とある科学の超過電刃《オーバードライヴ》 (汐なぎさ)
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第一章 境界因子《インターフェイス》編
第1話  超電磁砲《レールガン》


「……ぅ、ん……」

 

 6月30日、早朝。

 御坂美琴はいつものように、自身のベッドで目を覚ました。新学期が始まって早3か月、夏服に衣替えした直後である。

 ……ふむ。

 まずは、もぬけの殻になっている隣のベッドと、暑苦しいタオルケットの中との因果関係を導き出すことから始めよう。

 大きな、大きなため息と共に、御坂は渾身の拳を、歪な膨らみに叩き込んだ。

 

 

「朝の一発がまだ痛むのですが……」

 

「アンタの自業自得でしょうが」

 

 下校時刻、風紀委員(ジャッジメント)の白井黒子は頭に巨大なたんこぶを拵えていた。理由は言うまでもない。彼女はここ学園都市第三位の超能力者(レベル5)・御坂美琴の露払いを自称する風紀委員である。強い正義感を持つが故に、権限を逸脱した行動を起こすことが多く、いつも始末書を書かされている。同じく正義感の強い御坂にとって、白井の行動指針は共感するところが多く、その点については一種の尊敬もあるのだが、色々あって警戒しなければならない相手でもある。

 学校から女子寮へ戻る道中。いつもと何ら変わりない風景。ふと、黒いスーツを着た学生らしき女性が、肩を落として通り抜けていった。どうやら、就職活動中らしい。それを見た白井は、ふと隣の御坂へと語り掛ける。

 

「気が早いかもしれませんが、お姉様は今後の進路のことなど考えておいでですの?」

 

 突然の問いかけに、御坂は一瞬キョトンとした表情になる。

 

「進路って、高校どこにするかって話? うーん、長点上機はレベル高いけど肩凝りそうだし、やっぱ霧ケ丘か帝冠(ていかん)大附属ね」

 

 どれも学園都市の五本の指と呼ばれるトップ校である。それを聞いた白井は「それはそれは」と感嘆し、

 

「そうそうたる候補ですこと。まあお姉様なら首席で合格間違いなしですが、わたくしでしたら帝冠大附属を選びますわねー」

 

「まあ、風紀委員のアンタには誂え向きの学校かもね」

 

 帝冠大学附属高等学校。学園都市に存在する中でも、最も歴史の長い学校である。元はといえば大学部門のみの学校だったのだが、次第にその勢力を拡大し、現在は教育機関としてはこども園から大学まで、医学部を通じて病院、造形学部を通じて美術館と、多種多様な事業展開をしている学校法人である。

 高等部は既に大学のような講義選択式の授業形態を採っており、ある程度は必修科目が存在するものの、学生の環境や能力、モチベーションを考慮した自由な学習要領を実現している。学園都市の学校は多くの場合、能力開発分野を伸ばすことによって、優秀な能力者を集めることで実績を増やそうとするが、帝冠大附属は違う。ここでは能力強度自体は低くとも、一般的な学習要領における偏差値が高ければ編入・入学が認められる。というのも、能力強度が高い者は知能が高い場合が多く、その逆に知能が高ければ能力強度も高く、伸びしろもあると考えている為である。もしも知能が高いだけで能力の開発が進まなかったとしても、帝冠大附属が培った学習ノウハウを使えば外部の学校における最高峰の学習成績を修めることが可能であり、就職実績の確立ができる。

 学園都市内での評価に拘らず、対外的にも重用できる人材の育成も行うことで、保護者から高い人気を得ることに成功し、学園都市内では長点上機と常盤台に譲るものの、外部も含めた統計では最も入学希望者が多い学校となっているのだ。

 世間からの評価と学習要領の自由さを鑑みれば、風紀委員としての体裁と活動する上での利便性を考えれば、御坂が挙げた進路の中では最も白井向きと言えるだろう。

 

「でも、何で急にそんなことを?」

 

 学生鞄を肩越しに持ち直す御坂。一方の白井は淑女らしく両手で前に持っており、腐ってもお嬢様学校の生徒ということを実感させる。

 

「ただの興味ですわ。お姉様は常盤台のエースですもの。そんな方がどのような将来設計をなさっているのか、気になるのは当然でしょう?」

 

 半分は嘘である。この女、御坂のいない雌伏の一年の後、必ず御坂と同じ学校に通うための情報収集をしようとしている。それはもう、単純な勉学を頑張るとかいうレベルではなく、目標校に顔が利く先生に取り入って便宜を図ってもらうというレベルである。

 

「将来設計って、そんな大げさな」

 

「大袈裟なものですか。お姉様は考えが甘すぎます。学生時代の経歴は一生ものですの。進学校へ進むのか、専門性の高い学校へ進むのか。これらはわたくしたち学生にとって大きな命題ですのよ?」

 

 なお、そう口にする白井の脳内は今現在、お姉様とのハイスクールライフで満たされているわけなのだが。一理ある意見に、御坂も納得する。

 

「はいはい、わかったわよ。そうだ黒子、ちょっとジュースでも買ってく?」

 

「そうですわね。ちょうど喉も乾いたことですし」

 

 言いながら、ちょうど差し掛かった公園の脇に立てられた自販機へと向かう二人。通学路上で普段から見かけてはいたが、ラインナップまでは把握していない。まずは品ぞろえのチェックからである。

 

「うんうん、ヤシの実サイダーに西瓜紅茶、ガラナ青汁にいちごおでん……有名どころは大体おさえてあるわね」

 

「いい加減慣れてきましたが相変わらずトチ狂ったラインナップですわ」

 

 白井のツッコミが冴え渡る。ここ学園都市は次世代衛星都市であると共に、広大な『試される街』でもある。このような化学反応を期待したような創作ジュースの数々もその一環だ。

 

「そう言うなって。ヤシの実サイダーなんかだいぶまともでしょうに……って、え?」

 

「どうされました、お姉さ……ま”っ!?」

 

 二人の身体は震えていた。相変わらずのラインナップの数々の中の一角。全40種ほどの飲料が並ぶうちの5本ほどが、異様だったのだ。

『しゃきっとオレンジ』、『赤ワイン風ぶどうジュース(※ノンアルコール)』、『フジヤマ天然水』、『昼下がりレモンティー』。

 

「……普通だ」

 

「……普通ですわ」

 

 学園都市に着て早数年。外部からの持ち込みを除いて、化学反応に期待していないジュースを見るのは初めてである。「アンタ何にする?」「昼下がりレモンティーで」「私はしゃきっとオレンジ」と、妙にテンポよく会話をした後に、機嫌の良い美琴さんは後輩にジュースを奢る。自販機の横に二人並び、腰に手を当ててぐいっ。

 

「「――美味い!!」」

 

 お嬢様学校の生徒二人が迫真の表情で絶賛した。

 

「ええー? 一体どうしたのよ学園都市ってばやればできるじゃないこんなまともな飲み物用意できたのねどうしようもう学校帰りはここで決まりねこれから日課にせざるを得ないわ」

 

「なんという芳醇な香りまさしくレモンティー自販機から出てくるものでこれほどのクオリティを出してくるとは学園都市の飲料業界も捨てたものではありませんわねここの株ならわたくし買っても良いかもしれないですの」

 

 各々言いたいことを言った後、もう一口。ここ数日で一番幸せな顔をした二人である。

 

「会社名は……更槇灘(さらまきなだ)飲料株式会社?」

 

「ああ、前々から比較的まともなものを作ってきたので評価されていたところですわ。確か先ほど名前の挙がった帝冠大学とも提携していたはずですの」

 

「へー、帝冠と。でもいい話ね、もうみんな更槇灘でいいんじゃないかしら」

 

「身も蓋もないですが全面的に同意しますわ」

 

 消費者の評価とは時に残酷である。さっきまで褒められていたヤシの実サイダーが寂しそうに少女たちを見つめていた。

 下校時の思わぬ楽しみが増えたところで、再び帰路につく二人である。

 すっかり日が高くなった学園都市は、夕方だというのにまだまだ明るかった。通学路も半ばまできて、ようやく赤みがさしてきた程度である。こうしていつもと同じように時が過ぎ、何でもない日常が続いていく――と、御坂が白井に向き直った時であった。

 

「ッ!」

 

 殺気を感じ、反射的に白井に飛びつくようにして庇う。数瞬もなかった。さきほどまで御坂と白井が歩いていた歩道を、あちこちぶつけた跡のある車が通り抜けたのは。

 

「なに!?」

 

「暴走車!?」

 

 起き上がり、白井が状況の確認を急ぐ。数秒を置いて、車道を一台の車が走り抜ける。警備員(アンチスキル)の使う追跡用車両だ。

 

「お姉様はこちらに!」

 

 一気に雰囲気が変わった白井が、鞄から『風紀委員』の腕章を取り出した。慣れた手際で袖に装着し、耳にワイヤレスイヤホンをセットする。まるでその時を待っていたかのように、ほぼ同時に通信が入る。

 

「初春!」

 

『ちょうどいいところに居ましたね白井さん! 今の警備員が追っていた車両を追跡してください! 無能力者狩りの犯罪者です!』

 

 ぴくり、と白井と御坂の眉根が寄った。

 

「了解ですわ。すぐに向かいます!」

 

 言って、白井は宙を舞った。その体があるのは遥か上空。地上から十数メートル離れた空中である。それは白井が超人的な跳躍をしたのではなく、彼女の能力によるものだ。

 空間転移(テレポート)

 一般的な『超能力』を想像した時に、スプーン曲げの次くらいには連想される超常現象。人一人の質量が一瞬のうちに遥か遠くへと転移する、学園都市で開発された能力の中でも稀有なものである。自由落下から間もなく、新たに転移。それを繰り返し、白井の身体はあっという間に先ほどの車両へと追いついた。

 

(犯人は一人ではない……集団での犯行)

 

 無能力者狩り。学園都市での学生間の諍いは大きく分けて二つある。ひとつは単純な弱いものイジメ。高位の能力者が、自分よりも格下になる能力者や無能力者(レベル0)を傷つけるもの。もう一つは下位の能力者による下克上。何らかの理由で能力開発で後れを取ったり、伸びしろがなかった者が、自分より優位なものにする逆恨みである。今回のケースは前者に該当する。能力者による無能力者への暴行事件は頻発しており、こちらも問題視されているのだが、これだけの捕り物は珍しい。

 

(ここまで追いつけば……!)

 

 車の進行方向を逆算し、上空からの接触を試みる白井。しかし、自由落下する最中、視界の中で目的の車が大きく方向転換をした。中央分離帯のわずかな隙間を抜ける、見事なUターンである。そのテクニックは車の運転などしたことのない白井をして舌を巻くものだ。

 

「やりますわね……!」

 

 予想が外れ、ひとまず中央分離帯に着地する白井。その後ろで、犯人車両を追跡していた警備員が遅れてUターンするのが見える。

 

「初春。犯人車両の目的地予測を」

 

『おそらく第10学区です。警備員が現行犯確認した際のフェイスデータを照合した結果、バンクに登録された能力者2名が該当しました。……彼らは第10学区に本拠地を置くスキルアウトの一団としばしば接触しているようです。そこに匿ってもらう算段かと』

 

「スキルアウトと? おかしくはありませんか? 彼らにとってスキルアウトは獲物のはずでは……」

 

『それが……一番タチの悪いタイプの集団で、スキルアウトと結託して下位の能力者に襲撃をかけているようです。狙われているのは、レベル1程度の能力者と、本当に対抗する術のない無能力者……』

 

「……つまり、彼らは弱者の融通をし合っている、と?」

 

「……はい」

 

 能力が発現した生徒に対して、鬱屈した感情を持つスキルアウト。能力自体は発現したが伸び悩み、自分より劣る者を攻撃して自尊心を維持する能力者。本来相容れないはずの両者が手を組み、お互いに獲物を提供し合っている。自分たちの鬱屈した感情を、一時的に解消するためだけに。

 

「最悪ですわね」

 

 白井の眼に、一段と鋭い光が宿る。それは風紀委員として、最も唾棄すべき所業であった。地面を蹴る足に、力がこもる。

 

 

「ヒューッ、さすがのドラテクじゃねえか!」

 

 たった今、見事なハンドル捌きで追っ手の警備員を大きく引き離した車内で、バンダナをつけた能力者狩りの青年が運転席の青年を称賛する。リストバンドをした運転席の青年は、得意そうに笑って見せた。

 

「所詮は教科書に書かれたことしかやれないセンコーどもだ。カーチェイスだってのにお行儀よく走ってる時点で俺たちを追い抜けやしねえ」

 

 二車線の道路を縦横無尽に、迷惑も考えず突き進んでいく。時刻は午後5時近く、退勤時間が近い。そうなる前に、彼らはこの辺りの道を抜けていく必要があった。

 

「しかし、運が悪かったなあ。まさかあんなすぐそばに警備員が居やがるとは。本当ならトランクに連中へのお土産を積んでるはずだったのによ。携帯まで落としちまった」

 

「なあに、一度第10学区まで逃げきれればいくらでもチャンスはあるさ。携帯だって、簡単には辿れないように加工してあるらしいし心配ねえよ。俺の携帯貸してやるから、向こうに連絡しとけ。予定外の接触になるからな」

 

 ぼやくバンダナに、リストバンドが指示する。へいへい、とバンダナは適当に返事をして、携帯を受け取った。少しの間、車内に静寂が訪れる。

 

「……繋がらねえぞ。出払ってんのか?」

 

「そんなわけあるか。ボスの蝉脇さんにかけてみろ」

 

「了解っと。……おっ、こっちはかかったぞ」

 

 ふぅ、と一息つくバンダナ。しかし、すぐに怪訝な表情を浮かべる。

 

「なあ、なんか、着信音が二重に聞こえんだけど」

 

「あ? そりゃ一体……」

 

 相方の意味不明な発言に眉根を寄せるリストバンドだったが、電話に耳を当てていない自分にもその音が聞こえてきたため、言葉を止める。自分の携帯ではなく、当然バンダナの携帯から漏れ聞こえているのでもない。そして、それはだんだんと近付いてくる――。

 

 ドンッ、と。

 

 二人の乗る車は、急な衝撃に襲われた。危うく舌を噛みそうになる。

 

「なんだっ!?」

 

「上に誰かいる!」

 

 天井に目を向ける二人。そして、かけたままの着信音はすぐ隣で聞こえていた。

 

「もしもし? アンタらのお友達なら、家でゆっくり寝てるわよ」

 

 そこには、自分たちが接触しようとした相手の携帯に耳を当て、窓からこちらを覗き込む茶髪の少女の姿があった。その姿には、覚えがある。

 

「まさか、学園都市第三位の超能力者……『超電磁砲(レールガン)』の、御坂美琴ォ――――――ッ!?」

 

 バンダナの、悲鳴にも似た声が車内に響いた。

 

「チィッ!」

 

 予想外の人物の登場に、冷静だったリストバンドも大きく舌打ちして、大きくハンドルを切って振り落とそうとする。しかし、蜘蛛のように天井に張り付いた超能力者はその程度では振り落とされない。

 

「どうすんだよ!」

 

「蝉脇さんたちがもうやられちまってんだ! 第10学区に行く意味はもうない! どこでもいい、逃げ切るぞ!」

 

「逃げられると思うじゃん!?」

 

 半ば口論のようになっている車内に並走して、一台の車が現れる。それは先ほど大きく差をつけて巻いたはずの、警備員の車両だった。

 

「警備員の黄泉川愛穂だ! 随分と手を焼かせてくれたじゃん! 車を脇に止めろ!」

 

 上には超能力者、右には警備員。進行方向はしばらく空いているが、逃げ場がない。

 

「観念しなさい! さもないと……」

 

 学園都市第三位の声が聞こえる。もはや頭を抱えているバンダナに対し、リストバンドは何とかして状況を打破する方法を探していた。

 

「うるっせぇんだよ!!」

 

 罵声と共に、リストバンドは右に大きく車体を振った。並走するアンチスキルの車両に激突し、さらに車体を押し付ける。何度か体当たりを繰り返し、火花を散らす車両と車両。度重なる衝撃に耐えきれず、警備員の車両はバランスを崩して中央分離帯に激突し、代償とばかりに彼らの車両のドアも吹き飛んだ。

 

「うわっ!」

 

 あまりにも無茶な挙動に、さしもの『超電磁砲』も集中を乱して危うく落下しかける。その隙を、リストバンドは見逃さなかった。

 

「てめぇも、落ちろっ!」

 

 運転席から顔を出し、天井にぎりぎり張り付いている少女を睨みつけるリストバンド。すると、踏ん張っているはずの御坂の足がふわりと宙に浮いた。

 

「まずっ!?」

 

 思いもしない状況の変化だった。バランスを崩した御坂は、車上の風圧と共に空中に投げ出される。

 

「おい、おいおいおい! おいおいすげぇな! お前ほんとすげぇな!」

 

 八方塞の状況から起死回生の一手を撃ったリストバンドに、バンダナが称賛の声を上げる。リストバンドも想像以上にうまくいったことで、極限状態特有の、狂気にも似た笑みを浮かべていた。

 

「俺たちだって腐っても能力者だってことを教えてやったんだよ……! この街で3番目に強ェ能力者にな!」

 

「ああ! ああ! そうだよな! あの『超電磁砲』に一泡吹かせてやったんだ!」

 

 それは彼らにとって、これ以上ない喜びだった。学園都市と言う街で暮らしていく上で必ず生じる能力のカースト。あるいは絶対的な評価に結び付くその関係の中で、伸び悩む彼らは屈折した。自分よりも弱いものを傷つけることで自分の強さを証明し、犯罪集団と手を組んでまでそれを追求した。それがまさかこんな形で敵うなど、思いもしなかった――が。

 喜びに昂っているのも束の間、彼らは信じられないものを見た。

 

「――え?」

 

 道路上に、人影があった。

その動きはさながら、ジェットスキーに引っ張られ水上を駆ける、ウェイクボードのようだった。

 学園都市最強の7人。その第三位『超電磁砲』。

 御坂美琴が、先ほど彼らの車両から吹き飛んだ車のドアをボードに見立て、火花を散らしながら彼らの車に追従していたのである。

 

「私ならまだここにいるわよ!!」

 

 少女の啖呵が耳に響く。バンダナがあんぐりと口を開けた。リストバンドは、激しい憎悪の込められた眼でバックミラーを睨みつける。

 

「あんなんありかよ!?」

 

 激情に呼応するように、乱暴にハンドルを振り回すリストバンド。追従する少女を引き離そうと、あるいは振り払うような動き。もしも御坂が正真正銘、ウェイクボードに乗っていたのなら、その強引な動きで、並走する車両や分離帯にぶつけて振り払うこともできただろう。だが、彼女と彼らの車両を繋ぐのは不可視の磁力線。ましてや、完全に超能力で計算され、コントロールされている見えないロープである。抵抗虚しく、火花を散らすスライドドア・ボードは大きく振り回される様子もなく、むしろ距離を詰めてきていた。

 

「お、おい、あれ!」

 

 バンダナが必死の形相で叫ぶ。少女の手元で、コインが跳ねた。

 学園都市第三位が、なぜ『超電磁砲』を名乗るのか。

 彼女の手元で跳ねたあのコインこそが、彼女の代名詞たるその名の由来。空中に放り出されたコインが、ゆっくりと手元へ落ちていく。指先からは紫電が迸り、そこに超能力者の破壊力が宿っているのを表しているかのようだ。

 その矛先は間違いなく、自分たちが乗るこの車だ。

 

「――浮かすぞ、それしかねえ」

 

「え?」

 

「あれを避けるんだよ! お前も力を貸せ! 二人でやれば可能性はある!」

 

 リストバンドの怒号が響く。あの中空に舞ったコインが少女の手元まで落ち、こちらに着弾するまでの時間は、果たして何秒あるのか。だが、そんなことを考える余裕すら彼らにはなかった。言われるままに、バンダナは車体に意識を集中させる。せいぜいがレベル2。こんな重いものを動かしたことは、ましてや重力に逆らって浮かせたことなど、一度もない。だが、それでも。

 もう、自分たちの能力の価値を証明できる場所は、今しかない――。

 眩い紫電が瞬く。少女の指先まで落ちてきたコインが、稲妻を纏って放たれる。それはまさしく光速の一撃。轟音と閃光を伴い、それは電光石火の弾丸となって前方の車両の足元へ、吸い込まれるように直進する。

 どちらが早かったのか。ふわりと車が、わずかに宙に浮く。その直下に『超電磁砲』が着弾する。その差は、コンマ数秒でしかない。

 爆風が生まれ、空中の車は不安定な状態で宙を舞った。

 

 

「まずった!」

 

 宙を舞う暴走車を見た御坂は、慌ててボードにしているドアを電磁力で操り、車の進路上へと投擲する。運転手の操縦を失った車は慣性に従い、スピンしながら交差点から対向車線に飛び出そうとしていた。その進路を塞ぐように、御坂の投擲したドアが飛び出し、その進路を捻じ曲げる。思わぬ障害物に衝突した車はその反動で元の車線に戻され、勢いを失いながら街路樹に激突し、煙を上げながら完全に停止した。

 信号機の上に着地した御坂は、その様子を見て一息つく。

 

「はあ、なんとかなったか……」

 

 結構な大立ち回りだった。第10学区にあるスキルアウトの本拠地に先回りして叩きのめした後、こちらに接近しつつあった『能力者狩り』たちの車両を強襲する。白井のことだから自分が行く頃には鎮圧していることも考えていたのだが、想定していたより骨のある連中だったようだ。

 

「でも、まさか念動力で私の『超電磁砲』を避けようとするとはねぇ。サイテー野郎にしてはいい度胸してたわ」

 

 元々直撃を避けるつもりだったとはいえ、多少は計算を狂わされた。もしも計算通りに事が運べば、少し手前の生垣に突っ込むはずだったのだが。

 

「お姉様! お怪我はありませんか!」

 

 足元……というか信号機の脇の歩道から、白井が声をかけてくる。短パンを履いていなければ、露骨に姿勢を低くしている彼女には見せたくないものが見えていただろう。

 

「大丈夫、何ともないわ」

 

 白井のすぐ隣に着地して、「本当に大丈夫ですの? 一度全て脱いで私が検診した方が良いのでは?」と邪な手つきを始める彼女を一蹴する。これさえなければ、手放しで賞賛できる後輩と呼べるのに。

 

「あいつらは?」

 

「激突の衝撃で気絶していますが、エアバッグが正常に作動したので命に別状はないかと。あとは風紀委員と警備員にお任せくださいまし」

 

「そっか」

 

 どんな悪人であっても、命までは奪わない。それは御坂美琴の持つポリシーであった。

 

「しかし、いつの間に第10学区のアジトへ?」

 

「携帯よ」

 

 ニカッと笑って、御坂は懐からひび割れた携帯を取り出した。

 

「アンタが飛び出していった後に、あの車が落としていったって届けてくれた人が居てね。これをハッキングしてアジトの場所を逆探知したってわけ」

 

 一口に発電能力者といっても、能力は攻撃スキルばかりではない。超能力者である御坂にもなれば、これくらいの芸当は朝飯前である。ぼろぼろの携帯電話を手渡されて、白井は「こんな状態のものからでも逆探知できるなんて」と尊敬半分、畏怖半分といった感じで感心していた。

 

「では、こちらは風紀委員で回収いたしますわね。今回は助かりましたが、あくまでもお姉様は一般人ということをお忘れなく。毎度毎度あのような大立ち回りをやられては、示しがつきませんのよ」

 

「えー、いいじゃない別に。それで悪い奴らを懲らしめられるんだから」

 

「ですから、それとこれとは話が別ですの。結果はともかく、万が一、お姉様に何かあってしまってはと」

 

「あー、はいはいわかったわかった。じゃあ後は頼んだわよー」

 

「あっ、お姉様まだ話は……もう」

 

 言葉を続けようとする白井を尻目に、御坂はその場を後にした。実際、ここから先で御坂ができることはない。暴れるだけ暴れて片づけをしないというのも少しおさまりが悪いが、手伝うと言っても断られることは目に見えている。

 それにしても、と御坂は振り返る。

 

「能力者狩りにスキルアウト、か」

 

 超能力を開発するこの街において、能力値から生じるヒエラルキーは必然だ。トップに君臨する御坂をして、それは避けようのないものだとわかる。自分は何も悪くないのに、ただ生まれ持った才能や、努力では補い切れない『差』を前に、屈折してしまう気持ちも大いにわかる。怒りも、悔しさも。

 だが、それは弱いものを食い物にしていい理由にはならないし、彼らが感じた理不尽を、彼らよりも弱いものに押し付けていいわけがない。

 もしも、自分が彼らのように、努力ではどうにもならない壁にぶち当たった時、どんな心の動きをするのだろう。想像するだけなら、「自分ならああはならない」と断言できる。だが、それでも本当に、完璧にその時の自分の心に寄り添えるわけではない。どうにもならない現実を前に。努力しても届かない現実を前にして。自分なら――。

 そこまで考えて、御坂はぶんぶんと頭を振った。何をナイーブになっているのかと。ネガティブなことは考えるだけ無駄だ。そんなのは、なった時に考えればいい。今ここで、答えが出そうにないことに頭を悩ませるのは、時間の無駄だし疲れのもとだ。

 

「――ホント、退屈しないわね。この街は」

 

 遠くビルの谷間に沈んでいく夕日を眺めて、御坂は自嘲気味に笑った

 

 

 

 




 第一話をご覧いただきまして誠にありがとうございます。
 投稿形式は隔日投稿ですので、第2話は3月25日18時に公開いたします。
 よろしくお願い致します。


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第2話  スキルアウト

 7月16日。

 スキルアウトの浜面仕上は、リーダーの駒場利徳と仲間の半蔵と共に、第七学区のとあるゲームセンターを訪れていた。彼らの目的は、警備員(アンチスキル)との交渉である。警備員とゲームセンターにどのような因果関係があるのかは知る人ぞ知ると言ったところだろう。

