あまりありふれていない役者で世界逆行 (田吾作Bが現れた)
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誰かが書いた小話
四月馬鹿なお話その1(六十四話If)


今回も拙作に目を通して下さりありがとうございます。

今回の話はエイプリルフールにちなんで「ありえたかもしれない可能性」のお話です。なもんで本編との繋がりは『ほとんど』ありません。ですのでご注意ください。ちょっとしたお話として楽しんでいただければと思っております。

それではちょっとした小話、六十四話のもしもの話をどうぞ。


「コホン……えーと、じゃあ他に誰かいないか? ちょっとしたことでもいいんだ。何でもいいから言ってほしい」

 

 神の使徒と思しき死体から拝借したガントレット、これの収納空間を復活させたハジメ達を胴上げしていたのをメルドに止められた後、光輝は恥ずかしさをごまかすようにせき払いをしながら話を振った。

 

「あ、じゃあちょっと確かめたいことがあるんだけど」

 

「俺もだ」

 

 そうして話を振ったところ、恵里と幸利が手を挙げてきた。さっきから感じていた気恥ずかしさをごまかすためにも、光輝は二人の方を向いて何を確かめたいのかを尋ねることに。

 

「じゃあ恵里と幸利。それぞれ意見を言ってほしい」

 

「ボクのは簡単だよ。単にどこまで“界穿”が届くかどうかってだけ」

 

「こっちもちょっとした疑問だ。“界穿”はどうやって別の空間と繋いでるのかが知りたいってだけだな」

 

 奇しくも二人の話題に挙がったのは“界穿”のことである。既にどういった魔法であるかはグリューエン大火山を攻略した面々は知っていたものの、まだその時はそこまで気にかかっていなかった。フリードのことや魔人族の事情に鷲三、霧乃の襲撃やハイリヒ王国を急襲したことなどで考える時間が無かったからである。

 

 しかしこうして余裕が出来、先程の説明会で披露した際に二人は気になったのだ。恵里は移動できる範囲を、幸利はその原理について知りたいと思ったのである。そこで鈴がうなずくと、すぐに意を決した様子で魔法を発動しようとする。

 

「じゃあやってみるね。“界穿”」

 

 ――本来なら地球に繋がることなく話は終わる。が、何の偶然か悪戯か。開いた穴からボトリと少量の液体と共に()()が落ちてきた。

 

「――えっ」

 

「うっ、うぅ……」

 

 落ちた方を見やればある一点を除いてとても見覚えのある人物がそこにいた。だがそれは同時にそこにいてはならない人物でもあった。

 

「は、ハジメ……くん?」

 

「は、ハジメなのか……?」

 

「だ、れ……?」

 

 ――そこにいたのは南雲ハジメ。しかし左腕の肘から先を失い、その周りが乾いた血で汚れてしまっている。更に言えば魔物の肉を食べる前のその姿であった。

 

 訳の分からない事態に下手人となってしまった鈴はもちろん、ハジメも恵里も光輝もメルドにフリードさえも目が点となってしまっている。

 

「……増えた」

 

「増えちゃった……」

 

「おいどうすんだこれ……」

 

「いや知らねぇって。どうすんだよ」

 

「ここは、どこ……?」

 

 この場にいた誰もがパニックになり、どうするべきかと迷い、うろたえにうろたえる始末。疑問を投げかけてきたもう一人のハジメと思しき人物に対し、とりあえず光輝がおそるおそる歩み寄り、横たわったままの彼をそっと抱き起こす。

 

「えぇと、信じられないとは思うけれど、ここはハイリヒ王国の王宮の中なんだ。その、どちら様かな?」

 

「っ!……な、南雲ハジメ、です」

 

「んなっ!?」

 

 やや震えながらも想定してた通りの答えを彼が返ってきたものだからやはり恵里達はパニックを起こす――目の前にいるのは違う世界、()()()()の南雲ハジメであると確信したからだ。

 

「お、おい鈴! もう一度“界穿”使え!! 早く送り返せ!!」

 

 意図せぬ形で並行世界の人間と出会ったことに驚いたのものあったが、もし並行世界の彼がいなくなったらどうなるかを想定して恵里達オタク組はぞっとした。彼がいなければおそらくエヒトには勝てない。それだけでなくもしエヒトが並行世界に感づいたら一体どうなるか。少なくとも愉快なことにはならないであろうと全員が確信したからである。

 

「う、うん! “界穿”――ってまたぁ!?」

 

 半ばヒステリー気味に指示を出した幸利に従い、鈴はすぐに“界穿”を発動するものの、またしてもそこから誰かが落ちてきた。天丼である。

 

「い、ったぁ~……あ、あれ? ど、どうして私王宮にいるの? え? な、南雲君?」

 

「白崎、さん……?」

 

 ……今度姿を現したのは白崎香織であった。増えた。厄介なことになった。恵里達地球組の人間は声にならない叫びを上げ、現地人であるメルド達は宇宙の真理を目撃した猫のような有様となっている。とんでもないことが起きてしまった――。

 

 

 

あまりありふれてない役者で世界逆行 第64.2話「あっちゃいけない事態で全員混乱」

 

 

 

「えーと、その、大丈夫かな南雲君」

 

「い、いえ、その……だ、大丈夫、です」

 

 宝物庫から取り出したソファーに向こうの南雲と白崎を座らせ、“鎮魂”をかけた後にリリアーナとヘリーナに頼んでお茶を出してもらった。そうして一杯飲んで一息ついてもらったところで光輝は南雲に話しかけるが、彼はどこか怯えた様子で周囲をせわしなく見ていた。

 

「あの、どちら様ですか? その、私の知ってる人に皆さんよく似てるんですけど」

 

「そのことについても説明した方がいいな。二人とも、多分信じられないかもしれないけれど聞いて欲しい」

 

 そんな南雲に代わり白崎が問いかけると、光輝達も“念話”で話し合った内容を説明していく。自分達は違う世界の人間であり、またこちらの不手際によって二人を招いてしまったということを。そして自分達の素性に関しても簡単にではあったが話した。

 

「あ、天之河君……? そ、それにそっちの人は僕で、魔人族の人も味方なの?」

 

「信じられない……恵里ちゃんもそうだったけど、あなたも本当に光輝君なの? 私の知ってる光輝君は南雲君が私の腕を掴んでるだけでも色々言ってくると思うんだけど」

 

「白崎さんやめてくれ」

 

 ……なお、名前を名乗ったら二人に大いに驚かれた。その上白崎は容赦なく追撃を仕掛けてきたせいで光輝のメンタルが死に、そのことに雫が思いっきりキレた。

 

「ちょっと白崎さん! 確かに信じられないのはわかるけれど、私の光輝はそんなこと言わないわ!!」

 

「えっ」

 

 そして光輝の手を掴みながら力説する雫を見て白崎は絶句する。自分の知っている雫はこんなことを絶対しないと断言できたからだ。

 

 自分の親友である雫はほかならぬ光輝の行動のせいで一言で言い表せない関係になっているし、こういう風に接することはあり得ない。少なくともこんな風に()()()()()()()()()ような反応などとるはずがないからこそ驚愕する他なかったのである。

 

「あ、あの、白崎さん。た、多分世界が違うからきっと……」

 

「嘘……せ、世界が違うだけでこんな……こんなことが……」

 

 滅茶苦茶ショックを受けてしまい呆然とする白崎に南雲は体を震わせながらもそっと寄り添っている。『自分を尊敬していると言ってくれた人の体温を少しでも感じ取って落ち着きたい』という下心も無くは無かったが、少しでも彼女の震えが軽くなるよう願ってやったのも事実であった。それを知ってか知らずか、白崎も彼の手に自分の手を重ねながら信じられないものを見てしまったとばかりにつぶやいた。

 

「……まぁ、そっちの俺は俺と違うってのはわかったよ。」

 

 まださっきの白崎のリアクションから完全に立ち直ってはいなかったものの、これとそれとは関係ないとやせ我慢をしながら光輝は二人にそう返す。未だ訝しげに見てくる二人の視線に傷つくも、もう仕方ないと明後日の方向を見てどうにかしようとした。

 

「大丈夫」

 

「雫……」

 

「あっちの光輝がどんな人なのかなんて関係ないわ。貴方が私の王子様だってことに変わりはないから」

 

「ありがとう、雫」

 

 体にカビが生えてしまいそうな陰鬱な空気を光輝が放っていると、そっと雫が彼を抱きしめてきた。そして光輝の頭を自分の胸元に手で寄せながら彼の耳元で思いをささやいてくれた。それだけで何もかもが救われた気がして光輝は最愛の彼女に礼を伝える。途端ほわわ~んとあまぁ~い空気が漂った。

 

「し、雫ちゃんが……な、何が起きたの……?」

 

 なお白崎はとてつもなく動揺したが。自分の知っている光輝と雫はこんな空気を絶対に放つことは無いということを知っていたからだ。光輝の行動にいつも頭を悩ませている自分の親友が、別の世界ではこんな仲睦まじくしているなんて白崎は簡単に受け入れられなかった。

 

「雫ちゃんはね、小学二年生の頃に光輝君にイジメから助けてもらったからだよ。しかもその時唇同士でキスしてるの!! だから光輝君のことがずーっと好きなんだよ、そっちの私!!」

 

「………………………………えっ?」

 

 そこで香織が当事者を差し置いて自信満々かつテンション高めに白崎に理由を説明したら向こうが完全に固まってしまう。

 

 白崎がそうなった理由は自分の知る雫と目の前の彼女との違いだ。雫がイジメを受けた原因は光輝と親しい女の子からのやっかみであり、それを光輝に伝えて助けてもらおうとしてもマトモに取り合ってくれなかったと過去に彼女から聞いている。故に意味がわからないのだ。どうして真逆の事態が起きているのかが理解できないのだ。

 

「えっ、その、えっ?……えっと、そっちの光輝君は、雫ちゃんを助けた、の?」

 

「いや、俺が原因で雫のイジメが起きてしまったんだ……だからあの時のキスは償いだよ。今はその……違う、けど」

 

「そうね。でもあの時は光輝は親しい間柄の子としか一緒にいなかったし、それにあの時のキスのおかげで私は幸せになれたもの。ただの償いなんかじゃないわ」

 

「いやそもそもこうなった経緯言わねぇとわかんねぇだろ。んじゃ説明させてもらうぞ」

 

 南雲共々余計に混乱を深める白崎に幸利が説明を始める。前世? の記憶を持った恵里が逆行してきたこと、自分の未来を変えるために色々と行動したことで変化が起きたこと、そしてここにいる地球出身の皆が全員友人であるということも明かした。

 

「……僕が、檜山君と? それと、中村さんと?」

 

「あー、そっか。そっちの俺、南雲のこと嫌ってんだな……悪い」

 

「まぁ向こうの俺らは別に許さなくっていいけどよ、まぁ、その、仲良くできねぇ?」

 

「こっちの先生と大差ないんだろ? だったら別に俺達が嫌う理由はないしな」

 

「腕なくなって不自由してんだし、まぁ何かあったら頼れよ。俺達そこまで薄情じゃねーからさ」

 

「い、違和感がすごい……え、遠慮しておきます」

 

 困惑するばかりの南雲を見て、向こうの自分が迷惑をかけていることを詫びる大介達。だがそのせいで南雲は余計に顔を引きつらせ、残っている右手を出して拒否してきた。

 

「やっぱかぁ……」

 

「まぁ仕方ねぇよなぁ……なぁ谷口、もっかい“界穿”使ってくれねぇ? 違う世界の俺引きずりだしてブン殴る」

 

「や、ややこしくなると思いますからやめましょう斎藤さん……大丈夫。大介も、近藤さん達も良い人だってことを私も皆さんもわかってますから」

 

「……悪い、アレーティア」

 

 南雲の返事に四人とも思いっきりうなだれてため息を吐き、良樹はなんとかして南雲の世界にいた自分を殴ろうと鈴に頼み込みまでした。もちろん鈴からすごい目で見つめ返され、ちょっとオロオロしたアレーティアにも止められる。その後アレーティアはうつむく大介を励まそうと声をかけ、彼もまた彼女の優しさに甘えるのであった。

 

「まぁね。あの時はイヤイヤだったけどさ、今となっては最高の選択をしたって思うよ。こんなに愛しい人が出来たんだもん」

 

「ねぇ、向こうの私。どうして南雲君が恵里ちゃんと鈴ちゃんと一緒になってるのに何も言わないの?」

 

 その一方、恵里がハジメと手を絡ませながら自分の過去の行動を肯定すると、突然白崎がこんなことを言い出した。彼女の中にある南雲へのあこがれを超えたある無自覚の思いが引き起こしたものだ。自分と南雲以外の人間が恋人の間柄であることに何故か苛立ってしまったからである。

 

「「は?」」

 

「あー、白崎さん。その、言いたいのはわからなくもないけれど、これも恵里が動いたことでこうなったんで……」

 

「じゃあ、じゃあ恵里ちゃんのせいでそっちの世界の私と南雲君はただ親しいだけなんだね……恵里ちゃんと鈴ちゃんばかりズルいよ」

 

 その言い分に思わず恵里と鈴は青筋を立て、他の面々も苦笑したり首を傾げたりしたが、そのことにカチンときた香織だけは白崎に言い返した。

 

「ズルくなんてないよ。だって私の好きな人は龍太郎くんだもん」

 

「……はぇ? え? ふぇ? えっ?」

 

 途端、白崎がバグった。予想外の人物に好意を抱いていると聞かされて頭は一瞬でフリーズしてしまい、出てくる言葉は何一つ形を保つことが出来ず、ただただ間抜けな顔をさらすばかり。

 

 自分の認識する彼は光輝に付き従ってあまり話を聞かない相手であったはずなのに、どうしてそんな彼を()()でいるのかと向こうの自分のことが信じられなくなってしまう。

 

「さっき雫ちゃんがいじめを受けてたってのは言ったよね。その後雫ちゃんは自殺しようとして学校の外に出て行ったの。それを光輝君が追いかけていったんだけど、その後押しをしたのも、光輝君を追いかけようとしたいじめっ子の子達を体を張って食い止めたのも龍太郎くんなんだよ」

 

「え? えっ??」

 

「暴力も使わないで必死になって三人の女の子を止めて、私とずっと一緒にいてくれた……まぁ、その、ひどいこともしちゃったけど、それでも私のことを好きでいてくれた。そんな素敵な人なんだよ」

 

「ここにっぽんだよ。にほんごではなして」

 

 そして香織はその疑問に答えようと熱弁したことで白崎の頭から煙が立ち上った。何一つ理解できない。何がどうしてそうなったと頭が理解を拒み、支離滅裂な言葉を無意識に吐いたことに白崎自身も気づけなかった。

 

「あー、案の定ヤバくなってるね」

 

「し、白崎さん! 白崎さんしっかり!!」

 

「おい珍獣ー、お前のせいで白崎ヤベーことになってんじゃねーか」

 

「なんで向こうの私は苗字で呼んでくれるのに私だけヒドいあだ名のままなの中野君!? 近藤君も斎藤君も檜山君もうなずかないでよ!!」

 

 オーバーヒートを起こす白崎を見て恵里が適当につぶやき、半目で見ながら信治は香織をからかった。当然香織は怒り、信治のコメントに礼一達もうんうんとうなずいたせいでうがー! とうなり声を上げる。

 

「えーと、なんで……? どうして檜山君達はそっちの白崎さんのことを、その……からかってるんですか?」

 

「好きな相手を無自覚に二回フッた奴だからだよ」

 

「私の恩人を振り回したこと、時効になってないわよ香織」

 

「恵里ちゃんも雫ちゃんもひどいよ! あの時はまだ龍太郎くんに恋してたってわからなかったんだもん!!」

 

 香織がアレコレ言われる様を見た南雲は、白崎の学校の評判や地球にいた頃自分にしてたことをふと思い出した。

 

(た、確かに学校にいた頃の白崎さん、どうして僕に構うのかも話さずに色々やってたけど……で、でもギャップがすごい……)

 

 自分の知る限りでは学園のマドンナという扱いであったはずなのに、ここでは変な、というか残念な生き物を見るような目つきで多くが見ている。記憶と目の前の光景ですさまじいギャップを感じはしたものの、理由を話さずにあいさつをしてきたり世話を焼いていたことを思えば何となく納得は出来た……それはそれとして目の前の二人を見て本当に同一人物なのか疑いたくはなったが。

 

「あーもう恵里も雫も大介達もやめてくれ……いくら事実を並べてるだけだからってな、流石に香織のことをそこまであげつらったら俺だって怒るぞ。それ全部ひっくるめて俺はコイツが好きなんだよ」

 

「龍太郎くん……」

 

 そうして友人や幼馴染に香織があーだこーだと言われ、遂に我慢しきれなくなった龍太郎が動いた。彼女の肩を抱き寄せてそのまま胸元まで持っていき、アレコレ言っていた面々全員に軽く苛立ちを露わにしながら香織への愛を述べた。そのことに香織はうっとりとした表情を浮かべ、熱いまなざしを向ける。

 

「……きゅぅ」

 

「し、白崎さん!?」

 

 そしてそれが白崎へのトドメとなった。言葉だけでなく態度でも示されたらもう逃げ場がなかったからだ。キャパシティーを超え続ける情報の嵐に遂に屈し、そのまま気を失ってしまう。

 

「……向こうの香織は大丈夫でしょうか」

 

「こればかりは本人にうかがわないと無理かと」

 

「……とりあえず、そっちの白崎を介抱しましょ。あと起こしたらずっと“鎮魂”かけ続けた方がいいかもしれないわね」

 

 不安そうに白崎を見つめるリリアーナにヘリーナも上手いこと返すことも出来ず、優花も頭を押さえながらただそう述べた。心配そうに白崎を見つめる南雲に申し訳ないと思いながらも、一行は倒れた彼女を宝物庫から取り出したベッドに横たわらせる。

 

「まぁ目を覚ましたら白崎さんに色々と伝えるとして……そっちの僕、色々と聞きたいんだけどいいかな?」

 

「う、うん……」

 

 並行世界の自分との対面。字面にすればオタクが興奮するようなシチュエーションではあったが、実際なってみるとお互い変に気を遣うような状況と化してしまった。そのことをも心の中で嘆きつつも、南雲は少し疲れた様子のハジメに自分の置かれた状況について説明するのであった……。

 

 

 

 

 

「……そっか。辛いのに話してくれてありがとう」

 

「う、ううん。そっちの皆さんが何か魔法をかけ続けてくれたおかげで、僕も落ち着いて話せたから……」

 

 おそらく受けた恐怖のせいかところどころぼかしが入ってはいたものの、南雲から経緯を聞いたハジメは彼に向って頭を下げた。いくら恵里や光輝らが“鎮魂”を使って心を落ち着けさせてくれてたとはいえ、思い出すのだって嫌なのは彼とてわかっていた。それ故だ。

 

「……向こうの世界の俺を殴りたい。どうしてそんなことをやったんだよ……!」

 

「恵里と出会わなかったのがここまで影響がデカいなんてな……」

 

 南雲が語ってくれたのはオルクス大迷宮で転移のトラップを檜山達が起動し、ベヒモスと遭遇してからの話だ。光輝はわがままで全員を危険にさらした向こうの自分を恥じて怒り、龍太郎もまた向こうの自分が光輝の金魚の糞のままであったことやそれ故に彼を止められなかったことに愕然としてしまう。

 

「……そうなっちまうのも、その後俺がどうなるかも想像がつきそうだ。恵里と光輝達が出会えたのって奇跡だったんだな」

 

「向こうの私も南雲に助けられなかったら死んでたのね……本人じゃなくて悪いけど、その、ありがと。向こうの私を助けてくれて」

 

 優花や幸利もただ錯乱していた自分達の様子を聞かされて何ともいえない顔をしている。向こうと自分達の様子の違いを聞いて、あの時死にかけたことを良かったと言うつもりはないとはいえど恵里の存在がとても大きいということを痛感していた。

 

「ヤベっ、涙止まんねぇ……」

 

「こんな、こんなのってないよ……」

 

「南雲さん……」

 

 そして大介達四人と香織、そしてアレーティアは彼の境遇に涙を流し、他の面々も多くが沈痛な表情を浮かべている。違う世界と言えど慕っている相手が腕まで失い、恐怖と苦痛に塗れた時間を過ごす羽目に遭ったことは堪えがたいものであった。アレーティアとしても愛する父のしてくれたこととはいえ、永い間手足も動かせずにただ死なないだけの日々を送っていたことが思い出され、はらはらと涙を流して大介にすがりついていた。

 

「……見事だ。才もなく、頼れる友もいない。そんな中でやってのけたことを否定するほど私も無粋ではない」

 

 そんな中、フリードは南雲の行いを称賛する。自分と相対した時のように化け物染みた力を持っていたのではなく、むしろ普通の人間とそん色ない少年が当時の勇者でも倒せなかった相手を決死の覚悟で足止めした。その後も橋から落下し、腕を失いながらも必死になって生き延びた。“縛魂”の効果があるにしてもこれほど果敢であった彼に敬意を払わずにはいられなかったのである。

 

「ぼ、僕は、ぼくは……」

 

 この場にいる全員が自分の境遇に涙し、その行いを称えてくれる。そのせいで南雲はため込んでいた感情が爆発しそうになった。怖かった。辛かった。苦しかった。死にたかった。家に帰りたかった。それらの思い全てがあふれそうになっていた。

 

「南雲君」

 

 そんな時、途中で起きて彼の話を聞いていた白崎が彼を後ろからギュッと抱きしめる。彼女もまた鼻声で彼の背中に顔をうずめながらその名を呼んだ。

 

「しらさき、さん……」

 

「泣いちゃおう。きっと、きっとここにいる皆がうけ、受け止めてくれるから。そうだよね?」

 

 首だけ振り返って彼女の名前を南雲は呼ぶ。そんな彼を見ながら白崎も涙と鼻水にまみれた顔で問いかける。その言葉に誰もが首を縦に振った。

 

「う……うぅぅ……うわぁぁあぁぁぁああああぁ!!!!」

 

「よかった……よがっだよぉ"! なぐもぐんいぎでだぁー!!」

 

 恥も外聞もなく二人の少年と少女が体を抱きしめ合って泣き合う。それを見てつられて泣いた者はおれど、邪魔をしようとは誰もしなかった。

 

 

 

 

 

「……じゃあ話を整理しよう」

 

 そうして二人が存分に泣いて落ち着いた頃、念のため恵里が“鎮魂”を発動した上で南雲と白崎と改めて話をする――二人がここに来る前に何があったかを問いただすために。

 

「僕はその、ベヒモスとの戦いの後、奈落の底に落ちて、魔物と出くわして……」

 

「私は南雲君が落ちた後、どうにかしようと必死になって。それで、雫ちゃんに羽交い締めにされて」

 

「……マジかぁ」

 

「何がだよ、幸利」

 

 二人の経緯を聞き、思わずつぶやいた幸利以外にも恵里、ハジメ、鈴、光輝そしてリリアーナの五人も苦虫を嚙み潰したような顔をする。一体どういうことかと大介が尋ねると、幸利はそんな表情をした理由について語っていく。

 

「……大介、それに皆も。気づかなかったか? 二人の違いによ」

 

「ユキ、遠回しに言わないでちょうだい。アンタの悪い癖よ」

 

「……そうでもしないと驚くよ、優花」

 

 全員に問いかける幸利を見て、いつものようにまだるっこしいことに軽くイラッときた優花が結論を早く話すよう急かすが、そこで恵里が真剣な様子で優花を見つめる。これはそうそう簡単に明かしていいものではない、と述べながら。

 

「僕と白崎さんの違い……? まさか――」

 

「えっと、場所の違いかな? 清水君」

 

「それもそうだ。違いねぇさ。じゃあ聞くぞ」

 

 南雲は何か感づいた様子であったが、白崎はまだ他の多くの面々と同様に気づいた様子は無い。そこで彼はこの場にいた全員に問いかけた。南雲と白崎の二人はベヒモスと戦ってどれぐらい時間が経過してた? と。

 

「そりゃお前、戦って――は?」

 

「ま、待ってくれ! ど、どういうことだ!?」

 

「……清水君、もしかして」

 

「そのもしかだ。あくまで可能性の一つだけどな」

 

 その瞬間、全員が二人の噓偽りない言動の()()に気付く――南雲はベヒモスと戦っていくばくか、白崎はベヒモスとの戦いが終わった直後のそれであったということに。

 

「二人ともこことは違う並行世界の存在なのは間違いないと思う」

 

「……そうであってほしい可能性として、()()並行世界で違う時間軸から二人はやってきたこと」

 

 ハジメが改めて二人が並行世界の人間であることを示し、光輝が願望に基づいた憶測を出す。

 

「もう一つ、は……」

 

「……僕達二人が、()()並行世界の、違う時間軸からやってきた可能性……」

 

 鈴がどうにか口を開いて最悪の可能性を述べようとした時、その答えを導き出していた南雲が言葉にする。

 

「……そうだね。二人は世界の迷子になった。ボク達のせいでそうなった可能性がある」

 

 ――それぞれ違う世界から迷い込んでしまった人間。そのことに誰もが愕然とするしかなかった。



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四月馬鹿なお話その2(六十四話If)

エイプリルフールのお話第二弾です。

……間違って最新話に投稿してたんでやり直しましたorz


「そんな……」

 

「南雲君は……違う世界の、南雲君なの?」

 

「流石に断言は出来ないけれどね。けど、最初に出たのが向こうの僕で、次に出たのが白崎さんだったから。これが順序が逆だったら同じ世界から来たとだけ思ってたよ……」

 

 呆然とする二人に対し、ハジメもショックを隠し切れないながらもどうして別々の世界から来たと考えたかについての理由を述べる。

 

 これがベヒモスとの戦いが終わった直後の白崎から来て、その後にベヒモス戦から幾らか時間が経過しているはずの南雲が現れたのなら理解は出来たのだ。なにせ時の流れに()()()()()()から。

 

 だが、実際は違う。時間を遡るようにして二人が現れた以上、ただ空間に干渉するだけの空間魔法にそんなことが出来るとは思えなかったのだ。()()()()()()()魔法を併用した訳ではないのだからあり得ない。そうハジメは結論づけ、他も首を縦に振って肯定した。

 

「まぁハジメくんが語ってくれた方のケースならタイムパラドックスを考えなくて都合がいいよ。だって二人が元の世界に戻った時にさ、そっちの香織が何かしたらそっちの南雲君が消えちゃうかもしれないからね」

 

「「あっ」」

 

 恵里の指摘に南雲と白崎はハッとする。確かにその通りであった。

 

 もし仮に同じ並行世界から時間を遡って現れたのだとしたら、行動一つで南雲の存在が消えてしまうことになりかねない。はるか奈落の底に落ちた以上、白崎がちょっと何かをした程度で彼の存在が消えるということは無いだろう。だがもし、南雲が腕を失う前に助けてしまったりしたら彼の存在は消える。それはとても恐ろしいと感じたし、そうであってほしくないと二人は思った。

 

「まぁ二人が同じ世界出身なのか違う世界から来たのかを証明するのはまず不可能だろうな。差がほとんどない世界から来た可能性もあるからな」

 

 とはいえ幸利が述べたようにそれを立証することは出来ないと一番友人になって日が浅い大介達四人以外の地球出身の皆は思っていた。並行世界である以上何かしらが違うせいで分岐しているのは間違いない。だがその条件が「ある人物がある日石ころを蹴ったかどうか」程度の可能性だってある。そうなると同じか違うかを証明するのは難しいと考えたからだ。

 

 なおアレーティアとリリアーナは幸利の言い分をなんとなく理解していたものの、ヘリーナとメルド、フリードそして大介達は話についていけず遥か遠くを見るような目つきであったりする。

 

「幸利ぃ~、二人を絶望させるようなこと言うのやめようよ~。もしかすると二人とも同じ世界にいたかもしれないんだからさ。ね?」

 

「……悪い。ちょっと無神経だった」

 

「う、ううん……そっか。私達、まだ本当に違う世界の人間かわからないもんね。じゃあ、私の世界のことを言ってみる! 南雲君もそっちの世界のことについて話して!」

 

「う、うん。わかった」

 

 そうしてお互いの知っている流行したものやアニメに漫画、そして学校の様子やクラスメイトについて二人は語っていく。やはり挙がったものはどちらも同じものばかりであり、世界が違うかどうかを断定できるかは中々難しそうであった。

 

「えっと、他に転移してないクラスメイトの人は小寺君と緒上さん。その二人の名前に聞き覚えはあるかな?」

 

「……うーん。ない、と思う。でも体育以外の授業中はよく寝てたし、他人と関わることは白崎さん以外でまず無かったから」

 

 が、ここでそれらしい可能性は見えてきた。トータスの転移に巻き込まれなかったクラスメイトの名前を挙げていった際、ようやく南雲も聞き覚えのない人物の名前が出てきたのだ。そこで白崎が当の二人の見た目や性格などについて語り、反対に南雲も彼の覚えている範囲でクラスメイトについて色々と話していく。

 

「他に僕が覚えているのは……出引(でびき)君かな。ちょっと体ががっしりしてた人だったと思う」

 

「……ごめんね、南雲君。私、その人を知らない」

 

 そして南雲が挙げた人物の名前に白崎が申し訳なさそうに返したことでようやく証明が出来た。出来てしまった。

 

 トータスに来て二週間ほど時間が経過した程度ではクラスメイトを忘れるほど白崎は薄情ではなかったし、無関心でもなかった。忘れるほどキツい訓練を課された訳でもなかったからなおさらだ。つまり二人は、別の並行世界からやって来た同士だということが判明したのである。

 

「確定だね」

 

「とりあえずタイムパラドックスに関しては考えなくてもいいということはわかりました。けれども――」

 

「うん。そうでなくっても早めに戻った方がいいよね」

 

 恵里や龍太郎、大介達が首を縦に振り、ハジメもまた結論が出たことに軽く安堵する。だが口をはさんできた鈴と同様に時間の経過を危惧していた。

 

「そうか。確かに二人ともここに来てからそれなりに時間が経過してる」

 

「えぇ。南雲君はともかく、白崎さんは早く戻らないとまずいんじゃないかしら」

 

 光輝と雫が補足したことで全員が危機感を覚えた。南雲の場合は彼が語った経緯を考えれば爪熊と思しき魔物から逃げて壁の中にいたのだ。腕の断面が塞がっていることからして神結晶からあふれる神水を摂取したのは間違いないだろうし、多少時間が経過しようがその量が多くなってることぐらいしか懸念する要素は無いだろう。だが白崎は別だ。

 

「白崎がこっちに来てもう数十分は経っちまってる。下手したらもうオルクス大迷宮にいる奴らもいなくなってる可能性が高い」

 

「まだ残ってくれてるかもしれないけれど、それも時間が経てば経つほど絶望的になっていくな」

 

 幸利と浩介の補足に南雲も白崎も顔を青ざめさせる。このままでは、いやもしかすると既にもうクラスメイトも騎士団も撤退しているかもしれない。そうなれば白崎が無事に帰れる可能性はゼロとなるだろう。

 

「いや、もう既にいないと見た方がいいかもしれん。わし達の時よりもそちらの戦力はまだ多いかもしれんが士気は最低に近いだろう。そんな状況で長居をするとは到底思えん」

 

「えぇ。いくら戦う力があると言っても引け腰の人間ではやれることには限りがあります。それに一度くじけた心を立ち直らせるのも難しいでしょうし」

 

 更に鷲三と霧乃が現実的な状況を述べたことで二人の顔に絶望が浮かぶ。もう戻る意味もないかもしれない。何の意味も無く死ぬかもしれない。だがそんな時、鷲三はハジメの方を振り向き、あることを提案する。

 

「ハジメ君、それに恵里さん。()()()を持たせてやることは可能かね?」

 

「おみやげ、って……そんな、修学旅行じゃないんですよ!!」

 

 その場違いとしか思えない提案に南雲は思わずキレたものの、恵里とハジメ、そして二人の仲間達は鷲三の言わんとしていることがわかったためポンと手を打った。確かにそれならどうにかなる、と。

 

「わかりました。だったらある程度数と強さを兼ね備えたものが必要ですね」

 

「流石に魂込めるのも魔力を食うからねぇ~。誰か、魔晶石に魔力込めといて」

 

「オッケー。んじゃ俺と良樹の魔力持ってけ」

 

「勝手に巻き込むんじゃねぇよ。まぁ、別にいいけどな」

 

「鈴は俺と一緒に宝物庫を作ろう。ハジメにゴーレム作りは任せて、俺達で格納する道具を用意するんだ」

 

「わかったよ光輝君」

 

 そうしてすぐに皆で段取りを組んでいく。戻った際にまだ残ってくれている可能性はあれど、それでもあまりに低い確率に誰もベットする気はさらさらない。白崎が確実に生き残れる未来のために力を尽くすことを彼らは惜しまなかった。

 

「何を……皆さん何を言って――」

 

「信じて。私達を信じて。南雲さん。白崎さん」

 

 その余裕がどこから来るかわからずにやや苛立ちを伴いながら問いかければ、アレーティアが彼らに向けて穏やかに微笑んだ。深く、優しい微笑に思わず南雲も白崎もみとれてしまい、しばし意識を持っていかれた間に恵里達はお土産造りに取り掛かっていた。

 

「形は何がいいかな? 猿とかゴリラだと色々手伝いも出来ると思うけど」

 

「いや可愛い方がいいよハジメっち。だって白崎さん女の子だよ?」

 

「いや奈々、そこはどうでもいいだろ。実用性考えろよ……」

 

「でも幸利ぃ~。使うのは私達じゃなくて向こうの香織と南雲君だよぉ~? やっぱり見た目はこだわろうよぉ~」

 

「多分向こうの私なら南雲君助けに行くよね。だったら崖を登ったり降ったり出来る動物、それで二人が乗れて可愛いのにしようよ!」

 

「そうなると山羊だよね。崖とかにしれっといたりするし」

 

「お前ら……まぁ登り降りを考えれば山羊はいい着眼点だ。ハジメのことだから無駄に見た目はこだわるだろうし、またいで乗るならある程度スラっとした体躯がいいな。やはり山羊か」

 

「見た目はいいけれど、向こうの南雲まで白崎を迎えに行きたいって言ったらどうする気? やっぱり南雲の方も造った方がいいでしょ」

 

「あ、そっか。確かに盲点だったね。じゃあ彼の分も造ろう」

 

「待った、ハジメくん。ちょっと話があるんだけど――」

 

「うわ、恵里っちぃ……ねぇ鈴っち、止めようよ」

 

「うーん、こればっかりは鈴も恵里に賛成かな。()()は無いに越したことはないし、向こうの鈴もあんまり傷つかずに済むから、ね……あ、調味料。調味料の入った宝物庫も作ろうよ」

 

「そういや先生、どこにレールガン搭載すんだ? やっぱ首の辺りか?」

 

「普通に腹の下からニョキって生やすんじゃねぇの? 先生どうすんだ?」

 

「いや口から出すとか面白くねぇ?」

 

「頭はライトを搭載したいところだしごめん、却下で。搭載するのはお腹の中で、礼一君が言った通り首周りを展開する形かな」

 

「ゴーレム以外なら白崎用に“錬成”が使えるガントレットも欲しいよな。でも俺達みたいに“魔力操作”が使えないから……」

 

「二層構造だな。ハジメと光輝は手が空いてないし、幸利頼む」

 

「オーケー、わかった」

 

 アレーティアに説得された南雲と白崎はその場でただじっと彼らの話し合いを見ていた。事実、議論はすれど彼らは仲違いもすることなく話を進めていき、話し合いを終えた途端にすぐに作業にかかった。

 

「――ぁっ」

 

 いきなり現れた幾つもの金属の塊が紅の光と共に無数のパーツに変わり、それぞれが生成魔法の効果を付与する光を受けては組み合わさっていく。そして全てのパーツが組み合わさって六体の山羊の姿になると、今度は恵里が魂魄魔法によって魂を次々と吹き込んでいく。

 

 どこか幻想的な光景をさも当然のように行う彼らに南雲と白崎はポカンと呆けてしまっていた。

 

「――ふぅ。誰か、魔晶石ちょうだい……あと一体だけだから」

 

「オッケ。そらっ中村」

 

「ありがと、斎藤君――よし」

 

「……なんか、あのゴーレム? 生まれたばかりの動物みたいにフラフラだね」

 

「赤ちゃんなのかな。きっとそうだからかも」

 

 良樹から投げ渡された腕輪タイプの魔晶石を使って魔力を補充し、最後の一体にも魂を入れる。先に動き出した五体と同様に金属製の山羊はその場で足をつき、フラフラとした足取りでなんとか立ち上がろうとしている。生き物でもゴーレムでも生まれたては変わらないんだなとぼんやりと二人は現実逃避気味に思っていた。

 

「なぁ鈴、こっちも勢いで作っちゃったけどこれモンスターボー……」

 

「しーっ! 使いやすくてわかりやすい方がいいんだし光輝君は黙ってて!」

 

 そしてゴーレムを格納するための宝物庫を六個仕上げた光輝と鈴であったが、どこかで見たことのあるようなデザインのものに仕上がってしまっていた。これには地球出身の皆が思わず苦笑いを浮かべ、南雲と白崎も軽く引きつった笑みを浮かべて例の物体をながめていた。

 

「ガントレットの方も完成したぜ。作動するかどうかチェックするぞ」

 

「オーケー。“錬成”」

 

「「えっ」」

 

「よし、なんとかなったな。でも“錬成”使えないのによく付与出来たな、幸利」

 

「“錬成”のルーツが生成魔法だってわかったからだ。実際付与したのは錬成モドキだし。ま、流石に本職のハジメには及ばねぇだろうが、それでもこれぐらいなら十分だろ」

 

 そして先程どうこう言っていたガントレットの方も完成しており、それを身に着けた浩介が床に手を置いて“錬成”を発動する。まさか彼も錬成師なのか!? と南雲も白崎も驚きを露わにし、その上訳の分からない言葉のオンパレードで『みんなしゅごい』と思考停止するばかりであった。

 

「二人分の普通の宝物庫も完成しました」

 

「ゴーレムも普通に動けるようになりましたし、後は持ち主の登録をするだけですね」

 

「よし、実質全部完成だな――南雲、白崎。こっちに来い」

 

 光輝とリリアーナが報告を上げ、もう大丈夫だと判断したメルドに二人は手招きされる。もうなるようになれと考えることを放棄した二人はそれに従い、六体の金属の山羊の前まで歩いていった。

 

「じゃあ最後に使用者と味方の登録だね」

 

「この指輪に込められた魔法を使えば指示が出せるようになるからね。流石に誰彼構わず命令聞いたら使えないし――“繋心(けいしん)”」

 

 手渡された指輪を受け取ると、すぐに恵里が二人の手を握りながら順番に魔法を発動していく。対象の魂を指輪に認識させ、持ち主以外に反応しないようにするためのものだ。ぶっつけ本番ではあったが上手くいった様子であり、紅の光が収まるとすぐに南雲と白崎に声をかけた。

 

「じゃあこの指輪に魔力を通して。そうすればゴーレムも動くから」

 

「え、えーっと……こ、“こっち来て”」

 

「えっと、山羊さーん。“こっちに来てくださーい”」

 

 おそるおそる二人も魔力を通しながら指示を出せば、三体ずつ山羊型のゴーレムが二人のところへとゆっくり歩いてくる。問題なく起動したことに開発した恵里達はガッツポーズをして手ごたえを感じていた。

 

「このゴーレムを使ってどうするかは二人に任せるよ。ただ、搭載された兵器は弾数に限りがあるし、ゴーレムを造ったことはあるけれど戦いに運用したことは一切ないからどれだけ強いかは流石にわからない。けれど、下手な魔物よりはきっと強いと思う」

 

「ま、あくまでちょっとした障害物を払う程度だって考えて。奈落の底じゃこの子達が持ってるレールガンにしたってどこまで通用するかはわからないから。せいぜいちょっと強めのボディーガード程度」

 

 中々物騒な言葉が出てきたことに驚きはするも、ハジメと恵里の言葉からして使い捨てが前提のちょっとした道具でしかないということは二人も理解した。出来ればちゃんとどれだけ使えるかが分かった上で渡してほしかったと思わなくはなかったものの、ハジメの悔しそうな顔からそれを検証する間もなかったということを南雲と白崎は理解して吞み込んだ。

 

「南雲様、白崎様。お待たせ、しました……っ」

 

「ありがとうヘリーナ。こちらの皆さんからの頼みでご用意した城の調理場で使われる調味料です」

 

「詰め込めるだけ、詰め込みました……どうぞ、お受け取り下さい」

 

 その直後、いつの間にやら軽く汗をかき、軽く息を切らしながらこちらへと来たヘリーナから指輪を渡される。

 

 渡してきた指輪は『調味料』と掘り込まれているだけのシンプルなデザインのものであり、軽く圧倒されながらも南雲と白崎は受け取った。その際使い方についても簡単に説明され、実際に中の調味料の出し入れをしてみて二人は大いに驚く。

 

「そんなに必要かな、調味料って」

 

「うん。別にいっぱいにする必要ないと思うんだけど」

 

 ……が、ここで二人はとんだ失言をしてしまう。あれば嬉しいのは間違いないとしてもどうしてわざわざこれのためだけに便利なアイテムを埋め尽くす程入れたのか。そうした理由がわからずにつぶやいた途端、ジトッとしたおどろおどろしい空気が漂っていく。

 

「必要だよ」

 

「ひっ!?」

 

「必要ない? 何言ってるのかな? かな?」

 

「あ、あわわ……」

 

 ゆらりと幽鬼どもが南雲と白崎に視線を向ける。虚な眼窩が二人を捉える。呪詛に近い言葉が口から漏れる。ことここに至って二人は理解した。絶対に言ってはならないことを言った。触れてはならないものに触れてしまったという事に。

 

「俺らが何回似たような味に苦しんだと思ってんだ? あ?」

 

「ハジメや恵里や園部達が苦労してくれたけどなぁ、それでも限界ってもんがあったんだよ」

 

「アンタ達にはわかんないわ……現代っ子がどれだけ食に恵まれてるかどうか、ってのが。あと中野、斎藤。アンタ達後で潰す」

 

「「ヒッ」」

 

「甘い果物がね、スイカみたいな味の果物が出てきただけでどれだけ嬉しかったか。タガが外れて暴れ回ったことがないからそんなことが言えるんだよ」

 

「あ、あの、ご、ごめんなさ……」

 

「わからないでしょうね……肉。肉。毎日肉。たまに鮫。かまぼこ。これに塩をつけただけとか燻したものばっかりで甘いのも酸っぱいのも辛いのも満足に味わえなかったのよ」

 

「す、すいません……ど、土下座するから許して……」

 

『食事/飯を甘く見る奴は絶対に許すかぁー!!』

 

「「謝ります! 何度だって謝りますから許してぇー!!!」」

 

 そうして本気でキレにキレ倒した恵里達に、南雲と白崎は本気で泣いて謝る羽目に遭うのであった……。

 

 なおその様子を見てアレーティアは終始苦笑いを浮かべ、リリアーナとヘリーナは口元を引きつらせていた。またフリードは恵里達の苦悩をなんとなく感じ取りながらも半分冷めた目で見ており、南雲達に同情していた。

 

 

 

 

 

「後は鈴が魔法を使うだけ――最後に何か言いたいことがあるなら言っておいた方がいいよ」

 

 そして南雲と白崎が謝り倒して恵里達の機嫌をどうにかした後、二人が軽く()()()をしてから鈴がそのことを伝えた。

 

 そう、ここでお別れなのだ。きっともう会えない。元々別の世界の人間なのだから余程の偶然か何かが無い限りはこの出会いはこれっきりとなる。その上自分のいる場所は左腕を砕き、また切り裂いて喰らった魔物がいたところだ。

 

(戻らなきゃ、いけないのかな)

 

 いくらお土産を持たされているとはいえ、そんな魔境に戻ることを思うと南雲は躊躇してしまっていた。

 

「僕、は……」

 

「ねぇ、南雲君」

 

 そんな時、ふと隣にいた白崎が振り向いて声をかけて来た。どうしたんだろうとやや緊張した面持ちで彼女を見れば、ほのかに頬を染めながら白崎はあることを問いかけてきた。

 

「南雲君、あのね。オルクス大迷宮に入る前の日にそっちの世界の私が南雲君の部屋を訪れてたりしなかったかな」

 

「は、はい……来た、けど」

 

 その答えを聞いて微笑んだ白崎は彼の体を抱きしめ、彼の目を見つめながら更に問いを投げかける。

 

「良かった……だったらきっと私が南雲君のことをどうして尊敬してるかも知ってるよね?」

 

「う、うん……し、白崎さん、その……」

 

「そっか。じゃあ待ってると思うよ。向こうの私も」

 

 急に体を密着させてきた白崎にドギマギしていた南雲もその言葉ですぐにハッとした。そうであった。自分を尊敬していると言ってくれた彼女はまだ王国にいる。自分が奈落の底へと落ちた時にも悲痛そうな表情で見ていた。

 

(僕は、彼女を置いていくの?)

 

 そう思ってしまった時、南雲の心がきしんだ。嫌だ。あの約束を無かったことにしたくない。砕け散ったはずの心が痛んだのだ。

 

「南雲君、お願い。向こうの私をひとりにしないで」

 

 白崎の言葉に心臓が強く拍動する。そんなのは嫌だ。彼女を一人にしたくない。思いが少しずつ恐怖を押し出していく。体に熱が灯っていく。そんな時、ふと彼の額に温かな感触が一瞬よぎる。

 

「きっと、向こうの私も南雲君……ううん、ハジメ君のことを思ってるよ」

 

 瞳を潤ませて、頬を赤く染めて。口から思いがあふれてしまいそうになるのを必死に堪えながら彼に伝える。

 

「尊敬なんかじゃない。憧れなんかじゃない。もっと、もっと強い、大切な思いを。きっと」

 

 その瞬間、南雲の中で疑問が氷解した。どうしてあんな恐ろしい場所に戻りたいと願ったか。どうしてあの場所を切り抜けたいと思ったか。

 

(僕は、白崎さん……ううん、香織さんが――)

 

(私はやっぱり、ハジメ君のことが――)

 

 好きだ。好きだったんだと。あまりに簡単で、何よりも大切な答えをずっと持っていたからだ。

 

(武術を修めている訳でもないし、スポーツや勉強が誰よりもすごい訳でもない。けれど香織さんは、香織さんはこんな僕のことをすごい人だって言ってくれた)

 

 異世界に来る前だろうが来た後だろうが、何の取り柄もなかった自分のことを凄く強くて優しい人だと言ってくれた。守ると言ってくれた。自分に戦う意志を与えてくれた。

 

(あのお婆さんを助けた時も、ベヒモスに立ち向かった時もそうだった。怖くて仕方なくって、私だけじゃどうにもならない相手を前に果敢に立ち向かった。そんな彼がいなくなったと思って頭がおかしくなりそうだった)

 

 中学生の時はただ傍観するだけだった。ベヒモスとの戦いは光輝達と共に立ち向かってもどうにもならず、結局南雲に任せるだけでしかも彼を助けられなかった。それ故に彼が目の前からいなくなってしまう様を見て狂乱してしまった。

 

 ようやく二人は気づいたのだ。目の前の相手が好きで仕方なかったのだと。違う世界の相手を前にしたことで自分はこの人が好きだったんだとやっとわかったのだ。

 

「――さっきのは噓偽りない私の気持ちだよ。でも……」

 

「うん……言葉に、しちゃいけないよね」

 

 けれどもその思いを口には出来ない。それは元居た世界の好きな人への裏切りだから。ここで別れることがあまりにも惜しくなってしまうから。だからその思いにふたをする。

 

「向こうの私に、よろしくね」

 

「向こうの僕を、お願いします」

 

 ただ短くそう伝える。それだけで十分だった。もう一度戦いに身を投じるために。待っていてくれている人を迎えに行くために。

 

「あ、話がついたみたいだね」

 

 互いに決意を固めて振り向くと恵里がホクホク顔で、ハジメや多くの面々が頭を抱えた様子で二人を待っていた。一体何事かと思って二人は恵里を見ると、さも傷ついたかのようにわざとらしく唇をとがらせながら向かってきた。

 

「ヒドくな~い? ちょっと二人に頼みたいことがあっただけなのにさぁ~」

 

「……本当に、そうなんですよね?」

 

「本当なの、恵里ちゃん……」

 

「本当だよ本当。あのね――」

 

 そう言って手招きする恵里に怪しみながらも南雲と白崎は近づいていく。そして彼女から()()()()()をされて思わず絶句する。語られた内容の凄絶さ、その上でされたお願いがあまりにもとんでもないものだったからだ。

 

「……お願い。もし()()のボクと向こうのボクが変わらない存在だったら鈴が傷つく。たとえ世界が違ったとしてもボクは親友に傷ついてほしくないんだ。だからお願いします。ボクを止めてください」

 

 真剣な様子で頼み込む恵里に南雲も白崎も何も言えなくなる。本気だったからだ。例え世界が違えど大切な友人だと思っていた彼女の心を守りたい。その一心で頭を下げてきた恵里を見て二人もゆっくりとだが首を縦に振る。

 

「……わかりました。こうして便利な道具をいただいたんですし、本当にそうか確認してからやらせてもらいます。それでいいですか?」

 

「わかった、よ……絶対そんなことはないって思う。思いたい、けど……」

 

「そうだね。なら看破するための道具も用意した方がいっか。ハジメくん」

 

「……仕方ないなぁ。でもこれっきりだよ?」

 

 だが南雲はしっかり確かめてから、白崎は友人への信頼と疑惑で揺れ動きながらだったが。そんな二人のために恵里はハジメにお願いをして更にもう一つずつアーティファクトを作ってもらう。そしてそれを十分に検証した後で二人に手渡せば、様々な覚書(金属製)の入れてある宝物庫に南雲と白崎はしまい込んだ。ゴーレムを格納するボール型の宝物庫もそちらに入っており、二人はもう元の世界に戻る準備は万全となった。

 

「じゃあ行くよ、二人とも――“界穿”っ!!」

 

「こっちは――香織! 早く!」

 

 そして鈴が転移ゲートを作ると共に恵里が顔を軽く突っ込み、すぐに顔を出して白崎を手招きする。

 

「うん! ありがとうハジメ君! それと皆! 私、行ってくるよ!」

 

 南雲に先に感謝を伝えてから恵里達に礼を述べると白崎はそのままゲートへ向かって走り、そのまま飛び込んでいった。遅れて一拍、ゲートを閉じると共に新たな異世界への道を鈴は開く。

 

「多分こっちが南雲君のほう! いつまで繋がってるかわからないから急いで!」

 

「はい!――皆さん、ありがとうございました!! もう閉じてください!」

 

 こちらへと歩いてきていた南雲もゲートを通り、そのまま全身突っ込むとすぐにゲートを閉じるよう伝えてきた。鈴もそれに従い、“界穿”の発動を取りやめる――二人はいなくなった。新たに異世界からの来訪者が現れる様子も無く、遂にこの騒動が終わったのであると誰もが実感した。

 

「ハァ~……とりあえずどうにかなったと思うけど……」

 

「ま、後は向こう次第でしょ――大丈夫だよ。絶対二人が()()()()()()ことはないって」

 

「それが問題なんだってば……」

 

 感慨深そうに消えた二人に思いを馳せる恵里に対し、他の面々は彼らの未来がとんでもないことになるであろう様を幻視して不安に襲われていた。

 

「……まぁ違う世界だ。魔人族の未来が明るいものであればそれでいい」

 

「色々と覚書も中に入れてましたけれどね……大丈夫でしょうか」

 

「信じるしかないでしょう。違う世界の彼らが最高の未来を勝ち取ると信じて」

 

 フリードは違う世界の話だと割り切り、心配そうにしているリリアーナを励ます形でヘリーナは全員に声をかける。彼らの未来がブッ飛んだものにならないことを祈りつつ、ハジメ達は研究に戻るのであった……。




これで終わりではないぞよ。もうちっとだけ続くんじゃ(亀仙人感)

……いやすいません。いつものように書いてたら増えました(白目)


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四月馬鹿なお話その3(六十四話If)

四月馬鹿その3です。
なお伸びたので分割する羽目に遭いました(白目)

それとAitoyukiさん、拙作を再評価してくださりありがとうございます。

今回はかなり短め(約7400字程)となります。ではどうぞ。


「かお、り……? 香織! 香織!!」

 

 いきなり地面に現れた光の膜に香織が吞み込まれ、しかもそれは一瞬で消えてしまう。唐突な事態に雫は気が狂いそうになった。

 

 ベヒモスは南雲と一緒に落下している。もう戦闘は終わったものの、まだこの場にいた全員の脳は戦場の興奮から覚め切っていない。それもあって雫は親友が消失したことに思わず狂乱し、地面に穴をあけようと必死になって手で掘り進めている。

 

「香織! どこだ! どこにいるんだ! 返事をしてくれ!!」

 

「どこいった! なぁどこだよ香織!!」

 

 狂乱したのは彼女だけではない。光輝と龍太郎もまたそうであった。幼馴染の唐突な消失。そのことに心を乱されないほど彼らの関係は浅くなく、短い付き合いではなかった。

 

「落ち着け! 落ち着くんだお前達!!」

 

「だって、だって香織が!!」

 

「落ち着いてなんていられますか! 香織が、香織がいなくなったんですよ!!」

 

「馬鹿言ってんじゃねぇよメルドさん!! 俺達の幼馴染がいなくなったんだぞ!!」

 

 南雲を追って先程崖に飛び降りそうになった香織に当て身をしようとしていたメルドであったが、その当人がいなくなり、代わりに発狂しそうになっている三人相手にそんなことをしようという気はなかった。香織の天職は治癒師であり、直接的に戦闘には関与しないものであったからだ。

 

 勇者、剣士、格闘家の天職を持つ三人を気絶させてしまえば相当な戦力ダウンになるのは間違いなく、かといってどうすればいいか方法が無い。悪いことが重なってしまったことに心底頭を抱えたくなり、途方に暮れそうになっていた。

 

「お、落ち着いてよシズシズ! 天之河君に坂上君も!」

 

「お、落ち着いて雫ちゃん、光輝君、龍太郎君も! こ、こんなところで言い争いしても、何にもならないよぉ」

 

 そこへやって来たのは谷口鈴と中村恵里であった。普段はムードメーカーな鈴と大人しい恵里も荒れに荒れている彼らをどうにかなだめないと地上に戻れないとわかっていた。だからこそ、普段ならばやりそうにないことも進んでやるしかなかった。

 

(アハッ、何が起きたかわかんないけどラッキー。それといなくなってくれてありがと、香織。あーでも檜山がご執心の香織がいないとなると新しく用意してあげないとかなぁ。雫かな? それか適当な女を殺して操ろっか)

 

 ――尤も、恵里の心の内は突然のハプニングに狂喜していたが。光輝といつも行動を共にしている白崎香織(お邪魔虫)がいなくなったのだ。原因は不明ではあったが、都合のいい事態が起きたことには変わりない。計画を修正して進めれば愛しの光輝を自分のものに出来る。仄暗い感情を内に燃やしながら算盤を弾いた――その時であった。

 

「あ、オルクス大迷宮!」

 

「えっ!?」

 

 再度あの膜が現れたのだ。しかもそこから恵里に瓜二つの少女の顔がニョキっと生え、突然のことにその場にいた誰もが思いっきりビックリしてしまった。なおこちらの世界の恵里は思いっきり噴き出し、近くにいた光輝の顔をびちゃびちゃにしてしまった。

 

「香織! 早く!」

 

「え、恵里の顔が生えた!?」

 

「ど、どうなってんだおい!? な、なんで恵里の奴が!?」

 

「な、なんで恵里の顔が出てきたの!? え、恵里そこにいたよね!?」

 

「いたよ!! 何がどうなってるのさ一体!?」

 

 出てきたのはたった一瞬ではあったものの、突然のことに光輝も龍太郎も鈴も恵里もパニックになり、他のクラスメイト達や騎士団の皆も訳の分からん事態にもう茫然として立ち尽くしてしまっている。そんな時、今度はその膜から香織が現れたのだ。

 

「ただいま、皆!!」

 

「か、おり……?」

 

 先程から立て続けに起きる事態にもう誰も頭が追いつかなくなった。いきなり現れた膜のせいで香織が消え、今度はあまり時間が経過しない内にそこから香織が現れる。本気で意味がわからなかった。しかも消えたはずの当人は何かを決意した表情で現れたものだから余計にである。

 

「うん! 雫ちゃん、心配かけてごめんね……」

 

「かおり……よかった、よかったよぉ……」

 

 その香織は手で穴を掘ってた雫を抱きしめ、彼女の辛さを少しでも解そうとわびる。途端、感極まった雫は彼女を弱々しく抱きしめ、そのまま涙を流して泣きじゃくった。

 

「香織……良かった。無事だったんだな」

 

「うん」

 

「正直焦ったよ。いきなりいなくなったから……でももう大丈夫だ。今度は俺が守るから。大迷宮の罠だろうが魔物だろうが絶対に俺が香織を守ってみせるよ」

 

「……うん」

 

 次は光輝が話しかけてきたものの、自分の知っている彼と()()()()で香織は軽く落胆する。ほんの数十分相対してただけとはいえ、違う世界の彼はこんな無責任に断言するような人となりとは言い難いというのは香織も理解していた。そのせいで自分の幼馴染である光輝の言葉が一層軽く感じられたせいである。

 

「ったく、焦ったぜ香織。まぁ無事で良かったけどな」

 

「…………うん」

 

 その後かけられた龍太郎の言葉を聞いて香織の心が一層乾く。異世界の自分が惚れこんでいた彼と比較すると本気で心配しているのだろうかと思えたからだ。

 

 だが仮に自分に惚れていたとしてもこんな具合であったなら香織としてはお断りである。いくら幼馴染だからってこの程度の扱いで済ませるような相手に惚れられても困るからだ。自分にはハジメがいるのだからと思い直すと、ずっと気にかかっていた彼女の声が届いた。

 

「か、香織……ちゃん。無事で、良かった……」

 

 恵里だ。違う世界の彼女が語ってくれた前世の様子と目の前の少女はあまりにもよく似ている。図書委員、鈴の親友、控え目な性格と振舞いと全てが自分の親友の一人とあまりにもピッタリと当てはまり過ぎていた。それ故に疑いたくなくても疑ってしまいそうになる。だからこそ香織はそれを晴らすべく『行動』に移った。

 

「――ぁっ」

 

「驚いたよカオリン……とにかく無事でよか――あれっ?」

 

「ごめん雫ちゃん、鈴ちゃん!――恵里ちゃん、ごめんね。心配かけて」

 

「ううん、いいよ。私達親友でしょ? でもすっごく心配したんだからね」

 

「うん。ごめん――っ!」

 

 心苦しいながらも自分に抱き着く雫の手を優しく解き、自分にハグしようとしてきた鈴を押しのけながら香織は恵里に抱き着く。そして彼女を労わりながらも宝物庫からある六角柱型のアーティファクトを取り出し、左手で掴んだまま彼女と言葉をかわす――その瞬間、香織の脳裏におぞましい言葉が響き渡った。

 

 ――チッ。消えてくれたと思ったのに。まぁいっか。予定通り檜山にあてがわせればいいさ。

 

「え、恵里ちゃん……」

 

「? どうしたの香織ちゃん?」

 

「う、ううん……心配かけて、ごめんね?」

 

「うん。でも、ちゃんと反省してるみたいだし、私は許すよ」

 

 ――どのタイミングで殺そうかなぁ~。なるべく不自然じゃない時を狙いたいところだけど……ここを突破した辺りかなぁ。祝勝会の時に料理に毒を混ぜて、動けなくなった隙に殺してお人形さんにするのが……うん? 香織の様子がおかしい?

 

 親友だと思っていた相手の心の声だ。向こうの世界の恵里が向こうのハジメと共に作ってくれたアーティファクト“エクスポニオン”は接触した相手の心の声を聞くことが出来る。その効果は向こうの世界にいる間に香織も使って試していたため、ちゃんと機能しているということがわかった。それ故に怖かった。親友だと思っていた少女は前世を語ってくれた恵里と全く同じで、光輝を手に入れるためには手段を選ばない人間であったということがわかったからである。

 

「どうかしたの、香織ちゃん?」

 

 ――まさか僕の演技に気づいた? いや、ボロは……あー、出したか。ま、いいか。もしそうだったらさっさと檜山の餌にでもなってもらおっか。

 

「う、ううん……なんでも、ないから。それと――はいっ!」

 

 エクスポニオンをすぐに宝物庫にしまい込み、最後に聞こえた恵里の心の声に香織は覚悟を決める。すぐに宝物庫からネックレス型のアーティファクトを取り出し、それをすぐに恵里の首に着けさせると同時に魔力を流し込んだ。

 

「っ!?……か、香織ちゃん。どうしたの? いきなりネックレスなんか身に着けさせちゃって?」

 

「あ、うん。実はこの大迷宮に来る前に買ってたんだ。その、私を心配してくれてたから、お礼にって思って」

 

「そうなの?……まぁ、()()()()()けど」

 

 いきなりの行動に驚き、軽く唇をとがらせた様子で収まっている恵里を見て香織は心の中で成功したと確信した。

 

 ――ネックレス型アーティファクト“デモンイェーガー”。ドイツ語で『悪魔を退治する者』という意味を持つこのアーティファクトは向こうの世界の恵里とハジメの合作である。効果は『身に着けた相手の心を変容させる』という名前にそぐわぬおぞましいもの。しかしそれは向こうの恵里がこちらの恵里の無害化を果たすために作ったものである。

 

「えー! いいなーエリリン! 鈴にもそれ貸してよー!」

 

「うん、いい――ご、ごめんね鈴! や、やっぱり嫌!」

 

 沈んだ場を盛り上げようと半ば空元気ながらも鈴は恵里に話しかけるも、恵里は強い抵抗を見せた。それを見て恐怖を感じつつも香織はアーティファクトがしっかりと機能していることに確信を抱く。

 

 ――効果その一、身に着けた相手はこのアーティファクトに対して執着心を持つ。しかもこのアーティファクトは身に着けている人間から魔力を吸い取って機能を維持する仕掛けもあるため、起動さえしてしまえば外部の力で壊れない限りは二度と相手は手放さなくなる。

 

「鈴、恵里が嫌がっているだろう? じゃあ恵里。そろそろ戻ろうか」

 

「?……っ!?――う、うん。行こう、光輝君」

 

 ――効果その二、身に着けた相手の執着する対象を別のものに()()()()()

 

 光輝から声をかけられて反応が一瞬遅れたのを見て、香織はこの効果も問題なく機能していることに気付き、同時に恐怖に震えた。光輝に対する執着を薄れさせ、暴走する目的を無くす。そのために向こうの恵里が調整し、作ったものだ。それが如何なく発揮しているのを見て罪悪感で心臓が潰れそうになった。

 

「みんなー! 香織は戻った! 南雲の()を無駄にしないためにも地上に戻ろう!!」

 

「……っ」

 

 そんな自分の心の内も知らずに光輝は自分達に号令をかける。状況から見れば確かにそう断じるのが自然ではある。しかし訪れた並行世界で出会った南雲は左腕を失いながらも生きていた。心が砕けても彼はまた再起したのだ。だからこそ香織は光輝の無意識かつ無神経な言葉に香織は苛立ちを覚えた。

 

「っ……!?」

 

 だが遅れて恵里のリアクションを見てその怒りも消え、同時にこのアーティファクトが何に執着を移し変えているかを香織は理解する――彼女が光輝に抱いていた関心が段々と薄れ、それが別の相手に移り変わっていることに。

 

「ねぇ恵里ちゃん」

 

「っ……何、香織ちゃん?」

 

 あの時は何に変えるのかという説明はされてなかったが、今では理解できる。それに納得を覚えつつもあんまりだと香織は思う。いくら多くの人間を自分の目的のためだけに犠牲にするとしても。人間として許されざることを向こうの恵里はやったということに怒りを覚えた。

 

「恵里ちゃんがどうしてそうなってるか。私は知ってるよ」

 

 だけど自分もそれを黙認するしかなかった。目の前の親友だったはずの少女が何に怯え、震えているかをわかっていながらもだ。トータスの人達が死なないために悪事に手を染めようと香織は考えていた。

 

 自分達によくしてくれたというのもあるし、『ただ誰にも死んで欲しくない』という地球で培った倫理観からくる思いもある。けれど一番強いのは友達である鈴が傷ついて欲しくない。ただそれだけのものでしかなかった。

 

 単なるワガママと言ってしまえばそれまででしかない。そんなもので自分は動いているのだ。けれどもそれで構わないと覚悟を決めて香織は恵里の耳元でささやき続ける。

 

「お前、お前ぇ……ッ!!」

 

 振り向いた彼女の表情は憤怒に染まっていた。けれどもそれが必死に維持しなければそこまでの怒りを保てないということも香織にはわかっている。いくらでも恨まれよう。何度だって蔑まれよう。それでも自分は曲げないと香織は恵里に向けて言葉を紡ぐ。

 

「一緒に南雲君のところに行こう。そうしたら恵里ちゃんの身に何が起きたか話してあげるから」

 

「……後で殺してやる。絶対に」

 

 ――天之河光輝への執着、それが南雲ハジメへの()()へと書き換えられている。言葉にするのもはばかられる、思考の書き換えが今起きていると。悪い人間に堕ちたとしても、せめてこの約束だけは守ろうと思いながら。

 

『昔のボクは光輝君を手に入れるためになんでもやろうとしてた。地球にいた頃でも光輝君の幼馴染だった香織と雫は後でどうにかしようと思ってたし、それ以外は積極的に排除してた』

 

 ただ光輝への好意を無くしてるだけではない。とてつもなくおぞましいことが目の前で行われていることを思いながらも香織は向こうの恵里の言葉を思い出す。

 

『トータスに来てからはなおさらだったよ。降霊術なんて便利なものを手に入れたからね。光輝君も殺してお人形にしようと思ってたし、クラスメイトの皆も殺して人形にして魔人族に寝返ろうと思ってた』

 

 多くの人間に慕われている彼女の漏らした言葉に香織も違う世界の南雲も言葉を失っていた。だがその計画も彼女の前世? に出てきた南雲ハジメという少年によってことごとく阻止され、遂には光輝までも失って自爆したのだと当人は述べる。

 

『光輝君も失った。自分の都合のいい人形じゃなくなったからもう何もかもいらなくなって自爆したよ――その後ちょっと不思議なことが起きてね。爆発に巻き込まれた鈴と話をしてたんだ』

 

 その後向こうの恵里は何があったかを語った。ようやく本音で向き合い、言いたいことを言い合ってようやく気付いた。鈴と一緒にいた時間はほんのわずかに安らげるものであったと。

 

『もしあの時橋で会ったのが鈴だったらきっとこんなことになってなかった。こんな風に道を踏み外すことなんてなかったかもしれない』

 

 かつての親友への変わらない思いを吐露するも、『でもおかげでやり直せたしね。すっごく大切なものも手に入ったから』と結局自分の行動を後悔してない様子をしれっと述べたが。これには香織も違う世界の南雲も呆れてしまっていた。

 

「一緒に来て、恵里ちゃん。本当に大事なもの、見つけよう」

 

「……わかった。行ってやるさ」

 

 お互い小声で言葉をかわすと、そのまま香織は宝物庫からゴーレムを格納した三つのガーディアンズボール(山羊型ゴーレム入り宝物庫)を取り出し、そこからゴーレム全てを展開する。

 

「か、香織!? そ、それは一体何なんだ!?」

 

「譲ってもらったものだよ。私のためにね――雫ちゃん。雫ちゃんも一緒に来て」

 

「え?……えぇーーーーっ!!??」

 

 唐突に現れた金属製の山羊に誰もが大いに驚くも、いきなり香織から誘われた雫が一番驚いていた。何せ脈絡もクソもないからだ。

 

「い、一緒に、って……い、行くでしょ香織。だって地上にもど――」

 

「ううん。私、南雲君――ハジメ君を探しに行きたいの」

 

 更に香織の口から出てきた言葉に雫はあんぐりと口を開けるばかり。確かに目の前の親友はこうと決めたらてこでも動かない質だというのは理解できた。だが一体どうやって? そう考えた時、彼女が出した山羊っぽいなにかに目が留まった。これか、と理解してしまった雫は思いっきり顔をヒクつかせる。

 

「ね、ねぇ香織……ど、どうやって! まさかここを降りていくなんて言わないでしょうね……?」

 

「そうだよ雫ちゃん! 話が早くて助かるよ! じゃあ山羊さん、雫ちゃんと恵里ちゃんを乗せて!」

 

「えぇっ!?」

 

 唐突かつめちゃくちゃなことを言い出した香織に雫はまさかと思いながら疑問をぶつけるが、当の本人はそれを全力フルスイングで思いっきり叩き返してきた。しかも巻き込む気マンマンなことに雫はもう訳がわからなくなってしまう。

 

(ここで雫ちゃんをひとりぼっちにしたらどうなるかわからない。だったら連れて行った方がきっといいはず!)

 

 あの狂乱ぶりを見るからに自分がいなくなったら荒れてしまうだろう。それに自分がいなくなったことで光輝が彼女をどう振り回すかわかったものではない。幼馴染の一人に軽く見切りをつけた香織は、ゴーレムが器用に頭を使って雫を乗せたのと恵里がまたがったのを確認し、自分もまたもう一体の背中に乗った。

 

「ま、待ってよカオリン! 南雲君を探したいのはわかるけど、その山羊さんロボにでも乗っていく気なの!?」

 

「何を言ってるんだ香織! 南雲の奴は()()()んだぞ! 君もアイツの後を追う必要なんてない! 雫も恵里も俺がいる! だから絶対守って――」

 

「馬鹿抜かしてんじゃねぇ!! ベヒモスでさえマトモに倒せなかったってのに、そんな誰からもらったものかわかんねぇロボットに頼ったぐらいで――」

 

「……ごめんなさい。()()()君、みんな。私はハジメ君を探すよ。まだ死んでない可能性だってある。だから私は雫ちゃんと恵里ちゃんと一緒に行く――山羊さん、お願い!」

 

 光輝だけでなく他の皆も自分達を止めようと声をかけてきたが、それを振り切って香織は山羊型ゴーレムに指示を出す。その瞬間、体から展開された固定用のハーネスが自分達の腰と足をロックし、奈落の底へと首を向けた。

 

「えっ、えぇっ!? わ、私体固定されちゃったんだけど!?」

 

「ね、ねぇ香織……ま、まさか、このまま落ちるとか言わないよね……?」

 

「えーと……た、多分違うと思うけど、大丈夫! じゃあ山羊さん、ゴー!!」

 

 困惑する二人を他所に香織が号令をかければいななくフリをし、三体のゴーレムはそのまま崖を走っていく。

 

「い、行くなー!! 行かないでくれ香織ー! 雫ー! 恵里ー!」

 

「待ってよカオリン、シズシズ、エリリ~ン!!」

 

「いやぁ~~~~~~~~~~~!?」

 

「ぎゃぁああぁあああぁ~~~!?」

 

「みんな、行ってきまーす!!」

 

 自分達を止めようとする声、漏れ出る二人の悲鳴を耳にしながら少女は奈落の底へと向かう。切り立った崖を足場にし、時には見えない足場を作ってはそこを跳ぶ紛い物の山羊の背に乗って。

 

「ハジメ君、待ってて。今迎えに行くから」

 

 未だ見えぬ暗闇をためらうことなく、ただ自覚した恋心のままに。暗闇の中を突き進んでいくのであった。




別の世界のハジメ君の話は近日投稿する予定です。今度こそ、今度こそエイプリルフールのお話は終わります!……はず(ォィ)


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四月馬鹿なお話その4(六十四話If 完)

エイプリルフールのお話これにて終了です。最後のお話となります。

そしてAitoyukiさん、トリプルxさん、拙作を再評価してくださりありがとうございます。本筋から一応外れた話ではありますが、評価してくださって感謝の気持ちでいっぱいです。

それでは異世界に戻ったハジメ君視点+αのお話をどうぞ。


「さぁーて、成果は上々。でもまだまだ練習が足りないかなぁ~」

 

 闇夜の中、殺した虫や動物を操ってみて相応の手応えを得た少女はその場を後にしようとした。何せ他のクラスメイトからはバレないように部屋を抜け出して降霊術を練習してたのだから。

 

 『持っている倫理観と気の小ささのせいで満足に自分の技能を使えない少女』を演じ、クラスメイト達を殺して魔人族に寝返ることを企てている以上は隠し通さなければならない。そのためわざわざ皆が寝静まったのを見計らい、ランプを片手にこうして一人王宮を隠れて出ているのだ。

 

(もう少し。もう少しだ。もっと練習して、魔力を高めて、オリジナルの降霊術を編み出せればきっと……ん?)

 

 持ってきたランプの灯りを頼りに、極力足音を立てないよう気をつけながら自分の部屋に戻ろうしていた少女はふとあるものに気づく。山羊だ。闇夜で山羊らしきシルエットがこちらを見ていることに少女は気づいたのである。

 

「何かと思ったら……ほらあっち行け。しっしっ」

 

 念のため上半身を回して周囲を軽く見渡した少女は、誰もいないことを確認してから素の口調で山羊を追っ払おうとする。しかし山羊はそれに構うことなくこちらに近づいてきたため、余計にうっとうしがって何度も手で払おうとした。

 

「ったく、わかんないの? ほらあっち行った……うん? えっ?」

 

 そうして手で触れそうなぐらいにまで近づいたことで少女――中村恵里はようやく気づく。目の前にいる山羊がただの山羊……否、生き物ですらないことに。

 

(コイツ、金属みたいな見た目だ。一体誰が――!)

 

 金属製でしかも勝手に動くロボットのようなものだったことに気を取られ、恵里は気づかなかった。()()に潜んでいた何者かが、自身の右腕を狙っていたことに。

 

「“錬成”!!」

 

「っ!? その声、お前まさか――!」

 

 それは白髪赤目の少年、南雲ハジメだった。隻腕である自分でも扱いやすいように、向こうのハジメが作ってくれた三日月のような形をしたデモンイェーガーを片手に中村へと迫ったのである。そしてデモンイェーガーを腕に当てると同時に“錬成”を発動。一瞬にして輪っかとなって彼女の腕に装着されたそれにすぐ魔力を流し込む。

 

「――ぁぐっ!?」

 

「“ガーディアンズワン、彼女の足の上に座って拘束して。ただし骨を折らないようにあまり体重をかけないで”」

 

 そして何があっても対応できるようにハジメは彼女を押し倒し、既に展開していた山羊型ゴーレムを彼女の足の上に鎮座させる。その後両ひざで彼女の両肩の付け根を抑え込み、心を読むアーティファクトであるエクスポニオンを握ったまま彼女の左頬に右手を添えた。

 

「うん、想像の通りだよ中村さん」

 

 ――こちらの世界に戻った後、ハジメは事前に指示された通り渡された宝物庫の中にあった覚書を取り出して確認した。『ひたすら“錬成”を練習し、魔物の肉を食べてステータスを強化すること(ただし体が砕けそうな激痛が走るから注意)』、『渡したゴーレムに頼るのではなく、自分自身の持ってる技能をしっかり鍛えること』などを信じて必死に“錬成”を鍛えた。

 

(まさかこんなところで出くわすなんてね……でも、中村さんには悪いけれど目的の一つは達成できた)

 

 その後、二尾狼を筆頭に自分が流れ着いたフロアにいた魔物を全種類倒し、神水を飲みながら食らって力をつけた。そしてハジメは戻ることを決意したのである。目的はもちろん白崎香織を迎えるのと、恵里から頼まれた『自分の世界にいる中村恵里の無害化』だ。

 

 山羊型ゴーレムに乗ってベヒモスのいたフロアへと戻った後、魔物の肉を食べて微量ずつステータスを強化しながら上を目指していった。そして一階層までたどり着いた際、馬鹿正直に入り口から出るとまずいと考えて穴を掘って地面の下を進んだ。魂魄魔法で魂を探知するレーダーみたいなものも作ってもらっていたため、それを頼りにハジメは地下から地上へと戻ったのだ。

 

 そうして王宮へ向かう際、偶然ではあったが彼は様子のおかしい中村とエンカウントしたのである。

 

 ――南雲の奴、一体何を……うん? うん!?

 

 一方、そんなハジメの事情を知らず、まさか死んだと思ってた奴が生きていたとは思わなかった中村はいきなり仕掛けて来た彼に警戒しようとする……が、しかし、彼に敵意を向けようとしてもそれがわずかながらとはいえ削がれてしまうのだ。別にここまで敵視しなくてもいいんじゃないか、という考えが自然と浮かんできてしまうのである。

 

「……私に何をしたの?」

 

「……中村さんが悪いことをしないように、ね。具体的にはハイリヒ王国やクラスメイトのみんなを殺して、皆を降霊術で操って魔人族に寝返るとか」

 

 可能な限り冷静を装って尋ねてきた中村にハジメは努めて冷静に答える。本当はそうであってほしくない。しかし向こうの世界の彼女から聞いた前世の話を聞いた感じでは、あまりにこちらの世界の彼女と同じ振舞いをしていたのだ。

 

 もちろんただ振舞いが同じだという可能性は大いに高い。それ故に大きく心を揺さぶる質問をし、エクスポニオンによって心を覗くことで本当かどうかを確かめようとしたのである。

 

「ぁ……なっ……!」

 

 ――なんで!? なんで南雲……にバレてる!? どうして!? ま、まさか見られた!?

 

 しかしそんなハジメの淡い期待も脆くも崩れ去ってしまう。自分の答えに対する反応は元より、彼女の心の中も大いに荒れ狂っていたのだ。それも向こうの彼女が話した通りの内容で。

 

 勝手に心を暴いたこと、そして目の前の少女がおぞましいことを今計画していることに罪悪感と悲しみ、そして恐怖で心がぐちゃぐちゃになりそうながらも彼は中村に問いかける。

 

「……ねぇ中村さん、さっき僕がつけたのはただの腕輪じゃない。立派なアーティファクトなんだ。これを着けていると段々僕のことを警戒出来なくなってくる。少しずつ僕に心を許すようになる。けれど自分では絶対に外そうと思わなくなる怖いものだよ」

 

「そんな馬鹿なこと……えっ? えっ? なんで? なんで!?」

 

 そしてデモンイェーガーの効果のほとんどを話した途端、彼女はみるみる冷静さを失い、なんでどうしてと大いにうろたえ出す。当然だ。これは心や魂に作用する代物なのだから。そのことに対する罪深さをひしひしと感じながらもハジメは彼女にあることを提案しようと問いかける。

 

「このままだと目的を果たす――天之河君を殺して自分のものにすることも難しいでしょ?」

 

「っ!!」

 

 ――クソッ、そこまでわかりきってるなんて!! これじゃあ光輝くんをボクのもの……あれ? なんで? どうして光輝くんへの思いがちょっと揺らいで――まさか!!

 

 向こうの恵里が話してくれた目的を述べれば、エクスポニオンを使うまでもなく一層大きく動揺するのがわかった。そして天之河のことを話した際の心の声を聴けば、やはり彼への関心がわずかばかりとはいえ薄れていることも、そのことでうろたえたのもわかってしまった。

 

「お前……ボクに、ボクに何をしたぁっ!!」

 

「うん。それも、この腕輪の効果……だから提案。僕と一緒に来ない?」

 

「提案、だって……南雲、お前ぇっ!!」

 

 ――許さないぃ……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないっ!! お前のせいで光輝くんがどうでもよく思えるなんて、絶対に許さないからなぁ!! 南雲ハジメぇっ!!

 

 当然彼女が自分に憎しみと怒りをぶつけてくるのもわかった。心を読むまでもなく、その視線が奈落の魔物に負けず劣らず鋭く冷たいものであったからだ。

 

 けれどもそれで揺らいではいけないとハジメはキッと彼女を見据える。デモンイェーガーの効果のせいで自分に向ける目つきがわずかずつとはいえ徐々に鋭さを失っていることに心を締め付けられながらも、ハジメは目をそらさなかった。

 

「僕は白崎さんを迎えに行ってからオルクス大迷宮に戻る。もしその気があるならこのゴーレムの背中に乗って先に行っててほしい」

 

「ハッ、拒否権なんかない癖によく言うよ」

 

 一度デモンイェーガーを身に着けた以上、発生する執着心のせいでこれを壊したり外そうという思いは抱かなくなる。それにハジメの方に関心が向きつつある上に光輝への関心も徐々に薄れている。

 

 まだどちらもほんのわずかにしか変化してないものの、このままでは光輝に何の関心も抱かなくなってもおかしくないし、自分をはめた南雲にばかり心を砕くようになる。そのことを恵里はわかっていたし、ハジメもまた向こうの世界の恵里の様子からして自分と中村をくっつけかねないだろうと予想していた。

 

「……そうだね、その通りだ。けれど僕が悪人になるだけで誰かの命を、谷口さんの心を守れるならこの程度、我慢してみせる」

 

 けれどもこれで誰かが犠牲になってしまうのは防げる。少なくとも彼女の親友であるはずの谷口鈴が悲しむことはなくなる。目の前の少女と谷口には申し訳ないと思いながらもハジメは覚悟を決めてそうつぶやく。

 

「鈴? ハッ、アイツはただ利用してただけだよ。光輝君、の周りにいるダニに警戒されずにそばにいるためにねぇ」

 

「……そっか。それならそれで構わない。けれど中村さんの計画を阻止するためにも僕と一緒に来てほしい。いい?」

 

「……チッ。まぁいいさ。ならそっちと一緒に行動してあげる」

 

 ――さっきは不意を衝かれて無様をさらしたけど、そうはいくもんか。絶対にお前の寝首を搔いてこの腕輪を破壊させてやるからな。覚悟しろ。

 

「……ありがとう。じゃあ“ガーディアンズワン、彼女を乗せて目印のところまで行って”」

 

 恵里の返答と心の声を聴いた後、ハジメは彼女の上からどくと同時にゴーレムに指示を出す。そして彼女が起き上がると共に、魔物の皮と針金で作った懐のホルスターからレールガン“ドンナー”を抜いて地面に一発銃弾を撃ちこむ。

 

「っ! 今のは――」

 

「……それと、そっちが何かするよりも先に僕は対抗できる。その手段を僕は持ってるよ。別に無策で来た訳じゃないからね」

 

「あー、はいはい……ったく、甘ちゃんかと思ったらとんだ食わせ物じゃないか。あーあ、今日ばっかりは出歩かなきゃよかった」

 

 わざと銃を見せつけてアピールすれば、遂に向こうも抵抗する気が完全になくなったようであった。ため息を吐きながら自分に背を向け、ゴーレムに乗って走り去っていったのを見てからハジメも王宮へと急ぐ。

 

 大迷宮にこもっていたからどれだけの時間が経過したかわからない。けれども自分が好きな人はきっと待っていると考えてハジメは“空力”を使いながら空を駆け抜けていった。

 

(ここじゃない……ここでもない……次っ)

 

 そうして部屋の窓から一つ一つ確認していき、白崎の姿を探すことしばし。“錬成”で足場を作って窓から覗き込むのを何度も繰り返す。既に夜も更けたことから多くが寝ているようで、例外なのは明かりをつけて勉強か何かをしていた様子の光輝ぐらいか。彼に見つからないようそっと離れつつ、ハジメは思い人を探し続ける。

 

「――ちゃんは――う思う?」

 

「そう――、悪く――」

 

(白崎さんは――いた!)

 

 そして遂に彼女が親友と共に話し込んでいる姿をハジメは見つける。このまま窓を開けて姿を現したい衝動に駆られそうになりながらも、それをグッと抑えて窓に近づいていく。

 

「回復魔法だけじゃなくて結界魔法も、捕縛魔法も使えるようになった。これで、これならきっと」

 

「えぇ。でもあまり無理はしないでよ、香織。あなたが倒れたら誰が南雲君を探しに行くの? まずは自分の体をいたわってちょうだい」

 

 まだ話に夢中で自分に気付いていない様子なのを確認するとハジメはそっと窓ガラスをコンコンと叩き、こちらに注意が向くようにわざと音を立てた。

 

「? 鳥さんかな?」

 

「まだ夜明けには早いわ。一体誰――っ!?」

 

 そうして窓からのぞきこめば、意識が向いた二人もこちらを見る。八重樫だけは自分の姿に驚いた様子だったが、白崎は自分を見てただ呆然としているようであった。

 

「なぐも、くん……?」

 

 ずっと聞きたかった声がハジメの耳朶を打つ。向こうに戻った香織のことを一瞬思い浮かべて切なくなるも、ハジメはそれを堪えて彼女のつぶやきに答えた。

 

「うん。遅くなってごめんね。白崎さん」

 

 途端、彼女の瞳からツゥと涙が滴った。もう言葉も何もいらないと思い、“錬成”でガラスを変形させて窓の鍵を開け、そのまま部屋へと潜り込んでいく。

 

「なぐも、くん……」

 

「うん。僕だよ、白崎さん」

 

「なぐもくん、なんだよね?」

 

「うん。心配かけてごめんね」

 

 一歩踏みしめるごとにしてくれる問いかけが嬉しくも、彼女がどれだけ心配していたかがわかって胸が痛む。男としてやっちゃいけないことをやってしまったことを苦しく思いながらも、ハジメは彼女の問いに一つずつ丁寧に答える。

 

「なぐもくん……なぐもくーーーん!!」

 

 自分に向かって飛び込んできた少女を抱きとめ、残った右腕を彼女の背に回して力を入れる。もう離すまいと誓いながら。この温もりを逃したくないと願いながら。

 

「よかった……いきてた、いきててくれたんだぁ……」

 

「うん……うん! ごめん。あの時、あの時僕が逃げ遅れなかったら……」

 

「いいよ、いいよ! うでがなくなっても、いきて、いきてて……うわぁああん!!」

 

 感極まる愛しい人の慟哭を聞いてハジメの胸は痛む。けれどもこれも自分がやったことのせいなんだと思い、ただ黙って受け止める。

 

「ねぇ白崎さん……ううん、()()さん」

 

「……えっ?」

 

「好きだ。僕は貴女が好きなんだ。一人の男として、たまらなく好きだ。だから僕は戻って来た。たとえ奈落の底に落ちても戻ってこれた」

 

「あっ――」

 

 もう抑えきれなくなった思いをぶつける。彼女への好意を、ほとばしる情熱を口に乗せて。途端に泣いていた香織も目を見開いて頬を赤らめさせ、彼の思いにただ圧倒される。目の前の少年の真っ直ぐな思いを聞いて心臓が強く脈打つ。

 

「もう放したくない。離れたくない。ずっと一緒にいたい……香織さんは、僕のことをどう思うの?」

 

 どうして、なんで、と戸惑い、彼から目をそらせない。彼がぶつけてくる思いがひどく心地よくてたまらない。幼馴染である光輝や龍太郎、雫が寄せてくる好意とはまた違った感触に頭がゆだっていく。もっともっとドキドキしていく。けれどある瞬間、香織の中からそれらの疑問が一気に消えた。

 

「……南雲君。私ね、ずっと勘違いしてたんだ」

 

「えっ」

 

 軽く顔をうつむかせながら語る香織を見て、『やっぱり自分の勘違いか!?』とふと冷静になり、心底嫌悪感を持たれるようなことをやらかしてしまったのではないか!? とハジメは青ざめた。

 

「私、南雲君のことを尊敬してたんじゃなかった」

 

「あ、あわわ……」

 

 ヤバい。終わった。次飛んでくるのはビンタか『気持ち悪い』の一言か。もう二度とこの少女から好意を向けられることは無いと思い、ハジメは今更ながら自分の浅慮さを呪う。だが、その憂いも全て次の香織の言葉で完全に搔き消される。

 

「好き……私も、南雲君が、()()()君が好きなの!」

 

 彼女から返された混じり気のない好意。それを受けてハジメは顔がニヤけてしまうのを止められなかった。

 

「好き……ううん、大好き。私もハジメ君が大好きなの!!」

 

「ぼ、僕も! 香織さんが大好き、大好きなんだ! 世界の誰よりもずっと、ずっと!!」

 

 互いに熱い思いを交わせばあまりの心地よさに頭が甘く痺れ、目の前の相手のことしか目に入らなくなる。自分達以外に世界には誰もいないと錯覚してしまう。故に、二人が大胆な行動に出るのはそう不自然ではなかった。

 

「香織さん……」

 

「ハジメ君……」

 

 遂に二人の影が重なる。今一度抱きしめ合い、うるんだ瞳を向け、そのまま唇を重ねようとする。どこまでも深く強い思いを、言葉じゃ表せないぐらいに巨大な思いを今、伝えようとする。

 

「あ"ーもうっ!! いい加減にしなさい二人とも!!!」

 

「「あ゛っ」」

 

 ……が、ものの見事阻止された。目の前で甘ったるい光景を見せ続けられ、遂に頭が爆発しそうになった雫が大声を上げたのである。

 

 途端、ハジメと香織は先程とは違う理由で仲良く顔を真っ赤にし、涙目になって自分達をにらんでいる少女の方に視線を向けた。

 

「し、雫ちゃん、その、あのね……」

 

「や、八重樫さん、その、えっと……」

 

「目の前でずーっとイチャイチャしてる様を見せつけられるこっちの身にもなりなさい! 全く、暑いったらありゃしないわ……」

 

 トマトみたいに真っ赤な顔を思いっきりしかめ、手でパタパタとあおぐ雫の様を見て一層二人は赤面する。さっきのやりとりも告白も特等席で見ているのだ。こうもヒステリックになると思い、そして自分達のやったことを思い出して仲良く消えてしまいそうになっていた。

 

「白崎、八重樫! 何があった……いや本当に誰!?」

 

「香織、雫! 今のはいっ、たい……」

 

「おい雫! それに香織も! 何があっ、た……?」

 

 そして大声を上げて騒いでいたものだから当然皆起きて部屋に次々と現れた。野村や永山らのように変わり果てた姿のハジメに驚く者、光輝や龍太郎らのように香織と親密に抱き合う様を見てフリーズする者など様々だ。

 

「み、みんな! その、あのね!」

 

「えーと、その……」

 

「あぁもうややこしいことに……南雲君! あなたはどうする気なの!」

 

 渦中の二人もどう言い訳したものかとオロオロしていたものの、頭痛を堪えるように頭を押さえていた雫の一喝でハッとする。

 

「南雲……南雲だって!?」

 

「嘘、だろ……なんで、なんであいつが生きてるんだよ……」

 

 無論何の突拍子もない雫の発言に、光輝や檜山だけでなく多くがハジメの生存に驚くものの、彼女は構うことなく言葉を続ける。

 

「窓から侵入するなんて普通絶対にやらないでしょう! 本当はコッソリ何かしたくてやって来た。違うの!?」

 

 単に生還して戻ってきたというならこんな方法を採る必要はない。冒険者ギルドを経由して連絡するなりして迎えに来てもらい、堂々と戻ってくればいい。

 

 だがその方法を採らずにこうして忍び込む形をとったということは大っぴらに言えないことをやろうとしてたのだろう。そう想像した雫は試しに問いかけてみた。

 

「え、えっと、はい!」

 

「あぁもう案の定……なら行きなさい! 香織が目的だったんでしょう! ここは私が何とかするから!!」

 

 そしたら予想通り、南雲もそれを馬鹿正直に肯定してきたのである。ならばもうなるようになれと再度ヒステリック気味になりながらも雫は二人にそう伝えた。

 

「し、雫ちゃん!?」

 

「や、八重樫さん! それは――」

 

「し、雫!? 何を言って――」

 

「彼が本当に戻ろうと考えているのならちゃんと皆に話が通ってるはずでしょう! それに、あの時のことを南雲君が恨んでてもおかしくないのよ!! あんな状況で生きてるのが奇跡な状況で、私達を恨まないとでも思ったの!!……さぁ、行きなさい二人とも!! 南雲君は無意味にこんなことはしない。そうでしょう!!」

 

 迷いを見せる二人に雫はためらうことなく背中を押す。とっさに出た言葉を盾に彼女は二人をかばうようにクラスメイト達の前に立ちはだかり、ほんの一瞬だけハジメと香織に視線を向けて友人らを見据える。

 

「あれは不幸な事故だ! 南雲も生きていたんだからいいじゃないか! 気にしているなら俺達の前に姿を現すことなんてないはずだ!!」

 

「南雲君はあなた達を許すなんて一言も言ってないし、皆が来たのは私達が大声を出したからでしょう!! あぁもう、自分の短慮さが嫌になる……」

 

「ざ、ざけんな八重樫! だからって南雲のヤロウが白崎を連れていっていい理由になんてならねぇ! テメェだけ逃げろ、犯罪者がよぉ!!」

 

「あぁ、檜山の言う通りだ! 俺達の仲間を連れ去ろうだなんて心底見下げ果てたぞ!!」

 

「白崎さんを連れ去って自分のものにしようだなんて犯罪者の考え方よ! 心底失望したわ!!」

 

 自己完結した光輝の言い分に雫は舌鋒鋭く反論し、それに乗ろうとしたクラスメイト達を制する。だが檜山だけはそれらしい理由を挙げ、香織を連れ去ろうとしたことを根拠にハジメを犯罪者呼ばわりする。そしてそれに多くのクラスメイトが乗っかってしまう。

 

「檜山の言う通りだ! 南雲、遂にお前は悪党に成り下がったんだな! 香織を連れ去るためにここに戻って来たっていうなら、俺が今ここでお前を――」

 

「――ごめん、皆!」

 

 檜山が作った勢いに光輝も乗じようとしたのを見て、ハジメは向こうの世界の彼のことを思い出して無意識に比較する。()ならきっとこんなことは言わない。目の前の同姓同名の少年といると彼が汚れてしまう気がして、宝物庫から取り出した閃光手榴弾を地面に叩きつけ、そのまま香織を連れて逃げようとした。

 

「――雫ちゃん!」

 

「えっ!?」

 

「えぇっ!?――あぁもう、ごめん八重樫さん!!」

 

 そのまま香織を片手で抱きしめて連れ出そうとした時、香織が雫の手を握る。当然雫もハジメも大いに慌てるが、どうこうする暇は無いと“錬成”の魔法陣を刻み込んだ靴――もちろん向こうのハジメからのプレゼントの一つである――を壁に当てて穴をあけて一緒に脱走していく。

 

「きゃぁああぁ――あれ?」

 

「僕が足場を作って移動するから八重樫さんも僕に抱き着いて! お願い!」

 

「……あぁもう!! わかったわ、わかったわよ!! こうなったらなるようになって!!」

 

 そして部屋から出て自由落下……する前にハジメは“空力”で足場を作り、すぐさま雫に指示を出した。雫も流れに身を任せ、ハジメの背中に抱き着く。同時にハジメはしばし空中歩行をして王宮から距離を取っていく。

 

「“ガーディアンズツーは八重樫さんを、スリーは僕と香織さんを乗せて!”……八重樫さん、この山羊に乗ってください!」

 

「一体何があったのよ……わかったわ」

 

 ある程度王宮から離れたところで地面に下りると、すぐにゴーレムを展開。そのまま乗るよう迫れば彼女もどこか諦めたように応じ、背中に乗ったのを見るとすぐにハジメも香織の方を見やる。

 

「ハーネスを出して体を固定するから先に香織さんが乗ってほしい。僕が後ろから支えるから」

 

「う、うん……」

 

 そうしてタンデムで山羊に一緒に乗り込むとすぐにゴーレムは香織の体だけを器具で固定する。ハジメはそれに体を添える感じで支え、彼女と共にグリップ代わりの耳を掴む。

 

「じゃあ、行こう! オルクス大迷宮へ!」

 

 そうして三人の逃避行が始まる。二人を載せても問題なく山羊型のゴーレムは全力で駆け抜け、その速さは重荷の無い馬でもなければ追いつけない程に機敏であった――かくして違う世界へと偶然訪れた二人の少年少女の旅は新たに幕を開ける。

 

「しらさき、さん?……やえがしさん、なかむらさんも……」

 

「よがっだぁ……よがっだよぉ……ハジメくん、こっぢでもいぎでだぁ……」

 

 奈落の底を駆け抜けた少女は未だ無事の少年と再会する。水脈に流されて全身を濡らした少年に、自身が濡れることもいとわず抱きしめていた。

 

「ねぇ()()君、どうして恵里ちゃんがいるのかな? かな?」

 

「ヒィッ!? あ、あの、これはですね、ちょっと理由が……」

 

 少年はある少女と合流を果たし、命の危機を感じた。確かに傍から見れば不義理と言われても仕方ない光景だ。何せあそこまで熱のこもった愛の告白をしといて別の人間が運命の転換点となった場所の近くで待っていたのだから。

 

「ねぇ香織。さっきから気になってたんだけれど、このロボット……いや、ファンタジーの世界だからゴーレムかしら? これは一体誰が作ってくれたの?」

 

「そうだね香織ちゃん。私もずっと気になってたんだけれど」

 

 ようやくハジメとの再会を果たした香織に雫と恵里が問いかける。これらのアーティファクトの出どころは一体どこなのだ、と。

 

「理由? ちゃんとした理由があるんでしょうね? 無いんだったら容赦しないわよ」

 

「あー、そうだね。一体どうやってこんなの作ったの? もしかしてオルクス大迷宮を出る前に作ったとか」

 

 ブチギレた香織に問い詰められるハジメに雫と恵里が問いかける。方や恵里がここにいる理由を、片やどうしてこんなアーティファクトを用意出来たかを。

 

 その時、二つの世界で少年と少女の言葉が重なる。自分の身に起きた不思議な出来事を、夢のようで夢でなかった話をする前に二人は問いかける――。

 

「「――本当に並行世界があったら、信じる?」」

 

あまりありふれてない役者で世界逆行 第64.2話「あっちゃいけない事態で全員混乱」 ~了~




おまけ
南雲と白崎が帰ってからのこっち(あま役)の皆のリアクション

ハジメ「やっぱりデモンイェーガーはやりすぎじゃなかったかなぁ」
恵里「あれぐらいやんないと絶対止まらないよ、昔のボクは。ま、仲間と最高のパートナーのための必要経費だとでも思ってもらわないと」
鈴「……恵里、まさか頭の中身まで自分に近づけたりしてないよね?」
恵里「やれたらやってるよ。まったくもう……」
一同「うぉい!!」


おまけその2
異世界から来た白崎と彼女達のたどった未来のあらすじ一部抜粋

ハジメを無事発見し、感動の再会を決めた後はゴーレムを前衛にしながら周囲を探索。その際蹴りウサギはどうにかなったものの、爪熊とエンカウントした際にゴーレムが一機破損。マトモに動かなくなった。そこで急遽ゴーレムをしまって壁の中に退去。

覚書の一つである『ゴーレムにはあまり頼らないこと。オルクス大迷宮の奈落の底は尋常じゃないほど強い魔物がひしめいているからちゃんと修行するように』と書かれてたのを出し、また魔物肉を食べることでステータスを強化できることを香織が伝え、同梱していた水(“聖典”付与済)を飲みながら食べてパワーアップ。ちゃんと神結晶と神水も手に入れて四人で攻略。

アレーティア「私の全ては皆様のものです♡」
ハジメ、香織、雫、恵里「どうしてこうなったorz」

その後吸血鬼の少女も確保……したのだが、大介が代筆したアレーティアの覚書『助ける際に地面に水滴型の文様があるか探してください。そこに私が封印された真実が眠っています』を信じて探して見つけてしまい、しかも叔父の映像を見せてしまって助けた結果、友情愛情すっ飛ばして『崇拝』にまで至ってしまった。これには全員頭を抱える羽目に。

そうしてオルクス大迷宮も無事突破。シアとも合流し、神代魔法も次々と取得し、ウルの街の騒動も解決。そして光輝達がどうなったかちょっと気になって一度ハイリヒ王国へと戻って勇者パーティーも救助。その際光輝がイチャモンをつけてきたため、ブチギレたアレーティアによって股間をスマッシュされた。哀れ。

ハピネスベル:原作通りウルの街を襲撃した清水がいなくなった後、ブルックの街で新たに誕生した漢女。得意の闇魔法で色んな人の心のケアをしちゃうぞ♪

ミルキィベル:光輝がスマッシュされた後、アレーティアの覚書の一つである『何かあったらブルックの街のキャサリンとクリスタベルを頼るといいです。あの二人は信用できます』を信じて預けた後に生まれた漢女。『先輩』のハピネスベルと一緒に人助けをしてる素敵な漢女だぞ♡


おまけその3
異世界から来た南雲と彼らのたどった未来のあらすじ一部抜粋

どうにか香織、雫、恵里を説得してオルクス大迷宮へ。その際ベヒモスと真のオルクス大迷宮一階層はゴーレムとハジメが活躍。魔物肉を食べ、堅実に少しずつ攻略しながら前へと進んだ。なお恵里とは次第にツン~殺デレのような間柄に。やっぱりアレーティアからは崇拝されてorzに。

無事にオルクス大迷宮も突破し、シアとも合流してブルックの街へ。その際香織がクリスタベルにあることをお願いした後、原作通り大迷宮巡りの旅へ。清水の姦計も無事に阻止し、彼をクリスタベルに預けた。またハジメに色々言ってくれたクラスメイトへの意趣返しをしにオルクス大迷宮へと戻り、カトレアも撃退。その後、ピチュンしたクラスメイト男子全員を引き連れてブルックの街へ……『彼ら』の行方は以降サッパリとなった。かわりに漢女が増えた。

ディアベル
レイニーベル
シンディベル
ツリーベル
アビスベルetc...

クリスタベルお姉様の指導のもと、生まれ変わった彼女達。なお最終決戦でアホみたいに暴れた。


おまけその4
恵里達が渡したもの
・回復薬(生成魔法で“聖典”を付与した水)
・各種調味料
・調理器具一式&簡単な説明書(金属製)
・寄せ書き(金属製)
・山羊型ゴーレム三体&格納用宝物庫
・色んな覚書(金属製)十九人分


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四月馬鹿なお話「月下の語らい_if」(前編)

割烹で告知していたエイプリルフールのお話です。なお間に合わなかったため分割となります(白目)


今回の話を読むにあたっての注意点を幾つか列挙させてもらいます。

・本作及び前のエイプリルフールのお話がちょろっとだけ関わってきます。

・今回の話は『ありふれ原作のキャラ』に対してアンチ・ヘイトをするつもりで書いたつもりではありません。

では上記に注意して本編をどうぞ。


「ふぁ……もう寝よっかな」

 

 宿備え付けのテーブルセットに座り、借りてきた迷宮低層の魔物図鑑を読んでいた南雲ハジメはふとあくびを漏らす。学校生活で鍛えた居眠りスキルは異世界でも十全に発揮されるらしく、後で司書からしかられないようゆっくりと図鑑を閉じた。

 

 ――彼を含む地球のある学校のクラスメイト達はある日、唐突にトータスという異世界に転移してしまった。そこでエヒトという神のお告げによって魔人族とやらと戦わされる羽目に遭い、その訓練の一環として明日からこの世界における有数の危険地帯である七大迷宮の一つへと挑むことになったのである。

 

 【オルクス大迷宮】と呼ばれるそこは新兵訓練によく利用されるようで、自分達が所属するハイリヒ王国お抱えの宿もある宿場町【ホルアド】にハジメ達はいた。

 

(好きに寝れるのは一人部屋の特権……うん。そうだ)

 

 なお他のクラスメイト達は最低でも二人部屋という扱いなのに彼だけ一人部屋である。部屋に通された時と同様、軽く負け惜しみ気味に心の中でつぶやくと彼はベッドに横たわる。後は押し寄せる眠気に身をゆだねるだけであった。

 

(ん? ノック?……誰だろ)

 

 ウトウトとまどろみ始めたその時、ハジメの睡眠を邪魔するように扉をノックする音が響いたのである。両親の手伝いなどで普段から徹夜しているハジメからすればまだ早い時間ではあったが、ここトータスにおいては十分深夜にあたる時間だ。

 

(まさか……檜山君達!? うわ、やだなぁ……)

 

 怪しげな深夜の訪問者に警戒し、もしや自分をイジメようと檜山達がやってきたかと想像してハジメの表情はこわばる。しかしその心配は続く声で杞憂に終わった。

 

「あの、南雲くん……起きてる? 白崎です。ちょっと、いいかな?」

 

 どこか心細そうな彼女の声色を聞き、なんですと? と一瞬硬直するもハジメは慌てて扉に向かう。そして鍵を外して扉を開けると、そこには純白のネグリジェにカーディガンを羽織っただけの香織が立っていた。

 

「なんでや――へっ?」

 

 衝撃的な光景に思わず関西弁でツッコミを入れようとしたハジメだったが、それは未遂に終わった。何故なら――。

 

「南雲くん……好きです」

 

 いきなり香織が彼に抱き着いたからだ。そして上目遣いでいきなり好きだなどと言うものだから完全にハジメの思考がフリーズしてしまったのである。

 

「え?……えーと、隙あり、です?」

 

「ううん……好きなの。私は南雲くんが好きなの」

 

 さては聞き間違いかと尋ね返すが、潤んだ瞳で貴方が好きですなどとのたまうものだから頭がバグってしまいそうになった。何故? どうして? 一体僕のどこに惚れた? とにかく疑問符が浮かぶもそれも香織の可愛らしいくしゃみで消えてしまう。

 

「くしゅん!……あ、ごめんね! 服、汚れてない?」

 

「だ、大丈夫ですから! そ、その……」

 

 自分の服を気遣うならせめて抱き着いたままなのをどうにかしてくれ。正直そう言いたかった。このままでは理性が削れそうでたまらないのだ。だがハジメは頭の中に沸き上がる煩悩を抑え込みながら香織にあることを提案する。

 

「と、とりあえず僕の部屋に来ない? 流石にここに立ちっぱなしじゃ体が冷えるだろうし」

 

「あ……うん! お邪魔するね!」

 

 やたらとウキウキした様子の彼女と一緒に彼は自室に戻る。一体どうして部屋に来た? というか会うなりいきなり好きだのハグだのこんな情熱的だったか!? と頭の中に無数の疑問を浮かべながら。

 

 ――これはもしもの話だ。

 

 もし白崎香織という少女が神代魔法への適正が他の並行世界より高かったら? 最低でも空間魔法、再生魔法、昇華魔法の適性が本来の彼女よりあったら? ある吸血姫に及ばずとも高い適正を持っていたのなら? その『もしも』が成り立った時の話である。

 

 

 

 

 

ありふれた職業で世界最強 ~月下の語らいIf_月夜の誓い~

 

 

 

 

 

「あ、あの……な、南雲くん。あの、ね……」

 

「え、えっと、何でしょうか……?」

 

「あ、えっと、その……な、何でもないの……」

 

 香織は消え入るような声に思わず反応したハジメであったが、彼女は結局縮こまったまま何も言わない……部屋に入るなりすぐに窓際に設置されたテーブルセットに上機嫌で座った彼女だったが、程なくして自分が何をやったかを理解したらしく顔を赤くしてテーブルに突っ伏したのである。

 

「その……もうすぐお茶、出来るから」

 

「あ、はぃ……」

 

 今はイスの上で少し縮こまっているだけなため、少しは回復したのだろうと思いつつもハジメはお茶の準備をしていた。ハジメとてまだ混乱しているが、とりあえずお客様なのだからと意識を切り替えたのである。そうしないと正直落ち着けなかったという理由が大きかったが。

 

「えっと、どうぞ」

 

 といっても今彼が用意していたのは、ただ水差しに入れたティーパックのようなものから抽出した水出しの紅茶モドキでしかなかったりする。そんな紅茶のような何かを香織と自分の分を用意すると、そのひとつを香織に差し出して向かいの席に彼は座った。

 

「あ、ありがとう……」

 

 おずおずといった様子でそれを受け取ると、香織はほほを染めながらハジメに微笑みを向けた。窓から差し込む月光に照らされ、学校にいた頃とはまた違う神秘的な美しさを彼女は放っている。またしてもハジメはドキリとしてしまい、心臓が早鐘を打ってしまう。

 

(――キレイだ。白崎さん)

 

 相変わらず顔は赤いままなものの、嬉しそうに紅茶モドキに口を付けている。月の光のおかげで彼女の黒髪にエンジェルリングが浮かんでおり、まるで本当の天使のようだとハジメは思わず錯覚しそうになった。

 

 ――南雲くん……好きです。

 

「っ!――ぐぇっ! ゴホッ、ゴホッ……」

 

 ふとハジメの脳裏に香織の言葉がリフレインする。部屋を訪れるなり漏らした言葉は破壊力が高すぎた。学校で『二大女神』と呼ばれた彼女から好意を寄せられるなんてあまりに非現実的で、頭がどうにかなりそうになってしまいそうになった。どうにか気を落ち着かせるために自分の紅茶モドキを一気に飲み干したがちょっと気管に入ってむせてしまう。

 

「な、南雲くん。大丈夫?」

 

「だ、だいじょぶです……ゲホゲホ」

 

 ちょっと心配そうに声をかけてきた香織に手を前に出しながらハジメは大丈夫だと伝える。正直恥ずかしくて仕方がなかったため、それをごまかそうとハジメはずっと気にかかっていたことを口にする。

 

「それで、その、いきなり部屋に来たけどどうしたの? それに、いきなり好きだなんてその……」

 

 学校にいた頃からずっと自分を気にかけていたのはわかるのだが、まさか危険な大迷宮に挑む前に告白なんてしてくるとは思わなかったのだ。一瞬、頭の中に『死亡フラグ』という不吉な文字が浮かびこそしたものの、とりあえずそれを横に置いて彼女の真意を尋ねてみた。

 

「あ、えっと……」

 

 ところが肝心の彼女は口ごもってしまい、目も伏せてしまっている。ほほが未だ赤いことから気恥ずかしさを感じているのだろうと思ったが、下手に突っ込むのも不味いだろうと思いながらハジメはフォローを入れる。

 

「その、言いづらいんだったら無理に言わなくてもいいから」

 

「う、ううん! その、言わないといけないと思ったから!……そのために、来たから」

 

 気にならないと言えばウソにはなるが、それでも彼女から無理矢理にでも聞きたいとまでは思ってはいない。だからそう伝えはしたのだが、香織は何度も顔をブンブンと横に振っている。手に持ったカップをじっと見つめ、何度か深呼吸をしたところで香織はハジメの方に顔を向けた。

 

「貴方が好きです」

 

 カップを置くと、両手を胸の前で組んで頬を真っ赤に染めながら香織は告げる。その声にかすかな震えが伴っていたことにハジメは気づけない。再度真っ向から好意をぶつけられてそんな余裕が無かったからである。

 

「そ、その、えっと、僕は……」

 

「それともう一つ、お願いがあるの」

 

 学校にいた頃から度々声をかけてくれたのも、構っていたのもそういうことだったのかとハジメは思わず顔がにやけそうになっていた。口元が緩みそうになるのを必死に我慢しつつ、どう返事をすればいいのかと迷っていたハジメに香織が更に何かを頼み込んできた。だが彼女の思いつめた様な表情に彼もつられて真剣な表情になる。

 

「うん。何をすればいいの?」

 

「明日の迷宮だけど……南雲くんには町で待っていて欲しいの。教官達やクラスの皆は私が必ず説得する。だから! お願い!」

 

 話している内に興奮したのか、身を乗り出して香織が懇願してきたせいでハジメは困惑する。クラスメイトと比較して全然ダメだという自覚はあったが、だからといってここまで必死な様子で反対するのは少し変ではないかと思ったからだ。

 

「えっと……確かに僕は足手まといとだは思うけど……流石にここまで来て待っているっていうのは認められないんじゃ……」

 

 もしや好きだと言った自分に傷ついてほしくないのだろうか。そんな見事なうぬぼれを何とか腹の内に留めながら尋ねてみるが、対する彼女の反応は()()期待通りであった。

 

「違うの! 足手まといだとかそういうことじゃないの!……でも、その」

 

 足手まといではない。彼女がそう言ってくれたことに思わず胸が熱くなるハジメであったが、最後の歯切れの悪い言葉が気にかかってしまう。

 

 視線をどことなくさまよわせ、『うーん』だの『えっと』だのと香織は要領を得ない言葉ばかり漏らしている。もしや何か思い詰めているのだろうかと考え、自分を好きだと言ってくれた彼女のために何かできないかと思ったハジメは彼女に問いかけてみた。

 

「その、良かったら聞くよ。でもその、無理に言わなくていいから」

 

 気にならない訳ではない。けれども無理に聞き出そうともハジメは思わなかった。自分に好きだと言ってくれた彼女に幻滅されたくないという思いもあったし、それ以上に気になったのが彼女の様子だ。普段から自分に対してグイグイ来るのにどうして言いよどんでいるかが気にかかったからである。

 

「だって、えっと……南雲くんも信じられないと思うから」

 

「それは聞いてから考えるよ。僕なんかで良かったら、だけどさ」

 

 不安がっている彼女が少しでも安心できるように、と言葉を選びながらハジメは返していく。香織は何度か部屋のあちこちへと視線を飛ばすと、長く息を吐いてからハジメと目を合わせる。

 

「……笑わないで聞いてね?」

 

「努力するよ」

 

 じっとこちらを見つめ、おそるおそる問いかけてきた彼女にハジメも真剣な表情で短く返す。一度ゆっくりとうなずいてから香織は語り始めた。

 

「さっき少し眠った時にね、夢を見たの」

 

 夢という単語を聞いてなるほどとハジメは思った。子供っぽい悩みなどとは言わない。何せ今自分達がいるのは日本でも地球でもなく異世界なのだから。これまで過ごしてきた日常とは大きくかけ離れているし、実践も伴った戦闘の訓練などもあったことを考えればストレスでいっぱいになってもおかしくはなかったからだ。

 

「夢? どんなものなの?」

 

「うん……すごい、変な夢。リアルなんだけど変な夢だったの」

 

 だからそういう不安が夢と言う形で表れて彼女を苛んだのだろうとハジメは考え、続きを促す。しかし彼女は一瞬眉をひそめながら返事をした。リアルと言ったのも気になったし、一体どういうことかと思いながらもハジメは香織が続きを話してくれるのをただ待った。

 

「だって、その……どこかの洞窟みたいなところに私と南雲くん、雫ちゃんと恵里ちゃん、それと金髪の変な子がいる夢が()()に見えたから」

 

 その内容を聞いて確かに変だとハジメも思った。八重樫雫はわかる。彼女や天之河光輝、坂上龍太郎といった面々とも親しいのだから夢に出てきても不自然ではない。それと恵里、というのは確か眼鏡をかけたナチュラルボブの少女だっただろうかとハジメは思い返した。

 

「そう。その、僕達は洞窟の中でどうしてたの?」

 

 ただそこに妙な登場人物が紛れているのがハジメは気にかかった。あまり彼女が表立って誰かを悪く言うのは聞かないからだ。一体どんな子なのかと軽く野次馬根性が出てしまい、思わず尋ねてみれば香織は軽く顔をうつむかせてしまう。

 

「うん……その、ね。夢の中だと私も南雲くんも雫ちゃんも恵里ちゃんも白髪で目が赤くなってた。あと南雲くんの背がおっきくなってたの」

 

「うん」

 

「それで、その洞窟の中で魔物……かな? 何か生き物を解体してそれを焼いて食べてたり、水みたいなものを飲んで我慢したりしてた。すごい痛みも感じたよ」

 

 唐突に差し込まれた複数の情報を聞いて『いやそれ本当に僕達なの?』と思わず聞き返しそうになったが、それをこらえつつハジメは相づちを打つ。どうやら夢の中の自分達は洞窟の中で狩猟生活でも営んでいるらしい。痛みまで感じる辺りどんな夢なのやらと思いながらもハジメは耳を傾けていた。

 

「それでね。夢の中で私と南雲くん、イチャイチャしてた」

 

「……うん」

 

 それいるかなぁ? とまた口から疑問が出そうになった。どうしてそんな情報が出るのかもわからなかったが、流石にそれを口にするのは駄目だとじっとこらえる。彼女が勇気を出して話してくれているのだからとハジメは話を聞くことにただ集中する。

 

「あーんしたり、してくれたりしてたんだ。でも、でもね……雫ちゃんにもやってたの」

 

「……うん。そう」

 

「あとたまに恵里ちゃんにも! どうして……二人ともそんなに親しくなんてなかったはずなのに」

 

 その情報いる?

 

 またしても疑問が口から飛び出そうになったが、ハジメは手を強く握ってじっと我慢する。話の腰を折るのは駄目だ。せっかく彼女が不安を吐き出してくれているのだからとツッコミを入れぬようただ耐えた。

 

「でもまだ二人はいいよ……それよりすごい美少女の金髪の子が変なの」

 

「うん」

 

「だって……だってその子、私達に向かってよく両手を合わせて拝むんだもん!」

 

「な……そう、なんだ」

 

 『何それ』と思わず口を出しそうになってしまった。妙と言えば妙ではあったし、香織が涙ぐみながら変だと言ってしまうのも納得出来たからだ。

 

「それにその子、私達のこと様付けしながら呼んでくるんだよ! 目を輝かせながら『香織様、雫様、恵里様』って! 南雲くんもだよ! しかもトリップしてるイシュタルさんみたいな感じで! すごい怖いの!」

 

 そりゃ確かに怖いとハジメも納得するしかなかった。見ず知らずの相手に恍惚の表情を浮かべながら様付けされて呼ばれるとか地味に恐怖を感じたからだ。いくらガワが美少女といっても中身がイシュタルもどきじゃ流石にハジメだってノーサンキューである。

 

「あれ? 今の声ってカオリン?」

 

「そうだね。多分香織ちゃんかも」

 

「そっか。確かにそれは怖いよね。あの、でも白崎さん。ちょっと声が大き――」

 

 いくら夢だからってそりゃあ不安にもなるし、笑わないで聞いて欲しいなんて言う訳だとハジメはひとり納得する。とはいえ今は夜だし隣の部屋の人に迷惑だからと香織を軽くたしなめようとした。

 

「その次の夢もね、似てたの。ただ……南雲くんの腕が片方無い状態だったけど」

 

 だがナチュラルに無視されてちょっとハジメは傷ついた。確かに『最初』と述べてたのだからまだ夢が続いていることに気付くべきだったのだが、それはそれとして話をさえぎられたのはちょっぴり辛かった。でも光輝や檜山達よりはマシかなと思いつつ、ハジメは再度耳を傾けることに専念する。

 

「そっか。その夢だと僕の腕が……」

 

「うん。痛々しくて見てられなかったよ……それを理由に夢の中の私があーんしたり南雲くんの体洗ってたりしてたのすっごくうらやましかったけど! うらやましかったけど!!」

 

 夢の中とはいえ自分の腕が無くなってると聞いてちょっとエグいと思ったが、それはそれとして結構うらやましい目に遭ってるなとハジメも共感する。

 

「あとその夢の恵里ちゃん、やたらと南雲くんにツンツンしてたし、それを私も雫ちゃんも南雲くんもとがめてなかったのが変だったよ! 時々恋する女の子みたいな顔してたけど! あと金髪の子が怖いの!」

 

 他にもさっきの夢と内容の差はあったらしい。誰も中村恵里がそんな態度をとっていることに言及しない辺り、夢の中の自分は彼女に一体何をしたのだろうと気にはなった。ただその疑問も例の金髪の子関連のことですぐに消えてしまうが。

 

「その夢でもニコニコしながら私達のお世話しようとしてたし、私達の首筋に噛みついたりしたんだよ! しかもすごいうっとりしてて気持ち悪かった! 誰も顔が引きつってるだけで止めなかったの!」

 

 そりゃ怖いとハジメも思わずうなずいてしまう。まぁ首に噛みつく辺りその女の子は吸血鬼か何かだろうかとふと頭の片隅にそんなことがよぎったものの、その推測はとりあえず頭の中にしまい込んでおくことにした。

 

「でも、でもね。まだ良かった」

 

 ふとそこで香織は話を打ち切ってしまう。話振りからしてまだ続きはあるようだが、これと同等もしくはそれ以上が出るようだ。とはいえ一体何が飛び出してくるかわからなかったため、香織に気遣いの言葉をかける。そのついでに彼女に隣の部屋に配慮することを伝えた。

 

「続きがあったみたいだね。でも無理には言わなくていいから。あと声抑えて」

 

「あっ……うん」

 

 今度は自分の意見が通り、香織も顔を赤くしながらも苦笑いを浮かべていた。別に急がないからとハジメが改めて伝えれば香織もそれにうなずいた。そうしてしばらくの間お互いの身じろぎする音だけが部屋に響いていたが、意を決した様子の香織が遂にその夢のことについて語り出した。

 

「……その、ね。三番目の夢も洞窟の中だったの。でも」

 

「でも? 何が違ったの?」

 

「うん……いっぱい人がいたの。南雲くんはもちろん雫ちゃんや恵里ちゃん、鈴ちゃんや優花ちゃんに光輝君、檜山君達やメルドさんもいたんだ」

 

「多いね」

 

 相づちを打ちながら話を促せば、今度はやたらと人が多くなっていた。名前がわかるだけでも八人いるとか中々登場人物多いなと思わずハジメもつぶやきを漏らしてしまう。

 

「うん。すごく多かったよ。二十人ぐらいいた。永山君や野村君、辻さんや吉野さん、相川君達ぐらいだけだったよ。いなかったの」

 

 とんだ大所帯である。それなら確かに二十人ぐらいはいるはずだし、何がどうしてこうなったのやらと思わずハジメは顔が引きつってしまう。

 

「それにね、そこって洞窟の中のはずなのにお風呂とか革張りのベッドとかソファーとかあったの。岩か何かで出来た台所もテーブルもイスもあったよ」

 

「それ本当に洞窟?」

 

「本当だよ!……うん。これだけでも変な夢ってわかるよね」

 

 まあまあ耳を疑う内容に思わずハジメもツッコミを入れる。洞窟の中にいる癖に妙に現代的な生活様式をしているのだ。いくら夢でも整合性ぐらいなんとかしろよと心の底からハジメは思った。これだけでも香織が乾いた笑いを浮かべるのも無理は無いなと同情を寄せた。

 

「でもね……すごい、すごい変だったの。だって、だって……」

 

「白崎さん、無理なら別に言わなくってもいいよ?」

 

「ううん、言わせて……その夢の中だとね、光輝君と雫ちゃんが恋人同士だったの!」

 

 目を大きく開き、身を乗り出しながら訴えてきた香織にハジメも首を縦に振るしかなかった。圧がすごかったし、彼女の言い分もなんとなくわかったからだ。

 

「うるっさいわね……折角人が休んでるって時に」

 

「そうだよね。白崎っち、どうしたんだろ……まさか南雲っちが泣かせた?」

 

「そ、そっか……そういう関係じゃないのに、夢だと違ったことに驚いたんだね」

 

 言われてみれば確かに光輝と雫はそういう関係性ではないような気もしなくもなかった。ハジメの知る限りでは雫は光輝のフォローに努めているようにしか見えなかったからである。そのことをオブラートに包みながら言えば香織は何度も首を縦に振り、話の続きを……更に突拍子もないようなことを口にしていく。

 

「それだけじゃないの……南雲くんが恵里ちゃんと鈴ちゃんと恋人っぽい感じになってたの! 一緒にご飯作ってたりとかお風呂入ったりとか!」

 

 真ん前で香織の大声を受けてハジメは思わず軽くのけぞってしまう。確かに言われてみれば中々意味の分からない情報の列挙であった。

 

「は? 何言ってくれてんの香織」

 

「え、エリリン……? こ、怖いよ……?」

 

「っ!……な、なんでもないよ。鈴、皆」

 

 別にハジメは中村恵里と谷口鈴どちらと親しいという訳でもない。むしろ香織関連のことで非難してる側だろうと当人は考えている。今回自分に好意を持ってたことを明かしてくれた香織でもないのにどうして、と思うのも無理は無かった。

 

「あとね、あとね! 全然理由がわかんなかったんだけど私、龍太郎君と恋人になってた! 私、龍太郎君とそういう関係じゃないのに!」

 

 その告白を聞いておっふ、と思わずハジメは息を漏らしてしまう。この部屋を訪れた直後に伝えてくれた好意が本当であることを再認識出来たものの、まさかその原因がこんな夢だったとは。ハジメも何度目かわからない苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「頭、頭がすっごくおかしくなりそうだったよ……それで気づいたの。私、南雲くんが好きだったんだって」

 

 そして涙ながらに思いを語ると、香織はハジメの右手を両手で包む。そして好意を改めて口にすれば、ハジメも思わずドキリとしてしまう。原因こそよくわからない夢であったとはいえ、ここまで熱烈に思われて悪い気はしなかったからだ。

 

「……そっか。白崎さんが僕を好きだって理由はわかったよ。それで、僕に参加しないでほしいっていうのは僕のステータスじゃ大迷宮で何か起きるかもしれないって――」

 

「あ、うん。それもあるんだけど最後に見た夢のせいなの……南雲くんが一人だけになっちゃう夢だったんだ。声を掛けても全然気がついてくれなくって、それで走っても全然追いつけなくて……それで最後に消えちゃう……そんな夢だったの」

 

 だからオルクス大迷宮での訓練に参加しないでほしいと言った理由もそこから来てたのかと思いきや、最後に見た夢が原因なせいで思わずハジメはイスから滑り落ちた。いくら夢だからって落差があまりに激し過ぎやしないかと思わず額を手で押さえてしまう。

 

「な、南雲くん!? 大丈夫!?」

 

「あ、うん。大丈夫……ねぇ白崎さん」

 

 心配そうに自分を見つめてくる香織を見て自分は果報者だと思っていたハジメであったが、彼の脳裏にある疑問が浮かぶ。一度そのことが気になってしまえば思わず聞き出さずにはいられず、心配そうに見つめる彼女の瞳をじっと見つめながらハジメは問いかける。

 

「どうかしたの、南雲くん」

 

「どうして、僕を好きになったの?」

 

 イスに座り直しながらハジメは問う。自分に好意を持っていることもどうして訓練に参加しないでほしいと言ったのかもわかった。なら自分を好きになった切っ掛けは何か。そのことが気になったのだ。その疑問を聞くと香織は微笑みながら口を開く。

 

「それはね、南雲くんが――」

 

「南雲お前ぇー!!」

 

 ――だがその答えは、部屋のドアを蹴破る音と光輝達の叫びによってかき消えてしまったのであった。




面識が無い相手からいきなり崇拝されたら人間誰しもビビると思うの(精一杯の言い訳)

続きは明日以降となります。少々お待ちください。


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四月馬鹿なお話「月下の語らい_if」(後編)

大分遅くなりました(白目)
という訳で今年のエイプリルフールのお話はこれにて閉幕となります。

それとAitoyukiさん、今回のお話で拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。感謝いたします。

今回の話の注意点として『本文のみでも』長い(約15000字)です。では上記に注意して本編をどうぞ。


「どうして、僕を好きになったの?」

 

 あてがわれたホルアドの宿の一室、夜に自分の部屋を訪れた少女と向き合いながらハジメは問いかける。自分が好きだということも部屋を訪れた目的もわかった。けれども一体何がきっかけで自分を好きになったのか。香織も一瞬どこか遠くを見ると、微笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「それはね、南雲くんが――」

 

「南雲お前ぇー!!」

 

 しかしその答えは部屋のドアを蹴破る音と光輝の叫びによってかき消えた。音のする方を振り向けば、声の主である彼を筆頭に何人ものクラスメイト達が部屋へとなだれ込んできたのである。

 

「え、ちょ、えっ!? と、扉が――」

 

 確かに香織が何度も大声を上げたのだから来てもおかしくないとは思ったが、それでもクラスメイト達が怒りや侮蔑の表情を浮かべて入ってくる様に思わずハジメも及び腰になってしまう。それに部屋のドアもベッドの近くまで吹っ飛んでいるため、最初に部屋に入って来た光輝がどれだけ怒っているのかもハジメは一瞬で理解できた。

 

「こ、光輝君!?」

 

「待ちなさい光輝! せめて話を聞いてからでも――」

 

「見損なったぞ南雲!」

 

 香織が驚きの声を上げたり、数人がざわめいたり雫が光輝を制止しようと声をかけるが、光輝はそのままずかずかと自分の方へと向かってくる。憎しみと敵意のこもった眼差しを向けられてハジメは何歩か後ずさるが、すぐに目の前まで彼はやって来た。

 

「離しやがれ雫! どうして止めやがる!」

 

「当たり前でしょう! 部屋の外から聞いただけで何がわかるっていうの!」

 

「光輝君やめて! 南雲くんに乱暴なことしないで!」

 

 光輝がハジメの方へと手を伸ばした瞬間、香織が二人の間に立ちはだかる。いきなりのことにハジメも驚いたが、ほんの少しの間を置いて光輝が彼女をギュッと抱きしめたことに思わずつぶやきが漏れてしまう。

 

「ぁっ……」

 

「光輝、君? え? 何してるの? 離れて――」

 

「香織。香織が無事で良かった……」

 

 ハジメも思わず香織に手を伸ばそうとしたが、光輝の言葉にどうすればいいのかわからなくなってその手が止まってしまう。香織も困惑した様子で光輝に声をかけており、光輝は安心したような声色でただ彼女の無事を喜んでいたようであった。

 

「えっと、その……っ」

 

 一体どういうことかとハジメは視線をさまよわせると、檜山と目が合った。その瞬間、彼の口元が吊り上がったのを見て彼は察する。

 

「檜山から話を聞いたんだ。南雲の奴が君を部屋に無理矢理連れて行くのを見たって」

 

「え?……違うよ! そうじゃない! 私、自分で南雲くんに――」

 

「もう大丈夫だ。俺がいる。俺が香織を守るから」

 

 光輝が香織に誓いの言葉を並べ立てると共に部屋中に黄色い声が上がる。そして香織をそっとどかすと光輝は浮かべていた微笑みを崩し、憤怒に染まった表情をハジメへと向けてきた。

 

「光輝、ちょっと待ちなさい! そんな雰囲気じゃなかったって恵里と鈴も――」

 

「南雲! お前は人間の屑だ! 嫌がってる香織を部屋に連れ込んで何をしようとしてたんだ!」

 

 再度雫が光輝を制止しようと声を上げたものの、それにかかわらず彼は叫ぶ。クラスメイトの大半もそれと共に非難の声をハジメへと叩きつけ、ハジメも思わず手を握る。

 

「違う! 僕はそんなことなんてしてな――」

 

「黙れ! この期に及んで言い訳なんて見苦しいぞ!」

 

 きっと檜山が見ていたのだ。香織が自分の部屋を訪れた一部始終を。そしてその事実をねじ曲げて光輝や他のクラスメイト達に吹聴したのだと。そうじゃないと声を上げようとするも、目の前の少年は拳を振りかぶった。

 

「待って! やめて! 南雲くんに乱暴なことしないで!」

 

「落ち着くんだ香織! 君はアイツにひどいことをされて混乱してるだけだ! 今俺がアイツを殴って正気に戻す! 止めないでくれ!」

 

 香織が抱き着いて止めにかかるが、光輝は全然止まろうとしない。このまま自分が殴られてはきっと二人の間に遺恨が残ると考え、ハジメは何か方法が無いかと探るが全然いい方法が浮かばない。

 

(どうすればいい、どうすればいいんだ!? このまま殴られたら駄目だ! でも土下座とかで何とかしようとしたら僕を好きだと言ってくれた彼女の思いを裏切りかねないし……ええい、こうなったら!)

 

 香織を引きずりながらも光輝はこちらに向かってきている。ならばいっそと考え、ハジメは足を震わせながらも一歩前に出た。

 

「殴って……殴っていいよ、天之河君」

 

 こうなったらあえて殴られることで場を収めようと考えたのだ。この場の熱狂を収めるためにも自分が悪役をやるしかない。やられることでこの場にいる皆が留飲が下がる結果を用意するしかないんじゃないかと限られた時間で考えたのだ。

 

 このせいで香織に嫌われることが怖くはあったが、幼馴染の二人の間に軋轢を残したくないとハジメは自分を犠牲にすることを選ぶ。

 

「だけど一回で――」

 

「覚悟したことだけは褒めてやる」

 

 殴るなら一発だけ、と断りを入れようとした瞬間に彼の拳が飛んできた――ほほ骨が軋む、頭が揺れる、体が浮く感覚に襲われる、背中から来る痛み、空気が肺から抜ける。壁際まで殴り飛ばされたことにハジメが気づいたのは殴られて数秒たった後のことだった。

 

「「南雲くん!!」」

 

「今すぐ土下座しろ! 香織にひどいことをしたことを謝れ! そしてもう香織に近づかないことを誓え!」

 

 歓声と悲鳴が半々に上がる中、近づいてきた光輝に胸ぐらを掴まれ、顔を上げさせられたハジメは思わず呆然としそうになってしまう。

 

「なん、で……」

 

 未だ熱狂しているこの場を何とかするためだったら土下座程度ならハジメもやれた。だが自分は何もしていないのに香織に謝ったり、好きで自分に構ってくれた彼女にもう近づくなと頼むなんて出来はしなかった。それは彼女に対する裏切りだから。痛みに顔をゆがめながらもハジメはそれだけは出来ないとキッと光輝をにらみ返す。

 

「なんでも何もないだろう! 香織にひどいことをしておいてよくそんなことが言えたな! やっぱり反省なんてしてな――」

 

「いい加減にしなさい!!」

 

 再度拳を振りかぶった光輝を前にしてもハジメはひるまずに彼をじっと見つめる。だがその時、雫の叫びが部屋に響く。

 

「止めないでくれ雫! 南雲の奴は何も反省して――」

 

「反省するのは()()()の方よ!!」

 

 振り向いた光輝が雫に反論したようだが、彼女の叫びと共に彼の頭が一瞬ブレた。また自分の胸倉を掴んでいた光輝の手が離れたことに気付き、一体どういうことかとハジメは様子を確認すれば光輝は左ほほに手を当てている。雫の声、そして光輝の様子からして彼がほほを張られたのだと気づくのにそう時間はかからなかった。

 

「盛り上がってた皆だってそうよ! どうして香織の話を、南雲君の話を聞かないの! こんなのただのイジメじゃない! ふざけないで!」

 

 彼女が怒鳴り散らせば一瞬で熱狂の声が止まり、途端にざわめきへと変貌する。泣きじゃくる香織の手を引き、ビンタされてから動けなくなっていた光輝を横に押しどけて雫はハジメの目の前に立った。

 

「傷は? ちゃんと意識はある?」

 

「大丈夫……大丈夫なの、南雲くん」

 

「うん……ちょっとまだ痛みで頭がクラクラするけど」

 

「待ってて。今、治すから」

 

 今もグスグスと泣いている香織を見て、間違えたなと思いつつもハジメは治癒魔法を受ける。魔法のおかげで痛みが引き、そのことに感謝を伝えようとする間もなくハジメは香織に抱き着かれた。そしてすすり泣く香織の『どうして』という言葉を聞き、改めて自分は彼女を悲しませてしまったことを自覚する。

 

「なんで……南雲くん、何も悪くなんてなかったのに……」

 

「ごめん……この場を収めるには僕が悪役になった方が手っ取り早いかと思って……」

 

「そんなのだめだよ……らしいけど。南雲くんらしかったけど……うぅ」

 

 『らしい』という言葉にちょっと引っ掛かりを覚えたものの、彼女を泣かせた報いとしてハジメはただされるがままとなっている。こうして胸に当たる柔らかい感触も、今こうしてクラスメイト達がざわめいている状況じゃなかったら色々と耐えられなかったかもしれない。

 

「どうして……南雲から離れるんだ香織! 雫!」

 

「そ、そうだ! 南雲の奴なんかかばう必要なんて――」

 

 そんな下世話なことを考えていると、再起動を果たした光輝が鬼のような形相でこちらを見つめてきた。すると龍太郎や檜山達子悪党四人組などもヤジを飛ばしてきたため、雫が床を思いっきり殴った後で吼えた。

 

「いい加減にして!!……今回のことでわかったわ。あんた達最低よ」

 

 聞き馴染みのない彼女のドスの効いた声を耳にし、ハジメも思わず心臓が止まってしまったかと錯覚しかけた。視線を下ろせば床に蜘蛛の巣状に亀裂が走っており、また彼女の拳からぽたりと赤い雫が垂れている。どれだけ彼女が怒り心頭なのかが嫌でもハジメも理解できた。

 

「そうだよ……南雲くんの話も、私の話も聞かないで勝手に悪いって決めつけて、そんな()()と一緒になんていたくない!」

 

 そして自分を抱きしめていた香織もクラスメイト達の方を向いて叫んだ。彼女の怒りをあらわにした姿も初めてで、それも自分のためにここまで怒ってくれてるなんてとどこか場違いなことを思ってしまう。

 

「で、でも……香織が南雲の奴を好きになるはずがないじゃないか! 授業も訓練も不真面目で、居眠りばっかりしてる奴のどこが――」

 

「そ、そうだそうだ! そんなヘタレの一体何が良かったっていうんだよ!」

 

 そして同時に光輝や檜山達の疑問も気にかかった。どうしてそこまで自分に構うのか。どうして自分を好きになったのか。もしや一目惚れの類だろうかと思った時、香織が再度叫ぶ。

 

「すごく強くて優しいところだよ!……あの時みたいに暴力で解決なんてしようとしなかった。だからだよ!」

 

 ちゃんと理由はあったのかと思いつつも、一体いつの話だとハジメは記憶を探る。しかし彼女と出会ったのは高校に入ってからで、出会った頃からずっと変わらなかったはずなのだ。じゃあどうしてと思った時、香織が語り出す。

 

「中学生の頃……南雲くんは小さな男の子とおばあさんのために頭を下げてた。不良っぽい人達から守るためにね」

 

 その言葉を聞いてある記憶が彼の脳裏に浮かぶ。確かにあった……が、同時に恥ずかしい記憶でもあった。

 

「その人達に囲まれて何度も土下座してた。唾吐きかけられても、飲み物かけられても……踏まれても止めなかった。それで不良っぽい人達も呆れて帰っちゃったの」

 

 ――香織の述べた通り、それは中学生の時にあった事件だった。

 

 男の子が不良連中にぶつかった際、持っていたタコ焼きをべっとりと付けてしまったのだ。男の子はワンワン泣くし、それにキレた不良がおばあさんにイチャもんつけるし、おばあさんは怯えて縮こまるし、中々大変な状況だった。

 

 偶然通りかかったハジメもスルーするつもりだったのだが、おばあさんが、おそらくクリーニング代だろう――お札を数枚取り出すも、それを受け取った後、不良達が更に恫喝しながら最終的には財布まで取り上げた時点でつい体が動いてしまった。

 

 といっても喧嘩など無縁の生活だ。厨二的な必殺技など家の中でしか出せない。仕方なく相手が引くくらいの土下座をしてやったのだ。公衆の面前での土下座はする方は当然だが、される方も意外に恥ずかしい。というか居た堪れない。目論見通り不良は帰っていった。

 

 そんななんとも言えない結末の話であった。

 

「は……? いやまぁ、よく立ち向かったなとは思うけどよ」

 

「そ、そうだ! 結局南雲は情けない様を見せただけじゃないか! それがどうして香織の興味を引くなんて――」

 

 龍太郎や他数名のクラスメイトは疑問を抱きつつも反論し、また光輝の言葉にハジメも思わず苦笑いしてしまう。結構見苦しかっただろうにと思っていると、光輝の言い分に香織はすぐに反論を返した。

 

「だからだよ。南雲くんは弱くても立ち向かった。他人のために頭を下げられた。だから私は彼のことが気になったの!」

 

 その言葉を聞き、ハジメは思わずポカンとしてしまう。

 

 今にして思えば警察を呼んだと言って不良連中を帰らせる方法だってあっただろうに、自分がやったのはお世辞にもカッコいいとは言えない行動だ。それでも彼女はそんな自分が気になったと言ってくれた。そのことを飲み込めた途端、ハジメは胸の高鳴りを覚える。

 

「あの時、私は怖くて……自分は雫ちゃん達みたいに強くないからって言い訳して、誰か助けてあげてって思うばかりで何もしなかった。でも南雲くんは違った」

 

 あの時は体の痛みや助けた相手の何とも言えない視線で周りが気にならなかったが、きっとどこかに香織がいたのだろう。それが彼女が自分を好きになるきっかけだったと思うと、ハジメは香織から目が離せなくなってしまう。

 

「強い人が暴力で解決するのは簡単だよね。光輝君もよくトラブルに飛び込んでいって相手の人を倒してるし」

 

「そ、そうだ! 俺だってトラブルの解決だってしてる! 少なくとも南雲の奴なんかよりももっと――」

 

「そういうことじゃないよ。自分じゃどうしようもならない相手かもしれなくても、でも立ち向かえる勇気があった。だから私は南雲くんを尊敬してたの」

 

 香織の言葉に光輝が反論するも、彼女は首を横に振って否定する。そしてハジメを見てからクラスメイト達の方へと顔を向けた。

 

「ううん、違う。好きなの。私はどうしようもないぐらい南雲くんが好き。私のそばには南雲くんがずっといてほしい」

 

 そして香織の告白にハジメの胸はドキドキしてしまうが、これじゃあ自分がヒロインじゃないかと思わず苦笑しそうになってしまう。いくらクラスメイトの前だからってここまで大胆に告白されては顔が緩みそうになるし、恥ずかしくて仕方がなくなってしまう。ハジメの情緒はもうぐちゃぐちゃになっていた。

 

「なっ……そんなはずはない! だって香織はずっと俺の傍にいたし、これからも同じだろ! 香織は俺の幼馴染なんだから俺と一緒にいるのが当然なんだ! そうだろ、香織。雫も!」

 

「ねぇ()()()くん。確かに私達は幼馴染だよ。でもだからってずっと一緒にいるわけじゃないから」

 

「そうよ、光輝。香織は別にあんたのものじゃないわ。何をどうしようと決めるのは香織自身よ。いい加減目を覚ましなさい!」

 

 だがその告白を真っ向から光輝が否定すれば、普段よりも半オクターブ低い声が香織の口から出て来た。また雫の方も大きな声を上げて光輝を糾弾すれば、彼だけでなく多くのクラスメイトも何歩か後ずさってしまう。

 

「……そうね。こればっかりは白崎の言う通りよ」

 

「うん。さっき部屋の外で話を聞いてたけど、結構いい雰囲気だったもんね」

 

 そしてここで園部優花と宮崎奈々も香織の言葉を認める。そのせいで余計にクラスメイト内のざわめきは大きくなり、『別に南雲を好きになったっていいんじゃないか』といった旨の言葉がちらほらと出始めた。

 

「園部! 宮崎も! あれはどう考えても南雲が何かしたんだろう! 香織がこんなこと言うはずがない!」

 

「天之河アンタ黙ってなさいよ!……ごめんね白崎、南雲。ちょっとうるさかったし、何があったか気になって聞き耳立ててたわ」

 

「ちょくちょく叫んでたからね~。ごめんね二人とも」

 

 激昂する光輝に啖呵を切り、どうして二人は味方したのか理由を言ってくれた。そういえば二人は隣の部屋だったことを思い出し、ハジメは引きつった笑みを浮かべる。また隣の香織もみるみるうちに顔が赤くなっていき、さっき自分を口説いたのが嘘のように縮こまってしまっていた。

 

「園部、宮崎、落ち着いてくれ! 香織が大声を上げていたのもきっと南雲の奴が薬か何かを飲ませようとしたんだ! きっと力じゃ敵わないからそうやって――」

 

「は? アンタ達が檜山にそそのかされて来る前に私とナナ、それと中村と谷口は一緒に話聞いてたのよ」

 

 だが優花が啖呵を切ったにもかかわらず光輝はその言い分を信じようとせず、勝手に理由をでっちあげてきた。当然優花の方も眉間にシワを寄せて反論し、奈々もうんうんとうなずいている。

 

「本当にあんたは……!」

 

 ふとギリッと歯ぎしりをする音が聞こえた方を向けば、近くにいた雫が憤怒に染まった表情で光輝を見つめていてハジメは軽くビビる。尤も、ハジメ自身も香織の好意を否定した光輝に対して強い怒りを覚えていたが。

 

「そんなものただの聞き間違いだ! だって檜山はそう言って――」

 

「「――いい加減にするんだ/して!」」

 

 光輝は結局言い訳を並べ立てるばかりで優花達の言い分を認めようとはしない。このままじゃ埒が明かないと感じたハジメは香織と目配せをし、一緒に立ち上がって叫ぶ。

 

「南雲、お前はいい加減香織から離れろ! 香織の優しさを利用するんじゃない!」

 

「利用なんてしてない! 白崎さんの言葉までどうして否定するんだ!」

 

「そうだよ! 今こうしてここにいるのも私の意思だよ天之河君!」

 

 端正な顔を怒りに歪めながら光輝が叫ぶがハジメは屈さない。自分のことを好きだと言ってくれた香織の想いを否定させないとばかりに声を張り上げた。そして香織も望んでやったのだと声高に訴える。

 

「なんで俺の名前を、どうして……南雲、香織に何をやったんだ! 答えろ!」

 

「まだ何もやってない。だからするよ」

 

 さっきから香織が自分を苗字で呼んでいることに動揺し、青筋を浮かべてハジメに突っかかってきた光輝に向けてハジメはそう宣言する。また光輝がこちらに手を伸ばそうとしたが、雫に羽交い締めにされて引っぺがされた。

 

「放せ! 放すんだ雫!」

 

「絶対に嫌よ!――香織! 南雲君! 見せつけてやりなさい!」

 

「ありがとう雫ちゃん!」

 

「ありがとう八重樫さん!――じゃあ、僕から言わせて下さい」

 

 雫のフォローに感謝しつつ、ハジメは香織と互いの手を握り合いながら向き合う。

 

 手から伝わる体温、うるむ彼女の瞳、かすかに震える唇、それら全てがハジメの理性を狂わせそうになる。今この場でなければこんな大それたことなど出来そうにないと思いつつも、ハジメはただ胸に沸き上がってきた思いをぶつけていく。

 

「好きだ。僕も白崎香織さんのことが好きだ! 僕を優しいと言ってくれて、こうして僕のために立ち向かってくれた! そんな白崎さんに僕は夢中になった! ずっと、ずっと僕と一緒にいてほしい!」

 

「私も……私も南雲くんが好き! 誰にも渡したくない! 南雲くんと一緒に生きていきたい!」

 

 どこまでも情熱的な告白。一言口にする度に全身が熱くなっていく感覚に襲われてもなおハジメはそれを続けていく。向かい合う香織も顔を赤くしながらもこちらをじっと見つめ、どこまでも胸を昂らせる言葉を送ってくれる。

 

 『好き』というものはこんなにも頭をぐちゃぐちゃにさせて、自分をおかしくさせて、そして何より夢中になる感情なのかとハジメは理解しながら香織に微笑む。

 

「し、白崎がこんなキモオタを好きになるワケねーだろ!」

 

「そうだ! 香織も正気に戻るんだ! 優しさを好きと勘違いしてるだけだ!」

 

「間違いじゃない! 白崎さんの言葉を否定するな!」

 

「うん! じゃあ間違いじゃないってことを今から証明するから!」

 

 檜山達が、光輝がまたしても否定するがそれにハジメ達はひるまず、香織もそう言いながら彼の両ほほに手をそっと差し当てる。たったそれだけで彼女の望みをハジメは察して瞳を閉じた。

 

「あっ――んっ」

 

「うん――ちゅっ」

 

 唇に温かいものが触れる。途端、更に体に熱が、愛おしさが、幸せが湧き上がる。そっとハジメは彼女の背中に手を回して密着した。

 

 ほんの一瞬だけヤジが止み、その後黄色い声や叫びが聞こえてきたが彼は何一つ興味がわかなかった。そしてそれはずっと唇を重ねている彼女もそうなんだろうと思いつつ、ハジメはただ彼女の唇の熱を感じることに神経を集中させる。

 

「そんな……嘘、だろ」

 

「香織……香織ぃー!!」

 

「認めなさい皆! 香織は、ずっと南雲君が好きだった。あの子はしたかったことをしただけよ!」

 

 たとえ息苦しくなったとしてもずっとその感覚を貪っていたかった。だがそれも不意に失われてしまう。切ない思いを抱えながらまぶたを開けて彼女を見れば、向き合った彼女は花のような笑みをキッとした表情へと改めた。

 

「改めて言うね。私は南雲くんが好き。日本にいた時からずっと。勘違いでも何でもないよ」

 

「……うん。白崎さんは僕のことをどう思ってるかわかったよね」

 

「「だから――」」

 

 そしてクラスメイト達に顔を向け、彼女自身の思いを改めて伝えたのにハジメも続こうとする。だがその言葉は香織が自分の腰を引いて抱き寄せたことでその機会を失ってしまう。

 

「ぇっ?」

 

「――()()南雲くんを悪く言わないで。ひどいことをしないで」

 

 目を細め、普段より少し低い声でそう宣誓する。母が描いている少女漫画に出てくるイケメンさながらの仕草に今まで体験したことがない程の胸の高鳴りを感じた。

 

「そん、な……」

 

「あ、その……はぃぃ」

 

 これじゃあ役者が男女あべこべだ。今夜のイケメン賞は間違いなく香織だろうし、とすればさながら自分はヒロインだ。

 

 男としてはなんとも納得し難いが、こんなのを見せつけられれば流石に笑って受け入れるしかない。ハジメは力無く笑うと、自分も彼女の背中に回していた腕に少し力を入れた。

 

「カオリン、すごい……シズシズ以上の王子様だよぉ」

 

「っし! これで後は雫が消えれば……」

 

「それがわかったら出ていって! 南雲くんを悪く言う人と一緒にいたくないから!」

 

 香織の訴えと共に部屋から一人、また一人とクラスメイト達が出ていく。無言で出るのが半分近く、それも男子の方ばかりだったが中には謝罪や応援などをしてから出た人もいた。大体は女子だったが。

 

「その……悪かったわね。盗み聞きなんてして」

 

「ううん。実際僕もそういう状況になったら気になるだろうし。それにまぁ、ね……」

 

「白崎っち色々世話焼いてたのに無視してたしねー。ま、でもごめんね二人とも」

 

「ううん。いいの。それとありがとう園部さん、宮崎さん」

 

「別にいいわ……じゃ、応援してるから」

 

 ハジメ達に何か伝えてから出ていく中に優花と奈々もいた。盗み聞きしたことを謝罪し、手を振って二人は部屋を後にする。

 

「あれ? エリリンも?」

 

「うん……ねぇ香織ちゃん、おめでとう。私、二人のことを応援してるからね!」

 

「ありがと、恵里ちゃん。応援してくれて」

 

「うん。()()()()()()()()()嬉しいよ」

 

 その中にはさっき夢の事で話題に挙がった中村恵里もいた。彼女も香織と一言二言言葉を交わすとそのまま部屋を出ていった。そうして大半が部屋から出て行った後、それと入れ違いにメルド達もやって来た。

 

「お前達! 一体何が……もう解決したみたいだな」

 

「あ、メルドさん。すいません!」

 

 来るのがもうちょっと早かったら、とハジメは苦笑しつつもまぁいいかと気持ちを切り替えた。もしそうであれば香織がどうして自分を慕ってくれているかを知ることが出来なかったかもしれないから。逆に遅く来てくれたことにハジメは感謝しつつも残った面々と共に事情を説明する。

 

「そうか……全く。光輝の扱いに関しても考えておく必要がありそうだな」

 

 経緯を聞いてメルドはため息を吐くと、呆然としている光輝を渋い表情を浮かべながら見つめる。ハジメと香織は揃ってメルドにお願いしますと頭を下げると、あちらも頭を何度かかいてから再度ため息を吐いていた。

 

「色恋沙汰ってのは面倒だからな……龍太郎、それと出来れば雫もだ。光輝の手綱をちゃんと握れ。俺もなるべくフォローはするつもりだが、一番やれそうなのはお前達ぐらいだろうしな」

 

「あ、はいっ!――いや、でも、その……」

 

「……はい」

 

 光輝の正義感と思い込みが共に強いが故の厄介さを知ったからか、自身がフォローに入る前提は入れつつもメルドは龍太郎と雫に光輝の扱いを任せた。ただ任された二人は戸惑いや倦怠感に苛まれていた様子で、チラチラと光輝に視線を向けていた雫のところに香織が向かう。

 

「メルドさんごめんなさい。雫ちゃんはずっと天之河君に振り回されてるんで、それだけはお願いします」

 

「……ったく。最悪手荒になっても知らんからな」

 

 雫の手を握りながら香織が訴えれば、メルドは何か諦めた様子で大きく息を吐いて背を向けた。そのまま部下と一緒に部屋を出ていく。

 

「まぁその、なんだ……南雲、香織の奴を悲しませたら許さねぇからな」

 

「うん。頑張るよ」

 

「……いいツラになったじゃねぇか。じゃあな」

 

「じゃあ私も行くわね。この馬鹿がまた何かしないとも限らないし」

 

「違う……香織は、俺と一緒で……南雲なんかと、そんな……」

 

「うん。お願い、雫ちゃん」

 

 そして残っていた龍太郎と雫もまた放心状態の光輝を引きずって部屋を後にしていく。そうしてハジメと香織は再度向き合うと、お互いの手を握って微笑み合う。

 

「ちょっと色々あったけど……よろしくね、白崎さん」

 

「うん。何かあっても私が一緒だから」

 

 そうして二人の影は重なる――それを見ていたのはトータスに浮かぶ月だけであった。

 

 

 

 

 

「なぐも、くん……?」

 

 ハジメが奈落へと落ちていく。彼が足止めしていた巨大な魔物と一緒に、橋の崩落に巻き込まれて。その瞬間、香織の脳内にこれまでのことがよぎっていく。

 

『俺達で回収しようぜ! 白崎にプレゼントするんだ!』

 

『――! なら俺も! 俺も手伝うぞ檜山!』

 

『こら! 勝手なことをするな! 安全確認もまだなんだぞ!』

 

 ――ハジメと雫と一緒にパーティを組み、他のクラスメイト達から離れて香織はオルクス大迷宮で訓練をしていた。時折彼が魔物を倒す手伝いをしたりしながら進んでいたが、その最中見つけた青白く光る鉱石を取りに檜山達()()()が向かう。

 

『待って下さい、メルドさん! 俺達もやります! あの恐竜みたいなヤツが一番ヤバイでしょう! 俺達も……』

 

『馬鹿野郎! あれが本当にベヒモスなら、今のお前達では無理だ! ヤツは六十五階層の魔物。かつて、“最強”と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物だ! さっさと行け! 私はお前達を死なせるわけにはいかないんだ!』

 

 メルドの忠告も無視して触れた途端、別の階層へとワープし、そこで伝説の魔物と呼ばれる存在と無数の骸骨の魔物が現れた。そんな状況に至ったせいでクラスメイト達はパニックを起こし、我先にと逃げ出したり襲い掛かって来た骸骨の魔物相手に武器をただ振り回すなどしていた。

 

『白崎さん! 八重樫さん! 皆を助けよう!』

 

『っ! うん!』

 

『わ、わかったわ!』

 

 自身もどうすればいいかと迷っていた時、ハジメが号令をかけてくれたことで立ち直れた。彼と雫、二人と一緒に動いて魔物を倒したり救助にあたった。

 

『ありがとう白崎さん! 八重樫さん!』

 

『えぇ!……こんな時に何やってるのよあの馬鹿は!』

 

 そうして何人もクラスメイトを助け、彼らを立ち直らせていたがそれでも限度がある。無数に湧き続ける魔物じゃ倒してもキリがないし、かといってメルド達に何度も突撃を仕掛けている巨大な魔物相手を倒せるとは思えない。雫のボヤきを聞いてどうしたらと香織が思った時、何か意を決した様子のハジメがこちらに声をかけてきた。

 

『二人とも、ちょっと協力してほしいんだ。どうにかして天之河君を連れ戻したい』

 

『……あいつの力で突破口を開く、ってことね南雲君?』

 

『うん、わかった。南雲くん、行こう!』

 

 そうして二人と共に光輝達のところへ行き、光輝を説得し、ベヒモスという魔物の一撃で倒れたメルドを助かるために全員が時間をかせぎ、そして――。

 

『ごめん白崎さん。絶対戻るから』

 

『約束だよ。絶対だよ!』

 

 雫や光輝らの全力を以ても倒せなかった魔物の足止めのためにハジメがある作戦を披露し、残ると伝えた。あふれ出る涙を何度もぬぐいながら光輝達と共にクラスメイト達のところへと下がり、窮地を切り抜けた。

 

「――えっ」

 

 魔物を埋めることで時間稼ぎをしてくれたハジメの撤退を支援するため、皆で一斉に魔法による攻撃をした。だがある“火球”と思しき魔法がこちらへと向かってくるハジメの近くに着弾し、そのせいで彼が逃げ遅れてしまう。魔物の一撃で石橋が崩れ、彼のいた足場も無数の亀裂が入っていく。

 

「――嫌」

 

 ハジメがいなくなる。昨日見た最後の夢と同じになってしまう。そう思った時には既に香織は足を一歩前に出してしまっていた。

 

「香織……まさかっ!」

 

「香織?――駄目だ、香織!」

 

 雫や他の人の制止する声が聞こえる。けれどもそんなものは香織にとって何の意味もない。行かないと、一刻も早く彼のところに行かなきゃと更に一歩強く踏み出す。

 

「香織っ、ダメよ! かお――りぃ!?」

 

 自分の手を掴んだ雫の手をそのまま引っ張り、香織はそのまま駆け出していく。行くのだと決意を固め、親友である雫と一緒なら何一つ怖くないとある魔法を詠唱しながら崖へ向かって走っていく。

 

「ちょ、ま、待ちなさ、待って――ぅええっ!?」

 

『香織っ!!』

 

「――“来翔”!」

 

 皆の叫び声が聞こえる中、香織は思いっきり踏み込んで崖から跳ぶと共にある魔法を発動する。強烈な上昇気流を発生させ跳躍力を増加させる風系統の初級の魔法をだ。

 

「っ! 白崎さん!?」

 

「南雲くんっ!!――っ」

 

 風に乗り、大きく跳躍するとそのまま香織は手を伸ばす。だが愛しい人を掴むために伸ばした手はほんのわずかに届かない。

 

「白崎さん!」

 

「南雲くん!」

 

 指先すら触れぬまま、()()は落ちていく。涙で視界がにじみ、ほんの少し先のハジメの顔すらマトモにわからない。嫌だ。死ぬ時ぐらい一緒がいいと思っていた時、手を掴んでいた少女の声が奈落で響く。

 

「“来翔”!」

 

「――雫ちゃんっ!」

 

「まったく……巻き込んだからにはしっかりやりなさい香織!」

 

 体が少し前へと進み、香織は雫と手を繋いだまま両腕を広げる。そして同じく腕を広げたハジメに迎えられ、そのまま三人抱き合って落下していく。

 

「白崎さん!……ごめん。嘘ついた」

 

「南雲くん!――うん。じゃあ罰として一緒にいて?」

 

 目の前の彼から聞こえたうめき声とうるんだ瞳を見て、香織は条件付きで許す。もう別れたくない。たとえ死ぬとしても一緒にいてほしいと思いを込めながら言えば、彼は唇へのキスで返事をしてくれた。

 

「まったくもう、私だっているのよ?……でも、香織と一緒なら怖くはないかしら」

 

「ごめんね、雫ちゃん」

 

「ごめんなさい八重樫さん」

 

「いいわ。香織もいなくなったあの中で、マトモでいられる気がしなかったし」

 

 軽口を叩くようにつぶやいた雫であったが、軽く顔を青ざめさせながら述べていることから死ぬのが怖いのだということはすぐにわかった。ハジメと一緒に香織は謝るものの、当の雫は色々と諦めた様子でそう語る。

 

「ねぇ雫ちゃん、もし死ななかったら私と南雲くんと一緒に戦ってくれる? 一生のお願い」

 

 その時、ふと香織の脳裏に昨晩の夢と一緒にある考えが浮かぶ。もしあの夢がハジメや自分が落下した後の未来だったのではないか、と都合のいいものだ。だが、どうしてかその予想があまり外れてないような気がしてしまい、香織は軽く噴き出してしまう。

 

「もう終わっちゃうでしょ……ま、そうだったら何でもするわ。約束よ」

 

 雫だけでなく自分もすがるためにそう言ってみれば、彼女もしょうがないなぁと言わんばかりの表情で香織を見つめ返す――そして少女達は奈落の底へ、真のオルクス大迷宮へと落ちていく。ほんの少しの希望とも言えない何かに沸き上がる恐怖、そして好きな人と共にいることが出来る安心を香織は胸に抱いて落下を続けるのであった。

 

 

 

 

 

「――ふぁ。夢、かぁ」

 

 真のオルクス大迷宮の最奥にある解放者の住処、その寝室にてハジメは目を覚ます。ずいぶん懐かしい夢を見たなぁと思いながら、隣でまだ眠る香織の頭をそっとなでながら昔のことに思いをはせる。

 

(よく無事だったよなぁ()()さんも()さんも。まぁ僕もだけどさ)

 

 あの後誰一人欠けることも怪我することもなく、三人揃って洞窟の中の川辺で目を覚ました。川から上がって服を乾かした後、近くにあった通路を三人で慎重に進んだ。その途中、強い魔物と遭遇しないよう通路の壁に穴をあけて通路を作り、壁に小さな覗き窓を等間隔で用意しながらだ。

 

(まぁその後は怖かったけど。蹴りウサギが壁破ってきた時は死ぬかと思ったし。必死に錬成使ったり二人と協力して生き埋めにしたりして勝ったけど)

 

 左手を何度もグーパーと動かしながらあの時の危機も思い返す。

 

 どうも覗き窓の穴から自分達の匂いが漏れ出てしまったのか、蹴りウサギと称したウサギ型の魔物の奇襲を受けてしまったのだ。しかも運が悪いことにその奇襲でハジメの左腕の骨が砕け、また肉を突き破ってしまったのだ。

 

(これのおかげで乗り切れたんだよね。神結晶様々かな)

 

 ハジメも死を覚悟したが、自身の“錬成”と香織と雫の土魔法で必死に生き埋めにしたことでどうにか倒し、またその際青白く光る鉱石――後の神結晶を発見したのである。宝物庫と呼ばれる四次〇ポケットみたいなアーティファクトから例の結晶を取り出し、そういえば蹴りウサギに砕かれたせいで元の状態にするのに苦労したなぁとハジメは思い返す。

 

「ハジメー、香織はもう起きた?」

 

「あ、まだだから()()()()()()さん。もうちょっとだけ待ってて。本当に待つだけだからね」

 

 あの後も大変だったなぁと思っていると、不意にコンコンと寝室をノックする音が聞こえた。この大迷宮で仲間になった少女の声にハジメも対応する。少女に念押しをした上で待っててほしいと伝えるが、一拍置いてから例の少女が()()面倒なリアクションを返してきた。

 

「……なるほど。わかった。じゃあ二人はどうぞごゆっくり。雫と一緒に待ってるから」

 

「いやいい加減無意味に裏を読もうとするのやめてくれない!?」

 

 ……この大迷宮で仲間になった少女であるアレーティアだが、彼女にはいくつかの()()があった。それは自分達をやたらと持ち上げることと、やたらと言葉の裏を考えることだ。

 

 囚われの身になっていた彼女を助けた際、()()()()()を知ってしまったせいでやたらと自分達を特別視するようになったのである。しかも当初は様付けして呼んできたため、必死になってフランクに接するよう土下座までして頼み込んだ。

 

「わかってる。まだ香織とハジメの情熱はまだ燃え上がってるのは私も理解できる……でも雫様もどうか気にかけてあげてほしい。きっとハジメ様のお情けを待ちわびているから。あと香織様の説得は私に任せて」

 

「だから誤解だし、それと気にしてること言うのやめてくれない!?」

 

 なおこうしてふとした拍子に接する感じが元に戻るし、何度言っても無駄に腹の内を探ってくる癖は直そうとしなかったが。訂正する暇も無いまま遠ざかっていく彼女の足音を聞き、ハジメは思わず深くため息を吐く。

 

「そうなんだよなぁ……雫さんのこともなぁ」

 

 アレーティアのことは一旦あきらめ、ハジメは雫のことについて考え込む。

 

 一緒にこの大迷宮を攻略していく中、強い魔物と遭遇して彼女が死にかけたことも何度かあった。そこで神水を使ったり、香織の治癒魔法を使って体の傷は癒したのだが、何分心の傷だけはどうにもならなかった。恐怖で震える彼女をケアするべく香織と共に奮闘した結果、彼女とも距離が近くなってしまったのである。

 

(ヒュドラとの激戦の時もなぁ……香織さんと一緒にボロボロ泣いてたし)

 

 トドメらこの大迷宮の最後の番人であるヒュドラのような魔物との戦闘だったなとハジメは過去を振り返る。

 

 途中までは傷を負っても香織の上級の治癒魔法を使いながらどうにか対処してたが、隠し玉の銀の首の極光を彼女の代わりにかばっていた。そこで生死の境をさまよった上、ハジメ自身の左目もお陀仏になってしまったのである。

 

 どうにかヒュドラは倒せたものの、そのことを三人が気に病んでしまい、フォローするのに相当苦心したことも思い出しでいた。

 

(今はもうそこまで気に病んでないみたいだけど、思いっきり香織さんに遠慮してる様子だし、いない時はよく僕のことを熱っぽい目で見てくるしなぁ……どうしよ)

 

「ん……んぅ」

 

 今となっては大迷宮の攻略よりも彼女とどうするかが大変だと思い返していると、ふと横になっていた愛しい人のうめき声がハジメの耳に届いた。

 

「……香織さん」

 

 オルクス大迷宮攻略前日の夜に告白してくれたことで好きになった香織との関係は『好き』ではもう収まらなくなってしまっていた。幾度も困難を乗り越え、苦労して食事を作ったり風呂に一緒に入るなりしたことでお互いの思いが更に強くなってしまったのだ。ただそばにいるだけでなく、全てが欲しいと思えるほどに。

 

「ぁ……おはよう。ハジメくん」

 

「おはよう。香織さん」

 

 目を覚ました愛する人は寝ぼけまなこをこすると、そのまま抱き着いてキスをねだってきた。ハジメも微笑みながら彼女と唇を重ね、長く長く口づけを楽しむ。

 

 ――あることが原因で少女が一歩踏み出した際に起きた波紋はこうして大きく世界に変化を刻んだ。分かたれることなく、よりその絆を強めながら少年と少女は日々を過ごす。神殺しを果たし、地球に戻る日を迎えるために。

 

ありふれた職業で世界最強 ~月下の語らいIf_月夜の誓い~ 了




おまけ:今回のエイプリルフールのキャラ補足+α

・アレーティア
うっかり出会い頭に香織が「あ、あの変な金髪の子!」と言ってしまったせいでハジメと雫が大慌てでフォロー。彼女自身も「なんやコイツら」といった具合の心境だったものの、香織がここに幽閉された理由を尋ねたことで三人とも思いっきり号泣。絶対助けると誓った上で、封印を解くための仕掛けが無いかと探したことで運命が大いに変わってしまう。

例の叔父が遺したアーティファクトを解放前に見て真実を知り、また三人が全力で拘束する岩を融解。サソリモドキが降ってきて戦うことになっても『絶対助けるから!』の一点張りで必死に戦ったせいで彼女の脳がこんがり灼けてしまう。また吸血も即座に三人がOKを出したせいで致命傷を受け、戦闘後に三人の前にかしずいた。去年のエイプリルフールのアレーティアも大体こんな感じ。

ただ、こちらの場合は香織が変な子扱いしたことやハジメ達が必死に頼み込んだのもあって普段は友人と接する感じになるのだが、心の中では三人のことを持ち上げに持ち上げきっているせいで大抵の要望は二つ返事で答える上にいらん気をやたらと回すようになっている。

なお、去年のエイプリルフールネタのアレーティアと同類扱いするとキレる。ただし別世界の方のアレーティアに対してだが。「香織様の夢で出てきた私っぽいのと違って気持ち悪がられるようなことはしてない!」とのこと。


・シア及びハウリア族
三人で大迷宮を一気に攻略した影響か、本来彼女と出会う日にちが一日早まった……その結果、帝国兵より先にハジメ達と出会い、また一族全員を守ってくれたことに感謝して四人の話を聞き、アレーティアの熱演のせいで全員の情緒が破壊されてしまう。

そのせいで原作以上にハジメ達に強い信頼や同情を示し、またハジメからコーチを受けて戦い方を学ぶのも気持ち素直になっていたりする。シアは香織、雫、アレーティアの三人のシゴきを受けていくらか強くなったりする。


・天之河光輝
オルクス大迷宮攻略の際、檜山達と一緒にトラップを発動したり、パニックを起こした状況でもすぐに助けに来なかったりしたことや、ハジメ達が立て直しに尽力したこともあってクラスメイト達からの人望が軒並み低下。また大迷宮を出た後にメルドから叱り飛ばされたこともあってメンタルが軽くボロボロになってしまう。

だが恵里が『私だけは光輝君の味方だから』とそそのかしてきたせいで彼女に傾倒し、軽く目が覚めた龍太郎からも距離を取るようになる。そして彼女が裏切った際にメンタルが崩壊しかけるも、土壇場で戻って来た香織と雫、そして龍太郎が叱り飛ばしたことによってやっと目が覚めた。


・坂上龍太郎
光輝の人望が崩れたことや他のクラスメイトの士気が低いこともあって擬似的なリーダーとして奮起。大迷宮の一件で目が覚めたことやメルドの支えもあってどうにかリーダーをやれていたが、それも恵里の裏切りまでだった。その後は光輝の復活と共にリーダーを退き、彼を支えることに徹するようになった。

・クラスメイトの大半
香織と雫そしてハジメの死(注:死んでない)によってほぼ全員のメンタルが折れてしまい、戦えなくなってしまう。なおそのことについてイシュタルが『戦わないなら援助打ち切るぞ。あと神敵扱いするからヨロシク(意訳)』と述べたせいで全員脱落が許されなくなってしまい、かなり低いモチベで大迷宮攻略に臨むことに。

その後も魔人族とのエンカウントや光輝達の様子を見に来て急遽救助に入ったハジメ達の活躍によって更にメンタルがやられ、恵里の裏切りがトドメとなってほぼ全員が戦意を喪失してしまう。以降はほとんどが王宮に引きこもってしまった。

だがそれでも愛ちゃんの説得などで最終決戦には全員参加して戦ってはいる。


・中村恵里
香織と雫がいなくなってくれたことで内心ウハウハ。光輝もそそのかし、原作同様適当なタイミングで魔人族に寝返ろうとし画策。そして原作よりもちょっと浅い階層で魔人族のカトレアとエンカウントするも、他の皆のモチベーションが低いせいであっさり敗北。

他のクラスメイトと一緒に必死になって命乞いをしようとしても光輝が無碍にするせいでどうにもならず、絶体絶命のピンチの時にハジメ達が現れる。

カトレア撃破後、香織と雫の旅路を応援しつつも原作通りカトレアの遺体を死霊術で操って魔人族とコンタクト。そして原作通り城の兵士やメイドを殺して操って、クラスメイト達の死体も手土産に寝返ろうとするも強くなった香織と雫の手によって返り討ちに遭う。

その後、裏切った理由を魂魄魔法を使って調べられた際に全て自供。アレーティアから『悪さしたら“演技してた時の振る舞いをする”ように洗脳する首輪』をつけるだけで許された(そんなに許されてない)

真相を知り、マトモになった光輝がずっと一緒にいると約束し、それを守ってくれたことで願いが果たされた。なおハジメ達が昇華魔法を入手した後、地球に戻った後はそれぞれ首輪の制約が強化された。めでたしめでたし(そんなにめでたくない)


・谷口鈴
香織と雫及びハジメの死(生きてる)を目撃したせいでこれまでのムードメーカーぶりをあまり保てなくなってしまった。基本空回りで他のクラスメイトから怒鳴られたりしたらすぐに無言になるように。

ハジメと一緒に香織と雫が姿を見せたことでいくらか明るさを取り戻すも、恵里の裏切りにショックを受けて茫然自失となってしまう。その後、彼女の過去を聞いたことで号泣し、本当の友達になろうと決意してクラスメイト達から白い目で見られても彼女とよくコミュニケーションをとるようになった。

また自分が空回りし始めた辺りから気にかけてくれた龍太郎に惚れ込み、後に恋人となる。


・檜山
原作通り恵里に脅され、またオルクス大迷宮で香織と再会した後に恵里から『香織が欲しかったら協力してよ』と持ち掛けられて承諾。そして他の皆が死んだ兵士やメイドに抑えられる中、戻って来た香織を殺すべく凶刃を振るった。だが香織には余裕で見切られ、カウンターで振り下ろされた杖の一撃で昏倒する羽目に。

その後はキレたアレーティアによって股間をスマッシュされ、漢女の下で更生することに。ディアベルとしてやり直したぞ♪


・近藤
香織達が間に合ったおかげで無事生存。


・愛ちゃん
デビッド達と一緒にウルの街にいた。軽く病んでた。


・イオク(仮)さん
原作通り北の大山脈をハジメ達が訪れた際に現れた黒竜であり、その激戦の末に頭を思いっきり強打されたことで記憶を失った黒髪金眼の美人さん。自分の名前すらほぼ完全に忘れてしまい、思い返している内に「……ィオ、ク……多分イオクじゃな」と自分の名前を決めてしまう。

ただ何かの目的のために各地を回ることは覚えており、また記憶がないながらもウィルから恨みをぶつけられた際には素直に謝罪し、「この命で償えるならばそうしてほしい」と真剣な表情で言ってのけた。記憶を失えど誇りは失ってはいなかった。

その後原作のようにステータスプレートをもらった際に名前の認識も改め、魂魄魔法によって記憶が戻った際にはそれまでの自分の発言を思い返して何とも言えない顔つきとなっていたりする。


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第零章
一話 役者は再び舞台に立つ


 かつてあった高層建築はほとんどがガレキの山となり果て、ある一角はけし粒すら残らずまっさらになった場所で恵里は鈴達を見送っていた。

 

(最後にクサい話しちゃったな。まぁ今更悔いたって仕方がないよね)

 

 〝縛魂〟で操った光輝と共に侵入してきた鈴達を迎え撃ちに来たものの、結果は散々であった、自分は鈴に完膚なきまでに叩きのめされ、光輝はいつの間にか正気に戻ってしまっていた。やけっぱちになって自爆しても死んだのはやはり自分だけ。

 

(光輝くんへの思いはまぁ吹っ切れたし、鈴に言いたいことは少しだけだけど言えた。まぁ、後はいつか消えるまでの辛抱かな)

 

 後悔や苛立ちが消えてなくなったわけではないものの、恵里の心の中でくすぶっていたものの幾らかは鈴との語らいで静まった。後は残った魂が霧散するだけ……のはずが、それは一向に訪れない。

 

(人間の魂なんて結構あっさり消えてなくなるハズなんだけど……エヒトの奴、この世界をちょっといじってるのかな。そんな気配が全然来やしない)

 

 天職が〝降霊術師〟である恵里からすればこれは異常事態であるというのは理解していた。実例を知っているから猶更である。その推測の通り、エヒトのコレクションの一つであるこの空間はある仕掛け――魂の保護がされていた。この空間にいる以上、ある理由を除いて魂は消えてなくなることがないのだ。それも『行き場を失った魂が怨嗟、悲嘆、恐怖に震えるのを眺るため』というあまりにもロクでもない理由である。

 

 とはいえ鈴達を追う気力も何もなくなった恵里にとってはささいな事でしかなく、呆けたり、とりとめのないことを考える以上のことをやろうとは思わなくなっていた。

 

(……何を間違えたのかな)

 

 ただボーっとしているのにも飽きた時にそんなことが浮かんだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうという思いがまた恵里の中で膨らんだ。

 

(あの化け物を敵に回しちゃったのは流石にまずかったな。おかげでこんな目に遭ったし。何度も何度も私の計画を邪魔して)

 

 心底忌々し気に化け物――南雲ハジメをこき下ろすも、やればやるだけ空しくなったため他に要因がなかったかと考える。

 

(あの時鈴の手をちゃんと掴めたら……ホント、虫のいい話だよね。こんなのなんかにそんな価値ないだろうに)

 

 それでも鈴なら許してくれたかもしれない。あの南雲ハジメであっても啖呵を切ってくれたかもしれない。ただ、それは今の自分でもないとだめだっただろうなと結論付けて再び思考の海に沈む。

 

(光輝く――天之河くんを追い続けたのが一番の馬鹿だったかなぁ……結局『私』を見てくれなかったのに)

 

 その後浮かんだのは恋、ひいては執着していた天之河光輝のことであった。絶望の淵にいた自分に救いの言葉をかけ、いつの間にか自分の周りに誰も寄り付かなくなっていたのにクラスの女子達が自分に明るく接してくれるよう取り計らってくれた――それで錯覚してしまったのだ。自分は彼の『特別』な存在になったのだと。それが間違いであると気づくのはそう時間はかからなかった。

 

彼の隣には既に〝特別〟がおり、恵里は〝その他大勢〟としてでしか扱われていなかった。クラスの女子が自分と親しくしてくれるのはあくまで〝光輝の頼み〟でしかなかった。それに気づいた時、恵里は理解した。自分は既に終わった人でしかないのだと。自分は〝特別〟でなく居場所すらなかったのだと。

 

その途端恵里の心は狂気に蝕まれ、その果てに光輝という人間を理解する。そして自分を虐待していた母親もやり方一つで簡単に従属させられたことを思い出し、それを実践した。でもその結果がこの通りである。

 

(彼の側以外に居場所がないと思って追いすがったなんて、もう自分のことながらホント滑稽だよ)

 

 あまりにみじめでどうしようもならなくて、仕方がなくて自虐する。ひとしきり自分を嘲笑ってほんの少しだけ気が晴れた恵里の心にあることが浮かんだ。それはずっと考えない様にしていた恵里にとって最大の失敗――父親を死なせたことであった。

 

(……私が飛び出さなきゃ、お父さんは死ななかった)

 

 今でもはっきりと思いだせる血の海に沈んだ父親の姿。自分はただ泣きじゃくって父親の名前を叫ぶばかりで何も出来ず、そのまま死なせてしまった。

 

(あの女の本性も知らずにいられた)

 

 父の死を切欠に豹変した母親。誰にもバレないよう巧妙に暴力を振るい、別の男を連れ込み、あまつさえそいつが逮捕されると『あの人を誑かすなんて』と更なる憎悪を向けてきた。

 

(あの男にもきっと出くわさなかった)

 

 今でも思い出すあの下卑た視線。母親がいない時になめまわすように見てきたあのおぞましさは今でも背筋をぞわりとさせる。家が『母親から罰を受ける場所』から『地獄』へと変貌させたあの男への憎しみと恐怖は未だに拭いされない。

 

(あの事故がなければ、きっとこんなことにならなかった……ぜんぶ、ぜんぶぼくのせいじゃないか!!)

 

 一人で鬱々としていた思考は遂に破滅的になった。あの事故の後から芽生えた罪悪感が容赦なく恵里を苛んでいく。

 

(おとうさんごめんなさいなにもできなくてごめんなさいおかあさんごめんなさいわるいことをしてごめんなさいおとうさんごめんなさいわたしのせいでごめんなさいおかあさんごめんなさいおとうさんをうばってごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてぼくをゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるして)

 

 歯止めの利かなくなった後悔に責められ続け、恵里の心はひび割れていく。それはこの空間が軋みを上げ、廃墟だらけの大地を割っても尚続く。極彩色の世界に入った亀裂に自身が飲み込まれそうになってようやく恵里は気づいた。遂に終わるのだと。

 

(どうか、おとうさんともういちどあわせて――)

 

 そんな願いと共に恵里の意識は亀裂に呑まれたのだった。

 

 

 

 

 

 どこかで聞いた目覚ましのアラーム。久しく感じていなかった何かに包まれるような感覚。あまりに心地よく、懐かしくてここから出るのもためらわれたが耳障りなこの音だけはどうにかしないといけない。もぞもぞと動きながら恵里はアラームのスイッチを切った。訪れた静寂に安心していたが、戦場で培った感覚は先ほどからけたたましく警鐘を鳴らしている。

 

(ここ、どこ? ぼく、もうなにもしたくないのに――あれ?)

 

 頭から被っていたものから顔を出せば見覚えのある光景が映る。差し込む朝日が照らした家具。その配置された場所はひどく恵里に馴染みのある場所であった。

 

(ここ、ぼくのへや? どうして? なんで? どうしてわたしはここにいるの? しんだんじゃなかったの? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?)

 

 疑問ばかりが浮かぶ中、ぼうっと虚空に視線を向けているとどこからか足音が響いてきた。解けぬまま増えていく疑問に頭が埋め尽くされそうになっていた恵里にはその音を出している人間にも気づけず、あっさりと接近を許してしまった。しまった、と己の失態を悔やむも自分を包んでいたものをはぎ取った相手を見て驚愕する。

 

「ほら恵里、起きなさい。今日はお父さんと遊ぶ約束でしょ?」

 

「ひっ!?……お、おかあ、さん?」

 

 自分の母こと中村幸であった。父――中村正則を失って自分に辛く当たっていたあの悪鬼のような女ではなく、まるで父を失う前の優しい母親然とした女性が何か悪い事でもしただろうかと当惑したような表情で自分を見ている。どうして、と口に出るより前に布団から出るよう優しく促すと彼女は自分の手を握って部屋の外へと連れだしていった。

 

(おか、しい。ボク……いや、私だってそこそこ身長が伸びたはずなのに、どうしてこんなに視点が低い? まるで子供と変わらない……子供?)

 

 恵里はようやく自身の異変に思い至った。あの戦闘の後でやけっぱちになって自爆した際に下半身の感覚はなくなったはずなのに普通に歩けている。腕の感覚だってとうに無くなっていたはずが目の前の女の手の感触はしっかりと感じられる。

 

 痛みを感じることもないし、まるで寝起きのように意識がぼんやりとしているぐらいで今にもブラックアウトしそうな気配だってない。一体どういうことかと考えている内に恵里はある結論に至った。

 

(あ、コレ走馬灯か夢の類か。なーんだ考えて損した)

 

 今わの際に見た都合のいい世界。優しい両親がいつものように、リビングのテーブルには温かいご飯が用意されていて、とりとめのない話をする。そんな光景が許される世界だと。

 

 そう断じた恵里は自分用の椅子をよじ登り、既に席についてた父親に挨拶すると手を合わせて用意された温かいご飯に手を付けた。父が死んでから用意された残飯やパンの耳、コンビニ弁当といった類でなく手作りのちゃんとした料理。一体いつ振りだろうと思いながら箸をつけていると父から疑問が飛び出した。

 

「恵里、いつの間にお箸を使うのが上手になったんだい?」

 

「え? えーっと……いっぱい練習したからだよ。お父さんをびっくりさせたかったんだ」

 

 何故、と一瞬考えたものの言われてみれば道理であった。今まで十何年と生きていたのだから当然箸の使い方もそこそこ良くなるのが自然だ。それを子供の頃に戻って披露すれば当然こうなる。夢の癖に変にリアルだな、と思いつつ恵里は父にこう返す。いかに夢の中といえど、恵里にとって父親は失った幸福の象徴の最たるものである。故にぞんざいに扱うことは出来ず、必死になって考えた無難そうな答えを返すと父はそうかそうかと嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

 久方ぶりの母親の料理を懐かしみながら食べていると両親はかつてのようにのろけ八割の会話のような何かを繰り広げ出した。ああ、昔はあの女もこうだったと思いながら出された味噌汁をすする。幼い頃ならばともかく、分別を知った今の自分にはそんなことは出来ないと適当にリビングを眺めていると、あるものを見て恵里は思わず茶碗を落としかけた。それはカレンダー――今日が恵里の父が死ぬ日――であった。

 

「え、恵里? どうした? お茶碗が熱かったか?」

 

「あら、お父さん好みの熱さは恵里も好きだったわよね? もしかして私うっかりしてたかしら?」

 

「う、ううん、何でもない。ちょっと手が滑っただけだから!」

 

 ――恵里にとって最も強烈な最初の記憶は父親の死ぬ光景であった。自分の不注意による父親の死。その日付に関しても彼女の脳裏にべったりと張り付いている。都合のいい世界のはずなのに、よくもまぁこんなものが出てくるものだ。内心激昂しながらも恵里は平静を装ってご飯の残りに手を付けていく。

 

 そうして食事を終わらせて両親と一緒に話を振られては返すことしばし。恵里は父と一緒に支度をし、一緒にお弁当を持って近くの公園へ行った。

 

 どうせ夢の中なのだからとあれこれ考えるのを止め、童心に戻って父と遊ぶ。ブランコ、砂遊び、追いかけっこと思いつく限りのものを一緒にやり、公園のベンチで一緒に昼を食べてからまた遊ぶ。そうして午後の三時頃になると恵里の父は声をかけた。

 

「じゃあ帰ろうか――恵里、どうしたんだい?」

 

「え?――う、ううん、何でもないよ」

 

 年甲斐もなくはしゃいでいた恵里であったが、ある事を思い出して思わず身構えた。あの忌まわしい事故のことである。過去の自分はここではしゃいで父の手を振り切って車道に出てしまった。その結果、タイミング悪く出てきた車から自分を庇って死んでしまったのだ。そのため思わず身構えてしまったが、ここである事に気づく。

 

 勝手に車道に飛び出したりなどしなければ大好きなお父さんが死ぬことはないのではないか、と。どうせ都合のいい世界なんだからこれぐらい起きてくれるだろうと恵里は父の手を握り、周囲を見ながらそのまま家路につく。結果、特に何も起こらず無事に着くことが出来た。

 

 そして空になった弁当箱を父がシンクへと持っていき、お母さんが買い物から帰ってくるまでの間部屋で大人しくしててねと言われて恵里はそれに従う。部屋に戻るなり恵里は置いてあったクッションを掴んで片隅に行き、そこで三角座りになってクッションを口に押し付けた。

 

「あは、はは、ははははははは」

 

 あっさりと、あまりにあっさりと上手くいってしまった。たとえ夢の中であろうともう父がいなくなることはない。それを確信すると乾いた笑いが、ポロポロと涙があふれ出てきた。

 

(まも、れた……こんどは、だいじょうぶ。もうなくならない。ずっと、ずっといっしょだ! ずっとしあわせだ!)

 

 これがたとえ一時の夢であっても。どこまでも自分に都合のいい妄想でしかなくても。父の死を免れた。それは恵里にとって救いであった。クッションに顔を押し付け、グスグスと鼻をすすり、喜びをかみしめる。

 

 そうしてどれほど時間が経ったか。父と母から夕飯を食べようと声がかけられ、恵里は備え付けのティッシュで目と鼻をぬぐってからリビングへ向かう。夕飯は恵里が好きなおかずが出て、心の中では毒づきつつもこの幸せを壊さないよう無邪気に喜ぶ振りをする。母がプンプンしているのを横目に父と一緒に風呂に入り、今日の楽しかったことを振り返る。いずれの時間も幸せでなかったことはない。

 

 パジャマに着替えて布団に潜り込んだ恵里は、もうこの世界が終わるだろうと考えつつ、この幸福がまだ続くことを願ってまぶたを閉じる。どうせ死ぬのだから幸せな明日を夢見たっていいだろうと思いながら意識は闇へと沈んでいく。

 

(あはは、ホント幸せだったな……もっと続いてほしかったけど、これでもう満足だよ)

 

 安らぎに満ちた寝顔を浮かべ、恵里は眠りにつく――そして無事に朝を迎えた。

 

(……あれ? てっきり昨日で終わったと思ったのに。どうして?)

 

 どういうことかと思いつつも、とりあえず布団から抜け出してリビングへと向かう。すると今日も母親が機嫌よく朝食を作っている姿が恵里の目に映った。

 

「おはよう、恵里。まだ朝ご飯できてないからちょっと待っててね」

 

「え、あ……うん」

 

 まだこの都合にいい夢は続いているのかと考えていると、母親からお父さんを起こしてきてくれないかしらと頼まれてしまう。このままでは手持ち無沙汰だと思った恵里はわかったと返事をして父の部屋へと向かった。

 

 そういえばお父さんは朝はちょっと弱いんだったっけかと過去を懐かしみながら部屋の戸を開け、布団でくるまっている大きなその背中をゆする。

 

「おとうさーん、おーきーてー」

 

「ん……? あぁ、恵里か。おはよう」

 

 おはようと返し、寝ぼけまなこの父の手をリビングへ引っ張っていくと朝食が並べられているところであった。

 

「恵里、食べたらすぐお着換えしてね。幼稚園に遅れないようにね」

 

「……ぇっ?――あ、うん。わかった。食べたらすぐ着替えるね」

 

 何気ない母の一言に思わず恵里はハッとした。父が死んだのは五歳の頃である。その頃ならまだ幼稚園に行っているのだから当然出てくる話題のハズなのだが――。

 

(ホント無駄にリアルだなー。夢なら夢らしくずっとお父さんと遊べるようになってていいだろうに)

 

 納得いかないものを感じつつも、どうせいつか終わるのだし別にいいかと考えつつ恵里は着替えを済ませていく。そうして迎えのバスが来たところで両親に行ってきますと挨拶をして乗り込み、車窓からの景色を懐かしみながら思いを馳せる。

 

(何度か見たことがあったけど、そういえば昔はこんな感じだったっけ? それに一緒にいた子もこういう風に背伸びしたりしてたっけ)

 

 そうして話しかけてきた子に適当に応対しつつ、幼稚園で何をやろうかと考える。ガワこそ五歳であるものの、中身は十七そこらなのだ。今更純真無垢な真似なんて出来ないし、ままごと遊びをするのも気恥ずかしい。とはいえこの頃は他の子とも普通に接していたはずだからまぁ仕方がないかと思いつつ、ふとある事が気にかかった。行事のことである。

 

(そういえば、こうして幼稚園に通っているってことはこの子達と遊ぶだけじゃなくて、行事とか色々あるよな……あれ? これってお父さんとの思い出づくりのチャンスじゃないか?)

 

 父が死んで以降、行事に母親は出てはくれていたがあくまでも周囲に不自然に思われない程度の頻度であり、虐待していることがバレないように演技をしていたことからこれらの行事に恵里は関心を寄せなくなっていた。

 

 だがこの走馬灯モドキの世界ならばどうだろうか。母親に対する敵意やあなどりは衰えてすらいないものの、それは自分が我慢すればいいだけの話でしかないと恵里は結論づける。どうせ都合のいい世界を夢見ているのだから何だっていい。

 

 この世界最高だな! と恵里のテンションはダダ上がりになった。だったらこの際思うままやってやれ、お父さんにいいとこ見せてやれと有頂天になった恵里はそれからの日々を謳歌する。

 

 親の目につかない行事であっても褒めてもらうためにひたすら全力で取り組んだ。遠足では精神年齢が上であったことや光輝を落とすために磨いた演技で『しっかり者で頼れる子』を演じ、上手く班のみんなを率いた。お陰で人気者となり、恵里はそれについても自慢してほめられた。

 

(いやー、簡単簡単。光輝くんを落とすのに比べたら楽過ぎて笑えるね。保育士経由で褒めてもらったし、お父さんも鼻高々だろうなー。あ、でもお父さんから見ると私が豹変したように見えないか? ちょっと変な顔してたし。この世界変にリアルだし、気をつけないと)

 

 運動会でも力の限りを尽くした。この頃はまだトータスで強化された体の感覚を引きずっていたためかよくこけてしまったり、体力のなさを何度となく痛感したが、それはそれとして存分に楽しんだ。

 

(結構恥ずかしいところさらしちゃったなー……でもまぁお父さんによしよししてもらったからいっか)

 

 お遊戯会もあまり怪しまれないよう気を配りながらしっかりと演じた。他の子どもたちのようにキョロキョロしたり棒読み演技としっかり偽装して恵里は乗り切った。

 

(子供を演じるのって意外と難しいもんだなー。録画したのを見る限りやっぱり不自然に見える……あと結構恥ずかしい。やめてお父さん、そこリピートしないで!!)

 

 そして訪れた誕生日。いつも食事をとるリビングのテーブルに置かれたケーキを見て、とうの昔に忘れていた日付を聞いたとき、恵里の目から涙が止まることはなかった。

 

 二度と生きていることを祝われることはないと思っていた。感謝されるなんて思わなかった。だけど今その時は違った。父がいる。母も豹変していない。だからこそ起きた当たり前の奇跡。用意していたケーキやプレゼントには見向きもせず、恵里はただ父に抱きついて一晩を過ごしたのだった。

 

(……こんな嬉しい事が起きるなんて思わなかった。今日ほどこの世界に感謝した日は無い。もう悔いなんてないや)

 

 感激にむせび泣くも日々は続く。クリスマスも迎え、幼稚園や家でのパーティも楽しく過ごし、正月には家族と一緒におせちを食べ、ゆっくりと時間を過ごしていく。

 

(お正月も無事に迎えられた……まぁあの女と一緒なのはやっぱり気に食わないけど、それはお父さんに関係ないし。こういうのも幸せ)

 

 もちろん父と関わるのは行事だけでなく、父親のたまの休みに遊びに行くのは欠かさなかった。急な飛び出しはもちろん、地面の凍結など父が死んでしまいそうな原因はどんなに可能性が低いものでも注意しながらである。

 

(長いなー、いつになったらこれ終わるんだ? いやまぁ長いに越したことはないけどさ。お父さんと遊ぶの楽しいし嬉しいし)

 

 異例の降雪で急遽、幼稚園で雪合戦が行われることに。もちろん手を抜くことなく無心で雪を投げていたが、終わってふと我に返る。

 

(そういえば雪に当たった時も結構冷たかった……ちゃんと感覚はあるし、疲れだって感じる。これ、夢だよね? まさか夢じゃないなんてことは……いやいや、明晰夢なんてのがあるんだし、たまたま自覚があるだけでいつか終わるさ、うん)

 

 その日から恵里の日課に「起きたらすぐに顔をつねる」ことが追加された。ちなみにこの日課が功を奏することは今後一切ない。

 そうして訪れる卒園式。心は相応の歳を重ねていたはずだったが、皆と別れることにどこか強いさみしさを感じつつも恵里は式を過ごす。

 

(遂に、幼稚園も終わっちゃったな。流石にもうこの夢も終わっちゃうかも。いやー、いい夢だったうんうんうん……そろそろ終わる、よね?)

 

 小学校へ入学するまでの休み。恵里の頭の中にはこの世界が夢ではないのではないかという疑惑がくすぶり続けて仕方がなかった。試しに何度か両親がまだ寝ていた早朝に頭から水を被ったこともあったが、冷たさで頭が冴える程度で特にこれといった成果はない。

 

 そんなこんなで遂に入学式の日が訪れる。この世界がいつ終わるかどうかばかりが気がかりなのもあって長ったらしい式辞は一言一句恵里の頭に残ることはなかった。そして式の全てのプログラムが無事に終わって体育館を出ると、桜の花びらが舞い散る中で家族と一緒に記念写真を撮ることに。

 

(うん、これで遂に終わるんだなー……そうだよね? まさか夢でも何でもなくて本当に過去に戻ってました、なんてオチとかじゃないよね?)

 

 そして入学式の翌日、母親に起こされて歯磨き、洗顔、食事に着替えをして早速小学校に通うことに。事前に聞かされていた通学グループの集合場所に着き、一緒に学校へ向かう。幼稚園の時の繋がりもあって友達もすぐ出来、すぐに学校でも人気が出た。そんなこんなで早数日。

 

(一向に終わる気配がない……本当に夢じゃなくて、現実なの? 嘘でしょ? なんで?)

 

 学校から帰り、部屋の中で一人恵里は引きつった笑みを浮かべた。都合のいい夢かと思ったら現実でした。そうかもしれないと認識した途端、父親や幼稚園で子供っぽく振舞っていたことを思い出してしまい、羞恥に悶えて思いっきり床をゴロゴロと転がってしまうのであった。




ここ最近エリリンがヒロインのありふれ二次創作多いですよね。
自分もとある作品に触発されて投稿しました。


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二話 いともたやすく絡む因縁

UAがなんか600オーバーだの1話の段階で既にお気に入りに入れられているだの……え、マジ? 新手のジョーク?(gkbr)


 部屋の中で悶えること数十分。ようやく自分の身に何が起きたかを察した恵里はすぐに頭を回転させる。

 

 よく考えれば夢ではないと思える箇所はいくらでもあった。だが、勝手な決めつけと父との幸せな時間がそのおつむを鈍らせてしまっていたのだ。そのことを悔いつつも恵里はあることを懸念していた。

 

(もし本当に過去に戻ったのならいずれエヒトの奴がボクたちをトータスに引っ張り出してくる……ここがたまたま似通っているだけの世界で起きないのなら別にいいけど、そうでないと断定できる要素がない!)

 

 そう。恵里にとって問題となったのはかつて与したエヒトにまた召喚される羽目に遭うかどうかであった。そうなると大好きな父とまた離れ離れになる羽目になる。それで済むならいいが、最悪トータスで命を落としてしまえばもう二度と会えないだろう。かつての世界で手駒にしていた檜山だったかが香織を手にかけても尚、姿を変えて生きていた件を考えれば望みがないわけではないのだが。その手段は南雲ハジメが何かしただろうという推測だけで残念ながら恵里は知らない。

 

(だったらその日だけ教室を離れればどうにかなるかもしれないけど、日付は……だぁーっ! 覚えてない!)

 

 召喚された日付さえ覚えていれば一か八かではあるが、その日だけ教室から離れるだけで回避できる可能性はある。だがその肝心の日付も今ではあやふやであり、高校二年の時に起きたはずぐらいしか恵里は思い出せない。そのことがなおさら恵里の心を荒れさせる。

 

(最悪だ……思い出せることがロクにない。対策も何もないじゃんか!)

 

 そうして未来の事を考え、何か対策は立てられそうかと考えているとあることに気づいてしまい、恵里は本気で頭を抱える羽目になった。トータス召喚の日付だけでなく、これから先何があったかに関する記憶までがほとんど虫食いになってしまっているのだ。

 

 それもこれもこの世界を夢だと勘違いしてしまったせいで記憶が薄れる前に書き出さないのが不味かった。トータスに行く前、行った後で動く際に支障をきたす可能性が高まっているかもしれないということだ。

 

(あぁもう! 自業自得とはいえ、面倒なことになった。全部思い出せなくなった訳じゃないとはいえ、どこかでやらかす可能性が高い! クソッ、大失敗だ!)

 

 思いっきり髪をかきむしってひとしきり狂乱すると、荒い息を吐きながらもどうにか冷静になろうと大きく息を吐いた。

 

(こうなったら憶えている情報だけで勝負しかない。せめてどこかに書き写――いや、待てよ?)

 

 せめて残った記憶だけでも書き出しておかなければと思ったその時、ある懸念が恵里の脳裏に浮かぶ。ノートなりチラシの裏なりそれらの情報を書いたものが家族に見つかった場合、不味いことにならないかということだ。

 

 読みやすさを優先して漢字なんて使おうものならほぼ確実に不審がられるだろう。漢検を受けるほど漢字に興味があるならまだ誤魔化せたかもしれないが、恵里が演じようとしていたのは普通の子供である。今更利発な子を演じるには遅すぎた。

 

 かといって読みやすさを捨てて全部ひらがなにしたり鏡文字にしたところで、両親が見てしまったらどうなるか。何かあったか心配されるならまだしも、不審がられる可能性がある。父から自分がそんな目で見られると思っただけで恵里は頭がおかしくなりそうだった。下手をすれば気がふれただの悪魔憑きだのなんだので疎まれるやもしれない。

 

(も、もしお父さんに見られたらどうなる……? い、イヤだ!! 気味悪がられるなんて絶対に嫌だ! あの女ならまだいいけどそんなの考えたくもない!!)

 

 体をぶるりと震わせ、何度もかぶりを振った。折角手に入れた幸せをもう一度自分の手で壊してしまうのはあまりに恐ろしく、考えるだけで息が詰まりそうになる。これから先の対処よりも今の幸せを恵里は選び、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる。

 

「お、落ち着け落ち着け。落ち着くんだ……大丈夫、全部忘れた訳じゃない。どうにか挽回出来る。出来るはずだ」

 

 そうして何度も自分に言い聞かせ、ある程度震えが落ち着いたところで恵里は再度思考する。紙に残すことが無理でも今の時点で情報を洗い、方針を定めることぐらいは出来るはず。そう考えた恵里はひたすら思い出し続ける。

 

(とりあえず魔法の使い方とかは覚えてる。天之河くんに関わる記憶も少しぼやけてるけどまだ思い出せる。後は……あ、そういえば鈴達に負けてしばらくしたら何かに呑まれるような感覚があったような――ま、まさか、神域が崩れた!? だ、だとすると……南雲の奴、エヒトを倒したのか!?)

 

 ここでふと神域で死んだ後の記憶を思い出した。あの世界はエヒトが何らかの手段で保管してたものであるため、当然エヒトに何かあれば相応の変化が起きるだろうと恵里はあたりをつける。そしてその最たる原因であろう存在が浮かんだ――南雲ハジメである。

 

 オルクス大迷宮で奈落の底に落ちるまでは印象にもあまり残らない少年だったが、魔人族が王都を襲撃した際に裏で手引きをしていた頃からの因縁の相手であり、自分が鈴達に負けた遠因を作った忌々しい奴。それが恵里が南雲ハジメに抱いているイメージであった。

 

(あ、アイツ、厄介だとは思ってたけど、まさかエヒトの奴を……神域が壊れたことを考えればあり得るな)

 

 どこまでも厄介だと思っていたがまさかそこまでやったのかと戦慄し、どうするべきかとひたすら思案する。もし仮にエヒトが勝利を収めていたとしても、自分のかつていた空間に影響が出てた以上は良くて死に体に等しかったのではないかと恵里は考える。ならばまたあちらに与するにしても似たような結果になる可能性が高い。

 

(……クソッ、せめて魔法が使えたならまだやりようはあっただろうに!)

 

 ここで恵里がこの世界が夢だと断じた理由が絡んでくる。以前ふとした思い付きで魔法が使えるかどうか試してみたことがあったのだが、何一つ出来なかった。トータスで使えるようになった魔法がここでは一切使えず、強くなったはずなのにここでは同い年の子供と大差ないことだ。

 

 ただ、恵里はトータスにいた頃の記憶を夢だとは露にも思っていない。それは父親と一緒に公園から帰る際にあの時と同じタイミングで車が来たせいである。故に自身の記憶に対する疑い自体はなかった。

 

 閑話休題。

 

 試しに使えた魔法を片っ端からやってみたものの、何一つ満足に起動すらしない。詠唱に必要な言葉も魔法を使う際の感覚もしっかりと覚えていたというのにだ。それはつまり、今この世界であの高校のクラスメイトを事前に駒にしておくことも出来ないということである。

 

 トータスで力を再度得たとしても扱えるようになるまで時間がかかる。真っ先にクラスメイトを狙えば聖光教会の人間が黙っていないだろう。かといって前回のように兵士やメイドから手にかけていっても前回の通り南雲ハジメがこちらの企みを阻止する可能性がある。八方ふさがりであった。

 

(プライドも何もかなぐり捨ててもう一度エヒトに頭を下げる、ってのはそこまで現実的じゃなさそうだ……やっぱりあの化け物の味方の方がまだマシか)

 

 仮にあそこで南雲ハジメが負けていたとしても神域にまで影響を与えたのは事実だ。どんなに悪く見積もっても致命傷に近いダメージを与えているはずである。ならば自分が協力すれば勝つかもしれない。それにあのエヒトが心変わりして約束を反故にする可能性も潰せる。それならば南雲ハジメに協力するべきだと恵里は考えをシフトした。

 

(確かアイツ、大迷宮? のどこかで落ちてなかったっけか? 生き延びていたのは驚いたけど、あんな兵器を造ってたんだ。アイツにとっては大迷宮の最下層は意外と温かったのかもしれない)

 

 その考えは全くの的外れであるのだが、真の大迷宮を知らない恵里はハジメについていけば甘い汁をすすれるだろうと頭の中で算盤を弾く。

 

(とりあえず方針は決まった。じゃあ次は……あれ? 意外とやる事がないぞ?)

 

 そうしてどう動くべきかを考えた時、あまりにもやれることがない事に恵里は気づく。まずハジメの側につく事に関してだが、魔法が使えないため、事前に〝縛魂〟で駒に出来ない。

 

 かといってトータスに渡る前でも後でも脅したら脅したでエラい目に遭わされそうな気がしてならなかった。あの化け物の影が脳裏にちらつくのである。となると、現状で恵里の脳内で最善だろうと思われる選択肢は『今のうちに仲良くなる』ということぐらいだった。

 

 そうすることでまた奈落に落ちるであろうハジメとパイプを持つことが出来、武器や兵器を融通してもらって勝ち馬にも乗れる。勝利を確信し、どうやってハジメを虜にしていくかを考え始めた恵里だったが、そこである事が引っかかる。

 

(そういえばアイツって前からあんな性格だったっけ? いや、だったらもっと前から天之河くんとケンカになってないとおかしい……そういえば、前は目立たない奴じゃなかったっけ)

 

 体を震わせながら南雲ハジメに関する記憶を探っていくが、トータスに来た辺りでハジメが光輝と激しい言い争いをしていた様子は思い当たらなかった。せいぜい光輝があちらに絡んでいったことがあったかどうかなぐらいである。

 

(うわ、それを考えるとあの大迷宮で確実に何かあったってことじゃないか……まぁでも、アイツが鈴達にアーティファクトを渡してたことを考えるとつけこむ隙はあるはず。その確率を上げるためにも仲良く、して――)

 

 そうして考えをまとめようとしていた恵里はふとある人物に思いをはせた。自称親友こと谷口鈴だ。彼女は最後の最後まであきらめずに恵里を説得しようとしていた。そんな鈴のことが恵里の中で引っかかったのである。

 

(鈴は……うん。また、会いたいな)

 

 自分のクラスにはいなかったのと、まだ入学して日が浅かったためか恵里はまだ鈴とも出会えてはいない。彼女といた時だけはほんの少しだけ安らげることが出来たからこそ、恵里はもう一度会って友達になりたいと願う。そうしてしばし鈴のことを考えていると、部屋の外から母親の声が聞こえた。時計を見てみれば既に夕飯の時間を迎えていたため、悩むのを一旦打ち切ってリビングへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 ハジメ側に着いてどうするかを画策した翌日。恵里は昼休みを利用して校内を回っていた。目的は鈴とハジメの捜索である。

 

 鈴に関してはお泊り会を開いたり、あちらの家で遊んだことがあったため、住所は一応覚えている。だがこの世界が元の世界と同じとは限らないし、そもそもこの世界では面識がない。知らない人間に追い回されればまず警戒されるのが関の山。そのため鈴の家近辺に行くのは最後の手段とし、こうして教室の外からうかがうことにした。

 

 ハジメに関しては言わずもがな。敵対した際に銃やら兵器やらを持っていたことからオタクではないかと推測し、鈴を探すついでに図書室に立ち寄って出くわすのを待とうと考えていた。

 

(誰とでも友達になってる鈴ならクラスの中心になってるだろうから観察すれば簡単に見つけられるはず……学校が同じで、私と会う前に転校してきたのでなければ、だけどね。アレはまぁ、オトモダチ頼りかな)

 

 いつも笑顔を浮かべて明るく接し、女友達相手に馬鹿をやっている。恵里の抱いていた谷口鈴のイメージがこれである。この頃から既にその頭角を現しているのではないかと思って廊下から観察したり、聞き耳を立ててみるが『鈴』という名前すら出てこない。

 

 たまたまいないだけなのかもしれないと思いつつ恵里は次々と同学年の教室へと向かうものの、この日は結局見つからず終まいであった。

 

「あ、恵里ちゃん! 恵里ちゃんがいってたのって二組の功くんかな? 横山功(よこやまこう)くんって言うんだけど……」

 

 そして予鈴前に教室に戻ると、幼稚園の時の知り合いである今井メイから尋ねられた。実はハジメに関しては図書室で出くわすのを待つ以外にも、その知り合いに『大人しくて本を読んでそうな感じの子』と特徴だけ伝えてそれっぽい人物を見つけてくるようお願いしていたのである。

 

 名前を出さなかったのはトータスに転移するまでのハジメに関してあまり印象に残ってなかったことが理由であった。あまり目立ちもしなかったのに名前を知っていたとして、あのハジメが怪しまないかどうかを気にしたからだ。

 

「そうかな……後で確かめてみるね」

 

「あってるといいね。恵里ちゃんの一目ぼれのあいて!」

 

 恵里はそうだねとニコニコしながら寒イボが出そうになるのを我慢しつつ返す――実はハジメを探している理由として『気になった人がいる』とでっち上げたからだ。

 

 面識すらないのに人探しをしているなんて普通に考えれば怪しまれる。だから適当な理由を考えてこう伝えたのだがこれがまずかった。そこでうわさ好きであるメイが勘違いし、一目ぼれしただのなんだのと勝手に騒ぎ立ててしまったのだ。

 

 しかもそれがクラス中に広まってしまい、既に男女問わず恋バナ好きなクラスメイトから冷やかされている。自分をことごとく邪魔してくれた奴相手に一目ぼれなんて質の悪い冗談にも程があると思いながらも、ここまで広まってしまっては仕方がないとばかりに諦めた。

 

(まぁ、でも逆にこれでウワサが広まって南雲の奴はこちらに気があると勘違いしてくれれば助かるよ……こうなった以上、こんなクソみたいなウワサだろうと何だろうと利用してやる!)

 

 今更ストレスの種が一つ増えたぐらいで折れてたまるかと恵里は奮起するのであった。ちなみに、翌朝にちゃんと二組に寄ってから相手が彼ではないと否定しておいた。その途端にクラスメイトが一斉に残念そうな声を上げたことにまた恵里が内心苛立ったことは言うまでもない。

 

 更に二日後。今日もまた廊下から鈴を探しているが中々それらしい人間は見当たらない。もしかして知り合う前にどこかから転校でもしてきたのだろうかと考え、それでも念のために次の教室を観察しようとした時、見覚えのある人物が恵里の目に映った。

 

「ちょっといいかな? 俺は天之河光輝っていうんだけど、どうしたの? 誰か探してるのかな?」

 

「え?――ッ!? えーっと、その……」

 

 その相手を見て恵里は思わず固まった。そう。相手はかつて執着していた天之河光輝その人である。まさか観察していたのがバレたのだろうかと驚いたものの、もしかすると使えるかもしれないと恵里は思い切って尋ねてみた。

 

(ま、まさか天之河くんに出くわすとは思わなかった……でも、三年生の頃から色んな子から慕われてたし、もう既に人脈が出来ていてもおかしくないかもしれない。もしかすると、鈴のことも知ってるかな?)

 

「そ、その、実は、人を探してて……」

 

「わかった。俺でよければ手伝うからさ、君の名前も教えてくれるかな」

 

 そこで名乗るついでに鈴の特徴を伝えてみたのだが、光輝は首をかしげるばかりであった。そこで光輝は自分を慕っている子数人に声をかけると、ある種予想通りの反応が返ってきた。

 

「あー、確か、本読んでそうなおとなしい子にほれこんでるって子じゃない。その子でも探しにきたの?」

 

 次々と来る例のウワサに関しての発言に恵里は思わずこけそうになった。もうここまで広まったのかと思うと恥ずかしいやら頭に来るやらで気が触れそうになったが必死に我慢し、再度鈴について尋ねてみる。しかしその答えは芳しくはなかった。

 

「みんな、ごめんなさい。お邪魔しまし――」

 

「まってくれ、恵里ちゃん!」

 

 これ以上は時間の無駄だとそそくさと移動しようとした時、いきなり光輝が呼びかけてきた。前の世界の自分ならばいざ知らず、もうあまり執着する気持ちが沸かない今の恵里にとって構われたところで時間の無駄でしかない。早く鈴を探したいのにと思っていると光輝が妙なことを言いだしてきた。

 

「その子は見つからなかったみたいだし、かわりになるかはわからないけど俺でよかったら話し相手になるよ」

 

 いやどうしてそうなる。一瞬真顔でそう呟きそうになったが、恵里はどうにかこらえることが出来た。あくまで探していたのは鈴であって目の前の少年ではないのだ。前の世界でも取り巻きの女がやたらといたことを思い出し、もしや侍らせるのが目的で声をかけていたのではないかと邪推した恵里は光輝を見て顔を引きつらせる。

 

(ん? これ、嫉妬か。ま、ガキからにらまれたって大して怖くもないね)

 

 それと同時に幾つものトゲトゲしい視線が恵里に刺さった。無論、相手は光輝と話をしていた女子たちである。

 

 大方光輝が自分に関心を持ったことへの嫉妬や光輝に対して嫌な顔をしたことへの怒りや嫌悪だろうと推測するが、恵里からすれば久しく感じてなかった敵意に少しだけ驚く程度でしかない。とはいえ子供の浅い悪意如きにあっさり負けるほどヤワではない。それらは適当に流しておいてすぐにここを離れようと断りを入れる。

 

「いえ、お気遣いなく。私は他にも探す人がいるんで――」

 

 既に他のクラスにもあのウワサが浸透している以上使わない手はない。それを理由に離れようとするも逃がさんとばかりに立ちはだかり、爽やかな笑顔を浮かべて恵里に問いかけてきた。

 

「確かウワサだと男の子だったよね。俺もひとりの時はしずかに本を読んでいるし、きっと俺のこ――」

 

「人違いです。じゃあ」

 

 王子スマイルで君の相手は自分だろうと告げてきたのを言い終わる前にバッサリ切り捨て、恵里は踵を返してその場を後にしようとする。だが、その手を光輝が掴んで止めてしまう。なんでこうも執着するのだ、と内心苛立ちながら振り向けばどこか納得のいかない様子で光輝は恵里を見つめてきた。

 

「気になっているのがどんなヤツかわからないけど、恵里がわざわざ探さなきゃいけないようなことをさせてるじゃないか。そんなやさしくないヤツなんかほっとこうよ」

 

「あれ、ウワサのこと知らないの? ()()、“()()()()()()()()()”人なんです――邪魔しないで」

 

 手を振りほどいて行こうとするも、光輝は手を離そうとはしない。今度は『俺じゃダメなのか』、『そんなヤツのどこがいいんだ』とわめき散らし出したため、いい加減大声でも出して驚いた隙に逃げようかと考えた時、不意に手を圧迫する感覚がなくなった。

 

「いい加減にしろよ光輝。いくら何でもコイツがかわいそうだぜ」

 

 声のする方を振り向けば、他の子よりも一回り程度大柄の少年が光輝の手を掴んでいた。とりあえず助かったため、とりあえずその少年に一度お礼を言って逃げようとするとまたしても光輝がわめき出した。

 

「はなしてくれ龍太郎! 俺は何もわるいことなんか――」

 

「初めて会ったヤツにつきまとっといて、何がわるくないんだよ。いくら俺でもこれはダメだってわかるぞ」

 

 ごめんな、と龍太郎と言われたであろう少年が恵里に小声で伝えると、恵里も会釈だけして急いでその場を後にした。とりあえずハジメの捜索がてら、図書室へと恵里は逃げ込んでいった。なお結果は空振りである。

 

「あ、恵里ちゃん? なんかちょっとつかれてるみたいだけど大丈夫?」

 

「あー、うん。大丈夫。ちょっと予定にないことがあっただけだから」

 

 軽くため息を吐いて教室の戸をくぐって早々、メイから気遣いを貰う。それに一応の感謝をしつつ、結局ハジメも見つけることも出来ず今日は散々だったことを心の中で愚痴る。

 

 呼吸も少し整ってきたところで、言いにくそうにしていた知り合いを促してハジメに関する情報も聞き出しておく。何故かハジメの捜索に協力している人間が増えており、候補の数も十人近く挙がっている。聞いた限りではどれも人違いであったがとりあえず礼だけは述べ、恵里は午後の授業を真面目に受けた。

 

(やっと放課後だ。んじゃ南雲の奴を探しに行くとしようか)

 

 そうして授業が終わり、今日から図書館や本屋などにも足を運んでハジメを見つけに行こうかと帰り支度をしながら考えていると教室のドアが開く音がした。光輝と坂上龍太郎らしき少年、他数名の女子であった。

 

「やぁ、恵里ちゃん。さっきの話なんだけど――」

 

「あ、お構いなく。自分で探しますので」

 

 現れた光輝に向けて自分でも驚くぐらい何の感情も乗ってない遠慮を述べ、恵里はスタスタとその場を後にしようとした。が、すぐに肩を掴まれてしまい、光輝がずいっと顔を寄せてくる。

 

「どうして俺じゃダメなんだ? 俺だって本を読んでるんだから話が合うはずだよ。だからさ――」

 

 あまりに諦めが悪い光輝に迫られ、思わず恵里の表情も険しくなっていく。

 

 見てくれなかったくせに。前の世界じゃ自分のことを“特別”にしてくれなかったくせに。どうして今はここまで付き纏ってくるんだ、と腹の奥に溜まっていた憤りが鎌首をもたげてくる。ひっぱたいてやろうかと思った矢先、坂上龍太郎と思しき男の子が光輝を羽交い締めにして引っぺがしてくれた。

 

「何するんだ龍太郎! いくら俺でもおこるぞ!」

 

「お前がフツーじゃねぇからだろうが! どうしてそこまでつきまとうんだよ!? 人のいやがることはすんな、って言うじゃねぇか!!」

 

 羽交い締めにした少年が一喝すると、光輝と一緒にいた少女たちも非難の声を上げる。尤も、その内容は『あんな子なんかに光輝くんがかまわなくっていい』だの『光輝くんにあんなこと言うなんてサイテー!』だのと恵里に対する文句ばかりであったが。それにキレたクラスメイトの一部がその女子たちに『恵里ちゃんのことを何もわかんないくせに』だの『恵里ちゃんをいじめるな!』だのと本人そっちのけで言い争いが勃発する。

 

 これ幸いとばかりに恵里はもう一方の出入口から外へ出ようとすると、それにいち早く気づいた光輝が大声を上げた。

 

「どうしてだ恵里! そんなに俺がイヤなのか!」

 

(嫌に決まってるだろう! ボクのモノにもならなかったし、今もボクの計画の邪魔になってるんだからね!)

 

 思いっきり歯噛みしながら逃げだす恵里の耳に龍太郎少年の声が届く。ホントにすまん! と心底すまなさそうに大声で謝ってきた彼の方を振り向いてうなづき返すと、恵里は急いで学校を後にした。

 

(全くもう! 滅茶苦茶じゃないか! 今回はどうにかなったとはいえ、このまま邪魔してくれるんだったら計画を見直さないとじゃないか!! おのれぇえぇええぇ!)

 

 怨嗟を吐きながらひたすら家に向かって走っていく。どうして自分はいつもいつも運がない、最後の最後で計画が破たんするのか、と世界を憎みながら。

 

(どうしてボクがこんな目に遭うんだ! ボクはもう一度、幸せになりたいだけなんだよぉおおぉぉおおぉぉぉ!!)

 

 恵里の心の叫びに応えるものはなく。ただ泣きじゃくりながら走っている彼女を誰もが好奇の目で見つめてくるだけであった。




2024/2/16 ちょっと修正


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三話 投げ込まれた小石

天之河ニキの人気に嫉妬。皆さん彼の事キラ……お好きなんですね(目そらし)

まぁ自分も読んでて天之河出てきたら感想の八割ぐらいが彼で埋まってもおかしくないなー、とは思いますけど。

あ、あと遅くなりましたが大盛り定食さん評価ありがとうございました。まだ二話だけなのに畏れ多いです……。


 時折変に大人びた様子を見せ、子供を装おうとしている。中村夫妻が今の恵里に抱いている印象のひとつがこれであった。それも一年前のある日――たまにとれた休みで何時ものように公園で遊んだ日からである。

 

 正則が恵里と公園で遊ぶのはそう珍しいことではなく、休みをとる余裕があればよく向かっていた。だからあの日もいつものように無邪気な恵里と一緒に行くはずであった。だがあの日以来一緒に出掛けると、恵里は何かに怯えたり警戒しているような様子を見せる。一度妻と話をしたこともあったが、その時は幼稚園で何かあったのかもしれないと結論付けた程度であまり重くは見ていなかった。

 

 だが、お遊戯会などで見せた演技は子供にしてはあまりに堂に入ってしまっていたものであった――まるで恵里とよく似た誰かが自分たちの娘のフリをしているかのように。家で練習をしていたのを一度正則も見たことがあったが、それはつたないというよりも逆に下手を装っているように見えた。それに気づいた時には妻共々悩み、クリスチャンになって悪魔祓いでも呼ぶかどうかまで考えたほどだ。

 

 しかし恵里が自分に向ける笑顔は含みのない心からのものであると正則は自負している。それが自惚れであったとしてもそれを曲げるつもりはない。幸に関してはどこか含みというか陰のある笑顔を向けていたが、妻曰くそれも徐々に鳴りを潜めているらしい。

 

 結局のところ、両親は今のところ恵里に何かするつもりは一切なかった。冷静になって考えれば悪魔が憑りつくなんて冗談以外の何物でもないし、人様に迷惑をかけることもない。親離れ出来るかどうか少しだけ心配になるくらい、自分達に甘えてくる愛しい我が子をどうにかしようという考えはもう浮かばなかった。

 

 そんな折、何時ものように帰宅した正則はある光景を見て固まってしまった。リビングにある自分の椅子でぐでーっとなっていた恵里の様子を妻の幸が何とも言えない様子で見つめているのだ。一体何があったのかと幸に尋ねてみると、帰ってきた時には既にこうなっていた。だから学校で何かあったのではないか、と答えた。

 

 どうしたものかと思案するも、こうして妻と話をしていても恵里の様子が変わったようには見られない。何もしないよりはマシであろうと考えた正則は意を決して恵里に声をかける。

 

「恵里、どうしたんだい? 何かあったのならお父さん達が力になるよ」

 

「恵里、お母さんに言いにくいならお父さんに話してみて。そんな顔をしているとお母さんも辛いわ」

 

「そうだよ恵里。話してごらん、ちょっとしたことでもいいから」

 

 二人がそう声をかけるも肝心の恵里は虚ろな目でうーあー唸って逡巡した様子を見せるだけで、中々何があったかを口にはしない。どうしようと幸がオロオロとしていると不意に恵里がポツリとつぶやいた。

 

「すとーかーにつきまとわれた」

 

「「何があったの!?」」

 

 ようやく口を開いた愛娘に矢継ぎ早に質問が飛び交い、そこでようやく初対面の男の子がつきまとってきたということを二人は知る。

 

 『いじめられたんじゃなくて良かった』だの『でも会っていきなりつきまとわれるのは怖かったんじゃ』だの『何度も続くなら学校に相談しようか』だのと話し合っている両親を見ながらそれでどうにかなる相手じゃないと恵里は力なく呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 その男の子がつきまとってきてまた辛くなったなら学校に相談しよう。昨晩の家族会議でそう結論付けた両親に見送られながら半ばあきらめの境地で恵里は家を出た。

 

(ったくもう……天之河くんはさぁ。どうしていつもいつもボクの思う通りに動いてくれないかなぁ。ホント鬱陶しいったらありゃしない)

 

 あの天之河光輝のことだ。『自分が納得する形で解決』しなければまた首を突っ込んでくるのは目に見えている。そのことが簡単に予想出来てしまうからこそ憂鬱で仕方がない。

 

(でもなぁ。それで学校行かないってのは流石に……あぁもう頭が痛い)

 

 かといって通学せず、公園でブラブラして両親を心配させたり困らせるという発想は今の恵里にはない。少なくとも父親にとっては自慢の娘でありたいという願望があるからだ。

 

 ジレンマに苛まれながら登校した恵里であったが、その途中で天之河のグループと出くわさずに教室に入れたのは紛れもなく幸運であった。ほっと一息吐きながら自分の席に着くと、メイが声をかけてきた。

 

「おはよう恵里ちゃん。どうしたの? 昨日の子のこと?」

 

 心配そうに声をかけてきており、南雲ハジメの捜索の舵取りをやってもらっている以上は無碍に扱うわけにもいかない。仕方ないと苦笑いを浮かべながら恵里は応対する。

 

「あぁ、うん……また来たらどうしようか、って思ってさ」

 

「やっぱり。すごいカッコよかったけどさ、恵里ちゃんがいやがってるのにどうしてつきまとうんだろうねー」

 

 ねー、と相づちを打つとにわかにクラス中がざわめき出す。どうしたと思って尋ねようとした時、隣の女子がそれよりが先に恵里に声をかけた。

 

「だいじょうぶだよ恵里ちゃん、あんなのクラスのみんなでなんとかするから!」

 

「そうそう! 学校でずっとウワサになってたみたいだけどさ、天之河くん話を聞かなかったじゃない。そんな子よりも恵里ちゃんの王子さまのほうがきっとステキだよ!」

 

 隣の子が言ったのを皮切りに次々とクラスの女子の大半と一部の男子が騒ぎ立てた。その顔ぶれは恵里はとてもとても見覚えのあるもの――自分の恋バナ(ではない)にやたらと首を突っ込んでくる奴らであった。

 

 やれ毎日王子様を探してる恵里ちゃんをあんな奴に渡してたまるかだの、やれアイツがチヤホヤされてるのムカつくから邪魔してやるだの、やれ他にも女の子いる癖に恵里ちゃんに手を出すなだのとまぁ好き勝手に言っていた。

 

 正直顔が引きつりそうで仕方がなかったが、南雲ハジメを探すことを考えれば利用しない手はない。恵里は努めて笑顔を浮かべ、頭を下げる。

 

「ありがとう皆。私が探すときだけでいいから、助けてくれないかな?」

 

 途端、大きな歓声が上がった。こうやってしおらしくしてればいいだろうと思ってやってみたが、結果は想像以上。これ大丈夫だろうかと顔を伏せながら恵里は少しだけ心配になるのであった。ちなみに外まで響いていたせいで担任の教師に全員叱られる羽目になり、あまり人の恋沙汰に関心のなかった子からの心象が悪くなったのは言うまでもない。

 

 鈴、ハジメを探し始めてかれこれ五日が経過した。その間ずっと光輝が絡んできたが、一緒にいた龍太郎と思しき少年と結託したクラスの一部――何時の間にやら『恵里ちゃんの恋を見守り隊』とかいう名前がついていた――が抑え込んでくれたお陰で捜索の邪魔をされることはなかった。結果は芳しくなかったが。どちらもこの学校にはいないのではないかとため息を吐いた恵里の許に吉報が届いた。

 

 それを耳にした恵里は昼休み、何時ものように龍太郎? とクラスの一部こと『恵里ちゃんの恋を見守り隊』で光輝を足止めしてくれる中、目当ての教室へと向かう。

 

「えっと……南雲ハジメくん、ですか」

 

 自分の机で本を読んでいた少年は唐突に声をかけられ、目を白黒させて恵里の方を振り向いた。

 

「え?……えーと、そうだけど君は?」

 

「私は中村恵里って言うの。それでね、南雲くんにお願いがあって来ました」

 

 すぐに教室でざわめきが起こった。ハジメ少年もまた人探しをしているウワサの少女が自分を探していたとは思わず、頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 

 もしかして会ったことがあったのかなと目の前の少女と会った記憶を必死になって思い出すが、それらしい記憶は何一つ出てこない。どうして、なんで僕なのと疑問が浮かぶばかりで口をパクパクと動かすことしか出来なくなっている。

 

「最初に一目見た時から気になっていました。付き合ってください」

 

 瞬間、空気が弾けた。女子の黄色い声が、男子から冷やかしやらうらやむような言葉が飛び交った。ハジメは唐突な告白と周囲の声で頭の中は真っ白に、顔はもう真っ赤に茹っていた。

 

「ぁぅ、ぁぇ、ぅぁ……」

 

 前に読んだことのある漫画やラノベの中でも主人公とヒロインがこんな感じの運命的な出会いをしていたケースがあった。自分はそんなイベントとは縁がないと幼いながらもそう思っていたのに、実際に体験してしまったせいで興奮や困惑で頭がバグってしまった。

 

 口から出るのは言葉にならない何かばかり。勇気を振り絞って告白してきたであろう相手の事を考える余裕はこれっぽちもなく、叩き込まれた情報を受け止めるだけで精一杯だった。

 

「あ、あのー……南雲くん?」

 

 そんないっぱいいっぱいになっているハジメの心の内をいざ知らず、恵里は恵里で混乱していた。元々恋人ごっこで済ます気でいたし、最悪断られても友達になれませんかと申し出るつもりだったのだ。いきなり厳しい要求をチラつかせ、その後本命を出すことで受け入れやすくしようという魂胆だった。

 

 それを実践してみたつもりが、どうしてか目の前の少年は今にもぶっ倒れそうになっている。まさか効き過ぎたか、と考えるも後の祭り。はひ、とろれつの回らない単語を出して目の前の少年は本当にぶっ倒れてしまった。

 

「え!? ちょ、ちょっと南雲くん!? 南雲くーん!?」

 

 大事になってしまい、慌てた恵里は駆け寄ってハジメを揺さぶる。しかし目を回したままで起きる気配が全然なく、教室はざわつき出す。どうしてこうなったと内心頭を抱えたくて仕方がなかった恵里の耳に彼のクラスメイトの一人のつぶやきが届いた――先生を呼んだ方がいいんじゃ、と。

 

「せ、先生! 先生連れてきて! この際誰でもいいから! 早く!」

 

 非力な今の自分では運ぶのは無理だと判断した恵里は必死に大声で周囲に何度も頼み込み、たまたま教室の近くを通った先生がハジメをおぶって連れて行ってくれた。

 

 なお、恵里は事情を聴くために職員室にそのまま向かう羽目に。聞き取りとお説教だけで昼休みが潰れる中、どうしてこうなったと恵里はただただ後悔するばかりであった。

 

「恵里ちゃんおかえりー。なんかあったの?」

 

「いや、まぁ、そのね……」

 

 予鈴が鳴った辺りで解放され、疲れた様子で戻ってきた恵里を『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の子供たちが出迎える。どうだったどうだったと口々に聞いてくるクラスメイトに授業が終わってから話すことを約束し、どうにかなだめすかしたところで先生が教室に入ってきた。どうやら今回はギリギリセーフだったようだ。特に叱られることもなく、今日の授業も滞りなく進む。

 

 そうして授業が終わり、帰り支度をしている時に再度何があったかを先のクラスメイト達に尋ねられた。昼休みのことは下手に隠した方がダメージが大きいかもしれないと考えた恵里は正直に話すが、案の定クラスが笑いの渦に包まれる。

 

「こ、こくはくしてブッ倒れたってダサッ! その子ダサい!」

 

「けっこうウブな子だったんだねー。でもそんなこと言われたら私もおどろくかもー」

 

「いや、それにしたってないわー。すきって言っただけでダウンかよー」

 

「恵里ちゃんスゴい! 明日にはウワサになってるんじゃない? 男の子をたおしたつよい女の子がいる、って」

 

 誰も彼もやはり好き勝手に言っており、覚悟していたとはいえやはり頭が痛くなる思いであった。特に最後。そんな不名誉なウワサなんざいらないからどう消そうかと考えていると、今日もまた望まぬ輩がやって来た。天之河少年とその取り巻きである。

 

「恵里ちゃん! いったいどうしたんだ!? 他のクラスの子が君のせいで倒れたってウワサになってる!」

 

 もう広まっているのか、と恵里は本気で頭を抱えたくなった。その様子を心当たりがあると察した光輝が恵里に詰め寄ろうとするが、今回も『恵里ちゃんの恋を見守り隊』と龍太郎に無事阻止される。最早ありふれた光景になりつつある中、未だに騒いでいる光輝を黙らせるべく恵里は嫌々ながら弁明する。

 

「あのね。倒れたのはともかく、私はその子に付き合って下さいって告白しただけなんだけど。誤解しないで」

 

「……えっ?」

 

 溜息と共に述べると、光輝は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべて全然理解できないとばかりに周囲を見渡している。

 

「ほ、本当なのか?……」

 

「本当だってば。じゃあ私はもう行くね」

 

 そう手短に告げた恵里は、中身を確認してからランドセルを背負う。そしてクラスの仲間に後はお願いと一言だけ伝え、未だにショックから立ち直れない光輝を横に出入口へと向かった。龍太郎が呆れてたりおそらく取り巻きであろう女子たちが自分のクラスメイトと言い合いしているようだが気にしない。これでまだしつこく付き纏ってくるというのなら親に相談しようと考えつつ、教室を後にする。

 

 そうして玄関へと向かった矢先、ふと恵里はハジメのことが気にかかった。付き合いを申し出たというのにこのまま帰るのは流石に不味いのではないか、と。せめて保健室に顔を出してどうなったかぐらいは聞きに行くべきじゃないかと考えたのだ。

 

(まぁ、あんなことになったのにそのまま帰るのは薄情だよね。気がないって思われるのも不味いし仕方ない。顔を出すか)

 

 やれやれと思いながら保健室へと寄り道すれば、ちょうどそこから目当ての人物が出てきてくれた。手間が省けたと恵里は少しだけ機嫌を良くしながら彼の側へと近づいていった。

 

「な~ぐ~も~くんっ」

 

「うわっ!?……な、中村、さん?」

 

 声をかけるとまたしても目を白黒させ、オドオドした様子でハジメは恵里を見ている。あの化け物と違って扱いやすそうでよろしい、と軽く上機嫌になった恵里は一緒に帰ろうと提案する。

 

「ちょ、ちょっと待って。い、今、目がさめたばっかだからまだ帰りのじゅんびも――」

 

 オロオロしている様子のハジメを見て恵里はある妙案が浮かぶ。ニヤリと笑ってハジメに近づくと至近距離でそれを口にした。

 

「じゃあさ、一緒に行っていい?」

 

 それを聞いてハジメはしどろもどろになり、幾度か逡巡を見せた後、小さくうんと呟いた。

 

(天之河くんと違って実に扱いやすいね。そういうところは好きだよ――さて、今の時間なら鈴を探すのもそう不自然には見られないかな。見つかるといいけど)

 

 頬を赤く染めたハジメと一緒に彼の教室に行くかたわら、恵里は下校しようとしている鈴を探す。きっと誰かと親し気に話をしているであろう様子を想像して頬を膨らませつつ、早く自分もその中に加わりたいと願いながら。だからであろうか。

 

(なにさ、たのしそうにして……鈴のいないとこでそういうのやってよ。めーわくだよ)

 

 ――うらやましそうに、寂しさをこらえるように二人の様子を一瞥した一人の少女を恵里が見つけることはなかった。

 

 もう人もまばらになった教室でハジメが帰りの準備をしている中、恵里は何を話すべきかについて考えあぐねていた。

 

(銃を作って使ってたことを考えるとコイツ、相当のオタクのはず。だとすれば話題に使えるのは漫画かゲーム辺りだろうけど、この頃って何が流行ってたっけ……)

 

 前の世界では光輝に自殺を止められて以降、母親にいびられていた頃とは違って同世代の子と話すことが多くなった。ただ、恵里からすれば当時は邪魔者か利用する相手のどちらかとしてでしか見ておらず、あくまで話を合わせるために当時の少女漫画や雑誌に軽く目を通していただけだった。

 

 今も自分の周りの子供に合わせるためにテレビを眺める程度でしかない。まだお小遣いをもらえてないため雑誌はまだ買えてないし、ましてや男の子の好きそうな話題に関しては何もわからない状態である。

 

(ダメだ、全然浮かばないな。これはあっちから話をうまく引き出し続けるしかない、か。まぁ、こちとら前世……でいいのかな? 重ねた年月がある。受け答え程度ならどうにかしてみせるさ)

 

 幸い、あまり知らないなりに上手く相手から話を聞き出すための技術は前の世界で鍛えてある。一言二言話し、後は上手く相手に思うままに話させてやればいいだけなのだ。それでどうにかなった経験は数知れない。

 

(ん、もう帰る準備は終わりそうだな。それじゃ……)

 

「お待たせ、中村さん。じゃあ、その」

 

「うん。帰ろう、南雲くん。」

 

 笑みを浮かべ、恵里は帰り支度を終えたハジメと一緒に教室を出ていく。そこで早速、ハジメからの心証を良くするために話しかけた。

 

「ねぇ、南雲くん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

「な、何かな、中村さん?」

 

「うん。あのね、南雲くんが好きなのって何? 食べ物でも趣味でもいいから知りたいな」

 

 緊張であがっている様子のハジメを見てクスクスと笑いつつ、恵里は話を切り出す――その不用意な一言でオタクがどれほど能弁になるかもわからずに。

 

「あ、あのねあのね! スパロ○とかアトリエシリーズって知ってる? スパロボはガン○ムとかマ○ンガーとかのロボットアニメがいっぱい出てるゲームなんだけど、新作のIMPA○Tはすごいよ! ドットがキレイになったし、アニメーションもすごいから見ててあきないよ! ステージも多くてボリュームもあるからすきなロボットいっぱい使えるよ! それとね、今やってるオスカルのアトリエもおもしろいよ! エンディングもいっぱいあるから何度でもたのしめるし、あそんだデータのひきつぎもできるよ! あとねあとね――」

 

(長い長い長い! 話を捌ききれるか!)

 

 話題を振られて舞い上がったか、それともロクに友達がいなかったからどう話せばいいのかわからなかったか、あるいは両方か。情報の津波を遠慮なしに叩き込まれて恵里はてんてこ舞いになってしまう。

 

「あとそろそろポケモ○のあたらしいのが出るみたいだから前にやってた金銀をひさしぶりにやってたよ。次はどんな○ケモンが出るかワクワクするよね! そういえば中村さんはどのポケモ○がすきなの?」

 

「あ、あのね南雲くん……」

 

 ようやく話一辺倒であったハジメが質問してきたため、この好機を逃す手はないと恵里は頭痛をこらえながらすぐに話しかけた。

 

「うん、何がすき――」

 

「一気に話しかけられてもボクは受け止めきれないからさ……ちょっとずつ、話をしてくれない?」

 

 ふつふつと湧いてきた怒りをどうにか抑えつつ諭せば、ハジメも自分のやらかしに気づいてごめんなさいと消え入りそうな声で謝ってきた。そしてお互い深呼吸をしてから改めてハジメに好きなもの尋ねてみれば、先の説明を少しだけわかりやすく話してくれた。

 

「えっとね、さっき言ったス○ロボっていうのは色んなロボットが出てくるシュミレーションのゲームだよ。えーっと、将棋とかオセロにちょっとだけ、ほんのちょっとだけ似てるかも。そういうゲームなんだ。あとさっき言ったオスカルのアトリエはね、主人公の女の子を動かしていろんなばしょでアイテムをあつめてアイテムを作るゲーム……ってわかる?」

 

(まぁこの頃の男の子なんてゲームとかそういうのにお熱か。でも家にゲームの機械なんてないし、まだお小遣いなんてもらってないからそっち方面でついていくのは無理だね。となると、次は……)

 

「あー、うん。なんとなくわかった。けど、私の家に機械がないからゲームの方は無理かな。だから南雲くんが好きな漫画とかテレビは何? そっちならついていけるかも」

 

「うん! わかった。えっとね――」

 

 ゲーム関連はどうにもならないと知って気落ちしているハジメに恵里は別方向からアプローチをかけた。そこでまた顔を輝かせつつ話をしているのを聞けば、やはり年頃の男の子が好みそうな漫画雑誌やそれに掲載されていると思しきタイトル、そして特撮ヒーローといったものが多く挙がった。だがある漫画のタイトルを聞いて恵里は首をかしげることになる。

 

(『桜吹雪舞う中でキミと』……あれ? どっかで聞いたことがあったような…………あ。確か、少女漫画のタイトルじゃなかったっけ)

 

 高校の入学式、桜吹雪の舞う中で出会った二組の男女の恋模様を描くという割とありふれた設定の作品であったが、割と好みの絵柄で面白かったため恵里は忘れることなく覚えていた。

 

 実際これは小学生の時分に鈴としていた話題でもあったはずだとおぼろげながらも記憶がよみがえってくる。それを懐かしみながら恵里は相づちを打つ。

 

「南雲くんも少女漫画を見るんだね。ちょっと意外かも」

 

「うん。よくわかんないところもあるけど、よく見てるから」

 

(ふーん、こういうのにも目を通しているのか。となると姉とか妹が見てるのを眺めてたとか、興味が沸いてこっそり見たとか……いや、どうかな)

 

 小学生の男の子が少女漫画を見る理由に適当にアタリをつけてはみるものの、どれもしっくりとは来ないために恵里は少しだけもやっとする。とはいえ、それもハジメの家に行けばおいおいわかるだろうと考え、先の発言に適当に相づちを返した。

 

「そっかー。あ、南雲くん。よかったらさ、南雲くんが好きな本を後で読んでみたいんだけど教えてくれない?」

 

 あちらの趣味趣向に沿って媚を売る作戦である。こうやって少しずつ近づいていき、うまい事気に入られようという魂胆だ。とはいえ、先ほどえらく饒舌に自分の趣味を語っていたことを考えると軽く触った程度で適当に迎合するとボロが出かねない。それが原因で距離を詰められない可能性も考えると本当に厄介だと思いつつ、興味のあるジャンルだけで上手く攻め込むしかないかと恵里は考える。

 

「う、うん。わかった。じゃあ、明日でいい? どれを持ってくれば……ってダメだよね。先生におこられちゃう」

 

「あ……そ、そうだね」

 

 ふとここで二人は校則で私物の持ち込みが禁止されていることを思いだした。仮に持ち込みがバレて親が呼び出されるのような事態はもっての外だし、先生から親に連絡が行くのだって避けたかった。

 

 前の世界では親の目なんぞ小三のあの日以降は特に気にも留めず、他の子供たちもコッソリやってたからそれに倣っていたが今は別である。お父さん第一主義である恵里には非行は考えられなくなっていたのだ。

 

 これはどうしたものかと思って恵里はうんうんとうなる中、ここでハジメとが思いもよらないことを口にした。

 

「えっと、その……中村さんがよかったら、ウチ、くる?」

 

「へっ?……い、行く! お願い!!」

 

 予想よりはるかに早いものの、ハジメの懐に潜り込む願ってもない提案があちらから出てきたことに恵里は一瞬フリーズする。だが、それを逃す手はないと恵里は頭を勢いよく下げて頼み込むのであった。




2024/2/16 ちょっと加筆修正


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幕間 幼い正義

皆様のお陰で無事UA2000越え、お気に入り40越えを達成しました!……いや、早ない? 凄い嬉しいんですけど、ちょっと怖い。

あ、ちょっと文イジりました。王様よりもこっちの方がいいと個人的には思ってます……いやーここ直すの忘れててガチでビビった。既に目を通していただいた方には申し訳ない。


「どうして……どうしてあんなヤツなんかがいいんだ」

 

 下校中、恵里に家に来る誘いを取り付けたハジメの様子を見ていた子供がいた。天之河光輝と坂上龍太郎だ。龍太郎の方はここ最近妙な行動をとる幼馴染の後をついて回っている方であったが。

 

「なぁ光輝、のぞきなんてみっともねぇぜ。中村、だったか? アイツはあっちのヤツがいいみたいなんだしそっとしといてやれよ」

 

「……どうしてだ龍太郎。お前だってあんなパッとしないヤツなんかより俺のほうがいいだろ? そうだよな?」

 

 南雲、と呼ばれた少年は光輝の見立てではどこにでもいそうな、大したことのない子供に映った。取り柄のなさそうな平凡な少年、そんなのに自分が興味を持った少女が声をかけている。そのことが何故か気に食わない。あの男の子の場所にいるのは本来自分のはずなんだという根拠も理由もないよくわからない感情が光輝の心を焦がしていた。

 

「そりゃお前のほうが勉強だってできるし、体うごかすのだって俺に負けてねぇよ」

 

「だろ? だったら――」

 

「でも中村のヤツはお前のことがどうでも良かったみたいじゃねぇか。そこが俺も気にくわねぇけどよ」

 

 光輝の心がまた一段ときしむ。言い知れない感情に襲われ、どうして、なんで、と疑問と共にふつふつと怒りが浮かんでくる。理由は彼の生い立ちであった。

 

 物心ついた頃から男女問わず人気者であり、なびかない女の子は彼の見える範囲にはいなかった。そして祖父のキレイな理想を疑うことなく信じ、そうあろうと動いてきた光輝はとてもまぶしい存在であった。少なくとも現実というものがどういうものかを知らない無垢な子供たちからすれば憧れる存在であったのだ。

 

 まさしく完璧と言って差し支えない光輝少年は入学して日が浅かったにもかかわらず、その周囲には常に人がいた。男女問わず彼を褒めそやし、彼の優しさに心打たれずにいる者はいなかったのだ。光輝もまた子供たちからの称賛を受け、それに応えるように正しくあろうとした。持てる力を、優しさを遺憾なく発揮した。

 

 彼はまさしくヒーローであった。その力であらゆる困難を砕き、自分を慕う者を引き連れて輝ける未来へと進んで行く。子供が考える理想のヒーローそのものであった。

 

 そんな光輝がある時、中村恵里という変わった少女と出会った。大人しそうな見た目で光輝が接した限りではそこまで押しが強いようには感じられない。いわばどこにでもいそうな少女というのが光輝の抱いた第一印象である。

 

 だが実のところ、一途に誰かの事を思い続け、自分のことなど眼中にない。それどころか光輝から見た感じではむしろ避けている節すら見受けられるのだ。どこにでもいそうな見た目の少女が探していた相手もまたどこかパッとしない。その事実が光輝が知らなかった感情を呼び覚ます。

 

(俺よりも勉強できなさそうなのに。俺よりも運動だってできそうじゃないのに。俺よりも友だちだっていないくせに)

 

 ――それは嫉妬であった。

 

(なんでお前が恵里のそばにいるんだ)

 

 ――それは悔しさであった。

 

(お前みたいな……お前みたいな何も無いヤツがどうしてそこにいるんだ!)

 

 ――それは憎しみであった。

 

 あんなヤツさえいなければ恵里は自分と一緒にいた。ならばアイツをやっつけてしまえ。

 

 己の内に芽生えたどす黒い感情から目を背ける技術がまだ磨かれておらず、それを覆い隠すためのロジックの構築も未だ未熟であった。故に光輝は悪意に呑まれそうになり、今にも激情があふれ出てしまいそうであった。

 

「別によ、アイツがどんなヤツと友だちになったっていいじゃねぇか。それの何が気にくわないんだよ?」

 

 そんな輪をかけて妙な様子の親友に龍太郎は声をかける。いつもカッコよくて凄い親友の力になりたい。そんな純粋な気持ちで声をかけるも、うつむいて肩を震わせていた光輝の口からは何かが粘りついたような言葉が漏れ出てきた。

 

「――くない」

 

「うん?」

 

「ふさわしく、ない。あんなヤツが、恵里の友だちなんかにふさわしくない! そんなハズがない!」

 

 見たことのない親友の怒声と形相に思わず龍太郎は腰を抜かしそうになってしまう。違う。いつも正しくて、誰にでも優しい自慢の幼馴染がこんな顔をするハズがない。怒りを露にして誰かを殴り倒そうとする顔をしているハズがない。

 

 自分の親友の豹変ぶりに龍太郎は軽い現実逃避をするが、光輝が校門へ向かって歩きだしたのを見てこのままではまずいとなぜか確信した。既に恵里とハジメの姿はおろか、自分達のいる校門付近すら人がまばらになっているとはいえ、このまま放っておくと二人に何かをしかねないと直感したのだ。歩き出した光輝の肩を掴み、必死になって止めようとする。

 

「はなせ龍太郎! 俺は恵里を助けるんだ! アイツはきっと恵里になにかしたんだ! だからアイツをやっつける!! だからはなしてくれ!」

 

「まてよ光輝! あ、アイツらのことは別にいいじゃねぇか! 今のお前こえぇんだよ! どうしてそんな顔するんだよ!?」

 

「俺はこわい顔なんてしていない! ただアイツをどうにかして――」

 

「ならなんでそんなおっかないこと言ってるんだよ! お、お前、悪いやつみたいに見えるぞ!」

 

 とっさに出た言葉。それで一瞬光輝の動きが止まったことにほっとする龍太郎であったが、光輝が自分の方を振り向いたその時絶句する――よどんだ瞳と共に激しい怒りを向けてきたのだから。

 

「わるい、やつ……? ふざけるな! 俺は正しいんだ! 俺は悪いことなんてしてない! 龍太郎、お前も悪いヤツだったんだな!」

 

「ち、違う! そうじゃねぇよ! そんなわけが――」

 

「もういい!! お前とは――お前とは絶交だ! もう俺の近くにくるな! 悪いヤツめ!」

 

 怒りにまかせて出た光輝の言葉にうろたえるしかなかった龍太郎は絶句する。最近変だった幼馴染を止めようと思っただけなのに。光輝が示してくれた正しさに憧れて自分なりにしてみただけなのに。

 

 結局天之河光輝(アイツ)はワガママを通したいためにそんなことを言ってただけだった。坂上龍太郎(自分)はアイツのワガママに従ってくれたから側に置いていただけなんだ。そう思った途端に龍太郎の心に怒りが沸いた。失望が沸いた。もうこんな奴なんか友達でもなんでもない。とっとと消えてしまえ、と。

 

「ああ、そうかよ……勝手にしやがれ! お前なんかを友だちだと思った俺がバカだったよ!!」

 

 光輝はその言葉に応えることなく学校を後にする。ただ怒りのままに。それが正しいことだと信じて。夕日に照らされたその姿は怒りに身を焼かれたかのようであった。

 

 

 

「光輝、どうしたの? 今日は特に機嫌が悪いみたいだけど」

 

 ここ最近どうも様子のおかしい光輝を見ていた母の天之河美耶は今日もまた食事前に彼の部屋を訪れようとした。光輝の様子がおかしくなってからは下の子の美月は兄がいる間はあまりしゃべらなくなったし、夫の聖治もどう声をかけてよいかわからず困っている様子であった。このままでは遠からずよからぬことが起きると思った美耶がこうして行動に出た次第である。

 

 だが、何度ノックして声をかけても今日は返事がない。いつもならば三回もノックを繰り返せばぽつぽつと話してくれるのだが、今日ばかりはそういった様子がない。これは確実に何かあったと確信してドアノブをひねるも鍵がかかっており、下手に壊して入るのも不味いと思ってこうして声をかけ続けている。

 

「いつもみたいに言ってみなさいよ。母さんはそんなに頼れない?」

 

 何度目かもわからないノックと声かけ。父さんと美月も心配してるわよ、と言ってみても反応すらしてくれない。こうなったら不躾ではあるが、ここ最近迷惑をかけているらしい“恵里”という名前の子を探して親伝いに尋ねてみるしかないかと考えているとようやく光輝が反応した。

 

「――うした」

 

「……? どうしたの。何があったかちゃんと言ってくれない?」

 

「龍太郎も悪いヤツだったんだ! 俺の味方だと思ってたのに! だから絶交したんだ!」

 

 幼稚園の頃から親しくしていた友達と縁を切ったことに美耶は驚く。事あるごとに彼のことを光輝は話しており、自慢の友達だと語っていたというのに。予感が的中してしまった。ちょっとした弾みで言ったことかもしれないが、きっとこのままでは光輝のためにならない。美耶は顔をしかめ、強く光輝の部屋のドアをノックする。

 

「光輝、何があったの! ちゃんと話しなさい! 今日も母さんが聞くから!」

 

 ただ清いだけを是とする光輝の正義感がきっと原因だろうと考え、もう成り行きを見守っているだけでは駄目だと直感した美耶は必死になってドアをノックする。いずれ清いだけではどうにもならない。濁りを受け入れることも重要だと思ってあまりこちらから矯正しないようにしていたことを後悔しつつ、必死になって呼びかける。

 

「アイツは俺を止めたんだよ! 恵里はあんなヤツなんかといっしょにいるべきじゃない! 俺がやっつけて、恵里を取り戻すんだ!」

 

 その叫びを聞いて美耶はノックを止めた――今の光輝は絶対に止めなければならない。誰かが光輝のやらかしに巻き込まれる前に殴ってでも止めねばならないのだと理解した。一度大きく息を吐き、眼前のドアを美耶は見据える。

 

「――いい加減にしろこの馬鹿息子がぁ!」

 

「ひっ!?」

 

 そして何のためらいもなくドアを蹴飛ばした。再度大きく息を吐き、光輝の部屋に板切れがめり込んでいることを確認すると、ベッドの上で震え上がっている光輝に向けて一喝する。

 

「か、母さん……?」

 

「今のあんたからはろくでなしと同類の匂いしかしない……自分を正当化して、自分のエゴを通そうとするような奴らとね。流石に母さんもそれは許せないよ」

 

 自分の母が気が強いのは光輝も理解していた。そして度量の深さも持ち合わせていると。

 

 そんな母がここまでキレたのを見たのは光輝も初めてであった。故に怯え、困惑している。自分は間違ったことはしてないはずなのに。昨日まではちゃんと話を聞いてくれて何か言ったぐらいだったのに。どうしてなんだと思いながら後ずさる。

 

「あんた、恵里って子とそんなに親しくはないはずよね? お願いされた訳でもないのに、あんたがただ困っているかもしれないって思いこみだけで何度もつきまとわれたあの子の気持ちは考えた事あるの?」

 

「だ、だって本当に困ってると思ったんだ! 恵里だって一人でいるよりは俺といた方がいいと思ったし、それに恵里が探しているヤツだって、恵里を一人にさせてるんだから絶対悪いヤツじゃ――」

 

「こんの馬鹿!」

 

 勢いよくげんこつを叩き込み、光輝をベッドに沈める。思った以上に重症な様子に美耶は一度額に手を当ててため息を吐くと、かがんで視線の高さを光輝に合わせた。

 

「まったく……今のあんたを見たら祖父さんも嘆くだろうさ。全く」

 

「じ、じいちゃんは関係ないだろ、母さん……!」

 

 頭をさすりながら恨めし気に光輝は美耶を見てくるが、美耶はそんな光輝を見て鼻を鳴らすだけである。

 

「関係あるさ。今のあんたは正しさと独りよがりなのをはき違えてる……そうならないようにあんたを正せなかった、正そうとしなかった私が言えた義理じゃないけどね」

 

「だ、だったら母さんが俺に説教するなんて……!」

 

「言葉尻を捕らえて都合よく解釈するんじゃない!――ねぇ光輝。あんた、祖父さんの仕事のことはわかるだろう?」

 

 光輝がどうにか反論しようとしてもキッとにらんで有無を言わせない。下手に道理に沿ってあれこれするよりも、多少不条理であっても今の光輝をどうにかする方がいいと結論を下したからだ。

 

「う、うん。弁護士は、悪いことをした人や悪くないのにつかまった人のために裁ばん所でたたかう人だよ」

 

「まぁ間違っちゃいないね。じゃあそういう人達のために普段弁護士はどうしてるかはわかる?」

 

 美耶から問いかけと強い眼差しを受けた光輝は祖父から聞いた話を思い出し、そこから自分なりに考えた答えを出す。

 

「えっと、つかまった人の話を聞いて、本当かどうかたしかめる……はず」

 

 その答えに満足したのか美耶はそれに深くうなづき、新たに光輝に問いかけた。本当かどうか確かめるにはどうするんだ、と。

 

「いろんなところを調べて、本当に正しいかをたしかめる。たしかお祖父さんはそう言ってた」

 

「うん、そこまでわかってるなら話は早い。じゃあ正しいかどうか確かめる時、祖父さんは何を心掛けてたかわかるかい?」

 

 それに反応しようとした時、光輝の心が大きくざわめいた。思い込みを捨て、怒りや悲しみに囚われないように心を落ち着かせて一つ一つ調べるんだ、と祖父の完治は語っていたからだ。

 

 つまり今のお前はそうではないと暗に言われたことを察し、自分が間違えたことへの恐れや驚愕、自身が間違いを犯したことを指摘されたことへの逆恨み、怒りが出てきた。

 

「ち、違う! お、俺はまちがってなんかいない!! アイツが、全部アイツが悪いんだ!」

 

 頭の中がぐちゃぐちゃになったが故の悪あがき。必死になって叫ぶ光輝に対し、美耶は深くため息を吐く。息子をこんな風にしてしまったことへの自嘲。どうして汚い部分も見せてやらなかったんだと祖父への見当違いの怒り。そして息子を止めてやらねば、思いを受け止めてやらねばという親としての責任。うつむいた顔を上げ、今一度美耶は光輝を見据える。

 

「……自分が嫌になるね。大切なものを壊してしまう前に、あんたと一度向き合わなきゃならなかった」

 

「どうして、どうしてなんだよ! 俺はただしくて、まちがってなんかなくて、どうして、どうして!!」

 

 感情のうねりに翻弄された光輝が掴みかかってくるも美耶はそれをいなし、両腕を握ってキッと光輝を見る。もう逃げない、逃がさないとばかりに真っ向から正視して目をそらさない。

 

「ぶつけてきな。私は絶対に逃げないから。これが親の責任だからね」

 

「どうして、どうして、う、うぅ……うわぁぁぁぁああぁぁあぁぁあぁぁあぁ!」

 

 がなり立てる光輝の目からあふれる涙、嗚咽を受けながら美耶は思う。これで良かったのか。光輝がまた間違えたりしないだろうかと。だがそんな迷いをかぶりと共に振り切り、弱々しく泣くだけになった愛息子を胸に抱く。

 

 また間違えたのならば止めて見せる。最悪、昔お世話になったあの人に光輝を正してもらう。この子のためならばなんだってやってやると美耶はキッと目を細めたのであった。

 

 

 

 

 

「母さんが言いたいことはわかっただろ?」

 

「……うん」

 

 光輝のかんしゃくが収まり、改めて先ほどの問いかけをしてみると幾ばくかの間を置いて答えてくれた。

 

「……思いこみをすてて、心をおちつかせて一つ一つにむきあう。俺は、それができてなかった」

 

「そうだね。私も聞いたときはそんな感じだった。じゃあ次。あんたが恵里にやったことを今一度私に言ってみな」

 

 祖父の教えを自分なりにかみ砕いたものを光輝は答えるが、美耶から投げかけられた質問に思わず苦虫をかんだような表情になった。

 

「……恵里がいい、って言ってもつきまとった。俺のことを見て、ほしかったから」

 

 こうして冷静になって考えれば自分がどれだけ彼女に迷惑をかけたのかを光輝は痛感する。きっと怖かっただろうし、辛かっただろう。それを思うと光輝は自分のやったことに恐怖し、顔を青ざめさせた。

 

「あの子もきっと嫌だっただろうし、怖かっただろうさ。それはちゃんと理解できたね?」

 

 そう問いかけると光輝もうなづき、美耶は次の質問をする。

 

「龍太郎は? どうして絶交だなんて言ったか話してみな」

 

「恵里と話をしてた子を見つけて、それで頭の中がぐちゃぐちゃになって……それで、その子をやっつけようとしたら龍太郎に止められたんだ」

 

 美耶は軽く息を吐く。親としてちゃんと光輝と接してやれなかったのだろうということを改めて実感し、今度こそ親の務めを果たさなければと光輝を見る。

 

「そう。なら私があんたを叱ったりげんこつを落としたのもわかるね?」

 

「うん。俺が……俺を止めようとしてくれた龍太郎を悪く言ったから」

 

「そこまでわかってるなら、もうやらなきゃならないことはわかってるね?」

 

「うん。二人に、あやまらなきゃ……」

 

 よし、と言って美耶は光輝の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。こうして自分の過ちに気づけたのならば、今ここでつまづいてしまってもまた歩き出せると美耶は信じている。だって天之河光輝は自分たちの子供なのだから。親バカと言われればそれまでではあるが、幼い頃から色々とやってのけたのが光輝なのだ。絶対にやれると美耶は信じている。

 

 それに今ここで立ち上がれるようにならなければならないのだ。これから先、何度も壁にぶつかることがあるかもしれない。でもここで下手に手を取って立ち上がらせてしまっては、何かあった時に光輝は立ち上がれないかもしれない。それで苦しむのは光輝だ。

 

「よく言った。なら明日、二人に謝ってきな。こういうのはすぐやらなきゃいけないよ」

 

 だからこそ美耶は告げる。やってしまったことの責任はとらなければならない。少なくともこの程度なら光輝でも背負えるのだから。

 

「ゆるして、くれるかな……」

 

「そればかりはあの二人次第さ。許す許さないじゃない。まずはちゃんと謝ってわびるんだ」

 

 弱々しくもうん、と返す光輝の頭をわしゃわしゃとすると、美耶は光輝の手を取って立ち上がらせる。

 

「さ、父さんと美月にも謝ってきな。心配かけてごめんなさい、ってね」

 

「わかったよ……ごめん、母さん」

 

 ふふ、と笑って美耶は光輝と共に部屋を出ていく。この晩、ようやく天之河家はいつものにぎやかさを取り戻すことが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 あくる日。重い気持ちで通学路を歩いていると、目の前に見知った顔があった。

 

「……お、おはよう。龍太郎」

 

 あいさつをしてみるものの、龍太郎からの返事はない。ここで自分がやったことを光輝は思い知った。ずっと昔から自分の後を追ってきて、何かあるとずっと自分といてくれた親友だったはずなのに。今の彼は何とも言えない表情で光輝を見るばかりである。

 

「き、昨日はごめん。俺が、俺がどうかしてた。だから、その……この通りだ!」

 

 そう言うやいなや、光輝は勢いよく頭を下げ、ただじっと龍太郎からの返事を待つ。もう龍太郎と友達として過ごせないかもしれない。それがあまりにも怖くて怖くて仕方がない。だが、母と約束したのだ。まずはちゃんと謝ってわびるのだ、と。許してもらえないかもしれない。もう関わることすら出来ないのかもしれない。それでもなお、光輝は一歩前に踏み込む。

 

 恐怖に、自分のしでかしたことの重さに押しつぶされそうになりながらも、光輝は目をつぶってただただ待つ。どれだけ待っただろうか。数秒? 数分? 何時間も経過しただろうか。ふと光輝の肩に誰かの手の感触が広がる。

 

「……俺はさ、光輝のことを前みたいに見れない気がする。中村のときみたいにお前がこわい顔をしてなにかやっちまいそうでよ。もうお前の後をついていくことはきっとできない」

 

 もう龍太郎とは友達としていられないだろうと光輝は思う。ずっと後をついてきてくれた彼がもうしないというのならば、それはきっと自分のことを嫌ったのだろう。そう結論づけてあきらめてしまおうとしたが、龍太郎は言葉を続けた。

 

「でもよ、俺だって悪いとは思ってるよ……友だちだったら、悪いことしたらなぐってでも止めないとダメだよな。おやじに言われてハッとしたよ」

 

 想像してなかった言葉に思わず顔を上げると、龍太郎はばつが悪そうに目をそらす。

 

「今まで俺がやってたのは金魚のフンだって言われちまったよ。ホント、そうだよな。お前がいくらすごいからってずっと後ろをついていくだけなんてよ、ダサいことしかしてなかったからさ……」

 

 気まずそうに、照れくさそうに龍太郎は言う。彼もまた親に諭されたのだ。友達が悪いことをしようとしたなら、してしまったのならば体を張って止めろと。目を覚まさせてやれと。ただ止めるだけじゃ、放っておくだけじゃきっと間違いを犯してしまうから。

 

「だからよ、その、なんだ……もうお前の後ろは歩かねぇ。お前といっしょだ。だから、な……俺がなにかやらかしたら言ってくれ。俺もお前がやらかしたらぜったい止めてやる、光輝」

 

 その言葉に光輝は涙が止まらなかった。邪魔者扱いしたのに、自分を何度も止めてくれたというのに悪し様に扱った自分を許してくれた。まだ友達で――いや、ちゃんと友達として居てくれると言ってくれたその暖かい言葉に。

 

「あーあー泣くなよぉ……俺も、おれもなきたくなっちまうじゃねぇかよぉ!」

 

 お互いに涙は止まらず、二人そろって往来で泣きじゃくる。人目もはばからず、抱き合ってむせび泣く。その結果二人そろって学校に遅刻することになってしまったが、二人とも後悔はなかった。

 

(恵里にもあやまらないと……許してくれなくても、やらなきゃ)

 

 ほんの少しだけ、大人の顔になった光輝は怖がりながらも前を向く。自分のやったことをちゃんと清算するために。その足取りは重いながらもしっかりとしていた。




2024/2/16 ちょっと加筆修正


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四話 いざ参らん化け物(予定)の家へ

皆様のおかげで無事お気に入り50件越えしました。誠にありがとうございます。
……やっぱりペース早くない? 軽く震えるんですけど。


「お、お邪魔しまーす……」

 

 ハジメからの誘いを受け、恵里はうながされるまま彼の家の玄関をくぐる。唐突に訪れたまたとないチャンスを逃すべきではなかったとはいえ、覚悟がまだ決まってなかった恵里はちょっと緊張している。

 

(まさか会って早々、コイツの家に来ることになるとは思わなかった。でももしトータスに行く羽目になった時、ここで南雲のヤツに気に入られればかなりのアドバンテージを得られるはず。トータスに来てすぐ、銃を用意してくれるかもしれないしね。そのためにもこれは必要なこと、必要なことなんだ)

 

 若干の緊張で手を震わせながらも靴をそろえ、南雲家へと恵里は上がる。そしてあらかじめ聞いていたハジメの家の電話の方へと向かう。家に電話もしくは留守電を残すためである。何せ急に決まったことな上に自宅にも戻らずにこっちに来てしまっている。帰りが遅くなることを考え、メッセージを残しておくべきかと恵里は考えたのである。

 

 南雲家の家電を見つけると、すぐに受話器を取って自宅の番号を入れる。そうしてコールが鳴ること数回、既に帰ってきてたらしい母親が電話に出た。

 

『もしもし、中村ですが。あの、どちら様ですか。押し売りは結構なので――』

 

「あ、お母さん? 私だよ。恵里。ちょっと理由があって、その……つ、つき合うことになった南雲くんの家の電話を借りたんだ」

 

『恵里!? どうしたの一体!?』

 

 そこでここに来ることになった経緯と帰りが遅くなることを説明する。クラスが違うため南雲家は連絡網にも載っておらず、幸は当然不審がったがそこでハジメに声をかけて説明してもらうことでどうにか納得してもらえた。次からはちゃんと事前に言うこと、それとどうしてハジメとつき合うことになったかを家に帰ったら説明することを約束することになったが。

 

『じゃああまり遅くならない内に帰るのよ、恵里』

 

「うん、わかった。じゃあ切るね」

 

 しかしここまで親身になって自分の話を聞いて心配してくれる女性と自分の母親が本当に同じ人間なのだろうか。そんなことと思いつつ恵里は電話を切り、さっきからそわそわして待っていたハジメに声をかけた。

 

「説明してくれてありがとう南雲くん。それじゃ、お部屋まで連れてってくれる?」

 

「うん、こっちだよ」

 

 ハジメの後を追って二階へと昇り、少し廊下を歩いたところで彼は止まった。そこのドアを開いて先にハジメは部屋に入ると恵里もそれに続いた。

 

「ここが、南雲くんの部屋なんだね」

 

 初めて足を踏み入れた南雲ハジメの部屋は中々に雑然としていた。部屋の多くのスペースを占める本棚の中には小説や絵本、ゲームのパッケージなどで埋まっており、勉強机と思しきものの上にも読みかけの小説やゲームボー○が乱雑に置かれている。

 

 机の上に置かれていた物に気づいたハジメがあわててそれらを引き出しにしまい込んでいるのをよそに、恵里は想像したのと大差ない感じの部屋でやっぱりこんな感じなのかと呆れ、この頃から立派なオタクだったのかと考えていた。もちろんそんな様子はおくびにも出しはしなかったが。

 

「そ、その、汚くてごめんね! い、今座る場所用意するから!」

 

 慌てて用意したクッションを向かい合うようにして置くと、その内の一つをハジメはポンポンと叩いて恵里を招く。若干顔が赤い部屋の主を見てやれやれと思いつつ、恵里も用意されたクッションの上に座った。

 

「えっと、これから僕が見てる本を持ってくるから。その中ですきなのがあったら言って」

 

 軽くテンパりながら言うハジメに恵里は笑顔を作ってうんと答える。するとハジメは勢いよく何度もうなづき、軽く鼻息を荒げながら本棚をひっくり返していく。その様子を微笑ましく見ていた恵里だったが、そういえばあの化け物と同じなんだよなと思うとふとあの厨二な姿が被ってしまった……あの見た目であたふたしながらやってるとなると物凄く痛々しく感じる。そんな恐ろしく失礼な事を考えながら待っていると、候補を見繕い終わったハジメが本の山を恵里の目の前にドサッと置いた。

 

「と、とりあえず中村さんがすきそうだって思ったのがこれぐらいなんだけど、よかったら見てみる?」

 

「う、うん……」

 

(多いわ! ちょっと話しただけでこんなにいきなり持ってくるヤツがいるかぁ!……な、南雲のヤツ、て、適当に持ってきただけだよね? な、なんかちょっと怖くなってきた)

 

 ハジメの熱意と蔵書の量に内心軽く引きながらも、流石に何もしないわけにもいかないとおずおずと本の山に手を伸ばす。そうして積まれた絵本や漫画、小説と一冊一冊手に取って最初の数ページ程度だけ目を通していたが、アニメ調のキャラが表紙を飾っていたり特徴的なタイトルだったりするものが多い。幼児向けだったり小学校低学年向けの本もなくはないが、オタクに向けたものであろうライトノベルの比率が多かった。

 

(この頃からこういう小説を読んでるなんてね。筋金入りだな、ホント。しかし、色々とあるけどそこまで目を引くものは……あれ?)

 

 おそらく自信を持って選んだであろう漫画やライトノベルの類は少し目を引くものが数冊といった程度で後は全滅。日常の生活に焦点を当てたものだけが恵里の琴線に触れた程度である。後は『十五少年漂流記』や『海底二万里』といった名前はよく聞くようなものもあったため、念のために頭に入れておこうかといったぐらいだ。

 

 そこで『十五少年漂流記』でも読もうかと思った時、ふと見覚えのある絵柄の本の表紙を手に取り、そのタイトルを見て思わず首をひねった。

 

(『南乃スミレ短編集』……あ、確か『桜吹雪舞う中でキミと』の作者の名前だったっけ。日付は、えーと……あれを出す前みたいだね)

 

 覚えていた引っ掛かりが消え、試しにめくってみれば絵柄はあの作品のものと似ている。やはり、と確信して読み進めてみれば少年誌向けの作品もあるものの、大半はかつて自分が読んでいたような少女誌向けのものであった。

 

(男の子向けっぽい作品はちょっと感じが違うけど、やっぱりこの人の作品ってすごいな)

 

 正統派のボーイミーツガール、複数の男子から興味を持たれて迫られる逆ハーレム、あるいは群像劇(これは三話ほどあった)など様々な題材があったが、どれも面白く最後までページをめくり終えた恵里は思わず息を大きく吐いた。

 

 ここでふと視線を向けられていることに気づいた恵里が振り向くと、ハジメがホッとした様子でこちらを見ていた。少しの気恥ずかしさ、弱みを握られた感じから来る嫌悪感を上手く隠しつつ、恵里はニッコリと微笑んだ。

 

「ありがとう南雲くん。この本面白かったよ」

 

「よかったぁ。『さくふぶ』がすきだったからおかあ……おなじ人の本だったらどうかな、って思ったんだ」

 

「う、うん……気遣ってくれて、あ、ありがとう」

 

 ハジメがうっかり言いかけた言葉に思わず恵里は頬をひくつかせた。まさか興味のあった作家がよりによってターゲットの母親だったとは思っていなかったのだ。とはいえハジメに取り入る際に親に対してアピール出来るのは好都合としか言えない。しめしめと思いながらハジメに関心を引いたものを数冊ピックアップしてこういうのは興味があるよと伝えると、パァッと顔を輝かせたハジメはすぐさま本棚から数冊の本を持ってきた。

 

「じゃ、じゃあコレとかコレはどう? さっきえらんだものと似てるのを持ってきたんだけど」

 

「あ、あり、がとう。ちょ、ちょっと待ってね……」

 

 かなりの量の本があるにもかかわらず、それらの本の傾向とどこにあるかを完全に記憶している様子のハジメに恵里は軽い恐怖を抱く。だがこれも自分のためだと恐怖をこらえつつ目を通してみれば、先程読んだものよりも強く興味を引くものばかりで余計に怖くなった。

 

 ここまで的確に自分の心を掴んでくるチョイスとそれを可能にする量の本を持っていることに恵里は軽くチビりそうになっている……もしかするとちょっと漏れたかもしれない。際限なく湧き出てくる恐怖を表に出さない様、必死に表情を作りながら恵里はハジメを褒めた。

 

「す、すごいよ南雲くん。これとこれ、それとこれも面白い、もの」

 

 何の反応もないのは不味いと思った恵里はとにかく褒めた。大丈夫。目の前のガキはエヒトと違って機嫌を損ねても命の危険はないんだ、と自分に言い聞かせながら。すると緊張した面持ちでこちらを見ていたハジメがまた花が開いたように満面の笑みを浮かべた。

 

「よかったぁ……もし中村さんのすきじゃないものオススメしたらどうしよう、ってちょっと不安だったから。こういうのがすきなんだね」

 

 えへへ、と顔をほころばせているハジメを見て、恵里もハジメに対する恐れや緊張が一気に抜けていくのを感じた。目の前にいるのはただの六歳の子供でしかないということをどうやら恐怖で忘れてしまっていたらしい。たとえそれが自分の願いを、計画を打ち破った忌々しい奴の過去の姿だったとしても。相手の懐に潜り込む千載一遇のチャンス、かつての敵をいかにうまく手懐けるかに神経を集中させていたせいでこんな簡単なことも忘れてしまっていたらしい。

 

(そうだよ。たとえ未来の化け物だったとしても、今のコイツはただのガキじゃないか……まぁ、ボクの好みをしれっと把握したのは本気で怖かったけど)

 

 こうして初対面の相手には緊張するし、褒められれば嬉しがる。ましてやそれが自分を好きだと言った相手ならなおさらだ。それに気づいた恵里は、自然と笑みが浮かんだことに気づかぬままハジメに声をかける。

 

「そんなことないよ。南雲くんが私のために考えて考えて選んでくれたんだもの」

 

 そう励ましの言葉をかけてやると、ハジメは一瞬目を大きく見開き、みるみるうちに顔を真っ赤に染めてうつむいてしまう。そんな男の子の様子がなんだかおかしくて。恵里もクスリと笑うとハジメに声をかけた。

 

「ねぇ南雲くん。照れてるところ悪いんだけど、他にオススメのものってあるかな?」

 

「……え? あ、うん! えっと、ちょっと中村さんのすきなものじゃないかもしれないけど――」

 

 そうしてまた本を見繕ってもらい、冒頭に軽く目を通し、気に入ったり興味が沸いたものはパラパラと流して読む。そこで色々と感想を言ったりしているとあっという間に時間が過ぎていた。

 

「……あっ、もうこんな時間。南雲くん、そろそろお家に帰るね」

 

「あ、わかったよ中村さん。じゃあ気に入ったのぜんぶ持ってく?」

 

 十冊近くある本をポンポンと叩くハジメに恵里は苦笑を浮かべた。流石にそんなには持っていけないよ、と言ってたしなめるとハジメも同じく苦笑いした。

 

「でもいいの? 私が言うのもなんだけど、今日会ったばっかりの人に物を貸せる?」

 

「うん。ここにあるのはぜんぶ読みおわったものばかりだし、読んだ本のことで中村さんとお話できるから」

 

 疑うことを知らないのか、それとも単なる考えなしか。目の前のニコニコしてる少年に少々呆れながらも恵里は二冊の本を手に取り、それらを傷つけないようランドセルに詰め込んだ。

 

「じゃあこの短編集とこの小説を借りるね。学校には持っていけないから、週末の日曜日に返しに来ればいいかな?」

 

「うん、わかった。あ、その、中村さん……」

 

 なあに、と笑みを浮かべながら尋ねれば、ハジメが意を決した様子で問いかけてくる。

 

「そ、そのね。日曜も、またいっしょに……いっしょに、あそびたいな」

 

 たどたどしい様子で聞いてきたハジメに恵里はクスクスと笑いながらいいよと簡潔に答えた。それを受けてまた満面の笑みを浮かべるハジメを見て恵里は思う。

 

(やっぱり、そこらの子供と変わらないじゃないか。変に身構えすぎてたよ。まぁこうして関係は築けたんだし、下手を打たなきゃどうにかなるな……しばらくの間はごっこ遊びにつき合ってあげるよ、な・ぐ・も・くん)

 

 内心ほくそ笑みながらランドセルを背負うと、バイバイと手を振ってハジメと別れた。わざわざ玄関まで出て律儀に手を振ってきた彼の様子に恵里は奇妙な感覚を覚えるが、特に気にするでもなく家路に着いた。

 

 

 

 

 

 

「そうか。でもな恵里、借りたものはちゃんと返すんだぞ」

 

 家に帰って早めに風呂を済ませ、夕食の席で今日あったことを聞かせると神妙な顔をして恵里をたしなめてきた。

 

「そうね。お母さんも言ったけど、物の貸し借りはトラブルになりやすいから気をつけなさい。その、南雲君って言ったかしら? いい子なのはわかるけれど、その子だって自分の物がなくなったら悲しむと思うわ」

 

「お母さんの言う通りだ。せっかく友達になってくれた子なんだから、その子を困らせたり泣かせたりしちゃ駄目だぞ。恵里ならきっと大丈夫だとは思うけどな」

 

 両親の言葉に恵里は深くうなづいた。それがトラブルの元になるのは前の世界でよく知っているし、当時は光輝からの心象を悪くしないために細心を払っていた。

 

 だが、今日ばかりは少々やらかしてしまったと恵里も反省していた。前の世界ではともかくとして、この世界では初対面の相手から物を借りている。ちゃんと了解をとっていたし、それを両親に話したとはいえ、第三者からすれば初対面の相手から物の貸し借りをしていたとしか映らないのだから。それでも自分を信じて頭をなでてくれた父には頭が上がらない思いであった。

 

「でもお友達になってくれた子が男の子なんてね。気になる人、ってことは恵里も恋をしたのかしら」

 

「流石にまだ早いんじゃないか。まぁ、恵里のことだ。きっと信用出来る子なんだろう」

 

 実は未来でガッツリ利用するための仕込みの真っ最中です、とは口が裂けても言えない。色々な意味で言えない。とりあえず恵里は今日他にあったことや父の仕事について尋ねるなど、両親と色々な話をしてその晩は大いに盛り上がるのであった。

 

 

 

 

 

 光輝がつきまとってきたことを謝ってきたため一体何があったと恵里が勘繰ったり、それ以降もう絡んでこなくなったことに疑問を抱いたり、クラスの子からハジメのことを尋ねられては冷やかされて青筋を立てたり、ハジメと昼休みや下校中にも話をしたり、ハジメのクラスに行く間や下校中にしれっと鈴を探したりしたものの結局空振り三昧であったりと色々なことが起きたその週末。約束通り、恵里は本の入ったバッグを手に南雲家を訪れていた。

 

 今日は両親がいることを事前にハジメから聞いていたため、上手く気に入られるかどうか恵里は少し緊張していた。だが、とんだ奇人変人が出てこない限りは大丈夫だろうと一度深呼吸をしてからインターホンを押す。少しの間を置いてハジメと彼の両親と思しき二人が現れた。というかハジメを引きずってきた。

 

「あなたが恵里ちゃんね。初めまして。ハジメの母親をやっている南雲菫です。よろしくね」

 

「俺がハジメの父の南雲愁だ。いやー、ハジメの奴が母さんのスタジオのスタッフ以外で交友関係が広がるなんで思ってなかった! しかもかわいらしくて大人びた子なんて、流石俺達の子だよなぁ菫!」

 

「そうねあなた! こんな歳でもう女の子を引っ掛けるとか、あなたの言う通りウチのハジメは間違いなくチーレムの才があるわね!」

 

 あまりにパワフル過ぎて恵里は思わず無言でのけぞった。道理であんなマシンガントークをいきなり叩き込んできたり、こちらの趣味に合致するチョイスが出来るわけだと本気で思った。あの親にしてこの(ハジメ)ありだと確信する。それと同時に本気で面倒な奴と関わってしまったかもしれないと自分の行動を本気で後悔していた。

 

「間違いないな菫! 俺も鼻が高いぞー。あ、恵里ちゃん。よかったら俺のことは『愁おじ様』と呼んでもいいぞ!」

 

「あなたズルいわ! 私のことも『菫おば様』って呼んで構わないわよ!」

 

「お、お父さんもお母さんもやめてよ! は、はずかしいし、中村さんだってイヤがってるよ!」

 

(頼む南雲なんとかしろ! ボクはこんなヤバい奴らがお前の親だなんて聞いてないんだからなぁ! クソッ、詐欺だ詐欺!!)

 

「あ、あはは……あのー、私はここで――うひゃぁ!?」

 

 アホみたいに高いテンションではしゃぐ大人二人をハジメに押し付けて一旦逃げようとするも、目ざとい南雲夫妻にあっさり捕まり、青天井になったテンションの二人に家まで連れていかれてしまう恵里であった。

 

「そうかそうか。恵里ちゃんの一目ぼれか。いやー、流石俺の息子だわ。この歳で女の子を惹きつける何かが出てるんだな」

 

「もう、あなたったら……さっきはごめんなさいね恵里ちゃん。ハジメに同年代の友達が出来たことがなくってつい、年甲斐もなくはしゃいじゃったわ」

 

「あ、あはははは……お気に、なさらず……」

 

 家のリビングまで引きずりこまれ、恵里は根掘り葉掘り尋ねられる羽目に遭った。ようやくテンションがそこそこに落ち着いたことでハッとした南雲夫妻から歓待を受けていた。コップにジュースを注がれ、テーブルには一口大のチョコやおせんべいなどの入った器まで置かれている。

 

 無駄に押しが強いし、寄生先の親相手となると流石に邪険には出来ない。出来ることならとっとと逃げ出したいが、ハジメ以上に魅力的な相手もいないため我慢する他ない。横のハジメに救いを求めなかったわけではないが、色々と口を出そうとしても結局親の勢いに負け続けてしまってどうすることも出来なかった。今は赤く染まった両手でその顔を覆っている。

 

(あーもう、本気で疲れる……本を返して、感想を言って、家で本を読むだけで好感度を上げる簡単な作業だと思ったのに。どうしていつもこうなる!)

 

 自身の不幸を嘆くも、それは可能な限り表情には出さない。嫌われるわけにも恨まれるわけにもいかないからだ。だからひたすらじっと我慢しつつ、どうにか仲を深めるために何かてはないかと考える。

 

(あの二人は下手に持ち上げたりなんかしたら収集が絶対つかなくなるな。だからって話にただつき合うのも結構しんどい……あーもうどうする! こうなったら恥ずかしがってるフリでもして、本を置いてとっとと帰――)

 

 何かいい案はないかと考えあぐねていると、ふと袖を引っ張られたのを感じた。振り向けば、ハジメが赤くなった顔を少しうつむかせながら恵里の方を見ていた。

 

「な、中村さん。部屋、いこ?」

 

 いたたまれなくなったのはハジメの方も同じだったらしく、消え入りそうな声で話しかけてきた。これは使えると恵里は南雲夫妻に向き直り、恥ずかしそうな様を装って話しかける。

 

「う、うん! あ、あの、愁さん、菫さん、その……」

 

「おお、そうだった! 今日は恵里ちゃんがハジメと遊ぶために来てくれたんだもんな! じゃあ後は二人でゆっくりしていきなさい。ハジメをよろしく頼むよ恵里ちゃん」

 

「あぁもう、ごめんなさいね恵里ちゃん。後でジュースとお菓子持ってくから!」

 

 よくやった南雲! とハジメを内心褒めちぎりつつ、恵里はハジメに手を引かれて部屋へと向かうのであった。そうしてハジメが部屋のカギをかけると、大きくため息を吐いて恵里に謝ってきた。

 

「ごめんね中村さん。お父さんとお母さんに今日中村さんが来る、って言ったらすごくテンションが上がっちゃって……」

 

 だったらちゃんと手綱を握れと思うものの、とりあえず思うだけで口には出さず苦笑を浮かべるだけに留める。こうしてあの暴走列車から引き離しはしてくれたのだし、何より使える手駒の信頼を稼がなければいけないのだから。とはいえこのままだと気まずい空気が一日中続くと考えた恵里はすぐに行動に移った。

 

「こ、個性的なお父さんとお母さんなんだね……あ、南雲くん。コレ、ありがとう。本当に面白かったよ」

 

 満面の笑みを作り、持ってきたバッグから借りた本を両手でハジメに差し出した。すると免疫のないハジメはまたしても顔を真っ赤にしておずおずとそれを受け取る。これで多少は空気を変えられたかと思った恵里はちょっとだけ顔を近づけて可愛らしくおねだりする。

 

「もしでいいんだけど、他にも面白そうな本があったら私に教えてくれないかな?」

 

 そして首を軽くかしげてあざとさたっぷりで言えばハジメは勢いよく首を縦に振り、本棚を勢いよく漁りだした。しばらくするとまた何冊かの本を抱え、それをおずおずと恵里に差し出してきた。

 

「この前中村さんがすきだって言ってた本と、あとコレもどうかな。もしかするとこっちの方はそんなにすきじゃないかもしれないけど……」

 

 受け取った本を見てみると、ハジメの言った通り前に面白いと言ったものの続きが数冊と見たことのないカバーのものが一冊であった。続きのものはともかくとして、よくもまぁ他にピックアップ出来たものだと恵里は軽く困惑した。

 

「ううん、いいよ。南雲くんが選んでくれた本ならきっと面白いと思う」

 

 愛想込みでハジメを褒めてやると、またしても照れ臭そうに軽く顔をうつむかせる。そこで試しに初めて見たものを手に取ってみれば、またしても恵里は舌を巻く羽目になった。最初はともかくとして、以降は自分好みの作品をひたすら当ててくるハジメに困惑と恐怖、そして微妙な苛立ちを恵里は感じていた。

 

(ホント、ボクのことをよく見てるよ……まったく、コイツに勝てなかったことを嫌ってなるほど思い知らされる)

 

 まだ会って一週間でしかないというのにどうしてここまで見透かされるのだ、と。そんなことを今考えても仕方がないというのに、頭の中はハジメが見せる化け物の片鱗で埋め尽くされる。そうして顔をしかめていると、ハジメが心配そうにのぞきこんできた。

 

「ねぇ、中村さん。どこかいたいの?」

 

「――え? あ、いや、その……ちょ、ちょっとした頭痛かな、アハハ……」

 

 そこでようやく自分の失態に気づき、それを適当な嘘で隠そうとすると、ハジメが心底心配そうな顔を浮かべて恵里の手を取った。

 

「た、大変だよ! い、今すぐ僕のベッドを使って!」

 

 そう言って思いっきり手を引かれ、適当な言い訳を考えているうちにベッドに座らされてしまう。座るやいなやすぐにシーツを叩き、早く横になるよう促される。

 

「い、いや、もう収まったから……」

 

「いいから! いいから使って!」

 

 彼の両親のような押しの強さで迫ってくるため、恵里も渋々横になるしかなかった。こんなところもあいつら譲りなのか、と恵里は本気で頭が痛くなった。コイツを選んだのはやっぱり間違いだったか、と本人のいる前で考えていると、ハジメが心底すまなさそうにぽつりとつぶやいた。

 

「今日はごめんね。うるさくしちゃったから中村さんにめいわくかけちゃった」

 

「そんなの気にしてないよ。こうして横になったから楽になったし」

 

(クソッ、南雲の親と会ってから調子が狂いっ放しだ。こんなところでボロを見せるなんて……ああ、もう)

 

 どうにか笑みを張り付けつつ恵里は自分の失態を恥じる。本来なら今後一切ボロを出すことなく上っ面の恋人ごっこをしながら都合よくハジメを使うつもりだったというのに。ままならないことを恨めしく思いつつ、恵里はどうやってハジメの機嫌をよくするかを考える。

 

「南雲くんは優しいよ」

 

「……そう、かな?」

 

「だって南雲くんだって色々遊びたいのにこうして私に気を遣ってくれてさ。嫌な顔ひとつしないでこうして心配してくれるんだもん。優しいよ」

 

 どうにかいい言葉はないかと頭をひねり、そこで自然と浮かんだ言葉を述べるとハジメは耳を真っ赤にしてそっぽを向いた。言葉にならないうなり声を上げている辺り、相当に恥ずかしいのだろう。

 

「もう私は大丈夫だからまた南雲くんの選んでくれた本を読みたいんだけど、いい?」

 

「……うん、わかった」

 

 そう声をかけるとハジメは先ほど選んだ本を持ってきてそっと恵里に手渡した。ベッドから体を起こした恵里がページをめくりだす。ハジメも自分のクッションの上に座り、恵里の様子を時折眺めながら適当に本を手に取った。

 

 おやつを持ってきた菫がカギのかかった部屋にナチュラルに入ってきたり、二人の様子を見て意味深な表情を浮かべるなど色々あったものの、二人はとても静かでゆったりとした時間を過ごした。

 

「今日はありがとう南雲くん。じゃあまた明日ね」

 

「うん。また明日」

 

 玄関まで両親と一緒に見送りにきたハジメにバイバイと手を振り、恵里は南雲家を後にする。後ろでいい歳した大人二人が黄色い声を上げているがそれを無視しながら。

 

(南雲の親があんな暴れ馬だったのは計算外だったけど、あっちに悪い印象は与えてはいないはず。もうアイツと関わるのをやめて鈴を探したいけど、そうもいかないしなぁ……まぁ、仕方ない。これも強力な兵器を手に入れるチャンスだ。せめてちょっと雑に扱っても問題ないくらいまでアイツを心酔させてからだな……鈴、会えるよね?)

 

 頭の中で算盤を弾きつつ恵里は家路に着く。最期の最期でようやくわかりあえた自称親友の顔を思い出しながら。

 

 一方、ハジメは恵里の姿が見えなくなった辺りで部屋に戻り、自分のベッドに倒れ込むと息を軽く吐いた。

 

「中村さん、楽しめてたかな」

 

 こぼしたのはちょっとした不安。自分を構ってくれたのは恵里を除けば両親か母の仕事場のスタッフぐらいしかハジメの記憶にはない。同い年の子との接し方がわからないが故の悩みであった。

 

(それにあの時、ヘンな顔だった。おこってないと、いいな)

 

 恵里に新しくオススメの本を手渡した時、一瞬だけ浮かべていた何とも言えない表情をハジメは見てしまっている。恵里はああ言ってくれたものの、今改めて考えると何か気に障ることをやってしまったのではないだろうかと不安になっていた。

 

(明日おこってたらあやまろう。そうじゃなかったら……また、あそびたいな。もっとお話ししたい)

 

 明日のことを考えながらハジメは読みかけのライトノベルを手に取るのであった。

 

 そうしてハジメが部屋にこもっている間、南雲夫妻もまたリビングで向かい合って話をしていた。

 

「なぁ菫。恵里ちゃんのこと、どう思う?」

 

 先に切り出したのは愁の方であった。会った当初は本当に“かわいらしくて大人びた子”だと思っていたのだが、家に連れ込んで色々と質問したり、菫がハジメの部屋に入った時に見た様子を聞いた際に異様に感じたのだ。本当にこの子は普通の子供なのか、と。

 

「あなたの言ってた通り、大人びていてかわいらしいとは思ったわ。でも、それにしたって大人しすぎるっていうのかしら。緊張していたのもあるんでしょうけど、それにしては結構冷静に私達のことを見てなかったかしら?」

 

 菫の言葉に愁もまたうなづいた。初対面とはいえ、あそこまで人見知りもしないで冷静に話せる子供がいるだろうかと二人は疑問に思っていたのだ。財界などのパーティーに出席するようないいとこのお嬢様のようには見えないし、そういった雰囲気ではないと愁は考えていた。

 

「単に恵里ちゃんが成熟してるのか、それとも家の事情か。今の時点じゃ判断が出来ないな」

 

「そう、ね。あまり複雑な事情じゃなければいいのだけれど」

 

 二人そろってため息をつき、テーブルに置いてあったミルクティーのカップに口をつける。愁はゲーム会社の社長であることから、菫は漫画家として人を観察していた経験から恵里の異常さに気づいてしまったが故に不安になる。ハジメの彼女だという少女は一体何者なのか。その底が知れないことに。

 

「とりあえずは見守るしかないだろうな」

 

「ただの考えすぎ、ならいいのだけれどね」

 

 菫の言葉に愁は返事をせず。ハジメが厄介なことに巻き込まれないことをただ祈るばかりであった。




本日の懺悔
当初は南雲夫妻の会話がちょっとだけ違いました。具体的には「もしかして恵里ちゃんの親って新興宗教にハマってね? 人慣れしてるのもそういうのと会ってる経験があるからなんじゃ」と勘違いして足を洗わせようだのなんだのと変な方向に話がこじれる具合に。それもこれもアフターでユエをエア彼女扱いしたり、嫁~ズを3D嫁扱いしたのが悪い(責任転嫁)


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五話 兆し

遅くなりましたが、歪曲王さん評価ありがとうございました。本当に申し訳ないです……。

それと皆さまがちょくちょく見てくださるおかげでUAも3600まで到達しました。感謝に堪えません。まだトータスに行ってないんですけどね……頑張る。うん。


(あぁ、もう。どうしてこんなことに……)

 

 ハジメと交友関係を持ってから十日余り。午後のホームルームが終わり、恵里は『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の面々と一緒に教室で先生にまた叱られている。事の発端は昼休み、光輝の取り巻きであった少女がいちゃもんをつけに来たことであった――アンタのせいで光輝くんがおかしくなった、と。

 

 いきなりそんな事を言われて何それと首をかしげざるを得ず、近くにいた『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の子達もムッとした様子でその子を見ていた。

 

 曰く、ハジメと交友関係を持った辺りから光輝から自信のある様子が見られなくなったらしく、何かにつれて妙に慎重になったらしい。聞いた当初は馬鹿馬鹿しいと一蹴したくなったが、いきなり謝ってきた光輝の様子と目の前の少女ががなり立ててる様子からしてどうも嘘には思えなかったのだ。

 

 そうして言いよどんだ結果、自分そっちのけでその女の子と『見守り隊』がケンカを始めたのである。そこを運悪く先生が通りがかったのがまずかった。その場では軽く口頭で注意するだけにとどまったが、放課後に改めて説教することを伝えられ、こうしてありがたいお話を聞く羽目になったのである。

 

「恵里ちゃんごめんねー」

 

「恵里ちゃんは悪くないってせんせーに言ったのにさー。話聞かないよねー」

 

「いや、いいよ……はは」

 

「でもさー、恵里ちゃんはまきこまれただけじゃない。私たちのせいなんだよ?」

 

 数十分に渡るとてもありがたいお説教の後、一緒にガミガミ叱られた子達から恵里は謝罪を受けていた。あまり気にしないでいいと何度も伝えるものの、誰も一歩も譲らない。だったら勝手にケンカなんかするなと言いたくなったが、それを口にして反感を買うつもりもない。いつものように我慢し、適当なところで切り上げて教室を出ようとした時であった。

 

「あ、中村さん。だいじょうぶ? なんか先生からおこられてたみたいだったけど」

 

 その途端、心配そうな様子のハジメがこちらの様子で恵里を見てきたのである。

 

「あ、南雲くん。別に、大したことじゃないよ」

 

「でも中村さんのクラスの先生がほかのクラスの子がどうの、って言ってたの聞いちゃった。その子のことで何かあったんだよね?」

 

 今日は特に間が悪い。それを痛感しつつ、恵里は説教の内容をハジメにわかりやすく教えてやる。別に無視してもいいのだが、それはハジメの不信感を買うことになるから出来ない。なら今心配しているのを同情に変えれやれと考えたのだ。光輝のストーキングやそれに対する謝罪、そして取り巻きの子があーだこーだ言ってきたことを伝え終えると、ハジメはちょっとムッとした表情で恵里の方を見つめてきた。

 

「中村さんはなにも悪くないのに……」

 

「南雲くんがそう思ってくれるだけでいいよ。帰ろ?」

 

 何でもない風にハジメに言ってみるものの、当の本人はその場で突っ立ったままいかにも不満げな雰囲気である。自分の取り巻きと同様、とばっちりを食らったことが我慢ならないらしいようだ。

 

「なーぐーもーくーん! 帰ろー!……ええい、こうなったら」

 

 それから何度も声をかけるものの、てこでも動かない様子のハジメを見て業を煮やした恵里は強硬手段に出る。ハジメの手を握り、そのまま引っ張っていったのだ。

 

「な、中村さん!? ちょ、ちょっと、は、はなして!」

 

 流石にそれは面食らったらしく、りんごのような顔になったハジメは手を放すよう懇願してくるが恵里は聞く耳を持たない。そんなの知ったことかとばかりに玄関まで歩いていく。

 

「放したら何するかわからないからね。強引だけど、こうさせてもらったよ」

 

「わ、わかったから! もうなにもしないから! は、はずかしいよぉ!」

 

 今にも湯気が出そうなぐらいに全身を真っ赤に染めたハジメが何度もお願いしてようやく恵里はその手を離した――この日はもとより、数日ほどハジメがマトモに受け答え出来なくなってしまい、恵里が頭を抱えたくなったのは言うまでもない。

 

(まったく。ボクの体は安くないし、何度も悩ませた分のツケはちゃんと返してもらうからね。お返しはエヒトのヤツをブチ殺せる兵器を最優先で支給してくれるんだったら許してやるよ)

 

 なお、恵里は無駄にたくましかった。がめつさ全開で未来のハジメにたかる気満々である。単に開き直ったとも言う。

 

 それから更に五日が経過。学校からの帰りでお邪魔した際にたまに出くわすハジメの両親や、ハジメの部屋で本を読んではその作品についてのトークをするようになったりと奇妙な時間の過ごし方にも少し慣れた頃にあることをハジメが提案してきた。

 

「え、私の家に行ってみたい?」

 

「うん。中村さんの家ってどういう感じなのかなー、って」

 

 急にハジメが恵里の家に行ってみたいとお願いしてきたのだ。今までハジメの家にお邪魔してばかりだったし、こちらの家に興味を持つのは自然だろうとは恵里も考えた。だが、実際に招くとなるとこれには恵里も渋い顔を浮かべざるを得なかった。

 

「いつも南雲くんの家に行ってばっかりだし、申し訳ないとは思ってるんだけどさ……私の部屋って、南雲くんの部屋と違ってそんなに本もないし、ゲームもないからつまらないと思うんだけど」

 

 要はハジメと遊んだり話をするためのツールがないから来たところで大して楽しむことがないのだ。一度ハジメに外で遊ぶことはあるかどうか尋ねてみたが、それよりも本を読んだりゲームしてるよと期待通りの答えが返ってきている。そのため公園で遊んで時間をつぶすということも出来ないため、このことには恵里も大いに頭を抱えた。

 

 だから恵里は自分の家にハジメを呼ばず、これまでずっとあちらの家で遊んでいたのである。やってることが同年代のそれとは大きく異なることはともかくとして。こうして理由を話したものの、何故かハジメは引き下がろうとはしなかった。

 

「でも、一回くらい行ってみたいし、中村さんのお父さんとお母さんにも会ってみたいって思ったんだけど……ダメ?」

 

 申し訳なさそうにつぶやくハジメを見て、恵里はあの両親の入れ知恵だろうと勘繰った。ちなみに大正解である。

 

 中村夫妻に顔合わせをしておいた方がいいというのは愁と菫だけでなく、ハジメもまた恵里と過ごしている内に感じていた。彼女の両親がどういった人なのか、彼女はどういうところに住んでいるのかに興味を持ってしまったのだ。しかもそれを自分の両親に言ってしまい、これ幸いとばかりに二人に言いくるめられてしまったのが事の真相である。

 

 流石にそこまでは恵里もわからなかったものの、流石に何度も一方的にお邪魔ばかりで大丈夫だろうかとは考えていた。それに正則と幸からも『たまには南雲君を家に呼んだらどうだ』とも言われているため、割と本気で恵里は悩んでいる。そこでハジメに確認することにした。

 

「南雲くんが来たいのはわかった。わかった、けど……本当に何もないからね? 南雲くんが暇になるだろうから家には呼ばないでおこうと思ってたんだけど」

 

 そう言って念を押すと、ハジメが少し考える仕草をした。そして何かを思いついたらしく、表情を明るくして恵里に質問をぶつけてきた。

 

「うん、わかった。じゃあ僕のものを持ってくるのはいいんだよね?」

 

 とんちを利かせてきたハジメに恵里もその手があったかと軽く呆れてしまう。狙い通り自分のことがどんどん好きになっているのはわかったのだが、そこまでして来たいのかと恵里は軽く頭を抱えたくなる心地であった。

 

(まぁ、そこまでして来たいのならなぁ……まぁ、いいか。ここで断ったら面倒だろうし、お父さんとお母さん(アイツ)にも何度も行くのはやめなさいって言われたしね。ここは折れてやるか)

 

「わかった、いいよ。それじゃ何冊本を持ってくるの?」

 

「え、ゲーム機はダメ? プレス○とか」

 

 諦めと呆れを可能な限り表情に出さないようにし、どれだけ本を持ってくるかを試しに聞いてみたら斜め上の回答がカッ飛んできて恵里は文字通り頭を抱えた。それを見て本気でハジメが慌てだしたが、だったらそういうことを言わないで欲しい。そんなことを思いつつ、恵里はハジメに言う。

 

「いや、あのさ……せめて持ってくるものぐらい考えてくれない? 予想外の答えを出されるボクの身にもなってよ」

 

「ご、ごめんね! もしよかったらいっしょにゲームしようかと思って……」

 

 どうせだからとハジメとしては今回の訪問をきっかけに一緒にゲームをしてみたいと思ったのだが、残念ながら恵里はそれがわからなかったしそれを受け止めるほど心の余裕がない。それならせめてお前の家でやってくれ。まだやったこともないのに思い付きだけで言うな。心の中でそう吐き捨てつつ、恵里は半目でハジメを見つめるのであった。

 

 

 

 

 

 ハジメの要望もあり、中村家訪問は今週の日曜日となった。そうして迎えた週末、ハジメは緊張した面持ちで中村家のインターホンを押す。少しするとパタパタとやや足早に駆け寄ってくる音が聞こえ、玄関から恵里の母である幸が顔を出した。

 

「あなたが南雲君ね。はじめまして、恵里のお母さんの幸よ。どうぞ上がって」

 

「お、おじゃまします……」

 

 唾をのみ、おずおずと家の中に入ると、恵里と父の正則がハジメを出迎えてきた。

 

「君が南雲ハジメ君か。私は恵里のお父さんの正則だ。いつも娘と遊んでくれてありがとう」

 

「え、えっと……はい」

 

「こんにちは、南雲くん。お菓子とかも私の部屋に用意してあるから早く上がって」

 

 柔和な笑みを浮かべている恵里に手を引かれ、ハジメは恵里の両親へのあいさつもそこそこに部屋へと連れていかれる。

 

「えっと、ここが私の部屋だよ。南雲くんのと比べるとあまり物がないけどよかったら」

 

 だからやりたくなかったんだと心の中でボヤきつつ、恵里は緊張しているハジメをクッションの上に座らせた。そして向かい合うように置かれたもう一つのクッションに恵里は腰を下ろし、二人の間に置いてあった菓子入れをハジメの方へと押す。中身は幸がこの日のためにわざわざ買ったちょっとお高めのクッキーである。

 

「えっと、確かここに……はい、ティッシュ」

 

「あ、ありがとう中村さん。いろいろ用意してくれてたんだね」

 

「……お父さんとお母さんがなんかえらく張り切っちゃってね」

 

 遠い目をしながら恵里は語る。日曜に友達を家に呼びたいとお願いしたらやたらと両親が感激し、恵里の言った通り張りきったのである。家の掃除はいつもより念入りに。よく使っているクッションも昨日洗ったばかりのものをまた洗濯、終いにはハジメはどういう菓子を食べるかまでも恵里にしつこく聞き倒したのである。それを恵里が語る事はなかったものの、その眼差しから親と言うのはどこもそういうものなのだろうかと思ったハジメも遠い目になった。

 

 それもこれも正則と幸が恵里の子供離れした様子を見る度によく心配していたことが原因であった。このままでこの子は幸せになれるのだろうか、と。

 

 流石に恵里を矯正しようという考えはないが、このままで恵里は幸せになれるのかという懸念は常に頭にあったのだ。だがらこそ、ハジメという少年を気にかけたというのが二人にとって救いとなった。幾らか早い気がするとはいえ、自分の子が人並みのことをしたために安堵したのだ――そのためにタガが外れてしまったことを恵里とハジメは知らない。

 

 そんな中村夫妻のことはよそに、ハジメはほとんどしわのない手提げかばんから本を取り出す。もちろんハジメの持ち込んだ小説であり、恵里も好きそうだと考えてチョイスした代物である。それを微笑みながら手渡し、恵里がお礼を言うと、いつものように二人は静かにページをめくっていく。

 

 

 ――こうして友達の家に遊びに来たにもかかわらず、二人が静かに本を読むスタイルが定着したのも理由がある。ハジメは同年代の友人が出来たのが恵里が初めてなためなのが原因であった。

 

 何かあると菫が自分の仕事場を託児所代わりに使ってたことがあって、ハジメの交友関係は両親を除けば菫の仕事場のスタッフぐらいしかいない。そのため年上の人たちとの接し方はこの歳にしてはこなれているのだが、同年代の友達がいないためやり方がわからない。せいぜい漫画や小説でどうしてるかを知った程度でしかない。

 

 しかしハジメは別にアウトドア派ではないし、好きな分野であるゲームからアプローチをかけようとしても恵里はゲーム機そのものを持っていない。そのためお互いに興味のあるものは小説ぐらいしかなく、そこから恵里の反応を探っているのである……とは言うものの、あくまで『中村さんが気に入ってくれるかな。楽しんでくれるかな』といった微笑ましいものであるが。

 

 対して恵里の方は一度だけ、それも交友関係を持って数日の頃にハジメに話しかけたことがあり、それを後悔しているからであった。

 

 一緒にいるのにいつも黙ってばかりでいいのかと思い、読んでいた作品の面白かったところを幾つか挙げてハジメに言ってみたことがあったのだ。するとハジメもそれには共感したのか怒涛の勢いで同意したり、恵里が他にも好きそうなところをつらつらとしゃべったり、挙句の果てにはネタバレをかますなどしたものだから恵里が辟易してしまったのである。以降は読んでる最中だけは絶対に話しかけないようになった。流石にお互い本を読み終わった後は良かったところや不満のあった箇所を列挙して色々と言い合うぐらいはやっていたが。

 

 余談だが、その時ハジメが語った恵里が好きそうな展開やシーンについては大方本人がハマったため、自分の部屋で心底悔しがっていたりする。

 

「……鈴も、いたらな」

 

 ――こうして妙な過ごし方になれてしまったせいなのか、それとも自分の家にいるために気をあまり張ってなかったためか。ふと恵里は昔を思い出してしまっていた。学校や鈴の家で一緒に過ごした頃の打算塗れで、ちょっとだけ心が安らいでいた頃の記憶である。

 

 あの頃は光輝に取り入るために彼と親しく、かつ明るくノリのいい鈴とかりそめの友情を結んでいた。実際、“谷口鈴の親友”というのは使い勝手の良い立ち位置であり、光輝と慕っていた香織と雫以外の女の目をあざむくには心底都合が良かった。それだけのはず、であった。

 

 しかし“谷口鈴”という存在は恵里にとって単に好都合なだけではなかった。何を言われても笑顔を絶やさず、いつも周囲を盛り上げていた彼女の側にいるのは決して不快ではなかったから。内心見下しながらも一緒にいることは決して嫌ではなかったのだ。

 

 神域での戦いを経て光輝への執着もなくなり、父も生きていて家族仲が一応円満となった。エヒトという懸念材料こそあったものの、心が安息でほぼ満ちていた恵里は自然と最後のひとかけらにも手を伸ばしたくなった。もしこの場に鈴がいてくれたら。一緒に下らない話をして、自分がそれに呆れながら一言二言言い返したり出来たら。それを思ってしまったのだ。

 

「ねぇ、中村さん。すず、って誰?」

 

 そのせいか心の声が漏れてしまい、この静かな空間にいたハジメはそれを聞き逃しはしなかった。

 

「――!? 、いや、何でもないよ! 何でも!」

 

 ハジメの問いかけに恵里は大いに慌て、何もなかったのを装おうと持っていた本をじっと凝視した。そんな恵里の様子があまりにも怪しくはあったものの、反応からして触れてほしくないんだろうとハジメは解釈した。方向性こそ違えど、自分だって好きな人のことをつぶやいたのを他人に聞かれたくはないと考えているからである。ふとした拍子に親に聞かれ、その都度からかわれて涙目になったという事実は恐らく関係ないだろう。

 

 そうして読書に戻ろうとすると、ハジメはあることを小耳にはさんだことを思い出した――恵里が探していた子は二人いる、ということを。

 

 その一人が自分であったが、そのもう一人は誰なのだろうかとハジメも気にかかったことはあった。時折誰かを探しているかのような素振りを恵里がしているのも気づいていた。流石に自分と一緒に本を読んだり話をしたりしている時はそんなことをしないものの、間が出来た時にはたまにやってるのを見ているため、きっと“すず”という人を探していたんだろうとハジメは一人納得する。

 

 一体どんな人なんだろうと考えるとなぜか胸がもやもやする心地であったが、やはり気になってしまうし、もしその子と出会えたら笑ってくれるかなとハジメは想像する。そして意を決したハジメは恵里に声をかけた。

 

「その、な、中村さん」

 

「うひっ!? ボ、ボクに何の用!?」

 

 またしても恵里の一人称がおかしくなっていることも少し気になったものの、ハジメは恵里に問いかける。

 

「えっと、その、ね……」

 

「な、何……? い、一体何なの?」

 

「な、中村さんがよかったら、その……すずって人を探すの、てつだうよ?」

 

 思いがけない言葉に一瞬恵里は真顔になり、その後すぐにハジメの両肩を勢いよく掴む。

 

「ほ、ホント!? す、鈴のこと探してくれるの!?」

 

「う、うん! て、てつだう! てつだうから――」

 

「ありがとう南雲くん!」

 

 感激のあまり恵里はハジメに抱き着き、そのまま押し倒してしまう――こんな形で助け舟が出るとは思わなかった。しかも利用しようと思っていたハジメから、である。こうしてご機嫌とりをしていてよかった、と感謝のあまりハジメを遠慮なく強く抱きしめる。だが、やられているハジメはそれをこらえることが出来なかった。

 

「――きゅぅ」

 

「ありがとう! それじゃ、探す範囲なんだけど――あれ? 南雲くん? 南雲? おーい……またか!」

 

 理由はどうあれ、好きな女の子に抱き着かれて押し倒される。しかも感謝までされるというのは年頃の男の子であるハジメの頭をオーバーヒートさせるには十分すぎた。結果、また気絶。コイツへの接触や言葉遣いは考えた方がいいかもしれない、と恵里は自分のやらかしを棚に上げてハジメの扱いを考えるのであった。

 

 

 

 

 

「もう。あまり南雲君を困らせちゃ駄目よ、恵里」

 

「はい。ごめんなさい……」

 

「きっと南雲君も女の子に慣れていないんだろう。好きな子にされたらなおさら、な。あ、でもな、人前でやると嫌がるかもしれないから気をつけるんだぞ恵里」

 

「うん……」

 

 恵里は今、両親から軽いお説教をくらっていた。ハジメが気絶して倒れた後、運悪くお菓子の代えを持ってきた幸に見つかってしまい、それを弁明する間もなく正則に伝えらえてしまったからだ。

 

 駆け付けた当初は大わらわだったのだが、恵里が必死になって要所要所を誤魔化しながら説明した途端に二人は困ったような嬉しいような甘酸っぱいような面持ちになってしまった。事の顛末を知ればとても微笑ましいものであったし、何より恵里がようやく子供らしいことを見せたのは両親としてもとても嬉しいことだったからだ。そのためやんわりとたしなめる程度に済ませ、ちゃんとハジメを見るよう言い残して正則と幸は部屋から出ていった。ニマニマと至極幸せそうな顔をしながら。

 

(あーもう、南雲の奴めぇ……お前のせいでこっ恥ずかしい目に遭ったじゃないか畜生め)

 

 なお当の恵里は何とも言えない表情で目を回したハジメをにらみつけていたが。お前のせいでいい恥をかいたとじっとりとした眼差しを送り続けつつ、恵里はあることを考えていた。コイツは思っていた以上に女に弱いんじゃないか、ということだ。

 

 最初につき合ってほしいと言った時、先日手を握った時、そして今日。とにもかくにも免疫がなさ過ぎる。実は超が何個もつくほどチョロいのではと考えていた時、クッションに横たわらせていたハジメがうめき声を上げた。

 

「……あれ? なかむら、さん?」

 

「目が覚めた? 南雲くん。とりあえず、大丈夫?」

 

「う、うん……ぼ、僕はその……だいじょうぶ、だから」

 

 先ほど抱き着かれたことを思い出したらしく、答えている途中からハジメは伏し目がちになった。反応を見るからにやらかしたなと恵里が心の中で舌打ちすると、ハジメがぽつりと胸の内をこぼした――嫌じゃなかった、と。

 

「な、中村さんにだきつかれて、すごくドキドキして、それで頭のなかがまっ白になって、その、それで……」

 

 顔をうつむかせながら話すハジメの様子を見る限り、やり過ぎではあっても失敗ではない様子である。とはいえこれは数日はマトモに話が出来ないパターンだな、と思いつつ恵里は尋ねる。

 

「えーと、それじゃまた本読む?」

 

「う、うん。そう、するね」

 

 ぎこちないやり取りの後、ハジメは視線を本に向けた。だが、ちょくちょく見つめてくるのに恵里も気づいている。お互い、どことなく落ち着かないままにこの日の時間は過ぎていくのであった。

 

「それじゃあね南雲君。また来てちょうだい」

 

「いつでもいいからね。君なら歓迎だよ」

 

「あ、はい……」

 

 日が暮れたことに気づいたハジメが慌てながらそろそろ帰ることを伝えると、正則と幸も見送りに出てきた。しかしこうして出てきた二人がハジメに言葉をかけるものの、当の本人はどこかうわの空な様子のまま。そこで恵里はため息を吐きながらその手を握った。

 

「な、中村さん!?」

 

「そんな状態じゃ家に帰れないでしょ。私が一緒に行ってあげるから」

 

 ここでもし事故に遭うなどして怪我などしようものなら今後に響く可能性がある。なら何も起きないように目を光らせておく必要があると考えたのだ。その結果ハジメがもじもじしたり、両親が微笑んでいるのは仕方がない。自身も相当恥ずかしいのを我慢しつつ、その手を引いていく。

 

「ま、待ってってば! ひ、ひとりで歩けるよ!」

 

「あーはいはい。だったらちゃんと歩いてね」

 

 これがトータスに行くまで続くのかと思うと憂うつになりながらも、恵里はハジメと一緒に手をつなぎながら南雲家へと向かっていくのであった。




ウチのエリリンいっつも叱られてんな(他人事)


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六話 暗闇の中にある陽だまり

皆様のお陰で無事UAも4500近くにまで来ました。誠にありがとうございます。
何度も何度も繰り返し見ていただけるとかクッソ恐縮です……。

あ、今回は気持ち短めです。


 ハジメに鈴の捜索を手伝ってもらう約束を取り付けた翌日の朝。恵里はホームルーム前の教室で自分の恋バナ(ではない)に興味津々な子供たちを集め、頭を下げた。

 

「みんなにお願いがあるの。南雲くん以外にも探してほしい女の子がいるんだ」

 

 その言葉に一体どうしたのかと一同がざわついたが、真剣な恵里の様子を見ると皆が口を閉じていった。

 

「昔会ったことのある子なんだけど、その子が休み時間にどこにいるかでいいから調べてくれないかな。出来ればどこのクラスの子かもわかると嬉しいんだけど」

 

 お願いはもちろん鈴の捜索のことだ。昨日ハジメにそれを約束してもらったため、どうせなら頭数を増やしてやれば早く見つかるはずと考えた恵里はこの子達も巻き込んでしまおうと行動に移したのである。ついでという形ではあったが本腰を入れて探すつもりであり、そのためならば頭を下げることすらいとわない。とはいえ嫌々やらせたら悪評が立つため、志願者を募ることにしたが。

 

「無理だったらしなくてもいいから。それで私は責めないから」

 

 そう告げて恵里は頭を下げ、その様子を見た『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の面々は恵里が本気で会いたいと思っているとを察した。互いが顔を見合わせる中、一人の子が手を挙げた。

 

「さがすのはいいんだけどさ、その子ってなんなの? 恵里ちゃんのむかしのお友だち?……もしかして、その子も南雲くんが好きなの?」

 

 その疑問にまたしても面々がざわつき出すが、『それはない』と欠片たりとも感情の乗らない声を恵里が発すると全員が驚いて止まってしまった。

 

「友達、っていうよりはその……昔見たことのある子、って言った方がいいかな。一度会ったことがあるぐらい」

 

 そう伝えると一同揃って首をかしげた。友達でもなければ知り合いとも言えない。かといって恋敵という訳でもなければ、一体どういう子なのか。皆が不思議に思うのも無理はなかった。

 

 反応からして流石に厳しいだろうかと恵里も苦笑いを浮かべたその時、さっきの子とは別の子が手を挙げる。

 

「じゃあその子って恵里ちゃんが気になってるだけ? お友達にでもなりたいの?」

 

「うん」

 

 その少年が抱いた疑問に首を縦に振るとおお、と子供たちの間でどよめきが走った。

 

「どうしよう……私はおてつだいしてもいいかな、って思うんだけど」

 

「僕もいいよ~。恵里ちゃんが南雲くんのことをいろいろ話してくれるのおもしろいしね~」

 

「あたしも! 恵里ちゃんのお話たのしいし、さんかくかんけーっていうのもいいよね!」

 

 昔からの馴染みであるメイがぽつりと漏らしたのをきっかけに、『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の子供たちは次々と手伝いたいと申し出てきてくれた――中には『その子に南雲くんとられないかな』だの、『その子も入れて南雲くんを……恵里ちゃん小あくま』などとはっ倒したくなるような寝言も次々と出てきたが恵里は無視。改めて皆に頭を下げた。

 

「ありがとうみんな。それじゃ、どんな子なのかを伝えるから――」

 

 そして鈴の見た目や雰囲気についてを伝えていく――名前をあえて出さなかったのはどうして尋ねて回らないのかということを突っつかれないためであり、どうして面識がほぼないのに名前を知っているのかを尋ねられないためだ。

 

 全員に情報を伝え終えると、絶対成功させようと『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の面々が一斉に声を掛ける。こうして協力してくれる彼らを見て、恵里はほんの少しだけありがたさを感じるのであった。

 

 そうして『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の子達に声をかけて数日が経過した時のことだった。

 

 中々鈴が見つからず、ハジメも子供たちもどこにいるんだろうと各々が疑問に思いながらも探していた時のことであった。

 

「……す、ず?」

 

 この日もいつものようにハジメを迎えに行くついでに鈴を探していた時のことである。この頃はまだこの学校にいないのかもしれないと半ば本気で思っていたものの、恵里はまだ諦めきれなかった。いつものように相手に気づかれない程度にチラチラと見ながら廊下を歩いていた時に見覚えのある顔を偶然見てしまったのだ。

 

 その顔立ちは最初に会ったときのそれをいくらか幼くした感じであり、間違いなく谷口鈴本人だと断言できる。しかし恵里はその少女を見て戸惑いを隠せなかった。

 

(す、鈴があんな暗いはずが……そんな訳ない! ボクが裏切った後でも平気で友達になろうとしてきたアイツがそんな、そんなはずなんてない!)

 

 あまりに雰囲気が違いすぎるのだ。人懐っこく誰とでも話をするあのムードメーカーが、一人であんな陰鬱な空気を漂わせてながら伏し目がちに歩いてくるだろうか。記憶の中と目の前の現実とが結びつかず、恵里は目を白黒させていた。

 

(い、いや、待て。待つんだ。もしかすると鈴の親戚とかそっくりさんかもしれない! えっと、あー、そうだ。とりあえず尋ねてみよう、それでわかるはず)

 

 そうして声をかけようとしたその時、ある物が目に入ったことで恵里の足は止まってしまう――名札だ。それには“たにぐちすず”と本人のものと思しきつたない字で書かれており、それは過去の鈴の筆跡とあまりにもよく似ていた。

 

「う、そ……」

 

 認めるしかなかった。おそらく目の前にいるのは自分の親友を自称していたあの騒がしい少女と同じなのだと。探し続けていた人物と一緒なのだ、と。

 

「……うそ、ってなに? はじめて会った人になんで鈴がうそをつくの?」

 

 先ほど漏れた言葉が聞こえたらしく、鈴と思しき少女はすれ違いざまに不機嫌そうにつぶやいた。その声色は恵里の記憶の中の少女のものとあまりにも似ている。それが恵里をひどく揺さぶった。

 

「ま、待って! き、聞きたいことがあるんだけど!」

 

 不機嫌なつぶやきから遅れること数秒、恵里は先ほどすれ違った少女に声をかける。鈴かもしれない。でも鈴じゃなければいい。この機会を逃せない。ここから逃げ出したい。無数の相反する考えがせめぎ合いながらも、恵里は少女の反応を待つ。すると少女は苛立ちを浮かべながらこちら側を振り向いた。

 

「……なに? 鈴になにか用なの?」

 

「き、聞きたいことがあるんだ! き、君の名前って、その、えっと……『山折り谷折りの“谷”に、お口の“口”、猫ちゃんがつけてる“鈴”』で合ってるよね!?」

 

 前の世界で初めて会った時に鈴が使っていた自己紹介のフレーズを思い出し、ほぼそのままに尋ねてみると少女は露骨に嫌そうな顔をして首を縦に振った。

 

「そうだけど……なに? 鈴のストーカーさん? 鈴は用がないから帰りたいんだけど」

 

「え、あ、その……」

 

 あっさりと肯定されてしまい、恵里はもう何も言えなくなってしまった。鈴はあんな顔をしない。あんな態度なんか取らない。なんで、どうして、と疑問が浮かぶばかりで頭がロクに回らない。

 

 でもかけてくる言葉こそ違えど、雰囲気こそ違えどもその顔と声はやはりあの頃の鈴とどこまでも近くて。目の前の現実を拒否したい気持ちと依然として揺るがない事実で頭の中がいっぱいで。恵里は何も考えられない。ただ全身を震わせるしか出来なかった。

 

「もういいよね。鈴は帰るよ」

 

「あ……ま、まっ……」

 

 呼び止めたい。話をしたい。でも何を言えばいいのかわからない。人を操るための言葉ならいくらだって思いつくのに、もう一度友達になるはずの少女にかける言葉はほんのわずかにだって出てくれはしない。結局、遠くなっていく背中を恵里はただ見つめるしか出来なかった。

 

「――むらさん? ねぇ中村さん、聞こえる?」

 

「――え? な、ぐも……くん?」

 

 そうしてしばし呆然としていた恵里は、後ろから声をかけられたことにすらすぐには気づけずにいた。

 

「どうかしたの? だいじょうぶ? 顔が青いよ?」

 

「え、っと……その」

 

 鈴を見つけたけど雰囲気が違った。たったその一言すら口から出てはくれない。カラカラに乾いた口は陸に上がった魚のように動くだけで、言葉一つ満足に出やしない。そんな恵里をハジメは心配そうに見つめる。

 

「ねぇ、つらいならほけん室にいこ?」

 

 きっと恵里に何かあった、と感じ取ったハジメはすぐに恵里の手をとり、そのまま保健室へと向かっていく。

 

「な、何でもないから! 大丈夫だから!」

 

「だいじょうぶじゃないよ! 今の中村さんはぜったいだいじょうぶじゃない!」

 

 普段は大人しくて自分の言葉一つでどうとでも転がせるはずの少年を前に恵里は戸惑いを隠し切れなかった。いつもならここまで強情にならないはずなのに。どうして聞き分けが悪いのか。先の鈴とのやり取りで受けたショックも相まって、恵里はただされるがままであった。

 

「うん、体は何ともなさそうね。でも疲れがたまっているかもしれないから、今日は早く休んだ方がいいわ」

 

 そうして連れてこられた保健室にて先生から簡単な触診を受け、ほっとひと息を吐くハジメとは対照的に恵里は未だに呆然としていた。家族が迎えに来るまで面倒を見るか、家まで送るかどうかした方がいいと先生がハジメに伝えると、最後に二人にあんまり長居しないようにと告げて書類に向き直った。

 

「中村さん、お家に帰れる? もし無理なら僕もいっしょに行くから」

 

 そう言って差し出してきた手を恵里は掴めずにいた。これがもし父のものであれば迷わずに手を伸ばしただろう。だが、相手は駒として利用しようとしているハジメである。弱みを見せてしまったら。つけ入る隙を与えられたらどうなる。ハジメの気遣いや時間の経過でほんのわずかに生まれた余裕が計算することを許してしまった。だからこそ、その手を取れない。

 

「……大丈夫だって。南雲くんに気遣ってもらうほどじゃ――」

 

 硬い表情のまま、やんわりとそれを拒絶しようとするとすぐに恵里の左手が包まれた。一体何が起きたと視線を向ければ、自分の左手をハジメが両手で覆っていたのだ。やっている相手に視線を向ければ、ハジメが今にも泣きそうな顔で恵里を見ている。どうして、と問いかけるよりも前にその答えは返ってきた。

 

「おねがい。今の中村さんがつらそうだから、だから――僕をたよってよ」

 

 今にも鼻をすすりそうになりながらハジメは恵里をじっと見つめていた。友達だからなのか、それとも好きになったからなのかはわからない。だが自分を好きになってくれた人が苦しそうにしているのをただ見ていられない。よくわからない感情に動かされるまま、ハジメは恵里の手を握り続けている。

 

「あ……うん」

 

 恵里は動けなかった。敵意でもなく。悪意でもなく。両親が向けてくるようで違う純粋な好意を、むき出しの善意を向けられた恵里はそれにうなずくしか出来なかった。そうしてハジメに手を引かれ、学校を出て通学路を歩く中、恵里は考え事をしていた。

 

(ここは別の世界なのかな)

 

 時折心配そうにハジメが見つめてくるが、今の恵里はそれに気づくこともないままひたすら考え事にふけっていた。

 

(あの事故の原因になった車は記憶の通りに来た。でもウチの近所とか、ここらの町並みってこんな感じだったっけ? 鈴だってあんなネクラだったし……ボクの知っている鈴はあんなヤツじゃない。あんな性格のはずがないんだ)

 

 単に過去に遡った訳でなく、別の世界に来てしまった。だから仕方がない。鈴も自分のいた世界とは違うからあんな性格なんだ。仕方ないんだ、と自分に言い聞かせるように根拠のない理屈を出し続ける。

 

「ねぇ中村さん。よかったら話、聞くよ?」

 

 そんな時、意を決したハジメが話しかけてきた。立ち直るどころかふさぎ込んでいる様子の恵里を見て、助けたいと思って発した一言が彼女の足を止めた。どうすればいいのか。頼っていいのか。ごまかすべきか。その瞳には迷いが映っていた。

 

「さっき中村さん、だれかとお話してたよね? 遠くから見えたよ」

 

 どうすべきか迷っているとハジメから思いもよらない言葉が出てきてしまい、恵里はうつむいた。あの化け物ならば既に想像はついているだろうと恵里は乾いた笑みを一瞬だけ浮かべると、何があったかを話し出した。

 

「……うん。鈴と、会ったんだ」

 

「そう、なの?」

 

 恵里の雰囲気に違和感を感じたハジメは思わず尋ね返す。探していた人に会えたのに少しも嬉しそうには見えなかったから。きっと辛そうにしていた原因がそれなんじゃないかとあたりをつけたからだ。そしてそれは当たっており、恵里は重々しくうなづいてから続きを話す。

 

「でも……でも、違ったんだ。ボクの知ってる、鈴じゃなかった」

 

 その言葉にハジメはただ無言でうなづき返した。出会ってまだ数週間しか経ってないからお互い昔の話はしていないし、だからこそ余計なことを言うべきじゃないとハジメもわかっていた。だから恵里が続きを話してくれるのを手を握りながら待つ。きっと、話してくれると信じて。

 

「ボクの知ってる鈴はあんなネクラじゃなかった。明るくて、誰とでも仲良くするような奴だった。なのに、なんで? どうして、なの」

 

 口ぶりからして二人が本当に親しかったのだろうとハジメは察する。きっと何かあって昔と違う性格になってしまったのだろうということも――そんな時、恵里の瞳から雫がこぼれた。

 

「ボクは、どうすればよかったのかな」

 

 それは後悔だった。

 

「どう声をかけたらよかったのかな」

 

 嘆きであった。

 

「ただの人違いだと思って、見なかったことにすればいいのかな」

 

 そして、諦めと悲しみであった。

 

 そんな力なくうなだれる恵里を見て、ハジメは必死になって考える。こうして聞いた限りでは自分よりもずっと鈴という少女を大切に思っていることは嫌になるほど理解できた。その事で胸がチクチクするのが気にかかるものの、『自分とつき会って欲しい』と頼み込んできた女の子がしゃくり上げながら涙を流しているのを見れば辛くなんてなかった。だからひたすら考える。今まで見た本で、小説で、漫画で、何でもいいから弱々しく泣いている子を助ける手段を求めて――そうして出せた答えはとてもシンプルなものであった。

 

「ねぇ、その……もう一回、すずって子と友だちになれないの?」

 

 あまりに簡単であまりに稚拙。そんなものしか出てこなかったものの、その一言で恵里は顔を上げた。

 

「とも、だち……?」

 

「うん。だって、前は友だちだったんだよね? それに中村さんのことがキライになったんじゃないなら、やってみたらどう、かな?」

 

 そうハジメが言うと恵里はまた顔をうつむかせ、か細い声で問いかけた。

 

「できる、かな」

 

「わからない、けど……しないと友だちになれないよ」

 

 かすかに震える恵里にたどたどしくもハジメは返す。少しでも目の前の少女の力になれるように。

 

「なりたいよぉ……」

 

「なろうよ。僕も、おてつだいするから」

 

 ハジメがそう伝えると、恵里はまたしゃくり上げる。そして頬を幾筋もの涙が伝い――ハジメに抱きついた。

 

「すずと……すずとともだちになりたいよぉ! ぼくのそばにいてくれたすずと! いっしょがいい!! ちがってもいいからぁ!」

 

 涙があふれ、嗚咽は止まらない。ボロボロと大粒の涙を流す恵里をハジメはやわらかく抱きしめた。きっとそれが彼女のためになると信じて。彼女の支えになれたらと願って。少しだけもやもやが晴れ、何かが満たされるのを感じながらハジメは恵里が泣き止むのをただじっと待っていた。

 

 

 

 

 

「……あのー、中村さん?」

 

 そしてひとしきり泣き、感情の整理がついた恵里が次にとった行動はハジメの胸に顔をうずめることであった。心なしかさっきよりも強い力で抱きついてきてるため、ハジメは軽く吐きそうになるがこれを我慢。ここで引きはがそうとするほど空気が読めないわけでもないし、力がないからである。

 

(失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した! あぁぁぁああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁああおのれ南雲ォおおぉぉぉ!)

 

 一方、恵里は羞恥心やらなにやらで頭の中がいっぱいであった。隙を見せたがために計画に支障が出るかもしれないだとか、借りが高くつかないだろうかとか、そんな懸念よりも恥ずかしさで頭がおかしくなりそうになっていた。とにかくひたすら恥ずかしくて死ねる。もう羞恥心だけで自分は砕け散ってしまうのではないかと錯覚するほどに恵里の頭はめちゃくちゃになっていた。

 

 何せ往来で漫画みたいなことをやってしまったのである。年相応の子供ならまだ多少はダメージが低かっただろうが、十何年と生きていた恵里からすれば今すぐ記憶から抹消するか自殺するかのレベルにまで及んでいた。

 

 なお、こうしてハジメの胸に顔をうずめている間もこの通りから視線が向けられている気配を感じているためダメージは蓄積中である。もし下手に頭を上げようものならそれらが全て微笑ましさに溢れた眼差しだと嫌でもわからされて確実に発狂するだろうことは恵里も理解していた。

 

「な、中村さん? そのー、そろそろ行こ? 僕もちょっとはずかしいから……」

 

「…………………………………………うん」

 

 恥ずかしさのあまり、もう考えるのも億劫になっていた恵里は黙ってハジメに連れていかれるのであった。

 

「ありがとう南雲君。恵里を家まで送ってくれて。良かったら寄っていったらどう? ジュースぐらいなら出せるから」

 

「あ、ありがとうございます……えっと、でも」

 

 道中無言になった恵里を無事中村家に連れてくることが出来、恵里の方も調子が戻った様子であったためハジメもこのまま別れるつもりであった。が、そこで外の洗濯物を片付けている最中だった幸と出くわし、どうして家に寄ったか理由を尋ねられることに。そこでていねいに答えた結果、幸から感謝されて家に寄らないかと言われ、どうしようかとハジメは恵里の方を見る。

 

「……いいよ。お母さんが言ってるんだし、お礼しないと」

 

 恵里もちょっとしたもてなしをするぐらいはやぶさかではなかった。家まで連れてってくれたのだし、飴の一つでもくれてやらないとまずいだろうとは考えていたからだ。まだ少し恥ずかしさが残る中、恵里はハジメに目配せをして入るよう促せば、ハジメも少し緊張した面持ちで中村家の玄関をくぐるのであった。

 

「ここにジュース置いておくから。私のことは構わなくていいからね」

 

 リビングに通され、二人が備え付けのイスに座るとすぐ幸からリンゴジュースと菓子入れを出される。ちなみに菓子入れにはナッツ類の入った小袋がいくつか入っていた。

 

「どうすれば、よかったのかな」

 

 お互い何度かジュースを口にし、ハジメがナッツの小袋に手を伸ばそうとした時、恵里はふとそんなことを口にした。ハジメは一度手を引っ込め、話の続きを待った。

 

「取り付く島もない感じでさ、何を言っても届かない気がして……ねぇ、南雲くんはどう思う?」

 

 あの時のことを思い出し、また弱気になっている恵里を見てハジメはまた頭を悩ませた。ハジメからしてもあの時の二人の雰囲気はいいとは思えず、ああして恵里が放心していたことを考えると相当冷たくあしらわれたのはすぐ想像できたからだ。だとしたらどうしようか、とウンウンうなっているとある妙案がハジメの頭に浮かんだ。

 

「ねぇ、中村さん。ちょっと思いついたことがあるんだけどいい?」

 

 恵里はそれに黙ってうなずくと、その妙案を耳打ちされる――その途端恵里は大きく目を見開き、勢いよくハジメの方に顔を向けた。

 

「す、すごいよ南雲くん! こんなこと考え付かなかったよ!」

 

「こ、これぐらいでよかったら……よかった。中村さんの力になれて」

 

 えへへ、とはにかむハジメを見つつ、恵里は改めて心の中で驚いていた。いくらその場にいなかったとはいえ、よくこんなことを考え付くものだと感心したからである。少なくとも今の自分では到底思いつかないだろうし、たとえ思いついたとしてもそれは自分では難しいのではないかと思えたからだ。

 

(まぁコイツがやったところで気休め程度なのかもしれないけれど、わずかでも確率を上げられるならやるに越したことはないね)

 

 それが確実さの欠ける方法であることは理解している。だが頭を下げるだけ以外の方法をハジメは出してくれたのだ。いくら成功する可能性が低いとはいえ、それを鼻で笑おうとは恵里は思わなかった。

 

(やっぱりコイツを味方にしてて助かったよ……今回ばかりは本当に感謝しないといけないね)

 

 そばにいるハジメを見やれば頬を染めており、そんな様子にほんの少しだけ頬が緩んでしまったのを自覚しながら恵里は思う。もし鈴と友達になることに成功したのならちょっとしたお返しぐらいはしてやろうかと考えながら。

 

「それじゃ、今から適当な紙を出すからちょっと待ってて」

 

「うん。おわったら僕があずかるから」

 

 そう言うと恵里はすぐにランドセルの中をひっくり返し、もう使わないでいい紙を探しに移る。ハジメも恵里を眺めながらこの作戦が上手くいくことを願う――そんな二人の様子を幸は微笑みながら見守るのであった。




エリリンのデレるスピードが速い気がする(小並感)


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七話 訪れた夜明け

皆様のお陰でUA5000オーバー、お気に入りも70件を超えました。まことにありがとうございます。

遅くなりましたが、評価をしていただいたお二方もありがとうございます。まだまだトータスに行く気配が見えないのに評価をくださるとは思わなんだで恐縮です……。


 いつだって夜は明けて朝は来る。既に朝食を済ませ、歯磨きを終えた恵里は寝ぐせのついた自分の髪の毛をとかしながら鈴の事を考える。

 

 自分の探し求めていた人物は過去の記憶にあったどの姿にも当てはまらず、会った当初は混乱するばかりでまともに言葉も交わせず拒絶されて絶望するばかりであった。

 

 だが今は違う。また拒絶されることへの怯えはあるものの、ハジメに元気づけられ、友達になるためどうするかについても話し合った。可能性は高くないかもしれない。けれどもう一度友達になりたいという思いは再び燃え上がっている。

 

(諦めて……諦めてたまるか。ボクはここで鈴と友達になるんだ。上っ面じゃない、利用しあう関係でもない。本当の、友達に!)

 

 今わの際で鈴と交わしたある会話を思い出す――もしあの時橋の上で出会ったのが鈴だったならどうだったのか、というもしもの話。友達だったかもしれない。親友になれたのかもしれない。どこかで引っかかっていたその思いを現実にするために。

 

 肩口まで伸ばした髪の毛をとかし終えると、洗面台に映った自分をキッと見つめ、よしと小さくつぶやいて小学校へ行く支度をしに行く。両親からの薦め、過去との決別のために伸ばした髪はふわりと揺れて舞った。

 

 鈴と出くわして数日が経った。鈴と会ったこと、前見た時とは様子が違うことを自分を慕う子達に伝え、改めて探してもらったことが功を奏した。昼休みに鈴らしき少女が屋上に続く階段でよく見かけるというタレコミがあったのである。

 

 流石に鈴のいるクラスに関しては伝手がなかったため、どこのクラスにいるのか、昼休みに本当にそこに行くのを見たという裏どりは得られなかったがそんなことは恵里にとってささいなことでしかなかった。こうして情報を得られたことが何よりもありがたいことだったから。

 

「ありがとう、みんな。それじゃあ、行ってくるね」

 

 そして訪れた昼休み。恵里はみんなに告げて鈴を探しに向かう。今度こそ鈴と友達になるために。

 

「いるといいね、恵里ちゃん!」

 

「がんばれー!」

 

「南雲君とられないようにねー」

 

 みんなからの声援を受けながらハジメのいる教室に向かえば、恵里の姿を見るや否やすぐに駆け寄ってきた。

 

「おまたせ、中村さん。それで、どこにいるかわかったの?」

 

「屋上に続く階段にいるかも、って聞いたよ。それじゃあ南雲くん、お願い」

 

 そうして二人は鈴を見つけるべくあまり歩きなれていない廊下を通り、階段を昇っていく。

 

 もしかしたらいないかもしれない。友達になれないかもしれない。そんな不安が恵里の心に巣食っていたが、隣にハジメがいる。最悪コイツがどうにかしてくれると考え、ひたすら進んでく。

 

 そして屋上まであと一階のところまで来たとき、二人は遂に鈴を見つける。屋上に続く踊り場の片隅で膝を抱えてじっとしている鈴のところへ、慎重に一歩ずつ迫っていく。するとそれに気づいたのか、恵里達の方へと視線を向けた。

 

「……この前のストーカーさん。そういえば友だちいたんだっけ。それで、鈴に何の用なの?」

 

 鈴にかけられた辛辣な言葉に恵里は思わず後ずさってしまうが、横にいたハジメがとっさに手を握ったせいか何故か持ち直せた。べたべた触るな、と内心悪態を吐きながらも恵里は今一度鈴に向き直った。

 

「なに? 鈴になかよしぶりのアピールでもしにきたの? やめてよそういうの。イライラするんだけど」

 

「違う」

 

 苛立ちを露にする鈴に強い口調で否定し、何回か目を泳がせてから恵里は頭を下げる。

 

「私は中村恵里。そしてこっちにいるのが南雲ハジメくん――どうか私達と友達になってくれませんか」

 

 その言葉に鈴は目を丸くした。何故かからんでくる奴を適当にあしらって帰ってもらうつもりだったのに、まさか友達になりたいと言ってきて頭を下げてくるとは思っていなかったのだ。ご丁寧に自己紹介も込みでやられたそれに一瞬言葉が詰まってしまう。

 

「……なんで? なかよくしたいならほかの子とかそこの子とだけしてればいいのに。いみわかんない」

 

 だがそれはほんの一瞬でしかなかった。何の接点もないはずなのにどうして自分と友達になろうというのか―― 一番身近で、大切な人すら自分をかまってくれないのに。その思いが申し出を拒んだ。

 

「君とも友達になりたいから……それじゃ駄目なの?」

 

「僕からもおねがい。中村さん、ずっときみを探してたから。だからおねがい」

 

 それでも、と頼み込んでくる二人を見て、鈴は心底うっとうしいとばかりに顔をしかめる。ずっと一緒にいるわけじゃないのに。お手伝いさん(梅子さん)だってあまり遅くならない内に帰るのに。ずっと寂しさを埋めてくれる訳じゃないのに。あまりに理不尽な子供の理屈ではあったが、鈴にとっては立派な理由であった。

 

「……そっちはそうでも鈴がする理由にはならないよね?」

 

 だから拒む。ただ拗ねているだけなのは鈴だってわかっている。けれども物心ついた頃からずっと感じていた寂しさが訴えるのだ――本当にいつも一緒にいてくれるの、と。

 

「で、でも――」

 

「しつこいよ! 鈴は――鈴は友だちなんかいらないんだってば!」

 

 ほんの少しの勇気を鈴は出せなかった。何度お手伝いさんにお願いしても両親が戻ってくる前に帰ってしまうことが多かったために。『今日は早く帰ってくる』と約束した両親に何度も裏切られたが故に。差し伸べられたその手を掴む勇気を鈴は出すことが出来なかったのだ。

 

「……なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? どうして!? 鈴は、鈴はそんな――」

 

 今にもくじけそうな心を奮い立たせながら手を差し伸べようとしてきた恵里であったが、繰り返される拒絶にまたしても言葉が詰まりそうになる。やっぱり無理なの? ボクと鈴は友達になれないの? そんな弱気な考えが浮かび、どうすればと悲観に暮れそうになる。

 

「どうして、ってなに!? 鈴のこと、わかった気にならないでよ! なんにも……なんにも知らないくせに!」

 

 やっぱり無理だったんだ。そう思ってあきらめようとしていたその時、鈴の言葉である記憶がよみがえった。

 

『ねぇ、教えてよ、恵里。鈴は恵里のことが知りたいんだ。今まで、親友って言いながら何一つ踏み込まなかった分、今、知りたい』

 

 それは神域で鈴からかけられた言葉。伸ばされた手。

 

『恵里の言う通り、鈴はヘラヘラ笑って馬鹿丸出しにして、広く浅い、だけど誰にも嫌われない――そんな生き方をしてきたよ。一人は嫌だったから。寂しいのには耐えられないから。いつだって人の輪の中にいたかったから』

 

 先の言葉よりも前に出た鈴の本音。今この場では似つかわしくないはずなのに何故か浮かんだ記憶。

 

「鈴は……鈴はひとりがいいの! ひとりじゃないとつらいから! だから、だからどっか行ってよ!」

 

 いつの間にか涙ぐんでいた鈴の顔を見て、自分の中のある記憶がフラッシュバックする。

 

 その時、カチリと何かがはまった気がした。

 

「……中村さん、今日はもうもどろう? ね?」

 

 なんだ、あまりに簡単じゃないか。心の中で独りつぶやくと、ずっと様子見に徹していたハジメが手を引くのを無視して恵里は一歩前に出て口角を上げた。

 

「ばっかじゃないの?」

 

「……え?」

 

「な、中村……さん?」

 

 いきなりの罵倒に鈴とハジメは思わず面食らってしまい、何も言えなくなった。そして一度息を深く吐くと、恵里は鈴を見据えて自分の思いを叩きつける。

 

「今の鈴は寂しくて拗ねてるようにしか見えないんだけど。そんなに寂しいんなら、辛いんだったら――ちゃんと言葉にしなきゃわかるわけないってのがわかんないの! ホント、ばっかじゃないの!」

 

 ぶつけられた言葉に鈴はわななき、ほんのわずかな間を置いてから怒りを露にした。

 

「ち……ちがう! 鈴は、鈴はそんなこと思ってない! べつにさみしくもつらくもなんか――」

 

「だったらどうしてそんなに必死になって言い返すのさ! 今の鈴は――昔のボクと変わらないようにしか見えないんだよ!」

 

「な、中村さん! 谷口さんもおちついて! け、ケンカは――」

 

 ヒートアップする二人をどうにかなだめようとした時、ハジメは見てしまった――動揺した鈴が涙を流している様を、恵里がとても苦しそうに向かい合っているのを。

 

「何もかも諦めてじっとしてる癖に、それなのに誰かに助けてもらいたくて仕方ないって顔してるじゃないか!」

 

 恵里には見えてしまっていた。今、目の前にいる少女はかつての自分とそう変わらないのだと。父を死なせ、母からの虐待に黙って耐えている頃の自分とあまりに似てしまっていると。

 

 だからこそ余計に苦しくて。辛くて。助けたくて。今ここで踏み込まなければ、かつての自分を今の自分が見捨ててしまうことになりそうだから。自分も涙をこぼしていることに気づかぬまま、恵里はひたすら思いの丈をぶつけ続ける。

 

「だったら言いなよ! 上っ面で取り繕ってないで! 何もしないで良くなる訳なんてないってのに、そんなこともわからないの!?」

 

「す、鈴は……すずは……」

 

「ボクにでも誰にでもいいから言いなよ! 聞くから! いくらだって聞く――」

 

「コラー! 何をやってるんだ!」

 

 泣く寸前の鈴に更に言葉を浴びせようとした時、階下から大人の男の声が響く。恵里と鈴が言い争いになっているのを目撃されてしまったらしく、高学年のクラスの担任が事態の収拾のためにここまで来てしまったのである。

 

 その声に我に返った恵里とハジメは大いに慌てるが、すぐにある事を思い出したハジメは鈴の手に一枚のメモを握らせた。

 

「コレ、よかったら! いつでも僕と中村さんがお話するから!」

 

 そう言うや否やハジメはすぐに階段を降り、先生に向かって頭を下げ倒した。何度も何度もごめんなさいと謝り続けるハジメに一瞬気圧されるも、先生はすぐに厳しい表情に戻ってハジメに問いただした。

 

「一体何があったんだ? 女子同士で言い争いになっていたと聞いたぞ」

 

「ご、ごめんなさい! えっと、その……ごめんなさい!」

 

 その言葉でどうして先生がこの場にいるのかを察したハジメであったが、どうすればいいのかわからずまたすぐに謝り倒す。そんなハジメに先生は思わずこけそうになるものの、謝ってばかりのハジメに一喝する。

 

「お前が謝ってどうするんだ!……そういえばお前は踊り場から降りてきたな。言い争いをしているのを見てたよな?」

 

「え、えっと、その……」

 

 正直に答えるべきか、それとも鈴という少女のために感情を露わにしていた恵里の話を先に聞いて欲しいと頼むべきか。どちらを選べばいいか迷っていると、恵里が降りてきて先生に向けて頭を下げた。

 

「ごめんなさい。私が南雲くんとケンカしてました。南雲くん、怒ると結構声が高くなるみたいで……そうだよね?」

 

「え、なんで? 素直に谷口さんとケンカしてたことを話したら――」

 

「あ、ちょ、ば、馬鹿っ! なんで本当のことを言う――ぐぇっ!?」

 

 鈴を巻き込むまいと恵里はこの場は嘘で切り抜けようとするも、キョトンとしたハジメがうっかり本当のことを漏らしてしまったため本気で慌てた。そして先生の無慈悲なげんこつが恵里の頭に落ちた。

 

「ほぉーう……大人相手に嘘で切り抜けようとは悪い子だなぁ。後で説教だ。わかったな?――それと、南雲って言ったな。その谷口って子はどこにいるか教えてくれないか?」

 

「あ、は、はい……こちら、です……」

 

 親の仇でも見るかのような目つきでにらんでくる恵里に背を向け、汗をダラダラ流しながらハジメは鈴のいる方を指さす。そして鈴も含めて三人は職員室で仲良く説教を受けることになった。

 

 なおげんこつは体罰、ということでこの先生は始末書と反省文を書かされた。

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 授業の時間を削ってまで行われた説教を終え、どうにか解放された鈴はいつものように暗い表情で自宅の玄関の扉を開けた。

 

「お帰りなさいお嬢さま。それで、今日は何かありました?」

 

 お手伝いさんとして雇われた原田梅子もいつものように鈴を出迎える。鈴からランドセルを受け取ると、うつむいたまま歩き出した鈴にいつものように話しかけた。

 

「……うん」

 

 そこで普段とは違う反応に梅子は心の中で大いに驚く。別にと素っ気なく返すか、何の反応も示さないまま自分の部屋に戻るのが常であるというのに、だ。

 

「そうですか。それじゃ、あたしに話しちゃくれません? 愚痴でも何でも聞いてあげますから」

 

 間違いなく何かあったと察した梅子は、何とも言えない様子の鈴にいつもよりも慎重に話しかける。すると鈴はポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出す。それには二人分の電話番号が書かれており、別れ際にハジメから手渡されたメモ用紙であった。

 

 ――もし友達になれなくても電話の話し相手にはなれるよね?

