望みはユダヤ・シオニズムの実現。地球からすべての人類を宇宙に引き上げたいのだよ」

 

 サイアムはアナハイム会長メラニー・ヒュー・カーバインという男の野心を言い当てる。

 リズエラを保護し、モビルスーツ開発の礎にしたのもその目的のためである。それはメサイア──救世主計画という名からも明らかだ。

 しかしビストがリズエラを庇護下に入れたのはメラニーの意思とは違う理由からだった。

 

「そして理想郷を築くと? すでに宇宙は空に上がった人々が築いたシステムによって運営され、地球のシステムと相反し摩擦を生んでいます。メサイアが世界を切り開く新たな息吹となりえるのでしょうか?」

 

 宇宙に棄てられた人々。

 スペースノイドと地球のアースノイドたちの軋轢。それはもはや抑えられぬ力となっていつか爆発しようとしていた。

 その胎動をカーディアスは感じ取っていた。沈黙を続けるサイド3の動向は気になるところだった。

 人々が新たな世界に求める希望とは──

 

「わからぬ……だが、異なる宇宙より飛来したモノが変革をもたらすきっかけとなりうるものかもしれん。人類はいまだに革新を経ていない。未熟な世界の行く末を導く光であってほしいという願望なのだよ」

 

 天井に浮かぶ星を見つめながらサイアムは願いの言葉を吐き出す。

 

「ニュータイプの出現を促すものとなる、と?」

「そう望む者が未来へと踏み出そうとしている」

「それが戦争を生むモノであろうとですか?」

「我々がアレと遭遇し回収に至ったことは時代が求める一つの流れではないかと思う」

「では会いますか? 彼女に」

「リズエラ・カーバインか。いずれその時が来よう……」

 

 そう告げてサイアムは目を閉じるのだった。



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7話

 ドーム状の天井の下、多くの技術者たちが席に座ってMSのオペレーション・プログラムを展開している。

 司令部の内壁に設置された大型のスクリーンにコロニーから発った二機のモビルスーツ「メサイア」が映し出された。 

 コロニーの外壁を真下に飛行旋回してターンを切ったメサイアをカメラが追う。

 

「今日で最終日だなナガノ博士」

 

 クリスに声をかけたのは壮年の男──カーディアス・ビストであった。その後ろにはガエル・チャンとウォン・リーもいた。

 MS開発チームの主任はクリスだが、カーディアスがメガラニカ司令部の本当のボスだといえた。

 メサイア開発の資金や素材はすべてビストが提供し、アナハイムは人材を提供している。 

 採算度外視のプロトタイプMSはメガラニカで生まれたのだ。今日はメサイア最後の訓練となる日であった。

 

「プロトタイプ二機は本日を以て最終調整を終え、RXメサイアはすべてのテストを完了します」

「このチームを率いて二年と半ばで完成にまで至った君の手腕を評価する」

「ありがたいお言葉ですがまだ終わっていません。メサイアが世に出るまでは」

 

 クリスはカーディアスへ返しスクリーンに顔を向ける。

 高速機動する機体からコクピット内のカメラに切り替わる。二人の健康状態もオペレーターが監視を続けている。

 

「そうだな。私たちの悲願の結晶か……」

 

 カーディアスは頷いてモニタに映るメサイアを見つめた。

 

「メサイア両機ランデブーポイントへ向かってください」

「アステロイド・ベルトに潜む擬態岩礁を特定しこれを撃破せよ。いつもより多いがその分だけ密だぞ。テストはこれで最後だが、いつも通りでいい」

『了解』『りょーかいです』

 

 クリスに二つの返事が同時に返った。

 リズエラのバイタルは一定の感覚で乱れは全くない。ニムエは少し興奮気味だ。それもいつものことだ。

 焦らなければ非常に優秀な成績を叩き出すのだから。

 白い二つの筋がコロニーの外周を一回りした後、月側に向かって飛んでインダストリアル7を離れた。

 スクリーンに映るメサイアは互いに付けられたカメラを通して中継されている。

 

「ニムエ、最大加速でランデブー」

「はーい」

 

 二つの機体が同時に並ぶと速度を増して飛行する。人が耐えられる限界速度までメサイアが加速され激しい震動がコクピットを揺らした。

 それがエンジンの鼓動と合わさってリズエラに高揚感を与える。

 リミッターがかかっている限界域での活動だ。

 一方でニムエの集中力は限界まで研ぎ澄まされていた。額に汗がにじむ。細心の注意をマシンの操縦に注ぎ込む。

 リズエラにとってはこれがただの「散歩」気分でしかないことをニムエはよく知っていた。

 加速したG重圧の世界でニムエが気絶せずにいられるのはこのパイロットスーツのおかげであった。

 人体にかかるG圧を減衰し散らすことでどうにか意識を保っていられるのだ。もし生身で乗っての加速であれば無事ではいられないだろう。

 例外はリズエラのみ。彼女にはこのスーツすら必要ではないのだから。

 

「まるで遊んでいるようですな……」

「彼女たちからすればメサイアは手足も同然だな。私ももう少し若ければ志願したが」

「では私も志願しますよ」

「それも面白いかもしれん」

 

 当主の冗談にガエルは真顔で頷いてみせる。彼としては冗談ではなかった。

 二機のモビルスーツがコロニーが採掘岩礁として確保するアステロイド・ベルトの海に到着する。

 

「離脱」

 

 リズエラの合図でニムエが反対方向に離脱する。

 演習場となる岩礁地帯に目標を探しスラスターを吹かして角度を変えると岩の群れに飛び込んでいた。

 鮮やかな手並みだった。

 

「最小限に、素早く、補足する」

 

 M02のニムエが擬態岩礁を発見して先端が鉤型をした有線ハーケンを放った。

 風船で膨らんでいた擬態岩礁を破壊しハーケンを回収し機体を回転させる。岩の間を小刻みに飛び回りながら次の目標を見つける。

 白い流星たちが岩礁の間を飛び回る。

 

「三つ目♪」

「ああ、嘘!」

 

 チャンネルから響くリズエラの声にニムエは焦った。こっちはまだ二つ目だというのに。

 しかもハンデ付きだ。こちらが一つ落とすとリズエラは一つ余計に落とす。そうやって遊んでいるのだ。

 焦りがすべてを曇らせる。感覚は常に外へ向けること。宇宙での活動はそうしていないと些細なことで命を落とすことを知っていた。

 

「四と三♪」

 

 リズエラの弾んだ声が響く。ミノフスキー粒子を散布していないのでテストパイロットたちのやり取りも司令部には筒抜けだ。

 パイロットの安全と報告のため秘匿されたオープン回線を用いている。司令部以外で傍聴される可能性は低い。

 モビルスーツの開発という現場であるが、その華やいだ声を司令部で聴けるのも今日が最後であった。

 

「捕捉された!?」

 

 擬態岩礁にはセンサー搭載のものがあり、範囲に入った対象をロックオンする。その数秒以内に撃破しないと捕捉されてセンサー攻撃されるのだ。

 攻撃を食らえば減点である。止まることは許されない。

 ニムエは加速しながらギリギリ本物の岩礁の間をすり抜け減速、その瞬間に擬態センサーにハーケンを打ち込んだ。

 メサイア二機が岩礁地帯を踊るように飛行する様は美しいものだ。

 しかしニムエにはそれを眺めている暇などなかった。訓練のたびに死にそうなほど必死になってリズエラに食いつく。

 そしてプライドごと叩き潰されるの繰り返しだ。この一年でニムエの操縦技術が格段に上がったのは負けん気の強さからくるものだった。

 

「両機、全撃破を確認。被弾はゼロです」

「テストは終了しました。プロトタイプ・メサイアを月に移送し次のプロジェクトに移行します」

 

 結果が出てクリスはカーディアスに報告する。

 リズエラの勝ちだが、最終的にニムエと撃破数まで合わせている。それを狙ってできてしまうのがこのチームだった。

 

「ゼロワン、ゼロツ―遊ぶな」

 

 誘導オペレーターの叱責する声が響いて二人はその声に振り返る。

 岩礁でランデブーしたメサイアがテスト終了後も留まって鬼ごっこを始めたのだ。始めたのはリズエラである。

 負けたら勝った方に特大のパフェをおごるという賭けのようだ。彼女からすればこっちの方が遊びではなく本気である。

 

「ふふ……」

 

 あいつらしいな、とクリスは笑ったがカーディアスの前だと自重して口元を引き締める。

 

「申し訳ありません。すぐに帰投させます」

「それくらい構わん。若いのだ。見事な操縦技術を見せてもらった」

 

 岩礁地帯を高速で飛び回る様は見ている方は冷や冷やするものであったが、彼は少女たちの操縦技術が神がかっていることを理解していた。

 カーディアス本人はビスト家の一員として将来を嘱望されていたが、祖父のやり方に反発した学生時代に家を飛び出し、地球連邦軍の戦闘機パイロットとなった事もある。

 そのビスト一族の中でも非凡な才能を示し、鋭敏な頭脳をサイアムに見込まれたのだ。

 あと一〇歳若ければテストパイロットに名乗り出ていたはずだ。

 

「これにてRXメサイア、M01、M02の稼働試験はすべて終了する。帰投次第、試験用オペレーティング・システムはすべて凍結。コピーは全削除せよ。メサイア計画は第二段階へと移行します」

 

 クリスの宣言に技術者たちに笑顔が浮かんだ。この三年近くの成果がようやく表に出る時が来たのだ。

 アナハイムの主流から外れ閑職に追い込まれた者たちの悲願がようやく実る。それはクリスとて同じであった。

 開発チーム全員が総立ちになった。誰かが拍手を始めると、それは連鎖して広がり司令部のドーム全体に鳴り響く。 

 

「これから月だな」

「はい」

 

 カーディアスに返し、クリスは月へと思いを飛ばしていた。

 

 

 ──この日は登校最終日だ。学校はほんの少しばかりの休暇を迎えて学生たちは日々の学業から解放される。

 その期待とすでに解放された気持ちになった学生は授業もない教室で雑談に興じている。

 最終学年ともなれば卒業と就職。その前に経験するインターンシップについての話題が多かった。

 

 私が工専の学生になって三年目を迎えました。宇宙歴0078年となりインダストリアル7におけるモビルスーツの開発はすでに終了段階に到達しています。

 集まったMS開発チームは解散となるのかはまだわかりません。メサイアが築いてきた実績を披露するため月のアナハイム支社に実験機を送ることが決まっています。

 アナハイム側がメサイアのことを把握しているのかはわかりません。

 大きな会社なので支社ごとにやっている事業をすべて把握している人間などいない、というのはウォンさんから聞きました。 

 ビストとの共同事業と聞いて、それがモビルスーツの開発と思う人はいないかもしれません。

 短い休暇期間を利用して私たちも月に行きます。三年ぶりの月面都市は変わらずにそこにあることでしょう。

 名物の月面ピザはまだ試していません。クリス博士と一緒に食べに行こうかな。

 

「正直まだ絞り切れてないよぉ……」

「あたしはもう決めたよ」

「早いよ。親からはどうすんだーってせっつかれてるけど」

「あんたはまず卒業できるかが怪しいけど……」

 

 周囲では進路についての話題で盛り上がっています。

 学生の適性をはかるためのインターン制度もあるので、学業の単位を取得できているのであれば問題があるようなものではないはずです。

 工専の学業カリキュラムは割と細かく、一般教養も含めて成績となるので勉強尽くしの日々なのです。

 進路……はて? 私は卒業したらどうするんでしょうか?

 遺伝子研究所に就職?

 マーサ所長の顔を思い出すが、耳に飛び込んできた会話を拾って、リズエラはそちらに注意を向ける。

 私ってばすごい地獄耳なのです。

 見ればバーチとタリアが話している。その距離は親密に見えてすごく近い。

 二人は内緒で付き合っているらしいのですが周囲にはもうバレバレなのです。タリアの隠し事は私には通じないのです。

 はっきりと意思を表に出さないタリアだけどバーチには良く喋るのだ。

 おかげで工専の女子友では唯一の付き合いだったのが、最近はニムエと一緒にハブられているのです(ショボーンです)。

 

「──昨日の夜、俺見ちゃったんだよね」

「何を見ちゃったの? バーチ君」

「流れ星っていうのかな……港のバイトで外出てたんだけど」

「夜のアルバイトは工専で禁止されてるじゃない……」

「黙ってれば大丈夫だよ」

「見つかったら退学になるよ?」

「いや、それがさ、流れ星っぽいのを見てさ」

「流れ星を見たの?」

「かと思ったけど全然違ったな。動きがさ機械っぽくて、あれは絶対、人が操縦してたと思う」

「シャトルで?」

「ただのシャトルじゃできない動きだったな。戦闘機っぽかったよ。カメラで撮ったけど、早すぎたのかただの白い筋で──」

 

 得られる情報はそこまでで十分だ。

 バーチ君、それは、それはとても見てはいけないものではありませんでしたか? 

 密閉型コロニーであるため外部から見られる心配はないこともあってメサイアのテストを行っていたのですが、見られたとあっては困りものです。

 幸い、バーチ君は工場長の息子さんですから、彼のお父さんに情報をリークしてネガを消去してもらいましょう。

 リズエラは重要事項、と頭の隅にクリップするのだった。 

 

 ──その日、ラウンジにいた私に声をかけたのはアンナ先生でした。この日の彼女といえば淡いパステルカラーというのが印象です。

 ブラウスに少し長めのロングスカート。工専の先生方の中では女性らしい女性は珍しく映ります。

 無重力下ではリスクある服装ですが彼女の粗相は一度も見たことがありません。

 

「リズエラ・カーバインさん?」

「はい」

 

 ぼうっと校庭を眺めていたリズエラはその声に反応する。

 

「良かった。あなたとはなかなか話す機会がなかったから」

「お話をする用事がありませんから」 

 

 そっけなく返して離れようとすると呼び止められる。リズエラは振り返ってアンナ先生に向き直る。

 

「ごめんなさいね。進路の応募事項にあなたの記入がなかったから。インターン応募の項目があったと思うんだけど」

「ありました」

 

 すでに研究所にインターン扱いで通っているかと思って素通りしていた項目です。

 それにアンナ先生は一般人なので私の事情は知らないことでしょう。会長令嬢ゆえの怠惰と思われたのかもしれません。

 良いとこ育ちの病弱なお嬢様は「世間知らず」というのが周囲の評価です。この三年で作りあげた私の「顔」というやつです。

 

「電子書類だからすぐに終わるのだけど……」

「わかりました。今記入します」

 

 アンナ先生と椅子に座って必要な項目を埋めていく。

 応募企業はこのインダストリアル7に入っている会社ばかりだが、むろん秘密機関であるビストの遺伝子研究所の名前はない。

 空白なのが問題なのであって希望がなければ希望なしと書けばいいだけであった。

 お役所仕事的な事務手続きをすべて完了させる。

 

「ありがとう。時間を取らせてしまって」

「構いません。お仕事でしょうし」

「あなたと話をしてみたかったのは本当よ?」

 

 アンナ・リンクスは柔らかな笑みで応える。

 その笑みが多くの男子生徒を虜にしていることを本人は自覚していないであろうことは、彼女の少女らしい振る舞いから推測することができます。

 先生らしさはまだ足りませんが、それは微笑ましい所であるとリズエラは思うのです。

 

「──月に行くのね」

「はい、一週間ほどです」

 

 アンナ先生には旅行に行くと伝えました。

 故郷が他のコロニーにあれば、一時帰京する生徒もいれば、ここに留まって休暇を過ごす生徒もいます。

 さすがに地球出身者はごくわずかなので彼らもきっと留まることでしょう。彼女は地球出身でしょうか?

 

「休みが終わったら、またお話ししましょうね」

「機会があれば、また……」

「いい休暇を!」

 

 ニムエとタリアが迎えに来てリズエラはアンナ先生に別れを告げていた。

 

 

 港をAEの輸送船が離れてインダストリアル7が遠ざかっていく。

 宇宙にぽつねんと浮かぶコロニーは、今まで過ごしてきた世界があまりにも小さな世界であったことを実感させてくれるものだった。

 何度も遠くからインダストリアル7を見る機会はあったのだが、こうしてコロニーから離れて違う世界に行くと気分もまた違って感じるものであった。

 工専のクラスメイトたちはそれぞれの休みを過ごすだろう。タリアともしばしの別れだ。

 座席に座って遠ざかるインダストリアル7を眺めてからリズエラは正面のニムエに戻る。

 

「クリス博士からすれば凱旋ということになりますね」

「凱旋?」

「うん、端職に追いやった連中に復讐してやるのだー、みたいな?」

「ああ、なるほど。やり返してやるんですねー」

「いや、復讐などしないよ」

 

 コツンと握りこぶしが優しめにリズエラの頭に落ちる。顔を上げればそこにクリスがいる。

 見慣れた白衣姿ではなくパンツスタイルのスーツだ。そうして見ると実際の年齢よりもはるかに大人びて見える。

 当人はまだ一八と工専の学生と変わらない年齢だ。

 

「でもうちの子のお披露目なのです。かっこいい登場シーンくらい用意してもいいのでは?」

 

 リズエラの愛する可愛い可愛いメサイア一号機と二号機は、度重なる検証実験と訓練を経てもはや一心同体も同然であった。

 バージョンも重ねて初期のころよりもはるかに性能は向上していた。

 おかげであれは普通の人間が乗るものではなくなってしまったな……とクリスが少し後悔するほどであった。

 

「お披露目といっても公式のものではないよ。とは言っても本格的な模擬戦を予定している。相手はガンキャノン鉄騎兵中隊一二機を用意しているそうだ。どうだ、ワクワクしてきたかい?」

「ええ? 実戦なんですか?」

 

 ニムエが驚く。メガラニカでの実戦はリズエラとしか経験がない。

 

「これまでの成果を思う存分に発揮できる機会が訪れたというわけさ。噂に聞くRX-78も拝めるかもしれん」

「RX-78ですか? アナハイムの公式型番ではまだ公開されていませんよね?」

「機密ではあるけどね。この情報もさる筋が教えてくれた」

「マーサ所長ですね」

 

 リズエラが正解を口にする。

 あのおば……マーサ所長はアナハイムに太いパイプを持っているので常に最新の情報を得ているようです。

 なぜかリズエラには心を許しているのだが、男社会に挑戦して女の存在を示すことを常々口にするようになったのは、リズエラが自分のルーツを知ろうと自主的に研究参加してからだ。

 彼女からすればリズエラはすでに同志の扱いなのであった。

 

「あの子が寂しがってるから行ってあげないと」

「リズ様の愛が始まりましたねえ……」

「過保護もほどほどにな」

「はーい」

 

 生暖かい視線を背にリズエラはふわりと浮かび上がって二人に手を振った。座席の一番向こうに目を向けるとウォンが座席で眠りこけていた。

 モビルスーツが収められている区画に向かう。すべての整備を終えた二機がそこにあった。

 ここでは無重力だ。リズエラは床を蹴って空中に飛び上がると体を一回転させ、機体の胸部を上がってメサイアの頭部に到達する。

 一本角が生えたモビルスーツの頭には「顔」が存在する。宙に漂いながらその顔に触れて冷たいフェイスを額に感じた。

 

「ガンダム……」

 

 リズエラは誰も知るはずのないその言葉を口にした。本人さえもその単語の意味を理解していない。

 その「顔」はリズエラの記憶に唯一残っているマシンの素顔だ。他に知るのは、その顔をスケッチしたときその場にいたウォンとメラニーだけである。

 初対面の取調室で記憶にあるモノを書くようにと言われて書いたスケッチがこのガンダムの顔だったのだ。

 二機のメサイアは同じ顔を持っている。あの時のものがモビルスーツの顔に再現されることはリズエラも知らなかったことだ。

 ただ唯一、自分の記憶に関係するものという認識だけである。

 リズエラ専用機であるM01のコクピットまで降りてハッチを開けて入り込む。

 

「不安? うん、違う宇宙に行くんだものね……」

 

 リズエラは両手を広げコクピットの天井に掌で触れる。

 肌で直接感じるマシンの意思──それは他の人には決して聞こえない声だ。言葉とはふと湧いて出てくる意識の塊のようなものだ。

 モビルスーツの意思のようなものを実感できるようになったのは、実験機に初めて搭乗して以来だ。

 月で乗ったガンキャノンやガンタンクにはないものがそこには宿っている。

 それは知っている誰かの声であったりする。断片的だったり、はっきりと聞こえることもある。

 クリスのものであったり、ニムエのものであったり、関わった人たちの言葉だったりする。

 その残留思念のような意思が木霊のように竜骨神経を通じてリズエラに伝えてくる。

 それらの声とは別にマシンの意思も感じ取れた。それはとても幼くて、小さすぎて誰にも聞き取ることはできない。

 その語り掛けてくる言葉に耳を澄ませるのをリズエラは好んでいた。

 リズエラは目を閉じて座席に身を委ねる。竜骨から響いてくる意思に心をシンクロさせていた。

 

 電子情報は脳波シンクロによって伝達されパイロットはそれを受け取り、発信する。

 フレームに組み込まれた脳波シンクロシステムは、モビルスーツの前身であるモーターヘッドからの着想を得たクリスによって設計された。

 驚異的な身体能力を持つ騎士やファティマではなく、人が乗るべきマシンとして、人体操作では不可能な動きを再現するため脳波コントロールによる操作を可能とする。

 それはモーターヘッドの在るべき本来の姿ではなかった。

 「マシン・メサイア」。そう呼ばれたモーターヘッドの前身であるマシンの姿に近いものであったのだ。

 そしてこのマシンもまた「メサイア」と呼ばれている──

  

 

「シャア・アズナブル。貴様を我が指揮下の宇宙攻撃軍の士官に迎え、モビルスーツ部隊の一員とする」

「はっ! 謹んでお受けいたします」

 

 先月、地球から宇宙──サイド3へと戻ったシャア・アズナブルはドズル・ザビ麾下となっていた。

 暁の蜂起。ジオンの学生によるクーデターの際に連邦軍への反乱に加わり、それを指揮するガルマ・ザビと共に連邦の基地を占領した。

 それを契機にジオンは連邦政府との決別をしたといっていい。連邦の圧力下にあったサイド3コロニーはジオン自治共和国国防軍を再編し、独立した国家への道を歩み始めた。

 蜂起によって故国を救うために戦った憂国の士。若い少年少女たちが幾人も犠牲になったが、若い英雄たちは今こうしてジオン独立のために立っているのだ。

 だがシャアの事実は異なる。元来勇ましい気質ではないガルマを担ぎ上げ、言葉巧みに誘導して先導したのはシャアの手腕であったのだ。

 そうと知るドズルもまたザビ家の人間である。シャアは胡乱だが、小僧一人操れぬでは面目が立たぬ。

 それにまたシャアの地球での遍歴も彼の興味を引き付けるものであった。数々のモビルワーカーを操り、その腕前はすでに保証されている。

 一人でも多く麾下のMS部隊に欲しいドズルにとってこの上ない人材であった。 

 ──宇宙を駆けた一機のMSが岩礁の小基地へと帰還する。遅れて数機のMSが続いて帰還した。

 テストパイロット兼実戦要員として訓練を受ける小隊が帰還したのだ。

 

「お帰りなさい。お疲れ様です」

「調整は完璧だ。だが機動の反応はもっと速くしてもいい」

「リミッター制限がありますもので……パイロットの安全が第一です。空中分解なんて見たくありませんからね。ツィマットであったでしょう」

「ああ……そうだな」

 

 整備に返しシャアはヘルメットを脱いだ。その素顔を覆うのはマスクだ。

 表情を映さない無機質な仮面は、彼の目の色素異常を防護するためのものだ、ということになっている。

 この基地に来てからずっと新型機の訓練に時間を割いていた。 

 MS部隊を養成するための施設であったが、突貫で造られたので居住性も娯楽も殆ど望めない宇宙の監獄のような養成基地だ。

 訓練よりもこの環境に愚痴をこぼすものが多かったが、シャアは文句の一つもあれば訓練に意識を傾けていた。

  

「MS-05 ザクIか……」

 

 小型融合炉を積んだ人型機動兵器。ガルマからその存在を聞き、暁の蜂起後の除隊の際もドズルに立っての希望としてMS部隊への編入を希望した。

 MSの存在こそがこの世界に置いて彼が立つ術であることをその頃から感じ取っていたのだ。

 その感覚は間違っていなかったといえよう。地球での経験から自分が呼び戻されることは確信していた。

 

「カラーは赤ですか?」

「ああ、頼む」

「暁ですね」

「そうだ」

 

 機体に施すペイントは本来であればマーク程度であるが、機体の色を赤く塗ることを許されたのはこの基地ではシャアだけだ。

 その意味を整備の人間も理解している。何せ彼は暁の蜂起で英雄となった男なのだ。

 この基地でシャア・アズナブルを知らぬ者はいない。

 

「アズナブル上等兵、司令がお呼びです」

「ドズル閣下が? わかったすぐに行く」

 

 赤い塗料に塗られていくザクを一瞥してシャアはその場を離れた。 

 小惑星基地として用いられている岩礁はその鉱物資源の利用に加え、掘り進めた部分を居住区域としても利用している。

 天然のコロニーとしてこの上なく最適であったが、コロニー暮らしに慣れたスペースノイドでも住むとなれば躊躇うものだ。

 岩窟の天井下の通路を抜け司令部の通信室に姿を現す。

 

「シャア・アズナブル、参りました」

「楽にしろ」

 

 モニタ向こうのドズルはいかめしい顔でジロリとシャアを見る。

 

「貴様の顔を眺めるのはあまり面白いモノではない」

「マスクを着けたままで申し訳ありません。外しましょうか?」

「不要だ。お前の素顔などどうでも良い」

「はぁ……」

「世間話をしに呼んだのではない。貴様はキシリア機関を知っているな?」

「キシリア閣下直属の情報部隊だと聞き及んでいます」

「そうだ。キシリアが掴んだ話では裏切り行為が進行しているとのことだ」

「裏切り? 誰に対してです?」

 

 シャアの注意深い視線がドズルへ向けられる。

 

「我々……ジオンに対する裏切り行為だ。到底許されるものではない。ミノフスキー博士の脱走計画があるという話だ」

「それはミノフスキー博士が連邦に寝返るということでありましょうか?」

「そういうことだ」

 

 ドズルの目は怒りが宿っている。声を押し隠しているが握りしめた拳がすべてを語っていた。

 

「ジオンのモビルスーツ開発のすべてを博士は熟知している。どれ一つたりとも連邦のクソどもに渡すわけにはいかんのだ! 貴様には博士を……」

「どういたしましょうか?」

「連れ戻すのだ……それが叶わぬ時は仕方ない。決して奴らの手に渡してはならぬ。ザクによる出撃を認める。貴様の初陣だ」

「私一機ではありますまい?」

「当然だ。作戦行動には俺が手塩にかけて育てたモビルスーツ部隊を使う。キシリアの情報を元に作戦を展開する。博士を泳がせ月で捕らえるのだ」 

「承りました。シャア・アズナブル、月で任務にあたります」

 

 シャアはドズルに拝命の敬礼を送る。

 

「……お前にも部下を付けてやる」

「部下でありますか? 自分は帰参したばかりの一兵卒にすぎませんが……」

「ヅダの開発チームにいた連中だ。今は俺の指揮下に入ってザクの訓練を受けている」

「ツィマット社のEMSチームですか?」

 

 現行のザクが採用される際、そのライバルとなったのがツィマットのヅダと呼ばれるMSだ。

 性能の上ではザクを上回るとされながらも機体の不具合で採用は見送られたという。その現物を見たことはないが開発に関わったパイロットたちはEMSチームと呼ばれていた。

 

「ツィマットの開発チームが解散した際に連中も軍属を離れた。俺の召集で帰参したが、全員が一兵卒からを希望してな。そいつらをお前につけてやる。指揮官として使いこなしてみせろ」

 

 ドズルの見せた笑みは好意的なものではなかった。貴様風情が使いこなせたらな、という意趣が込められている。

 

「了解いたしました」

「貴様が戻り次第作戦を開始する。寄り道して女を抱く時間などないぞ」

「はっ!」

 

 通信が切れてシャアは手を下す。巡り巡ってきた機会に胸は昂るが冷静な仮面の下にその表情を隠していた。 

 

 

「シャア」

「ララァ」

 

 シャアがララァの体を受け止める。インド系の血を引くララァはシャアが地上で保護した少女だ。

 ララァは不思議な力を持つ。その力をカジノで荒稼ぎする悪い男に利用されていたが、経緯があって彼女を狙うブローカーたちからシャアが助け出したのだ。

 コロニー港の端で二人は久方ぶりの再会を果たした。地球から宇宙へ戻った後、シャアはすぐにMS訓練のためにララァの元を離れていた。

 サイド3への移民申請が通り、港の管理センターを出たララァはシャアが借りたアパートメントに入っていた。

 借りる際も軍属の身内ということで少し融通を利かせている。シャアは一度も訪れていなかったが不自由はさせていないはずだ。

 

「すまないな一人にさせて」

「いいんです。私、軍に志願しようと思います」

「なぜだ?」

 

 見上げるララァの視線を受け止めてシャアは問う。

 その瞳には吸い寄せられるような抗いようのない魅力がある。こんな時でなければいつまでも見ていたいような目だ。

 無意識に男の心をつかんで離さない。ララァと共にあることは奇蹟のようでもある。

 

「そうすればシャアの近くに居れるような気がするから」

「軍隊はそうはいかない。一緒にいることは難しいだろう」 

 

 子どもゆえのあさはかな思い付きとも取れるが、ララァが愚かな娘でないことはよく知っていた。

 

「あまり時間がないんだ。すぐに発たねばならなくてね」

 

 基地から帰還したシャアはすぐに軍艦に乗って出航を待つ身だ。そのわずかな時間をララァと過ごしている。

 

「夢を見ました……」

「夢?」

「とても怖い……白い幻影がシャアを連れて行ってしまう夢……」

「夢は、夢だ。私はどこにも行かないよ」

 

 シャアが差し出した手をララァの細い指が受け止めて頬に当てる。

 

「だから、少しでもあなたの近くにいたいのです。シャアを取り巻く運命の一部になりたくて」

 

 その吐息を感じながらシャアは笑った。

 少女の言葉の意味を詮索する時間はない。頭にあるのは任務のことだけだ。

 

「私もできる限りのことはするとも。ララァも今は帰りを待ってほしい」

「はい」

 

 ララァに別れを告げて立ち去るシャア。その背中をララァは見つめる。

 

「私は視たのですシャア……」

 

 その瞳は今ではない未来のビジョンを映す。視たものを思い出した瞬間、また夢で見た映像が今ある世界を塗りつぶして再生される。

 その鮮烈なビジョンに立っていることができずにララァは床に手をついた。

 

 

 

月を切り裂くように白い幻影が降り立つ

そのロボットを操るヴァイオレットの瞳の少女

戦いは一方的に恐ろしいまでに残忍に

大地を赤く染めて散っていく命の数々

その惨劇の最中に赤いモビルスーツが幻影を迎え撃つ

 

 

 

 そこでビジョンは終わった。空虚な冷たさを膝に感じながらララァは立ち上がった。

 この身に感じた感覚は現実そのもの。散華する命の響きを聞いていた。その声を耳に残して瞳からこぼれた涙を袖でぬぐう。

 

「あなたは生き残るわ、シャア……そしてあなたが辿る運命は私のものでもあるの……それがわかるから」

 

 そう呟いてララァは港に背を向けていた。



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8話

◆チャプター32

 

 月にはアナハイム社が拠点を置くフォン・ブラウンやグラナダという月面都市が存在し、月の地上部分に人が暮らすための街を築いている。

 人類が宇宙空間に住居を定めて以来、月は宇宙に住む人々にとってコロニーと並ぶ重要な生活拠点となって久しい。

 そこには大地が存在し、二つの巨大都市を繋ぐ道路も整備されていた。

 

 一台の車両が夜のグラナダをジオニック・グラナダ工場に向かって走らせる。工場行きの左折地点に差し迫ったところで車内にいた数人の男たちが行動に出た。

 停止した車両内で数発の発砲音が鳴り響く。その音を聞きながら強く握った拳に視線を落とす白髪の老人が顔を上げた。

 彼の名はトレノフ・Y・ミノフスキー。ミノフスキー粒子の生みの親であり、ジオンにおけるMS開発の陣頭指揮を執った本人だ。

 汗ばんだ手を広げ、ことが済んだ男たちをトレノフは見返した。前方の扉の向こうから流れ出た血が床を濡らしているのが見えた。

 幸いなことに撃たれた男たちの遺体を見ることはなかった。

 

「次の作戦に移ります」

 

 トレノフに護衛の男が話しかける。

 止まることはできない。車内に殺された男たちの遺体を残したまま疾走する。グラナダの領域を出た車両がフォン・ブラウンへ向かう道に乗る。

 揺れる車内で血の匂いを嗅ぎながらトレノフはもはや後戻りできぬ道を怯えた目で見つめた。

 ジオンからの亡命計画は数か月前から計画していたことだ。

 科学者としての功名心と野心に急かされるようにしてMS開発に関わってきたが、ザビ家が突き進む先に彼は恐怖した。そこにスペースノイドたちの未来は見えなかったのだ。

 フォン・ブラウンまでは長い。その間に事は露見するだろう。ジオンからの追手が出ることは確実だ。常に監視され続けてきたのだから。

 逃亡──自分を引き抜いたアナハイムへの亡命。すでにこちらを回収するために連邦軍も動くと聞かされている。

 もし追いつかれたら? 裏切り者に待っているのは死だ。死の銃口を向けることをザビ家は躊躇わないだろう。そんな光景をもう嫌というほど見てきた。

 フォン・ブラウンへの孤独な四〇〇〇キロの逃避行は始まったばかりだ。

 