 

「……正直、俺はあまり乗り気ではない」

 

 大柄の駒場利徳は、浜面たちよりも高い位置からコピー用紙を吐き出すみたいな低い声で言った。どこからどう見ても世紀末にバイクに跨ってそうな見た目の駒場であるが、良識の有無で言えば浜面たちより数段上である。「いやいや」と浜面と半蔵はそれを止める。

 

「別に危害を加えるわけじゃないし。ちょっと協力してもらうだけだ。いい加減、ATMを盗むとかそういうのじゃ奴らに響かないことはよくわかったからな」

 

 彼らは人探しをしている。このゲームセンターに出没するという、若い警備員――早い話が教師なのだが――を一時的に拘束し、学園都市に自分たちの本気度合いをアピールするのだ。当然、それを実行に移せば今までの窃盗罪なんかよりも重い罪を課せられるだろうが、そのための紳士的拘束である。念のために言うがいかがわしい意味の紳士ではなく、遠くイギリスに古くから伝わるジェントルメンの方の紳士である。

 

「それにしても、駒場さんのおかげでこのところ、俺たちはよくまとまったよ。1か月前なんか本当にバラバラだったからな」

 

 スキルアウトとて一枚岩ではない。そもそもが、能力開発が上手く行かずにグレた学生たちの集まりだ。能力者への鬱屈した感情は共通していても、どこまでがセーフでどこまでがアウトなのか、その辺の倫理観はピンキリである。子どものイタズラから、暴行……最悪の場合は殺人まで。その許容する度合いによって、スキルアウトたちは複数のグループを作ってそれぞれ活動を行っていた。浜面たちのグループはそのうち、女子供に乱暴はしないが野郎は殴ってもオーケー、基本的には窃盗で先生方に迷惑をかけていくスタイルである。

 

「一番薬になったのは、やっぱ半月前のあの事件だろうな。蝉脇のグループがとっ捕まっちまった一件」

 

「『弱者狩り』か。まあ俺もさすがにやり過ぎだとは思ってた」

 

 蝉脇グループ。スキルアウトたちの中でも特に過激な活動を行っていた集団である。不良学生とは可愛い評価で、度重なる暴行事件を引き起こしていながら、証拠不十分で難を逃れる狡賢さを持ったタチの悪い小悪党である。

 この半年ほどの間、蝉脇グループは無能力者狩りのグループと結託し、『弱者の融通』を行っていた。蝉脇グループはスキルアウトですらない無能力者(レベル0)を、無能力者狩りはスキルアウトでも狩れる低能力者(レベル1)を。そうして重傷を負わせて鬱憤を晴らしつつ、金を巻き上げる。そして金がなくなった頃にまた一人……というように、最低最悪の人身取引を行っていた。このような実情から、この事件は『弱者狩り』と呼ばれているのだ。

 それがある時、無能力者狩りがヘマをして警備員に現行犯確認され、どういうわけか関係を突き止めた学園都市第三位の超能力者(レベル5)によって、共々少年院送りにされた。重犯罪を行ってきた蝉脇グループが崩壊したことでスキルアウト間のパワーバランスも変わり、以前から働き掛けを行っていた駒場利徳を中心としたネットワークが作られ、彼らの中にも秩序が芽生えたのである。

 

「知る限りじゃそんなとこだが、もっとやばい案件を抱えていたって話もあるしな」

 

「え? 暴行事件以上にやばい案件なんかあったか?」

 

「ああ。なんでも奴ら、バックには――と、目標発見だな」

 

 半蔵が言いかけると共に、彼らの前方、格闘ゲームのコーナーに目当ての人物は居た。少し野暮ったい雰囲気のある、眼鏡の女性だ。今は教師らしい女性用スーツ姿だが、浜面たちには警備員の特殊装備の方が馴染みがある。

 鉄装綴里。

 浜面たちが知る限り、胸が別の生き物みたいになっている黄泉川センセーの次くらいに馴染み深い『おまわりさん』だ。

 

「……やるなら速やかに。静かに、だ」

 

 穏健派の駒場が口を開いた。二人は頷き、鉄装の後ろに回り込む形で近付いていく。

 

「――せっ、てりゃっ」

 

 小さく声を出しながら、ガチャガチャとレバーとボタンを巧みに操る鉄装。浜面たちに気付いている様子はまるでない。

 

「……どうやら我々には気付いていないようだ」

 

「忍び足だったことを差し引いても、過集中だなこれ」

 

「むぅ。それにしてもいい腕だな」

 

「途中で邪魔するのも悪いし、とりあえず終わるまで待つか?」

 

「そうだな。この手のものを他人に中断された時の憤りは尋常じゃない。俺でも殴る。本気で殴る」

 

 ひとまず様子見することに決めた駒場グループ三人。あまり目を離し過ぎてもまずいので、鉄装が構える筐体の後ろに置いてある待合用の椅子に3人腰かける。携帯を取り出してポチポチやりながら、浜面は周りを見やった。

 

「まだ人はあまりいないな。これならやりやすい」

 

「……誤解を受けるような言い方をするな」

 

「誤解でもないと思うよ。危害を加えないってだけで、まあ、やることは人さらいだからな」

 

 蝉脇グループのような本気でタチの悪い連中ではないというだけで、彼らもまたスキルアウトなことに違いはないのである。

 そんなこんなで、15分が過ぎてしまった。

 

「おいおいおい。どうする、もう帰宅ラッシュでここも混んできたぞ」

 

「……そもそもワンゲームでここまで時間を浪費するものか?」

 

「ずっと見てたけどコイン入れたようには見えなかったぞ」

 

「仕方ねえ、多少強引だがやっぱりもう声を……」

 

「いや、ここは退くぞ」

 

 真剣な声で半蔵が言った。なんでだよ、と抗議の声を上げる浜面。半蔵は無言で、背中の方向を示す。半蔵の体越しにそちらを見やる浜面。やたらファンシーなカエルのマスコットがぎゅうぎゅう詰めになったクレーンゲームの前に立つのは、サマーセーター姿の茶髪の少女。

 

「御坂美琴……!」

 

 噂をすれば何とやらである。スキルアウトの面汚しを残らず少年院送りにした学園都市第三位の超能力者が、十数メートル離れたところにいる。

 

「……なぜ奴がこんなところに」

 

「超能力者でも中坊ってことだな。ここで騒ぎを起こせば蝉脇の二の舞になるぞ」

 

 ただでさえ人通りも増えてきた娯楽施設である。少しでも騒ぎを起こせば、あの可憐な姿をした少女も怪物となって自分たちを捻り潰しにかかるだろう。

 

「警備員をダシにして交渉することは何度だってできる。今度ブタ箱にぶち込まれたら長いぞ、多分」

 

「……そうだな」

 

 超能力者に折檻されてブタ箱で済めば良い方なのでは、というのが浜面仕上の意見であった。彼らはそそくさと席を立ち、今なおゲームに夢中な鉄装の背中に「ゲームは1日1時間」と囁いて立ち去った。

 

 

 光あるところ闇あり、と先人は言う。トレーラーに備え付けられた電算室で、小太りの少年、馬場芳郎は気取った調子でそれを実感していた。彼の目の前には、とある会社の敷地とされていながら、機能している様子の無い大型倉庫区画が存在している。

 更槇灘(さらまきなだ)飲料株式会社。

 奇々怪々な学園都市の実験飲料の中で、時代に逆行するが如くまともな飲料を提供しているメーカーである。人間であれば舌に含ませるなら美味な程良いと思うのは当然で、学生も教師も、馬場ですらも愛好している一人であった。

 

(ま、この街で本気でまともな方が不自然なんだけどさ)

 

 光あるところ闇あり。まともな会社ほど、裏であくどいことに手を染めている。至極真っ当で、納得がいって、実感がある。

 馬場の前にある6つのモニターは、それぞれ映像が動いていた。さながら中継映像である。それらの動きがピタリと止まったのを確認して、馬場はヘッドセットのマイクに触れ、スイッチを入れた。

 

「博士。全機、待機位置につきましたよ」

 

『よし。そこまでの道中で、『おかしなもの』は見つかったかね?』

 

「今のところは特筆すべきところはありません。ま、飲料メーカーにしては、不自然な搬入口や大掛かりな機材があるようですが。証拠というには不十分かと」

 

『ふむ。倉庫とはいえ、さすがに地上に問題のあるモノは置かないか。そうなると、やはり東口付近の管理局だな』

 

「ですね。では早速、タイプ:スパイダーを移動させます」

 

 「頼む」という初老の男性の言葉を受けて、馬場が電算室から命令を入力する。モニターの映像が動くのを見て、馬場はさて、とコーヒーに口を付けた。

 

(『おかしなもの』……クローン製造の確かな証拠、か)

 

 国際法で禁止されているクローン製造。更槇灘飲料がそれを行っている証拠を掴めというのが、馬場芳郎が下された命令であった。

 

(仮に証拠を見つけたとして、それをどう使うつもりなのかな)

 

 依頼主の情報は、彼の上司である博士しか知らない。馬場は依頼主の目的を想像することしかできない。たまに苛つくこともあるが、目的を明かされてその馬鹿さ加減に苛つくこともあるので、馬場は触れることをやめていた。

 

(相手は敵対企業か、はたまたクローン元のホストなのか。僕ら『メンバー』に依頼するくらいだから前者かな? 統括理事会を介さなければ僕らに依頼はできないわけだし。いや、高位の能力者だったりバックボーン次第では後者もあり得るか)

 

 報酬が貰えるならどうでもいいけど、と馬場は呟いた。今夜の仕事も、建設的でも何でもない、退屈な仕事になりそうだ。

 

 

 予想外のというか、色々と見積もりが甘くて計画が失敗してしまった浜面たちは、何台目かの盗難車に乗ってアジトへと向かっていた。あれが俺のプレイしたことのあるゲームでちょっぴり応援する心がなければとか、そもそもゲームセンターに居るところを狙うことから考えを改めるべきだったのではとか、警備員に助けを求める純粋無垢な仕上ちゃんを演じてゲーム中でもこっちを振り向いてもらう努力をすべきだったとか、車内では日本人特有の文化である反省会が開かれていた。この手の反省会は一応意味のあるものとして開催されるし、中には本当に身になることもあるのだが、多くの場合は開催することに終始して本当の意味で反省が活かされたり最適解を導き出せることは稀である。大体、こういう時の最適解は、失敗した日の翌日に朝食を食べている辺りで急に思いつくものだ。

 浜面たちを乗せたワゴンはほとんど廃墟と化している工場地帯の一画に侵入し、その施設の一つへと入っていく。

 

「廃工場だと思って住処にしてたら、結構な大企業の敷地だったんだよなあ、ここ。最初は電気も通ってなかったってのに。遅かれ早かれ移動する必要があるわな」

 

「ああ。それなりに設備を整えちまった後だったから、引っ越しにも時間がかかるけどな」

 

 車を停め、浜面と半蔵はアジトの扉をくぐる。そこには、数人のスキルアウトがたむろしていた。

 

「よう、お疲れ。あれ? センコーを連れてくるんじゃなかったのか?」

 

「今日はやめにしたよ。深追いし過ぎたら戻ってこれなかったかもしれない」

 

 ソファにどっぷりと腰かけて、半蔵が答えた。

 

「ああ。例の第三位様が居たからなぁ」

 

「マジか。おっかねえなぁ。でも実物はどうだった? SNSで見るよりもかわいかったか?」

 

「うーん、まあ顔立ちはスゲー整ってるよな。でも将来に期待って感じだよ。顔から下がこんなんだったからな」

 

 掌と胸板を平行にして、上下に動かす。それを見た誰もが「あっ」と察した様子だった。

 

「確か中学2年生だったか? それじゃ仕方ないよなぁ」

 

「でも同じ常盤台の第五位はこんなんだぞ」

 

 胸板の上に大きく孤を描くようにして、掌を動かす。それを見た誰もが「あっ」と察した様子だった。

 

「マジか」

 

「それ本当に中学生か? 記憶とか何でも操っちまうんなら、実は高校生だったりするんじゃ?」

 

「発育の差なら『超電磁砲(レールガン)』はその、可哀想になってくるな。二次性徴ももうすぐ終わる頃だろ」

 

「同じ超能力者として意識はしてるだろうしなあ。むしろ第五位のせいでコンプレックスになってるまであるぞ」

 

 秩序を得た無法者たちがぎゃはは、と笑う。当人の耳に届いたなら、彼らはまとめて黒焦げになっていることだろう。彼らがそうして馬鹿話に花を咲かせつつ、今後の方策を何となく考えようとした時であった。

 その時である。

 バツンッ、と。まるで意識が途絶えるかのように、彼らの部屋の電灯が消えたのは。

 

「ッ!?」

 

 慌てて拳銃を振り回し、敵襲に備える。振り回した拳銃が仲間に当たり、さらに混乱を極めるスキルアウトたち。駒場の「落ち着け」という一言で平静を取り戻す。部屋は、外の月明りが差し込むだけとなった。目が慣れてきて、おぼろげに仲間の姿が確認できるようになる。

 

「どこだ……? どこから、来る……?」

 

 浜面が銃を2つある出入り口に向ける。すると、ガチャ、と扉が開く音がした。窓際ではないので、出入り口の場所は何となくわかるが、ひどい暗がりで様子はわからない。とりあえず撃ってみることも考えたが、別室に居た仲間という可能性もある。警戒しながら、浜面は引き金に指をかけたままでその正体を掴もうとした。

 コツ、コツ、という靴音が聞こえる。

 そして。

 

 バチバチ、と、紫電が暗がりに瞬いた。

 

 

 馬場は苛立ちながら机を指でトントンと叩いていた。

 

(最悪だ。最悪っていうのはこういう時の気分を言うんだろうな、本当に)

 

 彼の見ているタイプ:スパイダーのモニターには、敷地の中でたむろしているスキルアウトたちの姿があった。

 

(低レベル。低能。底辺。動物園の猿の方がまだ賢い。馬鹿という言葉すら生ぬるいぞ。なんでこいつら、企業の敷地内にいっちょ前に陣取ってバカ騒ぎしてるんだ? 本気でわからない。わかりたくもないんだけど)

 

 更槇灘飲料の闇を探るという依頼を受けて、結果無駄骨になると予想してなお、報酬目当てに受け入れていた馬場である。しかし、目の前の惨状を見るとその判断すら馬鹿らしくなる。

 

(こんな猿どもが出入りしてる時点で、この施設には何の価値もないだろ。わざわざ調べるまでもない。何だってこの僕がこの底辺どもの哀れな生態を見せられてるんだ。金を払われてもこんな仕事したくないぞ。大体なんなんだこいつら。無能力者だろ。周りから馬鹿にされて憐れまれてるっていうのに、子どものイタズラみたいなことだけやって楽しく過ごしやがって。自覚がないのか? 本気で哀れだ。徒党を組んででかくなった気でいるのか。無能力者でも知略で学園都市の闇に溶け込み地位を得ている僕を少しは見習えよ。ああ、イライラする)

 

 苛立ちも最高潮になり、馬場は再びマイクのスイッチを入れた。

 

「博士。どうやらこの施設には何もなさそうです」

 

『む、どうしてそう判断する?』

 

「スキルアウトが根城にしています。廃施設ということで入り込んだのでしょうが、一日二日で居を構えたようにも思えません」

 

『ふむ。確かに、それだけの期間彼らが居座れるということは、管理地とされているものの登記されているだけの敷地……重要なモノを扱ってはいない可能性は高いな』

 

「ええ。奴らが使っている車両はこの施設に置かれているものを盗難したもののようですし、下調べをした連中が密かに稼働している施設と誤認したと思われますね」

 

 自分で言いながら、下部組織の杜撰な働きに苛立つ。あとほんの少し調査をすれば、リスクを負って内部にマシンを忍び込ませる必要なんてなかったのに。

 

『わかった。だが、念には念を入れよう馬場君。そのスキルアウトたちですら、目くらましの可能性はあるからね。せめて地下施設の存在くらいは調べておこう』

 

「……。了解です」

 

 これで終わりにしたかったのだが、仕方がない。あまり不愉快な感情を表に出さないよう注意して、馬場は通信を切った。

 

「まあ、施設内の探索でバカの騒ぎを目にしないで済むだけマシか」

 

 端末を通じて6機の小型マシンに命令を下した。

 その刹那である。

 

「――ん?」

 

 マシンの内1機の視界が真っ暗になり、カメラが暗視モードに切り替わった。それはちょうど、スキルアウトたちを見張っていた機体である。暗視モードの緑が、不気味にスキルアウトたちが慌てている様子を映し出している。

 

(停電? いや、これだけの施設を稼働させるための電源だ、馬鹿のバカ騒ぎで落ちるなどありえない。じゃあこれは一体……ぐッ!?)

 

 馬場の視線が緑の画面に集中している中で、目が潰れるような明滅が起こった。油断しているところにカメラのフラッシュを焚かれたような感覚で、目を瞬いて調子を確かめる。明滅の自動調整が行われたのを確認し、その正体を見た。

 

「これは……能力者? 電撃使い(エレクトロマスター)か?」

 

 能力を使用する影は、次から次へとスキルアウトたちを電撃で昏倒させていく。どうやら帽子を被っているようで、その表情は見えない。

 

(この体型と体格は、女か? いや待て、そもそもどうして能力者がこんなところに――)

 

 謎の人影を見定めようとしていると、人影の注意がカメラに向いた。こちらに向けて真っ直ぐに、手を構える。

 

(馬鹿な。タイプ:スパイダーは家グモ程度の大きさしかないんだぞ。視認できるはずがない。電撃使い特有の電磁ソナー? それならタイプ:スパイダーにも気付けるだろうが、いや、しかし、それができるほどの能力者となると……いや待て、今重要なのはそこじゃない)

 

 思考の間に、内1機の通信は途絶し、6つのモニターの内一つが砂嵐に染まった。

 

(この能力者の所属はわからないが、仮に更槇灘飲料が雇っている用心棒だとすれば、この場所はアタリ。見られたらまずいものがあるということ。マシンは一機失ってしまったが、手筈通り地下施設の探索を行う。仮に何も見つけられなくても、あんな過剰戦力を投じてきていること事態がその存在を肯定している!)

 

 馬場が残る5つのカメラに視線を映した時であった。

 トレーラーの車外カメラに、人影が映り込んだ。心臓が跳ねる。先ほどの電撃使いが通信電波を辿って攻めてきたのかと思ったが、シルエットは帽子の女ではなく、フードを被った男だった。

 

(ただの通行人……いや、こんな場所をこんな時間に歩き回る学生なんて――)

 

 次の瞬間、馬場の視界は360度回転した。

 

「うわああああああ!?」

 

 一度叫んで、舌を噛まないように歯を食いしばる。馬場の乗る電算室は空中で一回転し、そのまま地面に転がった。シートベルトも締めずに箱の中でかき回された馬場は、あちこち身体を打ち付けながらどうにかこうにか壁面だった場所に立ち上がった。

 

「く、くそ! 何が……いや、まずは!」

 

 状況確認よりも先にすべきことがあると、馬場は横倒しになった電算室の中で、コンピュータに命令を打ち込もうとするが、反応はない。先ほどの衝撃で、システムが破壊されたようだ。

 ガゴン、と。何かがトレーラーの上に乗るのがわかった。心臓が跳ねる。システムが動作しないのであれば、ここでできることは何もない。最悪の可能性を想像し、馬場は頭を抱えて震えていた。すると、ベキベキと強引に鉄の板を剥がす音が聞こえ――馬場の頭上に夜空が広がった。そこには人影が立っていた。右手に、数トンはあろう鉄の壁を軽々と持ち上げて。フードに隠れて顔はよく見えないが、黒髪が夜風に揺れているのがわかる。

 

「よう。お前が、こいつらの持ち主か?」

 

 声から、まだ少年だとわかった。少年はポケットに手を突っ込み、馬場に向けて何かを放り投げる。それすら、爆弾か何かと思って怯える馬場。しかし、落ちてきたのは指先ぐらいの大きさしかない、機械の蜘蛛だった。

 

「あ、あ……」

 

「間違いなさそうだな」

 

 馬場が返事をするより早く、トレーラーの中を覗き込んだ少年が、そこで横倒しになっている人間大の機械蜘蛛を見つけて結論付けていた。

 

「俺たちは、『飛燕部隊』。更槇灘飲料に雇われている武装組織だ」

 

「ひえん、ぶたい……」

 

 そんな組織名は聞いたことがなかった。馬場が唇を震えさせていると、少年が放り投げた鉄の蜘蛛に、赤い光が灯った。

 

『あー、聞こえているかな?』

 

「博士ぇ!」

 

 目の前には怪力の能力者、という状況でがくがくと震えていた馬場は、蜘蛛から聞こえた初老の男性の声に安心したような声を上げた。

 

『いやいや、失礼をした。「飛燕部隊」の少年よ。既に調べはついているのだろう?』

 

「お前らが、功架(こうか)食品株式会社から依頼を受けていたってことはな。少々手荒にやらせてもらったが、更槇灘は実行部隊のお前らを咎めるつもりはないようだ」

 

『ほう?』

 

「諜報活動を行っていたようだが、データの送受信はこの電算室との間でしか行われていなかった。これといって重要な情報が映り込んでいたわけでもない。更槇灘は、諜報活動を行った6機の機体とこの電算室の破壊による情報抹消で以て、お前らは不問に付すと言ってる」

 

「不問に付す……? 僕たちを何だと思って――」

 

「言っておくが、これは統括理事会から認可を得た決定だ」

 

 あんぐりと、馬場が口を開けた。彼ら『メンバー』も統括理事会の認可を得て作戦行動を行っている。しかし、功架食品からの依頼を『メンバー』に通したのも統括理事会なのだ。にも拘わらず、統括理事会が認めた決定と言うことは……。

 

『功架食品は、トカゲの尻尾にされたということだな』

 

 納得したような博士の声が聞こえた。

 

『いいだろう。統括理事会の承認つきならば逆らう道理もない。提示された条件を飲もう』

 

 

◇◇◇

 

 

「やー、しょーもない仕事ご苦労様!」

 

 深夜。スキルアウトと『メンバー』の馬場芳郎が制圧された工業地帯から数キロ離れたとある施設で、白衣の女性はにこやかに言った。ぎらついたピンク髪を揺らす女性の名は、木原(きはら)乖離(かいり)。20代前半という若年ながら、学園都市の数多のプロジェクトに携わる研究者の一人である。

 

「暗部組織に睨みを利かせられたのは、収穫だな」

 

 そんな木原乖離の正面で、机に寄りかかっているのはフードの少年。つい先ほど、暗部組織『メンバー』の馬場を制圧した少年である。

 

「博士とか言ってたから、『メンバー』かしら? 私、密かにリスペクトしてるのよねー」

 

「そうなのか?」

 

「分野は全然畑違いだけどねー。お母さん、自分にできないことができる人は尊敬しちゃうタチだから」

 

 嘘か誠か、軽い調子で乖離が言う。そこまで言って、乖離は「あ、でもでも」と否定するように手を振った。

 

「一番は数多さんだから! それは絶対に揺るがないからね! お母さん浮気は絶対しないの!」

 

 頬を上気させて、その名を口にする。

 木原数多。

 乖離と同じく、この学園都市の重要プロジェクトを預かる科学者。乖離からすれば叔父にあたる男である。

 

「この会話の流れでも大叔父さんに繋がるのか……」

 

 呆れた様子で、少年が突っ込む。この木原乖離という女性は、何かにつけて木原数多に結び付けてはこうして蕩けるような表情をしてしばらく悶える悪癖がある。いや、悪癖というのはいささか失礼だろうか。あまり知りたくはないが、彼女は彼女で、幼少期から現在までに色々あった様子である。これが男性アイドルの類であれば少年も放っておくのだが、なまじ相手がマッドなサイエンティストであることが共感しづらい点である。

 

「しかし、冨逆(とみさか)もだいぶ手慣れてきたな。いざとなればフォローに回るように、ってことだったが、スキルアウトについては一人で制圧していたぞ」

 

「あら本当。最初はどうなることかと思ったけど、きちんと仕事はできるようになったのね。元々ポテンシャルは高い子だから、やる気を出せるかどうかが問題だったんだけど。結構結構――っと」

 

 噂をすれば、といった具合に。二人が話している部屋に、人影が一つ入ってきた。帽子を目深に被った少女。わずかに覗く髪の色は茶髪で、表情は見えづらいが口元や輪郭は整っていた。年の頃は高校生くらいだろうか。

 

「おう、冨逆」

 

 フードの少年が声をかける。この冨逆と呼ばれた少女こそ、『飛燕部隊』のもう一人のメンバーである。いつも暗い表情をしているが、大人の事情であれこれ駆り出されるこの仕事をしていれば珍しいことでもない。少女は少年の声を無視して、部屋を素通りしていこうとする。

 

「あらミコちゃん。大活躍だったんですって?」

 

「……言われた仕事はやってきたわ。話は通行区分(ターミネータ)に聞いて。私はもう寝る」

 

 そっけなくそう言って、さっさとラボから去っていく。そんな様子を見て、乖離は肩をすくめた。

 

「相変わらずマイペースねえミコちゃんは」

 

 やれやれ、とため息をつくのを見て、通行区分と呼ばれた少年は尋ねた。

 

「ずっと聞かずにいたが、冨逆はどういう経歴のやつなんだ? 前の奴らと同じように、表側から引っ張ってきたのか?」

 

「あら通行区分。女の子のことを知りたいときは言伝よりも本人から聞いた方がいいわよ? 女の世界って怖くてねぇ、陰口で秘密をバラした日には村八分に――」

 