 

 恵里が鈴と会ったあの日、恵里の自宅でハジメが耳打ちした際に出た最初の言葉である。普通に話すのが難しいんだったら電話越しに話をするのはどうかと考え、恵里に伝えていた。そこで恵里と念のために自分の分の電話番号を書いた紙を鈴に手渡すことになり、こうしてその紙が今、鈴の手にあるのであった。

 

「ねぇ、梅子さん。ちょっと聞いてくれないかな」

 

「わかりました。じゃあまずは部屋にでも行きますか。お茶を用意してきますから、ちょっと待っててくださいね」

 

 鈴が短くつぶやくと梅子はそれにうなづき、お茶の用意をしに台所へと向かう。そしてティーポットとカップをのせたトレイを持ってきて部屋に入ると、先に戻っていた鈴は無言で梅子を迎える。梅子はお茶の用意を、時には鈴と一緒にお茶を飲みながら静かに耳を傾けるのであった。

 

「……なるほど、そういうことがあったんですね」

 

「うん……」

 

 ちょくちょく相づちを打ちつつ、言いづらそうな時は静かに待ちながら鈴の話に梅子は耳を傾けていた。そうして鈴の話を聞いて思ったのは自分達大人のふがいなさであった。

 

 鈴が人の機微に聡いのは梅子も知るところであった。彼女の両親もまた鈴がそういう子であるということは理解していた。いや、つもりであったと言うべきであろう。

 

 なまじ他人のことを察せてしまうからこそ、こうしてここまでためこんでしまったのだろう。家で拗ねた様子だったのは鈴なりの精一杯のアピールかもしれないんじゃないかと今は感じている。両親に迷惑はかけたくない。だけれどもかまってほしい。気づいてほしいと必死に訴えていたのだと。

 

「ねぇ梅子さん。でんわ、ってしてもだいじょうぶかな? 何回も友だちなんていらないて言っちゃったのに、ゆるしてくれるのかな」

 

 こうして機微に聡いからこそ一歩踏み込むことを恐れている。これも何度も声を上げてくれた鈴にちゃんと向き合わなかった大人の責任だろう。本当なら二つ返事で出来るものを尻込みさせるようにしてしまった自分達大人のせいだと。

 

「……あちらだってご飯やお風呂の時間はあるでしょうし、その時はダメでしょう。でも、わざわざこんな物を渡してんです。まず話を聞いてくれるでしょうよ」

 

「そう、かな」

 

 だからこそこんな風にしか答えられないことが梅子には歯がゆくて申し訳なかった。電話番号が書かれた紙を訝しげに見る鈴を見て、梅子は密かにため息を吐く。

 

(あたしらのせい、なんだろうなぁ……長いこと接してきたはずだってのに、結局お嬢さまの力には何一つなっていやしなかったなんてね)

 

 心の中で自嘲すると、梅子は鈴の手を取って真面目な顔をして向き合った。

 

「梅子、さん……?」

 

「お嬢さま、大事な話があります。ちょっと聞いてもらえませんかね?」

 

「なん、なの?」

 

「ぶつけてしまいましょう。旦那さまと奥さまに。自分はずっと寂しかったんだ、って」

 

 梅子がそう言えば、そわそわしていた鈴は目を丸くした。そうして自分が言った言葉の意味を飲み込めず頭に疑問符を浮かべる鈴を見ながら梅子は思う

 

(もしかするとクビになるかもしれないね……でも、これで少しはお嬢さまに奉公出来ただろうか)

 

 苦虫を噛み潰したような表情を少しだけほころばせながら、梅子は悩む鈴の頭を撫で続けた。

 

 

 

 

 

『……そっか。それじゃあがんばってね、谷口さん』

 

「うん。ありがとう南雲くん」

 

 鈴と話をした後、梅子は夕飯の準備をしに台所に向かっていった。『夕飯が出来上がるまでなら電話しててもこちらは問題ありませんよ』と伝えると、鈴はハジメの家に電話をかける。ストーカーだと言ったりした恵里に電話するのはいくらか気後れしたため、消去法で選んだのだが結果としてそれが功を奏した。

 

 電話をかけた当初は名前を告げるだけで他に何も言えずにいたが、ハジメは辛抱強く待ってくれたからだ。それが鈴にとっては救いとなり、踏み出す勇気を出すことが出来た。一言二言交わした後、ハジメからの応援にどこか心温まるものを感じながら鈴は受話器を置いた。

 

「お夕飯が出来ましたよー……その様子だと、決心はついたみたいですね」

 

 配膳を終え、電話が終わるのを待っていた梅子であったが、鈴の様子を見て少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。まだ迷いや怯えは見えるが、胸の内を明かしてくれた時よりはいい顔をしている。きっとどうにかなるだろうと考え、鈴と一緒に食事をとる。

 

「それじゃ、私はもう帰りますからね――後は、お嬢さま次第です。いざって時はあたしの名前を出しときゃいいですから」

 

 そうして後片付けを終え、梅子は谷口家を後にする。一人残った鈴は自分の部屋に戻ると、ベッドの上に腰かけて両親の帰りをただじっと待った。

 

 まだ迷いは強い。けれども見ず知らずの少年と家族以外で一番信頼している梅子が後押ししてくれた。もしかすると声もかけてもらえなくなるかもしれないという恐怖はある。それでももう我慢することは出来なかった。だから鈴は待つ。じっと待つのをこれで最後にするために。

 

「ただいま、鈴。こんな時間まで起きててどうしたんだい?……まさか、何かあったのかい!?」

 

「お、落ち着いてお父さん!――ねぇ鈴ちゃん、いつもなら寝てる時間なのにどうして?」

 

 夜の九時を過ぎ、ようやく両親が家に戻ってきた。いつもならば横になっている時間帯だったのにまだ鈴が起きていることに父の貴久はとても驚き、妻の春日(はるひ)もそんな夫をなだめながらも同じ疑問を口にした。

 

「……ねぇお父さん、お母さん。聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「あぁ、いいぞ。何だって言ってくれ。鈴の頼みだったらなんだって聞いてあげるよ」

 

「もちろん。何だっていいからお母さん達に言ってくれないかな?」

 

 そう自信満々に告げる両親の姿に苛立ちを感じながらも鈴はある疑問を口にした。

 

「お父さんもお母さんもさ、鈴のことがすきだよね?」

 

「当たり前だろう! そうでなかったらこんな夜遅くまでお父さん達は頑張れないさ!」

 

「そうだね。鈴ちゃんを愛してるのは本当だから。それは信じてほしいな」

 

 鈴の問いかけに二人はやはり自信満々に答えるが、その期待通りであり、期待外れでもある答えに鈴は思わず歯噛みした。そんな鈴の様子に思わず両親は首をかしげるが、次に鈴が発した言葉で思わず硬直してしまう。

 

「じゃあ……だったら、どうして鈴はいつもひとりなの?」

 

「ひ、一人じゃないだろう!? う、梅子さんだっているんだし……が、学校でも鈴を気にかけてくれる子だってきっと――」

 

「いなかったよ。ヘンな子がいたけどその二人だけだったもん。そういうことじゃないもん」

 

 貴久の言葉を鈴はすぐに遮った。どうしてわかってくれないの、と気を落とす鈴の脳裏に二回も自分につきまとってきた少女の言葉が浮かび上がった。

 

『今の鈴は寂しくて拗ねてるようにしか見えないんだけど。そんなに寂しいんなら、辛いんだったら――ちゃんと言葉にしなきゃわかるわけないってのがわかんないの! ホント、ばっかじゃないの!』

 

 結局あの子の言った通りだった。梅子の言った通りであった。ちゃんと言わなきゃわからないのだ、と。それを理解した鈴の心は一層きしむ――もう辛いのは嫌だ。寂しいのは嫌だ。鈴の心はもう決壊寸前であった。

 

「ね、ねぇ鈴ちゃん? どうしたの? もしかして気に障った?」

 

「――もう、イヤなの」

 

「な、何が嫌なんだい? お、お父さんとお母さんにちゃんと言って――」

 

「ひとりぼっちはイヤなの! お父さんとお母さんがいないのがイヤなの! どうして、どうして鈴はいっしょにいられないの!?」

 

 激情を露にして叫ぶ鈴に貴久と春日は呆然としてしまった。こんな風に感情的になることなんてなかったし、自分達が見ていた鈴はいつも寂しさを我慢しているように見られた。だからこそお手伝いさん(梅子さん)を雇ったのだし、それで大丈夫だと思っていた。そのはず、だったのだ。

 

「ほいく園に入ったときの日も! 運どう会のときも! おわかれ会のときだっていなかったのに! どうしてうそをつくの!! すずは……すずはずっといっしょがよかった!」

 

 その叫びに二人は膝から崩れ落ちた。自分達は何をやっていたのか。こちらの都合にかまけて大切な一人娘をないがしろにしていただけではないのか。何も見ようとしていなかったんじゃないのか。それを自覚した途端、二人は底知れない罪悪感に襲われた。

 

「うめこさんだけじゃやだ……おとうさんとおかあさんもいなきゃやだ! いやなの! やなの! やだぁ!!」

 

 わんわんと泣きながら鈴は叫び続ける。一度口に出してしまった感情を幼い少女は止めることが出来ない。幾年と積もった寂しさがとめどなくあふれ出ていく。言葉が出なくなり、ただ泣きじゃくるだけの鈴を貴久と春日は強く抱きしめた。

 

「ごめんよ……ごめんよ鈴! お父さんが、お父さんが間違ってた!」

 

「ごめんね……梅子さんに任せてばかりで、鈴をひとりぼっちにして……ごめんね。本当にごめんね」

 

 鈴が抱えていた闇を、苛んでいたものを知った二人も泣いて謝るしか出来なかった。どう償えばいいのかわからぬまま、ただわび続けるしか出来なかった。

 

「ちゃんと鈴といられる時間を増やすからね! もう寂しい思いは絶対させないからね!!」

 

「ごめんね、鈴。鈴のことをちゃんとわかってあげない駄目なお母さんでごめんね……許してもらえないかもしれないけど、もう間違えないから! 鈴のことをちゃんと見るから!!」

 

 だがようやく娘の心を知り、二人はちゃんと向き合うことを決める――ようやく谷口鈴という少女にも夜明けは訪れたのである。

 

 

 

 

 

(あーもう駄目だ。全部ご破算だ。ぜんぶぜーんぶダメになった)

 

 鈴と大ゲンカした翌日。恵里は寝床で物凄く気落ちしていた。本人に非がないケースもあったとはいえ、トラブルを何度も起こしていたため、遂に親に連絡が行ったのである。

 

 そのため両親からも説教を受けることになった。それも頭ごなしに怒られるぐらいならまだマシであった。心配や悲しみが前面に出ていたのである。これには恵里もかなり堪えた。自慢の娘でいたいという願望も見るも無残に砕け散ったのも心に影を落としている。しかも『辛いことがあったらお父さんでもお母さんでもちゃんと言ってくれ』と正則に気遣われたせいでトドメを刺された。

 

(あの後南雲の奴とギクシャクするし、結局鈴からの連絡はなかったし……終わった)

 

 問題はこれだけではなかった。鈴と友達になるどころか話し相手にすらなれなかったのが死にたくなるレベルで辛かったが、ハジメのことに関しても相当頭の痛い問題であった。

 

(あの化け物が自分のお気に入り以外なんか気にするとは思えないけど、もし引きずってたら……ホント、どうしよう)

 

 もし仮にここで疎遠になってしまい、トータスに行った後でも影響するとしたらと考えるとシャレにならない。ハジメがあの化け物同然の力と思考を手にしても結局ギクシャクしたままなら何のためにパイプを繋いだのか。しかもそれが逆効果になってしまうのであったら。もはや敵対するよりマシにしかならないのではないか、と考えた恵里は髪をかきむしった。

 

(もうだめだ。どうにか出来る気がしない……もう方針転換しよっかな。お父さんだけ守る方向で)

 

 失意の最中、布団の中に引きこもっていた恵里であったが、そこにいきなり幸が現れた。

 

「恵里、起きなさい! 今日も学校でしょ! それと、谷口さんって子から電話が来てるわよ!」

 

「……え?」

 

 思いもよらない一言に恵里はポカンと間の抜けた顔になってしまった。そして時間をかけて幸の言葉を理解すると、ありがとうと短く幸に伝え、恵里は家の電話まで一気に走っていった。

 

「す、鈴!? 鈴なの!? ど、どうして急に――」

 

『うるさっ!? おちついてってば……』

 

 鈴の非難に恵里が小さくごめんと返すと、鈴は何度かうめき声を上げてからようやく話を始めた。

 

『えっと、それで、その……昨日はごめんなさい。もし友だちになっても学校でわかれた後がつらいから、その……ね。友だちなんていらないって言ったんだ。ごめん』

 

「……ううん、いいよ。私の方こそ怒鳴っちゃってごめんなさい。それで、さ……その、えっと」

 

 お互いに謝り合うとそこで話が切れてしまい、気まずい沈黙がしばらく続く。こうして電話をくれたことへの喜びや感動、昨日のやらかしによる罪悪感で恵里は言葉に詰まっていたが、鈴がその沈黙を破ってくれた。

 

『えーと、さ……中村さんが良かったら、その……鈴と、友だちになってくれる?』

 

 その言葉を聞いた瞬間、恵里の双眸から涙があふれた。待ち望んでいた言葉。心の底から欲していた関係。それを遂に手にすることが出来たのだ。嗚咽を漏らし、くずおれそうになりながらも恵里はそれに答える。

 

「うん……うん! ボクと、ボクと友達になって!」

 

 涙でにじんでいるのに、恵里の見る世界はいつもよりも輝いて見えていた。




なおこの後一人称がボクであることがバレ、幸から「女の子が自分のことをボクって言っちゃダメでしょ」とお説教され、遅刻しかかる模様(台無し)

あと鈴と龍太郎との恋愛フラグが消えました。ごめ龍


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幕間二 鈴の音は七色に響き渡る

驚いたことに皆様のおかげでランクインしました。まことにありがとうございます。

……アクセス数が伸びた当初は質の悪いイタズラでも受けたかと思っていました。今でもドッキリを仕掛けられたんじゃないかと思っています。いや、だって、まだトータスに行ってないのにここまで持ち上げられると思わなかったんだもの。思い出すと今でも背筋が震えます。

そしてお気に入りに入れていただいた皆様、投票していただいたnismon様、kyaruko様、路徳様、真藤陽人様、夜杜様、ちょくちょくアクセスしてくださる皆様方、本当にありがとうございます。感謝に堪えません。

それと投稿が遅れてしまい申し訳ありません。これもそれも十二神将会議と古戦場が悪い(責任転嫁) だって水パが活躍できる数少ない機会だったもの……やるっきゃないでしょ。

あ、今回もちょっと短めです。


 カーテン越しに柔らかい光が部屋を照らす中、部屋の主はベッドの上で静かに寝息を立てていた。時刻は既に七時を過ぎていたが、目覚める気配は未だなく。そんな折、部屋の外からノックが響いた。

 

「鈴ちゃーん、起きなさーい。起きてー」

 

 ノックをしていたのは鈴の母である谷口春日であった。朝食を既に作り終えた春日はいつものように中々起きない鈴を起こしに来ており、今日も彼女の部屋のドアノブを回して部屋に入る。

 

「鈴ちゃーん。起きてー。もう朝ごはん出来てるからー」

 

「ん……あ、おかあさん」

 

 まどろみから覚めればそこにあったのは母の顔。体を起こして大きくあくびをすると、眠い目をこすりながら鈴はベッド近くに置いておいたスリッパを履いて母の手を掴んだ。

 

「おはよう鈴ちゃん。それじゃあ行こっか」

 

 うん、と短く返す鈴を連れて春日はリビングへと歩いていく。今日の朝ごはんは何かと鈴に尋ねられるとベーコンエッグとイチゴジャムのトーストだよと短く返すも、春日の表情は少しだけ硬い。しかし申し訳なさを表に出さないよう努めながら進む。

 

 朝食は鈴にとってとても大切な習慣である。家族全員と唯一過ごせる時間であるからだ。

 

 どんなに忙しくてもこの時間だけは一緒にいてくれる。だからこそ鈴は自分が両親に愛されていないと思いこまずに済んだのだが、だからこそ一人でいる寂しさに耐えられなかった理由でもあった。未だ眠気の覚めない頭で母の手を握れば、春日もまたその手をしっかりと握る。頭がぼうっとしているせいでよくはわからないが、それがとても安心できて嬉しく感じていた。

 

「おはよう鈴。お母さんも」

 

 春日とおそろいのマグカップに入ったカフェオレを口にしていた貴久だったが、一度それを置くとやってきた二人に微笑みながらあいさつをする。

 

「おはようございますお父さん」

 

「おはようおとーさん……」

 

 夢現で返事をすると鈴は自分のイスに座り、両親と一緒に手を合わせる。いただきます、と短くつぶやくとあだほんのりと温かいトーストにかじりついた。

 

 口の中に焼けた小麦の香りとある程度原型の残ったイチゴの食感、ペースト状になったイチゴと砂糖の甘みが広がっていく。水の入ったコップを両手ではさみこんで口をつけると喉をこくこくと鳴らし、ぷはっと短く息を吐いた。ひと心地ついたところでようやく鈴の意識も覚醒し始めた。

 

「鈴。あのね、これからはお父さん達もなるべく早く帰って、って……ゴメンね。また嘘になっちゃうかもしれないね」

 

「で、でも、ちゃんと鈴ちゃんと一緒にいられる時間は増やすから! それだけは絶対守るから!」

 

 悲痛な表情を浮かべる両親に鈴はうんと短く返した。前には感じられなかった必死さを今の二人からは感じ取れるし、それを疑おうとは今の鈴は思っていないからだ。

 

 休みはずっと家族といようねとか、だったら買い物も一緒に、とかいつになく真面目な様子で言い合っている両親をながめながら朝食を食べ進める。そうして最後にとっておいた黄身に口をつけると、ある事を思い出した鈴は両親に声をかけた。

 

「ねぇ。お父さん、お母さん。ちょっと、いい?」

 

「どうしたんだい鈴? おねだりなんて珍しいけど……」

 

「いいよ。鈴ちゃんのお願いなら、お母さん達がなんでも聞くからね」

 

 途中で自分達のやったことを思い出して一人表情を暗くする貴久と、過去のやらかしから前のめりになって聞きにくる春日に少し顔を引きつらせながらも鈴は答えた。

 

「うん。学校に行くまえにでんわしたいんだけどいい?」

 

「電話? どうしてだい?」

 

 首をかしげる貴久に鈴は申し訳なさそうな様子でその理由を伝える。

 

「きのう、鈴に話かけてくれた子とケンカしちゃったから……だから、だからね。あやまりたいの。おねがい」

 

 鈴の脳裏に浮かぶ二人の子。彼らのおかげで思いを伝えられた。自分の寂しさをわかってもらえた。だから昨日冷たくあしらおうとしたことを鈴は謝りたかったのだ。

 

「そっか。昨日鈴ちゃんも言ってたもんね。気にかけてくれた子がいる、って。ご飯食べ終わったら電話しよっか。それで、その二人の電話番号はわかる?」

 

「うん、これ……南雲くん、って子がくれたの」

 

 くしゃくしゃになった電話番号が書かれた紙を春日に渡すと、クスクスと笑いながらそれをながめていた。

 

「その南雲君、って子はいい子なんだね」

 

「……うん」

 

 春日からハジメの名前を出されると何故か胸が温かくなった。それに疑問を覚えつつも鈴は手を合わせてごちそうさまとつぶやくと、まだ笑顔を浮かべたままの母から紙を受け取る。そして電話機に向かい、ハジメと恵里に昨日のことを謝るのであった。

 

 

 

 

 

 学校に来るなり自分を見て小さいざわめきが起きたものの、鈴はそれを気にすることなく自分の席についた。頭の中にあるのはあの時声をかけてきた二人の子のことだけ。

 

(南雲くん……恵里……はやく、会いたいな)

 

 窓の外の景色をながめながら鈴は思う。以前のような憂うつそうな表情ながらも、その口角が上がっていたことに気づかないまま授業を受けるのであった。

 

 そして訪れた昼休み。二人を探そうと教室を出るも、鈴はあることを思い出した。

 

(……そういえば南雲くんも恵里もどこのクラスだったっけ? 朝でんわしたときに聞けばよかった)

 

 朝にそれぞれの自宅に電話した際、ハジメと恵里に謝った後、自分と友達になってくれた。だが、それが嬉しかったあまり二人がどこのクラスなのかを聞くのを鈴は忘れていたのだ。しかもあの紙にも書かれていないから万事休す。探すアテがどこにもない。

 

「――鈴っ!」

 

 どうしようとオロオロしながら廊下を歩き、近くのクラスにいないだろうかと辺りをのぞいていると、前から不意に声がかけられる。その方向を見れば自分に手を差し伸べてくれたあの少女が駆け寄ってきていた。

 

「え、恵里……よかった。どこのクラスかわからなくて、どうしようって思って」

 

「ごめんね。あの紙を渡す時、最初は電話友達から始めようって思ってたからクラスの番号は書かなかったの。でも、良かった」

 

 鈴が恵里のことを呼び捨てにしているのは朝に電話をした際にそう頼まれたためである。お互い名前で呼び合いたい、という恵里たっての希望からこうして下の名前で呼び合っている。

 

「じゃあ南雲くんの教室にいこう?」

 

「あー、うん……そう、だね」

 

 と、何故か恵里の方は歯切れの悪い返事を返してきたことを疑問に思い、鈴は何かあったのと問いかける。すると目をそらし、何度かうめき声を上げてから恵里は理由を語ってくれた。

 

「その、さ……昨日、先生に怒られた後、どうも気まずい感じになってね。私は気にしないでいいよ、って言ったんだけどさ、どうもあっちが謝ってばっかで……」

 

 これは間違いなく自分のせいだと確信した鈴が顔を青ざめさせると、すごい勢いで恵里が肩を掴んでまくし立ててくる。

 

「いや、鈴のせいじゃないからね! 南雲の奴が悪いだけだから! 人が何度も何度も気にするな、って言ってるのにアイツが聞き入れないだけだから!」

 

 ああもうどうしてこうなった、お前そんなへっぴり腰だったのか、とブツブツ言う恵里の様子を見て驚くと同時にまさかハジメは騙されたんだろうかと鈴は思った。

 

(でもどうしてそこまで南雲くんのことを悪く言うのかな……鈴だったらそんなこと言わないのに)

 

 どうしてそんなことを考えるのかも気付かないまま、鈴は恵里の手を引き、声をかける。

 

「ねぇ恵里、そろそろ南雲くんの教室にいこうよ。お昼休みなくなっちゃうよ」

 

「まったくいつも計画通りにいか……あ。うん、わかった」

 

 よくわからないことをぶつくさ言っていた恵里であったが、自分の声でまたあの人の良さそうな感じに態度が戻る。というか切り替わった……もしかしてこれに騙されたんだろうかと思いつつ鈴は恵里の後をついていくのであった。

 

「南雲くーん、お話いい?」

 

「あ……中村、さんと谷口さん」

 

 教室に入り、自分の席で物憂げにしていたハジメに恵里が声をかけるが、表情は気まずそうなものに変わっただけであった。しかし自分に対してだけちょっと表情が柔らかくなったため、それが鈴にはちょっとだけ嬉しかった。

 

「お、お話だよね……えっと、その……」

 

 恵里の言った通り、ハジメはどうも恵里に対して及び腰のようである。こうなった原因は自分にあると考えた鈴はわざとらしく大きく声を上げ、ハジメに話を振った。

 

「あー、あー、うん! えっと、南雲くんはさ、どういうことがすきなの?」

 

「え、えっと、その……ぼ、僕は小説とか、ゲームがすきだけど」

 

「じゃあ恵里は? どういうのがすき? おしえてよ」

 

「あ、いや、えっと……その、私も本とか読むのが好きだけど」

 

 どうにか二人が話を始めたため、それに鈴は手ごたえを感じた。それなら、と不慣れながらも二人が話を続けられるよう質問したり、もう一方に話を振ったりしてみた。

 

「へえー。南雲くんいっぱい本もってるんだ」

 

「うん。そういえば谷口さんは本よむのすき? もしよかったら貸すけれど」

 

「ありがとう南雲くん。もしよかったらおねがい……そういえば恵里は南雲くんの家に行ったことある?」

 

「え? うん。確かによく南雲くんの家にはお邪魔してるけど――」

 

 結果は成功といえるものではあった。時折苦笑を浮かべたり、考え込んだりする事があるものの、ハジメと恵里がいつまでたっても黙っているということはなかった。それに味を占めた鈴はそれを続ける。ただ――

 

「ねぇ、じゃあ今度恵里といっしょに南雲くんの家にいこうよ」

 

「そうだね。えっと、南雲くん。いい?」

 

「あ、その……えっと、えーっと」

 

 ハジメと恵里は自分と話をした方がより話がはずんでいるようだと鈴は感じ取っていた。ハジメと恵里同士の話となると特にハジメがぎこちない感じになることも。そうこうしていると予鈴が鳴ってしまった。

 

「えっと、じゃあね。二人とも」

 

 またハジメの表情が硬くなったことに気づいた鈴は、どうにかしなきゃと頭を巡らせるがすぐに良案は浮かばない。どうしようと焦りが募る中、恵里がハジメに声をかける。

 

「うん。南雲くん、その……今日も一緒に帰らない?」

 

「え、あの……えーっと」

 

 しかしハジメの反応は芳しくなく。それに苛立った鈴はハジメの手を掴み、ジト目で告げる。

 

「今日はいっしょに帰るよ。いいね?」

 

「アッハイ」

 

 有無を言わさず約束を取り付けるのであった。その横で恵里が『なんであの時の鈴と押しの強さが変わらないんだ……』とまた意味の分からないことをつぶやいていたからついでにジト目を向けておいた。

 

 

 

 

 

 そうして放課後が訪れ、鈴は恵里と合流してハジメのいる教室へと向かう。すると自分の席でそわそわしていたハジメを見つけた。

 

「南雲くーん。かえろーよー」

 

「あ、谷口さん。中村さんも……うん、わかった」

 

 以前から親しくしている恵里でなく、自分から声をかけたのにも訳がある。もちろんこちらが声をかけた方がまだマシな反応を示すからである。案の定、自分への反応は恵里に見せたものよりも柔らかいものであった。

 

「あのー……南雲くん?」

 

「え、えっと……なに、中村さん?」

 

 そうしてハジメと一緒に通学路を歩く。がしかし、昼休み当初のような気まずい空気がまた広がっている。もしかしていつもこうなのだろうかと試しにこっそり恵里に聞いてみるが、そんなわけがないとやはり一蹴された。

 

「むしろこっちが引くレベルで話しかけてくることがあるぐらいなんだけど。どうしよう、鈴……」

 

 小声で相談を持ち掛けてくる恵里に鈴は頭が痛くなる。どうにもじれったくて仕方がない。どうすればいいのだろうと悩んでいたその時、またあの言葉が脳裏に浮かんだ。

 

『今の鈴は寂しくて拗ねてるようにしか見えないんだけど。そんなに寂しいんなら、辛いんだったら――ちゃんと言葉にしなきゃわかるわけないってのがわかんないの! ホント、ばっかじゃないの!』

 

 自分を前に進ませてくれた、あの言葉が。どうしてあの時恵里があんな顔をしたのか。鈴はそれを理解できた気がした。

 

「……ねぇ、南雲くん」

 

「え、えっと……谷口、さん? か、顔がこわいよ……?」

 

 とても簡単なことだったのだ。だからきっと、今のこのじれったい空気を壊すのも簡単なんだろうと半ば確信に近いものを感じていた。

 

「恵里に言いづらいなら鈴に言ってよ。鈴がお話聞いてあげるから」

 

「え、えっと、その……?」

 

「えーと、鈴……?」

 

「恵里もだよ。二人が言いづらそうにしてたから鈴ががんばってたのに、どうして二人ともどうしようって顔してるの?」

 

 ハジメも恵里も面食らった様子で鈴を見つめてくる。人にそうされる経験がない鈴はそれにビクリと体を震わせたものの、目をそらさず二人を視界に入れる。

 

「せっかく、せっかく鈴とお友だちになってくれたのに……なってくれた南雲くんと恵里がそんな顔してるの、やだよ」

 

 ここで目をそらしたら、尻込みしてしまったら後悔してしまいそうな気がして。だから逃げ出したくても鈴は逃げなかった。

 

「で、でも……」

 

「でもじゃないよ! 昨日恵里が言ったの忘れたの!? 言わなきゃわかんないよ! 恵里も、鈴も!」

 

 目に涙を溜めながら鈴は声を張り上げる。それに気圧されたハジメが声を詰まらせてうつむくが、恵里は一度大きく息を吐いて頭をかく。そしてありがとう鈴、とつぶやいた恵里はハジメに声をかけた。

 

「南雲くん。何度も言ったけど昨日のことは気にしてないから」

 

「でも、でも……僕の、僕のせいで中村さんが……」

 

「だからいい、って言ったでしょ。別に南雲くんが先生呼んだわけじゃないし、運がなかったんだよ。運が」

 

 そう恵里が言うものの、ハジメの表情はまだこわばったままだった。そんなハジメに鈴は軽くしゃくりあげながらまた声をかける。

 

「南雲くんも、南雲くんもなんか言ってよ! ふたりが……ふたりがつらそうなかおしてるの、やだよぉ……」

 

 自分でも何を言っているのかわからない。鈴は生の感情をただこの場でぶつけるしか出来なかった。しかし、それがハジメを動かした。

 

「僕も……僕も中村さんと、谷口さんといっしょがいい」

 

 ポツリと胸の内を漏らすと、ハジメもまた鼻をぐすぐすとさせながら心の内をさらけ出していく。

 

「でも、でも……中村さんにきらわれたかも、って思ったらこわくて……でも、いっしょにいたくて……」

 

 ハジメもしゃくりあげながら恵里の袖の先をつまむ。

 

「やだ……中村さんといっしょにいたい。ずっといっしょがいい。きらいに、きらいにならないで……」

 

 顔をうつむかせ、さめざめと泣くハジメを見て鈴は二人に抱き着いた。

 

「すずも……すずもいっしょがいい! ふたりとはなれたくないよぉ!!」

 

 その言葉を機にハジメと鈴はわんわんと泣き出した。昂る感情をなだめる術を知らない二人は感情に流されるまま、思いを吐きだし続けるだけであった。

 

「……あのさ、ボクはどうすればいいんだよ」

 

 一方、恵里は二人を引っぺがすことが色々な意味で出来なかったため、二人が泣き止むまで頬をひくつかせていた。

 

 

 

 

 

「それじゃあお父さん、お母さん。行ってくるね」

 

 ゴールデンウィーク最終日。出かける支度を終えた鈴ははやる気持ちを上手く抑えられないまま両親にあいさつをする。

 

「うん、いってらっしゃい。気をつけてね鈴ちゃん」

 

 玄関では春日と貴久が鈴を見送りに来ていた。娘が友達の家に行く、という当たり前のことをやれる日が来たことに春日は笑みが浮かぶのを止められない。嬉しそうな様子の鈴に微笑みを向けながら手を振る。

 

「ああ、いってらっしゃい……ねぇお母さん。今からこっそりついていくのって――」

 

「ダメですよお父さん。そういうのはよくないって昨日言ったでしょ?」

 

「いやさー、鈴に悪い虫がついたらと思うと心配でね。僕達の鈴がだよ!? そうなったら僕は頭がおかしくなりそう――」

 

 なお、父は今まで自分をかまわなかったせいなのか頭の痛くなることを言っていたが。そんな両親を横に鈴は家を出て目的地であるハジメの家へと向かった。

 

「ん。来たね、鈴」

 

 ――途中、家から歩いて十分足らずのところにある公園に寄って、恵里と合流してから。

 

「それじゃあ恵里、()()()()()の家までおねがい」

 

「……わかった。ついて来て」

 

 電話番号こそ例の紙に書いてあるし、そこから家の電話帳で番地も調べられるが流石にどの家かまではわからない。だから恵里にガイドを頼むついでに話しでもしながら一緒に行くこととなった。

 

 だが、鈴がハジメの名前を口にした瞬間だけ、恵里が苦々しい表情を浮かべたのを見て、鈴はある疑惑を深めた――本当に恵里はハジメの事が好きなのだろうかという事だ。

 

 この前の学校からの帰りでの一悶着の後、ハジメがある事をお願いしてきた。恵里と鈴が互いに下の名前で呼び合っているのをハジメがうらやましがった。それで自分も二人に下の名前で呼んでほしい、二人を下の名前を呼びたいと頼んできたのである。捨てられた子犬のような目で。

 

 その際鈴は二つ返事で承諾したのだが、恵里は一瞬遅れて反応したのである。

 

 その時はちょっと恥ずかしいと言っていたが、鈴には根拠もないのにそれが嘘だと思ってしまったのだ。

 

「ねぇ恵里。聞きたいことがあるんだけどいい?」

 

 そして恵里に抱いていた疑いを抑えきれず、ハジメの家へ行く道すがら鈴は恵里に質問をぶつけてみることにした。

 

「どうしたの鈴? 別にいいけど」

 

「ありがとう恵里。じゃあ聞くけどさ、どうして恵里はたまに自分のことをボク、って言うの?」

 

「……へ?」

 

 それを伝えた途端、恵里の足が止まった。そして油が切れた機械のようにギリギリと首を自分の方に向けてくる。その顔は見てて怖くなるくらいひきつりっ放しだった。

 

「い、言ってた? わ、私が自分のことをボク、って……?」

 

「うん。それに自分のことをボクって言ってるときの恵里ってなんかふんいきがちがうもん。悪いこと考えてそうな――」

 

「待って。まず待とうか鈴。誤解だから。ボクは悪さなんて考えてないし、何より自分のことをボクなんて――」

 

「ほら、今言ったよ」

 

 そうしどろもどろになっている恵里に事実を突きつければ、動きが一瞬止まる。そして大きく息を吐くと、髪をガシガシとかいて気だるげな感じの視線を向けてきた。

 

「あーもう、ちゃんと隠してたつもりだったのにな……あのさ、鈴。出来れば、その」

 

「うん、いいよ。南雲くんには言わないでおくね」

 

 その言葉が意外だったのか恵里は大きく目を見開き、信じられないものを見るかのような目つきで鈴を見つめてくる。

 

「きっと恵里にも何かあるんだよね? 鈴と初めて会った時とかもそうだったけど、鈴のことを知ってる感じだったし」

 

 その言葉にうげっ、と短く漏らす恵里を見て鈴は確信した――中村恵里という少女は何か秘密がある、と。

 

「……確かに助かるけどさ、目的は何? こう上手く話が進むとさ、いくら鈴でも警戒したくなるね」

 

 疑いの眼差しを向けてくる恵里に鈴は首を横に振って否定する。

 

「ないよ? ただ、恵里にも言いたくないことがあるんだろうなーって思って」

 

 たとえ秘密を抱えていたとしても無理矢理にでも暴こうとは思っていなかったし、こうして恵里が渋っているならしなくてもいいと考えているからだ――せっかく友達になってくれた子をくだらないことでなくしたくない。それだけは絶対に嫌だったから。

 

「いつか話してくれるんだったらいいなー、って思ってるけどそれぐらいだよ?」

 

「……信じて、いいんだね?」

 

 もちろん、と声をかけて鈴は恵里の手を一度くいっと引く。鈴は柔らかい笑顔を浮かべながらそれにと付け加えた。

 

「ゴールデンウィーク最後の日なんだからハジメくんといっぱい遊びたいもん。ずっと家にいたし、友だちの家であそぶなんてはじめてだから」

 

 えへへ、と笑いかければ恵里も軽く息を吐いてしょうがないとばかりに困った顔になった。

 

「はいはい、わかった。それじゃあとっととハジメくんの家に行こうか」

 

「うん!」

 

 そうして最初に出来た女の子の友達に手を引かれながら鈴は初めて出来た男友達の家へ向かう。ウキウキしながら。軽い足取りで。街路樹の緑が太陽に照らされる中を歩いていく。

 

「いらっしゃい。恵里ちゃん、鈴ちゃん」

 

 そして笑顔のハジメに出迎えられ、本を読んだり、彼の両親の度を越したはしゃぎっっぷりに軽く引いたり、この日のためにハジメが買ったパーティゲームで盛り上がったりして鈴の休日は過ぎていった。

 

 陽だまりに照らされた世界はとても鮮やかに色づいていた。




・恵里から見た二人
鈴:なんか根暗だけど大切な友達。まぁ根暗だし、前いた世界と似通ったここだと多分こうなんだろうなと思ってる。
ハジメ:便利な道具(予定)であり、鈴と友達になるきっかけを作ってくれた奴。感謝はしてるけど恋人ごっこが面倒くさい。

・ハジメから見た二人
恵里:よくわからないけど“大切な”人。
鈴:恵里ちゃんが気に掛ける女の子。とりあえず友達になれたし、今は暗い顔してないからよかった。でも恵里ちゃんをとらないでほしい。

・鈴から見た二人
ハジメ:よくわからないけど気になる子。恩人。
恵里:恩人だけど猫を被ってるっぽい。どうしてこんなのがハジメくんと一緒にいるのかちょっと怪しい。けどいつか教えてくれるみたいだからいいや。

やだ、なんでこの時点で軽く複雑な三角関係に至ってるのこの子達……!←コイツのせい


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八話 騒がしくも手放しがたき日々

皆様のおかげで無事UA8500突破、お気に入りに入れていただいた方の数も140人を超えました。もう変な声しか出ません(白目)

投票していただいたリタ@影矢さんもありがとうございます。こうした高評価が励みになります。ありがたやありがたや。


「食事会?」

 

「ああ。南雲君と、それと最近恵里と友達になった谷口さんのご両親に誘われてね」

 

 鈴と友達になってから二ヶ月近くが過ぎた頃のこと。六月の半ばを過ぎた今日、しとしとと降る雨をBGMに家族と夕食後の団らんをしていた時のことであった。

 

「お父さんもハジメ君と鈴ちゃんのご両親がどういう人か気になってたし、いつも恵里をもてなしてくれている二人のご両親にお礼もしたかったところだからね。それで声をかけてくれたから参加したいと思っていたんだ」

 

 一体どういう経緯でそんなことになったか気になったが、あの親だったらするだろうなと恵里も父の話を聞いて思った。

 

 鈴の両親が親バカっぷりを発揮しているのは前の世界でも鈴が時折漏らしていたし、こちらでもたまにハジメと一緒に鈴の家にお邪魔した際に顔を出してくることがあった。ハジメに関しては鈴の父親は複雑な表情を浮かべているようだが、鈴の両親がこちらに感謝しているのは恵里もわかっている。だからこういった行動をとるのはそう不自然じゃないと思っていた。

 

 南雲家に関しては言わずもがな。あの二人だったら何をやってもおかしくないと恵里は確信しているからだ。

 

 恵里としても別にこの話を蹴るつもりは毛頭ない。鈴と一緒にいられる時間であるし、何よりやっておきたいことが出来るからだ。

 

(ボクとしては好都合だね。鈴との仲も深められるし、何より南雲のヤツと親しくしておきたいし)

 

 既にハジメに好かれているにもかかわらず、恵里が更に親しくなろうとしているのには理由がある。兵器の融通以外にそうする必要が出来てしまったからだ――鈴とハジメがくっつくのを阻止するためである。

 

「それで恵里はどうするんだい? 恵里が嫌ならやめておくけれど」

 

「ううん、私も行きたい。嫌じゃないし、二人とも会いたいから」

 

 そうか、と微笑む両親に恵里も愛想よく笑顔で返す。両親が今から連絡しようかと話をしているその横で、恵里は心の中で暗い炎を燃やしていた。

 

(あんな節操なしなんかに鈴の人生をめちゃくちゃにされてたまるか! どんな手を使ってもボクが鈴を守るんだ!)

 

 ここまでハジメを目の敵にするのもここ最近のことが原因であった。鈴がハジメと必要以上に親しくしようとしているフリがあるんじゃないかと恵里が疑っているからである。

 

 一緒に帰る際に手を繋ごうとするのはもちろんのこと、ハジメだけがお手洗いに行った時に鈴と二人で話をしている際にハジメのことが話題に上るとたまにはにかむような笑顔を見せる時があるのだ。ちなみに恵里自身のことが話題になった際にその笑顔を見せたことは今のところ一度もない。

 

 果ては自分がお手洗いから戻った後、鈴がハジメと話をしている際にまぶしい笑顔を見せていたのだ。その時は軽く殺意が芽生えた。矛先はもちろんハジメである。

 

(どこで拾ったかわからない幼女や他にも女を侍らせてたくせに、香織までそれに加えて……今度は鈴か! 鈴もか! 冗談じゃない! 鈴をお前のモノなんかにさせてたまるか!!)

 

 怒り狂っている理由はもちろん過去の記憶である。今となってはかなりあやふやになってしまったものの、化け物とさげすんでる未来のハジメの側に何人も女がいたということを恵里は覚えていたのだ。流石にちゃんと記憶していたのはイメチェンしたっぽい香織ぐらいで、後はエヒトがやたらとご執心だった金髪の幼女と他に女が何人かいた気がするといった具合だったが。

 

 とはいえ、あれだけ女を連れていたのだから何人か手を出していたんじゃないかと恵里は決めてかかっていた。特にエヒトに乗っ取られた後も声をかけていたあの幼女――ノーガードでエヒトにしてやられたのを見た時だけは心底笑えた――とか、助けた香織とかは確実だと今でも考えている。

 

 だからこそ鈴が将来あれの毒牙にかかるのではないかと危惧しているのだ。女を食い散らかすような奴なんかが鈴を幸せに出来る訳がない、と決めつけて。

 

 故にどんな方法を使ってでもハジメが鈴に惚れることを防ごうと恵里は考えていたのである。そこでハジメの意識を鈴からそらす手っ取り早い方法が自分が親しくなることであったのだ。

 

(絶対に手なんか出させないからな! 最悪ボクが代わりに……は流石に嫌だし、それ以外の方法でどうにかしよう。うん)

 

 今のハジメに対して思うところがないわけではない。ハジメと一緒にいる時間は慣れてしまえば悪くはないと感じていたし、鈴から拒絶された時、声をかけられて心強かったのは事実である。何より彼がいなければこの世界の鈴と友達になることは無理だっただろう。寄生先としてもあの両親などを考慮しなければ依然として魅力的であるとは思っている。

 

 しかしそれはそれ、これはこれである。それ以上の感情を恵里はハジメに対して抱いてはいなかった。

 

「――わかりました。では楽しみにしていますね。失礼します」

 

 どうやら父の方もあちらとの話が付いたらしい。電源ボタンを押して通話を切ると、携帯電話を折りたたんでリビングの方へと戻ってきた。

 

「日程が決まったよ。恵里、お母さん。再来週の土曜の夜だから、その日は空けといてくれないか」

 

「わかったわお父さん。それじゃあ恵里、その日はお外でご飯にしましょ」

 

 もう少し先の話かと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。南雲家と谷口家の両親の熱意が余程高いのか、それともその日しか空いている日がなかっただけなのか。あるいは両方か。とはいえ別に不都合でも何でもなかったため、恵里も笑顔でうんと返事をするのであった。

 

 

 

 

 

 食事会について話し合いがあった日から一週間余り。七月も間近となったせいかいくらか蒸し暑さが増したその日の夕方、三組の親子が洋食店『ウィステリア』の玄関をくぐっていった。

 

「谷口様御一行ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 

 出迎えてくれたエプロンを着けた女性に会釈された一同は、自然な笑みを浮かべている店員の後をついていった。オレンジの照明で照らされた店の内装はシックで落ち着いた空気に満たされており、薄暗くなってきた外の景色と相まって大人な雰囲気を漂わせていた。

 

「ここが谷口さんがひいきにしている店かー。なかなかオシャレじゃないですか」

 

 店員に案内されて歩く中、感嘆の声を漏らしたのは南雲愁であった。彼に続いて菫、中村家一家も思わずうなる。

 

「ええ。雰囲気も、ここで出てくるコーヒーも良いんですよ。それに仕事帰りでよく妻と……ご、ごめんね鈴! こ、今度仕事が遅くなるなら一緒にここで食べよう? ね?」

 

 それで少し機嫌を良くした貴久は自分達のエピソードを語ろうとすると、自分達の娘からじっとりとした視線を感じて即座に平謝り。その様子に苦笑いする春日を見て谷口家がどういう家なのかを両家の夫妻は察した。そして同時に自分たちの子がやったことの大きさにも気づき、谷口家の二人には悪いと思いながらも内心誇らしくなった。

 

「お、お見苦しいところを……すいません。せっかくの席なのに」

 

「いえ、私達は気にしてませんから」

 

 頭を下げてくる春日に苦笑しつつも正則は首を横に振る。それに続いて幸、愁と菫も気にしなくていいと言葉をかけた。そうしている内に案内していた女性が足を止め、振り返る。どうやら席に着いたらしい。

 

「着きましたよ。こちらの席へどうぞ」

 

 店の奥の席へと案内されると大人達は奥、子供たちが通路側に座る。そうして全員が座ったのを確認すると店員の女性からメニューを何冊か手渡され、本日のおすすめのメニューやボトルの説明を受けた。そこで一同は先にドリンクを頼むことにし、それを店員に伝えた。

 

「――ご注文は以上ですね? では失礼いたします」

 

 最後まで笑みを崩さないままその場を後にした女性に大人達と恵里が感心しつつも、すぐに渡されたメニューに目を通し、何を頼むかを思案することに。

 

(結構色々あるな……こういう所あまり来ないし、たまに行くファミレスみたいに“適当に無難なもの”でも頼めばいいか)

 

 自分の席でハジメや鈴と一緒にメニューをながめながら恵里は考える。いくつか適当にピックアップし、雰囲気や自身が子供に見られるかどうかを考えながら決めていく。

 

 ――中村恵里はその実、食というものにあまり興味を抱かなくなった少女である。

 

 この世界に来る前、特に父が死ぬ前までは他の子供と同様に食事は幸せな時間であった。出されたおかずにも一喜一憂し、外食をしたときは好きなものを頼みたくて駄々をこねていいたこともあったとおぼろげながら記憶している。しかし幸せだったのはそこまでであった。

 

 父の死とそれに伴う母の豹変。そのせいで出される食事も優しい母の手作りの料理から残飯やコンビニ弁当に変わり、家で食事が出されないことすらそう珍しくはなくなった。光輝に救われ、彼を追い求めるようになってからは毎食食べるようにはなったものの、自炊の術を持たず、また食事をただ腹を満たすためだけの行為と既に考えるようになっていた恵里は適当なコンビニかファストフードで買ったものを口にしたぐらいである。

 

 自分が光輝にとって“大切な”存在でなく“その他大勢”と認識してからはそれに拍車がかかり、食事に幻想を抱くことは完全になくなったのである。

 

 こうして父が生きて共に過ごしている今もその認識はあまり変わっていない。食事に“大切な人と一緒にいられる時間”という価値を見出したぐらいで、食事そのものに何の感慨も抱いていないのは変わらない。苦手な味のものであっても腹を満たせるのならば何でも構わないというスタンスは今でも変わらないのである。

 

 だから今日もたまの外食と同様、“子供が選びそうなもの”を恵里は注文したのだが、それを見た各人の反応は様々であった。

 

「へぇ、恵里ちゃんもこういうのが好きなんだね。ウチの鈴もお母さんにたまにせがんでくるけど――って痛い痛い!」

 

 公衆の面前で自分の好きなものをバラされ、軽くおかんむりになった鈴に蹴られた貴久を筆頭に、恵里の両親を除く大人達は微笑ましいものを見る目で恵里を見つめていた。

 

「えぇ。あまり機会はないんですけれど、外食に行くといつも()()を頼むんですよ」

 

「そうですね。たまに家で出すときもあるんですけど、照れ隠しなのか『無理に作らなくていい』って言っちゃって」

 

 異様に大人びた様子を間近で見ている恵里の両親にとって、恵里がこれを食べている様子は数少ない年相応の振る舞いをしている安心できる姿の一つであった。今ではそこまで気にしなくなったとはいえ、子供らしさを感じられるこの注文を聞くごとに二人は安心している。ああ、自分たちの子は変じゃないんだと

 

「恵里ちゃんそういうの食べるんだ……」

 

「パスタとかもっと大人っぽいものを食べると思ったんだけどね」

 

 ハジメと鈴も普段の様子から信じられないようなものを見る目つきで恵里を見ている。

 

「……何? ボ……私だって、こういうの食べるけど」

 

 恵里の目の前に置かれていたのはオムライスである。黄のキャンパスにトマトの赤で猫がかわいく描かれた“子供が選びそうなもの”であった。

 

 自分だって普通の子供です、とちょっと不機嫌な様子を装っている恵里であったが、こうも注目されると顔から火が出るほど恥ずかしくて仕方なかった。

 

 ちなみにハジメが頼んだのはナポリタン、鈴が頼んだのはチーズドリアである。

 

 そうして恵里のオムライスが届いたのを機に、この店のおすすめの紹介から始まった大人達のトークの内容が各家の子供達の幼い頃の微笑ましいエピソードに切り替わって三人を悶えさせたり、無言のまま鈴とハジメが顔を赤くして自分の親をにらむなどのひと悶着を経て全員分の注文が揃った。

 

「それでは、この場に集まった皆様との出会いを祝福して――乾杯!」

 

 乾杯、と各々グラスを打ち付け、唇を湿らせる。こうして和やかな雰囲気で会食が始まった。

 

(あーもう全く、頼まなきゃ良かった……もう食べよう。とっとと全部食べて別のものを頼もう)

 

 外食でよく頼むメニューやよく飲むコーヒーはどこの豆がいいかとかを大人達が話し合い、ハジメと鈴がこちらをまじまじと見つめてくる中、未だ恥ずかしさで顔を赤くしていた恵里は下品にならない程度に早くオムライスを口に運ぶ。

 

 店で出されるだけあって不味いわけではなかったが、その味を楽しめるほど恵里の心に余裕はない。何とも言えない心地で二割ほどを食べ終えた頃、右腕をツンツンとつつかれるのに気づいた恵里は溜息を我慢しながら振り向く。すると自分の腕をつついていた鈴がちょっと物欲しそうな様子で恵里の方を見ていた。

 

「ね、ねえ恵里……そのオムライス、ちょっとでいいから食べてみたいんだけど」

 

「いや、注文したらいいでしょ。食べれない分は残してさ」

 

「別に、そこまでして食べたいわけじゃないし……す、鈴のドリア、ちょっとあげるから」

 

 どうも恵里が食べている様子を見て自分も食べてみたくなったらしく、小声で鈴がお願いしてきた。しかし恵里からすればそこまで食べたいのだろうかとは思っていた。美味いことは間違いないのだが、別にとびぬけて美味い訳じゃないと恵里は思っている。もしかして自分の舌が変なのだろうかと思いつつ、恵里は鈴に問いかけた。

 

「そこまでして、食べたい?」

 

 鈴はそれに小さくうなづき、まぁいいかと思いながら恵里は自分の皿を指さした。

 

「じゃあ、はい。好きに食べていいよ」

 

「ありがとう恵里!」

 

 そうして鈴は自分のスプーンでオムライスの一部をすくい、それを口に含む。その瞬間ほわんとした表情を浮かべ、卵とケチャップ、チキンライスの三重奏をじっくりと堪能する。

 

「……美味しい?」

 

「うん!――あ、恵里。それじゃあ約束。鈴のドリアあげるね」

 

 そこで鈴は自分のドリアをすくい、恵里の顔の前へとスプーンを出した――いわゆる“あーん”というヤツである。それを見た恵里はビシリと固まった。

 

「あ、あのー、鈴? えっと、その……恥ずかしいんだけど?」

 

「? でもいちいち手をのばすのってめんどうでしょ? こっちの方が早いし」

 

 そうだけどそうじゃない。こっ恥ずかしいからやめてくれと頼もうとした恵里は周囲の視線を感じて止まる。まさかと思って振り向けば大人達が温かい目でその状況をながめていた。

 

「え、えっとね、鈴。み、みんな見てるよ……?」

 

 だから止めてと言葉を続けようとしたものの、割り込むように谷口夫妻が二人に声をかけてきた。

 

「いや、構わないよ。ここは店の奥だし、目くじらを立てる人はきっといないさ」

 

「気にしなくていいからね恵里ちゃん。私も、その……昔は貴久さんとよくやってたし」

 

 そういう援護はいらないと恵里は内心荒れた。しかも谷口夫妻は鈴の後押しをするばかりかほんのり甘い雰囲気を作りだしたため、それが余計に恵里を苛立たせる。

 

 自分の両親なら止めてくれるかと思って視線を向けてみるが、母はともかく父は止める気配がゼロであった。

 

「あらまぁ女の子同士で……その、正則さん。止めた方がいいかしら?」

 

「いや、友達同士なんだしいいんじゃないか。あまり気にしなくてもいいと思うよ」

 

 父の言葉で迷っていた母も引き下がるどころか、いきなり自分の料理を父にあーんさせようとしてきた。しかも父も仕方ないなぁとあまり抵抗なく出されたものを食べたり、母にやり返したりし始めた。頼れる唯一の味方が消えた。

 

(お父さんまで……こ、こうなったらもう誰でもいい! な、南雲! そうだ! 南雲だったら――)

 

「あ、あの、恵里ちゃん! ぼ、ぼぼ、僕も……僕のもよかったら!」

 

 まさかと思っておそるおそる視線を向ければ、ナポリタンが巻き付いたフォークをハジメが差し出していた。軽くうつむきながら顔を赤くしてやっているハジメを見て恵里は絶望する。

 

(なんで!? いや、ここは普通お前がかばうところだろ!!……いや、これはやっぱり親どもが――)

 

 まさかと思って南雲夫妻の方を見てみたら、もの凄いイイ笑顔で恵里とハジメが収まるように携帯電話のカメラを向けている。四面楚歌であった。

 

(お、お前らあぁあぁぁぁああぁぁあぁぁあぁぁああ!! そんなに……そんなにボクを辱めたいのかぁああぁあぁぁあ!)

 

 まなじりに涙を溜めながら恵里は体をぷるぷると震わせる。しかし鈴とハジメは催促するばかりで止める人間が誰もいない。せいぜい谷口夫妻がちょっと怪しみだしたぐらいだった。

 

「……恵里、食べてくれないの?」

 

「い、イヤだったよね……ごめんね」

 

「い、いや、二人とも待って……ああもう!!」

 

 そうして迷っていると鈴とハジメは悲しそうな顔をして各々のスプーンとフォークを下げようとしたため、恵里は急いで待ったをかけ、ドリアとナポリタンに勢い良くかぶりつく――その瞬間二人の声が漏れ、愁と菫がベストショットをキメた。ガッツポーズを決めた南雲夫妻が偶然視界に入り、恵里は羞恥のあまり思いっきりテーブルに頭をぶつけた。

 

 恥ずかしさのあまりメンタルが死んだ恵里に気づいた正則と幸は慌てて声をかける。流石にまずかったと思った貴久と春日は、混乱している鈴に無理矢理はやめようねとたしなめた。そしてやってもらえて嬉し恥ずかしなハジメに愁と菫は『ちょっとやり過ぎたかもしれないけどグッジョブ! さすハジ!!』と讃えて恥ずか死させる。一時的にウィステリアの一角がカオスとなった。

 

 恵里にトドメをさした愁と菫は後で他の親共にこっぴどく叱られ一応恵里に謝罪し、口八丁手八丁で撮ったデータを死守しようとしたものの結局消去。どうにか恵里とハジメの心の平穏は保たれることとなった。

 

 しばらく経ってようやく騒ぎが収まると、未だにテーブルに突っ伏している恵里とハジメをいくらか気にかけつつも、次はいつ開催するかやどこでやるかを話し合ってその日は解散となった。

 

 なお両親が止めなかったことを恵里は恨み、父はこの日一日、母に関しては向こう三日は口を聞かなかった。

 

 

 

 

 

「暑い……」

 

「でもプールの中なら気にならないんじゃないかな」

 

「そうだね。早く泳ぎたいねハジメくん、恵里」

 

 無事一学期を終え、夏休みも半ばを迎えた頃。恵里はハジメと鈴、そして三家の親と一緒に市営プールに来ていた。

 

 あの食事会以降何度か集まることがあり、終業式を終えたその足で『ウィステリア』に寄った際に皆でプールにでも行かないかと愁が提案したのだ。

 

 夏休みの間ずっと家にこもって遊ぶのもあまりよくないだろうと言えば他の親達も納得し、お互いのスケジュールを確認し合って訪れることとなったのである。

 

 うっすらと陽炎が映るアスファルトの駐車場から冷房の効いた館内に入り、親達が受付での手続きを終えるのを待つことしばし。三人でどんなプールがあるとか、どういう水着を選んだかとかを話していると、ようやく手続きが終わった親達が声をかけてきた。

 

「お待たせみんな。それじゃあ着替えてプールサイドで集まりましょう」

 

 幸に声をかけられ、そのまま手を引かれた恵里は女性陣と一緒に更衣室へと向かう。空いているロッカーを見つけて着替え始めると、近くで着替えていた鈴から話しかけられた。

 

「鈴、こういうの買ってみたんだけど、どうかな? にあうと思う?」

 

 鈴が見せてきたのはワンピースタイプの水着であった。胸元にリボンをあしらった柄物のそれは“今の”鈴によく似合うだろうと恵里は思っている、前の世界のような性格だったらまた別のものが良かったとは考えていたが。

 

「うん。似合ってると思うよ。ぴったりじゃない」

 

「よかった……にあってなかったらどうしよう、って思って」

 

 安堵する様子の鈴を見て、単に似合っているかどうかではないと恵里は察する。やはりハジメのことを考えているのだろうかと思うとかなり心がささくれ立ったが、恵里はそれをおくびにも出さずに自分も水着に着替えていく。

 

「あ、恵里のもかわいいね。にあうと思う」

 

「ありがと、鈴」

 

 デザインこそ違えど同じワンピースのものを着ながら恵里は張り付けた笑顔で礼を返す……ほめられるのは嬉しいのだが、どうしてもハジメのことが気がかりになってしまって素直に受け止められずにいた。

 

(うん。やっぱり南雲なんかに鈴は渡せない……あまり気は乗らないけど、ちゃんと恋人アピールしておくしかないか)

 

 自分から始めたはずなのにどうしてか泥沼にはまった気がして仕方がない。適当な距離をキープしておくだけだったのにどうしてこうなった。着替えを終えた恵里は己の不運を嘆きつつ、鈴に手を引かれながら更衣室を出るのであった。

 

「うわっ!? 速い速い!」

 

「わわっ!? は、ハジメくん――!」

 

「ほ、ホントにはやい、って――」

 

 きゃー、と甲高い悲鳴と共に三つの人影が順々にプールの水面に滑り落ちていく――恵里達三人は初めてのウォータースライダーを味わった。

 

「ぷはっ!……あー、びっくりした」

 

「はー……けっこうはやくてすごかったね」

 

「二人ともだいじょうぶ? けっこうはやくてびっくりしたね」

 

 最後に滑り降りた恵里が水面から顔を上げると、先に滑っていたハジメと鈴が近くまで寄ってきていた。そこで各々感想を言い合い、次はどこにしようかとプールから上がりながら話し合う。

 

「流れるプールはどう? それとももう一度ウォータースライダーやる?」

 

「ううん。鈴は流れるプールがいい」

 

「僕もちょっと……みんなでうきわを借りてぷかぷかしようよ」

 

 ハジメの提案に恵里も鈴もうなづくと、近くで三人をながめていた春日に声をかけた。

 

 いくら三人がしっかりしているとはいえ、やはり子供である。だから大人の誰かが付き添うこととなり、今は春日が三人のお目付け役としてついて回っている。

 

「えっと、次は流れるプールに行きたいんですけど、出来れば浮き輪も借りたくて……」

 

「そっか。じゃあみんな、私と一緒にレンタルスペースに行こうか」

 

 はーい、と元気良く返事をすると四人そろって一緒に歩く。その時、ハジメが鈴の前を歩いていることに気づいた恵里は足を滑らせないよう小走りでハジメに近づくと、わざと鈴に見せるようにハジメの手を掴む。それに驚いてハジメが変な声を出すのも無視して指を絡めていく――いわゆる恋人つなぎを見せつけた。

 

「え、恵里ちゃん!? そ、その……えっと」

 

「ねぇハジメくん。どうせだからこうやって歩こうよ。お互い好き同士だし、ね?」

 

 目的はもちろん鈴へのけん制。近くに鈴の母親もいるからついでにアピールしておくという腹積もりもあった。しかし春日はともかく、鈴はまだそこら辺に疎いせいかちょっとうらやましそうに見つめてくるだけであった。

 

「ねぇ、ハジメくん。鈴も手をつないでいい?」

 

「え、えっと、その……」

 

「ハジメ君、私からもお願い出来ないかな? 鈴のお願い、聞いてあげて。ね?」

 

 鈴と春日からのお願いにタジタジになっているハジメが恵里の方を見てくるが、恵里も苦笑いを浮かべつつも特に何も言わなかった。今の反応からしてまだ鈴がハジメに恋愛感情を持っているようには見えないし、それなら春日からの頼みを無理に断らなくてもいいんじゃないかと考えたからだ。それにやっぱり世界が違えど親友の頼みである。それを断ることはやはり恵里にはためらわれた。

 

「ね、ねぇ恵里ちゃん……」

 

「うーん……いいよ。ね、ハジメくん。空いてる手、出してあげて」

 

 既に顔を赤くしていたハジメが助けを求めてきたが、恵里からの返答に何度かうめき声を上げた後で更に顔を赤くしてうつむいた。やっぱりこういうものは未だに恥ずかしいらしい。春日にごめんね、と謝られながらもハジメは鈴とも手を繋ぎ、三人一緒にプールサイドを歩くのであった。

 

「流れるプールもちっちゃいプールもよかったね。二人はどうだった?」

 

「鈴はやっぱり流れるプールかな。恵里はどう?」

 

「私もかな。普通に泳ぐのもいいけど、ね」

 

 流れるプールや子供向けの浅いプールで存分に遊んだ三人は今、大人達と一緒にフードコートに備えつけてあったイスに座って話をしていた。屋外施設のほぼ真ん中に建てられた時計の針は既に十二時まで秒読みのところまで来ており、他の大人達もお昼はどうするかの算段をしている。

 

「お昼どうする? 何か決まった?」

 

「どうしよっか。鈴、こういうところ初めてだから。ハジメくんはどうするの?」

 

「僕も初めてだから……あ、お母さん」

 

「みんなお疲れ様。今日も暑いし、喉も乾いてるだろうからよかったら飲んでちょうだい」

 

 自分達もどうしようかと話をしていると、いつの間にやら菫が幾つもの飲み物が入ったプラ容器をトレイに載せてこちらに来ていた。三人はそれぞれ感謝を述べながらそれぞれ違う味のドリンクに手を伸ばし、ストロー越しに口をつけた。

 

「あ、私のスイカだ」

 

「鈴のはパイナップルだね」

 

「僕のはりんごかな。けっこうおいしいね」

 

 それなりの時間プールの中にいたとはいえ、この暑さのせいか口をつけたジュースを恵里はとてもおいしく感じた。そうしてジュースを飲みながらお昼をどうするか三人で考えるが、三人ともこういった施設を利用した経験がないため全然浮かばず。だったらとドリンクを買いに行った菫にメニューを聞き、そこから各々が頼み込む形となった。

 

「二人のもおいしそうだね。どういう感じなの?」

 

 そうしてお昼が来るまでの間、三人でジュースを飲みながらとりとめのない話をしていると、ふとハジメが二人の飲んでいる容器に視線を向けた。どんな味なのか気になったらしく、どういう味かを尋ねてきた。

 

「そう? 割とイメージ通りの味だと思うけど。ハジメくんってスイカ好きだっけ?」

 

 残り三分の一にになったスイカ味のジュースをストローで吸い上げながら恵里はハジメにそう返した。中に入っていた氷が軽く溶け、幾らか更に薄くなった味のコレにどうして興味があるのやら。そんなことを思いながらまたチューチュー吸っていると、軽く首をかしげた鈴がハジメの方を向いた。

 

「そんなに好きでもないけど……なんか気になっちゃって」

 

「じゃあハジメくん、鈴のパイナップルジュースのむ?」

 

 そして恵里にとって予想外のことを言ってきた。鈴は自分のジュースの入った容器を前に差し出し、一瞬呆気に取られていた恵里がそれの意味するところを察する。その瞬間、怒りと焦りが最高潮に達した。

 

(これってもしかして……マズいマズいマズい! このままだと鈴が南雲のヤツと間接キスする!! と、止めないと! えっと、どうやって――あっ!)

 

 二つの感情で頭がぐちゃぐちゃになった恵里は、貴久が鈴をたしなめたり、ハジメが鈴が何をしようとしたのかに気づいてまた顔を赤くして慌てていることに気づかない――だからその勢いのまま動いた。

 

「じゃ、じゃあボクのを飲んで!!」

 

 フェンシングもかくやの勢いで突き出された容器のストローがハジメの柔らかい唇に当たる。みるみるうちに太陽よりも赤くなっていくハジメの顔を見て恵里も自分が何をしたかにようやく気づいた。

 

(あ、これ間接キ――ぬがぁああぁぁぁああぁああぁあ!?)

 

 今度は自分の間抜けさと恥ずかしさで悶え狂った。自身ももの凄い勢いで顔を赤く染める中、パニックを起こしたハジメがとった行動は一つだった。

 

 ちゅるる。

 

「お……おいしかった、よ?」

 

 吸った。吸い上げたのである。そして涙目になりながらハジメは感想を伝える。

 

「――ごふっ」

 

 昂り過ぎた感情の処理が追い付かなくなった恵里は、女の子が上げると思えないようなうめき声を出してその場に倒れ込んだ。もちろん大わらわの騒ぎとなり、ライフセーバーも勘違いして出てくる大事になってしまったのであった。

 

 

 

 

 

 帰りの車の中、後部座席に座っていた恵里は赤く染まった景色を何とはなしにながめていた。

 

 あの後、救護室で目を覚ました恵里は心配そうにこちらをのぞきこんでいたハジメと鈴、そして謝り倒している両親と苦笑いを浮かべながらも気にしてない風であるスタッフの姿を見た。

 

 これには恵里も流石に罪悪感を感じ、全員に頭を下げた。スタッフを含めた大人達は子供が気にしなくていいと返してくれたものの、鈴とハジメはやはり気まずそうに恵里を見ていた。やはり自分が倒れたことは子供心に来るものがあったらしい。

 

(あの後鈴、南雲の親とかも色々言ってくれたけど……まずいなぁ。気が抜けてるせいなのか失敗ばかりだ)

 

 ハジメとのコネを作り、鈴と友達になったことで当面の目標は達成出来てしまった。そのせいだろうかと思案していると、不意に助手席にいた幸が声をかけてきた。

 

「大丈夫よ恵里」

 

「……お母さん?」

 

 予想していなかったために少し反応が遅れ、もしかして考えてたことが口に出ただろうかと焦る恵里。しかし幸はそんな恵里の心の内を知らぬまま労りの言葉をかけてくれた。

 

「二人とも最後はちゃんと許してくれてたじゃない。明日になったらいつも通りよ」

 

「そうだな。あんなことぐらいで仲が悪くなるようなつき合いを恵里はあの二人としてたのかい?」

 

 母の励まし、父の問いかけに少しだけ心が軽くなる。夕焼けに照らされる景色を見ながら恵里はううん、と短く返した。なら大丈夫と両親に励まされ、恵里は静かに微笑んだ。

 

 その日以降も二人との距離感も接し方もあまり変わることはなく、それは恵里にとってやはり救いとなった。ただ――

 

「ハジメくん、また少女漫画読んでるね」

 

「う、うん……」

 

「あ、これ前に鈴がオススメしたのだ。ハジメくんも気に入ってくれてよかった」

 

 ハジメが少女漫画や恋愛小説をしばらく読みふけるようになった。何度かこっそりのぞきこんでみれば、主役の女の子に好意をアピールするシーンだったり、女の子がキュンとするようなものばかりを読んでいる。

 

(あー、こういうのも好きなんだなコイツ。そうかそうかー……)

 

 そして時折ハジメが向けてくるどこか熱のこもった視線にどこか不安を感じつつも、恵里はひとまず現実逃避を続けるのであった。




ちなみに当初は夏祭り回の予定でした。食事のシーンがあるのはその名残です。

変更した理由? web版の本編アフター見渡しても夏祭り回が愛ちゃんが帰省した回しかなかったからです。

『とある脳筋のハッピーロード』でウィステリアから幾らか離れた辺りに霊園か墓地があったみたいですけど、それはあくまで寺であって神社がある証拠にならないからなぁ。

なんで泣く泣く没になりました。無念。


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九話 わずかに波打つ水面

皆様のおかげで無事UAが10000オーバー、お気に入りの数も180件を超えました。まことにありがとうございます……一体何が起きているんでしょうね(遠い目)

そして無名読者さん、天龍改さん、シェイドさん、ノーバディ621さん、小焼け夕焼けさん、自分の作品を評価してくださりありがとうございます。

では本編をどうぞ。


 二学期が始まってひと月余り。校庭の木々がほのかに赤や黄に色づいた頃であった。恵里は今朝もホームルーム前に自分を慕う子達と話をしていた。

 

「そっかー。三人でプールに行ったんだねー。いいなーうらやましいなー」

 

「行ったのはあの時一回だけだよ。後はハジメくんと鈴の両親の都合がつかなかったんだ」

 

「でもいいじゃん。南雲くんとデートしたんでしょ?」

 

「そうだよなー。南雲のヤツがうらやましいぜー」

 

 ハジメをうらやましがった少年に女子の冷たい眼差しが向けられ、必死に弁明しているのを適当にながめつつ、恵里は誰にも悟られないようため息を吐く。

 

(相変わらず好き勝手言ってくれるなぁ……まぁ慣れはしたけどさ)

 

 どういった理由であれ、この子達はハジメをキープするために働いてくれたのは事実である。だからこそ無碍に扱えば自分の悪評を広められるであろうことは容易に想像がついた。だからこそ恵里がとれる手段は猫を被って上手いこと転がすしかなかったのである。その方法が流されるのと大差ないのはともかくとしてだが。

 

「そういえばさ、先週の木曜ぐらいに南雲くん見かけたけどなんかヘンだったよ。何かあったの?」

 

 ふとそんな時、『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の一人が出した疑問に恵里は思わず苦笑いを浮かべる。アレはここ最近の中では特に面倒だったと思い返したからである。

 

「あー、そのね……ちょっとハジメくんがすねちゃってさ――」

 

 遠い目をしながら恵里はその理由を語った。

 

 それは先週の水曜のこと。いつものように放課後を迎えた後、ハジメの家に鈴と一緒に向かおうと校門前で待ち合わせをしていた時まで遡る。

 

「あ、おまた……ま、またせて悪いな」

 

 鈴と一緒に話をしながらハジメを待っていた恵里だったが、そこで現れた当の本人が何故かカッコつけた感じに言い直す。これが始まりであった。

 

「どうしたのハジメくん? なんかヘンだよ?」

 

「そ、そんなことない……うん、オレはいつも通りだよ?」

 

「いや、ハジメくん別に自分の事俺なんて言わないでしょ。いきなりどうしたの?」

 

「い、いつも通りだし! ぼ……自分のことをオレって言って悪いの?」

 

 あからさまな違和感に恵里も鈴も疑問をぶつけてみるものの、ハジメは何とかして誤魔化そうとするばかり。

 

「え、えっとあの、さ……二人とも、今度の日曜にデートはどう?」

 

 それはハジメの家へと向かう道中でも変わらなかった。デートなんて気の利いた言葉は使いもしなかったのに、気恥ずかしさや緊張しているのを気取られないよう必死になりながら二人に提案してくる。その様は滑稽を通り越してどこか微笑ましさを感じさせた。

 

「デート、はしてみたいけど……ねぇハジメくん、だいじょうぶ? 熱ある?」

 

「……まぁハジメくんがやってみたいならいいけどさ。鈴も言ってたけど、本当に大丈夫なの? まーたあの親にそそのかされた?」

 

 鈴も恵里も口々に疑問を口にするものの、ハジメはうろたえたり、いつも通りだと強がるばかりで全然理由を話そうとはしてくれない。そうこうしている内に南雲家に三人はたどり着き、ハジメの不慣れなエスコートを受けながら二人は玄関を上がった。

 

「いい本を見つけたから、よかったら読むかい?」

 

 そして彼の部屋であってもその感じは変わらず。疑惑を通り越して軽い不信感を抱いていた二人であったが、恵里はその様子にどこか見覚えがあるような気がしていた。かつての光輝のような感じに自然にカッコつけようと背伸びしている様子をどこかで、それも漫画本なんかで見たような気がして仕方がなかったのである。

 

「……なんか今のハジメくん、ハジメくんっぽくないよ。すっごいヘン」

 

「い、いや、その僕は……オレはヘンじゃない、よ?」

 

 鈴の容赦ない言葉に軽く涙目になるハジメを横に見つつ、一体何だっただろうかと恵里が思案しているとある本が目に入る。鈴にいぶかしげな視線を向けられてハジメが軽くオロオロとしている中、恵里はその本を手に取ってパラパラとめくり、あるページを見て確信した。そしてため息を吐くとハジメの方に向き直った。

 

「え、えっと恵里ちゃん、ちょっと助けてほしいんだけど……」

 

「いいよ。とりあえず“龍宮錬”のマネをやめたらね」

 

 恵里の言葉でビシリと固まると、ハジメはすぐに冷や汗をダラダラと流し始めた。そんなことないですよ、と目を背けながら否定する様子を見てやっぱりかと恵里はまたため息を吐く。そして首をかしげていた鈴にさっき読んでいた本――『恋はビブリオと共に』を手渡した。

 

「あ、恵里。これって『恋ビブ』?」

 

「うん。前に鈴も読んでたよね。ハジメくん、錬の真似してたみたい」

 

 その名前を聞いて鈴もようやく納得する。道理であんな変な感じだったのか、と。

 

 『恋はビブリオと共に』は図書室によくこもっていた高校生“姫川凛”を偶然見かけ、一目ぼれしたイケメンの“龍宮錬”が彼女と繰り広げるラブストーリーの漫画である。歯の浮くようなキザったらしい台詞は錬の特徴のひとつであり、これまでハジメが言っていたものもそれと酷似しているものがいくつかあった。それで確信したのである。

 

「そういえば前に二巻を読んでなかったっけハジメくん? さっきの、錬が凛をお家デートに誘うときとさ……すっごぉい似てたんだけどなぁ」

 

「え、えっと、その……」

 

「どうしてハジメくん錬のマネしたの? ぜんぜんにあってなかったよ?」

 

 二人の容赦ない追撃にハジメは遂にくずおれる。鼻をぐすぐすと鳴らしだしたため、鈴と恵里は慌てて駆け寄ろうとするとガチャリと部屋のドアが開いた。

 

「やっぱり。やめといたら、って言ったんだけどね」

 

「お、お母さん!」

 

 いつの間にやら菫は帰ってきていたらしく、その手にはいつものようにお菓子とジュースのペットボトルを載せたトレイがあった。その口ぶりからして何か知っているだろうと考えた恵里は、みんなに飲み物を配っている菫に何があったのかを質問することにした。

 

「あの、菫さん。ハジメくんの様子がちょっと変だったんですけど何かあったんですか? なんか、急にカッコつけ出したんですけど」

 

「ちょっと前からそんな気はあったんだけど、特に顕著になったのはみんなで一緒にプールに行った辺りかしら。家に帰ってからこんなこと言いだしたのよ」

 

 菫曰く、ハジメは大人っぽい恵里に対してちょっとでもつり合いがとれるようになりたかったらしく、そのためにはどうすればいいのかを日々考えていたらしい。しかしやったところで似合わないと思ってあきらめていたのだが、先日プールで恵里が恋人つなぎをしたり、間接キスをされてから考えが変わったようだ。自分も恵里ちゃんとつり合うようなカッコいい男の子になりたい、と伝えてきたのである。

 

 菫はそんなことをしなくても別に大丈夫だと伝えたものの、ハジメはそれに納得しなかったようだ。少女漫画を読みふけるようになったり、父の愁にもこっそり相談したりしていたそうである。それも母である菫には筒抜けであったようだが。

 

「ハジメに相談された時なんかね、『俺の真似でもしてみたらどうだ』ってお父さん言ってて……もう、ハジメったら。背伸びしちゃって」

 

 ひどくイキイキとした様子で語る菫に恵里と鈴は困惑し、ハジメはあまりの恥ずかしさで体を徐々に大きく震わせていった。

 

「ねぇ、二人はどう思う? 今のハジメ」

 

「よくわかんないけど鈴はにあってないと思います――鈴のこともちゃんと見てよ」

 

「えっと、その……ハジメくんがやりたいなら、別にいいんじゃないでしょうか?……え、ちょっと鈴、今なんて――」

 

「う、うぅ……うわぁああぁああぁああぁあぁん!!」

 

 そして菫の問いかけからの二人の返しを聞いたハジメは泣きじゃくってベッドに逃げ込んだ。鈴のストレートな物言いもそうだが、恵里が精一杯気を遣ってコメントしたのがハジメに一番効いた。なるべくハジメが傷つかないよう言葉を選んで言ってくれたこと、恵里にそんなことを言わせてしまった自分への嫌悪で心が軽く折れてしまったのである。

 

 その後は布団を頭から被って亀みたいに縮こまったハジメをなだめすかすために、門限ギリギリまで恵里と鈴は粘る羽目になった。結局家に帰るまで『おそとでたくない』だの『はずかしいからやだ』だのと終始ゴネっぱなしでどうにもならなかったが。

 

 門限のこともあり後は菫に任せたものの、二日はマトモに口も利かなくなり、恥ずかしさと恨みがましい目で見つめられるばかりであった。流石に焦った二人がひたすら謝ったことでどうにか機嫌が直り、自分も悪かったと反省してくれた。今では前のように接することが出来るようになっており、前にハジメが提案したデートも近くの公園でやったりと、結果として仲は深まっている。

 

「――とまぁ、こんなことがあってね」

 

 遠い目をしながら語れば男子はハジメへの同情を口にし、女子は何とも言えないような顔で恵里を見ていた。

 

「……南雲のヤツかわいそうじゃね? オレだったらもう二度と会いたくないわ」

 

「いや、つらいでしょコレ。こんなこと好きな子に言われたらぜったい立ち直れないよ」

 

「そうかもしれないけどさー、べつに南雲くんやんなくていいことやってこうなったんだし、じごうじとくってやつじゃない?」

 

「恵里ちゃん悪くないしねー。なんで男の子っていつもカッコつけるのかよくわかんない」

 

 そしてまた男子と女子とで意見が割れて口ゲンカに。今日もため息を吐きながら恵里はみんなをなだめることとなった。

 

(あんなことやるなんて予想外だったよなぁ。まぁそれだけボクと鈴のことを意識しているんだろうけど……まさかあの化け物もこんなだったのか?)

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら、今日も恵里達は仲良く担任に叱られていた。

 

 

 

 

 

 運動会、文化祭などの行事もつつがなく終わり、季節は冬を迎える。寒さが本格化する十二月、その半ばにさしかかった頃のことであった。

 

「えっ、お家でパーティーするの?」

 

 例年よりも冷え込んだこの日、体を温めるためにリビングで両親と一緒に鍋をつついていた恵里であったが、夕食前から少しそわそわしていた父からあることを提案されたのだ。今年はハジメ君や鈴ちゃんも招いて家でクリスマスパーティーをしないか、と。

 

「ああ。南雲さんと谷口さん、どちらも仕事の都合でウィステリアに来ることが難しくなったらしくてね。それでその日だけでいいから預かってくれないかと頼まれたんだ」

 

 先月の頭に開かれた食事会にてクリスマスはどうするかを大人達で話し合い、すっかり恒例となった食事会のようにここでパーティーでもどうだろうかという結論になったのを恵里は覚えている。幸いにもその時はまだ空きがあったのだが、今回はどうやらお流れとなったようだ。

 

「園部さん達にも悪いわね。折角準備してくださったのに」

 

「まぁ仕方ないさ。当日にキャンセルするよりはマシだろうし、せっかく決まっていたのに恵里も二人に会えないと寂しいかもしれないからね」

 

 いつの間にか店員と仲良くなっていた両親や、鈴はともかくハジメに対してそういう感情は抱いていないことはひとまず横に置いておき、恵里はある疑問を口にした。

 

「それじゃあ、クリスマスはどうするの? ウィステリアじゃなくてお家だからお店でケーキを買って、鈴とハジメくんと一緒にパーティーするの?」

 

「そうだね。今の時期だとケーキの予約はもう埋まってるだろうから、店頭で売っているものになるけどいいかい?」

 

 苦笑する父にそれでいいよと笑顔で返せば、微笑んだ父から頭をなでられ、ありがとうと感謝された。むくれる母を横目に優越感と父の手の温かさを感じながら恵里は目を細める。そうしてクリスマス当日はどうするか、鍋をつつきながら話し合いは進むのであった。

 

 

 

 

 

 そして訪れたクリスマス当日の夕方。飾りつけ、食事の準備が終わり、いつでもパーティーが開けるようになった頃、来客を知らせるインターホンが鳴った。

 

 恵里は両親と共に出迎えようと一緒に玄関まで行き、共に扉を開ければ全身をうっすらと白く染めたハジメと鈴がそこに立っていた。

 

「おじゃまします。正則さん、幸さん」

 

「今日はありがとう正則さん、幸さん。それと恵里も」

 

 白い息を吐きながらあいさつもそこそこに入ってきた二人はコートと帽子の上に積もった雪を払いのけ、体を軽く震わせながら中村家に上がり込んだ。

 

「外は寒かっただろう? 少し温まってからパーティーにしようか」

 

「ちょっとエアコンの温度上げておくけど、それでも寒かったら言ってね」

 

 ありがとうございます、と礼を言った後、恵里に手招きされた二人は用意された席へと向かった。恵里も普段の自分のイスに座り、その両横にある席をぽんぽんと叩けば二人もお行儀よく座る。

 

「ねぇ恵里ちゃん、今日のお料理すごいね。テーブルいっぱいだよ」

 

「鈴のおたんじょう日パーティーもすごかったけど、今日もすごいよ。ぜんぶ食べられるかな」

 

 そして目の前に広がる料理を見るなり、隣の恵里に二人は話しかけてきた。二人が言及した通り、テーブルの上には所狭しと色々な料理が置かれている。主役のケーキはもちろんのこと、野菜のマリネやポテトサラダに唐揚げなどのオードブル、某フランチャイズ店で購入した小ぶりのチキンの詰め合わせなどがあった。

 

 去年の中村家のクリスマスでもここまで豪勢ではなく、もう少しこぢんまりとしたものだった。しかし今回は知り合いとはいえよその子を呼んでの初のパーティーであったため、色々と話し合い、奮発したのである。ちなみに本来ウィステリアで使われるはずだった三家の予算の大半がこれにつぎ込まれている(キャンセル料含む)。

 

「そうだね。今日はいつもより豪華だし、二人とも遠慮しなくていいから」

 

 かくいう恵里もこうして並べられた料理を前に少なくない興奮を覚えていた。これ以上となると精々トータスに招かれたその日の会食ぐらいしか記憶にないが、あちらは量がすごいのと見た目が奇抜なことぐらいしか恵里は覚えておらず、それ以上の感想もない。少なくとも自分や鈴のために考えて用意してくれたものに勝ることはないと考えていた。

 

「それじゃあみんな、用意はいいかな? こういう形になってしまったけれど、ハジメ君と鈴ちゃんには楽しんでいってほしい。それでは――」

 

 いただきます、と各人が手を合わせて唱和する。こうして今宵の宴は始まった。

 

「おいしいね恵里ちゃん。からあげとかチーズをハムでまいたのとか」

 

「恵里もチキン食べた? もうなくなっちゃうよ」

 

 ニコニコと笑顔を浮かべたハジメと鈴に、自分もうんうんとつられて笑みを浮かべながら恵里は相づちを打つ。三人でゲームをしたり、お菓子を食べたりしながら談笑したり、ウィステリアの食事会で話したりと色々とあるが今晩はまた格別であった。

 

 レストランでなく自分の家でやっているからか、自分の家族だけでなく鈴とハジメと一緒に食事をしているからなのか、それとも普段の家の料理ともレストランのメニューとも違うものが出されているからなのか。どれが理由かは恵里にはわからなかったが今が楽しいのは少なくとも確実で、それを探るのはきっと無意味なことなんだろうということだけはわかっていた。

 

「はい。じゃあそろそろケーキを切り分けましょうか」

 

 幸の言葉に恵里を含む子供達はわぁ、と歓声を上げる。ハジメと鈴はもちろん、恵里も甘いものは好きだからであった。切り分けられたケーキをそれぞれが受け取り、皆が幸に感謝の言葉を口にする。

 

「ありがとう幸。それじゃあ皆、最期の〆はケーキといこうか」

 

 正則の一言で誰からともなくケーキに手をつけ、口にした皆が笑顔を浮かべた。口の周りにスポンジやクリームをつけた様子をからかわれたり、たしなめられたりと、にぎやかに夜は更けていった――。

 

 

 

 

 

「四出ろ四出ろー……あっ!?」

 

「はい、ハジメくん一回休みだね。それじゃあ私は――よし!」

 

「恵里、相変わらず強いよね……あ、三だ。ラッキー」

 

 ケーキを食べ終え、リビングでしばらく談笑した後、三人は恵里の自室でボードタイプの人生ゲームを興じていた。本を読んでばかりだと飽きるだろうから、と正則が気を利かせて恵里のために買ってくれたものであり、三人が中村家で遊ぶ際によく選択肢として挙げられる代物である。

 

「後は四以上が出れば……よし、ボクの勝ちだ!!」

 

 そしてこの人生ゲームにおける恵里の勝率は現在四割強で、ハジメと鈴が大体三割ぐらいに落ち着いている。恵里が二人よりも勝率が高いのにもれっきとした理由があった。

 

 ――実は何度もルーレットを回し、癖をある程度掴んでいるからである。

 

 これを三人でやった初日、目を覆いたくなるレベルの大敗を恵里は何度も喫しており、悔しさのあまりとにかく勝つ方法がないかと模索して考え出したのだ。ハジメと鈴がかなり申し訳なさそうな様子で帰った後、ひたすらルーレットを回し、どれくらいの力だとどの目に止まるのかを研究したのだ。

 

 それを何日も続けた結果、三割そこらの確率で狙って止められるようになり、()()()()()()()()()勝利をもぎとれるようになったのである。イカサマもいいところである。

 

「また負けちゃった。恵里ちゃん、()()だとホントに強いよね」

 

「そうだね……ねぇ恵里、もしかしてコツでもあるの?」

 

「まっさかぁ~。ある訳ないでしょ、運が重要なゲームでさぁ」

 

 素直に恵里の強さを認めるハジメとは対照的に鈴は恵里のことを軽く怪しんでいたが、当然恵里は種明かしをする気は更々なかった。狙って止めようとして失敗することもよくあるため、別に明かさなくてもいいかとも考えている。

 

「こんなに運がいいなら、桃○にリベンジしても勝てるかもねぇ~……ねぇ二人とも、どうして目をそらすの?」

 

 なお、TVゲームの方のボードゲームに関してはお察しである……ハジメと鈴が『恵里から言い出さない限りは絶対やらない』という暗黙の了解が出来てしまう程には。

 

「いや、次は絶対勝つから。○リの銀次がやたら出てきたり、サイコロの目が十回近く三以下の目ばかりだったりしたこともあったけど、それはあくまで()()()()だから。()()()()ボクの運がなかっただけだからね!」

 

「……うん」

 

「……そうだね」

 

 ヒートアップする恵里から目を背けながらハジメと鈴は神に祈る。

 

 ――お願いですからたまには恵里に連勝させてあげてください、と。

 

 また恵里がさめざめと泣く羽目にならないことを願いつつ、二人はムキになっている恵里をなだめるのであった。

 

 恵里をどうにか落ち着かせた後も人生ゲームを数回ほどプレイし、全員が飽きたところでいつものように読書に移った。

 

 恵里は少女漫画の単行本、鈴は恵里が買っていた少女漫画雑誌『に~にゃ』の最新号、ハジメはしれっと持ってきていたラノベの最新刊をながめていると、鈴があることを口にする。

 

「ねぇ二人とも、『に~にゃ』の最新号にのってた『さくふぶ』でさ、銀河が信姫(しき)にちょっかいだしてたんだけど、この後どうなるかな?」

 

 それは『桜吹雪舞う中でキミと』の最新話にて、メインキャラクターの一人である“三国銀河”が同じくメインである“青葉信姫”にデートの誘いを取り付けようとしていたシーンについてのことだった。

 

 剣道部の首将であるクールビューティーな信姫が無事県大会予選突破し、二人だけの祝勝会を建前として銀河がデートを申し込もうとしたのである。今回はそこで話が終わっていたため、それが鈴は気になったらしい。

 

「うーん、信姫は銀河とそこまでなかよくないし、断るんじゃないかなぁ」

 

「え、受ける――んじゃないかな? まだ誰が好きか明確じゃないし、ここらでハッキリさせてくるんじゃない?」

 

 ハジメは登場人物の関係性から、恵里はこの後の展開を知っているためそれを誤魔化しながら答える。鈴は恵里の答えに一瞬だけ目を細めるも、そっかとあっさり返すだけに留めた。

 

 このトークを皮切りに三人は一旦本を読むのを止め、興味のある作品のトークに移った。

 

 追っていたラノベの最新刊が出ただの、三人とも好きな漫画の登場人物に関するアレコレ、果ては読み切り漫画で連載されてほしいものを語り合うだのと色々と盛り上がる。

 

 しかし突如鳴ったインターホンの音でそのトークはピタリと止んだ。どっちだろうとハジメと鈴は互いに帰り支度をしながら待っていると、数回のノックの後、部屋のドアを開けた幸が鈴に声をかけた。

 

「鈴ちゃん、お父さんとお母さんがお迎えに来たわ」

 

 その言葉に恵里とハジメは少しばかりの寂しさを、鈴は安堵と軽い胸の痛みを覚えるのであった。

 

 

 

 

 

「ありがとうございました中村さん。もし今度、何かあったら私達を頼ってください」

 

「もし機会がありましたらその時はお願いします。恵里のことをよく知っているお二人なら安心ですから」

 

 春日と幸が世間話に興じているかたわら、貴久と正則は互いに礼を述べ合い、頭を下げあう。

 

「おかげさまで助かりました。じゃあ鈴ちゃん、みんなにバイバイしなきゃ」

 

 名残惜しそうにじっと皆を見ていた鈴であったが、春日に言われて仕方なく手を振る。ぐずりそうな様子の鈴を見て思わず苦笑した恵里は鈴に優しく声をかける。

 

「別にしばらく遊べなくなる訳じゃないんだからさ、鈴。また遊ぼうよ。ね?」

 

「そうだよ鈴ちゃん。またあそぼ?」

 

 恵里に続いてハジメからも声をかけられた鈴は、ほんの少しの間を置いて『うん』と短く返事をする。ようやく機嫌を直した鈴と一緒に別れの挨拶をし、谷口家の面々は中村家を後にするのであった。

 

 そして谷口家を玄関で見送った後、二人は恵里の部屋に戻っていく。未だハジメの方は迎えも連絡も来る様子はなく、恵里の両親からもうしばらく部屋で待っててほしいと頼まれたからである。

 

「ねぇハジメくん。愁さんと菫さん、中々お迎えに来ないね。何かあったの?」

 

 部屋でまた読書をしていたものの、あの騒がしい二人がまだ来ないことに疑問を抱いた恵里はそのことをつい口にしてしまう。するとハジメは軽く困った様子で恵里に問いかけてきた。

 

「えっと、ね……ひみつにしててほしいんだけど、いい?」

 

 その問いかけに恵里がうなづいたのを見ると、ハジメはようやくその疑問に答えてくれた。

 

「お母さんはマンガをかいててね、それでしめきりがどうのって言ってた。お父さんはゲームを作ってて、それでバグがいっぱい出たからしばらく帰りがおそい、って」

 

 その言葉で恵里も納得する。父からクリスマスパーティーについての話を持ち掛けられた時に何となく予想はしていたのだが、ハジメからの説明のおかげでその理由も理解できた。

 

「そう、なんだ」

 

「うん。いつもはお母さんがおしごとしてるマンションにおじゃましてたんだ。マイおねえさんやナルおねえさんがたまに話しかけてくれてた」

 

 おそらく菫の仕事仲間であろう人物の名前を挙げたが、その顔は少しだけかげりが見えた。自分以外にも親しくしている奴がいるのにどうして、と妬みつつも思案していた恵里の手をハジメが掴む。

 

「でも、今は恵里ちゃんがいるから。だからそんなにさみしくないよ」

 

「――えっ」

 

 ふにゃっとした笑みを浮かべたハジメに恵里は思わずポカンとしてしまう。いつになく緩みきった顔で笑っているハジメに何を言えばいいのか、どうリアクションをすればいいのか迷ってしまう。どうすればいいのかと困惑していた恵里にハジメはまた言葉を紡ぐ。

 

「恵里ちゃんのおかげでひとりじゃないから。ずっと僕といっしょにいてくれるから」

 

 しかしはにかみながら伝えてきた言葉に呼応し、ある記憶がフラッシュバックしてしまう――橋の上でかけられたあの言葉が。

 

 ――もう一人じゃない。俺が恵里を守ってやる

 

 どうしてこんな時に。思わず強く歯噛みしてしまい、我に返った途端に血の気が引いた。もし今の姿をハジメに見られてしまったらどうなるか。

 

「ご、ゴメン! い、今のは……あっ」

 

「すぅ……すぅ……」

 

 急いで弁明しようと声をかけようとハジメを見れば、いつの間にか自分の手を握ったまま横になって眠っていた。とりあえず軽く揺さぶっても声をかけても起きる様子は見られない。

 

「えりちゃん……あそぼ……」

 

 それどころか寝言で自分と遊ぼうとしている様子である。これなら多分大丈夫だろうと考えた途端、ひどく力が抜けてため息が出てしまう。

 

「あー、本当に危なかった……終わったかと思ったよ……ふぁ」

 

 思わずあくびが出てしまい、いったい何時だろうと時計を見てみれば既に十一時を過ぎてしまっていた。道理で寝てしまったわけだと一人納得すると、恵里の方も眠気を感じてきていた。

 

(そりゃそうか。子供なんて普通この時間は寝てるだろうし……もう、ボクも限界かも)

 

 今にもまぶたが閉じてしまいそうであり、ハジメの手を振りほどく気力も、ベッドに上がったり近間のクッションを枕代わりに使おうとする気力なんかも今の恵里にはなかった。ハジメと手をつないだまま横になり、そのまままどろみに身を任せてしまう。

 

(ホントに厄介だよ、お前は)

 

 眠気で頭がぼんやりとしていく中、恵里はハジメを忌々しく思う。

 

 道具として使うために関係を持ったはずなのに、鈴のことで助けられ、思った以上に慕われて。そして何より――それが本気で嫌だというわけでもなくて。

 

(どうぐのくせに……おまえなんか、だいっきらいだ)

 

 こうやって憎まれ口を叩かないと何かがブレてしまいそうで。断ち切りがたい何かをハジメとの間に感じながら、恵里もまた眠りにつく――その顔はほんの少しだけ安らいでいた。




エリリンはリアルラック低そうだし双六クッソ弱そう(偏見)
ハジメは微妙、鈴が多分一番運の良さがマシだと思う(注:個人の感想です)


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十話 いずれ冬は終わる

皆さまが日々アクセスしていただいているおかげでUA12000超え、お気に入り数220件オーバーとなりました。ありがとうございます。随分長い白昼夢を見ている気がします(遠い目)

クゥリきゅん救い隊さん、Aitoyukiさん、zzzzさん、自分の作品を評価してくださり誠にありがとうございます。使いまわされた言葉で恐縮ですが、皆様が評価してくださるおかげで自分もモチベーションを高い状態で保てています。感謝に堪えません。

あとzzzzさん誤字報告ありがとうございます。お陰で作品の質の向上が出来ました。

では本編をどうぞ。


「ねぇ恵里、もうすぐバレンタインだけどどうするの?」

 

 年が明けた二月の頭。この日もいつものように南雲家に恵里と鈴はお邪魔していた。ハジメがいなくなるタイミングを鈴は見計らっていたらしく、トイレに行くために席を外してからそんなことを恵里に問いかけてきた。

 

 鈴のその質問に恵里は一瞬考え込んだ。一応付き合っているということになっているのだから、体裁を保つためにもハジメに(義理チョコ)をくれてやるべきなのはわかっていた。

 

(一応アイツとはつきあってる体だし、確かにくれてやるのが自然で、関心を向けさせ続ける必要はある。けど……)

 

 しかし同時にためらいも生まれていた。打倒エヒトのための駒、単なる道具しかなかったはずだというのに、ハジメの前で隙を見せたり醜態をさらしても前より危機感を覚えなくなってしまっていた。

 

 以前だったらハジメが自分になびいているから、と適当な理屈をつけて安心していただろう。しかしクリスマスのあの夜、手をつないで眠ってしまったことに恵里はひどくショックを受けていた。いつの間にここまで気を許してしまったんだろう、と考えるもその理由はどうしても思い浮かばず。このままほだされても大丈夫なのだろうかという不安が恵里の心の中に生まれていたのである。

 

「鈴はお父さんだけじゃなくてハジメくんにもあげるつもりなんだけど……ねぇ、聞いてる?」

 

「……ん? あ、うん」

 

 どうすればいいと思考の沼にはまりそうになった時、鈴から声をかけられたおかげで恵里はそこから抜け出せた。ただ、鈴の発した言葉に恵里は大いに焦ることとなった。

 

(マズいマズいマズい! やっぱり鈴はアイツにご執心じゃないか! なんでだ! どうしていつもアイツはボクの邪魔ばかりするんだよ!!)

 

 過去の言動からしてその節はあったが、『ハジメくんにもあげる』という単語を聞いて鈴がハジメに何かしらの好意を抱き続けているということを恵里は改めて理解する羽目になった。今のままでも十分苛立たしいが、もし何かの拍子にハジメの関心が鈴に向いてしまったら――ハジメの女の一人にさせられるという最悪の予想が恵里の脳裏に再度浮かんだ。それだけは絶対に阻止しなければならない、とひたすら考えを巡らせる。

 

「やっぱり恵里も何かあげるんでしょ? ハジメくんとつきあってるし、どういうのあげるのかなー、って」

 

 どうすればハジメの関心をこちらに向けさせ続けられるか――その時妙案が浮かぶ。これならきっと大丈夫だと恵里は確信しつつも、鈴にそれを伝える。

 

「えっと、ボクはさ……手作りのチョコをあげようかな、って思ってる。既製品なんかよりもさ、手作りの方がハジメくんも喜ぶんじゃない?」

 

 手作りのものをプレゼントしてハジメの関心を煽る。これが恵里の思いついた妙案であった。ちなみにわざわざ鈴に手の内を明かしたのはこっそりやって関係が悪化するのを恐れたのと、仮に手作りに挑んだとしても子供なんだからそんな凝ったものを作れるわけがないと高を括ったからである。

 

「手作り……! そっか。それだとハジメくんもよろこんでくれるよね。ありがとう。鈴もやってみるよ。で、やり方わかる?」

 

「……へ?」

 

 なお、肝心のやり方は全然知らず、この後盛大に目が泳ぐ。後で親に聞いたらと答えるのが精一杯で、鈴からため息と呆れの伴った眼差しを向けられてしばらく凹んでしまった。その後、戻ってきたハジメに心配されることになったのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

「はい。じゃあチョコの方は刻んでおいたし、もうすぐお湯も沸くから待っててね」

 

「うん、ありがとうお母さん」

 

 バレンタイン前日。この日はハジメにも断りを入れ、恵里と鈴は寄り道もせずにまっすぐに家へと帰ってきていた。

 

 数日前からバレンタインのチョコレート作りのやり方を教えてもらうよう幸に頼み込み、帰宅すると同時に恵里は母と一緒に台所に立つ。食事の際に使うイスを足場代わりにし、母の作業の様子をながめつつ、恵里も空のボウルを抱えた。幸は刻んだチョコの載ったまな板を持ち上げ、それを恵里の抱えたボウルにチョコが入るよう傾け、残りかすを包丁で押し込む。

 

 そして幸は水を張った鍋に指を突っ込み、これぐらいだろうかと思案しながらかけていた火を止めた。

 

「じゃあおなべの中にボウルを入れて、ゆっくり混ぜてね」

 

 はーいと返事した恵里がボウルを鍋に入れるのを見計らってゴムベラを渡し、水道のレバーをひねって包丁にさっと水をかける。恵里も受け取ったヘラを使い、不慣れながらも柔らかくなったチョコをかき混ぜていく。

 

「でも恵里も本当にハジメ君が好きなのね。わざわざ手作りでチョコを渡したいだなんてね」

 

「……うん」

 

 ふふ、と微笑む幸に真意を悟られまいと恵里は顔を背けながら答える。幸も幸で愛する夫のことで頭がいっぱいらしく、恵里の返事もただの照れ隠しだと考えながら包丁の水気をさっとクッキングペーパーでふき取った。まな板も一度さっと洗って水気をふき取ると、新たなチョコレートを用意する。幸もバレンタインに手作りのチョコを正則に渡すつもりらしく、今回ハジメにあげるチョコレートの材料もここから融通してもらったものであった。

 

「そうそう上手よ。全部溶けるまで時間がかかるみたいだから丁寧にね……あ、そこちょっとムラになってるからちゃんとやらないと――」

 

 ちょくちょく入る母の指摘を聞きながら、恵里は丁寧にチョコを溶かしていく。ハジメに渡す以上、中途半端なモノだったり妥協したモノにする訳にはいかない。それがハジメに見抜かれないとも限らないし、半端なものを渡したがために自分への関心を失ったり、鈴に移ってもらっては困るのだ。だからこそ手を抜けなかった。

 

(手なんて抜けないのはわかってるけど、こんなに面倒だとは思わなかったよ……まぁ天之河くんの取り巻きを破滅させて引っぺがすよりはまだ楽か。そう思わないとね)

 

 そう考えながら根気強くヘラを動かすことしばし。ヘラからチョコがゆっくりとしたたり落ちるようになり、ようやく溶かし終えることが出来た。ふぅ、とため息を吐いて額をぬぐうと母から声をかけられた。

 

「恵里、ボウルを貸してちょうだい。これにチョコレートを流し込んで冷やすから」

 

 いつの間にやらオーブンシートを敷いたバットを用意していたようで、恵里からボウルを受け取った幸は慎重に溶けたチョコレートを流し込んでいく。

 

「じゃあ、これを冷凍庫に入れて……後は一時間だったかしら。その後は好きな大きさに切ってあげるから。お疲れ様、恵里。上手だったわ」

 

 労いの言葉に一応の感謝をしつつ、バットを冷凍庫に入れたのを見計らって恵里は幸に声をかけた。

 

「ありがとうお母さん。それで、お父さんのチョ――」

 

 お父さんのチョコも作りたいと言おうとした瞬間、もの凄い剣幕でにらんできた。この程度の敵意など、トータスで幾度も修羅場をくぐってきた恵里からすれば大したものではない。久々故に驚きこそすれど、耐えられないほどのものではないからだ。気づいていない風を装って恵里は再度父の分を作りたいと言おうとした。

 

「えっとね、私もお父さんの分のチョコを作りたいんだけど」

 

「……仕方ないわね。でも危ないから恵里はお手伝いでいい?」

 

 笑顔を浮かべながらもそれ以上は絶対に譲らないとばかりに威圧してくる幸に、恵里も笑みを作りながらも内心ため息を吐いていた。

 

(この女は……実の娘に嫉妬するなんて、よくそんなみっともないことやるなぁ。全く)

 

 この後は二人で一緒に父の分のチョコを作る。お互い終始笑顔ではあったが、リビングでは常に火花が飛び散っていた。

 

 

 

 

 

 そしてその翌日。学校では一週間前から『チョコの持ち込み禁止』の張り紙が各所にあった。そのため恵里も鈴もチョコを持ち込むことは出来ず、一度家に戻ってから南雲家に来る、という形で渡すということを三人の間で取り決めていた。

 

「ふ、二人とも。よく来たね」

 

 そのため出迎えてくれたハジメはガッチガチに緊張していた。物心ついてから母とその仕事仲間以外からもらうのは初めてだと聞いていたため、それも仕方ないかと思いながらも恵里は内心ほくそ笑んでいた。

 

「お、おじゃまするね。ハジメくん……」

 

「お邪魔するね」

 

 とはいえ緊張していないかというとそうでもなく。鈴はハジメの緊張がうつり、恵里はいかに上手くハジメの関心を引き付けられるかで緊張していた。玄関を上がり、一緒にハジメの部屋へと向かう三人。その間特に話もなく、お互いに無言で部屋に入るといつもの場所に全員が腰を下ろした。

 

「それじゃあハジメくん、これが私のチョコだよ」

 

 鈴よりも強く印象付けるため機先を制したのは恵里であった。いつも南雲家に物を持ち込む際に使うバッグから水色のリボンで十字にラッピングされた箱を取り出すと、あえてその場でリボンを解き、自信作である生チョコを披露した。

 

「わぁ……」

 

 それにハジメも目を輝かせ、チョコと恵里を交互に見ている。手ごたえ有ったと口角を上げた恵里であったが、鈴もまた自分のかばんからチョコの入った袋を取り出した。

 

「す、鈴のはこれだよ。どう、かな?」

 

 それは赤のリボンで巾着結びをされており、シースルーの袋からはチョコブラウニーが透けて見える。それを見た恵里は愕然とした。

 

(す、鈴の方が見た目が……! な、南雲のヤツも驚いて意識が持ってかれてるじゃないか! こ、このままだと鈴が……こ、こうなったら!!)

 

 両親の手伝いで出来たと語る鈴に、すごいすごいと純粋に鈴を褒めるハジメを見て焦った恵里は、もうなりふり構っていられないと判断する。箱からチョコを一個つまむと、それをハジメの目の前に持ってきた。そして体を小刻みに震わせ、顔を赤く染めながら消え入るような声で恵里はつぶやく。

 

「あ、あーん……」

 

「え、恵里ちゃん……?」

 

 ハジメもまた恵里のやろうとしていることを察し、顔を熟れたトマトのようにしつつ恵里の方を見る。驚きと恥ずかしさで頭がぐちゃぐちゃになったハジメは何を言えばいいのかも、どうすればいいのかもわからなくなる。

 

「え、えっと……恵里? ねぇ、何してるの?」

 

 鈴も突然の事態に軽く置いてけぼりになっており、困惑しながらも声をかけると、恵里が顔を真っ赤にしたまま叫ぶ。

 

「あ、あーんだよ、あーん! ば、バレンタインはコレが普通なんだよ!! 食べてよハジメくん! ボクのチョコレート!!」

 

 もちろん真っ赤な嘘である。しかしこのままでは鈴のチョコの見た目のインパクト、下手すれば味においても負けてしまうかもしれない。だったらもうハッタリでも何でもいいから勢いで押し切ってしまえ、と斜め上の判断をした恵里は顔を鈴の方へと向けた。

 

「鈴!! きょ、今日はこういう日でしょ!! ボク、間違ってないでしょ!!」

 

「えっ!? え、えっと……」

 

「や、やっぱりちがうと思うんだけど……」

 

「間違ってない! ほら、食べる!!」

 

 いっぱいいっぱいになってもう何も考えられなくなった恵里は、ハジメの口のところにまでチョコをつまんだ指を近づける。体温で少し溶けたチョコレートから漂う香りはハジメの食欲を訴えてきたし、今にも泣きそうな顔でにらんでくる恵里の圧には勝てそうになかった。ハジメは口を開け、差し出されたチョコレートをおそるおそるくわえる……が、ここでちょっとやらかした。

 

「~~~~ッ!?」

 

 ハジメの唇がチョコをつまんでいた恵里の指に当たったのだ。ただでさえ気恥ずかしさで気絶しそうになっているというのに、不意に来た柔らかい感触のせいで恵里の頭はもう爆発しそうになっていた。

 

「ご、ごめんね! え、えっと、その……お、おいしかったから! あと恵里ちゃんの指やわらかかったよ!!」

 

「…………はひ」

 

 ハジメもまた同様で、訳のわからないことを口走ってしまう。結果、両者共に撃沈。無言でゴロゴロ転がる恵里、顔をうつむかせて涙目になっているハジメ。そんな状況に中てられた鈴もまたとんでもない行動に出た。

 

「す、鈴も! 鈴のも食べてハジメくん!!」

 

「ふぇ?……ちょ、えぇええぇぇぇぇぇえぇ!?」

 

 結んでいたリボンを解き、袋からチョコブラウニーを取り出してハジメの前に突き出したのだ。その顔は先ほどの恵里と負けず劣らず赤くなっている。

 

「だ、だって恵里だけズルいもん! 鈴だってあーんしてもらうもん! ハジメくんに食べてもらうもん!! これがバレンタインじゃフツーなんだから!」

 

 ハジメの進退がきわまった。恵里はまだ恥ずかしさで悶え苦しんでいるし、鈴は何としてもハジメに自分のチョコを食べさせようとしている――逃げ場をなくしたハジメは覚悟を決めた。

 

「ダメ……? やっぱり鈴じゃダメなの――あっ」

 

 ハジメは勢いよくチョコブラウニーにかじりついた。そして何度も噛んでから、それを喉の奥へと流し込む。ふとそんな時、最初の食事会の時に恵里に自分と鈴があーんした時のことを思い出した。きっと恵里もこんな感じだったんだろう、とハジメは意識が薄れゆく中考える。

 

「よかった……すずも、すずのもたべてくれ……ハジメくん?」

 

 ハジメ、気絶。興奮や恥ずかしさで脳がオーバーフローを起こし、鼻から一筋の鮮血を垂れ流しながら動かなくなってしまった。

 

「は、ハジメくん……? ど、どうしよう!? ハジメくんが、ハジメくんが死んじゃった!!」

 

「――ハァッ!? い、一体どうしたの鈴!?」

 

「恵里っ!! 実は、実は――」

 

 ようやく我に返った恵里が錯乱する鈴から要領を得ない話を聞いて混乱。そこに菫が帰宅し、助けを求めてすがりつくなど三人で迎えた初のバレンタインは地獄もかくやの様相を呈して終わる。なお、この話は各家の親にも伝わり、三人は引き続き生き地獄を味わうことになった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、二人とも。今日はその……僕の家に来てほしいんだけど」

 

 乱痴気騒ぎとなったバレンタインからひと月。いつもの学校の帰りにハジメはそんなことを二人にお願いしてきた。

 

「え? 今日は鈴の家の番じゃなかったっけ」

 

「うん。恵里の言うとお――あっ」

 

 ローテーションの通りであればハジメの家に行くのは次回のはずであり、ド忘れでもしたのだろうかと恵里は首をかしげる。しかし鈴はあることに気づいて恵里の服の袖を引っ張り、いぶかしむ恵里に耳打ちをした――今日はホワイトデーだよ、と。

 

「あ、そういえば……じゃあハジメくんの家に行ってもいいかな?」

 

「ありがとう恵里ちゃん。鈴ちゃんもいいよね?」

 

「うん、行こうハジメくん」

 

 鈴に向けて一度頭を軽く下げると、鈴も微笑みを返す。先ほど自分に耳打ちして意見を変えさせたことへの感謝だと気づき、表面は笑顔を装いつつも恵里は心の中で舌打ちをした。

 

(あーもう、イライラする……どうすれば鈴を南雲から離せるんだ。何か方法がないかな)

 

 そんなことを考えながら二人と一緒に南雲家に上がり、今日もまたリビングのTVを使ってパーティーゲームをしたり、ハジメの部屋で読書をする。

 

 しかし今日ばかりはハジメの様子が違った。お返しを渡すタイミングを見計らっていて妙にソワソワしているせいか、ゲームでもミスが目立ったし、本を読んでいても時折視線を感じた。そんなに気になるのならとっとと渡せばいいだろうに、と思いながら気づかないふりをしているといつの間にやら門限が近くなっていた。

 

「あ、ハジメくん。私達そろそろ帰るけど……」

 

「わ、わかった! ちょ、ちょっとまってて!」

 

 そう言って慌ただしい様子で部屋を出ていき、恵里もようやくかとため息を吐いた。ふと気になって隣の鈴を見やるとどこか安心した様子であり、鈴もいつ貰えるのだろうかと気になっていたらしい。

 

(南雲のヤツ、鈴をやきもきさせて……そんなに気になるなら早くやればいいだろう、全く)

 

 ハジメのことを心の中で悪し様に言ったり、鈴と自分のお返しを比較してどう動こうかと考えながら恵里は鈴と一緒に帰り支度をしていた。すると少し息を荒げ、両手にラッピングされた袋を持ったハジメが戻ってきた。袋はどちらも同じ透明なものであったが、ラッピングに使ったリボンはそれぞれ赤と白と別々である。

 

「あ、ハジメくん。それってもしかして……」

 

「うん。二人へのおかえし」

 

 はにかみながらも渡された透明な袋の中は黒茶色のクッキーらしきものが入っている。幾筋もの白い線のような何かがあるが、それは一枚だけでなく他のクッキーにも見られたため、きっと何かスライスしたものでも入れてたのだろうと恵里は想像した。

 

「ありがとうハジメくん! それで、これって――」

 

「うん。僕も二人みたいに手作りのクッキーを用意したんだ」

 

 一体どこの店のものを買ったのやら、とながめていた時に予想だにしてなかった言葉が飛んできた。その言葉に恵里は一瞬真顔になり、まさかと思って袋の裏側や上部、底と見てみたもののラベルの類は貼られていなかった。

 

 買ったものを別の袋に移したのではないかと一瞬考えてハジメの顔を見てみたが、嘘をついている風には見えなかった。そもそもハジメが嘘をつくのはせいぜいゲームで対戦している時ぐらいで、いかにもといった顔でわかりやすい。だからこそ見抜くのは容易であり、またこういった状況で嘘をつかないことも知っていた。だからこそ本当のことを言っているのだということを恵里は理解してしまった。

 

 なんで、どうして、と思っているとハジメは頭をかきながらその理由を語ってきた。

 

「すごいよハジメくん! おいしそうなクッキーだね!」

 

「僕だけで作ったんじゃないよ。お母さんにいっぱい手伝ってもらったんだ。でも、買ったものよりもこっちの方が二人はよろこぶかな、って……恵里ちゃん?」

 

「……え?」

 

 言っていることの意味が理解出来ず、間の抜けた顔をさらしていると、心配そうにハジメが恵里をのぞきこんできた。一体どうしたんだろうと不思議そうに恵里が見つめ返すと、急にハジメがオロオロとうろたえだした。

 

「え、えっと、恵里ちゃんはお店のものの方がよかった? もしかしてめいわくだった? じゃ、じゃあ――」

 

「う、ううん! そ、そんなことない! そんなこと、ないから……」

 

 ようやく自分が受け取ったものがどういった物なのかを理解した恵里は必死になって首を横にブンブンと振る。その様子を見てハジメがほっと息を吐くと、むくれた様子の鈴が恵里のほっぺたを突っついてきた。

 

「恵里、イヤじゃないんだったらちゃんとお礼言おうよ。ハジメくんがこまってたでしょ」

 

「あ、その……う、うん。あり、がとう。ハジメくん」

 

 しかし告げられた事実に頭の中が真っ白になったままなのは変わらず、何を言えばいいのかわからなかった恵里は鈴の言う通りに礼を返すしか出来なかった。

 

 どこか夢見心地なのに抱きかかえたクッキーの入った袋の感覚だけはいやにハッキリと返ってきていて。出来たばかりでもないのに何故か温かみを感じるそれに恵里は意識を奪われていた。

 

「い、イヤだったら言ってね? ココアとアーモンドの入ってるクッキーなんだけど、前に二人ともココアのんでたし、アーモンドの入ったクッキーも食べてたはずだったからだいじょうぶだと思ったんだけど……」

 

「うん、鈴はどっちもすきだよ。あ、ほら恵里。返事してよ」

 

「あ、うん……どっちも、嫌いじゃない、から」

 

 自分達が手作りのものを渡したということを理解してくれていて。手間暇かけて手作りのものを用意してくれて。しかも好みを考えて作ってくれていた。

 

 それらを少しずつ噛み砕いて理解していくにつれて恵里の中にある懐かしい感情が呼び起こされる。しかしその正体に気づく前に自分の手を掴まれ、恵里は思わずハッとして掴んだ相手――ハジメを見た。

 

「今日はいっしょに帰ろ? 恵里ちゃん。もし何かあったらイヤだから」

 

「そうだね。今の恵里、信号が変わったのにきづかないで歩きそうだよ。行こ、恵里?」

 

 二人からそう言われ、恵里はただうなづくことしか出来なかった。そうしてハジメに手を繋がれ、その間鈴からうらやましそうに見つめられているのに気づけないまま恵里は家路に着いた。

 

 そうして二人に連れられて帰宅した恵里はうわの空の様子で母にただいまと伝え、そのまま去っていく二人をぼうっとしながら見送る。その後母に声をかけられても気づかないまま、恵里はふらふらとした足取りで自分の部屋に戻っていく。

 

 不確かな足取りのまま部屋の布団に倒れ込んだ恵里は、抱え込んでいた袋にゆっくりと視線を移してじっとながめる。強い力で抱きしめていたせいか中のクッキーはかなり割れている様子で、何故かそれが少し悲しく思えた。

 

「われてる……もったいない」

 

 そうつぶやいてまた抱きしめると、袋の上部を結んでいた赤のリボンがゆるんだのか、ほのかに甘い香りが恵里の鼻をくすぐった。そこで自分がもらったものが食べ物であったことを思い出し、リボンをゆるめてそのまま袋に手を突っ込んだ。寝ころんだまま布団に欠けたクズが落ちることも考えず、割れたクッキーを取り出してそのまま恵里はかじった。

 

「おい、しい……」

 

 しっとりした食感にココアの甘みとアーモンドの香りが口の中に広がる。優しい味わいが少しでも長く感じられるようゆっくりと、ゆっくりと噛みしめ、なくなっては袋の中に手を伸ばす。それをずっと恵里は繰り返した。

 

(これを、ハジメくんが……手作りで……)

 

 店売りのものよりは流石に劣るだろう。しかし丁寧に、自分のためにも作ってくれたこのクッキーは何よりも美味しいと恵里は感じていた。

 

 噛む度に胸の中に何かがじわりと広がっていく。しかしそれは不快でなく、ずっと浸っていたいとさえ恵里は思う。クッキーを噛みしめるごとに、一枚食べ終えるごとに感じるそれをずっとむさぼっていた恵里だったが、その時間も遂に終わりを迎えてしまう。

 

「……? ない? なんで? どうして?」

 

 袋の中に手を伸ばしても空を切るばかりでクッキーの感触はどこにもない。袋を広げて中をくまなくのぞいても細かい破片ばかりで中には何もない。それがわかった瞬間、胸に穴が開いたような感覚に襲われ、恵里はひどくうろたえだした。

 

「やだ、やだよ……ハジメくん、ハジメくんっ」

 

 母の料理以外に手作りのものを、自分だけに向けて作られたものを誰かからもらったことのなかった恵里にとって、ハジメからもらったこのお返しは猛毒と言って差し支えがなかった。

 

 今まであったものが無くなった途端、無性に寂しさを感じた恵里は空の袋を強く抱きしめる。道具扱いしていたはずの少年の名前を何度もつぶやいてはかき抱く。まるで大切にしていたものを取り上げられそうになった幼子のように。

 

 その狂乱ぶりは部屋の前で様子をうかがっていた母が部屋に踏み込んでくるまで続き、しばらくの間袋と解けたリボンを恵里は放そうとはしなかった。

 

 

 

 

 

(……ボクは何をやってるんだろう)

 

 ホワイトデーの翌日の朝。食事を終えた恵里は洗面台の前に立ってぼんやりとしながら髪をとかしていた。結局あのリボンと袋は捨てることが出来ず、両親から説得されても終始駄々をこねてやめさせたのだ。その二つは今、自分の部屋にある勉強机の上の隅に置いてあった。

 

 流石に中の細かい破片などは捨ててキレイにしてある。しかしリボンはまだ言い訳が出来るかもしれないものの、袋はゴミであるはずなのだ。部屋へと戻った恵里はすぐにその二つにまた視線を移し、微妙な表情でそれをながめる。単なるゴミでしかないはずなのにどうして捨てられないのか。冷静になってもなお後ろ髪を引かれるような思いを感じつつ、勉強机の上にあった捨てても問題ないはずの袋とリボンを見ながら考える。

 

(パッと見は鈴との違いはあまりなさそうだったな……割れたのは流石に入れてないか)

 

 結局鈴と自分、どちらの方にハジメの関心が向いているかを測ることは出来ず、少しずつでいいから関心が向かないようにするしかないかと一人結論付ける。

 

(わからないままだったけど、まぁいっか……鈴のためにも()()()()()がボクだけを見るように仕向けないと)

 

 何故かハジメのことを苗字で呼ぶことにためらいを覚えていた恵里はどうハジメにアプローチをかけるべきか思案する。

 

 ――恵里は気づいていない。

 

(ボクの駒……うん。ボクの“大切な駒”なん、だから……思う通りに動いてよ)

 

 ハジメを道具扱いすることにかすかにためらいを覚えていることを。

 

(鈴のことにしても、ハジメくんのことにしても全然思うようにならないけどどうにか修正は利くはず。まだ時間はあるんだ。ハジメくんを……ハジメくんがボクだけを見るように仕込むために使える時間が)

 

 ハジメのことを思う時、いくら険しくてもほんの少しだけ表情がほころぶことを。

 

(時間だってまだ十年近くあるんだ。それだけあればハジメくんを篭絡出来る……まずはホワイトデーのお礼かな。わざわざ手間暇かけてくれたんだし、いーっぱい褒めてあげなきゃね……美味しかったなぁ、あのクッキー)

 

 ハジメを篭絡するための一手を考えているはずなのに、ふとした拍子に思考が横に逸れてしまっていることを。恵里はまだ、気づいていない。




ちょっと強めのストレートです。効くかは知らない。

とりあえずこれでエリリンのハジメへの態度はツン10デレ0からツン9デレ1ぐらいにはなったはずです。多分。


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幕間三 輝きはまだ霧の中に

まずは誤投稿の件をお詫びいたします。ある程度書いたものを適宜追加修正しようと考えて予約投稿したつもりが日付設定を忘れてそのままやらかしてしまいました。すぐに気づいて削除したのですが、もしこれを見つけられた方には期待をさせてしまい、申し訳ありません。

では今度は皆様への感謝を述べさせていただきます。おかげさまでUA14000突破、お気に入りも230件、感想も30件を超えて誠にめでたい限りです。
未だにトータスのとの字も出ていませんが、気長に待っていただければ幸いです。

たばね365さん、自分の作品を評価していただき感謝いたします。こうして評価していただいたおかげでまた高いモチベーションを保てます。ありがとうございます。

それでは本編をどうぞ。今回はいつもよりも少し短いです。


 夕焼けに照らされる住宅街の一角。そこで無数の乾いた竹同士のぶつかる音が今日も響く。老若男女問わず誰もが無心に竹刀を振るい続ける中、年端もいかぬ一人の少年もまた同様に子供用の竹刀を振るっていた。

 

「――に、さん、し、ご、ろくっ……!」

 

 八、九歳の子と混じって素振りをしている七歳の少年は天之河光輝。共に練習している子達よりも体格が良いという訳ではなく、積んだ経験も他の子達より少ない。であるにもかかわらず彼は年上の子達と肩を並べるほどの実力を有していた。

 

 経験の浅さ故に応用の利かなさはあるが、それを補えるほどの目の良さ、反射神経の良さを以って練習試合にもよく勝利している。天才、麒麟児、天之河美耶の再来、と称されてもてはやされているが、光輝自身は何かを振り払うように練習に打ち込んでいた。

 

 正面素振り、早素振り、左右面素振り、上下素振りを終え、今度は追い込みと呼ばれる相手が下がるのを追いかけながら打ち込む稽古に移ると、玉のような汗を流し、息を荒げながらも光輝は黙々とこなす。

 

 そうして幾つものメニューをこなし、師範代である八重樫虎一の『止め』の号令で今日もまた稽古を終える。ありがとうございましたと門下生一同に混じって礼を述べ、光輝もまた後片付けに移ると、今日もまた門下生から声をかけられた。

 

「お疲れさま、光輝君」

 

「今日も頑張ったな。もう二年もしたら俺達とやりあえるようになるんじゃないか」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 いつものように年上の門下生から労いや激励の言葉をかけられるも、光輝もいつものように最低限礼を述べる程度でそれ以上の反応を見せることはなかった。その様子に苦笑しながらも先輩方はその場を後にしていく。

 

「今日もお疲れ様、光輝君。少し時間はあるかね?」

 

 道場の掃除や防具の手入れ等の片付けを終え、すぐに家に帰ろうとすると今度は師範である八重樫鷲三から声をかけられた。

 

「あ、はい。その……わかりました」

 

 今日の分の宿題をするにしてもあまり遅くならなければ大丈夫だろうし、師範からのお誘いを断るのは失礼だと思った光輝はそれを受け入れる。では行こうか、と告げた鷲三の視線がどこか悲し気な理由に気づけぬまま光輝は道場の廊下を歩いていく。

 

 そして学校での様子を尋ねられ、あの時からあまり変わりませんと伝えると鷲三はなんとも言えない様子で光輝を見つめるのであった。

 

 

 

 

 

 ――龍太郎とケンカをした翌日以降、光輝の環境は少しずつ変化の一途をたどっていった。

 

 まず起きたのは彼を慕う人間が減っていったことだ。その理由は態度の変化であった。以前の彼ならば即断即決、すぐに行動を起こしてくれていた。

 

 だがあの日の夜、自分も間違いを犯すことがあるというのを理解した光輝はひどく慎重になっていた。それが本当に正しいことなのかを彼なりに念入りに調べ、聞いて回るようになったのだ。そのためわかりやすいヒーロー像を彼に抱いていた子や、すぐに動いて解決してくれることに魅力を感じていた子が真っ先に離れていった。

 

 また先に述べた子達が離れていった頃に広まった『光輝が誰かをやっつけようとしていた』、『龍太郎が光輝を止めようとしてケンカした』というウワサへの対処もそれに拍車をかけてしまう。

 

「本当なの光輝くん? ウソだよね?」

 

「そうだよ。光輝がそんなことするわけ――」

 

「ああ、そうだ。それは本当なんだ……」

 

 誰が流したかはわからないにせよ、事実ではあったためそれを光輝が受け入れてしまった。そのため、ヒーロー然としていた彼のイメージに傷がつき、彼の変化に戸惑いを見せていただけにとどまっていた子も離れていってしまったのだ。結果、彼の周囲には龍太郎と彼を慕う女の子数人しか残らなかった。

 

 影響はこれだけにとどまらない。以前は彼の取り巻きの知人や友人からの頼みも聞いたりしていたのだが、こうしてイメージが損なわれたことでそれもなくなってしまう。それでもなお困ってる誰かを助けようと手を差し伸べていたのだが、多くの子がその手を取ることがなく、むしろはねのけられてしまうこともあった。それがひどく光輝の心を傷つけた。自分のやったことはここまで罪深かったのか、と。

 

 その結果、学校の人気者であった光輝はふさぎ込むようになり、龍太郎や自分を慕ってくれる子以外と接することを恐れるようになってしまう。もし間違えたら、という恐れが肥大化したために動けなくなってしまったのだ。母である美耶を筆頭にした家族に龍太郎、慕ってくれる女の子からの励ましがなければ不登校になってもおかしくはなかっただろう。

 

 学校に行くときも、家にいるときも言葉少なでずっと暗い様子であった彼を見て危機感を抱いた美耶はある行動に出る。それはかつて世話になった人の下に頭を下げに行くことであった。

 

 ある日、美耶に連れられて住宅街にあるお屋敷へと光輝は連れられてきた。外から見ても相当の敷地があることが見て取れ、立派な垣根に囲まれたその家に光輝は思わず緊張してしまう。一体どこに連れていくのだろうと思いながら“八重樫”と書かれた表札の下がった門をくぐって石畳の上を歩いていくと、そこには老齢の偉丈夫が立っていた。

 

「久しぶりだな美耶。こうして顔を合わせるのは結婚式以来か」

 

「そうですね先生。お久しぶりです。今日は、その……」

 

「みなまで言わんでいい……さて、君が光輝君か。まぁこんなところで立ち話もなんだ。上がりなさい」

 

「は、はい……」

 

 これが鷲三との出会いであった。この老人にうながされて家に上がり、特に迷うことなく歩いていく母に光輝は黙ってついていく。すると畳張りの居間の前まで辿り着き、そこに入るよう言われた。

 

 そして母と一緒に座卓で鷲三と向かい合う形で座ると、いつの間にやら現れた容姿の整った女性がお茶を出してきたため、母と共にそれをすする。この部屋に入った時にはいなかったはずなのに、と思案していると不意に鷲三が口を開いた。

 

「なに、取って食おうと思ってはいない。私のような老人でよければ話し相手ぐらいにはなろうと思っていただけだ」

 

 その言葉に面食らった光輝であったが、隣にいた美耶がその経緯を説明してくれた。昔、世話になった自分の師に光輝のことについて相談したところ、家に来たらどうだと言ってきてくれたのだ。母や自分と相対している老人に迷惑をかけたことを恥じた光輝はごめんなさいと頭を下げようとしたが、二人からそれを止められる。子供が気にすることではない、と諭されたのである。

 

「……思った以上に重篤なようだな。さて、光輝君。君がいいならいつでもこの家の敷居をまたぐといい。いつでも私が相手を、と言いたいところだが、私の不在でも家族の者が相手をするよう言っておく。遠慮しないでいい」

 

 悲し気に笑みを浮かべた老人に戸惑いながらもはい、と返したところで光輝と目の前の老人の会話は途切れた。後は何度か母が自分やあの偉丈夫と話をしたり、話しかけられたりするぐらいでその日は終わる。

 

 それから光輝は時折八重樫家を訪れるようになった。最初のうちは何かを言おうとして口をつぐむことばかりであったが、特に聞いてくるでもなく、自分が口を開いたときはただじっと黙って耳を傾けてくれる鷲三や彼の家族に徐々に光輝は信頼を寄せるようになった。

 

「あの、鷲三さん」

 

「どうした?」

 

「聞いて、ほしいことがあるんです」

 

 そうしてふた月ほど経った頃だろうか。鷲三を信頼し、そして前に進みたいと願った光輝はぽつぽつと自分の胸の内を語った。

 

 かつて自分は目に見えるものだけを見て判断して動いていたこと。

 

 そのために初めて会った子を傷つけてしまったこと。

 

 その子のことで親友とケンカし、仲直り出来たこと。

 

 その後母のおかげで考えを改めることが出来たこと。

 

 しかしそのために自分を慕っていた子がほとんどいなくなってしまったことを。それ故に苦悩していることを。

 

 ゆっくりと語られる光輝の話に相づちを打つこともなく鷲三はただ黙って聞く。

 

「みんながいなくなって……それで思ったんです。俺はどうすればよかったのか、って。前みたいにとにかく動いたほうがいいのか、それとも今のままでいいのか。もう、わからなくて……」

 

 そして全てを語った後、鷲三はようやく口を開いた。君は今のままでいい、と。

 

「いいん、ですか? みんな俺のことを……」

 

「ああ。前のように振舞っていればいずれどこかでつまづいていただろう。それに全てが君の手のひらからこぼれたわけでもない。違うか?」

 

 その問いかけを受け、光輝の胸に何かがこみ上げてきた。母以外にも、龍太郎の他にも自分を認めてくれた。これでよかったのかと不安で仕方がなかった自分を肯定してくれた。それが嬉しくて仕方がなかった。目をぐしぐしとこすると光輝は頭を下げ、鷲三もそれに満足そうに微笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございました鷲三さん」

 

「なに、気にすることはない。それで光輝君、一ついいかな?」

 

「なんですか? 俺にできることならなんでも言ってください」

 

 光輝の迷いが晴れたと察した鷲三はここであることを口にする――良かったら道場を見に来ないか、と。

 

「えっと、たしか剣道をやってらしてるんですよね?」

 

「ああ。君のお母さんは昔ここに通っていてな。もし興味があるならでいい。無理にとは言わない」

 

 鷲三がこのことを提案したのは単に話のタネや天之河美耶の子である光輝の才能に興味があったからというだけではない。光輝を案じてのものでもあった。

 

 たとえ悩みが晴れたとしても光輝はまだ子供である。彼にとってまた辛い現実に直面した時、再度折れないとも限らない。だからこそ何か一つ打ち込めるものがあれば彼の心の支えになるのではないか、と鷲三は考えたのだ。

 

「えっと、その……いいんですか?」

 

「ああ。別に見るだけでも構わんからな」

 

 そう告げて鷲三は席を立つと、目でついてくるよう光輝に伝える。光輝はうなづいて、鷲三の後をついていく。不規則にある灯篭や大きな木のある庭をたまにながめたりして歩くこと数分。鷲三が平屋の扉を開くと、外からも響く甲高い音や声に困惑しながらも声に出さずにいた光輝はその光景に圧倒される。

 

 多くの人が見慣れない恰好で何かを振るっている。上半身に何かをつけた人たちが向かい合い、竹か何かで出来たそれ――確か竹刀だったと光輝は記憶している――をぶつけ合う。張りつめた空気に肌をなでられて光輝は息を呑んだ。

 

「これ、が……」

 

「そうだ。実物を見るのは初めてだったかな。では――全員やめ!!」

 

 鷲三が出したすさまじい音量の声に光輝は体が吹き飛ばされたかのような心地になったが、鷲三から声をかけられたことで意識が戻った。目の前にいる何人もの人が自分を見ており、その視線に光輝は圧倒される。

 

「皆聞け。この子――天之河光輝が見学に来た。八重樫流に恥じぬよう励め!」

 

 目の前にいた人全員の『はい』という声に光輝が少し驚くと、すぐに全員が元いた場所に戻っていく。一矢乱れぬ様子にぽかんとしていると、鷲三から声をかけられる。

 

「驚かせてしまって悪かったな。だが、ここではこれが普通なものでな」

 

 好きなだけ見るといい、とだけ告げると鷲三は無言になる。一体どうしたのだろうと思い、見上げた光輝は短く悲鳴を上げる――あまりに鋭い眼差しであった。先ほどの人達も相当ではあったが、それらなど子供だましにも見えてしまう程に。

 

 前に一度テレビの番組で野生動物の特集をしたのを光輝は家族と見たことがあったが、今の鷲三の目は獲物を狙う肉食獣のものと区別がつかない。しわも決して少なくなく、白髪の老人であるはずだというのに。少しは知ることが出来た人のはずなのに、目の前にいる人物は初めて遭遇した時と同じ人の形をした何かのように見えた。それがとても怖く、しかしそこにどこか懐かしさを光輝は感じていた。

 

(じい、ちゃんだ……)

 

 完治が自分に仕事のことを語って聞かせてくれた時、ふとした拍子に浮かべる鋭い目つき。それが門下生一人ひとりをじっと見ている鷲三の眼差しとどこか重なったのだ。

 

「あ、あの、鷲三さん」

 

「どうした? 何か気になる事でもあったか?」

 

「その、どうして俺をここにつれてきてくれたんですか?」

 

「君のお母さんが昔いたと言ったろう? それで君も、と思っただけだ。それだけでは駄目かね?」

 

 鷲三は光輝に真意を全て伝えることはなかった。それを自ら明かすのは無意味であるし、この少年のためにならないと考えたからである。始めるのならばあくまで自らの意思で。それを願ってはぐらかしたのだが、光輝はそれに納得したのか言葉を紡いだ。

 

「いえ、その……俺も、やってみたいんですけど、いいですか? 今すぐ、じゃなくて、その、帰ってから父さんと母さんに話をしてから、ですけど」

 

 その一言にほう、と鷲三は感心した様子を浮かべた。何か感じ入るものがあったのだろうと思った鷲三はいつでも構わんとだけ光輝に伝え、また門下生をながめるのに戻った。

 

 光輝も別にそこまで剣道に興味があったわけではない。祖父と目の前の老人を失礼ながらも重ね合わせたからなのかもしれない。だがそれよりも鷲三が自分にこの道場を見せてくれた意味を知りたい。その思いに光輝は突き動かされたのだ。

 

 言葉通りなのかもしれないと光輝は思ってもいる。しかし普段きっぱりと言うこの老人が珍しくごまかしているような気もしていた。だからもし、何かを隠しているのならばそれを知ってみたいと思ったのだ。

 

 そうして稽古が終わるまで無言でその光景をじっと見ていた光輝はその夜、両親に早速相談し、鷲三が語ったことと自分の意思を伝える。

 

「光輝が言うなら、やってみたらどうだ」

 

「そうだね。あんたがやってみたいのなら母さんは止めないよ。いいからやってみな」

 

「ありがとう。父さん、母さん」

 

 そうしてすぐに手続きを済ませ、光輝も八重樫道場に通う事となった。

 

 通い始めた当初は足捌きも竹刀の振りも当然上手ではなく、指導されるまま型をなぞり、それらしく動くのがせいぜいであった。

 

 しかし鷲三の言葉の真意を知りたいという思いが原動力となり、自前の高い身体能力に加えて未熟な子供であるが故の高い学習能力がそれを後押しした。その結果メキメキと上達していき、すぐに同年代の子のほとんどを追い抜いていったのである。

 

 そんなある日のこと。今日もまたいつものように稽古をしていた光輝だったが、練習試合の段に移ろうとした時、ふと妙な子が自分と向かい合った。

 

 身長は自分よりもほんの少し小さいぐらいだが、足運びも構えも何か違うと思わせる。声の感じからして女の子のように感じたが、こんな子と一緒に稽古をした試しは一度もない。一体誰だろうと思いながらも光輝もまた竹刀を構える。

 

「集中して。今は試合だから」

 

 その声にハッとした光輝は今一度竹刀を握り直す。始め、の声がかかるとすぐに相手を観察するも、隙が見えない相手に思わず舌を巻いた。

 

(この子、強いな。一体だれなんだろう)

 

 そうしてじっと見に徹していた光輝だが、しばらくすると相手が一気に距離を詰めてきた。持ち前の目の良さで面狙いの一撃を見切り、その身体能力でいなそうとする。

 

「――小手っ!」

 

「くっ!?」

 

 しかしその程度など既に読んでいたかのようにすぐに軌動を変え、小手を打ちにかかってくる。それに素早く反応し、つばぜり合いへと持ち込むも、相手はそれを抜けようとこちらを見ながら機会をうかがっている。

 

(強い! でも、まだ俺が負けたわけじゃない!)

 

 あちらがせり合いを抜けたいのなら、と相手が力をかけてきたのに合わせて受け流し、姿勢が崩れたところを狙おうとするも、それに気づいたかすぐに距離をとってきた。

 

 強い。既に軽く息が上がって内心焦っていた自分に対し、相手は剣先をブレさせることなくこちらをうかがっている。こうなったら、と今度は自分から切り込んで終わらせようとする。が――。

 

「め――」

 

「どぉーうっ!」

 

 それを待ち構えていたのか、あちらも一気に突っ込んできた。結果、おろそかになった胴を打ち抜かれる。終了の笛の音、胴の一本で相手が勝ったというアナウンス。光輝がそれらを理解するのにほんのわずかに時間がかかった。

 

「ありがとうございました」

 

「……あ、ありがとうございました」

 

 相手の礼に慌てて自分も返すと、その子は何も言わずにその場を去っていった。その強さ、たたずまいに心を奪われながらも光輝もそれを振り払って稽古に戻る。

 

 相対した子のことが時折浮かんでしまうも、目の前のことはおろそかにせずにかぶりを振っては集中し直し、今日の稽古をどうにか無事に終える。そうして後片付けも終わらせ、帰ろうとしたその時であった。

 

「お疲れ様、光輝君。少しいいだろうか」

 

「あ、虎一さん。おつかれさまです……えっと、その子は?」

 

 何度か相対したことのある鷲三の子であり道場の師範代である虎一が、知らない子を連れてこちらに来たのである。

 

(このふんいき、もしかして)

 

 短く切り揃えられた髪、切れ長ながらも奥に柔らかさを感じる瞳。初対面ではあったはずなのだが、その雰囲気には覚えがあった。練習試合で異彩を放ったあの子だと。

 

「私の娘でな。さ、あいさつしなさい」

 

「はじめまして、八重樫雫です」

 

「あ、はじめまして。天之河光輝です。さっきはすごかったね」

 

「……ありがとう」

 

 そうして挨拶をした後、虎一を交えて一言二言話をしてそのまま帰路に就いた。これが光輝と雫の出会いであった。

 

 これ以降も二人は稽古や後片付けの後で会うこともあったが、自分の周りから人が去っていったショックから慎重になっていた光輝はあまり積極的に話しかけることはなく。雫もまた自分から話しかけてくるような子でもなかったため、お互い仲良くなるのには相応の時間がかかった。

 

「そうか。八重樫さんもぬいぐるみとか、おしゃれとかが好きなんだ」

 

「……私だって女の子だから。そういうの、好きじゃダメなの?」

 

「あ……ごめん。そうだね。これは俺が悪かったよ」

 

 三月の末の辺りになって、ようやく二人は普通にあれこれ話したりするまでの間柄になった。とはいっても道場に来て稽古までまだ時間があったときや、帰り支度をしている間に話しをする程度ではあったが。

 

「私だって、女の子らしいことがしてみたい。でも、どうすればいいかわからなくて」

 

 理由はわからないけれども、目の前の少女が悩んでいる。今でも手を振り払われながらも人助けをし続けていた光輝からすれば見過ごせないことであった。世話になった鷲三の孫娘である彼女を、こうして自分と親しくしてくれた相手を放っておけなかった。

 

「それなら俺に考えがあるんだけど……いいかい?」

 

 だから光輝は手を伸ばす。男の子である自分ではどうにもならないかもしれないけれど、こんな自分を慕ってくれる女の子達ならきっとこの子を助けてくれる。そう考えた光輝は雫に提案する。これが彼女のためになると信じて。

 

「わ、私が急に友だちになってもだいじょうぶ……?」

 

「だいじょうぶだよ。みんないい子だから、きっと雫も受け入れてくれるさ」

 

 心配する雫の手を握りながら光輝は彼女に微笑みかけて安心させる。その様子に雫は頬を染め、目の前の少年を潤んだ瞳で見つめる。夕焼けに照らされたため顔の赤さが分からず、瞳が潤んでいた事から悲しんだのかと思った光輝は改めて雫に大丈夫だと声をかける。――この行動が何をもたらすのかを、今は誰も知らない。



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十一話 広がりゆく波紋

皆様のおかげでUA15000オーバー、お気に入りも240件超え、感想に至っては遂に累計40件まできました。ありがたい限りです。

今回は戦隊ヒーローやライダーでいうところの振り返り回みたいなものです。なので今回もちょっと短めになります。では本編をどうぞ。


 昨日の風雨によって散った桜はアスファルトの地面に張り付き、ところどころを薄紅に染めている。正午を過ぎて少し傾いた太陽が灰と薄紅のまだら模様の地面を照らす中、あるグループがウィステリアの扉を開けた。

 

「あら皆さん。いつもひいきにしてくれてありがとうございます」

 

「こちらこそいつもお世話になってます優理さん。席の案内をお願いしますね」

 

 入学式を無事終えた中村、南雲、谷口の三家は遅めの昼食をとろうとここを訪れていた。馴染みとなったからか予約は割と簡単にとれ、今日も店主の奥さんである園部優理にいつも利用しているスペースへと案内される。

 

「いやー、残念だったね。みんな別のクラスなんてね」

 

 席に通された後、全員分のドリンクメニューを頼むと今回は貴久が口火を切った。入学式を終え、校内の掲示板に貼ってあったクラス分けのプリントを全員で確認したのだが、貴久が言った通り三人は別々のクラスに行くこととなっていた。

 

 恵里は鈴とハジメだけでなく、念のため光輝や龍太郎がどこのクラスにいるかも確認したのだが彼らも自分のクラスにはいなかった。ちなみに『恵里ちゃんの恋を見守り隊』の面々も全員バラバラかつ、恵里のいるクラスにだけはいない。

 

「残念だったね恵里。もしかするとハジメ君と一緒にいられたかもしれないのにね」

 

「や、やめてよお父さん」

 

 正則の言葉に何故かドキリとした恵里は顔を背けた。その理由を考えてみるもそれに気づけず、もやもやするような、どこか気恥ずかしいような感じに困惑する。そんな恵里を横に親達の会話は続く。

 

「確かになぁ。一緒だったらハジメも嬉しいだろうしなぁ」

 

「そうよねぇ。『一緒のクラスだったらいいのに』って言ってるの、ここ最近はよく見たわねぇ」

 

「ち、ちがっ!? お父さん! お母さん!」

 

 ニヤニヤしながら言う南雲夫妻と顔を赤くして必死に否定するハジメ。その様子を見て谷口夫妻もつられて笑う。

 

「そうですね。最近はあまり聞かなくなったけど、鈴ちゃんも『二人と一緒がいい』って言ってたんですよ」

 

「うんうん。二人と友達になった頃はそうやってぐずってたこともあったなぁ。いやー、懐かし――いったぁ!? す、鈴ちゃんやめて! 痛い!」

 

 秘密をバラされておかんむりになった鈴をなだめる谷口夫妻を見て中村夫妻は苦笑する。一方、鈴の心情を聞いた恵里は内心軽く荒れた。鈴がハジメに執着している様子なのはもちろんわかっていた。そのつもりではあったが、実際にそれを知るのとは勝手が違うらしく、恵里の心の中で何かが燻る。

 

(この感じだと鈴がハジメくんを好きでいてもおかしくない……それもここ最近でもないなんて。あぁもう、鈴を惚れさせるなんてハジメくんめぇ。どうにかして諦めさせないと)

 

 どうやれば鈴がハジメと友人以上の関係にならずに済むかを考えていた恵里であったが、具体的にどうしようかと腐心していた時に幸が声をかけてきた。

 

「やっぱりそうですよね。ねぇ恵里。いつも二人と遊んでいるんだし、一緒が良かったんじゃない?」

 

「それは、そうだけど……」

 

 突然の幸の言葉に恵里は思わず反応してしまい、それで頭がいっぱいになって考えるのを止めてしまった。浮かぶのはクラスの中でも二人と話し合っている自分の姿。それを思うとどうしてか頬が緩んでしまうのを止められなかった。

 

「でもその内みんな一緒のクラスになってもおかしくないんじゃないか。機会なんてまだあるんだから」

 

「そうですね、愁さん。卒業までまだ五年あるんだから、その内――あ、もう来たみたいですね」

 

 そうして話をしていると、優理がドリンクの乗ったトレイを手にこちらに席に向かってきているのを正則が見つけた。ほどなくして全員分のドリンクが出され、各々が優理に注文する。そして彼女が去るや否や全員が飲み物を口にし、軽く唇を湿らせたところでまたトークが始まる。

 

 教師陣による面倒ごとを起こしそうな奴のなすり付け合いの結果、こんなやたらめったらバラけるクラス編成になったことに気づいた人間は誰もいない。ここ最近の事やゴールデンウィークの予定について色々と話し合いが続く。ウィステリアの一角は今日もにぎやかであった。

 

 

 

 

 

「ねえねえ、今日学校来るときに栄田(さかえだ)さんが男の子といっしょに来るのを見たんだけど、その男の子ってだれかわかる?」

 

「あー、たぶんあの子だよきっと」

 

「そうだね。その男の子ってきっと天之河くんじゃないかな」

 

(どうしよう、なんて声かけよう……)

 

 新学期が始まって数日。朝のホームルームまでまだ時間がある中、恵里はある一点を凝視していた。

 

 視線の先にいるのはある少女――白崎香織が他の女の子と楽し気に話をしている光景である。自分のクラスを見た際、ハジメも鈴も自分を慕う子達“は”いなかった。しかしトータスに転移したあの面子の一人である彼女はいたのである。

 

 光輝の取り巻きは無数にいたが、その中でもとりわけ近く、彼のお気に入りであった香織と雫に関しては流石に覚えていた。前の世界で初めて会った小学校高学年の頃よりも幼い顔立ちではあるものの、声やあのぽやぽやした感じはあの頃の彼女を感じさせる。同姓同名なだけの人物ではないだろうと恵里は確信していた。

 

 そんな彼女であるが、前の世界ではあの化け物と共に自分の邪魔をしてくれた奴である。そのため対エヒト戦のための駒として使えるのではないかと恵里は考えていた。

 

 どこまで使えるかと考えて浮かんだのはある光景、自分達を呼び出した国と敵対していた勢力の拠点に化け物と一緒に乗り込んできたときの記憶であった。そこそこ奮戦していた気はするものの、何かの拍子に糸が切れた人形のように倒れ込んでいたはずだと恵里は記憶している。

 

 トータスに行ってからそこそこ時間が経ってから起きたことを考えれば相当強くなっててもおかしくはないし、自分が“縛魂”で操っていた光輝の攻撃をどうにかさばいていたことを考えると決して弱いわけではないだろう。それに倒れ込んだとはいってもそこでトドメがさされたという記憶はない。

 

 光輝と一緒に神域に行った後で何かあったかもしれないが、香織がそこで終わったとは恵里には思えなかった。自分をことごとく邪魔してくれた忌々しいアレが香織をどうにかしないはずだという奇妙な確信があるからである。

 

(何せあの化け物だからなぁ。死んだはずの香織を復活させられたんだから、出来ない道理はないはず……あれ? そういえばあの時の香織の顔、っていうか全身が使徒のヤツらと大差なかったような? え? どういうこと?)

 

 単にイメチェンした結果使徒と類似したとは思えず、もしやどこかで使徒の体でも手に入れて魂を移したのかと恵里は考える。しかし自分以外に“降霊術師”やそういった魂の扱いが上手いであろう天職の人間はクラスはおろか他にいたという記憶はない。ならばアレが連れていた女の誰かが使えたのだろうか。そう考えた途端、恵里は身震いした。

 

(……嘘。なんでもアリ過ぎじゃないかあの化け物は!……やっぱりハジメくんと敵対するのだけは避けよう。やっぱり仲良くなっといて正解だったんだ、うん)

 

 ハジメを味方につける判断をした過去の自分をひとしきり褒めちぎると、恵里は再度香織のことについて考える。結局エヒト相手には役に立たないだろうが、そこに至るまでの道中で役には立つんじゃないかと考えたのである。ならば今からでも仲良くなっておいて損は無い。そのために声をかけようと思っていた。

 

(なんで、話しかけたくないんだろう……味方にしておけば後できっと役に立つのに)

 

 なのにあの化け物の隣、つまり()()()と共に戦っていたことを認識した途端、ほんのささやかなものではあったが抵抗が生まれたのである。自分を邪魔をしてくれたことの恨み以外の何かに、だ。

 

(いや、迷ってる場合じゃない。使えるなら……使えるなら何だって、何だって使うべきなんだ)

 

 自分を迷わせ押し止めようとする何かを振り切って恵里は一歩を踏み出す。間違っていないんだ。これは必要なことなんだと自分に言い聞かせて。

 

「そうなんだ。それで――あれ?」

 

「おはよう白崎さん。何話してるの?」

 

 人懐っこそうな笑みを貼り付けながら話しかけてみるものの、周りにいた子の表情は少し険しい。心当たりがない訳ではなかったためとりあえず黙っていると、喋っていた子の一人が香織に耳打ちをした。

 

「ねぇ、あの子ってたしか中村さんだよね? 悪いウワサを聞くけどだいじょうぶかな?」

 

「うーん、多分だいじょうぶだよ。そういうウワサ、私も聞いたことあったけど悪い子に見えないよ? ね?」

 

 聞き耳を立てれば案の定。好きで立てたウワサではないことに苛立ったものの、香織の反応にしめしめと心の中で舌なめずりをした。これなら付け入る隙はあると確信して恵里は一歩前に出た。

 

「どうしたの? 私の顔に何かついてた?」

 

「ほら、ね? きっとみんなとお話したかったんだよ。ね、中村さん。良かったらこっち来てお話しない?」

 

 首を傾げながらさも無邪気に見えそうにアピールすれば、簡単に香織を騙すことが出来た。前の世界で培ってきた猫被りは未だ冴えている。騙し騙されの経験の少ない子供相手、普段からぽやぽやしている香織ならば簡単に近づけると確信していた通りであった。

 

 他の子はまだ怪しんでいる様子だが、ウワサを信じるべきかどうか迷っている子しかいないため簡単に騙しきれるだろう。そんなことを考えながら恵里も女子トークに参加し、ホームルーム前の時間を過ごす。それを何度も続け、恵里は見事に香織の懐に入ることに成功した。だが……。

 

「あ、おはよう中村さん」

 

「おはよう白崎さん」

 

 通学時に会ってもあいさつをする程度、朝のホームルーム前の時間でも話を振られない限りは相づちを打つ役に終始する。それ以上の行動に出る気はどうしても起きず、“知人”以上の関係になることに恵里はずっとためらいがあった。

 

(……何で、何で香織と親しくしようと思えないんだろう。何で? 何で? 何であの化け物の顔がチラつくの? ハジメくんの顔が浮かぶの? 何で?)

 

 化け物とさげすむあの男の顔が浮かぶ度、無害そうなあのハジメの顔が浮かんでくる度、胸が痛む。香織と親しくする気が失せる。そのため恵里は動けなかった。それがまずいのはわかっているのに、どうにかしなきゃいけないのはわかっているのに、恵里は動けなかった。動きたく、なかった。

 

 その理由が浮かばないまま、恵里はもどかしさを覚えながらもどこか今の状況を好ましく思っていた。

 

 

 

 

 

 そうしたある日のこと。この日も二人と一緒に学校の帰りに谷口家に寄ろうとしていた時のことであった。

 

「あ、恵里。今日は早いんだね」

 

「まあね。それじゃ行こうか」

 

 鈴と廊下で合流し、よく待ち合わせ場所に使っている校門へと向かいながら話をしていると鈴が恵里に質問をしてきた。

 

「ねぇ、恵里。ちょっといい?」

 

「どうしたの、鈴? さっきの話で何か聞きたいことでもあった?」

 

「うん。えっと、さ。最近の恵里ってちょっと変だよね……っていひゃいひゃい!」

 

「へぇ~鈴の癖に面白いこと言うじゃんか。そんなことを言う悪ぅ~いお口はどうしようかなぁ~? うん?」

 

 その言い草に即座にキレた恵里は鈴の柔らかいほっぺを上下左右へと何度も引っ張り、最後にちょっと伸ばしたところで放してやる。赤くなったほっぺをさすりながら涙目でにらんでくるも恵里は鼻を鳴らすばかりであった。

 

「いたい……ほっぺたがいたい。ひどいよえりぃ……」

 

「自業自得でしょ。んで、どうしていきなりそんなことを言いだしたのさ?」

 

 恨み節も特に意に介さず、不機嫌さを露にしながら理由を問いただすと、鈴は自分のほほをなでながら理由を語った。

 

「だって、変だって思ったんだもん。ハジメくんとお話ししてる時の恵里、前とちがうもん」

 

「ふーん……えっ」

 

 どうせロクな理由じゃないだろうと適当に聞き流そうとしていた恵里であったが、それを聞いた途端に足を止める。

 

「前はハジメくんの顔を見ててもふつうだったのに今はちがうもん。なんかポーっとしてる――」

 

「ち、違う! ぼ、ボクはその……いつも通り! いつも通りだから!」

 

 鈴の指摘に思わず声を荒げてしまう。当然だ。今、鈴が言ったことに恵里は心当たりがあったのだから。

 

 時折知恵を巡らせるのを忘れてハジメをじっと見ていることがある。そうしてるとどこか心が安らぐような気がするのだ。おそらく鈴はそれを見抜いたのではないかと考えた恵里は思わず反応してしまった。周囲の目を考えずに、である。

 

 鈴はそれをただじっと見つめているだけであった。

 

「な、何……何か文句あるの?」

 

「……べつに。何でもないよ」

 

 そう言うなり鈴はぷい、と顔を背けて先に行ってしまう。慌ててその後ろ姿を追う恵里は鈴が複雑な顔をしたことに気づけなかった。

 

 

 

 

 

「えっと、たしかここに2が……あった!」

 

「あ、また取られた!……ハジメくん、強過ぎない?」

 

「そうだよ。ハジメくんいっぱいとってるし。もしかして全部おぼえてるの?」

 

 むくれた様子の恵里と鈴にずいと迫られ、うろたえながらもハジメは揃ったカードを手元に持っていく。三人は今、鈴の部屋で神経衰弱をやっていた。現状二人がとったカードの合計よりも多く、現状ハジメの優勢である。

 

 もちろん始めた当初は一進一退といった具合だったのだが、この年頃の子にしては高い記憶力を持つハジメはめくられたカードを全て記憶していき、二人がお手つきをするごとにまだ無事なものをガンガン回収していったのである。

 

 結局ハジメの勢いを崩すことは出来ず、そのまま勝利をかっさらわれてしまう。その後もう一回、と鈴からお願いされてやるものの、更にハジメの成績が良くなっただけであまり変化がなかった。ならばもう一回と恵里が頼み込み、今度は一緒にハジメを倒そうと鈴に耳打ちしてハメようとするもののどうにもならず。神経衰弱はここで打ち切られることとなった。

 

 その後は七並べや大富豪をやるものの、その記憶力に加えて人並み以上の推理力を発揮したせいで手を読まれ続け、ひたすらハジメの一人勝ちが続いてしまった。これには流石に二人も凹み、ハジメが平謝りすることとなった。

 

 本を読むだけじゃ退屈だろうから、と貴久が気を利かせて買ってきたトランプはもうほこりを被りそうになっている。哀れであった。

 

「あ、ゴメン二人とも。ちょっとお花摘みに行ってくるね」

 

「うん、わかった」

 

「じゃあハジメくんといっしょに待ってるから」

 

 そうしてまたいつものように各々が読書に移った時、尿意を催した恵里は二人に断りを入れるとそのままパタパタと部屋を出ていった。鈴はハジメと一緒に恵里を見送った後、彼の服の端っこをつまんでクイクイと引っ張る。

 

「? どうしたの鈴ちゃん? えっと、鈴ちゃんも?」

 

「デリカシーないよハジメくん。そうじゃないってば」

 

 もしやと思って声をかけて見ればほほを膨らませた鈴にジト目で見られ、ハジメはまた平謝りする。何度もごめんねと謝り、ようやく機嫌を直した鈴にどうしたのと問いかけると鈴はハジメに疑問で返してきた。

 

「ねえ、ハジメくん。ハジメくんはさ、どうして恵里のことがすきになったの?」

 

 鈴の言葉にハジメは思わずドキリとする。“大切な人”という印象を恵里に対して抱いてこそいたが、それがどういうものなのか、どういう感情から来るのかを明確には理解していなかった。だから鈴から好きかどうかという明確な形で問われたことで戸惑ってしまう。自分の抱いている気持ちは一体何なのか、と。

 

「え、えっと、どうしてなの? 前に言ったと思うんだけど……」

 

「いいから。いいから言ってよ。気になったんだもん」

 

 どうにかごまかそうとしても鈴はじっと見つめてくるばかり。何度か目を泳がせ、結局観念したハジメはため息を吐くと改めて説明する。

 

「じゃあ、言うよ。一年ぐらい前にね、恵里ちゃんが……恵里ちゃんが僕とつき合ってください、って言ってくれたから。それでずっといてくれたから、だよ」

 

 あの時のことは今思い出しても頭が真っ白になりそうで、こうして説明する時もうつむいて赤くなった顔を見られないようにしないと言えなくなってしまいそうであった。

 

「うん。恵里の方からつき合ってって言ったのは聞いてるよ。でも……ホントにそれだけなの?」

 

 頑張ってハジメは伝えたものの、それを聞いた鈴は疑問符を浮かべるばかり。たったそれだけで恵里を自分よりも大切に思うのだろうかと鈴は考えていた。だから問いかける。それ以外にも何か理由があるんじゃないのか、と。

 

「うん。前はね、友だちもいなかったし、一人でもそんなにつらくなかったんだ。でもね、恵里ちゃんは僕とずっといっしょにいてくれた。おこったりすることもあるけど、すぐなか直りしてくれる。それにね、恵里ちゃんといるとすごい楽しい。だから……だから、だよ」

 

 傍から聞けばあまりにシンプルな理由で、何のひねりもないものであった。しかしそれ故にハジメにとって重要なものだった。

 

 両親は仕事の都合で一人でいる時間はそう珍しくなく、ハジメもそれを当たり前のことだと受け入れていた。そして物心ついた頃からゲームや読書が趣味であったため、一人でいることに苦を覚えるタイプではなかった。故にハジメは友達を作ることをせず、閉じた世界で生きてきた。それに不満も疑問もなかったのである。

 

 そこに現れたのが恵里である。

 

 彼女は自分と一緒にいてくれた。趣味を共有してくれた。そのお陰で家族以外の他人と一緒に楽しむことを知った。

 

 恵里と出会い、色々と経験を積んだことであまりよくわからなかった漫画やゲームの台詞も理解できるようになった。

 

 一人でいることの寂しさを知り、彼女といればそれがなくなることもわかった。

 

 鈴も友達になってくれた。

 

 学校に行くのが待ち遠しくなった。お出かけするのが楽しく感じるようになった。世界が前よりも色づいて見えるようになったのだ。

 

 だからハジメは恵里に感謝している。そして叶うことならばずっと一緒にいたいとも願っている。

 

 たとえ普段から猫を被っていたとしても、何か隠していたとしても、そんなことはハジメにとって些細な問題でしかない。

 

 誰だって隠したいことはあるんだし、彼女(恵里)はそれが人よりも多いかもしれないということぐらいでしかないと考えているからだ。恵里からそれを話してくれるならともかく、自分からそれを明かそうという気もない。それよりも二人とどう過ごすかの方が気がかりなぐらいだ。

 

「そっか。そう、なんだ」

 

 その答えに鈴は寂しげに、口を尖らせながらつぶやいた。改めて自分と恵里との間に一枚の壁が隔ててあるということに気づかされる。どこまで行っても自分では“友達”が限界で、それ以上に踏み込んでいける恵里がうらやましくて仕方がなかった。

 

(……あ、そっか。そうなんだ)

 

 この時鈴は理解した。自分も、恵里と同じくらいハジメに大切に思われたいんだ、と。

 

 これが恋愛でいうところの“好き”かどうかはまだ確信がない。けれど、自分の中で何かがくすぶっているのははっきりとわかった。

 

「うん。そうなん――えっ!? す、鈴……ちゃん?」

 

 相づちを打とうとしたらいきなり抱き着いてきた鈴にハジメは思わず面食らう。鈴は唐突にこんなことをする子じゃないというのはわかっていたから何もせず、ただじっとハジメは待つ。

 

「……こんなの、悪いことだってわかってるよ。でもハジメくん、おねがいだから、もう少しだけこのままでいさせて?」

 

 それだけを告げて鈴は何もしゃべらなくなった。今自分がやっていることは他人の恋人を横からかっさらうことなんだということは鈴もわかっている。ましてやそれが友達の好いた人であることも。

 

(ごめんね。ハジメくん、恵里。鈴、悪い子で)

 

 しかし鈴は感づいていた。恵里はやはりハジメのことが好きではなかったんじゃないか、と。前に疑問に思ってた頃のハジメへの接し方と、今の恵里の接し方が異なるということに鈴は気づく。クリスマスの日にハジメと手を繋いで寝たという話を聞いた辺りから変に感じていたが、ここ最近の挙動を見て確信した。()()恵里はハジメが好きなんだと。

 

(もうずっとすきでいてね? 恵里。そうじゃないと……鈴、ハジメくんがほしくなるから)

 

 もしハジメのことが好きでもなんでもないのならそのままハジメの隣にいようと前々から鈴は考えていた。けれども今はハジメに対して恋しているように見える。漫画の知識でそう判断した程度だがきっと間違っていないと鈴は思っている。だから鈴は身を引こうと考えた。ようやく出来た友達も、もっともっと仲良くしたいと思える人も失いたくなかったから。

 

(でも……でも、もうちょっとだけ、鈴も大切にしてほしいな)

 

 でも生まれた気持ちはすぐにはどうにか出来なくて。恵里ほどではないにせよ、もっとハジメくんに大切にされたい。ハジメくんと一緒にいたい。悲鳴を上げ、暴れそうになっているこの思いがいつか収まってくれることを願いながら鈴は名残惜しそうにハジメから離れる。

 

(……もしかして鈴ちゃんも?)

 

 そんな様子を見てハジメの頭にある可能性が浮かぶが、思い当たる節がないためかぶりを振ってそれを打ち消す。ただの考えすぎだ、ただの自意識過剰だと考えてその可能性を頭から消した。

 

 抱き着き、抱き着かれていた時の感触をお互いに思い出しながら二人は恵里が戻ってくるのをただじっと待つ。そうして恵里が戻ってきた後でも、鈴とハジメの間のぎこちない感じはなかなか消えなかった。そのことを恵里に大いに怪しまれ、二人は必死にごまかすのであった。




あれ、エリリンのヒロイン力が何故か高いぞ?(ォィ)


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十二話 ほのかに色づいた少女の視界

では今回も感謝のご報告を。皆さまのおかげでUA17000、お気に入りも250件を超えました。誠にありがとうございます。作者がこうして執筆できているのもこうしてちょくちょく覗いてくれたり、お気に入りに入れてくれたり、感想を書いていただいている皆様のおかげでございます。

今回は過去一で短く読みやすいサイズになりました。理由は後書きで。では本編をどうぞ。


 五月の初め、ゴールデンウィークの真っ只中のある夜、恵里は両親と共に荷造りをしていた。目的は三家合同の温泉旅行である。

 

 こうなった理由の大本は始業式が終わった後、ウィステリアで大人達のしていたトークである。ゴールデンウィークの予定が話題となった際にどの家もこれといった予定がなく、そこで愁がどうせだから全員で旅行でもどうだろうかと提案したのである。

 

 こういうのはちょっと早いんじゃないかと中村、谷口両夫妻から言われたものの、そこは得意の口八丁手八丁。こういうのはタイミングだから問題ないだの、旅行なんてゴールデンウィークか盆暮れ正月ぐらいしか機会がないし、そっちはそっちで各人によって異なるだろうから今しかないだのととにかくゴネ倒したのである。

 

 その勢いに負けた両夫妻が首を縦に振るとその勢いのままどこに行くか、日程はどうするかの打ち合わせに移った。行く日が決まったのが一週間ほど前、宿が決まったのがほんの数日前と割と押せ押せではあったものの、どうにか決まったのである。

 

 家族旅行は初めてであったため、恵里も少しばかり楽しみにしていた。父との思い出が作れる貴重な機会であったからだ。とはいえ自分の場合は鈴とハジメの二人との行動が基本になりそうだと苦笑する。

 

(こういう機会でもないとお父さんと一緒にいられないんだけどな……まぁ、ある程度は割り切るか。仕方ない)

 

「そういえば恵里は旅行は初めてだね。やっぱり緊張してるのかな」

 

 旅行の事についてあれこれ考えていると、父の正則が恵里に話しかけてきた。どうやら苦笑を浮かべたのを初の旅行故の緊張と勘違いしたらしい。

 

「うん。やっぱりちょっと緊張する。お父さんとお母さんだけじゃなくてハジメくんや鈴の家族の人と一緒だもん」

 

 とはいえしていないと言えば嘘にはなるため、あえて恵里はそれに乗った。胸の内をさらしたからか、大丈夫だと正則は頭をなでてくれた。髪の毛越しに感じる父の手の感触と体温に目を細めていると、今度は母が声をかけてきた。

 

「大丈夫よ、恵里。いつもウィステリアに行ってるのとあまり変わらないから」

 

「うん。ありがとうお母さん」

 

 心配そうに声をかけてきた幸にも笑みを浮かべて礼を述べる。未だにこの女に対する嫌悪はあまり抜けていないが、父の前でそれを出すわけにもいかない。それはそれ、これはこれである。

 

「緊張して仕方ないならお父さんが一緒に……いや、ハジメ君の方がいいかな? とにかく彼と一緒にいたら怖くなんてないよ」

 

「ど、どうしてそこでハジメくんが出てくるの!? う、うぅ……お父さんのばか……え、あ、その! これは、えっと……」

 

 唐突に出てきたハジメの名前に思わず反応し、恵里は慕っている父に対してつい悪態をついてしまう。そのことに大いにうろたえるも、いきなり好きな相手のことを出したから恥ずかしがったのだろうと考えた正則は何も言わずに恵里の頭をなでるだけであった。幸も正則が恵里ばかり構うのにほほを膨らませながらも、恵里の様子に微笑ましいものを感じて正則と一緒に頭をなでる。どうにもばつの悪いような恥ずかしいような心地であった恵里はしばし両親にされるがままであった。

 

 

 

 

 

 そして旅行当日。ゴールデンウィークも中ごろに差し掛かった辺りからか軽い帰省ラッシュに巻き込まれたものの、特にこれといったこともなく一行は宿にたどり着いた。

 

「南雲様、谷口様、中村様。お待ちしておりました。こちらが部屋の鍵となります」

 

 無事にチェックも済ませ、一行は部屋へ行くかたわらこれからどうするかを話し合う。

 

「やっぱりこういう所の定番といったらやっぱり温泉街の観光でしょ!」

 

「さすが菫。来て早々温泉巡りってのも悪くないですけど、今の時間なら人もまばらだろうから大人数で行くのに最適な時間じゃないかと思うんですけどどうです? 露店なんかで買い食いってのも乙なもんですよ?」

 

 そこで真っ先に提案したのは南雲夫妻であった。時刻は既に十四時を過ぎており、昼も道中にあったパーキングエリアで済ませているためどこかの店に寄る必要もない。とはいえ子供を含め、全員が軽くつまんだ程度ではあったため、お土産の物色がてら小腹も満たそうという考えであった。

 

「確かにいいと思います。愁さんの言う通り、どうせ観光するんでしたら混んでくる前の方がゆっくりと楽しめますしね。皆さんはどうしますか?」

 

「正則さんがいいなら私も。谷口さんはどうされますか?」

 

 正則が南雲夫妻の提案にいち早く反応してOKを出すと、幸もそれにうなづいて谷口夫妻の方に話を振った。夫妻は揃って笑顔を浮かべ、先に貴久がそれに答える。

 

「いいですね。全員で話しながらぶらぶらするっていうのも中々出来ませんしね。私はそれでいいけれど春日はどうする?」

 

「私も貴久さんが一緒なら。あ、でも恵里ちゃんやハジメ君はどうしたいの? もしイヤだったら私と鈴ちゃんと一緒にお部屋で待つけどどうしたいかな?」

 

 貴久も承諾し、春日もそれに続こうとしたものの、ここで子供たちのことで迷ってしまった。もし恵里達が観光に興味がないなら無理につき合わせようとは思っていなかったし、かといって子供だけで留守番させるのは危ないと考えたからである。

 

 そこでとりあえず声をかけてみるとハジメと恵里は迷った様子である。鈴の方は少し考え込むと、意を決して二人に声をかけてきた。

 

「え、えっと二人とも……鈴は行ってみたいんだけど、行く?」

 

 つい一年前までお出かけはおろか、行事以外で外に出かけることも鈴にはなかった。幼少からふさぎ込んでいた反動もあるのだろうが、鈴は二人と一緒に思い出を作りたかった。一人で寂しかった記憶をみんなで楽しいものに塗り替えたかった。だから勇気を出して言ってみる。

 

「僕はその……恵里ちゃんは?」

 

 ハジメはまだ迷っていた様子であった。二人と一緒に旅行するのが楽しみでなかったわけではなく、もちろん心待ちにしていた。しかしこうして来てみると見慣れない場所にいることの不安が勝ってしまったのである。そこで恵里に問いかけてみると、人差し指を唇に当てると二人の方を向いて笑顔を浮かべた。

 

「わかった。いいよ。こっちにいるよりも鈴やハジメくん達と一緒の方が楽しそうだし」

 

「じゃ、じゃあ僕も行く! いっしょに行きたい!」

 

 恵里は特にやりたいこともなく、鈴とハジメの様子を見てから動くつもりであった。鈴は行きたいと言ってるし、ハジメはこちらの様子をうかがっているのは見て取れたため、一押ししてやるとあっさり折れた。

 

「ねぇお母さん、鈴もいっしょに行っていいよね?」

 

「うん。じゃあハジメくんも恵里ちゃんも、行こっか」

 

 こうして三人そろって観光に行けることにどこか嬉しさを覚えながら、恵里はハジメと鈴と一緒に親の後を追うのであった。

 

「すごいぷるぷるしてるね、おいしそう」

 

「ん……結構濃いね。おいしい」

 

「そうなの恵里?……ホントだ。ね、ハジメくん。おいしいよ」

 

 温泉街に繰り出した一行はそこの露店の一つで売っていた温泉卵を買うと、全員でつついていては各々感想を言い合っていた。親達も『値段の割にいい卵を使っている』だの『食感が絶妙』だのと言葉を交わしている。

 

「あ、ハジメくん。卵ついてるよ」

 

「えっ?――あっ」

 

 温泉卵について色々と話し込んでいる親たちを横に、三人でおいしいおいしいと言いながらつついていた時、ふとハジメの口の端に半熟の白身がついてるのに鈴は気づく。すると特に下心もなくそれを取って食べたのである。

 

「――――! ぁぅ、ぇぁ、ぅぅ……」

 

「どうしたのハジメくん?――あっ。あ、その、鈴は、その……」

 

「……よかったねハジメくん。恥をかかなくてさ」

 

 途端ハジメが恥ずかしさで悶え、自分のやったことに気づいた鈴が恥ずかしさでうつむき、恵里は恵里で複雑な表情で二人を見ている。そんな三人に気づいた親達は微笑まし気に見つめながら街を歩いていくのであった。

 

「気持ちいいねハジメくん」

 

「う、うん。そうだね……ね、ねぇ恵里ちゃん。か、体当たってるよ?――って、鈴ちゃん? 鈴ちゃんも無言で近づかないで!?」

 

 そして露店巡りで一度休憩しようと足湯に立ち寄ると、鈴に見せつけるように恵里はハジメに密着する。肩、足をくっつけてしたり顔で鈴の方を見つめれば、それをうらやましく感じた鈴も何も言わずに近くに寄った。いやに積極的な二人にハジメはこれ以上何かを言う気にもその場を離れる気になれず、ただただドギマギするしかなかった。

 

「……なんで鈴も近づいてるの? 別に鈴とハジメくんはつき合ってる訳じゃないでしょ?」

 

「だって、だって……」

 

 ハジメとの距離を詰めた鈴にちょっとむすっとした様子で恵里は問いかけるも、鈴は『だって』と繰り返すだけで一向に離れようとしない。

 

 理由はわからないけれどどうせうらやましがったんだろうと適当に理由を考えた恵里は、まぁいいかと思いながら顔を赤く染めたハジメをじっと見つめる。恵里からの視線に気づいたハジメであったが、心臓が早鐘を打つばかりでカラカラになった口からは何も出ない。

 

 結局二人にいいようにされるまま、気絶しそうになりながら、どこか夢見心地で足湯に浸かっているのであった。なお、この光景は親~ズ全員に撮られ、それに気づいた恵里と鈴は恥ずかしさで死にそうになり、ハジメはまた気絶した。

 

「ね、ねぇ恵里ちゃん? それ、気になるの?」

 

「え? あー、いや、そこまでじゃないんだけど……」

 

 そして気恥ずかしさでお互いに顔を背けながらも、談笑する親の後をついて行き、三人も土産物屋に入っていく。菓子類やご当地の食べ物といったものは親が買うだろうと考えて廉価のアクセサリーなどの小物類を適当にながめていたのだが、あるものを見て恵里の足が止まった。

 

「……恵里ってこういうのすきだっけ? 違うよね?」

 

「いや、好きでも何でもないけど。単に見た目が気になっただけ」

 

 そう言って手に取ったのは温泉街のマスコットキャラを模した人形がついたストラップである。この街に入った際に立て看板などでそのキャラは見たのだが、今ひとつなかわいさのソレをこの人形はよく再現している。しかし欲しいかと言われれば別にそうでもなく、とりあえず元の場所に戻して別のものを物色しようとした時、鈴が待ったをかけた。

 

「ねぇ、あのさ。みんなで行った記念みたいなの、鈴もほしいって思ったんだけど……コレにしない? 割と変だけど」

 

 そう言って鈴は恵里の持っていたストラップを手に取り、問いかけてくる。

 

 単にコレ自体が欲しいかどうかと言えばノーではあるが、記念品と考えれば少しは違ってくる。食べ物だったら後で食べて終わりだし、いつの間にやらハジメが手に取っていた龍の巻きついた剣のアクセサリーみたいな道中のパーキングエリアなどでも売っていそうなものを買うよりも、微妙に感じてもそこしかない物の方がきっと記憶に残る。

 

 そう考えた恵里は同じ物を手に取り、ハジメに向けて微笑みかけた。

 

「なら、さ……買っちゃわない? みんなでお揃いのヤツ」

 

「恵里ちゃんがいいなら、うん。買おう」

 

「じゃあ鈴、お父さんたちに言ってくるね。コレ買う、って」

 

 この日は三人とも自分のお財布を持ってきており、親から事前に買いたいものは自分で買ってもいいと許可ももらっている。お小遣いも全員足りていたため、みんなでストラップを持って親と合流する。

 

「みんないっしょ、だね」

 

「……うん。ハジメくんと、鈴と一緒」

 

「そうだね。おそろい。うん、おそろい」

 

 宿へ行くかたわら、買ったストラップを時折取り出しては三人とも感慨にふける。どうしても頬が緩むのを止められず、止める気も何故か起きないことに少し困惑していた恵里であったが、それを表に出して、変な空気にならないよう別のことを考えて気を逸らす。

 

 ――ハジメがおそろいのストラップを買う際、空気を読んで厨二心を無駄にくすぐるあの剣のキーホルダーを買うのを泣く泣く諦めたことを。空気を読まずにやらかさなくてよかったことを。

 

 その事を思い出してホッとしながら、恵里は皆と一緒に宿へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

「久しぶりの温泉はいいわねー。生き返るわー」

 

「本当に良かったですよね。お風呂で皆さんとお話しながらなのも」

 

「あの、貴久さん、愁さん。もしよろしかったら年に一度でいいですからまた旅行に行きませんか? もちろん恵里やハジメ君、鈴ちゃんが良ければ、ですけれど」

 

「私もそれを言おうと思ってました。愁さんはどう思います?」

 

「おっ、本当かい! なら年一だけじゃなくて機会があるならいつでも行かないか? 一回だけなんてもったいない!」

 

「私と幸はいいですけど、愁さんと谷口さんが問題でしょう? でも、機会があるならぜひ」

 

 親たちがかしましく話す横で、軽くのぼせた恵里と鈴は大浴場前の休憩スペースのソファーに体を預けていた。恵里にとっては学校の修学旅行以来、鈴にとっては初体験であった温泉であったのと、浴場内でトークが盛り上がったのもあってか中々出られなかったのが原因であった。

 

「ねぇ恵里ちゃん、鈴ちゃんだいじょうぶ? まだ顔が赤いけど……」

 

「あー、うん。だいじょぶ。大丈夫だから」

 

「ちょっとのぼせただけ……しんぱい、しないで」

 

 ハジメも二人がもたれかかっているソファーに座り、心配そうにチラチラと見ている。それを軽くうっとうしいと思いながらもどこか嬉しさを感じることに恵里は何とも言えない感情を覚えていた。

 

(ホント、ボクと鈴のことになると過保護、っていうかなんていうか……男の子、ってこんなもんなのかな。それとも、ハジメくんだけなのかな)

 

「あ、よかったらお水買ってくるから――」

 

「いや、そこまでやらなくていいって」

 

「ありがとハジメくん……すず、それだけでうれしいよ」

 

 うちわが手元にあったのなら煽るよう頼んだだろうが、残念ながらそれに適した物すら近くにはない。風呂を上がった後、一度ペットボトルの水を飲んで軽く体を冷やしてはいるが、あんまり飲むとおなかが緩くなるだろうしこの後の食事が食べられなくなるだろうから断っておく。

 

「じゃあ、何かあったら言ってね。何でもするから。も、もし二人とも動くのがつらいならおんぶするの……が、がんばるから」

 

 そうしたら今度はハジメがそんなことを言いだしてきた。いいところを見せたいのか、それとも自分たちのことを思っているからなのか、はたまた両方か。

 

(そんな細腕でボクと鈴をどうにか出来るわけがないでしょ……ホントにもう、ハジメくんってば)

 

 息巻いているハジメを見て恵里は困ったような笑みを浮かべる。それを見て頼られてないことに気落ちするハジメを、まだいくらか茹った頭で言葉を選びながら恵里は鈴と一緒になだめるのであった。

 

 

 

 

 

「はい6ー! よし、上がった上がった!」

 

「ちょ、ちょっと愁さん! あなた、子供たちに華を持たせる気概、ってのはないんですか!? ほら、三人とも白い目を向けてるじゃないですか!」

 

「ハッハッハ。いいかい貴くん。子供ってのはね、君が思っている以上に賢いし、見抜く目を持っている。つまり下手に手加減をしたところでこの子達に失礼になるだけなんだよ!」

 

「それアナタが自分を正当化するための方便ですよね!? 私が言ってるのはそういう大人げないところで――」

 

 風呂から上がった後、広間での夕食を終えた一同は、南雲家にあてがわれた部屋にて持ち込んだトランプで七並べをしていた。

 

 プレイヤーは恵里、ハジメ、鈴のいつもの三人と愁、そして貴久を加えた五人。他はギャラリーとして五人のプレイを見ていたのだが、愁のはしゃぎっぷりが中々に酷かった。

 

 貴久のように子供相手に手を抜くことは一切なく、持っている札と相手の動きから予測して場をコントロールし、上手いこと自分に有利に運んだのである。そしてその勢いのまま逃げ切り、一位をもぎ取って周囲を白けさせる偉業を成し遂げたのだ。

 

「あの人ね、いっつも大人げないのよ。ハジメと二人でゲームやってても全然手を抜かないし、隙あらばハメてくるから割とよくハジメを泣かせてるわよ」

 

「子供相手にあんなことして恥ずかしくないんでしょうか。菫さんには悪いですけれど、大人なのは見た目だけですね」

 

「鈴ちゃんも割と目端が利く子だし、恵里ちゃんとハジメ君も結構目敏いところがありますから愁さんの言うことはわからなくもないんですけど……お友達、いらっしゃるんでしょうか」

 

「え? ちょっと? 俺そこまでヒドかった? いやー、少しはしゃぎ過ぎたかもしれないけど……おーい正くんや、なんで目をそらすんだい?」

 

 女性陣は声を潜めながらもギリギリ愁に聞こえる大きさでけなし、正則は何も言わずに愁から目をそらした。恵里ら三人も呆れて何も言わずに見つめるだけ。貴久も『だから言ったでしょうに』と言いながら頭を押さえている。孤立無援が確定した瞬間であった。

 

「ごめんね恵里ちゃん、鈴ちゃん、貴久さん。お父さんがめいわくかけちゃって……」

 

「いや、ハジメ君が気にすることじゃないからね……えっと、三人はどうしたい? まだ続ける? それとも気分転換にテレビでも見るかい?」

 

「鈴はテレビがいい。なんかやる気なくなっちゃった」

 

「じゃあ私も。ハジメくんも一緒に見ない?」

 

「わかった。いっしょに見よう。あ、貴久さんありがとうございます。僕も手伝いますね」

 

 愁のプレイングで思いっきりやる気が削がれた三人は貴久と一緒になってトランプを片付け、全員で座卓を囲んでテレビをながめる。バラエティ番組を見て盛り上がったり、地上波で流れたラブロマンスの映画を見てワーキャー言ったりと中々に忙しなかった。

 

「ハジメ、くん……だいじょうぶ?」

 

「うん……へいき、へいきだから」

 

「はじめ、くん……すずも……すずも……」

 

 だがシーン毎に盛り上がっている親達とは対照的に、恵里とハジメは既に夢現となっていた。鈴は既に眠っており、ハジメの左ももを枕に幸せそうな寝顔を浮かべている。

 

「あっ、鈴はもう寝ちゃってたね」

 

「ごめんねハジメ君。ハジメ君も眠いだろうし、私たちはそろそろ部屋に戻るから。じゃあおやすみなさい」

 

「あ……おやすみなさい」

 

「お、おやすみー。貴くん、春日さん」

 

「今日はありがとう。じゃあ、おやすみなさーい」

 

 鈴を負ぶって部屋を出ていく谷口夫妻にハジメは自分の両親と一緒に返事をしたのだが、恵里は鈴がいなくなったことにも気づけず、今にも舟をこぎそうになっていた。

 

(もう、げんかい……がまん、できないや)

 

 長いこと車に揺られた疲れのせいか、昼間の観光のためなのか、それとも長湯で疲れてしまったからか、眠気を抑えているのも限界であった。

 

(おや、すみ……おとうさん、すず、ハジメ、くん……)

 

 心の中で一言述べた恵里はハジメの肩に自分の頭を乗せて眠ってしまう。それにつられてかハジメもあぐらをかいたまま寝息を立てた。そうして二人が仲良く夢の世界に旅立った後、中村夫妻は恵里を負ぶると、南雲夫妻に頭を下げる。

 

「では愁さん、菫さん。お邪魔しました……恵里と仲良くしてくださってありがとうございます」

 

「ああ、お休み正くん。いや、こっちこそウチのハジメと仲良くしてくれてありがたいぐらいだよ。恵里ちゃんにもそう言っておいてほしい」

 

 あいさつもそこそこに中村夫妻は部屋を出ていく。そして部屋に戻る途中、恵里が寝言をつぶやいた。

 

「おとう、さん……すずも……はじめ、くんも……みんな、いっしょ……えへへ、いっしょ」

 

「ふふ、恵里ったら。夢の中でも二人の名前が出るなんて」

 

「ああ。本当に二人のことが好きなんだな……ハジメ君と鈴ちゃんには頭が上がらないな」

 

「そうね。あの子達の前でならちゃんと子供らしくいられるもの。本当に、いい子達よ」

 

 二人は他の客の迷惑にならないよう声のトーンを落としながら部屋へと歩いていく――不意に、父の背で眠る少女がはにかんだ。




ちなみにあの例のキーホルダー、後でハジメは買いました。

ここらで恵里、ハジメ、鈴の三人とその親達だけの関係が終わりを迎えます。そろそろ他の子も関係が深くなっていく予定です。なお予定は未定な模様。

あと当初はお風呂のシーンがあったのですが「あ、これ18禁になるんじゃね?」と思って泣く泣くカットしました。まだ推敲してないだけで下書きはありますが……需要あるかな? 18禁要素が裸ぐらいしかないけど。

21/6/1 追記
割と見たい方がいて草。皆さん正直ですねw
ではこちらからどうぞ。
https://syosetu.org/novel/259832/


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幕間四 きずだらけのおひめさまとおうじさま

皆さまのおかげでUA19000オーバー、もうすぐ20000に行きそうになりました。誠にありがとうございます。思った以上にえrは偉大だったっぽい?

そしてザインさん、自分の作品を評価していただきありがとうございます。

タイトルから察せられる通り、今回は鬱・胸糞展開が入ります。ご注意ください。


 その出会いは雫が小学二年生になってすぐのことであった。

 

 その日の前日、いつもの稽古を終えた光輝と雫はいつものように話をしていた。今日あったことや明日会う彼の友達の特徴、そして全員にも雫の事を伝え、みんなを連れてくるから待っていて欲しいといったことだ。

 

 その夜はなかなか寝付けなかった。道場の娘で自身も稽古しているために他の女の子と帰りに遊ぶという事もそう出来ず、稽古に時間がとられるため年頃の子が何に夢中になっているかもちゃんとわかっている訳ではなかった。せいぜい話し声を拾って推測するぐらいしかなかったのである。

 

 また家族から、道場の皆からの称賛、寄せられた期待を裏切りたくないという生来の真面目さ故にそういったものに(うつつ)を抜かしたと見られたくない。そう思われるのが怖いと思っていたためにおしゃれもろくにせず、ぬいぐるみだって三歳の頃に買ってもらったもの一つだけしかない。

 

 雫は明日自分がどうなるかが気になって仕方がなかった。もしかすると受け入れてもらえないかもしれない。けれども光輝のおかげで自分もやっと()()()女の子になれるかもしれない。不安と期待で胸がいっぱいであった。

 

 それは約束の日を迎えた時も変わらず。昼休みが来るのが怖くて、少し心待ちにしていた。その日は授業もあまり手につかず、光輝の友人で隣にいるクラスメイトに時折視線を向けたりしながら遂に昼休みを迎える。

 

「ねぇ、光輝くん。会わせたい子って?」

 

「ああ、このクラスにいる子でさ――あ、いた」

 

 その声を聞いた時、胸が高鳴った。事前に聞いていた通り、男の子の友達と女の子三人を連れて彼がやって来てくれた。

 

「紹介するよ。俺が行ってる道場の子の八重樫さんだ」

 

「は、はじめまして……八重樫雫、です」

 

 おずおずと頭を下げると、光輝の隣にいた男の子がニッと笑う。

 

「よろしくな、八重樫。俺は坂上龍太郎だ。龍太郎で構わねぇよ」

 

「あ、ありがとう……りゅ、龍太郎くん」

 

 おうよ、と快活に龍太郎が返すと、三人の女の子も自己紹介をしてくれた。

 

「はじめまして八重樫さん。私、栄田杏理(さかえだあんり)。よろしくね」

 

「あたしは依田美唯(よだみい)。よろしく~」

 

「あの、私、椎野可菜(しいのかな)だよ。よろしくね八重樫さん」

 

「え、えっと栄田さん、依田さん、椎野さんね。よろしく、おねがいします」

 

 彼と一緒にいた三人も笑顔を浮かべて自分を受け入れてくれた。そう感じた雫は心の中で感激する――ああ、やっぱり彼は王子様だったんだ、と。

 

 武道一辺倒で生きてしまった自分が他の女の子と混じっておしゃべり出来る。おしゃれも出来る。彼のおかげで諦めて夢として見ていただけのことが実現できるんだと思ったら胸がいっぱいになった。涙が溢れそうであった。

 

「あの、八重樫さん?」

 

「……あっ、ごめんなさい。ちょっと、ちょっとおどろいちゃっただけだから」

 

 とはいえ自分と親しくしてくれる彼女たちを無視してはいけない。目元をこすって雫も話に混じる。きっと自分も絵本のお姫様のようにハッピーエンドを迎えられるんだと思いながら。

 

 ――それが都合のいい夢でしかないということもわからないまま。

 

 

 

 

 

「ねぇ、あの子じゃまだよね」

 

 雫と出会って三日が経った時のことであった。光輝、龍太郎、雫と別れた学校の帰り道に不意に美唯がつぶやけば杏理もそれにうなづき、可菜も肯定こそしなかったものの否定もしなかった。

 

「うん。なんであんな子が光輝くんのそばにいるんだろ」

 

 杏理も忌々し気に遠くを見つめながら疑問を口にする。可菜は苦い表情を浮かべるだけで何も言わない。それに軽く苛立った美唯は隠さずに可菜にぶつける。

 

「ねぇ可菜、なにいい子ぶってるの? アイツが気に食わないって思ってるのはわかってるんだよ」

 

「うん。わたしもキライだよ。でも、光輝くんからおねがいされたし、その……」

 

 顔を軽く伏せながら返す可菜に美唯はフン、と鼻を鳴らす――光輝が雫のためを思って紹介した三人はいずれも彼女を嫌っていた。自分達が思う女の子像とあまりにもかけ離れていた存在への苛立ち、辛い時に彼を支えたのは自分であるという自負からの嫉妬がその理由であった。

 

 初めて顔を合わせた日に話をしても自分達が読んでいる少女漫画は何一つ知らず、流行にもあまりに疎い。読んだことがあるのが絵本ぐらいしかないため、表面上は適当に流しながらも腹の内では全員が子供っぽいと見下していた。

 

 また、彼女が好きな絵本が『シンデレラ』や『白雪姫』といった“お姫様”が出てくるものばかりで、試しに聞いてみれば『自分も絵本のお姫様みたいになりたい』と告げたときには三人共心の中で嘲笑っていた。男みたいな見た目のくせにお姫様だなんて、と。

 

 それでも今日まで我慢してつきあってはきたのだ。しかし、遊びに誘おうとしても稽古を休む訳にはいかないと何度も断られたりした。どうにか一度だけ連れ出すことに成功したものの、共通の話題がなかったことせいで何一つ盛り上がらなかった。そして家の事で度々そわそわしている彼女を見て心底冷めてしまう。どうしてこんなヤツなんかのために自分達が我慢しなきゃならないんだ、と。

 

 もちろん雫も全く努力しなかった訳ではなかった。勇気を出して親に漫画雑誌を買って欲しいとお願いしたり、全部に目を通して好きな漫画を挙げたりするなどついていこうとはしていたのだ。とはいえ三人は『ちゃんと全部わかった訳でもないのに偉そうにして』と内心見下していたが。

 

 全員がもう少し歳を重ねていればまだ三人も我慢を続けたかもしれない。どうにかしてついてこようとしている雫を認めたかもしれない。だが、それを彼女達は認めなかった。八重樫雫という存在を認めなかったのだ。

 

 初めて話をした時から馬が合わず、容姿も女の子らしさを感じられない。そして何より三人はずっと光輝のことが好きであった。だからいきなり現れて彼から関心を寄せられている彼女のことが心底気に食わなかった。

 

 辛い時に世話になった家の子だから? それがなんだ。自分はずっと彼と一緒にいたというのに。それが三人の思いであった。

 

 いくら好きな彼の頼みであっても、いきなり現れたあんな異物を彼女達は受け入れられない。だから少女達は口にする。

 

「じゃあさ、出ていってもらおうよ」

 

 美唯の言葉に二人はうなづいた。(あれ)は敵だ。邪魔だからいなくなってもらうのだ、と。

 

「そうだね。あんなのが光輝くんのそばにいるなんて許せない」

 

 そばにいるのは自分だけでいい。そのためにはまずアイツからいなくなってもらおう。心の中で三人の思いが重なる。可菜の返答に杏理は口角を上げる。

 

「うんうん。じゃ、追い出そっか。あの男女」

 

 三人は無邪気に笑う。あの女を排除して愛しの光輝君を取り戻すのだ、と。

 

 幼い悪意が、牙をむいた。

 

 

 

 

 

(……あれ? 教科書がない?)

 

 雫の周りに不可解なことが起き出したのは光輝の友達と出会ってから四日後のことであった。休み時間が終わる前に次の授業で使う教科書を用意しようとしたのだが、ランドセルの中にも机の中にもなかったのである。

 

 いつも寝る前と学校に行く前に確認していたはずなのに。そんなことを考えているとチャイムが鳴ってしまい、どうしようと焦っている内に授業が始まってしまった。

 

「あれ、八重樫さん。教科書どうしたの?」

 

 そんな時、隣の席にいた美唯が声をかけてきた。

 

「え、えっとその……見当たらなくて」

 

「そうなの? じゃああたしの教科書、いっしょに見ない?」

 

 心配そうに聞いてきた彼女に雫は素直に伝えると、そんなことを提案してくれる。それは雫にとってこの上ない助けであった。

 

「そ、その……おねがいして、いい?」

 

「いいよ。だってあたし達“友だち”じゃない。ね?」

 

 美唯は嫌な顔ひとつせず、机と机の間に教科書を置く――雫が美唯に感謝し、頭を下げてから意識を先生の方へと向けようとしたその時だった。

 

「でも、教科書がないなんて八重樫さんもけっこう抜けてるんだね。そんな子をすきになるなんて、やっぱり光輝くんはやさしいよね」

 

 粘つくような視線と共に出てきたつぶやきに恥じらいを覚えながらも授業に意識を向けようとする。光輝が優しいのは雫もわかっていたし、自分のことを言われたのだって仕方がないことなのだ、と。

 

 その日の昼休みに教科書は見つかったものの、不可解なことは連日続いた。消しゴム、鉛筆、筆箱丸ごと、体操着、果ては内履までも見当たらないことがあった。その度に美唯が貸してくれたり、杏理と可菜に慰めてもらった。だが――。

 

「もう、しかたないね八重樫さん。コレ使っていいよ……あんまりめいわくかけてると光輝くんもあきれるんじゃない?」

 

「またなくしたんだ? そっかそっかー……前に光輝くんともお話ししたけど、そそっかしいのね八重樫さんって。直さないと光輝くんにきらわれちゃうんじゃないかな〜」

 

「うんうん。わすれ物ってみんなやるから気にしなくていいと思うよ。でも、そんなことばっかりやってる子を光輝くんはすきでいてくれるかな?」

 

 その言葉が、注意が、指摘が泥のように雫の心にへばりついていく。だけどもこれは友達が自分を心配して、自分のことを考えてくれてこう言ってくれているのだと自分に言い聞かせる。

 

 この奇妙なことは雫だけの問題では収まらなかった。あの三人を経由して光輝と龍太郎にも伝わったからだ。当初は雫も意外と抜けている子なのだと思っていて気にしなくていいと声をかけていたが、こうして何度も起きていて、雫自身身も困惑している様子に流石に二人も怪しんだ。

 

「なぁ八重樫、本当にそれうっかりとかそういうやつなのか?」

 

「龍太郎の言う通りだ。まさか、だれかからイジメられてたりとかは――」

 

「う、ううん……だいじょうぶ。きっと、きっと私がうっかりしてたせいだから。きっとそうだから」

 

 心配する二人にも大丈夫と返すだけでそれ以上は何も言わない。何かあったら相談してほしいと言われて首を縦に振るのがせいぜいであった。そしてそれは家族であっても同じであった。

 

「雫、やはり何かあったんじゃないか? 最近口数が少なくなっていると思うが……」

 

「そうね。雫、何か辛いことでもあったのならお母さんに――」

 

「なんでも、ないから。だいじょうぶだから。だから……」

 

 両親はもちろん、祖父も異変に気付いて尋ねようとするも当人は『何でもない』と『大丈夫』と言うばかりであった。自分達が武術の道に引き込んだことで雫に無理をさせてしまっているという負い目がある以上、相談に乗ると伝えるだけでそれ以上追及することが出来なかった。

 

(……栄田さんも、依田さんも、椎野さんも、私の“友だち”だから。だから、いじわるとかしてない。きっと私の思い違いのはず)

 

 寝る前に一度、学校に行く前に一度で終わらせていた持ち物の確認が、帰宅してランドセル内の物を入れ替えてから一度、寝る前に一度、起きた時に一度、学校に行く前に一度に変わり、遂には少しでも気にかかったら確認しないと気が済まなくなってしまっていた。

 

 しかし、そこまで執拗に持ち物を確認しても気づいた時にはなくなってしまう。それが怖くて怖くて仕方がなかった。

 

 そうして原因を探っていた時にある考えが浮かぶ――あの三人の誰かが自分の物を隠しているという可能性であった。だがそれは自分と友達になってくれた人を疑うということであり、手を伸ばしてくれた彼女たちを雫はそんな目で見たくなかった。だから必死になって否定する。

 

 今の雫に寄り添える者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 そして四月も半ばを迎える頃には教室に行く前にお手洗いに行き、可能な限りお花摘みに行く回数を減らすのが雫の新たな習慣になってしまっていた。自分が目を離さなければ持ち物がなくなることはなかったからである。

 

 そんなものが身についてしまった頃、事態は新たな展開を迎える。

 

「ねぇ八重樫さん、お昼休みになったらちょっとつきあってくれない?」

 

 その日の三時限目を無事に終えた後、突然美唯が話しかけてきた。

 

 ニコニコと笑っているようだが、どこか苛立ちを感じさせるその表情に違和感と幾らかの恐怖を覚えつつも、雫も努めて笑顔を浮かべて答えた。

 

「よ、依田さん? い、いいけど……天之河くんと龍太郎くんは?」

 

「ううん、あの二人は抜きで。ね? 女の子同士で話したいことがあるから」

 

「で、でも……」

 

「……そう。じゃあ光輝くんに『八重樫さんにいじわるされた』って伝えなきゃ――」

 

「ま、待って! わ、わかったから……天之河くんには、言わないで」

 

 どうしても光輝と龍太郎がいると不都合だということは雫もわかった。だが、心配してくれている二人、特に光輝から失望されるかもしれないと思うと怖くて受け入れるしかなかった。ニタニタと笑いながら『また昼休みにね』と言われた雫は体の震えが止まらなかった。

 

 そうして昼休みを迎えて給食を食べ終えた後、雫は美唯に手を引かれて連れ出される。教室を出て、いつも話をしている光輝のいる教室から更に先。途中で合流してきた杏理と可菜と一緒に玄関を出て、校舎裏まで連れていかれたところで壁際に押されてしまう。

 

「な、何するの……!? こ、こんなところで何を……」

 

「あーもう、うるさいなぁ。アンタの頭が悪いせいでしょ」

 

 自分を押した方に視線を向ければ、美唯がイライラを隠さずにぶつけてきた。横にいた二人もそれを咎めることなく、ニヤついていたり嫌悪を露にしている。

 

「私は遠回しに言ってもわからない、って言ったんだけどねー。でもここまでニブいなんてサイノー、ってやつだよね。さ・い・の・う」

 

「やっぱりちゃんと言ったほうが早かったね。早く光輝くんの前からいなくなって、って」 

 

 二人も隠すことなく敵意をぶつけてくる。そこで雫の脳裏に浮かぶのは最悪の予想――三人とも自分をイジメていた、という考えるだにおぞましいもの。それを否定するべく乾いた口を動かして雫はどうにか言葉を紡ぐ。

 

「さ、栄田さん? 椎野さん? ど、どうして……わ、私たち、友だちじゃ……」

 

「かってにあたしたちの名前を呼ばないでよ男女」

 

「友だち? まだそう思ってるんだ。私たちはとっくにアンタなんかいらないって思ってたんだけどね」

 

「うん……わたしたちから光輝くんをとったくせに、女の子じゃないくせに、どうしてそんなことが言えるの?」

 

 だが、返されたのはむき出しの敵意だけであった。稽古で向けられる意識や気配とは違う、全身を這うような総毛立つ悪意を向けられていた。

 

「なん、で……なんで……」

 

 家族や道場の皆から期待や称賛の声や眼差しは受けるのには慣れていたし、うらやみやちょっとした嫉妬ならば同年代の門下生から向けられたこともあったから雫も知っていた。だが、ここまでの悪意を受けた経験は雫にはない。なんとしても自分を排除したい、お前さえいなくなれば、というどす黒い意志を向けられたことがなかったのだ。

 

 だから怯えるしかなかった。混乱しかなかった。どうしてここまで自分が否定されるのか、どうして自分がこんなものを向けられるのかがわからなくて、怖くて仕方なかった。

 

「ほーら、やっぱり。あぶないものなんか振り回してるから頭が悪いんだ」

 

 嘲笑する美唯に杏理と可菜もケタケタと笑って同意する。じりじりと迫ってくる三人に気圧され、雫もじりじりと後ずさっていく。だが、すぐに校舎の壁に当たってしまい、動けなくなった。

 

「だってアンタ、じゃまだもの。光輝くんをとっていくどろぼうだもの」

 

「そうだよ。わるぅーいヤツが幸せにならないぐらい、絵本を読んでるんだから知ってるでしょ?」

 

「だからさ……消えてよ。わたしたちの前から、光輝くんの前から。ね?」

 

「あ、あぁ……」

 

 逃げ場を失い、それでも絶えず叩きつけられる悪意にぺたりと腰を抜かした雫を見て三人は口角を上げる。自分達から光輝を奪おうとした奴が涙を流して嗚咽を漏らしている。これでやっと光輝くんを取り戻せるんだ、と。

 

「わ、わたし……あなたたちからなにもとってなんか――」

 

「うるさいっ!」

 

 だからこそ、悪意を叩きつけられてもなお弁明しようとした雫が気に食わなかった。思わず美唯は彼女のほほを張り、声を荒げる。

 

「アンタが……アンタさえいなければ! 私が! 私が光輝くんの――」

 

「――オイ。何やってんだお前ら」

 

 その途端、ワントーン低くなった少年の声がその場に響く。それに反応して振り向けば腕を組んで歯を噛み締めていた龍太郎が、顔を青ざめさせて今にも膝から崩れ落ちそうな光輝がそこに立っていた。

 

 昼休みになっても四人が全然来ないことを不審に思い、二人で学校中を探し回っていたのだ。そしてようやく見つけた。だが、目の前に広がる光景を見て龍太郎は怒り狂い、光輝は信じていたものが崩れ去った。故にあのような態度になったのである。

 

「どう、して……どうして、みんな、八重樫さんを……」

 

「ち、ちがうの光輝くん! こ、これはその……」

 

「依田、俺らは見てたぞ。お前らが八重樫をイジメてるところをよ。どろぼう扱いしてるところからな――テメェが八重樫をぶったのもよ」

 

 すぐにごまかそうとする美唯であったが、龍太郎の言葉に思わず後ずさってしまう。全部見られてた訳ではないにせよ、そこを見られていたのはかなり不味い。それでもどうにかこの場を切り抜けようと知恵を絞ろうとした時、杏理と可菜が声を上げた。

 

「わ、私は止めたんだよ! でも、美唯も可菜もあの女をおい出すんだって言ってて……」

 

「そ、そうじゃないよ! わたしは気が乗らなかったのに、二人が無理やり……!」

 

「なっ!? ふざけないでよ! アンタたちだってノリノリであの男女をおい出そうって――」

 

 他の二人に責任をなすりつけて自分だけ助かろうとしたのである。抜け駆けは許すまいと三人ともいがみ合い、罵り合う。その様に龍太郎は呆れ、光輝は遂に膝からくずおれた。

 

「……アホくせぇ。こんなののために、八重樫が……クソッタレ」

 

「俺は……何を見てたんだ。こんな、こんな……」

 

 三人の本性を見抜けなかったことを龍太郎は心底悔い、光輝は自分のせいで雫を苦しめてしまっていたことを認識してショックを受けていた。自分達のせいでこんな目に遭わせてしまったと考えていると、美唯がいきなり声を上げた。

 

「ぜんぶ、ぜんぶこの男女が悪いのよ! コイツが来なかったら光輝くんはあたしのものだったのに!」

 

「美唯のものじゃない! 私のものだ! このバカ女も! 美唯も可菜もいなきゃ光輝くんは私だけ見てくれた!」

 

「いい加減にしてよ! 光輝くんはわたしのものだもの! なのに、なのに! 八重樫さん! あなたが男の子だったらこんなことにならなかったのに!!」

 

「テメェら、いい加減に――!」

 

 美唯が雫を罵倒した途端、他の二人も容赦なく雫をけなす。お前のせいで、お前がいなければ、と叫んだ途端、雫が駆け出していく。それを見た瞬間、龍太郎は声を張り上げた。

 

「ボサッとしてんじゃねぇ光輝! 八重樫を、アイツを早くおいかけろ!!」

 

「で、でも、俺のせいで……」

 

「んなこと言ってる場合かよ! 目をはなしたらアイツがどうなるかわかんねぇだろうが! いいから早く行けってんだ!!」

 

「――! わかった。俺が……俺が行く」

 

 龍太郎に発破をかけられ、立ち上がった光輝は雫が走り去っていった方へと自分も走っていく。駆けていった光輝を追おうとした美唯ら三人の前に龍太郎は立ちはだかった。

 

「ああもうっ! 龍! アンタはじゃま! 早くどいてよ!!」

 

「じゃまなのはテメェらだ! ぜってぇ通さねぇぞ。これ以上八重樫を……光輝を傷つけるわけにはいかねぇんだよ!!」

 

 掴みかかってくる三人をどうにか受け止め、必死に通すまいとする龍太郎。腕をかじられたり、足の甲を踏まれたり、すねを蹴られたりしても、歯を食いしばってひたすら耐える。雫を連れてカッコいい幼馴染が戻ってくることを信じて、ひたすら龍太郎は痛みをこらえるのであった。

 

 

 

 

 

 普通の女の子でいたかった。他の子と女の子らしいお話をしてみたかった。なのに現実はあまりに辛く苦しかった。友達だと思っていた女の子には疎まれ、イジメられ、馬鹿にされて男扱いされてひどく傷ついた。それだけだったらまだかろうじて耐えられたかもしれない。だが光輝の絶望した顔を見て雫の心は完全に折れてしまった。

 

(私の……私のせいで! 天之河くんが! 天之河くんが!!)

 

 新学期を迎える前、道場にいる時だけしか接点がなかった頃に光輝から聞いたのだ。自分が辛い時に彼女たちが自分を支えてくれたのだ、と。親しくしていた子達がほとんどいなくなって、他人と接するのが怖かった頃に寄り添ってくれたのだ、と。

 

 あの三人の顔はもう見たくない。怖くて仕方がない。けれども彼にとっては大切な人だったのだ。彼女たちがいなければ立ち直れなかったかもしれないとも語っており、その時の彼の表情は感謝に満ちていた。たとえそれが打算塗れであったとしても救いとなったのだ。だからこそ、自分のせいで彼をひどく傷つけてしまったことがどうしても許せなかったのだ。

 

 無我夢中で走っていた雫はいつの間にか学校の敷地の外に出ており、交差点の近くまで来ていたことに気づく。

 

(ここでとび出せば、死ねるかな)

 

 微妙な時間帯であったためか、見た感じそこまで交通量が多い訳ではない。しかし車が全然通らない訳ではないだろう。来た車に当たればきっと死ぬ。そうすれば大嫌いな自分もいなくなる。男の子っぽい見た目な自分が、王子様だと確信していた子にあんな顔をさせてしまったダメな自分が消えるんだ、と。

 

 しかし待てども待てども車は来ない。だったらもっと車の通っているところへ行こう。そう考えて足を動かそうとした時、不意に誰かに手を掴まれた。

 

「ハァ、ハァ……やっと、やっと追いついた……」

 

「……なんで? どうしてなの、天之河くん」

 

 そこにいたのは汗だくになって自分の手を握った光輝であった。初夏すらまだ迎えていないというのに額から汗がしたたり、着ていた服も汗で湿ってしまっている。

 

「龍太郎の、おかげでね……今の、八重樫さんは……どうなるかわからなかったから」

 

 その一言を聞いて雫は顔をうつむかせる。自分に気を遣ってもらう価値なんてないのに。傷つけただけなのにどうしてと思っていると、また光輝から声をかけられる。

 

「あの三人のことはすごいショックだった……俺を支えてくれた大切な人だったから。あんなことがあっても、あまりキライになれないんだ」

 

「だったら、私なんて……」

 

 自分を卑下しようとすると、光輝は首を横に振った。とても申し訳なさそうな表情で雫に語る。

 

「でもだからって八重樫さんをぶったことを俺が許すのは……いや、むしろ俺が八重樫さんにうらまれる方だよ」

 

「ちがう! そんな、そんなこと……」

 

 吐き捨てるようにつぶやいた彼の言葉に雫は涙を流す。悪いのは自分なのに。どうして自分を責めないのかと良心の呵責に苛まれ、ぼろぼろとただただ涙を流していく。

 

「私が……私がいなかったら、天之河くんも、龍太郎くんも……こんな、こんなことにならなかったのに! ぜんぶ、ぜんぶ私の――」

 

「――ちがう!」

 

 彼の叫びと共に雫は体を包まれる感覚に襲われた。光輝が自分のことを抱きしめたのだ。突然のことに彼に謝ることも忘れ、ただただ目を白黒させるばかりであった。

 

「俺の……俺のせいで、八重樫さんは……“雫”は傷ついたんだ。ふつうの女の子でいたかった、君の心をぐちゃぐちゃにしたんだ! だから、だから!」

 

「やめてっ! そんな、そんなこと……」

 

 こんなボロボロになっても詫びてくれる、自分のことを思ってくれる少年に雫は胸が張り裂けそうになる。自分にそんな価値なんてないのに。壊したのは自分の方なのに。それでも手を伸ばしてくる少年にどこか熱いものがこみあげてくる。

 

「……なぁ、どうすればいい? どうすれば君に……雫はゆるしてくれる?」

 

「それ、は……」

 

 罪悪感に苛まれて不安そうに揺れる少年の瞳を見て、雫もまた揺れる。どうすれば彼が自分のことを許せる? なんて言えば彼が自分を諦めてくれる? そんなことを考えながら出たのはある答えだった。

 

「……ねぇ、キスして」

 

 考えに考えて、出てきたのはあるワガママだった。

 

 お姫様に憧れていた。王子様の到来を待ち望んでいた。でもこんな悪い自分なんかはお姫様にふさわしくなんかない。王子様(天之河くん)には似合わない。だからせめて真似事だけでもしたかった。それできっと我慢できるから。

 

「えっ?」

 

「どこでも、いいから」

 

 それが無理であってもいい。恥ずかしいことを頼み込んでいるという自覚はあるのだから。だからこれで諦めてくれてもいい。薄汚れた自分にはそれが似合うんだと諦めて生きていけるから。だからそんなことを雫は頼み込んだ。

 

「どこ、でも……?」

 

「うん。だからおねが――」

 

 ――不意に唇に温かい感触が重なる。目の前に瞳を閉じた彼の顔が見える。それが何を意味するか理解するのにそう時間はかからなかった。

 

 涙が止まらない。深く傷ついたのに、自分が傷つけてしまったのに、彼は自分をお姫様として扱ってくれた。自分を愛される存在として認めてくれた。それはお姫様に憧れ、二度と愛されないと自信を失った少女を癒す薬であった。究極の赦しであった。

 

 遠くで学校の予鈴が響く。それはさながら二人を祝福する鐘の音のようであった――。

 

 

 

 

 

「おはようございます霧乃さん」

 

「おはよう光輝君」

 

 ゴールデンウィーク明けのある朝。光輝は八重樫家の門をくぐり、掃き掃除をしていた霧乃に挨拶をすると玄関へと向かった。目的はただ一つ、お姫様のエスコートである。

 

「あ、おはよう……こ、光輝、くん」

 

「お、おはよう、雫」

 

 既に学校に行く支度をしていた雫の手を取ると、二人は一緒に学校へと向かう。

 

 ――あの後、雫の周りの環境は一変した。

 

 まずあの三人組は休学処分を食らった。遠慮なく龍太郎に噛みついたり殴ったりと暴行していたのを渡り廊下を歩いていた他の生徒に見られ、その子が先生を呼び出したためである。我先に逃げ出した三人は先生にとっ捕まって説教。後に保護者を呼び出し、処分を言い渡された。学校中に悪評は広まっているため、しばらくの間肩身が狭くなるのは間違いないだろう。

 

 龍太郎に関しては三人を止めるのに必死で暴力を振るう暇もなかったのが幸いし、彼に関してはお咎めなし。とはいえ踏まれた足や腹にあざが残っていたため、けがの治療のために数日ほど休むことになった。彼自身はこの時の傷を名誉の負傷として自慢しており、家族からもよくやったと褒められたとか。

 

 次に光輝。あの後しばし雫と一緒にいたのだが、探しに来た先生に見つかって仲良く大目玉を食らった。家にも授業をサボったことで連絡が行ったが、事を把握した母からはよくやったと大いに褒められ、父もそのことで叱ることはなかった。だが残念ながら彼の場合はそれだけで終わりではなかった。

 

「ねぇ、光輝くん。その、お父さんやおじいちゃんにらんぼうされなかった?」

 

「だ、だいじょうぶだよ。あ、あはは……」

 

 勢いに任せて雫の唇を奪ったことがよりによって雫本人から家族に伝わったため、恐ろしい目に遭ったのである。まず師範である鷲三、師範代の虎一から向けられる眼光が二段ほど鋭くなった。幼少から雫を見守っていた門下生も親の仇でも見るかの如くギラギラした目つきを向けてきたのである。隙あらば容赦のない鋭い一撃も叩き込んでくるようになり、しばらくはそれを捌くのに必死になった。今でも何かの拍子に大人の門下生が大人げなく挑んできたりするが。

 

 実は雫の唇を奪ったことは恥ずかしくて言わなかったため、道場から帰った光輝の様子がおかしいことに美耶が気づき、八重樫道場の奴らが何かしたかとキレて門下生の大半を血祭にしたこともあった。事情を知った後は大人げない八重樫家の面々と門下生にため息を吐きつつも、『当たり前だ』と彼の頭を小突いている。その後やるじゃないかと頭をわしわしと乱暴に撫でていた。

 

「そういえば授業はだいじょうぶかい、雫? よかったら俺が稽古の後で教えるよ」

 

「うん。授業の方はちゃんとついていけてるから」

 

「そうか。なら良かった」

 

 そして最後に雫。あの騒動の後、保健室登校することになったのである。家族や見知った門下生、光輝などは問題ないのだが、知らない人に出くわすと緊張で体がこわばってしまうようになったのである。

 

 三人のやったことの傷跡は決して浅くなく、当初はあまり顔を合わせたことのない先生であっても震えが止まらなかった。そのためしばらくの間は両親のどちらかと光輝が登校に付き添い、授業も光輝が一緒に受けることになったのである。とはいえこうしてひと月経った今となっては他の子と出くわすだけならそこまで酷くはならなくなった。

 

 そして些細ではあるが、二人にとっては大きな変化があった。こうしてお互い、名前で呼び合うようになったのである。

 

 あの時光輝に名前で呼ばれたことが忘れられず、恥ずかしさと拒絶された場合の恐怖で涙目になった雫からお願いされたからであった。

 

 尤も、しばらくは一、二度呼んだだけで気恥ずかしくなって苗字で呼ぶことがしょっちゅうであったし、今も名前で呼ぶのは少しだけ緊張している。とはいえ光輝の方はそこまで躊躇せずに言えるようになっていたが。

 

「ねぇ、光輝くん」

 

「どうしたんだ、雫?」

 

「ありがとう。私のそばにいてくれて」

 

「ああ。俺の方こそ、ありがとう」

 

 初夏の日差しに照らされながら二人は通学路を歩いていく――お姫様になれた少女は王子様になった少年と共に未来を夢見る。

 

 

 

 

 

 ……余談ではあるが、八重樫道場を『人殺しの集団』だのと罵った子のほほを何か鋭いものが掠めたり、光輝や雫に危害を加えようとしてきたら()()鷲三、虎一、霧乃の誰かが現れて容赦なく折檻したり、学校の七不思議に“悪いことをしたら忍者が現れる”というトンチキなものが加わるなどといったことがあった。このことについて八重樫家は無関係を貫いている。




一気に読者が離れるだろうなー、と思いながら書きました。反省も後悔もしていない。
あと勢いで書きなぐったので明日以降見直したらほぼ確実に作者は死ぬと思います。色々な意味で。

あ、ついでに言うと元々の案だとここで光輝は追いかけず、代わりに龍太郎が追いかけて『美女と野獣』√に入る予定でした。でも誰得なのかわからないし、作者も得はしない(納得はしてましたが)ので没となっています。ごめ龍part2


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十三話 かくして主役は揃いゆく

皆様のおかげでUAが遂に20000を突破! ありがたい限りでございます。
まだトータスに転移する前であるにもかかわらず、お気に入りも287件、しおりも89件入れていただき、感想も47件と寄せていただけて感謝に堪えません。語彙力がなくて申し訳ない。

またキバさん、そして再度評価してくださった小焼け夕焼けさんありがとうございます。記載が遅れたことへのお詫びと、拙作を評価してくださったことに多大な感謝を申し上げます。


「頼む中村、お前しか頼れるヤツがいねぇんだ! ちょっとでいいから力を貸してくれ!」

 

「「「……え?」」」

 

 ゴールデンウィークも終わり、五月の半ばを迎えたある日のことであった。この日もいつものようにハジメと鈴と一緒に帰ろうとしていた時のことであった。今月号の『に~にゃ』に載っていた『さくふぶ』を始めとした少女漫画について二人と話したり、今日は何をして遊ぶかについて語っていたところで目の前に見覚えのある少年――龍太郎が現れたのだ。

 

 いきなり現れた龍太郎に一体何の用だと軽く不機嫌になった恵里は彼をにらみ、ハジメは足を震わせながらも恵里をかばうようにして前に出る。鈴もハジメの後ろに隠れて彼をじっとながめていた。随分な扱いを受けた龍太郎であったが、それぐらいは仕方ないとため息を吐きながら一歩前に出る。そして先の言葉と共に頭を下げたのである。これには三人共あっけにとられ、一体どういうことかと首をかしげた。

 

「いや、いきなりそんなことを言われてもボクは何をすればいいのさ。判断しようにもその材料がないし」

 

 内容も言わずに頼み込まれて軽く困惑していた恵里を見て、すまんとばつが悪そうに頭をかきながら龍太郎はつぶやく。

 

「大したことじゃないんだよ。俺じゃわかんねぇところがあるからそれに答えてほしいだけなんだ」

 

「そういうのは物によるでしょ。ていうか君のお友達に聞けば大体わかると思うけど」

 

「……光輝でもちょっと、な」

 

 心底困り果てた様子の龍太郎を見てただ事ではないということは理解できた。しかしあの完璧超人である光輝がどうにも出来ないということに恵里は納得がいかなかった。勉強、スポーツなんでもござれな今となっては軽く忌々しいあの少年が頼れないとはどういったものなのか。

 

 物凄い厄介ごとではないのかと思った恵里はどうやったら上手く断れるかを考えようとする。その時、ハジメがねぇと声をかけてきた。

 

「どうしたのハジメくん。何かあった?」

 

「お話ぐらいなら聞いてあげようよ。えーっと……そこの人、こまってるみたいだし」

 

 なんとも言えない様子で言ってきたハジメに恵里の表情筋は引きつった。ハジメ達も目の前の少年が恵里とそこまで親しくないというのはわかっているのだろう。しかしわざわざ頭を下げた相手を無視するのは良心がとがめたらしく、鈴も恵里の服の袖をクイ、と引っ張って『話ぐらいならいいんじゃない?』と説得にかかってくる。二人にこう言われてしまえば恵里としてもすぐに断る訳にはいかず、大きくため息を吐いて向き直った。

 

「……まぁ話ぐらいなら、ね。無理だったら断るよ、いい?」

 

 そこまでめちゃくちゃ言うわけじゃねぇんだけどな、とボヤきながら頭をかくと龍太郎は恵里の顔をじっと見た。そして頼みの内容を口にする――。

 

「その、なんだ……女の子の友だちのことでよ、服とか以外で女の子っぽくなれる方法って知ってるか?」

 

「……へっ?」

 

 小学生にしては体格もよく、男らしい見た目の少年が口にするには意外な言葉に三人は思わず間抜け面をさらすのであった。

 

 

 

 

 

 事の始まりはゴールデンウィーク中のある日のこと。昼の稽古を終えた光輝と一緒に、雫の部屋にお邪魔していた時に彼女がつぶやいたある一言であった。

 

「私、どうしたら女の子らしくなれるかな」

 

 諦めが多分に含まれた疑問を口にした雫を心配した光輝は彼女を抱きしめ、龍太郎もだいじょうぶだと声をかける。優しくしてくれた二人にありがとうと雫は返しつつも、困ったような笑みを浮かべた。

 

「私、あんまり女の子っぽくないなぁって、マンガを読んでたら思っちゃって」

 

 雫が見ていた少女向けの漫画雑誌のページには、ポニーテールにした少女が無意識に想いを寄せている少年への愚痴型のノロケをサイドテールの少女にこぼしているシーンや、彼の横顔を思い浮かべて一人物思いにふけるシーンが描かれている。

 

 雫からすればふとした拍子に漏れ出た言葉でしかなかったのだが、それ故に光輝と龍太郎は胸を締め付けられる思いであった。もし自分たちがちゃんとした女友達を雫に紹介出来ていれば、もし少しでもそういった話題に詳しければと未だに後悔しているのだから。暗い表情を浮かべた二人に小声でごめんなさいとつぶやいたきり、その日はもう雫は喋らなくなった。

 

「なぁ光輝、俺たちはどうしたらいいんだろうな」

 

 その日の帰り道、うつむきながら歩いていた龍太郎はつぶやいた。ごめんなさいと力なくつぶやいたあの顔が脳裏に焼きついて離れず、また自分達が彼女を追い詰めてしまったのではないかと罪悪感に囚われていたのだ。

 

「もう一度、母さんに話してみようと思ってる。それでどうにかなるかわからないけど」

 

 光輝共々美耶に頭を下げて協力してもらったこともあった。彼女は大人の女性向けのモデル雑誌の編集長であったため、部下と相談して雫に“似合う”であろう可愛い服を何点かチョイスして送ったのである。その時雫は笑みを浮かべていたものの、その服を見た時にどこか硬い表情であったのを光輝と母の霧乃は見逃さなかった。

 

 後で話を聞いたところ、親しくしてくれている光輝の親とはいえ自分のために服を贈ってくれたことを申し訳なく思ったのと、贈ってもらったものに袖を通して美耶にメイクまでしてもらった姿にショックを受けたのだ。

 

 申し訳なく思ったことについては霧乃と美耶から『明るく着飾っている雫が見たい』といった理由で説得出来たものの、いただいた服を見た時、袖を通してメイクを施された姿に言葉が出なかった――その時の自分の姿が可愛いよりもカッコいい方にわずかに寄っていたことに。

 

 美耶は大丈夫だろうと考えていたのだが、生まれて初めてメイクをしてもらった雫からすればここまでやっても可愛らしい姿になれなかったのはショックだったのだ。もしかして自分は可愛らしい姿になることは出来ないんだろうかと落ち込んだのである。

 

 それを知った美耶は雫に深く頭を下げて詫び、光輝も何度も謝り倒した。お詫びを兼ねて借りてきたウィッグで色々な髪形を楽しんでもらうことで、どうにか落ち込んでいた雫を元気にさせることが出来たものの、それ以降はファッション関連のものはタブーとなってしまっている。

 

 龍太郎も自分の姉にファッション以外で何か雫に力になれるかと相談した際、ならば少女漫画でも読んで話をしてみたらどうだと貸してもらったものの全然合わず、『どうしてこういうのを女は好きなんだ?』と頭を抱えることになった。

 

 光輝も少女漫画を読み、その漫画について雫と話をしたことはあったのだが時折ズレが出ることがあった。その都度雫に気を遣わせてしまったため、雫から『もういいよ』と断られてしまう。少年二人に出来ることはあまりに少なかったのである。

 

「せめて……せめて信用できる女の子でもいればな。話をするだけでも雫がよろこぶかもしれないのに」

 

 光輝の言葉に龍太郎は何も答えられなかった。もしもう一度あの三人のような人間と接してしまったら雫がどうなってしまうか不安で仕方なかったからだ。そのため新しく人間関係を作ることに二人は億劫になっていたし、かといってこのままでいいのかと葛藤していたのだ。

 

「そんなヤツがいてくれたら――あっ」

 

 龍太郎もボヤこうとした時、脳裏にある人物の姿が浮かんだ――かつて光輝が執着していた少女である中村恵里である。悪いウワサこそあるものの、それは大体彼女の周りにいる子達の扱いに困っている類であった。恵里自身に関する黒いウワサはあまり聞かず、むしろ彼女と付き合っている少年との恋に関するものばかりである。

 

「龍太郎……? まさか、心当たりがあるのか!?」

 

 ならいけるか? と考えた途端に龍太郎の肩を光輝が掴んできた。いきなり黙り込んだことを不思議に思った光輝は、もしや何か打開策があるのではないかと考えたのだ。思い詰めていた光輝はこの際雫を助けるためならなんだってする覚悟で龍太郎に迫る。

 

「い、いや待てよ光輝! い、いるこたぁいるけどよ、さすがに声をかけらんねぇって!!」

 

「そいつが悪いヤツじゃないなら誰だっていい! たのむ! 雫のためなんだ!!」

 

「だ、だからその……中村だよ! 一年の時にお前がおいかけ回してたアイツだって!!」

 

 龍太郎の言葉に光輝は固まった。彼の脳裏に浮かぶのはかつてのやらかしの数々。いくら謝ったとはいえ、頭を下げてどうにかなるかどうかわからない。龍太郎から手を放すと、自分の額に手を当てて光輝は大きくため息を吐いた。

 

「ごめん、龍太郎……俺が、悪かった」

 

 本気で凹んだ親友の姿を見て龍太郎は凄まじい罪悪感に襲われる。やったのが目の前の親友とはいえ、止められなかった自分が悪くないとは思っていないのだ。かといってこのままでいいのかと思った龍太郎はどうにかして出した屁理屈を口にした。

 

「まぁ、その……俺だったらだいじょうぶかもしれねぇ。光輝がたのむよりはまだ成功するんじゃねぇか」

 

 その一言に光輝は目を大きく開くと、龍太郎に頭を下げる。無言で頭を下げ続ける親友に任せろ、と一言だけ告げて彼の手を引くのであった。

 

 

 

 

 

「――とまぁ、こういうわけでよ」

 

「……まぁ、言いたいことはわかったよ」

 

 龍太郎の言い分に納得した恵里はハジメと鈴の方を見やった。二人もそれが本当かどうかわかりかねているところはあったものの、反対する気は無い様である。なら、と思って龍太郎の方を向くと恵里は条件を提示した。

 

「受けてもいいけど、まずその子がどういう子か教えてくれない? どう接すればいいか決めたいからさ」

 

 ここ最近広まったウワサからして光輝の相手が雫であるということは恵里もわかっていた。しかしこの世界の鈴が自分の知っていた鈴と違っていたことを考えると、ここの雫も自分の知っている雫と違う可能性が高い。ならばここの雫はどういう性格なのかを知っている龍太郎から聞き出しておこうと考えたのである。

 

「ああ。八重樫雫、って言ってな。八重樫は――」

 

 そして龍太郎から聞いた情報はおおむね恵里の知っている雫と一致していた。しかし光輝に心底惚れこんでいる様子や他人に対して怯えている様子、“普通の女の子になりたい”という願望など異なる点もやはりあった。やはり自分の知っている“八重樫雫”とは異なっており、驚いた半面、事前に聞いておいて正解だったと思いながら恵里は知恵を絞る。

 

「そっか。ありがとう。なら私を頼るのはわかったけど、イジメられてたことを考えると大丈夫なの? 会ったところであっちが怯えてどうにもならないかもしれないし」

 

「それは、その……」

 

 恵里が気がかりであった点、それは“雫が未だに女の子に対して苦手意識を抱いている”かどうかであった。無いならどうとでもなるという自信はあるが、あった場合は少々面倒である。何せ怯えるばかりで会話が成り立たたない可能性もあるのだから。龍太郎に尋ねてみれば言葉を濁したため、まだ厳しいという予想はついた。

 

「今すぐ、ってわけじゃねぇんだ。ただ、八重樫がかわいそうでよ……」

 

 弱々しい龍太郎のつぶやきからして相当参っているのはうかがえる。ここで上手く助け船を出しておけばトータスに転移した際やエヒトと戦う際に何かと使えるかもしれない。しかし、そのためのいい方法が浮かばない。まずハジメと雫を仲良くさせてから接触するということも浮かんだが、ハジメが雫と会うことを考えるだけで不愉快になる。

 

(ああもうどうする!? ハジメくんに頼むのはやっぱり考えられないし、ボクでも鈴でも雫からすれば大差ないだろうし……クソッ、八方塞がりじゃないか!)

 

「あ、あのー……」

 

 こうなったら出たとこ勝負で行こうかと考えたその時、ハジメがおずおずと手を挙げた。一体どうしたのかと全員が視線を向けると、緊張して恵里の手を握りながら龍太郎に向けて問いかけた。

 

「えっと、その……」

 

「どうした? 用があるならちゃんと言ってくれ」

 

 龍太郎のぶっきらぼうな物言いに軽く殺意が湧いた辺りでハジメが問いかけてくる――その子に会ってお話ししなくても大丈夫? と。ハジメ以外がそろって首をかしげた。

 

 

 

 

 

「いやー、ホント助かったぜ! 俺バカだからよ、あーいう考えなんてぜんぜん出なかったぜ!」

 

「や、役に立ったんならよかったよ」

 

 下校中に龍太郎と出くわしてから早三日。この日の昼休みもいつものようにハジメのいる教室で三人で話をしていると、上機嫌な様子の龍太郎が現れたのである。どうやら上手くいったらしく、話を聞いた限りでは雫の笑顔も増え、『こわいけれど会ってみたい』と漏らしたのも伝えてくれた。

 

 あの時ハジメが出した考えはひどく単純なものであった。雫に本を貸すというシンプルなものである。鈴の時のように電話番号を書いた紙を渡す事も頭に浮かんだとハジメは言っていたが、知らない人と会うのが怖い子にやるのはダメだと考えた。ならばその子も読むジャンルを龍太郎から聞いて推測し、まずは本を貸して自分たちはイジメていた子とは違うアピールをした方がいいと訴えたのである。

 

「それに二人もありがとうな! お前らのおかげで八重樫も安心してくれたしよ!」

 

 しかしハジメの案をそのまま実行したという訳ではなかった。恵里はそれだけだと警戒するんじゃない? と伝えたところ、鈴が新たにアイデアを出したのだ。『じゃあこうかん日記みたいに紙に感想を書いてお話しようよ』と。本を貸すついでに感想を書くための紙をはさんで渡したのだ。それらが上手くかみ合って功を奏したのである。

 

「あー、うん……ハジメくん困ってるから叩かないでくれる?」

 

「っとと、悪い、悪い。やっと八重樫の笑ってる顔が見れたもんでな、つい」

 

 機嫌良くハジメをべた褒めしながら彼の背中をバシバシ叩いていた龍太郎だったが、恵里の一言でそれを止めてハジメに謝る。鈴も無言でじっと龍太郎見つめており、それに気づくと二人に平謝りした。

 

「まぁ、その、お前らのおかげで助かった。本当にありがとな」

 

 そして改めて龍太郎は頭を下げると、三人に感謝してから教室を後にする。そんな彼を見送ると、鈴がぽつりとつぶやいた。

 

「八重樫さん、元気になるといいね」

 

「そうだね。すぐは無理かもしれないけど、きっと良くなるよ」

 

 ハジメの言葉にそうだねと恵里もつぶやく。時折雫のことも話題に挙げつつ、三人はまた仲睦まじく話をするのであった。

 

 そして龍太郎に感謝された日から二日。昼休みの教室に今度は光輝と雫も一緒になって現れた。

 

「な、なぁ雫。無理ならいいんだよ。そこまでして言いに行かなくても彼らはきっと怒らないよ……」

 

「い、イヤよ……こ、ここでにげたらきっと後悔するから……!」

 

「だいじょうぶだって八重樫! そんなガタガタふるえて来てもあっちがメーワクするだけだろ!!」

 

 ……足を小刻みに震えさせ、光輝と龍太郎に止められながら、だが。

 

(……なにあれ)

 

「あれが八重樫、さん? だ、だいじょうぶかな……?」

 

「他の人に会うのがこわいって聞いてたけど、鈴はぜったいだいじょうぶじゃないと思う」

 

 恵里はあまりにも記憶と違う彼らの様子を見て絶句し、ハジメと鈴は心配そうに見つめるばかり。すると光輝の後ろに隠れつつ、龍太郎の説得を無視して光輝を押しながらこちらへと向かってくる。その様子に三人は何を言えばいいかわからなくなってしまった。

 

「あ、あの!……えっと、その……」

 

 そして恵里達から一メートル離れたところで、光輝の後ろに隠れたままの雫から声をかけられる。どうすればいいのかわからず黙っている三人を尻目に、雫はどうにか勇気を出そうと光輝の服の裾を握っていた。

 

「なぁ光輝、止めないのかよ」

 

「いや、雫が勇気を出そうとしてるし、それをじゃましたくないし……」

 

「え、えっと……えっと……」

 

 呆れた龍太郎に声をかけられた光輝であったが、やはり雫を止めようとはしていない。未だに勇気が出ず、裾を握っている雫の手にそっと手を添えるだけであった。

 

「あ……あり、がとう。私に、本を貸してくれて」

 

 ようやく決心がついた雫は光輝の背の横から顔を出し、消え入るような声で感謝を告げる。するとすぐに顔を引っこめてまた光輝の後ろに隠れてしまう。そんな様子をおかしく思ったのか、鈴はプッと吹き出すと少年の後ろに隠れた子に声をかけた。

 

「えっと、八重樫さんでいいんだよね? 鈴は谷口鈴だよ。山おり谷おりの谷に、お口の口、猫ちゃんがつける鈴の鈴。それで谷口鈴」

 

「え、えっと、その……」

 

 尋常じゃない違和感に放心する恵里と、どうすればいいのか迷っているハジメよりも先に、鈴は雫に優しく声をかける。声をかけられ、返事をしなきゃと緊張でガチガチになりながら背中から雫は顔を出す。そこでまた鈴は優しく声をかけた。

 

「八重樫さんも『さくふぶ』がすきなんだよね? また紙に書いてお話ししようよ」

 

「――うん。うん!」

 

 その言葉に雫の顔がパッと花が咲いたように明るくなった。ようやく笑顔を見せてくれた少女に全員がホッとする。

 

「……そういえば名前を言ってなかったね。俺は天之河光輝。もうわかってると思うけど、俺の後ろにいるのが――」

 

「こ、光輝くん。自分で、自分で言うから……私は、八重樫雫。その、よろしくおねがいします」

 

「……そういえば俺も全然自己しょうかいしてなかったわ。俺は坂上龍太郎だ。その、八重樫だけでいいから親しくしてやってくれ」

 

 そして遅ればせながら三人が自己紹介すると、ハジメも恵里の肩をポンポンと叩いて意識をこちらに持ってこさせ、自分たちも自己紹介をする。

 

「僕は南雲ハジメです。えっと、その、よろしくね。天之河くん、八重樫さん、坂上くん」

 

「――あ、えっと、ボ……私は中村恵里。その、よろしく」

 

「よ、よろしくおねがいします……谷口さん、南雲くん、中村さん」

 

 軽くボロが出しそうになりながらも恵里もハジメと一緒に自己紹介を終える。この日以降、恵里のこの世界での交友関係に光輝、雫、龍太郎が加わったのであった。

 

 

 

 

 

 六月を迎え、梅雨入りを果たしたある日。どんよりとした天気の中、恵里は今日も友達と共に帰路に着いていた。

 

「そういえば今日は皆どうするの? 鈴はハジメくんと恵里といっしょに鈴のお家であそぶけど」

 

「俺はいつも通り雫の家の道場で稽古だな。そういえば龍太郎、お前はたしか空手を始めたんだよな?」

 

「おう。だからあそぶ回数は少なくなるかもな。まぁでもそこまで変わんねぇ気はするけどよ」

 

 鈴の問いかけに最初に答えたのは光輝であった。恵里達と友達になった後、稽古がない日は龍太郎や雫も誘って()()で遊ぶようになり、その場合は間取りの広いハジメの家によく厄介になっている。

 

 とはいえ一週間の大半は稽古が入っており、()()が恵里達と遊べるのは土日ぐらいである。また、雫が恵里や鈴と遊ぶようになって安心したからか龍太郎もまた空手を習うことになり、彼も同様であった。

 

「そっか。でももし借りたい本があったら言ってね。いつでも貸してあげるから」

 

「おう、そん時は頼むぜ」

 

「なぁ南雲、お前の家の門限っていつまでだっけ? この前借りたマンガの続きが見たいんだけど」

 

「えっと、確か六時までだったよ()()()()

 

 ――恵里達が光輝ら三人と交友関係を結んで一週間ほど経過した後のこと。いつの間にやら遠藤浩介という少年も入ることになっていた。

 

 何故彼が恵里達と友人になったかというと、奇妙なことに八重樫が関わっていた。雫へのイジメが発覚し、両親か祖父が同伴して登校するようになった頃に鷲三から誘われたのだ。曰く、『君には素質があるからそれを()()()()()()ためにウチに来なさい』と。

 

 急な誘いに浩介少年も驚いたものの、幼少期から悩んでいる“ある事”が解決できるかもしれないとそそのかされ、八重樫の門をくぐることになった。当初は影の薄さから学校や道場で出欠をとっても四、五回に一回ぐらいしか気づかれることがなかったのだが、ある手ほどきを受けるようになってからは五回中三回ぐらいは気づかれるようになった。その辺りから同門である光輝や雫と友達になり、二人を経由して他の四人とも親しくなったのである、

 

「えっ!?……あ、いたんだ遠藤くん」

 

「うぇっ!?……あ、そこにいたんだね遠藤くん」

 

「いやヒドくないか中村も谷口も!? 俺ずっといたよ!? なあ、八重樫は気づいてただろ!」

 

「え、えっと……ごめんなさい。てっきりあっちの方だと」

 

「いたよ! 俺ちゃんといたんだよ! ここにいたんだよ!!」

 

 ……なお、このように気づかれないこともしばしばあるが。

 

 いつの間にやら彼と同じ手ほどきを受けていた雫が一番気づく可能性が高いのだが、それでも外すことはないわけではない。次点がハジメであり、ここ最近ならば二、三回に一回ぐらいの割合で気づけるらしい。他の面子は言わずもがなである。

 

「……やっぱ俺の友だちは南雲だけだよ。心の友よ!」

 

「あはは……そう言われるとやっぱり照れるね」

 

「俺そっちにいねぇよ!? あさっての方を向きやがってちくしょう! このうら切り者!」

 

 今日もまた浩介の悲痛に満ちた叫びが響き、彼に気づける雫が頭をなでて慰める。これもまたありふれた光景となっていた。

 

「ねぇ中村さん。その、()()()()()のことなんだけど……」

 

 そして浩介をなでながら苦笑いを浮かべる雫から声をかけられ、恵里は一瞬遠い目をする――『恵里ちゃんの恋を見守り隊』改め、『恵里ちゃんと八重樫さんの恋を見守り隊』がここ最近雫に絡んできているからであった。

 

 流石にかつての頃と同じ人数も勢いもないものの、恵里と雫が友人になったことが知れ渡ってから再結成される運びとなったのだ。

 

 生暖かい視線を向けてきたり、困っている様子を見かけたらすぐさま雫のところに話に来るのがメインである。とはいえ雫がイジメられていたことを鑑みて大人数で押しかけることはないし、無理して話しかけることもないのだが。そうやって余計なことをしない分、質が悪くなってしまっている。

 

「まぁ、その……余計な事言わなきゃ暴発しないから」

 

「……中村さんってすごいわね。あの子たちを上手くあつかってたんだもの」

 

 これに関しては光輝も龍太郎も手を焼いている。恵里に関する騒動から彼らの厄介さは身に染みているし、かといって雫に悪さをするわけでもない。むしろ雫に何かあったら逆にあーだこーだ言われる羽目に遭うぐらいでしかないため対処のしようがないのだ。しかもその注意が基本的を射ているためにぐうの音も出ないことがしばしば。鈴と浩介以外にとって頭の痛い問題であった。

 

「中村……さん、その、頼むから彼らをどうにかしてくれないか? 一年もいたんだから何となくわかると思うんだけど」

 

「アイツらはボク……じゃなくて、私だってどうにも出来ないよ。ほっとくのが一番無害なんだよ」

 

 光輝から彼らの手綱を握るよう頼み込まれるものの、厄介さを一番理解している恵里は目をそらしながら答えるだけであった。固まっていると何を起こすかわからないからバラバラにさせられた問題児達は伊達ではなかった。

 

 ちなみに恵里はハジメと鈴以外には自分の下の名前を呼ばせないようにしており、その都度にらんでいる。特に光輝には顕著で苗字ですら呼び捨てを許しはしない。前世? の恨みは未だに根深かった。

 

「お、そろそろか。それじゃあな南雲、谷口、中村」

 

「うん。じゃあね坂上くん、天之河くん、八重樫さん、遠藤くん」

 

「ああ。じゃあまた明日――じゃあ行こうか、雫」

 

「また明日――うん、光輝くん」

 

「じゃあなー、南雲ー。あと中村と谷口、お前らいい加減俺をちゃんと見つけろー!」

 

「はいはい。じゃあね八重樫さん、坂上くん、遠藤くん、天之河くん」

 

「ばいばい。八重樫さん、天之河くん、坂上くん、遠藤くん」

 

 いつもの交差路で四人と別れ、恵里達は鈴の家へと向かう。にぎやかになった日常に苦笑いを浮かべながらも、恵里はハジメと手を繋いで隣を一緒に歩く。

 

 何度もやってるのにまだ頬を赤くしてしまう少年を見て微笑みながら、鈴がもう片方の手を繋いでくるのを見て頬を膨らませながら歩いていく。日常が変わっても、三人の距離は変わらなかった。




香織の幼馴染フラグが折れました(多分)
また、ここで鈴にあるフラグが立ちました。これはトータスに行けばわかります。
そして遠藤とある人物にもフラグが立ちました。これもトータスに行けばわかります。


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十四話 一喜一憂する恋人たち(前編)

皆様のおかげでUA24000オーバー、しおりも105件、お気に入り数も324件、感想も51件に届きました(2021/6/21 07:05現在)。またそのお陰か再度ランキング入りも出来ました。誠にありがとうございます。

そして氷潤さん、自分の作品を評価してくださって誠にありがとうございます。10点とはとても恐れ多いです……。

しかしまぁ、その……どこぞの『ライオンのごきげんよう』の司会の方が仰っていたように、随分と長いドッキリを受けているかのようです(遠い目)

今回はある事情でちょっと短めになりました。詳しくはあとがきで。では本編をどうぞ。


「ねぇ恵里ちゃん、もうそろそろバレンタインだけどどうするの?」

 

「え、えっと……」

 

 新たに友人となった光輝、龍太郎、雫、浩介らを加えて学生生活を楽しんでいれば既に季節は二月を迎えていた。

 

 にらんだり、やめるよう言うつもりだったものの、香織との関係悪化や父とハジメにそんなことをしたのが伝わってしまうのを恐れたために、“恵里ちゃん”呼びを許してしまった香織に問いかけられる。

 

 恵里は一瞬答えに詰まったのを見た同級生達の間にどよめきが走り、次第に黄色い声が上がっていく。一学期の終わりの辺りからハジメとのアレコレについて聞かれるようになり、今回もまたそれを答えようとしたつもりであった。

 

 しかしその瞬間、ハジメにあーんさせたことや、ホワイトデーにハジメから貰ったクッキーのこと、今年何を渡すかについて悩んだことなどが浮かんでしまい上手く答えられなかったのである。

 

 普段その手の質問に割と冷静に答えていた恵里が言葉に詰まる様子を見せたことに、周りにいた子達は興奮を覚えずにはいられなかった。

 

「や、やっぱり、て、手作りのチョコとか、そ、そういうのを南雲くんに……!?」

 

 それは香織も例外ではなく。よく読んでいる少女漫画である展開の生きた見本が近くにいればテンションが上がるのも無理はなかった。

 

 恵里は一度せき払いをしてからそうだよ、と答えればあっという間に興奮は最高潮に達してしまう。それは聞き耳を立てていた他の女子達も例外でなく、あっという間に興奮は伝播していく。

 

「も、もしかしてベタなハート型とか!?」

 

「いや、そんなつもりないけど」

 

「でしょ! 今どきそんなことないよ。チョコを入れたお菓子とかだよね!」

 

「え? あ、その、考え中で……」

 

「ブラウニーとか!? も、もしかしてちょっと大人な感じ!?」

 

「いや中村さんって色々出来るしケーキとか! チョコレートケーキじゃないの!?」

 

「いや、そこまでやれないからね!?」

 

 勝手に盛り上がる周囲を止めようとするも一度ついた勢いは簡単には収まる気配を見せず、話は勝手に膨らみ続けていく。

 

(ああもう! あの子達はいないのにどうしてこうなるのさ!……これもそれも全部ぜーんぶハジメくんのせいだ! 絶対そうだ!!)

 

 あまり関係ないハジメに心の中で罪を全部おっ被せつつも、恵里はどうにか事態の収拾をつけようと何度も何度も声をかける。その結果、すぐそこまで来ていた担任がこの騒ぎを見てカンカンになり、恵里含めた全員が叱り飛ばされることになった。

 

 そしていつもの帰り道。バレンタインが近いからかハジメら男の子組も鈴と雫もまたどこか浮ついた様子であった。

 

「な、なあ南雲。お前さ、中村から、その……もらったんだよな?」

 

 浩介からの問いかけに顔を一瞬で赤くしたハジメがコクリとうなづけば、龍太郎と一緒に浩介はおお、と声を上げた。恵里達が読んでる少女漫画の一シーンみたいなことを友人がやっていると知って二人は驚きを隠せなかった。

 

 一方、ハジメは恵里と鈴にあーんされたことを思い出してしまい、顔をうつむかせたまま無言で歩いていく。

 

 光輝が『やっぱり南雲ももらっているんだな』と感心するような素振りを見せたり、それを聞いた浩介が『あーあーいいよなーモテるやつはさー』と嘆いて龍太郎と傷を舐め合おうとするも、龍太郎の方は特に堪えていない上に浩介を見失っていたため『ふざけんなぁあぁあ!』と浩介が大声を上げたりと割といつも通りの男子をよそに恵里は鈴と雫とでチョコについてトークを繰り広げていた。

 

「やっぱり手作りじゃないと光輝くんはよろこんでくれないのかしら……」

 

「そんな訳ないと思うよ。天之河くんは雫からもらえるのなら何でも喜ぶだろうし」

 

「いや、そうだろうけどさぁ恵里……きっとお店で買ったのよりも自分で作った方がよろこぶんじゃないかな、雫」

 

 半年以上のつき合いもあり、お互い名前で呼び合う間柄になった雫に恵里は適当な励ましの言葉をかけるものの、鈴から半目で見られて呆れられてしまう。雫に夢中なんだから大丈夫でしょと言い訳する恵里、そんなことをのたまう彼女をじっとりとした目で見つめる鈴をよそに雫は物思いにふけっていた。

 

 光輝にチョコレートを渡したいと思ってはいたものの、恵里や鈴の話を聞いている内に店で買ったものを渡せばいいだろうかと考えていた自分を恥じる。かといって料理経験がないのにチョコレートを自作できるだろうかと引け腰になっていたのだ。

 

「ねぇ雫、どうしたの? 言いたいことがあったら言ってよ。鈴も恵里も友だちなんだから」

 

「その……私、光輝くんに買ったのをあげようと思ってたんだけど、でも手作りの方がいいみたいだし、けどどうやればいいかわからなくて……」

 

 板挟みになってしまって悩む雫。急にだんまりになったことに不安を感じた鈴は雫に声をかけてみると、胸の内を明かしてくれた雫にあることを提案する。

 

「じゃあ、鈴たちといっしょにチョコレート作ろうよ。それだったらいいよね?」

 

「えっ!? で、でも鈴ちゃんと恵里ちゃんに悪いんじゃ……」

 

「んー、別に構わないけど」

 

「えぇっ!?」

 

 二人にあっさりとOKを出されて雫は大いにうろたえた。迷惑をかけるとは思っているものの、二人の申し出は雫にとってひどく魅力的であったのだ。チョコを手作りしたことのある二人と一緒なら、経験のない自分でもきっとやれるかもしれない。友人相手に算盤を弾く自分に驚き、そんな自分を嫌悪するも差し出された手を拒むにはあまりにもったいなさ過ぎる。しばし悩んだ末、お願いしますと消え入りそうな声で二人に頼み込むのであった。

 

 その後誰の家で一緒に作るかについて話し合ったり、もらえることが確定しているハジメと光輝をうらやましがった浩介や興味が少しあった龍太郎にも“適当なものでいいなら”という前提でくれることを約束したら無駄にテンションが上がったりと今日の帰りもまた騒がしいものであった。

 

 

 

 

 

 そして時は過ぎてバレンタイン前日。学校を終え、男子~ズと別れた恵里達三人は一度家へと戻ってから谷口家へと来ていた。

 

「あ、来たね恵里。雫」

 

「ようこそ来てくださいました。じゃあ中村さん、八重樫さん、もう材料は用意してあるんで手を洗ってから台所に来てくださいな」

 

 お手伝いさんである梅子に促された恵里と雫は『はい』と元気よく返事をし、梅子と一緒に出迎えた鈴が先導する形で洗面台へと向かう。手早く手洗いを終わらせて台所に来た三人はこの時のために買ったエプロンを身に着け、恵里と雫は親に事情を話して家から持ち込んだ道具を梅子に預けた。

 

「よし、準備は出来ましたね。もうチョコレートは刻んであるんで後は溶かすだけですよ。んで、確か……」

 

「う、梅子さん! そ、それ以上は言わなくていいから!!」

 

 恥ずかしがった鈴に止められてやれやれといった感じで一度鼻息を出すと、()()()の刻んだチョコが入ったボウルを三人の目の前に出した。

 

「それじゃチョコレート作りの基本、湯せんをやっていきましょうか。それじゃまずは湯せんに使うお湯の用意から」

 

 鍋にサッと水を入れ、それをすぐに火にかける。『温度計で計るのもいいが、沸騰したお湯に水を突っ込むのが手っ取り早い』といった旨のアドバイスをすると、雫はすぐに持ち込んだメモ帳を手に取り、一言一句聞き逃さぬよう書き込んでいく。それを見た梅子は去年何度も頭を縦に振った鈴を思い出し、一瞬だけ笑みを浮かべて作業に戻る。

 

「まぁ火を使いますし、親御さんにやってもらった方が早いでしょう。んじゃ水を入れて温度を下げてから、こっちのボウルを入れましょうか」

 

 鍋のお湯を雫から預かったボウルに移し、水道水を同じぐらい入れて少し経過してからチョコの入ったボウルを上にする。そして雫を手招きした梅子はゴムべらを出すよう言うと、やってみなさいと目で伝えた。雫も少し戸惑いながらも家から持ち込んだへらで溶け始めたチョコレートをゆっくりとかき混ぜていく。

 

「そうそう。上手ですよ。ある程度やって温まったらあたしに声をかけてください。温度を測りますんで……それじゃ中村さんとお嬢様のやる分も今用意しますんでちょっと待っててもらえますかね」

 

 そう言うと梅子は近くのテーブルの上にあった市販の板チョコを幾らか掴むと素早く包装をはがし、手際よく刻んでいく。梅子の言った通り、わざわざ二人の分を取っておいてくれたのである。幸、霧乃から材料費だけでもと言われたのだが、春日はいつも鈴がお世話になっているからと言って断っており、その話を聞いた時は恵里も雫もそろって春日に頭を下げた。

 

 恵里の分、鈴の分のチョコレートをそれぞれのボウルに入れると、鍋を二つ取り出して水を張り、それぞれを火にかけていく。

 

「えーと、梅子さん。これでいいんでしょうか?」

 

「んーと、ちょっと待ってくださいね……もう少しですね。もうちょっとしたらこっちの氷水張ったボウルにつけてください」

 

 まだ少し温度が足らないことを梅子から伝えられると、わかりましたと答えつつ雫は不慣れながらも真剣にチョコレートを溶かしていく。これも全ては王子様(光輝)のため。手を抜くことなく作業に取り掛かる。

 

「お、ちょっと待ってくださいね八重樫さん……よし、じゃあこっちのボウルにつけてから静かに混ぜてくださいね」

 

「あ、はい。よい、しょ……っと」

 

 そして梅子が突っ込んだ温度計が四十度辺りを示したところで雫はボウルを持ち上げ、氷の入ったガラスのボウルにつけてからまたヘラでゆっくりとかき混ぜていく。

 

「どう、雫? ちょっと笑ってるみたいだけど、案外簡単だったりする?」

 

「ううん。初めてでむずかしいわ……でもね、光輝くんが食べてくれると思うと、ちょっとドキドキする」

 

「そっか。鈴もそうだよ。ハジメくんに食べてもらうんだー、って思うとやっぱりね。恵里もそうでしょ?」

 

「まぁ、ね……」

 

 そうしていると、熱めのお湯でチョコレートを溶かす段取りまで来ていた恵里と鈴から声をかけられる。一年前までは同性の友達と話をしながら、好きで仕方ない子のためにチョコレートを作るなんて想像しなかっただろう。そのことが少しだけおかしくて、嬉しくて、すごくドキドキして。そんな入り混じった表情を見せながら雫はへらを動かす。

 

 ハジメのことを思って微笑む鈴に問いかけられ、恵里も頬をほんのり赤く染めながらチョコレートを溶かしていく。時折梅子に注意されながらも、三人は談笑を交えつつチョコレート作りに励む。

 

 その後、オーブンシートで作った絞り出し袋を使って型にチョコレートを流し込むのを三人がやってみたり、固まるのを待つ間に梅子が淹れたお茶を飲みながら明日のことを話したり、型から取り出した際に盛り上がったり、余計に作った分を全員で試食してその出来栄えに思わずうなったりして三人は明日を心待ちにするのであった。

 

 

 

 

 

 そして来たる決戦の日。学校を終え、そわそわした様子の七人はいつもの交差路で一度別れると、ハジメの家で合流する。そしていつものようにリビングに集まると、恵里、鈴、雫はリボンでラッピングされた小さな袋を取り出した。

 

「はい坂上くん、遠藤くん、あと天之河くん。義理チョコね」

 

「いや、恵里。言い方考えようよ……遠藤くん、坂上くん、天之河くんも。鈴の手作りチョコだよ」

 

「恵里ちゃんそこまで言わなくても……えっと、坂上くん、南雲くん、遠藤くん。これ、良かったら……」

 

 ハジメと光輝以外は女の子から初めてチョコをもらったため、恥ずかしさから顔を赤くしてしまう。ハジメと光輝もまた少し照れた様子でありがとうと礼を述べた。

 

「それじゃあ……はい、ハジメくん。私の手作りのチョコだよ」

 

「ハジメくん、これ。鈴もがんばったよ」

 

「う、うん。ありがとう、二人とも」

 

 そして今度は本命の相手へのプレゼント。恵里と鈴は微笑みを浮かべながらハジメにチョコレートの入った袋を渡した。今年は他にも人間がいる中でのためか恥ずかしさで少しうつむきつつも、二人からの好意を受け取る。

 

「こ、光輝くん……そ、その……こ、これ。う、うけ取って!」

 

 それは雫もまた同様で。他の面子、特に気恥ずかしそうに頬をかく光輝に時折見つめられながらでひどく緊張し、手を震わせながらもチョコレートの入った袋を彼の前まで差し出す。

 

「あ、ありがとう雫……俺、やっぱり幸せ者だよ。雫にこんなに思ってもらえるなんて」

 

 そして返す刀で放たれた言葉に雫は彼の顔を見れなくなってしまった。両手で顔を覆い、声にならない声を漏らしてイヤイヤと身をよじらせる様はまごうこと無き乙女であった。

 

 その時影の薄い誰かが『口の中がジャリジャリする』と呟いたようだがそれはきっと勘違いだろう。ここらを通りがかった猫辺りの鳴き声がそう聞こえただけやもしれない。

 

「ふふっ、どうやらちゃんと渡せたみたいね」

 

 全員にチョコを渡し終えて少し経ったぐらいに、菫が人数分のジュースの入ったペットボトルを持ってやってきた。みんなが頭を下げて礼を述べ、ペットボトルを渡し終えた途端、菫は爆弾を投下してきた。

 

「そういえば恵里ちゃんも鈴ちゃんも今年はハジメにあーん、しないのかしら?」

 

 途端、ビシリと全員が固まった。特にハジメと恵里と鈴は嫌な汗をダラダラと全身から流して縮こまっており、それを見た四人全員『マジか』と驚くばかりであった。

 

「あの、菫さん、その……ね? えっと、ボクもあの頃は若かったっていうか……」

 

「何言ってるのよ。今でも恵里ちゃんは子供でしょう? 子供なら子供らしく、ウソついてでも本気でハジメを振り向かせないと」

 

 そしてかけられた追い打ちに恵里は本気で涙目になった。理由はどうあれハジメの関心を引こうとしたのは事実であり、反論のしようがなかった恵里は無言で体育座りをして顔をうずめる。

 

「す、鈴は……すずは、その……」

 

「ほら、鈴ちゃんも。鈴ちゃんだってハジメのことが好きなんでしょう? 相手を決めるのはハジメの方なんだし、ここでアピールしとくとお得よ~?」

 

「お、お母さん!! ふ、二人をからかわないでよ!」

 

「えー、ハジメだって嬉しかったじゃない。しばらくの間、家の中でニヤニヤしてるのをお母さんはちゃーんと見てたわよ。『あーんしてもらったー』って呟いてたのだって聞いたんだから」

 

 菫の悪魔の誘いを受けてゆだる鈴をかばうようにハジメは吠えるも、容赦のないカウンターで無事轟沈。恵里と仲良く体育座りを決め、鈴も両手で顔を覆ってしまう。そして残った四人の中で特に泡を食っていた雫に近づくと、ロクでもないことを吹き込んできた。

 

「――多分光輝君も喜ぶと思うわよ? ちょっと勇気を出すだけで、彼の心をわし掴み出来るんじゃないかしら」

 

「わ、わし……わし、づかみ……」

 

「し、雫にヘンなこと吹き込まないでください!!――な、南雲! お前のお母さんだろう、早くなんとかしてくれ!!」

 

 ただでさえ赤い顔がもう耳の先まで赤く染まっていく雫をどうにかしようと、ハジメの両肩を掴んで揺さぶる光輝であったがハジメはまだ心が恥ずかしさで死んだまま。頭をかすかに横に振るだけで何もやらなかった。

 

 そして突然の事態に頭が働かなくなった龍太郎と『めちゃくちゃ口の中がジャリジャリしてて甘ったるい』と漏らす浩介を横目に、ブツブツと何かをつぶやいていた雫は急にフラリと立ち上がり、光輝が横に置いていたチョコの入った袋を手に取って彼の肩を叩いた。

 

「だから南雲、お前しかいないんだ! お前しかあの悪魔をどうにか――ぅぇっ?……し、雫……?」

 

 遠くでニヤニヤしている菫をどうにかしようと必死になってハジメに声をかけていた光輝だったが、いきなり肩を叩かれたことに驚いて勢いよく振り向いた――そこにはハート型のチョコを人差し指と親指でつまんで真ん前に突き出している雫がいた。

 

「ぁ、ぁーん……ぁーん……」

 

「し、雫……? そ、その、おち、落ち着くんだ。い、今の君は南雲のお母さんにそそのかされただけで、べ、べつにやらなくても俺は、その――」

 

「で、でも……も、もっと光輝くんと、な、なかよく……なかよくなり、たくて……」

 

 指の先まで真っ赤になった雫は体を成していない言い訳をするばかりで止めようとしない。じわりと瞳が潤んできた雫を見て冷静でいられなくなった光輝は菫への恨み節以外もう何も考えられなくなった。そして意を決して動く――。

 

「や、やっぱりめいわくだったよね。ご、ごめんなさ――ぁっ」

 

 光輝が勢いよくチョコにかじりつく。その瞬間、雫は言い知れない喜びとそれをたやすく凌駕する羞恥に襲われる。

 

「あっ、あっ、あっ――」

 

「――し、雫。こ、これで許してくれない、か……えっ? 雫? 雫ーーーーーーー!?」

 

 雫、気絶。余すことなく体が真っ赤になった少女の脳は、突如暴れ狂った感情の手綱を握れずに意識を手放して光輝の胸元に倒れ込んでしまう――その顔はとても喜びに満ち溢れていた。

 

「――ジメくん、ハジメくん」

 

「?……恵里、ちゃん――!? え、恵里ちゃん!?」

 

 そして異変は雫だけでなかった。復活した恵里はハジメの体を揺さぶって声をかけ続け、意識が向いた途端にチョコを彼の口元近くまで突きつけたのである。

 

「あ、あーん……ほら、た、食べて」

 

「えっ!? ど、どうして!? なんで!?」

 

「だ、だってバレンタインだもん! これが普通だって去年も言ったでしょ!? だから! だから!!」

 

 雫が暴走する様を聞いて恵里の心に火がついてしまった。あーんをした雫が()()()無性にうらやましくなり、それを受け入れた光輝に対してひどくイライラして思わずやりたくなったのだ。

 

(仕返し……これは仕返しなんだ! ボクを受け入れなかった天之河くんへ見せつけるだけ! それだけなんだ!)

 

 誰に向ける訳でもなく心の中で必死に言い訳をしながら恵里は目を白黒させているハジメに迫り続ける。光輝への苛立ち、湧いてきた羨望、ハジメに対して抱いてしまったよくわからない感情で頭がぐちゃぐちゃになった恵里は息を荒げながらハジメをじっと見ていた。

 

 どうにかして恵里をなだめようとハジメは頭を働かせていたが、チョコをつまんで突き出している腕がまた増えた。鈴である。

 

「す、鈴ちゃんも!? お、おねがいだから、その……」

 

「い、イヤだよ! え、恵里だけぬけがけなんてズルいから!! す……鈴だってハジメくんにチョコ食べてもらいたいから!」

 

「んなっ!? す、鈴っ!――ぼ、ボクが食べてもらうんだから! ハジメくんに美味しいって言って貰うんだから!!」

 

 自分を無視してギャーギャーわめき始めた二人を見て余計に混乱し、どうすれば丸く収まるのかを思考のまとまらない頭で考え続けるハジメ。嬉しさと恥ずかしさとケンカする二人を見たくないという思いで支離滅裂になった脳はやはり斜め上の結論を下す。

 

「今回作ったチョコはみんな同じやつでしょ! だったらボクの分だけ食べてもらえば味の評価が出来るよね!? だから鈴が出しゃばらなくったっていいじゃないか!!」

 

「同じ味だったら鈴でもいいよね!! ううん、鈴の方がていねいに作ったからもっと口当たりがいいと思う! だから恵里の後で鈴のおいしいチョコを食べてもらうから!!」

 

「す、鈴の癖に生意気ぃ! ボクの方がハジメくんに気に入られ――ぁっ」

 

「恵里も……恵里もちょっとくらい鈴にハジメくんをゆずってよ! 鈴だって、鈴だってガマン――ふぇ?」

 

 言い争いをしつつもずっとチョコをつまんでいた腕はハジメの方に向けていたため、ならばと考えたハジメは両方を食べたのである――指に歯が当たらないよう、そして当たったとしてもなるべく歯を立てない様に、勢いよく一気に。

 

「あ、あわ、ああ、あああ……た、たべ、ハジメくん、たべて……」

 

「いまのあったかいの、って……はじ、ハジメくんの歯……くち、びる……」

 

 その際ハジメの口が二人の指にもちろん当たってしまい、どっちの脳もバグってしまった。去年以来の二度目の感触に気づいた恵里、初めての感触の正体を探って結論を出してしまった鈴は、もう正気ではいられなかった。

 

「も、もう食べたから……お、おいしかったから。ケンカ、しないで。ね?」

 

 今になってすさまじい恥ずかしさに襲われたものの、これでどうにかなるはずだと目に涙を浮かべながら二人に問いかけるも反応は返って来ない。まさか怒らせてしまっただろうかとオロオロし始めたハジメは気づけなかった。

 

「ま、またボクの……ボクのゆび、たべ、たべ……は、ハジメくんはボクのゆびがす、すすすす……」

 

「は、ハジメくんのくち、あたって……き、キスされちゃった……すず、ハジメくんとき、きききき、キス……」

 

 指にくちびるが、そして歯が軽く当たってしまったために二人の様子がおかしいことに。かすかな声で支離滅裂なことをつぶやいていることに。自分のように恥ずかしさのあまり目を回しそうになっていることに。

 

「ね、ねぇ二人とも……お、おこってる? だ、だったらごめんね」

 

「い、いやいやいや! そ、そんなことないけど!?」

 

「そ、そうだよ!! す、鈴もおこってないから!」

 

 挙動不審な二人を見て悪いことをしてしまったんだと勘違いしたハジメはショボくれ、これはまずいと感じた恵里と鈴、そして菫になだめられる。そこで鈴がうっかり『指をなめたりキスするのが好きでもおこらないから!』と口を滑らせたために、変な誤解を受けたショックと恥ずかしさで泣きながら否定し出したハジメをどうにかする羽目になった。

 

 最早背景と一体化しかかっていた龍太郎は『バレンタインって何だろうな』とつぶやき、浩介は羨ましさやら嫉妬やら何やらで心が死んで無駄に存在感があらわになっていた。今年のバレンタインもまた地獄もかくやの様相であった。

 

 この一件から皆の中で何とも言えない空気が漂い、光輝と雫、誤解の解けたハジメと恵里そして鈴は恥ずかしさのあまり目を合わせることすらしばらく出来なくなった。またこういうイベントの時は南雲家に絶対に寄らないことが七人の間で決まり、余計なことをした菫も親~ズから叱られる羽目になったのであった。




本日の懺悔
本来なら前後編に分けずに投稿するはずだったんですよ。でもね、書けば書くほど増えるの。いっぱい増えるの。昨晩前後編で分けて投稿しようか迷ったんですけど、その時点では8割完成でまだ12000字足らずだったんでギリいけるかなー、って思ってたんですけど今朝方執筆してたらもう14000字近くまで行っちゃって……どうしてこうなった(AAry

なので近いうちに後編も投稿します。ちょっとキリの悪い形になってごめんなさい。

あとここからちょっと巻きます。具体的にはあと10話ぐらいで原作プロローグの辺りまで。そうしないと高校に入るまであと20話近く作者は書きかねないからね!


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十五話 一喜一憂する恋人たち(後編)

それではいつものように感謝の挨拶を。
皆様のおかげでUAが25000オーバー、お気に入り件数も331件(2021/6/22 9:27現在)と増えました。いや、多くない? 伸びがけっこうえげつないんですけど(恐怖)

そして天無零さん、小魚chさん、赤飯軍曹さん、自分の作品を評価してくださって誠にありがとうございます。かなりの高評価をつけていただいて恐縮です。

では短いですが本編をどうぞ。


「坂上くん、天之河くん、遠藤くん、ホワイトデーはどうするの? 僕はまたクッキーを手作りしようと思ってるんだけど」

 

 地獄のバレンタインからかれこれひと月近く。ホワイトデー前の日曜日にハジメら男の子達は坂上家にて話し合いをしていた。そこでさも当然のように手作りのものを送ると公言したハジメに尊敬と驚愕の念が向けられる。

 

「いや、よくやるな南雲。俺、テキトーにどっかの店で買おうかって思ってたんだけどな」

 

「いや、俺と坂上だったら仕方ないんじゃないか? 別にあっちも好きでも……好きでもない俺らから手作りのものを送られても困るかも、しれないしさ」

 

 先月の心の傷が残っていたらしく、言うにつれて表情が苦々しくなっていったものの浩介も龍太郎と似た様な意見であった。するとハジメに尊敬の念を向けていた光輝がいきなり彼に向けて頭を下げた。

 

「頼む南雲。その、俺にも菓子作りを教えてくれないか」

 

「うん、いいよ」

 

 先月、雫から手製のチョコレートをもらってからホワイトデーに至るまで何をお返しにすればいいのかずっと考えてきた。リボンやちょっとした小物類などの類を一度考えたこともあったが、それで雫に引かれるのも嫌であったし、ピントがズレたものをプレゼントしても雫が嫌がるだろうと思ったのだ。ならば自分も手作りのお菓子でもと思ったが、肝心の作り方がわからないのだ。母である美耶もそこら辺は疎いため、他に頼れる伝手がハジメしかいなかったのである。

 

 そんな光輝の申し出にハジメは二つ返事でOKを出した。友達からの頼みであったし、同じく友人である雫が喜ぶだろうと思ったからだ。自分の経験が二人のためになるのなら、ハジメにとって惜しむ理由はなかった。

 

「ありがとう南雲。助かったよ」

 

「ううん、いいよ。僕たち友だちなんだから」

 

 笑顔を浮かべながら承諾してくれたハジメに改めて頭を下げると、光輝は早速どういうのを作ったのかを尋ねた。そこでハジメは去年自分が作った菓子について出来る限り教えたのだが母にかなり手伝ってもらっていたため、結局ちょっとしたアドバイス以上にはならなかった。

 

「そっか。ありがとう南雲。でも南雲でもやっぱり相当手伝ってもらったんだな……そうなると菓子作りが上手な人におねがいしたいな。なあ龍太郎、お前のお姉さんってどうだ?」

 

「姉ちゃんか? うーん、やれるかもしれねえけどな……ちょっと聞いてみた方がいいか?」

 

「いや、今じゃなくてもいい。ありがとう龍太郎。それでその、えーと……遠藤、お前のお母さんってそういうのって出来るか?」

 

 とはいえそれでも菓子作りが簡単ではないとわかったことは光輝にとって十分な収穫であった。なら誰か頼れる人を探してみればいい、と考えをシフトするだけである。龍太郎に聞いた後、今度は浩介に頭を下げた。

 

「おい天之河、俺はこっちだこっち……んで、母さんが菓子作りやれるかだよな? うーん、どうかな。とりあえず聞いてみるよ」

 

 なお、前よりはほんのわずかにわかりやすくなったとはいえ常日頃から気配が薄いため、今回も光輝は浩介がいるのとは別の方角を向きながら尋ねてしまっていたが。軽く涙目になった浩介から声をかけられ、また平謝りしながらもどうにか協力はとりつけた。ダメだったら最悪母に買い物につきあってもらおうと光輝が考えていると、今度は龍太郎がハジメに質問を投げかけてきた。

 

「そういやよ、南雲は今年何を作るんだ?」

 

「えっとね、去年のよりむずかしいと思うんだけど――」

 

 はにかみながら答えるハジメにこの場にいた三人は少し驚き、改めて目の前の少年をすごいと思うのであった。

 

 

 

 

 

 そして訪れたホワイトデー当日。この日は恵里の家で集合することになっていたため、男子達は一度各々の家に戻ってプレゼントを持ってくることになっていた。

 

「ただいまお母さん」

 

「こんにちは幸さん。上がっていいですか」

 

「おじゃまします、幸さん」

 

「お帰り恵里。それにいらっしゃい鈴ちゃん、雫ちゃん。リビングにお菓子とジュース、ちゃんと人数分用意しておいたわ」

 

 幸に促されて恵里達は家に上がると、すぐに各々のリビングの定位置に座って今日の事について話を始めた。

 

「やっぱり雫もきんちょうしてる? ちょっとソワソワしてるよ」

 

「うん……どういうのを光輝くんからプレゼントされるのかを考えると、ドキドキして落ち着けなくて……」

 

 光輝が何も返さないということはないとわかっているが、かといってどういうものを返してくるのかがわからない。どこかのお店で買ったものなのか、それともまた別のものか。楽しみではあるけれど同時に不安でもあった雫の手を隣にいた鈴がそっと握る。だいじょうぶだよ、と鈴から声をかけられれば少しだけ落ち着きを取り戻せた。

 

「ありがとう、鈴ちゃん。やっぱりちょっと不安だったから……あ、でも、その、光輝くんが何もしないなんて思ってないから!」

 

「わかってるよ、雫。だいじょうぶ。雫をえらんでくれた天之河くんを信じようよ」

 

 その言葉と握ってくれた手のおかげで雫は普段の落ち着きを幾らか取り戻せた。ふふ、と雫が微笑みを見せたことで安心した鈴は今度は恵里に話を振った。

 

「今年は何をプレゼントしてくれるかな、ハジメくん」

 

「……何だろうね。きっとちゃんとしたのだと思うけど」

 

 恵里はいつもハジメが座っている席に視線を向けると、ほんのわずかに表情をほころばせた。それを見て一瞬キョトンとしてしまった鈴であったが、今度はにやつきながら恵里の方を見てきた。

 

「何? 別に変なこと言ってないはずだけど」

 

「ううん。やっぱり恵里は変わったなー、って思っただけ」

 

「はぁ? 私のどこが変わったって?」

 

「そうなの? 恵里ちゃんって昔からこんな感じだったんじゃ?」

 

「ううん、ちがうよ。それはね――」

 

 ニヤついている鈴を見て軽くムッとする恵里であったが、鈴は特に堪えた様子も見せはしない。雫も昔の恵里はどうなったのか気になって鈴に尋ね、鈴もそれに答えようとしたところで玄関のインターホンが鳴った。

 

 少し間の悪いタイミングでの男子たちの到着に鈴はちょっとすねた様子を見せるものの、ハジメの顔を見てすぐに機嫌を良くした。そしてそれは恵里と雫も同じで、お互いハジメと光輝を見て不機嫌な様子や疑問符は吹き飛んでしまう。

 

「悪いな、ちょっと遅くなっちまった」

 

「ごめんね、僕がもたついちゃって……」

 

「あ、南雲のヤツをあんま責めるなよ。中村と谷口に渡すプレゼントのリボンがほどけてるのに気づいて――」

 

 浩介が弁解しようとした途端ハジメがわーわーと大声を上げて邪魔をする。光輝も苦笑しながら『少しデリカシーがないぞ遠藤』とたしなめれば、悪い悪いと頭をかきながら赤面しているハジメに謝った。

 

「あー、その、おう。まず、俺と遠藤が先でいいか?」

 

 そして気まずそうに龍太郎が皆に問いかけると、全員が苦笑いしながら首を縦に振ってくれた。そこで一度せき払いをするとまず最初に龍太郎が恵里、鈴、雫にクッキーが八枚ほど入った市販の小袋を渡した。プレーン、チョコ、アーモンド、チョコの入った市松模様のものがそれぞれ二枚の代物である。渡した感触は悪くなく、龍太郎はホッと胸をなでおろした。

 

 続く浩介はラスクの入った袋のプレゼントであった。龍太郎と被らなかったことに内心ホッとしながら渡せば、女子~ズからありがとうと言われ、まんざらでもない様子であった。

 

「ありがとう坂上くん、遠藤くん。後でおじいちゃんやお父さんといっしょにいただくわ」

 

「鈴も後でお父さんやお母さんとおいしく食べさせてもらうね」

 

「ちゃんとしたのを選んでくれてありがとう、二人とも。それじゃ、次は誰にするの?」

 

 感謝の言葉をかけられた二人は恥ずかし気にそっぽを向くと、今度は光輝が手を上げて立候補してきた。

 

「それじゃあ俺が。中村……さんと谷口はこれを――それと雫、これを受け取ってくれないか?」

 

 恵里と鈴にはプレーンのクッキーの詰め合わせを、そして雫にはいちごと抹茶とアーモンドの三つの味のスノーボールクッキーの詰め合わせの入った袋をそっと手渡した。

 

「こ、これって、その……」

 

実里さん(遠藤のお母さん)に教えてもらいながら初めて作ったやつだからあんまり出来は良くないかもしれないけど、でも雫に応えるんだったら手作りしかないと思ってさ……雫?」

 

 二人が貰ったものと見比べてまさかと思っていた雫であったが、光輝にそのまさか(手作りの贈り物)を言われて涙が止まらなかった。やはり自分は愛されてると思うことが出来、こみ上げてくる激しい感情を抑えられない。光輝は雫を抱きしめ、ゆっくりと彼女の頭をなでる。

 

「ハハ、大げさだよ雫。俺は雫にお返しをしただけだから」

 

 雫は何も言わず、ただ光輝の胸の中で涙を流すばかり。それをながめていた皆は口々に『良かったね』と一言だけ述べたぐらいで、それ以上は何も言わずに二人だけにさせる。

 

「じゃあ八重樫さんに渡す分は後にして……じゃあ恵里ちゃん、鈴ちゃん。これが、その……僕からのお返しだよ」

 

 そうして渡されたシースルーの小袋の中は、チョコレートのような色合いのクッキーが何枚も入っていた。今回はシンプルなものだろうかと思って何度かながめると、頬をかきながらハジメが説明を始めた。

 

「えっと、ちょっとわかりづらかったかな? 今年はね、生チョコをココアのクッキーではさんでみたんだ」

 

 その言葉を受けて二人は小袋の上を留めていたリボンを解き、中から一個取り出してみた。ハジメの言った通りチョコをサンドしてあるクッキーをながめ、二人は思わずため息を漏らす。

 

「去年と同じだと手ぬきだって思われちゃうし、そんなのイヤだから。鈴ちゃんは僕と一番仲がいい“お友だち”だし、恵里ちゃんは“大切な人”だから。だから本を見て何がいいか選んでみたんだけど」

 

 ハジメの言葉に鈴は少し寂しそうな表情を浮かべ、恵里は言葉に詰まった様子でただじっとハジメを見ていた。

 

「二人に渡す前に味見してるから多分だいじょうぶだと思うけど……あ、あれ? 二人とも?」

 

「――あっ、な、なんでもないよ。なんでも……」

 

 ハジメに声をかけられ、ハッとした鈴はまた笑顔を浮かべようとするものの、恵里は反応することが出来なかった。しかしハジメに向ける視線は熱を帯びてきており、頬をほんのりと赤く染めてじっと見つめている。

 

「えーと、恵里ちゃん? そ、その、はずかしいんだけど……」

 

「恵里、どうしたの恵里。さっきからポーっとしてハジメくん見てるけど」

 

「――あっ。い、いや、その……なんでも、ないから」

 

 二人から声をかけられてようやく我に返った恵里であったが、今度はハジメの方を見ることが出来ず、また鈴からの問いかけも誤魔化すしか出来なかった。

 

 頬が熱くなっていることにも気づき、胸が温かい何かで満たされている。そこで恵里は自身にある()()が芽生えたときの事を思い出し、まさかハジメにそれを抱いてしまったんじゃないかと考えてしまう。だが恵里はそんなはずがないと小刻みに首を横に振ってどうにか否定しようとする。

 

(ち、違う!……ぼ、ボクはハジメくんなんか……ハジメくんのことはただの、ただのどう、ぐ……駒……ちがう、大切な駒、こま……)

 

 ハジメは使える道具であって、それ以上ではない。そう否定したかったのに、そう思いこもうとすればするほど胸が締め付けられる。ズキズキと痛む。どうしても湧き上がった感情を否定できずに困惑していると、その様子を怪しんだ周りから声をかけられていく。

 

「恵里ちゃん? どうしたの? 頭が痛いの?」

 

「恵里、どうしたの? さっきからずっとヘンだよ」

 

「どうしたんだよ中村? まさか虫歯か?」

 

「中村、もしかして具合が悪かったのか? だったらここで俺たちは帰った方が――」

 

 口々に気遣う言葉がかけられ、それにようやく気づけた恵里はまた首を大きく横に振った。遠目から見ていた幸も皆に帰宅するよう促すつもりで寄ってきたが、幸が声をかけるより先にハジメが恵里に話しかける。

 

「もしつらかったらちゃんと言ってね。恵里ちゃんのおねがいならなんでも聞くから」

 

 そう話しかけてきたハジメの顔は真剣で、どんなか細い声であっても聞き逃すことも、どんな願いも跳ねのけないように見えた。そんな時、ふと自分の手にあった物のことが気になった。

 

「ねぇ、ハジメくん」

 

「なぁに、恵里ちゃん」

 

「これ、食べさせ……ううん。食べて、いい?」

 

 恵里は自分の持っていたクッキーサンドに一度視線を落とし、そんなことをハジメに尋ねる。

 

 一瞬とんでもない願望が口から漏れかかったが、出した途端にすさまじい羞恥を感じ、すぐに引っ込めて別のことを口にした。

 

「えっと……そ、それでいいの?」

 

 皆の目の前で自分が作ったものを食べられることに緊張と恥ずかしさを感じたものの、大切に思っている恵里からの願いをハジメは無碍に出来ない。自分の問いかけにコクリとうなづいた恵里に声を震わせながらも笑顔で『いいよ』とだけ伝えてあげた。

 

 そして恵里はハジメが作ってくれた生チョコをはさんだクッキーを口に含む。クッキー越しに体温が伝わって少し溶けたのかチョコレートの香りが口から鼻に抜けていき、ココアの優しい甘みとクッキーのサクサクとした触感の後からチョコレートの甘みが口の中に広がっていく。

 

(これをハジメくんが……ボクを思って……ボクのために)

 

 噛みしめるごとに舌から伝わるハジメの思い。恵里はそれに酔いしれながら、ゆっくりと噛んでは飲み込んでいく。手にしたものを食べ終えると目をつむってうっとりとした様子で大きく息を吐いた――そして目を開き、視界にハジメが入ると、ふらふらとした様子で彼の許へと歩いていく。

 

「え、恵里ちゃん……?」

 

「ねえ恵里、どうしたの? ちょっと変だよ、恵里!」

 

「どうしたの恵里? 恵里?」

 

 ハジメと鈴からの声かけも母からの呼びかけにも反応しない。つい先ほど恵里の異変に気づいた雫や光輝、龍太郎と浩介からのも同様に無視し、熱に浮かされた様の恵里はそのまま歩みを止めない。

 

「恵里ちゃん、しっかりして! ホントにだいじょうぶ――」

 

 ――そして心配して寄ってきたハジメの近くにくるや恵里は彼の胸元に飛び込んだ。

 

「わっ!? え、恵里ちゃん……?」

 

 数歩ほどたたらを踏むものの、どうにか抱きとめたハジメは心配そうに恵里を覗き込むと、顔を赤く染めて頭をぐりぐりと胸に押し付けてきた。

 

「ハジメくん……ハジメくん……」

 

 皆が心配そうに見つめている中、恵里の頭はハジメの事でいっぱいであった。ただハジメといたい。ハジメが恋しい。ハジメを感じたい。その一心で彼を抱きしめる。

 

「えっと……だいじょうぶ。僕はここにいるから」

 

「ハジメくん……ボクも、ボクもいっしょ……ハジメくんといっしょ……」

 

 ようやくただ自分を求めているのに気づいたハジメはおそるおそる恵里の体を優しく抱きしめ、腰元まで伸びた髪を壊れ物を扱うかのようにそっと撫でる。

 

 恵里は目を細め、彼の名前をつぶやきながらただじっとハジメを抱きしめるだけであった。

 

 

 

 

 

「ねぇ恵里ちゃん。ホワイトデー、どうだったの?」

 

「去年はクッキーだったっけ? 今年はなになに?」

 

「あ、そ、その……も、もらったよ。うん。ハジメくんからね。ちょ、チョコレートをはさんだクッキーだけど……」

 

 週明けの月曜日。いつものように香織とその友人から話しかけられた恵里であったが、冷静を装おうとして見事なまでに失敗してしまった。目が泳ぎ、顔を赤らめさせ、質問もいつものようにうまく答えられない。普段と違う様子を見せれば自然と女子達の興味が沸き、すぐに質問攻めに遭ってしまう。

 

 ――恵里がハジメに抱き着いた後、ハジメと鈴以外は甘酸っぱいようなむず痒いような空気に耐えられなくなり、家に帰ることになった。

 

 光輝と雫は手を繋ぎながら、浩介は龍太郎になぐさめられながら家を出た後、ようやく恵里は正気に戻り――脇目もふらずに意味不明な叫びを上げながら部屋へと猛ダッシュしていった。その勢いのままに布団にダイブし、全身(くる)まってはまたも奇声を上げ続けていた。

 

 完全に置いてけぼりになったハジメと、恵里の髪をハジメが撫で始めた辺りから彼の服の裾をずっと掴んでいた鈴もまた幸に帰るよう促される。そして帰り際に『今日みたいなことがやりたいなら言ってね、って恵里ちゃんに伝えてください』とハジメがもじもじしながらつぶやいたことを幸が伝えれば遂には恥ずかしさに耐えられなくなって泣き出してしまった。

 

 幸は『そんな風に思ってもらえるなんて幸せね』といったニュアンスで語ったのだが、恵里からすれば情け容赦なくトドメを刺してきたのと大差なかった。そのため恵里の機嫌は中々直らず、帰宅して事情を聴いた正則からなぐさめてもらうまでずっと泣きっ放しであったのである。

 

「ちょっとだけお返しがよくなってるね」

 

「でもちょっとだけだよね」

 

「いやでも手作りのお返しだよ? そう言ってないけど」

 

 周りはハジメのプレゼントについて好きに述べているが、ホワイトデーの醜態を思い出した恵里はそれどころではなかった。思い出すだけで顔から火が出るし、どうしてかそれが心地よかったのだ。

 

(ハジメくんだ……全部ぜーんぶハジメくんのせいだ! ボクがこうなっちゃったのも、こうしてボクが困ってるのも全部ハジメくんが悪いんだからな!! 絶対後でボクがおかしくなった責任を――)

 

「ねぇ恵里ちゃん、もしかしてホワイトデーもあーんしてもらったりしたの?」

 

「ち、違っ!? ほ、ホワイトデーはそれをやってもらったんじゃないって!!」

 

 そしてうっかり墓穴を掘った。目ざとい彼女達は“あーん”以外をやってもらったんじゃないかと話し合って即座に結論を導き出し、一体何をやってもらったのかを執拗に尋ねてくる。

 

「あーんじゃなきゃ何!? ひ、ひざ枕とか!?」

 

「頭ポンポンとかそういうの!? 彼氏にやってもらえるとうれしい系!?」

 

「は、ハグとか! 恵里ちゃんハグしてもらったりとか!?」

 

「ああもおおぉおおぉぉ!! そういうんじゃなぁああぁぁああぁい!」

 

 教室に興奮した女子達が問いかける声と恵里の叫びが響き渡る。今日もこのクラスは姦しかった。

 

 

 

 

 

 

 すったもんだのホワイトデーから更に一年近く時間が経ったバレンタイン当日の事であった。

 

「よし、完成……うん、上手に出来たかな」

 

「そうね。後は粗熱をとって切り分けましょ。これならきっとハジメ君も喜んでくれるはずよ」

 

 恵里と話をしながら幸はオーブンから天板を取り出してテーブルに置くと、天板に広がっていたチョコレートケーキを恵里は覗き込む。焼き具合も悪くはなく、チョコレートの香りが鼻をくすぐってくる。三日前に練習と称して幸と一緒に作ってみたことがあったが、その時の出来具合とそん色はなさそうであった。

 

 これなら午後にハジメに渡すのに十分間に合うし、きっと問題はないだろう。

 

(さーて、一年越しの復讐だ。ボクをあんな風にさせたお礼はしっかりさせてもらうからね)

 

 受けた恩はともかくとして受けた恨みを恵里は忘れない。あの後散々ゴネたりなんだりしたのだがそれはそれ、これはこれの精神でやり返すつもりであった。『もっとハジメくんを心酔させてやる』と内心息巻きつつ、チョコレートケーキ作りに使った器具やごみなどを幸と一緒に片づけていく。

 

(ふふっ、恵里ったらあんな顔しちゃって……本当に待ち遠しかったのね)

 

 しかし幸の目に映った恵里は違う。

 

 手伝いとはいえチョコレートケーキを作っている際の真剣な表情。焼き上がったケーキを見て目を輝かせる様、こうして片付けをしている時の綻んだ顔。

 

 好きな男の子にチョコレートを渡すことを心待ちにし、美味しいと言ってもらえるかどうか楽しみにしている年相応の女の子にしか幸には見えなかったのだ。

 

 ちょっと早熟しているように見えるとはいえ、自分の娘が年相応にはしゃげるようにさせてくれたハジメに幸は改めて感謝を示す。そして恵里をずっと幸せにしてほしい、と天板から取り出したケーキを細い棒状に切り分けながら願うのであった。

 

 ――今は誰も知らない。恵里も鈴もハジメもここからお菓子作りにのめり込み、毎年のバレンタインとホワイトデーに贈るプレゼントの質がメキメキ上がっていく事を。もはや合戦と呼ばれるレベルにまでエスカレートしていき、巻き込まれた雫と光輝の腕まで上がっていくことを。恵里のハジメへの接し方も少しずつ柔らかくなっていくのを。

 

 そして菓子作りにのめり込んだ結果、三人のお腹周りに段々と肉が付いていく事を。ハジメは『太ってても気にしないよ』とは言ったものの、メタボになるのを嫌がった恵里と鈴がハジメを巻き込んで一緒に痩せようと決心する事を。毎朝ランニングしている四人に頭を下げて一緒にやってくれるよう頼み込む事を、今は誰も知らない。




某チートメイトの強化フラグ(原作より美味しくなる)が立ちました。

あと龍太郎と遠藤は毎年この時期になると形容し難い表情になり、最終的に悟ります。一体誰のせいなんでしょうね(すっとぼけ)


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幕間五 処方が変われば香りも変わる

では今回も先に皆様に感謝の挨拶をば。
おかげさまでUAは27000を大きく超え、お気に入り件数も353件(2021/7/2 19:40現在)に到達しました。相変わらず理解が追い付きません(遠い目)

トリプルxさん、鼻からエメラルドスプラッシュさん、異次元の若林源三さん、自分の作品を高く評価していただき誠にありがとうございます。特にゲンさん。10点をつけていただきありがとうございます……毎回毎回言ってる気がしますが、恐縮するばかりでございます。

では本編をどうぞ。


 白崎香織という少女にとって中村恵里という子はある種の憧れの存在のようなものであった。

 

 小学校一年生の時に一目ぼれしたらしい少年がおり、彼との仲が今もなお続いているのだ。香織からすれば下手な少女漫画よりもドラマチックで刺激的であり、運命じみたものすら感じている。

 

 また彼女が語った彼とのやり取りに関しては驚きこそすれど退屈した試しは一度もなく、いつだって目を輝かせながら聞いていた。故に香織にとって恵里という存在は身近にいる“特別な存在”であった。

 

 自分の友人と共にずっとこの日常が続くと何の根拠もなく香織は信じ、いつまでも楽しい日々が続くと思っていた。始業式に見たクラス替えの張り紙を見るまでは、だが。

 

「なんで……ない。ないよ」

 

 親と一緒に見たその紙には恵里や自分の友達の名前は何一つなかったのだ。小一の頃から親しくしていた子達ともこれっきりの別れになってしまうかもしれないと悲観する香織に両親は優しく声をかけてくれた。

 

「どうしたんだい香織。もしかして友達と離れ離れになったのかい?」

 

「そうなの香織? お父さんの言った通りかしら?」

 

 その言葉に弱々しくうなずくと、父の智一は優しく頭をなで、かがんで目線を香織と合わせながら話しかけてくれた。

 

「そうか。それは少し寂しいね。でも大丈夫さ。会いたくなったら友達のいるクラスに行けばいいんだから。それにきっと新しい友達だってすぐに出来るさ」

 

 なんてったって世界一愛らしい天使なんだから、と付け加えてなでてくれた頃には悲観的な気分はどこかへと吹き飛んでしまった。

 

 そう。会えないのなら自ら会いに行けばいいだけなのだ。立ち直った香織を見て母の薫子も智一と一緒に微笑んでくれる。決意を新たに香織は目を皿にして自分の友達の名前を探すのであった。

 

 

 

 

 

 幸いにもほとんどの子が自分と隣のクラスにいたため、学校が始まった日の昼休みにはほとんどの友達と再開することが出来て友達の輪に入れてもらえた……そう、ここまでは良かった。

 

 恵里以外の子と再開できた時点で相当盛り上がってしまい、その日の昼休みはそこで終わってしまう。そこで香織は放課後に彼女を探そうとしたのだ。そこで見てしまった。

 

「ねぇ、やっぱり雫も坂上君も天之河君もいっしょに行こうよ。きっとお父さん達がオーケーするよ」

 

「いや、谷口や南雲、中村、さんの好意はうれしいけど、図々しくないか? まだ会って一年も経ってないんだぞ?」

 

「いや、そんなこと言ったら私とハジメくんも鈴も去年旅行なんてしてないけど? その時だって会って一年しか経ってなかったし」

 

「お前らの場合とーちゃんかーちゃんが仲良くなるのも当たり前じゃねえかよ。南雲とつきあってて、んでひとりぼっちだった谷口と友達になったんだからよ。それといっしょくたにされても困るぜ」

 

「うん。坂上君の言う通りだと思う。私達はともかく、お父さんもお母さんも鈴ちゃん達のお父さんやお母さんってそういうこと出来るぐらい仲がいいかな?」

 

「そうかな? そこまで仲が悪いみたいじゃないし、僕のお父さん達がオッケーだと思ったら絶対引きこむと思うんだけどなぁ」

 

「おう、お前らいい加減俺のこと無視するのやめろ――だから俺はこっちだこっち!! いい加減にしないと泣くからな!」

 

 恵里が彼女の友達と思しき子と親し気に話しあい、それが盛り上がってる様子を。

 

 盛り上がっていた。めっちゃ盛り上がってた。もうゴールデンウィークの話をしながら楽しそうにお話ししてた。

 

 時折どこかから声が聞こえて少し不気味ではあるけれど、目の前の光景に香織はちょっと不機嫌になる。

 

 香織の頭では他の子と同様に寂しがってたり、目を合わせるなり手招きしてくれてすぐ新しい友達も紹介してくれるものだと思っていたのだ。それが自分抜きでも寂しそうにしていないし、こっちに全然気づいてない。

 

「ねえ香織、あっちはけっこう盛り上がってるみたいだし、今日はあきらめようよ」

 

「そうだよ。恵里ちゃんは元々友達がいっぱいいるって言ってたじゃない」

 

 友達があれこれ言ってくるのも香織とてわかっていた。でもどこかズルく感じて仕方がなかったのだ。自分は会いたくて仕方なかったのに、あっちはそうでもない感じがどこか寂しかった。だから香織は行動する。もう一度友達になるために。

 

「恵里ちゃん!」

 

「おわっ!?……あれ、白崎さん?」

 

 そうして声をかければ恵里もびっくりしてこちらを向いてくれた。もちろん周りにいた子達もだ。一体誰だとざわめく中、また他人行儀な感じな恵里に香織はむくれながら不満をぶつける。

 

「かーおーりっ! いい加減名前で呼んでよー!」

 

「あー、はいはい……あの子は白崎香織。前に話したことがあったと思うけど」

 

 恵里の一言でいぶかしむ声はピタリと止まり、代わりに全員が納得した様子を見せる。それを確認すると香織は恵里のところへとずかずかと向かっていく。こうなったらこちらだって遠慮はなしだと開き直り、恵里の手を取った。

 

「え、えっと、一体何?」

 

「うん。もう一度友達になろうよ!」

 

 その一言で香織の友人以外は皆呆気にとられる。これが恵里を除く、香織とハジメ達の最初の出会いであった。

 

 

 

 

 

「そ、そうなんだ……それが八重樫さんと天之河くんがき、キスした事件で……」

 

「お、お願いだからそう言わないで。は、恥ずかしいから……」

 

 そしてその翌日の昼休み。初対面の子と会って尻込みしなかった自分の友人を二人連れて香織は恵里のクラスを訪れていた。

 

 昨日は帰りがてらお互いの自己紹介をしたものの、あくまで軽くしか聞けなかったため、今回改めて話を聞いているのである。それは香織らにとって聞いたことのあるものであったが、恵里からの又聞きでなく、直に聞いた場合の感じや生々しさはやはり別格であった。

 

「ね、ねぇ、じゃあ南雲君は手をつないで寝たぐらいだから、き、キスぐらいやってるよね?」

 

「や、やってないです! ぼ、僕はまだ、その、えっと……」

 

「まだそこまでやってないってば! 何発想を飛躍させてるのさ!」

 

「でも、あーんしたり、間接キスしてるんだし、それぐらいもうやっててもおかしくないんじゃ――」

 

 香織は雫らと話をしていたが、一方、一緒に来た友達の桐生ミサキと田山まどかはハジメらの方に絡んでいた。こっそり聞き耳を立てれば二人にアレコレ言われて恵里とハジメはタジタジになっており、思わず口角が上がってしまう。

 

「何ニヤついてんだ、白崎」

 

「あ、ごめんなさい。ミサキちゃんやまどかちゃんのお話聞いて改めて恵里ちゃんも南雲くんもおたがい好きなんだなー、って思っただけだから」

 

 するとそれを龍太郎から指摘され、理由を述べればいぶかしむ様子から一転してため息を吐く。そばにいた光輝と雫も苦笑いを浮かべ、一度ハジメ達の方を向いてから香織の方を見やった。

 

「あー、まぁな……俺の方は見てて何とも言えねぇ感じになるけどよ」

 

「確かにあの二人の仲は良いからな。あ、でも白崎さん。君の友達にハジメと中村をあまりからかうな、って言っておいてくれないか?」

 

「そうね、ハジメ君また顔真っ赤にして小さくなってるし。お願いだから止めてあげて」

 

「あ、ごめんなさい。ねぇ、ミサキちゃん、まどかちゃーん! 二人がこまってるみたいだからやめてあげてー!」

 

 そうして二人に注意をし、ハジメ達に謝ったのを見ると香織は再度雫の方に顔を向けた。二人がごめんね、と一度謝った後、再度話を振る。

 

「でもさ、天之河くんも八重樫さんもそうだけど、坂上くんもすごいよね。ケガをしても二人のためにがんばったんだから」

 

「確かにな。俺と雫のために体を張ってくれたんだ。そのことを忘れたつもりは一度もないよ」

 

「そうね。龍太郎君が頑張ってくれなかったらこ、光輝……君といっしょになれなかったから」

 

「さ、三人ともやめてくれよ……なんだか体がむずがゆくなっちまう」

 

 べた褒めされた龍太郎はそっぽを向いて赤くなった頬をかいた。親しい仲である光輝と雫ならばおうよと返すだけで終わったのだろうが、まだ知り合って日が浅い美少女に屈託のない笑顔で褒められれば龍太郎も気恥ずかしさに耐えられなかった。

 

 なおこの時『裏切ったな龍太郎めぇ……』と心底恨めし気につぶやいた誰かの声に香織は気づいていない。

 

「え? だってすごいと思うよ。いくら悪い子でも親しくしてた女の子をたたいたりしないで止めたんだもの。坂上くんがその子達を止めなかったら天之河くんと八重樫さんはつき合うこともきっと出来なかったと思うし」

 

「ま、まぁ必死だったからな。さすがに三人がかりだったからそんな余裕もなかったっていうかよ……」

 

「だからだよ。それでも暴力を振るわなかったんだからすごいと思うな」

 

「だぁーっ! たのむからやめてくれ!! 頭がおかしくなっちまいそうだ!!」

 

 しかし香織は龍太郎が頬を染めても気づかずに追い打ちをかけ、それに耐えられなくなった龍太郎はたまらず大声を上げる。

 

「し、白崎さん。あんまり龍太郎をからかう、というか、持ち上げるのは、その……」

 

「りゅ、龍太郎君もこまってるし、それぐらいで……」

 

「? 私、からかってなんかいないよ? 坂上くんがすごいと思ったからそれをちゃんと伝えただけなんだけど」

 

 そこで光輝と雫が香織を止めにかかろうとするが、当の本人は気づく素振りすらない。そのため龍太郎はうめき声を上げながら悶えてしまい、気配が濃くなった浩介を見つけてしまった子達はいきなり現れた彼に対してギョッとする。

 

「し、白崎さんも、その、あまり顔を合わせない親せきとかにいきなりほめられたらビックリしないか? りゅ、龍太郎は今そういう状態で――」

 

「えーっと……うれしい、かな。みんなはそうじゃないの?」

 

「……なぁ、龍太郎。白崎さんはああいう人だったみたいだ。だから、その……うん」

 

「え、えっとね……龍太郎君、ひどいこと言ってるのは私もわかってるけど、あんまり白崎さんの言うことを真に受けなくてもいいと思う」

 

「もうっ、二人ともひどいよ! 私が坂上くんをそんなにほめるのがイヤなの!?」

 

 それでも、とどうにかしようと光輝が知恵を絞って出した質問はあっさりと玉砕してしまった。ダメだ、話が通じないと察した光輝と雫はため息を吐くと龍太郎に声をかけるも、その言葉に心外であった香織がぷりぷりと怒りながら反論してくる。二人は頭を抱えてしまった。

 

 それをおかしく思った香織だったが、何とも言えない様子で自分らを見ていた恵里やミサキらにどうしてか問いかけても目をそらされるばかり。結局自分が何をやったのかわからぬまま、この日の昼休みは終わってしまったのであった。

 

 なお浩介は光輝に声をかけてもらうまですすり泣いていた。

 

 

 

 

 

 こうして恵里だけでなく、ハジメや龍太郎らとも友人になった香織はちょくちょく彼らと行動を共にするようになった。

 

 テストの結果がどうだったかを話し合った時は相手にふさわしい人間になろうと努力している光輝とハジメがいい勝負をしていたり、恵里が勉強ができる子であることを再認識するなどといったことがあった。

 

 また夏休みのことについて聞かれた際、恵里達が全員で一緒にプールに行くかだの旅行でもするかだのといったことを話し合っていたが、香織以外の都合がついた日が里帰りの時であったため、お互いがっかりしたりもした。とはいえそれ以外は割と自由が利いたため、都合がいい日は全員で一緒に遊ぶことになった……それを話した智一はどうしてか渋い顔をし、それを薫子が少し怖い顔で見つめていたが。

 

 そうして時は過ぎ、秋も中頃を迎えた辺りのことであった。文化祭を翌日に控え、この日の帰りもミサキらも連れて恵里達と一緒に帰っていたのだが、そこであることを友人のまどかが口にする。

 

「そういえば明日、文化祭だけどさ、恵里ちゃんは南雲君と鈴ちゃん、八重樫さんは天之河君と一緒に学校を回るんだよね?」

 

 その一言に、名前を呼ばれた五人はお互い意識している相手に視線を向けた。そして全員が恥ずかし気に目をそらし、龍太郎と浩介が納得したようなどこか達観したような様子を見せる。と、そこでまどかの発言の真意に気づいた香織の口からある言葉が出てきた。

 

「えっと、好きな人同士で学校を歩くんだよね? それって、もしかすると……デート、ってこと?」

 

 確認するようにそれを言うとまどかはうなづき、ミサキもいい笑顔を浮かべながら顔を真っ赤にしたハジメに声をかけてきた。

 

「幸せ者だね南雲く~ん。恵里ちゃんと谷口さんに好かれてさー」

 

「き、桐生さん! へ、変なこと言わないでくださいっ! ほ、ほら、恵里ちゃん。鈴ちゃんも。桐生さんに言いかえ――」

 

 ニヤつきながら言ってくるミサキにハジメは顔を真っ赤にしながら怒るのだが、恥ずかしさが前面に出ているためか今一つ怖さを感じない。

 

 どうにか恵里と鈴と一緒に色々と言おうとしたのだが、恵里は無言でいきなりハジメの腕を絡めてきた。泡を食っているハジメをよそに鈴もまたもう片方の手を繋いでハジメの方を見やれば香織ら三人は黄色い声を上げた。

 

「やだもう南雲君モテモテじゃない! これってやっぱり二人と一緒にデート確定だよね!!」

 

「か、香織はどっち見るの!? わ、私は八重樫さんのほう!!」

 

「や、やっぱり恵里ちゃんの方! 雫ちゃんの方も気になるけど、昔から追ってきたし、こっちの方がすっごい気になるから!」

 

 当事者をガン無視しながら盛り上がる三人を見ながら光輝と雫は大きくため息を吐き、ハジメは二人に無言で見つめられて何も言えない。相変わらずデートや色恋のことになるとこうして野次馬根性を発揮する三人に、二組のカップルはまたしても振り回される羽目に遭った。

 

「え、えっと……よろしく、おねがいします」

 

「いや、その……こちらこそ、よろしくな。雫」

 

 とはいえ、そばにいるだけで割と満足してしまう光輝と雫に関してはありがたい起爆剤ではあったため、“自分達に限るのなら”それを止めようという気はなく。

 

「ぼ、僕は、その……」

 

「ぼ、ボクは……鈴と一緒でもまぁ、許してあげるから。ちゃんと感謝してよね」

 

「鈴は……鈴はハジメくんといっしょにいたい。けど、恵里ならいっしょでも、いいよ」

 

 ハジメは自分に好意を向けてくれる二人に意識を割いているため、そもそもアレコレ言う時間がない。キャーキャー言ってるあの三人に思うところがないわけではないのだが、冷やかしでなく純粋に自分たちの恋愛を応援してくれてる――それがどういった結末であれ、である――というのもあって中々言い出せないのだ。

 

「桐生さん。田山さん。俺と雫はいいけど、あまりハジメ達をからかうなって言っただろう? また顔を真っ赤にしてるじゃないか」

 

「あ、いけない……ごめんね、三人とも」

 

「まーたやっちゃった……南雲君も恵里ちゃんも谷口さんもごめん」

 

「あぅ、やっちゃった……ホントにごめんね?」

 

 それ以上にこうして光輝か雫がたしなめてくれるため、そもそも自分から言い出さなくて済むのが大きかった。なんせ二人がしっかり代弁してくれるし、やり過ぎたらちゃんと謝ってくれるのだから。

 

「あはは……また恵里ちゃんと鈴ちゃんがおかしくなっちゃうからやめて――痛いいたい痛いっ!?」

 

「か、香織達が悪いのはわかってるけど、ボクは全然おかしくなんてなってないからね!!」

 

「す、鈴もぜんぜんおかしくなってないよ! い、いつかハジメくんとデートしたいって思ってたから!」

 

 これでちょくちょく暴走しなければ、と思いつつもハジメ達は今回も許す……というよりかは恵里と鈴の二人がほぼ毎回あーだこーだ言うためお流れになるのだ。またしてもギャースカ言い出した二人を見て香織は思う。

 

(三人とも楽しそう――私も、好きな人が出来たらああなるのかな?)

 

 好きだからこそ見て欲しい。構って欲しい。自分にはまだ縁のないその願望が自分にも芽生えるのだろうかと考えながら、三人を見つめる。

 

「あー、そういやよ。白崎達はどうするんだ? やっぱり三人で回るのか?」

 

 しかし香織が物思いにふけっていたところで急に龍太郎が話しかけてくる。一体どうしたのかと首をかしげると、軽い呆れのこもった眼差しでこちらを見てきた。

 

「いや、な。お前らほっといたら絶対光輝とハジメを追っかけるだろ? だったらせめてあいつらの後ろであんまりキャーキャー言わないでくれって思ってよ」

 

 その言葉に三人はああ、と納得した様子を見せ、それを確認した龍太郎はため息を吐いた。

 

 実害を出さないのと、こういう事に三人とも首を突っ込む性分なのを龍太郎も理解していたため、今回も香織達を止めるのは諦めて注意だけしようとしていたのだ。

 

「だったら俺と龍太郎とで一緒に見てればいいんじゃないか? あんまりデカい声出さないようにさ」

 

 そこで幾らか気配が濃くなった浩介が口を提案をしてくる。遠藤の気配に気づいていた龍太郎は一瞬目を見開くも、いい案だと思って香織達に視線を向ける。そして向けられた三人は『あ、遠藤君いたんだ』と思いつつ、それなら恵里達に迷惑をかけないかもしれないと考えて首を縦に振った。

 

「んじゃ、決まりだな。あんまりやかましくするなら俺と浩介で引きずってくから覚悟しとけよー」

 

「えーっと……やさしく、お願いします」

 

 自分たちが恵里達を見て騒ぐ姿が容易に想像出来た香織は、苦笑いを浮かべながら龍太郎に返事をする。そうして文化祭についての話し合いは終わり、いつものように漫画や今日のことなどを話し合うのであった。

 

 

 

 

 

 そして文化祭当日。二組のカップルの後ろを香織ら五人が歩いていく。恵里や雫の一挙手一投足に声をどうにか抑えながらも三人はキャーキャー言いながらながめつつ、龍太郎、浩介と一緒に展示物の飾られている教室を回る。

 

「こうして歩いていると、美術館でデートしてるみたいだね」

 

「あ、あぁ。確かにな。俺はそういうのの良い悪いなんてわからねぇけど白崎はどう、なんだ?」

 

「うーん、文化祭の絵とかだったらまだわかるけれど、美術館は行ったことがないし、私も絵の良さはわからないかも」

 

 友人であるミサキとまどかは終始注目しているカップルに視線を注いでいたものの、香織の方は時折龍太郎へと話しかけていた。基本は恵里らの動きに注視しているが、特に大きな動きがない時やミサキ達と話すことがない場合は何とはなしにしていたのである。

 

「……なあ、白崎。別に俺に話しかけなくても、桐生と田山と話してりゃいいじゃねぇか。そっちの方が盛り上がるんじゃねぇか?」

 

 ただ、龍太郎の方は平常心を保てるかというとそうでもなかった。学校内でも指折りの美少女に隔意なく、むしろ親し気に話しかけられているのに耐えられる男子はそういないだろう。野次馬っぷりを発揮している時に注意するならともかく、普通に接するのは龍太郎にとって中々に難しかった。

 

 しかも自分に憧れを抱いていると公言し、普段から親し気に話しかけてくれるのだから、もしや自分の事を好きではないかと龍太郎は考えていた。そのため今の彼は平常心を保つことはおろか、じっと顔を合わせることも無理であった。

 

 友のために体を張れる勇敢さはあるがまだ年頃の少年であり、ウブな龍太郎では時折視線をそらしながら受け答えするのが精一杯であった。

 

「ミサキちゃんとまどかちゃんともお話ししたいけど、龍太郎くんとだってお話ししたいよ。お友達なんだから。それじゃあダメなの?」

 

「あ、あー……そう、か」

 

 しかし香織は香織でそんな龍太郎の機微に気づくこともなく。友達、という言葉に少し気落ちした様子の彼にも気づかずに視線を向けるばかり。するとここでミサキとまどかが香織に声をかけてくる。

 

「ね、ねぇ香織。そこら辺にしといてあげたら?」

 

「坂上君ちょっと傷ついてるみたいだし、あんまり振り回しちゃダメだって」

 

「あれ? ねぇ龍太郎くん。私、何かひどいことしちゃった?」

 

 他の人の迷惑になるからと理由をかこつけて恵里と鈴がハジメに密着していたり、今度は美術館にデートをしに行かないかと提案する光輝に頬を染める雫の様子などを二人は飽きずにじっと見ていたのだが、香織が全然乗ってこなかったことに気づいて振り向き、龍太郎が気落ちした様子に気づいたのである。

 

 なお結果として龍太郎の気分は余計に沈みこんだが。浩介は無言で彼の肩に手を置いた。

 

「香織? そういうのって普通恵里ちゃんと南雲君や八重樫さんと天之河君みたいな恋人とすることだよね? だから、えっと……」

 

「す、好きなんだよね! 香織は坂上君のこと。だから、えっと、そういう風にしたっていうか……」

 

「うん、好きだよ。友達としてだけど」

 

 二人は各々別方向から龍太郎をいたわったり慰めようとするものの、何のためらいもなく香織はそれをぶち壊してきた。龍太郎は泣いた。

 

「さ、坂上君ごめんね! ウチの香織がニブチンで!」

 

「香織、そういうの流石に友達としても見逃せないと思うの。見てみなさい坂上君を。えぐえぐ泣いてるじゃない」

 

「えっ!? なんで!? わ、私、そんなにひどいことしちゃったの!?……よ、よくわからないけどごめんなさい!!」

 

 何か酷いことをしたらしいのには流石に気づけたものの、それに全然心当たりはなく。かといって何もしないのはよくないと思った香織は龍太郎に頭を下げる。

 

 フラれるって辛ぇな、と漏らす龍太郎に浩介は黙って胸を貸す。そして彼らの異変に気づいた恵里達もまた戻ってきて話を聞き、そろって頭を抱えるのであった。

 

 

 

 

 

 更に時は過ぎ、クリスマス当日。よそ行きの格好に身を包んだ白崎一家はパーティーで貸し切りになった店舗へと足を運んでいる。

 

 こういう催しには気が引けたのかミサキとまどかは今回は参加を見送っており、それが少しだけ心残りであった。とはいえ二人から自分たちの分まで楽しんできて、と言ってくれたし、みんなから是非とも参加してほしいと言われたことはとても嬉しかったため、この会を見送る気は香織にはなかったが。

 

「どういうお店かしらね。洋食屋、だとは聞いていたけれど」

 

「よくひいきにしている雰囲気のいいお店、だとは聞いているけれどね」

 

 初めてお呼ばれした事もあってか智一、薫子は軽く緊張しており、それを紛らわそうとこれからいくお店についてアレコレ話をしている。

 

 無言のまま父と手を繋ぎながら歩いている香織もまた少なからず緊張していた。

 

 友達の家には一通り行っており、彼らの家族の顔も全員知っている。しかし、こういった大人数で行うパーティーに関しては初めてであったため、そこそこの不安とちょっとの好奇心で胸がいっぱいであった。

 

 そうして胸をドキドキさせながら両親と一緒に歩く事しばし。ようやく目的地である洋食店『ウィステリア』が視界に入ると、ハジメらしき大人しそうな少年とその側にいた両親と思しき一組の男女が手招きをする。それに気づいた香織はすぐに手を振り返し、父を見上げる。顔を上げた香織に向けてうなづいた両親はそのまま歩き続け、既に待っていた皆の近くまで来てからあいさつをした。

 

「今回は私達をこのような場に招いていただき、ありがとうございます。私が香織の父である白崎智一で、こちらは――」

 

「はじめまして。妻の薫子です。今後ともよろしくお願いしますね」

 

 そして店の近くで立っていた恵里達の両親に親子揃って頭を下げると、智一と薫子が揃って自己紹介をする。掴みは良かったようで、柔らかい表情で親達は見つめていた。

 

「どうもよろしく。智一さん、薫子さん。それじゃあ詳しい紹介は中に入ってから、ってことで」

 

「そうね。みんな外で待ってたから少し体も冷えたでしょうし、温かいものでも頼みましょう」

 

 相変わらずテンションが高めの南雲夫妻が先陣を切って店に入り、その後を追うようにハジメが恵里と鈴の手を引いて入っていく。エスコートするように雫の一方後ろを歩く光輝に、彼らの親達が明るい表情で店へ向かう。

 

「おう、白崎。入ろうぜ。俺もちょっと体が冷えてきちまった」

 

 その光景に心を奪われていると、龍太郎が声をかけてきた。自覚なく龍太郎を振った後、しばしギクシャクしてたのだがここ最近ようやく吹っ切れたようで、今は彼らしいニカッとした笑顔で香織を誘っている。

 

「ハッハッハ。坂上君、君に言われるまでもなくこれから入るつもりだったからお・き・づ・か・い・な・く」

 

「あ、さいですか。んじゃ、先入ってるぜ」

 

 何故か智一が張り合ってきたものの、何度か顔を合わせているため『ああ、またか』と適当に流しながら龍太郎は浩介と一緒に入っていく。敵意を露にした父の姿を見てちょっとへそを曲げた香織は頬を膨らませて抗議した。

 

「もう、お父さん! 龍太郎くんに意地悪しないで!」

 

「い、いや、香織。いくら香織が天使のように優しいからってあんなガサツそうな子なんかに――ひぃっ!?」

 

「――あなた? むやみに香織の友達をにらんだり、あまり皆さんをお待たせするのは失礼だと思いませんか?」

 

 背中に何かおぞましいものが見える薫子に脅され……もとい、諭された智一は二人にひたすら平謝りしながら店へと向かう。香織もそんな両親の後をついていく――小さくなった不安と、大きくなった期待に胸を膨らませながら。

 

 出てくる料理に舌鼓を打ち、新たに増えた女の子の友達と一緒に皆と賑やかな時間を過ごす。願わくばこんな日々がずっと続きますように、と夜空に瞬く星を見ながら香織は願った。




ハジメに関心がなくてなおかつ他に関心があったり尊敬できたりする相手がいたらきっとこうなると思うんです(本日の言い訳)


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十六話 馴染み過ぎた喧騒、捨て難くなった関係

それでは定例の皆様への感謝のあいさつを。
おかげさまでUAは30000間近、お気に入りの件数も360件(2021/7/11 17:38現在)にまで到達しました。誠にありがとうございます。まだトータスが遠い拙作にこうして付き合ってくださる皆様には頭が上がりません。

また唄寧さん、ふぉるとうなさんも自分の作品を評価してくださり、本当にありがとうございます。また生きる糧をいただきました。

それでは本編をどうぞ。今回は日常回です。


 午前五時半。ジリジリとした夏の強い日差しも今ばかりは少しだけ柔らかくなって部屋に差し込んでくれる。少し熱くなった部屋を目覚ましのけたたましいアラームが鳴り響けば、それを止めようと恵里の手が宙をさまよう。

 

 小五に上がり、この時間に起きるのがもう習慣づいてはいたものの、スッキリと目を覚ますことは未だなく寝返りを打つこと数回。ようやく意識がはっきりした恵里はしっかりと目覚ましのスイッチを押し、頭を何度かかいてから嫌々ながら布団を今日も抜け出していく。

 

 今では着慣れたジャージをクローゼットから取り出して袖を通すと、洗面台へと向かい、寝癖を直してから髪の毛をいつものポニーテールにまとめていく。煩わしいと思っていた時期もあった長い髪ではあったが、今となってはあまり難しいものでなければセットするのも手入れするのもそう面倒ではなくなっていた。

 

「……うん。これでいいかな」

 

 どこか変なところがないか何度か鏡を見て確認し、特にないと判断すると朝食を食べることもなく恵里は玄関へと向かっていく。すると寝起きで髪が少し乱れた様子のパジャマ姿の幸がこちらに来た。

 

「おはよう、恵里。今日も早いわね」

 

「おはようお母さん。うん、じゃあ行ってくるね」

 

 どうやら今日はメモを残して行く必要はないらしい。手間が省けたことに心の中で感謝しつつ、恵里は普段使いのものとは別に買ったランニングシューズを履いて家を出ていく。

 

 駆け足で近くの公園へ向かえば運動着に着替えたハジメ達が既に簡単なストレッチをしている。いつもなら五、六番目ぐらいに着くのだが、今回は七番目と()()()()()()だったようだ。

 

「あ、来たね恵里ちゃん」

 

「遅いよー、恵里」

 

「確かにいつもよりは遅いな。やっぱりペースはもう少し落とした方が良かったかな、恵里……さん」

 

「うん、待たせてごめんね。それと、今のままでいいから光輝くん」

 

 ニコニコしながら出迎えてくれたハジメ。ちょっと頬を膨らませてブーたれた鈴。一瞬思案すると定着してしまった日課について提案をしてくる光輝。頭を下げて彼らにわびつつ、かつ呼び捨てにしようとした光輝をにらんで止めさせる。

 

「この前からペース早めたのが体にきてるかもしれないわね。無理はしないでね」

 

「雫の言う通りだ。ま、キツかったら何時でも言えよ」

 

「俺達はもう慣れっこだけど、中村やハジメ達はまだ厳しいだろうからな。ホント無理するなよ」

 

「無理そうならちゃんと言うから心配しないで。それにもう()()もやってるし、大丈夫だよ」

 

 雫と龍太郎、浩介から気遣われるも、心配性な彼らに恵里は手をひらひらさせながら答えた。

 

 こうして早朝にわざわざ公園に来たのもちゃんとした理由があった。武術を修めている四人のランニングに付き合ってダイエットするためである。事の発端は去年、小学四年生の時のホワイトデーであった。

 

 三年生のバレンタイン以降、お互い好きな相手が気に入ってくれそうな物を渡そうと菓子作りにのめり込んだ恵里、鈴、ハジメ。三人は日ごろから暇を見つけてはバレンタインまたはホワイトデーのために作るものを試作していた。その成果を遊びに来た友達に振舞ったり味見を繰り返した結果、お腹周りに肉がついてしまって服が少しキツくなってしまったのである。

 

 武術を修めていた光輝ら四人は、遊びに来た際に幾らか頂いていた程度で食べ過ぎたら運動で調節できるためさしたる影響もなかったものの、特にこれといった運動もそういう習い事もしてなかった三人はそうもいかなかった。

 

 当時はハジメは太ったことをそこまで気にしておらず、恵里と鈴も両親や女子~ズから言及されていたものの『これはあくまで成長期だから問題ない』とそろって現実逃避していた。しかし、例のホワイトデーの日にこのままではメタボ一直線だと雫とある人物に指摘された結果、『太っているより痩せてる方がカッコいいよ』と鈴と一緒にハジメを説き伏せ、早朝のランニングを日課にしていた四人に何度も頭を下げて自分たちも付き合わせてほしいと頼み込んだのである。

 

 当初はかなりペースを落としていた四人にヒィヒィ言いながら追いすがっていたものの、かれこれ一年以上も続けた結果、体型もある程度締まり、幾らかペースを落とした四人とどうにか一緒に走れる程度には体力がついたのである……それでも本気のペースの彼らにはあっさりと突き放されてしまうが。光輝ら四人は恵里達が帰った後でランニングを続けたり、道場の朝練に入ったりしている。

 

 ちなみに恵里達の親は光輝ら四人が三人のわがままに付き合ってくれたことに大いに感謝している。中村、谷口両夫妻は体の事を考えて注意しようか迷っていたものの、相手の事を思いながらとても楽しそうに菓子作りにいそしんでいたために言いづらかったのである。愁と菫はほどほどにしなさいと何度かハジメに注意した程度だったが、一切気にかけていなかった訳ではなかったため、事あるごとに四人を持ち上げたりしている。

 

「ご、ごめんね、みんな。待った?」

 

 そうして思いを馳せながら皆と一緒にストレッチをしていると、ようやく最後の一人――香織がやって来た。

 

 あのホワイトデーの時に雫と一緒に恵里らに容赦なく事実を突きつけたその人であり、恵里達が四人と一緒にランニングを始めてからひと月後に自分もやりたいと言い出して参加した友人である。ちなみにミサキとまどかに関しては『朝から面倒くさい』、『疲れるからやだ』といった理由で不参加である。

 

「いや、そんなに待ってないから気にしなくて構わないよ。じゃあ皆、香織のストレッチが終わってから走ろうか」

 

 光輝が声をかければ恵里達はそれにうなづくなり、いいよと返すなりしてそれを承諾する。集合場所となっているこの公園から家が少し遠いのもあって、香織が来るのが基本遅いのは皆わかっている。集合場所を変えようかと言ってみても香織がそれを嫌がったため、むしろ初めは気遣ったぐらいだ。今はもう誰も大して気にしてはおらず、今日もいつも通りストレッチをして準備をしていく。

 

「そろそろいいんじゃねぇか?」

 

「白崎も体がほぐれただろうし、もう大丈夫だろ」

 

「大丈夫そうね。それじゃ皆、今日も頑張りましょ」

 

 龍太郎、浩介が確認を取ると香織を含めた全員が同意を示した。それを確認した雫が音頭を取ると、今日も恵里達はラジオ体操前の朝のランニングに勤しむのであった。

 

 

 

 

 

 竹刀の打ち合う音が会場に響き渡り、一進一退の攻防が続く。面を狙っての振り下ろし、胴打ち、小手への一撃、それらを光輝と向かい合う相手はいなし、鍔迫り合いに持ち込み、そして離れる。夏の強い日差しが差し込むこともあってか会場の熱気は青天井となっていた。

 

「めぇーん!」

 

 上段からの振り下ろしを防いで一度鍔迫り合いに持ち込み、すぐさま仕切り直しを狙う光輝。そして一度審判から声をかけられて距離を取ると、つかず離れずの位置で構え、相手の動きを誘った。

 

 相手もまたそれを理解していたものの、残り時間はもうわずかしかない。光輝が有効を一度取っているため、これを覆すには仕掛けるしかない。焦った少年は一気に踏み込んで勝負を決めようとする。

 

「めぇー――」

 

「どぉーうっ!」

 

 ――それを待っていた。光輝も相手の動きを見るや自身も踏み込んで横から一気に振り抜く。

 

 審判の旗が上がり、試合の幕が下りる。互いに向き合い、礼をして静かに立ち去る二人。控え室に続く通路まで来た光輝は表情を変えることなく、ただ左手をグッと握った。

 

 

 

 

 

「では光輝君、雫ちゃんの優勝を祝して、それと龍太郎君の健闘を祈って――カンパーイ!」

 

 かんぱーい、と貸し切られたウィステリアで二人の心からの健闘を讃える声が、近いうちに試合をする少年の勝利を祈る声がグラスの打ち合う音と共に響く。

 

「おつかれ、光輝」

 

「ありがとう龍太郎。試合、がんばれよ――っと、すまない。雫、女子の部の優勝おめでとう。すごかったよ。まだまだ俺も敵わないな」

 

「ありがとう光輝。でも光輝だってあの返しの一撃はすごかったわ。私だってそう簡単に出来ないもの」

 

 裏表のない笑顔で龍太郎からねぎらわれれば、光輝もそれに落ち着いた様子で返し、自分もまた雫の健闘を祝福して遠慮なく褒めちぎる。つい最近それに少しだけ慣れた雫も照れ笑いを浮かべながら光輝にすごいと伝える。

 

「俺は空手に関しては素人だからよくわからないけど、前に見せてもらった型を見る限りはきっと大丈夫さ。優勝以外ありえないよ」

 

「私もそこは()()くわしくないけど、おじいちゃんから太鼓判を押されてる龍太郎君ならきっと大丈夫よ」

 

「ありがとな、二人とも。んじゃま、期待に応えるためにも優勝すっしかねぇよなあ!!」

 

 三人の仲睦まじい様子は相変わらずであり、今度は二人が龍太郎のことを持ち上げ、いい気分になった龍太郎は優勝をもぎ取ってくることを大笑いしながら約束する。

 

 そんな三人を見ながらこの場に同席していた少女は、自分の家族に絡まれていた浩介にふと声をかけた。

 

「そういえば遠藤はどうして出場しなかったの? 八重樫さんのお父さんやおじいさんからけっこう褒められてるのを聞くんだけど」

 

 ある種尤もな質問をしてきたのは園部優花――ここウィステリアを経営する園部夫妻の娘であった。

 

 前々からひいきにしていた一行のことは両親から聞いていたし、貸し切りの時にたまにのぞき込んでいたこともあった。そんな彼女が彼らと関わるようになったのは一昨年、小学三年生の時のクリスマスの時である。

 

 その日も物陰からじっとながめていたのだが、うっかり物音を立てたことで雫含めた八重樫家の面々と浩介にバレてしまう。バツの悪そうな顔で姿を現すと、両親から一行のことを聞いていたことや前々からのぞきをやっていたことをバラされてひどく赤面する。そして事情を知った恵里達から呆れられたりしたものの、すぐに受け入れられて友達になったのである。

 

 そんな彼女の疑問に一同は目をそらし、浩介はあきらめと不満が多分に混じった何とも言い難い表情を浮かべる。それを見て優花は首をかしげると、鷲三が一度せき払いをしてそれに答えた。

 

「簡単に言えば勝負にならないからだ。とはいえ言葉にするよりも実際にやってみたほうが早いだろう。浩介君、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「うっ……はい」

 

 その一言に心底嫌そうな顔をする浩介であったが、通っている道場の師範からの頼みであったため、渋々()()を出すことに。すると目の前にいたはずの彼の姿があっという間に認識できなくなってしまい、優花はうろたえてしまう。

 

「ど、どういうこと!? そ、そこにいたはずなのに!」

 

 常日頃から()()存在感が薄い少年だと優花は思っていたが、今起きた事態でその認識を大きく覆された。まるで幽霊のように目の前の少年が立ち消えてしまったことに呼吸が乱れ、冷や汗が止まらなくなる。

 

「あっ、久々の浩介君の本気だ」

 

「えっ……あ、ホントだ」

 

「相変わらずスゴいよな。消えたってことすらわからせねぇしよ」

 

「いや、なんでみんな落ち着いてるのよ!? 異常事態でしょ、フツー!?」

 

 ……なお、一行からすれば割と慣れっこではあったが。それは彼の家族であっても同じであり、『浩介の薄さにまた磨きがかかったな』だの『またこうにぃが消えてる』と述べる程度で終わった。優花を除いて一番の新参である白崎家の面々が彼の姿を一瞬探したり、ちょっと戸惑いこそしたものの結局大して動じてはいない。それを見て優花は軽くパニックになった。

 

 そんな一行を見て大きく取り乱す優花をよそに彼女の両親もまた特にこれといった反応もせず、『相変わらず凄いな』だの『自動ドアが反応しない、って言ってたけど本当みたいね』だのと言い合っている。

 

 全然取り乱さない周囲にもしや自分がおかしいのではないかと優花は錯覚しかかるが、浩介と思しきすすり泣く声に驚くと同時に我に返った。そこで鷲三から止めの声がかかり、ようやく浩介を皆が認識できるようになった。

 

「あ、あれ……? 遠藤、アンタそこにいたっけ?」

 

 そしてよく見れば元居た座席に彼の姿はなく、いつの間にか近間にあった誰も使っていない席に座っていた。まさか記憶違いだろうかと目の前の現実を否定しようとするも、浩介はあっけらかんとした様子で優花の疑問に答える。

 

「あ、うん。ちょっと動いたよ。園部の言う通りだ」

 

 その一言に優花は鳥肌が立ってしまう。鷲三の言った通りこれでは勝負になんてなるはずがない。本気を出した彼ならば簡単に相手を倒せるということを嫌になるほど理解させられたからだ。

 

「さて優花さん。このように彼が本気を出せば相手を打ち倒すだけならばひどく容易い。竹刀の一撃を加える前まで気配を消していればいいからだ。しかしこれでは相手に対して失礼と言われても仕方がないし、かといってそれを封じて戦えというのも漏え……不誠実ではないかね?」

 

 そして鷲三からの言葉に優花はうなづく。一瞬聞き捨てならないことをこの老人が口走った気がしたが、優花はあえて言及しなかった。いつものようにはぐらかされるのが目に見えているからだ。

 

 そうして一行が浩介に見事な気配のなさを褒めるという公開処刑なのかどうかよくわからないことをやっているのをながめ、優花は一度コップの中のジュースを飲み干した。そして大きくため息を吐きながら恵里達に問いかける。

 

「前々から思ってたんだけど、みんなってなんていうか妙な縁っていうの? フツーに考えると変わったつながりな気がするんだけど」

 

 いきなり投げかけられた疑問に一同は首をかしげるも、優花はまた息を吐いてから疑問を投げかける。

 

「いや、だってね。どう考えても変じゃない? 勉強の出来る恵里が南雲に一目ぼれしてさ」

 

 その一言にハジメははにかみ、恵里も顔を赤くして伏し目がちになる。元はハジメと関係を持つためのただの方便でしかなかったのに、どうしてかその言葉を恵里は否定できないでいた。そんな二人を横に優花は話を続ける。

 

「それはまだわかるの。でも恵里がずっと一人ぼっちだった鈴と友達になったりしてて」

 

 言及された鈴は優花の言に苦笑いを浮かべる。今でも恵里が自分と友達になった理由を明らかにはしておらず、時折それを思い出して尋ねてみてもはぐらかされるばかりであった。とはいえ恵里が腹に一物抱えているのは鈴も理解していたし、それはもう大して気にしていない。だから鈴はそれを聞き流していた。

 

「天之河は……えーと、その」

 

「……うん、わかってる。あの時は俺が馬鹿だったのはわかってるんだ。だから園部さん、頼むからそこから先は言わないでください」

 

 以前聞いた光輝のやらかしを優花は思い出すも、流石に口に出すのははばかられたためそこで言いよどむ。それに気づいた光輝も頭をすぐに下げた。被害者である恵里が人と接するのが怖くなってもおかしくないことをやらかしたのは彼とてわかっているのだから。雫はそんな光輝にそっと寄り添い、複雑な表情で手をつなぐだけであった。

 

「園部、その辺にしてくれ。あれは止めなかった俺だって悪かったんだ。だから、その……」

 

「あ、うん。そうね、ごめんなさい二人とも……」

 

 ばつの悪い顔で頼んできた龍太郎に優花もまた頭を下げて謝意を示した。下手なことを言ってお互い溝が出来ないよう落としどころを用意してくれた龍太郎に心の中で感謝しつつ、一度せき払いをしてから優花は続きを話す。

 

「それで、天之河に坂上、雫とついでに遠藤、最後に香織が恵里以外とも友達になったはずよね」

 

 そして交友関係を結んだ順に名前を挙げればハジメ以外の男子三人が頬をひくつかせ、香織がぷんすか怒り出した。割と雑な感じで言及されたことに龍太郎と浩介がぼやき、香織は香織で『確かにそうだけどもっと色々あったよ!』と優花に言ってくる。

 

 恵里達が香織をなだめすかすのをただじっとながめながら優花は考える――ほとんど接点がなかったはずなのにこうして繋がってるなんて本当に変、と。嫌味や虚仮にしている訳ではなく、ただ純粋に奇妙な繋がりだと優花は感じる。そうしてほんの少し口角を上げながら見ていると、不意に恵里が話しかけてきた。

 

「どうしたの優花。じっとこっちを見つめてさ」

 

「いや、大したことじゃないわよ。こうして考えると大体恵里が全部つないでるなー、って思っただけ」

 

 その言葉に恵里は少し思案する。確かにハジメ、鈴、香織に関してはこちらからアクションを起こしているし、光輝ら()()は以前話を聞いた限りでは自分が原因と言えなくもない。例外は光輝たちのオマケでついてきた浩介ぐらいだろう。そんなことを考えつつ、恵里は優花に軽い皮肉をぶつけた。

 

「そんなこと言ったら優花だってそうだと思うけど。昔からこっちのこと聞いてたのに、ここ最近やっと交じってきたんだし。そっちだって妙な縁で繋がってるでしょ?」

 

「うぐっ」

 

 その一言に優花は押し黙った。

 

 恵里の言っていたことは事実であり、前からウィステリアに来る恵里達のことを優花はうらやましく感じていた。昔からの友人はいるものの、こうして家族ぐるみで親しくしているという訳ではなかったからだ。そこにどこか引け目を感じていたのだが、こうして恵里からハジメ達と同類扱いされたことで優花は動揺したのである。自分もちゃんとこういう仲になっていいのか、と。

 

「どうしたの優花? 私達のこと見てるけど?」

 

「……別に。何でもないわよ」

 

 そうして目を泳がせていると、三、四年生の辺りから一人称が自分の名前から“私”になった鈴が問いかけてくる。優花は少しだけ頬を染めてそっぽを向くと、鈴もそっかとほんの少しだけ口元を緩めるだけであった。

 

「――だからぁ! 僕としてはですね、鈴が幸せになってほしいわけでぇ!! 頼むからハジメ君が鈴をえらんでくれれば万々歳なんですよぉ!」

 

「わかる、わかりますよ貴久さん! ウチのマイエンジェルも幸せになってほしいんです! だからこそ近づくようなうす――」

 

「……あなた?」

 

「ヒィッ!? す、すいませんでした!」

 

 そこで話が途切れ、いきなり騒ぎ出した大人どもの方を見て恵里達は頬をひくつかせた。いつの間にやらできあがってしまっているのが何人かいたのである。

 

 親バカっぷりを発揮する貴久と智一をいいぞもっとやれとシラフの愁と菫が煽り立てる。ストッパーになるはずの春日は酔いつぶれてうわごとをつぶやくばかりで、暴言を吐きそうになった智一を薫子が止めに入る――背後に出現させた白夜叉の手を彼の肩に置いて。

 

 それを見てここ最近は感心してばかりの八重樫の大人共とどうにか収拾をつけようとあくせくする他の夫妻。それを見た子供たちは『ああ、またか』と形容しがたい表情になった。

 

 溜息を吐きながら恵里達は自分たちの親に声をかけ、この事態を収拾しようとしている親達を手伝うことに。そのついでに光輝は園部夫妻に今日もタクシーをお願いしますと頼み込む。今日も貸し切りになったウィステリアは騒然としているのであった。

 

 

 

 

 

「疲れたね恵里、幸。とりあえず恵里は部屋に戻って休んでなさい」

 

「そうね。これからお風呂のお湯を入れるからそれまで待っててね」

 

「うん、わかった」

 

 光輝、雫の剣道大会の打ち上げ兼、龍太郎の壮行会のつもりがとんだ乱痴気騒ぎの会場となってしまったウィステリアから自宅に帰ってきた中村一家。両親の厚意に恵里は甘えることにし、一足先に部屋へと戻っていく。

 

 酔っぱらった貴久や智一を鈴と香織と一緒になだめたり、目を覚ました春日がハジメに抱き着いて『ハジメ君がウチの子になってくれればぜんぶ解決するのになぁ~』と寝言を抜かしたりしたため引っぺがすのに悪戦苦闘したため、とっとと休みたかったのだ。

 

 部屋のドアを閉め、そのまま布団に倒れ込むと枕のそばに置いてあったP○Pが視界に入った。

 

(……どうしよう。お風呂前にちょっとやろうかな)

 

 一狩り行こうかと一瞬考えるも、疲れてクタクタの状態でやるのも面倒だと思って恵里は結局それに手を伸ばすことはなかった。代わりに部屋を見渡し、いつの間にか増えた私物に思いを馳せる。

 

(……まさかボクがゲームにのめり込むなんて思ってなかったな)

 

 きっかけは四年生になった頃のことだった。パーティーゲームやトランプなどそういった多人数向けのものは前々からやっていたものの、ゲームそのものに関してはまだ恵里は手を出していなかった。そんな時にハジメから一緒にやろうよと誘われ、()()()()()()()()()()()()()()、貯めてたお小遣いを奮発して買ったのが始まりである。

 

 昔からハジメと鈴と一緒にパーティー向けのテレビゲームをやっていたことからゲームをやることへの抵抗が低かったのもあり、協力して遊べるものを起点にあっさりとゲームにハマってしまったのだ。

 

 アクション系はそれなりであったものの、ストラテジー系のものが今は特に好きで得意である。部屋の片隅にあるカラーボックスの中にしまってある○BAのスロットには、アニメなどに出ているロボットを操作して遊ぶ某戦略ゲームのソフトが差し込まれている。今でもたまにそれをやることがあり、特に詰将棋的なミニゲームが恵里の好みであった。

 

(小説や漫画だけかと思ったら、いつの間にかゲームにまで手を出すなんて……昔のボクが見たら間違いなく驚くだろうな)

 

 最近ではゲームのやり過ぎで視力が低下してないかどうかを両親から心配され、『ゲームは一日、一時間まで』と言われる始末である。恵里としてもトータスに行った際、視力の悪さのせいで戦闘で死ぬ可能性を考慮してその言いつけには従っている。しかし、時折ハジメとの話についていけないこともあってそれを煩わしく感じることもあった。

 

「ぜんぶ、ハジメくんのせいだ……」

 

 口をとがらせながらハジメの名をつぶやくと、恵里は布団の上でコロンと転がった。

 

 本当なら自分の意のままに操っているはずだったのに、気が付けば彼にいいように転がされている気がしてならなかった。しかもそれが嫌ではないし、いつの間にか彼の存在が心の中に居座っている感じがして仕方ない。

 

(……早く明日にならないかな)

 

 明日またランニングの時にハジメと会える。今は夏休みだから学校のある日よりも長くいられる……気が付けばハジメのことばかり考えるようになってしまっていた。恵里はまたため息を吐くと今日もまたある言い訳を浮かべる――あくまでハジメくんに気に入られるためだ、と。

 

(ここまで来たならしっかり懐に入らないとね。今更つかず離れずなんて無理だろうし……うん、ボクは間違ってなんかない)

 

 誰に聞かれるでもなくその言い訳を心の中で繰り返す。母から風呂に入るよう声をかけられるまで、恵里はずっとハジメのことを考えていた。

 

 

 

 

 

「――そう。上手よ恵里ちゃん」

 

「ありがとうございます、菫おば様」

 

 菫が作業場として借りたマンションのある一室。そこで恵里はハジメと一緒に菫から絵の描き方の手ほどきを受けていた。

 

 前世? のおかげか同年代の子よりも絵が飛び抜けて上手であることがハジメを通じて伝わり、実際に文化祭などで恵里の作品を目にした菫から気に入られた。また家族ぐるみで懇意にしていたこともあってか両親まで抱き込まれ、『良かったらお世話になってみたらどうだ』と父の正則も言ってきたのである。恵里としてもハジメに気に入られるならば彼の家族も、と考えてその提案を受け入れた。

 

 こうして作業の邪魔にならない時を菫が見繕ってはハジメと一緒に呼び出され、こうして教えを乞うている。スケジュールの都合上、そう何度も顔を出すことはないにせよ、教え方が上手いためか腕前は段々と上達している。

 

「よし、じゃあ今日はここまでにしておきましょうか……ねぇ恵里ちゃん。今度良かったらトーン貼りもやってみない? 何事も経験よ?」

 

「あ、あのー……おば様?」

 

 ……何故か練習と称してベタ塗りや枠線を引くのを菫や彼女のスタッフ監修のもと手伝わされたりすることもあったが。これもきっと“南乃スミレ”流の指導なのだろう、きっと。

 

「お母さん、恵里ちゃんをアシさんみたいに使わないでよ! 恵里ちゃんだって困ってるよ!!」

 

 そんな菫からのお誘いに困惑しているとハジメが助け舟を出してくれた。それに心の中で感謝しつつ、『気が向いたらお願いします』と玉虫色の回答をしてハジメと一緒に逃げる。行先は部屋に設けられた休憩スペースであり、そこのソファーにハジメと一緒に座ると同じタイミングでホッと一息ついた。

 

「ありがとうハジメくん。助かったよ」

 

「ううん。こっちこそごめんね。僕が恵里ちゃんの絵が上手だって言わなかったら、お母さんのお手伝いに駆り出されなくて済んだのに」

 

 罪悪感でしょぼくれるハジメに恵里は首を横に振った。ここまでやらされるのは流石に予想外……ある種想像通りではあったが、それが決して嫌ではなかったからだ。

 

「別にいいよ。おば様の教え方も上手だし、よく褒めてくれるから頑張ろうって思えるし。それに――」

 

「それに?」

 

「こうしてハジメくんと一緒に色々やれるんだもの。鈴抜きで、ね。それに関しては感謝してる、かな?」

 

 ちょっといたずらっぽく笑うとハジメの顔は一瞬で茹でダコになり、すぐさま恵里から顔を背けた。そんなハジメがなんだか可愛くてクスクスと恵里が笑っていると、ハジメは少し年季の入った手提げかばんからPS○と絡まったイヤホンを取り出した。

 

「そ、そんなことより、げ、ゲームしようよ! 恵里ちゃんも持ってきたよね!?」

 

 思いっきり照れ隠しで言ってきてるハジメに、今にもニヤつきそうになるのを抑えながら恵里も自分のバッグからP○Pとイヤホンを取り出す。

 

「うん。じゃあ今日もやろっか」

 

「うん! やろう!」

 

 お互いイヤホンを差し込んでゲームを起動し、一緒にプレイする。カーテンにさえぎられた夏の強い日差しに照らされ、クーラーで冷えた部屋の中でゲームをしながら一喜一憂する二人の姿はまさに年相応の少年と少女であった。



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十七話 少女は目覚め、ようやく歩き出す

皆様のおかげで遂にUA31000オーバー、お気に入り件数も369件にまで増加しました(2021/7/9 19:40現在)。毎度毎度拙作を見てくださる皆様には頭が上がりません。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、拙作を評価していただきありがとうございました。こうして評価していただけるのは本当に励みになります。

今回ちょっと駆け足な展開になりましたがご容赦していただければ幸いです。あと劇中のコーデに違和感を感じましたら、読者の皆様の脳内で適切なものに変換していただけたら助かります。では遅くなりましたが本編をどうぞ。


「――で、半径6メートル、高さ8メートルの円柱の体積を求めるには? はい、岩田」

 

 五月。新たな年を迎え、新緑がまぶしい季節ではあったが、何の気なしに外を眺めている恵里には世界が全てがくすんでいるように見えた。

 

「えっと、底面積×高さなんで半径×半径×3.14に高さをかけます。なので――」

 

 ある出来事のせいでここ最近は授業の方も中々身に入らず、今日もまた上の空である。どうにか授業に集中しようとしてもモチベーションが下がる理由がちらついてばかりでろくに板書も進まない状況であった。

 

「うん、正解だ。ではこの円錐を求めるには?……中村、解いてみろ」

 

「――え? あ、は、はい! え、えっと……」

 

 とはいえまだため込んでいた知識がある分、問題を振られても国語以外はそれでどうにか対処は出来ていた。そのため不真面目さを理由に呼び出されたことは今のところはない。

 

「――で、そこに高さの7メートルをかけて、それに1/3をかければいいので、答えは263.76立方メートルになります」

 

「……よろしい」

 

 今回もいきなり問題を振られてもすぐに計算し、どうにかそれを答えることが出来た。そんな恵里に納得いかない様子を見せつつも先生も引き下がり、恵里もバレないよう短くため息を吐く。それからは板書しようとするも結局授業は身に入ることはなく、そのまま終了を知らせるチャイムが響く。

 

「……ハジメくん」

 

 物憂げな表情でつぶやいた言葉は誰にも届くことなく消えていった。

 

 

 

 

 

 恵里がこうなってしまったのは少し前に報道されたニュースが原因であった。恵里達の住んでいる地域を含めた区の統廃合を行ったというものである。

 

 これのせいでハジメの家の近辺が自分達とは別の区域となり、その結果ハジメだけ別の学校に通うことになってしまったのである。とはいえいきなり別の学校に通え、という訳ではなく来年度から実施するとのことだ。そのためまだハジメと一緒に帰れてはいる。

 

 だが年度が変わり、小学校を卒業してしまえばもう離れ離れになってしまう。それが頭にチラつくせいか、胸に穴が開いたような心地となり、勉強にしろゲームにしろ手につかなくなってしまったのである。

 

 そしてそれは恵里だけではなく、ハジメと鈴も同様であった。

 

 他の面々がハジメと一緒にいられなくなることを嘆かなかったわけではなかったのだが、恵里を含めた三人は特にひどかった。学校の行きも帰りも手を繋ぐのが普通になり、話をしてもどこかぎこちない。また学校でも帰り道でも別れるのにまごつくこともしばしばあり、離れる度に名残惜しそうに三人が見つめ合っているのもいつものことであった。

 

「ホント、大丈夫かよ……」

 

「こればかりは俺達が下手に手を突っ込んじゃいけないさ龍太郎。俺だって雫や龍太郎と離れることになったらと思うと、な」

 

 雫は無言で光輝の手を握る。どこかへはぐれてしまわないように身を寄せ合っているかのような恵里達三人を他の面々もただ見つめるしか出来ず、この日もどこか重い雰囲気のままの下校となった。

 

 

 

 

 

 そんなある日。今日も恵里達三人がくっつき会い、あまりしゃべらずに帰っている最中のことであった。急に香織が恵里達のところにやってきて妙なことを口走った。

 

「ねぇ恵里ちゃん、ハジメくん、鈴ちゃん。たまには三人でどこかにお出かけ――ううん、デートしてみたら?」

 

 この一言に恵里は『何言ってんだコイツ』とばかりにいぶかしみ、ハジメと鈴は唐突な提案に頭が追い付かず、間の抜けた顔をさらしてしまった。

 

「……三人で何かコソコソと話してたと思ったらミョーなこと考えてやがったか」

 

「龍太郎、多分香織も何か考えが……うん、考えがあって言ったはずだぞ。多分」

 

「香織がいきなり変なことを言ってくるのはそんなに珍しいことじゃないけど、今日は特に変わってるわね……」

 

「なあ香織、せめて言うタイミングぐらい考えろよ。ほらミサキもまどかもコイツ止めてくれよ」

 

 そしてそれは言い出した当人と昔からの友人二人以外にとっても突拍子のない発言であった。龍太郎は呆れ、光輝も半ば呆れていたもののどうにかフォローしようとし、雫が頬をひくつかせ、浩介は半目で香織を見ている。そして優花も友人の菅原妙子と宮崎奈々――二人とも小四の五月の辺りから優花と一緒に恵里達と帰るようになった――と『また香織が変なこと言ってる』と声を潜めながら言い合う始末であった。

 

 提案された三人以外が口々に言い合えば、やはり香織は不機嫌そうに頬を膨らませてすねてしまう。

 

「……私、ちゃんと考えたもん。ちゃんと相談してから言ったもん」

 

「あ、あのねみんな! 私達も恵里達が心配で、それでどうすればいいのか香織とまどかと話し合ってたの!」

 

「そうそう! ここ最近三人とも元気なかったし、それでちょっとお話ししてただけだから!!」

 

 道端の小石を蹴りながら不機嫌アピールをする香織を見て慌ててミサキとまどかもフォローに入ってくる。『だったら俺らに相談しろよ』と龍太郎が他の面々を代弁するかのように彼女らに言うも、『あんまり触れないようにしてたじゃないの』と即座にまどかに反論されて全員何も言い返せずに黙り込んでしまった。

 

「離れ離れになる前に思い出を作って、ちゃんとお話ししようよ。ずっとこのままだときっと後悔しちゃうよ?」

 

 その言葉に恵里達もうつむいてしまう。

 

 香織の言う通り、ここ最近はお互いだんまりであったのは事実であった。相手への思いばかり募ってしまって、けれども下手に口にしてしまえば離れてしまわなければならないことを改めて認識してしまう。だから手を握って、腕を絡めて、行動に移して思いを伝えてきたつもりであった。だがそれでもどこか足らないものを三人とも感じていたのである。

 

「まぁ、そうよね。ここ最近の恵里達やっぱり変だったし、いつもみたいに好きだなんだ言いなさいよ」

 

 ため息を吐きながら優花も香織の言に乗っかった。三人が家族と一緒に家の店を訪れてきたときからずっと見てきた彼女からすれば恵里と鈴が言い合いもせず、ハジメが恥ずかしがりも二人に振り回されたりもしない今の状況はやはりもどかしいものがあったのだ。それに恵里と鈴は反論しようとするも中々言葉が出て来ず、三人以外はそうだそうだとそれに同意するばかり。そこでずっと黙り込んでいたハジメがついに口を開いた。

 

「……うん、わかった。ねぇ二人とも。良かったら、その……ぼ、僕とで、でで、でー……お出かけ、しない?」

 

 龍太郎、浩介、優花はヘタレただのなんだのと小声で言い合い、それを見て今にも泣きそうになるハジメを恵里と鈴が頭をなでてなぐさめる。光輝が『結構言うのは恥ずかしいんだから止めるんだ』と三人を叱り飛ばし、雫も『言われると嬉しいけれど、口にするのって結構勇気がいるのよ』と追撃をかける。それでタジタジになっている龍太郎達を横に恵里と鈴はハジメの手を握りながら先ほどの問いかけに答える。

 

「いいよ、ハジメくん。私、ハジメくんと、で、デート……してみたい」

 

「ボクも、いいよ……デート、したいよ」

 

 二人から熱を帯びた視線と一緒に返されたハジメは顔を真っ赤にしながら首を縦に振った。それを見て無駄に盛り上がる香織達野次馬組とそれを怪しみながら見つめる他の面子をよそに、恵里達は何も言わずに見つめあうのであった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、似合ってるかな? ハジメくんに変、って言われないかな?」

 

 そして迎えたデート当日。平日と同じくらいの時間に起き、寝癖一つ残らないよう念入りに髪をとかし、幸にも見てもらったり手伝って貰ったりしながら髪型と今日着る服を見繕っていた。

 

「ハジメ君がそんなことを言うような子じゃないのは恵里が一番よくわかってるでしょ? そこまで気にしなくたっていいわ。あ、この髪型ならこっちはどうかしら?」

 

 小学校一年生の頃、ハジメ達と一緒に公園デートに行った時よりも気合の入り方も不安さも段違いであった恵里はちょくちょく幸に尋ねるも、幸は微笑みを浮かべつつ、なだめるようにして答えていく。

 

 幸の手でハーフアップにしてもらい、そして選んでもらったシャツワンピースに袖を通していく。姿見を何度も見てどこか変じゃないかどうか、似合っているかどうか幸に尋ねるも『大丈夫』、『似合ってるんだから自信を持ちなさい』と返されるばかり。

 

「もう、本当に恵里ったら……ほら、もうそろそろ時間よ。間に合わなくなっちゃうわ」

 

「えっ……? い、行ってくる!」

 

 最近新調したショルダーバッグを肩にかけ、まだ拭い去れない不安に苛まれながらも恵里は急いで家を出ていく。途中、カーブミラーを見てどこか変なところがないかをチェックしつつ、待ち合わせ場所であるいつもの公園へと向かった。

 

 するとシャツとジーンズの普段通りのラフな恰好をしたハジメが公園の入り口でそわそわした様子で辺りをながめており、時折公園内にある時計にまで視線が向けられていた。そんな様子の彼がなんだかおかしくて、どうしてかちょっとだけ安心出来た恵里は笑みを浮かべながら彼の許へと向かう。

 

「おはよう、ハジメくん。ちょっと待った?」

 

「え、恵里ちゃ……ん。え、えっと、その……」

 

 目をそらし、頬を赤く染めて言葉に詰まってしまった様子のハジメを見て、ようやく恵里は心の底から安心した。あの女(母親)が言った通り、ハジメが今の自分の恰好を見て嫌うことなんてなかった。むしろ今の姿を見てドギマギしてくれているのだから大成功と言えるだろう。

 

「ハジメくん、どう? 似合ってる?」

 

 すっかりいつもの調子を取り戻せた恵里は右に左にくるりと回っては見せつけ、恥ずかしながらもチラチラと見てくるハジメを見てとても得意げになった。

 

(ありがとう! 今この時以上にお母さんに感謝したくなったことなんてない!! 良かった! 信じて良かった!)