 

 その頃、フォン・ブラウンにてマーサ・ビスト・カーバインは通信回路を開く。相手は彼女の「取引」相手だ。

 インダストリアル7を出た一行よりも先に月にていくつかの会議に出席し、必要な根回しを終えた後であった。

  

『こちらは準備は整えた。そちらも「商品」を滞りなく届けて頂戴』

『すでに便は出ているわ。余興としての「お試し品」もそちらの「製品」の品質チェックに使って構わないから』

『それに値が付くとは思わないことだ。アナハイム内部のことなどどうでも良いがな』

『私たちは互いに必要なものを交換し合う。それだけよ──』

『対価に見合うものなら払うとも』

 

 短いやり取りの後、グラナダの高級なホテルの一室で青いドレスの女が通信を切った。

 

「私に取引だと? アナハイムの女狐め。とんだ共食いだね」

 

 冷酷で非情さのある目が卓上の花瓶を眺め、ウィッグの肩まである金髪をいじった。新たな通信が入りそれを取る。

 

「何だ?」

『ミノフスキー博士は工場に向かいました。予定より早い行動です』

「上手く行ったようね。計画通りに動きなさい」

「閣下。博士が動いたと?」

 

 奥の部屋で身なりを整えていた紳士が慌てて顔を出す。ルージュの赤を唇に彩り女は振り向く。

 

「し、失礼しました、閣下! もとい……キャ、キャサリン……」

「ベルクマン……」

 

 女がしなだれかかり男の頬に口づけをする。くっきりと唇の跡を頬に残してうろたえたままベルクマンが硬直する。

 ベルクマンは生粋の訓練を受けた軍人である。計画に加わっているが、目の前の女が上司であれば対応に戸惑いがあった。

 

「スミス海の淵に博士が着くまで一〇時間ほど。それまで楽しみましょう。エスコートしてくださる? ベルクマン少佐」

「光栄です。ミセス・キャサリン……」

 

 キャサリンがトラ柄のコートを羽織る。ベルクマンが手を差し出して女の腰に手を回した。

 用意していた高級車に乗り込みキャサリンが行き先を告げた。雑談を持ちかける運転手にキャサリンがよどみなく演技で応える。

 グラナダに観光に訪れた裕福な夫婦という仮面をかぶるのはジオンのキシリア機関に属する将校であるベルクマン。

 もう一人のゴージャスな夫人はキャサリンという名前ではない。ベルクマンを従え、諜報機関がもたらす全ての情報を手中にするのはキシリア・ザビ本人だ。 

 グラナダに自らいるのはすべてを把握するためであった。

 二人が下りた先はネオンさざめくダンスホールだ。

 

「兄に無理を言って虎の子の九機も出させたけれど、それだけの価値があったと思わせてもらわねば困るよ」

「隠密に事を運ぶため当初では五機でした。それがなぜ、隠密が露見しかねない構成になったのでしょう?」

「ベルクマン」

「も、申し訳ありません!」

 

 キャサリンの冷ややかな凍てつく視線がベルクマンを貫く。

 ザビ家の人間に逆らった者はことごとく排除された。権勢を誇った名門一族さえ、わずかな弱みを見せれば徹底的に潰された。

 ベルクマンを無条件に従わせるのはザビ家への恐怖である。

 

「連邦のモビルスーツ部隊を恐れているわけでも、作戦が失敗に終わることを恐れたわけではない。私が見たいのは商品だよ」

「商品……とは?」

 

 ベルクマンの額に脂汗が浮く。言葉一つ、詮索さえも命を落としかねない相手である。

 キャサリンの唇に微笑みが浮かび、ベルクマンは冷や汗を背中に感じた。

 

「それは見てのお楽しみさ。さあっ! 踊るわよ!」

 

 キャサリンが立ち上がりダンスホールの中心に立つ。狂騒と入り乱れる光の中で男女の体が入れ替わり、熱くぶつかりながら踊り狂うのだった。

 

◆チャプター33

 

「新型機の演習パフォーマンスにミノフスキー博士の亡命計画か……」

 

 フォン・ブラウンに駐留する連邦軍のドックを見下ろしてテム・レイは息を吐き出した。

 今回のアナハイム内で起こった亡命騒ぎと演習予定のエンカウントにきな臭いものをかいでいたのだ。

 それがテムにはあまりにも意図的な配置に思えた。

 

「レイ部長、ノーマルスーツの着用をお願いします。着替えたらポートの三番口へ」

「わかった。すぐに行くよ」

 

 指示に返事を返しテムはスーツのある部屋に入った。着替えながらテムは思いを巡らせる。

 RCX-76以降、新たに手掛けたRX-77の生産開発が軌道に乗ったはいいものの、彼の心にRX-77の完成に対する喜びはなかった。

 所詮はまがい物だ……MS-04「ザク」の完成度とは比べるべくもない。

 先日、連邦の高級官僚に呼び出され、見せられた映像にテムは心底から震え上がった。ジオンはMSを完成させていたのだから。

 そこで新たなMS開発の概要を聞いた。ジオンのMS開発に対し、連邦も新たなMS事業を展開しその責任者にテムを選んだのだ。

 建造中のサイド7にてRX-78は開発される。そのために移住を決意した。

 RX-78。テム自身が秘密裏に計画していたものが形になるかもしれないものであった。

 しかし、テムを焦らせる要因があった。

 極秘裏にMS開発計画が進められ、その実験機の公開演習が月で展開されることが決まっていたからだ。

 ビストとアナハイムが共同の開発計画はテムも社内召集の会議で知らされるまで全く把握していなかったことだった。

 巨大な企業国家ともいえるアナハイムは身内であってもすべての事業を把握している者はいない。

 そこにミノフスキー博士の亡命騒ぎだ。恩師ではあるが今である必要はなかった。

 ミノフスキー博士の亡命を助けるためにMS部隊である鉄騎兵中隊が緊急出動する。

 テムも救援機に乗り込んで現場に出る。命令されたからではない、自分の意思でだった。

 この目でミノフスキー博士が完成させたジオンのMSと、社長やフォン・ブラウンの責任者さえ知らずに極秘裏に開発されたMSを見たいという衝動に駆り立てられてのことだ。

 

「いったいどこの誰が造り上げたのか?」

 

 彼の脳裏にあるのは例のディスクのことだ。もしアレに関わった人間が造ったのだとしたら……

 その出来次第で私のRX-78はとんだ茶番になりかねない。

 

「博士がいなくてもアナハイムのモビルスーツ事業は回る段階にきている……が、私は見たい。あらゆる可能性を」

「カノウセイ! カノウセイ!」

 

 テムの足元にはハロがある。息子に買い与えたものと同一だが、いくつかの実験を繰り返しながらプロト2版として自分用にも用意した。

 RX-78へのフィードバック用記憶媒体としての性格が強いが、テムの脳波を読み取っていくつかの行動を先読みするようにもなっている。

 

「お前は今日は記録係だ。しっかり学習しろ」

「ベンキョウ、ベンキョウ! ガンバレ、テム!」

 

 子どものおもちゃを持ち込んで何を考えている? 局長からも社長からも投げかけられた言葉だ。

 社内でもそのせいで変人の目で見られ始めているがテムが気にすることはなかった。 

 着替え終わり、ハロを従えてテムは指定のポートに入る。そこで待っていたのはマーサだった。

 

「テム・レイ技術主任部長」

「社長夫人、何か?」

 

 こんな時に何か? とテムはカーバイン夫人に向き直る。彼女はノーマルスーツを着ていない。

 アナハイム支社での会議では同席したが、軍が使っているポートに彼女がいる理由がわからない。

 

「あなたには期待しているの。RX-78の開発担当おめでとう。アナハイムは大きな躍進の一歩を踏み出すことになるわ」

「それはどうも……」

 

 ヘルメット越しにマーサが差し出した手を見ながらテムは右手を差し出して握手に応える。

 

「それはハロね。子どもの玩具と言うけれど遊び心は大切よ」

「そうですね……」

「RX-78は新しい風を呼び込むことになるわ!」

 

 船の旋回対流から生まれた風が吹き込んで声量を上げたマーサの髪をかき乱した。

 

「レイ部長、もう出ます!」

 

 着艦しエンジン音を響かせる救助艇からノーマルスーツの男が手招きする。

 

「では失礼します」

 

 マーサを残し、弾むハロ二号機と共に小さな救助艇にテムは乗り込むのだった。

 

 

 月面のトワイライトゾーン。地表に差し込んだ太陽の一条の光が、荒野の地面に反射して遮るものない月の地平線までその光を投げかけている。

 その朝をシャア・アズナブルは冷たいコクピットの中で迎えていた。

 まだ闇の中にある赤いMSのモノアイが光を放つ。MSは赤い一機だけではなかった。計五機のザクが窪地に潜伏しているのだ。

 シャアが率いることになった新兵の部隊。その実は元はツィマット社でMSヅダの開発チームにいたベテランたちであった。

 性能の上ではザクを上回るとされながらも、試験中に事故を起こしたヅダは開発のとん挫を余儀なくされた。その後、ドズルが計画を推し進めていたザクが主権を握ることとなったのだ。

 待機に移行してから、今か、今かと待ち続けた時間は長い。その沈黙を破っての一声がシャアの耳に届く。

 

「隊長、ビーコンを出さなくていいのでありますか?」

 

 部隊で一番年若のクルト一等兵が伺いを立てるように言った。若いといってもクルトはシャアよりも年は上だ。

 二〇を迎えたばかりの青年だが部隊でもその腕を買われてここにいた。

 

「もう朝だ。敵に察知される可能性がある。それにこちらの存在もギリギリまで伏せておきたい。敵がどれほどの戦力を送り込んでくるかわからん」

 

 慎重とも、臆病ともとれる発言にモニタを食い入るように眺める男が笑った。

 

「では、モーニングコーヒーでも用意しますか? 隊長さんよ」

 

 同じ一等兵のレオがぎょろっとした目でモニタを見つめながら言った。がさつな印象を与える男だが目ざといことで知られている。

 

「隊長はシュガー多めにしてやらんとな。二杯か? それとも三杯かい?」

「甘党はルッツの専売だろう。この甘党め。一杯に十個も角砂糖入れるのはお前だけだ」

 

 お調子者はルッツの声にもう一人はロルフという大男のものだ。

 

「失礼ですよ、お二方、口を慎んでください」

 

 クルトがたしなめ、「畏まりましたお坊ちゃん」とレオからの返しが入る。

 コクピット内でクルトはむっとするが、「私はミルクも砂糖もいらんよ。ブラック派でね」というシャアの一言が入って緊張の空間に緩みのようなものが生まれる。

 

「おっとお出でなすったぞ」

 

 行軍する味方の機影を捉えたレオが報告する。コクピットを開けて出たシャアがそれを出迎えるように立った。

 ランバ・ラル率いる。ガイア、マッシュ、オルテガが乗る四機から成る小部隊だ。

 その四機の中でもランバ・ラルの機体は三人のMS-05・ザクとは少しデザインが異なった。

 MS-04「ブグ」はザクの前身となるMSだ。コストの問題から正式採用を見送られた機体で、テスト生産品として少数だが生産されていた。

 コストの面で見送られただけあって、性能面でザクに劣るところはなく、運動性も上回る機体だ。 

 MS-05・ザクが正式なものとなって以降、ブグはそれ以前のヴァッフ同様にプロトタイプ・ザクと呼ばれるようになる。

 作戦開始にあたって、もっとも慣れた機体をラルが希望してブグでこの作戦に参加している。

 

『貴様、赤い奴かっ!? 聞いていた場所と違うではないかっ! なぜ、ビーコンを出さんかっ!』

「熱血漢が来やがったなあ……」

「黙ってろよ、ルッツ」

 

 レオにルッツが黙り、シャアにならうようにクルトもザクの外に出て上官たちを迎えた。

 

「みんなも出てください」

「レオ、坊ちゃんが出ろってよ」

「そりゃ、上官様のご到着だからな」

 

 渋々とルッツとレオ、ロルフがコクピットを出る。

 

「申し訳ありません、准尉殿。ビーコン発信で位置を悟られるおそれがありました。何分隠密行動が優先されます。それにこちらの方が大所帯でしたもので」

「なにおう、貴様! 一兵卒の癖に生意気な!」

 

 ザクのコクピットを飛び出したオルテガがシャアを挑発しようと罵るが、シャアチームの面々がそれを阻んだ。

 オルテガとそん色ない体躯のロルフが腕組みで出迎える。前へ出ようとしたオルテガを再度ロルフが阻む。

 

「なんだお前はっ!」

「はん」

 

 あごに傷を持つロルフが笑って返すとオルテガが掴みかかった。

 

「やめんかっ!!」 

 

 短絡的な行動に制止の声をランバ・ラルが上げるが二人は止まらない。もみ合うのを見てレオとルッツが賭けを始めた。

 

「オルテガ! ロルフ曹長やめんか!」

 

 ガイアが一喝する。

 

「曹長だあ?」

 

 手を放したオルテガがじろじろロルフを見て唸った。

 

「ガイア少尉! 失礼しましたっ!」

「クルト伍長か……久しぶりだな」

「自分は……いえ、ここにいる全員、復帰の際に一兵卒として出直しております!」

 

 敬礼するクルト以下も並んでガイアに敬礼を返す。

 どうやら顔馴染みのようだと見物していたシャアはコクピットに戻って警戒のサーチを拡げる。

 

「ヅダのチームにいたという四人だな?」

 

 喧嘩が収集されたところでランバ・ラルが確認する。

 

「全員、生粋のモビルスーツ乗りです。腕は保証しますよ、ラル大尉」

『全員戻ってください。”ウサギ”を確認した』

「確認する。それまで動くな!」

 

 搭乗機に戻ったラルがポイント地点に現れた車両を確認する。

 

「間違いない。博士が乗った車両だ……よし! ドッグレースを開始するっ!」

 

 牽制の弾道が暗黒の空間に放たれ全機が動き始める。狩りの時間の始まりだった──

 

 

 M01のコクピットの外は騒がしい。整備班が起動させるメサイアの武装チェックを行っている。対面ではMO2が同様に装備の換装を終えていた。

 輸送船はまだ月に到達していない。急遽予定を変更されたランデブー地点はスミス海を差していた。

 ニムエと同じパイロットスーツを着用し、卵型の宙に浮かぶ中でリズエラは高鳴る鼓動を感じる。胸に手を当ててその音が静まるのを待った。

 向かい側のコクピットではテンパったニムエが整備にあれこれ質問を投げかけている。

 今のリズエラにはニムエの不安を和らげている余裕はなかった。

 

「私……どうしちゃったんだろう? 今日はずっと胸がわくわくどきどきする!」

「ゼロワン、心拍数が速い。緊張しているのか?」

 

 コクピットに響くクリスの声にリズエラは頭を振る。

 目を閉じたままトクン、トクンと脈動を放つ心臓の高鳴りの音を指先を通して感じとる。

 これから起こることは未知の体験だ。戦場で何かが起こるのか?

 

「なんだか私、予感があるみたい。何か起こりそうなの……」

「何かとは何だ?」

 

 クリスの言葉の後に、代われ、という声の後ウォンが質問を投げかけた。

 

「わからない……予測不能」

 

 不安定になる自分を御しきれずにリズエラは混乱する。

 こういう時はどうしたらいい? ダメ、何もわからない……

 

「お前の仕事は亡命するミノフスキー博士の救助をすることだ。それと敵ジオンのモビルスーツの排除だ。それ以外は考えるな。いいな?」

 

 強く念を押してウォンが”命令”する。

 ファティマのダムゲート・コントロールがそれを絶対的なマスター命令としてリズエラに認識させる。

 

「はい、マスター。敵を排除します。博士の救出を優先。ジオンの機密情報を確保します」

 

 不安を映していたリズエラの瞳は無表情に感情を制御させマシンを操ることに集中させた。

 マスターの声が私を安心させてくれる。命令だから実行できます。

 

「心拍数は安定した。大したものですね、マインド・コントロールの力は」

「進んで引き受けるような役ではない。ああいうモノが戦争欲にかられた連中をいたずらに駆り立てる。もっとも私たちも道具の一つに過ぎないがね」

 

 ウォンの自嘲のようにも響くが、今はその感情に思いを巡らせている余裕はクリスにはなかった。

 私も所詮は歯車の一部か……顔を映すモニタに視線を落としクリスはその時を待つ。

 

『こちら両機の整備完了です!』

『降下ポイントまで距離一五〇キロ』 

「私もあなたも降りることができない船に乗っている。陸地にたどり着くか、それとも沈むかはあの子たち次第です。片道切符でないことを祈りましょうか」

 

 顔を上げたクリスが再度マイクのスイッチを入れる。

 

「リズ、ニムエ。時間だ。これより降下を開始する。降りた先は戦場だぞ」

「了解──」

「は、はい!」

 

 緊張するニムエの声と冷静に戻ったリズエラの声が返る。

 向きを変えた船のハッチが開き、宇宙空間にメサイア二機がボディを晒した。

 無慈悲な空間の下に広大な月の大地が広がっている。

 今、その下では先に降り立った鉄騎兵中隊一二機とザク九機による戦闘が行われているのだ。

  

「これより介入を開始します──」

 

 電子のきらめきに額のエメラルドグリーンのクリスタルが輝く。

 オペレーション・システムを立ち上げたリズエラの宣告と共にメサイア二機が輸送船からパージされ降下作戦を開始する。 




まだ70%位の出来(´・ω・`)



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9話

チャプター34のみ仮投下
チャプター35、36はまだ未完成

反応次第で全部消して書き直すよ(´・ω・`)

指摘は容赦なくてもいいよ仮投稿だし(´・ω・`)

50%くらいかなあ(´・ω・`)


◆チャプター34

 

 テムの眼下で巻き起こった爆発の渦は月の地表を赤く照らしだした。その衝撃は真上にあった救助艇の船体を大きく揺らす。

 ヒートホークの斬撃を受けてガンキャノンが崩れ落ちる。近接戦に持ち込まれた時点で連邦MS部隊の敗北は決まっていた。

 圧倒的な機動性と運動力を持つザクが連携して動けば、赤子の手をひねる様なものだった。

 また新たな爆発が地面を揺らしテムの目の前で強烈な閃光を放つ。

 

「危険です! これ以上は近づけませんよっ!」

「ダメだ! 何としても博士だけは回収しなければ! 探すんだっ!」

 

 叱咤するテムの指示で灼熱の噴煙を上げる地表にセンサーを向けて救助艇が飛ぶ。いつ撃ち落されても仕方ない危険な行為だ。

 赤いザクの照準が一瞬救助艇を捉えるが、何の火器も積んでいない船からすぐに照準を外す。

 間一髪のところで命を救ったことを知らず、テムは生存者の姿を視界に捉えるが、すぐに噴煙の向こうにその姿を見失っていた。

 破壊された車両から飛び出した人影は、戦場から逃げるように徒歩で走るが、無重力の世界を宇宙服を着て走る行為は水の中でもがくに等しい行為だ。

 爆風がその背中を押すように弾き飛ばした。トレノフはもんどりうって破壊されるMSの姿を目にする。

 

「終わりだっ!」

 

 悔恨の言葉が漏れて涙にぬれた目で追手であるザクを見上げる。

 

「食らいやがれっ!」

 

 マッシュ機が振り上げたヒートホークがガンキャノンの頭部を激しく殴打し、頭部を破壊されても抵抗しようとする機体の右腕を斬り落とす。

 

「こんな……ことが」

 

 繰り広げられる一方的な殺戮を前に、それ以上の言葉を失った部隊の指揮官が席から半ば腰を浮かしたまま呻くように呟いた。

 一二機のガンキャノンに対するはザクが九機。接戦を予想した指揮官の計算は大きく狂っていた。

 降下した鉄騎兵中隊は連邦が誇るMS部隊だ。それが圧倒的なまでの戦力差で各個撃破され全滅に等しい状態だ。

 

「戦力差は……撤収だ。回収して、退却っ!」

「無理です、どうやって! て、敵、回避!」

 

 進路上に飛び出したのはオルテガのザクだ。バズーカを構え狙いを標的に定める。

 

「一人も生かして帰すかぁっ! 貴様のためにとっておいた残り弾だぁっ!!」

 

 至近距離で滞空したオルテガが引き金を引く。

 

「派手な花火だぜっ!」

 

 船のエンジン部に吸い込まれるように消えた弾頭は心臓部を打ち抜いて船体を大きく揺るがした。その次の瞬間には炎が舞うように爆発四散する。

 その光景にテムは目を奪われる。が、すぐに自分の使命を思い出す。

 

「み、味方が全滅……もうダメだ。撤退しましょうっ!」

 

 パイロットが座席に沈み込むように震えた。

 

「バカ者っ! 何のためにここに来たと思っている! ミノフスキー博士の救助のためだろうがっ!! この下に博士がいるのが見えんのか!」

「バカモノ! バカモノ!」

 

 ハロが連呼し、救助艇パイロットの首根っこを掴んでテムが赤外線センサーを睨みつける。あまりにも多すぎる熱源のせいでセンサーはまるで役立たずの状態だ。

 

「ダメです! 熱源が多すぎてまるで役に立たないっ!」

「アソコ、イル! イルッ!」

「どこだ? どこにいる?」

 

 ハロがミツケタと叫び、テムは一度見失った生存者の姿を探した。

 だがあまりにも遅かった。戦場に立っているのはザクだけだ。

 

「博士がこの下にいるというのにっ!」

 

 鉄騎兵中隊のMSはすべて撃破されている。ただ手をこまねいて見ていることしかできない。

 

「もう逃げられんぞ、博士……」

 

 煙る炎の中からランバ・ラルのブグが姿を現す。破壊されたMSの陰に隠れたトレノフに最終通告を突きつける。

 

「博士、大人しく投降してください。もう誰もあなたを逃がすことはできやしない。我々とあなたは仲間だったはずだ! 連邦に魂を売り渡すおつもりかっ!?」

 

 ザクの100ミリマシンガンがトレノフに向けられる。もう逃げられないと観念して姿を現した博士が立ち止まる。

 

「ラル大尉、私は……」

「大尉っ! 上方から熱源接近! 速いっ!」

「全機散開っ!」

 

 シャアの警告によりラルが指示する。ラルとガイアたちのザクが散ってシャア部隊が迎撃の射撃体勢で迫りくるモノを迎え撃つ体制を取る。

 灼熱の尾を引く高速の機体が揺るがすコクピット内──全標的を捉えたリズエラはそのうちの一機のザクに初撃を放った。

 超音速を越えるスピードで降下するメサイアが眼下十数キロ先に向けて放った閃光はビームライフルによるものだ。

 

「ビーム砲?」

 

 シャアの呟き後、長距離から放たれた一条の光がロルフ機の胸部を狙いたがわずに瞬時に打ち抜いた。それはエンジン部への直撃だった。

 コクピットの乗員は瞬時に蒸発し核融合炉の爆発が新たな戦闘の火ぶたとなって散った。 

 シャアの指示と同時にEMSチームの三人が即座に跳ぶが、その爆発の影響をもろに受けて各機が混乱に陥る。

 

「今のは何だっ!」

「わかりませんっ! 艦砲射撃ではっ!?」

 

 テムの問いにパイロットが応える。

 

「ジョウクウ12キロカラ、ソゲキ! ソゲキっ!」

「野郎! どこだっ!」

 

 憤懣をオルテガが叫び、演算したハロがソゲキと連呼する。

 

「あれ……何だ?」

 

 クルトの呟きにレオは月の空に滞空するモノを見た。純白のMSが戦場を睥睨するように見下ろしている姿があった。

 それも背中合わせに二機のメサイアが光の粒子を散らしてさん然とそこに存在していた。

 

「白い……モビルスーツ?」

 

 テムの呟きが無線に入り込んだノイズに消える。

 

「あの光は何だ?」

 

 その姿を誇示するように浮かぶ機体から漏れ出る光──MSのムーバブルフレームが光る現象はまるで聖書にある天使か、救世主キリストの降臨の姿のようであった。

 

「シンクロナイズド・コントロール・クリア。コントロールをニムエに戻します」

「コントロール了解」

 

 ニムエに操縦コントロールが戻される。

 複数機同時制御プログラム。シンクロナイズド・コントロール・システムは脳波コントロールによって複数機操縦可能なMSシステムとしてクリスがリズエラと共に開発したものだ。

 サイコフレーム──後にそう呼ばれることになる機体の構造材で、モビルスーツの先駆けであるメサイアに実験的に組み込んでいる。

 対象が無人であっても脳波コントロールによる同時制御が可能だ。

 メサイアそのものがサイコミュとして機能するが、適正化にはまだほど遠く、あまりにもホストパイロットにかかる負担が大きい。

 ミノフスキー粒子散布化の世界では電装部品の意思伝導率が極端に低下し、リズエラの能力をもってしても数分で稼働停止に追い込まれる。

 

「SCSは不完全燃焼でーす」

 

 頬を膨らませたリズエラが不服を漏らし、実用化までの課題と脳みそにメモすることを忘れない。

 二機のメサイアを輝かせていた粒子が収束して消える。

 

「博士を確認、ニムエは確保を」

「了解です」

 

 背中合わせのニムエが返事を返す。リズエラがマーカーを付けた場所に博士を確認する。

 

「あいつが、あいつがロルフをやりやがったんだっ!」

「ルッツ! うかつに動くなっ!」

「うるせえっ!」

 

 レオの制止を振り切ってルッツ機がスラスターを吹かして跳んだ。

 

「援護する!」

「了解!!」

 

 ルッツ機を援護するようにレオ機とクルト機がマシンガンを乱射する。

 地を蹴って上に飛びあがるとヒートホークに持ち替えての特攻をルッツが仕掛けた。

 

「ゴーっ!」

 

 その言葉がリズエラの合図だった。リズエラは正面の敵を相手にしニムエは博士を確保に動く。

 ザク三機の連携行動を前にリズエラは即座に接近戦を選択する。突如下降しメサイアがビームサーベルを手にし突進してルッツ機と宙で交差する。

 その刹那、胴体を断ち切った光の刃を人々は見た。あまりにもあっさりとルッツのザクが胴体と泣き別れして落ちた。

 エンジン部を直撃しなかったものの誘爆を起こしてザクが四散する。

 

「うわぁぁぁっ! 何だ? こいつぅぅ~っ!」

 

 クルト機が眼前に迫る敵にマシンガンを連射する。

 

「クルトっ、下がれ!」

 

 レオ機がショルダーでタックルしてクルト機を押し出す。地上に降り立ったメサイアと正面からレオ機が接触する。

 その瞬間、ザクの右腕が飛び、次には半分に絶たれた胴をねじ切られるように回転しながら吹き飛んで起伏のある丘の斜面に追突して爆散した。

 

「ビーム兵器っ! MS用に実用化していたのか! 何という威力だ……」

 

 その恐ろしい威力にシャアは戦慄する。あっという間に三人の部下が命を落とした。

 

「野郎、ブンブン飛び回りやがってぇっ! 」

「オルテガっ! 突っ込むな! 陣形を守れっ!」

 

 ラルの制止は届かない。

 地表すれすれに低空飛行で飛んで旋回したニムエのメサイアがオルテガ機と交差する瞬間、地を蹴って機体を回転させて放たれた光の刃がザクの腕を二本とも斬り落とす。

 

「おろ? 何ぃぃぃ!?」

 

 立ち往生しながら膝をついてオルテガ機が倒れこむ。

 瞬時にかかる凄まじい反動と圧力の中でニムエは迫るマッシュ機と並走しながら挟み撃ちに動くガイア機をけん制するように後方に跳んだ。

 

「ぐっ!」

 

 肉体にかかるGにニムエは唇の端を噛んだ。赤い粒が飛んでヘルメットのバイザーに赤い点を残す。

 

「何て動きだっ! ザクの比じゃないぞっ!」

「こいつはここで潰すっ!」

 

 ガイア機とマッシュ機がヒートホークを手に最大加速してニムエ機に追いすがる。ラルはマシンガンで援護に動くが味方機が迫る最中では狙いが定まらない。

 視界の隅でもう一機のメサイアが後方に動くのを見た。シャア機とクルト機が追撃する。

 

「奴は博士が狙いか!」

 

 その合間にもマッシュ機の頭部が飛んで落ちた。ガイア機が振り上げたヒートホークは柄の部分を残して消失する。

 

「来ないでよっ! こっちの方が全然強いんだからさぁっ!」

 

 血の味を舐めながらニムエが叫びガイア機の頭部にビームサーベルを突き刺す。二機のザクが頭部を失いバランスを失って後退するのを荒い息を吐き出しながら眺めた。

 

「シャア隊長、こいつはやりますっ!」

「よせっ! クルトっ!!」

 

 マシンガンをけん制に撃ちながら突っ込んだクルト機がヒートホークに持ち換えリズエラに特攻をかけた。  

 

「うぉぉぉーっ!」

「無駄です」

 

 敵の排除をすることに何のためらいもなくリズエラは動く。マシンそのものとなって。

 エンジンの爆発はさせられない。ミノフスキー博士の位置が近すぎる。先ほどの上空からの狙撃は爆発させても問題ないと計算した位置からのものだった。

 だからコクピットのみを射抜く。ごく単純な選択だ。

 

「バカな、コクピットだけを……?」

「狙っているのかこいつは!」

 

 驚愕するラルとシャアの前に光刃をクルトのザクの背中まで貫通させたリズエラ機の姿があった。

 

「くそぉっ! こいつめぇー!」

 

 ヒートホークを振り回しニムエのメサイアにラルが仕掛けた。もはや特攻である。

 

「こ、来ないでよっ! 性能はこっちが上なんだからっ! わっかんないかなぁぁ~っ!」

 

 ニムエがでたらめに振り回したビームサーベルがブグの肩を切り裂き、左腕を半ばまで落とした。

 たちどころに溶解し機能を失った腕をラルは即座に切り捨てる。

 

「エンジンはダメ……エンジンはダメなんだからっ!」

 

 敵も動いている。リズエラのように正確無比にエンジン爆発をさけて仕留める力は自分にはない。

 それは攻撃の詰めの甘さとなっていた。決定打となる手をニムエは持たない。

 撃ち合いざまにヒートホークとビームサーベルが干渉しあって強烈な光を散らしあった。

 パワーでブグが劣るものの狙いすませた合打ちでメサイアの動きが乱れる。

 ラルのブグは攻撃の機会を逃さない。目の前の敵に攻撃へのためらいのような反応があった。

 再度の打ち込みを行った後、互いの間合いを伺う。

 

「さっきの人たちと違う……強い!」

 

 ニムエは荒い息を吐き出す。額ににじんで落ちた汗が片目を曇らせる。

 

「このパイロット、甘い!」

 

 戦場に立ったことがない。それを言うならばラルとてMSでは初陣。だが、軍人として生きてきた経験がある。

 

「ならば、やりようもあろうよ」

 

 敵の動きを読んでラルは乾坤一擲を狙う。腰を落とした体勢から地を蹴って突進する。

 

「右? 左っ!?」

 

 しかし、ニムエの迷いをついたラルの攻撃は閃光によって封じられる。

 

「させません──」

 

 リズエラ機のライフルから迸った一撃がラル機が振り上げた武器を破壊し、もう一撃が脚部に損傷を負わせてブグは膝をつくことになった。

 

「くそっ!」

 

 ラル機にはもう武器がない。リズエラのライフルの照準はラル機を捕らえたままだ。

 圧倒的なまでの戦闘力の差──それだけではない、えも知れぬプレッシャーがラルを捕らえて放さない。

 

「大尉っ! こいつは私が引き付けるっ! 部隊を立て直してどうか撤退をっ!」

「シャア、無理はするなっ!」

 

 リズエラ機を狙撃したのはシャアの赤いザクだ。シャアを追ってリズエラのメサイアが動いた。

 

「排除する」

 

 博士の確保をニムエに任せてリズエラは赤いザクを追う。すでに残った敵は戦力的に無力化されたに等しい。

 

「全員動かないでっ! 生きている人はそこに集まってくださいっ!」

 

 ライフルに持ち替えたニムエ機がこの場にいる全員に向けてビームライフルの銃口を向けた。

 生存者であるラル、オルテガ、マッシュ、ガイアはわずかに動くことができるザクから降ろされ一か所に集められた。

 

「女にやられたのかよ……」

 

 血の気収まらぬとオルテガが青筋を立てる。

 

「ミノフスキー博士ですね。お迎えに上がりました。こちらに」

 

 メサイアの手に博士を乗せてコクピットハッチを出てニムエが手を差し出す。思ったよりも若い娘の声に戸惑いながらトレノフはその手を握り返していた。



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10話

5000字追筆分(´・ω・`)

後半だけど正式版では前半合わせて1話で投稿するよ(´・ω・`)

分断したので後半分のアンケートも回収します(´・ω・`)

なお、1シーン残してるのでまた後で追加していきます(´・ω・`)


◆チャプター35

 

 白い流星が赤い残影を追って飛ぶ。  

 クレーターの落ち込んだくぼみに赤いザクが飛び込んだ。円面の淵に沿うようにスラスターを吹かしてシャアは敵の存在を背後に感じとる。

 

「一機だけでも。やれるか?」

 

 四人の部下を瞬殺した白いMSだ。奴に甘さはない。じきに追いつかれるだろう。

 もう一機と違ってこいつは危険だ。何のためらいもなく殺戮する。

 殺意があればわかる。だが奴からは気迫や意志を感じさせるものがなかった。まるで機械そのもののキルマシーンだ。

 本能でシャアはそう感じていた。

 

「私は甘いな……」

 

 ラルを救おうとした自分に対し自嘲するように呟く。

 復讐を果たすまでは死ぬことはできない。その想いは深く魂にまで刻まれた己の宿業だ。

 赤いザクにけん制のビームが迸った。誘いをかけるものでシャアはあえてその動きに乗じることにした。 

 

「こっちへ来い!」

 

 誘い出すつもりなら逆手に取ってこちらが先手を取る。

 背後に感じた強いプレッシャーに弾倉を空にしたマシンガンを投げつける。全速でメサイアに向かって突進した。

 

「よけられまいっ!」

 

 正面からぶつかった両機。格闘戦を仕掛けたザクにライフルを捨ててメサイアが応じた。

 がっちりと組み合う形で空中で回転しながらザクは加速して、岩壁に強烈に押し込んだ。激しい接触に装甲が悲鳴を上げてメサイアの機体が激しい火花を散らす。

 

「頑丈だが、中は無事では済まされんぞっ!」

 

 勢いのままにシャアはさらに揺さぶりをかける。加速した機体を遠心力とザクの重さで回転させながらさらに地面に激しく叩きつけた。

 身体にかかる強烈な負荷にシャアは歯をかみしめる。想定していたとはいえMSによる直の肉弾戦は大きな負担だ。

 これが通常のパイロットであれば脳震とうを引き起こしていただろう。が、そこでザクの動きが止まった。

 

「動けん……」

 

 振り回されるままだったメサイアの腕がザクの動きを封じている。損傷したザクの腕が引っ張られ空虚の間にザクが浮かぶ。

 振り上げたメサイアの腕から突き出した衝角槍がモノアイの頭部ごと叩き落とした。

 その強烈な衝撃がシャアを襲う。そして再度襲った揺れがコクピット内に響き渡った。

 意識が飛ぶのを感じシャアは気を失った。

 駆動系統を完全破壊されたザクが浮かび上がる。メサイアに仕掛けた後先考えぬ特攻はザクにも致命的な損傷を負わせていた。

 ザクの片腕をもぎ取ったメサイアがその腕を捨てた。

 

「任務を遂行します」

 

 敵の排除が命令である。リズエラはマスター命令を忠実に順守する。

 ビームサーベルで止めを──

 ざわめく感覚──

 違和感──

 それはずっと感じていたものの正体──

 彼を殺してはいけない!