「その取り付くシマもないから言ってるんだが」

 

 先ほどの対応を見ていなかったのか、と続けようと思ったが、やめておく。木原乖離という人間は何かにつけて茶化して楽しむタイプなのだ。そもそも、話しかけられそうにない雰囲気を全身から醸し出しているのである。特に積極的な性格でもない通行区分は、相手のパーソナルスペースを侵してまで関わろうとも思わなかった。

 

「そうねぇ。じゃあここはひとつ、お母さんが一肌脱いであげるわ」

 

 白衣の女性はおどけたような仕草で、ウインクをひとつぶちかました。整った容姿の持ち主である乖離ならば、ほとんどの男性はその仕草ひとつでときめくのだろうが、親子の関係にある通行区分からすれば、頼むからやめてほしい案件であった。

 



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第3話  急襲

 7月21日。学園都市第23学区『エンデュミオン・シティ』。

 青いガラス張りのビルが立ち並ぶ、学園都市の街並みの中でも特に近未来的なその場所に、木原数多の姿はあった。短い髪に、顔に彫り込まれた入れ墨。申し訳程度に白衣を羽織ってはいるものの、それを着ていなければ彼を研究者などと思う者はまずいない。

 

「ふぅん、『才能補翼(AIMパートナー)』。話に聞いちゃいるが、使いもんになるのか? アレ」

 

 木原の前に、人影はない。その視線はテーブルの上に置かれたノートパソコンに向いていた。そこにはどぎついピンク髪の妙齢の女性――木原乖離の姿があった。キラキラと少女のように目を輝かせてこちらを見ているのは、いつものことである。これ見よがしに胸元を明け透けにしている辺り、この姪っ子は悪い方向に成長してしまったようだとぼんやり思う。残酷な事実だが、仮に全裸で居ようが木原の興味は彼女に向くことはない。興味があるのは、彼女が提示してくる研究成果の数々だ。

 

『確かに、管理していた施設のデータによれば実用に耐えるとは言い難いでしょう。でもでも、私の理論通りならイケること間違いなしです!』

 

 乖離から送られてきた論文には目を通してあった。副作用を度外視した、他人の願いとかそういうものの結実を火事場泥棒のように奪っていく理論だ。パソコンの傍らに置いてある小さなモバイル端末に目をやって、そう思う。

 

「そうかい。まあやれるだけやってみな。もしもその理論が立証されれば、応用の幅も利く。相似んとこの機関とかも注目しているみたいだしな。強いて言うなら、俺はこの理論の先、『変速装置(ブースター)』への転用の方に興味があるがね」

 

 パソコンの向こう側の乖離に見えるように、論文の後ろのページを見せる。それを見て、乖離は小さく頷いた。

 

『準備は滞りなく進めていますよ。もしも、今日の臨床試験が失敗したとしても、そちらの方で必ず成果は出して見せます』

 

「そいつは結構。あのガキには金がかかってるからなぁ、ちったぁ害虫駆除以外で働いてもらわなきゃ割に合わねえ。それじゃ改めて、期待してるぜ、乖離ちゃんよ」

 

 木原の反応に、乖離は耳まで真っ赤にして蕩けるように紅潮した顔をして大きく何度も頷いた。それを確認して、通信を切る。それまで乖離の顔が映っていたパソコンの画面が、初期設定のままのデスクトップに変わった。

 

「ごめんなさい。待たせたわね」

 

「いやなに、ちょうどいいタイミングだよ」

 

 パタンとパソコンを閉じて、木原は部屋に入ってきた影に向き直った。

 振り向いた先に立っていたのは、木原の腹くらいの高さしかない幼い少女だった。名を、レディリー=タングルロード。学園都市の宇宙工学研究の最先端を行く、オービット・ポータル社の社長である。基本的に他人に取り入ったり遜るということをしない木原からすれば、大会社の社長と言えど必要以上の敬意は向けない。

 

「お願いした品物は?」

 

「心配はいらねえよ。俺の姪っ子が上手いことやってくれた」

 

 パソコンから抜き取ったUSBを手渡して、木原は笑った。

 

更槇灘(さらまきなだ)飲料とは、随分と仲が悪いみてえだな?」

 

「一方的なやっかみよ。気持ちはわかるけどね。誰だって、歴史の浅い企業に後から最先端の座を奪われたんじゃ目の敵にもしたくなる」

 

 USBをブレスレット型の端末に差し込んで、データを閲覧するレディリー。それを読むのには十数分は要するだろうが、1分も経たないうちに納得したように頷いた。

 

「やっぱりね。こんなことだろうと思ったわ」

 

「どうする気だい? こいつを証拠に連中を法的にブッ叩くか? それとも、連中の抱えているモノを吐き出させるのか?」

 

「やるなら前者。こちらから動いても損しかない。だからそうね、餌を撒きつつ泳がせる、って感じかしら?」

 

 扇子を広げて、レディリーはくつくつと笑った。

 

「シャットアウラ」

 

「はっ」

 

 レディリーの背後に控えていた、黒髪の少女が前へ出た。年の頃は高校生くらいだろうか。その全身は体にぴったりとしたボディスーツで守られている。一見無防備なように見えるが、あれは下手な装甲服よりも高い防御力を有している。学園都市の裏側でも最近導入が始まったくらいの最先端の代物だ。この街の科学技術に精通している木原は、一目見てその価値に気付いていた。

 

「情報流出の準備をして。更槇灘飲料に向けてね」

 

 シャットアウラは頷いて、ワイヤレス通信機を通じて部下に指示を下していた。

 

「怖いねえ。肉を切らせて骨を断つ、か」

 

「真っ向から戦っても分が悪い相手には搦め手を使うものよ。この一手で彼らを黙らせられるなら安いものだわ」

 

 そんな『企業』の在り方を眺めて、木原は改めて、ニヤニヤと笑いながら「怖いねえ」と呟いた。

 

 

 第13学区は幼稚園や小学校などの低年齢層用の学習施設が集中している学区である。人気の飲料メーカーである更槇灘飲料株式会社であればいざ知らず、戦闘部隊である『飛燕部隊』との縁はないに等しい。

 そんな第13学区を、フードを被った黒髪の少年、通行区分(ターミネータ)と、帽子を目深に被った少女、冨逆(とみさか)が訪れていた。親会社の指示で慰安活動……などではなく、重要な任務を帯びてのことである。

 

「君たちが、『飛燕』の?」

 

 大型託児施設『すいかずら園』の門の前で、数台の護送車と共に待機していると、おそらくこの園の責任者なのだろう、温和な印象を抱かせる初老の男性が現れた。車体に背を預けてそっぽを向いている冨逆に代わり、通行区分が頷くと、男性が背後に向かって目配せをする。ほどなくして、大人が二人がかりで抱えるほどのカプセルが運ばれてきた。その中身は、一目見れば想像できる。どうしてこんな場所に、という疑問はあるが、この街ではこの手のカムフラージュは日常茶飯事だ。

 

「よろしく頼む。くれぐれも、扱いは慎重に」

 

「ああ」

 

 こちらも背後に目配せをすると、護送車から下部組織の人員が現れ、カプセルを受け取って車両に積み込む。無事に積み込みが完了したことを見届けると、男性は軽く頭を下げて園内に戻っていった。男性の向かう先には、砂場で遊ぶ子供たちがいる。護送車のような大きな車が珍しいのか、こちらを指さしてアレコレとはしゃいでいるのが聞こえた。

 

「……さっさと行くわよ」

 

 それを見ていた冨逆は、興味なさげに呟いた。

 沈黙が苦になる人間とならない人間が居る。それは気心知れた仲であれば大丈夫だったり、それでもダメだったりと千差万別であるが、通行区分は沈黙には慣れているつもりだった。カプセルの護送の任を受けた二人は、お互い正反対の方向に座って正反対の方向を向いていた。淡々と、車の揺れと駆動音だけが響いている。

 

「なあ、冨逆」

 

 先日の木原乖離とのやり取りもあるのだろう。どうにもいたたまれなくなって、通行区分が沈黙を破った。帽子を目深に被った少女は顔をこちらに向けることもせず、

「何?」と一言だけ返す。根本的にこちらと関わる気がない様子である。

 

「とても俺たち二人がかりでやる仕事だとは思えないんだが、どう思う?」

 

 それは純粋な疑問でもあった。木原乖離は更槇灘飲料の研究チームに多大な貢献をしているし、発言力はそれなりにあるだろうが、貴重な『飛燕部隊』の戦力を一か所に集中させるほどの横暴ができるとは思えなかった。

 

「……何も。ただ言われたことを言われたようにやるだけよ」

 

 素っ気なく返事する冨逆。こういった反応は、彼女が初めてではなかった。『飛燕部隊』で活動する中で、過去に何人かとこうしてチームを組んだことがある。大体は何かの理由があって、真っ当な学生として生きられなくなった人間たちだった。そうして関わった彼らも、最初はこういう様子だった。表側と裏側の環境の違いに戸惑うのだ。この冨逆という少女もまた、そういった経歴の持ち主であることは想像できた。

 

「あまり落ち着いて話をする機会はなかったな。お前、何をしてここへ来た?」

 

「……」

 

「理由は色々あるよな。犯罪に手を染めたとか、あまりにも出来が良すぎてこっちで運用されることになったとか。まあ、『飛燕部隊』はこの街の暗部からすれば浅いところだ。大したことじゃないのかもしれないが」

 

「……」

 

 こうもあしらわれると、さすがに匙を投げたくなる。無理に仲良くする必要もなし、諦めて手を引こうかとも考える。しかし、不思議とこの少女にはあれこれ話をしてみたくなった。制圧の手際の良さや、あれこれ指示をせずとも必要なことがやれる実力を評価しているというのもある。あまりにも素性が読めなさ過ぎて、知的好奇心をくすぐられているかもしれない。あの母親の茶化す癖が移ったかと、少し複雑な思いを抱きながら、めげずに話を続けてみる。

 

「あー、悪かった。デリカシーがなかったな。喋りたくないなら喋らなくていい。代わりに少し俺の話を聞いてくれないか」

 

 少女の返事は、相変わらずの沈黙である。ひとまずそれを了承と受け取って、通行区分は語り始めた。

 

「俺はお前達とは違って、こっち側で生まれた。学園都市の裏側だ。それも暗部の人間同士が好き合って、なんて話じゃない。俺は、第一位の……一方通行(アクセラレータ)のクローンとして生まれた」

 

「……?」

 

 初めて、少女が反応を返した。相変わらず表情は読めないが、顔をこちらに向けたのだ。通行区分は語り続ける。

 

「俺が木原乖離を母さんと呼ぶのは、あの人が俺を生む母胎になったからだ。普通はクローンなんて培養器で製造するのにな。だから敬意を持ってそう呼んでるんだ。理由は……まあ本人から聞いてくれ」

 

 窓から見える景色はどうやら高速道路のようだ。遠くに第15学区の街並みが見える。そこにあるであろう、無数の人々を想像する。

 

「ともあれ俺は、この180万の学生がひしめく学園都市最強の超能力者(レベル5)のコピーとして生まれた。完全なコピーだったらこんなに美味い話はないが、俺は欠陥品だった。ベクトル変換って稀有な能力だけは受け継いだから扱いは悪くないが、偉大なオリジナルを持てばコンプレックスも一層ってな」

 

 自嘲気味に笑う通行区分。冨逆は静かに彼を見ていた。

 

「笑ってくれて構わない。それでも俺は理想を抱いた。夢を持ったんだ。スペックでは劣っていても、必ずオリジナルに並んでみせるって」

 

 話していて、声が上擦るのがわかった。こうして夢を語っていると、どうしても気持ちが高ぶってしまう。聞いていた冨逆も、意外そうにしていた。

 

「お前にはないのか、こういう思いは」

 

 尋ねると、帽子の少女は少し顔を逸らした。相変わらずの無言で、またしてもだんまりだと思った。しかし。

 

「……私は、私を作り出したヤツに復讐する。そのためだけに生きてる」

 

 静かに、口を開いた。尋ねておきながら、少女が素直に答えたことに驚いている自分が居た。

 

「作り出したって……それは、自分の親をってことなのか?」

 

 黒髪の少年が尋ねた、刹那である。

 二人を乗せた護送車が、爆音と衝撃と共に大きく横転したのは。

 

「ッ!」

 

「なに!?」

 

 視界が、ぐるぐると回転する。天地は反転し、裏返り、それが数回繰り返されたかというところで、激突の轟音とともに停止する。

 自分が第一位だったのならベクトル反射で無傷だったのだろうが、常時ベクトル反射などという芸当がとっさにできない彼は全身を強打していた。それが鈍く痛む程度で済んでいるのは、日々の鍛錬による受け身と、わずかばかりのベクトル操作が間に合ったおかげだろう。身を起こし、車内に帽子の少女の姿を探すが、どこにもいない。衝撃で外へ放り出されたのかもしれない。

 横転し、天を向いた窓に目を向けて、よじ登る。そこに、一連の事故の原因が立っていた。

 巨人。

 人間の体格を逸脱した形状の機械の巨人が数体、立っていた。

 

駆動鎧(パワードスーツ)……?」

 

 駆動鎧。能力者を鎮圧するべく、警備員などが採用している装備の一つである。並大抵の能力者の攻撃ではびくともしない強固な装甲と、力づくで鎮圧するためのパワーを併せ持った、シンプルな対抗策だ。とはいえ、その流通先は警備員だけでなく、暗部でも対能力者用の運用がされている。通行区分も、任務の中で何体か破壊したことがあった。

 しかし、目の前に立つ機械の巨人には、警備員(アンチスキル)の所属マークがついている。

 

(警備員、だと……?)

 

 カプセルの中身は、木原乖離が『重要な被検体』と言う程の能力者。暗部組織ならば乖離同様に、サンプルとしての価値を見出して狙ったのだと考えられる。襲撃を予期して木原乖離が護衛を二人つけたことは腑に落ちるが、警備員の狙いとなると断定しづらい。

 

「お前ら、本当に警備員か? やり口が随分と乱暴だが?」

 

 護送車の上に立って、巨人たちに語り掛ける。巨人に首はなかったが、注意はこちらに向いていた。しかし、それだけで答えはない。これで全くこちらに興味を示さないようなら、中に『骨格』を押し込んだAI操縦の機械かもと思うが、どうやらそうではないらしい。こちらが対話の意思を見せているのに、取り合う気がないということだ。尤も、このような襲撃を企てている時点で、交渉に乗ってくるようなケースも稀ではある。数秒待って、無言が返答だと結論付けた通行区分は、痺れを切らせて話を続けた。

 

「噂に聞く警備員の暗部とか、そんなところか。まあいい。狙いはこの中の能力者なんだろ? こんな手荒な真似をしたんだ、手荒に返される覚悟はあるな?」

 

 巨人の内何体かが、通行区分に銃口を向けた。警告ではない。銃口を向けるのとほぼ同時に、対物ライフル大の弾丸がフードの少年に斉射される。

 しかしだ。

 次の瞬間には、少年を撃ち抜くはずだった弾丸の全ては、それらを放った巨人たちの全身に襲い掛かった。巨人たちは爆炎と煙を上げて吹き飛び、路面に横たわる。想定外の事態に、残る巨人たちが身じろぎした。

 ――右手。

 通行区分は巨人たちに向けて右手を翳していた。彼が、学園都市最強の超能力者の象徴、『反射』の片鱗を使える部位。

 

「……ふぅ」

 

 小さく息をつく。射線の予測を見誤っていれば、胸から上と下に裂けていたかもしれない。

 だが、まだ終わりではない。現れた巨人は全部で6体。破壊したのは2体のみ。こちらが何らかの能力者であることは、彼らにもわかったことだろう。次は慎重にくる。迂闊に攻めかかりはしないだろう。であれば、今度はこちらの番だ。

 首にかけていたヘッドホンを、徐に装着する。ハウジング部分にある小さなスイッチを押すと、モスキート音にも似た特殊な音が、耳から脳へと響き渡る。

 

「――、」

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。落ち着き払っていた少年の口元が、裂けるような笑みを刻んでいく。

 

「さァーてと。それじゃァ、まァ」

 

 声そのものに変化はない。しかし、その声音は大きく変わっていた。

 

「始めると、すっかァ……!」

 

 足場にしていた護送車を蹴り、通行区分は空中に躍り出た。空を切り、巨人の一体の目の前に立つ。こちらの動きが見えていたのか、どうにか反応して銃口を向ける。その銃口を右手で掴み、握りつぶす。ひしゃげた鉄くずを強引に奪い取り、火薬の塊たるそれを目の前の巨人の関節に突き刺して、着火する。

 爆発。

 片腕を失った巨人がよろめくのを見て、もう一方の腕に無理矢理手指を突き刺して、掴む。華奢とは言わないまでも、一般的な高校生の体格の範疇でしかない通行区分が、自分の倍はあろうかという巨人を片腕一本で振り回し、別の巨人に叩きつける様は、異様の一言だった。爆炎を壁として、仲間に当たることを躊躇わずに弾丸が放たれる。しかし、既にそこに黒髪の少年の姿はない。空を切る音と共に、悪魔は頭上から襲い来る。風と重力のベクトルをかき集めて、上空から絶対破壊の一撃を見舞う。それは、鋼の巨人の腕を銃ごと粉々に砕き、宙を舞う砕けた破片に手を振るえば、それらは意思を持ったかのように巨人の身体に向け炸裂する。それはさながら、散弾銃のようであった。

 これこそが、学園都市最強の片鱗。たとえ片鱗であっても、この程度は容易い。

 

(――あと、ひとつ)

 

 折り重なった巨人と巨人の隙間で彼らの銃器を誘爆させ、爆炎の中で最後の一体に目を向ける。

 ガシャン、と巨人が銃口を構え、その射線を逆算して右手を構えようとする。

 しかし、発射の瞬間、銃口は通行区分からわずかに横に逸らされた。そこには何もない。ただ高速道路の壁があるのみ。何かの不具合で鎧が上手く機能しなかったのかと考えた時、肩の装甲が可動するのが目に入った。現れたのは、二門の砲門。

 

「!!」

 

 それは真っ直ぐに、駆動鎧に向かう通行区分に狙いを定めていた。狙いをつけたように見えたのはブラフ。わずかな疑問を与えることで、こちらの反応を遅れさせる策。しかしだ。

 

「ざァンねン」

 

 棒立ちの少年に撃ち掛けられた灼熱の弾丸は、次の瞬間には巨人に突き刺さっていた。

 

「さっきのを見て『右手』以外は大丈夫だとでも思ったかァ? 惜しいねェ、さっきのままならオマエの勝ちだったンだが、よォ!」

 

 足元に転がっていた別の巨人の破片を蹴り、よろめく巨人の脇腹へとめり込ませる。その一撃だけで、巨人は内側から爆発し、そのまま爆炎に飲み込まれた。

 

「オイオイオイ、ンだよシケてンなァ。そンなンで吹き飛ンじまってたら張り合いがねェぞ。オマエらにはまだまだ……聞きてェことが山ほどあンだからよォ!」

 

 爆炎に包まれた駆動鎧の中身に手を突っ込み、無理矢理内部の人間を引き摺りだす。熱と炎で焦げてはいるが、かろうじて息はあるようだ。話を聞くには少々状態が悪いかもしれない。そこまで言って、狂気に歪んだ表情を見せていた少年が、ほんのわずかに先ほどの落ち着きを取り戻した。

 

「っと、いけね……『変速装置(こいつ)』を使うといつもこうだ」

 

 ふと、冷静になって一度ヘッドホンのスイッチに手をかけた時である。

 視界の隅で、機械の巨人が護送車の後部を強引に引き剥がし始めたのは。

 

「まだ居たのか!」

 

 通行区分がはっきりと目を向けた時には、巨人は引き剥がした後部扉を此方へ向けて放り投げていた。

 

「ッ」

 

 放り投げたというよりも、ブーメランを投げるような仕草だった。それは回転しながら正確に通行区分へと襲い掛かる。右手を掲げる間もスイッチを入れる間もなく、通行区分は横合いに飛び、それを回避する。扉は壁の強化ガラスに突き刺さり、辺りに破片を飛び散らせた。

 そうしている間にも、巨人がその両手に、黒いカプセルを抱えた。通行区分たちが護衛の任務を帯びたもの。それを抱えたまま、巨人の背から炎が噴射され、ゆっくりと宙に浮き始めた。飛行機能を搭載した駆動鎧。噴射口の周辺部だけ少し色が違うところを見ると、後付けで改造をしたらしい。

 

「やらせるか!」

 

 どれほど自由な飛行が可能かはわからない。しかし、いくら通行区分がベクトル変換能力を持っていても、追える高度には限りがある。一方通行であれば、自転のベクトルでも、風のベクトルでも使って追えるのだろうが、通行区分が利用できるベクトル量は一方通行の10分の1にも満たない。跳躍できるのはせいぜいが10メートル。それを超えられてしまえば、周囲に建造物もない高速道路上では追う手段が存在しない。

 巨人は前進しながら、5メートルほどまで高度を上げていた。挙動を見るに、これが限界の高さではない。ここで仕留めなければ逃げられる。通行区分はヘッドホンのスイッチを入れながら路面を蹴り、巨人に向けて大きく跳躍した。どのようなアスリートでも不可能な、単身での高度10メートル近い跳躍。通行区分の身体は緩やかなアーチを描いて、中空の巨人へと迫る。それには巨人も驚いたのか、進行方向からわずかにこちらへ体を向けた。

 大きく振りかぶった拳が、巨人の胴を捉えた――かに見えたが、寸でのところで巨人が体勢を変えたことによって、拳は巨人が抱えるカプセルに命中した。

通行区分の目が見開かれる。あろうことか、護衛対象を自ら攻撃してしまうなど。命中した強固なカプセルの表面が一撃でひび割れる。瞬時に拳を引き戻すが、ベクトル変換の拳が与えたダメージは大きく、ひび割れた外装が砕け散った。そして。

中からは、一人の少年が現れた。

 金色の髪と白い肌をした、10歳前後の幼い少年だ。

 

(ガキ、だと……!?)