 

 興奮冷めやらぬまま、恵里はハジメの腕に思いっきり抱き着き、満面の笑みを浮かべながら彼の腕の感触を楽しむ。

 

「え、恵里ちゃん……そ、その、う、腕に、む、胸が…」

 

 しかしハジメはハジメで今にもぶっ倒れそうであった。彼の言う通り、今その腕にはここ数年で存在感を放つようになってきた膨らみが当たっているのである。流石に最初にやられた時よりはどうにか我慢が出来ているのだが、このままではまた鼻血を両の穴から勢いよく垂れ流して卒倒するだろう。流石にそれは不味いと考えた恵里は胸が離れる程度に手を緩めると、どこかからじっとりとした視線を感じた。

 

「また恵里が抜け駆けしてる……ズルい。いつもズルいよ」

 

 視線を感じた方を向けば案の定、鈴の姿があった。七分丈のトップスにフレアスカートを履き、いつものおさげでなくトロワツイストにしておりいつもと雰囲気が違う。とはいえ今不機嫌になっている鈴は恵里がハジメにちょっかいを出した時と変わらなかったが。

 

「まぁ、それはね。ボク……じゃなかった。私の恰好を見てドキドキしてくれたんだから、“ちょっとぐらい”テンションだって上がるって、ねぇ?」

 

「ふーん……ねぇハジメくん。私はどう、なの? ドキドキ、する?」

 

「え、えっと……」

 

 鈴の問いかけにハジメはまたしても答えられなかった。二人とも普段はもう少しラフな姿であり、ウィステリアに来るにしてもここまで気合の入った服装で来ることはなかった。今の二人の姿はハジメにとって魅力的に見えており、それをどう伝えればいいのかわからず縮こまる事しか出来ない。だがハジメのそんな様子が恵里と鈴にとっては何よりの答えであった。

 

「そっか。じゃあいいや――行こうよハジメくん。どこに連れてってくれる?」

 

「そうだね。ハジメくんのことだから、ちゃんと考えてくれただろうしね。期待してるから」

 

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 機嫌を直した二人に腕を掴まれ、サンドイッチされながらハジメは二人に最初の目的地を教えると、しょうがないと言わんばかりの、けれども楽しげな様子で彼の腕に引っ付いて歩くのであった。

 

 まず最初にたどり着いたのは昔から三人がひいきにしている本屋であった。店の自動ドアをくぐるとすぐに目に飛び込んでくるのは新刊が平積みされたスペースであり、この日も小説だけでなくレシピ本や自伝などが雑多に置かれていた。

 

「あ、『すっぴん』の新刊出てるね」

 

「あ、そういえば……『に~にゃ』の発売日だったのは覚えてたけど『すっぴん』もだったんだね」

 

 彼らの言う『すっぴん』とは『職業:すっぴんの俺の悪あがき』の略称であり、RPGでいうところの職業に恵まれなかった主人公が知恵を駆使して窮地を乗り越えて力と身分を手に入れていく、俗に言う“成り上がり系”の小説であった。

 

 その主人公の様子がどこかあの化け物(ハジメ)の姿と被ることから恵里は興味を持ち、それにつられてハジメと鈴も読むようになった作品である。それを一緒に手に取ってお互い顔を合わせると、全員がそれを持って店の中を回っていく。売り切れてしまう前に確保しておく作戦である。他に面白いものがないか立ち読みしたり、色々と言い合ったりしながら三人は本を物色していく。

 

 結局この日買ったのは『すっぴん』の新刊と『に~にゃ』などの漫画雑誌をそれぞれ一冊ずつである。途中泣く泣く諦めたものもあったが、こればかりは前にモンスターをハンティングする某ゲームを買ったときの出費がまだ後を引いていることや、これから出る漫画の単行本のことを考えた上での判断である。

 

 そうして道を歩いていると、ハジメは両脇にいる二人にあることを尋ねた。

 

「ねぇ恵里ちゃん、鈴ちゃん。本当にここで良かった? 今からでもこっそり電車に乗って水族館にでも――」

 

 ――実は当初の予定では本屋に行くのではなく、二駅離れた場所にある水族館やショッピングモールを回るはずであったのだ。それもあることが原因で取りやめになってしまったため、そのことで罪悪感を覚えていたハジメは二人に問いかける。

 

「ううん、いいよ。こっちだってお金に余裕ないし、本を持ったまま歩くのも面倒だしね。気持ちだけ受け取っとておくから」

 

「しなくていいよ。もしお父さんたちがこっそり追いかけてたらきっと止めに来るだろうし、面倒くさいもん――お父さんの馬鹿」

 

 しかし二人は首を横に振ってしまい、それ以上ハジメも何も言えなくなった。それもこれもこのデートが決まった後に起きた親~ズのバカ騒ぎが原因である。

 

 それは恵里達の雰囲気が暗いものから前の明るい感じに少しだけ戻ったことに、三人の両親が気づいたことがきっかけであった。きっと好きになった子絡みのことだろうとあたりをつけた親~ズはそれを確かめるべく尋ねてきたのである。

 

 恵里はどうにかそれを誤魔化すことに成功できたものの、うっかりハジメと鈴は口を滑らせてしまった。しかもハジメに至ってはざっくばらんであったとはいえデートプランまでしゃべってしまったのである。結果、親~ズ緊急会議が執り行われた。

 

 愁と菫は少し神経質になり過ぎだと述べたものの、親バカであった谷口夫妻が『鈴に何かあったら大変だ』と述べるばかりで、それに白崎智一も乗っかり、普通に心配していた中村夫妻もそれにうなづいてしまったため、子供たちだけで行かせるのは危険だという結論が出てしまう。ちなみに他の親は軽く呆れていた。

 

 そこで誰か付き添いで行けばいいのではないかとため息を吐きながら美耶が提案してくれたものの、誰が行くかが問題となった。そうして話し合った結果、時間の都合が出来てかつ三人のデートを邪魔せず見守ってくれる人物として霧乃に白羽の矢が立ったのである。当の霧乃に関しては二つ返事でOKを出してくれた。曰く、『最近尾行……もとい、少し暇ですので構いませんよ』とのことである。この場にいた人間は誰もその理由に深く触れることはしなかった。

 

 そしてそのことを話した結果、気まずさと恥ずかしさで遠くにお出かけする案は没になり、こうしてあまり離れていない場所でのデートと相成ったのである。なお、緊急会議の後でハジメが『遠くに行かないからやめてほしい』とお願いして親~ズ全員に伝えてもらったものの、八重樫流の技術を駆使して霧乃は今もしっかり見守ってくれている。

 

「本当にごめんね……僕がうっかりお父さんとお母さんに話しちゃったから……」

 

「ハジメくんが悪くない訳じゃないけどさ、お父さん達が過保護なのが悪いもん……そっちが悪いもん」

 

「貴久さんも結構心配性だしね。でも私はさ、昔に戻ったみたいで嫌いじゃないよ」

 

 謝るハジメに、不満を口にしつつも全部が悪い訳ではないと鈴は述べる。そして貴久のことに触れつつ、今日のコースは悪くないと恵里もフォローに回った。そんな二人にありがとう、とうつむきながら感謝を口にするとハジメは気持ちを新たに恵里と鈴の手を引っ張っていく。今自分がやるべきことは二人と一緒になって楽しむことなんだと考え直して。

 

 恵里の家に寄る前にウィステリアに寄った三人は笑顔を浮かべた園部夫妻に迎えられ、昔、三人の家族だけで予約していた時に利用していた奥の席へと案内される。

 

 今日はお昼をここで食べることを三人とも事前に家族に話しているため、恵里は軽くメニューを一瞥し、注文を取りに来た園部優理――優花の母である――に日替わりプレートを頼みこむ。するとハジメと鈴も同じものを注文し、それに意味深な笑みを浮かべながらそれを復唱した優理はその場を離れた。

 

「あ、ハジメくんは今日はタルタルソースなんだ」

 

「うん。たまにはいいかなー、って。そういえば今日は恵里ちゃんも鈴ちゃんもソースの方なんだね。恵里ちゃんタルタルソースいっぱいかける派だし、鈴ちゃんはお醤油派だったはずだけど……」

 

「……たまにはこっちにしてみたくなっただけだよ。ソースだって美味しいし」

 

 出されたプレートに載っていたエビフライに何をかけたかについて話し合ったり、付け合わせの温野菜の扱いに悩みに悩んで結局食べたり、食後のドリンクはどうするかで色々話し合ったりして楽しい時間はあっという間に過ぎていった。だからだろうか。

 

「――今がもっと続けばいいのに」

 

「――うん」

 

 そんなつぶやきが鈴の口から出てしまったのは。それに恵里がうなづいてしまったのは。楽し気にしていた会話は、そこで途切れてしまった。

 

 もう一年足らずでハジメと別れてしまう。その事がまだ受け入れがたくて、それがとても辛くて苦しくて。

 

「やだ……ハジメくんと離れたくないよ」

 

「ボクも……ボクもいやだ。どうして、どうしてなの……」

 

 今まで目を背けていたものを今一度見てしまい、鈴は鼻をすすりながら、恵里も嗚咽と共に胸の内をさらけ出していく。

 

「僕だって、いやだよ……」

 

 そしてそれはハジメも同じであった。“中村恵里”、“谷口鈴”という常にいてくれた少女たちと別れてしまう。日常から失われてしまう。それは親しい人と一緒に過ごす時間を、孤独を知ってしまったハジメにとってとてつもない恐怖であった。二人と同じ学校にいられなくなるということは考えるだに辛い未来であった。ここで二人との繋がりが途切れてしまうかもしれないという恐れがハジメの心を苛んでいたのだ。

 

「はい、注文のジンジャーエールにオレンジジュース、そしてアイスティーになります……どうしたの? 世界の終わりの日みたいな顔をしてるじゃない」

 

 そうして三人とも泣き出してしまって、マトモに会話も続けられなくなった頃に優理が三人分のドリンクを持ってやってきた。空気を読まずに三人の前に注文したドリンクを置くと、そのまま乗り出すようにして話しかけてきた。

 

「グスッ……お客さん、まだいますよ?」

 

「今いるのは常連さんか食事を終えて一息ついている人が大半よ。すぐにどうこう、ってことはまずないわ」

 

 あっち行けと言わんばかりの目つきで恵里は優理をにらむものの、まだ涙で湿っている瞳で見つめられたところで恐怖を感じる人間はそういないだろう。優理はそんな視線に尻込みすることなく、また泣き出してしまった三人にあることを尋ねる。

 

「ねぇみんな。あなた達の仲は学校が別々になったぐらいで簡単に消えちゃうものなの?」

 

「――違う!」

 

「そんなことない!」

 

「なくなりません!」

 

 投げかけられた疑問に思わず大声を上げる三人を見て優理は一層その笑みを深くした。泣いてムキになっている三人に『後で私からお客さんに謝っておくから』と告げれば、ばつの悪そうな顔を浮かべたため、順番に頭をなでる。

 

「そんなに大事に思っているなら心配なんていらないわ。ね?」

 

 最後にそう告げると優理はその場を離れていく――しばし呆然としている中、溶けた氷の音が何度か響くも、三人は出された飲み物に口をつけはしなかった。

 

「ねぇハジメくん。別の中学に行っても……ボクと、ボクと一緒にいてくれる? ずっと今のままでいてくれる?」

 

 そうして優理がいなくなり、訪れてしまった静寂を破ったのは恵里であった。しゃくりあげながら、瞳を涙で潤ませながらハジメに問いかける。

 

「うん。僕もずっと恵里ちゃんと一緒にいたい。恵里ちゃんがそばにずっといないなんて……考えられない。考えたくないから」

 

 それにハジメは恵里の顔をじっと見つめながら答えていく。嘘偽りない答えを。本心からの願いを“大切な人”に向けて言葉にしていく。

 

「ハジメくん、私も……私も、ずっと一緒にいたいよ。会えなくなるなんて、やだよ……」

 

「僕も……僕も鈴ちゃんと会えなくなるなんてつらいよ。いなくなって、ほしくない。いやだよ……」

 

 鈴もまた思いを口にし、ハジメもそれに答えていく。“一番仲がいい友達”という言葉では足らなくなってしまった“大切”な存在に。

 

「ずっと、ずっといっしょにいて……? ボク、ハジメくんとはなれたくなんてないよ。だから、だから……」

 

 しゃくりあげながら恵里はねだる。ハジメも鼻をグスグスと鳴らしながらそれに何度もうなづく。

 

「わた、しも……すずもいっしょがいい。ハジメくんがいなくなったらもう、もう……」

 

 大粒の涙を流しながら鈴も懇願する。その願いにハジメはうん、うん、と短く返事をしながら首を縦に振る。

 

「ボクは、ボクは――」

 

「すずは――」

 

 ――ハジメくんが、すきだから。

 

 偽りない思いを口にした二人はそのまま泣き出した。もう言い訳が出来なくなってしまった。自分の気持ちから逃げられなくなってしまった。目の前の少年が好きで好きで仕方がなくて、誰よりも大切なのだと自覚してしまったから。

 

「ぼくも……ぼくも、ふたりがすき。だから、だから……いなく、ならないで」

 

 そして少年も幼い頃から温め続けていた思いを今、口にする。友達に対する“好き”でなく、特別な相手に送る“好き”という言葉を。途端、恵里と鈴は身を乗り出してハジメを抱きしめる。

 

「うん……うん! ボクもすき! ハジメくんがだいすき! いなくならない、ぜったいいなくならないから!!」

 

「すずも! すずもすきだから! はなれたくない! ハジメくんとはなれるなんていやだよぉ!!」

 

「ぼくもはなれたくない!! ふたりともだいじだから! たいせつだから!! おねがい……おねがい!」

 

 三人の子供の泣き声が部屋の奥で響く。そんな彼らを心配そうに見つめる三人の少女たち(優花、妙子、奈々)の頭を優理が優しくなでる。今ここに、三人の絆は一層深く、固くなった――。

 

 

 

 

 

 今日も恵里は日課のランニングをこなし、無事に家に戻ることが出来た。

 

「ただいま、お父さん。お母さん」

 

「おかえりなさい。もうすぐご飯が用意できるけど、その前にシャワーを浴びてきなさい」

 

「うん、ありがとう」

 

「今日もお疲れ様、恵里。今日もハジメくんと話せたかい?」

 

「……うん」

 

 今日もいつも通り朝食と朝のシャワーの用意をしてくれている母に礼を言い、自分の事を気遣って言ってくれる父に頬を染めながら答えつつ、恵里は風呂場へと向かう。

 

 シャワーでさっと汗を流し、母が用意してくれたタオルで全身の水気をとり、ドライヤーで髪の毛を乾かしてジャージを洗濯かごの中に入れて部屋着に一度着替えてから自室に向かう。そして家を出る前に出しておいたセーラー服に着替えると、すぐにリビングへと向かった。

 

「授業の方はどう? ちゃんとついていけてる?」

 

「大丈夫。私がダメだったことなんてある?」

 

「確かになかったけれどね。でも、いつも学校の前に走っているから疲れは溜まってないか? もし学校で寝てるならすぐにでもやめなさい」

 

「心配しすぎだよお父さん。ちゃんとやれてるから」

 

 心配してくる両親に苦笑いを浮かべながら恵里は箸を進める。味噌汁をすすり、コショウを多めにかけた目玉焼きを全部胃の中に収め、盛られたご飯もおかずも全て食べ終えた恵里はごちそうさまと述べてから部屋へと戻っていく。今日の時間割と鞄の中身をチェックし、忘れ物がないかを確認するとそのまま鞄を持って家を出ていった。

 

「じゃあ行ってくるね。お父さん、お母さん。行ってきます」

 

 出迎えてくれた二人にあいさつをし、駆け足で通学路を行く――目的地はもちろん中学校、ではなくてハジメの家であった。

 

「あ、おはよう恵里」

 

「おはよう、鈴」

 

 今日もまた恵里は鈴と合流し、一緒にハジメの家へと向かう。あのデート以来、平日は南雲家まで行ってハジメを迎えるのもまた日課となった二人は今日も他愛のない話をしながら歩いていく。

 

「そういえばさ、あのストラップ見えないけどどうしたの? 流石にもう捨てちゃった?」

 

「まさか。腕がなくなったぐらいで迷ってた鈴と違ってボクは家でちゃんと保管してあるの。ここ最近は脆くなってきたしね――はい、これ」

 

 そうして携帯を軽くいじると、今のストラップの状況を映した写真を鈴に見せた。大切に保管しているのもあってか少しへたってる様子はあるものの、壊れてはいない――問題はちょくちょく磨いていたせいで塗装がほとんど残っていないことだが。

 

「うん、やっぱり引くよソレ……流石にハジメくんだってこうまでして持っててほしいなんて思ってないよ、絶対」

 

「うっさい。そもそもこれはボクとハジメくんと鈴とで思い出づくりのために買ったやつでしょ。それを捨てるなんてとんでもない、って」

 

 携帯をしまいながら恵里は鈴の言葉に反論する。恐ろしいことに、凄惨な状態になっている恵里のストラップをハジメや鈴が見たのはこれが初めてではない。何度かハジメから『新しいの買ってそれ捨てようよ』と言われたことがあったものの、その都度恵里が本気で泣く寸前までいくため、二人ともそれ以上言えなくなったのである。

 

 そのため年を経る毎に段々とのっぺらぼうになっていくソレを二人だけでなく、友人全員や親~ズも不気味がっていたりする。それでも捨てる気は更々ないが。

 

 そうして色々と話しているといつの間にか南雲家のすぐ近くにまで来ており、今日は恵里がインターホンを押しに行った。すると少しの間を置いて慌てた様子のハジメが出てきた。

 

「ご、ごめんね! 待った!?」

 

「大丈夫、全然待ってないから――あ、ボタンがズレてるよ」

 

「あ、ハジメくん。口の周りにおべんとついてる……はい、とれたよ」

 

「あ、ありがとう二人とも」

 

 ハジメの方は今日は大分バタついていたらしく、普段ならやらないようなボタンの掛け違いや口周りをふき忘れるといったミスも多かった。しかし二人はそんなハジメを見ても仕方ないなぁ、と言わんばかりの表情でそれを直し、ハジメもハジメで感謝を述べつつもされるがままになっている。

 

 あの一件以来、三人は変わった。

 

 恵里は二人の前で猫を被るのをやめた。むしろ素の自分を受け入れてほしいという思いが芽生え、こうして接している。流石に家族や友達の前では相変わらず猫を被っているものの、ちょくちょくメッキが剥がれることがあったため、かなり前から公然の秘密となっている。それに気づいていないのは恵里だけである。

 

 次に鈴。鈴は自分の思いを隠さなくなった。前々からハジメのことをずっと思い続けていたが、親友である恵里のことを思ってそれを押し殺し、どうにか隠そうとしていた。だがデートをした次の日に『ハジメくんは私がもらうから』と堂々と略奪宣言をしたのである。自分の思いから逃げるのをやめたのだ。

 

 対する恵里も『やれるならやってみなよ』とひどく愉快気な様子で返しており、今日に至るまでハジメの取り合いをやっている。

 

 最後にハジメであったが、覚悟を決めた。周囲にそしられることも、どちらかを悲しませることも承知の上で鈴ともつき合うことにしたのである。

 

「……ねぇ、二人とも。本当にいいの?」

 

 そんなハジメからの唐突な質問に二人は思わず首をかしげる。唾をのみ、意を決したハジメは改めて二人に問いかけた。

 

「うん。だって、その……今はいいけど、いつかは……いつかは、選ばなきゃいけ――」

 

 その先を紡ごうとしたハジメの口を、恵里と鈴は彼のくちびるに人差し指を当てることで止める。それは二人ともわかっていたことだったから。

 

「わかってる。それはわかってるよ。でも、“今”はこのままでいさせて。ね?」

 

「前に約束したでしょ。先延ばしなのはわかってるけど、このままがいいから」

 

 ウィステリアで大いに泣いた後、三人はある約束をした――相手を決めるのは高校を卒業してから、と。それを言い出したのは恵里である。

 

 こんなことを恵里が言い出したのはトータスに行くことも視野に入れてのことであった。下手に早い段階でハジメが鈴を振ってしまい、それが後でどう影響するかを危惧したからでもある。それに何より、ハジメが鈴を振ることで疎遠になってしまうのが怖かった。鈴がハジメ以外の人間と仲睦まじくしているのが想像するだに我慢できなかったのである。

 

化け物(ハジメくん)がハーレムを作ってたことに感謝する日が来るなんて、ね。ホント複雑だな……)

 

 ハジメとずっと一緒にいたい。鈴ともずっと一緒にいたい。そして三人で()()()()()()()。その思い故に恵里は答えを先延ばしにし、あわよくばトータスに行ったら適当な理由をつけて鈴と一緒に一線を越えようと画策したのである。

 

 でも、今はただ――。

 

「「ねぇ、ハジメくん」」

 

「どうしたの、二人とも――」

 

 ハジメと鈴と一緒の時間を過ごしたい。幸せに浸っていたい。ハジメの両頬に二人はキスをすると、心からの笑みを浮かべながら思いを伝える。

 

 ――大好きだよ、ハジメくん。

 

 少女たちの恋はまだ、始まったばかりだ。



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十八話 ある少年との異なる出会い

まずは遅くなってしまったお詫びを。ぶっちゃけ古戦場とサメ特攻(ワクチン的な意味で)のゾンビイベをやってたせいです(ォィ) ホントすいません。

では改めて皆様に感謝の言葉を。皆様のお陰でUAが遂に34000オーバー、お気に入り登録数も385件にまで上り、感想の件数も70件を超えました(2021/8/2 23:39現在)。同じセリフの使い回しで恐縮ですが、皆様には頭が上がりません。本当にありがとうございます。

山山山田さん、こじふせさん、ユーナさん、サバ捌きさん、拙作を評価していただき本当にありがとうございます。皆さまがこうして自分の作品を評価していただけることは感謝に堪えません。

では遅くなりましたが本編をどうぞ。
今回は後半、ある少年にちょっと多めにフォーカスされてます。


「じゃあまた放課後で」

 

「うん。またね」

 

「またね、ハジメくん」

 

 南雲家から歩いて十分足らずの交差点でハジメと別れると、恵里と鈴は今日も中学校へと向かって歩いていく。

 

「やっぱり朝のこの時間だけは憂うつだなぁ……」

 

 今日もため息を吐きながら通学路を歩く恵里に鈴もいつものように声をかけた。

 

「少しは慣れなよ、恵里。私はもう慣れたんだから。それに、いつまでもそんな調子だとハジメくんが心配するでしょ?」

 

 鈴の一言に恵里はぐぬぬと顔をしかめる。ハジメと別れることに慣れたという物言いは軽く頭に来たのだが、自分がハジメの負担になりたくないという思いもあって、マトモに言い返せないのである。

 

「お昼休みに会えなかったり、帰りがずっと一緒じゃないのが寂しいのは私だってそうだもん。それはハジメくんだってわかってるだろうし、ね?」

 

「……うん」

 

 そして鈴に見事なまでに言いくるめられてしまう。こうして鈴に言われ、落ち込んでても仕方がないと気を取り直した恵里は鈴と一緒に通学路を歩いていく。そして半ばの辺りで昔からの面々と今日も合流する。

 

「おはよう恵里……さんと鈴。ハジメの方はどうしてた?」

 

「おはよう光輝くん。今度二人が出る大会のことがちょっと気がかりだったぐらいで後は普通と変わらないよ」

 

「光輝君おはよう。そうだね。今のところ学校は上手くやれてるみたいだよ」

 

「お、そうか。なら問題ねぇか。俺らの内の誰か一人でもついていければ、って思ってたんだけど、流石はハジメか」

 

 真っ先に声をかけてきた光輝に二人は返事をすると、龍太郎のつぶやきにもうなづいて返す。

 

 そうして始まった今日の登校時のトークは面倒な小テストへの愚痴や、武術を修めている四人の最近の状況といったものであり、最近は投てきの修練に熱が入っている旨を雫と浩介から聞いた辺りで玄関の前に着いた。靴を履き替えるために一旦別れ、その後はいつものように通行の邪魔にならないようクラス毎に一列に固まった状態で話しながら歩いていく。

 

「あ、今朝はここまでね。それじゃあね、みんな」

 

 そして廊下に一番近い教室がクラスである雫とまどか、奈々はここで一同と別れることに。そうして次々とメンバーが別れていき、一番奥の教室に恵里と優花も入っていく。たまに色々と話したりするクラスメイトにあいさつをしてから席に座ると、隣の席であった優花が教科書を机にしまいがてら話しかけてきた。

 

「そういえばさ、最近はハジメとはどうなの?」

 

「どう、って普通だよ。基本三人の家でローテーションで、たまーに週末にちょっと本屋に寄ったりとか――」

 

 心配そうに問いかけてきた優花に以前と変わらない旨を伝えたものの、その当人は大きなため息を吐くばかりであった。優花がそうした理由も恵里は理解している。この宙ぶらりんな状況をいつまで続けるかについて心配しているからだ、と。

 

「……エリとスズがいいなら構わないんだけどね。やっぱりさ、ハジメの取り合いでいつか刃傷沙汰にならないか心配でさ」

 

「そこまで心配しなくったっていいよ。いつかちゃんと結論は出すから……まぁ、心配してくれてありがとう」

 

 いらぬ心配だと内心感じつつも、恵里は優花に明かせる範囲でそれに答え、こうして気遣ってくれていることに一応礼を述べた。

 

 店にそういうのを持ち込まないでよ、とため息と共に言ってきた優花にうなづいて返した辺りで始業のチャイムが鳴った。入ってきた担任と顔を合わせ、今日もまた恵里は真面目に授業に取り組むのであった。

 

 

 

 

 

 授業をこなし、昼休みに全員で集まってはとりとめのない話をして、そして帰りにハジメと合流したりして色々と話したり遊んだりする日々を過ごしていたが、ある日の帰りに唐突に光輝が頭を下げてきた。

 

「なぁ恵里、さん。それと鈴もなんだけれど、ちょっと力を貸してもらえないか?」

 

「一体どうしたの、藪から棒に。捨て猫でも拾った、ってのなら簡単で助かるけれど」

 

「光輝君がわざわざ助けを求める、って……ねぇ恵里、これってもしかして」

 

 彼が解決できないということはつまり、かなりの厄介ごとだろうと恵里は感づく。一体どんな面倒ごとを持ち込んできたんだと思いながら目で彼を見つめ、ある可能性が頭に浮かんで鈴は恵里に耳打ちをする――頭の回るハジメに相談してほしいんじゃないか、と。鈴も考えることは一緒だったらしい。

 

「いや、猫とか動物じゃなくってだな……二人に求めてるのは知恵を貸してほしいとか機転を利かせないといけないということじゃなくて、二人のオタク知識が必要なんだ」

 

「ええ。実はこの前、光輝が助けた子がいたって話したでしょ? それについてなんだけど――」

 

 鈴に耳打ちされた後、光輝の方を見てみれば何とも言えない表情でこちらを見つめており、光輝が言及したことを補足する形で雫が説明をしてくれた。

 

 以前にもみんなに話したことであったが、偶然イジメの現場を目撃した光輝と雫はお互いに協力してイジメをしていた人物を懲らしめたことがあった。それも携帯の動画でしっかり撮影した上で、である。すぐに助けずにいたことに二人とも良心が痛んだものの、動かぬ証拠を先生に見せ、イジメられていた清水という少年をどうにか救ったのである。

 

 だがイジメ自体は前々から起きていたらしく、彼を助けこそしたものの受けていた心の傷は深く、他人と接するのが怖くなって引きこもってしまった。そこで彼を助けた光輝と雫は時間を作っては彼の家まで寄って励まそうとしたものの、それが上手くいかなかったようである。

 

「何度も俺達が足を運んで、話しかけ続けてどうにか清水は心を開いてはくれたんだが……そこで八重樫流に興味を持ったんだけれど、それをあくまでイジメた奴らに報復するために利用しようとしている節が見えたんだ。それで止めさせたんだけど、その……」

 

「私達が言えた義理じゃないけれど、断ったらひどく気落ちしてね……それで、彼もハジメ君みたいにライトノベルとかゲームが好きだったみたいだから話に付き合ってみたんだけれど、私達じゃちょっと……」

 

「あー、理解できたよ。つまり重度のオタクだったから話についていけなくて、それで結局へこませたとかそういうオチなんでしょ?」

 

 事情を察した恵里に言いよどんだことを当てられた二人は気まずそうに目をそらした。どうやら図星だったらしく、二人は何も言えずうなづくのが精一杯であった。

 

「あー、それで恵里を頼ったのか。これは確かに恵里か鈴、ハジメの奴でもないと無理だろうな」

 

「そっか、そうなんだ。私達の中でそういうのに詳しいのって、確かに恵里ちゃん達三人だもんね。私も少女漫画とかだったらまだお手伝い出来たかもしれないけど」

 

 その様子を見ていち早く納得したのは龍太郎であった。それに次いで香織もまた理解を示し、他の面々も同様のリアクションをする。

 

「そういう訳なんだ。だから頼む。無理だったら俺達でどうにかするから」

 

 光輝と一緒に雫も頭を下げたため、さしもの恵里も断れなくなってしまう。()()の頼みを無碍に出来るほど今の恵里は冷淡ではなくなってしまったのだから。少し長めにため息を吐くと、恵里は二人に頭を上げるよう伝える。

 

「わかったよ――じゃあ私と鈴とでやってみるから」

 

「――そうだね。光輝君と雫の頼みだし、受けるよ」

 

 鈴と顔を見合わせ、二人の頼みを受けることにした。途端、光輝と雫は肩の荷が下りたように安堵したような表情を浮かべる。やはり自分達でやれるかどうかは相当不安だったようだ。

 

「あ、でも念のためハジメくんにも協力を頼んで――」

 

「それじゃあハジメくんに電話を――」

 

 そして二人が同時に携帯を取り出した時、互いが互いに携帯を握った手を掴んだ。

 

「ねぇ、鈴ぅ~? ボクを差し置いてハジメくんと電話するとかさぁ、ちょっと生意気だとは思わないの? ね~え?」

 

「へぇ~、恵里ってばまだ自分が安全圏にいると思ってたんだ。ハジメくんから私も“大切な人だ”って言って貰えたの覚えてるよね? だったら私がやっても文句言われる筋合いなんてないんだけど?」

 

 お互い主張するなり、激しく火花を散らせる。そして相当の剣幕で二人はにらみ合う。

 

「そういう鈴こそまだスタートラインに立っただけだってのがわからないのかな? ボクはとっくに引き離してる、ってことぐらい鈴の頭でも理解できるよねぇ~? もしかして過大評価だったぁ~?」

 

「やっぱり恵里は私がただの友達からここまで追い上げたのを忘れてるんだ。どれだけ離されててもあきらめないでついて来た私を過小評価し過ぎじゃないの? もしかして私にハジメくんの隣を譲ってくれてるのかな? だったら嬉しいんだけど」

 

「喧嘩売ってるんだね、いいよ買った」

 

「今ここでどっちが上かハッキリさせよっか。うん」

 

 またいつものように口喧嘩が始まり、周りはまたため息を吐く。

 

 “自分の方がハジメが好きだ”と互いに言い合い、お互いヒートアップこそするものの、取っ組み合いをするまでには至らない。以前取っ組み合いに至った際に止めに入った光輝と龍太郎の向こう脛を二人で蹴飛ばしてしまい、幼馴染と愛しい人を傷つけられて本気でキレた雫のカミナリとげんこつが落ちたせいである。その時の恐怖が頭にこびりついているせいで取っ組み合いは二度とやらなくなっていた。

 

 それはそれとして、恵里がアッサリ被ってた猫を捨てたり、鈴がハジメを恵里からぶん捕る気満々なのをしれっと言うのも皆にとってはいつものことでしかなかったため、動じる人間はほとんどいなかった。

 

 一度二人にやられた光輝と龍太郎は自分達の方からハジメに打診してみようと話し合ったり、香織も軽く殺気立っている二人を見て『相変わらず仲がいいね』とちょっとだけ苦笑いしながらのたまう程度。浩介やまどか、ミサキなどの他の面々は適当な話に興じるぐらいで見向きもせず、唯一優花だけが『知り合いの流血沙汰なんて勘弁よ……』と頭を抱えながらつぶやいたぐらいであった。そんな優花を既に慣れてしまった奈々と妙子は『あの二人なら多分大丈夫』と気遣い、困った様子でながめていた。

 

 自分達でなく他の子が黙って勝手に電話したことで恨みを買うだろうと考え、結局ハジメへの電話は浩介がすることになった。当然、二人は大いに機嫌を損ねたものの、恐怖で気配を全力で消した浩介を見つけることは出来ず、今回もまた雫と光輝からのお説教によって事態は収束させられるのであった。

 

 

 

 

 

「ごめんなさいね天之河君、八重樫さん。それと南雲君と中村さん、谷口さん。どうかお願いね」

 

 あの喧嘩の後、合流したハジメと一緒に清水家を訪れた恵里達を出迎えてくれたのは彼の母親であった。彼が引きこもってしまったのはやはり親としてもショックであり、わらにも縋る思いだったらしく、恵里達を連れてきた経緯を光輝と雫から話すとすぐに通してくれた。

 

 そして部屋の前まで案内してもらうと、彼の母、光輝、雫がそこから声をかける。しばらく待つと、扉を開けて部屋の主――清水幸利が顔を出してくれた。

 

「……なあ天之河、八重樫。二人には悪いんだけど、信用出来る人間なのか?」

 

「ああ。信じてくれないか、清水君」

 

 会うなり自分達が随分な扱いを受けたことに内心腹が立った恵里であったが、ハジメと鈴が自分の手を握ってくれたことでどうにか思いとどまることが出来た。

 

(言いたいことがわからない訳じゃないけど、ホント言ってくれるじゃないか。ハジメくんに感謝しなよ)

 

 とはいえ言い分を何一つ理解できない訳でもなく、握ってくれた二人の手を少しだけ強く握り返しつつ恵里は怒りをこらえる。あのうかがうような目つきからして不安や心細さが感じられたため、それ故にああいう言い方になってしまったのだろうと。それはそれとして頭に来たのだが。

 

「……さっきのはすまん、悪かった。入ってくれ」

 

 そうして恵里が腹を立ててる間も、じっとうかがうように見つめていた清水から光輝は目をそらさなかった。そのおかげか信用は得られたようであり、ドアを大きく開けて部屋に招かれる。お邪魔します、と一言告げて部屋に入れば、そこはかなり雑然としていた。

 

 無数の美少女フィギュアが並べられたガラス製のラック、壁が見えなくなるレベルで張られた美少女のポスター、本棚は、漫画やライトノベルまたはゲームの類で埋め尽くされていて、入りきらない分が部屋のあちこちにタワーを築いている。最初に招かれた頃のハジメの部屋を感じさせるような様相を懐かしみつつ、邪魔にならない場所を探していく。

 

「まぁ、適当に座ってくれ。ちょっと触れたぐらいじゃ怒らねぇよ」

 

 部屋の主である少年から促され、各々が思い思いに座る。すると恵里は目の前に積まれていた本の塔からあるものを見つけた。

 

「えっと、清水君って言ったっけ? 清水君もスパロ○やるんだ」

 

「ん……お、おぅ。そ、そうだけど、何だ?」

 

「ほら、ココ。○パロボのアンソロがあったから。やってないとちゃんと楽しめないでしょ?」

 

 恵里の言葉に反応したハジメと鈴も近くに積まれていた本をながめる。すると恵里が言ったようにス○ロボ関連の書籍が確かに積まれており、また自分たちも読んでいる少年漫画雑誌に掲載されている作品の単行本もその中にあった。するとそこで光輝と雫がハジメと鈴に小声で注意をしてきた。

 

「気をつけろハジメ、鈴。彼は結構マニアックなところを平気で突いてくるぞ」

 

「そういうのに答えられない場合はうまくかわしてね。そうでないと清水君もかわいそうだし」

 

 ハジメ達の影響で光輝達も漫画やライトノベルに手を出すようにはなっていたが、基本的に広く浅くであるため込み入った話題に関しては中々ついていけなかったりする。苦々し気に忠告したのも、ちょっとした話題になればと思って二人も似たようなことをやったためである。しかしハジメと鈴はなんてことないといった様子で首を横に振るだけであった。

 

「ありがとう光輝君、雫さん。僕達も割とコアな話で盛り上がることもあるし、大丈夫」

 

「さっき恵里と清水君の話を聞いてた感じだと私達がついていける範囲だから平気だよ。まぁ見てて」

 

 心配そうに見つめる二人をよそにハジメと鈴は、某デュミナスが造った子供たちの扱いがある作品で悪かったことでヒートアップしていた幸利とそれをうんうんとうなづいていた恵里に声をかけて話に加わった。そうして盛り上がる様子を見てこれなら大丈夫かと胸をなでおろした光輝と雫は、四人の邪魔をするのも悪いと考えて手を繋ぎながら見守ることにした。

 

「――いや、やっぱよ、サ○ファだろ○ルファ。これまでのαシリーズの集大成にふさわしいスケールのデカさとか考えるとこれが一番だって!」

 

「確かにわかる! やっぱり宇宙○獣や○ール11遊星主みたいな宇宙規模の相手との戦いとかすっごい燃えた! でも○G'sも悪くないよね? これまで出てきたスパロ○オリジナルの機体を全部使える、ってやっぱりロマンがあるでしょ! ○ルトとか、S○Xとかさ!!」

 

「ハジメくんそういうの好きだもんね。ボ……私だったらR、いやWかな。結構シナリオが面白かったし」

 

「あ、恵里も好きなんだね。私もWが好きだけどさ、Jもいいと思う」

 

 そして三十分もしない内に意気投合し、四人は盛り上がっていた。挙げた作品の良さを色々と語り合う彼らの様子を見てこの様子ならきっと自分たちがいなくても大丈夫だろうと光輝と雫は胸をなでおろす。

 

「これならきっと彼も大丈夫だな……ハジメ達がいてくれて本当に助かった」

 

「そうね。鈴やハジメ君、恵里にまた助けられたわ……ありがとう、みんな」

 

 そうして二人は四人の邪魔をしないよう、小声で今後のことについてなど話をするのであった……なお、この後幸利が『好きな参戦作品って何よ?』と口を滑らせた際に自分の好きな作品のプレゼン合戦が始まり、結局二人が心配する羽目になったのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 そうして幸利と恵里達が出会ってかれこれ半月ほど経った辺りのことであった。イジメから助けてくれた恩人である光輝と雫、そしてオタク同士話が出来る恵里、鈴、ハジメの存在のお陰で彼らが一緒にいれば外に出ることが可能になり、放課後には誰かの家で厄介になっていた。今日もまた南雲家で厄介になっていた時、幸利がボヤく。

 

「……なぁ遠藤」

 

「どうした清水。何かあったか?」

 

「いや、その、な……ズルくねぇか、南雲って」

 

 ハジメの部屋から持ってきた本をながめながら皆が思い思い過ごしていた時、ハジメの両隣にいる二人の少女を見ながら幸利は近くにいた浩介に愚痴を漏らした。浩介もまた一度ハジメの方に視線を向けると、深く、ゆっくりとうなづいて同意を示す。中学生とはいえお互い独り身であった浩介からすれば幸利の言いたいことはとてもよく理解できたからだ。

 

「だよな、だよな? いや、あんま悪口言うのもアレなのはわかってるけどよ、女の幼馴染がいて親もオタ活認めてるとかさ……マジでズルい。俺なんか兄貴と弟にたまに白い目で見られるし、俺の事認めてくれる女の子なんて幼馴染どころか中村と谷口の二人だけしか知らねぇんだけど。なんだホントアイツは。チートだチート」

 

「お、おう……いや、その、苦労してんだな、清水」

 

「全部聞こえてるんだよ。喧嘩売ってるの?」

 

 妬みやら諦めやらが籠った幸利の言葉にとりあえず同意と同情を示した浩介であったが、それは全部筒抜けであった。ハジメと鈴と楽しく談笑していたのを水を差された恵里は軽い苛立ちを幸利にぶつけた。

 

「わ、悪い!……で、でもよ。どうして中村は南雲に惚れたんだよ? 顔か? それとも性格とかか?」

 

 即頭を下げて謝意を示すことしばし。雰囲気が少し和らいだ辺りで幸利は恵里に質問をする。まだ付き合って日が浅く、幸利の方の話こそ聞いていたものの、恵里達からはあまりそういった事情を話さなかった。そのため幸利は前々から気になっていた。どうしてこんなかわいい子が自分みたいなあまり冴えない少年を好きでいるのかを。

 

「えっ!? えっと、その……」

 

 そんな幸利の質問に答えようとした恵里であったが、投げかけられた瞬間胸がズキリと痛み、思わず目をそらしてしまう。一目惚れしたと言えばそれで終わったはずなのに、それを答えようとしてどうしてか胸が苦しくなってしまったのだ。

 

「清水くん、そのことなんだけどね……恵里ちゃんがね、ハジメくんに一目惚れしたからだよ!」

 

 しかしその時、恥ずかしがって言えなかったと勘違いした香織がやけにもったいぶりながらそれに答えてくれたのである。折角出してくれた助け舟に恵里も胸の痛みをこらえながら首を縦に振る。途端、幸利は目に見える程に気落ちし、『どこのハーレム系主人公だよ……』と力なくつぶやいた。

 

「いや、私と鈴がハジメくんのことを好きなだけだから。ハジメくんが私達のことを手籠めにしたように言わないでくれる?」

 

「うん。私の場合もハジメくんが手を伸ばしてくれたから好きになった訳だけど、それ以上にハジメくんはずっと私達の思いの応え続けてくれたからもっと好きになっただけだよ。それをたった一言で片づけないで」

 

 そのつぶやきに恵里と鈴は静かに反論すると幸利はより陰鬱な空気を発し出した。ハジメ以外の男性陣から鬼だのなんだのと言われ、女性陣からも清水にほんの少し同情したり流石に言い過ぎだと言われるも二人は訂正する気は一切なかった。

 

 しかしハジメはドストレートにぶつけられた好意に赤面しつつも『そこまで言っちゃダメだよ』と二人を叱った。流石に好きな相手から言われれば二人も頭が冷えたため、気まずそうにしながら幸利に謝る。

 

「あー、うん。ごめんね清水君」

 

「言い過ぎたよ、ごめんね清水君」

 

 だがそうして謝ったものの、幸利は体を震わせるばかりであった。やり過ぎたか、と皆が思っていると幸利は遂に吠えた。

 

「ホント……ホントなんなんだよ――ホントになんなんだよぉおぉおぉぉおぉおぉぉぉ!! 当てつけか!? 幼馴染どころか女の知り合いすらいない俺への当てつけのつもりかよチクショォオオォォォォオオオォォ!!」

 

 怒り心頭である。目の前にいる少年(ハジメ)は自分が日々夢想するものをいとも容易く実現しているのに、自分は何一つそれに届かない。

 

 これが小説や漫画の中の出来事であればまだ創作物の世界だからと考えることが出来たし、理想の展開を考えて自身の願望を叶える事だって出来た。

 

 だが、目の前にいるのは自分の理想の体現者といって差し支えない存在だ。夢想すればするだけ余計にみじめな思いに苛まれる。故に嫉妬に駆られ、それが爆発してしまったのである。

 

「お、落ち着いてってば! そういうつもりじゃ――」

 

「だろうな! 知ってるわ! だから余計にみじめになるんだよぉおぉぉぉぉおぉ!」

 

 幸利から行き場のない怒りをぶつけられたハジメであったが、オロオロしながらもどうにかなだめようとするものの、彼の怒りの火は収まる気配はなかった。幸利自身八つ当たりしていることも、それがみっともないことも自覚していながらキレていたからである。

 

「ふっざけんなよこのリア充ども! お前らなんか……お前らなんかだいっきらいだぁああぁあぁああ!!」

 

 そして泣きじゃくりながら幸利は南雲家を勢いよく出ていってしまった。

 

「し、清水ー!……お、俺が謝ってくる!」

 

「待て待て! 雫が側にいるお前じゃ余計にアイツがキレる! ここは俺が――」

 

「いや、絶対にダメだって龍太郎君! 君も追いかけたらアウトの類ー!」

 

「なに不思議そうな顔してんだよ! お前、傍から見たら香織と良い仲にしか見えないんだからな!!」

 

 光輝と龍太郎は追いかけようとしたものの、ハジメ、浩介が必死になって止めてきた。一方、“良い仲”と浩介に言われた香織は『確かに私は龍太郎くんのこと尊敬してるし、素敵なお友達だって思ってるけど……』と天然ぶりを発揮したため、女子~ズから白い目を向けられて困惑していた。

 

 その後、男子同士で話し合いをし、“彼女のいない”浩介に頑張ってもらうことになった。ちょっと泣きべそをかきながらも浩介はそれを承諾し、南雲家を後にする。

 

「……大丈夫かな、清水君」

 

「大丈夫よ、きっと。清水のヤツ、さっきは当たり散らしてたけど、見境なしに人を傷つける言葉を吐いてないんだからどうにかなるんじゃないかしら」

 

 そして幾らかの間が空いた後、心配そうにつぶやいたハジメに優花は特に心配もしない様子で出されていたペットボトルのお茶に口をつける。こういったトラブルは両親の経営する店でもよくある話らしく、聞く機会もそれなりにあった。その経験から先の幸利の暴言は恐らく本意ではないだろうと察したのである。

 

「……しばらくの間、清水の相手は浩介に任せた方がいいかもしれないな」

 

 ため息と一緒に出た光輝のつぶやきに誰も答えることはなく、気まずい空気はしばらく続いたのであった……。

 

 

 

 

 

 その後、浩介が幸利から話を聞いたり、説得したりしたのだが、今度は自己嫌悪から引きこもり、見たらみじめな気分になるからという理由で日常系の小説や漫画を捨てるなどのことがあってから一週間が経過した。

 

「……よぉ」

 

「おはよう清水」

 

 ハジメ発案の手紙を介した光輝、雫の根強い説得もあってか幸利はどうにか学校に来るようになった。流石にまだイジメの後遺症が残っており、一人で他人と過ごすことに怯えやためらいが見られたため、登校は浩介が一緒で、保健室登校という形ではあったが。

 

「おはよう清水君。少しは学校も慣れたかしら?」

 

「あぁ、まぁ……な」

 

 気を遣って話しかけてきた雫にも気恥ずかしさから目を合わさずに答えるも、それをとがめる者は誰もいなかった――実は保健室登校すら幸利は嫌がったのだが、経験者であった雫から説得されたのである。雫のお陰でこうして心を許せる相手と時間を過ごせることに感謝しており、それ故の気恥ずかしさから幸利がこんな行動をとっているということを皆理解していたからだ。

 

「もししんどかったらよ、俺らに気兼ねしないでもいいからな。誰もお前を責めねぇよ」

 

「家にいるよりはマシだ。兄貴と弟から変な目で見られるよりはマシだからよ」

 

 龍太郎も無理はしないよう気遣うものの、返ってきた言葉に思わずため息を吐いた。幸利からすれば大したことなどなかったのだが、姉のいる龍太郎からすれば他人事には聞こえなかったからだ。雫がイジメられていた事に気づけず、それに後悔したことがあった龍太郎は『何でもいいから言えよ。友達なんだからよ』とだけ幸利に告げる。

 

「龍太郎の言う通りだ。力不足かもしれないけれど、俺達でよければ相談に乗るよ、清水。何でも言ってくれ」

 

「まぁ、気持ちだけ受け取っとくよ……ありがとな」

 

 光輝からの提案にもぶっきらぼうに返す幸利であったが、その表情は決して暗くはない。最後に出た感謝の言葉に恵里と鈴はツンデレだなんだと小声で茶化せば『はっ倒すぞクソ野郎!』と軽くキレ気味に返した。まだ恵里達への嫉妬や羨みはあるものの、この前暴発させたせいでガス抜きが出来たらしく、呑まれる程ではなくなっていた。

 

「そうやって言い返せる気力があるなら大丈夫そうだね。今日もハジメくんと鈴と一緒にウチに来る?」

 

「無理ならいいからね。別に清水君の家でもいいし、今日はなしでも構わないから」

 

「……行く。いつまでも引きこもってなんていられねぇよ」

 

 気遣いは不要だとばかりに鈴に伝えれば、幸利は恵里の誘いを受けた。すると鈴がほんのりと苦笑いを浮かべながら幸利に声をかけてきた。

 

「じゃあ今日もよろしくね清水君――ソロの時みたいにあんまり突撃ばっかりしないでよ」

 

「……まぁ努力はする。可能な限り合わせるよ」

 

 鈴の言葉に頭をかきながらも幸利は答えた。新たな友人を加えてまた少しにぎやかになりながら恵里達は学校へ向かう――意図せぬ出会いの結果だと誰も気づかないまま。



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幕間六 少年に幸あれ

また投稿が少し遅くなってしまいましたが、皆様に感謝の言葉を。おかげさまでUAが36000近くまで上り、お気に入り数も398件にまで増加(2021/8/10 07:09現在)しました。本当にありがとうございます。トータスにはまだ転移していない本作品ですが、それでも読んでくださる皆様には頭が上がりません……。

それでは本編をどうぞ。短めですが今回もある少年の話です。時間軸的には南雲家を出ていった後の話になります。


 夕焼けに照らされる中、幸利はトボトボとあてもなく道を歩いていた。

 

 今まで溜め込んでいた感情を爆発させてハジメ達に叩きつけたものの、その顔は晴れない。彼の脳裏によぎるのはイジメから救ってくれた光輝と雫、共に話をしてくれたハジメ達の顔であった。激しい後悔と虚無感におそわれていた幸利はまた大きくため息を吐く。

 

(あーもう終わった……なくなっちまった。俺の居場所なんて、もう……)

 

 自分が我慢すればそれで良かったはずなのに、目の前にあった“理想”が許せなかった――それが自分のものであってほしかったから。だからこそ自分はその輝きに押しつぶされてしまい、逃げ出したくて仕方がなかった。

 

 故に嫉妬をぶつけて逃げたことでその輝きに自分自身が焼かれることはなくなったものの、その代償は幸利にとってあまりに大きいものであった。

 

(でも、もうどうしたら……)

 

 戻ったところでもう一度自分を受け入れてくれるかもわからない。あそこまで言って嫌われてもおかしくはなかったと幸利は思っていたからだ。

 

「……ここにいたんだな、清水」

 

「うぇっ!?……あ、遠藤か」

 

 途方に暮れていた時、背後からかけられた声に反応して振り向くと浩介がそこに立っていた。まだ交友関係を結んで日が浅かったせいなのか、軽く悲鳴を上げた後でしばらく幸利に探されていたことに内心凹みながらも浩介は彼との距離を詰めようとする。

 

「戻ろうぜ。光輝もハジメも心配してる」

 

「……今更戻れるかよ。いくらお前らがお人好しだからってな」

 

 幸利は距離を詰められる毎にじりじりと後ずさっていき、幸利の顔に後悔がありありと浮かんでいるのがわかっても浩介は近づくことを止めなかった。

 

「んだよ、近づくなよ……」

 

「わかるよ、お前の気持ちが。ものすごくわかる」

 

「なに、人の心を見透かして――」

 

 静かな微笑みを向けながらも歩み寄ってくるのを止めず、語りかけてくる浩介に幸利は怒りを露にするもののそれでも止まることはなかった――むしろ次の一言で幸利が止まる羽目に遭う。

 

「わかる。わかるんだよ清水……アイツらが心底うらやましくって仕方ないってなぁ! 俺だってそうだからな畜生!」

 

「……へっ?」

 

 この状況においては見事なまでに的外れで、しかしこの上なく正しい指摘……というか恨み辛みを爆発させた浩介を前に、幸利はただ間抜けな面をさらすしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「――でさ、去年のバレンタインなんか特にヒドかったぞ! デレッデレな恵里と鈴がひたすらハジメにあーんしまくって、しかも一口ごとに感想聞いてきたんだ! それをハジメは飽きもしないで美味しい美味しい言うもんだから地獄だったわ!! あの野郎、いつもみたいに恥ずかしがるどころか幸せそうな顔して食ってやがったしよ!!」

 

「お、おう……そうなのか」

 

「しかも香織がそれにあてられたのか、龍太郎に向かって『良かったら私のも食べてくれないかな?』って上目遣いでねだってきたんだぞ!! いくら悟った俺でも頭に来たわ! チョコレート渡されてお互い照れ合ってる光輝と雫が癒しってなんだよ! こんな行事なんて今すぐ滅びろって思ったわ!! つーか滅べ!」

 

「わ、わかった。わかったからよ遠藤。ちょ、ちょっと落ち着けって、な?」

 

 幸利が間抜け面をさらした後、浩介は彼の手を引いてウィステリアへと立ち寄っていた。往来でこんなことを言うのもなんだということで、家族単位でひいきにしている店でお互い不満をぶつけ合おうと勝手に取り決めたからである。

 

 幸い、今は人がまばらであったことと顔なじみであったことから園部夫妻から二つ返事で奥の部屋へと通してもらい、こうしてお互いの不満をぶつけることになったのである――今は浩介が一方的にうっぷんを爆発させまくっていたが。

 

「……っとと、悪い。本当はお前が溜め込んでたものを吐き出させようと思ってたんだけどな」

 

「……言って、いいんだよな? わかった。その――」

 

 最初こそちゃんと浩介は幸利の話に耳を傾けていたものの、途中から恋人達のイチャつき――特にハジメ達に話がシフトしてから浩介の方まで不満が爆発。こうして一方的にまくし立てていたのである。

 

 とはいえ言うだけ言って落ち着いたからか浩介はまた聞く側に回った。そしてハジメ達のことや光輝と雫のこと、龍太郎と香織のことなどについて色々と不満をぶちまけ、お互いにヒートアップしたのであった――。

 

「――あー、スッキリした。おかげでどうにか立ち直れたわ、遠藤」

 

「いや、礼を言うのは俺の方だよ、清水。おかげでこっちもスッキリしたからさ」

 

「なら次からはもう少し声を抑えてくれない? いくらお客さんが少ないからってあそこまで大きいと届くかもしれないのよ」

 

「あ、すいませ――って、園部じゃねぇか」

 

 愚痴をこぼし合ってスッキリしたところで聞こえたクレームに謝ろうとした幸利であったが、その声の主であった優花を見てばつの悪そうな顔を浮かべる。

 

「あ、すまん優花。悪かったよちょっと熱くなっちまって……」

 

「本当に気を付けてよ……それで、ちゃんとスッキリしたの? もうハジメ達に恨みとかそういうの感じてない?」

 

「それは、その……」

 

 頭をかきながら詫びる浩介に優花はため息を吐きながら注意をし、今度は幸利の方を見やった。

 

 幸利は優花から投げかけられた質問に答えようとしたものの、目をそらして言葉を濁すしか出来ない。そんな様子の幸利にため息を吐くと、優花も二人のいる席に腰を下ろす。

 

「本当にスッキリしたんならいいけどね。その様子だとまだに見えるんだけど?」

 

 その問いかけに幸利は答えられない。先ほど浩介と愚痴をこぼし合って溜め込んだものをいくらか吐き出せたのは事実である。しかし、今でもハジメのことを考えると暗い炎が心の中で灯るのを幸利は感じていた。

 

 それが我慢出来ないという訳ではないものの、さっきのように暴発しないとも限らない。また嫉妬していると同時にハジメに救われたと思っているため、その場限りの嘘をつくのがためらわれた。だから優花の問いには答えられなかったのである。

 

「おい優花、いくら何でも清水のことを――」

 

「コースケは黙ってて……確かに私だって不満を感じてない訳じゃないわ。愚痴ぐらい言いたくなる時ぐらいある。ただね、愚痴でも事実を並べ立てていてもね、何度も何度も友達のことを悪く言われてたら我慢できないのよ」

 

 そこまでとげとげしい雰囲気でこそないものの、優花は不機嫌な様子を隠していない。こうやってガス抜きが出来れば大丈夫だろうとは考えているものの、いくらガス抜きとはいえ友人が今後何度もけなされるかもしれないと考えると我慢がならなかった。そこまで優花は寛容にはなれなかったのである。そんな様子の彼女に見つめられ、幸利は何も言えなくなった。

 

「特にハジメ。アイツのことをあんまり悪く言うんじゃないわよ……まぁ確かに、エリとスズが許してるからって二股してるような奴だし、今でも無駄に押しが弱いし、ヘタレだし、二人に言い寄られたらすぐに鼻の下伸ばすし、ちょくちょく気絶して面倒臭いし――」

 

「おい優花、お前も負けず劣らずハジメのことを罵ってんじゃねぇか」

 

「だからコースケは黙ってて!――そんな奴なんだけどね、アイツは二人のことならいつだって本気になれる奴よ。好きな相手ならいつでも全力になる奴なんだから」

 

 真剣な表情でじっとこちらを見てくる優花に気圧され、幸利は座席に座っているにもかかわらず後ずさってしまった。半端な反論や単なるやっかみをぶつけてくるなら許さないとばかりに見つめてくる少女に幸利は何も言い返せなかった。

 

「エリとスズに恥じない人間になりたいから、って言って勉強も菓子作りも頑張ってる奴なのよ。自分のことは割とズボラな癖にね。アンタが言ったハーレム系主人公ってやつみたいにただ言い寄られてデレデレしてるような奴じゃないの……まぁ私もあんまり小説読まないからハーレムとかってよくわからないけど」

 

 オイと即座に浩介からツッコミが飛んでくるも、それを優花は無視して幸利を見つめるだけ。そうして優花に見つめられ続けた幸利は何も言えないまま席を立つ。

 

「おい、清水」

 

「……ありがとな、遠藤。今日の分は俺が――」

 

「待ちなさい」

 

 微妙なところとはいえ、浩介に厄介になった幸利は今日の支払いは自分が立て替えると告げようとするも、優花から待ったがかかる。今度は何だと不機嫌になりながら優花の方を見ると、申し訳ない様子で幸利を見ていた。

 

「……さっきは言い過ぎたわ、ごめんなさい。お詫び、って訳じゃないけど今日の分は私の方が立て替えとくから」

 

 そうか、と一言だけ返してその場を後にしようとする幸利に一言だけ優花は声をかけた――そんなにうらやましいならハジメみたいになろうと頑張りなさいよ、と。

 

 その言葉に表情を歪めながら幸利はウィステリアを後にするのであった。

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 玄関のドアを開け、小声でつぶやいた幸利はそのまま自室に行こうとする――が、面倒だと考えている一人が彼に声をかけてきた。

 

「幸利、お前また人様の所に厄介になってたのか。迷惑をかけてないだろうな?」

 

 彼の兄、清水克典であった。彼はアニメや漫画を“子供が見るもの”と考えており、オタクである自分の弟のことを“いつまでも幼稚な奴”だと考えている節があった。また今年は克典の高校受験の年であり、家から何駅か離れた名門校に推薦入試で挑もうとしているのもあって、『自分の弟が引きこもりであることが足かせになるのではないか』とナイーブになっており、それも原因で幸利に対する風当たりは普段より強い。

 

 そんな兄にうるせぇ、とだけ告げて自室に戻ろうとするも、また心無い言葉を投げかけられた。

 

「天之河君や八重樫さんの厚意にお前は甘えすぎだ。いい加減()()になれ」

 

 それを聞いた途端、全身の血が沸騰したかのような心地になり、幸利は走って自分の部屋に逃げ込み、すぐに鍵をかけるとそのまま入口でへたりこんでしまった。

 

「甘えてんのは……そんなのはわかってんだよ! でも、でも……」

 

 許せなかった。また自分の趣味が馬鹿にされたことが。それに何より――。

 

「南雲達を、バカにしてんじゃねぇよ……!」

 

 自分と同じオタクであったハジメ達のことも暗に馬鹿にされたようで悔しくてたまらなかったのである。嫉妬していたし苛立ってはいたものの、彼らを認めてなかった訳じゃなかった。自分と話が出来るほどの知識の量には幸利も一目置いていたのである。そんな折、よく見てた日常系の漫画が目に入るも、幸利はそれを乱暴に床に叩きつけた。

 

「こんな……こんなものがなけりゃいいんだろ! クソッ、クソッ、くそぅ……」

 

 未だ消えぬハジメ達への嫉妬、オタクに対する理解のない兄からの口撃でささくれ立ってしまった今、描かれているキャラ達が楽し気に日々を過ごす日常系は幸利にとってあまりに苛立たしく、みじめな気分にさせるものとなってしまっていた。

 

「これも、これも、これもこれもこれもこれもこれもこれも! 全部、全部いらねぇ! もういらねぇんだよ!!」

 

 目に映った日常系ジャンルの作品を片っ端から部屋の隅へと投げ捨て、集めていたフィギュアも目に入らない様に棚の片隅にまとめて追いやった。

 

 そしてそんな苛立ちを抑えようと今度は近くにあった異世界転移系のジャンルの小説に手を伸ばした。

 

「今に、今に見てろよ……! 俺は、俺はいつか世界を救うんだ! 特別な存在になるんだ!! 俺を……俺の凄さを理解しない奴らを、馬鹿にしていた奴らを皆(ひざまず)かせてやる!!」

 

 異世界でチート能力を得て、世界を変革あるいは救う主人公と自分を重ねることで幸利は自分自身を慰める。もちろん異世界転移なんて夢物語どころか単なる虚構でしかないということは彼も理解している。しかしこうでも考えないと自分の心を慰められなかった。部屋の外の世界でまた傷つき、疲れてしまった幸利にはこうして妄想するしか、またこの狭い世界(自室)に引きこもるしか出来なかったのである。

 

 そうしてまた部屋に引きこもってから二日が経った。ネットサーフィンして異世界モノの作品を見たり、買った小説をながめているとまたインターホンの音が彼の部屋まで届き、幸利はしかめっ面を浮かべる。昨日と続けてまた近づいてくる浩介と他二名――おそらく光輝と雫だろうと思しき足音が聞こえてきて幸利はイライラしていた。

 

「――なんだよお前ら。話すことなんて何もねぇよ」

 

 そして部屋の前で足音が止まると、そう言って今日も彼らを追い返そうとした――昨日は浩介がしつこく話を聞いて来ようとしたため、それにキレて『もう関わってくんな』と容赦ない一言を浴びせて帰らせている。その時の怒りが再燃したのもあってか幸利は今日も冷たくあしらう。

 

「すまん清水。今日はお前と話をしに来たわけじゃないんだ……」

 

「ああ。浩介の言う通りだ。無理に話そうとなんて思ってない。ただ、良かったらコレを読んでほしい」

 

 予想通り聞こえてきた光輝の声に舌打ちをすると、ドアの隙間から畳まれた一枚の紙が入ってきた。

 

「……何だ、一体」

 

「手紙よ。気になったらでいいから読んでくれないかしら」

 

 雫がそう伝えると、それっきり三人は何も話してこなくなった。そうして何もせず、しばらく待っていると三人の足音が遠ざかっていった。どうやら本当にただ手紙を渡しに来たらしく、それに少なからず幸利は驚いた。そうしてドアの隙間にある手紙をしばしじっと見ると、それを手に取るも読むことなく机の片隅に置いておいた。読む気はないものの、友人()()()()三人から貰ったものを捨てるなどあまりぞんざいに扱いたくはなかったからである。

 

「どうして、俺なんかに構うんだよ……」

 

 その日は異世界モノの小説や二次創作を見る気にはなれず、横になって壁をながめながらただじっとして時間が過ぎるのを待つしか出来なかった。

 

 その翌日も、更に次の日も三人は足を運び続けた。それもわざわざ手紙を渡すためだけに、である。そして訪れる度に一言二言言葉をかけてくる三人をどうすればいいのかと幸利は迷う。一度も読んでない手紙を全部突っ返すべきなのか、それとも手紙ぐらい読んでみるべきなのか、と。

 

 そんな時であった。今日も手紙をドアの隙間に入れ、三人が立ち去ろうとした時に克典が声をかけてきたのは。

 

「ご苦労だね三人とも。アイツなんかのために時間なんか割いて」

 

 光輝達への同情と自分に対する侮蔑の籠った言葉に思わず歯ぎしりをすると、光輝がそれに物腰柔らかに答えた。

 

「いえ。彼も……“幸利”も大事な友人ですから。こんな形でしか力になれないのが歯がゆいんですけど」

 

 単に苗字で呼ぶとややこしくなるから名前で呼んだのだろうが、不思議と嫌な気分にはならなかった。しかし克典の言葉でそんな気分も吹き飛んでしまう。

 

「悪いことは言わない。あんなのに構うのはやめるべきだ。未だにマンガやゲームなんかに現を抜かしているようなヤツと付き合っていたら君達のためにならないからね」

 

 克典はいつもこうであった。世間一般で認められているものにはあっさりと迎合し、それが良いものだとして扱うものの、そうでないものの場合は価値を一切認めないのである。彼がマンガやゲームを認めないのもテレビで植え付けられた悪印象によるものであると幸利は考えており、それを訂正しようとしない両親にもウンザリしていた。

 

 よくもまぁ光輝達の前で言うものだと考え、いっそドアでも叩いて抗議してやろうかと考えたその時、三人がそれに反論し出した。

 

「ずいぶんなことを言うじゃないか、アンタ。清水の……幸利の兄貴じゃねぇのかよ」

 

「どうしてそういう事を言うんです? 貴方は幸利のお兄さんでしょう。ちょっとくらい彼に歩み寄ったって――」

 

「ためにならない、って……私は漫画のこととかで話せる相手がいたおかげで助かったことがあったんです。それをどうして――」

 

「やれやれ。君達もいい年をして()()そんな幼稚なことをしているんだな。所詮アイツの同類でしかないということか」

 

 三人の言葉を克典が冷たく笑った途端、空気が一気に静まり返った。幸利もまた自分のために三人が兄に反論してくれたことを嬉しく思ったのだが、結局理解を示そうとしない兄への怒りが勝って腹の内でどす黒いものが渦巻きそうになっていた。

 

「いいかい? ゲームをやっても、マンガを見てても、結局は時間を浪費するだけでしかない。その分をボランティアや勉強につぎ込んだ方が有意義なのは君達の頭でもわかるだろう? 君達だっていつまでも子ど――」

 

「――馬鹿に、しないでください」

 

 ペラペラと克典がご高説を垂れたことでじめっとしていた空気が一瞬にして張りつめた。その急激な変化に幸利は思わず腰を抜かしてしまい、口の中がカラカラに乾いてしまう。口を何度もパクパクとさせていると、静かな怒りを燃やした三人が克典に再度反論する。

 

「な、何を……!?」

 

「馬鹿にすんな、って言ったんだよ! さっきから偉そうにペラペラ喋りやがって!」

 

「そうです! 貴方は彼だけじゃなく、俺の大切な友人も馬鹿にしたんだ! それを許してなんておけるか!」

 

「自信を失っていた私を助けてくれたのはアナタが無駄だと言ったものが好きな子なんです! 鈴を、彼女を馬鹿にしないでっ!!」

 

 ドア越しに伝わる凄まじい怒りに怯えると同時に幸利は痛感する――三人はハジメ達のことを本当に大切に思っている、と。そして自分も同じくらい思われているのだと。

 

「ふ、フン!……だ、だったら同類らしく、底辺同士で仲良くしていろ!!」

 

 そう言うなり兄と思しき足音は一気に遠ざかっていった。しばらくすると張りつめていた空気も徐々に緩んでいく。どうやら三人も怒りを収めたようである。

 

「……ごめんな、清水。お前の兄さんがあんまり言うもんだからさ」

 

「すまなかった、清水。君の家の事情を知らなかったせいでこういった苦悩を抱えていたことに気づけなかった。本当にすまない」

 

「ごめんなさい。本当はここまでやるつもりじゃなかったけれど、でも鈴のことを馬鹿にされて、我慢できなくて……」

 

 心底申し訳なさそうにしている三人に何を言えばいいのかわからず、何もしないでいると『すまなかった』と光輝が謝罪したのを最後に全員の足音も段々と遠ざかっていってしまった。

 

 三人に何も言えず、そのまま帰してしまったことにいたたまれなくなってしまった幸利はその場で大きくため息を吐き、自己嫌悪に苛まれる。どうしてお礼一つすら満足に言えなかったのか、と。

 

「ホントに何やってんだよ俺はよ……」

 

 どうすればいい、と考えているとふと机の上に置かれた手紙が気にかかった。小説を読む気分には当然なれず、今まで一度も読まなかった三通のそれを見て少しでも罪悪感を紛らわせようと手を伸ばす。

 

 三つ折りに畳まれたソレを開けば、短い言葉ながらも今まで顔を合わせたことのあった面々の言葉がそこに書かれていた。

 

 ――ちょっとした疑問でも何でもいい。力になれるなら何でも言ってくれ。 光輝

 

 ――漫画や小説の話にこの前はついていけなかったけれど、これから少しでも多く目を通してついていけるように頑張るから。 雫

 

 ――また辛くなったら一緒に色々愚痴を言い合おうぜ。ウィステリア以外でな。 浩介

 

「なん、だよ……これはよ」

 

 じわりと視界がにじんでくる。散々悪態をついたのにそれでも自分のことを気遣ってくれている彼らに瞳が潤んでしまうのを止められなかった。

 

 ――格闘モノのマンガだったら俺でも多分大丈夫だ。それと体を動かすと結構スッキリするから良かったら付き合うぜ。 龍太郎

 

 ――また今度一緒にモンハ○やろうよ。待ってるから。 ハジメ

 

 ――ハジメくんに暴言を吐かないのならまた遊んであげてもいいよ。 中村恵里

 

 ――私達、待ってるから。 谷口鈴

 

 ――みんな心配してたよ。私でよければ力になるから。 白崎香織

 

 ――アンタは間違いなく幸せ者よ。こんなに待ってるお人好しがいるんだから。早く戻ってきなさい。 園部優花

 

 他にもミサキやまどか、奈々と妙子のものもあり、一つ一つ読み進めていく毎に幸利の視界は段々とぼやけていった。

 

「なんだよこれ……手紙じゃなくて、寄せ書きじゃねえかよ……」

 

 目をこすり、鼻をすすりながらも一通ずつ幸利は読み進めていく。その都度何度も涙を流しながらも、もらった全ての手紙に目を通し、涙が止まらなくなった幸利はベッドに倒れ込む。何度もしゃくりあげ、嗚咽を漏らしながら幸利はつぶやく――戻りたい、と。

 

「アイツらが、アイツらが待ってんだ……嫉妬なんて、嫉妬なんてしてる場合じゃねぇ……!」

 

 未だ暗い炎はくすぶり続けており、ハジメ達を妬む気持ちがなくなった訳ではない。しかしそれ以上に熱い思いが幸利の心に灯った。ふとした拍子にあっさりと塗りつぶされてしまいそうではあるものの、完全に消えることのない思いがこうして彼の心に根付いたのである。

 

 理解者に恵まれず、虐げられて傷ついた少年の心に今、暖かな火が点いた――。

 

 

 

 

 

「おはよう、清水」

 

「……ああ、おはよう」

 

 今日も浩介に出迎えられ、親から見送られながら幸利は通学路を歩いていく。

 

「その……ありがとな、清水」

 

「……別に礼を言われるようなことはしてねぇぞ」

 

 いきなり礼を言われて顔を背けるも、そんな幸利に構わず浩介は言葉を紡いだ。

 

「お前が戻って来てくれて助かったよ。ほら、俺らのグループってさ、女ばっかだし。それに彼女がいるのしかいねぇからお前がいるだけで居心地が違うんだよ」

 

 冗談めかして言う浩介に『何だよそれ……』と軽く呆れながらも幸利は返した。

 

「まぁ、こんな俺でいいならよ、これからもよろしく……」

 

「ああ……よろしくな。清水」

 

 お互い少し照れながらも返し、今日も二人は光輝達と合流する。その顔にもう陰りはない。いつもの面々に囲まれながら幸利は今日もオタク談義をするのであった。




ここでも恵里は平常運転。


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十九話 暴かれたもの、暴かれぬもの

まずは投稿が遅くなった事をお詫びします。詳しくは後書きにて。

そして拙作を見てくださる皆様への感謝を。おかげさまでUAが38000オーバー、お気に入りに登録してくださった方も400人を超えました。誠にありがとうございます。

enforcerさん、七海55さん、本作を評価してくださり誠にありがとうございます。それでは本編をどうぞ。今回は短いです。


「なぁ恵里、どうしたんだい?」

 

 バレないようにやっていたつもりであった。

 

「前はこういうの読まなかったはずだけど、どうしたの?」

 

 上手く隠し続けていたはずであった。

 

「何か言ってくれないか、恵里。お父さん達が何か悪かったのか?」

 

 どうして聞いてくるの? どうしてそっとしておいてくれないの? ()()()()()()()()()。と苛立ちが恵里の心に逆巻き続ける。

 

「恵里、お父さんが話してるんだから何か言いなさい」

 

「黙ってたらお父さんもわからないんだ。だから頼む。理由を教えてくれないか」

 

 だが自分がどうしてこんなことをしたのか理解しようとしない、察してくれない両親があまりに煩わしかった。そして遂に恵里の口から耐えられなくなった怒りが漏れ出てしまう。

 

「――るさい」

 

「恵里? どうしたの? よく聞こえない――」

 

「うるさいって言ったんだ!」

 

 怒りのままに叫び、テーブルを思いっきり叩く。すると困惑していた両親が軽くのけぞった。

 

「どうしてボクに口をはさんでくるんだよ! ボクが必死に隠そうとしてたんだから理解してよ!! どうして何でもかんでも首を突っ込んでくるの!?」

 

 噴火した火山からマグマが流れ出るように、一度爆発してしまったヒステリーはそう簡単に収まりはしなかった。

 

「そ、それは悪かったと思って――」

 

「だったら人のものを覗かないでよ! ボクはもう子供じゃないんだ!! それぐらいわかってよ!!」

 

「でも、お父さんもお母さんも恵里に何かあったかと本当に心配して――」

 

「だからってボクの物を勝手に見るなんて最低だよ! どうして、どうして……」

 

 心配していた両親に恵里は泣きじゃくりながら大声で怒鳴るばかりであった。その様子を見て、理由はわからずとも本当に立ち入ってほしくなかった場所に土足で踏み入ってしまったことに二人は今更ながら気づいてしまう。

 

「ごめん、ごめんな恵里。お父さん達は――」

 

「――らい」

 

 だが恵里は止まれない。冷静さを失ってしまった彼女は自ら破局の引き金を引いてしまう――。

 

「恵里? どうし――」

 

「二人とも、だいっきらい!!」

 

 腹の内を叩きつけ、肩で息をしながら二人をにらみつける。そして二人が驚愕した様子を見て、ようやく恵里も気づいた。言ってはならないことを口にしてしまったことに。

 

「あ……あ、あぁ……あぁああぁあ……」

 

「恵里! すぐにお父さんに謝りなさ――」

 

「幸!……いいんだよ、恵里。お父さん達が、お父さん達が悪かったんだ……」

 

「ち、ちが……ちがう、ちがう、から……」

 

 言うつもりじゃなかった。間違っても口にするべきじゃなかった。なのに気がつけば最悪の形でそれを言葉にしてしまった。後悔と恐怖に恵里は襲われてしまったがもう遅かった。

 

「お父さん達が無神経だったんだ。普段、恵里が読まないような物騒なものだったから……」

 

 やめて、と言いたくても口先は震えるばかりで言葉が出てこない。そんなつもりで言ったんじゃないと弁解しようとも頭の中はぐちゃぐちゃでどう言えばいいのかすらわからない。

 

 けれども事態は悪い方へと流れていく。心底すまなさそうにする両親を見て、それを痛感してしまう。

 

「そう、ね……お母さんも謝るわ。だから――」

 

「あ、あぁ……」

 

 壊してしまった。自分が守った場所を他ならぬ自分の手で。それを自覚してしまった途端、凄まじい後悔に苛まれて恵里は何も言えなくなる。仲直りすることも、謝ろうということすらぐちゃぐちゃになってしまった彼女の頭の中で思い浮かぶことはなかった。

 

「……恵里? どうしたんだ――」

 

「ひっ!?」

 

 そして心配して伸ばした正則の手を打ち払ってしまう。

 

「あ、あぁ……う、うわぁああぁああぁあぁああぁああぁあぁあ!!」

 

 それを理解した途端、父が自己嫌悪に苛まれたのを見てしまった途端に恵里の中で何かが壊れてしまった。逃げた。逃げ出した。靴も履かず、着の身着のままで雨の降る中家を飛び出してしまった。

 

「ちがうちがうちがうちがうちがうちがう! なんで、どうして! ぼくは、ぼくは――」

 

 大雨の中、足の裏の痛みも部屋着が濡れていく不快感もわからないまま夜の街を恵里は走っていく。頭の中が真っ白なままただただ無我夢中で、ここから逃げ出したくて必死になって街中を駆け抜けていく――。

 

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい)

 

 何に謝っているのかもわからないまま、嗚咽を漏らしながら、大粒の涙を流しながら恵里はただ走り続けていくのであった。

 

 

 

 

 

 何もわからず、何も考えず、ただただ走った先に辿り着いた家を見て、恵里は吸い寄せられるようにふらふらと玄関へと向かっていく。そして震える手でインターホンを押せば、軽快な音が周りに鳴り響く。どうしてこうしたのかもわからないまま、ただただ恵里は家主が出てくるのをじっと待った。

 

「はーい、どちら様ー……って、恵里ちゃん!?」

 

 玄関のドアを開けて出てきたのはハジメであった。夜に唐突に鳴ったインターホンに軽く驚き、食べかけのカップ麺を一度置いて応対に出たのだが、まさかの来客、そしてまさかの様相に驚きを隠せなかった。そんなハジメを見てほんの少しだけ安心出来たのか、わずかに口角を緩ませながら恵里はハジメの方へと歩いていく。

 

「どうしたの恵里ちゃん、こんな夜中に――うわっ!? 冷たっ!?」

 

 そしてずぶ濡れのまま恵里は倒れ込むように彼の胸元に飛び込んだ。同じく部屋着であったハジメが濡れることも考えつかないまま、スリスリと彼の胸に頭をこすりつけ、震える声でハジメの名をつぶやいた。

 

「ハジメくん……ボク、ボク……」

 

 しゃくりあげる恵里を見て何かがあったことをハジメは察した。部屋着と思しき恰好のままで、靴も履かないでここまで来たのだからきっと何かがあったのだと。自分の家でなくわざわざここまで来たのだから恵里の家で何かあったのだろうと。

 

 とりあえずこのまま濡れたままには出来ないと考えたハジメは、倒れないようにそっと恵里を離し、今にも泣きじゃくりそうな様子で見つめてくるのを耐えながら背中を向けてかがんだ。再度恵里の方を向くとハジメは声をかける。

 

「足、痛むでしょ? このままだと風邪をひくから、お風呂行こうよ。おんぶするから」

 

 その言葉に恵里はうなづくと、鼻をすすりながらハジメのところまで行き、彼の背中に体を預けた。それを確認するとハジメも恵里をおんぶしながら立ち上がる。

 

「しっかり、つかまっててね……!」

 

「……うん」

 

 自分より少し小さい体格の恵里を背負うのに苦労しながらも、ハジメは風呂場へと向かっていく。弱々しい様子ながらも自分を信じて体を預けてくれる彼女を壁にぶつけたりしないように踏ん張りながら。

 

 

 

 

 

 

 脱衣所で逃げようとしても恵里が嫌がったり、一緒に風呂に入る羽目になったりと色々と理性を削るイベントに巻き込まれながらもハジメは恵里の体を温めることに成功する。

 

 そして風呂から上がった二人はお互い着替え、今はリビングにいた。ハジメは外着を、恵里は彼の着ている長袖のジャージを着て。

 

「はい、ココア。お互いお風呂でちょっとのぼせちゃったけど、今の時期は風邪をひきやすいからね」

 

 微笑みと共に出してくれたカップを両手ではさむようにして受け取り、それに口をつける。温かく、甘い。まるでハジメのようだと思いながらこくこくと飲み、半分ほどを飲み干してから一度カップを置いた。

 

「ご飯、まだ食べてないなら何か軽いものでも作ろっか?」

 

 すると最近は菓子作りだけでなく料理にもハマり出したハジメから提案される。時刻は既に十時を過ぎており、夕飯を食べる前にここに来たのだが恵里は首を横に振った。これ以上ハジメに甘えたくなかった。彼の負担になることが許せなかったのだ。そっか、とだけ答えたハジメもまた向かい合うようにして座った。

 

 バラエティ番組と外の雨音をBGMに時間は静かに過ぎていく。微笑みを崩すことなくこちらを見ているハジメに、視線を下に向け続けていた恵里はようやく口を開いた。

 

「あのね、ハジメくん……聞いて、ほしいことがあるんだけれど」

 

 ちらりと見ながら言ってきた恵里にハジメはいいよ、と一言だけ告げる。残ったココアにまた口をつけ、大きく息を吐いてからゆっくりとハジメの方を向く。そして恵里はここに来た経緯をぽつぽつと語り出した。

 

 ここ一年ほど前から()()()()()()()借りていた本――銃や兵器に関するものを親に隠れて見ていたこと、そしてそれが今日バレてしまいったことを。そのことを問い詰められ、イライラを爆発させてしまったことを。

 

「お父さんと……お父さんとお母さんにうるさいって、大嫌い、って言っちゃって……ボク、どうしたらいいの?」

 

 嗚咽を漏らしながら告白すると、ハジメは恵里の方へと来て無言で抱きしめる。頭をなでながら『大丈夫、大丈夫』と幼子を落ち着かせるように語り掛けてきた。そんな本を読んでいた理由を聞くこともせず、何も言わずにただ自分に寄り添ってくれるハジメに恵里は体を預け、涙を流す。ハジメから労りの言葉をかけられ続けていると突然家の電話が鳴り、恵里はビクリと反応してしまう。

 

「もしかして……ハジメくん、怖いよ。ボク、お父さんになんて言えば……」

 

 おそらく父からの電話だと考えた恵里はハジメにすがりつくも、ハジメは少し緊張した様子を見せただけで恵里の頭をなでる手を止めない。再度恵里を落ち着かせるように声をかける。

 

「大丈夫。まだ正則さんだと決まった訳じゃないから……ねぇ恵里ちゃん、一緒に来てくれる?」

 

 そうハジメから問いかけられると恵里はうなづき、彼の腕に抱かれながら一緒に電話機まで向かった。そして未だ鳴り響くコール音に少し緊張しながらもハジメが受話器を手に取る。

 

「もしもし、南雲です」

 

『もしかしてハジメ君かい? やっと繋がって良かったよ……私だ、正則だ。恵里はそっちにいるかな?』

 

 受話器に耳を近づければ、父の名が出てきたことに気づいた恵里はハジメを強く抱きしめる。そのせいで軽く息が漏れたものの、ハジメは話を続けた。

 

「あ、はい。外はひどい雨だったんで、お風呂に入らせました。今は上がって僕と一緒にいます」

 

『そうか。わざわざすまないね……ところで、何度かそちらに電話しても繋がらなかったし、谷口さんのところに電話をかけてもいないと言われたんだが、何かあったかい?』

 

 受話器からかすかに聞こえる声に耳を傾けていた恵里の顔から血の気が引いていく。父の声の語気が鋭く、何かあったのではないかと感づいていた様子だったからだ。

 

 もし自分がワガママを言ったのがバレたせいでハジメに迷惑をかけたら、嫌われてしまったらと思うと体の震えが止まらない。だがハジメはそんな自分の頭をなでて、ぎこちないながらも笑顔を向けてくれるだけで責めてくる様子は一切なかった。一度せき払いをしたハジメは正則との話を続ける。

 

「いやー、アハハ……お風呂に入っていた恵里ちゃんに必要な道具がないかとか、元気がなかったみたいなんでお風呂場の外から声をかけてたりしましたから。それで、すぐには出れなくって……ごめんなさい」

 

 嘘を、ついた。お世辞にも嘘をつくのが上手とは言えないハジメが自分のために嘘をついてくれた。そのことに申し訳ないながらも恵里は深く感謝し、もっと強くハジメの体を抱きしめる。自分のことをかばってくれて、大切に思ってくれて、罪悪感を感じながらもハジメへの思いがあふれて止まらない。そうしていると少しの間を置いて受話器から声が聞こえた。

 

『……そうか。まぁハジメ君なら不埒な真似はしないだろう。とりあえず()()信じよう。じゃあ、今から迎えにいくから、それまでは恵里を頼むよ。くれぐれも、変なことをしないように』

 

 だがやはりハジメがついたとっさの嘘も正則には見抜かれていたようで。いぶかしむようなトーンで釘を刺し、迎えに行く旨を伝えると正則は電話を切ったようであった。

 

 ツー、ツー、と切れた音が受話器から漏れ、ハジメと顔を合わせればあちらも顔を真っ青ににして脂汗をかいている。

 

「……ゴメン。後で怒られるかも」

 

「ううん、いいよ。元はといえばボクが押し掛けたせいだから。ワガママ、言ったせいだから」

 

 ハジメの胸に顔をうずめながら恵里はそう返す。『ハジメくんは何も悪くないよ』と言えば自分を片手で抱きしめて、もう片方で自分の頭をなでてくれる。自分に非があるにもかかわらず、ずっと慰め続けてくれるハジメに対して申し訳なさが募っていた恵里はあることを口にした。

 

「……ねぇ、ハジメくん。どうしてボクを慰めてくれるの? あんな本さえ読まなかったらこうならなかった、って言ってくれても良かったんだよ?」

 

 恐怖半分、信頼半分でそう問いかけるも、ハジメは首を一度横に振ってからそれに答える。

 

「きっと、恵里ちゃんにとってその本は必要だったんだよね? 理由はわからないけどさ。だから言わない。僕だって、その……まぁ隠したいことぐらいあるし」

 

「……うん」

 

 『隠したいこと』と言った際に頬を染めてそっぽを向いたのはともかくとして、ハジメはあえて探るようなことはしなかった。恵里が昔から何かを隠し続けている子だというのは理解していたからこそ、あえて踏み入りはしなかった。

 

 そうしてくれたのは恵里からすればありがたく、嬉しくもあったのだが、同時に寂しく、もどかしさを感じずにはいられなかった――あの本を読んでいたのもハジメのためであったから。

 

 以前、化け物とさげすんでいたあのハジメが銃を作ったことは覚えていた。そして自分が魔人族に寝返った際に見る羽目になったあの無数の弾をばら撒いたあの武器――おそらく機関砲の類のことも、天から降り注いだあの熱を帯びた謎の光線のことも。単に銃だけでなく色々な兵器を造っていたということを恵里は覚えていたのだ。

 

 もしトータスに行った際、自分が集めていた兵器に関する情報があればハジメの役に立てるかもしれない。エヒトを倒す際に力になれるかもしれない。そう思って色々と調べていたものの、それを明かす気にはなれなかった。さしもの恵里でも確証がなかったからだ。

 

 それ故に伏せておくつもりであったし、ありがたいことにハジメはそれを追及することはしなかった。ならば後は心苦しいながらも両親相手にどう誤魔化すかだけでしかなかった。だけ、なのに――。

 

(……聞いてよ。お願いだから聞いてよ。どうして、って言ってよ。全部、ぜんぶハジメくんのためなんだよ? だから、だから――)

 

 こうして好きなハジメのためにやっているということを察してくれないのがあまりに辛くて。けれどもそれを言ったらどうなるかが怖くて。結局、正則が迎えに来てもお互い何も言わないまま、抱きしめあって時間を過ごすだけであった。

 

 感じたぬくもりも、別れ際のおやすみのあいさつも、恵里はどこか距離を感じていた。




本日の懺悔
いつぞやのバレンタインの話よろしく長くなりそうになって分割しました……だって、だって書くと長くなるもの。増えるの! やたらと増えるの! どうなってんのホント……。

残りのお話は今週中に投稿する予定です(出来るとは言ってない)

あとお風呂の話も念のためR18版で投稿しようとしてたので遅くなりました。失礼。

こちらがお風呂シーンです。
https://syosetu.org/novel/259832/2.html


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二十話 少年が選んだもの、少女が望んだもの

拙作を見てくださる皆様にまずは感謝を。おかげさまでUAが41000を突破、お気に入り登録件数も439件(2021/8/29 01:06現在)まで登りました。誠にありがとうございます……またランキング入りしてましたけど、これもドッキリの一環でしょうか(gkbr)

それから大きい人さん、GREEN GREENSさん、Laupeさん、拙作を評価していただき本当にありがとうございます。

投稿はちょっと間に合いませんでしたが、本編をどうぞ。ちなみに過去一の長さです。


 両親とケンカして、ずぶ濡れになりながらもハジメの家に寄ったあの日からもう数日が経過した。

 

「……本当に大丈夫なの、恵里?」

 

「うん……」

 

 学校の帰り道、今日もいつもの面子で通学路を歩いていたが、その顔は一様に暗い。あの日以降、恵里は家族とハジメ、どちらと接していてもどこかギクシャクするようになってしまっていた。家では腫れ物を扱う様に、ハジメとはどこか埋められない溝を感じてしまって以前のように話すことが出来ずにいた。

 

 ここ最近の元気のない様子を特に心配している鈴からまた声をかけられるも上手く返すことも出来ず、そんな状態の恵里を見て誰も彼もが心配していた。

 

「俺でいいなら何でも言えよ。愚痴ぐらいなら……まぁ、多分聞いてやるから」

 

「ちょっと幸利。アンタ、そう言うんだったらせめて断言しなさいよ……まぁ私でも誰でもいいから言いたきゃ言いなさい」

 

 声をかけるも結局迷いを見せた幸利を半目で見つめる優花であったが、そんな彼女も恵里のことを心配しており、『奥のスペースだったらいつでも貸すから』と伝えた。

 

「……なぁ光輝、雫。好きなヤツだからこそ察してくれって言われてもよ、俺ぁ全然わかんねーわ。勝手に踏み込んでくんな、って言ってんだからそれでいいんじゃ――」

 

「甘い、甘いよ龍太郎くん! 女の子はね、秘密にしていたいことでも気にかけてほしいことだってあるんだよ! きっと恵里ちゃんだってハジメくんに気にしてほしかったんだと思うな」

 

 疑問を呈した龍太郎に即座に香織が割って入った。全然調子が戻らない恵里を見かねて龍太郎が切り込んできた際、読んでた本の種類は伏せて恵里が悩みを明かしてくれたのだが未だに龍太郎はそれを理解できていなかった。そのことを香織に突っ込まれるといういつもの光景が繰り広げられたものの、誰も苦笑すら浮かべない。お互い参っていると全員が改めて実感すると、光輝が雫に小声で話しかけた。

 

「……なぁ雫。雫もそうだったりするのか?」

 

「――出来れば察してほしいな、って思うことはあるけれどそれぐらいかしら。それよりもちゃんと言ったほうが楽になると思うわ」

 

 雫は全員を一瞥すると、再度光輝の方を向いて答えた。思うところがないわけではないが、やはり光輝や龍太郎、鈴に助けてもらった経験が印象深かったのか、黙っているよりは言う方がいいという風に雫は考えていた。

 

「そうか……ハジメにでも、俺達にだって甘えたっていいんだぞ恵里。それとも俺達じゃ、頼れないのか……?」

 

 恵里を見ながら光輝は力なくつぶやく。小学校時代、恵里を追いかけまわした後で反省したことで人が離れてもなおずっと自分を頼った人間の話に耳を傾け、手を伸ばし続けた結果、多くのクラスメイトから慕われるようになった彼にとってこの状況は歯がゆくて仕方がなかった。クラスメイトは助けられても、友人を助けることすらままならないのか、と無力感に苛まれる。

 

「……そういうもんなのか? 女心ってホントわからねぇなぁ」

 

「そういうところだと思うよ~浩介が私達にフラれたのって~」

 

「うん。そういうところがわかんないのが浩介っちのダメなとこだと思う」

 

「オイ、それ今関係ないだろ!?」

 

 そして女心がわからないとボヤいた浩介に妙子や奈々、ミサキらが容赦なく口撃を仕掛けてくる。それもこれも自分だけ独り身であることがちょっとだけ辛くて、もし良かったらつき合わないかと彼女らを誘ったからだ。なお結果はお察しの通り。ちなみにフラれた理由は『影が薄くてどこにいるかわからない人はちょっとお断り』といった旨である。

 

 そうして全員で恵里についてあーだこーだと話ながら歩いていると、普段ならばまずないものを皆が見つけてしまった。

 

 泣きじゃくる子供にうろたえる老婆、数人の不良――そしてそんな彼らに踏まれたり、飲み物をかけられながらも土下座をやめない見覚えのある少年の姿を。

 

「「――ハジメくん!?」」

 

 いち早く気づいた恵里と鈴が駆け付けるよりも先に雫ら武術組が動いた。

 

 雫は袖から素早くクナイを取り出し、不良の足にもハジメの体にも当たらない絶妙な位置へと投擲する。

 

 それに意識を取られている内に浩介が後方に回り込んで当て身を見舞う。

 

 そして異変に気付いてその場から逃げ出そうとした奴らの逃げ道を光輝と龍太郎が立ちふさがって完全に逃げ道を断つ。

 

 一方、出遅れた残りの面々であったが香織は子供の方に、優花、ミサキ、まどかはおばあさんの方へと寄り、何もできずに突っ立っていた幸利を奈々と妙子が警察を呼ぶよう急かしたてる。そして――。

 

「大丈夫ハジメくん!? しっかり、しっかりしてよ!!」

 

「ちょっとケガしてるね。痛くない? 大丈夫ハジメくん?」

 

 軽く錯乱してハジメの体を揺さぶる恵里と、そんな恵里を見て少し落ち着くことが出来た鈴が彼の様子を気遣った。

 

「あ、アハハハ……恥ずかしいところ、見せちゃったね」

 

 そんな二人の様子を見て、ハジメは苦笑いを浮かべる。

 

 恵里は強く彼を抱きしめ、鈴も恵里の頭をポンポンしながらハジメに安堵の微笑みを向けるのであった。

 

 

 

 

 

「ったく、やるじゃないかハジメ。流石俺達の息子だ」

 

「そうね。でも今回はこの程度で済んだからいいけど、あまり無茶しちゃ駄目よ。みんなを悲しませるわ」

 

 アハハと苦笑いを浮かべるハジメに労いの言葉をかけつつ、南雲夫妻は恵里ら一同に頭を下げた。

 

「本当にありがとう。おかげでハジメが大怪我をしなくて済んだよ」

 

「いえ、どういう理由であっても親友が傷ついていたんです。助けに行くのは当然のことですよ」

 

 皆を代表して光輝がそれに答えると、()()()()()()()がその言葉にうなづいた。それを見て良い友達に恵まれたと愁と菫は実感する。

 

 ――あの後、警察がすぐに来てくれて、すぐさま不良達は取り押さえられて連行された。ちなみに雫は投げたクナイをしっかり回収し、八重樫流直伝の雑技で持ち物検査を見事誤魔化したため連行されずに済んでいる。

 

 その後、そこにいた老人と子供含めて全員が事情聴取を受けることになり、ハジメを助けたり不良を逃がさないようにするために暴力を振るった武術組は厳重注意、他の面々は一通り聴取を受けて開放、といった具合である。また警察から電話が来て急ぎ現場まで来た南雲夫妻も話を聞くことになったものの、あくまで被害者であるハジメについて色々と話す程度でしかなかった。

 

 そして現在一同はウィステリアにおり、愁と菫から大いに感謝されることになった。ちなみにハジメは一度両親と一緒に家に戻り、ひどいケガがないことを確認した後、私服に着替えて店に来ている。

 

「あー、すまないけど俺と菫はこれから仕事に戻るから好きに飲み食いしてくれないか。あ、ツケにしといてくれれば後でちゃんと支払うから!」

 

「そうね、それでお願いできるかしら。あ、でもあんまり高いとみんなのご両親に言っておくからよろしくね~」

 

 そう冗談めかしながらも、二人は()()()()()()()()()()()ウィステリアを後にした。そして二人が去っていった後、一同の多くがハジメを持ち上げだした。

 

「ホント流石だハジメ! 腕っぷしも強くねぇのにやるじゃねぇか!」

 

「うん! 本当にすごかったよ! こんなにすごい人だから恵里ちゃんも惚れちゃったんだなー、って改めて思ったもん!」

 

 龍太郎と香織はハジメをべた褒めし、自分のことのように喜んだ。少し()()()()()()ながらも褒められたハジメははにかみながら二人にありがとうと伝える。

 

「あー、確かにな。まぁ、その……本当にすごいと思う。だから、その……」

 

 光輝もまたハジメを持ち上げる……のだがどこかぎこちない様子であり、()()が視界に入って落ち着かない様子であった。

 

「いや、光輝、ハッキリ言おうぜ――恵里、いい加減泣き止めよ。ハジメは無事だったんだからよ」

 

 そう。事情聴取が終わった後から引っ付き虫のようにずっと恵里がすすり泣きながらハジメの右腕を掴んで離さないのである。

 

「……やだ」

 

「ハジメ君は見た目の割に大したケガじゃなかったでしょ? そこまで心配しなくっても大丈夫よ」

 

「ハジメがらみで何かあったのはわかるけど、離れてあげたら? ()()()()()()()()()()()()()()()わよ?」

 

 皆が事情聴取を受けている間、ハジメは一度病院に寄ってケガを診てもらっていた。そこで大したケガではないことも、診察が終わった後に支障なく事情聴取も受けたことも全員が聞いている。

 

 しかし雫が説得しようとも、優花が伝家の宝刀『ハジメが迷惑している』と言って離れさせようとしてもやだと言うばかりで成果はなかった。

 

「いや、僕のことはいいから。恵里ちゃんもしばらくしてたらきっと落ち着くと思う」

 

「いやよくねぇって……なぁ恵里。ハジメのことが心配だったのはわかるけどよ、いい加減落ち着けって」

 

 いつものように言い返すこともなく、ただただハジメに抱き着くばかりの恵里を見て浩介やミサキらはため息を吐いた。あまりの重症っぷりにさじを投げるしかなかったのである。

 

「もう、恵里……ハジメくんが心配なのはわかったけどさ、前だったらここまでヒドくならなかったよね? むしろこれをチャンスに色々と仕掛けてきたでしょ」

 

 そこで先ほどから黙っていた鈴が遂に口を開く。その鈴の言い分に恵里は思わず言葉に詰まり、ハジメを含めた他の面々も納得を示す。

 

「きょ、今日はこうしたかったから……」

 

()()()()()から、じゃないの?」

 

 いぶかしむ様子の鈴にどうにか反論しようとしたものの、鋭い指摘を返されてしまい、恵里は何も言わずに視線をハジメの方へと向けた。

 

「……ねぇ、恵里。私達じゃダメなの? この前のこと、ずっと秘密にしてないといけないの?」

 

 その疑問に恵里は答えることが出来ない。真相があまりにも荒唐無稽であったから。そして本当にトータスに行くかどうか確信が持てないから。もしかすると、前の世界とよく似ているこの世界ならそんなことはないかもしれないと淡い期待を抱いてしまっているから。だから恵里は答えることが出来なかった。

 

「みんな、ゴメン。恵里ちゃんのことは僕に……ううん、僕と鈴ちゃんに任せてもらえないかな?」

 

 するとハジメが空いていた左手を挙げ、全員に頼み込んできた。

 

 ハジメもここ最近の恵里の様子がおかしいことには流石に気づいていた。その原因が打ち明けてくれたあの事、そしてきっとあの日の自分の答えにも何か理由があるのではないかという疑念が頭の片隅にあったのである。

 

 それを確かめるためにも、恵里が抱えている悩みを取り除くためにもハジメは頭を下げる。視線が集まり、沈黙が続く。そして幾ばくの静寂の後、光輝が口を開いた。

 

「……わかった。でももし何かあったら言ってくれ、ハジメ。俺達は親友なんだから」

 

 光輝自身、自分では力になれないことは嫌というほど痛感している。しかしそれでもなお手を伸ばそうとした。無力感を払うためであることを理解していても、ただの自己満足であったとしても、困っている相手を見捨てられないが故に。ハジメからありがとうと告げられると、光輝もまた苦々し気な表情を浮かべてうなづく。

 

 そしてその苦しみは他の皆も同じであった。しかし恵里のことに関してはやはりハジメと鈴以上に頼れる相手がいないため、任せるしかないと全員考えていたのだ。

 

「まー、その、何だ。場違いなのはわかってるけどよ、とりあえず何か一杯飲もうぜ。せっかくハジメの親父さん達におごってもらったんだしよ」

 

 陰鬱な空気が漂う中、龍太郎はその雰囲気を壊すべくあえて空気を読まない発言をする。ハジメに任せることになった以上、これ以上考え込んでも仕方がないと考えたからだ。皆もこの空気をどうにかしたいと考えていたため、龍太郎にならって注文することに。

 

 しかし場の雰囲気を壊したと言えど、明るい空気に持っていくには中々できず。何とも言えない雰囲気のまま、ハジメ達はぎこちなく談笑するのであった。

 

 

 

 

 

 そして三十分もしない内に一同は解散し、恵里はハジメと鈴に頼み込んで一緒に南雲家へと向かっていた。

 

「それで、本当にいいの? 無理にでも聞き出したいわけじゃないんだよ?」

 

「うん。決めたから。信じてもらえるかはわからないけど、話したいって思ったから」

 

 道中、確認してきたハジメに緊張で体をかすかに震わせながらも恵里は答える。ハジメならいつかきっと踏み込んでくると考えた恵里は、これ以上誤魔化すことも先延ばしにすることもやめた。これ以上ハジメと距離を感じていたくなかったから。ハジメとの間の気まずい空気に堪えられなくなってしまったから。

 

 だから恵里は覚悟を決めた。本当のことを話すことを、その結果考え得る最悪の結果が起きることも。

 

 とはいえこんなデタラメもいいところの話を誰彼構わず聞かれるのも嫌だと思った恵里はハジメの家へと向かっていた。最悪南雲夫妻なら――流石にまだ帰ってくるとは思っていないが――話を聞かれても他の人より大丈夫な気がしたからである。

 

「カギ、かけたよ」

 

「ありがとうハジメくん――じゃあ、どこから話そっか」

 

 南雲家に到着した三人はそのままハジメの部屋へと直行し、入ってすぐに鍵をかけた後、向かい合って座った。

 

 二人から向けられる視線が怖い。やはり受け入れられないのではないかという不安は未だに張り付いたまま。だがここで尻込みするわけにはいかない、と恵里は一度深く呼吸をする。あの日のように何も出来ず、何もしないまま後で悔いるよりはマシだと信じて。

 

「……じゃあ、言うから。お願いだから何も言わずに聞いて」

 

 真剣な表情の恵里に二人は黙ってうなづくと、いつになく緊張した面持ちで恵里は語り出した。

 

「ねぇ、二人はさ、小説だけじゃなくて二次創作も読んだりするよね?」

 

 その問いかけに二人は首を縦に振る。ハジメは言わずもがなであるが、恵里と鈴もハジメからオススメの二次創作を紹介されて目を通したことがあってから読むようになっていた。ハジメはそれに軽い引っかかりを覚えたものの、鈴と一緒に視線で続きを促す。

 

「その中でも、さ……ほら、逆行モノ、ってあるでしょ? 記憶を持ったまま、あとは力も持ち越したまま過去に戻るのがね」

 

 その言葉に『あっ』と思わず鈴はつぶやき、ハジメは唾を飲み込む。

 

「二人ともわかったよね――ボクはね、未来からやって来たんだ」

 

 儚げで、悲しげで、それでいて少しスッキリした表情で恵里は言った。

 

 それから恵里は秘密にしていたことを次々と明かしていく。過去に鈴と友達であったこと、前に読んでいた兵器関連の本のこと、そして――。

 

「ボクが、ボクがハジメくんに声をかけたのはね……利用、するためだったんだ。ハジメくんの……ハジメくんの力を、ハジメくんが作る色んな……兵器を……ものを……」

 

 涙ぐみながら恵里は正直に語る。明かそうと考えた以上、もうハジメを騙せなかった。嘘をつけなかった。自分がやったのは最低の行いだと懺悔するしかなかった。

 

「やっぱり。どうりで恵里がハジメくんを狙ってた訳だよ」

 

 しかし鈴は軽く呆れるだけで、ハジメも腑に落ちた感じの表情をするぐらいで恵里をなじることは一切なかった。二人とも嫌悪感も侮蔑も露にせず、むしろ予想通りだと言わんばかりの顔で恵里を見つめるだけであった。

 

「おこら、ないの……?」

 

「昔から何かあるなー、って思ってたし。それにあえて聞かなかったことは恵里も憶えてるでしょ?」

 

 鈴のカミングアウトにハジメは一度恵里の方に視線を向けた。流石にそれは初耳だったらしく、首を傾げた様子のハジメに恵里はうなづいて返す。

 

「そっか。僕もどうして恵里ちゃんが声をかけてきたんだろうって思ったことがあったけど、これで納得したよ――ところで」

 

「……えっ?」

 

 鈴はおろかハジメの方まで感づいていたことに軽くショックを受けていた恵里にハジメが迫る。

 

「な、なに……?」

 

()()、話してよ。まだ何か隠してるんでしょ?」

 

「そうだね。その顔、これでどうにか切り抜けよう、って感じの事を考えてる顔だもん。つき合いの長い私とハジメくんを見くびらないでよ」

 

「え、あ、その……」

 

 鈴にも迫られ、恵里はパニックに陥ってしまう。

 

 実は恵里はまだ話していないことがあった。トータスで働いた悪行や、初めて好きになったのが光輝であることと彼を手に入れようとした事、過去の家族のことについては話してなかったのである。

 

 そのことを見抜いていないまでも、それを隠していたことがバレたことに恵里は軽く混乱しており、どうすればいいのか必死になって考える。

 

「ねぇ、恵里ちゃん。そんなに僕達が信用できない?」

 

 しかしその時、ハジメが不意につぶやいた一言に恵里の意識はそちらへと向いてしまう。

 

「僕も鈴ちゃんもどんなことがあっても受け止める覚悟だったんだよ? それでも恵里ちゃんは僕達を信じきれていないの?」

 

「そ、それは……」

 

「前世がどうの、って話をしたってのにこれ以上驚くことが何かあるの? 今更何が出ても驚かないってば」

 

 二人はなおも恵里に迫る。言いよどむ、まだ迷いを見せる恵里に全てを話してほしいと詰め寄っていく。どんなことがあろうとも自分たちの絆は揺るがないと目で訴える。

 

「――ないよ」

 

「えっ? 何? よく聞こえ――」

 

「言える訳ないよ! こんな、こんな……ボクの過去を話して二人に……ハジメくんに嫌われたくなんてない!!」

 

 だからこそ恵里は反発する。全てを露にしてハジメと鈴にまで嫌われてしまったらもう何もすがるものがなくなってしまう。だから差し伸べられたその手を払うしかなかった。

 

「もう……失うのは、もう! もう嫌なんだ!!」

 

「恵里ちゃん……ううん、()()

 

 だがハジメは拒絶する恵里の両肩を掴み、彼女の顔を真剣な眼差しで見つめたまま、呼び捨てで恵里の名を呼んだ。

 

「な、なに……? ぼ、ボクは――」

 

「君が好きだ」

 

 まだ諦めようとしていないハジメに何か言おうとした恵里は突然の一言にポカンとしてしまう。

 

「し、知ってる、けど……」

 

 言われて嬉しい一言ではあるがあまりに場違いな言葉に、ただでさえまとまってなかった考えが霧散してしまう。それでもどうにかしようとする恵里になおもハジメは甘い言葉をささやく。

 

「大好きだ。愛してる。恵里がこの世界で一番大事なんだ」

 

「え、いや、あの、その……」

 

 顔を赤らめながらも真剣な様子で語ってくるハジメに恵里は口をパクパクとさせることしか出来ない。どれだけ考えようとしてもハジメの言葉と顔だけが浮かび上がるばかりで何も浮かばず、ただただ顔を赤らめさせるしか出来なかった。

 

「恵里と出会えなかったらきっとこんなに誰かを好きになるなんてことは一生なかったかもしれない。恵里が僕を変えてくれたんだよ。恵里が僕に声をかけてくれたから僕は変わることが出来たんだ」

 

「あ、あの……は、ハジメくん……?」

 

「恵里をもっと好きになることはあっても嫌いになんて絶対ならない――こう言っても信じきれないなら、どれだけ僕が恵里を思っているか聞かせるから」

 

 告白する毎にただでさえ赤い恵里の顔は更に上気していく。どうにかして告白を止めようとする恵里のことなどお構いなしにハジメはひたすら胸の内を明かし続ける。

 

「恵里のその長い黒髪が好きだ。クセっ毛ひとつなくて日ごろから大事にしてるのがわかって、それできれいで、色んな髪型が似合うその髪が好きだ」

 

「え、えっと……」

 

「恵里の手が好きだ。僕を外の世界へ連れ出してくれたその手が好きだ。握っているだけで心臓が高鳴って、恵里の温かみを感じるその手が好きだ」

 

「だ、だからハジメくん!……その、う、嬉しいんだけど、あの……」

 

 好きなところをつらつらと語るハジメに、恵里は言い知れないほどの多幸感に支配されそうになっていたものの、同時に同じぐらいの羞恥心に襲われている。だからどうにかやめさせようと考えるも、頭の中はハジメの愛のささやきでいっぱいで今にもゆだってしまいそうになっている。どうしようどうしようと考えてもハジメが次に言ってくれる言葉に期待してしまっている。もう恵里はハジメを止めることが出来なくなった。

 

「恵里が僕に向けてくれる笑顔が好きだ。その笑顔にいつもドキドキさせられて、恵里にふさわしい人間になりたいっていつも思ってた。恵里の笑顔に僕はいつもいつも元気づけられてたんだよ。恵里と過ごす時間はいつだって輝いてる。楽しくて、ドキドキして、ずっと一緒にいたいって思えるあの時間は宝物なんだ。あの時間があったから今があるんだ。恵里が向けてくれる愛だって忘れたことなんてないよ。僕のために作ってくれるチョコレートやいつもしてくれる気遣いも本気で嫌だって思ったことはないんだ。恥ずかしくて……恥ずかしくてちゃんと見れない時はあったけど、でも、でも恵里がやってくれたことを忘れてなんていないつもりなんだ。それと、僕の自惚れかもしれないけれど、昔は本当に打算で動いていたのかもしれないけれど、でも今は恵里が僕のことを本気で好きだって思ってる。小二のホワイトデーや小三の頃の七夕の時に僕に抱き着いて甘えてきた時とか、去年のクリスマスパーティーで二人っきりになった時に僕を見つめてた時の視線はきっと本物だって思ってる……あっ、気持ち悪くってごめんね。でも、僕はずっと、ずっと恵里のことを――」

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!!!」

 

 一切止まることなくハジメが思いを垂れ流し続けるため、それを聞かされた恵里はもう頭が沸騰しそうになってしまっていた。

 

 とめどなく溢れる嬉しさが胸の内に巣食った不安を押し流していく。頭の中にあった心配もあきらめもハジメへの好意と恋慕で塗りつぶされる。とめどなく沸き続ける感情に振り回されてしまった恵里はハジメの胸に何度も自分の頭をぐりぐりと押し付け、ハジメもそんな恵里をもう何も言わずに抱きしめる。ひどく甘ったるい空気の中、ただ二人はお互いを抱きしめあうだけであった。

 

 

 

 ちなみに鈴は気絶していた。

 

 ハジメが恵里への愛の告白をやり出した当初こそ嫉妬丸出しで不機嫌であったものの、『私だってハジメくんにそんな風に言われたい』と考えた際に頭の中で自分に対して幾度も幾度も愛をささやくハジメを妄想してしまい、恵里と同様感情がオーバーフロー。結果、無事轟沈したのである。

 

 

 

 

 

「……ほ、ホントにいいの?」

 

 そうして小一時間が経った頃、ようやく三人とも落ち着いたところで話を再開することに。駄々余りの好意に一度は潰されたものの、結局また不安になってしまった恵里は改めて二人に問いただす。

 

 やったことが人道から外れていることは恵里もわかっていたし、それが原因で嫌われたり恐れられるのも仕方ないとは思っていた。しかしハジメと鈴は構うことなく続きを促してきた。

 

「うん。やっぱり聞かなきゃ判断出来ないしね」

 

「そうだね。恵里からすれば大事かもしれないけれど、私達にとってどうかわからないから」

 

「……もう知らないから。後悔したって知らないよ二人とも」

 

 頭をガシガシとかきながら恵里は明かすつもりのなかった過去を全てぶちまけた。トータスでやったことも、過去に光輝を手に入れるために動いたアレコレも、昔の家のことも何もかも。それを聞いた二人は何とも言えない表情になり、重々しい様子で恵里をうかがっていた。

 

「……別にいいよ。やったことがどれだけロクでもないかとかはわかってるつもりだから。あーあ、せっかくハジメくんも鈴も手に入れ――」

 

「待って」

 

 後悔とも自嘲とも、はたまた全てを語ったことでスッキリしたのかもわからない顔の恵里にハジメは待ったをかけた。真剣な眼差しで見つめられ、軽く言葉に詰まった様子の恵里にハジメはあることを言う。

 

「ねえ、指切りしようよ」

 

「指切り? どうしてまた……」

 

 いきなり約束を取り付けようとしたハジメの方を見やれば、真剣ながらも先ほどよりは努めて明るい表情を浮かべながら恵里に声をかけてきた。

 

「うん。約束、したいなって。恵里が悪いことをしないようにね」

 

「悪い、こと?」

 

 そう言ってハジメは小指だけを立てた手をそっと差し出す。

 

「うん――だって、恵里は()()悪い事をしてないでしょ?」

 

「ハジメくん、話聞いてた? あのさぁ……」

 

 ハジメの妙な物言いに軽い呆れと話を聞かなかったことへの怒りを露にする恵里。しかし鈴は何かに感づいた様子でため息を吐いていた。

 

「ハジメくん、それって屁理屈じゃないの? ()()()()()()()()()()()ってさ」

 

「いや、鈴も何言って――あっ」

 

 そしてそこで恵里もハジメが何を言おうとしたかに気づいて一瞬目を大きくした。するとハジメはどこかいたずらっぽい笑みを浮かべながらそれに答えた。

 

「うん。恵里が今言ったことって僕達にとっては()()未来の話だからね。だからこういうことをしないように約束したいんだ」

 

 そう。恵里が語ったことは彼女の過去であると同時に、ハジメ達にとっての未来である。だからこそここで恵里がそんな行動をしないようくぎを刺そうとしたのだ。

 

「僕達がどう頑張っても過去はもう変えられない。けれどもまだ未来なら変えられるから。恵里の手がまた血まみれになる前に、恵里がまた光の差さない場所に行かないように。そのための、約束」

 

 じっとこちらを見て語るハジメに、恵里は一瞬大きく息を吐くと困ったような笑みを浮かべた。

 

「……敵わないなぁ、もう。そんなこと言われたらするしかないじゃんか」

 

 約束。たったそれだけの行為でハジメは恵里を止められると確信している。そして困ったことに恵里もそれに反論出来なかった。父との生活、親友である鈴と再度友情を結ぶ、そして何より自分だけを見てくれる人、と欲しかったものが手に入った以上あんな凶行をする必要はないのだから。

 

「ごめんね。これぐらいしか出来なくて。恵里の苦しみに気づいてあげられなくて」

 

「それだけで十分だよハジメくん……ほら」

 

 申し訳なさげに謝ってくるハジメに恵里は自分の小指を彼の小指と掛け合うことで応える。すると鈴もそこに自分の小指を絡ませてきた。

 

「私もやるよ。まぁ、まずやらないとは思うけど、恵里が悪いことをしたら体張ってでも止めるから……それに、そういうのズルいよ」

 

「ふふっ……ありがとう、鈴。じゃあ――」

 

「「「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーます。ゆーびきった!」」」

 

 鈴の最後の一言だけ聞かないフリをして三人で指切りをして約束する。三人で明るい未来に進むための約束を。指切りを終え、どこか晴れやかな顔を浮かべている恵里にハジメは語りかける。

 

「ねぇ、恵里」

 

「なぁにハジメくん」

 

「ありがとう。僕を選んでくれて」

 

 その一言に恵里の心臓は思わず高鳴る。微笑みながら見つめてくるハジメから恵里は顔をそらせない。

 

「苦しいことも辛いことも一緒に背負おう。それが出来ないなら僕にぶつけて。僕はずっと恵里のそばにいるから」

 

 ドキドキが止まらない。顔が段々と赤くなっていくのがわかる。ますますハジメから目が離せなくなり、呼吸すら思い出せない。

 

「恵里、愛してる――」

 

 ハジメが目をつむり、顔を近づけてくる。それの意味することを理解できた恵里はそれを受け入れ、愛しい人が口づけをしてくれる瞬間を待――たず、割り込んできたお邪魔虫()を即座に引っぺがした。

 

「はい鈴邪魔ぁー!! 引っ込みなよ空気読みなよここはボクとハジメくんがキスするところだろぉ!?」

 

「いーや、読まないよ! 読んでたら鈴が負け犬になるからね!! 恵里ばっかりいつもズルい! 呼び捨てで呼んでもらったり、ファーストキスまでもらおうとしてさ!! 鈴、いっつもおこぼれしかもらえてないもん! もう我慢なんてしないよ!!」

 

「こんの――! 今この時ほど鈴に殺意が沸いた試しがないね! 今すぐ潰してやろうか、あ゙ぁ゙!?」

 

 そして唐突に始まるキャットファイト。目を開けたハジメも二人が争っている姿を見ては流石に苦笑を浮かべる他なく、つもりはなくてもないがしろにしてしまっていた鈴に心の中で謝りながらもどうにか二人を止めようとする。

 

「あーもう、二人とも。僕が悪かったからケンカしないでってば……」

 

「ハジメくん、話なら後にして!」

 

「ハジメくんは黙ってて!! どっちが一番大事かを決めてくれてたらこんなことにはならなかったしね! 鈴カンカンだから!」

 

「え、えっと……鈴ちゃん、ごめんね。僕は恵里……ちゃんが――」

 

「あーあーあー!! 聞こえなーい! 何言ってるのかぜんぜんわかんなーい!!」

 

「ハジメくんちょっと待った! どうして『ちゃん』付けに戻そうとしてるの!? そんなことしたらボク、絶対に許さないから!!」

 

「――あぁ、もう! 二人ともうるっさい!!」

 

 全然怒りが止まらない二人の様子を見て遂にしびれを切らしたハジメは強引に二人の口を――恵里と鈴の唇を奪ってしまう。その途端に二人は目を白黒させ、頬を紅潮させて黙り込んでしまった。

 

「これ以上騒ぐなら、黙ってくれないなら二人とも苗字にさん付けで呼ぶからね! いいね!!」

 

「「は、はいぃ!! すいませんでしたぁ!」」

 

 今更他人行儀に戻るというのは流石に堪えられなかった二人は即座に返事をして土下座した。そんな二人の様子を見たハジメは大きく、長く息を吐くと、一度自分の唇をなでてから天を仰いだ。色気も何もない状態で二人の女の子の唇を、それもファーストキスを奪ってしまった。我に返ったハジメはかなりの罪悪感に襲われ、今度は床に視線を落として大きくため息を吐いた。

 

「まったくもう……どうしてこんな僕に二人が惚れこんだんだろ。もう、ゴメ――」

 

 ろくでもないことをしたと自虐するハジメの口を今度は恵里が、鈴の唇が塞いだ。勢いに任せてやったせいで、よくわからなかった唇の感触を認識したハジメは一瞬で顔を真っ赤にする。

 

「ハジメくんのそういうところ、ボクは嫌いだよ。ボク達のことをずっとちゃんと見ててくれて、行動で示してくれてるのに。自分のことを卑下するところだけは大っ嫌い。直してよ、そこ」

 

「私もかな。どうしようもないダメな人に惚れてあげるほど私も恵里も優しくなんてないから。それにハジメくんが本当にダメな人でも私達がいるから。ずっと支えてあげるから」

 

 ねー、と息ピッタリに言い合う二人にハジメは頭をかいて苦笑する。こんな自分のことをここまで慕ってくれる二人にはどうしたってかないっこないと思いながらハジメは声をかける。

 

「恵里、鈴」

 

「なぁに、ハジメくん」

 

「どうしたの、ハジメくん」

 

「これからも、よろしくね」

 

 何気ないそんな言葉に二人はうなづく。こうして全てを打ち明け、より強固になった三人の絆を夕日だけがながめていた――。




本日の懺悔
本当ならハジメの愛の告白も全文の二、三割までやりたかったんですけど自分の語彙力とこの後の展開を考えると冗長になるのでやめました。無念。あとここまで長くなるつもりではなかったんですが、長くなりました(他人事)

ちなみにタイトルは当初、本家の『月下の語らい』をパク……オマージュして夕焼けに関するものにする予定でした。ただこっちの方が個人的にしっくりきたのでこうなりました。


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幕間七 第一回トータス会議は乱痴気騒ぎと共に

コロナワクチン接種後の副反応から無事復帰しました。また執筆出来そうです。

では拙作を見てくださる皆様への感謝を。おかげさまでUAが43000オーバー、お気に入り件数も462件(21/9/8 16:59現在)にまで昇りました。誠にありがとうございます……どうしてここまでお気に入り件数増えてるんでしょうか。コワイ

それとsimasimaさん、松江陸さん、拙作を評価していただき本当にありがとうございます。

ちなみにエリリンにメインに焦点が当たらない場合はエリリンが出ていても幕間扱いです。というわけで今回は色んな意味でハジメ君視点のお話となります。

それと今回のお話を見るにあたって注意点がいくつかあります。
まずアンチ・ヘイトタグが一応機能すること。
それと中村恵里という少女は天之河光輝という男の子を手に入れるために色んな悪行を重ねた子であることを思い出してください。

それでは上記の二点に注意して本編をどうぞ。


「いや、絶対やらないからね!?」

 

 平日の午後、南雲家の一室で少年南雲ハジメの叫びがこだまする。そんな様子の少年を不機嫌そうに少女の一人が見つめていた。

 

「どうして? これが一番手っ取り早いし、最適解だと思うんだけど」

 

「いやどこをどう考えたらそういう発想になるの。普通に引くんだけど」

 

 そしてそんな少女を見ながらもう一人の小柄な少女――谷口鈴がドン引きしつつ反論し、じりじりと後ずさる。

 

「えー……でも、本当にいいのハジメくん? ボクも鈴もこんなにハジメくんのことを思ってるんだよ? だったら別に問題ないんじゃ――」

 

 心底残念そうに少女――中村恵里がとんでもないことを口走る。その顔に浮かぶのは困惑ばかりで、自分がおかしなことを抜かしたことへの反省も改める気配も見られない。そんな彼女にハジメは叫ぶ。

 

「と、とにかく! 僕は絶対ハーレムなんて作らないから!!」

 

 部屋中に、なんとも間の抜けた叫びが響き渡った――。

 

 

 

 

 

 ハジメが子供とお婆さんのためにひたすら不良たちに土下座し、恵里が隠していた事実を明かしてくれた日から数日後。月曜の放課後にハジメ、恵里、鈴の三人は南雲家のハジメの自室に集まっていた。

 

 光輝ら武術組はこの日もそれぞれの道場へと通い、香織はもう習慣となった龍太郎の付き添いに、幸利ら他の面々には『今日は三人だけで話をしたい』と断りを入れたためこの場にはいない。こうして人払いに成功した三人は真剣な面持ちでお互い見つめあっていた。

 

「えー、じゃあ第一回、トータル……トータスだっけ? 会議、始めるよ」

 

 司会進行を務めることになった鈴が何とも締まらない宣言をすると、脇にいた恵里とハジメが拍手する。

 

「はい。じゃあボクが語り手で」

 

「僕が書記だね。じゃあ鈴、司会進行お願いね」

 

「うん。それじゃあ恵里、改めて私とハジメくんにトータスのことについて説明してくれる?」

 

 鈴はハジメの言葉にうなづくと、早速進行に移った。

 

 ――今回こうして人払いをしたのもこのためである。可能な限り情報の漏洩を防ぎ、他の面々から余計な茶々を入れられないためであった。実際このことを他の面々に話したら恵里の頭の具合を心配されるのは目に見えているし、ならばと考えてこうしたのである。

 

「うん、わかった。この前話したのがほとんどだし、もう記憶も相当薄れてるけどあそこはね――」

 

 そして恵里の口から語られる情報を用意した“創作用ノート”にハジメが書き連ねていく。

 

 ……当初は恵里が情報を残すことに大いに反対したのだが、そこはハジメが『僕の家ならやり方次第でどうにかなるし、上手いこと誤魔化すから』と説得したのである。

 

 ハジメが思いついたのは『創作物のヒントになりそうな思いつきとしてノートに残す』という方法であった。それもここ最近一次二次、小説や絵を問わずに創作にハマっていたからである。そのことは周知の事実であったため、恵里もハジメの案を受け入れたのだ。

 

 ちなみに絵に関しては菫直々に指導されているのもあってか文句なしの出来栄えではあるのだが、小説に関しては『思いついた部分こそ良いものの、そこまでのつなぎがイマイチで微妙』という評価を両親と恵里、鈴から受けたこともある。ロマンや盛り上がり優先で書いていた間は枕を涙で濡らすのも珍しくはなかった。

 

 閑話休題。

 

 今恵里が語ったことを書き留めているのも、過去の思い付きをしたためたノートであった。木を隠すなら森の中、とはよく言ったものである。

 

 こうして断片的なトータスの情報、未来の自分が使ったと思しき兵器、恵里がとっていた行動を鈴と一緒に相づちを入れながら一つ一つ漏らすことなく書いていく。そして――。

 

「えーと、これで思い出せるのは全部かな。お疲れ様、二人とも」

 

「ありがとう恵里。それじゃあ、今書き出した情報を元に色々と考えよっか」

 

 全ての情報を書き終えたハジメは恵里に感謝を述べ、二人にそのノートを見せながらトータスに移転した際にどうするか考えることに。するとすぐに鈴が手を挙げたため、ハジメは視線で発言を促した。

 

「えっとね、ちょっと恵里に聞きたいことがあるんだけど……一度いなくなってからまた会った後のハジメくん、どんな感じだったか説明してよ」

 

 その問いかけに恵里は露骨に目をそらす――召喚された王都で魔人族とやらに与する際にハジメと再会したことや使った兵器に関しては話したのだが、どういった見た目になったかは話してなかったのである。いなくなった経緯も『どこかで行方不明になった』とあまりにあっさりとしていたし、恵里自身もそれ以上思い出せなかった。そのため、もし仮に恵里が語った情報の通り、ここで再会したとしても恵里達が気づけない可能性があった。

 

「いやー、そのー……ひ、一目見ればわかると思うんだけど……」

 

 しかし恵里は答えを渋った。この反応からして間違いなく何かあるとハジメは確信し、同じ結論に至った鈴と一緒にジト目を向けることしばし。心底居心地が悪そうにしていた恵里はようやく観念してわかったと伝えると、あることをハジメにお願いしてきた。

 

「じゃあハジメくん、そのノート貸して。どんな感じの見た目だったか描くから……どうなっても知らないから」

 

 軽い恨み節をこめながらそう答える恵里にハジメはノートを渡す。すると恵里は一気に未来のハジメの姿を描き出していった。

 

「……はいコレ。コレがその時の姿だよ」

 

 渡されたノートを見た瞬間、ハジメと鈴の顔が即座に引きつった。

 

 ――白髪、眼帯、赤い瞳に左腕の妙な手甲etc……凄まじいまでの厨二要素がこれでもかとひしめき合った姿がそこに描かれていたのだ。そして空きスペースに『敵ならぶっ殺す』だの『変貌前:どこにでもいそうなぼっちの少年。変貌後:俺様系厨二キャラ』だの『女の子に囲まれてた。ハーレム? 最低でも二人』といったものがこれでもかと書き込まれていたのである。

 

「だから嫌だったの! ボクだってこんな風になってるハジメくんを描きたくなかったんだってば!! でも仕方ないよ! 本当にこんな感じになってたんだから!!」

 

 ハジメと同じく菫の指導を受けた恵里の絵は無駄に完成度が高く、しっかりと緻密に描かれていた。そのためこんなに厨二要素を詰め込んだこれが未来の自分の姿だとはハジメは全然思えなかった。

 

 ……厨二心がくすぐられる見た目はちょっとカッコいいとは思ったし、俺様系とはいかないまでもちょっとワイルドな感じには憧れていたため真似したくなったのは事実だが。

 

「嫌だよこんなの! 優しくて素敵なハジメくんがどこをどうやったらこんな痛々しい感じになるの!? 恵里、嘘ついてるでしょ!」

 

「ぐはっ」

 

「こんなところで嘘なんてつかないってば! ボクだってハジメくんが将来こんなのになるって考えただけで寒気が走るよ!! でもこの時のハジメくんって香織がやたらと構ってたぐらいで他に友達いなさそうだったし、だからきっといなくなってからねじれにねじれてこうなっちゃったんだよ!!」

 

「ごふっ」

 

 自分の将来像(仮)を慕ってくれている二人にけなされ、ハジメの心は瞬く間にボロボロになっていく。『こんなのハジメくんの名前を騙る誰か』だの『俺様系になったハジメくんなんて“恋ビブ”の錬の真似してた時より似合わないよ』だのと頭に血が上った二人の応酬でハジメの心が血だるまになるまでそう時間はかからなかった。

 

「――っていうかハジメくん何人も女の子侍らせてたのってホントなの!? ハジメくんはそんな女の子に誰彼構わず手を出すようなことしないもん!! だったら鈴にもチャンスあったじゃん! どこをどうしたらこんな嘘つけるの!」

 

「だから事実だってば! それにボクだってこんなこと考えられないよ!! アイツとハジメくんが同一人物とかどう考えたって質の悪い冗談としか思えないし!! でも本当にアイツは――あれ、ハジメくん?」

 

「グスッ……ヒック……もういいよ。僕にこういうのが似合わないってわかったから……」

 

 二人の応酬に次ぐ応酬をその場で受け続けた結果、ハジメの心はぽっきりと折れてしまった。

 

 厨二病を発症していたハジメからすればカッコいいと思っていた姿であり、また危険な世界だとわかったからこそ空きスペースに書かれていた荒々しい言葉にも厨二病込みではあったが共感していた。にもかかわらず二人に何度も何度も否定されたのは応えたのである。体育座りをしてうずくまりながらハジメは涙を流していた。

 

「ご、ごごゴメン! ハジメくん!! お、落ち着いて、落ち着いてハジメくん。私達が言ってたのはハジメくんじゃなくて『ハジメくんっぽい誰か』だからね」

 

「そうそうそう! 今のハジメくんはとっても素敵だから!! あんなのの数億倍カッコよくて最高の人だから! だから気にしないで、ね?」

 

 ようやくうずくまって泣いていたのに気づいた二人から大慌てで声をかけられるハジメ。二人に頭をなでられ、彼女達なりの労わりの言葉をかけられながらハジメは『もう厨二病なんてこりごりだ』と心の中で吐き捨てる――二人に慰められ、ちょっとだけ大人にさせられたハジメであった。

 

 

 

 

 

「――えーと、じゃあ宗教はエヒト、っていう神様を信奉するもの以外ない、ってこと?」

 

「うん、確かそれで合ってるよ……今にして思えば分派とかってどうだったのかな?」

 

 恵里と鈴に慰められること小一時間。どうにか立ち直れたハジメはノートのあるページを破り、くしゃくしゃにしてゴミ箱に投げ捨ててから再度話し合いに戻った。

 

 恵里からの話の聞き取りで時間を使い、ショックで凹んで時間を無駄にしたこともあって門限まで残り少なくなった時間をこれ以上浪費しないためにもハジメは恵里から色々と聞き出していた。

 

「うーん、そのエヒトっていうのがやりたい放題やってるなら、同じ宗教でも派閥が違ったら面倒なことになるよね? そういうトラブルが見たいんじゃなかったらアレコレやって作らせないんじゃないかな。ほら、使徒っていうのがいるみたいだし」

 

「僕も鈴の言った通りだと思う。宗派を一つにしておいた方が管理もしやすいだろうからね……言っててなんかやだな、これ」

 

「はいはい。あんまり気に病まないでねハジメくん。とりあえずボクも二人の言ってることが正しいと思う。アイツ、ハジメくんに倒されはしたけど一応神様だしね。それぐらいやれてもおかしくないと思う」

 

 二人と話し合いをしていたハジメであったが、ふと恵里の言葉にどこか引っかかりを覚え、手に持っていたノートのページを次々とめくっていく。そしてあるページでハジメは手を止める。そこにあった記述の一つ、“自分が連れていた子の一人に憑依”を確認するとハジメの中にある仮説が生まれた。

 

「……本当にそうかな?」

 

「どうしたのハジメくん? 何か変なところでもあった?」

 

 心配そうに覗き込んでくる恵里にハジメは笑顔を浮かべて大丈夫と答えながら先ほど気になった記述を指さした。

 

「あー、そういえばハジメくんが連れてた子を乗っ取った、って恵里が言ってたよね。嫌なことするなー、って思ったけどどうしたの?」

 

 鈴の言葉にうなづきつつもハジメは『本当に神様なのかな?』と独り言を言うかのようにつぶやく。どうしてそんなことを言ったのか二人は疑問に思いながらもそれに返答する。

 

「うーん、確かに神様の癖に人間のハジメくんに倒されてるんだから情けないとは思ったけど、でもアイツの言葉でハジメくんとか連れてたのがマトモに身動きがとれなくなってたはずだから、やっぱりそういうのじゃ――」

 

「うん。それは聞いたよ。それが凄い事なのもわかってるよ――でもさ、神様ならどうしてわざわざ()()()()()()()()()のかな?」

 

 その言葉に恵里も鈴も首をかしげた。恵里はその少女にエヒトが執着してた気がする、と語っていたがその理由は既に記憶の彼方であり、確かめる術はない。それにどうして()()()()必要があったか。ハジメがいぶかしむ様子も含めて二人は疑問に思う。

 

「これは僕の推測なんだけどね――エヒトはきっと、()()()()()()完璧な身体を造れなかったんだと思う」

 

 その一言に恵里と鈴は思わず唾を飲んだ。すると矢継ぎ早にハジメは恵里にあることを質問してきた――魂だけでもその世界にいられる? と。

 

「……()()()()()無理、だね。元“降霊術師”のボクの経験からすれば、魂は一定の時間で霧散する。ボクがやってたのもあくまで生前の人間の記憶と思考パターンの付与ぐらい。あと降霊術、ってのはあくまで残留思念に働きかけるだけのものだから、魂をその場に留めるのもやれたとは思えないかな。でも……」

 

「やれる場所に心当たりがある。そうでしょ?」

 

 ハジメの問いかけにうなづくと、恵里はノートをめくってある記述を指さした。“エヒトの居城”と書かれたものを。

 

「……ボクがあそこで鈴に負けて、やけになって自爆した後もあの世界が崩壊するまでは僕の意識が薄れる気配が全然なかった。だからあそこは特別なんだと思う」

 

「で、でもハジメくん、だからってエヒトに体がないって決まったわけじゃ……」

 

「うん。だから次の質問。恵里、自分の肉体を持ってる人が魂を別の肉体に移すことって出来る?」

 

 ハジメの質問に恵里は渋い顔をした。流石にこういった方向から質問が来るとは思っていなかったようで、百面相を浮かべながら考え続けることしばし。

 

「……正直わかんない、かな。自分の肉体を死ぬレベルまで傷つければ魂を外に出すのは簡単だろうけど、そうしないでやるとなると結構難しいかも」

 

 どうにか出した答えがあまりに頼りないものであったため、ごめんねと恵里は謝ってきたが、ハジメは首を横に振っていいよと声をかける。すると今度は顔を青ざめさせた鈴がおずおずと手を挙げ、ハジメに質問してきた。

 

「じゃ、じゃあハジメくん……もしかして、エヒトって、ゆ、幽霊みたいなもの、なの……?」

 

「僕はそう考えてる。神様ぐらいすごいけど神様そのものじゃない。だからその子を狙ったのもきっと、エヒトにとって理想の肉体だったからなんじゃないかって思ってる……あと、これ」

 

 鈴の問いかけに答えたハジメは彼女の手を繋ぎながらノートのページをめくる。そしてあるページの書き込み――“乗っ取った子ごと本拠地に戻った”、“何日か後で総攻撃”、“世界を滅ぼすほどの軍勢”を指さしていく。

 

「きっと、その理想の肉体であるその子を手に入れたからトータスに見切りをつけた。それで、ここ」

 

 そしてハジメは“ある時トータスに異世界転移した”という記述を指さす。あまり関係がなさそうな記述を指したことに疑問を覚えた鈴と恵里はハジメに問いかける。

 

「どういうことなのハジメくん。トータスに見切りをつけたことと、この文がどう関係してるの?」

 

「鈴の言う通りだよ。いくら何でも突飛過ぎて……うん?」

 

 恵里が何か引っかかったところでハジメは真剣な顔でこう答える――エヒトはきっと僕達の世界に狙いを定めた、と。それを聞いた途端、鈴は軽くパニックになり、恵里は顔を青ざめさせた。

 

「ど、どうして!? わ、私達の世界が狙われることになるの!?」

 

「……いや、アイツならやるかもしれない。いや、そう言ったはず」

 

 その言葉に鈴は恵里にすがりつき、ハジメも恵里に続きを話すよう視線で促した。

 

「さっきのハジメくんの言葉でうっすらとだけど思い出せたよ。ボク達の世界で遊ぶだなんだ、ってね……あの時は光輝くんと過ごすことで頭がいっぱいだったから大して気に留めてなかったけれど、アイツが自分の居城に戻るときの声色からしてトータスに未練はなさそうだったよ。こんな悪趣味なことやるヤツだから似たようなことをどこかで必ずやる。それが――」

 

「――この世界、だね」

 

 ハジメの返答に恵里は深くうなづく。やっぱりそうなるかとハジメが考えていると、鈴は頭を抱えながらため息を吐いた。

 

「うぅ……お願いだからこれが恵里の妄想とか、この世界は違うとかそういうのであってほしいよ……」

 

「ボクとしてもそれが最高なんだけどね。ま、でも対策を立てるに越したことはないでしょ。実際にトータスに行く羽目になって、ロクに対策も立てられないままエヒトにいいようにされるなんてボクはゴメンだよ。あ、鈴。後でシバくから」

 

「ひどっ!?」

 

「あー、コホン!……そうだね。恵里の言う通りだ。対策を立てられるならやっといて損はないよ。それで話をちょっと戻すけど、多分理想の肉体を目指して作ったものはコレだと思う」

 

 そう言ってハジメが指さしたのは“チート一般兵の使徒”という書き込みであった。

 

「コレ?……確かにボクが体をいじられた時も……うん、コイツらの能力使えるようになったし、()()()()()強くなったよ」

 

 そっかーコイツらかー、と漏らす恵里を見てハジメと鈴はちょっと話を盛ったなと思いつつもとりあえず口に出すことはせず、そのまま話を続けた。

 

「あくまで僕の推測でしかないし、どれだけの間トータスで神様として敬われてたかはわからないけど……もし相当の時間があって、しかも造るのに失敗してるって考えると多分ここかな、って思う」

 

「理想の体を目指して出来たのがこれなんだね……ねぇ恵里、やっぱりエヒトがこの使徒とかいうのの体を使うのって――」

 

「絶対にない。たとえ人形だとしてもあの無駄に偉ぶってるアイツが、自分以外を虫ケラ同然に見てる奴が自分と同じ姿の存在を認めなんてしないよ絶対」

 

 断言する恵里にハジメは鈴と一緒に気圧されながらも首を縦に振って同意した。これは当事者である恵里以上に説得力がある人間がいないから二人は同意したのであって、いきなりイライラし出した恵里に二人がうかつに触れたくないと考えた訳では決してない。

 

「ともかく、エヒトについてはある程度推測が出来た。それと、宗教関係とあまり敵対しない様に立ち回るのが上策かな。兵器とかに関しては後で使えそうなものを僕が調べとくし、具体的な方針はまた今度にしよう……どうしたの恵里、鈴?」

 

 門限が過ぎる前にひと段落ついたところでハジメは会議を切り上げようとすると、戦慄と尊敬の入り混じった視線を二人から向けられ、困惑してしまう。まさか二人も何か用事があったのではないかと的外れな事を考えて軽くうろたえだすと、そこでようやく二人が口を開いた。

 

「あ、いや……やっぱりハジメくんは凄い、って思って」

 

「うん。私と恵里だけだったらきっとここまで辿り着かなかったと思うから」

 

 それを聞いて杞憂だと理解したハジメは、二人を落ち着かせるよう微笑む。

 

「ううん。こうして恵里が話をしてくれなかったら僕だってここまでやれなかったよ。鈴も上手く聞き出してくれてありがとう」

 

「ハジメくん……」

 

 その一言で恵里はトロンとした瞳でハジメを見つめ、ハジメもまた恵里を愛おしげに見つめ返した。一方、感謝されこそすれど恵里の方ばかり注視しているハジメを見て軽く腹を立てた鈴は何か話題を出してこの状況を終わらせようと考える。すると、ある記述を思い出し、二人の服の袖を引っ張った。

 

「ん? 何なの鈴? 今すっごくいいシーンなんだけど邪魔しないでくれる?」

 

「まぁまぁ恵里……えっと、ごめんね鈴。構ってあげなくて。それで、何かあったかな?」

 

「うん。あのねハジメくん……本当にさ、ハーレムを作ったりしないの?」

 

 そう。鈴が思い出したのは先ほどハジメがゴミ箱に投げ捨てた例のページにあった書き込みであった。その一言にハジメはブンブンと何度も何度も首を横に振るが、何故か恵里はニヤつきながらハジメの方を見ていた。

 

「し、しないから!! 僕はそんなことなんてしないよ!」

 

「え~ほんとぉ~? ハジメくん、その割にはナデ○コの逆行ハーレムモノの二次創作に手を出してたけどぉ?」

 

「そ、それはそれ! これはこれだから!」

 

 いつの間に恵里が自分の見ていたものを把握していたのかに慄くもハジメはどうにか言い逃れようとしていた。しかしその恵里の言葉を聞いた鈴はじっとりとした目つきでハジメを見つめだす。

 

「……ホントなのハジメくん?」

 

「ホントホント! そんなことしたら刺されそうだし、怖くて出来ないってば!!」

 

 自分が二人の少女に慕われていながら明確な結論も出さず、その上ファーストキスを奪っていることを棚上げしながらもハジメは叫ぶ。すると今度は恵里がとんでもないことを言いだした。

 

「ふ~ん……じゃあボクと鈴、どっちも愛してくれないの? お得なんだけどなぁ~?」

 

 ニヤつきながら告げてきた恵里の言葉に二人の顔は驚愕に染まる――かくして話は冒頭に戻る。あまりに無茶苦茶な発言に鈴が引き、ハジメは絶対にしないと叫んだのである。

 

 こうして“ハーレムは作らない”と宣言したハジメに恵里は舌なめずりをしながら近づくと、彼にしなだれかかりながら耳元でささやく。

 

「ハジメくんはさぁ……今更鈴と離れられる? だぁ~いじな幼馴染が、他の男の人と幸せそうにしてるのを見て耐えられるぅ? そんなの、ボクはぜぇ~ったいイヤだけどなぁ~?」

 

 それは、悪魔のささやきであった。恵里が投げかけてきた疑問を聞いた途端、全身の血が沸騰したかのような心地になり、頭の中で様々な感情が暴れ狂った。

 

 ――鈴が自分から離れる? 他の男の人と仲良くしてる?

 

 そんな状況を考えた途端、もの凄い嫉妬が湧き上がってきた。鈴の幸せを願うならそれが一番だと前々から考えていたのに、いざこうして恵里から言われただけでそれが許せなくなってくる。そんなことを考える自分が最低だと理解できても、鈴が自分の側から離れると考えると全身が引き裂かれたかのような心地になる。

 

 ジレンマでどうにかなりそうなハジメを見てニタニタと笑いながら恵里は甘い言葉をささやく。

 

「す・ず・も、ハジメくんの()()にしちゃおうよ。鈴の気持ちに全然気づいてない程、ハジメくんはニブちんじゃないよね?」

 

「ぅぁ……あ、あぁぁぁ……あああぁぁああぁぁあぁあぁあぁ!!」

 

 その一言でハジメの頭の中は完全にめちゃくちゃになってしまった。もちろん鈴の好意には気づいていた。だからこそ鈴のためにも早くこの関係をどうにかしないといけないと考えていた。だが恵里によって自覚させられた独占欲がそれをよしとしなくなってしまう。鈴も欲しいと暴れ狂ってしまっている。

 

「ちょ、ちょっと恵里! なにハジメくんのことをかどかわそうとしてるの! いくら親友でも怒るよ!!」

 

「ふぅ~ん……じゃあ鈴はさ、今のままだとハジメくんが()()()を選ぶかぐらい、わかるよねぇ~?」

 

 恵里に揺さぶられ、平常心を失ったハジメを見て色んな意味でショックを受けていた鈴もようやく恵里を止めようと立ち上がった。

 

 ハジメが自分を思ってくれたことに安堵しつつも彼をジレンマで苦しませた恵里に怒りを向けるが、当の本人は涼しげな顔でそれを受け流し、笑みを浮かべたまま疑問を返してくる。

 

 すると鈴の体はピタリと動きを止めてしまい、何かを言おうとしても口から乾いた息以外出なくなっていた。

 

「ほら、やっぱりぃ~。だったらボクの提案が鈴にとってもお得だってわかるでしょ? そ・れ・と・も、まだボクに勝てる気でいるぅ~?」

 

「で、でも! は、ハジメくんをそそのかしていいわけじゃないでしょ! そ、そういうことじゃないよ!!」

 

 先の質問に鈴は大いに動揺していたが、それでもどうにか言葉を出す――鈴もわかっていたのだ。どちらかを選ばなければならない時、ハジメが選ぶのは自分ではなく恵里だということを。だからこそ話を逸らすべくハジメの気持ちを弄んだことに対して怒りを向けるも、恵里の余裕の表情は微塵も崩れなかった。

 

「本当にそう思ってるぅ~? 鈴は、ハジメくんがだぁ~い好き、ハジメくんも、鈴がだぁ~い好き。ほら、両想いでしょ?」

 

「だ、だめ……だめ、だよっ!」

 

 すると恵里はハジメから離れると、鈴の元へとゆっくりと近づきながら甘言をささやいてきた。ハジメは恵里を止めようとしたものの()()()手が伸びなかった。“このまま恵里を行かせてはいけない”、“恵里を止めてはいけない”と相反する二つの思いに苛まれてたハジメは恵里を止めることは出来なかった。

 

「え、恵里……だ、ダメ、ダメだよ、これ以上は、もう……」

 

 うろたえるような、何かを期待するような眼差しを向けてしまっていた鈴に、恵里は妖艶な笑みを浮かべながら耳元でささやく――。

 

()()()()()ハジメくんを幸せにしよ? ハジメくんに愛してもらおう? 大丈夫だよ、鈴。もしあっちで()()()()()()になったって、その時のイザコザでこうなった、って言えばいいんだから」

 

「あ、あぁ……」

 

「鈴もハジメくんと両想いなんだよ? それにボクと鈴の仲じゃんか。二人なら()()()よ。ふ・た・り・で、ハジメくんを独占しよう? ハジメくんのものになろう?」

 

 甘言をささやかれて自分と同じく過呼吸になっていく鈴を見てハジメは思った――僕が愛した人はとんでもない悪女だった、と。

 

 蕩けるような笑みを見せてくる愛しい少女を前に、ハジメは乾いた笑みを浮かべるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

「……ねぇ、恵里」

 

「なぁに、ハジメくん」

 

 抵抗しなくなり、その場でくずおれた鈴を尻目に、また自分にしなだれかかってきた恵里にハジメは声をかけた。

 

「……恵里は本当にこれでいいの? 正則さん、絶対怒るよ?」

 

「……仕方、ないよ。ボクにとってハジメくんも鈴もどっちも大事だから。欠かすことなんて出来ないから。それにさっき鈴にも言ったけど、異世界に行った際にゴタゴタしててこうなった、って言って通すから」

 

 自分の問いかけに弱々しく返してきた恵里を見てハジメは何も答えられなかった。以前聞いた恵里の境遇を考えれば、父の存在は最低でも自分達と同じぐらいには重いはずである。それなのに父親と自分達を天秤にかけ、それでもなお自分達を選んでくれた恵里に対してどこか優越感を抱いてしまったからだ。もちろん正則に対してかなり申し訳なく思っているのは間違いないが。

 

「それにさ、ハジメくんはボクの過去も悪いことも全部受け止めてくれたよね。責任、とってよ……」

 

 そう言って拗ねながら近づけてきた唇にハジメは自身のものを重ねる。

 

 唇越しに伝わる恵里の体温を感じながらハジメは思う――やっぱり恵里には勝てないや、と。

 

 どこか大人びてて、でも今みたいに子猫のように甘えてきて、とてつもない悪行を重ねてきた事を白状して、そして今、自分と大切な幼馴染をたぶらかしてきた目の前の少女をどうしてもハジメは嫌うことが出来ない。むしろもっともっと夢中になってしまっていることをハジメは自覚していた。

 

(本当に、恵里は悪い子だ……僕の心をこんなにかき乱したのに、ドキドキさせたのに、その癖離してなんてくれない。すっごく、悪い子だよ)

 

 ハジメの方から唇を離すと、恵里は潤んだ瞳をこちらに向けてくる。もっと欲しい、もっとしたいと訴えてくる様子の彼女を見てますますズルいとハジメは感じた。

 

「……ハジメくん?」

 

「やっぱり恵里はズルいよ……あんなとんでもないことを鈴に言ってたのに、全然嫌いになれないなんて」

 

「だって、ボクとハジメくんの仲だもん。当然でしょ? ……あ、鈴。どうしたの?」

 

 二人で見つめ合い、甘い空気の中に浸りあっていると、突如鈴がのそりと起き上がり、こちらの方へ向かってきた。そのまま無言で抱きついてきたため、どうしたのと声をかけると鈴はハジメの方を見ながらこうつぶやいた。

 

「ねえハジメくん。鈴もキス、してもいい……よね?」

 

 その問いかけに恵里も特に反対はせず、微笑みながらハジメはうなづいてそのまま鈴とも唇を重ねる――が、ここでハジメと恵里にとって予想外の事が起きた。

 

「――むぅっ!? んむぅっ!?」

 

「えっ……あー! あー! あー!!」

 

 なんと鈴がディープキスをしてきたのである。突然の事態にハジメは頭が真っ白になり、恵里も鈴を引っぺがしにかかるまで数秒かかった。

 

 その後も最初にディープキスをしたことに優越感を抱いた鈴が逆に恵里を煽りに煽って取っ組み合いのケンカとなり、しばし呆然としていたハジメも二人を止めに間に入るもののケンカはすぐには収まらず。

 

 かくして第一回トータス会議は喧騒に包まれたまま終わることとなった。

 

 なお、ケンカとその後のアレコレが終わった頃には門限がかなり過ぎており、心配した中村・谷口家の両親から電話がかかってくることに。ハジメは電話越しに、恵里と鈴は自分達の両親から直接叱られることとなったのであった……。




どこかの魔王「谷口と死んだ中村に貶された気がする」

本日の懺悔
実は元々このお話はプロットそのものすらありませんでした。この後のお話で『実はこんなことがあったよー』的な感じのネタが膨らみに膨らんで、既にプロットが出来上がっていた話を押しのけてここまでになってしまったんです……。

流石に9000字あれば書き終えるだろうと思ってて、途中6000字もいかないで焦ってたぐらいなのに……どうして、どうして……。

あ、後で“その後のアレコレ”をR18の方で書いて上げます(キッパリ)

2021/9/18
遅くなって申し訳ありません。こちらがR18シーンです。あ、割といつものノリです。
https://syosetu.org/novel/259832/3.html


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二十一話 舞台へのきざはしに役者達は足をかける

(活動報告で)「今週の金曜日辺りには最新話が投稿出来そうです」とキッパリ言ったばかりなのに……スマンありゃウソだった
でも まぁ 投稿が早いに越したことは無いから良しとするって事でさ…… こらえてくれ(SOBNHRN並の感想)

では拙作を見てくださる皆様への感謝を。おかげさまでUAが47000越え、お気に入り件数も488件(21/10/7 08:08分現在)になりました……どうして投稿にしばらく間が空いたのにここまで増えてるんですか(戦慄)

Aitoyukiさん、アクルカさん、星野優季さん、サバ捌きさん、タイヨーさん、真藤陽人さん、拙作を評価及び再評価していただきありがとうございます。おかげでモチベーションを維持し続けることが出来ました。ありがとうございます。

今回も言い訳は後書きで。では本編をどうぞ。


十二月の半ばに差し掛かる頃の昼休み。数日前に中学二年の期末テストを無事に終え、ようやく人心地がついた恵里達は今日もいつものように教室で談笑をしていた。

 

「やっと期末の方も終わったけどよ、手応えはどうだった? 俺はまぁ、国語と数学はギリギリだったけど、それ以外は平均より上だぜ」

 

 龍太郎が早速テストについて話を切り出すと他の面々も自分の結果を口にしていく。

 

「俺の方はいつも通りだな……龍太郎には後で俺がついてやるとして、幸利はどうだった? 大丈夫か?」

 

「あぁ、問題ねぇよ。専属の家庭教師さん達の腕がいいおかげでな」

 

 今回も全教科ほぼ満点であったと光輝が暗に述べ、後で一緒に勉強しなければならなくなった龍太郎がうへぇと嫌そうな顔を浮かべる。そしてそんな光輝をチラリと見てから幸利も口角を上げながら語った。

 

 幸利と和解して以降、光輝は雫と協力して幸利に勉強を教えていた。幸利が引きこもりをやめて少し経った頃、彼が勉強で置いて行かれてないかどうか不安になった光輝がそれについて尋ねてみたことがあった。光輝が懸念した通り、追い付いていくのも億劫になったせいでおろそかになっていたのだ。

 

 このままでは幸利のためにならないと思った光輝は、彼のためにわからないところを教えようと考えたのである。とはいえ光輝は八重樫道場に通っている身である。鷲三と両親に理由を説明し、少しの間でいいから通う日数を減らしてほしいと説得して了解を貰うことに。そして三者から認められるとすぐさま光輝は幸利に勉強を教えることとなった。

 

 最初の内は自分と他人の地頭の良さの差を上手く認識出来なかったせいで、幸利がどうしてつまづいてしまうか理解が出来ず、悩んでいたところを雫に打ち明けると今度は雫も同伴して一緒に幸利に教えることに。時間こそかかったものの、今度は雫のサポートもあったため上手く幸利が理解出来るよう説明が出来た。そこから光輝が本領を発揮し、的確な指摘やちょくちょく励ましを入れたのもあって幸利はすぐに授業についていけるようになった。

 

 今でも頻度こそ減ったものの幸利の方から二人に頭を下げて一緒に勉強会を開くこともある。そのため一同の中で二~三番目の成績を誇るのが幸利であったりする。本人は『まだ光輝には勝てねぇな』と少しだけ悔し気に言っており、いつかは超えてやろうと闘志を軽くギラつかせている。

 

「そう。でも幸利君がちゃんと頑張ってるからこうして結果が出てるだけよ」

 

 そういう雫もまた幸利に色々と教えているおかげで理解が深まり、前より幾らか得点が高くなっている。とはいっても平均八十後半あたりの点数に一~三点上乗せされたといったものだが。

 

「相変わらずお前らレベルが高ぇよなぁ……平均が八十点そこらでしかないのが恥ずかしくて仕方ないんだけど」

 

 そしてそんな成績おばけの集団を見て浩介は思わずため息を吐く。息をするようにテストで満点近くの点数をとる光輝に、彼に追い越さんとする幸利。自分と同じく八重樫の裏の顔を修めながらも高得点を出している雫に彼女と大体同じくらいの点数を稼いでいる恵里、鈴、香織。今更な話ではあるが、そんな彼らと一緒にいて浩介は気後れをしていた。

 

「コースケ、あんま上ばっかり見てると息が詰まるわよ。ていうかアンタだって十分高いじゃないの」

 

「そだね。光輝っちや恵里っち達が凄すぎるだけで浩介っちだってちゃんとやれてるじゃない」

 

 そんな彼を優花や奈々、妙子、まどか、ミサキらの平均よりちょっと上の辺りのグループが慰める。彼女たちに慰められてばつが悪くなった浩介は『悪い』とだけつぶやき、優花達はやれやれといった様子で彼を見ていた。

 

「とりあえず私もまどかちゃん達も赤点はなかったし、きっと補修もないよね?」

 

「うん。私も恵里も点数良かったし、別に問題ないんじゃないかな」

 

 香織の問いかけに鈴が答えた。今回も恵里と鈴の点数も平均が八十点代後半であったため、補修を受けることはない。それに香織がホッと息を吐くと今度はミサキがある疑問を口にした。

 

「そういえばさ、冬休みはどうするの? クリスマスはいつも通りウィステリアでパーティーなのはわかってるけど、それ以外の日はどうする?」

 

 期末テストの話し合いがひと段落を見せたため、そろそろ始まる冬休みはどうするのかについて気になったらしい。するとその疑問にいち早く反応したのは龍太郎であった。

 

「俺は強化合宿もあるから会えない日もあるだろうな。あ、でもクリスマスのパーティーはちゃんと顔を出すぜ。予定表を見た感じ、その日は大丈夫そうだしな」

 

 通っている道場の方で合宿を行うとのお達しがあり、そのため例年以上に会える日が限られていたことを明かす。それを聞いた香織は『また龍太郎くんと会える時間が減った』とボヤき、またミサキとまどかが不機嫌な香織をなだめにかかる。

 

「あー、コホン……俺と雫、浩介はいつもと変わらないと思う。もちろんパーティーにも出るつもり――」

 

「そうやってみんなと一緒に過ごしてくれるのはいいけど、ちゃんと雫っちのことも見てあげなよ」

 

 光輝が予定を言っている最中に口をはさんだのは奈々であった。すると光輝と雫はそろって首をかしげ、先ほどまで不機嫌だった香織も何かあると感じて機嫌を即座に直し、まどかとミサキと一緒に光輝達に視線を向けた。

 

「そうだよね~。どうせだし今年はパーティーの後でデートでもしたらど~う?」

 

「た、妙子!? な、何言ってるの!?」

 

「あ、いいかも。二人で一緒に雪の降る中、静まった夜の街を歩きながら――キャー! どうしよう! なんかすっごくドキドキしてきた!!」

 

「香織!? 香織まで何を言い出すんだ!?」

 

「いやむしろテキトーな理由をつけてパーティーは休んでコッソリデートとか……って無理かー。雫の家って忍――」

 

「ざ、雑技! 雑技も修めているだけの剣術道場だから!! そ、そうでしょ光輝!! 浩介君!」

 

 妙子がぽやぽやした様子でデートの提案をすれば雫が顔を真っ赤にし、香織がミーハーな少女モードになって妄想を口にした途端光輝も耳の先まで顔を赤くして大声を上げる。今度はミサキがバックれてデートをすることを提案しようとするも、家の事情のせいで無理だと口にしたことで、雫が慌てて光輝と浩介を巻き込んで誤魔化しにかかる。光輝は半ば勢いに押され、浩介も雫と同じ修行を受けていたため首をひたすら縦に振った。

 

 ミサキが言いかけた通り、八重樫道場が忍者の巣窟であることはこの場にいる皆知っている。あの香織でさえ『雫ちゃんと浩介くんもそうだからいっぱいいるかも』と考えている程には。なお雫も浩介も鷲三の言いつけもあってかそれを頑なに認めていないが。

 

「あー、とりあえずよ、雫の道場のことは本人が言ってるんだしそれでいいだろ……でよ、幸利はどうするんだ?」

 

 こうなってしまうと道場のことの話し合いで休み時間が消えると考えた龍太郎は空気をあえて読まずに口をはさみ、幸利を道連れにする。

 

「お、俺かよ!?……あー、そうだな。特に予定もないし、それこそハジメの家にでも遊びに行くぐらいだな。あ、そういや兄貴が帰ってくるかもしれないからそん時は誰でもいいから頼むわ」

 

 巻き込まれた幸利は軽く考え込むも、特にこれといったものは浮かばず。とりあえずハジメ達と遊ぶことを口にしたところである種重要なことを思い出した。それを伝えると誰もが何とも言えない表情で幸利を見つめ、『同情すんのやめろ。泣くぞ』と幾分か不機嫌な様子で言う。

 

 幸利の兄である克典に浩介ら三人が怒りを露にしたあの日から幸利と克典の間の溝は更に深まった。前にも増して幸利への嫌味や蔑みが出たり、幸利以外の人間がいない状況で浩介達を遠回しに虚仮にするようになってケンカが絶えなくなったことで家の中の空気が更に悪くなったのである。

 

 克典が高校に入学してからは寮生活となったため、兄絡みでのトラブルはこの前のお盆の帰省の時ぐらいしかなかった。また弟である(とおる)にも一時期疎まれていたものの、『変なウワサが立つ前に引きこもりをやめてくれて助かった』と幸利に対する悪感情を引っ込めている。また両親も引きこもりを止めた辺りから関係が改善しており、今では前と大差ない感じに落ち着いている。

 

 そんな具合で平和ではあったものの、先日幸利の母が克典と電話したらしく、今年の暮れにも帰省すると伝えてきたのである。何でも工事の予定が入ったとかで一度寮を出なければならなくなったらしく、それで帰ってくることになったとか。

 

 そのため四六時中顔を突き合わせるのもしんどいため、せめて昼間だけでも誰かの家で過ごしたいと考えていた。

 

 幸利の兄のことを浩介達から聞いていた一同はそろって苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。負け惜しみであることはわかるとはいえ、自分達を平気で馬鹿にしてくる克典を全員が嫌っていたからだ。家族同士の顔合わせで上っ面を取り繕った状態で出てきても、香織すら顔を合わせようとはしないぐらいには嫌っていた。

 

 また、克典に対して割と無関心である恵里であっても、ロクでもない身内に振り回されることに関しては苦労がわかるため幸利に大いに同情していた。

 

「……まぁ、なんだ。良かったら母さんに相談して一日二日ぐらいは泊められないか話してみるよ。顔、あんま合わせたくないだろ?」

 

「浩介……お前が神様に見えるよ」

 

 まだ皮算用とはいえ、こうして救いの手を差し伸べてくれる浩介の背に後光が差しているように幸利には見えた。それを一同が何とも言えない表情で見つめている中、予鈴が鳴る。全員はそれぞれの教室へ、それぞれの席へと戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

「はい討伐完了。お疲れ様ハジメくん、鈴、清水君」

 

「おうお疲れ。しっかしお前ら三人相変わらず息ピッタリだよな」

 

「小一の頃からのつき合いだしね。それにモン○ンもそれなりにやってるし、お互いなんとなくわかるよ」

 

「うん、そうだね。あ、でも幸利君も僕達のことを考えて立ち回ってくれるようになったよね」

 

「……おう」

 

 終業式を終え、遂に迎えた冬休みのある一日。この日は珍しく全員が集まれる日であり、スペースの広さから南雲家に集合。そしてパーティーゲームをしばし楽しんだ後、各々が思い思いに過ごしていた。

 

「お、ひと段落着いたか。なぁハジメ、さっきコイツ全巻読み終わったんだけどよ、他の格闘マンガってどこにあった?」

 

「えっと、僕の部屋の奥にある右から二番目の棚の、それの上から二段目と三段目かな。あ、でも龍太郎君はそこにあるの全部に目を通してるかも」

 

「お、ありがとなハジメ。あ、それと別にもう読み終わったとかそういうのは気にしてねぇから安心しろ」

 

 ハジメに礼を言ってリビングを一旦出ていく龍太郎と、彼を追ってついていく香織。一緒にどの本を読むかについて語り合いながら歩いていく様は紛れもなく恋人のそれであったが、やはりというか二人は明確につき合っているという訳ではなかった。

 

 一度フラれはしたものの、こうして自分と一緒にちょくちょく行動したり、試合の応援にはいつも来てくれているため『やっぱり香織は俺のことが好きなんじゃないか?』と龍太郎は考えていた。とはいえこうして何年も過ごしたことで香織がかなりの天然であることもわかっていた。

 

 そこで龍太郎はミサキとまどかに頭を下げ、今度ウィステリアで好きなものをおごると約束してから香織に自分のことをどう思っているかを尋ねるよう頼み込んだ。二人としても香織と龍太郎の関係にもどかしさを覚えたり、気にかけてはいたためそれを承諾。それとなく尋ねてみた結果、『一番素敵なお友達』と期待通りの答えを返してきた。

 

 このままでは龍太郎が憐れだと思った二人は、香織に『普段の行動はどう考えても恋人のそれでしょ?』とツッコむものの、『友達ならこれぐらいやるよね?』と返してきて頭を抱える羽目に。龍太郎を他の男友達よりも大事に思っている節が見られる答えこそ返したものの、結局香織が恋心を自覚することはなかった。

 

 そしてそれを聞いた龍太郎は見事に灰になったのは言うまでもない。

 

 なおこのことが光輝達にもバレてしまい、『もう香織のことは諦めたらどうだ?』と光輝や雫に諭されたり、それを聞いた香織がやたらと意固地になったのはまた別の話である。

 

 そんなことがあっても今の二人は奇妙な関係で、独特ながらも仲睦まじいものであった。

 

「……相変わらずだな、二人とも」

 

「そうね。いい加減、香織も自覚してほしいんだけれどね……」

 

 リビングを後にした龍太郎達を見ながら光輝と雫はどっと疲れたようにつぶやく。傍から見てももどかしい龍太郎と香織との関係や『いつになったら答えを出すんだ』とやきもきさせられるハジメ達との関係とは違い、二人は今も清い交際を続けている。

 

 光輝が雫の唇を奪ったことがあるのと今も二人っきりの時はキスをせがんでくることがある以外は割と年相応であり、たまの休みにデートや買い物をしたりするものの、それ以上の関係には未だ踏み込んではいない。最近は二人の関係を周囲が認めたのかふとした拍子の襲撃は減ったと光輝は考えている。なおなくなった訳ではない。

 

 そんな二人は一緒にハジメの部屋から持ってきた()()()()に目を通している。時折光輝が雫に登場人物の心情について聞いたりするものの、それも含めて二人は甘いひと時を過ごしていた。

 

「ねぇエリ、『シェリー』や『ちぇしゃ』の方でもコンテストを始めたみたいだけどまた漫画描かないの?」

 

 ○ンハンを一旦ストップしてハジメ、鈴、幸利と一緒に新刊が出た小説についてアレコレ話をしていた恵里に優花が声をかけた。

 

 実は以前、菫のすすめもあって恵里は一度『に~にゃ』の少女漫画コンテストに応募したことがある。結果は入賞ではあったものの、それを祝ってパーティーも開いた。

 

 優花がハジメから借りた少女漫画雑誌を読んでいると、真ん中辺りのページが少女漫画コンテストの企画となっており、それを見て恵里が漫画を描いたことを思い出したのだ。それでまた漫画を描くのだろうかと気になって問いかけたのである。

 

「んー、別にいいかな。前にも言ったけど記念みたいなものだったし、そっちの道を真剣に目指している訳でもなかったから」

 

 そんな恵里の反応は実にあっさりとしたものであった。

 

 菫から直々に指導してもらったことでどれだけ腕が上がったのか、プロの世界でどこまで通用するのかを確かめるといった意味合いが強く、別に入選すら出来なくても恵里本人はそこまで気に留めていなかっただろうと考えていた。

 

 トータスに行くまでの息抜きや菫に対する媚売りといった程度のものではあったものの、それでも手を抜いた訳では決してなかった。あくまで腕試し程度でしかなかったのである。

 

「……体験を元にしてるのかよくわからないけどちょっと生々しかったよね」

 

「そうそう。というかよく通ったねアレ……」

 

 妙子と奈々は目を通した恵里の作品を思い出して遠くを見つめる。

 

 ……菫の手直しこそあったものの、割とドロっとしたものを恵里は描き上げていたのである。ちなみに修正前のものを見せた時は女子~ズでさえ軽く引くレベルであった。男子の中で一番反応がマシであったハジメでさえ『もうちょっと分厚くオブラートに包もうよ……』と苦言を呈するほどである。他の男子~ズは言わずもがな。

 

「まぁ真面目に描いた作品ではあっても本気でマンガ家を目指して作った訳じゃないからね。まどかやミサキと違ってさ」

 

 そう言いながら恵里は、同じく少女漫画を借りて読んでいた二人に目を向けた。

 

 まどかは恵里ら三人が菓子作りにハマっていくのを見て何か感じるものがあったらしく、中学卒業後はパティシエを目指して調理師の専門学校に入る予定とのことである。

 

 一方ミサキは恵里やハジメに触発されたのか絵を学ぶために専門学校に行こうとしているらしい。ちなみに漫画とかでなくアート方面だとか。

 

「まぁ、ね」

 

「絵の出来はまだハジメや恵里にも全然及ばないけどね。でも二人を見てたらなんか目指してみたくなったんだ」

 

 照れながらもまどかとミサキはそう答えた。既に道を決めた二人を少しだけうらやみ、この()()()を巻き込めないことをかなり残念がりながらも恵里はあることを口にする。

 

「そういえばさ、皆は中学を卒業したらどうするの? 進路の方は決まってる?」

 

 恵里がこんなことを言いだしたのも理由がある。この場にいる全員をなるべく同じ学校に集めようと考えていたからだ。

 

 トータスに行った際、あまり面識のない人間に背中を預けるよりも気心の知れた友人がそばにいて欲しいと思ったからである。ハジメ、鈴、光輝、雫、龍太郎、香織は同じ学校であったことは記憶しており、既に打ち合わせ済みのハジメと鈴以外の面々だけでもどうしても巻き込みたかったのだ。浩介や優花らはどうだったのかまでは恵里は覚えていなかったが、いた方がいいと恵里は考えていた。

 

「どうしたんだ恵里。藪から棒に」

 

 光輝がすかさず口を出してくるもそれも恵里にとっては想定内。すぐさま意識を誘導するべく言葉を紡いでいく。

 

「ちょっと気になっただけだよ。ちゃんと進む道を考えている二人はともかく、皆はどうするのかなー、って」

 

「うん。もしみんながいいなら高校も同じ場所に通いたいなー、って私も思ってたんだけどどう?」

 

 そこで鈴もうまいこと援護に回ってくれた。既に二人に承認を取り付け、算段をつけていたことがプラスに働いてくれている。

 

 すると先程答えた光輝が恵里と鈴の問いかけに答えた。

 

「俺は県の進学校に進もうと思ってる。じいちゃんみたいな弁護士になるためにもいい学校には通っておきたくてね。皆はどうなんだ?」

 

 見事引っかかってくれたばかりか話まで振ってくれた。しめしめと恵里は思いながら各人のリアクションを見守っていると、雫が先に口を開いた。

 

「私も……いつかは道場を継ぎたいとは思っているけど、家族からは大学を出てからでいい、って言われてるわ。それと、その……」

 

 チラと光輝を見れば、光輝も微笑みを雫に返した。二人を見て相変わらずキャーキャー黄色い声を上げる香織ら三人を横目に、雫が光輝と同じ学校に行くと恵里は断定する。なら次は、と今度は優花の方に視線を向けた。

 

「私? そうね、私もレストランを継ぐつもりだけどうーん……」

 

 虚空に一度視線を移して考え込む優花に、奈々と妙子もやっぱりそうだよねーと返しながら自分達もどうしたものかと頭を悩ませていた。

 

「じゃあ浩介君と幸利君はどうするの?」

 

 今度はハジメがキラーパス。いきなり話を振られた二人はしどろもどろになり、何度も目を泳がせながらもどうにか口を開く。

 

「俺らかよ!?……まだ未来の話だし、全然考えてなかったなー」

 

「今が十分楽しいからなー……俺も正直何も考えてねぇわ」

 

 今のところ白紙であることを暴露し、恵里は鈴とハジメと一度顔を合わせ、迷っている皆に話しかけた。

 

「決まってないならさ、私達も光輝くん達と同じ学校に通うのはどう?」

 

 そう言われると優花らはそろって難しい顔をする。学校でもトップクラスである光輝が目指すだけあって、彼が通おうとしている進学校はレベルが高い。とはいえ自分達の学力は決して低い訳でもなく、もしかすると自分達でも通えるのではないかと全員考えている。が、仮に入学してもついていけるかどうかが全員が不安であり、すぐには賛同しかねる問いかけであった。

 

「あー、その……なぁ光輝、今の俺の学力でもどうにかなりそうか? 教えてもらえば、入れそうか?」

 

 するとそこで幸利がおずおずと手を挙げて光輝に尋ねた。ちょくちょく厄介になってる光輝先生から手ほどきを受ければどうにかなるのではないかと踏んだのである。

 

「そうだな。今でもいいところはいくかもしれないけれど、もう少し点を稼げるようになれば確実だと思う……なぁ皆。もし良かったら俺が幸利だけじゃなくて皆にも教えるぞ」

 

 おそらくそのままでも幸利は大丈夫だろうとは思ったものの、断言は出来なかった。だからなのか、光輝は悩んでいた面々におせっかいを焼いた。光輝としてもここで皆と別れてしまうのは惜しいと感じており、それに高校から更に進学するつもりなら自分の目指す学校に入った方が皆のためになると思ったからだ。

 

「いやでもコウキ、アンタの負担がすごいことにならない? つきっきりならともかく、私達じゃちょっと数が――」

 

 このままでは光輝が幸利だけでなく、自分達の分も受け持ってしまうのではないかと考えた優花はその申し出を率先して辞退しようとする。幸利一人だけならともかく、自分達まで巻き込むとなると彼自身の勉強時間がなくなってしまうのではないかと考えたからだ。そうまでして入りたいと優花は思わなかったため、断ろうとすると雫がため息を吐きながら口を出してきた。

 

「誰が光輝だけにやらせる、って言ったの? 私も手伝うわ。皆と離れ離れになるのは寂しいもの」

 

 雫もまた教える役の方で名乗りを挙げたのである。光輝がやるのなら私もやる、という下心もあったものの、皆と離れたくないと思ったのもまた彼女の本心であった。

 

 そのため自分だけでどうにかしようとした光輝を見て腹が立った雫は『私をのけ者にしないでよ』とすねてしまい、そんな雫を必死になって光輝はなだめようとする。何度も謝ったりどう詫びればいいかをいつになく真剣な様子で尋ねる光輝を見て優花らは思わず吹き出してしまい、いつの間にか空気がゆるくなっていた。

 

「えっと……良かったら僕もやるよ? アドバイスとかぐらいしか手伝い出来ないかもしれないけれど」

 

 空気が変わったことで、押せばどうにかなるかもしれないと考えたハジメも雫の後に続く。“一人でもトータスでの味方を増やしておく”ということに一抹の不安を抱きながらもハジメも協力を申し出たのである。

 

「そうだね。じゃあ私も手伝うよ。中学でお別れしてはいさようなら、なんて寂しいしね」

 

「うん。私で良かったら教えるよ。頼ってくれていいから」

 

 そしてハジメに呼応して恵里と鈴も手を挙げる。程度の差こそあれ二人もどこか後ろめたさを感じていたものの、それに屈するわけにはいかないと協力を申し出る。相手にどうやって勝ったかわからない以上、味方は一人でも多い方がいい。打算塗れの考えを隠しつつ、二人も協力することを伝える。

 

 そうして恵里達が協力を申し出て、他の面々が考えることしばし。納得した様子の妙子が恵里達の方を見た。

 

「じゃあお願いしよっかなぁ~。ここで離れ離れになんてヤだしねぇ~」

 

「そうだね。妙子っちの言う通り。それにあの高校に入る、っていうならお父さん達も反対しないだろうし」

 

 妙子が首を縦に振るとそれに続いて奈々も提案を受け入れてくれた。それで勢いづいたのか浩介、優花、ついでにミサキとまどかまで頭を下げてきた。こうして話が決まったところで龍太郎と香織も戻ってきたため、先程の話を説明すると、二つ返事で頼み込んできた。

 

 ――かくして恵里達の一日の過ごし方が少し変わった。平日は放課後にハジメの家や学校の図書室などで、休日は――これはあまり多く使われることはなかったが――ハジメの両親の伝手で空きスペースを借りて午前中に勉強会をすることとなったのである。

 

 始めた当初こそ経験のない恵里達三人はあまり上手くやれなかったものの、光輝が自身の経験を交えてアドバイスをし、三人が上手くいかない分を雫がフォローをしながらやっていった結果、一同の成績はメキメキと上がっていった。

 

 なお、そのせいで『じゃあ県外に進学してみようか』と光輝が言い出してしまうことになったが。不確定要素を抱え込む羽目になると恵里達が割と本気で焦り、どうにか当初の予定通り、県内の進学校に行くよう口八丁手八丁でなだめすかすこととなる。説得自体は成功したものの、何故そんなことを言いだしたのかで恵里達はしばし怪しまれることとなったのであった……。




本日の懺悔
やらかしました(キッパリ)
また書いてたら増えました。本当は今回の話含めて二話で終わるつもりだったんです。でも書いてたら起と承の段階でもうここまで文字数が増えました。

(状況描写も細かく)やりました…。やったんですよ! 必死に! その結果がこれなんですよ! 影が薄くならないよう多くの人数の描写をして、話をアッサリ進めないよう考えて話を組み立てて、今はこうして反省をしている! これ以上何をどうしろって言うんです!? 何を削減しろって言うんですか!?(バナージ並の感想)


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二十二話 定まらない未来は確かな過去の先に

まずは拙作を見てくださる皆様方への感謝を。おかげさまでUAが遂に50495件、お気に入り件数も509件(21/10/12 23:53現在)にまで上りました……一体何が起きてるんですか。コワイ

また星雲 輪廻さん、小説七つ球さん、あっぷるぱいさん、黒猫うたまるさん、みかん大好きさん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。こうして評価していただけるのは作者にとってこの上ないことです。ありがたやありがたや。

少々完成に時間がかかりましたが、ようやくトータス転移までの話の〆に相応しい話が書きあがりました(注:個人の感想です) それでは本編をどうぞ。


「――そっか。確かに車はいるね。どれだけトータスが広いかわからないし、移動手段が馬車だけじゃどれだけ時間がかかるか考えたくもないしね……」

 

「うん……問題は燃料なんだけどね。魔力を燃料にして、せめて一、二時間だけでもフルスロットルで動かすことが出来ればいいんだけど。それだけで大分距離を稼げるんだけどねぇ……」

 

「それでハジメくんは馬車のことも考えてたんだね。サスペンション以外にも何かいいのがないかな?」

 

 年も明け、冬休みも終わりが近づいた頃。ハジメと鈴以外の予定が悪い日が中々なかったことで開催を取りやめていた第二回トータス会議が今、南雲家で行われていた。

 

 今、話し合いのテーマとして挙がっていたのは“トータスでの移動手段について”である。城から街への移動の際に何度となく尻を痛めたせいで、トータスでの移動手段が馬車であることを恵里は覚えていた。そのため、馬車以外の交通手段でかつ自分達だけで独自に動ける方法はないかと話し合っていたのである。

 

 そこで様々な兵器を造っていたことから、自身はモノづくりに関連した天職だろうという推測を立てていたハジメが思いついたのは“車”であった。これなら馬車に必要な馬などの世話もいらず、比べ物にならないほどの速さを出せる。また自身の天職からメンテナンスも容易でかつ夜道も走れるのではないかと考えた。

 

 また人間族と魔人族、最低でも二つの国家があったにもかかわらず、戦争の情報が入ってくることはそうなかったと記憶していた恵里の発言からして自分たちのいる大陸が相当大きいのではないかとも述べたのである。もちろん意図して情報封鎖された可能性やそこまで本格化していなかった可能性もあったが、それはともかくとして移動手段を独自に持つことは悪いことではないと二人に説明したのだ。

 

 とはいえ車の構造はなんとなくといった程度しかハジメは把握しておらず、また肝心の車を動かすための燃料をどこから調達するかが問題であった。原油が採れる場所がどこかも、それを上手く精錬出来るかに関しても全然わからない。そのためあくまでも考えの一つに留めておき、無理ならば馬車の改造に着手した方がいいかもしれないとも話した。

 

「どうせだったら空を飛ぶ魔物でも手懐けられたらいいのに。いい方法が浮かばないね……」

 

「うん。そういう魔物を使うことが出来れば移動手段に関する問題も解決できるけど……どうやったんだろうなぁ、未来の僕って」

 

 鈴のボヤきに上手く返すことも出来ず、ハジメも思わずため息を吐いた。そんな二人を見て恵里もまた頭を抱える。結局この後もいい答えが出ることはなく、『とりあえずトータスに行ってから』と答えを先延ばしにするということで意見を一致する形でこの議題は終わりを告げたのであった。

 

「……そういえばさ、天職ってなんだろうね」

 

 そうして更に話し合う事一時間強。なるべく目立たないように恰好もフードのついた服やローブなどを身に着けたり、また髪の毛を現地人と同じものにするなどといったことを話し合ったり、あちらでハジメが銃を使っていたことから始まった火薬の調達とそれの難しさ、そして実際に作るまでの間に代用の武器として何がいいかなどを話し合った。そんな折、ふと鈴が先の発言をしたのである。

 

「いや、RPGとかでいう職業みたいなものでしょ。それ以外に何があるの?」

 

 呆れた様子で恵里に尋ね返され、鈴はうんうんと唸りながらもどうにか頭の中のもやもやしたものを吐きだそうと必死になって考えていた。

 

「うーん……だってさー、恵里の天職って確かネクロマンサーみたいなものでしょ?」

 

「“降霊術師”ね。まぁ実際にそうだけど。それがどうしたの?」

 

「いや、さぁ……なんかすごい変だなー、って。だって光輝君は“勇者”だし、龍太郎君は拳で殴り合う方の“拳士”で、雫は剣で切りあう“剣士”だし。香織は確か“治癒師”……で合ってたね。そういういかにもRPGの職業みたいなのに、どうして恵里だけいかにも悪役っぽい名前なのかなーって」

 

 “悪役っぽい”というのは気にしていたらしく、うっさいと不機嫌に鈴に返す恵里を見てハジメも思わず苦笑する。確かに名前の響きからしてそういうイメージが沸くのは事実であったし、何より恵里もそういうことをやっていた。とはいえそれをハジメは咎める気はなく、とりあえず聞き流していた。

 

「……まぁ、鈴の言うこともわからなくはないかな。エヒトがトータスを使ってウォーゲームをやってるみたいだし、そういったのもアリだと思ったんじゃないかな。でも確か恵里の天職って珍しくなかったっけ?」

 

「まぁね。何せ死体を自在に操れるわけだし。もしそういうのが普通にいっぱいいるんだったら、ボクは重宝されなかったと思う」

 

 そうつぶやいた恵里を見ながら、ハジメは少しだけ恵里と鈴をうらやんだ。鈴はバリアの張れる“結界師”であり、また二人とも魔法の才もあったとか。恵里は少し厳しいかもしれないが、直接戦闘に関われることに対してハジメは憧れがあったのである。

 

 実際にやることになったら腰を抜かしてしまうだろうと思いながらも、戦いに向いた力があれば二人を守れるかもしれないと考えていたからだ。ただ、実際のところは魔法でなく銃を使っていたことをふまえるとそこまで才能がないかもしれない可能性もあった。そのため二人に対してどこか気後れするところもあったのである。

 

「それでもすごいよ、二人とも……未来の僕が銃を使ってたことを考えると、そこまで魔法の才能がないかもしれないしね。不謹慎なのはわかってるけど、僕も……僕も魔法とかで恵里と鈴を守ってみたかったな」

 

 そんな気落ちするハジメを鈴と一緒によしよしとなぐさめていると、ふと鈴が何気なしにこんなことをつぶやいた。

 

「でもさ、恵里って死体だけじゃなくて光輝君も操ってたよね。それも生きてる状態で。職業に偽りありじゃない?」

 

「それはまぁ、ボクの努力のたまものだよ。“縛魂”を生きてる光輝くんにも通用するようにアレンジするのって結構大変――」

 

「待って、ちょっと待って二人とも」

 

 そんな二人のやり取りでハジメの中で何かが引っかかる――“降霊術師”は残留思念に働きかける天職である、と恵里から聞いた。ならばどうして()()()()()()()の思念に干渉できるのか。それが疑問に思えたのである。

 

「? どうしたのハジメくん?」

 

「ねぇ恵里、ちょっといい? 降霊術って、何かの魔法や技能の一つだ、って聞いたことない?」

 

 ハジメの言葉を聞いて必死に記憶をたどるも、恵里の中にそんな記憶はなかった。そこでちょっと待ってと手で制止しながらノートをめくるも、それらしき記述は一切ない。不思議に思った恵里はハジメの方を見て質問を返した。

 

「いや、ないけど……でもどうしたの? たまたま特有の技能だ、って考えればそんな不自然な――」

 

「ううん、不自然なんだ。だって――」

 

 ――捨てられてた自転車に乗って走るのと、他人が使ってる自転車を奪って使うのは違うでしょ?

 

 その一言に恵里と鈴は思わず目を剝いた。そう。結果として『自転車を自分で動かす』ことには変わりないが、それまでのプロセスが異なるのだ。信じていたものが崩された感じがして混乱してしまうも、恵里はそれを否定するべく口を出そうとする。

 

「そ、そうだけど! ハジメくんの言った通りだけど! で、でも、結局同じ思念に作用して……あれ? え?」

 

 そこで言い返そうとした時、恵里の脳裏に先程のハジメの言葉がよみがえる。

 

 降霊術が特有の技能であるならそれは死んだ人間の思念にしか干渉出来ず、生きている人間に作用する訳がない。だから当然別の技能が必要になる。だがもし、降霊術が()()をルーツとした技能であるのなら? それならば源流が同じだからやれたのだ、と考えられなくもないのである。

 

「え? それって恵里は生きてる人を操るのもやろうと思えば出来たってこと?」

 

「恵里が努力したとは言ってたし、すぐには無理だろうけどきっとそうだと思う。でも、問題はそれだけじゃないと思うんだ」

 

 そう言ってハジメはノートをめくって白紙のページを出すと、そこに書き込みながら二人に話をしていく。

 

「恵里の降霊術が何かの技能や魔法の派生だとして……きっとこの源流になったものは()()()()()()()()()ものなんだ。そうでないと説明がつかないはず」

 

 『降霊術は元々死んだ人間にしか作用しない』、『“縛魂”は生きている人間も操れる』、『降霊術のルーツは他人の魂に作用する?』とハジメが書きなぐっていく内に恵里はあることを思い出し、ハジメに声をかけた。

 

「は、ハジメくん! 確か、確かボクの使ってた魔法も――」

 

「えっと――あった。“邪纏”も“落識”も、確かに意識に干渉してるね」

 

 恵里が挙げたのは自分が鈴との戦いで使っていた魔法である。そしてそれらは念のためにノートをめくって確認したハジメの言う通り、いずれも他人の意識に干渉するものであった。

 

「やっぱり、恵里の使っていた技能も魔法も、全部この何かがルーツになってる。つまりこれは――」

 

「――ねぇ、ハジメくん。恵里。ちょっといい?」

 

「……多分同じこと考えてると思うけど、言って」

 

 不確かとはいえこうして証拠が揃ってきた中、思わず口を出してきた鈴を咎めることなく、恵里とハジメは続きを促す。すると鈴は一度うなづき、息を大きく吐いてから思ったことを口にした。

 

「恵里だけが特別なのかもしれないけれど……天職って、そのルーツ? になるものの中でその人がやれることを簡単に言っただけの目安みたい」

 

 鈴のその言葉に恵里とハジメは深くうなずいた。二人もまた同様のことを考えていたからである。自分の信じていたものが実は不明瞭なもので、まだ仮説の段階ではあるにせよこうして納得できるものを得たことで恵里は大きくため息を吐く。トータスで検証してこの仮説の通りだと確かめられれば、もしかするとハジメの役に立てるかもしれないと思って彼を見るも、その当人は何故かまだ難しい顔をしていた。

 

「どうしたのハジメくん? 何か気になることでもあったの?」

 

 恵里の言葉に少しためらいを見せた後、ハジメはゆっくりと首を縦に振った。そこで彼の口から出てきた言葉に恵里も鈴も思わず唾を飲むこととなる。

 

「もし……もし仮にこのルーツにあたる何かがあるとするなら、それはきっとエヒトも使えるはず。肉体がない可能性があるからね」

 

 その言葉に緊張する二人。それは薄々どこかで勘づいていた。神かどうかはわからないまでもそれに匹敵するであろう力があるエヒトならば、魂そのものに干渉することが出来てもおかしくはない、と。

 

「多分未来の僕をひざまづかせたのもそれの力だと思う……だから、その」

 

「ハジメくん、どうしたの? 他にも何か――」

 

 その先の言葉を紡ごうとする前に恵里は鈴と一緒にハジメに抱きしめられる。嬉しさを感じながらも、突然のことに二人は目を白黒させた。

 

「先に言っておくね。きっと解決する手段はある。だから落ち着いて」

 

「え、えっと、わかった、けど……?」

 

「う、うん。わかったから落ち着いてよハジメくん」

 

 そして二人に抱きついたまま何度か深呼吸をしたハジメから、恵里はある事を聞かれた。

 

「前に、エヒトから体を弄られた、って言ってたよね」

 

 それを聞いた途端、恵里も鈴も理解してしまった。自分達が気づかなかった――否、目を逸らしていた事実をハジメが突きつけてきた事を。

 

「やめてハジメくん」

 

「未来の僕と戦った後、召喚された国から魔人族の国へと渡っていって」

 

「やめてよハジメくん。恵里が嫌だって言ってるよ?」

 

「後で僕達と再会した時にはもう使徒のような体になってた、って」

 

「ききたくない。もう聞きたくないよ!」

 

「恵里っ!!――これは、必要なんだよ。僕達がエヒトに勝つために。その、ために……リスクを、リスクを正確に把握してないといけないんだ」

 

 大きな声を上げ、二人の体を潰れんばかりにハジメは強く抱きしめる。恵里も鈴もうめき声を上げるも、ハジメは力を緩めない。それを二人が咎めようとした時に見てしまった。ハジメの両目から涙が溢れているのを。

 

「僕だって、僕だってそうじゃなかったらいいって思ってるよ……でも、でも!! 相手は人間のことを虫ケラみたいにしか思ってないんだ! だから、だから……もし弱みがあるなら、その弱みをそのままにしたらいけない。絶対にそこを突かれる。だから、知らなきゃ……知らなきゃ、いけないんだ」

 

 涙ながらに語ってくるハジメに二人は何も言えなくなる。今から口にする事がどれだけ好きな人を傷つけるかをわかっていたから。だがそれでも恵里を、鈴を失わせない為にも、嫌われるのを覚悟の上で話そうとしている。それが理解出来たからこそ、二人は何も言わなかった。

 

「何をやったかはわからない。結局推測ぐらいしか出来ない。けれど命をモノ扱いしてるエヒトだったら、やってる可能性がある……恵里の、恵里の魂も体と一緒に弄っているのを」

 

 そしてハジメはそれを突きつける――恵里がエヒトの手でその魂が弄られている可能性を。

 

「ボクは……ボクは、どうして……」

 

 恵里の心が罪悪感と果てしない後悔で砕け散りそうになる。

 

「やだ……そんなのやだよ」

 

 恵里が何かの拍子で操られて、自分達と戦わなければならなくなる可能性が浮かんだせいで鈴の体から力が抜けていく。嗚咽が、漏れる。

 

 可能性。たかが可能性であれどそれはすさまじい絶望。それに膝を屈した二人にハジメは涙を流しながら、されど悲壮感を感じさせない声で告げる――絶対に治す、と。

 

「どれだけ時間がかかったとしても、絶対に治すから。それに、僕だってアテもないまま言ったわけじゃないんだよ」

 

 一瞬呆けた鈴と一緒に呆けた恵里であったが、ハジメの方に視線を向けると、再度ノートをめくってあるページの書き込みを指さす。そこには『香織がいつの間にか使徒の体になってた』と書かれていた。そこで二人もハジメが何を言いたいのか思い至った。

 

「別の体になってたとはいえ、香織さんは生きていた。ここにも『胸をひと突きして多分死んだ』ってあるから、きっと誰かが香織さんの魂を消える前に使徒の体に移したんだと思う……問題は、恵里以外で魂を操れる技能か何かを持ってる人が誰なのかだけれど」

 

 つまり自分以外の魂に干渉するエキスパートがいれば助かる、とハジメが暗に述べたことで恵里の心は安堵に包まれる。それは鈴もまた同様であった。

 

 まだ確たる証拠があるわけではない。しかしこうして自分がハジメと戦わなくて済むかもしれないと考えると、それだけでも十分恵里にとって救いとなったのである。

 

「やっぱり、エヒトが狙ってた奴かな?」

 

「その可能性は高いと思う。もしかすると他にもいるかもしれないけれど、こればっかりは情報がないからね。まずはその人との接触を目標にしよう」

 

「そうなるとその人……えーと、金髪の人、だっけ? とにかく、その人をどうにかして仲間にしないとね」

 

 鈴の言葉に恵里とハジメはうなづく。ひとまず恵里を救うためのプランは現状これ以上は練られないため、さてどうしたものかと三人は考え込んだ。ふとここで恵里の脳裏にエヒトのことがよぎった――もし仮にトータスに召喚されてすぐに自身の魂の異変に気づいたら? そこ経由で操られたら? という懸念を抱いてしまう。

 

「ねぇハジメくん、鈴。もし、もし仮にトータスに移ってすぐにボクが、ボクが操られたら……」

 

 恵里が心配を口にすると、鈴とハジメが彼女の体を抱きしめる。

 

「それでも、だよ。絶対に救ってみせる。未来の僕は神様モドキすらきっと殺してるんだ。愛してる恵里を救い出せないはずなんてないよ」

 

「うん。恵里を助けられないなんて親友の……ううん、恋敵の名折れだからね。私だってなんだってやるよ」

 

 二人に本気の言葉をかけられて恵里は涙を流す。親友に、愛する人に思われることがどれだけ暖かいかを実感していた。二人の思いにしばし涙を流すも、恵里は涙を拭い、二人に向き合う。

 

「お願いハジメくん、鈴。ボクを、助けて」

 

 それに二人は力強くうなずいて返し、恵里はそれに心からの笑みを見せた。

 

「えーと、門限も近いけどどうする? 話し合いは次にする?」

 

「……いや、もうこれで終わりにしよう」

 

「そうだね。トータス会議は今日で終わろう」

 

 次は何を話そうかと考えたところで時計が目に留まった鈴は恵里とハジメに問いかけるも、当の二人が返した言葉に鈴は思わず首をかしげた。

 

「恵里がエヒトに操られる可能性がある、ってことは――」

 

「ボク経由でエヒトに情報が漏れる可能性があるから、だよね?」

 

 そのやりとりで鈴は思わずハッとする。下手に会議を続けて恵里の頭に情報が蓄積すれば、その分自分達の行動がエヒトに筒抜けになってしまう。それを危惧したからこそ、恵里とハジメはこれで終わりにしようと言ったのだと。

 

「だからこれでおしまい。後は出たとこ勝負でいこう。あと、確認以外での調べ物もなし、ってことで。いいよね?」

 

 ハジメのその言葉に二人は黙ってうなずく。

 

 相手は神でなくともそれに近い存在である。そこに自分達のアドバンテージ――そう言えるかは疑問符がつくとはいえ――である現代知識が幾つも渡ってしまわないようにするために。それを理解した恵里と鈴はぎゅっとハジメを強く抱きしめる。

 

 かくして第二回トータス会議は閉幕する。エヒトへの対策のための集まりは二度と開かれることはなかった。

 

 

 

 

 

 時は流れ、約一年後の四月。恵里達は難なく入試をクリアし、晴れて目標の高校へと入学した。

 

 その入学式当日、式のために体育館に向かっていた一同であったが、恵里、鈴の表情は硬く、ハジメも恵里達ほどではないにせよいくらか強張っている。もちろんこれから高校で過ごす事への憂いや勉強に関してのものではなく、その先であるトータスの事を考えてしまったせいでそうなってしまっていたのである。

 

「どうしたのエリ、スズ? これから入学式だってのに辛気臭い顔して。どうかしたの?」

 

 声をかけてきた優花に二人は首を横に振ると、中村夫妻と谷口夫妻が苦笑を浮かべて『朝からこうなってる』と話した。

 

「緊張のせいだと恵里は言ったけれど……心当たりはある、優花さん?」

 

「いえ、特には……でもあれ、きっと何かを隠してる気がします」

 

 腕を組む正則に断りを入れ、近くまで寄ってきて小声で尋ねてきた幸に優花はそう返す。すると幸の方もため息を吐き、『やっぱりまだ無理なのかしら』とボヤく。

 

 恵里が両親とケンカをして以降、恵里も中村夫妻もお互いに歩み寄ってはいたものの、それでも以前のように過ごせてはいなかった。会話も中々続かず、お互い話しかけられると身構えてしまっている。それがいけないのは恵里も正則も幸もわかっていたが、三人とも負い目があるせいで上手くいかず。親離れこそ進んだものの未だ家族の仲が良好な谷口家や南雲家の面々は特にその様子をもどかしく感じていた。

 

「その……新参の俺が言うのもなんですけど、信じてやってください。いつかきっと話してくれると思います。少なくとも、ハジメの奴には言ってるみたいなんで」

 

 するとそこで幸利が口をはさんできた。誰もが今の恵里、鈴、ハジメに関して思うところがあるが、光輝を筆頭とした友人達はそれを明かす日が来るのを待っていた。いつか必ずやってくれると信じていた。だから信じて欲しい。そう訴えると、難しい顔をしていた正則が幸利の元に来てありがとうと感謝を伝えた。

 

「そうだね。私達もみんなのように恵里を信じてみるよ。親である私と幸が真っ先に信じてやらなければいけないのにね。重ね重ねありがとう幸利君。君達のようないい友人を持てたことに感謝しなきゃいけないな」

 

 真正面から感謝を伝えられるのに慣れていない幸利はそっぽを向いて『ウッス……』と頭を掻きながら言うだけ。彼の人となりをわかっている中村夫妻は微笑みを浮かべるだけで咎めることはしなかった。

 

「いつか、ちゃんと話してね」

 

「はいはい、わかったわかった。少なくとも大学に入る前には話すから」

 

 一方、恵里達の方も何かを隠している様子を尋ねられていたが、のらくらとかわすだけで何一つ話すことはなかった。本気で話したくないと思っているということを感じ取った香織からの問いかけに、恵里はいつも通りの対応をする。

 

「気が変わったんならいつでも言っていいからな。まぁでも手遅れになる前に言うなよ」

 

「そうよ。鈴にも恵里にもハジメ君にも助けられたんだから、今度は私達が助ける番。気兼ねなく言ってくれていいから」

 

「ありがとう龍太郎君、雫。でも、機会が来ないとちょっと無理、かな」

 

 龍太郎と雫も鈴にそう告げるも、あまりに荒唐無稽な内容であるためまだ伏せておかないといけないと考えている鈴は感謝だけ述べるに留めた。

 

「トラブルを抱えているんだったら俺でも家族にでも言ってくれ。俺は皆の力になりたいんだ」

 

「光輝ほど上手くはやれねぇけどさ、俺にも頼ってくれよハジメ。俺だって、やれる範囲でなんとかするから」

 

「うん。それは私も優花達も一緒だから。友達でしょ? 私達」

 

「そうそう。いくらだって頼っていいからねぇ~」

 

「あ、ありがとうみんな……その、力が必要になったら、よろしく」

 

 そして光輝達から声をかけられ、胸に温かいものが来るのを感じながらハジメは感謝を告げる。そしていつか起きるトータス移転後に、彼らの力を借りることへの協力を頼みながら。

 

「……出来れば静かにしていてほしいんだけど」

 

 そう不満をこぼしながらも恵里の表情には怒りや苛立ちは一切ない。困ったような様子で、でも嬉しさを感じさせる顔つきをしながら体育館へと続く道を歩いていく。

 

「まぁ仕方ないんじゃない? 付き合い長いんだし、やっぱり頼って欲しいって思うのは仕方ないよ」

 

 鈴も少し心苦しそうにしながら恵里のボヤきに答える。トータスという異世界に行かずに済むことを願いながらも、それでもきっと行くであろうことをどこか信じながら鈴もまた恵里と並んで歩く。

 

「その時が来たらみんなに頼ろう……頭下げるのは慣れてるし、みんなならきっと力を貸してくれるよ」

 

 ハジメも二人にそう言った。その発言に『じゃあ三人で頼もうよ』と恵里と鈴が返したのは言うまでもない。

 

 そうして一同は生徒の席と保護者席に、それぞれの席に別れて座っていく。そうして式のプログラムが次々とこなされていく中、恵里は思う――皆と出会えてよかった、と。ハジメくんと出会えてよかった、と。

 

 ある三人は薄っすらと見える未来を見据え、ある少年達はそんな彼らをそばで見守りながら新たな学生生活へと飛び込んでいく。その先に訪れる未来がどうなるかは、まだ誰も知らないのであった。




後は幕間を一つ、キャラ一覧を挟んでから本格的に原作に突入です(〆とは)


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幕間八 小悪党達の挽歌(注:死んでない)(前編)

タイトルで既にバレてるので今ここで白状します。また前後編に分割することになりました(遠い目)

「作者はウソつきだ」 と思った読者のみなさん、どうもすみませんでした。
作者はウソつきではないのです。まちがいをするだけなのです……
それでは、これからも拙作の応援、よろしくお願いします(ARKHRHK並の感想)

では拙作を見てくださる皆様への感謝を。おかげさまでUA53341、お気に入りも526件、感想数も遂に92件まで上り、評価していただいた方も51人(2021/10/24 17:51現在)にまで増えました。誠にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、黒鳳蝶/00さん、影響を受ける人さん、小焼け夕焼けさん、鳥生さん、拙作を評価及び再評価していただきありがとうございます。

……タイトルでお察しの通り、例の四人組のお話です。今回と次回はこれまでの投稿の中で一番賛否両論が分かれると思います。では本編をどうぞ。


 月曜日。それは一週間の内で最も憂うつな始まりの日。きっと大多数の人が、これからの一週間にため息を吐き、前日までの天国を想ってしまう。

 

 そしてそれは檜山大介(ひやまだいすけ)も例外ではなかった。ただし彼の場合、自分のクラスでいい空気を吸っている奴らへの苛立ちと()()()()に対するトラウマが多分に含まれていたが。

 

「よっす」

 

「おう」

 

 教室の扉を開け、隣の席の近藤礼一に軽くあいさつをすると、今日も檜山は教室の一角で盛り上がっているあるグループに目を向ける。

 

「なぁ龍太郎、そろそろ大会が近づいているけど調子の方はどうなんだ?」

 

「まぁ今のところは大丈夫だな。ここ最近は基本に立ち返ってやってるけど、ウチの師匠からも問題ねぇって言われたし」

 

「えーと、次の大会って来週の日曜日だよね? 頑張ってね龍太郎くん。私、応援してるから!」

 

「応援はいいけどこの前みたいにあんまり大きい声は出さないでね、香織」

 

 まず目に入ったのはグループの中で一際輝いている天之河光輝とその連れの数人であった。

 

 入学して早ひと月ほど、クラスの中でも相談役として()()()頼られるポジションである彼も、話しぶりからして友人であろう坂上龍太郎という男子も檜山にとっては気に食わなかった。

 

 理由は彼らの近くにいる()()()()と学校で言われている美少女の内の二人がかたわらにいるからである。特に白崎香織に一目惚れしていた檜山からすれば、どういった関係かはともかくとして邪魔で邪魔で仕方がなかった。

 

 とはいえ坂上が空手を修めているため確実に勝てるかわからないことと、彼は()()()()から悪事を働くことに恐怖を覚えているため、妬み嫉みを理由にケンカをすることはなかったが。

 

「……ホント、相変わらずイラつくよな」

 

「だな」

 

 近藤と一緒に気づかれない程度に軽くねめつける程度が限界であり、効果がないとわかっていながらもそれに今日も苛立っていた。

 

「クソッ、せめて八重樫がいなきゃな……」

 

 今回も自分の送った視線に気づくことなく談笑する彼らを見て舌打ちする檜山だったが、こうしてボヤいた際に脳裏にあの悪夢が浮かび、その時の恐怖を思い出して身震いする。近藤もまた檜山のボヤきにうなずきながらも顔を青ざめさせていた。

 

 ――彼ら二人が八重樫雫を忌々しく思うのには理由がある。それは彼らが小学生だったころにまで遡り、あることを二人がやったのが原因である。

 

 檜山も近藤も当時は立派な悪ガキであり、事あるごとにに他人をイジメるようなとんだ悪童であった。この頃はまだお互い面識はなかったのだが、そんな彼らが悪さをしながら日々を過ごしているとあるウワサが彼らの耳に入ったのである――八重樫雫は人殺しの子だ、と。

 

 そのウワサの出所はある三人の少女であったのだが、彼らの耳に届くころには誰が流したかもわからなくなっていた。が、そんなことは彼らには関係はなかった。何故なら大手を振って暴力が振るえるからだ。人殺しの子なら別に何をしたってかまわない、と本気で考えたからである。

 

 すぐにウワサがピタリと止まったことにも気づかずに二人は別々のタイミングで動く。先にウワサの少女と出会ったのは檜山であった。

 

 そのそばには一人の少年がいたものの、特に構うことなく彼は二人に向けて暴言を吐く――人殺しの子が何をやっているんだ、と。

 

 その言葉にそばにいた少年が激怒するも、怯える様子の少女を見て気をよくしていた檜山は事実を言っただけだと返し、『コイツの家は人殺しが住んでるんだ』と大声で叫ぼうとした時に彼の頬を何かがかすめた。

 

 一瞬遅れて頬に走った鋭い痛みを感じ、そこに手を当てれば生暖かい感触が微かに返ってくる。一体何がと思って手のひらを目の前まで動かせばそこには血がついていた。それに気づいて混乱するや否や後ろからひどく冷たく、まとわりつくようなおぞましい何かに襲われる。

 

『所詮は子供のケンカ、と思ったけれどそこまで私の娘と門下生を馬鹿にするのなら仕方ありません。覚悟しなさい』

 

 今まで感じたことのないもの――殺気を容赦なく叩き込まれ、檜山少年は恐怖のあまり腰を抜かしてしまう。またこのおぞましい気配のする方へとうっかり視線を向けてしまう……そこに佇んでいたのは、鬼もかくやの形相で彼をにらむ大人の女性であった。

 

 それを見た途端に彼は失禁してしまい、そのまま気を失ってしまうのであった。

 

 そして目を覚ました時には保健室のベッドの上におり、先ほどの恐怖を思い出して身震いする。あれと関わってはいけない、と幼心ながらに確信した。そしてベッドから降りると手元に何か紙のようなものがあった。何かと思って手にとれば、少しくしゃくしゃになった封筒――『目を覚ましたら読むように』とだけ表に書かれたものがあったのである。

 

 普段なら一切気に留めなかっただろうが、この手紙から何故か感じ取れる妙なオーラとさっきの女の姿が被り、檜山はそれを無視できず、おそるおそる封筒を開ける。

 

 封筒の中には一枚だけ手紙が入っており、とても簡単な一文だけしか書かれてなかった――今回は少し多めに見ますが、もし次も何かやったら子供であれど容赦しない。ただそうとだけ書かれた手紙が。

 

 読み上げた檜山は全身の毛が逆立ち、恐怖のあまり呼吸困難になってしまう。そこでふと、保健室の先生と思しき大人の女性が机に向かっている姿を見つけた檜山は必死になって声をかける――すると、その女性が立ち上がって振り向けば、それは先程の女であった。それを認識した途端、檜山の息が止まった。

 

 『覚えていなさい。私達はいつでもあなたを見ております』

 

 絶望と共にその言葉が刻まれたが、この日のそれ以降の記憶を檜山は覚えていない。

 

 それからは周りの悪ガキに何度馬鹿にされようが、イジメられようが彼が悪さを働く事はもう無くなった。いつどこであの女と出くわすか気が気でなかったのと、あの日のトラウマのせいである。

 

 近藤もまた似たような経緯であり、そちらは徒党を組んで八重樫をイジメようとしていた。ただ、突然現れた老人にコテンパンに叩きのめされ、折檻を食らったのである。

 

 手酷くやられた近藤少年はもう悪さをしないことを誓わされ、それを破ったらまた折檻に行くぞとだけ残して老人は去っていった。その時点でもう八重樫雫と関わろうという気は一切なくなったものの、完全に懲りたという訳でもなかった。そこで今度は別の子をイジメようとした時、またあの老人が現れてアッサリと組み伏せられてしまう。しかも耳元で『悪さをするなと言ったはずだ。仕置きが足らなかったか?』と言われて折檻を食らった時の痛みと恐怖がぶり返し、近藤も二度と悪事に手を染めることはなくなった。

 

 なお檜山の頬をかすった凶器は未だに見つかっておらず、また彼ら二人の前に現れた大人二人が捕まったというニュースは今日に至るまで流れたことはない。そして彼らには関係ない事であったが、この件を気に八重樫雫は家族から護身目的であることを習わされることとなった。

 

 閑話休題。

 

 彼らが八重樫雫という少女を忌避する……というか彼女と関わることを恐れるのはこういった理由からであった。また彼女の側にいる天之河光輝にも自分たちの顔を見られていたため、それで手が出し辛いというのもあった。

 

 そういった理由もあってあの二人に関してはまだ諦めがついた。絶対に手を出してはいけないと理解しているからだ。だが、あの四人に金魚の糞のようについてきている()()()だけは檜山も近藤も許すことが出来なかった。

 

「今回も優勝記念のパーティーになりそうだね」

 

「まだちょっと気が早いよ、鈴。まぁ龍太郎君が負けるとは思えないけどね」

 

「そういうハジメくんだって人のこと言えないでしょ。まぁ今回もどうとでもなるんじゃない?」

 

 両脇に二人の女を侍らせているようにしか見えない少年――南雲ハジメだけはどうしても許せなかったのである。三大女神の一人である中村恵里に加え、もう一人の女と楽し気に話している様が心底我慢ならなかったのである。

 

 自分()未だに過去に苦しんでいるのに、あんな根暗なオタクっぽい奴がどうして女に囲まれて幸せそうにしている? 妬みが、怒りが、憎しみが二人の心に暗く淀んだ炎を燃やす。だが、アレも天之河のグループの一員である。うかつに手を出せばどうなるかも予想がついていたし、それを恐れていた。

 

 故にその後も近藤と一緒に愚痴を連ねながら時間が過ぎるのを待つしかなく、今日も授業が始まるのをただただ願いながら彼らをにらんでいた。

 

 

 

 

 

「よぉ檜山ぁ~、お前いっつも天之河達見てるけどホモか何かかよ~?」

 

「おいおい言ってやるなよ、ウブな檜山君が恥ずかしがってるだろぉ?」

 

 ようやく訪れた昼休み。教室の一角から聞こえてくる楽し気な声と空気を放つ一団から目をそらしながらもそもそと惣菜パンを食べていた檜山のところに、中野信治、斎藤良樹の二人がやって来て、嘲笑を浮かべながら声をかけてきた。

 

「……何の用だよ」

 

「おいおいつれねぇなぁ~。折角話しかけてやってるんだからちょっとくらい愛想よくしろよ」

 

「そうだぜぇ~。陰キャの檜山君はもう少し俺らに感謝してくれてもいいんだけどなぁ~?」

 

 既に食事を終えていたらしい二人に構わず、残り三分の一になったパンを噛みちぎって食べていると、不意に斎藤が檜山に耳打ちをしてきた。『南雲のヤツ、邪魔だよな』と。

 

「おー、お行儀がいいと思ってたけどそうでもないんだな。そういうの俺も好きだぜ」

 

「ま、ここじゃ話すのもちょっとアレだよな。人気のないところに行こうぜ?」

 

 一瞬反応が遅れた檜山を見て満足気に見る斎藤と中野。そんな二人を見て何故か檜山は胸の中でくすぶっていたものが消えるかもしれないと謎の確信を抱く。そこで二人の誘いに乗ると、どうせだからと近藤にも声をかけ、一緒に二人の後をついていく。

 

「やっぱり、お前も南雲のヤツが気に食わなかったんだな。わかる。わかるぜ」

 

「やっぱり俺らと同じだったんだな。なら何を言いたいかわかるよな?」

 

 一緒に校舎裏までついて来た檜山と近藤は、改めて斎藤ら二人に南雲ハジメのことについて尋ねられる。そこで前々から気に食わなかったことを話すと、二人はニヤついた笑みを浮かべながら檜山と近藤をながめていた。

 

「……ああ、そうだよ。でも、俺にだってやれない事情ってのがあるんだよ」

 

「こっちだっていつでも殴れたんだ。でもわかるだろ? こうするだけにあえて留めてやってるんだよ」

 

 今でこそ恐怖で動けないものの、元悪ガキであった頃のプライドは健在であり、二人になめられないように言い訳をしながら檜山達は斎藤と中野をにらみ返していた。

 

「おー、怖っ。別に俺らはお前らの事を馬鹿になんてしてねぇよ」

 

「そうそう。ただお前らもやりたいんだったら、一緒に南雲のヤツにお灸を据えに行かないかって誘うつもりだったんだよ」

 

 相変わらず二人は馬鹿にしたような目つきで見ていることに苛立ったものの、『南雲のヤツにお灸を据える』と聞いた途端に檜山と近藤の口角が少し上がった。やはり目の前の二人もアイツが目障りであったことに共感を覚え、自身の中の感情を肯定された気がしたのである。

 

「あの二股ヤロー、生意気だろ? ()()()()()だって邪魔だって考えてるんだから、俺らが代弁したって誰も文句は言わねぇさ」

 

「そうそう。あんな陰気なオタクみてーな奴が女二人を連れてるなんて世の中不公平に思わねぇか? 俺達で正義ってのを示そうぜ?」

 

 そう。南雲ハジメは現在、クラスの大半から敵視されている。理由は簡単。三大女神の一人と仲良くしておきながら、幼馴染だからという理由で他にも女がいたからである。

 

 女子にとっては立派な女の敵であり、男子からすればうらやみと嫉妬の対象となっていた。また、彼のいるグループの男子からも『いい加減相手を決めろ』と呆れながら言われているのも周知の事実であるため、敵視しているクラスメイトからすれば錦の御旗が立っているようなものであった。

 

「ああ、そうだな……」

 

「確かに、俺らが正しいもんな」

 

 だが二人はまだ躊躇していた。理由はもちろん小学生の時のトラウマである。成長してそんじょそこらの奴らには負けないと思ってはいるものの、いつまた現れるかがわかったもんじゃないからだ。こびりついた恐怖はそうそう簡単に消えてくれやしない。

 

「おいおい、なぁ~に尻込みしてんだよ。いくら天之河や八重樫が怖くったって、アイツ一人だけ引っ張ってこれれば問題ないだろ?」

 

「南雲のヤツを先にシメちまえばアイツらだって何も出来やしないさ。難しく考えすぎだって」

 

 だが二人は事もなげにそう言う。そうだ。人質(南雲)がいれば手出しなんて出来るはずがない。そう考えた二人は久々に下卑た笑みを浮かべて誘ってきた二人を見つめ返した。

 

「いいぜ。その話、乗った」

 

「だな。ビビってちゃあ“正義”が示せねぇしな。やるよ」

 

「おー、やってくれんのか。さっすがじゃーん檜山くーん、近藤くーん」

 

「んじゃあ、俺らで南雲のヤツを叩きのめしに行こうぜ! 散々いい夢見れただろうしな」

 

 二人が了承するや否や斎藤と中野も嫌な笑いを浮かべる。校舎裏に薄汚い笑い声がこだました。

 

 

 

 

 

「よぉ天之河ク~ン、ちょっと話があるんだけどよぉ」

 

 あくる日。四人は遂に計画を実行に移した。昼休みにいつものように談笑しているグループのトップと思しき天之河に斎藤が声をかけた。

 

「……一体どうしたんだ? 君達も俺達と一緒に話をしたいのかな?」

 

 一瞬目つきが険しくなったものの、天之河はすぐに柔和な笑みを浮かべて話を聞こうとしてきた。かかった、と確信した中野はすかさず南雲の肩に手を置こうとするも、その途端に南雲の隣にいた中村恵里がその手を弾いてきたのである。

 

「なんでハジメくんに気安く触ろうとしてるの?」

 

 それもものすごい殺気つきで。和やかな教室の空気は一瞬で冷え込み、天之河のグループの人間でさえもほとんどが軽く引け腰になっていた。

 

 本物の殺意を叩きつけられた四人は一瞬たじろぐも、目の前の相手はただの女だと必死に思いこんで冷静を装おうとした。

 

 また彼らにとっては関係のないことであったが、以前ハジメからイジメたくなるオーラを感じたことのある妙子がちょっとからかおうとした際、恵里からすごまれたのを思い出して腰を抜かしている。

 

「た、ただ、ちょ、ちょっと南雲に用が、あ、あってな……じょ、女子にも聞かせ辛いし、プライベートなもんだからさ……か、借りてもいいよな?」

 

 近藤が三人とすぐに目配せをし、それに全員がうなずくと、すぐさま南雲の方に視線を向けた。その南雲も隣の中村恵里からモロに食らった殺気にカタカタと軽く体を震わせながらも天之河の方に視線を向ける。

 

「え、えっと……彼らもこうして頼み込んできたんだし、いいんじゃないかな? ほら、恵里もあんまりにらまないであげて。ね? ()()()()()()()()()だろうから」

 

 そう言いながら天之河、坂上、八重樫と微妙に影の薄い感じの誰かに視線を向けたのを見て、檜山ら四人は南雲のマヌケさに心底感謝した。

 

「……わかった。俺の考えすぎだとは思うんだが、もしハジメに何かあったらタダじゃおかないからな」

 

 じっとにらんでくる天之河にひるむことなく、四人は彼を見つめ返す。南雲(マヌケ)は既にこちら側にいるんだから、もう何も出来やしない。そう確信し、口角が上がってしまうのを我慢しながら中野がそれに答える。

 

「わかってるよ――よし、じゃあさっそく行こうぜ! ()()()()()()()()()()()ところによ」

 

 そう言って檜山は南雲ハジメの手を引いていく。苦笑を浮かべたその顔が、すぐに苦痛に染まることになるのを他の三人と一緒に楽しみにしながら。

 

「……えっと、話をする場所ってここで合ってる?」

 

 こうして四人はあまり人に目撃されることなく南雲ハジメを校舎裏に連れ込むことに成功する。目の前の南雲(獲物)が軽くオロオロとしているようだがもう遅い。すぐさまなぶりたいのを我慢しながら四人はじわじわと南雲を追い詰めようとにじり寄る。

 

「おう。ココで合ってるぜ」

 

「そうそう。ココがいいんだよ。コ・コ・が」

 

 緊張した様子の南雲がしてきた質問に斎藤と中野は口角を上げながら答える。この期に及んでまだ気づいていないマヌケ、と内心見下しながら四人はどういたぶってやろうかと算段を立てていた。顔はすぐにバレるだろうからやはり腹だろうかと考えていると、南雲は一歩下がりながら今度はこんなことを問いかけてきた。

 

「い、一体何をすればいいの? お、教えてくれないかなー、って……」

 

「くっ、くくっ……マジか」

 

「オイオイ本気かよ。まだ気づいてねーのかコイツ」

 

 ()()に怯える南雲の様子に遂に檜山達は笑いをこらえきれなくなった。

 

 滑稽であった。

 

 この後自分がどういう目に遭うのか薄々感づいていながらわからないフリをして誤魔化そうとしている。そんな馬鹿にしっかり教え込まないといけないな、と思いながら斎藤は南雲の胸ぐらを掴んだ。

 

「うぐっ!?」

 

「オイオイ、おつむが弱くってもオタクってやれるんだな。教えてくれてありがとうよ」

 

「だ、だから、何をする気なの!?」

 

「決まってんだろ。身の程ってモンを教えてやろうってんだよ」

 

 胸ぐらを掴んでいた斎藤が南雲を軽く持ち上げると、中野、檜山、近藤はそれぞれ指を鳴らしながら周りを囲んでいく。

 

「ぼ、暴力はダメ! ダメだってば!!」

 

「ダメなのはテメェの方だろうがよ。なーに女二人も侍らせてやがんだ。ムカつくったらありゃしなかったぜ」

 

「ホンット、そうだよなぁ。オマエみてぇなネクラのオタクは隅っこで大人しくしてるもんだろうがよ。目障りで仕方ねぇぜ」

 

「やっとこれで恨みが晴らせるぜ。まぁ顔は勘弁してやるよ。俺達の優しさをしっかりかみしめ――」

 

 檜山らが口々に勝手なことを言って殴りかかろうとした瞬間、彼らの頬を何か鋭いものがかすめる。それに気を取られた瞬間、南雲の胸ぐらを掴んでいた斎藤の腕にパシン、と何かが当たり、南雲を放してしまう。

 

「なっ!? 一体なにが――」

 

 自分の身に起きたことに気づく間もなく、斎藤と中野は何者かに地面に組み伏されてしまった。

 

「ぐぇっ!?」

 

「ごふっ!?――だ、誰だ一体!?」

 

「随分な言い草だな。さっきぶりだろ」

 

 その声には四人とも聞き覚えがあった。確か影の薄い奴の声ではなかったか、と。そして檜山と近藤は突然現れた斎藤達を組み伏せている相手が誰なのかを確認しようとし、理解した途端に一気に血の気が引いた。

 

「ひどいことをしてくれるじゃない。私達の親友をイジメようとするなんて」

 

 八重樫雫であった。

 

 その声はあまりに冷たく、耳に届いただけで首がすっぱりと切り落とされてしまいそうなくらいに鋭かった。

 

「ご、誤解だって……お、俺達は、その……」

 

「誤解? 『顔は勘弁』って言ってたけれど、ハジメ君の顔に何をしたかったの? それとも顔でなければ問題ないことを彼に勝手にやろうとしてたの?――答えなさい」

 

 背中に氷柱が入れられたかのような心地となった檜山と近藤は、斎藤達を見捨てて逃げようとした。しかし――。

 

「なぁ、その二人を助けようとしないのか? 友達じゃないのか?」

 

「まぁ、どうせくだらねぇ目的でつるんでたんだろうし、そういった意識もなくってもおかしくはねぇよな。それでもまぁ、薄情だけどよ」

 

 いつの間にか天之河と坂上が二人の目の前に立ちふさがっていた。二人からゴミを見るような目で色々と言われたものの、今の檜山達はそれどころではない。どうやればこの場を切り抜けられるか、逃げ出せるかと必死になって考えようとした時、後ろから八重樫の声が届いた。

 

「ああ、そういえばあなた達――檜山君と近藤君よね? こうして会うのは小学校の頃にイジメられそうになった時以来かしら?」

 

「ああ、やっぱり。俺の事も覚えてるよな? ()()()()()()()()()()()()()

 

 二人の言葉に二人は思わず息が漏れてしまった。

 

 覚えていた。

 

 こいつらは自分たちの事をしっかりと覚えていたのだ。そしてそれをしっかり根に持っている。その事実をひどく恐ろしく感じた二人はマトモに動けなくなってしまう。逃げることはおろか、呼吸すら満足に出来なくなっていた。

 

「て、めぇ――放しやがれ!」

 

「ふざけるんじゃねぇぞ!! 誰かに見られたらお前らがヤバいってのわかってんのか!」

 

 どうにかして拘束から逃れようとする二人を八重樫と影の少し薄い少年――遠藤はしっかりと押さえつけている。その表情からは一切の動揺は見えず、むしろ斎藤達の言葉を聞いて二人は冷たい笑みを浮かべた。

 

「そもそも人目がつかない場所を選んだんだろ? まぁ叫べば人が来るかもしれねーけどな」

 

「確かにそうね……でもそれなら、私達も自分の身を守るために()()を出さないといけなくなるわ」

 

「一体何の証拠――」

 

『……えっと、話をする場所ってここで合ってる?』

 

 遠藤に正論を言われ、八重樫が何か妙なことを口走ったため、それにキレた中野が反論しようとした時、どこかで聞いたフレーズが四人の耳に入った。音の出所を探ってみれば、天之河の手にあった携帯電話からその声が流れてきていた。

 

「実はね、あなた達には悪いと思っていたけれど携帯でちょっと映像を撮らせてもらったわ。私をイジメようとした檜山君と近藤君、そしてあまり素行が良くない中野君と斎藤君がハジメ君に用があるって言ってたからね。()()用心させてもらったわ」

 

「本当に僕に用事があるんだったら消してもらおうと思ってたんだけどね……残念だよ」

 

 それを聞いた途端、檜山達は心臓をわし掴みにされたかと錯覚する。自分達は八重樫の手のひらの上で踊っていただけに過ぎないのだ、と。南雲が何かを言ったようだが、単語一つすら彼らの頭には残らない。このままでは破滅まっしぐら。どうにかしないと、と脂汗を流しながら必死に考えた檜山はある思い付きを口にする。

 

「は……ハッ! そんなもんを先公に渡したところで誰が動くってんだよ! この程度でどうにかなると思ったら大間違い――」

 

「誰が先生に渡す、って言ったのかしら?」

 

 返す八重樫の言葉に檜山達は何一つ理解出来なかった。教師に渡すためのものではない? じゃあ親か? 教育委員会か? だが、親はともかく教育委員会みたいなのがこれだけで動くはずがない。そう考えてもう一度揺さぶろうとした時、遠藤があることを口にする。

 

「あ、雫。もしかして山咲さんにでも渡すのか? あの人確か刑事だし」

 

「もちろんそうね。あと()()()()()の警察署長の土井さんや他の警察関係者の方にも渡すつもりよ……ああそれと、お祖父ちゃんとお母さんにも見せようかしら――()()がお世話になってたものね」

 

 遠藤の問いかけに返事をした彼女の言葉を聞いて斎藤と中野は頭が真っ白になり、檜山と近藤は八重樫が何をしようとしているのかを理解して恐怖で股を濡らす。自分達にトラウマを与えた存在に、今の自分たちの所業を知らされるのだ、と。

 

「け、警察がすぐに動くワケねーだろ! 馬鹿抜かしてんじゃねぇぞ!!」

 

「そ、そうだ!! そんな便利に動かせる訳が――」

 

「あ、悪いな。実は雫の道場ってな、警察とか警備会社の人に指導してたりすんだよ。だから一応コネはあるんだぜ」

 

「ええ。それに道場に通っているみんなは幼い頃から私の事を気にかけてくれたから――理解、出来たかしら?」

 

 あまりに容赦のない返しに斎藤と中野も歯の根が合わなくなってしまった。もしさっき自分達がやったことがバラされてしまったらどうなるかわかったものではない。最悪警察のお世話になって、少年院入りだろう。それを免れたとしても間違いなくクラスの中での立場が最底辺にまで失墜してしまう。そのことがわかってしまったからこそ、二人はもう何も言えなくなった。何かを言おうとする気力すら、消えてしまった。

 

「とりあえずもう悪いことをしないでね? 僕は別に平気だし、むしろ君達が気の毒というか何というか……」

 

「まったく、ハジメは優しいな……まぁ、こんなことを言えた義理じゃないが、俺達も大事にはしたくない。二度とこんなことをしない、って言うならこのデータを消す。雫の道場の人にも伝えない。それは約束する。事後承諾で悪いけど、雫も浩介もそれでいいか?」

 

 八重樫、遠藤も天之河の問いにうなずいて返し、檜山達の方を見た。

 

 有無を言わさぬ表情で見てくる天之河と坂上、絶対零度の眼差しで見つめてくる八重樫と遠藤。唯一、南雲だけはほんの少しだけ同情の混じった視線を彼らに向けている。

 

「も、もうやらないんで、ゆるしてください……」

 

 完全に手詰まりであった。絞り出すようにして答えた中野に斎藤は力なくうなずく。檜山と近藤は既に気絶しており、どちらも口から泡を吹いていた。

 

 かくして子悪党四人組の企みは潰えることとなった。改めてトラウマを刻まれた檜山と近藤はもうイジメをすることはなくなり、人が変わったように大人しくなった。そして――。

 

「あ、檜山君、近藤君。この前貸した漫画、どうだった?」

 

「お、おう。スッゲー良かったぜ! マジで最高だったわ」

 

「そうそう! 八巻の主人公が敵の軍勢相手に啖呵を切ったとこなんかホント鳥肌が立った。ヤバかったわー」

 

 親友が自分のことを守るためとはいえどあまりに容赦なくエグいことをしたため、やられた檜山達にハジメは同情し、恵里や鈴、光輝や龍太郎といった保護者を連れた上で話しかけたのである。

 

 そうしてハジメなりの方法で彼らとやり取りをした結果、大介と礼一も漫画を中心にオタクの道に引きずり込まれたのである。

 

「そっか。じゃあ今度新刊が発売されるみたいだし、良かったら買ってみたら?」

 

「おう、考えとくわ」

 

「あー、出来れば貸してくんねぇ? 今月ちょっと小遣いがピンチでよ……」

 

「なにハジメくんにタカろうとしてるの? 自業自得でしょ」

 

「あー、ハジメ。俺もそれ気になるから後で貸してくれ」

 

「あ、いいよ二人とも。ほら、恵里。僕の事はいいから、ね?」

 

 こうして監視付とはいえ、二人も光輝らのグループの一員となったのであった。

 

 ちなみに今の彼らの最大の悩みは、見覚えのある老人と女性がたまに視界に入ることである。




本日も懺悔のコーナー
やらかしました(白目)
いやね、起承転結のあらすじを書いてた時点で承の部分がちょーっと長くなっちゃったんですよ。それを一度たたき台として書いてたら起と承のほとんどでここまで長くなったんです……ええ、実はまだちょっと承の部分残ってます。なんで次は残った承と転、結の部分のお話になります。

あと雫が檜山にイジメられる部分がありましたけど、実はあそこ冗長になると思って簡単なあらましにしています……下手したらこれよりも更に伸びた可能性があったんです。不思議ですね(遠い目)


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幕間九 小悪党達の挽歌(注:死んでない)(後編)

まずは拙作を見てくださる皆様方への感謝を。おかげさまでUAも56000を突破し、感想も96件(2021/10/31 21:27現在)になりました。ありがとうございます。

……なんでまたパーンと増えてるんでしょうね。割とマジで怖いです。

そしてAitoyukiさん、東方好きさん、拙作を評価及び再評価してくださって誠にありがとうございます。こうして評価をいただけるのは光栄の至りに存じます。

では檜山達にスポットの当たったお話の後編です。あ、割と今回結構下世話な感じです。では本編をどうぞ。


「頼む檜山、助けてくれ」

 

 休み時間、トイレに礼一と連れションしに行った帰りの事である。大介達の目の前に斎藤と中野が頭を下げていた。

 

 わざわざハジメや光輝といった面子がいない状態で会いに来た辺り、かなり参っているであろうことを察した大介は礼一と一緒に二人を無視した。

 

「オイ待てお前ら! 人が頭下げてんだぞ!!」

 

「無視するとか人の心ってモンがねーのかよ!」

 

 わめきながらも追いすがってくる二人にうんざりした様子で大介と礼一は答える。

 

「いや()()破ったお前らがどう考えても悪いだろ」

 

「俺らはちゃんと止めたんだからな。感謝されても恨まれたりののしられる筋合いなんてねーぞ」

 

「そんなこと言わないでくれぇー!! あんな目に遭うってわかってたらやらなかったんだよぉーー!!」

 

「頼むからマジで助けてぇー!! 神様仏様檜山様近藤様ぁーーーーー!!!」

 

 冷たくあしらわれた斎藤と中野はギャン泣きしながらも大介と礼一にすがりつき、必死の形相で頼み込む。

 

 二人が人目をはばからず、大声を上げて泣いているせいで自然と自分達に注目が集まり出す。どうしてこうなった、と思いつつ大介達は“あの日”のことを思い返していた――。

 

 それは大介達がハジメに手を出そうとして()()最悪の形で叩きのめされた(二人曰く、トラウマになった()()()()に容赦なく叩きのめされるのが最悪のケースとのこと)日の翌日のことである。

 

「おい檜山、近藤。ちょっと来い」

 

 この時点ではまだハジメ達と親しい間柄になったどころか遠巻きに警戒されている状態であったため、まだ斎藤達も声をかけやすかったのであろう。怒り、憎しみ、そして恐怖の混じった表情の二人に見つめられ、軽くビビった大介達は二人に連れられてまたも校舎裏に行くことになった。

 

 途中、何度も何度も斎藤達が周囲を見渡し、ようやく目的の場所にたどり着くと、二人は大介と礼一の両肩を潰さん勢いで掴み、あることを言いだした。

 

「オイお前ら、もう一度南雲のヤツをシメに行くぞ」

 

 斎藤の言葉に大介も礼一も即座に首を何度も何度も横に振った。絶対に嫌であった。前回はあっちの気まぐれか何かのせいで大恥をかいただけで済んだが、次は確実に恐ろしい目に遭うと大介達は理解していたからだ。

 

「何バカなこと抜かしてんだよこのヘタレが!」

 

「お前ら悔しくねぇのかよ!! あんな寄生虫がヘラヘラしててよ!」

 

 斎藤達の声が怒りと恐怖で震えている。自分達と同様にトラウマは抱いているものの、まだケンカを売る気力はあったようである……ここで言及しているのがハジメだけな辺り、流石に光輝や雫相手に立ち向かう度胸はもう無いらしい。

 

 だがそんなことは大介と礼一からすれば関係ない。もう大人しくしているから勘弁してください、というのが本心である。

 

「お、俺らはもう真っ当に生きるって決めたんだよ!」

 

「そ、そうだそうだ! べ、別にビビってもう無理とかじゃねぇからな!」

 

 だから必死になって拒否する。自分たちの心の平穏のために。ヤバいのに襲われてしまわないために。すると斎藤達は舌打ちをしながら大介達を放し、恨みの籠った目でにらみつける。

 

「わかったよこのチキン野郎どもが……南雲の次はテメーらだからな」

 

「思いっきりボコボコにしてやるからな。覚悟しとけよ」

 

 そう捨て台詞を吐いて斎藤と中野は去っていく。遠ざかっていく二人の背中を見て一息吐くと、またしても聞き覚えのある声が大介と礼一の耳に入った。

 

「よく断ってくれたわね。偉いわ」

 

 八重樫雫である。気配も何も感じさせず、突然ふらりと現れた事で一瞬で大介と礼一は恐慌状態に陥った。

 

「ひぇぇ~~!! や、八重樫ぃぃいぃいいぃ!?」

 

「お、俺らは何もしてねぇ! マジで本当だから! なんで許してください! 何でもやります!!」

 

 腰を抜かして思いっきり後ずさる二人を見て『ちょっとやり過ぎたかしら……?』とポツリとこぼした雫の言葉も二人の耳には入らなかった。

 

「二人が悪くないのはさっきのやり取りを()()()()から大丈夫よ。あなた達()()別に何もしないわ」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら言われたことで余計に大介達は縮こまってしまう。あの時ちゃんとNoを言ってよかった。Noを言える日本人万歳と思いながら二人はカクカクと首を何度も縦に振る。

 

「それじゃあ私は戻るから――悪いことはしないでね?」

 

 切れ長の目を細めながら雫が言えば、大介達は軽く悲鳴を上げて身を寄せ合う。ほんの一瞬苦笑を浮かべた後でようやく雫は去っていった。

 

 その後は授業も恐怖で手につかず、家に帰る時もいつ雫や彼女の家族が襲ってくるかと二人は怯えていた。“平穏無事”という四字熟語のありがたみを大介と礼一は今日ほどよく知ったことはないという。

 

 そして翌日、斎藤と中野が欠席した。

 

 一体何があったのかと光輝達の話を盗み聞きしてみると身の毛もよだつような恐ろしいことが断片的にわかってしまった。

 

 ――まずハジメへの襲撃は失敗したらしい。

 

 斎藤と中野がハジメが家に行くまで尾行し、そして彼と一緒に来た中村恵里と谷口鈴と共に玄関のドアに手をかけようとした時に声をかけたようである。そこで恵里と鈴をかばおうとハジメが二人の前に立ち、斎藤が殴りかかろうとしたところで周囲にいた何人もの大人が姿を現した。

 

 しかも殴りかかる瞬間やハジメに向けて吐かれた暴言はしっかり記録されており、ハジメが殴られる寸前に警官が割り込んだらしい……その後、二人は八重樫の道場に連れていかれ、そこで稽古*1と称して滅多打ちにされた、と。

 

 また、口ぶりからして光輝、雫、浩介もその場にいたようである。それを聞いて大介達は心底戦慄した。もし加わっていたならあそこでどうなったかわかったものではないからである。

 

 とりあえず斎藤達は死んだどころかケガもしていないらしいが、あんなことをされて無事でいるとは大介も礼一も到底思えず、改めて悪いことはしてはいけないと二人は本気で思った。

 

「もう嫌なんだよぉ! ボランティアやらされるのはぁ!!」

 

「アイツらのせいで放課後ロクに遊べねぇんだ! ウチに帰ったらくたくたで疲れて動きたくねぇもん!!」

 

「思いっきり自業自得じゃねぇか。命があるだけありがたく思えよ」

 

「約束破ったからこんな目に遭ってんだろうが。バッカじゃねぇの」

 

 そして今、ズボンにすがりついては泣きわめいている二人を見て『こんなのにならなくて良かった』と大介と礼一は思いつつ、容赦なく事実を突きつける。余計に斎藤達が泣いた。

 

 頼むからアフターケアも含めてちゃんとやってくれと大介と礼一は授業開始のチャイムを聞きながら思った。もちろん先生から後でこっぴどく叱られた。

 

 

 

 

 

「まぁ、相談とかはいいんだけどよ。一体何だよ?」

 

「そういうのはむしろ天之河がやることだろ? 俺らの出る幕じゃねぇって」

 

「まぁ()()()ならそうなんだけどな……今回は檜山達の方がまだ頼れそうだったんだよ」

 

 ハジメにケンカを吹っ掛けて、トラウマを再度刻み込まれた日から早ひと月。哀れに思ったハジメから声をかけられ、接している内にオタクの道に引きずり込まれた頃のことである。

 

 大介達は浩介に「ウィステリア」というレストランに連れてこられ、そこで相談を受ける羽目になった。一番奥の席に通され、礼一と一緒に適当にメニューを流し読みしていると浩介が理由を話し始めた。

 

「いやー、その、な……斎藤と中野のことなんだよ。ホラ、俺達アイツらをシバきまくったからさ、顔合わせたら今でもビビられてな。それと、お前らの方がその……まぁ話が通じやすいかと思ったんだよ」

 

「いや素直に不良だなんだ言えよまだるっこしい」

 

「だな。俺らの事あそこまでやっといて今更そんなこと気にすんのかよ」

 

 大介らの返しに頭をかくと、浩介は二人に向けて頭を下げた。『どうしても二人の力を借りたい』と言われて悪い気もせず、仕方がないと思った大介も礼一も浩介に話の続きを促した。

 

「ありがとな、二人とも」

 

「別にいいぜ。ちゃーんと()()を守ってくれるんならな」

 

「俺らの分、しっかりオゴってくれよー――あ、すんませーん。注文いいッスかー?」

 

「……マジで一品だけな? 守ってくれよ?」

 

 “何でも一品オゴる(ドリンクは自腹で)”という文言で釣られた大介達がそこそこ高いものを頼むのを見て懐が寒くなるのを浩介は覚悟した。

 

 こうして注文が終わり、全員分の品が届くまでの間、浩介は二人に説明を始める。

 

 斎藤と中野を道場まで連れだし、KEIKOをつけた後、大人達は二人が再度悪事に走らないようボランティアに従事させて他人に感謝されることで意識を変えようと考えたとのことだ。

 

 しかし無理矢理やらされているということもあって二人のモチベーションは依然として低いままであり、嫌々やっているのが見て取れた。たまに道行く人に感謝されることはあるものの、大人たちの顔色をうかがいながらそれに返事するだけで心変わりした様子も見られないらしい。それでどうしたものかと考えあぐねていたようであった。

 

「そりゃまぁ俺だって上手くいくとは思ってなかったよ。でもここまで想像通りだとは思わなくってさ……アイツらの不満が溜まってさ、また爆発して俺らが出張って鎮圧するのも可哀想でよ」

 

 そして一足先に届いたサーモンサンドを食べながら浩介はボヤく。絶対に叩きのめすのかと八重樫の奴らの本気を感じ取って軽く背中が寒くなった大介は、今しがた届いたボンゴレロッソを巻き取りながら浩介に言った。

 

「まぁ、そりゃあ当たり前だろ。ボランティアを好きでやるような奴だったら頼まれなくったってやるだろうが。怖くて仕方ねぇから従ってるのぐらいわかるだろ?」

 

「それはそうだけどさ……なぁ近藤、お前はどう思う?」

 

「そんなん檜山と同じだわ。おっかねぇ奴らに囲まれて嫌々やってるだけなんだし、どっかで爆発しても仕方ねぇだろ――あ、あざーす」

 

 注文したパエリアを受け取りつつ浩介にそう返すと、相談を持ち掛けてきた本人は一度サーモンサンドを皿に置いてから大きくため息を吐いて背もたれによりかかる。そんな浩介を見て大介もつられてため息を吐いた。こうして奢ってもらった以上、飯を食ってそのまま帰るのもいくらか気まずくなったからだ。大介は思っていた以上に美味いボンゴレを食わせてもらったことに軽く感謝しつつ、頭をかきながら浩介に問いかけた。

 

「まぁ、遠藤がやってほしいのはアイツらを心変わりさせるか、それかストレスをどうにかするかってことだろ?」

 

「あー、うん。でも反省とか心を入れ替えるのはやっぱり正直無理そうだし、それはもう頼まないよ……でも中野達のストレスだけはどうにかしたいし、何かいい案はないか?」

 

 大介が趣旨を確認し、浩介がそれに答えた辺りで二人はうんうんとうなり出す。あの二人の人となりを誰も知らないため、普段やっていることもわからず解決の糸口は中々見えてこない。マンガを読んでたりゲームをしているならハジメを起点にどうにかなると大介も礼一も考えたものの、そうだという確証はない。

 

 どうすればいいのかと悩んでいると、礼一があることを閃いた。そこで大介と浩介を手招きし、あることを耳打ちする。すると大介はなるほどと目を見開き、浩介は納得しながらも少ししどろもどろになった。

 

「オイオイオイ、これイケるんじゃね? なぁ遠藤、お前んトコの道場の人に声かけて買ってもらうのは――」

 

「いやいやいやマジかよ!?――た、確かに買う人もいるだろうし、譲ってもらうのは……あー、でもアイツら()()()じゃん。警察の人もいるし、表立って渡す人はいないんじゃねーかな。それに前科持ちだし嫌がりそうだ」

 

 浩介の発言に大介と礼一は思わず食べる手を止め、空いた手を顔に当てた。大人達からではダメとなると、他に()()()()()人を見繕わなければならない。そこで大介はある人物を候補として挙げる。

 

「だったらよ、南雲だったらどうなんだ? アイツなら何かしら持ってるんじゃねぇの?」

 

「あー、確かにな。アイツオタクっぽいし、()()()()とか()()()()とかあるだろ」

 

 礼一の発言に浩介は腕を組んでうなり声を上げる――大介達が突破口になりうると考えたのは()()()やそれに類するものであった。

 

 あの二人が自分達と同類ならこういったものは欲しがるのではないかと踏んだのである。ハジメにケンカを売る前は香織のことを大介共々いかがわしい目で見ていたこともあってか斎藤達もそういうことに興味があるんじゃないかと礼一は考えていたのである。

 

 なお、このひと月で彼女の普段のあれこれを見ていたらそんな気が起きるどころか、振り回されている龍太郎に対して軽い憐れみを二人は覚えていたが。

 

 ともあれ、大介と礼一が解決の糸口として見出したのはコレであった。すると、うなっていた浩介が難しい顔で大介達の方を見やった。

 

「……多分ないと思うぞ。前にも聞いたんだけど、こっそり買ってたエロ同人とかが恵里と鈴にバレて二人がカンカンになったってハジメが言ってたんだ。しかも今この場で捨てるよう迫られた、って前に嘆いてたし。あれからもうそういった話は聞かないからもう手元には無いんじゃないか?」

 

 それを聞いた大介達は思わずハジメに軽く同情する。いくら二人も女がいるといえど、エロ本を捨てるよう迫られて、しかも実際に捨てる羽目に遭ったというのは流石に哀れに思ったのだ。まぁ九割がた『ざまぁみろ』といった具合でもあったが。

 

 ハジメ以外の面子で他に誰が持っているかと考えるも、目の前にいた浩介は兄と妹がいるからそういったものは買えないし、かといって兄から借りるのもどこか気恥ずかしくて無理だとか。心底使えねぇと思いながらも別の候補――光輝や龍太郎について二人は考える。

 

 だがあの天才や筋肉バカがそういったものを見るんだろうかと大介達は疑問に思った。そこで浩介に『やっぱアイツらも隠れて読んでるんだろ』と下衆の勘繰りを働かせたものの、そういったものを見たことはさっぱりないという。

 

「光輝はなぁ……雫と一緒にいるだけで幸せそうな顔するし、無駄に責任感強いからそういうのに手を出す気はしないぞ? あと龍太郎は……龍太郎は基本体動かしてる方が好きな奴だし、そっちで発散させてるんじゃないか? それか香織のことでも……うん、ないな」

 

 浩介の返しにケッ、と二人は大きく舌打ちをする。そういうところがあったら面白いのに、と思いながらもそうでなかったことが気に食わなかったからである。ちなみに浩介はそれを咎めなかった。なんだかんだでモテてる二人に嫉妬していたからである。

 

「そうなると……清水はどうなんだよ?」

 

「あの秀才もどっかオタクっぽいし、持ってねぇのかよ?」

 

「近藤お前なぁ……まぁ確かにアイツもそうだけど」

 

 やっぱりかと二人は思いつつこちらはどうなのかと尋ねてみる。しかし明確な返事は返ってこなかった。

 

「どうだろうな。幸利も弟がいるし、親もいるけどあんまり無断で部屋に入る、って事もないみたいだしな。でもそういう話をした事はなー……まぁもしかすると、だな」

 

 結局わからない。が、賭ける価値がない訳ではないということでもあった。イケるかも、と考えた大介は礼一と一緒に身を乗り出して浩介に迫った。

 

「だったら聞いてみようぜ! 頼み込めば一冊ぐらい貸してくれるだろ!」

 

「なんだよ驚かせやがって。とりあえず聞くだけ聞いてくれよ。事情を説明すれば大丈夫だって!」

 

「お、おい! 二人とも近いって! と、とりあえず幸利に聞いてみないと――」

 

「お客様?」

 

 二人に迫られ、とりあえず幸利に連絡しようと浩介が携帯を取り出した瞬間、冷たく威圧感のある声が響く。一体誰だと思って顔を向ければ、百点満点の営業スマイルに青筋が添えられた顔の優花がそこに立っていた。

 

「ウチも客商売やってるんで――これ以上騒いだりエロだなんだ大声で言うなら出禁にするわよ」

 

 店主の娘の放った怒りの正論に誰も逆らう事は出来ず、三人は揃って平身低頭になったのであった。

 

 

 

 

 

「とりあえず上がってくれ。話はそれからだ」

 

 そして翌日の放課後、浩介と一緒に幸利に事情を話した大介達は、当人の了解を受けてから彼の自宅へ向かう事になった。もちろん浩介も付き添いで来ている。

 

 そして彼の家に上がり、自室へと向かう。初めて幸利の家に訪れただけでなく、エロ本の受け渡しを行う事もあってか、よく彼の家に訪れているはずの浩介や家の人間である幸利でさえも緊張していた。

 

「ここが俺の部屋だ。とりあえず空いてるスペースに腰を下ろしてくれ」

 

 そうして通された幸利の部屋は大介らの予想以上に雑然としており、『本物のオタクってヤベぇな』と二人は驚きを隠せなかった。

 

「……で“アレ”、だよな?」

 

「ああ。もし、二人にも見せてもいいなら頼めるか?」

 

「別にいいぜ。()()()()()()()し、それなりにあるからな」

 

 幸利の言葉に一瞬大介と礼一は首をかしげるも、そこまで気にすることでもないと考えて幸利の一挙一動を見守ることに。

 

 部屋の右奥にある本棚まで幸利が行くと、彼は一番下の棚から本をどかし、奥にあった冊子に手をかける。そして二十冊近くものそれを三人の目の前に置いた。

 

「とりあえず()()()()()()のヤツはこれで全部だったはずだ。一応ロリとか年上モノとかも揃えてるから大丈夫だと思うぜ?」

 

 幸利の言葉に浩介も『おぉ……』と感嘆の声を漏らした。そこで各々が冊子を手に取り、()()を確認する――大介達は思わず唾をのみ、幸利はそれを見てニィッと笑う。

 

「どうよ? 檜山達とつるんでた奴らの趣味はわかんねぇし、読むかも知らねぇけど……ソソるだろ?」

 

 その言葉に大介も、礼一も、浩介であってもうなずかずにはいられなかった。そして大介と礼一はたかが漫画と侮っていたことを後悔する。描かれているキャラはわからないものの、持って帰って使()()()()ぐらいには関心を引いたのである。

 

「……って言っても、コレの大半はハジメから譲ってもらったもんだけどな……よく()()になったんだ」

 

 そう感慨深げに幸利がそうつぶやくと、大介と礼一は大いに驚き、同時に納得を示した。付き合いが浅いながらもハジメの物を見る目に関しては認めており、オススメされた本の中で単純に興味が沸かなかった数冊を除けば外れがなかったこともあって大いに信頼していた。

 

「じゃあ、この中でウケそうなのを持ってけば……」

 

「多分イケると思うぞ。あ、でもお前らも使()()()いいけど、ちゃんと返せよ。あと今は俺のだから汚すなよ」

 

 幸利の言葉にうなずくと、大介も礼一もそして浩介も目の前のお宝の山から一冊一冊手に取り、中身を吟味していく。

 

 ……『アイツらに貸すのコレでいいか』だの『え、檜山お前ロリコンかよ』だの『うるせぇ! 八重樫のバ……親のせいでそういうのがダメになったんだよ!!』だのと本来の目的そっちのけになっている感はあるが問題はないのだろう。きっと。

 

 この一件で大介、礼一、浩介、幸利の心の距離は大きく縮まった。そして――。

 

「よっす幸利」

 

「おう大介」

 

「オッス浩介。そういや今日も道場だっけか?」

 

「おはよう礼一。あー、そうだな。日曜ぐらいしか休みの日なんて中々ないし。ゲーセンはその時でいいか?」

 

 エロ同人を通じて四人の絆は深まり、よくつるむことが多くなった。その事を光輝と雫は少し嘆いたものの、休日に一緒に彼らと遊んだこともあってか()()の立ち位置は“悪友”や“ちょっと困った友達”といった程度に落ち着いていた。なおエロトークで光輝や雫を困らせるとどこからともなく死の気配が漂ってくるため、この二人がいる時は下世話な話題は避けているが。

 

「えー、マジかよ。お前もいねぇとやる気下がんだけど」

 

「ホントだよなぁ~。俺ら親友だろぉ? あんだけ()()の絵で色々と語り合った仲だってのにさぁ~」

 

 実は斎藤良樹と中野信治も幸利、浩介の友人となっていたのである。きっかけはもちろん例の同人誌である。二人に色々と説明をし、あまり納得がいっていない彼らにどうにか貸しつけたその翌日、ちょっと悔しそうな顔をしながらもどこかスッキリとした顔で借りた同人誌を持ってきたのである。そこで清水を紹介すると、他には何があるのかを尋ね、そこから色々あって仲良くなったのだ。

 

 ちなみに“先生”とはハジメのことである。幸利を筆頭に彼の属するグループの皆と交友を深めていく内にハジメが漫画家の息子であることを知った檜山があることを考えた――もしかすると頼み込めばエロ漫画を描いてくれるんじゃないか、と。

 

 そこで幸利と浩介も巻き込んで計六人で恵里と鈴がいないのを見計らってひたすら頭を下げ続けた結果、『漫画はともかく絵だったらいいよ』と承諾してくれたのである。のちに恵里に描いている途中の絵が見つかってひと騒動起きたものの、それぞれの好みを元にしてハジメが描いた特注品が六人の手に渡ったのだ。それに六人全員――特に大介、礼一、良樹、信治の四人が()()()になったことから敬意をこめて“先生”と呼ぶようになった。

 

「……相変わらずくだらないことで盛り上がってるよね」

 

 ちなみに恵里からは大介達四人はダニを見るような目で見られている。いくら頼みで描いたといえど、自分と鈴以外の女性のあられもない姿をハジメが描いていたのはとてつもなくショックだった。そのため元凶である四人は心底恵里から嫌われていた。なお浩介と幸利に関してはハジメと鈴のとりなしもあってかあの四人よりはわずかにマシな扱いである。

 

「いやー、でもお前らだってボランティアがあるだろ? 最近はちょっと減ったらしいけどさ」

 

 浩介の言う通り、良樹と信治のボランティアへの参加は未だ続いており、頻度こそ減ったもののまだ参加させられている。それを思い出して軽くグロッキーになりながらも良樹達はそれに答えた。

 

「あー、うん。まぁでもここ最近はたまーにだけど休みをもらえるしよ」

 

「俺らの頑張りを認めてくれたのか減らしてくれたんだよな。いやー、やっぱり俺らの頑張りを向こうも見てくれてるんでしょ」

 

 なお実際のところは、二人が色々あってスッキリした状態で参加しているのを見た八重樫の関係者が反省したと勘違いしているのが真相だったりする。

 

 それに雫は気づいていたが、あの二人が何度もボランティアに駆り出されるのを見て忍びなく思ったが故に口をはさんでいない。そのため真実は明るみに出ていないのである。

 

「……どういった理由かはわからないけど、これを機にアイツらも心を入れ替えてくれるといいんだけどな」

 

「さて、な。ま、何かあっても俺らでどうにかすればいい。そうだろ?」

 

 言葉を濁しつつ、龍太郎が光輝のボヤきに答えれば、そうだなと光輝も一度息を吐いて前を向いた。そういえば今度の週末にウィステリアで新作メニューの試食会があることを思い出しながら。

 

 かくして恵里達のグループに新たに四人の友人が加わることになった。彼らの未来は、明るいかもしれない――。

*1
立ち切りのこと。ウィキペディアによると『一人の選手に対して数十人が交代で掛かり、選手に休む暇を与えず、体力の限界まで追い込む』特別稽古とのことである。もちろんこういう目的でやる稽古ではない。




ちなみに六人のために絵を描いたのを見てヒスを起こした後、涙目になった恵里はハジメに振り向いてもらおうとエロい自撮りを送ろうとしました。もちろんハジメと鈴に阻止されました。

あ。あと今回は主要キャラの簡易まとめも同時投稿しております。

とりあえず一言。やっと、やっと原作に移れる……! マジで長かった……。


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主要キャラ簡易まとめ

タイトル通り、主要キャラの簡単なまとめです。ちなみに親御さんに関しては入っておりません。ていうか書くといつものテキスト量を超えかねないので勘弁してください……。


・中村恵里

本作におけるハジメの外付け暴走装置兼主人公兼ヒロイン。

神域における鈴との戦いに負けて自爆し、肉体を失い、鈴と語り合った後、神域の崩壊に巻き込まれ、気づけば父を失うあの事故の日の朝を迎えていた。

そこで父が事故に遭わないよう気をつけた事で死ぬのは回避出来た……が、当人は夢の類だとその時点ではまだ思い込んでいたため、一年近くの時間を無駄に過ごしてしまう。

 

そしてこの世界が夢では無いことに気付き、来るトータス召喚に備えて行動し、絡んできた光輝を無碍にしたりしなかったりした結果、鈴ともう一度友達になることが出来、彼女を中心とした人の輪が出来た。

 

また最初に接触した南雲ハジメとは当初、恋人ごっこという形で関係を結んだものの、まだ根暗であった鈴と和解するために色々してもらった事がきっかけとなって彼へ向ける感情が気づかない内に徐々に変わっていく。

そして小一の時のホワイトデーでお返しをもらった際に本格的に執着し始め、小学校を卒業する辺りで彼を本気で愛するようになった。

その後、鈴をたぶらかし、一緒にハジメを愛するよう仕向けた後、『三人で幸せになる』ためにトータスでの行動方針を決める会議を行った。

 

当初は関心を惹くためだけにチョコレートを手作りしたが、ハジメに執着するようになってからはハジメと鈴と一緒に段々と菓子作りにのめり込んでいった。今はそこまで菓子作りはやらないものの、料理にも手を出すようになり、高校で食べる弁当は自分で作っている。

また菫からの手ほどきもあり、漫画も描けるように。少なくともアシとしては使えるレベルであり、ハジメほどではないにせよオタクとしてのスキルは高い(オタクとは(哲学))

 

中学生の時に両親とケンカしたことがあったものの、高校に入った今ではいくらか関係が改善されている。

また原作ではナチュラルボブであったが、こちらでは親の勧めや髪を切る必要性がない事、また過去との訣別のために腰元まで髪を伸ばしている。

 

 

 

・南雲ハジメ

原作の主人公兼恵里の外付けブレーキ兼彼女と鈴を愛する人。

小学生の頃に恵里と知り合った事で大きく運命の変わった少年。恵里と付き合う事で色々な事に興味を持ち、菓子作りや料理にも手を出していった。

 

また彼女経由で交友関係が増えた事で原作のように香織関連の事で光輝から疎まれることが無くなり、頼られたり恵里と鈴の事で呆れられたりする間柄に。

恵里の行動のせいで香織と雫とのフラグが消滅しているが、これを気にしているのは原作魔王とそのハーレム周りぐらいだけなので特に問題はないな、ヨシ!(現場猫)

 

好きな人は幼少期からずっと一緒にいた恵里と鈴。元々は恵里一筋でいこうと思っていたものの、恵里の悪魔の囁きのせいで鈴に対しても執着していた事に自分で気付いてしまい、二人を手放さないと決意する。もしトータスに行かなくても中東の国の方に移住し、二人と離れないで済むよう色々と考えている。

 

一度免疫をつけているから厨二病の塊である原作の自分自身を見てもそこまでダメージは無い可能性が高い。が、あちらの対応次第(例:こちらの自分達と人間関係が異なる事にショックを受けた嫁〜ズを見てブチ切れて何か仕掛ける)では原作魔王を酷く嫌うかもしれない。それも魔王ハジメが勇者を嫌うぐらいには。

 

 

 

・谷口鈴

小学生の頃に恵里と知り合った事で大きく運命の変わった少女。

恵里と衝突した事で両親との接し方が変わり、仮面を着けた自分でなくありのままの自分を受け入れてもらえた。またその際に世話を焼いてくれたハジメに淡い恋心を抱く……が、当のハジメは恵里一筋。自身の恋心に気づかずとも追い縋り、気づいた後もそんな逆境にめげることなく立ち向かったり唆されたりした結果、彼とも両思いに。

 

またハジメと接する内に少女漫画だけでなく小説やゲームにも手を出すようになり、恵里と一緒にオタクになった。また菓子作りも趣味の一つである。

 

両親との接し方が変わったせいでムードメーカーでは無くなり、それに伴ってエロオヤジにはならなくなった。多分原作の鈴の奇行を見たら卒倒したり、『あんなのにならなくて良かった……!』と心の底から思う、かも。

 

 

 

・天之河光輝

小学生の頃に恵里と知り合った事で一番運命が狂ったと思われる少年。

ハジメを探していた恵里の噂を聞き、手助けになれれば、と当初は手伝いを申し出て、そこで友達に聞いてみて心当たりがなかった事から「じゃあ俺と友達になろう」と言い出したのが運の尽きというべきか。散々断られても追いかけ回し、それで龍太郎とケンカをし、険悪なまま別れた事で彼の未来が大きく変わった。

 

自身の間違いを自覚し、龍太郎と仲直りしたまでは良かったものの、以前とは違って慎重になって動いた事と龍太郎とケンカしたことが広まりそれを認めた結果、彼の周りから多くの人が離れていき、頼られなくなってしまった。

 

その事を気に病み、塞ぎ込むようになってから八重樫道場に連れて行かれ、そこで雫と知り合い、彼女の悩みを晴らすべく手を差し伸べたものの、それが結果として雫を傷つける事になり、大いに後悔する。しかし龍太郎から喝を入れられた事で自暴自棄になった雫を見つけ、彼女を本物のお姫様にする。

 

そして未だ女の子らしくない自分について気に病んでいた雫をどうにか助けようと色々動き、龍太郎経由で恵里達と知り合い、雫と共に救われる。その後は自分を慕う雫の為に色々と考えて動いたり、また人助けの為に色々やったりしている。それに伴う困難や挫折にも向き合っており、その事をボヤくこともある。

 

多分原作の自分のやらかしを知ったら色々な感情が溢れ出ると思われる。何がとは言わない。

 

 

 

・坂上龍太郎

小学生の頃に恵里と知り合った事で大きく運命の変わった脳きn……もとい少年。

恵里をしつこく追いかけ回す光輝を止めた事でケンカになり、そこで別れてしまう。が、その経緯を話して親に叱られ、同じく親に叱られて目が覚めた光輝と翌日仲直りする。

 

その後、光輝からの紹介で雫と知り合うも、光輝の側にいた少女三人が雫をイジメていた事に光輝と一緒に後で知り、イジメをしていた三人が光輝の所へ行くのを食い止め、雫を追うよう光輝に喝を入れる。けがを負ったもののどうにか三人を食い止める事に成功し、影の立役者に。

 

そして自分が女の子らしくない事に悩んでいた雫を助ける為、恵里達に頭を下げた。そこでハジメの知恵、鈴のアイデアにより雫の笑顔を取り戻す事に成功する。そして光輝、雫と共に恵里達と友達になった。

 

そうして恵里達と交流を深めていると突然恵里の友達であった香織と知り合い、また光輝と雫が結ばれた時の話でやった事を香織にベタ褒めされ、顔を真っ赤にする。その後もちょくちょく絡んでくる香織の様子から、自分に気があるのでは? と考えるも当の本人が鈍いせいで無自覚なまま計二回フラれてしまう。ごめ龍

 

原作よりも早い段階で光輝の腰巾着を卒業しており、割と意見したりするようになった。多分原作の自分自身と会っても(時期によっては)性格がそこまで変わらない事から好感は持たれる。ただ、香織の事を尋ねられたり鈴の事を尋ねそうではあるが。

 

 

 

・八重樫雫

恵里が色々と動いた事で大きく運命の変わった少女。

彼の母と自分の祖父の勧めから道場に入って腕を上げた光輝と練習試合をしたのがこちらでの馴れ初め。光輝が慎重な性格になった事から出会った当初はお互い積極的に話をする事なく、少しずつ時間をかけて知り合っていく形に。そして女の子らしい事をしたいという悩みを打ち明け、光輝がそれを解決出来るよう取り計らってくれた……が、これが苦難の始まりとなる。

 

光輝の女友達を紹介され、仲良くなって女の子らしくなろうとしたものの、幼い頃から剣術に明け暮れたせいで話が噛み合わず、また三人共各々が光輝を狙っていた事からイジメのターゲットにされてしまう。当初は気のせいだと思い込もうとし、友達を疑いたくない一心から目をそらし続けていた。

しかし痺れを切らした三人に校舎裏まで連れ出され、そこで剥き出しの悪意を叩きつけられる。しかもそこに光輝と龍太郎が駆けつけ、また光輝の心の支えとなっていた三人の本性を見た時に彼がショックを受けたのを見てしまって自暴自棄に。そこから逃げ出し、自己嫌悪の果てに死のうとした。だが光輝が必死になって食い止め、あるわがままを最高の形で叶えてくれた事で彼を心の底から好きになった。

 

その後も女の子らしい行動や見た目でない事を悩むものの、龍太郎の頑張りと鈴達のおかげで『女の子らしいことがしたい』という願いも叶えられる。あの三人のせいで他人と接するのが怖くなってたものの、光輝と龍太郎の助けを借りて勇気を出した事で鈴達と友達になった。

 

それからは光輝と更に仲を深め、新たにできた友達とその家族とのやりとりや、心を通わせたおかげで原作のような苦労を負わずに『割と』普通の女の子に成長する。またある一件から八重樫の裏を知り、護身に必要だと思った家族からそちらの道を進む事に。

 

……原作の雫がこちらの雫の経緯を知ったらヒステリックになるのはほぼ確実であろう。

 

 

 

・遠藤浩介

恵里が色々と動いたせいでちょっと運命がズレた少年。

こちらでも生来の影の薄さを気にしておりそれに悩んでいた。そんなある日、雫の護衛の為に気配を殺してこっそりついてきていた鷲三が彼の才能を見抜き、八重樫道場に来るよう誘われる。入りたての頃はまだ影の薄さは中々解消できなかったものの、鷲三らの手ほどきのおかげでちょっと影が薄い程度にまで改善された。その事には感謝しているものの、訓練の一環として気配を殺すよう言われるのは色々と複雑らしい。

 

また幼少からハジメと恵里と鈴、光輝と雫、龍太郎と香織の三組のカップルの甘ったるい雰囲気に何度となく充てられたため、嫉妬やら何やらの果てに悟りを得て……一周してリア充ムーブする彼らに嫉妬している。そのため非モテ仲間の幸利と愚痴をこぼしあったりなんなりしている。

 

深淵卿が見たら羨むと同時に同情するかもしれない。

 

 

 

・白崎香織

恵里が色々と動いたせいでかなり運命がズレた少女。

光輝達と知り合う前に恵里と出会って友達となり、そこで話のタネとしてハジメとの恋バナを聴き続けたことで友人共々ミーハーに。段々とハジメに入れ込み出した恵里を振り回す。

 

しかし友達になった翌年、クラス表に彼女の名前が無かった事で落ち込んでいたところ、父の智一が友達を探すなり新しく作ればいいと言ったせいで探す気満々になり、すぐさま突き止める。なお自分抜きでハジメ達と話をしていた事に軽くおかんむりとなり、もう一度友達になるべく声をかけてそのまま勢いで押し切る。

 

その後無事友達になったのだが、そこで龍太郎が光輝を手助けしたエピソードを聞いて彼に関心と尊敬の念が湧き、それからは無自覚に振り回しまくる。その事で元々の友人や光輝達から呆れられたり、龍太郎に付き合うのをやめたらと言ってくる友人に理由がわからないまま怒るなどしている。やっぱり突撃しまくってるわコイツ。

 

ちなみに知り合った経緯や仲良くなる過程が本来の歴史と異なる事から、雫からの印象は「天然のトラブルメーカー」といったものになっている。残当。

 

原作の香織ともし出くわしたらあちらの香織がフリーズするのは間違いなく、また話もずっと平行線の可能性がある。

 

 

 

・園部優花

恵里が色々と動いた事で関わりを持つ事になった少女。

恵里がハジメと鈴と友達になり家族ぐるみで付き合う事になった際、谷口夫妻が贔屓にしている自分の両親が経営するレストラン「ウィステリア」に来たのが縁の始まり。

 

しばらくは遠巻きに見つめていただけであったが、後にそれがバレてしまい、結果恵里達と友達になることに。

 

基本的に性格、立ち位置ともに原作とそう変わらず。奈々と妙子以外に友達が出来た事が大きな違い。現状ハジメに惚れている訳ではなく、むしろ恵里と鈴のケンカを見てヒヤヒヤしており、頼むからとっととどっちかとくっつけと考えているぐらい。

 

 

 

・宮崎奈々、菅原妙子

恵里が優花と関わりを持った事で友人となった。基本的な性格や立ち位置は原作と変わらず。

また妙子は昔、自身の嗜虐心を誘う事からハジメに目をつけた事があったが、恵里の殺意剥き出しの眼光に怯んで以降はハジメを対象に含めてなかったり。

 

 

 

・清水幸利

恵里が色々と動いた事で運命が大きく変わった少年。

光輝と雫が偶然彼がイジメられている現場を見かけ、対処した事でイジメそのものは無くなった。しかしイジメ自体は二人が対処する前から行われており、既に心に深い傷を負っていたのが原因で引きこもってしまう。そこで二人が家まで出向いて色々話しかけていたものの、二人が非オタであったことからあまり話が続かずに凹んでしまう。しかし家に来てくれたハジメ達のお陰でどうにか引きこもり自体は解消出来た……が、今度はハジメに対して嫉妬してしまい、それをポロッと出した途端に恵里と鈴が激怒。そしてやりきれなくなってしまって暴言を吐き、再度引きこもりに。

 

その後荒れた彼のもとに根気強く浩介、光輝、雫が通う。そこで居合わせた彼の兄が自身とオタク趣味を馬鹿にした事に三人が激怒し、言い返す。また家に来る度に持ってきてくれた手紙に目を通し、涙した事で引きこもり脱却。

 

その後光輝と雫から勉強を教えてもらい、一同の中で二~三番目の成績を収めるほどまで成長している。

 

もし仮に原作の自分の顛末を知ったら彼らと出会えたことを心の底から感謝すると思われる。

 

 

 

・檜山大介、近藤礼一、中野信治、斎藤良樹

恵里が色々動いた事で結果としてかなり運命が狂ったと思われる奴ら。

光輝を狙ってた三人の少女が流したウワサを聞いた檜山と近藤は大義名分を得たとばかりに雫を襲おうとした。しかし心配で着いてきてた(後出し設定)彼女の家族が大人気なく撃退してトラウマを叩き込んだ事で二人はしばらく悪事を働かなくなった。

 

ところが、別の学校にいた中野と斎藤は八重樫の関係者のやらかしをウワサとしてでしか聞いておらず、信じてなかった(後出し設定その2)。また、檜山達がその被害者と知らずに声をかけ(後出し設定その3)、ハジメを襲おうと持ちかける。そしてどうにかハジメを連れ出せたものの、雫と遠藤に中野と斎藤は抑え込まれ、逃げ出そうとした檜山と近藤も光輝と龍太郎が立ちはだかった事で逃げ出せず。そしてトラウマになるレベルの恐怖を叩き込まれて檜山と近藤は心がポッキリ折れ、中野と斎藤も雫や光輝にはケンカを売ってはいけないと学習した。

 

……が、それでもハジメへの嫉妬が収まらなかった中野らは再度ハジメを襲おうとし、家に帰ったところで現れた。しかし八重樫の裏を修めていた門下生達が二人をスニーキングしており、悪事を働く前に証拠を押さえられてそのまま道場に連行される。そしてボコボコにされた後、ボランティアに従事させられる。

 

二人を見ていてストレスが溜まってどうなるかヒヤヒヤしていた浩介から大介と礼一は相談を持ちかけられ、二人の悪知恵によって見事暴発は避ける事ができた。エロは偉大。今は幸利、浩介らとつるんで六馬鹿と言われており、なんだかんだ仲はいい。

 

原作での自分の顛末を知った場合、大介と礼一は本気で喜ぶだろうが、残りの二人はなんとも言えない顔になるかもしれない。




おまけ
・ありふれた職業で世界最強
悪役令嬢モノやゲームが原作となっている小説における原作ゲーム或いは原作小説担当。
なんかもう割と原型を留めてなくてかわいそう(他人事)
こんなことをやった輩は一体誰なんでしょうね。ソイツの顔を是非とも見てみたいものです。


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第一章
二十三話 日常の終わりと共に幕は上がる


ではまずは拙作を見てくださる皆さまに感謝を。おかげさまでUAも58000オーバー、お気に入り件数も563件、感想も遂に100件にまで上りました。誠にありがとうございます……あのー、確かランキング入りしてなかったはずなんですけど、どうしてここまで増えてるんですか(gkbr) 片方はキャラのまとめだったんですけど、2話連続投稿の力ってここまですごいんでしょうかね(白目)

それとAitoyukiさん、拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうしてまた評価をいただけるのは作者としても励みになります。

今回の話からようやく原作が始まります。では本編をどうぞ。


 月曜日の早朝の河川敷に今日も規則正しく駆け足が響く。その音を響かせているのは八人の男女であり、県の進学校に通う高校生であった。

 

「ねぇハジメくん、大丈夫? 昨日おじ様のところで頑張ってたんでしょ?」

 

 その中の一人、中村恵里はペースが少し落ちてきた少年――南雲ハジメに寄り添うように並走し、彼の顔を覗き込むように見ていた。

 

「大丈夫。日付が変わる前には戻ってきたし、何日もぶっ通しでやってた、って訳でもないからね」

 

「でも辛そうだしペース落とそうよ。学校行く前にへとへとになっちゃうよ」

 

 何でもない様に微笑むハジメであったが、恵里と一緒にハジメと並走していた谷口鈴が彼を気遣って声をかける。現にハジメの顔色は少し悪くなっており、今こうしてついていくのも少し辛そうであった。

 

「よし、それならペースを落とそう。最後の一周だし、時間に影響しないだろうから」

 

 そしてこのグループの中で先頭を走っていた天之河光輝の鶴の一声で全員が一斉にペースを落とすと、他の仲間も次々とハジメを気遣って声をかけてきた。

 

「もう、ハジメ君。辛い時にあんまり無理しちゃ駄目よ」

 

「だな。雫の言う通りだぜ。辛い時はちゃんと素直に辛い、って言え」

 

 軽い呆れ顔で八重樫雫がつぶやけばそれに坂上龍太郎が同意する。しかしその視線は理解のある優しいものであった。

 

 その理由はここにいる全員がハジメの両親が漫画家とゲーム会社の社長であることを、そして数年前から両親の家業を手伝い始めたことを知っているからだ。今回も父親の方の無茶振りにつきまわされたことを()()していたが故に全員はハジメを労わったのである。

 

「そうだよハジメ君。ついていくのが辛い、って言ってもみんな聞いてくれるよ。ね?」

 

 そして白崎香織がそう言えばハジメを除く全員がそれにうなずく。

 

「親父さん達の仕事がハードなのは俺らだって()()()()んだから遠慮なんかすんなよ」

 

 遠藤浩介がそう述べると、ハジメと恵里を除いた全員*1の脳裏にあの日のことが浮かぶ――職場見学と称して鉄火場に連れていかれてながめていたり、実際に参加させられた時の記憶であった。

 

 愁の時はまだマシであった。やっているのがゲーム開発であるため、最低限のレクチャーをしたところですぐに使い物にならないのは目に見えていたからだ。仕込まれていたハジメと恵里以外はその代わりに色々とパシられたが。

 

 菫の時は酷かった。〆切が近くなってからやっとネタがまとまったこともあってか修羅場となっていたのだ。つまり道連れにされたのである。小学校の頃から師事を受けていた恵里はハジメと一緒に原稿を、手先の器用な子はトーン貼り、他は買い出しなどを担当することになり、全員が等しく地獄を見たのである。

 

 思い出した途端、気持ちと一緒に全員のペースが沈んだ。恵里もまた朝っぱらから嫌なものを思い出してブルーな気持ちになったものの、頭と一緒に振り払い、わざとらしくせき払いをすると全員に声をかけた。

 

「あー、コホン……はいはい、とりあえず考えるのやめやめ。あとちょっとなんだし早く走って終わらせよう。あの日の事はいつでも思い出せるんだし、二人への愚痴だっていつでも言えるんだから」

 

 手を叩きながらそういえば全員がそれにうなずいて気持ちを切り替えていく。ハジメに次いで大変な思いをしている恵里に言われて情けないとほとんどが思ったからだ。ハジメもまた恵里なりに気を遣ってくれたことを理解しているため、みんなに(なら)って沈んだ気持ちを払っていく。

 

「うん。ありがとう恵里、それにみんな。じゃあ走ろっか」

 

「うん」

 

「よし。じゃあ最後の一週、ハジメのペースに合わせながら終わらせよう!」

 

「他にも辛い人がいたらちゃんと言ってね。辛い時はちゃんと言う、いいわね?」

 

 礼を言ったハジメに柔らかな笑みを浮かべて返事をしたところで光輝と雫が号令をかける。日課のランニングを終わらせるべく全員が駆け出していった。

 

 

 

 

 

 そして皆と一旦別れ、家に戻った恵里は母へのあいさつもそこそこに自室から制服と着替えの下着を持ってすぐに風呂場へと向かう。着ていたものを全て脱ぎ捨て、これまた日課となった朝のシャワーでかいた汗をしっかり洗い流していく。全身をまんべんなく流し終えるとすぐに浴室を出て、用意していたタオルで体を拭いていく。そうしているとある事が恵里の脳裏をよぎった。

 

(――やっぱり、この世界は違うのかな)

 

 高校に入ってから特によくよぎるようになった疑惑であった。高校にいた時にトータスに転移したことだけは覚えていたものの、いつ頃、どの時間帯で起きたかはもう完全に思い出せなくなっていたからである。

 

 いつ起きたかを把握していないせいで、通学し、学校にいる間中ずっと神経をとがらせては肩透かしに終わる日々が続いてしまう。そんな日々が何か月も続いたことで、恵里の脳裏に『トータスに行くことはないんじゃないか?』という考えがこのように浮かぶようになってしまったのだ。

 

(未だにトータスに行く気配なんてない……いや、それならそれでいいんだけど。だったらハジメくんと鈴と、みんなとずっと穏やかな日が過ごせるならそれで……)

 

 日を経る毎に薄れていく過去の記憶。本当はあれはもの凄い悪い夢で、ただの空想だったのではないかと考えてしまうこともある。

 

 しかし幸から虐待された時の恐怖や苦しみ、光輝を自分のものに何としてもしたいと滾らせていた様々な負の感情などは到底偽物であったとは恵里には思えなかった。そしてそれを偽物だと認めてしまったら、今わの際で鈴と和解できたあの記憶すら嘘だと認めてしまうことにもなる。

 

 だからこそ恵里は過去の記憶をまがい物とは絶対に認めない。記憶の彼方となってしまったかつての親友を侮辱しないために。

 

「恵里、もう朝ご飯出来たけど支度は出来た?」

 

「――あっ。ご、ごめんなさい! す、すぐ終わらせるから!」

 

 今日もまた気づかぬ内に考え込んでしまっていたらしい。

 

 すぐに体の水分をふき取り、髪を乾かして下着を身に着け、シャツと制服に袖を通していく。急いで自分の席に座ると、『いただきます』とさっと手を合わせてつぶやき、下品にならない程度に速く朝食に箸をつけていく。

 

「なぁ恵里、悩みがあるんだったら相談してくれないか? お父さんとお母さんが駄目なんだったら、この際ハジメ君でも鈴ちゃんでもいい。心配なんだ」

 

「そうね。ねぇ恵里、高校に入ってからよく考え込むようになったじゃない。もしそれで辛いなら言ってくれないかしら」

 

「……いつか、言うから。だからその時まで待っててくれないかな。お父さん、お母さん」

 

 時間も場所も違えどこのやり取りをやるのも、もう数えるのがおっくうになる程にやっている。両親を心配させたくないとはいえ、本当のことを言ったところで頭の具合の方の心配に変わるしかないのはわかっていた。だからこそ今日も恵里は口をつぐんでいる。

 

 最後にコップの中の水を飲み干し『ごちそうさま』とだけ伝え、自分の部屋に戻って姿見で出かける前の最後の確認。そして学生鞄を手に取ってすぐに玄関へと向かう。

 

「いってきます」

 

 両親の返事を待つことなく半ば逃げるようにして今日も恵里は家を後にする。いつか明かせる日が来ると信じながら。そして中学の頃から恒例となったハジメの家へと向かっていく。

 

「あっ、さっきぶり恵里……今日も聞かれたの?」

 

「鈴……うん。今日も、聞かれた」

 

 同じく習慣となっている鈴と合流し、南雲家に向かいがてら胸の内をこぼす。性格や振舞いが違えど親友であることに変わりない鈴に、自分の秘密を知っている鈴に恵里は何も隠したくなかったのだ。

 

「……そっか。確かに夢だったらこうして悩んだりしなくても済むもんね」

 

「うん……でも、でもさ――」

 

 それでも、と言おうとした恵里の唇に人差し指が当たった。そこで鈴の方に顔を向けると、少し苦し気な様子で鈴はこちらを見ていた。

 

「わかってるよ。何度も聞いてるからね。でもほら――」

 

 そう言って前方に指をさせば、もう南雲家と目と鼻の先まで近づいていた。そのことに少なからず恵里が驚きを見せていると鈴が言った。

 

「ハジメくんにそんな顔の恵里、見せたくないから。ね? ここでおしまいにしようよ」

 

「……うん、そうだね」

 

 鈴の言葉にうなずくと恵里はもう考えるのを止めてしまった。ハジメが自分のことで苦しまないように。彼の笑顔を曇らせないように。

 

 そして家のインターホンを押すと、ほんの少しの間を置いて待ち望んでいた少年が姿を現した。

 

「待たせてごめんね恵里、鈴」

 

「ううん、全然待ってないから」

 

「うん。じゃあ行こう、ハジメくん」

 

 そして今日も恵里と鈴はハジメと手を繋ぎ、先程まで浮かべていた暗い様子を見せることなく雑談に興じながら一緒に通学路を歩いていく。

 

(また恵里が何か隠してる……僕にも言ってくれていいのに)

 

 ただ、つき合いの長いハジメからすればバレバレであったが。とはいえそれが自分のためでもあるということも何となく感づいてはいたため、あえて口にはせず、二人がそうしてくれたようにおしゃべりを楽しむことにした。

 

「「おはよう優花、奈々、妙子」」

 

「あっおはよう優花さん、奈々さん、妙子さん」

 

 そして学校までの近道に差し掛かった辺りで見知った顔と出くわした。後ろから声をかければいつもの三人が今日も元気な様子を返してくれた。

 

「あっ、エリ、スズ、それにハジメも。おはよう三人とも」

 

「おはよう。今日も相変わらず仲いいね」

 

「おはよう恵里、鈴、ハジメ君。今日も手を繋いで歩いてたんだね~」

 

 恵里達は今日も園部優花、宮崎奈々、菅原妙子の三人とここで合流する。優花とは小三のクリスマスの頃からの仲であり、奈々と妙子は彼女を通じて友人となった。

 

「そういえば今度優花が発案したのがメニューに載るんだっけ?」

 

「そうそう。何回も試作を繰り返してたのがやっとなんだよね〜」

 

「もうタエっ! 恥ずかしいからそれを言わないで!!」

 

「あはは……じゃあ今度行った時にあったら頼んでもいいかな?」

 

「そうだね。試作の段階で結構美味しかったけど、どんな具合に仕上がったのか、みんなで食べてみるのもいいね」

 

「あーもう! エリもハジメも!!」

 

 恥ずかしがって顔を真っ赤にする優花をイジったり、ここ最近扱ってるコーヒー豆を変えたことで香りが変わった事などを話しながら道を進んでいると、下ネタなどを交えた雑談をしながら歩いていたあの五人を見かける。

 

「――いやいや、デカいのも小さいのも等しく価値はあるだろうがよ!! ロリ巨乳だってロマンあるじゃねぇか!!」

 

「待てオイ幸利! どうしてお前はそんな両極端にしか考えねぇんだ!! それなりにあるのがいいんだろうがよ! ロリにしては大きく、されど大きすぎず。そのバランスってのが大事なんだよ!!」

 

「っかー、これだからロリコンどもは。いいか、いつの時代もボンキュッボンの大人のオンナってのが普遍の真理だろ!! おっぱいも尻もデカいのが一番だろ一番!!」

 

「ていうかなんでお前らそこまで盛り上がれるの? 俺そこそこあればいい、って言ったんだけど。怖っ……」

 

 今日も今日とて清水幸利、檜山大介、近藤礼一、斎藤良樹、中野信治は馬鹿な話を往来でやっていた。その様子を優花と奈々はゴミか何かを見るような目つきで眺め、妙子は今日も軽く引いていた。

 

「ねぇハジメくぅ~ん。胸は大きい方がいいよねぇ~?」

 

「ねぇねぇハジメくん。小さい胸の方が好きだよね?」

 

「えっと、その……誰か助けて」

 

 なお、恵里と鈴は幸利らの話に乗っかり、体を密着させながらハジメに質問していた。そしてハジメは助けを求めるも、優花ら三人からは一瞥された後に見捨てられる。ちなみに以前、『どっちも好きだよ』と答えた時は怒った二人に両すねを蹴られ、『二人を好きになったのはそこじゃないよ』と答えた時はちょっとだけ頬を赤くしながらも恵里と鈴に尻をつねられている。そして今は二人からの圧が凄い。ハジメは割と詰んでいた。

 

「ロリも大人もそれぞれの良さってもんが……お、ハジメに恵里に鈴か。よう。相変わらず仲いいなお前ら」

 

「「「「あ、どもーっス先生! あと中村さんも谷口さんも!」」」」

 

「あ、うん。おはよう幸利君。それと大介君達も……出来れば先生はちょっとやめてほしいかなー、って。あと助けて」

 

 ようやく存在に気づいた幸利が、五人の中で真っ先にハジメに声をかけた。彼とは中学からの友人であり、ハジメにとっては恵里と鈴以外でディープなオタクトークが出来る貴重な人材でもある。なお恵里と鈴からは『あの四人と絡んだせいでアホになった』と軽くげんなりしており、ちょっと距離を置かれている……こうなる前はハジメ以外のオタク友達として普通に接していたのだが。

 

 そしてハジメに向かって上半身を45°倒してあいさつをした残りの四人――檜山大介、近藤礼一、斎藤良樹、中野信治らは高校に入ってからの知り合い……というか悪友みたいなものである。ハジメに一方的に絡み、その後八重樫に関わった人達にトラウマになるレベルでシバかれた彼らをハジメと浩介が色々と手を尽くしたのがきっかけで関係を持つことになった。

 

「いやいや無茶言わないでくれよ! あんな素晴らしい()()をもらっといて頭下げるな、って無理があるぜ! あ、あとそっちのことはそっちでどうにかしてくれ。眼光だけで殺される……」

 

「そうだよマジで!! あの()()()()のおかげで俺達が何度救われたかわからないからそんなこと言えるんだよ!! あ、俺も死にたくないんで自力でどうにかしてくれぇ……」

 

 大介と礼一がそう言うと良樹と信治もそうだそうだと同意して『先生』呼びは撤回せず、また恵里と鈴を敵に回すのは全力で避けた。そんな四人を見て恵里も鈴も呆れる他なく、先生先生連呼されたハジメも『お願いだから往来で大声で言うのはやめて!!』と顔を真っ赤にしていた。

 

 ……彼らがこうまでハジメに感謝しているのも、彼が恵里と鈴の監修(かんし)のもと、父親や母親の仕事の伝手を頼りにちょっと()()()()()のマウスパッドを作り、それを彼ら四人と幸利、浩介に送ったからである。以前彼らにプレゼントしたエロ絵のこともあってか四人からの好感度は青天井もいいところであった。

 

「あーもう、ったく……おーいお前ら、盛り上がってるトコ悪いけど、急がねえと遅刻すんぞー。それと、あんまりハジメを困らせるなよ二人ともー」

 

「え、マジか清水!?……うわ、マジだ。おい大介、礼一、信治、そろそろ行こうぜ。あと先生すまねぇ、お先ー!」

 

 流石に哀れに思ったのか幸利が助けを出してくれたおかげで大介達は学校目掛けて駆け抜けていき、恵里と鈴もちょっと顔をむくれさせながらもハジメから仕方なく離れた。後でちゃんと尋ねておこうと考えつつ、優花らと今週の予定などを話しながら早足で学校へと向かう。

 

「幸利、優花、それに奈々と妙子もおはよう……そういえばハジメ、さっき檜山達が通り過ぎたんだがまたアイツらに変なこと言われなかったか?」

 

 そして学校から百メートルそこらのところで光輝達と合流した。ちなみに何度も顔合わせをしている内に多少免疫がついたものの、未だに猥談を振ってくる大介達は苦手なためか、光輝と雫の彼らの扱いはこんなものだったりする。

 

「うん、大丈夫。別にそこまで心配しなくっても平気だよ。いつものように持ち上げられただけだし」

 

 ハジメの発言に女性陣は軽く疲れた様子で、幸利は普通にうなずいたことで光輝もそれ以上の言及は止めた。光輝はああ言っているものの、あくまで悪ふざけの範疇であることもわかっているからだ。単にハジメが心配なだけである。

 

 一方ハジメとしては下ネタを交えて話が出来る相手は貴重なのと、彼らのノリに慣れたこともあってか気にはしてなかった。下手なことを彼らが言ってしまうと、恵里から背筋が凍りつくような気配を放ってくるため、話を選ばざるを得ないのが結構大きかったりするのだが。

 

「我慢は……してなさそうね。時々ハジメ君の図太さには驚かされるわ」

 

 特に何でもない様子のハジメをじっとながめた雫は、まだ苦手意識がある大介達と平気で接している彼を見て何とも言えない表情になった。

 

「うんうん。まぁ図太い、っていうかハジメくんもこういうの好きみたいだしね。男の子、ってこうなのかも」

 

「……そうなの龍太郎くん? 龍太郎くんも、その……こういうこと、好きなの?」

 

 雫の言葉に軽く呆れながら恵里が返すと、今度は香織の方に飛び火する。少し頬を染めた香織からじっとりとした目で見つめられ、タジタジになった龍太郎は思わず後ずさり、『頼むから勘弁してくれ……』と少しうつむきながらボヤいた。

 

 今日も今日とて恵里達は賑やかに登校し、全員同じ教室へと入っていく。すると嫌悪や嫉妬、敵意が入り混じった視線が今日も彼らにぶつけられた。

 

 その理由は簡単で“()()南雲ハジメと親交のあるグループだから”というものであった。

 

 彼は三大女神と呼ばれる恵里だけでなく、鈴とも仲睦まじくしている。そのため幼馴染や親しい友人以外の男子達はハジメに嫉妬を、女子達からは女の敵として並々ならぬ敵意を向けているからである。そしてそれは彼を“正そう”としない恵里達にまで及んでいるのだ。

 

「よし、じゃあ話の続きは休憩の時にしようか」

 

「わかった。じゃあね光輝君」

 

 ただ、恵里達からすれば屁でもない程度でしかなかったが。

 

 恵里は前世? で戦いに身を置いた時の記憶が微かなれどあったため、この程度のものはそよ風と大差がない。また他の面々は恵里がたぎらせた“本物の殺意”というものを何度も浴びてしまっているため、結果として耐えられるようになってしまったからである。

 

 ……流石に恵里が殺意を露にした時は、一番親しいハジメと鈴であっても完全に耐えることは無理だったりするが。他は言わずもがな。

 

 そうして全員が光輝の言葉にうなずいてそれぞれの席に着いていく。それを眺めていた生徒達は今日も不満げにそれを見ていた。

 

 

 

 

 

「しかしまぁ、お前ら見てると飽きねぇよなぁ」

 

「……藪から棒に。どうしたんだ斎藤」

 

 そして午前の授業も終わり、昼休みを迎えた恵里達は今日も昼食を教室でとっていた。食事をしながらにぎやかに話をしていると、突然良樹が光輝と雫、龍太郎と香織を見てニヤついた笑みを浮かべた。

 

「いや、だってよぉ。小学校からの仲なのにウブなつき合いしてる天之河と八重樫とかさ、あとまぁ……うん。白崎と坂上とかよ」

 

「あー、わかる。色々と振り切ってる先生と違って『子供か何かか!』ってツッコミたくなる感じだもんなぁ天之河たちって」

 

「だよなぁ、わっかるわー。んで白崎はさ、こう……珍獣だろ? それに坂上が振り回されてるの見てると面白ぇし」

 

 その斎藤の言に信治と大介も乗っかり、礼一もそれに深くうなずいている。それを見て顔を真っ赤にして反論する四人と、良樹達の言葉に礼一と同様に共感する幸利、浩介、そして優花ら五人。そんな彼らを横に恵里、鈴、ハジメの三人は今日も自分達が作った弁当のおかずの食べ比べをしていた。

 

「あ、今日のハジメくんの玉子焼きはダシ使ってるんだね。この味付けって鈴の家のじゃない?」

 

「うん。鈴から普段家でどう作ってるのか教えてもらってさ。アレンジも入れてみようかとは思ったけど、最初の内ぐらいはいいかなー、と思ってね」

 

「いやでもすごいよハジメくん。確か電話でレシピ教えただけのはずなのに、私やお母さんが作ったのと結構そっくりなんだもん」

 

 小一のバレンタインでのチョコ作り、ホワイトデーでのクッキー作りがきっかけとなって料理の方にも三人は手を出していた。今日作ったのもその一つで、特に両親が仕事で家を空けることの多いハジメは自炊の経験が多く、三人の中でも抜きんでいた。こればかりは恵里も鈴も悔しがっている。

 

 ちなみに三人が弁当作りの際に微妙だったもの(なお、あくまで三人での基準である)は大介ら元いじめっ子グループにタッパーに入れてあげていたりする。ただ捨てるのももったいないと感じ、よく惣菜パンを食べている彼らにどうせだから食べてもらおうとハジメがやり出し、それを恵里と鈴も乗っかったからだ。その結果、四人はますますハジメに頭が上がらなくなり、恵里と鈴に関しても持ち上げるようになったのである……なお、その四人からおかずのリクエストをされることもよくあり、ハジメ()それを受けている。結構ちゃっかりしている奴らであった。

 

「……今日も何も起こらないといいね」

 

 そんな折、ふとハジメがつぶやいた言葉に恵里と鈴は静かにうなずいた。恵里の辿った未来の通りなら、いつか自分達は異世界であるトータスに行くことになるからだ。

 

 こんな騒がしくも楽しい毎日が終わり、血生臭く、狂った宗教が幅を利かせる世界で生きなければならなくなる。記憶のある恵里でさえもそれを考えるだけで気分が滅入ってしまう。ハジメと鈴も覚悟こそしているものの、待ち望んでなどいなかった。

 

 家という安全な場所で、両親ととりとめのない話をすることすら出来なくなることの辛さを何となく予想出来ることもあってか、三人はその日が来ないことを心から望んでいた。

 

 そうして弁当もあらかた食べ終え、恵里が最後のおかずに箸をつけようとした時、突如教室で光があふれる――まさかと思って視線を光源に向ければ、純白に輝く魔法陣が光輝の足元に浮かんでいた。

 

「――ハジメくん! 鈴!」

 

「――うん! これを、えいっ!」

 

 すぐに恵里は二人に声をかけると、懐から折りたたんだ紙を取り出して投げつけた。ハジメと鈴も同じことをすると同時に魔法陣は教室全体を満たすほどの大きさに拡大する。

 

 無論魔法陣は恵里達の足元まで迫っており、この日が来てしまったと苦い顔をしつつも隣にいるハジメと鈴を見る。二人も不安そうな顔を浮かべるも、顔を見合わせてすぐにキッとした表情になった。覚悟を決めた顔つきの二人を見て恵里も腹をくくる――。

 

(絶対に生きて帰ってやる。ハジメくんも、鈴も、友達も、()()()()()()()に!)

 

 生徒達が悲鳴を上げ、教室で生徒達と食事をとっていた畑山愛子先生がとっさに『皆! 教室から出て!』と叫ぶと同時に魔方陣の輝きが爆発したかのように光った。

 

 数秒か、数分か、光によって真っ白に塗りつぶされた教室が再び色を取り戻す頃、そこには既に誰もいなかった。蹴倒された椅子に、食べかけのまま開かれた弁当、散乱する箸やペットボトル、三枚の紙片、教室の備品はそのままにそこにいた人間だけが姿を消していた。

 

 教室に残っていた生徒及び教師含め二十四名、そしてある二名が行方不明となったこの事件は、白昼の高校で起きた集団神隠しとして、大いに世間を騒がせ、何世帯かの保護者達にある疑惑を抱かせることになるのだが、それはまた別の話。

*1
Q.どうしてハジメと恵里は思い浮かばなかったの?

A.単純にそういう記憶が多いから




Q.監修のルビって「かんしゅう」じゃないの?
A.両方やってたから。監修も監視も。

いやーマジで、マジで長かった……他の方がすぐに原作に突入している中、ここまでやたらと時間かけてやっとありふれ本編が始まるの作者ぐらいだもの。マジで焦ったし、じれったかったわぁ……(やり切ったような顔)


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二十四話 トータス、再来

それではまず拙作を見てくださる皆さまに感謝を。
おかげさまでUAも61000オーバー、しおりも221件まで上り、お気に入り件数も595件(2021/11/12 18:35現在)になりました。誠にありがとうございます。ようやくプロローグに入ったとはいえ、原作に足突っ込んだ途端にこの跳ね上がり方クッソエグいです……怖っ。

それとトリプルxさん、黒鳳蝶/00さん、philさん、Aitoyukiさん、拙作を評価及び再評価していただきありがとうございます。まだ原作の序盤もいいところですが、こうして評価していただけるのはありがたいです。

ではようやく始まったエリリンの「つよくてニューゲーム」な本編がスタートです。どうぞ。


『――ほぅ。また妙なものがいるな』

 

 全てが白一色で塗りつぶされた世界で独りつぶやいたのは実体のない蠢く“何か”であった。遥かな高みより大地を見下ろすそれは、ある少女を見つめていた。先ほど別の世界から己の依代となる者を引きずり出した際、一緒について来てしまった人間の内の一人である。

 

 その女はほんのわずかに魂に穴が空いていた。それも生きていく中で支障をきたすような代物でなく、この存在が持つ権能に都合がいいといった具合のもの。いわば抜け穴のようなものである。

 

 干渉した世界に自身を脅かす存在がないことは既に認識しており、故にその存在が不可解であった。このような穴は自然と出来るものではない、とこの存在は知っている。ならば一体誰がやったのか? それだけは全知全能を騙るこの存在もまだ見当がつかなかった。

 

 関心を抱いたソレは、自身の手足となって動く(しもべ)に命を下し、玉座に座したまま下の世界を眺める。

 

『もしやもすると、とんだ拾い物かもしれぬな』

 

 誰にも気づかれることなく、大きな悪意が今、蠢いた――。

 

 

 

 

 

 光の奔流に目をつむっていた恵里は、ざわざわと騒ぐ何人もの気配を感じて目を開く。そして静かに状況をうかがった。

 

 まず周りを見れば、やはりあの時教室にいた人間――友人含むクラスメイトと愛子先生がいる。何故か光輝や龍太郎らが浩介を探したり、呼び掛けている様子であったが、それ以外は前と同じだったはずと考えた恵里は、ひとまず想定通りに動いている事に安堵した。 

 

 そこでふとハジメと目が合う。彼もまた現状の把握に努めていたようで、それがありがたく感じた。お互いうなずき合うとすぐに近寄り、ほぼ同じタイミングでこちらに来た鈴と一緒に小声で話し始める。

 

「ねぇ恵里、ここが……」

 

「うん。まず間違いないよ。ボクが最初にここに来た時もこんな感じだった気がするし」

 

「やっぱり……ねぇ恵里、あそこの絵って、もしかして……」

 

 ハジメの質問に答え、いぶかしげに一点を見つめる鈴の指差す先に目を向けた恵里はソレを見て思わず舌打ちをした。あの忌まわしいエヒトの描かれた肖像画である。

 

 自然を背景にそれら全てを包みこむかのように両手を広げている中性的な顔立ちの人物が描かれたモノ。しかしうっすらとではあるものの、エヒトの本性を知っている恵里からすればあれなど自分達に都合がいいただの宗教画でしかない。軽く鼻を鳴らすと、独り言のように鈴に話す。

 

「あー、うん。間違いなくエヒトの絵だね。全然違うけど」

 

 恵里があの絵を一瞥した際の心底嫌そうな顔を見たハジメと鈴は、エヒトが真っ当な神様などではない事を改めて認識する。そんな二人を横に恵里は再度状況の把握に戻ろうとすると、ハジメが軽くうろたえたような様子を見せ、一体何があったのかと思って彼に声をかけた。

 

「どうしたのハジメくん、何かあった?」

 

「いや、その……どうも鷲三さんと霧乃さんもここに来てるみたいで」

 

 彼の近くにいたままであった鈴共々その一言で固まってしまう。前に大介や礼一が二人の姿が見えると漏らしたことがあったが、まさか本当に近くにいたとは思わなかったからである。ここにいる理由もきっと雫を助けようと教室に飛び込んだからなんだろうと推測する。ちなみに大当たりであった。

 

 二人曰く、今のところ自分達と浩介の姿は光輝以外の八重樫に関わった人間にしか気づかれてないらしく、今はとりあえず気配を断って見に徹するとのことだった。なお、あの二人が既に説明したからなのか、浩介を探す声はもう聞こえなくなっていた。

 

「そういえば浩介君も全然姿が見えなかったけど、すぐに気配を消したのかな? こんな状況でも動けるなんて流石だよ」

 

「きっとそうかも。鷲三さんや霧乃さんの教えが活きたんじゃないかな」

 

「何にせよ好都合だよ。悟られずに動ける人間がいる、ってだけでやれることはかなり増えるからね。助かったよ浩介君」

 

 三人が口々に言う中、どこかで『何でか誰にも気づかれなくなっただけなんだよぉ~。どうして異世界に来たら影の薄さが酷くなるんだよぉ~~。あんまりだぁぁああぁああぁ~~~~~~~』と情けない声が響いた気がしたがきっと気のせいだろう。

 

 そして恵里達は周囲にいる人間の確認に移る。自分達は巨大な広間にいるようで、見た感じとして彫刻の彫られた巨大な柱に建物全体が支えられ、天井はドーム状になっている。また周囲をこうして周囲を見渡せることから自分達は台座か何かの上にいるのだろう。

 

(……確かあのエヒトの使いっ走りとしてボク達はここに来た、って名目だったはず。そう考えると申し分ない演出だね、まったく)

 

 心の中でそう吐き捨てつつ、自分達に向けて祈りを捧げるように跪き、腕の前で両手を組んだ人達を恵里は見下ろした。

 

 彼等は一様に白地に金の刺繍(ししゅう)がなされた法衣のようなものを(まと)い、傍らに錫杖(しゃくじょう)のような物を置いている。その錫杖は先端が扇状に広がっており、円環の代わりに円盤が数枚吊り下げられていた。

 

 その内の一人、法衣集団の中でも特に豪奢(ごうしゃ)(きら)びやかな衣装を纏い、高さ三十センチ位ありそうなこれまた細かい意匠の凝らされた烏帽子(えぼし)のような物を被っている七十代くらいの老人が進み出てくる。

 

 尤も、老人というにはあまりに雰囲気が違ったが。恵里の目にはこの男から狂信のソレが映って見えている。身に纏った装束と見た目から、確かこの世界の宗教のトップだったはずだと朧げな記憶を探っていると、その老人がにこやかな笑みを浮かべて話しかけてきた。

 

「ようこそ、トータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆様。歓迎致しますぞ。私は、聖教教会にて教皇の地位に就いておりますイシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、宜しくお願い致しますぞ」

 

 イシュタルと名乗った老人をじっと観察し、どうにか目をつけられない様に動かないと、と恵里は考える。とにかく腹の内を見せない様努めつつ、恵里は不安を装った。

 

 

 

 

 

 イシュタルから場所を移して話をしたいという旨を伝えられ、恵里達は今、彼らの案内に従って通路を歩いていた。未だにざわついているクラスメイトに光輝が声をかけて音頭を取ろうとし、親しくないクラスメイトから『お前が命令するな』と反発されたり、光輝に白い目が向けられたものの、どうすればいいか分からず結局彼の言に従うなど若干の手間はあったが。

 

 クラス間の不和がまずい方向に働いているため、どうすれば解決できるか頭を悩ませていると、不意に光輝が小声で話しかけてきた。

 

「なぁ恵里、それとハジメと鈴もなんだけど……もしかして三人は何か知っているのか?」

 

「私もハジメくんも鈴も知ってる……それだけしか言えないかな。()は」

 

「今晩にでも話し合おうよ。出来れば畑山先生も巻き込んで、ね」

 

 そこにハジメも来てくれたおかげか、あまり納得してない様子ながらも『わかった』と光輝は引き下がってくれた。自分達を見てため息を吐いた龍太郎や雫に幸利、ほほを膨らませて少しすねてる香織に悪いと思いながらも、恵里達はもう話をせずにイシュタルについていく。

 

 そして全員が先ほどの場所から、十メートル以上ありそうなテーブルが幾つも並んだ大広間に通された。

 

 この部屋も例に漏れず煌びやかな作りであり、素人目にも調度品や飾られた絵、壁紙が職人芸の粋を集めたものなのだろうとわかる。

 

 恵里達は光輝らと共に案内され、上座に座った光輝からちょっと離れた席に恵里は座る。その隣にハジメ、鈴と座り、幸利や大介ら、そして他のクラスメイト達や先生も着席すると、絶妙なタイミングでカートを押しながらメイド達が入ってきた。

 

 秋葉原などにいるエセメイドや外国にいるデップリしたおばさんメイドではない。それ故か大介ら四人とあまり親しくないクラスメイトの男子達は好奇と欲をそそられ、彼女達を凝視している。尤も、そんな男共を見た女子たちの視線のいくつかは氷河期もかくやという冷たさを宿しているのだが……。

 

(タイミングが良すぎる。どう考えても計算してるな)

 

 馬鹿四人の行動に心底呆れながらも恵里は観察と推測を止めず、容姿の優れたメイド達のことも警戒していた。自分達を呼んだ目的である戦争参加――前にこの話を聞いてた時は他の女をどう排除して光輝を手に入れるかについてひたすら考えていたため、その程度しか覚えていない――のための布石、おそらくハニートラップの類だろうと考える。

 

 すると横にいたハジメもメイドを見ながら何やら思案しており、鈴もそれが気にかかったか自分と同様に彼を覗き込んでいた。

 

「ねぇハジメくん。これってもしかして……」

 

「うん、鈴の考えてる通りだと思う」

 

 小声で鈴とやり取りし、こちらに視線を向けてきた二人に恵里もうなずいて返す。さっきの広間のような場所に三十人近く人がいたことも踏まえれば、この時点でエヒトから入れ知恵されたか、あちらが何か策を巡らせていると恵里は考えていたからだ。

 

 ふとハジメが視線を動かしたため自分達もそれを追うと、緊張している様子の幸利が目に入った。初対面の人に対するものもあるのだろうが、あの表情の険しさは何かに警戒しているように恵里は思えた。やはり彼も考えているのは同じなのだろう。

 

 しかしここであまり話を続けて下手に警戒されるのもまずいと考えた恵里はハジメと鈴に目配せをし、事の成り行きを見守ることにした。

 

 なおその後、あちらを欺くためなのか本心なのかは知らないが『メイドさん、いいなぁ……』とハジメが馬鹿なことを言いだしたため、鈴と二人で思いっきり両ももをつねってやった。悲鳴を上げたがそんな事は知らなかった。

 

 そうして全員に飲み物が行き渡ったのを確認したのかイシュタルが話を始めた。

 

「さて、あなた方においてはさぞ混乱していることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まずは私の話を最後までお聞き下され」

 

 そう言って始めたイシュタルの話を聞きながら、恵里はやっぱりろくでもないなと心の中で嘲る。早い話が戦争で負けそうだから助けてくれ、といったものでしかなかったからだ。

 

 人間族と魔人族が何百年も戦争を続けており、今までは人間族が兵士などの数で上回ってたのもあって拮抗していたものの、いつの間にか魔人族が魔物を従えたことで質と量を伴った戦力を得たということである。このままでは負けてしまって人間族が滅ぶからどうにかしろといった程度だった。少なくとも恵里にはそうとしか聞こえなかったし、どうでも良かった。

 

「あなた方を召喚したのは“エヒト様”です。我々人間族が崇める守護神、聖教教会の唯一神にして、この世界を創られた至上の神。おそらく、エヒト様は悟られたのでしょう。このままでは人間族は滅ぶと。それを回避するためにあなた方を喚ばれた。あなた方の世界はこの世界より上位にあり、例外なく強力な力を持っています。召喚が実行される少し前に、エヒト様から神託があったのですよ。あなた方という“救い”を送ると。あなた方には是非その力を発揮し、“エヒト様”の御意志の下、魔人族を打倒し我ら人間族を救って頂きたい」

 

 イシュタルはどこか恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべている。おそらく神託を聞いた時のことでも思い出しているのだろう。

 

 イシュタル曰く、人間族の九割以上が創世神としてエヒトを崇める聖教教会の信徒らしく、度々降りる神託を聞いた者は例外なく聖教教会の高位の地位につくらしい。

 

 とはいえ恵里からすればこの国や信者共の都合なんて知った事ではない。ましてやエヒトの言葉に疑いもせず、嬉々として従うならば尚更だ。そんな老人らを恵里は心の中で鼻で笑うと、一度近くにいた友人たちを見やった。

 

 ハジメと鈴は何とも言えない顔をしており、鈴に至っては『何から何まで恵里の言う通りだぁ……』と漏らす始末。

 

 一方、光輝はいつものお人好しぶりが出てるのか助けようか迷っている様子だが、自分達の方をよくチラチラと見ている辺り、皆を巻き込む訳にはいかないと考えているのだろうと恵里は察する。

 

 龍太郎は嫌悪感をおもむろににじませており、相手の勝手な都合で巻き込まれたことに対して怒っているのだろうと恵里は思った。

 

 雫の方も龍太郎と同じく怒りが表に出ているものの、少しばかり表情が硬いように見えた。光輝が手を握っているからなのか体の震えはないようだが、内面は誰よりも女の子しているあの雫のことだから戦争に参加することへの恐怖があるのだろうと恵里は感じた。

 

 そして特にひどいのが香織、優花、奈々、妙子であった。戦争に参加させられるということをおぼろげながらも認識しているのか、抵抗や恐怖で顔がこわばっている。そのせいか香織の右腕の向きからして龍太郎の左手を掴んでいるようだし、優花らはせわしなく目を合わせている。

 

 一応大介達の方も一瞥すると、お互い顔を合わせて色々と話し合っている様子だった。そして自分達以外でこの状況を最も理解していると思われる幸利に何かを尋ね、思いっきり顔を青くしていた。他のクラスメイトも似たようなもので、動揺が広がっている。

 

 そんな中、突然立ち上がって猛然と抗議する人が現れた。愛子先生である。

 

「ふざけないで下さい! 結局、この子達に戦争させようってことでしょ! そんなの許しません! ええ、先生は絶対に許しませんよ! 私達を早く帰して下さい! きっと、ご家族も心配しているはずです! あなた達のしていることはただの誘拐ですよ!」

 

 ぷりぷりと怒る愛子先生。彼女は今年二十五歳になる社会科の教師で生徒からは非常に人気があると恵里は聞いている。

 

 百五十センチ程の低身長に童顔、ボブカットの髪を跳ねさせながら、生徒のためにとあくせく走り回る姿を見て当初は『あぁ、そういえばこんな先生いたな』と感じていた。

 

 そのいつでも一生懸命な姿と大抵空回ってしまう残念さのギャップに庇護欲を掻き立てられる生徒がいるようだが、恵里からすれば鈴と一緒にハジメとイチャついてる時に不純異性交遊がどうのと突っかかってくる嫌な相手の一人でしかなかったりする。

 

 “愛ちゃん”と愛称で呼ばれ親しまれているのだが、本人はそう呼ばれると直ぐに怒る。なんでも威厳ある教師を目指しているのだと言っているが、恵里自身嫌っている事もあってか、なれる訳がないと考えていたりする。

 

 そんな先生が今回も理不尽な召喚理由に怒り、ウガーと立ち上がったのだ。そんな先生と、「ああ、また愛ちゃんが頑張ってる……」と、ほんわかした気持ちでイシュタルに食ってかかる様を見ていた生徒達を横に恵里は事態を静観していたが、次のイシュタルの言葉に少なくない人間が凍りついた。

 

「お気持ちはお察しします。しかし……あなた方の帰還は現状では不可能です」

 

 場に静寂が満ちる。重く冷たい空気が全身に押しかかっているようである。まぁこうなるのも当然かと思いつつも恵里も不安そうな表情を作ってイシュタルを見やった。

 

「ふ、不可能って……ど、どういうことですか!? 喚べたのなら帰せるでしょう!?」

 

 愛子先生が叫ぶも、イシュタルは動ずることなくその問いに答える。

 

「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々人間に異世界に干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということですな」

 

「そ、そんな……」

 

 愛子先生が脱力したようにストンと椅子に腰を落とすと、周りの生徒達も口々に騒ぎ始めた。

 

「うそだろ? 帰れないってなんだよ!」

 

「いやよ! なんでもいいから帰してよ!」

 

「戦争なんて冗談じゃねぇ! ふざけんなよ!」

 

「なんで、なんで、なんで……」

 

 当然のごとくパニックを起こす生徒達が現れる。動じてないのは自分とハジメ、そして鈴ぐらいで光輝も龍太郎も顔色が悪くなっている。浩介と思しき気配も少し強まっている辺り、彼も相当ショックを受けているのだろう。香織ら女子達や大介達は言うまでもない。

 

「皆! 一旦落ち着いてくれ!!」

 

 確かここで光輝がクラスメイト達を落ち着かせるべく大きな声を上げたはず。そう恵里が思い返していると記憶の通り光輝が声を張り上げる……ただ、その声を上げた当人を見れば幾らか焦っているように恵里には見えた。現状家に帰る事も出来ず、戦争に参加して魔人族を倒さなければ地球には帰れないとなればああなるのも仕方がないと恵里は思った。同時にそんな事をあのエヒトがしてくれる訳がないとも考えていたが。

 

「落ち着いてなんていられるかよ! 俺達家に帰れないんだぞ!!」

 

「そうよ、何言ってるの!」

 

「お家帰りたい……どうして、どうしてこんな……」

 

「天之川、本気か? 今この状況で落ち着け、なんてやれると思うのか?」

 

 しかし光輝の言葉は彼と交友関係を持つ自分達以外には届きはせず、かえって混乱を招いてしまっていた。

 

「いや、ここで言い争っててもどうにかなる訳じゃ――」

 

「じゃあアンタがどうにかしてくれる、っていうの!」

 

「そうだそうだ! 南雲に肩入れしているようなヤツが何抜かしてるんだよ!」

 

 恵里とハジメそして鈴を除く友人らはあの一言で立ち直れはしたものの、それ以外のクラスメイト―― 永山重吾をリーダーとしてまとまっているメンバーは光輝を罵倒したり、否定的な意見を今もぶつけている。

 

「あ、あの、みんな落ち着いてー! 天之川君だけを責めないでくださーい!!」

 

(確か光輝君の言葉でどうにかなったはずなのに! クソッ、ハジメくんと友達になってたことがここまで後を引くなんて……!)

 

 愛子先生も落ち着くよう声をかけているものの、好転する兆しは一向に見えない。だから“愛ちゃん先生”なんて言われてナメられるんだ、と心の中で貶しながらもどうすればいいと考えていると、いきなり光輝が机をバンと叩いた。

 

「いい加減落ち着いてくれ!!――すいません、イシュタルさんでしたよね?」

 

 大きな物音を立てて全員が怯んだ瞬間、すぐに光輝はあの老人に声をかけた。すぐに話をつけてどうにかするつもりだろうと考えた恵里は、とりあえずまたクラスメイトが騒ぎ出した場合を考えつつ、光輝を注視する事にした。

 

「ええ。どうされましたかな」

 

「皆さんが俺達を呼んだ経緯はわかりました。ですが、俺達はそもそも戦争のない平和な世界にいたんです。いきなり戦争に参加するよう言われてもすぐに決断するのは難しいです。経験なんてありませんから」

 

 実際戦争そのものが無かったわけではないが、こっちの方が有利に働くのだろうと光輝は考えたのだろうと判断した恵里は、ひとまずイシュタルの方へと意識を向ける。

 

「ですが、この世界の皆さんが藁にも縋る思いで俺達を喚んだこともわかってるつもりです。ですから少し、考える時間をいただけませんか」

 

「なるほど。勇者様がたの世界はそのような場所だったのですね」

 

 物腰こそ柔らかいものの、その瞳からは静かな怒りが燃えているように恵里には見えた。おそらくエヒトの使いとして寄越された体の自分達が喜んで使命を果たそうとしないことへの苛立ちだろうと恵里は推測する。他の信者にも目を向ければ疑惑や怒り、失望が彼らの目から見られる。もしやかなり悪い方向に流れてるんじゃないかと内心焦っていると、光輝は更に話を続ける。

 

「近いうちにクラスの皆と話もつけます。それでどうか、戦争に参加するのは志願した人達だけにお願いできませんか?」

 

 そう言って席を立ち、頭を下げると、また友人でないクラスメイト達から『勝手に話を進めるな!』だの『戦争がしたいならアンタ達でやってよ!!』と口々に勝手なことを言いだしてきた。止まらないヤジに宗教関係の人間からの厳しい目。これは本気で不味いと軽くパニックになりながらどうすればとひたすら思案し、『こうなったらハジメくんに相談だ!』と半ば思考放棄しかけた時、思案する素振りをしていたイシュタルが口を開いた。

 

「ふむ。では一度この場はお開きにしましょう。皆様もいきなりのことで困惑されているご様子。日を改めて話し合いの席を設けようではありませんか」

 

 そう言ったことで光輝は安堵し、ヤジを飛ばしていたクラスメイト達も少し鳴りを潜めた。だが、その言葉を聞いた恵里は目の前の老人の狡猾さに舌を巻く他なかった。

 

 一見、光輝の提案を受け入れたかのように話しこそしたものの、実際は彼の提案に対して明確な回答は何一つ無かったからだ。またこのままでは意見をまとめるどころかグループが真っ二つに割れてしまうのは目に見えていた。それを防ぐためにも言ったのだろう――自分達が頼れる大人であることを暗にアピールしながら。

 

(クソッ、イシュタルの奴め……ここまで上手だとは思わなかった。せめてボクかハジメくんが光輝君の隣だったらこっそり入れ知恵が出来たってのに)

 

 自分が考えていたよりも厄介であった聖教教会の長を前に、計画をどこまで見直すべきかと恵里は考えを巡らせるのであった……。




なお自分に都合のいい強化ばかりではない模様。


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二十五話 希望を手にするもの

まずは拙作を見てくださる皆様がたに感謝を。
おかげさまでUAも63000オーバー、お気に入り件数も600越え、感想数も111件(2021/11/26 8:59現在)に上りました。誠にありがとうございます。見てくださる皆様のおかげでこうして書くのにも熱が入ります。ありがたい限りです。

それとAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき感謝いたします。おかげでとても励みになります。

では活動報告でも書いた通り重め(注:作者目線)のお話です。では本編をどうぞ。


 太陽の光が反射して煌めく雲海へと大きな台座が向かっていく。地球であればまず体験できなかった幻想極まりない光景を目の当たりにし、思わずはしゃいでいるクラスメイト達を横に恵里は一人考え込んでいた。

 

(香織達も少し浮足立ってるな。まぁ当然か。地球じゃお目にかかれないだろうし……それより問題はアイツらだな)

 

 一瞬だけ、視線をはしゃいでいる永山達のグループに移すと、横にいたハジメと鈴に気づかれない様に短くため息を吐く。地球にいた頃から自分達三人――特にハジメを目の敵にしており、そのねめつける視線こそ邪魔だとは思っていたものの、ちょっかいそのものは出してこなかったことから無視していた奴らである。しかし、そんな彼らのことが今の恵里にとって気がかりであった。

 

(このままだアイツらと確実に衝突する。幸い、数は向こうにいた時と違って逆転してるから、数で抑え込まれることはないはず。後ろから撃たれないようにしないといけないけどね……)

 

 恵里が懸念したのは永山を筆頭としたグループが自分達と敵対することであった。

 

 “異世界転移”なんていうあからさまに異常な状況に陥り、しかも家に帰れないとなれば冷静でいられるのは無理だろうと恵里は考えている。しかもそこに自分達が不満を覚えているグループのリーダーである光輝が舵取りをしようとすれば不満が出てしまうのも当然だとも。

 

 それに加えて天職が“勇者”である光輝が今後も指揮を執ることになったら?

 

 不満が募る一方なのは間違いないし、いつどこで暴発するかわかったものではない。

 

(うわぁ、ここで光輝君の天職まで裏目に出るかぁ……アイツやっぱり疫病神なんじゃないか? 関わったせいでボクの人生余計に狂ったし)

 

 自分がちゃんと説明しなかった事も原因である事を棚に上げ、かつて中途半端に光輝に助けられた前世? の事を思い出してカリカリとしていると、不意にハジメと鈴が声をかけてきた。

 

「恵里、どうかした? イライラしてたみたいだけど」

 

「何でも聞くよ? 今なら不安で仕方なかった、っていう体で誤魔化せるだろうし。ほら」

 

 二人にそう言われ、このまま心配させるのも気が引けた恵里は考えていた事をこっそりと伝える。すると二人もその懸念を抱いていたようで、お互いの眉間にシワが寄った。

 

「そうだよね……永山君達、昔から私達のことを目の上のたんこぶみたいな感じで見てたけど、それがこんな事になるなんて……」

 

「恵里か鈴、どっちかを選べなかったからこうなっちゃったしなぁ……ごめん、僕の優柔不断で二人に迷惑かけて――」

 

 頭を下げて謝るハジメの口を、恵里はそっと自分の唇で塞いだ。恵里が唇を離せば、何か言おうとしたハジメの唇をすぐに鈴が自分のもので塞いで黙らせる。

 

「ううん。それはそうして欲しい、って言ったボクの責任だよ。人目を考えてボクか鈴のどっちかしか愛さなかったら許さなかったし」

 

「まぁ、そうだね。恵里がそそのかさなかったらこうはなってなかったし、それがちょっと悔しいけど、そのおかげでハジメくんに振り向いてもらえたしね。気にしないでよ」

 

 恵里と鈴がハジメの選択を間違ってなかったと伝えた辺りで台座は雲海へと突入する。ここを抜けてしばらくすれば、もうハイリヒ王国にたどり着くだろう。自由に話し合える時間もあまり残っていないと考えた恵里は彼らの対処について相談を持ち掛けた。

 

「まぁあそこまで敵視されるのはボクとしても想定外だったしね。この中で誰が悪い、って訳じゃないし……それで、どうしよう? 流石にこのままほっとくわけにはいかないし」

 

「僕が物作りの天職みたいだし、役に立つ道具とか武具の整備とかがやれれば少しは態度も軟化すると思うけれど」

 

「いいと思うんだけど……ハジメくんのことバカにしてた人を助ける、ってさ。なんか私、ヤだな」

 

「ボクだってそう思うよ。でも、後ろから撃たれないためにも色々と手は打っておかないとね」

 

 面倒なことになったと思いながらも対策を考えるも中々良案が浮かばず、再度永山達を観察でもしようかと視線を向ければ、彼らのはしゃぐ姿と一緒に地上が見えた。いつの間にか雲海を抜けたらしく、かすかに見覚えのある城や城下町も恵里の目に入ってくる。

 

 物珍しさばかりなこの世界だけ見てこちらに意識が向かなければいいのに、と憂うつになりながらも恵里はそばにいたハジメの腕にそっと寄り添い、体を預ける。未だ解決策は浮かばないものの、きっと自分達ならやれるはずだと恵里は信じる。否、そうしようとした――それを上空からじっと見つめる存在に気づかないまま。

 

 

 

 

 

 台座が王宮に到着すると、そのまま玉座の間へと一行は連れていかれる。そして王であるエリヒドがイシュタルの手に軽く触れない程度のキスをしたのを見て恵里が軽く吐き気をもよおしたり、王族や騎士団長、宰相などの紹介を全員聞くなどした。

 

 そして自分達をもてなすという理由――おそらく自分達を取り込むための手段として、晩餐会が開かれる運びとなった。ピンク色のソースがかかってたり、虹色に輝く飲み物などもあったりしたものの、概ね見た目は洋食のそれであった料理に手をつけつつ、ハジメ達と一緒に話をしながら恵里は周囲を見ていた。

 

「まずいね……外堀が埋められていってる」

 

「そうだね、このままだと志願制も有名無実になりそうだ……」

 

「自分からしたい、って言われたらどうしようもないもんね……」

 

 恵里は今しがた合流したハジメと鈴と一緒に不安そうに辺りをながめている。それは、貴族や王族がよく自分達に声をかけ、おべっかを使い、この国の窮状を語り掛けているからだ。自分のところに来た人間もそうだったし、ハジメと鈴もそういったことがあったと聞いて恵里は軽くげんなりした。

 

 学校の授業を聞いていれば戦争の悲惨さやそれがもらたらしたものを理解しているため、『戦争に参加してくれ』と言われても普通なら嫌がって回避するだろう。

 

 だが、こうして自分達がこんなに追い詰められているとのたまい、更に『貴方達には世界を救う力をエヒト様から与えられているはず』と言われておだてられ、しかも実際に力が滾っているとなれば舞い上がるのも当然だろう。ここが異世界で、しかも自分のいる家には帰れないことも考えれば、与えられた使命感に飛びついてしまうのも当然かと恵里も苦い表情をしていた。

 

「僕の方は力がある、なんて言われてもピンと来なかったから適当に断っといたけど、二人もやっぱり?」

 

 ハジメのその言葉に二人はうなずくと、そっかと少し寂しそうな表情を浮かべた。そんなハジメを元気付けようと鈴と二人で声をかけようとすると、背後に何者かが迫る気配を恵里は感じとった。

 

「失礼。中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴ですね」

 

 また貴族がおべんちゃらでも使いに来たかと思ってウンザリしていると、その声は感情が抜け落ちているかのような抑揚のないものだった。しかも自分達に敬称もつけずに声をかけたこの人物に、恵里は()()()()()()()()気がした。

 

 いぶかしみながら振り向けば――瞬時に全員の表情筋が固まる。実物と絵という違いがあれど見覚えのあった顔であったからだ。

 

「あなた方に話があります。一度この場を離れましょう。ついてきなさい」

 

 あまりにも早い遭遇。計算外の出会い。格好こそ修道女のそれであったものの、目の前にいたのは紛れもなく()()()神の使徒であるノイントであった。

 

 記憶が確かであれば、王都で暗躍していた時に接触していたはずなのに。まだこんなに早く会うはずじゃなかったのに。幾つもの“何故”が浮かぶ中、恵里は答えることが出来ずにいた。

 

「……嫌だ、と言ったら許してくれ――ッ!?」

 

 するとハジメが突然現れたノイントに質問を投げかけるや否や、瞬時に距離を詰められて腹に一撃をかまされる。一メートル足らずとはいえ、ハジメとノイントとの間に距離があったにもかかわらず、音を立てることもなく近寄り、たった一瞬で一撃を加えられたのである。間も置かずに鈴もやられ、二人とも腹を抑えてうずくまってしまう。

 

 ノイントは再度距離を取ると、うずくまった二人にゆっくりと近づき、病人を介抱するかのように抱きしめ、近くにいた人間に声をかけた。

 

「申し訳ありません。こちらの二人の気分が少々優れないご様子です。彼らのご友人の中村恵里()と共に医務室まで向かいますがよろしいでしょうか?」

 

「なんと。確かに使徒様達に何かあってはいけませんからな。後で使いの者を寄越しましょう。ささ、どうぞ」

 

「感謝します――では行きましょうか」

 

 能面のような表情を崩すことなく、ノイントはこちらに語り掛けてくる。口の中がカラカラに乾いていた恵里はそにれうなずくしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 下手に動いたところで連れ戻されるか最悪殺されるだけでしかないため、ハジメと鈴に手を添えながら歩くノイントについていくことしばし。

 

 晩餐会の会場から大分離れ、建物の角まで行くとようやくノイントがこちら側に振り向く――その時、ノイントの碧眼が一瞬、輝いたように見えた。

 

(――!! これ、は……ッ!)

 

 意識が一気にぼんやりとしていく。頭の中が霞がかっていく感覚に襲われた恵里は近くの壁に思いっきり手を叩きつけ、この世界に来てから久しく感じとることが出来た魔力を使い、壁を張って弾き返すのをイメージする。すると頭にかかったモヤが段々と晴れていき、どうにかノイントの一手をしのぐことが出来たと感じた。

 

(思った以上に厄介だった……とりあえず手の痛みのおかげですぐには意識は持っていかれないだろうし、どうすればいいかもわかった。後は――)

 

 骨にヒビが入ったのか、未だに強い痛みが走るものの今はそれがとてもありがたい。ノイントの次の一手を待ち構えていると、その当人はほぅと感心したように息を吐いた。

 

「……これを防ぎますか。流石はイレギュラー。ならばこちらに――」 

 

「ダメッ!!」

 

 ノイントがハジメと鈴に視線を移そうとした時、手に走る痛みも頭のふらつきも無視して恵里は大声を上げた。

 

「よすんだ恵里!! 僕達の事はいいから! 従っちゃダメだ!!」

 

「絶対ダメだよ!! ここで言うことを聞いたら恵里がどんな目に遭うかわかんないよ!」

 

「嫌だ! ここで従わなかったらハジメくんも鈴も絶対に助からない! それだけは絶対にイヤだ!!」

 

 大声で叫ぶ二人に恵里もまた叫び返す。使徒にこんな能力があった事は自分も初耳であったが、洒落にならない相手である事はトータス会議でハジメ達に伝えていた。だからこそ相手の言いなりになる事の危険性をハジメも鈴もわかっていて突き放そうとしたものの、恵里はそれを受け入れられない。

 

 先程なった感じからして洗脳の類であることは明白であり、それを二人にやられてしまえば、どう抵抗すればいいかわからないハジメ達では確実にかけられてしまう。もしそうなったらどうなるかわかったものじゃないからだ。かつて自分が“縛魂”で光輝を意のままに操ったようにハジメ達もそうなってしまうだろう。

 

 “縛魂”が使えるようになったらすぐに生きている人間相手に効くようになるまでひたすら鍛えるという手もあるが、それがいつになるかわからない。前世? の時点でも使えるようになるまで相応の時間はかかっている。

 

 それまで洗脳された二人を野放しにすればどこまで計画が狂うかわかったものじゃない。何より、二人がエヒトにいいように操られるということ自体が耐えられない。そんな地獄のような時間を耐えられる自信がない。だからこそ、恵里は二人の言葉に耳を貸せなかった。

 

「やはりこの二人が弱点でしたか。主の命に従い、観察していた甲斐がありました」

 

 そう淡々と言われた言葉に恵里もハジメも鈴も顔を青ざめさせていく。

 

 最初から気づかれていた。

 

 こちらが手を打つよりも前に既に相手の手のひらの上で踊らされていたのだ。

 

 三人は痛感する。紛い物といえど、神として君臨する相手がいかに手強いのかを。そして自分達の認識がどれだけ甘かったのかを。

 

「……わかった。二人に手を出さないなら何でもする」

 

「恵里っ!!」

 

「ダメ! それだけは絶対ダメだってば!!」

 

 そして恵里は条件付きで従う事を決めた。幸い、ノイントの狙いはまだ自分だけでしかないため、早々に降伏すれば二人がこれ以上何もされないかもしれないと踏んだのである。だから涙目になって訴えてくる二人の声を聞こえないフリをする。

 

「光輝君達も僕らがいなくなった事に気づいている筈! とりあえず時か――」

 

「あっちは恵里を無事に帰すかもわからないんだよ!! 一緒にハジメくんをしあわせ――ッ」

 

 恵里に必死に呼びかける二人の首にノイントの手刀が落ちる。それに怒り狂った恵里は視線だけで射殺さんとばかりにノイントを凝視するも、そのノイントの表情は依然として凪いでいた。

 

「ここで騒がれては面倒です。ただそれだけですよ、イレギュラー」

 

「――殺す! 絶対に、絶対に殺してやるっ!!」

 

「今のあなたにそれが出来るとでも?――二人の安全を考えるなら従う以外の選択肢などありえません」

 

 そうノイントが伝えると同時に、気絶して倒れ込んだ二人の周囲に銀の羽が落ちる――“分解”の力を宿したそれが床に触れた途端、淡雪のように消えるとともに削れた床が露になる。二人を今この時点で消すことも容易いと暗に言われ、恵里は歯噛みするしかなかった。

 

 悔しさと後悔、そしてハジメ達を守ることもこの場から離れて助けを呼ぶことすらも出来ないことのへの無力感と罪悪感に苛まれながらも、恵里はその場でじっとしているしか出来なかった。

 

「では主の許へと参りましょう――さぁ、こちらに」

 

 一瞬辺りを見回すと、何もなかったかのようにこちらに来ることを指示するノイント。恵里もそれに従う他なく、フラフラとした足取りで彼女の方へと向かい、そのまま抱きかかえられて空へと昇っていく。

 

(ハジメくん、ごめんね。鈴、ごめんね……)

 

 涙で視界をにじませながらも、恵里は倒れていた二人から目を離すことはしなかった。そして程なくして恵里はノイントと共に空間の揺らぎの中へと姿を消していく――するとどこかで誰かがつぶやいた。

 

「知らせ、ないと……早く、光輝達に知らせないと……!」

 

 倒れていたハジメと鈴を何者かが担いでいくと、そのままどこかへ姿を消していった。

 

 

 

 

 

 極彩色の空間を抜け、周囲が闇に閉ざされている白亜の通路が奥に伸びるだけの世界へと恵里はノイントと共に来ていた。

 

 自分の目の前を歩くノイントの足音すら聞こえないこの空間を不気味に思いながらも黙って歩いていると、更に奥に繋がっているであろう階段が見えた。

 

 一番上は淡い光に包まれており、もしかするとその先にエヒトがいるのかもしれない。恵里の記憶の限りでは体を弄られた際にもエヒト本人とは相対した記憶はない。だからこそ気を引き締めてかからなければならない、と唾を飲み込みながら階段を一段一段と上がっていく。ノイントに怪しまれないように、ほんの少し遅く、そうして稼いだ時間を使って必死に打開策を考えながら。

 

 そして最上段にある淡い光にノイントに続いて身を投じると、ほぼ一色の白に染まった世界が恵里の視界に飛び込んでくる。通路以外が闇しか無かった世界を抜けた先は一才の穢れを許容しないかのような白の世界であった。

 

 上も下も周囲の全ても、見渡す限りただひたすらに白が広がった空間。地面を踏んでいる感触は確かにあるのに、視線を向ければそこも白一色で地面があると認識するのが困難になる。

 

 そんな上下の感覚すら狂ってしまいそうな世界においても恵里は冷静であろうとし、結局打開策は何一つ思いつかなかったものの、どうにかして切り抜けようと様子をうかがっていた。

 

(ここまで早い対面だとは思わなかったけど、こんなところで屈してやるもんか! 化け物(アイツ)だってエヒトにいいようにされても相打ち以上に持ち込めたんだ。ボクにだってチャンスはあるはず!)