 なぜ?

 彼とは誰?

 輝く光る剣にためらいの意思が吞み込まれる──

 

”地球に住む者は自分たちの事しか考えていない、だから抹殺すると宣言した!”

”人が人に罰を与えるなどと!”

”「私、シャア・アズナブルが粛清しようというのだ、アムロ!”

 

 その瞬間、声が私の心一杯に満ちた。

 

”「地球が持たん時が来ているのだ!そんな物では!」”

 

 声は続く。

 

”「──アクシズの落下は始まっているんだぞ!!」”

”「νガンダムは伊達じゃない!」”

 

 光のビジョンがリズエラを包み込む。その光は巨大な隕石の塊から発せられている。

 これは、何──?

 

”「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん!」”

”「わかってるよ!だから、世界に人の心の光を見せなけりゃならないんだろ!」”

 

 嗚呼……! 光が見える……

 宇宙に投げ出された私の心は光の波によって押し流された。

 あの時、光となったすべての人々の声を聴いた。それは一つの奔流となってアクシズの軌道を変えさせた。

 

 

 

──凍り付いた世界で眠る私に暖かさをもたらしたもの──

 

 

 

 もっとも光り輝いた魂が二つ昇華しながら「彼ら」は私を導いた。

 その声がそっと優しく包み込んで地上に向けて「私」を送り込んだのだ。

 「シャア・アズナブル」

 「アムロ・レイ」

 「彼ら」と、そして「彼女」が──

 

「あなたたちが──」

 

 震えながら体を抱いた。熱い雫を頬に感じ、記憶とせめぎ合う意思の狭間に揺れた。

 

『リズエラ、もうデータは十分だ。帰還しろ』

 

 その声がリズエラを現実へと引き戻す。

 収束していたビームの光が消えて、ザクに止めを刺すことなくメサイアは月の宇宙(そら)を飛んだ。

 

「了解、帰投します」

 

 マスターから帰還指示に返答を返す。

 目の前に水分のしずくが漂ってリズエラはヘルメットを脱いだ。零れた明るい髪が広がって頬にかかる。

 リズエラは大きく息を吐き出して、遥か眼下になったザクを見降ろした後、メサイアは帰還していた。 

 

 

 月面の地表すれすれに赤い残骸が漂う。電子機器がわずかに点滅する暗いコクピット内で意識を失ったパイロットがいる。

 仮面の口元が開きわずかに指先が動く。

 落ち込んだくぼみの陰から赤いザクが漂い出る。シャアは太陽の光を見た。

 生きている──なぜ私は生きている? どうやって生き残った?

 ザクのコントロール機能は失われている。操縦桿に置いた手を戻してヘルメット・フェイスに触れた。

 残存酸素を確認する。問題はない。コクピットも空気漏れを起こしていない。

 MSは動きそうにない。激しい戦闘の傷跡を残す機体をどうにか動かそうと試みるが果たせなかった。

 このまま宇宙を漂うデブリの中で死ぬわけにはいかない。

 通信機能は死んでいなかった。

 私としたことがうかつだな……

 味方からの通信にノイズが混じる回路を開く。飛び込んできた声はオルテガのものだ。

 

『おい、赤い奴、生きとるかっ?』

 

 通信を送ったオルテガの後ろにはラルがいる。マッシュ機にはガイアが搭乗する。

 頭部を失ったザク二機に生存者である四名が搭乗していた。

 

『ラルだ。シャア上等兵、お前を回収して帰還するぞ』

「ご無事でしたか、大尉」

 

 ラルの声に仮面の下でシャアは笑みで答えた。

 

『無茶をするなと言ったはずだ』

「連邦は、あの白い奴は?」

『ミノフスキー博士を取られた。が、我々には眼中もくれずに行ったよ。お前が引き付けたもう一機もな』 

「そうでしたか」

『何があった、シャア?』

「わかりません……奴は、私を見逃したようです」 

『命あってこそ次がある。この雪辱は必ず晴らす。除名処分にならなけりゃだがな。あの四人は残念だった』

「はい……」

 

 何という無力さだ。シャアは動かそうにも動かぬ操縦桿を強く握りしめる。

 むざむざ四人の部下を死なせたこと。抗うには圧倒的な強さを持つ敵MSの存在。

 そして光を見たような気がした。

 その時のことをラルに説明する言葉をシャアは持たない。それが何であったのかを確かめることもできない。

 あの瞬間──刹那のひと時でしかなかった邂逅。

 機体を揺るがす衝動。頭部のないマッシュのザクが赤い機体を確保していた。

 視界を確保するためかハッチは開きっぱなしだった。

 

「そいつは捨ててこっちに移れ。酸素は問題ないか?」

「平気です」

「コクピットはこれ以上乗れん。図体がデカいのが二人いるからな。手に乗れ」

「了解」

 

 シャアはコクピットから出て味方機に乗り移る。

 

「こちらの位置は報せてある。直に回収が来る」

 

 ザクに乗り換え、友軍の指定ポイントに向かいながらシャアは激戦となったスミス海を振り返った。赤く燃えた戦場はすでに遠く地平線の向こうとなっていた。

 

◆チャプター36

 

『──M02、ミノフスキー博士を収容したらただちに帰還せよ』

 

 クリスの声がニムエのコクピット内に響く。

 散布されたミノフスキー粒子はほぼ散って通信機能が回復していた。

 ニムエは眼下の捕虜に目を向ける。捕虜の扱いなど知らないのだ。相手は軍人である。

 

「あの人たちはどうしますか?」

『あの人たち?』

「ええと、パイロットさんたちですけど……」

『ジオンなど放っておけ』

「いいんですか?」

『連邦の軍人なら拘束して捕虜にするだろうが我々は関係ない。ザクの回収も任せればいいさ。リズも帰還させる』

「了解です──」

 

 回収したミノフスキー博士にしっかり捕まっているようニムエが指示してメサイアが再起動する。

 救助艇のテムは乾いた口の中を湿らせた。白いMSから目を離すことができないでいる。

 

「これは現実なのか……? あれが、あれがモビルスーツだというのか?」

「部長」

「何だ?」

「アナハイム所属の船から通信です。所属はインダストリアル7ですが……」

「インダストリアル7だと?」

 

 テムが返事をする前に通信が開かれる。

 

『テム・レイ部長、こちらのデモンストレーションはいかがでしたか?』

「デモンストレーションだと?」

 

 女の声にテムが返す。眼下に拡がるのは一面戦場の跡だ。デモンストレーションなどという生易しい世界ではない。

 

『救助に手が足りないでしょうからこちらからも支援を出します。よろしいですか?』

 

 声がやたら近くに感じる。大きな船のシルエットが頭上にさしてテムは見上げた。そこにAEのロゴマークを付けた輸送船があった。

 

「やはり、あれがビストと共同で開発したというモビルスーツなのか……」

『その通りです。最高のパフォーマンスをご体験いただけたかと』

 

 眼下の惨状に心動かした風もないものの言いようにテムはいら立ちをぶつけた。

 

「君はいったい誰だっ!」

 

 その問いに冷徹な美貌を持つ双眸がゆっくりと瞬きする。その美しい唇が言葉を形作る。その所作一つさえもまるで芸術品のようだ。

 彼女の傍らでウォン・リーはその横顔を眺めながらメサイアがもたらした”戦果”を一望する。「救世主」の名を冠したマシンが引き起こした虐殺の現場を。

 

「私はクリスティン・マリア・ナガノ──あのモビルスーツ「メサイア」の設計者です」

「メサイア……ナガノ博士、やはり……」

 

 帰還する二機のメサイアがハッチが開いた輸送船に収容されて、遅まきの救援部隊がスミス海に到着していた。

 

 

 アナハイム聴聞委員会の議場で証人としてテムがその場に立つ。先のスミス海で行われた戦闘に対する関係者各位の聴聞会だ。

 その中でテムはRX-77部隊損失という責の矢面にいた。

 

「ジオニック社のモビルスーツ部隊は撃退という形で我が社のメンツは保たれましたが、RX-77部隊はMS-05によって全滅。全滅したRX-77の開発責任者はあなたですね、テム・レイ部長?」

「おっしゃる通り、スコアはゼロ対一二。開発責任者として慚愧の念に堪えません……」

「それは辞職する意思有りの発言かね?」

 

 議場に参列する役員たちから罵倒に近い言葉が投げかけられる。

 メサイアの活躍でジオンのザクは完膚なきまでの敗北を喫したが、ここで問題にされているのはRX-77の失態と部隊全滅という大きな損失に対するものであった。

 軍部のプライドを傷つけた責任は擦り付けの泥試合だ。そのスケープゴートとしての席にテムは立つ。

 

「新型モビルスーツの助けがなければミノフスキー博士の救援すら成功しませんでした。あの機体、RX-M「メサイア」の存在が窮地を救ったと言っていいでしょう。ジオンのザクは完成された兵器として恐るべき戦闘マシーンとして存在しました。それを上回る圧倒的な力をメサイアは発揮したのです」

 

 スクリーンに記録された戦闘シーンが展開される。テム自身がハロに記録させた映像が多い。

 メサイアが登場しザクを蹂躙し破壊していく様には座る役員たちも見入っていた。

 

「この驚異的な能力を誇るメサイアがあればジオンのモビルスーツを恐れる必要はないでしょう。ですが、我々アナハイムは企業です。このメサイアを生み出すために使われた資金と人材のコストは莫大なものであり、ライン製造の基準を到底満たすことはできません。ですから私はこのメサイアを基にした新たなRXタイプの開発を進めることを提言します」

「君は立場をわきまえているのかね? RX-77を大量生産させるためどれだけ尽力してきたことか。使った金と政治力ははねえ──」

 

 険を持った口調でテム糾弾を続けようとするのを立ち上がった一人が制した。

 スーツの女性はマーサ・カーバインが遮って発言する。

 その傍らにはクリス・マリアと会長令嬢リズエラの姿もある。

 

「それらの出費を補って余りある見返りを私たちは受け取る。そのためのモビルスーツ開発を推し進めます。ここにおられるテム・レイ部長を新たなRX-78の開発主任として任命します。これはメラニー会長直々のご指示です」

「そ、それは……」

 

 マーサの前で役員の一人がしりすぼみになり、抗議の声は沈静化する。 

 会長を引き合いに出した威力は絶大だ。役員らの顔を見ながらマーサは続ける。

 

「このメサイアをモビルスーツ開発の主軸に据え、RX-78建造の礎とすることで人材、資金のコストは押さえることができます。連邦政府からの要望に応えたコストでの建造を実現させ、この新基準モデルを持続可能な事業として実現することができるでしょう。ジオニック社の開発するモビルスーツよりも遥かに洗練されたマシンが量産されることで、我が社はそれを求めるすべての顧客のニーズに応えることができる──」

 

 マーサの言葉に聴聞会の雰囲気は流れを変えていた。

 

「テム主任、あなたからもどうぞ」

「サイド7でアナハイムが推し進めるこの計画──RX-78。その名をガンダムと呼びます!」

 

 テムが宣告して議場は締めくくられる。

 ガンダムの名を聞いて人々が囁き合う。これに反対意見を述べる者はいなかった。

 

「メサイア計画第二章──」

 

 クリスの小さな呟きは誰の耳にも届かない。隣のリズエラ以外には。

 

「ガンダム……」

 

 リズエラのヴァイオレットの瞳が大きなスクリーンにあるRX-78の姿を映すのだった。



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11話

◆チャプター37

 

 人工的に生み出された空も空には違いない。天窓の青い空を覗き、温かみのない光を受けてリズエラは湯気の出るシャワー室から水気を切って表に出た。

 コロニー市街を一望できる一面窓の部屋はリビングだ。急遽、住人のために用意された高級家具は室内の雰囲気に調和すること無く冷たい質感の床に置かれている。

 素足が水気を含んだ足跡を残して窓際に立つ。その身にタオル一つ巻きつけずに裸身を晒す。

 栗色の髪はまだ生乾きだ。空気は乾燥しているから自然に乾くだろう。

 

 起伏のほとんどない細いシルエットに整った顔をガラスが映してリズエラははるか下と真上にも広がる街を眺めた。

 地球でしか暮らしたことがない人間からすればひどく慣れない光景だろう。重力が存在し、回転する力で安定しているといっても地球とはまったく環境が異なる。

 スペースコロニーという円筒の中の世界は凝縮された空間だ。構造上、建物は地球の摩天楼ビルほど高いものは存在しない。

 自転するコロニーの性質上、この建物の高さが限界だと言えた。

 コロニーは天候は存在するが、すべて自動管理されたシステムで晴れたり雨が降ったりもする。雪も降るが自然が生み出した荒々しさはここには一切存在しない。

 自分たちが「貸し切り」している高級マンションはいったい誰のために用意されたのかはわからないが、いずれ入居する人たちがいるのかもしれない。

 

 サイド7はいまだ建造中のコロニーだ。建設途中で一度放棄されていたが、連邦政府とアナハイムが行うMS開発の実験場としての今の性格を持つこととなった。

 世界的に知られるヤシマ・カンパニーが入札に名乗りを上げて建造に着手しはじめ、通常のコロニー同様の運営も再開しようとしているところだ。

 連邦政府からすればカモフラージュのための移民促進であることを知るのはほんの一握りの人々だけだろう。

 秘密を雲に隠す住民たちであるが、彼らには彼らの生活があり、仕事が存在する。それは隠されることのない真実として人の営みが日々行われている。

 メラニー・ヒュー・カーバインの養女として連邦のMS開発計画に携わる役目を帯びたリズエラはそれを知る一人だった。

   

「服を着ろ。風邪を引くぞ」

「はい、マスター」

 

 そう答えたリズエラの後ろで買い物袋を両手に抱えたウォン・リーが荷物をキッチンのテーブルに置いた。

 買い物は代理人がするが、階下まで受け取りに行くのはウォンが請け負っている。食材の注文はリズエラがした。

 着替えを手に取って着慣れた服を身に着ける。ここでは工専の制服は着なくていい。ゆったりとした上衣を羽織り、リズエラのスタイルが完成する。

 マンティック・モード数着分が用意されそれを普段着として着ている。リズエラのための専用デザイナーが雇われている。

 胸元には身分証がある。その位置を直して身だしなみを整える。

 「ラボ」に入るためのカードは必須アイテムです。アナハイム工専のインターン生を示す証明はあくまでも表向きものでしかありません。

 ただの学生が機密の軍事施設に配属されることなんてありえませんからね。

 

「薬だ」

 

 ウォンが出した錠剤の詰まった白い容器は数種類ある。リズエラの体質に合わせたもので、虚弱体質をカバーするために調合されている。  

 補填されたそれを手に取って無造作にリズエラは水と共に飲み込んだ。毎日の検診も欠かすことはない。

 この下の階にリズエラのために用意された医師団と医療設備が用意されている。

 表向きはすぐに戻ることになっていた月への旅だが、計画は変更され、長期滞在のためにこの区画が用意された。

 メサイアを引き渡してしまえばリズエラの仕事は終わりであったが、インターン生扱いで残れるようマーサに働きかけたのはリズエラの強い意思でだった。

 

「あなたの体のことを考えるとあまり勧められないわ。健康のケアと調整にはそれなりの設備が必要だし、インダストリアル7並の研究施設はサイド7にはないのよ」

「薬に頼ります」

 

 あまり薬が好きではないリズエラの自らの申し出は最大限の譲歩である。

 

「メサイアと別れたくないのかしら? 二号機も手放したくないのね」

「いけませんか?」

 

 あえて否定せず、マーサの誤解は解かずに返した。執着のある態度の方が彼女を動かせると計算してのことだ。

 

「インターン生としての実績も成績として就職活動に影響します。今後のキャリアを積むのに必要なステップと判断します」

「会長の養女であるあなたがそんなこと気にする必要はまるでないけれど、キャリア向上は悪いことではないわね。社会進出する女の先頭に立って社交界デヴューも果たしてもらいたいし」

「お望みならばドレスも着ます」

 

 通常の人々の範疇から外れた上流社会との関わりもリズエラに求められているものだった。今は特殊な立場にあるので社交界は免れているが、いずれ関わることになるだろう。

 

「工専が規定する最低期間で構いません」

「すぐに戻りたがると思っていたけれど……あなたの姉妹たちに会いたいのではなくて?」

 

 意外ね、というマーサの探る視線にリズエラは鉄面皮で応じた。姉妹という言葉に揺れる感情を瞳に映すがすぐに平常に戻る。

 

「必要なことと判断しました」

「いいでしょう。あなたが計画にいた方がナガノ博士も何かとやりやすいでしょうから。会長には話しておくわ」

 

 普段、それほど強い意思を示すことがないリズエラのお願いをマーサは引き受けた。

 アナハイム工専のインターン手続きを行い、サイド7に残ることとなったのだ。

 表向きはコロニー公社が関連する研究施設へのインターン配属ということになっている。

 養父であるメラニー・ヒューに直接お願いすることはリズエラには許されていない。常に誰かを介して言葉は伝えられる。

 それはリズエラがメラニーと契約を交わした後も徹底していた。親子の情は一切介在しないものであった。

 

「ただし、一か月の間です。メサイアのデータをRX-78に引き渡した後は工専の学生として卒業してちょうだい」

「感謝します」

 

 マーサとのやり取りを思い出し、新造のコロニーの壁面と工事中の重機の姿を車の中から眺める。運転しているのはウォンだ。

 我儘を通してでもサイド7に残りたい理由がリズエラにはあった。

 

「アムロ……」

 

 アムロ・レイ。その名を持つ少年がサイド7にいる。彼の父親はテム・レイ。

 これは偶然の一致? いや奇跡的ともいえる確率の仕業か。記憶にあるアムロの顔は青年のものだ。それはビジョンの中で見た顔。

 それを幼くした顔をテム・レイが持つ写真の中にも見た。リズエラがマーサに強く頼みごとをしたのは彼がここにいるからであった。

 コロニー公社の巨大な壁と門が見えて、リズエラを乗せた車が建物の中に吸い込まれて見えなくなった。

 

 

 閃光が迸って敵の群れが一掃される。「敵」は次から次へと湧いてくる。このステージの一番の難関だ。

 

(アムロ君、ご飯とかちゃんと食べてるの?)

 

 ああ、そういやまだだったっけ……

 世話好きなクラスメイトに言われたことを思い出しながらアムロはキーを激しく叩いた。

 吐き出された弾幕が散らばって、正確にあふれ出た敵の一群を全滅させる。まだまだこんなのは序の口だ。

 暗い部屋にはゴーグルをつけたアムロが一人きりだ。モニターから目を離すことなくキーボードすら見ずに正確にキーを操作し続ける。

 侵略してきた敵をただひたすら打ち落とすようなゲームだ。ゲームセンターにあるような昔ながらの内容。

 

「ミギ、ミギっ! ツギ、シタっ!」

 

 ベッドの上でハロがピカピカ目を光らせる。その言葉を聞く前からアムロはそれに対して弾を撃っている。

 ハロにつけられたワイヤレス端子はアムロのゴーグルと連動している。脳波の送受信を行い緑色のランプを点滅させた。

 

「挟まれるかよ!」

 

 キーを連打して仕掛けられたトラップを突き抜けて潜り抜け、その後にくるラスボスを倒したら遅まきの夕食を食べることにする。

 別にフラウ・ボゥがうるさいからじゃない。自分に言い訳して最後のボスを撃破する。

 

「ふわ……あぅ……疲れたな」

 

 「クリア」の文字が浮かんでゲーム用のゴーグルを外し、うん、と伸びをしたアムロは新居の一階に降りて食材を見繕う。

 

 サイド7に越してきてから変わったことといえば、前以上に父親の帰りが遅くなったこと。たまに帰ってこない日もあるというくらいだ。

 個人的な変化と言えば、中学のクラスメイトのフラウ・ボゥが何かと声をかけてくること。

 中学に上がってからこれまで取り立てて女の子にはもてたことはなかった。

 フラウ・ボゥのことをどう思っているか? ご近所の女の子以上に特に思うことはない。世話を焼くのは係か何かなのかもしれないし。

 女の子ってよくわからないよなあ……

 

 一階は大方の家具は配置してあるがいくつかダンボールが残っている。

 二人で住むには広々とし過ぎている。それというのも父親のテムの不在が長いせいだ。

 家屋としては一般的なコロニー基準の住宅で高級な部類の家だ。それも住む人間次第ではオンボロアパートと変わらなくなる。

 この散らかり具合は生活圏の維持ギリギリ。いつも限界寸前になるまで片づけられない。

 

「別に何も変わらないけどね……」

 

 塩コショウを温めたパスタに振ってアムロはリビングを眺めた。家具は揃っているが寒々しいほど空っぽに感じる。

 母さんがいた頃の家の中じゃない。それは母さんがいなくなってからずっと見てきた家の姿だ。

 すっかり慣れたといえば慣れた。地球に残った母親の思い出は写真立ての中にあるのみだ。

 

「何これ?」

 

 冷蔵庫の扉に封筒がマグネットで止めてあった。「アムロ」とテムの字で書いてある。

 封筒を開けばテムの知人のモスク・ハンが訪ねてくることと、空き部屋を宿として提供することが記してあった。

 

「何でいつも直接言わないかなあ……明日、フラウ・ボゥも来るとか言ってたよな……少し片づけようかな」

 

 ダンボールをいくつか畳んで使っていない部屋に放り込む。落ちているものを全部拾って同じ部屋に投げて入れた。

 丸い掃除機を起動させ、自動清掃モードで送り出す。

 洗濯物は……明日まとめてやればいいさ。

 片付けたというより面倒を放り込んだだけだが一応満足する。

 

「これで良し……」

 

 冷蔵庫から飲み物を取り出しゲームの続きでもするかと階段を上がる。

 先ほどやっていたゲームはテムが中古品を買い取って修理しアムロに与えたものだ。

 元のゲームにずいぶん手を加えていて、ゴーグルはテムのお手製でマシンに繋げて使う。

 そのせいで大仰な見た目だが、中身は昔ながらのシューティングゲームと古臭い。

 最初は手間取ったものの、今では慣れてきて最高の点数まであと一歩というところまで来ている。 

 アムロが思ったように動き、ここぞというタイミングでせん滅するのが最高だった。こうしたゲームに才能があるのか、いつも没頭しては時間の経過を忘れてしまう。

 マシンのアップデートをするからハロに脳波端子を繋いでおけと言われている。

 なんでこんなゲームにこだわるのか大人はよくわからない。

 

「父さん……また開けっ放しじゃん」

 

 ボクには家のことをしっかりしろ、という割に自分だって適当じゃないか。

 わずかに開いたテムの部屋を閉めるつもりだったが、段ボールの山を見て中に踏み入る。

 

「段ボールから全然出してないじゃないか。あの人、ボクがいなかったら生きていけないかもね」

 

 あまりにもだらしなさすぎる。自分のことは自分でちゃんとやれよ、と内心ぐちりながらダンボールの中身を一つ整理する。

 

「何だこれ? ディスク……機密?」

 

 テムの仕事用のものだろうか? 手にしたディスクに書かれた文字はテムのものだ。日付は三年前になっている。

 机の上のコンピュータと引っ越しで再配置されたサーバーがかすかな音を立てている。

 ふとした好奇心からモニタを付けてディスクを再生させる。ログインパスは相変わらずでザルのままだ。

 

「マシン? モビル……ワーカー? これって本物なのか?」

 

 モニタの中の女性研究者が嬉々として語る内容はアムロにはよくわからないが、アナハイムが作っているMSに関わる何かであることは理解できた。

 父親の仕事と結びついているとは考えにくい。コロニー開発の事業でサイド7に越してきたのだから。

 階下で呼び鈴の音が聞こえたような気がした。再度鳴らされてどうしようか迷うが、ディスクを取り出してすぐに下に降りた。

 

「こんな時間にフラウ・ボゥじゃあないよな……」

 

 階段から下を伺うがこの位置からでは玄関までは見えない。

 

「どちら様ですか?」

「夜分すいません。こちらはテム・レイさんのお宅ですよね? 私は連邦科学局の局員でモスク・ハンと言います」

 

 インターホンの向こうから男の声がそう名乗った。先ほど見た名前だ。

 

「あれ、聞いてませんか? 君のお父さんのテム・レイさんが私を呼んだんです。しばらくこちらのお宅に厄介になるということで」

「いえ、聞いていますけど……」

「ええ、お父さんとは一緒に仕事をすることになったんですよ。IDカードを見せるから確認してください」

 

 小さなモニタに大きな顔が映りカードが提示される。港湾局を通るときにも認証されるもので本物のようだ。

 

「どうぞ、散らかってますが……」

 

 ドアを開ければ見上げるような大男がいた。研究員というよりレスラーのようだ。

 もじゃっとしたヘアスタイルに、皮のジャケットに、ジーンズというラフな出で立ちだった。

 手荷物の大きな鞄がその後ろにある。

 

「君がアムロ君だね、改めましてモスク・ハンです」

 

 その大きな手とがっちりと握手してアムロはモスクを居間に通す。

 

「父は職場です。この時間まで帰らないとたぶん泊りです」

「ああ、お忙しい方ですからねえ」

「あの、空き部屋は今は物置状態なんですが……」

「あー、構わんよ、これがあればね」

 

 モスクがソファを指さしてドカッと座った。座り心地を確かめた後、大きなカバンをソファの横に寄せた。

 

「何か必要なものはありますか?」

「シャワーを浴びたいが、疲れてるからまずはソファで一眠りさせてもらうけどいいかい? 何せ長旅だったもんだから」

「ええ、どうぞ。構いませんよ。ボクは上にいますので。毛布持ってきます」

「助かる」

 

 用意した毛布をモスクに手渡してアムロは家の中での役目を終える。

 

「ありがとう、お休み!」

「お休みなさい」

 

 明かりが消えたリビングを見返すと、ソファから突き出た足が見えた。巨躯が横たわれば頭も足もはみ出るのだが、鞄を台にして足を乗せていた。

 旅人の知恵かと眺めた後、程なく規則正しい寝息がすぐに聞こえてくる。

 

「寝るのも早いんだな……」

 

 階段の手すりに置きっぱなしにしていたディスクを思い出して回収すると、アムロは足を忍ばせて自分の部屋に戻るのだった。

 

◆チャプター38

 

 ──その翌日のサイド7開発区エリア。開発とは表向きの施設に足を踏み入れて、モスク・ハンは連邦の制服を着た警備兵を横目に重要エリアに入った。

 彼を出迎えたのはテム・レイだ。

 

「モスク・ハン君、よく来てくれた」

「お招きいただき感謝します。私ごときの論文に目を止めていただいて……」

 

 テムから差し出された手を握り返し、ようやく科学畑の顔に会った気がした。

 

「君のマグネット・コーティング理論は素晴らしいものだ。我々がまさに必要としていたものだよ」

「まさか、発表したばかりで技術査定されていない論文に注目されるとは思ってもいませんでしたよ。それもアナハイムと連邦軍の事業に採用されるとは……一体何を開発しているんですか?」

 

 招聘されたが詳しい内容は着くまで全く知らされることはなかった。連邦の仕事だというが、ここまで口が堅いとかなり重要な事柄であろうと推測できた。

 その説明をテムがしてくれるものと、案内されて着いた大きな鉄の扉をモスクは見上げた。

 さてはここが連邦の機密が詰まった秘密工場か何かだろう。

 

「モビルスーツだよ」

「モビルスーツ?」

「さあ、どうぞ」

 

 扉のセキュリティを解除して扉が開く。飛び込んできた光景にモスクは目を瞠った。

 開けた空間は天井がかなり高い。最先端の機器がいくつもあった。破格な設備が揃っている。

 働いている作業員と動いているものすべてに目が行く。

 正面の壁のハンガーに直立して立つのがモビルスーツだ。その姿形はまるで西洋の甲冑を着たロボットであるかのように見えた。

 威容に圧倒されるが好奇心が勝る。

 

「あの角は何だろうな……」

 

 MSの頭部に注目する。モビルスーツは畑違いであるが、それがいかに洗練された美しいマシンであるかは理解できた。

 

「ひゅー、まさにここは最先端マシンの開発現場というわけですね。あれは?」

 

 白衣姿の研究員たちが作業している。広い空間の中央に安置されたものはエンジンのようだ。むき出しになったマシンの鉄の心臓の前に白髪の老人と若い女性が立っている。

 モスクが誰であろうか、と顔を向けると、テムが手を挙げて老人が同じ動作で返した。

 

「紹介しよう。こちらは私が呼んだモスク・ハン博士です。マグネット・コーティングは彼が」

「ああ、君が……」

「トレノフ・Y・ミノフスキー博士です」

「ミノフスキー博士、光栄です!」

 

 両手を差し出してモスクとトレノフが握手を交わす。

 

「あなたの技術が私の研究の根幹部分をなしています。尊敬しております、ミノフスキー博士」

「ああ、そうかね」

 

 モスクの賛辞にまんざらでもなくトレノフは微笑んで応える。

 

「で、こちらが……」

「クリスティン・マリア・ナガノです。よろしく」

 

 差し出された手。その美貌に思わず気を取られてモスクは慌てて手を出すとその柔らかな手を握った。

 

「ああ、よろしく……これはエンジンですよね?」

 

 二人の後ろにあるのはサイズ的にモビルスーツのものに違いない。

 

「モビルスーツのものです。今から中を開けるところですよ」

「ははあ、興味深いですね。これはミノフスキー博士が造ったものですか?」

「いやミス・ナガノだ」

 

 モスクの質問にトレノフが答える。その返答にマジマジとなってモスクはクリスを見つめた。

 彼女は……あまりにも若い。女性の年齢を当てることは全く自信がないが、まさかまだティーンエイジャーであることまでは予測がつかなかった。

 

「すいません。このラボはどうやら天才揃いのようですね……」

「謙遜するな。君も呼ばれた人間だろう? 君が思うように確かに若いがな。わしなど一番の年寄りだよ」

「平均すればみんな若返りますよ。割を食うのはミス・ナガノだが……」

 

 テムのフォローにならぬフォローが入る。

 

「皆さんから見れば私は年少の身です。拙いながらもこのエンジンの中核をなす部分について説明させていただきます」

 

 クリスが端末を操作してスクリーンにエンジンの見取り図を二つ映す。

 

「二つありますね」

「こちらはザクのものになります。比較対象として検証してください」

 

 二つ並んだエンジンの図形の一つにMS-05とある。これがザクのエンジンかとモスクは眺める。

 

「大きさ自体はメサイアのものとたいして変わりません」

 

 小型核融合炉。もっと大きなものをモスクは想像していたが、意外なほど小さい。  

 

「流体パルスシステムですね。博士の理論にあった」

 

 モスクは学生時代に読んだミノフスキー論文を思い出す。

 

「エンジンから発生したエネルギーをパルス状圧力に変換し、各駆動系パワーシリンダーに伝達します。炉内に発生させたIフィールドを電磁誘導させてプラズマを安定化」

「つまり超圧縮されたミノフスキー粒子が……」

「この中を回転しているというわけです。炉内そのものがIフィールドの塊です」

 