 

 思わぬ中身の姿に、通行区分は驚いた。能力者と聞いて、無意識に中高生くらいの人間を想像していたのもある。

 慣性に従い、幼い少年は意識がないまま、カプセルの中から零れ落ちた。

 しまった、と言う時間もない。重力に引っ張られてアスファルトへ向かって落ちていく少年。間に合え、と風のベクトルを操り、空中で自分を加速させようとした通行区分だったが、それよりも早く、とある人影が落ち行く少年を受け止めた。

 帽子を目深に被った少女。

 通行区分と同じく、『飛燕部隊』に籍を置く、電撃使い。

 それは急な動きだったのだろう。目深に被っていた少女の帽子が、反動で飛ばされた。帽子の中に無理矢理入れていた、長い茶髪が露になる。必死に歯を食いしばり、幼い少年を抱き抱えるその顔には、見覚えがあった。

 

「オマエ……」

 

 思わず、その名を口にしそうになる。少女の返答は、通行区分を掠めて巨人を包み込む、青白い稲妻だった。

 

「……やれ!」

 

 冨逆の放った電流は駆動鎧の全身を覆い、空中にその巨体を留めていた。さながら罠にかかった動物、ピンで留め置かれる虫の標本のようだった。それに応えるように、一度着地した通行区分が、脚力のベクトルを変換して再び跳躍し、渾身の右拳を振るう。ベクトル変換を用いたその一撃は、的確に巨人の胴を砕いた。

 

「ごぱァッ!?」

 

 砕かれた胴の中から、男の声が聞こえてくる。振るった拳は鎧どころか、中身の人間の肋骨まで砕いていた。制御を失った巨体が落下し、高速道路上に巨大なひび割れを作る。道路脇に退避していた冨逆が、少年を抱えながら落下地点に背を向けて、衝撃波をやり過ごしているのが見えた。髪の長さは違う。体格も、違うように見える。しかし。

 

(あの顔は、どう見ても……)

 

 そのまま着地し、ヘッドホンを首にかけ直した通行区分は、衝撃で吹き飛んだ冨逆の帽子を拾い上げた。駆動鎧の残骸があちこちに転がる死屍累々の中に佇む少女は、靡く髪を抑えながらアンニュイな表情をこちらに向けた。

 

「……助かったぞ、冨逆」

 

「……別に。気絶してた分の働きをしただけよ」

 

 あまりこちらに顔を向けようとはせず、少女は言った。相変わらずの態度に、「そうか」とだけ答える。

 

「そいつは、問題なさそうか」

 

「息はしてるし脈拍にも異常はない。ただ眠ってるだけよ」

 

 慎重にその場に幼い少年を寝かせて、通行区分から帽子を受け取る。少年を寝かせる所作にはそれまでの彼女のイメージとはまた違う、思いやりのようなものが感じられた。それは『裏側』の人間を多く見てきた通行区分にとっては珍しく、ついまじまじと見てしまう。貴重な被検体を扱う時の木原乖離のそれとは違う、慈愛を感じる所作だった。

 髪をまとめて帽子に入れようとした少女は、思い出したように通行区分に向き直った。

 

「自己紹介、まだだったわね」

 

「ん」

 

 珍しく彼女から話を続けたので、目を丸くする通行区分。茶髪の少女は手にした帽子を被ることなく、靡く髪を少し抑えてこちらを見た。

 

「私は、冨逆(とみさか)美鼓(みこ)。常盤台の『超電磁砲(レールガン)』……御坂美琴のクローンよ」

 

 苦々しい表情で、冨逆――冨逆美鼓は、静かに告げた。

 



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第4話  置き去り《チャイルドエラー》

「へっくし!」

 

 7月20日。白井黒子と共にとある事件を追う御坂美琴は、本日何度目かとなるくしゃみを炸裂させていた。昨晩、自分の邪魔をした挙句にわけのわからない『右手』を持つツンツン頭の少年を、夜通し追い掛け回していたためである。

 

「やはりお休みになられていた方が良かったのではありませんか?」

 

「平気よ。ちょっと馬鹿を追いかけてただけだし」

 

 馬鹿? と白井は美琴の言葉を繰り返し、はあ、と小さくため息をついた。

 

「相手がどこのどなたかは存じませんが、あまり一般人相手に暴れないでくださいまし。昨日の停電騒動、お姉様が原因なのでしょう」

 

 ぎく、と美琴の肩が跳ねる。白い目で見てくる白井に対して、美琴は慌てて反論する。

 

「し、仕方ないでしょうが! 本気出さないと全然怯まないんだもん、アイツ!」

 

「言い訳にすらなっていませんわよ」

 

 呆れた調子で言う白井に、美琴はなおも食い下がろうとするが、これについては弁解のしようもない。周囲への影響を鑑みずに、衝動で年上男子に噛みついていたのは確かなのだから。

 

「そ、それより。あの爆弾魔が昏睡した件だけど」

 

 美琴はつい先日、能力のレベルを格段に引き上げる都市伝説『幻想御手(レベルアッパー)』を使用したと思しき学生を吊るし上げており、先ほどその学生が意識不明となったという知らせを受けたところであった。

 

「詳しいところはまだわかりませんの。ああ、そうでしたわ。巡回のシフトを急遽変更しなければなりませんわね。お隣の紡杵(つむぎね)さんに連絡……と」

 

 思い出したように、白井が風紀委員(ジャッジメント)の備品なのか、普段は使っていない端末を取り出した。

 

「私、結構乱暴にぶん殴ったのよね……あれが原因じゃないといいんだけどなぁ」

 

「お姉様、それ、結構な爆弾発言ですわよ」

 

 ひとり述懐する美琴を、白井が引きつった顔で見た。

 

 

「任務達成ご苦労様~!」

 

 煤と埃で派手に汚れた服でアジトへと帰還した通行区分(ターミネータ)を待っていたのは、派手なピンク髪を揺らした木原乖離だった。先ほどの戦闘であれこれ考え事のある通行区分はあまり相手にせず、「ああ」と小さく応じるのみであった。そんな通行区分の反応につまらなそうにしつつ、乖離はその背後を見やる。

 

「あれ? ミコちゃんは一緒じゃないの?」

 

「途中で別れた」

 

「えー、せっかく親睦を深めてもらおうと無茶言って同じ任務に就かせたのに。やっぱり仲良くやれそうにないのー?」

 

「……」

 

 ふと、靡く髪を抑える少女の姿が過った。

 

「一応聞くが、母さんは全部知ってるんだな?」

 

「ミコちゃんのこと?」

 

 頷くと、乖離はにんまりと笑って見せた。

 

「そりゃあ、あの子を連れてきたのは私だもの」

 

「アイツは本当に、御坂美琴のクローン……妹達(シスターズ)なのか」

 

 素直な疑問を口にする。乖離は目を丸くしていた。

 

「顔は確かに御坂美琴のものだった。体格はまあ、研究するうちに規格を変えることもあるだろう。だが、奴のレベルは強能力者(レベル3)なんてものじゃない」

 

 ロケットのような機構で空へと飛び立とうとした駆動鎧(パワードスーツ)を、空中に縫い留めた強力な電磁力。通行区分の能力は、ベクトル変換能力と銘打ってはいるが、その本質は高度な観測・分析能力である。オリジナルと比べて劣化しているとはいえ、周囲の電気量を計測することなど造作もない。

 

「少なく見積もっても大能力者(レベル4)量産型能力者製造(レディオノイズ)計画のレポートには俺も目を通したが、遺伝子制御や薬物投与で手に入るチカラとは思えない。俺のように外付けの演算補助……『変速装置(ブースター)』を使っているわけでもない。アレは一体――」

 

「通行区分」

 

 少し語調を強くして、木原乖離は遮った。

 

「それ以上は、女の子のプライバシーに踏み込む行為。疑問に思う気持ちはわかるけどね、『あっ、ちょっと変わった子なんだなぁー』くらいに留めておきなさい?」

 

「……俺にも口外できない事情があるのか?」

 

「それがお互いのためなのよ。これから先、同じ部隊の仲間として働く上で、知らない方が良いこともある。知ってしまったが最後、見る目が変わってしまうことってあるのよ? どんなに良い人に見えていても、実はバツ3とか聞いたら普通には見られなくなるじゃない? ああ、まあ、あの子の場合は本人の問題じゃないから、このたとえは変かもしれないけど。まあ言いたいことは同じよ」

 

 手をぷらぷらと振って、誤魔化す。木原乖離という女性が、隠し事をする時の癖だった。一応、母親である彼女のことを信頼している通行区分だったが、彼女のこの仕草だけは、いつまで経っても好きになれなかった。

 そしてこの仕草をした木原乖離が口を割ることは絶対にない。彼女の子として過ごした日々の中で、それは体感していた。これ以上追及したところで、時間の無駄になるだけだ。強硬手段に出ればあるいは、とも思うが、生憎とそこまでするつもりもない。自分の立ち位置を揺るがしてまで、危ない橋を渡るほど好奇心のタガは外れていないのだ。

 

「……ああ、わかったよ。それなら、あの子どもについて聞かせてくれ」

 

 折衷案というわけでもないが、もう一つの疑問を投げかけた。

 

「ああ、あの子のことね」

 

 木原乖離は頷いて、傍らのコンソールに何か命令を打ち込んだ。素直に言うことを聞いたからか、どこか満足げであった。命令の入力とほぼ同時に、部屋の大部分を占める壁面モニターに情報が表示される。手術着のようなものを着た、金髪の少年の姿だった。

 

「『置き去り(チャイルドエラー)』か」

 

 モニターを見た通行区分は、真っ先にプロフィール部分を読み取り、呟いた。

 

 『置き去り』とは、要するに身寄りのない子どもたちである。学園都市では様々な理由から、子どもを預けたまま失踪する親は多い。それは金銭的な問題ということもあるし、単純な厄介払いという場合もある。望まれない子どもだったり、最新鋭の衛生都市ならきっとよくしてくれるという希望を込めて、ということもある。そうして学園都市の庇護に入った子どもたちの行く末は明るい――ばかりでもない。乖離は楽しそうに微笑む。

 

「今時珍しくもないでしょう。赤ちゃんポストなんてものがある時代なんだもの」

 

「母さん達に言わせれば、才能の有効活用ってやつなんだろ。それについてはとやかく言うつもりはないさ。それで、こいつのどこを気に入った?」

 

「顔が可愛いっていうのは言うまでもないとして、次のページ」

 

 エンターキーを一度叩く乖離。モニターに新たな情報が表示される。それは、能力者の能力を解析、説明するものであった。

 

「『才能補翼(AIMパートナー)』……?」

 

「聞き慣れない能力でしょ。夢が広がるわよ、この子のチカラは」

 

 得意そうに微笑む乖離をよそに、通行区分はその文字の羅列に目を向けた。

 

「AIM拡散力場の観測と、同期、拡張……」

 

「世に言う『幻想御手(レベルアッパー)』にアプローチは近いかしら。自身と同期先の間にネットワークを構築し、二人だけのネットワークの中で、自分のAIM拡散力場と演算領域を貸し与える。この子自身のパフォーマンスは大きく落ちるけれど、同期した対象は自身の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を適用するAIM拡散力場と演算領域を増幅し、一時的にレベルが引きあがる」

 

「そんなことが可能なのか? いや――」

 

「そう、まだ実用段階じゃない」

 

 通行区分の言葉を遮って、乖離が口にした。

 

「ここに記されているのは、大部分が推論よ。ただし、この子が持っている『種』を開花まで導くことができれば、これは現実になる。もしそうなったら、何が起こると思う?」

 

 尋ねられて、通行区分は目を細めた。

 

「学園都市を取り巻く『強度(レベル)』のパワーバランスは大きく狂う。こいつの領域がどれほどかにもよるが……条件付きで誰でも超能力者(レベル5)に変えられる。確かな『自分だけの現実』が存在するのなら、誰でもだ」

 

 にわかには信じがたい話である。もしもこれがネットのよもやま話であれば、一笑に伏すところだ。しかし、『木原』が目を付けているとなれば話は別である。

 

「そう聞くからには、この推論を実現する方法はもう考えてあるんだろうな」

 

 通行区分の言葉に、ピンク髪の研究者はにんまりと笑った。

 

「もちろん。多少手荒にはなるけどねぇ」

 

 

 

 その光景は、見れば見るほど恐ろしいものだった。

 御坂美琴のクローンである冨逆美鼓は、巨大な培養器の中に詰め込まれた金髪の少年の姿を見て、眉をひそめる。頭の中に残っている、忌々しい記憶が呼び起こされるようだった。ぞわりと背筋に走った嫌な感覚を、肩を抱いて押し退ける。

 

「……予想以上ね、学園都市の腐りっぷりは。こんな子どもまでモノ扱いか」

 

 思わず、そんな独り言が漏れた時であった。

 

『……誰か、そこにいる……?』

 

 不安げな声が、聞こえてきた。見れば、培養器の中の少年の瞼が開き、こちらを見つめていた。予想外の反応に、目を丸くする冨逆。

 

「そんな状態でわかるの?」

 

『……うん。実験の影響で、感覚は他人よりも良いみたい』

 

「……実験」

 

 ここへ連れてくるに当たって、木原乖離は「能力者を買い付けた」と言っていた。能力者にも千差万別があり、オリジナルの御坂美琴のように順当に成長していくタイプの者と、生まれた時から強大な力を有している者がいる。この少年がどちらに該当するのかはわからないが、あの木原乖離が金を出して買い付けたという時点で、ある程度学園都市内で能力開発ないし解析を行われたことは想像できる。学校での教育という形を取っているのなら非人道的とまでは言うまいが、この幼い少年はそうではない。

 勝手に境遇を想像して、冨逆はそれ以上、実験について尋ねることはしなかった。

 

「アンタ、名前は?」

 

『……え』

 

 問いを投げると、少年は戸惑ったように言葉に詰まった。小首を傾げて、冨逆は続ける。

 

「あるでしょ。自分の名前よ」

 

 少年の戸惑いも、止まらない。少しあれこれ考えるように視線を泳がせてから、おずおずと口を開いた。

 

境界、因子(インター フェイス)……』

 

 どこぞの同僚という例があるからそこまで違和感も覚えないが、それはあまりにも、人名とはかけ離れたものであった。苛立ちながら、冨逆はさらに問いを投げた。

 

「親からつけられた名前はないの。田中実みたいな」

 

『……ないよ。ボクは、『置き去り』だから。気が付いた時には周りは白衣の大人ばっかりで。その人たちはボクを境界因子って呼んでた。だから、それがボクの名前だよ』

 

「……そうか」

 

 自分のことでもないのに、ひどく腹が立った。こんな年端もいかない少年が、人らしい名前も与えられずにこうして道具にされていることに。

 

『そういうお姉さんは、なんて名前なの?』

 

 問われた冨逆は一度目を伏せて、顔を逸らしながら、

 

「……冨逆美鼓」

 

 と答えた。苗字と名前、この日本で戸籍登録される、一般的な名前の構成だ。

 

「でもこれは、親から貰った名前じゃない。自分でそう名乗ってるだけよ」

 

 帽子の鍔を摘まんで、伏せる。こういう話をする時は、誰にも顔を見られたくなかった。

 

『自分で、名前を……?』

 

 少年は、まるで意味が分からないようだった。無理もないと思う。この少年にとっては、名前など他人が自分を定義するための記号に過ぎないのだから。そうさせた者たちと環境に、虫唾が奔る。

 

「そうよ。自分は自分だっていう証明のために、私はこの名前を名乗ってるの」

 

『自分の、証明……』

 

 少年は、冨逆の言葉を噛み締めるように繰り返した。この少年の境遇すべてを理解しているわけではないが、知る限りの半生を思えば、冨逆の発言の一つ一つが価値観の外にあることだろう。そこまで話して、冨逆はふと我に返った。

 

(私、何でこの子にこんなこと話してるんだろ……)

 

 はあ、とため息をつく。そもそもここを訪れたのは、この少年の安否を気にしたとかではない。この組織が、この街が抱えているものを正しく理解するためだ。御坂美琴のクローン、妹達(シスターズ)。その一人として冨逆美鼓は生まれ、この街に潜む闇の大きさを垣間見て。

 そして、垣間見た闇の大きさを、深さを推し量って――復讐するために。

 

「……邪魔したわね」

 

 強引に幕を引いて、冨逆は踵を返した。これ以上、ここに留まる理由はない。そう考えたからである。

 

『待って、ミコ』

 

「……?」

 

 急に、少年が名前を呼んだ。数歩進んで、立ち止まる。呼ばれたから、という以上に、どうして下の名前なんだ、という俗な疑問が先に出た。

 

『あの時、ボクを助けてくれてありがとう』

 

「……え」

 

 思わず、振り返る。少年の語る『あの時』に、少年の意識はなかったように見えたから。

 

『ごめんなさい。でも、今言わなかったらいつ言えるかわからないから』

 

 事実である。自分が少年を助けたことも、明日にもどちらかが死んでいるかもしれないことも。冨逆美鼓は、もう一度小さく自嘲を込めたため息をついた。

 

「……お礼を言われるような筋合いじゃない。私一人が助けた訳じゃないし、アンタを助けたのは、それが仕事だったからよ。だから――」

 

『それでも。それがなかったら、今こうしてミコと話もできてなかったかもだから』

 

「――、」

 

 真っ直ぐ向けられる好意に、冨逆は振り返ることができなかった。自分が身を置いている環境とはかけ離れた少年の純粋さは、まぶしくて、とても直視できるものではなかった。いや、そんな理屈じみたことではなく。単に、オリジナルの少女よろしく、彼女もまた素直ではないというだけか。

 

「……なんでこんな子が、こんな目に」

 

 消えゆくような小さな声で、冨逆は呟いた。それはこの街にある理不尽であり、紛れもない真実であり、否定すべき悪徳であった。

 

『ミコ?』

 

 背後から、少年の声がかかる。冨逆は背を向けたまま、小さく息を整えた。

 

「一つだけ言っておくわ、インターフェイス」

 

 もう一度帽子の鍔を摘まんで、言う。

 

「アンタは、誰かの道具なんかじゃない。名前は仮初でも、自分で進む道を決められる、一人の人間。その自覚を持ちなさい」

 

 冨逆の言葉に、少年は目を見開いた。それを確かめることなく、冨逆は部屋を後にする。真っ直ぐな言葉に絆されて、柄にもないことを言ってしまったと思う。

 あんなに幼い少年が、価値観を歪められて、モノに収められていることが許せなかった。

 

(これも、血は争えないってやつなのかもね)

 

 自分の中に流れる血。自分を形作っている遺伝子。そこに想いを馳せて、『超電磁砲』の在り方を連想する。

 

「よう、冨逆」

 

 そんなことを考えていると、向かって正面、廊下の向こうからヘッドホンの少年が歩いてきた。

 

「なに?」

 

「少し話をしないか。あの子どものことだ」

 

 少し考えて、冨逆は頷いた。この黒髪の少年と面識を持ってから数週間。交わした言葉は数えるほどしかなく、そのうちの半分はつい今日のことで占められていた。そもそも、冨逆自身が周囲との関わりを持ちたくないタイプというのもある。

 何となく並んで歩き、通行区分が屋内にある自販機の前に立った。いくつか小銭を入れてから、肩越しにこちらを見る。

 

「何にする?」

 

「……別に頼んでないけど」

 

「誘ったのは俺だからな。奢ってやる」

 

「……しゃきっとオレンジ」

 

 それは更槇灘飲料の定番商品であった。冨逆美鼓のお気に入りでもある。照れくさそうに言った一言を聞いた通行区分が、自分のコーヒーと一緒に持って、手渡してくる。色彩はまるで違うが、第一位の一方通行と同じ顔の少年がジュースで両手が塞がっていると思うと、何だかおかしい。

 

「……要するに、自分の能力領域を他者に貸し与えるわけか」

 

 一部始終を聞いて、インターフェイスが自分に感謝を伝えてきたことを思い出す。なぜ意識のない状態で助けた人物と冨逆美鼓が同一人物とわかったのか疑問だったが、かつてAIM拡散力場を観測した際、それを記憶していたのだろう。

 

「ああ。演算領域も一緒にな。こいつが共振するための条件がまだつかめていないが、もしも理論が実証されたなら……俺やお前が、超能力者を目指すことも可能ってことだ」

 

 超能力者という言葉を聞いて、冨逆は自分の肩がびくりと跳ねたのに気付いた。通行区分の言葉に、必要以上に反応していた。

 

「……乖離が興味を持つわけだわ」

 

 ぼそりと、冨逆は呟いた。ふと、インターフェイスにかけた言葉が過る。お前は道具じゃないと、他でもない自分がかけた言葉である。今まさに、冨逆美鼓の脳内を巡ったのは、彼を道具として使うことであった。

 ジュースに口を付けて、思案するように、疲れた瞳をすいと細める。

 

「……これじゃ、あの女と同じじゃない」

 

「ん?」

 

「……何でもないわ。こっちの話よ」

 

 素っ気なく言う冨逆に、通行区分は「そうか」とだけ、短く答えた。そんな調子の少年を横目で見る。

 

「そういえば、アンタのそのヘッドホン……」

 

「『変速装置』のことか?」

 

「あの子の『才能補翼』、それの仕組みと近いんじゃないかって」

 

「ヒントに作った、というのはあるかもしれないな」

 

 通行区分は首にかけていたヘッドホンを手元に持ってきて、軽く撫でた。

 

「これは、俺にかけられた保険なんだ」

 

「保険?」

 

「俺は一方通行の完全なコピーを、と望まれた。そうならなかった俺が欠陥品として捨て置かれないための保険だ。こいつが使えるから、俺は存在をまだ許されている」

 

「使えるから、って。他の人間には使えないわけ?」

 

「『変速装置』は二つのパーツで構成されている。一つは、装置を稼働させるためのこのヘッドホン。もう一つは、脳神経に癒着させたナノデバイスだ」

 

 何でもないことのように言う通行区分に、冨逆は目を見開いた。

 

「ナノデバイスを埋め込まれたのは、母さんから生まれてまもなくだ。ナノデバイスは脳の成長に合わせて神経網と結合していく性質があったからな。俺は自前の神経網に覆いかぶさるようにして、ナノデバイスによる第二の神経網を持っているってわけだ」

 

 自分のこめかみの辺りに指を当てる通行区分。冨逆は黙って、おぞましい『研究』に耳を傾ける。

 

「普段は自前の方しか使えないが、外部から命令を入力するこのヘッドホンを介することで、後付けの神経網がリンクし、俺の演算領域は倍に拡大する。そうすれば、オリジナルのように全身に反射の膜を形成できるようになる。条件付きの第一位が完成する。そういう意味では、領域が体の中にあるのか、外にあるのかという違いはあるが、『才能補翼』のシステムと似ているな。もっとも――」

 

「『自分だけの現実』の方も拡張する分、『才能補翼』の方が優れている」

 

「そういうことだ」

 

 能力を顕在化させるためには、『自分だけの現実』と『演算能力』の2つの要素が必要になる。『自分だけの現実』は能力の性質や物理法則に影響を及ぼす総量を司り、『演算能力』はそれをどれだけ精密に使えるかの指標となる。強力な『自分だけの現実』を持っている者はそれだけで脅威となるが、それに伴う演算能力を有していなければ、能力に振り回される言わば服に着られた状態になるのだ。通行区分の場合は、強力な『自分だけの現実』を持っているが『演算能力』が伴っていないため、全身に反射膜を形成することができないが、『変速装置』の力を借りることでそれを補い、操れるベクトルの総量こそ変わらないものの、より精密に、効率的に能力を使うことができるようになる。

 即ち、『変速装置』だけでは所詮『一方通行の劣化版』でしかないが、『才能補翼』があれば『一方通行と同一』にまでなれる可能性があるということである。

 

「……よくついていってるわね。乖離に」

 

 目の前の少年の境遇を思い、思わず冨逆はぼやいた。当の通行区分は不思議そうにしている。

 

「まあ、あの性格だし振り回されてはいるが」

 

「そうじゃなくて……まあ、いいか。どうでもいいことだけど。アンタ、何で私にこんなに協力的なワケ?」

 

 これ以上この話を続けても仕方がないと思い、少年に問う。言われた少年は、コーヒー缶を行儀悪く口に咥えて、ばつが悪そうにしていた。

 

「言われてみれば、どうしてだろうな。……強いて言うなら、共感か」

 

「共感?」

 

「俺はこれまで、能力者のクローンは自分一人だと思っていた。そうしたら、同じ組織に居るお前も同じだと知った。この境遇は他の誰とも共有できないと思っていたところに現れた同類だ。少しばかり、思うところがあっても良いだろ?」

 

「……そう。まあ勝手にしてって感じだけど」

 

 聞いて後悔した、と言わんばかりに照れ臭そうにする冨逆。そのまま飲み干した空き缶をゴミ箱に放り投げる。どいつもこいつも、どうしてこう感情がストレートなのだろうか。

 

「貴重な情報、助かったわ。……また気が向いたら教えて」

 

「ああ。わかった」

 

 二つ返事で、通行区分は了承した。冨逆はその素直な反応にもどこか不服そうだったが、そのまま休憩スペースを後にした。

 

 

「首尾の方は如何だろうか、乖離くん」

 

「ご心配なく。滞りなく進んでいますとも、社長」

 

 木原乖離は、とある一室に呼び出されていた。実に、ちょっとした学校の体育館ほどの広さはあろうかという巨大な執務室。窓際に置かれたデスクと応接一式との距離は十メートル近く離れている。

 

「餌の方は?」

 

 そのデスクから、初老の男の声がかかった。

 

「すいかずら園からの情報に相違はありませんでした。『才能補翼』の価値は依然変わらず。『DA』の襲撃までは、予想外でしたけれど」

 

「ふん。耳の早さは馬鹿にならんよ、『DA』は。むしろ奴らが動いてくれたことで、『才能補翼』の価値は以前より高まったと言っても良い。良い意味で、予想外だった」

 

 初老の男は窓から眼下に広がる街を――いや、真っ直ぐ先に聳える巨大な塔へと目を向けた。

 

「先ほど、諜報部から報告があった。『才能補翼』の効果は覿面だ。オービット・ポータルの警備情報の一部が漏れてきたぞ」

 

「それはそれは。思いの外、食いつきが早かったですねえ」

 

 ピンク髪の女医にも見える乖離は、何でもないことのように微笑んだ。その様子を見た初老の男性もまた、品のある微笑みを見せた。

 

番外零式(アルファワースト)の運用については、問題はないね?」

 

「今のところは。試作型の『セレクター』を通じてバイタルは常に監視しています

し、『飛燕部隊』でコントロールできています。第三次計画に向けたデータ収集は順調そのものです」

 

「よろしい。ではプラン通り、投入するのは番外零式でいく。通行区分は別命あるまで待機。あの忌々しい塔を叩き折る最初の一手だ」

 

 もう一度、男性は窓の外の巨大な塔を睨みつけた。命を受けた木原乖離は、こちらに背を向けている男性を見据えながら、不敵に、不敵に笑った。

 

「承知いたしました」

 

 笑顔で細めたその瞳は、どこまでも楽しそうであり、愉しそうであった。

 



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第5話  エンデュミオン、潜入

 7月21日、学園都市第23学区、エンデュミオンシティ。

 オービット・ポータル社の主導の下建造された宇宙エレベーター・エンデュミオンを中心に展開された、学園都市きっての次世代地区である。紫外線を吸収し発電を行う太陽光発電ガラスが辺り一面に張り巡らされていることもあって、上空から見たこの区画は空の色を反射して蒼く輝いている。

 そんな蒼い街の一角に、キャスケット帽を目深に被った少女――冨逆美鼓は佇んでいた。

 学園都市第三位の超能力者、御坂美琴と同じ遺伝子を持つ妹達(シスターズ)である。その虚ろな瞳は、天高くそびえる塔に据えられたまま動かない。

 

 

 一日前。

 冨逆はいつものように、更槇灘飲料の所有する敷地の一つで、木原乖離と向かい合っていた。

 

「そろそろここの仕事には慣れてきたかしら、ミコちゃん?」

 

 黙っていれば十人が十人振り返る美女が、目だけは笑わずにこちらに笑いかけた。

 

「……早く本題に入って」

 

 小さく舌打ちし、続きを促す。乖離は肩をすくめ、おもむろにキーボードをたたき始めた。

 

「まあ、まずはこれを見てちょうだい」

 

 壁に固定されている大型のモニターに、映像が映し出される。それは第23学区、宇宙関係の施設が集められた区域の、さらに一画。天まで伸びる巨大な塔を映していた。

 

「……『エンデュミオン』?」

 

 この街に住んでいて、あの巨大な建造物を知らない者はいないだろう。街を歩いていてぐるりと視線を一周させれば、どこかで目に入るものである。

 

「ええ。これを作ったオービット・ポータル社と、あなたたち『飛燕部隊』のスポンサーである更槇灘飲料には因縁があってね。因縁と言っても、こっち側の一方的なものなんだけど」

 

 呆れたような表情で、乖離は言った。

 

「更槇灘飲料は多種多様な研究部門を持っているわ。生物学から宇宙工学まで、採算度外視で『学園都市に一番貢献している企業』になろうとしている。保有する研究機材にはブラックボックスも多くて……っと、逸れた逸れた。まあ早い話が、オービット・ポータルが一瞬で更槇灘を追い抜いて宇宙工学のトップに立ち、あまつさえ前人未到の軌道エレベーターを完工させようとしているから、その妨害がしたいってこと」