 

 これがただの虚勢でしかないことは自分でもわかっていた。だがそれでいい。ここで折れてしまったら二度と立ち上がれないと確信していたからだ。

 

 その場でノイントが(ひざまず)くと同時に自分もそれに(なら)うと、背後で輝いていた光のベールが消えた。そして頭上から頭に直接語り掛けるような声が響く。面を上げよ、と。

 

 言われるままに顔を上げると、視線の先が不意に揺らいだ。そして舞台の幕が上がるかのように揺らぐ空間が晴れた先には、十メートル近い高さの雛壇が現れ、その天辺(てっぺん)にある玉座に不確かな姿の何かが鎮座していた。

 

『よくぞ我が命を果たした。ノイントよ』

 

「すべては主の御心のままに」

 

 神様風情とその人形如きがよく言うと心の中で蔑んでいると、こちら側に視線のようなものが送られ、恵里は思わず身震いする。単にそれが粘つくような不快なものだからでなく、ただ見られただけで自分の全てを容易く消し飛ばされてしまいそうなプレッシャーにも襲われたからだ。

 

『さて、イレギュラーよ。私が貴様を呼んだ理由は察しがつくのではないか? 申せ』

 

 また頭に言葉が響くと同時に一段とプレッシャーを感じる。語られた言葉こそ穏やかで寛大な風に聞こえはするが、語気はどこまでも威圧的で言葉一つでアッサリ首を刎ねられかねないようなものであった。こんな奴相手にケンカを挑んだ辺り、やはりあの化け物は心の強さまでそうだったのかと恵里は(おのの)きながらも必死に口を動かす。

 

「嫌、だね……誰が、誰がお前なんかに話してやるもんか」

 

 体を震わせながらも恵里は要求をはねのける。怖くて仕方なかった。今すぐにでも逃げ出したかった。愛する人(ハジメ)の名を呼んで泣きじゃくりたかった。だがそれでも目の前の神モドキの要求ぐらいノーを突きつけられなければ、絶対に勝てない。嘘の情報を渡したところで恐らく看破されるという謎の確信と、それが自分達の首を絞めるであろう未来が見えたからだ。

 

 だからこそあの化け物のように真っ正面から噛みついた。勝つために。絶対に生きて元の世界に帰るために。ノイントから向けられる凍てつくような視線も知ったことではなかった。

 

『神を相手に実に不遜だな……まぁ、よい』

 

 だが目の前の存在は怒りをかすかににじませたぐらいで余裕は何一つ崩れてはいない。おそらくあの化け物すら(ひざまず)かせたあの言葉があるからだろう。防ぐのは無理であっても精一杯抗ってやると恵里は息巻いていると、その瞬間が訪れた。

 

『エヒトの名において命ずる――“話せ”』

 

「はい。ボク達は貴方様に反逆すべく、計画を練っていました――ッ!?」

 

 ――何故か()()()()()()()()()()()、口からスラスラとトータス会議での計画が、反抗の意思が漏れていく。

 

「この世界の宗教との敵対を可能な限り避け、エヒト様に気づかれないよう秘密裏に動き、そして武器の製造と使徒に対抗するための人員の確保に努めようと考えていたのです。そのためには――」

 

(なんで!? どうして!? 止まれ! 止まれよぉ!!)

 

 口を止めようとも止まってくれない。心と体が別に動いてしまっているかのようで恵里はパニックになってしまう。

 

『驚いたか? まぁ無理もあるまい。それはイレギュラー、貴様が心の奥底では私に服従したいと望んでいる証左だ』

 

 何か戯言(たわごと)をほざいているエヒトのことは無視して恵里は必死に原因を探る。あの化物は一度抗えたはず。やはりステータスが高くないと無理だったのかと思わず歯噛みしそうになった時、ふとハジメの言葉がよみがえった――。

 

 ――何をやったかはわからない。結局推測ぐらいしか出来ない。けれど命をモノ扱いしてるエヒトだったら、やってる可能性がある……恵里の、恵里の魂も体と一緒に弄っているのを。

 

『ほぅ。私に尽くすことが余程嬉しいか。感激にむせび泣くがいい。貴様の忠誠は中々見事であるぞ』

 

 涙が、止まらなかった。あの時、光輝を自分のものにするために体を弄られた際、自分の魂にも何か細工がされたことに気づけなかった。その結果、ハジメを、鈴を裏切ってしまったことに恵里の心は耐えられなかった。

 

 勝手に動く口を何度止めようとしてもそれは叶わない。ならば頭を地面に叩きつけるなり手で強打するなりして止めようとしても体はわずかにすら自分の思う通りに動いてくれない。

 

 詰みであった。

 

 詰んでしまっていた。

 

 ノイントが現れた時点で既にエヒトに目をつけられていた。エヒトに目をつけられた時点で自分の弱点は看破されていた。トータスに召喚された時点で、自分達はもう、負けが決まっていた。そう、思い知らされた。

 

『ふむ。こうして話を聞くだけでは少々具体性と確証に欠けるな。ならば――』

 

「……これ以上、まだ――ぃぎぃっ!?」

 

 絶望はまだ終わっていなかった。

 

 全てを話し終え、体の自由が戻ってもなお、まだエヒトは満足などしていなかった。そう告げた途端、脳の全てが鷲掴みにされたかのような痛みが恵里の頭に走る。

 

 ふむ、とエヒトが漏らしたのが聞こえた恵里は一体何があったかと思って顔を上げる――するとそこには無数の映像が映されたパネルのようなものが浮かんでいた。

 

 ――光輝くん! どう? 素敵でしょう? 魔王様にねぇ、新しい力を貰ったんだよぉ。ボクは光輝くんと二人だけで甘く生きたいだけなのに、そんなささやかな願いすら邪魔するクソったれ共が多いからさ。大丈夫! 光輝くんを煩わせるゴミは、ぜぇ~んぶ、ボクがお掃除して上げるからねぇ! 二人でずぅ~とずぅぅぅぅぅ~と一緒に生きようねぇ~。

 

 ――え、恵里……。

 

 前世? で自身の弄られた体をお披露目し、光輝への妄執を再度見せたあのシーンが映っていた。

 

 ――恵里、いつの間にお箸を使うのが上手になったんだい?

 

 ――え? えーっと……いっぱい練習したからだよ。お父さんをびっくりさせたかったんだ。

 

 エヒトの居城が崩れ、父が事故に遭う日に戻った時の一幕が映っていた。

 

 ――……? ない? なんで? どうして?

 

 ――やだ、やだよ……ハジメくん、ハジメくんっ。

 

 ハジメに恋をして、彼から受け取ったクッキーがなくなったことに狂乱したあの日が映っていた。

 

 ――えーと、これで思い出せるのは全部かな。お疲れ様、二人とも。

 

 ――ありがとう恵里。それじゃあ、今書き出した情報を元に色々と考えよっか。

 

 最初のトータス会議でのやり取りがそこに映っていた。

 

 いずれも見覚えのある無数のもの――自身の記憶が映っていたのである。過去に遡る毎にその映像はよりあやふやになっていたものの、それは紛れもなく自分のものであった。まさかこんな事まで出来るなんて、とエヒトの持つ力に呆然としていると、不意に恵里にかけられていたプレッシャーがなくなった。

 

 ――よかった。■エ、なんともないか?

 

 ――……ふふ、平気だ。むしろ、実に清々しい気分だ。

 

 ――あ? ユ■? お前――ッ。

 

 一体何があったと困惑しながら見上げると、そこにはあの金髪の幼い肢体の少女が化け物(南雲ハジメ)の腹を貫くシーンが映っていた。

 

『クク、ハハ……クハハハハハハハハハハハハハハ!!!』

 

 見られた。

 

 見られてしまった。

 

 エヒトに対して可能な限り伏せておかなければならない情報が、もしかすると弄られているかもしれない自分の魂を治す手段を持っているかもしれないキーパーソンが、もう、見つけられてしまった。

 

『これは! これは想定外であったぞ!! 褒めてつかわそうイレギュラー! いや、()()()()よ! 実に大儀であった!!』

 

「あ、あぁ……あぁぁ…………」

 

 恐れていた事態が次々と起きていく。そしてそれを止める手段が何一つない。手札がすべてこぼれ落ちていくような心地であった。

 

 それでもどうにかパネルを消そうと手を伸ばすものの、空を切るだけで遥か彼方にあるそれは消えず、己の無力感を噛み締めるだけでしかない。

 

 そんな恵里の姿を見て嗤い声を上げていたエヒトが、愉悦に満ちた声で語りかけてくる。

 

『アルヴもまた良い置き土産をしてくれたものだ。とはいえ、貴様がこうしてここに来なければここまで歓喜で満たされることはなかっただろう。礼の一つもせねばなるまい』

 

 絶望に暮れていた恵里の背筋にぞわりと悪寒が走る。()()()()()が礼をする? 絶対にロクなものじゃないと恐怖に怯えた瞬間、頭に激痛が走った。

 

「ぐっ!? が……あぁあぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」

 

『褒美をくれてやらねばな、中村恵里よ――然るべき時が来たらお前の手で愛する者の命を踏みにじり、大切にしていたすべてのものをその手で砕かせてやろう。何、礼などいらぬぞ』

 

 痛みで、怒りで、嘆きで、悲しみで、後悔で涙があふれた。

 

 あの時魔人族に寝返らなければ、光輝に固執してしまわなければと過去の行いを呪った。

 

 ようやく手にすることが出来た友達が、幸せが、愛する人が、他ならぬ自分の手で壊されてしまう未来を幻視して、自分への怨嗟が止まらなかった。

 

(ごめん、なさい……ハジメくん、すず、みんな…………)

 

 神を僭称(せんしょう)する者の居城で、一人の少女が嘆きの海に沈んだ――。




「つよくてニューゲーム」な話がスタート、といった旨の話を前回の前書きで書きましたね。作者も憶えています。
ですが

敵 が 強 化 さ れ な い と 誰 が 言 っ た ?


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幕間十 少女が歩んだ軌跡

まずは引き続き拙作を読んでくださる方々への感謝を。
おかげさまでUAも65000を突破、感想も120件に上りました。また、拙作をお気に入りとして読んでくださる方も591名おられることに感謝の念に堪えません。こうして愛想を尽かさないでいただいて誠にありがとうございます。

そしてサバ捌きさん、ナンバーさん、拙作を再評価及び評価していただいてありがとうございます。こうして評価していただけることが私の励みになります。

タイトルの通り、今回はエリリンでなく他のキャラに焦点が当たるお話になります。では本編をどうぞ。あ、ついでに言うと過去最長です。


 変成魔法を使い()()()()改造を施した恵里をノイントに預けると、エヒトはノイントに地上に向かうよう指示を出す。ノイントはそれを了承し、改造の途中で気絶した恵里を信徒共に引き渡した。そしてその様子をエヒトは玉座に座したまま眺めていた。

 

『あれしき如きで勝てると思ったか。()いものよな』

 

 空間魔法で作ったモニターを見てこそいたが、エヒトの意識は別にあった。先程恵里の記憶を再生して映したものによく現れた少年――彼女が恐れ、この上ない信頼を抱いた南雲ハジメの事である。

 

 小さな金属の塊を打ち出す筒や空飛ぶ十字架、地面を貫く杭、束ねた太陽の光と思しき天から降り注いだ白い光、廃墟とはいえ相応の硬さである建築物を破壊する筒のような物を飛ばす何か。恵里の言葉を信じるならばおそらく錬成師であるこの少年の自作だろう。

 

 非才と言われて侮られていたらしいこの少年がよくぞここまで、と感心こそしたものの、エヒトはそれ以上の感情を抱く事は無かった。自身が極めた剣技や魔法のいずれにも及びはしないと思ったからである。

 

 『オルクス大迷宮で落ちた後、何があったかはわかりはしないが見事だ。しかしそれまでだな』

 

 揺らぐことのない自信。それ故にエヒトは南雲ハジメという存在をそう評価する。尤も、エヒトにとって彼の価値はまた別にあった――神子を見つけた存在であるという点である。

 

 どれだけ探し求めても一向に見つかることのなかった依代を見つけることの出来た存在。故にエヒトは一目置いている。

 

「喜べ運び屋(ポーター)。貴様にはこの私の依代を献上する義務を与えてやろう。その対価――しかと受け取ると良い」

 

 くつくつとくぐもった笑みが白一色の世界で木霊する。いずれ愛する者の手で血に塗れる彼の様を想像し、エヒトは愉快げに嗤う。その様は紛れもなく狩人のようであった。

 

 

 

 

 

「ここ、は……」

 

 ノイントから当て身を食らい、気絶していたハジメはようやく目を覚ます。

 

 ランプか何かのようなものでうっすらと照らされた廊下を誰かに背負われた状態で移動しているらしく、その後ろ姿にハジメは見覚えがあった。

 

「こうすけ……くん?」

 

「っ! 目を覚ましたのか、ハジメ!」

 

 まだ意識がハッキリとしていない中、ハジメは心当たりのある人間の名前を呼び掛けると、一瞬だけ驚き、そして心底安心しきったような声色で浩介は返事をする。

 

「あぁ、本当に良かった……ちゃんと脈もとったし、心臓も動いてるかも確認したけど、目を覚ましてくれて良かったよ……」

 

 浩介はハジメ達がどこに行くかを不思議がってついていっただけでしかなかったのに、気づけばとんでもない悪意の一端を見せられて気が気でなかったのだ。ハジメと鈴を背負って一度場所を移した後生きているかどうかちゃんと確認をしたものの、すぐに目を覚ましてくれなかったのは浩介としても心細かったのである。

 

 ふと横にいた人気に気づき、隣に鈴がいるのを確認して安心したハジメであったが、こうなった経緯を思い出して彼の耳元で叫んだ。

 

「うん――そうだ、恵里は!? 恵里はどこにいるの!!」

 

「お、落ち着けって!? お前たちが気絶した後、恵里はあの銀髪の女に抱えられて空に飛んでいったきりだって!……流石に空を飛ぶ奴相手は追えないし、なんかここに来てから強くなった気がする俺でもやりあったら絶対死ぬ、って思ってそれで……」

 

 慌てて弁明を始めた浩介であったが、段々と申し訳なさをにじませながら説明したのを聞いてハジメも少しだけ落ち着けた。こうして身を隠して自分達を安全な場所へ連れて行ってくれているのだから感謝こそすれど、それ以上を求めるのは酷だということも理解できた。

 

「……わかった、浩介君。今すぐ光輝君達を集めてほしい。これからのことを話し合いたい」

 

 ()()()()冷静さを取り戻せたハジメは浩介にあることを頼み込んだ。もちろん話し合いのことであった。今ここで動かなければ絶対に手遅れになると確信していたハジメは何としてでも通すつもりであった。

 

「あ、あぁ……俺もそう思ってたところだよ、じゃ、じゃあ愛ちゃん先生も――」

 

「ダメだ。恵里のことで何かあったかを知ったら真偽がどうであっても冷静でいることはないと思う。どう動くかわからないから僕達だけで話そう」

 

 幸い浩介は話し合いそのものには賛成してくれた。が、そこで当初ハジメも考えていた“畑山先生の参加”をした浩介の案を蹴る。自分達の関係のせいで風当たりこそ強いものの、恵里のこともいち生徒としてあの人は心配するだろうと考えていたからだ。だからこそ()()()()()()()()()切り捨てたハジメに、浩介がある事を問いかけてきた。

 

「……なぁ、ハジメ。今、怒ってるか?」

 

「――(はらわた)が煮えくりかえりそうだよ」

 

 普段何があっても困ったような笑みを浮かべるだけの彼しか知らなかった浩介は、()()()()()()()()()親友の声に何も答えられないまま歩くしかなかった。

 

 

 

 

 

 浩介と何度かやり取りしたこともあって意識がハッキリしたハジメは、自分を背負ってくれていた浩介から降り、一緒に負ぶってくれていた鈴を自分が背負うことを伝える。その時返事をした浩介の声が()()()()()()()()()ことに気づいたものの、その理由がわからないままハジメは鈴を背負い、彼に先導されながら歩いていく。

 

 事前に鷲三らと浩介が話し合いで決めた合流地点へと一緒に向かっていると、その途中で香織と龍太郎と出くわした。

 

「浩介君! それと……え?」

 

「浩介! 戻ってきたんだな! それとハジメも――!!」

 

 どうやら彼らもどこかに向かう途中で合ったようであったが、自分達を見て足を止めてくれた。しかしかけた声まで止まったことがハジメは理解できなかった。

 

「何か、あったんだな……」

 

 龍太郎の言葉に浩介は無言でうなずいて返す――いつも一緒にいるはずの恵里がおらず、眠っているような様子の鈴をハジメがほぼ無表情で背負っている。また香織達はハジメ達いつもの三人が医務室に行った旨を宴会に参加していた貴族の一人から聞いており、絶対に恵里を一人にしない二人が一緒にいないというだけで確実に何かがあったのだとこの時二人は察した。

 

「――ハジメ君、ダメだよ」

 

「香織、さん……?」

 

 そして香織が動く。怒りを堪えた顔でハジメに近づくと、キッとした表情で彼の顔を覗き込んだ。対するハジメもほんのわずかに困惑の色こそ浮かんだものの、表情も声色も変わらないままであった。だがそんなことは知ったことじゃないとばかりに香織は向かっていく。

 

「今のハジメ君、すごい顔してるよ。そんな顔して鈴ちゃんを怖がらせる気なの?」

 

 香織の言葉にハジメは一瞬目を見開くと、浩介と龍太郎の方を見やる。視線を向けられた二人もそれにうなずいて返した。

 

「あぁ、香織の言う通りだよ。お前のそんな顔、初めて見たぞ」

 

「おう、そんな顔して鈴の奴を怯えさせんなよ。今震えてんぞ」

 

「えっ?――え?」

 

 龍太郎の言葉でようやく自分の背に震えが伝っていることにハジメは気づく。まさかと思って振り向けば顔面蒼白となった鈴が今にも泣きそうな顔でハジメを見ていた。

 

「やめて……やめてよハジメくん。すごく、すごく怖いよ……」

 

 香織の言った通り、鈴は()()に怖がって怯えている。顔が原因だ、と言われてもハジメには思い当たる節が見当たらない。ただ怒りを堪えているだけなのにどうして。そう思っていると香織に手を掴まれた。

 

「私の部屋に姿見があるからとりあえずこっち来て。いい加減、目を覚まして」

 

「鈴は俺が一旦預かっとく……鏡見てとっとと気づけ、ったく」

 

 背負っていた鈴を龍太郎に引っぺがされ、香織に手を引かれて近くにあった部屋へとハジメは入っていく。そして部屋の片隅に置いてあった姿見を見てハジメは思わず腰を抜かしかけた――表情の抜け落ちた自分がこちらを見ていた。その瞳ががらんどうに映っていたからだ。

 

 何も出来ないまま恵里を奪われたことの喪失感が、何一つ出来なかった自分への失望と怒りが、そして恵里を奪ったエヒト達への底なしの憎しみがこの表情を作り、鈴を怯えさせたのだと気づいたからだった。

 

「ち、違う……ぼ、僕は……僕は、ただ……」

 

「ハジメ君のその顔とか、いつも一緒にいる恵里ちゃんがいないとか、わかるよ。すごく悪いことが起きたんだよね? ハジメ君がそんな顔をしてるんだもん――でもね、それを理由に鈴ちゃんを怖がらせるなんてダメだよ!! 絶対ダメ!」

 

 強く訴えてくる香織を見て、自分があんな顔をして皆を怖がらせていたということにショックを受けたハジメは数歩後ずさり、そのまま腰を落としてしまう。

 

 怖かった。今思い返せば自分が自分でなかったとしか思えない。恵里を取り戻すこと、恵里を奪ったエヒトへの憎悪で頭がいっぱいであったことを思い出してしまい、今度はハジメが震え出した。

 

「僕が……僕は、どうして……」

 

 わかっていたのに。覚悟していたのに。

 

 怒りを堪えきれなかった。恵里を奪われたことに耐えられなかった。それは鈴だって同じだっただろうに、自分が怖がらせてしまったことに気づけなかった。

 

 すさまじい後悔と恐怖にハジメは襲われ、息も満足に出来ない中、そんな彼の背に鈴が抱き着いた。

 

「だめ……ハジメくん、お願い。私を、鈴をひとりにしないで……」

 

「鈴……」

 

 弱々しく背中から抱きしめてくる鈴の名前を呼ぶだけでハジメは何も出来なかった。怖かったのだ。もしかすると鈴をまた怖がらせるかもしれない自分が。また鈴を傷つけてしまうかもしれないと思ってしまって彼女の手を握って落ち着かせる事すら考え付かなかった。

 

「さっきのハジメくん、すっごく怖かった。恵里が連れて行かれたせいで壊れちゃったみたいで、すごく、怖かったよ……このままハジメくんがどこかに行っちゃいそうで、そんなの、そんなの、やだよぉ……」

 

「……ごめん。ごめんね、鈴」

 

 嗚咽を漏らす鈴の声を聞いていたハジメも、自身の情けなさを痛感して涙を流し出した。幸せにする、って約束したのにそれを破ってしまった事が、それで鈴を悲しませた事が。

 

 鈴をこれ以上悲しませたくない。正気に戻り、勇気を出してハジメは振り向いて鈴の唇にキスをし、そして彼女を抱き寄せて詫びた。

 

「ごめんね、鈴……置いていかないから。もう怖がらせないから。ごめんね……」

 

「うん、うん……!」

 

 そして二人して大声を上げてわんわんと泣いた。もう違えないために。共にあるために。そんなハジメ達を見て香織と龍太郎も安心して一息ついた。やっぱりこうじゃないと。あんな顔は似合わない、と。

 

「……ねぇ龍太郎くん。もし、私が悪い人に連れ去られたら、龍太郎くんもあんな風になっちゃうかな?」

 

 すると突然香織がそんな事を問いかけて来た。龍太郎は一度空を仰いでどこかを見つめると、頭をかきながらその問いに答えた。

 

「……さあな。少なくともハジメみたいに静かにしちゃいられねぇよ。もし目の前でやられたんならどうなるかわかんねぇな」

 

 その答えに香織は少し驚いた様子を見せるも『そっか』と一言だけ、しかし満足げに返した。龍太郎はそんなアッサリとした返事に『なんだそれ』と呆れつつ、香織の額を小突く。それに軽くおかんむりになった香織が頬を軽く膨らませ、龍太郎の頬をツンツンとつついていると、まだ涙声であったものの泣き止んだハジメが二人に声をかけた。

 

「……ゴメンね三人とも。これからみんなを呼んで話をしたいんだ。いいかな?」

 

「おう。まぁお前たちが泣いてる間に浩介が皆を連れてくるって言ってたからよ、だからその内――いや、もう来たみたいだな」

 

 龍太郎がそう言うや否や部屋の外から無数の足音が響いてくる。そしてドアを開けて入って来てくれたのはいつもの頼もしい面々であった。

 

「ハジメ! 鈴!――その、すまなかった! この世界の人と話をしていたせいで三人に気付けなかった。そのせいで恵里を……とにかく、悪かった!」

 

 入ってくると同時に勢いよく頭を下げて来た光輝にハジメは首を横に振った。今ではわかるからだ。どうして友人達が誰も自分達を止めなかったのかを。あの晩餐会の時点で既に仕組まれていたのだと理解したが故にハジメはそれを咎めず、鈴もそれに勘づいたため、彼のフォローをする。

 

「いいよ。むしろあそこで下手に動いたら光輝君達が危険だったかもしれなかったから」

 

「ありがとう光輝君、私達は気にしてないから。それよりこれから話がしたいの。いい?」

 

 そして二人は浩介と共に親友達と鷲三、霧乃に自分達の身に起きた事を話していく。その話が進んでいく毎に段々と皆の顔は険しくなっていった。

 

「マジ、かよ……なぁ浩介、中村は? 一体どうなったんだ?」

 

「俺も連れ去られていったのを見たっきりだよ大介。正直気配を消して逃げるのに精一杯だったんだ……悪い」

 

 大介からの質問に浩介はバツが悪そうに答えるばかりで、だが浩介の実力を付き合いが短いながらも理解していた大介達は押し黙ってしまう。

 

「……浩介君、不意打ちを狙えれば勝てそうかしら?」

 

「正直わかんねぇ。無警戒なら多分いける……けど、あの銀の羽根がヤバい。あれを周囲に散らされただけでまず攻撃は届かなくなると思った方がいい。それにハジメ達を一切傷つけずに羽根を落として脅してた事を考えると、自在に展開出来るだろうし……悪い。断言出来ない」

 

 雫の問いかけにも推測以外に返すことが出来ず、申し訳なさそうにしている浩介に雫は首を振って返す。洗脳、触れたものを分解する羽根、そしてハジメ達を一瞬でまともに動けなくさせたところから推し量れる実力。どう考えても苦戦は必死であろう存在が山のようにいるという話を聞いて一同の間に絶望が広がっていく。

 

「当面はその銀髪の女を警戒した方がいいな……なぁハジメ、鈴。二人がこの世界に来てもそこまで動揺してなかったし、恵里は一切慌ててなかった。もしかして、今晩話そうと言ってたことと今回のことに繋がりがあったりするのか?」

 

 光輝が話をまとめると、気にかかっていたことを口にする。もちろんそれは他の面々も気になっていたことであったため、二人に視線が集中する。

 

「正直信じてもらえないとは思う。けれど、信じてほしい」

 

 そして二人はトータス会議で事前に取り決めておいた言葉を全員に伝えた――『恵里は前世があり、その時ここに来たことがある』と。

 

 それを聞いた面々の多くがざわめき、一番付き合いの浅い大介達からは『お前は何を言ってるんだ』と言わんばかりの目で二人は見られてしまう。が、ここであることに気づいた幸利がハジメ達に問いかける。

 

「なるほどな……つまり、恵里は“逆行者”ってことだよなハジメ、鈴」

 

 幸利の言葉に問いかけられた二人はうなずいて返すと、今度は幸利と付き合いの深い大介らや光輝達が口をはさんできた。

 

「なぁ幸利、なんだそりゃ? どっかで聞いた覚えはあるんだけどよ……」

 

「なぁ礼一、それって前に幸利から教えてもらった二次創作のやつのジャンルじゃなかったか? 確か、えっと――」

 

「何らかの理由で過去のある時間に精神だけ戻ってきた人間が活躍する、そういうやつだったよな?」

 

 光輝の言葉に大介達はそれそれと何度もうなずき、幸利とハジメ達は首を縦に振って答えた。まだあまりピンと来てない香織や優花らには雫が『ドラえ○んみたいなものよ』と伝えると、それで何となくイメージがつかめたようで何度も首を縦に振った。

 

 わかりやすさ優先でこう説明したのだが、説明込みでもそう言った方が良かったかなーと二人で反省していると、香織が手を挙げて質問してくる。

 

「とりあえず言いたいことはわかったけど……でも恵里ちゃんって“普通”の子だよね? ハジメ君と恋したり、お菓子作ったりとかしかしてないよ? ○ラえもんみたいに未来の道具とかを使ってないし」

 

「そうだよねぇ~。恵里ちゃん、別にそういう事やってたように見えないけどぉ~?」

 

 言いたいことこそ理解出来たものの、本人の気質や昔から恋バナを聞いたりしていたせいで変に距離が近かったせいか“恵里が普通ではない”ということに香織は気づけなかった。妙子も香織と同様で、そこでため息を吐きながらも奈々と優花が説明する。

 

「まぁ昔に戻れても何でもやれる、って訳じゃなかったんでしょ。少なくともこっちの世界で見た魔法みたいなものは使ってなかったみたいだし。でもあの恵里っちだったら絶対に何かやってるはずだし」

 

「そうね、ナナ。でも少なくとも一つだけ、エリが自発的にやってたことがあったでしょ?――ハジメと恋仲になったことが」

 

 その言葉にハジメと鈴を除く皆が大きく目を見開き、優花が視線を向ければハジメはそれにうなずいて答えた。

 

「それは本当だよ……って言っても、今は本気で僕の事を好きでいてくれてるけどね」

 

「皆が予想した通り、元々はハジメくんを利用する気だったみたいだよ……ただ、まぁ、今の恵里は間違いなくハジメくんにベタ惚れだけどね。あ、そうそう。演技の線はないよ。あの恵里がさ、演技といっても人前であんなデレッデレな顔すると思う? 泣いて駄々こねたりすると思う?」

 

 恵里の本性の一端が見えたことで、今度は香織と妙子以外の面子が恵里に対する警戒心を露にするも、鈴の言葉で一瞬で霧散していった。『いくら計算高くってもあんな演技やらねーだろ』だの『むしろハジメを心酔させる方で動くな。どう考えたって逆じゃねーか』だのと恵里に対する信頼が見て取れる……これを見たら間違いなく当人はキレるだろうが。

 

「なるほど。恵里さんは普通の子ではないと前々から思ってはいたが……それが事実ならうなずけるというものだ。今の様子はともかくとして、な」

 

「ええ。遠目からではありますけれど、あの子が時折放つ殺気は紛れもなく本物でしたから。アレは実際に戦いの場に身を置かなければつくはずはないですよ」

 

 鷲三と霧乃もややピントがずれていながらも納得していた。なおそんな二人を見て『あ、感心するとこそこなんだ……』と八重樫流を修めている光輝、浩介、雫は顔が少し引きつっていた。他の面々もそういう感心の仕方に『やっぱりこの二人はズレている』という感想を抱いた。

 

「あー、コホン……とりあえず恵里のことはわかった。じゃあ、今後のことを話すためにも愛子先生を――」

 

 そうして光輝が畑山先生を呼ぶ算段をつけようとしていると、部屋の外から幾つもの足音が聞こえてくる。一人二人でなく、十人単位で迫ってくる音を聞くと同時に浩介、鷲三、霧乃は顔を合わせてから気配を消して身を隠した。

 

 三人のいきなりの行動に他の皆が驚いていると、何人もの人間が部屋になだれ込んできた。恰好からして騎士と思しきものであったが、意匠からして宗教色が強く見えるため、おそらく聖教教会の手の者だろう。サブカルチャーに詳しいハジメ、鈴、幸利はもちろん、他の皆の間にも緊張が走った。

 

「勇者様がた、こちらにおられましたか! どうもこの城に狼藉者が現れたそうで、それで我ら神殿騎士一同が見回りをしておりました……して、そちらにおられる南雲ハジメ様と谷口鈴様に()()用があります。ご協力願えませんか?」

 

 物腰こそ柔らかであったものの、彼らの目つきからしてハジメと鈴への疑いが見て取れる。暗に『二人を引き渡せ』と言っているようで、ハジメはどうすればいいかと頭を働かせ、他の皆は全員身構えていた。

 

「何、大したことではありませんよ――どこを探しても中村恵里様がおられませんので、それで親しくしておられる様子のお二人に話をお聞きしたいだけなのです。同行していた者は送り届けた、と述べているのですがね」

 

 身構えている自分達に述べられた言葉を聞いて、ほとんどの者が歯噛みすることになる。事実、引き渡しを迫られている二人以外は『体調を崩したハジメと鈴に気づいたシスターが、恵里と一緒に医務室に行った』という説明を受けている。しかもそのシスターとやらは白を切っている辺り、教会は二人を何らかの罠にはめようとしていると全員が気づいたからだ。

 

 だがここで下手に断る訳にもいかないことにも皆はわかっていた。少なくとも話の筋自体は通っているし、この世界に来て早々問題を起こしてしまえばそれがどう響くかがわからないのだ。香織も大介達もどうにか口を出そうと考えてはいたものの、下手な言い訳はかえって二人を苦しめることになることにも気づいてしまって動けなかった。

 

「……わかりました」

 

 するとハジメが前に出ていこうとしたため、全員が無言で止めようと肩やら手を掴むものの、ハジメは何か策があるのか振り向いて大胆不敵な笑みを返した。

 

「では南雲ハジメ様、こちらへ。それと谷口鈴様も――」

 

「あのー、すみません。ちょっとお願いがあるんですけど」

 

 そうして騎士達のところへ行こうとして一度ハジメは足を止め、あることを頼み込んだ――友達を一人ずつ連れていってもいいか、と。

 

「体調を崩したばかりなんで、ちょっと怖くて……ですから友達が付き添ってくれれば安心かなー、って」

 

「いえ、使徒様がたもお疲れのご様子。我らが付き添う故、お手を煩わせる訳にはいきません」

 

 困った様子で頼み込むハジメに、にべもなく騎士の一人が切り捨てるものの、ハジメの意図を察した鈴と雫が手をつないで前に出てきた。

 

「そうね。私としても親友の鈴が()()だから付き添いとして同行するわ。いいでしょ?」

 

「し、しかし……」

 

「ちょっとした用事なんでしょ? 聞いた感じだと()()()()()()みたいだし、私もまた体調を崩した時に雫が()()()()と心強いんだけど……ダメなの?」

 

 雫と鈴の問いかけに騎士達はたじろいでしまっていた。この反応からして人には言えないようなことをやるつもりだったのだろう。それを確信すると、幸利や大介、龍太郎に光輝もハジメとの同行を名乗り出た。

 

「んじゃ俺が行く。ハジメには結構世話になってるからな。こういう時に返さねぇと」

 

「おいおい幸利ぃ~、先生に恩があるのは俺らだってそうなんだぜ? ここはまぁ一つ、俺に任せてくれよ。なぁ?」

 

「おい大介、幸利。ハジメが()()()()()()()()時には俺の方が役に立てるぞ。つー訳で譲ってくれ」

 

「いや龍太郎、ここは俺が。何があっても俺が上手く()()()()よ。だから皆も安心して俺に任せてくれ」

 

 四人がそう言いだすと『いや光輝は俺らをまとめるのに必要だから残ってくれ』だの『幸利も知識面で頼りになるから残ってくれ。つーか行くな』だのと軽く場が紛糾し、結果ハジメから龍太郎が指名されたことでようやくこの場は収まった。そうしてハジメら四人は神殿騎士達と共に部屋を後にするのであった……。

 

「さて、それでは続きといこうか」

 

 そして周囲に気配が感じられなくなったと同時に鷲三が姿を現し、場を仕切り出した。

 

「……鷲三さん、浩介と霧乃さんは?」

 

「念のためハジメ君達に同行させておる。雫と龍太郎君がいれば問題ないと思うが一応、な」

 

 光輝の問いかけにそう答えた鷲三は全員の顔を見ると、全員にあることを告げる。

 

「恵里さんや彼女を信じているハジメ君らには申し訳ないが、恵里さんの話を鵜呑みにするのはやめておきなさい。これは忠告だ」

 

「そんな――恵里は前世の経験がある、ってハジメが言ってたじゃないですか! ちゃんとした証拠はないですけどだからって疑うなんて!!」

 

 光輝が声を上げると同時に残った他の面々もケチをつけた鷲三を非難する。信用している友人の言葉を疑えと言われれば程度はどうあれ怒っても仕方は無い。そう思いながらも鷲三は一切取り乱すことなくその理由を話す。

 

「この世界に魔法などという人知を超えた力があるのだ――ならば恵里さんの記憶が改ざんされていないと一体誰が保証できるのかね?」

 

 その一言で非難の声はピタリと止み、一同の間にざわめきが走る。そう。彼らは身を以て魔法と言うものを体感している。またハジメ達が銀髪の女のことを語った際、合わせて恵里が前世? で使っていた〝縛魂”や“零落”などの人間の精神に干渉する魔法のことも含めて話し、『恵里があそこまで焦ったのはきっと自分にそういった系統の魔法を使われたからじゃないか』という推測も話していた。故に誰もが鷲三の言葉を否定できない。

 

 じゃあどうすればいい、どう動いたらいい、と皆が不安をこぼす中、少しやり過ぎたかと鷲三も軽くばつの悪い顔を浮かべた。

 

「……少々言い過ぎてしまったな。恵里さんの情報を、それを聞いたハジメ君の明かしたもの全てが嘘だとまでは言っておらんよ。あの銀髪の女とやらは敵である可能性は高い。先ほどの動きからして騎士達も怪しい。しかし――」

 

 あえて全てを語らず、何かに気づいた様子の光輝に鷲三は一度視線を向ける。するとそれにうなずいた光輝がそれを話す。

 

「下手に決めてかかると危険、ということですね?」

 

 その言葉に鷲三は深くうなずき確信を得る。どうやら自分たちの目を覚ますためあえて憎まれ役を買って出たのだと理解した光輝は、心の中で鷲三に感謝しつつ、まだ雑然としている一同に向けて光輝がその理由を話し始めた。

 

「俺はハジメ達が話してくれたことは信用できると思っているし、信用したい……けれど魔法なんてファンタジーなものが身近にある世界に俺達はいる。それにさっきの銀髪の女のことなんだけど、恵里はそいつが人間を洗脳したりする能力を持っていたとは知らなかったみたいだ」

 

 光輝の言葉に全員もハッとし、気づかせてくれた鷲三への感謝や謝罪、そう言ってくれればいいのにとばつの悪い表情になったりと様々であった。そんな皆に『話を続けたい。いいか?』と光輝が言えば、皆も彼に続けるよう視線で促す。

 

「ありがとう皆……さっきも言ったようにハジメ達も知らない情報はあったみたいだ。だからここで下手に決めつけてしまって、皆の足元がすくわれるのはどうしても避けたい――なぁ幸利。幸利だったら今の状況、この国の事、どう考える?」

 

 一つの情報だけを、自分の信じたいものだけを信じた結果、龍太郎とケンカをし、雫を泣かせてしまった過去のある光輝は同じ轍を踏むのだけは避けたかった。ここで失敗したら今度は幼馴染が、親友が、悪友達の命が失われてしまう。だからこそ違えられない。故に光輝はこういった状況に最も精通しているであろう幸利に助けを求めた。

 

 話を振られた幸利もしょうがねぇなぁと言わんばかりの、しかしここ一番の時に頼ってくれた事への嬉しさがありありと出た顔で語ろうとする。

 

「ユキ、アンタがコウキに頼られて嬉しいのはわかったから早く話して」

 

 ……なお、その前に優花から急かされて思いっきりこけそうになったが。

 

 頼むから空気読んでやれよと大介らから軽い呆れの視線が向けられ、何よとばかりにムッとした目で見てくる優花をどうにか光輝と鷲三が取りなして仕切り直すことに。そして幸利が一度せき払いをすると、自分の考えを話し出した。

 

「……正直な話、この国どころかこの世界を信用なんて出来やしねぇ。理由はこの世界に根付いた宗教だ」

 

 その言葉に誰もが押し黙ってしまう。まだ疑念程度でしかないものの、ハジメ、鈴、そして恵里に対する扱いの事や二人を連行しようとした事もあって誰も聖教教会に対して良いイメージを抱いてはいなかったからだ。

 

「この世界のほとんどの人間……まぁ魔人族ってのもいるらしいが、敵対してるからとりあえずナシだ。ともかく、ほとんどの人間が信仰する以上、教会側の考えは世界の総意になる」

 

 幸利がそう言うと一同の間にざわめきが広がる。無理もないだろう。何せ昔からの友人が世界そのものから疑われるのと大差ないと言われたのだ。誰もがやるせなさや怒り、恐怖に染まっていた。

 

「続けるぞ。こんな世界だから地球にいた時の常識なんざ通用しねぇと思っとけ……それと、雫や龍太郎達がいるとはいえハジメ達は今はあっちの手の中、恵里は未だに行方不明。状況なんざ最悪と言っていいぐらいだ」

 

 誰も言葉は出なかった。それ程までに幸利の言葉が皆に重く、深く響いていたからだ。幸利は髪を何度かガシガシとかくと、更に言葉を紡いでいく。

 

「正直誰かは分かんねぇ。けど多分ハナっから俺達をハメる気で……いや、多分ハメようとしたのは恵里だけだろうな。んで、ハジメと鈴はそれに巻き込まれて、あっちからすれば利用価値があるからした、ってところだろ」

 

「……単に二人を探しに来た、ってことはないか?」

 

 良樹がそうであってほしいと思いながらつぶやくも、幸利はかぶりを振ってそれを否定する。

 

「俺の見立てじゃ違ぇな。おそらく、ここに来た奴らは俺らにハジメ達が行方不明になった事を知らせて不安……違うな。不信感だ。俺らにハジメ達は信用ならない人間だ、って事を印象付けようとしたんだろ。あの口振りからしてそう見えるんだがな」

 

 幸利の推測にまたしても場がざわつく。先程の騎士達の動きの不自然さを言い当ててるようにしか聞こえなかったため、疑う者はほとんどいなかった。強いて言うならあくまで判断材料の一つとしてのみカウントしている鷲三と、下手に入れ込みすぎないよう気をつけている光輝だけがそうしていないぐらいだ。幸利もそれはわかっているため、あえて二人に構うことなく考えを述べていく。

 

「まず間違いなくあの女と教会はグルだ。そしてハジメ達をこうして貶めようとしてることを考えたらアイツらは俺らの敵だよ。少なくとも俺はそう考えた上で動く……俺の、いや皆の親友に手を出す奴だからな。表向き敵対はしないつもりだが、頃合いを見て抜ける。んで裏からアイツらを助けるなり支援するなりやるつもりだ」

 

 最後に『畑山先生には言うなよ。あの人のことだから何やり出すかわかんねぇぞ』と言ったっきり幸利は黙り込んだ。

 

 一人でここを出ることに対する心細さがなかったわけではない。むしろ今そういった感情にも幸利は襲われている。だが、生活基盤が何もない状況で自分がどこまでやれるかを冷静に考えると未知数で、皆をそれに巻き込んだ際に創作物の主人公のように自分達は上手くやれるのかと心配になったのだ。

 

 だからこそ抜けるなら自分一人で、と考えていたのだが香織がおずおずと手を挙げ、『みんなでここを出ようよ』と言い出し、全員が大きく目を見開いた。

 

「カオ、アンタもなのね……」

 

「お、おい香織! 正気かよ!! ここを抜けたら敵前逃亡扱いされてどうなるかわかったもんじゃないんだぞ!! 最悪裏切者としてターゲットに――」

 

「うん。わかってるよ幸利君。でも……でも私、イヤだよ。恵里ちゃんのことだけじゃない。ハジメ君と鈴ちゃんも犯罪者みたいに扱って、それで連れていこうとして……そんなの、イヤだよ。こんなところにいたらきっとみんなぐちゃぐちゃになっちゃう! それに戦争に参加したらもう会えなくなるかもしれないんだよ! だから、だから逃げようよ!!」

 

 涙目になりながら訴えてくる香織に誰も何も言えず、ただ優花ら残った女子達が彼女にそっと寄り添う。光輝も幸利も、大介も、礼一も、信治も、良樹も何も言えなかった。怖かったのだ。こうして流されてしまったら取り返しのつかないことになると香織の言葉で改めて認識してしまったから。どうすればいいのだろうと途方に暮れていた。

 

「……私としても戦争の参加には反対だ。が、それを相手が簡単に了承してくれるとは思わん。私と霧乃の方で抜け道を探しておく。君達はここでしばらくの間戦う術を身に着けなさい。何かあっても()()できるように、な」

 

 そう言ってくれた鷲三に皆は深く頭を下げた。頼れる大人がいてくれたことに誰もが心強く感じ、感謝をこうして形にすると、鷲三も『こういうのは大人の役目だ。私達に任せなさい』とだけ告げた。

 

「……お願いします、鷲三さん。じゃあ皆――全員生きて地球に帰ろう。ハジメも、鈴も、恵里も連れて、絶対に」

 

 そして光輝の言葉に全員がうなずいた。もう一度家族に会うために、皆で笑いあえてた日常を取り戻すためにこの場にいる誰もが決意する。少女の紡いだ絆が今、光を放った――。




悪い方向に転がりました。それもとても悪い方に。けれどもすべてが悪い方に転がるのは稀です。そうですよね?


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二十六話 再誕する心

まずはこうして拙作を読んでくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも67000に上り、お気に入り件数も592件になりました。感想も128件にまで増加し、こうして見るだけでなく送っていただける方々には頭が上がりません。いやホント勢いが全然落ちてないのがありがたい反面ちょっとおっかないです……。

またAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうして毎回毎回評価していただき本当に嬉しいです。

ではようやく恵里のパートに移ります。恵里にメインに焦点が当たってる比率的に幕間っぽいですけど本編扱いです。ええ。では本編をどうぞ。


「結局、空振りに終わってしまったな」

 

「仕方あるまい。ここで下手に他の使徒様までも不機嫌にさせてはな」

 

 自分達にあてがわれた宿舎に戻る途中、城の廊下を歩いていた神殿騎士のアンディがボヤくと、共に任に当たっていた同僚のブラントンがいつものように彼の軽口をたしなめるように返事をした。

 

 二人は元々宴会場の警護を任されていたのだが、巡回をしていた同輩から医務室に行っていたはずの南雲ハジメ、谷口鈴、中村恵里ら三名が見当たらないという話を聞き、そこで一度召集を受け、三人を探すこととなったのである。

 

 アンディ達は使徒の方々や教皇猊下が利用した大広間、使徒が現れた祈りの間の近辺を探していたものの手がかりは特になく。一度戻って判断を仰ごうとすると、慌てて入ってきた伝令から教皇猊下がエヒト様より授かった神託を拝命することとなった。

 

 ――我が遣わせた使徒たる中村恵里に裏切りの兆候があった。その証拠に二人の使徒と協力し、何かを探ろうとしていた。しかし彼の存在の愚行は既に我が使徒が咎め、その後に一度慈悲を与えて解放した。だが、中村恵里と協力した南雲ハジメ、谷口鈴は未だ見つかっていない。敬虔なる我が信徒よ、彼の者らを探せ、と。

 

 こうして神の命に従い、彼ら二名を見つけ、また南雲ハジメら二名が他の神の使徒を陥れる可能性もあるため、彼らも裏切者である可能性を伝えることとなったのである。

 

 そこで疑いのある二名を探す班と他の使徒に彼ら三名の疑いを伝えて回る班に別れることになり、アンディとブラントンを含めた騎士達は他の使徒の部屋に疑いのある三人の事を伝える班に組み込まれた。

 

 そして休んでいる神の使徒に頭を下げつつここに来た理由を説明して回っていく……が、ここで面倒な事が起きた。あてがわれた部屋で休んでいるはずの使徒がいない、というケースが度々あったからである。

 

 やはり南雲ハジメらは中村恵里と結託して魔人族に寝返ろうとしたのだという考えが騎士達の中で強まり、急いで他の使徒へと伝えねばとその場にいた全員が使命感に駆られた。

 

 そうして駆け足で他の使徒の部屋を回ったところ、白崎香織の部屋にて天之河光輝ら十数名と共に件の二人がいたのを彼らは見つけた。それを見て先の疑いはますます強まることとなり、これは何としても連行し、彼らの疑いを伝えねばとアンディ達は息巻いた。ところが当の南雲ハジメの悪知恵により、彼らの目論見は泡と消えてしまう。彼奴の企みにより他の使徒も二名連れていく運びとなってしまったからである。

 

 ついていくるのがただの知人であったならばうまく言いくるめることが出来たかもしれないが、かの二人はその場にいた使徒全てと仲が良かったようで下手なことが出来なかったのである。神殿騎士としては疑いのある二人をどうしても切り離したかったが、教皇或いはエヒト神の命もなしにそのようなことをして他の使徒の方々の機嫌を損ねる訳にもいかず。結局八重樫雫、坂上龍太郎の二名もついてくることになってしまった。

 

 しかもついてきた二人は南雲ハジメ及び谷口鈴から離れようとしなかったのである。容疑者二人はそれぞれ別室にて尋問することとなったものの、ついてきた使徒お二方がそれぞれ裏切者の隣で聴取を受けることになってしまった。

 

 遠くからでも問題は無いでしょうと説得したものの、頑として譲らず。しかもそれすら拒むというのなら神の使徒として強権を振るうことも辞さないとばかりの態度をとったのである。

 

 そのため聴取事態も簡単なものしか出来ず、拷問をしてでも目的を吐かせようとした彼ら神殿騎士達の目論見は潰えてしまったのだ。そして聴取が終わった後、彼ら二人は捜索の任を解かれ、こうして宿舎に戻ることとなったのである。

 

「そうだなブラントン。とはいえ、使徒様がたがあそこまで聞き分けのない子供であったとは思わなかったよ」

 

「不敬だぞアンディ……同意はするがな。まぁこの結果は既にクロードが報告しているし、あやつらに監視がつくのはまず間違いない。エヒト神も見ておられるのだ。流石にエヒト様の手を煩わせる訳にはいかないが、奴らの悪行はいずれ白日の下にさらされる。何としても突き止めねばな」

 

 ブラントンの返答にアンディは頭をかきながらそうだなと答える。神の使徒として遣わされたはずの存在が裏切りを考えているやもしれない。頭の痛くなる事態にアンディはまたしてもため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

『おかえり、恵里。今日は何が――』

 

「もう、やめて」

 

 ――いつかの笑顔で出迎えてくれたはずの笑顔の父が次の瞬間には物言わぬ骸となり果てた。

 

『恵里』

 

『恵里ちゃん』

 

『おーい、恵里ー!』

 

『どうしたのよエリ』

 

「お願い、だから……もう、もう嫌……」

 

 ――倒れ伏した父の下で佇む自分に駆け寄ってきた友達全てが目の前で無数の賽の目に切り落とされ、地面に肉片が着くと同時に爆ぜていく。まき散らされた血でまたしても全身が真っ赤に染まり、世界が赤一色となる。

 

『大丈夫だよ、恵里』

 

『私達がいるよ、恵里』

 

「ダメッ! 来ないで、こっちにこないでぇええ!!」

 

 ――親友であり恋敵の少女が、世界で一番愛しい人が、笑顔で彼女のところへ寄ってくる。逃げても逃げても距離が縮まるだけで彼らから遠ざかることは出来ない。

 

『僕らがいるよ。安心して――』

 

『そうだよ。私と二人でハジ――』

 

 ――そして寄ってきた二人の首が落ち、こちら側にコロコロと転がってきた。その顔はどちらも怨嗟に染まっていた。

 

『どうして僕を裏切ったの?』

 

『うそつき』

 

「やだ……もう、もうやだよぉ……もういやぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁ!!」

 

 もう何度となく繰り返される愛しい人の死。終わることのない悪夢に恵里の心はもう砕け散りそうになっていた――。

 

 

 

 

 

「――目を、覚まさないわね」

 

 トータスに移転した次の日の朝。雫は壁に寄りかかって眠る龍太郎とベッドでうなされている恵里、そしてそんな彼女の手を握ったまま眠りについていたハジメと鈴を見ながらひとりボヤいた。

 

 取り調べを終えた後、聴取をやっていたのとは別の神殿騎士が接触してきて、『探している相手のところへ案内するから来い』と命令口調で言ってきたのが始まりであった。相手の思惑があるとはいえ乗らなければどうなるかもわからず、ハジメと鈴も付き添いで来てくれた龍太郎と雫と一度相談し、承諾する旨を伝えてから恵里の寝かされている医務室へ神殿騎士に連れていかれた。

 

 恵里は神殿騎士数名に囲まれた状態でベッドに横たわっており、苦しそうにうめき声を上げ、涙を流し、時折誰かに詫びるように何度も何度も『ごめんなさい』を繰り返していた。

 

 経緯こそ教えられなかったものの、中々目を覚まさないため尋問も一切出来ないことに業を煮やしたのだろう。それで自分達が呼ばれたのだと気づいたハジメ達は、神殿騎士が恵里の寝ているベッドから距離をとったのを確認すると、すぐに彼女の許へと駆け出していった。

 

 声をかけたり、手を握ったりしたものの、余程ひどい悪夢を見ているのかそれを振りほどくかのように恵里は暴れ出してしまう。しかしハジメと鈴はそれで蹴られたりしても構わずに手を繋ぎ続け、何度も何度も『大丈夫』、『僕らはここにいるよ』と根気強く声をかけていた。

 

 そうして夜が更けていっても声掛けや手を握るのを続けていたハジメと鈴であったが、策謀を巡らせたり、様々なストレスがかかったりしたせいか次第に起きているのもままならなくなってしまう。龍太郎と雫から勧められたのもあって日が昇る前には二人は眠ってしまい、その龍太郎も意識が途切れる寸前に雫から『寝ずの番をするから休んで欲しい』と言われ、悔しさをにじませながらも睡魔に負けてしまった。

 

 一方、雫は八重樫の裏の修行の一環で徹夜での修錬を何度も積んだこともあって、こうして寝ずに恵里達を見守っていた。

 

「お願い、恵里。目を覚ましてよ……ハジメ君に、鈴に、いつもみたいに甘えてよ。そうしてくれなきゃ、調子が狂っちゃうわ……」

 

 こうして寝ずの番を率先してやった雫もまた大丈夫とは言えず、漏れ出るようにして出た言葉はどこか力のない、すがりつくようなものであった。

 

 雫とて自身が心が強い類の人間ではないことは自覚している。辛い時があれば光輝や鈴に頼ったり甘えたりしているのだから。むしろ弱い部類であり、不安に飲まれないよう気をつけなさいと家族にも言われているぐらいであった。

 

 こうして寝ないでいるのも不安で仕方なかったからだ。同門の浩介や母の霧乃の気配は感じ取れるものの、どちらも部屋の中で姿を隠したまま。二人の存在がバレてしまうとこれからの行動に支障が出てしまう。だからこそ恵里の身に何かあったら自分しか動けない。その責任が、不安があったが故に寝たくても寝れない。だから言い訳としてこの役目を自ら買って出ていた。

 

「……ぅ、ぁ…………?」

 

「――ッ! 恵里、起きたのね!?」

 

 だがその苦労はようやく報われたようであった。何度か身じろぎした後、うっすらとではあったが恵里がようやく目を開けたのである。

 

 自分が声を上げると同時に、一時間程前に交代した見張りの神殿騎士もそれに反応して恵里の方を凝視してきたがそんなことは雫には関係なかった。すぐさま恵里と手を繋いだまま寝ていたハジメと鈴を揺さぶり、二人に声をかける。

 

「起きて二人とも! 恵里が、恵里が目を覚ましたわ!!」

 

「……ぁ、えり、が……?――ありがとう雫さん! 起きた、起きたんだね!?」

 

「ぅ、ん……ぇりが、おきた――! ありがとう雫! 恵里、やっと目を覚まし――」

 

 良かった。これで恵里も安心できる。長いこと起きていて張っていた緊張の糸を緩め、歓喜に沸く二人を見ながら自分も眠ろうと雫は考えていた。そう、思っていた。

 

「……ぁ――ッ!? こないでぇええ!!」

 

 ――恵里が二人の手を打ち払うまでは。

 

 彼女と長い付き合いであった雫からすれば全く意味の分からない光景であった。どう考えても有り得ない事態に一瞬頭がフリーズしてしまうも、ベッドの上で後ずさりをしてその場から逃げ出そうと――否、部屋の窓に向かう恵里を見てすぐに雫は動いた。このままでは恵里は自殺をする。さっき見た恵里の瞳から見えた“怯え”が雫にそう確信させた。

 

「ごめんなさい、恵里っ――!」

 

「ぁぐっ!」

 

 縮地を用いて恵里との距離を詰め、母と浩介が動くよりも先に雫はすぐに彼女を抑え込んだ。後でハジメと鈴に思いっきり叱られようと思いながら、二人に指示を飛ばす。

 

「お願いハジメ君、鈴! 恵里の手足を縛るためにベッドのシーツを持ってきて! このままじゃ恵里が飛び降り自殺しかねないわ!!」

 

「そ、そんな――わかった! 待ってて!!」

 

「お願い雫! 鈴達が来るまで恵里をどうにかしてて!」

 

「やだ、やだぁあぁぁあぁあぁ!! はなして、はなしてよぉ!」

 

 駄々をこねて拘束から逃げ出そうとする恵里をどうにか押さえつける。やはり妙だ。あの恵里が、ハジメと鈴に誰よりも執着を見せる彼女が()()()()()()()()()()()()()()()。そのことに気づいた雫は、連れ去られた後に恵里の身に何かあったのだと確信した。浩介ですら倒せるか断言できなかったあの銀髪の女を無数に従えている存在に何かをされたのだと。

 

「くっ、自害する気か!」

 

「エヒト様からかけていただいた慈悲を不意にするとは恥知らずが――!」

 

「――誰が恥知らずだ、って?」

 

 見張りをしていた神殿騎士もすぐに取り押さえようとするも、先程の騒ぎで目を覚ました龍太郎が立ちはだかった。何が起きたかはまだちゃんと把握してはいない。しかし、恵里の声色からして確実に何かがあったと考え、雫達がどうにかしようとしているのを把握した。だからこそ不退転の意思を燃やし、ここから先は絶対に行かせないとばかりに神殿騎士達をにらむ。

 

「どいて下さい使徒様! あやつには裏切りの疑いが――」

 

「そう言われて素直にはいそうですか、って誰がうなずくかよ。俺達の親友に手荒な真似をさせてたまるかってんだ」

 

 恵里への疑い、敵意をむき出しにしている相手だからこそ退く訳にはいかない。今この場で暴れ出すことも辞さない覚悟で龍太郎は対峙していた。

 

 一方、神殿騎士の方も使徒との関係悪化を避けたいがためにそれ以上は強く出れず、この場で歯噛みする他なかった。ましてや“勇者”と近しい使徒であったことを考えれば、自分達の動きを彼に報告するだろう。これ以上の印象の悪化はどうしても避けたく、『道理の分からない子供でさえなければ』と心の中で思うしか出来なかった。

 

「ごめんなさい恵里。流石に親友が、幼馴染が自殺しようとしてるのを黙って見てるなんて出来ないのよ!」

 

「おねがい、おねがい雫! ぼくを、ぼくをはなしてぇ!!」

 

 泣きじゃくりながら抵抗する恵里の姿に心が締め付けられるも、雫はハジメから受け取ったシーツで両手足とついでに親指もガッチリと拘束していく。いくらなんでもここまでやれば自殺は無理だろうと思いながらキツく巻き上げ、一度大きく息を吐くとハジメと鈴の方を向いた。雫から視線を受け取った二人は力強くうなずいて返し、『後は任せて』とだけ伝えて雫の方へと向かって来た。

 

「ありがとう龍太郎君、雫さん。後は僕達がやるから」

 

「ここまでやってもらったんだから、後は鈴達の仕事だね。任せて」

 

「お願いね――かんしゃくを起こしたお姫様を、ちゃんと覚まさせてあげなさい」 

 

 昔光輝が必死になって自分を止めた時のことを思い出しながら雫はハジメ達と場所を入れ替わっていく。今にして思えば恥ずかしく、でも何よりも素敵で鮮やかな思い出を。きっと親友ならやってくれると信じながら雫は静観に徹することにした。

 

「やだ……こないで、こないでよ……ハジメくん、すず…………」

 

 全身を震わせ、イヤイヤと首を横に振る恵里にハジメも鈴も向かっていく。手足が縛られていてもなおどうにか動こうとする恵里を二人は抱きしめて逃がさない。だがそれでも身をよじって逃げようとする恵里を見て二人はある事を確信した。

 

「おねがい……やめて……ふたりが、ふたりが……」

 

「大丈夫だよ、恵里」

 

 エヒトに何かをされた。それも恵里共々自分達を弄ぶためだけに。ハジメの心にまた底なしの怒りが沸きかけたが、それを振り払って恵里を見つめる。今最も傷ついているのは恵里だから。何よりも恵里の心を救いたい。傷ついた心を癒したい。ただその一心で。目を覚まさせてくれた香織には頭が上がらないなと思いながらハジメは恵里をじっと見据える。

 

「わかってるよ。でも、鈴を、ハジメくんを信用してよ。くだらない嫌がらせだけで簡単にやられちゃうなんて、恵里は思うの?」

 

 鈴の心が軋んだ。今の自分にはこうして声をかけることしか出来ないことが、親友を助けられる力がない事が。悔しくて辛くて泣きたくて仕方がない。だけれども一番辛いのは恵里なのだからと涙をこらえてただ恵里を抱きしめる。少しでも恵里の心に届くと信じて。

 

「もう、もうぼくはしぬ……死ぬ、しか……」

 

「恵里」

 

 絶望に暮れ、もう何も出来なくなった恵里にハジメはキスをする。

 

「んむぅ!? むぅ、んん……」

 

 頬に手を添え、舌を入れて。

 

「はむっ……れろっ……んぅ……」

 

 もう今は何も考えなくていい、もう絶望なんてしなくていいという思いを込めて。

 

「ぴちゃ……ちゅっ……もっと……」

 

「んぅ……ちゅ……うん……」

 

 突然のことに恵里は何も考えられなくなった。そして段々と何も考えたくなくなった。

 

 ハジメ達に危険が及ぶかもしれない。死んでしまうかもしれない。そんな考えも舌から伝わる熱で蕩けて消えていく。ただ欲しい、もっと欲しいとばかりにキスを貪り、ハジメからの愛を貪欲にねだり続ける。ハジメもまたそんな愛しい人に幾度も幾度も愛を伝えていく。嘆きも悲しみも憂いも全て塗り潰そうと何度も何度も。

 

「は、破廉恥な奴めっ!!」

 

 神殿騎士達も突然のことに面食らい、小っ恥ずかしくなって固まってしまう。人前でよくもまぁ堂々と出来るな、と思うものの結局止めた方がいいのかどうかわからず、ただただ二の足を踏むばかりであった。

 

「え、えっと……わ、私の時もそう、だったけど……」

 

「こ、これ……いやマジでなんなんだよ…………」

 

 龍太郎と雫も場違いもいいところの奇行に走ったハジメとそれを受け入れている恵里を見てお互い顔を真っ赤にしたり、お互い顔を合わせたりするばかり。

 

 どこからかあらまぁ、と妙齢の女性の声がしたり、『いや何やってんだよハジメも恵里も!? こんなとこで何ラブロマンスやってんだ!?』とトータスに来て殊更影が薄くなった少年の声が響いたりもした。

 

 一方鈴は少し物欲しそうに見ていたものの、自分が惚れた男の子の行動をただ見守っていた……後で自分もいっぱいやってもらおう、と目の前の二人同様場違いなことを考えながら。

 

 そんな周囲の物音が一切耳に届いていない二人はただただお互いの口の中をねぶり続けていた。ハジメを、鈴を、皆を巻き込まないためにも自分が死ななければならないと思い込んでいた恵里の頭にはもうそんなことは浮かんでいない。ただハジメがくれる愛に押し流され、ハジメもまた恵里を止めようとしていた事も忘れてただただ愛を重ねる。

 

 永劫にも思える甘く焦がれるような時はハジメが唇を離すと共に終わり、恵里はお互いの唇からかかる銀の橋と共に名残惜しそうに見つめるだけであった。

 

「……大丈夫だよ、恵里。僕は死んでないし操られてだっていない」

 

「……ふぇ?」

 

 突然話し出したハジメに恵里は一瞬間の抜けた顔を晒してしまう。それがなんだかおかしくて吹き出しながらもハジメは話を続ける。

 

「恵里がいきなり僕と鈴の事を嫌うなんてあり得ないし、無意味に僕と鈴の手を払わないだろうから……きっと遠ざけたかったんだよね、僕達を。その方が安全だ、ってわかってたから」

 

 全てお見通しであった。目の前の男の子は全てをわかった上で必死になって自分を止めようとしてくれたのだと恵里は気づいた。

 

「で、でも、ボクの頭、いじられてて、それでハジメくんが、鈴が、みんなの命が――」

 

 それでようやく自分がどうしてハジメ達を拒んでいたかを思い出し、理由を伝えようとするもその先の言葉をずっとそばにいてくれた親友に唇をつままれて言えなくなってしまう。うーうー言いながら恨めしく鈴の方を見るも、鈴はムッとした表情で自分を見つめ返すだけであった。

 

「ダメだよ。いくら親友だからってそこから先は言わせないから」

 

「そうだね。鈴の言う通りだよ。それに――もし本当に“アイツ”が今、僕らをどうこうするんだったらもうとっくになってる。そうでしょ?」

 

 鈴に続いて問いかけてきたハジメの言葉に恵里は思わずハッとした。確かにエヒトは“然るべき時が来たら”と言っていた。そしてあの金髪の少女を手に入れるためのキーマンであるハジメのことを考えれば、いきなり殺す可能性はあまり高くはない。もしハジメ抜きで探そうとするのならば今この場で始末をしてもおかしくはないのだ。つまりそうなっていないということが示す可能性は一つしかない。

 

「……ボク、まだ大丈夫なの?」

 

「……おそらく期限付き、だろうけどね。でも()はまだ恵里が僕らに危害を加えることはないはず。僕に利用価値を見出してるなら尚更、ね」

 

 まだ余裕があるだけでいつか破局は訪れる。なら、と身をよじって離れようとした時、ハジメは恵里を強く抱きしめて逃がさなかった。

 

「ダメだよ……結局、ボクが重荷になるんじゃ――」

 

「言ったよね恵里? 絶対に治す、って。この先どうなるかわからないからって僕から離れるなんて許さないから」

 

 真剣な眼差しでハジメは訴えてくる。この程度で自分の愛は揺るがない。だから信じて欲しい、と。

 

「そうだよ恵里。鈴とハジメくんをたぶらかした責任、まだとってもらってないよ。逃がしなんてしないから」

 

 言い方こそ冗談めかしているものの、鈴もまた恵里をキッと見据えながら右肩に手を置く。その目に恐れはなく、強い光が宿っている。

 

「……ハジメ君がふしだらになったのって、やっぱり恵里のせいだったのね。まぁ、それはいいわ。恵里、こういう時にどうして私達を頼ってくれないの? 私だって幼馴染でしょ? 親友の一人でしょ?」

 

 雫も少しだけ怒って、けれども心配そうに恵里を見つめている。ところどころ出てきた不穏な単語のことを考えながらも、それに向き合っていた彼女のことを想いながら。それに立ち向かおうとしている恩人であり親友達のことを見ながら。

 

「そうだぞ、ったく……ハジメや鈴と比べたら頼れないかもしれねぇけどよ。わかってるけどよ。でも俺らだっているだろうが。頼まれたら誰だってほっときなんてしねぇぞ」

 

 そして龍太郎も苛立ちをぶつけてきた。苦しい状況にいても自分達を頼ってくれない幼馴染と、力が及ばない自分への怒りを、悔しさを。それが彼なりの心配だということは今の恵里にはわかった。

 

 また一瞬視線と気配を感じた方に目を向ければ、微笑む霧乃とやれやれといった具合の浩介がこちらを見ていた。

 

「ひとりじゃないよ。恵里」

 

 耳元でハジメの温かな声が聞こえる。

 

「もうハジメくんと鈴だけじゃないよ」

 

 鈴の力強い言葉が伝わってくる。

 

「ハジメ君と鈴から色々と聞いたわ。これからは私達も巻き込んでもらうわよ。逃がさないんだから」

 

 雫の言葉が胸に響いてくる。

 

「ごちゃごちゃ言ってねぇで俺らを頼れ。もし反対する奴がいるんだったらブン殴ってやる。誰が相手でもな」

 

 龍太郎の言葉でどこか心が軽くなる。

 

 いつか自分が皆を襲うかもしれなくなっても、それでもなお手を差し伸べてくれる。恵里の瞳から温かなものがあふれてきた。

 

「最初は打算とか悪だくみだったとしても――恵里が動いてくれた、いてくれたおかげで僕らは救われたんだ。だから、今度は僕らが恵里を助ける番だ」

 

 そう言ってくれたハジメに恵里は涙を流しながら何度も何度もうん、うん、とうなずく。

 

 涙がまた止まらなくなってしまった。心の中に巣食った恐怖は既にどこかへと消えていた。砕けてしまったはずの恵里の心が、意志が、今新生する。

 

(――そうだよ。こっちにはもういるじゃないか)

 

 天職が“勇者”である光輝が、その彼と自分を打ち破った雫が、龍太郎が、鈴がいる。それに香織も、優花も、奈々、妙子、浩介に幸利、大介、礼一、信治、良樹(四馬鹿)もいる。そして何より――。

 

「ハジメ、くん……」

 

 神を打ち破る力を手にする、この世で最も愛しい人が目の前にいる。彼の名をつぶやけば微笑みながらうなずき返してくれる。恐れることなんて最初からなかったんだ、と恵里はようやく思い至った。

 

「うん。僕が、僕らがいるから――」

 

 二人はもう一度キスをする。エヒトを必ず倒すという決意を、もう絶望に屈しないという思いを、何があってもお互いを信じるという誓いを込めた口づけを。あの日常に戻るための願いを込めたキスを。長く。長く。これがお互いへの愛に変わるまで、変わってもずっと――。

 

 

 

 

 

 道中騎士達にずっと監視されながらも、予定であった座学を終えてあてがわれた部屋に恵里は戻る。トータスに来てから二日目の夕方を恵里はどうにか無事に迎えることが出来た。

 

 後でハジメから聞いたのだが、トータスに来た日の夜に自分とハジメ、そして鈴が裏切者である可能性がクラスメイト全員と畑山先生に吹聴されたらしい。それもあの自分達を監視していた騎士達こと神殿騎士によって、である。

 

 そのせいで永山グループの奴らとの対立は決定的になり、座学の最中であっても親の仇を見るかのような目で自分達を見ていた。まぁそんな目でみられたところでかつて対峙した魔物よりもヤワなものでしかなかったため、恵里からすれば痛くも痒くもなかったが。

 

 またそれを聞いた先生は『自分の生徒達がそんなことをするはずがない』と昨晩大いに荒れたという話を神殿騎士から盗み聞きしている。今朝も神殿騎士には厳しい目を向けていたらしく、また自分達と永山グループをどうにか和解させようと奔走していることも聞いた。

 

 尤も、前から自分と鈴が好きでいるだけでハジメを敵視していたような奴らが和解に応じるとは恵里は思っていなかったし、実際効果は出ていなかった。

 

 ただ、今の恵里からすればそんなことは正直些末事でしかなかった。ふらふらとした足取りでベッドまで行くと、そのまま倒れ込んで顔に枕を押し付ける。朝からずっと、座学の時もずっと、あることが頭から離れなかったからである。

 

「あ~もう……ホントにとんでもないことしてくれたよハジメくんめぇ…………」

 

 それは今朝の出来事であった。ああして自分を正気に戻し、何度も何度も愛してくれたのはいい。()()()()なら最高の時間といっても過言ではなかったからだ。問題はそれが衆人環視の中、行われたことである。

 

 自分達を監視していた騎士の一人が執拗にせき払いを続けたことでようやく自分達が何をしていたのかに気づき、ハジメ共々全身を真っ赤にしたのは記憶に新しい。思い出した今もなお、恥ずかし過ぎて恵里は死にそうになっていた。

 

「~~~~~~~~~~~っ!!!……うぅ、本当に恥ずかしい……」

 

 先程からハジメとの行為の一部始終、彼の言ったことが幾度も幾度もリフレインしては足をバタつかせ、枕に顔を押し付けている。それを懲りずに何度もやっていた恵里であったが、一度ため息を吐くと仰向けになった。その意識は天井でなく、その遥か先にいる仇敵に向かっていた。

 

(今はまだ“然るべき時”じゃない……やってくれたじゃんかエヒトの奴め)

 

 抵抗すら敵わず、いいようにされたことへの絶望や恐怖はもう恵里の瞳には宿っていない。そこにあったのは敵意、復讐心、そして未来を掴まんとする意思であった。

 

(負けるもんか、絶対に)

 

 自分を弄んだエヒトを倒し、ハジメと鈴、そして両親と友達とその家族――みんなと心から笑いあえる日々を手にするために。そのための意思が今の恵里には宿っている。

 

(こうなることすら想定内でも構うもんか。お前は絶対に倒してやる。どんな手段を使ったってね)

 

 成すべき事はあまりにも遠く、険しい。だがそれでも恵里はそれを諦めてなどいない。

 

 偽神を討つ意志を、改めて恵里は灯していた――。




本日も懺悔のコーナー
頑張りました。マジで頑張りました……いやー、その、本当は前回と今回で一つの話だったんですよ。でもね、起承転結の『起』の部分だけで一話になるとは思わなかったんです……なぜこんなことになってしまったんだ(AAry

あ、あとキスシーンでもし運営からお叱り受けたらそこら辺を簡略化するつもりです。R15とR18の境目ってどこなんでしょうね……。


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二十七話 変化と隔たり

まずは投稿が遅くなったことをお詫びいたします。すいません。古戦場とかドラえもんコラボとかドクターとしての業務とかが複雑に絡み合ったせいです(自業自得)

それでは前置きはここまでにして、拙作を読んでくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUA69520、お気に入り件数も603件、しおり230件、感想も136件(2021/12/19 21:44現在)にまでなりました。誠にありがとうございます……やっぱ相変わらず伸びがエグくて怖っ。

なんか今回15000字近くと歴代最長になりました。あと今回ちょっとギスってます。上記に注意して本編をどうぞ。


 ――それは永山重吾が異世界トータスに来て二度目の朝を迎えた時の話であった。

 

「なぁ重吾、昨日の話なんだけど」

 

「……決心は、変わらないのか?」

 

 今日も自分専属のメイドに起こされて身支度を手伝ってもらった永山は今、親友の野村健太郎と共に食堂へと向かっていた。

 

 メイドにお世話してもらうという経験も流石に二日目となれば少しばかりは慣れ、今は昨日ほどテンションが上がってはいない。

 

 ……初日に体験した時は、地球ではまずない経験だったのもあって内心テンションがダダ上がりであったが。それを隠そうとはしていたものの、食堂に案内するために来てくれた神殿騎士が彼を一目見てどこか微笑ましいものを見るような目つきに変わった事を永山は今でも覚えている。すぐにでも記憶から消し去りたい黒歴史であった。

 

 閑話休題。

 

 今日も野村とは食堂へ向かう途中で合流し、会うなりある事を切り出してきた――昨日の朝話し合った、戦争に参加するか否かについてである。それはトータスに来た初日にイシュタルから頼まれただけでなく、その日の晩に起きたことも関わっていた。南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴の三人が裏切った可能性があると神殿騎士から伝えられたことである。

 

 その話を聞いた時は永山も驚きを隠せなかった。トータスに移転する前から敵視していたとはいえ、まさかいきなりこんな行動をとるとは思いもしなかったのである。だからなのか聞いた直後は呆然としていたものの、すぐに冷静さを取り戻すことが出来た。また、それがあまりに突拍子もない話であり、まだ断定された訳では無かったため、永山はそれをすぐには信じなかった。とりあえず様子見をしようと考えたのである。

 

「ああ。やっぱり南雲も中村も谷口も信用なんて出来ない。クラスにいた頃からそうだっただろ? 特に南雲のヤツは人の話を聞かなかったしな。重吾、やっぱり俺達も戦う方法ぐらいは学んどくべきなんじゃないか? アイツらが本当に裏切ったんならいつ襲われないとも限らないからな」

 

 隣にいる野村もそのウワサを聞いており、自分にその話を伝えに来た神殿騎士のように本気にしている様子である。とはいえ彼がその話を持ち出した時は、永山は自身の考えを明かすようなことはしていなかったが。今もなおそのウワサを信じ切っている彼に対して何か言う気はない。あの三人を信用出来ないのは永山も同じであったからだ。

 

 確かにあの三人は宴会の途中で体調不良を理由に抜けたという話は彼も聞いており、宴会が終わってもあの三人の姿を見ることはなかったことからつじつまは合っていると思っていた。

 

 とはいえそれはあくまで三人が宴会場にいなかったという理由であって、神殿騎士が伝えに来た話が本当である証拠はないのだ。証言以外のものが無かったのもあってその情報を信じたという訳ではない……が、あくまでそれだけである。親友である健太郎の言葉に待ったをかける気すら永山には無かった。

 

「何が学園三大女神だよ……白崎も八重樫もあんな奴らの味方してて、しかも中村は裏切り者だぞ。とんだろくでなしの集まりじゃないか」

 

 怒りと苛立ちを露にしている親友に永山は何も言わなかった。自分達を食堂に案内するために先導してくれた神殿騎士も微妙な表情をしており、心配そうに自分達を見つめている。ウワサを信じ込んでしまった親友をたしなめようという気は永山にはなく、むしろそのウワサが本当であった場合のことを改めて考えていた。

 

 ――もし彼ら三人が本当に裏切り者で、自分達に襲い掛かってきたら?

 

 魔法などという力が身近にあるこの世界でそのようなことになってしまったら、自衛の手段を持たなければどうなるかわかったものではない。

 

 学校にいた時から態度を改めたり、慎みのない行動を止めるよう言っても聞き届けようとしなかったあの三人である。()()()きっと何を言っても聞き入れることはないだろう。あの勝手気ままにやる三人が自分達の言葉に大人しく従うはずがないと永山は改めて思った。

 

 むしろ元の世界に帰る方法がエヒトの言葉に従う以外に無いにもかかわらず、現地の人間に怪しまれるような真似をあの三人はした。故に永山は彼らを一層嫌悪し、信用しない。下手に庇おうものなら自分達にまで疑いが及ぶからこそ、切り捨てるべきだと考える。

 

 それは彼ら三人と親しくしていた天之河光輝を筆頭としたグループの人間もだ。こんな行動をとるまで野放しにしていた以上、彼らにも問題がある。そしてそれは天之河のグループ以外のクラスメイトの皆も自分達と同様であり、誰もが彼らの事は信用していないのを昨日の朝食の席で聞いた。

 

(悪いが南雲、中村、谷口……聞く耳を持たなかったお前たちを信用することはやはり出来ない。それに家に帰るためにもこれが最善なんだ……邪魔をするなら、クラスメイトだろうが三大女神だろうが容赦はしない)

 

 永山は決断する。自分を頼りにしてくれる親友のために、クラスメイト全員で家に帰るためにもここで立ち上がるべきだと。

 

「健太郎、他の皆……辻、吉野、相川、仁村、玉井に改めて声をかけてくれ。戦う意思があるかどうかをもう一度聞いて欲しい」

 

 昨日の朝食の席で相川、仁村、玉井は戦争参加の意を唱えていたが、辻と吉野は何とも言えない具合であった。それに考えが一日で変わってしまった可能性もある。それを自分の一声で捻じ曲げてしまうのを避けたかった永山は、各人の意志の確認を野村に頼み込んだ。

 

「――! わかった、じゃあ朝食の席で話そう。それなら皆いるはずだ」

 

「おお! 決断して下さったのですね使徒様がた!」

 

 野村だけでなく神殿騎士にまで礼を述べられ、永山は少しだけ罪悪感を感じた。戦いの悲惨さを学校で学んでいながらも巻き込んだ親友に、そして戦う理由がこの世界のためでないことに。あくまで自分達が元の世界に戻るために戦うのだから。そのために親友の、クラスメイトの手が血に塗れさせることを自分の独断で決めてしまったことへの罪の意識を。

 

 普段の彼であれば人殺しに手を染める事にためらいはあっただろう。だがあるものがその判断を鈍らせた。それはトータスに来た初日にイシュタルの話を聞いたことや、宴会で貴族から自分達の窮状を訴えられたことや昨日の座学で魔人族の行いを聞いて同情したからというだけではない。トータスに来てから力が滾り、しかもそれが未だに衰えることなかったからである。

 

 また、二度目を覚ましても自室の布団の中ではなかった事もあって、少しずつ強くなっていく郷愁も彼の判断を狂わせてしまった。これが現実であるのならば与えられた目的に従うべきだ、と考えてしまった。そして自分の手足のように使えると確信している新たな力がこの手にある――故に永山は思ってしまった。この力があるならどうにかなる。一刻も早く家に帰るためにもエヒトとやらの願いを叶えるべきではないか、と。

 

 永山は降って湧いた力にただ酔ってた訳ではない。昨日のイシュタルの話を思い返した際、ここでもし戦争参加に反対したらどうなるかも考えたからだ。こうして今いた場所とは違う環境で、しかも自宅にも帰れないとなると下手に反対したらどうなるかわからなかったからだ。寝床の確保は? 食事の用意は? そのためにどうやって金を稼ぐのか? 神の使いと崇められている自分達が戦争に参加すれば、そうないがしろにはしないだろうと考えた上での決断である。

 

 もし辻達が参加しないと言っても、自分達でどうにかすればいいと考えながら永山は歩く。

 

「ああ。任せて欲しい……与えられた使命を全うしてみせる」

 

(止めてくれた愛子先生には悪いが……俺達は魔人族に勝利して家に帰る。それ以外の方法が浮かばない。だから折れてもらう)

 

 そうして覚悟を決めつつ永山らは食堂へと向かっていく。一刻も早く家に帰るためにも、あの疎ましい奴らが何かしでかしてきた時に身を守るためにも戦う術は身に着ける必要がある。昨日の座学で魔法や地理などは軽く学んだが、柔道部に籍を置く自分ならば組み合っての戦闘だろうと考えながら。

 

「ええ。それがこの世界の、そして俺達のためになるんですから。当然ですよ。な?」

 

 親友の言葉に永山は深くうなずく。結局のところそれ以外の方法は自分達にはない。ならば手にした力で叶えるまで、と前を見据えながら永山は考えていた。

 

「そうだな……家に帰るためにも、それしかないだろう。頼りにしてるぞ……」

 

 そう言って永山は野村と目を合わせてお互いうなずいた。たとえ自分達を頼りにしてくれた五人が戦いに参加してくれなくとも、隣にコイツがいるなら大丈夫だと口角を上げながら二人は進んでいく。

 

 ――そうして駒がまた一つ、盤面に並んだ。

 

 

 

 

 

「……朝ごはんぐらい好きにしたいんだけどね」

 

 近くに座っていた恵里とハジメはその鈴のボヤきに深くうなずく。自分達三人は昨日から食事の時も、座学の時も、光輝達とも永山らとも離れた場所でする羽目になっていた。しかも何人もの神殿騎士の視線付きで、である。

 

 幸い浩介達が耳打ちしてくれたおかげで、トータスに来た日の晩に光輝達が何を話し合ったかを聞くことは出来たものの、今後の方針を立てるための綿密な話し合いをするのは現状不可能だ。それこそ神の使徒として強権を振るえばどうとでもなるのだろうが、それは間違いなく自分達の立場を悪化させる。そのため浩介を通じて無用な接触は控えようとハジメが伝えたのである。

 

 そしてそれは恵里達も同様であり、ほとんど会話らしい会話をしていなかった。隠語やらハンドサインやらで計画を練っていると疑われるのを避けるためである。そのため三人とも食事の席でありながらも少しイライラしていた。

 

(飯を不味そうに食ってる、って顔して……一体誰のせいだと思ってるのやら)

 

 自分達が何かやった際のお目付け役として挟むように座っている神殿騎士達からそのように見られていることに腹を立てながらも恵里は出されたものを口に含む。味自体は決して悪くないのだが状況が状況のため、楽しむ気は一切ない。前世? で似たような経験をしていて助かったと思いながら食事をとっとと終わらせようと不躾にならない程度に早く食べ進めていく。

 

「――じゃあ辻も吉野もそれでいいんだな?」

 

「うん。戦うのは怖いけど、だからって何もしてないのは辛いから……」

 

「正直頼れるのが永山君達しかいないからね……お願い」

 

 ――それも盗み聞きを兼ねながら。昨日の朝食の時も聞いていたのだが、その時は勝手に流されたウワサのことやどうするかを単に尋ねていた様子であった。が、今日ここで聞いているのは戦争に参加するかどうかの最後の意思確認だろう。この場で聞いているのはあてつけの類だろうかと思いながら恵里は最後の一口を咀嚼していた。

 

 恵里を中心として繋がったグループ以外でトータスに召喚されたのはたまたま教室にいた畑山先生を含めて全部で八人。先述した畑山先生を除けば永山重吾、野村健太郎、辻綾子、吉野真央、相川昇、仁村明人、玉井淳史の七人である。

 

 その話し合いをしていた彼らの元にパタパタと畑山先生が走っていく。大方戦争への参加を止めるためなのだろうと考えながらも、止める気も無いし止めることも一応は出来ないため、お手並み拝見とばかりに恵里はそれを眺めていた。

 

「ダメですよ永山君! 野村君も、辻さんも、吉野さんも、相川君も、仁村君も、玉井君も! 簡単に参加を決定して、取り返しのつかないことになったらどうするつもりなんですか!?」

 

「……悪いが俺達の意志は固い。一晩考えるよう伝えた上で皆は参加を決めたんだ」

 

「ああ、そうだよ。俺達はちゃんと考えたんだ――()()でもないのに首を突っ込まないでよ、愛ちゃん」

 

「そうだ。それに、もし参加しなかった場合はどうするんだよ? 飯は? 寝床は? 金だってこの世界のものを持ってないんだぞ」

 

「そ、それは……私がどうにかします!」

 

「ねぇ愛ちゃん、じゃあどうやるの? 私達仕事なんてわかんないし、愛ちゃんもどうやってお金を稼ぐか決めてるの?」

 

「え、えっと……うぅ…………」

 

 野村達にあっさり論破されて涙目になる畑山先生を見て恵里は鼻で笑った。ほれ見ろ言わんこっちゃない、と。いつものようにロクに考えもせずに突っ込んでいったのだろう。だからああなると思いながら恵里はコップの水を煽る。そうして畑山先生が必死になって言い訳を考えている間にも永山達は再度話をし、そして永山が席を立つと光輝達に声をかけてきた。

 

「俺達は戦争に参加する――天之河、お前らはどうするんだ……?」

 

「……本気なのか?」

 

 光輝の問いに永山はただ黙ってうなずく。その目つきから敵意や侮蔑が見てとれる辺り『自分達は違う』とでも言いたいのだろうか。だとしたら結構な事だ、と色めき立つ神殿騎士共々うっとうしく思いながらも恵里は光輝の出方をうかがう。

 

「……俺達も全員参加する。龍太郎や雫、香織や幸利、それに檜山達とも話し合ってちゃんと決めたんだ。それと、ハジメと恵里、鈴もそのつもりだと聞いた」

 

 自分達の参加の意志は雫と龍太郎を介して伝えており、それを聞いた永山達はほんの一瞬だけ自分達に向けてきた。敵意たっぷりのものを、である。尤も、恵里からすればまだまだぬるい代物でしかなかったが。

 

「そんな……ダメですよ~! 天之河君達も考え直して――」

 

「そうか……ならアイツらの手綱をちゃんと握れ。寝首を掻かれたら困るからな」

 

 必死になって止めようとしている畑山先生も無視して光輝と永山は互いに見合って火花を散らせる。

 

 永山の瞳には自分達への敵意や猜疑心しか映っておらず、自分達も敵と見なしているのだろう。流されたウワサがここまで尾を引くかと思いながらも、自分としても厄介ごとの種は早めに対処したいからこうなるのも仕方ないと恵里は考える。あくまで理解出来るだけで共感する訳では無いが。

 

「……そこまで恵里達が信用出来ないのか」

 

「……学校にいた時から協調性の無かった奴が、あんなウワサを立ててもまだ庇う気なのか?」

 

「んだとオイ永山――!」

 

「落ち着けって大介! ここで言い争いなんてしなくっていい!!」

 

「幸利の言う通りだ! アイツらのことなんて構うな!」

 

 そう永山が言い放つと同時にあちらのグループの人間もそうだそうだとまくし立ててくる。ケンカっ早い大介達が口論に応じようとするも、幸利と龍太郎に止められ、落ち着くようなだめすかしているのが見える。

 

「違う! 違うの永山君! それは――」

 

「何が違うんだ……? わざわざこの世界の人間に誤解されるような真似をして、アイツらのせいで俺達は信用を失うかもしれなかったんだぞ? そうなったらここを追い出されていたかもしれない……違うか?」

 

「それ、は……」

 

 そして香織も必死に自分達を庇い立てようとするも、永山の言葉に何も言えなくなってしまった。確かにここで『全部エヒトが悪い。あとエヒトを信仰しているコイツらも信用ならない』と言ってしまったらどうなるかわかったものじゃないからだ。ここでひとまず香織が黙ってくれた事にホッとしつつも、自分達のために動いてくれた親友に恵里は心の中で少しだけ感謝する。

 

 こうして一触即発もいいところの状況になってしまい、さてどうしたものかと恵里達は静観し続けていると、ふと視界の端に見覚えのある人物が現れた。イシュタルである。

 

「イシュタルさんか。実は天之河が――」

 

「すいませんイシュタルさん、ちょっと永山達と揉めて――」

 

「あ、あの、イシュタルさん! ど、どうかクラスメイトの子達を止めて――」

 

「落ち着いて下され勇者様がた――我らの話を聞いていただきたい」

 

 ふと軽くぞわりとする視線を自分達にも向けられ、声をかけた光輝、永山、畑山先生も止まってしまう。老人とは思えぬ眼光の強さ、少し低めで威圧感のある声を放って一発でいさかいを止めてしまう。なるほど教会のトップに立つのは伊達じゃないかと恵里は思いながらもイシュタルの動きを見ることにした。

 

「神殿騎士の者から話は聞きました。我らのために決心して下さり感謝いたします。して、畑山愛子殿。貴方はどうされるおつもりですかな」

 

「わ、私は、その……」

 

 礼と共に一度頭を垂れ、そして頭を上げた際にイシュタルは畑山先生に問いかけた。言葉もトーンも穏やかではあったものの、どうしてお前は参加しないのだと言外になじっているように恵里は感じる。言われた畑山先生もどうすれば、とオロオロした様子で周囲を見ている。大方戦争に参加するリスクや自分達クラスメイトのこと、そして()()()()()()()際のリスクを考えて迷っているのだろう。心配や苛立ちのこもった声で“愛ちゃん”呼びされていた畑山先生であったが、十秒ほどの沈黙を経てようやく自身の答えを口にした。

 

「わ、わかりました……わ、私も参加します。ですが、ですがどうか生徒たちをすぐに連れていくのは――」

 

「ありがとうございます畑山愛子殿。みなまで言わずともわかっております」

 

 そしてにこやかな笑みを向けるイシュタルを見て恵里は心の中でまた舌打ちをした。

 

 こうして参加するのは確定事項とはいえ、あちらに完全にペースを握られている。これではどこまで計画通りに動けるかわかったものではない。どうしたものかと苛立ちながらも恵里はイシュタルの言葉を待つ。

 

「こうして皆様がたが魔人族との戦いに身を投じる覚悟を決めてくださったことに改めて感謝いたします。しかし、天之河殿が先日仰ったように皆様は戦のない世界から来られたと――ですので、本日の座学の時間を削って、皆様に何が出来るかを確認しようではありませんか」

 

 イシュタルがそう言うと程なくして新たな人影が現れた。いち兵士とも違う、どこか見覚えのある人物が教皇の近くまで歩いてい来ると、よく通る声が食堂に響いた。

 

「私はハイリヒ王国にて騎士団長を務めているメルド・ロギンスだ。こうして戦いに参加してくれたことにまず礼を言いたい。感謝する。それと、お前たちはこれから俺の後をついて来てもらいたい」

 

 自己紹介で『ああ、そういえばこんなのいたな』と思いながら恵里は永山グループや光輝達の後に続いてメルドの後をついていく。相変わらず自分達を監視している神殿騎士の視線は冷たかった。

 

 

 

 

 

 昨日座学に利用した部屋でなく、訓練施設の方へと通されると、恵里達は先にそこで待っていた兵士から十二センチ×七センチ位の銀色のプレートが渡される。不思議そうに配られたプレートを見る生徒達に混じって、『そういえばこれって何だったっけ』と思いながら恵里もプレートを眺めていると、メルドのせき払いが聞こえた。

 

 あえて気配を絶っていた浩介、鷲三、霧乃以外にそのプレートを配り終えたらしく、メルドが配ったものについて直々に説明を始めた。

 

「よし、全員に配り終わったな? このプレートは、ステータスプレートと呼ばれている。文字通り、自分の客観的なステータスを数値化して示してくれるものだ。最も信頼のある身分証明書でもある。これがあれば迷子になっても平気だからな、失くすなよ?」

 

 話す感じは重々しく、話をする際に自分とハジメ、鈴に視線が向けられているのに恵里は気づく。永山達に伝わっているぐらいなんだからお偉いさんも知ってて当然か、と自分達を警戒している様子のメルドに特に何も思わずに恵里は話の続きを待った。

 

「プレートの一面に魔法陣が刻まれているだろう。そこに、一緒に渡した針で指に傷を作って魔法陣に血を一滴垂らしてくれ。それで所持者が登録される。 “ステータスオープン”と言えば表に自分のステータスが表示されるはずだ。それと原理に関してはすまないが不明だ。神代のアーティファクトは皆そういう物だと思ってくれ」

 

「あの、すいません。アーティファクト、っていうのは何でしょうか?」

 

 そしてメルドの説明で出てきた“アーティファクト”という単語に反応した光輝が質問すると、メルドもうなずいてそれに答えた。

 

「アーティファクトというのは現代では再現できない強力な魔法の道具のことだ。まだ神やその眷属(けんぞく)達が地上にいた神代に創られたと言われている。そのステータスプレートもその一つでな、複製するアーティファクトと一緒に、昔からこの世界に普及しているものとしては唯一のアーティファクトだ。普通は、アーティファクトと言えば国宝になるもんなんだが、これは一般市民にも流通している。身分証に便利だからな」

 

 その説明を聞いて光輝もうなずき返すのを恵里は見た。ハジメと接していることもあって、彼がファンタジー小説を雫と一緒に読むこともそう珍しくはない。だからこそこんな質問をしなくてもよかっただろうにと思っていたのだが、彼の表情からして自分の中の“アーティファクト”という単語とこの世界のそれがどう違うのかが気になったのだろう。

 

 どこぞのアイツとは違って随分慎重だなと思いながら、恵里は指先を渡された針で刺し、そうして出てきた血を魔法陣にこすりつける。

 

(結果はまぁわかってるけど、ちゃんとリアクションはとらないとね。流石に驚かなかったら怪しまれ――へ?)

 

 そしてステータスプレートに表示されたものを見て恵里は思わず固まってしまう。そこには――。

 

===============================

 

中村恵里 16歳 女 レベル:1

 

天職:闇術師

 

筋力:20

 

体力:30

 

耐性:10

 

敏捷:20

 

魔力:80

 

魔耐:80

 

技能:闇属性適性・闇属性耐性・言語理解・気配感知[+特定感知]

 

===============================

 

「……あれ、恵里? 恵里? どうしたの?」

 

「うん、どうした? まさか表示されなかったのか?」

 

 本来なら天職は“降霊術師”のはずなのに表示されているのは別のもの。天職のところをこすったり、何度叩いても表示は変わらない。不審に思ったハジメやそばにいた神殿騎士から声をかけられても恵里はそれに気づけない。段々と顔が青ざめていくばかりであった。

 

 なんで、どうして、と必死に理由を探して記憶を漁っていると、恵里はあることに気づいてしまった。

 

(もし、かして……ボクがお父さんを助けたから? だから、天職が変わった……?)

 

 納得できる理由を探しても“死”に関連した理由でそれっぽいのがこれしかない。

 

 またしても自分のせいで計画が大いに狂った可能性が出てしまい、ダラダラと脂汗が流れ、全身が脱力しかかってしまう。とはいえここで倒れるのもまたいけないと思いながら足に必死に力を入れる。

 

「ねぇ恵里、どうかしたの? そのプレート壊れてたの? そ、それとも、もしかして……」

 

「全員見れたか? 説明するぞ? まず、最初に“レベル”があるだろう? それは各ステータスの上昇と共に――」

 

 計算が狂った。計画が狂った。どうしようどうしようとパニックを起こしてしまった恵里はメルドの説明も鈴の声もロクに入って来やしない。むしろ更に悪い可能性が頭の中に浮かび、もうそれどころじゃなくなってしまう。

 

「――ではないかと考えられている。それと一部を除いてお前たちには国の宝物庫から装備を選んでもらうぞ。エヒト神から遣わされた使徒を簡単に死なせる訳にはいかないからな」

 

「ちょ、ちょっと恵里。何があったの? そのプレート見せて。ねぇ見せて」

 

「ねぇ恵里、ちょっとそれ見せて。お願い、鈴のも見せるから。ね? ね?」

 

「おい貴様ら、何をやろうとしている。こいつのプレートは私が確認する――うん? ちゃんと機能しているぞ?」

 

 心底心配した様子のハジメと鈴にも、自分のステータスプレートをこっそり覗いた神殿騎士にも気づけないまま、恵里はドツボにはまりかけていた。

 

(も、もしかして……ボク以外にも天職が変わった奴が――マズいマズい! もしハジメくんの天職がものづくりに特化したものじゃなかったら計画が完全にパァだ!! え、えっと、ハジメくんは……)

 

 計画の要がこの時点で崩壊している可能性に思い至った恵里はすぐにハジメの方に視線を向けると、ハジメは神殿騎士と何かを話している様子であった。そして露骨にガッカリした様子の神殿騎士に苦笑いを浮かべ、適当なところで話を切り上げてこちらの方を向いてくれた。余裕のある笑みを浮かべ、落ち着き払っている様子からして問題はなさそうであり、それに安堵した恵里は思いっきりため息を吐いた。

 

 一方ハジメは恵里の様子を見て察した。下手したらとん挫している可能性があるということを。すぐにその顔は曇ってしまい、とにかく何度も恵里に頭を下げた。

 

(ご、ごめんねハジメくん!……と、とりあえずハジメくんは大丈夫だったし、後で謝らないと。えっと、他には、他には――)

 

「後は……各ステータスは見たままだ。大体レベル1の平均は10くらいだな。まぁ、お前達ならその数倍から数十倍は高い……おい。中村、だったか? 一体どうした? 何を探している?」

 

 そしてメルドの説明と問いかけを無視して恵里は周囲を見渡す。するとかなり心配そうな顔をした鈴がこちらを見ていたことにようやく気づいた。そしてその表情からして自分と同じ問題を抱えているであろうことに恵里も気づく。またしても体が震えだす。

 

 前世? の鈴の天職は“結界師”である。一緒に行動していた頃は大抵の攻撃をいなすバリアを張り、自分と戦った時はそのバリアを爆発させて自分を追い詰めていた。それを思いっきりアテにしていたというのに、どうやらそれも外れたらしい。また恵里の顔から血の気が引いていった。

 

「まったく、何があった? プレートの故障か?」

 

「えっ!? あ、いやー、その、ちょっと不具合があるみたいで……交換してもらえますか?」

 

「いえ、メルド殿。正常に機能している様子ですが」

 

 いつの間にやら自分のそばに寄っていたメルドに大いに驚き、見せてみろと言わんばかりに手を差し出されたため、恵里はおずおずとプレートを手渡す。手に取ったプレートを見たメルドは首を傾げながらそれを見るも、一体何が不満なのかと言わんばかりの表情でこちらを見つめてくる。

 

「闇術師か。相手の精神や意識に作用する系統の魔法のエキスパートだな。それがどうした?……まぁ、交換してほしいのなら構わんが。イヴァン、予備を持ってきてくれ」

 

 そしてメルドの部下のイヴァンからステータスプレートと針を受け取り、再度やってみても結果は変わらず。ごめんなさい、と頭を下げるもメルドは『あまり手間を取らせないでくれ』と短く答えるだけであった。

 

(あーもう……“縛魂”は使えるかもしれないけど、倒した使徒を操って戦力増強するのはとん挫かな。何とも言えないや)

 

 メルドの言葉を聞いた感じだとやはり“降霊術師”よりもやれることが制限されるようである。生きている人間相手ならば“縛魂”は効くかもしれないが、残留思念に干渉する技能がないため、前に一度トータス会議で提案した“殺した使徒を使って数の暴力に対応しよう”という作戦は無理であった。ちなみに滅茶苦茶不評だったし却下されていたが。それでも恵里としてはこっそりやるつもりであったため、結局不可能になったことに落胆している。

 

「いや、谷口。治癒師は立派な天職だと思うぞ。薬も使わずに戦場で傷を癒す力を持っている人間は間違いなく貴重なんだが……」

 

「で、でも! 故障したかもしれないですし、それにわ、私、けっ――べ、別の方が良かったかなー、って……」

 

 今度は鈴のカミングアウトを聞いてしまい、思わず天を仰ぎたくなった。鈴、お前もかと心底頭が痛くなる心地であったが、ここでふとあることを恵里は思い出す――前世? の香織のことだ。

 

(あれ? そういえば香織も治癒師じゃなかったっけ……それで確か結界も張ってた……あ、むしろいい方に転んだかも)

 

 バリア一辺倒でなく、回復も出来るようになった。そう考えればお得ではないのか、と恵里はその変化をプラスに受け止めた。どうして鈴の場合は変わってしまったのか、恵里は心当たりが全然なかったものの、とりあえずいいかと考え直す……それはそれとして、口を滑らせかけた鈴は後でスネを蹴っ飛ばすと決意した。

 

 その後メルドが説明を再開するも、話の腰を折ったせいで永山グループににらまれるもののそれは気にならなかった。むしろ光輝達が心配そうに見つめてきた方がよっぽど辛かった。軽く罪悪感に苛まれながらも恵里はメルドの説明を聞き、そして全員の天職を確認する流れとなる。

 

 そこで光輝の天職がやはり“勇者”であったことにホッとしたり、雫の天職が“暗殺者”になってて軽く荒れるものの、『まぁこっちの雫の家って忍者の家系だし』と考えて気を取り直したりした。そして遂にハジメの番が来た。

 

 渡されたハジメのステータスプレートを見た途端、これまで戦闘系の天職ばかりで少し浮かれていた様子のメルドの表情が固まってしまう。見間違いか何かとばかりにプレートをコツコツ叩いたり、光にかざしたりする。そして、ジッと凝視した後、もの凄く微妙そうな表情でプレートをハジメに返した。

 

「ああ、その、なんだ。錬成師というのは、まぁ、言ってみれば鍛治職のことだ。鍛冶するときに便利だとか……」

 

 そして歯切れ悪くハジメの天職についてメルドは説明する。ハジメとしてもトータス会議で恵里からそういった天職だというのは聞いているし推測していたのもあり、また先ほど神殿騎士からメルドと同じような説明を受けていたためそこまでショックは受けていない様子ではある。とはいえちょっとしょんぼりした様子ではあるが。後で鈴と一緒に慰めようと恵里は決意した。

 

 メルドからステータスプレートを返してもらい、元居た場所に戻っていくハジメを永山グループの奴らの多くが憐れみや侮り、呆れた様子で見ていた。自分達が敵視していた奴が取るに足らない相手でしかなく、そういった感情があふれたのだろう。

 

「……南雲、お前はどうする気だ?」

 

 ……ただ一人、リーダーである永山を除いて。

 

「なんのことかな永山君」

 

「とぼけるなよ。もし仮にお前が裏切る気なら俺達の使う武具を滅茶苦茶にすることが出来る。それに鍛冶師にでも頭を下げて弟子入りして、そこで手にした技術を魔人族に流すことも出来る……」

 

「――っ!」

 

 永山だけは正しくハジメの脅威を理解していた。ただし、自分達は兵器の製造や移動手段の開発などの方であり、永山はハジメの技能の悪用の仕方といった違いがあったが。

 

 それを聞いた途端、他の永山をリーダーとして集った生徒がハジメに疑念と嫌悪の眼差しを向けてきた。よくもまぁやってくれると思いながら恵里も彼らに軽く敵意をぶつける。

 

「あ、あの、皆さん! け、ケンカはやめてくださーい! 南雲君や中村さん達が疑われるような行動をとったのは悪いですが――」

 

「……ウワサはウワサ。そうでしょ? 僕が裏切る、っていつ言ったの?」

 

「それは聞いていない……が、お前が中村を裏切る様は想像できなくてな。中村が裏切るならば谷口も巻き込むことが想像出来ただけだ」

 

 慌てて畑山先生が止めに入り、ハジメは冷静に返すものの、永山は屁ともせず問い直してきた。よくもまぁハジメを疑ってくれるものだ、と恵里は殺意が沸きかけたが、ここで下手にそれをむき出しにしたら本気で裏切ろうとしていると捉えられかねない。そのため歯がゆい思いをしながらも永山をにらむしかない。するとハジメの前に苛立った様子の大介が立った。

 

「おう永山、俺らの恩人に向かって言いたい放題言ってくれるじゃねーか。ふざけんじゃねぇぞ」

 

「だな。テメーらにとっちゃ憎くて仕方ねぇんだろうけどよ、俺らにとっちゃ大事なダチなんだよ――わかったら失せろ」

 

 すると良樹も続いてハジメの盾になるように前に立ちはだかり、信治、礼一も同様に敵意の籠った視線の盾となるべくハジメを囲むように立った。

 

「お、落ち着いてください檜山君! 近藤君も、斎藤君も、中野君も、どうか抑えて!」

 

「出来るわけねーだろ! なぁ愛ちゃん、アンタは友達をここまで馬鹿にされて頭に来ないのかよ!!」

 

「だ、大介君! ぼ、僕はいいから! ここは僕が我慢すれば――」

 

「俺らが我慢できねぇんだよ! ハジメ、お前だって中村のことをコケにされて悔しくねぇのかよ!!」

 

 急ぎ畑山先生とハジメが四人をとりなそうとするものの、自分達のために色々やってくれたハジメを虚仮にされたことが我慢出来なかった。そしてそれは大介達四人だけでなく――。

 

「そうだな。檜山の言う通りだ。俺達としてもハジメと恵里を何度も何度も馬鹿にされて許していられない」

 

「ちょ、ちょっと光輝君!」

 

 光輝だけでなく雫や龍太郎、香織に幸利と他の面々も立ちはだかった。恵里も矢面に立ちたかったものの、下手に動いて教会からの印象を更に悪くする訳にもいかない。だからあえて止めず、皆に任せることにした。

 

「お前ら! ここはいがみ合ってる場合じゃ――」

 

「すいませんメルドさん。これは俺達の問題なんです――いいか。皆だって友達が偏見でイジメられたら辛いだろ! なのにどうして人の嫌がることをやるんだ!!」

 

「だったらどうして中村の奴があんなウワサが立つようなことをやったんだよ! 俺達も疑われてもおかしくなかったんだぞ!」

 

「ハジメ達にも事情があった、って思わないのか! 俺達はクラスメイトじゃないのかよ!」

 

「なによ! 南雲達なんて学校にいた頃から信用なかったのに!! 女の敵をどう信用しろって言うのよ!」

 

「幼馴染の子と一緒にいるだけでもダメなの!? ハジメ君はみんなの想像しているような人じゃ――」

 

「二人の態度を見たらどう考えたって二股じゃねぇか!! その時点で信用なんてゼロだろうが! そんな奴をどうしたら庇えるんだよ!」

 

 メルドの制止も聞かず、言い合いが始まってしまう。第三者から見れば確かに褒められた行動ではなかったにせよ、ハジメのことが大切な光輝達は全力で庇いたてる。一方、永山達は一般的な倫理観などを盾に容赦なくハジメを、彼を容認してきた光輝達を口撃する。

 

「お、落ち着いてみんなー!」

 

「いい加減お前達とは理解しあえないと思っていた……! 何をやったらあんな奴をそこまで庇えるんだ?」

 

「ケンカをやめてくださーい! クラスメイト同士でケンカなんてダメでーす!」

 

「俺と雫を助けてくれた恩人だからだよ! 恩人で、幼馴染で、大切な親友の味方になって何が悪いんだ!!」

 

「嘘を言うなよ! どうせ適当な事を言ってお前達を助けた気でいるだけの――」

 

「――いい加減にせんか!!!」

 

 うろたえながらもどうにか止めようとハジメと畑山先生が声をかけるも、ヒートアップしてしまったクラスメイトの熱は納まらず、今にも一触即発の状況を破ったのはメルドの怒号であった。

 

 今にも殺さんとばかりににらんでくる偉丈夫の視線にクラスメイトの多くが怯え、息をのむ。中には腰を抜かした者もおり、恵里以外は誰もが気勢をそがれて何も出来なくなっていた。

 

「中村、南雲、谷口の三人は俺も疑っている。あの日の行動は結局どういったものかはわからないままだからな。この国の防衛を担う騎士団長として、三人を野放しには出来ん。だがな――」

 

 凄まじい形相でにらまれてしまい、武術を修めている光輝や雫、浩介に永山もメルドに反論も肯定も出来なくなる。鷲三、霧乃も息を少し荒くして身構え、恵里はメルドの放つ気迫に耐えてはいられるものの、下手なことを言いだしたら首が文字通り飛ぶような錯覚を受け、何も出来ずにいた。

 

「お前らは仲間ではないのか!! 少なくとも同じ故郷の人間だろう! こうして魔人族との戦争に参加の意思を示したのならば、どういった腹の内であれ協力し合うのが筋だろうが!!」

 

 大気を震わせるほどの一喝に畑山先生や辻などの女子は思わず涙を流し出してしまう。誰もが国の要に圧倒され、言われるままとなっていた。

 

「その様子だと背中を預けあうことすら満足に出来んだろうな――ならわかった」

 

 一瞬怒気が引っ込んだことでようやく収まったかと玉井らや大介達がホッとしたのもつかの間――怨敵を前にしたかのような顔でメルドは叫ぶ。

 

「お前らがどんなクズであれ、俺はお前達を戦場に送るために鍛える義務がある――今すぐ走れ。俺がいいと言うまで走れぇ!!」

 

 有無を言わせぬ凄まじい剣幕に誰も逆らうことは出来ず、一目散に走り出していった。思ったよりコイツヤバかったと思いながら恵里も走ろうとするも、その前にメルドがその肩を掴んできた。

 

「さて、中村。南雲と谷口もいるな?――お前らが不用意な行動を積み重ねたせいでこのような結果が起きた。理由はわかるな?」

 

「アッハイ」

 

「使徒の間で仲をこじらせる原因を作ったお前らは俺が直々に鍛えてやる――二度と変な気も起こさない様にしてやるからな?」

 

 とんでもない鬼教官に目をつけられた、と思いながら恵里もハジメも鈴も自分達の過去の行いを後悔した。みんな仲良くが一番だよね、と思いながらも恵里達はメルドの指導の下、容赦なく走らされる……数日の間、三人の悲鳴は止まらず、そして誰も止めることが出来なかった。




メルドニキガチギレ。流石にこの時点でこんな状況じゃあ豪放磊落な彼でもブチギレると思うんです(本日の言い訳その1)

Q.どうして恵里と鈴の天職が変わったの?
A.あくまで作者の持論ですが、ありふれ世界は各人の神代魔法の素質にバラつきがあると思っています。またそれを引き出すのはこれまでの行動なども関係しているのではないかと思うのです。恵里の降霊術しかり、幸利の闇魔法による魔物の使役しかり。
それを根拠に考えると
本家の恵里:父の死を切欠に人生が狂い、自分の願いを叶えてくれる人(光輝)を欲した→降霊術師となり、また独力で魂魄魔法の領域までたどり着いて光輝を洗脳。
こちらの恵里:父の死を回避。ただし前世? を引きずっているため心にそれなりに闇が残っている→ちょっとスペックダウンした闇術師に。

本家の鈴:自分の気持ちを覆い隠し続け、ムードメーカーとしてふるまい続けた→ある種の拒絶やペルソナが結界師として顕現した。
こちらの鈴:自分の気持ちを打ち明け、また雫を助けた→本家と比べて心理的な仮面がないため結界師としての適性ダウン、また雫の傷を癒したことで傷を癒す方向に適性アップ。結果治癒師に。

とまぁこういった理屈です。香織が治癒師になったのも心がボロボロになった雫を助けたのがちょっとは影響してるかなーと思ってたり、でも時に干渉出来るレベルにまで到達するから結局当人の資質なのかなーと思ってもいたり。
……メタ的に言うと鈴はこっちの方がちょっと都合がいいというかなーという面もあります(クソ作者)


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二十八話 苦労/苦悩の対価

読者の皆様、あけましておめでとうございます。本年も『あまりありふれていない役者で世界逆行』をよろしくお願いいたします。

それでは拙作を読んでくださる皆様への感謝を。おかげさまでUAは71720、お気に入り件数も607件、しおりも233件、そして感想数も145件に上りました。ありがとうございます……遂にUA70000の域まで来たんですね。なんというか、こう、感無量です。

それと遅くなりましたが黒天龍黒夜叉さん、Aitoyukiさん、拙作を評価してくださり誠にありがとうございます。こうして評価していただけることが自分の励みになります。

今回もなんだかんだギスってます。それに注意して本編をどうぞ。


「踏み込みが甘い! その程度ではごろつきすら倒せんぞ!」

 

「ぐっ!?……は、はいっ!」

 

「狙いが甘いぞ! 前面に敵しかいないならともかく、味方に誤射したらどう責任を取る気だ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 恵里達がトータスに来て早五日。朝食を済ませたクラスメイト達は今日も訓練施設で汗を流していた。

 

 既に走り込みを終わらせていた彼らは前衛組と後衛組に分かれ、前衛組は騎士達との組稽古、後衛組は騎士団の中でも腕利きの魔法使い達と共に的に向かって得意な属性の魔法をひたすら当てる練習を行っている。

 

 神から遣わされた貴き存在であるはずの彼らは今日も怒声を浴び、更に前衛の子達は騎士団員に転ばされて土まみれになりながらも訓練を行っていた。それを遠巻きに神殿騎士がクラスメイト達を見守っているが、団員達ににらまれてそれ以上は出来ずに見守るだけ。また団員達も彼らが死なない程度の手加減しかしていなかった。

 

 以前、土埃にまみれ、疲労困憊になって部屋に戻っていく彼らを見ていたたまれなくなった神殿騎士がメルドに口を挟んだのだが『あんな醜態を晒すような奴らをこのまま外に出したら国、いやエヒト様の威光に泥を塗ることになるぞ』と言われたり、『もし練度が不足していたせいで死んだらどうする気だ? エヒト様にどう詫びる?』と脅されたりしたせいで何も言えなくなっている。

 

 もちろんその不遜な物言いは教皇の耳にも届いたものの、神託が降りてこないのとその言い分自体は一応筋が通っているため反論が出来ず、結局メルドに一任することになってしまっている。教会側からすればひどく歯がゆい状況であった。

 

 ――クラスメイトが恵里達のことで仲間割れをし、それにメルドが激昂したあの日のこと。メルド本人から許しをもらうまで必死になって走った彼らが休憩する中、メルドは一人一人にあることを尋ねていた。魔人族との戦争に関する認識の確認である。

 

 もちろん全員がそれを『何人もの人を自分の手で殺すおぞましいこと』だという認識はしていたが、この世界に来た時に得た力のせいかそれを軽く見ていた者たちがいた。四馬鹿どもと永山グループの野村、玉井、仁村、相川、の計八人である。先述した彼らは『この力があれば誰であっても絶対に勝てるはず』という思い込みをしていた様子であったのだ。

 

 仮に彼らのステータスが騎士団員のそれをたやすく凌駕するのであればそこまでメルド達もうるさく言うことはなかっただろうが、彼らの中で一番ステータスの平均値が高い光輝でさえもオール100でしかない。いくら光輝のレベルが1であろうと、今の彼では今のメルドのステータスにも戦闘の経験でも敵いはしないのだ。当然他は言わずもがなである。

 

 そのため今の彼らは数を頼りの攻撃であっさりと倒される可能性がある。しかも彼らが参加を表明したのはその数でぶつかりあう戦争であった。万全に仕上がった状態で送られるとは限らないし、また仲間割れする可能性は十分ある。教会の思惑を考えれば出来る限り錬度を上げてから送り出すとはメルドも考えているのだが、くだらない理由で死んでもらっては困るのである。

 

 神から遣わされた彼らを犬死にさせないためにもその(おご)りを崩す必要があると考えたメルドは、その日の最後に全員と一対多、一対一、多対多の組み手をしてボロボロに負かし、現実を教え込んだのである。それもクラスメイト全員に戦い方をみっちりと教え、かつ彼らの得意土俵で、である。そしてトドメにこう告げたのだ。

 

 ――いくらお前らがエヒト様から遣わされた存在で、それに相応しい力があるとはいっても状況次第ではこのように簡単に負ける。信頼している仲間に背中を預けても死ぬときは死ぬ。仲間内でいがみ合っていれば猶更だ。それと、『止め』の声がかかるまで武器を突きつけられていたからその後は想像がつくよな?……いいか、()()はもっと惨いぞ。死にたくないなら全力でついてこい。

 

 とってもありがたーい言葉で全員が色々とわからさせられた結果、誰もがこうして必死になって鍛錬に取り組んでいる。誰だって死ぬのは怖いのだ。

 

「どうした坊主! もう息が上がっているぞ! 中村も谷口も、お前らももっとペースを上げろ! 怠ける気ならもう五周追加だ!」

 

「「「は、はいぃ!!」」」

 

 こうしてクラスメイトのほとんどが騎士団員から鍛錬をつけてもらっている中、恵里、ハジメ、鈴の三人は鬼教官と化したメルドにいつものようにシゴかれていた。

 

 そこでハジメが一般人程度のステータスしかないことと彼含む三人が警戒対象であることを鑑みたせいか、恵里達の鍛錬の大半は体力をつけるための走り込みであった。それも実戦時に使う装備をした上でハジメのみ手足を、恵里と鈴は背中にも重りをつけて、である。

 

「お、重り、外さないと……手が、足が……」

 

「ゼェ、ハァ……キツ……」

 

「あ、相変わらずしんどいよ……」

 

 そうして他のクラスメイトから遅れること数十分、並走していたメルドからやめの声がかかったことで、三人もようやく走り込みを終えることが出来た。ハジメは手足の二キロずつの重りを外し、恵里と鈴は手足に三キロ、背中の十キロの重りを地面に置いて息を荒くしていた。

 

「お前ら、息が整ったら次の訓練に移るぞ。今道具も用意するからな」

 

 一方メルドは容赦なかった。三人のステータスプレートを確認していたのと、どれだけの負荷でどの程度疲れるかがわかっているため、その後の訓練に支障が出ないギリギリの範囲を見極めて走らせていたからだ。

 

 すぐに団員に目配せをして恵里達が使う武具を持ってこさせ、次の訓練のための準備に取り掛かる。程なくしてメルドに立ち上がるよう伝えられると、恵里達はまだ疲労が残る中武具を構え、各々の訓練に移る。

 

 ――ステータスプレートで自分達のステータスや天職を確認したあの日、メルドに散々走らされた後でクラスメイト達は魔法の適性を調べることになった。やれることの確認の一環である。

 

 そこで恵里は闇系以外では炎、鈴は光、炎、風系の魔法に適性があったものの、ハジメに関してはそれがからっきしであった。“錬成”そのものと技能の“気配感知”と派生技能の“特定感知”を利用したちょっとしたレーダー以外の事が出来ないのである。しかも“特定感知”はハジメだけでなく恵里と鈴、そして光輝、雫、龍太郎、香織も持っており、“気配感知”であれば所持していないのは四馬鹿と永山グループの子、そして畑山先生だけであった。

 

 ちなみにそれら技能について『浩介と接する機会がどれだけ長かったか』と『影の薄い頃の浩介と接していたか』が関係しているのではないかと恵里は推測しており、影がちょっと薄い辺りから友達になった優花や奈々、妙子は“特定感知”をやはり持っていない。また、先述した二つの技能は所持者が多く、またステータスも一般人並みというのもあってハジメの価値は低く見られている。

 

 閑話休題。

 

 ハジメに適性が無いことが判明し、頭を抱えることになったメルドはとりあえずその日は拾った小石を渡し、魔力がなくなるまで錬成を使って形を変えることを彼に命じた。そして恵里と鈴はそれぞれ詠唱の際の文言を教えてもらい、恵里は炎系魔法による的当て、鈴は光系防御魔法で障壁を張ってひたすら攻撃に耐えることを命じられた。

 

 そうして他のクラスメイトから遅れること数十分、精も根も尽き果てるまでメルドからシゴかれた三人が『さっきも言った通り、俺が直々に鍛えてやる。戦場に出るまで、な』とトドメを刺され、口から魂が出そうになったのは記憶に新しい。

 

「狙いはいい。もっと威力を出す方にイメージしていけ!」

 

「はいっ! ここに焼撃を望む――“火球”」

 

「穴をあけるスピードをもう少し早めろ。深さはそれからでいい!」

 

「は、はいっ!――“錬成”!」

 

「どうしたどうした! 障壁の張り方にムラがある! 均一に、かつ堅牢に張れ! 仲間が死んでもいいのか!!」

 

「はいぃぃぃぃ!!」

 

 そして現在、恵里は“火球”を用いての的当て、ハジメは錬成を使って地面に穴あけ、そして鈴は団員が全方位から投げてきた石をを光系防御魔法の“光絶”により防いでいた。

 

 恵里は前世? で魔法を使っていた経験もあってここ数日のシゴきで勘を取り戻せてきていた。やろうと思えば中級の“螺炎”も撃てるだろうが、魔力がまだそこまで成長していない分一、二発であっさり底を尽きそうになるのと、団員や神殿騎士に怪しまれるためまだ初球の“火球”の方を磨いている。ちなみに詠唱のイメージはほぼ完璧であるため、バレない程度にあえて威力を絞ったり、火の温度や速度を調整するなどして色々と練習している。

 

 ハジメの方は今は小石ではなく地面に錬成を使って穴を作っている。その理由はメルドのシゴきが始まった翌日、訓練が始まる前に『鋼の○金術師』の主人公みたいに地面から槍を作ったり出来ないかと考えたことであった。

 

 自分の戦闘能力が他と比べてはるかに低いのは理解しており、また恵里のおかげで“錬成”がものづくりに適した能力であることはわかっていたものの、こうして監視されている以上は武器の製造なんてとても出来やしない。設計図でも引こうものなら『反旗を翻そうとした証拠だ』と騒がれるのは目に見えていたし、最悪それの価値に気づいて没収されてそっくりそのまま転用される。そこで考えたのが『地面の錬成』であった。

 

 自分の意思をメルドに伝え、『一般人程度の魔力で出来るのか?』と呆れられながらも許可をもらったハジメは実際にやってみたが結果は半分失敗といったところであった。

 

 地面そのものに錬成をすることは出来た……が、いかんせんメルドが忠告した通り、魔力が足らなさ過ぎてちょっとした窪みを作るのが精一杯だったのである。

 

 とはいえ適当な石を探す手間が省け、また穴が出来るスピードや深さを指標にして評価がしやすいこともあり、それ以降はこの訓練に切り替えている。

 

 最後に鈴は団員達が投げてくる小石を必死になって“光絶”で防いでいる。小石といえど日々有事に向けて訓練をして体を鍛えている人間が投げる代物である。コントロールはともかくとして当たれば軽くあざが出来る程の威力であるため、そんなもんが頭や目に当たったらシャレにならない。しかもこのシゴきを始めたその日にくるぶしの辺りや背後の結界の張り方が雑だったために破られ、何度も痛い目を見ている。

 

 その傷は訓練の一環として自分の治癒魔法で治したのだが、あんな目に遭うのは嫌だとばかりに必死になっており、元々の素質と段々とコントロールの精度が上がっている団員達のシゴきもあって、鈴の結界の張り方は同じ天職の香織や辻より一段と上手くなっていっている。

 

「よしやめ! 中村と谷口は回復薬を服用したら次は戦闘の訓練だ! 坊主、お前と中村は武具を構えろ! そして谷口は二人の回復のみに専念だ!」

 

「「「は……はいっ!」」」

 

 そしてかけられたメルドの号令に恵里達は今にも膝をつきそうなところを耐え、恵里は鈴と一緒に魔力回復薬を、ハジメは訓練前に水飲み場から汲んできた水の入った水筒を煽る。そうして一息吐くと、すぐさまハジメは()()()()()()()()()()()()()()を構え、恵里と鈴はハジメの後ろで杖を構える。

 

「では行くぞ――簡単にくたばるなよ」

 

 声と同時にメルドはハジメに迫る。一般人程度のスペックに合わせた速度、上段からの一閃をハジメは持っていた盾で受け止めるも、思わずたたらを踏んでしまう。

 

「そらしが甘い! この程度では戦場で容易く死ぬぞ!」

 

「ぐっ――はいっ!」

 

「返事の良さだけで戦場は生き残れんぞ!――フンっ!」

 

 続くメルドが横凪ぎの一撃を叩き込まんとしてそれになんとしても耐えようと構えるものの、それを受け流せなかったハジメは横に吹っ飛んでいく――今ハジメが腰に佩いている西洋風の細身の剣でなく、背負っていた盾を使わせているのもメルドなりの彼の生存率を高めるためであった。

 

 全員の天職が判明した後、“作農師”というレアな天職であった畑山先生は訓練を除外されて現在各地を回っているのだが、ハジメはそのまま訓練を受けることになった。そのことにメルドも疑念を抱いたし、ハジメ達もあちらの思惑を感じ取ったのだが、これも国王陛下からの命令である。そのため従う他なかったのだが、そこでメルドは『何かあった時の自衛のため』にこうして盾を使い、彼が生き延びれるように訓練をしているのである。

 

「うぐっ! ま、まず――」

 

「この一撃ぐらいかわしてみせろ!!」

 

 戦う力のない錬成師であるハジメが危機に陥る時はまず間違いなく前線が崩壊している時であり、それを想定したメルドはこうしてハジメにひたすら攻撃を捌く訓練をつけさせている。とはいえ流石に彼本来のステータスで挑んでしまえば対応すら出来ずに潰れるのが関の山。そのためかなりの加減をしながらハジメの相手をしていた。

 

「惑いはここに 進む者よ 己を信じ 誤りたまえ “乱感”」

 

 恵里の詠唱した闇系下級魔法“乱感”により軽く距離感をズラされたメルドの一撃は空振り、吹き飛ばされて倒れていたハジメはすぐさま起き上がって盾を構える。

 

「天の息吹、満ち満ちて、聖浄と癒しをもたらさん――“天恵”」

 

 すかさず唱えられた鈴の下級治癒魔法“天恵”により傷が癒え、体の疲れが抜けていく。盾のグリップを握る力が戻り、袈裟懸けに振るわれた一撃をどうにかいなそうとする力が戻る。そしてハジメは不慣れながらもひたすら攻撃を捌き続け、その都度恵里や鈴のアシストを得ながらメルドの攻撃を受け続けている。これが今の彼らのやっているもう一つの訓練であった。

 

 恵里の闇魔法を鍛えるためにハジメのアシストを、鈴も治癒魔法を鍛える一番手っ取り早い手段として傷のついたハジメを治そうと今は必死になってやっている。

 

 実際に戦いに出るのが一番ではあるのだろうがまだ訓練を始めて三日目である。魔物を相手にするのでさえまだまだ荷が重いと考えたメルドの采配によりこうして恵里達はヒイヒイ言いながら訓練をしていたのである。

 

 そうして三人の精も根も尽きたところでメルドから『やめ』の号令がかかった。今日も既に他のクラスメイト達はおらず、自分達だけが訓練施設に取り残されている。恵里達は団員にアーティファクトや武具類を返すと、彼らに向かって『ありがとうございました』と礼を述べた。

 

 ……三人とも使徒にいいようにされた経験もあって一刻も早く強くなりたいとは思っているものの、あまりの容赦のなさに内心辟易していたが。

 

「では昼食をとった後、ここに集合だ」

 

 厳めしい様子のメルドに告げられ、恵里達は神殿騎士に監視されながら食堂へと向かっていく。また食事を戻さないといいな、と思いながらも三人は足を引きずるように歩くのであった。

 

 

 

 

 

 

「落ち着いて対処するんだ! 今のお前達ならこの程度は十分やれる!」

 

 騎士団員の言葉にクラスメイト達が『はい!』と声を上げ、それぞれの得意分野で目の前の魔物に対処していく。

 

 恵里達がトータスに転移して早十日。訓練の一環としてクラスメイト一同は皆、昨日から王宮の外の平原に出ていた。野営の仕方と実際に魔物と戦うことで戦闘の経験を積むためである。

 

 ()()()()()クラスメイトは騎士達による補助を受けており、一度に向かってくる数などを調整された状態で挑んでいる。ここで下手に尻込みしてもらっても困るし、こうすることで自信をつけさせようとしているのだ。

 

「これで――!」

 

「やぁああぁあ!!」

 

 ただ、何事にも例外というものはある。光輝と雫は生き物を切るという感触に顔を青ざめさせながらも独力で魔物を倒していっている。

 

「天の息吹、満ち満ちて、聖浄と癒しをもたらさん――“天恵”! 龍太郎くん、あんまり突っ込まないで! 傷が――!」

 

「んなこと言ってる場合かよ! こいつらを捌かなきゃお前の方に行っちまうだろうが!!」

 

 突然現れた魔物の群れ相手に、団員と共に傷塗れになりながらも龍太郎は大立ち回りをし、香織も泣きながら必死に治癒魔法を使って龍太郎や団員の傷を癒している。

 

「そっちにもフィアーウルフが向かったぞ! 落ち着いて対処しろ!」

 

「「「了解!」」」

 

 そしてそれは恵里達も同様であった。

 

「鈴はまず牽制、恵里は魔法でのかく乱、僕が足止めをする。後はいつも通り、いいね?」

 

「わかったよハジメくん。でも、無理はやだよ」

 

「いざとなったら私がすぐに結界を張るから、ハジメくんは逃げてよ?」

 

 恵里と鈴の言葉に苦笑を浮かべて『努力するよ』とだけ伝えると、ハジメは二人の前に立って背負っていた盾を構える。そして程なくして五匹の狼型の魔物が恵里達へ向かって跳びかかろうとしてきた。

 

「ここに風撃を望む――“風球”!」

 

 しかし牽制として鈴が詠唱した魔法がフィアーウルフの群れの前で着弾し、無数のつぶてと土ぼこりによって群れは動きを止めた。その瞬間を狙ってハジメと恵里はそれぞれ動く。

 

「“錬成”!」

 

「心よ緩め 敵意も恐れも ものみな全て霧散せよ 安らぎに似たものよ かの者らを包め “呆散”!」

 

 ハジメは錬成で距離を取ろうとした二匹の足元にちょっとしたくぼみを作ってつまづかせ、恵里は襲ってきた五匹全部に向けて意識をわずかに散漫にさせる闇系魔法“呆散”によって意識を乱していく。本来なら七節から成るこの魔法を二節省略したことで効果はより弱くなったがそれでいい。既に次の手は打ってある。

 

「ここに焼撃を望む――“火球”!」

 

 鈴が唱えた一撃が二匹のフィアーウルフを焼いた。毛と肉が焼けたなんとも言えない臭いが漂った途端、無事だったフィアーウルフ達は焼けて弱っていた二匹に牙をむく――フィアーウルフはハイリヒ王国近辺に住む狼型の魔物であり、単体ではオルクス大迷宮にいるラットマンよりはマシといった程度の強さでしかない。

 

 しかし、この魔物の脅威は群れをつくることと、あまりにも強いスカベンジャーとしての側面だ。飢えを満たすためならば弱った群れの個体にすら平気で食らおうとするコイツらは今、あまりにも強すぎる食欲で死にかけた個体に襲い掛かったのである。

 

「――“錬成”!」

 

 そうして共食いをしているのを見計らってハジメは地面に手をつくと、ダメ押しとばかりに無事なフィアーウルフの足を一本ずつ沈め、押し挟むようにして拘束していく。そして恵里達に目配せをすると、二人はすぐに詠唱を開始する。

 

「「ここに焼撃を望む――“火球”!」」

 

 放たれた二発の火の玉は仲間を夢中になって食らっていたフィアーウルフを新たに焼いていく。そして魔力回復薬を煽ったハジメはまだ無事だったフィアーウルフを錬成を使って体を沈め、そこを再度恵里と鈴の魔法で仕留めていく。かくして恵里達の魔物との戦いは一旦幕を閉じることなった。

 

 

 

 

 

「お前達、ここにいたか」

 

「――あっ。な、何かご用ですかメルド団長」

 

 魔物との実戦訓練と野営のための準備を終え、恵里達が今日も神殿騎士に見られながら夕食の準備をしていた時であった。唐突にメルドが現れて声をかけてきたため、すぐさま調理の手を止め、真剣な面持ちで彼の方を見やった。するとメルドは一瞬苦々しい表情になった後、軽くうつむいてため息を吐く。そんな様子の彼にまた何か叱られるのだろうかと神殿騎士ににらまれながらも恵里達はメルドの言葉を待つ。

 

「……そうだよな。俺のやったことを考えれば、こうなるのも当然か」

 

 そう自嘲すると、メルドはいきなり頭を下げてすまなかったと告げた。鬼教官のコイツがいきなり謝るなんて天変地異の前触れか何かだろうかと恵里は考えていると、すぐさま近くにいた神殿騎士の一人が咎めるように疑問を口にした。

 

「騎士団長、貴様がどうしてこやつらに頭を下げる必要がある? 貴様とてこの痴れ者が何をしたか――」

 

「ああ、知ってるさ。それが()()()()でしかないことを含めてな」

 

 イラっとくるような神殿騎士の言い草にメルドは苛立ちを露にしながら反論し、近くにいた神殿騎士全員ににらまれながらも『違う、こうじゃない』と再度苦い表情を浮かべたメルドがこちらに視線を向けてきた。

 

「今回はお前達を咎めに来た訳ではない……むしろ、今までのことを詫びに来たんだ」

 

 その言葉に恵里達は思わず目をむいてしまう。何か悪いものでも食べたとか頭でも打ったんじゃないだろうかとハジメ達と小声で話していると、メルドは顔をひきつらせながらボヤいた。

 

「聞こえているぞ、ったく……まぁ今までお前らにどう接してきたかを考えればわからん訳ではないがな」

 

「す、すいません!……でも、一体どうしたんですかメルド団長?」

 

 すぐさまハジメが頭を下げると、メルドはその訳を話してくれた。

 

「……最初は、お前達の事を疑っていた。この国の防衛の要を任されているからな。たとえ噂であろうとも、本当でない可能性はゼロではない。だから最悪の事態を想定して動く必要があった」

 

 まぁお前達がとんだ厄介ごとの種であったことも原因の一つだがな、というつぶやきに恵里達は何とも言えない顔になる。自分達のせいでクラスが真っ二つになったことの自覚はあったからだ……尤も、恵里はそれを反省している訳ではなかったが。

 

「まだこやつらの疑いは晴れた訳では――」

 

「お前らは黙っていろ――だからこうしてふるいにかけた。本当にこの国を裏切るつもりだったんなら、今に至るまでの間に機密を持ち出して逃げ出していただろうからな」

 

「……随分信用がないんですね」

 

「逆だ。こうしてお前達の動きを見ていたからわかる。お前達にはそれが出来るほどの連携も、騙す技量もあるだろうさ。特に中村はな」

 

 殺気を載せながら神殿騎士を一瞥すると、メルドは話を続ける。そこで出てきた言葉に恵里は苛立ちを可能な限り抑えながら反論すれば、メルドは首を振ってそれを否定した。恵里は自分の猫被りを見抜かれたことに内心焦りながらもメルドはそれに気づいていない風を装って話を続ける。

 

「俺達を上手く欺いて光輝達と一緒に逃げることも出来ただろうさ。だがそれをせずに黙って俺のシゴきについてきた、ということはお前らが信用に値する人物だと確信出来た」

 

「信用している人に言う言葉じゃないと思うんですけど……」

 

「まぁ、な。だがこうして憎まれ口を叩くということはそういうことだろう? 本気で裏切るつもりならこの程度、笑って誤魔化すだろうからな」

 

 鈴が軽く不機嫌になりながらメルドの言葉にケチをつければ、メルドは改めて確信したかのような様子でそれに反論する。目の前の男が本当に自分達を信じている様に恵里達は少なからず驚いた。

 

「お前らが信用できる、と思ったのもそうだがこういう風に接するのは俺の性分じゃなくてな……よほど性根が腐った奴でもない限りこういう態度はとりたくなかった。正直疲れるからな」

 

 ただ、そう言って大きくため息を吐いた辺り、これが本心なのだろう。恵里だけでなく鈴もそれを聞いて思わず呆れ、ハジメも苦笑いが浮かべる始末であった。

 

「……いい加減にしろ貴様ァ! 一体何を理由にこやつらを庇いたてるのだ!! こやつらはエヒト様の使命を――」

 

「それはこちらの台詞だ!……さっきからよくもまぁ坊主達を遠慮なくこき下ろすな。確かな証拠もなしに、なぁ?」

 

 そして先ほどから怒気を発しながらも黙っていた神殿騎士が口を開くも、メルドは怒りを露にしてそれに反論する。聖教教会はこの世界の九割の人間が信仰する宗教であり、その息がかかった騎士相手に啖呵を切ったのだ。その様子が演技に見えなかったことから恵里もハジメも鈴も大いに驚き、そしてメルドが信用に値する人物だと確信した。

 

「今の今まで坊主達が裏切った証拠は出てきてすらいないのだろう? それをわかっていながらよくもまぁ言えるな……?」

 

「証拠はある! 教皇様だけでなく、司祭の方々もエヒト様の言葉を――」

 

「それはただの証言だろうが! こうして見ているとお前ら聖教教会の人間が坊主達を目の敵にしているとしか思えんのだがな……ならわかった」

 

 話が通じない神殿騎士らにメルドは更に苛立ちを見せ、ハジメと鈴がメルドに声をかけようとするも手で制されてしまう。一体何をする気やらと思って静観していた恵里であったが、メルドの次の言葉に思わずポカンとしてしまった。

 

「そこまで言うのならこちらにも考えがある――俺が近くにいる限り、坊主達の行動すべてに責任を持つ。それでいいだろう? このままだと暴発する危険もあるんでな」

 

 メルドが持ち出したのは至極簡単なこと。側にいる限り行動を担保する、ということだ。疑うどころか執拗にケチをつけようとしている奴らから三人を守るためにはどうすればいいのかを考えたのがこの方法である。

 

(ヤバいヤバいヤバい!! この発言を認めたらとんでもないことになる!)

 

 だが恵里達からすればメルドの行動はヤバ過ぎた。ひたすらに自分達を敵視している相手(エヒトの犬)に絶好の攻撃材料を渡したに等しかったからだ。

 

 もし仮にこの言葉に乗っかってしまえば自分達はメルドを奸計にかけたとしてしょっぴかれる可能性が高い。重役の信頼を得て裏で動こうとしているとでっち上げれるからだ。しかもこの国では王よりも教皇の方が実質的な立ち位置は上であり、しかもソイツ自身頭が回るのだ。こうなってしまえばもうエヒト討伐どころの話ではない。

 

「メルドさん……あり――」

 

「ダメダメダメ! 結構です!! そこまでしてくださらなくてもいいですって!!」

 

 その言葉がもたらすことに気づいたハジメも泡を食ってしまい、それに乗っかろうとした鈴の声をかき消さんとばかりに大声を出した。すぐさま不機嫌になった鈴を恵里は手招きし、自分の考えを伝えれば即座に青くなる。そこで三人でメルドに声をかけようとするも、神殿騎士は怒り心頭になってメルドを射殺さんばかりに凝視してきた。

 

「貴様――!!」

 

「やらなくていいですって!! 僕らは平気ですから!」

 

「何を言ってるんだお前ら! このままだとお前らはいいようにされたままなんだぞ!――さて、神殿騎士ども。お前らが言った通り、裏切りを働いたのならば俺の首を刎ねればいい。だがな、これ以上お前らの好き勝手にはさせんぞ」

 

 誰もが武器の柄に手をかけ、今にも襲いかかりそうな神殿騎士に対してメルドは毅然とした態度で自分の意を告げる。自分達の二股が原因でエラいことになったと思いながらも、恵里もどうしたものかと考えあぐねている間に事態は進行していく。

 

「ほぅ、なるほど。そんなに大事にしたいか……アラン、カイル、イヴァン、ベイル! 今すぐここに来い! 神殿騎士どもがまだ暴れ足りないらしいんでな! 俺らでこいつらの頭を冷やさせるぞ!!」

 

 神の使徒の訓練の任は国王陛下の命により騎士団長のメルドに委ねられており、神殿騎士はあくまで『神の使徒に危機が及ばない時のための戦力』という体で寄越されている。もちろんそういった名目で教会が神の使徒に干渉しようとしているのも、自分の役職がただのお飾りなのもメルドもわかっていた。だが()()()()自分が最高責任者なのである。三人にかけられる疑いを晴らすためにも、彼らのことで心を痛めている光輝達のためにも今動くしかないとメルドは直感したのだ。

 

「ぼ、僕らは気にしてないんで! そ、そうだよね恵里、鈴!」

 

「あ、あー、うん! 私はいいんで、落ち着いてください!!」

 

「え、えっと、お気持ちは嬉しいんですけど、ちょっと問題が出ちゃうんで――」

 

「お前らは気を遣わんでいい!!――ここからは大人である俺達の問題だ!」

 

 そして当の本人を差し置いてメルドと合流した騎士達、そして神殿騎士の間にバチバチと火花が散っていく……恵里達は何度も何度もメルドを説得し、頭を下げて怒りを抑えてもらうことに終始するのであった。

 

 

 

 

 

「あーもうホント、エラい目に遭った……」

 

 メルド達騎士団員全員を説得するのに小一時間かかり、しかもどうにか説き伏せたら『今回の事は教皇様に打診させてもらったぞ』と神殿騎士から言われる始末。そのことに騎士団員全員がキレ出してもっと面倒になってしまった。

 

現在恵里はいざこざのせいで遅くなってしまった食事をハジメ達と一緒にしながら夜の見張りをしており、未だ魔物が来ないことに安堵しつつも己の不幸を嘆く。

 

「……すまん」

 

「一体どこの誰のせいなんですかねぇー……ケッ」

 

 ……それも向かいにメルドがいる状態で、である。相変わらず周りに見張りをしている神殿騎士もいるのだが、恵里はもう猫を被ることもせずに嫌味を目の前のメルドにぶつける。そしてぶつけられた本人も居心地の悪さにため息を吐きながらも、その場を離れることはしなかった。

 

「ふん……こうして自分達を庇おうとした上官を相手にその物言いとはな」

 

 どの口が言うのかと思いながらも、その言葉はひとまず飲み込む。

 

 さっきの騒動はすぐさまハジメが耳打ちしたおかげで自分達に何が起きるのかを理解させることが出来、とりあえずメルドは先の発言を撤回してくれた。とりあえず最悪の事態()()は免れられた。

 

 とはいえ今回の事で余計に動きづらくなったのは言うまでもない。下手したらもう訓練にすら参加させられないだろう。自分が飼い殺しにされるのはどうでもいいが、ハジメと鈴がそうなってしまったらエヒト討伐に大きな支障が出る可能性がある。そのことを危惧しているからこそ恵里は心底機嫌が悪かった。

 

「まぁまぁ恵里、メルドさんも僕達が憎くてこんなことやったんじゃないから……」

 

「とりあえずメルドさん含めて騎士団員の人は鈴達の味方だ、ってわかったんだからいいでしょ?」

 

 メルドとの仲をどうにかとりなそうとしてくれるハジメと鈴の声を聞いて恵里はそっぽを向いた。二人の言い分はわかる。わかるのだがそのせいでこんな目に遭ってしまったのだ。だったらまだ鬼教官として振舞い続けてくれた方がもっとありがたかった。故に恵里は二人の言葉に耳を貸さずに遅めの夕食に手を付ける。

 

「お前ら……」

 

「ハジメくんも鈴もコイツに甘いよ。コイツのせいでボク達更に追い詰められたんだからね」

 

 自分を(おもんばか)るハジメと鈴に涙がこみあげてきたメルドであったが、恵里の容赦ない物言いで即座に凹んでしまう。二人から非難の視線が向かってくるも『ボク悪くないもん』とばかりに恵里は顔をそらすだけ。

 

「……そうだな。確かにこうなってしまえばお前らが俺を嫌うのも当然だものな」

 

「め、メルドさん! え、恵里の機嫌は僕らが直しますからあまり気に病まないでください!」

 

「もう恵里! メルドさんもこんなにへこんでるんだからもうこれ以上追撃しないであげてよ!」

 

 背中を丸め、ため息を吐き、どんよりとした空気を漂わせるメルドを気遣って言うも恵里は自分の考えを曲げる気は無かった。どんな理由であれ善意であれハジメと鈴の首を絞める結果につながる行動をやったのだ。だから恵里は許す気など毛頭無かった。

 

「もう……こうなったらてこでも動かないなぁ。メルドさんごめんなさい」

 

 何度も何度もハジメはメルドに頭を下げてわび続けている。やらなくっていいよ、と言ってもハジメは頭を下げるのを止めようとはしなかった。そんなハジメにメルドは気を遣うなとばかりに首を横に振る。

 

「……いや、わかっているさ――こうしてお前らが俺を上手く使うことが出来なくなったというのは心底残念だろうからな」

 

 そして妙なことを言いだし、その場にいた神殿騎士以外が固まってしまう。

 

 恵里もハジメも一体何を考えているのかとばかりにメルドを注視し、鈴と騎士団員達は意見を翻したメルドに失望する。それを好意的に見ているのは神殿騎士達のみ。ようやく自分達の考えに賛同してくれたとばかりに沸き立っている。

 

「今回の事は国王陛下、並びに教皇にも報告し、上奏するつもりだ――お前達を追放する方向でな」

 

 その言葉に今度は神殿騎士が凍り付き、メルドが一瞬だけ浮かべた申し訳なさそうな笑みを見た騎士団員と恵里達はその真意に気づいて何も言えなくなった。

 

「つ、追放だと!? 正気か!? こやつらを国外へ出してもし魔人族に与することになったらどうするのだ!?」

 

「……本気なのですね?」

 

「無論だ。とはいえ持ってる物は全て置いていってもらうし、貸与していた武具も当然取り上げる。そして行き先はヘルシャーだ。それなら文句はあるまい?」

 

 『ヘルシャー』という聞き覚えのある単語をどうにか思い出そうと三人は必死になり、まず最初にハジメがそれを思い出せた――ヘルシャー帝国。ハイリヒ王国以外に存在する国家であり、実力主義が根付いた場所である。また獣の特徴のある人間である“亜人”を奴隷として扱っているというところでもある、と。そう鷲三から聞いた記憶がよみがえったのだ。

 

 すぐに恵里も鈴もそれを思い出し、このハイリヒ王国で肩身の狭い自分達をメルドなりにどうにかしようとしてくれたことに感謝した。とはいってもこれが通ることが前提であり、あちらの考え次第では跳ねのけられるやもしれないのだが。

 

「まぁこれが通るかどうかはわからんがな……まぁそういうことだ。覚悟しておけ」

 

(……ホント、馬鹿な奴。別にボク達を切り捨てたって良かっただろうに)

 

 心底すまなさそうに言う彼を見て恵里はため息を吐く。どこまでも不器用な大人だ、と。最後の最後まで憎まれ役を貫くなんてと思いながらも、そのお節介は嫌ではなかったから。

 

 そうして何とも言えない空気の中、夜は更けていく。己の無力を噛み締める大人達の横で、世界から疎まれた三人の子供達は彼らの思いを噛み締めるのであった――。




本日も懺悔のコーナー
いや、ね……最初はね、ちゃんと書いてたの。ただいつものように内容が膨れに膨れてまた起承転結の内の一つでここまで大きく育っちゃったのよ。うん。
本当なら前話と今回の話分割する気は無かったの。というかこの二つ起承転結の起と承なのよ……どうしてこうなった。大きくなりすぎてんのよ。成長速度ヘルヘイムの森かよ。
あとね、書いてる途中にとんでもない大チョンボを見つけてそこを丸々書き直したせいで遅くなりました。申し訳ない……ここまで、ここまでかかると思わなかったんです。本当なんです。信じてください!


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幕間十一 それぞれの思惑(前編)

まずはこうして拙作を読んでくださる皆様への感謝を。皆様のおかげでUAも73427、お気に入り件数も608件、しおりも236件、感想の数も152件になりました。こうして拙作をひいきにしてくださり、誠にありがとうございます。

それと歪曲王さん、Aitoyukiさん、拙作を再評価していただきありがとうございます。こうして評価していただけるのは自分としても励みになります。

今回読みやすさを優先して前後編に分割しました。その分短くなりましたが、それでは本編をどうぞ。


 部屋の中を暖かな光が差し込み、部屋の主のためにあつらえられた調度品を照らしている。いずれの品も一級品の素材と職人の腕によって出来たものであり、王族に相応しい代物であった。

 

 その部屋の主に仕える専属の侍女が扱うティーポットも中の茶葉もまた選りすぐりのものであり、彼女の好きな香りと味になるよう侍女が手ずからブレンドした一杯。コポコポと白磁の陶器に黄金色の液体が注がれていき、湯気と共に立つ香りは部屋の主の少女だけでなく侍女も好きな品のあるものであった。

 

「どうすればいいのでしょうか……」

 

 普段ならば明るい表情を浮かべ、自分に色々と話をしてくれる主の顔は今は暗い。物憂げな様子でこぼした言葉に侍女のヘリーナは返す言葉を持たない。彼女が出来るのはただ、自分の仕える主であるリリアーナ・S・B・ハイリヒにこの一杯とワゴンに載せてきた茶菓子を用意するだけ。

 

「リリアーナ様、どうぞ」

 

「……ありがとう、ヘリーナ。いただくわね」

 

 そう言ってリリアーナは出されたお茶で軽く唇を湿らせ、長めのため息を吐く。付き合いの長いヘリーナに見守られる中、リリアーナはここ十日のことに思いを馳せた――。

 

 神の使徒である彼らと出会ったのは晩餐会の時であった。初めて見た時は見た目も年も自分とあまり変わらないことに驚き、彼らのいる異世界の話や着ていた服の素材の品質の高さ、誰もが教養のある人物だと知って感嘆するばかりであった。

 

 しかしそれもつかの間、事あるごとにある三名が彼らの仲を分断していることをリリアーナは知ることになった。南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴の三名である。この三人はあちらの世界では非常識である一対多の付き合いをやっており、そのことで彼らの未来を憂うか悪し様に罵っていたのだ。

 

 場所が違えば常識も変わるとは思っていたが、()()()()()()()()()だけでここまで影響があるとはリリアーナも思ってなかったのである。晩餐会で彼ら三人と軽く話しはしたものの、まさか丁寧に対応してくれた彼らが実はそんな人達だったのかと軽くショックを受けた。

 

 とはいえ彼らと親しくしている光輝を筆頭としたグループの使徒達は三人の将来を純粋に心配している様子であったため、後で話し合いの席を設けてどうしてそのようなことをしているのかについて尋ねようと考えていたのである。

 

 ――だがその考えもすぐに泡と消えてしまう。彼ら三人が裏切り者である疑いをかけられたからだ。その報せを受け、リリアーナも驚きを禁じ得なかった。

 

 あちらの都合を無視してトータスに喚んだということに心を痛めていたリリアーナであったが、それが事実でもただの疑いであっても関係は無かった。仕方がないと思う反面、どうしてこんなことにと嘆くしかなかった。

 

 とはいえそれは個人の感傷でしかないということはリリアーナは理解しており、十四年間王族として生きてきた経験からある懸念が脳裏に浮かんでいた。もし本当にあの三人が裏切ったのなら他の使徒の方々にどんな悪影響が出るか、と。仲違いを誘発し、親しくしていた使徒を引き込むかもしれない。もしかするとそのまま魔人族に与するやも、と。王族としてまだ年若いといえどその程度の冷たい計算は彼女とて出来たのである。

 

 だからこそいち王族として三人がどれ程危険なのかを調べるべく、場合によっては近衛騎士を連れて公務の合間を縫って尋ねて回ったのである。

 

 父や大臣、貴族だけでなく、彼ら三人について親しい間柄であった使徒の光輝や雫、敵視していた永山重吾ら、そして休憩中の神殿騎士や使用人らに話を聞いたのだ。ところが、出てきた答えにはほとんどが首をかしげてしまうものであった。

 

 まず父や大臣、貴族と神殿騎士に尋ねた時は『エヒト様の神託より裏切った可能性が出た』と述べるばかりでこれといった理由が出てこなかった。また永山をリーダーとした彼らのグループに聞けば『神殿騎士からアイツらが裏切ったと聞いた』と言うだけ。彼らから話を聞いていても南雲ハジメらが裏切ったという証拠は一切出てこなかったのである。

 

 肝心の証拠が出ないまま彼らを裏切者扱いした理由を聞いてみれば『教皇様がエヒト様よりそういった旨の神託を賜った』か『話を聞いた限りではそうらしい』としか述べていない。世界を創られた至上の神たるエヒト様がどうして疑いの証拠となるものを教えてくださらないのか、と疑問に思ったリリアーナはそのことを尋ねてみたのだが『エヒト様の御言葉を疑うおつもりか』、『元から人の和を乱すような奴だったからやってもおかしくない』と返すばかりで埒が明かなかったのである。

 

 次に使用人に声をかけてみたのだが、彼女らも神殿騎士と同様にこれといった理由も根拠もなく彼ら三人をさげすんでいた。それは彼ら三人の世話に当たることになった者が特に顕著であり、『どうしてあんな奴らの世話をしなければならないやら』だの『アイツらの悪事のせいでこちらの評価まで悪くなってしまいますよ』と口さがない様子にリリアーナも思わず辟易してしまう。おそらく王族や神殿騎士の振舞いからうつってしまったのだろうと考え、リリアーナは相手をしてくれた者達に礼を述べて別の相手を探すことにした。

 

 そこで白羽の矢が立ったのは親しくしていた光輝らである。彼らに尋ねてみたのだが『ハジメ達がそんなことをするはずがない』と自信を持ってキッパリと述べている。理由を尋ねてみれば『体調を崩した二人の付き添いに恵里だけでなく修道女らしき女性もいたのだからそいつが見張ってさえいれば勝手に動ける訳がない』、『違う世界に来たばかりで右も左もわからないのに、どうして悪事を働けるのか』などと答えており、それにはリリアーナも納得が出来た。少なくとも神殿騎士と永山グループの使徒の話したものと比べれば理路整然としたものであると思えたのだ。

 

 とはいえ光輝達が騙されている可能性も踏まえて引き続き調査をしてみたものの、それらしい情報は一切見つからず。にもかかわらず南雲ハジメら三人の悪評だけが飛び交っているのである。これにはリリアーナも怪しみ、なんとしてでも彼らから話を聞いてみようと父のエリヒド王に相談しようとしたものの、そこで教皇であるイシュタルが待ったをかけてきたのである。

 

「リリアーナ王女様、申し訳ありません。迂闊に近づかれては御身に何が起こるか。物事に興味を持つのは結構ですが、何卒ご自愛を」

 

「危険が伴う可能性は承知しております。ですが近衛騎士を五名も連れてゆけば良いのでは? 余程の事がない限り遅れはとりません。それに彼らの天職は錬成師、闇術師、治癒師と聞いております。しかもその錬成師の方は人並み程度の強さである、と。ならば――」

 

 理由を説明してきたイシュタルに、リリアーナは目の前の老人を納得させ得る理由を提示する。しかしかの御仁は首を横に振るばかりで取り合おうともしなかった。

 

「なりませぬよ王女様。相手は魔人族に既に寝返っているやもしれませぬ。ステータスプレートの数値は偽るのも容易、彼奴等めが我らを欺いている可能性もあるのです」

 

「もし本当に教皇様がそう仰る通りであれば既に勇者様がたの身に危険が及んでいるはずです。使徒の皆さまが強さを得る前に排除する方が容易ですからね。それが無いということは――」

 

「なりませぬ。どうかお引き取りを」

 

 結局、裏切り者の疑いのかかった三人との話の席は設けられることなく、またエリヒド王から自室での謹慎を命じられてしまう。今もご丁寧に部屋の出入口の前には神殿騎士が立っており、自由な出入りはもう叶わなくなっていた。

 

 リリアーナに唯一許されたのは勇者である光輝と一日に一度、少しの間話をすることだけ。それも裏切り者扱いを受けている南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴のことに関する話は一切ない。神殿騎士の口から彼らの悪評が流されていることも考慮すれば、門番代わりの彼らが目を光らせているせいなのだろうとリリアーナは察する。

 

「リリアーナ様、よろしければ新たに一杯お注ぎしますが」

 

「……あっ。ごめんなさい、ヘリーナ。お願いできるかしら」

 

 既に温くなってしまったお茶を捨て、ヘリーナはカップにお湯を注いで器を温める。そうしている間もリリアーナはどうすればよかったのかと後悔の念に襲われていた。チラついてしまうのだ。光輝が何かを言おうとして口をつぐむ様子が。きっと大切に思っているあの三人のことを言おうとして、黙るしかなかった彼の様子が。日に日に寂しげな表情を浮かべる頻度の多くなった彼の横顔が。

 

「……無理に寄り添う必要はありませんよ、リリアーナ様」

 

 そんな時、カップに入ったお湯を捨てていたヘリーナがポツリとつぶやいた。

 

「光輝様もそのことは理解……いえ覚悟して来られている様子です。ですからリリアーナ様が無理に支えようとすれば、余計に光輝様の負担になるでしょう」

 

「そう、かしら……?」

 

 ヘリーナの言葉にリリアーナはそう返すだけしか出来ず、再度ソーサーごと渡されたティーカップを手に取り、お茶を一口だけ口に含む。品のいい香りが鼻腔を通り、繊細な味わいが少しずつ染み渡っていく。

 

 カップをソーサーに置き、テーブルにゆっくりと降ろすとリリアーナはヘリーナの方を向いて問いかける。

 

「ならせめて、少しでも光輝さんがくつろげるようにするべきなのかしら」

 

 その言葉にヘリーナは答えず。ただ頬笑みをたたえる彼女を見てリリアーナは決心する――せめて少しでも光輝の心の負担が軽くなるように王族として振舞おうと。友人達のことは無理でも、少しでも心の中の澱みを取り除くようにしなければ、と。お茶を再度口に含みながらこれからどうすべきかを最も信頼できる女性に少女は相談をするのであった。

 

 

 

 

 

「なりませんよメルド騎士団長。彼らはまだこの国から出すべきではありません」

 

「……何故です教皇殿? 貴方がたにとって南雲ハジメらは不穏分子ではないのですか? 彼らを排するための方便としては適切だと考えたのですが」

 

 野営の仕方と実際の魔物との戦闘を学ぶための屋外の訓練を終え、今回の訓練の報告とハジメ達を助けるための具申をするべく玉座の間に来たメルドであったが、彼の具申は他でもないイシュタルによって却下された。

 

「これに関してはメルドの申す通りだろう。勇者様を筆頭に彼ら三名に対して好感を持つ使徒様も多い。使徒様の機嫌を損ねることなく排除できる案を申したというのに、何故反対するのだ?」

 

 メルドが述べたのは以下の通りである。

 

 南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴はトータスに来訪した初日に裏切りと思しき行動をとっており、そのため永山重吾を筆頭とした使徒様がたが反感を抱いてしまっている。今はまだ小康状態を保っているものの、使徒の方々との間で再度亀裂が生じないとも限らない。そのため表向きの理由として同盟国であるヘルシャー帝国へと出向し、相応の実績を上げてから帰還してもらうという名目で彼らを追放した方がよいのでは、と。

 

 エリヒド王も使徒の間で亀裂を生じさせた南雲ハジメらの存在を煩わしく思っており、メルドの案を悪くは思っていなかった。だがそれにイシュタルが待ったをかけたのである。

 

 この世界では九割がたの人間が聖教教会の信徒であり、エリヒド王もまた例外ではない。そのため実質的な権限は教皇が持っており、当代の教皇であるイシュタルの意に反することは出来ない。だからこそこうして反対する理由を尋ねたのだが、返ってきたのはありきたりなフレーズから始まる言葉であった。

 

「エヒト様から神託を賜ったのです――かの者らは近いうちに我らに反逆を起こす、と」

 

「ならばなおさら! 他の使徒様に危害が及ぶ前に排するべきでは――」

 

 自分の物言いに内心自己嫌悪しながらもメルドはイシュタルに反論するも、目の前の老人は聞き分けの悪い子供を前にした大人のようにやれやれといった様子でメルドを見ている。一体何を言う気だと思って身構えていると、老人の口からおぞましい言葉が出てきた。

 

「だからですよ――勇者様も、他の使徒様がたも、あやつらの本性を見れば理解されるでしょう。奴らは敵だ、と。使徒様がたはお優しいですからな」

 

 全身の血が沸騰するかのような心地であった。疑うばかりで彼らの事を何も知ろうとしなかった癖によくもまぁそんな薄汚い言葉を並べ立てられる、とメルドの心の中に憎悪が渦巻く。

 

「無論、裏切者共を野放しにはしませぬ。神殿騎士の中でも選りすぐりの者達を使徒様がたの護衛につけ、未然に防いでみせましょう」

 

「なるほど。教皇様はそのようなお考えであらせられたのですね。このエリヒド、感服致しました」

 

「なりません陛下!! 他の使徒に危険が――!」

 

 イシュタルの言葉に激昂しつつもどうにか冷静に反論しようとした途端、そばで控えていた神殿騎士達が即座にメルドの周囲を囲む――事ここに至ってようやく彼は理解した。既に自分は嵌められていた。神殿騎士の報告を止められなかった時点でこうなる事は確定していたのだ、と。

 

(俺は、どうすれば――あっ)

 

 国に逆らっていい訳がない。だがこのままでは一方的に断罪される。どうすればと考えた時、自分直々にシゴいていたあの三人の顔がメルドの脳裏をよぎる――その瞬間、すべきことは決まった。

 

「はぁっ! ふんっ!」

 

「ごふっ!? ぐはっ!!」

 

 取り押さえようとしてきた神殿騎士の一人の顔面に肘打ちを叩き込み、振り返る勢いを利用して蹴り飛ばした。

 

 ――あの老人の本性を見抜けなかった自分も同罪だ。だがせめてあの三人だけでもこの国から逃がさなければもう彼らに顔向けが出来ない。三人を貶め、エリヒド王をたぶらかしてこの国を牛耳っているあの老人を今すぐにでも切り捨てたいが、それは後だ。国の膿を取り除くのは後にして、今はただ逃げ延びる。

 

 そう決意したメルドは王に背を向け、自分を取り囲む神殿騎士と相対する。

 

「血迷ったか貴様! 大人しく縄につけ!」

 

「断る!――俺にはまだ、やらねばならん事があるのでな!」

 

 そして他の神殿騎士に掌底、顔面へのパンチで殴り飛ばし、のした神殿騎士から盗んだ剣で神殿騎士を切り伏せていく。そうして退路を確保すると一目散に駆け抜けていった。

 

「この裏切り者が!」

 

「おのれ恥知らずめ!!」

 

「悪いが今は捕まる気はない――押し通させてもらうぞ!」

 

 ハイリヒ王国最強の騎士相手にバッタバッタと倒されていく神殿騎士を見てイシュタルの顔に青筋が浮かぶ。あの男を逃さぬ為に現在国内に留まっている最高の戦力を取り揃えたというのになんたる様か。苛立ちと思い通りにならぬ怒りで錫杖を持つ手に力がこもり、軋む音が玉座の間に微かに響いた。

 

「この様子ですと既に騎士団長殿も奴らの手によって篭絡されたようですな。すぐさま兵の手配を」

 

 しかしそんな胸の内は晒さぬよう冷静を装ってエリヒドに目配せすると、慌てた様子でエリヒドも近くで控えていた大臣に命を飛ばす。

 

「わ、わかりました! 大臣よ、すぐに通達するのだ!」

 

「りょ、了解しました! では直ちに――」

 

「ど、どうされるのですか、教皇様。もし本当にメルドが籠絡されていたとすれば……」

 

「ご心配には及ませぬよルルアリア様。騎士団長殿が王国最強の騎士といえど、多勢に無勢。いずれ捕らえられるでしょう……その後はこちらで預かり、何があったかを神殿騎士達に調べます。それと、こちらから()()して騎士団長殿の考えを改めさせて見せましょう。王国指折りの騎士が裏切ったとなれば多くの者が不安になりますからな」

 

 心配そうに見つめてきたルルアリア王妃に、さも心配はいらないとばかりにイシュタルはアピールする。

 

「分かりました教皇殿……メルドよ、お前の人の良さをつけこまれてしまったか。道を違えたお前の目を覚まさせてやらねばな」

 

 かくして茶番は一人の男の逃走という形で幕を閉じる。

 

 満身創痍にまで追い詰めこそしたものの、結局神殿騎士も騎士団の人間も止める事は叶わず、メルド・ロギンスは行方をくらましてしまった。これに怒ったイシュタルはエリヒド王に追撃を命じたものの、民に余計な心配や不和の種をまきかねないと根気強く説得してきたのである。また追撃をかけた際に深手を負ったという報告もあったので、そう長く生きてはいられないだろうという見込みもあってどうにかイシュタルを止める事が出来たのである。

 

 そして空席となった騎士団長の席にリリアーナの元近衛騎士であったクゼリー・レイルが急遽選ばれ、彼女が使徒達の指導に当たることになった。とはいえこの騒ぎが広まるのを恐れた王国と教会側は戒厳令を敷き、また彼女も団長代理という形で就任するという形をとったが。

 

 無論、農地改革のために各地を巡っている畑山愛子以外の使徒はそれを怪しんだものの、そこはクゼリー団長代理がそれに答えた――メルド団長は家のご都合で不在である、と。

 

 そのことを光輝らが訴えても去り際のメルドの顔と、団長になった経緯からクゼリーはそれ以上は答えようとしなかった。ただ『これ以上の追及は認めん……これもお前らのためだ』と苦々しく述べるだけであった。




後編は近いうちに投稿するつもりです。具体的には月曜の朝7:00か火曜の17:00を予定しています。


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幕間十二 それぞれの思惑(後編)

まずは拙作を見てくださる皆様に感謝を。おかげさまでUAも74106、お気に入り件数も610件、しおりも236件、感想も158件(2022/1/9 19:25現在)にまで上りました。誠にありがとうございます。こうして皆さまが見てくださることには感謝の念を禁じ得ません。ありがとうございます。

それとAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。毎度似たような文章で申し訳ないのですが、こうして何度も何度も評価してくださることは作者にとって励みとなります。

それでは分割した幕間の後編になります。本編をどうぞ。


「――そうか、ありがとう浩介。その……鷲三さん、霧乃さん。そちらの方はどうでしたか?」

 

「ああ。とりあえず今は……な」

 

「そちらは後で話そう。今は“大迷宮”の方の話を進めんか?」

 

 地球にいたクラスメイト達が異世界トータスに転移して十二日目の夜のことであった。この日、光輝達は部屋に集まって話し合いをしている。

 

 いつもならば全員が同じ部屋に集まって話をするということはせず、何日かに一度、数人単位に別れて部屋に集まって裏で動いてくれている浩介、鷲三、霧乃ら三人の内の誰か――今日は浩介の番であった――から話を聞くといった具合であった。

 

 ところが浩介から『全員同じ部屋に集まって欲しい』と頼まれ、指定された場所へと出向くことになった。既に鷲三と霧乃も到着済みであり、部屋の主である優花もソワソワとした様子であった。自分達が来るのを待っていてくれたのであろうと察した光輝達はすぐさま話し合いを始めたのである。

 

「わかり、ました……じゃあ皆、とりあえずメルドさんのことは一旦後にして、先に大迷宮の異変について話そうか」

 

 鷲三と霧乃の重々しい感じもあってそれ以上は聞けず、三人に頼み込んでいたメルドの安否についての確認を一旦後回しにすることに皆が同意するのを見届けた光輝は、先程浩介が話してくれた異変の話を先に済ませることにした。

 

 ――浩介、鷲三、霧乃の三人は現在、交代しながら王宮、城下町そしてオルクス大迷宮に挑む者達が利用する宿場町のホルアドを見て回っている。

 

 こうして裏で動く際、自分達も身分証明のためにステータスプレートを持っていた方がいいと考え、軽く情報収集をした後、ホルアドの冒険者ギルドにていち冒険者として登録。町の外の魔物を狩って日銭を稼ぐかたわら、レベルとステータスを鍛えつつ脱出ルートを探ってくれていたのである。

 

 ある程度強くなり、日銭稼ぎを街の外の魔物狩りからオルクス大迷宮の方へと移して数日。今日も顔をしかめつつ、未だ不慣れな手つきで迷宮内の魔物を倒して剥ぎ取りをしている時、浩介は奇妙なものを見かけた。神殿騎士達が何人もの鉱夫を連れてきたのだ。

 

 一体何のためにと思い、隠形で気配を殺して後をついていったところ、二十層で採掘を始めたのだ。それも全方位にやるのではなくある特定の方向だけを掘っていた。

 

 神のお告げで金脈でも当てようとしてるのかととりとめのないことを考えながらも戻り、二人に報告して教会の内部を無理のない範囲で三人で探った結果、ある情報と一緒にそれを使って何かをしようとしているのが判明したのである。今日はその発掘が終わった旨と持ち帰った情報――メルドが失踪した真相に関する断片的な情報について報告しに来てくれたのだ。

 

「……一体何のつもりかしらね」

 

「結構綺麗で宝飾品にしたら高そうなんだけどな。でも結局手つかずのまま仕事してた奴を帰してたんだよ。だから鷲三さんに報告して念のため教会の金回りとかについて調べてもらったんだけど……資金繰りに困ってるどころか執務室で探し当てた帳簿を見てもそういうのはなかったみたいだ。そうですよね?」

 

 雫がそれについていぶかしみ、浩介がさっきした説明を補足する。そして浩介が鷲三に確認をすると無言でうなずいた。帳簿の確認とかいう中々にヤバいことをやっているのはとりあえず横に置いておいて、一体何のためにそんなことをしたのか。それを誰もが考えていると幸利が恐る恐る手を挙げた。

 

「……幸利、言ってくれねぇか?」

 

「あ、いいのか? わかった。んじゃあ、これは俺個人の考えなんだがよ……やっぱりトラップじゃねぇのか?」

 

 龍太郎から促され、幸利は自分の考えを口にする。浩介からの報告を聞いた時点である予測を立てていたものを。

 

 価値のある鉱石であるにもかかわらず、それを野放しにしている。金稼ぎの類でなければ一体何なのか。そこで幸利が思いついたのがその鉱石そのものが罠である可能性である。

 

 それを聞いた光輝、雫、浩介、鷲三、霧乃はやはりといった表情になり、龍太郎、大介ら四人は思わず生唾を飲み込む。優花と奈々は顔を引き攣らせたのだが、香織と妙子だけは首を傾げた。

 

「? どうしてなの幸利君? その大迷宮、ってところは人が何度も出入りしている場所だよね? そんな危険なもの、今更見つかるのかな?」

 

「そうだよぉ~。浩介があそこは国とギルド? ってところが関わってる感じのこと言ってたし、そういうのはちゃんとやってるんじゃな~い?」

 

 疑問符を浮かべた二人にうなずきつつも、まぁ聞いてくれといった様子で幸利は説明していく。

 

「香織と妙子の言いたい事はわかる。でもよ、ソイツがあったのは地下の二十層だ。魔物なんつー化け物もいて、しかも壁を掘ったら土砂だって出てくる。それをどかすのだって人手はいるし、そいつらのお守りだって必要になるだろ? やるにしても手間暇も人も必要になるし、それを急ピッチでやってたことを考えれば教会だって相応の出費はあったはずだ。なのにどうしてソイツを放置してるか、って考えると……さっき言ったのが浮かんだんだよ」

 

 幸利の言葉に二人は納得したのか首を縦に振った。実際問題幸利が述べた通り、割に合わないのである。相応の実入はあるにせよ、相応のコストと時間がかかるからだ。全方位に掘削するのでなく特定の方向のみにやっている分コストと時間はかからないものの、そうして見つけた物を放置など金と時間をドブに捨てるに等しい。ならばそれがそこにあることに意味があると考えたのだ。

 

「あー、うん。幸利の言いてぇ事はわかった。でもよ、だったら魔法とかが当たって出てくる可能性だってあっただろ? そっちはどうなんだ?」

 

 香織と妙子が納得を示すと、今度は大介が質問をしてくる。幸利も『あぁ確かに』と思いつつも、大介の質問に丁寧に答えていく。

 

「まぁ確かにそうっちゃそうだな。でもな大介、今まで見つからなかった、って事はそこまで火力の高い魔法が無くても対処できる場所だったはずだ。それに洞窟の中で壁を崩す程の大火力のものを撃ってみろ。洞窟が崩落しかねないし、何よりその鉱石自体吹っ飛ぶだろ」

 

 それを聞いて大介だけでなく礼一、信治、良樹と龍太郎もおぉ、と納得した様子であった。こうして全員が自分の話に理解を示したところで幸利は鷲三と霧乃の方に視線を向けた。

 

「で、だ。わざわざそんなモン見つけに労力を割いたぐらいだ。近いうちに俺らはそこに行くことになる……そうですよね。鷲三さん、霧乃さん」

 

 幸利に話を振られた二人はうなずくと、ある事を口にする――数日後にオルクス大迷宮で戦闘訓練が予定されている、と。

 

「あくまで立ち聞きをしただけだが、おそらくそのつもりだろう。そうでなければあの発掘作業自体、必要がないからな……全容は未だわからん。これから追って調べるつもりだが、間に合わない可能性もある。気をつけて欲しい」

 

「まず間違いなくそこであちらは仕掛けてくるでしょう……では、いなくなった騎士団長殿のことについて話しましょうか」

 

 そうして霧乃が始めた話に誰もが耳を傾けるのであった――。

 

 

 

 

 

「――なるほどな、わかった。確証が取れたらまた来るよ。それと、その()()が本当かどうかはまだわからないし、それ以外の可能性も考えとけよ。じゃあな」

 

「うん。浩介君も気をつけてね。ハジメくんと恵里によろしく」

 

 恵里達がトータスに転移して二週間経った夜のこと。夕食を終え、この日も特にやることがなかった鈴はいつものようにすぐにベッドに横になろうとしたのだが、その時部屋の窓を叩く音が聞こえた。城の三階にこの部屋があるはずなのに一体誰が。おそるおそる近づけば幼馴染の浩介が窓を叩いていたのである。

 

 なるほど彼ならやれると思いつつ静かに窓を開けて手招きをすると、浩介も周囲を二、三度見回してから部屋に入ってきた。そして鈴に先日光輝達に伝えた情報プラスアルファ――霧乃曰く、オルクス大迷宮の二十層の鉱石に触れたら近くの人間が消えたとのこと――を耳打ちしてくれたのである。

 

 話を聞き終え、小声で返事をすると同時に浩介の気配は一瞬で消え去り、カーテンがふわりと揺れた。日を追うごとに段々と忍者染みていく幼馴染のことを思いながらも鈴は考える。

 

(やっぱり、“アレ”だよね)

 

 脳裏に浮かんだのはある可能性――恵里がトータス会議で言っていた“ハジメがどこかで姿を消す”という出来事である。叶うことならばそれを阻止したいし、無理ならば一緒についていきたいと前々から考えていた。そこで今回の浩介の話を聞いてある可能性が浮かんだのである。もしやハジメがいなくなるのはその鉱石が絡んでいるのではないか、と。

 

 ハジメと恵里と一緒にゲームをやっていたこともあって、その鉱石がワープ系の罠ではないかと思い、また教会の不自然な動きからしてそうではないのかと勘繰ったのだ。もしかするとあり得た未来では自分達はあの罠に接触してどこかに移転することになり、そしてその先でハジメが行方不明になってしまったと考えたのである。

 

(そういえば恵里が頭をいじられた、って言ってたっけ。それに教会の変な動き……こんなの知ってなきゃ絶対出来ないよ……もう、厄介なことになったなぁ)

 

 恵里が奪われてしまったことの影響が思った以上に及んでいることに今更ながら鈴は頭を抱えてしまう。

 

 叶うことならばそのまま凹んでいたいところであったが、それじゃあいけないと思い直し、自分達はどうすればいいかと知恵を巡らせていく。

 

(私が気づけたんだからハジメくんも恵里も気づくはず。他に出来ることは……)

 

 そうして考えてたどり着いたのはシンプルな答え――何があってもいいように気を付けることであった。

 

(結局何があるかわかんないのがなぁ……話を聞いた限りだとイタくなったハジメくんと光輝君達は後で再会するみたいだし、ハジメくん以外は無事? うぅ、余計に気になっちゃうよぉ……)

 

 何が起きるか予想が出来ず、悶々としながらも鈴はベッドに横になった。早く朝が来てほしいと願いながら布団を頭まで被り、今日の訓練の疲労がもよおす睡魔にすぐさま鈴は身を委ねるのであった。

 

 

 

 

 

「教皇様。ルーニー・アティック、只今戻りました」

 

「同じくファナ・アティック、只今戻りました」

 

 神山にある聖教教会総本部、その大聖堂にてイシュタルは眼前で(ひざまず)く二人の騎士を前に笑みを浮かべる。尤も、それはあくまでこの場にいる全ての神殿騎士を不安にさせないための仮初の笑みであり、神殿騎士の中でも腕の立つ目の前の二人がいればあの男の逃走を許さなかっただろうにという忸怩(じくじ)たる思いを隠すためのものでしかなかった。

 

「二人ともよく戻られました……では結果の方はいかほどに?」

 

 しかしそんな感情はおくびにも出さず、イシュタルは聖教教会の長たる者としての振る舞いを続ける。二人の兄妹もまたそれに気づくことなくあることを報告する。

 

「はっ。教皇様が賜った神託の通り、あれは転移系の罠でありました」

 

「兄様の……いえ、ルーニーの申す通りです。生還した者の話では――」

 

 そうして詳細な報告を二人から聞けばエヒトから賜った言葉の通りであることが判明し、貼り付けた笑みも段々と自然なものへと変わっていった。

 

「よくやりました。既に()()()も終えておりますし、こうして戻ってきた貴方がたをエヒト様は見ているでしょう。殉教した者達も後でしっかり弔わねばなりませんね」

 

「「身に余るお言葉にございます、教皇様」」

 

 兄妹を含むすべての神殿騎士に対する労いの言葉をかけると、イシュタルはこの場にいる全員にあることを問いかける――貴方がたの使命は何でしょうか、と。

 

「「オルクス大迷宮にて裏切者を排除し、使徒様の目を覚ますことです」」

 

 兄妹の言葉に続き、そばで控える神殿騎士全員も同じ文言を唱和するように答える。

 

 『オルクス大迷宮にて裏切者を排除し、使徒様の目を覚ますことです』と。

 

 そして合唱するように『すべてはエヒト様の御心のままに』、『裏切者の粛清を』、『偉大なる神の威光を世界に広めること』と述べていく。

 

「流石は我らが神の子です……皆の者よ、心して聞きなさい。エヒト様は仰せになられました。明日のオルクス大迷宮で裏切者を奈落の底に突き落とせ、と」

 

 目の前の様子に満足したイシュタルは恍惚とした様子で先ほど受けた神託をのたまった――途端、大聖堂は無言の熱狂で満たされていく。遂にこの時が来たのだ。薄汚い使徒を名乗る奴らを消す日がようやく訪れたのだ、と。

 

「我らには真なる使徒様もおられます――万難を排する時は来たれり」

 

 教皇の言葉を皮切りに狂信に満ちた言葉がこだましていく。

 

 『エヒト様万歳! 教皇様万歳!』と。

 

 『我ら信徒に祝福あれ! 仇なす者に永久(とこしえ)の呪いあれ!』と。

 

 歓喜に溢れた声がこだまする。

 

 狂信が響き渡る。

 

 待ち望んだ機会を前にこの場にいた誰もが狂喜する。

 

 ここに白い悪意が雄叫びを上げた。

 

 

 

 

 

(……ここまであけすけにやられると怒る気すら湧いてこないなぁ)

 

 十五日――クゼリーが団長の代理として引き継いだ際、丸一日使って自分達の錬度を調べたため、その分余計にかかっている――の訓練を終え、ハジメ達はクゼリー団長代理と騎士団数名、そして十数名の神殿騎士と共にホルアドへと来ていた。

 

 新兵訓練によく利用するようで、王国が直営している宿でハジメ達は宿泊する事になった。現在、自分一人だけ割り当てられた部屋にてハジメは今自分達に起きているであろう異変の事を考えていた。それは周囲に神殿騎士が誰もいないことであった。

 

 こうしてホルアドの宿に来るまでは歩いていようが馬車に揺られていようが神殿騎士が常に近くにいたのだが、宿での夕食を終えると誰もついてこなかったのである。それは恵里と鈴も同じであった。

 

 大方、自分達がこれ幸いとばかりに割り当てられた部屋を抜け出した際、それを基に糾弾するのだろうとハジメは考えている。そのため恵里達とおやすみのあいさつだけしてすぐに部屋へと戻っていた。

 

(でもこれが本命じゃない。鈴と恵里の推測の通りなら明日が正念場だ)

 

 自分の部屋に来てくれた浩介から話を聞いた際、ハジメも自分が失踪する場所がオルクス大迷宮であるという推測を聞いていた。

 

 もちろん恵里の話を疑ってはいなかったし、浩介から聞いた教会側の不自然な動きから考えればハジメも同じ結論にたどり着いている。しかしハジメの頭の中にはまた別の推測も浮かんでいたのである。

 

(浩介君の話じゃオルクス大迷宮は潜れば潜るほど敵が強くなる。ゲームなんかと同じだ。それとどこかにワープするトラップ……単に同じ階層のどこかに転移するだけなら、メルドさんや騎士団員の人達が僕を疎んでいたりしてなければ探し出して連れてくるはず。そうでないとすると……やっぱり下の階層、だよね。それも騎士団員の人でもマトモに勝てないレベルのところに)

 

 それは本来辿るはずであった自分が失踪する経緯に関するものであった。恵里の話ではどこかで自分だけがいなくなるということだが、それがここ最近起きていることが全て結びついているのではないかと考えていたのである。その理由となったのは無論教会側の動きだ。

 

 まず今回のオルクス大迷宮二十層の発掘作業のことである。ただ発掘だけしてそのまま帰るというのはハジメとしても考えられなかった。公共事業としてならば国が動くだろうし、何よりこんな深く危険な場所に一般人を連れてきて大丈夫なのだろうかという疑問が浮かんだからだ。人権という概念が無いからこういうことを平気でやるのかもしれないという可能性は頭の片隅にはあったものの、その線は低いとハジメは見ている。

 

 次にヘルシャー帝国への追放の件である。メルドが姿をくらませた後、ハジメは団長代理となったクゼリーにそのことを尋ねたものの、『私はそれについて答えられない』と伝えられただけであったのだ。その返答から察するにおそらく教会は自分を逃がさない気だろうとハジメは考えている。

 

(恵里が使徒に連れ去られてからの動きが妙にエヒトにとって都合がいいものばかりだ……やっぱりエヒトが絵図を描いて教会の方にリークしてる、ってところかな)

 

 ここ一連の動きは全てエヒトによるものではないかと当たりをつけると同時に、だとしたら恵里、鈴そして皆と話が出来る訳がないよなぁとハジメは考えた。それと同時に浮かんだのは連れ去られた翌日の恵里のある言葉――頭をいじられた、というものである。

 

(あの時恵里は言わなかったけど、多分何らかの形で僕らの情報がエヒトに漏れてる……そう考えるのが自然かな。だとすれば、そこに勝機がある)

 

 うまくいっている時こそ人は油断する。ならばあえてあちらの手の内に乗って起死回生の一手を見つけて打つしかないとハジメは考えており、その一手を彼は既に見つけていた。

 

(考えられる可能性としては、おそらく僕が失踪した先にいる金髪の女の子――エヒトが探し求めてた器になる子がいる。その子に執着しているにもかかわらず未だに見つけることが出来てない、ということはエヒトのやれることにも限界があることの証拠だ。なら、いけるかもしれない)

 

 将来エヒトの器となってしまう少女の存在が、もしかするとそのオルクス大迷宮の地下にいるのかもしれない。だからこそハジメはあえてエヒトの策に乗ることを決めた。

 

(でもこうして見つからないとなると幽閉されているのかもしれないな。自発的に籠っているんじゃなかったらどうにかなる、かな……結局僕のやることもエヒトと大差ない気がするな)

 

 そしてその少女の状況について考えるも、恵里のことがどうしても出てしまい、自己嫌悪するハジメ。しかし相手がまがい物とはいえど神に匹敵する力を持っている以上、なりふり構っていられないと良心の呵責に苛まれながらも決断する。

 

(どうにかしてその子に協力してもらうしかない。恵里の魂だけでもどうにかすれば勝てるかもしれないし、多分……連れていかなかったら今度は僕らも拉致されるかもしれないしね。アイツを倒す準備がちゃんと整うまでは戦う訳にはいかない)

 

 またハジメの脳裏にはある可能性も浮かんでいた。件の金髪の少女を連れていかなかった際のものである。こうして情報が漏れているであろうことを考えるともしその少女を連れていかなかった場合、どこにいるかを知るためにエヒトが自分達をさらうことだってあり得るのではないかという懸念が脳裏をよぎったのだ。

 

 しかも恵里はさらわれた際に頭をいじられて自分達を殺してしまうかもしれないと怯えていた。それを考えれば自分達もさらわれた際に同士討ちをするように頭をいじられることは十分にあり得るのではないかとハジメは考えたのである。そうなってしまったら勝てる可能性は一気に絶望的になるであろうという事も、だ。

 

(……とはいえ、恵里の話だとエヒトが行動に移すのは相当時間が経ってからみたいだ。何らかの理由か原因があるんだろうけど、それも僕らがなぞることを前提にしておいた方がよさそうだ)

 

 そうして自分達がエヒトの引いたレールから外れた際のリスクを考え、やはりあえて乗った上で対処する方法を考えるべきだとハジメは結論づける。

 

(改めて考えると妙だからね……普通の人間と大差ない僕が、多分使徒すら倒せるレベルにまで成長してるみたいだし。大器晩成タイプでもない限りは、ね)

 

 そう言いながらハジメは取り出した自身のステータスプレートを見て眺める。

 

==================================

 

南雲ハジメ 16歳 男 レベル:3

 

天職:錬成師

 

筋力:14

 

体力:14

 

耐性:14

 

敏捷:14

 

魔力:14

 

魔耐:14

 

技能:錬成・気配感知[+特定感知]・言語理解

 

==================================

 

 メルドからの厳しいシゴきもあったおかげなのかすずめの涙程度には成長していた……本当にわずかな数値の上昇で心底泣きたいぐらいであったが。

 

 だからこそハジメは確信する。こんな一般人に毛が生えた程度の強さであの使徒をどうにか出来るとは到底思えず、きっと何かカラクリがあったのではないかと前々から考えていたからだ。そしてそれがエヒトの敷いたレールの上にあるであろう事にも勘付いている。

 

(とりあえずは目の前の罠をどうにか無事に乗り切る――絶対に負けるもんか)

 

 ステータスプレートをズボンのポケットに入れると、一瞬だけ目を細めたハジメはすぐにベッドに横になる。

 

 決戦は明日。なんとしても恵里達と共に生き延びるという覚悟を胸に。

 

 

 

 

 

「……ん、ぅぅ……もう朝かぁ……」

 

 窓から差し込んでくる朝日で目を覚ました恵里は眠い目をこすり、頭を何度かかくと、気だるげにベッドから這い出て身支度を整えていく。

 

 寝るときに着ていたネグリジェを脱ぎ、普段の訓練の時から着ているシャツに袖を通し、長ズボンを履いていく。――前世? ではこの世界に来た時に支給された服はこういったものではなかったはずだが、こうなったのはメルドの差し金である。

 

 曰く、『ローブやスカートだと裾を掴まれたり、抑えられたら身動きできなくなるから不要だ。それと肌を露出しているとその分直にダメージもいきやすい。だから露出を抑えて動きやすい服を選んだ』とのことで、こういった服装になったのである。

 

 それを聞いた時には訓練の苛烈さを容易に想像出来て軽く青ざめたものの、今となってはこちらの方が馴染んでいるし、スカートがめくれるのを気にしなくて済むためそこまで気に入っていない訳ではなかった。

 

 ……見た目の色気のなさとスカートの裾をつまんでハジメを誘惑したりすることが出来ないのだけは流石に不満ではあったが。

 

「これで、よし……と。髪もまとめないとね」

 

 ズボンにベルトを通す際、回復薬などを入れる革製のホルダーもいつもの位置でベルトで固定すると、恵里は部屋に備え付けられていた鏡台を使って髪を整えていく。

 

 こちらの世界でも可能な限り髪の手入れは怠っていない事もあって、髪がクシに絡まるといったこともなく、何度か梳いて整え終わった髪の毛をポニーテールにまとめていく。気がつけばこっちでいる時間が長くなったと思いながら鏡を見て確認。

 

 それを終えると恵里はコートハンガーに掛かっていた長袖のジャケットを着て、もう一度鏡台の鏡を見て確認する。

 

「……よし。後は食事を済ませて大迷宮に行くだけ」

 

 これから敵の張った罠に飛び込んでいくことを考えて緊張に襲われるも、数回深呼吸をして心をどうにか落ち着ける。

 

 オルクス大迷宮での戦いはまだ緒戦に過ぎない。これはエヒトを倒す戦いの足掛かりでしかないと考え、恵里は宿の食堂へと向かっていく。しっかり準備を済ませて、万全の態勢を整えて、そして勝つ。その事だけを考えながら恵里は歩いていく。

 

(ここでつまずくようならエヒトなんて倒せる訳がない……負けるもんか)

 

 前世? の記憶と経験、そしてここまで磨いてきた技能と魔法、そして前はいなかった心強い仲間。これらがあるから絶対に負けない、と意気込みも新たに恵里は歩いていく。その先の、幸せな未来を見据えて。



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二十九話 悪意は四方より来たる

まずは拙作を見てくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも75346、お気に入り件数も611件、しおりも238件、感想も162件になりました。誠にありがとうございます。トータス転移前と雰囲気がガラリと変わった拙作をこうして追ってくださる皆様には本当に頭が上がりません……。

そしてsahalaさん、一般学生Cさん、拙作を評価していただいて本当にありがとうございます。こうして評価していただいたおかげでまたモチベーションが上がりました。重ね重ね感謝いたします。

では本編をどうぞ。


「敵は目の前に見えるもの全てとは限らない。周囲に擬態して襲い掛かってくる奴らもいる」

 

 クゼリー団長代理の声にクラスメイトの誰もが周囲を注視し、辺りを見回していく。中には既に武器を構えている子もいた。

 

「ロックマウントだ! 奴の剛腕と咆哮には注意しろ! 来るぞ!!」

 

 そしてクゼリーの掛け声にクラスメイト全員がはいと返事をするや否や、各々が武器を構え、前を見据える――オルクス大迷宮地下二十層まで危なげなく突破してきた彼らは既に一端(いっぱし)の戦士と称するに相応しい顔つきであった。

 

 すると前方でせり出していた壁が突如変色しながら起き上がった。壁と同化していた体は、今は褐色となり、二本足で立ち上がる。そして胸を叩きドラミングを始めた。擬態型の魔物のロックマウントである。

 

 光輝、雫、龍太郎が前に出て相手をしようとすると、すぐさまロックマウントが飛びかかってくる。壁役となった龍太郎はその剛腕を自身の拳で弾き返す――途端、装備していた籠手から衝撃波が出てロックマウントごと弾き飛ばした。

 

「今だ! 光輝、雫!」

 

「ああ!――ふんっ!」

 

「ありがとう龍太郎君!――ハァッ!」

 

 衝撃波を放つことが出来、決して壊れないアーティファクトを使いこなした龍太郎のアシストを受け、光輝は弾かれたロックマウントを袈裟懸けに切り、雫は“無拍子”で地面、壁を蹴って手にした剣――刀とシャムシールの間のようなもので首を切り落とす。

 

 するとこの三人相手では勝てないと感じたのか、一匹のロックマウントが仰け反りながら大きく息を吸いこんだ。

 

「――! 守護の光をここに――“光絶”!」

 

 それを見た瞬間、鈴は二節省略して防御魔法“光絶”を詠唱する――直後、部屋全体を震動させるような強烈な咆哮が発せられた。

 

「ぐっ!?」

 

「うわっ!?」

 

「きゃあ!?」

 

 ロックマウントの固有魔法“威圧の咆哮”である。

 

 魔力を乗せた咆哮で一時的に相手を麻痺させる効果があったが、そこは鈴がとっさに張った薄い壁一枚と引き換えにけたたましい騒音に苛まれるだけで済んだ。

 

「こんの……ここに焼撃を望む――“火球”!」

 

 身動きがとれない事態を防げたことで、恵里はすかさず大口を開けていたロックマウントの顔面目掛けて“火球”を叩き込む。球の大きさを絞った代わりに火力と速さを少し上乗せした一撃は吸い込まれるようにロックマウントの口に入っていき、そのまま頭を爆発させた。

 

「恵里ってもしかして相当ヤバい奴なんじゃ……あっ――“光刃”!」

 

 あまりのえげつなさにドン引きしながらも光輝は“光刃”で聖剣を強化してロックマウントを三太刀で切り伏せる。

 

「いくら何でも躊躇(ちゅうちょ)がなさすぎるわ……ハッ!」

 

 親友の見せた残虐さの片鱗を見て軽く怯えながらも光輝の後に続いた雫は一撃でロックマウントの頸動脈を叩き切った。

 

「三人の訓練を遠目で見たことあったけどよ……やっぱ中村ヤベーわ――っと、オラッ!」

 

「だな。普通の神経してたらあそこまでエゲつない真似して平気なわけねーだろ――って危ねぇじゃねぇかクソゴリラ!!」

 

「シゴきでぶっ壊れた可能性もあるけど……いや、やっぱねーな。ここに焼撃を望む――“火球”」

 

「ここに風撃を望む――“風球”……なんであんなのにハジメが惚れてんだよ。意外とああいうの好きだったりするのか? 趣味悪っ」

 

「あーもうお前ら……俺も正直引いてるけどよ、あんまり恵里のことを悪く言わないでやってくれ。多分ハジメが泣くぞ。風よ纏え 汝の力となりて 敵を祓いたまえ――“纏風”」

 

 大介ら四馬鹿も恵里の容赦の無さに内心ビビりながらもロックマウントの群れに対処している。そして“()()()()”である幸利も大介と礼一の支援のかたわらハジメをフォローしていた。

 

「貴様ら! 無駄口を叩くな! 帰ったら説教だからな!」

 

 なお、彼らがだべっていたのをクゼリーはしっかりと見ていたため、大介らはもとより、光輝と雫、幸利も後で説教してやると息巻いていた。全員の表情が苦々しいものになったのは言うまでもない。

 

 光輝達が相手をした後、すぐに永山グループのメンバーと代わり、天職“重格闘家”の永山が壁役として引き付け、“付与術師”の吉野が攻防共に支援し、“土術師”の野村が地面から岩で出来た槍を射出して串刺しにするなどして全員が得意分野で対処していく中、残り少なくなったロックマウントの一匹がいきなりその剛腕を地面に叩きつけて迷宮を揺らす。

 

 そうして全員が姿勢を崩したところで二匹の咆哮が全員の耳をつんざき、そして一匹が丸まったロックマウントをこちらに向かって投げ飛ばす。

 

「――ひっ!」

 

 投げ飛ばされたロックマウントの敵意と獣欲でギラついた瞳の先には香織がいた。あまりにおぞましい視線に思わず腰を抜かしそうになり、体がすくみあがってしまった。

 

 “光絶”を張ろうにもフルに詠唱している時間はない。かといって省略したところで止められない。相手が手を組んで上段に振りかぶったのを見た途端、それがスローモーションの映像を見ているかのごとくゆっくりと流れ、脳裏にこれまでのことが浮かんできた。

 

(……あっ、そっか。私、ここで死ぬんだ――)

 

 死を強く感じ、父と母の顔、そしていつも隣にいた龍太郎の顔が浮かぶ。ああ、もう一度会いたかった。そしてずっと一緒にいたかった――そう思った時、この世界に来てから特に頼もしく見える後ろ姿が香織の視界に入った。

 

「猛り地を割る力をここに! “剛力”!」

 

 何かが潰れるような音と共に、すぐ目の前まで迫って来ていた魔物はいなくなる。そして体勢を立て直した他のクラスメイトがすぐに残存しているロックマウントに対処するのを見届けてから、ゆっくりと龍太郎が香織の方を振り向いた。

 

「……悪い。すぐに動けなくてよ」

 

「……ううん。間に合ったから、いいよ」

 

 目の前の少女の目尻から涙があふれそうになっているのを見た龍太郎は、ばつの悪そうな顔をしながら『そうか』とだけ答えて背を向ける。香織はそんな彼をじっと見つめるだけで何もしない。ただ、段々と瞳が別の意味でうるみ出していき、胸の内に温かいものがあふれていく。それが何なのかもわからないまま、ただじっと()()の幼馴染を見つめていた。

 

(……いい加減くっつきなよ。龍太郎が哀れだし面倒くさいんだってば)

 

 そしてそんな二人を視界に入れてしまった恵里は龍太郎への同情と一向に進まない二人の関係を見てやきもきし、『もしかしてこっちの香織って恋愛感情が無いんじゃ……』ともの凄く失礼なことを考えながらも索敵を続けていた。

 

 そうしてロックマウントの掃討が終わり、斥候に向いている天職である“軽戦士”の大介や、頑強な肉体を持つ龍太郎と永山が周囲を索敵し、魔物がいないのを確認するとクゼリーから小休止するよう通達が出た。小休止の後、索敵を続けながら地上に戻るとも伝えられる。

 

「あの~、クゼリーさん。あそこの鉱石って……」

 

「うん? 吉野か。あれはグランツ鉱石と言ってな――」

 

 永山グループに属する吉野真央は、この戦闘中に見かけた鉱物について尋ねていた。この階層の奥にある花が咲くように壁から生えていた青白く発光する鉱物であり、それが貴族のご婦人ご令嬢方に大人気であるといったことを聞いている。ちなみに同グループに所属している辻綾子もその説明を聞きながらその美しさに魅了されていた。

 

「このペースだったら四十層もすぐ突破して超一流の仲間入りするんじゃないか、重吾」

 

「そうだな……白崎に被害が出かかったが、これなら訓練次第ですぐに突破できるだろう……」

 

「さっすがリーダー! 俺らももっと活躍するから期待しててくれよ!!」

 

 そして女性陣を除く永山グループの五人は和気あいあいとしながら今回の訓練を語り合う。光輝達への悪感情こそ変わっていないものの、こうして一緒に戦う仲として敵意を露にすることだけはしなかった……やった途端にメルドや騎士団員に殴られたからやらなくなった、というだけであったが。

 

「……鷲三さん。()()()以外に周囲に人はいますか?」

 

「今のところはいないな……養生するように、と言ったはずだがな」

 

 一方、恵里達は警戒を怠らなかった。魔物を倒し尽くし、気が抜けているであろう今この時に仕掛けてくるだろうというのが共通の見解だったからだ。普段は訓練を終えたら気を抜いている香織と妙子も、今ばかりは気を張って周囲を見渡している。

 

 なお光輝の言う“あの人”とは、自分達がこの階層に入る前から既にいたフード付のクロークで全身を纏った()()であり、五日ほど前に全身が血まみれになって倒れていたところを鷲三らが偶然保護した()()()()()である。

 

 目を覚ましたのはこの大迷宮に来る二日前であり、傷が完治していないにもかかわらずいつの間にか隠れ家から抜け出してここに来ている。剛毅どころか最早執念で動いているやもしれないこの男に鷲三も霧乃もあきれ果てていた。その人は現在、自分達から五メートルほど離れた辺りで周囲を見渡している。

 

(……なかなか仕掛けてこないな)

 

 その中で恵里は特に神経をとがらせていた。こうして神殿騎士が直に発動させるのでもなく、自分達の周りにいるだけで何もしてこようとしない。せいぜい誰かに声をかけようとしたらにらまれる程度。おそらくここにいる奴らでなく、外部の人間辺りを使うんじゃないかと考えていると不意に二十層の入り口から声が響いた。

 

「お、やっと二十層に到着だな……あれ? 先客がいるじゃん」

 

 そして声のする方に顔を向ければ武装をした男一人女三人の四人組と、フード付のローブで体を覆った人間がこの階層に来たのである。

 

「ねぇちょっと、あのカッコって騎士団の人達じゃない? それになんかいい装備を身に着けてる人もいるみたいだし、国のおエラいさんと鉢合わせなんて聞いてないんですけど……」

 

「大丈夫よ。既にクライアントから()()はもらってるでしょ? 遠慮しなくっていいんじゃない?」

 

「ええ。それに今回の報酬の取り分はクライアントが三で私達が七でしょ……あれほどの大きさのグランツ鉱石、換金したら一体何ルタぐらいになるのかしらね。ここ最近装備もガタが来てるんだし、早く手に入れて帰りましょ」

 

 入り口の辺りでひそひそと話をしているのであまり聞き取れないものの、恰好からしておそらく大迷宮や討伐依頼などで日銭を稼ぐ冒険者なのだろうと恵里は考えた。そしてこいつらが教会の差し金であることも。

 

(……なるほど、アイツらか。アイツらを使って罠を起動させようって魂胆か)

 

 そうであれば()()()()簡単である。自分達が神の使徒であると言って、強権を振るうなり何なりしてここから立ち去るように伝えるだけだ。

 

 だが自分達を罠にかけようとしている教会のことを考えれば間違いなく一筋縄ではいかない。特に近くにいるあのローブを纏った奴の立ち振る舞いにとても見覚えがあったからだ。それもごく最近痛い目に遭わされたあの使徒にしか恵里には見えなかった。

 

(……クソッ、ここでもう投入してくるのか。今の皆だとまず勝ち目なんてないってのに。いや、鷲三さん達ならどうにか――)

 

 そこでふと気配を殺して忍び寄れる浩介や鷲三達ならどうかと[+特定感知]で気配を断っている彼らを探してみれば、あちらも冷や汗をかきながらじっとローブ姿の奴を凝視していた。

 

(この感じだと厳しい、と見た方がいいかもしれない。あぁクソッ! 仮にあのローブの奴が使徒だったら洗脳してアイツらを向かわせてくるだろうし、止めようとしてもアイツ自身相当強いから邪魔されたらもう無理だ! あぁもう、どうしたら……)

 

 内心うろたえつつも表には出さないよう必死になっている恵里を横に神殿騎士があの一団に声をかけた。

 

「何用だ? ここにおわす方々を神の使徒様と知って立ち入ったのか? 返答次第では容赦せんぞ」

 

「えっ……ちょ、ちょっとマズくないか? い、いくら何でも神の使徒様がいるとか聞いてないぞ……」

 

 するとリーダーらしき男が怯えた様子でこちらを一瞥してきた。そばにいた女達も大いにうろたえており、これで帰ってくれれば助かるのだが、ここから確実に何かしてくると思った恵里はハジメと鈴と一緒にすぐさま身構える……神殿騎士が目の前にいる以上、下手に詠唱なんてしようものなら即座に切り捨てられかねないからこそ、今はまだこれしか出来なかった。

 

「慌てる必要はありません。皆さま落ち着いて下さい」

 

「いや、流石にこれは予想外というか――ぁっ」

 

「そうそう。私達、流石に国に目をつけられてまでお金は欲しく――ぅ、ぁ……」

 

「あ、危ない橋渡るのは流石に――は……」

 

「ねぇ、これホントにちゃんとした依頼なんでしょうね? しょっぴか……れ……」

 

 うろたえていた四人が連れ合いのローブ姿の奴の方を振り向いた途端、ピタリと言い訳をするのが止まった。そこで確信する。間違いなくあれは使徒だ、と。すぐさま恵里は“邪纏”の詠唱に移ろうとするも――。

 

「貴様、何をしようとしている! あの冒険者達に危害を加えるつもりか!」

 

「ぁぐっ!」

 

「恵里っ!――ぐっ、離せ!!」

 

「やはり何か仕掛けていたのだな! 薄汚い裏切者めが!!」

 

 即座に近くの神殿騎士に押し倒され、頭を押さえつけられる。万力の如き力で締め付けられ、意識が飛んでしまいそうになる。遠くから聞こえる声の感じだとハジメ達までやられた様子である。このままだと不味いと思った瞬間、自分を抑えつけていた神殿騎士の男が覆いかぶさるように倒れ――ずに途中で止まった。

 

「もう姿を隠す必要もあるまい――全力で止めるぞ」

 

「――はいっ!」

 

 鷲三が気絶させてくれたらしい。ともあれ助かったと思ってすぐに立ち上がって周囲を見渡せば、浩介と霧乃がハジメ達を抑え込もうとする神殿騎士相手に大立ち回りをしてくれている。これなら行ける、と考えた恵里はすぐさま“邪纏”の詠唱に入った。

 

「なっ!? ど、どこから現れた貴様ら!」

 

「霧乃さん! 流石にちょっと数が多すぎますって!」

 

「ここは無理を通すところでしょう!――ハジメ君、鈴さん、戦えますね?」

 

「は、はいっ! 助かりました霧乃さん、浩介君!」

 

「はい! こっからは私達もやります!」

 

「貴様らが――やはり裏切者は我らの寝首をかこうとしていた! 使徒様、これが真実です!!」

 

 クゼリーや騎士団員がいきなり現れた浩介らに驚いてしまう中、神殿騎士は浩介達に対応しながらも無茶苦茶なことを言いだす。

 

「んなっ!? 遠藤!? お前も裏切ってたのかよ! そこのジイさんもおばさんも!」

 

「親友の浩介を、鷲三さんと霧乃さんを悪く言うな野村!!」

 

 野村の暴言に光輝は怒りを露にしつつ、浩介達に襲い掛かろうとする神殿騎士を無力化しようと聖剣を振るう。

 

「わ、我らは味方です! お、落ち着いてください使徒様!!」

 

「悪いが、ハナっから俺らはお前らのことを信用してないんだよ!」

 

「使徒様! どうか裏切者の手合いの援護はお止めください!」

 

「絶対に嫌っ!! 人の話も聞かないで、私達の親友を何度も何度も悪く言ったあなた達の話なんか聞かない! 聞きたくないっ!」

 

 龍太郎が慌てふためく神殿騎士に一撃を見舞う。神殿騎士が浩介、鷲三、霧乃を狙う度、やらなくてもいいというのはわかっていても香織は“光絶”を詠唱してその凶刃を防ぐ。

 

「ここで仲間割れをしている場合かっ!」

 

「仲間割れ? 私達は友達を守ろうとしてるだけよ!」

 

「悪いけど、永山君達が相手でも私達は引かないから!」

 

「そうだよぉ! 恵里達が悪く言われてるの、いい加減頭に来てたからっ!!」

 

 光輝達が正気を失って暴れてるようにしか見えてなかった永山はすぐさま止めようとするも優花、奈々、妙子の三人が彼の前に立って武器を構える。

 

  人殺しなんて耐えられないし、暴徒の鎮圧の経験こそまだなかったものの、対人戦込みで約二週間の訓練を積んでいた三人は永山を止めることにためらいは無かった。

 

「……そうだ。俺達は依頼されたんだ。え――」

 

「――二つを繋ぐ銀の帯よ 今(ほど)けよ――“邪纏”!!」

 

 光輝達が神殿騎士と暴れているかたわら、正気を失った冒険者の一人に魔力のほとんどを込めて放った“邪纏”が届く。

 

 こちら側に振り向こうとした男の方は、脳からの命令を体が受け付けなくなった事で振り向いた勢いもそのままにその場に倒れ伏せたものの、他の三人も既に使徒の術中にかかっており、焦点の合わない瞳で何度もうわごとを呟いていた。

 

「すべては中村様のために……」

 

「私達は南雲様のために来た……来た?……来た、来た……」

 

「私達の依頼者は……たに、ぐち様? 谷口様。すべては谷口様のために」

 

「言わせはせぬ――っ!?」

 

「申し訳ありませんが、今しばらく眠って――!?」

 

 神殿騎士をあらかた鎮圧し終えた鷲三と霧乃はすぐに残りの冒険者に対処しようとするも、音速もかくやの勢いで飛んできた幾本もの銀の羽根によって体の一部を抉られ、その場に倒れ込んでしまう。

 

「ぐぉっ……まだ、だ」

 

「うぐっ……ええ。八重樫を、侮った報いを……受けさせねば」

 

「お爺ちゃん!? お母さん!? 動いちゃ駄目!」

 

「我が主はあなた達の存在を見通していました。何をしようとも無意味です」

 

 二の腕、両腿、そして脇腹を抉られてもなお気絶せず立ち上がろうとする鷲三と霧乃を前にしても、ローブ姿の何物かの冷徹な表情は変わらない。うっとうしい羽虫を見るそれと未だに変わりはなかった。

 

「止めるなよハジメ! 師匠が、霧乃さんが!!」

 

「絶対にダメだ! まだ()()()()()()()()! ここで浩介君を失う訳にはいかないんだ!!」

 

 今にも飛びかかりそうな浩介を抑えつつ、自身も怒りで頭が沸騰しそうなハジメが叫ぶ。浩介ならば使徒を倒せるであろう道具を作る手を止めてでも彼を制止しようと必死になって説得する。

 

「私のすべては中村様のためにぃーー!!」

 

「南雲様ァー!! 見ておられますかぁー! 私が今あなたを救いますぅーー!!」

 

「谷口様ぁ! 見ていてください! 私達の行いをぉぉおぉ!!」

 

「――お前ら、今すぐあの冒険者達を止めろ!!」

 

 そして狂気のままにグランツ鉱石目掛けて走っていく冒険者を見て、どうすればいいかと迷っていたクゼリーもようやく号令を発する。すると聞き覚えのある声がクゼリーの耳に届いた。

 

「俺も加勢するぞ! マトモに戦えなんてしないがな!!」

 

「――メルド団長!? 生きておられたのですね!」

 

 身に着けていたクロークを脱ぎ捨てると、メルドもすぐに冒険者達を抑え込もうとした。しかし――。

 

「邪魔です」

 

「うわっ!?」

 

「くっ!?」

 

「ぬぉっ!?」

 

 フード付のローブを纏った何者かの背後に羽が生えると、そこから射出された銀の弾丸が牽制するかのごとく神殿騎士以外のこの場にいる全員の足元を穿っていく。

 

「クソッ、詠唱が……もう一度――」

 

 再度“邪纏”で足止めしようとしていた恵里であったが、凄まじい速さで飛来した銀の羽根を避けるのに意識を持っていかれて詠唱を中断してしまう。やはりあれは使徒で間違いないと思いつつ、再度詠唱に入ろうとした時、ハジメが叫んだ。

 

「恵里、皆も! このまま彼らを通そう!」

 

「ハジメくん!? で、でも――」

 

「それでいいのかハジメ! このまま通したら――」

 

「僕のことはいい!! これ以上は皆がただ消耗するだけだ! 今は少しでも力を温存するんだ! それにアイツの狙いが僕らなら目的を果たすまで生かすはず――」

 

「待つんだ、ハジメ君……!」

 

 ハジメが必死に説得する中、声を絞り出した鷲三の方に光輝達の意識が向かう。そして鷲三達を見た途端、全員が何も言えなくなってしまった。

 

「聖浄と癒しをもたらさん――“天恵”……ダメッ! 鷲三さん、霧乃さん、まだ傷が――」

 

「お願いだから動かないでください! 二人が、二人が死んじゃうから!!」

 

「おねがい……おじいちゃん、おかあさん。もう、やめて……しんじゃうよぉ……しんじゃやだよぉ……」

 

「死なん……ぞ。まだ、孫娘を置いて、死ねるか……」

 

「そう、よ……娘を泣かせて死ぬなんて、まだ早い……わ」

 

 鈴と香織が泣きながら必死になって治癒魔法を二人に施し、雫が涙を流しつつ二人の名を呼んでいたのである。魔法のおかげで傷は徐々に塞がっていき、どうにか受け答えこそ出来ているものの二人の顔は未だ青い。これを見て神殿騎士と抵抗していた龍太郎や大介達も頭から血が引いていくのを感じた。

 

「賢明な判断です、運び屋(ポーター)。私に勝利出来るという点を除けば、ですが」

 

 ローブ姿の何者かが冷たい笑みを浮かべると同時にこの場にいた全員の視界が白一色に染まる――トラップが起動してしまったのだ。

 

 視界が染まると同時に一瞬の浮遊感に包まれ、空気が変わったのを感じるとドスンという音と共にほぼ全員が地面に叩きつけられた。

 

 尻の痛みに呻き声を上げながらも、恵里はすぐさま立ち上がって周囲を確認する。クラスメイトのほとんどは自分と同様に尻餅をついていたが、既に光輝達や永山、クゼリー、メルド、騎士団員にまだ気絶してなかった神殿騎士は立ち上がって周囲を警戒していた。

 

 見たところ、恵里達が転移した場所は巨大な石造りの橋の上だった。ざっと百メートルはあり、天井も高く二十メートルはあるだろう。橋の下は川などなく、全く何も見えない深淵の如き闇が広がっていた。まさに落ちれば奈落の底といった様子である。そして恵里はこの光景に見覚えがあった。

 

(ここは……あのパネルにもあったけど、確かかなりヤバいのと遭遇したはず。だとすると、ハジメくんはここで――)

 

 そうしておぼろげな過去の記憶とエヒトの居城で見た記憶を照らし合わせていると、周囲の確認を終えたらしいメルドとクゼリーが号令をかけた。

 

「お前達、直ぐに立ち上がって、あの階段の場所まで行け。急げ!」

 

「メルド団長の言った通りだ! 殿(しんがり)は私達が受け持つ!」

 

 それを聞いた永山らは戸惑いながらも階段の方へと動き、恵里と光輝達も永山達にならって向かおうとした。

 

「動くな、裏切者ども」

 

「勇者一行はそのまま行きなさい――ですが、中村恵里、運び屋(ポーター)、そこのイレギュラーは通しません」

 

 しかし彼らの前に未だ無事の二人の神殿騎士と、白を基調としたドレス甲冑を身にまとったノイントが立ちふさがる。神殿騎士の二人は腰に下げていた大剣を構え、一方ノイントは両手を左右へ水平に伸ばし、身に着けていたガントレットが一瞬光ると同時に両手に白い鍔なしの大剣がその手にあった。

 

「……どうしても、ハジメ達を殺したいのか」

 

 怒りで声を震わせながら光輝が問いかけるも、目の前の三人はそれに異を唱える。

 

「いいえ。()()違います。まだ彼らには利用価値があるので」

 

「ええ。彼らにはこれから現れる魔物の相手をしてもらうだけです」

 

「そのために彼らが必要です――理解出来たでしょうか? さぁ、勇者よ。あなた達は早くお行きなさい」

 

「そんな理由で俺達が首を縦に振るとでも思ったのか……いい加減にしろ。そんなことは俺が絶対にさせない!!」

 

「納得できるか!!」

 

「それで納得出来ると思ってんならおめでてぇな――お前らは絶対に倒す」

 

 光輝、龍太郎、幸利が吼えると同時に全員が武器を構える。圧倒的な強さを前に体がすくむも関係は無い。ただ友を守るために、彼らを見捨てて後悔しないために。

 

 その時、新たに迷宮のトラップが作動し、階段側の橋の入口に現れた魔法陣から大量の魔物が出現した。更に、通路側にも魔法陣は出現し、そちらからは一体の巨大な魔物が姿を現す。

 

「バカ、な……ここが、あの……」

 

「まさか……ベヒモス……なのか……」

 

 その巨大な魔物を見たクゼリーとメルドは絶句し、騎士団員も呆然とするだけであった。彼らの頭に浮かんだのは絶望の一言――かつて“最強”と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物がこの場にいるのだ、と。

 

「中村恵里、運び屋(ポーター)。あなた達は今現れたあの巨大な魔物を相手してもらいます。拒否権はありません」

 

 ノイントの冷たい言葉が、迷宮内に響いた。

 

 

 

 

 

『ふむ、どうも繋がりが悪いな……』

 

 一方その頃エヒトは、自身とノイントとの魔力の繋がりと使徒同士の記憶の共有速度が悪いのを感じながらも、オルクス大迷宮にいる恵里達の姿を空間魔法と昇華魔法で作ったモニターに映してながめていた。

 

 今のところほぼ全てエヒトの思うままに状況が進んでいる。満身創痍もいいところの老人と女、そして元騎士団長がいることぐらいが予想外といった程度でしかない。だがそれもエヒトにとってはどうでもいい()()でしかなかった。

 

『“神子”はここより更に深く……ふむ、流石にこれ以上深くにいるとなると、使徒では少々厳しいか』

 

 そしてあることを思案する。それは使徒の活動の限界が近いやもしれないということだ。

 

 今も使徒と自身の魔力の繋がりはあるのだが、先程いた二十層の時よりも伝達する魔力のロスが多くなっている。今この状態で魔力による能力の底上げをすると、エヒトから伝達する分を含めても三分程度で魔力が空になってしまうのだ。

 

 幸い今はまだそれをする必要がないのだが、もし仮に今この階層よりも深い場所で調査をするとなると、どこかで自身とノイントとの魔力のパスが途切れてしまう。魔力が切れても使徒であるノイントが動けなくなる訳ではないが、もう一つ懸念していることがあった。使徒同士の記憶の共有速度が悪いことである。

 

 エヒトが危惧していたのは今よりも深い階層を調査した際、どこまで記憶を他の使徒に届けられるかがわからないことだ。記憶の共有が出来ている内に神子を見つけられるのなら問題ないのだが、そうでなかった場合、神子を保護出来たかがわからず、もし仮に活動していた使徒が停止してしまっては神子の行方がわからなくなってしまう。こればかりはなんとしても避けたかった。

 

 それらを踏まえるとここから先の調査はやはり当初の通り、中村恵里と運び屋とエヒトが蔑む南雲ハジメ、谷口鈴の三人に任せた方がいいだろうと考えている。神殿騎士の方は怒りや怨嗟に満ちていることを考えると、折を見て消す方がいいだろうとモニターを見ながら考えていた。

 

『さて……中村恵里、運び屋(ポーター)よ。私の思う通りに動いてみせよ』

 

 天より遥か彼方にて、大きな悪意が少女たちを見下ろしていた。




そういや割と原作通りの流れだなー(鼻ホジ) でもまぁいいや。ヨシ!(現場猫)


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三十話 戦う子供たちと大人達

個人的な話で恐縮ですが、ある方の活動報告を見て筆が一度止まりました。とても、とても悲しい報告でした……。

では改めまして拙作を見てくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも77997、お気に入り件数も618件、しおりも244件、感想も170件(2022/1/27 6:42現在)にまで上りました。誠にありがとうございます……あれ、二週間以上投稿なしだったんですけど。なんか伸びてて怖っ。

それとふうすけさん、サボテンテンさん、もろQさん、ロイクさん、拙作を評価してくださってありがとうございます。皆様がこうしてこの作品を評価してくださるおかげでまたモチベーションを高く保つことが出来ました。ありがとうございます。

今回も話を分割した都合で短くなっております。では本編をどうぞ。


(ホントに……何が何なんだよ!!)

 

 玉井淳史は心の中で叫んでいた。

 

 危なげなくこなせた訓練の終わりと同時に何故か現れた冒険者達。

 

 何かやろうとして抑え込まれた中村と、中村や南雲を抑え込んでいた神殿騎士が倒れると同時に始まった乱闘。

 

 そして冒険者達が突如発狂し、自分達が敵視していた南雲達の名前を叫んであのグランツ鉱石のとこへと一目散に向かっていく。しかもそれに触ったせいなのかどこかの階層へと転移してしまう羽目に遭う。

 

 起きた不幸はそれだけではない。自分達のいる石造りの橋の両端に魔物が現れて挟み込まれているのだ。連続して起きた異常事態で頭が回らなくなっている彼の耳に背後の魔物の凄まじい咆哮が響く。

 

「グルァァァァァアアアアア!!」

 

「ッ!?」

 

 その咆哮で正気に戻ったのか、メルドとクゼリーが矢継ぎ早に指示を飛ばそうとする。

 

「お前達、今すぐ階段に向かえ!! ボサっとするな!!」

 

「アラン! 神殿騎士と合流し、生徒達を率いてトラウムソルジャーを突破しろ! カイル、イヴァン、ベイル! 全力で障壁を張れ! ヤツを食い止め――!!」

 

「死ねぇええぇぇえ!! 中村様を害する寄生虫めぇえぇえ!!」

 

「ぐっ!?」

 

「お前らのせいで、お前らさえいなければ南雲様はっ!!」

 

「見ていますか谷口様ぁ! あなたを邪魔した騎士団を今、ダニエラが殺してみせますぅーー!!」

 

「俺の全ては中村様のためにぃーー!!」

 

 だがここで錯乱していた冒険者が次々と()()()の人間に襲い掛かってきたのだ。メルドとクゼリー二人で気が狂った冒険者達を食い止め、命令を聞いた騎士団員達は即座に行動に移れたものの、それを見てしまった自分を含むクラスメイト達は気が気でなかった。

 

「皆様! 落ち着いて下さい! 皆様は我ら神殿騎士が命に代えても守ります!!」

 

(どうして、どうしてこんな時に騎士団の人を襲うんだよ!! ホント意味がわかんねぇよ!!)

 

 前方から無数に湧いてくる骸骨の魔物と背ろから迫る恐ろしい気配。そして南雲達を崇めるかのような言動をする冒険者達のせいで自分を含めた永山グループの皆は半ばパニックを引き起こしていた。この一連の出来事で誰もが違和感を感じたが、いきなり石造りの橋全体が大きく揺れたことでその小さな気づきも恐怖に塗りつぶされてしまう。

 

(こんな、こんなところで死にたく――)

 

「これまでの厳しい訓練を潜り抜けた皆様ならば如何なる魔物も倒せます! 背後の魔物は騎士団に任せ、我らと共に前方の魔物に対処しましょう!」

 

 悲鳴を上げ、転倒する人間が続出する中、ここで冷静に判断を下して導いてくれた神殿騎士の言葉に玉井だけでなく、永山グループの皆がすがる。やはり自分達を守ってくれる大人は彼らだけなのだ、と誰もが信じてしまった。

 

「行くぞ玉井……俺と仁村、お前で目の前の魔物を食い止める。いいな?」

 

「……ああ、わかった! 頼りにしてるぜ、リーダー!!」

 

 そして天職“斧術師”である玉井は得物の斧を構え、眼前の骸骨の魔物である“トラウムソルジャー”へと向かっていく……敵視する南雲達が属する光輝達のグループの誰もが来ないことに気づけないまま、頼りになる神殿騎士のために、自分のいるグループの奴らを守るために鍛えた腕を振るうのであった――。

 

 

 

 

 

「中村恵里、運び屋(ポーター)。あなた達は今現れたあの巨大な魔物を相手してもらいます。拒否権はありません」

 

「は――い、や……だね!」

 

 ノイントの言葉に恵里は思わずうなずいてしまいそうになってしまうも、頭を振ってどうにかその考えを追い払う。ノイントの言葉がひどく甘美なものに思えたことに軽くショックを受けるも、恵里の脳裏にあることが浮かぶ――エヒトが自分にやった『褒美』とやらであった。

 

 まさかこれがと思った次の瞬間、ノイントの言葉によって恵里は確信してしまう。

 

「ふむ。この程度では無理ですか。ならば主に代わり私が命じます――“首を絞め続けなさい”」

 

「は――がっ!? あ、ぐ、うぅ……」

 

「恵里!?」

 

「そんな、しっかりしてよ恵里!」

 

 ノイントの言葉を聞いた途端、自分の腕が勝手に首を絞めだす。どうにか手を動かそうとしてもわずかたりとも腕は動かない。ハジメ達が駆け寄ろうとしても、元凶であるノイントに攻撃しようとしても、背中の翼から放たれた銀の弾丸がそれを許すことは無かった。

 

「よくも……よくも恵里を!!」

 

「あなた方に選択肢はありません、運び屋(ポーター)。私達の命に従わない限りは中村恵里は死ぬまで自身の首を絞め続けるでしょう。賢明な判断を」

 

 そう事もなげに話すノイントに大介達四人は恐怖し、彼ら以外のこの場にいた誰もが怒り狂う。だがノイントの翼から放たれる分解能力を宿した羽根が彼らの行動の一切を許さない。故に恵里の命のカウントダウンは刻一刻と近づいてきていた。

 

 既に恵里も顔を青ざめさせてきており、何度も鈴が“天恵”で治そうとしているが結局は堂々巡りでしかない。どうすれば、と誰もが思っていると不意にハジメがわかったとつぶやく。

 

「なら、僕と恵里があの化物を相手するなら解放してくれるんだよね?」

 

「ダメだハジメ! お前と恵里だけであの化物は――」

 

「従うと見てよろしいですね。なら改めて我が主に代わり私が命じます――“その手を放しなさい”」

 

 そうノイントが告げると同時にどうやっても動いてくれなかった手が離れ、ようやく呼吸が出来るようになった恵里はむせ込んでしまう。

 

「恵里!」

 

 そこにハジメだけでなく鈴や光輝、雫らも行こうとするも、再度放たれた羽根によりハジメ以外の接近をノイントは許さなかった。何度となくむせこみ、ようやく頭に酸素が行き渡るようになると、恵里は寄って来てくれたハジメの耳元で伏し目がちにつぶやいた。

 

「ごめん、ハジメくん……また、ボクのせいで……」

 

「恵里の気にする事じゃないよ――恵里、僕と一緒に戦ってくれる?」

 

「当然、でしょ……ハジメくんの隣は、いつだってボクの居場所だ……!」

 

 しかしハジメは気にする事なく恵里の肩に手を置いて問いかける。そんな愛しい人からのお願いに心からの笑顔を、そして獰猛な笑みを浮かべて応えると恵里は差し出された彼の手を取って立ち上がった。

 

「ありがとう、恵里――ごめん、光輝君。皆は永山君達の救援をお願い」

 

「すまないハジメ、俺達は――」

 

「光輝君の言いたいことはわかるよ。でも、こうなった原因は僕だから……それに、彼らだって怪我したら家族の人が悲しむよ。だから、お願い」

 

 ハジメからの真摯な願いと自分達が忘れていた当たり前の事実を言われたことで誰もが呆然としてしまう。自分達といがみ合っていた彼らだって帰る場所が、帰りを待ち侘びている家族がいるのだ。そんな、あまりにも普通の事に誰もが思い至って何も言い返せなくなる。

 

「頼むよ。こっちは僕と恵里でどうにかするから。それと浩介君、コレ」

 

「お、やっとか。待ちくたびれたぜ、ハジメ。これでアイツを――」

 

「相変わらずハジメくんはお人好しなんだから……ま、そっちの方は任せるよ。エヒトとの戦いで頭数は必要だしね」

 

 ハジメが気配を断っていた浩介に何かを渡すと、そのまま恵里と一緒に走って巨大な魔物相手に対処している騎士団の方へと向かっていく――何も言えずに二人を見送っていた光輝達だったが、不意に龍太郎がある事を立案する。

 

「……永山達の方は俺と香織、あと何人か来てくれ。そっちの方は俺らで対処する」

 

 その言葉に誰もが顔を見合わせる。永山達が戦っている魔物は遠目から見ても相当な数であり、永山グループの面々と神殿騎士十数名を以てしても倒しきれていない事を考えれば何かしら厄介な要素を持った相手なのだろうと龍太郎も考えていた。だがそれを行かない理由にはしなかった。

 

「龍太郎、でも……」

 

「正直俺も残ってコイツらをブチのめしたいのは山々だし、アイツらと協力はやっぱり気が引けるんだがな……ハジメに頼まれたんだ。なら今は怒りを呑んでやるさ。だからよ、ハジメ達の()()を守ってやってくれ」

 

 そう言って龍太郎は香織の方に視線を向けると、一瞬ためらいを見せながらもすぐにうなずいて返してくれた。それに申し訳なさそうな笑みを一瞬だけ向けると、龍太郎は香織と一緒に永山達の方へと向かっていく。その数秒後、鈴と幸利が顔を見合わせ、光輝達に自分達も行く旨を伝えてきた。

 

「私達も行くよ。回復役は何人いても足りないだろうから。後は頼むね」

 

「正直俺も龍太郎と同じでアイツらなんざ助けたくはねぇ。でもまぁ、ハジメからの頼みだしな。行ってくる……コイツらをちゃんとブチのめせよ」

 

 そしてすぐに彼らに背を向けて走り出していった。四人の背中が遠ざかっていく中、相対した神殿騎士の一人が光輝達に問いかけてくる。

 

「……何故です? 何故勇者様は裏切者の肩を持つのですか?」

 

 その言葉に光輝は聖剣を構えながら答える。

 

「親友だからだ。そしてお前達は俺の……俺達の親友を何度となく無実の罪で非難して、こうして死地へ向かわせた。それ以上の答えなんてない」

 

 光輝が答えると同時に他の面々も各々の武器を改めて構えた。未だ戦う恐怖が消えた訳ではない。だがもうあちらの好きにされたくない、恵里達がこれ以上愚弄されるのを我慢していられないという思いでそれを塗りつぶし、誰もが戦うことを選ぶ。

 

 そんな光輝達を神殿騎士の二人は信じられないものを見るような目つきで見ており、ノイントはただ静かにそれをながめていた。

 

「……ここまであの裏切者の存在が厄介だったとは」

 

「ならば一度、我らに逆らったらどうなるかを教えて差し上げましょう」

 

「それがあなた達の選択ですか。ならばせめて足掻いてみせなさい」

 

 そして相対する三人の目つきが一層怜悧(れいり)なものに変わり、纏う雰囲気も一層冷たく険しくなった。

 

「神殿騎士が一人、ルーニー・アティック」

 

「神殿騎士が一人、ファナ・アティック」

 

「「参る」」

 

「“神の使徒”ノイント、参ります」

 

「来るぞ皆! 俺が銀髪の女を相手する! 檜山達と優花達はあの神殿騎士の方を頼む!! 雫! 鷲三さん! 霧乃さん! こっちの援護を頼みます!」

 

「いいのか!? おい、死ぬかもしれねぇんだぞ天之河!」

 

「本気なのコウキ!?」

 

「俺に考えがある! いいから今は俺に従ってくれ!」

 

「すまんが光輝君、私達は少々やらねばならんことがあるんでな!」

 

「機を見て参加します。ですので雫、あなたが光輝君を支えなさい!」

 

「はいっ、お母さん! お爺ちゃん!」

 

 一気に距離を詰めてくる三人に光輝達も向かっていく。今ここに戦いの火ぶたは切って落とされた。

 

 

 

 

 

「クソッ、邪魔だ!!――“風刃”!」

 

「ぐぅっ!? おのれぇええぇ!!」

 

「お前達は引き続き“聖絶”を維持! こちらは私と団長で今どうにかする!!」

 

「「「「はっ!!」」」」

 

「エレーナ!――お前の死は中村様の糧になったぞぉおおぉ!!」

 

 一方、クゼリー達の方は通路側から出現した魔物である“ベヒモス”と正気を失った四人の冒険者相手に翻弄されるままであった。

 

 現状、防御魔法最高峰の“聖絶”を三人で同時に行使したおかげで今のところは突破されていない。だがこの多重障壁が形を維持できるのは一分が限界であり、現状団員達が魔力を込めて維持しているが、魔力が切れてしまえばそれまでだ。

 

 この限定された空間ではベヒモスの突進を回避するのは難しい。それ故、逃げ切るためには障壁を張り、押し出されるように撤退するのがベストだ。だがそれを許さないのが狂乱する冒険者達だ。メルドと一緒に対処し、一人ずつ倒していっているのだがこのままでは逃げ切る前に“聖絶”の効力が切れてしまいかねない。

 

(クッ、このままではもう保たん! ならばいっそ、多少の傷も覚悟で――)

 

「――“堕識”ぃ!」

 

「――“れんせぇ”っ」

 

 だが二人の耳に聞き覚えのある声が届いた途端、相手をしていた男の冒険者が一瞬動きを止めた。それを逃さずメルドと共にクゼリーは切り捨て、残った二人の冒険者もいきなりつんのめったところを一気に倒した。

 

 そこで声のする方にメルド達は視線を向けると、橋の上に胃の中の物を吐き出すハジメとそんなハジメの背中をさすりながら心底心配そうに見つめる恵里の姿が二人の視界に入った。

 

「ゲホッ、ゴホッ、うぇっ……」

 

「大丈夫ハジメくん!? しっかり、しっかりして……今、魔法で落ち着かせるから」

 

「坊主、中村……どうして戻ってきた!」

 

「そうだ! お前達にも退避しろと命じたはずだぞ!!」

 

 橋の上に転がっていた人間の死体を見て吐いていたハジメの心を魔法で落ち着かせると、恵里が二人の質問に答える。

 

「まぁ教会の奴らの差し金、ってことで……それより今の状況は? 思いっきりヤバいみたいだけど」

 

「……そう、か。今のところはまだあの魔物――ベヒモスを抑え込めてはいる。しかし――」

 

「本来なら押し出される形で徐々に退いていく予定だったんだが、襲い掛かってきた奴らの始末に時間がかかってしまった。このままでは――」

 

 緊急時故に猫を被る余裕こそ無かったものの、努めて冷静かつ端的に恵里が説明し、状況の説明を求めた。メルド達は恵里の不遜な物言いは流石にイラっときていたものの、助けられたのは事実であり、そんなことをしている暇はないため、あえて流して今の状況を恵里に聞かせた。

 

「どっちにせよ乗るしかなかったかぁ……ハジメくん、やれる?」

 

「……うん。もう、大丈夫。ここで動かなかったら一生後悔する、から……」

 

「待てお前達、こんなところで死ぬ気なのか!」

 

 結局ここに来なければ本当にまずかったかもしれないことに心底頭を抱えたくなったものの、恵里は吐き気が収まりつつあったハジメに問いかけた。一方ハジメも戦う意思を奮い立たせながら立ち上がり、恵里の目を見つめながら了承する。それをクゼリーは咎めるものの、メルドは一度目をつぶってから恵里達の方を見やった。

 

「……わかった。中村、ここに転移する前に冒険者の意識に干渉するような魔法を使ったな? やれるか?」

 

「メルド団長!?」

 

 メルドがそれを認める発言をしたことでクゼリーは大いに慌ててしまう。たった二週間程度の訓練しか受けていない戦いに関しては素人同然な二人を引っ張ってくることと、国の犠牲者である彼ら二人をこうして死地に送り込むことにためらいを見せないメルドの正気を疑ったからだ。

 

「はい。でも詠唱に時間がかかります」

 

「ですので僕が恵里の詠唱の時間稼ぎをします。それで大丈夫ですか、メルドさん」

 

「わかった。クゼリー、間に合わない場合は俺達で二人の時間を稼ぐ。いいな?」

 

 だが当の二人は事もなげにそれを受け入れてやれることのすり合わせを行っていく。正直頭痛がするものの、こんな状況で答えを先延ばしにすることの愚かさをクゼリーはよく知っていた。故に――。

 

「……わかり、ました。ですが、二人の無事を最優先に。いいですね?」

 

 ため息を吐きながらもクゼリーはそれを承諾するしか出来ず、二人がうなずくのを見るとすぐさま団員達の許へと向かわせた。無論団員達も驚いていたが、手短に恵里達が説明するとすぐに納得した様子を見せた。

 

「もう“聖絶”は維持出来ん! やれ、南雲!!」

 

「はいっ!――“錬成”!」

 

 そして悲鳴交じりの団員の指示を受けたハジメの詠唱から作戦は始まる。ベヒモスが突っ込んできて障壁の亀裂がひと際大きくなったと同時にベヒモスの足元が一メートル以上沈みこみ、ダメ押しとばかりにその埋まった足元を錬成して固めていく。

 

「グルゥォォォオオオオオオ!!」

 

「――“堕識”!!」

 

 ベヒモスが咆哮と共に沈んだ足場を破壊して脱出しようとする直前、恵里の詠唱が間に合った。ベヒモスの目の前に明滅する闇黒色の球体が現れた途端、魔法の効果で意識を失ってそのまま体ごと倒れ込んだ。

 

「――“錬成”!」

 

 それをハジメは逃すことなく、ベヒモスの体全体を更に沈めていく。特に頭をより深く、目元以外が見えなくなるまで埋めていく。すぐに脱出が出来ないようにするのと窒息狙い、そして恵里の“堕識”や“邪纏”の効果が発揮するのが“詠唱時に出てくる黒い球体を目で見ること”であるためこうしたのである。

 

「これなら……クゼリー、アランを貸せ! 俺とアランで他の奴らの援護に回る!!」

 

「了解しました! では、私達は――」

 

「もうしばらく残ってくれ! 坊主達だけにした途端、神殿騎士の方が排除にかかってくる可能性があるからな!」

 

「了解!……聞こえたな二人とも! 今しばらくの辛抱だ!! こちらも土系魔法で援護するからなんとしても保たせろ!!」

 

「はいっ! 恵里、もう少しだけ頑張って!!」

 

「――“邪纏”! とぉ~ぜん! ハジメくんからのラブコールがあるならもっともっと頑張らないとねぇ!!」

 

 メルドはすぐにクゼリーと話し合い、騎士団員のアランを連れて階段側へと向かっていった。そして残ったクゼリーと他の団員もハジメと息を合わせながら土系魔法を発動し、恵里も魔力回復薬をちょくちょく飲みながら“邪纏”を何度も詠唱してベヒモスを拘束していく。

 

 この場にいた誰もが玉のような汗をかき、軽く肩で息をしながらも『このままならいける』と勝利を確信していた。ベヒモスは呼吸困難で段々と顔を青ざめさせてきており、拘束に使う魔力もほんのわずかではあるが減って来ていた。

 

「まだ気を抜くな! ここでもし逃して息を吹き返されでもしたら終わりだぞ!」

 

「「はいっ!」」

 

「「「「了解!」」」」

 

 だが誰も気は抜かない。いっそここで確実に仕留めるとばかりに恵里達はその手を緩めはしなかった。

 

「――――――――!!」

 

「――“錬成”!」

 

 もう何度目か数えるのも億劫になったベヒモスの足掻き。白目を剥き、けいれんで体を震わせながらであったものの、その巨躯故にもたらす破壊力は凄まじかった。

 

 亀裂こそハジメが錬成を続けているおかげで入ってはいないものの、橋が大きく揺れ、もし仮に何らかの理由でハジメが錬成を止めてしまったらそのまま拘束から逃れたであろう事はこの場にいる誰もが想像していた。

 

「――“邪纏”!」

 

「「「「―― “縛石”!」」」」

 

 故に誰も手は抜かない。容赦はしない。白目を剥いているためあまり効果はないものの恵里が再度“邪纏”を叩き込んで動きを封じ、石の鎖を作る土系魔法“縛石”によって雁字搦めにしていく。そして――。

 

「……終わった?」

 

 もがいていたベヒモスが大きくのけぞったのを最後に、そこから地面に大きく倒れ込んで動かなくなったのだ。それを見た恵里は思わずそうつぶやいたものの、まだ安心は出来ないと恵里を手で制してクゼリーが前に立った。

 

「……念のため私が確認する」

 

 そう言って腰の剣を抜いておそるおそる近づくと、大きく見開いた白目に勢いよく剣を突き立てた。勢いよく出血こそしたものの、これといった反応は特になく、更に根本まで深々と刺しても(まばた)き一つすらしなかった。

 

(倒した、のか……私たちが? 本当に?)

 

 目の前の光景が信じられず数秒程呆然としていたものの、ようやく自分達が成した事を理解出来たクゼリーは大いに安堵した。かつて、“最強”と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物をこうして倒せた。後は階段側に沸いた魔物を倒して帰路を確保するだけだ、と。

 

「お前達、ベヒモスの討伐を今ここに確認した! これより撤退に移るぞ!」

 

 ベヒモスを倒せた事で気が抜けそうになったものの、それはまだ早いと自分に言い聞かせ、まずは恵里達を含む全員がここを離脱することが最優先だと動こうとした――その時であった。

 

「――総員、前方に伏せろ!!」

 

 階段側の通路から渦巻く炎――炎系の魔法である“螺炎”が自分たちを焼き尽くさんと迫ってきていたのだ。恵里もハジメもクゼリーの声にすぐに反応できたおかげで体を燃やされることは無かったが、螺旋の炎は動かなくなったベヒモスに着弾した。

 

「総員走れ! 絶対に足を止めるな!!」

 

 クゼリーの指令に従い、恵里達は橋を駆け抜けていく。どうしても自分とハジメを排除したい教会の意志に呆れながらも恵里は走る。鈴が、親友達が、ひどい目に遭ってないことを祈りながら。




本日も懺悔のコーナー
話の構想をしていた時は一話で終わる予定だったのに。気づけば前話含めて四話構成になりそうです……どうしてこうなった定期

あ、あと次回の更新は二、三日後の予定です。


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幕間十三 この世界の残酷さを子供たちは戦場で知る

こうして拙作を読んでくださっている皆様にまずは感謝を。
おかげさまでUAも79387、お気に入り件数も621件、しおりも248件、感想も176件(20221/30 8:18現在)にまで上りました。本当にありがとうございます。いやもうホント皆様が愛想をつかさないでこうして見てくださるのホント嬉しい……。

そしてAitoyukiさん、WizAsuraさん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。こうして自分の作品を評価していただけることは何にも代えがたい幸せです。本当にありがとうございます。

今回のお話は恵里達がベヒモスと戦っている最中、他の子達がどうしてたかのお話です。またタイトルから察せられる通り、今回は鬱・胸糞展開が入ります。ご注意ください。あと今回歴代最長(16563字)です。上記のことに注意して本編をどうぞ。


「随分と諦めが悪いようですね」

 

「守りたいものがあるからな! 負ける訳には、いかないんだ!!」

 

 恵里達がベヒモス相手に上手く立ち回っている一方、石造りの橋の中間の辺りで神殿騎士二人とノイント相手に光輝達も死力を尽くして戦っていた

 

「悔い改めよ! エヒト様の御意志に逆らうおつもりか!!」

 

「誰が……するかっ!」

 

「おう! 従うぐれぇなら……逃げてやらぁ!!」

 

(すさ)ぶ疾風よ 姿なき刃よ 鋭き刃となり この場を駆け抜け 敵を切り裂け――“鋭迅”!」

 

「燃え盛る炎よ 猛り狂う熱よ 石をも貫き 壁すら燃やせ 焼け続ける槍よ疾れ――“炎槍”!」

 

 神殿騎士の一人、ルーニー・アティックを相手していた大介達はここ二週間の訓練で身に着けた連携を駆使しながら戦っていた。“軽戦士”の大介が高機動力によるかく乱、“槍術師”の礼一の堅実な攻撃、そして“炎術師”の信治と“風術師”の良樹が魔法で援護するというスタイルである。

 

「ほらっ! これでどう!!」

 

「チッ、やはり軌道が読み辛いのは厄介ですね……!」

 

「そこっ!!」

 

「くっ!」

 

「荒ぶる水よ 形なき武器よ 岩すら砕く槌となり 我が元に集いて 敵を打ち砕け――“水槌”!」

 

 神殿騎士の一人、ファナ・アティックと戦っていた優花らは連携に加え、それぞれの持ち味と数の利で押し込んでいた。“操鞭師”である妙子が手足のように鞭を操って幻惑しながら攻撃し、そうして出来た隙を狙って“投術師”である優花がナイフを投擲、そして“水術師”の奈々が二人の間合いを保つために魔法でけん制している。

 

「ぐっ!」

 

「私とあなたでは絶望的な差があります。諦めたらどうですか」

 

 そして光輝はノイントと真正面から打ち合っている。一太刀毎に感じる腕の痺れ、容易く弾かれる自分の剣筋から、光輝は自分と目の前の女との絶望的な差を何度となく理解しながらも戦い続けていた。

 

「いいや、誰が諦めるか!!」

 

 強さに天と地ほどの開きがあっても光輝が打ち合いを続ける理由――それはある確信であった。

 

「無駄な足掻きを――ふっ」

 

 その確信とは、()()()()()()()()()()()()()()()()ということである。

 

 トータスに転移する際の魔方陣が自分を中心に展開されていたこと、“勇者”という貴重な天職、自分達がトータスに招かれた際に話し合いの席で上座に座らされたこと、幽閉同然の扱いを受けていたリリィが自分とだけ話が出来たこと、こうして実力に雲泥の差があっても殺しには来ないことなどから推測し、光輝は自分がトータス――否、エヒトにとって重要なウォーゲームの駒であると考えていたからだ。

 

 浩介を通して聞いたハジメ達からの話では、エヒトが一番重要視するのは自分ではなく金髪の少女であることは光輝も知っている。しかしその情報が渡った今もなお、自分が生かされているのはどういうことかと彼なりに考えた末にたどり着いたのが先の結論である。

 

 ()()駒として利用価値があるというのならそれを利用する。たとえそれがどんなにみじめであっても、皆から心配されようとも、だ。他の面々では自分程利用価値がないことから消される可能性があったからこそ光輝は迷うことなくこの方法を選び、こうして正面からの戦いを続けていたのである。

 

「はっ!」

 

「――無意味です」

 

 雫も可能な限り気配を消しながらクナイを投げつけ、ノイントの気をそらすことに徹している。自分達の中で一番ステータスの高い光輝を以てしても容易くあしらわれてしまっていることと、八重樫の裏を修めている祖父と母が羽虫を払うようにあっさりとやられたことから、真正面から戦っても勝てないと判断し、光輝の指示通り援護に徹することにしたのである。

 

「やぁっ!」

 

 戦いが始まった時からやっているのだが、今まで一度もクナイがノイントの羽根か翼以外に届いた試しはない。だがそれでも、と手持ちのクナイを必死に投げ続けている。自分の行動が少しでも光輝のためになると信じて。ただそう考えて。

 

「そらっ、コイツでどうだ!」

 

「くっ――おのれっ!!」

 

「ここに焼撃を望む――“火球”! 大技じゃ避けられるし手数で押すぞ!」

 

「おうよ!――そらそらっ!!」

 

「ここに風撃を望む――“風球”! 避けれるもんならやってみなぁ!!」

 

 相手が場慣れしていてちょこまかと動くことから、信治と良樹は詠唱に時間のかかる“炎槍”と“鋭迅”でなく、一節で詠唱が終わる“炎球”と“風球”で大介と礼一を援護し、大介達も二人の援護を受けながらひたすら手数で押していく。

 

 ルーニーも四人の連携に舌を巻きながらもそれをどうにかいなし続けていた。

 

「タエッ、一旦下がって――ハァッ!」

 

「うん!――はい、そこっ!」

 

「ここに水撃を望む――“水球”!」

 

「ええい、厄介な!」

 

 ファナと相対している優花らも戦い方を少し変えていた。変幻自在な妙子の鞭捌きをいなし、その上で自分たちの攻撃を避けていることから、攻撃の起点を妙子から優花へとチェンジしたのである。

 

 投げナイフの投擲で相手の動きを狭めた後、妙子の鞭と奈々の魔法による挟撃を仕掛ける。これにはファナも苛立ちを示しており、これなら行けると三人は確信を抱いていた。

 

「……実力差、というものを理解できていないので?」

 

「嫌ってなほどわかってるさ――それでも、だ!」

 

 その端正な顔からほのかに呆れがにじみ出ているように見えたが、光輝はそれに構うことなく聖剣を振るう。

 

 幾合切り結んでも隙は見えず、相手を倒すビジョンは彼の脳裏には浮かばない。八重樫流を修め、道場の人達に褒めそやされていた自分はこうも弱かったのか。粉微塵になっていたプライドが一撃いなす毎に更に粉砕されるのを感じながらも光輝はただただ必死になって攻撃を捌く。

 

「策がおありのようですね」

 

「――――!」

 

 だがノイントの言葉を聞いた途端、一瞬光輝の体が強張った。無論それをノイントは見逃すことなく、聖剣を弾き飛ばして剣の腹で光輝の横っ腹を叩こうとする――が、その瞬間顔目掛けて放たれたクナイを双大剣の一本で防ぐ。

 

「ありがとう雫!――来い、聖剣!」

 

 無防備になってしまった自分を助けてくれた雫に礼を述べると、光輝はすぐさま聖剣を呼ぶ。いかな場所であろうとも持ち主の声一つで戻る機能を持った剣はすぐに彼の手元に馳せ参じた。そうして自分の焦りを見透かされないようすかさず聖剣を構え、目の前の女の出方をうかがう。

 

「大方あの老人と女……それともう一人、姿の見えない何かによる奇襲でしょう。既に手札は割れています……いえ、その手が使われることすら無いでしょう」

 

 そうノイントが何の感情もなしに言い放ったことに疑問を持った雫は一瞬だけ視線を大介らの方に向ける――そしてノイントの言葉が真実であることを思い知った。

 

「……思い上がりには、少々仕置きが必要なようだな!!」

 

「うぉっ!?」

 

「やばっ!?」

 

「――“風球”! とっととこっち側に逃げろお前ら!!」

 

「――“城炎”! これなら流石に時間が――マジかおい!?」

 

 連携を強みとして戦っていた大介達であったが、その癖を読み取ったルーニーはそれを崩しにかかった。

 

 攻撃をあえて誘発させ、大介と礼一が空振りしたところを一気に切りかかる。武器で受け止める大介と礼一相手に力で押し通そうとし、来るとわかっていた“風球”を避け、そして退避するために詠唱した“城炎”で出来た炎の壁も火傷を覚悟して突っ切っていき、そのまま四人のペースを崩し続けていく。

 

「――“風刃”!」

 

「あぐっ!?」

 

 そしてファナの方も戦い方を変えたことであっさりと均衡は破れてしまう。あえて妙子の戦いに乗っかり、鞭が自分の剣に絡んで()()()()逃げられなくなったところを“風刃”で切り裂いた。幸い咄嗟に鞭を手放して逃げの一手を打ったことと妙子の魔法への耐久力のおかげで体をバッサリと切られることはなかったが、右腕を切られて出血してしまう。

 

「タエっ! この、よくも――!!」

 

「そんな、妙子!!」

 

「怒りと焦りに囚われた攻撃如きが届くとでも――そこです!」

 

 出血し、痛みのあまり地面に転んだ妙子を逃がすべく優花は投げナイフを投擲するものの、ファナは事もなげにそれを弾き、逆に一気に詰め寄って二人に切りかかっていく。

 

「そんな……皆っ!」

 

「檜山! 妙子! クソっ、今助けに――」

 

「させませんよ」

 

「ごふっ!?」

 

「光輝!?」

 

 そして戦っていた大介らが窮地に陥ったことで冷静さを欠いた光輝の顔をノイントは持っていた大剣の腹で殴り飛ばす。光輝の推測通りエヒトから『余興のために天之河光輝はまだ殺すな』とノイントには伝えられており、あえて動けなくなる程度にまで加減していた。

 

 そして悠然とした動きで倒れた光輝の許まで行くと、ノイントは彼の髪を無造作につかみ、苦境に陥っている七人の方へと向けさせた。

 

「よく見ておきなさい。我らの意図に従わない者の末路を」

 

「うぐっ……ぁ……」

 

 ノイントの一撃で目がチカチカしていた光輝であったが、彼の視界に入ってきたのは信頼できる仲間達がたった二人の神殿騎士に追い詰められていくという現実であった。

 

 最初から違い過ぎたのだ。覚悟が。信念が。

 

 こうして戦っていた七人は無意識に“相手を倒して無力化しよう”という体で動いていた。自分達の高いステータスがあればどうにかなるという根拠のない自信を元に()()()()()()()()()のだ。

 

 だが、あちらは本気で殺しにきていた。自分達の意に沿わない相手を絶対に排除するという意思のもとに。高いステータスと数の利、それ故の無意識の驕りを突かれ、容易くひっくり返されてしまったのである。

 

 彼らの中で殺す覚悟でいたのは()()だけ。しかし鷲三と霧乃は転移前のダメージとある事をしている為にロクに動けず、光輝もまた自分の手を血で染めることに震えながらも覚悟していたが、相手との力量差故にその瞬間は訪れない。

 

 一方、雫もまだ覚悟をちゃんと決まってはいなかった。光輝が殺されてしまうかもしれないという不安から相手を殺すことへの忌避感を押し殺しながら戦っていたのだ。ただ、ノイントとの絶対的なステータス差のせいで雫は決定打を与えることすら出来ていなかったが。

 

「うご、いて……おねがいだから、うごいてよぉ……」

 

 それでも尚、雫はノイントに立ち向かおうとするも、祖父と母がなす術なくやられたことへの恐怖がフラッシュバックし、体が動かなくなっていた。また、武術を習っていたが故に今まで光輝がただ嬲られ続けていたことを理解しており、『自分では敵わないかもしれない』という思いを殺し続けることが出来なくなったがために何もできなくなってしまったのだ。

 

 そのノイントも雫が追ってくる気配を一切感じなかったため、もう脅威にならないと今は捨て置いていた。

 

「もう、だめ……」

 

「しにたく、しにたくねぇよぉ……」

 

「こんな惰弱な奴らを神の使徒として仰いでいたとは……反吐が出る」

 

「私達に遅れを取るような軟弱者如きは不要です―― 神の使徒を騙った罪を受けなさい」

 

「ゆう、か……なな……たえ、こ……ひやま……みんな……」

 

 満身創痍の彼らの首に断罪の刃が添えられている。死にたくないと願う彼らに手を伸ばそうとしてもそれは届かない。あまりにも惨めであった。もっと力があれば、自分がもっと強ければ、と思う光輝の目から涙がこぼれる。

 

「理解出来ましたか? あなたは生かしておけ、と主から命がありました――中村恵里、運び屋(ポーター)以外は最悪無くても構わない、とも」

 

「ぅ、ぁ……」

 

 何を間違えた?

 

 どこを間違えた?

 

 どうすれば皆が生きていられた?

 

 数えきれない後悔が光輝の頭の中をよぎっていく。もう自分の手は届かない。誰も救えない。それを痛感し、伸ばしていた手は力なく垂れ下がる。

 

「貴様らの罪」

 

「私達アティック兄妹が」

 

「「浄化する」」

 

 そうして凶刃が今にも振り下ろされんと高く掲げられる。だがこの瞬間、二人の闖入者がそれに待ったをかけた。

 

「やらせるかぁ!」

 

「すまんお前達、遅くなった!!」

 

 メルドとアランである。剣を抜いた彼らの姿を見るや否や即座にアティック兄妹はバックステップで距離をとり、即座に剣を構え直す。

 

「反逆者のメルドか」

 

「ちょうど良いところに来ましたね。貴方達の死もエヒト様に捧げるとしましょう」

 

「無意味な事を。あなた達にも死を」

 

 そうして意識がメルド達に逸れ、()()()()()()()()()()()を待っていた者達がいた。

 

「――今だ、浩介君」

 

「やっと――やっと殺せる! 今すぐ死にやがれクソ野郎ぉおぉぉぉ!!」

 

 凄まじい憎悪と怒りに染まった声に三人が気づいた時はもう遅かった。気配を殺していてもなお滾る殺意のままに浩介が駆け抜けていく。

 

「? 一体何――がっ!?」

 

 浩介は真正面からノイントに取り付き、懐から取り出した二本の細長い串を取り出してそれを彼女の両耳に勢いよく刺した。

 

「この程度、私にき、く――!?」

 

 鼓膜を破り、内耳すら貫かれ、運悪く耳石まで砕かれたノイントは平衡感覚を失い、いきなり自分に抱き着いてホールドしてきた浩介の重みもあってたたらを踏んでしまう。無論それを浩介は黙って見てなどいない。

 

「くたばれクソがっ!!」

 

「ぐぁあぁぁぁあぁ!?」

 

 すかさず串を引き抜くと、ノイントの両目に勢いよく突き刺した。そして両目と耳から血を流すノイントの両肩を掴み、足で体をがっちりと固定すると、浩介は自分の後方に一気に体重をかけ――その勢いのまま巴投げをして奈落の底へとノイントを投げ捨てた。

 

 平衡感覚を破壊し、マトモに動けなくなったところを仕留める。これが浩介の考え付いた使徒の倒し方であった。

 

 そのためにハジメにこの串の製作を頼み込み、こうして実行したのである。本当なら串を刺した際に直接脳を破壊するつもりだったが、思った以上に頭蓋骨が硬かったのと、これだけのダメージを受けてもなおノイントが復帰しかかったため、奈落へと投げて落とす方に変えたのだ。

 

「ぐっ……まだ、です!」

 

 無論ノイントもこのまま終わる気などなく、すぐに翼を展開して前線に戻るつもりであった。だが、その瞬間ある不幸がノイントを襲う。

 

「まだ、この程度――でっ?」

 

 平衡感覚を失っていたこと、そして失明していたせいでうまく飛行出来ず、首を突き出た岩にぶつけてしまう――記憶と感覚だけを頼りに前線に戻ろうとして速度を出し、生物の急所である首に甚大なダメージがいけばどうなるか。

 

「――ぁっ」

 

 首の骨が折れてしまった。

 

 その結果、体をわずかたりとも動かすことすら出来ずに神の人形は奈落の底へと吸い込まれていく。

 

「使徒、様……?」

 

「そんな……そんなことが!!」

 

 そしてそのショックはアティック兄妹にも伝番する。

 

 絶対的な力を持ち、勇者でさえも歯牙にもかけなかった偉大な存在がこうもあっさり何も出来ずに落ちていった。信じられない光景に自分達の根幹が崩れ去ったかのような心地で目の前の騎士達相手にどう戦えばいいのかという事すら考えられない。無論、それをメルド達は逃さなかった。

 

「これで――」

 

「終わりです!」

 

 殺意を滾らせ今にも暴れそうであった浩介を気配を隠しながら抑えていた鷲三と霧乃が、アティック兄妹の頭を目がけてに最後のクナイを投げつけ、脳天を貫いた。深々と根本まで刺さったことで二人は白目を剥き、掲げた剣を落とす。

 

「ぁ……ぐぁっ」

 

「にい、さま……」

 

「アラン!」

 

「はいっ、メルド団長!」

 

 頭に刺さったものを抜くことなく数歩たたらを踏んだアティック兄妹を、メルド達は袈裟懸けに切りつける。そのまま二人は地面に倒れ込み、自分達が何故地面に赤い染みを作っているのかを考える間もなく、そのまま息絶えた。

 

「メルド、さん……」

 

「……すまなかった。お前達をこんなくだらない事に巻き込んでしまって」

 

 顔を向ける事なく、後悔を漏らしたメルドに誰もが何も言えない。そして何も言わずにただついてきたアランと、そして鷲三と霧乃と共に倒れていた皆の応急処置を続ける。

 

「……よくやった。お前達は本当によくやってくれた」

 

 その最中、メルドはぽつりとつぶやくと、誰もが彼の方を見てしまう。メルドも子供に語って聞かせるようにここにいる皆に話していく。

 

「対人戦の訓練は受けさせたが、実際に戦うのは初めてだっただろ? 怖く無かったか? 俺も新兵の時は泣いてびびってたぞ」

 

 騎士団及び鷲三と霧乃が用意した回復薬を惜しみなく使った事でこの中で一番重傷であった妙子含めて誰一人死ぬ事なく済んだ。その事に安堵しつつメルドは今にも泣き出しそうな光輝達の健闘を讃え、今度は自分達の不手際を詫びる。

 

「それでも逃げ出さずに戦い抜いたんだ。お前達は立派だよ……すまなかったな。来るのが遅くなってしまって。せめて、実戦を積ませてやれば――」

 

「……んでだよ」

 

「どうした、檜山?」

 

「どうして俺達がこんな目にあわなきゃいけなかったんだよ!!」

 

 大介の慟哭が迷宮に響き渡る。彼が叫ぶと同時にこの場にいた誰もが嗚咽を漏らし、心の中に溜まっていたものがあふれ出していく。

 

「親友がひどい目にあって、助けたかっただけなのに……怖かった、スゲー怖かった!!」

 

「ハジメ達を助けたかっただけなんだよ……でも、でも俺、死ぬかと思った……死にたくなかった!!」

 

「体の震えが止まんねぇよ……もう大丈夫なはずなのに怖ぇんだよぉ!!」

 

 礼一、信治、良樹も泣き言を漏らした。緊張の糸が切れたことで一層死が間近に迫っていたことを痛感し、恐怖で泣きじゃくっていた。

 

「エリも……ハジメもスズも、ひどい目に遭ってたのが我慢出来なかっただけなの! なのに、なのに……ナナ、タエ、もう……もう、私……」

 

「私も……私ももう嫌だよ……こんな怖い思い、もうしたくないよ……優花、妙子……」

 

「やだぁ……おうち、おうち帰りたいよぉ……優花ぁ~、奈々ぁ~」

 

 優花、奈々、妙子は身を寄せ合っていた。こうして身を寄せないと、思いを吐き出し続けてないと恐怖で潰れてしまいそうだったからだ。

 

「ごめん……ごめんみんな……結局、誰も守れなかった……力が、力がない俺なんかのために、ごめん、なさい……」

 

 結局何も出来ず、ただいいようにされてしまったことで心が折れてしまった光輝が大介達にただただ詫び続ける。

 

「ごめんなさい……なにも、なにもできなくてごめんなさい……ともだち、なのに……おさななじみ、なのに……」

 

 雫もまた大事な時に何も出来ずにいたことへの罪悪感に押し潰され、ボロボロと涙をこぼしている。

 

「俺……俺、間違ってないよな? 殺すしか……殺すしかなかったんだ!! だって、だってあそこで殺さなかったらみんなが、みんなが……」

 

「そうだ、浩介君。君は間違ってなどいない……」

 

「あなたはちゃんとみんなを守りました。誰が何と言おうと私達が認めます。ですから……」

 

 そして興奮から冷めた浩介は自分の意志で人を殺したことへの恐怖に震えていた。話が通じない奴だったから仕方ない、自分達を殺しに来てたんだからしょうがない、と鷲三と霧乃が自分を抱きしめてくれていることにも気づかないままひたすら自己弁護を続けていた。

 

「私達は……何をやっていたんでしょうね」

 

「ああ……何が神の使徒だ。こんな、こんな子供達に俺達は何を……」

 

 そんな彼らを見てメルドもアランも凄まじい自己嫌悪に陥っていた。自分達のように意志と使命感を以って戦いの場に身を置いたのなら甘ったれだと断じて殴っていただろう。

 

 だが彼らは違う世界の人間であり、戦いもなく魔物に襲われる危険すらない平和な世界から来てしまった人間であるというのは教皇の方から聞かされており、彼らを神の剣として鍛え上げるよう頼まれていたのだ。故に彼らが戦いと無縁の場所にいた少年少女の集まりであるということを騎士団の誰もが知っていた。

 

 結局容赦ないシゴきを受けさせたものの、元々はエヒト様から遣わされた存在であることも含めて丁重に扱うはずであったのだ。だがそんな彼らは今こうして心身共にボロボロになってしまっている。

 

 聖教教会の横槍が無ければ、仲違いをする要因など無ければと思ったところで何の慰めにもなりはしない。自分達はただ、彼らを苦しめただけでしかないことに今更ながら気づいてしまった。

 

「――全員注目!!」

 

 だが、それを理由に何もしないでいることはメルドには出来なかった。彼らを傷つけたことが自分達のせいならば、彼らを立ち直らせるのも自分達のすべきことだと考え、彼は動く。

 

「お前達はよくやった!!」

 

 いち軍人としてシゴいたこともあってか、大声を出せば光輝達の意識はこちらに向いてくれた。それを確認し、後はやれると確信するとメルドは彼らを大声で激励する。

 

「実際に戦場に出てこうして生き残った。それだけでも十分立派だ! ここで立ち止まっている場合ではないが、こんなクソ同然の戦場で生き延びて、誰かを思いやれる心を捨てなかった自分を誇れ!!」

 

 それはあまりに不器用でめちゃくちゃな励ましであった。だがそれは二週間そこらの付き合いでしかなかったはずの彼らに確かに届いており、誰もがメルドの言葉に耳を傾け、聞いていた何人かは体の震えが止まっていた。

 

「お前達がこうなってしまったのは俺達があまりに不甲斐なかったせいだ。憎みたけりゃいくらでも憎め! それでお前達が立ち直れるなら安い代償だ!」

 

 事実、既に大介、礼一、信治、良樹からは恨みのこもった眼差しを向けられ、こちらを向いている優花、奈々、妙子の瞳からも迷いが見えている。この七人はもうトータスのためには戦ってくれないと確信しつつ、これも自分達の責任であると考えながらもメルドは言葉を続ける。

 

「それと、もうお前らは俺達のために戦わなくていい。俺だっていつ味方が後方から撃ってくるかわからん場所に愛国心以外の理由でいたくはないからな」

 

 そしてメルドの言葉に誰もが呆然とする。まかり間違っても軍人が言っていい言葉ではない。だが、隣にいたアランもメルドを否定するようなことはせず、ただ黙って手当を続けている。

 

「俺も信じていた聖教教会に裏切られ、殺されかけた身だ。お前達の気持ちはわかってるつもりだ。だから止めはしない」

 

 その言葉に子供たち全員の瞳が震えた。浩介と鷲三、霧乃からメルドを保護したことを聞いた時にその場にいた全員が国から裏切られたのだろうと感づいていたから。同じ痛みを持つ相手だったからこそ言葉が届いたのだと気づいたからだ。

 

「だからお前達はお前達の思うままに生きろ。そのための道を俺が切り開いてやる――だが、その前に」

 

 必死に自分達を激励してくれたメルドであったが、いきなり申し訳なさそうな顔をすると光輝達にある事を告げた。

 

「ここから先は俺達がやるべきだが、そうも言っていられない。悪いが全員、俺とアランと一緒に来てくれ。階段側にいる魔物に対処する」

 

 その言葉に誰もが呆然とするしか無かった。

 

 もう戦う意志も折れ、自分の無力さを痛感していたのに、死の恐怖に怯えているというのにどうしてこんな残酷なことを求めるんだと全員が絶望に染まった目でメルドを見つめる。

 

「無理、言うなよ……」

 

「どう、して……?」

 

「そんな……光輝に、みんなにひどいことをしないでっ!!」

 

 無理だ。出来ない。やれることなんてない。戦うのが怖い。誰もが目を伏せながら口々にそう言うも、メルドは真剣な眼差しで彼らを一喝する。

 

「あそこにはお前達の友人もいるんだぞ!! 今も無事かはわからんというのに、このまま見殺しにする気なのか!!」

 

 それを聞いた途端、誰もが押し黙ってしまう。自分達のことでいっぱいいっぱいで今も懸命に戦っているであろう友達のことを忘れてしまっていたのだ。今度はその罪悪感に彼らは押しつぶされそうになるが、メルドはせき払いをすると毅然とした態度で()()する。

 

「立ち上がれお前ら!!……行ってくれた今も無事かはわからん。だが、もし仮に生きていたのだとしたら、今ここでお前が立ち上がらなければ谷口が、坂上が、白崎が、清水が犠牲になるやもしれんのだぞ! それを受け入れたくなければ立て!!」

 

 あまりに残酷な未来を示され、全員の心に更にヒビが入っていく。救いを求めた彼らは階段の方へと続く道を見ると、何人もの人間が必死になって骸骨の魔物と戦っている様子が見えた。しかしここからでは少し遠すぎて誰が無事かまではわからない。

 

 もし龍太郎が、香織が、鈴が、幸利が既にやられていたら? 自分達がまごついていたせいで死んでいたら? その『もしも』が彼らの心をより蝕んでいく。

 

「お前達の力が必要なんだ! あれ程の強者を前に決して逃げなかったお前達が! 友の為に怒りを燃やせるお前達が! 俺達に必要なんだ!! だから来てくれ!!」

 

 苦い表情をしながらも頼み込むメルドの様子を見て誰もが思った。あまりにも卑怯だ、と。自分達のことを気遣ってくれたのはこのためなのか、と。だがその言葉で全員の心に小さな火が灯った――友達を見捨てたくない、死なせたくない、という戦意の火が。

 

 光輝が聖剣を支えに立ち上がり、前を見据えて歩き出す。行かなければ。皆が待ってるんだ、と心を軋ませながらも戦意を燃やして“勇者”という役割を与えられた少年は向かっていく。

 

「……俺は、俺は行く。龍太郎が、香織が、鈴が、幸利が、待ってるんだ。俺は、俺は……」

 

「……ありがとう。俺達は先に行く。ゆっくりで構わん」

 

 そう告げて走っていくメルドとアランの後を追って光輝も歩く。自分を待ってくれる皆のために、今度こそ守るためにと幽鬼のようにふらふらとした足取りで向かう彼の後ろに、目をこすって涙をぬぐった雫が続く。

 

「そう、ね……私も、行かなきゃ。親友が、鈴が今も戦ってるんだもの。失うなんて、絶対に嫌……」

 

 今にも倒れてしまいそうな光輝の肩を支え、彼と歩調を合わせながら雫も向かう。

 

「……俺も、行く」

 

 そして顔を青ざめさせたままではあったが浩介も立ち上がった。光輝と雫が向かったのなら、親友が今も戦っているというのなら自分も、と鷲三と霧乃に支えられながら向かっていく。

 

「……なぁ、大介」

 

「……行くぞ、お前ら」

 

「……あぁ」

 

「幸利のヤツを、死なせたく、ないもんな」

 

 そして体を震わせながらも大介達四人も先に行った七人を追い抜かんばかりの勢いで走っていく。幸利が死んでないことを祈って、死なせないように願いながら。

 

「……私も、行くわ」

 

 大介達が階段側の方へと向かってから一分ほど。優花も未だ震える体を両手で押さえながら立った。その様子を奈々と妙子は不安そうな目で見つめている。

 

「い、行くの、優花?」

 

「わ、私と奈々は……」

 

「別にいいわよ。二人が来なくったって馬鹿になんてしないし出来ないわ……私は、ただ置いてかれるのが嫌なだけよ」

 

 そう告げると、荒い息を吐きながら優花も向かっていく。すると奈々と妙子も迷いを見せながらも優花の後をついて行った。

 

「待ってよ優花ぁー!!」

 

「私達も、私達も行くよぉ~!!」

 

 戦場がどれだけ恐ろしいかを知って怯えていたものの、それよりも友人に置いて行かれることが、自分達のあずかり知らないところで親友が死ぬことの方がもっと恐ろしいと思った二人は幼馴染の少女を追っていく。

 

 かくして少年少女達は再度戦うことを選び、また戦場へと身を投じる――その先に待っているものが何なのかを知らないまま。

 

 

 

 

 

「炎よ纏え 汝の力となりて 暗闇を照らしたまえ!――“纏炎”! もうっ! いい加減いなくなってよ!!」

 

「ホントだよな!――クソッ、まだ他の奴らは来ないのかよ!!」

 

 “付与術師”である吉野が永山パーティーの中でトップクラスの攻撃力を持つ玉井の斧に炎を付与すると、悪態をつきながらも玉井は斧を振り回してトラウムソルジャーを次々と薙ぎ払っていく。大きく斧を振るって隙まみれになった玉井を守るために仁村がすかさず前に割り込み、トラウムソルジャーの攻撃を全て受け止めた。

 

「ホントにな!! 天之河のヤツ、普段リーダーぶってるんだからこういう時に役に立て――よ!!」

 

 何体もの敵の攻撃を、王国から支給された“使用者の魔力に応じて前方に障壁を張れる”壊れない盾のアーティファクトで受け止めるも、やはりレベルの違いと数の暴力故か段々と仁村は押し込まれていく。まずいと思った矢先、自分のとは別の障壁が張られて敵の攻撃を防いだ途端、後方から飛んできた“火球”が軽くトラウムソルジャーを焼いていく。

 

「光輝君のことを悪く言わないで!」

 

「アイツらにだって事情があるんだよ!!」

 

 彼らを助けたのは鈴と幸利であった。先ほどまで二人は怪我をした人間を治癒魔法の“天恵”を使って傷をふさいだり、付与魔法によって龍太郎や永山の攻撃を強化するなりしていた。そこでふと玉井達の方を見た際、あちらも数の暴力に負けそうになっていたため急遽援護に来たのである。

 

「こんな状況で優先させる事情って何!? 私達、今必死なんだよ!!」

 

「事情なんて知るかよ! 俺らは死に物狂いで戦ってんだ!!」

 

「口だけなら何だって言える、ってな!!」

 

「……わからず屋!」

 

「アイツらはほっとけ鈴!! とりあえず数減らすのに“螺炎”使うぞ!! 息を合わせろ!」

 

 玉井達は鈴と幸利に反論し、息を合わせることなく目の前の敵に対処していく。そんな三人の様子に鈴達も苛立ちを見せながらも息を合わせて詠唱し、渦巻く炎で敵だけを焼き払っていく。

 

「……天之河はリーダーとしての責務を果たす気がないのか?――フンッ!」

 

「光輝ならやるべきことを今やってるはずだ――オラァッ!!」

 

 そして別の場所では龍太郎と永山は背中を合わせながらお互いの死角を補いつつ戦っていた。“拳士”と“重格闘家”の二人はそれぞれ拳と蹴り、投げ技や足払いなどで襲い来るトラウムソルジャーを次々と撃破していっている。

 

 今ここでいがみ合っている場合ではないと判断した永山と、今ここでハジメや光輝のことを悪し様に言っていたことでケンカを吹っ掛けるべきじゃないと怒りを呑んだ龍太郎はお互いの背後に敵が来ないようにそれぞれのスタイルで敵と相対していたのだ。

 

「……お前が天之河でなく、俺達と仲が良かったらな」

 

「お前もハジメのことを応援してくれてたらな」

 

 お互いに詮無きことをつぶやきながらも攻撃の手を緩めはしない。絶対にこの窮地を乗り切るという思いを互いに抱えながら、二人は無心になって敵を倒し続ける。

 

「天の息吹、満ち満ちて、聖浄と癒しをもたらさん――“天恵”! 辻さん、他にケガしてる人はいない?」

 

「後はこっちでどうにかするから、白崎は障壁を張って防御をして!」

 

 香織は龍太郎と一緒に行動したいのと目の前の人達――深手を負った神殿騎士達を見て滾った怒りを抑えながらも辻と一緒にケガの治療に奔走していた。

 

 合流した当初は辻から思いっきり舌打ちされたことに少しの罪悪感と幾らかの怒りを覚えたものの、痛みに苦しんでいる神殿騎士を見た香織は、個人的な感情は後回しにしてすぐに彼らの回復に努めた。辻や近くにいる野村、相川の様子を見る限りでは彼らが盾となって守っていたのだろうと考えたからだ。自分達は恵里やハジメ達を悪く言われた恨みがあるが、それは今この場では関係ないと頭を振って捨てたのである。

 

「飛び交う刃と矢を防がん ここは光差す場所なりて 守護の光をここに――“光絶”!」

 

 三節からなる詠唱を終えると、トラウムソルジャーを相手にしていた健在な神殿騎士の目の前に障壁が張られる。それを確認するとすぐに神殿騎士は下がって各々が回復薬を口にするなり、辻の許へ行って治療を願い出る。

 

 未だ初級の防御魔法故にそう時間をかけずに破られるだろう。だが今の香織の役目は少しでも神殿騎士が万全の状態で復帰するための時間を稼ぐことだ。それをわかっているからこそ不満も焦りも()()()出さなかった。

 

(お願いみんな、早く来て……このままだと保たないかもしれないから)

 

 しかし心の中ではやはり焦っていた。今はまだ小康状態を保っているが、それがいつまで続くかはわからない。目の前の敵と不安に怯えながらも香織は与えられた役目を必死にこなすばかりであった。

 

「流るる水よ 透明なる刃よ 鋭利なれ 無慈悲たれ 我が敵を貫け!――“流穿(りゅうせん)”!……野村! アイツらの出てきた魔方陣はまだ壊せないのかよ!!」

 

「今やってる! 話しかけるな!!」

 

 そして永山グループの残り二人である野村と相川であったが、“水術師”である相川が威力の高い中級の水系魔法でトラウムソルジャーを穿ち、野村は土系魔法で魔法陣の破壊を担当していた。

 

 単に複数を相手取るならば中級の範囲魔法である“波壊”を使えばいいのだが、何分大量の水を出して押し流すために前線に出ている永山達も巻き込んでしまう上に詠唱も七節と長いのだ。

 

 敵を一掃するどころか倒した先からどんどん増える事態に相川は苛立ち、必死になって魔方陣を土系魔法で破壊していっている野村に当たり散らす。もちろん野村も全然余裕が無いため、無神経なことを言う相川にキレながらも必死に対処に当たる。ここでケンカをしていては死ぬのがお互いわかっていたからだ。

 

(クソッ、早く来いよ!! こっちはもう保たないんだよ! 神殿騎士の人を傷つけといて我関せずなんて許さないからな!)

 

 内心光輝達を罵倒しながらも野村は魔方陣を破壊し続け、周囲を見ては前線の永山達を援護する。終わりの見えない戦いに苛立っていると、野村の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。

 

「――全員生きているな! お前ら、早く来い!! 誰一人欠けることなく戦いを続けているぞ!!」

 

 まさかと思って声のする方を見ればそこにはメルドがいた。さっきも彼らしき声と姿を確認したものの、人違いだと野村は思い込んでいたのである。すぐに野村は声を上げ、恥も外聞もなしに助けを求めた。

 

「頼むから早く来てくれ!! この数じゃ俺らが押しつぶされちまう!!」

 

「――わかった! アラン、まずは俺達で敵の数を減らすぞ!!」

 

「了解!」

 

 そうして飛び込んできたメルドとアランが連携を見せながらトラウムソルジャーを始末していく。熟練の兵士である二人の活躍で永山グループの子も龍太郎達も少しばかり余裕が出てきた。と、そこに二人の人物が現れる。光輝と雫であった。

 

「なぁ、雫……俺、大丈夫かな。勝てる、かな。何も出来なかった俺が……」

 

「お願い、光輝。私を信じて。大丈夫。光輝の強さは私が一番近くで見てきたから」

 

 光輝は正眼の構えで聖剣の先を敵に向けているものの、それを握る手には震えが走っていた。雫は震える彼の手に自分の手をそっと添え、目を見ながら伝える。自分の愛する人はそんなに弱くなんてない、と微笑みながら。たったそれだけで自身の手の震えが収まり、力が湧いてくる。愛しい人に勇気づけられた光輝は一度目を閉じ、大きく息を吐くと、目の前の敵を改めて視界に収めた。

 

「すいません、遅くなりました! これから一気に前方の敵を倒します!!」

 

「――来たか! 聞いたなお前ら!! これから天之河が攻撃に入る。射線上にいる玉井と仁村はすぐに横に退避しろ!!」

 

 メルドから指示を受けた二人は一度後ろを見ると、詠唱に移っている光輝の姿を見つけ、相手に攻撃を一当てしてからすぐに射線から離れた。

 

「――“天翔閃”!」

 

 それと同時に光輝の方も詠唱が終わり、放たれた純白の斬撃が眼前のトラウムソルジャー達を切り裂き吹き飛ばしながら炸裂していく。一切の穢れを許さぬ一撃は確かに敵を討ち滅ぼし、この場にいた全員の光明となる――すぐに雪崩れ込むように集まったトラウムソルジャー達で埋まってしまったが、一瞬空いた隙間から上階へと続く階段が見えたのだ。今まで渇望し、どれだけ剣を振るっても見えなかった希望が見えたのである。

 

「お前達! ボサっとしていないで戦え! すぐに敵が来るぞ! 天之河が作った機会を無駄にするな!!」

 

 メルドに喝を入れられ、その場にいた生徒達も神殿騎士もすぐさま連携をとって戦い出す。光輝の放った一撃、メルドの指示や神殿騎士の頑張りによって事態は好転していき、どうにか拮抗していた状況からほんのわずかにこちら側の優勢へと事態は傾いていく。そこに突如、追い風が吹いた。

 

「魔物なら……魔物ならいくら殺したって問題ないよなぁ!!」

 

 後衛に迫らんとしていたトラウムソルジャーを一陣の風が切り裂いた。浩介である。彼に遅れて数瞬、更に数体のトラウムソルジャーの頭蓋が砕け散った。

 

「やれやれ、老骨にはきついな……」

 

「ここが踏ん張りどころでしょう、お義父さん。私達も続きましょう」

 

 浩介を支えていた鷲三と霧乃が見舞った渾身の一撃であった。周囲を見渡すと、使徒を手にかけたショックで精神が不安定になっている浩介と他の生徒達の援護を主軸に活躍していく。

 

「悪い、待たせた!」

 

「オラオラぁ! 俺らも混ぜろぉ!!」

 

「さっすが俺らのリーダーだぜ! 一気に行くぞぉ!!」

 

「勝ち馬だ勝ち馬! 全員倒してやらぁ!!」

 

 勢いは止まらない。今度は大介達が遅れてやってきたのである。すぐさま二週間で培った連携を駆使し、がむしゃらに戦う光輝に負けず劣らずのスピードで撃破していく。

 

「私達も行くわよ! ナナ、タエ!!」

 

「うん、もう負けっぱなしなんて嫌!!」

 

「そうだねぇ! 遅れちゃったけど、私達も頑張るよぉ~!!」

 

 そして最後の風が吹いた。優花達もようやく到着したのである。ここにほぼ全ての生徒が揃い、神殿騎士の援護を受け、メルドの指示のもと敵を倒し続けていく。高いステータスで繰り出される波状攻撃、隙のない連携によって敵は殲滅されていき、遂には魔法陣による魔物の召喚速度を超えた。そして、階段への道が開ける。

 

「道が開けたぞ! 一点突破で包囲を切り開け!!」

 

「――はぁっ!! 今だ! 俺の後に続いてくれ!!」

 

 メルドの掛け声と同時に光輝がトラウムソルジャーを切り裂き、彼を先頭に一気に離脱していく。

 

「――よし。雫、龍太郎!」

 

「ええ。わかってるわ!」

 

「おう、ここが最後の踏ん張りどころだな!!」

 

「っとと、そうだったな。俺らも続くぞ!」

 

 そうして全員が包囲網を突破するのを確認すると、光輝は雫、龍太郎と目配せをして再度湧いてきたトラウムソルジャーを撃破していく。そしてそれを見た幸利が大介らに声をかければ、彼らも一緒になって攻撃に加わる。

 

「お、おい待てよ! もう階段まで行けばいいだろ!?」

 

 だがそこで相川が光輝達に待ったをかけ、永山グループの全員がそれに同意するものの、それに香織がややヒステリック気味に反論する。

 

「待ってよ皆! まだ恵里ちゃんとハジメ君が残ってるんだよ!! それにクゼリーさんと騎士団の人達も! 皆は恵里ちゃん達を置いて逃げるつもりなの!?」

 

 その言葉に永山グループの全員がざわめく。彼らからすれば恵里もハジメも憎い相手でしかない。一瞬浮かんだ疑惑は激しい戦闘の中で忘れ去ってしまい、特段彼らを助けようとは思っていなかった。だが流石にクゼリー達騎士団の人間は別である。厳しいながらも自分達に戦う術を教えてくれた相手なのだ。一応の恩があるからこそ助けない訳にはいかないと永山達も意思を確認しあっている。

 

「……そうでしたね。でしたら、我らも()()を果たさなければ」

 

 そんな折、神殿騎士の一人がそう述べると、魔力が切れた者以外が詠唱を始める。神殿騎士の人達がするなら自分も、と思いながら永山達も詠唱に移る……一方、メルドとアランは無言で剣の柄に手をかけて機会をうかがっていた。

 

「「「「「暗き炎渦巻いて、敵の尽く焼き払わん、灰となりて大地へ帰れ――〝螺炎〟」」」」」

 

 そうして神殿騎士達も魔法を放つ――横たわったベヒモスのそばにいる恵里達目掛けて。それを見た生徒達は絶句し、やはりと思ったメルドとアランは即座に神殿騎士を切り捨てにかかった。

 

「何をするか裏切り者め!! 我らはエヒト様の意志のもと、奴らを排除しようとしたまでだ!!」

 

「ふざけるな!! どうせやるだろうとは思っていたが、あのベヒモスを相手にしていた坊主達を殺そうとしたお前らが神の意志を語るな!」

 

「お前を生かしていたのも教皇様のご慈悲のもとだ! ここで我らに従わないのならば切る!!」

 

 そして始まる神殿騎士対騎士団二人の戦い。すぐに浩介、鷲三、霧乃も加わったことでいきなりメルド達がなぶり殺しになるのは退けられたものの、本調子でない三人の援護ではそうなるまでの時間稼ぎにしかならない。そこに大介ら四人も加わり、どうにか拮抗まで持ち込んでいく。

 

「なに、これ……」

 

 そんな混沌とした状況で香織はつぶやく。その頬からは一筋の涙が伝う。

 

「スズ、危ない!」

 

「うわっ!?」

 

「何をされるのです使徒様!? 谷口鈴は我らの敵です! 我らは奴を利用して、錯乱した他の使徒様を落ち着かせようとしただけで――」

 

「どうして……どうして、なの……どうして恵里ちゃんが、恵里ちゃん達が幸せになるのを許してくれないの?」

 

 先の狂行を見ながらも、どうにか神殿騎士を倒したい思いを必死に我慢しながらトラウムソルジャーの撃破を続ける光輝達。大介達に続いて優花らも神殿騎士の鎮圧に加わっている。そして野村達は突然の出来事に何も出来ずにいるだけ。

 

「こんなの……ひどい。ひどいよ……」

 

 少女の嘆きは誰にも届かず、ただ虚しく戦場の中で掻き消えるだけであった。




なかなかに暗い展開でしたが皆さんご安心ください。まだ強めのジャブです(亀裂のような笑み)


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三十一話 それぞれの決断、それぞれの道

それではこうして拙作を読んでくださる皆様にまずは感謝を。
おかげさまでUAも81062、お気に入り件数も630件、しおりも250件、感想も185件(2022/2/6 18:09現在)に至りました。誠にありがとうございます。
……他もそうですけれど、なんか今回お気に入り件数の伸びがクソエグい気がするんですが。ご存じの通り作者はすさまじいチキン野郎なのでこうして色々伸びると嬉しい反面ビビります。もちろんこうして評価していただけるのは嬉しいのですが。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうして何度も何度も高得点をつけて評価していただいて頭が下がる思いです。

それで今回もまた16000字超えました(白目) いつもに比べて文章の量が多くなっていますのでご注意ください。では本編をどうぞ。


「早く、早くこっちに来るんだ!」

 

 光輝の叫びにこちらへと向かっていた恵里達は一層足に力を入れる。

 

 目測二十メートル足らずの場所には武器を持った無数の骸骨の魔物がおり、足元の魔法陣から無限に湧いているようである。それを光輝達が技能や魔法による攻撃でどうにか減らし、自分達が通れるぐらいの数に押し留めようとしているのだ。だが……。

 

「クッ、いささか多いな……カイル、イヴァン、ベイル! 私達で道を切り開くぞ! 南雲と中村はその間に進め!!」

 

「……ごめんなさい! その提案はちょっと無理です!」

 

 決死の覚悟を決めながら団員と自分達に命じるクゼリーであったが、そこでハジメがノーを突き付けた。理由は眼前の光輝達の様子であった。

 

「……あー、確かに。これは突破するのは危険かな」

 

 少し遅れて恵里もハジメの言葉にうなずく。自分達の撤退を援護してくれている光輝達は今にも倒れそうなほど顔色が悪く、脂汗もかいた状態で必死に攻撃を叩きこんでいるのだ。最悪自分達が撤退を終える前に倒れる可能性もあり、それを考えるとおいそれとうなずく訳にはいかなかった。

 

「ならどうする気だ! “縛石”で縛り上げればどうにかお前達が撤退する時間は――」

 

「僕がやります! 錬成であの魔法陣を壊していけば、壊すだけならどうとでもなります!!」

 

 苛立ちを隠さぬ様子でクゼリーが 責するが、ハジメもそれに負けじと言い返した。確かにベヒモスを拘束する時と比べれば簡単ではある。とはいえそれだけでどうにかなるとは当然思えなかった恵里は、すぐにハジメのアシストに移った。

 

「だったらボクがハジメくんを、いや全員のサポートをする!! やれるかはともかくとして、とっておきがあるからね!」

 

「とっておき、って……お前に何が出来る! もう魔力も残っていないだろうに!!」

 

 啖呵を切った恵里に軽くヒステリックになって反論するクゼリーであったが、恵里はそれを意に介さず、淡々と理由を説明していく。

 

「まだそっちの方は魔力回復薬が残ってるでしょ? それをもらえればボクのとっておき――相手を操る魔法が使える。さっきあの魔物に闇魔法を使った時、思った以上にかかりやすい感じだったからね……詠唱を終えるのに時間がかかるのと使う魔力の関係でそうそう何体も操れないだろうけれど、やれる」

 

 不敵な様子で述べる恵里の様子にクゼリーと騎士団員らは目の前の少女から底知れなさを、ハジメは『流石は僕の恵里だ』とこの上ない頼もしさを感じていた。

 

「……ならやってみせろ!! 私達はお前達が技能と魔法を使うまでの壁になる! 行くぞお前ら!!」

 

「「「ハッ!」」」

 

「「了解!」」

 

 目の前の相手が何者かという疑惑よりも事態の打開の方を優先したクゼリーがそう告げると各々が行動に移った。

 

 クゼリーらが前に立ち、トラウムソルジャーの攻撃を上手くいなす中、ハジメはすぐ近くで錬成し、魔法陣を一つ一つ確実に壊していく。かがんでいる自分にいつ攻撃が当たるかの恐怖に怯えながらも錬成をしていく中、既にある程度壊してくれていた誰かに感謝しつつ、ハジメは自分のやるべきことをなしていく。

 

「――“縛魂”! はい、人形一体出来上がりぃ! さぁやれやれぇ!!」

 

 恵里の方も長い詠唱を終え、暴れるトラウムソルジャーの内一体を完全に使役することに成功した。そして他のトラウムソルジャーの魔石の破壊や魔法陣の破壊を命じて暴れさせる。

 

 恵里のとっておきのオリジナル魔法である“縛魂”であったが、こうしてトータスに来てから使うのは初めてであった。幸い、前世? での経験があったことで久々かつぶっつけ本番ではあったものの成功。何度も使った経験があって良かった、と思いながら恵里はクゼリーから渡された魔力回復薬を煽り、再度“縛魂”の行使に移った。

 

 こうして同士討ちするよう操れば、他のトラウムソルジャーもパニックを起こしたのか硬直したり戸惑った様子を見せた。それを確認すると恵里は喜悦で口元を吊り上げながら、クゼリーや光輝達から離れた個所にいる個体に次々と“縛魂”を施していく。

 

「――これなら! よし、中村は可能な限り魔法陣の破壊に充ててくれ! 私達は撃破の方に移る!!」

 

「はいは~い! お任せあれ、ってね!」

 

 上手くいって上機嫌な恵里は命じられるままにトラウムソルジャー操り、クゼリー達とハジメを援護していく。魔力回復薬があればもっと数を増やせたが、先ほど催促した際に首を横に振られたため、仕方なく残りの貴重な駒を上手く扱うことに専念した。

 

「手前の個体はハジメくんの援護! 左奥のは――そのまま他の奴を連れて底へとダイブしろ! それから――」

 

 魔力がほぼ底を尽いて顔を青ざめさせながらも、倒れている暇はないとばかりに次々と指示を出していく。

 

 “縛魂”によって自身の魂とリンクしているため声に出して指示を出さなくていいものの、自分一人で死体を率いていた時とは違って今は連携が必要だ。だからこうして戦場を俯瞰してどう動けばいいかを考えつつ、必死になって声に出しながらハジメとクゼリー達が動きやすいように駒を動かす。

 

「ありがとう恵里! お陰で助かるよ!」

 

「――ふふ、と~ぜん!! だぁい好きなハジメくんのためだからねぇ~!」

 

 そんないっぱいいっぱいな状況ではあったものの、愛するハジメから感謝の言葉をかけられた恵里のテンションはすぐに青天井となり、更に的確かつ苛烈にトラウムソルジャーを動かしていく。

 

「――“錬成”!……ふぅ、終わったぁ」

 

 程なくして最後の魔法陣をハジメが破壊し終えると、クゼリーや騎士団員も、目の前にいた光輝達も大きく息を吐いてその場にへたり込んだ。恵里の方も操っていたトラウムソルジャーに崖から落ちるように命令し、何も言わずにそのまま身を投げていく様を見ながら尻餅をついた。

 

 疲労困憊で魔力もスッカラカン、やっと一仕事終えたと充足感に満たされていた恵里達であったが、不意に光輝達がこちらに声をかけてきた。

 

「――そうだ、ハジメ! 恵里! まだ……まだ、あっちには行くな! 早く、逃げるんだ!」

 

 聖剣を支えにして立つことすらままならない彼からの言葉に、自分とハジメだけでなくクゼリー達も首をかしげたものの、奥の方に意識を向けた瞬間にその意味がわかった。メルドとアランが、大介達が、優花達が神殿騎士及び永山達と戦っていたのである。

 

 見た瞬間こそあっけにとられたものの、すぐに自分達に向けて攻撃してきたのを思い出して恵里もハジメも理由が想像出来た。おそらく自分達を守るためなのだろう、と。

 

「このままじゃ、恵里もハジメ君も危険だから……せめて、近づかないで」

 

「ああ。俺達ももう指一本動かせねぇからよ。せめて、忠告ぐらいはな……」

 

「少しでも余裕が出来たならとっとと逃げろ。それが無理なら離れてくれ……」

 

 雫、龍太郎、幸利も肩で息をしながら忠告してくれたことで自分達の想像が当たっていたと二人は確信した。そこで一度目配せをすると、恵里とハジメは光輝達に礼を述べる。

 

「ありがとう皆……でも、ボクももう正直限界。しゃべるのすらしんどいし……」

 

「僕も、だね……ありがとう光輝君、雫さん、龍太郎君、幸利君。動けるようになったらここを離れるから……」

 

「いや、二人とも。その必要は無いみたいだぞ……前を見てみろ」

 

 息をするのもいっぱいいっぱいな二人であったが、自分達にわざわざ忠告してくれた彼らに礼を述べる。ふとそこでいきなりクゼリーが口をはさんできた。もしやと思って再度奥の方に視線を向ければ、メルドや大介達がどうにか神殿騎士と永山達を鎮圧した様子が見えたのである。

 

「少々厳しい戦いが続いたからな……少しぐらいは休んでもいいだろう。ただ、動けるようになったらあちらと合流するぞ。天之河、お前達もだ。いいな?」

 

 光輝達の心配が杞憂に終わり、誰もがまた大きく息を吐くとクゼリーの言葉にうなずく。時間にして五分ほど。クゼリーから声をかけられた恵里達はまだ疲れの残っている体をおして皆と合流する。

 

 そうして体を引きずるようにしてメルド達の方へと向かった恵里達であったが、そこは地獄と言って差し支えない様相であった。

 

「おの、れ……忌々しい奴らめ」

 

「誰が口を開いていい、と言った? 今すぐ首を刎ねられたくなかったら黙れ」

 

 神殿騎士のほとんどは横たわって動かなくなっており、血の臭いが辺りに充満している。まだ息がある者もいるが、一応の止血をされた程度でしかない。すぐに死ぬということは無いだろうが、近くで彼らを見張っているメルドとアランが動くような事態が訪れれば、他の神殿騎士の後を追ってもおかしくはないだろう。

 

「殺す……殺さないと。今すぐ殺さなきゃハジメが、恵里が……」

 

「もういい、もういいんだ浩介君!!」

 

「これ以上あなたの手を血に染める必要はありません! どうか、どうか落ち着いて……」

 

 そしてまだ息のある神殿騎士に浩介が殺意と狂気で滾らせた眼差しを向け、それを必死に鷲三と霧乃が止めている。それを一目見ただけで恵里もハジメも自分達に攻撃が向く前に何かがあったと確信し、親友の変わり果てた姿にハジメはショックを受けていた。

 

「なんなんだよ……ふざけんなよ! どうして味方を殺せるんだよ!!」

 

「どこが味方なんだよ! ハジメと中村どころか騎士団の奴らまで殺そうとしてたんだぞ!! 先にやったのはコイツらだろうが!!」

 

「そ、そうだけど……でも疑われる事をした南雲達が悪いんじゃない!! 殺すのはやり過ぎだけど、でもだからって――」

 

 そして横たわっているのは永山達も同じであるが、流石に無力化程度で済んではいる。しかしあくまで無力化されただけであったため、彼らを軽蔑と憎しみの混ざった眼差しで見ていた大介達と口げんかをする程度の余力は残っていた。

 

「どうせ……どうせ南雲と中村のせいなんだろ! アイツらのせいで全部、全部おかしくなっちまったんだ!!」

 

「いい加減にしろよ玉井テメェ!!」

 

 ヤケになった玉井がこうなったのもハジメと恵里のせいだと責任転嫁すると、ソレにキレた信治が彼の襟首をつかんで罵声を浴びせた。

 

 ……恵里とハジメはあずかり知らぬところであるが、永山達まで鎮圧される憂き目に遭ったのはメルド達がためらいなく神殿騎士を殺し、その事で一層錯乱した彼らが神殿騎士を守ろうとしたからである。

 

 メルドがいなくなったのも、自分達がこんな目に遭ったのも、メルドが神殿騎士を殺そうとしたのも全て恵里とハジメのせいだと責任をなすりつけ、また自分達のために戦ってくれた神殿騎士を守ろうとする事でどうにか心の平静を保とうとしたが故の行動であった。

 

「どうしてこうなっちゃったの……浩介まで、浩介までおかしくなっちゃったじゃない……」

 

「戦うの、イヤだよ……もう戦いたくなんてないよ……」

 

「私達、何を間違えたのかなぁ……どうすればよかったのかなぁ……」

 

 優花、奈々、妙子の三人はへたり込み、憎悪と狂気でおかしくなってしまったクラスメイト達を見てただ嘆くばかり。自分達が近づいてきたことにも気づけていないようで、口から後悔と怯えを垂れ流すだけであった。

 

「……ぁ。ハジメ、くん……恵里……」

 

「龍太郎くん……恵里ちゃん……ハジメ君……みんな……」

 

 そしてお互いに震えながら体を寄せ合っていた鈴と香織は自分達の足音に大きく反応し、こちらを振り向くや否や、目元から涙をあふれさせながらこちらに飛び込んできた。

 

「ハジメくん! えりぃ!」

 

「うわっ!……大丈夫、鈴? 怖くなかった?」

 

「おわっ!……痛てて……もう、大丈夫だよ。鈴」

 

「こわかったよ……こわかったよぉ!! みんな、みんなおかしくなっちゃって、すずも、すずもころされそうになって……う、あ、あぁぁぁぁぁ……」

 

 マトモに立つ力もろくに残ってなかった二人はその勢いに押されて尻餅をつき、ハジメの胸元で怯えて泣きじゃくる鈴の頭を二人でなでる。こんなになるまで頑張ってしまった鈴の心が少しでも癒されることを願いながら何度も何度も声をかけ、頭をなで、二人で前後にはさんで抱きしめる。

 

「りゅう、たろうくん……わたし、わたし……」

 

「……何も言うな。香織、お前はよくやった。だからもう、甘えろ。何も我慢すんな」

 

「うぅ………うわぁぁああぁあぁああぁあぁん!!」

 

 龍太郎の方も急に抱き着かれたせいでたたらを踏んだが、そこは漢の意地とばかりに踏みとどまり、香織を強く抱きしめ返す。こうして生きてくれたことへの嬉しさと、ここまで傷ついてしまった目の前の少女の心の傷を癒すことが出来ない自分への苛立ちを感じ、どうすればいいかと考えながら。

 

「クゼリー団長代理……これは」

 

「……言うな。今はただ、そっとしといてやれ。ただ、目の前の暴徒だけはどうにかせんとな」

 

 戦場の狂気を知っている騎士団の面々は苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべながら永山達と大介達の方へと向かう。本来ならば今すぐにでも撤退し、一刻も早く地上に戻るべきだろうが、今の状況を見て絶対にやれはしまいとクゼリーならず誰もが思った。

 

 今だけは身の安全をどうこう言っている場合ではない。下手につつけば逆に収めるのが難しくなるだろう、と。ならばせめて死傷者が出ないように努めるのが自分達の役目だと考え、動く。

 

 ……悪意によって戦場に導かれ、絶望と狂気で誰もが等しく傷つき合う。誰もが身を寄せ合い、いがみ合うこの場所で、勝利の美酒を味わえる者は一人もいなかった。

 

 

 

 

 

「……では改めて状況の整理に移ろう」

 

 そうクゼリーが告げたのはある程度時間が経って全員が幾らか落ち着けた頃であった。幸いにも魔物が再度沸き出すということもなく、こうして腰を据えて話をすることが出来るのは僥倖としか言えないだろう。

 

「クソッ……」

 

「……戻ったら、絶対報告するから」

 

「……………」

 

 相変わらず永山達が恵里達に向ける視線は敵意に満ちたものであったが、今は全員を後ろ手に“縛石”で作った鎖で縛り付けている。しかも地面から直接何本も伸びているため、相応の力がなければ引きちぎることも出来ず、また騎士団の誰かが常に目を光らせているため、下手に引きちぎって襲い掛かろうとしても即座に制圧されるだろう。それ以前に彼らも疲労困憊で精神も消耗していたため、威勢がいいのは口だけでそこまで抵抗する気力も残ってなかったが。

 

「まず南雲と中村だが、二人は神殿騎士から……いや、もうここまで来ると聖教教会から命を狙われていると言っていいな。それと、命を狙われているのはメルド団長も同じですね」

 

「ああ。とはいえ俺の方はもう追放されたも同じだ。団長の職は実質解かれているだろうし、家の方も取り潰しになっているだろう」

 

 腕を組みながらメルドはクゼリーに返答し、恵里とハジメもそれにうなずいた。メルドと相対した際に神殿騎士の二人が言った言葉を光輝らも覚えており、また浩介らがメルドを助けた際に何が起きたかを本人の口からも聞いている。それを加味すればもう恵里達だけでなく、メルドも既にこの国に居場所はないということは誰もが想像できた。

 

「となると、南雲達とメルド団長は一度私達と一緒に地上に戻ってから別れた方が――」

 

「いや、それは危険だろう」

 

 そうして恵里達はどう動くべきかを考えたクゼリーがそれを口にするものの、鷲三がそれに口をはさんだ。クゼリーは聞き覚えのない声に反応すると、そういえば誰だコイツらといぶかしみながら浩介、鷲三、霧乃の方へと視線を向ける。そこでメルドが横から『俺の命の恩人で、坊主達の友人、知人だ』と説明してくれた。

 

 確かに自分達を助けてくれたことや、恵里達が『そういえば三人のこと、クゼリー団長代理に言ってなかったね』と言い合っている辺りから信用できる相手なのだろうと確信し、クゼリーは鷲三に話の続きを促す。

 

「自己紹介が遅れて申し訳ない。私は八重樫鷲三。雫の祖父だ――それで話の続きなんだが、地上の方に神殿騎士やあの翼を生やせる女がいないとも限るまい? もう一度相対したらまず私達では勝ち目が無いぞ」

 

 鷲三の言葉にクゼリーは言葉に詰まってしまい、すぐには反論できなかった。

 

 こうして計画的に恵里達を殺そうとしてきた奴らが失敗したことを考えて後詰を残している可能性は高い。まだ息のある神殿騎士を全員殺せば、倒す際に使った手段が伝わる事は無いだろうが、誰もが満身創痍の状況だ。

 

「……俺は、俺は間違ってない。あそこであの女を殺したのは正しかったんだ。そうなんだ……」

 

「大丈夫。大丈夫だよ浩介……」

 

「そうよ、浩介君。あなたが手を汚してくれたから、だから私達は助かったの。だからお願い、もう気に病まないで……」

 

 特に浩介という少年が問題であった。

 

 あの翼を生やす女を倒した功労者ではあるものの、人を殺したショックがまだ収まっていないらしく、こうして時折ブツブツと独り言をつぶやいてはそばにいる光輝や雫らが声をかけている。今はまだ小康状態をどうにか保ってはくれているものの、いつまた狂気に呑まれるかわかったものではない。

 

「鷲三殿の言いたいことはわかった。しかし、ならばどうするのだ? しばらく迷宮に居座って、手薄になるのを見計らってから抜ける気か? 入り口でステータスプレートを使った大迷宮の人間の出入りの管理をしていることを考えると、それは無理だろう」

 

「? じゃあ夜中に出りゃいいじゃないッスか。それならわからないんじゃ? 俺ら時計持ってるし、明かりさえ用意すれば……」

 

 ため息を吐きたい気持ちを我慢しながら述べるクゼリーに礼一が質問するような形で言い返すも、クゼリーは『それが出来たら苦労はしないんだ』と今度こそため息を吐きながらそれに反論する。

 

 「あそこは国とギルドが共同で管理している場所だ。犯罪者が夜中にたむろしないよう、それなりに警備兵だっている。それも昼以上にやる気のある奴らがな。そいつらにあっという間に見つかるのが関の山だ。仮に抜け出せても外に出るにはホルアドの門を突破しなければならない。間違いなく大事になる。それに――彼らが城に戻った際、本当のことを言うだろうからすぐにでも救助部隊が組まれることは想像に難くない。即座に見つけられるのが関の山だぞ」

 

 一瞬だけ永山達の方に視線を向けつつそう述べたクゼリーの言葉に、光輝達は黙り込む他無かった。気配を殺せる雫や浩介、鷲三、霧乃ならどうにかなるだろうが、他の面々では無理だということがわからされたのである。

 

 そんな様子を見た野村達は彼らを鼻で笑った。どう足掻こうとも前々から気に食わなかった彼らがしっぺ返しを食らうのが見えたからだ。メルドは自分達を守ってくれた神殿騎士を殺し、遠藤も神殿騎士の関係者を手にかけている。また檜山ら七人もメルドに加担しているため、相応の罰が下るであろうことは確実だ。自分達がこんな目に遭う原因になった南雲はもっとひどい目に遭うだろう。それを考えるだけで野村達は胸がすく思いであった。

 

(……そういえば、どうして俺達はこんな目に遭ったんだ?)

 

 なお、永山もまた彼らが憂き目に遭うのは自業自得だと考えていたものの、こうしてメルドらに鎮圧されて頭を冷やされたことであることが引っかかった。自分達が何故、ここで死にかけたのかである。

 

(あの冒険者の奴らがいなければ……だが、一体いつ南雲達はアイツらを引き込んだんだ?)

 

 事の発端は紛れもなくあの南雲達に心酔した冒険者どもであった。アイツらさえいなければと思ったものの、どうやって南雲達が接触したかがわからなかったのだ。前に何度か南雲達が何人もの神殿騎士に見られた状態で部屋に戻るのを見たことがあり、その状況からして外に抜け出すことは無理だと永山は思った。

 

 また王都の外で魔物と戦う訓練で外に出たことはあったが、それは単に魔物を倒すだけでなく野営の仕方まで学ぶものであった。そういう体で自分達を連れてきている以上、彼らが野営の仕方も学ばずに神殿騎士の監視下の中、抜け出せるだろうか。だがどう理屈をこねくり回しても永山の頭に『無理』の二文字以外が浮かぶことはなかった。

 

(……わからん。だが、きっと()()()()()()()()()だろう)

 

 そこで別に犯人はいるのではないかと考えるも、まさか自分達の味方をしてくれた神殿騎士や、イシュタルら教会関係者がやると永山は()()()()()()。目的がわからないし、何よりこうして自分達に世界を救ってほしいと助けを求めてきた彼らがそんなことをするはずがないと考えたのである。

 

 ……普段慎重で思慮深い彼はらしくない判断を下す。今回の黒幕が教会関係者である可能性を排除したのである。

 

(きっと……きっと魔人族の密偵か何かが使えると思って仕掛けたのかもしれん。そうだ。きっとそのはずだ)

 

 だってもし、本当に教会の中にそんなことをした人間がいたのなら――もし仮にその人間の機嫌を損ねてしまったら、自分達にその牙が向けられるかもしれないから。次は自分達が生贄になるかもしれないから。

 

 もしそうだとしたら自分達の寄る辺が無くなってしまう。誰を信じ、誰を疑えばいいのかわからなくなるから。だから永山はその可能性を選択肢から外す。そんなことを言ってしまったら野村達が怯えてしまうから。そして何より自分が怖くて仕方がなかったから。

 

 魔人族を倒しさえすれば家に帰れるはずなのに、自分達に協力してくれるはずの味方を疑わなければならないのはとても怖いから。だから永山はそれを考えるのをやめたのだ。

 

 ……もしあの時、南雲達は教会の人間の機嫌を損ねるようなことをしてしまい、そのせいでこうも追い立てられたのかもしれない。そんなことが一瞬頭に浮かぶも、それを口にはしないように永山はきつく口を結ぶ。それは親友や自分を信じてついてきてくれたクラスメイト達への裏切りになりかねないから。だから永山はもう黙って事の成り行きを見守ることにした。

 

「あのー……ちょっといいですか?」

 

「南雲か。一体どうした。何か案があるのか?」

 

 鷲三の言葉にクゼリーが自身の推測を述べてからしばらく沈黙が続いていたが、それを打ち破ったのはハジメであった。光輝や鷲三らの頭に良案が浮かばない中、小声で恵里、鈴と話をしてある結論を下した彼がおそるおそる手を挙げ、クゼリーに声をかけたのである。今回の窮地を切り抜けた立役者であるハジメに話しかけられたクゼリーもまた快く聞き返す。

 

「いえ、その……僕と恵里、鈴はこれからこの迷宮を下ろうと思ってまして」

 

 そして彼の口から語られたのは衝撃の発言であった。あまりに馬鹿げた発言にこの場にいた多くの人間が唖然とし、野村達はそれに加えて嘲笑を浮かべる。自分達が死にかけたこの場所よりも下に行きたいだなんてとんだ自殺志願者だとあざけったのだ。

 

「バカか? たまたまベヒモスとかいう魔物を倒せたからって調子に乗るなよ。あの骸骨の魔物でさえ俺達はいっぱいいっぱいだったのに、それ以上に強い魔物が出てくるとこに行くとか自殺したいのかよ」

 

「ホントね。私達が必死になってやっと倒せた相手よりも強い魔物が出てくるのよ? どうやって勝つつもりなの?」

 

「……まさかお前らがそこまで底なしの馬鹿だったとは思わなかったぞ」

 

 確かに正気の沙汰とはハジメ自身も思ってはいない。だが確実に教会の手から逃れ、戦う力を手にするためにはこの方法しか無いとハジメは確信していた。本来自分が辿るはずであった道を行けば、きっとエヒトを倒すための手段を手に入れられるのだ、と。そして忌々しいことではあるが、これはエヒトが望んだ道でもあるのだ。だからこそそうするしかないとハジメは覚悟を決めた。

 

「うん。そうだね。どう考えてもそうだ……でも、僕は二人と行く。たとえここから先が死出の旅でも」

 

 そうハジメが告げると、続いて恵里も強い眼差しで目の前にいる全員を見つめる。

 

「馬鹿、ね。馬鹿にしたけりゃしたらぁ?……絶対にハジメくんも鈴も死なせない。そしてボクだって死なない。ボク達には帰る場所があるから」

 

 恵里の凄まじい眼力に押され、光輝達はおろか、永山達もメルドもクゼリーも騎士団員も神殿騎士すらも何も言えない。どんな困難であろうと絶対に成し遂げてみせるという決意がその瞳に宿っていたからだ。

 

「うん。鈴も……鈴だって同じだよ。どんな地獄でも絶対に負けない。ハジメくんも恵里も死なせないよ。だって……だって鈴は治癒師だから」

 

 そして鈴も体を震わせながらも恵里に負けず劣らずの啖呵を切る。地球にいた時からずっとトータスでどうすればいいかを考え続けていた。トータスに来てすぐに自分の無力さを思い知ってもなお完全には折れなかった。こうして押し寄せてきた悪意と狂気に怯えながらも決して逃げなかった。そしてそれは今も変わらず。絶対に三人で一緒に行くんだという思いが鈴を突き動かしていた。

 

「だからここで皆とはお別れだ。じゃあね、みん――いだっ!?」

 

「待ちやがれ馬鹿」

 

 別れを告げてそのまま背を向けようとした時、ハジメの頭にげんこつが落ちた。三人で恨めしそうな顔をその相手に向ければ『勝手に話を進めんな』と軽い苛立ちを見せながらつぶやいた。龍太郎であった。

 

「何、龍太郎。ボク達を止める気なの? 悪いけど、絶対に――」

 

「だから話を聞きやがれ……ったく」

 

 大きくため息を吐きながら龍太郎は隣にいた香織の肩を抱いて寄せると、何度か頭をかいてから話を切り出した。

 

「あー、その、なんだ……俺と香織も、ついて行っていいか?」

 

 その言葉に光輝達だけでなく、恵里達も度肝を抜かれた。

 

 自分達三人だけでオルクス大迷宮を突破することを話し合って決めはしたものの、そこに誰かを巻き込むことも、誰かがついて来ることも考えもしなかったからだ。

 

 恵里達三人とも顔を見合わせ、どうするどうすると軽くパニックになりながら話し合っていると、ずっと黙っていた香織が口を開いた。

 

「お願い。恵里ちゃん、ハジメ君、鈴ちゃん。もう……もう私、限界だよ。恵里ちゃんを、友達を平気で貶める人達のそばになんていたくないの。これ以上嫌なの!!」

 

 そして叫ぶと同時にくずおれそうになった香織を龍太郎が支え、自分達に向かって頭を下げてきた。

 

「頼む。もう傷ついている香織を見たくねぇんだよ……」

 

 胸元ですすり泣く香織を抱きしめながら龍太郎は頼み込んでくる。言葉にこそ出していないが、その口調からして龍太郎もまた限界であったようだ。確かに戦力が増えることはありがたいことではあったが、恵里としては同時に少しためらいもあった。危険な場所へと二人を連れて行っていいのか、という迷いが。

 

 どうしたものかとハジメと鈴と一緒に迷っていると、龍太郎がいきなり不敵な笑みを浮かべ、自分達にあることを尋ねてくる。

 

「それによ、お前らのことだ。確実にアテがあるんだろ?」

 

「……わかっちゃうんだ」

 

「何年親友やってると思ってんだよ」

 

 苦笑いを浮かべるハジメに自信満々に言う龍太郎を見て恵里も鈴もまた溜息を吐いた。ますますもって断りづらくなったなと思っていると、ガバリと顔を上げた香織もこちらの方を向いて『お願い』と言ってきた。再度ハジメと鈴と顔を合わせると、恵里はため息を吐いて困ったような表情を浮かべる。

 

「……仕方ないね。()()の頼みだし、聞いてあげよっか」

 

「――恵里ちゃんっ!!」

 

 そう告げると香織は恵里の胸に飛び込んでくる。鈴ごと無言で強く強く抱きしめてくる香織を四人でやれやれと思いながら見ていると、今度は幸利がばつの悪そうな顔をしてこちらを覗き込んできた。

 

「あー、そのよ……俺もついて行っていいか?」

 

 幸利の言葉にまた動揺が広がるものの、幸利が以前ここを去る旨を話していたことを覚えていた光輝達はやはりといった面持ちで彼を見ていた。

 

「前々からこんなクソな国から抜けたいと思ってたしな。それに、ハジメがやれるって確信してて、それを恵里も鈴も止めようとしないってんなら十分確率は高いはずだ。違ぇか?」

 

 幸利が自分達に寄せてくれた全幅の信頼に思わず頬が緩んでしまいそうになるも、恵里は改めて幸利に問いかける。死ぬかもしれないよ、と。だが幸利はそれを鼻で笑い、悪い顔を浮かべた。

 

「どうせ戻ったところで戦争に参加するまで飼い殺しと大差ないだろ? 抜け出せるかも微妙だしな。そんな死んでるのと大差ない生活よりもやりたいことやって死んだ方がまだマシだ。つー訳で行かせてもらうぜ」

 

 そう告げると幸利は彼らの方へと歩いていく。と、それについていくようにメルドもまた自分達の方へと来た。

 

「清水、流石の俺も自分の国をけなされて頭にこない訳じゃないぞ」

 

「あ゛っ……す、すいません。ちょ、ちょっと頭に血が上ってまして……」

 

 覚悟を決めて死地へと向かう勇ましい顔から一転、全身から血の気が引いてガタガタと震えだした幸利であったが、メルドは一度息を吐いて真剣な眼差しでハジメ達に視線を向けた。

 

「とはいえ事実ではあるからな……正直腹立たしいが、今のハイリヒ王国には俺も命を捧げられはしない。それに俺は命に代えても坊主達をこの国の外へと送り出すつもりでここに来たんだ。正直他に方法が見当たらん以上、お前らのわがままに付き合ってやる。感謝しろよ?」

 

 こうして大人としての責務を果たさんとばかりに一緒に行くことを宣言し、その後やれやれといった様子で冗談めかしながら語るメルドに不機嫌そうに見ていた野村がつぶやいた。

 

「……そんなに南雲達が大事なのかよ」

 

「大事、というよりは大人の務めだ。こうして向き合えば坊主達がいわれのない罪に問われていることぐらいはわかったからな。坊主達を貶めたのが大人なら、助けるのもまた大人の役目だ」

 

 そう毅然とした態度で答えるメルドに野村は恨みがましい視線を向けるも、メルドの表情は一切揺らぐことは無かった。その様子を見て決心がついたのか、今度は光輝が緊張した様子でハジメの方を向いて頼み込んできた。

 

「ハジメ! その……頼む! 俺達も連れて行ってくれないか!!」

 

 雫の手を握りながら声を上げ、光輝は頭を下げて頼み込む。彼もまた限界であったのだ。親友がこの国の人間に殺されかけ、そのことに雫も友人達も誰もが心に深い傷を負っている。もし仮にここで抜けなかったら取り返しのつかないことになってしまうんじゃないかという不安もあってか、彼は必死になっていた。

 

「俺じゃ役に立たないかもしれない! でも、でも……これ以上雫が、友達が傷つくのは嫌なんだ!! だから頼む! 鷲三さんと霧乃さんも、浩介も、優花も、奈々も、妙子も、檜山も近藤も中野も斎藤も全員だ! 俺が説得するから!! だから頼む!」

 

「お願い……私、もう耐えられないの。だから皆、私も……私も一緒に説得するから」

 

「……私も、私も連れてって!」

 

「なぁハジメ! 俺達も……俺達も頼むよぉ!!」

 

 地面に頭を擦り付けるほどの勢いで必死に頼む様子を誰もが見ており、鷲三と霧乃以外の面々もまた彼の様子を見て口々に自分達もついていく旨を伝える。

 

「戦うのは嫌だけど、あんな人達のところにいるのはもっと嫌!!」

 

「私もぉ!! 優花と奈々が行くんだったら、私も行くよぉ!」

 

「……ハジメ、恵里、鈴、龍太郎、香織、幸利。お願いだ。俺も、俺も行きたい……! こんな、こんな汚れた俺でもいいならそばにいさせてくれ!」

 

「こんなとこにいたくねぇのは誰だって同じだ! そうだろ信治! 良樹!」

 

「ああ! こんなトコとっととおさらばしてどっか別の国に行こうぜ!!」

 

「この国の人間なんてメルドさんとかぐらいしか信用出来ねぇしな!! 頼むみんな!!」

 

 自分達のためにプライドも何もかなぐり捨ててでも頭を下げる光輝に、これ以上恥をかかせてはいけないと友人達も土下座する勢いで頼み込む。それを見た恵里達はしょうがないなぁといった様子で彼らを見つめ、自分達もと頼み込む声を聞いた光輝は再度ハジメ達に向かって頭を下げた。

 

「ふざけんな無責任ヤローが!!」

 

 だがそれが心底面白くなかった永山達は口々に彼らを糾弾し始める。

 

「今更……今までリーダー面してきたくせに、ここで抜けるとか責任感あるのかよ!!」

 

「そうだよ! 私達と力を合わせようともしなかったくせに!! 責任とってよ!」

 

「元の世界に戻ることを諦めてわざわざ死ぬ気なのか?……そこまでお前達が愚かだとは思わなかったぞ」

 

「おのれ……ここで抜けるというのならば貴様らも神敵として扱うぞ! それでもいいのか!!」

 

 永山達と生き残った神殿騎士からの罵声を受け、遂に苛立ちが爆発しそうになった優花や大介らであったが、それに先んじてある人物が激昂する。

 

「……ふざけるな貴様らぁ!!!」

 

 割れんばかりの大声を上げたのはクゼリーであった。もう神の使徒だろうが聖教教会が敵に回ろうが我慢ならんとばかりに彼らに怒りを叩きつけ、今にも殺さんとばかりに腰本の鞘から剣を抜いた。

 

「南雲達が死ぬ目に遭ってまだそんなふざけた事が言えるか!!……どうしてこうなったかも考えないような頭の足らない奴らなら結構。いずれ考えなしに味方を殺しかねないような奴らは神の使徒だろうが誰だろうが今すぐここで叩き切って――」

 

「だ、ダメです団長代理!!――お、お前ら止めるぞ!!」

 

 剣の切っ先を向け、今すぐにでも永山達を本気で殺さんとばかりの様子のクゼリーを我に返った騎士団員が必死に止める。殺す気で剣を向けられた永山達は一瞬ビビるも、騎士団員に取り押さえられてギャーギャー騒ぐクゼリーの様子を見てひとまずホッとし、神殿騎士もこの女を絶対に処刑してやるとばかりに暗い怒りを燃やしていた。

 

「く、クゼリーさん落ち着いて!! ぼ、僕らのことはもういいんで!!」

 

「あ、あのー……流石にそこまではちょっと。こ、こっちにとってもアイツらは生きていてくれると助かるんだけど……」

 

「いいわけがあるか!! 邪魔するならばお前達も殴り倒してくれる!」

 

 そうして怒りのあまり錯乱したクゼリーを見て、ハジメも恵里も彼女を止めようとおそるおそる声をかけるも止まる気配は微塵も無い。当事者以上に怒りを燃やすクゼリーを落ち着かせるのに更にしばらく時間がかかったのであった……。

 

 

 

 

 

「――“隆岩”。よしハジメ、こっちの方頼むぞ」

 

「うん。“錬成”」

 

「――“縛石”。強度の方は……よし大丈夫だ。お前ら、そろそろこっちに移れ!」

 

 クゼリーが落ち着きを取り戻し、永山達と生き残った神殿騎士を騎士団総員で護衛しながら地上に戻るのを見届けた後、恵里達はこうして地下に降りるための階段を作っていた。

 

 ここから下の階層にそのまま向かっていけば当然魔物とエンカウントするだろうし、すぐに全滅するのは誰もが容易に想像できた。そこでハジメがあることを提案する――階段でも作ってここから直に下まで降りれないかな、と。

 

 トータス会議の折、自分がどこかで行方不明になるのはハジメも覚えており、今回の教会の動きからここで本来は奈落へと落ちるはずだったんだと確信していた。それは同じく会議に参加していた恵里と鈴も同様に考えており、きっとこの下のどこかに抜け穴があるんじゃないかと思ったのである。

 

 その思い付きを口にし、この場にいた全員でいろいろと話し合いをした結果、土系魔法の適性が低めな人間からまず大雑把に縦横一メートル大の足場を作り、それを土系魔法の得意な浩介、“全属性適性”を持つ光輝、“錬成”が使えるハジメがそれをしっかりと固めることとなったのである。

 

「りゅ、龍太郎くん……お、落ちないよね? 大丈夫だよね?」

 

「ちゃんと命綱つけてるだろ。落ちてもしっかり引き上げるから心配すんなって……」

 

 一歩踏み外せば奈落の底へ真っ逆さまになることに怯えながら、壁から生える石製の鎖を手すり代わりにしっかりつかまって階段を渡っていく香織。自分と香織を繋ぐ石製の鎖を持ちながら呆れた様子で龍太郎は香織に声をかける。ちなみに壁から生えた鎖も命綱もメルドの発案であり、あった方が精神的にいいのではないかということで急遽採用。すぐに壊れなければいいということからメルドが作る係となり、こうして活用する運びとなっている。

 

「ハジメー、まだ魔力は保ちそうかー?」

 

「流石にそろそろ限界……時間も結構経ったし、一旦休もうよー」

 

 そして陣頭指揮を採っている光輝がハジメに声をかけると、すぐさま土系魔法で壁に全員が休める大きさの横穴を作る。

 

「お疲れ様、皆。はい、ハジメ君。これ」

 

「ありがとう雫さん……はい、ゴミの方お願いします」

 

 出来た横穴をハジメが錬成できれいに整えると、遅れてやってきた荷物持ちの雫から渡された魔力回復薬を一気に煽り、適当な場所に腰を下ろす。そこに次々と他の面々もやって来ていた。

 

 今しがたハジメや他の面々に渡された薬の出どころは浩介、鷲三、霧乃がここを抜け出すために用意した五つのリュックの中である。わざわざ自作したものらしく、結構容量も大きく、薬だけでなく干し肉や黒パンなどの保存食も相当の量が入っている。とはいえ元々は乗合馬車などを使ってハイリヒ王国を脱出する手はずであり、また大人数で動くこともあってか食料も薬も十八人分含めて三日程度分しか中には入れられていないのだが。

 

 ただ、ありがたいことには間違いないためこうして活用させてもらっている……その用意してくれた相手の内、二人はこの場にはいなかったが。

 

「鷲三さんも霧乃さんも無事だといいな……」

 

「そうね、浩介君……」

 

「きっと無理はしないさ。きっと、きっと大丈夫」

 

 鷲三と霧乃は永山達が地上へと向かうのから遅れて数分、気配を消して彼らの後をついていったのである。目的は畑山愛子先生の護衛だ。こうして自分達が抜けた以上、貴重な戦力として教会の方が永山達を手厚く保護するだろうと考え、また神殿騎士以外周りにいない畑山先生を守る人間も必要だろうということで二人が立候補したのだ。

 

 あの二人とて相当無理をしているだろうに、それを感じさせることなく地上へと向かっていった。その姿に頼もしさを感じはしたものの、同時に不安も誰もが感じていた。

 

「お疲れ様、ハジメくん。ほら、膝枕してあげるよ」

 

 そうして不安を抱えながらも休息をとろうと壁に寄りかかろうとしていたハジメであったが、ふと隣にいた恵里から声をかけられた。なんとも魅力的な誘いであるが、ハジメは困ったような表情を浮かべてしまう。

 

「いや、恵里も結構疲れてるでしょ? そこまでしなくても……」

 

「ううん。ボクがやりたいの。だからお願い」

 

 疲れているのは恵里も同じだと彼女を気遣ってハジメは一度は断るものの、それでも穏やかな笑みを絶やさずポンポンと膝を叩いている恵里には敵わず、そのまま彼女の太ももに頭を載せた。

 

「ふふ……気持ちいい?」

 

「うん。最高」

 

「ふ、ふーん……そっか」

 

 こうして自分のわがままを叶えてくれたハジメにからかいついでに声をかけた恵里であったが、どストレートな感想を返されて思わず赤面してしまう。嬉しいことは嬉しいのだが頭がゆだるような心地であった。

 

「ねぇ、恵里……その……」

 

「はいはい次はそっちの番でいいよ……鈴も疲れたでしょ? ほら、もう片方空いてるから使いなよ」

 

 そう言って恵里はもう片方の膝を叩き、鈴を手招きする。鈴も精神的にも疲弊していたせいか招かれるまま自分の膝に頭を乗せ、そのまま瞳を閉じた。

 

「はは、さっすが中村。相変わらず先生と谷口にお熱よなー」

 

「うっさい。檜山達には絶対貸さないからね」

 

 その様子をからかってくる大介らに半目で悪態をつくものの、やられた方は『おーこわこわ』といった具合で屁でもない様子であった。そして自分のを見て真似をしようとした香織と雫や、恥ずかしがる龍太郎と光輝。自分達の様子を見て妬みたっぷりの視線を寄越す浩介。単にうらやましそうに見てくる幸利や肩を寄せ合って眠る優花達を見てようやく元の調子が戻ったとほんの少しだけ恵里は安堵する。やっと、やっと少しだけ日常が戻ってくれた、と。

 

「……本当はこういう感じだったんだな、お前らは」

 

 何とも言えない表情でつぶやいたメルドにまぁねとだけ言って恵里はハジメが整えてくれた壁に背中を預ける。やはり岩の硬さを感じはするものの、こうして自分達が少しでも休めるように取り計らってくれたハジメの愛を感じながら恵里は思う。もう失ってたまるか、と。あの愛しい日常を絶対に取り戻す、と。

 

(でもまぁ……今はいっか)

 

 だが今はこの幸せを嚙みしめようと視線を下に向ける。子供のころに見たあのあどけない寝顔をほんの少し残した少年を見て、恵里はふにゃっとした笑みを浮かべた。




メガトンコイン(落下ではない)

次回は地球にいる親~ズのお話になります。


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幕間十四 楽屋裏の役者達は今も演じる役者達を思う

まずはこうして拙作を読んでくださる皆様方に感謝を。おかげさまでUAも82947、お気に入り件数も645件、しおりも253件、感想も192件(2022/2/13 8:10現在)になりました。誠にありがとうございます。前回同様お気に入り件数の伸び方エグいでござる……(恐怖)

そしてdさん さん、Aitoyukiさん、黒鏡水さん、ルベさん、酸山さん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。こうして皆様に評価していただけるのはとても嬉しく、感謝に堪えません。ありがたやありがたや。

前回のあとがきで述べた通り親達のお話……にちょっと追加した話になります。では本編をどうぞ。


「そうでしたか。すいません。ご協力ありがとうございました」

 

 内心ため息を吐きたいのを我慢しながら刑事の山咲は聴取に協力してくれたご婦人に礼を告げてその場を去る。

 

 現代のメアリー・セレスト号事件と揶揄されるとある高校の集団神隠し事件の捜査本部に加わり、こうして地道に情報収集を続けて早二週間弱。

 

 最初に学校で見つけた手掛かりとも呼べない何か以外にこれといった進展はなく、聞き込みや周囲の捜索を続けても一向に成果は挙がらない。これまで関わった事件の中で特に難解でキツい事件であると思いながらも山咲はかぶりを振り、自身の頬を張って弱気な自分を追い出す。

 

(いけないいけない! 師範代だって諦めてないんだぞ。俺がくじけてる場合じゃない)

 

 そう自分に言い聞かせると山咲は懐から手帳を取り出し、他に目星をつけた情報や()()の人間がまだ手を付けていない箇所はどこかと確認していく。

 

「お嬢……待っててくださいね。絶対に俺達が助け出してみせます」

 

 そう独り()ちると裏の八重樫流を修めている山咲は一度手帳のあるページ――今度の集会の日付が書かれたものに目を落とした後、すぐさま歩き始めた。ここら一帯は既に聞き出した後であり、今度の集会で報告するにはあまりに情報が少ない。なら次はもう少し離れた場所への聞き込みをしようと考えつつ、山咲は次の場所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

「本当だった、って……どういうことですか、愁さん?」

 

 通っている高校から自分達の子供達が消えてから二週間弱が経過した日の夕方、南雲家のリビングにて中村正則が一体何を言ってるんだとばかりに目の前にいる南雲夫妻に問いかけた。

 

 恵里達がいなくなってから週に数回、いつもの家のメンバーでウィステリアに集まって家族会を開くのが定例となっており、今日もまた何の進展もないことを確認してから誰もが帰宅の途につくはずであった。ところが、焦燥と絶望に苛まれている中村及び谷口夫妻をコッソリ愁と菫が呼び止め、『家で話したいことがある』と言って誘ったのである。

 

 そこで南雲家に立ち寄り、リビングにて出されたお茶を全員が口にしたのを見てから愁が述べたのだ。あの()()()は本当だった、と。それを聞いて両夫妻はどちらも呆然とし、いち早く我を取り戻した正則がすぐにその真意を尋ねたのだ。愁や菫が突拍子もないことを言うのは今に始まったことではないが、こんな状況で意味の分からないことを言わないでほしいと怒りを交えながら言ったのである。

 

 だが愁は決して臆することなくうなずくと、横からあるノートを取り出してテーブルの上に置いた。彼らもよく知るハジメの筆跡で表に“創作用ノート”と書かれた大学ノートである。

 

「一体コレがどうしたんですか?」

 

「ハジメ君も愁さんと菫さんの子ですし、こういうことは普通にやってもおかしくは――」

 

「ええ。私達も最初は貴久さんや春日さんみたいに思ってたんです。でも……」

 

 至って尤もな疑問を投げかける谷口夫妻に菫も同意を示しつつノートのページをめくっていく。そして三分の一の辺りのページの下の隅に“こ 28”と書かれた一文に菫はそっと指を差した。

 

「一体何の暗号か、って思ったでしょう? このノートの28ページを開くと――ほら、ここにも」

 

 そう言って菫がノートを再度めくり、該当するページの隅を指せばそこにも“の 11”と書かれてあった。まさかと思った中村・谷口両夫妻が自分達と向き合っている愁と菫を見れば、二人はそれにうなずいて返した。

 

「正則君達の思ってる通りだ。これは間違いなくハジメの残した暗号だ」

 

「最初はちょっとした気分転換のつもりだったのよ。皆の情報は全然見つからないし、気が滅入っちゃってね。ハジメには悪いと思ったけれど、そうでもしないとやってられなくって。あの子の部屋の掃除がてら色々と眺めていたのよ」

 

 過去を振り返りながら語る菫の表情を見て誰もが黙り込んでしまう。皆そうだったからだ。少しでも自分の子供がどこにいるかと必死になって手掛かりを探していたのだから。そしてそれがすべて空回りしてしまっていることも。

 

「それでこのノートを眺めてて……最初の方はあの子らしい要所要所のシーンを思いつくままに書いてたのが、途中から変わったのにちょっと驚いてね。変に具体的なくせにところどころ妙にボヤけてて……恵里ちゃんや鈴ちゃん辺りと話でもしながら書いたのかしらと思って見てたら偶然見つけたのよ」

 

 懐かしむように語る菫を見て誰もがいたたまれなくなるも、その目に力強さが戻ったことでハッとする。自分の子の部屋を見ては懐かしみ、打ちひしがれる自分達と違って何かを見つけたのだと。それに続くように愁があることを口にする。

 

「それで菫と一緒にこれを見て、思い出したんだ。()()()のことを。あそこに書かれていたことはこれだったんだ、ってね」

 

 それを聞いて中村・谷口両夫妻の間に少なくない動揺が広がった。“あの紙”とは教室に残っていた三枚の紙のことで、恵里、ハジメ、鈴の筆跡で妙なことが書かれていたのだ。恵里の方には『絶対に帰ってくるから 17』、ハジメのものには『必ず戻ってくるから待ってて 22』、鈴のには『絶対帰ってくるからみんな待ってて 16』と。

 

 当初はそれを怪しんだ警察や虎一の方から色々と尋ねられたものの、誰もが心当たりが無かったために首をかしげるしかなかった。まさかあの怪文書がここに繋がっていたとは当時は誰も思わなかったのである。

 

「しかも書いていたのはハジメだけじゃないみたいでな……ほら、ここ。それと……ここにも」

 

「恵里の……恵里の字じゃないですか!――うん? 紙が少しふやけてるような……」

 

「鈴ちゃんの……まさか、あの子達も!」

 

 そこでまた愁がページをめくって指をさすと、両夫妻は驚愕する。ページの上の余白の真ん中に恵里の、上の余白の隅に鈴が書いたと思しき字が残っていたのだから。まさかこれも、と菫と愁を見やれば、二人はゆっくりとうなずいて同意する。

 

「恵里も鈴ちゃんも……でも、でもどうして恵里がこれを書いたんでしょうか。一体、一体何が……」

 

「きっと恵里ちゃんは泣きながら書いたのよ。本当のことを伝えるのが、とても怖かっただろうから……」

 

「本当の、って……どういうことですか。まさか、お二人はそのことを知ってるんじゃ……」

 

「――ここにあの子達が伝えたかったことを書いてある。信じられないとは思うけれど、とりあえず見てくれないか?」

 

 このノートに書いた理由がわからずオロオロとする幸に菫は苦々し気に言うと、それに貴久が反応する。そこで愁は横から紙を取り出すと、それを四人の前へと差し出す。そこに書いてあったのを見て正則達は再度驚く羽目に遭った。

 

 ――こののーとの13ぺーじからさきにかいてあることはほんとうです ハジメ

 

 ――ほんとうはみらいからきました ずっとだまっててごめんなさい 恵里

 

 ――えりのいってることをしんじてください わたしたちはいせかいにいきます 鈴

 

 あまりに荒唐無稽なことが書かれていたため、正則達は思わず絶句してしまった。未来、異世界などという突拍子もない単語に誰もが混乱するしかなく、すがるように愁と菫に視線を向けるも二人はじっと見つめ返すだけであった。

 

「……子供の戯言なのかもしれない。けれども俺は、いや俺達は自分の息子を……恵里ちゃんも鈴ちゃんも信じたいんだ。だってあの子達が、変なところに出歩きもしなかった子達がこんな妙な噓をつくはずがないだろう?」

 

 愁のその言葉を聞いた貴久と春日は何とも言えない顔になる。到底信じられない。だが、自分の娘とつき合いの長い二人が残した言葉をたった一言で片づけたくないと葛藤していたからだ。

 

 一方、正則もまた貴久達と同じであったが、わなわなと震える幸の方を心配して彼女の両肩を抱いていた。その顔は困惑と怒りに染まり、『やっぱりあの子は……』と小声でつぶやきながら目の前の紙とノートをにらんでいた。

 

「幸……幸、落ち着くんだ。恵里のことでショックなのはわかるけれど――」

 

「あの、幸さん……? ショックなのはわかりますが、一旦落ち着いて――」

 

「落ち着いて……落ち着いてなんていられますか!! あの子は――いえ、“アレ”は私達の恵里を奪って、騙していたんですよ!」

 

 普段ならば絶対にしないような形相の彼女を落ち着かせようと正則も愁もなだめようとするも、幸は構うことなく怒りと憎しみを露わにした。その様子に誰もが茫然自失となり、自分の娘を汚らわしいもののように扱う彼女にひどくショックを受けてしまう。

 

「やっぱり、やっぱりあの子には悪魔が憑いていたのよ! でなきゃ明るかったあの子が、あんな……あんな……」

 

 その顔は悲しみにも染まり、一層憎しみが深くなっていく。

 

 一度聞いたことがあったのだ。恵里は元々は明るく活発で、父と遊ぶのを心待ちにしていたような子だったと。それがいつからか自分達が知るような妙に大人びた感じになったということも。だからこの場にいた誰もがその悲しみを理解できた。それが未来から来た同一人物であったとしても、自分の娘が別の存在と挿げ替わっていたのだから。それに共感出来ない訳がなかった。

 

「でも、でも恵里ちゃんが悪魔だなんて、そんな……!」

 

「春日さんは黙ってて!! アレは……アレは皆さんも騙していたんです!!!」

 

 だが彼女が自分の娘をそしるのを誰もそのままには出来やしなかった。部屋の中やレジャーなどで鈴達と楽しそうに遊んでいる彼女を見ていた春日からすれば恵里が悪魔だとは到底思えず、すぐに幸に反論するも激昂した幸は聞く耳を持たなかった。

 

「「「「幸さん!!」」」」

 

「いい加減にするんだ、幸!!」

 

 それでも、怒りのあまり錯乱する彼女を止めようと誰もが必死になる。恵里はそんな子ではない、あなたの子は絶対にそんな存在じゃないと思いながら彼女の目を見て誰もが叫ぶ。大声を出されて一瞬ビクりとするも、幸はすぐに険しい顔をして全員をにらみ返した。

 

「……何かしら? 私にはアレが化け物だってわかって――」

 

「化け物が涙を流しますか!!」

 

 貴久の言葉に幸は思わず言葉に詰まった。そこにたたみかけるように春日と菫も声を上げる。

 

「鈴ちゃんからよく聞いてました。恵里ちゃんはずっとあなたと正則さんのことで悩んでるって! どうすれば元の関係に戻れるんだろうって! それでもまだあなたは自分の娘を疑うんですか!?」

 

「あの子は賢い子ではあるけれど血も涙もないような子じゃないわ!! 本当にあなた達を陥れようとするような子が、中学生の時にケンカをした後で家に戻ろうとするの!? そのことでずっと苦しむの!?」

 

「それは……わかって、わかってますけど!!」

 

 春日と菫に言われ、幸も苦し気に叫ぶ。幸も迷っていたのだ。信じたくはあったのだ。正則と自分が愛して育てた子が、まだ少し親離れできるか心配なあの子がそんなおぞましい存在のはずがない、と。

 

 だが、かつての答え合わせのように示された情報が幸の心をかき乱した。あの不自然だった動きは全て、正則と自分を騙そうとしてやっていた行動だったのではないか、と。故に幸は錯乱するしかなかった。愛する夫に危害を加えるような存在であったのならたとえ自分の娘と同じ見た目であろうが容赦してはならない、と。

 

「幸!」

 

「ダメ! ダメです正則さん! アレは、あの子は……」

 

 そんな愛情と恐怖、憎しみに板挟みになって壊れそうになった幸を正則が抱きしめる。強く、強く、決して放すまいとただただ必死に。自分を振りほどこうとしない彼女の様子を見て少しだけホッとしながらも正則は幸の耳元でささやいた。

 

「……なぁ幸、本当にあの子に悪魔なんて憑いているのかい? ハジメ君や鈴ちゃん、光輝君や雫ちゃん達の話をしている時のあの子が、特にハジメ君のことで一喜一憂しているあの子が本当に私達を騙そうとしているように見えるのかい?」

 

 正則の言葉に幸は何も言えなかった。そんなはずがなかったから。友達のことを語る恵里の顔から悪意なんて感じられなかったから。ハジメのことで喜んだりうろたえたりするあの子がそんなことを考えるはずがないとも本気で思っていたから。

 

 ――ごめん、なさい……お父さん、お母さん。大嫌い、って言ってごめんなさい……。

 

 その時、幸の脳裏に過去の記憶がよぎっていく。中学生の時の親子喧嘩の後、家に戻った際の怯えるようなあの顔が。

 

 ――いってらっしゃい、恵里。今年もハジメ君が喜んでくれるといいわね。

 

 ――うん、いってきます……大丈夫、きっと大丈夫だから。

 

 毎年のバレンタインで家を出ていくときのやり取りが。段々と年相応の少女らしい顔になっていく恵里の横顔が。

 

 ――恵里、今日は何があったんだい?