 エンジン二つが稼働した際のエネルギーの流れを画面に映す。

 

「質問よろしいですか? この粒子変換機の部分ですが、ザクのものは一つなのにこちらは三つありますが、同じ部品なのですか?」

 

 畑違いの専門家だがそれが正確に粒子変換機であることをモスクは指摘した。

 

「似ていますし、こちらの部品は第二のエネルギー増幅装置です。エネルギーはさらに純度を高められてこの円形の筒部分を巡回します」

 

 通常のエンジンからのエネルギーの通路とは別に∞状の筒の中を色違いのエネルギーが廻る。

 

「純度が高いということは出力も上がっているということですか?」

「上がります。この三つ目の粒子変換機がモビルスーツ各動力へのエネルギーを送り出す機能を持っています。安全性については、通常の小型核融合炉ではわずかながらエネルギーのオーバーフローが起こることが知られています。つまりエネルギーの使い漏れが若干生じます。安全装置が働き、エンジン出力はわずかながら不安定化します。といっても滅多のことで事故は起こりません。そのためにリミッターがあるわけです」

 

 クリスがホワイトボードに数千億回転分の確率値を書きだす。

 

「現行のエンジンでは解決できなかった部分について、私が導き出したのがさらなる器官を取り付けることでした」

「それが第二、第三の部品ということですか?」

 

 モスクが∞状の筒を指さす。

 

「この器官があることでエネルギーのオーバーフローによる不具合を減らすこともできます。第二の部品が機能することでより安定したエネルギーを発生させるのです」

「事故が減るということですか?」

「その通りです」

「でも実際こうやって動かしているわけですよね? 事故が起きないという保証はあるんですか?」

「確実にとは言い切れませんが、安全性は確保できています」

 

 言い切ったクリスの肩にトレノフが手を置く。

 

「そして従来の三倍以上のエネルギーを運用することに成功している。まさにこの装置は画期的だと言える。わしも脱帽せざるを得ない」

「すべてはミノフスキー博士の研究があってのことです。博士の粒子論文を小さな頃に拝見してからその可能性の未来を信じていたからです」

 

 稀有なことは、当時、小型核融合炉はトレノフも試行錯誤の末に完成させた頃だったこと。

 基本性能はその水準同様のエンジンをクリスが生み出していたことだ。

 二人の天才が同時期にその才能を尽くしてエンジンを完成させていた。

 

「この装置をエーテリアル・キャタライザーと名付けました。着想に至るきっかけは未知のマシンとの遭遇です。しかし、その件について語ることは禁じられています」

 

 モーターヘッドの解析から得られた情報を漏らすことは一切できないとクリスは口をつぐんだ。

 四人の間に沈黙が落ちてモスクは気まずさを覚えた。

 

「みなさーん、お茶の時間ですよー!」

 

 博士たちの談義を断ち割ったのは赤毛のポニーテールのメイドだ。

 ニムエが押すカートには銀食器とポッドが乗せられ、場違いな場所に甘い匂いを運ぶ。

 

「ハロ、ハロ! お茶、お茶!」

 

 その後ろからハロ二号が弾みながら止まったニムエのお尻にぶつかって反動で転がっていく。

 

「エンジンはこのくらいでお茶にしましょう」

 

 テムが促して、「甘いもので頭をフレッシュにせんとな」とトレノフがモスクの背中を軽く叩く。

 

「リズエラ、そろそろ起きなさい。お茶にする」

 

 メサイアの通信をクリスが開いてモスクはメサイアのコクピットハッチが開くのを見た。そこからほっそりとした少女が現れる。

 手に持つ紫色の球体はハロだ。色違いのハロがここにもう一つ。

 

「彼女がパイロット?」

 

 メサイアとのシンクロを中断して下に降り立つと、リズエラは一目散にカートまで駆け寄った。

 放り出したハロが自制御で空中回転してその後に続く。

 

「リズ! リズ!」

「かしましい職場で嬉しい限りですねえ」

 

 それも美少女揃いとくれば、こんな辺境のコロニーでの仕事も悪くはない。

 

「理想的である。ニムエ、砂糖は三個くれ」

「はい、どうぞ」

 

 ニムエはトレノフのお気に入りとなっている。月での救助の後、病院での検査にもニムエが付き添って面倒を見ていたのだ。

 ニムエからすればおじいちゃんのように感じているのか、二人は仲が良い。

 

「ではケーキ入刀はリズ様にお任せします」

「任せられる……」

 

 真剣な顔になったリズエラが人数分のケーキを寸分たがわぬ分量で切り分ける。

 その背後でハロ二号機と紫のハロがリズエラの周囲で戯れる。

 ハロはサイド7に来る前にフォン・ブラウンで入手した。テムのハロを見てリズエラが欲しがったのだ。

 

「モスク君、家はどうかね? アムロと会ったろう」

 

 テムがモスクの隣に座った。

 

「はい、いい息子さんですね。テムさんによく似ています」

「引っ越したばかりで散らかっていただろう?」

「問題ありません。自分はどこでも寝られるもんで」

 

 お気に入りの紫ハロを抱え、甘い世界に心を飛ばしていたリズエラは『アムロ』という単語を聞いて無意識に二人の会話に注意を向けていた。

 

「では君の歓迎会をしなくてはな」

「歓迎会ですか? いや、いいですよ」

「君は必要な人材だ。こんなところまで無理を言ってきてもらった」

「それは仕事ですから……」

「でかい図体のわりに謙遜だな。君を歓迎させてくれんというのか? 年長者権限で歓迎会はさせてもらうぞ」

 

 正面のトレノフが会話に加わる。

 

「あー、その問題はありませんが……」

「そんな大仰なものじゃない。うちで食事なんてどうかな? 各自食べ物を持ち寄りで、うちはうちで用意する」

「食事会ですか? それならいいですよ。私も料理を用意しますよ」

「それは楽しみだな」

 

 テムとトレノフが決定事項という顔をしてモスクはほっと息をついた。

 

「ナガノ博士も参加だ」

「構いません」

 

 ケーキを頬張ったクリスが即答する。

 

「食事会への参加を希望します」

 

 そしてもう一人。リズエラが手を挙げて参加を表明するのだった。

 

◆チャプター39

 

 この日、ドズル・ザビは暗澹たる気持ちであった。

 軍靴を廊下に響かせて執務室の前で立ち止まる。扉を見上げてから秘書に面会を申し込んだ。

 

「ドズル様が──」

 

 秘書が確認を取る間にドズルは大きく息を吸い込んだ。「どうぞ」と促され制服の襟を正した後、ドズルの巨体が執務室に吸い込まれて消えた。

 兄ギレン・ザビの背中にドズルは敬礼する。

 

「ギレン兄」

「言い訳は無用だ、ドズル」

 

 開口一番、ギレンは弟に告げた。ギレンが執務の椅子を反転させて二人は相対し合う。

 

「報告はすべて読んだ。連邦のモビルスーツが我々の先を行っていただけのことだ」

「だけ……とは?」

 

 その言葉の意味をドズルは推し量るが、ギレンの顔には何の感情も浮かんでいない。

 この兄の考えることは自分には想像もついたことがない。政治や策謀にはとんと疎いのだ。

 スミス海でガンキャノンと呼ばれる連邦のMSを敗退させたが、その後に現れた一本角のMS二機に完膚なきまでに敗北した。

 その責めを受けることを覚悟しての面会だ。ドズルが用意していた言い訳のいくつかはギレンの反応でくじかれた。

 

「ミノフスキー博士をむざむざ連邦に取られたことは……」

「そんなことはもはや些末なことだ。ミノフスキー博士にもう価値はない。次の手を打つことが肝要だ」

「次の手? どんな策が?」

 

 ギレンが立ち窓の外を眺める。その背中をドズルは息苦しい思いで見つめる。

 

「博士は亡命前に我々の情報を連邦に流していたが、それは元より織り込み済みの行動だ。連邦にもたらされた情報はキシリア機関がすべて管理していたからな。連邦が開発したMSはミノフスキー博士経由の技術ではない。失ったザクはこちらの読みが甘かっただけだ。だがな……お前にはこの失態の責任を取ってもらう」

 

 ドズルは内心肝を冷やす。執務室にある見事な刀が目に入って思わず腹を抑えた。

 

「せ、切腹するのか?」

「腹を切るというのは時代錯誤だな。お前の腹ですべて収まるならそれでいいが。斬るか?」

 

 ギレンが手を伸ばして太刀を手に取る。

 古代地球の日本の武士が持つ刀はギレンのコレクションの一つだが、この美しい刀には武士が責任を取るときその刃で腹を切るというしきたりがある。

 

「い、いや……腹は切らん。時代錯誤だしな!」

「ならば手に入れればよいだけのことだ」

「は?」

「お前が無能な将官でいるのは構わんが、我々にもメンツというものがある。ザビ家の男なら汚名を返上したかろう」

「もちろんだ! しかし、何を手に入れるというのだ? 兄貴」

「お前の指揮で例の白いモビルスーツを奪え」

 

 その一言にドズルはごくりとつばを飲み込んだ。

 一本角を手中にできるかはジオン起死回生の手となるだろう。現場を知るドズルからすればそれがよく理解できた。

 ミノフスキー博士を取り返すために月に絶対の自信で送り出したが、持ち帰ることができたザクはたったの二機でしかなかった。

 四人の部下を失い、七機を失った痛手はでかい。

 その上に最重要人物と目した博士を奪われたとなれば免職を覚悟するほどだ。ザビ家の人間でなければとっくに首が飛んでいることだろう。

 

「奪う、あの一本角をか?」

「そうだ」

「それが作戦か? だが、どうやって?」

「月の作戦で生き残った者たちがいるな?」

「ああ」

「名誉を回復する機会をお前たちに与えようというのだ。ドズル、やれるな?」

 

 失敗は許さぬという目がドズルを貫いて心胆を震わせた。もはや後がない。

 

「この命に代えても成功させてみせるっ!」

「よかろう。追って作戦を伝える。それまで待機しておけ。いいな?」

「はっ!」

 

 踵を合わせてドズルが敬礼する。肩をいからせながら弟が退出するのを見届けてギレンは執務室の隣に声をかける。

 

「キシリア」

 

 ドズルが退室した後、執務室の向こうから妹のキシリアが姿を現した。ジオンの上級将校の姿だ。

 

「はい」

「ドズルの作戦を援けてやれ」

 

 キシリアは微笑んで執務テーブルに両手をついて兄の顔を正面から見た。

 

「兄上は本当に寛大ですね。ミノフスキー博士を奪われた挙句、七機のザクを失ったドズル兄に助け舟を出すなんて、お優しいこと」

「私が兄弟愛でドズルを助けるとでも?」

「さあ、どうでしょう?」

 

 ギレンの視線を受け止めた後、あいまいな言葉を兄に投げる。

 

「しくじればドズルも左遷だ。しかし、今は身内を切り捨てている時期ではない。一族が一丸となって難事に立ち向かわねばならない」

「おっしゃる通りですね。下らぬ失態で兄が脱落するのは見たくありませんから」

「例のアナハイムのネズミ、何と言ったか?」

「マーサ・ビスト・カーバインですか?」

「子殺しのビスト家か。宗主のサイアム・ビストは表裏比興の男だ。侮れん」

「今は孫のカーディアス・ビストにその座を譲っているようですが……」

「知っている」

「この件は父上にはご報告を?」

「些事にすぎん。公王陛下は知らぬことだ」

 

 キシリアが水を向けた話題にギレンは刀を台に戻して答える。

 

「そうですか。兄上はジオンの総領ですからね。いちいち父上の認可は必要ありませんね。私の諜報機関もほぼ独断行動が認められていますし」

 

 その背中に視線を投げたキシリアの口元に自身の皮肉への冷笑が浮かぶ。

 妹に一瞥を返したのみでギレンはキシリアに向き合うと言葉を継いだ。

 

「例の一本角……我々が総力を挙げて開発したザクをはるかに上回る性能だというが、報告書を見ても腑に落ちん。連邦よりも前に開発を進めてきたこちらの技術をしのぐモビルスーツを造り出すことは本当に可能か? 現にアナハイムが出したMSは木偶の坊に等しいものだ」

 

 ギレンの手元の報告書には月の戦場となったスミス海の戦いが子細に記されている。

 

「キシリア機関は二年半ほど前まで遡ってアナハイム内の人事と移動の記録を調べました。材料工学の権威やその他モビルスーツ開発に役立つと思われる人材がとあるコロニーに集中的に配属され、木星の輸送船団からの搬送物も届けられたようです」

「その内容物とは何だ?」

「そこまでは、わかりかねます」

 

 アナハイム内部からのリークと諜報部隊の集めた情報を吟味すれば、辺境のコロニーでMSの開発建造が秘密裏に進められていたことは明らかだ。

 

「それがインダストリアル7だと? 月に拠点があるアナハイムを差し置いて、なぜあの程度のコロニーに重点を置いた? ビストの本山があるといってもだ。何か秘密があるはずだ。とてつもない大きな何かが……」

「連邦もアナハイムも一枚岩ではありません。一本角を渡すというビストのネズミの意図は私にはわかりませんが、あの女はただの尻尾にすぎません。例のものを手に入れれば事は済みます」

 

 思案顔になった兄の横顔を眺めながらキシリアは任務指示の水を向ける。

 

「ネズミを餌に食いつかせろ。放置は愚策。我々の計画に狂いがあってはならない」

「では、奪いましょう。私たちの計画のために──」

 

 机から身を離してキシリアは宣告するのだった。

 

 

 同日夕刻、アムロ・レイは学校帰りにフラウ・ボゥのご機嫌斜めと遭遇していた。一日中話しかける機会がなかったのだ。

 アムロからすれば稀有なことだ。自分から積極的に女の子に話しかけに行くなんて!

 

「フラウ・ボゥ、フラウ・ボゥってば」

 

 アムロからの呼びかけを無視していたフラウ・ボゥはようやく振り向く。吐き出されたため息とともに。

 

「どうしたの? 呼んでたのに」

「別に何でもないわ。聞こえなかったの」

 

 アムロを一瞥し唇を尖らせてフラウ・ボゥは言いかけた言葉を引っ込める。

 

「え? 何……」

「何にも」

 

 フラウ・ボゥのムスっとした顔を前にアムロのなけなしの勇気はひるんでいた。

 怒ってるじゃないか?

 

「あの、さ。怒ってるの」

「怒ってない」

「声が怒ってるよ……何かあったかな……?」

 

 ぐいっとフラウ・ボゥがアムロの顔を覗き込んで、思わず二歩後退する。

 

「昨日はお招きありがとう。アムロ君って結構モテるんだね」

「モテるって……なに?」

「モスクさんの歓迎会でリズエラさんって人とずいぶん仲良くしてたじゃない」

 

 明らかにトゲを含んだ響きがあるが、なぜそれがフラウ・ボゥの機嫌に関係するのかがわからない。

 

「会ったばかりだよ。親父の会社のお偉いさんの娘なんだってさ。うちに来たのは付き合いみたいなもんで……」

「ふうん?」

 

 信じてない。そんな顔だ。なぜボクがフラウ・ボゥの機嫌取らなきゃいけないんだろう……

 父さんの職場の人たちがたくさん来て、珍しいくらい家に人がいた。料理もたくさん食べたっけ。

 リズエラはその中にいた客の一人だ。

 アナハイムの会長の養女が家に来るなんてなんの冗談かと思ったし、ひどく見下されるんじゃないかと思ったけど違った。

 気づけばじっと見つめられていたり、ちょっと変わった子だとは思ったけれど……

 紫色のハロを連れていて、自分よりも年上なのに好みが子どもっぽいんだな、としか思わなかった。

 良く喋っていたのは連れの赤毛の女の子の方だったっけ。

 

「クリスマス」

 

 不意に立ち止まったフラウ・ボゥに追いかけていた足を止める。

 

「クリスマス? まだ先だよね」

 

 クリスマスは一月先のイベントだ。地球で母と一緒に住んでいた頃はアムロにも意味のある祭日だった。

 神と決別した世紀とか言っても親子にとって特別な日であることは変わらなかった。

 そんな思い出も今はずいぶん昔に感じる。

 

「クリスマス・ケーキ、美味しいの。私の手作り」

「うん?」

「持っていくから一緒に食べてよね」

 

 スクーター乗り場でヘルメットをかぶりフラウ・ボゥは走り出す。一人残されてアムロは遠ざかる背中を見つめる。

 

「ケーキが何? 女の子ってわからないなあ……」

 

 あまり自分に縁がないイベントを思い出してアムロはスクーターに跨るのだった。



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12話

間違えて正規版へ投稿して焦る(´・ω・`)

前に投稿した仮版は6000字ちょい

+12000字加えたのが仮投稿2バージョン

次も似たような感じです


「今、君は起きたばかり、少しづつ、少しづつ慣れていこう」

 

 電子ノイズに混ざる波長パターンは揺らぎを示した。その電気信号の波でしかないものに「意思」があった。   

 彼は自らの内のコクピットに座るリズエラに焦点を合わせた。顔を認識し全知覚でリズエラを【視た】。

 白いパイロットスーツ。AEのロゴが入った最新のデザインがリズエラの身を包む。

 見られていることを意識しながら、ノイズ交じりの波長が同調してリズエラは「彼」の言葉を聴いた。

 

(──マーマ?)

 

 それは人の世界における母という存在を覚えた意思が発する言葉であった。

 非常に高度な知性にも似たものがマシンの中で生まれたのはつい先日のことだ。

 その「言葉」を聞くことができる人間は現実世界に存在しない。

 大気に流れる微量な電子から、あらゆるデータを読み解くファティマがその電子波を感知し脳波を同調することで「言葉」として認識することができる。

 マシンはリズエラの意思を受けて覚醒する。彼はすぐに外の世界の情報を収集し始めた。

 搭載された教育コンピュータに蓄えられたデータはすべてリズエラが打ち込んだものだ。彼にとってリズエラは母であり、先生であった。

 

「──さあゆっくりと目を開いてみよう。私が見るものを君も見る」

 

 RX-78はその視界を外に向けて開いた。周囲の空気を振るわせる音が工場内に響き渡る。

 センサーとカメラが同期してメサイアと同じ全方位視界のコクピットに外の世界が映し出される。

 彼にとっては初めての外界だ。

 細身の体を座席に沈みこませてマシンと意識をシンクロさせることにリズエラは集中する。同期した教育コンピュータに次の指示を下す。

 

「解析──解析!」

 

 ハロ二号機が実験データ収集のため主座席脇に用意した端末席に設置されている。

 リズエラと同期したRX-78に伝達される脳波を読み取り、ブレイン回路をハロの記憶媒体に形成する。

 ハロは脳波コントロールの媒体であり増幅器でもあった。パイロットの指示を受け取り、その脳波を利用してマシンをコントロールする。

 複雑化するMSのコントロールを制御することだけをハロは考える。

 パイロットの微量な脳波にベクトルを持たせ、速やかな運動を可能とする。

 ハロがなければMS従来の操縦システムでコントロールすることになるが、反応速度が増した機体をより円滑に動かすには脳波コントロールは不可欠なものとなっている。

  

 人をはるかに超えた反応と入力速度を示すリズエラにハロは無用だが、連邦軍から選出されたテストパイロットが来るというのでデータ取りに協力している。

 普通の人が「彼」を動かすのは少し大変だ。パイロットたちは教育コンピュータとハロの助けを必要とする。

 

「歩く練習を始めよう。初めは仮想シミュレーター。空気の抵抗に重力があるよ」

 

 初めて地面に立つマシンは戸惑う。その意思が伝わってリズエラはバランス制御のプログラムに微量な調整を加えた。

 操縦とプログラムの変更を同時に行うのだ。

 

(わっ!? )

「平気、一歩ずつ歩こう」

 

 RX-78のメインカメラが仮想空間に連動して接続されている。リズエラの調整によってほぼ現実の稼働体験同様のデータを教育プログラムに転送中だ。

 そのデータを同時に見るのは博士チームである。

 

「同期は完璧ですね」

「立ち上がりが遅い」

 

 モスクの傍らでクリスが呟く。容赦がない、とモスクはRX-78のコクピットに座るリズエラのモニタを見る。

 

「出来上がったばかりのシステムと機体にお嬢ちゃんも手間取ってるんだろう」

「彼女ならもっとうまくやれます」

「うん、そうだな……」

 

 トレノフが差し出したコーヒーのカップをクリスが受け取る。

 RX-78は仮装甲のデータをまとい重量も増して完成に近い姿で大地に立つ。機体にかかる負荷も現実と同様の数値を示す。

 初めの一歩を歩き出し、急速に送り込まれる膨大なデータをハロがフル稼働で解析する。

 リズエラはハロのサポートをしながら、そのプログラムに変更を加え、ガンダムが可能な動きのすべてを再現し教育コンピュータに覚えこませていく。

 MSの動きを最適化する。その基準はリズエラではなく、人間のパイロットのフォーマットにしなければならない。

 テストパイロットのデータは連邦の技官から受け取っていた。「彼ら」の能力に合わせた基準で仕上げを行う。

 

 手順はメサイアの時と同じです。初めてメサイアが起動した頃は博士と私もノウハウがなかったから少し大変でした。

 今ではメサイアも立派なお兄さん。弟ができて喜んでる。インダストリアル7時代からこのシミュレータも進化しました。

 

 その進化を促したのもリズエラによるところが大きい。あらゆるマシンとの同調を示すファティマの能力がこの時代の未成熟な技術の発展を促すものとなる。

 それはシミュレータ用のマシンに留まらず、あらゆる分野に転じることができるものであった。

 三人の博士たちがテスト中のRX-78を見守る。                                                       

 仮想空間の中で動くRX-78にトレノフが指摘しモスクが相槌をうった。クリスはあまりにも滑らかな機動をする機体に真剣な眼差しを注ぐ。

 

「次は無重力」

(うんっ!)

 

 ──ム―バブルフレームの実験機体となったメサイアのデータを取り込んだ最新のデザインをテム・レイが描き出した。

 マーサ・ビストがインダストリアル7から手土産に持ち込んだ、メサイアのム―バブルフレームの祖組骨格がその基盤となっている。

 アナハイムの基礎技術外にあるム―バブルフレームの運用は、メサイア開発に携わった技術陣を連れてくることで技術的問題の解決にあたっていた。 

 脳波コントロール・システムはコクピット周りのみの配置だ。

 メサイアのシンクロナイズド・コントロール・システム(S・C・S)はフレームにまでサイコミュ伝達機能が施されているが、RX-78はよりシンプルに機体のみのコントロールに重点が置かれている。

 

 各駆動系の稼働伝達に特化されていて、モスク・ハン博士のマグネット・コーティングの技術理論を用いることで、脳波コントロールによる機体の摩擦係数をほぼゼロコンマの領域に高めることに成功していた。

 メサイアが抱えていた、脳波コントロールによる機体の限界値稼働の問題はここでクリアされることとなった。

 最大出力のフル稼働で機体のフレームが歪み損壊するリスクからメサイアには稼働リミッターが設置されている。

 RX-78にも段階的なリミッターが設けられているが、トレノフ・ミノフスキーが細やかな調整を加えることでパイロットの力量に応じた力に設定される。

 

 そのエンジンのパワーは、クリス・マリアのエーテリアル・キャタライザーによって従来のMSをはるかに上回る力を生み出している。

 連邦が所有する初めてのガンダムは宇宙最強に相応しいモビルスーツとなって送り出されることになるだろう。

 メサイアと異なる設計思想を持つ機体は、四人の博士によってバランス調整が施され、実験機一号にしてすでに完成系に近いものとなって生み出されようとしていた。

 RX-78の指揮を執るテム・レイは三人の博士がいるラボではなくハンガーで忙しく走り回っていた。

 

「ニムエ、メサイアとRX-78の同期は終わっているのか?」

『はい、終わっています、レイ主任』

「うん」

『そういえばテストパイロットの人たちが来るんですよね? どんな人たちですか?』

「優秀だよ。今日到着する予定だが……」

『歓迎会しましょう』

「歓迎か……そうだな。悪くない」

『これ終わったら準備しますね』

「頼む」

 

 RX-78との同調模擬テストのためメサイア二号機に乗るニムエとの通信を切り、テムはRX-78の図面と向き合うとため息をついた。

 新しいプランの計画書がすでに仕上がって目の前にある。アナハイムの上層部も知らない新たな設計図である。

 

「ナガノ博士には毎回驚かされる……これほどのものをどうやって……」

 

 自らがこれまで培ってきたものを他の誰かに出し抜かれたという衝撃は、若干一八の娘に抜かれたという妬みよりも驚きの方が勝ったといえよう。

 彼女だけではない。師と仰いだミノフスキー博士までがこの計画に加わることとなった。

 メサイアに使われた技術の片鱗でも我が身に身につけようと勉強の日々となった。ただ求めるがままにどん欲にその知識を頭脳に詰め込んだ。

 そしてテム自身もあのディスクの存在によって、この時代にはあり得なかった発想の産物をMSに組み込むことになった。

 マシンと繋がるもう一つの頭脳となる存在。ハロにその運命を委ねることとなる。

 

 ジオンが秘密裏に開発中のサイコミュ搭載型のMSは、機体の大型化からモビルアーマー(MA)と呼べる巨大なサイズとなって一年戦争半ばから登場することになるが、この時代の連邦にはその技術すら知られておらず、ましてアナハイムですら未知の領域だ。

 連邦とアナハイムがサイコミュ技術関連に手を付けるのは、ジオンの侵攻を受ける一年戦争最中のことで、ニュータイプの目覚めを受けたアムロ少年が白いガンダムに搭乗し、数々の軌跡を描いた後のことだ。

 

 それに先んじてMSサイズに脳波コントロールのシステムを組み込んだクリス・マリア・ナガノの知識と技術力はどこから得たものであろうか?

 別宇宙より飛来したモータヘッド・ブラッドテンプルの解析情報をすべて灰色の脳に収めた彼女だが、その中にサイコミュに至る技術の片鱗があったのか?

 従来のモノコック構造、フィールドモーターを遥かに上回る機体構造体とエンジンの開発、どれをとっても遥か先の技術であることを示す。

 

 この世界よりも技術力の進んだ世界から突然抜け出してきたかのような感覚と言えばいいか。   

 メサイアの姿もその形になるまでに開発の歴史があったはずだが、そこだけすっぽ抜けてここに存在する。

 まるで異世界から漂着したオーパーツだ──もしくは全く異次元の技術や知識を外の世界から託されたのか?

 現実的ではない、妄想ともいえる思考にテムは苦笑いする。

 だが現実にモーターヘッドは地球に飛来しアナハイムの秘密のベールに隠された。解体されたブラッドテンプルは今も極秘のシェルターで眠り続けているはずだ。

 アナハイムとビスト財団の力を注ぎ込むほどの価値があったことは確かだ。その大きすぎるほどの力を自分たちは扱おうとしている。

 

「戦争の抑止力となりえるか……それとも恐怖を振りまく存在となるのか……」

 

 核兵器のように──かつての兵器「核」が辿ったのは恐怖と地球汚染の道だ。それは今もなお現存し、人類を抹殺する道具として存在する。

 テムは不吉な考えを振り払って作業する工員に指示を下す。

 

『リズ、限界値まで』

「──了解」

 

 コクピットにクリスの指示が響き応えを返した。

 リズエラとRX-78は仮想空間の中だが、本物の機体は博士たちがいる部屋から見下ろせるハンガーデッキにある。

 建造途中にあるモビルスーツのフレームはむき出しで無骨な鋼鉄のボディを冷たい空間にさらしている。

 機体には第一装甲さえ取り付けられていない。標本の骨格のようなム―バブルフレームの外見をさらしRX-78「ガンダム」が横たわっている。

 その下で数多のむき出しのチューブが伸びている。そこにはガンダム・プロトタイプ01の調整に勤しむ人々の姿があった。

 リズエラも見慣れたインダストリアル7の開発チームの面々だ。中心となるコクピットの中でリズエラがRX-78に語り掛ける。

 

「最終テスト。メサイアをセットアップ」

 

 仮想空間にメサイアのデータが召喚されてもう一機のMSが対面に現れる。大昔の騎士のような甲冑装甲にも似た姿に彼の動揺を感じ取る。

 スマートな装甲に身を包むRX-78とメサイアとの対比が際立っている。それが大人と子どもが対峙するような臆病さを彼にもたらした。

 マシンがマシンに恐怖する。その感覚を共有するのはリズエラだけだ。他の誰もそんな言葉を真剣に聞く者はいない。

 長い付き合いのクリスやニムエでもその感覚は理解からは程遠いものだ。

 

「準備はいいかな? お兄ちゃんをやっつけよう!」

(怖い……)

 

 マシンから伝わってくるのはピリピリした怯えの意思だ。それをリズエラはなだめる。彼の自我は幼児にも等しい。

 マシンの「感情」は機体スペックに直接影響するものではないが、微弱なエンジン波動の変調を感じる。

 感覚でマシンの心を直接感じ取れるファティマにとって、「彼」を安定させることは自身の能力を安定させるのに必要なことだった。

 メサイアは完成されたマシンだが、彼はまだ生まれたばかりで不安定になりがちだ。

 

「ニムエ、RX-78のスタンバイ完了」

『了解、いつでも行けますよ』

「この子、メサイアに怯えてる」

『ふふん? じゃあ私が勝っちゃうかもしれないですねー』

「そうはならない。一五秒後に戦闘開始」

『はーい』

 

 ふとニムエへの対抗心が浮かび上がってリズエラは通信を切る

 

「対抗する手段と作戦がある。君は「彼」よりも動くことができる。パワーで考えない。思い切っていこう」

(どうする? どうするの?)