 

「くだらない。後先考えず手広くやってたら専門的にやってた会社に先を越されたってだけでしょ。逆恨みもいいところじゃない」

 

「こらこらミコちゃん。ロジハラって知ってる?」

 

 大人の事情なんか知るか、という態度でいる冨逆を、乖離が窘める。

 

「とにかく、妨害の手段は色々あるけどアレだけ大きなものを壊すなんて、それこそ第一位の一方通行でも苦労するでしょうね。時間さえかければできるだろうけど。そこで」

 

電撃使い(エレクトロマスター)である私に、内側からシステム系を破壊させる。あれだけの建造物なら、一度電気系が壊れれば全ての修復には時間を要するから。狙いは計画の中止というよりも延期。既に発表されている納期を守らせないことで、オービット・ポータルの対外的な評価を下げる。そんなところ?」

 

「よくできました~。曲りなりにも単独であそこまで漕ぎつけたオービット・ポータルの技術評価は今さら覆らないからね。だったら狙うのは、絶対評価ではなく相対評価の失墜。”オービット・ポータルの技術力は素晴らしいな、しかしあれだけ大々的に発表しておいて納期を守れないとは、企業としてどうなのか? 他社の協力も得ようとせず手柄を独り占めしようとするからこんなことになる、その点更槇灘飲料はすごいな、業務提携もしっかりやるし結果も出してるしあれだけの研究部門を良く管理できる!”みたいにしたいんでしょうね」

 

「くだらない……」

 

 もう一度、大きなため息と共に冨逆美鼓は言った。

 

 

「言われたことを言われたように、何も考えず淡々と、ただ従っていればいい」

 

 言い聞かせるように口に出すと、冨逆美鼓は宙を舞った。磁力を操り、重力すら感じさせない身軽さで、ビルの間を駆け抜けていく。繋いだ磁力線で振り子運動の要領で空中に跳躍し、再び磁力を生じさせて駆ける。あっという間に、冨逆美鼓の身体は『エンデュミオン』へと到達した。

 

(まずは制御室に侵入する)

 

 バチッ、と前髪から小さく電流が走る。電磁ソナー。視界に入らない周辺の様子を把握することができる、発電能力の応用だ。とはいえ、その精度も性能も、オリジナルには及ばない。小さく舌打ちして、冨逆は複数ある出入口の一つに目を向けた。

 

(あそこが関係者用の出入り口)

 

 まだ開放されていない施設ではあるが、完成を間近に控えた現在、軌道エレベーターに期待される観測装置や大気圏外まで物資を届けるためのリニアシャフトの運用の為、地上の制御室は既に現役で動いている。

 跳躍し、最低限の能力使用で関係者用出入口の前へと降りながら、監視カメラに目を向けて電撃を放つ。破壊というよりも一時的な機能停止を行うための電撃である。ドアに備え付けられているパスワード入力装置に、懐から取り出した解析装置を取り付けると、導き出された16桁のパスワードを入力し、ほどなくして中へと入る。

 

(ここまでは順調……さて、制御室は)

 

 本格的に運用が開始されていれば、どこかに館内の見取り図などがあったかもしれないが、今は必要最低限の人員しかいないからか、そのような都合の良いものは見受けられない。

 だがそれは織り込み済みだ。もともと、そんなものを頼りにしているようでは潜入工作などできるわけがない。大胆過ぎず、慎重過ぎず。潜入というものは繊細な判断能力を求められる。廊下を駆けていると、人間の気配。息を殺して、様子を伺う。

 

(一人ね。無力化してもいいけど、侵入した痕跡すら残すなっていうのが上の指示)

 

 電磁ソナーで大まかな場所を探り当て、廊下の角から死角になる位置に移動し、通過する相手をやり過ごす。

 

(できればIDカードとか頂戴したいところだけど――)

 

 通り過ぎていく警備員を見送って、冨逆はソナーの索敵範囲に新たな人影がないことを確かめると、気配を殺して廊下を駆けた。

 

(……事前情報と通路の配置が違う。どこの情報筋か知らないけど、あまり信用できないわね)

 

 再び物陰に潜み、壁面にある小さな配電板を慣れた手つきで開くと、端子にケーブルを差し込む。差し込んだケーブルは事前に更槇灘飲料が入手していたオービット・ポータル社の非正規社員が使用している小型端末へと接続する。通常であればこの程度の端末でできることなど同型端末間の情報送受信程度だが、発電能力者である冨逆が使えばその限りではない。末端の情報端末とはいえ、このエンデュミオンの施設で使用されているものに変わりなく、権限の縛りこそあれど、それはエンデュミオン内の管理者ネットワークに並列されている。であれば、少し弄ってやればその壁を越えてアクセスすることも可能になる。バチ、と再び指先から紫電。一瞬のノイズと共に内容の変わった画面に目を向ける。欲しい情報は館内の見取り図だ。程なくして、制御室の場所は特定できた。

 

(制御室ってぐらいだから面倒なところだとは思ったけど、入り組んだ中央ブロックか。潜入するまではともかく、脱出が手間になるか)

 

 端末を懐に仕舞って、再び冨逆は動き出した。無駄な動きもなく目的地へと向かっていくが、少しずつ違和感を覚えてきた。

 

(……ザル過ぎる。かれこれ潜入から15分くらい過ぎてるけど、見かけた人間はさっきの警備の人と清掃員くらい。完成前とはいえ、運用もほぼ開始されている施設にしては、あまりにも)

 

 可能性があるとすれば。

 

(……誘い出されている?)

 

 ふと立ち止まり、物陰に隠れる。監視カメラには端末を通じてダミーの映像を流している。オービット・ポータル側が、冨逆美鼓が潜入していることを知る術は今のところないはずだ。それに、仮に潜入がバレていたとして、誘い出す理由も思いつかない。1分ほど考えてから、十分に注意しながら目的地へと急ぐ。

 そこで、疑いは確信へと変わった。そこには数名のスタッフが居て、それぞれ持ち場についているはずであった。しかし、辿り着いた制御室は、明かりこそついているものの、人間の姿はなかった。

 おそらくメインの管制を行っていると思われる中央のコンピュータに目を向けると、施設内外の監視カメラの映像から、外部の観測データが表示されていた。既に冨逆のハッキングを受けている施設内のカメラは、驚くほど動きがない。こちらの仕込み自体は、正常に動作していることが見て取れた。

 その時である。

 

「動くな」

 

 背後から、低い少女の声が聞こえた。ひやりと、背筋が凍る。ここに至るまで、全く気配を感じなかった。冨逆は通常の人間よりも感覚が鋭敏だ。高位の発電能力者である彼女には、無意識に周囲を索敵するソナーのような機能が存在している。その力を以てしても、この刺客の接近には気付けなかった。自身の未熟と相手の円熟。それだけではないと直感する。

 肩越しに、背後の人物を確認する。

 長い髪の少女だった。長さは自分とそう変わらない。その全身は黒を基調としたボディースーツに覆われ、手には拳銃が握られていた。

 

「オービット・ポータルの雇われ?」

 

「答える義理はない」

 

 低い声で答える少女に、冨逆は能力での鎮圧を考える。

 どこまでを想定に入れるべきか。冨逆は両手を挙げたまま、目視で背後の少女以外に付近に敵がいないことを確かめた。能力者の侵入を警戒する施設が存在しないわけではない。この学園都市にあって、『飛燕部隊』のように能力者を運用している組織は数多く存在している。それらを想定して、万が一のために対策を練ることは何らおかしなことではない。注目すべきは、やはりスピードだ。能力者対策だけならば、用意周到な施設で片づけることもできる。しかし、発電能力者が痕跡を残さずに侵入していながら、侵入から15分も経っていないうちに、警報も鳴らさずに駆けつける用心棒など、あり得ない。

 

(乖離が入手した情報そのものが、ダミーってことね)

 

 誘われている、という直感が真実味を帯びてきた。目的にはいくつか心当たりがあるが、更槇灘飲料がオービット・ポータルを目の敵にしているように、その逆もまた然り、ということだろう。情報から手薄な侵入経路を予測させた上で、警備が甘くなる時間帯を設定して流出させれば、逆にそのルートと時間帯を警戒しておけば先手が打てる、というわけだ。

 まんまと自分は術中に嵌り、オービット・ポータルが更槇灘飲料を糾弾する大義名分を作ってしまった形である。

 

「ああ、そう」

 

 両手を挙げたまま、冨逆は静かに答え――ぐるりと反転する。

 黒髪の少女は一瞬虚を突かれた様子だったが、すぐさま引き金を引いた。

 肩口を貫かんとする弾丸。しかし、その軌道は冨逆美鼓の能力によって、ほんの少し逸らされる。

 

「ッ!」

 

「もらった!」

 

 弾丸を回避した冨逆は、そのまま黒髪の少女の拳銃を奪おうと動く――が、動線をわずかに変えて回り込むように回し蹴りを叩き込む。それもそのはず、冨逆が向かおうとする先で、黒髪の少女がもう一方の手でナイフを構えていたためである。読み合いの末、ブラフに引っ掛かることがなかった冨逆の蹴りは、少女の左腕に阻まれた。間髪入れず、もう一方の手に握られた銃口が向けられ、冨逆は軸足をあえて浮かせることでバランスを崩し、片手で地面を叩いて跳躍する。それは黒髪の少女の背後に回る動きだったが、それすら読んでみせた少女の手首から放たれたワイヤーによって手首を絡めとられる。

 

「チッ……」

 

 思わぬ隠し玉によって自由を奪われ、その場に倒れこむ。ワイヤーで片手を拘束したまま、黒髪の少女が引き金を引く。思わず肝が冷えた――が、それは冨逆の頭を狙ったものではなく、その数十センチ離れた位置に着弾した。見れば、そこには掌に収まるほどの小さな円盤状の物体が張り付いていた。

 

(AIMジャマー発振装置……)

 

 AIMジャマー。能力者のAIM拡散力場を乱反射させ、能力の暴発を誘う装置である。能力を封じ込めるものではないが、強力な能力を持っている者ほど自爆のリスクが高まる危険な兵器だ。大能力者クラスの能力者であれば、無視することはできない。冨逆が息を呑む様子を見て、黒髪の少女は改めて銃口を突きつけてきた。

 

「更槇灘飲料の者だな?」

 

 低い声だった。わずかな格闘の間にも、この少女の冷静さと戦闘経験の多さはわかったが、少女とは思えぬ冷徹さがそこに見えた。それを受けて、冨逆はうんざりした様子で答える。

 

「……答える義理はないわね」

 

「肯定と受け取るぞ」

 

「お好きに。ところで……」

 

 冨逆は笑って、拘束されていないもう一方の手で、何かを取り出した。

 

「銃を使う能力者は、アンタだけだと思った?」

 

「なに――」

 

 少女の返答よりも先に、冨逆は引き金を引いた。それと同時に、黒髪の少女も引き金を引く。それは冨逆の頭を貫くことなく、そのわずか数cm手前に着弾した。息を呑む少女の隙を突き――ワイヤーを通じて、高圧電流を流し込む。電流を受けて、黒髪の少女は昏倒する――はずだったのだが。

 

「……チッ、電撃使いか」

 

 高圧電流は少女と冨逆とを繋ぐワイヤーを焼き切るに留まり、電流を受けたはずの少女は不快そうにしているが意に介していない。

 

「悪くない判断だ」

 

 静かに、黒髪の少女は呟いた。

 

「銃を所持していながら、私ではなくAIMジャマーを狙ったか。そして能力によって弾丸の軌道を逸らし、反撃まで行う、と」

 

 驚いている暇はなく、隙を逃さずに距離を取る。

 

「……今できる最適解をやっただけよ」

 

 適当に応じて、冨逆は黒髪の少女が身に着けているボディスーツに目を向けた。『飛燕部隊』に所属している関係上、ある程度は学園都市の技術、装備には触れている冨逆である。仕組みこそはっきりとはわからないものの、先ほどの格闘の最中に感じた違和感の正体も含めて、スーツに秘密があることは見て取れた。

 おそらくは、駆動鎧のような補助機能が盛りだくさんなのだろう。本気で電撃を叩き込んでやれば話は別だろうが、生半可な電撃では大した効果は無さそうだ。

 

「そのスーツ、大した耐電性ね。なかなか面倒――」

 

 牽制も込めてそう言った時である。冨逆の周囲に2つ、何かが飛んだ。それはフリスビーのような円盤状の物体。再びジャマー発振装置を設置したものと考えたが、間髪入れずにシャットアウラの両手首からワイヤーが伸びた。

 それは自分を狙ったものではない。自分の左右、床に張り付いている円盤に向けて放たれたものだった。ジャマーの性質を考えれば、自ら破壊する理由など存在しない。それも設置した直後に、だ。

 直感的に、飛び退く。

 それが何を示すのか、何が起こるのか、それを理解した上での行動ではなかった。だがその直感の正しさを、冨逆はコンマ秒後に知ることとなる。

 冨逆がその場から飛び退き、ほぼ同時にワイヤーが円盤に着弾した瞬間。

 2枚の円盤は、瞬間的なエネルギーの放出により、爆発した。

 

(この、能力は……ッ)

 

 飛び退いた体を爆風が包み、そのまま吹き飛ばされる。その威力は冨逆の身体を数メートル先の壁面に叩きつけるほどであった。肺に溜まった空気を吐き出すが、煙幕のようになった爆炎が酸素を思うように吸わせてくれない。

 

「足の一本も吹き飛ばすつもりだったんだがな」

 

 煙の向こうから、黒髪の少女が呟いた。

 

「けほっ。アンタ、依頼主の建物の中でなんて無茶を……」

 

「当然許可は得ている。貴様の破壊工作を阻止するための必要行動として」

 

「破壊工作を防ぐためにコンピュータごと壊すのは本末転倒って言うんじゃない?」

 

「許可は得ていると言った」

 

 許可を得ている――と繰り返して、冨逆はすいと目を細めた。

 

「……そういうことか」

 

 頭の中で、点と点が結ばれた。冨逆はよろよろと立ち上がり、周囲に紫電を奔らせる。先程までとは違う、電撃使いの平均値を遥かに上回る出力を前に、黒髪の少女もたじろいだ。

 

「これだから、企業間闘争とかくだらないのよ。騙して騙されて、ほんと、くだらない」

 

「なに?」

 

「大したマッチポンプだって言ってんのよ。アンタがシャットアウラか」

 

「ッ」

 

 黒髪の少女――シャットアウラが息を呑む。刹那、冨逆の放電によって破壊された電子回路が、停電を引き起こした。

 

「貴様ッ!」

 

 シャットアウラが冨逆の立っていた場所に銃口を向けた時、既にそこに帽子の少女の姿はなかった。

 非常用電源に切り替わった館内を駆ける冨逆は、真っ直ぐに出口を目指す。

 

「背に腹は、とはいえ。さすがに面倒ね」

 

 行く先々で警報が鳴り響き、シャッターが閉まっているのを見て、冨逆は独り言ちた。もはやここに長居する意味はない。そうしたところで、得るものなど何もないことはわかりきっている。

 冨逆美鼓が木原乖離から受けた任務は、『エンデュミオン』に対する電子的破壊工作である。その作戦の骨子となっているのは、乖離が仕入れてきた情報。ではこの情報はどこから仕入れられたものなのか? 当初は、オービット・ポータル社の中に忍ばせた産業スパイやら、諜報員によるものだと思っていた。しかし、あまりにも早い用心棒の登場と、電算室の破壊を織り込み済みにした向こうの作戦を聞いて認識は大きく変わった。

 待ち伏せだとかそんなレベルの話ではなく、全てが仕組まれたものだったのだ。わざと情報を流し、侵入ルートをほぼ確定させた状態で迎え撃つ。万が一の場合に備え、破壊されても良い区画まで用意して。その目的は明確ではないが、企業間闘争のことを思えば推測はできる。

 そう、それこそ、更槇灘飲料が今回の作戦を立案したのと同じ理由。それをオービット・ポータルの立場に置き換えるのであれば。

 

(弱みを握って、黙らせる)

 

 実に単純明快だ。裏でどれだけの悪事を働いていようと、両者には会社としての体裁が存在している。それが表沙汰になれば、経営に大きな影響を及ぼすのは当然のこと。まして、産業スパイや破壊工作などはその最たる例だ。

 冨逆が向かう先は、『エンデュミオン』の円錐状になっている外延部。既に警備が固められている出入口とは違う、通用口からの脱出である。そう広くもない出口の扉を蹴破るようにして外に出ると――カラスの嘴を模した多脚の機動兵器が待ち伏せていた。全く予想していなかったわけではないが、こうもわかりやすく待ち伏せされていると、さしもの冨逆も目を丸くした。

 

「抜け目ないやつ」

 

「逃げ場はどこにもない。大人しく投了しろ」

 

「断る」

 

 一言で、冨逆は断じた。シャットアウラの目つきが変わる。

 

「大人しくしていれば良かったものを。クロウ3!」

 

 回り込むようにして、冨逆の前に3脚の脚を持つ、シャットアウラのものと似た機動兵器が現れた。

 機動兵器は冨逆に向けて何かを射出する。それは、粘性の液体を蜘蛛の巣状に展開する捕縛兵器。あれに少しでも触れれば、まさに蜘蛛の巣に捕えられた羽虫のように、体の自由を奪われる。とはいえ、冨逆とて無策で高所の壁面に飛び出したわけではない。足元に意識を集中させ、『起動』する。

 次の瞬間、巨大な蜘蛛の巣は何も捕らえることなく、『エンデュミオン』の壁面に着弾した。

 

「――?」

 

 それを見たシャットアウラは、思わず目を疑った。冨逆の姿が、一瞬で消えたためである。当然ながら、正しくは消えたのではない。

 そう見紛うほどの速度で、電撃使いが移動したのだ。

 

「あれは……!」

 

 一瞬で死角へ移動して見せた侵入者を改めて捕捉する頃には、その影は遥か後方にあった。

 

「隊長!」

 

「狼狽えるな! 回り込んで取り囲むぞ!」

 

 すぐさま陣形を立て直し、機動兵器は円錐状になっている軌道エレベーターの壁面を駆け、同じように壁面を滑走する冨逆を狙う。その動きはさながらスピードスケートのようであった。

 

「ったく……こうもあの女の筋書き通りっぽいとムカつくわ」

 

 冨逆は一見市販のブーツのように見える靴を履いていた。その靴底と踵からは空気が噴出し、重力に逆らって少女の身体を壁面に駆けさせていた。名を、『Hq-R1 滑走軍靴(エアーチェイサー)』。靴に通電することによって空気を噴出する、更槇灘飲料が開発した発電能力者専用装備である。今回の作戦のため、乖離から支給されたものだった。『黒鴉部隊』の情報をやんわりと漏らしたことといい、どうにも掌の上で踊らされている感が否めない。

 とはいえ、これは学園都市の様々な技術の中で、『便利』という程度でしかない。高度100メートルほどの壁面を駆け、地上を目指す冨逆の道を、漆黒の機動兵器が阻む。それを目視した上で、冨逆は機動兵器の脇を駆け抜けた。機動兵器もまた、それに追走する。

 

(シャットアウラ=セクウェンツィア……)

 

 その名を聞いたのは、乖離とのブリーフィングの最中であった。更槇灘飲料が『飛燕部隊』を抱えているように、オービット・ポータルも同様の組織『黒鴉部隊』を抱えており、その隊長がシャットアウラだと。

 

(能力は大能力『希土拡張(アースパレット)』、だったか)

 

 極めて希少な能力と聞く。ある意味、スタンダードな発電能力者の逆を行くものだ。頭数の多い発電能力者はその出力や精度が価値となるが、数人といない希少な能力はそれだけで大きな研究価値を得る。

 

(確かレアアースを媒介にしたエネルギーの貯蔵、解放……転じてあのフリスビー爆弾か。そうそう相手にしたくないわね)

 

 だが、この場でそれはそこまでの脅威にはならないと冨逆は踏んでいた。

 自分は侵入者。彼らは警備部隊。立ち位置の違いが、この戦場における行動力を決定づける。警備部隊であるシャットアウラたちは、冨逆を捕縛することと施設を守ることの二つを念頭に入れて行動する必要がある。許可を得た、とは言ったものの、オービット・ポータルの象徴であり、注目を集める軌道エレベーターの外観となれば話は別だ。内部であれば秘匿性の観点から囮の区画を用意することもできただろうが、学園都市を訪れた誰もが目を奪われるランドマークの外観であれば、そうはいかない。出入口ではなく、あえて『エンデュミオン』の壁面から脱出を図ったのにはそんな狙いもあったのだが。

 そう思った束の間、壁を駆ける冨逆の前方……正確には下方に、何かが複数、撃ち掛けられた。それはフリスビーのような、平らな円形の物体。背後から鋭い音がして、視界の隅にワイヤーが走る。

 

「……マジ?」

 

 思わず、素で呟いた。

 先ほどの戦闘が思い起こされる。たった2つの円盤で部屋を一つ丸焦げにした上、回避に移っていた冨逆を吹き飛ばして見せた威力。

そんな威力の『爆弾』が。

 多脚の隊長機から4つ、3機の随伴機から4つずつ。計16の爆弾が、冨逆を取り囲むようにして撃ち掛けられ――それらすべてに、ワイヤーが突き刺さった。

 爆発。

 空中でワイヤーを突き立てられた円盤はその場で爆発したが、その余波を受けた『エンデュミオン』の青いガラスが罅割れ、飛び散る。間一髪、『滑走軍靴』の最大出力で急加速し、爆発を回避した冨逆はくるくると空中で回転し、磁力を操って壁面へと張り付いた。周囲を取り囲む『黒鴉部隊』の陣形は冨逆から十分な距離を取った上での円形になっており、一撃離脱をさせないためのものだとわかる。

 

「……無茶苦茶やってくれるわね」

 

『「黒鴉部隊」を舐めてもらっては困る』

 

 機動兵器から、先ほどの少女の厳かな声が聞こえてきた。

 

「あっそ。それは重畳。こっちも遠慮なく暴れられるわ」

 

 全身に紫電を纏い、四方から襲い来る機動兵器のワイヤーを電磁誘導させ、こちらを捉える前にいなす。間髪入れずに振るわれた兵器の脚を、間一髪で回避する。無防備な本体に向けて、腕一本ほどの太さのある『雷撃の槍』を叩き込むが、機動兵器の表面には傷一つ入らない。これもまた、オリジナルの御坂美琴だったら致命打になったかもしれない。機体の真下に居る自分を押しつぶすような動きを見せる機動兵器に、『滑走軍靴』を利用して壁面をスライディングし、機体の下から再び空中へと躍り出る。

 交差し、交錯し、激突する。

 能力者と機動兵器の戦いは続き、エンデュミオンの壁面は爆発や電撃による焦げ跡でぼろぼろになっていく。爆発で生じた破片が下方に落ちていくのを見て、冨逆は改めて状況を確認する。

 

(油断した。こいつら、戦いながら私を上方へ誘導してる)

 

 冨逆美鼓の目的はここからの離脱。つまり壁面を伝って地上へ降りることである。先ほど、『黒鴉部隊』が本気になった時には、冨逆の身体は地上100メートル地点まで降りていた。現在は、地上300メートルほどの地点まで戻されている。

 

(伊達に特殊部隊は名乗ってないわね。あの女の能力、機動兵器の位置取り、それらからなる私の心理を予測して、さりげなく目的とは逆の方向に移動させた)

 

 ここからまた一撃離脱を図ろうにも、ここ数分の戦闘によってこちらの攻撃手段、移動手段は概ね把握されている。先ほどの陣形が有効だと気付いたのか、誘導しながら陣形自体は大きく崩していない。『滑走軍靴』を最大出力で使ったとしても、この包囲を抜ける前に捕縛用のワイヤーで仕留められる。

 ふう、と冨逆は深呼吸をした。じりじりと間合いを詰めるシャットアウラを真っ直ぐに睨み据え、電磁ソナーを利用して周辺の機動兵器の位置を把握する。

 

(……二の太刀はいらない。一撃で決める)

 

 壁際に向けて電撃を放ち、磁力を使って壁の一部を引き寄せる。それは、整備用の梯子に使われている鉄パイプだ。こんなものであの機動兵器を叩いたところで、当然何の効果もない。だが、彼女の場合は違う。

 シャットアウラの放つ攻撃を回避しながら、冨逆は手にした鉄パイプに意識を集中させた。バチバチと紫電が迸り、鉄パイプに集まっていく。紫電は徐々に大きくなっていき、それは稲妻の剣と見紛うほどに鉄パイプを覆い尽くしていた。縦横無尽に動いていた冨逆はふと足を止め、高速でこちらへ向かってくる機動兵器を見据えた。

 意識を集中し、一点に凝縮するイメージをする。不定形の稲妻はその瞬間、プラズマへと形を変えた。精密に計算された電磁場によって形成される眩い刃は大太刀のようであり、稲光を纏い刃を掲げる少女の姿は、雷神のようであった。

 

「……ッ」

 

 頭痛がする。多くの応用がある能力と言えど、これほど継続的な演算と出力を必要とする技はない。一撃で決める、というが、実のところ二撃目を振るえるような代物ではなかった。故にそれは、失敗を許さない、自分を鼓舞するための言葉である。

 歯を食いしばり、渾身の力を込めて。

 手にした刃を、一閃する。

 眩い閃光と熱が、『エンデュミオン』の壁面に炸裂する。表面のガラスが熱波に耐えきれず溶解する中、回避のために距離を取ろうとした機体に振りかぶる。光刃は機動兵器の脚のうち片側の3本を薙ぎ払い、熱波がさらにその装甲を焼いていく。

 その威力は、第三位の『超電磁砲』、その一撃にも引けを取らなかった。

 

『何だとッ!?』

 