 

 ――うん、あのね……。

 

 夕飯の時に欠かさずする会話の時の恵里の顔が。ハジメのことなどで楽し気に語ったり、学校の行事などで張り切った様子を見せる愛娘の様子が。

 

 ――こっちの服の方がハジメ君が好きだと思うわ。

 

 ――そう、かな? うーん……。

 

 休日に南雲家に出かける際、着て行く服で迷っている恵里によくアドバイスをした事が。本気で彼を思って表情をコロコロ変えていた愛しい子が。思い出が、あふれていく。

 

「あ、あぁ……」

 

 次々とフラッシュバックしていく恵里との思い出の数々、幸せであった日々を追憶する幸の目から涙があふれた。

 

 ――元々は“夫の娘だから”という理由で恵里に愛を注いでいた。だが娘の異変があっても、そのことで夫と共に悩んだとしても、それでもなお十年も幸は愛を注ぎ続けた。そうして愛し続けたからこそ、“夫の娘だから”という理由以外にも愛することが出来た。“自分の娘”だから、と。そう思えるようになったのだ。

 

「恵里……恵里……」

 

 今までの全てが揺さぶられるようなことを知っても、それでもなお娘を信じ続ける夫の愛が、十年もつき合いをしてくれた人達が、そして今気づいた自分の娘(恵里)への愛が彼女を母でいさせてくれる楔となった。繋ぎ止めてくれた。

 

「ごめん、なさい……私は、私は何を……」

 

「いいんだ、幸……皆、わかってるさ」

 

 泣き崩れる幸を抱きしめたまま、正則は近くにいる素晴らしい友人達を見る。愁も、菫も、貴久も、春日も、皆が安堵した様子でこちらを見ている。やっと、やっと親しくしていた幸が元に戻ってくれた、と。

 

 中村恵里という少女が成した軌跡は今ここに、確かな形として現れたのであった。

 

 

 

 

 

「……にわかには信じ難いわね」

 

 あの話し合いから数日後。愁達は自分達と特に親しい家である天之河家、坂上家、八重樫家、遠藤家、白崎家、宮崎家、菅原家、清水家(兄の克典は不在である)だけをウィステリアに集めて貸し切りにし、優花の両親も招いて先日正則達に話したことを愁と菫は彼らにも語った。

 

 もちろん、自分達はおろか正則達の精神もおかしくなったんじゃないかと疑われたり、もう既におかしくなってしまったと決めつけられて憐れまれたり、下らない冗談を言わないでほしいとばかりににらまれるなどしていた。だがそれでも折れることなくじっと彼らを見つめ返していると、不意に美耶が口を開いたのである。

 

「ええ。私もこれがハジメや恵里ちゃん達の言葉じゃなかったら疑ってたと思うわ」

 

「俺も皆の気持ちはわかる。正くんや貴くんにもこれを話すのは止められたしね。けれど、俺達の中で隠しておくよりも明らかにしておいた方がいいと思ったんだ」

 

 そう答える南雲夫妻にこの場にいた少なくない人間がため息を吐いた。思っていたよりも重篤だった、と。そしてそれは中村・谷口夫妻もだ、と。

 

 もう家族会に彼らは参加させず、『事態は前向きに動いている』という都合のいい嘘だけを伝えるべきだろうかと彼らは考えていると、いきなり虎一がせき払いをした。

 

「オホン……俺としてはあり得る話だと思ったな」

 

「こ、虎一さん!?」

 

 その発言に場は騒然とするも、虎一は訂正する様子も動揺も見せない。まさか虎一がこんな突拍子もない話を信じるとは誰も思わず、事前に話をした三家以外の家族の人間はしきりに目を合わせてばかりであった。期待半分、不安半分で見ていた南雲・中村・谷口夫妻も彼がそう言ってくれたことに少なからず驚き、思わず顔を見合わせてしまう。

 

「何も酔狂で言っている訳じゃない……親父や霧乃、それに雫や浩介君があの事件に巻き込まれているにもかかわらず、未だに何の音沙汰もないんだ。あの四人全員が後れを取るなんてことはまずあり得ない。それと、そういった機か……輩がいないとは決して限らないが、それなら既に世界規模でこういった事件は起きてニュースになっているはずだ。違うだろうか?」

 

 うっかり“機関”と言いかけた虎一に皆が『ああ、またか』と思いはしたものの、彼の理路整然とした説明と、八重樫の情報収集力をここ最近遺憾なく発揮し、それでもなお事態が進展していないことを考えれば頭の具合を心配していた全員も一応の納得を見せた。

 

「存外、巷で(うわさ)になっていることが事実かもしれんな。身代金の要求も、学校内にそういった不逞の輩がいたという情報も無い。となればもう、神隠しに遭ったと考えた方が精神衛生上良いだろう」

 

 そう言って一度息を吐いた虎一は、一度中村夫妻らに視線を移してから再度話を始めた。

 

「それに、恵里さんはこうなることを見越していたのだろう? もしかすると本当に未来から来たのかもしれんぞ?……その彼女と親父、霧乃、雫、それに浩介君がいる。そして頭の回るハジメ君にリーダーシップのある光輝君もな。存外、元凶に対処して戻ってくるかもしれんな」

 

 そして意を汲むかのように言ってくれた虎一に愁達は頭を下げる。本当に信じてくれたかはともかくとして、こう言ってくれたことだけでも十分自分達も救われたのだ。その事に感謝する他無かった。

 

「でも、そんなこと言われても……」

 

「俺が言ったのはあくまで“もしも”の話だ。これからも情報収集は欠かさず行って皆さんに報告する。さっきのはあくまで気構えだと思ってくれればいい。こう、気を張り詰め過ぎているといつかプツリと切れかねないからな。どれだけ時間がかかっても待つ。そういう気概で臨んだ方がいいということだ」

 

 幸利の母が心配そうに虎一を見て言うも、虎一はそれに臆することなく答えた。こうして警察とコネがある彼の方でも手をこまねいているのだ。ならば自分達に出来るのはもう帰ってくることを信じて待つしかない、と皆がそう思うしかなかった。

 

「まったくもう……だったら待ってやろうじゃありませんか。優花が、ハジメ君達が戻ってくるのをね」

 

「ええ。優花の、いえ皆の居場所はここなんですから。何年だろうが何十年だろうが待ってあげましょう。ね?」

 

 園部夫妻がそう言うと、他の家族の面々も次第にそうだそうだと声を上げ始める。こうなったらとことんまでやってやると息巻いていく。

 

 こうしていなくなった家族が一刻も早く戻ってくることを願う親達の心にかすかな希望が芽生えた。それはふとした拍子にしぼんでしまいそうな弱々しいものであったが、確かにそこに根付いていた。

 

 

 

 

 

「お前らー、もう六時になったぞー。そろそろ目を覚ませー」

 

 一方、トータスにいた子供達は、今日も一足先に起きていた元教官であるメルドに起こされていた。

 

 こうして大迷宮を下る際の休憩の時に教えてもらったことで、光輝から借りている地球製の時計の文字盤が読めるようになり、教官という役職に就いていたのもあってか、彼らの目を覚ますのはメルドが受け持つようになっていた。また、大迷宮を降りていく際に作った横穴にいるため、あまり声を出すと響くことから、気持ち大きい程度でメルドは声を出している。

 

「よし。それじゃあ坊主、今日も頼むぞ」

 

 誰もが背中や腰の痛みにあえぎながらも目を覚ましていくのを確認すると、メルドは自分達のいるスペースの中央に置いてあった小さな岩をハジメの所へ持っていき、()()()()()()()よう頼み込んだ。

 

「ふぁい……“れんせぇ”……」

 

 やや寝ぼけた状態で“錬成”を行うハジメであったが、何度も何度も繰り返し錬成をやってたせいか一切のミスなく周囲の岩だけを器用に剝ぎ取っていく。すると中にあった緑光石の光が次第に漏れ出し、自分達のいる横穴の中を明るく照らしていく。

 

 こうして断崖絶壁を下っていく中、段々と周りが暗くなってきたため、周りが見えなくなることで足を踏み外したり、作業効率が落ちるとハジメ達は考えた。そこで身のこなしの軽い“軽戦士”である大介と“暗殺者”の浩介がペアを組んで灯りとなる緑光石を持ってくることになったのである。

 

 そうして集めた緑光石の欠片をハジメが錬成で一つにまとめ、こうして一つの塊として使う運びとなった。この一件でまた地味にハジメの評価が上がっており、そのことを本人を差し置いて恵里と鈴が誇りに思っていたりする。

 

 閑話休題。

 

 その緑光石から放たれる光で全員の意識が完全に覚醒すると、“水術師”である奈々がハジメの作ってくれた寸胴鍋に魔法で水を張り、同じくハジメが作ってくれた五徳の上にそれを置いた。その鍋を“炎術師”である信治が魔法で火をつけると、火力調節をしながら鍋を温めていく。

 

「はーい皆、もう少ししたら温まるから今の内に“コレ”受け取っときなさーい」

 

 そして優花がリュックから取り出した団子状のものを器――これまたハジメ謹製である――に入れ、列を作って並んだ皆に黒パンと一緒に渡していく。

 

 この団子状のものは鷲三及び霧乃特製の異世界版兵糧丸といったものである。もちろん普通にかじって食べることも可能ではあるが、保存性の方を優先したため少し固くなったのと、それだけだと腹が膨れないということもあってお湯に溶いてスープ代わりにし、黒パンと一緒に皆は食べている。また黒パンを食べやすくするために浸して柔らかくするという役割もある。

 

「おーい、こっちはもう煮えたぜー。順番に来てくれよー」

 

 全員が器を受け取って数分経った辺りで信治がアナウンスすると全員が再度列を作って並び、奈々に器を渡してお玉――もちろんハジメ以下略――で掬ったお湯を入れてもらう。そうして全員分の器にお湯を入れ終わると、部屋の中心にメルドが置いた緑光石の周りに円陣を組むようにして座り込んだ。

 

 そうして全員で手を合わせ、恵里達は日本にいた時のように小声で『いただきます』と言うと、メルドの食前の祈りを終えるのを待った。それについて思うところがない訳ではないものの、それにケチをつけるのもどうかと考えて誰も口にしない。そしてメルドがこちらを向いてうなずくと同時に今日の朝食が始まった。

 

「流石に三日連続は飽きるけれど、なんだかんだ美味いよなー」

 

「そこら辺は流石ウチの師匠と霧乃さんだよ。マジで味にこだわって作ってたからな」

 

 スープを軽くすすりながら礼一は浩介と話していた。

 

 こうして大迷宮を真っ当とは言えない方法で降りて三日、同じ食事が続いたことには誰もが飽きを感じていたものの、ちゃんと食事をとれることには違いなく、また城での食事が基本濃いこともあって日本人の口に合う味わいであるこのスープには皆感謝している。ちなみにメルドには『少し味が薄い』と不評であった。

 

 ……また、浩介はよく毒見に付き合わされており、時には恐ろしく苦いものを食わされて二人を恨んだ時もあった。もちろん口にも目にも一切出さなかったが。

 

「ふふ、ハジメくん。口にパンくずついてるよ」

 

「あ、あのー、恵里さん……パンくずとってくれるのは嬉しいんだけど、それを僕の目の前で食べるのは流石にちょっと恥ずかしいというか……」

 

「それは抜けてるハジメくんが悪いよねー……ねぇハジメくん、鈴の方もとってくれないかな?」

 

 そして恵里達は相変わらず桃色の空間を形成していた。こうしてハジメと一緒にいられるようになってか、寂しさを埋め合わせるように二人は彼に甘えている。もちろんハジメも二人と会えなくて寂しくはあったため、ちょっと注意する以上のことは出来ず、やれやれと思いながらも二人に振り回されることを甘受していた。

 

「……なんだか鈴達、前にもましてベタベタしてるわね」

 

「仕方ないさ。ずっと会えない時間が続いたんだから……ほら、雫。口元が汚れてる」

 

「ぇ……ぁっ」

 

 またそんな甘ったるい空間を作っていたのは恵里達だけでなく。一足先に食事を終えた雫の口元を光輝がぬぐうと、恥ずかし気に顔を真っ赤に染めて雫は縮こまっていた。その様子を見て物欲しそうに見つめる香織と気恥ずかしそうに顔をそむける龍太郎。そして今にもマーライオ〇のように砂糖を口から吐き出しそうになっている彼女のいない男子~ズ。イチャイチャしている様子を見て顔を真っ赤にする優花と、彼女をからかう奈々と妙子。あんなことがあったにもかかわらず、誰もが()()()()振舞っている。

 

(うんうん、ボクの魔法はちゃんと効いてるな。)

 

 ――こうして恵里達だけでなく他の面々が地球にいた時と()()()は変わらない振る舞いを出来ているのは、全員で戦闘とは関係のない共同作業を行ったことでストレスが緩和されただけではなかった。その多くは恵里の闇系魔法によるものである。

 

 対象の意識を軽く散漫にさせる“呆散”を元にして作った恐怖やストレスを緩和させるオリジナル魔法“静心”を各休憩毎と寝る前に一回ずつ全員にかけており、その効果が強く出ていると恵里は考えている。前世? の記憶と経験もあってか術は上手くかかり、今のところは全員がストレスに苛まれている様子はない。

 

(でもこれはあくまで一時しのぎ……どこまで有効かはわからないしね)

 

 とはいえこれはあくまで全員を一時的に落ち着けさせるための手段と恵里も割り切っている。何せこれを頼み込んだのは恵里、ハジメ、鈴を除いた友達全員なのだから。マトモに寝ることすら出来なかった彼らのため、仕方がないと考案してかけたのだ。『いつかこの苦しみを乗り越えるから』と誓ってくれた彼らを信じて。

 

「あー、これでもう終わりかぁ。マトモな飯はいつになるんだか」

 

 思案している自分を抱き寄せてくれたハジメに甘えていた恵里であったが、軽く気落ちしながらボヤいた大介に軽くため息を吐きたくなった。誰もがあえて避けていたことをつぶやくものだからここにいたほとんどの人間からにらまれて思いっきり顔を青ざめさせており、流石にかわいそうだと思った恵里達は助け舟を出すことにした。

 

「まあまあ皆、落ち着いてってば……昨日言ったでしょ? それを何とかする方法がきっとある、って」

 

「ハジメくんが“前世”で生きてたのだって何かのカラクリがあるはずだからね。それもきっと錬成絡みのがね」

 

「しばらくはお肉だけになるかもしれないけれど、大丈夫だよ。恵里を信じてあげて」

 

 ハジメがなだめるように言い、恵里がそれを補強する。それに続いて鈴が軽く冗談めかしながら言えば誰もが矛を収めてくれる。そして光輝が困ったような表情を浮かべると、この場にいる全員に向けて話を始める。

 

「……そうだな、三人の言う通りだ。ここであえて用意していた食料を全部食べたのも、単に空腹で動けないのを避けるだけじゃないだろ? 恵里の言うアテもあるんだし、もう檜山を責めるのはやめようか」

 

「ホント助かったぜぇ~。ハジメ、中村、谷口、天之河ぁ~」

 

 光輝が音頭をとれば昨日のように誰もがボヤきながらもしょうがないなと流してくれた。大介はすぐさま涙を浮かべて感謝を述べてきた。だったら頼むから失言するなと思いながらも恵里は少し柔らかくなった黒パンを嚙み締める。

 

 こうしてハジメ達と一緒に大迷宮を下っていた恵里であったが、三度目の休憩の際に恵里は自分の口から正体を明かした。もちろん初耳であったメルドは大いにいぶかしむも、他の事前に聞いていた皆は特に驚くことも疑うこともなく恵里を受け入れてくれた。そして黙っていたことを謝るも、女性陣にすぐ『大丈夫』と受け入れられ、それに続いて男性陣も、最後にメルドも勢いに流されてそういう奴だったのかと考えるようになった。

 

 ……実はその際、猫をかぶっていたこともバラしたのだが、全員に『知ってた』と返されて全身を真っ赤にしてぷるぷる震える羽目にも遭ってたりする。

 

(これからが本番だ)

 

 残り少なくなったスープに浸した一口大の黒パンを噛みながら恵里は考える。前世? では目立たない少年であったはずのハジメが化物になったであろう原因のあの場所にこれから自分達は挑むのだ、と。

 

(ベヒモス以上の化物ばかりの場所でハジメくんは生き延びれた、となると錬成でしかたどり着けないエリクサーとかいろんな毒を消せる万能薬みたいなのが湧いてる泉にでもたどり着いたんだ。そうでなきゃ絶対に餓死するし)

 

 そしてハジメがここを突破する際にネックになった食糧問題を解決するキーアイテムに関しても目途が立っていた。実は下のフロアに無害な食糧が自生している可能性が無い訳ではないが、その可能性は低いと恵里は見ていた。そうなれば魔物の肉でも食べるしかないが、食べたら確実に死ぬというのを浩介から聞いている――そこで恵里の脳裏にあることが浮かんだ。別に食べても死ななければ問題ない、と。きっと魔物の肉を食べた際の毒か何かを解毒する水を掘り当てたのだと考えたのである。

 

(だったら皆で掘り当ててさえしまえば問題ない……ハジメくんを絶対に化物になんてさせない。あの優しい陽だまりみたいなハジメくんに救われたんだ。絶対に失ってたまるもんか)

 

 そしてまだ見ぬ相手に敵意をギラつかせながら恵里はパンを飲み込んでいく――その目は“化物”と蔑んだかつての少年のそれとよく似ていた。




エリリンのマッマが留まることが出来た要因はお察しの通り、パッパの存在がとてつもなく大きいです。もし今回の話の前にこの場にいなかったら……まぁ、うん。


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三十二話 奈落の底で見つけたもの

まずは拙作を見てくださる皆様に感謝を。
おかげさまでUAも84688、お気に入り件数も654件、感想も200件(2022/2/21 17:59現在)に上りました。いつもいつもありがとうございます。相変わらずお気に入り件数の伸び方凄っ。毎回ビビりますわ。

そしてAitoyukiさん、トリプルxさん、コウモリさん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。おかげさまでこうして高いモチベーションで執筆させていただいております。

今回のお話はグロ描写が出てくるのでご注意を。では本編をどうぞ。


「近藤、坂上、お前たちのオールの漕ぐ力にズレが出ているな。もう少し坂上が力を落として合わせるんだ」

 

「了解っす」

 

「あ、わかりました」

 

 メルドの指揮のもと、礼一と龍太郎は共に息を合わせて金属と岩石の混じったオールを漕ぎ、同じく金属と岩混じりのボートを進めていく。

 

 ――降りていく崖の途中にあった鉄砲水の如く吹き出す水を幾度も避けながら恵里達は下っていた。既に手持ちの魔力回復薬も食料も尽きてしまい、またこの崖がいつまで続くかもわからない。良くて餓死、最悪友人を食料とみなしての殺し合いに発展すると考えていた恵里であったが、ここで転機が訪れる。下っていた崖の壁に大きな横穴がせり出すようにしてあいていたのだ。

 

 そこで急遽スペースを作って話し合いをすることに。侵入するかどうかで当然揉めてしまったものの、恵里の一言でそれがピタリと止んだ。ハジメが本来辿ったであろう未来のことだ。

 

 自分が拉致されてからの教会の動きからして、本来ハジメはベヒモスのいた階層で何らかの形で奈落の底へと落ちたのではないかと語った。またあの横穴から侵入する際にも向かいにあった滝のような鉄砲水が横穴へと流れ込んできたことから、きっとそれに乗ってここに来たのではないかという推理を披露したのである。

 

 このまま下ってもいつ最下層に続くかわからないし、食料が尽きて食べられそうなものもない以上いずれ餓死しかねない。そこで全員は恵里の推測に乗って足場を作りつつ横穴へと侵入することになった。

 

 その穴から下へと降りていくと、そこは一面川となっており、どこかへと流れ込んでいる様子であった。岩がところどころ飛び出ているぐらいでまともな足場もなかったため、そこで急遽作業スペース用の空間を作ってからボートを作ることに。もちろん土系魔法とハジメの錬成による合作である。オールも適当に魔法で隆起させた岩を使って作成した。

 

 全員が乗れるぐらいものとなると大きさはもちろん重量も相当ではあったが、そこはチートスペックのメンバーの見せ場である。ハジメ以外の全員が筋力すらも強化されているため、メルドが音頭をとってハジメ以外の全員で運ぶこととなり、放り投げる形で川にボートを浮かべた。

 

 その後ボートが流されないようにメルドと浩介が“縛石”、光輝と香織、鈴が光のロープを作る魔法である“縛印”を詠唱し、予めボートのへりに作っておいたフックへと引っ掛けて流されないように食い止める。

 

 そして船が流されない事を確認してからハジメが真っ先に乗り込んで錬成でボートの損傷を修復し、その後全員で乗り込んで進むこととなったのである。

 

 オールをこの二人が使う経緯に関しては以下の通りだ。誰が使うかということを作っている最中に話し合い、『力のある二人がやればいい』という結論が出た。

 

 そこで龍太郎にまず白羽の矢が立ったのだが、そのもう一人の役目を光輝が立候補していた。が、メルドから『パーティーの中で一番強い光輝がオールを漕いでいたら、不測の事態に対応できん。別の奴に頼みたい』と言われ、そこでまだ余力があって暇を持て余しそうになっていた礼一が立候補することに。結果、時折メルドに注意をもらいながらこうして漕ぐこととなった。

 

「あ、こっから数メートル離れた右に岩あります。他障害物なし」

 

「よし、わかった。近藤は一旦ストップ、俺が声をかけるまで待機。坂上はすまんがしばらく漕いでくれ」

 

「わかりやした。頼むぜ龍太郎」

 

「了解しました。おう、任せろ礼一」

 

 ほどなくしてボートはトンネルへと入り、そこで船頭にいるよう命令された浩介は渡された緑光石をカンテラ代わりに掲げる。その光で周囲を照らしてもらい、こうして一同は水路を進んでいた。

 

「なあメルドさん、あれ……」

 

「あぁ、間違いないな――全員聞け。もう少ししたらこのトンネルを出る。襲撃に備えて近藤と坂上以外、総員戦闘態勢に移れ」

 

 隆起している岩を上手いことかわしながら進むことしばし。浩介がトンネルの奥を指差せば、そこから緑光石のものと思しきうすぼんやりとした光が漏れ出ていた。それを確認するとメルドはすぐさま号令を下し、全員も『了解』と返事をすると同時に武器を構える。

 

「よし近藤と坂上も漕ぐ手を止めろ! 総員構え、出るぞ!」

 

 そして礼一と龍太郎も立ち上がって各々構えを取る。そこからわずかに遅れて船はトンネルから抜けた。

 

 そこかしこに放たれる緑光石の光を浴びながら恵里達は周囲を見渡す。全員が入れるだけのスペースしかないボートにいるため、もし仮に奇襲を許してしまえばその先の想像は容易だ。

 

 しかもこの川の深さもオールを漕ぐことが出来る程度には深いことしかわからない。船を壊されてしまえばそのまま全員溺れ死んでもおかしくないのだ。だからこそ全員が目を皿のようにして辺りを見る。そして見つけてしまった。

 

「うっ――オェッ!!」

 

 まず先に気付いたのは雫であった。八重樫の裏を修めていることからある程度夜目も効くようになり、うっすらとはいえど周りに光源があることから見るのにさほど苦労しなかった。そして索敵も祖父から叩き込まれているため、敵がどこから来るかの想像も容易であった。そこで遠方に岸が見えたことからそこから来ると判断し――見てしまったのである。

 

「おい雫、どうし――うっ!!」

 

 そしてそれは浩介もであった。雫程ではないにせよ、夜間の訓練も受けているため夜目が効く。そのため雫が見た方向を彼も見てしまった。そして猛烈な吐き気に襲われてしまう。

 

「し、雫? 浩介も一体なに、が……ぁ」

 

 それにいぶかしんだ光輝は二人に声をかけるも、二人と同様にあるものを見つけてしまい、必死に吐き気を我慢するしか出来なかった。えづく様子の三人を見て一体何がと思った恵里は他の皆と一緒に周囲を見回し、それを見つけてしまう。死体であった。

 

「――ゲホッ! ぅ……ぉぇぇ」

 

「うぷ……うぇ……」

 

 彼らの視界に入ったのは見るも無残な様相になったものであった。既に体のほとんどは食い散らかされ、首といくつかの骨、そしてそれが身に着けていたであろう武具などの残骸と思しきものしか残っていない。その残り少ない肉片や頭には蛆とハエがたかり、砕かれた頭蓋からは()()()()()()

 

 人形のような冷たい美しさのあった相貌は落下の時に出来た傷や蛆などが食べた跡で正視に耐えない有様であり、空っぽになった眼窩は自分達の方を向いている。まるで自分達に呪詛をかけようと見つめてくるかのように。

 

「これは、ちょっと……」

 

「……俺も、キツいな」

 

 これには恵里もメルドも吐き気を我慢するのに必死であった。殺したばかりの死体や戦闘で損傷したゾンビならば経験と無関心故に恵里は特に気にもならないが、蛆やハエがたかるようなものに関しては経験が無かったため、嫌悪感で軽く戻しそうになっている。

 

 メルドも戦場で幾度も死体を目にしたことはあるが、ここまでひどいものは中々見る機会が無かった。故に胃にこみ上げてくるものを何とか我慢していた。

 

「――ぁ。アイツ、だ……やめろ、見るな……見るなみるな見るなみるなみるなみるなみるなみるなみるなみるなみるなぁっ!!!」

 

 川の流れで更に近づいたことで浩介はあることに気付いてしまう――その死体の正体が自分が殺した神の使徒であることに。空の瞳に見つめられ、錯乱した浩介は頭を抱えてその場でうずくまってしまう。

 

「違う、違う! 俺は悪くない、俺は間違ってなんていない!」

 

「大丈夫! 浩介君のやったことは間違ってないから! だから、だからお願い……」

 

「鷲三さんも霧乃さんも言ってただろ! お前のやったことは間違ってないって!! だから、だから気にしちゃダメだ! 気に、しないでくれ……」

 

 警戒態勢であることも忘れて悲痛な表情で彼の体を雫と光輝がさすり、大介達や幸利も『お前は悪くない』としきりに声をかける。それでもなお深い深い底へと沈み込んでいく彼の耳にここ最近聞きなれたフレーズが飛び込んできた。

 

「――“静心”!」

 

「……ぁ」

 

「……遅くなってごめん。とりあえず、落ち着いた?」

 

 吐き気をこらえながらようやく静心”の詠唱を終えた恵里は全員の顔を見渡すと、どうにか落ち着きを取り戻せたらしく錯乱した様子も吐き気を催している様子もない。

 

 ひとまずはこれでいいかとホッとした恵里であったが、その彼らの顔は一様に暗い。事あるごとに恵里に助けてもらい、こうして今も彼女の手助けが無ければきっとどうにもならなかったと痛感していたからだ。

 

 ここに来たのも自分の意思であったはずなのに無様を見せてしまっている。多感な年頃である彼らの心が更にぐちゃぐちゃになって卑屈になっていく。自分達はこんなにも弱かったのかと悔しさで涙を流す者もいた。

 

「……メルドさん、ここ以外の場所で降りませんか」

 

 そしてそれはハジメもまた例外でなく。下手をしたら自分達が辿るであろう未来を見て顔を青ざめさせていたものの、恵里のおかげでどうにか治まった。とはいえ恵里の力が無ければ立ち直る事も出来なかったかもしれないと内心へこんでいた。

 

 だが辛いのは皆同じだと考えたハジメは、せめて場所だけでも変えないかとメルドに尋ねたが、その提案は突き返されてしまう。

 

「いや、この川がどこまで続くかわからん。それにここから奥に通路が伸びていることを考えると逃す手はない……総員、準備に移れ! ここから上陸するぞ!」

 

 メルドもまた苦い顔をしながらもここから上陸すると全員に通達する。無論、顔を上げることの出来た面々からは信じられないものを見るような目を向けられたり、怒りの籠った眼差しを向けられるものの、彼は引かない。『恨むなら俺を恨め』とだけ言って上陸の準備をするメルドに倣い、全員も準備に取り掛かるのであった。

 

 

 

 

 

「そっちには何かないかー?」

 

「今のところ何もありませーん。とりあえずこのまま作業に移りまーす」

 

 あの川岸から上陸した一同であったが、このまま魔物と出くわした場合、マトモに戦えないと判断したメルドによって一度近くの壁に穴を開けて退避した。

 

 そうして落ち着いた後、気分転換も兼ねて恵里がある事を提案し、全員で穴を掘ってあるものを探していた。魔物の肉の毒素を消せるであろう泉の類である。先の横穴に入るかどうかの話し合いの際に恵里はこのことも説得材料として話していたのだ。

 

 長いつき合いであった光輝達はともかくとして、大介達はいかに自分達に厄介になっているとはいえど疑いの目を向けてきた。これに関しては自分も大介達の立場なら何のためらいもなく疑っただろうと思い、それについては言及しなかった。

 

 とはいえこのままでは餓死するか魔物を食べて死ぬかしかないと伝えれば彼らも引き下がらざるを得ず、ハジメが『それが見つかったら一番先にご飯を譲ってあげるね』と言ってくれたことで彼らも溜飲を下げてくれた。上手く大介達の舵取りをやってくれたハジメに心の底から感謝を示しつつ、恵里もあまり得意でない土系魔法で壁を掘っていく。

 

「こっちで良かったのかな……やっぱり今からでも班を決めて分かれた方が……」

 

「ハジメ達が言っただろ。別れたら連絡のとりようがないってよ。とりあえずやるだけやろうぜ、香織」

 

 そんな中、なかなか目当てのものが出ず、空腹と焦りで不安になっている香織の隣で一緒に作業をしている龍太郎が彼女をなだめる。

 

 こうして壁を掘る作業を全員が了承した際、香織が述べた通り二手に分かれたらどうかと提案されたこともあった。だがそれはすぐにハジメとメルドに却下される。理由は今しがた龍太郎が述べたように連絡手段が無いことだ。

 

 気配感知を持っているメンバーには、今自分達がいる壁の近くを何匹もの魔物が徘徊していることという事がわかっていた。それを考えると穴をあけた状態でいるのは各個撃破される危険がある。最低でもベヒモスに匹敵する魔物がウヨウヨいると考えると、一人でも倒れたり行動に支障が出る怪我でもしてしまったらどうなるかわからないからだ。

 

 また、この壁と壁との間の間隔もまた相当遠いこともネックであった。何せあの上陸した場所から奥に伸びる通路の横幅でさえ二十メートルほどあったのだ。奥がもっと狭まっている可能性もあったが、その状況で敵と出くわせばどうなるかわかったものではない。

 

 故に分かれて行動するのではなく、こうして一緒に発掘作業をするという結論に至ったのである。

 

「ナナ、タエ、あった?……」

 

「ううん、見つかんないよぉ……」

 

「ホント、どこにあるんだろうねぇ~……」

 

 こうして全員で力を合わせて作業をしているものの、先程ノイントの死体を目撃してしまったことや、あるかどうかもわからない代物を探すのを続けたことで恵里、ハジメ、鈴を除いた面子の士気はそれほど高くはなかった。

 

 むしろ『魔物の肉を食べても回復魔法でひたすら治せばいいんじゃないか』とボヤく面々がチラホラ出ていることもあって低下の一途を辿っている。

 

(光輝君も回復魔法は一応使えるし、最悪鈴と香織、光輝君の三人で必死に治してもらえばどうにかなるんじゃないかなぁ……)

 

 その文言に恵里も思わず納得しかかっていたこともあって、彼女自身のモチベーションも引きずられる形で幾らか下がってしまっていた。しかしそれでどうにかならない可能性を考え、手を抜いたせいで友達やハジメが死ぬかもしれないと考えることでやる気を出して作業に移っている。だがそれが続いたのもつかの間であった。

 

「お腹、すいた……」

 

「もう無理、限界……」

 

 食事もせずにひたすら魔法を使い続けていたことからほとんどの人間から作業を続ける気力が失せてしまったのである。それはメルドも例外ではなく、『飲まず食わずの行軍は経験があるが、やはりキツいな……』とボヤいて手を地面についている始末。恵里も魔力より先に体力と気力が尽きてしまい、その場で横になるしかなかった。

 

「なぁハジメ、やっぱ無いんじゃねぇか? やっぱり光輝達に回復してもらって――」

 

「ううん、恵里の言った通りきっとあるはずだから。それにこうしていろんな鉱石を見るのが楽しいし、僕は探すよ――“錬成”」

 

 そんな中、幸利に声をかけられてもハジメはひたすらに作業を続けていた。彼曰く、ちょっと前に“鉱物系鑑定”という技能に目覚め、また錬成周りの適性が高いおかげか魔法陣も無しにちょっと詠唱するだけでその技能が使えるらしい。空腹であることにはあえいでいるものの、作業そのものに楽しみを見いだせたことからまだモチベーションが続いていたようだ。

 

(……やっぱりハジメくんは強いや)

 

 そんな彼の姿を見て恵里は思う。彼は本当に強い。だから彼の助力を受けた鈴に自分は負けたんだ、と。

 

 二回目のトータス会議で自分の魂がいじられていたことに気付いた時も、自分が攫われて頭をいじられた時も、こんな絶望的な状況の中でも目の前の少年は絶望に暮れることなく、どうにかしようと動き続けている。きっと自分と相対したあの化け物も兵器を手にしたからでなく、元々ここまで精神が強かったから自分は勝てなかったんだと恵里は実感する。

 

「全く、大の大人が先に休んでどうするんだ……よし、俺も作業を続けるぞ」

 

「……ハジメくん、鈴もやるよ」

 

「ありがとうメルドさん、鈴。メルドさんは先程まで作業していた場所で、鈴はそっちの方をお願いね」

 

 そんな彼の姿に触発されたのか、メルドと壁に背中を預けて休んでいた鈴が自分より先に作業を再開する。それを見てこんなところで寝てる訳にはいかない、と恵里もどうにか腕に力を込めて上半身を持ち上げようとした時、奇妙な光が空間に漏れ出た。

 

「何だろう、あれ……」

 

「奇麗……」

 

 突然目の前の壁が青白い光が漏れ出たのである。一体何だろうと思いながら恵里は這いずるようにして見える位置に行くと、その幻想的な光景に空腹も疲れも忘れて思わず見とれてしまう。

 

(きれい、だ……)

 

 直径はバスケットボール程だろうか。その鉱石は周りの石壁に同化するように埋まっており、下方へ向けて水を滴らせている。鉱石から水が出るというあり得ない現象も見せられたためかどこか神秘的なものを恵里は感じ、アクアマリンの青をもっと濃くして発光させた感じの光に照らされた愛しの彼と鈴を見て惚けてしまっていた。

 

「見つ、けた……これが……これが――!」

 

 だからだろうか。ハジメが言ったことがどういうことか気づけなかったのは。その後すぐに彼がその湧き出ていた水にためらうことなく口をつけたことを理解するのに少し時間がかかったのは。

 

「……って、ハジメくんダメだってば!!」

 

「バッチい! バッチいよ!! 地面に垂れたのは汚いからペッしてペッ!」

 

 空腹故の奇行だと判断した恵里は鈴と一緒にハジメをすぐに地面から引き離す。するとハジメはごめんとつぶやいきながらいつもの優しい笑顔を浮かべた。

 

「見つけたよ。恵里、鈴、みんな。きっとこれが探し求めてたものだ」

 

「見つけた、ってまさか――」

 

「ほ、本当なのハジメくん!?」

 

 恵里と鈴を優しく引き剥がすと、ハジメはあの幻想的な光を放つ石の周りに手を置いて『錬成』とささやくように詠唱する。鉱石の下半分がすっぽり覆われるくらいの大きさと深さのボウルが作られ、その中にあのアクアマリンのような輝きを放つ鉱石を入れた。

 

 そして“鉱物系鑑定”を詠唱してから数瞬、笑みを深めたハジメは今度は壁に手を当てて再度錬成をする。人差し指の第一関節辺りの大きさのコップのような入れ物を二つ作ると、ボウルの中に軽くたまった水をすくってそれを笑顔で二人に手渡した。

 

「飲んでみて。この水を飲んだら一瞬で疲れも飛んじゃったし、魔力も完全に回復したんだ。もしかするとこの水なら魔物肉を食べても解毒できるかもしれない」

 

 ハジメのその言葉に恵里も鈴も思わずつばを飲み込む。

 

 恵里としてはどこかの泉だと思い込んでいたのだが、こうして鉱物から割れ目も無しに間断なく水が流れ出るというあまりにも非現実的なものを見てその考えは消え去った。いくらファンタジーな世界といえど、こんな現実離れしたものがこの場所で二つも三つも転がっているはずがないと考えたからだ。それに何より愛するハジメの意見だ。そのハジメが言っているのだからまず間違いがあるはずがないと恵里は本気で思った。

 

「……いくよ、鈴」

 

「うん、わかったよ恵里」

 

 そこで意を決して二人は中身を煽った――途端、体に活力がみなぎってきた。飢餓感こそ満たされなかったものの、魔力も満ちあふれており、硬い壁に身を預けていたせいで感じていた痛みも完全に無くなったのである。

 

 まさかと思って鈴の方を見ようとすれば同じタイミングでこちらの方に顔を向けた。鈴もどうやら同じ体験をしたようである。

 

「これ、なら……すごいよハジメくん!! これならいける、きっといけるよ!!」

 

「うん! 恵里の言う通りだよ! こんなにすごいものはきっと幾つも無いと思う!! きっと正解だよ!」

 

「ありがとう二人とも――よし、皆! これからどうやって魔物を狩るか話、を……」

 

 そして恵里も鈴もハジメに抱き着き、口々にハジメをべた褒めすると、ハジメもはにかみながら二人の頭をなでた。これならきっと大丈夫、絶対にいけると確信し、先程からずっと静かだった光輝達と今後の相談をしようとして固まってしまった。

 

「ハジメが……ハジメが壊れた……」

 

「ハジメ君、恵里ちゃん、鈴ちゃん……なんで……どうしてなの……私達の、せい……?」

 

「戦闘は苦手だからって、直接戦えないからって必死になって頑張ってたから……私達が頑張らせてたからそのせいで……」

 

「私達が、私達が三人を壊したのよ……ずっと三人に重荷を背負わせてばかりだったから! ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

「俺が、俺があの三人を守れなかったばかりに……すまん、すまん……どう、どう詫びればいいんだ……」

 

 どいつもこいつも見事にお通夜ムードを漂わせていたからである。

 

 誰もが凄まじい罪悪感に囚われて、自分のせいで三人の精神が破綻してしまったのだと本気で自分自身を責め続けている。その様子を見た恵里達は何故こんなことになっているのか少しの間考え……そして自分達の行動を本気で後悔するのであった。

 

 

 

 

 

「あー、コホン!……これが目当ての水か。確かにこれほどのものなら出来そうだな」

 

 気恥ずかしさをごまかすように大きくせき払いをし、恵里達から目をそらしながらメルドはハジメが見つけた鉱石と水を評価する。

 

 ……光輝達が鬱々とした雰囲気を放っているのに気づき、それが自分達の行動のせいだと気づいた恵里達はしばし誤解を解くことに奔走した。思いっきり肩を揺さぶったり、鉱石からあふれる水をあの入れ物ですくって飲ませて効果を確認させるなどして全員をどうにか正気に戻したのである。

 

 そこまでは良かったものの、我に返った途端、自分達が早とちりしたことに気付いた光輝達は恥ずかしさで顔を伏せてしまった。今度は別の意味で全員が『死にたい』と涙目になりながらボヤくものだからなだめるのにも相当時間が経過してしまった。

 

「そうですね! これだったらきっと魔物の肉を食べても大丈夫のはずです!!」

 

「そうそう!! ありがとうハジメ君お手柄よ!!」

 

「……あー、うん。そうだね。ハジメくんすごい頑張ったからね……」

 

「あ、はい……その、ごめんなさい」

 

「あ、謝らなくていいんだよ? ハジメ君のおかげでもう大丈夫なのはわかったんだし……」

 

 そしてやっと話し合いが出来るようにはなった……なったのだが、誰も彼もがこっぱずかしさを隠すためか恵里達には目を合わせなかったり、やたらと反応が大袈裟だったりする。そのことに恵里達も気まずさを覚えながらもどうにか返事をしていく。

 

「しかし一体どんな代物だ、コレは? 神代の時代から存在している、と言われてもおかしくないような代物だが……」

 

「あっ、はい。僕の“鉱物系鑑定”で『神結晶』って出ました。なんか名前からしてすごい感じですし、魔力が結晶化したものみたい――」

 

 ハジメの一言にメルドは思いっきり目をひん剝いて金魚のように口をパクパクと何度も開ける。普段メルドが絶対やらないような表情を見て、誰もが首をかしげながらもこれってそんなにすごいものなのかとぼんやりとした感想を抱いた。

 

「そ、そういえば坊主……お前は座学も最低限のものしか出てないよな?」

 

「あー、はい。恵里と鈴と一緒に逐一監視されてましたからね。正直すごい回復薬なんだなー、ってぐらいしか」

 

 そのハジメに賛同するように他の面々も肯首していく……自分達の扱い故にきっとこの世界に興味を持つことがなかったんだろうな、と凄まじい後悔に襲われながらもメルドは口を開いた。

 

「いいか。これはな――」

 

 そうしてメルドが手を頭に当てながら全員に目の前の石と水がどれだけとんでもないものなのかを解説していく。

 

 曰く、神結晶とは、大地に流れる魔力が千年という長い時をかけて偶然できた魔力溜りにより、その魔力そのものが結晶化したものとのこと。直径三十センチから四十センチ位の大きさで、結晶化した後、更に数百年もの時間をかけて内包する魔力が飽和状態になると、液体となって溢れ出すらしい。

 

 その液体を“神水”と呼び、これを飲んだ者はどんな怪我も病も治るという。その名にあたわず飲み続ける限り寿命が尽きないと言われており、そのため不死の霊薬とも言われている。神代の物語に神水を使って人々を癒すエヒト神の姿が語られている……と、メルドは語った。

 

「――とまぁ、そんな伝説で語られるような代物だ。それなら解毒も可能だろう」

 

 そうメルドが満足そうな顔で語り終えると、誰もが一様にうなずいた。確かにそれなら食べたら死ぬような劇物を口にしたところで死ぬことは無いかもしれない、と。

 

 ただ、神水の凄さこそわかりはしたものの、恵里からすればエヒト=クソ野郎といった具合の認識でしかないため、エヒトが人々を癒したという言い伝えは『どうせ争いの種にでもしたんでしょ』とでも考えており、ハジメと鈴も同様だった。また光輝達も恵里に対する仕打ちのことを考えるとかなり懐疑的になっていたりする。もちろん誰も表には出さないようにしていたが。

 

「なら早速魔物を狩ろうぜ! もう、腹が減って仕方ねぇんだ……」

 

「だな! あの水で気力が保ってられる内によ! ハジメ達もそう思うだろ?」

 

 メルドの長い講釈が終わり、そこで大介が目をギラつかせながら魔物狩りを提案する。それに礼一達も乗っかり、口々に同意を求めてきた。

 

「あぁ。この神水のおかげで魔力も完全に回復しきったからな。手段さえ選ばなければやれるはずだ。いこう、皆!」

 

「そうだね。やっぱりお腹がすいてて、ちょっとしんどいし……」

 

「うんうん。土系の魔法やハジメくんの錬成で生き埋めにすればきっと大丈夫だね!」

 

 それに光輝もハジメも二つ返事で了承し、それで勢いづいたことで恵里や他の子供達もその提案に賛同していく。

 

「全く……浮かれるのはわかるが、こういう時こそ気を引き締める必要があるんだからな――中村、一度お前の魔法で全員を落ち着かせろ」

 

 だがメルドだけは空腹で胃がキリキリするのをこらえながら冷静に命令を下す。幾らかトーンを落としたメルドの声に背筋を軽く震わせた恵里は即座に詠唱に入り、ハジメ以外の子供達は水を差されたことで不満げな様子を隠そうともしなかった。

 

「――“静心”……はい、落ち着いた? ボクも確かに勝てると確信した時に思いっきり足元をすくわれたことが何度もあったからね。気を引き締めよう」

 

 その言葉に一度落ち着かされた大介達と優花らは心底ばつの悪そうな顔を浮かべて反省する。彼らの脳裏には転移させられた際の神殿騎士との戦闘がまだこびりついており、そのせいで死にかけたことを思い出して軽く体を震わせていた。

 

「……確かにそうだな。よし、皆。空腹で辛いだろうけれど作戦会議だ。確実に魔物を仕留める手段を考えよう」

 

 光輝も少し苦い顔を浮かべながらも全員に声をかけ、音頭をとっていく。空腹で頭が回らないながらもどうにか全員で話し合いをしていくのであった。

 

 ――自分達が真のオルクス大迷宮に迷い込んだことも、その恐ろしさも誰も知らぬまま。




実はもうちょっとシーンを追加してから投稿しようか迷いましたが、ここ最近割と暗いお話ばっかりだったので気持ち明るめの方がいいかなー、と思って投稿しました。


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三十三話 絶望で砕け、願いで心は新生する

まずは拙作を見てくださる皆様への感謝を述べさせていただきます。
おかげさまでUAも86224、お気に入り件数も655件、感想数も207件(2022/2/27 8:00現在)になりました。毎度毎度拙作をひいきにしてくださり、ありがとうございます。

それとAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。おかげでまたモチベーションを保つことが出来ました。いつも感謝しております。

タイトルから察せられる通り、鬱要素が入っております。また歴代最長(17000オーバー)になりました(白目) 上記の点に注意して本編をどうぞ。


 迷宮のとある場所に魔物の群れがいた。白い毛並みの狼のような骨格をしており、大型犬くらいの大きさで尻尾が二本持つ。また赤黒い線がまるで血管のように幾本も体を走り、ドクンドクンと心臓のように脈打っていた。仮にこの魔物を二尾狼と呼称する。

 

 この魔物は四~六頭くらいの群れで移動する習性がある。単体ではこの階層の魔物の中で最弱であるため群れの連携でそれを補っているのだ。この群れも例に漏れず六頭の群れを形成していた。

 

 周囲を警戒しながら岩壁に隠れつつ移動し絶好の狩場を探す。二尾狼の基本的な狩りの仕方は待ち伏せであるからだ。

 

 しばらく彷徨いていた二尾狼達であったが、納得のいく狩場が見つかったのか其々四隅の岩陰に潜んだ。後は獲物が来るのを待つだけだ。その内の一頭が岩と壁の間に体を滑り込ませジッと気配を殺す。これからやって来るだろう獲物に舌舐りしていると、ふと違和感を覚えた。視界が段々と暗くなってきているのである。

 

 それを危険だと野生の本能で察した魔物達は顔を出すと、信じられない光景に体が固まってしまう。自分達の今いる通路の前後がせり上がって閉じようとしていたのだ。

 

 このようなことを起こせる相手を彼らは知らない。空中すら縦横無尽に駆け抜ける白いアレも、ここの階層の主もこんなことは出来はしないはず。故にパニックを起こしてしまい、そのまま突っ切ってしまえば出られた二尾狼達は閉じ込められてしまったのである。

 

 幸い閉じ込められた通路の中は緑光石のおかげで真っ暗ではなかったものの、彼らの身に起きた不幸はそれで終わりではなかった。頭上から岩がいくつも降り注いだのである。

 

 唸り声を上げながら岩を回避し、無理だったものはすぐに固有魔法である雷撃で迎え撃つ。尻尾を逆立てながら器用にかわしていき、群れの仲間が被害を受けることも厭わずに攻撃する。

 

 落ちてくる岩で頭蓋を割られたり、雷撃で感電したせいで岩をよけ損なったせいで死んだ同胞(間抜け)が二匹いたが構わない。全ては自分が生きるためだとどの個体も考えながら死の舞踏を踊る。

 

 岩が降り注いだのはほんの一分ほど。群れは四頭に減り、自由に動ける足場も大分減った。だがどれも油断はせず、今度は何が来るかと待ち構えていた……が、何も来なかった。

 

 一体どうした、と思っていると群れの一頭がキャインキャインとわめきながらその場から飛びのく――そこで他の二尾狼も見てしまった。今度は壁が迫ってきたのである。

 

 何度も続く非常事態に二尾狼達は大いに混乱してしまった。いきなり閉じ込められ、頭上から岩が降り、自分達の十八番である待ち伏せをしたら意味の分からないことが起きた。冷静になどなっていられなかった。だがそこで彼らはあることに気付く。ある壁の向こう側から何か音がすることに。

 

 ジッとして耳をすませればそれは聞こえてくる。自分達を嵌めたと思しき生き物(人間)の声が。それも焦燥に駆られているものが。

 

 そこで二尾狼達は決意する。あの壁を破壊して、向こうにいる幾つもの声の主を全部喰らってやる、と。半ば自棄になった狼達は再度尾を逆立てて雷撃を壁に叩き込んでいく。ビキビキと亀裂が入っていくと同時に、より鮮明に聞こえてきた無数の悲鳴に彼らは食欲を搔き立てられていた。

 

 

 

 

 

「クソっ! しぶとい!!」

 

「嘘、でしょ……」

 

「ひっ!? や、やだっ、やだぁぁあぁぁあ!!」

 

 鳴り響く稲妻の音と共に段々と壁に入っていく亀裂。その光景に恵里は思わず歯噛みし、他の面々はじわりじわりと死が迫っている事に絶望したり錯乱するばかりであった。おかしい。最善を尽くしたはずなのにどうして、と。頭が回らないなりに考えたはずなのにどうしてこうなった、と強い後悔に苛まれていた。

 

 恵里達が魔物を倒すために練った作戦は以下の通りだ。

 

 “気配感知”及び“特定感知”の使えるメンバーで魔物を探し、土系魔法が得意な浩介らと“錬成”の使えるハジメが魔物のいる通路の前後を封鎖。そして天井から岩を落として仕留め、ダメ押しでハジメの錬成で生き残りを生き埋めにするというものであった。

 

 そこで作戦がまとまり、偶然近くの通路を魔物の群れが通っていくのに“気配感知”を持った光輝らが気づいて急遽実行に移った。しかしここである問題が彼らを苦しめる事になった。空腹である。

 

 作戦前に奈々の水系魔法で出した水で全員お腹を満たし、その上で神水を全員が服用して臨んだ……が、結果はご覧の通り。壁に入れられた亀裂は段々と深く、しかもそこかしこに入っていっている。いつ壁が崩れてもおかしくない状況だ。

 

 いかに神水が魔力と疲れを完全に癒すといえども飢えまでは流石にどうにも出来ず、また腹を水で満たしても完全に飢えをごまかしきることは出来なかった。

 

 それ故に魔法をいつも通りの威力を出せるレベルで詠唱に集中出来るメンバーがハジメ、浩介、雫ぐらいしかおらず、他の面々も食事を手に入れるために必死になって詠唱はしたものの、一節二節抜けた状態が当たり前で本来の効果の半分も出ていたかどうかなレベルであった。きっとそれ故の失敗だろう、と。

 

「あぁもうっ! 皆、戦うよ!!――こちとら何度も何度も不意を突かれてるんだよ、この程度いつもの事だっ!!」

 

 だがそんな中、恵里はヒステリーを起こしながらも誰よりも早く立ち直って武器を構えた。ロクに働かない頭を危機感で無理矢理働かせて、四か所ある深い亀裂のどこから先に魔物が来るかを観察し、“気配感知”でわかる相手の位置と動きから割り出そうと必死に考える。

 

「中村の言う通りだ! お前達構えろ!! すぐに魔物は襲い掛かってくる! 死にたくなければ奴らを殺せ!! これは命令だ!!」

 

 そして怒号と変わらぬ勢いで出されたメルドの命令に全員がすぐに我に返って武器を構える。期間が短かったとはいえこうして軍人のようにシゴかれたことでどうにか立ち直れたのだ。すると光輝が聖剣をどうにか構えながら声を上げる。

 

「皆、俺が打って出る!――雫、龍太郎、浩介。援護を頼むぞ!」

 

「――わかったわ。絶対に光輝は死なせないから」

 

「ああ、こうなりゃ残った四匹全部叩き潰してやらぁ!!」

 

「こちとらもう殺しだって経験してんだ! やってやる、やってやるよ!」

 

 ロクに体に力が入らず、恐怖で体を震わせながらも光輝が叫ぶ。こうなったらもう出たとこ勝負しかない。名前を呼ばれた三人も空腹と未知の敵への恐れを押して前に出ていく。

 

「動ける前衛は光輝達と同様前に出ろ! 後衛組は今すぐ下がれ! そして隙を見て攻撃だ! いいな!?」

 

 武器を構えたはいいものの、逃げ場のないこの空間で敵に襲われる恐怖と焦りで他に何も考えられなくなってた面々に再度メルドの号令が飛ぶ。すぐさま大介、礼一、妙子がメルドと共に壁際まで走り、恵里達後衛組はすぐにもう一方の壁際まで下がった。

 

「――敵が最初に来るのは多分左から二番目のやつ! 魔法が使えるんだったら誰でもいいから詠唱して! それとハジメくん、神水も!!」

 

「うん、わかった!」

 

 そしてアタリをつけた恵里は全員に方角を指し示し、自分もハジメから人差し指大の容器に入れてもらった神水を一気に煽る。容器をハジメに返すと同時に、相手の意識を数瞬の間だけ飛ばす“堕識”の詠唱を開始する。空腹が集中を邪魔するも、それでも詠唱の手は止めない。ここで絶対に生き延びる。魔物を殺して逆に食べる、と意志でねじ伏せながら。

 

「よくやった中村!――谷口、白崎! そっちは他の奴らに任せて右の方に“光絶”を張れ! 来るぞ!!」

 

「「はい! 悪意を隔てるは一筋の光 守護の光をここに――“光絶”!」」

 

 恵里の報告を聞いたメルドも自身の勘と照らし合わせて合致すると判断し、他の亀裂からもすぐに魔物が来ることを考えて二人に命じる――二人が“光絶”を張ると同時に壁が崩れ、戦いの幕が開いた。

 

「グルゥア!」

 

 恵里の読み通り、左から二番目の亀裂が砕けて狼型の魔物が現れる。だが、既に恵里は布石を打ち終えていた。

 

「――“堕識”ぃ!」

 

 その瞬間、雫へと向かおうとしていた魔物の意識が飛んでしまった。駆け抜けようとしていた時に意識が飛んだせいで足がもつれ、そのまま地面へと倒れこんでしまう。恵里が作ってくれた大きな隙にすかさず雫が次の手を打つ。

 

「これでっ!!」

 

「グゥオァァァアァ!?」

 

 懐から取り出した直径二センチほどの串――ハジメがあの時浩介に渡したものの改良型を魔物の目に突き刺し、シャムシールに似た剣の石突で思いっきり叩いた。極限の集中でどこまでも正確に叩き込まれた一撃は脳天を容易く貫き、凄まじい痛みを魔物に与える。

 

「光輝、後はお願い!」

 

「流石だ雫! これで――っ!」

 

 雫が魔物から離れると同時に、光輝が渾身の力で魔物の首を刎ね飛ばす。土ぼこりにまみれた聖鎧が鮮血に染まってから数瞬、右の二つの亀裂が同時に砕け、二尾の狼が一緒に襲い掛かってきた。

 

「グゥオォォォ!!」

 

「ガルゥウウゥゥ!」

 

 爪の一振りと共にあっさりと砕かれる二枚の障壁。だがその程度は龍太郎達もわかっていた。

 

「そこぉっ!――龍太郎!」

 

「ナイスだ妙子! これで――」

 

 妙子の鞭がその内の一匹のマズルを捕え、一気にこちら側へと引き寄せる。龍太郎は妙子の動きに合わせて狼型の魔物の下あごにインパクトを叩き込む。

 

「くたばりやがれぇ!」

 

「死ねぇええぇ!!」

 

 龍太郎の一撃でミシリ、と音を立てると共に上へと跳ね上がり、ガラ空きになった腹目掛けて大介と礼一は自分の得物を差し込んだ。二人の一撃は皮膚を傷つけることすら出来なかったものの、筋肉以外に守るものがない内臓へのダメージは決して低くはなかった。

 

「今だ浩介!」

 

「おう! これで――」

 

 気配を絶っていた浩介が跳躍し、上へと打ち上げられた狼型の魔物の首を掴む。下あごへの一撃、内臓へのダメージで意識が飛ばされた魔物は取り付いた浩介を振り払うことも出来ずに落下していく。そのまま首の骨を折らんと浩介は魔物の首を地面へと向け、膝で喉を抑えた。

 

 ――彼らは油断していた。魔物が数を頼りの狼モドキでしかないと高を括って。これならいけると侮ってしまって。彼らは忘れていたのだ。この魔物が雷撃を使えることに。

 

「グォオオォォ!!」

 

「――うあぁあああああぁ!?」

 

 目の前の相手だけに意識が向いた浩介目掛けて雷霆が飛び、群れの仲間ごと彼の体を貫いた。

 

「――浩介君!?」

 

「しまっ――浩介ぇ!!」

 

 雷撃で体を焼かれ、首をへし折ろうとしていた魔物と共に浩介は地面に叩きつけられてバウンドする。幸い、作戦前に飲んでいた神水の効果が残っていたのか、どうにか一命をとりとめてはいたものの、この瞬間戦線が瓦解してしまう。

 

「――グォオォ!」

 

「うぎゃあぁああぁあ!?」

 

「だ、大介ぇ!」

 

 群れの仲間から雷撃を食らい、地面に叩きつけられていた狼も虫の息であったが生きていた。生存本能に突き動かされ、貪り喰らわんと大介の足へと嚙みつく。本来の力の一割も魔物は出せておらず、いつものようにかみ砕くことすら出来なかったが、やられた大介には関係なかった。既に死んだと思いこんだ敵の一撃がふくらはぎを防具ごと貫通し、悲痛な悲鳴を上げてその場に倒れこんでしまう。

 

「グォオォン!」

 

「やらせ――るかよぉ!!」

 

 そして大介が足を噛まれた直後、もう一頭が弱った大介を狙って喰らいつかんと襲い掛かる。だがその直前に龍太郎が間に入り、装備している籠手の衝撃波を出す能力で吹き飛ばそうとした――が、捉えられずに空を切り、魔物はそのまま龍太郎の左腿へと喰らいついた。

 

「ぐぅうぅぅ!!」

 

「龍太郎!――ぐあぁあああ!!」

 

「待ってて、今助け――ああぁぁあああっ!!」

 

「ま、待ってて龍太郎! い、今助け――ぁあがぁああぁああぁ!!」

 

「坂上ぃ!! テメェクソ野郎――いぎゃぁああぁぁあ!!」

 

 急ぎ龍太郎を助けようと駆け寄る光輝達だったが、この獲物を放すまいと放たれた四筋の電撃に体を貫かれ、その場に倒れこんでしまった。

 

「グルゥゥウゥゥ!!」

 

「ひっ!?」

 

 そして機を図るように最後の一匹も現れ、光輝達が意識を他の仲間に向けている間に入り込んだ。狙いは後ろにいた人間()。疲弊し、怯えを見せる人間どもがこの個体には美味そうに見えたのだ。

 

「やらせ――うぐぅあぁあぁあぁ!!」

 

 そこに割り込んできた邪魔者を蹴散らさんと二尾の狼はまたしても雷撃を放つ――後衛組を守らんと飛び込んだメルドは焼き焦がされてしまい、その場でけいれんを起こしながら倒れ込んだ。

 

「あ、あぁ……」

 

「く、来るなぁ……」

 

 光輝と同じぐらいに頼れるあのメルドが何も出来ずに倒された。その事実は子供達にとってはあまりに重く、捕食者ににらまれた途端に多くが腰を抜かし、少しでも遠ざかろうと後退りをする。しかし捕食者は一切油断せず、自分に立ち向かおうとしている奴へと再度雷撃を見舞う。

 

「――其は微睡(まどろみ)であり静寂 闇の(とばり)よ今一度落ちれ――っ!?」

 

「――“光絶”っ!」

 

 恵里は光輝達の援護のために再度“堕識”を詠唱していたが、自分達を狙って襲い掛かってきた狼型の魔物の方に急遽対象を変えて詠唱もギリギリで短縮して発動しようとした。だがそれでも間に合わないと判断した鈴は詠唱一切なしのイメージだけで“光絶”を発動し、その上で恵里へと向かってくる電撃の前に立った。

 

「あぁああぁぁああぁぁぁぁ!!!」

 

「鈴ちゃん!!」

 

「スズっ!!」

 

「鈴っ!!――あぁあぁぁああぁ“錬成”ぇええぇ!!」

 

 “光絶”は障子紙を破るようにあっさりと砕け、雷が鈴の体を焼いていく。その光景を見た香織と優花は悲痛な表情で彼女の名前を呼び、ハジメも怒りで顔をゆがめて即座に錬成で憎い相手を地の底に沈めようとする。だが、ハジメの渾身の一撃は即座に電撃を放つのを止めた魔物がひらりと回避して不発に終わる。

 

「――“堕識”ぃ!!!」

 

 だがおかげで時間が稼げた。恵里の方もようやく詠唱を終えて怒りのままに“堕識”を叩き込む。その途端、相対していた魔物はたたらを踏んでその場に倒れこみ、ハジメがずっと発動し続けていた錬成によって地面に全身が沈む。わずか数秒で魔物の姿は完全に消えてしまった。

 

「鈴! 鈴! しっかり、しっかりしてよ!! こんなとこで死なないでよ!!」

 

「お願い、お願いだから鈴! 目を、目を開けてよ!! 一緒に家に帰るんでしょ! 僕と一緒に幸せになるんでしょ!! 嘘にしないでよ!!」

 

 そして急ぎ倒れた鈴の下へと行き、彼女の手を握り、肩を揺らして涙目になりながらも恵里とハジメは必死に呼びかける。鈴が死んでしまったかもしれない、と二人は大いに錯乱し、もう周囲がどうなってるかももう眼中にない。ただただずっと一緒にいると約束した少女に声をかけ続けるだけであった。

 

「ぐぅううぅっ! クソ、がぁあぁあ!!!」

 

「ルォオオォン!!」

 

 一方、ずっと自分の腿を嚙み続けている魔物の頭を龍太郎はひたすら殴打し続けていたが、弱まるどころか段々とその力は強くなっている。このままだと左足を持っていかれる、とより必死になって殴り続けるも、事態は一向に好転しない。

 

「りゅう、たろう……くん?」

 

 魔物に追い立てられ、怯えて何も出来ないことに自己嫌悪と恐怖で心が折れてしまいそうになっていた香織。せめて何かできないかと心の支えになりそうなものを探した時、龍太郎が苦しんでいる様子が彼女の目に映る――それを見た途端に頭の中が沸騰したような心地となった。

 

「なん、で……どうして……?」

 

 二十階層で自分を守ってくれた彼が脂汗を流して苦しんでいる。

 

 空手の大会でも負けなしの彼が魔物に食われかけている。

 

 ずっと自分と一緒にいてくれた彼が大量の血を流してしまっている。

 

 それはどうして?――その理由がわかると同時に香織の頭から恐怖が抜け落ちた。

 

「……れろ」

 

 持っていた杖が軋む音が響く。だからどうした。そんなのは関係ない。香織はゆらりと立ち上がる。

 

「――タエっ! リュウ! コウキも、シズも、そんな……」

 

 優花が青ざめている。どうにかした方がいいかもしれないけれど、今はそれよりも先にやらなきゃいけないことがある。体を軽く前傾姿勢にし、眼前を見据える。

 

「どうすれば……ねぇカオ、どうし――」

 

 優花がこちらを見た途端に言葉が詰まった。理由は後で聞こう。今はただ――。

 

「龍太郎くんから……離れろぉぉおおぉぉぉおお!!!」

 

 割らんばかりの強さで地面を蹴って、龍太郎の元へと香織は駆けていく。

 

「もう、ダメか――うん?」

 

「ああああああぁぁあぁあぁああぁぁ!!!」

 

 そして龍太郎のところまで一メートルそこらのところで跳躍し、跳躍と同時に振りかぶった杖を一気に振り下ろした。

 

「――香織!? お、おい馬鹿っ! 今すぐ逃げろ!!」

 

「嫌! 絶対に嫌っ!! もう……もう龍太郎くんを苦しませたくないの!!」

 

 ロクに援護も出来ないまま自分はただ逃げ回っていただけなのに、彼は今も苦しみ続け、死にそうになっている。だから彼を助けるためにも自分が動くしかない。訓練でシゴかれながらもなお忌避していた暴力を香織は振るい続けた。

 

「グゥオォン!?……グルルルル」

 

「離れて! 離れて離れて離れて離れて離れて離れてよぉおぉおぉぉぉ!!」

 

 叫びながらひたすら何度も何度も魔物の背中を杖で殴りつけるが、最初の一撃以外は鬱陶しいとしか感じていない様子であった。それでもなお叩き続けるも、魔物が尾を逆立ててすぐ、発した電撃で体を焼かれてしまう。

 

「もう、死んで――ああああああぁぁあぁあぁああぁぁ!!」

 

「香織ぃいぃぃぃぃぃいぃい!!」

 

 もうあちらも余力は残っていないのか絶命するレベルではなかったものの、その一撃で意識を刈り取られた香織はそのまま地面に倒れこんでしまう。

 

「か、お……香織、まで……」

 

「白、崎も……」

 

 次々と友人が倒れていく様にショックを受ける優花達。頼れるメンバーはほとんどが倒れ、ハジメと恵里でさえも悲しみに暮れて戦えはしない。しかし相手はまだ一匹だけだが生きている。それも今の自分達であっても容易くひねり潰してしまう程の相手が。

 

「無理、なのか……」

 

「ごめん、みんな……私、戦えないよ」

 

 このまま自分達は終わってしまうのだろうか、と絶望に暮れる中、乾いた笑いを浮かべていた幸利がおもむろに立ち上がった。

 

「はは……ふざけんなよ。マジでよ」

 

「幸利……もう、皆は――」

 

「だからふざけんじゃねぇってんだ!!――まだ、まだ俺らがいるだろうが!」

 

 幸利が吼える。体を小刻みに震わせながらも必死になって前を見据えようとしている。

 

「あの水もまだ残ってるだろ! 光輝達はまだ生きてる。ならあの水を飲ませりゃどうにかなるだろうが!! ここで動かなきゃ友達が死ぬんだぞ! わかってんのかお前ら!!」

 

 その一言で優花達はハッとする。そうだ。ここで恐れてたら皆が死ぬんだと。

 

 友達が理不尽に翻弄されるのが嫌で来たのに、友達が死ぬ目に遭わせたくないから来たというのに。それは、それだけは嫌だ。誰もがここに来た理由を思い出し、武器を握る手が強くなった。

 

「……ごめん幸利君。僕も、僕も行くから……」

 

「ボク、は……」

 

「お前らは神水だけ寄越して休んでろ!――まだ鈴の奴は生きてる! 胸がかすかに動いてんだろうが! 幼馴染のことぐらいちゃんと分かれ!!」

 

 そして自分も行こうとしたハジメを制し、迷いを見せていた恵里共々説教を飛ばす――よく鈴の胸元を見て、まだかすかに鼓動しているのがわかった途端、悲しみに染まっていた顔が二人一緒に安堵と喜びに変わった。魔法への対抗力と未だ残っていた神水の効能、狼の力が弱まってた事もあってか即死せずには済んでいたのだ。

 

「行くぞお前ら。俺らで勝つんだ!! あの魔物にテメェは食料だって思い知らせるんだよ!!」

 

 ハジメが投げて渡した試験管型の容器二つを後ろ手で受け取り、『端っこを脆くしているからそこを壊して!』と説明を受けた幸利は『ありがとよ』とだけ告げて恐怖を押しつぶすように駆け抜けていく。

 

「――そうね! もう自分にも……敵にも負けたくなんて、ない!!」

 

 優花も駆けていく。恐怖に打ち勝つために、ずっと扱っていた投げナイフを手にしながら。

 

「うん。幸利の言う通りだよ! 私だって、私だって!!」

 

 奈々も優花の後を追っていく。ただ後を追うのでなく、自分の意志で未来を掴むために。

 

「ハッ……幸利ならともかく、園部と宮崎にばっかいいカッコはさせらんねぇな!」

 

「おう! 俺らだってやれるのを見せてやろうぜ!!」

 

 自分達も香織のようにやられることを恐れながらも、それをごまかすように普段の軽口を言い合って信治と良樹も走っていく。

 

「ヤベぇ……もう、無理だ」

 

「諦めてんじゃねぇ!!」

 

 血が幾筋も川のように流れ、立っていることすら困難になった龍太郎はたたらを踏んで倒れそうになったが、その背中を幸利が支えた。

 

「ゆき、とし……」

 

「これで――よし。コイツを飲め! 神なんて大層な文字がついてんだから効かなきゃ詐欺だ!!」

 

 容器の端っこを指で挟んで砕き、少しあふれさせながらも中身を出すことが出来た幸利は、試験管型の容器を龍太郎の口に突っ込む。その瞬間、嚙まれている痛みこそ無くならなかったものの、血を失って朦朧とした頭がクリアになり、感覚のなくなってきた左腿も癒えていく。

 

「すまねぇ、助かった!!」

 

「礼を言うなら後にしろ! とりあえずこの犬っコロを倒すぞ!! 鼻狙え鼻!」

 

 礼を述べるとすぐに龍太郎は再度魔物を殴っていく。今度は幸利が言った通り鼻を狙えば苦しそうな悲鳴を上げ、これならいけると考えた時、馬鹿の一つ覚えのようにまたしても尾が逆立った。

 

「クソッ、結局こうなるのかよっ!! 逃げ――」

 

「グルル――キャイィイィン!?」

 

 幸利に退避を迫ろうとした時、どこからともなく迫ってきたナイフが狼の目を貫く。いかに屈強な魔物といえど目はやはり他の生物と同様に弱く、悲鳴を上げて口を放した。

 

「ごめんなさい! 私も戦うから!!」

 

「助かった、ぜ……優花!」

 

 激痛の原因が無くなり、左手で傷口を押さえながらも龍太郎は来てくれた優花に礼を述べる。

 

「痛ぇええええ!! もう無理だぁぁ! 誰か助けてくれぇえー!!」

 

 そして同じく死にかけの魔物に嚙みつかれている大介も涙を流しながら助けを請い続けていた。あまりの激痛に武器を落とし、その場でのたうち回るしか出来なかった彼の下にもようやく助けが来る。

 

「よくもまぁ人のダチを食おうとしてくれた、なぁ!!」

 

 魔物の眼球に刺突用短剣(スティレット)が刺さり、痛みのあまり衰弱していた魔物はそのまま絶命してしまう。

 

「こんの……おい良樹、宮崎も手伝ってくれ! これ無理! 開かない!!」

 

「お前よぉ、『大介、今助けてやるからな!』って啖呵切っといてこれかよ……」

 

「私達術師だし力あんまりないもんね……あ、檜山君。私達が魔物をどかしたらこれ飲んどいて。もう封は切ってあるから」

 

 地獄に仏、とばかりに声のする方を見ればそこに信治、良樹、奈々がいた。感激のあまり視界が更ににじむも、それをごまかすように大介は悪友二人に向けて悪態を吐く。

 

「遅ぇよ馬鹿……貸し一つだからな。それで許してやる」

 

「へいへい。次何かあったら奢ってやるさ……すまねぇ大介」

 

「おう、期待しとけよ……悪かった、根性なしでよ」

 

「うん、後でちゃんと返すから――はい」

 

 悪友が申し訳なさそうにしているのを見てばつが悪くなった大介は、奈々から受け取った試験管型の容器を煽った。みるみるうちに傷口は塞がっていき、一息吐くと同時に大介は疲れたような笑みを浮かべる。

 

「悪い……後、頼むな」

 

 先程まで朦朧としていた意識もハッキリしたが、ずっと襲っていた激痛のせいで立つことすらままならない大介がそうつぶやくと、三人は任せてくれと言わんばかりの表情でうなずき、すぐに近くにいた龍太郎達と合流する。

 

「ごめんね龍太郎っち! 待たせちゃって!」

 

「おう、俺らが来たからには大船に乗ったつもりで頼むぜ!」

 

「真打登場ってな! 坂上はそこで見てな!!」

 

 奈々、信治、良樹も来てくれた事で龍太郎も気が抜けてしまい、激痛をもう堪えられずにその場で尻餅をついてしまう。

 

「後、頼むぜ」

 

 その言葉に五人はうなずき、どうにか眼に刺さったナイフをとろうとのたうち回ってもがく狼型の魔物を見据える。

 

「私がもう片方の目も潰すわ! ナナとユキ、あとの二人も魔法か何か使って!」

 

「うん、わかった!」

 

「おう! 正直しんどいがやってやるよ!!」

 

「俺らはついでか園部ぇ!」

 

「だったら俺らが先に仕留めてやんよぉ!!」

 

 優花が指示を出すと同時に残りの四人もすぐさま行動に移った。

 

「流るる水よ 透明なる刃よ 鋭利なれ 無慈悲たれ 我が敵を貫け!――“流穿”!」

 

「炎よ纏え 汝の力となりて 暗闇を照らしたまえ!――“纏炎” いけ、優花!」

 

「ありがとユキ――はぁああぁっ!」

 

 奈々が必死になって詠唱した“流穿”が鼻の皮膚を切り裂き、幸利が投げナイフに炎の魔力を付与すると、優花は礼を述べると同時にそれを投擲。わずかな誤差すらなく、暴れもがく魔物のもう一つの目を貫き炙る。

 

「グオォォォオオォォン!?」

 

「くらいやがれ! ここに風撃を望む――“風球”!」

 

「こっちもオマケだ! ここに焼撃を望む――“炎球”!」

 

 信治と良樹は魔物の側面に回り込むと、あえて下級魔法を使う。玉の大きさは一センチ足らずだが、その代わりに速度は通常の五割増し。あえてそう調整した魔法は悶え狂う魔物の耳へと吸い込まれていく。

 

「――――――!!!」

 

 風の弾丸が鼓膜を突き破り、脳を破壊する。炎の礫が耳の中を焼き尽くしながら脳を燃やす――この二つが頭蓋の中で合わさり、爆発を起こす。それは眼球に刺さった優花のナイフすら吹き飛ばす程に。

 

「よっしゃぁあーーー!!」

 

「さっすが俺らーーーーー!!」

 

 浩介のダーティな戦法をパクった二人は見事魔物を仕留め、ハイタッチを決める。

 

「ホントにやったわね……やるじゃない」

 

「すごい……」

 

「はは……流石だよお前ら」

 

 目の前の魔物を全て倒した事で緊張が解け、戦っていた五人もその場にへたり込んでしまう。もう体に力は入らない。興奮と怒り、敵意で塗り潰していた恐怖を感じて体の震えが止まらなくなる。そうして乾いた笑いを幸利らが浮かべる中、もの凄い焦った様子でハジメと鈴を負ぶった恵里が崩れた壁の方へと向かっていく。

 

「おい、ハジメ。もう魔物は近くにいないんじゃ――」

 

「こっちに向かってくる気配があるんだ! もし塞いだ通路を破壊できるような奴だったら、今すぐこの穴を塞がないと皆が死ぬ!!」

 

「まだ余力があるなら手伝って! 正直猫の手でも借りたいぐらいだから!!」

 

 その一言に幸利らは凍りつく。未だ意識を手放していない龍太郎と大介もだ。残った気力をかき集め、全員で壁に開いた穴を埋めていく。かくして恵里達の初めての魔物狩りは絶望と隣り合わせのまま忙しなく終わるのであった。

 

 

 

 

 

「落ち着いた? 鈴」

 

「……もっと。もっとハジメくんと一緒にいたい。ダメ?」

 

「……うん、いいよ」

 

 そう言うと鈴はハジメの胸に自分の頭をまた預ける。そしてハジメもそんな鈴の頭を優しくなで、『大丈夫』、『僕らは生きてるよ』と幼子を落ち着かせるように耳元でささやき続ける。

 

「……香織。その、もういいだろ?」

 

 そしてハジメの隣にいた龍太郎は真っ正面から香織に抱き着かれていた。遠まわしにそろそろ離れてほしいと頼み込むも、香織は鼻をグスグスしながら何度も頭を振って一層強く抱きしめるばかり。触ってしまえば壊れてしまいそうな少女を前に、龍太郎はただ困惑するばかりだった。

 

「……龍太郎、今ぐらいは香織を甘やかさせてもいいんじゃないか」

 

「そうだね。本当に香織も辛かったみたいだし、嫌じゃないならやってあげたら?」

 

 すすり泣く雫を抱きしめていた光輝に続き、恵里も作業の手を止めずに説得すれば、観念したように龍太郎が大きくため息を吐く。どうやらやっと諦めがついたらしく、『好きにしろよ』とだけつぶやいたのが恵里の耳に入った。

 

「……色々と助かったぞ、中村」

 

「別に。体を動かしてると少し気が紛れるし、こうしてご飯の用意をしてる時ぐらい皆には休んでてほしいだけだから。特に頑張ってくれたハジメくんと体張ってくれた鈴にはね」

 

 全員に神水を飲ませて傷を癒し、全員に向けて“静心”を詠唱した後、恵里はこうしてメルドと共に倒した狼型の魔物の解体作業を行っていた。ハジメが地面に埋めたのも含めて四頭分、ナイフで皮を剝いで内臓を抜き取り、食べれそうな肉を少しずつ切ったり()ぐなどしてハジメ謹製の器に一旦移していく。

 

 また、今は“火種”で起こした火の周りに何本か肉を刺した串を並べている。パチパチ、と音を立てて揺らめく炎に炙られて肉の焼ける匂いが辺りに立ち込めていく。ぐぅ、と誰かのお腹の虫が鳴るも、誰もが浮かない表情であった。

 

「……あんなことがあって私達死にかけたってのに、今はもう目の前の串が美味しそうに感じるなんてね」

 

 そう優花が自分の浅ましさをあざけったものの、誰も同意も否定もしない。その通りで何も言えないのか、それとも言う気力すらもう残っていないのか。恵里自身もまたそう思っているため、何も言わずにただ黙々と肉や食べれそうな内臓を次々と一口大の大きさにカットしては串に刺していく。せめて塩でもあれば、とないものねだりをしそうになるがそれも無視してただ作業を続けていく。

 

「……大介、焼けたみたいだぜ」

 

「悪い、いらねぇ……」

 

 焚火をながめるように調理の火を見つめていた浩介だったが、いい塩梅に焼けた串を一本拝借して大介のところへ持って行く。しかし大介はそっと手のひらを開けて突き出してしまう。いつになく落ち込んでいる様子を見た幸利と礼一は、無言で彼を心配そうに見つめるしかなかった。

 

「別にいいじゃねぇかよ大介。食えるもんは食っとこうぜ」

 

「そうそう。だったら俺らがお前の分まで食っちまうぞ。いいのかぁ~?」

 

 そこで信治が気にしないよう伝え、良樹が空元気を出しておどけるように言うも大介の顔は晴れない。そんな様子なせいで浩介から受け取った串も二人は手を付けることが出来なかった。

 

「だってよ……あんな、あんなみっともないところ見せちまったんだぜ? ハジメ達が行くんだから俺達も、って……そう息巻いといてこのザマじゃねぇか。何が神の使徒だよ。何が、何が……」

 

 段々と湿っていく大介の声にハジメも恵里も何も言えずにいた。

 

 今回はどうにか倒すことが出来た。けれども次は? 次は誰も欠けることなく勝つことが出来るのか? その不安がつきまとっていた。それ故に誰も何も言えない。今回がたまたま運が良かっただけでしかない、と言われても誰も反論出来なかったのだ。

 

「まったく。誰一人欠けるどころか誰も手足を失わずに済んでいる時点でお前達は十分立派だ。よくやったじゃないか」

 

 ――唯一、メルドを除いては。

 

「気持ちはわかるが、最初から全部ねだり過ぎだ。こうして生きて飯が食える。それの何が悪いんだ」

 

「でも……でも私達、死にかけたんですよ。友達のためについてきたはずなのに、今はもう後悔すら浮かんでて……結局どうすればよかったのか、わかんなくなって」

 

 暗に開き直るよう告げたメルドを誰もが恨めし気な目で見つめ、奈々がとりとめのない、しかし皆の本心を代弁していく。一瞬メルドも目を伏せるも、全員を見つめながら言葉を紡ぐ。

 

「そうか。ならどうして文句を言わないんだ? どうして坊主や中村、他の奴らと言い争いでもしない?――それが答えだ」

 

 そしてかけられた言葉に誰もがハッとする。ここに来ることを選択したことへの後悔も今の状況への怨嗟も確かにある。しかし同時に“友達と一緒に行きたい”という確かな思いがずっとあったことに改めて気付けたのだ。

 

「言ったはずだ。お前達は強い、ってな。自分の不甲斐なさを恥じ、悔しさを感じることが出来ているお前らは間違いなく強い。そういう人間はな、次に進めるんだ。俺やクゼリーの奴だってそうだったからな。間違ってないはずだ」

 

 メルドの言葉で心が少し軽くなる。自分達は間違ってなかった、と認めてもらえたことでほんの少しだけ前を向けた。そんな子供達に更にメルドは言葉をかけていく。

 

「それに……お前達には帰る場所があるだろ? ここで足踏みしてる場合じゃない。飯を食って、作戦を練って、次に進んでいかないと。な?」

 

 そうメルドが笑みを見せながら言った途端、子供達の頭の中に地球での思い出が浮かんでいく――とりとめのないことで一喜一憂していたことや、ささいなことで愚痴をこぼしたり、代わり映えのしない日々に退屈していたあの日々を。

 

「おとうさん……おかあさん……」

 

 誰かがつぶやいた。脳裏によぎった両親の記憶。鬱陶しかったり邪魔だと感じることもあったけれど、今となってはそれすらも愛おしく、家族がきっと自分を案じていたのだろうと素直に思えた。

 

「こんなとこじゃなくて、もっと明るくて、広くて……いつもの場所にいたい」

 

 誰かが言った。学校で気の置けない友人と駄弁ったり、ウィステリアで温かい料理を食べたり、誰かの家で遊んだりしていたあのまぶしい記憶が彼らの中で思い起こされていく。

 

「かえりたい……」

 

 誰かが願った。地球にいた頃の幾つもの思い出があふれ出ていく。その時は嫌だったり面倒でしかなかったものすら今となっては懐かしい記憶でしかない。

 

「おうち、かえりたい……」

 

「おやじとおふくろ、元気かな……」

 

「おいしいごはん、食べたいよ……」

 

 故に誰もが願い始める。郷愁が、もう一度あの日々に戻りたいという思いが、涙と共に口からあふれ出していく。それを誰も止めることはもう出来ない。

 

「そうだ。お前達は戻る場所がある!! 方法はわからんが、ここで死んだら手にすることすら出来なくなるぞ! そのために戦え! そのために食え!! 生きるんだ!!!」

 

 それをメルドは止めることなくむしろその思いに火をくべていく。ここで彼らが折れないように。もう一度立ち上がれるように。

 

「……帰ろう、皆。僕達の世界に。自分達の家に」

 

 ハジメがつぶやく。途方もない困難に向き合い、時には復讐心に囚われたものの、もう彼の意志は揺らいでいない。目の前の困難を打破し、偽りの神を倒して絶対に恵里と鈴、そしてここにいる全員と共に家に帰るという決意が改めて彼に根付いていた。

 

「そうだね。ボクをもてあそんでくれたあのクソ野郎に復讐して……それでウィステリアでさ、またご飯を食べようよ。家族の皆と一緒で」

 

 ほんの一瞬だけエヒトに対する強い憎しみを露わにした恵里であったが、それもすぐに霧散し、本心からの穏やかな笑みを見せながら噓偽りのない思いを皆に語り掛ける。

 

「そうだよ……鈴達を待ってくれてる家族のみんなにごめんなさいして、それからまた、いっぱい楽しいことをしようよ」

 

 鈴も続く。今でもここの魔物と戦うことへの恐怖はある。もしかすると無理かもしれないと思わない訳ではない。だが、望郷の念がそれを超えた。そしてこの世で最も信頼できる二人の言葉が彼女の背中を押した。だから立ち向かう決意が出来た。そしてそれをこうして口に出来たのだ。

 

「……あぁ、ハジメ達の言う通りだ! 皆、帰ろう。地球へ、俺達の家へ!」

 

 光輝が顔を上げた。今回の戦いで無様を見せ、またしても自信を喪失していたが、けれども昔から信頼している三人の言葉が彼のひび割れた心に沁みた。皆と一緒に家に帰りたい。皆と、雫ともっと楽しい思い出を作りたい。その思いに突き動かされた光輝は今この場にいる全員の顔を見ながら言った。

 

「もう……そんな風に言われたら何も言えないわ――帰りましょう。皆で、絶対に」

 

 雫も目元をこすりながら答えた。あの時自分を救ってくれた王子様がこう言ってくれたのだ。なら自分も一緒に行く、と。ただのお姫様でいさせてくれた彼に報いる番だ、と。

 

「……ははっ。もう後をついて行かない、って決めてたのにな――やろうぜ皆。こんなところでくたばってたまるかよ」

 

 龍太郎も答えた。魔物と相対した時の恐怖を思い出して体がまた微かに震えたが、彼の瞳には決意がにじみ出ていた。

 

「うん、わかったよ。恵里ちゃんだけじゃなくて龍太郎くんも一緒だもの。もう、怖がってなんていられない。絶対、一緒に帰るんだから」

 

 香織が龍太郎に視線を向けながら答える。自分達が選んだ道が最善の道であると信じて。たとえそうでなかったとしても最高の道にしてみせると決意して。

 

「……ったく、ビビってた俺がダッセぇじゃねぇかよ――兄貴はやっぱ気に食わねぇけど、家には帰りたい。それで、ハジメ達とゲームしたり大介達とまた馬鹿がやりてぇ」

 

 狼型の魔物と戦っていた時の恐怖がぶり返すも、幸利はそれをねじ伏せようとしていた。光輝に負けてられないというライバル意識、楽しかった日々を取り戻さんという意志、そして皆と笑って過ごしたいという願いで恐怖に勝たんとしていた。

 

「……俺、幸せになっていいんだよな? この手が血まみれでも皆と笑って過ごしていいんだよな?――なら俺も! 俺も家に帰りたい! また皆と笑って過ごしたいんだ!! そのために……そのためだったら戦いだってなんだってやるさ!!」

 

 罪悪感に苛まれていた浩介も一歩踏み出す決意をする。どんな相手であれ人を殺した事実は消えない。けれどもそこから逃げずに立ち向かおうとしていた。

 

「……もうアンタ達。そんなこと言ってくれたら本気で帰りたくなってきちゃったじゃない。生きて、帰りましょ。こんなロクでもない世界から」

 

「優花……私も、私も戦うよ! 戦って帰ろう!!」

 

「うん! 私も帰りたいよ。だから、だから……」

 

 三人一緒になって壁に背を預けていた優花達も覚悟を決めた。ここで怯えていても何にもならない。なら皆で一緒に行けばきっと道が開けるかもしれないと考えたのだ。まだ恐怖は消えていないが、それでも望んだ未来を手にしたいと願って立ち向かおうと腹をくくった。

 

「ったくよぉ……そんなこと言われて、ここで逃げたら最高にダサいじゃねぇかよ!!」

 

「だよな……もう神様でも化け物でも来やがれってんだ!!」

 

「ああ! 俺らは無敵だって思い知らせてやろうじゃねぇかよ!!」

 

「今回だって勝てたんだしな! 次もその次もガンガン勝ってやろうぜぇ!!」

 

 そして意気消沈していた大介も立ち上がった。元悪党としてのプライドが、そして仲間を思う気持ちが恐怖に打ち勝った。礼一、信治、良樹も彼の調子が戻ったことでいつものノリを取り戻し、皆を口車に乗せていく。

 

「なら食うぞ! お前たちが元の世界に戻るためにも、まずは腹ごしらえといこうじゃないか!!」

 

 そしてメルドの言葉で皆の視線が一斉に火の側で焼いていた串に注がれ、誰もが腹の虫を鳴らして赤面する。

 

 調理の終わった串を恵里と優花が一本ずつ、ハジメと鈴が全員分の神水の入った試験管型の容器を二つずつ――飲み水代わりといざという時のものである――渡し終えるのを確認すると再度メルドが音頭を取った。

 

「量は少ないが、これで少しは腹が膨れるはずだ。まずはこうして飯にありつけたことに感謝しよう。では――」

 

 いただきます、と恵里達が手を合わせ、メルドも神への祈りを終えると全員でそれに喰らいつく。血抜きをすぐにやらずにしばらく放置していたり、獣臭さや筋張っている肉であることもあってか美味いとは到底言えないものだった。だがそれでも久しぶりにちゃんとした肉を食べれたことで、口々にまずいまずいと言いながらも全員の顔はほころんでいる。

 

 ……そうして水代わりに神水で肉を流し込み、串焼きを平らげて感想を言い合っていたが、突如全員の体に異変が起きた。

 

「――ぐっ!? が、アァアアアアァ!!!」

 

 全身を激しい痛みが襲ったのだ。まるで体の内側から何かに侵食されているようなおぞましい感覚。その痛みは、時間が経てば経つほど激しくなる。

 

「どう、して……!」

 

 神水ならば毒も消せるんじゃないのか、と誰もが思うも痛みは一向に消えない。自分を侵食していく何かとしか言えない耐え難い痛みに誰もが悶え、苦しんでいく。

 

「しん、すい……! みんな、しんすいをのんでっ!!」

 

 どうにか痛みを堪えていられた恵里が叫べば、全員が試験管型容器の端を歯で砕いて中身を飲み干す。すぐに神水が効果を発揮して痛みが引くものの、しばらくすると激痛がまた襲い掛かってきた。

 

「この……さぎじゃねぇか!!」

 

「なまえまけ、してる……!!」

 

「しょせん、でんせつか――うぐ、あがぁあぁぁああぁあ!!!」

 

 メルドでさえも悪態を吐かずにはいられない程の痛みに悶える中、全員の体が痛みに合わせて脈動を始めた。ドクンッ、ドクンッと体全体が脈打つ。至る所からミシッ、メキッという音さえ聞こえてきた。

 

 しかし次の瞬間には、体内の神水が効果をあらわし体の異常を修復していく。修復が終わると再び激痛。そして修復。神水の効果で気絶もできない。絶大な治癒能力がアダとなってしまっていた。だが――。

 

「しんで、たまるか――!」

 

 恵里は歯を食いしばり、地面に爪を立てて必死に痛みを堪えていた。この程度で死ねるか。あの化け物(ハジメ)が耐えられたものを自分達が耐えられないはずがないんだ、と死に物狂いになって耐え続ける。

 

「そう、だ――ぼくら、は、かえるんだ!!」

 

 ハジメが叫ぶ。崩壊と再生のループに耐えながらここにいる全員の耳に届くように、と力の限り声を出す。

 

「おとうさんに、おかあさんに、あわ、なきゃ――」

 

 鈴が食いしばりながらつぶやく。この激痛で狂ってしまわないよう、絶対に地球に帰るという思いを燃やし続ける。

 

「あ゛ぁ! おれだぢは、かえ゛るんだ!!」

 

 光輝が吼える。あの誓いを皆が忘れないように、支えになるようにと痛みを押して声を張り上げる。

 

 そうして全員が叫び、誓いを口に出して痛みを堪えている内に体に変化が現れ始めた。

 

 まず髪から色が抜け落ちてゆく。許容量を超えた痛みのせいか、それとも別の原因か、メルドも含めて全員の髪がどんどん白くなってゆく。

 

 次いで、筋肉や骨格が徐々に太くなり、体の内側に薄らと赤黒い線が幾本か浮き出始める。

 

 超回復という現象がある。筋トレなどにより断裂した筋肉が修復されるとき僅かに肥大して治るという現象だ。骨なども同じく折れたりすると修復時に強度を増すらしい。今、彼らの体に起こっている異常事態も同じである。

 

 魔物の肉は人間にとって猛毒だ。魔石という特殊な体内器官を持ち、魔力を直接体に巡らせ驚異的な身体能力を発揮する魔物。体内を巡り変質した魔力は肉や骨にも浸透して頑丈にする。この変質した魔力が詠唱も魔法陣も必要としない固有魔法を生み出しているとも考えられているが詳しくは分かっていない。

 

 とにかく、この変質した魔力が人間にとって致命的なのだ。人間の体内を侵食し、内側から細胞を破壊していくのである。

 

 神水は凄まじい癒しの効果こそあったものの、魔物の魔力を中和するという効能まで備えている訳ではなかった。故に変質した魔力で崩れたら治す。崩れたら治す。それがひたすら繰り返されたのである。

 

 壊して、治して、壊して、治す。それを繰り返す毎に肉体が脈打ちながら変化していく。

 

 彼らの肉体の変化だけを見ればそれはただの恐怖劇でしかなかったかもしれない。だが生を、未来を掴まんとする彼らの目と叫びがその程度のものにはさせなかった。

 

 いうなればそれは再誕の儀式か、それとも悪魔との契約の一幕か。

 

 ただ一つ、言えるとすれば――彼らは今、未来を切り開く力の一端を手にしたということだ。




みんなのアイドル、二尾狼ちゃんが活躍しました(台無し)
でも一階層目の魔物とはいえ真のオルクス大迷宮にいる存在ですからね。これぐらいヤバくてもおかしくないはずなんです(本日の言い訳)


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三十四話 変貌と気づき

まずは拙作を読んでくださる皆様に感謝を。
おかげさまでUAも87592、お気に入り件数も657件、しおりの数も259件、感想数も212件(2022/3/5 22:55現在)にまで上りました。誠にありがとうございます。

それとトリプルxさん、Aitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。こうして自分の投下した話が初の評価であれ再評価であれ嬉しいのには違いありません。改めて感謝いたします。

で、今回の注意点なのですが……このままだと一万七千字どころか二万字オーバーしかねないのでキリのいいところで分割しました(白目) なので今回はかなり短いです。上記に注意して本編をどうぞ。


「ぅ……ぁ……おわ、った……?」

 

 脈動が収まり、魔物の肉を食べた皆と一緒にぐったりしていた恵里は腕に力を入れて体を起こす。

 

 軽く空腹が満たされた程度でしかないのにどうしてか体が軽く、()()()()()()()()が力が滾っているかのような心地や体内に感じる違和感などに困惑しつつも、彼女の耳は愛しい人のうめき声を聞き逃さなかった。

 

「……ぇ、り?」

 

「ハジメくん!? 良かった。目を覚まし……へっ?」

 

 意識を取り戻したハジメの方へと視線を向けた恵里は思いっきり間抜け面をさらしてしまう。何せ顔つきと恰好を除けばひどく見覚えのある存在――あの化け物と蔑んでいた方のハジメを彷彿とさせる少年が目の前にいたからだ。

 

「え、なんで? いや、何がどうして……」

 

 何度も目をこすったり、何秒か閉じては開けるを繰り返しても目の前の光景は変わらず。むしろ目の前の存在は自分のよく知る少年と同じ表情を浮かべるばかりであった。

 

「生きてて良かっ――ってちょっとちょっと!!」

 

 まさか魔物の肉を食べてアイツもこうなったのかと恵里は思っていると、目の焦点が合ってなかった彼がハッとした表情でいきなり自分の両肩を掴み、心底心配そうに自分を見つめてきた。

 

「え!? ちょ、ちょっと!? は、ハジメくん……だよね?」

 

「うん。ちょっと確認させて……目の出血は無さそうだね、良かったぁ。あ、でも僕のこと見える? 大丈夫?」

 

 そして自分の顔にそっと手を置くと、目の下を親指で軽く下に動かしたり、ちょっと離れて目の前で手を振ってみたりしている。自分のことを案じてくれていることに無性に嬉しくなった恵里はそのままハジメにキスやハグをしたくなったが、ふとあることが気にかかってしまい、そんな自分に軽く苛立ちながらもハジメにあることを伝えた。

 

「えっと、ハジメくん。ボクは別に大丈夫なんだけど、その……ハジメくんの見た目が、ね。昔ボクと敵対してた頃にそっくりというか……」

 

「大丈夫なんだ、良かった……え、ホント? あ、あの厨二病な見た目のアレ!?」

 

 恵里がかけてくれた言葉で安堵するハジメであったが、同時に投げかけられた言葉に反応してすぐさま自分の前髪を引っ張る。すると『うわっ』と軽く驚いた様子を見せ、トータス会議で恵里が描いたあの絵を思い出したのか軽く表情が引きつってしまっていた。

 

「あ、アハハ……魔物、食べちゃうとこうなるんだ」

 

「みたいだね……あれ? なんかハジメくんさ、背、伸びてない? それになんか体つきも違うような……」

 

 苦笑するハジメを見てあの化け物とは違うと思って安心した恵里であったが、ふとある事に気づいた。ハジメの体に変化が生じた事である。

 

 少なくともトータスに来る前は自分とハジメの身長はそこまで変わらず、お互い座っていると目線の高さはほぼ同じでそれがひどく恵里は気に入っていた。だが今は自分が少し上を向くか、ハジメが下ろすかしてくれないと目線が合わないのである。また、体のシルエットもどこかがっしりとしたものになっており、それがひどく不可解に思えたのである。

 

「そう?……うわ、ホントだ。何かすごいがっしりしてる。なんか筋肉も前よりついてるみたいだ、し……」

 

「うん、けっこうガチガチだね。メルドにシゴかれてしばらくした後も筋肉ついたなーって思ってたけど、それ以上だ。すごい」

 

 自分自身の体を触って確かめていたハジメに近づき、恵里も彼の体をぺたぺたと触り、彼の体の変化を感じていた。これも魔物を食べた影響なんだろうかと思いながらその違いを実感していた。

 

 地球にいた頃、特に彼への好意を自覚した後からはよく腕を絡ませていたり、背中に抱きつくなどのボディタッチもよくやっていたため、ハジメの体つきについてはよく知っている。そのため、その頃とは明確に違うというのが恵里にはよくわかったのだ。

 

「?……ふふっ。ハジメくん、どうしたの?」

 

「えっと、そのー……胸がいつもよりちょっと硬いようなー……ってゴメン!! 忘れて!!」

 

 と、ここでハジメの視線がいつの間にか彼の体に当たっていた自分の胸に注がれているのに恵里は気づき、少しの期待を込めて声をかけると目を逸らしながらそう答えた。

 

「硬い、って……えー。ボクの胸が全部筋肉になってるとかすごい嫌なんだけど――あっ」

 

 妙な返事が返ってきたことに首をかしげ、露骨に嫌な顔をするもそこで恵里の脳裏にある事が閃いた。その途端恵里は顔をニヤけさせ、『流石ハジメくんだ』と心の中で思いつつ背中に手を回す……が、即座にハジメに腕を掴まれて阻止された。

 

「恵里、何やってんの。今ブラに手をかけようとしたよね? どうして?」

 

「だってハジメくんの言葉で気付けたからね。おっぱいがおっきくなった、って」

 

 ふふ、と恵里は笑みを浮かべつつ、顔を真っ赤にして汗をダラダラと流すハジメにそう答える。

 

 魔物の肉のせいでハジメの体が成長したのならば自分にも出ているはずだと恵里は考えた。また胸元の窮屈さを自身は感じているため、それの原因は何かと考えた――その瞬間、出た結論がおっぱいが大きくなったということであった。それを聞いたハジメは耳の先まで真っ赤っかになってしまう。

 

「それを確かめるためにも外してみたいんだけどなぁー……そういえば、今は皆倒れちゃってるよね」

 

「あのー、恵里さん?」

 

「むー。どうしてさん付けするのかなー、ハジメくん? どうせ誰も見てないんだし、シャツを脱いでから外すのもアリだなー、って思っただけだよ? ハジメくんなら生のおっぱい見せても構わないし」

 

「よ、嫁入り前の女の子がそんなハレンチなこと言っちゃいけません!! あといつ皆が起きるかわからないんだからやらないの!!」

 

 一糸まとわぬ姿を見せて色々やったのに未だに引け腰なハジメを見て軽く呆れつつも、仕方ないなぁと思いながら恵里は後ろに手を回すのを止める。ハジメもそれを察して手を掴むのを止めてくれたため、さてこれからどうしようかと考えていると、二人の耳に雫と浩介のうめき声が入った。

 

「ぅ……いき、てるの?」

 

「ぁ……しぬかと、おもった……」

 

「浩介君、雫さん!」

 

「良かった。二人も目を覚ましたんだね」

 

 目を覚ました様子の二人に安堵し、そこでようやく恵里達も他の面々のことを思い出す。彼らをないがしろにしてしまっていたことを共に恥じつつ、一度彼らの胸が動いているのを確認してから目を覚ました二人の介抱に向かう。

 

「雫、大丈夫? どこか具合は悪くない?」

 

「……恵里? うん、平気よ。ちょっと胸が窮屈だけれど、体も軽――ってえ? えっ!?」

 

「浩介君、大丈夫? 痛みとか残ってたりしない?」

 

「……ハジメ、か。ああ。まだ腹が減ってるのに、むしろ力がみなぎってる気が――ってうぉあ!?」

 

 そして意識がハッキリした二人が勢いよく後ずさりしたことに恵里とハジメはちょっと傷ついた。確かに驚いても仕方ないのはわかるのだが、いくらなんでもそれはないだろうとため息を吐きたくなる心地であった。

 

「ご、ごめんなさい二人とも! い、いきなり恵里の目が赤くなってるし、髪の毛も白いから……って、ハジメ君も!? あと浩介君まで!?」

 

「す、スマン!! 悪気はなかったんだけれど、目を覚ましていきなり赤い目が飛び込んできてびっくりした――って雫もじゃねぇか!!」

 

 気落ちした自分達にすぐ気づいたのか、即座に謝ってくれたものの二人の混乱は更に深まってしまう。そこで雫が水属性の魔法を詠唱して地面に水溜まりを作ると、そこに自分の姿を映してギョッとしてしまう。本当に赤くて白かったのだ。同じく覗き込んだ浩介も自分の顔を見て表情が引きつった。思った以上に白髪赤目という見た目の変化はインパクトが大きいらしい。

 

「赤い、わね……」

 

「白い、な……」

 

 引きつった笑みを見せながらこちらを向いてきた雫と浩介を見て、恵里とハジメも思わず苦笑いを浮かべる。何せ自分達もまだ起きたばかりで、状況を把握しきれていないのだから。そこで二人にも声をかけて話し合おうとした時、他の面々も目を覚ましだした。

 

「ぅぅ……死ぬかと思ったぁ。痛すぎて本当に頭がおかしくなりそう――えっ」

 

「痛っでぇ……マジでしんどかったぜ。ったく、あの水名前負けしてるじゃねぇ……オイ、どうなってやがんだ」

 

「ここ、は……エヒト様の御許か?……いや、エヒト様がおわす場所がこんな冷たくて暗いはずがな……俺は悪い夢でも見ているのか?」

 

 鈴も、龍太郎も、メルドも、そして他の皆も目の前の異様な光景を見て固まってしまう。そして――。

 

『なんじゃこりゃぁあぁあぁあぁーー!?』

 

 間の抜けた声を上げたのであった。

 

「な、なんで皆邪気眼を発症してんだよ!? こ、これはアレか。『クッ、静まれ……俺の左手』ってやる流れ――うわぁ! マジでなんか光った!?」

 

「邪気眼ってお前、ちょ、傷つくぞ! いくらお前が白髪赤目だからって――うわ! マジで変なの浮かんでる!?」

 

 皆が厨二チックな見た目になったことで混乱した幸利がその勢いのまま腕に意識を集中させると、そこに薄っすらと赤黒い線が浮かび上がり、それに驚いて余計に錯乱してしまう。そしてそれを見た大介達も思いっきりパニックを起こし、『まさか自分も!?』と思ってうっかり自分の腕に意識を集中させてしまった結果幸利と同じことをやってしまい、四人仲良く悲鳴を上げた。

 

「え、何で!? 龍太郎くんだけじゃなくて皆目が赤いし髪の毛が白いし幸利君や檜山君達の腕も変だよ!? あ、あとずっと胸が苦しいんだけど、私何かの病気になったんじゃ――」

 

「あ、カオ、それ一応私もよ! さっきからちょっと胸がキツいんだけど誰か心当たりない!?」

 

 幸利の奇行を見て余計にパニックになった香織も胸の苦しさを訴え、優花もそれに反応して振り向きざまに問いかければ多くの女子~ズが反応した。

 

「え、何それ? 私、体の内側に違和感があるぐらいでそんなに苦しくないんだけど? 皆何かあったの?」

 

 ……鈴、以外は。どうしてかいたたまれなくなった女子達はすぐに目をそらし、理由はわからなかったが鈴はイラっとした。

 

「女だけ? オイ、まさかおっ――」

 

 礼一が女子~ズのある一点を見ながら何かを言おうとした時、岩が砕け散る音が轟く――音のする方を全員が見れば、無残に砕け散った壁とそこから入ってきたと思われるウサギのような生物が彼らの目に映った。

 

 大きさは中型犬程度。後ろ足がやたらと大きく発達しており、あの狼型の魔物みたいに赤黒い線が幾本も体を走っている。紛れもなく奈落の魔物であると全員が確信した。

 

「キュウ!」

 

「――散れぇーー!!」

 

 怒号紛いの指示と共に全員がその場から飛び退くとほぼ同時にけたたましい音が再度響く。音のした方を見れば恵里とハジメがいたところに小さなクレーターが出来ていた。その瞬間全員の警戒レベルが最大まで上がる。気を抜いたら絶対に死ぬ、と。

 

「うかつに接敵するな! 散開しつつ攻撃しろ!」

 

 メルドの指示に恵里達は『了解!』と返事し、移動しながら攻撃へと移った。

 

「ボクが詠唱を終えるまで時間稼ぎをお願い!」

 

「うん、わかったよ恵里! なら速さで!! ここに焼撃を望む――“火球”!」

 

 恵里の言葉にいち早く反応した鈴が即座に“火球”を詠唱して放つも、ウサギの魔物は軽いステップを踏んでそれをかわし、後ろ足に力を込めて跳躍する。

 

「空中なら逃げらんねぇぞ! ここに風撃を望む――“風球”!」

 

 良樹に続き、大介や妙子も空中にいるウサギに“風球”を、幸利や奈々達も各々の得意な属性の魔法をそれぞれ放って叩き落そうとする――が、ここで恵里達にとって予想外の事が起きた。

 

「なっ!?」

 

「嘘っ!?」

 

 ()()()()()()()()()ジグザグと動き、魔法の弾丸を難なく全て避けたのである。

 

 まるで空中に足場があるかのように動く魔物に常識もへったくれもないと驚愕し、動きを止めてしまう。無論、奈落の魔物がそんな好機を逃すことはなく、近場にいた龍太郎を狙い、空中を蹴ってかかと落としを叩き込もうとしていた。

 

「しまっ――!」

 

「――“縛印”!」

 

「――“光絶”!」

 

 すぐに両腕をクロスしてガードに入る龍太郎であったが、あのクレーターが頭に焼き付いていた香織と鈴が少しでも威力を減らせるよう句節を省略して魔法を詠唱する。龍太郎の前に光の膜が出来、光のロープがウサギの魔物を縛り上げた。

 

「キュ!!」

 

「そんな!?」

 

 だが、ウサギ型の魔物は再度空中を蹴って光のロープを引きちぎり、もう一度方向転換をしてから今度はドロップキックに移った。

 

「ぐおぉおぉぉっ!?」

 

「龍太郎くん!!」

 

 再度つけた勢いによって光の膜も容易く破壊されてしまい、防御も空しく龍太郎は地面へと叩きつけられてしまう。壊れない籠手を盾代わりに使ってはいたものの、ミシリという音が全員の耳に届き、もう腕が使えないのは誰もが容易に想像できた。

 

 ――二人は龍太郎のことに気を取られて気づけてなかった。詠唱なしで魔法を発動したにもかかわらず、普段の詠唱有りの時と大差ないレベルで発動できたことを。そしてそれが無ければ龍太郎の受けた被害は腕だけでは済まなかったであろうことも。

 

「この――よくも龍太郎を!!」

 

 親友がやられたことで怒りに火が付いた光輝が“縮地”で距離を詰めて切りかかろうとする――単に怒りで脳のリミッターが外れただけでなく、“限界突破”を使っていないというのに普段よりも踏み込む力が強いことに気付けないまま。

 

「キュ!?」

 

 そのまま龍太郎を蹴り飛ばそうとしていた魔物は彼の腕を足蹴にして跳び退こうとする。しかし光輝の聖剣の一撃がほんのわずかに届いた。

 

「キュヴッ!?」

 

 魔物の皮を浅く切り、鮮血が軽く飛び散っていく。取るに足らないと思っていた相手から受けた痛みに軽く顔をしかめた魔物が一瞬の隙を見せるも、すぐさま態勢を整えようと空中を蹴ろうとした時であった。

 

「――“水槌”!」

 

 詠唱を終えた奈々の“水槌”がガラ空きであった魔物の背中を襲う。背骨に軽いヒビを入れられ、その痛みで魔物はほんのわずかな間だが完全に動きを止める。それを優花と妙子は逃さなかった。

 

「これで――!」

 

「ギュゥ!?」

 

 優花の投げナイフが魔物の片眼に()()()刺さり、勢いよく血しぶきを上げると同時にその場から崩れ落ちそうになる。

 

「どうっ!!」

 

 その刹那、妙子の鞭が首を捉えると一瞬だけ宙に浮かせ、そのまま地面へと叩きつけた。

 

「――二つを繋ぐ……ってあぁもう早い! “邪纏”!」

 

「――“錬成”!」

 

 予想外の速さで有利に進める皆に驚きつつ詠唱を破棄して恵里が“邪纏”を発動。そして完全に意識を失った魔物をハジメが錬成で頭以外を埋めていく。

 

「ナイスだハジメぇ!!」

 

「サンキュー先生! 愛してる、ぜぇ!!」

 

 そこへ大介が脳天目掛けて剣を振り下ろし、礼一がもう片方の眼をひと突きする。

 

「ギュゥ!? ゥ……」

 

 剣の一撃で頭蓋はひしゃげ、穂先は容易に魔物の脳を突き進んでいく。目から大量に血を流し、幾度かのけいれんを起こした後、地面から出ることもなくあっさりと魔物は動かなくなってしまった。

 

「……勝ったの?」

 

 奈々が間の抜けた声を出した。

 

「死んだ、のか……?」

 

「っぽいけど……え、これで終わり?」

 

 大介と礼一があまりの手応えの無さに呆然とする。

 

「……これ、ボクが魔法使わなくても勝てたんじゃない? あ、あと近藤。さっきの発言はどういう意味?」

 

 あまりに簡単に倒せたことで拍子抜けした恵里がつぶやく。そして射殺さんばかりの視線を礼一に向け、礼一は本気で怯え、ハジメが即座に恵里をなだめにかかった。

 

「あー、コホン……とりあえず、勝った。勝ったみたいだな」

 

「そう、ですね。じゃあ、早くこれを捌いて――」

 

「グルゥァ!!」

 

 メルドの勝利宣言にひとまず事態を飲み込めた光輝がすぐに皆に指示を出そうとした途端、聞き覚えのある鳴き声が空間に響く……音のする方向を見ればあの狼型の魔物が五頭、ウサギの魔物が壊した場所から入り込んできていた。きっと自分達が物音を立ててたから気づかれたんだろうと誰もが思いつつ、全員無言でそのまま相手をしたのであった。ちなみに勝った。




迷宮の中で大声出したら気づかれちゃうよね。しゃーない。
続きは明日投稿の予定です。


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三十五話 絶望の中に差し込む一筋の希望

亀の手さん、Aitoyukiさん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。こうして評価を頂けるとモチベーションが高くなります。ありがたい限りです。

で、えーと、その……いやーすいません遅くなりました(白目) 案の定前の話と一緒にしたらエラい量になってしまいまして……(滝汗)

というわけで今回のお話は結構長めです。では本編をどうぞ。


「……皮の方はこれで剝ぎ終わったから、後はお願いね」

 

「お疲れ、雫。後はボク達に任せて好きにしてなよ」

 

 剝ぎ取りの作業で軽く顔を青ざめさせていた雫から二尾狼――狼型の魔物のことであり、ウサギ型の魔物と区別するためにハジメが適当につけた名前である――の死体を受け取った恵里は礼を言うと、すぐに腹をかっ捌いて内臓の取り出しにかかった。

 

 いきなり現れた二尾狼の群れにどうにか勝利した一行は、ケガをした面々を大急ぎで神水や治癒魔法で治療し、崩れた壁からまた魔物が入ってこないよう大急ぎで壁を塞いだ。そうして土属性の魔法で幾らか壁の厚みを増やして補強し終えると、ひと悶着あった後に食事の算段に移ったのである。

 

「みんなー、とりあえず今飲める神水はこれだけだからねー。治癒魔法の使える光輝君とえっと……鈴と、香織さんはご飯は後回しでー。最悪治癒魔法に頼らないといけないからよろしくー」

 

 解体作業に移っている恵里、優花、メルドら三人以外に神水の入った容器――人差し指の第一関節ぐらいの大きさのもの――を渡し終えると、ハジメは全員に忠告していく。何せ神水がこの程度の量を摂取しただけでも魔物の毒に耐えられるかどうかわからないからだ。最悪誰かの分を回すなり治癒魔法に頼るなりしないといけないと考えていたが故のハジメの警告であった。

 

「ああ、わかってるよハジメ。魔物の毒はともかくとして貴重な回復薬だし、慎重に使わせてもらうよ……その、雫。おいで?」

 

「……うん。流石にちょっとお腹が減って辛いけど、誰かが死んじゃうかもしれない時にそんなこと言ってられないしね。頑張るよ」

 

 光輝と鈴は未だ空腹で胃が痛むのを我慢しながらもハジメにそう伝える。軽くとはいえ食事を口にしていたことから幾らか心に余裕があり、また友達が死ぬことへの恐れが食欲を上回ったのもあって我慢が出来ていたのだ。また友人らも『大丈夫大丈夫』と返しながらも大事そうに神水を受け取っていく。

 

「やだぁ……もうやだぁ……」

 

「あーもう、泣くなよ香織……さっきは悪かったし、まだ予備もあるだろ? 最悪後で作ってもらえばいいんだから泣くなよ。な?」

 

 一方、香織は調理にも解体作業にも加わらず、大部屋の隅っこで体育座りをして顔を埋めながら泣いており、そばにいた龍太郎から慰めてもらっていた。

 

 ……実は二尾狼との闘いの際、ブラジャーの留め具の辺りが音を立てて千切れてしまうというアクシデントが起きたのである。

 

 その音で誰もが反応して振り向いてしまい、ブラから解放されて大きく揺れた胸を見られた。それだけでなく、二尾狼からの攻撃をよけながら支援をしたことで香織が動く毎に胸が揺れてしまい、それもまた男共に見られたのだ。そのせいで凄まじい羞恥心に苛まれて頭が爆発しそうになり、その結果、軽く幼児退行を起こしたのである。

 

 最初に二尾狼と戦った際に逃げ回り、龍太郎を助けるために跳躍して一撃を叩き込むなど激しい戦闘をし続けたことや、二尾狼の肉を食べたことで香織も胸周りが二回りほど成長し、またその後の戦闘で動き回っていたのもあってたまたま身に着けていたトータス産のブラが耐えられなくなってしまったのが原因である。だがそんなことは当人からすれば関係ない。とんだ不幸もいいところであった。

 

 そしてうっかり香織の胸が動く様を見てしまった男子~ズはもれなくひどい目に遭わされることになる。

 

 ハジメは恵里と鈴に両腿をつねられながら『自分がいながら浮気するなんて』となじられ、光輝は『やっぱり光輝もおっぱいの大きい子が好きなんだ……』とショックを受けてさめざめと泣き出した雫をなだめるのに終始し、龍太郎含めた他の男共も『女の子の胸を見るなんてサイテー!!』と優花らから思いっきりビンタされた……龍太郎とメルドには加減していたりするが。理不尽である。

 

 そんなこともあって香織は同情した他の女子~ズから休むよう言われ、龍太郎も『胸を見た罰として香織を慰めろ』と言われてこうして一緒にいるのである。

 

「……そういえばアンタら、さっきからずっとステータスプレートとにらめっこしてるじゃない。しかも交換してまで眺めてて。暇なら手伝いなさいよ」

 

 そうして三人がかりで肉を捌いたり食べられそうな内臓を一口大にカットしている中、浩介、幸利、大介、礼一、信治、良樹(六馬鹿)はステータスプレートを何度も何度も見るだけで他に何もしないのを不満に思った優花は彼らに声をかけて手伝ってもらおうとした。ところが彼らは驚きと好奇心にあふれた表情を浮かべたままそれに反論してきたのである。

 

「いや、無理。今こっちの方が気になって仕方ねえんだよ」

 

「ハァ? 新しい技能でも増えたの? 技能を使ってたら派生技能が出てくる、って座学で言ってたでしょ」

 

「だからそんな生温いもんじゃねぇんだって!……もしかすると俺らマジで世紀の大発見したかもしれねぇんだよ」

 

「世紀の大発見、って……あのね、まだお腹が減って私も皆もイライラしてるの。変なこと言うなら――」

 

 そんなことをのたまう幸利と礼一に軽く苛立ちながらも優花が言い返すと、まぁまぁと言いながらニヤついた笑みを浮かべた浩介が自分のステータスプレートを見せに来たのだ。くだらないことだったらもう一度ひっぱたいてやる、と思いながらそれに視線を落とした優花だったが、思わず握っていた解体用のナイフを落としてしまう。

 

「ねぇ、コースケ……アンタのステータス、実はコウキより上だったの?」

 

「いや、それはまず無いな。多分()()()()()()()()()だろうから――優花、ステータスプレートはどこだ? 俺が見せてやるから言ってくれ」

 

 そこでスカートの中にあることを伝え、それを取り出した浩介がそれを優花に見せると完全に彼女の手が止まってしまう。それほどの衝撃を彼女は受けてしまった。

 

「……何があったの?」

 

「一体どうした? 俺にも報告しろ」

 

 そんな優花の異変が気にかかった恵里も一度作業の手を止める。六馬鹿が単に騒いでいるだけなら適当に流せたが、巻き込まれた優花が信じられない表情を浮かべているのを見て何かあったと確信したからだ。それはメルドも同様で、険しい表情を浮かべながら浩介の方へと視線を向けた。

 

「あっ、はい!……実はステータスプレートのステータスの数値が高くなってて、それと新しく変な技能が生えてたんです」

 

「……ハジメくん、お願いだからボクのステータスプレートとってくれない? ジャケットの右の胸ポケットにあるから」

 

 そこで浩介の言った通りステータスプレートを取り出そうとして自分の手が血まみれなのに気づく。今更血がついたところで洗う手段がロクに無い以上どうしようもないとは思ったものの、血の汚れや臭さを着ている服に必要以上につけるのも気が引けたため、()()()()()()()()のか食事用と思しきテーブルを錬成で作っていたハジメに仕方なく頼み込んだ。

 

「あ、うん。待ってね――はい、これ」

 

「うん、ありが――えっ」

 

 そして自分の目の前に出されたプレートを見て絶句する――それはあまりにあり得ないことばかりだったからだ。

 

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中村恵里 16歳 女 レベル:12

 

天職:闇術師

 

筋力:100

 

体力:120

 

耐性:90

 

敏捷:100

 

魔力:280

 

魔耐:280

 

技能:闇属性適正・闇属性耐性・気配感知[+特定感知]・魔力操作・胃酸強化・纏雷・言語理解

 

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「う、そ……」

 

 いつの間にかレベルがかなり上がったことも驚いたが、それ以上に目を引いたのはあまりに高くなってしまっていた自身のステータスであった。オルクス大迷宮に潜る前に見たときは低い数値でだいたい50前後、一番高い魔力と魔耐も130そこらしか無かったのに妙にステータスが高くなっていたのである。

 

後でレベルアップした際にステータスが上がった可能性もあったが、上り幅があまりにおかしい。それに見覚えのない技能が三つも増えているのだ。座学で技能が新たに生えることはないと言っていたことを思い出した恵里はあり得ない事実に目を白黒させていた。

 

(前世だとえっと……あーもう新しく技能が生えたかどうか思い出せない! 魔物を食べた後の体が壊れていく感覚とか、見た目の変化から考えればこの三つはまず魔物由来のはず……もしかすると、前世? のハジメ(アイツ)の身にも似たようなこと、いや同じことが起きてるはずだ!! うわー、道理で勝てない訳だよ……)

 

「えーと……恵里、大丈夫?」

 

 そしてステータスプレートを見て色々考えこみながら恵里はひとり百面相をしていると、ハジメからおそるおそる声をかけられた。さっき香織の胸を見たこともあってまだ許してはいないのだが、今は仕方ないと割り切って彼の方を向いた。

 

「……何、ハジメくん。ボクは今考え事をしてたんだけど?」

 

「えっと、何か大事なことを考えてたんだよね? その、出来れば話してくれる? 後でいくらでも謝るから」

 

「~~~ハァ……もう、わかったよぉ。ちゃんと話すから」

 

 まだ怒ってますとばかりに頬を膨らませながら返事をする恵里であったが、そんな自分に真摯な態度で頭を下げるハジメを見て少し罪悪感を感じてしまう。しかもその様子を見た雫と浩介、そしていつの間にか再起動を果たしていた優花からも軽い呆れが伴った眼差しで見つめられ、仕方なく折れることにした。

 

「別に大したことじゃないよ……前世でハジメくんがここに来る羽目に多分遭った、ってのは前に言ったよね?」

 

 頭を軽くかきながらそう問いかけると、全員がそれにうなずいて返した。それはオルクス大迷宮のベヒモスと相対した時の階層から崖を伝って降りて行く、何度目かの休憩の時に話したことである。

 

 自分の前世? の記憶を香織や幸利から尋ねられた際、過去の全てを話すのは流石に(はばか)られたことでかいつまんでの説明ではあったが語ったことを全員が覚えていた。その際にハジメがここでいなくなったであろうことも話している。

 

「後でボクはハジメくんと再会するんだけど、そうなると必然的にここを生き延びたことになるよね? つまり、魔物を倒して肉を食べてるはずだから、今後魔物を食べ続ければ更にステータスの強化や技能を増やせるんじゃないか、って思ったんだ」

 

 その言葉を聞いた()()()()の仲間がおぉ、と声を上げる。何せ光明が見えたのだ。あの二尾狼の群れでさえも倒すのに最初は必死になっていた自分達でも、この裏技染みた方法ならどうにかなるかもしれないと考えることが出来たのである。

 

「そうなると、ここから上の階層に戻った方がよくないか? 上の魔物だったらこっちよりも弱いはずだし、もっと簡単にステータスの強化が出来るはずだ!」

 

「さすがねコースケ、名案よ! そうなると……」

 

「捜索隊の結成、だね。誰をメンバーに選べば――あれ? メルドさん?」

 

 この場にいた()()全員がその話を聞いて今後どうするか色々と話し合おうとした時、あることに気付いた……メルドが今にも死にそうな顔をしながらブツブツと何かを言っている様子に。一体何があったのかとハジメが声をかけた途端、メルドはいきなり腰の剣を抜いたのである。

 

「め、メルドさん? その、敵はもういませんよ……?」

 

「な、なんかあったのか? な、なぁメルドさん、落ち着いてくれよ……」

 

「……今すぐ殺さねばならん奴がいる。それは――」

 

 幽鬼のような形相でこちらを見てきたメルドに香織や妙子などが本気で怯え、恵里も含めた他の面々もメルドに何かあったと確信して様子をうかがう。メルドが何かを言おうとするや否や、手に持った剣の切っ先を自分に向け、そして手を当てて首に押し付け――ようとした瞬間、雫と浩介が割り込んでメルドを止める。

 

「お、落ち着いてくれってメルドさん!! どうして自殺なんてしようとするんだよ!?」

 

「そうです! 何か辛いことがあったんなら聞きますから! だから早まらないで!!」

 

「――俺は大罪人だぞ!!!」

 

 浩介と雫がメルドの腕を掴み、二人で同時に手刀を叩き込んで掴んでいた剣を落とさせる。自殺するための手段を捨てさせた上で二人は必死になって声をかけるも、メルドは悲鳴のような叫びをあげた。

 

「俺だけで済めば良かった……そうすればお前達が苦しむことは無かったんだ!!」

 

「言ってることがわからないですって! ちゃんと説明してくれよ!!」

 

「メルドさん! 俺達は苦しんでなんて――」

 

「空元気なんぞ見せなくていい! もっと恨みをぶつけていいんだぞ!!――お前達を魔物にさせてしまった俺に、優しくなんてしないでくれ……」

 

 嘆き悲しむメルドに浩介と光輝が説得を続けるが、続く彼の言葉で全員が首をかしげることになった。自分達はいつ魔物になったのか、と。

 

「え? 魔物? えーと、なったの?」

 

「いや腹が減ってるけど別に理性がなくなった訳じゃないし、髪の毛と目ん玉が変わったけど化け物みたいな見た目じゃないよな?」

 

 そう口々に話し合うが、メルドが言ったそれっぽい要素は中々浮かばず、どうして見た目が多少変わったぐらいでそこまで悲しむのやらと皆が考えていると、幸利があることを口にした。

 

「――あっ、そういえば……“魔力操作”って、確か魔物が持ってる技能だよな?」

 

 そう。座学で誰もが聞いた話である。魔物は“魔力操作”という技能を持ち、それを用いて固有魔法を扱うのだ、と。つまりそれを魔物の肉を食べた全員が持っているということは、自分達が魔物と同質の存在になったということの証拠であり、メルドの言と合致するのである。

 

「……それだけ?」

 

「いや、んなこと言われても全然ピンと来ねぇんだけど。何? どういうこと? 先生でも幸利でもいいから教えてくんねぇ?」

 

「えーと、その……エクソシストが悪魔を倒したら、その返り血で悪魔になったー、とかそんな感じだと思うよ大介君」

 

 ……ただし、それが当事者にとって辛い話であるかどうかはまた別問題であるが。メルド以外は別に屁とも思っておらず、ハジメの説明を受けた大介であってもふーんと言うだけで済ます程度でしかない。その様子にメルドは殊更にショックを受けた。

 

「な……ど、どうして悲しまないんだ!? 俺は、お前達を化け物にしてしまったんだぞ!! 俺が、俺が軽率に魔物を食べろとなんて言わなければこんな目には――」

 

「いや、ここで魔物を食べなかったら餓死してたかもしれねぇじゃん。別にアンタが間違ってた訳じゃないし」

 

「いや、その……メルドさん、俺達の世界にはそもそも魔法なんてものはおとぎ話とか空想の世界にしかないものなんです。それが使えるようになった時点で俺達は既に化け物なんですよ。だから、別に気にしなくっても――」

 

 大いにうろたえるメルドに信治が正論を突き返し、光輝が具体例を挙げて気に病まなくてもいいと伝えるも、メルドには余計に罪悪感に潰されそうになるばかりであった。

 

「なら、なら……俺達がお前らにすがった時点で取り返しのつかないことをやっていたということじゃないか!!……エヒト様、これが俺達人間の背負うべき罪だとでも仰るのですか?」

 

 そして救いを求めるように天を仰ぎ、言葉を紡ぐ――そこでようやくメルドがこんなことを言い出したのかに恵里達は気づけた。宗教の戒律を知らず知らずのうちに他人を巻き込んで破ったようなものなのだ、と。

 

 しかし無宗教といって差し支えない日本人である自分達からすれば縁遠い話であったため、どうすればメルドを立ち直らせられるかがわからず、多くの面々がどうしようとうろたえてしまう……たった一人を除いて。

 

「ふーん。そんなにエヒトの奴って心が狭いんだ」

 

 そうメルドを煽ったのは恵里であった。あえて煽るような口調でメルドに問いかければ、メルドは怒りを露わにしてそれに反論する。

 

「なっ……そ、そんなバカな話があるか! このトータスを創造し、俺達人間に絶えることなく慈悲を与え続けてくれた偉大な神様だぞ! それを馬鹿にするというのなら中村、いくらお前でも許さんからな!!」

 

 他の面々が心配そうに自分とメルドを見つめたり、『何やってんだ馬鹿』と言わんばかりの形相でこちらを見てくるが、かかったと確信した恵里は一瞬だけしたり顔を浮かべ、すぐさま申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「そっか。じゃあそれは謝罪させてもらうね――ごめんなさい。言い過ぎました」

 

 そう言って頭をしばらく下げていたものの、メルドから向けられた視線は未だ鋭いまま。それでもなお恵里は内心余裕であった。この程度なら余裕でやれる、という確信があったのだ。

 

「……謝るだけなら誰でも出来るぞ」

 

「うん、そうだね――でもさ、そんな偉大な存在が、たかだかボク達が魔物になったぐらいでいちいち咎めるの?」

 

 余計にピリピリとした空気が張り詰めるが、それに構うことなく恵里は疑問を投げかける。その途端、ハジメと鈴の顔が引きつった。自分達にやった時のようにメルドを舌先三寸で丸め込む気だと気づいたからである。

 

「なったぐらい、だと……当然だろうが!! お前達は何一つ悪くないのに、俺の短慮でお前達も貶めてしまったんだぞ!!」

 

「そう? ボク達の反応からすれば別に大して気にしてないことぐらいわかると思うんだけどなぁ~? そ・れ・と・も、“神の使徒”であるボク達の『言葉』を疑うのかなぁ~?」

 

「いや、だが……」

 

 だが自分達ではメルドをどうにか出来るかはわからないこともあり、ハジメと鈴は恵里に任せることにして『恵里を止めた方がいいんじゃ……』と不安がる一同をなだめることにした。そうして自分に任せて色々とやってくれる二人の声が耳に入り、上機嫌になった恵里は更にまくし立てていく。

 

「そのエヒト様がさぁ、トータスの人間がこのままだと負けてしまうと思ったからボク達が送り込まれてきたんでしょ?……と・う・ぜ・ん、人選だってしっかりやってるはずじゃない? 何があってもトータスの人間を救ってくれるような『善良な』人間を選んで、ね?――もしかしてエヒトの配剤を疑うつもり? 考えなしだって言っちゃうの?」

 

「ち、違う!! そんなことは断じて――」

 

「なら問題ないよねぇ~。ボクらは気にしてないんだからさぁ~。それなら、エヒト様が送ったボクらを信じてほしいんだけどぉ? トータスの人間のために戦ってくれる『勇敢で』、『心優しい』人間のボクらをさぁ? だから信じてよ? ね?」

 

 そう言いながら人当たりの良い笑顔を作って笑いかける。自分達を信じてほしい、と自然な笑みを装えばメルドは嘆くのを止め、周りはドン引きした。

 

「……俺の行いは、許されるのか?」

 

「許すも何も最初から誰も咎めてないんだよ? じゃあ問題ですら無いよね――そうでしょ、皆?」

 

 そしてにこやかな笑みを浮かべてハジメ達の方を見たら何故か光輝達が短く悲鳴を上げ、ハジメと鈴は余計に顔が引きつっていた。

 

「――ハジメくん? 鈴?」

 

「え!? あ、いや、あの、その……うん。ぼ、僕達は別に気にしてないから!! そ、そうでしょ皆!?」

 

「うんうん! 鈴もこれぐらい全然気にしてないからね!! そうだよね!! ね!!!」

 

 小さく冷ややかな声を出せば二人は即座に皆を説得にかかってくれた。二人の説得を受け、他の皆も顔を引きつらせて首を縦にふってくれた……改めてハジメと鈴の存在をありがたく感じながらも、恵里は最後の詰めにかかった。

 

「な、なぁ中村。ほ、本当に大丈夫なのか? アイツらの顔がかなり引きつっていたし、やっぱり俺は間違ってたんじゃ――」

 

「本当に間違ってるの?――最初に魔物の肉を食べる時にボクらは誓ってたじゃない。元の世界に戻るために戦う、って。それに、別に魔物になったって言ったって姿かたちがそこまで変わった訳じゃないでしょ? 意思疎通がとれなくなった訳でもないんだから大した障害じゃないよ。せいぜい見た目が変わったぐらいだし、それにステータスプレートって情報の改ざんだって出来るでしょ? ならどこに問題があるの?」

 

「それ、は……そう、か。そうかも、しれんな」

 

 そう自信満々に言う恵里を見て、一度疑いを持ったメルドもそれを振り払った。そして感謝に満ちた笑みを作って浮かべると、恵里はメルドに向けて言葉を紡ぐ。

 

「でもまぁこうしてボク達のことを気遣ってくれるのは嬉しいな。魔物になったからって問答無用で切り捨てないでくれるなんて、メルドさんも人が出来てるよ。こんなに心配してもらえるなんてボク達は果報者だね」

 

 これは噓偽りのない本音が混じっていた。こうして自分達のことを気にかけてくれるのは恵里としても嬉しくはあったし、魔物になったからという理由で真っ先に自分達を殺すということをしなかったメルドの人格を恵里も評価はしている。果報者だと思ったことは流石にないが、これぐらいはリップサービスだと考えて恵里は口にしている。

 

 するとメルドの両目から涙があふれた。その一言で全てが報われた気が、許されたような気がしたのだ。それを見た香織は『恵里ちゃんが新興宗教の教祖さんに見える……』とつぶやき、ハジメと鈴以外が即座に同意した。しかしハジメ達は愛する人を、親友兼恋敵である恵里を悪く言おうとはしなかった……内心首がとれるぐらいにはうなずきたくて仕方なかったが、悪し様には言わずにいた。

 

「もし良かったらさ、前みたいにボク達と一緒に戦ってくれるかな? 『やっぱり』メルドさんがいないとこの先辛いかもしれないし、メルドさんがいるだけで『心強い』からね……お願い、出来ますか?」

 

 そして最後にあえて少し心配そうな様子を装い、協力してくれるよう恵里は申し出た。それだけでメルドの良心と庇護欲が刺激される。憂いと嘆きに満ちていた彼の表情が瞬く間に変わり、戦意に火が付いたのは誰の目にも明らかであった。

 

「――あぁ!! 俺はもう迷わん! 共に戦わせてくれ中村……いや、“恵里”!!」

 

 そう言って差し出された手を見て恵里もまた手を出して握手をする。内心『世話にはなってるけど、こんなおっさんよりハジメくんと手をつなぎたいなぁ』と思いながらも表には出さず、微笑みを浮かべながら硬く手を握り合う。

 

 それを見た光輝は『とんでもない犯罪の片棒を担いでしまった気がする』とボヤき、またハジメと鈴以外が深くうなずく。そして二人は心底気まずそうに顔をそらすだけであった。

 

「あぁそうそう……そっちは聞こえないように言ったつもりでもボクは聞こえてたからね。覚悟してよ」

 

「僕も謝るから光輝君達のことは許してあげてー!!」

 

「恵里のお願いなら鈴とハジメくんが聞くから雫達は勘弁してよー!!」

 

 即座に光輝達が土下座を決め、大慌てでハジメと鈴がとりなしに来た。メルドが結局悩んだものの、とりあえず溜飲は下がったからまぁいいかと恵里は思ったのであった。

 

 

 

 

 

「――はい、こっちの蹴りウサギの肉はもう大丈夫だよ」

 

「うん、ありがとうハジメくん」

 

 タウル鉱石とやらで作った肉叩きで柔らかくしたウサギ型の魔物こと蹴りウサギ――これまたハジメ命名であり、他の皆も割と魔物の名前はどうでもよかったのでそのまま採用した――の足の肉をハジメから渡されると、恵里はそれを食べやすいサイズへとタウル鉱石製の包丁でカットしていく。

 

 どの肉も満足に血抜きは出来ていなかったものの今はお腹を満たすことを優先しており、むしろ時間をかけないなりに色々工夫しているため誰も文句は言わなかった。

 

「こうして肉叩きも包丁も器用に作れるなんて流石よねー」

 

「あはは……こっちの世界に来ることはわかってたし、それで刃物とか兵器とかの情報を頭に入れてたから。それをちょっと使っただけだよ。肉叩きは単によく使ってたから形状を覚えてただけだし。それにちゃんとした作り、って訳でもないから……」

 

「使えるんだから誰だって文句は言わないよ。それにこういうのを作れるのはハジメくんだけしかいないんだからもっと自信持ってよ」

 

「そうだよ。恵里の言う通りだよハジメくん。鈴の使ってる包丁もよく切れるし、ハジメくん錬成師だからすぐにメンテナンス出来るし、むしろ皆ハジメくん頼りだと思うんだけど」

 

 切り分けた肉を網で焼いている優花から持ち上げられ、ハジメは少し自信なさげに返事をするものの、軽くスネた恵里と鈴からあーだこーだ言われて苦笑してしまう。異世界に来てもまだ自信がちゃんとついてないことを咎められ、頑張らなきゃと思いながら道具を片付けていく。

 

「そうだぞ坊主。初めてステータスプレートを見た時はどうしたものかと思っていたが、今この場では誰よりも重要な役目を任されてるんだ。それを誇れ――それに、ステータスだってかなり上がっていただろう」

 

 そこに腸や皮を大部屋の隅へと置いてきたメルドが戻ってきて声をかけてきた。ハジメは苦笑しながらもメルドの言葉に『はい』と短く返す。

 

 ――メルドの“説得”を終えた後、全員が食事の準備に戻ろうとしたのだがここで大介ら四人があることを提案してきた。どうせだから全員のステータスプレートを見てどうなってるのか確認しないか、と。

 

 他の皆も程度の差こそあれ、気にかかっていたこともあってそれを承諾。一度調理の手を止め、手早く全員のプレートを回し見することになった。誰もが異常なまでにステータスが高くなっていたことに驚いており、特に驚かれたのがハジメのものであった。

 

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南雲ハジメ 16歳 男 レベル:10

 

天職:錬成師

 

筋力:60

 

体力:200

 

耐性:60

 

敏捷:120

 

魔力:190

 

魔耐:190

 

技能:錬成[+鉱物系鑑定]・魔力操作・胃酸強化・纏雷・気配感知[+特定感知]・言語理解

 

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 ハジメ曰く、魔物の肉を食べる前は各ステータスの数値は20に届いたかどうかなぐらいでしかなかったらしい。それを踏まえれば異常なまでの上り幅であり、それを疑う者は誰もいなかったため、結果として一番騒がれたのである。

 

 ちなみにその当事者であるハジメは一番ステータスが高かったり技能が多い訳でもないのに持ち上げられたことでむずがゆいような心地であった。ただ、恵里と鈴からベタ褒めされたのは素直に受け取ってはにかんでいたりするが。

 

「そうだぞ先生。先生がいなかったら俺達はこうして普段とあまり変わらない感じで食事が出来ないんだからな。正直イヤミにしか聞こえねーぜ」

 

 メルドからたしなめられた直後、今度は火の番をしていた信治が鈴から串を受け取りつつハジメに言う。

 

 ステータスプレートをもらって自分達がすごい力を持ってたと浮かれてた頃は、自分達がハジメを守り、その代わりに武器を作ってもらえばいいかと考えていた。しかし現状はハジメに色々と助けられている。今のところ食事の味が不味いのと寝床が硬い床であることだけはいただけないものの、彼の言葉で戦う勇気をもらったし、こうして一緒に暮らせること自体には不満がないのだから。

 

「そっか……ごめんね信治君」

 

「だーかーらー謝るなっつーの! 別に誰も後悔しちゃいねーって。あ、でも飯と寝床、あと風呂の方はなるはやでよろしく」

 

 バシバシとハジメの背中を叩き、軽く無茶振りをしてから信治は串を手に火の番へと戻っていった。その様子を見て相変わらず調子のいいことばかり言っているとため息を吐きながらも恵里は奈々が魔法で水を張ってくれたバケツに包丁を突っ込んで汚れを浮かせてく。

 

「中野の奴も無茶苦茶言うねぇ……まったくもう。あんま相手しなくていいからねハジメくん」

 

「――えっ。あ、いや、その……お風呂はともかく、体の汚れを落とすぐらいなら皆に協力してもらえばどうにかなりそうかなー、って――」

 

「待ってハジメその話詳しく」

 

「ハジメくんお願いすぐそれを話してでないとボク泣くよ全力で泣くよ」

 

「今すぐ吐いてハジメくん鈴もみんなも体の匂いが気になってるからほらほらほら」

 

「えっハジメ君それホントなの!? い、今すぐやれる!? ご飯出来るまでまだ時間があるから!!」

 

 そしてハジメが口を滑らせると即座に優花、恵里、鈴が食いつき、香織に雫、奈々と妙子までハジメに詰め寄っていく。突然の事態にハジメがパニックを起こすものの、そんなの知るかと言わんばかりにもみくちゃにされ、体を揺さぶられて容赦なく尋問を受けさせられるのであった。

 

「どうだ良樹、飛ばせそうか?」

 

「うーん……やっぱ俺も無理だわ。大介や礼一と同じで周りをバチバチさせるぐらいしか出来ねーや。しっかし腹減るなマジで」

 

 ハジメが女子~ズに尋問を食らっている中、大介、礼一、良樹の三人は増えた技能の一つである“纏雷”がどういったものなのかを調べていた。その名前の感じや、二尾狼が雷を飛ばしていたことから自分達も雷を放てるんじゃないかとステータスプレートを確認した時に彼らは考えた。

 

 そこで信治含めて四人は光輝らに技能の検証をすることを理由に食事の準備の免除を頼み込んだ。そこで光輝も恵里らに問いかけてみたところ、『皮をはぐのならともかく、調理の工程であまり人数がいても却って面倒』と述べた……が、やはり火の番は必要だということで信治だけは手伝うということを条件にそれが通ったのである。

 

 信治の恨み言を聞き流しながらこうして“纏雷”、そして“魔力操作”を調べた。“纏雷”は残念ながら自分の周囲に電気を纏わせるのが限界であったが、“魔力操作”に関してはやり方をなんとなく把握出来た。なので飯の時にでも伝えようと三人は結論を出し、声がかかるまで“魔力操作”で指先から火を出したり、水芸をして遊ぼうとしていた。そんな折、幸利から声がかかる。

 

「おーい、大介ぇー、礼一ぃー、良樹ぃー、そろそろ焼き上がるみたいだしこっち来いよー」

 

「お、サンキューな幸利ー! じゃあ行こうぜー」

 

 幸利の声を皮切りに、全員が自分の分の串焼きと網で焼いた肉が盛りつけられた皿と食器をもらい、ハジメが作った円柱型の岩石の椅子に座っていく。

 

「はい、じゃあこれからコップ配るから水が欲しかったらセルフでやってね」

 

「いくつかピッチャーも用意してあるから、取りやすいところから取ってね」

 

 そう言いながら恵里は岩のトレイに載ってた金属のコップ数個を配るとハジメの隣に座り、奈々は両手で二つのピッチャーを運んで適当なところに置いた。

 

「恵里が体を張ってくれたおかげで俺達は安心して飯が食える。そのことを忘れるなよ。じゃあ――」

 

 そしてメルドが食事前の音頭をとり、全員が手を合わせた。恵里達が『いただきます』と言うとほぼ同時にメルドもお祈りを終えた。今回は簡単なものであったらしい。そして全員が出された食事に手を付けていく。

 

「……ホントだ。全然体が痛くない!」

 

「マジじゃねぇか。じゃあこれで食料の問題も解決したんじゃないか!!」

 

「感謝してよぉ~。メルドさんが言った通り、ボクが体を張ったおかげで神水も飲まずに安心してご飯が食べれるんだからねぇ~」

 

 奈々が大いに驚き、幸利が目を輝かせているのを見て恵里は顔がニヤつくのを止められなかった――実は大介らは技能の確認に移った際、“胃酸強化”だけに関しては軽く及び腰であったのである。そこで恵里が実験台として立候補し、一足先に食べる事になったのだ。

 

 結果、蹴りウサギの肉を食べても体に痛みが走ることもなく、ステータスも幾らか増加。そして技能も天歩、[+空力]、[+縮地]の三つを得ることに成功したのである。実際にステータスプレートも全員に見せて確認してもらい、その結果全員の士気も上がった。そして今、こうして蹴りウサギの肉に手を付けた皆が口々に痛みが走らないことに喜び、ハイペースで食べていく。

 

「うーん……串焼きよりも網の方がまだマシかな。串の方はちょっと筋張ってるし」

 

「そっか。じゃあ次はそっちでやってみるね」

 

「なぁ園部、先生にフライパン作ってもらってステーキ焼いてくれねぇ? それだったら美味いかもしれねぇんだけど」

 

「あのねぇ、油引かないと焦げ付くのよ。そうなると石鹸もないのに洗うのも手間だし、捨てるしか無くなるの。しばらくは網焼きで我慢して」

 

 流石に味の方はまだまだ改善が必要であったものの、場の雰囲気は明るく、和やかな雰囲気で全員が食事を終える。

 

「――ありがとう、恵里。僕のために体を張ってくれて」

 

「ううん、いいの。いつかは確かめる必要があったんだし、神水も節約できたんだしね――それに何より、ボクの要求が通ったんだもん。後悔なんてないよ」

 

「それ、ハジメくんがやりたかったことでしょ。もう……まぁ、鈴も同じこと考えてたと思うけど」

 

 そうして食事を終え、皆が歓談をしながら水を飲んでいた時であった。恵里もハジメと鈴と一緒にアレコレ話をしていたのだが、ハジメが突然真剣な表情で恵里に感謝を述べてきたのだ。それを恵里は柔らかな笑顔で首を横に振り、あくまで自分のためだからと返した。それを聞いた鈴は呆れた様子で言及しながらも、恵里がやっていなければ自分がやったかもしれないとこぼした。

 

 ――“胃酸強化”の実験に関して恵里は単なる善意だけで実験台となった訳ではなかった。実はその時、あることを条件に大介ら四人と光輝らに申し出ていたのである。それはハジメが“銃”を開発するのを可能な限り優先させることであった。

 

 流石に自分達の武具のメンテナンスや壁の修復に関してはともかくとして、それ以外の作業よりも銃の作成を優先させようと考えていたのである。

 

 それはもちろんトータス会議の時に銃の作成を考えていたというのもあったが、ここ奈落の魔物と相対した際の懸念も多分に含まれていた。蹴りウサギの時に披露した錬成のスピードは決して遅くはなかったものの、わざわざしゃがんで地面に手をつかなきゃならないというのはあまりに無防備過ぎたからだ。ハジメ曰く、既に銃を作るための材料は揃っているらしいため、それもあって今回の案件をどうにか通そうとしたのである。

 

「なぁハジメ、その……俺にもさ、銃作ってくれねぇか? やっぱ付与術オンリーだと心もとないっていうかさ……」

 

 そうして三人で話し合っていると、不意に幸利が頼み込んできた。ここ最近いいところがない彼としても焦りがあったらしく、ハジメから銃を作ってもらえばどうにかなるのではないかと考えていたようであった。

 

「うーん……ごめんね幸利君。銃そのものなら別に作れはするんだけど、弾丸がね……作るのが簡単ならいいんだけど、ライフリングに合わせて作るとなると相当難しいと思う」

 

 しかしハジメは筋道立ててそのお願いを断っていく。地球にいる間はモデルガンを実際に買って触ってみたり、銃に関する書籍などを手に取って読みふけっていた。その結果、銃を作るのに必要最低限の知識は手に入れたとハジメも自負しているが、やはりそれはあくまで模造品に関する情報や書面での知識でしかない。そのため実際に作れるかどうかまでは未知数であり、親友の頼みとはいえど出来の悪いものを渡す訳にもいかなかったのである。

 

「それと、弾道があまり安定しないのだったらいいんだけど、それはそれでフレンドリーファイアが怖いから作りたくないんだ。ごめんね」

 

「いや、いいんだ。流石にそう言われちゃぁ俺だって引き下がるしかないさ。まずはそっちの方を優先してくれ……でも、でもさ、いつか作ってくれよ」

 

「うん、約束するよ」

 

 そうして約束すると幸利の顔は少し晴れやかになった。と、話がまとまったところでハジメのところに香織、雫、優花、奈々、妙子がやって来た。

 

「あれ? 皆どうし……え、まさか、もうやるの?」

 

「当たり前でしょ! 今ここでやらなかったらいつやるのよ!!」

 

「そうだよ!! お風呂は無理でも体を洗うのだったらどうにかなるってハジメ君言ってたよね!! 早速作ろう!!!」

 

 そう。女子~ズに詰め寄られた時、ハジメは『巨大な水槽みたいなものを作って、それを温めて中の水をお湯にすればいけるんじゃないかな』と言ってしまったのである。

 

「え、えっと、その……恵里、鈴、助けて」

 

「ごめん無理。これは最優先課題だから。諦めてハジメくん……後で体洗ってあげるから」

 

「ごめんねハジメくん。鈴もそれは後回しにしたくないから……でも、後で恵里と一緒には、裸……見ても、いいよ?」

 

 即座に裏切られた。しかもとんでもないご褒美付きである。一瞬クラっとするも、それに流されてはいけないと踏ん張ろうとした時、ハジメの手を恵里が引いていく。

 

「だ、ダメだよ! こればっかりは僕も――ってうわぁあぁあ!?」

 

「ほら、早くやろうよ!!」

 

「お風呂の時間が逃げちゃうよ!!」

 

 そう言ってハジメは女子~ズに連れ去られ、一体何があったと気になった男共も彼の後を追う――死と隣り合わせの場所でも彼らは未だ折れることはなく。どこまでも強く、逞しく生きていたのであった。




Q.どうしてハジメのステータスが原作よりも低いの?
A.食べてる量が単純に少ないから。原作では
>悪態を吐きながら二尾狼の肉を喰らっているのはハジメだ。
>硬い筋ばかりの肉を、血を滴らせながら噛み千切り必死に飲み込んでいく。
>どれくらいそうやって喰らっていたのか、神水を飲料代わりにするという聖教教会の関係者が知ったら卒倒するような贅沢をしながら腹が膨れ始めた頃、ハジメの体に異変が起こり始めた。(一部抜粋)
とあります。つまり原作では相応の量を腹に入れている訳です。
ところが、こちらでは四頭分とはいえど二尾狼の肉を十六人で分けています……そうなると腹に入る量は原作と比べれば確実に少なくなります。その分ステータスが上がる量も減ってしまうのではないかと考え、こうなりました。
……実はその分、苦しむ時間も減ったというのはここだけの話。もちろんオリ設定です(ォィ)

あ、そうそう。最後のシーンで浩介の目から血涙流れてます(ドヤァ)


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幕間十五 龍と香の交わり

こうして拙作を読んでくださる皆様にまずは感謝を。
おかげさまでUAも89348、お気に入り件数も660件、しおりの数も262件、感想数も225件(2022/3/12 13:46現在)にまで上りました。誠にありがとうございます。翌日に残りを投稿したとはいえ、やっぱ二つの話をすぐ突っ込んだのスゲぇ……。

そして亀の手さん、Aitoyukiさん、拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。毎回毎回こうして拙作を評価してくれると手ごたえを感じてホッとします。ありがたい限りです。

では今回もちょっと長めの幕間のお話です。上記に注意して本編をどうぞ。


「……ん、ぅぁ……もう、朝か?」

 

 ハジメがならしてくれたとはいえ、硬い地面に横たわっていたためか、起きがけの龍太郎の体は軋んでいた。

 

 腕をゆっくり回し、首を鳴らすと、地面に手をついて立ち上がって部屋の中央へと向かっていく。目的は昨日ハジメが作ったテーブルの上に置いてある時計だ。

 

「時刻は……まだ五時前か。ちょいと早過ぎたな」

 

 大迷宮を降りていく際に使っていた緑光石もテーブルの上にのそばに時計を戻すと、軽くため息を吐きながら龍太郎は思案する。目覚めにはまだ早い時間であり、二度寝するにはいささか短過ぎる半端な時間帯であったからだ。

 

(どうすっかな……家とか城にいた時なら型の稽古でもやってたけど、音を立てちまうから全員起こしちまうな。まだ昨日の疲れが残ってるだろうし、やめとくか)

 

 大部屋で全員が適当に雑魚寝をしているだけなのもあって下手に物音を立てれば全員の耳に届いてしまう。大迷宮を降りていた時は硬い床で寝る経験が誰しも浅かったことから誰かしら目を覚ましていたため、適当に話をしていれば済んだことだ。

 

 しかし今はそうもいかない。下手に物音を立ててハジメを起こそうものなら後が怖いのだ……恵里の報復が。何をやってくるかわかったものじゃあない。

 

(――!! やめようやめよう。だったら大人しくボーっとしてた方が遥かにマシだ)

 

 そう結論付けると龍太郎は忍び足で元居た場所へと戻っていく。しかし手持ち無沙汰なのは変わらないため、どうしたものかと思っていると、彼の脳裏にあることが浮かんだ。

 

(そうだな……とりあえず“魔力操作”のおさらいでもしとくか)

 

 そう決めた龍太郎は一度腰を下ろすと、体内の魔力の流れとそれが形を成すことをイメージし、それをより具体的な形にするべくこれから発動する魔法の名前を詠唱する。

 

「――“火種”……よし、問題ないな」

 

 目の前で拳大の大きさの炎が現れるのを確認すると、再度魔力の流れをイメージして水系初級魔法“滴垂”を詠唱してその火を消して息を吐いた。

 

(……しっかし、ぶっつけ本番の時もそうだったけど何とかなるもんだな)

 

 昨日二尾狼を食べた時から体の中で感じる不思議な感覚のことを思いながら龍太郎は寝る前のことを思い出す。

 

 昨晩、香織を含めた女子~ズが食事を終えた後にハジメを連れて暴走し、一体どうしたと思って自分を含めた男衆がその後を追った結果、公衆浴場モドキが出来上がった。

 

 あくまで脱衣場と水浴びのスペース――巨大な水槽の下にかまどのようなものが部屋の隅にあり、そこで作ったお湯を浴びる空間のことだ――という簡素なつくりのそれだが、それを造るためにハジメ共々巻き込まれたのである。

 

 その際あの赤い目で早く詠唱しろと女子に迫られたことから、とにかく逃げたい一心で龍太郎はあることを考えた。“魔力操作”で魔法を発動させれば、詠唱しなくて済む分早く終わるんじゃないか、と。

 

 そこでぶっつけ本番で“魔力操作”を試してみた。大介達から軽く聞いた程度でやったことは無かったものの見事成功……そのせいで他の面々より魔法の発動が早くなったため、その分コキ使われることになったのである。

 

 詠唱しろと追い立てられていた時もそうだが、成功した後に無数のあの目に見つめられながら急かされたのは記憶に新しい。その時の恐怖を思い出して思わず龍太郎は身震いしてしまった。

 

(……まぁそのおかげで真っ先に使わせてもらったんだ。恨むのはやめとこう)

 

 とはいえハジメや他の奴らと尽力して“男湯”と“女湯”そして“恋人”のスペースを造った結果、一番風呂? を譲ってもらえたのである。しかも奈々と優花が魔法の連続行使で疲れているにもかかわらず、自分達の分よりも先にわざわざお湯を沸かしてくれてから譲ってくれたのだ。おかげですぐに体を洗い流すことが出来、大分癒されたのは言うまでもない。もちろんハジメは“恋人”の方へ恵里と鈴に引きずられていった。

 

(そういやあの後、檜山達が水槽に直に入ってたらしいが……まぁ最後だったから良かったけどよ、いくら風呂が恋しいからって直に入れば煮えるだろうに)

 

 浴場スペースから一足先に出て、汗拭き用にリュックに入れてくれていたタオルで水気を取ってから涼んでいた時に起きた事も龍太郎は思い出した。しかもわざわざお湯を一度温めてからあの四人は入ったらしい。

 

 確か温度の確認用に水槽の脇に階段を取り付けてあったはずだが、だからといってどうしてあんな真似をしたのやらと龍太郎は改めて呆れた。全裸で大部屋に駆け込んできた大介達がお湯浴びを終えてワイワイ話していた女子達に袋叩きにされ、散々罵倒されたのは今考えても馬鹿馬鹿しい。

 

 技能がどうのと何か言い訳をしようとしていたが、どうせロクな事じゃなかったんだろうと思いながらなんとはなしに寝転ぶ。途端、彼の視界に星空のような光景が飛び込んできた。天井にある無数の緑光石が星のように光を放っていたのである。

 

「ぁ……」

 

 すぐにその正体にたどり着けたものの、幻想的な景色に思わずため息が漏れ出てしまう。ここ最近はバタバタしていたり、何もしないでゆっくり休むという事もなかったため、一層目の前に広がる不思議な世界に目を奪われてしまっていた。

 

(……キレーだな)

 

 ただ純粋に龍太郎は思った。

 

 星空を好んで眺めるような質ではないが、この世界に来てからの娯楽というと彼にとっては食事ぐらいしかなく、また今後ここで食べ続けなければならない魔物の肉はお世辞にも美味いとは言えない。食事も苦行の一種となった事から、一切の娯楽が無くなった龍太郎にとってこの光景はひどく鮮やかに映ったのである。

 

 ここ最近は疲れたらすぐ横になってしまっていたために見る機会も無く、こうして何気なく見かけたせいか余計に目を離せなくなっていた。

 

「ん……ぅ、ぁ……」

 

 そうして飽きもせずに天井を眺めていると、不意に体に何かが当たった。すわ魔物かとすぐに起きあがろうとするも、そのうめき声で正体がわかった。香織である。

 

(コイツ以外と寝相悪いのか……? いや、でも床硬いしな。仕方ないのか?)

 

 軽く体を起こして周囲を見渡せば、誰もが寝ながら誰かに抱きついてたりしていたため、こんなもんなのかと考えて再度龍太郎は視線を天井に戻そうとしたが、その時隣にいた香織がもぞもぞと動いた。

 

「ふぁ、あ……おはよ、りゅうたろうくん」

 

「悪い、起こしちまったか……まだメルドさんが俺達を起こすまで時間あるし、もうひと眠りでもしたらどうだ?」

 

「ううん、おきてる……この床だと、あんまり寝れなくって」

 

 未だ夢現な状態の香織を気遣って言葉をかけるも、返す言葉に龍太郎は何も言えなくなった。そこまで繊細でないという自覚のある自分であってもこれなのだから、そういうのを気にするであろう香織や他の女の幼馴染達は余計に辛いだろうと理解できたからである。

 

 ――ふと、ハジメだったら何時ものようにサッと解決しているんだろうかという考えが龍太郎の頭をよぎった。絶対にやれるだろうという確信が浮かぶも、龍太郎はかぶりを振ってその考えを振り払う。

 

(……ったくいけねぇいけねぇ。何でもかんでもハジメに頼り過ぎだろうが。アイツは〇ラえもんや便利な道具じゃねぇんだぞ)

 

 大迷宮を降りるのを考え付いたり、神結晶を見つけて食糧問題を解決したこと、そして様々な調理器具に公衆浴場モドキの作成と八面六臂の活躍をする彼に丸投げすることを恥じ、自分でも何をやれるか考えるべきだと思っていると、ふと隣で寝ころんでいた香織が声をかけてきた。

 

「ねぇ龍太郎くん。龍太郎くんも天井を見てたの?」

 

「ん?……あぁ。やることが無かったもんだからな」

 

 そう返すと香織と一緒に視線を天井に向ける。今また見返しても今いる場所が洞窟の中だとは思えず、また緑光石が放つ光に心を奪われていると、隣にいた香織も体を起こすと天井を見ながらつぶやいた。

 

「そっか……奇麗だよね。何度見てもすごく幻想的で」

 

「あぁ……ん? 香織はよく見てたのか?」

 

「昨日寝付けなかった時に見たぐらいだよ。でも素敵だよね」

 

「そう、か……」

 

 ふと香織の言葉が気にかかった龍太郎はこの光景をよく見るのかと問いかけると、香織はこちらを見ながらそれに答えた。何故か返事をした香織に少しの違和感とショックを受けた龍太郎であったが、ショックを受けた原因の方はすぐに思い至った。

 

(……そういや俺、飯食って汗流した後はすぐに寝ちまったもんな。わからなくって当然か)

 

 空腹を押しての採掘、極限下での戦闘、それで受けた痛みとそれから来るストレスに幾度もの魔法の行使によって疲れが溜まっていたのもあってか、香織よりも早く寝てしまっていたからだ。一緒にこの光景を見る機会を一回逃したな、とそのことを残念に思い、未だ違和感の正体に気付けないながらも今こうして一緒に見れることを喜び、同じく体を起こしてじっと無言で眺めていた。

 

 ――龍太郎は未だ香織への恋心を捨てきれていなかった。

 

 既に二度フラれ、未練がましく女々しいというのはわかっているし、香織はこういう奴であるとも理解している。大介ら四人とは普通に話をする程度でハジメや光輝、浩介、幸利とは親しい友人程度の距離の癖に自分の場合だけは無自覚に詰めてくるようなド天然の少女だということを。

 

 フラれる度に光輝と雫の助言に従って香織と距離を離そうとしてもそれを嫌がってすぐに詰められて観念したり、どうにか通そうとしてもそれで泣かれたことだってある。

 

 自分のことを『一番素敵な親友』と言ってる割には事あるごとにちょくちょく自分と一緒に行動してきて、そしてそれを嫌な顔をするどころかご機嫌な様子でやってくる……どう考えても恋人のそれにしか見えない態度と行動で。そのせいで考えるのを止めたいのに一々振り回して無自覚にアピールしてくるから恋心がうずいて仕方ないのだ。

 

「……ねぇ龍太郎くん。無理、してない?」

 

 だがそんな時、香織が少し心配そうな顔でこちらをのぞき込んできていた。

 

「なんだよ藪から棒に……まぁ確かに寝床がコレだから体は痛いけどよ」

 

「そっか。それだけならいいんだけど……さっきから上の空な気がしちゃって。もしまだ疲れてるなら私が肩でも揉むよ?」

 

 一体誰のせいだと思いながらも龍太郎は香織の表情の変化を見逃さなかった――彼女の表情に珍しく焦りがあることに。そこでさっき感じた違和感の正体の一つがこれであったことに龍太郎は気づく。

 

「そ、それとも……その、背中とかもマッサージした方がいいかな? だったら――」

 

「香織」

 

 彼女の肩に左手を置き、その顔をじっと見据える。やはりその顔にはいつもの香織なら絶対に浮かべない卑屈さが混じっていた。

 

「何焦ってやがんだ」

 

「あ、焦ってなんてないよ? ほ、本当だから……」

 

「……見くびられたもんだな。俺がどんだけお前のことを見てきたと思ってんだよ」

 

 そのまま有無を言わさず香織を抱きしめ、困惑する彼女の頭に手を回しながら問いかけていく。

 

「確かに肩揉みでもマッサージでもやってくれれば嬉しいさ。けどな」

 

「だ、だったら――」

 

「お前が心からそう思ってのもんじゃなきゃ嬉しくもなんともねぇんだよ。言え。何が怖いんだよ。いつものお前みたいに何でもかんでも言っちまえ」

 

 龍太郎からそういわれても香織はただ彼の胸元に手を添えるだけで何も語ろうとはしない。だがその手のかすかな震えが何よりも能弁に語っていた。今の香織は何かに怯えている、と。

 

「なぁ、香織。お前がそんな顔してたら俺もちゃんと笑えないんだよ。だからよ、言ってくれよ。俺が見たいのはお前のそんな顔じゃない。いつもの笑顔なんだよ」

 

 目の前の少女の心の底からの笑みが欲しかった。いつものようコロコロと表情を変えながら話をしてほしかった。それが未練がましい男のちっぽけなプライドから来るとわかっていても、龍太郎は手を伸ばしたかったのである。

 

 しかし香織は彼の胸元に顔をうずめ、何も答えない。一緒に置かれている手はより震えを増しており、不安に苛まれていることだけはわかった。何もできない自身への苛立ちを感じながらも龍太郎は香織に言葉をかけていく。諦めてたまるか、と。絶対に言わせてやる、と考えながら。

 

「頼む、言ってくれ。俺じゃ駄目なのか? 俺じゃあ信用出来ないってのか?」

 

「――違う!」

 

 そこで香織が大声を上げる。突然のことに龍太郎も少し驚くも、今を逃してはならないとばかりに香織を軽く引き離し、瞳を潤ませた彼女を見据える。

 

「違う、違うの……龍太郎くんが悪いんじゃないの。悪いのは、悪いのは全部私、だから……」

 

 自嘲するようにつぶやく香織の顔を見て龍太郎は自責の念に駆られた。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ、と。どうしてコイツをこんな顔にさせちまったんだ、と。

 

「お前の何が悪いってんだよ。香織、お前はお前なりに――」

 

「頑張ったよ。うん。龍太郎くんの言う通り、頑張った。その、つもりだった……」

 

 一筋の涙が頬を伝い、心底苦しそうに香織はつぶやく。

 

「少しでも龍太郎くんの、皆の力になれるように、っていっぱい訓練もしたし、実戦も怖くて嫌だったけど我慢してたよ」

 

 乾いた笑みを浮かべながら語る彼女の様子はあまりに痛ましく、龍太郎はそんな顔をする少女から目を離せずにいた。

 

「ここに来たのだってちゃんと覚悟して来たはずだったし、これが恵里ちゃんのためにもなるって信じてた。お家に帰るって言ったのも覚えてるし今でも本気だよ。でも、でもね……」

 

 不安に揺れた瞳からまた涙がこぼれる。しゃくりあげる香織を見て胸が痛むのを堪えながら龍太郎は言葉をかけようとする。

 

「だったら――」

 

「でも、でも!!……怖かったの。私は本当に力になれてるのか、不安で」

 

 だが香織は髪の毛を振り乱しながら叫び……静かに胸の内を明かした。

 

「私ね、辛かったんだ。皆の……龍太郎くんの力になりたいって思ってたのに、私なんにも出来てない。バリアを張っても誰も守れない。傷を治すのも私の力じゃ足りない。ハジメ君が見つけてくれた神水の方がよっぽど私より役に立ってるぐらいだもの……私、治癒師なのに、皆を治す力があるのに」

 

「香織……」

 

 あまりに痛ましい叫びに龍太郎も胸が苦しくなっていく。ここに来てからずっと感じていたであろう無力感が何にでも突き進む少女をこうさせてしまったのだとようやく気付き、胸がズキズキと痛み、頭がどうにかなりそうであった。

 

「それにね、やっと気づけたんだ。私、ずっと龍太郎くんのことを自分の都合で振り回しちゃってた、って。恵里ちゃんが、三人が傷つくのを見たくないから、別れるのが嫌だからって、龍太郎くんを巻き込んで、それで……」

 

 一層嗚咽が強くなり、その細い体に震えが走っていく。

 

 香織ならきっと大丈夫だという無責任な信頼がここまで追い詰めてしまったと龍太郎は思い、本気で後悔する。自分は一体何を見ていたんだ? 光輝と喧嘩した時と何一つ変わってないじゃないか、とただただ自分を責めたくなる。だが龍太郎はそれを選ばなかった。

 

「ダメ、だよね……こんな、こんな私が……わたし、が……りゅうたろうくんを――」

 

 自分の言葉で自分を傷つける少女を龍太郎は無言で抱きしめた。これ以上何も言わせない、絶対に苦しませないと決意して強く、強く抱きしめる。

 

「痛っ、痛い、よ……龍太郎くん……」

 

「……悪い。やり過ぎた。でもな、これ以上は言わせねぇぞ」

 

 痛みに悶え、顔をしかめる香織を見て慌てて力を緩めるも、彼女を抱きしめたまま離さない。少しでも体を震わせるこの少女の力になりたいと言葉を投げかけていく。

 

「……それって、それってやっぱり迷惑だったんだよね? 私なんて、私なんてやっぱり――」

 

「違ぇ。最後まで話を聞け――もう自分を責めるな。俺はお前が来てくれて良かったと思ってんだよ、香織」

 

 その言葉で香織の体の震えが一瞬だけ止まった。だがまたすぐに震えだし、その言葉を信じられないと彼から離れようともがこうとするも、龍太郎は決して逃しはしなかった。

 

「――! で、でもそんなの……そんなことないよ! 私、何も出来てないよ? 何もやれてないよ? だから、だから……」

 

「だったら何であの時、狼相手にケンカ売ったんだよ。何もできない、って本気で諦めてるような奴があんなことやれるか、ってんだ」

 

 逃げようと身をよじる香織に龍太郎は言葉を紡いでいく。自分の言葉が届くように、思いが届くように、と。

 

「でも、でも逃げろって言ったよ! それって、私が……私が役に立てないからじゃないの!?」

 

「んなワケあるか!!」

 

 それでもなおウダウダ言う駄々っ子を龍太郎は一言で黙らせた。

 

「う、うぅ……」

 

 ……こちらを見てきた少女の顔が恐怖に震えている辺り、怒りに任せてやり過ぎてしまった。そのことで髪をかきむしりたくなったものの、龍太郎は震える少女に更に自身の思いを伝えていく。

 

「……そういう意味で言ったんじゃねぇよ。俺が惚れた女が傷つくのが見たくなかっただけなんだ。ただそれだけだ」

 

「――えっ?」

 

 幼い頃からずっと抱いてきた思いを口にすると、次から次へと言いたいことが洪水のようにあふれてくる。驚きで目を見開いた少女を見て、龍太郎の中でブレーキが壊れる。

 

「大体、俺を振り回してんのはいつものことだろうが。今更その程度屁でもねぇし、それに気づいたぐらいで何ビビッてやがる。本気で嫌ならとっくの昔にこちとらキレてんだよ。ナメんな」

 

「え? えっ? ほ、惚れた、ってその……えぇっ!?」

 

「香織、お前がああして立ち向かったあん時はな、俺は一層惚れ直したんだぞ。俺が好きになった女はこんなに度胸があっていい女だったんだ、ってな」

 

「ね、ねぇ、その……惚れた、って、その……私のこと、女の子として、好きってこと……?」

 

「あぁそうだ。それで合ってる……ったく、ちゃんと言っときゃこんなやきもきしないで済んでたな絶対」

 

 悲しみに満ちていた彼女の表情が段々と喜色で染まっていく。それを見てとっとと言っちまえばよかった、と気の抜ける思いをしながらも龍太郎はつらつらと香織への思いを吐き出していく。

 

「香織、お前が好きだ。友達じゃなくて一人の男として、一人の女性としてお前が欲しいんだよ。光輝と雫、ハジメと恵里と鈴みたいな関係になりたいんだ」

 

「……ふぇ?」

 

「お前がどう思ってるかはわかんねぇ。でもな、俺は……俺はずっとずっと昔からお前のことをずっと思ってたんだよ。ずっとお前と一緒にいたい。お前とそういう関係になりたいんだ、って」

 

 生の思いをぶつけ終えると香織の瞳は涙で揺れていた。幾度もうめき声を上げ、言葉にならない言葉を何度も何度も漏らす様を見た龍太郎は『やっぱりフラれるのかもなぁ』と理由の分からない諦めに襲われる。そうしてしばらくすると、香織もまた少しずつ言葉を吐き出し始めた。

 

「私ね、不安だったんだ」

 

「何がだよ」

 

「重荷に……私が皆の、龍太郎くんの重荷にしかなってないんじゃないかって思ってたから」

 

 龍太郎の問いかけに答えを返すと、香織のほほを一筋の涙が伝った。

 

「私だけなんにも出来なかったのが悔しくて、龍太郎くんや皆が苦しんでたのにちゃんと助けることも出来なくて……皆と一緒に地球に帰るって約束しても、私に何が出来たのかな、って……」

 

 ぽつぽつと自分の中にあった不安をこぼしていく内に目元から何度も涙がこぼれては地面へと落ちる。

 

 体はより震えを増し、しゃくりあげながら心の中を香織は更に吐き出していく。

 

「こんな……こんな私が、一緒に……一緒でいいのかな、って。やっと、やっと私……わたし、じぶんの、じぶんのきもちがわかったのに……」

 

 嗚咽を漏らしながら香織は龍太郎に抱き着いて涙を流す。龍太郎もハジメや光輝だったらこんな時どうしただろうかと考え……香織の頭に手を置いてそっとなでた。

 

「やっと……やっとわたし……ぐすっ……りゅうたろうくんが、りゅうたろうくんがすきだ、って……おんなのことして……ひっく……ずっと、ずっとすきだったんだ、って……でも、でも……えぐっ……わたしが……わたしがすきに……すきになっていいのかなって……りゅうたろうくんのじゃまになるのが……じゃまになるのは、いやだったの……」

 

 ようやく聞けた香織の本音に龍太郎は『そうか』、『あぁ』と相槌を打ち、頭をなで続けながら腕に回す力を少しだけ強くした。

 

「すきで……すきでいいんだよね? ひっく……わたし……わたし、りゅうたろうくんと、りゅうたろうくんといっしょになっていいんだよね……?」

 

「あぁ、当たり前だろうが。お前がそばにいてくれなきゃ困るんだよ。お前にずっと隣にいてほしいんだよ――香織」

 

 嗚咽を漏らす彼女の体を一旦引き離し、泣きじゃくる香織の目を見ながら龍太郎はそう告げる。

 

「――しんじて、いいの?」

 

「俺を信じろ。信じてくれ……言葉じゃ、足りねぇんだったら――」

 

 不安と期待のこもったまなざしを向けられ、他に何かないかと考えた龍太郎は――ハジメと光輝の真似をした。

 

「――!!!」

 

 香織のあごに手を添え、軽く持ち上げて唇同士を触れ合わせた。目の前の少女の赤い瞳は大きく見開き、とめどなく涙がこぼれ落ちていく。

 

「……これで、わか――ん、んぅっ!?」

 

「ん――ちゅ、んむ……はむっ……」

 

 触れ合ったのはほんの一瞬。しかし香織は龍太郎の首に腕を回し、幸せな時間をもう一度とねだってきた。

 

 体を密着させ、舌を絡ませ、そのまま一つに溶け合うかのように熱く情熱を口の中で()わす。

 

「ちゅ……んぅ……りゅうたろう、くん……!」

 

「ぁむっ……ふ、ぅぁ……か、おり……!!」

 

 二人にはもう互いのことしか見えておらず、ただ本能に突き動かれるままにお互いの唇を貪り合っていく。

 

 もう焦りと不安に駆られた少女の目に憂いは無く、少女を欲し続けた少年の心に迷いは無い。この広く薄暗い空間で淫らな音を響かせながら、二人は幼い頃から育み続けた愛をぶつけ合っていく。

 

「すき……だいすき、りゅうたろうくん……んぅ……」

 

「かおり……かおり、かおり!……むぅ……ふぅ」

 

 ただ獣のように。高まりあう互いの体温を感じながら、幼少からの思いが劣情となってもなお続けていく。今この時だけは獣になった二匹は互いを求め、脳も心も甘く蕩けさせていく――。

 

 

 

 

 

「……ぷはっ。なぁ、香織。そろそろ止めねぇと、その……もう、我慢が出来なくなっちまう」

 

「……はぁっ。ガマン、しなくていいよ? 龍太郎くんのしたいこと、何でもしようよ? キスでも何でも、ね? しよ?」

 

 熱情で潤んだ瞳を互いに向けあいながら龍太郎は香織にそう伝えるも、当の香織は妖艶さを感じさせる笑みを見せながらその先を求める。蠱惑する目の前の『女』の姿に生唾を飲みながら、龍太郎は香織の胸元と自分の下半身に一度ずつ視線を向ける。

 

「お前――ホントに、いいんだな?」

 

「うん。何でもいいよ?……おっぱい、触る? だったら――」

 

 ゆっくりと後ろに手を回し、ブラジャーのホックを外して胸を開放させると香織は龍太郎の手を取って自分の胸元へと持っていこうとする。

 

「お、おい香織……い、いいのか?」

 

「うん、好きにしていいんだよ? それとも――エッチなこと、しちゃう?」

 

「……ぉぅ。したい」

 

 柔らかげに揺れる胸を龍太郎は凝視していたものの、そこから更に踏み込んでくる香織にクラクラしながらも龍太郎はそれにうなずいた。そして香織は掴んでいた龍太郎の手を服のすそへと持っていき、視線でそこから先をねだると、龍太郎は息を荒げながら彼女の服に手をかけようとし――。

 

「なにボクの前で(サカ)ってくれてんの二人とも。はっ倒すよ」

 

 ――心底苛立った恵里の声で一緒に正気に戻った。

 

 動きをピタリと止め、その後さび付いた機械が動くかのように首を動かして声のする方を見やれば全員がこちらを見ていた……ようやく二人は自分達のやりとりを見られていたことに気付けたのである。

 

「「……見た?」」

 

「ボクはついさっきからだけどね。ボクだってハジメくんとそこまでは最近やってないし、それ以上はまだなんだよ。ズルいじゃないか」

 

「鈴も同じ辺りで……ねぇ恵里、それただの八つ当たりだよ? 落ち着いてってば。でも、まぁその……おめでとうっていうかお疲れ様、かな。龍太郎君」

 

「エリ、アンタそれただの逆恨みじゃないの……わ、私はその……二人が初めてき、キスをした辺りから……」

 

「あ、うん……私も、優花っちと同じ、ぐらい……お、おめでと。龍太郎っち、香織っち」

 

「ぉ、ぉめでとぉ~二人とも……お、お米も無いからお赤飯たけ、たけ……炊けないけど、代わりに祝っておく、ね?」

 

「「~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!」」

 

 ()()()()()()の女子~ズから羞恥のこもった祝福やらねぎらい……一部妬みのこもった言葉をもらった龍太郎と香織の羞恥心が爆発した。

 

「恵里、いつか後で叶えてあげるからもうちょっとだけ我慢して……えっと、その、二人とも。おめでとう。やっと両想いになれたね」

 

「おうマジでおめでとうな龍太郎。それはそれとしてリア充ども全員爆発しろ」

 

「浩介ぇ、お前祝うのか妬むのかハッキリしろよ……ま、良かったな龍太郎。あと香織、お前焦らし過ぎだ」

 

「おーマジか。坂上と白崎、遂にくっついたんだな」

 

「知り合って一年経ってないのにこの達成感は何なんだろうな……ま、おめでとよ」

 

「野獣珍獣コンビがカップルになったかー……なぁ宮崎でも菅原でもどっちでもいいからよ、俺とつき合わねぇ?」

 

「やっとこさそこまで持っていけたな坂上……それはともかく独り身の俺らの前でおっ始めようとしたの許さねぇからな」

 

 そして追撃とばかりに男共も言ってきた。すさんだ目をしながら祝福と彼女持ちへの呪詛を吐いた浩介や、恨み辛みのこもった良樹の言葉も地味に効いたが、恵里をバックハグしながらハジメがちょっと恥ずかしがる感じで祝ってきたのが二人には一番キツかった。

 

 ちなみにナンパした信治は二人からゴミを見るような目で見られ、割と本気でショックだったのかしっかり頭を下げて謝った。

 

「え、えっと……わ、私は何も見てないから!! 本当だからね!!」

 

 そう言って両手で顔を隠しながら雫はそうコメントした……が、思いっきり指の間が空いており、恥ずかしさと好奇心、羞恥に満ちた瞳をこちらに向けている……ちなみに雫と浩介は香織が『違う!』と大声を上げた時から目を覚まして見ており、今の雫の脳内では自分と光輝がぐっちょぐちょのネッチョネチョになっているシーンが浮かんでいたりする。

 

「あ、あのな二人とも! そ、そういうのは場所を考えてやってくれ!! こ、こういうのはその……べ、ベッドの上とか、ムードのある状況で――うわぁああぁあぁあぁ何でもない何でもない!!!」

 

 そして幼馴染二人が一線を越えようとする様を見て頭がバグった光輝は突拍子もないことを言い出してその場でゴロゴロと転がり出した。

 

「何やってるんだお前らは……場所と時間と状況を考えろ、まったく。それと、やるんだったら壁に手をついて立ってやれ。その場でやったら体を痛めるぞ」

 

 そしてメルドの言葉で完全にトドメを刺された龍太郎と香織はそのまま卒倒する。二人とも全身を真っ赤に染め上げ、また龍太郎はそのシーンを妄想してしまって鼻血を垂らしながら倒れていた。

 

 ……この一件で雫と光輝は四馬鹿からムッツリ扱いを受け、龍太郎と香織はメルドを除く全員から“がっつりスケベ”と言われることになった。なお恵里達に関しては『コイツらまだ清い体なのか!?』と全員に驚かれ、メルドは六馬鹿からの評価が上がり、女子~ズから『いやメルドさんもTPO考えて発言してくれない?』と評価がそこそこ落ちたのであった。

 

 

 

 

 

「――それでは班分けはこれで行くとしよう。誰か質問はあるか?」

 

 あの後龍太郎と香織はすぐさまメルドに叩き起こされ、恵里の“静心”を三回かけられて強制的に復帰させられる。そしてそのまま今後の作戦会議を行い、これからの方針が決まった。

 

「……ちゃんと聞いてたか坂上、白崎」

 

「は、はいっ!!」

 

「はひっ! き、聞いてましゅた!!」

 

 ……なお、“静心”の効果で落ち着かされはしたものの、こうして会議中もあの時のことをちょくちょく思い出しては恥ずかしさと何とも言えない感じに二人は襲われていてあまり集中できてなかったりするが。龍太郎はともかく香織は嚙み嚙みだった。

 

「……色ボケしたいなら後でやってくれ白崎」

 

「う、うぅ……はぃぃ……」

 

 メルドに半目で見られて縮こまってしまう香織を見て、メルドと共にため息を吐きながら龍太郎はあることを尋ねた。

 

「とりあえず俺と香織、それとハジメ、恵里、鈴、浩介と幸利、それとメルドさんが同じグループになったのはわかるんすけど、でも、その……やっぱり固まって動いた方が全滅は――」

 

「“全滅”のリスクを考えればその通りだが、それ以外の問題も坊主が挙げただろう――恵里が述べてくれた方法が有効であれば話は別だが、俺達に残された時間は思っている以上に少ない可能性がある。やれることはやっておかねばな」

 

 そう。今回わざわざ班分けをしたのもちゃんとした理由があった。今自分達がいる場所がオルクス大迷宮の何階層目かが不明であることだ。

 

 四十七階層目まではマッピングがされているし、その地図も全てメルドが持っている。だが自分達は策略により二十階層でトラップにかかってしまい、六十五階層と思しき場所へと転移した。そこから三日ほど下って侵入したことを考えれば当然それより下であるのは間違いないが、そこからマッピングされている場所に戻るまでどれだけの日数がかかるかわからないのだ。

 

 迷宮の各階層は数キロ四方に及び、未知の階層では全てを探索しマッピングするのに数十人規模で半月から一ヶ月はかかるのが普通らしく、それを考慮すると未知の敵とのエンカウントに注意しながらも一つの階層をマッピングしながら上がっていくのは相当時間がかかる。そこでハジメがあることを憂いたのである。

 

「うん。マッピングだって相応の時間がかかるだろうし、その間壊血病にかかったら怖いからね」

 

 壊血病。三ヶ月~十二ヶ月における長期のビタミンCの不足によって発生する病気であり、粘膜の出血やそれに伴う歯の脱落、貧血などの諸症状に悩まされる代物だ。

 

 ビタミンCを摂取する手っ取り早い方法はやはり柑橘系の果物やトマトなどを食べることだが、生憎ここは鉱脈を掘って出来ているらしい大迷宮。そういった植物が自生している可能性は絶望的なまでに低い。そのため、下手したら階層を三つ上がるだけで発症する可能性が出てくるのである。

 

「幸いこっちにはまだ神水があるけど、これだって出る量に限りがあるし、いつまで出るかわかったものじゃないしね。それに壊血病だけじゃなくて普通に栄養失調だって十分起こりえるしさ」

 

 そうでなくても食べるものが現状肉しかないためこういった問題も付きまとう。無くなった血すらも容易く補充してくれることも考えれば神水を飲めば栄養失調に陥ることも無いだろう。

 

 しかしいつまでも神水が出てくれるならいいのだが、そのことに言及した恵里はその可能性はないと見ており、それを今一度口にした。理由は前世の記憶だ。もし仮にそんなアイテムが無尽蔵にあったのなら過去のハジメが大盤振る舞いして自分達を圧倒していたであろうことは容易に想像がついたからだ……別に使わなくても倒せた、という心底泣きたくなる可能性もあったといえばあったがそれは考えないようにしている。

 

「僕が本来辿るはずだった未来のことを考えると、“纏雷”なら血液中の寄生虫もウィルスも無力化出来るかもしれないけれど……これ多分火を通すために焦げるまでやってただろうし、神水を飲み水代わりに使ってた可能性もあるからウィルスに関しては正直微妙かもね。それと“胃酸強化”があっても生の肉も生き血もちょっと……嫌でしょ?」

 

 そこでハジメが口にしたことに全員が首を縦に振った……何せ壊血病含む栄養失調の解決方法が『“纏雷”で通電した魔物の生肉を食べるか生き血を飲むこと』なのだから。流石にこれはメルドも恵里も、そして提示したハジメであっても難色を示している。

 

 ――生物にとってビタミンは必須である。ならば当然生の血液の中にはビタミンCも含まれているはずである。そのため生き血そのものかそれが含まれる生肉が一番手っ取り早いビタミンの補給方法だが、それにはもちろん問題も存在する。寄生生物や未知のウィルスの存在だ。

 

 過去にトータスに転移した際に食事などで何か栄養を得られるものはないかと色々調べていた際、ハジメは生き血、それもすっぽんのものについて調べたことがあった。滋養強壮を得られるとよくテレビなどで宣伝されていることもあってこれは使えると思ったのだが、野生のすっぽんでは寄生虫や危険なウィルスが含まれていることも知った。養殖モノならばともかく、野生のものを摂取するのは危険であるとハジメは学習したのである。

 

 そして今回、“胃酸強化”という便利な技能があることを知ったものの、これが寄生虫や異世界のウィルスや細菌――ちなみにメルドにはごく微小の生物だと説明したものの、ピンとはきてない様子であった――にどこまで有効かは不明だ。

 

 そこでハジメは“纏雷”でどうにかする方法を考えたのだが、ここで自分が本来辿ってた可能性を思い出して迷ってしまった。おそらくその未来の自分も魔法の適性がからっきしであったことを踏まえると、水を出すために馬鹿みたいに大きい魔法陣を作るぐらいならおそらく神水を飲んでたかもしれない、と。そうなると“纏雷”の効果は未知数であるため、二の足を踏んだのである。

 

「……とはいっても方法があるに越したことはない。病気にかかったとしても神水があるだろう? これを服用すれば病とてどうにかなるはずだ。お前達が無理なら俺が試す」

 

 とそこでメルドが自ら実験台に立候補する。それを見た全員が歴戦の猛者が不調になって倒れたら困ると本気で説得に移った。

 

「いやいやいや!? ここでメルドさんが倒れたらマズいですってば!?」

 

「そうですよ! メルドさんがいないと私達瓦解しかねませんってば!!」

 

「ええい、ゴネるんだったらお前達の誰でもいいからやれ!! やりたくないから俺が責任を持つと言ってるんだろうが!」

 

 そこでやいのやいのと話し合い、公平にじゃんけんで勝負を決めることに。その結果――。

 

「うぅ……負けちゃったぁ~」

 

「ごめんね妙子ちゃん。私、流石に負けたくなかったの……!」

 

 妙子と香織が最後の二人となり、八度に及ぶあいこの果てに香織が勝利をもぎ取ったのである。ちょくちょく健康状態を尋ねることと無理をさせないことを大前提として、妙子は実験台として頑張ってもらうこととなった。

 

「とりあえず妙子には色々頑張ってもらうけど……それでもマッピングをするのはちょっと怖いね。二尾狼なら数次第でどうにかなるけど、蹴りウサギはね。それに他にも魔物がいるかもしれないし」

 

「そうだな。まぁ最悪ハジメの錬成や俺の土系魔法で穴を掘って移動しながら探せばいいんだろうが、どこら辺までが下の階の天井かわかんねぇもんな。後、気づかれたら逃げ場もねぇし」

 

 鈴の言葉に浩介も同意し、地下通路を作って進めばどうかと考えるも、下の階層の天井がどれぐらいで崩落するかがわからない。それに魔物が地下にいる自分達の気配に気づいたらマトモに逃げられずに死ぬ可能性もある。簡単かつ安全とはそう易々とはいかないものであった。

 

「……わかりました。なら俺はこれ以上何も言いません」

 

「わ、私も……よろしくね。恵里ちゃん、鈴ちゃん、ハジメ君、浩介君と幸利君――それから、龍太郎くんも」

 

 龍太郎も納得を示し、香織も続いてうなずくと同じ班になった面々に改めて頭を下げ――そして最後に龍太郎を見た。

 

 そのまなざしからもう卑屈さは感じられない。龍太郎に対する曇りなき信頼と彼への恋慕がそこにあった。

 

「よし――とはいえそれはまだまだ先の話だ。最悪階段までの道のりさえわかればいい。そのためにもお前たちの“気配探知”が、力が必要だ。頼むぞ」

 

 そう告げるメルドに誰もがうなずいて返す。そのための班分けである、と。人数を減らしたことで戦闘での全滅のリスクは上昇したとしても、将来的なリスクを考えると今しかないと判断したのだ。

 

「今、将来の問題を見つめ続けても問題は解決してくれない。だが、今から動けばそれにも十分対処出来るはずだ! さぁお前ら、今日も魔物を狩って、この階層をマッピングして、飯を作って食うぞ!!」

 

 おー! と全員で声を張り上げると、各々それぞれの班へと分かれて向かっていく。

 

 その際香織が差し出した手を握り、龍太郎は前にやった時とはまた違う温かみを感じながら恵里達と合流する――立ちはだかるものはすべて倒す。その決意を香織と共に抱きながら。




今の辺りじゃないと不自然になるので急遽ねじ込みました。香織が思いを吐露したり告白するとなるとここら辺でしょうからね。あ、それとまず間違いなく来ると思うので先回りして……
Q.大介達は一体何をやろうとしてたの? 入水自殺? 熱湯コマーシャル?
A.『蹴りウサギ』の技能と底が熱い巨大な水槽。あとは分かるな?

2022/3/15
修正しました。大筋は変わっておりません。


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三十六話 壁の砕き方はあり得た未来より知れ

まずは拙作を見てくださる皆様に多大な感謝を。
おかげさまでUAも90623、お気に入り件数も664件、しおりも271件、感想数も232件(2022/3/18 18:10現在)になりました。誠にありがとうございます。
遂にUAが90000に……相変わらず勢いがロクに衰えなくて怖い(ビビり並の感想)

そしてAitoyukiさん、KAZhiroさん、cronさん、拙作を評価及び再評価していただき本当にありがとうございます。こうして評価をいただけたことでまたモチベーションが上がりました。評価していただける皆様には頭が下がる思いです。

今回はちょっと長めになります。では本編をどうぞ。


 地球で言うところの兎に似た魔物――どこかの誰かに『蹴りウサギ』という妙な名前をつけられたそれは今日も縄張りを歩いていた。理由はもちろん食事のための狩りである。

 

 しかし、昨日から少し気配が増えたような減ったような何とも言えないものをこの蹴りウサギとやらは感じ取っており、いつもよりも慎重に足を運んでいた。

 

 そこでふと、蹴りウサギは妙な気配を感じ取った。獲物の気配だ。それもよく狩るあの魔物(二尾狼)のように方々に散ってこちらをうかがっている。岩陰から見える体の一部とあまり感じ取れない臭いに警戒しながらも、蹴りウサギはゆっくりと近づいていく。

 

 昨日はあまり食事にありつけず、この魔物はいくらか腹を空かせていた。そのため足に力を入れて一気に踏み込んだり、空中を駆け抜けることもしなかった。何せ腹が減るのだ。だが幸いにも気配は八つ。それだけあればある程度腹は満たせるだろう。この階層の主に見つからないことを祈りながら魔物は徐々に近づいていく。

 

 ――魔物にもし考える頭があったなら、この時慎重になってしまったことと後先を考えたことを心底悔いただろう。

 

「“縛魂”」

 

 顔と思しき部位を出した生き物から聞きなれない鳴き声が耳に届く。その途端、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。魔物はその場でピタリと足を止め、その声が届くのをじっと待つ。

 

「……よし。じゃあ右手上げて」

 

 その声が聞こえた途端、魔物は右の前足を上げた。威嚇なのか怯えなのかどういった種類の鳴き声かも魔物にはわからない。なのに自然と理解し、従ってしまう。その声に抗えない。次は何をするのだろうと魔物はただただじっと待つばかりであった。

 

「よぉし。じゃあ次は左手上げて。耳を両手でかいて。三回回ってバンザーイ」

 

 そして次々と出された鳴き声の通りに魔物は動く。鳴き声の意味も意図もわからないが、それに抵抗出来ない。その後鳴き声の主は体を出してこっちに来たがどうしても()()()()()()()()。近くに寄られて顔や腹をなでられたり、何度もその生き物が鳴き声を出していたが、魔物は声の主に従うばかり。どこかで『サルマワシダ』という鳴き声が聞こえたが、その意味はついぞわからなかった。

 

「くふ、ふふ、アッハハハハ!……じゃぁウサちゃ~ん、そのままここでじっとしてよっかぁ~」

 

 程なくして『ウサちゃん』と呼ばれた魔物はその声の主の鳴き声に反応し、腹を出して寝ころんだままの状態で動くのをやめた――今この場で何もせずに駆け足で離れていっているこの生き物の意図は何一つわからない。だが、それの鳴き声を聞くとひどく()()()()のだ。もっと聞きたいと心の底から思ってしまうのだ。

 

「キュ?――ギュゥゥゥゥゥウウウゥウゥゥ!?」

 

 そう考えていた魔物であったがこの階層の主のように後ろの二本足で立つ何かがこちらに近づいた瞬間、激痛と共に目の前が真っ赤に染まった。目が、見えなくなってしまった。

 

「ダメダメぇ~、動いちゃダメだよぉ~。じっとしててねぇ~」

 

 ああ、まただ。あの声が耳に届いただけで何故かそれに従いたくなってしまう。痛いのに、苦しいのに、すぐにでも逃げたいのに――ただ、()()()()()()。それが正しいと思ってしまう。魔物は悲鳴を上げるだけで、今ケタケタと笑っている声の主の鳴き声を待ちわびるばかりであった。

 

「ここに来る前に似たようなことはやってたし、その時はすごいって思ってたけど……なんだろう。この、すっごい罪悪感が……安全なのはわかるんだけれど」

 

「やっぱり恵里が怖い。ハジメくんに向けてる愛のひとかけらでもいいからここの魔物にも向けてあげられない?……これから仕留める側が言う言葉じゃないけど」

 

「親友の恋人の一人が魔王な件について」

 

「……怪我しないに越したことはねぇけどよ、こういうのは見てて気分のいいもんじゃねぇな」

 

「私、全然恵里ちゃんのことわかってなかった……ねぇ恵里ちゃん。もっと、もっと他になかったの? 兎さんかわいそうだよ?」

 

「恵里の能力は便利だし、狩りに本当に有用なんだが、その……惨いな。まぁこちらが食うためだ。文句は言えん」

 

「皆してもう……実験も兼ねてやってたんだし別にいいでしょ。まぁ余裕が出来たらペットにでもする? 意外と毛並みは良かったよ」

 

「お前ら俺に丸投げしてヒソヒソ話すんのやめてくんねぇかなぁ!? 誰でもいいから手伝――」

 

 群れの仲間と思しき無数の声に、魔物はそこから動かずにどうすれば助かるかと考えたが、ほどなくして新たな激痛と共に音さえ奪われた。

 

 視界は赤一色で何も見えず、自分が確かに声を上げているのに何も聞こえない。パニックを起こした魔物は()()()体を動かせることに気付き、そのまま逃げてしまおうとする――その瞬間、いくつもの細い何かが勢いよく体に這う感覚と共に地面に叩きつけられ、一瞬耳の中を何かがよぎったのを感じたと同時に意識は永遠の暗闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

「いやー、大量大量。ここの魔物でも“縛魂”が効く。しかも詠唱要らずでも問題ないってわかったし、ご飯もいっぱい確保できて一石二鳥。ちょーっと懸念は残るけれど十分、十分」

 

 今回実験を兼ねた狩りでおおむね満足出来る結果を得たことで、恵里は幾らか浮かれた気分で通路を歩いていた。

 

 『ここらの魔物は強いショックを与えると“縛魂”は解ける』という幾らか不安が残る結果ではあったものの、実験は成功。念のため気配を読み取りづらい浩介が接近して耳を串で貫き、その後逃げ出した蹴りウサギは鈴と香織の“縛印”で捕えられ、その後浩介が土系初級魔法である“岩刃”をツララのように細く鋭い形状で詠唱して耳の上から落として頭蓋骨ごと脳を砕いた。

 

 こうして食料となった蹴りウサギは今、ハジメが作ったソリの上に載っている……数ある成果の一つとして。

 

 蹴りウサギを仕留めた後、血の臭いをかぎ取ったのか四頭の二尾狼の群れが現れ、それをかすめ取ろうとしに襲い掛かってきたのである。もちろん返り討ちにしてやった。持っている魔力の半分近くを持っていかれるものの、増えた魔力のおかげで光属性の中級結界魔法“聖壁”を鈴と香織が張れるようになり、それで飛んでくる雷撃を防ぐことが出来るようになったことが大きい。

 

 そのおかげで全員大したケガもなく殴打や斬撃に錬成による生き埋め、消費を控えて詠唱した恵里の“邪纏”によるサポートなどでアッサリと倒せたのである。これまでの苦労は何だったのか、と言わんばかりの結果であった。

 

「そう、だね……」

 

「うん……ご飯、いっぱいだね」

 

 そんなご機嫌な恵里とは対照的にハジメと鈴すら苦笑いで返し、龍太郎ら他の仲間はちょっと離れたところから遠目に眺めているだけであった。香織に至っては龍太郎の後ろに隠れて彼の服のすそを指先でつまんでいるぐらいである。

 

 理由は簡単。二尾狼の群れを撃退した後、恵里が『“気配探知”で二尾狼の群れっぽい奴らの近くを通ってさ、死体を餌にご飯を増やそうよ』とニコニコしながら提案してきたからだ。これは流石に全員がドン引きしたものの、計五頭程度では全員の腹を満たすのは厳しいかもしれないと考えて承諾してしまったからである。

 

 もちろん光輝達のグループがかなりの成果を出す可能性だってあったが、それでもやらないよりはマシだろうと全員が考え、恵里の提案に従うことに。おかげでハジメが新たにソリを作るという嬉しい誤算はあったものの、成果は十三頭と三倍近くにまで登ったのである……恵里以外の全員が良心の呵責に軽く苛まれるのと引き換えに、だが。

 

「すっごく、すっごくかわいそうだったよ……この子達、必死になってご飯を食べようとしてただけなのに」

 

「やってることはミミズを使った魚釣りと変わんないじゃん。そこまで悪し様に言わないでよ香織ぃ~」

 

 いい気分だったのに水を差してきた香織にむくれる恵里だが、ハジメも鈴も恵里の擁護をしようとはしない。ただ黙って目をそらすだけであった。

 

「いや死体の山を魔物のいる何メートルも前に置いて、風属性の魔法で死体の臭い垂れ流しておびき寄せて、その後そいつらのいる通路ごと生き埋めにしやがったじゃねぇかよ。もっと質悪いわ」

 

「しかも俺らは壁の中に隠れた状態でな……安全圏から仕留めてたから罪悪感結構強ぇんだけど」

 

 幸利と浩介の反論にうー、と顔をしかめながら『ボク不機嫌です』とアピールするものの、流石に不味いと思ったハジメが恵里の頭を撫でながら投げやり気味に『お手柄だよ、恵里』と声をかけて機嫌を取るだけで誰も何も言わなかった。鈴でさえも二人の反論に乗っかって他のメンバーと一緒にうなずくぐらいである。

 

「まぁ、その……とりあえず、戻るぞ。いいな?」

 

 とはいえこのままだと無駄な時間を食うと考えたメルドに話を切り上げられ、恵里達はそのまま拠点へと向かう……途中また蹴りウサギと出くわしたが、それは恵里が闇系魔法を使う前に全員で叩きのめした。恵里以外かなり引きずっていた。

 

「メルドさん達が戻ったぞー!」

 

 そして既に誰かが空けて塞いだであろう壁をハジメが錬成で空け直し、全員が入ると同時に完璧に塞ぐ。二尾狼の皮を剝いでいた光輝は恵里達が戻ったのを確認すると、声を出して彼らの帰還を雫達に伝えた。

 

「メルドさん、お疲れ様でした。皆もお疲れ様……結構大量ね」

 

「うん。雫もお疲れ様……ねぇ雫、無理してないよね? 浩介君もそうだけど、偵察って結構神経使うだろうし、そういうのダメだよ?」

 

「ありがとう鈴。今はまだ大丈夫……それに、ここで無理でもして倒れたらそっちの方が一大事だわ」

 

 迎えに来た雫を鈴が軽口を言いながらも気遣い、雫もまたそれに答える。その時の表情は少しだけ強張っていたものの、目の動きからして嘘というよりは言うかどうか迷っている感じだと鈴は感じた。

 

「そっか……でもさ、雫。何かあったんでしょ? ちょっと迷ってる風に見えるけど。鈴なら相談に乗るから」

 

 そこで鈴は一歩踏み込んで雫に尋ねる。昔からの親友として、長い付き合い故に彼女の機微がわかる人間として胸に手を置いて語り掛ける。すると恵里も雫の迷いを見抜き、声をかけることにした。

 

「そうだね。何かに怯えてるみたいに見えるけど。もしかして新たな魔物でもいたの?」

 

 『新たな魔物』という単語にほんのわずかに目を大きく見開いたのを見た恵里は確信する。適当に言ってみたことが真実であり、その存在が自分達の脅威となるであろうことを。その場にいたハジメ達も真剣な眼差しで雫や光輝達を見つめると、彼らは途端に険しい顔を浮かべた。

 

「直接見たのは雫だけだ。ただ、その魔物の厄介さは今俺達が狩っている魔物とは段違いだって雫は言ってる――とりあえず詳しいことは食事の後にしないか? メルドさんも、いいですか?」

 

「わかった。よしお前ら、気になるのはわかるが食事が先だ! 早く聞きたきゃ手早く終わらせろ!!」

 

 光輝の提案に恵里達もメルドもうなずくと、すぐに調理に移った。

 

 向こうと合わせて合計二十一頭。それだけの量を捌くのは中々に骨が折れたものの、皮を剝ぐのに慣れているメルドや浩介、調理に関して手馴れている優花に恵里、ハジメ、鈴らの指示を受けながらある程度出来る面々が分担してやっていけばそう時間はかからずに終わった。今回も網焼きである。

 

「あ、大介お前! それ俺が食いたかった奴だぞ!!」

 

「ハッ、こういうのは早い者勝ちなんだよ! もーらい――って何してくれやがる浩介ぇ!!」

 

「俺だって好きに食いてーわ! 前々から気になってたんだよ――あ、蹴りウサギの肝臓割とマシだわ」

 

 全員の捌く技術が上がったおかげか、内臓の方もあまり傷つけることなく取り出せるようになっており、そのため食事の際に出せる量も増えた。また理由は不明だが蹴りウサギの肝臓は二尾狼のそれよりも脂がのってて肉以外の部位としては人気が高かったりする。

 

 今日もまた六馬鹿が少しでも美味いものを食べようと食卓で血で血を洗う戦いをやっていた。

 

「――何度言ったらわかるのかしら? 飯時ぐらい静かにしなさい。いいわね?」

 

「「「「「「アッハイ」」」」」」

 

 その騒ぎも今回も食堂の娘である優花がひと睨みして終わった。クレーマー相手には手馴れているせいか、威圧も様になっている。これに関しては誰もが一目置いていたりする。

 

「……塩、塩が欲しい。もっと皆に美味しいご飯を。どうして銃の材料はあるのに岩塩が一ミリもないの? なんで? なんで?」

 

「ハジメくん、ボクは気にしてないからね。大丈夫だからね。ね?」

 

「そうだよ。皆そういうのわかってるから。文句言うのは鈴達がどうにかするから。ね?」

 

 ……なお、恵里は鈴と一緒になってハジメをなだめていた。皆にちゃんとしたものを提供できなくて凝り性であるハジメが軽く食の暗黒面に堕ちそうになっていたからである。なお二人の言葉だけでは届かず、全員でなだめる羽目に遭った。七分潰れた。

 

 

 

 

 

「それで、お前達が出くわしたその熊型の魔物というのはどんなだったんだ?」

 

「はい、それは――」

 

 そして食事と後始末を終えると全員食事の際に使う岩で出来た椅子に座り、そのまま報告に移った。真っ先に対象になったのは雫の見た魔物のことであった。

 

 その雫曰く、元々は“気配操作”によって可能な限り気配を絶った状態でこの階層をマッピングしながら獲物を探していた時のことであった。物陰に隠れれば割と敵をやり過ごすのが簡単であったため、光輝達の班は雫の動きを見ながら後をついていくという形で動いていたそうだ。

 

 そこでふと、雫が件の魔物を目撃したとのことである。

 

 ここにいる他の魔物と同様に白い毛皮に赤黒い線が幾筋も走った熊のような体躯の魔物。ただ、二本足で立つそれの前足は太く、足元まで伸びており、またその前足には三十センチはありそうな鋭い爪が生えていた。

 

 その熊のような様相をした魔物――ハジメは爪熊と呼んだが、どうでもいいので誰も特に異議は出さなかった――は二尾狼の群れと相対しており、それも蹴りウサギ以上に一方的な戦い方……否、蹂躙していた。

 

「攻撃をよけたはずの二尾狼が袈裟懸けに真っ二つになってたり、あの蹴りウサギとは違うけれど軽いフットワークで雷撃もかわしてたわ……それとかなりの勢いで突っ込んで跳ね飛ばしたり、その爪で八つ裂きに……」

 

 語っていく毎に雫の顔が段々と青ざめていくのを見た光輝は彼女を後ろから抱きしめ『大丈夫』と耳元でささやいた。

 

「光輝……」

 

「もう大丈夫だ、雫……大丈夫、この場にはあの魔物はいないんだ。だから怖くないよ」

 

 ささやきながら光輝は雫の頭を撫でていくと、荒くなっていた息も少しずつ収まり、顔色も元のものに……むしろ少し血行が良くなっていった。瞳が潤みだしたところで我に返った雫はせき払いをしてから全員に向き直った。

 

「――コホン。正直、私の見立てだと正面戦闘じゃ誰かが死んでしまうかもしれない。やるんだったら罠にはめて倒したほうが安全ね。けれど……」

 

(うわー、めちゃくちゃヤバい奴がいたんじゃんか。軽率なことをして全員死なせるかもしれなかったなんて……反省しよう。ここは絶対侮っちゃいけない場所だ)

 

 先程の表情と今真剣に語る雫の様子を見て恵里は自分がひどく軽率なことをやってしまったと心の中で反省し、今自分に視線を向けてくるハジメ達に後でちゃんと謝ろうと考えていると、不意に信治がある疑問を口にした。

 

「ん……? そういや八重樫。ここらの魔物ってよ、あの狼の奴でも雷で簡単に壁をぶっ壊してきたし、ウサギの奴も蹴りか何かでブチ破ってきただろ? ってことは……」

 

「そうね、中野君の見立てた通りのことが起きてもおかしくはないわ。軽く生き埋めにした程度だとあの爪で岩ごと切り裂くでしょうし、下手したら壁の中にいてもそのまま切り刻まれるかもしれないわ……私達がいつも通路に捨ててるあの皮だって結構固いはずなのに、バターみたいに切っていたもの。マトモにやりあったら死にかねないわ」

 

 雫の言葉に誰もが言葉を失う。あまりに強い。今まで見かけなかった辺り個体数は少ないのだろうが、それぐらいしか慰めにならない。あまりに圧倒的な壁であった。

 

(気配を悟らせなきゃボクの“縛魂”で一発なんだけどな……とはいえ危ない橋を渡るのはダメだ。ハジメくんも鈴も皆も悲しむ。そうなると、他に方法は――あっ)

 

「――あっ! 皆、いい方法が浮かんだかも!」

 

 そうして恵里もどう対処すべきかと考えているとある事が閃き、また鈴も何か思いついたらしく手を挙げ、ハジメも同じく鈴とほぼ一緒に手を挙げた。そこで鈴と一緒にハジメの元へ向かい、浮かんだ案をそれぞれ話す。やはり三人とも一緒であり、そのことが無性に嬉しくてデレッデレになってしまう。

 

「……三人とも、何かいい案が浮かんだの? ハジメ君と鈴ちゃんもそうだけど、恵里ちゃんがすごいデレデレしてるし」

 

 そこで香織から声をかけられ、自分達より先にハジメが反応した。

 

「うん。多分これならいけると思う――皆、あの爪熊対策として銃を作りたいんだ。きっと僕が本来辿る未来だったらそうしてただろうから」

 

 その一言に光輝達はあっけにとられたような心地となった。異世界に転移したら日本刀に次いで作るであろう武器の銃をここで作ると述べたからである。

 

「確かにそれなら……材料はあると聞いたけど、作れるのかハジメ?」

 

「うん。知識はあっても経験が無いから相当の試行錯誤を繰り返すことになるだろうけど、それでもやるよ……本当なら皆の武器を新調した方がいいんだろうけどね」

 

 光輝からの問いかけにハジメは力強く答える。彼の横顔から困難に立ち向かう意志と皆を守らんとする思いが見えて惚れ直しそうになった……はいいが、『皆の武器を新調』という単語に恵里も鈴も凍り付いた。ハジメの事だけしか頭になくて他の皆のことを考えるのを忘れていたからだ。思わず大量の脂汗を流し、彼のフォローをしようと思っていた恵里と鈴の勢いが一気にしぼむ。

 

「だ、大丈夫……ぼ、ボクもハジメくんのサポートに回るつもりだし、なんでもやるから……」

 

「す、鈴もやるよ……? 多分錬成で作るんだろうし、そ、それなら鈴の“天恵”で魔力を回復できるから……役に立てる、よ?」

 

「……相変わらずね二人とも。ハジメ君のことになると周りが見えなくなるの」

 

 思いっきり目をそらしながら言う二人の姿を見て誰もが察し、ハジメを除く全員が呆れた様子で二人を見る。そこで追い打ちとばかりに雫が目を伏せて額に手を当てながらつぶやけば、二人は『ごめんなさい』と消え入りそうな声で全員にわびる。

 

「二人の気持ちは嬉しいから。ね?」

 

 そんなひどくいたたまれない様子の二人を見て苦笑したハジメは、二人に声をかけて頭を撫で、よしよしと幼子をあやすようにしてしばらくなだめていた。恋人(保護者)は大変だな、と当事者以外が思っていると、ハジメが一度せき払いをしてから真剣な表情に戻して再度訴えてきた。

 

「コホン……皆に改めてお願いします。僕に銃を作らせてください」

 

 そう言って真摯な態度で頭を下げるハジメを見た光輝達ももう何も言わない。長い間育んだ友情が、絆が、彼ならやれるという確信を導いたからだ。

 

 大介達もなんとなくやれそうという予感していたが、光輝の様子を見て確信に変わった。だから期待に満ちた目で見ている……あわよくば自分達にも融通してもらえれば、という欲望に満ちた目で。なおいつの間にか立ち直った恵里と鈴が真意を看破し、冷たい眼差しを向けてきたため即座に目をそらした。

 

「……とりあえず、坊主の言う“じゅう”という奴があればどうにか解決できるということはわかった。となればその作成にすぐにでも移ってもらいたいところだが、まずはどういったものか説明を頼む」

 

「あ、はい。銃というのは――」

 

 ただ、メルドは“銃”という概念を知らないため、判断しかねていた。光輝達の様子を見れば彼らの世界にある道具の一つで、信頼するに足る代物らしいというのはわかったものの、メルドからすれば一体どういったものか皆目見当がつかない。そのため説明を求めると、メルドが知らないことを失念していたハジメが簡単な説明を始めた。

 

 小さい金属の塊をもの凄い速さで撃ち出す道具であり、魔法の適性のない自分でも簡単に扱える兵器である、と。しかしその説明を受けたメルドの表情はあまり浮かないものであった。

 

「――聞いた限りでは適性のないお前でも使える魔法、といった感じだな。それが本当に有効なのか? 中野や宮崎、斎藤ら術師である三人を鍛えて遠くから魔法を撃ち続ける方が勝率は高いように思えるが……どうなんだ?」

 

「……今まで銃というものを知らなかったメルドさんに信じてほしい、と言っても無理かもしれません。けれどお願いします。僕にやらせてください」

 

 そう真剣な眼差しで問いかけるメルドにハジメは気圧されることなく彼の目を見ながら自分の意思を伝える。

 

「……お願いします。ハジメくんを、信じてあげてください」

 

「メルドさんお願いします。絶対に後悔させませんから」

 

 ハジメに続いて恵里と鈴も頭を下げる。ハジメと一緒にオタクの道にのめり込み、またトータス会議をした際に改めて銃の凄さを理解したからこそこれならきっと勝てるという確信が二人にはあった。それに何より恵里はハジメが使っていた銃の凄まじさを実際に見たことがあるのだ。あの威力を、速さを知っているからこそその自信は揺るがない。故に愛しい人のために頭を下げることにためらいなんてなかった。

 

 そして光輝達も遅れてメルドに向けて頭を下げ、それを見たメルドも思わずため息を吐くしかなかった。

 

「……お前達の意思はわかった。やれるな?」

 

「はいっ! ただ、さっきも言いましたけれど、知識はあっても実際に作ったことは無いんです。なので一から試行錯誤していかないといけないんで時間がかかるかもしれません」

 

 メルドからの問いかけにハジメも緊張しながらもそれに答える。するとメルドは改めてハジメの顔を見て、改めて指示を下す。

 

「――よし。なら坊主はソレの製作に移れ!! 食事の当番も完成までは免除だ! 必要な人員や材料がいるならすぐに言え! 俺達で全力でサポートするぞ!!」

 

「はいっ、わかりました!」

 

 不安こそ見られたものの、それに匹敵するほどの意志の強さをハジメの表情から感じ取った。故にメルドは号令を下す。こう動くことが現状打破につながると信じて。それにハジメが返事をした後、今度は龍太郎と幸利が手を挙げた。

 

「あ、龍太郎。お前が先でいいぞ」

 

「いいのか幸利? 悪いな……それでなんですけど、メルドさん。俺達もハジメが銃を作っている間、アイツの手伝いをやってる奴以外の全員が手に入れた技能を完璧にマスター出来るよう練習しようと思ってるんだけどいいだろうか?」

 

 龍太郎が述べてきたのは新たに増えた技能の習熟のための訓練の提案であった。というのもハジメが銃を作っている間暇になりかねないのと、彼だけに事態の打開すべてを任せることに抵抗があったからだ。自分達にも何かできないか、と考え、そこで思いついたのがこの提案であった。

 

「技能を使うと腹が減るけどよ、慎重にやればこうして満足いくまで飯をかき集められるようになったし、これから先何が起きるかわかんねぇからよ。ここらで使いこなせるようになりたい。ダメ、か?」

 

 そう龍太郎が述べると誰もが口々に『確かに』、『どうせあるんだから使いこなせなきゃもったいない』と言い、龍太郎の背を押した。龍太郎の言葉にメルドもうなずいていると、幸利もそれに乗っかる形で話を切り出してきた。

 

「俺の意見も龍太郎と同じだ。ただな……大介、つーかお前ら。俺らの教官、やってくれねぇか?」

 

 そう幸利が言えば、大介ら四人は思わず真剣な顔つきになった。確かに技能の実験をやったことがあったとはいえ、それを完全に使いこなせているかといえばノーであった。使う度に空腹になるというデメリットを無視することは出来なかったからだ。

 

「いや、その……いいのか? 確かに今ある技能は大体使えるようにはなったけどよ……腹が減るからそんなに試したことはないぜ?」

 

 そのことを大介は少し自信なさげに話し、礼一達もまた本当に自分達に勤まるのだろうかといささか不安な様子であった。

 

「だったら問題ねぇな。多少であっても使えるのと、一切使えないのとじゃ全然違うだろうがよ。こっから上に戻るにしたってここよりマシなだけで強い敵はわんさかいるだろうしな。そうなると使える手札は多い方がいい――頼む、この通りだ」

 

 そう言いながら幸利は頭を下げる。一年に満たないつき合いながらも彼らのことは幸利なりにわかっていたつもりであった。自分達の手に負えないような時はアッサリと尻尾を巻いて逃げるような彼らの性分だからこそ、自分達の手に余るのではないかと考えていたのだろうと。

 

 だが、彼らが技能を使って遊んでいた時のことを幸利は覚えている――笑っていたのだ。こんな極限の状況下でも心の底から楽しみながら、それも器用に扱いながら彼らはいつものようにふざけあっていたのだ。だから信頼出来る、と。

 

「幸利が言うんだったら大丈夫だな。檜山、近藤、中野、齋藤、頼む。やってくれないか?」

 

 幸利が頭を下げたのに続いて龍太郎もそうする。それを見た四人は一度顔を合わせると、メルドの方に視線を向ける。するとメルドも口を開いた。

 

「お前達と親しい清水と坂上がこうして頭を下げているんだ。俺からはそのことには文句は言えん。こちらも“胃酸強化”ぐらいしかちゃんと把握してはいないしな。レクチャーを頼めるだろうか?」

 

「えっと……いいんスか? 俺らそういう経験全然ないし……」

 

 四人としても流石にメルドを差し置いて教えることに抵抗があったし、上手くやれるのかという不安もあったのだが、そのメルドは不敵な笑みを浮かべながらそれに返答する。

 

「それなら一切の問題はないな。教官としての経験を積んでいる俺が、お前達から教わるかたわらで仕込むだけだ――さて、言質はとったぞ?」

 

 そのメルドの言葉に大介達はうへぇと苦い顔を浮かべたものの、それを断ろうという気は一切起きず、少しの間を置いて『お手柔らかに頼みます……』と四人そろって言った。数秒のどよめきの後、場はにわかに沸いた。

 

 これで自分達ももっと強くなれる、もっと皆の役に立てると思えたからだ。まだ日は浅いものの、こうして苦境を共に過ごす経験を過ごしたことで彼らの中の結びつきは強くなっていた。それ故仲間を守る力を得ることに誰もが意欲的になっていたのである。

 

「ならこの報告会が終わったら坊主と声をかけた奴らは武器の製作に、他の面々は技能の習熟のための訓練に移れ! いいな!!」

 

 メルドの問いかけに誰もが『はい!』と元気よく返事をし、それに満足げにうなずいたメルドはハジメの方を向いた。

 

「坊主、必要な人員は決まったか?」

 

「は、はいっ! 錬成で作るんで魔力を回復出来る“天恵”が使える鈴と香織さん、それと恵里にも闇魔法でサポートしてもらいたいので残ってもらいたいです」

 

「わかった――では先の三名は坊主の手伝いを頼む。それと檜山、近藤、中野、斎藤。ひとまずはお前らにやらせようと思っているが、もし指導が難しいなら俺を頼れ、いいな?」

 

 その言葉に大介らはうなずく――かくして新たに立ちはだかった壁を超えるため話し合いが終わったのであった。

 

 ……なお、雫の話が終わった後、恵里達の班もかなり気まずかったものの、自分達のことを話した。その後光輝達からうろんな目を向けられ、雫から割と本気の軽蔑の眼差しを食らった。流石に恵里も泣きたくなり、『止められなかった僕にも責任がある』と言ったハジメと一緒に土下座して許してもらった。

 

 

 

 

 

「よし、ではこれより“じゅう”の制作と技能の訓練とに別れるぞ。各自、指定された場所に移れ!」

 

 そしてメルドの号令と共に恵里含めた四人以外は移動を開始する。香織は龍太郎に向かって手を振って声をかけた。

 

「いってらっしゃい、龍太郎くん」

 

「お、おう……行ってくる」

 

 龍太郎も恥ずかしげに手を何度か振り返すと、顔が赤くなってるのを隠すようにすぐに振り向き、既に大部屋の中央まで移動していた班の皆のところへと向かった。

 

 そして龍太郎への冷やかしやメルドが喝を入れ、その後訓練を開始する旨の発言を聞きながらハジメは恵里達に向き合ってお願いをする。

 

「じゃあ改めて……鈴と香織さんは僕の魔力がなくなったら“天恵”を使って回復をお願い。それと恵里。恵里には闇系統の魔法で集中力を増すものがあればかけて欲しい。一つでもどこかがダメだったらその途端に危険になるかもしれないから、部品を正確に作れるようになりたいんだ。お願い」

 

 そうハジメから頼まれると、恵里の顔が自然とにやけた。大好きな相手からこうして頼まれたのだ。嬉しくならないはずなんてなかった。

 

「うん!! そういうのないけどすぐに作るよ! 待っててねハジメくん!!」

 

 花が咲いたような笑顔でそれに答え、喜びのあまり恵里はハジメに抱きつく。目を細めながら彼の胸板に頬ずりすると、ハジメの方も『頼りにしてるよ』と答えながら恵里の頭を撫でた。

 

「……ねぇハジメくん。鈴は?」

 

「もちろん頼りにしてるよ。香織さん共々ね」

 

 そこで香織の名前が出てくるのは少し不満ではあったものの、恵里と求められていることが違うというのはわかっていたし、ちゃんと必要とされているのは嬉しくあった。そこで無言でハジメの下へ行くと、鈴は彼の後ろから抱き着いた。

 

「……鈴が一番ハジメくんの役に立ってみせるから。恵里には負けないよ」

 

「へぇ~……自信満々に言うじゃんか。悪いけど勝ちなんて譲ってあげない」

 

「じゃあ奪えばいいだけだね。吠え面かかせてあげる」

 

 そしていつものように口げんかを始め、ハジメも二人の頭を撫でながらなだめようとする。そんないつものやり取りを見た香織は二人のことを微笑ましく見ていた。

 

(……うん。やっぱり二人はこっちの方がずっといいよ。あんな、あんな悲しい顔なんてもう二度とさせないから)

 

 脳裏に浮かぶのは雷撃で焼け焦げて力なく横たわる鈴と、彼女を見て泣き叫ぶハジメと恵里の姿。今でこそこうして元気にケンカをしているが、下手をすればもう二度とやれなかったかもしれないのだ。それを想い、香織の杖を握る手に力がこもる。

 

(もっと、もっと頑張ろう。もっと治癒魔法も練習して、後で増えた技能のことも龍太郎くんから教えてもらって、それから……うん、まずはこっちかな)

 

 もう悲劇を繰り返さないように、と香織も出来ることを考えながら二人をなだめにかかる。まずはハジメ君が仕事出来るようにしなくちゃ、と苦笑しながら。

 

「はい恵里ちゃんも鈴ちゃんもストップ。ハジメ君が仕事出来ないよ。またメルドさんに叱られるよ?」

 

「二人とももうやめてってば……ね?」

 

 二人に止められてようやく恵里も鈴もケンカを止める。決してメルドに叱られるのが怖いという訳ではなかったが、ここでいがみ合っているのも不毛だと思ったからだ。決してメルドに叱られるのが本気で嫌だったからではない。

 

「……うん。わかった」

 

「……そうだね。じゃあやろっか」

 

 おー、と四人で声を上げると、大部屋の隅へと移動して早速作業を始める――部屋の一角で深紅の光があふれる中、恵里は新たな魔法の作成に取り掛かり、鈴と香織は作業にいそしむハジメの姿を眺めながらも、いつでも“天恵”を発動出来るよう様子見に徹するのであった。




爪熊チラっと顔見せ編。あと中々出くわさないと普通はいないと思いますよね? そういうことです(本日の言い訳)


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三十七話 声が響く時

まずは拙作を見てくださる皆様に多大な感謝を。
おかげさまでUAも91660、お気に入り件数も665件、しおりの数も276件、感想数も239件(2022/3/21 16:35現在)になりました。誠にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回もまた拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうして毎回毎回拙作を面白いと評価してくださって本当にありがとうございます。足を向けて寝れませんホント。

今回のお話もやや長めとなっております。ではそれに注意して本編をどうぞ。


「――いだっ!?……うぅ、うまくいかなぃ~」

 

「おーい、そうじゃねぇって菅原。こう、見えない階段を昇ったりとかそういう感じで――」

 

「うわスッゲーな天之河、もう“縮地”以外で教えた奴はマスターしてんじゃん。んじゃそっちの方は……って出来んのかよ!」

 

「あぁ、すまないな斎藤。八重樫流の道場に通っていたからトータスに来た時点で既に身についてたみたいだ。それじゃあ、今度は俺もレクチャーする側に回ろうか」

 

「助かるぞ天之河。じゃあ遠藤、もう一度“空力”のおさらいを――」

 

「えーと、これをこうして……“錬成”」

 

 技能訓練班の声を聞き流しながら恵里はハジメの作業風景を眺めていた。やり取りを聞いた限りでは四馬鹿以外では光輝がいち早くマスターしたようであり、彼の規格外振りに全員が驚き羨望の眼差しを受けているようである。

 

 とはいえかつてのように光輝に執着するのでなく、ハジメをひたむきに愛している今の恵里からすれば『あぁ良かったね』と思う程度でしかなかったが。せいぜい親しい友人が誉められた事を素直に良かったと思う程度である。

 

「うーん、これは……駄目だ。じゃあ次……」

 

 ただ、当のハジメは未だ空回りしているようで、集中こそ切れていないものの、もう何度目かわからない部品の作り直しを今もやっていた。

 

「……中々難しいんだね、銃を作るのって」

 

「そうだね……ハジメくんなら簡単だ、って思ってたけど」

 

「うん……こんなに真剣にやっても出来ないんだ」

 

 香織のつぶやきに恵里も鈴も力なく答えるしかなく、なかなか彼の手助けが出来ないのがもどかしくあった。

 

 銃の製作を始めて早二日。魔物を狩りに行く時、食事、たまの皆の武器の簡単なメンテナンス、そして寝る時以外は休みも無しに錬成で部品を作ってはそれを組み立て、動きを確認してはエラーを確かめる。その繰り返しであった。既に数えるのを誰もが諦めたが、もう三桁は失敗しているだろうと恵里は思っていた。

 

「今度は……あー、まだ撃鉄を起こしても外れる。これじゃ暴発しかねない……やり直、し……ぁ。皆、お願い」

 

「……うん――“鋭識”」

 

「「……“天恵”」」

 

 先程部屋の隅に置いてあった腕時計を確認したら朝の食事から既に二時間が経過しており、その間鈴と香織の“天恵”と、自分が“鋭識”という新たに作った強制的に一つのことに集中させる魔法でハジメの集中が切れてはかけるというのを繰り返している。

 

 銃の製造を始めた当初は類まれなハジメの集中力もあり、この魔法が出来上がっても使い道はないかと思っていた。だが、何度も何度も集中しては失敗してを繰り返しているとそれも続かなくなってしまっていた。

 

(……焦らなくていいんだよ、ハジメくん。ハジメくんの努力はここにいる皆がわかってるから)

 

 彼の失敗の原因が開発が遅々として進まないということへの焦りというのもここにいる皆は察している。だからこそ何度となく言葉にして伝えてはいるものの、いつもの凝り性……というよりは頑固さを発揮している彼からすればやはり許せないようでますます意固地になるばかりであった。

 

「――バネはこれで……うん、引き金の方はOK。撃鉄も……うん、ちゃんとロック出来た。じゃあ次、は……あれ――?」

 

「「――“天恵”」」

 

「“呆散”……はい。やっぱりもう休憩しよう、ハジメくん」

 

 倒れそうになったハジメに駆け寄ると、すぐさま恵里達は魔法で癒し、強制的に集中を解く。そして足を崩した鈴の腿にハジメの頭を乗せて労いの言葉をかけていく。

 

「お疲れ様、ハジメくん……もう休もう。ずっと根を詰めてるとまた倒れちゃうよ。ボクと鈴を何度泣かせる気?」

 

 こうして倒れそうになるのも一度や二度でなく、魔力切れを起こしたり集中を続けたせいで脳に負担がかかり過ぎてしまってぱたりといくのを何度も見ている。恵里達はそれが心底嫌になっており、だからこそ適当なタイミングで強制的に休憩をとらせていた。そうでもしないとこの少年は頑張りすぎてしまうのだ。

 

「恵里……でも、でももう少しで……」

 

「ハジメくん、そう言ったの何回目? 何度も倒れそうになってるのを鈴達に見せないでよ……お願い」

 

「ハジメ君、頑張るのはいいけどそれで恵里ちゃんと鈴ちゃんを悲しませるのは絶対ダメ。次やったら“縛印”で雁字搦めにして一日中何もさせないから」

 

「……はぃ」

 

 だからこそ自分達が止めなければならない。他人のためなら自分を平気で犠牲にしかねないこの優しい少年を自分達のせいで潰す訳にはいかないから。

 

「でもさ、ハジメくん。前はバネがちゃんと機能してなかったのに、今はもう対策を考えたんでしょ? ちゃんと前に進めてるんだから大丈夫だよ」

 

 それに制作が一切進んでいないという訳でもなかった。前は起こした撃鉄を保持したり、引き金を引いた際に撃鉄が戻る仕組みなどで使うバネが緩すぎたり、ポキポキ折れたりとそれ以前の問題であったのだから。バネを形成しては恵里が“火種”で起こした火で炙り、それを冷やして焼き直しをするという()()()作り方をズブの素人であるハジメが何度も何度もやっていたためだ。

 

 そこでハジメが『いや魔法がロクに使えない僕が作ったんだからこんな方法するわけないじゃん!!』と思い直し、そこでバネの原料を錬成で圧縮しながら形成するという形で作るようになってからはちゃんとバネらしい動きはするようになったのである。なおこれを思いつくまで十数回分の焼き戻しや焼き直しをして時間を無駄にしていた。

 

「そうだよ。恵里の言う通り。先が見えるのはいいけど、ずっとそっちばっかり見てたら足元がお留守になっちゃうよ。ちゃんと足元も見ようよ」

 

「そうだね……ハジメ君。ハジメ君が思ってる以上にハジメ君は頑張ってるし、皆の役に立ってるよ。でも、私達だってずっとハジメ君におんぶに抱っこじゃないんだよ?」

 

 鈴に頭を撫でられて甘やかされていたハジメは香織に頭を動かされ、技能の訓練をしていた皆の様子を見させられた。

 

「さっすが浩介! 空中ダッシュがもう様になってるし、やっぱ忍者やってる奴は違ぇーな!」

 

「忍者言うな! 一応これ雑技で通してんだよ!」

 

「よっ、ほっ、ほっ――っと、とりあえずまぁこんなもんか? ここまでやれりゃ大丈夫だろ」

 

「龍太郎もすごいな……空中で壁蹴りしながら浮いて、しかも最後はバク転じゃないか。うん、完璧だと思うよ」

 

 見れば誰もが技能を自分達なりに使いこなしており、既に元あった技術のように自然とやってのけている。香織はその姿を見せたかった。気負わなくたっていい。自分達に頼っていいんだよ、と伝えたかったのだ。

 

「どーよ! 極めればこんな風に足引っ掛けて逆さに浮くことだって出来るんだぜ!!」

 

「流石じゃねぇか礼一! だったら俺も――お、やれた!!」

 

「……すごいわね。本当にすごいバカねアンタら」

 

「おいこら園部、何度も何度も俺らのことを馬鹿だなんだ言うな。いくら温厚な俺だってキレるぞ」

 

「そうだぞ。俺らはあくまで技能を使い倒すための研究の一環としてだな――」

 

「アンタらの場合はただの大道芸でしょ?……まぁ金はとれるんじゃないの?」

 

「ハッハッハ、元気があっていいな園部、近藤、清水――お前ら思った以上に元気が有り余ってるようだし、ちょっとした俺の思い付きに付き合ってくれんか?」

 

 ……ただ、口喧嘩をしていた三人を見て静かにキレたメルドが、“纏雷”で雷を纏わせた剣を構え、“縮地”と“空力”を駆使して追いかけ回す様子は控えめに言って怖かったが。無論言うまでもなくあの三人はシバき倒され、その惨劇を見た恵里達は顔をひきつらせた。

 

「……うん。でも、だったらもっと――」

 

「はい駄目。そうやって卑屈になるところは嫌いだって言ったでしょ。もう……」

 

 しかしそれでももっと、とねだる少年の頬を恵里は指で突き、自身の頬を膨らませる。どうにかしなきゃ、と頑張るあまり袋小路に入ってしまっているハジメをどうしたらいいかと考えていた時、ふと香織があることを口にした。

 

「ハジメ君、そういう風に『自分は別に凄くないです』ってばかり言ってると、ハジメ君をちゃんと凄いって言ってくれてる恵里ちゃんと鈴ちゃんも馬鹿にすることになっちゃうよ」

 

「そ、そんな!? ぼ、僕はそんなつもりじゃ――」

 

 じっとりとした目で香織に見つめられ、ハジメが大いにうろたえると、それを好機と見た恵里と鈴は心の中で香織に感謝しながら畳みかけていく。

 

「そうだよ。ボクのことをそうやってけなしたいんだったら好きにしたら?……もしやったら恨むからね。いっぱい、いーっぱい恨んで泣くから」

 

「うん。ハジメくんがそのつもりじゃなくてもそうなっちゃうんだよ――だから、信じてよ。ハジメくんは自分が思ってるよりもずっとすごいんだ、って」

 

 その言葉にハジメもタジタジとなり、もう何も言わなくなった。その代わりに恵里も鈴もこの時はハジメを甘やかし、魔物を狩りに行くまでの間、何度も何度もハジメの耳元で過去に彼がやってくれて感謝したことをささやき続けて茹でダコにしたのであった……ちょっと涙目になって可愛いと恵里も鈴も思ったが、どちらも黙っていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、いきます――」

 

 銃の作成に移って早五日。本来なら幾つものテーブルが置いてある大部屋の中央には今、皮が杭で打ち付けられた岩とそれと同じ大きさの二つの岩が縦に並んでいる。その皮が杭で固定された岩の向こうにはハジメが立っていた。

 

 前日の試射で()()したのを改修し、強度を高めたリボルバー銃を片手に瞑目していたハジメは眼前にあるターゲット代わりの二尾狼の毛皮のかかった岩を正視する。

 

「すぅー、はぁー……」

 

 ハジメは数度深呼吸をすると手に持っていたリボルバーを構える――携行性が高く、また排莢に装填が容易な銃であるリボルバーはこの場にうってつけの武器であった。

 

 何せこの階層は通路の幅こそ広いものの岩や壁などの障害物が多く、また通路が複雑にうねっているからだ。そのため射程の長いライフルを作ってもそれの持ち味が活かせないだろうとハジメが判断したからである。

 

 またマシンガンやアサルトライフルなどの自動装填するタイプだと弾詰まりが起きかねないことや今の自分では製作が難しいと考え、ボルトアクションタイプだとリロードに時間がかかることからあえてリボルバー型の拳銃を作ることにしたのである。

 

 全長約三十五センチ、この辺りでは最高の硬度を持つタウル鉱石を使った六連の回転式弾倉。また長方形型のバレルや装填された弾丸すらもタウル鉱石製であり、粉末状の燃焼石を圧縮して火薬代わりに入れてあったそれを構えたハジメはある技能を発動する。

 

「――“纏雷”」

 

 刹那、両腕から放たれた紅い稲妻が腕を辿り、指先を通り、構えた銃へと吸い込まれていく。

 

 銃に電気がしっかり溜まったのを確認したハジメは放電をやめ、引き金に指を添える。

 

 ゆっくりと引き金を引いていき、改めて銃口がブレてないかを確認する。下手に逸れてしまえば一大事だからだ。そして――。

 

 ドパンッ!

 

 燃焼粉の乾いた破裂音が響き、“纏雷”で電磁加速された弾丸が狙いを違えることなく的を貫く。それは最初の岩だけでなく、真後ろの岩も容易に撃ち抜き――弾丸は最後の岩に無数の亀裂を与えると共に、半ばまでめり込んでしまっていた。

 

 焼け焦げるような音が大部屋に鳴り響くことしばし。最後の岩以外がいきなり音を立てて砕けて散り、改めてその破壊力をこの場にいた全員に知らしめた。

 

「これ、が……」

 

「後ろも全部……ウソでしょ」

 

 それは歴史の転換点の証明であった。

 

「……マジでブチ抜きやがったな」

 

 トータスに新たな歴史が刻まれた瞬間そのものであった。

 

「これが、“銃”か……あれでさえ、まだ未完成だったのか」

 

 ――レールガン。後にそう呼ばれることになる兵器は今、確かにここに産声を上げたのである。

 

「でき、た……」

 

 その立役者であるハジメの口からうっすらと喜びが漏れた。成功であった。この威力ならば爪熊どころかあのベヒモスが束になってかかってきても容易に勝てる、という自信があった。

 

「やった……」

 

「スゲぇ……これが、これが恵里の言ってた奴なのか」

 

 誰もが規格外の破壊力に舌を巻くしかなかった。それほどまでにこの銃はすさまじく、今この一時であってもここにいた全員から絶望を奪っていた。

 

「すご、い……すごいよハジメくん。これだよこれ、間違いないよ……やった、やったー!!!」

 

 大気を砕く音から数十秒後、ようやく言葉を紡ぐことが出来るようになった恵里はハジメを見て喜びを爆発させる。前世? で自分達の窮地を救い、自分を追い詰めた兵器は紛れもなくコレであると確信できたからだ。

 

 その喜びようや先の音に負けぬほどであり、愛しの彼に抱き着いて満面の笑顔で胸元に頬ずりをし、何度も何度も手放しで彼を褒め称えていた。

 

「さすがハジメくん! ボクの愛するハジメくんだよ! やっぱり出来ないことなんてないんだ!! あはは! やったーー!!」

 

「え、恵里、落ち着いてってば!……もう。えへへ」

 

 そしてハジメもリボルバーを持った右手を恵里に当てないように上げつつ、空いた左手で屈託のない笑みを浮かべて甘えてくる彼女の頭を撫でまわす。

 

「すごい……本当に恵里の言ってた通りだった。こんな、こんな破壊力なら絶対に勝てるよ! うん、絶対勝てるって!!」

 

「すごいねハジメ君! 恵里ちゃんが言ってたよりももしかするとすごいかも!! こんな、こんなすごい武器を作ってくれたんだ!」

 

「さっすがハジメだ! こんな――こんなとんでもねぇもん作るなんてよ! はは、こりゃ光輝だけじゃなくてお前も超えなきゃ面白くねぇや!!」

 

「そうだな、見事だ坊主――いやハジメ!! 本当にとんでもないものを作ってみせたな!」

 

 それから遅れて銃製作に携わった鈴と香織、幸利にメルドや他の面々が彼を手放しで持ち上げていく。もうお祭り騒ぎといった状況で、ハジメは流されるまま彼らから称賛の声を受けて気恥ずかしさで縮こまるのであった。

 

 ――ハジメの作った銃がこれほどの威力を発揮できたのは昨日の試射の時のある発言が原因であった。

 

 銃のフレームを作るのに十数回、撃鉄の保持や引き金を引いた際に他のパーツと連動させるためのバネの製造に数百回、実際に撃ってみては弾道や威力からライフリングを修正することこれまた数百回、暴発もせずにちゃんと飛ぶ弾丸を作るのに千回近く、内二回は火薬の詰め過ぎによる爆発事故を経てようやくタウル鉱石製の試作品のリボルバーが完成した。

 

 そこでブラッシュアップのためのデータ取りも兼ねてメルドらの前で試射を行い、成果を披露した。今回のように的代わりに壁にかけた二尾狼の皮を貫くことが出来、メルドからも『これほどの速さと威力なら納得だ。早速使ってくれ』と及第点をもらうことが出来たのだ。

 

 しかしここで恵里の待ったがかかったのである。やっぱり記憶の通りじゃない、と述べてきたのだ。曰く、『もっとすごい音を出して、破壊力だってこんなチンケなものじゃなかった』と。

 

 とはいえこうして撃った段階で地球のそれと大差ないようにメルド以外の面々からは思われており、こうして食い下がる恵里を見て不思議がっていた。ここまでの威力が出てるんだしこれ以上はもう大砲の類ではないか、と光輝や幸利が考える中、昔からずっと恵里と親しくしていたハジメと鈴は彼女に色々と聞き取りをすることに。

 

『それじゃあ武器の形状とか大きさはどんな感じだったか思い出せる? もしかすると使ってた武器が違ったのかもしれないし』

 

『えっと……武器の大きさも形状も今のより一回りぐらい大きかった気がするぐらいで、変わったところはないはずだよ……でも、でも……何かが違うんだ。信じてよ』

 

 何とも煮え切らない答えであり、不安に揺れる彼女を見て『やっぱり記憶違いなんじゃ……』と誰もが思う中、鈴があることを尋ねる。

 

『うーん……じゃあもう何でもいいから特徴的なものとか思い出せないかな? もう、この際ちょっとデザインが違ってたとかそういうのでいいから』

 

 そう尋ねた鈴に恵里は必死に記憶を漁り、何度となくうんうん唸りながらあることを思い出した。

 

『うぅ……えーと、えーと……あっ、そうだ。そういえば前世のハジメくんが今みたいな髪の毛と目をした状態でオルクス大迷宮に来た時、何か“纏雷”みたいな紅い電気がパイルバンカーみたいな兵器からバチバチいってたような……確か、そんな気がする』

 

『へぇ、恵里の前世でも使ってたのかもな“纏雷”は――んじゃいっそ帯電でもさせたらどうだ? 電気のパワーで馬鹿みたいに強くなるかもな』

 

 そして関係あるのかどうかわからない記憶を掘り起こして伝えると、幸利が冗談めかしてそんなことを言った。他の皆も『あー、そうかも』といった程度で真剣に受け取ることなく結局何が違ったのやらと言い合っていた――未だうんうん言っている恵里と製作者であるハジメ以外は。

 

『ありがとう幸利君、おかげでわかった!』

 

 その一言で全てが拓けた。

 

 ハジメはすぐに“纏雷”を使って電気をタウル鉱石製のリボルバーに帯びさせ、まだ撤去していなかった的に銃口を向け、引き金を引く――その瞬間、けたたましい音と共にリボルバーがひしゃげ、的を軽々と貫通して風穴を作っていた。それも向こう側の通路の壁にかなり深い亀裂を残して。

 

 ここで銃製作に携わっていた四人はあることを思いついた――もっと丈夫に作ればこれを十全に扱えるのでは、と。そこからはさらなる試行錯誤の嵐であった。

 

 元は中折れ式であったリボルバーの装填方法をスイングアウトに変え、また発射の際に銃本体が耐えられるよう一回り大きく再設計し、果ては銃弾そのものの大きさまでどうするか等々、それを話し合いやら作業やら魔法を使うやらで段々とハイになっていったハジメら銃製作チームが暴走し、一晩かけて壊れたリボルバーを土台にして様々な改良を加えていったのである。そうして出来上がったのが今のハジメが持つ代物であった。

 

「……ドンナー。うん、ドンナーにしよう」

 

「? どうかしたのハジメくん?」

 

「ううん、なんでもないよ」

 

 この場にいる全員にもみくちゃにされながらハジメは自分に出来た新たな相棒にひそかに名前を付けた――奇しくもそれは彼が辿るはずであった未来でつけたのと同じドイツ語で“雷”を意味する名を。

 

 非力な錬成師である自分が作った武器を握りしめながら、ハジメもまた馬鹿騒ぎに興じるのであった。

 

 

 

 

 

「いたぞ。あそこの曲がり角だ」

 

 あの試射の後、ハジメが銃弾と()()()()を作るのに小一時間かけ、そうして準備をしてから恵里達は魔物を狩りに向かった。

 

 その際浩介を先行させて爪熊がいないかを確認しつつ、現れた魔物相手に試し撃ちをしては肉片に変えながら進んでいた。そしてつい先ほど、浩介がその爪熊を見つけたのである。

 

「さっき蹴りウサギと戦ってるとこを見たけどよ、マジで雫が言った通りだった。あの蹴りウサギがアッサリ真っ二つにされちまってた……正面からやりあうのは駄目だ。確実に死ぬ」

 

 その怯えようは尋常でなく、それを見た全員に緊張が走る。恵里の杖を握る手も自然と強くなっていた。

 

「そうか……ハジメ、その銃だったら当てれば奴を殺せるんだろう?」

 

「はい……ですけど、当たるかどうか」

 

 メルドから改めて問いかけられたハジメはある懸念を口にする。銃の命中率のことである。

 

 ついこの間まで実銃をマトモに扱ったことがないハジメは、ステータスが常人を超えたことでドンナーを撃った際の反動にもかろうじて耐えられはするものの、狙いそのものが甘く、常にちゃんと当てているという訳ではなかった。

 

 試し撃ちの時や鈴や香織から“縛印”で動きを止めてくれた場合であれば、ちゃんと時間をかけた上で引き金を引けるからそこまで狂いはしなかったものの、動き回る相手となるとやはり話は別で、ちゃんと当てることすら難しかったのである。尤も、それであっても今のところ四肢のいずれかに当たっているため、十分貢献は出来ていたりするのだが。

 

「なぁハジメ、確か残りの弾は……」

 

「えっと……予備含めてまだ九発。余裕ならまだあるよ」

 

 本当に一発でも当てることが出来るのだろうかと思い、ふと残弾が気になった幸利にハジメは笑みを浮かべながらそう返した。が、それもどこかぎこちないもので、ハジメもまた勝てるかどうか不安になっていた。

 

「……あんま気負うなよ、ハジメ。俺達が初めて相手するから緊張するってのはわかる。だけどな、ブルってたって何にもならねぇぞ。こういう時はな、当たって砕けろでいっちまえばいいんだ」

 

「ちょっと龍太郎くん、それ冗談にならないよ……とりあえず私と鈴ちゃんで“縛印”で拘束出来るかもしれないし、最悪“聖壁”を張れるからそれで皆を守ってみせるよ」

 

 ハジメの緊張をどうにかしようと声をかけた龍太郎であったが、すぐさま香織からツッコミを受けて『やべっ』と苦笑いを浮かべた。その香織も一度ため息を吐くと、体を小刻みに震わせながらも安心させるべく声をかけてきた。

 

「香織……うん、大丈夫。鈴だっているし、皆がいるんだよ。勝てるよ。だって、元の未来だったらハジメくんが一人で勝ってるんだもの」

 

 そして鈴も怯えながらもどうにか元気づけようとしてくれ、ハジメは自身の胸が温かくなるような心地であった。そこで恵里もハジメの手を握り、メルドの方も声をかけてきた。

 

「大丈夫。ボクだって“縛魂”や“堕識”が詠唱なしで使えるんだし、むしろ勝ち目しか見えないって――ボクを、皆を信じて」

 

「そうだぞ。強敵との戦闘で不安になるのは当然のことだ。だが、何もしなければ進めないのならまずその怯えに勝て。お前のしてきたことは決して無駄じゃないぞ、ハジメ」

 

 恵里の励ましに、メルドの言葉にハジメは勇気づけられた。見れば誰もが自分を見ており、ハジメは力強くうなずくと、一度自分の両頬を叩いて気合を入れなおしてから全員に声をかけた。

 

「……ありがとう、皆。じゃあ確実に仕留めるためにやれることをやろう。まずは――」

 

 ハジメが声をかけると同時に各々が爪熊討伐のために練った作戦を改めて確認する。そして――。

 

「――じゃあまずは僕から。いくよ」

 

 既に蹴りウサギを食べ終え、どこか別の場所へと向かった爪熊を追い、目測で十メートルの距離まで()()全員が近づけば、あちらも気づいたのかこちら側を振り向いた。そこですかさずハジメは針金で作った簡易のホルスターからドンナーを抜き、素早く構える。

 

 ドパンッ!

 

「――グルォオオオォ!!」

 

 耳をつんざくけたたましい音と共に放たれた超音速の弾丸――それを爪熊はすんでのところで避けるものの、左肩をえぐられ、悶絶しながらもこちらへと向かってきていた。

 

「ハジメは第二射の準備を! 谷口! 白崎!」

 

「「はい!――“縛印”!」」

 

 自身に傷をつけた眼前の相手に激昂しつつ、爪熊は馬と大差ない速さでこちらへと迫ってくる。

 

「グルゥゥウゥァアアァ!!」

 

 メルドの指示を受けた鈴と香織はすぐさま“縛印”を発動して爪熊の前方に無数の光の鎖を張り巡らせ、わずかでも動きを止めようとする。しかしその途端、爪熊は後ろ足に力をこめ、跳躍する。

 

「嘘だろ、普通に切り裂きやがった!!」

 

 飛び掛かったことで自由になった前足の一撃で容易く鎖の結界は破壊されて霧散していく。そしてうまく着地すると同時に勢いをほとんど殺すことなく、こちら側へとまた走り出した。

 

 ドパンッ!

 

「“水球”、“水球”だ! ひたすら撃てぇー!!」

 

 だが鈴達が“縛印”の発動を終えると同時に構えていた龍太郎、幸利、メルドがひたすら“水球”を地面めがけて放ち続け、ハジメもまたレールガンを爪熊へと叩き込もうとする。

 

「このままじゃ――“聖壁”!!」

 

「うん、そうだね鈴ちゃん――“聖壁”!!」

 

 電磁加速した弾丸を避け、浅く体毛をなでただけで終わったのを見るや否や、鈴と香織は“聖壁”を自分達の三メートル手前――爪熊とは目と鼻の先の場所へと張った。それを見た爪熊は一度ブレーキをかけようとするも、“水球”で濡れた地面に足をとられ、そのまま光の壁にぶつかりそうになる。

 

「グルゥアァァ!!」

 

 だが爪熊は焦った様子も見せずに即座に両腕を上げる。自慢の六本の爪がわずかに歪んでいるように見えたのもつかの間、振り下ろすと同時に二枚の“聖壁”をいとも簡単に切り裂いた――恵里達は知る由もなかったが、これが爪熊の持つ固有魔法“風爪”である。爪に風の刃を宿し、最大三十センチ先まで伸びるそれの破壊力は光属性の中級結界魔法すらも易々(やすやす)と切り裂く。

 

「メルドさん!!」

 

「あぁ、今だ!!」

 

 だが、恵里達からすればそれで構わなかった。十分、()()()()()()のだから。

 

「叩き込め――“纏雷”!!」

 

「グォオォオォォオォン!?」

 

 そしてこの場にいた()()以外の全員が濡れた地面に手をつき、“纏雷”で爪熊目掛けて電気を流し込んでいく。そのまま感電死させる勢いで七筋の深紅の稲妻を走らせていった。

 

「ルグゥウウゥ……」

 

「これでまだ生きてんのかよ……ホントしぶといったらありゃしねぇ、なぁ!!」

 

 ――そして通路の天井にて、“空力”で作った足場に足を引っかけ、片手でしがみつきながらぶら下がっていた浩介は、あるものを抱え直してから不可視の足場を思いっきり蹴った。

 

 加速しながら落下する浩介が持っていたのは直径三十センチ、前長約三メートルのタウル鉱石製の巨大な杭。ハジメ謹製の凶悪な代物であった。

 

「グゥ……ヴォ?」

 

 上という死角から来た存在にようやく爪熊も気づくももう遅い、既に次の手は打たれていた。

 

「“堕識”ぃ!!」

 

 “縛魂”ではギリギリ射程圏外であったために仕方なく使った恵里の魔法は爪熊の意識を見事刈り取る。そうして無防備になってしまった獲物の末路は決まっていた。

 

「くらいやがれぇえぇぇぇえぇ!!」

 

 すさまじい勢いで一緒に落下してきた杭を浩介が投げつければ、それは簡単に爪熊の背中を貫き、見事に地面へと縫い留めることに成功した。そして浩介も地面にぶつかる前に体を半回転させて仰向けになり、“空力”で足場を作って横っ飛びして落下の勢いを殺していく。そうして空を何度か駆け抜けると、バク転と共に地面へと無事に降り立った。

 

「グ、ゥウウゥゥ……」

 

 しかしまだ爪熊は息があった。尋常でない雷撃を浴び、体を巨大な杭で貫かれながらも、まだ生きようという執念が命を繋ぎ留めていたのだ。爪の先を風の刃で包み、目の前の()を殺さんと爪熊はその腕を上げようとする。

 

「残念だけどこれで終わりだよ」

 

 爪熊が腕を上げきると同時にハジメの構えたドンナーから必殺の弾丸が放たれる。その一撃は吸い込まれるように爪熊の眉間へと向かい――その頭を弾けさせた。

 

 頭の上半分が吹き飛ぶと同時に爪に纏っていた風の刃も消え失せ、振り上げていた手もボトリと力なく地面に落ちた。

 

「……勝った」

 

 誰からともなくつぶやいた言葉に、一同は顔を見合わせ、目の前の相手を確認する……そして見るも無残な死体となって、相手がもう動かなくなったことを飲み込めた時、全員が勝利を実感出来た。自分達はこの脅威を打破できたのだ、と。絶対に勝てない相手ではなかったのだ、と。

 

「勝てた……」

 

「勝てたよ……勝てたんだ!!」

 

「やった! やったな皆ぁ!!」

 

「今回のMVP浩介じゃねぇ!? あれマジでカッコよかったぞ!!」

 

「いやー……そうベタ褒めされると本気で恥ずいっていうかなんて言うか……フッ、奴もまた深淵に呑まれたということだ、ってか?」

 

「……っとと、茶化している場合じゃないぞ清水、遠藤! お前ら、今すぐ拠点に戻るぞ!! 全員消耗しているだろうし、この後の戦闘も厳しいだろうしな! 俺が許す! 馬鹿騒ぎは戻ってからだ!!」

 

 メルドの言葉で浮かれていた恵里達は我に返り、すぐさま曳いてきたソリに爪熊の死体を載せ、急ぎ拠点へと戻っていった。しかしその足取りは軽く、向かう皆の顔はほころんでいた――。

 

 

 

 

 

「――ってことがあってな。いやー、マジで俺ら頑張ったんだよ。んで個人的なMVPは浩介」

 

「いやー、ハハ……照れるなぁ」

 

 そして現在、戻ってきた光輝達の分の魔物も調理を終え、迎えた食事の席で幸利がひどく上機嫌になりながら爪熊との戦いを彼らに光輝達に語っていたところであった。激闘を制した恵里達には称賛の眼差しが向けられ、こそばゆいながらも誰もが誇らし気にしていた。

 

「流石だな、皆。俺達もそれにあやかりたいところだよ……っと、まずはこっちの方にしようか。美味いしくいただかせてもらうよ、皆」

 

「うん、まずは食べてからにしようよ。その後光輝君達の方ももう一度話し合おう」

 

 光輝はハジメ達をうらやみながらも称賛し、いつか自分達もと思いながらも焼いた肉に口をつけていく。祝いの席で気を引き締めるのはあまりに無粋なのはわかっていたからだ。ハジメも光輝の考えていることに理解を示しつつ、『そこのお肉焼けたよ』と指をさしてあげた。

 

 また焦げた肉を自分が始末しようとした際に光輝と『自分が食べる』と言い合って軽く喧嘩にもなったりしたため、ハジメにそんなものを食べさせる訳にはいかない、と恵里がこっそり食べたことでまた揉めたりした。

 

「本当に……本当にすごいわね、鈴達は。私は怖くて仕方なかったのに、こうやって倒しちゃったんだもの」

 

「雫達だってきっと出来るよ。鈴達よりも人数が多いんだし、上手いやり方を見つければきっと大丈夫。それに、雫には光輝君や優花達がいるでしょ? ね?」

 

 偉業を成した親友達を称賛しながら肉に箸を伸ばす雫に、鈴は励ましの言葉をかけながら爪熊の心臓を食べていた。

 

 奈落での生活が始まった時こそ食指が伸びなかったものの、覚悟を決めて箸を伸ばし、また解体作業で色々と慣れてしまったこともあってか、今は単なる珍味程度のものとして鈴は内臓を食べている。

 

「カオ、お疲れ様。ちゃんと戦えたじゃない。ハジメの役にも立ってたんだし、自身持ちなさいよ」

 

「そう、かな……だといいんだけど。龍太郎くんにも頑張ったな、って褒めてもらったし……えへへ」

 

「……ふふ、やっと香織っちも恋人としての自覚が出てきたかな」

 

「そうだねぇ~。龍太郎もかわいそうだったしねぇ~」

 

 少し自信なさげであった香織は逆に優花達に励まされていた。“縛印”も“聖壁”もアッサリと砕かれ、実際に役に立てたと思えたのは“纏雷”による感電のみ。目に見えた成果がない分少し不安ではあったものの、調理の時にかけてもらった龍太郎の言葉や今の優花の言葉で自信がついた。

 

 龍太郎に声をかけてもらった時のことを思い出してにへら~としている香織を見て、奈々と妙子は安堵した様子を見せていた。

 

「流石に坂上もアイツ相手に殴り合いは無理だったか」

 

「ムリだなありゃ。香織と鈴の“聖壁”すら簡単にぶっ壊しちまう奴なんだぞ。ハジメが使ってた盾で立ち塞がっても三枚おろしにされちまうよ」

 

「そんなもんなのかぁ……もう先生の盾、焼肉プレートにでも変えた方が役に立つんじゃ――!?」

 

 そして龍太郎が大介らと爪熊相手に正面からの戦闘をやれたかどうかを話し合ってた際、全員の身に懐かしい異変が起きた――最初に魔物の肉を食べた時と似たような激痛と脈動が彼らを襲ったのである。

 

「し、神水を……!」

 

 この中で痛みにまだ強かった恵里がそうつぶやくと、すぐさま全員がポケットなどに入れていた神水入りの試験管の端を歯で砕いて中身を飲み干していく。やはりこの手の痛みには全く効果がなく、全員がうずくまり、持っていた箸やフォークをへし折りながらも痛みに耐えようと必死になった。

 

「なん、で……どうしてなの……!?」

 

「た、祟りよ……!」

 

「つ、爪熊の、祟り……!」

 

 実際は爪熊の肉から取り込む力が二尾狼や蹴りウサギのそれとは別格であったため、取り込む際に大きな痛みが発生したというのが真相だったりする。だが、それが思い至らない彼らの脳裏には、もっと別の何か――お化けや怨念といったものが浮かんでしまったのである。

 

「し、死んでまで、迷惑かけやがって……くそったれぇ!!」

 

「こんの……せん、せぇ!! 悪霊を、クソ亡霊をなんとかする道具、作ってくれぇ!!」

 

「無理、言わないでぇ……! 専門外だよぉ……!!」

 

 ……かくして、次の階層に進むまでの間、今回の事件は『爪熊の祟り事件』と称されることとなった。全員の爪熊へのヘイトが上がったのは言うまでもない。とんだとばっちりもいいところであった。




爪熊くんかわいそう(他人事)
いやー、ようやく爪熊討伐までこれました……これで書きたいエピソードの一つがやっと手をつけられます。いやー、次の投稿がクッソ楽しみ。wktkでございます。


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三十八話 積み重ねたものの重み(前編)

まずは拙作を見てくださる皆様に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも92750、お気に入り件数も670件、しおりの数も279件、感想の数も246件(2022/3/26 6:15現在)になりました。誠にありがとうございます。いやー、ホントありがたいです。

そしてAitoyukiさん、カエルムさん、拙作を評価及び再評価していただき本当にありがとうございます。こうして面白いと評価してくださると作者としても励みになります。ありがたい限りです。

タイトル通り前後編のお話となっております。では本編をどうぞ。


「ん……痛た……やっぱりキツいなぁ」

 

 『爪熊の祟り事件』の後、この上ない興奮に思いっきり冷や水を浴びせられた恵里達はいつものように食器を片付け、お湯浴びを済ませてから何とも言えない心地で眠りについていた。

 

 そしてその翌日、メルドが起床の合図をするより早く目覚めた恵里は一度寝返りを打ち、浅い眠りのせいで少し頭痛がするのを堪えながら両手を地面について体を起こした。硬い床で寝るようになってから、目を覚ますと大体背中や尻を痛めていたため、ここ最近習慣づいた起き方である。

 

 流石に一週間もすれば慣れこそしたものの、辛いことには変わりがない。隣で鈴と一緒に腕枕をしてくれたハジメの寝顔を見ながら、何か方法がないものかと恵里は一人思案する。

 

(固くてもいいからベッドでもあればねぇ……いくらハジメくんでもちょっと無理があるかなぁ)

 

 ここ最近よくするようになったあくびを手を当ててしながら、どうしたものかと考えているとふとある考えが恵里の頭に浮かんだ。

 

(あ、そうだ。ずっと後回しにしてたけど、魔物の皮をなめして革にすればいいんだ。それを敷けば少しはマシになるだろうし)

 

 それはカーペットや敷物のように魔物の革を敷くことで少しでも痛みを和らげようというものであった。

 

 これまでは魔物の皮は放っておくとすぐ痛んで雑菌が湧いてしまうため、公衆衛生の概念を知っている恵里達からすればすぐにでも処分をしなければならないとわかっていた代物であった。

 

 メルドとしても地上の浅い階層で採れるものより遥かに上質な魔石であるならともかく、皮の方は次第に悪臭を放ってくる上にスペースをとることからすぐにでも捨てたいと思っていた。当時は全員がどうにかしたいと考えていたのだ。

 

 そのため食事を終えると“気配探知”で周囲に魔物がいないことを確認し、その後すぐに錬成などで壁に穴を開けて通路に捨てていたのである。幸いにも飢えた魔物が始末してくれるのか、翌日にはキレイさっぱり無くなっていることが多く、この習慣はすぐに根付くこととなった。

 

 また、なめしをする際に皮の汚れや肉片を取り除いたり、また石灰乳を使って繊維を柔らかくするなど工程が多いというのもあり、恵里の頭にはその選択肢が浮かんでこなかったのである。だが、こうしてこの階層にいる主要な魔物を撃破できるようになったことから余裕が出来、ようやくこの考えが浮かぶようになったのだ。

 

(よし、ご飯の時になったら相談しよう。少し、ハジメくんにも頑張ってもらうけど……ごめんね)

 

 ハジメに悪いとは思いながらも、これもハジメのためになると考えてそのちょっとした罪悪感を押し殺す。そうしてハジメの寝顔を飽きることなく見つめていたが、程なくしてメルドが目覚め、すぐさま全員が起こされることとなった。

 

 そうして今日も朝の食事のために全員で魔物を狩りに行き、それを終えるとすぐさま全員で調理に移る。爪熊を食べてステータスが上がったおかげか、昨日以前よりもスムーズに終わった。そのためいつもよりも早く切り上げて拠点に戻り、全員がそのことについて食事の席で話し合った。

 

「俺達の方も後は爪熊を実際に倒して、上に続く階段を見つけるだけになりました……その、メルドさん達の方はどうでした?」

 

「……いや、全然見つからん。前にそっちが言っていた階下へ続く方なら見つけたんだがな。神水の服用も許可した上でハジメが“錬成”で上への通路を作ると言ってやらせてみたが……途中でどうにもならなくなってな」

 

 光輝が代表して進捗を話し、恵里達の方はどうかと指揮を執っているメルドにあることを尋ねた。上へ続く階段を見かけたかどうかだ。

 

 現在のところ、光輝達の方は八割がた、恵里達の方は六割ほどマッピングを完了している。とはいっても各々の班が行ったことのある通路の壁に一、二メートル毎にそれぞれのチームの印を、分岐路のところにチームの印と日付を刻んでいるだけであったが。ただ、それでも立派な目印になるし、あくまで脱出のために階段を探しているだけなのでそこまで詳細な地図は不要であった。

 

 だが上へと昇る階段がない上に、ハジメがダンジョンにおける横紙破りである通路の作成をしようとしても途中で錬成の効果が出なくなったことでどうするべきかと彼らは思案していた。このまま探索を続けるか、ここに来る際に利用した川を伝って元来た道を辿って上へと向かうかどうかだ。

 

「安全を考えればすぐにでも引き返してしまうのが一番だろうがな……問題は上に戻ったとしても大迷宮の受付近辺にまだいるであろう見張りやホルアドの門をどうやって突破するかだ。仮に成功したとしてもすぐにハイリヒ王国の騎士団が派遣されて俺らがすり潰されるのが関の山だな」

 

「そうなると……やっぱりこの階層を下っていくのがいいかもしれません。あそこの川って割と流れが急ですし、僕が本来辿るはずの未来じゃそこから船を作って引き返すこともしなかったと思います。どこに繋がっているかわかりませんから」

 

 暗い未来を予想し、眉をひそめるメルドにハジメは自身の考えを臆することなく伝える。既にわかっていて覚悟していた恵里と鈴以外の皆は、顔を伏せて考え込んでいる様子であった。初めてここの魔物とエンカウントした時にいいようにされたことを思い出して、これより下の魔物相手に勝てるかどうか思案しているのだろう。

 

「……そうだな。わかった。もう何度かここの階層をマッピングしてみて、それでも上へと続く階段が無かったら改めて話そう。その時まで皆、考えておいてくれ」

 

 光輝の言葉に全員がうなずき、この話題はここで終わる。そこで奈々が二つのピッチャーを両手で持ってくると、全員のコップに水を注いでいく。その後妙子は今回も三十秒ほど“纏雷”を流した生き血の入ったコップも用意された。

 

「うぅ……もう血はやだよぉ……」

 

 ただ、その妙子自身は心底げんなりした様子でコップに注がれた赤い液体を眺めている。元々ホラー系が大の苦手であり、それを連想させる血もまたかつては苦手であった。

 

 ただ、異世界に来てから魔物を倒す訓練などを経たり実際に流血を見たりしたことで『生きていた生物から流れたのを確認したものだったらギリOK』となったのである。もしそうでなかったらあのじゃんけんの時、負けてもひたすらにゴネ倒したとは本人の弁だ。とはいえ、あくまで我慢できるだけで平気という訳ではないため、何度も何度も食事の都度に血を飲まされて精神が軽く参ってしまったのである。

 

「……妙子ちゃん、やっぱり私がやるよ?」

 

「うぅ……でも、それもそれで嫌ぁ~」

 

 そこで最後に残った者同士であった香織が助け舟を出したものの、それなりに真面目であった妙子は途中で投げ出して他の子に嫌な仕事を押し付けるのも嫌がった。八方塞がりである。

 

「うーん……ねぇ皆、何か良案はない? こう、タエのストレスを軽減できるようなもの、ないかしら?」

 

(うーん、やっぱりキツいか……ボクとしても毎食血を飲め、なんて言われても正直嫌だし。そうなると……アレか。うん、ちょっと順番は前後するけどいっか)

 

 昔からの親友が嫌悪感と責任感で板挟みになっているのをどうにかしたいと考えた優花が話を振ると、そこで過去にやったあることを思い出した恵里はそれを口に出すことにした。

 

「ねぇ優花、それじゃあアニマルセラピーなんてのはどう?」

 

 その言葉に優花と妙子だけでなく、この場にいた女子~ズ全員が食いついた。

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

「そこっ!」

 

 光輝と雫の振るった刃に纏っていた不可視の刃――新たに手に入れた爪熊の固有魔法である“風爪”を伴った斬撃は、剣そのものの刃の入りは浅かったにもかかわらず、容易く二尾狼を両断する。相応の魔力、空腹感を伴うものの、その切れ味は実にすさまじい。

 

「はぁっ!!」

 

「やぁっ!!」

 

 優花の放った投げナイフも、妙子の振るった鞭の一撃も、“風爪”を纏わせた途端に全てを両断する一撃へと化ける。そうして頭を貫かれたものや、左肩にかけての袈裟懸けに二つに別れて動かなくなった二尾狼を見て優花らはこの技能の凄まじさを実感する。自分達一人でも十分ここの魔物を倒せるほどの強さを得たのだ、と。

 

「ホントに化け物染みてるなこの能力……まぁ、俺の場合はちと微妙か」

 

「そうは言うけどな龍太郎、お前の場合は打撃じゃ効かない相手への対抗策を手にしたと思えばいいんだよ……俺も鞭でも使ってみようかね、と」

 

 龍太郎は襲い掛かってきた二尾狼に向けて“風爪”を発動しながら手刀を振るい、上下真っ二つに切り裂いていた。が、彼的にはあまりしっくりこないらしい。やはり空手を長年修めたせいか、殴り合いの方が性に合うようになったのだろう。

 

 持ってた解体作業用のナイフに“風爪”を纏わせながら切ろうとして外した幸利は龍太郎に助言しつつも、何かいい武器でもないだろうかと考えながらボヤいた。

 

「いや、清水。鞭もちゃんと使い慣れないといたずらに周囲を傷つけるだけだぞ。菅原が器用にこなせるのは彼女の天職のおかげだ」

 

「……わかってますよ、そんなこと」

 

「使えるものが増えたからといってそれにこだわらなくていい。清水、お前は付与魔法だけでなく他にも魔法が使えるだろう? それを磨け。今持ってる手札を使いこなすんだ」

 

 そこでメルドからツッコミが入り、心底げんなりした様子で幸利もそれに返事をする。その後メルドが入れてきたフォローにそれもそうかと考えながら、幸利もはいと返事をし、他の皆同様倒した二尾狼の処理へと移った。

 

 そうして襲ってきた二尾狼を全部ソリに積み込み、周囲を歩くこと三十分ほど。あの後二度会敵した二尾狼の群れを持ってきたもう一つのソリに載せつつ、他に食料になる魔物を探すついでに恵里達はあるものを探して周囲を歩くが、それは中々見つからなかった。

 

「中々見つからないね」

 

「うん……別に妥協しても良かったんじゃない?」

 

「……まぁ確かにそれでもいいけどさ、犬より兎の方がマシじゃない?」

 

 見つからないと言いつつ、そのことに少し安心した様子の香織にこれまた本心でない言葉で答える奈々。そんな二人に対し目を皿のようにしながら恵里は蹴りウサギを探している。しかし中々見つからないためそろそろ拠点に戻ろうかと光輝とメルドは話をしていた。

 

 なお今回、ハジメと鈴、そして大介ら四人は()()()()で狩りを欠席しており、今回は恵里達も光輝らの班に加わっている。

 

「――よし、食料としては悪くない量だろう。じゃあこのまま帰るぞ」

 

「はぁ~い……」

 

 こうして恵里以外の全員が戻ることに承諾し、メルドが号令をかけたため、仕方なく恵里もそれに従うしかなかった。目的としていた蹴りウサギが何故か見つけられないことに対して少し不満ではあったものの、まぁ気長にやっていけばいいかと考えながら歩いていると、ふと恵里の視界にあるものが入った。

 

「……あはっ、見ぃ~つけた――じゃあ早速やるよ」

 

 自分達の拠点から百メートル程度離れた辺りの通路の片隅で、二尾狼の死体にがっついている白くて丸い生き物こと蹴りウサギをようやく見つけることが出来た。恵里は口角を上げながら早速行動に移ろうとする。

 

「……本当にやるのか? アレだぞ、蹴りウサギだぞ?」

 

「うん。だってあんなナリでも兎は兎でしょ? 大丈夫だよ。ボクの“縛魂”で絶対に皆を襲わせないから」

 

 龍太郎がそう言うとこの場にいた誰もがうなずいて返すも、恵里はさも当然のように尋ね返した。

 

 ――恵里が提案したのは『奈落の魔物を“縛魂”で支配下に置き、好きに触れ合わせる』というものであった。

 

 “アニマルセラピー”と聞いた当初は女子~ズ全員が期待に目を輝かせて恵里を見つめていたものの、その具体案を聞いて全員の表情が何とも言えないものに変わった。自分達を見るや否や襲い掛かってくる相手であり、今となっては食料扱いとなっている魔物をペットにする、というのは流石に抵抗というものがあった。これは鈴も同様で『うわぁ……』とうめき声を漏らしていた。

 

「……改めてやるとなると、やっぱり抵抗感あるわね」

 

「わ、私も……確かに一番マシだと思うけどぉ~……」

 

 その後恵里が『どうするの? 最悪非常食にすればいいだけだよ?』と選択を迫ったことで、地球で暮らしていた時とは全然違う日々でストレスが溜まっていたメルドを除く全員がそれを受け入れた……のだが、改めてやる算段となると気が引けたらしく、この場にいた優花も妙子も渋い表情を浮かべている。光輝らもまた微妙な表情で恵里を見ていたが、見つめられていた当の本人は特に意に介することもなく事前に話をしていた香織に頼み込んだ。

 

「はいはい。文句言いたいなら触った後でね。それじゃあ香織、お願い」

 

「……うん。蹴りウサギさんごめんね――“縛印”」

 

 軽い罪悪感に駆られながらも香織は“縛印”を発動し、もうすぐ二尾狼を食べ終えようとしていた蹴りウサギを拘束していく。

 

「キュ!?」

 

「ごめんね、ごめんね……」

 

(皮剥いだコイツの肉をカットするのとか割と平気でやるようになった癖によく言うよ、もう……まぁ、それよりも一仕事しないとねっ!)

 

 謝罪するようにつぶやく香織にどこか納得のいかないものを感じつつも、恵里は光の鎖が砕け散る前に目的を果たすべく全力で駆けていく。“縮地”はまだちゃんと練習していないため普通の全力ダッシュだ。

 

「キュ、キュー!!」

 

「はい逃がさないよぉー! “縛魂”!」

 

 しかし魔物肉を食べたことで上昇した身体能力は伊達ではなく、鎖が引きちぎられる前に蹴りウサギを射程内に捉え、すかさず“縛魂”を発動する。逃げる間もなく、蹴りウサギはあっさりと恵里の支配下に置かれることとなったのであった。

 

「よし!……あ、ちょっと見てくれが悪いね。はい、こっち向いて――」

 

 ようやく目的を果たせたことでグッとガッツポーズをし、すぐさま恵里は連れて帰ろうとするが、口元が血で汚れていたため一度洗ってからにしようと考えた。そこですぐに水属性及び風属性の初級魔法で汚れを洗い流して乾かしてやれば、完全にはとれてないまでも大分マシな見た目になった。

 

「なぁ恵里。確かに動物と一緒にいることで心が安らぐというのはよく聞くんだが、その……コイツを愛でろと?」

 

「うん。この大迷宮の中に普通の動物なんていないし、だったら捕まえるってなったらあの狼かこっち以外ないかなー、って。爪熊は論外だし」

 

 そして連れてきた蹴りウサギを見てメルドが怪訝な目でそう言ってくるも、恵里もちゃんと持論を展開していく。あの説得? の時以降信頼するようになったのか、こうした砕けた感じで話してもメルドからとがめられることはない。せいぜい他の皆がそれでいいのかと思う程度であった。

 

 そんなことは特に気にすることなく、一応“気配探知”で周囲に敵がいないことを確認してから恵里は指で蹴りウサギに女子~ズの方へ行くよう指示を出す。すると蹴りウサギはピョンピョンと愛らしく跳ねながらそちらへと向かっていった。

 

「これ、蹴りウサギなのよね……」

 

 そうして女子~ズの下へと来た蹴りウサギを見て優花は形容しがたい表情でつぶやく。何せ日頃から食べるために気を抜くことなく相対している奴が無防備でこちらの目の前にいるのである。いくら恵里の“縛魂”がかかって安全といえど、複雑なものを優花だけでなく他の面々も感じていた。

 

「そうだよね……ここまで来たら思いっきり蹴られてるよね、普通」

 

「うん……確かに可愛い、って思えなくはないけどぉ~……」

 

「大丈夫、ってわかっててもね……」

 

「う、うぅ……」

 

 奈々も妙子も及び腰で、香織も苦笑いを浮かべて遠目に見るばかり。雫だけは『ちょっと可愛い、かも……?』と心が揺れ動いているようだが、皆の様子を見て迷っている。先日ムッツリスケベ扱いされたこともあってか、親友らから変な風に見られるのを嫌がったが故のためらいであった。

 

「はいじゃあウサちゃ~ん、あっちのポニーテールの女の子のところに行こっかぁ~」

 

 だがそんな様子の雫を恵里は逃しはしなかった。ニヤリと口元を軽く吊り上げると、すぐさま蹴りウサギに雫の方へ行くよう指示を出した。

 

「え? えっ!? ちょ、ちょっと……」

 

「ふふ、雫はお気に召したみたいだからねぇ~。ちょっとサービスしてあげよっか……はいまずは小首をかしげてー、左後ろ足で頭をかるーくクシクシ」

 

「う、うぅ……う、ウサギさん……」

 

 そうやって地球の兎もやりそうな仕草をやってみせれば、雫は今にも手を伸ばしそうになり、体をぷるぷると震わせている。もう陥落寸前であった。相変わらず可愛いものにはチョロいと思いながらも、どうしようかと迷っている光輝含めた男子~ズを尻目に恵里は雫にトドメの一手を打つ。

 

「じゃあ仰向けになってお腹出そっかー……ふふっ、雫ぅ~。ウサギさんのお腹、触りたくなぁ~い?」

 

「あっ、あぁ……ぁっ――」

 

 葛藤に揺れる雫に声をかけ、そのまま彼女の手を引いて蹴りウサギの無防備なお腹に手を当てさせると、途端に彼女は無言になった。おそるおそるお腹を撫でれば『キュウ』と蹴りウサギも気持ちよさげに声を出す。それに触発された雫は段々と大胆に手を動かし始め、表情をほころばせていくと、にへら~とした顔を浮かべた雫はそのまま蹴りウサギのお腹に顔を埋めた。

 

「し、雫!?」

 

「し、雫ちゃん!? だ、大丈夫なの!?」

 

「ちょっと臭うわね。でも……えへへ」

 

 光輝の言葉にも香織の問いかけにも雫は答えない。ただ無言で全身の毛を撫でては頬ずりをし、獣臭さに一瞬顔をしかめつつもすぐさまだらしない顔を浮かべてもふもふを続ける。

 

「ふふ、雫は気に入ったみたいだねぇ~……ねぇ、どうする? 雫は飼いたい? そうすればいつでもこの触り心地を楽しめるよ?」

 

「飼うわ。飼いましょう。私が責任をもって育てるから。大丈夫、皆の説得も私がやるから」

 

 完全に堕ちた様子の雫を見てニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら恵里が問いかければ、すぐさま雫は顔を上げて蹴りウサギを飼うことを宣言する。しかも説得も込みで。よし! と深くガッツポーズを決めた恵里を見て誰もが『やっぱり新興宗教の教祖だコイツ……』と思った。思っただけで口にはしていないが。

 

「はい商談成立ぅ~。いやー、持つべきものは親友だね!」

 

「……なぁ、雫。本当にいいのか?」

 

 そんな心底イイ笑顔の恵里を見ながら光輝は自分の最愛の人に問いかける。こうして恵里の“縛魂”を見たことで余程のことがない限りは大丈夫だとは思えたものの、何となく聞きたくなってしまったのだ。本当にこれでいいのだろうか、と。するとまた締まりのない顔をしながら抱きしめて頬ずりをしていた雫がいきなり力説を始めた。

 

「ええ。だってこの子の毛、すっごいもふもふしてるもの!! お湯でいいから洗ってあげて、金属製でもいいからちゃんとブラシをかけてあげればこの子はもっと輝けるわ! それほどの逸材よ!!! こんな子が奈落の底で埋もれてるなんてとんでもない損失だわ!!」

 

「そ、そうか……よ、良かったな。うん……」

 

 想定の百倍以上の反応を返され、光輝だけでなく他の男共もたじろいでしまった。何せ雫の赤くなったお目々がとってもキラキラしていたのだから。その物凄いアピールに押され、女子~ズの方も迷いが生じ始めていた。

 

「え、えっと……そ、そんなこと言われたら気になるじゃないのシズ……」

 

「さ、触っちゃっていいのかな? い、嫌がられたりしない?」

 

「絶対大丈夫よ! この子はもう私達に心を開いているわ!! 嫌がるなんて絶対しないから皆も触ってあげて!!」

 

 嫌がらないのは別に心を開いた訳でなく操ったからなのだが、そのことは既に雫の頭からはすっぽ抜けているのだろう。ここ最近は落ち着いてきたはずの少女チックな言動をする雫の下へ香織らが行こうとすると、せき払いをしたメルドが苦言を呈してきた。

 

「あー、ゴホン……お前ら、とりあえずソイツが気に入ったということはわかった。十分にわかった。だがな、今はまだ俺達は拠点に戻った訳じゃない。いつ敵に襲われるかもわからん状況で大声を出してワーキャー言うのは後にしろ。最悪爪熊に見つかるぞ」

 

「――ぁ、はぃ……」

 

 青天井もいいところであった雫のテンションはこの言葉で一気に冷め、叱られた幼子のようにシュンとした様子でうなだれていた。他の女子~ズもその言葉でようやく自分達がまだ危険な場所にいることを思い出し、誰からともなく出た『帰ろっか』の一言で一行はそのまま拠点に戻ることにしたのであった。

 

「ただいまー……ハジメくん、鈴、あと檜山達もお疲れ様」

 

「あ、お帰り皆。それとちゃんと捕まえたみたいだね」

 

「おうお疲れー……マジで連れてきたんだな」

 

 あの後気分が思いっきり冷めたことから無言で帰路についた恵里達は、そのまま拠点の壁を土属性の魔法で空けてすぐに入ると、慣れた手つきで壁を簡単に埋める。そうするとあいさつもそこそこにハジメもまた自分の作業を一旦止めて壁の修復をやってくれた。

 

「お疲れ様、恵里も雫も……そんなに気に入ってる?」

 

「……うん。だってかわいいもの。鈴も触る?」

 

 道中ずっと蹴りウサギを抱えたままであった雫は、親友である鈴に触らせてあげようとそっと差し出す。恵里から大人しくしているよう指示された蹴りウサギは特に暴れることもなく、作業中であった鈴も白くてまん丸な毛玉に手を伸ばせば、わぁと一瞬で顔がほころんだ。

 

「すごい……もふもふしてる。もふもふしてて癒されるぅ~」

 

「うんうん大成功だね。んじゃ鈴、後で香織達にも貸してあげて」

 

「うん。もうちょっとだけ、後でね」

 

「はいはい――それでハジメくん、()()()の方はどうなの?」

 

 そう言いながら肉球に触ったり、全身の毛を撫でる鈴を横に恵里はハジメに声をかけると、ちょっと厳しい顔を一瞬浮かべながらも恵里にその()()の方について答えた。

 

「うん、とりあえず今は色々試しているところかな。新しく出てきた技能のおかげでなめしに使えるクロムや石灰とかの鉱物はある程度確保出来てるけど、結局知識は知識でしかないからね。裏打ち機でもあればいいんだけどその構造もよくわからないし……今地味にやってるとこ」

 

 そう。ハジメ達が拠点に残ってやっていたのは当初恵里が提案しようと考えていた“なめし”の作業であった。

 

 アニマルセラピーのことについて提案した後、恵里が本題であったこれについても話したのである。いつもは捨ててるこの皮を加工して敷物代わりにすれば多少は寝るのがマシになるんじゃないか、と。ハジメも鈴もそれに関して一応考えていたらしく、自分が提案するとすぐにそれに乗っかってくれたのだ。

 

 それが出た後、色々とゴタゴタがあったのだが、“あること”を条件に大介達をハジメが抱き込むことに成功したのである。それで現在は残った六人で新たにハジメが獲得した技能である“鉱物系探査”でなめし作業に必要なものを探してリュックに詰め、その後ハジメが鈴も含めて五人に作業手順を教えつつ、一緒に作業をしながら指導をするいう形で作業を進めていた。

 

「そっかぁ。お疲れ様、ハジメくん。いっぱい鉱石も探して色々教えてたんだし……ご飯の後、肩とか腰のマッサージしてあげる」

 

「ありがとう恵里。じゃあご飯の方お願い。僕達は臭いを落としに一度お湯浴びしてくるから……あ、それとやっと塩、手に入ったよ」

 

 塩。その単語を聞いた途端恵里の瞳から涙が流れる。やっとだ。やっと一切味付けのない調理方法から抜け出せる。そのことに心底歓喜した恵里はハジメの手を引いて皆に喧伝する。塩が、塩が手に入ったと。

 

 なめし作業に使うことからある程度の量を確保していたため、そこで食事に回せる塩も確保したことを伝えると全員が喜びに満ちた。なんだかんだ言って野趣が溢れるだけの味気のない食事は全員が嫌だったのである。喜びに満ちた顔をして騒ぎ立てるのを見ていた鈴と大介達は『あぁ、自分達もあんな顔してたなぁ』と感慨深そうな顔で見つめていた。

 

 その後、量が少ないとはいえ食事のために用意した岩塩を使い、久々に塩っ気のある食事を食べた全員が涙する。あぁ、塩って素晴らしい、と。ちゃんと味の変化があるって最高だ、と。そんなことを考えながら全員箸を進めていた。

 

「よし。じゃあハジメ、俺達にも教えてくれないか。すぐに狩りに行くわけでもないし、こういうのは分担した方がいいだろうからな」

 

「うん、わかったよ光輝君。じゃあこっち来て。今から手順について説明するね」

 

 そして食事の席でも話題となったなめし作業への参加。これがひとたび話題に上ると、誰もがそれに参加を口にし、“あるもの”を一刻も早く作りたいと願っていた。そこでハジメと鈴達もそれを承諾し、全員で後片付けを終えるとすぐさまレクチャーの時間に移ったのである。

 

 そうして実体験などを伴った説明会が始まり、誰もが意欲的な様子でそれに耳を傾けている。絶対に“アレ”を作って見せる、と意気込みながら。

 

 ……だが、彼らはまだ知らなかったのだ。この果てに待つ結末を。その先にある悲しみを。それを知らぬ彼らの目はとても輝いていた。




本日も懺悔のコーナー
はいまた長くなりそうになったので前後編です(白目)
ぶっちゃけこのまま書くと絶対二万字いくだろうなー、と思ったので分割しました。最優先は読者の方の読みやすさですので。続きは……月曜日辺りに挙げられたらいいなー、と考えております(やれるとは言ってない)


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三十九話 積み重ねたものの重み(後編)

まずは拙作を読んでくださる皆様に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも93991、お気に入り件数も677件、感想数も252件(2022/3/28 22:08現在)になりました。誠にありがとうございます。久々に日刊ランキングにも入りましたしありがたい限りです。

そしてAitoyukiさん、宮狐 狐蝶さん、yushiyoさん、拙作を評価及び再評価していただき本当にありがとうございます。同じ文句ばかりで申し訳ないですが、こうして皆様に評価していただけるのは励みになります。ありがたい限りです。

今回長く(約15000字)なりました(白目) そのことに注意して本編をどうぞ。


「……よし。合図をしたら皆で一斉攻撃だ。中野、斎藤、準備はいいか?」

 

 ハジメ達が爪熊を討伐してから三日。既に一つの班で十分に食料を確保できるようになってから朝昼とローテーションを組んでおり、昼食を担当することになった光輝達の班は今十五頭ほどの死体の載ったソリを引きずりながら、雫が偶然見つけた爪熊の後を追っていた。

 

「任せな。とっくに出来てらぁ」

 

「おうよ。お前こそしくじんなよ天之河」

 

 久々に自分達の班と合流した大介ら四人の内、緊張しながらも軽口を叩く余裕のある信治と良樹を見て、少し笑みをこぼした光輝は通路の先にいるターゲットである爪熊に視線を向ける。

 

 『ハジメ達がやったんだから自分達も』と一念発起して倒そうと考えており、そのための方法も()()も既にハジメ達と話し合い、しっかりと用意していた。

 

 今その爪熊はスンスンと何かを嗅ぎ取るような動きをしており、おそらく自分達を探しているのだろうとあたりをつけると、不意に爪熊がこちらの方を向く。

 

「――皆、構えろ! 手筈通りにやればきっと勝てる! 全員、目をつぶれ!!」

 

 光輝はポケットから取り出したものに軽く“纏雷”で電気を流してやり、それを爪熊の方へと投げ飛ばす。

 

 見つけた獲物を喰らわんとばかりにこちらへと駆け出そうとした爪熊だったが、足元に転がった物体に気付いた途端、そこから強烈な光が放たれた。ハジメ謹製“閃光手榴弾”である。

 

 原理は単純だ。緑光石に魔力を限界ギリギリまで流し込み、光が漏れないように表面を薄くコーティングする。更に中心部に燃焼石を砕いた燃焼粉を圧縮して仕込み、その中心部から導火線のように燃焼粉を表面まで繋げる。

 

 後は〝纏雷〟で表に出ている燃焼粉に着火すれば圧縮してない部分がゆっくり燃え上がり、中心部に到達すると爆発。臨界まで光を溜め込んだ緑光石が砕けて強烈な光を発するというわけである。ちなみに、発火から爆発までは三秒に調整してある。とある物を作るかたわら光輝達のために苦労して作った代物であった。

 

 当然、そんな兵器など知らない爪熊はモロにその閃光を見てしまい一時的に視力を失った。両腕をめちゃくちゃに振り回しながら、咆哮を上げもがく。何も見えないという異常事態にパニックになっているようだ。

 

「――よし、収まったな! 皆いくぞ “海炎”!!」

 

 そして閃光手榴弾の放った光が収まると同時に全員が武器を構え、光輝と信治は炎の津波を起こす炎系中級魔法“海炎”を、良樹はもの凄い突風を起こす風系中級魔法“風灘(かぜなだ)”を発動。

 

 他の皆も炎と風の初級、中級問わず魔法を連打していき、全員で灼熱地獄を再現したものを爪熊へと叩き込んでいく。

 

「グルゥアアアァァァアァ!?」

 

 良樹の起こした突風や他の皆が発動した風属性の魔法によって威力も速度も増した炎の津波や燃え盛る礫、槍などがあっという間に爪熊を火だるまにしていく。体毛も焦げ、皮膚も焼け(ただ)れてのたうち回っている。だが傍目から見ても苦しそうな爪熊相手に誰も攻撃の手は緩めはしなかった。

 

「奈々、頼む!」

 

「了解!――“辻波”!」

 

「ガゥウゥウ!? グァアアァアァ!!」

 

 その次は奈々が発動した水系中級魔法“辻波”で鉄砲水を発生させ、辺り一面を水浸しにしていく。全身に大火傷を負った爪熊はいきなり出てきた水に触れたことで体中に激痛が走り、悲鳴を上げながら一層暴れ狂っている。

 

「よし、全員いくぞ――“纏雷”!」

 

「グギャォオォォオォォォ!?」

 

 そして濡れた地面に全員が手を押し当てると同時に深紅の電流で爪熊を丸焦げにしていく。情け容赦のない攻撃の連続を次々と打ち込まれたことで狂ったように悲鳴を上げるものの、爪熊はもがくように“風爪”を発動していた。

 

「ったく、ホントに化け物だなアイツは!!」

 

「ホントね……ハジメ達が立ててくれた作戦通りじゃなきゃ確実に死んでたわ……!」

 

 距離こそ離れているため一切当たらないものの、ここまで攻撃を受けていてもなお耐えきる生命力と相手を仕留めんとする意志にはこの場にいた誰もが戦慄していた。やはり奈落の魔物相手に油断など出来ない、と。

 

「作戦変更! ここは俺が仕留める――“天翔閃”!」

 

 本来ならこの後前衛組が一斉にかかって仕留める算段だったのだが、未だ爪熊が狂ったように“風爪”を発動しており、どうにもならないと判断した光輝はすぐさま“天翔閃”を発動する。

 

「グォオォオォォ!!――ォ、ォォ……」

 

 聖剣から放たれた光の斬撃は一切の慈悲なく爪熊を両断し、振り回していた腕も一本は切り離されて宙を舞った。白かった体毛も黒と血の赤に染まり、爪熊の瞳からは急速に光が失われていく。振り回していた腕もそのまま力なく地面へと落ちる。その様を見て誰もが勝利を確信した。

 

「……やった。やったぞ皆! 俺達は勝ったんだ!!」

 

 光輝が勝鬨(かちどき)を上げれば、全員がそれに返すように雄叫びを上げる。

 

 ドンナーという規格外の武器がなくとも勝てる。自分達でもこんな強かった奈落の魔物を倒せるんだと確信する。神殿騎士、神の使徒、最初に相対した時の奈落の魔物によって傷つけられた自信が癒された彼らは、毛皮が少しもったいなかったことを互いに話し合いながらも爪熊の死体をソリに積み込み、拠点へと戻っていく。

 

 道中二尾狼や蹴りウサギはとエンカウントしながらも、先の戦闘で得た自信、そしてここ最近培った慎重さを軸に油断せず的確に対処していた。無論楽な相手ではなかったものの、それでも彼らの顔に陰りは一切見られなかった。

 

「ただいま戻りました――皆ー、今回の分を受け取ってくれー!」

 

「ん、戻ったか――その顔、遂にやったんだな」

 

「はい! 俺達でも爪熊に勝てました!! 俺達もやれたんです!!」

 

 そして拠点に戻った光輝達はすぐさま穴を塞ぎ、既に調理に移っていた恵里や鈴らに今回の成果を渡しに行こうとしたところ、出迎えに来てくれたメルドが自分達の顔を見るや否や、察してくれた。それに誰もが喜ぶのを止められず、光輝が代表して戦果を伝えると、メルドも満足そうな顔でうなずく。

 

「――ホントだ。爪熊の死体がある!」

 

「おいおいマジかよ!――よし、皆、ここらで光輝達の勝利を祝ってパーっとやっちまわないか!」

 

 その声を聞きつけて調理していた恵里達や、作業をしていたハジメ達もその場に集まり、幸利が祝勝会を提案するとすぐにそれを開く流れとなった。無論メインは光輝達が頑張って狩った爪熊の肉と内臓だ。ただ、遠慮なく魔法で焼き焦がしたり、光輝が“天翔閃”でバッサリといってしまった分、食べれる箇所は減ってしまっていたが。

 

 特に酷いのが内臓で、傷ついていたり、胆のうが破れて胆汁がしみ込んだせいで臭くなってるのが多数であった。だが食べれる箇所が皆無ではなかったのでそれでも全員のテンションは十分に高かった……のだが。

 

「ダメッ! 絶対に駄目よイナバちゃん! いくら何でも()()肉だけは食べちゃ駄目!!」

 

「キュゥウウゥゥゥ!!」

 

 その廃棄しようとした爪熊の肉を腹を空かせた様子の蹴りウサギことイナバ――前世? で恵里が鈴と対峙した際、連れていた蹴りウサギと思しき生物と同じ名前から採用しており、皆から受け入れられてたりする――が何としても食べようと雫の腕の中で必死に暴れていたのだ。

 

 雫もまたこんな危ないものを絶対に食べさすまいと調理の手を止め、全力で抑え込んでいるものの、今にもイナバが抜け出しそうになっていた。

 

「恵里、お願い! イナバちゃんを止めて!! あなただったら出来るでしょ!?」

 

「あー、うん。流石に廃棄したものを食べさせるのはねぇ……臭くなるし、うん。とりあえず暴れないの。別のを食べさせてあげるから」

 

「キュ……キュゥ」

 

 そこで恵里は雫からのお願いもあり、すぐさまイナバに指示してやるとあっさりともがくのを止めた。そこでふと恵里はイナバの様子を見てあることを思いついた。

 

(……そういえば前世の鈴も蹴りウサギをエヒトの根城に連れてきてたっけ。でもあの時の強さとここにいる蹴りウサギの強さって全然違うしなぁ。突然変異か、それとも――)

 

 ――自分達と同様、魔物の肉を食べて強くでもなったか。

 

 そこでふと()()をしてみたくなったものの、目に入れても痛くないぐらいにイナバを可愛がっている雫のことを考えて少し罪悪感が湧いた。

 

「よし、これで大丈夫……あ、でもお腹すいてるからこんなことしたんだろうし――はい。お食べ」

 

 ()()まだいいか、と結論付けた恵里は焼けた二尾狼の肉を箸でとって食べさせてやることに。息を何度か吹きかけて冷ましてやってから口元まで持っていけば勢いよく食べ始めた。そんな様子に雫と一緒に癒されながらイナバの頭を撫でてやった。

 

「良かったぁ……ねぇ恵里、今イナバちゃんに食べさせたのって――」

 

「うん。二尾狼の肉だよ。美味しい?」

 

「キュ!」

 

 物欲しそうな顔をしたイナバに見つめられ、仕方ないなぁと思いながらも焼けた肉をもう何切れか食わせてやることに。ただ、それでもおかわりを要求するように見つめてきたため、『これ以上はご飯の時にね。はい我慢』と言っておあずけにさせるのであった。

 

「……癒されるわね」

 

「うん。本当にそうだね」

 

 そしてそんなイナバと雫の様子を見て他の女子~ズも癒されていた。イナバのことで一喜一憂する雫もまた、なんだかんだで彼女たちに密かに愛でられていることを当人は知らない。

 

 

 

 

 

 

「――うん、やっぱり光輝君達はすごいや。危なげなく勝っちゃうんだもの」

 

 そして始まった祝勝会にて、いつぞやの時とは逆に光輝達の話に耳を傾けていたハジメは純粋な賞賛を彼らに贈った。すると光輝は一度恥ずかしげに目をそらし、賞賛してくれたハジメに言葉を返す。

 

「いや、それもハジメが俺達のために作戦を発案してくれたり、それを恵里やメルドさんが色々と手を加えてくれたおかげだよ。それを抜きにして語れないさ」

 

 『最初はやり過ぎだ、と思ったけど』と苦笑しながら光輝がそう付け加えると、彼の班の仲間達が『確かに』と釣られて苦笑いを浮かべた。

 

 今回光輝達が実行した作戦は、ハジメ達が最初に爪熊と戦った時の作戦を反省すると共に光輝達ならどうやったら勝てるかを考え、練りに練ったものであった。

 

 この作戦を聞いた当初は『尋常じゃないまでの殺意にあふれすぎている』と光輝達の班の皆が思っており、誰もがドン引きしていた。しかしあのドンナーの一撃でさえも平気で避けたことや、七人がかりで感電させたり、タウル鉱石製の巨大な杭で体を貫かれても即死しなかったことなどを聞いたことで自分達の認識の甘さを理解したのである。そこまでやってもなお、爪熊は必死になってハジメ達を殺しにかかってきたのだ、と。

 

 そのため自分達も生き残るためには手段を選んではいられないと考えるようになり、来たる爪熊との遭遇に際して全員綿密に話し合い、練習をして臨んだのである。今となっては感謝以外の感情が浮かばないと誰もが思っていた。

 

「それでも、だよ。皆が持ってるチートスペックを十分引き出せたからこそ誰もケガしないで済んだんだ。それは誇っていいんじゃないかな?」

 

「……敵わないわ、ハジメ君には」

 

 そう苦笑しながら雫が言えば誰もがそれにうなずき、どっと笑いが起こる。話し合いは終始和やかな雰囲気が続き、誰もがとりとめのない話をしていると、ふとあることが気にかかった大介はハジメに問いかける。

 

「な、なぁ先生……()()、出来たのか? いや、その……仕上げの段階で俺ら狩りに行っただろ? だからもう出来たかどうかわかんなくってよ……」

 

 切羽詰まった表情で大介はハジメに頼み込んでいた。今回光輝達の班に組み込まれたことで自分達が作っていたものが完成したかどうかがわからなかったからだ。叶うことならば自分達の手で完成させ、いの一番に使おうと思っていたぐらいなのだが、完成の目途が立ったせいで大介達は狩りの班に戻されてしまったのだ。そのため四人ともメルドを心底恨みつつも、戻ってくるのが楽しみで楽しみで仕方なかったのである。

 

「あぁ、()()ね……ふふふ」

 

 話を切り出した大介と礼一らの様子を見たハジメは不敵な笑みを浮かべた。普段なら絶対浮かべないであろう彼の表情を見て製作に関わっていたメンバー以外が驚き、戦慄する。まさかもう出来ていたのか、と期待と不安がないまぜとなり、ハジメがそのことを話してくれるかを今か今かと待っていた。

 

「大丈夫、僕の手でしっかり完成させたよ――出来はちょっと不安だけれど、大介君達も光輝君達も満足させられると思う」

 

 ニィ、と犬歯を見せつけると、ハジメはすぐさま部屋の隅で四方を岩で覆っていたスペースへと全員を連れていく。くつくつと普段の彼ならしないような笑い方や勿体ぶり方に恵里達や大介らが『これだからハジメくん/先生は』と呆れつつ、光輝達はそれに加えてとてつもない期待を寄せていた。きっと、きっとやってくれたんだ、と。

 

「それじゃあ光輝君達にお披露目といこうか――これが僕達、渾身の作だぁーーー!!!」

 

 岩に手を突き、“錬成”で壁をスライドさせたことで現れたのは白一色に染まった物体――レザーベッドと革張りのソファーである!!!……その威容に光輝達は度肝を抜かれた。期待通りのものが今目の前にあることに感動して涙が止まらず、雫や優花達は嗚咽を漏らしていた。

 

「本当に……本当に出来たのね」

 

「うん、そうだよ優花さん――ありがとう信治君。信治君が言ってくれなかったらこれは生まれなかったから」

 

 得意げになっている信治にこの場にいた誰もが感謝を述べる。お前がとんでもないワガママを言ってくれたおかげで自分達はそれを享受することが出来た、と。呆れ半分に言ったり茶化すようなものが大半であったが、それでも誰もが彼には感謝していた。

 

 ……事の始まりはなめしについての話を切り出した後のことである。

 

 なめしに必要な材料は既に幾らか確保しており、またハジメの新たな派生技能である“鉱物系探査”により作業に必要な材料も探し出せると話したことで場が大いに盛り上がった。これでようやく寝るのがマシになる。そう誰もが思っていた矢先、信治がとんでもないことを言い出したのだ――頼むから先生ベッド作ってくれねぇ? と。

 

 これには誰もが大いに呆れ、その一言のせいでベッドが恋しくなってしまったほぼ全員が殺意のこもった眼差しを信治に向けたのである。短く悲鳴を上げた信治はそのまま腰を落として後ずさった。

 

『お、俺はただ、先生なら作れると思っただけで……わ、悪気はなかったんだよぉ!!』

 

 自業自得である。

 

 そこで本当に作れるか真剣に考えていたハジメであったが、どうやればいいのか具体的な考えが思いつかず、『ごめんね信治君、ちょっと僕でも無理かも』と返したのだが、ここで信治は折れなかった。

 

『で、でもよ! 確か銃作る時にバネをいっぱい作ってたって聞いたぜ!! さ、さっきのなめしの話を聞いた時、バネのきいたマットレスなんかも作っちまえるんじゃないかって思ったんだよ!!』

 

 ――その瞬間、誰もが電撃に打たれたかのような心地となった。

 

 バネを複数作って並べ、それをなめした革で覆えば作れるのではないか、と。ハジメは更に一歩踏み込み、バネを複数並べただけだと、寝返りを打った拍子にバネが動いて絡まる可能性があるからバネも一つ一つ包んでしまって、それをいくつも並べて革で包めば立派なマットレスになるのではないか、と。フレームに関しては金属で十分事足りる。ならば後は実践するだけ――そう結論付けたハジメは信治の手を取り、感謝を伝える。

 

『ありがとう信治君。おかげで前言撤回出来るよ――皆、ベッドで寝たくない? 僕は寝たい。正直背中とお尻が痛くて辛いからね……そこで、皆が手伝ってくれると僕もすごい助かるんだけど、やってくれる?』

 

 ……その時ハジメが浮かべたゾッとするような笑みを誰もが今も忘れられなかった。恵里ですらあの顔をしたハジメには敵わないと心の底から思ったのである。あれは悪魔の笑みだ、と。絶対に逃す気のない奴が浮かべる笑みであった、と。

 

 そこから先は銃作り以上にヤバかった。まずは革の用意。これが無ければバネもマットレスもフレームであっても包めない。それにバネに関しては自分じゃなければ作れないため、革は他の誰かに作ってもらう必要があった。そこでなめしに関する知識のあった鈴とやり方を再度確認し合い、その後言いだしっぺである信治を含めた大介ら四人に白羽の矢が立ったのである。

 

 彼らもベッドが作れるなら何でもやる、と息巻いて必死にやり方を覚え、皮についた皮脂などをこそげ落とすなどといった面倒な作業も黙々とやった。全ては理想のベッドのため。メルドからも狩りの免除を許してもらったこともあって、鈴と一緒に全力でなめし作業をやっていたのだ。

 

 一方、ハジメもバネ作りを気が遠くなるような程の試行回数を繰り返し、何度も何度も作っていた。革で包むことを考えると弾力はどれぐらいにした方がいいのかを常に考え続け、いくつもサンプルを作ってはひたすら試し、時には恵里や鈴、大介達に実際に試作したマットレスに寝っ転がってもらって調整を繰り返した。その回数は千を優に超えた。

 

「正直ドンナーを作る時以上に苦労したし、しんどかったよ……流石にそこまでの知識はなかったから。でもね、でもこうして出来たんだ」

 

 だがその結果、こうしてダブルサイズのベッドが完成したのだ。血のにじむような努力の果てに、『どうせだしソファーも作ろう』と自分から言ったことで余計に苦労を背負い込む羽目になりながらもハジメは見事に成し遂げたのである!!

 

「本当に苦労したよ……素人なりに各場所に使うスプリングの固さとかを色々変えてみたり、ちゃんと革を糸で縫い合わせたかったけれどリュックに入ってる糸は服の補修程度のものしかないから無駄遣い出来ないし、だから必要最低限の箇所以外は仕方なく針金を使ったりしたし、結構継ぎ接ぎだらけだから座り心地も寝心地も地球の家具屋とかに置かれてたのとかお城やホルアドの宿屋にあったベッドなんかと比べたらお世辞にも良い出来とは言えないさ――でもそんなのはどうだっていい」

 

 感慨深げにそうつぶやくと、ハジメは手のひらを上にしながらベッドとソファーの方へと向ける。

 

「恵里達や大介君達に手伝ってもらったおかげで出来た自信作――早速使って見ない?」

 

 そうハジメが言った途端、光輝達の間でざわめきが起きる。しかしそこに恵里と鈴が笑みを浮かべながら口をはさんできた。

 

「あ、そうそう。もうハジメくんはベッドに使うバネの作り方も覚えた、って言ってるから革さえあればもっとハイペースで量産は出来るみたいだよ」

 

「うん。それとね、もうベッドの方は二つ、ソファーの方は三つがもう完成間近だから。革の大きさの関係でシングルベッドぐらいのと二人用のものが限界だけどね」

 

 そう二人が述べたことで光輝達はハジメ達に謎の感動と畏敬の念を覚えた。彼らには絶対に足を向けて眠れない、と。そして食事もそこそこに光輝達も試しに使ってみた結果――。

 

「うん、無理だ。もう動けない。もう雫とイナバと一緒にこれずっと使いたい」

 

「私も……もうここから動きたくなんてないわ。光輝とイナバちゃん、二人と一緒にここでずっと寝てたいもの」

 

 爪熊の革をマットレスに使ったダブルベッドに寝ころんだ光輝と雫がダメ人間になった。だらしない顔でゴロゴロしたり、イナバを二人で挟み込んで抱き合うなどしている。その様子を見て『わかる。気持ちがわかるぞ……俺も本当にベッドから離れられなくなった』とメルドがつぶやいたのを聞いた多くの面々がそれにうなずいた。

 

「お尻があんまり痛くない……すごい」

 

「うん……流石に三人だと狭いけど、お尻が痛くなくて済むならこれぐらい我慢できるね」

 

「だよねぇ~……あー、ハジメ君ありがとぉ~。ここに来て一番幸せを感じてるよぉ~」

 

「おう、わかるぜぇ。俺らも席を取り合ったぐらいだからな」

 

「そうそう。試作の段階でも先生がマジでこだわってくれてたからそこまで痛くなかったんだよな。マジ先生スゲぇわ」

 

「それな。あ、でもお前ら。発案者の俺をないがしろにして座りまくったの今でも恨んでるからな」

 

「お前はまだいいだろうがよ、信治。俺なんてちゃんと座れたの片手で足りるレベルだぞ。ホントお前らろくでもないよな!」

 

 優花らも二人掛けのソファーにいつもの三人で座りながら各々感想を言い合った。それを聞いた大介達四馬鹿も試作の段階で取り合ったことを感慨深げに話し、優花らから呆れられていた。

 

「……みーんな骨抜きになってるね」

 

「うん。あんな体験したらもう戻れないと思う。鈴だって正直、渡したくないもん。出来ることなら独占したいよ」

 

「こんなに喜んでくれると僕としても嬉しいけど……これ大丈夫かなぁ。まぁ細かいことは後で考えるとして、完成間近のベッドとソファーを仕上げにかかろっか」

 

 恵里とハジメ、鈴以外の面々が思い思いに過ごす中、意気揚々であった恵里と鈴はハジメの手伝いに移った。今回もハジメの魔力回復のために“天恵”を何度も何度も乱打したのとステータスの向上もあってか、鈴は中級の治癒魔法が使えるようになっており、他者の魔力を回復させる“譲天”でハジメの魔力回復に一役買っていた。恵里は言わずもがな一つのことに集中させる“鋭識”でのサポートである。

 

 また今回の家具作りの副産物として、ハジメは“精密錬成”、“鉱物分離”、“鉱物融合”の三つの派生技能に目覚めており、また銃弾の作成も一発あたり小一時間ほどかかっていたのが三十分足らずで出来るようになっていた。情熱の力は偉大である。

 

「“錬成” “錬成” “錬成” “錬成” “錬成”――」

 

「はいハジメくんちょっと待ってね――“譲天” うん、もういいよ……あ、恵里。そっちの方上手く貼り合わせてね」

 

「うん、わかった。じゃあ鈴も厚みの調整お願い。それとハジメくん、そろそろ切れる頃だし“鋭識”かけ直そう?」

 

「ううん、大丈夫。まだやれるから――“錬成”」

 

「またやってやがる……相変わらず熱心だよな、アイツら」

 

 そうして他の皆に呆れられながらも恵里達は家具の制作に勤しむのであった。自分達の作ったもので友達が喜んでくれることを思いながら。

 

 

 

 

 

「……どう、ハジメくん。こっちの方は使えそう?」

 

 ベッドとソファーのお披露目をしてから三日。心配そうに声をかける恵里であったが、ハジメは渋い顔を浮かべたままであった。

 

「……やっぱり駄目だ。ちゃんと魔法陣も再現したつもりなのに起動しない。もう片方のものを参考にしたつもりだけど復元は失敗……頑丈な武具以上にはならないかな」

 

 そう言ったハジメは一度目の前のガントレットに視線を移すと、声をかけた恵里の方を見ながらそう答えた。

 

 ある目的のために回収したこのガントレットはかつてノイントが使っていたものであり、この階層に上陸した地点に壊れた状態で放置されていたものをどうにか頑張って修復したものである。が、その目的のために運用することは出来ず、雫にでも防具として使ってもらうしかないかと考える他なかった。

 

「じゃ、じゃあハジメ……それ、結局使えないってことだよな? ホント、なのか……?」

 

 わなわなと震えながら幸利が尋ねるものの、ハジメは力なく肯定するだけであった。途端、幸利だけでなくハジメと恵里、そしてメルド以外の全員がその場にくずおれてしまい、全員の顔に絶望が広がっていった。

 

「ハジメくん、どうにかしてよ……今までだって何度も解決できたでしょ。今回もさ、やってよ。お願いだから……」

 

「……ごめんね、鈴。今回だけは、今回だけはどうしても駄目なんだ」

 

 ぺたんと座り込んだ鈴がハジメのズボンのすそにすがりつきながら懇願するも、ハジメはうつむいたままそう返すのが精一杯であった。

 

「……もうさ、皆諦めようよ。諦めた方が気が楽だよ?」

 

 諦観に満ちた眼差しを全員に向けながら恵里が言えば、香織は悲しみをこらえながらそれに反論する。

 

「できるよ……今までだって、どんな不可能なことでも皆で乗り越えてきたんだもの!! 諦めないでよ恵里ちゃん! ハジメ君も!」

 

「あぁ、そうだ!! この程度乗り越えられなくてどうやって奥までたどり着くってんだ! 俺も諦めねぇぞ! 香織と一緒だ!!」

 

 香織が叫ぶと共に龍太郎もまた吼える。不退転の意思を明らかにした二人を見て、光輝と雫の瞳にも光が宿った。

 

「あぁ、そうだ……ここで屈する訳にはいかないんだ! “勇者”という天職を与えられた俺だからこそ、ここで屈する訳にはいかない!! ここで俺が屈したら皆が絶望に沈む! だったら立ち上がってみせるさ!!」

 

「ええ……私だって、やれることは全部やるつもりよ!! この程度の理不尽なんかに負けてたまるもんですか!!」

 

 立ち上がって決意を示す四人に触発されたのか、浩介や幸利、優花らも立ち上がって前を向いた。

 

「はは……そうだな。この程度で弱気になってちゃ駄目だよな。どっか、どっかに抜け道があるはずだ。俺達ならやれるはず!」

 

「そうだな。最悪もっと強い魔法をぶつけちまえばいいんだよ。俺らの力ならやれないことなんてねぇ」

 

「ホントね……まだ大人数で試してないでしょ? だったらやってみなきゃわからないじゃない!」

 

「うん。皆の言う通りだよ……私、やるよ」

 

「そうだよ。こんなとこで、めげちゃいけないよね。私だって、やってやるから!」

 

 その熱意は大介達にも及び、彼らもまた立ち上がった。

 

「あぁ、そうだな……せっかく作ったってのによ、こんなとこで無駄にしてたまるか、ってんだ」

 

「そうだな。俺ららしく行こうじゃねぇか。邪魔すんだったらぶっ壊すだけだ」

 

「言えてんな、オイ――行くぜお前ら。俺らの底力を見せるぞ」

 

「いいこと言うじゃねぇか礼一、信治。よしじゃあ早速――」

 

「駄目だ」

 

 ……だがそんな決意を胸にした彼らの耳にメルドの無慈悲な言葉が突き刺さった。あまりに冷たく、悲壮に満ちた言葉を発したメルドに彼らの意識は釘付けになる。

 

「言ったはずだ。ハジメの錬成も、俺や遠藤の土属性の魔法すらも効果がなかったんだ――残念だがお前らには諦めてもらう」

 

 憎まれることは覚悟のうえでメルドは容赦なく()()を切り捨てにかかった。だがそんな非情な判断に光輝は真っ先に反論しようとする。

 

「でも、でも! 俺の“神威”だったらやれるかもしれません! メルドさん、どうか許可を――」

 

「くどい!!……ここから先、一体何が出てくるかもまだわからないというのに無駄に魔力を使うな。それは俺が許さん。諦めるんだ」

 

 それでもどうにか食い下がろうとする彼らを再度容赦なくメルドは切り捨てる。これもまた“大人”の務めだと、聞き分けのない“子供”を諭すためにも必要なことなのだと苦渋に満ちた表情を浮かべながら。

 

「いや、あのね……皆がそんなに大切に思ってくれるのは嬉しいんだけどさ。その……マットレスはともかくベッドとソファーをそのまま運ぶのは無理だってば」

 

 ……そう。彼らが必死になって反論していたのは『是が非でも次の階層にベッドとソファーを持ち込む』ためであった。

 

 彼らがゴネ出したそもそもの原因はベッド及びソファーのお披露目した翌日のことが原因である。その頃には光輝達の班もハジメ達の班もこの階層のマッピングを完全に終えており、結論を出さざるを得なくなっていた――ここへと侵入したルートを逆走し、国相手に喧嘩を売りながらさすらうか、下の階層へと足を踏み入れて更なる地獄へと突き進むか、である。

 

 いくらここで相当の強さを得たといえど、軍隊を相手に生き残れる自信は誰にもなかった。大介達であってもそこまで自惚れてはいなかったのだ。そのため全員があるものにすがることとなった。ハジメが本来たどるはずであった未来である。

 

 上への通路が作れない以上、本来の未来のハジメもまた下に下って行ったのだろうということは誰もが想像がつき、こうなった以上はもう腹をくくるしかないと誰もが覚悟を決めた……のはいいのだが、ここで新たな問題が浮上する。作ったベッドとソファーをどうするかについてであった。この時点では誰もが下へと運んで使いたいと考えていたのである。全員文明の利器に毒されていた。

 

 そこで翌日、ハジメ達の班は下へと続く階段のある部屋へと向かい、実際に通ってみて思ったのだ――真っ暗で家具を運ぶのが絶対面倒。あとちょっと狭い、と。

 

 ひと一人が通る分にはともかく、ベッドとソファーを持っていくにはちょっと狭めの幅だったのだ。何とか持っていけはするけれども、一つずつ運ぶのが精一杯。台車に載せて運ぶ事も考えたのだが、途中で道幅が更に狭くなっているせいでそれも無理であった。それも天井含めてであり、“錬成”や土系の魔法で広げようとしても一向に反応しなかったのだ。先日メルドが述べたあの現象がそこでも発生したのである。

 

 マットレスだけを鎖か何かで体に括り付けて運ぶのであれば、固定する向き次第でどうにかなりそうではあったが、ソファーは引っ掛かりそうになっていたのである。ならば分解して運べばいい、と思ったもののそこは次の階層の暗さと魔物がネックとなった。実際に進んだ際に六本足の猫のような見た目の魔物に襲われたのである。

 

 “気配探知”や“特定感知”に引っ掛かりこそしてくれたものの、凄まじい速さでこちらに迫ってきたため、まだ生物相手に上手く当てることが出来てないハジメのレールガンは体の小ささもあって避けられてしまう。

 

 そこで猫に襲われそうになったハジメであったが、とっさに鈴と香織が“聖壁”を発動してくれた事で直撃は避けられた……が、取り付いた六本足の猫が放ったボクサーのラッシュもかくやの猫パンチによってあっさりバリアにヒビが入っていき、もう一枚のバリアにさえその余波が及んで少しずつ亀裂が増していったのだ。死を直感したハジメが即座にレールガンを叩き込んだ事でどうにか仕留めることは出来たが、生きた心地がしなかったという。

 

 とりあえずその場は何とかなったものの、うかつに入り込んだらどうなるかを嫌というほど理解させられたハジメ達は猫の死体を持ってそのまま拠点へと撤退。今回のことを話しながら猫を食べた。なおその後激痛に襲われ、また神水のお世話になった。

 

「あのガントレットの収納能力さえあれば良かったんだけど、ねぇ……」

 

 どうしたものかと考えたハジメはあることを思いついた。ノイントが使っていたガントレットの再利用である。あれが光ると同時に剣が出てきたことを考えると、あれは一種のアイテムボックスの類ではないかと考えたのだ。

 

 そこで急ぎ上陸地点に向かって破損したガントレットを拾い、家具作りのかたわら修復作業に勤しんでいたのである……が、どうにか修復し終えてもその道具を格納する機能は一切発動せず。ただの防具として生まれ変わっただけに終わってしまったのである。そのため諦める他無かったのだ。

 

「運ぶのが一つ二つだけだったらいいけどさ……もう、かなり増えちゃったしね」

 

 そう言って部屋の隅に視線を向ければシングル・ダブル含めて五つ、ソファーに至っては六つと大幅に増えてしまったのである。流石にそこまでとなるとあの暗い中往復するか、全員でパーツ毎に分けて運ぶしかない。緑光石を使うにしても片手が塞がってしまうこともあってハジメは持っていくのを諦めたのである。

 

 階層を一つ二つまたぐならいいにしても、それを何度やるかわからないなら現地で作る方に切り替えた方がいいとハジメは考えた。が、今度は鈴達がそれが嫌だとゴネだしたのだ。こうして増えた今でさえもベッドで寝る時は二人、ソファーも寝床代わりに使っており、カツカツながらもそれで皆妥協していたのである。

 

 そこで寝床を取り上げられてはたまったものじゃない、と既に諦めた恵里とハジメ、メルド以外の皆が怒りに怒って駄々をこねだしたのだ。

 

「俺は……俺は認めないぞ!! ハジメにも恵里にもメルドさんにも止められてたまるもんか! 俺は絶対に諦めないからな!!」

 

「私もよ! だって、だってやっとちゃんと寝られるようになったのよ!! それをこんな……いっそ、いっそ殺してよぉ!!」

 

「キュゥキュウ!!」

 

 光輝が意固地になり、何故かくっ殺精神を発揮しだした雫を抱きしめながらハジメ達を涙目でにらむ。イナバもまた何となく嫌な予感がしたのか鳴き声を上げて抗議していた。

 

「やっと……やっと龍太郎くんと一緒にベッドで寝れるようになったのに……恵里ちゃんもハジメ君もメルドさんもひどいよ!! 三人には人の心が無いの!?」

 

 わんわんと泣き出した香織を龍太郎は無言で抱きしめながら目で訴えてくる――頼むから何とかしてくれ、と。三人は首を横に振った。

 

「マットレスなら! マットレスだけだったらどうにかなるんだよね!? ねぇハジメくんも恵里ももっと考えてよ!! 鈴とハジメくんで作ったんだからベッドもソファーも実質二人の子供だよ!! 認知してよぉ!!」

 

 初めの方はともかくとして、後半意味不明なことを鈴が言い出した。ハジメは顔を引きつらせるしかなく、恵里も恵里で必死過ぎる鈴を見て絶句するしかなかった。

 

「俺は絶対持ってくからな!! もう俺の心を癒してくれるのはベッドしかないんだよ! どこ向いてもカップルばっかだから夢の中でハーレム満喫するしか救いがねぇんだ!!」

 

 切実な願いを叫ぶ浩介を見た恵里達は半目で彼を見つめた。気の毒に思わない訳ではないのだが、その苦しみをこんな形で当たり散らさないでほしいと心の底から恵里とハジメは感じていた。なおメルドは『もし無事に地上に出れたら女遊びを教えてやろう』と心に固く誓っていた。

 

「なぁハジメ……マジでどうにかなんないのか!? ほら、小説とかアニメだとこういう時新たな力に目覚めるとかそういう定番のシーンだろ!? 頼む、頼むよ……俺、今なら何でもするからさ、助けてくれよ……」

 

 四つん這いになって顔を上げながら幸利が心底情けない声ですがりついてきた。だがハジメはそんな彼に申し訳なさそうな様子で自分のステータスプレートを見せてやり、以前と変わらないことを認識させて奇跡もへったくれもないということを彼に教えるしかなかった。一気に顔が土気色になってそのまま倒れたのは言うまでもない。

 

「ウソよ……こんなのウソに決まってるわよ!!」

 

「私、悪い夢でも見てるのかな……こんな、こんなことって……」

 

「ベッドは……ソファーは……私専用の家具はどこ……?」

 

 優花らは軽く現実逃避していた。ベッドとソファーでローテーションを組んでいた三人の今のひそかな夢が『自分一人だけで使えるベッドをもらうこと』だったのである。このままベッドを人数分作ることが出来ればいつかきっと叶うと思って我慢していたのだ。だがもし、ここでもしベッドを置いていくとなればその夢が遠のく……否、砕かれてしまったのだ。そのため今、優花と奈々は錯乱し、妙子は夢の欠片を求めてさまよう亡者となってしまった。

 

「ふっざけんなよオイ!! 俺らから天国を奪う気かよ!……ははっ、メルドさんがそう言うならよぉ、徹底抗戦といこうじゃねぇか。もちろん土下座でな」

 

「お願いします神様仏様ハジメ様メルド様ぁーーー!!! 俺もう床で寝るのだけはイヤなんですぅーーーーーー!!」

 

「絶対イヤだかんな!! 俺もっとベッドで寝てぇんだもん!! やだやだやだぁー!!」

 

「なぁ先生、メルドさん。俺ぁさ、コイツらみたいに優しくなんてねぇぞ……泣くぞ? もう恥もへったくれもなしで全力で泣くからな? 俺に恥をかかせたくなかったら今すぐ――」

 

 そして四馬鹿は四者四様であった。

 

 大介は土下座交渉、礼一は既に土下座してからの懇願、信治は寝っ転がって駄々をこね出し、良樹は自身の尊厳を人質に泣くぞと脅してくる。どうにもならんレベルであった。

 

 こうして誰も彼もがゴネにゴネ出し、メルドの方も仕方なく『狭くなったところをどんな方法でもいいから広げられたんなら許す』と言ったことで全員が躍起になった。各属性の魔法やら“限界突破”を使った上での“神威”が飛び交ったが、結果は無傷のまま。

 

 ハジメと恵里は『知ってた』とばかりに乾いた笑みを浮かべ、龍太郎とメルドが漢泣き、残りの全員がギャン泣きした。ちなみに流れ弾で魔物が何匹か跡形もなく消滅しているが、それは誰も知らない。

 

 ……その後、泣きながら拠点に戻った恵里達は思い思いに泣きはらした。そして少しスッキリしたところで話し合いをし、とりあえずマットレスだけを運ぶのとその際どういった人員で進むかを決めた。浩介と雫が偵察をしつつ、恵里、ハジメ、鈴、光輝、龍太郎、香織の面々で魔物に対処。残りの面々は隙を見て家具の運搬ということになった。

 

 また糸でなく針金で止めていたことからベッドもソファーも解体は容易であったものの、それらのフレームが流石に大きすぎるため分割して運ぶことになった。最悪それらはパイプ椅子に転生する可能性があったため、そうならずに済んで誰もがホッとしていた。今日も奈落は平和である。




ちなみに分割せずに済んだ場合、光輝達がゴネるシーンが冒頭に来てミスリードを狙うつくりになってました。


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幕間十六 立ち込める暗雲(前編)

まずは拙作を読んでくださる読者の方々への惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも95580、お気に入り件数も683件、しおりの数も282件、感想数も260件(2022/4/3 18:16現在)になりました。こうして拙作を見ていただき、ひいきにしていただき、誠にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、小焼夕焼さん、拙作を評価及び再評価していただき本当にありがとうございます。月並みではありますが、こうして皆様に評価していただけると執筆のモチベーションが上がってもっともっとと書きたくなります。重ね重ねお礼を申し上げます。

んで、例によってまた文字数増えそうだったので分割しました……うん、知ってた(白目)
という訳で今回は短めです。では本編をどうぞ。


「いやー、“勇者”様カッコよかったわねぇ~」

 

「ホントだよな。あんな若い子がめきめきと頭角を表していってる、って神父様もおっしゃってたぜ」

 

 昼の王都の酒場でも朝方行われたパレードの事で持ちきりであった。

 

 魔人族の方の動きが変わった事で暗い噂が王都でもここ最近続いていたものの、今回行われた神の使徒のパレードを見たことで全員があの熱狂にあてられているのであろう。誰もがパレードで姿を見せた“勇者”や彼と共に戦う神の使徒の話題で持ちきりであった。

 

「勇者様に付き従う神の使徒様もお若くて経験が浅いらしいけれど、もう騎士団の人達と対等に渡り合えるって話よ」

 

「いやー、流石はエヒト様から遣わされた方々だ! ぜひとも魔人族を皆殺しにしてほしいな!」

 

 誰も彼もが歓喜に沸く中、カウンター席で一人、ハイリヒ王国筆頭錬成師であるウォルペンは耳に入ってくる情報に対して何とも言えない顔をしながら出された飯をかき込んでいた。

 

「あんな若いナリで結構体つきもしっかりしてたよなぁ。あれならどんな魔物が来たって()()で切り捨ててくれるだろうし」

 

「そうそう。()()を身に着けて勇ましく進んでいく姿を思うと、興奮で身震いが止まらないっていうか」

 

「寡黙そうなトコも含めて素敵よねぇ――()()様」

 

「あぁ。俺らの永山様なら魔人族も――」

 

 止まぬ喧噪。静まらない熱狂。しかしウォルペンだけは唯一その場の空気に染まれずに居心地が悪そうにしており、それも遂に限界が来たのかやや乱暴に席を立った。

 

「……すまない。馳走になったな」

 

「おい、もういいのか?」

 

 普段の彼をよく知っている酒場の店主は心底気まずそうな様子でお代を置いていくウォルペンに声をかけるも、当人はやはり苦い顔を浮かべたままであった。

 

「お前さん、まだ今日は肉を食っとらんじゃろ。もう少しで出来るからそれまで――」

 

「すまんな。今日は少し食欲がない。釣りはいらん。飯を無駄にした迷惑料代わりだと思ってくれ。それと、無駄にした奴は数か月前に来た新人のまかないにでもしとけ」

 

 ではな、とだけ告げるとウォルペンはそそくさと酒場を出ていった。

 

 今しばらくはこの熱狂も収まらないと考えると外で食事をとるのも憂鬱になるものの、別段自炊が出来るわけでもない。

 

 これを機に誰かに尋ねてみるべきかと思いながらも更人に物を聞けるかと考え、しばらくは人がいない時間帯を狙うべきかと結論付けながら職場である工房へと戻っていく。

 

 その途中耳に入った“勇者永山”という単語に内心うんざりしながら足早に向かう。

 

「……何が勇者だ。どいつもこいつもまがい物をありがたがりよって」

 

 誰にも聞こえぬように漏らした言葉は、自分への侮蔑がひどくこもっていた。

 

「あ、頭領お帰りー!」

 

「お帰りなさい。ウォルペン師」

 

 工房へと戻ったウォルペンを真っ先に出迎えてくれたのは彼が昔から目をかけていたアディン・グーニットとその兄のオデルであった。

 

「ああ、戻った」

 

 そして出迎えてくれた彼らに一言返すと、そのままウォルペンは工房の奥へと向かっていく。普段ならばもう少し口数が多い自分達の師を見て何かあったと思った二人はすぐさま彼へと声をかけた。

 

「師匠、何かあったんですか」

 

「その顔は……やはり勇者のことが話題になっていましたか」

 

 オデルの言葉にウォルペンは一層渋い表情を浮かべ、何も言わずに首を縦に振る。それを見たアディンもオデルも同様に苦々しい顔をしながら師の後をついていく。

 

「……俺達の作ったものが世に出回って、それで誰かのためになるってのは嬉しいんだけどさ。でも、よりによってアレだしな」

 

「アディン、よせ……申し訳ありませんウォルペン師」

 

「気にせんでいい。俺の気持ちもアディンと同じだ――あんな偽物を世に知らしめて、誰が喜べるか」

 

 ウォルペンの握る両の手に力がこもる……彼らが造ったものは国威発揚のために造れと王直々に命じられたものであり、先のパレードにて勇者と称された少年が身に着けていたものはすべてイミテーションでしかなかったのだから。

 

 “王国錬成師”という誉れある肩書を持つその老人にとって、いかに国の命であってもそれは許しがたいことであった。自身の持てる技術はそのようなものを造るために磨いてきたのではないという憤りもある。だが何よりウォルペンにとって辛く苦しいのはそれを引き受けてしまったことであり、何故跳ね除けなかったのかという後悔であった。

 

 彼が唾棄すべき依頼を受けたのはかれこれ二週間ほど前のことであった。

 

 ホルアドの方で勇者を含む神の使徒一行がオルクス大迷宮にて実戦訓練をするということを錬成師仲間から聞き、しかしその後どうなったかが全く分からないことにどこかきな臭いものを感じていたウォルペンであったが、そんな時、勅命により彼含む筆頭錬成師全員が王城へと呼び出されることとなった。

 

 オルクス大迷宮から戻ってきた神の使徒の武具の修復や新造といったものであればいいが、と考えながら出向いた訳だが、そこで下された命に愕然としてしまう。

 

 ――聖剣及び聖鎧のイミテーションを作成せよ。

 

 その場にいたすべての筆頭錬成師がその言葉の意味を理解できないでいた。

 

 修繕や研磨でなく、まがい物を作れ? 何故そのようなことをする必要がある? ならば勇者はいずこに――そう考えた途端、ウォルペンを含む全ての錬成師が二つの結論にたどり着いてしまった。

 

 それは勇者が帰還しなかった、という絶望に等しいものと偽りの勇者を用意することでその事実を覆い隠そうという国の意志の表れである、と。

 

 他の筆頭錬成師よりも先にそれを考えついてしまったウォルペンは茫然自失となってしまう。

 

 とりわけ勇者は別格の力を持っていると城で神の使徒の武具の修理や研磨をしていた時に耳に挟んでおり、魔人族を打倒し得る希望そのものが消えてしまったということがいかな意味を持つのかをウォルペンはわからない訳ではなかった。

 

(勇者様が単に亡くなられたというならばまだ、まだ良かったと思えるなど……! 本当に行方がわからないというのならばいい。正直それでも十分マシだ!! だが、だが……)

 

 彼だけでなく他の錬成師の脳裏にもある可能性(絶望)がよぎっていた――勇者が裏切った、という最悪のものが。

 

 単にこの国にいられなくなったのならばもうこの際構わない。同盟国であるヘルシャー帝国であってもアンカジ公国へと移ったとしてもどうでもいい。()()人族の希望が潰えたという訳ではないからだ。

 

 だが、もし仮に魔人族へと下ってしまったとしたら? それを考えると凄まじい怒りと共にこの上ない恐怖と絶望に誰もが襲われてしまう。

 

 ただでさえ魔物を大量に使役するようになったことで人族の数の有利を覆されてしまったというのに、勇者がそこに行ってしまったら? ただそこにいるだけで士気は下がるし、とりわけ他の神の使徒よりも強い存在を相手に勝てるのかもわからないのだ。

 

 だがそれだけではない。それだけならまだ、不敬ではあるがまだ救いがあったかもしれない。他の全ての神の使徒の力を結集すれば勝てるのかもしれないのだから。その力を以てすれば魔人族を倒せるのかもしれないのだから。

 

 ――もし仮に()()()()使()()()()()()()()()としたら? 最早考えることすらおぞましい状況なのではないのか、とその場で命を受けていたすべての錬成師達の息が荒くなった。

 

『――して、イアン師は野村様の儀礼用の武具を仕立てよ』

 

『……は、はっ!』

 

『そしてジョブ師は仁村様の――』

 

 だがそんな自分達に構うことなく下知は下されていく。名前を呼ばれた錬成師達は慌てて返事をし、承っていく。

 

『――してウォルペン師は聖剣を作成せよ。よいな?』

 

『――!……しかと、拝命しました』

 

 そしてそれはウォルペンもまた同様であった。エリヒド王の下知を受け、我を取り戻したウォルペンは顔を青ざめさせたままではあったものの、それに応える。どのような内容であれこれは勅命であり、これに背けば職も筆頭錬成師としての名誉も失われる。自分と共に仕事をしている錬成師達を路頭に迷わせ、彼らが後ろ指をさされることになる。そう考えて彼はそれを承諾したのだ。

 

 ……本当は怖くて逃げ出したかった。自身が思いつく最悪の予想から、そこから来る恐怖から。もう考えずにただ無心に何か打ち込めるならそれでもう何でも良かったというのもあった。だが武具の修繕などで国防にも関わっていたウォルペンはそれを受けざるを得なかったのだ。

 

 自分がそれを放棄してもし、自分の知る人間が不安になってしまったら、と考えるとそうするしかなかったのである。たとえそれが現実から目をそらすだけでしかないにしても、彼の人生において最も愚かしい決断であったとしても、そうしなければならないとウォルペンは考えたのだ。

 

「――俺はそれを間違いとは言えません」

 

「……そう言ってくれると助かるぞ、オデル」

 

 そして勅命を受けた後、すぐにウォルペンは自身の工房へと戻り、今回受けた勅の内容を部下全員に述べた。

 

 無論、アディンといった自分の仕事にちゃんとプライドを持っている部下達は、彼の意をわかりながらも何故受けたと非難したものの、あくまでそれだけ。彼らとて理解できていたからだ。この勅の重みが。そうせざるを得ない状況であることが。

 

 その後、すぐさま職人をそれぞれの班に分け、作業を分担して進めていった。聖剣そのものは宗教画に描かれていたこともあったため、それを参考にしながらも儀礼に用いるという役割上ある程度華美なものとして造り上げていった。

 

 そうして出来上がったのは二日ほど前のこと。元々半月後にパレードが予定されていたため、いなくなった勇者の代わりをでっち上げるためにも急いで仕上げたのである。こうして全員が全力で作業に取り組んでくれなければ間に合うことは無かっただろう。出来栄えとて決して悪いものではない。

 

「……俺達は、一体何を作ってしまったんだろうな」

 

 だが後悔が残らなかった訳でもなかった。

 

 自分達が作ってしまったものは単なるまがい物なのか。それとも偶像の勇者なのか。はたまた王国の暗い未来を覆うだけの膜でしかないのか。その問いに答えてくれる者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

「――よし、本日の実戦訓練はこれまで!!……全員、よく頑張った!」

 

 騎士団長の一言で張っていた緊張の糸は幾らか緩んだものの、永山も彼を仰ぐ野村達もまだ気を抜かなかった。既に騎士団や神殿騎士が索敵を済ませており、周囲に敵影がないとわかっていても、だ。

 

 神の使徒も自分達七人だけになったことでオルクス大迷宮を攻略する速さは落ちてこそいるが、その分濃い経験を積めるようになったことで彼らの精神はより戦士のそれへと近づいていたからである。そのため未だ敵地の中である大迷宮の中で軽口こそ叩いても、気を緩めるということは誰もやっていない。

 

 そして今回参加した一同と共に、誰一人怪我することもなく今いる三十七階層から地上へと向かっていく。途中、討ち漏らした魔物が襲い掛かってきたものの、今の彼らであれば難なく排除できる相手しかおらず、その歩みが止まることは無かった。

 

 今回も無事に入り口まで戻ることが出来、受付をやっていた人間や見張りからも『流石は神の使徒様だ』と褒め称えられて内心気を良くしながら彼らはホルアドの宿へと歩いていく。ここまで来れば流石に気を張ることもなく各々が思い思いに会話をしている……ただ、永山グループの皆はどこか暗い面持ちであった。

 

 そうして宿まで戻り、一同を食堂に集めた後、騎士団長のクゼリーが告げる。

 

「これより各員自由時間とする……見事だった。流石は神の使徒様だ。貴公らを指導できることを私は誇りに思う」

 

 ()()()()()()表情で今日()クゼリーが自分達のことを褒め称えていく。口調こそ前とさほど変わらないものの、その顔にはやはり恍惚と崇拝がありありと見えていた。

 

「……なぁ重吾。やっぱりクゼリーさん、変じゃないか?」

 

 解散後、割り当てられた部屋に戻る途中であった野村は親友の永山に問いかける。その顔を一瞥すれば、やはり不安に襲われていたようであった。

 

「……あぁ、そうだな」

 

 永山は()()()また野村に言葉少なながらもそれに答える。彼とてそのことに不安を抱かない訳ではないが、それでも胸の内を表には出さない。それが伝播するのがわかっていたから。表に出した途端にもう不安に押し潰されてしまいそうだったから。

 

「そう思うよな? やっぱりあの日以来じゃないか? クゼリーさんがやたらと俺達を手放しで褒めるようになったのって」

 

 先の質問に同意すると、また問いかけてきた野村に対し、永山は自分の心の内を悟られないよう視線を前へと向けながらそれにうなずく――やはり“あの日”から何もかもがおかしくなってしまった、と考えながら。

 

 あの日、とは彼らが光輝達と一緒にオルクス大迷宮へと向かい、そして彼らと別れ、命からがら戻ってきた日のことであった。

 

 『今回のことは直談判させてもらう!!』と大迷宮から戻った次の日にはもうクゼリーは馬を走らせ、王城へと向かっていった。そして永山達は朝食をとった後、馬車に揺られながらゆっくりと戻り、その日の昼頃には城門へとたどり着いた。そこで一日養生した後、翌朝からまた訓練が再開することとなったのだが、その時にはもう人が違っていたのである。

 

『――あぁ、戻ったのだな使()()()()()。では早速訓練に移ろう』

 

 自分達への態度があからさまに軟化していたのだ。宿を発つまでは自分達を修正してやるとばかりの態度であったそれは憑き物が落ちたかのように穏やかになっており、また自分達のことは苗字呼びであったはずなのに“使徒様”などと呼んでいる。これには誰もが違和感を覚え、一体何があったのかと尋ねるとニコニコと微笑みながらクゼリーはこう返したのだ。

 

『あの後エリヒド王と教皇に話をしに行ったのだが、処分に関しては追々となってしまってな……自室に戻って憤っていたのだが、そこで教皇の遣いが来てくれたのだ。私のために話の席を設けてくれてな。そこで今回あったことを話し、教皇から説法を受けた際に感激したのだ――人間誰しも過ちを犯す。それを寛大なるエヒト様は許した、と。本来ならば()()処分を受けるはずだったのだが、エヒト様と教皇の寛大なる慈悲により救われた、という訳だ……私も自分の態度を恥じたよ』

 

 意味が、わからなかった。

 

 あれ程怒りを露わにしていたクゼリーが、自分の訴えが退けられたことで怒り狂うのならまだしも、それがたった一日で、それも話を聞いただけで霧散するようなものには思えないし、そういう人物ではないと短い付き合いながら永山達は理解できていたからだ。

 

 だからこそ怖かった。自分達が糾弾されることなく、穏便に終わったことは嬉しいが、こんな結末を迎えるなんて誰も思わなかったからだ。そうして不安になった彼らは『きっと明日になったら元に戻るはず』と根拠のない考えを浮かべながらも訓練をこなしていく……事あるごとに褒めてくるクゼリーの態度に薄ら寒いものを感じながら。

 

「……今日までずっとあんな感じだ。いや、むしろもっと悪くなってんじゃないか? その内俺らを崇拝しそうでなんか、なんか怖いんだよ……」

 

「…………あぁ」

 

 怯えを見せる野村に永山はただ一言だけしか返せなかった。自分もまた恐怖を感じていたのだから。知らず知らずのうちに袋小路に追い詰められているかのような心地がして気が気でなかったのだ。

 

「なぁ重吾、後で王様に相談してみようぜ。クゼリーさんの様子が変だってさ。今のお前だったらきっと話を聞いてくれるだろうし」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 先日のパレードでお飾りとはいえ“勇者”として扱われ、こうして対外的には勇者――本来勇者であった光輝は“剣王”という天職の少年として既に流布されている――となった以上、自分達の訴えを無碍(むげ)には出来ないだろうと永山も考え、野村の提案にうなずく。その後一言二言言葉を交わしている間に野村の自室の前まで辿り着き、後で気晴らしに街の散策をしようと約束して一度そこで別れた。

 

「……はぁ」

 

 そして一人、部屋のドアを閉めると永山はベッドに腰かけて大きくため息を吐く。約束のことも考えればすぐにでも着替えるべきなのだろうが今はそうしたいと思えない。

 

「……俺は“勇者”だからな」

 

 クローゼットに入った服は上等なものであり、普段着というよりは平服の類であった――永山は求められているのだ。ハイリヒ王国の有する戦力の旗頭として。人族の希望として。故に相応の振る舞いを身に着ける必要があった。

 

 それは玉井達や親友の野村もそうだが、街に出るにしても模範となるような行いをしなければならない。“勇者”という肩書を与えられた永山であれば一層それが求められるのだ。これから外に出るにしても威圧感を与えるような今の戦闘時の恰好は許されないし、部屋着といったラフな格好もNGだ。クローゼットの中に入った服を身に着け、“誰にでも優しく”、“勇敢”な青年として動かざるを得ない。その重圧に彼は押し潰されそうになっていた。

 

(天之河だったら……苦も無くやってのけたんだろうか)

 

 もし失踪しなければ天之河がそれを担ってくれただろう。彼ならばその役割に応じたマナーも所作もあっという間に身に着けるだろうということは永山も容易に想像が出来た。不慣れながらも必死になって一から覚えている自分にとっては今はいない彼が妬ましく、そして今一番欲しい存在であった。

 

(これで……これが正しいんだよな? 俺は、間違ってなんていないんだよな?)

 

 友人と自分をリーダーとして頼ってくれるクラスメイト達にとって最善の道を選んだはず。そのことに後悔も迷いも無かったはずだった。なのに、なのにどうして、違和感がつきまとい、不安が募るばかりなのか。本当にこれで良かったのかと永山は考える。あの時怒りを堪えてでも、信用出来なくても天之河達と一緒に動くべきだったのではないかという馬鹿馬鹿しい考えが浮かんでしまう。

 

「……シーナ」

 

 そんな時、ふと自分を慕ってくれるメイドの少女のことを永山は思い出す。彼女なら何と言ってくれるのだろうか。こんな弱音を吐く自分を情けないと思うのだろうか。けれども――。

 

「シーナ、お前に……お前に会いたい」

 

 いつも自分の話を楽しげに聞いてくれて、ニコニコと笑いながら自分の世話をしてくれる少女が、今は、今はあまりにも遠い。振り向いても彼女はそこにいない。手を伸ばしても彼女のブロンドの髪を撫でれない。そのことがあまりにも辛く、苦しい。

 

「俺、は……俺は……」

 

 家にも帰れず、自分と同様の苦しみを抱えている親友にも頼れず、心の支えとなってくれた少女もいない。答えの見えない暗闇に沈んだ少年を見ていたのは、部屋に飾られていた蘇芳花とよく似た鉢植えだけであった。




後半は火曜日前後に挙げられたらいいなぁ……と思っております。
多分次回、あるキャラに関して解釈違いが発生するかも……とご存じビビりの作者が早めにゲロっておきます。


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幕間十七 立ち込める暗雲(後編)

まずは拙作を見てくださる皆様に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも96682、お気に入り件数も687件、しおりの数も284件、感想数も265件(2022/4/7 9:31現在)になりました。誠にありがとうございます。

それと小焼夕焼さん、トリプルxさん、Aitoyukiさん、拙作を再評価していただき、誠にありがとうございます。こうして自分の書いた話を評価していただけるのはとてもありがたいです。

前話のあとがきでもあった読者の方との解釈違いが発生してるかもしれないキャラから今回の話は始まります。また今回のお話は長めです。
では上記に気をつけて本編をどうぞ。


「なあ、本当に大丈夫なのか愛子」

 

「ええ、そうです。こうして城に戻ってきたんです。少しは休まないと、体が……」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 連日働き詰めで眠るか馬車で移動するか以外はロクに休んでおらず、そのせいで荒れた肌を化粧で誤魔化している畑山愛子は今、自分を護衛してくれているデビッドとチェイスからの忠告を聞き入れることなく自室で荷造りを始めていた。

 

 “作農師”という農地改善や開拓にうってつけの希少かつ有能な天職ゆえ、神殿騎士及びハイリヒ王国の近衛騎士に護衛されながら地方を回っていた彼女であったが、その護衛である彼らとの仲はお世辞にも良い関係とは言えない。護衛をしているあちら側はともかく、愛子からはせいぜい二言三言言葉を交わすのがせいぜいでしかなかった。

 

「焦る気持ちはわかるけれど、働き詰めじゃあ愛子ちゃんの体が壊れるよ。僕達も心配なんだ」

 

「愛子、俺達は義務感などで声をかけているわけじゃない。ただ、お前が心配で――」

 

 近衛騎士であるクリスとジェイドも彼女に声をかけるも、愛子はこれといった反応を示さない。()()()()を引き受けてから一刻も早くこの巡業を終わらせるために必要な荷物を鞄に詰め込んでいるだけだ。そこでふと、ため息を吐きながら彼女のそばで護衛している()()が声をかけた。

 

「本当に大丈夫なのですか愛子。あなたの焦りは理解できますが、ここで倒れてはあなたを慕う方々に迷惑がかかるだけでは?」

 

 愛子に声をかけたのは神殿騎士のローリエであった。相応に腕が立つことから彼女もまた愛子直属の護衛としてこの場におり、倒れてしまわないよう声をかけると一瞬だけだがピタリと動きを止める。そしてローリエの方を向きながら愛子は苛立ちを可能な限り抑えながら返事をする。

 

「……わかっています、そんな事は。ですが今回の巡業を成功させないと。一刻も、一刻も早く……」

 

 永山君達が戦いに巻き込まれてしまう前に、という本音を心の中でつぶやくと、すぐさま愛子はまた荷造りに戻る。必要な衣類、下着類、今度の巡業で向かう先の地図などを確認し、何か欠けているものがないかと目を皿にして探す。愛子がここまで必死になっているのも“今回の巡業を終えたらすべてのクラスメイト達を解放する”という約束を取りつけていたからだ。

 

 ――愛子がこうして急ぎ、焦っているのは二週間ほど前のことがきっかけであった。中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴と悪評が広まっていた三人を中心としたクラスメイトのグループがオルクス大迷宮の実戦訓練を機に失踪したことである。

 

 クラスメイト達のそばで一緒に戦うことも彼らの支えになることも出来ず、毎日遠くで戦っているであろう生徒達を思いながら、気が気でない日々を愛子は過ごしていた。デビッドやチェイスらに護衛され、心配する彼らに声をかけられながらも各地の農村や未開拓地を回り、ようやく一段落して王宮に戻るも、その時はもう永山達のグループ以外の生徒とはもう会えなくなってしまっていたのだ。

 

 そこで何があったのか城に仕える使用人や兵士などに必死に頭を下げて聞きまわったり、永山らに話を聞こうとして何度も尋ねたり、果てはエリヒド王やルルアリア、リリアーナ、イシュタルにも話をうかがいに行こうとしていた。そんな折、相川が心底忌々し気に語ったのだ――天之河の奴らはオルクス大迷宮を潜っていったよ、と。

 

 それを聞き、一体何があったのかと必死になって詳しく問い詰めたことで何が起きたかを把握すると同時に全身から力が脱けてしまう。護衛の騎士達だけでなく、生徒達も一歩間違えば死んでいたような場所から更に深く、危険な場所へと足を踏み入れていったと知り、愛子の心の中は荒れ狂った。

 

『そんな……そんな、どうして……』

 

 『どうして止めてくれなかったの』と事情を説明してくれた少年に掴みかかりたくなったものの、大迷宮の中で起きた凄惨な事件を思うとその言葉を口にすることは出来ず、せめて礼だけは述べないと、と今にも泣きそうになるのを堪えながらありがとうとだけ伝え、愛子は相川の部屋をふらつくような足取りで出ていった。

 

 相川の話を聞いた後でもまだその真実を信じられず、失踪したクラスメイト達の部屋を訪れようとするも、チェイスの同僚らしき神殿騎士から彼らの部屋へ近づくことを禁止され、それが変えようのない事実であることを思い知る。

 

 そのまま愛子はデビッドとチェイスに支えられながら自室へと戻り、ベッドに倒れ込んでただただ涙を流し続けた。

 

『どうして、どうしてなの……私が、私が一緒にいなかったから……?』

 

 そんな嘆き悲しむ愛子の脳裏に浮かぶのは彼ら十六人は既に死んだのではないか、という最悪の予想であった。

 

 規格外の大きさと強さを誇る魔物。無数に出てきて襲い掛かってきた骸骨の魔物。それらを相手にどうにか生き残れただけでも奇跡としか言えず、それらよりもはるかに強いであろう魔物がひしめく下の階層へと挑んでいったことを考えれば自然と想像がついてしまう。彼らは生きて地球に戻ることは出来ないのだ、と。

 

(私も……私もちゃんとここに残って戦うと言っていれば、そうすれば、そうすればきっと……ごめんなさい、ごめんなさい……)

 

 心が砕けてしまいそうであった。どうして状況に流されてしまったのか。悪評が立った三人も、彼らと仲のいい子達も全員守るはずだったのに。そのためにやれることをやったはずなのに。

 

 それがもたらした結果はこれだ。彼らの命を守ることが出来ず、ただただ凄まじい後悔に襲われ、罪悪感に愛子は苦しめられていた。

 

 そんな時、痛ましい様子の彼女を見て(かたわ)らにいたデビッド達が声をかけてきた。

 

『愛子、辛いのはわかる。だが全員が死んだわけではないんだ』

 

『ええ、デビッドの言う通りです。いなくなるのはあの()()だけであって欲しかったのですが、なってしまった以上はもう、どうにもなりません……』

 

 途端、悲しみに暮れていた愛子の心から感情が消えた。

 

(どうしてあなた達がそんなことを言うの? あなた達も彼らを追い詰めた教会の人間の癖に。あの子達の中で死んでいい子なんていなかった。悪意に苦しんでいただけだった。なのにどうして? どうして? なんで?)