「それはね──」

 

 リズエラの言葉の後、両機は大地を蹴ってぶつかりあっていた。

 

 

 正午の日差しが定期的な影を町中に作り出す頃、開発地区に入り込んだエレカーから降りたのは連邦軍の制服を着た二人の士官たちだ。 

 彼らを出迎えたのは二人よりも高位の高級将官だ。思ってもいなかった歓迎に二人は即座に敬礼を返した。

 このような場所にいるのは違和感を覚えるような人物だが本物だった。

 

「貴官らを歓迎する。よく来た、ここが最前線だよ」

 

 そう言って口元を歪ませたゴップ将軍を前に二人は敬礼を崩さない。

 ジャブローのモグラとも暗喩される人物が辺境のサイド7にいる。

 地球連邦軍統合参謀本部議長という肩書を持つゴップがこの計画の事実上のトップということを示している。

 これから二人が就く任務の重要性を考えれば当然という考えにたどり着くのだった。

 

「来たまえ、案内しよう。君たちが乗るモビルスーツを見せよう」

「は……」

 

 二人は顔を合わせてゴップの後に続いた。

 厳重な警戒態勢と警備の厚さは通常の軍基地を上回るものだ。

 

「中尉、こりゃあアリ一匹侵入できそうもないな」

「そうですね」

 

 ささやく大尉に若い精悍な顔を向けて中尉は返す。

 通り過ぎた門の警備に立つ強面の兵士が油断なく見張っていた。

 

「ここからは重力がないぞ」

 

 施設の奥部に入り、出た回廊の壁際から見えるのは仮想起動実験中のRX-78だった。その下で多くの人々が動き回っている。

 

「これが新型のモビルスーツか……」

 

 初めて目にするMSを見下ろして中尉が口にする。連邦軍に配属されたガンキャノンとはまったく異なる機体がそこにあった。

 マグネットの靴底が金属音を立てる。無重力の空間から肉体を地面に繋ぎとめている。それはとても人を不安定にさせる感覚だ。

 

「RX-78。ガンダムが正式名称だ。ジオンのザクを遥かに超える力を持っている──」

 

 ゴップの説明を受けながら二人は身を乗り出すようにガンダムを眺めた。

 

「装甲もまだついてないのか?」

 

 手すりに手をついた大尉が見下ろす。中尉よりもニ、三歳上でひげも蓄えているので実際より五つは老けて見えた。

 

「ガンキャノンとは全然違うな。フレームの構築がまったく異なる。あれでザクよりも早く動けるのか?」

「ザクを撃退した機体をベースにしているそうですから、間違いなく最新ですよ」 

 

 メサイアに関する情報を大尉に返した中尉が通路の先から歩いてくる人物に注意を向けた。大尉も気が付いて顔を上げる。

 ヘルメットはかぶっていないがAEのロゴが入ったスーツを着ている。

 

「テム・レイ主任。彼がガンダム開発の責任者だ」

「あなたたちがケンプ中尉にヴェルツ大尉ですね」

 

 ゴップから紹介され、テムから差し出された手にケンプが反応してヴェルツも順番に握手を交わす。

 

「よろしく」

 

 軍人特有の力強い握手からテムは手を離す。

 

「連邦軍のエース二人にお越しいただき光栄です。RX-78の調整は万全の状態です」

「もう動けるのかね、アレは?」

「ええ。テスト調整さえ終わればじきに」

 

 ゴップが満足げに頷く。

 

「我々は共に戦闘機乗りですが、ガンキャノンでのシミュレーション訓練と実機訓練は地上で終えています。宇宙での実機体験はまだですがね。鉄騎中隊がやられてなけりゃ声はかからなかったかもしれん」

「自分は志願しました。ジオンのモビルスーツは脅威です」

「そうですか、私は月での戦いの現場にいました。戦死された方たちは無念なことでした」

 

 哀悼の言葉をテムが表す。

 

「ジオンのザクも見ました。ザクのデータを収集しての分析もしました」

「ケンプ中尉は技術士官でもある。役立ててほしいな。ヴェルツ大尉もだがね」

 

 ゴップがどうだ、という顔でテムを見る。それにテムは頷いて応える。

 

「希望通りの人材です。ご配慮感謝します、将軍」

「うん、紹介は済んだことだし、私はもう戻らねばならない。後は頼む。ジャブローに降りるのでね」

「お気をつけて」

 

 ゴップが役目は終わったと退場し、三人は見送った。

 実直なケンプに少し口が回るヴェルツ。案外悪くないコンビかもしれん。異なる性格のパイロットであることが望ましいと打診していた通りの人材だ。

 ハロとテストパイロットの相性と動作のデータを採集するのもテムの仕事の内である。

 

「ここにあるのはRX-78のプロトワンだけですが、プロトトゥーは組み上げラインを抜けて明日にでも動かせるようになるでしょう」

「プロトワンは動かせるのですか?」

 

 ケンプが問う。今の形でも動かせるのかという疑問である。

 

「ええ、今仮想シミュレーター実験が終わったところですが、そのデータを基に装甲を形成して取り付けます。プロトトゥのハンガーアップと同時に行いますので、お二人には搭乗テストを行ってもらいます」

 

 ケンプの問いにテムが返事を返しRX-78のコクピットに目を向ける。

 

「パイロットが乗っているのですか?」

「教育のためのパイロットが入っています」

「誰が乗っているんだ? おたくの技術員か?」

「いえ違います彼女は──」

「彼女?」

 

 テムが答えかけたところでRX-78のコクピットハッチが開いた。その挙動に三人の視線が集まる。

 その中から飛び出してきた球体が空中で弾みを止めた後、地面を弾みながらテムを認識して跳んだ。

 

「何だ?」

「わっ?」

 

 ケンプとヴェルツが思わず後ろに下がってハロを通す。

 

「ハロ!」

「おお、データの解析は完了したか?」

「した! した!」

 

 ハロを受け止めたテムにハロが返す。

 ふと風を感じてケンプは突然現れた存在に心を惹かれるのを感じる。それは柔らかい風となって三人の前に現れた。

 細身の白いパイロットスーツに身を包んだリズエラが重力のない通路を漂って二人の士官の間をすり抜ける。 

 風は香りを運んで殺風景だった世界が突然色づく。 

 ふわりとテム・レイの前でリズエラは着地してみせる。手には自分の紫のハロを抱える。

 

「リズエラがメサイアのパイロットです」

「初めましてリズエラ・カーバインです。連邦のテストパイロットの方々ですね」

 

 二人に向き直って挨拶するリズエラを呆気にとられた二人が迎えた。

 妖精のようだ──

 現実に存在する妖精のような少女に二人は一時言葉を失った。彼女から発せられた言葉さえも奇跡のようである。

 

「ウィリアム・ケンプです」

「エルヴィン・ヴェルツだ」

「ケンプ中尉とヴェルツ大尉」

 

 名乗りあう二人にリズエラは軽く会釈で返し、名前を呟く。紹介されずともすでに名前も顔も知っていた。

 話に聞いていたテストパイロットが来たからにはもう自分はお役御免である。

 

「新しいスーツはどうかね?」

「オールクリア。耐圧性は一二%上がってるけど、ガバガバ」

 

 とがった唇が不満の文字でテムをジト目で見る。テストついでに新しいスーツの試着をしたが評判は最悪と抗議する。

 

「うん、そうか? サイズは問題ないはずだが……」

 

 一般人類の体型を基本とするため通常規格のスーツはリズエラには適用できない。ファティマの体型は一般女性より遥かに華奢なのだ。

 

「シャワーを浴びたいデス。もー脱いでいいですか?」

 

 汗をかいて不快と眉を寄せるリズエラの横顔を男たちは眺める。そんな顔でさえも美しさに陰りはない。

 

「ああ、構わんよ」

「もう行きます」

「ああ、ありがとう。リズエラ」

 

 リズエラは軽く跳んで通路の向こう側に行くグリップを握った。

 

「レイ主任、彼女は……カーバイン家の?」

「会長のご養女です。まだ学生ですがアナハイムの開発事業に参加なされています」

「才色兼備、というやつですか?」

 

 扉の向こうにリズエラの姿が見えなくなるまでケンプとヴェルツが見送った。

 スーツ部屋にたどり着きようやくリズエラは少し機嫌を直した。

 スーツは脱いで放り出され、部屋と隣接したシャワールームに熱い飛沫が落ちて汗をかいた体を洗い流す。

 シャワー室を出たリズエラがハロを拾い上げる。

 

「ねえ、ハロ、出かけよう」

「出かける、出かける!」

「アムロに会いに行くの。みんなには内緒ね」

「内緒、内緒!」

 

 紫のハロがピコピコ目を光らせて返事を返すのだった。

 

 

「よし、開けるぞ」

 

 取り外したハロの外装が机に並ぶネジの隣に置かれた。机にはコンピュータのモニタに工具箱と所狭しといった状態だ。

 散らかる部屋は足の踏み場もない。気が付けばこの状態になってしまう。

 

「──やっぱりメモリが増設されてる。少し重くなったと思ったんだよね」

「体重気にする、失礼! 失礼!」

「気にするような体形じゃないだろ。まん丸だしさ」

 

 ハロがアムロの手の中で抗議する。「うるさい」と電源スイッチが切られハロが沈黙する。

 

「言うことまで生意気になってるし……こんなのスペック過剰だよ」

 

 開いたハロの複雑に絡み合ったコードは新たに埋め込まれたものだ。

 市販のハロはこんな作りではない。もっと単純化されていて安っぽい感じだ。買ってもらった当時、すでに解体して機能は把握している。

 それが今やおかしいくらいハイスペックだ。

 小型化された高性能なメモリ。

 増設された謎の回路。

 アムロでもよくわからない代物だ。

 

「父さんに渡すとどんどん魔改造されてくよな、お前……」

 

 子どものおもちゃにしては高価すぎる最新のものが取り付けられている。

  

「……ここ、ブラックボックスになってる。何だろうな?」

 

 コンピュータに繋げたハロのデータを照合しながら改造されている部分を解析しようとするが失敗する。

 

「こいつじゃ演算スペックが足りないのか……グレードアップするしかないけど、お金がなあ……」

 

 機械であればなんでも解析するのは子どもの頃からだ。技術屋のお父さんに似たのね、と小さい頃に母からよく言われた。

 その似ているという言葉は、母と父が離れる原因ともなったことを考えられるようになってからはつらい類似点ともなっていた。

 その共通点も親子関係の距離を縮めることにはならなかった。テムは自分の仕事で家庭をかえりみない。

 モニタに連動させたハロの図解が細部まで展開する。

 

「これがこうなって……脳波コントロールがここで繋がってるんだな……でも、何のための回路だろう? 別のシステムに繋がる大きな回路がある」

 

 アムロは知らずにテムのシステムの重要な部分に触れていたが、それが何かであることかを知る前に呼び鈴が鳴っていた。

 初めは気が付かなかったが三回鳴らされてようやく気が付いて立ち上がる。

 

「うん? 誰だ……」

 

 玄関の扉を開く。フラウ・ボゥかな? と予測していた人物ではなくアムロは言葉に詰まった。

 

「こんにちは」

 

 明るい栗色の髪は耳元までのショートカットにバイオレットの瞳の少女──その目と近い色合いの紫のハロを胸元に持つリズエラがいた。

 可憐にほっそりとした体に特徴的なマントを羽織った姿。服装からしても彼女は特別な存在のように思えた。

 事実、アナハイムの会長令嬢という立場は、彼女がこの世界では支配階級の位置にあることを現している。

 アナハイムのお姫様──そんな言葉も彼女にはぴったり当てはまるだろう。

 以前のモスクの歓迎会で一度会ったきりだ。それに相手は高校生。共通の会話などどう探していいのかもわからない。

 

「あの……えと、何ですか? 父もモスクさんも職場で」

「知ってる。君に会いに来た」

「え?」

 

 まっすぐにこちらを見て言う少女に戸惑いの声。アムロの戸惑いは引っ込み思案な態度となって内気な顔を覗かせた。

 彼女はフラウ・ボゥとはまた違う。どう扱っていいのかよくわからない。同級生の気安さが通じない。

 

「じゃあ……」

「君のハロ見せて」

「ハロ? いいけど……」

「入るね」

 

 アムロが言葉を選ぶ前にリズエラが家に入っていた。

 

「どうぞ、散らかってるけど」

 

 慌てながら何でもないと体裁を取り繕い、その横顔を眺める。

 近くで見ると知っている女の人の誰とも違う。

 端正に整った小さな顔、目の色はすみれ色? っていうのかな? すらりと伸びた手足、着ている服まで違う世界の人間みたいだ。

 

「ううん、片付いてる」

 

 リズエラが室内の様子を観察して感想を述べる。

 

「まあ、そうだね。モスクさんがだいたい片づけたんだけど……」

 

 家の中を完全な形にしたのはモスクの手柄だ。ああ見えて几帳面なタイプらしく、ごみの類はゴミ捨て場に残らず送られ、毎日掃除マシンが稼働できる状態になっている。

 アムロの自室は除いてだが。

 

「ハロ、おいで、お客様だよ」

「ハロっ! お客様っ! キュート! キュート!」

「うるさいっ! うるさい!」

 

 アムロのハロがリズエラのハロに電波を飛ばす。二機が交互に弾みながら転がっていくのを見送った。

 

「あなたのハロ、賢いですね」

「君のハロの方が賢い。脳波干渉にすごく過敏」

「え?」

「おいで」

 

 なぜ、そんなことを? と疑問を向ければ、リズエラの意識を向けたアムロのハロがくるりと一転してその手の中に納まった。

 まるで手品のように見えて、湧いてきた疑問が頭の中でこらがってアムロは混乱する。

 リズエラの指向性を持たせた脳波に反応したハロの動きであったが、他人から見れば手品の手管に見えただろう。

 

「今のどうやって?」

「うん……この子の回路、拡張されてる……あの子と同じくらい」

「あの子?」

 

 ハロ二号機のことを指しているがアムロにはわからないことだ。二人の情報知識には大きな隔たりがある。

 何か会話をしなければとアムロは台所に目を向ける。客人に相応しい振る舞いをすることで間を持たせようとする。

 

「……飲み物持ってくるよ。何かあるから」

「うん? アムロが飲みたいものが欲しい」

 

 顔を上げたリズエラが注文しアムロは頷いて答えた。奇妙な注文だと思ったが台所に向かう。

 冷蔵庫を開けてアムロは中身を確かめる。

 

「飲みたいものって言ってもなぁ」

 

 調子が狂う訪問者に落ち着こうとため息。飲みたいものは特にない。無難なのはオレンジジュースだろうと手を伸ばした。

 リビングでハロと向き合うリズエラを見る。ハロに語り掛けているようにも見える。

 

「機械と話してるのか?」

 

 アムロには理解しがたい女の子がそこにいる。

 

「飲み物持ってきたよ」

 

 飲み物を手に持っていくと不意にリズエラが立った。

 

「アムロ、表に行こう」

「外? 何しに?」

 

 突然の申し出、まだジュースにも手を付けていない。

 

「アムロの行きたいところでいいよ」

 

 アムロが持つコップを取り上げてリズエラが一口含む。

 上目遣いの目が合って、その仕草に目を奪われてアムロは言葉に詰まった。

 

「行きたいところって……別にないけど」

「好きなところはないの?」

「買い物ならなくはないかな……」

 

 マシンの部品を仕入れに行く予定はある。スペックの足らないマシンにメモリを増設するくらいしか用事は思いつかない。

 何にしても、とうてい女の子を誘っていくようなところではない。ジャンク屋通いを趣味にしてる子にも見えなかった。

 

「じゃあ、そこに行こう。アムロの好きなところも教えて」

「好きなところって言っても。何もないよ、このコロニー、まだ全然出来上がってないし……」

「ダメ?」

「出かけたいなら、いいよ。その代わり退屈でも知らないからね?」

「アムロといるから大丈夫」

 

 ドキッとするようなことを言う。そんなことを女の子に言われたことは今までない。その言葉にどんな意味があるのかなんて思いもよらない。

 

「そ、そう? じゃあ出かけよう」

「うん!」

 

 弾んで返る声は嬉しそうで初めてリズエラの笑顔を見たような気がした。とっつきにくさの仮面から無邪気さが転び出る。 

 

「これ、ヘルメット。サイズでかい?」

「うん……?」

 

 渡されたヘルメットをかぶってリズエラが返事をする。少しずれて明らかに合っていない。

 

「ここをしっかり止めて固定する……いいかな」

 

 アムロが手を伸ばしてきちんと固定する。

 

「ありがとう、アムロ」

「じゃあ、乗って」

 

 こそばゆい感覚を感じながらも、その感情はヘルメットの内にアムロはしまい込んだ。

 スクーターの後ろにリズエラが座りアムロの腰に腕を回す。

 

「しっかり掴まってて」

「うん」

 

 伝わってくる感覚と体温を感じて緊張で体が強張る。これほど近くに異性という存在を感じたのは初めてのことだ。

 近所からの視線を気にしながらもアムロはエンジンを吹かせて走り出す。

 

 

 クリスマスを迎える商店街のモール──

 冬という厳しい寒さの季節を体感することのないコロニーにおいても、一年の終わりに来る時節への感慨を求める人は多い。

 地球の聖人キリストの誕生日を祝うのは、宇宙に棄てられた人々が劣悪な環境で生きていくための希望を繋ぎとめる一つの縁(よすが)でもあった。

 人類が宇宙に進出して八〇年近い歳月の中、彼らの間で宗教的な意味は失われても、クリスマスを祝う家族の団欒は人々の営みに深く刻み込まれたものともなっている。

 積極的な移民政策時代の労苦が過去のものとなった世代でもこの行事は受け継がれている。

 フラウ・ボゥが荷物を抱えて商店を出たのは少し肌寒い時間になった頃だ。

 スクーターを置いた道端で買い忘れがなかったかと袋の中の品物を確かめる。 

 

「あ、フラウお姉ちゃんだっ! 何してるの?」

「ん?」

 

 馴染みのある小さな子の声に振り向く前に腰元に抱き着かれていた。

 しがみついたのは男の子と女の子だ。もう一人男の子がいるが、三歩下がった位置で二へラと笑った。

 

「レツ君、キッカちゃん、抱き着かない。荷物抱えてるんだから!」

「はぁーい」

 

 フラウからと二人が離れ三人組が並んだ。 

 褐色の肌に白い歯を対照的に見せるのはレツ・コ・ファン。

 元気いっぱいの金髪の女の子はキッカ・キタモト。

 少し大人しそうな黒髪の男の子はカツ・ハウィン。

 

 フラウと同じ区画に住む住民の子どもたちだ。家が密集した区画に住む人々は横の繋がりを大切にする。

 サイド7は新興コロニーで移住してきた人同士の繋がりはまだ浅いが、生来、コロニー暮らしをしてきた人々の集まりであることに変わりはない。

 宇宙に住む人々は、お互いの暮らしを支えるシステムを小さな団地の中に一つのコロニーとして構築した。

 フラウが小さな子どもたちの面倒を見るのは本人が世話好きだからというだけではない。

 フラウも幼い頃からコロニーで暮らしだ。世帯が集う団地の中で年上の世代のお兄さん、お姉さんが面倒を見てくれた。

 そうやって助け合う下町のシステムの中で生きてきたフラウからすれば、子どもたちの世話をするのはごく普通のことであったのだ。

 両親も助け合うことを信条とする人たちであることから、フラウの行動基盤の一部ともなっていた。

 子どもたちはまだランドセルを背負っている。まっすぐ帰らずにどこかで遊んでいたのだろう。

 

「みんなまた寄り道して、お母さんに怒られても知らないから」

「平気っ! フラウお姉ちゃんと遊んでたって言うもん」

「ねー」

 

 キッカとレツが示し合わせる。

 

「それ、ケーキの材料ですか?」

 

 マートの袋を見上げてカツが聞く。

 

「そうよ」

「でっかいケーキ作るの? こーんなにでっかいやつ」

 

 レツが手を広げて道の端から端に寄る。

 

「ばかね、そんなでっかいの作らないわよ」

「えー? バクバク食ってトンネル掘るんだよ。結婚式のケーキみたいなやつ」

 

 レツがキッカに説明するのは、結婚式の広告パンフレットにあるような巨大ケーキであろうかとフラウは想像する。

 

「そんなにでかくはないかな?」

「じゃあこんくらい?」

 

 今度は少々控えめにレツが手を広げるがそれでも大きい。

 

「普通のケーキのサイズだよ」

「お姉ちゃんね、彼氏に作るんだよぉ~」

「マジ? お姉ちゃん、彼氏いんの?」

「はぁっ!? 違います。彼氏なんていません!」

 

 キッカとレツのやり取りに思わず声が出て、しまったとフラウは口に手を当てる。

 

「かーれーし、かれしー。でっかいケーキ上げるんだー!」

「二人とも声がでかい」

 

 はしゃぐレツにキッカが一緒になる。

 

「あ、フラウお姉ちゃんの彼氏だ」

 

 カツの一言にフラウは思わず振り向く。

 

「だからぁ……アムロ?」

 

 向かいの車線、止まったスクーターに目を止める。 

 どことなくぼさっとした感じの印象があるアムロは遠目からでもすぐに判別できた。

 

「ほら、彼氏だ」

「誰かと一緒にいるよ?」

「あの人……」

 

 一人少女がいる。フラウは会ったことがある相手だと認識する。自分では到底太刀打ちできないお嬢様──

 

「大変だ、お姉ちゃんの彼氏、取られちゃうよ!」

「だから、彼氏じゃ……待ちなさい!」

 

 フラウが否定するも子どもたちは尾行作戦を開始するのだった。

 

 

 ショッピングモールの下の階を見下ろせるホール。下の通路を買い物客が行きかう。

 

「ありがとうございました」

「どうも」

 

 アムロはカードで支払いを済ませ店内の展示物を眺めるリズエラに目を向ける。

 こういう店に来たのは初めてだという。コロニーの電子部品何やらが集まる、いわばジャンク屋と呼ばれる店だ。

 目的のパーツは手に入った。

 

「何を見ているの?」

「これ、可愛い」

 

 リズエラが手に取ったのは何かのパーツだ。よく磨かれていて新品同様に光っている。

 

「ターボシャフト?」

「うん、可愛いから」

「可愛いんだ」

「部品としてよく機能するのが好き」

「そうなんだ」

 

 そう言ってリズエラは棚に戻す。

 

「買い物終わり?」

「まあね。リズエラ、さんは何か欲しいものあるの?」

「さん、はいらない」

 

 その呼びかけに不満があるとリズエラは目で抗議する。

 

「そお……リズエラ?」

「はい」

 

 アムロにそう返したリズエラの口元に微笑みが浮かんだ。

 

「おなか減ってたりは……」

 

 継ぐ言葉を探して出た台詞はさらにふさわしいとは思えないものだ。自分も特に食べたいものがあるわけではない。

 

「クレープ」

「え?」

「クレープ食べたい。あそこに売店がある」

「いいよ、クレープ食べようか」

「うん」

 

 頷くリズエラの横顔に嬉しそうだな、と見てアムロはクレープ屋へと足を向けた。

 

「展望台ってこうなってるんだな……」

「あそこに座ろう」

 

 リズエラが指さした先の空いた席に二人は座った。一面窓ガラスから街の風景が一望できた。

 夕暮れの色合いを再現した空が茜色の日差しを展望台の窓に投げかける。二人の影が床に伸びる。

 今いるのは商店モールの最上階、展望台がある一角だ。アムロ自身は初めて来る場所だった。高い所にあるのでGは0.8と地上よりも軽い。

 買い求めたクレープの包みがその手にある。リズエラが選んだものをアムロも注文した。

 

「美味しい」

「そうだね」

 

 甘ったるいクリームに果物を包んだクレープに口をつける。こんなの、母さんと行った遊園地以来かもしれない。

 

「アムエロのこと、教えて」

「教えるって……何を?」

「じゃあ、学校のこととか」

「つまらない話でしょ?」

「ううん」

 

 リズエラは本当に聞きたいのだ。アムロのことをすべてを──

 

「楽しいことない?」

「楽しいね……まあ、ないこともないかも?」

 

 初めは気乗りのしなかった話題も、聞き手があると、初めはぎこちなかった言葉もいったん話し始めると自分でも驚くほどの言葉が溢れ出した。

 学校のことを話した。

 退屈な先生の授業。

 はねっかえりのカイ・シデンのことや世話焼きのフラウ・ボゥのこと。

 

「お母さん、優しい人だったんだね」

「いい人か……そうだね」

 

 いつの間にか母のことを話していた。それも記憶の中で一番優しかった頃の母さんのことを。

 悪い思い出は深く胸の内に刻まれている。あれは母が家を出て行った日だ。

 家を出ていく母の後ろ姿。トランクケースに持ち物を詰めて二度と戻らぬことを知らないままボクは母さんを見送った。

 それはアムロの胸に深く落ちて苦みを伴った。その苦みは今も消えていない。

 ホールの時計がここに来てからずいぶん時が経ったことを示す。かれこれ一時間はいるだろう。そろそろここも締まるはずだ。

 

「君のことを話してよ」

「私?」

「学校のこととか、友だちのこととか? ボクは話したよ」

「うん」

「済まないが、お喋りはそこまでにしてもらいたい」

 

 割り込んできた男の声にアムロは顔を上げた。見知らぬ男がそこに立っていた。

 ウォン・リーが来ることを知っていたリズエラは立ち上がってまっすぐに彼を見た。

 

「誰、ですか?」

「マスター」

「マスター?」

 

 リズエラからこぼれ出たマスターという言葉。その響きはあまり良いものではない気がした。人を縛り付け隷属させる言葉だ。

 展望台にはもうリズエラとアムロ。スーツの男とその後ろからやってくる数人の男たちだけになっていた。

 先ほどまでちらほらと閑散とした展望台に人がいたはずだが今は誰もいなかった。

 

「今すぐ帰るんだリズエラ、お遊びは気が済んだか?」

 

 施設を抜けだしたリズエラの動きをウォンは追っていた。リズエラがどこにいようと追跡する装置を使っている。

 その装置を無効化することはリズエラには容易いことだ。本気で逃亡するのであれば機能を破壊している。

 ゆえにウォンからすれば施設を抜けだしたのもリズエラの気まぐれにすぎないことがわかっていた。

 だが、アムロからすれば高圧的で有無を言わさない大人の暴力のように感じた。

 後ろにいる男たちは屈強で力も強そうだ。その威圧感を感じて湧き出した感情は反感となってウォンを見返した。

 

「君が誰かは知っている。テム・レイ技術主任の息子さんだろう? 」

「父をご存じですか……」

「仕事の上でね」

 

 そんなことがあるのか? 父は技術畑でよく言えば一途な仕事人間だ。それがこんなマフィアみたいな連中と仕事をするはずがない。

 高級スーツのウォンはともかく、二人組の用心棒はいかにもな外見をしている。

 

「今は帰りません」

「何?」

 

 思わぬ反抗の言葉にウォンは驚きの目をリズエラに向けた。これまでウォンの言葉に真っ向から反抗したことはなかった。

 インダストリアル7を出てから予想外のことがリズエラに起きている。サイド7に留まった経緯もそうだ。

 マーサに直訴して予定まで変えさせた。

 

「私の言葉が聞けないというのか?」

 

 ウォンは注意深い目をリズエラに注ぎ、命令を無視する対象への対処を考える。

 

「イヤだって言ってるじゃないですか。彼女は自分の意思でここにいるんです。帰りたければ自分で帰るでしょう?」

「アムロ・レイ君、彼女の時間を無駄にすることはアナハイムの損失を意味する。こちらの事情を理解してもらいたいね」

「大人の事情なんて知りませんよ。リズエラが何だっていうんです。彼女は高校生でしょう?」

 

 彼女が普通ではない、特別な人間だということはアムロもわかっていた。だが今は大人の勝手に逆らう意思がそう言わせていた。

 

「わきまえなさい。彼女は立場ある人間だということはわかるね? 会長のお嬢さんは私たちの保護下に置いているのだ。それが一番安全だからだよ」

「だからって大の大人が無理やり連れて行くんですか、横暴ですよ」

「生意気だが、道理だ。私は非常に丁寧にお願いしてるんだがね」

 

 力尽くの対処は最も愚策だ。そのことをウォンはよく理解している。リズエラが未知の行動をしている以上は。

 

「まだ……帰りたくありません」

「聞き分けなさい。どうしたというんだ? 何があった?」

 

 窺い見るウォンの問いには答えず、目を伏せたリズエラがアムロの手を握った。アムロはその手を握り返す。

 アムロとリズエラの目が合った。彼女が何を望んでいるのかを知る。

 そして理解した。走れ、走れアムロっ! と。その衝動はアムロにもわからない。理由なんてわからなかった。

 

「リズ、走るよ」

 

 囁いたその言葉にヴァイオレットの瞳が揺らいで応えた。次の瞬間二人は走り出す。

 

「待てっ!」

 

 ウォンが叫び即座に男たちが二人を追う。

 

「対象が移動を開始。外に出たら追跡を優先しろ」

                                                                                                                                                                    

 外に待機させた車両に連絡し、追おうとしたウォンだが足を引っ張る感覚によろける。

 その足元にしがみつくのは子どもだった。モールに入ったアムロたちを尾行していたちびっ子三人組である。

 

「おい、こいつ悪い奴だぞ!」 

 

 レツがウォンのズボンを引き下ろそうと腰のベルトにぶら下がり。

 

「お姉ちゃんの彼氏いじめてたっ!」

 

 キッカが反対側にしがみつく。 

 

「悪い奴だー」

 

 カツが正面からウォンを指差し溶けたアイスのカップでスーツにシミを作る。

 

「何だ? お前たちはっ! 離さんか!」

「イヤだっ!」

「きゃあっ!?」

 

 バランスを崩した体勢から立ち上がってウォンがレツとキッカを引きはがす。

 

「悪い奴」

「親はいったいどこにいるっ!」

「はわ!」

 

 ウォンの剣幕に子どもたちが縮み上がり近くに潜んでいたフラウ・ボゥが立ち上がる。

 

「えと……そのう……ごめんなさいっ!」

 

 フラウはウォンに向けて思いきり頭を下げるのだった。

 

 

 二人を追う男たちがエスカレーターを駆け下りてエントランスに飛び出る。

 男たちの足は速い。アムロの足では直に追いつかれる。リズエラは対処の手を繰り出す。

 

「止まってっ!」

 

 リズエラが急に立ち止まって体を回転させる。それに返事をする間もなく、突如吹いた突風がアムロの足を浮かせて尻もちをついた。

 手刀の形を作ってリズエラは空気を叩きつけるように後方に放った。見えない衝撃が到達し男二人の足元を浮かせ、遅れてきた風に吹き飛ばされる。

 その時間、一秒にも満たない、わずかゼロコンマ秒の出来事だ。

 起き上がったアムロは痛みの声を上げる男たちが転がるのを見た。なぜ? どうしてそうなったのか不明だった。

 

「何?」

「怪我はさせてない。あそこから出ましょう」 

「でもそこは……」

 

 リズエラが指さす先にはモールの外に通じる業務用出入り口がある。関係者以外立ち入りできないし、電子認証がいるはずだ。

 

「大丈夫通れる。時間がない」

「待て……」

 

 立ち上がった男たちが二人に向かって突進してくる。

 再びアムロとリズエラが走り重い扉の前につく。電子操作の盤に手を当てリズエラは操作する。同時に建物内のマップデータも読み取った。                              

 

「開いた!?」

 

 疑問に思う間もなく扉の隙間を抜けてすぐに閉めた。扉が閉まると同時に電子ロックが落ちる。

 同時に男たちが扉に取りついて操作盤のキーを押すが反応はない。リズエラによって外部からの干渉を受け付けないようロックされていた。

 あまりにも都合の良いタイミングで、まるで魔法のような瞬間だ。

 

「ロックされた? 何をしたの?」

「行きましょう」

 

 戸惑うアムロの向こう側で男たちが扉を叩く。このモールの建物構造を把握するリズエラが先導して従業員出入り口の最後の扉を抜けて表に出た。

 外はすっかり暗くなっていて肌に感じる空気も冷たかった。

 

「行こう、リズ」

 

 冷たい風を頬に感じながらアムロはスクーターを拾った。あの男たちがいつ現れるかわからない。この場をすぐに離れたかった。

 特に行く当てはない。逃亡して安全に隠れられるような場所を考えたが時間も遅い。

 町中をうろついて誰かに見つかる危険よりも、まず家に帰ることを優先した。相談に乗ってくれる大人が必要だ。

 父さんは……あてにはできない。モスクさんの方が頼りになる。アムロはそう判断する。

 

「それでいい?」

「うん、アムロの言うとおりにする」

「なんで逃げてるの?」

 

 彼女の立場ならあの人たちを従わせられるだろう。なのになんで自分といたがるのかがわからない。

 わからないことだらけだ。今日起こったできごと全部。

 

「光……だから」

「え?」

「あなたが私の……」

 

 その言葉の意味を聞く前に見慣れた街路に入り、ほっとする間もつかの間、見慣れない車両と二人を出迎えるように立つ男たち。その先頭にウォンがいた。

 家の扉が開いて背の高いモスクが姿を現し、アムロを見て手を挙げた。

 直前でアムロはスクーターを止めた。もう逃げる場所なんてない。

 

「どうする、リズ?」

「もう逃げない」

「わかったよ……」

 

 スクーターからリズエラが下りてヘルメットを脱いでアムロに返した。男たちのいる方へ歩くリズエラにアムロは声を上げた。

 

「また会える?」

「その時が来れば」

 

 リズエラは振り向いてそう答えるのだった。紫のハロがその後ろから続いた。

 

「怪我はないか? 大変だったな」

 

 モスクの大きな手がアムロの肩を軽く叩く。

 黒塗りの車の戸が閉まり、ガラス越しにリズエラの顔を最後に見た。走り去った車の残影をいつまでも記憶にとどめて。

 

「腹減ってるだろ? 最高のローストビーフを焼いたよ、すぐ食うか?」

「後で頂きます……」

 

 モスクに促されるままアムロは明るい家の中に入っていた。

 



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13話

以前のものに2000字ほど追筆したバージョン(8300字)

後半部分はいまだに手がつかないのでこの部分だけ投稿する

正式版での構成はまだまだ未定

次は10000字程度だと思う


「そう見つかったの。心配するようなことでもなかったな」

 

 そう女の声が告げて通信が切られた。非常灯の明かりを受けて女のシルエットが闇の中に浮かび上がる。

 クリス・マリアの前に二機のメサイアがある。搬送用ハンガーに載せられ二日後にはサイド7を経つ予定だ。

 サイド7におけるメサイアの役割は終わった。RX-78建造に必要なフィードバックを終えてインダストリアル7に帰還する。

 ほぼ無重力に近い空間にクリスは跳躍する。

 美しい黒髪を躍らせてゆっくり落ちる体を制御すると、メサイア一号機の外装甲を蹴ってハッチ部に辿り着いた。

 リモートコントロールで開閉したコクピットにくるりと身を翻らせてクリスは乗り込む。 

 

「不思議だ……なぜ私はこのマシンを造ったのだろう? 一時の熱のなせる業か。そうだとしよう。なぜ、この姿形でなければならなかったのか? なぜ、私が選ばれたのか?」

 

 光を帯びたメサイアの双眸が外の世界を映し出す。RX-78と同じ「ガンダム」の顔を持つ存在。

 リズエラ以外はメサイアの脳波システムをコントロールすることはできない。専属のニムエですらそのシステムを「完全」に動かすに足る脳波量は持っていない。 

 現時点でメサイアを完全に使いこなすことができる者は存在しないだろう。設計し、組み上げた本人ですらわからぬ機体の発光現象の謎も。

 メサイアは「リズエラ」のためだけに造られたモビルスーツなのだ。その「ファティマ」のためのマシンはなぜ生み出されたのか?