 機動兵器の少女が呻く。冨逆は一閃と共に光刃を空気中に霧散させ、バランスを崩すシャットアウラを見やった。

 

「これが、『超過電刃(オーバードライヴ)』。……私の全力ってヤツよ」

 

 頭を押さえ、息荒く機動兵器のキャノピーを睨みつけながら、冨逆は『滑走軍靴』を停止させ、落下するシャットアウラの機動兵器に着地した。

 

『貴様ッ!』

 

「クッションよろしく、隊長さん?」

 

 どうにかして落下を止めようとするシャットアウラだが、冨逆のプラズマの刃によって片側の駆動装置を破壊された機動兵器はもはやバランサーが役割を果たしていなかった。コクピットの中では警告音が鳴り響き、ほとんどの操作を受け付けない。機体は自由落下よりはましという程度の速度で壁との接触面から火花を散らし、力なく滑り落ちていく。他の隊員たちが上方から援護しようとするが、隊長への流れ弾を恐れてか、ろくに狙いが定まっていなかった。

 程なくして。

 シャットアウラ=セクウェンツィアの搭乗する機動兵器は、地上に墜落した。

 

 

「隊長! ご無事ですか!」

 

「うっ、ごほっ」

 

 落下の衝撃で半壊した機動兵器から、シャットアウラが顔を出す。スーツのおかげで本人への落下ダメージは殆どない。機動兵器の方はと言えば、片側の脚をすべて失っていて、特にシステム系の被害が甚大だった。対能力者用の加工がされているだけあって強度は折り紙つきなのだが、それ以上に相手の"奥の手"が強烈だった。

 

「……くそ、逃がしたか」

 

 機体の計器にも目視にも、帽子を目深に被った発電能力者の姿はなかった。

 

「すみません。隊長が地上についたのと同時に侵入者がスモークを使用し……」

 

「いや。いい。これは私の責任だ」

 

 そうシャットアウラが口にした時であった。

 

『ご苦労様、シャットアウラ=セクウェンツィア』

 

「……」

 

 コクピットから、クライアントであるオービット・ポータル社社長、レディリー=タングルロードの声が聞こえてきたのだ。

 

『侵入者との交戦記録、ばっちり機体のカメラで撮ったわね』

 

「はい。『エンデュミオン』への被害は――」

 

『問題ないわ。まあ、もう少し加減をしてくれても良かったけど。工期には十分な余裕があるし。余剰分のリソースを今回の補修に当てても9月頭には完工できるもの。作戦の成功を喜びましょう? これで、更槇灘飲料と交渉する余地が生まれたわ』

 

「はっ」

 

『ふふ。ライバル企業への破壊工作未遂。そして交戦による施設破壊。楽しい楽しい訴訟の時間よ』

 

 レディリー=タングルロードの愛らしくも凶悪な笑みが、目に浮かぶようだった。

 



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第6話  共振

 7月24日。更槇灘飲料の内部は、民事告訴の通達を受けた直後とは思えないほど落ち着いていた。

 

「まあ、なっちゃったもんは仕方ないわよねえ」

 

 あっけらかんと、木原乖離は言った。親会社の大ピンチなどどこ吹く風、高そうな菓子を摘まみながらである。彼女の正面にはヘッドホンの少年、通行区分が居り、少し離れたところには壁にもたれて腕を組んだ冨逆美鼓の姿もある。

 

「ミコちゃんもそんな暗い顔しないの。大丈夫だってぇ、あなたのミスってわけじゃないし」

 

「……私は何も気にしてない」

 

 けらけらと言う乖離を、冨逆は冷たく一蹴した。そんな反応に肩をすくめる乖離を横目に見て、通行区分はコーヒーに口を付けた。

 

「しかし……示談の条件が境界因子の引き渡しとはね」

 

 ぴくりと、冨逆の肩が跳ねた。

 

「移送は既に完了済。昨日のうちに第23学区にあるオービット・ポータルの施設に引っ越したわ。やれやれ、あの子を買い付けるのに随分お金をかけたのに、残念残念」

 

 ちら、と視界の隅の冨逆を見やる。帽子の少女は特に反応を返さなかった。そんな二人の様子を見て、通行区分はため息と共に口を開いた。

 

「三文芝居はその辺でいいんじゃないのか、母さん」

 

「三文芝居は言い過ぎじゃない?」

 

「どういうことよ」

 

 口を尖らせる乖離に、さしもの冨逆も口を挟む。乖離ははあ、と一息ついて、

 

「えっとね。これ、全部ウチの自作自演(マッチポンプ)。この私がカワイイカワイイ境界因子をむざむざライバル企業に渡してやるわけないでしょ?」

 

 食べかけた菓子を口に放り、すとんと椅子に腰かけた。

 

「一昨日の破壊工作の任務。ミコちゃんも違和感を感じなかった?」

 

「……アンタらがダミー情報を掴まされて、まんまと私が罠にかかって、まんまと法的措置を取られたと思ったけど」

 

「それすらも母さんの誘導だったのさ」

 

 今度は通行区分が口を挟んだ。

 

「知っての通り、オービット・ポータル社は更槇灘飲料の研究部門の一つを追い抜き、無視できない存在になった。一番は更槇灘も部門の業績を伸ばすことだが、あの『エンデュミオン』を建てられた時点で勝ち目はない。だから、勝てないまでも、奴らを掌の上に置く必要があった」

 

 そこまで聞いて、冨逆は眉根を寄せた。

 

「それと境界因子を明け渡すことに何の関係が?」

 

「境界因子は大事な大事な素体だけど、同時に私たち以外にとってもお宝になり得るもの。それとなく研究データをちらつかせれば、手に入れたいと思うのは当然よね」

 

「……わからないわ。境界因子を餌にして、敵の罠にわざと乗ったまではいい。それで境界因子が向こうの手に渡って、この後はどうするつもりなのよ。あの子はスパイ行為を不問にするための対価になった。こっち側に負い目がある状態で、取り戻す方法なんてあるの?」

 

 聞かれた乖離は、にっこりと笑った。

 

「手放したくない大切なものが、自らの手に余るものだったなら、ミコちゃんならどうする?」

 

「何よ、いきなり。……それくらい大切なものなら、それはどんな手を使ってでも……誰の手を借りてでも――」

 

 あ、と冨逆が思わず声を漏らした。それを見て微笑みながら、乖離は時計に目を向け、手元のモニターを見やった。俯瞰カメラの映像が映し出されている画面に、青いスポーツカーが駆け抜けていく。それを見て、もう一度。木原乖離は妖しく笑った。

 

「ふふふ。もうじき、あの子の『価値』は彼らの手から溢れ出すわ」

 

 

 同時刻、シャットアウラ=セクウェンツィアは『黒鴉部隊』に宛がわれたラボで待機していた。傍らには、二日前にとある襲撃者によって損壊した機動兵器『ブラック・クロウ』の姿がある。水平に切り落とされた脚部が取り外され、予備のパーツで修復作業が行われている最中であった。

 

「修復作業は30分後には完了します」

 

「ご苦労」

 

 部下の報告に、シャットアウラは短く答えた。シャットアウラと同じように修復作業を眺めて、部下の男は疑問を切り出す。

 

「しかし、『ブラック・クロウ』の強化装甲をああも容易く溶断するとは。あの電撃使い、一体何者なんでしょうか」

 

 男の疑問に、シャットアウラは眉根を寄せた。自らの機体を見事に切り捨てて見せた、茶髪の少女の姿が脳裏に蘇る。

 

「お前は自分の機体で、奴の『刃』を計測したか?」

 

「いえ……」

 

 シャットアウラの問いに、男は正直に答えた。知らないことは素直にノーと言うことが、社会における円滑なやり取りの第一歩である。

 

「学園都市最強の電撃使い――超能力者の第三位、御坂美琴の最大出力は、10億ボルトと言われている。御坂美琴に次ぐ電撃使いの最大出力は1億ボルトだ。だが、あの女の『刃』の出力は5億ボルトに達していた」

 

「では、あれは御坂美琴……?」

 

「いや。私もそう考えたが、御坂美琴にはアリバイがあった。そして機体のカメラで記録した身体的特徴並びに推定年齢も合致しない。発電能力者の第二位は、あれを可能とするレベルではない」

 

 シャットアウラの目は、機体から取り外された脚部の断面を真っ直ぐに捉えていた。

 

「学園都市には我々でも掴み切れない闇が潜んでいるというが――まさかな。書庫(バンク)の情報すら信用ならなくなるとは、予想以上だ」

 

 ごくりと、部下の男が生唾を飲み込んだ。

 

「書庫に記録されていない能力者が存在している、ということですか」

 

「そういうことになる。理由はいくつか考えられるがな」

 

 原則として、学園都市で能力を開発されるのはどこかの学校に属する学生であるという前提がある。それは園児であっても同様だ。戸籍が無ければ教育機関に所属できないのと同じように、学園都市においては書庫への登録がそれに該当する。一部、顔や名前が記録されていない場合もあるが、存在自体は何らかの形で書庫に登録されているものだ。その登録がないという場合に考えられるのは二つ。

 一つは、『置き去り』のようなイレギュラーな存在ゆえに、登録が遅れているパターン。もう一つは、単純に存在を記録することに不都合が生じるパターンだ。『置き去り』のようなマッドサイエンティストにとって都合の良い存在を、表側の機関の目を掻い潜って使い潰すに当たり、その存在を隠すことは定石である。まして、そのような非人道的な行いをしていることが公になればそれこそ騒動になってしまう。そういった場合には、意図的に書庫への登録を避けている場合がほとんどだ。

 

「秘密裏に能力開発を受けた『置き去り』……というのが妥当な線だ。更槇灘か、そのバックボーンになっている帝冠大学の関係機関で間違いないだろう。傘下のグループ内であれば融通が利くからな」

 

「調べてみますか?」

 

 言われて、シャットアウラは頭を振った。

 

「やめておけ。更槇灘飲料の影響力は無視できないものがある。やるならクライアントの同意を得てからだ。『黒鴉部隊』の独断で動くにはリスクが大きすぎる。それに、『才能補翼(AIMパートナー)』の確保によってある程度相殺がされたとはいえ、心理的アドバンテージをふいにするわけにもいかない」

 

 修復が進む機体に目を移し、ため息をつく。

 

「オービット・ポータルはあの『才能補翼』を手にすることに執心し過ぎた。更槇灘飲料には、まだまだ探るべき弱みがあるというのにな。折角の交渉カードをあれで使ってしまうなど、全く、何を考えているのか……」

 

「それほどにその『才能補翼』というものには価値があるのでしょうか」

 

「議論の余地はあるだろうが……十二分にある。あの力が誰かの手に渡るのだとすれば、それこそ学園都市における勢力のバランスシートが狂う。今はまだ未熟だとしても、な」

 

 ただし、とシャットアウラは強調した。

 

「それは確実じゃない。これらは全て理論の上に成り立っているが、多分に希望的観測も含まれている。見込みだけで価値を決めて本質を見失っている。確率が多少高い程度で、最期には奇蹟に縋ることになるんだ。……あの時のように」

 

 暗く、憎々しげに噛み締める。

 

「……これは」

 

 そんな最中、同じラボで情報電算を行っていた男が、怪訝そうに声を上げた。

 

「どうした、クロウ5」

 

「警備員からの緊急連絡です」

 

 言いながら、クロウ5と呼ばれた男はシャットアウラに向き直り、モニターに映像を映した。

 

「第10学区付近で『幻想御手』頒布事件の容疑者・木山春生の拘束に失敗。現在交戦中とのこと。映像は、現場からの中継映像です」

 

 それは、能力者であれば誰もが目を疑うものだった。

 炎が飛んだ。水が生じた。車が宙に浮き、別の車にめり込んだ。木山と思しき女を除けば、そこにいるのが能力開発を行っていない警備員の部隊だけだとわかる。いや、木山のものだろう車の中には人質と思われる少女の存在もあるのだが、それにしても。

 

「同時に複数の能力が発生している……」

 

 それはあり得ないことだった。学園都市の能力開発において、一人の人間が複数の能力を持つ理論は確立されていない。事実、『自分だけの現実』が一人の人間に一つしか備わらない関係上、複数の能力を保持することは原理的に不可能なはずである。しかし、この光景はどうか。炎も水も、全て木山を拘束しようとする警備員たちに向けられている。木山の援護をしている能力者の存在が確認できない以上、これらの現象は木山一人が引き起こしていると判断せざるを得ない。

 

多重能力(デュアルスキル)だとでも……?」

 

 隣で、クロウ2が呟いた。

 

「隊長。どうしますか」

 

「……」

 

 『黒鴉部隊』は、私設治安維持部隊である。警備員からの緊急通信があった以上、後はシャットアウラの判断一つで介入が可能になる。とはいえ、『黒鴉部隊』のような組織が他に存在しないわけではない。それも、直接的な協力要請ではなく、あくまでも情報が回ってきたというだけのことだ。

 現場で負傷している警備員たちの姿を見て、眉根を寄せる。

 

「私の機体はどうなっている」

 

「あと15分ほど……」

 

「5分でやれ。現場に急行、木山春生を鎮圧する」

 

「ハッ!」

 

 シャットアウラの指示に、周囲の男たちは敬礼と共に応じ、各々で出撃準備を整え始めた。

 

「ん……状況に変化! 現場に『超電磁砲』……御坂美琴が介入!」

 

「なに?」

 

 クロウ3の報告に、シャットアウラは再び画面に目を向けた。つい先ほど、先日の『襲撃者』として名前が挙がっていた少女の登場である。常盤台中学の制服を纏い、暫定多重能力と互角に渡り合う姿が映し出されている。その様子に、『エンデュミオン』で交戦した少女の姿が重なった。

 

「あれが、御坂美琴か」

 

「確かに『エンデュミオン』で戦った奴とは、年齢からして違うな……顔はそっくりだが」

 

「……似ているのは顔だけじゃない」

 

 部下たちが口々に言うのを、シャットアウラが遮った。

 

「戦い方の癖まで、似ている」

 

 シャットアウラの黒い瞳が、鋭く輝く。

 

 

 オービット・ポータル社が所有する研究施設の一つに、境界因子の姿はあった。安置されている場所が変わっても、培養器の中での生活に変化はない。水槽から見える景色が、ほんの少し変わるだけだ。境界因子の胸を満たしているのは、もはや諦観であった。自分には、自分の運命を変えることもできないという諦観だ。

 水槽の外で、計器を前に忙しそうにしている大人たちを眺めて、ふと、少し前のことを思い出す。

 自分に、道具ではないと諭してくれた、茶髪の少女のことを。

 今更この生活自体に文句を言う気はなかった。しかし、それでも物足りないと感じることがある。

 ここに、冨逆美鼓がいないという事実である。

 たったあれだけの接触で、と自分でも思うのだが。たったあれだけのやり取りが、自分にとって何よりも大きなものになっていることは確かだった。人生において、初めて研究素体ではない自分自身に価値を認めてくれた、道を示してくれた人。次にいつ会えるか、もはや会えないかもしれないからと声をかけたのだが、本当にそうなってみるとやりきれない思いがあった。

 

「ミコ……」

 

 培養器の中で、思わず呟いた、次の瞬間。

 

『来い』

 

 耳に、いや、直接脳の中に、響き渡る声があった。

 

『貸せ』

 

「だ、誰」

 

 問いを投げる。気付けば、周囲は漆黒の闇であった。培養器の中に入っていたという感覚もなく、ただ漠然と、見えざる者の声だけが聞こえてくる。

 

『お前の君のあなたの力を、貸してくれ貸してよ貸してください』

 

 声は一つだが、一つではなかった。複数の声が重なり、エコーがかかったように聞こえてくる。男性の声、女性の声、幼い声……およそ一つの声と言うには、あまりにも複合的で、実体のつかめない声であった。

 

「答えてよ……君は、一体」

 

 暗闇の中で、反響する声に問いかける。少しの沈黙の後、答えはあった。

 

『俺たち僕たち私たちは、この街にこの地獄にこの世界に見捨てられ見限られ裏切られた思念の塊だ』

 

 あ、と。何かを口にする間もなく。

 少年の意識は、少年を求める哀しくも黒い意志に、飲み込まれた。

 

 

「次から次へと……!」

 

 出撃準備が整った『黒鴉部隊』のラボで、シャットアウラは第10学区に出現した『胎児』に目を疑っていた。木山春生と御坂美琴の交戦の最中、その決着がついたかに思えた一瞬。頭に円冠を携えた胎児のような何かが、木山の中から現れたのだ。あれは何なのか、どう動くべきかを考えようとして、耳をつんざく警報に遮られる。

 

「オービット・ポータル社からの緊急連絡!?」

 

「第8番研究棟、件の『才能補翼』を管理していた施設で火災発生! 原因は――能力者の暴走!」

 

「チッ……」

 

 シャットアウラは画面の向こうで必死に『胎児』と交戦している御坂美琴の姿を見た。そして、鳴り響く警報に意識を向ける。

 

「班を2つにわける。クロウ4から6は第10学区へ急行。負傷した警備員ならびに民間人の救護に回れ。クロウ2と3は私と共に暴走能力者の鎮圧に向かうぞ」

 

「隊長……」

 

「クロウ4、そちらの指揮はお前に任せる。一人でも多くの警備員を救助しろ」

 

「了解しました」

 

 クロウ4が頷くのを見て、シャットアウラは機動兵器に乗り込んだ。彼女を待っていたのは、地獄のような様相を呈する実験室だった。

 逃げ惑う研究者は我先にと出口を目指し、共に成果を享受し合うはずの仲間を踏みつけにしている。

 境界因子を制御するための機械のほとんどはショートした電極や爆発の衝撃で無残に吹き飛び、原型を留めているものの方が少ない。天井や壁もひび割れ崩れていて、堅牢な構造ゆえにどうにかこの程度で済んでいるが、通常の棟と同じ設計であれば完全に崩壊していたことだろう。

 機動兵器のコクピットで周囲の様子を確認しながら、シャットアウラは『原因』を睨み据えた。

 

「……何が『才能補翼』だ。他人の手を借りなければ無力な子ども? 笑わせる。こんな惨劇が起こり得ることすら想定していなかったのか、こいつらは」

 

 雑踏の中で踏みつけにされた研究者が、どうにかこうにか這っていくのを見送って、シャットアウラは舌打ちする。

 

「クロウ2、クロウ3。暴走能力者鎮圧用マニュアルに従い対処する。危険レベルは4を想定。使用する能力は不明だ。対能力防御を最大出力で使用。攻撃の誘導を行い手札を探る」

 

『了解!』

 

 威勢の良い声が、通信機から聞こえてきた。それと同時に、改めて操縦桿を握り直す。全周転のコクピットの視界外から、2機の機動兵器が境界因子に接敵していく。モニターを分析モードに切り替えた。

 境界因子は接敵する2機を虚ろな瞳で視認する。たったそれだけの行動だった。

 次の瞬間、巨大な氷柱が床から飛び出した。

 氷柱は機動兵器の1機を突き上げるように吹き飛ばす。吹き飛ばされた機体はくるくると回転し、制御を不安定にしながらホイール付きの脚を展開し、どうにか壁に着地した。

 

「何だと……」

 

 残る1機は、突如生じた爆炎によって横転させられていた。対能力防御機構が働いているにも拘わらず、爆炎によるダメージは致命的だった。

 

多重能力(デュアルスキル)……?」

 

 AIM拡散力場に干渉する能力者の暴走。あるいは、シャットアウラ自身の能力を逆に暴発させるような能力を想定していたのだが。返ってきた答えはあまりにもイレギュラーなものだった。

 いや、とシャットアウラはさらに思考を巡らせた。頭に過るのは、オービット・ポータル社から提供された『才能補翼』の概要。自身の能力領域を他者に貸与し、『自分だけの現実』と演算能力を補強するというその能力の性質。そして、それを実現するに当たり必要なプロセスとなる――脳波の同調。

 他者の力を借りなければ、というのは即ち、脳波を同期する誰かがいなければ、と置き換えられる。そして、こうして周囲を破壊している少年は当然、誰かと脳波を同期させていることになる。そして、多重能力を実現させた『誰か』など……今は『一つ』しかない。

 脳裏に蘇る、異形とも言える胎児の姿。

 

「チッ!」

 

 虚ろな瞳がこちらを捉える。その眼球の色もまた、あの胎児に酷似していた。シャットアウラは6脚の機動兵器を駆る。炎が、水が、雷が。複数の能力が、多方面から襲い来る。卓越した操縦技術と状況判断能力によって、その猛攻を回避するシャットアウラ。壁、天井、床。場所を選ばない柔軟にして機敏な動きは、そう簡単には捉えられない。

 

「クロウ3、無事か!」

 

『は、はい。しかし、機体の操縦系が……』

 

「わかった。クロウ2、クロウ3の救助に回れ! 施設内に残った人員の確認を!」

 

『重傷者が数人いますが、退避は完了したようです!』

 

 よし、とシャットアウラは金髪の少年を睨み据えた。

 

「アースパレットを使う。あれの鎮圧には、建物一つ巻き込む覚悟が必要だ」

 

 言葉と共に、シャットアウラの機体の後部から、6つの円盤が射出される。それに追従するように伸びたワイヤーが突き刺さり、少年の周囲で爆発する。小さな少年の身体は吹き飛ばされ、半壊した施設の壁に激突した。

 

『……ぅ、あ』

 

 身に纏ったボロ布に煤がついてはいるが、当人にダメージはなさそうだ。もっとも、そこまでを期待したわけでもないのだが。

 

『シャットアウラ』

 

「……!」

 

 通信に割り込んできたのは、金髪のツインテールを揺らした少女。オービット・ポータル社社長、レディリー=タングルロードであった。

 

『わかっていると思うけど、「才能補翼」は生け捕りにして。想定していた以上の力……これをみすみす殺すわけにはいかない』

 

「最善は尽くしますが、加減ができる相手ではありません。現在は施設内に留まり……ッ、私に注意を向けていますが、外部に脱出する可能性もあります」

 

 再び能力による猛攻が始まり、回避と防御を繰り返しながら報告する。通信先のレディリーは少し沈黙して、

 

『……そう。それは残念ね。こんなことなら、視察に行くのを早めるべきだったかしら』

 

「……?」

 

『いいえ、何でもないわ。あなたに一任する』

 

「……わかりました」

 

 レディリーの言葉を受けて、シャットアウラの瞳に再び闘気が宿る。

 まだ方法がないわけではない。シャットアウラはコクピットの中で、タッチパネル式の武装選択モジュールを起動した。シャットアウラが駆る機動兵器『ブラック・クロウ』の武装は、基本的には『希土拡張』の使用を前提とした設定がされている。ワイヤーを介して起爆を行うアースパレットが主武装だが、それ以外にも機関砲や捕獲用ネット等多くの武装を内蔵している。タッチスクリーンをスクロールさせて、シャットアウラは装備の中から、『AIMジャマー』を選択した。

 先日の戦闘においても使用した、能力者の演算を阻害し、能力の暴走を引き起こす兵器である。これが設置されることによって周囲に展開される演算阻害フィールドの中で能力を使用すれば、最悪能力者を自爆させることが可能だ。

 

「生け捕り、と言われたが。真っ当な手段でこいつを生け捕りにすることは不可能……」

 

 少なくとも、今の『黒鴉部隊』には不可能だ。そして一刻を争う事態ならば、リスクと天秤にはかけられない。

 

「悪く思え」

 

 その少年の境遇を、シャットアウラは良くは知らない。それでも、『置き去り』であることと、身寄りもなく、研究浸けであったことくらいはわかる。きっと、こうなったのも当人の意思ではなく、他者によるものだろう。その運命を憐れみながら、シャットアウラは操縦桿に備えられた引き金を引いた。

 『ブラック・クロウ』の後部が展開され、そこから円盤状の物体が射出される。4つの円盤が浮遊する少年の四方に設置され、『起動』される。

 ギンッ、と。

 シャットアウラの脳に、わずかに反響するものがあった。演算阻害フィールドが展開され、シャットアウラのいる場所まで影響が及んでいることの証明であった。注意深く、金髪の少年を観察する。

 しかし。

 

『……ぁ』

 

 その動きに、様子に、変化はなかった。そればかりか、足元に目を向けて、4つの円盤それぞれを見やる。次の瞬間。

 まるでタイヤがパンクしたような破裂音と共に、一瞬の時間差もなくAIMジャマーが破壊された。

 

「馬鹿な……」

 

 思わず、目を疑う。しかし、脳に反響する音も消え、完全に演算阻害フィールドが消滅していることが確認できた。そうしているうちに、再び少年の瞳がこちらを捉えた。

 

「ッ!」

 

 こちら目掛けて、眩い火線が照射される。どうにか機体を捻って回避すると、火線が刻まれた床面から炎が噴き出し、溶解した鉄片が溶岩のように降り注ぐ。雨あられと降り注ぐそれらを躱しきれず、シャットアウラの機体の関節部に鉄片が凝着し、稼働部位が固定される。

 

「――なにっ」

 

 思わぬ形で足を取られる格好となったシャットアウラ。その隙を逃さず、少年の瞳が中空を見つめ――施設の天井が、丸く切り取られる。

 

「――な」

 

 それは真っ直ぐに、シャットアウラに向けて崩落した。なんとか動こうとするものの、可動部が変調を来した機体では叶わない。そのまま、落ちてきた瓦礫の下敷きとなる。その強度は機動兵器と同様に対能力加工を施したものであり、ちょっとした建築物の壁であればへし折ることができる機動兵器の駆動を以てしても、退けることができなかった。

 

「チッ、クロウ2、援護を!」

 

 視界全体が天板の瓦礫で覆われた状態で、仲間に救援を要請する。しかし、帰ってくるのはノイズだけであった。

 