 

 空っぽになった愛子の心に新たに生まれたのは怒りであった。愛子のためにかけた言葉は彼女にとって何の慰めにもならない。むしろ教会が振りまいた悪意に苦しんでいた三人をさも死んで当然とばかりに言う始末。

 

 それを聞き、愛子の心には自分を護衛してくれた二人を含めた教会関係者や王族への憎しみが湧き始めた。

 

(南雲君も、中村さんも、谷口さんも、あなた達が、あなた達が余計なことをしなかったら! あの子達は辛い目に遭わずに済んだ! 永山君達との対立も深まらなかった!! なのに、なのになんで!!)

 

 日々のストレスと今回の凶報によって心が弱り、絶望に打ちひしがれてしまったことで普段の愛子ならばしない思考が彼女の頭を占領していく。歯止めになる良心は動かず、ただただ憎悪が、憤怒が彼女の心を染め上げていく。そんな時ふと、相川が言ったあることが愛子の脳裏によぎった。

 

『アイツらいきなり現れた遠藤とメルドさんと一緒に神殿騎士の人達を襲いやがったんだよ……確かにベヒモスじゃなくてアイツらと騎士団の人達のところに魔法がかすめてったみたいだけどさ、それでもヤバいだろ。世話になった人達をいきなり殺そうとするなんてさ』

 

 姿が見えなかったことから遠藤だけは無事だという思い込みを破壊され、彼もまた死んでしまったのだと嘆き悲しんでいたことでちゃんと何を言ったか理解できていなかった。だが、先の相川の言葉を思い出し、彼らが何の理由もなく他人に暴力をふるうはずがないと考え――結びついてしまった。教会が広めた悪評と先の言葉が。

 

(神殿騎士の人達が、教会の人達がまた彼らに悪意を向けた……そうです。絶対にそうです! そうでなければ彼らがこんなことをするはずなんてありません!!)

 

 黒と言って差し支えないが、それはあくまで証言であり状況証拠でしかない。だが憎しみに囚われた愛子からすればそれは“真実”であった。生徒達の善良さを信じ、この世界で接してきた人間が悪意をむき出しにしたのを目の当たりにしたことで、その思い込みは揺らぐことが無くなってしまった。

 

『大丈夫だ愛子。俺達がついている』

 

『そうです。愛子さん、私達は離れません。ずっと貴女のそばにいます』

 

 憎しみで涙が止まった愛子を見て、自分達の言葉が届いたのだと勘違いした二人は彼女に寄り添おうと更なる言葉をかけていく。だが、自分のことを何一つ見ていないこの()()の言葉は、今の愛子にとってあまりに耳障りでしかなかった。

 

『――るさい』

 

『愛子、どうした? 俺達に出来ることなら何でも言ってくれ』

 

『ええ。愛子さん、貴女のためなら私達は――』

 

『うるさいって言ったんです!』

 

 だから、愛子は明確な拒絶を口にする。

 

『あなた達はいつも私に優しい言葉をかけてきますけど、それは私を思っての言葉なんかじゃないでしょう!! いつも、いつも自分達に都合のいいものを期待してかけてきた言葉じゃないんですか!?』

 

『あ、愛子……?』

 

 一度灯った憎悪の火はたやすく収まらない。一度口にして吐き出したことで怒りはもう止まらなくなった。

 

『出来ること? だったらせめて今すぐ彼らの名誉を挽回してください! 今まで広めた悪評を全部なかったことにしてくださいよ!! 私のためなら出来るんでしょう、やれるんでしょう!!』

 

『あ、愛子さん、それは……』

 

 そんなものさえなければ、お前たちの悪意が及ばなければ、と目を真っ赤にしながら叫ぶ。

 

 普段からあくせく働き、生徒達のことを思って小さな体で精力的に、ともすれば今にも倒れてしまう程に動く彼女の様が実にいじらしく、支えねば、守らなければと庇護欲をそそられていたデビッドとチェイスからすれば今の愛子の姿は信じられないものであった。一体何が、何が彼女を変えてしまったのだ、と。

 

『ま、待つんだ愛子! 今の愛子は少し――』

 

『だから? だからなんだって言うんですか!! 結局あなた達は私のことをちゃんと見ようとしてない! 見てないからこんなことが言えるんです!!』

 

『あ、愛子さん! お、落ち着いて!! 貴女の大切な生徒が行方不明になってしまったことがショックなのはわかります。ですから――』

 

『その原因を作ったのもあなた達でしょう!!! 私は、わたし、は……』

 

 必死になだめようとしても彼女の怒りは収まらない。暴発し、癇癪(かんしゃく)を起こして自分達をなじるばかりだった。だが、突然、再度彼女の双眸から涙があふれ出していく。

 

『みんな、を……あのこたちを、まもりたかっただけなのに……うっ、ぁぁ……あぁぁ…………』

 

 後悔に、自責の念に、罪悪感に苛まれて幼子のように泣きじゃくる愛子を見てデビッドとチェイスの中で何かが崩れ去っていった。

 

 自分達は本当に何を見ていたのか、と。

 

 本当に愛子への愛を抱いていたのなら、彼女をこんな顔にする前にもっと何か出来たのではないか、と。本当に自分達は彼女のそばにいる資格があるのか、と。

 

『みんな、ごめんなさい……たすけられなくて……なにもできなくて……うぁ、ぁぁ……』

 

 慟哭する目の前の女性を慰めることも、声をかけることも出来ず、二人の男はただじっと自分達が『愛していた』と思い込んでいた人が泣き疲れて眠る様を見ることだけしか出来なかった……。

 

『今すぐ、永山君達を軍務から解放しなさい。でなければ私はもうあなた達に一切協力しません』

 

 ……そしてその翌日。一晩中泣きはらし、せめて残った永山達だけでも守らんと決意した愛子はすぐさまエリヒド王及びイシュタル教皇へと取り次ぐことにした――永山達を即時解放しろ、と伝えるために。

 

 もういなくなってしまった彼らは神と(うた)われるだけの自分の手ではどうにもならない。地獄で何度も何度も気が済むまで彼らの好きにさせよう。だがせめてまだ生きている彼らだけでも何としても守り抜く。不退転の決意を固め、愛子は謁見の間へと赴く。

 

『どうされましたかな愛子殿。彼らは私達が手厚く保護をしているではありませんか』

 

 『この会を設けないのならば今後一切自分は従わない』と脅したことで設けられたこの席は当然紛糾した。

 

 ようやくもたらされた救いの手を払うのと大差ないという滅茶苦茶な要求など呑んでしまう訳になどいかないし、一体どうしてそんなことを言い出したのだと周囲はざわめく。無論、その要求をしてきた愛子は問い質されたものの、彼女は怒りを露わにしながら自分の思いを叩きつけた。

 

『本来戦いのない世界から私達を連れてきただけでも十分腹立たしいのに、戦争でなく、何故あなた達のくだらない決めつけのせいで、どうして彼らは殺されなければならなかったんですか!!』

 

 その言葉を聞き、王侯貴族や聖教教会の関係者は騒然とすると同時に怒りが沸いてきた。一体どこからその情報が漏れたのかということもそうだが、エヒト様の遣いとして敬っているというのになぜここまで言われねばならんのかと考えたためだ。

 

 最近『豊穣の女神』と持ち上げられているから勘違いしているのではないか、と多くの者が目の前の女に苛立ちを隠さなくなった。

 

『いい加減にしていただきたい……! 貴殿はエヒト様の遣いであって、御身がエヒト様と同等の存在である訳ではないのですぞ!!』

 

『ええ、そうですね。そう言われていますね……ですが、そのエヒト様とやらの遣いである以上、私の意見は神様の意志の表れとは見ないのですか?――あなた達がくだらないことをしたせいで彼らを死なせてしまったんです。それで神様も怒り狂ったとは思わないのですか!!』

 

 気炎を上げ、今にも掴みかからんとばかりに吠え立てる様を彼女を知る者が見れば、もう“愛ちゃん先生”などとは呼べないだろう。それほどまでの勢いで必死に意見していく彼女を見てエリヒド王もルルアリア妃も、同席していたリリアーナやランデル王子も下手なことは言えないと確信していた。そこで一人の老人が動く。

 

『なるほど。愛子殿の使徒様を思う気持ち、痛ましい程に理解できました』

 

 教皇イシュタルである。彼は悲痛な表情を浮かべながら愛子に寄り添うように優しく言葉をかけていく。

 

『このようなことが起これば愛子殿も我らを信じるに値しないと断じてもおかしくはないでしょう』

 

『い、イシュタル様! そ、それでは――!!』

 

『ですからどうぞ、この老骨の最後の頼みを聞いていただけないでしょうか?』

 

 そう言いながら頭を下げたイシュタルにトータスの人間誰もが驚きを禁じえず、黙らざるを得なかった。そこで愛子が視線で続きを促すと、イシュタルは申し訳なさそうな顔を浮かべてあることを話してきた。

 

『もう一度、国を回って農地改革をしろ、と』

 

『左様です』

 

 それはもう一度だけ、せめてハイリヒ王国の領土内だけでも農地改革及び開拓を行ってほしいというもの。代わりに永山達神の使徒を()()()()戦争に参加させることは今後一切しないという提案であった。

 

 愛子としてはこれすら蹴ってしまいたいところであったが、この場で宗教のトップであるイシュタルがわざわざ提案してきたのである。それを跳ね除けてしまえばこれ以上の譲歩を引き出すことは難しいとも愛子は考えた。最悪この場で自分が切り捨てられる可能性も今更ながら浮かんだし、そうなってしまえば永山達を守る人間がいなくなってしまう。

 

『……わかり、ました。ですが、その約束をしっかりと履行していただけるんですね?』

 

 だからこそ、その言葉にどこか引っかかるものを感じつつも、愛子にはそれを呑むしかなかったのである。今一度それが守られるか否かを確認するとイシュタルはにこやかな笑みを浮かべ、深くうなずいた。

 

『無論です。全ての教会関係者にもお伝えしましょう。ですからどうか、お願いいたします』

 

 そう言って改めて頭を下げたイシュタルを見て、愛子はゆっくりとだがうなずくしか出来ず。そして今回の話し合いが終わると同時に謁見の間の扉の前で待っていた護衛を振り切って自室へと戻っていったのだ。

 

 愛子が来るのを待っている間、昨晩何があったかをデビッドとチェイスから聞かされていたクリス、ジェイド、ローリエは彼女に黙ってついて行った。とはいえ焦っている理由に関してはわかったものの、それでも他の三人も彼女のことが心配であった。

 

「……よし、終わりました。では早速向かいましょう――ぁっ」

 

「愛子っ!」

 

 そうこうしているうちに愛子も荷造りを終え、すぐさま部屋を出ようとする。が、そこでふらついた彼女の腕をジェイドが引く。

 

「全く、危ないなぁ愛子ちゃん――ほら、荷物は他の三人にでも任せて。僕が優しくエスコートするさ」

 

「待ておいクリス! 愛子の負担を減らしたいのはわかるが、それは護衛隊隊長である俺が――」

 

 流石に連日の疲労は一晩寝た程度では回復せず、思わずもつれて倒れそうになったところを支えてもらったため、この国の人間をあまりいい感情を向けていなかった愛子も『ありがとう、ございます……』と一応の礼を述べ、手を差し伸べたクリスにエスコートされながらも歩いていく。

 

(また我ら神殿騎士をたぶらかす気ですか。忌々しい女め)

 

 ――そんな必死に前へ前へと動く愛子と、彼女を支えるべく動く男共を見てローリエは端正な顔を歪めていた。

 

(まぁ、今はまだ生かしておいてあげます。あなたの能力は有用ですから……絶対に教皇聖下とエヒト様を愚弄した罪は(あがな)わせてやる。覚悟しろ背信者め)

 

 心の中で口汚く罵った背教者 (愛子)を今この場で八つ裂きにして魔物の餌にでも出来ないことに心の底から苛立ちを見せていたからである。

 

 彼女もまた教会から送り込まれた刺客の一人であった。デビッドとチェイスは愛子を篭絡する目的で、ローリエは()()()()()()のために愛子を始末するために送り込まれたのだ。

 

 だが肝心のデビッドとチェイスは、同じ目的で国から送り込まれたクリスとジェイドと一緒にあの女にお熱になっており、また自分も教皇の命が無ければ行動を起こすことが出来ない。そのことにもどかしさを感じつつも、今はただ表向きの護衛という役割に甘んじていた。

 

(いつか必ず、私の手であの女を殺す……その暁には教皇聖下も、エヒト様も私の行いを評価してくださるでしょう。あぁ! あぁ早く! 教皇聖下、エヒト様! あの汚らわしい女を徹底的に辱めて殺す許可を!! どうか! どうか!!)

 

 そして恍惚とした表情を浮かべながら天を仰げば、狂信に満ちた表情でおぞましい願いを乞い願う。そんな時、ローリエが来てないことに気付き、急ぎ部屋に戻ってきたチェイスが彼女に声をかけてきた。

 

「ローリエ、どうしました? もう愛子さんは既に部屋の外に出ていますよ」

 

「――あっ。ごめんなさい。今行きますね」

 

 その一言ですぐ我に返ったローリエはいつものように笑顔の仮面を再度張り付け、すぐに護衛の任務へと戻っていった――いつかあの神様気取りの女を血だるまに出来ることを夢見ながら。

 

 

 

 

 

「……そろそろ時間か」

 

「あら、そのようですね重吾様。此度も私の話に付き合っていただき、ありがとうございました」

 

「いや、俺としてもいい時間を過ごすことが出来た……では、これで失礼する」

 

 そう言って永山が部屋を後にするのを見届けると、わざわざ来てくれた客人をもてなすためにしていた笑顔を止め、リリアーナは視線を落とした。ドレスにしわが出来るのも構わずに掴んで握り、努めて抑えていた呼吸も荒くなっていく。

 

(どうすればいいの……私は、一体何をすれば……)

 

 先日謹慎が解かれたことで、ここ最近は公務に参加する機会も徐々に増えてきたリリアーナであったが、南雲ハジメらを裏切者扱いしていた時から感じ続けていた違和感が先日の愛子の件で確たる不安へと変わっていたからだ。

 

(ある日を境に光輝さんでなく重吾さんが会いに来るようになったことも愛子さんのおかげでわかりました……どうして公務以外で部屋の外に出ると移動が制限されるのかも……私は、私は……)

 

 永山が会いに来るようになった理由としては『光輝は所用があってしばらく顔を出せなくなった』というものであった。無論、リリアーナはそれが何かを誤魔化すための嘘だということは見抜いていたが、長いこと謹慎していたことで情報が足らず、その理由までは思い至らなかった――愛子が『光輝達が自分達の政争のせいで死んだ』と言うまでは。

 

 つまり“勇者”である光輝が死んだからこそ、その情報が出まわることを危惧していたのだろう。愛子からそれを聞くまではヘリーナの耳、ましてや自分にもその知らせが届くことは無かったことを考えれば、国のトップ以外に緘口令が敷かれていたのだろうと容易に想像がつく。それを考えれば偶然とはいえあの場に同席出来たのは紛れもなく幸運であったといえよう。

 

(このことが諸外国に露見してしまったら王国の立場も揺らいでしまう……だからこそ私にすらその情報が伏せられたのはわかります。ですが、ですが……どうしてこんなことに)

 

 今にして思えば移動に制限がかかっていたのも光輝達の死を隠蔽するためだろうとリリアーナは理解していた。以前部屋を移動する際、雫や香織のいる部屋の前を横切っていけば目的地に近かったというのにそれをせずに遠回りしたこともそのためだったのだろうと。

 

 だからこそ、苦しい。いち王族として何か出来ることがあったかもしれないというのに何も出来なかったことが。王族といえど結局何も出来ない自分の立場が、それに甘んじるしかないということが。それがただただ辛い。

 

(オルクス大迷宮で何があったかは重吾さんも話してくれませんし、愛子さんも詳しくは語らなかった……けれども愛子さんの言う通り、殺されたのでしょうね。この国に、そして聖教教会に)

 

 リリアーナの心は深い闇に沈んだままであった。自分達に遣わされたはずの彼らが自分達のせいで死に、そして残った永山達は今もまだ利用されようとしている。戦いと無縁の世界で生きていたはずの彼らが、自分達のために血の一滴すら残さず利用され続けている。その罪深さを理解できないほどリリアーナは愚かにはなれなかったし、目を背けるほど彼女は外道になれなかった。

 

(それだけじゃない……クゼリーも、クゼリーも光輝さん達がいなくなった辺りからおかしくなってしまっています)

 

 そしてリリアーナの不安はそれだけではなかった。かつて自分の護衛をしてくれていた近衛騎士のクゼリーの異変もまた彼女の心を蝕んでいた。

 

(確かオルクス大迷宮での訓練の責任者は彼女だったはず……光輝さん達十五人もの神の使徒が失踪したとなれば領地の剥奪はおろか、そのまま斬首刑になってもおかしくありません。でも今は……敬虔な信者になっている以外の話は聞いたことがありません)

 

 失踪したのが裏切り者として扱われている南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴の三名だけだったらこんな大事にはならなかった。むしろ彼ら三名を排除できた事で何らかの褒章をもらうのではないか、とリリアーナは考えている。

 

 だが実際のところは神の使徒の大量失踪。このことが他国に知れ渡ってしまえば王国の権威の失墜や教皇イシュタルの罷免、果ては同盟国であるヘルシャー帝国やハイリヒ王国傘下にあるアンカジ公国との関係の悪化もあり得る。

 

 それを考えれば極刑以外はあり得ない。だがクゼリーはこうして生きている。きっと父のエリヒド王の計らいだろう。メルドがいなくなった事に加え、今回の訓練で多くの神殿騎士が死んだ。ここでまた腕の立つクゼリーまで処刑しては王国の戦力が更に低下するのは間違いないため、魔人族との事を鑑みて色々と手を回してくれたのだろうとリリアーナは思った。だが――。

 

(けれどもエヒト様の教え以外は目に映っていないかもしれないぐらいに信心深く……いえ熱狂と言っていいほど。何が、何が起きたというの……)

 

 自分の許に就いていた頃、彼女の実直な人柄に好意を抱き、信頼していたというのに、今はもう別人のようになっているかもしれない。そのことがあまりにも怖かった。

 

 知らないうちに何もかもが失われていっているような気がして、自分の手足すら気づかぬうちに切り落とされていくような気がして怖くなったのだ。

 

「リリアーナ様……」

 

 そんな震える自分の手にヘリーナはそっと自分の手を重ねてくれた。たったそれだけ、それだけのものが今の自分にとってはひどく温かく感じ――同時に怖かった。ずっと自分と一緒にいてくれた彼女すら消えてしまいそうで。そんな根拠のない不安に苛まれて。それを振り払うことが出来なくて。

 

「ヘリーナ……ヘリーナぁ!!」

 

 もうリリアーナは王族としての振る舞いも忘れ、ただ恐怖に震える幼子のように自分の半身ともいえる侍従に抱き着く。今こうして感じる温かみがいつか消えてしまいそうなことに怯えながら。今感じられるこの温かみにすがりながら。

 

「リリアーナ様……私は、私はずっと姫様と共にいます」

 

 すすり泣く自分の主にそんなありきたりな言葉しかかけられないことに悔しさを感じながらも、ヘリーナはただリリアーナが泣き止むのを待つ。それがきっと一番自分の主人に必要なものだと考えながら。

 

 

 

 

 

「さて、行くぞ霧乃」

 

「はい。お義父さん」

 

 鷲三が声をかけると、霧乃もすぐさま荷馬車の底に張り付くのをやめ、静かに地面へと降りる。そして周囲の人間が自分達に意識がいっていないのを声や気配から確認すると、姿勢を低くした状態で素早く動く。

 

 “気配操作”の力もあって気づかれることなくほんの数瞬で壁際までたどり着くと、ボルダリングの要領で壁を一気に登っていく。そのまま壁を登り終えて屋根まで行くと、誰にも見られないような場所に身を隠し、念のためカムフラージュ用に持ってきたレンガの模様のついた布を懐から出すとそれで自分達の体を覆う。そしてそのまま日が暮れるのをじっと待った。

 

 そうして日が暮れて闇が深まった後、布をしまい終えた二人は月明かりと窓から漏れる光を頼りにすぐに目的の人物――畑山愛子を探しに動いた。

 

 ほどなくして暗がりの中一人でベッドに腰かけていた対象を見つけ、音を立てないようゆっくりと窓に近づき、そっと窓を開けていく。

 

「……一体何が? 建付けが悪いんでしょうか――!?」

 

 異変に気付き、窓の方へと向かってきた彼女の背後を取ると、すぐさま鷲三は彼女の口を塞ぐ。どう言い繕っても自分達は闖入者でしかないし、下手に騒がれたら目的を果たせないためだ。

 

「失礼――すまないが私は八重樫鷲三という。雫の祖父だ」

 

「同じく霧乃です――これで信じてもらえるでしょうか」

 

 小声でそう伝えると同時に鷲三と霧乃は懐から免許証を取り出して愛子に見せた。突然の事態に驚いてはいたものの、とりあえず今自分の近くにいる人間がただの不審者でないことを理解し、愛子は目で何で来たのかを訴えた。

 

「このような形で接することになって申し訳ない……後でそれはいくらでも詫びよう」

 

「……いえ、そのことはこの際問いません。ですが、一体何がどうして私のところへ?」

 

 免許証を見せたというのもプラスに働いているとはいえ、こうして自分達の行いを不問にする辺り相当人が出来ているのだろう。それを理解し、こうせざるを得なかったことを恥じながらも鷲三と霧乃は当初の目的とその理由を話し始める。

 

「私達がこうしてあなたに接触したのも雫達に頼まれたのが理由だ。愛子さん、あなたを守ってあげてほしいと」

 

「教会……いえ、神と名乗るエヒトと思しき相手の姦計を退けた後、あの子達から頼まれたのです――それと、このお願いを受けた時点ではあの子達は怪我一つありませんでしたよ……心の傷は深かったですが」

 

「――うして。どうしてこちらに来たんですか」

 

 二人の言葉を聞き、愛子は死んだと聞いていたクラスメイト達が無事であることに安心すると同時に場違いな感情が彼女の脳裏に逆巻いた。

 

「愛子さん?」

 

「私なんかよりも、あの子達の方を守ってほしかった……! 私は、私は結局あの子達のことを何一つ守れてなんて……」

 

 恨みであった。自分のことなんてどうだっていい。それよりも無事でいてくれた彼らのそばにいて欲しかった。だからこそこうして自分を守るためにこの場にいる二人に恨み言を吐いてしまう。たとえそれが自分が守りたかったあの子達がしてくれたものであっても。それを聞き届け、こうして来てくれた二人であったとしてもだ。

 

「そう思う気持ちは私にもわかります。私もお義父さんも、あの子達に助けられてばかりでしたから」

 

 すると霧乃が愛子の手を取りながら優しく言葉をかけた。神殿騎士の多くに引導を渡しこそしたものの、自分達が不覚を取ったせいで本来傷つかなくていい子供達が心身ともに深く傷を負ってしまったのだから。その痛みは、思いは鷲三も霧乃もよくわかっていた。

 

「あちらの動きからしてあなたの方にも何らかの形で手出しがあるでしょう――そんな時、もしあなたがその魔の手にかかってしまったら、あの子達も悲しむ。だからどうか、わかって下さい」

 

「恨むな、とは言いません。ですが何と言われようと私達はあなたの盾になります。あの子達がいつか無事戻ってきた時、喜べるように」

 

「う、うぅ……うぅぅ……」

 

 声を押し殺して泣く愛子に二人は声をかける。そして霧乃は涙を流す愛子をそっと抱きしめてその小さい背中を撫でていく。女神と称される若人に、二つの影はそっと寄り添う。

 

『ふむ。これでとりあえず駒は全て並んだな』

 

 ――それを遥か上から眺める存在がいるとも知らずに。

 

『まずはこれで良し。後は神子をポーターが連れてくるのを待つだけか……他にも駒をくれてやったのだ。相応の働きを期待しているぞ』

 

 盤面を見渡しながらエヒトは嗤う。幾つかのイレギュラーこそあったものの、それも目当ての“神子”が来るならばかの存在にとっては些末事でしかない。これから自分の思う通りに全てが運ぶと思うとむしろ嗤いが止まらないぐらいであった。

 

『さて――エーアスト、ツヴァイト、ドリット』

 

「「「はっ」」」

 

 地上の様子をひとしきり眺めた後、エヒトは近くで控えていた使徒らにその手をかざす。

 

『これより我が秘儀を授ける――まずはあの二人で試してみよ』

 

 かしずく三体の使徒の瞳に昇華魔法と変成魔法を複合したものをかけていく。昇華魔法により使徒の情報を書き換え、そして変成魔法でより鮮明にその力を付与する――それはあらゆる生き物の持つ魔力を視認できるようにするものであった。

 

「「「感謝いたします我が主よ」」」

 

 瞳の改造が終わると三体の使徒は一度頭を深く下げてからその場を去った。目的を果たすために。己の主を満足させるために。

 

『さて……思うままに悲鳴を上げよ。愛しき我が人間(玩具)達よ』

 

 暗雲は、未だ晴れる様子はない。




ぶっちゃけ愛ちゃんって状況とか境遇が悪かったらこんな感じになると思うんです(本日の言い訳)

なお作者の頭にはある√がはっきりと浮かんでおり、今のところそれを改める方法とかが全然浮かびません。まぁそうなったらなったで『コイツの頭固すぎんだろjk』と思っていただければ(全力の逃げ腰)


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四十話 暗闇の中、目覚める瞳

拙作を見てくださる皆様がたにまずは惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも98176、お気に入り件数も694件、しおりの数も287件、感想数も271件(2022/4/11 10:46現在)になりました。誠にありがとうございます。またお気に入り件数の伸びがエグくて怖いんですが(恐怖)

それとAitoyukiさん、sahalaさん、段ボールニシキさん、拙作を評価及び再評価していただき、誠にありがとうございます。こうして自分の書いた話を評価していただき、本当にありがとうございます。
正直低評価もらってもおかしくないなー、と思っていたのでこうして評価していただけるとありがたい限りです。

では話の舞台はまた恵里達奈落にいるメンバーの方に戻ります。また今回気持ち短めです。では本編をどうぞ。


「……よし。これで全部終わったよ」

 

「ありがとハジメ。じゃあ先行して安全を確保する方、頼むわね」

 

「頼むぞハジメ。こっちは俺らが責任持って運ぶからそっちは頼んだ」

 

「先生、悪いけどよろしくなー」

 

 優花や幸利、大介ら家具の運搬を任されたメンバーからの声援を受けながらハジメは恵里達の下へと戻っていく。

 

「お待たせ。これでパーツ化が出来たし、持ち運びも少しは簡単になったはず。皆の負担も減ったと思うよ」

 

 そう。ハジメがやっていたのは皆が持ち運びやすくなるようベッドとソファーのフレームを簡易な構造に作り直し、パーツ化したのである。その分強度も使った時の快適さも幾らかダウンしてしまったものの、運びやすさを優先するということで全員から承諾はとっているため、ハジメの苦労が増えたという点以外に特に問題はなかった。

 

「相変わらずハジメくんは働きすぎだよ、もう……ボクもしっかり頑張るから、もうひと踏ん張りしようね」

 

 ひと仕事終えていい顔をしているハジメを見て、恵里を含めた先行する部隊に選ばれた皆が苦笑を浮かべる。そんな顔をされたら苦言を呈するのもなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまう。誰もが仕方ないなぁと思っていると、部隊のリーダーに選ばれた光輝が全員に向けて言葉をかけた。

 

「よし。じゃあ皆、少しでもハジメの負担を減らそうか。ハジメに頼りっぱなしじゃあ恰好つかないしな」

 

「これぐらいならまだ平気だってば……でも、ありがとう光輝君」

 

 そんな我らがリーダーの一言にハジメも頬をかきながら苦笑いを浮かべるも、それに感謝を示すと恵里達の笑みが普段のにこやかなものに変わった。ここに来てからずっとハジメは働きづめなのだ。だから少しぐらい役得があったっていい。そう考えながら恵里達は優花達に手を振って出発していった。

 

 そうして再び下の階層へと続く階段――階段というよりかは凸凹しているだけの坂道の方が近かったが――へと足を踏み入れると、まずは手筈通りに雫と浩介が先行していく。二人はこの時のためにハジメが用意したカンテラもどきをリュックから取り出し、周囲を照らす。

 

 カンテラ、とはいっても緑光石の塊に穴をあけてそこに太い針金で簡単な取っ手をつけただけのものであったが、実際に使うには特に不足はないものだ。照らされた視界に加え、“気配感知”及び“特定感知”をフルに活用しながら二人は慎重に先へと進んでいく。

 

 そして竿に括り付けた緑光石の塊を香織が持ち運びながら、恵里達も先行する二人の後を追っていく。

 

(今のところは一本道……挟撃の心配はなさそうだけれど――ッ)

 

 そうして先に道を進んでいた雫と浩介の目に飛び込んできたのは壁に張り付いた体長二メートル程の灰色のトカゲ。自分達が持っていたカンテラの光に気付いたのか、こちらに向けてきたそれの金の瞳が一瞬光を帯びる。同時に二人の体に異変が起きた。

 

「――体がっ!?」

 

「腕が石にっ!?――一旦退くわよ!!」

 

 途端、取っ手付きの緑光石を握っていた手ごと石化が始まり、持っていた緑光石もすぐにビキビキと音を立てながらその光を失っていく。猛烈に嫌な予感がした二人はまだ無事な腕を使い、懐から取り出した神水入りの容器の端を嚙み砕き、即座に服用する。すると一気にひじの先まで侵食していた石化は止まり、持っていた緑光石はそのまま砕け散った。

 

「クゥア?」

 

「とんだ初見殺しだな!」

 

「本当、ね!!」

 

「グゥアァ!?」

 

 そして雫と浩介は手首のスナップを利かせると、身に着けていた黒装束の袖からハジメが作った針を取り出し、後ろに跳ぶと同時にそれを記憶を頼りに目玉に向けて投擲する。この奈落に来てから四種類もの魔物の肉を食べ、二人の筋力のステータスの数値は200近く上昇しており、相応に強化された投擲は易々と大トカゲの目玉を貫いていった。

 

「雫、浩介!! 一体何があったんだ!?」

 

「大きいトカゲ型の魔物にカンテラを持ってた手ごと石に変えられたの!」

 

「さっき一瞬目が光ったらもう腕が石に変わっちまった! すぐに神水を使ったから問題ないし、アイツの目に針投げつけといたからすぐには使えないはずだ!!」

 

 その勢いで恵里達と合流すると、心配した光輝が声をかけてきたためすぐさま二人は簡単な説明をする。それを聞き、やはりオルクス大迷宮の深部だけあって油断がならないと全員が今一度気を引き締め、周囲の警戒に当たった。その途端、どこからか羽音が響いた。

 

「――左上から! 鈴!! 香織!!」

 

「うん、わかったよ恵里ちゃん――“聖壁”!!」

 

「わかった! それじゃあ本番、やってみるよ!――“聖壁・散”!」

 

 羽音が響くと同時に飛来した羽を香織が二重に展開した“聖壁”全てを犠牲にすることで防ぎ、飛んできた羽と入れ替わるように幾つもの光の欠片が向こうへと飛んでいく。そして秒足らずで聞こえた断末魔の悲鳴と共にボトリと何かが落ちる音が全員の耳に届いた。

 

「よし、成功!」

 

「流石鈴。もう使いこなせてるなんてね」

 

 “聖壁・散”――恵里の前世? にて鈴が自分との戦いで使っていた魔法である“聖絶・桜花”の劣化コピーでしかないそれであったが、この迷宮の深部に潜む魔物相手であっても十分に通用するようであった。前世?の天職である“結界師”、鈴の得意としていた強力無比な結界を作る魔法の“聖絶”、そして戦った際にバリアそのものを攻撃に転用したのではないかという推測から提案したそれが今、形を結んだのである。

 

 全ての班が爪熊討伐を出来るようになって余裕が出来た頃、恵里が結界魔法も使える鈴と香織の強化案として出し、それから香織と一緒に“光絶”や“聖壁”で展開したバリアを包丁代わりに使ったり、ハジメが用意してくれた的に向けて実際に撃ってみたりと練習を続けたことで一定方向になら放てるようになったのである。鈴が放った光の散弾はこちらを襲ってきた梟型の魔物を難なく撃破した。

 

「うっぷ……ちょ、ちょっとは慣れたつもりだったけど……け、結構辛いかも……」

 

「おい香織、吐くならまだにしろよ、ここまだ一本道なんだぞ……ハジメ、頼むから今すぐエチケットスペース作ってくれ。香織が戻す前に」

 

「う、うん。わかった “錬成”」

 

「うっわぁ……思った以上にグロい。未来の私、こんなの平気でやれたんだ……」

 

 ……なお、全身余すことなくズッタズタにしてしまったがために脳みそが丸見えだったり、眼球が上下に分かれて転がってたり、切り刻まれた内臓がそこかしこに飛び散っていたりしたが。

 

 下手人である鈴もこれには思いっきり顔をしかめ、香織はハジメが用意してくれた深めの穴が設けられた空間へとのろのろと歩いていった。解体作業で多少は慣れたはずであったが、このレベルは今の彼女にはちょっと辛かったらしい。

 

「あ、あー、その……うん。とりあえず、あの梟の奴は食べれそうなところだけソリに載せて、雫達が対処してくれたトカゲ型の魔物も、まだ食べられてないんだったら回収しておこうか」

 

 とりあえずこの微妙な空気を何とかしようと光輝が声をかければ、所用を足しに行った香織以外の面々が『お、おー……』と微妙な感じでそれに応えた。なお龍太郎は断ったうえでその場に残った。

 

 

 

 

 

「んー、やっぱ鳥なだけあって割とパサパサしてるな」

 

「筋肉の比率が多いんでしょ。ササミみたいなもんよ」

 

 そうして大きいトカゲ型の魔物の死体も無事回収し、それに集ろうとしていた猫型の魔物や梟の魔物なども全員で対処。最後に索敵をして周囲の敵を倒し終えた先行部隊はすぐさま拠点の作成にかかった。その間雫と浩介が家具の運搬班を呼んでベッドとソファーを搬入し、搬入と並行してやっていた今回の成果を調理し終えた一同は現在思い思いに食事を楽しんでいた。

 

「しっかし、見られるだけでもの凄いスピードで石化とか質が悪いな。そんなの爪熊以上にクソじゃねぇかよ。見られただけで死ぬとか最高にクソだろ」

 

「ホントだよ。マジであの時は焦った。あの時緑光石がすぐ砕けてたし、悠長なことやってたらすぐに全身が石になって砕け散ってた可能性もあったかもしれねぇ……うわ、思い足したら鳥肌立ってきた」

 

 良樹と話をしながら、あの時のことを思い出した浩介は震えていた。あの真っ暗闇の世界で生息しているとなると、暗くても相手を認識できる手段があったのは容易に想像出来る。

 

 ……もし仮に明かりの類を一切持たず、あのトカゲの固有魔法を食らっていたら? それを考えると余計に鳥肌が収まらなくなった。あそこで壊れてもったいなかったとはいえ、あそこを真っ先に潰してくれたおかげでいきなり頭をやられずに済んだのだ。それは僥倖という他ない。

 

 そうして浩介がいつもの五人やらハジメとやらと話をしている中、雫は別のことで女子~ズと話をしていた。

 

「……今回の魔物の肉を食べたらどうなるんだろうね? 相手を見たら石になったりとか、体の一部を飛ばせたり出来るようになるのかな?」

 

「えー、でも体の一部を飛ばす、って……鬼〇郎とか? 髪の毛飛ばしてるし」

 

 奈々の疑問に妙子が答えると、全員がそれに『ないわー』と返していた。そこら辺は妙子も思っており、『そうだよねぇ』と返すだけであった。そんな折、ふとあることが気になった奈々が恵里に問いかけた。

 

「ね、ね、恵里っち。そういえば恵里は前世のハジメ君のこと覚えてる? その時はどんな感じだったの?」

 

「うん? 言ってたはずだけど。今とそんなに変わんないってば」

 

「ホント? もしかして“纏雷”と“錬成”以外に何か技能使ってなかった? ほら、さっきのトカゲみたいに見たら石になるー、とか」

 

 奈々が問いかけてきたのは恵里の前世? におけるハジメのことであった。何せ生きてこのオルクス大迷宮を突破した可能性のある人物だ。その情報を知れば自分達が最終的にどうなるかがわかるんじゃないかと考えたのである。これには妙子や香織だけでなく、雫も優花も興味津々であった。が、恵里は一度首をかしげると、鈴と顔を見合わせてからその疑問に答える。

 

「うーん、そういう特徴的なのは確か無かったよ。アイツも根っこはハジメくんだし、もし持ってたら普通に使ってたんじゃない? あのトカゲのなんて足止めにも必殺技にも使えるし。基本は兵器かすごい殺気ぐらい」

 

「うん。鈴の記憶にもないよ。恵里から聞き取った時にそういったことは聞いた覚えがなかったかな」

 

 その疑問に『そっかー』と誰もが少しがっかりした様子であったものの、ふとある違和感を恵里は思い出す。前世? のハジメの強さや兵器ばかりに気を取られていたせいでほとんど気に留めてなかったあるものを。

 

「……あ、でもゲームや漫画みたいにどこからともなく武装を取り出したりとか、今ハジメくんが使ってるドンナーみたいな銃を両手に二丁持ってたけど、全然弾切れしてなかったなぁ。今にして思うとアレなんだったんだろ」

 

「え、何それ初耳なんだけど。恵里言ってなかったよね?」

 

「うん。ボクも今思い出したぐらいだし――ってまたぁ゛!?」

 

 その言葉に女子~ズ一同が頭を悩ます。一体どんな手品や技能を使ったのやらと考えていると、またしても例の激痛が体に走った。全員慌てて今回も神水を服用し、もう恒例になりつつある我慢大会を決行することに。ここ最近こんなのばっかりだ、と全員がうんざりしながら歯を嚙み締めたり、テーブルの端を掴んだりなどして必死に耐えようとする……そうしてしばらくして痛みが抜け、誰もが深いため息を吐いていると、不意に礼一が今まで皆が目をそらしてきたことを口にしてしまった。

 

「……なぁ、コレってよ。下行って新しい魔物食べる度に起きるんじゃね?」

 

 途端、一気に場の空気が冷え込んだ。そこでようやく礼一は己の失策を知り、どう言い訳をすればと必死に頭を働かせようとするも、恨み骨髄な様子の大介、信治、良樹から体を掴まれる。

 

「おい礼一。テメェよくもまぁ俺らが考えないようにしてたことを口にしやがったなクソ野郎」

 

「おう、ちょい面貸せや。なぁーに、お前も口が軽いと不味いことになるだろ――今みたいによぉ?」

 

「馬鹿礼一、お前人がせっかく考えないようにしといた事実を突きつけてきやがったな。覚悟しろよクソッたれ」

 

「え、いや、ちょいやめ――ぎゃぁあぁぁあぁあぁあ!!!」

 

 大介達に指をあらぬ方向に曲げられたり、耳たぶを引っ張られたり向こう(ずね)を蹴られるなど散々な目に遭わされる。流石にハジメと光輝は止めにかかるも、キレた三人は止める気ゼロ。罵倒しながらも礼一へ振るわれる暴力が『尻をつねる』、『膝カックン連発』など地味かつしょうもなくなっていくばかりであった。

 

「……ねぇ雫」

 

「嫌よ。絶対に嫌」

 

 礼一のせいで考えないようにしてきた事実にうんざりしつつも、恵里は雫の方を見ながらあることを告げようとする……が、当の雫は大事そうにイナバを抱えたまま顔を背けた。こっちもこっちで話を聞く気がないらしい様子であった。

 

「いい加減覚悟決めなよ……ボクとしても愛着が湧いてきたし、別に神水使うな、って言ってるわけじゃないんだから」

 

「それでも嫌よ! 絶対に嫌!! この子の餌は二尾狼か蹴りウサギの肉以外与えないから!!」

 

 そう。雫が懸念していたのは今こうして可愛がっているイナバに先述した二種類の肉以外を食べた時、自分達のように苦しむ羽目に遭わないかということであった。『爪熊の祟り事件』のせいで魔物肉に関して軽く神経質になってしまった雫は、イナバを猫可愛がりしていることからその二種類の肉以外与えていなかったのである。

 

 なお雫の言葉を聞いて『雫ちゃんがイナバちゃんに共食いをオススメしてる……』と香織や鈴らが軽くドン引きしていたが、当人の耳には届いていない。

 

「わ、私が狩りに行くもの! 飼うって言ったのは私だし、ちゃんと責任はとるから!!」

 

 涙目になって反論してくるあたり光輝と近しいレベルで惚れ込んでいるらしい。なおそのイナバは吞気にあくびをしながら恵里と雫を交互に見ていたりする。

 

「あのねぇ……確かにまたぐ階層が一つ二つだったらまだわかるし妥協も……うん。まぁしたよ、多分。でもさぁ、どこまで下れば最下層に着くかもわからないんだし、ここら辺で腹くくりなよ。今後は常に体の痛みと向き合うことになるだろうし、神水のストックが一番マシなの今ぐらいだよ?」

 

 『そのストックを維持する方法が無い訳じゃないけどさ』と付け加えながらも恵里はこの意固地になった幼馴染をどう説得したものかと考える。こんなところで下手に時間を使ってもらったら絶対に引きずってしまうのは目に見えているのだ。ならば今自分が憎まれ役になってでもどうにかするしかないと思いながら説得にかかる。

 

「そ・れ・に、イナバが可愛くて仕方ないのも雫がメロメロなのも皆わかってるよ。けどさ、可愛いがりすぎてここを突破する、って目的をないがしろにしちゃ駄目でしょ」

 

「うぅ……でも、でもぉ……」

 

 『面倒事の種になってくれちゃって』と雫が大事そうに抱える魔物を軽くじっとりとした目で見つつ、恵里はそう伝えるも雫はまだ意地を張ったまま。どうしたものかと思っていると、ふと鈴が自分の使っていた皿の上になめろうのような細かく刻まれた肉片を載せながらこちらにやって来た。

 

「はぁ、もう雫ってば。昔からこういうのに弱いんだから……はい。じゃあ実際に試してみたほうが早いでしょ。ほら、ここにあの六本足の猫の肉を細かくしたのがあるから。これイナバに食べさせなよ」

 

 自分と雫が話をしている間、鈴が気を利かせて用意してくれたらしい。振り向くと優花もやれやれ、といった顔をしていたため、実際に用意してくれたのは彼女だろう。見れば調理場の上にはあの猫の魔物の皮と思しきものがまだ載っており、そこから上手くそぎ落としてくれたのは容易に想像がついた。

 

 わざわざ自分達のためにやってくれた二人に心の中で感謝しつつ、『ほら食えー』と鼻をクンクンさせていたイナバに恵里は命令する。すると大人しくしていたイナバはすぐさま雫の腕の中で暴れ始めた。

 

「鈴までぇ……あ、ダメッ! イナバちゃん! 暴れちゃダメ――ってあぁっ!?」

 

 そして雫の腕の中から体を乗り出し、そのまま皿をしゃぶりつくす勢いで肉にがっついた。最後は残った小さな肉片すら舌でペロペロとなめながら口の中に納めていき、満足そうにゲップをする。どうしようどうしようと錯乱する雫を他所に、イナバは恵里達に見守られていた。

 

 十秒……三十秒……一分……二分……。

 

「い、イナバちゃん! こ、これ! これ飲みなさい!! ペッしちゃダメよ! 絶対にダメだからね!!」

 

 そうして自分達が静かに見守っている中、顔を土気色にした雫が端っこを砕いた試験管――神水の入った容器をイナバの口に近づけた。戦闘の後で補充していた二本の内、一本はさっきの食事の時に使ってしまったため、予備のストックのものだ。それを出した辺り相当入れ込みが強いのが改めて女子~ズ一同が理解できた。あとかなり愛が重いとも感じていた。

 

 イナバも喉が渇いていたのか特に疑問も持たずにそれを舐め、雫が容器を傾けるのに合わせて自分も顔を傾けて飲み干していく……すると、恵里の“縛魂”によってどこか虚ろであった目に光が段々と戻っていき、何かに気付いた様子のイナバはすぐさま雫の腕から逃れようとしてもがきだした。

 

「キュウゥウゥゥゥ!! キュゥウゥウゥ!!!」

 

「え……えぇっ!? い、イナバちゃん!? だ、ダメよ! 暴れちゃダメ!!」

 

 いきなりの事態に雫は困惑し、いきなり変貌した女子~ズも一体何がと考えてあることに思い至った。これ“縛魂”が解けたんじゃないのか、と。そこで急ぎ恵里は“縛魂”をかけ直そうとするも、イナバの目から涙が流れてることに気付いて一瞬動きを止めてしまった。

 

「……え? なんで魔物が涙流してんの?」

 

 そう漏らすと同時に他の女子一同もイナバの顔を見た。そこには怯えと思しき震えとそこから来ると思われる涙が瞳から流れていた。魔物ってこんな器用なことが出来るのだろうか、と思っていると、雫の腕からするりと抜けたイナバは何歩か前に出て、そのまま寝転がってお腹を出したのである。

 

「キュゥ~、キュゥゥ~~……」

 

 『ぼくわるいうさぎじゃないよ』とばかりに訴えてくるイナバに他の女子~ズ同様、不覚にも可愛いと思いながらも恵里はイナバの変貌ぶりに思いっきり首をかしげてしまう。ここの魔物は自分達を見ても餌か敵かと見なして基本殺意満々で襲い掛かってくるのだ。それは二尾狼も爪熊も蹴りウサギも同じであったはず。それが何故こんなことになっているのかと思っていると、ふと前世? の最後の戦いで鈴が連れていたイナバの様子を思い出した。

 

(……あれ? そういえばあっちのイナバって、ちょっと“邪纏”が効き辛かったような……それも()()とかが相手みたいに――あれ? もしかして、そういうこと?)

 

 いきなり知恵をつけたかのような動きをする目の前の兎型の魔物を見て、恵里の中である考えが一気に組み上がっていく。

 

 あの戦いの際に鈴は『イナバさんは色々と特別』と言っていたし、あれは自分が使役していた死獣兵よりもはるかに高度に、()()()()()()()()()()()動いていたかの様子であった。そして目の前のイナバを見れば、あの時自分を苦しめた兎型の魔物ほどではないにせよ、知恵も自分の意志もあるように見える。そこから導き出されるのはある結論であった。

 

(まさか、魔物に神水を飲ませると知恵がつく?……そういえば鈴が魔物を連れてボクの前に現れるまでそう大した時間はなかったはず。なのにどうやって上の階層の蹴りウサギをあそこまで強くさせられたの? フリ、フレ、えーと……魔人族の誰かだったかが使えた神代魔法でもあそこまで一気に強くすることは出来なかったし、特別って鈴も言ってた……もしかして、この水を飲んで知恵も強さも身に着けた、ってこと!?)

 

 あの時のイナバは本当に特別な個体であった、ということだ。

 

 何らかの偶然で神水を口にしたことで頭が回るようになり、魔物を戦力にしていた鈴と何らかの形でかち合った、と。それを考え付いた恵里はなんて偶然に負けたのかと思いながらも、魔力を霧散させてかがんだ。

 

「おいで、イナバ」

 

「キュゥ……」

 

「ほら。ご飯もちゃんと食べさせるし、ここの皆はイジメたりなんかしないから」

 

 そう言って手招きをすれば、仰向けのまましばらくこちらをじっと見ていたイナバもコロンと転がっておそるおそる自分の方へと近づいてくる。

 

 まぁ操った相手だから無理もないか、と思いつつも雫達に見守られながら恵里は手を差し伸べる。自分の顔と手を何度か見比べて様子をうかがっていたイナバは、しばらく間を置いた後、自分の手を舐めてくれた。

 

「あっ……ふふっ」

 

 ツルツルとした舌ざわりにちょっぴりくすぐったさを感じながらも舐めてくれたイナバの頭を優しく撫で、恵里はそのままそっとイナバを抱き上げる。途端、わぁっと歓声が上がり、ちょっと機嫌を良くしながら恵里はうらやましそうにこちらを眺めていた雫の下へと向かう。

 

「はい雫。お利口さんになったイナバを可愛がってあげなよ」

 

「あ――うん!」

 

 そしてまた蕩けた表情になった雫がイナバの顔に頬擦りするも、逃げ出す気配は特にないので問題ないと恵里は考える。洗脳であれ、イナバの意志で留まっているのであれ、逃げたり襲い掛かったりしなければなんだっていいのだ。

 

「あ、恵里。そっちの方でイナバが何かあったみたいだけどどうしたの?」

 

「あ、ハジメくん――なんでもないよ。とりあえず今のところは、ね」

 

 あちらで行われていた礼一へのリンチ……というかものすごい微妙な嫌がらせも決着が着いたらしく、今は犯行に及んだ三人がメルドから説教を受けている。

 

 かくして魔物を食べた際に起きた激痛から始まった騒動は終わりを告げた。

 

 なお、この後恵里の言葉ひとつでどうにかなっていたイナバのトイレなどの躾問題や、大介らが使っていたソファーを占有するようになってから度々彼らとナワバリ争いをするようになったり、イナバの身に起きたであろう異変を話したらこぞって神水を飲ませてメルドから叱られたり、雫が猫可愛がりを続けたせいで段々とイナバの顔が死んでいったりし――。

 

「うぅ……イナバちゃん、戻ってきてよぉ……」

 

「キュッ」

 

「雫、自業自得だってば……あんまりやり過ぎたらかわいそうだよ」

 

 ……雫がやたらと可愛がり過ぎたせいで、適度に可愛がってくれる鈴の方にイナバが懐いたりなどするようになったが、少なくとも全員の生き死にに直結するような事は起きる事はなく。

 

 これを機に光輝もあんまり雫を甘やかさない方がいいかもしれないという風に考えを変えるなどあったり、また地上にいる畑山先生の事で誰もが憂いたりしながらも、決死の覚悟で奈落の底へと逃げ込んだ彼らの日常は穏やかなままであった。




神水飲んだ直後のイナバの内心
(なんであの階層の王を倒したのに群がられとるんや!? あ、アカン、媚び売っとかんと!!)

結果、武者修行して「俺より強い奴に会いにいく」スタンスのイナバさんは死にました。哀れ。


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四十一話 欲望の果て(前編)

まずは拙作を見てくださる皆様に感謝の言葉を。
おかげさまでUAも99815、お気に入り件数も699件、しおりも291件、感想数も277件(2022/4/17 17:40現在)になりました。本当にありがとうございます。
いやー、お気に入り件数もそうですけどUAが次の大台に乗るとは……感無量です。これもひとえに拙作に興味を持って見てくださる皆様のおかげです。改めて感謝いたします。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき、誠にありがとうございます。毎回拙作を評価していただけるおかげで今回もまたモチベーションが上がりました。本当にありがとうございます。

今回前後編と分ける都合で少し短くなっております。上記に注意して本編をどうぞ。


「あ、偵察に行った猫ちゃん達が戻って来たよ」

 

「えーと数は……うん、欠員なし。こっちの方は安全みたいだね」

 

 鈴が言った通り、“縛魂”で操っていた六本足の猫や梟型の魔物達が恵里達()()の下へと戻って来た。どの魔物もこれといった傷はなく、こちらのルートの安全はハジメが言った通り担保されたと言える。それに満足気に微笑むと恵里はすぐさま次の指示を出した。

 

「そうだね鈴、ハジメくん――よーし、それじゃあ今度はそっちの方に行けー! 敵と遭遇したら死んでもいいから戦えー!!」

 

 その号令と共に魔物達の群れは恵里の指示した方へと進んでいく。

 

 ――イナバが神水を飲んで知恵を得た騒動を話して男子~ズに軽く呆れられた後、恵里達は休憩もそこそこに作戦会議へと移った。内容はこの階層で相対した敵の情報の再確認とマッピングに関する班分けについてだ。

 

 情報の再確認はつつがなく終わり、それで班分けは前の階層と同じでいいだろうかとメルドが問いかけた際、恵里があることを述べたのだ。『“縛魂”で魔物を操れば偵察部隊の代わりになるから、その分班を増やせるけど?』と。

 

 メルドはそれを聞き、腕を組みながら思案する。それが出来ればマッピングにかける時間も幾らか減らせる。だが“縛魂”の射程が短いことを考えれば恵里が危険であり、しかも使役を前提と考えると全員が積める戦いの経験がその分少なくなることをメルドは問題視したのだ。

 

 そこでその懸念をメルドが口にすれば恵里もその危惧にうなずいて同意を示すも、少し考えてから恵里はこう返してきた。

 

『その分時間も負担も減らせるからいいと思うけど? あとマッピングが終わった後でお互い万全な状態にしてから“縛魂”を解除すればいいんじゃない? 一応経験は積めるだろうし』

 

 そう言い返されたことでメルドも何も言えなくなった。神水もいつまで出るかわからないことを考えれば攻略にかける時間は少しでも減らした方がいい。それに頑丈な拠点を用意できて、家具を作ったりなんだりしてはいるがちゃんとした場所で全員を休ませたいとメルドは考えていた。今あるのはあくまで代用品であって、ちゃんとしたものではないし、安全もちゃんと担保されている訳ではない。それ故の焦りがメルドにはあった。

 

 そのため恵里の提案を受け入れた上で班決めを行うこととなった。結果、光輝、雫、幸利、大介ら四人にメルドの班とハジメ、恵里、鈴、龍太郎、浩介、優花ら三人の班でまずは行動し、ハジメ達のいる班は“縛魂”をしながら進むことに。そして“縛魂”で十分な数を揃えた後、ハジメ、恵里、鈴の三人が龍太郎達と別れて行動する、ということになった。

 

 いくら魔物がいるといえど三人だけじゃ無謀だと誰もが反対したものの、ハジメの扱うドンナーによるフレンドリーファイアの心配や、他の班から下手に人員を引いた際のリスクも考慮してこのような結果となった。もちろん危険だと感じた場合の手段も用意してから向かうことになった。

 

「とりあえず大量の閃光手榴弾とこの盾があるから大丈夫だと思うけどねぇ」

 

 そう言うと恵里はハジメが背負っている盾を指差す。訓練の時からずっと持ち続けている彼の盾だが、今は少し手が加えられている。

 

 元々一般兵が使う代物をメルドが理由をつけてくすねてきたものであり、鉄製の盾に革のグリップや背負ったりするための革帯が取り付けられたタイプだ。ステータスが一般人程度でしかなかった頃は背負うのも一苦労していたそれは今、盾そのものは純タウル鉱石製となっている。ちなみに元の素材はピッチャーなどに化けた。

 

「メルドさんも皆も心配なんだよ。僕だって、光輝君、雫さん、幸利君だけだったらものすごく心配してただろうし」

 

 そう言うとハジメも盾を構えて周囲を見渡す。全員が“気配感知”を使って半径十メートル内を索敵しているが、それらしい相手は今のところいない。また恵里も“縛魂”によって出来た魔物との魂のリンクによって、使役している魔物の反応が弱まったり無くなっていることからあちらが交戦中なのも把握していたが、“気配感知”には引っ掛かってないことから十メートルより遠くにいるということはわかる。

 

「……反応が二つ消えた。それとこっちに逃げて来る気配が二つ。ハジメくん、鈴」

 

「うん、了解」

 

「わかったよ。じゃあまずは“聖壁”!」

 

 行き止まりだったら戻るか、進んで『魔物とだけ』戦うこと以外命令していない魔物達から離れていくのを見るにおそらく逃げ出したのだろう。こちらに迫ってくる相手の反応からそう考えた恵里はすぐにハジメと鈴に声をかける。

 

 ハジメも鈴も油断することなく武器を構え、バリアを張って接敵に備える。そうして現れた梟の魔物相手に三人は難なく勝利を決め、恵里達はマッピングを再開していく。

 

 ……そうしてしばらく後に光輝達全員と無事に合流し、龍太郎の班が下に続く道を見つけたことから、“縛魂”で操っていた魔物達を何匹か解放し、それらを経験と食料に変えて一旦休憩をとってから恵里達は向かうことにした。

 

 次の階層は蒸し暑く、地面がどこもかしこもタールのように粘つく泥沼のような場所であった。

 

「暑さもそうだけど、この足場は……結構キツいな」

 

「うん……足を取られて動きづらかったね。私達は“空力”があるからまだ何とかなるけれど、それが使えなかったら移動だけでも結構時間がかかりそう」

 

 光輝の言葉に香織も続き、同行していた恵里達も顔をしかめながら二人の言葉にうなずいた。彼らは今、せり出た岩を足場にするか、“空力”を使って透明な足場を展開することで無理矢理進んでいる。それは先行している浩介と雫も同じであり、誰もが蹴りウサギから得られたこの技能に心底感謝していた。

 

 そして拠点は一体どこにしようかと全員が周囲を見渡していると、ハジメが顔を青ざめさせていたため、それが気にかかった恵里はすぐさま彼に問いかける。

 

「どうしたのハジメくん。何かあった?」

 

「いや、その……皆、落ち着いて聞いてね? ここ、火気厳禁なんだ……」

 

 一体どういうことかと一度浩介と雫も呼び出し、全員で“気配感知”を使って索敵を続けながらもハジメの話を聞いていれば、何故彼の顔色が悪くなったのかが嫌というほどわかってしまった。

 

 曰く、拠点探しついでに銃弾や武器製造に使える素材はないかと“鉱物系感知”を使いながら周囲を見ていた際に見つけたのだ……この階層特有のものであるフラム鉱石を。

 

 それは艶のある黒い鉱石であり、熱を加えると融解しタール状になるものである。しかも融解温度は摂氏五十度ほどであり、タール状のときには摂氏百度で発火するという。この程度だったらまだ皆背筋がヒヤリとしただけで済んだだろう。だが問題はここからであった。発火した際の熱は摂氏三千度にまで達し、燃焼時間はタール量による……うっかり火種が舞おうものならどうなるか。それを誰もが理解してしまい、ハジメに負けない程に顔を青ざめさせていく。

 

「……うっかり火をつけたら灼熱地獄待ったなしだな」

 

「そうね……本当に、本当に使わなくて良かったわ…………」

 

 浩介も雫もこれには本気で体を震わせ、今自分達が踏みしめているタール状のそれを見て冷や汗と悪寒が止まらなくなっていた。

 

 こんな“炎術師”である信治涙目なところじゃ絶対安心して寝れないと誰もが思っていると、不意にタールのしぶきが舞うと同時に恵里の連れていた魔物の反応が消えた。

 

「汚っ――!? 皆、魔物とのリンクが全部消えた!! 敵はどこ!?」

 

「け、“気配感知”に全然引っ掛からなかったぞ!? 一体どういうこった!?」

 

「ほ、本気の浩介君ぐらい影が薄い敵が相手なの!? ど、どうしよう!?」

 

 恵里の言葉に皆が混乱し、龍太郎と香織の言葉に誰も反応なんて出来なかった。“気配感知”を使っていても本気の浩介のように気配の『け』の字も感じさせない相手にどうすれば、とパニックを起こしてしまったのだ。

 

 浩介も『皆が普段俺に対してどう感じてたのかがわかったよ畜生!!』と内心キレながらも周囲を見渡す。そこでいち早く立ち直った雫が大声を上げた。

 

「円陣! 皆、背中合わせになって円陣を組みましょう!! それならどこから来ても誰かが相手出来るわ!!」

 

「そうだね雫! じゃあ香織、“聖壁”を」

 

「うん、わかったよ雫ちゃん! じゃあいくよ、鈴ちゃん!」

 

「「――“聖壁”!!」」

 

 武術に幼少期から慣れ親しんでおり、八重樫の裏にも精通していた彼女であったが故に適切な判断を下せた。全員がそれにうなずくとすぐに雫の言った通りに陣形を組み、香織と鈴も姿の見えない相手がいつ来てもいいように円形の結界を張って全力で警戒する。

 

 釣り餌代わりになる魔物はさっきの襲撃で既に全部死んだ。トータスに来てから世話になっていた“気配感知”は今は使えない。一体どこから? 一体どうやって? 苛立ちと疑問符が重なる中、恵里は目を皿にして天井、通路、地面を幾度も見まわすがそれらしい影は中々見えない。そこでふとさっきタールのしぶきが飛んだことを思い出し、まさかと地面――タールの沼に視線を落とせば波紋が広がっていた。

 

「――全員、下だ!! 下から来るぞ!!」

 

 誰よりも早く気付いたらしい光輝が声を上げると、全員が下に向けて武器を構える。途端、黒い水面から現れた(あぎと)はハジメへと迫っていた。

 

「――! このっ!!」

 

「「“光縛”!!」」

 

「“邪纏”!!」

 

 撃鉄を叩いた際の火花が地面に落ちるのを恐れ、ドンナーでなく盾を構えたハジメへとバリアを砕きながら鮫型の迫るが、そのバリアのおかげで迫る勢いは弱まり、すぐさま鈴と香織が発動した“光縛”によりヒレと尻尾を拘束されて勢いを失った魔物はそのままタールの沼に叩き落され、恵里の“邪纏”によって動くことすら封じられた。そしてそれを逃すような間抜けは恵里達の中にはいない。

 

「そこだっ!――って弾きやがった!?」

 

「“剛力”――うぐっ!? デカいゴムを殴ったみてぇだ!」

 

 浩介は針を投擲するも目玉以外は容易に弾かれ、龍太郎も必殺の一撃を叩き込んだはずなのに魔物を軽く転がす程度のことしか出来なかった。

 

「なら私が――ハァッ!!」

 

 そこで雫が剣を抜き、更に“風爪”を上乗せして袈裟懸けに切る。すると“邪纏”によって身じろぎ一つ出来ない魔物は体の半ばまでがその一撃で裂かれ、吹き出た鮮血がタールの黒と混ざっていく。切る方ならば効くと誰もが確信し、雫もトドメを刺すべく“風爪”で魔物の頭を両断して確実に息の根を止めた。

 

「斬撃は効くな……よし、一度撤退しよう! この魔物の肉を切って全員を強化してからここに再度来る。そして全員でマッピングをしてから一気に抜ける。いいか?」

 

 光輝の指示に全員がうなずき、香織と鈴が結界を張り直すとすぐに全員で鮫型の魔物の解体に移る。ソリに載せるには足場が悪いし、また内臓も持っていくとなると面倒になったためあくまで身の部分のみを切り落とし、それを光や岩のロープで縛って下げると、恵里達は周囲を警戒しながら足早にこの階層を去っていった。

 

 

 

 

 

「はい一本釣りOK!」

 

「任せたよ鈴!」

 

「うん、いくよ! “聖壁・刃”!」

 

 恵里が使役していた魔物がタールの沼から出てきた鮫型の魔物に食われるのを確認すると、ハジメは盾を構えて二人の前に立ちながら鈴に声をかける。それに応じた鈴も“聖壁・散”の応用でバリアを一つの巨大な刃に見立てた“聖壁・刃”によってたやすく魔物を真っ二つにした。そしてすぐさま解体作業に移り、軽めの金属で作った背負子に切り身を載せて針金で固定していく。

 

「――よし、それじゃあ次に行こうか」

 

 ハジメの言葉に恵里と鈴もうなずき、お供の魔物こそいなくなったものの、三人は目印をつけながら階層を巡っていく。

 

 こうして恵里達が何の苦も無く三人だけでここを駆け抜けることが出来るのには相応の理由があった。次の階層へと続く道の近くに作った拠点に全員が戻り、魔物を食してステータスプレートを見た時のことである。そこで新たに生えた技能を見たことで全員がそのからくりに気づいたのだ――“気配遮断”といういかにもな技能である。

 

 要は自分達を“気配感知”で調べ、“気配遮断”を使ってこちらに迫っただけということだ。ならば自分達も同じことをすればこの階層の突破は容易であると考えた……つまり、ここにいると悟られなければいいのだ、と。

 

「今度は僕が餌役をやるよ。二人はちゃんと“気配遮断”を使っててね」

 

 だがそれでは技量も伸びず、気配も感じさせずに迫る相手に対する経験が積めない。それも少しもったいないということになり、誰か一人だけそのままに他は“気配遮断”を使って進むことで敵を水面から引きずり出して戦いながら進もうということになったのだ。

 

「……やっぱり戻んない二人とも? いくら鈴がバリア張れるから、って限度があるよ? やっぱり二人が怪我したら――」

 

 しかしその疑似餌役を誰にもやらせたくないと恵里が駄々をこね、彼女達の班のみ前の階層の猫と梟の魔物を従えて再度挑戦することになった。そこで餌役の魔物がいなくなったことで不安になった恵里は階層を駆け巡っていた二人に向けて戻ることを提案するも、ハジメも鈴も苦笑いを浮かべながらそれに優しく反対する。

 

「気持ちだけ受け取っておくね、恵里。未来の僕はここを自力で抜けていったんだろうし、自分の技量を高めるためにもやっておきたいんだ」

 

「鈴もそうしたいけど、そのせいでハジメくんの技量が落ちてどこかで死んじゃうって思ったら……ね? 我慢だよ、恵里。後でいーっぱい甘えよ?」

 

 二人にこう言われてはさしもの恵里も何も言えず。自分が甘やかしたせいでハジメと鈴、そして皆の危機に繋がるとなれば受け入れざるを得ない。いいように転がされることに甘んじながらも恵里は二人と一緒に階層を進むのであった。

 

 

 

 

 

「ふんふふ~ん♪」

 

 そうしてタールまみれの階層を突破し、このタールを使って焼夷手榴弾を作ることを考えたハジメがある程度の量を確保してから次の階層へと進むこととなった。

 

 拠点を作り、二つ前の階層から汚すことなく無事に運び出した家具も配置した彼らは今、ご機嫌な様子で鮫型の魔物の肉を調理しにかかっていた。

 

「こっちの方は骨取り除けたよ。これで全部終わりー!」

 

「私もこびりついてた血とかタールを洗い流しといたよー!」

 

「先生ー! とりま風で水気は切っといたぞー!!」

 

 今回はただ焼くのではなく、ちょっと手間暇を加えた上での調理。久々に()()()()が食べられると全員はウキウキしながら手際よく下準備をしていく。

 

「こっちも第一陣の裏ごしが終わったー!! お鍋の水はどう、優花さーん!」

 

「ちゃんと煮えてるわよー!!……いよいよね」

 

 丁寧に骨を取り除き、不要な血もタールも脂も水属性魔法のエキスパートである奈々が洗い流し、余計な水気も良樹の風系統の魔法で取った。それを細かい網の目で裏ごししたハジメが、あまり調理をしてこなかった大介や幸利らに渡してそれの形を整えてもらう。団子状にしたそれを浩介が優花の下へと持っていくと、それを受け取った優花も形を崩さないようゆっくりと鍋に入れていく。

 

「な、なぁ園部、い、一体いつ出来るんだ? すぐか? それともかなり待たないと駄目か?」

 

「はいはい慌てないの。こういうのは適度に時間をかけるのが大事なんだから」

 

 礼一に急かされるも、特に気に留めた様子もなく優花は鍋に浮かぶ灰に近い色合いの団子をじっと見つめる。ぷかぷかと浮かぶそれを眺め、家でやってた時はどれくらい時間をかけていたかを思い出しつつ、借りた時計にも視線を向けながら煮えるのを待つ。

 

「まだかまだかまだかー! あーもういいだろ園部!」

 

「すまん優花、俺も大介と同意見だわ。もういい具合に煮えただろ?」

 

「はいアンタらは焦んない。いい加減待つのも覚えなさい」

 

 そして早く早くと急かしたてる奴らを適当にあしらいつつ、お玉や菜箸(という名目で使っている金属の箸)でつついて具合を確かめると、さっきの階層でいいとこ無しで火の番ぐらいしかマトモにやれず不機嫌な信治を見てため息を吐く。

 

「……中野、良かったら食べなさいよ」

 

「え、マジ!? いいのか!?」

 

「アンタさっきいいとこ無かったでしょ。ま、文句も言わないで火力調整してくれてるんだからね。これぐらいならいいでしょ。はい」

 

 団子と汁を持った器を自身の使っている箸と一緒に差し出されて困惑する信治。だが差し出した優花はやれやれといった感じで食べろと言ってきたためその厚意に甘え、他の奴らから恨めしそうに見つめられる中それを受け取って口にする。その瞬間信治は目をひん剥いた。

 

「マジかこれ! うわ、うんまっ!! ダシ出てるし美味ぇし!」

 

「ん、それなら大丈夫そうね。はいじゃあ皆、並びなさい!――つみれ汁、出来たわよ!!」

 

 その一言に誰もが沸き立つ。つみれ汁。つみれ汁である。

 

 調理に関しては肉を焼くか煮るかが大半で、他の家具の作成などで後回しになっていたことで最近蒸し器が完成したから蒸すのも出来るようになった程度でしかなかった。食材のバリエーション自体がないせいで誰もが諦めかけていた時、鮫型の魔物が出てきた意味は大きかった。疑似的とはいえ海産物が食べられるのだ。

 

 鮫なんて誰も食べたことがないとはいえ、その衝撃はとても大きい。拠点にいて説明を受けた面々は元より、それを拠点に持ち運び、説明を終えて緊張が解けた後でどう食べるかを考えだした恵里達もまた興奮したのである。

 

 その時は流石に量が少なく、個々人が好きな調理法で少量の身を食べてもらっただけであったが、どうせだから何か工夫して食べたいと調理を担当している面々は考えた。その際良樹が『刺身食いてぇ!』と言い出したものの、寄生虫や未知のウィルス相手に危険ということで没となり、他に何かないかと優花が思いついたのが“つみれ”だったのである。

 

「うわぁ……ダシ! ダシ出てるよ!!」

 

「久々にお肉以外の食べ物だぁ……生きてて、生きてて良かったぁ……」

 

 行儀よく一列に並んで自分の器を優花に渡せば、彼女も上機嫌になりながら器につみれとその出汁が染みたお汁を入れていく。

 

「よーしお前ら、久々の肉以外の食事だ!! ちゃんと味わって食えよ! では――」

 

 いただきます、と恵里達は神妙な面持ちで目の前の食事に向き合い、メルドもいつも以上に熱のこもった祈りをささげた後、それに手を付けていく。全員がアツアツのつみれを口に含んだ途端、顔が一気にほころんでいく、

 

「~~~~~~~~~~~~~~~っ!! あ~もう、美味い!」

 

「本当に美味しいね! 塩ぐらいしか味付けしてないただのつみれなのに懐かしくて美味しくて……あれ、涙出てきちゃった」

 

 誰もが泣き笑いをしながら久方ぶりの肉以外の食事を、その触感を楽しんでいた。口の中でほぐれるその感触を。シンプルに塩味がついただけなのに、あまりにも淡白なそれがとてもとても美味しくて仕方が無かった。

 

「キュゥ~……」

 

「あ、イナバ。もう食べ終わっちゃったのね……はい、いいわよ。今持ってくるわね」

 

 そして軽く怯えた様子で器を口にくわえたイナバが優花のところへとやってきていた。お汁含めて既に空になった器を見てイナバの頭を優しく撫でると、微笑みながらイナバ用に取り分けた小さい鍋の方へと向かう。そして冷ましたつみれ汁を盛って出してやれば、イナバも美味しそうにそれを口につけていく。

 

「美味しいよねぇ~流石優花だよぉ~」

 

「本当、妙子の言う通りだよな。優花が思いついてくれなきゃコレ食えなかったしな」

 

「わ、私だって洋食屋の娘よ。それくらい思いついて当然でしょ……でも、ありがと」

 

 感慨深そうに言う妙子と幸利を見て優花もそっぽを向きながら答える。まんざらでもない様子を見て奈々と妙子がからかい出し、料理上手であまり素直になれない彼女に幸利も何か温かいものを感じていた。

 

「……地球にいた頃はさ、こんなシンプルな味のつみれ汁でここまで感動するなんて思わなかったな」

 

「うん……今まで食べたご飯の中で、一番染みるわ……」

 

 出汁を飲んで顔をほころばせながらも光輝は地球にいた頃を振り返っていた。そんな彼を見ながら雫も涙を流しながら笑いを浮かべる。こんな、こんな些細なことで喜べることが何より嬉しかった。

 

「龍太郎くん、ちゃんと食べてる? さっきのマッピングでいっぱい“風爪”使ってたし、いつもと違う戦い方だったから疲れてない? 食べないと疲れがとれないよ? お代わり持ってくるよ?」

 

「いや、流石に自分の分は自分で持ってくる。それと、疲れてるのは香織もだろ? お前だって魔法を結構使ってたんだから腹減ってるだろうし、ちゃんと食べないと辛いぞ?」

 

「……うん。こんな状況だし、食べ過ぎってことはない……よね? うん、わかったよ。一緒に行こう」

 

 ガッツリスケベとからかわれるようになったあの時以来、お互いに距離が近くなった龍太郎と香織は一緒に器を持ってお代わりをしに行く。心が通じ合った今、二人はこんなちょっとしたことでも幸せであった。ここが地獄と隣り合わせな場所であっても、二人にとっては天国であった。

 

(やっぱりちゃんとした武器も作らないと……とりあえず浩介君と雫さんの刀を作ろう。あと()()もドンナーを応用できれば作れるし――)

 

「もう、ハジメくん……焦ってない? 気持ちはわかるけど、今はご飯食べてるんだから後にしよ。ね?」

 

「そうだよ。皆ピリピリしちゃうし食べてから考えようよ――はい、あーん」

 

 今後のことを考えて色々と思案するハジメの脇腹を鈴が軽くつついてやめさせ、それに乗って恵里がたしなめにきた。二人にそう言われて申し訳なさそうな顔をしたハジメに恵里は自分の分のつみれを箸で掴んて食べさせようとする。ハジメもちょっと頬を染めながらも無言でそれを食べ、お返しとばかりにハジメも自分の分を恵里に食べさせようと箸で掴む。恵里もにへら~としながらそれを食べる。鈴もまたおねだりをしてきたためお互いにあーんし合った。

 

 それを偶然見た香織はキラキラした目で龍太郎を見つめ、龍太郎は『流石に勘弁してくれ……』と顔を真っ赤にして大柄な体を縮めていた。浩介は恋人達のイチャつきを見て内心気が狂いそうになり、箸を握りつぶしたためにハジメ以外の調理を担当している子達から殺意のこもった眼差しを向けられて土下座した。

 

 そうして食事とその後の休憩を終えた一同はこの階層の魔物を狩りに向かうことになった。ただ、ハジメは今後のことを考えて武器を作りたいと主張し、恵里と鈴もそのサポートのために残ることになった――かくして真のオルクス大迷宮の攻略は更に進んでいく。

 

「みんなー、無事に帰ってきてねー。ちゃんと美味しいご飯作るからー」

 

 ハジメの言葉に狩りに行く部隊の皆が『任せろー』と力強く応えたのを確認し、ハジメは恵里と鈴と一緒に武器の製造に移っていく……拠点に残った恵里達も、狩りに向かった光輝達も、どこか何かが狂い出していることに誰も気づいていはいなかった。




……本当は前回と今回、次回合わせて一つの話のはずだったんですが、どうしてこんなことになったんでしょうね(遠い目)
次回はとりあえず火曜日前後を予定しています。なお予定は未定の模様

よもやま話(読み飛ばしてOK)
私的に今の奈落編の恵里達のテーマ曲は「Party★Connection」(某エンクリのOP曲)です。地上の彼らは……「Fighter」(某鉄血2期2クール目のOP)かな? 多分。
あと個人的には拙作のハジメ君のテーマ曲は「ALIVE」(某アバチュ2のOP)です。まぁOPの主人公が無双するシーンに影響されてるだけですが。でもたったの十割ですよ、ええ(キッパリ)
それと、拙作そのもののテーマ曲はMADKIDさんが作曲、編集された「FAITH」です。え、違う作品の曲だろうが? さぁ?(ォィ)


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四十二話 欲望の果て(後編)

まずは拙作を読んでくださる皆様がたに盛大な感謝を。
おかげさまでUAも遂に100000を突破、お気に入り件数も701件、感想数も286件(2022/4/19 22:27現在)となりました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき、誠にありがとうございます。Aitoyukiさんにとっては何気ないことなのでしょうが、それが作者の励みとなっております。本当にありがたいです。

そして今回また17000字超えました(白目) なので長くなっておりますのでご注意を。
では本編をどうぞ。


「ただいま、三人とも。こっちは順調だったよ」

 

 そう言いながら光輝は休憩中の恵里達に声をかけてきた。彼の言う通り、今回のご飯の調達は上手くいった様子で、ソリに山のように魔物の死骸を積み上げてきていた。

 

「お疲れ様ー。じゃあすぐご飯の支度するよ」

 

「雫も皆もお疲れ様ー。今回も大量だね。じゃあ早速調理方法考えよ。ハジメくん、恵里、優花」

 

「お疲れ様、皆――っとちょっと待ってね、鈴。はい浩介君、雫さん。試作品だけど刀が出来たよ」

 

 今回も無事帰ってきた面々に居残っていた恵里達は声をかけ、そしてハジメはそのついでにタウル鉱石製の試作品の刀を二人に手渡す。

 

 刀の鍛造方法は既に頭の中に入っており、基本的には『熱した鋼を叩いて伸ばし、それを折って幾重もの層にする』という工程であったため、それを錬成師風にアレンジする。

 

 錬成によって自在に金属の形を変えることが出来るため、これで幾度も重ねては伸ばし、その後形を整えて刃もまた錬成で磨き上げた。念のため適当な皮や内臓を相手に試し斬りもしたことで切れるのは保証済み。後は実戦を経由して幾度もフィードバックを重ねて改良を加えるだけの代物である。

 

「サンキューハジメ! マジで助かったよ!!」

 

「ありがとうハジメ君!! 支給されたこの剣だと刀と使い勝手が違うから使いこなせなかったのよ。助かったわ」

 

 渡された二人は喜びをあらわにし、何度も何度も頭を下げていた。それを見てハジメの手伝いをしていた恵里も鈴も誇らしげになり、また二人の力になれたことを純粋に喜んだ。

 

 なお遠回しに国の宝物庫の武器を貶されたメルドはちょっと凹んでいた。

 

「いいなぁ浩介も雫も……」

 

「幸利君、前に言ってたよね。自分も銃を使ってみたい、ってさ。それはもう少し後にしてほしいんだけど――こういうの、使ってみたくない?」

 

 武器を渡されてうらやましがる幸利を見てニヤニヤしながらハジメは彼にあるものを手渡した。すると幸利も玩具を買ってもらった子供のような顔でハジメの方を見てくる。

 

「おいハジメ、これパイルバンカーじゃねぇか!! しかも〇ルトみたいなリボルバー式のリロード! ほ、ホントにいいのか!?」

 

 そう。ハジメが幸利に手渡したのはグリップ付きの籠手型のパイルバンカーであった。

 

 杭の先端は尖らせてあり、杭そのものの長さは約六十センチ、太さは五センチほど。また籠手の端にはリボルバーのようなシリンダーと撃鉄が取り付けられ、グリップには引き金が付属している。“纏雷”によって電気を纏わせることでドンナーのように電磁加速し、威力を増幅させる仕掛けとなっている代物だ。

 

「うん。ドンナーを基にして作ったパイルバンカーだよ。杭自体は射出しないで端っこで引っ掛かけて止めるようにしてるけどね。だから杭がどこかに飛ばないようにある程度火薬の量は絞ってあるけど、十分な威力は出てるはずだよ。さっき試しに岩に打ち込んだらあっさり穴が開いたし」

 

「ありがとう! ありがとうハジメ!! 俺、これ大切にするよ!!」

 

 ハジメの説明を聞いて幸利はもらったパイルバンカーを抱きしめて喜色満面の様子で礼を述べてくれた。ハジメも思わず軽く顔を背けてありがとうと幸利に返した辺り、相当気恥ずかしかったのだろう。そんな彼を見て恵里と鈴はニコニコと笑った。

 

 こうして三人に渡された武器は階層を潜る毎に幾度もの調整と修理を繰り返し、少しずつ彼らにフィットした物へとハジメは仕上げていく。

 

 ……なお幸利がパイルバンカーにノリで氷を纏わせたせいで冷気に弱いタウル鉱石製のフレームにヒビが入って砕けそうになったり、“纏雷”した直後に炎を纏わせたせいで火薬が暴発してフレームがひしゃげたりしてハジメを本気でキレさせたこともあったが。泣きながら直すハジメを見て恵里も鈴もその犯人も思いっきり心を痛めていた。なおその分ハジメの技量は上がった。

 

「みんなー、今日もお疲れ様ー! ソーセージ、もし食べたい人はこっち来てー!」

 

 そして階層を更に五つ潜った辺りでハジメは食事の席であるものを提供してみることにした。前々から試作していたソーセージである。

 

 食べる人数は依然として多いものの、狩ってとってくる量も多いため、食べきれずに捨ててしまう事も少なくなかった。そのため食べきれなかった肉をどうにか有効利用出来ないかと考え、保存食としても使えるソーセージをハジメが思い付き、作ろうと提案したのである。

 

 つなぎになる卵白がないことからひたすら肉のタネをこね回し、煮沸消毒した魔物の小腸に同じく煮沸してある他の魔物の腸を絞り袋代わりにして慎重にタネを注ぎ、凧糸が無いためある程度の長さで熱した金属の棒を当てて癒着させ、一本一本一本分けて作ったものだ。

 

 今回は保存のために煮ただけのものと、それを更に焼いた二種類のものを用意していた。

 

「いや、えっと……アレ、腸を使ってるんだよな?」

 

「汚く、ない? 流石にそういうのはちょっと……」

 

 無論、その試作品の調理風景を誰もが目にしていたため、作成にかかわったハジメと恵里と鈴、トータスにも腸詰の文化があったことからそこまで抵抗が無かったメルドに、小腸の中を洗い流すのに付き合わされてしばらくの間軽くメンタルがやられてた奈々以外は難色を示していたが。だが既に試食を済ませていたメルドと奈々はニヤつきながら彼らに声をかけてきた。

 

「ふーん、そう? 私頑張ったんだけどなー。さっき食べさせてもらったのも美味しかったけど?」

 

「あぁ。こんな美味いものを遠慮するなんてな。だったらこれは俺達で独占するとしようか」

 

「そうだね。ま、すぐには受け入れられるとは思ってなかったし……はい、ハジメくん。あーん」

 

「あーん……うん、もう大丈夫だね。ボソボソしてないし、ちゃんとした仕上がりだ」

 

「いいの皆~? 急がないと今回の分、無くなっちゃうよ~?」

 

「きゅぅ~キュキュ!」

 

 端っこにかじりついて表情筋が緩む奈々。豪快にかじりついてこれまた豪快に笑うメルド。鈴にあーんされてパリッと美味しい音を響かせながら味の感想を言うハジメ。そして生唾を吞んだ彼らを見てニヤつきながら自分もソーセージを食べる恵里。そして誰にも構うことなく普通にソーセージを美味しそうに食べるイナバ。

 

「――悪い先生! 俺の分もくれ!!」

 

「俺もー!!」

 

「私もー!!」

 

 美味しそうな音と匂いにあっさり陥落。そして試作の段階から食べていた五人をうらやみながらも、それを避けていた自分達の間抜けさを恨みつつ、ソーセージの美味さに誰もが舌鼓を打つばかりであった。

 

 こうして色々ありながらも大迷宮攻略は続く。食事で士気が上がったせいか、階層も一日に二つ、早いときは三つを攻略出来るようになってきていた。

 

「はい、優花さんのナイフの改造終わったよ。これでチェーンが付いたからそれを経由して“纏雷”で感電させられるよ」

 

「ありがとハジメ。じゃあ今度さっそく使わせてもらうわ」

 

「おーい先生、俺用のダガー直すついでに調整してくれー。もうちょい刀身長くてデカくしてくんねぇー?」

 

「わかったよ、大介君。ちょっと待っててー……なんかもう別の武器になりかかってるね」

 

 そうして階層を潜っては、全員の戦い方に応じて使ってる武器の改造や新たな武器の製造などをハジメが考案して担うことに。そのハジメ自身もドンナーと各種手榴弾以外の攻撃手段として機関砲の作成に入ろうかとも考えていた。

 

「はい。今回の魔物の肉は脂肪分が多かったから煮込みとソテーにしてみたよ。あと大介君達のリクエストのステーキも焼いてみた」

 

「うおぉおぉぉ! マジか! 先生ありがとよ!!」

 

 そのかたわらで料理も調理班全員で考えながら色々と工夫を凝らしていく。今回手に入れた魔物の肉は脂肪分が多かったことから単に調理するだけでなく、フライパンに敷く油代わりに使えるのではないかと考えて色々とやってみたが結果はそこそこ良かった。

 

「脂も保存が効けばねぇ」

 

「ないものねだりしても仕方ないよ優花。ま、ちょくちょく出てくれる事を祈るしか無いんじゃない?」

 

 そうして片付けなどの際に奈々でも光輝でも誰でもいいから氷属性の魔法を使えればこの脂が保存できるのに、と思いながらもまた脂肪の多い魔物が出てくることを恵里達は祈った。

 

「天之河……いや、光輝。最近はお前の指揮も中々様になってきたな。よく頑張ってる。流石だ」

 

「メルドさん……ありがとうございます!!」

 

「それは光輝だけじゃない。他の皆もだ。例えば――」

 

 階層を降りる毎に繰り広げられる死闘。数の多さから勝ち星を拾うのは難しくはないものの、手を抜けばあっさり死ぬその厳しさ故に恵里達の技能も戦いのセンスも存分に磨かれていった。時折鬼教官な面が出てくるメルドから褒められたことで全員のやる気も上がり、戦いにも一層熱が入っていく。

 

「いやー、さっきの毒まみれの階層ヤバかったな」

 

「ホントホント。良樹と光輝が風の魔法で毒霧を吹っ飛ばしてくれなかったらと思うとゾッとするよな」

 

「いや、今回の俺の魔法での援護なんて微々たるものだよ。それよりも俺達の戦い方も色々模索した方がいいかもな……あのカエルの毒の(たん)も、大きな蛾の麻痺する鱗粉も、近づいて戦うにはちょっと厳しいものがあったし。今後は魔法主体の戦い方も、考えた方が――」

 

「はいご飯出来たよー。今日はカエルとモス〇みたいのだったけど、カエルはちょっと淡白な味だったから気持ち塩多めにして蒸してみたよ。それと〇スラは――」

 

 今回もまた倒した魔物についての談義をしていた一同の前に料理が並べられる。そうして出されたゲテモノ料理に顔を引きつらせながらも全員手を止めることなく食べ進めていく。狼、兎、熊にトカゲ、猫なんかも食べたせいか割と食材の見た目に関するハードルが幾らか下がっていたからだ。

 

「……………………虫さんおいしいね」

 

「…………そうね。カエルより美味しい、ってのは何か負けた気がするわ」

 

 現に今、モ〇ラみたいな見た目の魔物の方がカエル型のものよりも美味しいことにどこか納得がいかないながらもなんだかんだ楽しんでおり、女子~ズも自分の中の女子力が段々と死んでいっているのを感じながらも、箸が止まることはなかった。

 

「次は何が出てくるんだろうねぇ〜」

 

「出来れば虫以外がいいよね。あ、牛! 牛さんだったら牛肉食べれるよ!!」

 

 香織の言葉に皆がどっと笑い、むぅとふくれっ面になる香織を『いたらいいな』と軽く投げやり気味に龍太郎が言う。彼の言葉に一層不機嫌になった香織は無言で胸をポカポカ叩いてきたため、『悪かった悪かった』と言いながら彼女の白い髪を撫でていく。段々と叩く勢いも弱まり、ふくれっ面のままではあったが香織は龍太郎に抱きつくだけであった。

 

「でもまぁ虫はちょっとなぁ……やっぱり魚とか貝類いねぇか? 鮫いたんだし」

 

「テッポウウオだったらいるかもしれないな、幸利……よし、それじゃあ今日はもう休もう! お湯浴びのローテーションは――」

 

 そして一向は今日もまた体を洗い、床に就く……皆、ここでの生活に慣れてしまい、食事方面でも色々食べれるようになったせいか、段々と魔物を見る目が『滅茶苦茶危険かつ最初に食べる際に痛みが伴う“食べられる生き物”』へと変わりつつあることに誰も気づいてはいなかった。

 

 

 

 

 

「クソッ、大きい上に分裂まで――“天翔閃”!」

 

「あの木の奴もそうだけど、こっちも大概だな、っと――!」

 

 順調に歩を進めた恵里達一向。そうして次の階層を偵察していた先遣隊は今、密林のように木々が生い茂るもの凄く蒸し暑い階層で苦戦していた。

 

 陽の光も差し込まない洞窟の中に密林など不自然極まりなく、最初にこの階層を見た時は恵里達もあっけにとられる他なかった。

 

 しかしここで下手に気を緩ませてしまい、敵の攻撃に無防備になってしまうのは不味いということを何度も経験し、学習していたこともあってすぐに割り切って慎重に進んでいたはずであった。だがそんな時、巨大なムカデ型の魔物が木の上から降って来たのである。

 

「もう嫌ぁあぁあぁああぁ!! 来ないでぇえぇ!!」

 

「多いし気持ち悪いし汚いよぉ! もうやだぁーー!! ハジメくん助けてぇー!!」

 

 こうして現在先行隊のメンバーの大半でこの魔物に対処しているものの、単に大きいだけでなく体の節ごとに分離して襲い掛かってくるのである。香織と鈴が必死に“聖壁”を張りつつ“聖壁・散”を叩き込み、光輝は“天翔閃”で複数の節を切り飛ばし、龍太郎は派生技能の“部分強化”を使って手足を強化しつつ“空力”で鈴と香織の魔法を避けながら縦横無尽に駆け抜けてムカデの体を打ち抜いていく。

 

「恵里、“縛魂”は効かないの!?」

 

「効くことは効くけど一節しか一度に操れないよ!! あぁもうロクでもない――“隆槍”!!」

 

 一方、ハジメの方はロクに狙いを定めずにとりあえず光輝や龍太郎達に当たらないようドンナーを撃ってはリロードを繰り返している。

 

 恵里も一度に分裂した体を一つずつしか操れないことに苛立ちながらも、支配下にある体の部分を他の部分へとぶつけつつ、タールまみれの階層のようにここが燃えてしまわないよう適性のある火属性でなく使い慣れた土属性の中級魔法で何体も串刺しにしていく。

 

「あの木の魔物、厄介ね……!」

 

「根っこを槍に、ツルを鞭に、か! 隙ってもんがねぇよな!!」

 

 そして雫と浩介はムカデも時折相手にしながらも木の魔物――トレントのような敵を前に防戦していた。

 

 自分達がムカデと交戦していた時にあちらが仕掛けてきたため対処しているのだが、何せ浩介の言う通り相手の戦い方が実に厄介であったからだ。根っこが地面から槍(ぶすま)のように勢いよく無数に現れ、近づいて切り捨てようにも鞭のようにしなるツルを振り回してそれを中々許さない。

 

 そのため二人はうかつにトレントみたいな魔物に近寄れず、また地面からの攻撃が恵里達にも及びそうになったことがあったため、自分達にヘイトを向かせるべく連発できる初級魔法と時折中級魔法を交えながら相手に撃ちこんでいた。

 

 無論全てがツルに迎撃されるもそれで構わない。そうして自分達に気を引かせていた迫ってきた根っこを切り捨て、恵里達に攻撃が及ばないようにしていたのだ……だが、彼らはこれだけで終わることなど無かった。

 

「――“隆槍”、“光刃”!」

 

 光輝も恵里と同様に土属性の魔法でも攻めることにし、近くにいるものは“光刃”でリーチを伸ばした聖剣で切り捨て、ある程度遠くの方にいるムカデの体は“隆槍”で貫いていく。

 

「コイツもお前も、串刺しになりやがれぇー!!」

 

 そして龍太郎も勢い良く突き出た土の槍に合わせてムカデの体を蹴飛ばしたりして上手いこと息を合わせて対処していく。

 

「ハジメくん、どう?」

 

「恵里のアシストがあるからね! これぐらいやってのけるさ――“錬成”!」

 

 光輝と龍太郎が分裂したムカデの体の数を減らしてくれているおかげで幾らか余裕が出来た恵里とハジメは、一緒に地固めを行っていた。トレントモドキとハジメが呼称した木の魔物が地面の下から根を伸ばしてくるのなら、いっそ出来ないぐらいに固くしてしまえと二人とも考えたのである。

 

 そこで恵里は土属性の魔法で、ハジメは錬成で半径五メートル以内をガッチガチに固めたのだ。自分達後衛どころか光輝達もいる範囲は根っこが簡単に出られないようにしたことで全員に余裕が出てきた。

 

「鈴ちゃん、まだやれそう?」

 

「うん。まだいけるよ香織――じゃあ駄目押しの“聖壁・散”!」

 

 切り刻んだことでバリアに飛び散ったムカデの体液と臭いに少し慣れてしまった香織と鈴も、恵里とハジメのフォローに内心感謝しながら攻撃に専念する。雫と浩介も巻き込まないよう細心の注意を払いつつも、幾つもの光の刃を飛ばしてムカデを再度細切れにしていく。

 

「次からは刃付きのブーメランでもねだってみるか!」

 

「いいわね、それ! あったらこういうの、楽になりそう!!」

 

 そして浩介と雫の方も防戦一方から反撃に転じていた。迫りくる全てのツルの攻撃をハジメから改修してもらった刀で切り落としていく。また、自分達に向けられる根っこの槍の動きもパターンがわかって読めるようになり、迫ってきたものを避けては返す刀で切り捨てていた。

 

 これならいける、と確信した二人はそのまま相手を直接叩き切ろうとしたその時、木の魔物が頭をわっさわっさと振り出した。その際にそこそこの勢いで飛んできた果物を光輝、龍太郎、雫、浩介はかわすなり迎撃するなりして対処する。

 

「一体何の真似だ……?」

 

「わからねぇな……けど、中から何かが飛び出してくることはなさそうだ」

 

「とりま持ち帰ってみるか――さっきから刀とか地面から甘い香りがして食べたくなってきちまってさ」

 

「危険かもしれないわよ……? とりあえず幾つか持って帰ってみましょう!」

 

 そうしてムカデ型の魔物が全滅したことを確認した後、前衛組は幾つか果物を拾って恵里達と合流して説明をする。

 

 事情を理解したハジメも岩を固めて作ったケースを用意し、その中にサンプルとして五つの果物を中に入れ、幾らかのムカデ型の魔物の肉と一緒に持ち帰ることに……道中爆発物を扱うかのように慎重に拠点まで運ぶと、すぐさま検分が行われることになった。

 

「……何かしらね、コレ」

 

 食事に使うテーブルの一つに例のブツは置かれており、それを取り囲むように一同が見つめる中、ふと優花が甘い匂いに少し食欲をそそられながらも口を開いた。

 

「普通に考えれば毒入りだけどな……どうする?」

 

 少し前に作ったパイプ椅子に逆側に座りながら幸利がそう言うも、誰も“毒”そのものには警戒してはいなかった。その理由は前に毒の霧で覆われていた階層にいた虹色のカエルの肉を食べた際に得た技能である“毒耐性”があったからだ。

 

 この技能のおかげで階層に漂う薄い毒の霧も、カエルの吐く毒の(たん)も、大きな蛾のばら撒く麻痺する鱗粉も効かなくなった。なら相当毒が強くない限りはこの技能のおかげで死ぬことはないだろうし、香織と鈴がつい先日取得した派生技能の“浸透看破”で食べた相手が毒にかかっているかどうかも調べることが出来る。

 

 しかも状態異常を回復する中級回復魔法の“万天”も二人は使えるため、特にこれといった問題もない。せいぜいもの凄い厄介な寄生虫がいるかも、といった程度の懸念ぐらいしかなかったが、それも彼らは心配してなかった。

 

「ここに持ってくるまでの間、“気配感知”で周囲に敵がいないかを調べるついでにここに何かいないか調べてみたけど全然反応もなかったしね……あの鮫みたいに気配がない可能性もあるけれどね」

 

 そうハジメが付け加えるとこの場にいた全員がそれにうなずく。中には一切気配が見られなかったのだ。そこで試しに切ってみて中に何かいないか確認してみるも、みずみずしい断面と美味しそうな香りが広がったせいで余計に食欲が刺激されたぐらい。誰もが唾をのみながらどうしようと見つめていると、それをサッと大介が手に取った。

 

「あ、大介! 馬鹿、何やってんだよ!!」

 

「うるせー!! もう我慢なんて出来るか! 果物なんて見たの久しぶりだし、しかもう、ま――」

 

「ひ、檜山君! い、今すぐ診察するね! えっと、“浸透看破”!……あれ?」

 

 そして浩介の制止も聞かずにそれを口の中に放り込むと、シャリシャリと音を立てながら咀嚼していく。毒が含まれているかもしれないと急いで香織が彼に近づき、“浸透看破”を行使して診察するもこれといった異常は見当たらない。もしかして時間が経過して毒が回らないと無理なのか、と思っていると大介が動きを止めた。

 

「あぁもう大丈夫かよ大介! ったく、早く吐き出せ――」

 

「うまい」

 

 すぐさま浩介が近寄って大介の背を叩こうとするも、彼の発した一言に全員の動きが止まった。

 

「おい大介どう美味いのかそこんとこ詳しく」

 

「スイカみてーだ。スイカみてーだった」

 

 味の感想を漏らしながら再度手を伸ばそうとする大介を即座に浩介が羽交い締めにし、大介以外の全員が浩介のファインプレーによくやったと内心褒めちぎった。

 

「放せ、放しやがれ浩介ぇ! これは危険かもしれないから俺が責任をもって処理するつもりだったんだよ!! ほら、毒があるかもしれねぇしよ!!」

 

「いやいや大介、お前だけを危険な目に遭わせる訳にはいかないだろ? 俺達親友なんだしさ……? とりあえず、あと三十分。あと三十分ぐらいして毒が回ったかどうかを確認してからでもいいんじゃないか? なぁ?」

 

 浩介がゾッとするような笑みを浮かべれば、大介以外の全員もニタァとした笑みを浮かべながら浩介の言にうなずく。

 

「いやいやいや!? こ、コイツは“毒耐性”でも耐えきれないヤバい奴かもしれないし、犠牲になるのは俺だけで十分だって!!」

 

「大丈夫。大丈夫だよ檜山君。鈴と香織が解毒出来るから、交互にやれば毒なんて平気だよ」

 

 ニコニコとした笑みに戻った鈴がそう言うも、その背中から発せられる圧は尋常ではなかった。分けろ。さもなくば死なす、と言わんばかりに大介に圧をかけていく。

 

「うん。私と鈴ちゃんがいれば毒も簡単に解毒出来るし、それに経過観察も必要だよね……今のところ特に症状も出てないし、もう少し待って問題がなかったら私達も食べていいんじゃないかな? かな?」

 

「ヒィッ!?」

 

 香織の背中から見える般若の幻影に大介は怯え、思わず腰を抜かしたものの、浩介が羽交い締めにしてくれているおかげで尻をしたたかに打つことだけは避けられた。ただそれでも香織の放つおぞましいオーラに顔面蒼白になるしかなかった。

 

「まぁまぁ二人とも、落ち着きなよ。もしかすると檜山の奴も気が変わるかもしれないでしょ?――例えばさ、寝て目が覚めたら食に興味が無くなるとかさ」

 

「ぁ、ぃゃ、その……ちょ、ちょっと食欲も無くなってきたかなー、アハハ……」

 

 そして恵里の言葉に本気で恐怖した。コイツは最悪自分を操ろうとする気だ、と。しかもそれを他の皆がまぁまぁとなだめる程度で決して止めようとはしていない。それだけは流石に御免だ、と滝のような汗を流しながらそう答える。

 

「それならいいんだ、檜山。抜け駆けなんてよくないからな」

 

「おう。食い物の恨みってのはデカいからな――独り占めなんて出来ると思うなよ?」

 

「ありがとう大介君。独り占めする気だったら僕は一生君を恨みそうだったから……誰か一人だけ、ご飯の味がずーっと薄かったりしても仕方ないよね?」

 

「なぁ大介――幸せ、ってのはさ。シェアするともっと増えるぜ?」

 

「そうそう。いいものは皆で分け合うのが一番だろ? 幸利が実践してくれたじゃねぇかよ」

 

「ホントそうだぜー……今更抜け駆けなんてナシだぞ、オイ」

 

「大介君親切だもんなー。俺らの分もちゃんと残してくれるって信じてたぜー?……な?」

 

「やれやれお前ら、少しは落ち着け……まぁ俺も、独占する気だったんなら話は変わっていたけどな」

 

 光輝も、龍太郎も、ハジメも、幸利も、礼一も、信治も、良樹も、メルドも、笑顔を向けていたものの一切目は笑っていなかった。本気だった。本気の眼差しであった。それは優花達も同じでとてもとてもいい笑顔をこちらに向けていた。やはり目は笑っていなかった。

 

「……あ、はい。問題なかったら皆で、皆で食べましょう」

 

 敬語でそう返せば誰もが満足そうに深くうなずく……そうして三十分余りが経過し、それでも大介の体調に問題が無いことが判明した後、大介以外の全員が細かく切り分けた果実を口にする――途端、狂ったかのような笑いが拠点に響き渡ったのであった。

 

 

 

 

 

 密林のような様相の階層にて、どこぞの錬成師の少年からトレントモドキと名付けられた木の魔物の一体は地面の養分を吸い上げて回復にいそしんでいた。本体そのものにはダメージこそ無かったものの、ツルを全て叩き切られ、根っこもかなりボロボロにされてしまったからだ。特に根っこが深刻であった。攻撃の手段に使うといえど、これが痛んでしまったらそこから腐敗しかねない。だからこそ地中深くに埋まった無事な根から水分と養分、そして魔力を吸い上げている。

 

 幸いにも自分が投げた果物が潰れて汁が出てたり、ここに住む巨大なムカデ型の魔物の体液が地面にしみこんでいるため、それを吸収出来れば都合がいい。叶うことならばバラバラになったムカデの遺体を地面の下に引きずり込んで養分にしたいところだったが、そうするにはあの硬い地面をどうにかしなければならない。流石にそこまでの気力はこの魔物には無かったため、諦めることにした。

 

 そうして回復に努めているとツルも段々と伸び始め、根っこもある程度修復されて根腐れの心配も無くなった。果実もまだ青いが実をつけてきたため、もう少ししたらあのムカデに投げて自身が食われないようにしようと考えていると、どこからか草をかき分けてくる足音が――二本足の生き物(まもの)がこちらに向かってきているのが見えた。

 

 まだツルは完全に再生しきっておらず、根を張った地面も全て柔らかくしていない。どうしようと考えていると、現れた奴らが奇妙な(こえ)を響かせてきた。

 

「――こせ」

 

 その音が何を意味しているのかはこの魔物にはわからなかった。だが、その響きがとてつもなく恐ろしいものであるということだけ、それだけはわかっていた。

 

「――んぶよこせ」

 

 とりあえず迎撃態勢を取ろうと身構えたその時、彼方からおぞましい音が響く。

 

「――ぜんぶ、全部寄越せぇええぇぇぇぇぇぇえぇぇ!!!」

 

 ――それが階層全てに響いた途端、ここは地獄となった。

 

 

 

 

 

「寄越せぇええ!! これは俺達のものだぁあぁあぁあ!!!」

 

 光輝が吼える。慎重で、誰であっても分け隔てなく手を伸ばす好青年はここにはいない。凄まじい気迫を伴った一匹の悪鬼が木の魔物へと切りかかっていく。

 

「全部、ぜんぶ出しなさい!! 命が惜しいんだったら今すぐ渡しなさい!!!」

 

 血走った目で雫が叫ぶ。可愛らしいものが大好きで、幼い頃からずっと愛している少年と一緒にいることが、彼と過ごす時間が最高の幸せだと感じている少女は既に死んだ。悪鬼と共に刀を振るう夜叉がそこにいるだけである。

 

「出せよ……全部出せよ……そこにあるのはわかってんだよぉおぉぉぉ!!!」

 

 赤い瞳を爛々(らんらん)と輝かせながら龍太郎だったのものが吼え猛る。直情傾向の気はまだ完全に直っていないものの、光輝を中心としたグループの中で時にブレーキをかけたりする男は、幼少から好意を抱き続けた少女に振り回されていた漢は今、地獄の鬼と化していた。

 

「ねぇ、なんで邪魔するのかな? かな?――私達の邪魔をするなら今すぐ死んでよ」

 

 おぞましい殺気にあてられ、命の危機を感じとって出てきたムカデ型の魔物に香織の残骸が冷たい視線を向ける。親友の恋愛話によく耳を傾けては黄色い声を上げ、愛しい人と過ごす時間に幸せを感じていた心優しい少女は今、般若となった。隣り合う鬼と共にいかに眼前の魔物を早く始末するかだけを考え、幾つもの光の刃を飛ばしていく。

 

「とりあえず死なない程度に痛めつければいいよね? そうしたらあの果物投げてきたし」

 

「そうだね。地面は僕がどうにかするからさ、鈴も恵里も思いっきりやっちゃってよ」

 

 にこやかな笑みを浮かべながら小鬼と悪魔がさえずった。穏やかな気性ではあれど愛する人のために心を燃え上がらせる少女と、気も押しもあまり強くないものの他人を気遣える優しい少年と同じ姿をした何かが光の(つぶて)を飛ばし、地面に手を当てて紅の魔力を垂れ流していく。

 

「はいはいダメだよみんなぁ~。一匹は“縛魂”して連れて帰るんだから、根絶やしにだけはしないでねぇ~」

 

 “魔女”中村恵里はケタケタと嗤いながら暴れ狂う悪鬼羅刹をたしなめる。普段は抑えていた狂気も今この時だけは解き放ち、目的を果たすべく抵抗する木の魔物の一体へと歩を進めていく。

 

「オラオラぁ!! 落とせ落とせ落とせよぉ!!!」

 

 幽鬼が一匹暴れ狂っていた。自分の親友達に追いつき追い越したいと願い切磋琢磨する少年は欲望に身を焦がされて化生となり、何発も杭打ちをして木の魔物の体を揺らし続ける。

 

「ハハッ、どうしたどうしたその程度か!! それしきでは我が深淵には掠りすらせんぞ!! さぁ貴様の真なる深淵を見せてみよ!!!」

 

 深淵降り立つ。安らぎの檻にて眠りし深淵は今ここに戒めを振り解き、奈落の底にて顕現する。深淵の使者が齎すものもまた深淵也。

 

「ほらほら今すぐ落としなさいよ!! 落とさないんだったらぶっ殺すわよ!!!」

 

「アハハハ、ねぇあの果物を早くちょうだい? くれないんだったら――みーんな切り倒してあげる!!!」

 

「……ふふっ……ふふふっ……素敵ぃ……もっと、もっといい顔を見せて」

 

 亡者が(たか)る。中々素直になれず意地を張ったり変わり者の友人に振り回された園部優花、人懐っこく明るい少女である宮崎奈々、普段はおっとりとしてギャルっぽい言動ながらもそれなりに真面目であった菅原妙子という少女達は今、欲望の赴くままに動いていた。根付いた強欲が亡者達を駆り立てる。

 

「オラ寄越しやがれクソがぁあぁぁぁ!!!」

 

「ヒャッハー!! 新鮮な果実だぁ!!!」

 

「いいねぇ……流石先生の作ってくれた得物だぁ………何だって切れる気がするぜぇ!!!」

 

「いやー、生きててくれてありがとよ――おかげで俺らがいい思いが出来るからなぁ!!!」

 

 魑魅魍魎が跋扈する。一匹(大介)は風を纏わせた剣を振るい、一匹(礼一)は槍の穂先より生じる風の刃で切り払い、一匹(信治)は自慢の炎属性の魔法でなく渡された斧を木の魔物に打ち込み続け、一匹(良樹)は不可視の弾丸で魔物を砕いていた。

 

「その程度か? その程度で俺らを止められると思ったかぁー!!!」

 

 阿修羅が刃を振るっていた。騎士の中の騎士、王国騎士の象徴とも言われ、その地位と名誉を貶められてもなお他者を導いていたメルド・ロギンスもまた強欲に支配され、目的(果物拾い)のためにその剣を血と強欲で汚していく。

 

「とっととくたばれぇ!!」

 

 命が散る。

 

「拾え拾えー!! コイツは俺らのもんだぞー!!」

 

 鬨の声が轟く。

 

「あー、全部落とす前に死んだか。まぁいいか。後で回収だな」

 

 命が奪われていく。

 

「アッハハハ!! 家畜ゲットー!!」

 

 狂笑が響く。

 

「他にトレントモドキは――今倒したので最後なのか!?」

 

 命が消える。

 

「うへへ……この果物ぜーんぶ私達のものだーーーーーー!!!」

 

 狂喜に満ちた声が階層に響き渡る。

 

 ――あの果物が超欲しい。たったそれだけの理由で人はどこまでも愚かになれる。

 

 ――最近甘いの食べてないから食べたくて食べたくて仕方ない。ちょっとした欲望が人を狂わせる。

 

「よーし、それじゃあ帰ってパーティーだ!! 腹いっぱい食べるぞー!!」

 

『おー!!!』

 

 欲望を満たすためなら人はどこまでも残酷になれる。それを彼らはこの荒れ果てた場所で証明していた。

 

 

 

 

 

「……俺達、何やってたんだろうな」

 

 多数の戦果(果物)を抱え、トレントモドキの入った岩製の鉢植えを台車で押して気が狂ったかのように笑い声を上げながら帰ってきた一同。しばらくは生の果実を味わい、少し余裕が出たところで『塩をかけたりすると美味いかも』と誰からともなく言ったことで切り分けて調理するのを恵里達調理班に任せた後のことであった。

 

 果物を食べて上機嫌になり、ひと通り満足したことでふと冷静さを取り戻した光輝は、魔物相手とはいえ自分達が外道としか言えない行為を働いたことを思い出して凄まじい自己嫌悪に陥っていた。

 

「そう、よね……どっちが、どっちが魔物……いえ、化け物だったの?」

 

 体を震わせながら雫もつぶやく。今も頭にこびりつく熱狂と狂騒。それを思い出してしまったら怖くて涙が止まらなくなり、愛する光輝の手を力なく握りながらすすり泣いていた。

 

「だよな……ハハ。俺、こんなに自分が怖いって思ったことねぇよ……」

 

 龍太郎も顔を青ざめさせて先の行動を振り返る。怖かった。まるで自分が自分じゃなかったみたいで震えが止まらなかった。

 

「私も……こんな、こんな怖い人になるなんて思わなかった……!!」

 

 龍太郎の腕にすがりつきながら香織も怯えていた。暴力を振るわなければどうにもならない時だってあるというのをオルクス大迷宮に来てから嫌というほど痛感していたのに、それでも暴力を振るうのを彼女は未だ嫌悪していた。なのにあの冷たい感情が、燃え盛る狂喜が、自分の中から出てきたことが怖くて仕方が無かった。

 

「マジでどうにかしてたよな……あんなの、どう言い繕ったって悪党とか外道の類だろ」

 

 心の底から気落ちして存在感がいつになく露わになった浩介が嘆く。せいぜい魔物か人間かの違いだけで、自分達のやったことは物語の世界の悪党や外道のやってたことと大差がなかった、と。自分達はどこまでも汚れてしまっていたのだとただただ感じていた。

 

「私……あんな風に笑えたんだ。あんなおぞましいことを考えながら笑えたんだ……」

 

「だよな……闇落ち、ってこういうもんなのかもな」

 

 奈々はテーブルに突っ伏し、幸利もパイプ椅子の背もたれに体を預けながらぽつりとつぶやく。

 

 いくら魔物相手といえど、他の生物をなぶることに、追い詰めていくことに愉しさを覚えてしまっていた。その時の暗い喜びは今も脳裏に焼き付いて離れてくれない。

 

「やり過ぎ、だよね……」

 

 妙子もまた自身を軽蔑していた。魔物をなぶった時の高揚感は今も忘れられないしゾクゾクするが、よりによって動機が動機である。いくら何でもそれを考えると興奮や愉しみに身を任せることなんて出来なかった。

 

「……俺はもう、人の心が無くなったのかもしれんな。人を、お前達を導く資格すらも」

 

 メルドもまた苦悩していた。魔物を殺すこと自体は今もためらいはない。だが、一時の熱狂に呑まれて蛮行を働いたのは事実だ。今回()相手が魔物であったから良かったものの、もし自分達が向けた刃の先にいたのが人間であったら? いくらそれが悪党であっても同類に成り下がるだけでしかない。それが善良な人であったならば――それを考えてしまったらもう何の言い訳も出来なかった。

 

「こわいよ……こわいよハジメくん……すず、またあんなふうになっちゃうのかな……?」

 

 調理するハジメの背にしがみつきながら鈴はすすり泣く。現代の倫理観ではおぞましさしか感じられない行いを自分達がしてしまった。それが何よりも怖かった鈴は愛する(ハジメ)の温もりを求めてしまっていた。

 

「……しないようになろう、鈴。もう、もうあんなことを繰り返しちゃいけない」

 

「そう、よね……私達、本気でどうにかしてたもの。二度と、二度とこんな真似なんて……!」

 

 ショックのあまりペースこそ遅かったものの調理の最中であったハジメと優花も決意を固める。もう獣のそれへと堕ちてしまわないよう、と。自分達が“人”であるために。愛する人に、そして自分に言い聞かせながら。

 

「……なぁ、俺らそんな悪いことしたっけか?」

 

「いや別に。魔物から食い物ぶんどっただけじゃん。なんでこんなお通夜ムードなの?」

 

「それな。別に人間相手にやらなきゃよくね?」

 

「言えてるわー……なぁ先生、中村ー、園部ー。まだ出来上がんねぇのー?」

 

 一方、大介ら四馬鹿は微塵も懲りてなかった。むしろそこまで悪いことでもしたのかと大真面目に疑問符を浮かべ、しかも大介は自分が独占しそびれた分、一刻も早くあの果物を食べたいとばかりに恵里達に催促するぐらいであった。

 

「ハァ……今回は檜山達の言う通りだよ、皆。別に人を襲ったわけじゃないんだし。あ、皆。もうすぐカットした生の奴とちょっと焼き目をつけてみた奴が出来上がるから」

 

 そして恵里もまたケロッとしていた。とうの昔に人を襲った経験のある彼女からすれば、別にこれはテンションが上がり過ぎて恥ずかしいぐらいで大したものではない、むしろこうして罪悪感を覚える彼らのことを立派だと思いつつも軽く呆れているぐらいであった。

 

 そんな様子の五人を見てハジメ達は思わずズッコケそうになり、顔を思いっきり引きつらせながら恵里達を見ていた。

 

「……なぁ、恵里。それと大介、礼一、信治、良樹も。さっきの俺達のやらかしを考えるとふとした拍子に暴力を振るいかねないようになってしまってるかもしれないんだぞ。それが怖くないのか?」

 

「この程度で罪悪感を覚えてるんだからハジメくんも鈴も光輝君達も大丈夫だと思うけど? 本当にやる人間なんてこの程度シミュレーションぐらいにしか考えないよ」

 

「そうそう、中村の奴の言う通りだって。俺らはともかく光輝達は無いな。先生だったらなおさらだ。この程度でビビってる奴らが本当にそういう時にやれる訳ねぇっつーの」

 

 頭を手で抑えながらもそう問いかける光輝に恵里も大介もしれっとそう返すだけ。その言葉に彼らも腑に落ちていたようであったが、それでも何かを言おうと口をもごもごとさせている。そんな彼らを見て恵里も果物のカットする手を止め、軽くため息を吐いてから更に言葉をかけた。

 

「でも、でもさ、恵里……」

 

「“衣食足りて礼節を知る”って言うでしょ、ハジメくん。あんまり美味しくなかったご飯もここ最近は美味しいのが食べられるようになったんだし、それでちょっと外れやすくなってたタガが吹っ飛んだだけだって」

 

 そう言われてしまうとこれ以上どう返したものかとハジメ達は思い悩み、押し黙ってしまう。

 

 こうして反省して自分の行いを省みるのは立派だけれど、あまりに考えすぎである。だからこそこの程度で潰れないよう恵里は言ってやったのだ。それを理解できているのか誰も反論してこない。

 

「あー、確かにそれだな」

 

「だな。流石中村だわー。先生ガチ惚れさせた悪女だよ」

 

「相変わらず口も頭もスゲー回るよな。マジでそうにしか思えねーわ」

 

「頭の回る先生を普通に口で負かすもんな。いやー、中村さんパネェっす」

 

「……檜山、中野、斎藤。そっちの分はイナバのご飯にでもしようか?」

 

 そして大介らもどうして自分達があんな真似をしたのかについて理解を示した。が、礼一以外一言余計であったため、ひょいとカットしたものの一つをつまんでイナバの真上へと動かそうとしたところで大介達三人が無言で土下座したことで許してあげた。

 

「はい。それじゃあついでにもう少し余裕もつけよっか。はい、ハジメくんのもらうよ」

 

 あっ、と短く漏らすハジメに構わず皮むきも半端だった果物をくすね、手際よく包丁を使って皮をむいていき、手早く一口サイズにカットしたものを大皿に並べる。そして優花のもやろうとしたものの、『これぐらい自分でやるわよ』と返されたため、本人の意思を尊重して待ってあげた。

 

 その後優花の分もカットが終わり、恵里は細かくしてあった岩塩をパラパラと振りかけていき、それを終えるとすぐさまテーブルの上へと置いた。

 

「食わねぇんだったらもらうぞー。悪いけど先生相手でも容赦しねーから」

 

「――っておい良樹! 人の分をとるな!!」

 

「あぁっ!? ぼ、僕の分とらないでー!!」

 

 そうして良樹や大介達が我先にと手を出してきたため、ハジメ達も急いでカットした果物に手を付けていく。

 

「はい焼き目つけた奴。まだ一応あるから焦らなくっていいからね」

 

 そう言いながら恵里は生の奴を一つ口に含み、焼き目のついたものを一つだけフライパンに残して調理場へと戻っていく。そんな恵里を見て鈴も香織も雫も皆、ぷっと吹き出して笑ってしまう。

 

「……そうね。今はこっちを楽しもうかしら。ほら、鈴も香織も」

 

「そうだね。なーんか馬鹿馬鹿しくなっちゃった」

 

「うん。そうだね。そうかも。恵里ちゃんの言うことも、檜山君の言うことも合ってる気がするから」

 

 そうして誰もが思い思いに出された果物に手をつけていき、陰鬱な空気はもう完全に霧散してしまった。

 

「あ、美味しい。塩のおかげで甘みが引き立ってるね」

 

「スイカに塩をかけると美味くなる、ってことだよねぇ~? 美味しいねぇ~みんな~」

 

「焼いたのは……まぁ悪くはないよな。香りは申し分ないし、出来ることなら――あー、いや、何でもない」

 

 岩塩のおかげで一層甘くなった果実を、焼いてみて一層香りが立った果実を食べながら各々が感想を言い合い、和やかな空気が生まれる。彼らの顔にはもう悲壮感は感じられない。もう彼らは同じ過ちを犯すことも、それに潰されることもないだろう。

 

「なぁ先生よぉ、あそこのフロアって木が生えてたし木の魔物もいたよな? 折角だしそれを何かに利用出来ねぇか?」

 

「うーん……確かに木があるなら木材が作れるけど、まず切り倒した木を乾燥させないといけないしなぁ……あれって確か何時間もかかったはず」

 

「あ、ハジメくん! 五右衛門風呂! 五右衛門風呂が出来るよ!! 木材をすのこにすれば直にお風呂に入れるから作ろうよ!!」

 

「え、ホントなの鈴!?――やりましょうハジメ君! これは必須事項よ!!」

 

「え、ホントなの!? やったー!! すぐ行こ! すぐ行こうよ!! お風呂、お風呂、“空力”なしのお風呂♪」

 

「おい香織、雫も落ち着けって!……あー、でも俺、切り倒すのと持ち運ぶのはともかくどっちもそこまで上手くやれる訳でもないぞ」

 

「いや、あくまで乾燥させるだけだから初級の魔法じゃないと木が燃えるよ龍太郎……なぁ皆、この乾燥の作業は皆でやらないか? あのトレント……じゃ伝わりづらいか。樹木みたいな魔物やあの巨大ムカデのように単に切ったりなんだりだとキリがないから魔法主体で連携を組んで戦う訓練をしてみたい。手始めにまずこの材木の乾燥を――」

 

「これ乾燥させる、って言ってたよな?……俺かぁ? 俺の出番ってか? いやー、モテる男ってのはツラいぜぇ~。ちょっと風を吹かせるだけの仕事で俺が必要なんてよぉ~」

 

「おいアホ良樹、乾かすんだったら俺も必要だろうが。まぁ、俺必要みたいだしさぁ、手伝ってやってもいいけどよ?」

 

「木か。木、だよな……なぁハジメ、お前は燻製のやり方は知ってるか? もし知ってるなら燻製器を是非とも作ってほしいんだが」

 

「え、燻製?……あ、そっか。確かにいぶさないと燻製は作れないもんな。なぁハジメ、出来るのか?」

 

「あ、うん。どっちも知ってます……あ、そういえば木材が作れるんならかまぼこ。かまぼこ作れるなぁ……」

 

「オイハジメそれマジなのか!? なぁ、今すぐあのタールばっかの階層に戻らねぇか? かまぼこ作ろうぜ!!」

 

「え、メルドさんもハジメ君も天才なの? ねぇ今すぐ班を二つに分けようよ!!」

 

「賛成賛成! どっちも食べたいし、お風呂も入りたいよぉ~」

 

「あーもうアンタ達! うるさいわね!! どっちでもいいから早く決めなさいよ!!」

 

 ……なお、どうしてここに潜ったかを忘れている気はするが、きっと問題はないだろう。

 

「あ、そうだ。木材づくりで乾燥をやるんだったらドライフルーツ作りもやらない? 長く保存できるし、楽しめるよ」

 

「ナイス中村ぁ!! 早速下に行こうぜ! もしかするとあの果物生やしてる木が復活してるかもしれねぇし、倒すついでに狩りに行こうぜ!!」

 

「キュー! キュキュキュー!!」

 

 ………………………………………………………………多分。




シリアスな空気が続いちゃってゴメーンね★(ミレディ並感)
ええ誰が何と言おうとシリアスですよ。たとえ「読者全員笑いのズンドコゲフンゲフン絶望のどん底に叩き込んでくれるわゲーッハッハッハ!!」と内心笑いながら執筆してましたがシリアスです!(集中線)

あ、あとまえがきで書き忘れてましたけど、あるシーンを読んでる時はジェットコースター☆LOVE(遊撃警艦パトベセルの劇中曲)を聴きながらがオススメです。シリアスな空気によく似合うよ!!(ニッコリ)


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四十三話 邂逅

では拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも102283、お気に入り件数も708件、しおりも294件、感想数も295件(2022/4/28 6:46現在)となりました。毎度毎度拙作をひいきにしてくださり、誠にありがとうございます。こうして拙作をお気に入りに入れてくれる皆様も、そうでなくとも見てくださる皆様にも頭が上がらない思いです。

そしてAitoyukiさん、Nazuna.Hさん、拙作を評価及び再評価していただき、誠にありがとうございます。これからも皆様の期待に応えられることを願いながら筆を執らせていただきます。

今回ようやく例のメインヒロインにも光が当たる回となりました。いやー、長かったです。ちょっと長めのお話になってますので、それに注意して本編をどうぞ。


「――いよいよだな」

 

 光輝の言葉に拠点にいた全員がうなずく。

 

 ――『果物狩り事件』で全員が我を失ってしまい、それを恥じた光輝達はその後戦いを楽しむことなく階層を進んでいった。恵里と四馬鹿に関しては微妙であったものの、特段調子に乗ることもなく、冷静に対処していたこともあってメルドに叱られることもハジメ達から咎められることもなく、食事の席でも気まずくなることも無かった。むしろかまぼこ作りや五右衛門風呂完成の時などで一緒になって馬鹿騒ぎまでしたぐらいである。

 

 そうして二尾狼や蹴りウサギ、爪熊がいた階層を一階層目とすると、現在五十階層目まで進んでいた。今の彼らの内、何人かのステータスを例に挙げるとこのようになっている。

 

===============================

 

中村恵里 16歳 女 レベル:41

 

天職:闇術師

 

筋力:620

 

体力:640

 

耐性:550

 

敏捷:610

 

魔力:660

 

魔耐:660

 

技能:闇属性適正・闇属性耐性・気配感知[+特定感知]・魔力操作・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力]・風爪・夜目・遠見・魔力感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・言語理解

 

===============================

 

 

==================================

 

南雲ハジメ 16歳 男 レベル:38

 

天職:錬成師

 

筋力:530

 

体力:580

 

耐性:510

 

敏捷:630

 

魔力:470

 

魔耐:470

 

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+複製錬成]・気配感知[+特定感知]・魔力操作・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力]・風爪・夜目・遠見・魔力感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・言語理解

 

==================================

 

 

==================================

 

天之河光輝 16歳 男 レベル:43

 

天職:勇者

 

筋力:700

 

体力:720

 

耐性:660

 

敏捷:760

 

魔力:680

 

魔耐:680

 

技能:全属性適性・全属性耐性・物理耐性・複合魔法・剣術・剛力・縮地・先読み・高速魔力回復・気配感知[+特定感知]・魔力感知・魔力操作・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力]・風爪・夜目・遠見・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・限界突破・言語理解

 

==================================

 

 

 ……といった具合だ。

 

 誰も彼も光輝程高いステータスにこそなっていないものの、どいつもこいつも高いステータスの数値は600を超えているのが普通で、低い数値でも大体500前後といった具合になっていた。これを見たメルドは『……手段の確立と忌避感をどうにか出来るのなら魔物の肉を食べた方がよほど戦力増強になるな』と遠い目をしながら語っており、それを誰もが何とも言えない顔で見ていたりする。

 

 閑話休題。

 

 現在彼らは拠点にてテーブルを囲んであることについて話し合っていた。

 

「マッピングも完了。ここの魔物の肉も全部食った。後は例の“門”だけだな」

 

 “門”という言葉に全員がうなずくと、全員が気を引き締めた様子でお互いに見つめあった。

 

 龍太郎が述べた通り、既にこの階層でやるべきことは()()全て終わってしまっている。下へと続く道も既に見つけていた彼らであったが、ある場所だけは手つかずのまま放置していたのである。

 

 それは脇道の突き当りにある空けた場所のことであり、そこには高さ三メートルの装飾された荘厳な両開きの扉が有り、その扉の脇には二対の一つ目巨人の彫刻が半分壁に埋め込まれるように鎮座していたのだ。

 

 それを見つけた恵里達の班全員がその空間に足を踏み入れた瞬間全身に悪寒が走るのを感じ、これはヤバイと一旦引いたのである。もちろんこの事は全員に話し、後で装備を整えて次の階層へといつでも逃げれるようにした上で対応しようということになった。それが今だ。

 

「武具の修繕も全部完了、弾薬の補充も終わってるよ。後は……“新兵器”のチェックも終わってるからいつでも大丈夫」

 

 ハジメの言葉に全員が自分達の武器や防具などを見てうなずいて返した。こうしてオルクス大迷宮を潜っている間、ちゃんと合間合間に全員の武具のアップデートもハジメがしっかりとやってくれていたのである。

 

 性能はほぼ全てが向上しており申し分ないものとなっているが、光輝の持っていた聖鎧に関してはハジメの腕を以てしてもあまりいじれず、聖剣に関してはちょっとした調整ぐらいでしかない。とはいえ既に十分すぎる性能ではあったし、光輝もハジメの腕を信用しているため、特に何も言わなかった。

 

 なおその代わりにこちらの方が光輝も使いやすいだろうと考えて新たに作った刀を光輝に進呈しようとした際、やたらと聖剣がチカチカ光り出したため、コレに意志があることが発覚していたりする。放った光は地味にまぶしく、遺憾の意の類だろうと全員が推測している。ちなみに刀は新たに一振り作って雫と浩介の予備の武装ということでハジメが管理していた。

 

「確かサブマシンガンだっけか? しかしよくまぁ作れたよな」

 

 浩介の言葉にハジメも『まぁね』と頬をかきながら答える――当初は機関砲を作る予定であったのだが、持ち運びの観点から断念してこちらの方に着手したのである。

 

 にわか雨を意味する“シャウアー”という名前がついたそれは試射の段階で電磁加速も試しており、連続で発射される電磁加速した銃弾の反動に耐えられるフレームの強度も破壊力も検証済みである。ただし、弾倉二つ分使ったらもう銃身が焼け付いてしまうためあまり無理は出来なかったりするが。

 

「なら問題ないよね……よし、行こう皆。多分この先にボクとハジメくんと鈴が探してたヤツがいるはず――お願いします」

 

 そう言って恵里はハジメと鈴と一緒に頭を下げる。実はここに来るまでの間、トータス会議でも話題となった“金髪の少女”のことも全員に話していたのである。エヒトを信奉しているメルドがいる手前、少しぼかしながらも恵里の魂を治すためのキーマンであることを打ち明けたり、彼女を探すこともここに来た目的であると語ったのだ。

 

 それを聞いた光輝達は皆驚き、三人の抜け目のなさに感心したり呆れていた。とはいえその少女を探すことも保護することもメルド含めて全員が賛成しており、おそらくあの門の先に幽閉されているのだろうと全員があたりをつけていた。

 

「なぁ中村、マジで俺が口説いていいんだよな?」

 

「は? 何言ってやがんだ大介。ソイツは俺が口説くんだぞ」

 

「おいアホ礼一に馬鹿大介。その子は俺の彼女予定だから。お前らのじゃねーから」

 

「ふざけんな馬鹿三人。将来の俺の彼女勝手にかすめとるなクソが」

 

「あー、うん。別に誰が口説いたっていいよ……ハジメくんにつく害虫はいらないからね」

 

 なおその際、六馬鹿に『別にソイツを彼女にしてもいいよ。ていうかやって』と頼み込んでいたりする。鈴なら一緒に幸せになろうと思えるだけで別に浮気を許した訳ではないし、いくら自分を助けてくれるかもしれない存在といえどハジメを狙うような女なんぞハエ扱いで十分だと考えていたからである。

 

 ちなみにその話を切り出した際にハジメと鈴から大いに呆れられ、光輝達からは信じられないものを見るような目で見られて恵里は割とへこんだ。

 

 また浩介も幸利も弱みに付け込むようで罪悪感が湧いたことからあまり乗り気ではなかったが、四馬鹿どもはノリノリであった。三組ものカップルを見続けていたせいで女に飢えたということもあったが、やっぱり根っこはまだまだろくでなしのままである。

 

「まったく大介も礼一も信治も良樹も……お前達は……まぁともかく、準備が出来たのなら行こう。目標は門の突破、そしてその先にあるものの確認だ!」

 

 ため息を一度吐きながらも、光輝は全員を見ながら指示を出す。同時に鬨の声が上がり、トレントモドキ以外の()()が拠点を後にするのであった。

 

 

 

 

 

「イナバちゃん、そっちは何か匂うかしら?」

 

「クンクンクン……キュ! キュキュ!」

 

「うんうん。匂いがするのね。じゃあイナバちゃん、それって生き物のニオイかしら? もしそうなら右の前足だけ上げて。違ったら両足ね」

 

「キュゥ!」

 

 門の方に鼻を近づけて臭いを嗅いでいたイナバに雫が質問をすると、小刻みに頭を縦に動かして同意を示した。続けざまに問いかければイナバも右足を上げて手招きをするようにクイクイと動かす。そんな愛らしさ満点なイナバを見て雫の心はまたしてもきゅんきゅんする。

 

「~~~~~~~~~!! あーもう可愛い! 流石、流石よイナバちゃん!!」

 

「ギュ、ギュゥ゛……」

 

 辛抱たまらず思わず抱きしめて頬ずりをすれば、イナバも苦し気に鳴き声を上げて助けを求める――そう。今回の探索()イナバは参加していたのである。

 

 イナバがこうして雫達と行動をするようになったのは階層が十ほど前の時のことであった。ずーっと拠点の中にいて暇で暇で仕方なかったらしいイナバが、狩りに行こうとする恵里達の後をついていこうとしたのだ。

 

 アニマルセラピー目的で連れてきているイナバが怪我したらたまったもんじゃないと女子~ズだけでなく男子~ズも猛反対してイナバを上手いこと置いていったり、ダメだと言い聞かせたものの、それでも諦めなかったイナバが渾身のあざとい仕草をキメ続けたのだ。切な気な声と顔で鳴いたり、帰ってきた雫や鈴の足に頬をすり寄せたり、食事が終わったらすぐに女子~ズ全員の許を回って甘えに甘えるなどをして悩殺したのである。

 

「ま~た雫がイナバちゃんに甘えてる……また嫌がられるよ、もう」

 

 そこでちゃんと誰かが見ていることを前提に、戦力の増加となるならと恵里とメルドからも了承をもらって連れていくこととなった。当初はそこまで期待してなかったものの、面白半分に何度も神水を飲ませたり、日々激化する大介達とのナワバリ争い――原因はイナバが寝る時以外は勝手に大介達の使うソファーを占拠しようとしていることである――によってあまり戦いのカンが落ちていなかったこともあってか色々と重宝しているのだ。

 

「で、でも……ちゃんと出来たらほめないといけないし……」

 

「何事も限度があるしょ、ていっ」

 

 と、相も変わらずデレッデレな様子でイナバを可愛がる雫に、鈴は結界を器用にハリセン型にしたもので軽く小突いた。あぅ、と短く悲鳴を上げて腕の力が緩んだところでイナバは鈴の方に飛び込み、彼女の両腕にポフンと収まった。

 

「雫……この前やっとイナバが機嫌を直したばかりだろ? また可愛がり過ぎるとしばらく寄り付かなくなるよ。ほら」

 

「うぅ……ごめんね、イナバちゃん」

 

 呆れと苦悩、そしてちょっぴりイナバに嫉妬しながらも光輝は雫を注意すれば、雫もまたイナバに頭を下げた。光輝としてもあまり彼女を泣かせたくはないと思っていたのものの、これを許していたら将来雫のためにならないと心を鬼にしてキチンと言う。それを雫もわかっていたため反論はしない。ただ、自分の半身が引き裂かれたような思いでイナバを見つめるだけであった。

 

(……なんだろう。将来光輝君と雫の間に子供がもし出来たら絶対雫がダダ甘やかしにして光輝君が苦労する未来が見える)

 

 そしてそんな様を幻視した鈴はイナバの頭を何度か撫でながらそんなことを考えていた。雫がダメなママにならないように頑張れー、と内心光輝を応援していると、聞きなれた足音が鈴の耳に入った。

 

「相変わらず雫もイナバには甘いよねぇ……アレ、絶対子供をダメにする親になるよ」

 

「あ、恵里……そういう恵里も人のこと言えなさそうだけど」

 

「うっさい、鈴――とりあえず中に何かがいる、ってのは確定したね。じゃあこの門をどうにかして開けないと」

 

 念のため周囲を索敵していた他のメンバーに声をかけ、門の突破に移ろうと提案する。誰もがそれにうなずいて同意し、目の前の門を見据える。

 

「パンドラの箱、かな。希望が残っててくれるといいけど」

 

「希望以外のものもまだ詰まってたとしても開けるしかない。そうだろ?――皆、行こうぜ」

 

 ふとハジメが心配と緊張の入り混じった様子で漏らした言葉に、幸利が門をじっと見つめながらそう言った。その言葉に誰もが心の中でうなずき、それぞれ配置につく。一番体が頑丈な龍太郎が門を開けるのを担当し、鈴と香織がいつでも結界を張れるよう準備、他は周囲の気配をうかがいながら待機するという形である。

 

「うん? 何かくぼみがあるぜ?……なぁ皆、これにはまりそうなヤツって何か見かけたか?」

 

 そうして門に手をかけようとした時、ふと龍太郎は門に二つのくぼみがあることに気付いた。そこで気を緩めることなく全員に声をかけるも、誰もが首を振るかあるモノ――門の両隣にある守護者のようなオブジェに視線を向けていた。

 

「アレだよね……」

 

「アレね」

 

「アレだよな」

 

 いかにもなオブジェに多くが怪訝な目を向けている。そこで押しても引いても全然ビクともしないことから龍太郎も一度門を開けるのを諦め、皆の元へと戻ってすぐさま作戦会議へと移った。

 

「何をくぼみにはめるんだろうな。首か?」

 

「いや、首にしちゃちょい小さいな。あの門番、一つ目っぽいし目ん玉じゃねぇか?」

 

「でもあんないかにもな形してるし、何かの拍子に動くかもしれないね。倒した時に落とす物かもしれないけど……どうする? 先制して倒す?」

 

「いやー、ちょっと可哀想だよ……でもどんなのが相手かわからないし、不安な要素は削っといた方がいいね」

 

 と、色々と相談した結果……。

 

「えーと、その……空気が読めてなくてごめんなさい」

 

「うん。鈴達が悪いと思って許して」

 

 本来ならもっとちゃんとしたイベントの後に現れるであろう門番に向けて鈴と香織は頭を下げると、光系中級防御魔法である“聖壁”の発動に移った。

 

 もちろん自分達を攻撃から守るためでなく、その強力なバリアを刃に見立てて相手を切るという二人の唯一と言っていい攻撃手段として使うためだ。

 

「「“聖壁・刃”」」

 

 さながら断頭台の刃のように半月状に作られた計八つの光の刃は、たたずむ二つの門番の彫刻の肩口と足の付け根を同時に切り落とさんと迫る。ギリギリ死なない程度にダメージを与え、戦闘態勢に移行した直後に仕留めるスタイルであった。

 

――オォォオオオオオオ!?

 

 その直後、扉の両側に彫られていた二体の一つ目巨人が周囲の壁をバラバラと砕きつつ現れた……肩と股関節の辺りが深々と切られた状態で。いつの間にか壁と同化していた灰色の肌も暗緑色に変色していたが、それも倒れ込んだ際に傷口から吹き出た鮮血で段々と赤く染まっていく。

 

「……罪悪感すごいわね」

 

「うん。不意打ちってやってる方はこんな気分になるんだ」

 

 『嘘だろコイツらマジふざけんなよ!?』と言わんばかりの表情をしている巨人を見て優花と奈々はつぶやく。トレントモドキを狩っていて悦に入っていた時のことを思い出した時以来の気まずさで、大介達でさえもやり過ぎじゃないかと思ってしまうレベルの惨劇が目の前に広がっていた。

 

「別にあっちに合わせてやる必要なんてないよ、優花も奈々も。はいとっとと死んだ死んだ“堕識”、“隆槍”」

 

 そして特に罪悪感を感じてない恵里は容赦なく“堕識”で二体の意識を幾秒か奪い、その隙に“隆槍”で地面から岩の槍を生やして首を貫いた。血も涙もないダーティな戦法になす術もないまま一つ目の巨人達は死んだ。ついでに場の空気も死んだ。

 

「ちょっと“堕識”の効きが悪かったけど倒せはしたね……さて。コイツらも倒したことだし、扉が開くかどうか調べよっか。ね?」

 

 そんな惨劇を引き起こした張本人である恵里は、上機嫌な時にいつも見せる笑みを浮かべながら門へと歩いていく。それを見た全員の表情は言うまでもなく引きつっていた。

 

「……相変わらず敵だと考えたら容赦ないね、恵里ちゃん」

 

「ごめんなさいサイクロプスさん達……でも僕達も死にたくなかったし、死ぬわけにはいかなかったんです」

 

「……まぁすぐに動かなかったアイツらが悪い、ってことにしとこう。そうしないと俺らが罪悪感で死ぬ」

 

 誰もが言い訳をするように独り言を吐きながら門と門番の死体を検分していく。

 

 門は相変わらず押しても引いてもどうにもならなかったため、こうなったら土属性の魔法か錬成で門を変形させるかと恵里や龍太郎らが考えていた時、ふとハジメが『魔石をくぼみにはめたら開くんじゃないかな?』と言ってきたため、とりあえずやってみようということで実践。光輝、雫、浩介、大介、メルドといった剣や刀を扱うメンツや結界を刃代わりに使える鈴、香織らを中心に全員で解体してどうにか魔石を摘出。その後の処理は光輝と奈々に任せることに。

 

「……カニバリズムになるのかな、コレ」

 

「かも、しれないな……でも選り好みをしたせいで死につながるぐらいなら我慢した方がいいさ。最悪俺が指示した、って体にしとけば――」

 

「えいっ」

 

 奈々の尤もな疑問に苦い表情をしながら光輝が返すと、奈々はすぐさま彼の頬を指で突っついた。そちらの方を光輝が見れば奈々は腰に手を当てていかにも怒ってますという風で彼をたしなめる。

 

「ダメだよ光輝っち。私達のために気を使ってくれてるのは嬉しいけど、それ雫っちが悲しむからね」

 

「……ごめん。じゃあ早速やろうか、奈々」

 

 雫のことを出されては返すに返せず。相変わらず雫が弱点であることを自覚しながらも光輝は奈々と一緒に氷属性の魔法“冷結”を発動する。五つほど前の階層辺りから使えるようになった魔法であり、もっぱら肉の冷凍に使っている。

 

 結構な勢いで凍るし、しかも中々解けないこともあってか肉の保存にピッタリなのだ。贅沢かつ間違った使い方で二人は活用していた。

 

「こっちは開いたぞー!! とりあえず誰か門を固定していてくれ。いきなり閉じると困るしな」

 

「そうね浩介君。だったら何人か門の近くで待機しておいた方がいいわね。じゃあ誰が残るか話し合いをしましょう」

 

 そうしてどのメンバーが中に突入し、誰が残るのかを話し合いで決めることに。いきなり門が閉まったり背後から強敵が現れることも鑑みて、光輝と雫、龍太郎と香織といった主力メンバーに器用に立ち回れる優花、奈々、妙子と幸利は門を固定し、そこで周囲の警戒に回ることになった。そのため――。

 

「確か美少女だ、って言ってたけどどんな奴なんだろうな」

 

「中村のヤツ、テキトーこいたら許さ……あ、すいませんごめんなさい何でもないです」

 

「ババアくんなババアくんな……」

 

「おいロリ介。オメーの場合小学生より上は全部ババアだ、って前に言ってただろうがよ。どんだけストライクゾーン狭いんだテメー。ま、そん時は俺らのもん、ってことで」

 

「はいはい。おしゃべりはその子を助けてからにして。どこから敵が出てくるかわかんないんだし」

 

「四人ともー、あんまり気を抜いちゃ駄目だよー」

 

「んーと、今のところ気配は奥の方に一つだけ……あ、でもどっかに潜んでるかもしれないな」

 

「クンクン……キュ、キュー」

 

「イナバちゃん、やっぱり匂いがするんだね……上からも、なの?」

 

「なるほど。気配は一つだけだが臭いは誤魔化せんということだな――よし、全員上からの襲撃にも警戒してあたれ!」

 

 恵里、ハジメに鈴といつもの四馬鹿に浩介、そしてイナバとメルドが向かうことになった。そして突入班の彼らが行く前に待機班の光輝達が門を大きく開けて固定し、恵里達が中に入ろうとした時に門の奥、部屋の中央から声が聞こえた。

 

「……だれ?」

 

 かすれた、弱々しい女の子の声に突入班と待機班どちらも反応すると、声が聞こえた屋の中央の方へと視線を向ける。すると、先程の“生えている何か”がユラユラと動き出し、差し込んだ光がその正体を暴く。その正体は人であった。

 

 上半身から下と両手を立方体の中に埋めたまま顔だけが出ており、長い金髪が某ホラー映画の女幽霊のように垂れ下がっていた。そして、その髪の隙間から低高度の月を思わせる紅眼の瞳が(のぞ)いている。年の頃は十二、三歳くらいだろう。随分やつれているし垂れ下がった髪でわかりづらいが、それでも美しい容姿をしていることがよくわかる。

 

「こんな……こんなのって……」

 

「一体誰が……誰がこんなことを……」

 

「……見た目最高だけどややババアめ? いやギリストライクゾーン。あ、でもそれはともかくとしてまずは――」

 

 多くがその姿の痛ましさに唇を嚙み締めたり、強く手を握る中、ぶつぶつと何か独り言をつぶやいていた大介がいきなり猛ダッシュして土煙を上げながら少女の元まで走っていく。

 

「おい大介! 上に魔物がいるかもしれんのだぞ!!」

 

「あ、大介ズリぃ!!」

 

「あのクソ野郎! 抜け駆けすんじゃねぇってんだ!!」

 

「おいロリ介ぇ!! 後で半殺しにしてやるからな!!」

 

 メルドの制止も聞かずに全力ダッシュをキメる彼を見て礼一達が騒ぎ立てるも、それでも大介は止まらず。すぐに少女の元まで駆けつけると、キキィと甲高い音を立てて止まると同時に彼女にひざまずき、頬を染めながら少女に言葉をかける。

 

「い、いい、今すぐ俺が、その……た、た、たた、助ける、から付き合ってくれぇ!!!」

 

「…………は?……え?」

 

 女に飢えたウブなロリコンはかくも変に大胆になるのか。そんなことを考えながら恵里達は頭を手で抑えながらため息を吐き、件の少女は間抜け面をさらしていた。

 

「……ホントブレないな、大介。んじゃ俺達も――」

 

「待った!――ここは俺がやる。俺一人で助けて好感度上げんだよ! お前らは邪魔すんな!!」

 

 そして最低の動機と共に自力で何とかすると述べればハジメと鈴と浩介は思いっきり渋い顔を浮かべ、恵里も心底呆れる他なく。礼一達は『いいぞやれやれー』と大介の自滅待ちに移り、メルドは独断専行を決める大介に向けて青筋を立ててイナバはいつもの四馬鹿の様子を見て鼻で笑った。無論礼一達はキレてにらみ返し、鈴もめっ! とイナバを叱った。

 

「……え、と……ほん、とう……?」

 

「お、おうよ!! 俺強いし……これぐらい余裕、うん超余裕で助けられるし――“穿土”ぉ!!……あれ?」

 

 大介は啖呵を切ると同時に拠点作りでよく使う、穴をあける土属性の中級魔法である“穿土”を発動する……が、少女を拘束する立方体は抵抗するようにその魔力を弾いた。まるで蹴りウサギ達がいたあの階層で、ハジメが上へと続く道を作ろうとして失敗した時のようであった。

 

「おーい、大介くーん。今なら助けてやってもいいぞー?」

 

「あ゛? うるっせぇ!! 俺一人でやるっつってんだろ! こんの……こなくそ!!」

 

 信治から茶々を入れられるも、大介は諦めることなく魔法を発動し続ける。すべては目の前の金髪の美少女を手に入れるため、と下心全開で更に発動し続ければ徐々に少女を捕えている立方体がわずかに、徐々にだが変形していった。

 

「ふんぬぎぎ……も、もう無理! 魔力が空になる!!」

 

 既に上級の魔法と同じくらいの魔力を注ぎ込みながら“穿土”を発動し、立方体を変形させていたものの、このままでは少女を解放する前に魔力がスッカラカンになってしまうと大介は感じ取っていた。すぐにでも神水を飲みたいが、下手に集中を解いたらもうこれ程集中して魔法が発動出来なさそうで引くに引けず、情けない悲鳴を上げる他無かった。

 

「“穿土”!……悪い大介、俺も手伝わせてくれ」

 

 そんな時、影が薄めの親友の声が大介の耳に届いた。振り向けば、仕方ないなぁと言いたげな顔で加勢してくれた浩介がそこにいた。

 

「浩介ぇ……マジでありがとよ!」

 

「あぁ。それじゃあ早速――」

 

 親友をないがしろにした事を内心恥じながらも礼を述べ、一緒に少女を助けようとした時、更に幾つもの足音が響いてくる。また振り向けばいつも馬鹿やってる三人が、いつも世話になっている三人が来ていた。

 

「ったく根性ねぇなぁ大介ちゃんはよぉ……仕方ねぇから俺らも手伝ってやるよ!」

 

「手伝ってやる代わりに、俺らにも口説くチャンス寄越せよ!」

 

「しっかり恩に着ろよー大介。あとついでに浩介もな」

 

「大介君、ごめんね! 恵里の説得にちょっと時間がかかった!!」

 

「ごめんね二人とも! 鈴もこれから頑張るから!」

 

「ったく、ハジメくんに余計な虫がつく可能性は少しでも低くしたいってのに……感謝してよね!」

 

 友人を助けることへの気恥ずかしさからかいつものような憎まれ口を叩く礼一達や素直に詫びるハジメと鈴、そして自分の都合をいつも優先する恵里も手伝いに駆けつけ、すぐさま全員で“穿土”と“錬成”を発動する。

 

「お前ら……先生……! っしゃオラぁ!! 絶対助けてやるからな!! 待ってろ!!!」

 

 友人に助けられる気恥ずかしさとありがたさを感じながらも大介も残りわずかな魔力を女の子を封じる石に向けて使っていく。

 

「くっそ……こりゃ大介が苦労するはずだよ!!」

 

「土属性に適性の高い浩介でコレかよ! ったく、面倒だな!!」

 

「知ったことかよ! コレぐらいぶっ壊せないでここの突破なんざ出来るか!!」

 

「そうだそうだ! 大介一人じゃ無理でも俺らと先生にかかればなぁ!!」

 

「はは……皆の信頼には応えないとね!!」

 

「中々キツいけど、でも!」

 

「ま、これぐらいならどうにかなるでしょ――いっけーーーーー!!!」

 

 ハジメは専門家である“錬成”を使い、浩介は土属性に適性の高いものの、他の面々にとってこの属性はお世辞にも高い適性を持っているとは言えない。だが、使い慣れたこの力が、少女の戒めを解いていく!!

 

「コイツで、どうだぁーーーー!!!」

 

 叫びと共に大介は最後の魔力を振り絞って“穿土”を維持する――遂に、女の子の周りの立方体がドロッと融解したように流れ落ちていき、少しずつ彼女の枷を解いていく。それなりに膨らんだ胸部が露わになり、次いで腰、両腕、太ももと彼女を包んでいた立方体が流れ出していく。

 

「―――――っ! よっしゃぁ!!」

 

 魔力も底をついてしまい、倦怠感に襲われた大介は尻餅をつく形でその場に座り込む。だが、晴れ晴れとした顔で雄叫びを上げ、同じく疲れた様子の浩介や礼一達、恵里達を見て、グッと親指を上げる。そして解放された少女を見て大介や礼一達は思わず見とれてしまう。

 

 一糸纏わぬ彼女の裸体はやせ衰えていたが、それでもどこか神秘性を感じさせるほど美しかった。髪の艶は幾らか失われているものの、それでも部屋から差し込む光によって照らされた金の髪は未だに美しい。髪に隠れて中々見えない紅の瞳もくすんだルビーのようであり、生気を取り戻せば何物をも凌駕する輝きを放つであろうことが容易に想像できる。

 

 体の全てが解き放たれ、女の子は地面にペタリと女の子座りで座り込んでいる少女を見て大介だけでなく礼一達と浩介も思わず唾をのむ。立ち上がる力こそ無いらしいが、それ以外にこれといった異常も無いらしい。そんな少女を見て礼一達がホッとしていると、鈴の声と共に体に力が戻ったかのような具合となった。

 

「“譲天”――はい。とりあえず檜山君以外はこれで大丈夫だよ。そっちは神水飲んだ方が早いだろうしそうして」

 

「サンキュー、谷口。悪いな、そっちもあんま余裕ないだろうに」

 

「全員神水飲むよりはマシかなー、って思っただけだよ。別に気にしないで」

 

 他者の魔力を回復させる魔法、“譲天”を鈴が使用したのだ。ポケットから一本神水入りの容器を取り出すと、すぐに端を砕いて一気に飲み干していく。連続の魔法の行使で鈴の方も魔力が尽きてしまったらしい。礼一達が口々に礼を述べる中、ハジメは自分の分の神水の容器を取り出し、端を指で砕いてから大介の方へと歩いていく。

 

「はい。お疲れ様、大介君。すごかったよ」

 

「サンキュー、ハジメ……あ゛~、染みるぅ~」

 

 息も絶え絶えの大介であったが、渡された容器の中身を煽るとすぐに体に活力と魔力が戻っていく。ハジメに向かってニカっと笑みを返すと、大介は座り込んでいた少女に手を差し伸べようとする。

 

「――ぁっ」

 

 差し伸べられた手を見て思わず声を漏らすも、大介は構うことなく手を伸ばしたまま……と、そこに礼一達も加わって来た。

 

「オイコラ大介テメェズリぃぞ。なーに抜け駆けしてやがんだ」

 

「は? 俺が最初に声かけたんだけど? 助けてくれたのは感謝してるけどよ、後からしゃしゃり出てきたお前らが何言ってやがんだ? あ?」

 

「は? 俺らにもチャンス寄越せ、って言ったよな? だったら俺にも口説くチャンスあるだろ――あ、礼一と良樹と浩介は下がってていいぞ。後は俺がやっとくから」

 

「何しれっと俺ら引っ込めようとしてんだ便利屋信治クンはよぉ~? テメーいっつもいっつも火の番して女子からチヤホヤされてんじゃねーか。それで我慢しろよ、な? ここはこの俺、斎藤良樹の番ってもんだろ。何せ俺はあの毒ばっかの階層で大活躍したからな、だ・い・か・つ・や・く。お前らは命の恩人である俺に免じて、機会を譲ってくれればそれでいいんだよ」

 

「いやそれ割と前のことじゃんかよ。そりゃ感謝してるけどさ……それよりも。なぁ大介、礼一、信治、良樹。俺はな、ガキの頃からずーっと、もうずーっと幼馴染三組のカップルの甘ったるい空気にあてられ続けたせいで毎日嫉妬の炎を燃やしてるんだわ――お前ら親友だよな? だから俺をその炎から助けるためにもそちらの美少女とお知り合いになる権利を譲って――」

 

「「「「いや無理。ぜってー譲らねぇ」」」」

 

 ……そして馬鹿五人の心底醜い争いが始まった。

 

 『テメェ乗り気じゃなかったじゃねぇか浩介ぇ!』だの『俺だって美少女とお付き合いしてーわ!! もうぼっちは嫌なんだよぉおおぉ!!』だの『ぜってぇお前らに渡さないからな!! だって惚れたし! 超惚れたし!!』だの『うるせぇくたばれロリコン! こんな美少女だったら俺だってロリコンになるわ!!』だのと聞くに堪えない言葉が掃いて捨てる程出るわ出るわ。

 

 控えめに言って毒にしかならない言い争いを見る羽目に遭った少女も恵里達も、突入班の様子を遠くから見守っていた光輝達も本気で頭を抱えたくなった――が、それも束の間のことであった。

 

「上から来たぞ! 全員散れぇーーーー!!!」

 

 メルドの怒号混じりの命令と共にこの場にいた全員が散開していく。立ち上がる力のなかった少女は大介が抱えていったため怪我一つない。

 

 イナバの嗅覚のおかげで既に敵がいることはわかっていたし、メルドがいいタイミングで号令をかけてくれたことで誰も怪我をすることなく奇襲を免れた。大介も少女を一度下ろすと、すぐに他の面々と同様に武器を構える。

 

 幽閉されていた少女を助けるための、最後の戦いが始まろうとしていた。




これはただの独り言なのですが、皆様が既にご存知の通り、拙作に聖域とか安全地帯なんてありませんよ?
主役であるエリリンしかり、鈴しかり、ハジメ君しかり。そしてそれは他のキャラであっても同様です。しいて言うなら親~ズ(一部除く)ぐらいがマシなぐらいです。まぁつまりそういうことです。ええ。


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四十四話 光が差し込む時

まずはお詫びを。目次の部分にも書きましたけれど奈々の親しい相手に対する呼び方が間違ってたんで大慌てで修正かけました。誠に申し訳ございません。

アフターのトータス旅行記⑱をそっくりそのまま見落としてたんです……。とんだ大ポカやらかしました。



……では、改めまして拙作を読んでくださる皆様がたに感謝の言葉を贈ります。
おかげさまでUAも103578、お気に入り件数も709件、しおりも299件、感想も303件(2022/5/3 7:37現在)いただきました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。おかげさまで筆を執る力が湧きました。感謝いたします。

ようやくサソリモドキ戦となります。それと注意点として今回は長めのお話となっております。
では上記に注意して本編をどうぞ。


 現れた魔物は体長五メートル程で四本の長い腕に巨大なハサミを持ち、八本の足をわしゃわしゃと動かしている。そして二本の尻尾の先端には鋭い針がついていた。一番分かりやすい例えをするならサソリだろう。二本の尻尾は毒持ちと考えた方が賢明だ。明らかに今までの魔物とは一線を画した強者の気配を感じる。だが――。

 

「はい“縛魂”……っと、なんか結構効きが悪いなぁ。ちょっと維持するの面倒かも」

 

 間髪入れずに恵里が発動した“縛魂”によってあっさりとイニシアチブを握ることが出来た。

 

 だが、魔法のかかりが妙に浅く、まるで強い意志のある人間相手にかけているかのような具合であった。たとえ“縛魂”をかけ続けていてもちょっとした刺激ですぐに解けるだろうと確信した恵里はすぐに全員に注意を促す。

 

「とりあえず“縛魂”はかかったけど、正直あんまり保たないかも……刺激とか衝撃とかがちょっとでもあったら多分すぐ解けるだろうから今の内に移動して」

 

 その言葉にハジメも鈴も大介達も無言でうなずくと、魔物を刺激しないよう全員ゆっくりと門のほうまで動いていき、光輝達と合流する。そしてそのまま後ずさっていき、魔法の射程の問題上あまり動けない恵里の周囲を加工用に全員が配置に着く。

 

「こっちは念のためあの魔物が襲い掛かってこないように“縛魂”をかけ続けるから、そっちの方で作戦の立案しといてくれない?」

 

「ああ。任せてくれ、恵里……それで、どうする? まずは鈴と香織の“聖壁・刃”で手足にダメージを与えてから俺の“神威”で仕留めようと思ってるんだけど、どうだろう?」

 

「とりま作戦は光輝達に任せるとして……コイツを飲めよ。一発で動けるようになるからよ」

 

 恵里は“縛魂”の発動を継続し、様子をうかがうことにして作戦は全て光輝達に任せることに。光輝も力強く返事を返し、その後すぐに作戦会議を始めた。一方、大介は抱えていた少女を下ろし、自分の分の神水の入った容器を取り出し、端っこを砕いて飲めるようにした状態で彼女の口元へと持っていった。少女もゆっくりとうなずくと、口を開けて大介にすべてを委ねた。

 

「これ、って――あなた達は、一体……」

 

「ま、そこら辺は俺達の拠点に戻ってからだな。後は俺らに任せろ」

 

 力のない状態でどうにか嚥下すると、途端に体中に活力が戻ってくる感覚に少女は目を剝く。すると大介は得意気な様子でそう返し、礼一らからの羨望の視線を受けながら光輝達の作戦会議に耳を傾けた。

 

「そうだな……悪くはねぇと思うぜ、光輝。けど、アイツは他の魔物とは段違いに強い。そんな気がする。だからよ、もう一押しあった方がいいんじゃねぇか? やるんだったら確実にやっといた方がいいはずだ――ハジメ、閃光手榴弾はあるよな?」

 

 すぐさま光輝が立案し、敵の強さを甘く見ていない龍太郎がそれに軽く待ったをかける。そこで龍太郎から尋ねられたハジメはそれにうなずくと、すぐにポーチの中から言われた物を取り出して見せる。

 

「とりあえず手持ちは三つ。焼夷手榴弾も二つ持ってきてるし、普通の手榴弾も四つあるよ。それとシャウアーもまだ使ってないからマガジン二つ分の弾はバラ撒ける。後は……錬成があるから、それで足止めぐらいは出来るかな?」

 

 いつも頼りにしている少年が返した言葉に『流石ハジメ』と誰もが思い、なら作戦をより具体的なものにしようと光輝が話を他のメンバーにも振ろうとした時、先程から“縛魂”をかけ続けていた恵里が声を上げた。

 

「ごめん! “縛魂”をかけ続けてるけど、やっぱり洗脳は無理!!――どうする、皆? 神水を何本か使えばもうちょいマシには出来るだろうけど」

 

「いや、十分だ恵里。それと、もう離れても大丈夫そうか? もし大丈夫だったら一度門の外まで下がろう」

 

「余計な刺激をあっちに与えなければね……わかった。すぐ行くよ」

 

 念のために更に深く洗脳をするかどうか提案するもそこまでやらなくてもいいという光輝の判断に従い、その指示に従って恵里は物音を可能な限り立てないように慎重にハジメ達と一緒に門の外へと下がっていく。そして全員が門の外に出て、再度隊列を組み直すとほぼ同時に光輝が新たな指示を出す。

 

「よし――皆、配置に着いたな! 鈴と香織は“聖壁・刃”をアイツの手足の付け根に当ててくれ。俺は“限界突破”と“神威”を使って倒す。出し惜しみをしてたら負けそうだからな。もしそれで倒れてなかった場合は雫と浩介が先行して前衛の皆が突撃、後衛が魔法と銃による援護を。ただ、最悪の場合は……ハジメ、閃光手榴弾を使って一度隙を作ってくれ」

 

 『了解!』と全員が光輝の支持に了承し、すぐさま各々が準備に移る。光輝も全身に紅色の光を纏わせ、“神威”を撃つための莫大な魔力を聖剣に宿す。鈴と香織も魔力を練り上げ、計十の光の刃を出現させる――準備は、整った。

 

「よし! 鈴、香織! 先制攻撃を!!」

 

「わかったよ! やろう鈴ちゃん!」

 

「了解したよ光輝君。うん、行こう香織」

 

 二人は発動した魔法の名前を口にすると同時にその刃を飛ばす。かかしのように突っ立っているサソリのような魔物の手足の付け根目掛けて吸い込まれるようにそれらの刃は向かっていく。しかし……。

 

「嘘っ!? 弾いた!?」

 

「駄目なの!?――光輝君!!」

 

「クッ!――とりあえず“神威”をひと当てする! ハジメ! その直後に投げてくれ!! 鈴と香織は結界の準備を!!」

 

 今までどの魔物にも少なからず効いてきた必殺の一撃である“聖壁・刃”だったが、間抜けな音と共に光の刃は弾かれてしまい、その刺激で虚ろであった魔物の瞳に光が戻っていく。

 

「――“神威”っ!!」

 

「全員、目をつぶって!!」

 

 すぐさま光輝も最強の攻撃を発動し、光の瀑布を叩き込む。それからほんの少し遅れてハジメも閃光手榴弾を投げ込むと、辺りは一気に光に包まれていく。

 

「キィシャァァアア!!」

 

 サソリのような魔物が悲鳴を上げる。だがそれは表面を軽く焦がした一撃でなく、目を潰す程の光が原因でしかないことはこの場にいた誰もが理解していた。光輝の全力の一撃であってもその程度の傷しかつけられず、作戦は失敗に終わったと誰もが理解するのにそう時間はかからなかった。

 

「くそっ……ハジメ! ドンナーと焼夷手榴弾を用意してくれ! どれだけのダメージを与えられるか確認だけでもしておきたい! 香織、鈴!! ハジメの攻撃が終わったらすぐに結界を張ろう! その後でもう一度作戦会議だ!!」

 

「わかった、光輝君! これは、どうだ――!?」

 

 光輝から指示を受けるとハジメはすぐにドンナーを構え、目がくらんで周囲で暴れまわる魔物に電磁加速した弾丸を叩きつけるも、貫くどころかわずかな傷すらつけたようには見えない。しかしそれでも、と焼夷手榴弾を投げ込んで起爆させる。

 

「キシャァァァァア!!!」

 

「流石にちょっとへこむなぁ……! 鈴、光輝君、香織さん! バリアの方よろしく!!」

 

 爆発と同時に三千度で燃える泥をまき散らしたそれは体を焼きこそしたものの、致命傷になってるようには到底見えず。自信作だったのに大したダメージにもなっていない、と密かにプライドに傷がつきながらもどうすればいいと考えるハジメ。しかしそんな彼にわずかばかりともダメージを与えられた魔物は激昂し、叫び声を上げながら尻尾の先端をこちらへと向けてきた。

 

「了解だ、ハジメ! 行くぞ二人とも!」

 

「うん!」

 

「わかった!」

 

「「「“聖壁”!!」」」

 

 怒り狂った魔物は尻尾の先端から針を射出すると、それは途中で破裂して散弾のようにばら撒かれ、三人の張った結界へと降り注いでいく。

 

「ぐっ!! これは……!」

 

「も、もう二枚割れちゃったよ!?」

 

「残る一枚もボロボロ……もう一度張り直そう!」

 

 それぞれが一枚ずつ張った光の壁もたった一撃で二枚が砕け散ってしまい、残る一枚も穴まみれでズタボロとなっていた。幸いにも三枚の壁のおかげで勢いが完全に死んでいたため、誰かに当たるということは無かったが、それでもあの針の威力は尋常でないことだけはこの場にいた全員が嫌というほど理解できた。

 

 だがサソリのような魔物の攻撃はまだ止まらず。もう一本の尻尾から紫色の液体を出し、張り直した三枚の壁の一枚に当たると同時にそれがジュワーと音を立てて溶けていく。凄まじい威力の溶解液のようであった。

 

「こうなったら貼れるだけ貼るぞ、二人とも!!」

 

「わ、わかったよ!!」

 

「うん!! このままじゃ簡単にやられそうだからね!!」

 

「こっちも手伝う! “邪纏”!!」

 

 すぐに香織と鈴は持てる魔力を全て使って、光輝も少しでも魔力を温存するために“限界突破”を解除した上で“聖壁”を発動し続ける。“限界突破”の反動である倦怠感に光輝は苛まれながらも必死になって結界を貼っていき、恵里もすぐさま“邪纏”で少しでも動きを止められるようサポートに移る。

 

 だがサソリモドキの魔物は時折意識を飛ばされながらも針や溶解液をまき散らし、時にはハサミをハンマーのように振るいながら鈴達が張っているバリアを景気よく破壊し続け、少しずつ進んでくる。

 

「ガラスみたいにガンガン割りやがって!! クソ、どうすんだ!?」

 

 礼一の叫びに光輝も鈴も香織も返さない。もう余裕がないのだ。どうにか“聖壁”を連続で張り続けているおかげで割るのに手間取ってこちらにはすぐに来れないようだが、それもいつか限界が来る。

 

「あぁもう! どうしたらいいのよ!!」

 

「マジで方法が無ぇのかよ! あんな硬さじゃ何やっても通じないだろ!!」

 

「落ち着け、落ち着くんだお前達!……何か、何か無いか。逆転の、逆転の一手が……」

 

 ヒステリーを起こす優花に苛立ちを見せる大介。それは他の面々もそうであり、全員の脳裏にはなぶり殺しに遭う未来がありありと浮かんでいる。

 

「生き物なんだから腹の方は柔らかかったりしないか?」

 

「でも焼夷手榴弾は地面にバウンドしてから爆発しただろ? それでも余裕で動けてることを考えるとまず無理だろ!」

 

「他に、他に何か……目! 目はどうかな! 閃光手榴弾が効いたんだし、虫ってまぶたが無いからそこは弱いんじゃない?」

 

「アリだな!……あ、でもどうやって近づくんだよ! 今は光輝達が“聖壁”張りまくってんだろ!!」

 

 だが、誰も考えることは止めていなかった。必死に足搔き続けていた。思い付きでも何でもいい。とにかくあのサソリのような魔物をどうやれば倒せるかをただただ考え続けている。

 

「こうなったらハジメ以外の全員で魔法を叩き込んでみたらどう? もしかするとまぐれ当たりが起きるかも――」

 

「悪くはねぇが手で覆われたら多分アウトだ! あー、クソッ! 他に他にどうすれば……」

 

「……どう、して」

 

 その光景を見た少女は不意にそう漏らした。自分を見捨てて逃げれば助かるかもしれないのに、何故誰もそうしない? 迫りくる絶望を前にどうして諦めない? と疑問に思うばかりであった。彼らはあの魔物を倒すことだけを考えていて、()()()ことは考えているように見えない。それが、それがあまりに不思議でならなかった。

 

「どうして、逃げないの?」

 

「……ごめん、ちょっと待っててぇ。私も、皆も、余裕が無いから」

 

「ぜってぇ助ける。だからよ、すまねぇがもうちょい待っててくれ……何か、何かねぇのかよ……」

 

 いつもなら間延びした様子で返事をする妙子すらも少女の問いかけには答えず、目の前の強敵相手にどうするかだけを考えている。先ほどいさかいを起こしていた大介達も悪態を吐きながらも真剣な様子で打開策を練っており、到底声をかけられるような状況ではなかった。

 

「……キュ? キュゥ」

 

「……魔物? でもなんで……」

 

「キュ!?……キュゥ……キュゥ」

 

「お腹、見せて……媚び、てる?」

 

 その様子を見て感じるものがあったのか少女は口をつぐんだまま。そこにイナバが体をすり寄せると、人を襲おうとしないイナバに少女は怪訝な視線を向けたが、一転して必死になって媚びを売る様子を疑問に思ってそれ以上は何もしなかった。

 

「“邪纏”!――目……目以外にどこか、どこか弱点は……口? 確か鳴き声を出してたはずだけど、口なんてどうやって……」

 

「それだ、恵里!!――浩介君!」

 

 少女がイナバに関心を抱いていた一方、恵里達は何度も何度も耳に届く“聖壁”の破れる音を聞いて神経をとがらせながら必死に考え続けていた。そこで何か他にいい案はないかと漏らした恵里の言葉で、ハジメはあることを思いついた。

 

「ハジメ、何か思いついたのか!?」

 

「うん! もしかするとやれるかもしれない! 今すぐ僕が通路を作るからこれを持っていって!! あのサソリモドキの魔物を倒すために使ってほしいんだ!!」

 

 すぐにハジメは背負っていたリュックごと浩介に押し付け、大声を出して説明を始める――内容は簡単。ただサソリモドキの口の中に閃光手榴弾以外の全ての手榴弾を投げ込んで爆破するということである。

 

「いくら外側が硬くっても口の中――内臓はそこまで硬くないはず! そこなら焼夷手榴弾も通るはずだよ!!」

 

「流石ハジメくん! あ、でも万が一倒しきれなかった場合も考えてドンナー……ううん、シャウアーも渡した方がいいと思う!」

 

「ハジメが通路作るんだったら私達もやるわ!! 全員でやった方が早いはずよ!!」

 

「だな! 俺も優花の案に賛成だ!……それと、浩介以外にも誰かついていった方がいいぞ! サポートするヤツはいるだろ!」

 

「なら俺が行く! アイツの口をこじ開ける必要がもしあったなら、俺が適任だ!!」

 

 ハジメの立案に誰もが納得を示し、むしろそれをより良くせんとばかりに恵里や優花らが意見を出していく。その結果、幸利の提案した浩介の同行者に龍太郎が立候補し、結界を張り続けている三人とアシストをしている恵里以外で外へと通じる通路を作ることになった。

 

「もう少し天井を高めに!」

 

「二人が四つん這いで動くことを考えたらもうちょっと広く……こんな感じ!?」

 

「横は最悪一人分でも構わん!! まずは外へ出るために掘り進めろ!!」

 

 すぐに結界の中は通路作りで紛糾する声で満ち、メルドの指揮の下、急ピッチで作業が行われていく。だが何かをハジメ達がやろうと察知したサソリモドキは光の壁を砕いて進みながらも更に手を打ってくる。

 

「キィィィィィイイ!!」

 

「――!? れ、“錬成”!!……この、地面まで干渉してくるなんて!」

 

 魔物の絶叫が空間に響き渡ると同時に、突如として作業をしていたハジメ達の周囲の地面が波打ち、轟音を響かせながら円錐状の刺が無数に突き出そうになったのだ。

 

 必死に穴を掘ることに集中していた彼らであったが、その不意打ちにいち早く気付いたハジメはすぐに錬成で壁を固定し、自分達と光輝、鈴、香織の立っている地面に影響が出ないように必死に魔物の攻撃を防ぎ続ける。

 

「ごめん皆! 僕はこっちをどうにかするから」

 

「悪い、先生!!――そっちは大丈夫か、光輝!」

 

「こっちは大丈夫だ、皆!……鈴、香織、恵里!!」

 

「保たせるよ、絶対に!! ハジメくんが考えてくれた最高の作戦、絶対に成功させてみせる!!」

 

「うん! もう少し、だね!!」

 

「やってみせるよ! だって、ハジメくんが考えてくれた必勝の策だから!!」

 

 それを聞いていた光輝達も脂汗を流しながらも一層バリアの展開に励み、恵里も必死になって“邪纏”による足止めをし続ける。そして四人とも隙を見てはしまっていた神水入りの容器を取り出して中身を煽り、底が尽きかけていた魔力を補充していく。自慢の親友達が勝利をもたらしてくれることを信じて。

 

「………………私、は」

 

 一方、助け出された少女はただそれを見つめるだけであった。その瞳には迷いが映り、思ったことを言い出すべきか、それとも彼らにすべてを任せるべきなのかで揺れている。

 

(血を吸えば万全な状態になる。それなら少しでも役に立てる。でも、もし悲鳴を上げたら……)

 

 もし仮に考えていることを実行してしまった際、懸命に動いていた彼らの手を止めてしまうかもしれない。穴を掘る作業が遅れたりあの結界が消えてしまうかもしれない。それで彼らを死なせてしまうかもしれない。故に動けない。動き出せないでいた。

 

「キィシャアアァアァァァア!!!」

 

「冗談じゃない! お前なんかに、鈴を、皆を、やらせてたまるかぁあぁああぁ!! “邪纏”! “邪纏”! “邪纏”!!」

 

「まだ……まだ終われるか!!――“聖壁”!!」

 

「こんの……鈴達を、なめるなぁ!!」

 

「まだ……まだ死ねないんだから!! 皆で、皆で生きて帰るって決めたんだから!!」

 

 少女が逡巡している間にも事態は動いていく。遂に自分達を守る光の壁がたった数枚だけになり、それでもなお必死に“聖壁”を順繰りで張り続けて時間稼ぎをしているものの、いつ攻撃が自分達に届くかはわからない。それでもなお光輝は、鈴は、香織は、恵里は足掻く。必死に足搔き続けている。

 

「――よし、通ったぞ! 浩介、龍太郎、頼んだ!」

 

「わかりました! 皆、晩飯のサソリのロースト、楽しみにしてろよ!!」

 

「俺らに任せておけ! 絶対に勝ってくる!!」

 

 メルドの号令に従い、浩介と龍太郎の二人はそれぞれ“気配操作”と“気配遮断”を使って通路を一気に駆け抜け、上へと登っていく。出たのはちょうどサソリモドキの真後ろ。浩介と龍太郎は気配を殺したまま魔物の腹の下を駆け抜け、口元まで急ぐ。

 

「キシャァアアアァアァア!!!」

 

 展開し続けていた“聖壁”も残り一枚だけとなり、それを砕かんと片方のハサミを叩きつけようとしていた魔物。もう後がない。もうどうにもならない。そんな時、こちらに迫ってくる親友を見て恵里は亀裂のような笑みを浮かべた。

 

「……信じてたよ、皆――“堕識”ぃ!!!」

 

 残りの魔力がもうほとんど無いのと、この場で一番適しているのは“相手の意識を奪うこと”だと確信した恵里は“堕識”によってほんの数瞬だけサソリモドキの意識を奪い、()()()()()()()

 

「ナイスだ恵里!――よし、こじ開けたぜ!!」

 

「最高だよ二人とも!!――くたばれ化け物、まずはオードブルからだ!!」

 

 意識が無くなってだらんと垂れた口を龍太郎が無理矢理大きく開けると、即座に浩介は持っていたありったけの手榴弾を口の中へと投げ込んでいく。そして浩介と目が合った龍太郎は即座にアッパーをキメて強引にサソリモドキの口を閉じた――刹那、くぐもった爆音と飛沫の舞う音が階層の中で鈍く響く。

 

「グゲ、アァ……」

 

「龍太郎、ブチ込め!!」

 

「応よ!!――さて、と。今までの恨み、たっぷり食らいやがれぇええぇ!!」

 

 今度は浩介が魔物の口を空中からの蹴りでこじ開け、龍太郎は預かっていたシャウアーを構えるとそれを口の中に突っ込み、雷を纏わせる。そして力強く引き金を引き、けたたましい音と共に放たれた無数の弾丸で焼け(ただ)れた内臓を更にズタズタにしていく。

 

「ギィ、イィィ……!?」

 

 空の薬莢が何度も地面を打つ音が響く。

 

「まだまだぁああぁあぁぁ!!」

 

 マズルフラッシュが幾度も魔物の口の中から漏れる。

 

「グ、ギギ……」

 

「これで無理かよ……だったら、“縮地”ぃ!!」

 

 マガジンすべての弾丸を使い切っても尚、ハサミを振り上げて魔物は自分を殺そうとしている。それを見て恐怖と共に武者震いを起こした龍太郎はすぐに地面に降り、マガジンの外し方を知らなかったことからシャウアーを地面に置いてそのまま駆け出す。

 

「おい、龍太郎! 何を――」

 

「やっぱ俺はこっちの方が性に合う、なぁ!!――“剛力”!! “集中強化”!!」

 

 そしてサソリモドキの腹のど真ん中で止まり、震脚をすると同時に右腕に持てる魔力全てを集中し、自身が持てる最高の一撃を打ち込まんと構えをとる。

 

「“浸透破壊”――これで、どうだぁあぁぁああぁ!!!」

 

「ギィイイイィ!?」

 

 持てる全ての技能、経験を活かした一打――それが腹に打ち込まれ、魔物の体が軽く浮く。潰されることを考えてあえて残心はせず、すぐにその場を“縮地”で後にする。

 

「キィ、ィィ……」

 

 ズゥン、と巨体が地面に叩きつけられる音が響き、最後にかすれた声を上げて魔物は痙攣すら起こすことなくその場で永遠の眠りに就く。遂に最後の守護者はここに倒れた。

 

「……やった、のか?」

 

 魔力が真っ先に底をついて四つん這いになった光輝が不意に漏らす。そこで浩介が試しに魔物の目に刀をブッ刺したり、幾度も上下に動かして(えぐ)ってもピクリとも反応しない――そこで表にいた全員が確信する。勝った、と。自分達はあの化け物相手に勝利を収めることが出来たのだと。

 

「勝った……」

 

「勝っちゃった……」

 

「勝てたんだ……」

 

「……そ、そうだ!――雫ー!! ハジメー!! みんなー!! 勝った! 俺達は勝ったぞー!!!」

 

 恵里達は未だ実感が湧かなかったものの、すぐに我に返った光輝は地下にいたハジメ達に声をかける。途端、両方の穴からわらわらと地下で作業していた面々が現れ、魔物にまたがってピースをする浩介と龍太郎を見て理解する。勝てたんだ、と。あんな規格外の強さを誇る魔物相手でも勝つことが出来た、と。皆大きな怪我をすることなく勝利を収めることが出来たのだ、と。

 

「やった……やったー!!!」

 

「勝った、勝ったぞー!!!」

 

「勝てた、勝てたのね!!!」

 

「あーもうお前達!! 浮かれるのは後にしろ!! 今すぐ死体を拠点に運び込め!!――馬鹿騒ぎはそれからだ!!!」

 

 静謐に満ちていたはずの空間は瞬く間に歓喜の渦に包まれ、誰も彼もが浮かれ騒ぐ。比較的落ち着いているはずの光輝と雫も、ハジメと恵里もお互いに抱き合って喜びを分かち合い、唯一檄を飛ばしたメルドであっても顔がニヤけるのを止められてない。最初に二尾狼の群れに襲われた時振りのジャイアントキリングに、多くが喜びを分かち合っていた。

 

「勝った。勝ったんだ……」

 

 ……だが唯一、助け出された少女の顔は未だ浮かないままであった。

 

(どうして私を……何のために)

 

 自分を助け出した少年少女達の目的が見えないために、ただ自分をものにするためだけにしてはあまりにお人好し過ぎる彼らを不気味に思ったがために。

 

 

 

 

 

「え、えっとよ……良かったら俺の上着も貸すけど……」

 

 大介の言葉に少女は首を横に振るだけだった。

 

「えーと、その……きょ、今日はいい天気だよな!」

 

「…………空が見えるの?」

 

「ぁ、はい……すいません」

 

 どうにか話題を出そうと必死に考え、明後日の方向へと大暴投してしまった礼一に少女は半目で答える。礼一は撃沈した。

 

「何か……何かないか……あ、そうだ! そういやそっちがいた場所の近くによ、なんかこう、紋章みた――あ、ごめんなさいすいません」

 

 少しでもアピールしようとして絞り出した答えが、少女を救出した後で地面を見た時に確認した紋章に関する質問であった。が、あの部屋に対して当然いい思い出が無い少女からすれば心底不愉快なものである。わざと自分を怒らせたいのかと少女が本気で睨んできたため、信治は何度も何度も頭をペコペコと下げた。

 

(とりあえずアホ信治は死ね!……あーもうマジでどうすればいいんだよぉ!? 実は()()()からずーっとキレっぱなしなんてことはねーよな!? さっきキレてない、って言ってたから信じていいんだよな!? あー、クソぅ!! どうして俺はあの時あの子を構わなかったんだよぉ!!)

 

 先遣部隊がことごとくお陀仏になっていく様を見て良樹は心の中で悲鳴を上げていた。あのサソリモドキとの戦闘の際、少女が声をかけようとしたのに彼も気づいてはいたものの、それよりも自分達がどうやれば生き延びるかを考えることを優先してしまった。そのため表に出してないだけで実はキレまくってるのではないだろうかと内心怯えてもいたのである……別に少女はあの場で自分を無視したことに対して仕方ないとは()()()()()のだが。

 

「えっと、さ……マジで大丈夫か? 良かったら俺がおんぶするけど……あ、そう…………」

 

 浩介の提案にも少女は首を縦に振らない。いくら神水を飲んだからってまだ調子を完全に取り戻せたわけじゃないだろうと考えたが故のものであったが、少女はそれを不要だと断じただけである。

 

 ――サソリモドキを倒し、ほとんど全員が歓喜し盛り上がった後、すぐに一行は高いテンションのまま死体を分割し、持ってくるのも面倒になってその場で作った数個のソリに全部載せて拠点へと引っ張っていた。

 

「……いつもこんな感じ?」

 

「うん。割とこんな感じだよ。檜山君達、戦闘の時以外は結構おしゃべりだから。それでね、えっと……」

 

「そう……」

 

 少女は大介が貸したコートを羽織りつつ、そのまま恵里達と同行している。

 

 そんな折、少女のふとした言葉に香織が答えるも、あることが原因で言葉に詰まってしまう。それは少女から名前を教えてもらってないからだ。一緒に動く際に尋ねても全然答えようとせず、『貴方達の拠点に行ってからでいい』とはぐらかすばかりだったからである。

 

「取り付く島もないね……」

 

「そうだよねぇ~……うぅ、やっぱりちゃんとお話しすればよかったよぉ……」

 

 その上少女自身があまり饒舌な質でないのが拍車をかけた。壁を作られてるかもしれない、と奈々や妙子ら女子のほとんどが少女の受け答えから推測しており、恵里もまた『コイツ絶対心を開いてないな』と、鈴も『ハジメくんと恵里と会う前の私みたいだ……』と考えていたりする。そのため香織としても仲良くしようと話しかけてもどこかギクシャクしてしまっていた。

 

「別に蔑ろにした事を怒ってはいない」

 

「えーと、本当……?」

 

「ん……」

 

 とはいえ一切会話が成り立っていないという訳でもなく、むしろこちらの意図を察して言葉をかけてくるため、印象がそこまで悪い訳でもないというのもわかっていた。故に気まずい。そしてその雰囲気は上機嫌だった面々にも伝播し、サソリモドキ討伐で盛り上がっていた雰囲気は今や微妙な空気に変わっていた。

 

「……っと、着いたな。よし、それじゃあ俺が開けるよ」

 

 ようやく拠点に戻ってこれたことで光輝があえて皆に語り掛け、土属性の魔法で壁に大きく穴をあけていく。拠点をお披露目すれば少しでも空気が和らぐかと考えた上でのパフォーマンスである。そしてそれは効果てきめんであった。

 

「…………えっ」

 

 ――同行していた少女の目に飛び込んできたのは想像とは正反対と言っていいほど文明的な施設であった。

 

 削りこそ荒いものの広々とした空間にきちんと整えられた炊事場と食事の席と思しき幾つもの円卓が並ぶ。部屋の奥にはベッドとソファーまであった。内訳はダブルサイズが三つ、シングルサイズが五つ、二人掛けのソファーが六つである。かつて自分が使ったり見たものと比べることすらおこがましい出来ではあったが、こんなもんがあること自体想定外もいいところであった。

 

 しかも岩で作られた仕切りのようなものもあり、それが何らかの目的で造られたスペース――ちなみに脱衣場とお風呂場である――であることも少女は即座に見抜いていた。

 

「思ってたのと違う……」

 

 少女は戦慄する。確かここは“反逆者”の造った迷宮であったはずだと記憶していたが、どうしてこいつらはこんな真っ当な生活を送っているのか。何の目的で自分のいる場所まで来たのかが本当にわからなくなってしまったからだ。

 

「あ、あはは……ここに来たときは違うよ? ハジメ君が床をならしてくれてはいたけれど、皆で地面に寝そべってたし、ちゃんとした台所も作ってなかったから」

 

 引いた様子でつぶやく少女に香織も苦笑しながらそれに答える。前は割と原始人みたいな生活してたと誰もが思い起こしつつ、それをやってのけた当人以外は改めて心の中でハジメに感謝していた。

 

「まぁそこは()()()()()ハジメくんのおかげだしね。ボ・ク・と、す・ず・の、ハジメくんのねぇ~」

 

 香織が答えて間もなく、恵里はあえて自慢気に語る。目的はもちろんハジメが自分と鈴のものだとアピールするためである。

 

「……そう」

 

 が、当の少女の反応はドライであった。確かに“ハジメ”という少年が、先程声をかけてきた奴を叱っている少年がやってのけたというのは事実なのだろうと理解していた。もし違ったり、単なる誇張であるのなら誰もこんな感謝に満ちた表情や自慢気な顔をするはずがないと見抜いたからである。

 

「あのね恵里……僕のことを自慢してくれるのは嬉しいけど、だからって初対面の人にそんな態度とらないでよ。()()恵里が嫌な女の子だって他の人に思われるのは僕だって嫌なんだ」

 

「う、うぅ……でも、でもぉ……」

 

「大丈夫。浮気なんてしたくないし恵里と鈴がさせないでしょ? だからちゃんと謝る。いい?」

 

「………………うん」

 

(あんな女に現を抜かしてる……しかも浮気とかいきなり言ってる辺り、技量や力はともかく変人か何かに違いない)

 

 ……それと同時に女を見る目がないか相当趣味が悪いのだろうと考えてもいたが。

 

 新参者である自分にいきなりマウントをかけてくるような女に対して、恋慕や愛情を抱いているであろうことも叱っている様子から察したからである。もう一人の自分と大差ない身長の少女に関してはともかくとして、一癖も二癖もあるに違いあるまいと見切りをつけていた。

 

「……ごめんなさい。気に障るようなこと言っちゃって」

 

「ん、気にしてない」

 

「あー、うん……さて皆、今日は一旦ここで探索は打ち切ろう! 彼女も体力が戻ってないだろうし、とりあえず今晩はここで休憩。動くのは彼女の様子を見てからにしようか」

 

 渋々ながら恵里が謝罪する様子を見て呆れる多くの面々が呆れたものの、この空気を断ち切るべく光輝は全員にわかりやすく声掛けをする。その意図に気付いた皆も努めて明るく振る舞い、拠点の壁を塞ぐと同時に各々が行動に移った。

 

「皮をはぐのは今日は浩介と俺、それと龍太郎に雫か」

 

「確かそうね。じゃあ光輝、すぐに済ませてご飯の用意をしましょう」

 

「ねぇ、流石に檜山君の上着だけじゃちょっとキツくない? 革でよかったらスカートぐらいは作れるだろうから、ちょっと向こうで採寸しようよ」

 

「ん……ん?」

 

 すぐに和やかな空気となっていく中、新参者の少女は一層強い違和感を覚えた。サソリモドキと一つ目巨人の死体をハイテンションで解体している彼らを眺めていた際、気になることを耳にしたのだ。『今日の食事はコレか』と。着替え用のスペースと思しき場所に連れられて黙って採寸を受ける中、少女はその疑問を口にする。

 

「……倒した魔物はどうするの?」

 

「え? 食べるけど?」

 

 少女を連れ出し、こうして採寸をしている奈々は事もなげにそう答える。途端、少女はその場で固まった……まさかとは思っていたが、本気で魔物を食べる気であると目の前の女は考えていたからだ。もしやと思って同行していたおっとりした様子の女にも目を向けたらちょっと困った様子でボヤいた。

 

「虫も嫌だけどあの、巨人の方って食べても大丈夫かなぁ~。人が人を食べるのって……」

 

「えーと、うん。カニバリズムだよ妙子っち……そう考えると虫はまだいいんだけどね。まぁ食べないで弱いままなせいで死んじゃったら元も子もないよ。我慢我慢」

 

「うぇぇ……嫌だよぉ~……あの果物のおかげで最近やっと血を飲まなくて済むようになったのにぃ~」

 

 マジだった。本気で食べる気満々であった。頼むから食料はどこか別口で持ち込んでいて欲しいと思ってたのにそれが叶わないと知った。正気の沙汰でないと少女は戦慄する。

 

「ねぇみんなー。あの一つ目の巨人のお肉、割と脂肪が少ないからとりあえず蒸す方向でいいかなー?」

 

「あ、ハジメー。俺は串焼きで頼むわー」

 

「先生ー、俺は蒸すのでオッケーだ」

 

「とりあえずハジメ達に任せるー……そういえばあのサソリ型の魔物はどうするんだー?」

 

「そっちはとりあえず焼く、ゆでる、蒸す、燻すの全部のパターンを試してからにするわ。あ、でもリクエストなら受け付けるわよー」

 

 炊事場と思しき方向からまた耳を疑うような言葉のオンパレードが続いて少女の精神が一層悲鳴を上げる。単に食事として用意するだけでなく、()()として出す気なのだと。どんな方法を使っているかは知らないが、()()()()()()()()()代物でよくそんなことを考え付くな! と本気で思ったからだ。

 

「なんで……どうして……」

 

「え? だってそっちも食べてたんじゃないの?」

 

 そんなバカな話があるか、と本気で否定しようとしたところで新たな気配が現れる。自分を巡って醜い争いをしたあの五人であった。その手にはトレントモドキから収穫した例の果物が握られている。

 

「よ、よぉ……良かったら、その……食うか? や、病み上がりだし、肉よりもこっちの方がいいかなー、って思ってさ……」

 

「コイツとれたてだし、その……美味いんだよ! スイカみたいな味でさ!」

 

「その、よぉ……()()ヤツを、受け取ってくれないか? お前のためにとってきたんだ」

 

「肉はともかくコイツは絶対美味いから……な? 食ってくれ」

 

「採寸中にごめんな。でもさ、食べないとしんどいだろうし、やっぱ食べるんだったらこっちの方が――」

 

「出てけアホ男子ー!!」

 

「女の子の裸を見ないのぉ~!!」

 

 そして即座に放たれた初級魔法で男子全員を奈々と妙子が叩き出す。ぎゃぁ~、と情けない悲鳴を上げながら伸びる馬鹿を見て鼻を鳴らすとすぐに二人は震える少女に向き直った。

 

「ごめんねウチの馬鹿が馬鹿ばっかりで」

 

「気遣いはいいんだけどねぇ~……あ、コレ。良かったら食べる? そこにいた樹の魔物がね、生やすんだよぉ~」

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」

 

 少女はもうどうにかなりそうであった。どいつもこいつも口にしたら確実に死ぬ代物を平気で食べる気でいる。人に色目を使う馬鹿がいるだけのよくわからない集団だと思ったら狂人どもの集まりだったなんてわかりたくなかった。

 

 だが、いかに頭がおかしい奴らの集団といえど、自分を助けてくれたのは事実だ。だから逃げ出す前に一縷の望みをかけて少女は自分の思いを口にする。

 

「ま、魔物は……」

 

「? どうかした?」

 

「魔物は……食べ物じゃ、ない……!」

 

 その瞬間、世界が凍った。

 

「食べたら……食べたら死ぬものを、普通は食べない! だから、いらない……!!」

 

「で、でも!! 食べても神水を飲めば死ななくって済むし……あれ?」

 

 少女の言葉に反論しようとした鈴もすぐに言葉に詰まってしまう――そして全員が思い出す。魔物は食べたら死ぬのだ、と。自分達が忘れてしまっていた常識を今、思い出した……。

 

「私は吸血鬼……血さえあれば問題ない。だからいらない……!」

 

 そこでぽろっと自分のことを明らかにしてしまうも、楽し気に会話していた恵里達の耳には届かない。一度気まずい感じになって、そこから和やかになった雰囲気は完全に死に絶えた。空気が一気に淀んでいくのが誰の目にも見えていた。

 

「そう、だよね……無毒化しなきゃ普通は食べないよね……」

 

「僕、あの人に食べたら死ぬようなものを出そうとしてたんだ……何やってたんだろう」

 

「あ、うん……そういえばそうだった。長いこと魔物ばっか食べてたせいで完全に頭から抜けてたよ……」

 

「……なぁ、そうなるとこの果物もヤバくね?」

 

「……俺らで食おっか」

 

「いや、その……本当にすいませんでした……」

 

「調子乗っててサーセンっした……うん、死ぬ可能性のあるのを食わせるとかねーわマジで」

 

「うん、ごめん……そっちの立場、っていうか常識を考えずに自分の気持ちだけでやるなんてさ……はは、そりゃ奈々も妙子もまどかもミサキも俺をフるよ。そうなるよ……ハハッ」

 

「あ、あの……あの! え、えっと、えーっと……」

 

 だがここまでひどいことになるとは思っておらず、吸血鬼の少女は本気で慌てだす。常識も良識もあったことには安心できたものの、まさかこうなるのは想定外だった。だから必死になって声掛けをするも誰の耳にも届くことは無く、ただただむなしく響くばかり。

 

「キュ?……キュ、キュゥ……キュゥ……」

 

 事態を理解できていないイナバとトレントモドキは心配そうに彼らを見つめるだけ。魔物である彼らからすれば当然のことなのだがうろたえるしかない。

 

「ど、どうしよう……わ、私のせい……? 私、どうしたら……?」

 

 自分のせいで国葬ムードとなってしまった状況を解決する手段をこの少女は持ち合わせてはいない。どうしようどうしようとオロオロする少女の周りをただ軽く焦げた肉の臭いが漂うばかりであった……。




あれれーー? おっかしいぞーー!? どうしてユエ(仮)さんは助けてもらったのに浮かない顔してるんだろー? 普通は一緒になって喜ぶよね? 多分何か考えてたり事情があるんだろうけどボク子供だからわかんないや(EDGWKNN並の感想)

……書いてたらちょっと着地点が変な方向にズレたのはここだけの秘密です。











あ、それともう一つ。光が差し込んだ時って、余程強くない限りは影って出来ますよね?


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幕間十八 『月』の正位置(前編)

まずは読者の皆様への感謝をお伝えします。
おかげさまでUAも104738、お気に入り件数も714件、感想数も309件(2022/5/6 8:31現在)となりました誠にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回もまた拙作を評価していただきありがとうございます。感謝の表し方に芸がないですが今回もこう述べさせていただきます。貴方のおかげでまたモチベーションを保つことが出来ました。感謝に堪えません。

今回もまた確実に15000字余裕でオーバーしそうだなー、と思ったので分割しました(白目) なので気持ち短めです。

では原作メインヒロインである彼女にスポットライトの当たった今回のお話をどうぞ。


 ――アレーティア・ガルディエ・ウェスペリティリオ・アヴァタール。

 

 三百年前、ここトータスに存在した吸血鬼族の国の王の名前であり、前世? で恵里が“化け物”と(さげす)んだ少年の伴侶の元の名前であり、そして――。

 

「もう……もう謝らなくていい……」

 

「いや、どんな理由であれ貴女にとてつもない苦しみを与えるところだったんだ……これは皆を率いた俺が責任をとる。だから、だから俺はともかく皆のことは――」

 

「ダメっ!! 光輝が、光輝が罪を背負うんだったら私も!!」

 

「いや待ってくれ!! 光輝と雫のことは許してやってくれ!! 俺が、俺がしっかりしてたらどうにかなったことかもしれないんだ!! だから、罰するんだったら俺を――」

 

「嫌っ!! 龍太郎くんが、龍太郎くんが罰を受けるんだったら私も罰して!! お願い、おねがいします……」

 

「ダメだよ皆! 調理して出そうとしてた僕にだって責任がある!! だから、受けるんだったら僕も――」

 

「…………ハァ~」

 

 自身が囚われていた真のオルクス大迷宮五十階層に突如現れて自分を助け出した少年少女の集団に、うっかり魔物の肉を使った料理を出して自分を殺しそうになった頭のおかしい奴らの集まりに必死に何度も何度も頭を下げられ、責任のかばい合いを見せつけられて心底うんざりしている吸血鬼族の少女の名前でもあった……。

 

「もう、わかった……もうわかったから。理由……ううん、ここに来た経緯を説明してくれたら許すから……」

 

 そうして寸劇もかくやの謝罪合戦を十数分見せつけられ、自分が悪い訳でもないのに罪悪感を感じていたアレーティアはいつになく饒舌に話しかける。

 

 もう十分に謝罪は受け取ったし、彼らのへこみ様や自分に何度も詫びる様子から彼らの善性は理解できた。そこから察するに魔物の肉を食べるのが“習慣化”したのが原因であって、助け出してからわざと殺そうとした訳ではない。そうアレーティアは見抜いていた。だからそれが正しいかどうかを確かめようとも考えた上でこう発言したのである。

 

「い、いいのか……? いくら食べずに済んだ、って言っても俺達は……」

 

「いいから……頼むから話して……もう許して……」

 

 未遂で済んだのだし、これ以上謝罪し続ける様を見せられたら今度は別の理由でおかしくなってしまいそうだったのでアレーティアはそうつぶやく。

 

「わかった……俺達はそもそも、別の世界の出身で――」

 

 そうしてこの集団のリーダーらしい天之河光輝――先程からこちらを申し訳なさと何かを見定めるような思惑が入り混じった顔で見ている偉丈夫ではなく、落ち着きのある少年の方が話を始める……それは親友や自分達のことをあまりよく思わない知人、自分達を教え導く存在と共にこの世界に召喚されたことが発端であった。

 

 トータスに来て早々、魔人族とやらと戦うことを命じられたり、それを何とか先延ばしにしたのはいいものの、今度は幼馴染であり親友の一人である南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴がその日の晩餐会で誘拐され、あまつさえ“裏切り者”として扱われることになってしまった。

 

 その後、自分を見ていたあの偉丈夫ことメルド・ロギンスにしごかれ、その彼が自分達をかばい立てたことで騎士の身分も失ってしまい殺されかけたこと、ここオルクス大迷宮に訓練の名目で立ち入った際に裏切り者と扱われた三人を殺されかけ、それに抗おうと立ち向かったことも……力及ばず返り討ちに遭って命の危機に怯えたことも話した。

 

 その後、遠藤浩介という影が少し薄い少年や彼の師匠らのおかげで勝利し、その後は自分達で壁を伝って大迷宮を降りていったり、恵里が前世? というものがあると話してくれたことやここの魔物に殺されかけて心が砕かれそうになったことも、それでもなお立ち上がってこの階層に来るまで戦い続けたこと等を彼は話してくれた。

 

「――それでハジメや恵里、鈴の頼みもあって君を助けたんだ。これが今までの経緯かな」

 

「……そう」

 

 話の途中、彼の親友や自分を口説いてきたあの五人の少年などから合いの手や補足が入ったりしたものの、“異世界からの来訪者”という点を除けばおおむね予想の範疇であった。食べたら死ぬ、しかし食べなければいずれ死ぬという状況で“食べても死なない”という手段――予想の通り、自分が飲まされたあの水であった――を使って生き延びてきたからこそ、あんな常識外れな言動をしたのだということもアレーティアは理解出来た。

 

「……皆、よく頑張った」

 

「……えっ」

 

 無論、その道のりが悲惨で、辛くて、苦しかったものということも彼女は十分わかっていた。だからこそ、アレーティアは彼らに()()()()()()()()()()()。それを聞いた少年達全員が驚き、彼女を見つめる。

 

「苦しくても折れなかった。とても、とても立派」

 

「ぅ……ぁ……っぐ……」

 

「ひっく……ひぐっ……わたしたち、まちがってなかったんだ……」

 

 その一言で全てが報われたようで涙を流す者も多かった。彼らは互いに肩を寄せ合ったり、互いに向き合うなどしてお互いになぐさめの言葉をかけ合っている。そんな様子の彼らをアレーティアはただじっと眺める――ほんのわずかに自分の唇が強く結ばれていることに気付かないまま。

 

「……ごめんなさい。見苦しいところを見せてしまって」

 

 そうして存分に泣きじゃくった彼らはばつの悪そうな顔でアレーティアを見つめ、申し訳ないと謝ってきた光輝に彼女はゆっくりと首を横に振るだけであった。

 

「……今度は私の番」

 

「え、えっと……いいのか?」

 

「構わない。どうせ聞かれる」

 

 少年達も自分の過去が気にかかってはいたようだが、口に出して尋ねようとはしなかったことにもどかしさを感じていたアレーティアは自分の口から語ることにした。

 

 吸血鬼の一族として生まれ、幼少のみぎりより魔法に関して天賦の才を持ち合わせていたこと、十二歳の時に発現した魔力の直接操作能力に魔法陣構成能力、そして固有魔法“自動再生”のことを。それらを駆使して戦場を駆け巡り、その功績を評価されて王位を継いだことを。

 

「謀反を起こされて、封印された……後は皆が知った通り」

 

『――!!!』

 

 ……そして()()の裏切りにより王位を簒奪され、こうして地下に封印されてしまったことも。

 

「……これが私の全て」

 

 ――その謀反を起こした下手人が叔父のディンリードとその配下であることや自分の名前は()()()()()()ものの、それ以外は本当に全て話した。その直後、さっき以上の人間が涙を流していた。

 

「こんな……こんな仕打ちが……どうしてなんだ……」

 

「頑張ったのに……頑張ってたのにどうして……」

 

「あんまりよ……いくら何でもあんまりじゃないの!?」

 

「辛かったんだ……苦しかったんだね……」

 

「うぅ……悲しいよぉ……」

 

 天之河光輝と八重樫雫の二人はうつむいて泣いている。それは園部優花、宮崎奈々、菅原妙子も同様であった。

 

「大丈夫、もう大丈夫だよ!! 私が、私で良かったら力になるから!!」

 

「俺もだ! 俺で良ければ頼ってくれ!!」

 

 白崎香織はアレーティアに抱きつき、坂上龍太郎はそんな彼女のすぐそばまで来て協力を申し出てきた。

 

「そっか。そうだったんだ……」

 

「辛かったんだね。苦しかったんだね……それを、僕らは……」

 

「あぁもう、ったく……やり辛いなぁ……」

 

 南雲ハジメ、谷口鈴の二人は罪悪感に苛まれた様子でこちらを見ているようにアレーティアは感じていた。またあの性悪女こと中村恵里もため息を吐きながら何か考えあぐねている様子であった。

 

「何も……何も言えねぇな」

 

「あぁ……本当に」

 

 遠藤浩介も、その友人と思しき位置に立っている清水幸利という少年も何とも言えない顔でアレーティアを見つめていた。

 

「……な、なぁ! お、俺……俺、アンタを助けるよ!! 何でも、何でも言ってくれ!!」

 

「お、俺も!! 俺達で良かったら手伝うから!!」

 

「え、遠慮なく、遠慮なく言ってくれ!! 俺らがついてるからよ!」

 

「俺達はアンタの味方だ! 信じてくれ!!」

 

 檜山大介、近藤礼一、中野信治、斎藤良樹の四人も感極まった様子で訴えかけている。

 

「同類、か……いや、何でもない。その、よろしく頼む……えーと、俺達はお前をどう呼べばいいんだ?」

 

 そして先程からじっとアレーティアを見ていた偉丈夫のメルド・ロギンスも、同情と共感のこもった眼差しを向けながら問いかけてきた。そこでふとどうしたものかと思案すれば、全員の意識が彼女の方へと向く。ほんの少し思案した後、アレーティアはあることを口にした。

 

「……前の名前はいらない。適当に呼べばいい」

 

 父親代わりに自分と接していたあの男から呼ばれていた『アレーティア』という名前はいらない。だからそれ以外の呼び方を欲した。

 

 別に自分で適当な名前を名乗ってもいいがありきたりな名前ぐらいしか浮かばず、それも過去に王として君臨していた際に覚えた女官などの名前だ。出来る限り過去のことを思い出したくなかったからこそ、彼らに委ねようと考えたのだ。

 

 すると彼らの視線がある三人――南雲ハジメ、清水幸利、そして中村恵里に向けられた。

 

「……なぁ、恵里、あの人の前世での名前って覚えてるか?」

 

「うーん……アレー、何とかとか、“ユ”と“エ”がついてた名前だったような……思い出せなくてごめん」

 

「……なぁハジメ、それって――」

 

「うん、きっと同じだね。じゃあ――」

 

 そして三人でヒソヒソと話し合っていると、今度は檜山を手招きして耳打ちをする。近藤礼一らがブーイングをする中、三人から話を聞いて何度もうなずいた檜山という男はせき払いをするとアレーティアの前へと出てきた。

 

「そ、その、さ……“ユエ”なんて、どうだ?」

 

「……ユエ?」

 

 アレーティアは小首をかしげると、自分を巡って争っていた五人が顔を真っ赤にして悶えだす。見れば誰もが軽く頬を染めており、どこか気まずい感じが漂っていた。

 

 天之河光輝と八重樫雫はお互い彼女の仕草に悩殺されたのを恥じたせいか視線をさまよわせており、先程まで自分に抱き着いていた白崎香織は罪悪感と嫉妬の入り混じった顔をしながらどこか後ろめたそうにしている坂上龍太郎の胸をポカポカと叩いている。また何かをごまかすようにして怒っている中村恵里と谷口鈴は南雲ハジメの尻を思いっきりつねり、当人は思いっきり悲鳴を上げていた。

 

 王族であった頃も自身の美貌に見とれる相手は少なくなかったが、ここでもそうなのかと思いつつアレーティアは檜山が話を続けてくれるのを待った。

 

「あー、えっと、その……その名前ってさ、俺らのいる世界のある国の言葉で、“月”を意味するんだよ。えっと、髪の色がさ、夜の月みたいでキレイだったから、さ」

 

 恥ずかしがりながらそう説明する檜山にうなずく形でアレーティアは相槌を打つ。そして彼の説明が終わったところでアレーティアはもらったその名前を何度かつぶやき、それが新たな自分の名前だと認識を改めていく。

 

「……ん、今日からユエ。よろしく」

 

 そして少女は微笑みを浮かべながら新たな名前と共に改めて自己紹介をする。すると白崎香織が感極まった様子でまた抱き着いてきて、少女の目を見ながら思いを言葉にした。

 

「いっしょに……一緒に幸せになろう! ユエさん!」

 

 少女もまた微笑みを浮かべながらそれにうなずく……何故かその言葉にちゃんとした返事が出来なかったことに彼女は引っ掛かりを覚えたが、きっと()()()()だろうとそれを捨て置いて。

 

「……そういえば食事がまだだったな。えーと、ユエ、だったな。お前はどうするんだ?」

 

 『魔物は食べ物じゃない』発言を聞いた後、適当なところで調理を切り上げてほったらかしにしていた彼らであったが、話がまとまったところでメルド・ロギンスがそのことを切り出した。

 

「……私は吸血鬼。血を分けてもらえばいい」

 

 それで食事はどうするのかと彼から尋ねられた彼女はそう答える。血さえ吸えればそれで事足りるのだ。そこで檜山が緊張と下心満々の表情でこちらに向かおうとしてきたため、少女はすぐに別の人物の許へと向かう。

 

「えっ!? お、俺かよ!?」

 

「ん……いただきます」

 

 相手は清水幸利であった。檜山の口から魂が抜けるような音や彼をからかう声を無視し、少女は彼の腕を手に取り牙を立てる――口の中に流れ込んだ血から、幾種もの野菜や肉を煮込んだスープのような熟成された味わいが広がっていく。紛れもなく美味であるその味わいに陶然としていた彼女は――。

 

「……ごちそうさま」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぅぁー……なんか、頭が軽くクラクラする……」

 

 吸血を受けた彼も過去に自分がそうした相手と同様、少し焦点が合わないような目で軽く惚けている。口元の血を舌で舐めとると、少女は清水幸利から離れていった。

 

「えっと、思ったより吸わないみてーだけどよ、大丈夫なのか?」

 

 どうやら立ち直ったらしい檜山からの問いかけに少女は首を縦に振って答える。全快したとはいえないものの、動くには申し分ない程度の量はもらっている。だから問題なんてない、と少女は()()()()()

 

「そうか……わかった。じゃあ皆、少し遅くなったけれど調理の続きをしようか」

 

 天之河光輝が指示を出すのを見てから少女は離れた場所に腰掛けた。自分の肌や髪はどうなったかと魔法を発動してちょっとした水たまりを作って覗き込めば、見立てていた通り、問題ない程度には回復していた様子であった。

 

 肌の血色も戻っており、髪の方も幾らかツヤが戻ってきている。瞳の色もくすんだものでなく鮮血のような色合いを取り戻していた。

 

「よし、じゃあ皆手を合わせて――いただきます」

 

 いつの間にか調理の方も終わったようであり、ふとその様子を見やれば誰もが食前の祈りを捧げているようであった。メルド・ロギンスに関しては見覚えのあるような祈り方であったが、他の面々の方――目をつむって手のひら同士を合わせるというものは少女にとって見たことが無いものであった。

 

「よし、じゃあまずは俺から――んぐっ。よし。食ったぞ!!」

 

「はい“呆散”……よし。龍太郎にはちゃんとかかったから後は三人とも、お願いね」

 

 ……その後、食事をする際に聞きなれない魔法の名前が出たり、まず食事の場では見ないであろう一人の人間に回復魔法を何度もかけていく様を繰り返し見て、『食事とは一体何だろうか』と一瞬思考が彼方へと行った。

 

 コイツらはいつもこうなんだろうかと思いながらも、少女は視線を何もない方へと動かし、魔法を使う際の勘が鈍ってないかを確かめるのであった。

 

 

 

 

 

「――“凍柩”」

 

 つぶやくようにして唱えられた魔法は一瞬にして襲い掛かろうとしていた魔物の命を奪い去った。その名の通り、瞬時に魔物の周りを長方形の氷が覆い、閉じ込めていく――まるで氷の(ひつぎ)のように。

 

 透明な氷に包まれた中にいた魔物の目からは急速に光が消え、あっという間に物言わぬ存在になり果てる。

 

 一切の反撃を許さぬ容赦ない一撃。

 

 あまりに圧倒的。あまりに強大。それをたった一瞬で事もなげにやってみせれば、先行部隊の一員として同行していた天之河光輝らは何度目かわからない驚きに口をあんぐりと開けていた。

 

「……すごいな、ユエさんは」

 

「――ぷはっ……戦場を何年も駆けて敵を倒し続けてた。これぐらいは当然」

 

 水系魔法の上位属性である氷属性の上級魔法を使ってごっそり魔力が無くなった結果、吸血鬼の少女は遠藤浩介の腕から軽く血を分けてもらった。それに軽く一区切りついたところで、天之河光輝のつぶやきに彼女はそう答える。その表情はかつて戦場を駆け巡っていた時の、配下の者達を鼓舞するためにもよくしていた自信に満ちたものであった。

 

 ――彼女が先行部隊の一員となったのはその実力の片鱗を見せたのが理由である。

 

 最初に拠点に来て、自分を救出してくれた少年少女らが食事を終えてしばらくした後、どれ程強いのか見せてくれと頼まれ、()()氷属性の魔法を彼らの目の前で披露してみた。それを見た全員が度肝を抜かれて言葉を失い、『……氷以外の属性でも私は扱える』と述べたことで抜擢されたのである。

 

 その際天職が“水術師”である宮崎奈々が大いにへこみ、天之河光輝が『上には上がいるんだな……天職が“勇者”で、各属性魔法のエキスパートの皆にも負けないぐらい魔法が使えるからって調子に乗ってたな、うん』と乾いた笑いを浮かべていたのは記憶に新しい。だが……。

 

(……でも、中村も南雲も谷口も妙なことを聞いてきた。()()()()なんて……そんな芸当、聞いたことが無い。そんなの、神でもないと不可能なのに)

 

 南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴がその時妙なことを口走ったことも少女は覚えている――魂に関する魔法も扱えるだろうか、と。それに関しては首を横に振り、三人が少しばかり落ち込んだ様子も覚えていた。

 

「あー、ユエ。そっちがすごいのは嫌ってなほどわかったよ……その上でお願いがあるんだけど」

 

 そして他の面々が自分の倒した魔物を凝視する中、中村恵里だけは困惑した様子を隠さずに彼女に声をかけてきた。

 

「……何?」

 

「もうちょっと……もう少しだけでいいから威力を抑えられない? さっきのえーと、確か“凍柩”だったっけ? それよりも弱い“冷結”辺りでいいからさ」

 

 その言葉に少女は思わず首をかしげる。その様に中村恵里は何とも言えない顔をし、それから遅れて他の先行部隊の人間達も苦笑いを浮かべる。その様に一層ユエは困惑した。

 

 先行部隊の目的が“侵入した階層の敵の戦力及び地形などの調査”と“能力向上のために魔物を狩猟し調達する”ことであるというのは事前の打ち合わせで聞いている。だからこそこうして()()()はずなのだが、他の面々もどうしたものかといった表情であった。

 

「……“冷結”だと完全に凍り付く前に敵がこっちに来た。だから威力と速さのある“凍柩”を選んだ」

 

 ここの階層の魔物はとてもすばしっこく、こちらに迫ってくることもそう少なくなかったのである。そのためユエは“凍柩”を選んだのだ。相手が機先を制する前に、確実に命を奪える手段を。そう判断したからなのだが同行している彼らはそれに納得した様子を見せず、今度は南雲ハジメが吸血鬼の少女にその理由を話した。

 

「ユエさんが言いたいことはわかるんだけどね……周りの氷がちょっと大きくて、ソリに積むことを考えるとスペースをとっちゃうんです。持ち運ぶ際に滑る可能性もありますし、それも考えて恵里は“冷結”でお願いします、って言ったんですよ」

 

 南雲ハジメの言う通り、件の死体は氷の柩に閉じ込められている分かさが増している。その上凍っているために滑りやすいのだ。そのため運ぶのにあまり速度は出せず、不都合であったことを述べたのである。それを聞いた少女もそれに反論しようとした。

 

「……近くまで寄られたら危険。だから――」

 

「俺達じゃ、頼りないですか?」

 

 その時、天之河光輝がポツリとつぶやいた。それに反応した少女は彼の方を見やると、悔しそうな、悲しげな様子で彼女を見ている。

 

「ユエさんにとって俺達は戦力として数えるに値しないのかもしれません……けれども、貴女のことは俺達が守るつもりでいました! そのことも、取り決めてたじゃないですか……」

 

 言葉を詰まらせながらも語ろうとする彼の様子にかつて王であった少女は何も言えなくなった。

 

 かつて軍を率いていた時も、自分は魔法により敵を殲滅するか部隊を吶喊(とっかん)させるために敵陣に風穴を開けるといったことが主な役割であった。そのため中央で構えていることが多く、その迎撃は配下の者達に任せていたのだ。

 

 そういったことまでは彼らに話さなかったものの、その彼らは前衛と後衛そして遊撃に分かれてこれまで対処していたのだ。だから前衛を担っている天之河光輝と坂上龍太郎はそれをやってくれる可能性は十分にあった。それを何故か少女は()()()()忘れてしまっており、そのことを恥じるしかなかった。

 

「サソリ型の魔物との戦いで苦戦してた俺達を頼りないと思ったのかもしれません……でも、でも俺達は……」

 

 悔し気につぶやく天之河光輝の姿に少女は申し訳なく思う。

 

「そう、ね……私もあの時は大して力になれなかった。せいぜい穴掘りをやってたぐらいだもの。けれど、私にもやれることはあったはずだから……」

 

「俺も……やっぱり駄目、なのか? 確かにユエさん程の力があるなら俺らみたいな奴がいなくってもいいのかもしれないけどさ……信じて、欲しかったな」

 

 天之河光輝に続いて八重樫雫と遠藤浩介の二人もまた自嘲気味に漏らす。その様に少女の良心はチクリと痛む。

 

「うん。少なくとも攻撃に使う魔法じゃユエさんには敵わないけど、でも……でも、私と鈴ちゃんは“聖壁”が張れるし、“縛印”で動きを封じれるよ。私だって、やれるよ」

 

 白崎香織の発言に言葉が詰まる。“聖壁”より上の“聖絶”を彼女は行使できるし、“縛印”どころかその上の“縛光鎖”も使える。何より複数の魔法を同時発動だってやれるがそんなことは重要じゃない。彼女なりに役に立とうという思いを自分は知らぬ内に踏みにじっていたのだ。そのことに()()()()申し訳ないと思った。

 

「ユエ……さん。アンタがとんでもない力を持ってるのは俺だってわかってるつもりだ。でもよ、俺達を頼ってくれよ。そんなに俺達は頼るに値しないものなのか?」

 

「僕も、かな。確かに僕は元々一般人と大差ない強さの“錬成師”でしたし、今でも僕に出来ることはものを作ることだけ……でも! 僕なりに出来ることがあると思ってやってます――このドンナーも、色んな手榴弾も、今作ってる対物ライフルも、そのためのものです!!」

 

 坂上龍太郎と南雲ハジメもまた訴えてくる。坂上龍太郎に関してはあの魔物にトドメを刺したことから評価はしているし、南雲ハジメも弓とは違って片手で扱える飛び道具を作れていることに彼女も一目置いている。だから決して無碍には出来ない。

 

「私も……私も役に立てると思います! バリアを――結界を張ることぐらいしか役に立てないかもしれないけど、それでも鈴は……私だってユエさんの力になりたいの!」

 

「……ボク達は連携して、力を合わせてここまで来たんだ。たとえそっち一人に何やったって勝てなくってもハジメくん達を――皆の強さは否定させない」

 

 谷口鈴と中村恵里の言葉――特に中村恵里のものにユエは軽く圧倒される。彼らの中で南雲ハジメと同じくらいに強い光を放つ二人の瞳に、わずかではあったが少女は気圧されていた。

 

 そう。その通りなのだ。本来ならば彼らと息を合わせ、力を合わせてここを突破しなければならない。それぐらいはわかりきっている。だからそれに応えようと口を開き――。

 

 ――信じられない。

 

「――っ!?……わかった。私もちゃんと合わせる」

 

 ――途端に口から出かかったどす黒い言葉を無理矢理抑え込み、協力することを誓った。その言葉に多くが安堵の表情を浮かべる。

 

「……ありがとうユエさん。じゃあ、行きましょうか」

 

「……今のは気づかなかったことにしといてあげる」

 

「えっと……じゃあ行こうよ、ユエさん」

 

 ……南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴が気づかないフリをしていることに気づきつつも、少女は魔物の氷の大きさを調節してソリに載せ、探索に戻るのであった。




続きは来週の半ばまでに投稿出来たらなー、と思っております(まだ下書きで数百字程度の段階)

あ、それと今更ですし関係ないことかもしれませんけど、ベヒモスのいる階層で檜山や優花達を追い詰めたアティック兄弟の名前の元ネタ、実はLunaticとfanaticから来てるんですよー。

あと占いっていいですよね! 一時期ハマってたんですよ! 星占いにオーラといったスピリチュアルとか!
色々とありますけどタロットもいいですよね! 一つのカードに色々な意味がこめられてますし、向きの違いでも意味が変わったりして!!(なお塔)

それから他の方にもコメントしましたけど、原作の正ヒロインである彼女ってハジメ君やオリ主によく惚れますけど、それって『いついかなる時』でもなんですかね!?

……え? 何が言いたいんだって? さあ?(ニヤリ)


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幕間十九 『月』の正位置(後編)

それでは先に拙作を読んでくださる方への感謝を。
おかげさまでUAも106093、お気に入り件数も719件、しおりも302件、感想数も315件(2022/5/11 12:49現在)となりました。誠にありがとうございます。いやー、ここ最近お気に入り件数順調に増えててビビります……。

そしてAitoyukiさん、サボテンテンさん、拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。やはり何回であってもこうして評価をいただける事は嬉しいです。本当に。

……さて、今回のお話は真のオルクス大迷宮五十階層に封印されていた彼女の話の後半になります。今回のお話を読むにあたっての注意事項を。
まずそれなりに長いこと(13000字近く)。
次に全世界におわすユエスキーの皆様……この話を読む者(特にユエスキー)は一切の希望を捨てよ、と述べておきます。

では、本編をどうぞ。肩透かしになる事を作者は祈っております。


「全員分の調理がもう終わったよー!」

 

「ありがとうハジメー!……よーし皆、食事にしようか! 列を作って並んでくれー!」

 

 今日もまた調理を終え、光輝の号令と共に誰もが列を作って並んでいく。先日彼らのグループに加わった吸血鬼の少女は既に自分の分の食事を終えていたため、彼らの列には加わらずに適当なソファーに腰かけていた。今回は園部優花と、彼女と仲のいい二人が使っていたものである。

 

「……ユエさん、今日“も”だね」

 

「さみしく、ないのかな……」

 

「散々誘って結局こうだしね……一体どうやって手懐けたんだか」

 

 南雲ハジメらが何か言っているようだが少女は特に興味を持たなかった。必要最低限の()()は既にこなしているのだから構わないだろうと考えているからだ。

 

「……私は、寂しくなんて、ない」

 

 食事をせずとも同席したらどうだ、という提案を何度も蹴っている少女はぽつりとつぶやく。

 

 自分一人だけ食事もせずに眺めているだけではかえって雰囲気が悪くなる。断りを入れる際の定型句となったその言葉を心の中に思い浮かべ、ここ最近はその“義務”を果たすことすら苦しくなってきたことを思いながら天井を見つめるだけである。

 

 ……彼女がその“義務”をするようになったのは、暇を持て余していた際に園部優花らの調理風景を少し眺めていたのが原因であった。

 

 戦闘以外で特にやることもなく、またお客様待遇(メルド・ロギンスを除く)のせいで日々の雑用に関わることもない。そのせいで暇であった少女は彼らの営みを眺めるのがいつしか日課となっていた。

 

 そんなある時、視線に気づいたのか自分達のやっていることが気になったのか、調理をしていた谷口鈴が一旦その手を止めてとてとてと少女の方へと来たのである。

 

『ねぇユエさん、もしかして気になる?』

 

『……ん。そうでもない』

 

 彼女から尋ねられるも吸血鬼の少女は感情を乗せずにそう返すだけであった。

 

 勘は既に戻ってるから魔法の練習をする必要もない。元王族でもっぱら政務や軍務をこなしていた彼女からすれば、『普通の女の子』がやるようなものに興味が無い訳ではないが、下手な人間が加わってもロクなことにならないと()()()()()()()()()()()()

 

『でも……でも、もし退屈だったら一緒にやろうよ。私達が教えてあげるから。ね?』

 

『…………ん。わかった』

 

 そのため一度断ったものの、谷口鈴は食い下がってきた。その目から放っておけないという意志が見えるのが余計に()()()()感じたものの、何もせずにいるということに罪悪感を感じ、下手に断って空気を悪くする必要もないと考えてその申し出を受けることにした。

 

 そして谷口鈴に連れられ、調理場へと来た元王族の少女。そこで教えるのだったらその道のプロの方がいいだろうと考えた彼らによって、調理場を取り仕切っている園部優花から師事を受けることとなった。

 

『……ん。こう?』

 

『そうそう。よくやれてるじゃない。じゃあ次はこっちもお願いしていいかしら?』

 

 幼少の時に木剣を握ったことぐらいあるものの、それ以外で握った刃物はせいぜいカトラリーぐらいでしかない。そのため最初こそマトモに包丁など扱えるのだろうかと少女は心配したのだが、持ち前の器用さと師事してくれる園部優花のおかげで単に食材を切るだけならば数度包丁を動かすだけでやれるようになった。

 

『……こっちは?』

 

『そっちは一口大ぐらいにして――そうね。それでいいわ』

 

『……ん』

 

『上手だね、ユエさん。初めて僕が包丁を握った時より上手いんじゃないかな』

 

『……心底癪だけど上手いね、初心者のくせに。ハジメくんに褒められるなんてさ……まぁいいし。別に包丁が上手に使えるぐらいだし』

 

『恵里……いくら何でも料理初心者のユエさんに嫉妬し過ぎだよ。皆引いてるって……まぁでも、楽しんでるみたいで良かった』

 

『恵里ちゃんそこまで本気で嫉妬しなくっても……でも刃物を握っても怖くならない辺りすごいなー、って思うな』

 

 指示を受けながられであればやれるようになったためか楽しくなり、微笑ましげに見つめてくる南雲ハジメ、谷口鈴、白崎香織や嫉妬をむき出しにしてくる中村恵里の視線に軽くイラッとしながらも少女は彼らと一緒に炊事をこなしていった――。

 

「“反逆者”の拠点までどのぐらいなんだろうなー」

 

「さあなー……こうしてユエが教えてくれたおかげでやる気も上がったし、ホントユエ様々ってやつだよなぁー」

 

 今日もまた、時折こちらに向けられる声や視線も気づかないフリをし、少女はただじっと天井を眺めている。なお、先ほど出た“反逆者”に関する情報に関しても、彼らのグループに加わったその翌日に彼女が話したことだ。

 

 曰く、神代に、神に反逆し世界を滅ぼそうと画策した七人の眷属がいたそうだ。しかし、その目論見は破られ、彼等は世界の果てに逃走した。

 

 その果てというのが、現在の七大迷宮といわれているらしい。この【オルクス大迷宮】もその一つで、奈落の底の最深部には反逆者の住まう場所があると言われているのだ、と。

 

 そこで彼女はある推測を話す。その存在が暮らしているとするならばもしや地上に通じる道があるのではないのだろうか、と。それを聞いた時、彼らは沸き立った。『やっぱりハジメ達の推測は当たってたんだ』と大いに喜び合い、この情報をもたらした自分を誰もが褒めちぎった――だが、彼女はその時笑顔を()()()()()

 

 ……どうしてか素直に喜べずにいたのだ。どこか、蚊帳の外にいるような気がして。

 

「……あっち行って」

 

「キュゥ……」

 

 こうして一人でいる時にちょくちょくこちらへと来る兎の魔物も手で追い払って少女はただ思う――どうして自分は苦しいのか、と。

 

(……彼らの役に立とうと私なりに頑張ってる。下手に動かないのは彼らの役割を侵害しないため。やることも徐々に増やしていけばいい)

 

 そう心の中で言い訳をするも、どうしてか腑に落ちない。心が軋む感じすらする。自分は正しいことをやっているはずなのに、と思っても()()がそれをよしとしない。

 

(……どうして。どうして彼らを見てると落ち着かなくなるの? もやもやする? どうして……どうして息苦しくなる? どうして、どうして――楽しそうにしてる彼らを見て()()()の?)

 

 少女は気づいていなかった――自分の心の奥底に、どす黒い鬱屈した感情がくすぶっていることに。それを必死に理性で押し留めていることもわからずにいた。

 

 

 

 

 

 こうして彼らと協力し、共に十階層ほどを降りていった。やはり連携して事に当たった分、威力偵察も、マッピングも、食料調達に関してもとてもスムーズにいった。その立役者は言わずもがなユエである。

 

 呼吸を合わせることで、遊撃を行っている遠藤浩介や八重樫雫らを巻き込むことなく敵を最小限の外傷を与えるだけで倒し、また吸血によって魔力を回復することで中級や上級魔法を連発することも可能となる。それがもたらした恩恵は時間だけでない。魔物の肉を食べた際のステータスアップにも貢献したのだ。

 

 彼女が合流するまではそれこそ数頭程度の魔物の肉を分け与えて食べていた。しかし彼女が『このままだとこの階層の魔物が全滅するんじゃ……』と先行部隊の誰もが危惧するほどの八面六臂の大活躍をし、持ってきた魔物の肉を一人一匹近く食べたことで上昇する量が劇的に変わったのだ。それを知った全員が『もっと積極的に狩っとけばよかった……』と後悔したのは言うまでもない。

 

「皆、冷静に対処するんだ!! 相手は数だけで単純な動きしかしていない!! 俺達なら出来る! 勝てるぞ!!――“神威”っ!!」

 

「光輝の言う通りだ!! 数を頼りにしているだけの烏合の衆如きは今の俺らの相手になぞならん!! 警戒を怠るな!! 集中を切らすな!! 今日は入れ食いの日、だ――そらっ!!」

 

『了解!!』

 

「……ん」

 

 ――そんな少女達は現在、樹海のような階層で迫りくる恐竜型の魔物を迎撃し続けていた。

 

 この階層に来た当初は十メートルを超える木々が鬱蒼(うっそう)と茂っており、空気はどこか湿っぽくて少女は不快感を感じていた。

 

 ただ、彼らはこれよりも過酷な環境に立ち会ったことがあったようで、『あの時の熱帯林みたいなトコよりかはマシだな』だの、『よし、燻製のチップ確保出来る!』だのと述べていた……その言葉を聞いた時、また胸のあたりにズキズキとした痛みが走ったが、少女はそれを無視した。敵が現れたからだ。

 

『各員、迎撃態勢を――へっ?』

 

 巨大な爬虫類、それも二足歩行のトカゲのような魔物――後に聞いたが、彼らの世界では“ティラノサウルス”というものにそっくりだったらしい――が地響きと共に現れたのだ……頭に一輪の可憐な花を生やした奴が。

 

 鋭い牙とほとばしる殺気が議論の余地なくこの魔物の強力さを示していたが、ついっと視線を上に向けると向日葵に似た花がふりふりと動く。かつてないシュールさを放つこの魔物相手に先行部隊全員の気が抜けたのは仕方がないだろう。

 

『〝緋槍〟』

 

 だがいち早く立ち直った少女はすぐに魔法を詠唱する。

 

 手元に現れた炎は渦を巻いて円錐状の槍の形をとり、一直線に魔物の口内目掛けて飛翔し、あっさり突き刺さってそのまま貫通する。周囲の肉を容赦なく溶かして一瞬で絶命させ、地響きを立てながら横倒しになったのを見た先行部隊の皆が何度目かわからないどよめいていた。そして死んだ途端、花がポトリと地面に落ちたのを見てあまりのシュールさにまた押し黙る。何とも言えない空気が流れた。

 

『……とりあえず、気を引き締めようか皆――全員武器を構えるんだ!』

 

 そして彼らの持つ技能である“気配感知”に何かがかかったのか、すぐに武器を構え直すと同時に幾つもの足音が響き、取り囲むようにして聞こえてきた。

 

『皆、一旦後退だ!――この数なら対処出来るかもしれないけれど無理は禁物だ! 円陣を組める開けた場所で迎撃をとるぞ!!』

 

 統率の取れた動きをする魔物を厄介に思いながらも、天之河光輝が後退する指示を出したのを聞いて少女もその場を離脱する。こちらは九名もいるとはいえ敵の戦力は未知数であり、無理せず有利な場所で戦うことを選んだ彼の采配を少女は評価した。

 

 どうしてか、舌打ちしたくなったことに疑問を持ちながら。

 

 しかし魔物も逃がすまいとそこかしこから足音を響かせる。おそらく包囲しようとしてきたのだろうと少女は察すると、他の先行部隊の面子もいつでも攻撃できるよう周囲に意識を飛ばしている。これなら問題ないと思いつつ少女も一緒になって駆けていく。

 

 そうして、生い茂った木の枝を払い除け飛び出した先には、体長二メートル強の爬虫類――博識な南雲ハジメ曰く、例えるならラプトル系の恐竜とのことだ――の魔物がいた。

 

 やはり頭からチューリップのような花をひらひらと咲かせており、それをどこかかわいいと思いながらもいつでも倒せるよう意識を集中させる。魔物が今にも飛びかかってきそうな時、今では聞きなれたけたたましい音が階層に響く。南雲ハジメが“銃”を使ったのだ。

 

 何か考え付いたのか、“空力”を使って三角飛びの要領で魔物の頭上を取り、頭のチューリップを撃ち抜いたのである。

 

『どうしたんだハジメ!?』

 

『ちょっと試してみたいことがあってね……流石に死んではくれないかな?』

 

 ドパンッという発砲音と同時にチューリップの花が四散すると、魔物は一瞬ビクンと痙攣(けいれん)を起こし、その場で動きを止めた。南雲ハジメが手で制したことで少女もそれに従って相手の反応を観察することに。

 

 すると魔物は痙攣の後で辺りを見渡し、地面に落ちたチューリップの花を見かけると同時にノッシノッシと歩み寄って親の敵と言わんばかりに踏みつけ始めたのである。

 

『あの花、本体じゃないんだね……』

 

『花が本体の擬態型か寄生するタイプの魔物かも、って思って確かめたかったんだけど……寄生してる方みたいなのはわかったけど、えぇ……』

 

『俺ら、全然眼中にねぇな……』

 

『……イタズラされた?』

 

『……ユエさん、多分それ最近の小学生でもこういうイタズラしないと思うよ?』

 

 などと全員呆れながら眺めていたが、その魔物は一通り踏みつけて満足したのか、如何にも『ふぅ~、いい仕事したぜ!』と言わんばかりに天を仰ぎ『キュルルル~!』と鳴き声を上げた。そして、ふと気がついたように自分達の方へ顔を向けビクッとする。全然気づいてなかったらしい。

 

『今気づいたんだな……その、悪く思わないでくれ。“水刃”』

 

 そして容赦なく天之河光輝は魔法で作った水の刃で容赦なく首を刎ねた。間もなく倒れた魔物の死体を見て何とも言えない気分になったものの、すぐに彼の指示に注意がいった。

 

『――! 包囲網が迫ってる! 皆、もう一度移動を!!』

 

 その言葉に彼と親しい者達も少女もうなずき、すぐに移動を再開する。程なくして直径五メートルはありそうな太い樹が無数に伸びている場所に出た。隣り合う樹の太い枝同士が絡み合っており、まるで空中回廊のようなところであった。

 

『流石にアイツらも上にはすぐに上がってこれないはず! そこから一斉に狙撃、その後で一度撤退して作戦会議だ!』

 

 指示を受け、天之河光輝らは“空力”で、ユエは風系統の魔法で頭上の太い枝に飛び移っていく。

 

 全員が息をひそめて待ち構えていれば五分もかからず眼下に次々とラプトルが現れ始めた。南雲ハジメのみ銃を、他全員が魔法の発動のために手を突き出して構え……そして呆けてしまっていた。何故なら……。

 

『……なんで皆頭に花をつけてるの』

 

 南雲ハジメのつぶやいた通りであった。現れた十体以上のラプトルは全て頭に花をつけていた。それも色とりどりの花を。

 

 思わずツッコミを入れてしまった彼の声に反応して、ラプトル達が一斉に自分達の方を見た。そして、襲いかかろうと跳躍の姿勢を見せる。

 

『全員、一斉射――撃てーーー!!』

 

 そうして各属性の魔法や銃弾が飛び交い、瞬く間に魔物達は死に絶えていく。しかし、少女以外の面々の表情は冴えないものであった。

 

『……弱すぎねぇか?』

 

『うん……龍太郎くんの言う通りだね』

 

『だよな。俺らがここまで進んできた奴らでこんな倒すのが楽な奴らなんていなかったぞ』

 

 坂上龍太郎や白崎香織、遠藤浩介といった面々がそう口々に言うと、少女もその不自然さを理解できた。

 

 確かにこの階層で対峙してきた魔物は動きは単純そのものであり、特殊な攻撃もなく簡単に殲滅できてしまった。それどころか殺気はあれどもどこか機械的で不自然な動きだった。

 

 むしろ花が取れた魔物が怒りをあらわにして花を踏みつけていた光景を見たことを考えれば、花をつけたまま現れた魔物達に違和感を覚えてしまう。

 

 一体どういうことだ、と考えを巡らせていた時、自分以外の全員の表情に緊張が走る。間違いなく嬉しくない知らせだろうと確信すると、すぐに天之河光輝がこちらを見やって大声で説明をした。

 

『ユエさん! 三十いや、四十以上の魔物が急速接近中だ!! まるで、誰かが指示してるみたいに全方位から囲むように集まってきてる!!』

 

 その言葉に少女は思わず唾を飲んだ。今まで現れたのは斥候の類でしかなかったと少女は確信したからだ。おそらくこの階層全ての魔物が巨大な群れとしてこちらを襲ってくるだろうということが容易に想像出来、これまで進んだどの階層とも負けず劣らず厄介なものだと思わず顔をゆがめてしまう。

 

『……司令塔がいるね』

 

『間違いないね。ハジメくんが言った通り、花が生えた奴らはソイツに操られてる……で、どうするの光輝君?』

 

『魔法をひと当てしてから退却。殿(しんがり)は俺が務めるから……ユエさん、強力で範囲の大きい魔法をお願いできますか?』

 

 確かに理にかなった指示であったため、少女はそれにうなずいていつでも魔法を発動できる態勢をとる。そうして待つこと十秒、三十秒、一分……二分…………時は訪れた。

 

『今です!!』

 

『……ん――“嵐帝”』

 

 魔法によって形成された巨大な嵐が、茂っていた木々ごと、魔物を巻き込んで吹き飛ばしていく。その威力たるや絶大で、嵐が進んだ方は草一本残ってすらいない。

 

 むき出しになった茶色の地面の広大さに自分以外の人間全員が呆然としているのを見つつも、少女は肩で息をしながら声を絞り出した。

 

『……血を。それと、移動』

 

『……えっ? あっ、ごめんねユエさん。はい、私の血を吸って』

 

 白崎香織が差し出してきた腕に牙を立て、少女は血を吸って魔力を回復させていく。口の中で広がる味わいは各々のクセがあるものの、どれも絶品であった。

 

(……あぁ、()()()――どの味も、本当に気に食わない)

 

 そのはず、なのに。少女は何故かそれがひどく不快で仕方なかった。

 

 おかしい。

 

 他者の血は余程不健康でなければ吸血鬼族全てが上等な酒を口にしたように酔いしれるというのに、今こうして舌で感じるものは過去に吸ったどの血の味にも容易く勝るほどの格別なものだというのに、どうして血が牙を濡らす度、口を赤く染める度、喉を通っていく度に怒りが、嫌悪が――何より()()()があふれ出てくるのか。

 

(……どう、して。どうして、なの? 彼らは私を救ってくれた人なのに、何故……?)

 

 殿を務める天之河光輝が残り、彼から追加で受けた指示――前の階層の拠点まで戻って全員を連れてきてほしい――を果たすために急いで駆け抜けていく中、少女は思う。

 

 どうして彼らが羨ましい?

 

 どうして彼らが疎ましい?

 

 どうして彼らが憎い?

 

 どうして、どうして、と考えても出てくるのは自分を救ってくれた存在へのネガティブな感情ばかりしかない。どうしてこんな恥知らずなことばかりを考え付くのだと王族の、否、いち人間としての矜持にヒビが入っていく。

 

(……違う。違う! 私は、私は彼らに感謝してる! だから、だから――)

 

 理性では彼らのために尽くしたいと思っているのに、どうしてこんな感情が出てくるのだと思いながらも少女は走る――助けてくれた彼らの名前をマトモに呼んだことがないことすら気づけないまま。自分にへばりつく何かから逃げるように少女は足を動かしていた。

 

「駄目だ、シャウアーはもう銃身が焼け付いた!! これからドンナーでの射撃に移るよ!!」

 

「わかったよハジメくん! 無理は駄目だからね!――“呆散”!!」

 

 ……そうして現在に至る。“ある目的”のためにここを離れた遠藤浩介以外の全員で、魔法や剣技、格闘に銃撃といった様々な方法で襲い来る何百もの魔物を迎撃していた。

 

「鈴ちゃん、もう一度やるよ!!」

 

「わかったよ香織!! せーのっ――」

 

「「“聖壁・桜花”!」」

 

 地響きを立てながら迫る魔物の群れを輝く幾つもの光の欠片が桜吹雪の如く戦場を駆け巡った。

 

 小さな無数の輝きはザァアアアアーーと音を立てながら宙を舞い、眼前の魔物達を巻き込み、螺旋を描きながら旋風を巻き起こしていく――光の欠片の濁流に呑まれた魔物は全身をズタズタにされ、そのまま息絶えるのも少なくなかった。

 

 それは文字通り、聖壁という光の障壁を桜の花びらの如く細かな破片にし、触れれば切れる、集めれば柔能く剛を制す防壁となる、そんな攻防一体の障壁となす魔法。

 

「――! ハァッ、ハァ……」

 

「……やっぱりまだ、キツい、ね…………」

 

 長い研鑽の末に前よりも結界をコントロール出来るようになった白崎香織と谷口鈴は今、その力を攻撃のみに使っている。それは天之河光輝が放つ“神威”に次ぐ程の威力であるが、不慣れ故か一度撃つ毎に玉のような汗を流し、幾分かの隙をさらしてしまう。

 

 前に何度か見せてもらった“聖壁・散”でも良かったのだろうが、前にしか飛ばせないあれと違って自在に動かせることから今迫ってきている魔物でなく、後続の魔物の撃破を担当してくれているのだ。

 

「“緋槍”、“砲皇”、“凍雨”」

 

 ――それを少女が受け入れられているという訳でもなかったが。

 

(……あの二人がアレを使っているのは単に経験を積むため。それ以外には見えない)

 

 自分の魔法があれば、吸血さえすればこの程度どうとでもなると少女は思っていた。せいぜい白崎香織と谷口鈴には“聖壁”でも張ってもらって、自分が他の皆の血を吸いながら上級魔法や最上級魔法を乱射していけばいいとまで考えていた。

 

 だがそれを口にした訳ではない。それが、あまりにも苛ついてしまうから。

 

 『皆に経験を積ませて強くなってほしい』というお節介でも『全員の地力を上げる事でこの先の階層でも対応出来るようにしておく』という冷たい計算でもない。

 

 単に彼らと関わるのが嫌だったから。ただそれだけの理由で彼女は提案しようとしなかった。口出しせず、ただ彼らの指示に従って戦うだけ。それが一番マシだと考えていたのだ。

 

(……けれど、それが二人のため。皆のために、なるから……だから!)

 

 無論、それを彼女の良心は良しとはしない。けれども協力し、共に立ち向かっている()()を見ると無性に胸がざわめく。心の中で何かが暴れ狂う。泥のようにへばりつく黒い感情が彼女の脳を蝕んでいく。

 

「浩介はまだなのかよ! こんな数相手なんてしてらんねぇって!!」

 

「浩介ならやってくれる! 信じるんだ礼一!!」

 

「そうだ! 浩介なら俺達がへばる前に親玉を叩きのめしてくれる!! お前の親友を信じろ!!」

 

 悲痛な叫びを上げる近藤礼一に天之河光輝と坂上龍太郎が大声で返す。

 

 そう。遠藤浩介がこの場にいなかったのは魔物を操る司令塔の存在の捜索及び撃破を任されていたからだ。彼自身の影の薄さを利用し、“気配操作”も使って徹底して気配を殺した上で、おそらく存在するであろう司令塔の役割を果たす魔物を倒すことを天之河光輝から頼まれていたのだ。

 

 その際『あーもう畜生! やってやるよ!!』と涙目になりながら承諾し、迫り来る魔物達の間を縫って走っていった彼の帰還を待っている。決して無策のまま迎え撃っていた訳ではないのだ。

 

(……どうして、そう『他人』を信じられるの? 私は……私は裏切られたっていうのにっ!!)

 

 『友達を信じろ』と伝えた二人に凄まじい苛立ちを感じながらも、少女は黙々と魔物の撃破に専念する。そう言った二人に悪意も何もないのだろう。幼少の頃からの信頼故にとっさに出た言葉だというのは少女もわかっていた。だからこそひどく煩わしく感じる。

 

「いや、浩介が戻ってくる前に片付いちまうかもなぁ――見ろよ!!」

 

 悪意に炙られて心が悲鳴を上げていた少女は檜山の言葉に思わず反応してしまった――少しでも気をそらすために。わずかでもいいから自分の内からいくらも出てくるおぞましい感情から目を背けるために。

 

 奥の方からまだまだ魔物は来ているが、その数は段々と下がっているようだ。そう遠くない内に打ち止めになる、ということを少女も理解できた。これで、これでようやくこの煩雑な作業から解放される、と。

 

「うん! “気配遮断”が使える魔物もいるかもしれないけれど、こっちに向かってる気配も少なくなってる!! これなら大介君の言う通り片が付くかも!」

 

 素早くリロードをしながらドンナーを撃ち続ける南雲ハジメもまた、それを補強するように声を出した。

 

「ならコースケがいつ帰ってきても大丈夫なようにもうひと踏ん張りいきましょ!!」

 

 そして園部優花が発破をかけたことで()()の士気が一段と高まり、攻撃が一層苛烈さを増す――それを見た少女の心は更に音を立てて軋んだ。

 

(――ッ! 私は、私は……!!)

 

 彼らが羨ましくて仕方なかった。彼らが疎ましくて仕方なかった。何のためらいもなく“信じる”ことが出来る彼らが、どこまでもどこまでも――憎かった。

 

 あふれ出る黒い感情をひたすら魔物にぶつけていると、不意にこちらに迫ってくる魔物の頭から一斉にポトリと花が落ちた。やったのだ。あの遠藤浩介が魔物を操っていた存在を討ち果たしたのだ。それを理解するのに時間はかからなかった。

 

「――!! 全員、向かってくる奴だけ倒そう! 逃げる奴は追わなくっていい! 俺達の安全が最優先だ!!」

 

 事態の好転を逃さなかった天之河光輝はすぐさま指示を出し、放心している何匹もの魔物を全員で協力して仕留めていく。

 

 パニックを起こしてどこかへと逃げていった魔物だけ放置し、他の魔物を全部相手取った。無論、襲うか逃げるか迷っている相手ならば取るに足らない。瞬く間にそれらは地面に赤い染みを作りながら肉の塊へと変わっていった。

 

「おーい皆ー、何とか倒してきたぜー!」

 

 魔物の掃討も完了し、倒した魔物の死体を運ぶためのソリを八重樫雫と檜山が持ってきたところで遠藤浩介もまた帰還した。

 

 途端、彼とよくつるむ檜山ら五人が遠藤浩介の許へと走っていき、抱きしめ合って喜びを分かち合っていく。

 

「流石じゃねぇか浩介ぇ!!……っと、無事か? どっか怪我してねぇか?」

 

「心配しなくっても大丈夫だよ、幸利。アルラウネ……じゃ信治と良樹には分かり辛いか。人型の植物みたいな奴が魔物を操ってたみたいだ。でも上手いこと一撃で仕留められたよ」

 

「やるじゃねぇか浩介! 俺は信じてたぜ!!」

 

「おい何ナチュラルに嘘吐いてやがんだ礼一ぃ~? お前めちゃくちゃ焦ってて、『まだかよまだかよ浩介君早く助けて~』ってわめいてたじゃねぇかよぉ~?」

 

「ハァ~!? 俺そんなこと言ってませんけどぉ~!? 俺はあくまで早く倒してくれ、って……あ、浩介。今のは、その……」

 

「……うん、ごめん。ちょっと親玉見つけるのに手間取っちまったから……悪い」

 

「いやガチトーンで謝られても困るわ……悪い、浩介。それと礼一、スマン。やり過ぎた」

 

「何をやってるんだお前らは……よくやったぞ浩介。大手柄だ」

 

 いつものように馬鹿話をしている彼らの許へ、メルド・ロギンスら彼の仲間も加わっていく。流石にまだ完全に気を抜いてはいない様子であったが、それでも場には弛緩した空気が漂う。

 

 凄まじい物量の敵を相手にしのぎ切ったことで得られた達成感と、大量の魔物がすぐには襲ってくることは無いという安心感か、ひどく和やかに彼らは話をしていた――それを遠巻きに見ていた少女の心にまた一つ、深いヒビが入っていく。

 

(……どうして? どうしてどうしてどうしてっ!?――どうして、彼らを見ていると辛いの? 苦しいの?)

 

 彼らの上げる声がひどく耳障りだった。楽し気に話す姿が目障りだった。ゆるくなったこの場の雰囲気がとてつもなく鬱陶しい。

 

 まるで粗い目のヤスリでかけられるように少女の良心と矜持が傷ついていき、傷ついたそれらではもう胸の内からあふれ出す薄汚い感情を止められなくなっていた。

 

(……貴方達が羨ましい)

 

 留まることを知らない羨望が良心を麻痺させていく。

 

 ――かつて王として君臨していた頃は“配下”や“家族”そして信頼して()()“親戚”はいても、“友達”と呼べるような人物はいなかった。

 

 だからこそ喜びを分かち合える存在がひどく羨ましく、奈落の底で絶望と憎しみに囚われていた少女の中で生まれた羨望は簡単に『妬み』へと変わっていく。

 

「……ユエさん?」

 

(……貴方達が妬ましい)

 

 膨れ上がる妬みが少女の心を閉ざしていく。

 

 永遠とも呼べるあの暗闇から救い出してくれた恩のある相手は今や、少女にとって『嫉妬』の対象にしかならなくなった。

 

 自分のように『裏切られた』というのに、前を向いて歩いて行ける彼らがひどく腹立たしく感じていた。だが、彼らは裏切られてすらいなかったことに少女は気付く。

 

 信用するかどうか以前の状況で南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴が“裏切者”として扱われていただけで最初から破綻していた。だからこそ余計に少女の心はざわめいた。

 

「どうしたのユエさん? ねぇ?」

 

(……()()()が憎い)

 

 『憎しみ』が更に燃え上がっていく。

 

 自分と同じ魔力操作()を持っている癖に、自分と同じように追い立てられてここに来るしかなかった癖に、ここの魔物に殺されかけ、その魔物の肉を食べて死の苦しみを味わわなければ生きることすら出来なかったというのに――どうしてお前達はそこまで信用し合える? 誰も憎まずにいられる? 恨み言を吐かずにいられる? 恨みつらみと共に湧き上がってくる疑問はすぐに怒りへと変わっていく。

 

「ね、ねぇユエさん……ごめんなさい。貴女のことを忘れてたのは謝るわ。だから、その……」

 

(――どうして、どうしてお前達はこうも明るくいられるの!? 私は……私はずっと『一人』だったのに! 辛くて苦しかったのに!! どうしてどうしてどうして!!!)

 

 もしかすると自分を救ってくれると思っていた。もしかしたら自分と同じような『痛み』を持っているかもしれないと思った。もしかすると『苦しみ』を共有出来るかと思った。同じ辛さを共有できる人達かもしれないと思った――その願いは、祈りは、全て灰となって消えた。最早少女には憎しみが、妬みが、嫉みが、怒りが、そして――。

 

「すまなかった、ユエさん。貴女も俺達の()()なのに放っておいてしまって……一緒に――」

 

「……その名を、呼ぶな!!」

 

 ――絶望しか残っていなかった。

 

 故に“ユエ”は――アレーティアは激昂する。かつて、永い時に渡って燃やし続けていた憎しみの炎が、嘆きの海が彼女を再度満たしていく。

 

「……えっ? どう、して……」

 

「……私を救った気でいた? 名前でもつけて仲間になった気でいた?――くだらない冗談もいい加減にして」

 

 怒りでマトモに頭が働かないのと残りの魔力が少ないために上級魔法は撃てない。中級も一発撃てれば御の字だ。だから“魔力放射”で残り少ない魔力を振り絞って()()()()()へとアレーティアは叩きつける。

 

「――ッ!? 冗談にしちゃ、笑えないね! 頭でもおかしくなった!?」

 

「……おかしいのはお前達。私は……私はずっと()()だった。今もずっと一人のままだった!!」

 

「違う、違うよユエさん!!」

 

 魔力を叩きつけられて吹き飛ばされた中村恵里と谷口鈴の言葉にも耳を貸すことなく、アレーティアは再度魔力を叩きつける――もうこの命すら惜しくない。この体が砕け散ってもいい、自分の魂すら燃え尽きていいとばかりに“自分の何か”までも削りながら。

 

「……ずっと、ずっと一人のままなら……この世界なんていらない!! 苦しみが続く世界なんて、壊れてしまえばいいっ!!」

 

「――“聖壁”ぃ!!……お願い、ユエさん!……私の、皆の話を聞いてよ!!」

 

 怨嗟も、苦しみも吐き出しながらアレーティアは目の前にいるすべての人間を吹き飛ばそうとしていくが、白崎香織が息を切らしながら張った“聖壁”によってそれが阻まれる。自分の攻撃を防ぎ切ったそれも魔力を叩きつけたことでヒビが入ったため、それを砕くべく何度も何度も魔力で殴りつけていく。

 

「私は、私は……!!!」

 

「こんの……あーもう皆、神水飲むよ!! この馬鹿とっちめて、思いっきり泣かせてやろうじゃんか!!」

 

 中村恵里が神水を煽り、すぐに自分を見やってきた。上等だ。なら何もかもを犠牲にしてやる。そう決意したアレーティアはまた魔力を捻りだしていく。

 

 ――もし、もしもの話だ。

 

 もし仮に、一人またはほんの少数の人間が彼女の許へと来ていたのなら。

 

 もしも訪れた相手が彼女と同じ痛みを、苦しみを抱いた孤独な、もしくはあまり仲間がいない人間だったら。

 

 自分の境遇を聞いても、どんな困難を、苦境を前にしてもなお、逃げ出さないような相手と彼女が出会えていたのなら――きっとこんな結末は迎えなかっただろう。

 

 抱えていた憎しみを『友情』や『愛情』に変えて、彼女は新たに生きる事を決意したかもしれない――だがそれも“もしも”の話でしかない。

 

「……消えろ。お前も、私も、みんな……みんな消えてしまえ!!」

 

 気づかぬままに滂沱の涙を流し、苦しげな顔でアレーティアは叫ぶ。

 

 ――少年達は今、ようやく月の裏の顔を見た。




タイトル原案「偽りの月」

少々くどいようですが読者の皆様に質問です。
彼女は叔父であるディンリードに裏切りという形(真実は愛故のものでしたが)でオルクス大迷宮に封印されました。

原作でもハジメが助けに来るまでは彼女は絶望と憎しみ、恨みつらみに苛まれて時を過ごした事がweb版原作第七章「忘れ去られた記憶」でも語られています。

>裏切り者のはずの、憎い相手であるはずの、思いがけない記憶の断片。

>きっと、客観的に見た叔父のしたことと果てしない闇の牢獄が、ユエの記憶を一つに固定してしまったのだ。誰かを恨まなければ、希望を捨て絶望に浸りながら無気力に過ごさなければ、心が耐えられなかった。だから、一番、見た目通りの筋書きが真実であると信じ込んだ。

……では皆様に改めて質問です。
今作の彼女の憎しみはどうなりました? 『何か』に変わったでしょうか? それもプラスの感情などに変わりました?……つまり、そういう事です。

あ、それとメタな話になりますが、実は『マシ』なタイミングで起爆しました……最悪、真のオルクス大迷宮の守護者戦で爆発しかねませんでしたからね。ええ。


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四十五話 欠けた望月

まずは拙作を見てくださる皆様への多大な感謝を。
おかげさまでUAも107049、お気に入り件数も722件、しおりも306件、感想数も322件(2022/5/16 9029現在)となりました。誠にありがとうございます。

……いやね、幕間四の雫が光輝に惚れ込む話ばりに滅茶苦茶ビビりながら投稿したんですが、今回も杞憂で済んだのは驚きました。やだもう皆、心が広くて素敵……(トゥンク)

そしてAitoyukiさん、卯月幾哉さん、拙作を評価及び再評価していただき本当にありがとうございます。まさか今回の話で評価していただけるとは思ったなかったので感慨もひとしおです。

まず先にゲロっておきます。また分割しました。いつもの悪癖です。なので今回は短めとなっております。では上記を注意して本編をどうぞ。


「あぁああぁあー!!!」

 

「ぐっ――うわぁあぁぁぁ!!」

 

 ユエの叫びと共に放たれる凄まじい魔力。恵里達はそれに思いっきり叩きつけられてしまい、身構える暇すらなく全員が吹き飛ばされる。

 

「――ふっ!……っとと、ハジメくんも鈴も皆も大丈夫?」

 

「うん、どうにか!」

 

「鈴も大丈夫!――でも、ユエさんが……」

 

 しかし全員既に“空力”を如何なく発揮できるようになっていたため、魔力の足場を作って跳躍を繰り返して着地するなり一度宙返りをして勢いを殺すなりしたことで、誰も地面に体をしたたかに打ち付けることは無かった。

 

 とはいえ今の一撃でダメージはともかく距離を開けられてしまったため、“縛魂”がギリギリ届かない範囲へと恵里は移動してしまっていた。そのことに内心舌打ちをするも、状況はそれを許してはくれない。ただむき出しの魔力を叩きつけてくるだけでなく、それが風や水などの属性魔法として形を結んでいるのだ。それがいつ撃ちだされるかわかったものではない。

 

(ったく、厄介なことしてくれるよ!! こうなったらハジメくんからあの盾を貸してもらって、被弾覚悟で突っ込んで――)

 

「落ち着いてくれユエさん! 俺達の、俺達の何が悪かったんだ!! 言ってくれれば謝る! だから――」

 

「五月蠅い! それが……それが本当に気に食わない!!――“炎槍”!! “水槌”!! “海炎”!!」

 

 悲痛な表情で必死に説得しようとする光輝の言葉も空しく、ユエは中級魔法を乱射していく。今の彼女の心の内を示しているかのように魔法は滅茶苦茶な軌道で飛んでいき、明後日の方向や彼女のすぐ近くにも着弾していく。

 

「――“聖壁”!!……ユエさん!」

 

 そんな中、唯一こちらへと向かってきた炎の津波だけは光輝が詠唱した“聖壁”によってどうにか防がれ、光の壁がたった一撃で砕けると同時にちょっとした熱波が自分達の体を撫でていった。

 

「“鋭迅”!! “辻波”!! “隆槍”!! “風灘(かぜなだ)”!!」

 

 そんな自分達にユエの魔法が容赦なく降り注いでくる。とはいえかんしゃくを起こした子供が物を投げつけるのと大差無い程度の精度でしかなかったため、避けるのは容易であった。

 

「……消え、ろ。消えてしまえ……!!」

 

「どうして、どうしてだよ……」

 

「私達、何か……何を間違えたの……?」

 

 だが自分達に怨嗟をぶつけてくるユエの様子に誰もがショックを受けており、これまでの経験故に体が勝手に反応して避けてはくれるものの、多くはそれ以上が出来ずにただただ魔法を撃っていくと同時に段々と衰弱していく様子のユエを見ることしか出来なかった。

 

「うだうだ言ってる暇があったらとっとと動く! あっちが手遅れになる前にね!!――“邪纏”!」

 

 だが恵里だけは違った。効き目は薄いのがわかっていても闇属性の魔法を使ってユエの魔法を妨害し、必死に止めようとしている。

 

「――“ふう、じん”っ!!」

 

「“邪纏”!!」

 

「え――“炎刃”!!」

 

「“邪纏”――あぁっ、クソッ!!」

 

 とはいえ尋常ではない程に魔力への抵抗能力が高いせいか、恵里の力を以てしてもほんの一瞬気をそらすのが精一杯でしかない。そうして悪態を吐いてもなお、恵里は必死に抵抗しようとしている。

 

 あのエヒトが固執するほどの相手であり、そして今までこうして行動を共にしてきたからこそユエの尋常ではない程の強さはわかっているつもりだ。だからこそ手駒として失えないし、何より――。

 

(あんな顔見せられて――放っておけるもんか!!)

 

 自分と、どこか似ていた。

 

 今目の前で暴れている少女が前世? で『あの人を誑かすなんて』と母に頬を張られて何もかもに絶望した時の自分のようで。エヒトの居城で鈴と戦った時に何もかもが裏目に出た時を思い出すようで。そして“縛魂”が解けてしまった光輝の顔を見た時に絶望を感じたあの時の自分みたいで――手を伸ばしたくなってしまった。

 

 今の人生で鈴に手を伸ばした時のように、命を削りながら暴れるユエにも手を伸ばさなければきっと、きっと後悔するだろうという確信があった。だから恵里は必死になって止めたくなった。たとえそれがただの感傷であっても、そうしたくなってしまった。

 

「“火球”!! “火球”!! “火球”!!――」

 

「しまっ――!?」

 

 だがそれをユエは払おうとしていた。

 

 シャウアーを見て思いついたのか、初級魔法を無数に唱えてこちらへと叩き込んできたのだ。数発そこらであれば避けるだけで済むだろうが、何十発ともくればそうもいかない。これはもう無理か、と思ったその時であった。

 

「――“聖壁”!!」

 

 鈴が張った“聖壁”がそのことごとくを防いだ。無数のヒビが入ったものの、何十発もの初級魔法にも光の壁は耐えきったのである。前世? で“結界師”という防御のエキスパートであった彼女の技量と才能は伊達ではなかった。

 

「……ごめんね、恵里。鈴も、戦うよ」

 

「……遅いよ、もう!」

 

「本当にごめん!――あんな、あんな顔のユエさん、絶対に放っておけないもの!!」

 

 そう言って鈴は再度“聖壁”を発動して幾枚もの光の壁をせり出すように張っていく――鈴も今のユエを他人のように感じられなかったのだ。自分が幼い頃に孤独でそれをずっと我慢していた時のようで、ハジメと恵里が背中を押してくれたことで親の前で初めてワガママを言えた時の自分の様に感じて。

 

 どんな形であれ、ようやく本音を出してくれたユエを鈴は失いたくなかった。ここで見殺しにしてしまっては過去に自分を受け入れてくれた両親を、最高の恋敵(親友)を、自分が愛し、自分を愛してくれる人を裏切ってしまいそうな気がしたから。だから鈴も懸命に戦う。

 

「大介君! しっかりするんだ!!」

 

「俺は……俺は……」

 

 そしてハジメもまた、呆然としていた大介の両肩を掴んで必死になって説得していた。

 

 ハジメが彼を選んだのは手の平を返した礼一達や、彼女が暴れ出したことで敵意をにじませている浩介と幸利と違って困惑の色が強かったからだ。だからきっと大介ならユエを『止められる』と直感したのである。

 

「今ユエさんは恵里と鈴がどうにかしてる!――彼女が好きなんでしょ! 今でもそれは変わらないよね!!」

 

「それは、それは……」

 

「もし、もしまだ彼女が好きだったんなら早く行くんだ!! 彼女が欲しいんだったらすぐに抱きしめてあげて!! 今動かなきゃ絶対に後悔するよ!!」

 

 だが理由はそれだけでない。封印されていたユエに告白をしたり、自分一人で助けて好感度を上げるとのたまったり、礼一達に助けてもらったのに彼女を巡って大喧嘩したり、彼女にどうにか話しかけようとして空回りした大介を見て、ふとどこか自分のように感じたのだ。きっと恵里と鈴の目に映った過去の自分も彼のように必死だったんだな、と。

 

 そのせいか自分のことを時折持ち上げて、調子のいいことや下世話なことを言ったりする彼にどこか親近感が湧いたし、彼の応援をしてあげたいと思った。

 

 きっと自分達のことを応援してくれた、見守ってくれた親友達もこう思ってたのかもしれないから。だからハジメは必死になっている。ただの一目惚れで終わらせていいのか、と。

 

「わかんねぇ……もうわかんねぇよ!! 俺も、俺もハジメや龍太郎、光輝みたいなことしてみたいって思ってただけなのに、なんで、どうして……」

 

「だったら!! まだ始まってなんていないでしょ!! ユエさんの告白の返事だって聞いてない、デートだって一緒のご飯だってまだじゃないか! 告白してハイ終わり、なんてそんなもったいない終わり方でいいの!! よくないでしょ!!!」

 

「――!」

 

 ハジメの言葉に大介の瞳が揺れる。そうだった。まだちゃんとした返事も聞いてなかった。自分とあまり行動を共にすることもなく、ずっと羨ましがってたことも何一つやっていない。我欲まみれでくだらない、けれども彼にとっては何よりも重要なことを思い出した。その途端、彼は大きくうなずき、ハジメの手をどかす。

 

「――サンキュー、ハジメ。やっと目が覚めたわ」

 

「うん、行ってきて。僕がコレで守るから」

 

 花を生やした魔物達にいつ組み付かれてもいいように持ち出していた盾を構えると、彼の手を引いて走っていく。目的は大介のエスコート。いつも調子のいい悪友が本懐を果たせるように。

 

「――“光纏”! ハジメ、コイツで少しはマトモに耐えられるはずだ!!」

 

 大介の手を引いた直後、光の膜が盾を包む。声のする方を見れば幸利が手を突き出しており、今のは彼がやってくれたのだとすぐに分かった。

 

「ありがとう幸利君!」

 

「おう!――大介、しっかり決めてこい!!」

 

「――ああっ!」

 

「俺達もハジメの援護に回るぞ!!」

 

 幸利に向かって二人が親指を上に立てると、今度は光輝の声が響いた。すぐに壁状に各属性の魔法がハジメ達の横に前にと展開されていき、ユエが見境なしに撃ってくる魔法からの二人を守る文字通りの壁となった。

 

「遅くなって悪かった!――俺達もユエさんを失いたくないんだ!! だからハジメ、大介、頼む!!」

 

「まだちゃんとごめんなさいも言ってないもの!! ユエさんを止めてあげて!!」

 

「正直あの女の頬を殴りつけてやりたいぐらいだが――今はお前達に任せた!!」

 

「もう、メルドさん!――お願い、二人とも!! 私もユエさんにちゃんと謝りたい!! ずっと気づいてあげられなくてごめんなさいって!! だからお願い!!」

 

「俺も香織と同じだ!! 正直何回頭を下げりゃいいかわかんねぇ! でもここで助けなかったら謝ることすら無理だからな!! だから頼んだぞ!!」

 

 光輝が、雫が、メルドが、香織が、龍太郎が託してきた。今も闇の中で泣き叫ぶ彼女を救い出すことを。盾に魔法が当たる毎に張られた膜が軋み、ヒビが入っていくのを感じながらも二人はうなずいて返していく。

 

「あのクソ女の目を覚まさせてやれー!」

 

「ヒス女なんかに負けるな先生!! 大介も!!」

 

「お前が告白する分俺らの分もフれ大介ー!! そんぐらいやらねぇと気が済まねぇ!!」

 

「あーもう礼一も信治も良樹も……! ハジメ、大介!! 頼んだからな!!」

 

 茶化してこそいたものの、礼一達は真剣にハジメ達を魔法で守っていた。あれだけひどいことをされたにもかかわらず、まだあんな女にお熱な馬鹿な親友の恋路を応援するために。そして浩介もそんな彼らに呆れつつも、援護の手を緩めなかった。

 

「ユエのこと、頼んだわよ!!」

 

「もうユエさん限界みたい! 早く行ってあげて!!」

 

「お願い二人とも~!! 神水飲んだけど、やっぱりキツいのはキツいよぉ~!!」

 

 優花、奈々、妙子も声をかけてきた。全員既に神水を服用しているし、あちらも無理して魔力を絞り出しているものの、それでも気を抜けば全員倒されかねない程の猛攻となってしまっている。幸利のかけてくれた“纏光”が既に剥げ、盾本体も亀裂が無数に入っているのをわかっていながらもハジメと大介は走ることを止めない。

 

「――“邪纏”!! ハジメくーん!!! 檜山ー! いっけー!!!」

 

「“聖壁”!!……もう、限界。二人とも、後はお願い…………」

 

 魔力を限界まで使い切り、肩で息をしながらも叫ぶ恵里と、最後に一度だけ援護をしてその場にくずおれる鈴。二人の後押しを受けながらハジメはボロボロになった盾を捨て、その身一つで大介の盾となって進む。

 

「ぐっ! うぐっ!……」

 

「ハジメ、もういい!! 後は俺に任せて――」

 

「まだ、だよ……! 君を連れてく、って言っといて、ここで倒れるなんてカッコ悪いからね……!!」

 

 ハジメの方は既に体中が傷まみれの火傷だらけであったがそれでも倒れずに駆け抜ける。

 

 彼自身語ったように自分の意地もあったが、もう肌が土気色になりながらもまだ魔法を撃ってくるユエの存在と、その彼女を救おうとまだ諦めてない親友が後ろにいたことがその理由となっていた。ここで絶対倒れられない。何としても助けなければ、と足を動かす。

 

「ぐふぅっ!!」

 

「ハジメぇ!――あんのヒス野郎、まだキレてんのかよ……!!」

 

 だが、何度目かの“風球”の直撃により遂にハジメは後ろへ吹き飛ばされてしまう。吹き飛んだ彼が地面に叩きつけられる音や、心配する声を聴いてひどく怒り狂いながらも大介は走る。

 

「“かきゅう”……“ふうきゅう”……“すい、きゅう”……」

 

「いい加減に――しろやぁあああぁ!!!」

 

 そして自身も幾度も魔法の球を食らい続け、それでもなお足を止めなかった大介は大きく跳躍し――遂にユエを押し倒した。

 

「――ぐぅ!?……ゲホッ、ゴホッ……」

 

 命そのものを代償にして魔法を撃ち続けていたせいか既に肌はひび割れ、美しかった金の髪もくすんで褪せてしまっている。ルビーのように赤く輝く瞳からも光は失われ、最早生きているのが不思議なほど。むせ込む度に口元から血を流していく少女に大介は予備の神水を取り出し、それをユエの口に突っ込もうとしてためらい――その容器の端を自身の歯でかみ砕いた。

 

「……よくもやってくれたなこの野郎」

 

「……ころ、せ……わたし、は……もう……」

 

「ハッ、死に損ないが何抜かしてんだよ――テメェは負けたんだ。なら別に、俺が何したって構わないよな?」

 

 怒りと憎しみ、そして悲しみに満ちた瞳を向けられながらも大介は容器の中の神水を煽っていく。

 

「――!?」

 

 そしてそのまま、口移しで彼女に神水を飲ませた。

 

 たとえかすかな力であれ、身じろぎするユエを押さえつけて口内に無理矢理流し、嚥下させていく。

 

 するとひび割れた肌も少しずつハリを取り戻していき、髪の毛も徐々に(つや)やかになっていく。その瞳は未だ負の感情に満ちて濁っていたものの、光が完全に失われていくことは無かった。間に合ったのだ。

 

「あークソッ!! 色気もクソもありゃしねぇ!!……最低のキスじゃねぇか、バーカ」

 

 そうして彼女の命を繋いだ大介であったが、彼は彼で余韻もへったくれもない言葉を吐き捨てていた。思い描いていたのと違う、期待していた甘さも高揚感もない口付けに苛立ちを隠せず、怒りのままに言葉を叩きつけていた。

 

 こんな状況でせざるを得なかったことも、よりによってこんな相手に最初にキスをしたことも、彼女をこんな風に追い詰めてしまった友人達や自分にも、全てに対して。胸の中に溜まった感情を吐き出さないとやっていられなかった。

 

「……どう、して?」

 

「……あ? んなもん、アレだよ……俺が惚れたから、って言っただろうが」

 

 年齢がアレだけど愛ちゃんの方が良かったかもなー、と中々にデリカシーの無いことをつぶやきながらも大介はその場を動こうとはしない。彼女を押し倒したまま、目を一度も逸らさず、ただその場にいる。

 

「……そ、う…………」

 

「……ん? いや、ちょ、オイ待てって!!――あ、生きてら」

 

 そして大介の言葉にそう返すと、ユエはまぶたを閉じてしまう。それに一瞬大介も焦ったが、よく見れば胸がかすかに上下しており、まだ生きていることに安心して大きくため息を吐く。ここまでやって死んでしまった、なんてあまりに後味が悪い。だからこそ彼女がまだ生きてることに安堵すると自分のすぐ近くにゆっくりとなじみの気配が寄ってきているのに気づいた。

 

「お疲れ様、大介君」

 

「……先生。それに中村と谷口、あとお前らも」

 

 信頼し合っている友人達である。ハジメは恵里から肩を貸してもらい、彼と同じぐらい青い顔をしていた鈴から支えられながらこちらに来て労いの言葉をかけてきた。

 

「……お疲れ、檜山。まぁそっちにしちゃあ上手くやったんじゃない?」

 

「こういう時ぐらい素直にほめてくれよ……」

 

「恵里、もう……お疲れ様、檜山君。カッコ、良かったよ」

 

「……おう。サンキュー」

 

 恵里と鈴も彼女達なりに大介をいたわった。恵里も言葉こそやや上から目線のものではあったが、その表情は少し柔らかい。高校にいた頃にハジメに暴力を振るおうとしたことをまだ根に持っているだけで、決して今の彼にまでケチをつける気は無かったからである。

 

 鈴は既にわだかまりも何も無い。ハジメに変なことを言う困った男友達にただ、頑張ったその姿が素敵であったと伝えたかっただけであった。その彼も気恥ずかしさで目をそらしながらぶっきらぼうに答え、鈴もそれに満足してハジメをどうにか支えるのに専念する。

 

「よう大介、ボロボロじゃねぇかよ」

 

「ホントホント。そんだけボロボロになってんのによく悲鳴の一つも上げなかったな」

 

「あの狼に噛まれた時は痛てー痛てーって言ってたのになー」

 

「うるせーぞテメェら。馬鹿にしに来たんだったらとっとと帰りやがれ」

 

「はは、悪い悪い……ま、お疲れ」

 

 にひひ、と笑いながら言う礼一達に大介も悪態を吐く。やっといつものじゃれ合いが出来てホッとしたのだ。こんな何気ないことが、どうしてか嬉しい。やっと、やっと終わったのだと心の底から思えたのだ。

 

「なぁ大介、立てるか? キツい、ってんなら肩貸すぜ」

 

「頼むわ浩介……さっき神水飲んだ時に傷は軽く治ったけどよ、やっぱキツいわ」

 

「俺もやるよ――ほら、腕回してくれ」

 

「おう……ありがとな、幸利」

 

 幸利の力を借りて立ち上がった大介は、すぐに浩介の肩も借りて二人に支えられながら光輝達の方へと向かっていく。一方、ユエを誰が運ぶかについて礼一達が揉めたものの、ユエのことが気にかかってこちらへと来た香織が背負うと伝えたことですぐにそのいさかいは鎮火する。

 

「近藤君達、そこまで嫌がるなんて……まぁ、仕方ないのかな?――後でいっぱい謝ろうね、ユエさん」

 

 思いっきりババの押し付け合いにしか見えないやり取りをしていたことに苦笑いをしつつも、香織は小柄な少女をおんぶしながらそう漏らす。香織とて思うところがない訳ではない。だが、それでも無事でよかったと今は思う。

 

「……ユエの奴、思いっきりやってくれたね」

 

「まぁまぁ恵里、落ち着いて。あんなにあっても食べきれなかっただろうし」

 

 そしてハジメの肩を支えながら歩く恵里は目の前の光景を見て忌々しそうにつぶやく――ユエが大暴れしたせいで戦利品(倒した魔物の肉)の大半が炭化していたり、汚れにまみれた状態でミンチになるなどしていたからだ。

 

 確かにハジメの言う通り、何百もの魔物を、それもこの階層のほとんどすべての魔物を倒したと言って差し支えがなかった量のため、どれだけ頑張っても食べきれる自信は無かった。が、それでも仲間割れという形で頑張りが無にされるというのは腹立たしく感じたのだ。たとえそれが自分がまだ必要だと思った相手でも、同情した相手であってもである。

 

「……運びやすくは、なったじゃない?」

 

「鈴、無理して喋らなくていいから……ま、それは言えてるけどさ」

 

 だがその全てが無に帰した訳でもない。メルドが中心となって死体の選別をしているが、恵里が思っている以上には食べれるものも多いようだった。

 

「ソリを全部持ってきて……いや、ハジメにもう少しだけ頑張ってもらわないとかな」

 

 そう、光輝が漏らす程度には。

 

「流石にハジメ君には悪いわよ……私達で、頑張りましょ」

 

「……そうだな、雫。あーもう。何かあったらハジメに頼る癖を直さないと」

 

 雫に窘められてばつの悪い顔を浮かべる光輝に、その場にいた誰もが苦笑しながら『確かに』とうなずいている。ハジメを必要としてくれているのは嬉しいことではあったものの、頼りきりにならないでほしいと恵里は思う。

 

 かくして激昂したユエとの戦いが終わった恵里達は、多大な疲れと少なくない傷を負いながらも拠点へと戻っていく。

 

「どう、謝ればいいんだろうな」

 

「……ホントにそうね。ユエ、許してくれるのかしら」

 

 彼女が残した傷跡は決して浅くはなかった。彼女の心の叫びは力を合わせてこの地獄を進んできた彼らにとって予想外で、そして自分達の未熟さを知る一つの答えであった。

 

「許す許さないの問題じゃねぇさ……まずは謝る。そっからだ。だろ?」

 

 迷っている皆であったが、そこで龍太郎がかけた言葉に全員がうなずいた。自分達のやってしまった事を詫びて、ちゃんと謝って、そこからもう一度始めよう。そう決意した恵里達は荒れ果てた樹海を後にする。

 

(……ユエ)

 

 香織の背中におぶさって眠る少女を見て、大介はふと心の中で彼女の名を呼ぶ。一目惚れして、自分の友達を傷つけて、苦しみを吐き出し続けて死にかけた少女を思う。怒りでも心配でもなく、ただ彼女の様子を思って。

 

 だが月の名を貰った少女は答える事なく、ただ友人の背で揺られているだけ。それでも大介はただ彼女を見つめる――その目にある意志を宿しながら。




残りは今週中に投稿できたらなー、と思っております。

あと今回の話、実は下書きの段階ではユエが魔法撃ちまくって自滅してそこで回収、というもっとどんよりした感じでした。ナイス大介。

それとここ数話を見て原作魔王が概念魔法発動寸前までブチギレそうだなーと思いましたまる(小並感)


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四十六話 欠けゆく孤月に手を伸ばして

それでは最初に読者の皆様への感謝の言葉を。
おかげさまでUAも108901、しおりも308件、感想数も328件(2022/5/22 19:20現在)となりました。皆々様誠にありがとうございます。原作と違う展開がポンポン出てくる拙作をこうしてひいきにして下さり、感謝に堪えません。

そしてAitoyukiさん。今回も拙作を評価していただき、誠にありがとうございます。あなたのおかげでまたモチベーションを高く保つことが出来ました。本当にありがとうございます。

ではユエを無事無力化した後のお話となります。また今回はちょっと長いです。それに注意して本編をどうぞ。


「皆、すまねぇ。ユエを俺に預けて欲しい」

 

 その言葉が出てきたのは先の連戦で得た食べられそうな魔物の死体をソリに載せ、力を使い果たして今は眠っているユエを香織が背負いながら一行は拠点へと戻って来た時のことであった。

 

 全員が拠点に入ったのを確認して入り口をハジメがふさいだ直後、大介がいきなり皆に向かって土下座をしたのである。突然のことに誰もが目を白黒させる中、彼はこう告げたのだ。

 

「頼む皆。責任は俺がとる! だから、だからよぉ!!」

 

「ま、待ってくれ大介! 別に俺達はユエさんを今すぐどうこうしようなんて――」

 

「わかってる!! でも、でも! ユエが、ユエがやったことを考えると、許してくれねえかもしれねぇから……だから!!」

 

 光輝がすぐにとりなそうとするも、大介は構うことなく地面に頭をつけたままだった。またその際、『許してくれねえ』の辺りで一瞬、大介以外の視線が自分に向けられたことに恵里は心底苛立った。ハジメと鈴もそう思ってる辺り余計にである。

 

「……ねぇ皆、ヒドくない? ボクのことを血も涙もない奴みたいに扱わないでくれる?……まぁ許したくないと思ったのは事実だけど」

 

「いや案の定じゃねぇかよ……ホントお前、ハジメが絡むとマトモな判断しないよな」

 

 浩介のツッコミにうんうんと礼一達や優花らはうなずき、雫や光輝、龍太郎に優花や幸利も苦笑いを浮かべながらもそれをたしなめることは無かった。それに遺憾の意を恵里が示そうとした時、それまでだんまりだったメルドが口を開く。

 

「待て、お前達……お前達がユエの奴を許したいのはわかった。だがな、そう簡単に許していいのか?」

 

 腕を組んで厳めしい顔をしながらメルドがそう問いかければ、光輝は激昂しながらそれに言い返す。

 

「メルドさん!!――確かに、確かに言いたいことはわかります。ですが! 彼女は、ユエさんは俺達……いや、俺がきっと何かやってしまったから――」

 

「そ、そうだよ! きっと俺も何かユエをイラつかせちまったかもしれねぇんだ!! だ、だから頼む!」

 

 怒りと後悔を露わにしながら話す光輝に続いて大介も必死に頭を下げるもメルドの様子は変わらぬまま。むしろ表情は一層険しいものへとなっていく。

 

「たとえそうであったとしても、だ――あの()がやったのは“味方殺し”だぞ? それも全員の気が緩んだ隙を狙って、だ。たとえそのタイミングが偶然であったとしても、奴はお前達の命を奪おうとした。それは事実だ。違うか?」

 

 メルドが突きつけた事実に誰もが黙り込むしかない。さしもの光輝も、大介であっても反論は出来ない。ただ悔しそうに唇を嚙むしかなかった。

 

 その通りなのだ。結局どう言い繕ってもユエは自分達を殺そうとしていたのだから。それは彼女の口から出た言葉からして明らかであり、その身から放たれた空気からは悲しみだけでなく立派な殺意も乗っていた。それは修羅場を経験していたメルドだけでなく、このオルクス大迷宮を駆け抜けてきた全員が理解している。だからこそ何も言えない。それだけは覆しようのない事実だったから。

 

「本来なら軍法会議を開く……いや、その必要は無いな。“敵”なのだから、“裏切り者”なんだからな。その場で()()する必要があった。まぁ奴は首を刎ねたところで死なないらしいから、殺し切る必要があっただろうがな」

 

 そう続けるメルドにこの場にいた多くの子供が絶句するしかなかった。そう。メルドはこうして自分達を導いてくれた大人である以前に“軍人”なのだから。だからこそユエの裏切りを誰よりも重く見ており、そのためなら自分達に恨まれようと敵対しようとも辞さない姿勢をとっていたのである。

 

「……でも、でもよ!! 俺は……俺は嫌だ!! アイツを――ユエを死なせたくねぇんだよぉ!!」

 

 だが自身も絶望に苛まれる中、大介は瞳を潤ませながらも必死に言葉を絞り出した。

 

「責任なら俺がとる!! ユエは絶対に俺が説得する!! だから、だから……頼むよ、メルドさん」

 

 嫌だった。命を張ってまで助けたかったのに、彼女が悪いことはわかっていても絶対に死なせたくなかった。その無慈悲な判断に自身の恋心が悲鳴を上げた。

 

 だから大介は涙を流してメルドにすがってでも許しを請う。こんなにまで誰かを好きになったことがない、ほんの十五、六年しか生きてない子供なりに必死になってユエの救いを求めた。

 

「……俺からも、お願いします」

 

 すると今度は浩介もメルドに向かって土下座したのである。思わず声のする方を見た大介がそれに驚き、胸の奥が熱くなる感覚に襲われると、礼一も、信治も、良樹も、幸利も続いて土下座をしてきた。

 

「すいませんメルドさん。大介の奴のお願いを聞いてやってくれねぇか?……アイツ、ダチだからさ。あんなのにお熱上げてるけど大切な奴なんだ。だから、頼む」

 

「メルドさんから見たら馬鹿でどうしようもないかもしれねぇ。けど、けどよぉ!!」

 

「俺達はもうあの女に幻滅しちまったよ……でも、それは“俺達”だけなんだ。大介はまだ諦めてないんだ。だから、だからっ!!」

 

「これが馬鹿な事だってのは俺も皆もわかってます。けれど、俺も昔は……ユエさん程じゃないけれど荒れてた時期もあったから。だから見捨てられないんです、お願いします!!」

 

 五人もまた必死であった。本当なら大介を諫めるべきかもしれない。けれどもその彼が命をかけてまでユエを救ったのだ。それ程の思いを無碍にすることは彼らには出来ず、自分達も頭を下げることでどうにかしてもらおうとしたのだ。光輝達もそれに続き、全員が頭を下げたのだが場の空気は変わらない。

 

「泣き落としでどうにかしようとでも考えているのか?……それが後で自分達の首を絞めることになるかもしれんのだぞ。それをわかってて言ってるのか?」

 

 メルドの態度は依然として冷たいままであった。一時の情に流されて問題の芽を摘み取らないことで後々どうなるかがわかっていたからだ。この程度は既に織り込み済みであり、想定の範囲内のものでしかない。だからこそその程度で考えを変えるようなことはしない。

 

 メルドから発せられる圧に思わず誰もが屈しそうになった時、意を決した様子のハジメが大介らと同じく土下座をしたまま口をはさんできた。

 

「……メルドさんの言いたいことはわかりました。でも、それが必要だとは思いません」

 

 恋焦がれる相手のために頭を下げた大介に、そんな彼を助けるために頭を下げた親友達の様子を見て心が強く突き動かされたのだ。本当なら考えをまとめてから話をするつもりであったが、あんな様子の彼らを見て黙ってなどいられなかった。ハジメは覚悟を決めて頭を上げると、毅然とした態度でメルドに臨んでいく。

 

「何故だハジメ? お前だけでなく光輝や恵里、他の仲間も奴のせいで死ぬかもしれなかったんだぞ?」

 

「そうかもしれません。でも、仮にユエさんを殺してしまった場合、最悪僕らも死にます」

 

 そのメルドから冷たく言葉を突きつけられるも、ハジメはそれから一歩も引かない。()に向けるかのような気迫を放つメルドに向かってハジメは持論を展開していく。

 

「彼女は恵里をさらった奴が求めていた存在です。ですのでもし、彼女が死んでしまった場合はソイツの予定が大幅に狂ってしまう。そうなったら何をしでかすかわかりません。最悪、僕ら全員を殺しにかかるかもしれませんよ」

 

「……確たる証拠は?」

 

「……ありません。ですが、僕と恵里をあの階層で殺すのでなく、そこから“落とす”ことを考えていたみたいですし、僕らがこうしてユエさんを見つけたことを踏まえると、ソイツが彼女の存在を求めているとは推測できませんか?」

 

「あくまでそれは推測だ。それだけでは()()できんな」

 

 しかしメルドは冷たく、かつ的確に言葉を返してくる。その様子にどうすれば、と焦るハジメの手をそっと恵里が引いた。そして振り向いた彼に微笑みかけながらハジメの前に立つと、恵里はメルドを説得するべく話を始めた。

 

「確かにね。メルドさん、そっちの言いたいことは十分わかるよ。正直ボクも目的や()()が無かったら切り捨ててるところだったから」

 

 まずは一旦、メルドの言葉を恵里は肯定する。自分の言葉のせいで光輝や香織の方からどよめきが走るのも想定内。そうして一瞬、メルドの雰囲気が和らぐのを感じ取ると恵里はすぐに自分の考えを話していく。

 

「でもボクもハジメくんの意見に賛成だね――浩介君が不意討ちしてやっとどうにか出来たあの女がいたんだ。その気になってたらあの場で全員死んでてもおかしくなかった。それぐらいはそっちもわかるでしょ?」

 

「それはそうだがな……確かに首魁の目的に関してはいいだろう。だが、どうやってユエの奴をどうにかするんだ? そちらの問題がまだだろう? 個人の感傷で襲ってきた相手にどう対処するつもりだ?」

 

 すぐにハジメの話した理由を補強して説得力を持たせると、今度は先延ばしにしていたユエ本人の問題をメルドが挙げてきた。そこで恵里は改めて思案し、結局確率が低いながらもこれしかないと考えていたことを口にする。

 

「そっちはまぁ、話し合い……いや、腹の内を全部さらけ出してもらうしかないかな。なんていうかあれ、見覚えがあるし」

 

 いっそ正直に全て話してもらうこと。恵里が挙げたのはこれであった。

 

 もし仮にユエに“縛魂”が効くのなら最悪それでどうにか出来たのだが、今の自分の“邪纏”を一瞬で解除するような魔法への抵抗力を持つ相手にそれを保険にするのは無理だと恵里は考えている。そうなればもう話し合いしかない。だが、恵里は今のユエの様子に心当たりがあったのだ。

 

(誰かへの嫉妬や執念なんかで動いてるような奴らもいたけど、ユエの場合はそいつらと違ってどうにかなるかもしれない……見た感じ、昔の鈴のやつをもっとひどくしたのとかボクが癇癪を起したやつと似てるしね)

 

 恵里がどうにかなると思った根拠、それはかつての鈴の様子と前世? の荒れてしまった自分の姿が今のユエと被っていたからであった。

 

 『ずっと一人』という言葉からしてやはり自分達との間に壁を作っていたのだろう。それは前々から恵里も感じ取っていたことであった。だからこそそこが解決の糸口になるのではないかと考えたのだ。何せその様子が前世? の自分と、かつての小学生の頃に自分と友達になろうとした時に拒絶した鈴の様子とそっくりだったからだ。

 

「……ねぇ恵里、それってもしかして鈴のこと?」

 

「まぁ、うん。一応そうだね。多分、鈴が一番アテになるんじゃないかな――後でハジメくんと電話で話したこと洗いざらい喋ってもらうから」

 

 鈴もまさかと思ったのかおずおずと尋ねてきたため、恵里はそれに答えるとすぐに鈴は顔を赤くして縮こまってしまった。やはり鈴もその見覚えのある相手が自分だと思っていたらしい。恥ずかしがっている鈴はハジメに任せ、恵里はメルドとの話に集中する。

 

「あの感じだと一度全部話してもらえばどうにかなると思う。全部吐き出してスッキリしてもらえば、そこからどうにかなるんじゃないかな」

 

「……本当にどうにかなるのか? 今の今まで本性、というか本音を隠してた奴だぞ?」

 

「ま、そこら辺はどうにかするよ――だってアイツ、ボクとも似てたからさ」

 

 自分の考えを伝えてもなお疑うメルドに、仕方なく恵里は自分のことも話すことにした。既にハジメと鈴は知っているのだ。かいつまんでならば別に構わないと考え、過去の一端を口にする。

 

「ボクが前世がある、ってことは前に話したでしょ?……前は光輝君に執着してたことも」

 

「ああ、ソイツは聞いてる……でもよ、今でも信じらんねぇ。中村が先生じゃなくて光輝にお熱だったなんてよ」

 

 信治の言葉にハジメと鈴そして光輝が苦笑いを浮かべ、他の皆が()()()うなずく様子を見て恵里も思いっきり引きつった笑顔になった。正直アレはもう黒歴史と言って差し支えない代物であったのだが、それは今は置いといて話を続けていく。

 

「あの時は光輝君……あー、いや、あいつは天之河でいっか。ともかく、天之河君を手に入れようと必死だった」

 

 自分がかつて執着していた光輝のことを名前でなく苗字呼びする様子に一同が首をかしげる……前世? のことを話した際にも、かつての彼の様子も光輝のイメージをあまり損ねないようオブラートに包んで話したのだが、光輝も含めて今のように全員がピンと来なかったのだ。何せ『現在』の光輝と全然違うからである。

 

 しかもその話を聞いた時、『いや、恥ずかしい話だけどさ、昔は俺もそんな感じだったよ。それで恵里に相当迷惑をかけたのは今でも苦い思い出だ……でもいい歳してそんな人間がいる訳ないだろう? 幾ら俺でもどこかできっと壁に当たって目を覚ましてたと思うんだけどな』と至極ご尤もな意見を光輝本人からいただいていたりする。

 

 彼らよりも前に自分の過去を語ったハジメと鈴に関しても『一体何があってああなってしまったのか』と考えるほどであった。そんなのはこっちが聞きたいぐらいである。

 

 閑話休題。

 

 恵里が話そうとしたのはその先のこと――エヒトの居城で鈴に追い詰められて癇癪を起こしたり、せっかく光輝に“縛魂”をかけて支配下に置いたというのに正気を取り戻し、前世? の雫達と和解していた時に絶望した時の様子だ。そこまでを説明するべく話を続ける。

 

「と・も・か・く!……ゴホン。彼を手に入れようとして色々とやってたよ。地球にいた時から取り巻きを追い落としたりしてたし、前にトータスに来た時も他の皆を排除して天之河君を独り占めしようとしてた」

 

「……もうしないよね、恵里ちゃん?」

 

「やるはずが無いでしょ、香織。ボクにはもうハジメくんがいるんだし、鈴だっていてくれるんだから……それと、皆も」

 

 そうして話を続けようとすると香織がじっとりとした目で疑問を投げかけてきたため、すぐさま打ち返す。自分を愛してくれるハジメがいるし、一緒にハジメを愛すると誓った鈴だっていてくれる。それに、こんな自分にまだ香織達は愛想を尽かさずにいてくれるのだ。だったら不満なんてエヒトのクソ野郎関連以外であるはずが無いのだから。ちょっと恥ずかしがりながらも恵里は話を続ける。

 

「でもあの時は結局上手くいかなくって、自棄になって自爆して……その時のボクにも似てるんだよ、さっきのユエはさ。欲しいものが手に入らなくて癇癪起こして、ワガママ言ってる子供みたいにね」

 

 その言葉に誰もが腑に落ちた様子で、そして苦し気な表情を浮かべている。無理もない。そうならないようにしていたつもりだったのに、結局自分達のせいで彼女を苦しめ続けてしまったのだから。そして恵里に自身の苦い思い出を話させざるを得ない状況を作りだしてしまったから。

 

 そんな皆の気持ちがわかって、少し嬉しがりながらも恵里は自分の考えを口にし続ける。

 

「……だから、さ。もうこの際全部言わせて強制的にスッキリさせちゃおうよ。その上でまた協力してくれるよう頼むなりなんなりしてさ。闇魔法が通じれば良かったけど…………通じないんだし、それならこれが一番だよ。やっぱりお話が一番。だからそんな目で見ないでってば」

 

 闇魔法を使うつもりであったのを白状したところで全員から白けた目で見られ、あまりの気まずさに目を背けながら必死に弁論する。そしてハジメが一際大きくため息を吐くと、大介を突っついて耳打ちをする――今だよ、と。それを聞いた大介もすぐにメルドにもう一度頼み込む。

 

「どうかメルドさん、お願いします!! せめて、せめて話だけでもさせてくれ!! だから、だから……」

 

 大介がそう伝えると同時に全員で頭を下げると、遂にメルドも大きく息を吐いて冷たい空気を霧散させる。思わず顔を上げれば、仕方がないとばかりの表情でメルドはこちらを見ていた。

 

「全く……まぁいいさ。お前達の覚悟は伝わった。それで何もしないほど俺も冷血漢にはなれん」

 

 メルドから漂っていた剣吞な空気は既に無く、大介達や恵里に振り回された時のようにやれやれといった感じの表情を浮かべている。全員が説得に成功したと理解するのに時間はかからなかった。

 

「だが、くれてやれるチャンスは一度だけだ。もし上手いことやれなかったのなら――()()()()からな。覚悟しておけ」

 

 ……が、『こうする』と述べた際にメルドがやった首を切るハンドサインに全員の肌が粟立った。チャンスをくれてやるだけで、ユエを始末することへの迷いも無いままだったということもわかってしまったからだ。そんな自分達にメルドは改めて問いかけてくる。

 

「……さて、大介。それとお前達。やるなら絶対に成功させろ。半端な結果は出すな。いいな?」

 

「――はいっ!!」

 

 そのメルドからの問いかけに大介は人生で一番いい返事をした。失敗したらどうしようという恐れもある。緊張もとれない。だが、メルドからユエのことを任されたのだ。なら絶対に成功させてみせると大介は息巻く。

 

 頼れる友人全員の顔を見れば全員がやる気にあふれており、言葉など無くても是が非でもユエの説得を成功させる意志が伝わって来た。大介は一度眠り姫の方へと視線をやると、恵里達の方へと勢いよく頭を下げた。

 

「浩介、礼一、信治、良樹、幸利、ハジメ、光輝――それと皆。頼む。俺と一緒にユエを……ユエを助けてくれ」

 

「顔を上げろよ大介――ほら」

 

 礼一からかけられた言葉の通り、顔を上げれば決意の変わらぬ、否、一層強い意志を秘めた友人達が大介を見つめている。心は一つになった。絶対に成功させよう、と誰もが無言で訴えてくるのがわかる。

 

「みんな……頼りにしてるぜ!!」

 

 おう!! と声が拠点に響き渡る。そして全員でどうやってユエを説得するのかを話し合うのであった。

 

 

 

 

 

「……ここ、は?」

 

「――ユエっ!! 良かった。目が、目が覚めたんだな!!」

 

 そうしてユエをどう説得するかの話し合いを終えてしばらく経過した後、ようやく件の相手も目を覚ました様子であった。ずっとそばで彼女の手を握っていた大介も心配で仕方なかった様子もすぐに喜びと安堵に満ちたものへと変わり、今はもう涙ぐんで彼女の手を両手で握るだけであった。

 

「良かった……本当に、本当に良かったよぉ……」

 

「……ああ。本当に、本当に良かったな。香織」

 

 安堵したのは大介だけではない。ずっと心配そうに見つめていた香織もぐすぐすと鼻を鳴らしてすすり泣いており、龍太郎も彼女の肩にそっと腕を回しながらも自分の目を何度も空いた手でこすっていた。

 

「生きてて、生きてて本当に良かった……ごめんなさい、ごめんなさいユエさん……」

 

「……本当にすまなかった。ユエさんの気持ちも、抱えているものもわかったつもりで俺は何もしなかった。どう向き合えばいいのかわからなかった。ユエさんならきっと大丈夫、なんて根拠のないものにすがってしまって……本当に悪かった。この通りだ」

 

「ごめんなさい、ユエ……コウキだけじゃなくて私も、私も結局あなたのことを追い詰めてただけだった。謝って済むようなものじゃないけど、でも――この通りよ」

 

 雫も涙を流しながら謝り、光輝も心の底から彼女へと詫びる。他の皆もそれに続き、未だこちらを向くだけで体も起こせていない少女へと頭を下げている。

 

(……あぁ、そうか。私はコイツらに負けたんだ……この、忌々しい奴らに)

 

 だがそれを見たユエはまだぼんやりした頭で状況の把握に努めた後、自分に向けて謝罪してくる彼らに向けて強い苛立ちを感じていた。そうやって自分の苦しみをわかったつもりでいる彼らが、頭を下げて言葉を述べただけで気が済むだろうと思っている奴らが本気で憎たらしかったのだ。

 

(……どうして、死ねなかったの。あそこで死んでしまえば、もう苦しまなくって済んだのに)

 

 そしてそれは自分自身にも向いていた。文字通り死ぬ気で魔法を使い、奴らも自分も殺すつもりだったというのに結果はこの有様なのだから。

 

 せめて暴れ出す前にコイツらへの嫌悪を我慢しながら血を飲んでいれば、と思うも後の祭りだ。今はとてつもない倦怠感に襲われてしまっており、体に力が入らない状態なのだから。

 

 もう一度暴れたり、自分の手を握る男を突き飛ばすどころか体を起こすことすら辛い。そんな状況で心底憎い相手からの謝罪を黙って受けるなど、彼女には耐えられなかった。

 

(……もう、いい。もう、疲れた……生きることも、苦しむことも……全部、全部疲れた……)

 

 そんなユエはもう自身の終わりを願うしかなかった。生きていても憎しみに身を焦がされる。憎い相手を道連れにして死ぬことも失敗している。故に何もかもが億劫になって、ただこの意識が永遠に途絶えることしかもう頭に無かった。この世の全てに、疲れ果てていたのである。

 

「なあユエ、俺達の何が悪かったか言ってくれよ。謝るし、全部受け止めっから」

 

 そんな折、自分の手を握っていた大介からユエは声をかけられた。今更何をと思うものの、自分に寄せられる視線が鬱陶しく、言わなければいつまでも尋ねてくるだろうと彼女も察する。

 

「……お前達の全てが、何もかもが憎い」

 

「テメェ……最初に手を出したのはそっち――」

 

「礼一!――言いたいことはわかる。でも、今だけは、今だけはこらえてくれ!!」

 

「信治君も良樹君も! お願い、今は我慢してよ。大介君のために、頼むから……」

 

 だから、ユエは感じていたものを、堪え続けていた思いを口にする。すると礼一と信治、良樹が憎しみを露わにしたユエに怒りのこもった眼差しを向けようとするも、すぐに光輝やハジメを筆頭に他の面々に止められ、宥められる。ユエはそんな彼らの様子を見て鼻で笑いながらまた己の胸の内を明かしていく。

 

「……どれだけの苦境に陥っても揺らがない信頼が……私が殺す気でかかってもまだ手を差し伸べてくるお前達の人の好さが気に食わない」

 

 こうしてまた思いを口にすれば、腹の内に溜まりに溜まった思いがドロリとあふれ出し、臓腑から爪の先までどす黒く染まっていくかのような心地がしてユエは顔をしかめていく。嫉妬が、憎しみが、再燃していく。

 

 そんなユエの言葉を聞いて、ユエの表情を見て誰もがショックを受けていた。あそこでユエを助け出せたと思っていたのは誤りだった。ただ“自由”にしただけでしかなかったのだと気づいてしまったからだ。

 

 自分が殺しにかかった時よりも恵里達が苦し気な顔をするのを見て、ユエは眉間にしわを寄せながら再度口を開く。

 

「……一緒にここに来たことを後悔した癖に仲間割れもしないで、ずっと仲良しこよしなお前らが憎い」

 

「――それ、はっ」

 

「絶望してた癖に、折れないで立ち上がったお前達が憎い」

 

 ユエの言葉で香織や雫、鈴は一層悲しそうな顔を浮かべており、恵里もまた何も言い返せずにいた。わかってしまう。ユエの思いを痛いくらいに理解できてしまうからだ。前世? の小学生の頃に光輝が自分を助けてくれた時と今のユエの状況が変わらなかった。そして光輝がやったようなことを自分もやってしまっていたからだ。

 

 鈴とちゃんと友達になって、ハジメを愛し、心に余裕が出来てしまったからこそ、その苦しみに気付いてしまって胸が痛む。自分は彼女(ユエ)と変わらない、同じなんだと思えてしまう。だから何か言葉をかけようとするもそれが出てこない。何を言えばいいのか、どうすればユエに届くのかがわからないのだ。

 

 だがユエはそんな恵里達が自分に同情したり憐れんでいるようにしか見えなかった。それが気に食わなくてまた思いを口にしていく。

 

「……私を憐れみたかった? 同情したくて私を助けた?――ならそれは侮辱。お前ら如きの慰めの言葉なんて、いらない」

 

「違う! 違うよユエさん! 私達はただ――」

 

「お前達の下らない同情で、自己満足から来る偽善で……私を救おうだなんて思い上がるな」

 

 ユエが思いを口にする度、もう静観することを決めて瞑目したメルド以外の全員の心が傷ついていく。裏切りを受け、三百年もの間何も出来ずに真っ暗闇の中生きるしかなかったことが彼女の心にどれだけの傷を残したのか。それをちゃんと想像したり、理解していなかったと痛感してしまったからだ。

 

「私は、助けてと頼んだつもりなんてない。その安い同情が、本当に苛立つ!!……それとも何も出来ずにいた可哀想な小娘を愛でたかった?――私を愚弄するな、俗物!!」

 

 ユエは止まらない。足りない、まだ足りないとばかりに憎しみに、怒りに火をくべていき、胸の内をさらけ出していく。

 

「お前達がつけた名前だって、かつての名前を聞かなくて済むためのものでしかない……でも、お前達のせいでこの名前すら忌々しい。お前達なんか、お前達なんか……」

 

 そうして幾度も強い憎しみを自分達に叩きつけて来たユエであったが、不意に言葉が詰まってしまう。そこで彼女を見た恵里達もまた彼女のようになってしまった――憎しみを宿した瞳から涙を流していたから。憤怒に染まっていたはずの顔がひどく苦し気になっていたから。

 

「こんな、こんな思いをするぐらいなら……私は、あのままで良かった……」

 

 言葉に段々と嗚咽が混じっていく。流れる涙がベッドを濡らし、少しずつ大きな水たまりを作っていく。

 

「なんで……なんでお前達はずっと仲がいいの? 私は、裏切られたのに。信じてたのに、どうして……」

 

 怒りだけじゃない。憎しみだけでもない。苦しみが、悲しみまでもが彼女の心からあふれ出していく。

 

「ずっと、ずっと、羨ましかった……お前達を見てると、裏切られた自分が、どこまでもみじめで、苦しくて……」

 

 妬みが、羨みが止まらない。ずっとずっと欲しくて、遥か昔は手にしていたはずの幸せが自分でなく彼らの中にある。その事実があまりにも苦しくて、ユエはただ涙を流す。

 

「どうして……どうしてわたしは、しあわせじゃないの?……くるしいの? こたえろ……こたえてよ……」

 

 顔をくしゃくしゃにしながら恨み節を、問いかけをする様はまるで見た目相応の子供のようで。ただ一人、暗闇の中に取り残された幼子のようにユエは泣きじゃくっていた。

 

「……きらい。おまえたちなんか……おまえたちなんか、だいっきらい……うぅ、うぁぁ…………」

 

 生きることも憎むことも、悲しむことも妬むことにも疲れ、あまりに弱々しい拒絶の言葉と共にただむせび泣くユエを見て誰もが涙を流す。自分達の愚かさに、そしてこれ程までに苦しみ続けていたユエを思って。

 

「……ごめん。何も、何もわかってなくて本当に悪かった。俺は、俺は……」

 

 そんな中、大介はユエの握っていた手を両の手で包みながら懺悔する。あまりに苦しくて、切なくて、どうすれば惚れこんだ彼女を助けられるかと思って漠然としながらそうした。それが正解かはわからない。だが、それでも、何かをしなければやっていられなかった。自身の心が悲鳴を上げていた。それ故の行動であった。

 

「うる、さい……あっちいけ……うぅ、うぅぅ……」

 

 それをユエはロクに力が入らない手で振り回し、どうにか放させようと抵抗する。だが衰弱した今の体ではどう頑張っても振りほどくことが出来ず、すぐに肩で息をしてしまったことで諦めてしまった。

 

「ごめんね……ごめんね……わたしたち、なんにもわかってなくって……」

 

「なさけ、ないよ……こんなとき、どうすればたすけられるかもわかんないなんて……」

 

 ぽつぽつと恵里達も言葉を漏らしていく。ユエを助けられなかったことを、苦しめたことを、必死になって足搔こうとしなかったことへの後悔が口から出ていく。嘆きが、悲しみが、拠点の中を満たしていく。

 

「……たすけて……たすけてよ……だれか、だれか……あぁ……あぁぁあぁあぁあぁ…………」

 

 吸血鬼の王であった少女の憎しみが果てる様子は無い。嫉妬も消える気配は無い。悲しみもまた尽きない。

 

「……おれが、おれがたすける!! だから、だから……うぁあぁあぁあぁぁあああぁ!!!」

 

 けれども少女はやっと、抱えていたものをほんの少しだけ手放せた。ようやく膨れ上がっていた感情をわずかに出せた。それはきっと、幸福なことなのだろう――。

 

 

 

 

 

「――“砲皇”」

 

 螺旋に渦巻く真空刃を伴った竜巻が目の前の蜂型の魔物を切り裂いていき――そして大きな爆発を起こす。

 

 その魔物が体から飛ばしてくる針は着弾すると同時に爆発を起こす代物であり、しかも銃弾のように連射してくるという恐ろしい奴である。

 

 そんな魔物の群れに群がられていた恵里達であったが、ユエが放った魔法により内蔵していた針を全て切り裂かれ、そのまま爆発四散してしまう。相も変わらず反則じみた強さにため息を漏らしていると、そのユエが振り返ってジト目でこちらを見ていた。

 

「……私ばかりに任せるな」

 

「……すまない、次からはそうさせてもらうよ。じゃあ皆、改めて索敵をしよう――」

 

 とげとげしい様子を隠すことなく自分達にぶつけてくるユエに光輝も苦笑いを浮かべながらそう答えるしかなく、この階層の情報を掴むために一緒に来た恵里達もまた彼の言葉に従った。

 

 ――お互い涙を流してしばらくした後、恵里は仲間を代表して再度ユエに協力を求めた。せめてこのオルクス大迷宮を突破するまではお互いに協力した方がいいと持ち掛けたのである。

 

 自分達はユエの力で早くこの大迷宮を抜けられるし、ユエとしても安全にここを進める上に食料(安全な血)を確保出来る。お互いのメリットが明確であったからこそ交渉できると恵里が踏んだのだが結果はこの通り。ユエとしても魔物の血を吸ったらどうなるかわかったものではなかったし、粗末とはいえ寝床があるのはありがたいと実感していた。たとえ憎い相手がそばにいようと、この『期間限定』の契約を結ぶことにしたのである。

 

「……そろそろ魔力が尽きそう。早く吸血したい」

 

 その際彼女から持ち掛けられた条件は二つ。一つは『自分の名前を呼ばない』こと。『ユエ』という名前すら嫌悪の対象となり、この大迷宮を突破した後はもう縁を切るつもりであった彼女からすれば、恵里達との繋がりを可能な限り薄くするつもりであり、それを誰もが寂しく思いながらも恵里達は承諾する。当初は名前を呼ぶこともしばしばであったが、階層を八十程降りた辺りで慣れてしまっていた。

 

「はいはい……それじゃあ檜山、腕出してあげて」

 

「おう、わかった――ほい。いつでもいいぞ」

 

 そしてもう一つは『檜山以外の血は吸わない』ということだ。魔物の肉を食べるのは論外だし、魔物の血も飲んだら危険である可能性は十分に高い。そうなると当然、飢えをしのぐためにも誰かから血をもらわなければならなくなる。そこで白羽の矢が立ったのが大介であった。

 

「ん……それじゃあ貰う」

 

 幾度憎しみを露わにし、拒絶してもなお自分に愛想を尽かさない大介を見て何か感じるものがあったのか、彼の血だけは許容することにしたようである。今もこうして先行部隊に加わった彼の腕に歯を立て、ユエは食事にいそしんでいる。

 

「……もういい」

 

「おう……その、本当にこれだけでいいのか?」

 

 尤も、血を吸う時はやはり憎しみがあふれてくるのを我慢をしているし、飲む量も以前と変わらず腹がかろうじて膨れる程度だったが。大介からの問いかけにユエは首を横に振るだけで特に何も言わない。そのことに軽く心が折れそうになる大介にハジメと恵里、そして鈴が声をかける。

 

「……もう少しだけ、頑張ってみようよ。もしかすると逆転するかもしれないし。根拠も何もないけどさ、ね?」

 

「……おう。頑張る。負けてたまるか」

 

「その意気だよ、檜山。それじゃ、ボクも頑張らないとね」

 

「頑張って、檜山君。鈴だってめげなかったからチャンスを手に入れたんだからね」

 

「だな……ホントありがとよ、谷口」

 

「……こっちのは? おい、ボクへの感謝の言葉はないの?」

 

 そうして恵里も皆も軽口を叩きながら索敵し、周囲の状況を探っていく。そうして各々の範囲でやれることをやっていると、恵里は使役した魔物の反応が一つ途絶えたことを感知した。

 

「二時の方向、向かわせてた魔物が一体……ううん、三体死んだ。全員、警戒しよう」

 

「ありがとう恵里――全員、戦闘準備! 来るぞ!」

 

 そして今日もまたオルクス大迷宮を恵里達は駆け抜けていく。本来ならばとても深く、綿密に絡んだ縁をようやく結んで。それはいつ解けてもおかしくないものでしかなかったが、それは確かに今ここに存在していた。

 

 ――本来辿った未来とは違う形で、少女と共に子供達は戦い続ける。その縁が切れぬことをただ願いながら。




遂に次回は真のオルクス大迷宮の最奥の守護者、ヒュドラ君戦です。遂に来ましたー、いえーい。

原作と違って十八人、しかも原作の魔王ほどのスペックではないにせよ全員が高・水・準!! こんなの勝ったも同然ですねーうっひょひょーい。

……なので『現実的な範囲』で強化しますね(ニッコリ)
だいじょーぶ! あくまで『あり得そうな範囲』での強化ですよー。やっぱり大トリですもの、ちょっとぐらい盛り上がれる仕様にしといた方がいいじゃないですかー(ニマニマ)


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四十七話 守護者、顕現せり

読者の皆様がたに惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも110222、お気に入り件数も724件、しおりも310件、感想数も335件(2022/5/19 6:55現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして原作とは違った√を辿りつつある拙作に目を通してくださる皆様には頭が上がりません……。

そしてAitoyukiさん、小焼夕焼さん。拙作を再評価していただき、本当にありがとうございます。また作者もモチベーションを保つことが出来ました。感謝いたします。

それで、えーと、その……まず最初にゲロっておきます。ごめんなさいガチでやらかしました(白目)

「いきなりヒュドラ君と戦うのもちょっと味気ないよなー。せや! 準備してるシーン入れたろ!! まぁどうせ2000そこらで終わるやろ(慢心)」
→「ちゃんと準備してるシーン書いて……あ、そうだ。どうせだし各キャラの心情も入れたろ!(慢心その2)」
→「なんで6000字近く行くの……ドウシテ…ドウシテ…」

……こんな経緯があったので戦闘シーンは次回、ということでお願いします(土下座)
では本編をどうぞ……。


「ドンナーもシャウアーもそれと……シュラーゲンも、良し。各種手榴弾も揃っているし、皆の武器のメンテもさっき終わった。後は……」

 

 ユエといさかいを起こし、そしてオルクス大迷宮を抜けるまでの間は自分達と協力する契約を結んでから五日が経過した頃、食事を終えて皆が拠点で思い思いに過ごす中でハジメは再度武器の点検や数の確認を行っていた。

 

 蹴りウサギや二尾狼などのいた階層から次で百階目になるところまで来ており、その一歩手前の階層で作った拠点にて装備の確認と補充にあたっていたのである。

 

 百などというキリのいい数字である以上、何かあるかもしれないと一緒に降りて来た全員が考えており、ユエの賛同をもらうと一行は百階層目に続く入り口近辺に拠点を作り、そこで準備をしてから降りることとなった。

 

 更なる火力を求めて前々から着手していた対物ライフル型のレールガンことシュラーゲン――ドンナーと違って全長が一・五メートル程と長いため、組み立て式となっている――も既に完成しており、試射どころか何度も実戦運用し、改善点を洗い出してブラッシュアップを施したそれも今しがた整備を終えた。

 

 サソリモドキの外殻を覆っていた魔力との親和性の高いシュタル鉱石も素材として使用しており、魔力を込めた分だけ硬度を増す性質によって銃身も相応に頑丈である。ドンナーの十倍ほどの火力を叩き出すそれはもちろん弾も特注であり、タウル鉱石の弾丸をシュタル鉱石でコーティングしたことで撃ち出す際に弾丸が耐えられるようにしてある。フルメタルジャケットを真似たつくりのそれも錬成の派生技能である[+複製錬成]によって既に数も揃っていた。

 

 そうしてハジメが確認を終えて一息吐いたところで、恵里は水の入った二つのコップを両の手で持ちながら鈴と一緒に彼の許へと向かっていく。

 

「お疲れ様、ハジメくん。一旦作業はやめにしてお水飲みなよ」

 

「もう区切りはついたんだよね? だったらここで休もうよ。ね?」

 

「ありがとう恵里。それと鈴も。それじゃあいただくね」

 

 そして恵里がコップを手渡せば、ハジメはそれを美味しそうに一気に飲み干していった。その様子を見るだけで鈴とのじゃんけんに勝った甲斐があったものだと恵里は思っていると、ふと彼の頬を一筋の汗が伝っているのが見えた。そこで鈴と目配せをするとお互い悪戯っぽい笑みを浮かべて一緒にハジメの手を取る。

 

「さっきまでボク達のために頑張ってたハジメくんにはご褒美をあげないとね。背中、流してあげる」

 

「こうして鈴達が無事にここまで来れたのもハジメくんのおかげだもんね。じゃあ行こっか」

 

「え、ちょ、ふ、二人とも!? わ、わわっ! ひ、引っ張らないでってば!?」

 

「それじゃあボク達はお風呂に入ってるから。先に寝ててもいいからねー」

 

「あんまりハジメを振り回すなよー」

 

「ハジメ君だって疲れてるんだから、変なことしないでねー」

 

 ハジメの手を引きながらまだ眠りに就いていない面々に声をかけると、ユエ以外の面々から注意を受けてしまい恵里と鈴は頬を膨らませる。ただそんな程度で止める気は無かったため、そのままハジメを引きずって『恋人』用の風呂場へと姿をくらませた。

 

「……相変わらず五月蠅い」

 

 風呂場から聞こえる楽し気な恵里と鈴の声と時折響く喜色交じりのハジメの悲鳴に、ユエは今にも舌打ちしそうな顔でそうつぶやいた。あの三人が楽しそうにしている様子は前々から心底目障りに思っていたが、それは今でも変わっていない。眉間にしわを寄せながらシングルベッドの上で髪の毛をいじっていると、メルドも自分に同意した様子で大きなため息を吐いていた。

 

「アイツらは……まぁハジメも恵里も俺達の中では功労者だからな。あまり目くじらを立てないでやってくれ」

 

「三人とも……相変わらずというか、何というか。いや、トータスに来てからもっとひどくなってるな」

 

「本当にそうね……でもメルドさんの言う通り、ハジメ君は頑張ってくれてるし、彼に尽くしたいって思ってる恵里と鈴のことを考えると、その……私もとやかく言えないわ」

 

 この中で一番異性交遊について口やかましい光輝と雫も苦笑しながらもそれを止める気はなかった。

 

 昔から彼らを見ていたということもあるし、何より明日は例の百階層目の攻略である。いつもよりも念入りに武器や防具の整備をしてくれた手前、あまり強くは言えなかったのだ。ここまでずっと彼の頑張りのおかげで支えられてきたというのは誰もがわかっていたからである。

 

 そんな彼を支えてくれた恵里と鈴に関しても言わずもがなであり、そんな幼馴染のことを今更とやかく言う気は光輝には無い。それと彼らのおかげで立ち直ることが出来、また自分も光輝に尽くしたいと考えている雫からすればやはり悪し様に言うのは(はばか)られたのである。

 

「そっちだってそのベッド使ってるだろ? これだってハジメがいなかったら使えなかったんだからな」

 

「はいはいハジメ様々……これで満足?」

 

 龍太郎も不満気なユエを諫めるものの、投げやりな感じで返す彼女に香織共々ため息を吐くしかない――あの時ほんの少しだけ見せてくれたユエの心の内を思えば、まだ理性的になって抑えてくれているとわかってしまうからだ。

 

「……取り付く島もねぇな」

 

「うん……どうすれば、ううん、どうしたらよかったんだろうね……」

 

「なんでだよぉ……どうしてなんだよぉ……」

 

 ユエを見てどうすればいいのやらと二人が考え込んでいると、ふと彼女のベッドの近くに置かれたソファーでへこんで横になってすすり泣いていた大介の声が聞こえた。こうなったのも先程ユエに『もしここを出たとしても俺も一緒に行くから! お前を一人にはさせねぇ!!』と伝えた際、困惑も入り混じったもの凄い嫌そうな顔で首を横に振られて玉砕したからである。

 

「うぅ……いやだぁ……あきらめたくねぇよぉ……」

 

「大介の奴……しゃーない、慰めに行ってやるか」

 

「そうだね……檜山くーん、まだ多分大丈夫だよー! 檜山君じゃなかったらきっともっとひどい対応だったと思うからー!」

 

「いや香織、お前それ全然慰めになってねぇからな……」

 

 これ以上ユエのことを考えてもどうにもならないと思った二人は、ひとまず友人である大介の面倒を見ようと考えて彼の許へと向かっていった。面倒な子に惚れ込んでしまい、まだ諦めのつかない様子の彼を慰めに。さめざめと泣く大介に二人がどうにか言葉をかける中、今度は浩介がメルドに話しかけた。

 

「そういやメルドさん、またその剣見てるけど……その、飽きないんですか?」

 

「ん?……まぁな」

 

 先程からメルドは鞘から出していた剣の向きを変えては眺めており、部屋の中央にある緑光石から放たれる光に照らされる剣身を飽きずに見ている。流石に浩介から声をかけられてからはそちらの方を向いたものの、そうでなければ寝るまでずっと見ているつもりであった。

 

 この奈落では娯楽というものが基本食事ぐらいしかないため、時間つぶしにやった行動が趣味に繋がるのも珍しくはない。メルドにとっては今使っている剣を眺めることが趣味となっており、そのため先程からずっと見ていたのだ。

 

「昔からコイツを持って幾度も戦場を駆けていたからな。今はこうしてこの大迷宮で使っているが、昔のことやここ最近のことをコイツを眺める度に思い出すんだ」

 

 そう言いながらメルドはかつての戦場やこうしてオルクス大迷宮での死闘を思い出す。そのどれもが楽な戦いではなかったが、この剣と共に切り抜けてきた。元々愛着は強かったものの、ここオルクス大迷宮に来てからは一層その思いが強くなっていったのである。

 

「昔から愛着が無かった訳でもないが、こうしてハジメに何度も修繕されて改良してもらったことでコイツは一層強く、頑丈になった……それを思うとどこか感慨深くてな。わかるだろう浩介、幸利?」

 

 もう自分の半身とも言うべきそれを愛おし気に見つめ、そしてそれが理解できているであろう幸利にまでメルドは話を振った。

 

「……まぁ、その、はい。やっぱりハジメがくれた刀はよく切れるし、丈夫だし。俺も俺でよく手入れしてますから」

 

「え、ちょ、お、俺もですか!?……まぁ、ハジメからもらったコイツはすっごい大事にしてますけどね」

 

 浩介も横に置いていた刀を手に取り、幸利も機構のチェックついでにいじっていたパイルバンカーの“ベーオウルフ”――言わずもがなあの古い鉄のパイロットのテーマ曲から幸利が勝手につけた名前である。なおハジメもノリノリでOKを出した――を撫でた。

 

 つい先日、ようやくハジメも満足のいく出来として仕上がった二人の武器であったが、無論今の今まで大いに役立ってくれていた。

 

 浩介は普段からの闇討ち――と言っても割と勝手になってしまうだけだが――にも近接戦闘にも使っているし、幸利も魔物の接近を許した際の強力な切り札として運用している。流石に作った当初は初期不良が多かったり、無理な運用をしたことで発生した故障や刃こぼれといったものはあったが、それでも二人にとって助けにならなかったことは無かったのである。

 

「ならわかるだろう? お前らにとってのその武器がそうであるように、俺にとってこの剣はとても大事なものなんだ。手入れが終わっててもこうして眺めることは嫌いではないんだ――そういうことさ」

 

 微笑みながら言葉を口にするメルドに二人は共感をありありと浮かべながらうなずく。彼の言葉で自分達もまたこの武器のことを思っている以上に気に入っていることに気付けたからだ。二人もまたメルドと同じように愛おし気に自分達の武器を見つめる。

 

「……ふん」

 

 そしてそんな幸利を見ながらどこか不満気に口をとがらせたのは優花であった。

 

 彼女は今、不要な金属で作ってもらったジョウロを使ってトレントモドキに水やりをしていた最中であった。そんな折、幸利が浩介と一緒にメルドと話を聞き、それもハジメが作ったパイルバンカーを大事にしていると述べた時にどこか()()()()()と思ってしまったのだ。

 

「……どうかした、優花っち」

 

 そんな優花に声をかけた奈々もどこかうわの空の様子であった。さっきの()()とメルドのやり取りを見て、彼女も視線をちょくちょく幸利に向けながらも優花の方を見ていた。

 

「……別に。何でもないわよ、ナナ」

 

「そう?……水、もう出てないけど?」

 

「こ、これは、その、えっと……」

 

 既にジョウロの水が空になったのを指摘され、目が泳ぐ優花を見ながらも奈々はまた幸利のことを思う。

 

(どうしてなんだろ……あの武器が羨ましく感じるなんて)

 

 元々は光輝と雫がイジメから助け、その縁で友人となったぐらいでそこまで意識していなかったのだが、二尾狼の群れと初めて相対した時から彼に向ける感情がほんの少し変わった。

 

 ――だからふざけんじゃねぇってんだ!!――まだ、まだ俺らがいるだろうが!

 

 空腹にあえぎ、迫りくる魔物の姿に怯えて絶望するしかなかった時、この言葉で自分を縛っていた感情がほんの少しだけ弱くなった。だから奈々は完全に心が折れなかった。

 

 ――あの水もまだ残ってるだろ! 光輝達はまだ生きてる。ならあの水を飲ませりゃどうにかなるだろうが!! ここで動かなきゃ友達が死ぬんだぞ! わかってんのかお前ら!!

 

 二尾狼に追い詰められ、もう恐怖に怯えて泣き叫ぶしかないと思ったあの時、この言葉で気づかされた。自分達は恵里達のためにここに来たのだと。だから奈々は立ち上がれたのだ。

 

 あの時、自身も震えながらもそう言った幸利の姿を見て、友情以外の()()()()が奈々の胸に生まれた。尊敬のような憧れのような何かが。それは日を経る毎に段々と強まっているのを奈々は感じていた。

 

(……いいなぁ)

 

 そんな時にメルドとのやり取りを見て彼の手に収まっている武器に、それを贈ったハジメに対して奈々はどこか憧れを感じてしまっていた。強く思ってもらえることをどこか羨んでいたのである。

 

(……何よ、本当に。ハジメから貰った武器が大切なのはわかるけど、こう……あー、もう!!)

 

 幸利に対して友情とは別の思いを抱いているのは優花もまた同じであった。

 

 出会って間もない頃にウィステリアでハジメに対する嫉妬を浩介と一緒に話し合っていた時や、大介らとつるんで下世話な話で盛り上がっているのを見て『これだから男子ってのは……』と呆れていたりしていた。これまでずっとそういう目で見ていたものの、ここトータスに来てからはそんな彼への印象が徐々に変わっていったのである。

 

 トータスに来た日の夜、自分達の行動方針について語り合っていた時、幸利が自分の考えを言いだす辺りまではその印象は変わらなかったが、それを耳にした途端に彼の中の何かに思わず惹かれてしまったのだ。とても冷たく、けれども確かに熱がこもった言葉を発する彼の様子を見て今までと同じ印象を抱けなくなったのだ。

 

 そしてそれが顕著になったのは奈々と同じく二尾狼に襲われそうになった時のことだ。彼の言葉に、必死になって生き延びようとする様に惹きつけられてしまったのだ。以降も幸利が援護として自身の投げナイフに魔法を付与してもらうこともしばしばあり、そうしてもらう度に自分の中で何かが育っているような気がしていたのだ。

 

 よくわからないものを抱えながらも大迷宮を攻略していたが、正体の分からないそれを抱えていることは決して嫌ではなかったし、どこか自分の力にもなっていたのを優花は感じていた――特にそれが、彼と力を合わせている時に強くなるのを何度も経験しながら。

 

 だがそんな時、ハジメからもらった武器に愛着があることを幸利が語った時に何故か優花はもやもやとしたものを感じたのである。それもひどく不快なものを。だが、それを単なる不快感だと優花は()()()()()()していた――これを“嫉妬”だと認めてしまったら、彼とどう接すればいいのかわからなくなってしまうから。

 

「……こ、これから水を入れようと思ってたのよ!――って、ユグ! アンタは邪魔しないの!!」

 

 迎えて早々ユグドラシル――愛称はユグやゆぐゆぐなど――と名付けられたトレントモドキも、根腐れを起こしかねないからやめてくれと根っこを伸ばしてジョウロを明後日の方向へ向けたものの、優花は逆ギレして直接水の初級魔法である“滴垂”を発動しようとする。

 

「ふ、二人ともどうしたのぉ~? なんか変だよぉ~?」

 

「な、何でもないわよタエっ!!」

 

「え?……う、うん。なんでもないから……」

 

「え~?……えっと、その、とりあえずゆぐゆぐが嫌がってるしやめたげなよぉ~」

 

 するとそんな二人の様子を見て疑問を感じた妙子から声をかけられるも、普段とは違う二人の反応に妙子も困惑するしかなかった。そんな二人を見てどうしようと思いつつも、とりあえずユグドラシルを助けてあげようと声をかける。

 

「キュ……スゥ……」

 

「おー、ジンバブエドルライスじゃねーか……これ食いたかったんだよなー、ありがとかーちゃん……」

 

「うへへ……モテ男ってのもつれぇなー……そのままシャンパンプール行こうぜー……」

 

「よーし今日は俺のおごりだー……大介も、先生も、お前達も好きにねーちゃんとイチャイチャしようぜー……うへへ……」

 

 既に夢の世界へと旅立っていたイナバ、礼一、信治、良樹ら三人と一匹。礼一らは思い思いに夢を見て幸せそうな顔を浮かべ、イナバもどこかだらしのない顔で寝返りを打っている。かくして今日も騒々しいままに夜は更けていき――そして運命の朝を迎える。

 

「――よし。今日は遂に百階目だ。きっと何かあるかもしれないけれど、ここまでの苦境を切り抜けてきた俺達なら絶対に勝てる。それを信じてくれ!!」

 

 そして食事を終え、全員と向き合った光輝は激励の言葉をかける。何があっても自分達なら絶対に大丈夫だ、と不安を一掃するために。彼の意をくんでユエも不承不承に、恵里達も元気よく鬨の声を上げる。

 

 その後イナバとユグドラシルにお留守番を命じ、恵里達は下へと向かうのであった。

 

==================================

 

中村恵里 16歳 女 レベル:54

 

天職:闇術師

 

筋力:1410

 

体力:1440

 

耐性:1420

 

敏捷:1700

 

魔力:1800

 

魔耐:1800

 

技能:闇属性適正[+闇属性効果上昇][+発動速度上昇][+消費魔力減少][+魔力効率上昇][+連続発動]・闇属性耐性[+効果上昇]・気配感知[+特定感知]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚]・風爪・夜目・遠見・気配感知・魔力感知・熱源感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・金剛・威圧・念話・言語理解

 

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南雲ハジメ 16歳 男 レベル:56

 

天職:錬成師

 

筋力:530

 

体力:580

 

耐性:510

 

敏捷:1670

 

魔力:1260

 

魔耐:1260

 

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+複製錬成]・気配感知[+特定感知]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚]・風爪・夜目・遠見・気配感知・魔力感知・熱源感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・金剛・威圧・念話・言語理解

 

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谷口鈴 16歳 女 レベル:59

 

天職:治癒師

 

筋力:1390

 

体力:1450

 

耐性:1360

 

敏捷:1740

 

魔力:1920

 

魔耐:1920

 

技能:回復魔法[+効果上昇][+回復速度上昇][+イメージ補強力上昇][+浸透看破][+範囲効果上昇][+遠隔回復効果上昇][+状態異常回復効果上昇][+消費魔力減少][+魔力効率上昇][+連続発動][+複数同時発動]・光属性適性[+発動速度上昇][+効果上昇]・高速魔力回復[+瞑想]・気配感知[+特定感知]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚]・風爪・夜目・遠見・気配感知・魔力感知・熱源感知・気配遮断・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・金剛・威圧・念話・言語理解

 

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 現在の彼らの中で恵里、ハジメ、鈴のステータスはこのような具合であった。ちなみにこのメンバーの中で一番ステータスの平均値が高い光輝の場合、高い数値は1900ほどあり、低いものでも1600オーバーと中々に愉快なことになっている。

 

 各人のステータスは初めての魔物を喰えば上昇し続けているが、固有魔法はそれほど増えなくなった。主級の魔物なら取得することもあるが、その階層の通常の魔物ではもう増えなくなったようである。魔物同士が喰い合っても相手の固有魔法を簒奪しないのと同様に、ステータスが上がって肉体の変質が進むごとに習得し難くなっているのかもしれないと恵里やハジメは推測していた。

 

 閑話休題。

 

 階段を下りていき、恵里達がたどり着いた階層は無数の強大な柱に支えられた広大な空間だった。

 

 柱の一本一本が直径五メートルはあり、一つ一つに螺旋模様と木の蔓が巻きついたような彫刻が彫られている。柱の並びは規則正しく一定間隔で並んでいる。天井までは三十メートルはありそうだ。地面も荒れたところはなく平らで綺麗なものである。どこか荘厳さを感じさせる空間だった。

 

 恵里達はしばしその光景に見惚れつつも足を踏み入れていく。すると全ての柱が()()()輝き始めた。ハッと我を取り戻し警戒する一行は周囲を観察すれば、柱は自分達を起点に奥の方へ順次輝いていく。

 

「……何も起きないわね」

 

「いつでも防御に移れるように俺と一緒に鈴と香織は“聖絶”の準備をしてくれ――よし、全員移動だ」

 

 つい先日使えるようになった“聖絶”をいざという時に発動するよう光輝がアナウンスをしつつも、周囲の警戒は怠らない。それは光輝だけでなく全員がやっていた。

 

 しばらく経過しても何も起きず、全員足を止めていたものの遂に先へ進むことにした。無論、感知系の技能をフル活用しながら歩みを進めてである。

 

 そうして二百メートルも進んだ頃、前方に行き止まりを見つけた。いや、行き止まりではなく、それは巨大な扉であった。全長十メートルはある巨大な両開きの扉が有り、これまた美しい彫刻が彫られている。特に、七角形の頂点に描かれた何らかの文様が印象的だ。

 

「……あれ? どっかでああいうのを見たような……」

 

「……凄いね。もしかして……」

 

「ここが、反逆者の住処……遂に、遂にたどり着いたんだ……」

 

 信治は何か引っかかりを感じたようだが、誰もがその様相に息を呑んだ。いかにもラスボスの部屋といった感じだからである。

 

 実際、感知系技能には反応がなくとも恵里達の本能が警鐘を鳴らしていた。この先はマズイと。それはユエも感じているのか、うっすらと額に汗をかいている。

 

「……行こう、皆。どんな敵が現れても、俺達で倒す。絶対に、超えるんだ!!」

 

 本能から来る恐怖を押し殺しながら叫ぶ光輝に、恵里達もうなずいて進んでいく。たとえ何が待ち受けていようとやるしかないのだ。これは恵里の前世? のハジメも通った道なのだから、と覚悟を決めて。

 

 そして、全員で扉の前に行こうと最後の柱を超えた時であった。

 

 その瞬間、扉と恵里達の間三十メートル程の空間に巨大な魔法陣が現れた。赤黒い光を放ち、()()()()()()()()()()()()()()()()、脈打つようにドクンドクンと音を響かせる。

 

 誰もがその魔法陣に見覚えがあった。忘れようもない。あの日、自分達がオルクス大迷宮を降りる日に見たものと同じだったからだ。自分達だけでなく永山達も窮地に追い込んだトラップと目の前のそれが。

 

 だが、ベヒモスの魔法陣が直径十メートル位だったのに対して、眼前の魔法陣は三倍の大きさがある上に構築された式もより複雑で精密なものとなっている。

 

「全員、来るぞ! 各自攻撃準備!!」

 

「光輝の言う通りだ!! ボサッとしてたら死ぬぞ!!」

 

 目の前の魔法陣に誰もが目を取られていたが、すぐに我に返った光輝が出した号令とメルドの怒号のおかげで恵里やハジメもやるべきことを思い出せた。すぐさま全員が武器を構え、番人の出現に備える。

 

 ――この時、真のオルクス大迷宮の百階層目の仕掛けは普段とは違う挙動をしていた。それはここを造ったオスカー・オルクスが“大人数でこの大迷宮を攻略した時”を想定したパターンのものだ。

 

 凶悪な魔物がひしめき合い、様々な過酷な環境で満ちたこのオルクス大迷宮だが、相応の実力を持った人間――例えば自分達“解放者”のような存在が何人もいたのならここの突破は容易であろうと彼は考えていた。それ程までに強い力の持ち主が打倒エヒトのために動いてくれるのは喜ばしいことであるが、同時に不安でもあった。簡単に勝てる番人を配置して、それが原因で足元をすくわれるのではないのか、と。

 

 そこで彼は一定以上の人数がこの最後の階層に訪れた際、専用の仕掛けを発動するように仕込んでいた――通常の守護者に()()手を加えた存在が出るようにしていたのだ。

 

 その守護者が通常のものと違う要素はまずここ、オルクス大迷宮の魔物を生み出すためのリソースである巨大な魔力溜りとのラインが繋がっている点だ。そのため()()()()を遺憾無く発揮することが出来るのである。

 

 そして最も重要なのが二つ目。()()()()()()()()()設計であるということだ。下手に力を温存してあっさりと番人が負けてしまい、踏破する者の糧とならないのは論外だとこの大迷宮の創造主は考えた。そこで強敵を相手にしてもなお勝てるかどうかを試すべきでは、と彼は考えたのである。

 

 ……もちろん他の仲間からは心底引かれていたが。

 

 魔法陣はより一層輝くと遂に弾けるように光を放った。その場にいた誰もが咄嗟に腕をかざし目を潰されないようにする――光が収まった時、遂に守護者は顕現した。体長三十メートル、()()の頭と長い首、鋭い牙と赤黒い眼の化け物が。例えるなら、神話の怪物ヒュドラだった。

 

「「「「「「「クルゥァァアアン!!」」」」」」」

 

 不思議な音色の絶叫をあげながら七対の眼光が恵里達を射貫く。身の程知らずな侵入者に裁きを与えようというのか、常人ならそれだけで心臓を止めてしまうかもしれない壮絶な殺気が彼女達に叩きつけられる。

 

 ――同時に火炎が、氷の礫が、風の刃が、そして滅びの極光が放たれた。




さて、さっそく現れましたスーパーヒュドラ君(仮)ですが、いきなりネタバレすると彼にも立派な弱点はあります。なんと全部の首を倒され、胴体にも致命傷を与えられた状態で回復出来ないと死んでしまうんです!! いやー、さしものオー君もちょっぴり手抜きしたみたいですねアッハッハ(笑)

……ハイ、続きは近いうちに上げるつもりですごめんなさい(すぐ投稿するとは言ってない)


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四十八話 最奥の死闘

まずは読者の皆様に感謝の言葉を。
おかげさまでUAも111529、お気に入り件数も730件、感想数も340件(2022/6/4 17:55現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして作者が筆を執っていられるのも拙作を見てくださる皆様のおかげです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうして何度も何度も評価していただけることで作者も励みとなります。ありがたいです。

ではまず今、回の話を見るにあたっての注意を……かなり長く(約18000字)なりました(白目)

それとあと個人的に思っていることですが、読んでる時にス〇ロボJの方の「Doomsday」が脳内でかかったらいいなー、と思って執筆してました。

では今回の話が長いことに注意して本編をどうぞ。


「「「――“聖絶”!!!」」」

 

 四つの魔物の頭が放つ攻撃が視界いっぱいに広がっていく。

 

 迫り来る鮮やかな必殺の攻撃を見た瞬間、全員肌が粟立つような感覚に襲われ、即座に鈴、光輝、香織は“聖絶”を発動する。直後、迫りくる死の一撃を全てを弾く絶対の防御が受け止めた。だが――。

 

「ぐっ……!! なんて、破壊力だ!!」

 

「駄目っ!! 防いだそばから壊されちゃう!!」

 

 放たれた攻撃の全てが凄まじく、最強の守りと謳われた“聖絶”すらほんの数秒で溶かし、砕いていく。三人で交代しながら張ることでどうにか防いではいたものの、多様な致命の一撃は衰えを知らぬまま自分達に迫ってきていた。

 

「“緋槍”、“砲皇”、“凍雨”、“裂塊”……駄目!」

 

「“凍雨”、“凍雨”!――あーもう、あの頭が邪魔ぁ!!」

 

「“炎天”!――クソが! 倒してもすぐに全回復とか意味わかんねーぞ!!」

 

 ユエや奈々、信治などの術師のグループを筆頭に“聖絶”の外から魔法を展開して頭を全て叩こうとするものの、肥大化する黄色の文様の頭によってその全てが防がれてしまう。一度全員の魔法を当てて倒しはしたが、白い文様の頭がひと鳴きすると同時にダメージを受けた頭が光に包まれ、逆再生でもしたかのように完全に回復してしまう。

 

「まだどうにか攻撃は食い止められるけれど……!」

 

「攻撃も全然収まる気配が無いなんて……!!」

 

 途切れることも弱まることもない敵の攻撃に押され、攻撃を仕掛けても傷跡一つ残すことすら難しい。これまでの魔物とは一線を画す存在を相手に、恵里達は久しく恐怖を覚えていた――最初に二尾狼と戦ったあの時のように、あまりに絶望的な相手と向き合っているかのようであった。

 

 ――この場にいた誰もが知らぬことだが、今回現れたヒュドラのような魔物は大迷宮の魔力溜りと繋がっていることで全ての首が()()()()()()()()ようになっている。

 

 つまり、本来登場するはずの魔物では存在していた隙がないのだ。本来ならばこれ程の猛攻を続ければあっさりと魔力が空になってしまって勢いを保てないが、それも莫大な魔力を大迷宮から貰っていることで解消している。隙が無い。故に強いのである。

 

「張り直しても張り直してもキリがないよ!! このままじゃ――!?」

 

 そんなシャレにならない敵を相手に全員がパニックを起こしかけていたその時、いきなり鈴の顔が青ざめていく。“聖絶”の展開も出来なくなり、額から脂汗を流しながらその場にくずおれてしまった。

 

「し、ぬ……? ハジメ、くん……え、り………うぁ……ハァ……ハァ…………」

 

「鈴!? 鈴、しっかりして!!」

 

「神水! これ、これを今すぐ飲んで、ほら!!」

 

 すぐさま恵里はハジメと共に彼女の許に駆け寄り、ハジメは自分の持ってた神水の容器の端を砕くとすぐに彼女の口へと突っ込んだ。するとすぐに鈴はかぶりを振り、頭の中に巣食う何かを払うかのように大きな声を上げる。

 

「――あぁああぁぁぁあああぁ!! こんな嘘、怖くなんか……怖くなんかない!!」

 

 突然強烈な不安感に襲われた鈴の脳裏に広がっていたのは最初に二尾狼に襲われたあの日のような光景――自分達の力が足りず、ハジメと恵里が紅黒い電撃に身を焼かれて生きたまま貪り食われるというあまりにもおぞましく絶望的なものであった。

 

 だが突然聞こえた二人の声と口から広がっていく活力――神水の効能が彼女に力をくれた。そして気づけたのだ。これは現実でなく、よくわからない恐れなのだ、と。それを払うべく雄叫びを上げ、その幻に抗ったのである。

 

「鈴っ!!――もう大丈夫? 平気なの?」

 

「鈴、僕達は生きてる! 生きてるよ!!」

 

「……あり、がとう。ハジメくん、恵里……」

 

 息を荒げながらもどうにか鈴は復帰したものの、未だ本調子とは言えない。血色は幾らか戻ったものの、体は震えがまだ走ったまま。すぐに魔法を行使出来るようなメンタルではなかった。

 

「ごめん鈴ちゃん! 早く、早く戻って!!」

 

 だが無数の死神の鎌は弱まる事無く迫ってくる上、間断なく叩き込まれてきている。鈴が動けなくなっていた間“聖絶”を張っていたのは光輝と香織、そして仕方ないとばかりに参加したユエの三人。この三人でどうにか食い止めていたのである。

 

「……早く、早く“聖絶”を!」

 

「このままじゃ俺達がもたない!! 早く……早く“聖絶”を展開してくれ!!」

 

「お願い鈴ちゃん! もう、これ以上は……!」

 

 だが急拵えの連携な上、ユエは“聖絶”を使った経験があまり無い。そのため、息を合わせながら展開していたものの、鈴が加わっていた時よりも何割も早くこちらへと向かってきていた。

 

「ここはとりあえず穴作って全員で逃げるぞ!! 馬鹿正直に付き合ってたら死んじまうしな!」

 

「大介の言う通りだな! その間どうにか時間稼いでくれ!!」

 

「ああ、任せてくれ!!」

 

「お願い檜山君達! それぐらいなら頑張れるから!!」

 

「わ、かった……鈴、頑張るからっ!」

 

 その一方ですぐに地面に穴を掘って逃げることを思いついた大介達は作業に取り掛かっていた。光輝と香織もそれに賛成し、どうにか“聖絶”を張り続けていれば、鈴も息を荒げながらもう一度バリアを張ろうとしていた。

 

「大丈夫なの、鈴!?」

 

「やる、しか……無いでしょ!……ここで、鈴がやらなきゃ、皆が死んじゃうんだから!!」

 

「ああ、頼――っ!?」

 

 しかし今度は足元からも魔の手が忍び寄って来る。黄頭が叫びを上げると同時に地面が一瞬揺らぎ――その直後、結界の内側から槍の形に圧縮された土が射出された。

 

「ぐあぁあぁああぁ!?」

 

「あぁああぁあぁああぁ!?」

 

 想定外の方向からの一撃。それは必死に“聖絶”を展開していた三人だけでなく、攻撃を続けながらも出方をうかがっていた恵里達すらも襲い、貫く。だが、魔物は追撃の手を止めることは無かった。

 

「――ぁっ……うぁああぁあああぁ!?」

 

「……こうき、くん!?」

 

 臓腑を貫かれる痛みに耐えながらも鈴が再度“聖絶”を使おうとした際、今度は光輝の方に異変が起きた。地面からの奇襲も聖鎧に守られたことで軽い打撲で済んでいたのだが、さっきの鈴のように光輝もいきなり強い恐怖に襲われたのである。

 

「やめ、ろ……みんなを、ころさないでくれ……やめて、くれ……」

 

 光輝の脳裏に広がったのはベヒモスが現れたあの六十五階層、それもノイントに自分が打ち倒されて目の前で仲間が蹂躙される幻影である。自身は何も出来ないまま、ただただ肉片へとなり果てていく恋人と親友達、恩師を見るしかないというあまりに凄惨な光景が。

 

「――“せい、しん”っ!!」

 

 だがそんな時、恵里の叫びが階層に響き渡る。

 

 腕と腹の痛みにあえぎながらも恵里は何が光輝と鈴に起きたのかを正確に看破したのだ――鈴と光輝が挙動不審になったのは自分のように相手が闇魔法を使ってきたからだ、と。すぐに“静心”を発動して光輝の心を落ち着かせることで対処する。

 

「“せい、てん”……っ!」

 

 そして香織も痛みに耐えながら光系統最上級回復魔法である“聖典”を発動し、全員の傷を癒していく。最低でも半径五百メートル以内の人間を対象にし、絶大な癒しをもたらす正に最上級の名に恥じぬ凄さの魔法である。

 

 無論、その分魔力の消費も尋常ではなく、持ち前の魔力の大半を持っていかれてしまい、肩で息をしながらも今は全員の治癒と“聖絶”の維持に意識を注ぐ。

 

「白崎! 俺らの魔力を持ってけ!!」

 

「お前がぶっ倒れたら時間すら稼げねぇからな! 早く!!」

 

「ありがとう近藤君、檜山君!―― “廻聖”!!」

 

 光系の上級回復魔法である“廻聖”を発動し、香織は魔力を二人から幾らか拝借する――これは元々、一定範囲内における人々の魔力を他者に譲渡する魔法である。その使い方の一つとして領域内の者から強制的に魔力を抜き取り他者に譲渡する事も出来、いわばドレイン系の魔法として今回使用したのだ。

 

 尤も、他者から抜き取る場合はそれなりに時間がかかり、一気に大量にとは行かず実戦向きとは言えないが、そこは“魔力操作”と歴戦の経験が可能にしていた。二人から行動の支障がないレベルまで魔力をもらうと、すぐに香織は“聖絶”の維持に努める。

 

「――“れん、せい”っ!……クソッ、僕だけじゃ抑えきれない!! 誰でもいいから土属性魔法が使える人は地面からの攻撃に対処して!!」

 

「わ、わかった!!――“出盾(しゅつじゅん)”!!」

 

 その一方でハジメも地面からの更なる攻撃を防ぐべく、再度射出された土塊に手足を貫かれながらも“錬成”を発動する。

 

 だが、相手が間断なく魔法を発動しているせいか完全には抑えきれない。そのためすぐに声をかけ、同じく痛みにあえいでいた浩介や他の面々も穴を掘るのを止め、岩の盾を地面から出現させる“出盾”を発動する。地面そのものを一枚の岩の盾にすることで相手からの干渉を防いだのである。

 

「……雫! 今すぐ、光輝君を抱きしめて元気づけて!! 早く!!!」

 

「わ、わかったわ――光輝ぃ!!」

 

 痛みこそ残っていたものの、どうにか傷がふさがったことで動けるようになった皆を見て恵里はすぐに指示を飛ばす。説明して種を明かせば対処できるとは思ったものの、それを相手は許してくれないだろう。そう考えながら恵里は視線をヒュドラのような魔物へと向ける。案の定、黒い文様の頭がこちらを睥睨(へいげい)していた。

 

「こっちの闇魔法は効かない癖に……よくもやってくれたなぁ!!」

 

 忌々し気に恵里は黒頭をにらみつける。恵里は魔物が出てすぐ“邪纏”や“堕識”をかけていたのだがそれらはことごとく効いていなかった。万全な対策をした上で自分の十八番が使われていることへの怒りを湧かせ、戦う意志を燃やし続ける。

 

(こんなところで……負けるわけにはいかないんだよ!! アイツだって勝てたんだ、ここで負けてたまるかぁー!!)