 

「あのマシンを再現する。それだけのために私はアレを設計した。そう、すべてを解析した。だが、私はメサイアの図面をまるでずっと前から知っているかのようだった」

 

 誰にするともしれない告白。独り言だ。

 熱に浮かされたようにモニタに反射する自分の姿を見る。

 

『私は……クリスティン・万梨阿・ナガノ。そう、あなたは受け取った。次元、時空をも越えて転送されたその情報を』

 

 その唇から漏れた声にクリスではない誰かの響きが混じった。一瞬で転じたその変化は異様なものだった。

 クリスの黒髪が藍色の髪に変化し、双眸に宿る魂は別人となっていた。その身をうっすらと発光させコクピットは眩い光に満ちた。

 衣装も変化を遂げて藍色の髪を持つ超常のファティマの姿になる。女神のごとき光の帯を帯びて彼女は瞬いた。

 

『私を通じてあなたはジョーカーの英知と技術をインストールされた。同時に我が夫であるアマテラス。その分身であるレディオス・ソープ。私が記憶に持つ「彼の」力もコピーされた。……私はラキシス。あなたはこの世界におけるもう一人の私、分身と言える存在…… 私の中の知識や技術は同時偏在する私に送り込まれた。ジョーカーより来訪したモーターヘッドに触れた影響であなたは偏在する私を顕現させた。あまりにも膨大な情報であるため人の身には一部だけに留まった。本来ならば起こりうるはずのなかったできごとが起こった……この世界にジョーカーの産物をもたらすことになった』

 

 コクピットから体を丸めたクリス、いやラキシスが漂い出る。暗い空間に光が差して跳ぶ。

 

『超文明が衰退する世界から来たものを手にした人々の選択は? ようやく宇宙に飛び出したばかりの人類よ、あなたたちは知るでしょう。人の最も恐ろしい部分を。後悔せど何度も過ちを繰り返すその愚かしさを』

 

 弧を描いて逆さに立った姿でラキシスは冷たい光を放つマシンたちを見下ろした。

 破壊の象徴たるキルマシーン。モーターヘッドの姿を再現したこの世界のモビルスーツはジョーカーの粋を極めた破壊兵器と比べるべくもない。

 だが、この世界においては非常に強力な兵器として存在する。

 

『世界を変える力を手にしてあなた方は選択するでしょう。やがて一つの意思に帰結する道も……』

 

 光の残滓が消え失せてラキシスの言葉は力を失った。その体が地に落ちて、冷たい床にその身を横たえる。

 光の消失と共にその姿はクリスの姿に戻っていた。

 しばし後に身じろぎしむくりと上体を起こした。何が起きていたのかわからずクリスは頭を振って立ち上がった。

 

「私は何を……していた?」

 

 クリスは言葉を取り戻し、その瞳は元の怜悧な黒い光を湛える。つい数分前の記憶がない。

 

「夢遊病か……そんなわけはない」

 

 精神不安や夜に意識なく歩き回る症状は出たことがなかった。

 不安に感じたその手が十字の形をしたクリスタルのネックレスに触れた。キリスト教の十字架に似ているが、形状は剣のようにも見えるそれはクリスのお守りだった。

 

 

 

= The Five Star Stories =

 

 

 

 AEのロゴマークを冠する輸送船がサイド7に入港する。

 サイド7は建造中のコロニーであるため、新たな入植者や建造資材を大量に積んだ船が日切りなしに出入りしても珍しくはない光景だ。

 サイド7は連邦軍の宇宙要塞であるルナ2に最も近く、他に存在するコロニー群からは最も遠い。

 最寄りのルナ2は月とは反対側に位置するため、サイド7は宇宙経済領域の辺境にあると言えた。

 連邦とアナハイムが協力して開発に当たるRX-78の建造に当たっては、極秘裏にことを進めたい各上層部の思惑からサイド7という最適な場所を選ぶこととなった。

 表向きは連邦主導である。だがそこにビストの影がある。連邦政府に対し強い影響力を発揮するビスト家の秘密は「箱」と呼ばれる存在にあった。 

 宇宙世紀が始まって最初に起こった最大の悲劇。

 宇宙世紀元年を告げるその日、首相官邸ラプラスへの破壊テロ事件によって衛星ステーション・ラプラスは崩壊した。

 首相をはじめ、各国の政府要人、そこに集った報道関係者数多の人命が失われた。 

 そのとき失われたものの中に「箱」があった。

 時の連邦政府にとってはスキャンダル程度のモノでしかなかったそれが、己の保身に走った官僚らの手によって触れてはならぬもの、利権を保証するための担保になったとき、箱はその性質をゆがめて連邦に対する脅迫材料となった。

 箱を手にしたサイアム・ビストは辣腕化だった。箱を操り、虚だった中身を連邦政府の弱みに変えた手腕は悪魔的だったといえる。

 そして今、箱に新たな魔力が注ぎ込まれようとしている。

 ジオンの台頭。

 戦争の引き金はすでに解き放たれている。

 呪縛を完全なものとするために──

 そう思考してマーサの口元に笑みが浮かんだ。

 

「私が手にするのは次の時代への切符。私はお父様のようにはならないわ」

 

 サイアムの手によって殺された父は当主の器ではなかった。子ども心にも父親の器が大きなものではないことは悟っていた。

 だが、子にとって親を奪われるということ。それを実の祖父が手を下したことが幼い少女には許せることではなかった。

 弱さは罪。命を奪われるような罪が父にあったのか?

 だから彼女は力を欲した。男たちを屈服させ、祖父すらも超える力をだ。

 

「その「箱」は丁寧に扱ってちょうだい」 

 

 運び込まれた函は棺の形状だ。それを運び込むのを確認してマーサは輸送船に乗り込んでいた。

 

 

 青白い光がリズエラの体を包み込む。一糸まとわぬ姿でベッドの中に横たわり、細い指を腹部の上に絡めて目を閉じている。

 リズエラは意識と体が切り離されていく感覚の中にいた。体がここにあるという感覚以外は遮断されつつあった。

 表層意識と深層意識の狭間で耳に届く声を感知する。意識ははっきりとここにある。

 肉体から意識を切り離してマシンと精神を共有するとき、精神が収まる部屋をリズエラは用意する。そこでマシンと対話を行うのだ。

 神聖不可侵なその空間は神殿と呼べた。いかに薬で操ろうとも、強制しようともそこだけは何者にも侵すことはできない。

 医療用ベッドはアナハイムが開発した最新の型だ。ベッド単一で遺伝子治療が可能で完全な無菌室としても機能する。

 眠るリズエラを見下ろしてマーサが声をかける。

 

「このベッドの寝心地はどうかしら? あなた専用に開発させたものよ。遺伝子の生体治癒に必要な技術をつぎ込んで造った。アナハイムの医療は最先端を行くわ」

『問題はありません』

 

 電子音声じみたリズエラの返事が返る。ベッドを覆う円を描くガラス面の内からは音声は漏れることがない。内部のマイクを通じて外に音声を流している。

 精神と肉体を切り離した状態だが、リズエラは内部のマイクに音声を生成して発言することができた。

 微弱な脳波コントロールでこのベッドは内部からの操作も可能にする。元よりファティマの能力を基準に作られたのがこのベッドだ。

 

「体のメンテナンスもあるけれど、あなたのメンタル面の調整も行います。ウォンからあなたが意外な行動を取ったと報告を受けているけれど」

「……はい」

 

 リズエラの脱走劇はマーサの耳に届いている。本人の自由意志による行動であると言うが管理する人間の責任問題だ。

 ウォン・リーが制御できないのであれば強制的な手段に訴える必要がある。

 アナハイムとビスト。二つにまたがる組織の「秘密」となった彼女が制御できない存在であってはならない。

 非情の手段を用いてでも管理は徹底されなければならない。自らの手の内にある新しい「箱」のカギはこの手に握っておかなければ──

 マーサの目に映るリズエラは己の野心をかなえる道具の一つに過ぎない、が、今の彼女にとってリズエラはなくてはならない存在でもある。

 今は、ね──意思を含んだ目がリズエラを貫く。

 

「問題はあるかしら? こちらのチェックが甘かったのかしらね?」

『ありません。私は正常です』

「そう……」

 

 手元にある資料に一人の少年の顔がある。アムロ・レイ。リズエラが特別な関心を示した存在。

 

「テム・レイ主任の子息と何を話したのかしら? ずいぶんと親密にしてたみたいだけど」

『ハロの情報を交換しました。アナハイムの機密に関わるデータのやり取りはありません』

 

 真実で嘘はない。RX-78やサイド7の施設に関する機密データの交換は行っていない。

 リズエラの「私物」であるハロと「機密外」であるアムロのハロと交信をした。

 アムロのハロはテムの実験プロトタイプだが、ハロ二号機からハロへの記録は行われていないかった。リズエラのハロにも機密に関する情報は一切入っていない。

 アムロとハロの交信を行ったときにそれは確認している。

 

「おもちゃで遊んでいただけ? 彼に興味があるのかしら? 男の子として?」

 

 年頃の娘ならありがちなことがリズエラに当てはまるのは、マーサにとっては大きなイレギュラーであった。

 

『答える必要を感じません』

「あら、そうよね。あなたのプライベートに踏み込むつもりはないわ。いつでも聞けることだし……薬が効いてきたのではなくて?」

『はい……』

 

 機械音のリズエラの声が鈍く響いた。

 

「いい夢を見てね」

『夢は見ません……』

「そう、お休みなさい。リズエラ」

 

 沈黙に沈み、青い光の中で完全な眠り姫となったリズエラにマーサが告げる。

 

「睡眠状態に移行しました」

 

 電子音だけが響く室内に乾いた男の声が告げる。リズエラとマーサ以外にもう一人この部屋に男がいた。

 

「投薬量を増やしなさい。彼女には地球に降りるまで寝ていてもらいます」

「しかし……通常の倍以上は……」

 

 投薬した分だけでも人一人を眠らせておくには十分な量だ。だが、ファティマにどれほど効果があるのかは臨床データが足りていない。

 リズエラは人類にとって奇跡の存在だ。人を遥かに上回る頭脳と運動能力を持ち、いまだ未知数の可能性を秘めている。

 そのクローンがこの世に生まれれば新たな人類がこの世界に現れることになるだろう。その芽はもう撒かれている。

 プロトタイプである彼女は何があっても失われてはならないのだ。

 その重要性を知る男があえて反論を唱えた。

 

「彼女なら問題はないわ。普通の人間なら廃人になる量だけれど、彼女の神経は恐ろしく強靭だから。安全のために地球に着くまで眠ってもらうだけです」

「はあ……」

 

 生返事を返した男の目が怯えた色を浮かべて、ベッドに眠るリズエラと隣に立つマーサを見つめた。

 

「私の指示には忠実に従ってちょうだい、ベントナ。うだつの上がらないあなたを引き上げたのは誰だったかしら?」

「もちろんあなたです。ミセス・カーバイン」

 

 ベントナが忠実な犬の声で返す。この部屋の主は気まぐれで男を服従させることに抜かりがない。

 マーサは時にはその魅力を人を動かすことに使うが、ベントナは恐怖と功名心によってマーサに支配されていた。

 命令のままに人を殺す量の薬物を注射したとしてもマーサ・ビストに逆らうことは彼にはできなかった。

 

「研究所が成果を上げれば功績はあなたのものになる。インダストリアル7のような辺境の研究所ではなく、ゆくゆくは大きな研究所の所長にもしてあげられるわ。今の副所長以上の待遇は保証してあげる。地球での役職はあなたの悲願でしょう?」

 

 マーサの手が伸びてベントナの白い研究服の襟元を直す。ほのかに香大人の色香と香水の香りがベントナの思考を麻痺させる。

 

「一研究員に過ぎない私にお声をかけてくださったことは感謝しております。研究に参加できるだけでも非常に光栄に思っております、ミセス・カーバイン。彼女は人類の宝……遺産となるでしょう。今後も彼女の遺伝子の研究が進めば大きな利益をアナハイム……ビストに提供することができる」

「利益だけではないわ。私たちは世界そのものを手にする。これから降りるオーガスタの研究所の所長だって夢ではないわよ?」

「み、身に余る光栄です」

 

 小柄な体を縮こませてベントナは返事を返した。

 細い針がベッドの内部から伸びてリズエラの肌に注入される。投薬量を増やした睡眠薬がリズエラをより深く眠らせる。

 

「終わりました」

「ご苦労様。あなたも休むといいわ」

 

 暗く閉ざされた世界でリズエラはその声をはるか遠くに聞いていた。

 

 

 鋼鉄のコクピットでシャアはパイロットスーツ越しに伝わってくる艦内の空気を感じ取る。

 軍に招集されるパイロットはコクピットに自分の私物を持ち込む習慣がある。軍規定では禁止されていることだが、それを頑なに守る者の方が少ない。

 家族や恋人の写真が筆頭だ。肌身離さずに側に置いておきたいという心情は、この宇宙という無情の空間に生きる者たちにとって大きな心の拠り所であった。

 そうしたものを持ち込むことを軍の監督官は黙認することの方が多かった。彼らにとってもそういう心情は深く理解できたからだ。

 ザクのテストパイロットとして基地で訓練していた男たちも何がしかの形でそういったものを持ち込んだ。

 

 シャアにはコクピットに飾るような家族の写真は存在しない。

 家族は奪われた。その仇の元で雌伏の時を過ごしている。正体を偽り復讐の刃を懐に隠して。

 アルテイシア──

 だからこそ、そのようなものは存在しなかった。守るべきものすら心の底に葬って「彼」はここにいる。

 キャスバル・レム・ダイクンでもエドワウ・マスでもないこの顔がシャア・アズナブルという仮面こそが今の自分だ。戻る道は存在しない。

 ふと沸いた過去への感傷めいたモノを瞳を映さぬ仮面の内に消し去っていた。

 

 作戦はじきに開始されようとしている。シャアは乾いた唇を唾で湿らせた。

 秘密任務に就く艦内には作戦開始前の緊迫感が漂っている。最中、シャアはザクのコクピットで待機を命じられている。

 その時間もこの身に受けた屈辱に耐える日々を思えば短いものだ。

 雪辱となった月での戦いの後、基地に戻ったシャアは待機を命じられた。降格も除名も、何の処分もないままに過ごした。

 かといって自由にできるわけもなく基地での待機となった。

 家族や友人に連絡を取ることは禁じられていた。もう一月はララァの顔を見ていない。あの娘は今は何をしているのだろう?

 

「白い奴か……ララァの言ったとおりになった。あの子には不思議な力がある」

 

 一月前に港で交わしたララァの言葉を思い出す。

 ララァの予知めいた言葉。何かのビジョン、そういったものを感じ取れる力が彼女にはある。その力で一度はシャアの命を救ってもいる。

 月面の戦い。シャアの乗る赤いザクと対峙した敵モビルスーツとの戦闘を思い出すと今でも身震いを覚えるほどだ。

 性能差だけではない、圧倒的な「何か」を感じた。

 恐怖に飲み込まれたわけではない。恐れが自分の中にいもしない怪物を生み出したわけではない。

 

「ニュータイプ……感じたものはそれか?」

 

 極度に緊張感を強いられる宇宙空間の戦場では、被験者が受ける精神的なストレスからPTSDを発症することもある。

 専門医師の判定を受けて、その心配はないと判断されて、今再び任務を与えられザクに搭乗していた。

 古びた輸送船を改装した艦内のハンガーデッキに詰め込まれたMSザクは計五機だ。

 何の因果かラル、ガイア、オルテガ、マッシュと同じメンバーでの任務を与えられシャアはここにいる。

 再起の機会があるということは、まだ私にも運があるということだ。その運をここで掴む。もし奴が出てきたとしてももう二度と敗北はしない。

 どのような作戦であろうと奴を捕まえて見せよう。

 

『各パイロット準備はいいか? 目標を捕捉した。標的の鹵獲作戦を開始する。諸君にジオンの栄光あれ』

 

 船内放送がオープンになり、静かだった艦内がとたんに慌ただしくなる。

 

 

 偽装輸送船パーミッシュは、つい先日まで本物の商業輸送船としてコロニーや月間の物資輸送の仕事をしていた船だ。

 それがジオンに徴用協力という形で没収され、MSを積んで軍事任務に就いている。乗組員はごっそりとジオン軍人と入れ替えられてだ。

 商船としての登録は本物であるが、にわか商船の艦長が着るのはジオンの軍服だ。

 

「目標を確認。追尾を開始します」

「船足を落とせ。勘繰られるなよ」

 

 パーミッシュは最大速度を落とし目標とのランデヴー地点へ向かう。距離を千キロから数百キロに縮め、そこからの距離はほぼ隣行するようなものだ。

 

「相手は輸送船だがこっちの足もそう速くないからな。何せこっちの方が重い。荷物の分とガタイの大きさがある」

「了解」

 

 警戒感を与えないという点においてパーミッシュは合格点だ。ここまでの流れではだ。

 

「接触、五分二十秒後」

「ミノフスキー粒子を散布開始しろ」

「ミノフスキー粒子散布します」

「よし全速で行け」

「エンジン全開、全速発進!」

 

 標的に向けてパーミッシュはエンジンに火を点す。船内のパイロットたちが放送を聞いたのはこの時だった。

 偽船長がマイクを握る。

 

「各パイロット準備はいいか? 目標を捕捉した。標的の鹵獲作戦を開始する。諸君にジオンの栄光あれ」

 

 民間船を改造したものなので、MSを宇宙に押し出すカタパルトデッキなどは存在しない。各機が順番に飛び立つ。

 指揮を執るのはランバ・ラル大尉だ。残りの三人は見知った顔ぶれである。

 シャアと同じく彼らも待機を命じられている間は同じ境遇だった。とはいえ特定の隊員と親交が深まったわけでもない。

 

『各員、フォーメーションは崩すなよ。連邦のモビルスーツが出てくる可能性もある』

 

 ミノフスキー粒子散布下だがMS同士で接触した「触れあい回線」は通じる。

 

『あの旧型のキャノンタイプなら話にならんがな』

 

 ガンキャノンへの侮りをオルテガが口にする。

 実際、ザクを前にガンキャノンは無力に等しかった。

 

『オルテガ、恨み返しは考えるなよ。今回の任務は敵モビルスーツの拿捕だ。極力無傷で手に入れたい。飛び道具には気を付けろ』

『へいへい、わかってますよ』

 

 ガイアの諭にオルテガが首をすくめる。

 

『その前に片をつければいいでしょう。出てくる前に終われば言うことなしですが』

 

 不安を隠した言葉をマッシュが発する。

 

『相手の出方次第だ。モビルスーツを出してくるようなら手筈通りに対処する。宇宙は俺たちのテリトリーだ。こっちには仕掛けがある。各自、自分たちの仕事を完遂しろ』

 

 隊長のラルに了解、と全員の返事が返る。動き出すチーム。ザクが順次に飛び立つ。

 シャアの番になってマッシュが声をかけた。

 

『シャア、また特攻で壊すなよ』

「そうならぬよう気を付けます」

 

 そう返したシャアが飛び立ちザクチームが作戦行動を開始する。目標はメサイアの鹵獲である。

 

「船長殿、降伏を勧告しますか?」

「降伏? 降伏ねえ……」

 

 返事など面倒と帽子を手で掴んで船長はヒゲ面を震わせる。

 

「接敵して即制圧行動に出てるのに勧告もあったもんじゃないだろ。そんなことする海賊がいるか? いいか、俺たちはお宝を前にしてそれを奪いに来た海賊だ。海賊は勧告なんかしねえ、欲しいものがあれば奪い取るだけだ。昔の海賊はそうだったんだよ。文面はいらねえんだ。降伏しろってのは鼻先に銃口突き付けて言うもんさ」

「了解。じゃ、一発かましてやりましょう」

 

 宇宙空間に飛び出した五機のザクが軌跡を描いてAEの輸送船に迫る──

 

 

 サイド7から出港したアナハイム船籍の輸送船が予定通りの巡行航路を航行しながら地球を目指す。

 窓から見えるその先にある青い惑星の姿は遠くからでもはっきり見ることができた。地球時間では今は早朝を迎えた頃だろう。 

 

「地球……」

 

 ニムエの中にある地上での最後の記憶は赤かった。それは血塗られた赤だ。煙る黒い揺らぎの向こう側に見える真っ赤な炎だった。

 ──燃え盛る村、炎に包まれた世界で二人の男が拳銃を向けあう姿がある。破れ、汚れた連邦軍の制服を着る男の腕の中に赤毛の少女が抱かれている。

 それが私だ。今の自分になる前の何もかも失った私だ。その頃の私はアンジェカと呼ばれていた。

 小さなアンジェカは何も知らず、何も知ろうとしなかった。父が反連邦ゲリラの一員だということを。

 銃を向けるのは同じ連邦の制服を着た士官だ。

 ビスト家の当主カーディアス・ビスト。今よりも若く青年期を脱した軍人の顔でガエルに銃を向けている。

 私の住んでいた村は連邦軍の特殊部隊によって焼き払われた。テロリストを匿い、武器の密輸を助けていたという容疑で。

 でもそんな事実は知らなかった。平和で何もない村。誰かが来ては通り過ぎていくような土地にある小さな村だ。

 父親は村で商店を開いて生計を立てていた。生活に必要な雑貨を扱う店。

 貧しいけれど家族みんなが優しかった。

 その生活は突然踏みにじられ、焼き払われた。たった一つの命令で村の人たちと家族全員の命が奪われた。

 地球連邦はテロリストに対して容赦することを知らない。テロリストに関わる者すべてを排除という命令が出されていた。

 その命令に逆らったガエルがどのような処分を受けるか? テロリストを守る者に軍が行う行動は粛清のみだ。

 カーディアス・ビストが命令を忠実に実行する男であったならば二人ともその場で死んでいたことだろう。

 だが、そうはならなかった。村の唯一の生き残りが私だ。ガエル・チャンが死にかけた私の命を拾い、当主様がすべてを投げうって私たち二人を逃がした。

 ──そして一〇年という歳月が経って今の私がいる。過去の名前はもう忘れた。今はニムエだ。あの人が与えてくれた名前。 

 

「ここにいたのか。メサイアの調整をしたいと班長が呼んでいたぞ」

 

 ニムエにクリスが話しかけて横に並んだ。先ほどまでハンガーにいたニムエはパイロットスーツ姿のままだ。

 メサイア用に開発されたスーツにAEのロゴは入っていないが、MS用パイロットスーツの運用実績はAEの新型スーツに採用されている。

 メサイア計画によって造られた物は部品一つに至るまでアナハイムとビストの共有財産として扱われている。連邦と提携するMS開発計画は、ビストの新規事業としてこれからも継続していくことになるはずだ。

 多大な利益を生む産業に深く入り込むことでメサイアにかけた費用以上の利益をビストは受け取る──

 その道具の一つとして在ることをニムエは考えることをしない。自分がここにいるのは与えられた役目を全うするためだ。

 ニムエの足元にはリズエラのハロが転がっている。リズエラが眠る間のお世話はニムエの役割だ。

 

「降りてからでもいいんじゃありません? ここは宇宙だもの、メサイアの調整なんか私にはできませんよ」

「そうだね、リズも籠の中だしな」

 

 籠という言葉に眉を寄せたニムエが隣のクリスを見返す。

 研究所のベントナとマーサがリズエラを拘束している。そのことに口出しをする権限はニムエにはない。

 

「あの人たちは好きません。当主様の妹だからって好き放題し過ぎよ」 

「かもな……地上に降りればモビルスーツに懐疑的な連中も考えを改める、というが地上でのメサイアのデータが欲しい」

「クリスはぶれないよねえ……」

「早くついてほしいよ」

 

 ニムエを横目にクリスは窓から見える地球を一瞥する。アナハイムの船が地球に向けて降下するまでまだ時間があった。

 地上用に仕様変更したメサイア二機を載せてMS模擬戦を披露するという名目で地上基地に降り立つ予定だ。

 公式上存在しないMSを公開するという決定を下した上層部の意図はメサイア計画に組み込まれているものなのか……

 メサイア計画に深く関わるクリスには計画外の意思を感じさせるものだ。元々の計画にない決定。

 すべての指示を女王然としたマーサ・ビストが出している。

 地上のお披露目もマーサが首脳陣を動かしたのではないか? わからぬ人だ──

  

「君は地球出身だろう? 故郷は懐かしい?」

「いいえ、懐かしくありません。故郷はもうありませんから」

 

 すべてが失われた一〇年前の過去はクリスにもリズエラにも話したことはない。

 

「そう……でも、帰る家はあるだろう?」

「家ですか……」

「メガラニカが家ではないのか?」

「家族はいませんから」

 

 あまり考えたことはなかった。家などいらなかった。

 ただ、あの人がいる場所にいられさえすればよかった。それが家というのならば私の帰るべき家があるのだろう。

 家族を殺した連邦を許したわけではない。でも全部が憎いわけではない。軍人は命令に従うしかないのだ。

 ニムエが嫌いなのは、上から命令を下し、自分たちは手を汚さない人たちである。きれいごとを言いながら人を死に追いやるような輩だ

 

「ねぇ、クリスを待っている人はいるの?」

「家族以外でという意味を含んだ質問かい?」

「ストレートに答えてほしーんですけどぉ」

「いないよ、私の恋人は自分の研究だ。それ以外打ち込むことを知らないし、技術オタクなんだよ」                                   

「モスクさんにデートに誘われてたじゃないですかー?」

「な」

 

 ニムエは一瞬のクリスの表情の変化を見逃さない。この天才科学者を動揺させることができたなら一本勝ちである。

 

「プライべートなことに答えたくないな」

 

 視線をそらし、腕を組んで質問をガードするクリスにわかりやすいと二ムエが頭の中で注釈をつける。

 

「ふうん、そうですかぁ。じゃあ、私がデートしちゃうかも」

「好きにしたらいい」

「私のタイプじゃないんです」

 

 期待より食いついてこないクリスの返しに頬を膨らませて窓辺に肘をつく。そのとき艦内に鳴り響いた警報にニムエはバランスを崩した。

 

「アラートか」

「緊急警報ですよ!」

 

 弾けるようにニムエが走る背にクリスの声が追った。

 

「どこへ?」

「ブリッジっ!」

 

 振り返ったニムエがエレベーターのボタンを押す。追ってきたハロはニムエに蹴飛ばされクリスの元へ漂った。

 

「痛い、痛い!」

 

 上がった先は船のブリッジだ。ニムエは船内のざわめく声を聞いた。ぴりついた緊迫感を感じ取ってニムエの表情も硬くなる。

 

「ジオンのモビルスーツだって!?」

「ジオン?」

 

 すでにレーダーは沈黙し使い物にならなくなっている。スクリーンにカメラからの姿が映し出される。

 数機のMS姿が映し出された。後方からこの船に迫っている。

 非戦闘艦であるこの船には砲台も戦闘機も積んでいない。

 そんなバカなことってある? ニムエの目に映る乗組員の反応は素人そのものだ。

 

「この宙域で嘘だろ? 連中、戦争でも仕掛けるつもりか? 連邦の管轄内だぞ!」

「応援を呼べないのか?」

「無理だ、通信が遮断されて……」

「ザクね、応援なんて呼んでも遅い」

 

 吐き捨てたニムエがすぐに身を翻す。その呟きを聞いていたオペレーターが声をかける。

 

「おい、あんた、どこへ行くんだっ!?」

「ジオンの好きにはさせられないでしょう! モビルスーツならこっちにもある!」

「どうするつもりだよ?」

「出てあいつらを追い払うのよ!」

「追い払うって、あんたよせ──」

 

 最後まで聞かずニムエは動いた。

 はやる気持ちに焦りを覚えながらニムエはハンガーに向かった。警報は鳴りやんでいたが艦内の雑音は混乱に満ちたものだった。

 調整後のメサイアのハッチに取りついたニムエを整備班の一人が見とがめる。赴任したばかりの若い整備員だ。 

 

「何やってるんだ! あんたっ!?」

 

 下からの声を無視し、ニムエはメサイアに乗り込む。

 

「私が守らなくちゃ……私が守るんだ。武器……ライフルは持っていかなきゃ」

 

 起動オペレーションが立ち上がりパイロット認証される。その青い光が緊張しきったニムエの顔を照らし出す。

 メサイアに火が灯りエンジン音を唸らせて起動した。

 機体の震動がメサイアのニムエを小刻みに揺さぶった。フレームから伝わるのは若干いつもと違う感覚だ。

 

「ちゃんと動いてよね」

 

 行ける。大丈夫。私は行ける。何とかして見せる──

 エンジンと同様に震える鼓動を落ち着かせようと唾を飲み込んだ。

 ドキドキは止まらない。こんなとき近くにいて落ち着かせてくれるいつもの声がないことに動揺している。

 誰か私を落ち着かせてよ!

 

「おい、話を聞けって!」

 

 正面飛びこんできた声がニムエを苛立たせる。さっきの整備員が開いたままのハッチに取りついて視界に入った。

 

「おい、ブリッジっ! メサイアを止めろよ!」

「そこをどいてっ!」

 

 ニムエの前で怒鳴る新米の整備員の名前までは憶えていない。アストナージといったが今は名前どころではない。

 

「無茶言うなっ! 再調整しなきゃ無理だ!」

「じゃあ、再調整してよっ!」

「バカ言ってんじゃねえの! そんな時間ねえよ! 仕様変えるのだって何時間もかけてるんだ!」

「あなた、今、バカって言った!?」 

「人の話聞いてんのかっ!?」

 

 噛みつく勢いのニムエにむっとなったアストナージが言い返す。

 

「そんな暇ないから! どいて、あそこのハッチを開けて! 敵が来てるのよ!」

 

 ニムエの指が船外に出る大きなハッチを指し示す。

 

「敵って……戦争する気かよ!」

「向こうが仕掛けてきてるんじゃないっ! 死にたくないなら開けてっ!」

「ああ、くそっ! 開けりゃいいんだろっ!」

 

 メサイアが立ち上がり、掴まっていられずにアストナージが離れた。低重力を漂ってヘルメットをかぶるとハッチの開閉装置へと跳んだ。

 ビームライフルを手にしたメサイアが背後で動く。

 

『おい、そこやめさせろ! 交渉で時間を稼ぐ! メサイアを出させるな!』

 

 ハンガーデッキに響く声に対処できる者はいない。アストナージは舌打ちする。誰と交渉するって?

 

「もう遅いよっ! 同期データの修正さえできてないんだぞ! どうにか応援を呼んでくれ!」

 

 アストナージがマイクに向かって叫ぶ。

 

『馬鹿を言うな! 通信が遮断されてるんだぞ!』

「じゃー何もするなってのか! ハッチ開くぞ、全員退避っ!」

 

 輸送船のハッチが開き純白のメサイアの姿が宇宙空間に露わになる。ザクの位置を補足しようとカメラのセンサーを走らせる。

 わずか一〇キロほど先にザクの機影があった。

 

「あいつらにめちゃくちゃさせない。できる。私はできる!」

 

 操縦桿を握る手に力がこもる。ビームライフルのエネルギーパックはこれだけだ。

 注意をこちらに引き付けなければ──



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14話

このシーン書くのになぜか一年かかった件


 閃光がほとばしるシーンを見た。それは夢か、現のことなのか── 

 柔らかい緑の光に包まれてリズエラは眠る。現実世界から切り離され浮遊する感覚に意識が揺らぐ。

 胎児のように体を丸めて、外世界で起きるあらゆる音もここには届かない。

 そのたゆたう檻の中で突然に「声」を聞いた。

 そのざわめきは空間に波紋をもたらして広がった。意識は浮上するが、肉体は覚醒せず鈍い反応のみを返してくる。

 薬物によって精神と肉体が乖離している。

 

『彼が来る──』

 

 彼……?

 それは誰?

 眩い太陽の光が差し込むビジョンが浮かんだ。

 青い空の下、風を受けて金色の髪を揺らす青年。青い二つの瞳を持つ若者の傍らに彼より年下のワンピース姿の少女が立つ。 

 それは自分の記憶なのか? それとも誰かの記憶なのだろうか?

 虚空の果てから、不意に多くのビジョンが突き抜けて自我存在を揺さぶった。

 ここにいて見ることはあり得ないビジョンばかりが通り過ぎていく。

 幾万もの記憶と人生の渦。宇宙に広がる意思の集合体──

 

『彼はシャア・アズナブル──』

 

 その名は知っている。光の波が彼の記憶を「私」の中に呼び覚ました。

 エドワウ・マス。

 キャスバル・レム・ダイクン。

 仮面の復讐者。シャア……

 手を伸ばそうとも届かぬ虚空の彼方に「今」の彼はいる。それを既知として「知って」いた。

 

『世界は変革する。この世界にもたらされたモノによって』

 

 先も見た閃光が走って暗い空間に消える。

 無骨な鉄のボディを持つマシン・ザク数機が輸送船に迫る。

 起動するメサイア。

 決意のニムエ。

 叫ぶ若者。

 照準の定まらないビームライフルが狙いを外して宙に消える。

 周囲を囲まれて輸送船を標的にされ判断を喪失するニムエ。

 

『やらせないっ!』

 

 鹵獲のために射出された網がメサイアを捉え強力な電撃が襲い掛かった。

 声にならぬニムエの叫びが聞こえたような気がした。

 それが現実のように焼き切れるニムエの意識と同調した。

 

『目標を確保──』

 

 ノイズ交じりに太い男の声を聞く。

 これは夢?

 これはまだ、これから起きる出来事なのだとリズエラは理解した。

 

(ニムエ……)

 

 意識は突如覚醒する。薬によって鈍った五感が突如に目覚める。

 裸身であることを意識し、二の腕に触れた。ベッドは一定の温度保たれているが、知覚する世界は寒かった。

 機械が作動する電子音を聞く。動けぬリズエラに中和薬が投与され注射器が自動で収納される音だった。

 

「──中和薬を投与した。もう動けるでしょう?」

 

 その声の後、ゆっくりと瞬きをする。自らを縛る檻、ベッドの中で緑光のガラスの向こうに誰かがいる。

 

(クリス?)