「……今の衝撃で回路がイカれたか。くそ、これでは脱出装置すら……」

 

 機体には緊急用の脱出装置が取り付けられている。バイクに跨るような形になっているコクピットを、そのまま後方に射出する仕組みである。しかし、天板の瓦礫に埋まっている状態ではそれも叶わない。

 

「カメラは使い物にならん。サーモグラフィーに切り替え――」

 

 言いながら、シャットアウラがカメラを切り替えた時であった。

 熱紋探知を行うモードにモニターを切り替えた瞬間、真っ暗な視界に、真っ赤な火球が複数、映り込んだ。その中心には、件の少年――境界因子が浮遊して佇んでいた。

 ――やられる。

 シャットアウラが戦慄する。境界因子の周囲に展開された数十もの火球が、同時にシャットアウラの機動兵器に迫る。覚悟を決め、シャットアウラがペンダントを握りしめた時であった。

 目の前に、立ち塞がる熱紋があった。

 シャットアウラに降り注ぐはずだった火球が、その熱紋に降り注ぐ。そして。

 それらは、まるで映像を巻き戻すかの如く、火球を放った少年に跳ね返った。

 

「……な」

 

 思わず、目を見開く。今の衝撃でできた瓦礫の隙間から、自分と境界因子との間に割って入ったものの正体を確かめようとする。

 それは、黒髪の少年と茶髪の少女。

 

「さァさァ真打登場だァ。派手に灸を据えてやろうぜェ」

 

「キャラ変わってるとこ悪いけど、加減はちゃんとしなさいよ」

 

 更槇灘飲料が抱える戦闘部隊『飛燕部隊』の通行区分と冨逆美鼓であった。

 



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第7話  飛燕部隊

『なぜ、貴様らがここに……』

 

 思わず、シャットアウラは呟いていた。シャットアウラの存在には気付いていたのだろう、通行区分が易々と天板の瓦礫を吹き飛ばした。

 

「あの聞かン坊をあのままにするわけにもいかねェからなァ」

 

『止められるというのか? あの怪物を』

 

「考えはあるってところね」

 

 シャットアウラの問いに答えながら、冨逆が破損した機体からシャットアウラを助け起こす。機体に深刻なダメージを負わせた相手ということもあり、シャットアウラは複雑な表情を浮かべるばかりだった。

 

「……お前は」

 

「冨逆美鼓。こっちは通行区分。アンタの部下はウチの裏方が退避させたから安心しなさい」

 

「……そうか」

 

 肩を貸された状態で、シャットアウラは複雑そうな表情のままで頭上で力を溜めている様子の境界因子に目を向けた。

 

「……今の『黒鴉部隊』には、あれを止める手立てはない。あれを止められるのなら……」

 

「話が早くて助かるわ。通行区分、解析の方は?」

 

 傍から見ればヘッドホンに手を当ててトランス状態になっている通行区分に語り掛ける。『変速装置』の仕組みを知らないシャットアウラからすれば、何を音楽なんて聴いているんだと文句を言いたくなるような光景である。

 

「母さンの言ってた通りだ。『胎児』と共振しちゃいるが、繋がりはそこまで強固じゃねェ」

 

「『胎児』……? やはり、第10学区のアレが関係していたのか」

 

「知ってたか。あァ、あのガキがあンな風になってンのは、『幻想御手(レベルアッパー)』で作られたネットワークに起因して生み出された、AIM思念体が原因だ」

 

 AIM思念体、とシャットアウラは繰り返した。さすがにそこまでは知らねェか、と通行区分が口を開く。

 

「早い話が、AIM拡散力場の集合体だ。『胎児』そのものに意思はねェが、力場の中に存在する能力者の意思を取り込んでいる。第10学区で暴れてンのは『幻想御手』に頼るような連中の、負の感情の影響を受けているからっつゥ見立てだ。複数の能力を使うのはそのためだな。こっちのガキも、『才能補翼』の感知能力で共振を起こしちまったわけだが……なンだ、急におとなしくなりやがって」

 

 軽く説明して、通行区分は一向に攻撃を仕掛けてこないインターフェイスに目を向けた。金髪の少年は変質した瞳で、真っ直ぐに一点を見つめている。

 

「……私を見てるようね」

 

 冨逆が答えた。

 

「見覚えのある顔を見つけて混乱してンのか? まァ、好都合だ」

 

 言って、通行区分はシャットアウラに向き直る。

 

「シャットアウラ。AIMジャマーは試したか」

 

「……ああ。だが、効果は見られなかった。奴の自壊を見越した苦肉の策だったんだがな」

 

「配置は?」

 

「……? 奴の直下に4つだ。私のジャマー発振装置は小型で影響範囲は狭いが、複数を同時に配置することで補っているからな」

 

 通行区分は目を細め、

 

「そのジャマー発振装置は、10分ほどでどれくらい用意できる?」

 

「10分……せいぜい20だな」

 

「よし」

 

 通行区分は一人頷いて、冨逆とアイコンタクトを取った。

 

「俺たちが用意したものと併せて50。建物を覆うように配置するぞ」

 

「効果は見られなかったと言ったはずだぞ」

 

「あのガキに効かせるつもりなら、そりゃ効果はねェよ」

 

 通行区分の言に、シャットアウラは小首を傾げた。冨逆が引き継ぐ。

 

「能力の噴出点は、あの子に見えて大本の『胎児』よ。あの子はあくまでも端末に過ぎない。極端な話、あの子が脳と心臓だけになったとしても、止まることはない。だから止めるのは、『胎児』とあの子を結んでいる回線の方」

 

 そこまで言われて、シャットアウラはハッとした。

 

「ジャマーを使って、アクセスを断絶する結界を作るということか」

 

「そォいうことだ」

 

 頷く通行区分。しかし、シャットアウラは「待て」と制する。

 

「だが、お前たちの策が上手く行ったとしても、思念体が存在している以上は再接続される可能性がある。そちらは考えているのか?」

 

「『才能補翼』が一人としか接続できない性質を利用する。私があの子と脳波を繋ぐわ」

 

 境界因子の目をじっと見つめ返したまま、冨逆が答えた。

 

「ジャマーでパスが途切れたタイミングで、あの子に接近して脳波の接続先を私に誘導すれば、共振を遮断しつつ再接続を妨害できる」

 

「そんなことができるのか?」

 

「多分ね。あの子、私の顔は覚えているみたいだし」

 

 複雑な表情で言う冨逆。それを横目で見ながら、通行区分が口を開く。

 

「そして思念体は『超電磁砲(レールガン)』が何とかする。……だな?」

 

 冨逆は少し眉間に皺を寄せて「ええ」と答えた。

 

「手筈はわかったなシャットアウラ。あのガキはひとまず俺たちが引き受ける。オマエはこの建物の周辺にジャマーを配置する指揮を執れ」

 

「……承知した」

 

 シャットアウラは頷き、もう一度冨逆の顔を見た。まじまじと、帽子に阻まれてはっきりとは見えない顔。映像に見えた、御坂美琴を大人びさせたような顔を。

 

「貴様には、まだ話がある。才能補翼を止めた後で」

 

「……話せることしか話さないけど」

 

 素っ気なく答える冨逆に、シャットアウラはわずかに笑った。巨大な実験室の外へと向かうシャットアウラを見送って、通行区分は頭上の境界因子を見上げた。

 

「さァて。ああは言ったが、ジャマーを使うってこたァ俺たちも影響を受けるワケだが」

 

 建物を囲うように展開するAIMジャマー。理論上は彼らの戦闘領域にまでは干渉せず、『胎児』と境界因子のパスを断ち切るためだけのもの。しかし、計算が少しでも狂えば、ジャマーによって能力の暴発が起こる可能性はある。

 

「多少の覚悟は必要ね」

 

 真っ直ぐに金髪の少年を見つめ返している冨逆だったが、ゆらりと、境界因子が動くのが見えた。静かに頭を抱えて、表情が見えなくなり、黒い稲妻が迸り始める。

 

「さすがに、ずっと大人しくはしててくれないか」

 

 あわよくば、このまま矛を交えずに事を終えたかったのだが。そんな様子を見て、通行区分はからかうように笑った。

 

「ハッ、作戦会議の時間を稼いだだけ大したモンだ。ガキとは仲良くしとくモンだなァ」

 

「……黙ってろ」

 

 軽口に適当に返しながら、確かめるように、冨逆は指先からわずかに紫電を散らした。やけに楽しそうにしながら、通行区分が一歩前へ出る。

 

「ンじゃまァ、囮は任せろ」

 

「頼んだ」

 

 声を聞いた通行区分が、浮遊する境界因子へと高速で接近する。金髪の少年の視線が動くのを確認して、撹乱するようにその視界内を不規則に動き、時折足元の石を弾丸のように蹴飛ばして様子を見る。それらは少年に触れた瞬間に軌道を捻じ曲げられ、紫電が散る。

 その刹那、瓦礫は稲妻を纏って急加速し、恐ろしい速度で通行区分に向けて跳ね返された。しかし、『変速装置』を用いた通行区分にその攻撃は通用しない。正確に胴に放たれたそれを、そのまま弾き返す。それは境界因子の肩口を掠め、背後の壁面に風穴を開けた。

 

「そンなモンじゃ俺は死なねェぞ、クソガキが」

 

 普段の彼からはまず出ない挑発。金髪の少年は特に反応を返さないが、その周囲に火球が出現した。

 

「オイオイ」

 

 多才能力とはこういうことか、と実感を以て理解し、じわじわと大きくなっていくそれを見て不敵な笑みを浮かべた。

 

「隕石でも落とすつもりかァ、オマエ」

 

 刹那、火球の中に取り込まれた瓦礫が、無数の火の玉となって通行区分に襲い掛かった。機関銃のような連射速度で放たれるそれを、通行区分は姿勢を低くして眼前に構えた右手で触れ、ベクトルを操って後方へといなす。跳ね返したところで、強力な念動力の前にはいたちごっこになるだけだ。これが通行区分の単独作戦ならごり押しで戦うことも吝かではないが、弾き返したものが冨逆の方への攻撃に使われてしまえば、あるいは致命打となりかねない。

 通行区分の周囲が火の海と化したところで、冨逆は金髪の少年の背後から迫った。少年は通行区分の方向しか見ていない。

 

(……意識が向こうに向いてる。これなら)

 

 冨逆は跳躍し、少年に向けて紫電の迸る右手を掲げる。普通の人間であれば、これが触れれば体の自由が封じられる。だが。

 境界因子に触れる寸前で、その視線がこちらを向いた。接触まではあと一瞬となかっただろう。だが、境界因子の瞳がこちらを捉えた瞬間、帽子の少女は車に跳ね飛ばされたかのように大きく空を切り、ひび割れた研究棟の壁へと叩きつけられた。おそらくは念動力。不安定な空中では効果的な一手だった。

 

「……ホント、退屈させないわね」

 

 多彩な攻撃のレパートリーに、皮肉にも似た一言を載せて、冨逆は立ち上がった。

 

「チッ……」

 

 舌打ちし、通行区分は脇にある電子機器を叩いた。ベクトル変換。既にボコボコに変形していた機器は幾重にも捻じれてへし折れ、鉄柱のような形を取り、矢のように少年に向けて襲い掛かった。しかし、それは少年が即座に周囲から集め、浮遊させた石や鉄材、瓦礫によって阻まれる。普通の人間が相手であれば、串刺しになっていただろう。それを見た冨逆は、思わず声を荒げた。

 

「ちょっと、生け捕りって話でしょ!」

 

「何怒ってンだよ。足の一本二本へし折れたところで死なねェだろォが」

 

「……アンタね」

 

 当然と言う物言いの通行区分に、やや失望したような口調で、冨逆が言った。見てきたものの違いか、価値観の違いは明確だ。指先の放電を、全身にまで広げる。

 

「まぁ、手加減してる余裕がないってのには、同意だけ、どッ!」

 

 全身まで広がった紫電が、空気を爆発させてその体を宙に浮かせる。冨逆が立っていた場所には、床面を可変させたのか巨大な岩の槍が出現した。間一髪の回避。宙を舞う冨逆に向け、砕けた岩槍が数百の石礫となって襲い来る。空中で遠く離れた背後の金属壁と磁力線を繋ぎ、強引に自分の身体を後方に吹き飛ばしながら、稲妻によってその悉くを撃ち落とす。

 

(量が多すぎる……!)

 

 物量に押し負けそうになる冨逆の眼前を、烈風が駆ける。それが通行区分がベクトル変換によって生み出した風なのは言うまでもない。

 壁を蹴り、境界因子に肉薄する冨逆。しかし。

 

「……んでる……」

 

 くるり、と空中で少年が踵を返した。それと共に、冨逆へ向けて、砂鉄で形成された刃が振るわれる。それを見るや、冨逆もまた砂鉄の刀を形成し、正面から鍔ぜり合った。

 

「残念だったわね。それは、私の十八番よ!」

 

 得意げに言い放つが、境界因子の視線は冨逆ではなく、誰も居ない壁面と向けられていた。

 

「呼ん、でる……」

 

 虚ろな瞳が見ているのは、第10学区の方角だった。それは即ち、彼が今脳波を繋いでいる、『胎児』のいる方角である。彼を行かせればどうなるのか等、冨逆にはわからない。しかし、少なくともはるか遠くで暴れている存在が、さらに厄介なことになることくらいは想像できた。

 

「アンタも、悪い友達を持ったわね」

 

 少年が撃ち掛ける複数の鉄塊を、砂鉄の刀でいなし、捌く。

 

「でもまあ、培養器の中で腐ってるよりはマシか!」

 

「ばい、ようき……」

 

 少年の口が、こちらの言葉を繰り返すのを、冨逆は聞いた。

 

(私の声が聞こえてる……?)

 

 冨逆の顔を認識していたことといい、違和感がなかったわけではない。その制御は完全にAIM思念体に奪われていてもおかしくはないのだが、深層意識というものなのか。一か八か、冨逆は口を開いた。

 

「私、言ったわよね。アンタは誰かの道具じゃない。自分で進む道を決められる一人の人間だって」

 

 目の前の、こちらを見ているように見える少年に、語り掛ける。少年はぼんやりとした表情で、機械的に冨逆の刃を弾く。天井に着地して、見下ろす格好で冨逆は続ける。

 

「それは、アンタは選ぶことができるってこと。助けを求める声に応じるのはいい。それもアンタが選んだことだから。でもね、選び直すのも、一つの選択だってことを教えてあげる」

 

「えら、び、なお……す」

 

 境界因子が、言葉を繰り返す。冨逆の中で、確信が生まれた。自分の声が、届いていると。

 

「そうよ。そりゃ、ちょっと躓いたからって諦めるのはカッコ悪いけど。でも、間違っていると気付きながら、間違ったまま進み続けるのは、もっとカッコ悪い。答えなさい、インターフェイス。それは、アンタが望んだ選択なの?」

 

「ボク、は……ぅぐ」

 

 ぼんやりとしたまま、少年は苦悶するように再び頭を抱え始めた。

 

(なンだ、これは)

 

 その光景を見た通行区分は、目を丸くしていた。冨逆美鼓の言葉を受けて、あれだけ暴れまわっていた少年が大人しくなっている。冨逆を認識しているようなそぶりと併せて、木原乖離から齎された情報にはないイレギュラーが生じていると感じていた。

 そんな最中、その声は聞こえてきた。

 

『設置完了だ。合図を!』

 

 AIMジャマーの設置を担当したシャットアウラからの通信である。それを聞いた冨逆と通行区分は目を合わせ、頷き合う。

 

「よし、頼む!」

 

 通信機に向け、通行区分が号令を発する。

 それと同時に、境界因子に変化が生じた。

 

「う、ぁう。うぁ」

 

 苦悩するように頭を抱え、それこそ胎児のような姿勢で体を丸める。その周囲には、黒い稲妻にも似たエネルギーが漏れ始めていた。AIMジャマーが起動したこと、そして、彼らの作戦通りに事が運んでいることの証左であった。

 

(よし、ジャマーの影響は私にはない)

 

 懸念していた自分への影響がないことを、指先から紫電を散らして確認する。目下で胎児のような格好になっている境界因子の頭上に生じていた円環が、ノイズが奔ったかのように揺らぎ、先ほどよりも小さくなりつつあることが見て取れた。

 

「ガキと化け物の結合が弱まった! 冨逆!」

 

「わかってる……わよッ!」

 

 円環の変化に比例して境界因子から漏れ出てくる黒い稲光に警戒しながら、天井から跳躍し、空中で胎児のように身を丸めた境界因子に触れる。しかし、まだ完全に結合が切れていないせいだろう、黒い稲光が逆流し、冨逆に襲い掛かった。

 

「っ……くそっ」

 

 電撃使いである冨逆には、スタンガンの類は通用しない。しかし、それでもなお"感電している"という感覚があるのは、この稲光が彼女の扱う電撃とは性質を異にするものということだろう。歪な痛みが走る中、冨逆の脳内に声が聞こえてきた。

 

『やめろ』

『邪魔をするな』

『お願い』

『この子を』

『連れ出さないで』

 

 聞き覚えの無い声である。エコーのかかった、一つの声でありながら、一つの声ではない、複合的な声。境界因子をこのような状態にしている『原因』を思い出せば、それが誰の声なのか、答えは明白だ。

 

「知るかっての……!」

 

 短く、冨逆は答えた。境界因子と脳波を繋ぎ、その能力を利用している思念の塊。学園都市のカーストが生み出した、能力者たちの負の感情に。冨逆の返答に重なるように、拒絶反応も徐々に弱くなっていた。それに抗うように、声も必死に言葉を紡ぎ出す。

 

『俺たち私たち僕たちは』

『お前たちあなたたち君たちの』

『敵ではない敵ではない敵ではない敵ではない敵ではない』

 

「黙れ。敵とか味方とかじゃない」

 

 脳に反響する声に、冨逆は冷たく吐き捨てた。

 

「アンタたちの事情に、この子を巻き込むなって言ってんのよ!」

 

 バチンッ! と。断ち切るような雷電の音が響き渡る。それは境界因子が思念体から冨逆へと脳波のパスを繋ぎ替えた音であり。さながら、聞き分けの無い者に対する平手打ちのようでさえあった。それと共に、脳内に直接響く声は途絶え、境界因子の瞳からも、あの怪物と同じ黒い眼光が溶けるように消え落ちた。

 

「うっ……あ……」

 

 AIM思念体との繋がりを失い、少年の身体から『多才能力』が剥がれ落ちる。それは重力に従う自由落下という形で顕れ、その体は冨逆の腕の中に抱かれた。

 

「ったく、手間かけさせて」

 

 冨逆がぼやく。それは普段の彼女からすると、少し優しい響きだった。

 

「付き合う友達くらい、ちゃんと選びなさい」

 

 腕の中の少年は、静かに眠っているだけだった。

 

◇◇◇

 

「いやはや、いやはや」

 

 無駄に広い執務室で、更槇灘飲料社長は愉快そうに笑っていた。

 

「筋書き通りというのは実に子気味良いねえ、乖離くん」

 

「あら。ということは?」

 

 わざとらしい素振りで乖離が尋ねると、社長はにこやかに頷く。

 

「先ほど、オービット・ポータルから正式な連絡があったよ。『才能補翼』の管理について、我が更槇灘と利権を共有したいとね。やれやれ、随分と回り道になったものだよ」

 

「それは良いお話ですね。研究部門の運営に関してイニシアチブを握るのは、より情報を多く集めている方なのは言うまでもありません。共同研究という形になれば、事実上彼らは私たちの傘下に入ったようなものでしょう」

 

「宇宙工学については業腹ながら彼らに花道を譲るとして、彼らの様子を合法的に監視できるのは大きなアドバンテージとなる。重ねて業腹だが、今をときめくオービット・ポータル社は味方につけても頼りになるからね。これで更槇灘はさらに一歩先に躍進できるというものだ」

 

 そう言う社長の目の前には、一枚の決算書が置かれていた。乖離はそれに目を向けて、

 

「そちらは?」

 

「いや。経理部から提出された今月の収支決算書だ。もう少し、我らの『資産』には働いてもらわなければならないようだよ」

 

 はあ、と社長がため息をつく。

 

「良いのではありませんか? 浅く広く、とは言うものの、その『浅く』は方々の企業のはるか深くを行っているのですし。数字的な結果は後からついてくると思いますが?」

 

「うむ……まあ、時に逆境は必要だからね」

 

 乾いた笑いを、社長が漏らした。

 

「そういえば、番外零式(アルファワースト)が境界因子とパスを繋いだ、と聞いたが」

 

「ええ、作戦の一環として。まあ、脳波ネットワークと言えば、それこそ彼女の……いいえ、妹達(シスターズ)の十八番というものですし?」

 

「それはわかっているのだがね。んん、心配だなァ」

 

「?」

 

「ほら、雛鳥には刷り込みというものがあるじゃないか。目にした動くものを親と思い込み、それについていくと。たとえそれが自分たちに害なすものであっても」

 

「はあ、境界因子にとっての親鳥が、番外零式になると?」

 

「うん。いや、まあ素人意見なんだがね。もしそうなってしまったら、あるいは損失になるかなぁ、と」

 

 ふむ、と乖離は顎に手を当てた。

 

「仲は良いようですけどねえ。研究が進まないことには何とも。しかし、ご安心くださいな」

 

 にっこりと微笑んで、木原乖離は広い執務室を歩き、社長の座るデスクの目の前まで移動した。

 

「才能補翼は、通行区分を一方通行に並び立てさせるため、私が引き入れたものですから。どのような壁にぶつかろうとも、あらゆる手段を講じて、目的だけは達成してみせます。社長はどうか、ノアの方舟にでも乗ったつもりで居てくださいな」

 

 大言壮語が過ぎる発言であったが、初老の男性は微笑んだ。

 

「その言葉が聞きたかった。私はシンプルな答えが好きなのだよ。善処するとか、最善を尽くすとか、そんな曖昧でお茶を濁した言葉が聞きたいんじゃない。君のような、絶対的な自信を持った言葉こそが、信頼に値する」

 

 できないという言葉は聞きたくないけどね、と付け加えるのを、乖離は静かに聞いていた。

 

 

「ここに居たか、冨逆」

 

 更槇灘飲料が所有するラボの屋上に、冨逆美鼓と通行区分の姿はあった。

 

「インターフェイスはどうなった?」

 

「問題ない。バイタルは安定している」

 

 それを聞いて、冨逆は安堵したように息をついた。

 

「でもこれで、全部乖離の計画通りになったわね」

 

「……ああ」

 

 『胎児』――『幻想御手』によるAIM思念体を利用した、境界因子の領域拡大。それに伴う暴走を見越した上でライバル企業に引き渡し、技術力の優位を見せつけ、共同研究へと持ち込む。企業間のパワーバランスをこちらに寄せた上で、その実、境界因子のコントロール権はこちらに戻した格好だ。全てが木原乖離の掌の上だったのだと、実感する。

 

「アンタ、この計画のこと全部知ってたのよね」

 

「? それがどうかしたのか」

 

「あの子を道具みたいに利用することに、思うことはなかったの」

 

 非難の視線を向ける冨逆に、通行区分は平然と告げる。

 

「ああ」

 

「どうして?」

 

 通行区分を睨みつけて、冨逆はまくしたてた。

 

「あの子は、私やアンタとは違う。本当ならこんな目に遭わなくていい子なのよ。それが、珍しい能力を持っていた、ただそれだけのために利用されて、危険な目に――」

 

「落ち着けよ」

 

 一際強い風が、屋上を駆けた。ねっとりとした温風がまとわりつく夏であれば、それは快適な瞬間だったことだろう。今の彼らにとっては、頭を冷やす効果すらない。通行区分は歩み寄り、冨逆の隣に立って茜色に染まる街を見た。

 

「ここが学園都市じゃなければ、お前の言い分は正しい。だが、ここは学園都市だ。表向きは二十年先の科学を抱く衛生都市だが、裏の顔は子どもを素材にした非合法が渦巻く実験場。そんなところに捨てられた時点で、アイツに真の安全はない」

 

 その言葉は、冨逆の境遇にも通ずるものがあった。

 

「お前は今、アイツは本当ならこんな目に遭わなくていい、って言ったが、お前の言う本当ってのは何だ」

 

「え……」

 

「アイツの親がアイツを捨てなかった未来か。それとも、稀有な能力を持たず、他の『置き去り』と同じように過ごした未来か。正直に言うが、そんな『もしも』は考えるだけ無駄だ」

 

 通行区分の瞳が、鋭い輝きを帯びた。それは首から下げているヘッドホンを着用した時の、豹変した彼によく似ている。

 

「都合の悪い事実を偽物として、都合の良い虚構を本物と思い込む。人間には往々にしてありがちな心理だが、そんなものは逃避でしかない。人間にできることは、不都合な事実を予測して対策することと、起こってしまった不都合に対処することだけだ」

 

 聞いている冨逆の表情に、少しずつ翳りが加わっていく。

 

「そんなことは、私だってわかってるわよ。私が復讐を望むのも――」

 

 言いかけて、冨逆は口を噤んだ。その所作に違和感を覚えたが、通行区分は静かに続けた。

 

「俺がアイツをそのままにしているのも同じ理由だ。道具だろうと何だろうと、俺たちの庇護下にあるのがアイツにとっての最善だからだ」

 

「……最善? 危うく自爆させられるような目に遭うことの、どこが最善――」

 

「最善だから自壊せずに済んでるんだよ」

 

 黒髪の少年は、ばっさりと断言した。言葉を呑む冨逆に、通行区分は少し視線を逸らす。

 

「……いや、これについては俺とお前で情報に差があるから、わかれって言うのにも無理があるか」

 

「……どういうことよ」

 