 

 自分達を心底弄んでくれる相手への怒りを燃やさなければ折れてしまう。前世? であの化け物(ハジメ)とおそらくいたであろうユエもこの魔物を突破したのだという未来にすがらなければ絶望に沈んで動けなくなる。それを理解していたが故に、である。

 

「――ぅ、ぁ……いやぁあああぁああぁぁああぁあぁ!!!」

 

「香織!?――“静心”!! 龍太郎、早く!!」

 

「お、おう! 任せろ!――香織、俺はここにいるぞ!!」

 

 そして今度は香織にまで黒頭の魔の手が及ぶ。龍太郎が二尾狼に食い殺される幻が脳内に広がったことで戦意が折られてしまったのだ。すぐに恵里が“静心”をかけることでひとまず収まったものの、そのダメージは決して浅くはない。

 

『どうして、たすけてくれないの……?』

 

『うそつき』

 

「――ぐっ、あぁああぁああぁ!!!」

 

 それは恵里にも及ぶ。恵里が皆のリカバーをしているのに気づいた黒頭が今度は彼女自身を狙ってきたのである。

 

 突如目の前に広がる魔物に食い殺され、空虚な瞳で自分を恨めし気に見つめるハジメと鈴が首だけになっている光景が広がったものの、からくりを理解していた恵里はそれに耐え――そして思い出す。

 

『……帰ろう、皆。僕達の世界に。自分達の家に』

 

『そうだよ……鈴達を待ってくれてる家族のみんなにごめんなさいして、それからまた、いっぱい楽しいことをしようよ』

 

『……あぁ、ハジメ達の言う通りだ! 皆、帰ろう。地球へ、俺達の家へ!』

 

 二尾狼と初めて戦った後、全員で誓った時の記憶が。

 

『ハジメ、くん……』

 

『うん。僕が、僕らがいるから――』

 

 絶望で心が砕けた時に口づけをしてくれた彼との記憶が。

 

『苦しいことも辛いことも一緒に背負おう。それが出来ないなら僕にぶつけて。僕はずっと恵里のそばにいるから』

 

 全てを打ち明けた時、それでもなお自分のそばにいてくれることを伝えてくれた愛する人の姿を思い出したのだ。希望が、生き足搔く気力が蘇っていく。

 

「嫌……いやぁ……」

 

「やめろぉ!! いやだ、みんな死なないでくれぇー!!!」

 

「負ける、もんかぁー!!――“静心”!!!」

 

 恐怖を振り切り、自分以外にも恐慌をきたしていた全員に向けて即座に“静心”を放つ。それも本来ストレスや恐怖を多少緩和させる程度に抑えていたものを全力で、強制的に落ち着かせた。

 

「皆聞いて!!――黒い文様のヤツは皆に恐怖を植え付けてくる! でも、思い出してよ!! 皆で一緒に帰ろうって言ったでしょ!! だったら! こんなペテンなんかに負けてる暇なんかないでしょ!!!」

 

 そして恵里は叫ぶ。かつての誓いが、このオルクス大迷宮で戦い続けた記憶が、彼らの力になると信じて。

 

「……そうだな。恵里の言う通りだ――お前ら、自分達が戦ってた理由を思い出せ!! それはこの程度の恐怖と苦しみで簡単にあきらめていいものなのか!!」

 

 黒頭の闇魔法を食らってもどうにか耐えていたメルドが全員を一喝し、恐怖に怯えていた全員の心に再度火が灯った。そうだ、ここで負けていいはずがない。負けるわけにはいかないのだ、と立ち上がる勇気が湧いた。

 

「そうだ……皆、ここで負けたら全部終わりだ!! 勝つぞ、俺達は勝つんだ!! 今回も、ずっと!!」

 

 光輝の叫びに誰もがうなずく。こんなところで死にたくない。ここで負ける訳には絶対にいかない。まだ夢を叶えていないと決意を新たに全員が立ち上がる。

 

「――でも、正直もう時間がないよ!! 頑張ってたけど、もうこれが限界……!!」

 

「私も……早く、打開しろ……!」

 

 だがタイムリミットも既に近くなっていた。ヒュドラも考えながら攻撃をしており、容赦のない波状攻撃で全員を壁際まで追い詰めていたのだ。

 

 黒頭のせいで仲間がことごとく不調になった間も鈴が、闇魔法を食らっても()()()で耐えたユエと協力しながら前方だけでなく地面の方にまで必死に“聖絶”を展開し続けたことで破局は免れていた。だがそれももう限界を迎えようとしている。

 

「あークソッ! ハジメ、幸利、中村! 何か、こう何かねぇのか!? 逆転ホームラン決められるような奴をよ!!」

 

「閃光手榴弾と音響手榴弾を投げれば少しは時間を稼げるけど、攻撃が止む間に逃げ切れるかどうか……」

 

「クソッ! ハジメが無理じゃあもう幸利と中村ぐらいしか頼れるのがいねぇぞ!!」

 

「いきなり大きな隙を作れ、って言われたって無理があるってば!! それが出来たら苦労なんてしてない!!」

 

 再度焦りに苛まれた礼一と良樹に詰め寄られるも、ハジメも恵里もすぐには解決を導き出せない。ひとまず地面の方に干渉して攻撃そのものの発生を防ぐしかなく、その分鈴とユエの負担を減らすぐらいしか思いつかなかった。

 

「……いや、あるかもしれねぇ。ただ、失敗したら皆仲良くお陀仏だ」

 

 だが、幸利だけは違った。

 

 他の皆と同様に地面に干渉しながらもヒュドラの攻撃を見続けてあることに気付いた。赤い文様の頭の放つ炎と、青い文様の放つ氷の弾丸が別方向から自分達を襲ってきている、と。

 

 それがわかった時はお互いに威力を殺し合わせないための知恵があの蛇共にはあるのかと忌々しく考えていた――が、ここ今に至ってあることを思いつく。()()()()()()()という悪魔的発想が。

 

「何でもいい! 早く言いやがれ!! このままじゃ皆仲良く死ぬだろうが!!」

 

「そうよ! こんな時に悠長になんてしてないで!!」

 

「……わかった。じゃあ言うぞ――」

 

 そして幸利は自分の思い付きを口にした途端に全員の顔が引きつった。なるほど確かにこれは言うのをためらってしまう、と。だが既に追い詰められて覚悟が決まっていた皆は決意に満ちた表情で幸利の方を見返した。

 

「やろう、幸利君。正直作戦なんて選んでられない。だったら少しでも、どんな方法でも勝てる可能性に賭けるしかないんだ!!」

 

「そうだね、ハジメくんの言う通り。こうなったら死なばもろともで行くしかないでしょ!!」

 

「うん! もう私達は覚悟を決めたからやっちゃおうよ!!」

 

 ハジメと恵里の言葉に全員が力強くうなずき、それに乗っかっていく。誰もが決意を露わにしたことで幸利の方も覚悟が決まる。こうなったらとことんやってやろうじゃないか、と口を三日月形に歪めながら。

 

「オーケー、なら行こうぜ――地面の方はハジメと浩介が、火属性が使える奴は氷の方に、水属性が使える奴は炎にぶつけろ!!」

 

「防御は俺達が受け持つ! みんな、思いっきりやってくれ!!」

 

「いくよ、皆! せーのっ――」

 

「「「「「「“炎天”!!!」」」」」

 

「「「「「“水槌”!!!」」」」」

 

 そして放たれた魔法は幸利の指示通り、対になる属性の攻撃へと向かい――大爆発を起こす。幸利が狙ったのは“水蒸気爆発”を起こすことだった。

 

 水は熱せられて水蒸気になった場合、体積が1700倍にも膨れ上がる。そのため多量の水と高温の熱源が接触した場合、水の瞬間的な蒸発による体積の増大が起こり、それが爆発となる。それを幸利は狙ったのだ。

 

「「「「「「「クルァアアァァァン!?」」」」」」」

 

「――ごふっ!!」

 

「あぐぅ!!」

 

 この威力にはヒュドラも耐えられずに大きく吹き飛ばされ、恵里達も展開していた“聖絶”を全て割られた上で壁に叩きつけられてしまう。だが、その甲斐あって大きな隙は作ることが出来た。

 

「……ハジメ、くん。ちょっと、かりるよ――みんな、目をつぶってて!!」

 

 激痛に悶えながらも恵里は気絶しかかっていたハジメの許へと這い寄ると、リュックサックから二つの手榴弾を拝借し、それを点火して投げつける。

 

 その瞬間、おびただしい光と耳をつんざくような爆音が階層を支配した。恵里が投げつけたのは先程ハジメが述べた閃光手榴弾と音響手榴弾の二つだったのである。

 

 音響手榴弾とは八十層で見つけた超音波を発する魔物から採取したもので作った手榴弾だ。体内に特殊な器官を持っており音で攻撃してくる。この魔物を倒しても固有魔法は増えなかったが、代わりにその特殊な器官が鉱物だったのでハジメが音響爆弾に加工したのである。

 

「さい、ていの目覚ましだな……ったく!」

 

「おかげで目は覚めたでしょ……? ほら、行くよ!! 神水飲んで!」

 

 悪態を吐く気力が残ってた龍太郎がそうつぶやくものの、恵里は構わず声を上げる。いつまで相手が動けないでいるかはわからないからこそこの一瞬を無駄に出来ない。それをわかっていた皆も神水を煽り、体中に走る激痛に耐えながらも全力を振り絞ろうと立ち上がった。

 

「“限界突破”と“神威”で俺が奴を倒す……! それでも死なかった時のために、ハジメはシュラーゲンを! 皆はやれる範囲で奴を攻撃してくれ……!!」

 

 光輝が聖剣を支えにしながら指示を出す。神水を飲みこそしたものの、未だ体に残る痛みで意識が飛んでしまいそうになっている。それでもここで立ち上がらなければ皆が死ぬことを確信し、そのためにも戦う意志を誰よりも早く示した。自分が皆の旗印とならんとして。

 

「ごめん……さっき、壁に叩きつけられたせいで、ひしゃげちゃったっぽい……」

 

「なら直すまでの時間もボクらで稼ぐよ!! いいね!?」

 

「だな! 俺らでハジメを守るぞ!!」

 

 だが指示を受けたハジメの表情は暗い。彼の言う通り、さっき吹き飛ばされた際にシュラーゲンが大きく壊れてしまい、発射機構もバレルも使い物にならなくなってしまっていたのだ。即座に恵里が声をかけ、それに浩介がうなずけば他の皆もそれを承諾する。

 

「じゃあハジメくんは鈴が守――!?」

 

 全員が行動をしようとした時、目の前に極光が広がっていく。自分達が痛みを堪えながら立ち上がって話をしていた間にヒュドラは体勢を立て直してしまっており、侵入者を屠ろうと必殺の一撃を叩き込んできたのである。

 

「――“限界突破”! “神威”ぃいぃぃぃ!!!」

 

 光輝もすぐに“限界突破”を使った状態で“神威”を放ち、極光すらも呑みこむほどの光の奔流を叩き込んでどうにか拮抗まで持ち込む。

 

 だがその光の外からはすさまじい炎や氷の塊が射出され、地面も揺らぎだした。既に相手は持ち直しており、このままではさっきの二の舞、いや全滅にまで持ち込まれるだろう。

 

「動ける奴は全員散開しろ!! この際穴でも結界でも何でもいい! 身を守りながら離れるんだ!!」

 

「鈴がバリアを張るから皆は私に従って動いて!! 鈴がハジメくんを守るから!! だからシュラーゲンを早く直して!」

 

「わ、私も残る! 光輝は私が守るんだから!!」

 

「頼むよ鈴、雫!!――ハジメくん、ドンナーとシャウアーそれと手榴弾の入ったリュックを借りるよ!!」

 

「わかった! 後は頼んだよ!!」

 

 だが、メルドが号令を出し、鈴もハジメを、雫も光輝を守ると宣言する。その言葉に全員が力強い笑みを浮かべ、すぐさま動いた。鈴が“聖絶”を張ると同時に“念話”で誘導し、恵里達は体を土くれの刃に貫かれながらも進んでいく。

 

「“せい、てん”――!! 皆、傷は私が治すから、気にしないで動いて!!」

 

「香織は俺に任せろ! 動き回ってりゃ当たらねぇはずだ!!」

 

 胸や腹、手足が貫かれる痛みで気が狂いそうになりながらも香織は必死に“聖典”を発動する。龍太郎も香織が治療に専念できるようにすぐさま横抱きをし、“天歩”や“縮地”、“空力”を使いながら狙いをつけられないよう不規則に動く。

 

「助かる!――“纏炎”、“纏光”……よし、これで大丈夫だ優花、妙子!! 奈々は俺と一緒に魔法で攻撃だ!!――“炎天”!!」

 

「助かったわユキ――はぁあぁっ!!」

 

「うん、わかったよ幸利っち!!――いくよー!! “凍雨”!!」

 

「ありがと幸利ぃ~――“雷蛇”!!」

 

 “纏炎”と“纏光”を優花と妙子の武器にそれぞれかけると、奈々と息を合わせて魔法を発動する。そして優花と妙子もそれぞれの間合いにまで猛攻をかわしながら詰め寄り、それぞれの武器を使ってヒュドラを攻撃していく。

 

「「「“風爪”!!」」」

 

「グルゥアァアァア!?――クルァアアァァァン!!」

 

「――クソッ、そう簡単には切れねぇか!!……っとと、危ねぇな!」

 

「んだよどこにも弱点なんてねぇじゃねぇか!! クソボスがよぉ!!」

 

「少しぐらいは可愛げを残していてほしいものだがな――くっ!!」

 

 浩介と礼一、そしてメルドは“気配遮断”を使って胴体の方まで忍び寄り、“風爪”を纏わせた刃で白頭を支える首を切り落とそうとしていた。

 

 だが光輝が放つ“神威”の余波が首のあたりで飛び散っていることもあって近づくことも出来ず、ならば胴体の方をと攻撃を仕掛けた三人だったが、深く傷つけた程度で威力が足らず、回復を許してしまう。そして今の攻撃で緑の文様の頭がこちらを向くのに気づいた三人はすぐに遁走を図る。

 

「浩介、アレを!!」

 

「あっ、はい!!――悪いな、お前にくれてやる土産を忘れてた!!」

 

 メルドからの指摘に気付いた浩介は、すぐさま恵里から受け取ったリュックからありったけの焼夷手榴弾を取り出して勢いよく投げつけていく。瞬間、大地は燃え盛り、その中心点にいたヒュドラも炎に炙られていく。

 

「「「「「「グルァアアァア!?」」」」」」

 

「ったく、そう簡単には行かないよな――“砲皇”!!」

 

「ホント質が悪い、ってな!!――“緋槍”!!」

 

 浩介達が離脱するのを見届けると同時に良樹と信治がそれぞれ上級魔法を叩き込もうとする。だが黄頭がそれに気づいて自身の頭を肥大化させて盾になると、すぐに地面がまた揺らぎ始める。

 

「ユエっ!!」

 

「――!……助けなんて、いらない。“砲皇” “緋槍” “緋槍”」

 

 一本一本が子供と同じ程度の太さと長さの土くれの棘が地上にいた全員を貫かんと四方から生え、それに気づいて“空力”で空へと恵里達が逃げたように大介もまたすぐにユエの手を取って跳躍する。

 

 ユエもそれに苛つきながらも攻撃の手は緩めず、こちらに伸びてくる棘を魔法で破壊しながらヒュドラの首を狙っていく。

 

「くたばれぇー!!」

 

 恵里も空中を自在に動きながらハジメから借りたドンナーとシャウアーを乱射していく。ダメージが即座に回復されても知ったことではないとばかりに電磁加速された弾丸を恵里は撃ちこむ。少しでもヘイトを自分達に向けるために、今もなお地面からの敵の攻撃にさらされているハジメ、鈴、雫、光輝の助けにならんとして。

 

「ハジメくん、まだなの!?」

 

「ごめん鈴! もう少し、もう少しなんだ!!」

 

 鈴は必死になって地面を含む自分達の周囲に“聖絶”を展開し続け、ハジメを守っていた。時折結界ごと土で覆い尽くして潰さんとする黄頭の企みも、“聖絶・桜花”によって盛り上がった地面ごと切り裂いて阻止してはいたが、もう鈴の方も限界を迎えようとしていた。

 

 既に神水は自分の分を一つ使っており、今予備の一本を口の端で砕いて煽っている。残るのはハジメの持っている予備の一本だけだが、そのハジメはシュラーゲンの修理にかかりっきりで到底見込めそうにない。

 

 ハジメも必死になって修理を続けているが、それも焦りのせいで上手くいかない。一刻も早く皆を助けなきゃ、何とかしなきゃという思いに駆られてしまったせいで細かいミスを頻発していたが故に一層ミスを起こしてしまうという悪循環に囚われていたのである。

 

「雫! 俺のことはもういい!! 早く、早く離れてくれ!!」

 

「ぜったい、嫌……しんでも、はなれない、んだから……!!」

 

 光輝の周囲を土属性の魔法で固めて守っていた雫であったが、その魔法で固めた範囲の外から飛来する圧縮された礫や土の刃によって体を何度もズタズタにされている。香織の“聖典”が無ければ死んでもおかしくない傷を何度も負っており、ひとえに彼女が生きているのは香織の回復と先程服用した神水、そして光輝への思いを支えにしているからであった。

 

 光輝もそんな雫を気遣いながらも必死になって“限界突破”を維持したまま“神威”を撃ち続けている。だが、これ程長いこと“神威”を撃ち続けていたことが無かったがために本人の気づかぬうちに集中が段々と途切れかかってきており、少しずつヒュドラの極光に押されてしまっていた。

 

「「クルァアアァァァン」」

 

「あぁああぁああ!?」

 

「嘘っ!? アイツ、水蒸気爆発を使ったわよ!?」

 

「そんな……これじゃ勝てないよ!!」

 

 立て続けに悪いことは続く。鬱陶しいハエを払うかのようにヒュドラの赤頭と青頭は息を合わせ、自分達の放つ炎と氷の弾丸をかち合わせて水蒸気爆発を起こすようになったのである。しかも自分達に被害が及ばないようごく小規模に、そして恵里達のみに被害が及ぶよう計算した上で起こしていた。

 

「もう、駄目なの……?」

 

 幾度手を打てどもその手は届かない。

 

「クソがっ! このままじゃ――」

 

 どれだけ足掻いても全てが無に帰る。

 

「龍太郎くん!?」

 

「この程度の傷、なんてこたぁねぇ……! 香織、回復を続けろ!! 早く!!」

 

 立ちはだかる壁はあまりに分厚く、あまりにも高い。

 

「もう“空力”を維持するのもしんどくなってきたぞ!! どうすんだよ!!」

 

 死神の鎌はもう自分達の首に添えられている。

 

「まだだっ!!」

 

 だが、それでも全員が諦めた訳ではなかった。

 

「まだ、ボクらが負けた訳じゃないでしょ!! ハジメくんが、光輝君がいるじゃんか!! だからまだ負けてなんてない――“炎天”!!」

 

 シャウアーもドンナーの弾丸も尽き、もう自身の魔法以外使えるものが無くなった恵里はその魔力を使い尽くさんとばかりに上級魔法を撃ちこんでいく。自分の一撃が、ハジメ達に繋がると信じて。

 

「もう一度胴体を狙うぞ!! ついてこい礼一、浩介!!」

 

「うっす! 行こうぜ浩介ぇ!!」

 

「おう! 今度こそだ!!」

 

「よっしゃ、援護だ援護!! “塞炎”!!」

 

「中村の言う通りだな! 俺らはまだ負けてねぇんだ、頼むぞ皆――“砲皇”!!」

 

「ああ! こんなところでくたばってる場合じゃねぇ!! “纏炎”」

 

「そうね、まだ私達は生きてんのよ!! お行儀よく諦めてなんている暇は無いわ!! “炎天”!!」

 

 決死の覚悟で再度猛攻を潜り抜けんとするメルド、礼一、浩介。そんな彼らの助けにならんと信治と良樹が、幸利や優花らがそれぞれ魔法を使っていく。

 

「あぐぅううぅぅ!!」

 

「ハジメくん!?」

 

 長時間複数の魔法の行使によって段々と制御がおざなりになってきた鈴の結界の一部が砕け、ハジメが魔の手にさらされる。弱まっていた箇所から飛び出した土の塊がハジメの胸をまた貫き、彼の口元からもかなりの血がこぼれてしまう。

 

「まだ、だよ……この程度で、止まってなんて……やるもんか……!!」

 

 だが、この激痛に耐えながらもハジメは必死になってシュラーゲンの修理を続ける。すべては勝つために、自分を待ってくれている皆のためにと歯を食いしばりながら。

 

「あぐっ!? う、あぁ……」

 

(どうすればいい!! どうすれば押し返せる!? どうしたら雫をこれ以上危険な目に遭わせないで済むんだ!?……考えろ、考えろ俺!! ここで俺が負けたら皆が死ぬんだぞ!! 何か、何か方法は――)

 

 死をもたらす光が徐々に迫りくる中、焦りながらも光輝は必死になって打開策を練っていた。共に抗ってくれている皆のために、攻撃を受けて血溜まりを作ってもなお自分を信じて傍に立ってくれている愛する少女のために。自身の肩に載った重みを感じながらもひたすら光輝は考える。絶対に勝つ。ただそれだけを信じて。

 

「ユエっ、俺の血を吸え!! こうなったら一番強いのを乱射して叩きのめすぞ!!」

 

「チッ……心底嫌だけど仕方ない――んぅ」

 

 大介は抱きかかえたユエに声をかける。もうなりふり構ってなんていられない。たとえ自分の血が無くなろうとも仲間の無事と勝ちにこだわるべきだと思い直し、必死の覚悟で彼女を見る。ユエもこのままでは共倒れになると考えて嫌々ながらも大介の首に牙を立てた。

 

「効かない、ってばぁ~!!」

 

「そう、だよっ!! こんなの、もう、乗り越えてたんだからぁ!!――“冷結”!」

 

 黒頭の干渉を受けながらも妙子は炎や冷気、風の刃を潜り抜けて鞭を振り回し、奈々も“縮地”と“空力”を何度となく使い続けて一か所にとどまらず魔法を撃ち続ける。

 

「少しでもダメージを与えろ!! その分だけ隙が出来る!」

 

 いかに絶望が立ちはだかろうと誰も膝を屈しない。

 

「予備の神水を使おう皆!! まだ、まだ時間を稼ぎきれてない!!」

 

 幾度となく苦痛に塗れようともその手を止めない。

 

「――あ、れ……?」

 

 ――故に、奇跡は起こる。諦めない者達の前に勝利の女神が今、微笑んだ。

 

(……目の前がモノクロだ。全部が色あせて見える。それになんだか全部の動きが、遅いような……)

 

 魔物の肉を食べた全員の頭の中にスパークが走ったかのような心地がした。途端に世界が色あせて見え、すべてのものがゆっくりと動いているように彼女達には見えた。

 

(いや、動く。俺の体はともかく、意識はもっと早い――もしかしてコイツは!?)

 

 音すらも例外ではない白黒の世界で、唯一自分だけが普段通り動けているような感じがしていた。

 

 芽生えたのだ。新たな技能が。“天歩”の最終派生技能、知覚機能を拡大し、合わせて“天歩”の各技能を格段に上昇させる[+瞬光]という技能が。誰もが壁を越え、ようやく勝利の鍵を()()手にしたのである。

 

(……いや、それだけじゃない! 体が、体が軽い!! それに体を覆うこの何か――まさか!!)

 

 手にしたものはそれだけではなかった。幾度となく激痛に耐え、必死に足掻きながらも敵を倒せぬまま、それでもなお“死”を前に挑み続けた彼らの体が覚醒したのだ――“限界突破”。自身の限界を超え、勝利を手にするべく光輝だけでなく恵里達もその力を手に入れたのだ!!

 

「まだまだぁあぁー!!」

 

「へへっ、面白いぐらい切れらぁ!!」

 

「これなら、これならいけるぞ!!――うぉおぉおおぉぉ!!!」

 

 真紅の光に包まれたメルド達は更に勢いを増してヒュドラの首を、胴体を切り刻んでいく。流石にあちらの回復が間に合うレベルではあったが、それもギリギリ。そこまで押し込めるようになったのである。

 

「――ぷはっ……“蒼天” 左、右、上、下」

 

「いけー! ユエー!!!」

 

 大介に抱えられながら吸血を終えたユエも炎属性の最上級魔法である“蒼天”を放つ。タクトを振るうように指を動かし、一つ一つユエが伝えてくれる動きを大介も“念話”でメルド達に伝えていく。

 

「「「「「「クルァアアァァ!!!」」」」」」

 

「――! ぐっ、うぅ……」

 

「ユエっ! 俺が、俺がいる!! もう一度吸え!!」

 

 だがヒュドラも間抜けではなかった。すぐに“蒼天”の脅威を感じたヒュドラは白頭で回復を続けながらも肥大化した黄頭と赤頭、青頭を盾代わりにして受け止め、緑頭が強力な風を吐き出し続けて熱を部屋中に分散させ、トドメに黒頭がユエを狙った。

 

 結果、緻密なコントロールを乱されて“蒼天”は霧散し、ヒュドラもかなりのダメージを負ったものの、白頭がひと鳴きしたことで火傷したり炭化した頭も瞬く間に回復されてしまう。

 

(もう駄目だ!! クソっ! もっと威力が……せめて、せめて“神威”で漏れ出てる光を無駄にせずに済んだら――それだ!!)

 

 一方、銀頭の放つ極光を“限界突破”を併用した“神威”でどうにか受け続け、それでもなお緩慢に死が迫りくる中、必死になって考え続けていた光輝も遂に逆転の一手にたどり着く。

 

「――“聖絶”」

 

 絶対の守りとなる光の壁を“神威”の()()へと無数に展開していき――漏れ出た光の瀑布を光の壁で中心へと押し込んでいく。

 

 光輝が考えたのは“神威”の収斂。銃身のように“聖絶”で壁を作り、拡散しないようにするという方法であった。その名は――。

 

「……“神威・(たばね)”」

 

 聖剣の切っ先より放たれる光が集まり、極光と同じ太さとなった瞬間――拮抗し、少しずつ押し返していく。

 

「いっ……けぇー!!!」

 

 幾つもの魔法を同時展開している分魔力の消費もけた違いに早く、負担もひどく強い。ひどい頭痛がするし、鼻から血が垂れ始めている。だがこれしかないと光輝はひたすらに魔力を注ぐ。ようやく見えた勝ち筋を、手放しはしなかった。

 

「皆、お待たせ!!」

 

「待たせてごめんね、皆!」

 

 ハジメも“限界突破”と“瞬光”の併用で作業スピードを格段に上げることが出来、そのことで落ち着きを取り戻せたためにシュラーゲンの修復も完了させた。そして今、同じく“限界突破”と“瞬光”を使いながら“聖絶・桜花”を展開していた鈴の手を取って皆の下へと駆けつけた。

 

「ったく、待たせすぎだっつの先生!!」

 

「本当だよハジメくん!――よし、じゃあ次はあの頭をどうにか抑え込もうか!!」

 

「本当にゴメン! 絶対に、仕留めてみせるから!」

 

 ユエの“蒼天”を白頭と銀頭以外を犠牲にし、食らってもなお回復を続けたことで全部の首の再生を今しがた終えたたヒュドラに向け、ハジメはシュラーゲンを構える。狙うは白頭ただ一つ。だが、次の瞬間、またしても赤頭と青頭が炎と氷の礫を合わせたことで水蒸気爆発を恵里達の近くで起こした。

 

「――間に合った!!」

 

「無事か皆!!――よし」

 

 だがその爆発も香織が“聖典”と共に発動した“聖絶”によって無事に防がれ、一切の被害は無い。その様子に安堵した龍太郎も香織を抱きかかえたまま、再度縦横無尽に動き出す。

 

「こっちは大丈夫!! だけど、あれをどうにかしないと……」

 

「だったら皆、捕縛魔法使うよ!! 全部の頭、雁字搦めにね!!」

 

 このままだと狙いをつける以前の問題だと苦い表情を浮かべるハジメに、恵里は不敵な笑みを浮かべながら作戦を提案する。そして頭の中で描いたそれを“念話”でこの場にいた全員に伝えれば、誰もが愉快げに口角を上げてそれに賛成する。

 

“了解した!! お前ら、ここが踏ん張りどころだ!!”

 

“雫は光輝君の補助に努めてればいいし、光輝君はそのまま“神威”を撃ってればいいからね!! 無理はしないで!”

 

“すまない皆! 後は任せる!!”

 

“大丈夫よ恵里!! 今なら――今なら何でもできそうだから!!”

 

 そしてメルドの号令と共に“神威・束”を撃ち続けている光輝以外の全員が一斉に捕縛魔法を行使していく。

 

「「“縛光鎖”!!」」

 

 鈴と香織が展開した光り輝く鎖が赤頭と青頭両方の顎に絡みつき、そのまま強固に閉じた状態で向き合わせる――強引に魔法を展開したらそのまま自爆するように、だ。

 

「“縛地陣”!!」

 

『“縛岩”!!』

 

 浩介の発動した土属性の捕縛魔法が黒頭を、幸利以外の皆が発動したものが白頭と緑頭そして黄頭を拘束していく。黒頭、白頭、緑頭が互いを見るように向き合わせ、黄頭は地面に叩きつけるかのように全力で縛り付ける。

 

「ぜんぶ纏めて“纏光”!!!――後は任せたぞハジメ!!」

 

 そしてその鎖を補強するために幸利が付与魔法を駄目押しで発動し、捕縛が完了する――それが出来たのはほんの一秒にも満たなかった。だが、十分すぎる時間を全員が稼いだ。

 

「ありがとう皆――とっととくたばれクソ野郎!!!」

 

 既にシュラーゲンを構えていたハジメが荒ぶる怒りのままに引き金を引く。

 

 紅いスパークを起こした銃身から大砲でも撃ったかのような凄まじい炸裂音と共に特製の赤い弾丸が飛び出し、周囲の空気を焼きながら突き進んでいく。その様は正しく極太のレーザー兵器のようであり、今光輝が放っている“神威・束”にも負けぬ程の光をまき散らしながらそれは正しく白頭を捉えた。

 

「「「「キュワァァアァァアアアァ!?」」」」

 

 その破壊力たるやすさまじく、白頭は頭部が綺麗さっぱり消滅してしまっていた。ドロッと融解したように白熱化する断面が見え、また近くにいた黒頭も緑頭も前半分が同様の状態となった。その余波もまた恐ろしく、かすっただけのはずの赤頭と青頭も皮膚が爛れており、シュラーゲンの一撃で残った頭全てが悶え苦しんでいる様子であった。

 

「もう逃げられると思うな――“天灼”」

 

 そして唯一捕縛魔法を使わなかったユエは再度大介から吸血を行い、十分な魔力を得たところで風属性の上位である雷属性の魔法を発動する。

 

 四つの頭の周囲に六つの放電する雷球が取り囲む様に空中を漂ったかと思うと、次の瞬間、それぞれの球体が結びつくように放電を互いに伸ばしてつながり、その中央に巨大な雷球を作り出した。

 

 中央の雷球は弾けると六つの雷球で囲まれた範囲内に絶大な威力の雷撃を撒き散らした。銀頭以外の三つ全ての頭が逃げ出そうとするが、まるで壁でもあるかのように雷球で囲まれた範囲を抜け出せない。天より降り注ぐ神の怒りの如く、轟音と閃光が広大な空間を満たす。

 

「「グル、ウゥゥゥゥ……」」

 

 そして十秒以上続いた最上級魔法に為すすべもなく、四つの頭は断末魔の悲鳴を上げ、赤頭と青頭は消し炭となったのである。黄頭はその頑丈さで死ななかったらしく、また銀頭は別格であったのかこの一撃にも耐え、まだ極光を放ち続けている。

 

「ぐっ……もう、限界が――」

 

 ユエが息を荒げながら大介の胸に倒れこんだと同時に光輝もまた膝をついてしまった。“限界突破”のタイムリミットはまだ先であったが、それよりも先に魔力が尽きかけようとしていたのである。

 

 また“神威・束”を維持するのに必要な“聖絶”の展開に“瞬光”を使い続けていたこともあってか頭のダメージも深く、もう光輝の意識はブラックアウトしそうになっていた。そのため聖剣の先から放たれた光は霧散しかけ、それを見た全員の悲鳴が階層に響き渡る。

 

「こう、き……んっ――んむっ」

 

 だがそこで満身創痍であった雫が予備の神水を口に含み――光輝の両頬に手を添えると、そのまま自分の方を向かせて神水を口移ししたのである。雫の口内でほのかにぬるくなった神水が彼の喉を通る度、口づけが長引く度に光輝の意識がハッキリとしていく。体中に活力があふれていく。

 

「はぁっ……ありがとう、雫」

 

「ぷはっ……お礼なんて、いいわ」

 

「「――それじゃあ、一気に行こう/行きましょう!!!」」

 

 雫も迫りくる滅びの光を見つめると聖剣に手を添え、そして愛しい人の体を支える。再度聖剣の先端からあふれてきた光が、バレルのように伸びた光の壁を通るようにして突き進んでいく。

 

「これで――!!」

 

「終わりよ――!!」

 

 “神威”本来の詠唱の一節にもある「神の息吹」が今、致死の光を押し流さんと、塗り潰さんとばかりに溢れ、吞みこんでいく!!

 

「グル、ウァァ――」

 

 それは正しく邪悪を滅ぼす一撃となった。先のユエの一撃でかろうじて生きていただけの銀頭は光の激流によって跡形もなく蒸発していく。

 

「クルゥァアアァァア!!」

 

 そして唯一残った黄頭も悲鳴を上げながら地面を操り、目の前の敵を排除しようとする。だが――。

 

「忘れてると思ってた? ばぁーか」

 

「さーて、さっき人を散々串刺しにしてくれやがったな。その恨み、晴らさせてもらうわ」

 

「アンタのおかげで散々苦労させてもらったわ――お礼、ちゃんとしないとね」

 

「……間抜け」

 

 ()()()()()を浮かべた恵里達は悪あがきをしようとしている黄頭を睥睨していた。それもいつでも魔法を発動できる状態で。

 

「クルゥ――」

 

『“炎天”』

 

「“砲皇”」

 

「「“緋槍”」」

 

 固有魔法を発動するよりも前に恵里達の様々な上級魔法が黄頭を襲う。すぐに頭を肥大化させてしのごうとするも、圧倒的な数の暴力と破壊力を前にチリ一つ残すことなく黄頭は首から上を失うのであった。

 

「終わった……」

 

 地鳴りの音と共に遂に最後の番人も地に伏せた。それを見届けた後、誰からともなくぽつりとそんな言葉が出てきた。

 

 勝った。勝ったのだ。ようやく勝利を手にすることが出来たのだ、と全員がじわじわと自分達のやったことを噛みしめたその時であった。

 

「――あれ?」

 

「ぅぇっ?」

 

 緊張の糸が切れてしまったのか、皆仲良くその場で膝をついてしまい、そのまま倒れこんでしまったのである。

 

「もう、無理……」

 

「あー、しんど……死ぬまで寝かせてくれー……」

 

 肉体精神どちらも疲弊しており、魔力の欠乏によるだるさで誰も立ち上がれはしない。それはメルドも同様であり、手元にもう神水が無いことから立ち上がる気力も残ってなかった。

 

「……ふん、しょせん人間。この程度で音を上げるなんてだらしがない」

 

 その様子を見てユエが皆を鼻で笑うものの、彼女とて倒れてマトモに起き上がれないのは同じである。それを恵里や礼一達が軽く鼻で笑うと、ユエは顔を真っ赤にしながらも怒りを堪えて恵里達を見ていた。

 

「……この程度、馬鹿にされた内に入らない。私は偉大な吸血鬼。だからそれぐらいは許す」

 

「はいはいえらいえらい……ハジメ、くん」

 

「……これ、止めた方がいいんだよな? おーい、ユエ。礼一達はいいけど先生と中村と谷口には厄介になってるから馬鹿にするのやめてくれー……」

 

 どういう意味だゴルァと親の仇でも見るかのような形相でにらむ礼一達と『いや俺のユエに粉かけようとした恨み忘れてねぇからなクソが』と“念話”でケンカする彼らを他所に恵里はハジメと鈴の許へとどうにか四つん這いになって向かう。

 

「……恵里、おつかれさま」

 

「うん。お疲れ、恵里……」

 

 感知系技能に引っ掛かるものがないことから新手は来ないのだろうと推測し、意識が途絶えそうになる中、恵里は無事に二人の許へとたどり着く。

 

「ボク、いっぱいがんばったよ……ほめて。ほめて……」

 

「うん……すごかったよ。ぼくのえりはやっぱりすごいよ」

 

「たしかにえりはがんばったよね……ねぇハジメくん、えり、すずもほめてよ……」

 

 手を伸ばして自分の頭を褒めながら撫でてくれるハジメに恵里は柔らかい笑みを浮かべる。たったこれだけで全てが報われたかのような、何物にも勝るかのような幸せに包まれているかのような心地であった。そして恵里もハジメと一緒に鈴の頑張りを褒めていく。

 

「うん……すずのおかげでみんなでかてたよ。すずもえらいよ……」

 

「そうだね……こんかいばかりはボクのまけだよ……すごかったよ、すず」

 

「……えへへ」

 

 はにかんでいる鈴の頭もハジメが撫で、恵里もそんな鈴をうらやむことなくただ彼女の頑張りを心の底から褒め称えていた……次は絶対自分が一番褒めてもらおう、と考えてもいたが。

 

「敵は、来ないな……じゃあいいか。俺はもう休むぞ……お前らもひと眠りしとけ……」

 

 扉が独りでに開いたことに誰も気づかないまま、メルドがそうつぶやくと同時に誰もが寝息を立てていく。この大迷宮の中で一番の激戦を終え、そしてここはもう安全であるということがわかってしまった以上、誰も睡魔には抗えなかったのである。

 

「あり、がとう……しずく……」

 

「おつかれ、さま……こうき……」

 

「よくがんばったな、かおり……」

 

「うん……おやすみ、りゅうたろうくん……」

 

 香織も龍太郎も、光輝も雫すらも眠気に身を委ね、誰もが夢の世界へと旅立っていく。

 

「だいすき……ハジメくん……」

 

「ハジメくん……ずっと、ずっといっしょだよ……」

 

「えり……すず……いっしょだからね……」

 

 そして恵里達もまたその場で眠る。愛しい人の体に抱き着きながら。愛しい二人を脇に抱えながら。

 

 激戦を終えた彼らの顔に苦悶は無く、ただ穏やかな寝顔が浮かんでいるだけであった……。




読んでる皆様が逆転するまでの間、ちょっとでも絶望出来たらいいなー、と思って書いてましたまる

……さて、ようやく原作第一章の終わりも見えてきました。とはいえ拙作の第一章が終わるまでは修行やら何やら含めてもう少しかかる予定です。さぁ次は拠点の中でのお話ですよ!!


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四十九話 逢魔時、来れり

まずは読者の皆様への多大な感謝を。
おかげさまでUAも114078、お気に入り件数も752件、しおりも321件、感想数も346件(2022/6/11 17:39現在)となりました。本当にありがとうございます。まさかランクイン入りしてここまで伸びるとは思わなんだです。感謝に堪えません。

そしてゆうきかずまさん、Aitoyukiさん、椎名真白さん、Kapikapiさん、拙作を評価及び再評価していただきありがとうございます。皆様に評価して頂けたことで執筆の活力を得られただけでなく、ランクイン入りまでさせていただきました。誠に感謝いたします。

さて、今回の話を読むにあたっての諸注意として結構長め(15000字程度)である事、そしてある人物が黄昏時を迎えたという点です。

ではこれら二点に注意して本編をどうぞ。


『ねぇ恵里ちゃん、短ざくに何書いたの?』

 

『……ハジメくんが見せてくれたら、言ってあげるけど』

 

 オルクス大迷宮の守護者との戦いを終え、皆と共に眠りに就いた恵里は懐かしい夢を見ていた。

 

 それは小三の頃の七夕の記憶。友人となって一年が経過した光輝達や新たに輪に加わった香織、そしてその家族と一緒に南雲家に集まって夜空を見たり、流しそうめんを食べたりして楽しんでいた時のものを。

 

 確かこの時はそうめんを食べ終えて、皆で短冊に願い事を書いていた時のはず。そう思っていると幼い頃の鈴がハジメの服の裾をクイクイと引っ張っていた。

 

『……鈴のも見せるから、ハジメくん見せてよ』

 

『えっ!? う、うーんと……は、はずかしいからダメっ!!』

 

 そういえばこの時の鈴はちょっとむくれた顔で彼にお願いしていたなと思いながら、結局恥ずかしさが勝った様子で自分の短冊を胸に抱える彼を見て恵里は懐かしむ。

 

 ハジメとの思い出はどれも大切で、愛しいものであるが故に大体のことを恵里は覚えている。確か、この後は自分がちょっとからかおうとしてたはず、と思っていると自然と自分の口がその通りに動いた。

 

『……じゃあいいよね。ハジメくん、恥ずかしいみたいだし』

 

 そしてそんな自分を見て彼は記憶の通りにうろたえている。夢でもなければ起こらない状況がどこか面白く、とても愛おしく感じていると、やはり記憶の通りにハジメはほんの少しだけ迷いを見せた。

 

『え、えっと……恵里ちゃんはべつ! べつだから!!』

 

 そう言いながら自分に密着する勢いで近づいてくると、目の前の少年はこっそりと短冊を見せてくれた。

 

 ――お友だちの鈴ちゃんたちと大切な恵里ちゃんといっしょにいられますように

 

 少しつたない字で、さっき鈴から隠した際についたであろうシワのある短冊を自分にだけ見せてくれた少年に恵里の胸はまた温かい思いに満たされていく。

 

 あの時もそうだった。あの頃既に彼に恋をしていた。けれどもそれに気付こうとしなかったせいでわからないままであったあの感覚を恵里は思い出していた。

 

『ね、ねぇ恵里ちゃん……ぼ、僕見せたよ? お、教えてよ! 恵里ちゃんが何書いたのか!』

 

 もじもじとしながらも自分から目を離さない彼を見て、ひどく胸の中が満たされていたなと思い返す。

 

 こんな幼い頃からずっと想われていたからこそ、彼に夢中になってしまったんだと改めて恵里は思った。そしてその時の記憶をなぞるように恵里の体は勝手に動き、ハジメに抱き着いて耳元でささやく。

 

『ハジメくんとずっと一緒にいられますように、だよ』

 

 “ハジメくんと鈴、お父さんとお母さんと一緒にいられますように”

 

 これが本当の内容――当時はまだ母のことは割とどうでもよかったが、今となってはぞんざいに扱えなくなってしまった――であったが、あえてその時はそうつぶやいたのだ。

 

 あの頃はどうしてそんな風に言ったのかと後で悶々としていたが今ではわかる。さっきの言葉で面白いくらいに顔を真っ赤にしながらも大事そうに自分を見つめてくれる男の子にとっくに夢中だったんだと思えたからだ。

 

『ねぇ、ハジメくん』

 

『な、なに? 恵里ちゃん……?』

 

『ボクのこと、抱きしめてよ。ギュッて、して』

 

 だから目の前の子にこうして甘えて、そしてワガママを聞いてもらって。言われるがままに自分を抱きしめてくれる男の子の胸に恵里は顔をうずめる――幼さ故にまだ柔らかみのある彼の胸元の感触に満足しながらも恵里はふと思う。この時のハジメはどんな顔をしていたんだろう、と。

 

「――り、恵里」

 

 ふと彼が自分の名前を呼んでいるのが気になり、恵里はそっと顔を上げる。確か記憶の限りでは恥ずかしがっていたのか黙ったままだったはずなのに。そう考えて彼の顔を見る――その瞬間、意識が覚醒した。

 

「恵里……あ、良かった。目を覚ましてくれたね」

 

「……ぁ、うん。おはよう、ハジメくん」

 

 少し寝ぼけながらも目を覚ませば愛しい彼が微笑みながら自分を見てくれている。そこでふと恵里はとても素敵な夢を見ていなかったかと思い出そうとするも、目が覚めると同時にそれは既に記憶の彼方へと消え去ってしまっていた。

 

 なら思い出せないなりに恵里は幸せを求める。

 

「ぁ、ん……」

 

「ん……ちゅっ……」

 

 彼と自身の唇を重ね合わせた。

 

 触れ合った時間はほんの数秒。けれども互いの熱を、愛を感じる口づけを交わし、互いに笑う。

 

「おはよう、恵里」

 

「おはよう、ハジメくん」

 

 ずっと求めていた愛する人との幸せなひと時を、オルクス大迷宮の最下層で、お互いに身を寄せ合いながら少年と少女は味わっていた。

 

「どうしたの、ハジメくん。何かあったみたいな顔をしてたけど……?」

 

「あ、うん。見てもらった方が早いとは思うけど、やっぱり皆が起きてからの方がいいかな。じゃあ鈴も――んぅ!?」

 

 説明を求めるものの、はぐらかすような答えに恵里はちょっとむくれながらハジメを見る。せっかく幸せな時間を味わってたのにそれに水を差さないでほしいと思っていると、自分と同様に彼の胸元で眠っていたはずの鈴がハジメの唇をいきなり奪ったのである。

 

「んちゅ……れろっ……鈴のこと、無視したハジメくんに……ぴちゃ……おしおき、だよ……ちゅっ、んんっ……」

 

「ぷはっ……す、鈴……はむっ……ごめん……ちゅっ……んんっ」

 

「やだ……もっと、もっと……ん……ちゅ……」

 

「こ、こんの――! ボクのキスをすぐに上書きするなー!!!」

 

 ……そしていつものようにあっさりと瓦解する甘い時間。始まる喧噪。三人一緒にいればそれはどこであっても結局変わることは無い。

 

 ほんのりと甘く、愛しい時間を三人は今日も過ごすのであった。

 

 

 

 

 

“よし、それじゃあ最後の確認だ。まずは俺が扉を軽く開ける。次に雫と浩介が“気配遮断”と“気配操作”を使いながら侵入。状況をこうして“念話”で確認しながらこの先の確認だ。いいな?”

 

 “念話”を用いた自身の問いかけに、この場にいた全員が同じ方法で了解と返すとすぐさま光輝は扉に手をかけた。

 

 ――恵里が目を覚ましてからしばらくした頃、全員が目を覚ました時に浩介がここの扉が開いている、と伝えてくれたのだ……自分達や光輝と雫、香織と龍太郎との睦み合いを見ていたのか、ものすごい形相をしたままでだが。

 

 その後頬を染めながら咳ばらいをした光輝と一緒に全員で“気配感知”を使いながら作戦会議をし、今しがたそれを終えたところだ。

 

 現状、小さな気配が幾らか引っ掛かる程度で敵の気配は一切見当たりはしない。とはいえ自分達の使うこの技能を欺いて襲ってきた敵はごまんといるし、さっきまで戦っていたヒュドラのように魔法陣から出てくる場合は転送する形なせいかどうしようもならない。

 

 そのため恵里達は警戒を緩めることなく扉の先へと侵入することとなったのである……なお大介が『そういやこの蛇のヤツどうすんだよ』という指摘を受け、ヒュドラの死体を氷属性の魔法が使える全員で大急ぎで凍らせた後でだが。

 

“皆、改めて聞くけれどもう大丈夫だよな?――よし。それじゃあ全員、いつでも戦える状態でこの先へ向かおう”

 

 問いかけに全員がうなずくのを見ると同時に光輝は扉に手をかけ、人が一人通れる程度に開く。そして雫と浩介に目配せをすると、すぐに二人は天職“暗殺者”としての技能とこの奈落で磨いた感覚をフルに使ってその先へ進む。

 

「……えっ。なに、これ……」

 

「……マジ、かよ。すげぇ」

 

 だが扉の先へと進んだ瞬間、二人の足は止まってしまう。声からして敵が待ち構えていたり、先のヒュドラを召喚したような新たな魔法陣を見つけたといった緊迫感のあるものではないのは光輝もわかった。

 

“どうしたんだ二人とも!? 何か、何かあったのか!”

 

 とはいえそれはそれ、これはこれである。

 

 すぐに光輝は“念話”で二人に呼びかけ、何があったのかを尋ねると、その“何か”に心を奪われていた二人もすぐ反応し、思いもよらない答えを返してきた。

 

“ご、ごめんなさい……その、落ち着いて聞いてね?――太陽が、あったの”

 

“悪かった皆。あ、それだけじゃねぇぞ。滝と川もある。畑もだ。なんつーか、こう……田舎みたいなんだ”

 

 二人の言葉に誰もが思わず目をむいてしまう。こんな洞窟の奥底に太陽が存在する? 陽の光が差し込むというならわかるのだが、そんな馬鹿なはずがない。おそらく人工の太陽だろうとすぐに全員がその結論にたどり着くも、それはそれで妙な話であった。何せ『照明』でなく『太陽』だ。そんな代物があるのだろうかと誰もが疑問に思い、そこで好奇心に駆られた大介達が扉の隙間から顔を出した。

 

「おいおい浩介、んな馬鹿な話があるか――マジだわ」

 

「八重樫、いくらニセモノだからって太陽があるわけ――あったわ」

 

「照明と太陽間違えるとか疲れてんな二人とも。まぁ俺はそんな見間違い――するわ。つーか太陽だわこれ」

 

「俺らもそうだけど二人とも、さっきの戦いで結構血を流しまくってたもんなぁ。頭がどっかおかし――スマン、俺もおかしかったわ。太陽にしか見えねぇ」

 

 そしてものの見事に四馬鹿はノリツッコミを決める。

 

 敵の気配が無いせいかまた短慮なところが出て呆れた一同であったが、先のノリツッコミと同時にこちらを見てきた彼らを見て余計にため息が出てしまう。いくら何でもそんなバカな、と思って恵里達も警戒しながらも扉を開け放つ。

 

 その瞬間、全員が雫と浩介の言葉を疑い、大介達を馬鹿にしたことを後悔した。

 

「ほんと、だ……」

 

「お日様だ……」

 

「作り物、だよな? でもあったけぇ光だ……」

 

 扉の先の空間に入った全員の頭上に円錐状の物体が天井高く浮いており、その底面には煌々(こうこう)と輝く球体が浮いていたのである。僅かに温かみを感じる上、蛍光灯のような無機質さを感じないため、雫達は思わず“太陽”と言ってしまったのだろう。そう言っても仕方がないほどにそれは出来が良かった。

 

「ね、ねぇ。なんか水のせせらぎの音が聞こえるんだけど……滝! それに川まで!!」

 

「本当だ! ね、ねぇ魚! 魚もいるよ!! さっきから感じる気配は魚のだったみたい!!」

 

 そして耳に心地良い水の音もこの空間に響いていた。扉の奥のこの空間はちょっとした球場くらいの大きさがあるのだが、その部屋の奥の壁は一面が滝になっていた。

 

 天井近くの壁から大量の水が流れ落ち、川に合流して奥の洞窟へと流れ込んでいく。滝の傍特有のマイナスイオン溢れる清涼な風が心地いい。

 

 全員が川に寄って眺めてみれば魚も泳いでおり、先程から感じていた気配からしてこの魚のもののようだ。もしかすると地上の川から魚も一緒に流れ込んでいるのかもしれないと思う者も少なくなかった。

 

「……やっぱりここが反逆者の住処じゃないかしら?」

 

「可能性は正直高いと俺も思う。ただ、侵入者対策で何があるかわかんねぇし光輝達はまだここにいてくれ。他はどうなっているか調べてくる」

 

「わかった。あまり無理はするなよ」

 

 光輝の言葉に雫と浩介はうなずくと、すぐさま二人はこの空間の探索に移った。彼らが一階の部屋を物色しに入っていくのを見届けると、光輝は全員に改めてここで待機するように命じる。

 

「皆、安全が確保されるまではここで一旦待機だ。中はどうなってるかわからないから――」

 

“ねぇ浩介君、ここ寝室じゃない?”

 

“うわ、マジだ。なんかこう……パルテノン神殿の中央にベッドがあるみたいだ”

 

 ふと二人から寄せられた報告に全員がピクリと動く。“寝室”、“ベッド”、という単語に大きく反応した一同は急にソワソワとし出した。

 

「……うん。侵入者撃退のための何かが仕掛けられてる可能性も――」

 

 だが光輝は頑として動かず。

 

 浩介が言った通り、ここが以前ユエが可能性として述べていた反逆者の拠点であることはもう疑いようがない。だが、これを造った存在が用心深くて幾重にも罠を仕掛けてある可能性もある。だからこそ皆にも自重を求め、動かないよう目で制する。

 

“あ、ここはリビングみたい。暖炉とかあるわ”

 

“じゅうたんまで敷いてあるな……あ、ソファーも”

 

 また寄せられた報告にこの場にいた全員がざわついた。見れば先程あまり動揺しなかったメルドも少し浮ついた感じになっており、慌てて咳ばらいをしてキリッとした表情で光輝を見つめる。無論、光輝も表情を引き締め、意志を強く持とうとする。

 

「……なぁ光輝」

 

「……何があるかわからないから駄目だ、大介。それと礼一達も。うかつに動いて仲間を危険にさらせない」

 

 さっきも動きそうになった大介達を光輝は止める。正直な話、自分だってちゃんとしたソファーや寝具で休みたい。それが無理なら自分達が造った家具でもいい。地面に寝転がっていたから全身がちょっと痛いのだ。ちゃんとしたものを使いたい、という欲求を抑えながらも手で皆を制していた。

 

“ね、ねぇ見て浩介君!! と、トイレ! おトイレがあったわ!!”

 

“マジだ!!……うぅ、これでそっち関連の問題もおさらば出来るんだな……”

 

「…………コウキ」

 

「…………駄目だ。まだ二人が戻ってきてない。誰に何を言われようとも俺はここにいる皆を守る――」

 

 二人の言葉に全員が大きくざわめき、女子~ズを代表して優花が声をかけてきたが光輝は苦渋に満ちた表情で彼女を止めた。

 

 そりゃ自分だって確かめに行きたい。何せ今までこういった問題は土属性の魔法で穴を掘って埋めていたのだから。流石に拠点から離れた場所でやっていたが、地球で育った自分達としては衛生面が滅茶苦茶気になっていたし、ちゃんとした設備があるなら使いたい。

 

 そうは思っていたが今は我慢の時、とこの場にいたメルドを除く全員――メルドは行軍経験もあってこういうのは割と慣れていたためである――に負けず劣らずのすごい表情をしながら自分に言い聞かせるように言葉をかけた。

 

“何かしらねこのライオンのオブジェみたいなの……わっ!? お、お湯! お湯が出たわ!!”

 

“ここ露天風呂かよ!! 見晴らし最高じゃんか!! うわー、これを光輝達と一緒に見れないのもったいないなー”

 

“なぁやっぱり行っていいか二人とも!? もう皆を抑えられないし俺も我慢出来ないんだけれど!!”

 

 光輝、堕つ。

 

 もう無理だった。風呂だ。お風呂なのだ。日本人ならばやはり風呂に関しては譲れないものがあった。拠点で造った簡易的なものに思い入れが一切無い訳ではないが、ちゃんとしたものがあるならそっちを使いたい。ちゃんとしたお風呂に入りたい、と誰もが抑えが効かなくなってしまったのである。毎日風呂に入るようになったメルドとユエもこればかりは我慢が効かなくなった。体がかゆくならなくて済むのは大きかったのである。

 

“ちょ、ちょっと待ってよ光輝!? ま、まだ調べ物の最中で――”

 

“そ、そうだぞ! べ、別に楽しくなってきたわけじゃないからな!!”

 

“無理なものは無理なんだよ!――とりあえず風呂の場所だけでいいから今すぐ教えてくれ!! もう軽く風呂入ってから全部考えよう! さっきの戦いで皆土まみれだし身ぎれいにしてからでもいいよな、はい決定!!”

 

 そうして浩介から場所を聞き出し、全員で風呂場へと突撃していく。久々にちゃんとした入浴が出来る、と頭が馬鹿になった集団を二人では止めることは出来ず、結局暴走を許してしまう……かくして誰もが極上のリラックスタイムを堪能したのであった。

 

 なお、風呂に入る前に前の階層で待機していたイナバとユグドラシルは光輝が責任をもって連れてきたし、入浴する時間は男子三十分、女子一時間(イナバはこっち)の制限を光輝はつけていた。出来るリーダーは違うのである。

 

 

 

 

 

「ここが、最後の部屋だな」

 

 そして風呂に入ってさっぱりした後、全員再度武装を身に着け――片方のグループが入っている間にもう片方が水属性と風属性の魔法で汚れを落としてキレイにしていた――、各部屋を回っていた。イナバとユグドラシルはそこまで興味が無いのか居間の方で待機しており、とりあえずここの家具にマーキングをしないようイナバに言い渡しておいてから探索に移っている。

 

 二階で書斎や工房らしき部屋を発見したものの、どちらの中の扉も封印がされているらしく開けることはできなかった。そこで仕方なく諦めて探索を続け、最後に行き当たったのが三階の奥の部屋であった。

 

 三階は一部屋しかないようであり、奥の扉を開けるとそこには直径七、八メートルの今まで見たこともないほど精緻で繊細な魔法陣が部屋の中央の床に刻まれていた。いっそ一つの芸術といってもいいほど見事な幾何学模様である。

 

「ひっ!? が、ガイコツだよぉ……」

 

「落ち着きなさいってばタエ。一応“気配感知”にも引っ掛からないんだから……大丈夫よね?」

 

 だが妙子が反応したように皆が注目したのはその魔法陣の向こう側、豪奢な椅子に座った人影であった。その人影は骸だったのである。

 

 既に白骨化しており黒に金の刺繍が施された見事なローブを羽織っている。薄汚れた印象はなく、お化け屋敷などにあるそういうオブジェと言われれば納得してしまいそうなものだ。

 

 しかもその骸は椅子にもたれかかりながら俯いている。おそらくその姿勢のまま朽ちて白骨化したのだろう。それ故にホラーが大の苦手な妙子はいち早く悲鳴を上げ、声をかけた優花の後ろに隠れたのである。

 

「はい“静心”……んー、“降霊術”があれば簡単に判別出来るんだけどね。とにかく調べてみるしかないかも」

 

 そして間髪入れずに発動した“静心”で妙子を落ち着かせつつ、恵里はこの部屋の探索を提案する。優花と奈々に妙子のことを任せつつも一同はいかにも怪しい魔法陣を除き、忍者……もとい雑技に詳しい浩介と雫を中心に調べることに。

 

「床の方はなんにもねぇな。それこそそこの魔法陣ぐらいだ」

 

「壁の方も特に仕掛けは無いみたいだし、魔法陣の方も全然反応が無いわね。きっと魔物の召喚のためのものじゃないと思うわ」

 

「僕が本来辿る未来から察するに……もしかするとこの魔法陣を踏むことで部屋の扉を開いたり、とかかな?」

 

 しかし浩介と雫がくまなく調べたところでこれといったものは出てこず、手詰まりとなった状況を打破したのは信治の声であった。

 

「いや待てよハジメ。多分そこは関係ないかもしれねぇぜ――ほらっ」

 

 そう言って信治が投げ渡してきたものをキャッチすると、ハジメはそれをまじまじと見つめた。指輪だ。まさか、と思って死体のそばにいた大介達に視線を向ければ彼らは悪びれることなく死体を指さしている。どうやらしれっと拝借したらしい。

 

「……死んだ人からカツアゲなんて常識が無いと思うけど、信治君?」

 

「まぁ言いたいことはわかるって。でもよ、その指輪の文様を見てくれよ」

 

 死人に対するいたわりは無いのか、と非難じみた視線を向けるも、彼の言うままに指輪を見てハジメも納得がいった。その指輪には十字に円が重った文様が刻まれており、それが書斎や工房にあった封印の文様と同じだったのである。

 

「これ、確か書斎とか工房の……」

 

「そ。別に俺だって何の考えも無しにもらったわけじゃねーって……まぁ結局、あの水滴みたいな文様のヒントは無かったけどな」

 

 ハジメの言葉に既に確認していた大介らを除くその場にいた全員が集まって指輪をしげしげと見つめる。確かに彼の言った通りのものであると確認でき、誰も信治の行動を咎めようという気は無くなった。

 

「まぁこの遺体は……後で話し合うのと指輪は後で確認するとして、問題はこの魔法陣だな」

 

 不愉快そうに死体を見つめるメルドに一度視線を向けながらも光輝はそうつぶやき、皆が彼の言葉に首を縦に振る。仮にもし部屋の封印がこの指輪で解除出来るなら何のためにこれは存在するのか。それが全員気がかりとなったのだ。

 

「……とりあえずこの指輪、預かるぞ。いいか?」

 

「うん、頼むね浩介君。僕達はここで一旦待ってるから」

 

 了解、と短く返事をして浩介と雫は部屋を出ていく。そうしてこの部屋にある人骨が反逆者ではないかと全員でアタリをつけたり、ユエとの契約をどうするかで恵里達が頭を悩ませている時に信治達も何か話し合っていたりして時間を過ごすと、すぐに二人は戻って来た。表情からしてビンゴだったようだ。

 

「とりあえずコイツで全部の部屋の封印は開いたぜ。特に罠といったものも無かったよ」

 

「きっとマスターキーみたいなものね。おかげでこの施設も存分に使えるわ……そうなると、問題はこの魔法陣よね」

 

 そう雫がつぶやくと同時に全員が魔法陣に目を向ける。一体何の目的でこんなものを用意したのか。それがずっと気にかかって仕方が無かったため、こうなったら直接足を踏み入れるしかないと全員が判断する。

 

「……よし、じゃあ行ってくる」

 

「何があっても龍太郎くんは私が守るから。安心してね」

 

「ま、これだけの人間がいるんだ。帰ってこれねぇこたぁ無ぇよ」

 

「そうね、ユキの言う通りよ。皆は安心して待ってなさい」

 

「うん。龍太郎っちも香織っちも、優花っちも妙子っちも……その、幸利っちもこんなすごいところを切り抜けてきた仲間なんだから。心配しないで」

 

「うんうん。すぐ戻ってくるから待っててねぇ~」

 

 そして話し合いの結果、もしかするとこれが地上へと転移するためのものなのかもしれないと判断した一同は先遣隊のメンバーとして龍太郎と香織、そして幸利と優花、奈々、妙子の六人を選抜。足を踏み入れてもらうこととなった。そしてせーの、の掛け声で六人が魔法陣を踏んだ途端、カッと純白の光が爆ぜて部屋を真っ白に染め上げた。

 

「うわっ!?」

 

「目、目が――」

 

「うぉ、まぶしっ――」

 

 あまりのまぶしさに全員が目を閉じると、ふと魔法陣を踏んだ六人が軽くうめき声を出したのが耳に入った。まさか何かあったんじゃ、と光が収まるのを待ってから目を開けると――眼鏡をかけた黒衣の青年がいつの間にかそこに立っていたのである。

 

「い、いつの間に!?――おい戦闘態勢とれ!!」

 

「う、うん!!」

 

「わ、わか――あれ? この恰好って、あのガイコツ……ひっ!? お化けぇ~!?」

 

 見れば龍太郎達はその場に立ったままであり、この場にいる全員が突然のアクシデントに即座に構えるも、ここであることに気付いた妙子がパニックを起こした――そう、目の前の青年とあの骸の恰好が同じことに。そこで目の前の青年が化けて出たのだと連想し、恐怖で腰を抜かしてしまったのである。

 

「試練を乗り越えよくたどり着いた。私の名はオスカー・オルクス。この迷宮を創った者だ。反逆者と言えばわかるかな?」

 

「やだぁ~!! やだ、こないでぇ~!!!」

 

「あーもう! タエ、落ち着きなさいって!――エリ!!」

 

「はいはい“静心”!……ったく、面倒な仕掛けを残してくれちゃって」

 

 思いっきり錯乱して這いつくばりながら優花の後ろに隠れた妙子であったが、その優花も少し驚きながらも恵里に助けを求める。恵里も内心ため息を吐きたくなるのをこらえながら再度“静心”を使って妙子を強制的に落ち着かせる。無論、この場にいた誰もが警戒を怠ることは無かった。

 

「ああ、質問は許して欲しい。これはただの記録映像のようなものでね、生憎君の質問には答えられない。だが、この場所にたどり着いた者に世界の真実を知る者として、我々が何のために戦ったのか……メッセージを残したくてね。このような形を取らせてもらった。どうか聞いて欲しい……我々は反逆者であって反逆者ではないということを」

 

「……襲ってくる気配は無いようだな」

 

「……です、ね。よし、皆。一旦武器を下げよう。メルドさんも、その……」

 

 しかし肝心の相手はただのホログラムのようなものであり、単に映像の再生でしかないと理解した恵里達は光輝の指示通り武器を下げる……尤も、メルドだけは今も武器を構えたまま忌々し気に目の前の青年を凝視しており、片時も視線を逸らすことも自分達に返事をすることすらしなかった。

 

 そんな剣吞とした空気の中、オスカーが語った話は驚愕に値するものであった。何せ聖教教会で教わった歴史やユエに聞かされた反逆者の話とは大きく異なっていたのだから。

 

 それは狂った神とその子孫達の戦いの物語。

 

 神代の少し後の時代、世界は争いで満たされていた。人間と魔人、様々な亜人達が絶えず戦争を続けていた。争う理由は様々だ。領土拡大、種族的価値観、支配欲、他にも色々あるが、その一番は〝神敵〟だから。今よりずっと種族も国も細かく分かれていた時代、それぞれの種族、国がそれぞれに神を祭っていた。その神からの神託で人々は争い続けていたのだ。

 

「私達はそんな――」

 

「……ふざけるな」

 

 恵里達はやはり、と聞いて思っていたものの、それに納得できない人間がいた。メルドであった。得物を握る手に力を籠め、親の敵とばかりに目の前の映像をにらみつけている。

 

「め、メルドさん落ち着いてください!」

 

 無論、恵里達もどうして彼がそんな顔をするかも理解できていた。この世界唯一のエヒトを信仰する宗教の敬虔な信徒である彼からすれば反逆者と称されたオスカーの話など逆鱗に触れるがごとき行為でしかないからだ。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁあぁあぁあ!!! 世迷い言を抜かす大罪人がぁあぁ!!」

 

 その話を聞いて段々とその目に憎しみが籠っていき、遂には武器を構えて駆け出す。その視線から攻撃の対象がオスカーの映像でないことに気付いた香織や鈴達はすぐに“聖絶”と捕縛魔法の多重展開を行う。

 

「“聖絶”! “縛光鎖”! お願いメルドさん、落ち着いて!!」

 

「“縛光鎖”!!――ダメです、メルドさん!! いくら憎いからって死体に攻撃は――!!」

 

「“封縛”!! “縛光鎖”!! メルドさん! いくら何でももう死んだ人に武器を振るうなんて見過ごせない!! やめてください!!」

 

「離せ、離せお前らぁあぁあぁあぁ!!!」

 

 そう。彼らが述べた通り、メルドはオスカーの遺骨へと切りかかろうとしていたのである。

 

 しかも踏み込んだ際にイメージだけで“風球”も発動しており、仮に自分自身が止められても絶対に破壊すると言わんばかりの執念で動いていた。それ程にオスカーの話は許せなかったのだ。たとえ自分がどこまでも嫌悪されようと、憎まれようともこの存在だけは許してはおけなかったのだ。

 

「こんな、こんなもの――“限界突破”ぁ!!」

 

 メルドは自身の戒めとなる光の鎖も、自身を閉じ込める光の檻すらも“限界突破”と“魔力放射”によって魔力をあふれさせ、破壊しようとしていた。

 

「そんな……なんで、どうしてなの……」

 

「め、メルドさん! 落ち着いてくれよ!! 今のメルドさんはメルドさんらしくない!!」

 

「ど、どうすればいいんだよ……何が、何がどうなってんだよ!!」

 

 その様子に恵里とハジメ、そして幸利以外の誰もが少なくないショックを受けていた。自分達の頼れる兄貴分がこんな錯乱した様子で死人の言葉を、その全てを否定しようとするなんて思っていなかったのだ。それほどまでにこの世界の宗教は根深いものだと想像できなかったのだ。

 

「ああもう、これだからエヒトの奴は本気で嫌いなんだよ……! “限界突破”! “静心”!!」

 

「止めるぞハジメ……今のメルドさんはメルドさんじゃねぇ! “纏光”!!」

 

「うん、わかったよ二人とも――“錬成”!!」

 

 オスカーが真実を語ろうとした時に薄々感づいてしまった三人も、やりきれない様子を見せたり悲痛な表情をしながらも彼を止めようとそれぞれの方法で彼を止めようとした。

 

「無駄だぁぁあぁぁぁぁああぁ!!!」

 

 だがメルドはそのことごとくを跳ね除けた。“静心”も自分の魔力と相手の魔耐との数値がある程度離れていたり、それを受ける相手が受け入れる態勢に入っているか精神がグラついていなければ効果を発揮しない。

 

 そのため怒りと憎しみで心が満たされたメルドを止めることは能わず、幸利が“纏光”で彼を戒める存在を補強してもそれを砕き、ハジメが落とし穴を作ってそこに封じ込めようとしてもあふれ出る魔力でそれを破壊して飛び出していく。

 

「落ち着いてくれよメルドさん!! 今の、今のアンタはおかしいんだよ!!」

 

 そうして剣を振り上げ、一刀でオスカーの遺骨を切り捨てようとするメルドの前に今度は龍太郎が立ちはだかった。両腕をクロスさせ、絶対に壊れない籠手で刃を受けて攻撃に耐える。

 

「ぐぅっ!! この、程度――“限界突破”ぁ!!」

 

 やはり“限界突破”によって身体能力が向上している分、籠手を身に着けている腕へのダメージは尋常ではなく、骨にヒビが入ったかのような心地がした。だがそれでも龍太郎は退かない。決死の覚悟で、目の前の憎悪に燃える自分達の師を見据えるだけであった。

 

「止めるな龍太郎!! お前は、お前らは許せるのか!! 自分が日々祈っている存在がけなされ、さも訳知り顔で俺達を苦しめる諸悪の根源などとうそぶくような恥知らずが目の前にいることが!!」

 

「でも、でも死んでるんだぞ!! 死んだ人間にまで剣を振るうなんて普通やらねぇだろうが!! いつもの、いつものメルドさんに戻ってくれよ!!」

 

「いつもの……? これがいつもの俺だ!! エヒト様を信仰し、エヒト様のためにその剣を振るう。それが俺だ!! この世界に住まう人族すべてがそうなんだ!! だから、だから止めるなぁああぁあ!!!」

 

 龍太郎の必死の説得も届くことなく、更に踏み込んで押し切ろうとするメルド。

 

 ――目の前の龍太郎とオスカーの骸にしか意識がいってなかったが故にメルドは気づけなかった。自分の背後と下から迫る二つの気配に、悲しみをこらえた様子の浩介と雫が自分を止めにかかろうとしているのに。

 

「――!! 雫!?」

 

「ごめんなさいメルドさん!!」

 

「悪いメルドさん! でも、もうこうするしか――!!」

 

「浩介!? お前ら――ぐはっ」

 

 ほぼ意識の外から放たれたストマックブローと当て身。それを受けてメルドは意識を刈り取られて沈んでいった。彼が纏っていた紅の光は消え失せ、ピクリとも動かない。そんな様子のメルドの両肩を浩介と雫が支えて立ち上がると、あまりに悲し気な表情でただぽつりとつぶやいた――どうして、と。

 

「どうして、どうしてなんだろうな……俺達、ずっと理解し合ってたと思ってたのに。考えてることがわかってたって、思ってたのに……」

 

「私達、結局メルドさんも……ううん、この世界の人達のことを、何にもわかってなかったのかもしれないわ」

 

 両の目から涙を流しながら二人は部屋を後にしていく。今こうして叩きのめしたとはいえ自分達の師であり、頼れる兄貴分なのだ。そんな彼をこんな場所で放置する訳にもいかない。だから二人は一階の居間へと向かう。自分達が慕うこの人が少しでも休めるように。自分達も、少しでも休めるように。

 

「――話は以上だ。聞いてくれてありがとう。君のこれからが自由な意志の下にあらんことを」

 

 微笑みながらそう告げるとオスカーの映像は消えていく……その言葉が、どこか虚しく響いた。

 

 

 

 

 

「ハジメくん、鈴。ボクはもう平気だから。予想出来てなかった訳じゃないんだから」

 

「……ごめん。しばらくこのままでいさせて」

 

「……うん、鈴もこのままがいい」

 

 恵里は今、解放された工房の片隅で地面に座りながらハジメと鈴に両側から抱きしめられている。それは雫と浩介が気絶したメルドを連れて出ていった後のことが関わっていた。

 

 三人が出て行ってオスカーの映像が消えた後、龍太郎達の身に異変が起きた。頭痛を訴えると同時に、神代魔法の一つである生成魔法を手に入れたのである。魔法を鉱物に付加し、特殊な性質を持った鉱物を生成出来る魔法だ。

 

 これをハジメが覚えて使いこなせれば間違いなく戦力アップに繋がる。そう確信した一同は空元気を出しながらも魔法陣を踏み、先程聞きそびれたオスカーの言葉に耳を傾けようとする――この時、誰も予想していなかった言葉が全員の耳に入った。

 

『……この映像は叶うことならば再生されないことを祈りたかったが、もしそうなったのならば非常に残念だ――悪いが君に差し出すものはない。早々に立ち去りたまえ』

 

 それは、拒絶の言葉。

 

 そう述べたっきりオスカーの映像は消え、新たに魔法陣に入ったハジメ達は何も得ることが出来なかったのである。

 

『なん、で……?』

 

『ど、どういうことだよ!? お、俺らクリアしたじゃんか!! 苦労してあの魔物に勝ったんだぞ!? おかしいだろ!!』

 

『そ、そうだよ! どうして私達だけオッケーで恵里ちゃん達は駄目なの!!』

 

 予測のつかない事態に誰もが混乱する中、なぜこうなったかを理解()()()()()()()恵里は悲し気に微笑みながら魔法陣の外に出る。

 

『――恵里っ!!』

 

『ねぇ皆、次はきっと大丈夫だよ――ボクが、いなければさ』

 

 ハジメの伸ばした手をすり抜け、諦めと後悔、悲しさが入り混じった声で恵里はそう告げる。その途端、何故目の前の少女がそんなことを言ったのか、そして彼女の身に何が起きていたかを全員が思い出し、その場にくずおれる。

 

『仕方、ないんだよ……ボク、前世で皆を裏切ったもん。その罰なんだよ、きっと』

 

 恵里が自身の頭をいじられたという証言、そしてエヒトに対抗するためにこの魔法陣を残したオスカーの言葉から全員が察してしまう――彼女は何らかの理由でエヒトに寝返ってしまうということをだ。

 

『だからって……だからってこんな……こんな仕打ちがあるっていうの!!』

 

 ハジメが慟哭する。鈴達がむせび泣く。ユエもこの時ばかりは苦い表情をするばかりで何も言わない。否定が、出来なかったから。ハジメ達はあのノイントという神の使徒の言葉に恵里が操られたのを見ていたから。そしてそれをユエも聞いていたから、だから何も言えないのだ。

 

 本当に頭をいじられたからなのか。それとも前にハジメが推測した『恵里の魂もいじられている』ということの動かぬ証拠なのか。それを判断することは今のこの場の誰にも出来ない。

 

 だが敵になり得る存在に力を渡すわけにはいかないという解放者の信念が恵里に牙を剥いたのは事実であった。そしてそれは誰もが理解出来てしまうからだ。

 

『クソが……クソがぁぁー!! なんでだよ!! ハジメも中村も何にも悪いことしてねぇじゃねぇか!! 俺達におかず恵んでくれて、俺らなんかと友達になってくれて、ここに来ても飯だって、ベッドだって、全部……ぜんぶ悪くねぇじゃんかよぉぉ!!』

 

 大介の叫びがこだまする。

 

『俺を許してくれて、雫を助けてくれて、そんな恵里の過去が何だって言うんだ!! どうして、どうしてそれを……あぁあぁぁぁーー!!!』

 

 光輝の嘆きが響き渡る。

 

『……絶対、僕が恵里を治す。絶対、絶対だ!!』

 

『鈴も……絶対助けるよ。親友を、このままになんて絶対にしないから!!』

 

 ハジメの、鈴の決意が静かに響く。

 

 そうして恵里達はこの場に佇んでいたのである――。

 

「別に、いきなり見知らぬ場所に放り出されたりとかハジメくん達は手に入らなかった訳じゃないんだから。気にしなくていいってば」

 

 そしてハジメ達のみで魔法陣を踏み、生成魔法を得て今に至ったという訳であった。

 

 恵里もあの後、もう一度やってみて欲しいと光輝や香織が言い出す前に一人で魔法陣の上に乗ってみたが結果は変わらず。二人を筆頭に他の面々も心底苦しそうな、悔しそうな顔をしていた、

 

 その後ハジメと鈴は全員の了解をとってこの工房の片隅で三人で体を寄せ合っていた。

 

「嘘つき……それならどうして震えてるの?」

 

「別に誤魔化さなくったっていいよ。ここにいるのは僕達だけだから」

 

 恵里が強がっていたのも二人はわかっていた。それは香織や光輝、幸利らもだ。だから三人水入らずの時間を過ごせるよう考え、取り計らってくれたのだ。

 

 そしてそれを恵里もわかっていたし、さっきの事で一切ショックを受けてなかった訳でもなかった。やはり自分の過去の行動を心底悔いていて、そのせいでハジメや鈴、香織達にいつか恐ろしいことをしてしまうかもしれない。その事で怯えていた。

 

「うん……もう少し、ギュッてしてて」

 

 だからこうしてあまり心配をかけないよう強がり、さも大丈夫な様に装うのがせいぜいだったのだ。けれどもそれがバレバレであったため、ならせめて泣きそうになってるのだけは誤魔化せるよう瞳を閉じ、腕に力を少しだけこめる。それを二人は黙って受け入れた。

 

 特に言葉を交わすことなくいつまでそうしていたか。ふと三人仲良く、くぅとお腹が鳴ってしまい、顔を合わせて苦笑してしまう。

 

 どんなに苦しくても辛くてもお腹はすく。最初に二尾狼と戦った後の事を思い出して自然と笑みが溢れていた。

 

「お腹、すいたね」

 

「ご飯、作ろっか」

 

「うん。皆で作ろうよ」

 

 そう言うと三人は立ち上がって工房を後にすると、台所に立っていた優花達と一緒に食事を作る。いつもよりどこかしょっぱいご飯を用意し、少し落ち着いた様子のメルドと一緒に食べた。

 

「……悪いが俺は意見は変えんぞ。絶対に反逆者は許さんし、奴らのおこぼれも不要だ。だが、お前らには無理強いはしない。それでいいな?」

 

 食事の席で唯一話したのはこれだけであったが、それでも自分達には干渉しないと述べてくれている。恵里達はその事に感謝を示しつつ、それ以上何も言わなかった。

 

「……南雲ハジメ、お前に用がある」

 

 そして食事を終えて皆と一緒にリビングで過ごしていると、急にユエがハジメの下へとやってきて何かを頼み込んできた。

 

「えっと、どうしたの? 僕に何が出来るかな?」

 

 一体何なのかと恵里と鈴だけでなく、大介達以外の面々が興味深げに覗き込んでくる。

 

「用があるのはお前の錬成――私を封印していたあの場所、そこにある物を探して欲しい」

 

 ――時計の針が、早まった。




ぶっちゃけこれぐらいの仕掛けは解放者も用意してると思うんです(本日の言い訳)

それと大人がカッコいいだけでいられた時間は前回で終わりました。
これからはメルドがいちトータスの人間として真実に向き合わなければならなくなります。

……そしてそれは今回の話で最後に出た彼女も同様です。ええ。
え、どうなるかって? ご想像の通りだと思いますよ(ニッコリ)


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幕間二十 月は今、朔へと至る

それでは読者の皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも115293、しおりも327件、感想数も355件(2022/6/18 22:12現在)となりました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき毎度毎度ありがとうございます。おかげさまでまた作者もモチベーションを高く保つことが出来ました。本当にありがたいです。

それと今回の注意事項として長め(約15000字程度)でしかも鬱描写が入ります。あと多分今日が作者の命日です。理由? まぁタイトルから察してくれるとありがたいかなー、って(遠い目)

では上記に注意して本編をどうぞ。


「用があるのはお前の錬成――私を封印していたあの場所、そこにある物を探して欲しい」

 

「……一体何を? それを言ってもらわないと僕としても協力しづらいんだけれど」

 

 目的を告げたユエに対し、南雲ハジメは困ったような表情で彼女を見つめていた。

 

 するとユエも少し気が早ったかと考えつつもすぐ近くにいた中野信治に目配せをし、自分がそれを頼み込んだ理由について彼に説明してもらうことにした。すると彼も浅くうなずいてこちら側へとやってきた。

 

「お、俺か。確かにこの話を持ち掛けたのは俺だしな」

 

「どういうことなの、信治君?」

 

 すぐに自分の意図を察した彼に南雲ハジメは問いかけるも、まぁ待てと言わんばかりに手で制する。中野信治は一度全員を見渡してから説明を始めていく。

 

「それを今から説明させてもらうぜ――前に俺達でコイツを助けたことがあったよな。それは覚えてるか?」

 

 その言葉に全員がうなずくのを確認すると、すぐに彼はその理由を語っていく。それは彼がユエを助けようと彼女を拘束する謎の物体に檜山達と土属性の魔法で干渉し、無事に助け終えた後のことであった。

 

「どうにか解放出来て一息吐こうと地面に手をついた時にな、見たんだよ。紋章、つーか文様みてーなのをな。水滴みてーなヤツだった」

 

 その時もしやユエに何か関係があったんじゃないかとサソリモドキとの戦いの後に訪ねてみるも、当然あの部屋にいい思い出の無かった彼女は怒りを露わにしたため即座に謝罪。その時はもうこれ以上話を続けることも出来ず、彼はそのまま忘れてしまっていた。

 

「で、あのヤマタノオロチのニセモノみたいな蛇の魔物と外で戦ったよな? そこによ、すごい文様の彫刻を見て引っかかって、そこであの指輪があった。だから確信したんだよ」

 

 ところが、あの最後の番人との戦闘前に扉に掘ってあった彫刻を見て引っ掛かり、オスカー・オルクスの遺骨がはめていた指輪を檜山達と共に見つけたことで思い出したのである。

 

 また、それの文様がこの住処で開かなかった箇所の文様と同じであり、指輪で開くことが出来たと遠藤浩介、八重樫雫の二人から伝えられたことで彼は確信した。きっとあの文様も同じ仕掛けじゃないか、と。

 

「きっと俺が見たアレも何かで開く。そんな気がするんだよ……まぁ今のところ、そういうのは全然見つからねーけどな」

 

 最後にそう締めくくった中野信治はため息を吐く。とはいえ彼が何を言いたいのか、そしてユエが何をしてほしいのかを事前に話をしていた檜山達以外の面々は理解した――その仕掛けを上手く破壊し、何があるのかを調べてほしいということだと。そうして全員がうなずいていると、今度は檜山が真剣な表情で全員の前に立った。

 

「……信治の話を聞いてハッとしたんだ。もしかしたらユエはただの裏切りで封印されてた訳じゃねーんじゃねーか、ってな。だってよ、おかしくねーか? こうやって身動きできなくなるまで追い詰めたってのに、裏切ったヤローは殺しにかかってねーんだぜ? だから、だからよ……もしかすると、何かあると思うんだ」

 

 だから頼む。そう言いながら檜山は南雲ハジメらに向けて頭を下げ、場は騒然とし出す。

 

 ユエも口に出さずとも彼の言い分を一部だけだが肯定していた。自身をあんな物体に封印したことを考えれば、当然まともに身動きも出来なくなる程まで追い詰められていたのは明白だしそれも彼女はわかっている。ならば殺しにかかってもおかしくはない。そう彼らが結論づけるのも納得はいった。

 

 だが、自身には“自動再生”がある。魔力がある限りは首を落とされても死なないのだから、自分を殺すのでなく封印する方向にあの男――叔父のディンリードは舵を切った。そう改めて()()()()()

 

「ね、ねぇ……もし中野君や檜山君の言った通り、本当にそこに何かがあるんだったら――手がかり、あるんじゃないかな? どうして封印されなきゃいけなかったのか、って理由が」

 

 そこで出た白崎香織の言葉に檜山らもうなずく。先程の二人の話からこの場にいたユエとメルド・ロギンス以外の全員が考えたのだ。もしかしたらそこにユエが封印される理由があるのではないか。彼女は本当は封印という形で()()()()のではないか、と。

 

 それとメルド・ロギンスは信じていないものの、オスカー・オルクスの語った言葉もある。親友である中村恵里や自分達をもてあそんだように、あのエヒトが何らかの理由でユエを狙っていたのではないか、と彼らは考えたのだ。

 

 そこで中村恵里と彼女から真相を聞いた南雲ハジメ、谷口鈴に彼女達の友人達は視線を向ける。幾らかの迷いを見せた後、観念したのか中村恵里がそれについて語り始める。

 

「……ボクの記憶以外にちゃんとした証拠を得てから話そうと思ってたんだけどね。ま、十中八九そうだよ。ユエ――ソイツは確か乗っ取られてた。その魔力の強さとか固有魔法のことを考えるとね、狙うのも無理ないんじゃないかな」

 

 その言葉に更に場がざわめく。

 

 ただ単に裏切ったという事でなく、エヒトが乗っ取ろうとしていたからこそ、裏切った相手はユエを守るために彼女をここに封印したのではないのか。そう白崎香織ら彼らの友人達は考えたからだ。

 

「……そんなはずは、ない。私は……私は、あの男から裏切られただけ。それだけ……!」

 

 だがユエはその話を信用しようとはしなかった。それをわずかにでも信じてしまった時、()()が崩れ去ってしまいそうな予感がした。絶対に崩してはならない何かがあったからこそ、その可能性を信用しようとしなかったのである。だからこそ何かを感じ取った様子の彼らに視線を向けられてもユエは折れなかった。

 

「確かにそれなら理解できる。だがな、恵里。コイツの体を乗っ取ったのは一体誰だ? そして乗っ取った体で何をしようとした?――返答次第では叩き切るぞ」

 

 そしてメルド・ロギンスもまた中村恵里の話を信用しなかった。話の内容そのものに関しては納得していたものの、その乗っ取った相手のことを意図してぼかしていることにも気づいていたのである。

 

 だから彼女の身に起きた事やオスカー・オルクスの語った世迷い言、話の筋からして自分の信仰しているエヒトがその犯人ではないかと思い至ったのだ。

 

 自身だけでなく教え子達が魔物の体になって絶望した際に心を救ってもらったことへの恩はあるが、それでも信仰の対象をけなされるとあれば別だ。故に剣の柄に手をかけ、いつでも切りかかれる状態に一瞬で身構えている。

 

「……誰が下手人かはノーコメントで。ボクだってまだ死にたくないしね」

 

「貴さ――!」

 

「はいはい“静心”」

 

「ごめんなさいメルドさん! “縛光鎖”!!」

 

 彼女の言葉からして自分の邪推が真実であると理解したメルド・ロギンスは即座に剣を抜いて斬りかかろうとするも、即座に反撃を食らった。魔法で精神を一瞬だけではあったが落ち着かせられ、地面から伸びた何本もの光の鎖で雁字搦めにされて鎮圧されたのである。

 

 ユエとしてもコイツが動くと面倒くさい思いつつ、不慣れながらも白崎香織や谷口鈴、天之河光輝と一緒に“縛光鎖”を発動していた。うなり声を上げながら抵抗するメルドを八重樫雫が当て身を叩き込んで失神させたのを見るとすぐさまユエはその場を離れる。

 

「……この男が動くと面倒。とりあえずそこの三人で抑えてて。私は確かめに向かう」

 

「ちょ、ちょっとユエさん――!?」

 

 そう言い残してユエはリビングを後にしていく。部屋を出て何歩か歩いた後、後ろを振り向いてまだ南雲ハジメがその場でうろたえている様子なのを確認し、彼に向けて手招きをした。これは彼がいなければ成り立たないのだ。苛立たしい気持ちを抑えながらも彼女は『早く来い』と視線で訴える。

 

「え、えっと……本当にいいの? きっと、きっとこれは貴女にとって良くない――」

 

「黙れ……それを決めるのは私。お前ごときに決定権は無い」

 

 それでも尚渋る彼にユエは舌打ちをしながら催促をする。お前の考えなど知ったことじゃない。自分はただ、そこに何があるのかを確かめるだけ。そしてそれを真っ向から()()()()だけ。そう考えながらユエは歩く。

 

「お、おいハジメ、一体どう言う事だよ? どうしてアイツに良くないってわかるんだ!?」

 

「……大介君、それに皆も。行きながら話すから落ち着いて聞いて欲しい」

 

「真実は残酷。そういう事でしょ、ハジメくん?」

 

 突っかかる檜山に、ついて来ている面々に語りかけようとしている南雲ハジメと中村恵里。そんな彼らを無視してユエは向かう――知りたくない、知ってはならないものに目を背けるようにして。

 

 

 

 

 

「……いいんですね? 真実はきっと残酷だと僕は思ってます。だから――」

 

「……くどい。お前は言われたことをやればいいだけ。口答えをするな」

 

 道すがら再出現した魔物をこれまでの経験と磨いた技術、そして新たに獲得した技能を駆使して難なく倒していき、ユエ達は無事に五十階層の例の部屋までたどり着いた。

 

 その後信治の言った“水滴の文様”とやらを全員で探しにかかるが、大まかな位置を彼が覚えていたのと人海戦術を駆使したこともあってかすぐに見つかった。

 

「……本気でいいの? こっちは一応そっちに同情してるから言うけれどさ、知らない方が身のためだよ?」

 

「ま、マジでやめようぜ? べ、別にいいじゃんかよ。俺だって皆だって知らなくっても困らねぇしさ……」

 

「や、やめようよぉ~……ゆ、ユエさんが知ったらきっとすごい傷つくよぉ~?」

 

 だが“錬成”で無理矢理中身を取り出すことに南雲ハジメだけでなく中村恵里も、そして二人から話を聞いたであろう面々――坂上龍太郎と白崎香織、清水幸利に遠藤浩介がその場にいない辺り、きっと四人でメルド・ロギンスを見張っているのだろう――もまた難色を示していたのである。

 

「黙れ……お前らは口出しするな!! 私は……後悔なんてしない! あの男のことを知ったところで私は変わらない!! 同情も心配もするな!!」

 

 半ば自分に言い聞かせるようにそう叫ぶと、遂に諦めたのか南雲ハジメが“錬成”と短くつぶやいた。途端、紅色の魔力光が輝き、水滴の文様のあった地面の周囲を穿っていく。

 

「いいの、ハジメくん? 本当にやっちゃっても……」

 

「……当の本人がそう言ってるしね。やるしかないよ。ショックを受けた時は大介君と一緒にどうにかするから」

 

「ああいうのは一度意固地になったらまず意見を変えないからね。別に、本気で後悔させてやればいいさ……アフターフォローだったら、別に拒んだりしないでしょ」

 

 侍らせている女二人とやりとりをしながらも南雲ハジメは作業を続けていた。そんな彼のやっていることは至って手堅く、地味なものである。言うなれば砂を少しずつかき分けて周辺に山を作るように、地面の岩を削り取っていく。そんなものであった。

 

「……なあ先生、その、よぉ……遅くね? もうちょい景気よくガーっといっちまった方が早いんじゃねーか?」

 

「言いたいことはわかるよ良樹君。でも、もしそうやって中にあるものを壊しちゃったらどうするの? もしかしたら僕の“錬成”で干渉出来る代物かもしれないんだし」

 

「あー、そっか……確かにそうだよな。俺個人の頼みだったらともかく大介とその……あっちの頼みだもんな。悪い」

 

 ううん、と事もなげに返す少年と徐々に掘り進められていく地面を見てユエは思う。本当にこれで良かったのか、と。

 

 自分を裏切ったあの男――自身の叔父であるディンリードが自分のために何かを残した、などという幻想を捨て去りたかった。自分はただ、欲望に目がくらんだあの男のせいでこんな目に遭ったのだと思いたかった。中野信治とやらがまずのたまい、自分と行動を共にしていた奴らも抜かした『自分がここに封印された真実』を打ち砕きたかっただけなのだ。

 

 だがもし、本当にそれが見つかってしまったら?

 

 実は自分がここに幽閉された理由がちゃんとあったとしたら?

 

(……違う、違う違う違う違う違う!! 私は、私は――!!)

 

 揺らいでしまう。これまで抱いて生きるしかなかった憎しみが、恨みが、そして怒りが掻き消えてしまいそうで。それ以上にもっと恐ろしいことに思い至ってしまいそうな、そんな気がしてユエは不安に駆られていた。

 

「――これは! よし、いくよ!!」

 

 生じる不安を振り払おうと必死になる自身を他所に事態は進行していく。作業を続けていた南雲ハジメであったが、どうやら自身の“錬成”を弾く何かに当たったらしい。目つきが一層真剣なものに変わり、かつて自分を解放した時のように魔力を(ほとばし)らせて周囲を紅く染めていく。

 

「ぐっ……! 前にユエさんを解放した時以上に、繊細さもかなり求められてるし僕だけがやってる分キツい……もう、魔力が――」

 

 だがその勢いもそう長くは続かなかった。中にあるかもしれないものを傷つけないよう、莫大な魔力を用いながらも慎重に削り取っているらしく、もう彼の魔力は枯渇しかかっているようであった。

 

「任せてハジメくん――“譲天”!!」

 

 だがそんな時、そばにいた谷口鈴がすぐに他者の魔力を回復させる魔法を使ったことでその勢いが一時的に戻った。

 

「ありがとう、鈴! でも、これだと正直厳しいかも――」

 

「だったらボクのも使ってよ鈴!! “廻聖”でボクの魔力を抜き取って!!」

 

「お、俺のも使ってくれ!! ハジメの助けになるはずだ!」

 

「私も!! こういう時のためについてきたんだから早く!!」

 

「うん! ありがとう皆――“廻聖”!!」

 

 魔力を回復してもらってもなお厳しそうな表情を浮かべる彼の支えにならんと少年少女達は名乗りを上げる。即座に谷口鈴は魔法を行使して魔力を順々に抜き取っては南雲ハジメへと力を分け与えていく。

 

「――ッ!!」

 

 そんなあまりにもまぶしい光景を見てユエの心は軋みを上げた。

 

 またしても自分に仲良しこよしなところを見せつける彼らへの苛立ちで頭がおかしくなりそうであった。だが、今回は自分の指示に従ってこうして動いているのだ。それを踏まえれば今すぐやめろと言うのも間違っているのがわかっているため、ユエは唇を嚙みしめながらもただ事の成り行きを見守るしかなかった。

 

「ありがとう、皆――これで、終わりだ!!」

 

 その場にいた奴らから魔力を受け取りながらも“錬成”を発動し続けていた南雲ハジメが、叫びと共に一層魔力をこめたことで仕掛けと思しき箇所だけが融解し、遂に中にあったものが露わとなった。

 

 そこにたたずんでいたのはピンボールくらいの大きさの鉱石であった。透明度の高い、一見するとダイヤモンドのようにも見える代物が誰かを待ちわびているようにそこにあったのである。

 

(あれが……本当に、あった。なら――)

 

 中野信治の推測の通り、本当に叔父と思しき存在が遺したものがあった。ならば、と手を伸ばした瞬間――。

 

「――っと! 悪いけどコイツは()()壊させないからね!!」

 

 真横からひったくるようにして手を伸ばしてきた中村恵里によってかっさらわれてしまう。

 

「――ッ! 寄越せ! それはお前のものじゃない……!!」

 

「ハッ、嫌だね!――どうせぶっ壊す気満々だったんでしょ?」

 

 再度放たれた言葉にユエは苛立ちを隠さなかった。彼女の述べた通り、ユエは見つかったその鉱石を握りつぶして破壊するつもりであったのである。あれは危険だ、絶対にあってはならない、と自身の本能がけたたましく警告を鳴らしている。

 

 だからこそ壊すつもりであったのだが、中村恵里はすぐに自分と距離を取り、南雲ハジメや谷口鈴の後ろで身構えている。本気で自分とやりあうことも辞さない様子が見て取れたのである。

 

「……本気、なの? 本気なのユエッ!?」

 

「どうして……どうしてなんだよユエさん!! 貴女は、真実を知りたいんじゃなかったのか!?」

 

「……やっぱり、そうなんだね」

 

「悪いけどね、これはハジメくんや皆が苦労してやっとのことで手に入れた代物なんだよ。真実を見るのが嫌だからって、すぐにぶっ壊そうとするような奴なんかに誰がくれてやるもんか」

 

 園部優花や天之河光輝のように驚愕する者もいれば、南雲ハジメのように諦めと悲しみの混じった顔でこちらを見る者もいる。先程まで自分に協力してくれた彼らの様々な視線を受けながらもユエは焦りのままに叫ぶ。

 

「うるさいっ!!……それは私のものだ。私がどう扱おうと私の勝手だ! お前達には関係ない!! 早く、早く渡せ!!」

 

「ま、待て! 待ってくれ!!」

 

 こうなったら実力で奪い取る。そう考えた矢先、檜山が自分達との間に割って入ってきた。

 

「頼む中村! もうソイツをユエに渡してやってくれよ! ユエが傷つくんだったら、もう無い方がいいだろ!!」

 

「勝手にその名を呼ぶな、下郎!」

 

「言いたいことはわからない訳じゃないよ、檜山……でもね、これはボク達にとっても有用な情報源なんだ。それに――」

 

 忌々しい偽名を呼ぶ少年に怒りをぶつけつつも、ユエは今すぐにでも魔法を発動できるように頭の中でイメージを形作る。わけのわからないことをのたまう女共々、この場にいる全員を叩きのめす勢いであの鉱石を破壊する。そのために“砲皇”を詠唱しようとしたその時であった。

 

「怖いんでしょ?」

 

「……は?」

 

「真実を知るのがさ。知っちゃったら、裏切ったソイツに謝り倒したくなっちゃうだろうからねぇ~……違う?」

 

 中村恵里が嗜虐的な笑みをしながら発した言葉のせいで、ユエの頭は怒りで全部塗りつぶされてしまった。

 

「ふざけるな……私があの男の言葉一つでどうにかなるとでも思ったのか!!」

 

 そんなはずはない。あの男が何を仕掛けたかはわからないが、自分が抱き続けていた感情を簡単に書き換えられるなんて思えないし思いたくない。だからこそユエはムキになってしまう。その言葉を全力でねじ伏せたくなってしまった。

 

「お、おい中村!?」

 

「エリ、アンタ……!!」

 

「駄目だってば恵里! そんなことを言ったら――」

 

「皆は黙ってて!……さっきからずっと真実はわからない方がいい、って散々ハジメくんが言ってたってのに、それを無視して、しかもやっとのことで手に入ったこれをただ壊そうとしてるんだよ? ボクらはね、お前の癇癪(かんしゃく)に付き合うためにここに来たんじゃない。お前が確かめたいって言ったから付き合ってやったんだよ!! それを何履き違えてるんだ!!」

 

「黙れ……黙れ黙れ黙れぇー!!」

 

 中村恵里の言葉に怒り心頭になったユエは、もう魔法のイメージ構成もしないままむき出しの魔力を“魔力放射”を使って叩きつけようとする。

 

「“出盾(しゅつじゅん)”!!――ぐぅっ!」

 

 しかし中村恵里目掛けて放ったそれは檜山の手で出現した岩の盾と彼が体を張ってかばったことで不発に終わってしまう。今度は明確に自分の邪魔をしたな、と忌々し気に彼をにらむ。

 

「だ、大介ぇー!!」

 

「平気、だ……こんぐらいよ。痛くも、なんともねぇ……」

 

 だがそう強がる少年は青い顔をしてこちらを見ている。さっき仕掛けを破壊するために提供したのと、今回使った魔法でもう魔力が底をついたのだろう。だが彼は悲痛ながらも、強い決意に満ちたその表情でこちらを見つめている。それに気圧されたユエは意識することなく半歩下がっていた。

 

「……私を好いている、と言ったな。なら今すぐ失せろ!! お前に用はない!!」

 

「イヤだ!!……ユエに傷ついて欲しくねぇ。けど、けどよぉ!! 俺の親友も傷つくのだってイヤなんだ!! どっちかなんて選べねぇよ!!!」

 

 目の前の少年を威圧しようとするも、涙を流して顔をくしゃくしゃにしながら訴えてくるだけで退く気配はない。その様子にますます苛立っていると檜山が声を上げてきた。

 

「親友も、世話になってる相手も、俺の惚れた女だって傷ついて欲しくねぇんだよ!! だから、だから下がってくれ!!」

 

「……は?」

 

 必死な様子で、しかし想定していなかった言葉がカッ飛んできたことで思わずユエは間抜け面をさらしてしまった。以前暴れた際、確かこの男は何か言っていたような、と薄っすらとした記憶はあったが、それが何を言っていたのかはわからず終まいであった。

 

 今この場で、改めてどこか場違いなその言葉を面と向かって言われたことで思考がフリーズしてしまったのである。

 

「だって、だって仕方ねえじゃねぇかよ! 見た目がけっこうタイプで、俺らなんかよりもずっともっと苦しんでて、オマケにあんな顔されたら……もう諦めきれねぇんだよ!! とにかく、とにかく好きなんだよ!!!」

 

「……あ、うん…………そう、なの?」

 

 あまりに明け透けで、しかも下世話な理由も含んだ好意に今度こそユエは完全に放心してしまう。

 

 今から叩き潰してやろうと思っていたのに、前にボロボロにしてやったのにどうしてそこまで自分にこだわる? 理解の及ばない理屈の羅列にユエは自身の中で膨れ上がった敵意が、熱が消えていくのを感じていた。

 

「そうだよ!! だから止めるんだ! 友達のために、惚れた女のために何かしたいって思ってるのは間違ってるのか!?」

 

「……あぁ、そう」

 

 本気でそうのたまう彼の顔を見てもう何もかもがどうでもよくなってしまった。

 

 何をやっても絶対に駄目だ。意思を曲げないだろうし、死んでも変わらないだろう。そんな謎めいた確信をユエは感じていた。これはもう関わろうとするだけ無駄だ、と。そう思うともう今まで怒り狂っていたのは何だったのかと変に冷静になってしまい、思わず大きくため息を吐くユエであった。

 

「もういい……もうわかった……全部、どうでもいい。勝手にやってればいい」

 

「ユエっ!!」

 

 半ば飛び込むようにしてこちらに向かってきた少年に抱きしめられ、彼から伝わってくる体温を感じながらもユエはされるがままとなった。彼に抱きしめられても嫌悪感や疎ましさを感じないことは不思議ではあったが、もう考えるのもおっくうになった彼女はそのまま中村恵里に向けて言葉を投げかける。

 

「……もう私は諦めた。見たかったら勝手に見たらいい。お前達の好きにしていい。ただ……」

 

「マジかユエ?……よかった、本当によかった……うぁぁ……」

 

 自分の胸元に顔をうずめて泣く少年の様子に一層呆れが出てくるも、ユエは未だ警戒した様子の中村恵里にある条件を話す。

 

「ただ、何?」

 

「……私も見る。せめて、あの男に文句の一つも言ってやりたい。そうしなきゃ気が済まない」

 

「え、でも……」

 

「それを了承しないんだったら今度こそお前達を倒す……早く選べ」

 

 それが唯一の条件。中村恵里に『怖いのか?』と挑発されたのが頭にきていたこともあったが、やはり一言ぐらいは恨み言の一つもあの恥知らずに言ってやりたかったのも事実であった。

 

 そこで中村恵里が全員と目配せをしてしばし、“念話”でも使って話し合いをしていたのか、無音で表情だけでやり取りしていた様子であった話し合いはようやく納得がいったらしい。こちらに向けて力なく首を縦に振ったのを了承したユエは中村恵里が持っていた鉱石の起動を促す。

 

「……本気で後悔しても知らないからね」

 

 そう言いながら中村恵里は例の鉱石に魔力を流し込む。すると暗い封印の部屋を白の混じった黄金の光が満たし、その光と共に現れたのは自分のよく知るあの男であった。

 

「……ディンリード」

 

 まごうことなく裏切った叔父の姿がそこにある。それも慈しみと後悔をたたえた表情を浮かべた様子である。自分をこんな場所に追いやって何を、とにらみ返すと叔父のディンリード・ガルディア・ウェスペリティリオ・アヴァタールが、ゆっくりと話し始めた。

 

『……アレーティア。久しい、というのは少し違うかな。君は、きっと私を恨んでいるだろうから。いや、恨むなんて言葉では足りないだろう。私のしたことは…………あぁ、違う。こんなことを言いたかったわけじゃない。色々考えてきたというのに、いざ遺言を残すとなると上手く話せない』

 

 自嘲するように苦笑いを浮かべながら、ディンリードは気を取り直すように咳払いをした。

 

『そうだ。まずは礼を言おう。……アレーティア。きっと、今、君の傍には、君が心から信頼する誰かがいるはずだ。少なくとも、変成魔法を手に入れることができ、真のオルクスに挑める強者であって、私の用意したガーディアンから君を見捨てず救い出した者が』

 

 聞きなれぬ魔法の名前を聞き、不正な手段で強引に開けたことを南雲ハジメらは恥じている様子であったが、真剣に耳を傾けている。一方、ユエはよくもまぁぬけぬけとそんなことが言えるものだ、と一度は霧散したはずの怒りがまた心の中でくすぶっていた。

 

『……君。私の愛しい姪に寄り添う君よ。君は男性かな? それとも女性だろうか? アレーティアにとって、どんな存在なのだろう? 恋人だろうか? 親友だろうか? あるいは家族だったり、何かの仲間だったりするのだろうか? 直接会って礼を言えないことは申し訳ないが、どうか言わせて欲しい。……ありがとう。その子を救ってくれて、寄り添ってくれて、ありがとう。私の生涯で最大の感謝を捧げる』

 

「……どの口が言うか」

 

 声を聴く度に胸の内の怒りの炎は強さを増し、遂にはその目に憎しみがこもり始めた。その眼差しを映像の叔父へとぶつけており、顔つきもひどくすさんでいた。

 

『アレーティア。君の胸中は疑問で溢れているだろう。それとも、もう真実を知っているのだろうか。私が何故、あの日、君を傷つけ、あの暗闇の底へ沈めたのか。君がどういう存在で、真の敵が誰なのか』

 

 そしてディンリードの口から語られた話はまさに、中村恵里に関する話やオスカー・オルクスの遺言代わりのメッセージを彷彿とさせるものであった。

 

 ユエがエヒトの依代として適した存在である神子として選ばれ、狙われていたこと。それに気がついたディンリードが、欲に目の眩んだ自分のクーデターにより、ユエを殺したと見せかけて奈落に封印し、あの部屋自体を神をも欺く隠蔽空間としたこと。ユエの封印も、僅かにも気配を掴ませないための苦渋の選択であったことだ。

 

「そうか。やっぱりユエさ……こういうことが、あったんですね」

 

 苦し気な表情で天之河光輝がつぶやく。

 

 自分の恩人であり親友と言っているあの女と自分を重ねているのだろう。そうすることは理解できるものの、あの性悪なんぞと自分を境遇が似てるからと言ってそんな風に見ないでほしいものだ、とユエは何とも言えない表情を浮かべていた。

 

『君に真実を話すべきか否か、あの日の直前まで迷っていた。だが、奴等を確実に欺く為にも話すべきではないと判断した。私を憎めば、それが生きる活力にもなるのではとも思ったのだ』

 

「……そんな、そんなことを信じられるとでも? お前の言葉なんて信じるに値しない……!!」

 

 さも苦渋に満ちた決断をしたかのように語る相手にユエはもう苛立ちを隠すことは無かった。方向からして自分の様子を檜山が見つめていた様子であったが、彼女は特に何も語らない。どうせ言ったところでロクなことにならないのだから。そう判断してただじっと叔父を見つめていた。

 

『それでも、君を傷つけたことに変わりはない。今更、許してくれなどとは言わない。ただ、どうかこれだけは信じて欲しい。知っておいて欲しい』

 

「……黙れ」

 

『愛している。アレーティア。君を心から愛している。ただの一度とて、煩わしく思ったことなどない。――娘のように思っていたんだ』

 

「黙れと言っている!!」

 

 苦しげなものから泣き笑いのような表情になったディンリードにユエは吼える。ひどく優しげで、慈愛に満ちていて、同時に、どうしようもないほど悲しみに満ちた表情を浮かべる彼に、ユエは苛立ちと憎しみをむき出しにした。

 

「……な、なあ落ち着けって」

 

「……何が、何が愛しているだ!! 私を愛してくれたのはお父様と……お父様? お母様?」

 

 そして憎い相手を否定せんとユエは霞みがかった過去の記憶から実の両親をの記憶を思い出そうとして――固まってしまう。

 

「……え? な、なあおい。どうしたんだよ?」

 

『守ってやれなくて済まなかった。未来の誰かに託すことしか出来なくて済まなかった。情けない父親役で済まなかった』

 

 隣にいる檜山の声も、映像の叔父の言葉も頭に残ることなく右から左へと流れていく。

 

 思い、出せないのだ。

 

(……あれ? どうして? お父様とお母様は私を育ててくれた……うん、それは間違いない。でも、あれ? どうして? 二人は私に何をしてくれた?)

 

 本当の両親がどう自分を愛してくれたかを、()()()()愛してくれたことを元に記録の中の叔父に反論しようとした時に、それらの記憶が浮かんでこないのだ。

 

『傍にいて、いつか君が自分の幸せを掴む姿を見たかった。君の隣に立つ男を一発殴ってやるのが密かな夢だった。そして、その後、酒でも飲み交わして頼むんだ。〝どうか娘をお願いします〟と。アレーティアが選んだ相手だ。きっと、真剣な顔をして確約してくれるに違いない』

 

「なん、で……? 違う、お父様もお母様も私を愛してた……愛? あれ、なんで……? 私は娘なのに、どうして……?」

 

「ゆ、ユエ? おいどうしたんだよユエっ!!」

 

 いくら記憶を漁っても両親であるはずの二人と過ごした記憶の中で印象的な出来事が一つも浮かんでくれはしなかったのだ。

 

 蝶よ花よと大切に育ててくれた。

 

 欲しいと言えば何でも与えてくれた。

 

 やりたいことは何でも許容してくれた。

 

 だがそれは肉親としての“愛”というよりは“敬愛”のそれに近かったのである。

 

「……ちがう。ちがうちがうちがうそんなはずないおとうさまもおかあさまもわたしをあいして……あ、い? あい、ってなに……? わたしはあいされ、て――」

 

 ――そう。まるで“崇拝”のように、だ。

 

「――あ、ぁぁ……なん、で……どう、して……」

 

「ユエ、ユエっ!! しっかり、しっかりしやがれ!!」

 

 そう思ってしまった途端、ユエの中のあらゆるものがぐらつき始めた。

 

 本当に両親は自分を愛していた?

 

 本当にあの男は自分を疎み、その地位を簒奪しようと本気で思っていた?

 

 裏切ったと思った男を憎んでいたが、それは本当に正しかった?

 

 それらが全てあやふやとなってしまう。はっきりと断言できなくなってしまう。

 

『そろそろ、時間だ。もっと色々、話したいことも、伝えたいこともあるのだが……私の生成魔法では、これくらいのアーティファクトしか作れない』

 

「ちがうちがうわたしはずっとあいされて……おじ、さま? おじさま?」

 

 少しでも否定する材料を探そうと憎かったはずの叔父との記憶も暴いていくが、それらのほとんどが叔父の存在を“父”として慕っていた時の記憶ばかりであった。親として愛情を注いでくれたのは紛れもなく叔父のディンリードであり、家族としての愛は肉親でなく彼へと向けていたことを思い出してしまったのである。

 

 自分が即位してからも、宗教関係者との接触時には必ず叔父が同席していたし、そもそも接触そのものも止むを得ない事情でもない限り全て叔父が対応していたこともまた思い出してしまった。

 

 それと即位して一年も経つ頃の叔父は、常に苦悩に眉根を寄せ、急速に老けていくようであったのを彼女は覚えていた。その変化はきっと、ごく親しい間柄の者にしかわからなかっただろうとも自負している。当時のユエは距離を置かれる不安や悲しみを感じると同時に、とても叔父を心配していた。

 

 それらを思えばどう考えても情は親でなくディンリードの方に湧いていた。それをハッキリと自覚し、より一層ユエは揺らいでしまう。

 

『もう、私は君の傍にいられないが、たとえこの命が尽きようとも祈り続けよう。アレーティア。最愛の娘よ。君の頭上に、無限の幸福が降り注がんことを。陽の光よりも温かく、月の光よりも優しい、そんな道を歩めますように』

 

「どう、して……わたしは……こたえて、おじさま……」

 

 疑えば疑う程目の前の相手が語ったことが真実のように見え、そして自分はひどい思い込みをしていたのではないかという不安に襲われ続ける。

 

 さまようディンリードの視線に合わせて彼を見つめ、答えて欲しいとばかりにユエは力なくつぶやくが映像の叔父はそれに決して答えることはなかった。

 

『私の最愛に寄り添う君。お願いだ。どんな形でもいい。その子を、世界で一番幸せな女の子にしてやってくれ。どうか、お願いだ』

 

「ま、待って!! いかないで叔父様!! どうか、どうか答えて!! お願いします!!」

 

「……ユエ」

 

 ほんの一瞬だけ間を置いて、満足気に微笑むディンリードにユエは懸命に片腕を伸ばす。もう片方の手は必死に檜山が握りしめているせいで手は虚空をさまようばかりで届くことは無い。

 

 するとディンリードの姿も段々と薄くなっていく。彼の魂が天に召されていくかのようであった。

 

『……さようなら、アレーティア。君を取り巻く世界の全てが、幸せでありますように』

 

「あ、あぁ……あぁぁ……おじ、さま……おじさまぁー!!!」

 

 祈りの言葉を残してその姿は消え、ユエの慟哭が部屋中に響く。

 

 ユエは理解してしまった。叔父は自分を真に愛していたからこそあんな行動をとらざるをえなかったのだ、と。今まで自分に向けて語ってくれた言葉すべてが本当なのだと。泣きながらユエはただ愛する人を叫んでいた。

 

「おじ、さま……ディンおじさま……わたしは、わたしは……」

 

「……大丈夫だ、ユエ」

 

 そうして姿が消えてもなお泣きじゃくっていたユエの隣でずっと手を握っていた少年が声をかける。そうして自分の方を振り向くと同時に檜山は彼女をそっと抱きしめた。

 

「俺がいる。俺がいるから……泣くな」

 

「ひ、やま……」

 

「おっ、遂に俺の苗字を呼んでくれたな。ハハ、マジで長かったな……」

 

 そこでようやく彼がずっと自分のそばにいてくれたことに気付き、その名前をつぶやけば心底嬉しそうに彼は笑顔を浮かべた。

 

「いやーホント長かったぜー。これで一歩前進、ってなところだな」

 

そうして一度離れてから自分と目を合わせてまた彼は笑う。とても感慨深げに、それでいてだらしのない顔をしながら言う彼を見てユエはどこか気が抜けてしまった。

 

「良かったね、大介君。おめでとう」

 

「サンキュー先生。ま、これも俺の実力、ってヤツだよ。しんどい目に遭った甲斐があったぜ」

 

 そうして近づいてきた南雲ハジメと言葉を交わす彼を見て――ユエは凍りついた。

 

 今、彼は()()()()()

 

「うん。どうなっても結局諦めなかったから進めたんだと思うよ。ふふ、友達として誇らしいな」

 

「いやー、照れるわ……やっぱ先生もこんな感じだったのか?」

 

「うん。まぁそんなところ」

 

 とても、とても大事なことを見落としていたような心地で、彼らのやり取りすらどこか恐ろしく思える。ひどく落ち着かない。

 

「だよなー。オマエ先生に次いでボロッボロだったもんなー」

 

「ホントホント。大介、お前けっこうひどいケガしてたもんなー」

 

 斎藤良樹の言葉を、近藤礼一の言葉を聞いて心にヒビが入っていく。

 

 誰がボロボロになった? 何故? いつ?――自分が目を背けていた事実を見てしまった。そんな心地であった。

 

「流石マゾ介だよなー。幼女の暴力もご褒美です、ってかー」

 

「誰がマゾだクソが!! 惚れた相手でもなきゃイヤだっつーの!」

 

 中野信治と檜山のやり取りが耳に入った途端、彼女の心に亀裂が走っていく。

 

 幼女、って誰? 少なくとも谷口鈴のことじゃない。彼らが茶化す時はそんな風には絶対に言わない。ならば誰?

 

「わ、たし……?」

 

「……おう。そりゃあ、まぁ、本気で好きだし」

 

 そこでふと疑問が口から漏れ、大介がこっ恥ずかしげに返すのを聞いて一層深く心にヒビが入っていく。自分は何をやった? そのことが徐々に頭の中でよみがえってきて、顔から血の気が引いていく。

 

「ホント、最初からちゃんと言ってくれてたらこんな誤解なんてしなくって済んだのにね……もう少しなんとかならなかったのかしら?」

 

「仕方ないと思うよ優花っち。あの人、ずっと手を強く握りしめてたもん。きっと相当悔しかったと思うんだけどな」

 

「本当に苦しそうだったよねぇ~……あ、あれ? ゆ、ユエさ~ん? か、顔色青いよ? どうしたの?」

 

 息が段々と荒くなっていく。

 

 自分は彼らに何をした? 自分は叔父をどう思っていた? その果てに何をやってしまった?――すべてを思い出した途端、吐き気がこみあげてきた。

 

「う――ゲホッ、ゲホッ……うぇっ……」

 

「だ、大丈夫ですか!? 一体どうしたんだ!? す、鈴! 来てくれないか!!」

 

「大丈夫なの!?……顔も青いし、体も震えてるわ。無理も、ないわね……あんなことを突然言われて、平気でいられる方が珍しいもの。恵里、お願い!」

 

 自分の許へと駆け寄ってきた天之河光輝と八重樫雫を見て彼女の震えは一層強くなった。

 

 叔父を逆恨みし、助けてくれた彼らを殺す気で襲ってしまった。自分はそんな恐ろしいことをやってしまっていたのだと理解してしまったせいで彼女の良心は悲鳴を上げていた。どこまでも苦しく、じくじくと奥底まで蝕むような心の痛みに苛まれていた。

 

「すごい脂汗……体もガタガタ震えてるし、相当不味いよ!! 気休めになるかわかんないけど――“天恵”!」

 

「これはヤバいね――よし、“限界突破”からの“静心”……はい、これなら流石に効いたはずだよね?」

 

 谷口鈴と中村恵里の気遣いが心を抉った。

 

 二人の魔法のおかげで体の震えは幾らか止まったし、精神的に落ち着くことが出来た。だがそれは同時に自分の罪深さを一層冷静に見れるようになってしまった証拠でもあった。ただ相手を殺そうとしただけでなく、幾度も無礼を働いて、差し伸べてくれた手を何度も無碍にした。そう思った直後、何度となくあるまじき失態を重ねたことを思い返して王族としての矜持は完全に砕け散ってしまった。

 

「あ、あぁ……」

 

「具合は……さっきよりはマシそうだけど。大介君、彼女の手を握ってあげて。それと背中もさすってあげた方がいいと思う」

 

 南雲ハジメがしてくれた配慮がどこまでも苦しく辛い。

 

 この中で一番傷つけてしまったというのに、それを恨むどころか今の今までずっとこちらのことを気にかけ続けてくれていた。その純粋な心配が、自分をおもんばかっての行動がひどく容赦のない罰として彼女に襲い掛かる。

 

「お、おう! わかった!!」

 

「やめ……やめて――駄目っ!!」

 

 そうして差し伸べてくれた檜山の手を彼女は払い、繋いでいた手を振りほどく。

 

 その手だけでなく自分の全てが汚れてしまっている。心も、指先さえも。それを自覚してしまったからこそ彼女は逃げようとする。自分は彼らと一緒にいてはならない、彼らを苦しめるだけに過ぎない、と思い込んでしまって。

 

「ど、どうしたんだよ!?……な、なんか悪かったか? もしそうなら謝る! だ、だから頼む! 気嫌直してくれって――」

 

「ちがう、ちがうの……」

 

 焦った様子を見せる檜山に、もう彼女は涙をこらえることが出来なかった。やっぱり自分は彼らを傷つけてしまう。ろくでなしの、最低の女だ、とただただ自分が憎く感じる。

 

「わたしは……わたしはみんなに、やさしく……やさしくしてもらうかちなんてない」

 

「そんな……そんな訳ないって!!」

 

 事ここに至って彼女は理解した――自分は裏切者だ、と。恥知らずであったのだ、と。

 

 叔父の心の内に気付くことなく憎み、助けてくれた彼らの寝首を搔こうとした人間の屑でしかないのだ、と。

 

「落ち着いてよユエさん!!」

 

「やめて!!……そのなまえで、よばないで。わたしは……わたしは、ただのはじしらずだから。そんなきれいななまえなんて、ふさわしくない……」

 

 ――遂に少女は全てを失った。王族としての誇りも、復讐者としての憎しみも、恥知らずとして抱いた妬みも怒りも、両親や恩人からもらった名前すらも、全て。その手から零れ落ちていた。




だってお月様ですもの。満ち欠けはしますよね?(ニチャァ)


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幕間二十一 ろくでなし二人が迎える夜明け

まずは拙作を読んでくださる読者の皆様がたに多大な感謝を。
おかげさまでUAも116479、お気に入り件数も753件、感想数も362件(2022/6/25 6:21現在)となりました。誠にありがとうございます。
いやー、マジで前回のあの展開は読者の皆様に見放されるかもと思いながら投稿しましたけれど、こうして愛想をつかさずに残って下さった方が多くいてありがたいです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき感謝いたします。あなたのおかげでまた筆を執る勇気が湧きました。本当にありがとうございます。

では今回の話を読むにあたっての注意を。約15000字とかなり長い話となっており、また今回の話のある展開が読者の方に受け入れてもらえるかちょっと微妙な具合となっております。

それでは上記の点に注意して本編をどうぞ。


「な、何言ってんだよ……恥知らずって、優しくしてもらう価値なんてない、って……そんなワケねぇだろ!!」

 

「そ、そうだ! 大介の言う通りだ!! 貴女は俺達じゃ想像もつかないような苦しみを味わってたんです!! 幸せになることを願うんじゃなくてどうして――」

 

「――私は、あなた達を襲った!!」

 

 自分を説得しようとした檜山と天之河光輝に向かって少女は叫ぶ。己の罪業を、あらん限りの力を以て。

 

「それ、は……」

 

「あなた達が憎かった……うらやましかった。そんな、そんなくだらないことで私はあなた達を傷つけた。だから、だから……」

 

 言い淀む二人に更に少女は改めて胸の内を語る。彼らを傷つけるためでなく懺悔するために。自分を許さないでほしい。自分を憎み、恨んでほしいと罪の告白をする。

 

「で、でも! ユエさんはずっと閉じ込められてたのよ!! あんな場所で、体も動かせない状態で!! それでマトモでいられる訳ないわ!!」

 

「そ、そうよ!! あんな状況じゃ誰だっておかしくなるわ!! アンタのせいじゃない!! さっきの男の人にだって責任が――」

 

「だからって!……だからって、助けてくれたあなた達をうらんで、ころ、そうと……殺そうとしてた!! そんな、そんな自分がわたしは憎い……ゆるしたくないっ!!」

 

 八重樫雫と園部優花に説得されるも、彼女はそれを受け入れることは出来なかった。

 

 受け入れてしまったら今度こそ、自分は救い難い存在に堕ちる。彼らの優しさを利用し続けてしまうと良心が咎めるが故に泣きながら自分を傷つけ、否定していく。

 

「そんな……そんなの、ユエさんが辛いだけだよ!!」

 

「そうだよぉ~!! さっきの人だって、ユエさんの幸せを願ってたもん!!」

 

「お、俺らだってそこまで苦しんでほしいだなんて思ってねぇよ!!」

 

「そうだ!! 確かにそれは恨んじゃいたけど、そこまでアンタを追い詰めたかったんじゃねぇんだ!!」

 

 宮崎奈々が、菅原妙子が、近藤礼一が、斎藤良樹の四人の訴えが彼女の心を絞めつけてくる。

 

 こんな自分なんかのために手を伸ばし、声をかけてくれる。そんな優しい彼らをもう傷つけたくない、汚したくないという一心で少女は叫ぼうとする。

 

「わた、しは……あなた達の手をつかめるような人間じゃない!!」

 

 そう言い放ち、少女は涙をとめどなく流していく。

 

 もし彼らから救ってもらっても、また何かの拍子に傷つけてしまいそうな己が怖かった。

 

 その度に恩のある彼らを苦しめてしまうかもしれないということが許せなかった。

 

 それでもなお自分に手を伸ばそうとするであろう彼らがあまりにもまぶしく、また裏切ってしまうことが怖くて遠ざけようとする。

 

「……もう、もうわたしにかまわないでください。おねがい、します」

 

 最後はもう嗚咽と共に絞り出すしか声を出せなかった。彼らのことを想えばあまりに苦しくて、辛くて。

 

 やはり自分はいてはいけないんだと改めて思いながら少女はこの場を離れようとすると、不意に中野信治がつぶやいた。

 

「……俺の、せいだ。俺があんなものを見つけたから苦しんじまったんだ。俺が、俺があんなのを見つけなかったら!!」

 

 あまりにすさまじい後悔を吐き出しながら彼はその場にくずおれていく。地面に手をつき、両の目から幾度も大粒の涙を流す様子に少女の胸はまたも苦しみに苛まれる。

 

 自分のせいだ。

 

 自分が叔父の遺したものを何としても否定しようとしなければ彼がこんな目に遭うことなんてなかった。取り合おうとしなければ彼がこんなに苦しむことなんてなかったのだ、とズタズタになった心が更に悲鳴を上げていく。

 

 謝らなければ、貴方は何も悪くない、とせめて伝えなければと少女は口を開こうとする。

 

「ちが、う……あなたは……あなたはわるく――」

 

「信治君は悪くないよ」

 

 その瞬間、南雲ハジメが中野信治の隣へと来て、立ちひざになりながら彼に声をかける。

 

 良かった。自分なんかが声をかけなくても良かったと少女が思ったのもつかの間、南雲ハジメが悲痛な表情を浮かべていたことに気付くと同時に、彼の口から漏れ出た悔恨の念に少女は一層苦しむことになった。

 

「僕が、僕が必死にユエさんを止めなかったせいだ……あの場で唯一、ユエさんの頼みを跳ねのけられたのは僕だけだった。僕がきっと大丈夫だなんて楽観視しなきゃ、彼女はこんな形で苦しむなんて……」

 

「ちが……ちがう! みんな、みんなはわるくない!! だから、だから……!!」

 

 違う。彼だって自分の頼みを聞いただけでしかない。自分がワガママを言わなければ、断った時点で諦めていれば、彼の真心を理解できていれば良かっただけでしかないのに。だから苦しむ必要なんて欠片もないのに。

 

 どうして、どうして私を責めないの? 自分は悪くないと言わないの? なんで? どうして? と少女の頭の中で疑問と自己嫌悪がぐるぐると回り――その果てに少女はある結論を導き出す。

 

「……ごめん、なさい――“風灘”」

 

「――!? ユエっ!!」

 

 謝った直後、少女は自身の体を対象に“風灘”を叩き込んで全員から距離をとる。骨と内臓が軽くやられ、意識がもうろうとする中、少女は風属性の魔法を発動して自身の体を浮かせ、風で自分を運んでいく。魔物が復活しているであろう階層を少女は目指す。

 

(……皆の手は汚さない。死ぬなら、この手で)

 

 目的は自殺。無くなるまでひたすら魔力を使い、確実に“自動再生”が発動出来なくなってから魔物に貪り食われて死ぬ。彼らの手で殺されることも考えたが、優しい彼らはきっと傷ついてしまう。だから彼らの手を借りることなく死ぬ。そうすることが今まで迷惑をかけた人達への償いになると思ったのだ。

 

「――ぁぐっ!」

 

 だがロクに吸血もしなかったことで魔力はそう残ってはおらず、階層を三つ超えた辺りで魔力が切れてそのまま少女は地面に叩きつけられる。勢いも強かったことから全身に浅くない擦り傷が出来、じわじわと自分から温かいものが流れ出ていくのを感じていた。

 

「ぁ、はは……ほんとうに、無様……」

 

 散々他人に迷惑をかけた挙句、当初の目的も果たせない。その勢いのまま首の骨を折ることすら出来ない。そんな自分がひどくみじめで逆に笑えてきてしまう。こんな人間に出来ることなんてなかったんだ。そう自分を嘲っていた矢先、ふと獣の唸り声が彼女の耳に届いた。

 

「グルル……」

 

「……ぁ」

 

 現れたのはこの階層に住まうハイエナ型の魔物であった。討ち漏らした個体か、はたまた復活したものか。だが少女にとってそんなことはどうでもよかった。やっと死ねる。やっと彼らに報いることが出来る。もう体に力を入れようとはせず、ただ成り行きに身を任せる。

 

「グルゥァ!!」

 

 最初は警戒していた様子の魔物であったが、全身から血を流し、ロクに動かなかったおかげかすぐに自分の右肩に食らいつこうとしてきた。

 

 やっと、やっと終わる。

 

 自分はこの魔物の餌となって生涯を終えることが出来る。王族として生まれたのにどこまでも卑しい真似をした存在がやっと消える――そう思った矢先、何故かある少年の顔が彼女の脳裏をよぎった。

 

 ――い、いい、今すぐ俺が、その……た、た、たた、助ける、から付き合ってくれぇ!!!

 

 ――……あ? んなもん、アレだよ……俺が惚れたから、って言っただろうが

 

 ――……おれが、おれがたすける!! だから、だから……うぁあぁあぁあぁぁあああぁ!!!

 

(……どうして? どうして、檜山の顔が?)

 

 魔物が自分の右肩目掛けて襲い掛かる様もどうしてかひどく緩慢に見え、少しずつ迫ってくる度に彼の言葉が何度も蘇る。

 

 この奇妙なものはきっと自分が死ぬ直前だからだろうと思いつつも、少女は何故頭にあの少年が浮かんだのかと考えようとした、その時であった。

 

「――くたばりやがれぇえええぇ!!」

 

 一陣の、風が吹いた。

 

「グォ――!?」

 

 振り下ろされた剣と共に魔物の首が宙を舞い、血潮が飛び散る。そして血まみれになった少年の姿に少女は目を奪われてしまう。

 

「ひ、やま……」

 

 いつも自分のそばにいた、何度邪険にしても離れなかった少年がまたそこにいる。全身に返り血を浴びて顔をしかめている彼を見て感情があふれてくるのを少女は止められなかった。

 

「おう……って、ヒデぇケガしてやがんじゃねぇか!! い、今すぐ神水出すから――」

 

「どう、して」

 

「えっと、ここじゃなくてこっちの……あったあった!……っとと、どうしたユエ?」

 

「どうして、しなせてくれなかったの?」

 

 嘆きが漏れた。

 

「ど、どうしてって、そんなわかりきったこと聞くんじゃ――」

 

「わた、しは……みんなをころそうとしてた。たまたまだれもしななかったけれど、だれかがしんでもおかしくなんてなかった。なんで、なんでうらまないの? うらんでくれないの?」

 

 後悔が漏れた。

 

「誰だって死んでなかったじゃねぇか!! それにお前が受けてた苦しみだってわかっちまうし――」

 

「でも……でも、わたしはじぶんがゆるせない! ゆるしたく、ない……」

 

 己への憎しみが漏れ出た。

 

「俺らはいい! 許してるし誰も恨んじゃいねぇよ! だから……だからそんなことを言わねぇでくれよ!!」

 

「でも、でも!!……わたしはじぶんがいや」

 

 苦しみがあふれていく。

 

「あなたたちをきずつけて……それをなんともおもわなくて、だれもわたしのくるしみなんてりかいできてない、ってうらんで……こんなきたないじぶんを、ゆるしたくない……うぁぁ……」

 

 慟哭が止まらない。全てを失った少女に残ったのは己の罪とそれを咎める今にも砕け散りそうな心だけ。そんな少女を少年は強く抱きしめる。先程血に塗れた衣服をどうするかと悩んでいたのも忘れて、土ぼこりと流れた血で薄汚れた体をただ強く、強く。

 

「しにたかった……もうしにたくてしかたなかったのに……どうして……どうしてなの」

 

「イヤだからに決まってんだろうが!!」

 

 生気と共に口から言葉をこぼしていく少女の目を見ながら少年は叫ぶ。

 

「前に言ったよな? お前は俺に負けたんだから何したってかまわない、って。だったらいろよ……ずっと俺のそばにいろよ!!」

 

 思いの丈を叩きつけていく。この思いが伝われ、と。

 

「好きなんだよ……俺ら殺そうとしてたってのに、そんなことが本気でどうでもいいんだよ」

 

 止まらない好意が口からほとばしっていく。目の前にいる少女の中にある全ての憂いを押し流さんとばかりに。

 

「見た目とか仕草とか性格とか! それだけじゃねぇ!! お前の……お前がずっと苦しんでて、辛そうにしてた顔を見てハッとしたんだよ。俺みたいだ、って」

 

 まとまらない考えを、けれども全てが本心の言葉を彼女に向けて少年は余すことなく伝えていく。

 

「……え?」

 

「俺も……俺だって昔はバカやってた。ハジメ達が気に食わないから、ってケンカ売ろうとしてこっぴどく返り討ちに遭って、それで全部怖くなって……でも、でもよ!!」

 

 過去の過ちすらも口にして、戸惑っている少女に檜山はなお思いを伝える。

 

「助けて、くれたんだ」

 

 その言葉に抱えきれないほどの感謝が載っていた。今も忘れることのない少年への強い思いが。

 

「こんな俺を放っておけない、ってハジメが俺に手を差し伸べてくれたんだよ……確かにアイツは大したケガもなかったみたいだし、怖い目に遭ったのは俺らの方だったけどよ」

 

 過去を思い返して苦い顔を浮かべながら、檜山は今も慕う少年に対する思いを言葉にしていく。

 

「……でも、でもな。許してくれたんだ。友達になってくれたんだ……こんな俺でも、アイツらのおかげで変われたんだよ!!」

 

 そして吐き出していく。南雲ハジメという親友への思いを、自分もまた目の前の少女と同類であるということを、自分のようになってほしいという願いを。

 

「今のお前は昔の俺なんだ!! 悪いことして、俺以上に苦しんで、どうすればいいかわからない。そんな奴を助けて何が悪いんだよ!! そういう奴だったからきっと俺ももっと好きになったんだよ!! 同情でもなんでもいい! ただ、俺は……俺は……」

 

 同情なのかもしれない。憐憫でしかないのかもしれない。結局恋や愛なんてきれいなものじゃないのかもしれない。それでも檜山は目が段々と虚ろになっていく少女に向けて叫ぶ。

 

「そう……だから……」

 

 少しずつ遠ざかっていく意識の中、少女はほのかに笑みを浮かべた。どうして目の前の少年が自分に執着するのか――そしてこの少年だけにどうして自分は心を許したのかを理解して。

 

「ユエ?……ユエっ!!」

 

 自分を抱きしめ、何度となく呼びかけている彼に申し訳なく思いながらも名前すらも失った少女はただ思う。

 

(こんなに私を想ってくれていた……それが同情でもいい。私が何をしても絶対にいなくならなかった。だから、だから私は……)

 

 段々と体が冷えていく感覚に襲われる。あらゆる感覚が薄れていく。そうしてやっと少女の中にある願いが生まれる

 

(しにたく、ない……すきなひとと、はなれたくない)

 

 死にたくない。もっと生きていたい。こんなに自分を求めてくれる人と離れたくない。

 

 あまりにシンプルで、けれどもとてつもなく強い思いが芽生えた。なのにもう死は間近に迫ってきている。

 

(いや……いっしょがいい。ひやま――()()()()といっしょに、いきて――)

 

 ようやく芽吹いたその渇望と共に死んでゆく。それがひどく口惜しくて、泣きたくて、嫌で嫌で仕方なくて。消えゆく意識の中、最後に少女が見たのは口元が何かで汚れてるような彼の決意に満ちた顔であった――。

 

「大介君!!」

 

 そうして少女が瞳を閉じるや否や、南雲ハジメ達が大介のそばへとやってくる。大介が少女を襲った魔物を撃退する時には既に追いついていたのだ。だが、この場で出るべきではないと思いつつ、ただ見守っていたのだ。

 

「“聖典”も効いたかわからないし……ねぇ、ユエさんは大丈夫なの!?」

 

「あぁ、大丈夫だ……ほらよ」

 

 心配そうに見つめる谷口鈴に大介は一度目元と口元をぬぐうと、少女を横抱きにしながらこちらに向かってきた。そして谷口鈴の目の前で少女の胸元を見せた。まだかすかに上下に動く胸を。

 

「良かった……間に合ったんだね」

 

「全く……心臓に悪かったぞ、大介」

 

「悪い悪い……もっと早くやってやれば良かったな。それと――」

 

 安堵する親友達に、思いを伝えることを優先していたことを恥じながらも大介は真剣な表情で向き合う。

 

「お前達に頼みたいことがある。いいよな?」

 

 親しいが故の気安さが含まれていたが、言葉には相応の重みが含まれている。それを聞いた親友達もまた彼に負けぬ程に真剣な面持ちでうなずくのであった。

 

 

 

 

 

「――ここ、は?」

 

 体の()()()()だるさに襲われながらも、意識がはっきりした少女は見知らぬ天井を見上げた。

 

(……私は、死んだ? 魔力も無くて、血も流れ出て、助かるはずが――)

 

「よぉ、目ぇ覚ましたかねぼすけ」

 

 どこか覚えがあるようで、けれども知らないはずの場所。もしや死者である自分はこんな場所にたどり着いたのだろうかと考えていると、すぐ近くから聞きたかった声が響いた。

 

「……ぇ?」

 

「なーにアホ面さらしてやがんだよ……体の調子はどうだ? どこか動かない場所はあるのか?」

 

 檜山大介であった。もしや彼も死んだのだろうかと思っていると、椅子から立ち上がって自分の今いる場所――ようやく自分はベッドの上に寝かされているとわかり、その上へと彼は来た。

 

「ここ、は……?」

 

「ん? あぁ、オルクス大迷宮の寝室だよ。お前が意識を失った後、すぐにここまで連れて来た」

 

 そう事もなげに伝える彼であったが、少女の中である疑問がわく。どうして自分は助かったのか、だ。即座に致命傷を負ったという訳でもなかったが、それでも魔力もロクに残ってない状態で、しかも全身から血を流していたのだから。

 

 そんな自分がどうして助かったのか、と困惑していると目の前の少年はしてやったりと言わんばかりの表情であぐらをかきながらこちらを見つめていた。

 

「お前が意識を失った後、すぐに神水を飲ませたんだよ。ま、それでもちょっと不安だったから血も用意して口移しした。そういうこった」

 

 二ヒヒ、と意地の悪そうな笑みを浮かべる少年の言葉を聞いて少女も一旦納得しかかるが、そこで神水の効能を思い出す。あれはすぐには効果は消えなかったはずだ、と。

 

 自分は意識が無くなりそうだったから彼に牙を立てることも出来ないし、かといって死にかけていた自分を助けるためには相応の量の血がいるはず。そう思っていると彼は自分の左手首を――深々と横一文字に入った傷を見せたのである。

 

「ちょい焦ったぜー。最初は口の中をかみ切って血を出そうと思ったんだけどすぐに傷口が止まっちまったし、だから神水の力が無くならない内にここを切った。それで口いっぱいに含んで飲ませたんだ」

 

 どうよ、と言わんばかりの表情の彼を見て少女はとてつもない罪悪感に襲われる。自分のせいで消えない傷が出来てしまった。彼の腕に不要なものをつけてしまったとひどい後悔に苛まれてしまう。

 

「あ、あれ……? こ、これって『私のためにこんな……ステキ、抱いて!』って流れじゃねーの?」

 

 わざわざ裏声まで使って説明した予想とは全然違う流れになってしまい、困惑する大介を横に少女はまた涙を流す。

 

「なら、ない……だって、だって……あなたに、すきなひとにきえないきずをつけたから……」

 

「え、マジかよ……うわー、神水の効能でも残るぐらいわざと深くして損し……え、ちょっと待て。今なんて?」

 

 アテが外れて気落ちする大介であったが、ふと耳に入った言葉に大きく反応して彼女の両肩を掴んだ。

 

「え、いや、その……き、聞き間違いじゃなけりゃよ、お、俺のことをす、すすす、好き、って……」

 

 その言葉に少女は涙をあふれさせながらゆっくりと首を縦に振った。そして間抜け面をさらしていると少女は涙ぐみながら理由を語っていく。

 

「こんな、こんなふかいきずをのこしてまでたすけてほしくなかった……そのきずをみるたび、きっと、きっとだいすけがこうかいするから――!?」

 

 一瞬間を置いてから、深い深い自己嫌悪に陥っている少女を大介はまた強く抱きしめる。少しでも自分の思いが伝われ、と強く、ただ強く。

 

「――ふざけんな。これは俺がしたくてやったことだ。いくらお前でも絶対に否定させてやるか」

 

 あまりに力強い言葉にずっと自分を苛んでいた負の感情もひび割れた心もとろけてしまいそうになる。もう自分は許されてもいいと思いそうになってしまう。それだけはいけないとばかりに少女は言葉を紡ごうとして――彼の強い意志のこもった瞳に射すくめられてしまう。

 

「わ、わたしは……」

 

「あー、ったく。昔王族だったんだろ? 王様やってたんだろ? だったら俺の言葉ぐらい一度でわかれよ――好きだ。お前が大好きだ。他の何もいらないぐらいお前が欲しい……まだ言い足りないか? なぁ?」

 

「――っ!?」

 

 否定しようとした自分に苛立ちを見せながらも、それでも頬を染めながら好意を伝えてくる大介にもう少女の心は陥落しそうになっていた。

 

「ぁぅ、ぅぁ、ぅぅ……」

 

 かつて王族であった頃に食べた菓子よりもその言葉は甘く、たった三つの言葉に脳はぐちゃぐちゃにされてしまう。ぼろきれになった王族としての誇りも、今もまだ燃え滾る己への憎しみすらもドロドロに溶かされていく。ただただその愛のささやきをもっと聞いていたいと心の底から求めてしまう。それ以外考えられなくなってしまう。

 

「ったく、まだ足りないのか……? ワガママだな、ホント――お前の全部を寄越せ。心も、体も、それと……お前のやったことも、だ。全部、全部寄越せ。お前の罪ぐらい一緒に背負ってやる」

 

「あっ、あっ、あぁ……!!」

 

 そんな少女を見てまだ足りないと考えた少年は更に言葉を紡ぎ、それを聞いた少女はもう頭が駄目になりそうになった。自分にはもう価値が無いと本気で思っていたのに、それでも求められたせいで魂すらふやけそうになる。彼の――大介のことだけでいっぱいになっていく。

 

「……ハジメだって、あのやらかしてた中村相手にやったんだ。これぐらいビビってたらカッコ悪――うぉっ!?」

 

「だいすけ、だいすけぇ……」

 

 もう無理だった。好意が止まらなくなった。ただ目の前の男の子が欲しくて仕方なくなって勢いよく抱き着き、彼の胸元に頬ずりをしてしまう。

 

「え、えーと、その……お前も、俺のことが好き、なんだよな?」

 

「ん……わたしも、だいすけがすき。あなたのものになりたい」

 

「マジ?……ははっ。やった。やったぞ。遂にやったぞー!! 俺のもんになったー!!!」

 

 また間抜け面をさらし、問いかけに答えたことで有頂天になる彼がどこまでも愛おしい。短い間ではあったが彼の人となりが割とろくでなしの部類なのはわかっている。けれどもこんな最低の女相手に一途でいてくれる。ならきっと彼は世界で最高のろくでなしだろう。そう思いながら少女は甘え続ける。

 

「……あ、そうだ。名前。どうする?」

 

 そんな時、ふと我に返った大介から“名前”のことについて問いかけられて少女は固まってしまう。皆から名付けてもらった“ユエ”という名前を名乗るのは罪悪感から心苦しく感じていたからだ。自分が狼藉を働いた時の名前であったことを考えるとためらいがあったものの、それを望むのならと目の前の少年に向けて答えた。

 

「……だいすけに、まかせる。“ユエ”でもあたらしいなまえでも、なんでもいい」

 

 そう言いながら彼の胸に体を預ける。全部を愛しいこの人に託そう。そう考えていると斜め上の答えに少女は目をむくことになった。

 

「なら、その……“アレーティア”でいいか?」

 

「…………え?」

 

 まさかの提案である。よりによって本当の名前だ。まさかこの名前で呼びたい、と答えてくるとは思わず、少女は大介に尋ね返した。

 

「……なんで? どうして、昔の名前を?」

 

 今となっては呼ばれることに嫌悪感を抱くことは一切ないが、それでもこの答えは想定外だった。イヤか? と彼から尋ねられるも首を横に振り、それをちゃんと否定すると大介はその理由を語り始めた。

 

「あー、その、よ……なんつーかさ、“ユエ”って俺らがあくまで仮の名前としてつけた感じだったし、呼びたかったらそれでいいって感じだっただろ。あんま気に入ってたみたいでもなかったし」

 

 その言葉に思わずしょげてしまい、少女はまた悲しみで涙ぐんでしまう。そうであった。今思い返せばとても素敵な名前だったのに、それに恥じるような行いばかりしていた。そうなるときっと彼らもこの名前にあまりいい印象を抱いていないだろう。それにようやく少女は思い至った。

 

 だがそれはあくまで彼らがつけてくれた名前に関してだ。どうして本名で呼ぶのか、と彼の言葉を待つと彼はその理由を頬をかきながら言ってくれた。

 

「その……な。あの映像の人、確かお前は叔父って言ってたよな?」

 

「……ん。あの人はディンリード叔父様。私の親代わりになってくれた人……」

 

「そっかー……あー、良かった。えっと、な。その……お前を背負いながらさ、皆と話し合ったんだよ。お前の叔父さんの前で偽名名乗っていいのか、ってさ」

 

「……え?」

 

 その言葉に思わず目が点となる。もし期待している通りならとても嬉しいが、前に思い込みで失敗したばかりだからと少女は大介が答えを告げてくれるのをただじっと待つ。顔を赤らめ、せわしなく頭をかいてうめき声を上げる彼をただじっと見つめて。そうして何度となく形にならない言葉を出していた少年は半ばキレた状態でその答えを口にしてくれた。

 

「……あ゛ーもうまどろっこしい!! いいか、俺はな……スゥー、ハァー……アレーティア、お前と付き合ってるってお前の叔父さんに紹介したいんだよ! あの映像の前で俺の女だ、って言ってやりたいんだよ!! もうわかったよな!! ちゃんとお前を本当の名前で呼びたいってよ!! それに本当の名前があるんだったらそっちの方がいいって他の奴にも言われたんだ! わかったな! いいよな!?」

 

「……ぅ……ぁ……ぁぁ……ほんとう、に……」

 

 そして告げられた期待通り、いやそれ以上の答えに少女は――アレーティアの魂は歓喜に染まる。

 

 新たに与えられた名前でも別に自分は構わなかった。かつてもらった偽名であってもそれであちらがいいのならとも思っていた。だが、自分の本当の名前で呼びたいと言ってくれた。実の両親からはともかく、親代わりであった叔父からも呼ばれたこの名で呼んでくれるというのはアレーティアにとってこの上ない愛情表現のように感じられたのだ。

 

「それに、けっこういい名前じゃねぇかよアレーティアって――どわぁ!?」

 

「すき……好き。大介、大好き……愛してる」

 

 遂にアレーティアは大介を押し倒し、彼の体に頬を何度もすり寄せ、その香り、彼の体温を感じ取っていた。自分の全てが彼に染まるように。自分の全てが彼のものになるように。

 

「……おう、俺も」

 

 大介もそんなアレーティアにされるがままになっている。何度も何度も惚れた相手に『好き』と言われ、過激めなスキンシップを受けたことで頭がゆだってしまい、考える気力が無くなってしまっていたのである。

 

 遂に少年の恋は実り、少女の心は救われる。二人を起こすために部屋に入った南雲らから止められるまでずっと、生殺しもいいところなスキンシップは続いたのであった……。

 

 

 

 

 

 かくしてオルクス大迷宮の最深部、解放者の住処に来て三日が経過した頃のこと。風呂から上がって火照った体を冷まそうと大介とアレーティアは外へと出ていた。

 

「……キレーだな、アレーティア」

 

「ん……今日も綺麗」

 

 そう言いながら二人は人造の月を見上げて憩う――アレーティアが大介に生殺しもいいところのスキンシップをしてる現場をハジメらに目撃された後、朝食の席で大介の口から本名で呼んでほしいと頼み込んだ。それはすぐに受け入れられ、後であの映像を見たらしい坂上、白崎、清水、遠藤ら四人もすぐにそう呼ぶようになった……その映像を見ないと公言したメルド・ロギンスも“一応”呼びはした。

 

「……そういえばアレーティア、メルドさんに殴られた後の傷は痛まないか?」

 

「ん……問題ない。大介の方こそ、大丈夫?」

 

「んぁ?……痛くもなんともねぇよ。むしろ勲章だ勲章。この腕の傷みたいにな」

 

 ――その食事の後で行われた話し合いにて、ケジメをつけるために二人はメルドから殴られることとなった。無論これまでの行いをアレーティアは謝罪したものの、何せやったことがやったことである。

 

『……状況的に仕方なかったとはいえ、お前がやろうとしたことは味方殺しだ。それに、()()()()()んだろう? なら相応の処罰ぐらいは覚悟できているんだろうな?』

 

 その言葉にアレーティアは震える。その通りだ。本来味方殺しなど許されるはずなどない。その場で始末するか、公の場で斬首などで処刑するのが当たり前の所業である。かつてはそういった輩を裁いたこともあったが、こうして自分がその立場に立ってみるとわかる。裁きを受ける立場に立つことがどれだけ恐ろしいのかが。

 

『め、メルドさん! こ、コイツの罰は俺が、俺が受けます!!』

 

 だからこそ大介が自分の代わりに罰を受けることを申し出た時には胸が締め付けられる思いであった。そこまで思ってくれることが嬉しくない訳ではない。だが処罰如何によっては彼がどうなるかわかったものではなかった。

 

『だ、大介はダメ! や、やめてください……お願い、します……私が、私が全部受け止めますから……』

 

故にアレーティアも動く。失いたくない。自分のために愛する人を失ってしまいたくない。その思いが恐怖を乗り越えさせた。甘んじて罰を受けることへの恐れをかき消したのだ。

 

『そうか……なら二人とも殴るぞ。大介はコイツを預かる責任として、貴様はやったことに対する報いだ――覚悟はいいな?』

 

 そして有無を言わさぬ態度で臨むメルドに誰もが唾を飲むだけであった。大介もアレーティアもその場にいた全員もメルドの言い分はわかっていたし、二人が互いにかばい合おうとしているのもわかった。

 

 だから二人は一度向き合って笑い合うと素直に観念し、甘んじてメルドの拳を受ける。

 

『ぐぇっ!』

 

『ぐぅっ!!』

 

『……今回はこれだけで済ませてやる。だがな、“次”なんて無いぞ。自分の意志で裏切るような奴相手にかけてやる情けは今だけだからな』

 

 そう言ってメルドは自分達に背を向けて部屋の外へと出ていった。他の面々が自分達を抱きしめるなり、出ていったメルドを憎々しく凝視するなりしていたが、二人はメルドに頭を下げ続けた。寛大な処置を、まだ『味方』として認めてくれていることへの感謝を捧げていた――。

 

「……大介が気に病まないのならそれでいい……」

 

 先程冗談めかして言った彼の腕の傷をアレーティアは優しくなでる。出来ることなら消してしまいたいけれど、同時にこれは自分のためにつけてくれた愛の証拠でもある。だからこそ彼の愛に少しでも応えたいと思いながらゆっくりとなでていく。

 

「……おう」

 

 そんな大介も、どこか悲し気に、けれども愛おしそうにアレーティアになでられ続けたせいで何とも言えないむず痒さに襲われていた。とはいえ大介はそれをしばらくの間止めなかった。こういうのも嫌ではなかったからだ。

 

「んー……悪い」

 

「んっ……気にしてない。もっと……」

 

 とはいえずっとなでてもらうのもなんだか気まずくなって、大介は正面からアレーティアを抱きしめる。いきなりではあったが、アレーティアもこうしてもらうことに不満は無かったため、黙って大介のしたことを受け入れた。

 

 そうして抱き合っていると湯上りなこともあってかお互いの鼻を石鹸の香りが刺激していく。大迷宮を攻略している途中、生えてた植物を燃やした灰と魔物の脂を使って作ったちょっとした貴重品である。

 

 皆も少しずつとはいえ使っているはずなのに、こうしているとどこか特別な感じがしてならない。そこで二人はしばらくの間、お互いバレないように鼻腔いっぱいにその香りを満たそうとしていた。

 

「あー、そのー……その髪、もうちょい上手く洗えてたらもっとキレイに光って見えたかもな。悪い」

 

「ん……これから上手になっていけばいい。時間はいくらでもある」

 

 そうして互いに抱きしめ合ってどこか幸せな時間を過ごす中、人工の月に彼女の髪の毛が照らされるのを見て、不意に大介は自分の失敗を反省する。しかしアレーティアはそんな彼の失敗を期待も込みで許した。

 

 ……アレーティアが『時間はいくらでもある』と述べたのにも理由があった。二人がメルドに殴られたその日の夜、これからどうするかの話し合いが行われ、しばらくの間ここに滞在することが決まったからである。わざわざ話し合いをする際に少し時間を空けたのも皆の気持ちを整理するためであった。

 

『――この手記によりますと、ここ以外にも大迷宮があることを示唆する文章がありました……もしかすると他の大迷宮も攻略すると、他に神代魔法が手に入るかもしれないんです』

 

 自分が気を失っている間に色々と調べたのか、南雲はメルドもいたその席でそのようなことを述べた。

 

 その言葉に中村、谷口、清水を除いた天之河らトータスに移転してきたと述べた面々は大いに沸き立ち、メルドも少し嬉し気に口元を吊り上げた。それが意味することは一つ、彼らが元の世界に戻れる可能性があるかもしれないということだ。彼らのことを大事に思っていたメルドもこれに関しては嬉しかったらしい。

 

『とりあえずボク達が軽く調べてみた感じだと、他の大迷宮で場所が大まかに判明しているのはグリューエン大砂漠にある火山、ハルツィナ樹海、ライセン大峡谷、シュネー雪原の氷雪洞窟ぐらいだね』

 

『ここは既に攻略しましたし、残り二つがまだ不明なんですけど……ごめんなさい』

 

『お前らが謝ることはない……ただ、シュネー雪原は後回しにした方がいいな。あそこは魔人族の国、ガーランドが目と鼻の先にある。そうなると――』

 

 そして地理に詳しいメルドの話の下、どういう順番で大迷宮を攻略していくかを考えていく。

 

『ライセン大峡谷は魔法が分解されるから俺や良樹、それと白崎も谷口もしんどいだろうな……』

 

『確かハルツィナ樹海は亜人族の住む場所だ、って鷲三さんから聞いたな。しかも亜人族はヘルシャー帝国から奴隷狩りと称して拉致されてる、って……』

 

『……私達に対してあまりいい顔をしないでしょうね。そこも後回しにした方がいいかしら?』

 

『そうなると砂漠の火山辺りか……結構暑くてしんどそうだな』

 

『うん……メルドさん、確か近くに国がありませんでしたっけ? そこで補給って出来ませんか?』

 

『あるぞ。ハイリヒの傘下にあるアンカジ公国だ……とはいえ俺もお前らもお尋ね状態だ。そこに寄るのは不可能と考えていいだろう。せめて、変装でも出来ればな……』

 

『あー……それなら俺と雫なら、やれます。一応雑技の一つで変装術ってのを学んでたんで、ウチの師匠ほどじゃないですけど、道具さえあれば』

 

『……なぁ浩介、やっぱりお前と八重樫って忍者――』

 

『違うから。ただの雑技に詳しい集団だから!』

 

 ……そうして色々と話し合いをした結果、当面の目標としてはライセン大峡谷の攻略を目指すことになった。他は地理的な面、補給の面からして困難になると予想がついたからである。

 

 また、ライセン大峡谷にも魔物が存在することがメルドの口から明らかになったため、最悪その魔物を狩って、ユグドラシルの果実を食べていればどうにかなるだろうと結論付けたのもあった。

 

『そうなると……なぁハジメ、もしお前が一人でここに来る羽目に遭って、それでアレーティアと一緒にここまで来た時によ、この後どうするか予想出来るか?』

 

『そうだね……まず間違いなく大迷宮は全部攻略する。それと、そのために色々と準備するかな。それも二ヶ月ぐらいになると思う』

 

 そこで清水から投げかけられた質問に南雲も思案しつつ、それに答えた。本来の未来の自分ならきっとそうするだろうと考え、設備の整ったこの住居で全ての大迷宮を突破するための装備を用意しようとするだろうと予想したのである。

 

『皆もすぐに地上に出たいだろうけれど、それも少し待ってほしい……ここの一番奥で出たあの魔物みたいに強いのがまた出てこないとも限らないからね。ここで鍛えるのもアリかな、って思うんだ』

 

 南雲の言葉に早く地上に出たがっていた近藤らや園部達も不満気ながらも納得を示した。確かにあんなのがこの先わんさか出てくると思うとアレーティアとしても心底げんなりしてしまう。今回はどうにか勝てはしたものの、あんな化け物クラスを相手に何度も薄氷の勝利を繰り返すなんてまっぴらごめんであったからだ。

 

『アレーティアさんのことも、だよね。ハジメくん』

 

 そして唐突に自分の名前が出たことでアレーティアは委縮して大介の後ろに隠れてしまう……谷口の言った通り、彼らに逆恨みを抱いていたことがわかって以降、アレーティアは大介以外の相手と接触する時に常に恐怖に怯えるようになっていたのだ。

 

『ご、ごめんなさい……ごめんなさい……』

 

 彼らが許してくれているのもわかるし、イナバもユグドラシルもそれに関してはあまり気にしていない様子なのも察している。だが、彼女の良心と罪悪感が強く咎めるのだ。あんな恥知らずな真似をしておいて、今更親しくすることなど許されるのかと訴えてくるのである。

 

 そのせいでかつてのように尊大でクールな態度はとれなくなり、心の底から信頼している大介以外を見るとひどく不安になって及び腰になってしまったのである。正直な話、大介がいないと怖くて何も出来ないと心の底から思えてしまう程には弱くなったという自覚は彼女にもあった。

 

『謝らなくっていいですから、ね……?』

 

『アレーティアの実力はボクらを凌駕してるんだけどね……檜山以外とマトモに連携がとれないんじゃ話にならないし、それも考えると留まった方がいいだろうね』

 

 ――そんな訳でアレーティア達はここに残ることになったのである。これには他の面々も納得を示し、それに加えて大介が感謝を示していたことを心底申し訳ないと思いながらもそれに甘えるしかなかったのだ。

 

「ま、しばらくの目標は俺がちゃんとお前の頭を洗えるようになることか……」

 

「……お願い。八重樫さんが怖いから」

 

 そうして当面の目標を大介が語ると、つい先日自分が受けたことをアレーティアは思い出していた。なんと自分達が“恋人”の時間を利用して二人きりで風呂に入っていた際に八重樫が乱入してきたのである。目的は自分の頭を洗うことであった。

 

 その乱入してきた当人曰く、『昔他人が怖かった自分を思い出しておせっかいを焼きたくなった』とのことだ。それと遠藤から聞いた話によると大介は自分の髪を洗うときは結構ガシガシいくらしく、そのため女性の髪をちゃんと洗えるか心配になってカッ飛んできたとのことだ。なおその際本人的には濡れても大丈夫な格好――どう見ても普段身に着けている黒装束だったが――をしてだが。

 

「……確かにあの時の八重樫クッソ怖かったな。多分今後もイナバの代わりに滅茶苦茶可愛がられると思うぞ……」

 

 大介のその言葉にアレーティアも軽く震えた。確かに自分のために色々とやってくれるのはありがたいが、アレは軽く常軌を逸している。少なくとも大介以外にあんな真似をされて平常心を保っていられる自信がアレーティアには無かった。

 

「それは嫌……大介じゃなきゃ嫌ぁ……」

 

 そうして彼にすがりつき、彼の体温を感じ取ることで心を落ち着かせようとする。彼の匂いが、耳から伝わる心臓の鼓動が、少しずつ自分の心を鎮めていくのを感じ取っていた。

 

「お、おう……」

 

 一方、大介もそんな彼女を見て不安になっていた。何せあまりにも自分にベッタリだからだ。そこまで長い期間でなかったとはいえ、自分の友人達がイチャイチャしている様子を見て羨望を覚えており、いずれはアレーティアともそういう関係になりたいと思っていた。

 

 だが現実はこうして自分に甘えてはくれるものの、自分に“依存”しているようにしか見えない。自分に甘えてくれるのはいいがずっとそれだと疲れる気がしていたし、何より彼女自身のやりたいことをして笑っている姿も見たいと欲が出ていた。それ故に彼も苦悩していたのである。

 

「……大介、キスして」

 

「お、おう……んっ」

 

 だがそんなことは後でいいか、と大介は甘えてくるアレーティアにされるがままになった。そしてアレーティアも彼が自分に依存していることを歯がゆく思っていることに気を病みながらも彼の愛に溺れていく。

 

「ちゅ……んっ……んふっ……れろぉ……」

 

「じゅる……くちゅ……ぷはっ……はむっ……」

 

 いつか大介/アレーティアのために頑張ろう。問題を先送りにしながら少年と少女は唇を触れ合わせ、舌を這わせて愛を確かめ合う。

 

 ――“魔王”を照らす月。はずみから完全に外道に堕ちてしまった少年。本来交わるはずのない二人は今、こうして深く深く絆を結んだ。互いに離れないようにと祈りながらまだ青い少年と青さの果てに間違いを犯した少女は愛を貪る。

 

 それを作り物の月だけが見つめていた。汝らに幸あれ、と祝福するかのように優しい光で照らしながら。




作者が「ユエ」でなくやたらと「彼女」と呼んだのも、こうして彼女が「アレーティア」と名乗るためです。ぶっちゃけると彼女が恵里達を恨み、その罪に苦しむ展開は二十一話を構想してた辺りで思い浮かんでました。きっと恵里達に嫉妬してこうなってしまうだろうなー、って。

ただ、実はこの√を外れる方法が浮かばなかった訳でもなかったり。ただ、それは今回のお話の趣旨から外れるので詳細は割烹にて。


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幕間二十二 変化をもたらした男達の話

まずは拙作を見てくださる皆様への多大な感謝を伝えさせていただきます。
おかげさまでUAも117676、しおりも329件、お気に入り件数も756件、感想数も369件(2022/7/3 17:45現在)となりました。此度も本当にありがとうございます。

古戦場で色々と時間が無かったものでちょっと投稿が遅れましたが、どうにか仕上げることが出来ました。これもひとえに拙作を見てくださる皆様のおかげです。ありがたやありがたや。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき、誠にありがとうございます。似たようなフレーズばかりで心苦しいのですが、こうして拙作を再評価していただけたおかげでまた筆を進める気力が湧いてきました。感謝いたします。

では今回の話を進めるにあたっての諸注意ですが、まずかなり長め(14000字程度)となっており、また普段に増して原作じゃあり得ないような展開が起きますのでご注意を。では本編をどうぞ。


“なぁ先生、それと中村も。ちょっと頼みたいことがあんだけどいいか?”

 

 解放者の住処で過ごすこととなって早三日を迎えた一行は、狩りを兼ねた午前の訓練を終えて昼休憩をしていた。

 

 そんな時、鈴と談笑していたハジメと恵里に向かって礼一と良樹はそれぞれ“念話”で話しかけてきたのである。

 

“一体どうしたの礼一君? 話しぶりからして鈴は巻き込めないみたいだけれど”

 

“そうだよ。でも別に頼みなんて檜山……は無理か。でも中野や浩介君、幸利君にでもすればいいでしょ? どうしてボクとハジメくんだけなわけ? 鈴をないがしろにした理由は? 返答次第じゃただじゃおかないからね”

 

 そこですぐに二人は何故二人が鈴も巻き込まなかったのかに気付き、相変わらずの察しの良さに驚くと同時に恵里のヤバさを再度実感してちょっと股間の辺りがキュッとなった。

 

“流石先生も中村も察しがいいな……中村、取り合えず落ち着いてくれ。ちゃんと理由はあるんだって”

 

“いやその、な……信治のことで話があるんだよ。出来ればあんまり顔に出ない奴を探してたんだ”

 

“……そっか”

 

“なるほどね……確かにそれなら鈴は難しいだろうね”

 

 すぐさま良樹は言い訳をし、礼一もその理由を明かすと二人は納得した様子を示してくれた。そこで二人が鈴に『ちょっと待っててね』と言うのを待ってからすぐに説明へと移っていく。

 

“浩介や幸利の方にも一応相談はしたんだよ。どっちも『俺らで何か元気づけたらどうだ?』ってぐらいでよ”

 

“あんまり具体的な考えが俺達じゃ浮かばなかったんだよ……それで、ハジメと中村だったらどうにかなるかな、って思ってよ”

 

 二人のその言葉にハジメも恵里も首をひねった。

 

 ――信治の調子がおかしくなったのは言うまでもない。アレーティアが幽閉されていた真実を知り、彼女が罪の苦しみで嘆き壊れそうになってた時である。

 

 後に地面に頭をこすりつけてまで謝罪しようとしたアレーティアを見て彼も必死に止めようとしたし、今のところもう何でもないように振る舞っていた。だが、あの事を引きずっている様子なのは誰の目にも明らかであった。

 

“そう言われてもね……僕が見た感じだと信治君は引きずってはいるけれど、普段通りに振舞おうとして空回りしてるだけだと思うんだ”

 

“ボクもハジメくんの意見に賛成かな。下手に指摘したらかえってギクシャクする感じだよ、アレ”

 

 こうして相談を持ち掛けられた二人も、先に相談した浩介と幸利と同様の答えを出した。信治の引きずり具合が中途半端なせいで下手に対応できないことである。

 

 あの事件の後、アレーティアがゾッコンな大介以外の四人で彼を慰め合い、一緒に涙を流した。その後アレーティアからも何度も謝罪を受けてもおり、そのため心の傷の治りはいくらか早かった……のだが、信治はあと一歩で振り切れそうなところを足踏みしている様子なのだ。

 

 要は礼一と良樹はそれがもどかしく感じただけでしかない。いつも通りに駄弁って、くだらない話で盛り上がって、と普段通り過ごしたい。ただのワガママで彼をどうにかしたいと願ってるだけでしかないのだ。

 

“……わかってるよ。わかってるけどよ”

 

“これが俺らのエゴだってのはわかるけど、でも……あぁもう!!”

 

 それも二人は薄々感づいていた。普段通り過ごせないことへのイライラが軽く爆発しそうになっているのだ、と頭では気づいていた。それでも、と思ってしまうのはいつ何が起きるかわからない大迷宮での生活と別れを告げたことや、そんな生活の中でも一緒に馬鹿をやっていたが故かもしれない。それをこの場で“念話”していた四人全員がわかっていた。

 

“うーん……それなら、ちょっとぐらい羽目を外してみたらどうかな?”

 

 かといって冷たく突き放すことはハジメにも出来なかった。浩介や幸利と大差ないアドバイスしか送れないとしても、どうにか力になりたいと願ったのである。そこで出てきたのが先の提案だ。

 

“羽目を外す、って……あんま下手なこと出来ねーぞ? メルドさんいるし”

 

“そうそう。どういう風にやるか、ってのが問題じゃねーか”

 

“それは……うーん……”

 

 しかし問題は具体的に何をするかである。体を動かすのは日常的にやっているし、ナンパは不可能。あまり妙なことをやったらメルドの雷が落ちるし、風呂でものぞこうというのなら女子~ズ全員で袋叩きにした上でメルドに報告するだろう。

 

 あまり派手過ぎず、騒ぎが起き辛い。そんな具合のものを思いつけ、といきなり言われても中々に難しかった。

 

“面倒臭いなぁ……じゃあ手に入った生成魔法でも使って遊んでなよ”

 

 と、ここで恵里が心底煩わしげにそんなことを言い放った。

 

“え、生成魔法?”

 

“そう、それ。テキトーな石っころとかにでも魔法を付与して遊んだら? ここで手に入った珍しいおもちゃなんてそれぐらいしかないでしょ”

 

 恵里も正直その程度しか思いつかなかった。今この場にある中でまだ彼らが手を付けてなさそうなのはせいぜいそれぐらいしか無かったのである。

 

 現在、生成魔法を一番多く利用しているのは適性が最も高かったハジメである。アーティファクトの製造に用いたり、自身が扱うドンナー、そして前々からリクエストを受けていた幸利の分のレールガンにも使っている。

 

 次いで適性の高かった幸利と光輝の二人だ。ハジメが作った包丁などの生活グッズといったある程度効果が落ちても問題ない、もしくは落とす必要があるものに対して彼の代わりに付与する作業を担っている。

 

 後は生成魔法を付与する際に各魔法のエキスパートである奈々やアレーティアに良樹、恵里などが付与したい魔法を展開する際にお呼ばれする程度で、三人以外のあまり適性の無かった面々は生成魔法は一切使っていなかったのである。

 

 そもそも入手出来なかった恵里と入手自体しなかったメルドは言わずもがなだ。

 

“……そっか。ハジメも手に取らないようなクズ素材なんかにやってみたら……よし、これだ!!”

 

“まぁ、確かに使わないのだったらいいけれど……”

 

“いけそう、いやイケる! サンキューな中村!! あと先生も!”

 

 と、恵里のアドバイスを受けて色々と考えが浮かんできた二人はすぐさま礼を述べながらそそくさとその場を後にしていく。

 

「……ごめんハジメくん、鈴も。なんか、早まった気がする」

 

「多分大丈夫だよ、うん……きっと」

 

「ねぇ二人とも何を言ったの? ちょっと、一体何やらかしたの?」

 

 そしてそんな二人を見て心底心配そうに見つめる恵里とハジメ。二人を見て不安が伝播した鈴も二人の服の袖をつかんで問いかけるのであった……。

 

 

 

 

 

「……しっかし、じゃあどうするかだよな」

 

「うーん……とりあえず信治を誘ってからでいいだろ。考えるのは後にしようぜ」

 

 道すがらどう生成魔法を使おうかと頭をひねっていた礼一と良樹であったが、中々面白いアイデアは浮かばず、とりあえず信治を誘ってから考えようかと良樹が告げる。礼一もそれでいいかとうなずいて返し、今日も彼がいるであろう場所へと向かっていく。

 

「おーい、しーんじくーん!」

 

「あーそびーましょー!」

 

 そして今日も九十九階層の拠点で一人呆けていた信治を見つけて二人は声をかける。すると、一拍遅れて気が付いた信治は彼らの方へとゆっくりと視線を向けた。

 

「……ん、あぁ、礼一と良樹か。今は一応鍛錬の時間だろ? 俺はちょっと休憩してるだけだからほら行け行け」

 

 うっとうしがるように信治は手を動かすが、その顔に申し訳なさが多分に含まれていることに礼一と良樹は内心ため息を吐いていた。

 

 彼の言う通り、信治本人はここでずっと何もしてなかったという訳ではなく、むしろ少しでも調子を取り戻せるよう得意な炎系統の魔法をがむしゃらに練習していた。しかし、アレーティアに真実を知るための手がかりを教えてしまったことがどこかでくすぶっていたようで、展開した魔法もどこか精彩の欠くものばかりであったのである。

 

 結局今日も上手くいかず、どうすればいいのかと思って腰を落としてあぐらをかいていたところに二人が来た。そこで二人のためにも追い払おうとしたのだが、そんなことは関係ないと言わんばかりに二人も信治の両横に腰を下ろし、それぞれ肩を組んで軽くニヤつきながら顔をのぞきこむ。

 

「……なんだよ気持ち悪ぃ。用がねぇならとっとと帰ってくれ」

 

「オイオイつれねぇなぁ信治く~ん」

 

「そうそう。俺らは信治君のために面白い遊びを用意したってのにさぁ~」

 

「面白い遊び? どうせしょうもないこと――」

 

 ウザ絡みをしてくる二人に軽くイラッとしていた信治の目の前で、二人は拾った小石に生成魔法を発動する。“風灘”を付与したものを良樹が軽く放ると何秒かその場でふよふよと浮かんでから落ちた。礼一が“滴垂”を付与した小石はぽつぽつと水滴を垂らしてつまんでいた彼の指を湿らせている。それを見て一瞬信治の顔があっけにとられた。

 

「神代魔法なんて大層な名前の割に、大したことは出来ねぇなー」

 

「ホント魔力食うばっかでこの程度だもんな……でもよ、結構面白くねぇか。な?」

 

「……あぁ」

 

 いいおもちゃを見つけたとばかりに無邪気に笑う二人を見て、自然と信治もうなずいていた。

 

「お、こっちの石はいい具合に風を出してくれるじゃねぇか。んじゃこっちは……あ、割と強いな。あと時間もスゲー短い」

 

「土属性の魔法だと単にデカくなるだけかと思ったら“縛石”だと鎖が垂れんだな。へー、意外」

 

 それからというもの、三人揃って生成魔法でいろんなことを試していた。良樹はお得意の風属性のものを付与して石ころから放たれる風の強弱を楽しんでおり、礼一もこのオルクス大迷宮攻略で磨かれた土属性の魔法を色々と付与した石ころがどうなるかを興味深げに眺めていた。

 

「だぁー!! 今この時ほど俺が炎属性に特化してたことを恨んだことはねぇー!!! 石ころが燃えるのばっかじゃねぇかー!!」

 

 一方、信治は得意なのが炎属性なのもあってか割と似たような反応ばかりで悔しがっていた。だがその顔には一切の憂いは浮かばず、ただ目の前で起きる現象をただ無邪気に楽しんでいる。礼一達が見たかったものがそこにあった。

 

「よっしゃ、じゃあ次は“隆槍”――これぐらいのデカい奴に試してみようぜ」

 

「お、いいないいな! んじゃ俺も!」

 

「よーし、今度こそただ燃える以外に面白ぇーの見せてやらぁ!!」

 

 そして礼一が“隆槍”である程度の大きさを保った岩の塊を出すと、二人は更にヒートアップする。自分の方がより面白い結果が残せるように、と一つ試してはまた塊を用意するのを繰り返した。

 

「けっこういい風来るな……なぁコレ、エアコン作れねぇ?」

 

「マジじゃん。マジで異世界でエアコン出来るのか!? アレーティアの奴……はとりあえずやめとこう。宮崎とハジメに頼みこんでよ、いい素材貰うついでに氷属性の魔法も付与してもらえば作れるってことだろ! さっすが良樹!!」

 

「っかー!! やっぱ良樹、お前ズルいなホントー!! 俺なんか燃えたり焼けたり熱持つのばっかしかねーぞ!! 芸ってもんが……いや、待てよ。これ出す熱を調整出来たらオーブンにならねぇか? 後はテキトーに岩で覆っちまえば完成するぞ?」

 

「うわお前、ここでも女子の好感度稼ぐかー」

 

「流石火の神様だよなー、信治君ってば」

 

「よせやい照れらぁ」

 

 そうして色々と試していっては異世界版エアコンやオーブンの原型になりそうなものを生み出し、テンションも青天井に。結果、段々とタガも緩み出していった。

 

「……なぁ、もっとこう、色々と試さねぇか?」

 

「色々、って何だよ? 何やるんだ? 教えろよ礼一くぅ~ん」

 

「面白いネタだろうな、礼一? ここに来てガッカリさせんなよ?」

 

 更に色々と生成魔法で遊び、残りの魔力が三分の一を切った辺りで礼一がそんなことをつぶやき出した。するとまだ半分程残っている良樹と信治もそれにアッサリと乗っかり、体を前のめりにしながら礼一に尋ねる。すると礼一も一層あくどい顔を浮かべながらこうつぶやいた。

 

「色々だよ。い・ろ・い・ろ――モノも大きさも関係ねぇ。こうなったらそこらの岩でも落ちてるモノでもいいから片っ端から試していかねぇか? 石ころだけじゃつまんねぇだろ?」

 

「いいなそれ! ここらにゃ捨てたゴミとかも他の階よりは残ってるし、やってみようぜ!!」

 

「やるやるー!! まだまだ遊び足りないって思ってたんだよ! じゃあ早速――」

 

 そうして良樹と信治も久しくしてなかった悪人面を浮かべ、一緒になって色々なものに生成魔法を試すのであった――。

 

 

 

 

 

「……で、他に何か言いたいことはあるかしら馬鹿三人?」

 

「「「何一つございません……」」」

 

 ……そして時は過ぎてその日の夕方。とある()()()()をハジメ、恵里、鈴、大介、アレーティア、メルド以外の皆に仕掛けた三人は、先の六人以外のキレた面々に散々追い掛け回され、捕縛魔法で簀巻きにされてしまっていた。なお頭に真新しいたんこぶも幾つか出来ている。

 

「呆れたよもう……何やってるの三人とも……」

 

「馬鹿だね」

 

「恵里、めっ!……その、信治君が元気になったんだし、許してあげようよ。ゴーサインを出しちゃった僕の方にも責任はあるから」

 

 鈴は大いに呆れ果て、ある種元凶である恵里も自分のことを棚上げしながら蔑み、ハジメはそんな恵里を軽くたしなめつつも信治達を擁護しようとした。

 

「流石先生……恩に着る――あ、すいません。調子にのってました」

 

「ありがとうハジメ……今お前が神様に見え――ごめんなさいすいません反省してます」

 

「くぅー、やっぱり持つべきものは頼れる親友――マジ悪かったですごめんなさい」

 

 ハジメが自分達をかばおうとしてくれた時、礼一達は地獄に仏とばかりにハジメに感謝のまなざしを送ったが、被害を受けた優花及びとんでもないイタズラを働いた三人におかんむりとなったメルドを筆頭にした周囲の冷たい視線を受けて即座に頭を下げまくった。

 

「お前ら……まぁ俺もアレーティアがいなかったら一緒に馬鹿やってたと思うけどよ」

 

「ん……」

 

 自分とアレーティアを標的にしなかったことには感謝したものの、それはそれとして大介も三人の行動に呆れてしまっていた。

 

 アレーティアの方も何をやってるのやらと思いはしたが、自分が前に彼らにやったことがチラついたせいで何とも言えない顔をするのが精いっぱいであった。なおそんなアレーティアの体を引き寄せ、大介は彼女の頭をなでている。

 

「……で、馬鹿達、アンタらは私達に渡した()に何か仕掛けたわね? フツーは飲んだ瞬間ビリっとなんてこないはずだし」

 

「良樹、お前なら風属性の上位互換、雷系の魔法も使えるよな? 飲んだ瞬間にでも何かやったか?」

 

 そして三人は改めて優花とメルドから尋問されると、信治達は顔を青ざめさせながら自分達がやったことを白状していく。

 

「お、俺はその……台所にあった塩にちょっと“纏雷”を生成魔法でつけて、それで水で溶いただけで……」

 

「お、俺はコップの方に……ちょ、ちょっとした茶目っ気だよ? 許してくれ、な?」

 

「あ、俺はえーっと……直接水に“纏雷”をくっつけただけで……いやー、その、二人と同じじゃちょっと芸がねーよなー、って。やったらなんか出来たし……」

 

 そう。三人がやらかしたのは何らかの形で“纏雷”を生成魔法で付与したものをターゲットである光輝達に接触させたのだ。もちろん威力は触ったらちょっと痺れる程度に抑えてあるため、怪我なんて一つもない。まぁそれはそれ、これはこれというものだ。見事にターゲットを引っかけることが出来、ご満悦になった三人を見てキレた奴らが恨みを晴らすべく追いかけた、というのが今回の経緯である。

 

「……いや、どうして? なんで? 生成魔法にはそんなこと出来ないはず」

 

「……光輝達を見た限りじゃ怪我の一つもなさそうだが、よくもまぁそんなしょうもないイタズラを思いついたものだな。本気で呆れたぞ」

 

 メルドは大きくため息を吐きながら三人を見つめる。いくらちょっとしたからかい程度であれ、仲間にいらんことをしたのは事実である。今後二度とこんなことをしないようにもう一度げんこつを落とそうかと彼は考えていた。

 

「ハジメくん? どうしたのハジメくん?」

 

「もしかして僕らが知った扱い方は表面的なもの? だとするとどうして――」

 

「驚いたよぉ~、ホントにびっくりしたんだからぁ~!」

 

 妙子の間延びした非難の声に多くの面々がうんうんとうなずいて返す。妙子は良樹が“纏雷”を付与したコップに触ったのだが、その際めちゃくちゃ驚いてコップを落としてしまい、ひざから下を思いっきり濡らしてしまっていた。

 

「そうだよ! そのせいでうっかり吹き出して龍太郎くんに水かけちゃったんだから! 恥ずかしかったし気まずかったんだよ!!」

 

「マジであの時は驚いたからな……香織が吹き出した水のせいででしばらく顔痛かったんだぞ。ピリピリする程度だったけどよ」

 

「いやマジであのイタズラは割とシャレになってなかったからな!? テレビで見たことあったけど、実際にやられるとこんな痛いとは思わなかったぞ!」

 

「いやー、経験があって助かった……前に道場で訓練の一環でやったことあるけどアレよりマシだし」

 

「ね、ねぇ浩介っち。雫っちもそうだけど、八重樫道場って一体何を目指してるの……?」

 

「……きっとどんな状況でも対応できるようにしてるんだよ、奈々。でもさっきのは結構痛かった……あれ?」

 

 他の皆も水を吹き出したり、体の一部を濡らしたりと散々な目に遭っている。三人の目論見は大成功で心底浮かれまくっていたのだが、しっかり恨みは買っていた。奈々などが裏の八重樫とは一体何なのかと意識がそれたり、光輝がちょっと引っ掛かりを覚えたぐらいで他の皆は良樹達に怒りのこもった視線をぶつけている。

 

「え、えっと……どうかしたのハジメくん? い、今は近藤君達のお話だよ? 何かあったの?」

 

「うん。正直おかしいところがあってね……その、出来ればもう一度礼一君達にやってほしいところなんだけど」

 

「え、正気?……あの馬鹿ども、ハジメ君に馬鹿をうつしたなぁ!!」

 

「え、恵里、どうどう! そういうのじゃなくって――」

 

 そうして三人に尋問が行われる中、一人ブツブツとつぶやいていたハジメに恵里も鈴も気になって声をかけ、一体何があったのかと尋ねてみると奇妙なことを言い出したのである。まさか遂にあの四人の馬鹿が感染したのかとキレそうになった恵里をハジメが必死になだめ、すぐさま二人に“念話”で自分の気づきを伝える。

 

「――えっ、どうして……?」

 

「ホントだ……なんで、どうしてなの……?」

 

「ホントこの馬鹿は……タエ、この馬鹿三人に思いっきり“雷蛇”叩き込んでやって――」

 

「――待った!!」

 

 そして恵里と鈴が告げられた疑問にショックを受ける中、また三人が断罪されようとしたその瞬間にハジメが文字通り待ったをかける。

 

「ど、どうしたのよハジメ。いきなり大声出すなんてビックリしたじゃない……」

 

「優花さん、ごめん。それと皆も。礼一君達に何かする前にちょっと思い出してほしいことがあるんだ」

 

 いきなり大声を出されたことで優花はビクッとなり、軽く不機嫌な様子でハジメに言った。一方、言われた当人は優花を含めて一度皆に頭を下げると、先程抱いた疑問を口にしようとする。

 

「思い出す?……なぁ、ハジメ。それってまさか――」

 

「……光輝君が考えていることと一緒かも。多分気づいてない?」

 

 そこで光輝も何かに思い至った様子でハジメに声をかけようとし、ハジメも同じ疑問を抱いてくれたのならありがたいと思いつつも自身の疑問を口にする。

 

「――僕達が生成魔法を手に入れた時、どんな説明だったかな?」

 

 言葉にすればひどく単純で、なんてことはない疑問でしかない。一体何を言い出すのやら、と既にハジメから問いかけられていた二人以外の皆がそれを考えた瞬間……時が、止まった。

 

「……え? なんで? どうして……」

 

「お、おい……せ、説明が食い違ってるぞ! な、なぁハジメ、どうなってんだ!?」

 

 ほんの少しの硬直の後、ハジメが呈した問いかけの意味に気付いた全員はその場で震え、答えをくれとばかりに視線も声もかけていく。

 

「そう、だよな……俺が間違って覚えてた訳じゃないんだよな?」

 

「私、間違って覚えてないはず……光輝も、皆もそうよね!?」

 

「ど、どうなってんだよ!? おかしいじゃないか! だって、だって生成魔法は――」

 

 ――鉱物に魔法を付与する代物だろ!?

 

 浩介の叫びが解放者の住処でこだまする。それに誰も反論を挟めず、困惑は深まるばかりであった。

 

 そうなのだ。取得できなかった恵里としなかったメルドは又聞きでしかないのだが、皆が生成魔法とはどういったものなのかを知っている。だからこそおかしいとしか思えなかった。

 

 どうして鉱物に付与できる魔法が塩にも使えた? 何故鉱物にしか扱えないはずの魔法が水にも作用した? 何故説明が食い違う? どういう意図であんな説明をした? それら全てが不可解だとこの場にいた皆が感じたのである。

 

「……ふん。反逆者の言葉もアテにならんな。こういった使い方を伏せていたなど、結局ここを攻略しに来た奴らのことを信用してなかったのではないか? お前達も災難だったな」

 

 自分達に神代魔法を授けてくれたオスカーを侮蔑し、かつそれに振り回された皆をねぎらう言葉をメルドがかけたことも誰の耳に入らない。ただ『何故』という単語だけが幾度も幾度も浮かび上がるだけ。

 

 深まる困惑と疑念に、イタズラを仕掛けた信治達もが救いを求めてハジメに視線を向ければ、ハジメも真剣な様子で深くうなずいて返す。

 

「……調べよう。生成魔法はどこまで、何が出来るのかを」

 

 その言葉に誰もが深くうなずいた。

 

 

 

 

 

「……これがさっき良樹君達がイタズラに使ったのと同じものです」

 

 ハジメの指示の下、各人は実験が見やすいようにリビングの家具を動かしたり、テーブルの上に材料を用意するなりした。準備を終えた全員の視線は、テーブルの上にある水が八分目程入った三つの金属のコップ、一つまみ程度の岩塩が盛られた陶器の小皿に注がれている。

 

「まずは良樹君がやったこと、コップそのものに生成魔法を付与することの再現をします」

 

 そう述べるとハジメはコップを一つ自分の手元へとゆっくり動かし、一息吐いてから生成魔法を発動する。付与するのは彼らがやったのと同じ“纏雷”。それもちょっとピリッとくる程度に抑えつつ作業を終える。

 

「良樹君達が使ったコップは金属製で、これも同じ。そして生成魔法は鉱物、つまり金属には確実に付与出来ます。出来る、んだけど……」

 

 そして良樹がやったことをハジメは口にするも、どこか歯切れが悪い。その原因は、彼の隣で涙目になっていた先の騒動の犯人どもこと礼一達のせいであった。

 

「も、もうちょい待ってくれよ。い、今心の準備してるとこだからよ――」

 

「ほら早く、とっととやりなさいよ斎藤」

 

 ……この実験をする際、当初はハジメが実際に被害を受けてみる予定だったのだが、ハジメにしょうもないことをやらせたくないと駄々をこねた恵里と、さっきのことを根に持った優花らがゴネたことで三人が自分のやったことを自分で受ける羽目になったのである。自業自得であった。

 

「うぅ……はい――痛ってぇ!?」

 

 そして良樹がコップに指を触れた途端、バチッと強めの静電気が走ったかのような心地となってすぐに彼は指を引っ込めて地面に倒れこむ。わかっていても結構痛かったようだ。

 

「は、ハジメぇ~、加減、加減したんだよな!?」

 

「……黙秘権を行使します」

 

「うぉい!?」

 

 なお、実際はもっと抑えるつもりだったのだが、恵里達の視線にハジメは屈していた。恐怖政治ここに極まれり。

 

「やりたくねぇ、やりたくねぇよぉ~」

 

「謝るから、マジで謝るから許してくれぇ~」

 

「うっさいアンタら。この程度で済ませてるんだから文句言うんじゃないわよ」

 

 まだ刑罰の執行が待っている礼一と信治が泣き言を言うも、優花らのブーイングを受けて結局それ以上は言えず。そしてハジメも視線で急かされ、罪悪感を抱きながらも次の実験へと移った。

 

「次は礼一君……確か塩に生成魔法をかけたんだったね。じゃあこれに生成魔法をかけて水に溶く前にちょっと説明させてもらいます」

 

 そうして次の作業に移る前にハジメは塩を指さすと、どうして塩に生成魔法をかけることが出来たのかの説明に入った。

 

「まず第一に、塩はミネラル……これも鉱物の一種です」

 

 その言葉にアレーティアとメルドの二人は大きく驚き、恵里と鈴、幸利や光輝といった頭のいい面々以外は軽く驚いた様子を見せた。

 

「……いや、そう言われても俺はわからんぞ。どういうことだ、ハジメ?」

 

「……どういうこと、大介?」

 

「いや俺もさっぱり……おい先生、どういうこったよ」

 

「言葉の通りだよ、大介。そもそも塩は塩化ナトリウムがちゃんとした名称で、そのナトリウムが鉱物そのものなんだ。そうだろ、ハジメ?」

 

 メルドは思いっきり首をかしげ、アレーティアも自身の知らない知識を披露されて困惑し、隣の大介に助けを求めたものの、その彼もそうだったっけかと考える始末であった。そこですぐさま幸利が自身の知識を披露し、ハジメに確認を求める。するとハジメもゆっくりと大きくうなずき、それに同意した。

 

「うん。そうだね幸利君……とりあえずここで重要なのは塩も立派な鉱物の一種だ、ってことです。それさえ頭に入ってればいいので――では」

 

 そしてハジメは塩にも“纏雷”を付与していく。そして塩の盛られた小皿を手に取ると、近くに持ってきた別のコップに塩が全部入るよう傾ける。そして小皿の上に塩が無くなったのを全員に見せると、気まずそうな顔をしながら礼一の方を見やった。

 

「……ごめんね。無力な僕を恨んで」

 

「せ、先生は悪くねぇし……が、がんばる――うげぇ!?」

 

 そしてなけなしの勇気を振り絞りながらも礼一はコップに口をつけ、その瞬間唇に走った電気にたまらず悲鳴を上げて倒れこんだ。

 

「いてぇ……めっちゃ痛ぇ」

 

「こういうイタズラはもうやめましょう、三人とも。ね?」

 

 そして涙目になる礼一らに向けて軽く呆れた様子ながらも雫が諭す。礼一がぐずってからちょっと経って落ち着いた後、ようやく最後の実験に取り掛かることとなった。

 

「じゃあこれで最後――水そのものに付与する実験だ」

 

 そう告げたハジメだけでなく、この場にいた全員が思わず息をのむ。信治の言葉を信じるのならば鉱物以外にも生成魔法は使えるということになる。つまり傷薬や魔力回復薬もこの住処にある水を元手に作り放題ということにもなるのだ。

 

 ここ最近神結晶から出が悪くなってしまった神水のことを考えると嬉しい誤算であり、否が応でも期待が高まる。そしていざ、ハジメはコップの水面に向けて手をかざした。

 

「いきます……んっ」

 

 そして手のひらから漏れた紅い魔力が水面へと伝っていくことしばし。手をどけるとハジメはそこから一歩引き、信治に向けて頭を下げる。

 

「……ごめん、信治君。お願いします」

 

「嫌だぁ……絶対イヤ――あ、はい、やります。誠心誠意喜んでやらせてもらいます」

 

 そしてハジメに頭を下げさせたことを恨んだ恵里からの視線に怯え、嫌々ながらも信治はコップへと近づいていく。そしてコップの前に立つと、周囲を見渡しながら彼は確認を取った。

 

「こ、これ、別に口をつけなくってもいいよな? 触るだけでもアリだよな?」

 

「まぁやるんだったらそれで構わないぞ信治。もし実験が成功であっても、俺は確かめてみたいから……なぁそんな目で見つめないでくれ。俺だって傷つくぞ!?」

 

 すると光輝がそんなことをのたまい、他の面々が信じられない目で見てきてギョッとする。これは信治が演技でないことを証明するために述べたのだが、周囲からはそういう風には見られなかったらしい。雫にさえ疑惑のこもった眼差しを向けられて光輝は軽く涙目になった。

 

「じゃ、じゃあいく。いくぞ――あぁぁああ!!」

 

 光輝が説得を終えた後、おっかなびっくりな様子で信治はコップの水面へと人差し指を伸ばし――触れた瞬間、大きくのけぞった。

 

「いてっ、痛ぇー! 強めの静電気みたいな感じで痛ぇー!!」

 

 いささか大げさに見えなくもないリアクションではあったが、なんだかんだ付き合いがそこそこ長い皆はこれが嘘のリアクションでないことを見抜いていた。そこで光輝も試しに最後に生成魔法を使ったコップへと手を伸ばし、水面に手を触れ、そして大きく跳ねた手をもう片方の腕で掴む。

 

「~~~!……本当に、痛いな。信治の言う通り、これ静電気がバチッときた感じだ……」

 

 雫に指先をさすってもらいながらそうつぶやくと、他の面々もそれに興味が湧いてきてしまう。信治のあのリアクションに加えてリーダーである光輝が言うのだから間違いない。だがそれはそれとして確かめたくなってしまったのである。

 

「……じゃ、じゃあ私、やってみるね――痛っ!?」

 

「鈴がやるんだったらボクも――ぐぇっ!?」

 

「え、えっと……さっき吹き出しちゃったのと同じかどうか確かめて――痛いっ!?」

 

「お、おい……そこまで言われるとちょっと気になるだろうがよ……お、俺も――ぐぉっ!?」

 

 そうして始まる度胸試し。次々と全員がコップの水に指を突っ込み、本当に痺れるのかを確かめる。結果は言わずもがな。どいつもこいつも痺れに痺れて指先の痛みに悶えながらも新たな発見に心を躍らせた。

 

「信治君、大手柄だよ! おかげで回復薬も用意出来るし、もしかすると他にも生成魔法が使えるのかもしれない!! ありがとう!!」

 

「お、おう……その、先生、早く離れて。中村に殺される。今にも殺そうかってすんごい殺意マンマンの視線向けてくるんだよぉ!!」

 

 そして自分も試してみたハジメに抱き着かれ、信治は嬉しいやら背後の視線が怖いやらでパニックを起こす。その後は手に入れた様々な物に向けて生成魔法が使えるかどうかの実験が始まり、大いに盛り上がったのは言うまでもない――。

 

 

 

 

 

「……じゃ、じゃあ、いいんだな? 俺が最初にやるぞ、文句は言わねぇよな!?」

 

 そして時が経ち、解放者の住処で信治達が過ごすことになって一週間が経過した現在。金属製のガントレットを身に着けた信治は工房の作業机に置かれた鉱石の前に立ち、周囲の期待の視線を受けていた。

 

「大丈夫、絶対に他の誰にも言わせないから。ほら、やってみてよ信治君」

 

「よ、よし……じゃあやってみるぞ――“()()”!」

 

 そして鉱物に手を触れると、本来天職が“錬成師”であるハジメにしか使えないはずの“錬成”を詠唱する――その瞬間、ぐにゃりと鉱物が変形した。実験は大成功である。

 

「スゲー!! マジでハジメの錬成が使えるのか!!」

 

「……出来た。マジで出来やがった!! 俺も、俺にも錬成が使えるのか!!」

 

「うん! 本当にすごいよ! まさか魔物の固有魔法だけじゃなくて、僕の錬成まで使えるなんて思わなかった!!」

 

 信治はガントレットを身に着けた手を何度も開閉してはまじまじと見つめ、世紀の瞬間を見ていたギャラリーも歓喜の声が湧いている。

 

 今、彼が身に着けたガントレットは“錬成”の魔法陣が刻まれているだけでなく、生成魔法でハジメの“錬成”が付与されている――つまり、これを身に着ければ誰でも“錬成”が使えるようになるという代物だ。世界がひっくり返るとんでもない発明である。

 

 これは元々、生成魔法の可能性を調べていた時に恵里が漏らした独り言が原型であった。『魔物の固有魔法も付与出来るんだし、ハジメくんの“錬成”とかもやれそうだよね。そしたらハジメくんの負担も減るよ』と。そこで試した結果、ハジメ特有の技能である“錬成”も付与できることがわかり、これまた場が大いに沸いたのは言うまでもない。

 

 その後、ハジメ以外で“錬成”を最初にやる権利を恵里が主張したものの、そこでハジメが待ったをかけた。生成魔法の既成概念を打ち崩してくれた信治にこれを譲ってあげたい、と。もちろん恵里は泣きじゃくって駄々に駄々をこねにこねまくったが、そこはハジメと鈴の手腕でどうにか抑えた。そのため信治が栄えある第一号として“錬成”を発動したのである。

 

「よし――それじゃあ皆、お願いします」

 

『了解!』

 

 そうしてハジメが頭を下げると、既に身に着けていた信治以外の全員が“錬成”の付与されたガントレットを身に着けていく。既に全員分量産されていたそれは、着脱のしやすさに重きを置いてあることで全員が身に着けるのに大した時間もかからなかった。

 

「じゃあ恵里と鈴、それと幸利君は僕の補佐を。他の皆は練習ついでにサイズ調整をお願いします!」

 

 おー! と全員が声を上げるとすぐに各々の作業に分かれていく。先に挙げた三人はオタクとしての素養やイメージ能力が高いことから大まかに形成する係を、他の皆はハジメから指示された通りのサイズと形状に簡単に鉱物を整える役割を任された。

 

「しっかし……こうなるとは思わなかったよなー」

 

「ホントだよなー。まさか俺達がイタズラしたら、それが原因で全員で先生の手伝いすることになるなんてな」

 

「風が吹けばなんたらって言うけどよ、それよりもすごいこと起きてるもんな」

 

 そして礼一、良樹、信治も雑談を交えながらハジメから受けた指示通りに作業をこなしていく。あーだこーだと言いながらもその顔に不満は一切ない。むしろ新たなおもちゃを与えられた子供のような気持ちで作業をしている。

 

「……こうして俺らが作ったこの塊が、バイクに変わるんだよな」

 

 そう感慨深げに信治がつぶやくと、つられて二人も笑みをこぼす。彼が述べた通り、今回ハジメが手掛けるのはバイクだ。それもこれから作る四駆や全員で移動できるバスを造る際、車輪の駆動についてデータを取るために造るとのことである。

 

 とはいえバイクだ。男のロマンだ。それを造るのに自分達が一役買っており、もしかすると自分達にそれを回してくれるかもしれないと思うと心が躍らないはずがなかった。

 

「ちゃーんと作るぞ。これで手を抜いて駄目になったらお前らのせいだからな」

 

「ハッ、誰が手を抜くって礼一くぅ~ん? マジメにやるに決まってるだろうがよ!」

 

 そうしてテンションを上げながらあのイタズラの犯人達は作業に没頭していく。

 

「……こう?」

 

「あ、いいんじゃね? どうだ谷口、アレーティアの出来は?」

 

「うん、いいと思うよ。あ、次は――」

 

「とりあえず大まかなパーツは出来たけど、車輪をどうやって動かそうか……いいアイデアないかな、恵里?」

 

「んー……じゃあミニ〇駆でも参考に――」

 

「絶対ヤダ。なんか参考にしたらチープになっちゃう気がするし、負けた気がするからやだ」

 

「え、ちょ、ハジメくん? べ、別に作れるんだったら何でもいいんじゃ……」

 

「やだ。絶対やだ。作るから、ちゃんと動くやつ作るから。だから絶対やだー----------!!!」

 

「うぉ、ハジメ!? き、気持ちはわかるから抑えろって!!」

 

「は、ハジメくーん!? あわわ……ちょ、ちょっとアレーティアさん、檜山君もごめんなさい! 今ちょっとハジメくんなだめに行くからー!!!」

 

 こうして今日もまた、解放者の住処は騒がしいままに時が過ぎていくのであった……。




本日の言い訳
原作だとハジメ以外がアーティファクトそのものを手掛けることなんてしませんでしたよね? それこそ魔法なんかを付与する時以外は。多分それってパーツやら何やらを作る際に形成するイメージ能力が他の人物では足らなかったからだと思うんです。

じゃあ他にも自分並にイメージ能力が高くて信頼できるオタクがいて、かつ手伝える方法があるとするなら?……今回の最後らへんの展開が作者の答えです。

別にやれるんだったら皆でやってもいいでしょ? 細かい仕上げは自分がやればいいんですし。ね?


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幕間二十三 雨降って地固まる(前編)

先程話を投稿しましたが、そちらは色々と欠けてた部分があったので急遽削除しました。皆様方、大変失礼いたしました……。


では改めて読者の皆様がたへの感謝を。おかげさまでUAも119605、しおりも334件、お気に入り件数も769件、感想数も376件(2022/7/16 0:19現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして自分の作品が色々な方に読まれていると思うととても感慨深いです。

そしてAitoyukiさん、ダンボールパンダさん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございました。こうしてまた拙作を書く気力が湧いてきました。本当にありがとうございます。

それとタイトルからお察しの通り、長くなったので分割しております。はい、いつものヤツです(白目)

では少々長め(10000字程度)となっておりますので、それに注意して本編をどうぞ。


「ハジメくん、別にソレはいらないよね?」

 

「そうだよ。別に人手は足りてるんだし、なくたって構わないよね?」

 

 解放者の住処で過ごして十日目が経過した日のこと。

 

 生成魔法が『あらゆる無機物に魔法を付与できる魔法』とわかり、また全員に“錬成”を付与した金属製のガントレットを渡して皆でアーティファクトを製造することになって三日が経過した時のことである。この時、恵里と鈴はハジメに対して珍しく不機嫌さを露わにしていた。

 

 口角こそ上がっているものの、目が一切笑ってない恵里と鈴は存分に威圧感を出しながらハジメへと詰め寄っている。しかし、普段ならそうなってしまった二人にひたすら平謝りするはずのハジメは、この時ばかりはそれに屈することなく二人を見据えている。

 

「イヤだ。絶対捨てない――コレはオスカーさんから託されたものなんだ。だから僕はその遺志を継ぐ。たとえ誰が相手であっても僕は絶対に屈しないよ」

 

 解放者オスカー・オルクス。世界をエヒトの魔の手から解き放たんと戦い続けていた解放者の一人。そんな偉大な人物が後世に残したある存在を、自分は受け継ぐのだという不退転の決意がその瞳から感じさせられる。たとえそれが自身の恋人であろうと、今の彼は決してひるまなかった。

 

「ふーん、そっかぁ……そんなにそのメイドゴーレムが大事なんだね?」

 

 ……それがたとえ、二人から守ろうとしているのがオスカーの趣味を存分に発揮した代物であっても。なんか色々と台無しであった。

 

 日々の鍛錬とアーティファクトの製造、そして夕食も風呂も済ませて後は寝るだけのわずかな時間、それを利用してハジメは恵里達と一緒にオスカーの作品が数多く残る宝物庫を巡っていたりした時にそれを発見したのである。

 

 わざわざこのゴーレムの保管用のスペースまで作ってあったのを見た時は恵里と鈴も大いに呆れたものの、ハジメはそれにいたく感動していた。

 

「前に私達がメイドの恰好をしてた時は結構ダメ出ししといて“やっぱりいつもの二人がいい”って言ってたよね?……鈴達じゃ不満なのにそういうのは別なんだ?」

 

「ちゃ、ちゃんと後で謝ったよね!? 掘り返さないでってば!!」

 

 だがそのメイドゴーレムにご執心なハジメに対し、二人の反応は実に冷ややかなものであった。これもそれも今鈴が語ったように、中三の時に起きたあることが原因であった。

 

 それは当時受験勉強を頑張っていたハジメを元気づけるため、彼の自宅で勉強会を終えて帰ろうと支度をしながら何かいい方法がないかと二人とも考えていた時のことである。その折、ハジメがトイレに行ったため、こっそり二人で話をしていた時に恵里の脳裏にあるアイデアが浮かんだのだ。

 

『お菓子とかじゃちょっとありきたりだし、どうせだから……そうだ! メイドさんの恰好をして給仕すればハジメくんも喜ぶかも!』

 

『いいねそれ! じゃあ、早速衣装を借りに――』

 

『話は聞かせてもらったわ! 資料として買ったのがあるから二人ともそれを着てみなさい!!』

 

 恵里が出したアイデアに鈴が乗っかり、その場にいなかったはずの菫もどこからともなく現れ、菫に仕事現場に連れて行かれた二人。クローゼットに保管されていた()()()()()()()()()()メイド服をアシさん達に手伝ってもらいながら着た恵里達は、すぐさまハジメの下へと向かったのである。

 

『入るよー、ハジメくーん』

 

『うん? 恵里、どうした……の……』

 

 そうして部屋をノックして入ると、既に帰ったと思われた二人がメイドの恰好をしながら現れたため、ハジメの頭は一瞬でフリーズしてしまう。どこぞの聖地のエセメイドでなく、正真正銘の美少女メイドさんがそこに立っていたのだ。それもほんのりと頬を染めながら、だ。

 

『ど、どうかな……』

 

『に、似合ってる……?』

 

『う、うん……すごく、かわいい……』

 

 軽く息を荒げながらも返事をしてくれたハジメに二人は内心ガッツポーズを決める。期待以上の成果が出たことにテンションが上がり、ならば愛する人のためにもう一肌脱ごうと決意する。

 

『じゃあボク達はお茶沸かしてくるから』

 

『お菓子も用意してくるね。一から作ったら時間がかかっちゃうから、ハジメくんの家にあるのでいい?』

 

『え、えっと……お、お願いします……』

 

 そんなこんなで二人は若干の緊張をしながらも、手馴れた様子で用意したお茶を淹れ、袋入りお煎餅の入った菓子受けを彼の机の邪魔にならない場所に置いた。甲斐甲斐しいお世話にハジメも照れつつも、出されたお茶を飲んでお煎餅を一枚食べる。幸せそうな顔をするハジメを見て二人は大成功だと確信する……ここまでは良かった。そう、ここまでは。

 

『ねぇハジメくん。メイドさんやってみたけど、その……どうだった、かな?』

 

『率直な意見、聞かせてほしいな。ね、お願い』

 

 そう、ここで二人が欲をかいてしまったのである。

 

 かなり好感触であったため、もしかするとメイドにかなりこだわりのあるハジメであっても、それなりにいい評価をもらえるのではないかと期待して言葉をかけてしまったのだ。コレが本気でマズかった。

 

『えっと、その……本当に、いいの?』

 

『うん! もし次もやるなら参考にさせてもらいたいから』

 

『少しでもハジメくんの色に染まりたいから。お願い。ね?』

 

 そうして恵里が目を輝かせたり鈴が可愛らしくおねだりしたのもつかの間、結構な照れが入っていたこともあってかそれを払うためにもハジメは()()自分目線で()()()の意見を口にしてしまう。

 

『えーと、コホン……まず二人にはもう少し楚々とした佇まいをしてほしかったな。二人が僕のためにやってくれているのはわかってるけど、やっぱりメイドさんだし、一歩引いた姿勢で主人をもてなすところとかは再現してほしかったよ。それと声をかけてくれたのは嬉しいけれど、メイドさんは主人が話しかけてからしゃべるのが暗黙の了解だから次はそれを守ってね? あとそれから――』

 

 メイドガチ勢であるハジメから次々と出てくる注意にアドバイス、果ては注文の山が矢継ぎ早に繰り出されたのだ。

 

 聞き始めた当初は二人とも『メイドって奥が深いんだなー』と思って耳を傾けていた程度であったが、段々とヒートアップしていって更に話も長引いていくと、いくらハジメのことが好きであっても恵里と鈴はその話に辟易し出していった。聞かなきゃよかった、と思いながらも我慢してハジメの話を聞き続けていた二人であったが、最後に付け加えた一言で遂に堪忍袋の緒が切れることとなる。

 

『……っと、他にも言いたいことは色々あるけどさ。でも、その……二人がやってくれたのは嬉しかったよ。でも、でもね……やっぱり恵里と鈴はいつもの方がいいかな、って思ったんだ』

 

 このとってつけたようなフォローが原因で、恵里と鈴は完全にキレてしまった。

 

 ……散々二人にダメ出しをしたものの、自分のためにやってくれた純粋な好意はやはり嬉しかったため、ハジメが照れ隠しでそんなことをつぶやいたのだ。

 

 これがサラッと注意してからこう締めくくったのならまだ恵里も鈴もちょっと不機嫌になりながらも呑みこめただろう。だがよりによって十数分もの説教染みたアドバイスの後にやってしまったものだからどうにもならなかった。

 

『ふーん、そっかー……』

 

『ハジメくんはそう思ってたんだね……』

 

『え? あ、あの……二人、とも? ちょ、ちょっと怖いよ? お、落ち着いて。ね?』

 

 と、ここでようやくハジメも自分のやらかしに気が付いた。どうやら自分は二人を本気で怒らせてしまったらしい、と。

 

『うんうん。貴重なアドバイスありがとう。それじゃあ――』

 

『そうだね。鈴達にメイドさんが似合わないってことはよーくわかったから。だから、これはそのお礼だよ――』

 

『ふ、二人とも! ちょ、ちょっとタンマ――』

 

 いつになく不機嫌な様子の二人をどうにか止めようと言葉をかけようとするももう遅い。すこぶる笑顔で青筋を何本も立てながら、スカートをつまんで大きく足を後ろに振り上げる。

 

『『くたばりなさいませ、ご主人サマッ!!』』

 

 そして二人で息を合わせ、自分達の方を向いていたハジメのむこうずねを思いっきり蹴っ飛ばしたのである。

 

 ……その後、恵里と鈴は二度とメイド服に袖を通すことは無くなり、メイド関連の話が出たら軽く不機嫌になってしまうようになった。

 

 なお、この程度で済んだのはやられた直後に激痛に耐えながらもハジメが誠心誠意謝り倒したのと、思いっきりスネを蹴って恵里と鈴が軽くスッキリしてたからであった。ちなみに今回の話の顛末を聞いた菫はゲラゲラと笑い、しっかりと漫画のネタにしていたりする。

 

 閑話休題。

 

「あ、あのことはちゃんと謝ったし、僕の不注意が原因で二人がメイドさんのことで怒るようになったのもわかるよ……でも、それでも! これだけは絶対に譲れない!! メイドは人類の宝だから!!!」

 

「よし壊そう。鈴は“聖絶・桜花”で上手いこと運んで。とりあえず外に出せればいいから」

 

「うん、わかった。じゃあ恵里は“炎天”使って。鈴の“聖絶・光散華”で一緒にブッ飛ばそう」

 

 そして謝りながらもメイドゴーレムは何としても守ろうとするハジメにやはり恵里と鈴は本気でキレた。自分の愛する人を惑わす憎いあん畜生は絶対に破壊してやると息巻いたのである。

 

「ちょ、ちょっと待った――」

 

「「待たない。くたばれクソメイド」」

 

 そう言って鈴は最強のバリアを桜の花びらのように散らせて操る“聖絶・桜花”を発動し、恵里も即座にハジメに向けて“縛岩”を発動して雁字搦めにしようとしたものの、“限界突破”と“魔力放射”でそれを破壊する。

 

「大人しくしててよハジメくん! ボク達はそれを壊したいだけなんだからね!!」

 

「そうだよ!! どうせ鈴達がここで見逃しても研究だなんだってかこつけて絶対そのゴーレムにつきっきりになるでしょ! それぐらいお見通しなんだから!!」

 

「そうだけど、でも!――僕には、守りたいものがあるんだ!!」

 

 守るものがせめて故人の趣味を存分に反映させたものでなければ存分に格好がつくはずの言葉を吐きながらも、ハジメはメイドゴーレムに向かう光の花びらを全て“魔力放射”で吹き飛ばし、破壊していく。

 

(このままじゃ鈴の魔法でオスカーさんの遺産が破壊される――だったら!!)

 

「殴る気!? だったらボクでも容赦しな――うわっ!?」

 

「そんなに、そんなにあれが守りたいの!? だったら絶対壊して――きゃっ!?」

 

 魔法そのものをピンポイントで破壊することが出来れば、と思いながらもメイドゴーレムを死守し、このままではジリ貧だと確信したハジメはすぐに二人を両脇に抱え、保管スペースの壁を蹴り破る。その後、地面へと押し倒した二人にハジメは“錬成”を使って地面を変形させて拘束しようとする。

 

「ごめん。恵里、鈴……二人には悪いけど、諦めてもらうから!!」

 

「――!! ハジメくんのバカっ! 大っ嫌い!!」

 

「ハジメくんのアホぉ!! 浮気ものー!!」

 

「い、一体何があったんだ三人とも!?」

 

 自分ごと体を地面に沈めて二人を拘束しようとし、それに抵抗した二人が“魔力放射”で床面を破壊し続けたのもつかの間のこと。その轟音に気付いた光輝達がすわ何事か、と急いで音のする場所へと向かい、遂に三人は見つかった。そして三人の言い分と破壊された現場を見て誰もが大きくため息を吐きながら三人を見つめる、

 

「――ほう、そうかそうか。痴話喧嘩をする程度の余力はお前らには十分あったということだな」

 

 もちろんそのしょうもない経緯を知ったメルドはキレた。

 

 最高にいい笑顔をしながら両の指の骨を鳴らし、“威圧”を容赦なく三人に叩き込んでくる。それを見たハジメ達は確信した。これ絶対にヤバい奴だ、と。

 

「あ、あの、メルドさん……こ、これはその、みんなの家事や労働の負担を軽減するために……」

 

「ぼ、ボク達はハジメくんが余計な仕事を抱え込まないで済むように説得してただけで……」

 

「そ、そうです! 決して嫉妬してたとかそういう訳じゃ――」

 

 三人揃って脂汗をかきながら必死に言い訳をするものの、そのどれもが届いてないことは目の前の偉丈夫の顔面にとてもよく現れていた。無数の青筋が浮き出ているのだ。だがそれでもどうにか助かろうと言い訳を続けていると、メルドが()()の笑顔を浮かべながら言葉をかけてきた。

 

「ああ、みなまで言わんでいい――少し手合わせを願おうか。対人戦の訓練にもなるし、寝つきも良くなるぞ。返事は?」

 

「「「……はい、お願いします」」」

 

 そして三人はメルドと対峙する羽目に遭ってしまう。城での訓練をしていた時ぶりに行われた一対三、一対一の戦いはいずれもメルドの勝利に終わった。ここオルクス大迷宮を切り抜け、更に戦士として仕上がったメルド相手では非戦闘職と術師である三人ではどうにもならなかったのである。ちなみに最初にやったのは三人まとめての相手であった。

 

 なおその後、女に飢えた浩介、礼一、信治、良樹ら四人の必死過ぎる嘆願によってこのメイドゴーレムは運用することとなった。

 

 どうやったら起動するかもわからなかったものの、メイドゴーレムの周囲にあった装置を調べたことで解決した。装置に刻んであった魔法陣の一つに魔力を流すことで魔力が注がれる仕組みとなっており、十分な量を注いだことで起動し、今ではこのメイドゴーレムのおかげで全員の家事の負担が減ったのである。

 

「……ハジメくんが悪いもん」

 

「……ハジメくんの馬鹿」

 

「……浮気じゃないし。ないがしろになんてしてないのに」

 

 ……だが問題は完全に解決したという訳ではなかった。

 

 

 

 

 

「――えーと、ここをこうして……よし。じゃあ優花さん、動かしてみて」

 

 ハジメ達がメイドゴーレムを見つけたあの日から二日後。一メートル大の大きな箱をいじり終えたハジメは優花にそれを起動するよう促す。

 

「わかったわ――うん。動かすのが少しラクになったわね。ありがとう、ハジメ」

 

 そして優花も少し緊張しながらもそれに施された魔法陣に魔力を注ぎ込んでいく。すると箱から何かが回る音が聞こえ出し、それは次第にうなり声を上げるかのように大きくなった。若干とはいえ以前よりも効率よく動くようになったことに驚きつつも、優花はハジメに礼を述べる。

 

「気にしないで。バイクのタイヤを動かす試験とか実際に走らせたおかげでどうすれば効率よく動かせるかわかったしね。そういえば注水機能とか水を抜く方は大丈夫?」

 

「そこは特に問題ないわ。アンタとナナがしっかりやってくれたおかげでね。ドラムの回転だってちょっとした不満程度だったのを改善してくれたんだし、これ以上文句なんて言えないわ……まぁそもそも洗濯機が出来るなんて思わなかったけれど」

 

 ハジメが整備していたのは洗濯機……のようなモノである。これは元々バイクのタイヤを回転させる機構について色々と試行錯誤していた際、ふと女子~ズが洗濯の手間を嘆いていたことを思い出し、そこで試作品を流用して女子~ズと一緒に作った代物であった。

 

 十数回に渡る試験の末に完成した洗濯機モドキは流石に地球のソレとそん色ない出来栄えとまではいかなかったものの、『もう洗濯板でゴシゴシしなくて済む!』と感激した女子~ズから感謝されたのは記憶に新しい。ちなみに洗剤は削って粉微塵にした石鹸をお湯で溶いたものである。こちらの方は女子の方で色々と試行錯誤しているらしい。

 

「そっか。それならいいんだけど、その……」

 

「何よ、煮え切らないわね。ほら、言ってみなさい……どうせエリとスズのことなんでしょ?」

 

 そして自分が悩んでいたことを見透かされ、ハジメは顔を赤くしながら軽く縮こまってしまう。

 

 ……実は今回、優花に洗濯機モドキの改造に立ち会ってもらったのはちょっとした下心があったからだ。それも彼女の言う通り、恵里と鈴のことについてである。

 

 奈々と妙子よりはハッキリと意見を言ってくれそうだし、アレーティアに関しては今の彼女の気性的にちょっと相談し辛いかった。香織は現在龍太郎と一緒に一対一の訓練――先日メルドがハジメ達に稽古をつけたのを見て、自分達も神の使徒相手に戦えるようになりたいと発奮したのが原因である――をしているため無理である。それと何を言われるかわからなくて怖かったのだ。

 

「とっとと謝んなさいよ……それで粗方済む話でしょ? アンタが“フリージア”に現を抜かす、って思ったからあんなにムキになったんだし」

 

 ……とはいえ、付き合いが長いこともあって優花も中々に容赦のない言葉を投げかけてきたため、ハジメは胸の辺りを抑えて軽くうずくまってしまう。先日見つけたメイドゴーレムこと“フリージア”のせいで実はまだ恵里と鈴と仲直りはしていない。そこで優花に頼ったのだが、彼女も彼女で結構忌憚のない意見をぶつけてきた。

 

「で、でも……フリージアの整備とか、研究とかは僕じゃなきゃ出来ないし……」

 

「それも行き詰ってる、ってシズから聞いたわよ。分解とか出来ないことを嘆いて頭かきむしってた、って言ってたけど?」

 

 それでもどうにか反論しようと試みるも、叩き込まれたカウンターのせいでハジメは四つん這いになってへこんでしまう。実は、フリージアの研究は既に暗礁に乗り上げていたのである。それも鈴が恵里と一緒にフリージアを破壊するために“聖絶・桜花”で持ち運ぼうとしたことが原因であった。

 

 恵里達にとっては一緒に爆破出来ればそれでよかったこともあってか、運び方が雑だったのだ。適当に破片となった“聖絶”に乗っけて運ぼうとしたせいで表面にかなりの損傷が残っていたのである。それもハジメが頑張って防いだにもかかわらず、だ。

 

 そこでとりあえず表面の傷だけでも、と思ってフリージアを修理した際にハジメはある違和感を感じ取っていた。魔力が、通り辛かったのである。流石にアレーティアを封じていたあの封印石よりは遥かに楽ではあったが、それでもどこか抵抗を感じていた。“鉱物鑑定”で素材を調べた感じでは様々な金属の合金でしかないはずなのに、それでも金属を自在に変形させられる“錬成”が効き辛かったのだ。

 

 関節ごとにパーツ化されてはいるものの、やはりネジや整備用のパネルなどの継ぎ目といったものも見当たらない。そのため、下手にいじったら二度と動かなくなるのではないかと危惧したため、ハジメは表面の修理だけにとどめたのである。研究が進んでいない、というのはそういうことであった。

 

 なお、これを優花が知ったのは偶然でなく、女子~ズの方でハジメの具合を知るべく工房に雫が送られたのが真相であったりする。とはいえ馬鹿正直に答える気は優花には無かった。

 

「僕だって二人に謝りたいよ……でも、でもさ、趣味の一つぐらい認めてくれたっていいじゃん……」

 

「その趣味に入れ込み過ぎる、ってのがわかってたから二人があんなに反発したんでしょ? 他の趣味は一緒に楽しんでるんだし、メイド嫌いになったのはアンタの自業自得でしょうが。頑張った二人をけちょんけちょんに貶したアンタが全面的に悪い」

 

「あうぅ……」

 

 か細い声で自分の意見を申すものの、またしても優花の辛辣な言葉にハジメは遂に泣き出してしまった。

 

「わかってるよ、僕のせいでこうなったって。二人がムキになったんだってことぐらい。でも、でも……怖いんだ。恵里も鈴も本気で好きなのに、二人に嫌われて……大っ嫌い、って。浮気者、って。どうやって謝ればいいの? どうすれば元の関係に戻れるかわかんないよ……うぅ、恵里、鈴……」

 

 そして鼻をグスグスと鳴らしながら泣き言も漏らしていく。そんな様子に優花も深くため息を吐くしかなかった。一度決めたら頼まれなくっても勝手に動く頼りがいのある少年が、今は恋人の放った言葉一つでここまでうろたえている。らしいといえばらしいのだが、いくらなんでも面倒くさい。そんなことを思いつつも目の前のコイツに何て言ってやろうかと考えた矢先、優花はいきなり繋がった“念話”に思わず顔をしかめた。

 

“ゆ、優花っち助けて! 急いでこっち来てよー!!”

 

 しかも相手は奈々だ。唐突に“念話”を繋げてきた親友の焦った様子にため息を吐きたくなるのをこらえつつも、冷静に対処しようと優花は声をかける。

 

“どうしたのよナナ。何があったかちゃんと説明して”

 

“妙子っちと一緒に休憩してた時に恵里っちと鈴っちが来て、相談に乗ってたんだけど、いきなり泣き出しちゃってどうしようって思って!”

 

“……まさかエリとスズがハジメに嫌われたくない、って叫んでるの?”

 

“そのまさかだよー!!”

 

 目の前の少年のことからしてもしやと思い、適当にカマをかけてみたところドンピシャであった。

 

“ハジメ君とどうやったら仲直り出来るか尋ねてきて、それで話聞いてたらいきなり二人とも泣いちゃったの!! ハジメ君の好きなものを否定して『大っ嫌い』とか『浮気者』って言ったから絶対怒ってるってすごいうろたえてて、でもフリージアにハジメ君がとられるのはやだー!! って言ってるからどうすればいいのかわかんなくったのー!”

 

 あっちもこっちも似たような状況で同じようなことを言っていたことに優花は思わずげんなりしてしまう。ここ最近の三人は顔を突き合わせる度に反発し合ったり、あんまり一緒に行動をとらないようになっていた。そのせいで訓練の際の動きもどこかぎこちなくなり、メルドがため息を吐くのもここ最近では当たり前のようになっていた。

 

 だがそれも結局、どいつもこいつも同じ悩みを抱えてるときたものだから嘆息するしかない。嫌われたくない。けれどもどう謝ればいいのかわからない上に変に意地を張っている。心底面倒臭くなった優花は頭を軽くかきむしりながら奈々にあることを伝える。

 

“あーもう面倒臭いったらありゃしない……ナナ、今すぐここにいる馬鹿を送るからとっととエリとスズが逃げないようにしといて”

 

“え、馬鹿って……ハジメ君、そっちにいたの!? あー……わかった。私達の方で恵里っちと鈴っち抑えておくから、早く連れてきてあげて!”

 

“大丈夫よ。どうせ何度か尻蹴っ飛ばせば勝手に動くわ”

 

“えぇ……あんまり厳しくしないであげてね?”

 

“軽くお灸据えるぐらいでちょうどいいわよこの馬鹿は”

 

 そうして何度かやり取りをした後、“念話”が切れたことを確認した優花はかがんで未だ泣いて迷っているハジメに声をかける。

 

「恵里と鈴もアンタと同じことで悩んでたわよ……ったく、とっとと行ってきなさい。んで仲直りよ仲直り」

 

「……ぇ? で、でも、なんて言えば……二人とも、絶対怒ってるし……」

 

 軽く苛立っているのを隠さずにそう言うも、当のハジメはオロオロとうろたえるばかり。どうしてこう普段は歯の浮くようなことをしれっと言う癖にここぞという時に迷うのか。更にイラついた優花はハジメの両肩を掴み、真っ向から言葉を叩きつける。

 

「今更小学生みたいなこと言ってんじゃないわよ。それとも、アンタはこのままでいいっていうの?」

 

「そ、そうだけど……でも、でも……」

 

「――あーもう面倒臭い!!」

 

 遂にキレた優花はハジメの腕を掴むとそのまま引きずり出し、今度はこちら側から奈々に“念話”でコンタクトをとる。

 

「ゆ、優花さん!? ぼ、僕は一人で歩けるから――」

 

「うるさいドヘタレ。アンタが尻込みばっかしてるからこうしてやってるんでしょうが――ナナ、二人は逃げてない?」

 

「ど、ドヘタレ……」

 

“優花っち!? あー、こっちもヤバいよー!! 二人とも勘づいて逃げ出そうとしてるー!!”

 

 ドヘタレ扱いされてしょんぼりしているハジメを横に恵里達の様子を聞けば、やはりと言わざるを得ない状況になっていた。余計に頭痛に襲われながらも、優花は努めて冷静であろうとして指示を出していく。

 

“本当にもうエリもスズもハジメの奴も……! こうなったら片っ端から使えそうな奴かき集めて! こっちはこっちで絶対に引きずり出すから!!”

 

“う、うん! 今光輝っちとか龍太郎っちにも皆で声かけてるから!――あ、浩介っちが今香織っちも一緒に連れて戻って来た!!”

 

 きっとあちらは相当ドタバタしているのだろう。そう思いつつ優花はノールックでナイフを後ろに投げ飛ばし、逃げ出そうとしていたハジメの服の裾を地面に縫い付けた。

 

「いぃっ!? ど、どうして……」

 

「どうせ逃げ出そうとしてたんでしょ? どんだけ長く付き合ってると思ってるのよ――こうなったら絶対にアンタを連れてくから。ユキ、そこにいるんでしょ! この弱虫連れてくの手伝って!!」

 

「うぉっ!?……優花か。んで弱虫って……あー、ハイハイ。わかったわかった」

 

 そして偶然そこに幸利の気配を感じた優花は声をかけると、すぐに応援を頼み込んだ。幸利もすぐに事情を呑み込み、優花が“縛石”を発動するのと合わせて“纏光”を重ね掛けする。

 

「ゆ、幸利君!? 幸利君まで裏切るの!?」

 

「うるせぇ。こっちだってお前らに振り回されてんだよ……とっとと仲直りしていつもの感じに戻ってくれ」

 

 涙目になっている少年にやや辛辣な、軽い照れ隠しの入った言葉をかけつつ、付与魔法のせいで“錬成”でこじ開け辛くなった岩の鎖が巻き付いたハジメを二人して引きずっていく。そうしてハジメ達はロクに心の準備も出来ないまま、会談の席を設けられていくのであった……。




続きは日曜の10時に投下するつもりです。


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幕間二十四 雨降って地固まる(後編)

それでは読者の皆様への多大な感謝を。
おかげさまでUAも120422、感想数も381件(2022/7/17 6:03現在)となりました。誠にありがとうございます。こうしてかなり多くの読者の方々に読まれていると思うと、どうしても顔がほころんでしまいます。ありがたい限りです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠に感謝いたします。また筆を執る力が湧いてきました。

では拙作のハジメ達がケンカした後の話となります。また今回の話も割と長い(約13000字)ので、それに注意して本編をどうぞ。


「じゃあ私達は外にいるからね――絶対に逃がさないから」

 

 ハジメは優花に連れられて、恵里と鈴はそれ以外の面々に取り押さえられたことで解放者の住処の居間で面することとなった。

 

 しかも扉の隙間からそう伝えてくる香織のプレッシャーはかなりのものであり、とてつもない気迫を三人は感じていた。しかもそこから漏れるのは香織だけでなく他の面々もである。

 

 完全に逃げ場を絶たれたことにハジメ達はうなだれながらも、仕方なくお互いに向き合う……ミノムシのように体中に鎖を巻きつけられているため、絵面はかなりシュールであったが。

 

「えっと、その……二人とも、僕に話があるんでしょ?」

 

「……何? ハジメくんが話を聞きたいからこうして来たんでしょ?」

 

「そうだよ。ハジメくんが頭を下げたい、っていうなら許してあげてもいいけど」

 

 お互いどうにかして和解の糸口をつかみたいのに、結局三人とも意地を張りあってしまう。悪いというのはわかっているのに、一度張ってしまったものを簡単には撤回出来ず、そのことにハジメ達は自己嫌悪に陥ってしまう。

 

「クソ面倒くせぇ……謝っちまえば済む話だろうがよ。こんな時まで意地なんて張りやがって」

 

「本当そうよね。大体、好き合ってる同士なんだし、お互いに好きだなんだ言えばもうそれで終わりでしょ? 普段から言い合ってるのにどうしてこういう時に躊躇なんてするのよ」

 

「うんうん。幸利、っちと優花っちの言う通りだよ。ちゃんと本音で言い合えばわかりあえるのにね」

 

 思いっきり顔をしかめながらボヤく幸利に優花は同意し、奈々もそれに乗っかりながら好き勝手に言う。そんな幸利達にギャラリーも好き好きに言い合っていた。

 

「幸利や優花さん達の言いたいことはわかる。でも、意地って一度張るとそれを撤回するのって結構勇気がいるからな……そう思うだろ、龍太郎?」

 

「あー、確かにな。小一の時でも喧嘩して、お互い反省してたのがわかっててもお前に謝るのは結構怖かったしよ。今のアイツら、お互いにまだ意固地になってるから余計に怖いんじゃねぇのか?」

 

 幼少のやらかしを思い出して気まずい感じになった光輝と龍太郎は、お互い探り合っている様子のハジメ達の方に同情しながら意見を述べる。

 

「あーうん、わかる。自分が悪いって思ってると、善意で差し伸べてくれた手もおっかなくて思えたからなー」

 

「なっつかしーなオイ。俺も大介も先生に誘ってもらった時はそんなんだったっけ」

 

「あーもうもどかしいなホント……ハジメの奴も、俺らがこー見えてたんだろうな」

 

「今となっちゃハジメ様々だけどよ、あの時は何か裏があるんじゃねーか、って思ってたしなー。あーもうなんかねーか。こう、パパっと解決できる方法とかよ」

 

 そしてそれに大介達が同意する。過去の自分達のやらかしを思い出して少し恥ずかしくなったのだが、それ以上に目の前の探り合いが見てられなくなっていたのである。

 

「やめておけお前達……こういうのは当人同士で解決しないと駄目な問題だ。下手に外野が突っ込んだらかえってこじれるぞ」

 

 そしてメルドも頭を手で押さえながらもハジメ達を眺めていた全員に忠告する。部隊を率いる者としてこういう問題に何度も直面したことがある。だからこそいち年長者として手出しをしないよう伝えたのだ。

 

「いや、まぁそうですけど……ん? おい香織、お前何ふくれっ面してんだよ」

 

「あぁもうこの子は……香織、何か言いたいのはわかるけれどダメよ。貴女は当事者じゃないでしょ」

 

「そうだけど……でも、でもこれじゃあどうにもなんないよ。きっとここを出る時もずーっとあんなままだよ。皆はそれでいいの?」

 

 もどかしさを感じつつも結局様子見するしかないと諦めていた浩介であったが、先程から不満気な雰囲気を放つ香織の方を見れば一層顔を膨らませてハジメ達の方を見やっていた。

 

 絶対に何かやらかすと確信した雫は頭痛を堪えながら諌めるものの、当の香織は逆に疑問をぶつけてくる始末。しかもそれに答えられないものを突き付けて来たせいで押し黙るしかなく。すると先程から何か思案していたアレーティアも大介の袖の一部を引っ張り、彼の意識を持ってこさせた。

 

「どうしたアレーティア? 何か、言いたいことでもあるのか?」

 

「……ん。耳、貸して」

 

 そして軽くかがんで彼女の方を向くと、すぐにアレーティアは大介に耳打ちをし始める。適度に相槌を打ちつつ、思わずため息を漏らす彼を見て何か感づいた香織はすぐに大介へと声をかける。

 

「アレーティアさんも、私と同じなんだよね?」

 

「さっすが珍獣だわ。こういうのホントよく気づくな」

 

 核心を突く言葉に大介も冗談めかしながらそれに同意した。そう。アレーティアも今の状況を続けてはいけないと思っていたのだ――過去に自分が彼らにやってしまったことを覚えていたからである。つまらない意地を張って、余計な恨みつらみを持ち込んで彼らの心を傷つけた。だからこそ今の状況を続けさせてはならないと必死に大介に訴えていたのである。

 

「珍獣じゃないもん……じゃあアレーティアさんもどうにかしたいって思ってるんだよね、檜山君」

 

「ああ、そうだ……コイツも、どうにかしたいって思ってるみたいだしな」

 

 大介の冗談にブー垂れながらも、香織は彼の後ろにまた隠れたアレーティアに大介越しに意を伝え、大介もアレーティアの頭を軽くなでながらそれに同意する。それをメルドや他の面々も軽く呆れた様子で見つめつつも決して反対をする雰囲気ではなく。とりあえず香織が何かやらかそうとしたらその前に止めるか、と全員が思っていた。

 

「でもどうするの~? まだ三人とも、じっと見つめ合ってるみたいだけどぉ~?」

 

 が、現状はただじっと三人が見つめ合っているだけ。このままにっちもさっちもいかないかと思った時、遂に状況が動いた。

 

「……ごめん無理っ! あは、あはははっ!!」

 

「ぷっ、くく……あははははっ!! ひーダメダメ! やっぱりおかしいや!」

 

「~~~~~~っ! アッハハハ! ダメ、流石にダメ! こんなの我慢できないよ!!」

 

 笑ったのだ。ハジメが吹き出すと同時に恵里と鈴もつられて笑った。何かを我慢していたのを堪えきれなくなったのである。一体何が、と思って覗いていた光輝達であったが、次に出たハジメ達の言葉でそれに遂に気づく。

 

「ごめ、ごめんね二人とも……ぼ、ぼく、僕も含めて、皆で鎖でグルグル巻きにされてる、って思うとなんだかおかしくって……」

 

「ハジメくんもなんだ……あははっ! ダメ、ハジメくんも鈴も、ボクだって雁字搦めなんだもん!! 三人ともだよ三人とも! それで不愉快そうな顔してるとか、コントか何かだよ!」

 

「ホントだよぉー! 流石にこんな状態で意地張ってたら逆に笑えてきちゃって……あーダメダメ! 笑わないようにしてるの辛かったよ!!」

 

 ここでようやく光輝達もハジメ達が捕縛魔法で雁字搦めになっていたことを思い出し、全員軽く吹き出す。自分達でやっておいて中々に薄情な奴らであった。

 

「あはは……もう、ごめんね二人とも。変に意地張っちゃって」

 

「ハハハ……うん。ボクもごめんね。大嫌い、なんて言っちゃって」

 

「あーもうおかしい! ホントおかしいったら!……もう、意地張ってるのも馬鹿馬鹿しくなっちゃった。仲直り、しようよ」

 

 するとすかさず鈴が“光絶・桜花”を発動し、器用に自分達を縛る鎖を破壊していく。それを見ていた光輝達もこれなら大丈夫だと確信し、再度捕縛魔法をかけ直すことはしなかった。

 

「ごめんね。恵里、鈴。二人をないがしろにしてまでフリージアの研究や整備なんてやるつもりは無かったけど、不安にさせちゃってごめん」

 

 申し訳なさそうな顔をしながらハジメは恵里達の許まで行くと、そっと二人を抱きしめた。今回のことで改めて思ったのだ。自分にはやはり二人がいないと駄目なんだ、と。二人がいるからここまでやってこれたんだ、と確信したのである。

 

「そうだよ、もう……いなく、ならないでよ。ボクを、置いてかないでよ」

 

「うん、ごめんね」

 

 恵里は拗ねながらもハジメの胸に体を預け、ふとそんなことをこぼした。ようやく出会えた愛する人が消えてしまうかと思うとずっと気が気でなかったが故に甘え、悪態を吐く。すると彼もそれにうなずきながらも自分の頭を撫でてくれる。やはり『南雲ハジメ』という少年はただの依存先でなく、自分の寄る辺そのものなのだということを恵里は再確認していた。

 

「うん……ねぇハジメくん。鈴達のこと、嫌いになんてなってないよね?」

 

「なる訳がないよ。心配、かけちゃったね」

 

 鈴も彼の腕に抱かれながらも少し心細そうにつぶやくが、ハジメは鈴の背中に回した腕に少し強く力を込めて抱きしめ返しながら言葉を返していく。それだけで胸の中の不安が消え失せ、目を細めながら鈴は彼の腰に手を回していく。

 

「ねえ、二人とも。恵里も、鈴も、僕のことを好きでいてくれる?」

 

「うん。ずーっと、大好きだよ。ハジメくん」

 

「いつまでも、愛してるよ。ハジメくん」

 

 ようやく元の調子に戻った三人を見て誰もが安堵し、恋人のいる面々は互いに意地を張ることはやめようと思い至る。

 

(……なんかいいな、こういうの。俺も、好きな人が出来たら、こうなるのかな……)

 

(なんで、どうしてユキの顔が浮かぶのよ!……アイツに甘えるなんて、そんな、バカなことある訳ないでしょ!! ナナやタエと話したりとか、そういうのでしょ!!)

 

 そんな時、ふと自分も誰かを好きになったらこういう風に甘ったるいことをするんだろうかと幸利は考え、優花も『疲れたし、どうせだから誰かに甘えてみたい』と思った時に何故か浮かんだ少年の横顔を必死に否定していた。

 

(今、なら……幸利……幸利っちに甘えても、大丈夫かな?――あれ? でも、なんで? どうして幸利っちに甘えたいなんて……)

 

 そして奈々もふとそんなことを思う。ふと近くにいる少年(幸利)が気になってしまう。けれどそれが何から来るかもわからず、ただ自分の感情に振り回されるだけであった。

 

「良かった……良かった。けど、すごい辛い……頼むハジメ、早くフリージアにハグする機能つけてくれ……!!」

 

 一方、浩介は三人が元の関係に戻れたことを祝福しながらも、非モテである自分の境遇を恨み、しょうもない願いをハジメに託していた。

 

 

 

 

 

 解放者の住処で過ごすことになった二十日が経過したある日。バイクの三度目の走行試験を終え、それを元手にハマーに近いデザインの車を設計していた頃のこと。それと並行してハジメが作っていたある『モノ』が遂に完成を迎えることとなった。

 

「……なあ先生、本当にコレで大丈夫なのかよ?」

 

「大丈夫だよ良樹君……一番頑張ってくれてた君にそう言われると、僕としても心配になっちゃうよ」

 

 居間でそれをお披露目した際、ふと心配そうにつぶやいた良樹にハジメも少し口をとがらせながら返せば、彼も悪い悪い、と反省した様子で頭をかいていた。

 

「ハジメ、お前のやったことを否定したい訳じゃないが……その、コレで恵里が操られずに済むのか? その、どう考えてもただの“耳栓”だぞ?」

 

「はい。これが必要なんです」

 

 いぶかしげに問いかけるメルドにハジメも強くうなずいで返す――そう。ハジメが作ってこうして皆にお披露目したのは恵里用の耳栓だったのである。それも神の使徒対策の目的に作られたものだ。

 

「恵里が操られた時のことを色々と考えて、それでたどり着いたのがコレだったんです――メルドさん、覚えてますか? 恵里と、他の人が操られた時のことを」

 

「ああ。あれは確かにショックが大きかったからな。流石に覚えて……そうか。そういうことか」

 

 ハジメからの問いかけを聞き、思い出したメルドは何故ハジメがこれを作ったのかをようやく理解した。それは製作に関わった面々やこの場にいた光輝達だけでなく、単に話を聞いていただけのアレーティアもまた理解していた。

 

「はい――あの時、冒険者の方達はあの女の方を向いてました。それと恵里も最初にあの女に操られそうになった時、視線が合ってたって言ってたよね?」

 

「うん。アイツの目が光った瞬間に頭がボーっとして、考えるのがおっくうになったからね。とはいえ壁に手を叩きつけた時の痛みと、魔力を使って壁を作って弾き返すイメージを浮かべたらどうにかなったけれどね」

 

 二人が述べた通り、神の使徒ことノイントはあの時()を介して対象を操ろうとしていた様子であった。しかしエヒトと相対した時と、ベヒモスがいたあの階層でノイントがやってきたことは違ったのだ。

 

「これでとりあえずあの銀髪の女は目を合わせることで相手を洗脳する能力があると判断しました。けれどベヒモスがいた階層であの女がやってきたことは違いました。何か命令をした途端にいきなり恵里の体が勝手に動いたみたいなんです。しかもそれは恵里が黒幕の前でやられたのと奇しくも一致しています」

 

「そうか。だから耳栓なのか!」

 

「うん。光輝君の言う通り。多分あれは()を引き金に操ったんだと思う。けれどもしあの女が命令するだけで皆を操れるのならどうしてそれを使わなかったのか、ってことも疑問に浮かぶよね? それで以前僕が恵里の魂もいじられている可能性について言及したのを思い出したんだ。きっとそのせいだ、って」

 

 多分バックドアの類が仕掛けられてるせいで、恵里があの女の声に反応するようになったんだと思う。そう付け加えればどよめきが走り、どうして耳栓を作ったのかと誰もが理解を深めた。

 

 事実、ハジメの指摘はほとんど当たっていた。エヒトが使った“神言”及び、ノイントが下した命令が恵里の肉体を支配したのも全て『声』から由来するものであったからだ。

 

 エヒトは恵里の魂に仕掛けられた細工を介して抵抗させることなく操った。そしてノイントの場合はエヒトが恵里の頭に『神の使徒の声を自身の“神言”として認識し、従わせる』ように改造を施していたのである。その結果、恵里はノイントの言葉によっていいようにされてしまったのである。

 

 流石に詳細まではわからなかったものの、ハジメはそのからくりを見抜いた。故に彼はそれを打破するための一手となるのが音の遮断、つまり耳栓を着用することだと考えたのである。

 

「結構苦労したよ……恵里の耳の大きさに合わせるのもそうだけど、タール鮫の革をゴム代わりに使って塞いだだけじゃ微妙だったからね。良樹君に手伝ってもらって間を真空にした二重構造にしたおかげでようやく実戦でも使えそうになったし」

 

 そう振り返るハジメと付き合わされた恵里に良樹、そして手伝いをした鈴の顔からはかなりの苦労がにじみ出ていた。部品作りやサイズの調整、それを幾度も繰り返した果てに何度も没になったからである。

 

 しかも兵器や車、薬を作るのを優先していたため、コレに割ける時間も余力もあまりなかったのだ。爪に火を点す思いでコツコツと時間を費やし、ようやくこの耳栓が完成したのだ。だが完成したからこそ、それまでの苦労も笑い話の一つとなった。故に彼らの顔に満ちているのは苦渋でなく満足感であった。

 

「……じゃあ恵里、つけてくれるかな?」

 

「うん、ちょっと待ってて」

 

 そしてハジメから受け取った耳栓を両耳に入れてみれば、最後の試験の時よりも周囲の音が拾い辛くなっており、ほとんど聞き取れなくなっていた。それこそ耳元で鈴やメルドが大声を上げたらなんとか気づくといったぐらいで、これなら十分使えるだろうと恵里もハジメ達も心の中でガッツポーズを決めていた。

 

「……すごい。これなら、これならもう操られなくって済むよ絶対に! ありがとうハジメくん!! 鈴! 斎藤君!」

 

 少しの間入れていた耳栓を外し、そう熱弁する恵里の様子に誰もが笑みをこぼす。これならきっと恵里が敵に回ることは無くなっただろう、と。

 

「これで恵里が操られる可能性はかなり減ったな……問題は耳栓をしながらで戦闘が出来るか、か。音が拾えないってだけで相当支障は出るだろうし……」

 

「そこは僕と鈴でどうにかするよ。“念話”っていう便利な技能がちょうどあるしね」

 

 光輝も慎重な見方をしながらも安心していた様子ではあったが、耳栓による弊害について心配していた。その懸念についてはハジメがそう返すと同時に恵里にだけ“念話”を飛ばす。

 

“ごめんね、恵里。君に最初に贈ったものがこんなのなんかでさ”

 

“うん……嬉しくない訳じゃないよ? ボクのためにこうして試行錯誤して作ってくれたものが嬉しくないはずがないよ。でも、でもさ……やっぱりボクだって女の子だよ? こういうのよりも先に、指輪が欲しかったな”

 

 申し訳なさそうに語るハジメに、恵里も仕方ないとわかっていながらもついねだってしまう。作って贈ってくれるものの順序ぐらい、選んでほしかった、と。するとハジメは真剣な声色で恵里にこう返す。

 

“ごめん。結婚指輪はまだにしてほしい――全部が終わるまで、待ってほしいんだ。だってさ……僕が贈ったものが少しでも傷ついたらと思うと、恵里が悲しむだろうから。それを見たら苦しくて耐えられないから”

 

 その言葉に恵里は頬をほんのりと染めてハジメの方を見つめる。そこまで大切に思ってくれていたのか、と胸の内が温かくなり、瞳を潤ませた。

 

“もしかすると身に着けやすさとかで指輪型のアーティファクトも作るかもしれない。けれどそれは本命じゃないから。実用性のある()()じゃなくってさ、ずっと一生心に残る奇麗な()()()を恵里に、それと鈴にも贈りたい。だから、それまで待っててほしい”

 

「……うん、待ってる」

 

 感激のあまり恵里の口から言葉が漏れたことで皆のじっとりとした視線が向けられてしまい、ハジメも恵里も軽く赤面してしまう。

 

「……二人だけズルい。鈴は? 鈴にも何か言ってよハジメくん」

 

「えっと、その……わかった――鈴、全部終わったら結婚しよう。その時指輪も贈るから」

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!」

 

 二人の雰囲気の変化にいち早く気付いていた鈴は空気を読んで黙っていたものの、おそらく一区切りついたんだろうと予想しておねだりする。なおすぐさま覚悟を決めたハジメからとんでもない言葉をもらい、多幸感でいろんなものがぶっ飛んでしまった。

 

「いやー流石先生だわー。歯の浮いたセリフ平気で吐けるとかパねぇわー」

 

「よっ世界一のスケコマシ! ハーレムの味はどうよー?」

 

「エロいこともやっといて二人とも本気とか流石地球のハーレム王! ハジメ様だよなぁ!!」

 

「そ、そうだよ!! エロいことだってしたし、二人とも結婚するから!! 僕をなめんなぁ!!」

 

 無論礼一達は即座にからかいに来た。口々に好き勝手言って茶化されたハジメは茹った頭でとんでもないことを言い出してしまう。もちろん煽りがヒートアップした。

 

「あ、アレーティア……その、ひ、人前ではちょっと……な?」

 

「……後で言ってくれるの?」

 

「いやそういう訳じゃ!?……あああ泣くな泣くなよぉ! おいハジメぇ! 恨むぞチクショウ!!」

 

 服の裾を引っ張って物欲しそうに見つめるアレーティアに大介はタジタジになってしまい、ヘタレてしまったことでアレーティアの顔が悲しみで満たされていく。やっぱり自分じゃ駄目なんだと思い込んでしまった彼女の両肩を掴みながらも大介はなだめ、そしてこんな事態を引き起こしたハジメに怒りと恨みのこもった眼差しを向ける。

 

「……ねぇ龍太郎くん。結婚指輪は龍太郎くんが作ったものがいいな。それと式はやっぱり教会で挙げたいんだけど」

 

「おい香織いきなり話を飛躍させんな……その、不格好でいいならよ、頑張って作ってみるから。それと結婚は地球に戻ってからな」

 

「――大好き! 大好きだよ龍太郎くんっ!」

 

 香織のキラキラとした眼差しに屈し、龍太郎も約束してしまう。満面の笑みで抱き着いてくる香織を優しく受け止めつつも、『コイツにゃ絶対敵わねぇや』と多分の幸せが伴った諦めに満たされていた。

 

「……えっと、その、雫」

 

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 

「お、俺が責任をとれるようになってから……ちゃんと仕事が出来るようになってから、責任、とるから。悪いけれどそれまで待っててくれないか?」

 

「…………うん。待ってる。ずっと、待ってるから」

 

 ハジメ達や龍太郎達の空気にあてられて見つめ合っていた光輝と雫であったが、責任をとるには順序があると考えて先延ばしを選んだ。だが雫もそんな光輝を責めることはせず、微笑みながら彼を見つめるだけ。さわやかで、甘い空気がその場に漂っていた。

 

「あぁもうアンタら……! ハジメ、エリ、スズ! アンタ達のせいでなんか変な空気になったじゃないの!! どーすんのよ!!」

 

 そしてこの甘い空気に耐えられず、どうしてか苛立ってしまった優花がハジメ達に当たり散らし出した。

 

「えぇっ!? 理不尽すぎない!?」

 

「は?……優花、頼むからボクとハジメくん、それと鈴の間の空気ブチ壊しにこないでくれない? 怒るよ?」

 

「い、いいじゃん優花! せっかくなんだからもう少しこの雰囲気に浸らせてよぉ!」

 

「おい優花、お前今のは流石に理不尽だろ! ちょっと落ち着けって!」

 

「あぁもう黙ってなさいよぉ! 特にユキ!! アンタ見てると余計にムカムカすんのよ!!」

 

「ひどいよ優花っち! 幸利っち何も悪くないよ!?」

 

 ショックを受けるハジメと奈々に一瞬で目がすわった恵里、ぷんすか怒る鈴。そして止めにかかった幸利にひどく苛立ちを感じ、知らない感情に振り回される優花を全員でなだめる始末。なお最終的にはメルドのげんこつで強制的に黙らせられてしまう――ようやく彼らの日々にほんの少しだけ穏やかさが戻ったのであった。

 

 

 

 

 

「オラオラ行けや礼一ぃー!!」

 

 ハジメ達が解放者の住処で暮らすことになって一ヶ月が経過した頃。彼らは今、オルクス大迷宮の中にあるだだっ広い荒野のような階層の中で、魔力で動く仕組みの車両の試験を行っていた。

 

「邪魔なの全部はね飛ばしちまおうぜ!! あ、でも修理はお前担当な」

 

「ふざけんな信治クソが!! 煽ったんならちったぁ手伝え!!」

 

 礼一が運転するのはウニモグを模した形の車であり、備え付けられた巨大なタイヤで悪路をものともせずに進んでいく。そしてウニモグ似の車と並走するのはハマーのような車であった。

 

“礼一君、信治君、良樹君。一応多少の高低差でも大丈夫なようには作ってあるし、サスペンションもついてるけれどあんまり無茶させないでね。壊れたら直すのも手間なんだから”

 

“わかったわかった。気ぃつけるから――よし、くたばれぇー!!”

 

 軽く困った様子でハジメが“念話”を飛ばして注意するも、言ったそばから礼一の乗った車は地面から勢いよく出てきた魔物をはね飛ばしていた。直径が一メートル程度、全長が二メートル足らずの巨大なミミズのような魔物は体の一部を残して千切れて宙を舞い、頭から地面に叩きつけられて動かなくなった。匂いに敏感な魔物であったが故に起きた事故に関して、とりあえず見なかったことにしてハジメは試験を続ける。

 

「あんまり雑に扱わないでほしいんだけどなぁ……まぁこの程度で壊れるようなヤワなつくりにはしてないけどさ」

 

 軽く圧縮したタウル鉱石によってこれらの車のフレームや装甲――厚みや強度を考えると板金というよりはこちらの方が近い――は作られており、魔物を一、二体はねたところで壊れはしないとハジメは自負している。

 

 とはいえこのハマー型のものは四回目、ウニモグ型のものはまだ一回目の試験走行をやっている最中なのだ。採っているデータの絶対量が足らないのだから、あまり無茶はしないでほしいというのがハジメの願いであった。

 

「本当にアイツらは……ハジメくんが造ったものはお前らのおもちゃじゃないんだからねぇ……! 後で絶対とっちめてやる」

 

「やっぱり龍太郎君達に任せた方が良かったね……壊れたら三人でとりあえず直そう。ハジメくん、恵里。あと近藤君達は二度と乗せないようにしないとね」

 

 助手席に行儀よく座る鈴がため息を吐き、運転席の真後ろでやや不機嫌な様子で座っていた恵里も礼一達の暴れっぷりに憤慨している。ハジメもそれに苦笑いしつつも『もし壊したら二度と触らせるもんか』と静かに決意していた。なんだかんだ容赦がなかった。

 

 そうして車を走らせていると、ふと目の前にミミズ型の魔物とハゲワシ型の魔物が立ちふさがった。だがハジメは焦ることなく車の特定の部位に魔力を流し込んで隠されたギミックを起動させる。

 

 ボンネットの中央が縦に割れ、そこから長方形型の機械がせり出てくる。そして長方形型の箱は、カシュン! と音を立てながら銃身を伸ばしていき、最終的にシュラーゲンに酷似したライフル銃となった。

 

「よし、車両内蔵型シュラーゲンの展開も問題なし。照準合わせ」

 

「“堕識”……はい。これで大丈夫だよ」

 

「いつでも“光絶”も展開出来るよ、ハジメくん」

 

「ありがとう二人とも。いつも助かるよ」

 

 ギミックの一つが問題なく作動したことを確認しつつ銃口を魔物に向ければ、恵里が目の前の魔物全部に“堕識”をかけてほんの数秒ながらも意識を失わせた。そして返り血対策として鈴が“光絶”を張って車につかないようにする準備が出来たと伝えると、ハジメは相変わらず手際の良い二人に感謝を述べつつも魔力を更に流し込んでいく。

 

「よし――発射!」

 

 四輪内蔵型シュラーゲンから紅いスパークが迸り、アームが角度を調整すると同時にドウゥ!! と射撃音を轟かせながら一条の閃光が魔物達を呑み込んでいく。その一撃で全ての命を刈り取った訳ではなかったが、それでも三割ほどの魔物が一瞬で絶命した。それを確認したハジメは再度アームの角度を変え、二度、三度と撃ち続ける。そして魔物がいなくなったのを確認すると、展開していたシュラーゲンをすぐに車体に収納していく。こちらの方も問題なかったようだ。

 

“……ホント息ピッタリだよな先生達は”

 

 そしてハジメの乗る車の後ろから魔力で動くバイクが近寄ってくる。“念話”を飛ばしてきたのは大介であった。

 

“ずっと昔から三人一緒だったからね。息を合わせるぐらいなら訳ないよ”

 

“っかー、お熱いねーホント。その分なら()()()も大分ヤバいんだろー?”

 

 さも当然とばかりに返すハジメを下世話な話題も絡めて茶化す大介であったが、次のハジメの言葉で思わず赤面してしまう羽目に遭った。

 

“もう、大介君……そういう大介君だってアレーティアさんと一緒でしょ? 四六時中一緒なんだからアレーティアさんの言いたいこともわかると思うし、()()()()()も求められてたりしないの?……どうなの、正直なところはさ”

 

「な、なななななぁああぁぁぁっ!?」

 

「だ、だだ大介っ!?」

 

 こうして今もタンデムシートの後ろで自分の腰に手を回しているアレーティアのことを言及されたのだ。ぼかしながらも下品な話も交えて、だ。まさかハジメからからかわれるとは思いもせず、思いっきりうろたえてしまった大介はバイクを軽く蛇行させてしまう……が、そこは男の意地。アレーティアに無様をさらしたくないと必死になってコントロールを取り戻し、運転を再開する。

 

「……だ、大丈夫? 何か南雲さんに言われたの?」

 

「ハジメの野郎……あ、あぁ! な、何でもねーぜ何でも!!」

 

 心配そうに尋ねてくるアレーティアに、大介は軽く声を上ずらせながらも平静を装おうとする。やり返されたことで恥ずかしさと怒りと悔しさで頭がいっぱいになったものの、そういう話題になったら絶対に勝てないと確信していた大介はそのままバイクの操作に意識を集中する……ヘルメットが無かったらアレーティアにバレて恥ずかしくて死んだと確信しながら。

 

「……大介。その、これが終わったら……私に、甘えてもいい。相談でも、何でも乗る。だから、私を頼って?」

 

 なおその反応から、また心配になったアレーティアが更に言葉をかけてきたせいで色々と吹っ飛んでしまった。大介は『後でアレーティアに慰めてもらおう。うん』と考えながらも、ただ黙ってバイクを動かしていた。

 

「とりあえずあっちもこっちもサスペンションの具合は問題ないみたいだね。しかもあっちはこの車だと厳しそうなところでもガンガン突き進んでいくし、結果として任せても大丈夫だったかもね」

 

 そして色々と頭がぐちゃぐちゃになった大介を横に、ハジメは少し前を走っているウニモグ型の車に視線を向ける。ハマー型では少々厳しそうな地形も車高の高さとタイヤの大きさから問題なく進めている様子であり、スピードが落ちていないことからサスペンションも問題なく働いている様子であった。

 

「でもよく酔わないよねアイツらも。それだけハジメくんが作ったあの車が優秀だ、ってことかな」

 

「一応辛くなったら地面をならしてもいいよ、って言ってるんだけどね……多分、楽しんでんじゃないかな」

 

 呆れた様子で礼一達の乗るウニモグを眺める恵里に、ハジメはそう伝える。実はこの車両とバイクの車底にも仕掛けがあり、あのガントレットと同様に“錬成”が使えるのだ。目的は一つ。揺れに悩まされることなく安定して進むために地面をならす。このためであった。

 

 ただ、今回はサスペンションのテストも含めた試験走行であったため、既に完成したバイクの“シュタイフ”に乗った大介以外は使っていない。それだけ両方の車が優秀である、ということの証左であった。

 

「そっかー……でもさ、あれだけ無理しても大丈夫だったら十分キャンピングカーに使えそうだよね」

 

 鈴の言葉にハジメも苦笑しながらもうなずく。実は、わざわざ異なる車種のものを一台ずつ造ったのもこれが理由であったのだ。

 

 当初はハマー型のものとバスさえあればいいかと考えていたハジメであったが、組み立てる最中に女子~ズから『キャンピングカーもあるといいんじゃない? というか欲しい』という意見が出てきたのだ。

 

 その理由を聞いてみれば、『きっと国から追われるだろうから、屋外でもちゃんとした寝床や炊事が出来る場所が欲しい』という真っ当なものだった。テントでも立てればいいんじゃないかと考えていたハジメだったが、流石にそれだけじゃ厳しいと思い知り、当時造っていた車の組み立てと何度か試験を終えてちゃんとしたものが造れるようになってからという条件付きでそれを承諾した。

 

 そしてハマー型の魔力駆動四輪車でトライアルを繰り返し、十分なデータを取ってから着手したのだが、その際にハジメはどういった車がいいかとインターネットで調べていた時の記憶を思い返していた。それで出たのがウニモグだった。これがキャンピングカーの母体としても使われていることに驚いたのを思い出し、こうして造り出したのである。

 

「うん。ただ、トレーラーの方を造るのはもう一度走行試験をしてみてからかな。一回試験をしただけで使える、って判断するのはまずいかもしれないし」

 

「慎重だなぁ、ハジメくんってば……」

 

「うん。そこまで慎重にならなくったって誰も怒ったりしないよ」

 

「だってあれをあと二、三台造るんだよ? 皆が使うモノを半端な出来で出したくないってば」

 

 恵里のボヤきに鈴もまた同意し、ハジメもまた苦笑しながら答える。人数の関係上それだけの台数が必要というのもあったが、これ程までの台数を造っても問題ないと思ったのはある物をハジメが手に入れていたからである。

 

 その名前は“宝物庫”。オスカーが保管していた指輪型アーティファクトで、指輪に取り付けられている一センチ程の紅い宝石の中に創られた空間に物を保管して置けるというものだ。要は、ゲームで勇者が使っている道具袋みたいなものである。

 

 空間の大きさは正確には分からないものの、相当なものだとハジメは推測している。あらゆる装備や道具、素材を片っ端から詰め込んでもまだまだ余裕がありそうだからだ。そしてこの指輪に刻まれた魔法陣に魔力を流し込むだけで物の出し入れ、それも半径一メートル以内なら任意の場所に出すことが可能なのである。故に車も何台も造ろうとハジメも考えていた。

 

「はいはい……じゃあまずはこの試験を終えないとね」

 

「私達が満足できる素敵な車、造ってよ?」

 

「うん。じゃあ、行こうか」

 

 そしてそうつぶやく恵里と鈴に、ハジメは微笑みながら車のスピードを上げていく。迫る悪路にも屈することなく駆け抜ける様はまさに彼らのようであった。




ちなみにウニモグが出てきたのはとある方が感想で言及してくださったおかげです。

キャンピングカー自体も言及してくださった方がいたおかげで是非とも出そうとパク……参考にさせてもらってたのですが、そこでウニモグのことが話題となり、実際ggってみたら作者の琴線にバチクソ触れました。やだカッコいい……。

そこでただ出すのももったいないと思ってふと「ウニモグってキャンピングカーにも使ってたりしねーかなー」と考えて再度ggった際にそれを発見したんです。なのでウニモグを使ったキャンピングカーがトータスの大地を駆け抜けるのはそう遠くない未来に訪れたり。


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幕間二十五 其は嫉妬より来たりて、深淵を這いずるもの(前編)

まずは拙作を見てくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも121529、お気に入り件数も771件、しおりも338件、感想数も387件(2022/7/22 9:55現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして皆様に継続して読んでいただけるというのは本当にありがたいものです。

それとAitoyukiさん、大菊寿老太さん、拙作の評価及び再評価をしていただきありがとうございます。また作者も筆を執る力が湧きました。

今回の話は前後編二本同時投稿なのですが……読んだ際にとあるキャラの扱いのことで気分を悪くされるかもしれません。いつにも増して人を選ぶ可能性があります。

なのでブラウザバックされても構いませんし、後編の後書きに目を通すだけでも十分ありがたいです。

また前編は短め(9000字足らず)ですので上記の点も含めて注意して見ていただければ幸いです。では本編をどうぞ。


「彼女超欲しい」

 

「わかる」

 

 心底頭の悪いやり取りが隣の席から聞こえてくる。

 

 解放者の住処で暮らすことになって五日。夕飯を終えた非モテグループの一人である浩介は、居間にいた礼一と良樹の言葉に口にこそ出さなかったものの、心の底から同意していた。

 

「右見ても左見ても彼女持ちばっかだもんな……先生に光輝、龍太郎と遂に大介の奴まで裏切ったんだぞ」

 

「ロリ介マジ許さねぇ……アレーティアの奴に命賭けられるのはカッコいいけどそれはそれとして俺らの同類であってほしかった……」

 

 ひどい嫉妬に塗れきった良樹と信治の言葉の応酬に浩介も自然とうなずき、どうして自分に彼女が出来ないのかと天井を見上げる。恋人とイチャつきたい。めっちゃ青春したい。あわよくばその先に行きたい。幼少の頃より見せつけられ続けて抱いた渇望が満たされないことに今日もまた心の中で嘆く。

 

 ……安心できる環境に身を置くことが出来たからか、恋人のいる奴らの行動は段々と積極的になってきた気がする。浩介はそう錯覚しようとしているが、それはあくまで大介とアレーティアが新たにカップルになったからより目につくようになっただけであり、元からハジメ達の行動はある()()を除いて大して変わってなどいなかった……彼らの間でしょっちゅう開催されるようになった夜のうっふんあっはんな運動会を除けば、だが。

 

(羨ましい羨ましい羨ましいぃぃいぃいぃぃい!!! 俺だって、俺だってそういうの経験してぇわ! なのにどうして、どうしてなんだよぉ……)

 

 そして今日もまた浩介が血涙を流すがそれ自体はもう誰も気に留めない。せいぜいソファーを濡らすなよー、と心の中で思うだけ。今日もモテない男のひがみと怨嗟に苛まれつつ、あの日のことが脳裏によみがえる――知りたくなかったことを知ってしまった、ここに来て三日目とその翌朝のあの出来事を。

 

 その日は生成魔法についての実験をし、それに関する話で礼一達と大いに盛り上がった。

 

 やれ回復薬が無尽蔵に作れるだの何だのとロクに興奮冷めやらぬ中、消灯時間を過ぎても話をしていたせいで見回りに来たメルドのげんこつが落ち、全員が渋々眠った後のこと。ふと尿意を催して浩介は目を覚ましてしまい、まだ寝てる皆を起こさないようこっそりトイレに行こうとしたのであった。

 

 八重樫道場のシゴきのおかげで暗いところは怖いどころかむしろ安心感を覚えるぐらいであった。浩介は解放者の住処が薄暗いことも特に気に留めず、むしろ通路に差し込んでくる人造の月の光をどこか奇麗だと思いながらも用を足しに急いで向かっていく。

 

『……奇麗だな。こんな地下で月明かりを見られるなんてな』

 

 そしてトイレも無事に済ませ、頭上から照らされる優しい光にどこかひどく感激していた浩介は、すぐに戻るのももったいないと思ってゆっくりと廊下を歩いていた。この時の行動を後でひどく後悔するとも知らずに。

 

(川のせせらぎも心地いいし、明かりに照らされる畑や地面なんかも映えるよな……今度から、少し夜更かししようかな)

 

 そんなことを思いながら歩き続けていると、ふとある方向から物音が聞こえた。寝室の方である。一体どうしたと思って近づいていけば、その音はより鮮明に聞こえてきた。

 

『――! もっと、もっと――!』

 

『うぁあぁっ!――こんなの、がまん――』

 

 声だ。それもハジメと恵里の声である。一体何事か、とやや寝ぼけた頭で寝室の方へと忍び寄り、もしや何かあったのかもしれないと聞き耳を立ててしまった。

 

『――ジメくん、もっと、もっと――よぉ!! ボクの――、め――にしてよぉ!!』

 

(……恵里、だよな? でも、その……この声、どういうことだよ?)

 

 恵里の声だ。だが一体この声はどういうことなんだろう。どこか色っぽくて、思わずドキドキして生唾を呑んでしまうような声をどうして出しているのだろう。理解したくない事態に混乱しつつも、浩介の耳にまた別の人間の声が飛び込んでくる。

 

『ほんとうに――はえ――だなぁ!! ほら、ぼくの――でぐちゃぐちゃ――』

 

 今度はハジメの声だ。息を荒げたような言葉づかいで、苦痛以外の()()を耐え忍ぶような声色に浩介は首をかしげる。それらと同時に体と体がぶつかる音や何かくぐもったような音も耳に届いてくる。

 

(あ、あれ、だよな……ちょっとしたマッサージだよな。はは、ハジメの奴、結構強い力で押してんじゃん。大丈夫かよ恵里の奴)

 

 浩介は顔を引きつらせながらも二人は強い力でマッサージし合っているんだと想像したのである……脳が、心が、理解することを拒んでいるのだろう。どこかくぐもった音も聞こえる中、勝手に“なんかすごいマッサージ”だと結論付けてふらふらとした足取りで部屋へと戻った浩介であったが、その日はもう眠れなかった。

 

 しかし、そんな現実逃避はいつまでも続きなんてしなかった。とっとと夢から覚めろと言うかのように、翌朝に信じがたい光景を見てしまう。

 

『お、おはよう。皆……』

 

 あいさつと共にハジメ達は三人一緒に居間へと入って来た。どこか照れている様子を除けば普段と変わらない……問題は恵里と鈴であった。

 

『おはよう、皆』

 

『お、おはよう……』

 

 恵里がほんのりと頬を染め、鈴は顔を真っ赤にしながら部屋に入って来たのだ……足運びがどこかぎこちない感じで。

 

(あ、あれぇー?……な、何があったんだろうなぁー。昨日は何もなかったはずなんだけどなー)

 

 実際に見た覚えこそないものの、小説なんかを読んでいるとわかる動きであった。だがそれでも()()()()そんな動きをしているだけなんだろうと思い込もうとした時、顔を滅茶苦茶赤くした香織がいきなり声を上げた。

 

『え、恵里ちゃん! 鈴ちゃんも! き、昨日、ハジメ君とえっちなことしたの!?』

 

 ド直球であった。コイツ全力でストレート叩きつけてきやがった。その場にいた全員の意見が一致し、その質問を投げかけられた三人は……。

 

『えっと、その……』

 

『……うん。した。しちゃった』

 

『…………(こくり)』

 

 至してた。めっちゃエロいことをやっていた。自分達が寝ている間にコイツらエッチなことに興じてた。

 

 ハジメだけがどうにか誤魔化そうとしてたみたいだけれど恵里と鈴がとてつもなく能弁に語った。確定であった。

 

『あ、あぁ……うあぁぁ…………』

 

 それを理解した浩介の心にヒビが入る。コイツらもう大人の階段登りやがった。一足先に卒業しやがった。違いの分かるオトナになりやがった。

 

 羨ましさと妬ましさと恨めしさと悔しさで涙と鼻水が止まらず、程なくしていつものように血涙が流れて来た。

 

『お、おいハジメ! ま、マジで二人とエロいことしたのか!?』

 

『エロいことっていうか、その……エロ、そのものだよ信治君』

 

『マジ、か……クソぉ! 先生ばっかいいよなぁー!! 俺だって女侍らしてーわー!!』

 

 いつもの七割増しで心の中にどす黒い嫉妬の嵐が吹きあがる中、信治がもう一度尋ね、それにハジメが答えたせいでなんかもうよくわからない感情が浩介の中で青天井になった。

 

 ぶっちゃけ良樹が言った通りホントにそういうことやりたくて仕方なくなった……想像したらしたでそれでなんか満たされたりしたし、それ以上となると結局ちょっとしたセクハラを妄想するのが限界だったりするが。

 

『いや良樹、絶対それ大変だぞ。鈴はともかく恵里は割と人選ぶだろ。そういうのに好かれると結構大変じゃないか?』

 

 幸利がそう述べたが浩介はそんなもん関係なかった。もう好かれるなら面倒でも何でも良かった。

 

 幼少期から何度も何度もカップルの仲睦まじい様子を特等席で見させられる罰ゲームを受け続けてきたのだ。こうなりゃヤンデレだろうが電波だろうがもう構わないとさえ感じていた……理想は自分をドキドキさせてくれるようなどこか可愛らしくて奇麗なお姉さんだけれど。割と浩介は注文が多かった。

 

『……恵里がちょっと困ったことをするのはわからなくもないけれど、訂正してくれないかな……幸利君?』

 

『あ、いや、すまん……そりゃ惚れた相手けなされたくないもんな』

 

『気持ちはわかるから落ち着こう、皆。浩介もだよ……頼むから血涙流すの止めてくれ。割と慣れたけど結構怖いから』

 

 その後ハジメと幸利が何かやり取りをしていたようだが全然耳に入ってこない。光輝からの注意がやっと認識できたぐらいだ。だが浩介はそんなの知ったことかとばかりに腹に溜まった感情をハジメに向けて叩きつける。

 

『恨めし妬まし羨ましいぃぃいいぃぃ!!……俺だって、俺だって女の子にモテたいんだよ! 苦労なんていくらでも背負っていいから、俺だって好かれたいわぁぁぁああぁぁ!!!』

 

 もう色々と限界であった。『だから浩介っちはモテないんだよ……』と奈々が言ったり、『なんか浩介がかわいそう……』と妙子が言ったが知ったことじゃなかった。同情するなら彼女になってくれ。そう思って視線を向けたら全女子~ズが目を背けた。一層心が荒れた。

 

 そこから先はもう浩介もあまり覚えていない。せいぜいメルドがエロいことに関して解説してくれたことぐらいしか頭に残ってなかったぐらいだ。ただ時折ハジメが実体験を交えてきたため、その都度赤い瞳からまた紅い涙が流れ落ちたが。とりあえずムードは大事だと知った。

 

 ……この日から段々と浩介の様子がおかしくなっていったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

「うぅ……ぐすっ……はやく一日終われよぉ……」

 

 解放者の住処で過ごすことになって六日目の夜を迎えた。既にもう食事を終え、居間に(しつら)えたベッドの上で横倒しになってギュッと手足を縮めている。まるで胎児のように丸まりながら浩介は今日も涙を流していた。

 

「浩介、ドンマイ……」

 

「俺らだって辛ぇよ……アレはマジでねぇって……」

 

 近くのベッドで仰向けになって天井を見上げている良樹と信治がかけてくれる同情の言葉が心にしみる。あんなことがあってはもう浩介も絶望するしかなかったのだ。

 

「ロリ介の野郎……龍太郎や光輝より先に大人になりやがってよぉ……一番遅いって思ってたのにぃ」

 

 そう。実は昨晩大介とアレーティアがどうも致していたらしい。今朝がたのアレーティアの歩き方が、どこかで見たことがあったようなぎこちないものだったからだ。思いっきりデジャヴを感じ、全員が視線を向ければアレーティアはりんごのような顔になりながら大介の後ろに隠れ、大介も『お、おう!! お、大人の階段登ってやったぞ!! スッゲー気持ちよかった!!』とのたまったのである。

 

 その後はもうヒドかった。香織が期待とドキドキに満ちた眼差しを龍太郎に送ったり、雫が何故か後方保護者面しながらアレーティアの幸せにひどく感動していたり、光輝がそれにツッコミを入れたり、後ろからアレーティアにポカポカ叩かれてる大介から感じるちょっと落ち着いたような雰囲気とかで自分を含む非モテの面々はもう発狂するしかなかった。

 

 なお幸利は大いに羨んだがそのぐらいである。彼だけ割と冷静だった。

 

「……お前ら覚悟しとけよ。香織の奴、多分今晩にでも――」

 

「やめろ幸利」

 

「その予想はマジでしんどくなるからやめろ」

 

 幸利が発しようとした言葉を先んじて礼一と信治が抑える。そんなことぐらいわかっている。わかっているのだ。だが大介に続いて龍太郎もそっちの仲間入りしたら精神的なダメージが深い。ようやく出血が止まった傷口に塩を刷り込むようなものなのだ。だから勘弁してくれと二人が止めにかかった。

 

 幸利も『そうかよ』と言うだけでもう何も言わなくなった。そんな中、一人浩介は思う。

 

(どうして俺、こんなみじめなんだろ……)

 

 ここ数日頭を巡る疑問に答える術は彼にない。頼むからどこかから女が湧いて出てくれ。この際空から降ってきてくれてもいい。そんな起こりもしないことを考えるレベルにまで浩介達は追い詰められていた。

 

(こんな苦痛が続くならいっそ……)

 

 そこでふと、浩介は礼一達に視線を向ける――()()()()()()()()()()()()()そういうことは出来る。禁断♂の考えが浩介の頭に忍び寄ってきた。

 

(いやいやいや!? お、俺はノーマルだし! あいつらとは親友であってお互いそういう趣味でもねーし無理矢理はダメだろ!……〇西先生……!! エロいことがしたいです……)

 

 一度はそれを振り払うも、今度はムラムラした欲望が鎌首をもたげてくる。いきなり話を振られた安〇先生も勘弁してくれと願うような衝動は一向に治まらず、浩介の精神を苛み続ける。まるで、端の方から少しずつヤスリで削られているかのような耐え難き苦痛であった。

 

 なお幸利が察した通り、龍太郎と香織はその晩ケダモノになり、それが判明した翌朝の非モテ共(ただし幸利を除く)は大いに苦しむこととなった。

 

 

 

 

 

「くたばりやがれぇええぇえぇ!!」

 

 解放者の住処で過ごして十六日目。

 

 狩りを兼ねた午前の訓練にて、浩介は憤怒の表情で迫りくる魔物を怒りの赴くままにことごとく叩き潰していた。怒りで動きが幾らか単純化してはいたものの、積んだ経験とある程度強さが隔絶していたということもあって無傷で撃破している。

 

「すげぇ浩介の奴……」

 

「なんつーか、スゲーな……」

 

 そしてそれは礼一や良樹達だけでなく、他の皆もそれに圧倒されている。いかに単調で残心も無く、目についたものに片っ端からオーバーキル気味な攻撃を加えていたとしても。その様は悪魔或いは猛獣を彷彿とさせた。

 

「全く……浩介! 何をやっているんだお前は!! 怒りに心を囚われ過ぎだ! それでは訓練にならんぞ!!」

 

 とはいえメルドの場合、自分の部下がこういう風になって暴れたのを見たのも少なくなかったため、割と普通に対処しようとしていたが。

 

「……ふふっ。わかんねーだろな、メルドさんには」

 

「何がだ?」

 

「女に飢え続けた奴の気持ちってもんがさ!!……わかるか。なぁ。十年近くだぞ十年近く。ほとんど毎日仲のいいカップル二組を間近で見続けるしかなくって、しかもその後仲間だと思ってた奴が新しく友達になった美少女にいきなり惚れ込まれて、新たに出来た女友達に付き合わないかって誘ってみても『存在感が薄くてどこにいるかわかんないからお断り』って言われた俺の気持ちは……わかる訳ねーよなぁ!!」

 

 思った以上にこじらせている様子にハジメ達も『うわぁ……』といった表情で浩介を見る他無く、そう言われたメルドも『いや、そんなこといきなり言われたって困るぞ』とばかりに顔を引きつらせて困惑した様子を見せていた。

 

「最近フリージアが来てくれたけど……こう、スキンシップしようとしても『作業の邪魔になりますので近づかないでください』以外の言葉を発してくれないんだぞ!! 結局機械っつーかゴーレムだから悪代官ごっことかも出来ねーしさぁ!! 生殺しだわ!!」

 

「そうだぞ! まだ俺は我慢出来るけどよ、ハジメがフリージアにエロもいける機能をつけてくれれば……!」

 

「ゴーレムとはいえ女だしな! やっぱこう、期待して悪いかよ!!」

 

「やっぱり溜まるもんは溜まるんだよ!! このままだと頭がおかしくなっちまいそうで怖ぇんだよ!」

 

 そんなことやってたんかい、と多くの面々からドン引きされたり呆れられるが、幸利以外の非モテは浩介に味方しつつ自分の胸の内を明かした。彼らも彼らで割と限界だったらしいのはわかったが、ぶっちゃけた奴ら以外皆引いていた。

 

「何が言いたいかよくわからんのもあったがまったく……まぁお前らがそんなに鬱々としているのはわかった。一時間、一時間だ。この訓練を終えて昼飯を食ってから、俺と組み稽古でもしないか? 鬱屈したものは晴れるぞ」

 

 だがそんなメルドのいきなりの提案に皆軽く面食らってしまう。まさかこんな方向に行くとは思わなかったからだ。

 

「ヤケを起こす前に腹の内に溜まったものを俺が引きずり出してやる。じゃあ浩介、礼一、良樹、信治は俺と――」

 

「「「あ、すいません。遠慮させていただきます」」」

 

 なお即座に礼一達は手を前に出して断りを入れた。メルドが滅法強いのはわかっているため、いくら稽古といえど本気でやられたらどうなるかわかったものじゃないからだ。

 

「え、いや、その、でも……め、メルドさんに悪いですし……」

 

 一方、浩介の方は迷いを見せていた。地球にいた時は八重樫道場で散々やりはしていたため、別にやれないという訳でも不慣れということでもなかったからだ。ただ、気を抜いたら死にかねないような一撃がやたらと来るようなものであったため、まさかそういう奴かと誤解していたが。

 

 とはいえ鬱憤が溜まっていたのは事実であったし、折角のメルドの提案を信治達のように無碍にするのもどうかと思って迷ってしまったのだ。だがそんな浩介に、メルドはどこか安心した様子で彼の方へと視線を向けていた。

 

「そうか。だがその様子なら尚のこと惜しい……殺しのトラウマは消えたようだからな。どうする?」

 

 迷っていた浩介もそれを言われてようやくあのトラウマを越えることが出来たと自覚する。自分を苛んでいたアレはもう過去のことだったらしい。そこで純粋にやってみるかどうか幾らか迷った末、彼は頭を下げた。

 

 それを見てよし、と満足気な表情を浮かべたメルドも浩介と約束を取り付けるとすぐに光輝達に訓練の再開を促すのであった……なお後にメルドはこの時のことをこう述懐する。とんでもなくヤバい奴を育ててしまった、と。

 

 

 

 

 

「ハァッ!!」

 

「動きが甘い! 緩急のつけ方は悪くないが、いささか正直過ぎだ!!」

 

 そしてその日の午後。本来ならハジメ達の“錬成”による作業の手伝いをするはずであったメルドと浩介はヒュドラのような魔物が出てきたあの場所で模擬戦をしていた。流石に刃を潰した武器を使用しているが、ここならどれだけ派手に暴れても問題ない区画だからとメルドはここを選んだのである。

 

 ちなみに前にハジメ、恵里、鈴、光輝、雫の五人で足りなくなった材料を調達するために外に出た際、いきなり出現したヒュドラに面食らったこともあった。その時は頭が当初は六つで全部倒したら銀頭が出てくる仕様であり、前と違って隙があったためそこまで手こずらずに済んだと述べていた。尤も、それでも満身創痍で戻ってきたため誰もが大いに慌ててたが。

 

 その後どうしてこうなったかを検証し、『五人以下の少人数で出ると一度だけ弱いヒュドラに襲われる。ただし強いのと弱いのを一度ずつ攻略した人間が一人でもメンバーにいれば出ない』という結果が出た。

 

 そこで腕試しをしたがった龍太郎やそんな彼を『しょうがないなぁ』と思いながらも付き合おうと考えた香織、メルドと浩介も加わって弱いヒュドラを攻略している。なお情報が色々と出揃っているせいか大した怪我もせずに終わった。

 

 閑話休題。

 

「ぐぅっ!?」

 

「お前ほどの強さの奴が()()()()二人もいると厄介だが――やってやれんことはない!!」

 

 もうヒュドラが出なくなったこの場所で“気配操作”を使った奇襲、あえて正面から挑んだり、ここ最近使えるようになった幻の分身を発生させる[+夢幻]とその分身に実体を持たせる[+顕幻]のコンボで二方向から仕掛けるなどやってはみたものの、そのいずれもメルドはいなしていく。

 

「なら、これは――」

 

「どうだぁ!!」

 

「ほぅ! 悪くは、ない――だがっ!!」

 

 今度はあえて分身と二人で真正面から切り結ぼうと突っ込み――弾かれると同時に上段下段からの攻撃に分かれて仕掛ける。だが二人分の攻撃を受け止め、迫る上段の一撃は軽く頭をひねり、下段からのは剣で防ぐことでメルドは対処してくる。しかし当然浩介はそれで終わらない。

 

「“縛地陣”! 背後がガラ空き――」

 

 攻撃をいなされるのも想定の上。上段を担った分身の浩介は“縛地陣”によりメルドの両手足を拘束し、自分の体も岩の鎖で巻き付けて強引に後ろへと持っていき、そのまま背後を取ろうとする。

 

「“出盾”! “縛岩”!――拘束程度なら読めていた! 背後を狙うともな!」

 

 だが、それすら読まれていたらしく、出現した土塊の盾に阻まれ、今度は分身が雁字搦めにされてしまう。だがそれでもと本体の浩介は迫ろうとする。

 

「だったら俺が――」

 

 拘束されて満足に剣が動かせないと判断した浩介は、刀を手放して懐から小刀――これももちろん刃を潰した訓練用のものだ――を取り出してインファイトに持ち込もうとする。

 

「真下がガラ空きだぞ?――“隆槍”」

 

 だが、先端が軽く丸まった岩の棒で股間を軽く小突かれて悶絶してしまう。

 

 もがいていた分身も動きが止まり、拘束が緩んだところで剣を首元に当てられる。勝負あり、であった。

 

「……股間は、ヒキョーですって……」

 

「全く、ここでの経験が活かされてないな……真っ当な方法でここを切り抜けられた試しなんてなかっただろうが」

 

 分身を消し、股の間を両手で押さえ、顔を青ざめさせながらもにらむ浩介に悪びれることなくメルドはこう返す。事実、このオルクス大迷宮を突破する際に真っ当な方法で勝ちを収めたことなんてロクにないのだ。

 

 大体は先遣隊が持ち帰った情報を基に作戦を立て、その上で数の暴力を利用しての勝利ばかりなのだから。ただ、その情報がロクにないまま戦う羽目に遭う先遣隊に浩介は所属してた訳だが。

 

「痛いぃ……〇ん〇ん腫れたぁ……」

 

「後で回復薬でも煽っておけ。ほれ、戻るぞ」

 

 未だ悶える浩介を背負い、そのままメルドは門をくぐっていく……その後も浩介はよく模擬戦をして溜まったものを発散するようになるも、やはり思春期特有のエロいことへの欲求が満たされている訳でもなかった。そのためこれまた段々とこじれていくことになることに浩介すらも気づけないのであった。




ちなみに浩介が聞き耳を立てた事はバレていません。あと2ラウンド目です。何がとは言いませんが恵里との場合は二戦目です。うん。


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幕間二十六 其は嫉妬より来たりて、深淵を這いずるもの(後編)

こちらはタイトルの通り、同時投稿した後編の方になります。

前編のまえがきでも述べた通り人を選ぶ内容かもしれませんのでご注意を。
それと後編の方は結構長め(約14000字)です。上記に注意して後編もどうぞ。


 解放者の住処で浩介らが過ごすことになってかれこれ三週間近く。この頃から浩介のメンタルが余計に面倒臭くなりだしてきた。

 

(なんで俺だけ苦しんでんだよ……なにが原因だよ……)

 

 フリージア相手にエロい妄想をして自分を慰めては我に返ってため息を吐き、そして現実に打ちのめされるのを何度も繰り返し、遂にもう苦しんでいる要因を外に求めるようになってしまったのだ。

 

(ハジメ達は相変わらずイチャついてる……アレーティアはちょっとずつ俺らと目を見て話が出来るようになったけれど、いっつも大介にベッタリで……)

 

 そして人目をはばからずにイチャつくハジメ達のことを考えて血涙を流し、アレーティアが段々と自分達への恐れや自己嫌悪を薄れさせてくれていることに感激しつつも、結局大介とベッタリなことを思い出して鼻水をすする。いつもの末期であった。

 

(龍太郎の野郎、相変わらず香織とお盛んじゃねぇか……良樹達はもう興味も無くなったみたいだけどよ)

 

 龍太郎と香織のことも思い出して悔しさと嫉妬に塗れる一方、礼一達はかつての自分のようにもう悟りを開こうとしているのも彼の脳裏に浮かんだ。なんかもう色々と諦めがついたらしい。

 

(光輝も雫と……もう、もうそこはいい。むしろじれったかった)

 

 光輝と雫もつい最近()()()()関係になったのだが、これは浩介的には割とまぁ良かった事例であった。何せ見てる方がもどかしかったぐらいだからだ。お互いそういうのに興味を示せども、そんなことを口に出して嫌われたらどうしようとお互い迷っている様子であったのである。

 

 またそのことで男子~ズ全員を集められ、相談を持ち込まれた時も『とっとと爆発しろ』と思いながらもハジメ達と一緒にアドバイスをしていたりする。

 

(むしろ優花と奈々の方だ……アイツらここ最近幸利への態度がちょっと変だし、もしかして意識して――あああぁああぁあ考えるだけでむしゃくしゃするぅうぅぅぅぅ!!!)

 

 既にカップルとして認識してた奴らのことはまだ良かった。今の浩介にとって一番の悩みのタネは優花と奈々の二人のことである。

 

 奈々は恋する乙女のような目をするぐらいで確証は無かったのだが、優花は確実であった。何せ幸利に対してツンデレみたいなことをここ最近言い出してきたからである。

 

『ゆ、ユキがいると狩りが楽になるのよ! だ、だから一緒に行くだけよ!!』

 

『ちょっとユキ、アンタいっつもコースケ達と一緒につるんでない?……私やタエみたいに前衛や中衛張ったりするのもいるんだし、ナナとかカオとかスズと息合わせるのも大事でしょ? だから……だからちょっと、話に付き合いなさいよ』

 

 ……とまぁこんな具合に。こっちもこっちで中々こじらせており、幸利もまさかと思いながらも単なる考えすぎではないかと思っている様子だった。これは幸利本人から聞いているため間違いない。

 

 前兆が無かった訳ではないし、まさかと思い込んで浩介は無視しようとしていたのだが、最近段々と増えつつある優花のツンデレムーブに浩介はひどく心が荒れていたのである。

 

(礼一達はもう巻き込めない……この苦痛を消すにはどうしたらいい? 何をすればいいんだ?)

 

 そして今日も寝床でそんなことを考えながら独り身の寂しさを紛らわせていた……こうして浩介は思いを募らせ、段々と明後日の方向へと爆走していく。極めつけはこの二日後であった。

 

()は何を望む? 解放か? それとも打破か?)

 

 なんか一人称まで変化しだしたのだ。流石に口には出していないものの、寝床の中で、心の中でやたらと厨二病じみたことを言い出すようになり、それが加速してきたのである。

 

(我が望むは深淵を(もたら)すこと)

 

 激しい苦痛からの解放を望む心が、湧き上がっていた怒りや妬みといった感情すら不要なものと切り捨て始める。代わりによくわからないなんか変なものが混じり出した。

 

(それを成すためには――そう。倒すことだ。我が深淵を妨げる比翼連理の翼を討ち果たす。それこそが真理に他ならない)

 

 憤怒と憎悪に心を染めている時ではない。どれだけ心を黒く染めても苦痛は少しもやわらがない。この理不尽に過ぎる状況を打開するには、心の安寧を求めるためには、余計なものは削ぎ落とさなくてはならない……その癖変なものばかり追加されている様子だが。

 

(ならば我が成すべきことはただ一つ――強くなることだ。世界、奈落、深淵すらも前にして全てを滅さんとする力を手にすることだ)

 

 そうして浩介の意思は、ただ一つに固められる。鍛錬を経た刀のように。鋭く強く、万物の尽くを斬り裂くが如く。なおそのベクトルの向きは控えめに言って滅茶苦茶であったが。

 

(そうだ! 我こそは、偉大なる深淵!! 森羅万象、永劫回帰、この世のあらゆる絶対不変の真理を超える者! つまり、つまり――)

 

 そんなこんなで浩介の中にあるモノが生まれた。そしてそれはステータスプレートにも反映されたのだが……それを浩介はまだ知らない。だって今でも心の中で厨二病ムーブしてるんだもの。

 

 

 

 

 

「どうしたんだよ……どうしちまったんだよ浩介!!」

 

 解放者の住処で過ごすことになって二十五日目。この日は午前の訓練から大いに荒れた。別に誰かが癇癪を起こして敵味方区別せずに暴れたという訳でもない。むしろちゃんと連携も取れた上で進行していたのだ。

 

「ハッハッハ!! どうしたどうした! 我が深淵に恐れをなしたか魔物どもよ!!」

 

 理由は簡単……なんかもう浩介が絶好調だったのである。いつになく技の冴えが鋭く、緩急を入れ、そして全員の動きを妨げることなく遊撃の任を果たしていたのだ。言動がおかしいという点を除けば、だが。

 

「……アレ、コースケよね?」

 

「こ、浩介……ど、どうしたんだ? お、俺達、何かやらかしたか……?」

 

 無論そんな彼を見て誰も不安にならないはずがなかった。普段なら幾らか希薄な存在感もどうしてか無駄にあるし、ここ最近ほとんどしゃべらなかったのに何故かとてつもない厨二染みた言動を繰り返している。アレーティアとメルドは『まさか彼/コイツの素はこんなのだったんじゃ……?』といぶかしむものの、そうでないことを地球出身の皆は知っている。だから怖かった。

 

 血涙を流したり、ふとした拍子にジェラシーを爆発させたりするのが割と普通の少年がどうしてこんな香ばしい言動を繰り返すのか。もう恐怖しか感じなかった。

 

「こ、浩介君……? い、一体どうしたの? 何か、あった?」

 

 既に“気配感知”で敵がいないことを確認してから、ものすごいオロオロした様子でハジメは彼に問いかけるものの、彼はフッとニヒルな笑みを浮かべていきなりバク宙を決める。そして左手と左膝を地面に突き、右手を斜めに突き出しながら顔を(うつむ)かせる――もちろんこの動きに特に意味は無い。が、普段なら絶対しないであろう動きを見せつけられたハジメ達は恐怖に震えるしかなかった。

 

「浩介……フッ。遠藤浩介という少年は既に深淵へと(かえ)った」

 

 しかもなんか変なことを言い出した。ゆらりと立ち上がると今度は前髪を支えるように手を当て、不敵な笑みを浮かべるかのように口角も上げ、そしてターンを決めながら宣言する――。

 

「我こそは深淵よりの使者。暗黒より出でし深淵そのもの――コウスケ・E(エンヴィフレア)・アビスゲート也!!!」

 

 深淵(こじらせにこじらせきった感情)。暗黒(大体嫉妬とかジェラシーとか羨み)。エンヴィフレア(嫉妬の炎)。手遅れだった。なんかもう色々と手遅れになっていた。

 

「だ、大介……え、遠藤さんって、もしかしてこういう人だったの……?」

 

「絶対ぇ違ぇ。アイツの名誉のためにも言うけど、浩介はちょい影が薄くて忍者なだけで割とフツーだぞ。礼一達と一緒に家に遊びに行った時も変なのは見かけなかった。てか今が異常なんだよ」

 

 急なキャラ変に普段以上におののくアレーティアが大介に問いかけるも、その当人もすごい胡乱な目で浩介を見つめていた。なおその際の返答の一部にキレた雫が『忍者じゃない! 忍者じゃないから!!』と抗議するも特に誰も聞いていない。

 

「既に迷宮に住まう悪鬼羅刹はいない……ならば問おう! 地獄の番犬に白光を齎す者とその影! 猛る龍とその(つがい)、そして調律者に刃の踊り子と水交の乙女よ!! 我と雌雄を決しようではないか!」

 

 しかも今度は誰のことを指しているのかあんまりわからない呼び方で決闘を申し込んできた。その瞬間、浩介以外の視線が全てメルドの方に向き、メルドは明後日の方向に目を向けて口笛を吹いた。割と下手であった。

 

「し、仕方ないだろう! お、俺だって浩介の奴がああなるとは思ってなかったんだ!! ええい浩介の奴め……!!」

 

 とはいえ監督不行き届きだというのはメルドも理解していたため、頭をガシガシとかきながら浩介に声をかける。

 

「浩介! 模擬戦をしたいんだったら昼食後にしろ!! 今はまだ訓練の最中だろうが!」

 

「否!!」

 

 だが浩介は吼える。髪をかき上げてターンをし、人差し指をメルドに突きつけながら。

 

「我の実力は既に示した……ならば貴公らの力も我に示してくれねばなるまい。これは宿命なのだ、戦刃の導き手よ――番犬の首が一つ、南雲ハジメよ。今すぐ我らの手元に決闘の刃を出すがいい」

 

「あ、やっぱり僕達ケルベロス扱いなんだ……どうしよう?」

 

 話を聞く気ゼロな浩介相手にタジタジになったハジメが皆に目配せをするも、誰もが気まずそうに視線を逸らすばかり。恵里と鈴でさえも正直答えたくないらしい。そこで捨てられた子犬のような目でメルドを見つめると、メルドも観念した様子でハジメと浩介に向かって告げる。

 

「頼むハジメ、そんな目を向けるな……ええいわかったわかった! 浩介! そこまで戦いたいというなら今回も俺が相手をしてやる!! ハジメ、訓練用の剣を出せ!!」

 

「は、はい!」

 

 そうしてハジメはすぐさま刃を潰した武器を宝物庫から取り出し、すぐにメルドと浩介に渡す。そして他の面々も周囲を警戒しながらも早くメルドが浩介に勝つことを祈った。

 

「フッ……戦刃の導き手よ。既に我は技能を発動している。先に全力で攻撃しに来るがいい。さもなくば貴様の負けだ」

 

「人のことを妙な呼び方をして……そこまで言うのならその好意に甘えさせてもらおうか――“限界突破”ぁ!!」

 

 相変わらず香ばしい言動をする浩介に腹立たしさを感じながらも、メルドはためらうことなく“限界突破”を発動する――妙であった。どうしてか、目の前にいる浩介が不自然に強く感じるのである。それも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()違和感を覚えていたのだ。

 

「一撃で決める――“剛撃”!!」

 

 そして“縮地”と〝剛撃”も併せて唐竹割りを叩き込もうとしたが――それを紙一重で避けられる。その瞬間、メルドだけでなく他の面々も浩介に対する警戒度が一気に上がった。

 

「愚直な……それでは避けてくれと言っているようなものだぞ――次はこちらからだ!」

 

 メルドはためらうことなく地面を強く蹴り飛ばし、浩介から距離を取ろうとする。だが浩介はしれっと()()()()()きた。

 

「! 縛が――」

 

「遅いな」

 

 浩介の煌々と輝く紅い瞳にどこか恐怖を感じたメルドは一刻も早く彼を止めるべく“縛岩”の詠唱に移ろうとするも、時既に遅し。

 

「八重樫流奥義が一つ――“土遁・戒めの岩鎖(深淵の手はものみな掴む)”」

 

 浩介の後ろからだけでなく、メルドの背後や横からも無数に岩の鎖が伸び、すさまじい速さでメルドへと襲い掛かって彼の体を雁字搦めにしていく。

 

 ――実はこの時、浩介はイメージのみで魔法を発動していた。

 

 “魔力操作”を持っている一同は全員詠唱することなく魔法を発動させることが出来るのだが、魔法を補完するイメージを明確にするためになんらかの言動を加える者は少なくない。

 

 それはアレーティアでさえも例に漏れず、唯一の例外と言ってもいいハジメであっても“錬成”しか使えないから自然と出来るようになっていただけでしかない。つまり、複数魔法を使える中、自力で成し遂げたのは浩介だけなのである。

 

 なお浩介が使ったのはあくまで土属性上級捕縛魔法の“縛地陣”であってそんな名前の魔法は無いし、ついでに言えば八重樫流にそんな奥義は存在しない。しかも『遅いな』とつぶやいた時点で既に発動しており、名前はその時のノリで考えている。

 

「――ぐぅっ!?」

 

「勝負有り、だな――理解できたか? 我が決闘を望むという意志が」

 

 頭だけ出たメルドに浩介は刃の潰れた日本刀モドキを差し向ける。浩介のノリについていけず、仕方なく相手してやったという感があったものの、それでもメルドは惨敗を喫した。そのことはハジメ達にとって少なくない衝撃を与えていた。

 

「……本気、なんだな」

 

「無論だ。白光の勇士よ――さぁ武器をとれ。お前達は我()が相手となろう」

 

 問いかける光輝に対し、浩介は華麗にターンを決めながら片手で刀を構え、フィンガースナップを決める。途端、浩介の姿がブレて二重になる。

 

「フッ」

 

「二人、か。雫、一緒に戦ってくれるか?」

 

「ええ。やりましょう……門下生の不始末は、門下生の私達でつけないとね」

 

 否、なった。増えたのである。無論、それが浩介の技能から来るものというのは誰もが理解していたし、彼が実体を持った分身を生み出せるのはまだ一体だけだというのも全員知っていた。

 

「おやおや……深淵は常に光射す世界の奥底で伸び続ける。それを理解していないとはな」

 

 だが浩介はやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、イラッとする言葉を発すると同時に再度フィンガースナップをキメる。すると浩介が()()に増えた――分身から分身が出たのである。

 

「――なっ!?」

 

「…………フッ、言っておくが」

 

「我らは幻影にして幻影にあらず」

 

「全てが真であり虚である」

 

 ちなみに今のセリフはテンションがダダ上がりした状態で試しに増えるかどうかやってみたら実際に増えたことの驚きや喜びを誤魔化すためのものである。尤も、本来実体のある分身が一人以上増えないはずなのに、それを覆す事態が起きたせいで誰もが混乱したがため気づいてはいなかったが。

 

「ただの幻と侮るなよ――これが、我が深淵也」

 

 そしてそれぞれの浩介がそれぞれ別のポーズをとりながら指パッチンをすると同時に数が倍増する。八人。十六人。三十二人。そして増えた幻のはずの浩介達が自分達のところに来てそっと頬を撫でる――その感触は紛れもなく人間のものであった。

 

「な、なな、なぁっ――!?」

 

「う、嘘でしょ!? ど、どうして!? 幻が増えただけじゃ……!?」

 

 思いっきりパニックを引き起こす光輝と雫であったが、それは誰もが同じ。最初にヒュドラと戦った時にどうしてこれが無かったのかとボヤいた時の浩介の姿や、何度やっても一体以上分身が増えなかったことを嘆いていた彼の姿は全員が覚えている。だからこそおかしい。どうしてこんな理解を超える事態が起きているのかと余計に混乱するしかなかった。

 

「だいすけ、だいすけぇ! こわいよ、こわいよぉ……」

 

「だ、大丈夫だぞアレーティア! 怖いのは俺も同じだからな! 別に恥ずかしくなんてないぞ!!」

 

 しかもアレーティアは理解を超える事態に加え、浩介に触られたせいで皆を傷つけたトラウマによる対人恐怖症まで発症してしまい、軽く幼児退行を起こしていた。そうしてすがりつくアレーティアに大介も顔を青ざめさせながらも勇気づけようと言葉をかける。なおどっちも割といっぱいいっぱいだったようである。

 

『あ、すいませんアレーティアさん。調子乗りましたごめんなさい』

 

「ひぅ!?」

 

 なおうっかりやらかしたと自覚した浩介全員がものすごくキレイに直角に腰を曲げて彼女に頭を下げる。アレーティアは一層怯えて気絶しそうになった。

 

「コホン……これも全て我の力」

 

「一人一人相手をするのも良いが、それでは我が深淵の深さを知らしめること能わず」

 

「我が深淵に匹敵する勇士全てを超えてこそ、真に我が深淵が偉大だとその魂に刻むだろう」

 

「安心せよ。増えた我等が汝らを我等以外から守ってみせよう」

 

『さぁ戦士達よ。我等と刃を交え、滅びの序曲を奏でようではないか』

 

 相変わらず意味の分からない言動に加え、それぞれが別々に香ばしいポーズをしながら誘ってくる浩介達に、全員が思いっきりイラッとしながらも覚悟を決める。

 

 今の浩介の実力を計るという大義名分でも掲げなければ心底帰りたくて仕方がないのだが、当の本人達が帰す気がゼロだ。こうなったらあちらの気が済むまでやってやるしかないと誰もが腹をくくった。

 

「あぁ、そうか……わかったよ、浩介」

 

「そうね……これは模擬戦なんだから全力でぶっ飛ばしても構わないわよね?」

 

「さっきから向けられる視線からして連れがいる奴らばっかみたいだな。まぁ雫の言う通り全力でぶっ飛ばせばいいだけか」

 

「番じゃないもん。恋人だもん……幸利君や優花ちゃん、奈々ちゃんを狙うのはわかんないけど、浩介君がやりたいのなら本気出すよ」

 

「……僕達はまた、どこかで道を間違えたのかな?」

 

「今回は間違いなく浩介……遠藤君の自業自得だから別にたそがれなくていいと思うよハジメくん。とりあえず弾丸だけ変えて遠慮なく叩き潰そうよ」

 

「そうだね……もう面倒くさいし倒しちゃお。本人もお望みみたいだし」

 

「浩介お前なぁ……どうして俺と優花、奈々まで巻き込むのかは……まぁいい。お前が戦いたい、ってんなら全力で相手してやる」

 

「こんのアホは……ユキ、ナナ、それに皆。全員でこの馬鹿の目を覚ましてやりましょ」

 

「浩介っち……ううん、()()()。お願いだからもう変なことしないでね? そのためにも私頑張るから」

 

 こうして全員が不承不承ながらもそれを受け入れ、全員模擬戦用の武器をハジメから受け取るとすぐさま構える。対する浩介も何故か胸を押さえながらも本体含む十人を残し、他は円陣を組むかのように周囲に分かれて警戒に入った。

 

「全員、“限界突破”を。これを使ったメルドさんすら負けたんだ。絶対に油断なんてするな。確実に仕留める気で行こう」

 

 光輝の言葉に全員が耳を傾け、即座に“限界突破”を発動する。そしてこっそり“念話”で『“瞬光”も要所要所で使わないと確実に負ける。頼むぞ』と告げたのにも心の中でうなずいて返した。

 

 対する浩介らは余裕の表情であった。全員が“限界突破”を使うのも“瞬光”を使うことも織り込み済みであったからだ。そうしなければ彼らは負ける、というのも浩介は理解していた――何故ならメルドを倒した時よりも自分の力が滾ってきているのを感じていたからである。

 

「さぁ来るがいい。光り輝く世界の者達よ」

 

「我等深淵はその深淵を以て塗り潰す」

 

「いかなる光も深淵には届かぬということを教えてやろう」

 

 意訳:ふざけんなリア充ども全員爆発しろていうかさせてやるからなチクショー!!

 

 多分そんな感じのことを言ってるんだろうなぁと思いながらも光輝達はそれぞれのすべきことをする。ただそれだけであった。

 

「全員纏めて“纏光”! とりあえずこれで――」

 

 まず幸利が“纏光”を発動し終えた途端、浩介の一人が音もなく彼へと迫って来た。それを迎え撃たんとすぐに龍太郎が前に立ちはだかる。

 

「見え見えだなっ!」

 

「あえて、ということだ!!」

 

 すかさず光を纏った籠手で防ぐものの、その一撃は想像以上に重く、龍太郎をして両腕をクロスさせなければ受け止めきれない程のものであった。

 

「チッ、そう簡単には当たらねぇな!!」

 

「龍といえど自然の摂理には勝てぬよ――影を掴めるというのは、思い上がりだ!!」

 

 そして繰り出されるラッシュも難なく避けていき、しかも攻撃まで入れてくる。お互いの攻撃は()()届いていないものの、段々とキレと速さが上がっていく浩介の一撃に龍太郎は焦りを感じていた。

 

「“縛光鎖”――っ!?」

 

「足元がお留守だぞ龍の妃よ!」

 

 このままでは不味いと判断した香織は、龍太郎に迫った浩介を拘束しようと“縛光鎖”を発動するものの、いつの間にか真上から切りかかって来た浩介の一人に意識を割く羽目に遭う。自分の方に現れた方を対処するために“瞬光”を使いながらも再度“縛光鎖”を放つも、そのことごとくをワルツを踊るかのように浩介は華麗な足運びで難なく避けていく。

 

「――そこっ!」

 

「はぁっ!!」

 

 そして光輝と雫も増えた浩介に切りかかるが、どちらも刀で余裕をもって受け止め、受け流そうとすると同時に拳と脚の一撃を見舞おうとする。だがそれに気づいた二人も“瞬光”で知覚能力を拡大しながらそれを避け、片手を刀から離して裏拳を叩き込まんとするも、同じく“瞬光”を使っていた浩介二人はそれを最低限の動きだけで避け、息もつかせぬ鍔迫り合いを続ける。

 

「くっ、速い!!」

 

「どうした創造の王よ! まさか鉛玉すら満足に当てられないとでも抜かすか!!」

 

 そしてハジメ達の方も苦戦を強いられていた。

 

 宝物庫のおかげで多様な戦い方が出来るようにはなったものの、以前メルドと模擬戦をした際に手酷くやられ、一人ではロクに戦えないことを思い知ったハジメはガン=カタの習得にも時間を費やすようになった。もちろんその為にドンナーの同型モデルであるシュラークを製造し、両方を用いるようになった。

 

 しかしまだガン=カタを始めて日が浅く、また使っている弾丸も火薬の量を抑えてタール鮫の革を使用したゴム弾モドキでしかないため、電磁加速しても本来のレールガン程の威力も速度も出ない。

 

 そのためマズルフラッシュと同時に“瞬光”を一瞬だけ使って避ける浩介には当たらず、“空力”で不規則に足場を作って逃げながら牽制するのが精いっぱいであった。

 

「鬱陶しいったらないね!――“邪纏”!!」

 

「――効かぬ、なぁ!! その程度!」

 

 恵里も鈴もすぐにでもハジメの救援に向かいたいところであったが、これまた自分達の方へと向かってきた浩介の対処に追われてしまい、助けられずにいた。

 

 “縛魂”より消費の少ない“邪纏”を発動してもそれを“魔力放射”で吹き飛ばされてしまい、次々と繰り出される刺突や斬撃を“瞬光”をフルに使いながら避けることに終始しているのが今の恵里であった。

 

「ごめん浩介君! ちょっと痛いけど我慢して――“天絶・桜花”!!」

 

「ふっ――桜吹雪の中を進むが如し!!」

 

 流石に全力を出す訳にもいかないと咄嗟に鈴は一番弱い結界魔法である“天絶”を使った光の花びらを散らすも、浩介はそれを苦ともせずに突き抜けて自分の方へと迫ってくる。

 

「嘘でしょ!?――“聖絶”!!」

 

「いかな壁とも」

 

「我等の前には塵に同じ」

 

「たとえ幾枚張り巡らせども」

 

「「「我等の歩みは止められぬ!!」」」

 

即座に“聖絶”で防ぐものの、激しい火花と共に亀裂が入っていき、一枚展開しただけじゃ絶対にまずいと判断したのもつかの間、ハジメと恵里の方に向かっていた浩介がいきなりきびすを返して鈴の方へと向かい、無数の斬撃を叩き込んできたのである。

 

「や、やだやだやだぁー!! 浩介君の攻撃が速いよぉ!!」

 

「鈴!――この、当たれぇ!!」

 

「こんの――! “炎槍”!!」

 

 結界の展開と破壊はほぼ同時。だが鈴は三人の浩介に押され、ハジメと恵里の遠慮なしの一撃もひらりひらりとかわしていく。真っ先に彼らが陥落する光景が、試合を眺めていた全員の目にハッキリと映った。

 

「あぁもう!! 避けるだけじゃなくてナイフの上に乗るとか舐め腐ってんじゃないわよ!!」

 

「深淵たるもの、いかなる時でも小粋でなければな!」

 

「うわぁあぁあん!! 全然遠藤君に攻撃が当たんないよぉおおぉ!!」

 

「つれないな水交の乙女よ。決して悪くは無いが、我のダンスパートナーを務めるのならばもっとキレのある動きを頼むぞ――それと、苗字で呼ぶのやめてくれ。傷つく」

 

 優花の投げたナイフを避け、時には片足立ちで乗っかり、時には指一本で逆立ちするなど意味の分からないパフォーマンスを交えながらも、浩介は奪ったナイフを投げ返したり接近戦を時折絡めるなどして優花を幻惑していく。

 

 奈々も鈴と同様、手加減して氷属性でなく水属性の魔法を撃ち続けるもそれらは紙一重で避けられる。だがそれでも放った水を起点に“水刃”や“水槌”などの魔法を展開して四方八方から攻め続けているのだが、“瞬光”を発動し続けていた浩介によっていずれも当たることなく空振りし続けている……苗字呼びに加えてこの中で一番容赦のない攻撃のおかげで一番浩介を追い詰めているのは奈々だったりするが、必死になって攻撃している当人は気づいていない。

 

「ふむ、これでは埒があかんな」

 

「搦手も交えさせてもらおうか!」

 

「――! 全員、警戒を!!」

 

「「「八重樫が奥義、土遁・不可視の礫(深淵の風は万物を蝕む)!」」」

 

「「「「同じく奥義、土遁・大地の白刃(母なる地もまた深淵は現れる)!」」」」

 

 浩介二人がそうつぶやくと同時に、相対していた七人の浩介が“不可視の礫(威力弱めの“風球”)”や“大地の白刃(先端を丸めただけの“隆槍”)”を発動し、全員を追い詰めていく。

 

「ぐぅっ!?……やべえ、このままじゃ……!!」

 

 単純な鍔迫り合いや攻撃をいなすだけでも精一杯なのに、ここで魔法まで乱射されては拮抗することすら叶わない。一気に劣勢に追い込まれていく光輝達に向け、残り三人の浩介達は時間差でターンを決めると共に無慈悲に宣告する。

 

「さて、そろそろ終極と参ろうか」

 

「我らが奥義、とくとご覧あれ!」

 

「我らが見せるは深淵の深み――」

 

「――撃たせるな! 浩介を止めるんだぁ!!」

 

 光輝が叫ぶももう遅い。三人の浩介は同時に別々の印を組み、最後の魔法を発動する。

 

「「「闇の波動よ、母なる大地より至れ――土遁・縛結せし地維の枝葉(深淵の腕は星の煌めきすら逃さず)」」」

 

 三人がかりの“縛地陣”である。地面より伸びる無数の鎖が恵里達を無慈悲に絡めとらんと縦横無尽に伸びていく。

 

「嘘でしょ!?」

 

「や、やだっ! 蛇みたいにからま、ってぇ……!」

 

「やべっ、エロッ」

 

「香織見て鼻血出してる場合じゃないだろ龍太郎!?」

 

 曲がり、くねり、生ける蛇のようにそれらは香織らを戒め、無力化していく。二重、三重と巻き付いて地面に縫い付けられればもう歴戦の猛者といえど大したことは出来ず。そのまま浩介の分身に刃を突きつけられて降参する他無かった。

 

 あと“縛地陣”の呼び方がメルドにやったのと違っているが気にしてはいけないし、女子だけ割とエロい感じに絡めとったことを気にしてはならない。浩介だって溜まっていたのだ。なお礼一達はいいものを見たとばかりに熱心に拝み、その途中頬を染めた妙子から鞭を、メルドからげんこつを食らっていた。

 

「……これで満足?」

 

 負けを喫してものすごい不機嫌になった恵里が浩介をにらむも、浩介はフッと不敵に笑みをこぼすばかり。

 

「あぁ。これで、これで()が真に最強に……さい、きょう……うおあぁああぁぁああああぁあああぁ!?」

 

 だが、恵里だけでなく香織や雫からも女の敵とばかりに見つめられ、ハジメ達にまで呆れの眼差しを向けられていた浩介がいきなり叫び声を上げる。途端、分身も全員を縛っていた岩の鎖も全て消え失せ、叫び声を上げたまま浩介は四つん這いになって地面に伏せる。

 

「この度は本当に申し訳ありませんでしたぁー-----------!!!」

 

 否、土下座であった。

 

 とりあえず元の浩介に戻ったらしいということはわかったが豹変したことには違いなく、誰もそれについていけてない。一体何がどうなってんだとばかりに見つめると、浩介が勝手にゲロってくれた。

 

「もう最近なんかもうハジメ達がイチャついてるの見て嫉妬しまくってたんですけどそれで心の中でその恨みつらみを吐いてたらなんかこう気分が変にハイになってしまいましてなんか一人称が『我』だのやたら香ばしい言動だのに染まっていってしかもなんかそれが普段の言葉使いにまで出始めちゃってもうなんか本当にすいませんでしたぁ!!!」

 

 ロクに呼吸もせずに一息で言ったせいでゼーゼーと息が荒くなっているが、そんなことはやられた方は知ったことではない。よくもまぁやってくれたなとばかりに女子~ズの視線は一段と凍てつき、ハジメ、龍太郎、光輝も幾らか侮蔑のこもった呆れの眼差しをやるばかり。

 

 唯一幸利だけが『何やってんだコイツは……』と呆れた様子ながらも冷静に原因を探ろうとしており、一体何が原因なのかと浩介の体をまさぐると、懐からステータスプレートを抜き出す。

 

「鈴、香織。お前らも見たくないだろうけど、とりあえずコイツ見て何が起きたか診察して……うん? なんだこれ」

 

 抜き取ったステータスプレートをとりあえず鈴と香織に診てもらおうとした時、ふと見慣れぬ文字が刻まれていることに幸利は気づいた。そこでその文字列をまじまじと見つめ、幸利の顔が引きつった。

 

「…………おい、浩介。なんだこの“深淵卿”とかいう意味のわかんねーのは。説明見ても頭痛くなるんだけどよ」

 

「そんなの俺も知らねぇよ!? というかそんな技能が生えてたことに今気づいたわ!! なんか最近妙に調子いいなー、って思ってたらこれが原因――あ、すみません。頭下げます」

 

 ステータスプレートをひらひらと彼の目の前で幸利が振るうと、浩介も全然わからんかったと白状する。なおその際頭を上げたのを不満に思ったのか、恵里達の視線が一層冷たくなったために急いで浩介は頭を地面にこすりつけた。

 

「いや何それ。そんな技能聞いたことないんだけど……メルドさん、知ってますか?」

 

「俺だって初耳だ。とりあえずこっちに寄越せ。全員で確かめるぞ」

 

 そして幸利の手から渡されたステータスプレートを皆――ただし浩介を除く――でのぞきこめば、誰もが幸利のように顔を引きつらせるしかなかった。何せ本当に意味が分からないのだから。

 

 ――深淵卿(アビスゲート卿)

 

 ステータスプレートによる説明はこうなっている。

 

 効果:凄絶なる戦いの最中、深淵卿は闇よりなお暗き底よりやってくる。さぁ、闇のベールよ、暗き亡者よ、深淵に力を! それは、夢幻にして無限の力……。

 

 本気で意味が分からない。とりあえずコレのせいで浩介が妙に強くなっていたり、痛々しい言動をするようになったんだろうとはあたりがついたのだが結局意味が理解できない。説明する気のない文章なんか持ってこられても困るのだ。そうして全員が浩介に胡乱な目を向けるも、浩介も脂汗を流しながら必死に弁解を務めるばかりだった。

 

「マジで俺は何もわかんねぇからな! 時間が経てば経つ程なんか強くなってった気がしたし、分身だって今ちょっとやってみたら本当に増やせたんだよ! あくまでその場のノリだったけどな! あとその技能のせいなのか知らねーけどやたらとハジメ達カップルを倒してみたくなって仕方なくなったんだ!! 信じてくれ!!」

 

 とりあえず自分達カップルを叩きのめしたくなったのは素だろうと全員が慈悲なき判決を下しつつも、浩介はこれに気付いていなかったというのは認めた。そこでハジメは浩介の下へと歩いていき、かがんで彼に声をかける。

 

()()君。顔を上げてよ。君がアレに呑まれた、ってのは理解できたから」

 

「は、ハジメ……! ごめん、俺が悪かったよ。許して、くれ――」

 

「それはそれとして僕の恵里と鈴にあられもない恰好をさせたのは事実だよね?――ちょっとくらい、やり返しても文句は言わないでね。だって僕達、()()でしょ?」

 

 そう言いながらハジメはゴム弾モドキの装填されたドンナーを浩介の目の前で構える。目がマジだった。自分の惚れた子を弄ばれたことに対するハジメの怒りが尋常でないことを改めて知り、もう浩介は震えるしかなかった。

 

「そうだねハジメくん。ちょっと()()()に遭うぐらい遠藤君は許してくれるよ。だって友達だし」

 

「浩介君、今回のことは鈴も怒ってるから。とりあえずビンタぐらいで済ますつもりだけど文句言わないでね」

 

「鈴ちゃん、そんな程度で許すの? 私、“天絶・光散華”で()()()を軽くふっ飛ばそうって思ったんだけど」

 

「ちったぁ手加減してやれ香織……まぁ、それはそれとして一発は殴ってもいいよな? 許されるよな?」

 

「ハァ、鈴は優しいな……とりあえず俺も龍太郎と同じでグーで殴るぞ。文句は言わせないからな?」

 

「あんまり強いのは駄目よ、皆……これも同門であった私達が至らなかったせいね――だから、門下生の私がお爺ちゃんとお母さん、お父さんの分も一緒に殴ってあげるわ。覚悟しなさい」

 

「まぁ皆もこう言ってる訳だし、私の分も上乗せしたって構わないでしょ。コースケ?」

 

「今回ばかりは私も怒ったからね……グー三回と魔法一発、どっちが好き?」

 

「あぁ、すまんお前ら……――浩介の奴は今回いらん真似をしたからな。とりあえず罰として俺も殴るぞ。文句はないよな――よし。浩介、今すぐ立って歯を食いしばれ。腹に力入れとけ。歯が抜けない程度には抑えてやる」

 

「……浩介。覚悟、決めろ。俺はもう何もしねーから。逆に止めらんねーけどな」

 

 幸利の同情は嬉しいが、それなら少しくらい減刑してくれと浩介が願ったのもつかの間のこと。悲鳴がこの階層にこだましたのは言うまでもなかった……。

 

 その後、罰の一環として“深淵卿”がどういったものかを浩介は羞恥に悶えながらも確かめる羽目に遭い、その結果、言動がやたらと香ばしくなる代わりに段階的な限界突破の効果があるらしいと分かった。

 

 しかも限界突破のように爆発的に力が跳ね上がるわけではなく、発動中、少しずつ全スペックが強化され、一番強化された状態だと分身から分身を生やす事すら可能だということもわかった。

 

 それと浩介があんな風になってしまったのは技能の後押しが一切ないという訳ではなかったものの、自分達恋人を妬んだせいだということが改めて判明した。

 

 それが判明してからというもの、あまり後を引きずらなかったハジメや龍太郎、光輝ら男子達とメルドは少しだけ浩介に優しくなった。主に腫れ物に触る感じで。

 

 それとアレーティアも優しくなった上に浩介に対する苦手意識もかなり緩和された。『遠藤さんも……同じ痛みを持つ、仲間だから』とのことである。無論そのことで浩介が泣き叫んだが誰も意に介さなかった。

 

「……雫」

 

「絶対に嫌。私にはこんなの出てないし、絶対に使わないから」

 

 なおその際、浩介と同じ天職である雫にも疑惑の眼差しが向けられた。光輝相手であっても心底嫌そうな目で使うことに反対し、拒絶している。無論光輝もそれを使ってくれと言う気ではなかったし、むしろ何が起きるかわからないから使うなと言いたかったぐらいなので、もうそれに関しては何も言わなかった。




今回のまとめ
1.……おや!? こうすけのようすが……!
おめでとう! こうすけはコウスケ・E・アビスゲートにしんかした!

2.アベック狩り(倒すとは言ってない)に成功するアビィ

3.雫、アビィ化を割と本気で嫌がる

だいたいこんな感じです。あと仮に雫にも発現するとしたら……

雫「闇より出し裁きの乙女、ダークオブプリンセスシズク、ここに見参!」

こんな感じになるかもなーと作者は勝手に思ってます。異論は認める
あとアビィのパート書いてる時はほぼ常に宇宙猫でした(こなみ)


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五十話 ありえた未来とは異なる旅立ち

それではまずは拙作を読んでくださる皆様がたへの感謝の言葉を。
おかげさまでUAも123617、お気に入り件数も782件、しおりも339件、感想も397件(2022/8/4 23:00現在)となりました。毎度毎度どうもありがとうございます。いやホント拙作をお気に入りに入れて下さる方々の数がグンと増える瞬間見てると毎度毎度驚きます。


それとAitoyukiさん、al iksirさん、jonさん、拙作を評価及び再評価していただきありがとうございます。皆様が評価してくださったおかげでまた前に進むための力をいただきました。本当に感謝でいっぱいです。


今回の話は長め(13000字程度)ですのでご注意ください。では本編をどうぞ。


「どうした勇猛なる者達よ!!」

 

「我等を前に屈するのか!」

 

「死の化身たる多頭の蛇を屠った貴様等の実力はそんなものか!!」

 

「まだ――まだだっ!!」

 

 ヒュドラとの激戦を繰り広げた例の場所で光輝達は四方八方から来る()()を必死に捌き続けている。

 

「――そこだ!!」

 

 相手の刃を受けた瞬間、手首の返しで剣撃を逸らし、同時に逆手に持ち替えて切り上げる――八重樫流刀術 音刃流(おとはながし)を以て切り結び、相手を上回る技量を以て三手の内に切り捨てる。

 

 白く輝く()を振るい、時にそれをバスタードソードの形に戻して光輝は迫りくる影を切り捨てていく――姿を変える刃の正体は聖剣であった。

 

 ()の鍛錬を繰り返している内に元来の形状だと使い勝手が悪い時もあったため、どうにかならないかと思案した際に聖剣が光って形状を変えたのである。しかも鞘まで形が変わっていた。おかげで幼少より修めていた八重樫流を如何なく発揮することが出来るようになり、光輝は深く聖剣に感謝する。そして今、その権能を駆使して迫る相手を倒し続けている、

 

「はっ!」

 

「やぁっ!!」

 

「そこっ!」

 

 一振りの刃がそれぞれ三方向に振るわれる。浩介と同様に実態のある分身を作れるようになった雫は、光輝の死角より迫る一撃を愛刀『(きらめき)』で弾き、返す刀で相手を倒していく。

 

 これは以前ハジメから作ってもらったタウル鉱石製のあの刀であり、生成魔法で“風爪”を付与したことで最大六十センチほど風の刃で刃先を伸長したり、刀身の両サイドに更に二本の風の刃を形成したり、更にはその刃を飛ばすことも出来るようになったのだ。ちなみに名前は愛する人の名前に近しいものをつけたいと雫が頭をひねって考えたものだったりする。当然光輝は照れて、大介らは茶化し、そして当然のように浩介は発狂してた。

 

「助かる雫!」

 

「「「構わないわ! 今は向かってくるのに集中!!」」」

 

「ふっ……やはり耀騎士と影の守護者、容易くは倒せぬか」

 

「この深淵を前にしてもなお乱れぬ連携よ――クソ羨ましい」

 

 雫も光輝も互いに背中を向けあいながらも不敵に笑い、構えも息も乱さない。その様子に相手の何人かは歯ぎしりしていたが、それを意に介することなく二人は戦いを続ける。

 

「“風爪”っ! そこだぁあぁぁ!!」

 

 ハイリヒ王国にいた頃から身に着けていた籠手から衝撃波を発生させ、蹴りと共に“風爪”を使い、“浸透破壊”の乗った拳の一撃を相手へと叩き込む。

 

 全て当てるどころか五割いけば順当なぐらいの命中率であったが、それで龍太郎は焦ることは()()無い。何度も散々相手をしてれば嫌でも理解できるし、そもそも相手は数が多い上にスピードと火力に特化している。そんな奴相手に当たったかどうかを気にすること自体馬鹿馬鹿しいとすぐに切り替えたのだ。ひたすら手数を以て、かつそれで冷静に相手をし続ける。それを龍太郎は常に意識していた。

 

「やっぱり数が多いと、厄介、だねっ!!」

 

 戦闘が始まってから鈴と共に“聖絶・桜花”を発動し続けている香織は、今も光の花弁を散らしては容赦なく相手を切り刻み、龍太郎へと向かう相手の数と動きをコントロールしている。愛する彼と背中合わせになりながら、彼女は自分のなすべきことをやっていた。

 

“ハジメくん、メツェライはまだ保つ!?”

 

“あと二分が限界!! 一号機の方もまだ七分は冷却しないと動かないし、恵里と鈴に頑張ってもらうしかないよ!!”

 

 迫りくる相手の三割近くを倒すというとんでもない所業をやってのけているグループの一つが恵里達であった。

 

 ()()()()()()神の使徒相手を想定した訓練なだけあって、ハジメの開発したガトリングレールガンである“メツェライ”が今も唸りを上げて対戦相手を喰い破っているのだ。

 

「くっ、やっぱり数が多いね!! リロードも楽じゃない!!」

 

 また空いた手にはドンナーが握られており、顔の上半分を覆う“魔眼鏡”と名付けたゴーグルを身に着けながら分身を一体ずつ撃ち抜いていく。

 

 このゴーグルは以前浩介が深淵卿となった時や、それ以降()()()()()()()()()()訓練の際に『分身だったら別に本気出しても大丈夫だよね?』と恵里と鈴共々何度もコテンパンにやられて追い詰められたハジメが紆余曲折の末に作りあげた代物であった。

 

 単なるガラスでは一つしか技能を付与することが出来ず、そのため皆に頭を何度も下げ倒して――なお一度頭を下げただけで快諾してくれたが、その後何度も何度も頭を下げまくったからである――神水を出さなくなった神結晶を譲ってもらい、材料にしたのである。視界を確保出来る程度に薄く“錬成”で加工し、“魔力感知”“先読”を付与することで身に着けている間は通常とは異なる特殊な視界を得ることが出来るようになった。しかもそれだけでなく、魔力の流れや強弱、属性を色で認識できるようになった上、発動した魔法の核が見えるようにもなったのだ。

 

 魔法の核とは、魔法の発動を維持・操作するためのもの……のようだ。発動した後の魔法の操作は魔法陣の式によるということは知っていたが、では、その式は遠隔の魔法とどうやってリンクしているのかは考えたこともなかった。実際、ハジメが利用した書物にも、魔法の指導をしていた教官やメルドからもその辺りの話は一切出てきていない。魔法のエキスパートたるアレーティアも知らなかったことから、新発見である可能性が高い。

 

 通常の〝魔力感知〟では、〝気配感知〟などと同じく、漠然とどれくらいの位置に何体いるかという事しかわからなかった。気配を隠せる魔物に有効といった程度のものだ。しかし、このゴーグルにより、相手がどんな魔法を、どれくらいの威力で放つかを事前に知ることができる上、発動されても核を撃ち抜くことで魔法を破壊することができるようになったのだ。ただし、核を狙い撃つのは針の穴を通すような精密射撃が必要ではあったが。

 

「み、ごと……!」

 

「フッ、やはり創造の魔王にはそうそう届かぬか!!」

 

「頼むからそのあだ名やめてくれないかな!?」

 

 寸劇をしつつもハジメはドンナーのシリンダーをスイングアウトし、排莢すると同時に弾丸が規則正しく薬室へと入っていく。素早くシリンダーを装填し直すと、すぐさまハジメは分身の魔法の核を狙い、分身を一撃で消滅させていく。

 

 メルドからのシゴきの時にも感じたある問題――ドンナーのリロードに手間がかかるということも感じていたのだが、実はそれも既に解消していた。一瞬だけ“瞬光”を使い、宝物庫から弾丸を転送することで空中リロードするという曲芸を身に着けたからである。以前トータス会議の時に弾切れも無しにリボルバーを撃ち続けていたことを思い出し、そこで宝物庫を使うことを思いついたのだ。

 

 とはいえ直接弾丸をシリンダーの薬室内に転送するほど精密な操作をやっている訳ではないし、それは出来なかった。弾丸の向きを揃えて一定範囲に規則的に転送するので限界だったのである。もっと転送の扱いに習熟すれば出来るようになるかもしれなかったが、時間の関係からハジメはそれを選ばず、前述した方法でリロードする方法の取得に勤しんだのである。もちろんそれを身に着けるのにも相応の時間は要することとなったが。

 

“やっぱり後でもう一台増やした方がいいかもね! その間はボクらでどうにかするよ、鈴!!”

 

「――“緋槍”!!」

 

 そして恵里もようやく乱射出来るようになった上級炎属性魔法の“緋槍”を放ち、迫りくる相手を貫き、火だるまにしていく。今やってる訓練をする時は神の使徒に操られることを前提のものであったため、耳栓を使用して“念話”を経由してハジメや鈴と意思疎通を図っている。

 

“慣れはしたけどホント厄介だね!!”

 

「――“聖絶・光散華”!!」

 

 そして鈴も切り札である無数の光の破片を爆破する“聖絶・光散華”をまたしても発動し、一気に迫り来る相手を爆砕していく。無論使った分はすぐさま“聖絶・桜花”を発動することで補充し、わずかな隙も見せないようにしている。そこかしこから相手の振るう刃や魔法での一撃が迫ってくるため、ほんの少し隙を見せるだけであっさりやられてしまうことを何度となく経験して身に染みていたからだ。

 

「温い、温いぞ!!」

 

「その程度で我等深淵を超えられると思ったか!!」

 

「思いあがるなよ――汝等の深淵は未だ浅い! 真に、否、(しん)に深き深淵たる我等を打倒するならば深淵に目覚めよ!! 受け入れよ!!」

 

 ……が、自分達に迫ってくる無数の浩介の分身は屁でもないとばかりに増えては突っ込んでくるため倒した実感は恵里達は微塵も感じてなかったが。痛々しさも最高潮なところが余計に。

 

 オルクス大迷宮を攻略し終え、解放者の住処で過ごして明日で二か月を迎えるその日。今日も彼らは『無数の浩介の分身相手に戦いをひたすら続ける』というトンデモ訓練をやっていた。

 

 ちなみにこれを提案したのはメルドである。『この……“深淵卿”? というのを使えば最高の対人戦が出来るな。恵里の話だとあの銀髪の女は無数にいるらしいし、狩りが終わったら奴と戦う際の予行演習として明日からやるぞ』と“深淵卿”の全容が明らかになったその日に言い出したのだ。

 

 城にいた頃や自主的な対人戦の訓練の際も刃を潰した武器や手加減した魔法を使ってやってはいたが、分身自体は致命傷を受けても浩介本人にはダメージがいかないことから、浩介以外は全力でやりあえるだろうとメルドが考え付いてしまったのだ。まぁ“深淵卿”が切れた後の浩介の精神的なダメージは言わずもがな。そこはちゃんと色々とケアをするということで提案したのである。

 

 無論、いくら分身とはいえ人を実際に殺すようなものだから浩介を含むほとんど全員がそれに関して嫌な顔を浮かべた。だが、そこで手を抜いて負けてしまってエヒトにいいようにされるのも嫌がったため、最終的には全員が承諾。こうしてやる運びとなった。もちろん浩介には刃を潰した武器を渡しており、彼は訓練の間は九十九階の広間で分身相手にシャドーボクシングをやっている。身になっているかは不明である。

 

「あーもういちいちうっさい。“緋槍”、“鋭迅”」

 

 かれこれひと月近くも香ばしい言動を聞き続けていれば嫌でも慣れるというもので、優花は適当にあしらいつつも魔法と投げナイフを交えた攻撃で浩介の分身の脳天を突いたり、焼き払うなり風の刃を体にブッ刺したりしている。

 

「“辻波”、“冷結”――はい。妙子っち、いいよー」

 

「ありがとぉ~奈々ぁ~――シッ!」

 

 奈々も特に表情を変えることなく鉄砲水を発生させる“辻波”を放ち、それに吞まれた分身を氷属性の“冷結”で凍らせると、すぐさま妙子も“纏風”を付与された()()の鞭を使いながら撃破していく。

 

 一本は王国の宝物庫にあったものであるが、もう一本はハジメが作った柄の先から鎖が伸びた代物だ。ヒュドラとの戦いの際に歯がゆい思いをしたことから妙子が彼に頼み込み、作ってもらったものである。貰った当初は二つを一度に扱うことが上手く出来ずに泣くことも多かったものの、今ではそれらを器用に動かして浩介の分身を次々と叩きのめしていく。

 

「甘いぞ付与術師よ!」

 

 そう言いながら四方から浩介の分身が幸利に襲い掛かるが、幸利は“瞬光”を使いつつ必要最低限の動きで攻撃を避け、時にはハジメから作ってもらったドンナーの同型リボルバー“ファントム”の銃身に纏わせた“金剛”と“纏水”で受け流す。

 

 そして分身が懐に入ったのを見計らってからベーオウルフの杭を突き刺し、引き金を引いて貫くと同時にファントムで他の分身の腹を撃ち抜いていく。

 

「――誰が甘いって? ナメんなよ浩介」

 

 前方から、上から、下から、両脇から、意識の外から迫りくる様々な攻撃を全員が避けるなり受け流すなりして対処していく。そしてそれは前衛の皆だけでなく、中衛、後衛を担っている子供達にも言えた。

 

「こう何度も相手してりゃぁ――なぁっ!!」

 

「俺らの底力を見せつけてやるぜ浩介ぇ!!」

 

「まだまだそう簡単にくたばってなんてやらねぇからなぁ!!」

 

 礼一、信治、良樹の三人もおそこかしこから来る攻撃をいなしながら、迫りくる浩介達を迎え撃っていく。礼一はこの訓練が始まってからハジメに作ってもらった短槍も使って二刀流ならぬ二槍流で、信治と良樹は時に別々に魔法を展開し、時には協力して炎の竜巻を起こして次々と倒していく。

 

「アレーティア!!」

 

「んっ!――“嵐帝”!!」

 

 アレーティアを背負いながら大介は“空力”を使いながらこの場を縦横無尽に駆け巡り、迫ってくる浩介の分身をハジメから作ってもらったダガーで捌くなり、徒手空拳で叩きのめすなどして撃退していく。そしてアレーティアも持ち前の強大な魔力で上級魔法を発動し、数多の浩介の分身を吹っ飛ばす。そこかしこに魔法の雨を降らし、今回もまた浩介の分身の三割そこらを消し飛ばしていく。戦場で勇猛を馳せた元王は伊達ではなかった。

 

「そこっ!――全く、減った気がしないな!!」

 

 そしてこの訓練の発案者であるメルドも分身を一太刀で切り伏せ、ひとところに留まることなく進んでいく。何度となく乱戦をこなしたおかげでより動きは洗練されてきており、“魔力感知”だけでなく物音や感じる視線からもある程度動きを把握できるようになっていた。この訓練を提案して三日目には本気で後悔していた人間とは思えぬ動きである(他の皆は二日目で絶望していた)。

 

「ふっ。流石は我等深淵を凌ぐ者達」

 

 こうして恵里達は過酷な訓練の末に仕上がっていたが、それは浩介もまた同じ。

 

「我等にまたしても深なる深淵を見せるまで粘ったのは称賛に然るべきか」

 

 むしろ分身を通して幾度も経験を積み続けた浩介こそが真に恐ろしいというべきだろう。

 

「ならば我等も一層深まった深淵を披露するが道理!! 征くぞ!」

 

 分身を経して幾度も死線を潜り続け、技術を彼は磨き続けていたのだ。

 

 ただ厨二病になってハイになっていた訳でも、物量だけで攻め落とそうという浅はかな考えを抱き続けていた訳でもない。恵里達が一歩踏み出すのならば彼はその経験故に三歩四歩分進めてしまう。浩介の真の恐ろしさはここにあった。

 

「来るぞ皆! 全力で警戒を!!」

 

 そして彼は()()()()()()

 

 実は術師である皆が必死になって“出盾”を発動し続けながら他の魔法を展開していたりするのだが、これは浩介も同じ。分身の何割かは土属性の魔法を発動しながら攻撃を仕掛けているため、その分動きが鈍っているのが基本やられているのである。こんなことをやっているのも『強敵相手に追い詰められても立ち向かえるようになる』ためだからだ。

 

 だが魔法を併用する分身の数が増えればどうにか保っている均衡はあっさりと崩れる。段々とキレが良くなっていく彼らを相手にこのままでは自分が負けると浩介は確信し、あえてそれを破ったのだ。

 

「「「「深淵流魔導技が一つ、“千棘剣山・万貫刃(深き地より来たれ、深淵の鋭刃)”」」」」

 

 浩介は“瞬光”を使わせて複雑な魔法を展開していく分身の数を更に増やす。そうすれば既に鎖や礫の弾丸が飛び出てくる地面から更に先端の潰れた無数の土くれの刃が現れていく。それは雪の結晶が成長するかのようにそこかしこへと伸びていき、かつ既にやっている攻撃の邪魔にならないように方向を選んで向かってくる。

 

「「「「「「深淵流魔法・風系奥義“【裂風・破弾波(迫る幻、刹那の牙)】”」」」」」」

 

「「「「「「深淵流魔導忍術が奥義――“磊々・蛇化転身(伸びよ腕、引き込むは深淵なり)”!!」」」」」」

 

 威力を軽く弱め、消費量を倍にした代わりに弾速を七割増しにした無数の“風球”、“縛岩陣”と“隆槍”の合わせ技で自在に伸びる土くれの刃(最重要事項:切れない)を展開するなど、軽い怪我程度で収まる代わりに速さだけはとてつもない魔法が至る所からカッ飛んでくる。

 

「相変わらず容赦がねぇー!!!」

 

「無理無理無理ぃー!!! こんなの捌き切れないよぉ~~~~~~~~~~!!!」

 

「どうしたどうしたぁ! 弱言を吐いていては深淵には近づけぬぞ!!」

 

「近づかなくていいぃ~~~~~~~~~!!!」

 

 更にテンションが上がったのか勢いがより増した魔法の弾幕、否、最早津波に襲われた恵里達は今日も皆叩きのめされてしまい、無事に敗北を喫する形となった……“深淵卿”は強い。そのことを改めて皆が思い知ったのであった。

 

「うっ……ぐすっ……いたいよーいたいよー今日も俺の言動が痛いよー……なんだよ忍術って……あんなエセ忍術なんて鷲三さんからも虎一さんからも教わってねーよーていうか魔法だろアレはぁ……最近は慣れたけどなんか俺こっちに段々と引っ張られてる気がする……もうやだよーもう奈々や妙子から痛々しい目で見られたくないんだよー……うぅ……」

 

 なお“深淵卿”を解除した浩介は今日も自身の言動の痛々しさで憔悴していた。彼とて無敵ではない証左である。

 

 

 

 

 

「……いよいよ、だね」

 

「うん。明日だね」

 

 その日の夜中、書斎のベッドの上でひとしきり()()を終えた恵里達三人は明日のことを話し合っていた。

 

「もうここを出ちゃうんだよね……」

 

「うん、これからが本番だ」

 

 明日でもう二か月を迎える。ここに籠って旅の準備を整えるための期間が終わる。これから訪れるであろう困難を思い、恵里と鈴は腕枕をしてくれていたハジメの体にすがりつく。

 

「……やっぱり、怖いね」

 

「うん……これだけやったんだから十分大丈夫だと思う。でも、でも……怖いよ、ハジメくん」

 

 微かに震える鈴の体、声を湿らせて抱き着く恵里にハジメは手を回す。少しでも二人が安心できるように、と。

 

「ここでやれることはやったんだ。だから後はさ、大迷宮を攻略してやれることを増やしていこう」

 

 そう述べるハジメの声もまた震えている。彼とてこれで大丈夫かという不安があった。けれども二人を不安にさせまいと必死に背伸びをしている。

 

「……ありがとう、ハジメくん。ハジメくんも不安だってわかったら、あんまり心配じゃなくなっちゃった」

 

「ハジメくんだって不安だもんね……いいよ。一緒に怖がりながら進もうよ」

 

 そんな彼をとても愛おしく感じた恵里と鈴からほんの少しだけ緊張が抜け、腕に回す力がちょっとだけ弱まった。自分達の愛した人だって不安になるのだ。だから自分達だけが不安になっても仕方がない。それに、こうして頑張って引っ張っていこうとしてくれているのだ。そんな彼がとても愛おしい。だから少しだけ、怖くなくなった。

 

「……ねぇ二人とも。そんなに僕って頼りない?」

 

 一方ハジメの方はそんな二人の反応に少ししょげてしまう。男なんだからここで頼れるところを見せたかったというのに、そんな内心を見透かされてしまって自信を少し喪失してしまう。けれどもそんなハジメに恵里と鈴は頬にキスをしてきた。

 

「別にハジメくんに強さはそこまで求めてないよ……辛いとき、苦しいときにこうして寄り添ってくれるハジメくんがボク達は好きだから」

 

「うん。むしろこうして鈴達の不安に応えてくれる。そんなハジメくんだから好きでいたの」

 

「…………うん。ありがとう。恵里、鈴」

 

 二人の言葉に赤面しつつも、頼られる男になりたいなぁとハジメは密かに願う。そして三人は今日も眠りに就いた。皆で地球に帰ることを夢見て、三人で幸せになることを思い描いて。

 

「だいじょうぶ……だいじょうぶだよ、龍太郎くん。みんなが、私がいるから」

 

「……おう。でも忘れるなよ、香織。お前には俺がいる。お前の不安も、俺が抱えるさ」

 

「……うん。ごめんね、龍太郎くん。強がっちゃって」

 

「俺だってそうしなきゃやってらんねぇさ。だから、いいんだ」

 

 明日に不安と希望を抱くのは誰もが同じで、香織は自分の胸の中で龍太郎を甘やかしていた。そうすることで『自分は大丈夫』、『皆がいるから問題ない』と思い込んで不安を押し込んでいた。だがそれをすぐに看破した龍太郎に結局は甘える形にもなった。

 

「ぐがー……ぐがー……アレー、ティア……」

 

「すぅ……すぅ……だいすけぇ……んんっ」

 

 先程まで激しく肌を重ね合わせて不安を紛らわせていた大介とアレーティアであったが、お互い疲れたことで今は仲良く夢の世界へと旅立っていた。

 

「……光輝」

 

「皆で、皆で抱えていこう、雫。皆となら、怖くなんてないさ」

 

「うん……だから光輝も、来て?」

 

「……ごめん、雫。ちょっとだけ、ちょっとだけ甘えさせてくれないか――ありがとう」

 

 向き合って抱き合う光輝と雫もお互いの心音を聞き合いながら横になる。そうして互いの不安を共有し合った。

 

「いよいよ、か……」

 

「怖ぇな。なんていうかさ」

 

「……ここに残っててもいいんだぜ? 誰も責めなんてしねぇよ」

 

「誰も残らねぇよ、礼一……その方がかえってキツいだろうからな」

 

 居間で眠る礼一らも緊張と不安に苛まれていた。誰も二の足を踏む事を咎めなかったが、進む事を諦めたりはしていなかった。

 

「いざって時は俺の“深淵卿”がある。だからそう簡単に遅れなんてとらないよ。俺に、任せとけって」

 

 けれどもそれはただの無理ではなく、オルクス大迷宮で生活している内により強くなった仲間意識から来ていたからだ。

 

「……あまり無理はするなよ、浩介。お前は立派な戦力で……俺の、教え子なんだ。もちろんお前達もな」

 

 そしてメルドの言葉を境にやりとりは途絶える。

 

 どこか手のかかる子供のように扱われている気がして、けれどもそれが嫌という訳でもなくて。どこか『家族』を感じさせる雰囲気に少し郷愁を感じてしまったからか、もう何も言えなくなった。

 

「明日、なんだね……」

 

「そうね……」

 

「優花も、奈々も、不安?」

 

「うん……これで大丈夫かな、って思ったりもするよ。でも……」

 

「もう当たって砕けろで行くしかないんじゃない? 先延ばしにし続けて後悔なんてしたくないし」

 

「そうだね……うん」

 

 優花達もベッド三つのベッドを近づけた状態で話し合う。不安も怖さも感じないはずはない。けれども幾度となく窮地を乗り越えてきたことで根付いていった自信が彼女達を支えた。

 

「……ユキの奴に置いていかれるなんて、イヤだから」

 

「幸利……とずっと一緒にいたいから」

 

「? 優花、奈々?」

 

 そして抱いていた想いがぽろりと漏れる。小声であったため気づくことはなかった。妙子も、それを言った本人でさえも。

 

 ――そうして迎えた翌日、一同は遂に地上に出ることとなった。

 

 全員の()()恰好は、城で支給されたものやここ解放者の住処のクローゼットにあった衣服を裁縫が出来る人間でちまちまと仕立て直したものを身に着けている。アレーティアに関しては上はオスカーが着ていたと思われる男物のシャツを手直ししたものと、革製のスカートを履いている。

 

 後はどこに出るかわからなかったため、一発で身元が割れないよう全員がハードコンタクトを着用していたり、髪の毛を染めたりしている。コンタクトの方は茶色や黄色に碧といったもので、髪は茶髪か赤――ちなみにアレーティアは大介と茶髪でお揃いにした――である。これも一行がアレコレ考えて試行錯誤の末に生み出した成果だ。

 

 他にもメルドから色々と教えてもらって一般的な冒険者や兵士が扱っているような見た目の武具――革鎧や肩当といったもの――を装備しているといった具合だ。

 

 尤も、それら全ての材料は真のオルクス大迷宮産であるため、地味な見た目に反してあり得ない程に性能は凶悪であったが。それと身軽に見える術師全員やハジメらは服の中にタウル鉱石製の鎖かたびらを着込んでいたりするため、見た目以上に防御力はバッチリであった。ちなみに真のオルクス大迷宮を攻略する際に身に着けていたものは全て宝物庫の中に収まっており、ハジメがその管理を任されている。

 

 ちなみにそんな彼らのステータスを一部抜粋すると大体こんな感じであった。

 

 

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中村恵里 16歳 女 レベル:???