 

 そう認識した声の主は藍色の髪の乙女だ。ピンクとブラックのファティマスーツのラキシスの姿だ。

 知っているようで知らない存在がそこにいた。

 ジョーカー星団における記憶をすべて失い、宇宙世紀の時代に覚醒したリズエラはラキシスを知らない。

 かつては守り、救出する対象であったが、ここに在るラキシスは栗色のラキシスではない。

 藍色のラキシスの存在をかつてのリズエラは知る由もなかった。

 

「起きて」

「はい……」

 

 見上げる形でラキシスと対峙する。クリスと姿形は同じだが異質な神々しさを振りまいている。人知を超えた存在だと知覚する。

 薬物によって麻痺した交感回路が開くのを感じる。

 自然回復に任せるには時間がかかりすぎるが、回路神経に干渉して眠る肉体をリズエラは無理やり起こした。

 いまだに眠っているに等しい体をリズエラは「操作」する。

 かなりの睡眠薬を投与され、中和薬も効いているが、今のリズエラでは自分の体を動かす程度の力を出すのがやっとだった。

 ベッドを包む保護ガラスが開閉しその淵に指先が絡む。裸身を冷たい空気にさらしベッドから降りた。

 起伏の乏しい女の体を目の前の女にさらすことに戸惑いを感じた。

 恥ずかしい? これが恥ずかしいということ……ふと胸の内に沸いた感情に戸惑いを見せる。

 ラキシスが差し出す自分の服を受け取った。

 

「あなたは、誰ですか?」

 

 いつものマントに宇宙のスーツだ。それを胸に抱いて彼女に向き直る。

 

「君が見ているのはもう一人の「私」だ」

 

 クリスの口調でラキシスが答えた。

 

「クリス博士ではないのね……」

「投与された薬が多すぎて中和薬では散らしきれない。これ以上の中和薬の投与は無駄になるし毒だ。後は自分でどうにかなさい」

「はい。どうして私に?」

 

 怜悧な瞳がリズエラを見返して沈黙で答えた。それ以上問うことはやめてリズエラは着替える。

 着替えながら、ベッドの後ろ側に白衣の男が倒れているのを見た。白衣の男はベントナだった。

 死んではいない、昏倒しているだけだと判断する。

 

「行って。あなたのやるべきことをなさい」

「はい……」

 

 ラキシスに促され、通路にさまよい出た肉体を精神でコントロールしながらリズエラはゆっくりと歩きだす。

 向かうのはメサイアがあるハンガーデッキだ。宇宙に出るためのスーツに着替えもしなければならない。

 完全な肉体のコントロールは不可能。麻痺した回路を刺激し続けてどうにか肉体を動かしている。

 体は半覚醒状態でやっと起きているに過ぎない。完全に薬を抜くには丸一日はかかるだろう。

 今の体は子どもにすら抗えないくらい弱っている。

 緊急警報が鳴っている。見たビジョンはこれから起こるもの……いや、現在進行形で進んでいた。

 ──それはメサイアが奪われるビジョンだ。

 

◆ 

 

 月で圧倒的な戦闘力を発揮した角突きが、こうもあっけなく鹵獲できるとは……ランバ・ラルはじめチームのメンバーの誰も思ってもいなかったことであった。

 事前の作戦会議で、直接の指揮官であるドズルが「角突き強奪」作戦を指示し、キシリア機関による諜報で得られた情報がラルチームにもたらされた。

 輸送船の航路情報から、角突きが地上用仕様に換装しているタイミングまで抑えた完璧な作戦は、鹵獲するのに失敗する材料がないと言える内容だった。

 編成されたザクはプロトタイプ機が混じったが、この作戦においてはそれで事足りるという判断だったのだろう。

 すべてがお膳立てされていたことに拍子抜けしながらも、ラルは捕獲命令を下した。

 宇宙空間に漂う機体にザクが近づく。メサイアを襲ったエネルギーは拡散して消えているが、激しい熱にさらされた部分は黒い筋となって残った。

 シャアの機体がメサイアを正面から捕らえた。

 

「降ります。警戒お願いします」

 

 ザクを固定させてシャアが宇宙に出る。その手にあるのはハッチの強制解除装置だ。沈黙したMSのハッチを開くには外からの干渉が必要だ。

 装置を起動させて中のロックを外す。銃を手に構え、開いたハッチ内部のコクピットルームに気絶したパイロットスーツの少女の姿を見た。

 この女があの時の相手だろうか?

 

「開きました。パイロットは確保」

「パイロットは生きているか?」

 

 抱えたニムエをヘルメット越しに一瞥する。ザクであれば無事では済まなかったであろう攻撃を加えたのだ。

 電撃で死亡していればもっと無残な姿であっただろうが、わずかな鼓動をスーツ越しに感じとった。

 

「息はあります」

「シャア、パイロットも回収しろ」

「了解。離れるので角突きの回収願います」

「よし、ガイアとオルテガは角突きを確保。すぐにこの宙域を離脱する」

「了解」

 

 シャアは乗り手を失ったメサイアをガイアたちのザクが確保するのを見届ける。

 多勢に無勢。なおかつ地上戦仕様の機体を宇宙空間で動かすことの無謀さの結果だった。

 月であれほどの機動力と性能を見せつけたマシンも狂った制御システムの前に敗北することとなった。

 ニムエは輸送船に向けられた複数の銃口を前になすすべもなくライフルを放棄せざるを得なかったのだ。

 守るべきものを前に降伏しなければ船は破壊される。ニムエはほぞをかんで無抵抗をさらした。

 そこにラル隊が放った網がメサイアに絡みついて大量の電磁波を浴びせた。

 もしこれがザクのコクピットであったならば中のパイロットもろとも即死だったろう。

 メサイアの全天球卵型のシェルに内蔵されたジェルがコクピットへの電磁干渉を最小限に抑えたのだ。

 

「やはり出てはこないか……」

 

 最も警戒すべき、シャアに恐怖を与えたパイロットともう一機のメサイアは出てこない。

 作戦前のブリーフィングでその可能性はないと断言された。アナハイム内部のジオン協力者が抑えているという。

 腕に抱えた女は人質だ。生存は想定外だが、生きているのであれば利用価値はある。

 ラルもそう判断して人質を持ち帰ることを指示したのだ。

 

「帰投します」

 

 すでに宙域を離れる味方機を追ってシャアのザクが発進する。向かうのはパーミッシュとのランデブー地点だ。

 

 

 メサイアがザク数機になぶられ、銃口が輸送船に向けられたことで船内は大きなパニックに陥った。

 敵からの降伏の宣告はない。このままでは撃たれると、降伏を脳裏に浮かべた者は一人、二人ではなかった。

 あまりにも手際が良すぎる。かつ、こちらが完全無防備にあることを知るのはメサイア計画に関わるわずかな人々のみだ。

 その一人であるマーサは腕を組んだまま拿捕されたメサイアを眺める。その姿に口出しできる者はこの場にはいない。

 ただ一人、マーサに不審の目を向けるのはウォン・リーのみだ。

 

「何を考えている。マーサ・ビスト……」

 

 憶測のみで確かな証拠もない。だが、この女が裏で手を引いているのではないか? という勘には確信めいたものを感じていた。

 ビスト家の者は信じることはできない。

 当主は傑物だが、この女は毒だ。アナハイムに巣くう毒蛇。その毒がいつしか身を亡ぼす毒になりはしないだろうか?

 舵取りをするのは会長だ。その会長が毒蛇を制御することができなければ、右腕として毒蛇の頭を叩き潰すのが自分の役目になるかもしれない。

 

「つくづく損な役割だな。まったく……」

 

 

 そしてデッキではアストナージが一人奮闘していた。彼が乗り込もうとしているのははしけ用のシャトルだ。

 スピードは出るが、長距離の飛行には適していない。

 

「捕まっちまったぞ。連れていかれる!」

「お前、何するつもりだよ?」

「みすみすモビルスーツを取られて黙ってられるかよ!」

「お前、軍人じゃないだろう? シャトル操縦できるのか?」

「操縦くらいどうってことないさ。メカニックだぞ」

「無茶苦茶言うなよ、バカっ!」

 

 アストナージはシャトルのキャノピーに手をかける同僚の手を払おうとして、二人は取っつかみ合いになる。

 

「待って──」

 

 二人の前にリズエラが立った。宇宙に出るスーツに着替えているが、その可憐で美しい様を白のスーツがより引き立てているように思えた。

 

「あんた……」

 

 思わず見とれたアストナージがリズエラを見上げる。

 

「ニムエが捕まりました。私が追って取り返します」

「取り返すたってこいつに武装は……」

「お願いします……すぐに追いかけないと。今の私にあの子は動かせないから」

 

 その視線の先にはメサイアがある。本来の十分の一以下も力を発揮できない状態で、コントロールも定まらない機体で出ることは自殺行為に等しい。

 今の力でも戦うことは可能かもしれない──

 だが、自分だけならともかく、このメサイアだけは失うわけにはいかなかった。敵は決して容赦しないのだから。

 リズエラは自らの能力を過信しない。今の自分にできるのは追いかけることだけだ。

 下手な武装はニムエの命を危険にさらす。それだけはあってはならなかった。

 

「任せていいのか?」

「はい」

 

 躊躇いなく頷いたリズエラにアストナージは席を彼女に譲って降りる。

 

「ハロ! ハロ!」

 

 リズエラがシャトルに乗り込むと同時にハロがコクピットに飛び込んでくる。

 

「ハロ……」

 

 ハロを受け止める。思ってもいない増援だ。

 

「何やってんだよ、アストナージ! 行かせていいのかよ」

「おい、ハッチの開閉頼むぞ!」

「ああくそ、わかったよ!」 

 

 アストナージが指示を出して同僚が跳んでいく。

 

「ごめんよ、俺があの子をちゃんと止めなかったから……」

「あなたが謝らなくていい。あの子は止めてもきっと聞かなかったから、ありがとう」 

「あ、ああ」

 

 キャノピーからアストナージが離れ、窓が閉まってシャトルのエンジンがかかる。

 シャトルが発進する。その姿をアストナージと整備班が見送った。

 

『誰がシャトル発進の許可を出したというの! なぜ彼女があそこにいるのっ!』

「知ったことかよ」

 

 艦内放送がヒステリックな声を響かせる。

 リズエラの姿を見て驚愕したマーサの声だった。

 それを聞いてアストナージと同僚は知ったことか、と呟いて自分の仕事に戻る。

 

 

 メサイアを鹵獲したラルチームは荷物を抱えての航行で足が遅い。

 他に追ってこれるような増援を呼ぶことも、戦力もアナハイムが保有していないことは確認済みだ。

 仮にもう一機の角突きが現れたとしても、対処は可能と判断するに足る戦績を挙げている。

 護衛としてシャアが警戒に当たる。ミノフスキー粒子も薄れ通信機能も回復していた。

 チームの緊張感が薄れかけたとき、レーダーに迫る影を捉えシャアが報告する。

 リズエラが乗るシャトルだ。武装はなく、一緒に搭乗するのはハロのみ。

 

「ラル隊長、追手ですがシャトルです。落としますか?」

「武装しているのか?」

「わかりませんが自分が対処します」

 

 わずかな間に応えが帰る。

 

「シャア、任せる。我々は捕獲したモビルスーツを運ぶ。妨害する素振りがあればすぐに撃墜しろ」

「了解」

 

 ラル隊と並行していたシャアのザクが戦列から離れる。コクピットには気を失ったニムエがいる。

 捕縛に当たっての縄も手錠もない。人質を取ることを前提とした作戦ではなかったのだから当然だ。

 鹵獲するのはメサイアのみというのが作戦で、パイロットは考慮に入れられていない。パイロットは損耗品として扱われるのが軍の常だ。

 

「ん……」

 

 わずかな反応で人質が目を覚ましたことにシャアは気が付くと、銃口を目に見える位置にかざす。

 

「角突きのパイロット。君は私の人質になっている。下手なことは考えないように」

「……」

 

 言葉なくニムエはシャアを見返した。気の強い瞳が物怖じしていないな、とシャアに感心をもたらす。

 だが軍人ではなかろう。

 

「健気にもシャトルで私たちを追いかけているのは君の友達かな?」

「知らないわ……」

 

 ニムエが怖いのは銃のみだ。格闘で男をねじ伏せる力はない。それは自覚しているので、ここで暴れ回るような醜態は晒さなかった。

 

「あんなもの一機でどうしようというのだ? そこのシャトル聞こえているな」

 

 通信を開きシグナルを送って会話を試みる。

 

「人質を解放してください」

「女か……」

 

 その返事にシャアが予想外の返事と捉え、ニムエが顔を上げる。リズエラの声だった。

 

「リズエラ様」

「様?」

 

 聞き返したシャアにニムエは視線を逸らす。

 

「そこにニムエがいるのですね?」

 

 淡々と冷静な声が響く。

 

「どうやら君たちはお互いが大事な存在らしい。何の武装もせずにシャトルだけで追いかけてくるとはね。興味深い。聞かせてくれ、君はあの白い角突きのパイロットなのかい?」

「そうです」

 

 半ば試しのつもりの質問に帰ってきたのは率直な答えだった。若い、と思った。

 

「私はいま人質の頭に銃口を向けている。私たちの妨害をするつもりであれば彼女の命はない。理解したかな?」

「ニムエを……返してください。こちらの目的は一つだけです」

「それが君の望みか?」

「そうです」

「では、奪われたモビルスーツはどうする?」

「人命に換えるつもりはありません」

「度胸の良い人だ。信じてもいい。この少女は君にとって大事な人かな?」

 

 大事な人──

 胸の内に浮かんだのはアムロの顔だ。

 そして赤毛のニムエの顔も。

 ウォンさんもクリス博士もいた。

 インダストリアル7での初めての出会いから数年があっという間に過ぎ去った。

 いつの間にか、私にはそこにいなければならない人たちがいた。

 こんなにもたくさん……

 なぜこんなに胸が締め付けられるのだろう。

 これが大事という気持ちなの?

 必要だから、という言葉一つだけで説明できなかった。

 この気持ちは何なのだろう?

 

「ニムエは……必要な人です。私にはとても大事な人」

「私なんかをどうして……」

 

 ニムエは震えた。

 勝手なことをして、大事なものを奪われた。この数年間をリズエラ様と共にしたメサイアを奪われたのだ。

 責められて当然。罰を受けて然るべきことだ。

 自分が帰る場所。これまではガエルがそこにいればよかった。そうだとずっと思っていた。

 帰る場所。そこにいてほしい人は彼一人だけではなかった。いつの間に、こんなに、私は弱くなっていたのだろう。

 

「ここまで追ってきた君の律義さに免じて解放するとも。しかし、追うのはここまでにしてもらおうか」

「わかりました……追いません」

 

 シャアの言葉のままにシャトルのエンジンを切って迂回して旋回する機動を作った。

 

「悪いが丁重に送り届けることはできない。今、ここで渡す。いいかな?」

「わかりました。要求を飲みましょう」

 

 通信を切りシャアがニムエに救急用の発信機を渡す。

 

「ニムエと言ったね、ここで君を放り出すことにする。これを絶対に離すな」

「はい……」

 

 ニムエは命綱となる機器を受け取る。

 

「もう聞いたことだが、彼女があの白い角突きのもう一人のパイロットで間違いないね?」

「そうだとしたら?」

「彼女には借りがある。恩と言ってもいいだろう」

 

 屈辱の敗北を受け、私は生き残った。だが、それは一筋の光明となった。それは彼女が見せた光と言っていいだろう。

 もし戦場で会うことがあればもう二度目はない。

 

「それ、どういう──」

「語る時間はない。彼女が受け止めてくれることを祈れ。その発信機が命綱だ」

「待って──」

 

 ザクのハッチが開き、ニムエの言葉を待たずシャアの手がその体を押し出していた。

 ニムエの体が宇宙空間に放り出される。あっという間にザクからその身が離れていく。

 起動したザクがバーニアを噴射して宙域を離れていく。

 宇宙空間に放り出された驚きと、次にやってくるのは整理のつかぬ感情の波だった。

 生存本能と恐怖がせめぎ合い、どこが上か下かもわからぬ世界でニムエは必死にシャトルを探した。

 

「リズ……!」

 

 体の芯まで凍り付かせてくる宇宙を感じてニムエは虚空に手を伸ばした。このままでは遠く離れすぎて見つけられないかもしれない。

 発信機のライトをつけると、手元で点滅を繰り返すそれを唯一の希望にして何度も振った。

 

「予測地点。旋回。ニムエ、そのまま真っすぐ」

 

 ハロにシャトルの自動制御を任せ、旋回して目標座標にセットする。

 ニムエを追いかける形で背負ったバーニアを噴射させてリズエラは跳んだ。わずかでも狂えばニムエは宇宙をさまよう迷子となってしまう。

 加速してニムエを追った。そしてバーニアをいったん逆噴射させて減速し速度を緩める。お互いの距離が徐々に縮まっていく。

 リスエラが計算したランデブーポイント。チャンスは一度だけ。それはほんの数秒の間。

 

「ニムエ」

「リズ!」

 

 相対速度が二人を向かい合わせた。

 振り向いたニムエが手を伸ばす。リズエラの手がその指先に触れた瞬間にニムエの体を引き寄せて捕まえていた。

 

「来てくれた……来てくれた!」

「来たよ。帰ろう、ニムエ。私たちのいる場所に」

 

 ギュッとリズエラを抱きしめたニムエとヘルメット越しに対面する。唯一の光源であるライトが二人の位置を宇宙空間に示す。

 

「ごめん、わたし……取られちゃった。馬鹿なことしたばっかりに! ごめんなさい……」

「大丈夫……もう大丈夫だから」

 

 熱い涙を流すニムエの体を抱いたまま、リズエラは旋回しながらランデブー地点で交差するシャトルの動きを捉える。

 操縦システムに連結させたハロがシャトルを動かしている。

 

「ハロ、助ける! ニムエ、助ける!」

 

 旋回するシャトルが二人の背後について、キャノピーを操作して向かい入れる。

 シャトルに帰還して狭い操縦席に二人が収まった。

 

「帰還します」

 

 通信回線を開き、ニムエを回収したことを告げて、シャトルの推進剤が帰還に足らないことも母船に通達する。

 

「彼は……」

「え?」 

「何でもない」

 

 かぶりを振ったリズエラの独白は宇宙の虚空に消えた。

 

 シャア・アズナブル。彼とはまた出会うのだろうか? 次は戦場で? 

 これから起こるであろう人類の存亡をかけた戦いの記憶がリズエラを焼く。

 今はその時までのほんの一瞬の安らぎに過ぎないことを知っている。

 

 宇宙空間に流されるままに救援信号をキャッチしたアナハイムの船に回収されてリズエラとニムエは生還した。

 メサイアを奪われるという苦い痛みを伴うものとなった。

 地球への航行はメサイア強奪の報せを受けて緊急中断された。行先を失った船はインダストリアル7へ向けて航行を再開する。

 おりしもそれはクリスマスイヴの夜のことだった──



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15.5

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話の入れ替えは後日


 インダストリアル7のメガラニカ秘密工場にメサイアと開発チームのクルーたちが帰還した。

 地球に降りるはずだった荷物がジオン軍の襲撃によって奪われ、その進路をサイド5に進めたことで任務から外れ新たな辞令を受け取った者たちがいる。

 アストナージ・メドッソは同期のイアンと送り届けた荷物を眺める。この二人も新たな仕事を与えられてここにいる。 

 MSメサイア01号機は無事だったが、もう一機のメサイアはジオンに捕獲され、あわや輸送艦も撃沈のピンチを迎えた。

 ザクのバズーカは船のブリッジに威圧的に砲身を向けていた。

 少しでも刺激すれば撃たれるという緊張感に包まれながら、幸いなことに無事命を拾った。しかし、生きた心地のないわずかな瞬間を過ごした。

 ついこの間までは大学に通う一学生の身でしかなかった身だ。宇宙での戦闘行為にアストナージは心胆を寒からしめた。

 同僚のイアンもアストナージと同じメカニックだ。ここでは新人の二人だが歳が近いからか馬が合う。

 

「どうにかこいつを送り届けることができたか……にしてもアナハイムの秘密工場か。冗談じゃなくそんなものが存在するなんてなぁ」

「連邦がジオンに対抗するのにモビルスーツを造ってる、なんて噂が現実だったってことさ。現にジオンはザクを完成させてたし、これからはモビルスーツが戦争の主役に出てくるのかねぇ」

 

 イアンの台詞にアストナージは眉をしかめる。

 ジオンのMSザク。実用化された機体が宇宙を飛び回るのを見た。

 滑らかに動き、戦闘にも耐えるマシンを見て、メカニックとしての興味が湧きたつのも抑えられなかった。

 

「あいつらにはいいようにしてやられたけどな……」

「連邦だって黙っちゃいないさ。まあ公式には出てこないだろうけどな。なんせかっこ悪すぎるだろ。何もできずにモビルスーツを奪われましたとかさ」

「何もしなかったわけじゃねえだろ」

 

 そう、何もしなかったわけではない。が、自分たちができたことは何もなかった。

 そのもどかしさと無力感の中で鮮烈に事態を打開させたのはたった一人の少女だった。

 

「あんな女の子乗せてな。上は頭おかしいだろ。戦闘に出させるなんてさ。戻ってこれたのなんて奇跡だぜ。連中の捕虜にされたらどうなってたか」

 

 メサイアのパイロットだという少女が地上用に調整されたメサイアで飛び出して整備班のクルーたちの肝を冷やした。

 結果は機体を奪われ、ニムエも誘拐された。

 歯がゆい思いで見ていたのは二人とも一緒だった。そのニムエをアナハイムのお嬢様が連れ戻したのだ。

 ジオンの兵相手にどう交渉したらそうなるのか?

 アストナージにもイアンにもまったく想像がつかない。

 ゆえにあれはお嬢様が起こした奇跡的な現象でもあった。

 

「俺さ、この仕事は地球に降りたら、までのはずだったんだよなあ。あんな事件に巻き込まれなきゃこんなとこいないっしょ。口外禁止だしな」

「機密保持契約交わした時点で分かってるだろ? 軍隊なんてそんなものさ」

「このモビルスーツは連邦主体で開発されてないからアナハイムのだろ」

「そーかもな」

 

 アナハイムが公開し製造しているMSの規格に一切当てはまらないプロトタイプの機体など最重要機密に分類するはずだ。

 それを大学出の新人メカニックに扱わせるなどまずありえない。ありえないことだが現実に自分たちはここにいる。

 運などではなくそれを指示した誰かの意図によってだ。

 

「……まだ誰か残ってるのか?」

 

 再調整を施したメサイアを安置した後、照明は落とされ工場は最低限の明かりが灯っている。

 アストナージが見上げた先にある部屋に煌々と明かりがついている。誰か残っているのが見えた。

 

「誰かいるみたいだな。俺は疲れたからもうあがるよ。シャワー浴びて酒飲んで寝るさ。お前も一杯やるか?」

「俺は酒は飲まないんだ。メカニックの勘が鈍る」

「お堅い奴だな。童貞小僧」

「童貞とか言うな。こいつを片付けたら上がるよ」

「じゃあ、また明日な」

「さっさと寝ちまえ」

 

 イアンにそう返すとアストナージは残った道具の点検と片づけにかかっていた。

 

 

 クリス・マリアは冷たい鉄の構造体と工場に染みついたオイルの匂いを嗅いで工場の自室に引きこもった。

 ここ数日の激動を胸にクリスは新たな設計図を広げる。

 RX-78開発の現場は実に刺激的だった。

 トレノフ・ミノフスキーの情熱と知識が閃きを生んだ。

 モスク・ハンのマグネット理論が可能性を促進させ。

 アナハイムの技術とテム・レイの指揮力が合わさって最高のMSを造り上げた。

 これまでの成果の集大成がRX-78・ガンダムを完成させたのだ。

 だが、帰還したクリスの頭にもうRX-78はなかった。新たなインスピレーションが設計図に命を吹き込む。

 すでにサイド7で仮の設計図を組み上げてもいた。あれはプロトタイプでもない草案のようなものであったが、すでにラインに乗せられるものが出来上がっている。

 可変型のMS──新たな挑戦への欲求がクリスを動かす。

 

「もうこんな時間か……」

 

 没頭していた時間を確認し、自室として使う部屋から出れば、人気のない広大な鋼鉄の空間の先にメサイアがあった。

 メサイアの足元でうずくまる少女。膝を抱えたニムエが帰る場所を失った子犬のようにいた。

 無視してもよかったが声をかけなければいつまでもそこにいそうだった。

 

「ニムエ、一人かい?」

 

 後姿のニムエが振り返り頷きが返った。それ以上の言葉はクリスから続かずに沈黙が下りる。

 どうやら重症のようだとクリスはポケットに手を突っ込む。慰めるのは自分の役目ではない。

 

「ここは冷えるよ」

「別に寒くありません」

「うちのお嬢様は? 付いてなくていいのかい?」

 

 出会った頃の二人はお嬢様と甲斐甲斐しい世話焼きのメイド、という関係で、リズエラに対して常に付き従う印象だった。 

 今は親密な友人としての顔を覗かせることが多くなったが、最大の転機はジオンによるメサイア強奪事件だろう。

 わずか数日前のことだが、二人の間にはこれまでにない強い絆が見られるようになった。それは互いを大事に思う気持ちがより深く見られるようになったことだ。

 それをクリスは好ましいと思う。彼女たちが側にいることはクリスにも影響を及ぼしている。

 それは家族……と呼ぶには安易で簡単な言葉すぎる。その意味を表わす言葉もまた単純なように思えた。

 

「私だって一人でいたいときもあるんですよ……」

「ふうん? 傷心かい。言いたいことがあるなら相談に乗ろう」

「別にそういうのじゃありません」 

「こう見えても聞き上手だ」

 

 ガラにもないウソを言う。

 膝にあごを乗せて、ニムエは引きこもるように両脚を抱く。拒絶する姿だがクリスは隣に立つ。

 

「気にしているのだろう? ジオンに捕虜にされたこと。むざむざとメサイアを取られて私傷ついてます」

「ぐさり……クリスは鬼畜ですね」

 

 返るジト目をクリスは受け流す。

 元来、ストレートにものを言う気質である。

 それが開発チームでは衝突を生んだり議論になったりした。嫌われる、などと気にしたこともない。

 常にクリスは前を見据えている。過ぎたことは前例として次に生かすのみだ。

 

「悔しくないですか? メサイア取られちゃって。クリスが一番悔しがると思ったんだけど」

 

 唇を尖らせてニムエは息を吐く。冷たい空気が白い息を吐き出させる。

 

「悔しいか……ふむ?」

「そういう感情持ち合わせてないわけ?」

「合理的ではないからね」

 

 あっそ、というニムエの視線が返る。

 

「私はね、政治とか軍に興味はないんだ。商売人でもない。アレがそういった輩の取引材料に使われたのであろうとして、相当の対価を支払うことになるだろう。だがそれを支払うのは私ではない。メサイアを利用する者たちの意図がどうあれ、兵器は兵器として使われることになる」

「私はメサイアが人殺しの道具になり下がるのは嫌です」

「君だってメサイアで戦って分かってるはずだ」

「それは……」

 

 反論しようがない。月で、宇宙で。敵としてザクに対峙して理解した。否応もなく自分は殺戮のための兵器に乗っているのだと。

 その力を握り行使することの意味も知った。紛れもなく自分は人殺しの当事者になりえるのだと。

 

「つまるところ私はただの技術屋で、求められるものがあれば造り、最高のものを送り出すだけだ。結果がどうあれ、あれは成果を出し続けたし。次に進む糧となっている」

「すかしてますね。このクール美女は……」

「愛着はあるが、戦争の道具に過ぎないことも理解している。技術とは人のために使われてこそだよ。メサイアはそうであってほしいう願望はある」

「ロマンチストなんですね」

「達成可能な言葉は理想では終わらない。その意志を持っている限りは実現の可能性はある」

 

 馬鹿正直なまでにこの人は真面目にそう答えたのだろうと、ニムエは反論の言葉を探して止めた。

 

「はい、はい。クリスには口では勝てそうにありません。私、バカなので」 

「君はリズに合わせる顔がないのだろう? あの子は気にしていたかい?」

「いいえ……何も、責められたりもしないし、いつも通りです」

 

 つらくなって屋敷を飛び出して工場まで来てしまった。自分がしでかしたことに自分で罰を与えたくなって。

 誰も自分に責任を押し付けようとしなかった。当主様も、ガエルも。リズエラも。

 行く先を見失ってこんなところで一人ぼっちになっている。

 

「私って地球生まれです」

「ああ」

「宇宙に来たのだって子どもの頃で、この世界のことなんて何も知らなかったし、何も持っていなかった。ここが私が唯一いていい場所だったんです」

 

 すべてを失ったアンジェカにニムエという名が与えられ、新たなコロニーへガエルと共に移った。

 

「ここにいるためにつらいことだってへっちゃらでした。私がいていい理由を作るにはモビルスーツに乗るのが一番の手段だったんです」

 

 当主様とガエルが喜んでくれるなら何でもした。自分の場所を作るために。

 

「うん。君が大変な努力家なのは知っているよ」

「それが、あんなへまをして。メサイアを……取られちゃった……」

「それで君の居場所はなくなったりしたのかい?」

「いいえ……誰も私を責めません。当主様もガエルも何もなかったみたいに」

「ではいればいいさ。誰もここにいる権利を奪ったりはしない」

「それじゃダメなんです! 私はっ!!」

 

 ニムエは吐き出した言葉にうつむく。見失った自分の場所を見つけられないままだ。

 

「私は君の悩みを解決する答えを持っていない。悩めばいいのさ。立ち止まっていいんだ。今は見えなくても道を見つけることはいつかはできる。前に歩み出すきっかけはいつだって側にあるんだ」

「クリスも悩む?」

「私?」

「そう」

 

 見返すクリスの視線をニムエが受け止める。

 

「私は悩まない。道はすでにそこにある。コロニービルダーみたいに堅固に道を重ねて登っていくだけさ」

「出ましたよ究極超人思考~ いいね、クリスは」

 

 あっさり返ってきた答えはクリスだね、という内容だ。ニムエの悩みなどクリスには鼻にも引っかからないのだろう。

 

「リズも悩むさ」

「え?」

「悩まない人はいない。彼女だって悩む。一番近くにいる君を頼っているさ」

「そんなこと……私の助けなんて必要ないくらい凄いし」

 

 組んだ手の先に答えは見つからない。

 握った携帯の着信が点滅する。リズエラの呼び出しコールをニムエは無視した。もう何度目かになる。

 頼るばかりなのは私だ。いつだって彼女が私を引っ張っていた。粉々になりそうな気持を一つにしてくれた。

 だから耐えられた。どんなに厳しい訓練でも。

 リズは……あの人はどう思っているのだろう?