「インターフェイスをもともと管理していた『すいかずら園』は、こども園として『置き去り』を管理しつつ、基礎的な能力開発を行う機関なんだ。当初『才能補翼』の存在を確認したのもあそこだった。母さんは実用的ではなかった『才能補翼』の育成論を確立させたが、『すいかずら園』に任せておいて問題ないと判断し、観測データの報告だけを受けて野放しにしていたらしい。だが母さんの論文を見た『すいかずら園』は血相を変えて、どうにかして『才能補翼』をモノにしようと焦った」

 

 それから先は酷いもんだ、と通行区分は述懐する。

 

「『すいかずら園』の権限を逸脱した能力開発。外的刺激や薬物投与が行われ、挙句の果てには『体晶』の使用まで行おうとした」

 

「そんな……」

 

「『すいかずら園』はそんな都合の悪い情報は秘匿していたが、観測データをチェックしていた母さんに措置の全てを看破された。それを引き合いに出して無理矢理インターフェイスを引き取ることもできたが、『すいかずら園』に二度と手出しをさせないために大金を払い、あくまでも研究機関間の取引という形にしたんだ」

 

 話している間にも夕日は沈んでいき、二人の周囲が暗くなる。施設の屋上に設置されている電灯が、力なく点灯するのが見えた。

 

「能力者たちの価値を引き出すために研究者たちは躍起になる。それこそ、手段を選ばずにな。一方で、一度その価値が確立してしまえば手出しにも限度ができる。高価になるかもしれないモノと高価なモノには雲泥の差があるからな。今回母さんが『胎児』――『幻想猛獣(AIMバースト)』なんて呼ばれてるらしいが、アレを利用して強制的にアイツの成長段階を引き上げたのはそのためだ。アレを利用する方法は、アイツの安全確保のためには最善だったのさ。……最悪の中の最善、でしかないが」

 

 ともかくだ、と通行区分は手すりから手を放す。

 

「だから、今はお前も母さんを信じてくれ。お前と母さんの間にどんな事情があるかは知らないが、少なくとも、インターフェイスにとっては最善の『管理者』だ」

 

「……」

 

 冨逆は、決して頷かなかった。しかし、それ以上食い下がることもしない。何も言わないまま体ごと通行区分から顔を逸らし、手すりにもたれて街並みに目を向ける。それを了承と受け取って、通行区分は手すりに背を預け、思い出した、とでも言いたげに口を開いた。

 

「ところで、『幻想猛獣(AIMバースト)』の方はお前のオリジナルが鎮圧したらしいぞ」

 

「……オリジナル? ……ああ、『超電磁砲』か」

 

 一度聞き返して、不愉快そうに冨逆は言った。

 

超能力者(レベル5)なら、あれくらい止められて当然よ」

 

 吐き捨てるように言うので、さしもの通行区分も目を丸くした。

 

「随分と冷たい言い方だな」

 

「……まあ」

 

 帽子の鍔を摘まんで目深に被り直すと、冨逆美鼓は夜の帳が下りた街を見つめて、こう言った。

 

「気に入らないのよ。自分がどんなに恵まれてるか、気付いてないヤツってのが」

 

 その瞳は、ひどく悔しそうだった。

 

「……本当に退屈だわ。この街も、私自身も」

 

 憎々し気に、悲し気に言うその姿を、黒髪の少年はただ見つめていた。

 




ここまでご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

以上で第一章 境界因子《インターフェイス》編が終了となります。内容に至らない点も多かったかと思いますが、忌憚なきご意見、ご感想をお待ちしております。


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幕間① 白井黒子と紡杵錯弥

 人の口に戸は立てられぬ。

 一度流れた噂話を止めることはできない、ということわざだ。

 風紀委員(ジャッジメント)としてこの科学の街の治安維持をしている白井黒子は、つくづくその言葉の意味を実感する。ことわざができた大昔に比べ通信技術が発達した現在では、さらに輪をかけて戸を立てられなくなったと言えよう。

 気持ちはわからないでもないし、くだらないと思う気持ちもある。一方、その噂に踊らされて犯罪に走ったり暴走したりする連中に関しては本気で反省しろと思う。

 人の噂も七十五日。

 これもまた、大昔の教訓。人の口に戸は立てられないが、事実無根なら七十五日経てばみんな忘れてしまうから大丈夫、という何となく救済案のようなことわざである。そう思って、白井は不謹慎な噂話であっても目くじらを立てずに居るのだが……。

 

「また妹達(シスターズ)の噂ですのね……」

 

 それが想い人の噂となれば、看過しづらいことも事実である。

 

 学園都市において、『超電磁砲(レールガン)』――御坂美琴は超能力者(レベル5)の看板のような存在である。白井の通う常盤台中学には『心理掌握(メンタルアウト)』なんてのもいるが、一般的なネームバリューはどう考えても御坂が上だ。それは持ち前の正義感から色々な事件に首を突っ込――もとい、解決に導こうとする性格によるところが大きく、何より能力名にもなっている必殺技がわかりやすく評判を集めやすいのだろう。

 往々にして、そういう注目を集める人間には妙な噂が集まりやすい。芸能人であれば業界関係者との熱愛報道だったり、犯罪行為であったりがゴシップ記事に上がるようなもの。誰だって、よく知らなかったり興味のない人間のニュースより、有名人のニュースの方が面白いのだ。マスコミの報道傾向なんかは特にわかりやすい。人気を集める、ということは、良いモノ悪いモノ全てを集める、という意味にほかならないのだ。

 だから、愛するお姉様に良い噂だけでなく悪い噂も出てきてしまうことは、仕方ないと理解はできる。個人的に、感情の部分で納得ができないというだけで。

 ため息をついて、有能な同僚(絶対本人には言わない)がまとめた資料に目を通す。

 

 妹達。

 

 超能力者の第三位、『超電磁砲』のDNAを使用したクローン人間。能力者のレベルの指標に『単独で軍隊と渡り合える』というような表現が使われている関係か、用途は軍事利用として噂されている。

 ここまでなら単なる与太話で済む。問題は、実際にそれを目撃したという声が、複数人から上がっていること。それも、電磁波が出ていることまで確認した、というのである。まあ、ここまで言われても、真実味を増すための嘘と言えばそれまでではある。

 当の御坂は「くだらない話よねー」なんてけらけら笑っていたが、内心結構気にしているのは白井にだってわかる。いや、白井だからこそわかる、と言った方がお姉様への愛を語る上では相応しいか? まあそれはそれとして。

 

「七十五日も待つ前に、決定的なカラクリが見つかって欲しいものですけど」

 

 そう、しょせん噂は噂。火のないところに煙は立たず、火元がわかればすぐさま消せる。

 例えば、御坂美琴と瓜二つなタナカ・ミノルさんが学園都市に住んでいました、というだけでクローンの噂なんて吹き飛んでしまうのだ。どこぞの会社が超リアルな立体映像を投影する機械を開発して、そのモデルに御坂美琴を選んで街中でテストしていた、なんて真相でもいい。それが本当なら言い値で買ってやる。想像するだけで涎が出てくる。

 

「ぐへへ……おっと」

 

 私としたことがはしたない、とハンカチで口元を拭い、時計を見やる。そろそろ”時間”だ。学園都市の治安維持を行う風紀委員は、二つの枠組みに籍を置く。一つは、各々が所属する学校内に配置されている校内風紀委員会。そして、学園都市全域に点在する学区風紀委員会である。基本的には校内を治安維持の拠点とするが、下校後や夏休み中のような課外時間には、シフト制で学区内まで活動範囲を拡大する。白井の場合は、常盤台中学校内風紀委員 兼 第七学区風紀委員となる。

 今日は、同じ学区風紀委員会に所属する他支部のメンバーとの報告会の日であった。愛しのお姉様との下校後デートを常に画策している白井だが、風紀委員の仕事となれば自分の欲望は抑え込める、できる淑女である。

 

「白井さーん」

 

「遅いですわよ、初春」

 

「ええっ、5分前行動じゃないですか!」

 

「風紀委員は10分前行動が基本ですの」

 

 いつものように、普段ほわほわしがちな初春を嗜めて、会場となる施設に入る。会場はその時々によって変化し、どこかの支部だったり貸会議室だったりと様々だ。今回は、普通にその辺の企業が使うシンプルな貸会議室である。

 一度来たことがあるので特にリアクションもせず談笑しながら歩いていると、会議室の前にある待合スペースに、人影があった。

 組紐をあしらった髪飾りが、和のテイストを感じさせる少女である。少女はこちらに目を向けると、広げていた手帳を閉じて、にっこりと微笑みながら会釈した。

 

「こんにちは、白井さん。初春さんも、お会いするのはお久しぶりですね」

 

「は、はい! 紡杵(つむぎね)さんもお元気そうで!」

 

 お嬢様を前にすると大体こんな反応をするのが初春である。白井としては、どうして立派な淑女である自分にそういう反応をしないのか、疑問であると共に若干腹が立つ。

 紡杵(つむぎね)錯弥(さくや)。白井黒子と同じく、治安維持活動に励む風紀委員だ。

 幼さを残しつつも大人っぽい表情を浮かべる淑やかな様子は、まさに大和撫子のそれであった。外を歩いてきて間もないこちらに対して、紡杵は涼しい顔をしていた。初春に続いて挨拶を交わしつつ、会議が始まるまでのわずかな時間を会話で埋める。

 

「そういえばあなた、食蜂派閥を抜けたと聞きましたけど、大丈夫ですの?」

 

「まあ。もうお話が伝わっているのですね」

 

 食蜂派閥。常盤台中学における最大派閥であり、『心理掌握』こと食蜂(しょくほう)操祈(みさき)が運営する勢力である。その影響力は絶大で、生徒会や教師陣に対してすら正攻法で相対するほど。

 

「常盤台生にとって、あの派閥に所属しながらわずか数か月で脱退など例がありませんから。注目を集めるのは当然だと思いますわよ」

 

 そんな派閥を抜けるなど、常盤台で過ごす上ではデメリットの方が大きいのだ。こちらの心配に対して、紡杵は涼しい顔で微笑んだ。

 

「何も複雑な理由ではありませんよ。風紀委員と派閥の兼ね合いが、私にとって難儀であっただけのことです」

 

「想像に難くありませんが、食蜂派閥というのはそんなにも面倒事ばかりですの?」

 

「それなりに。白井さんも、試しに体験してみればお分かりになると思います」

 

「遠慮しておきますわ。長いものに巻かれるのは性に合いませんもの」

 

「白井さんらしいですね。わかりますよ、権限のしがらみで思うように動けないことも多々ありますものね」

 

 それは風紀委員に所属する中でも実感するところだ。基本的に風紀委員の位置づけは警備員の下にあり、役割としては事態への応急措置でしかない。問題の発生を確認し、緊急避難的な対応のみを行い、解決は警備員に引き継ぐ、というのが一般的な風紀委員の在り方である。この領分を超えた場合には相応の罰則を科せられるのだが、白井はそんなK点をテレポートで飛び越えていくタイプであった。紡杵も白井ほどではないにせよその傾向があり、そういう意味でも互いに信頼できる間柄である。

 現場には現場の最善があり、その一手によって人命の明暗を分けることもある。決して組織を蔑ろにしているわけではないが、もっと柔軟になるべきという考えが彼女たちにはあった。

 

「それでは定例報告会を始めます」

 

 程なくして、第七学区風紀委員会の会議が始まった。凛とした佇まいの学区長の一言から始まり、各支部における遺失物や各種事件の件数を報告、議題は報告された内容の中身へと移っていく。

 目下一番問題視されているのは、『幻想御手(レベルアッパー)』の事件である。先日の虚空爆破(グラビトン)事件もその一つであるとして、風紀委員は権限の範囲内ではあるが、独自に調査を進めていた。

 そんな風に、会議が躍る中で。

 

「では第177支部の初春さん。『幻想御手』以外で報告はあるそうだが」

 

 この場では議長を務めている風紀学区長から促され、初春は毅然と立ち上がった。

 

「はい。先週メールで皆さんに回覧させていただいた、行方不明事件についてです。同様の事件を抱えていた他支部の方にもご協力いただき、ある共通点があることがわかりました」

 

「本当か。それは一体――」

 

「行方の分からない学生の全員が、『粛清サークル』という集団に関与していました」

 

「粛清サークル?」

 

 品良く小首を傾げて、隣から紡杵が聞き返した。初春は頷き、

 

「法や権力に縛られない私刑集団を自称する、SNSで集まった学生集団です。いわゆるダークウェブ上でやり取りをしているので表沙汰になりにくく、都市伝説化していたのですが……最近になって表層でも、志願者を募るようになっていました」

 

「その募集に対して手を上げた者が、それから行方不明になりましたの」

 

 険しい表情で白井が引き継ぐ。

 

「志願者を募っていたアカウントは削除されていて、痕跡を辿りましたが紐づけされた端末は既に破壊され、廃棄されていました。現状、その方面から捜査を進めることができない状態です」

 

 室内にざわめきが生まれる。学区長はふむと顎に手を当てた。

 

「全員、となるとほぼ間違いないな。しかし、アカウントから辿れないとなると……」

 

「一応、その募集を行っていた表層の都市伝説サイトの運営者とコンタクトが取れそうなので、第177支部としてはこちらから調査を進めたいと思っています」

 

「大丈夫なのか? 危険な連中と繋がっている可能性も……」

 

「危険は百も承知ですの。ひとまず話を聞くだけですし」

 

「……わかった。では管理人との接触は177支部に任せる。我々も『幻想御手』の方に回している人手を割けるだけ割く」

 

「よろしくお願いします」

 

「白井さん」

 

 ぞろぞろと風紀委員たちが帰路につく中で、紡杵が声をかけた。

 

「はい? どうしました、紡杵さん?」

 

「そのサイト管理人との接触……私もご一緒してもよろしいですか?」

 

「え?」

 

 思わぬ要望に、白井は目を丸くした。紡杵が強い正義感の持ち主であることは知っている。しかし、こんな風に自分から進言してくることは珍しかった。こちらから協力を頼んだ時には快く応じてくれるが、逆のケースはほとんどない。紡杵がドライだからではなく、自分の領分を超えたことはしない主義だからだ。自分の責任でできるところまではとことんやるが、他人の領分に踏み込んでまではやらない、というのが彼女のスタンスだった。

 

「差し出がましいお願いであることはわかっています。ですが学区長も仰っていた通り、お二人だけでは危険かと。それに、被害者の方々が噂話にかこつけて利用されている可能性も考えると、居ても立っても居られません! どうか、何卒!」

 

 腰まで折り曲げた、見事なお辞儀だった。見ているこちらが気圧されてしまいそうである。元々、彼女はこういう人間だった。

 今の彼女のスタンスを作り上げた一件は、助けられた側のエゴによるものだ。段取りを決めた者が、自分の思い描いた通りに事を進められなかったことを苦々しく思い、彼女に嫌味を言ったというだけのこと。傍から見てもそれは明らかであり、紡杵が気にかける必要はない。

 それでも彼女は、結果はどうあれ、仲間に迷惑をかけてしまったと自分を律した。紡杵の判断は最善だったし、ただ一人のプライドに水を差したというだけなのに、だ。それを知った時、白井は生真面目過ぎると心配すると同時に、輪を乱さないようにと大人の対応をした彼女に、敬意を表した。

 そんな彼女が自ら進言したことは、きっと、白井を信頼してくれてのことだろう。それに気付いてしまえば、答えは自ずと決まってしまう。

 

「……仕方ありませんわね。よろしくお願いしますわ、紡杵さん」

 

 同僚がちょっと昔に戻ってくれた気がして、微笑みながら白井は答えた。

 

 

「あら、来るのは2人だけじゃなかったかしら?」

 

 第七学区の片隅、隠れ家的なカフェで彼女たちを迎えたのは、すらりと背の高い男性。男性でありながら口紅を始め化粧を施していて、ツーブロックにした左右非対称のサラサラ髪が特徴的である。冗談抜きで特徴的である。風紀委員の3人が思わず、一瞬息を呑むくらいには特徴的であった。

 

「なーんてね、ウソよ、ウソ。もう、そんなに怖がらなくてもいいじゃなーい。男女の差があっても、ちょーっと目が良いだけのアタシとあなたたちじゃ勝負にもならないんだ・か・ら☆」

 

 ほう、性自認は男性なのか、と内心思う。そんなわけで、簡単な自己紹介を済ませてカウンターに腰かける。

 

「えっと、ジェーン・ドゥさんで良かったですか?」

 

 この人物について知っている情報は、サイトの管理人であるということと身元不明遺体を示すコードそのままの明らかな偽名だけだった。女性のコードなのがすっきりしないが、おそらくそういう考え方はもう古い。

 

「ええ、アタシがジェーン・ドゥ。もちろん偽名」

 

 とはいえ真っ向から偽名と言われてしまうと、治安維持組織としてはやりづらいものがある。ひとまず、何故ここへ来たのか、その一部始終を話すと、ジョンは形の良い尖った顎に人差し指を当てて、すいと目を細めた。その仕草が妙に色っぽくて、下手をしたら自分よりも色気があるんじゃないかと思ってしまう。

 

「へえ、『粛清サークル』……」

 

「ええ、ジェーンさんのサイトでも話題になっているはずですが」

 

「もちろん知ってるわよ、管理人だもの。んー、大人としてはそっとしておきたいところだったんだけどねぇ」

 

「そっとしておくって……どういうことですか?」

 

 思わず、初春が口を挟んだ。白井と紡杵がアイコンタクトを交わす。その一言は、彼女たちを警戒させるには十分だった。この男が、真相を知っていると。

 

「まあ、こうしてアナタたちが来てしまった以上、あの子たちを自由にしてあげられるのも限度が来た、って感じだし。これはこれで大人として、ケジメはつけなきゃダメね」

 

「お待ちください、ジェーンさん。それはつまり……」

 

「このリストに載っている子たち、何人かは連絡が取れるわ。他の子たちも、多分その子たちを通じて連絡がつくんじゃないかしら」

 

「!?」

 

 風紀委員たちに衝撃が走る。ジェーンは薄く笑って、携帯でどこかにコールする。

 

「もしもし、目汲(めぐみ)ちゃん? アタシ。あなたを心配して風紀委員の子が店まで訪ねてきてるんだけど。……ええ、そう。ちょっぴりおイタが過ぎちゃったわねぇ。だから言ったじゃない。ほどほどに話題になったらひょっこり出てきなさいって。あ、こらこら泣かないの。大丈夫よ、今なら謝れば許してもらえると思うから、ね? とりあえず電話代わるわよ」

 

 ウインクをしたジェーンから、携帯を手渡される。恐る恐る、白井はそれを耳に当てた。

 

「もしもし。私、風紀委員の白井黒子と申しますの。描汰(かくた)目汲(めぐみ)さんですか?」

 

『は、はい。描汰です。あの、そんなに問題になっちゃってるんですか……?』

 

「学区風紀委員の議題に上がるくらいには。今はどちらに?」

 

『第二学区のホテルに……』

 

「皆心配していますわよ。あなたが『粛清サークル』に消されてしまったのではないか、と。常盤台でも公にはなっていませんが、第七学区中を捜索していましたのよ?」

 

『そ、そうなんですか……私のことを、みんなが……』

 

「ともかく。噂好きも結構ですが、噂話の一部になるなんてここらでやめにしてほしいですの。ジェーンさんからこの連絡先を伺っておきますから、風紀委員か警備員に――」

 

 そんな感じで、ジェーンが把握する限りの数人については連絡がついてしまった。

 

「どうもありがとうございました」

 

「どういたしまして。でも、きちんと便宜は図って頂戴」

 

「ええ。けれど、噂好きが高じてこのようなことをしたとなっては……」

 

「そうじゃなくてね。例えば目汲ちゃんだけど、どうも学校がイヤになって噂の一部になろうとしたみたいだから」

 

「イヤになって、とは?」

 

 描汰目汲の身辺調査はしているが、いじめ等の事実はなかったはずだ。能動的な失踪の理由がなかったからこそ、こうして風紀委員が動いたのである。

 

「どうも、先生と上手くいってなかったみたいなのよね」

 

「教師と?」

 

「そう。目汲ちゃん、とっても絵が上手な子でね。空間認識力を強化する能力なのは、風紀委員のアナタたちも調べてきてると思うけど。それで芸術系の学校への進学を考えていたのよ。でも、担任は彼女の能力を、芸術ではなく戦術に活かしたかった。可哀想に、目汲ちゃんはカリキュラムの方向性の違いで迷い、その呪縛から逃れたい余り、大好きなオカルトに縋ったってワケ。丁度『粛清サークル』なんていう都合の良い噂があったからね」

 

「でも、先生方にはちゃんと聞き取りを……」

 

「初春さん。教師ならば本当のことを言う、とは限りません。失踪の原因が自分にあることが周囲に知れれば、その責任を追及されることは必至です」

 

 紡杵が口を挟んだ。

 

「常盤台の中において、クラス単位でのレベルの格付けはそのまま教師の査定に繋がります。憶測ですが、荒事に対処できるような成長が見受けられる方が、査定における配点が高い――というようなことがあるのやもしれません」

 

「まあ、概ねそんなところでしょうね。皆に心配をかけたのは悪いことだけど、でも、そうなるまでには原因があったことは、理解して頂戴。うふ、別にその教師を罰してほしいわねーとりあえずオシオキしたいわねーってことじゃないわよ?」

 

「……そうですわね。包み隠さず、調書に載せておきますわ」

 

 それをどう判断するかは、常盤台の上層部次第である。

 

「そうして頂戴。当事者でありながら一人だけ安全圏にいるだなんて、ちょーっと筋が通らないものねえ?」

 

 ねっとりとした、獣を思わせる眼光だった。

 

 

「いやー……なかなか強烈な人でしたねえ。白井さんで慣れてて良かったです」

 

「どういう意味ですの」

 

 一通りの必要な連絡を終えて、三人は暗がり始めた空を眺めながら、風紀委員の支部へと向かう。

 

「そういえば『粛清サークル』、そもそも実体がなかっただなんて、驚きました」

 

「ええ、破壊された携帯は噂に尾ヒレをつけるため本人たちがやったことで、ネット上でのやり取りは単に伸び悩んでいる生徒たちが集うための、文字通りのサークル募集。法律や権力に縛られない私刑集団という話は、誰もが思い描く『かっこいい組織』が噂として昇華されたものでしかなかった、と」

 

「境遇はどうあれ、それで人様に迷惑をかけるのであれば看過できませんわ。酌量の余地があるとはいえ、その迷惑料くらいは払っていただかないと」

 

 ことの顛末について初春たちが振り返っていると、白井が口を尖らせた。初春は微笑んで、

 

「白井さんは、御坂さんに迷惑料を払った方が良いと思いますけどね」

 

「なぜ私がお姉様に?」

 

 きょとんとした顔で訊き返してくるので、さしもの初春も言葉を失う。

 

「……でもこれで、『粛清サークル』の事件は解決できそうですね!」

 

「ええ、まさかと思いましたが、ジェーンさんの言う通り、目汲さんの携帯に残ったメッセージから残る失踪者の行方も掴めたとのこと。ラッキーでした」

 

「初春? なぜ私がお姉様に迷惑料などを?」

 

「最悪の事態が避けられて本当に良かったです!」

 

「初春?」

 

 こんなに早く解決するとは思っていなかったが、自分たちは難事件を解くことが趣味なフィクション探偵ではない。一刻も早く事態を収めることこそが使命である。本気でずっと後ろから尋ねている白井をスルーしていると、ふいに呼び出し音が鳴った。

 

「あら……誰の携帯が鳴っているんです?」

 

「私のじゃないです」

 

「私のですわ。はい、白井ですの」

 

 白井が最新式の携帯端末を通話モードに切り替えて、何やら話している。

 

「誰からですか?」

 

「何でもありませんわ。ちょっとパソコン部品を頼んだ業者からですの」

 

 当然ながら、白井が怪しい業者から怪しい媚薬を取り寄せたとは誰も気づくことはない。初春も紡杵も一仕事終えた達成感に満たされる中、白井だけは次なる大仕事に心昂らせている等、知る由もないのだ。

 

 

 さて。白井黒子が寮へ戻り、愛しのお姉様に夜這いをかけている同時刻。

 完全下校時刻を過ぎて、学園都市を縦断するモノレールの最終列車が発車したばかりのとある駅。昼間は人通りが多いこの近辺も、この時間にもなれば静かなものだ。人気(ひとけ)は殆どなく、たまに大人の姿が見える程度。そんな駅前の片隅に、一人の少年の姿があった。

 

「ふんふんふーん」

 

 鼻歌を歌い、少年は手にした手帳に何かしらの情報を書き込んで、小さな写真を張り付ける。

 

「おんなじ顔の女が死んだ。一人、二人とまた死んだ。どいつもこいつも酷い様。ミンチとまでは言わないが。……可哀想だね助けなきゃ」

 

 物騒な歌を風に乗せて、急にすとんと落ちるように。そこだけはリズムに乗せずに、少年は言った。

 

「いやぁ、しかし。なんとも、まぁ」

 

 複雑な表情だった。楽しいようで、哀しいようで、怒っているようで、嬉しそうでもある。写真に写っている凄惨な姿の少女を見やり、ポケットから折り畳み式の携帯を取り出す。この仄暗い駅前でそれを開ければ、少年の顔がぼうっと夜闇に映し出される。

 

「複雑、複雑、複雑だ。自分のことのように複雑だ。俺も一部になっちゃったかな」

 

 特徴的な喋りだった。まだ幼さが残る顔立ちに、長めの茶髪が下りている。広げた携帯に映し出されているのは、短い茶髪のとある女生徒。

 

「君もそう思うだろ、御坂美琴」

 

 薄く笑って、少年は画面の中の少女に微笑んだ。 

 




生存報告を兼ねての投稿です。

二章の執筆は大変難航しておりますが、何卒よろしくお願いいたします


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