 

「あの時、彼女は君を助けに行った」

「うん」

「もし迷って君を見捨てていたら彼女はきっと後悔したことだろう。だが躊躇うことなく彼女は君を追って出た。失うことが怖いからだ。無条件に何かをなせる行為、彼女のその行動が答えさ」

「そうなのかな? 私……」

 

 もやもやとした気持ちが焦点を結ぶ。

 

「じゃあ、ぶつけてみなよ。君の気持をね。ほら、迎えが来たようだよ」

「え?」

 

 クリスの視線の先にリズエラの姿があった。

 

「何度も呼んだのに無視はダメです。メーです。ぶっぶーです」

 

 頬を膨らませたリズエラがハロと一緒に降りてくる。

 

「クリス博士と何をしてるんです?」

「ニムエといいことしてた」

「はあ?」

「いいこと……まさか極上のスイーツをこっそりと?」

「いや、話をしていただけだよ。乙女の悩み相談は終わりだ」

「ちょっとクリス!」

 

 慌てるニムエに笑みを込めた視線を向けてクリスは出口を指さす。

 

「もうこんなとこいないで行きなさい。私は行くよ」

「はーい」

 

 二人が行く姿を見送ってクリスは振り返っていた。

 

「何、話してんだろーな?」

 

 仕事終わりのアストナージはコンテナの端で座り込む。

 帰ろうとしたのだが、気になっていた赤毛の少女と黒髪の美女が話し込むのを見て出るに出られずにいた。

 二人の会話まではわからないから立ち聞きなどという行儀の悪いことはしていない。そう自分に言い訳する。

 

「にしても俺をここに呼んだやつは一体誰なんだろうな……」

 

 まだ大学生だった時に接触してきたメール相手。その名はレディオス・ソープ。男だか女だかわからない相手にゲームをした。

 そのゲームに参加した大学生たちは何人もいたが、アストナージは導き出した答えを送って寄こした。

 その後、特に接触はなかったのだが、君は合格だ、という短い一文と共に送られてきた推薦状がアストナージの運命を変えた。

 地球行のアナハイムの船に乗ることになったのはそれが元であった。

 

「レディオス・ソープ。いったい何者なんだ……」

「立ち聞きかい?」

「うわぁっ!?」

 

 ふと響いた声にアストナージは浮かせた腰を落とした。

 

「いや、その聞いてたわけじゃないんだ……あんた」

 

 この工場における開発責任者という肩書のクリス・マリア・ナガノは、アストナージにとっては一番上の上司という立場だ。

 

「君がアストナージ・メドッソ君だろ?」

「俺の名前知ってるんだ?」

「それはもちろん」

 

 人事を握る本人だから名前くらい知っていて当然だが、こんな絶世の美女に名前を憶えられているというのは男冥利でもある。

 

「どうしてここに呼ばれたのかを知りたいかい?」

「あんたも立ち聞きしてたんじゃないか……」

「君を呼んだのは私だ。技術大学で特別試験を出題したのは私さ。それに君は見事合格した」

「え? 何言って……」

 

 思い当たる節は一つしかない。

 

「ゲームで満点の回答を示したのは実は君一人ではなかった。いや、問題は点数ではない。どのようにその答えを導き出したのかということにかなり興味を惹かれたんだ」

「興味ってどんなだ?」

「私と同じ視点に立てる人間かどうかということ。同じものを見て同じことを考えることができるか」

「そんな理由であんなことしてたのか……どうやってそんなことができる?」

「フフ、おかしいかい。こんな小娘がどうやってか? 君とそう歳は変わらないけれどね。いろいろな伝手を使って私が求める人材を探していたのさ」

「ええ? なんだよ、それで俺?」 

 

 アストナージには意味が分からない。ゲーム感覚でやるようなことではない非常識さだ。

 

「ボクがレディオス・ソープだからだよ。アストナージ・メドッソ君、君を私の助手に迎えたいと思ってね」

「はあっ!?」

「私は冗談をあまり言わないんだが、最高の冗談だと思ってもらえたようだ」

 

 驚くアストナージにクリスが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「わけわかんないが、俺はそんな御大層なもんじゃないぜ?」

「本来なら地球に着いたときに勧誘するつもりだったんだが、想定外の事件が起きたおかげで君らをここに運ぶことになってしまったけれどね」

「本気で勧誘するつもりだったのか……」

 

 もちろんそのつもりだったとクリスが頷く。

 

「君に見せたいものがある」

「何だよ?」

「見ればわかる。私が君を選んだ理由もね」 

 

 クリスの声が熱を帯びる。誘うのは彼女の開発部屋である。広げた設計図は大海に広げたクリスの夢そのものだ。

 秘密を明かし共有する仲間。それがクリスが必要とするものだ。己の夢を共に追える人材が彼だった。

 

「拒否権は」

「君次第だ。私にこれだけ言わせた男は君が初めてなんだぞ?」

 

 まるで告白の言葉のようだ。照れもあってアストナージはうなじをかく。

 

「……わかったよ。けど過度に期待しないでくれよ。俺は大学出たばかりのルーキーなんだからさ」

「では来なさい。レディオス・ソープのすべてを見せよう」

「そのレディオス・ソープって名前は何なの?」

 

 階段を上がるクリスの背に問いかける。

 

「私が子どもの頃から使ってるあだ名のようなものだよ」

 

 そう応え、クリスが部屋の扉に手をかけ光の中にアストナージを導くのだった。

 

 

 ジオンの拠点であるソロモン要塞はサイド1にほど近い宙域に在る。今この時点においてソロモンは対外的には資源衛星として存在する。

 元々ソロモンはアステロイドベルトから地球圏へ運ばれてきた小惑星だ。

 その巨大な岩塊をくりぬき中には広大な空間が作られた。

 資源物資採掘用の施設が取り付けられ、数多くのモビルワーカーが宇宙空間で作業を行っている。

 

 それは連邦に対して見せている偽りの姿……今やソロモンはジオンの重要戦略拠点の一つとなっていた。

 ジオン決起の時を迎えた今、資源衛星の仮面から軍事要塞としての顔を見せていた。

 いまだ要塞としての完成は見ていないが、ソロモンはすでに戦時下にあった。

 隠していた牙がついに剥かれ、内部には多くの戦艦が待機し、戦化粧を施されたザクの部隊が積み込まれている。

 連邦への恭順も和平の道もない。ジオンの戦いは始まっていた。

 宇宙攻撃軍の最高責任者であるドズルは最前線で指揮を執るべく最後の平穏な時間を妻と過ごした後にここに立つ。 

 年始を迎えれば開戦のみである。その忙しさの中で鹵獲したMSメサイアを見上げた。

 

「武人の佇まいか。これほどのものを完成させていたとは……にしても美しいな」

 

 ドズルの先に鋼鉄の巨人が在る。ジオンがこれまで開発してきたMSとはまるで異なる機体。

 一本角の白い鎧武者の美しさは目を瞠るものがある。

 MS開発の指揮を執ったドズルが望んでやまなかったモビルスーツの完成型、といってもはばからない姿がそこにあった。

 ラル隊が奪取したメサイア02号機。

 ザクとは比べるべくもないほどの力を持つ死神。こいつが月でジオンが総力を挙げて作ったMSを叩き潰したのだ。

 雪辱の後、己の進退をかけた「角突き鹵獲作戦」は成功し、手中にしたのはこれまでの常識を覆すほどのマシン。

 鹵獲終了後、偽装輸送艦パーミッシュに乗り込んだジオニックのメカニックたちがメサイアの修理にかかり、問題なく起動するところまで数日でこぎ着けていた。

 アナハイムの内部協力者というのが何者かは知らないが、すべては完璧なほどに状況を整えた。

 問題はこいつを扱えるパイロットだ──

 

「救世主(メサイア)という名前だそうだ。兄者。俺は死神と呼びたいがね」

 

 ドズルは背後の兄ギレンに呼びかける。

 

「コレを扱えそうな者はお前の部下にいるか。ドズルよ?」

「シャアを使う。やつが適任だ。こいつと戦って生き残った連中の中ではやつが一番だろう」

 

 メサイアにザクを破壊されたものの、操縦技術ではシャアにかなう者はいない。運の強さも同様だ。

 月で失った戦力以上の戦果を上げねばならない。これからの戦いは熾烈を極めるだろう。その戦列にこいつを投入する。

 

「暁の英雄か……いいだろう。開戦までに使い物にできるか?」

「急がせるが……しかし、開戦直後はいくらなんでも……」

 

 ロールアウトしたばかりのザクでさえ調整に数カ月もかけたのだ。一週間……それどころか数日ですべての調整を終えることができるのか?

 しかも、ジオニックの蓄積にはない未知のマシンだ。

 だが、一つずつ解析してデータを検証し、それを転用していくには時間がなさすぎる。現在までに取ったデータを基にフィードバックを作っていく。

 それがパイロットの身の安全を無視した実戦形式であってもだ。

 

「パイロットの安全確保だが……」

「パイロットなどいくら使いつぶしても構わん。戦において最前線に立つ者は消耗品だ。将兵一人一人にかまけている暇はない。甘さは捨てろ、ドズル」

「わかった。パイロットはスペアも用意する」

 

 己の甘さを飲みこんでドズルは戦いの道具として眼前の一本角を見据える。

 角突きはやつにしか扱えまい。もし失敗したとしても元より当てにしていた戦力ではなかった。

 

「それでいい」

 

 弟の返事に酷薄な笑みを浮かべてギレンが応える。その目にはすでに戦場があった。

 

「兄者の速戦即決のプランか」

 

 一か月前に兄が父デギンに語った連邦との開戦に向けた計画で語った言葉だ。

 

「ドズル、我々には時間はない。緒戦一か月でケリをつける。こいつをお前の言う死神に仕立て上げろ。救世主とやらが連邦に止めを刺すのだ」

 

 兄の言葉にドズルはゴクリ、と唾を飲む。

 生き残るのはジオンか連邦か。勝者だけが生き残ることができる。

 ジオンに対し、圧倒的な国力差、戦力差を誇る連邦にジオンは電撃戦を仕掛ける。

 その先陣にドズルは立つ。パイロットをいくら使いつぶそうと、それは些末なことでしかなかった。

 

「シャアを呼べっ!」

 

 ギレンとの会見を終えたドズルはシャアを呼んだ。出頭したシャアが敬礼する。

 

「貴様にこいつが乗りこなせるか?」

「私にですか?」

 

 メサイアはジオンの意匠を施され、その顔は鉄のマスクに覆われて本来とは異なる姿になっていた。

 アナハイムのロゴマークなどは剥ぎ取られている。

 

「貴様が奴と対峙して一矢報いた度胸を買っている。格闘戦でこいつの性能は思い知ったのだろう?」

「元より一兵士としてのパイロットであります。どのような機体であろうと扱って見せましょう」

「自信家なことだ。こいつに乗って貴様の身がどうなろうと俺は関知せんぞ。死神を御せなければお前は死ぬことになる」

 

 スペックだけならば既存のどのMSを遥かに凌駕する機体。加速するだけで生身の体はGに押しつぶされ物言わぬ死体となり果てるだろう。

 MS用に開発させた新型スーツならば耐えられようか?

 だがこいつのエンジンパワーはザクの四倍近く。まさに怪物だ。上がってきたデータにドズルは思わず震えたほどだ。

 まっとうな訓練を受けたパイロットの損失を生みかねない、が、シャアならばどうか?

 

「元より覚悟の上です」

 

 ドズルの脅しとも挑戦ともとれる言葉に対し、仮面の下から発せられるシャアの声に恐れも動揺もなかった。

 

「良かろう。こいつを貴様に任せる。いじっている暇はないが、色くらいは塗らせてやろう。希望の色はあるか?」

「よろしいのですか?」

「ああ」

 

 その言葉にシャアは笑って返した。ドズルの望みはもうわかっている。

 パイロットは使い捨ての駒に過ぎない。その駒に最高のマシンを与えようというのだ。

 ならば使いこなしてみせよう。血塗られた復讐の道はここから始まるのだ。

 それは赤い炎となって広がり散り戦場を焼き尽くすだろう。かつて自分を圧倒した機体を駆って──

 

「では暁に──」

 

 そう返事を返したシャアの目がメサイアの一本角を捉え、仮面のレンズが光を放つのだった。

 

 

 宇宙の果てにあの人がいる──

 自分のために用意されたアパートメントに不自由はなかった。部屋の主は一度も帰還せずに任務のために発った。

 ララァは自らを映すガラスを眺め、華奢な指先がシャアと窓にその名を書いた。

 彼からの便りはない。シャアはどのような任務なのかも語らないまま港で別れた。

 

 ゆったりとした服は地上にいたときと変わらない。不自由はないようにと用意された服もあるが、着慣れたこの服でいる方が楽だった。

 地球での貧しさと厳しさ。過酷な環境での思い出に良いものはなかった。

 でもシャアと出会った。すべてを捨ててまで宇宙に来た。彼の導きが自分を救うものだと疑うことはなかった。

 だがビジョンが、子どもの頃から見続けてきた奇跡が、彼を奪うものになるかもしれないと知った。

 その運命を彼から守ることができるのは自分だけだから。

 そう信じることが一歩を踏み出す勇気となった。

 

 ララァ、笑ってごらん。君が笑うとある人を思い出す──

 

 いつか、彼がそう言った。

 鏡の前で表情を作る。笑顔は少し苦手かもしれない。

 生まれ育った地球は笑っていられる世界ではなかった。

 貧しい家庭に生まれた。

 兄弟姉妹が何人もいたが貧困にあえぐ日々だった。

 生き方を選ぶことはできなかった。

 親が子を売り、子が親を売る。

 生きるために、食べるために感情を殺さなければ生きられなかった世界。

 でも、あの人となら、シャアと一緒なら笑っていられる世界を作れるのかもしれない。

 それには覚悟が必要だ。どんな困難であろうと進んでいく覚悟だ。そんな覚悟、とうにできているはずだと思っていた。

 

 呼び鈴が鳴る。普段、アパートメントに客人が来ることはない。

 彼らはララァが呼んだのだ。

 ドアを開けば数人のスーツ姿の男たちが立っていた。

 

「フラナガン研究所のものです。あなたがララァ・スンさんですね?」

「はい」

 

 スーツ姿の男の問いにララァは頷いて見せる。

 

「私の力をあなた方の研究施設で見せました。私は合格ですか?」

 

 その覚悟をしたから私は──

 

 フラナガン研究所。

 この時期はニュータイプ研究機関として発足していなかったが、フラナガン博士はすでにニュータイプに対する研究を進めていた。

 キシリア・ザビがフラナガンを接収してフラナガン機関とするのは先の話となるが、この時期のフラナガン博士にとって行き詰っていたニュータイプ研究に光明を見出すこととなったのが一人の少女の登場によってだった。

 ララァ・スン。

 彼女は動き出す。

 赤い彗星の運命と共に。



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16話

ここでORIGIN劇場版が完結
本にして太め一冊分程度です



 年の瀬を迎えようとしているインダストリアル7の街並みをカーディアス・ビストは車中から眺めた。

 コロニーが竣工して四年が過ぎようとしている。インダストリアル7市内の人口はこれからも増え続けていく。

 開発の度合いで言えば、連邦のMS開発拠点となっているサイド7とそう変わる所はないが、アナハイムと合弁するビストの企業も参列しているため市内の人口密度も高く、現行区域での開発はほぼ済んでいた。

 建造が進むに従って人口は増え続けるだろう。これまで開発されてきたコロニー同様数百万の人口を抱え、やがて宇宙を漂う鉄くずとなるまでコロニーの歴史が続く。

 メガラニカ。インダストリアル7のみが有する唯一の巨大なコロニービルダーはただ黙々と檻の世界を構築し続ける──

 当主不在の間に起きたメサイア強奪事件。その報せをカーディアスは帰港した船の中で聞いた。

 危急の事態を受けての出張は予期していたジオンの動きに対するものであった。

 

「みすみすメサイアを奪われる隙を作ったか……アナハイムもうかつだが、連邦に落ち度を見せたのは不味いな」

「どう対処しますか?」

 

 運転する執事のガエルが前を見たまま問う。

 地球におけるメサイア稼働試験のストーリーは降って湧いたものだった。ビストは一切関与していない。

 アナハイム上層部のごり押しと軍部との共謀。そのようにカーディアスは捉えている。

 遅々として進まぬ新型MS生産の動き、軍首脳部の焦りもあったのかもしれない。MS不要論に固執する高級将校も過半数を占める。

 

「不要だ。何もしない」

「はい……」

「納得いかないか、ガエル。彼女ともう一機のメサイアがあれば良い。ジオンは奇貨を得たかもしれないがな……」

「マーサ様も放っておかれるのですか?」

「あれは泳がせておけ」

「はい……」

「火遊びに懲りるような女ではないよ。マーサは妄執に取りつかれていると言っていい。今はこちらの手元にある方がアナハイムも御しやすくなる。研究所のこともあるからな」

「畏まりました」

 

 マーサが所長を務める遺伝子研究所。立ち上げて二年だが成果を上げている。

 新薬の特許も数種類申請していて、いずれもアナハイムの医薬部門で扱うことが内定している。

 ここにリズエラが深く関与し、さらに狂った実験の産物が潜んでいようなどとは誰も知りえないことだ。

 マーサがうだつの上がらない研究員を副所長にして女王然と振舞っていることも許容している。

 アナハイム内部での発言力を増しているが、今回の件は彼女の権力志向に水を差すものとなっただろうが、諦めることもないだろう。

 当主であるカーディアスはすべて知っている。研究所の建造と新薬開発諸々にゴーサインを出した本人である。

 すべてはビストという贄なくしては生き残れない獣を飼うための決断だ。 

 

「私のたった一つの望み(A mon seul désir)……か」

「何か?」

「何でもない。ガエル」

 

 メガラニカ深部のビスト邸に車がつく。出迎えたメイドたちに赤毛のニムエも混ざっている。

 車を降りたカーディアスは調べの音を聞いた。

 邸宅内から零れ出たメロディはピアノの音だ。その奏では邸宅内から響いてくる。

 

「この曲は……」

 

 自然、足はピアノの調べの元へ向かった。

 細い指が鍵盤の上で踊る。

 アナハイム工専の教室。

 そこにピアノがあってアンナ先生が弾いていた。

 その調べを完全コピーした指先が正確に再現して音を響かせる。

 グランドピアノを弾きこなすのはリズエラだ。

 ビスト邸に在って唯一奏者を欠いていたピアノは、地上で一度解体されて宇宙に上がり、この屋敷で再度組み上げられたものだ。

 長らく弾き手を得なかった代物だが、今ここに奏者を得ている。

 

 オリジナルの曲だろうか? 知っている曲に似た響きのものを探してカーディアスは弾き手の少女を見る。

 何度か同じ曲をリピートしていた手を休め、リズエラは正面からカーディアス・ビストの姿を認めた。

 スカートの衣擦れのかすかな音を立て淑女の礼をしてみせる。社交界で通じる作法はすべて習得済であった。

 着ているドレスもこの屋敷にいる間は上流階級の子女に相応しいものを揃えている。

 これも天然素材のもので、特別な仕立てであるから、一般人からすれば数年分の給与が消える価格だ。

 そのはかなげな姿は彼女がこの屋敷に来た頃と変わらない。永遠にその美しさは保たれ続ける。

 この世界において少女がメガラニカにある限りは……

 その考えを払ってカーディアスは室内に踏み込む。

 

「御当主、お帰りなさいませ」

「ああ……あなたも役目を済ませられたようで何よりです」

 

 メサイアの強奪……とうてい役目を済ませたという内容ではないが、目の前の存在に問うことではない。

 マーサと軍が仕込んだ道化の失敗劇に過ぎない。

 

「月はどうでしたか?」

「月面ピザを食べました。ニムエと博士と一緒に」

「そうですか。ご令嬢の仕事ぶりは聞いています。今後、連邦とアナハイム共同のモビルスーツ開発事業は躍進的に進むことでしょう。アナハイムにとっても我々にとっても大きく」

 

 これから起きる戦争によってビストは獣の巨体をさらに肥え太らせていくこととなる。

 悪魔との盟約。その贄を投じるために用意された箱はブラックホールのように貪欲に餌を求め続ける。

 

「はい……」

「今後のことをメラニー会長と話し合うことになっています。あなたの身の振り方も」

「社交界ですか?」

「それもあるでしょう。だが会長はあなたを決して手放しますまい」

 

 リズエラは応えなかった。

 自分の立場はよくわかっている。アナハイムと……ビスト家にとってリズエラは財を生み出す試金石である。

 もろく弱い地盤にかろうじて立っているに過ぎないのだ。この世界にリズエラが寄るべき縁はかすかな光のみ。

 その光さえもこの広大な宇宙においてはか細く消え去りそうな糸。

 リズエラは窓辺から見える人口の青い空と植え込みの緑を一望する。檻であり、揺りかごとして自分を縛る狭い世界だ。

 庭に立つ赤毛の少女はニムエだ。彼女がガエルと共にいるのを見た。

 アムロ……何をしているのかな?

 冷たいガラスに触れる。

 

「戦争が始まります。それはもう止められない。違いますか?」

 

 窓辺から確信を持ったヴァイオレットの瞳がカーディアスを捉える。

 

「地球の古いシステムと、宇宙で生まれたシステムがひずみを生んでそれはもう止められないのです。それすらも我々は好機と捉え組織を動かし続けなければならない」

 

 ジオンと連邦。いや、宇宙に棄民として捨てられた人類すべてがその軋轢の中で揺らいだ半世紀余り。

 決して止められぬ歯車がもたらすのはお互いを喰らいあう未来だけだ。この歪んだ世界を燃やし尽くす炎となって。

 

「その歯車に私も組み込まれているのですね……世界に死をもたらすために」

「私を恨みますか? あなたを檻に閉じ込め、破滅に加担しろと迫る愚か者に」

「世界は変革を免れない。私が見る夢でも、あなたが見る夢でもありません。世界が見る悪夢を人々は知ることになるでしょう」

 

 カーディアスがその言葉の意味を問う前にリズエラは部屋から立ち去っていた。

 

 

 遺伝子研究所──そう名付けられたインダストリアル7市内にあるこの建物は、市内にあるどの建造物よりも堅固で厳重なセキュリティ対策が施されている。

 この施設が世界でも最先端の技術を研究していることは誰にも知られていない。

 その研究所のトップにあるマーサ・ビスト・カーバインは名ばかりの所長だが、研究員は優秀な者ばかりを揃えていた。

 小さな試験管の中で培養され生み出されるものが新薬に利用され、それが莫大な利益を生み出す。

 アナハイムとビストという、世界を裏から牛耳る組織のトップに近い位置にいるマーサがその権力を堅固にするための砦でもあった。

 眩い光がリズエラに注がれている。

 医療ベッドに寝かされているが覚醒状態にある。拘束具も薬品も注入されていない状態だ。

 リズエラをモニターする部屋の扉が開いてマーサが入室する。少しイラついた様子で。

 忠実なベントナが立って出迎える。

 

「あの子に異常は見つかったのかしら? ベントナ副所長」

「所長、問題はありません。メンタル面、フィジカル面でも正常値を記録しています」

「それがどうしてあんなことになったのかの説明にはなっていないわ、ベントナ」

「は、はい……仰せの通りで……」

 

 メサイア二号機をジオンに引き渡すという現場で起きたイレギュラーな事件。

 眠っていたはずのリズエラが奪われたメサイアとジオン軍を追ったことは起きてはならないこと。あり得ないできごとであった。

 あってはならないことが起きた。マーサにとって不確実なできごとは許されないことだった。

 すべてを手中にしていた空間で起きたひそやかな反乱である。

 

「もっと強力なマインドコントロールが必要ね。自由意志を許さないくらい」

「所長、しかし……それは精神の崩壊を招きかねず……現時点でストレスを過剰に与えるのは得策では……」

 

 その言葉は尻すぼみになって消える。女王の前で反論することなど許されない。 

 

「検体ならいくらでも用意できるでしょう? 彼女を制御できないようでは困るのよ」

「はい、それはもう。強化体でのコントロール実験を開始します」

「あまり時間をかけてもいられないわ。あちらに引き渡す商品を調整して頂戴」

「わかりました。所長。レベルを二段階上げて再調整いたします」

「それでいいわ」

 

 指示通りに動くベントナを視界の隅に置いてマイクを通じて話しかける。

 

「検査は終了よ、リズエラ」

「はい……」

「すべて正常値。健康診断は終わりです。妹たちに会うことを許します」

 

 眩さをアイコンタクトが遮断して無表情を作り出す。

 薄い白衣のリズエラが立ち上がり素足で冷たい床に触れた。肌寒さにもう一枚ゆったりとしたマントを羽織る。

 上にいるマーサと研究員たちから注がれる視線を無視して扉の向こう側に出た。白い照明に照らされた細長い通路はどこまでも無機質に続いている。

 リズエラは突き当りの分厚い扉の前まで歩く。

 遺伝子研究所のよりセキュリティレベルが高い部屋がこの先にある。普通の研究員が立ち入ることを禁じられたエリアだ。

 ここだけではない。同じようなエリアが「隣」に存在するが、リズエラはそちら側に行ったことはない。

 そちら側はこちらと違って人が多いエリアとなっている。

 そこでは被検体とか強化体という単語が使われている。何の実験をしているのかは誰も教えてはくれない。

 ファティマの感覚を狂わせる周波数が建物内部に放たれていて情報の取得は不可能だった。

 所長、副所長クラスが通れるセキュリティをパスする。ごく一部の研究員だけが通行を許されている。

 

 

 

Life Projection System

 

 

 

 部屋に入ったリズエラを迎えるのは透明な筒だ。世界のあらゆるストレスを除外し、あらゆる天敵から生命を守る装置。

 蒼い光を受けた液体の中で養育される幼子たち。リズエラの遺伝子細胞から生み出された研究所最大の機密──

 ファティマから生み出された生体クローンたちがそこにいた。

 

「ただいま、私の妹──」

 

 「姉」の存在に気付いた十二の個体の注意がリズエラに注がれる。その意識の波動を受け取ってテレパシーが伝達される。

 ほぼ同等の遺伝子を持つ姉妹たちはお互いに精神的な繋がりが深い。オリジナルであるリズエラとは生まれたときからテレパスで繋がっていた。

 

(お姉ちゃん……)

(マーマ。マーマが帰ってきたよ)

(ママなの?)

(ねーちゃんだ!)

(どこに行ってたの……?)

 

 一番心細かったという声に引き寄せられて青い筒の一つに手を伸ばした。「12」という番号が割り振られている。

 このラボで一番若い個体だ。1から順番に生み出され12との差は半年ほどと差があるが、皆が同一の姉妹たちだ。

 遺伝子研究所が建造され、0077年にはリズエラの姉妹たちが生み出された。

 最初の個体である1はオリジナルコピーと呼ばれているが、ベースとなるリズエラの遺伝子のコピー可能な部分を用いられ、ファティマが持つマイナスの因子に改良を加えられた。

 アレルギーに対する遺伝子治療の技術もリズエラの遺伝子情報を元に完成させたものだ。

 だがそのすべてをコピーできるほど宇宙世紀の技術は進んでいなかった。特に「騎士」の遺伝子の最深部に達する情報には触れることは叶わなかった。

 焔女帝ナインが施した封印があらゆる干渉を無効にする。

 それでも通常の人間を越える知能と反応速度、身体能力を誇り、寿命も上回った。

 ファティマ同様、血液型はどの種類にも対応し、すでに人工輸血の生産もラインに乗せている。

 それぞれの個体が1以降にさらに改良を加えられてバージョンを上げている。現段階の最終バージョンが12である。

 今後も生み出され養育されるであろうリズエラの兄弟姉妹たち……

 今は自然成長に任せているが、技術の進歩によってより早く成体に成長させる研究が進められている。

 マーサ所長は医療の未来のために必要なことと説いているが、その真相と意図は知りたいとも思わなかった。

 今はこの子たちといることが重要だった。

 

「ただいまトゥエルブ。みんなも偉かったね」

 

 たちまち返ってくる反応がリズエラを包み込む。 

 リズエラが教える外のことに興味津々だ。

 マーサ所長と取り巻きは大嫌い。

 子どもたちの感情が共鳴して筒の液体に空気の泡が舞う。それが浮かび上がって弾けてはまた生まれて浮かぶ。

 静かな空間に音を立てて弾ける気泡たち。

 その音をリズエラは口ずさむ。プルプルと。

 

「プルプルプルー」

(ぷるぷるぷるー!)

 

 1がすぐに応えて寄こす。

 

(ずるい、わたしも!)

 

 3が続く。

 

(プルプルー)

「プルプルプルー」

 

 また泡が浮かんで音を立てる。その音に合わせて姉妹たちが唄う。

 

(ぷるぷるぷるー!)

「うふふ。プルプルプルー!」

 

 十二人の姉妹の合唱が冷たい空間にこだまして青い光に包まれリズエラはただ笑っていた。

 

 

 

 

──現在、グリニッジ標準時二十時零分を回りました。皆さん、記念すべき大晦日の夜をいかがお過ごしでしょうか? 今、一つの世界が終わり、世界が生まれようとしています──

 

 

 

「こっち、こっち、みんなもう集まってるよー」

「タリアが手を振ってます。すぐ行くよー」

 

 大通りを挟んだ路地の向こうから二人を呼ぶタリアの声にニムエが返事を返した。

 冬の装いのリズエラとニムエが街にいる。久方ぶりの同級生との待ち合わせ。

 大晦日の夜をインダストリアル7は迎えている。

 市内は電飾で飾られ、家族連れや若者のカップルが思い思いに一年の最後と始まりを祝おうと町に繰り出していた。

 きらびやかに彩られた世界の中に三人がいる。揃って向かうのは学校の校庭だ。

 先頭を行くのはバーチにクラスメイトの男の子たち。それぞれに進路が定まり、年末年始の行事に浮かれ立っている。

 来年になれば卒業が待っている。その社会人になる前のほんのひと時の青春を楽しんでいた。

 工専在校三年生の最後の大晦日。ニューイヤーを祝う夜に皆で集う最後のイベントだ。

 見慣れた顔も卒業すれば全員が離れ離れとなる。

 タリアが進路をインダストリアル7にある企業に定めたことはもう聞いて知っている。彼女がここに残った理由の一つがバーチ君であることも。

 この夜をパートナー探しの場にする三年生たちは、お目当ての異性に声をかけては手ひどく振られ、またはカップルが誕生している。

 

「また……」

 

 街路で足を止めリズエラは空を見上げた。見ているのはコロニーの天井ではない。

 上空を行きかう電波の流れに混ざり合う通信や建物から発する電磁波などがある。その中にある放送が混じり込んだ。

 特定の周波でファティマのみが感知することができる囁きとなってリズエラに届いていた。

 誰もこの放送を聞く者はいない。半世紀以上前の同じ日の夜に起きた惨劇のことを思い出す者はいない。

 あったとしても、その演説の内容も、歴史の教科書にわずか数行で語られるに過ぎないものとなっている。

 かつてリカルド・マーセナスが説いた言葉は、時の流れと共に人々の記憶から風化して忘れ去られていった。

 その言葉を聴くのはただ一人リズエラだけだった。

 リズエラが立ち止まったことに気が付かずニムエとタリアは先を歩く。

 

「誰かが私を呼んでいる……」

「リズエラさん?」

 

 リズエラに声をかけたのはアンナだった。

 普段よりも大人びた化粧をしているが、教壇に立つ彼女の普段は控えめと言っていい。今の方が年相応の女性らしい姿に見えた。

 とはいえ連れはいなさそうだ。

 アンナに浮ついた話は聞こえてこないが男子学生たちの憧れの的でもある。

 

「あなたもみんなと一緒に来たの?」

「私は……」

「リズ、どうしたのー?」

「今晩は!」

「アンナ先生だー。先生もご一緒に行きますか?」

 

 タリアが誘う先には大きな木に飾り付けた電飾が輝いている。

 そこに多くの生徒たちがこぞって集っている。三年生だけではなく、一年生も二年生もいる。

 飾り付けをした教職員たちも祝いムードの中で普段の厳しい厳粛さはない。

 

「そうね、ご一緒しようかな」

「やった。行きましょう」

「リズ……どうしたの?」

 

 黙ったままのリズエラにニムエが尋ねる。視線の先でタリアとアンナが連れ立って男の子たちと合流する。

 

 

 

──人類史に永遠に刻まれるであろうセレモニーの舞台は、首相官邸<ラプラス>。地球と宇宙のかけ橋となるべく、地球軌道上に設けられた「空飛ぶ」官邸です。宇宙時代の幕開けを告げるのに、これ以上の適地はないでしょう──

 

 

 

「聞こえる」

「うん? 何が聞こえるの?」

「ニムエには聞こえない」

 

 リズエラに語り掛けてくる言葉の波は確かに自分を呼んでいると感じることができた。何者かがソレを使って。

 

「行かないと……」

「え? どこに?」

「呼んでいるから……」

「呼んでるって、誰がですか?」

 

 その問いにリズエラは頭を振った。その誰かを説明する言葉を持たない。 

 リズエラに呼び掛けているのは死人だ。もう故人となって半世紀以上が経つ。

 その声の主が呼び掛けているのだ。

 

「おーい、何してるんだ? 二人とも早く来いよー」

「今、行きまーす」

 

 恋人と並ぶバーチの呼びかけにニムエが応えて振り返るとリズエラはもうそこにいなかった。

 

「リズ?」

 

 雑踏に立ち尽くし、困惑したニムエがリズエラを探すがその姿はどこにもいなかった。

 ニムエを残し、人ごみを越えてリズエラは足を速めた。ファティマが駆ければその姿を常人が捉えることは難しい。

 放送の声は止んだが、特定の周波数を持つ波は発し続けられていた。ファティマの鋭い感覚がその波長にシンクロしている。

 これはメッセージだ。私にだけ聞こえる特別なもの。誰が語り掛けてきているの?

 

 その発信元はメガラニカ最深部から聞こえてくる──

 

 広大なビストの屋敷を一望する場所にいた。この先に自分を呼ぶ者がいる。

 呼吸を整え、一歩踏み出す。また声の焦点が合ってリカルドが語り掛けてくる。

 

 

 

──間もなく西暦が終わり、我々は宇宙世紀という未知の世界に踏み出そうとしています。この記念すべき瞬間に、地球連邦政府初代首相として、「みなさん」に語りかけることができる幸福に、まずは感謝を捧げたいと思います──

 

 

 

「あなたをお待ちしておりました。宗主サイアム・ビストがこの先でお待ちです」

 

 リズエラを出迎えたのはカーディアス・ビストだ。

 

「理由がわかりません。なぜ私を呼んだのですか?」

「それは……宗主から直々にお聞きになるといいでしょう」

 

 ビスト家の当主であるカーディアスの陰で宗主サイアムの力はいまだ健在だ。その答えがすべてを物語っている。

 

「わかりました」

 

 カーディアスの導きのままに邸宅内に迎え入れられ、リズエラは隠された秘密の扉を抜けた。

 最深部に立ち入ったリズエラを出迎えたのは満天の星。ドーム構造の部屋の壁面に映る星々だった。

 全天周モニターの星空の下にベッドがある。そこにいる人物こそがサイアム・ビストその人だった。

 

「初めまして、お嬢さん。ようこそわが氷室へ。私はサイアム・ビスト。地上に落ちたあなたをここに呼んだのも私です」

 

 ここはまさに氷室という場所に相応しい。齢九十の肉体を冷凍睡眠装置を備えたベッドに横たえ、いまだビスト家の宗主としての力を振るう男。

 箱を盾に連邦と渡り合い、一代にして巨万の富を築いた男はリズエラの目にはただの老人にしか見えなかった。

 リズエラの知らぬ歴史をそのしわに刻み続けてきた存在に対する恐れを感じることもない。

 リカルドの語りかけは止むことなく続いている。

 

 

 

〈0078/12/31/23:59:00〉

 

 

 

 時刻がちょうどその時を刻む。

 相対する二人。

 サイアムがゆっくりと言葉を紡ぎリズエラに語りかける。

 

 

 

──現在、グリニッジ標準時二十三時五十九分。間もなくです。この放送をお聞きのみなさん、もしその余裕があるなら、わたしと一緒に黙祷してください。去りゆく西暦、誰もがその一部である人類の歴史に思いを馳せ、そして祈りを捧げてください──

 

 

 

 彼女はサイアムの問いに何と答えたか?

 

 

 

──宇宙に出た人類の先行きが安らかであることを。宇宙世紀が実りある時代になることを。我々の中に眠る、可能性という名の神を信じて──

 

 

 

 可能性の獣──

 それは戦乱の果て、人類を焼き尽くした後に生まれ出るものなのか。

 鋼鉄の救世主が空を駆け巡る。

 白と赤の炎が交わり、混迷が満ちて殺戮をもたらす。

 新たな時代、廃れ行く世紀。

 新年の始まりと共に世界は光に包まれて──

 

 

 

今ここに一年戦争──ジオン独立戦争が開幕する
 

 



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