 

天職:闇術師

 

筋力:8540

 

体力:10290

 

耐性:7680

 

敏捷:10760

 

魔力:14160

 

魔耐:14160

 

技能:闇属性適正[+闇属性効果上昇][+発動速度上昇][+消費魔力減少][+魔力効率上昇][+連続発動]・闇属性耐性[+効果上昇]・気配感知[+特定感知]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚][+瞬光]・風爪・夜目・遠見・魔力感知[+特定感知]・熱源感知[+特定感知]・気配遮断[+幻踏]・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・恐慌耐性・全属性耐性・先読・金剛・豪腕・威圧・念話・追跡・高速魔力回復・魔力変換[+体力][+治癒力]・限界突破・言語理解

 

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==================================

 

南雲ハジメ 16歳 男 レベル:???

 

天職:錬成師

 

筋力:8620

 

体力:10730

 

耐性:8320

 

敏捷:11160

 

魔力:11980

 

魔耐:11980

 

技能:錬成[+鉱物系鑑定][+精密錬成][+鉱物系探査][+鉱物分離][+鉱物融合][+複製錬成][+圧縮錬成]・気配感知[+特定感知]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚][+瞬光]・風爪・夜目・遠見・魔力感知[+特定感知]・熱源感知[+特定感知]・気配遮断[+幻踏]・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・恐慌耐性・全属性耐性・先読・金剛・豪腕・威圧・念話・追跡・高速魔力回復・魔力変換[+体力][+治癒力]・限界突破・生成魔法・言語理解

 

==================================

 

 

==================================

 

天之河光輝 16歳 男 レベル:???

 

天職:勇者

 

筋力:10020

 

体力:13270

 

耐性:9940

 

敏捷:12880

 

魔力:14820

 

魔耐:14820

 

技能:全属性適正[+光属性効果上昇][+発動速度上昇][+消費魔力減少][+魔力効率上昇][+連続発動]・全属性耐性[+光属性効果上昇]・物理耐性[+治癒力上昇][+衝撃緩和]・複合魔法・剣術[+無念無想]・剛力・縮地[+爆縮地]・先読・高速魔力回復・魔力変換[+体力][+治癒力]・魔力感知[+特定感知]・気配感知[+特定感知]・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]・胃酸強化・纏雷・天歩[+空力][+縮地][+豪脚][+瞬光]・風爪・夜目・遠見・熱源感知[+特定感知]・気配遮断[+幻踏]・毒耐性・麻痺耐性・石化耐性・恐慌耐性・金剛・豪腕・威圧・念話・追跡・限界突破・言語理解

 

==================================

 

 

 レベルは100を成長限度とするその人物の現在の成長度合いを示す。しかし、魔物の肉を喰いすぎて体が変質し過ぎたのか、ある時期から全員ステータスは上がれどレベルは変動しなくなり、遂には非表示になってしまったのである。

 

 魔物の肉を喰った恵里達の成長は、初期値と成長率から考えれば明らかに異常な上がり方だった。特にハジメがそれが顕著であった。ステータスが上がると同時に肉体の変質に伴って成長限界も上昇していったと推測するなら遂にステータスプレートを以てしても彼らの限界というものが計測できなくなったのかもしれない。

 

 そんな化け物染みた強さとなった一同は三階へと集まると、外に出る魔法陣にハジメが魔力を流していく。すると、リーダーである光輝が全員に言葉をかけてきた。

 

「……俺達は今も世界中でお尋ね者扱いかもしれない」

 

 誰もが一度は想定したこと。このまま死んだり行方不明扱いしてくれればいいが、恵里から情報がリークされてしまったことを考えればそう簡単に逃がしてはくれないだろう。それをわかっていたからこそそれに誰も反論できない。

 

「聖教教会も敵に回っている。そう考えておけ……今は雌伏の時だ。情報を集め、お前達で十分戦えるとわかってからハイリヒ王国へと戻るんだ。そして神殿騎士とまだいる可能性のある銀髪の女を破ってイシュタル教皇に迫り、お前達の扱いを撤回させる。それでいいな?」

 

 メルドの言葉に全員がうなずく。このまま世界の敵扱いでは間違いなく神代魔法取得の旅に支障が出てしまう。とはいえ二か月も籠っていたから外はどうなっているのかがわからない。だからこそ今は慎重に動くべきだというのは誰もが理解していた。

 

「まぁでも浩介もいるし、俺達ならどうにかなるんじゃねぇのメルドさん?」

 

「楽観視し過ぎだ良樹。恵里の話では雲霞の如くいるというからな――それにあの時本気で相手をしていた様子もなかった。本気ならきっとあの場にいた誰もが死んでいただろうからな」

 

「そうだね。少なくとも分解する能力をフルに活用してなかったんだから最低でもそれは考えとかないと」

 

 良樹の言葉にメルドは静かに反論し、それに恵里もうなずいた。やはり一筋縄ではいかないか、と誰もが緊張を露わにしながらも、今度は恵里が言葉を紡いだ。

 

「――けれどボク達なら戦える。あの時無様に負けそうになったのとは違うんだ。ここでこうして強くなって、色んな武器も手にして、技術だって磨いた。あの時のボク達じゃない」

 

 そう力強く述べる恵里にこの場にいた全員がうなずいた。ベヒモスのいた階層でいいようにされた時や、二尾狼の群れに最初に襲われたあの苦い記憶。それを思い出して不安に駆られていたりしたが、それももう過去でしかないのだと皆が割り切って考えることが出来たからだ。

 

「……勝とうぜ」

 

 龍太郎が言葉(みじか)に告げる。その瞳に強い意思を孕ませて。

 

「勝とう」

 

「勝ちましょう」

 

 香織と雫がそれに乗る。並々ならぬ決意を宿して。

 

「命がけなのは今更だな。ここで怖気づいてなんていられるかよ」

 

「そうだな。ここで何度も死ぬ目に遭ったんだ。そう簡単にやられてたまるか」

 

 幸利が、浩介が発破をかけてくる。この程度で立ち止まれないという風に。

 

「だな。だーれも攻略したことのないオルクス大迷宮の一番奥まで行ったんだ。俺らが最強無敵だろ?」

 

「だよな。ま、でもどれだけ強いのが出てきても俺らが負ける訳ねーし」

 

「そうそう。むしろここより強い魔物がうじゃうじゃしてたら世界なんてとっくに終わってらぁ」

 

 信治が、礼一が、良樹が、不敵に笑いながら言う。地獄を駆け抜けてきた自分達に恐れるものなんてない、とばかりに言ってのけた。

 

「あぁ。それにこっちにゃアレーティアもいるんだ。負ける訳がねぇ」

 

「…………んっ。私もいる。私達は、負けない」

 

 肩に手を回し、自信満々に言う大介と、そんな彼の言葉に軽く頬を赤くするアレーティア。自分達も屈する気はないとばかりに二人も強い語調で訴えきていた。

 

「そうね。今更尻込みなんてする場所じゃないわ」

 

「うん! 皆で、皆でやっちゃおう!!」

 

「そうだねぇ〜! 私達なら、やれるぅ〜!!」

 

 優花、奈々、妙子も叫ぶ。恐怖を振り払って、負けてたまるかとばかりに声を上げて。

 

「そうだ。お前達ならやれる。やってみせろ」

 

 腕を組みながらメルドもまたそう述べる。自慢の教え子がそう簡単に負けるものか、と。

 

「行こう、皆。僕らならどんな壁でもきっと越えられる。僕はそう信じてる」

 

「ハジメくんの言う通りだよ。ここでの経験、ハジメくんの作った道具があるんだから」

 

「うん。私達の力、見せつけてあげよう」

 

 ハジメが、恵里が、鈴が静かに語る。恵里の知る未来でもハジメはここから進んで神殺しを成し遂げた。不安になる要素はあっても自分達がやれない道理なんてない、と意志を燃やして。

 

「――じゃあ行こう皆。俺達の旅の、始まりだ!!」

 

 そして光輝の号令と共に魔法陣が起動する。光が溢れ、部屋をまばゆい光が包んでいく――かくして恵里達一行の旅が始まることとなる。

 

 実はこの時、本来の未来では十日ほど時間がズレてしまったことに気付いた者は誰もおらず。それが何をもたらすかは――今は誰も知らない。




以前割烹でも書きましたけれど、原作との時間のズレは『基本』無視します。ええ、『原作通り』ですよ……あるズレを除いてね。ふふっ。

あ、それと今回の話ではあえてカットした箇所の話も近い内に投稿しようかなーと考えております……だって、ちゃんと組み立てた方が絶対『作者的には』面白くなると思いましたから(ニチャァ)


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幕間二十七 影は掴まれ、心は朽ちゆく

まずは拙作を見て下さる皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも125268、お気に入り件数も785件、しおりも342件、感想数も405件(2022/8/15 6:56現在)となりました。誠にありがとうございます。皆さん深淵卿大好きなんですね。いや自分もですが(笑)

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき本当にありがとうございます。おかげでまた筆を走らせる力が湧きました。感謝に堪えません。

では今回の話を見るにあたっての注意を。今回の話はやや長め(約12000字程度)でしかもタイトルの通り鬱・胸糞展開です。それとちょっと『本気』出しました。では上記に注意して本編をどうぞ。

――諸人よ、覚悟せよ。


「そう、だったんですか。だから、だから南雲君達は……」

 

 鷲三と霧乃が愛子と合流した日の翌日の朝。愛子は番をしていた霧乃から恵里達に何があったのかを聞かされ、はらはらと涙を流していた。あまりに残酷で、苦しい旅へと向かわざるを得なかった子供達の話を。

 

「戻ればハジメ君、恵里ちゃん、鈴ちゃんの三人は再度あそこに連れていかれて落とされたでしょう。それも何も持たせられずに。光輝君達は命は無事でも監視下に置かれたであろうことは想像に難くありません。故に、進むしかなかったんです」

 

 何度となく恨み言を吐いてそのまま疲れて眠った愛子を、交代しながら鷲三と一緒に見守っていた霧乃がそれに補足する。彼らには選択の余地は無かった。だからこの選択肢を選んだのだと語る。

 

「……ごめん、なさい。彼らの思いも、お二人の思いも汲むことが出来ないなんて、先生失格ですね」

 

「何を仰っているんです。こんな状況で雫や他の子供達のことを案ずる貴女が先生であってくれて良かったと心から思っています。胸を張って下さい」

 

 涙を流し、うつむく愛子を霧乃はただ優しく抱きしめる。生徒のことを思い、そのためにやれることをやってきたであろう彼女を、にもかかわらず空回りし続けて心が弱っている目の前の女性を癒すためにもこれしかないと思ったのだ。無論闖入者が来た時に彼女を抱えてその場を去るのが容易になるというのもあったが、それは二の次であった。

 

「ありがとう、ございます……」

 

「いえ……」

 

 流れる穏やかな時間。窓から差し込む朝日に照らされる二人の姿はどこか絵になる光景であったが、それを見るギャラリーはおらず。鷲三は壁に背を預けたまま仮眠している――尤も、少しでも不自然な物音が立てば飛び起きるが――ため、ほんの数分の間だけ名画はそこにたたずんでいた。

 

「……今度は私の番ですね」

 

「お願いします。そちらの事情も知っておきたいので」

 

 そして今度は愛子が語る。自分が何故こうして再度各地を巡ることになったのかを。教皇と取り付けた約束を。だがそれを聞いた霧乃はほんの少し顔を歪めた。

 

「――ですから、今は永山君達が戦争に巻き込まれるのを回避するべく動いています。教会の人達もこの約束を公の場所でした以上、そう簡単に破ることはないはずです」

 

「……ええ、そうですね」

 

「ですが、私は――」

 

 そこに違和感を感じた旨を愛子は霧乃に伝えようとすると、ふと部屋のドアを軽くノックする音が響いた。鷲三も即座に目を覚まし、霧乃と目を合わせると即座に気配を殺し、ドア側の天井の四隅に張り付いた。

 

「俺だ。デビッドだ……その、入ってもいいか、愛子?」

 

「……い、今、私が開けます」

 

 突然の二人の行動に驚きはしたものの、二人を見られてしまってはまずいと判断した愛子はドアを開ける。

 

「――! す、すまない! まだ起きたばかりだったか……」

 

「――あっ……いえ、構いません。何の用ですか」

 

 目を覚まして早々霧乃と話をしていたため、まだネグリジェのような恰好をしている。とはいえ今の彼女にとってこれは最高の口実だ。着替えないといけないと理由をつけてすぐにデビッドを追い払えるのだから。

 

「あ、あぁ。少し愛子のことが心配になってな……それと、そろそろ朝食の用意が出来るそうだ。支度が終わるのを見計らってまた来る。その……」

 

「わかりました。着替えたらすぐに向かいます。それじゃあ」

 

 用件を聞いてすぐさま愛子はドアを閉めた。今の彼女にとって教会もそこに属する神殿騎士も信用に値しない。だからこそ一刻も早く切り上げようとしたのだが、不意に聞こえたデビッドの言葉に愛子は顔をうつむかせる。

 

「……待っている、だなんて」

 

 そう一言残して去っていったデビッドを扉越しに愛子は睨む。こちらは一刻も早く関係を断ちたいのに、あなた達のせいで彼らは苦しんだというのに、どうして、と愛子の中で憎しみがまたふつふつと湧き立っていく。

 

(……やはり言えませんね)

 

 そんな口を強く結んだ彼女を見ながら霧乃は思う。教皇イシュタルが愛子と約束をした際の文言に抱いた違和感のことを。あまりに愛子にとって都合の良すぎる約束を結んだことと、その真意を。

 

(強制はしない。なら、()()()()()()動いたのなら――)

 

 その違和感の正体――それはもし永山達が()()()()()()()()場合はどうするのかについて一切触れなかったことである。もしその推測の通りであればしてやられたと思うものの、かといって今の不安定な彼女に伝えたらどうなるかと思い、顔を幾らか歪めるのがせいぜいであった。

 

 

 

 

 

「――わかりました。ではその道の近辺にある畑の土壌を改良すればいいのですね」

 

「ええ。その手腕に期待しております、“豊穣の女神様”」

 

「――はい。お任せください」

 

 朝食の後、ここら一帯を取り仕切る地主からの説明を受けた愛子は早速行動に移ろうとするも、ほんの一瞬だけ顔をうつむかせると、すぐに営業スマイルを浮かべて地主から離れていった。

 

(……あれ? 愛子さん?)

 

 最初に違和感に気付いたのは神殿騎士のチェイスであった。護衛がてら仕事に向かう彼女の様子をうかがったさい、ほんの少しだけ愛子の足取りが軽くなったように見えたのだ。無論ただの勘違いとか思い込みであったかもしれない。だが、愛子の護衛として四六時中付き添っている彼にとってはこれは見間違いには思えなかったのだ。

 

(うん? 愛子ちゃんの顔、ちょっと化粧が薄くなってないか? もしかして、顔色が少し良くなった?)

 

(愛子の技能、普段よりも冴えているようだ)

 

 だがそれに気づいたのは何もチェイスだけではない。近衛騎士であるクリスとジェイドも気づいた箇所こそ違えど、愛子の調子が良くなっていることに気付いていたのである。

 

(朝は愛子のあられもない姿で気づけなかったが、動きのキレが無理をし出した辺り程度にまで回復している……何か、あったのか?)

 

(……あの蛆虫、いつもより作業が早く終わってますね。一体何があったのでしょう……調べる必要がありそうですね)

 

 無論それはデビッドとローリエも。あまり長くない期間といえど、伊達に行動を共にしてきた訳ではない。ほんの少しではあれど、いつもより調子のいい愛子の様子をいぶかしみながらも護衛の騎士達は黙って任に当たる。

 

 野生の獣や魔物が来ないとも限らないし、どこかに魔人族が隠れてて彼女を狙わないとも限らない。近間に寄ってきて彼女を拝む農夫達に早く散るよう通達しつつ、警戒を怠ることは決してなかった。

 

(……あの動き、ずっと無理をしていたのだな)

 

(あれでは……あのままではいずれ潰れてしまいかねません! ですが、どうすれば……)

 

 それは彼女の周囲で気配を殺し、陰ながら見守っている鷲三と霧乃も同じであった。

 

 鷲三は霧乃からの又聞きでしか知らないものの、地上で未だ頑張っている永山達のために頑張っていることを聞いている。そしてその身に鞭を打って頑張っていることを彼女の動きから理解してしまった。肉体疲労にあえぐ人と同じ動きをしていると彼らはわかってしまった。故に心苦しい。自分達はここでも何も出来ないのだ、と。

 

(何事もなければよいが……だが、予想外の事態は起きうるものだ)

 

(杞憂で済めばいいのですが……どうか、何も起きませんように)

 

 色んな人間に心配される中、愛子は一人様々な技能を発動し続けて大地に恵みをもたらしていく。その様は紛れもなく二つ名の通りであり、地味なれど多くの農夫からの畏敬の念を集め続けている。

 

(これでここは終わりました……次は、あそこですね)

 

 だが当の本人はそんなことを気に留める余裕などない。永山達が戦争に加担せずともよくなるように、と小さい体を必死に動かす様は六人の男女の同情を誘う。女神と称されるにはあまりにちっぽけで、弱々しい姿であった。

 

 

 

 

 

「お休み、愛ちゃん。今日はいい夢が見られるといいね」

 

 全ての仕事を終え、今日はクリスに付き添われて宿の自分の部屋の前まで愛子は戻って来た。無論その傍には常に鷲三と霧乃が気配を消した状態で控えており、何があっても即座に対応できるよう警戒態勢を保っていた。

 

「ええ、お休みなさい」

 

 自分を気遣って声をかけてくれたクリスを一瞥することすらなく、愛子はあいさつだけを返してそのまま部屋へと入っていく。そして疲労でふらつく足取りでベッドまで向かうと、そのままボフンと倒れこんだ。

 

「大丈夫ですか、愛子さん」

 

「今晩も私達が護衛しよう。貴方は存分に休むと良い」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 昨晩涙を流し、今朝方事情を聴いて幾らか精神的なダメージは回復したものの、それだけで肉体に蓄積された疲労は簡単に抜けてはくれない。

 

(今は、今は少しでも休まないと――っ!?)

 

「敵襲かっ!」

 

 少しでも疲れがとれるようそのまま睡魔に身を任せようとした時、ふと何かが砕けるような音が愛子の耳をつんざいた。それとほぼ同時に鷲三が彼女の手を引き、素早くその場を離れる。一体何があったと思って半ばぼやけそうになった意識に喝を入れ、音のする方へと意識を向けた。

 

「ふむ。畑山愛子の確保に失敗するとは。想定よりは腕が立つようですね」

 

 美しく、しかしどこか底冷えのする機械的な声に愛子の意識は完全に覚醒する。

 

 ノースリーブの膝下まであるワンピースのドレスに、腕と足、そして頭に金属製の防具を身に付け、腰から両サイドに金属プレートを吊るした格好の女。それが目の前に一人、壊れた窓から全く同じ姿形をしたのが更に二人現れ、何事かと戦慄する。

 

「……神の使徒か」

 

 鷲三の言葉に愛子はハッとする。霧乃が恵里達のことについて語った際、この存在についても効かされていたのだ。触れるだけで分解する羽を自在に飛ばし、天職“勇者”に選ばれた光輝や自分達も赤子の手をひねるかのように翻弄されたと語った存在のことを。

 

「ええ。あなた方はノイントを退けたようですが、私達がそう簡単に後れを取ると思わないことです」

 

 先の鷲三の反応からもしやと思って視線を向ければ、先頭にいた一人がそれに答えた。気配を消し続けていた浩介が不意討ちをしなければ勝つことすら出来なかったと語る存在に愛子も思わず体を強張らせる。

 

「愛子! 一体何が――!?」

 

 そんな時、騒ぎを聞きつけてデビッド達も現れた。眼前には彼女の手を引く老人と妙齢の女性、そして全く同じ容姿の女の戦士がそこにたたずんでおり、護衛の彼らも困惑せざるを得なかった。

 

「よくぞ参りましたね。主の信徒よ」

 

「……何者です? 貴女達も不審者の類では?」

 

 不審者ごときに馳せ参じたことを称賛されても嬉しくないとばかりにチェイスは腰に下げていた鞘から剣を引き抜く。そして他の護衛と共にすぐさま構え、相手の出方をうかがうことにした。

 

「愛子から離れろ……さもなくば切る」

 

「愛子、今助ける! 俺達が今度こそ、お前を救ってみせる!!」

 

 剣呑なまなざしで見つめるジェイドに改めて誓いを立てるデビッド。だが、そんな彼らを闖入者の女三人は特に気にも留めない。まるでハエか何かを見つめているかのようであった。

 

「違います……」

 

「何が違うんだい愛子ちゃん! その二人、確か教皇聖下の話じゃ反逆者――」

 

「彼らは、私の生徒の家族の方なんです!!」

 

 あらぬ方向から飛んできた言葉に一瞬デビッド達の気が削がれてしまい、思わず武器を落としかけてしまう。一体どういうことだと困惑しながらも愛子の言葉を待つ()()に、愛子は涙を流しながら叫んだ。

 

「鷲三さんと霧乃さんは、あなた達が反逆者と罵った私の大切な生徒の一人のお祖父さんとお母さんなんですよ!! それを勝手に不審者扱いして、反逆者だなんて言って! 何も知らない癖に、言いがかりをつけないで!!」

 

 その言葉にクリスとジェイドは間抜け面を晒し、デビッドとチェイスは悲痛な表情を浮かべる。反逆者として指名手配を受けている老人と女に対して自分達以上に心を許している様にクリスとジェイドは驚くしかなく、デビッドとチェイスは自分達の不甲斐なさにただ武器を握る力を強めるだけであった。

 

「愛子さん、ここは――」

 

「言わせてください! この人達は、ちゃんと私の話を聞いてくれました! 私の知りたかったことに答えてくれました!! それ以上に! 鷲三さんと霧乃さんは八重樫さんの家族なんです! だからこの人達も私が守らなきゃいけない人なんです!! それを勝手に傷つけるのならあなた達であっても許さない! 絶対に許しなんてしませんから!!」

 

 一刻も早く離れるべきだと忠告しようとした鷲三に対し、愛子は自分を守るとのたまっている彼らに生の感情をぶつけた。もう奪わせなんてしない。絶対に今度こそ自分が守るのだ、と両手を広げながら。

 

「……それは、本当なのか。愛子」

 

 するとデビッドが軽く顔をうつむかせながらそんなことを聞いてきた。一度愛子の心を深く傷つけてしまったが故の躊躇、迷いを彼は見せた。

 

「そうです! その証拠になるものも見せてもらいました!! だから私は二人を信じます!! 誰が何と言おうと悪人でも反逆者でもありません! 私と同じ“神の使徒”です! そう扱わないのであればあの約束を守りませんから!!」

 

 永山達を守らんと王侯貴族の前で啖呵を切った時のように愛子は叫ぶ。その言葉にデビッドらの剣先は鈍り、自分達では彼女の心の支えにすらならないのかと無力感に苛まれた。

 

「……愛子、今私があなたを救います」

 

 だがローリエだけはわずかにも戦意を緩めることなく剣を構えていた。三人の侵入者の素性も気になるところではあったが、それ以上に邪魔だと彼女が感じていたのが目の前の老人と女であった。

 

(違和感の正体はあなたのおかげでわかりました。感謝しますよ、愛子(ゴミムシ)

 

 反逆者である南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴の三人と関わりがあり、しかもあの三人を奈落の底へと突き落とすことに失敗した要因の一つであるとローリエは教皇から聞かされていたのだ。故に今ここで絶対に殺さねばならない、と柄を握る力を一層強め、目の前の三人の女が動かないことに警戒しながらも隙をうかがっていた。

 

「愛子、あなたは騙されている……いえ、操られているだけなのです。可哀想に」

 

 無論、愛子にたぶらかされているデビッド達(無能な男供)にも揺さぶりをかけながら。ここで日和ってもらっては困るのだ。反逆者を受け入れるなどあったものではない、と愛子を哀れむのを装って。心の中でこの二人を殺せばどれだけ気持ちよくこの薄汚い女が泣き叫んでくれるかを愉しみにしながら。

 

「違います! 私は、私の意志で二人を――」

 

「それが既に操られているという証拠です――デビッド、チェイス、クリス、ジェイド。私達の手で愛子を救いましょう。あの二人を切り捨て、あちらの方にも対処するんです」

 

 目の前の愛子(ダニ)の叫びに取り合う必要はない。所詮利用価値が無くなればいつ切り捨てても問題ないゴミでしかないのだから。いつ愛子を殺せば最もメリットがあるかと心の中で算盤を弾きながらローリエは四人に呼び掛ける……だが、ここで彼女にとって予想外の出来事が起きた。

 

「……愛子、その言葉に嘘は無いんだな? 神に誓ってか?」

 

「はいっ! この人達は味方です! 信じて!!」

 

「――そっか。ならやることは一つ!!」

 

 愛子の言葉を聞いた途端、いきなりデビッド達が愛子のそばへと駆け寄り、三人の闖入者にだけ抜き身の刃を向けたのである。

 

「なっ……なぁっ!?」

 

 唯一置いていかれたローリエはその整った顔立ちをひどく歪めるしかなく、ここまで愛子(汚物ごとき)に骨抜きにされていたのかと怒りを露わにするばかりであった。

 

「みな、さん……どう、して」

 

「もちろん、私達は愛子さんの味方だからですよ。エヒト様への信仰を捨ててでも貴方の剣となる覚悟がありますから」

 

「ああ……愛子が信じた人間を、俺達が信じない道理にはならない」

 

「……ずっと、後悔してたんだ。僕達のせいで愛子ちゃんは傷ついてたんだ、って。だからさ、こんな時ぐらいカッコつけさせてよ」

 

「俺達トータスの人間のせいで愛子は不要な苦しみを受け続けていたんだ。だからせめて、これぐらいはさせてくれ」

 

「……デビッドさん、チェイスさん、クリスさん、ジェイドさん」

 

 デビッド達はずっと後悔していた。自分達のせいで、自分達が属する聖教教会の動きのせいで、ハイリヒ王国のせいで彼女の教え子はバラバラになってしまい、そのことにずっと心を痛めることになってしまったのを。自分達がもっとしっかりしていれば、魔人族などに簡単に屈することなく、もっと強い力を持ってさえいれば、と思っていたのだ。

 

 だからいきなりとはいえ、心中複雑ではあったものの、心が傷ついた彼女を支えてくれる人が現れたことが嬉しかった。たとえ自分達の抱くこの思いが愛でなくとも、彼女の心を癒してくれる人間がいるのなら、と思ってそばに寄った。今度こそ、違えないように。

 

「……それがあなた達の意志、と。そう受け取ってもよろしいのでしょうか」

 

「ああ! 俺達は誰が相手であっても退く気はない! 全ては、愛子のために!!」

 

 たとえ目の前の女がわずかにも意に介していなくとも、デビッド達は戦う意志を燃やし続ける。

 

「――っ! いかん、目をそらせ!!」

 

「魔法で壁を作ることをイメージして!!」

 

 ――その瞬間、彼らの心が試された。

 

「何を……ぁ?……俺は、俺は守る……愛子……いや、エヒト様、を」

 

「私は……愛子さんのために、すべて……エヒト様のために、すべてを、捨てる……」

 

「僕は、愛子ちゃんの……ため……えひ、エヒト様のため……そう、エヒト様、エヒト様のために」

 

「俺の使命は……あい、こ……エヒ、ト?……エヒト様、エヒト様に尽くす……それだけが使命」

 

 神の使徒の碧眼が一瞬輝くと同時に彼らの意識に段々ともやがかかっていく。守りたかったものを、信念を、何もかもが自覚なく書き換えられていく。全てがただエヒトへの忠誠心へと塗り潰されていってしまう。

 

(彼等には悪いが――!!)

 

(この隙、逃がしはしません!!)

 

 急遽自分達に味方したデビッドらを見捨てるようで気が引けたが、今この瞬間を逃す訳にもいかないと“気配操作”で可能な限り気配を消し、目の前の神の使徒の頸動脈を切り裂くべく鷲三と霧乃は闇討ちにかかる。だが――。

 

「無意味です」

 

「無駄な足掻きを」

 

「我らの目は誤魔化せません」

 

「――ッ!? ぐぁああぁああぁあぁあ!!!」

 

「うぐっ!――ぁああああああああぁぁあぁぁ!!!」

 

 瞬時に召喚した大剣で以て二人の片腕を切り捨てたのだ。それもひどく正確に、肩口から刎ねたのである。そして剣の腹で二人は殴り飛ばされ、部屋の壁へと叩きつけられてしまう。

 

「……え? なに、が……なにが、起きたんですか……?」

 

 そして愛子はただ茫然とするしかなかった。デビッド達はいきなりうわごとをつぶやくようになってしまい、いつの間にか鷲三と霧乃は音のした方向に叩きつけられ、口から鮮血を流してせき込んでいる。

 

 何が起きたかわからず、愛子はただ困惑するしかない。だが相手はそんな愛子に構うことなく鷲三と霧乃の胸ぐらを掴み、そのまま踵を返そうとしていた。

 

「そこをどきなさい。私達が用があるのはその二人だけです」

 

 このままでは絶対に二人は助からないと直感した愛子はすぐさま神の使徒の前に立ちはだかり、恐怖に怯えながらも彼女は叫ぶ。

 

「い、嫌です!! この人達は、命に代えても――」

 

「そうですか。ならば仕方ありません――信徒達よ」

 

 神の使徒のひとりがそうつぶやいた途端、デビッド達が愛子のそばへとやって来た――鬼気迫る形相で。

 

「っ! 一体、何を――」

 

「エヒト様の邪魔をするな、女ァ!!!」

 

 そして肩を掴むと同時に愛子の顔を思いっきり殴りつけたのである。

 

「よくもエヒト様への信仰を捨てさせようとしたな、貴様!!」

 

「死んでくれよ恥知らずが!! 僕の全てはエヒト様だ!!」

 

「よくもかどかわしてくれたな、恥知らずめ!!」

 

「あぐっ! ぐっ!――あぁあぁあぁあぁあ!!!」

 

 デビッドに殴られて倒れた愛子に、チェイスが、クリスが、ジェイドが、()()を目の当たりにしたかのように蹴り、踏みつけ、罵倒する。愛子のために全てを捧げる気概を持ったはずの男達は今、狂信のままに彼女を否定し続ける。

 

「……く、くくっ、ははっ、あははははははははは!!!」

 

 そしてその様をただ見ていたローリエは嗤う。自分が成したいと思っていたことがよりによってよくわからない部外者に、それも自分の想定を上回る最高の形で実現したのだ。護衛をしていた奴らから裏切られ、守ろうと思っていたものを奪われる。この光景を見て心が躍らぬ道理が無かった。

 

「ろ、ローリエさん……た、たすけ……」

 

 その上見下していたゴミが救いを求めている。こんな滑稽なことがあろうか、と彼女の中で愉悦が高まっていく。だが、まだだ。まだ()()()()()()()()()。そう考えたローリエは愛子の伸ばした手を掴むことなく闖入者の前へと行き、跪く。

 

「何の真似ですか」

 

「そのお言葉、その御業。それら全てを拝見した上で申したいことがあります――あなた方はエヒト様の御使い様でしょうか?」

 

「いかにも。私達は神の使徒。主の命によりこうしてこの者達の捕縛に参りました」

 

 冷たく、感情のこもっていないゾッとする声で問いかけられてもローリエは揺るがない。目の前の存在に対して失礼を承知で逆に問い返す。すると期待通りの答えが返ってきたことに内心歓喜しながらも、それを抑えて彼女は進言する。

 

「であれば、そこの女の殺害はどうかおやめになってください――もっと素晴らしいものをエヒト様にお見せいたします」

 

「ほぅ」

 

 今もなお暴行を受け続けている愛子を助けるよう嘆願したのだ。それを聞いた神の使徒のひとりが表情を変えずに息を漏らし、目で続きを促した。

 

「ごほっ……うぐっ……げほっ……ぇっ?」

 

「この女はエヒト様の意を騙る不届き者ゆえ、死んでくれるのはとても喜ばしいことです――ですが、私めならばもっと良い使()()()を用意できます」

 

「……話を聞くとしましょう。信徒達よ、その手を止めなさい」

 

 顔をうつむかせながらも喜悦に満ちた表情でそう伝えれば、デビッド達の手はピタリと止まる。元々殺そうと思って命じた訳でもなかったが、別に死んだところで構うほどのことでもなかった。故に止めずにいたのだが、自分を介してエヒトが話を聞くよう命じてきたのである。真なる神の使徒の一人であるエーアストは声をかけて彼らの動きを止めた。

 

「愚鈍なる私めは未だ反逆者達の死を教皇聖下より拝聴しておりません。無知蒙昧故の浅はかな考えだと一笑に付するでしょう――ですが、反逆者は生きているのではありませんか?」

 

 その問いかけは息も絶え絶えな愛子も鷲三らも驚愕に値するものであった。願望込みで生きていると語った鷲三と霧乃はもとより、半ば諦めかけていた愛子にとっては青天の霹靂と言って差し支えが無かったからだ。

 

「何故、そう思ったのです?」

 

「ただの私めの願望です。全知全能たるエヒト様が彼の者らの生死を知らぬはずがありませんし、もし死んでいたというならば教皇聖下は神託を賜っているはずです。そして各地の信徒に知らせているはずである、と」

 

「いき、てた……あのこたちは、いきてた……?」

 

 願望というにはいささか理路整然としていたものの、その答えを聞いてエーアストらは沈黙してしまう。意識が消えそうになりながらも愛子はその喜びをただ噛みしめる。死んだと思っていた彼らがまだ生きていてくれたのだ、と。

 

「やめ、ろ……」

 

「いわないで、ください……」

 

 だが、どんな言葉が続くのかに気付いた鷲三と霧乃がそれ以上言わないでくれと懇願するも、ローリエはそれを止めることはしない――これほど絶望させがいのある相手はいないと確信したからだ。

 

「反逆者の前で殺していただく機会を賜りたいのです――“豊穣の女神”畑山愛子を殺した大罪人として、その罪を背負ってもらうために」

 

「…………………………えっ」

 

 そう言いながら面を上げる――悪意と喜悦に歪んだ笑顔を神の使徒らにローリエは向ける。神の意を騙ったどこまでも忌まわしいあの女の大事なものを目の前で汚したい、とその欲望を吐き捨てたのである。

 

「なるほど。主もまたポーター――南雲ハジメらで遊ぶためにこの者らを使われると述べていました。ですが、主はあなたの考えに興味を持たれました」

 

 絶望。その一言に相応しい内容の言葉が神の使徒の口から流れ出ていく。生きててくれた彼らが、自分のせいでより一層追い詰められる。ただでさえ逃げ場のない彼らが地獄へと落ちる。それを愛子は、鷲三は、霧乃は、理解してしまった。

 

「あ、あぁ…………」

 

「では――!」

 

「どのようにするかもあなたに一任する、とも――時が来たらお伝えしましょう。上手くやりなさい。私達の信徒よ」

 

 全てが、こぼれ落ちていく。

 

「ま、待て! 貴様らの思う通りには――うぐっ!?」

 

「このまま恥をさらすぐらいなら――がはっ!?」

 

 腹に一撃をもらった鷲三と霧乃はそのまま意識を失い、破壊した窓から空へと向かう神の使徒と共に姿をくらます。

 

「……どう、して。どうして、あなたは――ぐっ!」

 

「――その顔が、見たかった。心の底から見たかったんですよ、畑山愛子」

 

 涙目で問いかける愛子に対し、かがんで彼女の前髪を乱暴に掴んでニタニタと嗤いながらローリエは答える。

 

「私の役目は不敬な考えを抱いたお前の排除――神の意を騙るろくでなしを殺すことだ」

 

「こん、な……こんなことを、教会の、ひとが、許すと……」

 

「許すも何も、私は教皇聖下よりこの命を賜っているんですよ……今回ばかりは()()私情を挟みましたが、教皇聖下も許して下さることでしょう。何せ、反逆者を討つための大義名分を更に用意できるのですから」

 

 悔しさと敵意に満ちた眼差しをむけられながらもローリエは心底嬉しそうに語る。淀みない、曇りのない、邪悪な笑顔で贄を眺めながら。

 

「もうお前の味方などいませんよ。腑抜けどももこうしてあなたを襲ったのです……絶対に、逃がさない」

 

「で、ですが……永山君、たちは……」

 

「安心してください――死んでしまったあなたのために、“勇者”としての務めを果たしてくれるでしょう」

 

 その言葉で愛子は理解してしまう――最初から約束など守る気なんてなかった。彼らを戦争に参加させるために自分は生贄になってしまうのだと理解させられてしまう。

 

「あ、あぁ……そん、な………………」

 

 心が、朽ち果てていく。

 

 手にしたはずの希望が絶望に反転していく。

 

 立てた誓いすら灰になっていく。

 

「わたし、は…………」

 

「では、その時が来るまで()()()()()()()()。畑山愛子」

 

 圧倒的な絶望を前に彼女の心は砕け、散り散りとなる。憎しみの炎すらもう、消えてしまっていた。

 

 

 

 

 

「食事を持ってきましたよ、愛子」

 

「はい、ありがとうございます……」

 

 翌朝。ひどく上機嫌な様子でローリエは朝食の載ったお盆を持って愛子の部屋を訪れていた。対する愛子はベッドに腰かけたまま、光のない瞳をさまよわせているだけである。

 

 ローリエは彼女のすぐ近くに座ると、フォークで刺した野菜を彼女の目の前まで持っていく。

 

「駄目ですよ。どんな時であっても食事をとらないと。お役目が果たせませんからね」

 

「はい、ごめんなさい……」

 

 そして差し出された野菜を謝罪と共に口にくわえ、もそもそと咀嚼していく。

 

 “豊穣の女神”のためにと差し出された食事をただ機械的に噛みしめ、すり潰しては飲み込む。味のないガムをただのどに詰まらせないようにするかのように、愛子は食べ物を摂取していた。

 

「まずは教会の方に顔を出しましょう。昨晩教会の皆が怪我を治してくれましたからね」

 

「はい、わかりました……」

 

 あの後、血だるまになった愛子を背負い、ローリエは教会を訪れていた。『夜に寝静まった頃に反逆者に襲われてしまい、どうにか守りきれたものの、愛子はひどい怪我を負ってしまった』ととてつもない後悔に満ちた表情で経緯を騙ったのである。

 

 無論教会は上も下も大騒ぎとなり、回復魔法を使える人間を片っ端から呼び出し、反逆者の捜索のために人員も組んで出ていったのだ。自分達のところにまだ報告が来てないことから察するに、まだ探している最中なのだろう。そのことについてはローリエも反省し、心底気の毒に思っていたがそれだけであった。

 

「その後は任されていた他の畑の土壌の改良ですね。しっかり仕事をしてください――でないと」

 

「――っ! わ、わかりました……やります、やりますから、どうか……」

 

 仕事の内容の確認をしつつ、含みを持たせた言い方をすれば愛子は途端に怯えたようにこちらの様子をうかがってくる。きっと自分が仕事で粗相をしたら永山達のことがどうなるか不安で仕方がないのだろう。それがひどく愉快で愛おしくてたまらない。ローリエは一層機嫌を良くして愛子に向けて微笑んだ。

 

「ならいいんです。あなたの仕事ぶりは永山様達の評判にもかかわってきかねませんからね」

 

「はい……はい、やります。全力で、やらせてもらいます……」

 

 神の意を騙ったあの鬱陶しい女が今は自分の手でコロコロと表情を変えている。それが悦しくて悦しくて仕方がない。ローリエは空になったお盆を持って立ち上がり、部屋を後にしようとした。

 

「――では、今日もよろしくお願いしますね。“豊穣の女神”様」

 

「はい……がんばります。せいいっぱい、おつとめ、させてもらいます……」

 

 亀裂のような笑みを向けてあいさつすると共にローリエは部屋を出ていく。そして足音が遠ざかっていくと共にはらはらと愛子は涙を流す。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……なにもできなくて、だめなせんせいでごめんなさい…………」

 

 信頼できる相手も、一度心を通わせることが出来た人達もそばにいない。まさしく冬の訪れであった。




本日の言い訳

いやだってこんな使えそうなおもちゃが近くに転がっててたらエヒトだったらこうするでしょう? 解放者の面々を世界の敵にして追い詰めたみたいにね。それに……思いだけでどうにかなるほど「ありふれ」って甘っちょろい世界じゃないじゃないですか(ニチャァ)

思いだけでどうにかなるなら原作勇者がカトレアを無力化して、そこから魔人族との和解にまで持っていくことだって出来たはずなんです……でも彼がどうなったか、ご存じですよね?

あ、でもこれまだメインディッシュじゃありませんよ。だってまえがきで「ちょっと『本気』出した」って言ったじゃないですか……お愉しみは、これからですよ(亀裂のような笑み)


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第二章
五十一話 この空の下で歓喜と憂うつを(前編)


それでは拙作を読んでくださる皆様に多大な感謝を。
おかげさまでUAも125916、感想数も412件(2022/8/16 05:49現在)となりました。一日でここまで伸びるなんてありがたい限りです。というかあの展開があってお気に入り件数が全然減らないことに滅茶苦茶驚きましたけれど。皆さん訓練されまくってる……!(戦慄)

それとAitoyukiさん、今回もまた拙作を再評価してくださり、本当にありがとうございます。厳しい評価が来てもおかしくないと覚悟していましたが、こうしてお眼鏡にかなったのであれば喜ばしい限りです。

今回も前後編です。はい、毎度のやらかしです(遠い目)
では本編をどうぞ。


 魔法陣の光に満たされた視界、何も見えなくとも空気が変わったことは実感した。奈落の底の澱よどんだ空気とは明らかに異なる、どこか新鮮さを感じる空気に全員の頬が自然と緩む。

 

 やがて光が収まり目を開けた彼らの視界に写ったものは……洞窟だった。

 

「うぉおおおぉぉおぉー-----い!!!」

 

「違ぇーだろ!! なんでまだ洞窟にいるんだよ!!」

 

「なんでやねん」

 

「……むー」

 

「また洞窟かよぉおぉおぉ!? 俺お日様の光浴びたいの! しおれる!!」

 

 魔法陣の向こうは地上だと無条件に信じていた礼一らは、代わり映えしない光景に思わずツッコミを入れる。ハジメも鈴もまたすぐに地上に出れるだろうと思ってワクワクしていたため、半眼になって関西弁でツッコんだりブー垂れる程度にはガッカリしていた。

 

「お前ら……こうして隠しでもしなかったら魔物とかが入ってくるだろうが」

 

「うん。メルドさんの言う通り、こういうの普通隠すでしょ? そうじゃなきゃ何かの拍子にここに人や魔物が来る可能性だってあるんだよ?……もう、ハジメくんも鈴も」

 

 呆れた様子のメルドと落ち込んだ二人を見て困ったような笑みを浮かべる恵里の言葉に五人は一斉に撃沈する。至極ご尤も。そういった考えが浮かんでいなかった自分や人前でバラされたことへの恥ずかしさでもう悶えるしかなかった。

 

(危ねぇ……ハジメと谷口には悪いけど犠牲になってくれて助かったぜー)

 

(そういやそうだな……俺も大分浮かれてたんだな)

 

(よ、良かった……口に出してたらすっごく恥ずかしくて動けなくなってた……龍太郎くんに呆れられなくてよかったよ……)

 

(よ、良かったぁ~……幸利、っちや皆からあんな目で見られたらすごい恥ずかしかったし)

 

(ゴメンねぇ~、五人ともぉ~。おかげで私、恥かかなくて済んだよぉ~~)

 

 なお同類は割といたりするが。信治らが大声を上げて文句を言ったため、ツッコミやら非難の声を上げるタイミングを逸してしまったのだ。おかげで助かったのではあったが。なお彼らは自分も浮かれてたと見られるのが嫌であったため自白はしなかった。容赦なく良樹達を生贄にしたのである。

 

「……コホン。ハジメ達が外に出たいと思ってたのは十分わかった。じゃあこれから外に向かおうか。でも、外に誰かいるかもしれないし、念のため慎重にな」

 

 ともあれここで立ち止まっていてはどうにもならないと判断した光輝は一度咳ばらいをし、全員に言葉をかける。その後立ち直った五人共々皆で洞窟の中を歩いていった。

 

 緑光石の輝きもなく真っ暗な洞窟ではあったが、それが気に掛かっているのは軽くげんなりした様子のユグドラシル(鉢植え)ぐらいだったため、そのまま道なりに進むことにした。

 

 途中、幾つか封印が施された扉やトラップがあったが、オルクスの指輪が反応して尽く勝手に解除されていった。誰もが警戒しながら進んでいたのだが、拍子抜けするほど何事もなく遂に外から漏れているであろう光を見つけた。恵里達はこの数ヶ月、アレーティアに至っては三百年間、求めてやまなかった光を。

 

「っしゃオラぁぁぁあぁ一番乗り――」

 

「待てコラ抜け駆けさせ――」

 

「ふざけんな礼一、良樹テメェらぁああぁ!! 俺が真っ先に――」

 

「――“縛地陣”」

 

 その途端、良樹達が我先にとそこへ駆け出していくがそれを見越したメルドが即座に“縛地陣”を発動して駆け出した三人の馬鹿の片足を縫い留め、その場で横転させる。魔力の消費が妙に激しいことや眉間にしわが寄るのと頭痛がするのをこらえながらもメルドは口を開いた。

 

「お前ら……さっき光輝が注意したばかりだろうが。あの銀髪の女が待ち構えてたらどうした?」

 

「いや、あのー、“気配感知”に引っ掛かってなかったんで大丈夫だと思いまして……」

 

「いやー、いくらあの場所で光を浴びてても結局人工のヤツじゃないですか。やっぱ本物には勝てねーかなー、って……」

 

「えーと、えーと……シャバの空気吸いたくて、その……」

 

「よしわかった。安全を確認したら後でシゴいてやる。覚悟しろ」

 

 悲鳴を上げる三人を横目に恵里達は周囲に人気が無いことを確認しながら、(はや)る気持ちを抑えながら光の射す方へと向かっていく。それは近づくにつれ徐々に大きくなっていき、外から風まで吹き込んできた。奈落のような澱んだ空気でなく、ずっと清涼で新鮮な風を。長いこと大迷宮にいた恵里達は空気が旨いという感覚をこの上ないほど実感していた。

 

「……気配は無いな。よし、行こう!」

 

 そして光輝の号令と共に一行は同時に光に飛び込み……待望の地上へ出た。

 

 地上の人間にとって、そこは地獄にして処刑場だ。断崖の下はほとんど魔法が使えず、にもかかわらず多数の強力にして凶悪な魔物が生息する。深さの平均は一・二キロメートル、幅は九百メートルから最大八キロメートル、西の【グリューエン大砂漠】から東の【ハルツィナ樹海】まで大陸を南北に分断するその大地の傷跡を、人々はこう呼ぶ。

 

 【ライセン大峡谷】と。

 

 恵里達は、そのライセン大峡谷の谷底にある洞窟の入口にいた。地の底とはいえ頭上の太陽は燦々(さんさん)と暖かな光を降り注ぎ、大地の匂いが混じった風が鼻腔をくすぐる。

 

 たとえどんな場所だろうと、確かにそこは地上だった。呆然と頭上の太陽を仰ぎ見ていた彼らは次第に笑みを浮かべていく。アレーティアであっても誰が見てもわかるほど頬がほころんでしまっていた。

 

「……戻って、来たんだ」

 

「うん……やっと、やっと地上に来れたんだ」

 

 一行は、ようやく実感が湧いたのか、太陽から視線を逸らすとお互い見つめ合い、そして思いっきり抱きしめ合った。

 

「地上だー--------!!! 地上に戻って来たー-----!!!」

 

 そして誰もが手放しにその喜びを分かち合った。連れがいる面々はその相手と、連れがいない方も近くにいた仲間と抱き合い、久々の光と風の感触に身もだえする。

 

「戻った、戻ってこれたー-!!」

 

「うん!! やっと、やっと地上に出れたんだ!!」

 

「長かった……本当に長かった! はは……こんなに空気が美味しいんだ……」

 

 恵里達は互いに抱きしめ合いながら地上に戻ってこれたことを実感し、感激する。それは他の面々も変わらず、近間にいた人間や恋人に抱き着き、その喜びを嚙みしめていた。特に大介は小柄なアレーティアを抱きしめたままくるくると廻っており、途中、地面の出っ張りに(つまず)き転到するもそんな失敗でさえ無性に可笑しくて二人してケラケラ、クスクスと笑い合う。

 

 しばらくの間、人々が地獄と呼ぶ場所には似つかわしくない笑い声が響き渡っていた。だが――。

 

「……全員構え。二時、十時の方向から魔物だ」

 

 ここは地上の処刑場と称する場所、ライセン大峡谷。その証人となる存在が恵里達へと迫って来たのである。

 

「はぁ~……マジ空気読めよ。俺らがせっかくいい気分に浸ってたってのによ」

 

「ボヤいてる場合じゃねーぞ、大介。んじゃ早速準備を――」

 

「待て皆――さっき俺が魔法を使った際、妙に魔力の消費と魔法の維持が難しく感じた。おそらくここは魔術師殺しのライセン大峡谷だ」

 

 ボヤく大介を横に幸利は持っていた金属製の杖を構える。そして付与魔法を発動しようとして妙に維持と構成が難しく感じたその時、メルドがその理由を説明してくれた。行軍経験のあるメルドはライセン大峡谷の近辺を通ったことが何度かあり、そこが魔法が使えない場所であるということも既に知っていた。

 

「“種火”……みたい、ですね――皆! ここは俺と雫、浩介で前衛を! 龍太郎、大介、礼一、それとメルドさん、優花、妙子は後衛の守りを!!」

 

 試しに光輝も初級魔法を発動しようとして微塵も反応が無いことを確認し、すぐに命令を飛ばす。ここにいるメンバーの大多数が術師に類する魔法主体のメンバーであり、ここではマトモに戦えないと判断したためだ。

 

 そこでリーダーである自分と遊撃がこなせる雫と浩介で迫る敵の大半を倒し、他に近接戦闘がやれる仲間に残りの敵の対処をしてもらおうと考えたのだ。だがそれにすぐさま幸利が待ったをかけた。

 

「待ってくれ光輝……ハジメ、ファントムを出してくれ。銃だったらまだ戦えるはずだ」

 

 彼が考えたのは銃での援護である。たとえ魔法がマトモに発動しない場所であっても、レールガンが使えないとしても銃そのものは使えると考えたからだ。それに納得したハジメはすぐに宝物庫に魔力を流し、いつもより遥かに魔力を持っていかれる感覚に辟易しながらもファントムを幸利の左手に、そしてドンナーとシュラークを自身の手元に転送した。

 

「宝物庫に魔力を込めた感じだと十倍ぐらいは必要そうだね。でも、これなら――」

 

「ナイスだハジメ。だったらレールガンもいけるな!」

 

 二人の出した結論に軽く場が沸き立つ。レールガンが使えるのであれば戦力はかなり増えたと言えるからだ。期待出来なかった後衛の戦力が加わったのと同じであるため、すぐに光輝は二人に追加の指示を飛ばした。

 

「わかった! ハジメと幸利は俺達が仕掛ける前に撃ってくれ!」

 

「「了解!!」」

 

「だったら私達も! 皆で少しずつ負担すればもっと早く終わるよ!!」

 

 そこで今度は香織も加わりたいと申し出てきた。十倍もの魔力が必要となると厳しいとは思ったが、ここにいる大半は魔法が主戦力の仲間達だ。なら一発だけでも全員で援護できればかなり変わると考えて述べたものの、すぐに光輝は首を横に振った。

 

「いや、待つんだ香織! 十倍も魔力が必要な場所で無駄遣いなんて――」

 

「待ってくれ光輝! これに関してはアレーティアも意見があるみたいだぜ」

 

 すぐさま反論しようとする光輝であったが、アレーティアに袖をクイクイと引かれた大介がすぐに彼女に代わって意思を代弁する。そして間髪入れずにアレーティアは大介の後ろから自分の意見を述べるのであった。

 

「……確かに分解される。けれど、ここの大迷宮を攻略するとなると、私達術師のやれる範囲も知っておいた方がきっといい」

 

 その言葉に誰もが納得をせざるを得なかった。確かにこのライセン大峡谷にある大迷宮を攻略するにあたって、自分達魔法使いの面々がどれだけ戦えるかも把握しておくべきであろう。オルクス大迷宮で手に入れた生成魔法しかり、魔法を使う恵里達にとって有用な魔法をそこで入手できる可能性だってあるからである。

 

 それに香織が参加を表明したり、アレーティアが自身の意見を述べてきたのもある理由がある。それは神水を生み出さなくなった神結晶を加工してハジメが作ったアクセサリー型の魔力タンク“魔晶石シリーズ”があったからだ。操られる危険性から恵里が主に、他の面々も魔力があふれそうな時に注いでいたこともあって相応のストックがある。それもあって二人は強気に出たのだ。

 

「そう、ですね……よし、作戦変更! 魔法が使える香織達は一度だけ魔法による攻撃を頼む! ただし、発動するのは中級までで基本は前衛の皆に任せて無理はしない。いいか?」

 

 いつどこで何が起きるかわからない以上は魔力の無駄遣いは避けるべき。しかし、そのリスクをとってでも術師である皆がどれだけ戦力になるのかも計算に入れて損は無い。すぐに算盤を弾き終えた光輝は新たな命令を下し、全員の了解を取りにかかる。

 

 全員の『了解!!』の一声を聞いて前を見据えた光輝は、迫りくる敵を前に普通のロングソードの形にした聖剣を抜き、ハジメと幸利に号令をかける。

 

「今だ! ハジメ、幸利!!」

 

「わかった!」

 

「任せろ!」

 

 そして既に狙いをつけていた二人はたっぷりと電気を纏わせたリボルバーの引き金を引く。普段以上に魔力を食った一撃はいつもと変わらぬ破壊力で向かってくる魔物の頭を射抜き、頭部を吹き飛ばされた魔物はそのまま地面に勢いよく倒れこみ、地面に赤い染みを作っていく。

 

「――よし! 皆、一斉射撃だ!!」

 

 次いだ号令と共に各属性の魔法の弾丸が雨あられと敵へ迫っていく。光輝の指示通りそれらは中級の魔法であったが、それを発動した全員の顔は険しい。かつて吸血姫と称されたアレーティアも想像以上の消費に思わず顔をしかめ、恵里達もかなりの魔力をこめたはずなのに威力も速度も少し弱々しい自身の魔法を見て歯噛みしていたのだ。普段なら湯水のごとく使える中級魔法であってもかなりの量の魔力を持っていかれてしまうため、ここまで辛くなるのかと実感したからである。

 

 だがそうして苦労して発動した幾つもの魔法は情け容赦なく敵を倒し、数を相応に減らしてくれた。それを見るや光輝は雫と浩介と共に駆け出していき、見事な剣捌きで敵を屠っていく。三人の攻撃を免れた魔物はハジメと幸利による銃撃で対処し、ほどなくして魔物の掃討は完了する。終わってしまえばあまりにあっけないものであった。

 

「……思ったよりも弱かったな」

 

「ま、それだけ俺らが強くなったってことだろ、龍太郎」

 

「そうそう。ま、あそこの魔物とか、めちゃくちゃ多い浩介相手にしてたんだからこれぐらい強くなるだろ。当然だな」

 

 手ごたえの無さに少し困惑する龍太郎に良樹と信治が軽く調子に乗りながらそう答える。いつの間にやら判断基準があのオルクス大迷宮の魔物や浩介相手にしてしまっていることに苦笑いしながらも、すぐに龍太郎は周囲の確認に移る。“気配感知”で悟られることなく迫る敵への警戒であった。これは軽口を叩いていた良樹らも無意識にやっていたりする辺り、彼らも人のことは言えなかったりする。

 

「……よし。敵もいないみたいだし、これから移動しようか。ハジメ、バスを出してくれ」

 

「待っててね……はい」

 

 そして光輝の声に応えたハジメはすぐに宝物庫からバスを取り出した。元はクラスメイト全員で移動するための手段として造ったものであり、ウニモグモドキの車を基にしたキャンピングカーやハマーモドキの魔力駆動四輪ではバラバラにならないと全員が乗れないため、今回はこれを使うことにしたのである。

 

「んじゃ、今回は俺が運転させてもらうからな」

 

 そして話し合いの末、今回バスの運転を担当することになったのは龍太郎であった。バスに襲い掛かってくる魔物を撃退するのは他のメンバーの方が上手く出来るため、近接戦闘の方に戦闘能力が寄っている龍太郎では少し荷が重いと考えたからだ。これに関しては彼自身も思っており、魔法による援護よりも運転をする方が役に立てるだろうと異論は挟んでいない。

 

 ちなみに大介達馬鹿四人はバイクやウニモグ単体、ハマータイプの車の方に乗りたがっているため、今回はゴネていなかったりする。

 

「頼むよ龍太郎――みんなー、シートベルトは着けたかー?……よし、それじゃあ出発しよう!」

 

 全員が警戒を怠ることなく乗車を終えると、光輝が全員に声をかけて確認を取ったのを聞いてから龍太郎は車体に魔力を流していく。すると音もなくタイヤが動き、車底に仕込まれた“錬成”を発動するギミックを使いながら軽快に悪路を整地してバスは進んでいくのであった。

 

「こうして見ると壮観だね――あ、えいっ」

 

「そうだよね。魔物がいなかったら楽しめるんだけど」

 

 途中、幾らか魔物が寄って来たものの、鈴と香織の発動した“聖壁・刃”が数体一気に細切れにしていく。

 

「まぁ仕方ないよ。今僕らがやってるのは現住生物の縄張りを突っ切ってるようなものだしね」

 

「だとしてもどっちもヤバいとは思うけどな――そらっ」

 

 また、窓を開けたハジメと幸利がレールガンを叩き込んでミンチを作っていく。

 

「余裕だなお前ら……っと、前方に結構敵が来たな。ハジメ、ミサイルブッ放していいか?」

 

「お願い。アザンチウムを使ってるから多分大丈夫だと思うけど、やっぱり無理はしないに限るしね」

 

「よっしゃ、任せろ」

 

 そして龍太郎が魔力を更に流してギミックを起動し、バスの天井に隠されていたミサイルランチャーから発射されたミサイルで前方の魔物の群れを撃破していった。

 

「キュゥ……キュゥ~」

 

「どうしたのイナバ? 何か怖いことでもあった? 大丈夫だよ。私達がいるから」

 

「なんかユグの奴も怯えてないかしら? あんな化け物ばっかの世界にいたのに、意外と可愛げがあるわね」

 

 そしてイナバとユグドラシルはこの惨劇を作り出しているであろう自分達の飼い主に怯えていた。ヤバい。怒らせたらああなる。死にたくない。絶対に逆らわないようにしよう、と改めて決意する。

 

 ここ最近色んな魔物の肉を食べたりして強さを得たことで内心ちょろっと増長していた二匹だったが、そんな気は一気に消えてしまった。相変わらずペットもしくは家畜コースまっしぐらである……ただそれはそれとして滅茶苦茶心配そうに見つめてくる雫が怖くてイナバは奈々の膝の上に全力で居座った。

 

 ライセン大迷宮の入り口を探すかたわら、どこか観光気分でライセン大峡谷を走っていく一行。途中、空を漂うワイバーンのような魔物であるハイベリアの群れと出くわしたこともあったが、そのいずれもバスに内蔵された兵器やレールガンなどであっさり退治し、一行は順調に突き進んでいた。

 

「お、あれは――」

 

 そうして運転することしばし。魔物が来なくなって楽が出来ることに期限をよくしていた龍太郎であったが、そんな彼の視界に入って来たものはこのバスの旅の終わりを知らせるものであった。

 

「……あれって階段よね?」

 

「ああ、間違いねぇ。あの階段を上ればここを出れるぞ!」

 

 全員が“遠見”を使って前を見れば、岸壁に沿って壁を削って作ったのであろう階段が見えた。五十メートルほど進む度に反対側に折り返すタイプのようで、階段のある岸壁の先には樹海と思しきものも薄らと見える。ライセン大峡谷の出口から、徒歩で半日くらいであの樹海にたどり着けるようになってるようだ。

 

「いや、ダメだ。ここ以外の場所……いや、ここで車を停止させろ」

 

 だがそこでメルドが待ったをかけた。どこか思案する様子のメルドにその場にいた全員が首をかしげたのだが、そうなる理由も見当たらず。とはいえ彼の頼みである以上聞かない訳にもいかないだろうと龍太郎はバスの動きを止めた。

 

「どうしたんです、メルドさん。あそこを上ればそのままここを出られるんですよ?」

 

「あぁ、そうだ。これが俺の杞憂で済めばいいんだが、何分場所が場所だ。アレーティアはともかく、他の皆は座学を受けたはずだ。それなら知っているだろう? ここを出た先に広がっている樹海のことを」

 

 そこで全員が記憶をたどり、あの樹海に関することを思い出そうとする。するといの一番に光輝がそれに答えた。

 

「……ハルツィナ樹海、ですよね? 確か亜人族が住まうとされている場所で」

 

「そうだ。それとお前達は聞いたことがあったはずだ、帝国の奴隷狩りをな」

 

 その言葉で光輝達はあることを思い出し、程度の差こそあれど嫌悪感を露わにした。

 

 奴隷狩り。ヘルシャー帝国では亜人が奴隷として扱われており、人身売買がされている。それを座学で彼らは知ったからである。

 

 いくら世界が違うといえど、やはり奴隷という言葉にあまりいいイメージを持たない彼らは当然帝国に対する印象も相当悪い。世界レベルで人として扱われてないのが常識であっても、獣のような特徴があるといっても人が人をモノのように扱うことに光輝達は嫌悪感を催していたのである。

 

「……まさか出た先にソイツらがいる可能性がある、ってこと?」

 

「皆無とは言えんな。何かの拍子に出くわす可能性がある。だが、俺が懸念しているのはそれだけじゃない」

 

 優花の言葉にメルドはうなずきはするも、それが全てではないと述べる。そしてその理由に思い至ったハジメがおずおずと手を挙げると、メルドは視線で促してきた。

 

「……僕達のこと、ですね」

 

 その発言に恵里と鈴、ハジメとメルド以外の誰もが全員がハッとする。恵里の記憶をエヒトに盗み見られ、十中八九それが原因で是が非でも恵里達をオルクス大迷宮の奥底へと落とそうと聖教教会が画策していたのだ。それも神の使徒と呼ばれる存在も込みで、だ。

 

「あぁ。恵里があの銀髪の女に連れ去られた。ハジメ達()()を奈落の底へと突き落とそうとした。そしてアレーティアが見つかった……これを考えるとエヒト様の意思を騙る何者か、それも聖教教会の上層部に食い込んでいる奴がいると見ていい。だとすれば、俺達もハジメ達に連なる者として指名手配を受けていてもおかしくはないはずだ」

 

 メルドの語った推測にこの場にいた全員が押し黙ってしまう。話しはしていたし、理解もしていた。けれどもこうして改めて事実を突きつけられたとなると香織達もため息を我慢出来なかった。

 

「変装しているとはいえ、見つかるリスクは可能な限り減らしたい。ましてやここ、ライセン大峡谷から地上に出たとなれば一層疑われる。そのためにも別ルートで進むべきだ」

 

 その言葉に光輝達は何も言えない。メルドの言ってることもわかるし正しい。だがそのためにこうしてコソコソしないといけないと改めて理解すると憂うつな気分になってしまったのである。

 

「そうだね。メルドさんの言う通りだし、ここで一旦バスを降りよっか。皆で階段造ってさ、時間をかけてここを登っていこうよ」

 

 そこでほぼノーダメージであった恵里がぽんと手を叩き、メルドの言いたかったことを先回りして伝える。軽く場がざわつき出したものの、それに構うことなく恵里は席を立って降車口へと向かっていく。

 

「……恵里ちゃん、他に方法はないかな?」

 

「ちょっと厳しいかな。ボク達なら“気配遮断”とか“気配操作”があるけれど、アレーティアとイナバ、それとユグドラシルは無理でしょ? なんかの拍子に見つかったら面倒だって」

 

「ねぇ恵里っち。生成魔法でさ、気配断絶を付与した箱を作って、その中にアレーティアさん達を入れられない?」

 

「うーん……あそこにいた時ならともかく、魔法が発動しづらいここでだと効果も幾らか落ちるんじゃない? どうなの、ハジメくん?」

 

「そうだね……やれなくはないと思うけれど、やっぱり不安かな。加工するのも生成魔法を使うのもそこそこ魔力持ってかれるだろうし。それに気配断絶を付与しても物音だけは誤魔化せないからね。僕もオススメしないかな」

 

 何か方法はないだろうかと投げかけてきた香織と奈々の言葉にも軽くため息を吐きながら恵里とハジメはそう答える。その返答に二人も『そっか……』と短く返すだけであった。

 

 もちろん『自分達が世界に狙われている』という現実を未だ受け入れられなくて、どうにか逃げたくなって口にしたことに恵里もハジメも気づいている。だからこそあえてこう返したのだ。自分達はそれも覚悟しなきゃいけないんだ、と。

 

「覚悟、してなかったワケじゃねーけど……嫌だな」

 

「うん……」

 

「……皆がショックを受けるのもわかるよ。だからさ、皆で立ち向かっていこうよ」

 

「そうだね。ハジメくんと恵里の言う通り。私達ならやれるよ。だから、行こう?」

 

 同じく席を立ったハジメと鈴が皆に声をかける。ずっと前から覚悟を決めていたし、そしてそれに一番苦しんでいる自分達があえて明るく振舞ったのだ。残酷で辛い道のりだけれどこればかりは進むしかない。けれども自分達ならこの苦境でも進めるんだと元気づけようとしたのである。

 

「強いな、ハジメ達は……」

 

「僕達は、ズルしただけだから……」

 

「……そう、だね。鈴達は覚悟するための時間があったから」

 

「ハジメくんも鈴も……黙ってて、ごめん。みんな」

 

 光輝のつぶやきにハジメと鈴は自嘲し、恵里もそんな二人の様子に頭痛を覚えつつも、覚悟するための時間を自分達だけが持っていた事を詫びる。そこからはもう誰も何も話さずにバスを降りていき、どこか重苦しい雰囲気のまま近間の断崖へと皆は行く。そして土属性の魔法や“錬成”を駆使して階段を作り上げていくのであった……。




続きは本日17:00となります。


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五十二話 この空の下で歓喜と憂うつを(後編)

こちらは朝の8:00に投稿された話の後編のお話となっております。前の話を読まないとちんぷんかんぷんになるので先に目を通してくださると助かります。

それとこちらの方は少し長め(12000字程度)となっております。
では後編の方もどうぞ。

2022/8/31
文章を一部修正しました。


「……よし。食事も終わったし、これから街で買い出しを担当するメンバーを決めようか」

 

 崖の三分の一を登っていき、少し日が暮れたところで一同は崖に穴をあけて寝泊まりすることにした。やはり魔力は相当持っていかれて厳しくはあったものの、それでもオルクス大迷宮で慣れた彼らにとってはそこまで苦となる作業ではない。

 

 魔力の消費を抑えるため今回は風呂は作らず、男女を分ける仕切りを岩で作り、ちょっとほつれたタオルを魔法で出した水で濡らして絞り、それで体をサッとふいていく。

 

 そうして全員が体をふき終わった後、すぐに着替えて調理なり配膳に移った。材料は崖に階段を作っている際に襲いかかってきた魔物の肉である。そして作り終えると宝物庫から取り出したベッドとソファーに皆が腰をかけ、口にしていく。

 

 バスを降りた後もしばし憂うつな気分に皆浸っていたものの、体を動かしたのとご飯を食べたことである程度紛れ、いくらか空気が和らいだのを確認した光輝は調理の最中に話題に上がった「他の食料or衣類の購入」についての話し合いをすることにした。

 

「私、行くよ。龍太郎くんと一緒に参加するから」

 

 と、いきなり香織が挙手して参加を申し出る。当然のように龍太郎も巻き込まれたが、これに関して彼は特に何も言わなかった。ずっと香織のあることを気にかけていたからだ。

 

「……ねぇ香織、やっぱりブラジャーが――」

 

「……うん、うん!! もう、嫌なの。革の部分がムレるし、サイズ合ってないからやっぱり辛いの!! 早く新しいブラジャーが欲しいの!!!」

 

 雫からの問いかけに香織は号泣しながら答えていく……実は女子の下着関連、それもブラジャーに関する問題はまだちゃんと解決していなかったのである。

 

 魔物肉を食べたことで女子~ズは胸がサイズアップ(一名除く)し、その結果として身につけていたブラが合わなくなってしまった。そこで女子~ズ同士で身につけていたブラジャーのサイズを比較し合い、近しいもしくはマシなサイズの物を交換しながら身につけていたのだ(なお一名除く)。

 

 しかし香織だけは前の自分が身に着けていたものが一番マシであり、サイズアップした自身の胸で何度となくブラジャーをダメにしていた。そこで千切れた個所を革でつなぐなどして補修して使っていたのだ……ただ、香織が叫んだ通り、そこの部分がムレる上に結局サイズが合ってないから辛かったりするのだが。

 

「……出来れば、私も」

 

 なおアレーティアも体型が合う人間がいなかったため、ブラジャーの代わりに革のベルトみたいなものを胸に巻いている。無いよりはマシらしいのだがやはりムレているらしく、そのことを大介を通じてボヤいていた。

 

「あー、コホン……それじゃあとりあえず龍太郎と香織、それと大介とアレーティアさん。まずはこの四名から。それと、他には……」

 

「待てお前達――まずは金をどうするかが残っているだろう」

 

 そこで食事の際にも話題になったお金の工面のことがメルドによって再度議題に挙げられる……そう、実は一行は先立つものをほとんど持っていなかったのだ。

 

「そうですよね……一応ギルドで魔物の素材を売却できるんですよね?」

 

「あぁ、確かそうだ……が、あまりに多くの量、それと質のいいものを持ち込むと目を付けられる可能性は高い。理想は換金と買い出しを行う場所の近辺、それもある程度の量だ。それならいくらかは怪しまれ辛くなるはずだ」

 

 そしてハジメがメルドに問いかければ、メルドもその際どうするべきかを自分なりに考えた上で恵里達に伝える。とりあえず理屈としては問題ないものの、ある一点が皆気がかりとなり、そのことを鈴が代表して尋ねた。

 

「でもそれだとあんまりお金稼げないですよね……」

 

「それも仕方がないだろう……こうなることなら俺が財布の中にもっと蓄えを入れておけば……いや、結局財布も滅茶苦茶になったし、どちらにせよ大した金も残ってないか。とにかく、すまなかった」

 

 鈴の疑問に一度答えた後、メルドは全員に頭を下げる。そもそも神の使徒として遣わされた恵里達は外に出る機会そのものがオルクス大迷宮に行く時ぐらいしかなかったし、金銭の支払いに関しても城の方が色々とやってくれていたため文無しなのだ。

 

 メルドは一応財布を持ってはいたものの、大した額は持ち合わせていない。しかも真のオルクス大迷宮攻略時に敵の攻撃で財布が破けて中身をぶちまけてしまったこともあり、その時は金がデッドウェイトとなってたことから捨て置いたことや、どこで落としたかも忘れてしまったこともあったために回収せずにここまで来てしまったのである。

 

 財布そのものは新たに革で作ったものの、財布に入っていたはずの二万ルタは現在手元に一割程度しか残っていない。つまりちょっとした買い物が出来る程度でしかないため割と詰んでいる状況であった。

 

「……ねぇメルドさん、ここらに金銀財宝が眠ってたりとか、そういうの隠し持ってる盗賊とかがいたりしない? 元とはいえ軍人でしょ? そういう情報ないの?」

 

 そんな時、ふと恵里が死んだ目でそんなことを問いかけた。栄養を得る手段なら魔物の肉とユグドラシルの果実があるからまだどうとでもなるものの、やっぱりちゃんとしたものを買って、ちゃんとした食事を皆摂りたいのだ。解放者の住処で育てた野菜は持ってこれるだけ持ち込みはしたものの、米もパンも久しく食べていない。元現代っ子にとってこれは中々しんどかったのである。

 

「そんなこと言われたってな……ここらにそういった財宝が眠ってるなんて話は聞いたことが無いし、別にこの辺りで野盗の類が出たという話題だってなかったぞ」

 

 そこで手っ取り早く金を稼げる方法を尋ねたものの、旨い話はそうそう転がっていないと理解させられ、恵里だけでなく皆も深いため息を吐いた。

 

「あーマジでよーブチのめしても問題ないような奴とかいねーかなー」

 

「金たんまりしまい込んでる奴なー。ファンタジーの世界だろー、そういうのゴロゴロいるもんじゃねーのかよー」

 

「強い魔物倒すのも数稼ぐのもダメとかどうにもなんねーじゃんかよー……どーせ何度も何度も換金に足運ぶのもダメなんだろー。どーしろってんだよ……」

 

 礼一達も一気にやる気が無くなったためベッドに寝っ転がり、せち辛い現実を前にひたすらクダを巻くばかり。

 

「マジかよぉ……アレーティアと一緒の買い物とかしてみたかったんだけど、適当に食料買ったらそれで終わりじゃねーか」

 

 どうせ地上に出たのだからデートでもやってみたいと密かに思っていた大介もこれには気落ちし、うなだれているところをアレーティアによしよしされて慰められていた。

 

「……お金を稼ぐのって、難しいな」

 

「世界を敵に回してるものね……本当に辛いわね」

 

 天を仰ぐ光輝の横で顔をうつむかせながら雫もボヤく。こうしていざ金策が浮かばなかったこともショックだったのもあって軽い自己嫌悪に二人は陥っていた。

 

「ゲームとか小説なんかでも世界を敵に回す展開はそれなりにあるけどよ、いざやってみるとなると本当に難しいな……」

 

「だよなぁ……飯を自前で用意することが出来る分、まだマシだとは思うんだけどな」

 

 幸利と浩介も頭をかきながら何かないだろうかと考えるも、やはりそう簡単には浮かぶことは無く。すぐに思考は袋小路に追い詰められ、嘆くしか出来なくなった。

 

「そうよね……移動手段も一応の拠点(キャンピングカー)もあるけれど、ご飯がなきゃやってらんないわよねぇ」

 

「うぅ……久しぶりに魔物以外のお肉食べれると思ったのに……」

 

「もぉ~、つらいよぉ~……ちゃんとしたご飯食べたいよぉ~……」

 

 優花もベッドに倒れこみ、虚ろな目で天井を見上げるばかり。奈々もベッドにうつぶせになったまま手を何度かバタつかせ、妙子も横たわりながらさめざめと涙を流すだけであった。

 

「お金が無理なら物々交換……うーん、それもそれで目を付けられる。というか何を交換すればいいんだろ?」

 

「他の冒険者の人とかに頼み込んで換金してもらうのは……無理だよね。どこの誰だかわからない人に頼まれても怖いし、普通は持ち逃げするよね」

 

 ハジメと鈴もどうにかならないかと頭を働かせているものの、中々いい手段は浮かばず。このままだと“瞬光”まで使って考えだしそうな勢いであった。

 

「なんか……なんかねぇか……」

 

「龍太郎くん……駄目なら私、諦めるよ?」

 

「……やらせるか。惚れた女のワガママぐらい、叶えさせろよ」

 

 そしてそれは龍太郎も同じ。頭の回る幼馴染達のようにいい答えが出ないとしても、それでも諦めたくは無かったのだ。前々からブラ関連で悩んでいたのは知っていたし、地上に出てからも変装して色んなお店を回ったり、おいしいご飯を食べてみたい、とどこか寂しそうな笑顔で語っていた香織をもうこれ以上嘆かせたくなかったのだ。

 

 だから必死になって考える。馬鹿には馬鹿なりの意地がある、と。

 

(いねぇか、ねぇのか……金を稼げる方法が、何か、()()()、そう、どこかにそういう――っ!)

 

 そしてその一念が奇跡を起こした。ある考えに至った龍太郎は即座にメルドにあることを問いかける。

 

「メルドさん!!」

 

「うぉっ!?……ど、どうした龍太郎?」

 

「ここじゃなくてもいいです! どこかに、どこかにそういう奴らはいないんですか!!」

 

 発想の転換。つまりいないのならいる場所へと赴けばいい。つまりそういうことであった。

 

「ここを登る前に帝国の奴隷がどうのって言ってましたし、亜人を助けるついでにソイツらから金をぶんどるとか――」

 

「この馬鹿っ! そんなことをしたらお尋ね者に――いや既になってる可能性も高いから微妙か……ってそうじゃなく、て……」

 

 そしてこの際帝国の人間からふんだくることも視野に入れた考えを話した龍太郎に、思いっきりキレそうになって変に冷静になったメルドであったが、その脳裏にあるものが思い浮かんだ――金を巻き上げても問題がなさそうな輩のことが。

 

「……め、メルドさん? ど、どうしたんだよ……や、やっぱり俺、マズかったか……?」

 

 ふと黙り込んだメルドを見て不安になった龍太郎が問いかけるも、メルドも微妙な顔をしながらそれに答える。

 

「………………いるぞ。やっても問題ない奴らが」

 

 そうつぶやくと同時に既に寝ていたイナバとユグドラシル以外の視線がメルドに向けられる。そしてメルドも頭をかきながらその相手の名前をつぶやいた。

 

「……フリートホーフ、フェーゲフォイアー、アップグルンド。この三つの組織に属する奴らだ。さっき挙げたのは中立商業都市フューレンを拠点とする裏組織でな、コイツらの悪名は王都でも事欠かない。ソイツらだったら問題ないはずだ」

 

 裏組織、と聞いてオタクであるハジメと幸利、そしてぶっ潰しても構わないと即座に判断を下した恵里は内心テンションが上がったものの、とりあえずメルドの話に耳を傾けることに。

 

「ただ、おそらく貴族も幾らか噛んでいるんだろう。摘発しようとしても中々証拠を見つけることが出来ないらしくてな……人身売買や誘拐、人間を廃人にするような薬物を流通させているなどしていると聞いた。狙うなら奴らだ」

 

 その言葉に今度は全員が反応する。地球で善性を培った人間からすればこんなことなど見過ごせないし、怒りも存分に沸きたってきたのである。

 

「さてお前ら、どうする?……俺としてもこれは見過ごせない問題でな。叶うことならば何としても潰したいと思ってる。だがコイツらを叩きのめしたら余程上手くやらない限りは俺達の存在が世間にバレるだろう。それでも、やるか?」

 

 その言葉に全員がうなずく。提案したメルドすらも見過ごせないと述べたのだ。ならば自分達が立ち上がる他ないと考え、ストッパーとなり得る人物からの問いかけにも再度うなずいて意を示す。

 

「……やろう、皆」

 

「そうね。こうしてる間にも苦しんでる人はいるんだもの。やらない道理なんてないわ」

 

 光輝の言葉、続く雫の言葉にまたしても恵里達がうなずく。いくら違う世界の問題といえど、これを見過ごしてはおけないと誰もがそれに賛成を示した。

 

「だな……ただ、潰すにしたって俺らがただ暴れるだけじゃ不味いだろ? そんなのコイツらと変わんねぇからな――やるんだったら徹底的にだ。悪事の証拠を全部かき集めて、構成員も全員とっ捕まえる。そこまでやらないとな」

 

「そうだね。幸利君の言う通り。一人でも逃したらまた悲しみが広がっていくかもしれない……調査は念入りに、それと僕らの事情を考えると、証拠とか構成員の人とかは全部こっちの警察? の人に任せるべきだと思う」

 

 だがここで幸利がブレーキを、ハジメがそれへの補足を入れた。ただ暴れただけでは自分達が悪党に仕立て上げられかねない。だから自分達はあくまで『組織の壊滅』のみに力を入れ、それを裁くのはこちらの人間に任せるべきだと諭す。

 

「まるで子供向け番組のヒーローみたいだな」

 

「ハハッ、言えてら……でもいいんじゃないか? 俺らの悪評を吹っ飛ばしたり、疑問を持ってもらうには最高のシチュエーションだろ?」

 

 光輝もフフッと笑いながらつぶやくと、幸利もそれに同意しつつ、自分達に撒かれてるであろう悪評を覆す最高の一手となるであろう事を指摘する。それを聞いて一同のモチベーションが更に上がる。

 

「ハジメくんの言う通りだね。下手に動くとロクなことにならないだろうし、そこら辺は全部フューレンの人に任せてボクらは小金を美味しくいただいとく。それでいいでしょ?」

 

 ……が、恵里がそう締めくくると同時に()()全員がズッコけかけた。せっかくいい話にしようとしてたのにコレである。なんてことを言うんだと大介達四馬鹿とアレーティア以外から非難の目が向けられた。

 

「えー、結局ボクらの目的ってそれでしょ? お金、欲しくないの?」

 

「い、いや、それは……」

 

 そう。どう言い繕おうとも元々の目的は『悪党を突き出すついでに人前に出せないお金を幾らかいただく』ことなのだ。金に困ったから出た意見なのだから誰もそれを言い返せず、言葉を詰まらせるだけであった。

 

「それな。先生も光輝達もそこないがしろにしちゃダメだろうよ」

 

「金は俺らでしっかり有効活用すりゃいいんだよ。これも世のため人のため、ってな」

 

「そうそう。あっちの人達もロクでもない組織が潰れて助かる。俺達も金を稼げてハッピー。誰も損しねぇんだからよ」

 

「流石に使う時は色々考えねーといけねーだろうけどな――でもよ、遊びに使える金欲しくねぇ? 服とかさ、飯食う時の金とかさ」

 

「んっ……大介の言う通り。それに、悪人に人権はない」

 

 しかもここぞとばかりに大介達がまくし立ててくる。アレーティアまでどこかで聞いたことのあるフレーズを使って乗っかってくるものだから全員余計に何とも言えない感じになってしまう。

 

「ほ、欲しいけど……ブラジャー買うお金とか龍太郎くんとデートする時のお金とかすっごく欲しいけどっ!!」

 

「香織ぃ!? お、落ち着けって! アイツらの言うことに耳を貸すな!!」

 

「だって、だってぇ!! そんなこと言われたら我慢出来ないもん!!……龍太郎くんは、色んな服を着た私、見たくないの?」

 

「…………すまねぇ。超見てぇ」

 

 そして香織が真っ先に折れた。龍太郎もそんな香織の両肩を掴みながら説得にかかるも、涙目で見上げてくる少女からこんなことを言われては理性が色々と限界を迎えてしまう。結果、陥落。

 

「だ、だったら私もぉ~~!! やっぱりオシャレしたいよぉ~!」

 

「妙子っち!?」

 

「タエ、アンタぁー!?」

 

 今度は妙子が裏切った。今まで我慢していたものの、やはり年頃の少女としては穴倉生活を続けていて鬱屈するものがあったようだ。それ故に感情が爆発し、優花と奈々の説得にも耳を貸さない。

 

「あぁぁぁ……恵里! お願いだから今すぐ他の皆を説得して!! 収拾つかない!!」

 

「えー? 別にいいでしょ。そ・れ・と・も……ボクと鈴の着飾った姿、見たくない? それに、調味料を買えばお料理のレパートリー増やせるよ? それもぜーんぶ、お金が無いとできないよ?」

 

「ごめんなさいすっごい見たいしレパートリー増やしたいです。あと調味料ないのすっごいつらい」

 

「鈴も……パンでもいいからちゃんとしたご飯食べたいよぉ……」

 

 ハジメと鈴ももう使い物にならなくなった。色々と知恵を絞って皆にご飯を提供していたメンバーの二人であったが、主食も調味料も無しでやるのはもう限界だったようだ。

 

「ご飯……やべぇ、俺マジで米食べたい。来る日も来る日も肉ばっかでたまに野菜食べてたせいでこう、すんごい飢えが……」

 

「おいやめろ幸利、そんなこと言ったら俺だって食べたく――確かどっかの街……そうだ、ウルだ。そこだと米育ててるって話があったはずだ! そこを最優先にしよう!!」

 

 口からダラダラとよだれを垂らしながら幸利が願望を漏らし、それを聞いてしまった浩介が米食べたさに熱弁する。それは瞬く間にアレーティアとメルド以外の全員に伝播し、ほぼ全員がゾンビみたいに『米、米食べたい……』とつぶやき出す。

 

「炊き立てのご飯……食いてぇ」

 

「お茶碗いっぱいのご飯……食べたい、食べたいぃいぃいぃぃいいい!!!!!!!」

 

「あーもう落ち着いてくれ皆ー! 俺だって米食いたいし色んな服を着た雫をすごい見てみたいけれど、それより人助けの方が優先だろう!?……あ、でもお米は……うぅ」

 

「わ、私だってお米食べたいし光輝の素敵な格好を見たいけど……見たいけど! でも、でも、人助けをないがしろにしちゃダメだと思うの!! だ、だからお金は旅に必要な最低限……あ、でも、それだと足らないかも……や、やっぱり毎食ご飯を食べるためにも幾らか余裕があるぐらいにして抑えないと――」

 

 良識派である光輝と雫も既に傾きかかっている。二人とも自覚が無いだけでストレスが溜まっていたのは確かなようで、ギリギリ良識がまだ勝っているものの、このままでは膨れ上がった欲望(主に米)に負けてしまいそうである。

 

「炊き込みご飯……」

 

「ドリア……」

 

「チャーハン……」

 

「カレー……」

 

「え、えーと……お、おこめ……わ、私も食べたい……」

 

(……そこそこ持ち出せば酒も買えるよな? いや、もしかすると奴らが飲んでる、いや、裏で流してる酒もあるんじゃないか? それを保護するためにも……って待て待て! 俺はコイツらの保護者だろう! ここは一度叱って……酒、飲みてぇなぁ)

 

 地球にいた皆が虚ろな目で米料理の名前を口にし、アレーティアもその雰囲気に呑まれて意思表明する中、メルドも色々と負けかかっていた。

 

 恵里達を保護し、彼らの導にならんと振る舞ってはいたものの、彼とてやはり人間だった。長いこと酒を断ってしまっていたために、ここに来て酒を手に入れるための方法も、大義名分も用意できそうなのである。あまりに甘美な誘惑にメルドの心も折れそうになっていた。

 

「ごはーん!!」

 

「お米ー!!」

 

 ここは恐ろしき場所、ライセン大峡谷。

 

 地上の人間にとってそこは地獄にして処刑場。断崖の下はほとんど魔法が使えず、にもかかわらず多数の強力にして凶悪な魔物が住まう場所。

 

「もう肉なんて嫌じゃー!! 時代は米だよ米!!」

 

「俺だって酒飲みたいわー! あーもう悪党どもこらしめるついでに色々拝借するぞー!!」

 

 西の【グリューエン大砂漠】から東の【ハルツィナ樹海】まで大陸を南北に分断する大地の傷跡。ここはまさに地獄であった……。

 

 

 

 

 

「……さて、改めて整理しよう」

 

 そしてひとしきり全員が欲望を吐き出しきった後、話し合いが再開された。

 

「とりあえず米最優先で。服は二の次、それでいいな皆?」

 

『異議なし!』

 

 なお地球にいた面々は是が非でも米を食べようと考えていたため、口からよだれをダラダラ流しながら光輝の意に賛同した。アレーティアもそれに流され、メルドも主食の調達そのものには反対していないため即決。かくして行動方針の柱が決まる。

 

「それじゃあ今度はお金の調達だな。別に一つの街に全員で行く必要はないから班を分けて各地に散らばった方がいいと俺は思ってる――ただ、あの銀髪の女が現れることも見越してある程度大人数、六人前後で動きたい。皆はどう思う?」

 

 続く光輝の提案に一同は悩む。何せ相手は恵里を攫い、かつての光輝を容易く足蹴にした存在だ。しかも何体もいるという話だし、こうして地上に出た以上はいつ来るかもわからないのだからたまったものではない。

 

「それはわかった……けどな光輝、もう少し人数を増やしてもよくないか? 相手がどれだけ来るかもわかんねぇしよ」

 

「ボクも龍太郎君に賛成。正直、いつあっちと出くわすかわかんないし、戦える人間は大いに越したことはないんだけれど」

 

 もちろん龍太郎や恵里のようにあまり数を分散させすぎてしまうことへの危機感を抱いた者も少なくなかった。神の使徒の強さを測り切れていないのもあったし、どれだけの数がいつ来るかもわからないからだ。

 

「龍太郎、恵里、皆の懸念はわかる……けれど、あまり多いとその分動ける範囲も狭くなるからな。それと、少し気になっていることがあるんだ」

 

 だが光輝は不安そうな視線を向ける皆にうなずいて返す。不安なのは自分だって同じ。けれどそれだけではないんだ、と。そこで恵里達は話の続きを視線で促せば、光輝も一度首を縦に振ってからその続きを語り始める。

 

「――どうして、恵里の前世でアレーティアさんがすぐに連れ去られなかったんだ?……ここに、付け入るスキがあると思う」

 

 その言葉に一同は思わずハッとした。

 

 そう。恵里の話では数えるのが馬鹿らしいぐらいに神の使徒は存在する。にもかかわらず、その圧倒的な物量を以て奪いとろうとしていないのだ。少なくとも恵里が前世? で裏切ってしばらくしてから相手は動いたとのことで、ならここでもそうなる可能性があるのではないかと彼は賭けたのである。

 

「もちろんそれは恵里の前世での話だ。ここがそうとも限らない……けれど、もし本気で奪うつもりならここで待ち構えてたっておかしくないはずなんだ。だから俺はこうした方がいいと思った――皆、意見を聞かせてくれ」

 

 その言葉に今度こそ誰も何も言い返せなくなった。確かに賭けもいいところではあるが、一切の証拠が無い訳でもない。ならばリスクとリターンを天秤にかけ、リターンをとることを選んだのだと理解できたからだ。

 

「確かにね……うん、わかった。だったらボクも光輝君の意見に賛成するよ――ボクらがこうして怯えたり、尻込みしたりするのを楽しんでると思うと癪に障るからね」

 

「もう、恵里……確かに、そういうことなら僕も光輝君の意見に賛成だよ。恵里のことに関しても()()仕掛けてきてないことを考えれば、猶予はあるのかもしれないから」

 

「二人とも……じゃあ私も。恵里もハジメくんもそう言ってるし、動けるとき位に動いておかないとまずいかもしれないから」

 

 恵里、ハジメ、鈴は真っ先にそれに賛同し、光輝と共に皆を見つめる。すると他の面々もため息を吐きながらも観念したように口を開いた。

 

「だったら俺も乗る。何考えてんのか知らねぇが、簡単にアレーティアを渡してたまるか」

 

「大介……ん、私も。今の私達は四方八方が敵に回ったのと変わらない。なら、こちらから打って出るべき」

 

 大介とアレーティアもすぐに尻馬に乗り、大介は意気込みを、アレーティアは戦争の経験のある元王としての意見を出した。

 

「そうね。確かに私もそう思いたい。思いたい、けれど……今こうして仕掛けてくる可能性もあるわ。皆に何かあったら、だから……」

 

「あぁ。警戒はするに越したことはない。今もそうだけど、交代前提で何人か見張りを立てとくのもいいんじゃないか? いつあっちが仕掛けてきても対応できるようにさ」

 

「光輝、お前の意見は理解した。だが雫と浩介の言う通り、警戒はしておいた方がいいだろう。せめてここを出るまではな」

 

 一方、雫と浩介、そしてメルドは慎重な意見を出してきた。全員が同じ方向に突っ走らないためにあえて憎まれ役を買ってくれたようである。もちろん全員がそれを理解しているため、それに意見はしない。

 

「俺も特に言うことはねぇ……じゃあ、次は誰がどこに行くか、決めようぜ」

 

 龍太郎からの一押しもあって話し合いは次の段階へと進む。日が沈みそうな辺りで始まった人員の配置もつつがなく、進んでいく――。

 

 

 

 

 

「皆も結構心配性だよね。ボク達の班に浩介君に近藤君、メルドさん連れてけなんてさ」

 

「僕としてもそれぐらいいてくれないと不安かな。何があるかわかんないしね」

 

「鈴だってそうだよ……特に恵里は耳栓つけてないといけないんだし、これぐらい頼れる人がいたって罰が当たらないってば」

 

 そして話し合いも終わり、恵里達は一緒のベッドで横になって顔を合わせていた。恵里達の班は自分、ハジメ、鈴、浩介、礼一、メルドの六人で構成されており、遠近共にバランスもよく、しかもこの中で最強の存在である浩介もついている。

 

 その人選に恵里は皆が過保護すぎることに軽く呆れていたのだが、ハジメと鈴はそうは思っていなかったらしい。それだけ自分を想ってくれていることを嬉しく感じはしたものの、それで戦力の方は大丈夫なのかと少しばかり不安になっていた。

 

「光輝君の班も龍太郎君の班もバランスはそんなに悪くないはずだし、きっと大丈夫だよ」

 

 苦笑するハジメに頭をなでられ、恵里も反論する気が失せてしまう。確かにハジメの言う通り他の班も決してバランスが悪いとは言えないのだ。光輝の班は雫、幸利、優花、奈々、妙子がいるし、龍太郎の班には香織、大介、アレーティア、信治、良樹が属している。戦力の面からしてそこまで偏っているという訳でもないのだ。

 

「おうよ、任せろー。俺らがいるんだから大船に乗ったつもりでいろって!!」

 

「あーはいはい。せいぜい頑張ってね」

 

「相変わらず先生と谷口以外に辛辣だなオイ!」

 

「ご、ごめんね礼一君!」

 

「あーもう恵里!……ごめんね近藤君。ほら、恵里も謝るの!!」

 

「えー……はいはい悪うございました〜……これでいいでしょ?」

 

「いや、そんな気の抜けた謝り方するぐれーならいらなかったわ」

 

 すると礼一が声を上げてこちらにアピールしてきたため、適当にあしらえばツッコミが返ってくる。すぐさまハジメと鈴が彼に謝り、恵里も二人に合わせて渋々頭を下げたのみ。けれどもこういったじゃれあいは真のオルクス大迷宮を攻略する際に何度もやっているため、雰囲気が悪くなることは全然なかった。いつものじゃれ合いである。

 

「まずはアンカジ公国に行って素材を換金して、それからハルツィナ樹海近郊で合流してグリューエン大火山に行くんだっけ?」

 

「確かそうだったね。この中で一番地理に詳しいメルドさんがいるし、宝物庫も僕の手にあるからね」

 

 班分けが決まった後の行動方針についても話し合いが行われており、確認してきた鈴にハジメは自分の右手を目の前にかざし、中指にはめた宝物庫を見ながらつぶやいた。

 

 恵里達の班はアンカジ公国、光輝達の班はフューレン、そして龍太郎達の班は近くのブルックで換金し、生活雑貨や米を買うための資金を集めることとなった。その後、ハルツィナ樹海近郊で換金した金を持ち寄り、龍太郎達の班のみウルの街へと出向いて物資を購入する手はずとなっている……香織のブラの購入は特例として認められていたりするがそれはまた別の話だ。

 

 またその際恵里達はグリューエン大火山を、光輝達の班はライセン大迷宮の調査と攻略をすることとなっていた。ただしどちらも三日をタイムリミットとし、それまでに再度ハルツィナ樹海近郊までに戻ってくることが決められていた。

 

「もう一台キャンピングカー造っとけばよかったね。ボク達のところはテントで過ごさないとだし」

 

「造るのに結構素材も時間も食うから仕方ないよ。それに他の班の皆はキャンピングカーが使える分、持っていけるものにも限りがあるんだから」

 

 他の班がキャンピングカーの中で快適に過ごせることを羨む恵里に、ハジメは苦笑しながらなだめすかす。

 

 造った車はハマー似の車が一台、キャンピングカーが二台、補助席込みで六十人乗れるバスが一台となっている。そのため宝物庫が使えない他の班はキャンピングカーを融通し、代わりに宝物庫がある恵里達の班はバスで移動することになったのだ。

 

「ないものねだりしても仕方ないよ、恵里。私達は私達で頑張っていこうよ」

 

「うー……わかったよ。これじゃあボクが悪者じゃんか」

 

「もう、恵里ってば……」

 

 そして正論を突きつけられて拗ねる恵里の頭をハジメがなでた。恵里がこんなことを言うのは単に自分の利益だけを考えただけでないことはハジメも鈴も皆も知っている。これが自分達のためを思って言ってくれたことなんだろうと察したからハジメは彼女の頭をなでたのだ。

 

「ちょっとナデナデしただけで済むような安い女じゃないよ、ボクは……もっと、もっとなでて。キスして」

 

「あ、じゃあ私も。ハジメくん、キスしてよ」

 

 ただ恵里の方はそれだけで済むだだっ子扱いされたのが気に食わず、ハジメにそれ以上のものをおねだりしてくる。それは鈴も同様で、しょうがないなぁと思いながらハジメは二人のワガママを叶えてあげる。

 

「雫、あんまりイナバばっかりに構わないでくれ……俺だって、嫉妬ぐらいするんだ」

 

「あ、その……ごめんなさい、光輝。な、ないがしろにしてるつもりなんてなかったんだけど……」

 

「大介、大介……私も、キスして」

 

「ちょ、ちょっと人前じゃ恥ずかしいって……そこの隅行くぞ」

 

「いっぱいお金稼げるといいね!……そしたら、龍太郎くん。好きなブラ、選んでくれるかな?」

 

「お、おいぃっ!? こ、ここ二人だけのスペースじゃねぇんだぞ!? あ、いや、その……黒が、いいな」

 

「うぁああぁあぁぁあぁ!! 嫉妬で、嫉妬で今日も死ねる! ア"ァァアァア"ァ"ァ"アア"ァア"アァァ!!!!!!」

 

 恵里達だけでなくそこかしこでイチャつく恋人達の桃色オーラにあてられて浩介がまた発狂しそうになっていたが、特に誰も構うことはせず。憂うつにこそなれど、今日も皆(一名除く)は穏やかな時間を過ごしていた。

 

 それは死と隣り合わせの真のオルクス大迷宮であっても、その奥地にあった解放者の住処であろうと、ここライセン大峡谷であったとしても。彼らの日常は、変わらない。 




班分けまとめ

恵里班:恵里、ハジメ、鈴、浩介、礼一、メルド
ルート:アンカジ公国→ハルツィナ樹海近郊→グリューエン大火山


光輝班:光輝、雫、幸利、優花、奈々、妙子
ルート:フューレン→ハルツィナ樹海近郊→ライセン大迷宮

龍太郎班:龍太郎、香織、大介、アレーティア、信治、良樹
ルート:ブルック→ハルツィナ樹海近郊→ウルの街

ちなみにイナバは雫が飼い主権限を乱用して光輝班が引き取ることになり、またユグドラシルは龍太郎班の方に組み込まれてます。

なお修正前「ハルツィナ樹海近郊」と書くつもりが「フェアベルゲン近郊」と思いっきり書き間違えてた件。亜人おらんから絶対に無理やんけ……。


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五十三話 砂漠の中の国、アンカジ公国にて(前編)

まずはこうして拙作を読んでくださる皆様への多大な感謝を。

おかげさまでUAも127976、お気に入り件数も790件、しおりも347件、感想数も417件(2022/8/28 6:39現在)となりました。誠にありがとうございます。拙作をご愛顧いただき、ありがとうございます。

それとAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。またしても筆を進める力が湧いてきました。いつもいつもこうして再評価いただけて恐悦至極であります。

そして例によって例のごとくまた分割しました。うん、もうお家芸です(白目)
その分今回のお話も少し少な目(9200字程度)です。それに注意して本編をどうぞ。


 赤銅色の世界。

 

 【グリューエン大砂漠】は、まさにそう表現する以外にない場所だった。砂の色が赤銅色なのはもちろんだが、砂自体が微細なのだろう。常に一定方向から吹く風により易々と舞い上げられた砂が大気の色をも赤銅色に染め上げ、三百六十度、見渡す限り一色となっているのだ。

 

 また、大小様々な砂丘が無数に存在しており、その表面は風に煽られて常に波立っている。刻一刻と表面の模様や砂丘の形を変えていく様は、砂丘全体が“生きている”と表現したくなる程だ。照りつける太陽と、その太陽からの熱を余さず溜め込む砂の大地が強烈な熱気を放っており、四十度は軽く超えているだろう。舞う砂と合わせて、旅の道としては最悪の環境だ。

 

 もっとも、それは“普通の”旅人の場合である。

 

 現在、そんな過酷な環境を、知ったことではないと突き進む長方形の箱型の乗り物――ハジメ達が苦労して造りあげたバスが砂埃を後方に巻き上げながら爆走していた。

 

 計二日かけてライセン大峡谷を登り、誰もいないことを確認してから各々があてがわれた車両に乗って別れてから半日ほど。地理に詳しいメルドの指示の通りに進み、道なき道へと突入しても車内に設置した方位磁石とメルドの知識を頼りに目的地へと突き進んでいたのである。

 

「流石ハジメくんだよねぇ~。こんなところでも余裕で走っていけるんだからさぁ~」

 

「うん。こんなところを歩いてたら普通干からびちゃうよ。そうならないで済むのもハジメくんのおかげだね」

 

「もう、二人とも……えへへ」

 

 恵里はひどく上機嫌になりながら椅子の肘掛けを愛おし気になで、鈴も微笑みながら運転席にいるハジメを見つめる。そして二人から言葉をもらってにへら~としながらもハジメはバスの運転をおろそかにはしていない。冷房の効いた車内で三人はいつものように寸劇を繰り広げていた。

 

「……こんな状況でもお構いなしなんてな。ハジメ、お前の造ったものの凄さを改めて思い知ったよ」

 

 バスの座席で窓にビシバシと当たる砂と赤銅色の世界を見て遠い目になりながらメルドはそんなことをつぶやく。事実、こんな激しい砂嵐の中を突っ切るのはハッキリ言って自殺行為としか言えないし、こんな灼熱の砂漠の中を取り付けられた冷房のおかげで快適に進むことが出来るのだ。

 

 オルクス大迷宮を進む際の拠点づくりやベッドにソファー、簡易的とはいえ風呂を造ったことも思い出し、何から何までハジメ抜きには語れないなと頭が下がる思いであった。

 

「いえ、皆が手伝ってくれたおかげですよ。僕一人じゃここまでちゃんとしたものを造れたかわからないですし」

 

 一方、運転席にいるハジメも謙遜しているものの、ほのかに口角が上がっている辺り嬉しくはあるようだ。

 

「そうでしょそうでしょ。流石ハジメくんだよ。こんな悪路をものともしないものを造り上げたんだからさぁ~」

 

「恵里が誇ることじゃないでしょ……でも、うん。すごいよハジメくん」

 

 ハジメが褒められたことで嬉しくなった恵里は喜色満面といった様子となり、そんな恵里を見て軽く呆れた鈴もハジメの成したことを認められたことが喜ばしくあったためか一言述べるだけであった。

 

「……これ、先生がバス造ってなかったらこんな状況でも歩かなきゃいけなかったんだよな。マジで感謝しかねーわ」

 

「ああ。流石にここまで悪い天候で歩くのは普通やらないだろうけどさ、そういうのお構いなしに進めるんだからハジメがいてくれて良かったって心の底から思うよ……」

 

 そしてメルドと同じく悪天候を眺めながらしみじみと礼一と浩介もつぶやく。ここまで過酷な環境をハジメの造った車無しで渡る気力が微塵も湧いてこないからである。マジで友達で良かったと思いながらシートに体を預けたり、肘掛けに手をついて頬杖を突きながらため息を吐く二人であった。

 

 太陽は既に中天を過ぎ、ややもすれば日も暮れる頃となるだろう。未だ強い日差しが照り付ける中、バスはこの大砂漠を突っ走っていく。目的はその先にあるアンカジ公国であり、他にももう一つあった。

 

「ハジメくん。気づいてると思うけどここから二時の方向、魔物の群れがいるみたいだよ。パッと行って素材を回収しちゃおうよ」

 

「うん、もちろん――じゃあ皆、メルドさんも。ちょっと捕まってて下さい。それと魔法の展開をお願いします」

 

 それは換金用の素材の確保である。換金の際に最も怪しまれづらいであろうものを考えた時、全員それぐらいしか浮かばなかったのだ。ライセン大峡谷の魔物の素材も一応回収はしたのだが、こんなものを出したら間違いなく怪しまれてしまう。オルクス大迷宮のものなら尚更だ。

 

 目先の金欲しさにそれらの素材を提供したがために追い回されるのは御免である。そのため採った手段が現地の魔物の討伐とその素材の回収だ。ただし、その際彼らが心掛けていることがあった。

 

「うん。それじゃあ“火球”」

 

「「“風球”」」

 

「“礫球”」

 

 それはあまり上手に敵を倒さず、素材をある程度傷つけてから回収することだ。理由は簡単。買取を依頼した際にその品質の良さから腕の良さを見られ、自分達に繋がる可能性を少しでも低くするためである。

 

 奈落の底にいた魔物と違って一撃で容易に首を吹っ飛ばせる相手ばかりであったが、それはあくまで自分達基準だ。『ちょっと腕が立つ程度の冒険者』ぐらいに装うためにはある程度下手を打つ必要がある。威力を弱め、急所を中々狙えなかった感じに倒した後、すぐさまバスを寄せてハジメは倒した魔物を回収していく。

 

「――よし。魔物の死体は無事に回収しました」

 

「よくやったハジメ。もうアンカジは目と鼻の先だ。周囲を警戒しつつこの場で待機。いいな?」

 

「「「「「了解」」」」」

 

 回収した旨を報告すればすぐにメルドも次の指示を出す。巻き上がる砂のせいでいささか見えづらくはあったものの、メルドの言う通りバスで数分そこらの距離にもうアンカジ公国はあった。厳密に言えば国を包む光のドームがバスの窓から見えるのである。

 

 不規則な形で都を囲む外壁の各所から光の柱が天へと登っており、上空で他の柱と合流してアンカジ全体を覆う強大なドームが形成されている。時折、何かがぶつかったのか波紋のようなものが広がり、まるで水中から揺れる水面を眺めているような不思議で美しい光景が広がっていた。それが恵里達の目には見えるのである。

 

「キレイだね……」

 

「うん。ここら辺本当にファンタジーな異世界だなー、って思う」

 

 以前メルドから聞いた話では、どうやらこのドームが砂の侵入を防いでいるようだ。月に何度か大規模な砂嵐に見舞われるそうだが、このドームのおかげで曇天のような様相になるだけでアンカジ内に砂が侵入することはないとのことである。波紋のようなものが広がるドームを眺めながら恵里と鈴は不意にそんなことをつぶやいた。

 

「太陽、落ちてくな」

 

「そうだな……本当にきれいだ」

 

 そうしてバスの中で燃える夕日を眺めながら礼一と浩介はぼんやりとしながらそんなことをつぶやく。他の街なら“気配遮断”を使って正面から堂々と忍び込めるのではあるが、残念ながらここアンカジ公国の場合は勝手が違った。なんと門でさえも砂の侵入を防ぐためにバリアとなっているのである。

 

「はい皆。そろそろ夕飯にしよっか。今日は()の燻製、それと()()で。砂漠の夜はすごい冷えるし、今のうちに体を温めておこう」

 

「ありがとうハジメくん――そういうところ、大好きだよ」

 

「うん。じゃあ私達も手伝うね」

 

 念のため一度門を“遠見”の技能で全員が見たことで確認もしていた。これではどうにもならないため、予備の案を採用しなければならなくなった。その関係で全員ここで待ちぼうけをくらっている。そこでハジメは宝物庫から金属のトレーや鳥型の魔物の燻製肉、カップを取り出すとすぐに簡単な夕飯の支度に移った。恵里と鈴もすぐにハジメのそばへと寄り、渡されたトレーに今日の夕飯を載せて配っていく。

 

 何度も食べなれたことで味に慣れてはしまっているものの、地球にいた恵里達がこだわりにこだわり抜いて作ったそれは不味いどころか美味い部類だ。そんな燻製をかじってうまうまと感想を述べながらお茶……っぽいものを皆で飲み、和気あいあいと過ごす。そうして日もとっぷりと暮れた頃、ようやく一行は行動に移った。

 

「“錬成”! “錬成”! “錬成”! “れんせぇ”!!!――まだ!? まだなの!?」

 

「も、もうちょっと! 多分もうちょっとだから頑張って恵里!――“錬成”! “錬成”!! “錬成”!!!」

 

 ……現在恵里達は思いっきり凍えながら砂の下でひたすら前に向かって“錬成”を続けていた。

 

 もちろんこれはアンカジ公国が他の街と違って魔法によるバリアで飛んでくる砂を防いでいることが原因だ。無理にバリアを破壊すれば当然大騒ぎになってしまうし、その際アンカジ公国が被るであろう被害も尋常ではなくなるからだ。いくら世界の敵扱いされている可能性が高いといえど、本当にそうなるつもりは全くない。あまりにリスクが大きすぎるからだ。

 

 そのためバリアを壊さずアンカジ公国へと入る方法――地下からの侵入を試みたのである。

 

 まずハジメと鈴を除く全員が“錬成”の付与されたガントレットを装着し、地下に穴をあける。その後、鈴が“聖絶”でトンネル状に壁を構築――“光絶”や“聖壁”だと大量の砂に押しつぶされる可能性があったからだ――しつつ、車から持ってきた方位磁石を確認しながらひたすら前に掘り進めるという力押し以外の何物でもない方法を採っていた。

 

「クソ凍える! 死ぬ! やっぱ暖房出してくれハジメぇ!!」

 

「無理って言ったでしょ近藤君! ハジメくんの作ってくれた暖房も結局火を使うんだよ! あっという間に酸欠になって死ぬんだってば!」

 

 ガタガタ震えながらも砂を横に器用にどかしつつ礼一がボヤけば、同じく歯をガチガチと鳴らしながら必死に“聖絶”を展開している鈴が半ばキレた状態で反論する。

 

 最終的にシュネー雪原に向かうことも視野に入れてハジメは暖房も作ってはいたのだが、鈴が言う通りこれは火が出る代物だ。厳密にいえば出力を調整した火属性の魔法と風属性の魔法で温風を発生させる仕組みなのだが、やはり火属性の魔法を使っているため、当然周囲の酸素を使ってしまうのだ。

 

 ……もし恵里達がちゃんとしたトンネルを造っていたのなら話は別だったのだが、いかんせん侵入経路をごまかす目的もあって前に掘り進めていくだけで“聖絶”の展開する範囲もそれに伴って移動する。つまり後ろは既に砂で閉ざされているのだ。そんな密閉空間で火なんか使ったらアッサリ酸素濃度が低下してそのまま仲良くあの世逝きである。

 

 一応鳥型の魔物の羽を石鹸で根気強く洗って中に詰めた革のジャケットを全員着用しているのだが、行動を起こした当初はともかく、もう陽が落ちてしばらく経った今では冷凍庫にいるかのような心地なのだ。所詮素人の急ごしらえでは限界があったのである。

 

「お前ら、ここで砂に埋もれて死ぬなんて間抜けな死に様を晒したくないだろう! 頼むから全力で掘り進めろぉー!!!」

 

「マジでメルドさんの言う通りだ! 異世界なんかに来て死因がコレとかマジで笑えないからな!!」

 

 仲良く凍えるメルドも叱咤、というか必死な叫びを上げ、浩介も八重樫道場の修行がまだマシだったと回想しながら必死に“錬成”を発動し続ける。

 

 たとえ脱水症状を起こしたとしても、開通した際に人と出くわす可能性があったとしても昼間の内にやっておけば良かった。そう後悔するも後の祭り。寒さというものを甘く見ていたツケを痛感しつつ、恵里達一行は夜のグリューエン大砂漠を掘り進めて行くのであった……。

 

 

 

 

 

「さむい……さむいよぉ……もっと、もっと……」

 

 そんなこんなで掘り進め、どうにかアンカジ公国に侵入した恵里達は地上で暖房型のアーティファクトを使って暖をとっていた。鼻水を垂らし、全身をガタガタ震わせ、暖房を中心に仲良く密集しながら温まる様はまるで雪山で遭難した登山者のよう。実態はそれより様にならなかったりするが。

 

「うぅ……ひえる……ひえるぅ……」

 

 一応城壁の隅っこで温まってはいるし、ハジメが開発したこのアーティファクトも煙はあまり出ないようになってて、しかも焚火のように燃えた際に光を出すこともない。真夜中で真っ暗なこともあってまずバレることはないため、こうして最大出力で熱波を浴びている六人だったが、それでも芯から冷えてしまった体はそう簡単に温まることはないようだ。

 

「つ、つぎは……つぎはちゃんと、さむくならないようにしなくちゃ……」

 

「す、すずも……さむさもあつさもぜんぶ、ぜんぶだいじょうぶなバリアつくんなきゃ……」

 

「そうだね……もう、もうさむいのやだぁ……ぜったいやだよぉ……」

 

「マジでたのむぞハジメ、たにぐちぃ……おれもうさむいのきらい……」

 

「もうさむいのやだよー……ふゆにいけにおとされたときよりつらかったよー……」

 

「うぅ……おれはぜったいせつげんにはいかないからな……」

 

 次こそは絶対に苦しむことがないように決意するハジメと鈴。具体的な案も出ず、本当にやれるかもわからないまま口から出た言葉に誰もがうんうんと勢いよくうなずく。余程身に染みたらしく、誰もが言葉少なに寒さを拒絶する言葉をブツブツとつぶやいている。

 

 ……そうして全員仲良く暖房に当たり続けること二十分弱。ようやくいくらか体が温まった恵里達は次の行動を開始した。“夜目”と“気配遮断”を使って真っ暗闇のアンカジの街を進んでいったのである。

 

“流石にこんな夜中だと人もいないね”

 

“うん。見張りもいないから下手に音を立てなきゃ余裕で進めるよ”

 

 余程あのバリアに自信があるのか、それとも他の理由か。いくら真夜中といえど一切動いている人の気配が無いことに安堵しつつも、念のために“魔力感知”を使いながら路地裏を早足で歩いていく。目指すのはあまり人目につかなさそうな行き止まりだ。

 

「――“錬成”」

 

 すぐに目当ての場所を見つけると、ハジメが地面に手をついて“錬成”を発動する。半径一メートル程度の穴をあけると、すぐに中に入って五メートル四方の空間を作り、オルクス大迷宮産の金属を使用して枠を形成していく。これで簡易的な拠点が完成した。

 

“今はしごも取り付けたから皆も降りてきて。穴は僕がふさぐよ”

 

 相も変わらず見事な手際に誰もが感心しつつも、ハジメの指示の通りに地下の拠点へと入っていく。そして全員がそこに入ったのを確認してから、ハジメは取り出した太さ十五センチ大の金属の筒で空気穴を確保しつつ侵入経路を埋めていく。空気穴は地面から十センチほど出ているため、簡単に穴が埋まることもないだろう。

 

「お疲れ様ハジメくん。中は思った通り、そこまで暑くも寒くもないみたいだね」

 

「ハジメくん、お疲れ様。じゃあ後は朝が来るまでここで過ごせばいいんだね」

 

「うん。二人の言う通りだよ」

 

 拠点の中央に恵里達は集まり、そこへと来たハジメに恵里と鈴は労いつつも、感嘆を漏らしたり確認をとった。

 

「しかしすごかったな……こんな砂漠の真っただ中だってのに、広場は緑が生い茂ってたぜ」

 

「そうそう。しかもなんか船も浮いてなかったか? ホントに砂漠の国かよ、って感じだよな」

 

 浩介と礼一の言葉に全員思わず首を縦に振ってしまう。荒涼とした大地の中にある国にしてはあまりに緑や水が豊富な国だったからである。きっと朝になったら相当美しいのだろうとメルド共々実感していると、ハジメが宝物庫からベッドとソファー、テーブルを出して配置していく。こういった話は腰を下ろしてから、と言いたかったのだろう。全員無言でうなずきながら各々家具に腰かけていった。

 

「アンカジ産の果物は質も良くて量も多いからか安価でな。少し不思議に思ってはいたが、ここまで水と緑が豊かな国だとするなら納得しかないな」

 

 ソファーにどっかと腰を下ろしながらつぶやくメルドに誰もがおお、と感嘆の声を上げる。やはり現地人の言葉の重みはすごかった。この世界に来て王宮かオルクス大迷宮、あるいは解放者の住処以外で生活したことがなかった恵里達にとっては実際に生活している人間の言葉ほど重みを感じるものは無かったからだ。

 

「あー、そうなるとここの果物買えないのもったいねーなー」

 

「流石に無断で買うのもなぁ……後で相談か」

 

 頬杖を突きながら深くため息を吐く礼一にひどく惜しい様子の浩介。そんな二人を見て他の四人も同じくため息を吐いてしまう。メルドはここの果物の良さをしっているからなおさらであった。

 

「そうだね……それじゃあ皆、とりあえずもう寝ましょう。働きづめで疲れてるだろうし」

 

 そうしてしばし色々とだべっていた一同であったが、ここでハジメが音頭をとると誰もが首を縦に振って賛成の意を示した。極寒の中の掘削作業は堪えるものがあったようで、すぐに全員が装備を外してベッドに横になると程なくして寝息を立てて眠りにつくのであった。

 

 幸いにも侵入者はおろか空気穴をふさがれることもなく時間は過ぎ、空気穴から差し込む光でうっすらと拠点が明るくなった頃に恵里達は目を覚ました。

 

「これなら……よし、全員支度をしろ。出るぞ」

 

 そして全員が目を覚まし、少し寝ぼけながらも装備を身に着けていると、光の強さからもう問題ないと判断したメルドの言葉に誰もが皆うなずいて返す。念のため浩介が外の様子を確認すれば既に日は昇って明るくなっており、“気配感知”でもそこそこの人間が動いている様子がわかった。

 

「もう大丈夫そうだ。外に出ようぜ」

 

「うん、わかった。ありがとう浩介君」

 

 感謝の言葉をかけるとハジメはすぐに家具を宝物庫にしまい込み、“気配遮断”を使いながら全員はしごを伝って路地裏へと出ていく。ハジメが金属の枠も回収して穴をふさいだのを確認すると、恵里と浩介はそのまま表へと歩き出そうとしていた。

 

「それじゃあ早速、アンカジ公国観光ツアーといこっか皆」

 

「だな。とりあえずギルド探しのついでに色々回ってみようぜ」

 

「お、おい恵里、浩介。いくらなんでも警戒心が無さ過ぎじゃ――」

 

 無論メルドがあわてて小声で話しかけ、他の面々も心配そうに見つめるものの、二人は特に反省するでもなく全員に向けてこう返した。

 

「ハジメくん、鈴。それに皆。こういう時はね、逆に胸を張った方がいいんだよ。そのおかげで前世は悪いことしててもバレなかったし」

 

「いや、その、えぇ……」

 

「そうそう。バレないためにこうして変装してるんだし、下手にオドオドしてたら怪しんでくださいって言ってるようなもんだ。鷲三さんや虎一さんからそう教わったし、実際に撮った映像見せつけられたからな……なんで俺に女装させたんだよぉ」

 

 無駄に説得力のある言葉であった。

 

 前世? の経験から語る恵里に誰もが顔を引きつらせ、受け継いだ知識と経験則を述べた浩介を見てやっぱり忍者/暗殺者だコイツと誰もが実感する。なお浩介の最後のボヤきは全員が無視した。誰だって藪蛇は嫌なのである。

 

「……わかった。なら開き直ってやっちゃおう、皆。どうせ僕らのやることもただの観光みたいなもんだしね」

 

「それもそうだな……うし、んじゃあ色んなトコ見に行こうぜ。どうせだから観光三昧しちまおう」

 

 そうして逡巡する四人の中でハジメが真っ先に考えを切り替える。このまま考えたところでいい方向にはいかないと直感したからだ。礼一もその言葉を受け、周囲を確認するのを止めてリラックスした様子になる。

 

「こ、近藤君!……は、ハジメくん。いい、の?」

 

「うん。恵里と浩介君の言う通り、周囲を警戒するような動きをしたら逆に『怪しんでください』って言ってるようなものだしね。礼一君や恵里達と一緒に開き直っちゃおうよ」

 

「そうそう。鈴、ハジメくんのお墨付きだよ? どうせだったら思いっきり楽しんじゃおうよ。他の皆を嫉妬させるぐらいにさ」

 

「う、うぅ~……」

 

 それを見てオロオロとする鈴であったが、ハジメと恵里の説得……というかイケない誘いに目をグルグルとさせて迷ってしまう。そんな鈴を横にメルドも大きく息を吐いて警戒を解き、しょうがないなといった面持ちで恵里達の方を見やった。

 

「……そうだな。ここで下手に警戒していたら警邏兵に逆に疑われるだろう。うん、俺達はあくまで善良な冒険者だ。そう振る舞っておけば問題は無い。どうせここに滞在するのもほんの少しの間なんだからな」

 

「め、メルドさん!……うー、わかったよ。じゃあ鈴も楽しむ。鈴だけ仲間はずれなんて嫌だから」

 

 そうしてメルドが宗旨替えをすれば、鈴もあっさりと折れて仲間入りに。そんな鈴の手を恵里とハジメは手に取り、そのまま表通りへと早足で向かっていく。

 

「じゃあ決まり!――ふふっ。久しぶりのハジメくんと鈴とお出かけ。楽しみ!」

 

「まったくもう……じゃあ皆、行こう!」

 

 路地裏から表通りに出れば幾つもの乳白色の建物が視界に入り、通りに面した店には様々な商品が並ぶ。異国情緒溢れる通りを無数の人々が歩き、店主と交渉し、とりとめのない話をしながらどこかへと向かう。活気と喧噪に満ちた場所へと足を踏み入れた恵里達は目を輝かせながら色々な店を見て歩いていく。

 

「おや珍しい恰好だねー! もしかして観光客かい? 良かったらウチに寄ってきなよー!」

 

「そこの色男さん。お連れの二人に似合いそうなアクセサリーが並んでるんだけど見てかないか?」

 

「おいおいそんなナリでアンタ達はここまで来たのか? 砂がキツくて大変だったんじゃないの? ちょっと俺の店に寄ってきなよ。グリューエン大砂漠を渡るなら俺の店の外套がイチバンだぜ!!」

 

 四方八方から寄せられる声。この世界に来てメルド以外にかけてくれた偏見も敵意もない声に恵里、ハジメ、鈴は思わず感極まる。あくまで自分達のことを知らないとはいえこうして親し気に声をかけてくれたのが無性に嬉しくて仕方なかったのだ。

 

「――ふふっ。じゃあハジメくん、もしかするとこっちの方向にギルドがあるかもしれないし、ちょっと行ってみようよ」

 

「あ、もうっ! ダメだってば恵里! せめてどこにあるか尋ねないと――!」

 

「そうだよ恵里! 本当はウィンドウショッピング楽しみたいだけでしょ!」

 

 だがそんな様子はおくびにも出さず。恵里は鈴の手を引きながら街の通りを歩いていく。ハジメも恵里をたしなめつつも目をキラキラとさせながら彼女の後を行く。鈴もそんな恵里に声をかけながらも止める気は一切無く、ただ彼女に手を引かれるままであった。

 

「全く……アイツらは後で説教だ。よし、俺達も行くぞ」

 

 そんな恵里達を見てやれやれといった雰囲気のメルドも浩介達に声をかけ、すぐに彼女の後を追う。喧噪に溶け込んだ偽りの旅人達は今、何もかもを忘れて人々が(かも)す熱気にあてられながら街をさまようだけであった。




早いうちに後編も投稿出来たらいいなーと思ってますまる
……まだ2%そこらしか書きあがってねーのよ(ボソッ)


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五十四話 砂漠の中の国、アンカジ公国にて(後編)

それではまず拙作を読んでくださる皆様に多大な感謝を。

おかげさまでUAも128998、しおりも349件、感想も422件(2022/8/31 18:26現在)となりました。皆々様本当にありがとうございます。原作の流れをちょくちょく外す拙作をひいきにしてくださり感謝しております。

それとAitoyukiさん、今回もまた拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうして良かったと評価をしていただけるだけでまた筆を執る力が湧きました。今回もまた感謝いたします。

ではアンカジ観光ツアーの後編となります。それでは本編をどうぞ。


「――なるほど。エリセンへ行くためにこちらに寄られたのですね」

 

「はい。そのついでに観光もするつもりでここの通りを歩いてました。活気があってとってもいい所ですね!」

 

 観光がてら通りにある様々な店をウィンドウショッピングしていた一行。そこにたまたま巡回に来ていた兵士から声をかけられると、恵里が人懐っこい笑みを浮かべて兵士に対応したのである。今も思いっきり猫を被って快活な様子で受け答えをする彼女を見て、本性を知っているハジメ達は引きつった笑みを浮かべるか苦笑いをするかしていた。

 

「はは、そうでしょう。エリセンから海産物、ホルアドから魔石などを運ぶ要所ですからねここアンカジは。ここ一帯では最大のオアシスでもありますし、商人や旅人の休憩地としても最適な場所ですから」

 

「はい! 砂漠の中なのに緑が豊かで、色んな所をきれいな水が流れる水路があってとってもびっくりしました! あ、そうだ。この後エリセンに行く予定なんですけれど、安全にそこへ行くためにギルドの方で依頼をしたいんですがどこにあるか教えていただけませんか?」

 

「ええ、構いませんよ。ギルドは――」

 

 見知った相手であれば絶対にやらないであろう振る舞いをしながらも、しっかり情報を得ている辺りに誰もが安心する。ああやっぱりいつもの恵里だ、と。口八丁手八丁で見事に目当ての情報を抜き取りつつ、後のことを踏まえて嘘の情報をしれっと流す様は最早感動すら覚えるレベルだ。

 

(ここに来て良かった……恵里のあんな顔、久しぶりだよ)

 

(恵里、楽しそう……本当に感動してたんだね)

 

 ただ、恵里と付き合いの長い二人は彼女がこのアンカジを見て感動している様子であることには気づいていた。言葉遣いやイントネーション、そういったものから恵里が本気で感激していることを理解していたのである。

 

「――さて、それじゃあギルドの方も聞きだしたし早速……ねぇそこの男子、何か言いたいことでもあるの?」

 

 そして先程まで話しかけていた兵士が人ごみにまぎれていくのを見計らってから恵里は声をかけようとした。だが浩介らは恵里の様子を見て軽く引いていたため、彼女もキレたのである。

 

「なんでもないよ、恵里――ほら、行こう」

 

「あっ――うん」

 

 するとハジメが恵里の手を取り、ゆっくりと彼女の手を引いてギルドの方へと向かっていく。愛しい人に手を繋いでもらったためか、ちょっと頬を染めながらも彼にされるままに恵里は歩く。

 

「恵里のおかげでどこにギルドがあるかもわかったし、すぐに向かおう」

 

「はいはい。わかったよ……」

 

 そしてハジメの後ろをスッと鈴がついていき、何もなかったかのように歩き出した。

 

「……やっぱ一番ヤバいのは先生と谷口だな」

 

「あぁ……あの暴れ馬の手綱を昔っから握ってたからな」

 

 さっきのやり取りなんてなかったかのように恵里と談笑しながら歩く三人を見て残った男子~ズは戦慄する。本当にヤバいのはあの猛獣(恵里)でなく、それを難なく御する二人ではないのか、と。背中にうすら寒いものを感じながらも後をついていきながらメルド達はそう思った……。

 

 

 

 

 

 道すがら露店や通りに面する水路を眺めて異国情緒を堪能しつつ、恵里達は遂にアンカジ公国のギルドへとたどり着いた。建物はやはり他と同じ乳白色であったものの、それ以外と比べて一際大きく、砂漠の真っ只中にある施設なだけあってか扉は金属製である。

 

“本当にいいんだな? お前達まで巻き込むんだぞ? 俺が上手くやれば――”

 

“メルドさんなら上手くやれると思うけど、どこから情報が伝わるかわからないからね”

 

“俺もそう思う。最悪門を封鎖されたら困るのはこっちの人達だし。やっぱり迷惑かけるにはいかないって”

 

 ギルドの建物から数メートル離れた路地裏にて、メルドは恵里と浩介に説得されていた。それは先程“念話”で決めた取り決め――全員一緒にギルドに入ろうということに対して今一度渋ったからである。その理由は簡単で恵里達も不審者として扱われることへの抵抗感があったからだった。

 

 自分一人で入れば、たとえ追手をつけられたとしても今の自分の能力と技能を駆使すれば十分撒くことは可能だと考えていたし、その間恵里達はいち観光客としてここアンカジを楽しんでもらいたいとメルドは思っていたからだ。だがそれも恵里と浩介が再度出した理由でまた丸め込まれようとしていた。

 

“言っただろメルドさん。最初に来た追っ手を撒くこと『だけ』が簡単なんだ。姿をくらませばすぐに連絡をとって数を増やすだろうし、俺らと合流した姿を見られたら結局変わらない。だったら最初からずっといた方が皆で一斉に動ける分いいんだって”

 

 浩介の述べる通り、追っ手を撒くことが出来たとしてもそこから先が結局繋がらない可能性が十分あるからだ。八重樫の裏を学び、こういった時相手がどう対処するのかがわかっていたからこそ浩介はそれを良しとしない。

 

 追っ手を潰して追加された人員を引きずり出してから本丸を叩くというのであれば話は別だが、自分達は国を混乱に陥れることが目的ではない。あくまで換金のためにここに来たのだ。だからあえて姿と()()をさらすことを主張したのである。

 

「全く……どうなっても知らんぞ」

 

「その時は一緒に逃げちゃいましょう。それでいいと思います」

 

 ため息を吐いてボヤくメルドをハジメがなだめ、他の皆もうんうんとうなずいて返す。自分の教え子達が無駄に覚悟が極まってしまったことを軽く嘆きながらもメルドは再び折れ、ギルドへと向かっていく彼らの後姿を追うばかりであった。

 

「……よーし、行くぜ皆」

 

 そして礼一が金属の扉に手をかけると、全員にその緊張が伝わっていく。見知らぬ場所へ入ることの怖さ、中はどうなっているのかと気になる好奇心。誰もがそれに心臓を高鳴らせながらも礼一が扉を開けるのを見守るだけ。そうして視界に広がったのは以外にも清潔な空間であった。

 

 相応の人間が利用していることもあってか石造りの床は所々擦り減っており、色合いも年季を感じさせる。

 

 だが床の摩耗具合に比例して中は活気にあふれており、併設されている飲食店と思しきスペースは一段と際立っていた。おそらく商人と思われるロクに武装もしていない恰幅の良い男がしっかりとした体躯の青年ら数人と話し合いをしていたり、冒険者と思しきパーティの集団が誰かまたは依頼を待っているかのようにたたずんでいる様子がそこかしこに見られるのだ。

 

 そしてギルドの扉に取り付けられた大きなドアベルが鳴ったのに気づくと同時に周囲から一斉に視線を向けられた。好奇や確認、そういったものが主であったがすぐにそれは霧散する。その視線を寄せたのが依頼待ちであろう武装した人達からのものばかりだったからだ。

 

「通りとはまた別で……すごいね、皆」

 

「警邏していたあの兵士が言ってた通り、ここは交易の要所だからな。エリセンの海産物はアンカジを経由して国中に渡っていくし、ホルアドの魔石も必ずここを通ってこの国やエリセン、他の街へと輸出されていく。こうなっているのも当然だろうさ」

 

 思わず感嘆するハジメにメルドはそう答える。とはいえこういう風景をメルドも実際にこういった風景を見るのは初めてらしく、どこか興奮した様子ではあったが。

 

 『おそらくはキャラバンやここからの護衛の依頼を待っているんじゃないか』とメルドが推測交じりで締めくくると全員に視線でカウンターへと向かうよう促し、それに気づいた恵里達も木造のカウンターにいた美人の受付の一人の方へと向かっていった。

 

「あのー、えっと……二人、とも?」

 

「どうせ鼻の下を伸ばしてたんでしょ、ハジメくん? 『ギルドっていったら美人の受付さんだよねー』って。お見通しだよそれぐらい」

 

「うん。鈴達がいるのに目移りしちゃう浮気性なハジメくんには流石に近寄らせたくないよ」

 

「だ、だって! 僕だって男だよ!? ろ、ロマンの一つや二つ――」

 

「「許さない。ギルティ」」

 

「ぎゃぁあぁぁぁぁぁああぁ!!!」

 

 ……ただ、受付業務をしていた女性を見て『ファンタジー世界の生の美人の受付嬢さんだ!!』と内心はしゃいでいたのを恵里と鈴に見透かされていたハジメは、即座に二人に手を取られ、両の小指をあらぬ方向へと軽く捻じ曲げられて悲鳴を上げる羽目に遭ったが。

 

 そんなハジメ達を尻目にメルド達三人は受付に話しかけ、すぐに買取の手続きを始める。

 

「――そうですか、わかりました。では素材の査定はあちらになります。準備が出来次第、あちらの列でお待ちになってください」

 

「あぁ、ありがとう――おーいお前ら、いつまでやってるんだ? 早くこっちにこーい」

 

「あ、今行きまーす」

 

「ちょっと待ってくださーい」

 

 すぐに手続きを済ませて声をかけたメルドに恵里と鈴はニコニコと笑顔を浮かべながらも脂汗をかいたハジメの手を引いていく。素材の査定を担当しているのは壮年の浅黒い肌の男性であったため、二人的には問題なかったようだ。

 

「では素材の提示を」

 

「えっと、素材はこちらに……っと」

 

 そして自分達の番が来たことでハジメは背負っていたリュックを下ろすと、予め入れておいた素材を取り出してカウンターに出ていた受け取り用の入れ物の中へと並べていく。もちろん取り出したのは昨日あえて下手に討伐をして幾らか損傷していた魔物の皮や爪、それに魔石だ。五匹分程度のそれを置いてから買い取りを頼めば、担当の男性もふむと少し考え込むような素振りを見せ、一つ一つ手に取って調べていく。

 

「では買い取り額はこれぐらいになりますが、よろしいでしょうか」

 

「――ええ、わかりました。ありがとうございます」

 

 そして程なくして査定額を提示してもらえばメルドは何も言わずにそれを了承し、すぐに買取金額の三万二千五百ルタを受け取った。なお額面を提示された瞬間にメルドから“念話”で一切の文句を言わないよう、通達を食らっていたため恵里達は少ないことを口に出してボヤくことは無かった。

 

(たった三万かぁ……でもあれぐらいの損傷で、しかも五匹でだからそれなりに高く買い取ってくれたのかな? なら文句は言えないね)

 

 だがいくら数が少なく文句を言わないよう言われとはいえど正直ガックリくる数字ではあった。いくらなんでも少なすぎる。一体どれだけ米を買う金の足しになるのかと心の中でボヤいていると、すぐにメルドが自分達に声をかけて来た。

 

「……よし。それじゃあお前ら、ひとまず戻るぞ」

 

「「「「はい、わかりました」」」」

 

「ウーッス、わかったよメルドさん」

 

 とはいえ今回ばかりは仕方がない。ひとまずお金のことは諦め、六人全員でギルドを後にしていく――自分達の後をつけてくる人間に気付かないフリをして。

 

“あー、これ気づかれたな”

 

“やっぱりこうなってしまったか……数も相当絞ったはずなんだがな。まぁ仕方がない。全員俺の指示通りに動け。いいな?”

 

 メルドが“念話”でそう伝えると共に恵里達は即座に了解と返す。そしてメルドの指示通り表の通りへと出て、露店の方を見て回る。気づかずに観光していると見せるためだ。

 

「あ、おじさん。その果物美味しそうですね」

 

「おぉ、わかるか? コイツはな――」

 

「ハジメくん見て見て! あっちの屋台の方から美味しそうな匂いがするよ!」

 

「あ、ホントだ。ちょっと寄ってく?」

 

 そして演技を頼んだのは浩介、恵里、ハジメの三名のみ。恵里は言わずもがなであり、浩介も表通りに出る際の力説や違和感なく溶け込んでいた様子から選び、ハジメも恵里のフォローがあればおそらく大丈夫と踏んでの判断だ。

 

“礼一、鈴。お前達も適当に露店や建物を眺めるだけでいい。やってくれ”

 

“わ、わかりました!”

 

“あ、それでイイんすか? はいっ”

 

 思った通り上手くやれていることにメルドは安堵しつつも、どうしたものかと迷っている鈴と礼一にもキョロキョロしてるだけでいいと伝える。そのおかげか追手の方は変な動きをすることは無かった。

 

“なぁメルドさん、やっぱり俺らが狙われたのってアレのせいか?”

 

“だろうな。だが、あそこでステータスプレートを出してたら一発で終わってた。結局登録せずに換金する以外は無理だったのだから仕方がない――行くぞ”

 

 こうして追われるようになった理由も全員が察しがついていた。それは二つ。『ステータスプレートを提示しなかったこと』と『冒険者登録を済ませなかった』ことだ。

 

 ステータスプレートを出せば当然その場で自分達がお尋ね者として捕まる可能性が高い。何せアレーティアを狙うエヒトとその傀儡の宗教が相手なのだ。自分達を既に指名手配していてもおかしくはない。だから当然身分証明書代わりのコレは出せない。

 

 それに連動する形でもう一つ。冒険者登録を済ませられなかったことが大きなネックになっていた。

 

 冒険者登録の際に手数料を千ルタほど取られるものの、査定額を一割増してくれることやギルドと提携している宿屋や店舗の料金の引き下げなどといったメリットも受けられるからだ。腕に覚えがあってやましいことがないのであるなら基本登録して損はしないのだ。

 

 つまりそれをしないということは腹に一物あるか何かしら事情を抱えているということの証明になってしまう。それ故に疑われたのだろうと全員があたりをつけており、そしてそれは事実であったのだ。

 

“今のところは追手の数は増えてないですね。とりあえずこのまま……”

 

“ああ。下手に増えても厄介だ。そろそろ路地裏へ向かうぞ”

 

 最後に薄々感づいてはいたが確証が無かったために挙げなかったもう一つの理由――自分達は人相書きのせいでバレたのではないかということ。そしてこれもまたその通りであった。

 

 実は恵里達がオルクス大迷宮を出た直後、エヒトから神託を受けた教会は急ぎギルドマスターに連絡を取次ぎ、信託の内容を明かす――オルクス大迷宮で失踪した中村恵里らは存命であり彼の者らを捕えよ、という内容のものを。そして教会は彼らを異端者として認定し、ギルドの方も尽力せよと通達してきたのだ。

 

 当然ギルドマスターであるバルス=ラプタは何を馬鹿なと内心教会からの一方的な通達に呆れ果てていた。かつて“最強”と言われた冒険者がベヒモスに挑んだ際の記録や、何カ月も前に起きた転移の()()での聞き取りの際に彼らが失踪した階層の情報や失踪した彼らの動向は把握している。あんなところから下へと行ったのだからいくら『神の使徒』といえど無事では済むまいと判断していたのだ。

 

 だがこのトータス全土に根を張る教会相手に矛を構えることがどれだけ愚かであるかということもわかっていた。そのため表向きはそれを承諾し、一応ギルドの支部長にもそれを通達。もし見かけたら厳戒態勢のもとで接触するよう言っておいたのだ……()()()その情報が全てのギルドの端役にまで広まっていたが。その結果、とっととギルドを後にした恵里達は追われる身となったのである。

 

“追手の方は見えるな――よし、ハジメ! 頼むぞ!”

 

 そして路地裏に入り込み、あえて行き止まりの方へと向かって追い詰められた体を演出すると、すぐにメルドはハジメに号令をかける。

 

「はいっ!――“錬成”!」

 

 ハジメも即座に“錬成”を発動して自分達のいた場所に大きな穴をあけ、その中へと一気に落ちていく。向こうが焦りを含んだ様子で檄を飛ばしているようだがもう遅い。ハジメは宝物庫から四人分の“錬成”の付与されたガントレット、氷の結晶をあしらったネックレス型の冷房効果を持つアーティファクトを人数分取り出して全員に手渡した。

 

「はいコレ着けて! ここからは時間との勝負だからね!!」

 

「わかってるよハジメくん!――“錬成”!!」

 

「トンネルの維持と追手の対処は鈴に任せて!――“聖絶”!」

 

「よし、お前達! 一気に行くぞ!! “錬成”!!」

 

「「“錬成”!!」」

 

 そして“錬成”が使える五人が一気に前方へと向かって穴をあけていき、こちらを追ってこようと人員の手配や地面の大穴に突入してきたアンカジの人達を尻目に恵里達は外へと進み続ける。後ろは直に砂で遮断され、追手が直接追いかけてくる心配はなくなったことから全員前へ進むことだけを意識し、ひたすら掘削していく。

 

「――っ!!! 一気に熱くなったね!!」

 

「ネックレス型のアーティファクトを起動して!! これで暑さをしのげるはずだから!!」

 

 外壁の下も掘り進め、そこから更に数メートル進んだ辺りで異変が生じた。サウナに匹敵するかのような凄まじい熱に襲われたのである。ハジメの号令と共に身に着けたアーティファクトを起動したおかげでどうにか耐えることは出来、またその急激な変化から外に出たのだろうと判断した恵里達は坂を上るように掘り進めて行く。

 

「――出たな! ハジメ、バスを出してくれ!!」

 

「はいっ!――皆、今すぐ乗り込んで!! 追手が来る前に逃げるよ!!」

 

 無事に一行は外に出る事に成功すると、メルドの指示と共にハジメは宝物庫からバスを取り出して大声で全員に乗るように伝える。

 

 幸い“気配感知”には自分達以外の気配はまだないものの、ちんたらしてたらいつ追いつかれるかわからない。疲れと酷暑でダルくなった体に鞭を打ちながら恵里達はバスへと乗り込み、見事に逃げおおせたのであった……。

 

 

 

 

 

「……そうか。ハジメ達もお疲れ様。俺達と同じで中々面倒なことになってたんだな」

 

 かくしてアンカジを脱出し、バスを走らせることしばし。恵里達は合流地点として事前に取り決めていたハルツィナ樹海近郊へと辿り着き、先に戻っていた他の班の皆と無事に落合うことが出来た。今は食事をしながらお互いの身に起こっていたことについて話し合っている。

 

「そうだね。光輝君達も龍太郎君達もお疲れ様。でも皆無事に戻ってこられて何よりだよ」

 

「ホントな。でもまぁあの程度じゃ俺らを捕まえるにゃ役不足だろ。腕の立つ奴を百人二百人でも連れてこい、ってな」

 

 生け捕りにしていた魔物を解体し、貴重な脂を使って焼いたステーキを食べながらハジメは皆の無事を喜ぶ。賽の目にカットした肉を食いつつ良樹も、底意地の悪い顔を浮かべながら暗に自分達は絶対に捕まる訳がないと断言する……なお即座に他の博識な面々に役不足のことについてツッコまれて赤っ恥をかいた。

 

「ま、それはそうだけどな……ハジメの方も、光輝達の方も追いかけられたって聞いてやっぱいい気分にゃならねぇよ。周りから敵扱いされるのって結構キツいな……」

 

「……龍太郎君、何があったの? メルドさんがボク達を認めてくれたことでも思い出してしんどくなった?」

 

 一方、龍太郎は適当に切った肉片を雑に口に突っ込みながらそうボヤいた。自分だけでなく友人や愛する人さえも世界から歓迎されていない、という事実に対して思うところがあるようだ。何かと比較したせいでへこんでいるような様子の彼を見てふと恵里は龍太郎に問いかける。

 

「多分そっちじゃないよ恵里ちゃん……多分キャサリンさんとクリスタベルさんのことだよね?」

 

「あぁ……香織の言う通り、あの二人は俺らのことを信じてくれたからな。それを思うとなんかやるせなくてよ……」

 

 苦笑しながら恵里に返事をしつつも問いかけてきた香織に対し、龍太郎も首を縦に振ってそれに答えた。

 

 曰く、会った当初から自分達の素性は見抜かれこそしたものの、色々やり取りをしたことで自分達のことを信じてくれた上に迷惑料として下着を譲ってくれたり今回のことは黙ってくれると述べたのだという。

 

「……どこまで本気だろうね。ねぇ香織、その下着になんか変なモノ付いてたりしないの?」

 

「大丈夫だよ恵里ちゃん。少なくとも感知系統の技能には引っ掛かってなかったし、もし本当にキャサリンさんが噓をついてるなら今頃皆ギルドの人や冒険者に囲まれてるよ」

 

 その場に居合わせていなかった恵里はその説明に思いっきり顔をしかめて怪しんだものの、香織の言葉を聞いて『それもそうか』と納得してステーキを呑み込んだ。

 

「でもよー白崎ー。あのオバチャンが町長とかだったらなー、って思わなかったか? 町長権限効かせて俺らのことかくまってくれたかもしれねーだろー?」

 

「……大介、仕方ない。私達をちゃんと理解してくれる人がいた。それだけでも十分大きい」

 

 既にステーキを食べ終わってテーブルに突っ伏してボヤく大介の背中をアレーティアが撫でる。あのことは龍太郎と同行していた彼らにとっても意外な結果であり、高望みをする彼をなだめるアレーティアを見て香織もちょっと苦笑いを浮かべながらも大介に返事をする。

 

「そうだね。キャサリンさんがそういう立場の人だったら良かったなー、って私だって思うよ。でも今は『味方』がいてくれたことに喜ぼうよ檜山君」

 

「そらそうだけどよー……ハァ、世知辛ぇ」

 

「香織の言いたいこともわかるけどねー……檜山君の言う通り世知辛いなー、って」

 

 香織の言葉に一層深くため息を吐く大介に恵里も同意する。自業自得とはいえ、こうも世間が自分達に対して厳しいとなると中々に心が辛い。別段悪意に関しては相変わらず気にすらならないものの、食料や寝床の確保が出来ないことに対する不便さを考えれば憂うつになってしまうのも仕方が無かった。

 

「それなら別の街でもっと質のいい素材を買い取ってもらってよ、色々買っちまえばいいんじゃね?」

 

「そうだよね。斎藤君の言う通り、もうどうせ目をつけられてるんだから人目を気にしないで振る舞っちゃったほうがいいんじゃないかな」

 

「良樹と奈々の言うことも尤もだな。あ、でもどうせだったらライセン大峡谷の素材を持ち込んだ方がいいんじゃねぇか? 周りに対して威圧もかけられるからな」

 

「いや駄目だ幸利。無用な犠牲を出さないためだと言っても限度が――」

 

 そうして話し合いは続いていく。金銭の工面に関するものはもちろん、立ち寄った街の景色はどうだったといった雑談や、今後の立ち振る舞いはどうしたものかという相談、早く米が食べたいといったとりとめのないことも含めて。

 

 そうして時は過ぎ、土属性魔法と“錬成”で造った風呂に皆が入り、キャンピングカーやテントなどで見張りを立てながら彼らは眠りに就く。そして――。

 

「全員乗ったな?……それじゃあ出発するぞ!」

 

 翌日、他の班の皆と別れ、恵里達は【グリューエン大火山】へとバスで向かう。今回は地理に一番詳しいメルドが運転も担当し、アンカジを迂回して北上するルートを通ることとなっている。

 

 移動を含めて三日がタイムリミットであるため、今回はやりたい人がやるのではなくいかに早く目的地にたどり着き、【グリューエン大火山】をどれだけ攻略出来るかに重点が置かれる事となった。

 

 そのため治癒師である鈴と闇術師である恵里は除外。状況に応じてアーティファクトを作れるハジメも運転手には使えず、最強の戦力である浩介の魔力も無駄には出来ない。そこで仲間の中で最もトータスに詳しいメルドが運転手に立候補したのだ。

 

「しかし、かなりのスピードだな……あっという間に樹海が遠ざかっていく」

 

 百キロ以上の速さで景色は移り変わり、もうメルドの目の前には【グリューエン大砂漠】の一端が広がっている。徒歩や馬車ならここまで来るのに一体どれだけの時間がかかるやらと思いながらも、メルドはスピードを緩めはしない。バスは砂塵に負けることなく荒涼とした大地をひた走っていく。

 

「ハジメぇ~、冷房はもう大丈夫なんだよな? アレあんま効かなかったぞ」

 

「安心してよ礼一君。この前の反省を踏まえて思いっきり強いのも用意しといたから! アレーティアさんに頑張ってもらってちょっと弱めの“凍柩”と“砲皇”を付与してもらったんだ!! あと“凍獄”にしてもらったバージョンもあるよ!」

 

「ねぇハジメくん、それ大丈夫なの? 使った直後に死んだりしない……? いきなり氷漬けとか絶対ヤダよ?」

 

「……鈴、火山がそんなに暑くないことを地球の神様に祈りたくなってきた」

 

 この前砂漠の中で掘り進めた際に使用した冷房のアーティファクト――魔力を流すことでネックレスに付属している氷を模した飾りの中心部分に氷を発生させ、その冷気を付与した風属性の魔法を使って全身に行き渡らせるという仕組みである――を更に強化? した代物を作ったことを述べたハジメに珍しく恵里は焦りの表情を浮かべる。こんなヤバい代物を使って本当に大丈夫なのか、と。鈴も遠い目をしながら使わずに済むことを願っていた。

 

 かくしてバスに揺られながら恵里達は灼熱の火山へと向かっていく……思いがけない出会いがそこで待っているとも知らずに。




次回はグリューエン大火山攻略……の前に龍太郎達sideの幕間のお話となります。


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幕間二十八 ブルックの街にて_異聞(前編)

まずは拙作を読んでくださる皆様がたに盛大な感謝を。

おかげさまでUAも129893、お気に入り件数も789件、感想も427件(2022/09/04 21:29現在)となっております。こうして拙作をお気に入りとして登録し、目を通してくださる皆様には頭の上がらない思いでございます。

そしてAitoyukiさん、今回もまた拙作を再評価していただいて本当にありがとうございます。何度も使いまわした言葉で恐縮ですが、こうして拙作を再評価してくださったことでまた筆を執る力と勇気が湧いてきました。いつもいつもありがとうございます。

それと今回もいつものように前後編となりました(白目) それでは本編をどうぞ。


 真夜中のブルックを照らすのはわずかな明かりのみ。ここブルック近郊に夜目が効く魔物や空を飛ぶ夜行性の魔物は生息しておらず、見張り台はあるものの今はそこに誰もいない様子だ。門の方にも人の気配がないことから見張りは全員詰め所で寝ているのだろう。

 

“とりあえず障害物の類はなさそうだな。入るのも楽そうだ”

 

“やっぱりこれしかないのかな……ハァ”

 

“観念しろよ白崎ぃ。普通に入るのは無理なんだし、別に悪さする訳じゃねぇだろ。たまたま門番のいない空から入らせてもらうだけだって”

 

“んっ……今回は仕方がない。機会があったら謝るしかないと思う”

 

 ――だから空から街を見下ろす四つの影に気付けないのは仕方が無いのだろう。念のため“念話”でやり取り――アレーティアだけは大介お手製の“念話”が付与されたイヤリングを使って――している龍太郎らには街の誰も見つけることは出来無かった。

 

“信治、良樹。お前達は引き続きキャンピングカーで待っててくれ。しばらく暇になって悪いが……”

 

“気にすんな龍太郎。さっき言った通り変に神経張り詰めなくて済むんだ。こっちとしても願ったりかなったりだよ”

 

“面白そうな土産話で手を打っといてやる。ヘマこくなよ?”

 

 現在キャンピングカーの中で待機している二人にも“念話”を繋ぐと、特に気にした様子もない二人はそう返してすぐに切った。それを聞いて覚悟を決めた四人は互いに顔を合わせ、すぐに作戦の準備に移った。

 

“よし。じゃあ香織、大介、アレーティアさん。侵入開始だ”

 

 了解、と返事をすると同時に“空力”で足場を作っていた三人は一気に空中を駆け抜けていく。“空力”で展開した足場を“豪脚”で蹴り飛ばし続け、ずっと大介に横抱きにされていたアレーティアは彼の首に回した腕に少し力を入れて風を感じながら。数秒そこらで音すらほとんど立てずに無事に地上にたどり着いた四人はすぐさま路地裏の奥へと向かっていく。

 

“路地裏があったのはいいけど、隠れられそうなボロ屋とかは無ぇな。んじゃハジメが提案してくれたプランBでいくぞ

 

 ハジメが彼等に提案したブルックの侵入方法は二つ。一つは地下からの侵入であり、一体どこに出るかわからないことがリスクとなるためこれはオススメはされなかった。また夜に門が閉まる前に“気配遮断”を使って侵入することも考えられたが、アレーティアがその技能を持っていないことと“気配感知”や“熱源感知”といった技能が付与されたアーティファクトがあちらに無いとも限らなかったため、これは即刻却下された。

 

 そして残るもう一つの方法は……空中からの侵入だ。もし仮に空中から敵を探るようなものが無い場合はこっちの方がいいかもとオススメされている。その際廃屋があるのならそれを利用するのも手だよ、とハジメからアドバイスをもらってはいたものの、同時に地下にスペースを造ってそこでやり過ごすことも提案されていたため、これを採ろうと龍太郎は急遽決める。

 

「それじゃあ行くぞ皆、せーの」

 

「「「「“開穴”」」」」

 

 そして四人で落とし穴を作る魔法である“開穴”を発動して深さと直径が三メートルの縦穴を作り出すと、全員すぐにそこへ飛び込む。スタッと全員が難なく着地するとすぐ、龍太郎は背負っていたリュックから“錬成”の付与されたガントレットを大介へ、金属製の筒を香織へと渡した。

 

「香織、空気穴の確保を頼む」

 

「うん。じゃあ私が穴をふさぐから檜山君は仕上げをお願い」

 

「よっしゃ任せろ――“錬成”」

 

 “空力”で足場を作り、穴の真ん中から筒を何センチか出すと共に香織は土属性の魔法を発動して大まかに穴を塞いでいった。そして大介も“錬成”で土の壁と天井を固め、強固な空間を作り上げる。あっという間に朝を迎えるための準備は整った。

 

「後は朝が来るまで待ってりゃいいのか……マジで暇だな」

 

「仕方ねぇだろ。今の俺らじゃ正規の手段で入れねぇんだからな」

 

「ステータスプレートの名前の方もいじれたら良かったのにね……」

 

「それが出来たら身分を証明するものにならない……こればかりは仕方ない」

 

 そうしてやることも無くなって暇になった四人は思い思いに話をすることに。『普通』に街に入れないことに関する不満や直径十五センチの筒を見て朝になったらまぶしいんだろうかとアレコレ言ったり、早くウルの街に行ってお米を買ってしまいたいといったことまで。

 

(……早く朝、来ないかな)

 

 そうして色々と話をし続けていた一同。そんな折、体育座りをして隣の龍太郎に軽く体を預けていた香織は天井を見上げながら何とはなしにそう思った。

 

 この中で過ごすことを当然想定していたため、全員時間差で昼寝をしてここで寝なくても大丈夫なようにしておいた。それ故睡魔に身を任せることも出来ず、時間が中々過ぎていかないのがもどかしい。

 

 それに何より、“夜目”のおかげで普通に視界は確保出来ているものの、こうして真っ暗な空間にいるとどうしても悪いことをして閉じ込められたような気がしてしまい、自身が少し落ち込んでしまっていることに香織は気づく。

 

(……アレーティアさんはどうなのかな? 辛く、ないのかな?)

 

 そんな時、ふと香織はアレーティアのことが気にかかった。前に話し合いをした際は大丈夫だった様子ではあったものの、こんな真っ暗闇の中で過ごすことにそういえばトラウマが刺激されたりしないのだろうか、と不安になったのである。そうして視線を向けるとアレーティアはそんな彼女の心配をよそに大介に存分に甘えていた。

 

「大介……だいすけぇ……」

 

「はは……ったく、今日は一段と甘えてくるじゃねぇか」

 

 昨晩の食後のひと時と同様、子猫のように体をこすりつけて大介に甘えている。そんな様子を見て香織は安心した。この状況が苦にならないのなら別に構わない。もう暗闇が彼女にとって辛く苦しいだけの世界でないと彼女の甘え具合から推し量ると、今度は自分もと龍太郎にアクションをかける。

 

「? 香織、どうし――」

 

 何か言い終わるよりも前にあぐらをかいた彼の脚の上に腰を下ろす。そして愛しい人を香織は見上げた。

 

「アレーティアさんを見て羨ましくなっちゃった。いいかな?」

 

「とっくにやっといてそりゃねぇだろ……ほら、これでいいか?」

 

 ちょっと悪戯っぽく笑う彼女に、龍太郎は軽くため息を吐きながらも香織を抱きしめて自分の側に寄せる。それだけであったがちょっと彼女の耳の辺りが赤くなってきたのが“夜目”のおかげでわかり、それに少し満足した龍太郎はちょっとだけ腕の力を強めた。

 

「ありがとう龍太郎くん。おかげで少し安心しちゃった。おっきいテディベアに包まれてるみたいだから」

 

「俺は熊のぬいぐるみかよ……だったら」

 

 何気なしにそんなことを言った香織にちょっとむくれた龍太郎は彼女のうなじに息を吹きかける。すると思いっきりびくりと反応し、それがなんだか面白くて龍太郎は笑いをかみ殺した。

 

「う~っ……ひどいよ、龍太郎くん」

 

「悪い悪い……ま、俺だって熊のぬいぐるみと同じ扱いじゃ不満になるんだよ。わかれ」

 

「……うん」

 

 突然のことに恨めし気に見つめてくる香織に対し、龍太郎がこう言い返せばそれだけ自分のことを大切に思っていると知って無言になってしまう。今のは自分がちょっと不用意過ぎたと反省しつつ、ただ龍太郎に背を預ける。大好きな彼の体温を、心音を、匂いを感じることにただ集中する。

 

「――ぷはぁ……アレーティア、お前も大概大胆だよな」

 

「――はぁっ……んっ。大介が隣にいるだけで心が安らぐから」

 

「お前なぁ、もう……」

 

 一方、龍太郎らに背中を向けたままアレーティアは大介と唇を合わせていた。ただ体をこすりつけるだけでは我慢出来なくなったか、何度となく普通のキスを繰り返し、今の今まで舌を絡めていたのである。

 

 光すら射さない暗黒の世界にずっと囚われていたアレーティアの脳裏にはやはりあの絶望と苦しみが今も容易に浮かびはする。けれどもそれが愛する()のしてくれたことだと今は思えるし、何より夜明け――大介達が訪れてくれた。だから今のアレーティアにとって暗闇はただ苦しみをもたらすものでも恐れるものでもなかったからだ。

 

 時折思い出してしまう負の記憶も父のことを考え、こうして大介に甘えることで少しずつ塗りつぶしているアレーティア。そんな彼女にされるがままであった大介もぐりぐりと強めに頭を撫でる。まだ暗闇の中が辛いと思っているであろう彼女の心が安らいでほしいと願いながら。

 

「……そろそろかもな。ちょっと確認してくる」

 

 そうして幾何かの時が過ぎ、空気穴から光が差し込み、それが段々と強まって来たところで龍太郎は外の様子を確認しようと考える。そこで香織をそっとどかして三人にそう告げると、“空力”を使いながら外の様子を見に上へと向かう。

 

 魔法で天井に穴をあけ、“気配感知”と“気配遮断”を使って外の様子を探ってみると、既に中天に近いところまで太陽は昇っており、遠くはともかく半径数メートル以内には誰の気配もない。これなら、と確信すると穴をあけたまま龍太郎は一度彼らの元へと戻っていく。

 

「見た感じ大丈夫そうだ。じゃあ三人とも、そろそろここを出ようぜ。あ、でも通りに出る前にちゃんと汚れを落とすぞ」

 

「「「了解」」」

 

 上から声をかけるより近くで言った方があまり響かないため、あえて戻った龍太郎は三人にそう告げる。香織らもそれにうなずき、アレーティアを大介がお姫様抱っこすると同時に四人は“空力”を使ってすぐに上へと向かう。

 

 一息で穴の外へと出た四人はすぐさま魔法で穴を埋め、すぐにアレーティアが発動した風属性の魔法で体に付いた土埃を払う。そして各々パートナーに自分の状態を見てもらってから表通りへと歩いていく。

 

 すると視界に入って来たのは活気溢れる市場であった。昼が近いこともあってかよく見るのは一般人よりも大なり小なり武装をしている人間が多い。

 

「……すっげぇ」

 

 先に言葉を漏らしたのは大介であった。

 

 屋台で受け取ったと思しき軽食にかじりつきながら通りを歩く冒険者と思しき一団だったり、物資の調達を担当しているのか大きめの袋を抱えて陳列された物を品定めしている軽装の男。それ以外にも既に一仕事終えてこちらに戻って来たらしい冒険者達のパーティが話をしながら露店を歩いて回る様なんかも見える。ひどく異世界情緒溢れる光景がそこにはあったのだ。

 

「……こうして見たら、本当に異世界に来たんだなって実感するな」

 

「うん……」

 

 微かに感じた郷愁もこの好奇心を煽る目の前の世界には敵わない。それを三人はひどく実感し、ただ呆然としながらそれを眺めるだけであった。

 

「……今の時代も、人は懸命に生きてる。それがわかっただけでも、嬉しい」

 

 一方、トータスの人間であるアレーティアも、今の時代の人間の営みを見て胸の奥がじんわりと温かくなる。パレードや視察といった機会でしか見ることが叶わなかった生の市井の徒の姿にどこか感激を覚えたのである。

 

 そんな時、ふと四人仲良くお腹の虫が鳴ってしまう。露店に並ぶ青果や軽食に使われるほのかな胡椒や香草、タレなどの香りが鼻腔を刺激し、それらを美味しく平らげていく人の様を見てしまっては誰も食欲が湧き上がってくるのを止められなかった。

 

「……なぁ三人とも。金もらったんならよ、後で買い食いしねぇか?」

 

 互いに恥ずかしい思いをしながらもふと口の中が唾液でいっぱいになった大介がヤバいことを口走った。悪魔のささやきである。同じく口の中からよだれが出そうになっている龍太郎と香織は大介の腕を引くと、そのまま路地裏へと連れ込んでいく。

 

「いいワケねぇだろ馬鹿っ。俺らは金を預かってるんだぞ。勝手に使って香織の下着とか米を買う金が足りなかったらどうするんだよ」

 

「そうだよ。見てて美味しそうだって思ったけど、でも私達お金の管理を任された責任のある立場なんだよ? だからいくら美味しそうでも……美味しそうでも買ったらダメだってばっ」

 

「ほ~ん、そうか。お前達相変わらずいい子ちゃんだよなぁ~」

 

 二人は器用に小声で怒鳴るも大介は柳に風といった具合。特に堪えた様子もなく二人の説教を流すと、二人の肩に手を置き、いやらしい笑みを浮かべながら耳元でささやく。

 

「考えてみろよ二人とも。財布を預かってるのは俺らなんだ。つまり、俺らが仲良く秘密にしてればバレることなんてねぇんだよ……それによ、あんなウマそうなニオイのする食いもん見てて腹が減らなかったのか? 食べたいって思わなかったのか? どうだ、おい?」

 

「そ、それは、だな……」

 

「そ、そうだけど、そうだけど……うぅ……」

 

 的確に自分達の欲望を突いてくる言葉に口から流れるよだれと共に屈してしまいそうになる龍太郎と香織。どうにか抗おうと頭を働かせようとしても浮かんでくるのはここ最近の食事事情ばかり。燻製にした魔物の肉にユグドラシルから採った果実。後は解放者の住処で得た野菜類などしか食べてないのだ。

 

 ベヒモスと戦ったあの階層から降りていく時や真のオルクス大迷宮を攻略した当初よりは遥かに恵まれた食生活をしているのは間違いないのだが、それでも調味料は塩ぐらいしかないため味は単調。香草代わりに使ってる草もなくはないがほんの数種類。香辛料なんて久しくお目にかかれなかったこともあってか二人はもう食欲に陥落しそうになっていた。

 

「だ、大介……駄目っ。ふ、二人をかどかわしたら――」

 

 そこでようやく後をついてきたアレーティアも大介を説得にかかる。個人のワガママを下手に通すことが後々響くことも理解していたし、自分を助けてくれた彼等に対する罪悪感も未だ引きずっていたが故にアレーティアは止めようとした。心情的には大介の味方ではあるのだが、それはそれ、これはこれだ。大介にとっていい方に転がらないと確信していたからこそ止めようとした。

 

「おいおいアレーティア、つれねぇことを言うなよ……ここで色んなもん食ったら俺の血の味も良くなるかもしれねぇぞ? それにアレーティアの分だって用意するからよ。食いたくなんねぇか、こういうのもさ?」

 

「う、うぅ……そんなことをしたら大介が、大介の責任に……」

 

 ところが当の本人はほい来たとばかりに彼女の方を向き、逆に説き伏せようとしにかかってきた。良心の呵責と好きな人と一緒に食べるご飯。その二つを天秤にかけ、ちゃんと公明正大に判断を下そうとする。

 

「俺はよ、その……悪いことだってわかってるけど、お前と一緒の思い出作りてぇんだよ。ダメか?」

 

「……二人とも、たまには羽目を外すことも大事だと思う」

 

「「アレーティア(さん)!?」」

 

 結果、即陥落。実に役に立たん吸血鬼であった。ちょっと気恥ずかしそうにそう語る大介を前に吸血鬼の少女の良心は微塵も役に立たない。ガッツポーズをキメる憎いあん畜生の側に回ったアレーティアに龍太郎と香織は思わず愕然とするしかなかった。

 

「ストレスをためるのは良くない……証拠を残さなければきっと大丈夫。中野さんと斎藤さんにもお土産をもってけばきっと上手くいく」

 

「だな。あの二人だけ仲間外れにするっつーのもダメだよなぁ……な?」

 

「い、いや、けどよ……」

 

「だ、ダメだよぉ……お金を稼いできてくれた皆に悪いし……」

 

「コショウとかソースの効いたこ~い味付け、恋しくならねぇ? しばらく塩と数種類の香草だけの飯がまた続くかもしれねぇんだぞ?」

 

「たまには悪いことするのもアリだな!!」

 

「うん! ちょっとぐらいなら下着が安いのでも我慢するよ! 美味しいものを我慢するほうがよっぽど体に悪いもんね!!」

 

 かくして二人も折れてしまい、ヨダレをダラダラと垂れ流しながらそれに承諾してしまった。やっぱり食欲には勝てなかったのである。その後、話し合いをして『換金後に安いのを一品だけ購入』ということになったために大介はかなり渋ったものの、流石にこれ以上の出費は駄目だと三人に止められたことで仕方なく従うことに。

 

 ……なお、信治と良樹も抱き込みこそしたものの結局合流した後にバレてしまい、主犯の大介は他の面々から袋叩き、共犯の五人はアームロックをかけられて悲鳴を上げることになるということをまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 話し合いを終えた四人はメインストリートを歩いていき、一本の大剣が描かれた看板を発見する。かつてホルアドの町でも見た冒険者ギルドの看板だ。規模はホルアドに比べて二回りほど小さい。それを確認すると重厚そうな扉を開き、龍太郎達は中へと踏み込んでいく。

 

「あ、結構きれいだね」

 

 香織がそうポツリと漏らした通り、中は清潔さが保たれていた。入口正面にカウンターがあり、左手は飲食店になっている様子である。その飲食店のスペースに何人かの冒険者らしい者達が食事を取ったり雑談したりしている。アルコールの匂いが鋭くなった鼻に届いていないことから誰ひとり酒を注文していないのだろう。

 

「んー、ちょっと意外だな。確か前にハジメから借りた漫画だとこういうところにも酒は出てたりしたんだが……やっぱり面倒な客はいらねぇってことか?」

 

「……酒が入ると面倒な手合いはいくらでもいる。だからきっとそういう人を避けてると思います、坂上さん」

 

 龍太郎のこぼしたちょっとした疑問にアレーティアが答えると、それもそうかと三人は納得し、そのままギルドの中へと入っていく。すると当然見ない顔から冒険者達から視線を向けられた。

 

 最初こそ、見慣れない四人組ということでささやかな注意を引いたに過ぎなかったが、彼等の視線が香織とアレーティアに向くと、途端に瞳の奥の好奇心が増した。中には「ほぅ」と感心の声を上げる者や、ボーっと見惚れている者、恋人なのか女冒険者に殴られている者もいる。平手打ちでないところが冒険者らしいと皆が苦笑する。

 

 面倒ごとが起きないことを祈りつつカウンターへと向かうものの、誰もが理性的で観察するに留めているようであった。足止めされなくて幸いと受付へ――大変魅力的な……笑顔を浮かべたオバチャンに声をかける。

 

「おや、見ない顔だね。どこか別の街から来たのかい?」

 

「あ、はい。旅の途中でちょっとここに寄ったもんで……」

 

 横幅がアレーティア二人分はある妙齢の女性から問いかけられるも、今回の班のリーダーを務める龍太郎がそれに答える……こういうのは美人とか体つきのいいオッサンのやるもんじゃねぇんだろうか、と考えながら声をかけたからだろうか。横の香織から発せられる圧が中々に強い。

 

 ちなみに大介は『流石にロリの受付はいねーか』と内心気落ちしていたのだが、後ろに隠れてたアレーティアがいきなりグスグスと泣き出した。どうやら二人ともお見通しだったようである。その反応の仕方はそれぞれ別であったが。

 

 そんな龍太郎達の内心を知ってか知らずか、オバチャンはニコニコと人好きのする笑みで彼等を迎える。

 

「へぇー、そうかい。でもまぁ、欲張りだねアンタ達も。別嬪さん連れてるってのに、まだ足りなかったのかい? まぁでも良かったんじゃないかい? 美人の受付だったら連れの子にヒドい目に遭わされてただろうさ」

 

「「いや、そんなこと考えてねぇから」」

 

 そしてアッサリと自分達の心の中とあり得たやもしれない未来を言い当てられ、龍太郎と大介は息を合わせて否定するも、当のオバチャンはケラケラと笑うばかり。

 

「あはははは、女の勘を舐めちゃいけないよ? 男の単純な中身なんて簡単にわかっちまうんだからね。あんまり余所見ばっかして愛想尽かされないようにね?」

 

「そうだよりゅ……リュウくん。浮気なんてダメだからね」

 

「お、おう……」

 

「お、おねがい……わたしをすてないで。なんでも、なんでもするから……」

 

「いやいやいや!? す、捨てねぇって! だ、大丈夫だからな! 俺を信じろって!!」

 

 予め決めていた偽名で呼びながらジト目を向ける香織に思わずうなずくしか無かった龍太郎と、ぶるぷる震えながら懇願するアレーティアを前に必死になる大介を見てオバチャンは思わず苦笑する。

 

 「あらやだ、年取るとつい説教臭くなっちゃってねぇ、初対面なのに悪かったね」と、オバチャンは申し訳なさそうに謝った。からかいが好きでもしっかりと引き際を見極めている辺り、何とも憎めない性格をしているようだ。

 

 どうにか自分の愛する人をなだめる事に成功した龍太郎と大介は先程から向けられてる視線の先にある食事処を見ると、冒険者達が「あ~あいつもオバチャンに説教されたか~」みたいな表情で自分達を見ていた。どうやら、冒険者達が大人しいのはこのオバチャンが原因のようである。

 

「さて、じゃあ改めて、冒険者ギルド、ブルック支部にようこそ。ご用件は何かしら?」

 

「あ、あぁ。素材の買い取りをお願いしたい」

 

 そして二人が落ち着いた辺りでオバチャンから要件を問われ、龍太郎はすぐに本来の目的である素材の買い取りを依頼する。

 

「素材の買取だね。じゃあ、まずステータスプレートを出してくれるかい?」

 

「え? あのー、買取にステータスプレートの提示が必要なんですか?」

 

 だがその時尋ねられたことにふと一同は疑問を浮かべる。すると「ああ」と()()()()()()()()のオバチャンがその理由を説明してくれた。

 

「そうかい。あんた達冒険者じゃなかったんだね。確かに、買取にステータスプレートは不要だけどね、冒険者と確認できれば一割増で売れるんだよ」

 

「あ、そうだったのか」

 

 そこからオバチャンが冒険者であることのメリットとその理由を伝えてくれた。

 

 生活に必要な魔石や回復薬を始めとした薬関係の素材は冒険者が取ってくるものがほとんどだ。町の外はいつ魔物に襲われるかわからない以上、素人が自分で採取しに行くことはほとんどない。危険に見合った特典がついてくるのは当然だった。それ故の優遇措置である。

 

「他にも、ギルドと提携している宿や店は一~二割程度は割り引いてくれるし、移動馬車を利用するときも高ランクなら無料で使えたりするね。それで、あんた達はどうするんだい?」

 

「あーいや、俺ら気ままに旅してーからそういうのはいいわ。今回素材を持ってきたのも小遣い稼ぎの一つでよ」

 

 そう問いかけられた龍太郎達であったが、すぐさま大介が尤もらしい理由を挙げてステータスプレートの提示と冒険者登録を断った。自分達ではこうも上手くやれなかっただろうと“念話”で大介に感謝を伝えると、いいってことよと大介も少しだけ得意げな様子でそう返した。

 

「ほう、そうかい。だったらあんた達の旅費の足しになりそうなのを出してくれないかい? あたしは査定の資格も持ってるからね。この場ですぐに調べてあげるよ」

 

「あ、じゃあお願いします」

 

 そう伝えると龍太郎はすぐに背負っていたリュックをカウンターの上に置き、中からブルック近辺を根城にしている魔物の素材を取り出して並べていく。

 

「……へぇ、なるほど」

 

 いずれもあえて質がほどほどに良い状態に落としていたのだが、もしやそれがバレたか。四人とも心の中で焦りながらもただじっとオバチャンが査定を終えるのをじっと待つ。もしかするとあのヒュドラ相手に時間を稼いだ時よりも緊張してるかもしれないと錯覚しながらたたずんでいると、ようやく買い取り金額を提示してくれた。やはりここら近郊の魔物は弱いらしく、総額一万三千二百ルタにしかならなかったようだ。

 

「ま、これぐらいかねぇ。確かに小遣い稼ぎって程度だったけれど、いいのかい?」

 

「構いません。それで買い取りを頼みます」

 

 どうもこのままここにいたら恐ろしいことになりそうな気がする。そう直感した龍太郎は三人の同意を得ることなくそのまま買い取りを申請する。そうして計七枚のルタ通貨を受け取ろうとしたその時、オバチャンが小声でつぶやいた。

 

「さて、リュウタロウさん。ちょっといいかい?」

 

 ――その言葉に龍太郎は全身の毛穴が一気に開いたかのような心地となった。

 

 自分達は一度も本名を言ってはいない。せいぜい香織がうっかり言いそうになったぐらいだ。だからここまで正確に自分の名前を当ててくる事なんてあり得ない。そう思いながらも龍太郎は必死に息を整えながら目の前の女に返事をする。

 

「……どうした一体? 俺らはもうここに用はねぇぜ?」

 

「あぁいや、あんた達は見た感じブルックに来たことが一度も無いだろう? だからちょっとしたお節介さ。この街路の地図ぐらい書いてあげようと思ってね」

 

 ちょっとした趣味でこういうこともやってるのさ、と語りながら受付の女は筆を走らせる――『リュウタロウ、カオリ、ダイスケ、アレーティアの四名はこの店に行け。さもなくばギルド長に報告をする』と書きあがっていく地図の片隅にそんな文句を添えて。

 

「――さて、これで書き上がったよ。受け取りな」

 

「……あぁ。ありがとう」

 

 にこやかな笑みを一切崩すことなく書き終わった地図を折りたたみ、渡してきた目の前の女を前に息が上がりそうになりながらも龍太郎はそれをただ受け取る。ここは絶対下手に行動できない、と本気で感じ取り、動揺させないためにもまだ香織達に伝える訳にはいかないと思いながら三人の許へと向かっていく。

 

「ど、どうしたのりゅ、リュウくん? あ、汗すごいよ?」

 

「お、おい。どうしたんだよ? な、何かあったのか?」

 

「あ、あの……リュウさん。大丈夫ですか?」

 

 どうも上手く隠せてはいなかったらしく、三人から心配そうな声をかけられて自身の不甲斐なさを知ると同時に今この場で伝えるべきではないと龍太郎は確信する。すぐに三人に“念話”で『後で話がしたい』と伝え、不自然にならないよう気を付けながら龍太郎はギルドを後にしていく。

 

「……さて、あの店に行ってくれるといいんだけどね」

 

 心配そうに追いかける三人にも、受付のオバチャンの独り言にも気づくことがないまま。息が詰まるような感覚に苦しみながら、まるで夜の海で溺れるように。




原作でも強キャラだった人にはいくらでも強キャラムーブさせても構わない、というのが作者の持論だったりします(唐突な告白)

……だって原作でもキャサリンってこれぐらいやれると思いません?


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幕間二十九 ブルックの街にて_異聞(後編)


今回も拙作に目を通して下さる皆様に惜しみない感謝を。

おかげさまでUAも130944、しおりも351件、感想数も432件(2022/9/10 5:03現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして皆様が目を通してくださることが作者の活力となります。本当にありがたいです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうして再度評価していただけたことでまた話を書き進める力をいただきました。本当にありがとうございます。

ではブルックの街のお話の後編となります。ということで本編をどうぞ。


「……そんな」

 

「……マジかよ」

 

「……やっぱり」

 

 ギルドを出た後、周囲の気配を探りながらすぐさま路地裏へと駆け込んだ龍太郎と香織達。そこで何があったかを“念話”で語れば香織と大介はとてつもないショックを受けて今にもくずおれそうになり、アレーティアも苦虫を嚙み潰したような顔でうつむいていた。

 

“皆が考えてた通りだったよ。それで、その、どうする?”

 

“どうする、って……こりゃ逃げるしかねぇんじゃねぇか?”

 

 やっぱりこうなったかと苦い表情を浮かべながら問いかけてくる龍太郎に、大介はここから即刻逃げることを提案する。このまま留まっていてもロクなことにはならないとわかっていたが故の判断だ。

 

“俺も同意見だ。正直ここにいてもロクなことになりそうにないしな”

 

「うん……」

 

 龍太郎もその言い分には賛成であり、このままここに留まっていたらこの街を脱出するのに相当手間がかかるだろうと踏んでいたからだ。香織も首を縦に振りながら口で答えてしまった辺り、一刻も早く逃げたいのだろう。後はアレーティアの意思を確認してから、と思ってうつむく彼女の方を三人が見やった。

 

“えっと、その、ここはあえて乗るべきだと思います”

 

 すると意を決した様子のアレーティアが反論してきたことに三人は思わず目をむいてしまう。真っ向から罠にかかりに行くと断言した彼女の真意が読めなかったからだ。

 

“理由を聞かせてくれ、アレーティアさん”

 

“んっ……あの反応から、多分ギルドの末端の人間にも私達の人相書きが出まわってる可能性が高いと思います”

 

 念のために尋ねてみれば返ってきた言葉に龍太郎はやはりと苦い顔つきになり、香織も思わず龍太郎に抱き着き、大介も天を仰いでため息を吐いた。この最悪の予想が当たっていると言っていい状況だったからだ。

 

“だから今逃げたら間違いなく私達の情報が色んな街で共有されます……でも、さっきの文言がちょっと気になって”

 

 続く言葉も心底気分が落ち込むようなものでやはり逃げ出すべきかと三人が考える中、アレーティアは視線を龍太郎の持っていた地図付きの脅迫状に一度向ける。

 

“コイツがどうかしたのか?”

 

“ただの脅迫状だよ、アレーティアさん。こんなのに乗る必要なんてないよ”

 

“だな。白崎の言う通りだ。アレーティア、ここはもう穴掘って逃げ――”

 

“駄目……今の私達なら逃げられる。けれど、どう考えてもこの文言がおかしい”

 

 それに気づいた龍太郎らは一度手渡された紙を広げて例の一文に目を通すも、何度見ても単なる脅しにしか見えないことを述べる大介と香織にアレーティアは反論する。

 

“本当に職務に忠実なギルドの職員ならこんなことをわざわざ書かない……きっと、何か考えがあるはず”

 

 その言葉に龍太郎達は思わずハッとした。アレーティアの言う通りだ。自分達を摘発するのなら世話を焼く形で地図でも書いて渡すだけでも良かったのだから。適当にいい店をあてがってそこに衛兵を派遣すればいいのだから。

 

 だというのにわざわざこんな文言をあえて付け加えているのである。むしろ不要な刺激を与えたとしか言えなかった。

 

“きっと、きっと何かあると思います。だから、その……”

 

“もういいぜアレーティア――龍太郎、その、行かねぇか?”

 

 力説するアレーティアの手を握り、大介も龍太郎に問いかける。自分の愛する人がこうして意見を述べてくれたのだ。ちゃんと筋が通ってるものなのだからそれに手を貸さない道理はないと動いた彼に、龍太郎と香織も首を縦に振って意を示す。

 

“わかった。逃げるだけならどうとでもなるしな。いいか、香織?”

 

“うん。オルクス大迷宮の奥まで行った私達なら余裕だからね。行こう、皆”

 

 香織の言葉に全員がうなずき、“念話”を切り上げると共に四人は指定された店に向かう。地図に従って通りを歩いていけば、武具や薬を取り扱った店や動きやすさを重視した服装が商品として陳列されている冒険者向けの店舗が多い区画へと足を踏み入れていた。

 

 指定された場所はその一角であり一体どういった店なのかと遠くから見やれば、ほんの一瞬だけ香織とアレーティアが興奮した様子を見せた。服屋である。それも女性ものを取り扱っているような店だ。

 

「……どうしてこんなところを指定したんだろうね」

 

「さぁな。相当腕の立つ奴が店番やってるとかそういうところじゃないか」

 

 こういう状況でさえなければと思いながら漏らす香織に、龍太郎も適当に返しながら彼女の手をそっと掴む。安心しろ、俺がいる。そう言葉にせずに伝えれば香織も一度こちらの方を向き、口元が柔らかくなる。

 

「――行こう。私達なら大丈夫だもの」

 

 そう力強く言葉を口にする少女と共に三人は指定された店へと向かう。今更恐れるものがあるものか、と店のドアを手にかけていく。世界が敵に回ったとしても、自分達は負けないと決意を新たにして。

 

「あら~ん、いらっしゃい♥可愛い子達ねぇん。来てくれて、おねぇさん嬉しいぃわぁ~、た~ぷりサービスしちゃうわよぉ~ん♥」

 

 ……なお、もうその決意が砕けてしまいそうなヤバい存在が視界にいきなり入ってきたが。ヒッ、と仲良く短い悲鳴を漏らし、思わず四人は後ずさりしそうになった。

 

 端的に言えば化け物がいた。ハッキリ言ってそう述べて差し支えが無い。

 

 身長二メートル強、全身に筋肉という天然の鎧を纏い、劇画かと思うほど濃ゆい顔、禿頭の天辺にはチョコンと一房の長い髪が生えており三つ編みに結われて先端をピンクのリボンで纏めている。動く度に全身の筋肉がピクピクと動きギシミシと音を立て、両手を頬の隣で組み、くねくねと動いている。服装は……いや、言うべきではないだろう。少なくとも、ゴン太の腕と足、そして腹筋が丸見えの服装とだけ言っておこう。

 

 想像をはるかに超える名伏し難い何かを見てしまった龍太郎達は硬直していた。香織は既に腰砕けになりかかっていて、アレーティアはもう息を荒げている。男子~ズは奈落の魔物以上に思える化物の出現に覚悟を決めた目をし、出方をうかがっている。完全に自分達を超える化け物を想定した動きをとっていた。

 

「あらあらぁ~ん? どうしちゃったのかしらん? 可愛い子がそんな顔してちゃだめよぉ~ん。ほら、笑って笑って?」

 

 どうかしているのはお前の方だ、笑えないのはお前のせいだ! と盛大にツッコミたいところだったが、この場にいた四人は何とか堪える。人類最高レベルのポテンシャルを持つ龍太郎達だったが、この化物には勝てる気がしなかった。いろんな意味で。

 

 しかし、何というか物凄い笑顔で体をくねらせながら接近してくる化物に、つい堪えきれず大介はつぶやいてしまった。

 

「……なあコイツ、人間か?」

 

 その瞬間、化物が怒りの咆哮を上げた。

 

「だぁ~れが、伝説級の魔物すら裸足で逃げ出す、見ただけで正気度がゼロを通り越してマイナスに突入するような化物だゴラァァアア!!」

 

「うぉあぁ!?」

 

「ヒッ!?」

 

「ま、マジで化け物じゃねぇか!?」

 

「ぴぃっ……きゅぅ」

 

「いい度胸してんじゃないのよ! 漢女の尊厳を傷つけたらどうなるか――覚悟しろやぁぁあぁぁ!!」

 

 龍太郎が身構えながら後ずさり、香織はその場で即座にへたり込んだ。大介も滅茶苦茶及び腰になりながらも腰の剣の柄に手をかけつつ、気絶したアレーティアを片腕で抱く……なおアレーティアの下半身からアンモニアに近い変な匂いがしているがそこにはあえて誰も触れなかった。戦場で出来る唯一の優しさである。ちなみに香織も同じのがちょっと出ていたりする。

 

「おやおや、もうとっくに店の中にいるもんだと思ってたらまだ表にいたかい」

 

 そして聞き覚えのある声に三人は反応して振り向けば、あのギルドで受付をしていたオバチャンがそこにいた。即座に警戒を密にし、大介もアレーティアの頬を叩いて起こそうとすると、『嫌われたもんだねぇ』と苦笑しながらオバチャンは化け物の方へと無警戒に寄っていく。

 

「ま、大方クリスタベルの見た目で驚いたとかそんなところだろう。違うかい?」

 

「そうなのよぉ~キャサリン。まったくもう、失礼しちゃうわよね」

 

 凄まじい形相でこちらを見ていた化け物もコロッと表情を変え、キャサリンと呼んだオバチャンに愚痴をこぼす。案の定知己の類であったようで、道理でこの店を指定したのだと三人は納得がいった。こんなの相手だったら確かに普通なら適うはずがない、と。

 

「あ、キャサリン。あなたまだ仕事の時間でしょう? こんなところで油を売ってていいのかしらぁん?」

 

「これも『仕事』の範疇さ……ま、こんなところで立ち話もなんだろう? ほら、上がった上がった」

 

 そう言いながら手招きをするオバチャンに龍太郎達も唾を吞みながら店の中へと向かっていく。鬼が出るか蛇が出るか。既に化け物と底の知れない女が出ていることに警戒しながらも、目を覚ましたアレーティアを含めて四人の少年少女達は店の奥へと招かれていくのであった……。

 

 

 

 

 

「おやおや、どうしたんだい。折角クリスタベルが入れてくれたお茶を無駄にする気かい?」

 

 店主と思しき筋肉の塊から替えの下着とタオルを渡してもらい、すぐに履き替えた香織とアレーティアと共に龍太郎と大介は店の奥のリビングに通される。椅子に座らされしかも茶まで振るわれたものの、テーブル越しに話しかけるオバチャンに誰も何のリアクションも返しはしなかった。当然だ。自分達を看破した目の前の女が何を考えているかわかりはしないのだから。

 

「そうよん。折角あなた達のためにいい茶葉のものを選んだんだからぁ~。飲んでくれないと悲しいわん♥」

 

 そして近くにいた化け物と形容するしかない何者かに対してもだ。こうして改めて観察して彼女? の恐ろしさは見た目だけではないことを四人は改めて理解する。幾度もオルクス大迷宮で死線を潜り抜けて来たからこそわかる尋常でないほどの強さをだ。

 

 自分達ならば本気で抵抗すればともかく、多少の手練れではやはり簡単に鎮圧されることが見て取れる。それが体つきや動きの無駄の無さでわかるからだ。そんな相手にどう対処したものかと龍太郎らは考えつつ、ただじっと待って出方をうかがう。

 

「もし話しづらいっていうなら質問する形にした方がいいかい? 答えてくれるね?――リュウタロウさん、カオリさん、ダイスケさん、アレーティアさん」

 

 そう言いながらこちらに圧をかけてくる女傑――キャサリンを前に全員は身構える。そんな彼らを前に内心ため息を吐きたくなりながらキャサリンは質問を始めた。

 

「じゃあ最初の質問。どうしてわざとあんな状態で素材を納品しようとしたんだい? 皮の破け具合や魔石の壊れ具合からして素人がやるミスじゃないからねぇ」

 

 四人は思わず顔を歪める。向こうはこちらの考えなど既にあちらはお見通しであったようだ。

 

「……察しはついてるんじゃないですか?」

 

「まぁね。あんた達は一目見て何者かわかってたよ。手配書も回ってきてたからね。だからこういう方法を採ったのもわかるけれど、念のためにね」

 

「……あぁそうだよ。悪いか」

 

 龍太郎がそのことに質問で返すと、キャサリンはその問いに答えつつも自分達の口から言ってほしいと伝えてくる。それに苛立った大介は隠すことなくそれをぶつけながら言うものの、キャサリンは目をつぶりながらクリスタベルが出してくれたお茶を飲むだけであった。

 

「……クソッ」

 

 終始ペースを握られている感じがして大介は一層不機嫌さを隠さなくなったが、他の三人もそれを咎めるようなことはしない。自分達も多かれ少なかれ目の前の二人に敵意や不信感を抱いているのだ。大介の気持ちに共感できるからこそただじっとキャサリンを見つめるだけであった。

 

「そうかい。じゃあ次の質問といこうか。あんた達のことは仲間のことも含めて既にこのブルックのギルドにも伝わってる。他の街にもね。そのことについてどう思ってるんだい?」

 

 その問いかけに龍太郎らはやはりと思うものの、何も言おうとはしなかった。自分達の味方は友人達とメルドそしてアレーティア以外いないというのはわかっていたし、覚悟もしていた。だから目の前の相手に何を言われようとただ敵であるかどうかを確認する作業だけでしかないと龍太郎達は認識している。

 

“もうつき合う必要もねーな。行こうぜ”

 

“そうだね。檜山君の言う通りもう行こう……これ以上いたら我慢、出来そうにないから”

 

“わかった。じゃあアレーティアさん”

 

“待って。何かおかしい……目の前の女は何か探ってる気が――”

 

 故にそろそろここを出るべきかと龍太郎らが考え、その問いかけにどこかアレーティアが何か違和感を感じていた時にキャサリンとクリスタベルが言葉をかけてきた。

 

「世界を敵に回すことは簡単じゃない。けど――」

 

「何か守りたいものがあるんでしょ? あたしにはそう見えるわ」

 

 そう述べた二人に思わず四人は目を剝く。人のセリフをとるんじゃないよ、と小突くキャサリンにまぁまぁとなだめるクリスタベルを見ながら首を傾げていると、今度はいきなりキャサリンが頭を下げたのである。

 

「すまなかったね、試すような真似なんかして。けれども確かめたかったんだよ。あんた達の覚悟ってもんを、そして本当に反逆者なのかどうかをね」

 

 その言葉に龍太郎らは何とも言えない顔になる。自分達を確かめようとしているのは最初からわかっていたのだが、まさかこんなあっさりと自分達の無実を信じてくれるとは思わなかったからだ。

 

「……本当ですか?」

 

 とはいえあまりに出来過ぎた展開故に全員その言葉を全面的に信じられはしなかった。特に香織は幼少から恵里と親しく接してきており、ここトータスに来て彼女達の不幸に誰よりも憤っていたからこそ信用出来ない。

 

 無論そういった思いは龍太郎と大介も大なり小なり同じ思いを抱えていたため、言葉には出さずとも不信感を露わにしている。唯一アレーティアだけが元王族として、やらかした人間として冷静に見極めようとしているぐらいである。

 

「本当さ。ま、高々一回謝ったぐらいであんた達の不信感をぬぐい去るなんて出来ないのはわかってるよ。でも、謝りすらしなかったらその先に進めないだろう?」

 

“……三人とも。私はこの人と話をしてもいいと思ってます。どうしますか?”

 

 そう答えるキャサリンに龍太郎、香織、大介の三人は思わず毒気を抜かれてしまう。有無を言わさず決めてかかってきた教会の人間と違って、目の前の人物はちゃんと話をしようとしているように見えたからだ。アレーティアも彼女なら話をする価値はあると踏み、すぐに“念話”を飛ばして確認を取った。

 

“そう、だな。とりあえずアレーティアに任せるぜ。そういうのは得意だろ?”

 

“お願いします。多分アレーティアさんがやってくれた方が一番こじれなくて済みそうだ”

 

“アレーティアさん、いいですか? 私だと、きっと上手くやれないと思うから……”

 

“んっ。わかりました”

 

 そして対話を全面的に任されたアレーティアは大介の手を握ると、すぐに二人に向き合う。そしてうなずいて話の続きを促せば、待っていてくれたキャサリンとクリスタベルも微笑みを浮かべた。

 

「……そっちは話がついたみたいだね? じゃあ話を続けさせてもらうとするよ」

 

「んっ。お願いします」

 

「ありがとうね……さて、あたしも長いことギルドの職員として人を見てきたからね。これでも見る目はあるつもりさ。あんた達がどうしようもない悪党かどうかの違いぐらいはわかってるつもりだよ」

 

「王都のギルド本部でギルドマスターの秘書長、ギルド運営に関する教育係もやってたのよん。これで見る目が無かったら大事だわん♥」

 

 余計なこと言うんじゃないよとキャサリンからバシバシと叩かれるクリスタベルを横に、龍太郎達は今度こそ真剣にキャサリンの話に耳を傾ける。もし今の話が本当なら自分達が反逆者でないと述べてくれたことも信じられる気がしたからだ。アレーティアは彼女の目や顔の筋肉の動きからそれが真であると判断しており、きっと大丈夫だと考えて話の続きを待った。

 

「とはいえ、一目見ただけで全てお見通しと言えるほどあたしは思い上がっちゃあいない。だからこうして話の席を設けてもらおうと思っただけだよ。本当に救いのない奴だったらあの場で即座にとんずらこいてただろうしね。ま、逃げないでくれたおかげで穏当に済んだよ」

 

“アレーティアマジでサンキューな!! マジでよくやった!!”

 

“本気で助かりましたアレーティアさん! 俺らの恩人です!!”

 

“ありがとう! 本当にありがとうアレーティアさん!! おかげで恵里ちゃん達がひどい目に遭わなくて済んだよ!!”

 

(え、えっと、えっと……どうしよう。わ、私なんかがそんな褒められても……)

 

 暗に『あのまま逃げるようだったら容赦なんてしなかった』と述べたのを察し、龍太郎らは思わず顔を青ざめさせた。あそこでアレーティアが止めてくれなかったらそのままお尋ね者コース直行だったのである。

 

 三人は“念話”でひたすらアレーティアに感謝しまくり、アレーティアもいきなり持ち上げられて内心かなりオロオロしながらも、どうにかそれが表情に出さないよう努めつつ、キャサリンらが話をしてくれるのをとにかく心待ちにしていた。

 

「……フフッ。あんた達も中々忙しないねぇ。どんなタネかは知らないけどね」

 

「そうねぇん。目は動かしてたみたいだけれど、アイコンタクトの割にはちょっと長いこと間が空いてたわぁん♥」

 

 しかも“念話”をこっそりやってたこともバレてたようだ。そのことに四人は思いっきり赤面すると、キャサリンは真剣な様子でこちらに視線を向けてきた。

 

「けれど、こうしてあんた達に不快な思いをさせたのは事実だからね――ギルドの職員として、今回の非礼をお詫びします。リュウタロウさん、カオリさん、ダイスケさん、アレーティアさん」

 

「出来るならキャサリンを許してあげてくれないかしら。私もこうして頭を下げるから」

 

 そして椅子から立ち上がり、そのまま深々と頭を下げたのだ。脇にいたクリスタベルも同様に頭を下げたのを見て龍太郎、香織、大介は目頭が熱くなるのを感じた――メルド以外にも自分達の無実を信じてくれる人がいてくれたことがここまで嬉しいことなのかと思ったからだ。

 

「や、やだ……涙、止まんないよ……」

 

「あー、すんません。ちょっと、目が……駄目だ、泣けてくる」

 

「クソッ、なんでだろうな……嫌われたって別に良かった、ってのに……」

 

 いわれのない罪で友人達が悪く言われ続けていたことが辛くて、けれどもこの二人はそれが間違っていたと言ってくれて、頭を下げてくれた。そのことがただ純粋に嬉しい。この世界の『他人』に期待することが出来なくなりかけていた少年少女達の心の傷を癒す魔法が今、かかった。

 

「……良かった。大介、坂上さん、白崎さん」

 

「こんな子を疑うなんて、悪いことしたわねん」

 

「本当だよ……さて、子供を泣かせたんだし、大人は大人らしくなだめてあげないとね。手伝ってくれるね?」

 

 嬉し涙を流す三人を見てアレーティアももらい泣きし、キャサリンとクリスタベルも四人のそばへと行って頭を撫でたり肩に手を置いてそっと寄り添う。かくしてブルックの街は日が暮れていくのであった――。

 

 

 

 

 

「――何から何までありがとうございました。キャサリンさん。クリスタベル、さんも」

 

「構わないよ。迷惑料として受け取ってくれればオバチャンも助かるからね」

 

「そうそう♥ あなた達はずーっと辛い思いをしてたんだから。ちょっとくらい大人に見栄を張らせてちょうだい♥」

 

 深々と頭を下げた四人に対し、キャサリンは微笑みを返し、クリスタベルもバチコンッとすさまじい音を立ててウィンクしながら笑顔を浮かべていた。

 

 あの後、迷惑をかけたお詫びとしてちょっとしたお願いなら何でも聞くと言われ、そこで香織とアレーティアは今着ている下着に加え、この街で買おうと思っていたブラなどの代金を少しオマケしてほしいと頼み込んだ。

 

 ところが、キャサリンは『下着ぐらい何枚かあたしが代わりに払っといてやるから持ってきな。上のサイズ、合ってないだろう?』と言っておごってくれたのである。クリスタベルも『履き心地はどう? もし良かったら他のも見繕ってってほしいわん♥』と言ってくれたことで香織とアレーティアが様々な下着を手に取り、ファッションショーが始まったのである。

 

 その際龍太郎と大介は互いのパートナーのあられもない姿を恥ずかしがりながらもガン見していた。ウキウキしながらもちょっと恥じらいながら下着姿を見せてくれる二人に終始興奮気味であったのは言うまでもない。

 

「下着だけじゃなくて愚痴まで聞いてくれて……本当にありがとうございます」

 

「いいんだよ、気にしなくって。あんなことがあっちゃあ誰かを信じるのが怖くなるのも仕方ないさ」

 

 その後温くなったお茶を捨て、クリスタベルが入れ直したお茶を飲みながら六人で色々と語り合ったりもした。

 

 当初はこれ以上世話になる訳にはいかないと四人は辞退しようとしてたものの、そこはオバチャンと漢女のパワー。あの手この手で溜まっていた鬱憤を突つかれたり、共感を煽られたせいでアッサリと吐いてしまう。その時も二人が相づちを打ってくれたことで感情が昂り、遂にはまた泣きながら自分達の不運や不幸を嘆いてスッキリさせてもらったのだ。

 

 当初は敵意を向けていたこともあって、四人ともキャサリンとクリスタベルには頭が上がらない思いであった。

 

「そうよん。辛くなる前にちゃんと思いを吐き出す。そうしないといけないわよ。ね?」

 

「……はぃ」

 

 なお、アレーティアも二人の手練手管でやらかしを白状させられており、クリスタベルの問いかけに心底赤面しながら大介の後ろに隠れてしまう。クリスタベルなりのお節介なのだろうということはわかっていたものの、アレーティアにとっては忌まわしい失敗であったことから、大介が代わりにクリスタベルをにらんでおいた……やっぱりあの見た目はまだ馴れてないことからちょっと引け腰ではあったが。

 

「もし良かったらあんた達の仲間にもこう言っといておくれ――世界が敵に回ったとしてもあんた達の味方をする人間は絶対にいる、ってね」

 

「ええ。何かあったらあたしとキャサリンを頼りなさい♥ やれる範囲でだけど力になってあげるわぁん♥」

 

 そう自信満々に伝えてくれるキャサリンらを見てまた四人は胸が温かくなる。たった二人、けれどもとても心強く頼れる人がいる。そう思えるだけで勇気が湧いてくるから。

 

「ありがとうございます。世話になりました」

 

「えっと、もし今度来ることが出来たらここに寄っていってもいいですか? 恵里ちゃんや鈴ちゃん、雫ちゃん達の下着や服も買いたいので」

 

「あー、そのー……ありがとう、ございます。この世界も捨てたもんじゃねぇって思えたよ」

 

「ん……キャサリン、クリスタベル。あなた達に感謝します。この御恩は決して忘れません」

 

 そう言うなり四人は再度頭を下げ、クリスタベルの店を後にしていく。間もなくして四人の気配が消えると同時にクリスタベルは横にいたキャサリンに声をかける。

 

「ホントに良い子達だったわねん♥ 礼儀もしっかりしてて、迷惑かけたあたし達にまで頭下げちゃって――きっと素敵なご両親の下で育ったのよ」

 

「はは、違いないね。まぁあの大介、って子はちょっと怪しかったけどね。ま、あれぐらいなら可愛げの範疇だろうさ」

 

 そう言って互いに笑い合うも、すぐに表情は真剣なものへと変わる。

 

「……どうしてこんなことになったのかしら」

 

「話を聞く限りじゃあ、どうも嘘には思えない。となれば――」

 

 二人の脳裏に浮かぶのは聖教教会のトップである教皇或いは上層部の暴走の可能性であった。そうでなければこんな事態など起きようがない、と。

 

「ねぇキャサリン、確か神の使徒のグループって……」

 

「永山重吾、野村健太郎、辻綾子、吉野真央、相川昇、仁村明人、玉井淳史の七名さ。けれど、あの子達もそうだったと言っていた。つまり――」

 

 あの四人を含めたグループをどうしても闇に葬る必要があった。そういうことである。今日ここに来た四人のグループは先に挙げた神の使徒であり“勇者永山”のグループと対立していたと聞いた。それ自体は元からあったと述べていたものの、『ある理由』がきっかけでその溝が修復不可能なものになったとも言っていた。

 

「香織ちゃんの話じゃ、彼女達のグループの中心になっている恵里ちゃんって子を排除しようとしていた、って言ってたわねん。そんなの、反発しない方がおかしいわ」

 

 その理由が“中村恵里”という香織らのグループの中核となった少女を恋人共々殺害しようとしたことだ。しかも教会が主導してやってたと彼らは述べている。キャサリンはギルドの職員としての経験と勘、クリスタベルは元金ランクの冒険者として積んだ経験からそれが嘘でないことも見抜いている。それ故にあまりに不可解で、恐ろしいとも。

 

「本当にその通りさ……どうして仲違いなんか仕組んだのやら」

 

「……ねぇ、キャサリン。もう上は既に――」

 

「滅多なことは言うもんじゃないよ、クリスタベル。どこで誰が聞いてるかわかりゃしないからね」

 

 ――魔人族の息がかかってしまっている、或いは魔人族に降伏しようと算段を立てている。そうクリスタベルが言おうとした時、キャサリンは即座に制止してきた。

 

 自分の失敗に思わずハッとして言葉を吞み込んだクリスタベルであったが、横のキャサリンも苦々しい表情を浮かべている。どうやら考えていることは同じであったようだ。

 

「……この世界はどうなっちまうのかねぇ」

 

 店の窓から沈みゆく太陽を見ながらキャサリンはそうつぶやく。もう既に(かげ)り始めているのやもしれない人族の未来を憂いながら――。




ちなみに当初はうっかりキャサリンが踏み込み過ぎて香織がキレ散らかすパターンだったり。それだとしこりが残ってしまうので、今回のような形になりました。

次回は再度恵里達の視点に戻り、例の火山へと向かうお話です。


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五十五話 熱砂の先に待つもの

今回もまた拙作を読んで下さる方に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも131944、お気に入り件数も791件、しおりも353件、感想数も437件(2022/9/16 9:22現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして色々な数値が伸びるのはありがたい限りです。

それとAitoyukiさん、Cranさん、拙作を評価及び再評価していただき感謝いたします。こうして評価をいただけると身が引き締まる思いです。重ね重ね感謝いたします。

今回の話は少し長め(約11500字)ですのでそれに注意してお読みください。では本編をどうぞ。


【グリューエン大火山】

 

 それは、アンカジ公国より北方に進んだ先、約百キロメートルの位置に存在している。見た目は、直径約五キロメートル、標高三千メートル程の巨石だ。普通の成層火山のような円錐状の山ではなく、いわゆる溶岩円頂丘のように平べったい形をしており、山というより巨大な丘と表現するほうが相応しい。ただ、その標高と規模が並外れているのだが。

 

 この【グリューエン大火山】は、七大迷宮の一つとして周知されているが、【オルクス大迷宮】のように、冒険者が頻繁に訪れるということはない。それは、内部の危険性と厄介さ、そして【オルクス大迷宮】の魔物のように魔石回収のうまみが少ないから……というのもあるが、一番の理由は、まず入口にたどり着ける者が少ないからである。

 

「あれが、グリューエン大火山……」

 

「マジでスゲぇな……」

 

 メルドから原因を聞いてはいたものの、こうして窓越しに見てみれば誰もがそれに圧倒される。

 

「ラピ〇タだね……」

 

「〇ピュタだよね……」

 

「……やっぱりラピュ○っぽいですね。こうして見たら余計に」

 

「聞きしに勝る凄まじさだな。ただ、その……前にここのことを言った時もそうだが、一体どんな場所なんだ? いくらお前達の世界の物語の話といえど信じられんぞ。巨大な嵐に包まれた、空に浮かぶ巨大な岩の国だなんて」

 

 思わず日本を代表する名作アニメのワンシーンを思い出し呟いた恵里達に、運転していたメルドの疑問に満ちた顔が向けられる。まぁ確かに、と地球出身の皆は肩を竦めつつ、魔力駆動四輪の車内から前方の巨大な渦巻く砂嵐を見つめた。

 

 そう、【グリューエン大火山】は、かの天空の城を包み込む巨大積乱雲のように、巨大な渦巻く砂嵐に包まれているのだ。その規模は、【グリューエン大火山】をすっぽりと覆って完全に姿を隠すほどで、砂嵐の竜巻というより流動する壁と行ったほうがしっくりくる。

 

 しかも、この砂嵐の中にはサンドワームや他の魔物も多数潜んでおり、視界すら確保が難しい中で容赦なく奇襲を仕掛けてくるというのだ。並みの実力では、【グリューエン大火山】を包む砂嵐すら突破できないというのも頷ける話である。

 

「こんなとこ歩きでとか絶対ぇ行きたくねぇ」

 

「だよなぁ。よく昔の人はこんなとこ踏破出来たよ……」

 

 窓から巨大砂嵐を眺めていた礼一と浩介は今回もバスの存在を拝み倒している。無理もない。あんなところにロクな防御策も無しに突っ込めばどうなるかは子供でも容易に想像出来るからだ。

 

「はいはい。じゃあ二人とも、ハジメくんの存在をしっかり敬ってね」

 

「恵里、そういうこと言わないの。めっ」

 

 そんな愛する人を誇らし気に思いつつ、その当人から叱られてしょんぼりする恵里を他所にバスは進む。設定された期日が期日なだけにあまり時間を割けないからだ。

 

 尤も、叶うことならばすぐにでも攻略を終えたいところではあるものの、それでもある程度大迷宮の構造を探るだけでも十分な成果を得られる。攻略し終えるにはどう考えたって無理な時間なのだから、後に皆で攻略する際の手助けになればそれでいいのである。

 

「とりあえず鈴が“聖絶”を張っておくから大丈夫だと思うけど、揺れには注意してね」

 

「ひとまずシートベルトがあるから投げ出されることは無いと思うけど、念のため座席の近くに取り付けた手すりも掴んでてね……よし。メルドさん、お願いします!」

 

「あぁ! 全員しっかり掴まれよ、砂嵐の中に突っ込む!!」

 

 鈴とハジメがアナウンスしたのを確認すると、メルドは更に魔力をバスに流して巨大砂嵐へと突撃していった。

 

 砂嵐の内部は、まさしく赤銅一色に塗りつぶされた閉じた世界だった。まるで深い靄がかかったかのように、ほとんど先が見えない。むしろ物理的な影響力がある分、霧より厄介かもしれない。ここを魔法なり、体を覆う布なりで魔物を警戒しながら突破していくのは至難の業だろうと誰もが思った。

 

 太陽の光もほとんど届かない薄暗い中を、緑光石のヘッドライトが切り裂いていく。鈴がドーム状に“聖絶”を張っているため岩などの障害物にぶつかったところで問題はない。無論、鈴が“聖絶”の維持に費やす魔力こそ少なくはないものの、現在バスを時速八十キロメートルくらいで走らせていることもあってかそう長くはならないだろうと皆で結論づけている。事前の情報から三分もあれば突破できるはずであった。

 

「――来るぞ! 全員衝撃に備えろ!!」

 

 と、その時、全員の“気配感知”に反応があった。真下からだ。

 

 恵里はバスを更に加速させると、直下から大口を開けて三体のサンドワームが飛び出してきた。すぐにバスを蛇行させてその奇襲を回避するとそのまま遁走に入る。徒歩程度ならいざ知らず、バスの速度ならいちいち砂嵐の中で戦うよりも、さっさと範囲を抜けてしまった方がいいからだ。

 

 サンドワーム達を無視して爆走するバスを、更に左右から二体のサンドワームが襲いかかった。タイミング的に真横からの体当たりを受けそうである。“聖絶”を張ってるし、車体の頑強さを考えればたかだか体当たりを食らったところで問題は無いかもしれないが、横転したりそのままくわえられて地面に引きずりこまれる可能性はある。

 

「迎撃を頼めるか! ここは早く突っ切った方が良さそうだからな!!」

 

「わかりました! ここは俺らに任せてください、メルドさん!! 正直、うっとうしいって思ってたんだ!」

 

「だな! そろそろ俺も活躍の一つでもしたいところだったんだよ!!」

 

「ここはボクも手伝うよ!」

 

 なので、“気配感知”で奇襲を掴んでいたメルドは全員に指示を出し、浩介と礼一、そして恵里がそれを承諾する。

 

「恵里、浩介君と礼一君もお願い!!」

 

「最悪鈴も加勢するから!! 三人ともお願い!」

 

「運転は俺に任せておけ! お前達は迎撃だけに集中するんだ!!」

 

 頼れる弟子達の言葉を聞き、メルドは速度を更に上げながらバスを直進させる。直後、大質量のミミズが、赤銅色の世界から飛び出してくる。

 

「二人とも風魔法を使うよ! 砂嵐の勢いを利用しない手は無いからね!! カウント、三、二、一!」

 

「「「風刃!」」」

 

 しかし、左右からの挟撃を狙ったサンドワームの襲撃はバスに触れることすら叶わなかった。

 

 カウントと左から来るサンドワームを担当した恵里がその魔法を詠唱すれば、車外に作り出された風の刃が瞬時に射出されて宙を舞う砂がその軌跡を描く。そして、眼前まで飛びかかっていたサンドワームを横一文字に切断した。上下に分かれることこそ無かったものの、巨大なミミズは血肉を撒き散らしてそのまま倒れこむ。

 

 一方、右側を担当した浩介と礼一は二人がかりであったためかサンドワームを両断することに成功し、見事な輪切りを披露していた。

 

「よし! 他にも来るみたいだから皆注意して!」

 

「おうよ!! どんな敵も俺らが倒してやるからな!!」

 

 先程放った“風刃”は風系の攻撃魔法では初級に分類されるものだが、先程放たれたものは中級レベルの威力はあった。先程恵里が言った通り、外で激しく吹き荒れている風を利用したからである。

 

 単に、魔力に物を言わせて強力な魔法を放つだけでなく、その場の状況や環境も利用して最適な魔法を選択する。言っていることは簡単だが実践するのは難しい。偶然ではあったものの、こんなことを恵里が出来たのも前世? 含む経験とオルクス大迷宮の賜物と言えるかもしれない。

 

「迎撃は任せておいてくれ!!――っと、背後からもか!!」

 

「いや、お前達は力を温存しておけ! この程度なら、逃げ切れる!!」

 

 背後から先程の三体が追随してきており、中々の速度でこちらを追ってきている。だがそれも“聖絶”を張ったことである程度無茶が出来るこのバスには関係ない。蛇行もせずに進路上の岩を砕いて進めることで速度をより上げられる――追跡している相手を振り切れる程に。

 

「思ったよりは楽勝――! おい皆!!」

 

 サンドワームを容易に抜き去り、道中現れる赤銅色の巨大蜘蛛やアリのような魔物も難なく撃退していた恵里達であったが、突然目の前から幾筋もの極光が迫って来た。あのヒュドラが放つ背筋が粟立つような死の光が。

 

「全員、ショックに備えろ!!」

 

「鈴、“聖絶”を!!」

 

「今やってる!!」

 

 メルドが歯噛みしながらハンドルを切り、ハジメの言葉よりも先に鈴はドーム状に展開していた“聖絶”の内側に幾重もの光の壁を即時に張って、滅びへと抗おうと必死になる。

 

「鈴、どれだけ保つ!?」

 

「ぐぅっ……あ、あと十秒ぐらいは保たせてみせる。けど、それ以上は……っ!!」

 

 砂嵐を抜ける直前に来たこともあって何とか時間稼ぎをするのが精いっぱい。もっと十分に時間があれば、と思いつつも鈴は必死に先延ばしを続ける。

 

「メルドさん!!」

 

「わかっている!! 砂嵐を出ると同時に閃光手榴弾を使う! 総員、対閃光防御!!」

 

 ハジメが呼びかけると同時にメルドはすぐさま号令をかけ、全員がハジメから受け取ったサングラスをかける。そして砂嵐を抜けるのとほぼ同時にメルドはバスのギミックを起動させた。車体後部からガコン! と音が響いたかと思うと、パカリと一部が開き、そこからラグビーボール大の黒く丸い物体が転がっていく。

 

『クルゥアァアアァァアァン!?』

 

「――今の声!」

 

「どうやら効く相手ではあったみたいだな!!」

 

 遅れて数秒。向けられた極光に負けるとも劣らない凄まじい光がグリューエン大火山を照らし、下手人達の叫びがこだました。

 

「あれって……」

 

「ドラゴン、だよな……」

 

 そう。極光が消えると同時に恵里達の視界にはエアーズロックを何倍にも巨大化させたような岩山と、自分達を襲ってきたであろう悶え苦しむ二種類の竜が見えた。灰色の竜が九匹とそれらより遥かに大きい一匹の白色の竜だ。

 

「この強さ……オルクス大迷宮の奥底にいた魔物のことも考えると、まさか魔人族の使役した魔物か!?」

 

 そう言いながらメルドは歯噛みする。もし地上にあんなブレスを放てるドラゴンが何匹も闊歩しているなら人族も魔人族も今頃等しくその脅威に怯えているはず。

 

 だがそんな話は国の要職に就いていた時分には聞いたことがなかったし、魔人族との戦争の情勢の変化やオルクス大迷宮の最奥にいたヒュドラも同様に極光を放ったことを考えてメルドはそう結論を下す。道理で戦況がひっくり返されてしまうはずだと悔しさを強くにじませながら。

 

「皆、とっととバスを降りて戦うよ! バスの兵装を使うよりも直接戦った方が早いだろうし! それに帰りの足を壊されたら大変だからね!!」

 

「恵里の言う通りだ!――皆、このアーティファクトなら火山の熱気にも負けないと思うから使って!!」

 

 運転に集中していたメルドよりも先に耳栓を取り出しながら臨戦態勢に入った恵里の言葉に全員がうなずく。するとすぐさまハジメは宝物庫から強力な冷房のアーティファクトを取り出し、それを全員に投げ渡す。

 

「メルドさん、これからバスをしまうので戦闘態勢に!!」

 

「既にやっている! 後は頼んだぞ、ハジメ!!」

 

「はいっ!――じゃあ皆、行こう!!」

 

 皆がそれを受け取って身に着けるのを確認すると、ハジメはメルドに声をかける。そして遅れて一拍、バスを宝物庫に入れると同時に全員の“魔力感知”が幾つものおびただしい魔力の塊を感じ取った。既に復帰していた竜が自分達に再度狙いをつけていたようだ。

 

「各自散開!! 連携して一匹ずつ倒せ!!」

 

「「「「了解!!」」」」

 

“倒せ、ってことでいいんでしょ? じゃあ了解! ボクはデカブツの相手をするよ!!”

 

“も、もう! 恵里ってば!!”

 

 耳栓を付けた恵里以外の全員がメルドの指示を聞き取り、恵里も“念話”で全員に自分の意思を伝えると同時に白竜へと向かっていく。

 

「“堕識”――チッ、かかりが浅い!!」

 

 そして仲間の中でいの一番に仕掛けたのも恵里であった。

 

 “堕識”によって発射寸前であった竜のブレスを妨害し、あまつさえ暴発を狙っていたのだが、目論見は外れてしまう。奈落の魔物相手でも大抵十秒単位で時間を稼げるはずなのに灰竜は数秒、白竜はほんのわずかな間意識を失った後で復帰したからだ。

 

“ありがとう恵里! これだけ時間を稼げたなら――”

 

「“縛光鎖”!!」

 

「「「“縛地陣”!!」」」

 

 だがそれは決して無駄にならなかった。恵里が作ったほんのわずかな隙を利用し、鈴達が捕縛魔法を仕掛けたからである。光の鎖は白竜の、岩の鎖は灰竜達の口元へと飛んでいき、今にもブレスを叩き込まんと開いていた口を強引に閉じることに成功したのである。

 

“ナイス鈴っ!! それなら――”

 

「“緋槍”!」

 

“ありがとう皆! ならこれで――”

 

 恵里とハジメは皆に感謝を示しつつ、今が好機とばかりに仕掛ける。恵里は多重展開した“緋槍”を白竜に、ハジメは宝物庫から取り出したメツェライを片手で振り回し、もう片方の手で白竜に狙いをつけていたシュラーゲンの引き金を引く。

 

“よし、なら鈴も!”

 

「“聖絶・桜花”!!」

 

“一気に畳み掛けるぞ! 後れをとるな!!”

 

“了解!”

 

“わかったぜメルドさん。ここ最近俺も暴れたかったしなぁ!!”

 

 そして鈴達も二人に続いてそれぞれが攻撃に移る。メルド、浩介、礼一の三人は空中を駆け抜け、鈴も足場の悪い砂の大地から空中へと向かい、光の花弁を舞い散らせながら全員を援護する。

 

『グルゥアァア!?』

 

「まず一つ!」

 

「んでもって俺も!」

 

「「「俺()も、だ!!」」」

 

 ハジメがガトリングレールガンの弾をバラ撒いたことで死にかけとなった灰竜を一匹ずつメルド達は仕留めていく。万全の状態で九匹もの竜を相手取るのは難しかったかもしれないが、ハジメの援護のおかげでいずれも翼膜や腹、胸などに穴が開いて重体となっている。ならばオルクス大迷宮を突破した歴戦の猛者である三人、浩介の分身を含めれば五人の相手ではなかった。

 

“クッ! 鈴の拘束を強引に破って!!”

 

“やられた以上はしょうがないよ! 僕達で戦おう、恵里! 鈴も!”

 

“うん! 待ってて二人とも!!”

 

 しかし白竜は拘束に一度驚きこそしたものの、すぐに戒めを破壊し、ハジメが放った死の雨と光も上昇することでかわして再度極光を撃とうとする。

 

「“聖絶”!!――鈴を、なめないで!」

 

 だがその極光も万全の体勢で臨むことの出来た鈴の“聖絶”によってアッサリと防がれ、その間に恵里ら三人は“念話”で連携を取りながら白竜を囲っていく。

 

“恵里とハジメくんは誘導をお願い!”

 

“わかった! ハジメくん、ドンナーとシュラークで戦って!!”

 

“もちろん! 鈴が“光散華”を撃てるように立ち回ろう、恵里!”

 

 恵里に言われるよりも先にハジメはメツェライとシュラーゲンを宝物庫にしまい、ドンナーとシュラークを構えて弾丸をバラ撒いていく。無論恵里も得意な炎属性の“緋槍”を何本も並べて動きを制限し、鈴も自身の準備を進めつつも二人を“聖絶・桜花”で援護していく。

 

“三人とも、もうすぐ俺達の方も終わるぞ!”

 

“ちょっと待っててくれ! すぐ行く!!”

 

“わかりました! メルドさん達は鈴が大技を使ってまだ無事だった場合に対処をお願いします!”

 

 メルド達の方も残り二匹を対処するだけとなり、恵里達の方へ行くべきかと話を持ちかけるものの、ハジメがさはそれを制した。今のままでも十分白竜を追い詰められているからだ。そのため後詰めをハジメがお願いしつつ、恵里と鈴と共に最後の一手を仕上げようと動く。

 

「“落識”! それと“緋槍”!」

 

 数秒前までの記憶をほんの一瞬だけ封じ、その上で逃れられないよう紅蓮の槍を幾重も並べて走らせる。自身の魔法の一撃自体はそこまで効いてはいないものの、白竜の体表はただれていることを考えれば火傷による痛みは感じているはずである。実際のダメージはハジメのドンナー・シュラークの一撃と、この後鈴が白竜の周囲にバラ撒いた無数の“聖絶”の欠片を一斉起爆でどうとでもなる。

 

(結構上手くいってる……逆転の目もほぼ無い。だったら!)

 

 そう考えていた恵里であったが、ふとそこで彼女の頭にある悪企みが浮かぶ。このまま倒すだけじゃ後は美味しく食べて終わりにしかならない――だったら()()()()しても問題なんてないよね、と考えてニタァと嗤った。

 

“ハジメくん、鈴! ちょっと作戦変更!! これ生け捕りにするよ!! 足に使えそうだからね!”

 

“えぇっ!?……ったくもう!! しょうがないなぁ!”

 

“あ、そうする?……はいはい。後で手伝ってあげるから、ちゃんと他の皆にも説明してね!”

 

 すぐにハジメと鈴に“念話”でそれを伝えれば、驚いたり呆れこそしたもののすぐに二人は乗ってくれた。理解のある二人に感激しながら恵里は連携して追い詰める。

 

「“堕識”! からの“縛地陣”!!」

 

 一秒にも満たない間ではあったが確かに相手の意識を奪った恵里は、地面から伸びた岩の鎖で白竜を砂の大地へと縫い留めようとする。

 

「――グルゥアァアァァアァ!!!」

 

「壊させないよ!――“錬成”!!」

 

 白竜は暴れもがいて鎖を壊そうとするが、それはさせまいとハジメが“錬成”を発動する。たとえ魔法で形作られたとはいえど岩は岩。本物ほどではなくとも『鉱物を自在に変形させる』“錬成”は通る――つまり、砕けないようにガチガチに固めることぐらい訳ないのだ。

 

「もう使うかわからないけどオリジナルの、えーっと――“聖絶・腕”! それと“縛光鎖”!!」

 

 そして鈴は飛散させていた無数の障壁の欠片を白竜を包むように結び、一つの光の塊にして身動きを封じる。そして光の鎖も地面から伸ばし、白竜を地面に思いっきり叩きつける。

 

「はい、“聖絶・爆”!!」

 

 岩と光の鎖によって地面に叩きつけられた白竜に更なる追い打ち。手加減しながら光の塊を爆破し、強烈な痛みを以て白竜の意識を刈り取る。かくして意図せぬ相手と遭遇した恵里達の戦いはこれで幕を下ろしたのであった――。

 

 

 

 

 

“……コイツを飼うと? 正気か?”

 

“ボクは本気だよ。だってコレがいれば色んなところに飛んで行けるからね”

 

 そして戦闘を終えた後、どうして白竜にトドメをささずに鈴が傷を癒しながら“廻聖”を発動して魔力を抜き取っているかを恵里が説明する。それを聞いて浩介と礼一は本物のドラゴンに乗れると浮足立ってはいたものの、メルドだけはうろんな目でこちらを見ていた。

 

“あ、俺中村に賛成っす。だってドラゴンっスよメルドさん! こんなのに乗れるなんて早々ないって!!”

 

“俺もです。敵の戦力を奪う、ってことからしても別に問題ないですよね?”

 

 すぐに礼一と浩介も恵里の提案に乗っかってメルドを説得しようとし、それを聞いた当の本人もため息を吐きながら彼らに反論しようとする。

 

“お前ら……確かに移動にも使えるのは間違いない。戦力を奪うという点でも十分合格だ。だが恵里、相手はお前の闇魔法がロクに効かなかった相手だぞ? どうにかなるのか?”

 

 メルドの懸念はそこであった。彼女の話では前世? で光輝を洗脳して支配下に置いたらしいが、それでもそこそこの時間を費やしたとのことだ。それも妙に強い思い込み――自分の知っている光輝のことを考えると全然ピンと来ない要素であったが――を利用してどうにかした、というものであり、それが理由でメルドは首を縦に振ることをためらったのだ。

 

 そこで改めて尋ねてみると、自信満々で恵里は言葉を返した。

 

“そりゃあ、あの一瞬だけじゃどうにもならなかっただけだからやれますって。ボクを信じてよ”

 

“具体的な時間は?”

 

“……三時間もらえるなら確実、かなぁ。あ、でも二時間あるならイケる、かも……”

 

“却下だ馬鹿たれ。一時間ならともかく、そこまで時間を無駄に出来るか”

 

 なおその結果。これには恵里や浩介達だけでなく、苦労して捕えたハジメと鈴も不満気な顔を浮かべている。

 

 ちゃんと実益も兼ねた提案であったものの、地球出身の彼等にとっての本命は『ドラゴンに乗ってワイワイすること』だったから仕方が無かった。それも見透かしたメルドは余計に呆れてしまう。

 

“あ、あ、で、でも! 鈴から魔力を移し続けてもらって限界突破を使い続けるなら一時間でやれると思うから!!”

 

“尚のこと駄目に決まってるだろうが。これから大迷宮の探索に移るんだからここで無駄な魔力を使うな”

 

 それでも、と食い下がりはしたものの、メルドにピシャリと一喝されて恵里はハジメ達と一緒にガックリと肩を落とした。説得失敗である。

 

「グル、ウゥゥ……」

 

 と、そこで意識を失っていた白竜も目を覚ました。先の戦闘で極光を何度も発動したり度重なる出血をしたことで体力をかなり失っており、また魔力もほとんど抜かれたことでロクに動けはしない。

 

「あ、目を覚ました」

 

「鈴の手当のおかげだね」

 

 それでも一矢報いんと敵対していた恵里達を憎々し気に見つめていた白竜だったが、耳栓を外しながらも周囲を警戒している様子の恵里が放った一言に思わず目を丸くしてしまう。

 

「ちぇー……残念だったなぁ。せっかく空飛ぶ乗り物用意出来るって思ってたのに。じゃあ今すぐ解体しよっか。あ、どうせだからもうご飯にする?」

 

「……グルゥ?」

 

 ご飯。

 

 話の内容からして食事のことを指しているのだろうと人間並みに賢い白竜はすぐそれを理解し、そして困惑する。コイツらは一体何をご飯にするんだ、と。現実逃避気味に浮かべたその疑問は続く言葉のせいで嫌でもわかってしまう。

 

「あ、じゃあ俺ステーキ食いたい。こんだけ図体デカいんだからクソ分厚く切ってもイケるだろ」

 

「いいね礼一君。僕もファンタジーな世界に来たんだからドラゴンステーキぐらい食べてみたいって思ってたんだ」

 

「うーん……香織達のことあんま悪く言えなくなっちゃうけど、いいよね。どうせ皆の食べる分も余裕で用意出来るだろうし」

 

 目の前にいる人間達は残念ながらもどこかウキウキした様子で何かを話し合っている……それもこちらを時折見つめながら。何人か口元からよだれを垂らした様子で。それに気づいてしまった白竜の脳は彼らの言っていた『ご飯』の正体を理解し――即座に震えた。

 

「ギャ、ギャウゥ!? ギャゥウゥ!!」

 

「あ、暴れてる」

 

「鮮度に関しては申し分ないな――よし。じゃあ皆、手分けしてこの白竜を解体するぞ。大火山攻略の前の腹ごしらえだ!」

 

「ピャァァアァァァアァァ!?」

 

 マジだった。どいつもコイツも目が本気だった。自分を食べる気満々であった。それを理解した白竜はロクに体に力が入らないながらも本気で抵抗する。

 

 嫌だ、死にたくない。相棒と共に果てるのならば受け入れられるが、離れ離れで、しかも彼が食事として提供してくれていた肉なんかと同類になりたくない。必死になった白竜はなりふり構わず何でもやり出す。

 

「グルゥ、グルル……」

 

 秘技、無抵抗のポーズ。グループでのなわばり争いの際に負けた者はこうすることで相手に服従することをアピールし、それ以上攻撃を受けずに済むのである。魔人族に使役される前にいち野生生物として身に着けていた知識を今、惜しげもなく白竜は披露する。

 

「あ、なんかお腹見せてる」

 

「うわー……前に神水飲んだ時のイナバみたい。ちょ、ちょっと罪悪感が……」

 

「別にいいだろう。おそらくコイツは魔人族の使役する魔物だ。食って戦力を減らせることを考えればここで始末する以外あるまい」

 

 だが一人だけ微塵もためらいを見せないまま自分を食おうとしている様子に白竜は戦慄する。本気でヤバい。マジで食われる。容易に想像出来る最悪の結末を前に遂に白竜は目から涙を流し始める。

 

「ピャァアアァアァア! ピィイイィィ!!」

 

「……なぁメルドさん。ここまでやられると流石に俺らもちょっと食欲がさ……」

 

「いや、食うぞ。お前らだって家畜を食べるだろう。そんなのに一々心を痛めたりしてるか?」

 

 なお泣き叫んでも一人だけ全然揺るがない。本気で怖くなってしまった白竜は甲高い鳴き声を上げながら涙をボロボロと流した。もしかすると主人である魔人族を裏切ってしまうかもしれないことにひどく罪悪感を感じはするものの、もう助かるならなんでもいいとばかりに白竜は泣きじゃくる。

 

「確かにそうだけど……なぁ恵里、なんとかならないか?」

 

「うーん……メルドさん、ちょっと待って。コイツさ、なんか食べられたくないから暴れてるように見えるし、今ならあんまり時間かけずに支配させられそうだけど、それでもやる?」

 

「ピィ?……ピィイイィィ! ピィイィイィ!! グルル、グルゥ……」

 

 女神が現れた。もうこの際主人と敵対していた相手であろうと構うものかとばかりに助け舟を出そうとしている少女の方を向き、猫なで声まで出して全力で白竜は媚びを売る。これも生きるため、この際贅沢なんて言っていられないとばかりに必死になって媚びへつらう。

 

「ほら、ね? この子もボクに服従したくって仕方ないみたいだし。だからお願いします」

 

「……うーむ。大丈夫、か? 確かにここまでへりくだっているなら問題なさそうだが、やれるか?」

 

「うん。念のために“縛魂”でボクが主人だ、ってことを植え付けてやればどうとでもなると思うから」

 

 自分の()()()主人が何かおぞましい言葉を口にした気がしたが白竜は何度も何度も首を縦に振った。魔人族同士のやり取りを眺めていた際、自分も同意を示す時はこうすればいいのだと白竜は学習していたのだ。白竜は賢いのである。

 

「……ハァ、わかった。とはいえ反抗したり裏切ったりするようなら今度は潰して食べるぞ。いいな?」

 

 そしてようやく自分を食べようという意志を貫いていた人間も陥落したことで白竜はホッと一息を吐いた。良かった。もう死なない。()()ご主人と出くわしたら全力で助けようと考えつつ、白竜は助け舟を出してくれた少女の前に頭を出した。

 

「うん。いい子いい子……それじゃあ“縛魂”」

 

 その言葉と共に頭がほんのすこしだけぼんやりとするも、ここで抵抗したら何が起きるかわからないと理解していた白竜はそのまま魔法を受け入れ続け――目の前の“中村恵里”という少女が自分の()()主であると魂に刻み込まれたことを確認していなないた。

 

「よし! これで空の移動手段ゲット!! やったやったー!!……もしかするとハジメくんもここで使役してたかもね」

 

「うーん、そう、かなぁ……でも恵里の闇魔法とか降霊術のルーツに関する神代魔法を手に入れてたらそう、かも」

 

 そうして有頂天になる恵里を見ながら白竜以外の面々は首を傾げる。恵里が関わってこなかった場合のハジメは本当にここでそんなことをやっていたのだろうか、と。とはいえ考えても別に結論は出ないことから彼らはそのまま食事に移ることにした。材料は戦闘が終わった直後にハジメが宝物庫に入れていた灰竜の死体である。

 

「そういえば名前どうしよう? この子にもあった方がいいよね?」

 

「ポチでよくね? 中村に思いっきり媚びてきたんだし、そんなのでいいだろ」

 

「いや流石に可哀想すぎ……いや、もしかすると前の主人裏切ってるかもしれないし、別にいいのか?」

 

「いや浩介君、流されちゃ駄目だってば。この子だってちゃんとした名前で呼ばれたいと思うよ」

 

「んー……じゃあ“ブラン”とか? “ヴァイス”でも別にいいけど」

 

「恵里、それどっちもあの竜の肌の色からとってるよね? 他に何かないかな、こう……“リヒト”とか」

 

「いや別に適当でいいだろう。それこそ“ジョン”でも“ダニー”でもいいんじゃないか?」

 

「いやいやダメですってメルドさん。こういうのはこう、すっごく重要ですって! 一大イベントなんですよ?」

 

 そうして調理や食事、片づけをしながらも白竜の名前をどうするかについて彼らは話し合っていく――白竜には“ウラノス”という立派な名前がついてたが、今の彼? はそれにもう何の価値も感じてない。新しいご主人バンザイなのである。

 

「じゃあ“ブリッツ”、行ってくるね」

 

「グルゥ♥」

 

 ドイツ語で“閃光”という名前をつけられた白竜の背にまたがり、或いは手に抱えられながら山頂へと快適な空の旅を過ごし、そうしてたどり着いた恵里達は白竜に見送られながら大迷宮の入り口と思しき階段を下っていく。魔人族よりも先に奥へとたどり着くために。

 

 そんな新たな主人を見送りつつブリッツは考える。ここで逃げたらどうなるんだろうか、と。尤も、“縛魂”のせいで本気でそう考えてる訳ではなかったが。そんなとりとめのないことを考えながら白竜はまたこの場で待機するのであった。




???「ウラノスぅううぅぅうぅ!?」

なお話でした。あ、ところでタグに「NTR」っていりますかね?(すっとぼけ)


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五十六話 駆け抜けろ、灼熱の果てへ

まずは拙作を見て下さる皆様に惜しみない感謝を。

おかげさまでUAも133097、お気に入り件数も792件、しおりも357件、感想数も443件(2022/9/23 6:18現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして自分の作品に目をかけて下さる皆様には頭が上がりません。ありがたい限りです。

そして聖戦士トッドさん、Aitoyukiさん、羽織の夢さん、拙作を評価及び再評価していただきありがとうございます。こうして評価をいただけるとまた執筆する気力が湧いてきます。感謝いたします。

今回の話も少し長め(約12000字程度)のため、それに注意してお読みください。では本編をどうぞ。


「すごいね……」

 

「流石火山の中なだけはあるよね……」

 

 【グリューエン大火山】の内部は、【オルクス大迷宮】や【ライセン大迷宮】以上に、とんでもない場所だった。

 

 難易度の話ではなく、内部の構造が、だ。

 

 まず、マグマが宙を流れている。文字通り、マグマが宙に浮いてそのまま川のような流れを作っているのだ。空中をうねりながら真っ赤に赤熱化したマグマが流れていく様は、まるで巨大な龍が飛び交っているようだ。

 

「地面どころか空中にまでマグマが流れてるなんてね……これはキツいなぁ」

 

「全く、これでは灼熱の川だ……恐ろしいところだな」

 

 また、当然、通路や広間のいたるところにマグマが流れており、迷宮に挑む者は地面のマグマと、頭上のマグマの両方()()注意する必要がある。しかしここは大迷宮。それだけでは済まなかった。

 

「よっ」

 

「うわ、また壁から出た」

 

「全く、油断も隙も無い……技能のおかげでわかるのが幸いか」

 

 壁のいたるところから唐突にマグマが噴き出してくるのである。本当に突然な上に、事前の兆候もないので察知が難しい。まさに天然のブービートラップだった。

 

 恵里達は〝熱源感知〟を持っていたおかげで回避は今のところ余裕なのだが、もしこの技能が無ければ、警戒のため慎重に進まざるを得ず攻略スピードが相当落ちているところだっただろう。

 

「しっかしサウナも真っ青な場所のはずなのに全然大丈夫だな。いい塩梅に涼しいわ」

 

「うん。ちゃんと作った甲斐があったよ」

 

 また、本来ならすさまじいまでの熱気でこの場に留まることすら苦痛となるはずなのだが、そこはハジメの作ったアーティファクトがしっかり機能していた。ネックレスから放出されるすさまじい冷気とそれを適度に風で周囲に散らせることで熱気を打ち消し、逆に快適な空間を作っている。おかげで暑さ、否、熱さによる思考力の低下を回避できたのは紛れもなく僥倖だろう。

 

「あ、ハジメ。あの石なんだろうな?」

 

「うーん、宝石の類か何かかなぁ……ちょっと調べてみるね」

 

 そうして天井付近を流れるマグマから滴り落ちてくる雫や、噴き出すマグマをかわしつつ進んでいると、とある広間であちこち人為的に削られている場所を発見した。ツルハシか何かで砕きでもしたのかボロボロと削れており、その壁の一部から薄い桃色の小さな鉱石が覗いている。

 

「えーと、静因石……ふんふん。魔力の活性化を鎮める作用があるみたいだ」

 

「ほう、これがか。城に勤めていた時に聞いたことはあるんだが、なんでも魔法の研究に従事している人間が使う奴みたいだな。具体的な効果までは知らなかったが、なるほど」

 

 “鉱物鑑定”で色々と調べれば中々に有用な情報を仕入れることも出来た。こうして人の手が入っていることとメルドから又聞きした情報を考慮すれば、たとえ小さな欠片も何らかの形で役に立つかもしれないと誰もが考える。

 

 とはいえここがアンカジ公国国有の鉱脈であることも考慮し、ここの鉱物を取っていったことが広まったら関係が悪くなってしまうだろうと恵里達は結論付けると、手を付けることなくそのまま奥へと進んで行った。

 

「やっぱり変だね」

 

「やっぱり変だよね」

 

「うん。ずっとマグマが流れっ放しなんて……」

 

「どうしたんだよ三人とも。さっきからずっとうんうん唸りっぱなしで。何かあったのか?」

 

 そうしてそこかしこのマグマに気を付けながら階層を二つ降りて行った一行であったが、大迷宮に足を踏み入れてからずっと思案顔のハジメ、恵里、鈴は余計に顔のしわを深めていた。そこで気にかかった浩介が周囲を警戒しつつも三人に尋ねてみると、三人は顔を上げて皆を見渡した。

 

“あ、うん。さっきからずっと気になってたことがあって”

 

“まだ推測の域を出なかったからボク達だけで“念話”で話し合ってたんだ”

 

“それでずっと唸っちゃってて。ごめんね皆”

 

“いや、それはいい。一体何だ? お前達三人で話し合ってた内容は”

 

 恵里が念のために耳栓を入れたままであったため、自分達だけで内緒話をしていたのを“念話”で詫びるも、浩介も礼一も『この三人のことだから何か重要なことに違いない』と考えてあまり気にはせず、メルドもそれを咎めることなくただどういうことかと尋ねた。

 

“うん。ここのマグマを見てて気づいたんだけどさ、どうしてマグマが今まで訪れた階層全てにあるのかなって思ったんだ”

 

“今まで、っていってもまだ三つの階層ぐれぇだけどな。うーん、そういう風に造ってるからじゃねーの?”

 

“いや礼一、身もフタもないこと言うなって……”

 

 そこで恵里が尋ね返すのだが、礼一の元も子もない解答に思わず全員がズッコケかける。今自分達がいる床の上にはマグマが流れている箇所があったため、いきなり大火傷を負う訳にはいかないとどうにか全員踏みとどまった。とはいえ割と危険な目に遭わされたため恵里はじっとりとした眼差しを礼一に向け、浩介からもツッコミを受けた礼一は必死に恵里に頭を何度も下げていた。

 

「すんません! マジすんませんした!!」

 

“ったく、期待通りの答えをしてくれちゃってさぁ……まぁいいや、続けるよ。こうして上からここまでボク達は降りてきたけれどさ、今のところどの階層でも宙に浮かぶマグマの流れが上に向かってることは無かったよね? それはわかる?”

 

 とりあえずジト目を礼一に向け続けながらも恵里は先程まで三人で話をしていたことを再度語り出し、そこである疑問をメルドらにぶつける。すると三人ともそういえばといった顔つきになり、すぐに視線で恵里に続きを促した。

 

“ここは火山なんだし普通なら外か何かに向かうでしょ。なのにここは違うみたいだし”

 

“そもそもマグマが空中に浮いて流れてるぐらいだったから……別に噴火もしてなかったみたいですし、横穴から出てることも無かったはずです”

 

 恵里の言葉を補足する鈴にも浩介達の意識が向かう。実際ブリッツと一緒に空を飛んだ際、誰もがグリューエン大火山の入り口を上空から探していたのだ。結局は見つからずに山頂に降り立った後で見つけたのだが、山から溶岩が噴出してる形跡も無かった。つまりマグマはこの火山の中にとどまったままであることの証拠に他ならない。

 

“もしどこか他の階層で漏れ出てるんだったらいずれ詰まるでしょうし、そんなことは無いと思ったんです。だから僕達は話し合ってある仮説を立てました――ここのマグマは循環してるんじゃないか、って”

 

 そうハジメが語ったことで礼一らは目を大きく見開き、そしてその先に出したであろう結論も脳裏に浮かぶ。

 

“ってぇと、つまり……ここのマグマにでも乗って川下りしようぜ、ってコトか?”

 

“ご名答、近藤君。ここらの壁を適当に切り出して舟にでもするか、それか“空力”で一気に駆け抜けてこうか、って考えてたところなんだ。これならあまり時間をかけずに奥まで行けるかもしれないしね”

 

 三人の中で先駆けてその考えを口にすれば、恵里は右の人差し指を立てて口角を上げながらそう答える。ドンピシャであった。その答えになるほどと礼一と浩介は思っていると、今度はメルドが『なるほど。このまま攻略を続けるよりはこの方が魔人族を追い抜く可能性も高いな……』と言いながらも口を挟んできた。

 

“とりあえずお前達の言い分はわかった。だが、正気か? 今とは比べ物にならん程の熱気にも襲われるだろうし、それと舟を使う場合でもマグマに耐えられなかったらどうにもならんだろう? それはどう対処するつもりだ?”

 

“まぁそれに関してもちょっと考えがあるから。ねぇハジメくん、鈴?”

 

 メルドがそれに納得を示しつつも、至極ご尤もな疑問を口角を上げながら問いかける。それに恵里は少し勿体ぶるように二人に話を振り、二人もそんな恵里の様子に軽く苦笑いを浮かべつつもメルドの問いかけに答えた。

 

“はい。光輝君達の班と龍太郎君達の班も後でここに来ることも考えてちゃんとした造りのものを用意しておこうかと思いました”

 

“二重構造の舟を造れば大丈夫じゃないか、って二人と話し合ってました。底の方に“金剛”を付与して、私達が乗る方に念のために“聖絶”を付与しておけばそう簡単には壊れないと思います。後は多く人が乗っても沈まないように風属性の魔法で浮かせる機構を左右と後ろに載せておけば多分イケるんじゃないか、って”

 

“熱気の方は人数分作った冷房の一つを改造すれば多分大丈夫、ってハジメくんからもゴーサインをもらってるよ。ここの攻略を終えればボク以外はいらないだろうしね”

 

 既にどう対応するかの絵図も描いていたハジメ達を見てメルドも嬉しそうに目を細め、浩介と礼一も流石ハジメ達だとしきりに感心していた。

 

“なるほど、わかった。ではやれるな?”

 

“はい。出来れば魔法のエキスパートのアレーティアさんがいてくれれば助かりましたけど、最悪僕達だけでも使い捨てのものは作れます”

 

“たとえ使い捨ててもそのノウハウは活きるからね……やらせてくれませんか、メルドさん”

 

“無論だ――よし、お前達! 一旦攻略を止めて舟の製造に移るぞ!”

 

 真剣な面持ちで自分を見て来た恵里達三人を見てメルドは力強くうなずいて返す。すぐに命令を下せば全員が『おー!』と声を上げ、すぐに脇道の岩を全員で穴をあけて簡易の製造拠点をこしらえていく。

 

 そうしてオルクス大迷宮から採取した金属やここの岩を使い、ああでもないこうでもないと楽しそうに頭を悩ませながら六人は舟の製造に勤しむのであった。

 

 

 

 

 

「――跳ね返せアブソド! アハトド、右翼の魔物を率いて遊撃しろ! 残りは迎撃だ!」

 

 【グリューエン大火山】四十七層。この階層の半ばまで既に到達していた魔人族の男、フリード・バグアーは的確に配下の魔物に指示を出しながら襲い来る火山内部の魔物の群れを迎え撃っていく。

 

 彼こそが人族と魔人族の長きに渡る戦争のこう着状態に終止符を打った『魔人族の勇者』と言うべき存在であり、そのからくりである神代魔法を習得した魔人族唯一の人間であった。

 

「……よし、他にはいないな? お前達、俺の号令があるまで休め!」

 

 その彼は現在、魔人族の王たる存在からの期待を受け、新たな神代魔法を手に入れるべくここ【グリューエン大火山】の攻略に赴いていたのである。なお彼と共にやって来た白竜と灰竜は外で侵入者を迎撃するよう命令を下していた。

 

(……クッ。この暑さに加えて私の疲労も、魔物達の消耗もいよいよ無視できなくなったな。だがここに長居するなど愚の骨頂。休みはほどほどにして攻略を急がねば)

 

 この大迷宮に連れて来た魔物の数は灰竜と白竜を除けば十一頭。白竜達の背に乗せて運べるサイズの中の選りすぐりであった……だが、現在は神代魔法によって使役した魔物も含めて八頭しか残っておらず、いずれも疲労の色が濃い。このままでは倒れてしまうと判断すると、残りのストックが心許なくなってはいたものの、フリードは魔力回復薬を煽りつつ水魔法を詠唱する。

 

 そうして用意した桶型の容器に水を注いで自分が連れて来た魔物達に差し出してやれば、彼らは行儀よく並んで少しずつ水を飲み出した。そうして自分も脱水症状を軽減するために自分用のコップに魔法で水を注いで一気に飲み干していく。

 

(薬の残りはあと二瓶か……階を下る毎に強まっていく熱気を考えればやはり一層毎に一瓶は欲しい。だがこのままでは……せめてライフツィーゲがあと二頭、いや一頭でも残ってくれていれば)

 

 自身が従える魔物の中に強力な冷気を放てる魔物もいるが、その生き残った二頭の山羊型のものは特に疲弊している。無理もない。この魔物は元々シュネー雪原に生息する寒冷地に適した魔物だ。それを真逆の環境に連れて来たのだからこうなってしまうのも無理はないとフリードは諦めながら次善の策を考えようとする。

 

(この大迷宮の魔物を使役して使い潰してはいるが、いかんせん消耗が激し過ぎる。変成魔法の消費がもっと少なければ少しは余裕もできただろうが……クソッ)

 

 無論、既に手にした神代魔法である変成魔法によってこの大迷宮の魔物を手懐けることで戦力の補充もしていた。だがそれも魔力の消費が決して少なくないことから二十層から三十層までの間だけであった。自身や魔物の体温を冷やす方に魔力を多く費やすようになったからだ。

 

 段々と強くなっていく熱気にどこから落ちてくるか、或いは立ち上ってくるかわからないマグマによって進みは遅く、前述したマグマによって連れて来た魔物も六頭が命を落としている。そのため行軍速度は当然遅くなり、時間がかかる分持ち込んでいた食料や水の消費も増える。多めに見積もったはずなのだがそれでも足りなかったことにフリードは自身の思慮の足りなさを嘆いた。

 

 また手にした変成魔法を以て支配下に置いた魔物も下層の強力な魔物によく殺されるようになり、魔力の消費も激しいことから使うことは控えるようになった。ある種の手詰まりである。

 

(ウラノス……ウラノスさえ連れていけたのならもっと早く事は済んだのだがな。ウラノスのブレスで穴をあけることが出来なかったのが本当に惜しい)

 

 配下の魔物の調子を遠目で確認しつつもフリードは思う。この大迷宮を訪れた際は山肌を相棒の白竜のブレスで破壊して侵入しようかと一度試したことを。しかし実際にやった時、地面に軽く穴をあけることは出来たものの、いきなり発生した障壁によって極光を防がれ、その間に地面もあっという間に塞がってしまったことも。

 

 そのため当初の予定の通り、白竜と灰竜の背に乗せていた魔物を連れてここ【グリューエン大火山】の攻略に向かったのである。だが結果はこの通り。持ってきた食料も段々と心もとなくなり、水に至っては既に底をついている。お世辞にも良い状況とは言えなかった。

 

(だが、だが引き下がる訳にはいかん……ここまで来ておいておめおめと引き下がれん。私は魔王様――アルヴ様の期待に応えねばならんのだ! そのためには、絶対に……!!)

 

 だがそれを理由に引き下がろうとフリードは考えていなかった。大分深く潜ったことを考えれば帰りの労力も尋常ではないし、何より自分が()()()()神から寄せられる期待のためにも投げ出すことなど()()フリードには考え付かなかったのである。

 

(ここの大迷宮がどんな神代魔法を取得出来るかはわからん。だが、氷雪洞窟で手にしたこの変成魔法を考えれば強力なのは間違いないはず。なんとしても、なんとしても手に入れなければ……)

 

 すべては神の期待に応え、人間族を滅ぼすために。

 

 ……かつての誓いを忘れ、ただ狂信に従うフリードを諫める者は誰もいなかった。

 

(……うん? なんだこの音は?)

 

 そろそろ休憩を切り上げて奥へと向かおうと思った矢先、ふとフリードや配下の魔物の耳に妙な音が届く。何かをかき分けて進むような、風を叩きつけて進むかのような音だ。

 

(音の出どころは灼熱の川――! あの灼熱を纏った蛇の類か!!)

 

 そしてその元凶にフリードは思い至る。このマグマの中から顔だけ出し、マグマを纏った舌をムチのように振るうカメレオン型の魔物や頭上の重力を無視したマグマの川を泳ぐ赤熱化した蛇といった魔物がいたのだ。ならばこのマグマをかき分けて進んでくる魔物がいてもおかしくはない。

 

「総員構えろ! あの川から来るぞ!」

 

 (ゆだ)って少し頭の動きが鈍っていながらもフリードはすぐに配下の魔物に指示を出す。ここまで大迷宮を降りて来たがこういった類は未だ遭遇したことが無い。それを踏まえればどれだけ警戒してもし足りないぐらいだろう。そう判断したフリード自身もすぐに水属性の魔法の詠唱に移り、マグマの流れに乗ってやってくるであろう敵に備える。

 

(どういった魔物であろうと仕留め……いや、この灼熱の川を自在に動ける魔物なら弱らせたところで変成魔法で従えたほうがいいな。よし、まずはアブソドで敵の魔法をふせ――)

 

「……へ?」

 

 そしてマグマを伝ってこちらへと来た何かを見て彼らは啞然とする……なにせ人が乗った小舟と思しき何かが勢いよくこちらへと向かってきていたのだから。

 

“いやー、楽で仕方ないね。時々マグマから出て来た魔物が襲おうと頑張ってるぐらいだし”

 

“マジそれな! しっかし思ったよりこの川下り面白ぇ! 大介に良樹、信治の奴も連れて来たかったなぁー!!”

 

 なんか無言で楽し気に、しかも汗もロクにかいていない様子の赤もしくは茶髪に赤目の人間族? の六人が小舟と共に爆進していた。訳がわからなかった。

 

“僕としてはこんな危険な船旅、あんまりやりたくないけどね。礼一く――あっ”

 

 しかも目が合った。

 

 小舟に乗っていた内三人の男女がすごい気まずそうにこちらを見ていた。その目から罪悪感や同情、困惑が見え、何か言葉をかけようとしていたものの、すぐにマグマの川の向こうへと過ぎ去っていく。

 

「お、追えー!! 今すぐ追うんだ!!」

 

 遅れること数秒。遥か彼方に行ってしまった小舟を追いかけるべくフリードは号令をかける。思いっきり呆気にとられていた魔人族の男とその配下の魔物達は慌ただしい様子で闖入者を追っかけていくのであった……。

 

 

 

 

 

“……すごい、かわいそうだったね”

 

“なんていうかこう、楽してることに罪悪感が……”

 

“倒さなきゃいけないってわかっててもな……こう、同情したくなるっていうか”

 

“別にいいだろうお前ら。どうせ奴は魔人族だ。苦しむぐらいでちょうどいい”

 

 一方、小舟に乗ってマグマの川を進んでいく恵里達であったが、途中で見かけた汗だくの魔人族を見て鈴、ハジメ、浩介の三人は何ともいえない様相を浮かべており、ナチュラルにメルドが心無い一言を言ったせいで余計に顔が曇った。

 

 魔人族とずっと戦争をしてるのだから当然の反応なのはわかっているのだが、『こんなメルドさん見たくなかった……』と恵里以外の四人が多かれ少なかれ心の中で思ってしまう。誰だって頼れる兄貴分が畜生染みたことを言うのは見たくないのだ。恵里もメルドの言葉にそうだねと思う程度で特に傷つくことなく、むしろ先ほど見た人影に見覚えがあったようなと思い返していたぐらいである。

 

“またトンネルだね。結構下ったし、そろそろ一番奥までたどり着くんじゃないかな?”

 

“……そうだね。恵里は強い娘だもんね”

 

“えっ?……は、ハジメくん? ぼ、ボク、何か悪いことでもした?”

 

“大体全部だよ、恵里ぃ……”

 

「嘘っ、全部!? え、えっと、えっと……」

 

 そうして見覚えのある男性に思いをはせていたのもつかの間、すぐに外の様子の方に意識がいった恵里を見て軽くショックを受けるハジメ。自分や家族、それに友人以外にはとてつもなくドライなのは重々わかってはいたが、それはそれとして好きな人の冷たい部分を見るのは辛いのである。今でもずっと多くの人に愛する人が好かれて欲しいと思っていたからなおさらだ。

 

 そしてそんなハジメを見て思いっきりうろたえ、鈴の言葉で一層パニックを起こす恵里。どこで命を落とすかもわからない大迷宮を進んでいるにしてはあまりに弛緩した空気が漂っていた。

 

 そんな似つかわしくない空気が漂う中でもマグマの空中ロードに乗った小舟は進む。広々とした洞窟の中央を蛇のようにくねりながら道は続いていたが、しばらく順調に高度を下げていたマグマの空中ロードがカーブを曲がった先でいきなり途切れていた。いや、正確には滝といっても過言ではないくらい急激に下っていたのだ。

 

“またか……全員振り落とされるなよ!”

 

 メルドの言葉に全員が我に返り、すぐに小舟に付けてあった取っ手を掴む。こんなことが起きたのも一度や二度ではない。こういったアクシデントに直面してどうにか切り抜ける度に舟を改造して一行は進んできたのだ。

 

 ……なお最初のトラブルはマグマの空中ロードに乗ったとき、普通に舟が川底を抜けそうになったことだったが。そのため舟の左右と後ろに取り付けていた浮かせる機構も増設しているのはここだけの話である。

 

“来るよ!”

 

 ジェットコースターが最初の落下ポイントに登るまでのあのジワジワとした緊張感が漂う中、遂に恵里達の小舟が落下を開始した。

 

“右の二番の出力を絞って! 後ろの方も調節を!”

 

“今やってる! 中村、谷口! 少し体の向き変えてくれ! 船が前に傾き過ぎだ!”

 

 ごうごうと耳元で風の吹き荒れる音を聞きながら一行はそれぞれがやれることをやっていく。途轍もない速度で激流と化したマグマを小舟に取り付けられた機構が噴かせる風の威力をそれぞれ調節し、時には姿勢を変えることで舟の向きを制御しながら下っていく。

 

 誰もが必死に舵取りをしつつもマグマの方は粘性など存在しないとばかりに速度は刻一刻と増していく。

 

「こういう時ほど来ると思うけど――やっぱり!」

 

 加速していく舟の落下速度を体感しつつ、嫌な予感がしたハジメは取っ手から手を離すと、すぐに靴裏にスパイクを錬成し体を固定しながら油断なく周囲を警戒する。案の定、翼からマグマを撒き散らすコウモリの群れが彼らの前に立ちはだかった。

 

 このマグマコウモリは、一体一体の脅威度はそれほど高くない。かなりの速度で飛べることとマグマ混じりの炎弾を飛ばすくらいしか出来ない。オルクス大迷宮を超えた彼等にとっては、雑魚同然の敵である。

 

 だが、マグマコウモリの厄介なところは群れで襲って来るところだ。一匹見つけたら三十匹はいると思え、という黒いGのような魔物で、岩壁の隙間などからわらわらと現れるのである。

 

“ハジメ、鈴、迎撃を頼む!”

 

“わかりました! 僕らが全部叩き落します!! 鈴、僕は前を!”

 

“うん! ここは鈴達に任せて下さい!! ハジメくん、後ろと左は任せて! “聖壁・桜花”……からの“聖壁・光散華”!”

 

“メルドさん、ボク達は――”

 

“いつでも戦える準備はしておけ。今はこの舟の姿勢制御に努めろ!”

 

 メルドからの頼みにハジメはホルスターから引き抜いたドンナーから発した銃声で応え、鈴も“聖絶・桜花”を発動して眼前に広がる魔物の群れへと光の破片を飛ばしていく。二人を見て自分達も、と思った恵里らはすぐにメルドの方に視線を向けるが、彼の言葉を受けていつでも戦闘に移れるようにしながら舟の方に意識を向けるのであった。

 

 その彼らの目の前に広がるそれはもう、一つの生き物といっても過言ではない。おびただしい数のマグマコウモリは、まるで鳥類の一糸乱れぬ集団行動のように一塊となって波打つように動き回る。その姿は傍から見れば一匹の龍のようだ。翼がマグマを纏い赤く赤熱化しているので、さながら炎龍といったところだろう。

 

「ドンナーじゃやっぱり駄目か……」

 

「鈴の“聖壁”だとちょっと威力不足かな。“聖絶”で試してみるね」

 

 その炎龍に対しハジメと鈴は攻撃を仕掛けてみるも、ハジメは幾筋か穴をあけただけで鈴も数を幾らか減らした程度。手数不足、火力不足で大した被害にはならなかったようである。

 

 そんなマグマコウモリ達であったが、一塊となって恵里達に迫ってきた群れは途中で二手に分かれ、前方と後方から挟撃を仕掛けてきた。いくら一体一体が弱くとも、一つの巨大な生き物を形取れる程の数では普通は物量で押し切られるだろう。

 

「だったら、数には数で!」

 

 だが、ここにいるのはチート集団。単純な物量で押し切れるほど甘い相手でない。ハジメは宝物庫からメツェライを取り出してすぐに腰だめに構えると、そのトリガーを躊躇なく引いた。

 

 ドゥルルと独特の射撃音を響かせながら、恐るべき威力と連射を遺憾無く発揮した殺意の嵐は、その弾丸の一発一発を以て遥か後方まで有無を言わせず貫き通す。洞窟の壁を破砕するまでの道程で射線上にいたマグマコウモリは、一切の抵抗も許されず粉砕され地へと落ちていった。

 

 さらに、ハジメは面制圧と純粋な趣味から作成したロケット&ミサイルランチャーであるオルカンも取り出す。メツェライを持つ手とは反対の手で肩に担ぎ、容赦なくその暴威を解放した。火花の尾を引いて飛び出したロケット弾は、メツェライの弾幕により中央に固められた群れのど真ん中に突き刺さり、轟音と共に凄絶な衝撃を撒き散らした。

 

 結果は明白。木っ端微塵に砕かれたマグマコウモリの群れは、その体の破片を以て一時のスコールとなった。

 

「この程度、いっぱい増えた浩介君よりも怖くないしね!! “聖絶・桜花”――からの“聖絶・光散華”!」

 

 鈴も最強の障壁の欠片を桜吹雪の如く散らせば、三桁単位で敵を八つ裂きにしていき、追加で発動した魔法によりその輝く破片を爆破していく。結果、龍の如く蠢くコウモリの群れの半分がぽっかりと穴が空いたようになってしまう。

 

 無論これだけで鈴は終わらない。爆破で消費した分をすぐに補充し、光の破片を自在に操っては敵を切り裂き、爆破して灰に帰していく。イメージ補強のために支給された杖を片手でチョイチョイと振って敵を殲滅していく様はまるで筆を動かしているかのよう。尤も、出来上がるのは魔物の死体でしかないが。

 

 こうしてマグマコウモリ達は二人の猛攻になす術なく倒されていく。攻撃を加えようにも距離が離れすぎているし、迎撃しようとしても弾丸が速すぎたり自在に動く光の破片を捉えきれないからだ。これといった苦労もなく、ハジメと鈴は見事に魔物の群れを捌ききってしまった。

 

“お疲れ様。ハジメくん、鈴”

 

“さっすが先生だわ。マジで余裕じゃねーか”

 

“ハジメも鈴もお疲れ。んじゃ、舟の制御に戻ってくれ”

 

“うん、わかったよ”

 

“うん。すぐやるね”

 

“よくやったぞ、お前達。よし、じゃあさっきと同じ分担で舟の制御に移れ!”

 

 そうして恵里ら舟の制御に努めていた面々から労われたハジメと鈴は礼を述べつつすぐに元の作業に戻る。そうして流れに任せていると、今まで下り続けていたマグマが突然上方へと向かい始めた。

 

 勢いよく数十メートルを登るとその先に光が見えた。洞窟の出口だ。だが、問題なのは、今度こそ本当にマグマが途切れていることである。

 

“全員掴まれ! 放り出されるな!!”

 

 メルドの号令に再び恵里達は小舟にしがみつく。小舟は激流を下ってきた勢いそのままに、猛烈な勢いで洞窟の外へと放り出された。

 

 襲い来る浮遊感にハジメ、浩介、礼一、メルドは股間をフワッとさせながらも、恵里達と同様に素早く周囲の状況を把握しようと視線を巡らす。一行が飛び出した空間はあまりにも広大な空間だった。

 

 自然そのままに歪な形をしているため正確な広さは把握しきれないが、少なくとも直径三キロメートル以上はある。地面はほとんどマグマで満たされており、所々に岩石が飛び出していて僅かな足場を提供している。周囲の壁も大きくせり出している場所もあれば、逆に削れているところもある。空中には、やはり無数のマグマの川が交差していて、そのほとんどは下方のマグマの海へと消えていっている。

 

 ぐつぐつと煮え立つ灼熱の海とフレアのごとく噴き上がる火柱。地獄の釜というものがあるのなら、きっとこんな光景に違いない。恵里達はごく自然にそんな感想を抱いた。

 

 だが、なにより目に付いたのは、マグマの海の中央にある小さな島だ。海面から十メートル程の高さにせり出ている岩石の島。それだけなら、ほかの足場より大きいというだけなのだが、その上をマグマのドームが覆っているのである。まるで小型の太陽のような球体のマグマが、島の中央に存在している威容は全員の視線を奪うには十分だった。

 

“後ろは一旦カットしたよ!”

 

“右二つを全力で吹かせ、ハジメ!”

 

“今やってます!”

 

“全員待って! 今鈴が“光絶”でレールを作るから全部カットして!!”

 

「“光絶”――くっ! 左右一斉に点火!!」

 

「「「「了解!!」」」」

 

“皆の反応は……はいはいオーケー。必要になったらすぐ“念話”飛ばして!”

 

 飛び出した勢いでひっくり返った小舟であったが、すぐさま後ろの動力を恵里がカットし、左に傾いていた舟を戻そうとメルドが檄を飛ばすものの、鈴の提案に全員が乗り、“光絶”で作った光のレールの上でバランスをとりながら小舟はマグマの海へと向かっていく。

 

 そうしてしぶきを上げながらマグマの海に着水した一同であったが、明らかに今までと雰囲気の異なる場所に警戒を最大にしていく。こんな場所で警戒を密にすることは何も悪くないからだ。

 

“んー……あの中央の島が住処かな?”

 

 警戒を強めつつ、恵里はチラリとマグマドームのある中央の島に視線をやりながらつぶやけば、今のところ特に異常はないと判断した五人もそちらに一度視線を向けた。

 

“階層の深さ的にもそうだと思うけど、きっとここは……”

 

“……試練はとっくにショートカットした、ってことになんねぇ?”

 

“諦めろ礼一。まだ、って考えた方がまだ精神衛生的にマシだ”

 

 恵里のつぶやきにハジメは答えるものの、その表情は硬い。礼一も『だったら楽だよなぁ』とばかりに希望的観測を言って浩介に言い返され、だよなぁと力なく吐いた。

 

「――お、追いついたぞ!!……ゼェ、ゼェ…………」

 

 そして声のする方を見やれば汗だくでところどころボロボロの魔人族と配下と思しき四頭の魔物が見えた。

 

 彼らのいる場所は大きな足場であり、その先に階段があることからきっと壁の奥へと続いている様子の階段を頑張って降りて来たのだろう。正規のルートから必死に追いついてきた彼らを思わずハジメ、鈴、浩介の三人は称賛したくなった。

 

「うわ、もう追いついた」

 

「早ぇーな。もうかよ」

 

「よし殺すぞ。ハジメ、オルカンを出せ。一つ残らず丸焼きにしてやる」

 

 ……なお恵里と礼一は露骨に嫌そうな顔をし、メルドは相変わらず殺意満々であったが。特にメルドの言に三人は泣きたくなった。戦争コワイ、戦争なんてしちゃいけない、と痛感する。

 

“――! 皆、散って!!”

 

 が、そんな気分に浸っていたのもつかの間。宙を流れるマグマから、マグマそのものが弾丸のごとく飛び出してくる。無論、恵里達は即座に反応し、小舟を足場にして全員が散っていく。

 

「ぬわー!?」

 

「こっからが本番、ってことか!」

 

“やっぱり楽は出来ないね!――ハジメくん、舟は!?”

 

“もう回収した! 中央の島で落ち合おう、皆!!”

 

 マグマの海や頭上のマグマの川からマシンガンのごとく撃ち放たれる炎塊を避けつつ、各々が中央の島へと向かっていく――かくして【グリューエン大火山】、最後の試練が幕を開けたのであった。




どうしてまだフリードがここの攻略をしているのかですって?
だって原作よりもかなり早くグリューエン大火山に来てますからね。オルクス大迷宮を出るのが原作より十日早いですし、他のイベントもガン無視してますから。明確になってるものを計算しますと……。

・ハウリアブートキャンプ(十日)
・ブルックの街での宿泊(一日)
・ライセン大迷宮探索(二日)
・そして攻略(一週間)
・アーティファクト製作やら何やらでブルック滞在(一週間)
・フューレンへと馬車で移動(六日)
・ウルの街へ移動&宿泊(一日)
・清水の率いる魔物の軍を迎撃するためのあれこれ(一日)

10 + 1 + 2 + 7 + 7 + 6 + 1 + 1 = 35

とまぁこんな具合になります……ひと月もあれば余程適正が恵まれてない限りは扱えるようになりますよね? 原作での描写を見る限りワープや空間ごと破壊する魔法なんかを使ってましたし、むしろ適性がある部類に見えます。

これだけ早くにグリューエン大火山に行ったのなら出会ってもおかしくはないんじゃないでしょうか? まぁ実際どうだったのかは書籍版も買ってないですしわからないのですが(苦笑)


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五十七話 答えは燃え滾る世界の先に

まずは拙作を読んでくださる皆様に多大な感謝をお伝えします。
おかげさまでUAも134260、お気に入り件数も794件、しおりも362件、感想数も448件(2022/9/30 23:37現在)となりました。誠に感謝いたします。

それとAitoyukiさん、アンデルナッハ子爵さん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。おかげさまでまた筆を執る力が滾ってきました。本当にありがたいです。

今回の話はかなり長い(15000字程度)ので、そのことに注意してお読みください。では本編をどうぞ。


「チッ! 本当に厄介だね――“破断”!」

 

「“嵐帝”!――クソッ!! この程度の魔法じゃ押し負ける!」

 

「“裂塊”!――連射しないと駄目か! 割に合わないな!!」

 

 恵里達はそれぞれ別の足場に着地しつつ、迫りくるマグマの塊を迎撃しながら中央の島を目指していく。だが水属性が得意な人間は一人もおらず、そこそこ出来る水属性や風属性などで迎え撃っても多少勢いを殺すのが精一杯。土属性が得意な浩介が上級魔法をぶつけても完全な相殺は出来ず、思わず歯噛みしてしまう。この場にアレーティアもしくは奈々がいれば、と全員が口惜しく感じていた。

 

“皆! とりあえず僕のドンナーとシュラークならどうにか出来るから! 僕が殿を務めるよ!!”

 

「“聖絶”!」

 

“ある程度なら鈴もフォロー出来るよ! 合流――ううん、やっぱり進むのを優先して!!”

 

 だがレールガンであるドンナーとシュラークの一撃は流石にマグマの塊も負けるようであり、“聖絶”程の堅牢さがあれば問題なく弾くことが出来る。一度合流して突破することを鈴は思いつくも、相手から狙いやすくなって四方八方からマグマの弾丸を発射され続けたらにっちもさっちもいかないと考え、ハジメと同様に殿を務めようと進むペースを落とした。

 

“だったら――鈴、乗って!! おぶりながら行こう!”

 

“――うん!”

 

 するとそこでハジメが自分の背中に乗るよう提案し、鈴もそれにうなずくとすぐに彼の方へと向かって背中におぶさった。そして銃弾と光の壁を展開しながら皆の動きをフォローしていく。

 

「鈴ぅううぅぅ!!! もう、もうっ!! ハ~ジ~メ~く~ん!!!」

 

「うわっ!?」

 

“痴話喧嘩してる場合か!! 早く島の近くで合流するぞ!”

 

 ただ、恵里からすれば大好きなハジメをとられてしまったようでかなり気嫌が悪くなったが。思いっきり嫉妬しつつ絶対後であれ以上のことをやってもらおうと画策し、なおかつメルドに注意されながらも決して進むスピードは遅くなってないのは流石というべきか。

 

 そんなこんなで恵里達四人がマグマのドームに覆われた中央の島近くの足場に飛び込もうと最後の跳躍をした時、腹の底まで響くような重厚な咆哮がこの空間に響き渡った。

 

「ゴォアアアアア!!!」

 

「ッ!?」

 

 突如、宙を飛ぶ四人の直下から大口を開けた巨大な蛇が何匹も襲いかかってきたのである。

 

「――恵里っ!!! 皆!!」

 

 全身にマグマを纏わせているせいか、周囲をマグマで満たされたこの場所では熱源感知にも気配感知にも引っかからない。また、川下りを始めてからハジメは魔眼鏡を身に着けていたのだが、その時にようやくマグマそのものに魔力が含まれていることに気付き、このマグマの海にも魔力が満ちていたがために“魔力感知”でもわからなかったのだ。完全な不意打ちとなった巨大なマグマ蛇の攻撃に思わずハジメは叫ぶ。

 

「やばっ――っとと!!」

 

「危なっ!?――だったらこいつでも食らってろ!!」

 

「なっ!?――礼一、浩介、恵里! 逃げるのを優先しろ!!」

 

「こん、のっ――はいはい! “縛魂”!!」

 

 しかし浩介らは軽く身を捻ってかわし、恵里も“瞬光”も一瞬用いて超人的な反応速度でどうにかその顎門による攻撃を回避する。そして同時に浩介は分身を突っ込ませて自爆させ、恵里もこの蛇を支配下に置こうと“縛魂”も叩き込む……が、そちらは残念ながら不発に終わってしまう。

 

「ったく、油断も隙もないね!!」

 

「良かった……だったらこっちは僕が!!」

 

 一瞬前まで自分がいた場所をマグマ蛇はバクンッ! と口を閉じながら恵里は通り過ぎた。“縛魂”を食らっても平気な様に苛立ちを覚えながらも恵里はすぐに島の近くの足場へと乗り移り、浩介達と合流する。一方ハジメも鈴を背負いながら自分達の方に迫って来たマグマ蛇に向けてドンナーの一撃を叩き込む。だが――。

 

「うそっ!?」

 

「は、弾け飛んだだけ!? い、生きてるよ!?」

 

 マグマ蛇の頭を勢いよく吹き飛ばすと同時に上がった声はあちらの断末魔ではなく、ハジメ達の驚愕の声だった。

 

 当然、その原因はマグマ蛇にある。なんと、マグマ蛇の頭部は確かに弾け飛んだのだがそれはマグマの飛沫が飛び散っただけであり、中身が全くなかったのだ。

 

 今まで会敵してきた【グリューエン大火山】の魔物達は、基本的にマグマを身に纏ってはいたが、それはあくまで纏っているのであって肉体自体はきちんとあった。断じて、マグマだけで構成されていたわけではない。

 

「だったら全部吹き飛ばすよ!!」

 

 しかしハジメは直ぐに立ち直ると物は試しにと頭部以外の部分を滅多撃ちにした。幾条もの閃光が情け容赦なくマグマ蛇の体を貫いていくが、やはりどこにも肉体はなかった。どうやらこのマグマ蛇は完全にマグマだけで構成されているらしい。

 

「鈴も援護するね! “聖絶”!!」

 

“お前ら、ハジメと鈴を援護しろ!!”

 

 そうしてマグマ蛇の体を穴まみれにすることは出来たものの、しぶとく体当たりをしようと向かってきたのである。だがそれも鈴の“聖絶”によりあっさりと防がれ、メルドの指示を受けた恵里達の攻撃により完全に霧散していく。

 

 無事に島の近くへとたどり着いたハジメと鈴であったが、すぐにザバァ! と音を立てながら次々とマグマ蛇が出現してくる。際限なく出てくる敵相手にうんざりしつつも恵里達は身構えた。

 

「ゼェ、ゼェ……ひゅー、ひゅー……お、追いつい、たぞ…………」

 

 と、いつの間にやら魔人族の男と配下の三体の魔物も近くに来ていた。一匹はマグマを纏った熊みたいな魔物であり、もう二匹は馬の頭をした人型のものと鬼のような姿の魔物であった。こっちは誰も彼も息が上がっており、しかも馬頭と鬼っぽいのはこんな熱い空間の中でも青ざめてて今にも死にそうになっている。見てて気の毒になる具合であった。

 

「ハジメ、この際なんでもいいから武器を……いや、いい。今すぐ俺の手で引導を――」

 

“はいストップ、メルドさん。あっちは情報源として使えるからこっちの方――あの蛇を倒すよ!”

 

 今にも手に持った剣で魔人族を切り捨てようとするメルドを恵里が諫め、視線も使って前を向かせる。島の周囲には二十体以上のマグマ蛇がその鎌首をもたげ、自分達を睥睨している。恵里達から攻撃を受けたマグマ蛇も既に再生を終えており、何事もなかったかのように元通りの姿を晒していた。

 

“ったく、こんな敵相手にどう戦えってんだよ! すぐ治っちまうんだぞ!”

 

“理不尽、ってのはこういうのを言うんだろうな。でもマトモに戦えてるだけあのヒュドラよりマシだろ礼一!”

 

“不定形のマグマがああして形を保ってるんだから、おそらくマグマを形成するための核になる魔石があると思う! マグマが邪魔で僕の魔眼鏡でも位置を特定出来ないけど……それを壊すしかないね――来るよ!!”

 

 話し合いをしたのもつかの間、総数二十体のマグマ蛇が一斉に恵里達へと襲いかかってきた。

 

 マグマ蛇達はまるで太陽フレアのように噴き上がると、自分達の頭上より口から炎塊を飛ばしながら急迫する。二十体による全方位攻撃だ。普通なら逃げ場もなく大質量のマグマに呑み込まれて終わりだろう。

 

「クッ……お前達、迎げ――ぐぇっ!?」

 

“鈴、コイツお願いね!”

 

「全くもう……はいはい。“封縛”それと“聖絶”!」

 

 そんな絶望的な状況の中、魔人族の男が配下の魔物達に檄を飛ばそうとした矢先、背後に回り込んでいた恵里に首根っこを掴まれて投げ飛ばされる。直後、鈴が発動させた魔法によって男は光の檻に閉じ込められ、急遽張った“聖絶”によって逃げ込んだ恵里共々守られた。

 

 なお馬頭と鬼みたいな魔物二匹はマグマに焼かれ、熊みたいなのは普通にマグマ蛇に食われた。しかも焼かれた二匹の遺体はすぐにハジメが宝物庫入れたため、ご飯となる運命が確定する。心底哀れであった。

 

「なっ!? き、貴重な戦力が――」

 

「はい面倒臭いから寝てて。“隆槍”」

 

「げふっ!?」

 

 そして投げ飛ばされて光の檻に入れられた魔人族の男は先の丸くなった土の槍でみぞおちを突かれ、そのまま気絶。踏んだり蹴ったりであった。

 

“どうすんだ谷口。このままじゃジリ貧だぜ”

 

“うん、わかってる。でもすぐにこの結界を破壊なんてさせてあげないし、これからしっかり反撃するよ”

 

「“聖絶・桜花”――からの“聖絶・光散華”」

 

 魔人族の男がぐったりするのとほぼ同時。勝ち筋も打開策も見えない現状に弱音を吐いた礼一に対し、落ち着きながらも鈴はそう答える。

 

 そして杖を構え、すぐさま自分達を守るバリアの上から光の花弁を視界いっぱいに散らすと、煌めく花びらを一斉に爆破する。六尺玉が眼前で爆ぜたかのように光の花が咲き誇った。

 

「「「「「“跳礫”!」」」」」

 

 一瞬で穴あきチーズとなった二十のマグマ蛇を確認すると同時に恵里達は結界の外から魔法を、ハジメもレールガンを叩き込む。

 

 風通しが良くなったことで魔石と思しき結晶も肉眼で簡単に見つけられるようになり、そこでマグマの熱で蒸発しないよう水でなく土属性の中級魔法を撃ちこむことで全ての魔石の破壊に成功する。

 

 だが大迷宮の試練はそう容易ではなかった。

 

“あれ? 復活してない!? 冗談でしょ!?”

 

“クソが! 無限に出るとか聞いてねーぞ!!”

 

 恵里と礼一がボヤいた通り、倒して間もなくマグマ蛇が灼熱の海原から現れたのである。それも先程と同じ二十体も。この状況に誰もが戦慄するも、ハジメが目ざとくあるものを見つける。

 

“――待った、皆! あそこ! あそこの壁が光ってる!”

 

 状況の打開のためにと周囲を見渡したハジメは、今自分達がいる島の岸壁の一部から拳大の光を放たれているのを見つけたのである。先程までは気がつかなかったが、岩壁に埋め込まれている何らかの鉱石からこのオレンジ色の光が放たれているようだ。

 

“あの光は一体……まさか、これが仕掛けか!?”

 

“多分そうだと思うぜメルドさん! だったら全部光らせれば――”

 

“結構な数があるぞ。ひーふーみー……大体百ぐらいか?”

 

 保護色になっていてわかりづらいが、どうやら、かなりの数の鉱石が規則正しくこの島の岩壁に埋め込まれているようだとわかった。

 

 中央の島は円柱形なので、鉱石が並ぶ間隔と島の外周から考えると、ざっと百個の鉱石が埋め込まれている事になる。そして、現在、光を放っている鉱石は二十個……ただし、一つだけ光が弱まっている

 

“時間経過で消えるタイプかもね! ったく、面倒な仕掛けを残してくれちゃってさぁ!!”

 

“ごちゃごちゃ言ってる暇があったら攻撃に移れ、お前達!!”

 

 浩介と恵里の推測からこのマグマ蛇を最低百体撃破――ただし、時間経過によるスコアの減少も含めればそれ以上――すればいいとわかり、再度鈴が展開した“聖絶”の中で急遽作戦会議を始める。

 

“長いこと付き合ってたら面倒だね。ハジメくん、オルカン貸して!!”

 

“了解! 礼一君はシャウアーを、メルドさんは――”

 

“サンキューハジメ! ちょっと借りるぜ!!”

 

“俺もオルカンを使う! 確か予備も含めて二つはあったはずだろう!”

 

“わかりました! 今取り出します!!”

 

“なら俺は外に出て戦う! 分身も自爆させればもっと時間を短縮できるはずだ!”

 

“わかったよ浩介君! 結界を一部解除するからそこから出て!”

 

 すぐに会議を終えた一行はそのまま攻撃へと移っていく。鈴は“聖絶”を一部だけ解除して浩介を出し、その直後“聖絶・桜花”を再度発動して浩介の援護をする。

 

 一方、ハジメはすぐに宝物庫から武器を各員の手元に転送し、自身はドンナーとシュラークを使ってマグマ蛇を攻撃。恵里達もハジメからもらった武器を使って景気よくマグマ蛇を撃破していく。

 

「これなら“深淵卿(アレ)”を使う必要なんて無いな――そらっ!」

 

 そして外に出た浩介も分身を何度も発生させては突っ込ませ、自爆させてキルスコアを稼いでいく。倒しそびれた分は鈴が操る光の欠片が切り裂くことで解決だ。

 

「そこっ!」

 

 後方に火花の尾を引きながらロケット弾が飛んでゆく。マグマ蛇或いはそれが放ったマグマに着弾し、爆音と光を放って一切合切を吹き飛ばす。その破壊力たるや直撃すれば体の大半を吹き飛ばし、マグマの弾丸に当たった場合でも爆風を以てマグマ蛇の体を大きく削る。そうすれば魔石を狙い撃つのも簡単であった。

 

“流石先生の作った武器だ! 楽して安全に倒せるってサイコーだな!!”

 

 電磁加速された礫がマズルフラッシュと共に吐き出されていく。『にわか雨』の名に恥じぬ殺戮の雨は無慈悲に相対した存在を穿ち続ける。

 

“当然でしょ! だってハジメくんだもの!! ボクの愛する人が作ったものだもん!! “跳礫”!”

 

 恵里もメルドと同様、ロケット弾と魔法を交えながらマグマ蛇を次々と倒していく。そんな中、礼一のハジメを持ち上げる発言を聞いて心底気分を良くしながらも攻撃の手は一切緩めなかった。

 

 数の暴力と強力な攻撃手段による蹂躙によって、中央の島の岸壁から放たれる光が増えていく――()()以上を引き連れたことによるペナルティで五秒程度で光が一つ消えるようになったこの【グリューエン大火山】の試練だったが、それもあっという間に終わりへと向かっていく。

 

“恵里! 今だよ!”

 

「さっすが鈴!――“跳礫”! これで、ラストぉおぉ!!」

 

 装填されたロケット弾を使い切り、恵里が放った岩の砲弾が鈴の手によってズタズタになったマグマ蛇の魔石に着弾し、砕けた欠片が煌めくと同時に最後の鉱石が光る――遂に【グリューエン大火山】の試練は終わり、出現していたマグマ蛇も瞬く間に霧散して静寂が訪れたのであった。

 

「いやー終わった終わった……お、見ろよ皆」

 

 そうして大きくため息を吐きつつ、借りていたシャウアーをハジメに渡した礼一はあるものを見かけた。中央の島に張られていたマグマのドームが徐々に形を失っていく姿であった。それと同時にドームの中にあったもの――漆黒の建造物が姿を現していく。あれが【グリューエン大火山】の解放者の住処であると全員が結論づけるのに時間はいらなかった。

 

“よし、行こう皆。メルドさんも”

 

“ああ、異論はない……が、コイツはどうする? 恵里、情報を引き出せるか?”

 

“大丈夫。意識があってもなくても“縛魂”が効くかどうか、実験がてらやってみるよ”

 

 そこでハジメも全員に声をかけるも、メルドは地面に転がったままの魔人族の男を一瞥し、恵里に問いかける。すると恵里も耳栓を懐にしまってからヒョイと男を担ぎ、そんなことをのたまいながら建物の方へと向かっていく。後でいーっぱい褒めてもらうんだー、とウキウキしつつ、もちろん“縛魂”を魔人族の男にかけ続けながら運んでいった。

 

「あ、恵里、その……そんなこと、やっちゃ駄目だよ」

 

「何をためらう必要がある? 奴は所詮敵だぞ。割り切れ、ハジメ」

 

 一方、いくら自分達を襲おうと考えていたかもしれない相手であろうと洗脳するのは気が引けたし、ましてやそれが自分の愛する人にやらせるというのは正直気が進まないハジメ。だがそんな彼に軍人然とした表情で諫めると、神代魔法欲しさに一目散に駆けていく礼一の後を追ってメルドは歩いていく。

 

「……鈴は、優しいハジメくんが好きだよ」

 

「俺もさ、別にああいうところまで染まんなくていいと思う。染まっちまったらきっと終わりだ……ハジメまでああなんないでくれ」

 

「……ありがとう。鈴、浩介君」

 

 そして迷いを見せたハジメの手を鈴が握り、浩介が肩を叩く。迷いを抱えながらもハジメは二人に礼を述べ、一緒に解放者の住処へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

「――ここ、は……」

 

「あ、やっと目を覚ましたみたいだね」

 

 ハジメに作ってもらったタウル鉱石製の鎖で雁字搦めにしていた魔人族の男がようやく目を覚ました。その頃には既に恵里とメルド以外の四人がここ【グリューエン大火山】における神代魔法である“空間魔法”を取得しており、その証である意匠を凝らしたサークル状のペンダントも回収していた。

 

「……気分はどう?」

 

「ああ。最あ、別になんとも、な気分悪くはならななな――」

 

「――やっぱり。“邪纏”、“隆槍”」

 

 問いかけに答えようとした魔人族の男の様子がおかしいことにハジメ達五人は背筋に寒気が走った。一方、恵里は顔を軽くしかめながらも“邪纏”を唱えて意識を刈り取り、“隆槍”でみぞおちを突いてそのまま無理矢理気絶させる。一度大きくため息を吐くと、恵里は心配そうに見つめる五人に向き合った。

 

「……さっき言った通りだったよ。コイツ、ボク以外の誰かからも干渉を受けてる。それもボクなんかよりも遥かに強い」

 

 その言葉に五人はざわめき、互いに視線を合わせるしかない。まさかこの魔人族は既に誰かの支配下にあったというのは少なくない驚きをもたらしたからだ。それはメルドであっても例外ではなかった。

 

「……どういうことだ? この男、魔人族の中では異端だったとでもいうのか?」

 

「さぁね。そんなのは本人の口から聞かなきゃわかんないよ。でもこれでハッキリしたね。コイツも多分被害者だよ」

 

 メルドの問いに肩をすくめて返しつつも、恵里は自身がかけた“縛魂”を解除していく。

 

 恵里がこの異変に気づいたのはこの男に“縛魂”をかけた直後であった。オルクス大迷宮二十層で現れた冒険者達やオルクス大迷宮に住まう魔物、ことあるごとに光輝達に闇魔法をかけていたからこそ気づいたのである。自身が発動した魔法の普段とは違うかかりの悪さを。魔法に対する抵抗力や知恵の高さから浸透し辛いというのでもなく、なにかこう――既にある()()のせいで変な嚙み合い方をしているとでも言うような、妙な感覚を恵里は覚えたのだ。

 

「どうなってんだよ。よりによってこんなとこまで神代魔法を取りに来る奴が洗脳されてるとか笑えねーぜ……」

 

「うん。近藤君の言う通りだよ。どうしてこんな……」

 

「さぁね。ボクもこればっかりは推測しか出来ないよ、鈴……とりあえず“縛魂”は今解き終わった。あのままだと精神が壊れかねなかったからね。後はコイツにかかった洗脳を解く。そのために一から魔法を組み立てるからちょっと待ってて」

 

「あっ、待って恵里。今パイプ椅子出すから……作業するならこっちの方がいいでしょ?」

 

「……ありがとう、ハジメくん。大好き」

 

 そう言いながら恵里は床に座ろうと腰を下ろそうとするも、すぐにハジメが声をかけてにオルクス大迷宮で作ったパイプ椅子を宝物庫から取り出した。恵里もそんな彼の気遣いにえへへと笑いながら腰を下ろすと、すぐさま新たな魔法の開発に入った。

 

「洗脳か……この人、意外と話が通じるんじゃないか? もしかすると和平とかそういうのを考えてたのかもしれないし」

 

「さて、な。そういうおめでたい頭の奴だったら楽ではあるが、そうでないとも限らん。ま、警戒するに越したことはないな」

 

「ホント、なんでだろうな……まっさか、その方が使いやすいから、とか? ははっ、自分で言ってて笑えねぇな」

 

“ねぇ、ハジメくん。これって……”

 

“うん……やっぱり魔人族の人達もゲームの駒なんだ。前にトータスでのことを話し合ってた時にエヒトの本性を恵里の口から語ってもらったし、それとオスカーさんの語った真実とも照らし合わせれば説明がつく――絶対、助けなきゃ”

 

 そうして気絶している魔人族の男を観察しながらもハジメ達は各々語り合う。何故神代魔法を求めたか、どうして洗脳をされていたのか。一部を除いて明確な答えが出せぬままぐるぐると。そんな話し合いを続けていた彼らであったが、ようやく恵里の方も仕上がったらしく、魔人族の男の顔に手をかざして新たに作った魔法を唱える。

 

「“限界突破”、“解魂”」

 

 念のために“限界突破”まで使用して魔法を発動することおよそ六分。

 

「…………よし。これできっと大丈夫なはず。起こすよ」

 

 新たに作った魔法で何の変化も起きなくなったことを確認してから恵里は纏わせていた紅の魔力を霧散させた。そしてハジメが見ている手前、あんまり乱暴なことが出来ないことから男をゆすって起こそうとする。

 

「ぅっ……ぁ……きさま、らぁ……」

 

「目は覚めた?」

 

「……あぁ、おかげさまでな」

 

 心底苛立たしい様子でこちらを見上げる魔人族の男を前にハジメ達は緊張するも、恵里は特に意に介することもなく男の方を見る。そして何から尋ねようかと考えていると、いきなりあちらが決意に満ちた表情でこんなことをのたまってきた。

 

「私は誇り高き魔人族だ。こんなところでおめおめと恥をさらし、生き永らえるつもりはない……私も相棒の白竜も、ここで我が主のために殉ずる覚悟がある」

 

「白竜?……はく――ブフォッ!?」

 

 メルドが噴き出した。

 

「白竜、って……ブフッ!」

 

「……は?…………はぁ?」

 

 つられて礼一も噴き出した。予想だにしてない反応だったせいで魔人族の男は困惑した様子を見せ、その『白竜』の正体に一拍遅れて気付いた恵里もぷるぷると震え出す。

 

「は、はく、白竜……アーッハハハハハ!! む、無理むり!! し、死んじゃう! お、お腹いたくなって死んじゃうってば!! あはははははははは!!!」

 

 そして決壊。笑いをこらえきれなくなってその場でうずくまり、腹に手を当ててひぃひぃ言うわ、『もう無理、もう駄目』と遂には涙まで流しながら床を何度も何度も叩く始末であった。

 

「き、貴様ら……私達を愚弄する――おい待て。何故お前らは目をそらす。どうして心底気まずそうにしている。答えろ」

 

 一方、ハジメ、鈴、浩介は目を背けるしかなかった。もし彼の言う『白竜』がブリッツのことならいたたまれなさで死にたくなるし、心の底から気の毒に思うからだ。だからこそ視線を合わせることが出来ず、問いかけにも答えられない。たとえそのことで向こうの苛立ちが最高潮に達しようが言えないのだ。

 

「く、くくっ、ははは……そ、その、お前の言う白竜は、白竜は……」

 

「何を笑うかぁ!! 私の、私のウラノスを愚弄する気か!!!」

 

「だ、だってよぉ……そ、ソイツ、裏切ったぜ。お、俺らにもう懐いちまってるんだもんよ!」

 

「……………………は?」

 

 なお、礼一がバラした。途端メルドも笑いがこみあげてきてその場で四つん這いになり、恵里もゲラゲラと笑いながらその場を転がる。一方、魔人族の男は何一つ理解できないとばかりに目が点となる。だって何一つ結びつきやしないのだ。自分の相棒がとっくに裏切っていたなどとは到底思えなかったからだ。

 

「……馬鹿を言うな。私の相棒たるウラノスは貴様ら人間族と違って下らない真似などするか!! どこまで私達を愚弄すれば気が済むのだ!! 言え! 言えぇ!!」

 

 結果、思いっきりブチ切れた魔人族の男は今にも掴みかからんといった勢いでわめき散らし、鎖で雁字搦めになっていながらも恵里達を襲おうと全身に力を込めて立ち上がろうとしていた。

 

「ひーっ、ひーっ……もう無理、もうげんかいだよぉ……わ、わら、笑い死んじゃうよぉ……」

 

「貴様らぁあぁぁあぁあぁあ!!! 許さん……もう許さんぞ……!! 差し違えてでも貴様らは絶対に殺す……!! 集え火種よ 雷鳴の子よ――」

 

「あ、ごめんなさい。“聖絶”」

 

「――“豪炎”……ぐわー!!!」

 

 笑い過ぎて全身がけいれんを起こしかかっている恵里やウケ過ぎてロクに反応できなくなったメルドと礼一を見て魔法を詠唱しようとする。が、すぐに鈴が“聖絶”を男の周囲に張ったことで発動した炎属性の魔法が障壁にぶつかって飛散し、あっという間に男はローストされた。

 

 あまり抵抗できないよう鈴が事前に魔力を抜き取っていたこともあって大した攻撃にはならなかったものの、全身真っ黒こげのチリチリパーマとなってピクピクしている。すぐさま鈴は男に回復魔法をかけて死なないように処置を施すも、その様がメルドと恵里のツボに入ってしまう。

 

「ーっ! くっ、くくっ……なんて、なんて無様な……」

 

「もう、もう何、なんなの!! コイツ、生粋のエンターテイナーだよぉ!! ど、どれだけボクらのことを笑わせ……あ、あははははは!!」

 

「恵里、流石に僕ももう我慢出来ない――人のことを笑っちゃ駄目でしょ!! この人は真剣なんだから! 茶化すのは駄目だよ!!」

 

 が、遂にハジメが本気でキレた。メルドに関してはあちらの世界の事情が絡むから元々部外者である自分達が言うべきではない。だが自分が愛する恵里に関しては話は別だ。

 

 いくら相手がとんちんかんなことを言っていようともそれは自分達が原因だ。だから相手を嘲笑う資格なんてないし、好きな人がそんなことを平気でするのは耐えられない。だからこそハジメは恵里に容赦なく水を差した。

 

「……えー、なんでー……だって思いっきり的外れなこと言ってたもん」

 

「たとえ率先してブリ……ウラノスが服従しようとしてきたとしても、最終的にゴーサインを出したのは僕達だからね!!」

 

 うっかり白竜の名前を自分達がつけたもので言おうとして慌てて言い直し、そしてハジメは容赦なく恵里にお説教する。ボク悪くないのに、と恨めしげな視線を向けてくる恵里にハジメはなおも説教を続けた。

 

「だってだって!! 食べられたくなかったからブリッツが降参してきたんじゃん! だから変な気を起こさないように念のためにボクが闇魔法をかけたんだよ!! それの何が悪いの!?」

 

「それは全然悪くないけどあの人の神経を逆なでするのがよくないって言ったの!! 僕言ったよね、恵里が光の届かない場所には行かせないって!! 大好きだから! 恵里のことをいっぱい愛してるからそんな方には行かせたくなかったの!! わかってよ!!」

 

「……全く、ハジメの奴め」

 

「あ、メルドさん。どこに向かうんですか?」

 

 一方、そんなハジメの様子を見てちょっと笑いが引いたメルドは、うめき声を上げた魔人族の男を担いで外へと向かう。思わず声をかけた浩介だったが、振り返ったメルドはこう返す。

 

「いやなに、どうせだからこの魔人族の男に現実を教えてやろうと思ってな……とりあえずここは安全だろうし、ハジメと恵里の二人だけにしてやれ。念のために抑え込む人間が欲しいし、その方がハジメもやりやすいだろう。あ、浩介。ハジメから大迷宮攻略の証だけ回収しておいてくれ」

 

「……あー、はい。なんだかなー……」

 

「へいへい了解しやしたー」

 

「あ、はい……うん。言い訳はしたいしな。っとハジメ、もらうぞ」

 

 そうしてメルド達は解放者の住処を後にし、建物の近く、地面から数センチほど浮いていた円盤に乗って大迷宮を脱出していく。

 

「うーっ……は、ハジメくんの言いたいことはわかったよ! でも、おかしくて仕方なかったからしょうがないもん!! 反省したから! ちゃんと反省したってば!!」

 

「いーや、まだ続けるよ! いくら反省したからってまたやっちゃうなら意味がないからね!! 恵里がずーっと僕達のそばにいてくれるためにも、僕は心を鬼にするよ!! 愛してるから!!」

 

「~~~~~っ!!! もう、もうっ!! ズルいよハジメくん!! そんなこと言ってボクを丸め込もうなんて最低だよ!! 大好き!! ボクだって愛してるもん!!」

 

「いーや僕の方が愛してる!! だから絶対に――」

 

 そしてあとに残されたのは痴話げんかをする一組の恋人たち……浩介がしれっとペンダントを回収していることにも気づかず、結局説教してるんだか盛大にノロケあってるのかわからないやり取りをメルド達が戻ってくるまでずっとやっていた。そのことにほぼ全員が大いに呆れ、鈴は恨めし気に見ていたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

「……それで、憐れな敗残兵の私に何の用だ?」

 

 そうして恵里とハジメが落ち着きを取り戻してすぐのこと。メルドは担いでいた魔人族の男を下ろすと、その当人はやさぐれた様子でこちらを見てきた。

 

 髪の毛は鈴の回復魔法のおかげですすけたチリチリパーマから元の赤い髪の毛に戻り、肌もこれといった火傷のあとも残っていない。ただ、無理して行軍してきたことと先程火だるまになったせいで服のほとんどが焼け焦げてしまい、割と全裸に近い状態であった。とりあえず()()無事と言えるのが下着だけしかなく、そう自嘲するのも仕方がないと誰もが思った。

 

「そりゃあ情報が欲しいに決まってるからだよ。それじゃあ質問。そっちの使ってる神代魔法は何?」

 

「…………端的に言えば生き物を魔物に作り替える魔法だ。()()()()()()もこの魔法を使って従えた」

 

 先程誇りがどうこう言ってた割にはアッサリと情報を吐いたことに誰もが少なからず驚きを隠せなかった。互いに目を見合わせ、どういうことかと思案しているとその男の方から心変わりした理由を述べてくれた。

 

「……別に命乞いをするためにわざわざ情報を吐いた訳ではない。そこは勘違いするな」

 

 居丈高な態度なのは相変わらずであり、そのことに少しだけメルドは安心した様子を見せたが、恵里はハジメと鈴と一緒に男の様子をつぶさに観ていた。

 

“恵里、鈴。やっぱりこの人、なんか変わったと思う”

 

“ハジメくんもなんだね。鈴も今のこの人なら多分協力できる気がする”

 

“やっぱり。二人もそう思うんだ……よし、わかった。じゃあそういう風に引っ張ってみるね”

 

 態度だけでなく語調からもどこか棘が抜けたようであるのを三人は感じており、すぐに“念話”で互いに確認を取る。そしてサッと話し合いをすると、すぐに恵里は次の質問を投げかけた。

 

「ふーん……まぁいっか。じゃあどうしてボク達の質問に答えてくれるようになったの?」

 

「その質問に答える前に一つ交渉したい……貴様ら、ウラノスを私に返し、その上で協力しろ」

 

 しかし質問をするや否やすぐに男の方から交渉のようなものを仕掛けられた。未だ鎖で雁字搦めになっている癖によくもまぁそこまで上から目線でモノを言えるものだとメルド以外の全員が感心してしまう。

 

「……ほぅ。どちらの立場が上なのか、わかっていないようだな。別に俺は今すぐお前の首を刎ねるのもやぶさかではないのだぞ?」

 

 なおメルドは案の定ブチギレていたが。しかし魔人族の男は涼しい顔をしながら恵里達に向けてこう告げた。

 

「いいのか? 私は貴重な情報源なんだぞ? 神代魔法そのものは話したが、それをどこで手に入れたか、どういった試練の内容だったのか、ガーランドの内情なども知ることが出来る。決して悪い取引ではないはずだ」

 

「それぐらい恵里の闇魔法で引き出せ――」

 

「はいメルドさん、落ち着いて。“静心”」

 

 とりあえず恵里はメルドに威力調整なしの“静心”を叩き込んで精神をフラットにしつつ、カードを提示してきた相手を静かに見つめていた。実際メルドの言う通り、本物の情報を手に入れるんだったら今から“縛魂”を使えばいいだけの話だ。実際後で使おうと恵里も考えてはいる。だが、相手の方からいきなりこれらの交渉材料を晒してきたことにどこか引っかかるものを感じたのである。

 

「ふーん。そんな重要な情報、簡単にさらしていいんだ……そんなにあっちの国が信用なくなった?」

 

「…………………………」

 

 そうカマをかけた途端、向こうは黙り込んだ。ビンゴである。大方、向こうの方で洗脳されていたことへのショックだろうと見当をつけていたが、やはりかと恵里は考えた。既に洗脳は自分の解ける範囲では解いているし、ここから再度洗脳をかけてもいい。ならいけると恵里が声をかけようとした時、すぐにハジメと鈴の方から“念話”が飛び込んできた。

 

“待って、恵里。いくらなんでも都合が良すぎるよ”

 

“……あんまり考えたくないけど、もしかするとこうして僕達が洗脳を解除すること前提で送られた人かもしれない。根っこから染まってる可能性もあるから慎重に、ね?”

 

“……ありがとう、二人とも。おかげでいい具合に頭が冷えたよ”

 

 意見してくれた二人に礼を述べつつ、少し頭が冷えた恵里はメルド達を手で制しながら男に再度質問する。

 

「そう。じゃあその沈黙が答え、ってことでいいね? やっぱり洗脳されてたのが気に食わないんだ?」

 

「……その、通りだ」

 

 そう苦々しげに語る男を見てハジメと鈴も思わずキョトンとしてしまう。彼の表情からして本気でそう思っている節が感じられたからだ。それはもちろん礼一と浩介も同じであり、唯一メルドだけはどういうことかと本気で困惑しているようであった。

 

「……私はかつて、同胞達が何に脅かされることもない、安心できる国にしたいと立ち上がった。その為に力を求めたはずだった。全ては同胞達のために、とこうして戦ってきた……だが、その考えが今の今まで塗りつぶされていたことに気付いてな。頭にかかっていたモヤを払ってもらって、ウラノスと再会して、ようやく思い出せたのだ」

 

 その語調からは本当にそうだとしか恵里は感じられなかった。嘘をつくのならばもう少し感情の波が立つか、或いは本心を隠すために抑えるかするというのを知っていたからだ。とはいえ自分のように騙すことに慣れていて、かつ上手であることも考えて“縛魂”を使うことを選択肢から外すことはせずに話に耳を傾ける。

 

「……先程お前は私に闇魔法、それも洗脳や魅了の類をかけようとしていたな? 構わんぞ。私とて信じてもらえるなどとは思っていない。ウラノスを返して私に協力するというのなら、その程度甘んじて受け入れよう」

 

 極め付きはわかった上でのこの反応であった。“縛魂”を使われることのリスクも受け入れてこう言ってくる。それなら嘘を吐いている可能性は極めて少ないと思い、恵里はハジメ達に視線を向けた。

 

「……貴方には悪いとは思うけど、“縛魂”は欲しいかな。いつ恵里や友達、メルドさんが襲われるかわかりませんから」

 

「私もハジメくんと同意見です。あなたのことは信用してもいいと思う。思う、けど……」

 

「俺も先生に賛成だな。嘘吐くだけなら誰だって出来る。ならそうならねぇようにしとくのは大事だろ?」

 

「恵里、ここは“縛魂”の使い時だと俺も思う。この人が裏切る可能性は俺の見たてでも低い。けれど“縛魂”をかけてる、ってだけで他の皆の安心感は段違いだ。だから頼む」

 

「やってくれ、恵里。俺もこの男を信用した訳ではないが、情報を安全に引き出すためにも必要だ」

 

 各々が意見を投じてくれたことで恵里も決意が更に深まり、魔人族の男の方を見やる。すると向こうも静かにそれを受け入れる覚悟がその顔から感じられた。

 

「そこまで皆が言うなら……覚悟はいい?」

 

「無論だ。さあやれ」

 

「じゃあお望み通り――“縛魂”」

 

 ……かくして魔人族の男、フリード・バグアーは恵里の“縛魂”を受け入れ、自分達に従い、自分達に嘘を吐かないことを刻み込まれた上で情報を提供した。氷雪洞窟の位置や試練の内容、そして魔人族の国ガーランドの戦力や統治する魔王ことアルヴヘイトのことすらも。

 

「……メルドさん。ここを出るのはちょっと待ってもらってからでいいですか? 今のうちにちょっと作っておきたいものがありまして」

 

「ああ。わかった。ただ、予備も含めて幾つか数を用意しておいてくれ」

 

 そしてフリードも空間魔法を取得したところでハジメが待ったをかけ、それに全員が応じる。

 

「……前に恵里が言ってました。鈴達の仲間のアレーティアさんがどこかでエヒトに奪われる、って」

 

「……にわかには信じがたいがな。だが確かに身体的特徴は合致している。そしてアルヴ様……じゃなかった。アルヴヘイトはエヒト様の眷属であると前に伺った記憶がある。とすれば――」

 

 鈴の言葉にフリードも苦い表情を浮かべながらそれに答える――何故なら、かの魔王とアレーティアの容姿がよく似ていたのだから。

 

 奇妙な一致に全員がどこか空恐ろしいものを感じながらも、ただハジメと恵里の二人が作業を終えるのを浩介達は待つだけであった……。

 

 

 

 

 

 おまけ ウラ……ブリッツとの感動の再会の一幕

 

「グルゥ……」(あられもない格好をしたフリードを心配する眼差し)

 

「ウラノス! 生きて……生きていたんだな!!」

 

(思いっきり顔を背けるブリッツ)

 

「……ウラノス? どうした? 何故俺から顔を背ける? 俺の恰好か? それとも……待て。まさか、まさか本当に……!」

 

「あぁ。()()()()、俺達の方を向け。顔を差し出せ」

 

「……グルゥ」

 

「う、ウラノス……? なあ、冗談だろう? わ、私のことは忘れたのか……?」

 

「……ごめんなさい。この子はさっき下に残った女の子、恵里の闇魔法の力で私達に従ってます」

 

「いや谷口、事実はちゃんと言ってやろうぜ。コイツ、食われたくないからって俺達に腹まで見せたから仕方なく置いてやったんだ、ってよ」

 

「ば、馬鹿を言うな!! わ、私のウラノスがそんなことをする訳が――」

 

「……グルゥ!」(寝っ転がって鈴達にお腹を見せる。クソ必死)

 

「ウラノスぅぅうぅうぅぅ!?」

 

「いやホントごめんなさい。勝手にとっちゃってすいません。後でハジメと一緒にどうにか恵里の奴を説得出来ないか相談するんで。あ、でも流石に拘束はさせてもらいます」

 

「ぐる? グルゥゥ……」(お願いだから『元』ご主人様を殺さないでと切なげに鳴くブリッツ)

 

「う、ウラノス……お、お前は私の相棒だよな……? 裏切りなどしてないよな?」

 

「グル――」

 

「さてブリッツ。昔の主人と俺達、どっちをとるか選べ」

 

「グルゥ♥」(フリードを死なせないため&まんざらでもないのでメルドに頬を摺り寄せ)

 

「ウラノスぅうううぅぅぅぅぅぅぅうぅぅぅうぅぅぅぅ!!!!!!!」

 

 結果、フリードの脳は無事に破壊されました♥




フリードはかけられていた洗脳を解かれた後、恵里達に下ったウラノスと再会し、かつての記憶を取り戻したことで目を覚ましました。

つまり、「NTRで脳を破壊されて目覚めた」ということです!!!(最悪)


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幕間三十 フューレンの『彼ら』の話

では最初に拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも135734、お気に入り件数も796件、感想も454件(2022/10/7 7:10現在)となりました。誠にありがとうございます。いやーNTR効果ってすごい(最低)

そして白狐月さん、Aitoyukiさん、拙作を評価及び再評価していただき本当に感謝です。こうしてまた高いモチベーションを維持することが出来るのはひとえに皆様のおかげです。ありがとうございます。

今回の話も少し長め(約13000字)となりますのでご注意を。それでは本編をどうぞ。


(全く、若旦那様にも困ったものだ)

 

 ミン男爵家に仕える老齢の執事、イアン・セバストは大旦那からあてがわれた私室での執務中に心の中でため息を吐く。朝に護衛を連れてやや不機嫌で家を出た後、帰りはそのお供もなしに戻って来たからだ。

 

 厳密に言えば家に戻った際は何人かのギルド職員と他の冒険者らしき男が供をしていたようだが、それでは意味が無いのだとイアンは眉をひそめた。

 

(しかしあのフェルディナンドがまるで役に立たないとは……彼の武勇は色々と聞いていたのだが)

 

 現在ミン家の当主を務めているプーム・ミン男爵の護衛は当然家の格に劣らぬような立派な人間をスカウトしている……と言いたいところだが、その実は微妙といったところだ。『“黒”に最も近い男』とよく称されていた人間、つまり上から四番目のランク“白”の冒険者を護衛として雇っていたことがその裏付けである。

 

 無論最高位の“金”やそれに準ずる“銀”の人間を引っ張ってこようとイアンは画策したこともあったものの、いずれもギルドの方から都合が悪いと言われて断られており、“黒”の方もここしばらくは立て込んでいたとのことでランク“白”を雇うしかなかったというのが現状である。

 

 とはいえ別に当主が外に出るのはギルドにわざわざ出向く必要がある時ぐらいでしかないため、格の違いにさえ目をつぶれば特に問題は無い。尤も、それが一番の問題なのだが。

 

 閑話休題。

 

 その当主のプーム・ミンは帰って早々妾を呼び出し、『だ、誰も部屋に入れるな! 他の者の顔などみ、見たくはない!!』と述べて自室に連れ込んで籠っている。上がっている悲鳴からして()()()()()に激しい様子なのを察し、しばらくは出てくるまいと考えたイアンは使用人を数名残して執務に励むべきかと判断したのである。

 

(ここ最近は若旦那様もフェルディナンドは気に入っていたはず。それがあの変わり様……となると、一体何者だ? あの男に気配すら追わせなかった者達は)

 

 ひとまず山場を乗り切り、少し余裕が出たことからイアンは自身が仕える当主から聞いた愚痴を思い返す。今こうして考えてもそれはあまりに不可解なことであった。

 

 ――それはいつものようにギルドへとプーム・ミンが不満を述べに向かった時のことである。数日前にギルドの方に依頼した魔物の素材とグランツ鉱石が未だ納品されてないことに対する苦情を述べに自ら出向いたのだ。

 

 ちなみに該当の魔物はオルクス大迷宮四十層近辺に生息する魔物であり、冒険者ランク“黒”辺りでもないとマトモに相手できないような強敵である。またグランツ鉱石に関しては三十層辺りに潜って採掘するか、他の鉱脈で長いこと採掘されるのを待つでもしなければ到底手に入るものではない。その上フューレンとオルクス大迷宮のあるホルアドはそれなりに距離が離れているため、ほんの数日そこらで依頼した品が来るはずなどないのだが。

 

 だがそんなことなど知ったことかとプーム・ミンは通された応接室で支部長相手にがなり立て、『ち、近々開かれる、き、貴族同士のパーティーに間に合わせろ! も、もし間に合わなかったら、お、お前はクビだ!!』と伝えたのだ。そうして()()を幾度も申し立ててからギルドを出ようとした時に件の人物と出会ったという。

 

(男どもの数はわからんが、女は二人と仰せになっていた……しかしランク“金”と“銀”はあちらの説明の限りではフューレン近辺にはいないと言っていたはず。それとその中にはああいった特徴の人間はいないとも。ならば一体誰だ?)

 

 ミン男爵が見かけたのは“女二人と男ども”とのことらしい。曰く、彼らはあまり傷の無い革の鎧を身に着けたみすぼらしい恰好だったらしく、適当に金をチラつかせてやれば自分の妾に喜んでなるだろうと述べていた。だが、わざわざ男爵が声をかけたというのにその者らは無視してどこかへと姿をくらましたらしい。

 

 まるでもやのように立ち消えた彼らを追うためにフェルディナンドにも声をかけたのだが、彼も探してみたところで見つけることは出来ず。それでプーム・ミンは怒り心頭となり、その苛立ちをギルドから離れた場所で思いっきり叩きつけたのだという。その後フェルディナンドにクビを言い渡し、そのままギルドに戻って職員に家に送るよう伝えたのだと顔を歪めながら述べていたのだ。

 

(それにしても愚かなことだ……若旦那様に気に入られることがどれだけ栄誉なことかもわからぬとは。それを考えればそのような頭の無い女どもにうつつを抜かさずに済んだのは僥倖かもしれませんな)

 

 なお自分の妾になるよう声をかけた際、合わせて()()()()()と破格の額を提示したというのにその女どもは無視したというのもイアンは聞いており、内心それを断った彼らを心底馬鹿にしていた。

 

 ミン男爵家はかつて国がフューレンを興した頃から続くパトロンの一つであり、今もそれなりの金を冒険者及び商人ギルドに納めているというのにそれにつばを吐くような真似をしたのだから。どこの片田舎から来たのかは不明だが無知とは恐ろしいものだ。そう思いつつもイアンは止まりかかってた手を動かして書類の山を片付けていく。

 

(……さて、問題は新たな護衛か。フェルディナンドのような力の足らない人間でなく、若旦那様に相応しい人間を選ばなければ。となれば最低でも“黒”か)

 

 そうして処理がいささか面倒な書類も粗方片付けた後、一番の懸念事項であった新たな護衛に誰を選ぶべきかをイアンは考える。

 

 理想は無論冒険者ランク“金”の人間だが、当然そのランクの人間であるにしても相応の品位が求められるべきだとイアンは考える。たとえランクが最高位であろうとも、“閃刃”のアベルのように女を侍らせ、その実力にも疑問が残るような人間を招くべきではない、と。

 

(だが、ギルドの恥知らずは“金”も“銀”も寄越しなどしないだろう……となれば“黒”しかないか)

 

 しかしイアンもまたギルドがこちらに最高クラスの冒険者を寄越す気が無いことも理解していた。ただ、それが自分達の傍若無人から来るものであるということをわかっていないだけで。それに気づかぬままイアンはギルドから貰った高ランク冒険者の名簿に目を通していく。ふとそこで気になる名前を彼は見つけた。

 

(……ふむ。卑しさを感じぬわけではないが、この男なら払った報酬分の働きはするか)

 

 該当する人物に関する情報を纏めた資料に改めて目を通し、人格面での問題に少し眉をひそめながらも実力的には申し分ないと判断したイアンは、側で仕えていた使用人に声をかける。

 

「ハーヴェイ、ここに」

 

「はっ」

 

「今からギルドに向かい、“暴風”のレガニドを新たに若旦那様の護衛に雇うよう伝えなさい」

 

「了解しました」

 

 お遣いを頼み込めば精悍な顔立ちでハーヴェイはそれを了承し、すぐに部屋を後にしていく。まだ年若くも精力的に仕事をこなすこの使用人をイアンは気に入っており、今回も彼に頼ることに決めたのである。

 

(さて、期待させてもらうとしよう。“金好き”のレガニド。貴様が欲しがる金はいくらでも用意してやる)

 

 心の中で軽く侮蔑しながらもイアンは再度作業に取り掛かる。不満が無いとはいえこうして取り決めた以上、それにかかずらっている必要はない。時間は有限なのだと切り替えて溜まっていた書類に手を伸ばしていくのであった。

 

 

 

 

 

「――そうか。報告ご苦労。下がってくれ」

 

「了解しました」

 

 冒険者ギルドフューレン支部の執務室にて、支部長であるイルワ・チャングは秘書の一人から報告を受けるとそのまま彼女を下がらせる。そして彼女が部屋を出てから一拍を置いて深く、大きくため息を吐いた。

 

(ミン男爵の横暴にはいつも困らされていたが、今回は特に酷いな……)

 

 その理由は先程帰られたミン男爵の言いがかりだ。報酬として提示した額が諸々の費用を合わせてもやや割に合わない点もそうだが、何よりかかる時間というものをいつも考慮しないで急かしてくるのには毎回ため息を吐きたくなる。

 

(私達に支援金を出しているから当然? 冗談としても笑えないよ。そちらの家以上によくしてくれる方は幾らでもいるというのだ)

 

 彼の家がパトロンとして冒険者ギルドや商人ギルドに支援しているのは事実ではあるが、それは他の貴族と比べれば微々たるものだ。金払いも人当たりの良さも大違いである。尤も、その分したたかな人間ばかりではあるが、それならそれでやりようがある。そうイルワは考えていた。

 

()()()()()も流れていることだし、ここらで付き合い方を考えるべきかもしれないな)

 

 そんなイルワの脳裏に浮かぶのはかの家の嫡男が裏組織と関わりがあるという情報であった。しかし他に黒い噂が立っている貴族と同様、決定的な証拠を見つけてない以上はしょっぴく理由も見あたらなかったが。とはいえもう少し強気に出てもいいかもしれないと思いつつ、イルワは秘書から渡された報告書の一枚に目を通す。

 

(だが、利用できるものは利用すべきか。こうして依頼を出してくれたのだからね)

 

 それはある女性二人の捜索願いに関するものである。散々文句を言ってきた日に職員を半ば脅迫する形で依頼してきたものだ。それは奇しくも自分達……否、自分が探している相手でもあったのだ。

 

(まさかあちらも“反逆者”を探してるとは思わないだろうね。そんなことがバレたら一大事だ)

 

 机の引き出しから一枚の書面を取り出してイルワはため息を吐く。それは昨日教会から送られてきた書面の一つであり、反逆者と称された者達の名前の一覧が書かれた名簿であった。他にも反逆者討つべしといった旨の檄文や反逆者の特徴について記載された書類も送付されてきている。

 

 教会の方から人相描きが出回るのも時間の問題だとは思いながらも、イルワは名簿を元の場所に戻し、檄文の書かれたものに一度視線をやるとそのまま引き出しを閉じた。

 

(送られた書類を見た限りではとんだ問題児ばかりだったらしいけれど、よくもまぁこんな文を書けたものだね)

 

 そして冷笑しながらイルワはその檄文の一部を思い返していた。

 

 ――勇者である永山様がたと反逆者どもは不和を度々起こし、オルクス大迷宮での実戦訓練にてその本性を露わにした。奴らは裏で魔人族に与するべく動いており、卑劣にもオルクス大迷宮にて()()()()()()()()()()罠を発動させ、永山様を葬ろうとしたのである。

 

(本当に馬鹿馬鹿しい。信心深い人間や何も知らない大衆相手なら騙しきれるだろうけれど、ギルド長相手にこれが通じると思ったら大間違いだよ)

 

 他にも『忌々しい裏切り者どもが姦計をかけるも、勇者様がたはそれを退け、無事にオルクス大迷宮より帰還された』だの、『反逆者どもは死を偽装するべく奈落の底へと落ち、合流した魔人族の手によって魔物へと成り下がった』といったものもあったが、見るに堪えないものばかり。

 

 そんなものがつらつらと書き述べられていたのを見て、眉間にしわを何度も寄せたのも思い出して今一度イルワはため息を吐く。よくもまぁこれで自分達も丸め込もうとしたものだと心底侮蔑していた。

 

 これはいうなればエヒト様に対する侮蔑にとられると仕方のないものだ。つまり自分達の信仰する神は邪悪な存在、或いは不完全な存在を招いてしまったと抜かしているようなものなのだから。完全なる存在であるとして信仰される神にケチをつけたと吹聴していることすら気づいていないとしかイルワには思えなかった。

 

(それに伝手もないのにどうやって魔人族と合流する気だ? 適当に歩いていたら合流できた、なんて支離滅裂もいいところだろう。全く。ま、実際のところは上手く手綱を握れなかったということだろうね……先生の手ほどきが無かったらどうなっていたか。寒気がするよ)

 

 彼だけでなく他のギルド長の多くも師事を受けたとある人物を思い、彼女のおかげでヘマを打たずに済んだことを感謝しつつもイルワは三つの書類に目を通していく。ミン男爵家からの依頼に関するものと昨日ギルドで換金だけして姿をくらませた四人組の特徴、そして反逆者に関する特徴が書かれたものだ。

 

(依頼書では確か赤髪の少女二人。特徴は……やはり間違いない。ここまで類似しているならきっと同一人物だろう)

 

 ギルドの職員から上がった報告では『四人とも赤い髪をしており、この近辺では見ない魔物の革を使った防具を身に着けていた冒険者然とした四人』であると書かれている。後は三人は胸当てを装備していたが一人だけ革の鎧を身に着けていたとかだったり、立ち振る舞いからして冒険者ランク上位のそれと似たような雰囲気を放っていたなどといったものもある。

 

 これはミン男爵家からの依頼書にもこれと類似した記述があるし、教会から送られてきたものにも身体的特徴はもちろん『勇者様には負けたものの、反逆者は相応に腕が立った』と八割がたプロパガンダ目的の文が書かれている。ならば間違いないとイルワは判断した。

 

(流石、『元』がつくとはいえど神の使徒。腕の立つ冒険者を撒くのも出来て当然か。けれど少々お粗末だったようだね)

 

 そして四人組の特徴について書かれた書類のある一文に目を通す――彼らを捜索していた際、街のはずれで奇妙なものを見つけたという記述だ。

 

 ミン男爵をなだめる意味合いも含めてすぐに指示を飛ばして人員を手配してはいたが、それでも彼らを見つけることは叶わなかった。だが手がかりを一つでも見つけるためにも引き続き指示を出し、その結果見つけたのが穴()()()と思しき何かである。

 

 だった、というのは少し地面が不自然に下がっている箇所があるにもかかわらず、そこがあまりに奇麗に固められていたからだ。それも大の男がシャベルを使わなければ掘り返せないぐらいには。

 

(確かに地固めは行われているが、周辺の地面はあそこまで固くはなっていない。とすればあの不自然な痕跡は調書の通り……でも斜め上の結論が飛んでくるとは思わなかった)

 

 報告を受けた後、土属性の魔法のエキスパートである冒険者に相応の報酬を約束した上で声がけをし、実況見分をしてもらえば案の定。それは誰かの手によって掘られた穴であることはわかった。

 

 しかし彼らの見解ではここまで綺麗に穴を埋めるのは不可能であり、更に報酬を上乗せして土属性の魔法を実演してもらった結果、彼らの言い分が真であることがわかってしまう。こんな綺麗にならす真似は絶対に不可能だという結論を下したのだ。これにはイルワも頭を抱えるしかなかった。

 

(よくわからない方法での埋め立てなんて、それこそ神の使徒でもなければ不可能だろうね。きっと誰も知らないような特別な、あるいは伝説上の技能の類かもしれない。間違いないだろう)

 

……なお、これが“錬成”によるものだという真実には結局イルワも協力してくれた冒険者の誰も思いつかなかった。

 

(職員から聞いた話だと、ミン男爵から声をかけられた直後には幻か何かのようにすぐにいなくなってしまったらしいが……彼らの推測の通り事を荒立てないためだろうね。本当に魔人族に与するのであれば換金しにわざわざ来なくても気配を殺しながらつぶさに観察すればいいだけでしかない。それを踏まえれば教会の言い分は確実に違う)

 

 そして一連の行動からイルワは彼らの正しい姿を導き出す――彼らは『勇者』永山ら神の使徒及び教会とそりが合わず、何らかのトラブルが原因で彼らの元を離れたのだ、と。そう考えればしっくりきたのだ。

 

(……ただ、あの怪文の中にあった永山様達が彼らを、そしてベヒモスすらも退けたという記載も疑った方がいいな。本当にあの伝説の魔物と出くわして倒せる程の実力が()()神の使徒にあるというのなら、今頃オルクス大迷宮の更なる攻略に関する情報を教会は開示しているはずだ)

 

 ふとイルワは伝手で入手した神の使徒一行に関するうわさについても思い出す。

 

 現在、彼らは自分達にお供する騎士団の実力を上げるべく、あの伝説の魔物であるベヒモスのいた階層以降を潜るのではなく、もっと浅い階層を少しずつ潜りながら進んでいるのだとか。聞いた当初は魔人族との戦争に少しは変化がみられるかと考えていたが、今となってはそれが醜聞を隠すための情報操作であるとしか考えられない。何せ魔物を倒し続けたからといって神の使徒はともかく、自分達人間族は劇的に強くなるという訳でもないからだ。

 

(証拠が神の使徒と神殿騎士の証言しかない以上、ベヒモスと出くわしたというのは誇張かもね。実際に転移の罠があってその一画が封鎖されてる以上、本当にどこか強い魔物のいる階層へ飛ばされたんだろうけれど。それで彼らが無事であるとするなら……やはり神の使徒と神殿騎士を打ち破ってオルクス大迷宮から脱出した、というのが真実なんだろうな)

 

 こうして反逆者として指名手配されたのも国の包囲網を突破したからなのだろうし、反逆者として認定するのがやけに遅いのも十分な戦力の立て直しに時間がかかったからだろうとイルワは結論づける。斜め上の真実に彼が気づくことは無かった。

 

(こうして国を敵に回したはずなのに、彼らは今回事を荒立てるような真似はしなかった……それを考えればまだ間に合うかもしれない。どうにかして彼らを見つけて交渉しなければ)

 

 イルワは更に考える。今回ギルドに訪れたのも換金する以上の意味はおそらく無かったのだろうということだ。世界を敵に回して無事で済むとは到底思えないものの、それでも神の使徒に匹敵する実力を持った人間を放置する理由にはならない。魔人族と組むのはもっての外だし、そうでなくともここフューレンを根城にする裏組織と繋がりを持った日には恐ろしいことになる。

 

(今でも足取りを追うことは出来てないし、仮に彼らが用心棒的な立ち位置程度で収まってくれたとしても“金”の冒険者をかき集めて勝てるかどうか……神の使徒は魔人族への対処に駆り出されるだろうからここに派遣してもらうことは諦めた方がいい。なら、すぐにでもパイプを作らなければ)

 

 彼らの気配を消す力があれば人さらいなんて簡単に行えるだろうし、たとえ暴力装置程度の扱いだったとしても彼らの実力は未知数だ。腐っても神の使徒であったことを考えればランク“金”の冒険者をあてがっても辛勝出来たら御の字だろうとイルワは頭の中で算盤を弾く。とすればもう秘密裏に保護してこちらで飼いならすしかない。そうイルワは結論付けた。

 

(とすれば気配を捉える技能を持っている冒険者がいればいいが……こういうところで技能の隠蔽を許しているのが仇になるなんてね。そうなると各地のギルドとの連携を密に――)

 

 そうして色々と頭を悩ませていると、不意に窓をコンコンと叩く音がイルワの耳に届く。そこを見やれば足元に紙をくくりつけられた鳩がこちらを見ていた。

 

(あの鳩……まさか!)

 

 急ぎイルワは窓を開け、部屋に鳩を迎え入れると、すぐに足にくくりつけられていた紐を解いて紙を開く。

 

「……はは、流石先生だ。既に接触済みだなんてね」

 

 そして驚愕し、思わず天を仰いだ。そこに書いてあったのは師であるキャサリンが既に反逆者に接触していた旨と彼らの身に起きた事、そしてもし叶うならば彼らに協力してほしいということが書かれていたのである。

 

(それなら話は早い。教会が動くよりも早く、彼らを保護しなければ!)

 

 キャサリンがいざという時の連絡手段として自分達にこっそり教えてくれた伝書鳩を外に出してやり、すぐにイルワはその少年達と接触するために策を巡らせる。教会から情報が出るよりも早く、彼らの足取りを掴み、いち早く接触するために。

 

 各冒険者ギルドのギルド長と個人だけで面談出来る日を確保するための先方のスケジュールの確認とそれに合わせたこちらの調整を行い、他にも信用のおける職員の名前をリストアップし、彼らに『ランク問わず信頼出来る冒険者に対し、反逆者の特徴に合致する人物を見かけたかどうかを定期的に極秘裏に聞きこむ』よう秘書長のドットにリストを渡して命じていく。

 

 その翌日、教会の方から反逆者の人相書きが掲示され、同時に集会を行って反逆者の所業もその場で語った。そして反逆者の身の毛もよだつ行いを聞かせた後、自分達神殿騎士が全身全霊を以て撃退すると宣誓する。

 

 あちらに先手を打たれてしまったものの、それでもなおイルワは奔走していく。それが実を結ぶかは――まだ、定かではない。

 

 

 

 

 

「……なぁ優花、いつまでくっついてんだよ」

 

「いいじゃない別に……昨日は奈々と一緒だったんでしょ」

 

「いやそうだけどよ……別に、一緒にいたぐらいだぞ? 他に何も無ぇって」

 

「……幸利っち、そういう言い方は無いと思うけど」

 

「いやそう言われても……あー、二人ともそんな顔しないでくれって……妙子ー、光輝ー、雫ー、頼むから助けてくれー」

 

 ()()()()()()()()をキャンピングカーが音もなく整地しながら進んでいく。当初はカーゴと車両それぞれ別に造って運用する予定ではあったが、利便性から結局一体型となった車の中で幸利のなんとも情けない声がむなしく響く。

 

「え、えっとぉ~……優花も奈々も、やめてあげたら~?」

 

 それを聞いていた運転席の光輝と助手席の雫は大きくため息を吐き、妙子も女子二人にサンドイッチされてる幸利を見て軽く引きつった笑みを浮かべながら止めに入っていた。

 

“……香織のことを笑えないわね、二人とも”

 

 自分の気持ちに気付く前の香織みたいな、しかしそれとはちょっとベクトルの違った面倒くささを発揮している二人を見て思わず雫も呆れるしかなく。とはいえ全力で振り回すあちらとは違い、構ってほしいと少し甘える様子なものだから雫はどこかほほえましく感じていた。

 

“そう思うのはすごくわかるけれど、やめといてあげよう雫……とはいえ、優花も奈々も早く自分の気持ちに気付いてほしいところだけれどね”

 

 一方光輝も雫と“念話”をしながら思わず苦笑していたが、同時に別のことも彼の脳裏に思い浮かんでいた。それは前にオルクス大迷宮の解放者の住処で過ごしていた時の話だ。

 

 そこで過ごし始めてひと月に差し掛かった頃、優花と奈々が事あるごとに幸利を見るものだからそれを大介ら四馬鹿が『幸利のことが好きなんだろ?』といった旨でからかったせいが原因で起きた事件である。

 

 大介はからかい七割祝福三割といった思いで、他三人は悟りを開いていたせいかイタズラ目的が十割で煽った際、奈々()顔を真っ赤にして縮こまるだけだった。これだけだったらまだ彼女の機嫌が悪くなっただけで済んだ。問題は優花である。奈々と同様顔を真っ赤にしたのだが、こちらは奇声を上げながら四人を全力で追い回したのである。なおその際ナイフも投げまくったが、照れやら何やらで頭がぐちゃぐちゃだったのか誰にも当たらなかった。

 

 しかも事はそれだけに終わらなかった。このことを心底根に持ったのか、『あの馬鹿達/檜山君達にしばらくの間絶対に飯/ご飯を出さないで』とその日料理を担当していた恵里達にまで圧をかけてきたのである。それも二人そろってだ。結果、馬鹿四人は即座に土下座をし、『これは大事になりそうだ』と直感したハジメと浩介も間を取り持ち、そして幸利も二人に機嫌を直すよう説得にかかった。

 

 幸利が入ったことが功を奏したのか、へそを曲げた二人は半日程度で許しはした。尤も、そこから余計に幸利も二人もお互いの距離感をどうするかで悩むことになり、それを見た浩介もいつものように枕を涙で濡らしていた……ただ、大介達の場合はこれで終わりではなかったのだ。

 

 半日機嫌を損ねたせいで四人は食事に一度だけありつけなくなり、仕方がないから自分達で作ろうかと諦めてた際、彼らのやったことに呆れつつも同情した様子のアレーティアが提案したのだ。『大介の女として私が頑張って作ります』と。それを聞いた四人のテンションは青天井になり、アレーティアも珍しくテンションを高くして料理に臨んだ……誰にもバレないよう別の階層でこっそり調理した結果、アレンジ料理という名の名伏しがたい何かが誕生し、それに顔を引きつらせつつも食べた四人が悶絶したのである。

 

 三人はその場で吐き出し、大介は気合で食べきったものの一日近く寝込んでしまう。そして当事者のアレーティアは『もう、もうご飯なんて作らない……』とボロボロと涙を流しながら大介にすがりつくばかりだった。その後大いに反省した四人は改めて優花達厨房に立つ人間に敬意を示すと共に本気で詫び、さめざめと泣くアレーティアを見て気の毒に思った優花は恵里や香織らを巻き込んで彼女にちゃんと料理の仕方を仕込み出したのである。

 

 閑話休題。

 

 そんなことがあったのを思い浮かべながらも光輝は器用にキャンピングカーを運転し、道なき道をスイスイと進んでいく。一方、幸利達の方は相変わらずであった。

 

「大体なぁ……俺が奈々と一緒にフューレンに行くことになったのはじゃんけんで勝ったからだろ? あの時から不服だったのは知ってるけどよ、今更蒸し返すなって」

 

「そうだけど……それはそれ、これはこれよ! ユキ……アンタ、ナナと一緒に手でも繋いで鼻の下伸ばしてたんでしょ? そうなんでしょ!?」

 

 また機嫌を悪くした優花に言いがかりをつけられていたが、話題は昨日のフューレンのことに変わっていた。そこで何かを迷った様子の奈々が上目遣いで優花に何かを言おうとする。

 

「え、えっと、その、ね……実は……」

 

「別にんなこと無ぇぞ。一緒に歩いてたのは違いないし、近くには光輝と雫だっていたんだ。それと……奈々の方が何か言い淀んでた気はしたけど、その……奈々の気を悪くしたら不味いと思って何もしなかったし、何もなかったぞ。これは本当だからな」

 

「……幸利ぃ」

 

 だがそれを容赦なく幸利が割り込んで本当のことをバラした。結果、奈々はまるで罰が当たって反省したかのようながっかりしたかのような顔になり、それを見た優花も少しホッしたような友達をコケにされたような心地になって逆ギレし出したのである。

 

「ユキ、アンタなにナナに恥をかかせてんのよ!!」

 

「これ俺が悪ぃのか!? いやお前、奈々と手を繋いでたら繋いでたで絶対キレてただろ!?」

 

「も、もぉ~優花ぁ~。やめようよぉ~。それじゃあ幸利が困るだけだよぉ~」

 

「ハァ!? だ、誰が困るのよ!?……そ、そんなこと、無い、でしょ? そうよね、ユキ?」

 

「え、えっと、えっと……ど、どうすればいいの?」

 

 理不尽な怒りを爆発させて幸利を大いにうろたえさせ、二人の心の内をわかっている妙子の言葉で焦り出す優花。一方、奈々もどうしようどうしようとうろたえるばかりで、こみあげてくる感情を処理しきれずにぐすぐすと泣いてしまう始末。

 

「もう……優花も奈々も落ち着いて。幸利君も困惑してるだけよ。それと、あんまり振り回し過ぎたら彼だってどうすればいいかわかんなくなるわ」

 

「え、えぇっ!? ど、どうすればいいのよシズ!?」

 

「し、雫っち! そんな、じゃあ私どうしたらいいの!?」

 

 一層場が混とんとしてきた中、一度落ち着かせる必要があるかと助手席から乗り出した雫が二人を諫めにやって来た。すると雫の言葉に大きく反応した優花と奈々は大いにうろたえ、幸利から離れて彼女にすがりつく。そんな二人の顔をしょうがないなぁと言わんばかりに見つめながら、あやすように雫は言葉をかける。

 

「二人が幸利君を振り回さなければ大丈夫よ。まずは深呼吸。ね?」

 

「ふ、振り回してなんて……わ、わかったわよ」

 

「わ、私はその……うん、わかった」

 

 雫の言葉に従って深呼吸をしばしする二人。その後幾らか落ち着けたのか自己嫌悪に苛まれた様子となり、そんな二人に『大丈夫、大丈夫よ』と雫は声をかけて抱きしめていた。

 

「ありがとぉ~雫ぅ~。私だけじゃどうにもならなかったよぉ~」

 

「妙子もお疲れ様。でも、言いたいことがあるならちゃんと言わないと駄目よ? 私達、そうやってきた仲じゃない」

 

「そうだねぇ~。今度からちゃんと言うようにするよぉ~」

 

 事態が収束を見せたことにホッとした妙子にも雫は声をかけた。お互い付き合いが長くてもちゃんと言わないと駄目だと指摘すれば、妙子もそれに納得した様子を見せて改めて二人にそういうのは良くないと指摘していく。

 

“なぁ光輝。アレーティアさんの風呂の件もそうだけどよ、雫の奴、なんかママっていうか母親みたいなことやってねーか?”

 

“それは否定しきれないけど俺は怒るぞ? 勝手に俺の恋人をママ扱いしないでくれ。雫は頼られるよりも甘える方が好きなんだぞ”

 

 なお場外の男二人はしょうもないことをこっそり話し合っていたが。幸利の言葉に軽くイラッとしつつも光輝はそれを否定しきれなかったものの、ちゃんと反論はした。なお返ってきたのが斜め上の言葉だったことに幸利は思わず天を仰いだ。違う、そうじゃないと。

 

「――皆、見えたぞ!」

 

 そうしてやいのやいのと騒いでいた光輝達一向であったが、ふと運転手である彼の言葉を端に全員が運転席へと続く通路へと向かい、フロントガラスの方に視線が行く。するとそこには色とりどりの自然が広がり、静かにたたえられた大きな湖畔が見えたのである。

 

「すごい……」

 

「ここが……ここが、ウルの街なんだ」

 

「……異世界に来てここまで感動したのなんて初めてかも」

 

「ふぇ~……」

 

「アイツらも目先の餌につられてなきゃ、この絶景が拝めただろうになぁ」

 

「あぁ……本当にすごいな。龍太郎達には悪く……まぁいいか、うん。でも皆も後で連れてこないとな」

 

 キャンピングカーを適当な場所に停め、前方に広がる景色にしばし圧倒される一同。彼らがこうしてライセン大迷宮の探索をするのではなく、ウルの街へと向かっていたのは立派な浅い理由があった。無論幸利が述べたように龍太郎達がこっそり買い食いをしたことへの制裁である。

 

 やらかした六人は泣き叫んだり何度も何度も土下座をしながら許しを請うたものの、当然他の皆は怒り心頭。礼一が『とりあえずコイツらライセン大迷宮の捜索に行かせようぜ』と提案したため、すぐさまキレていた全員がそれに賛成。めでたく龍太郎の班全員がライセン大峡谷行きが決定したのである。

 

 その後悲鳴を上げたり意気消沈している裏切り者を除いてどちらの班がウルの街へ向かうかを話し合い、ハジメの方から『勘が鈍らない内に暖房の強化もしてみたいし、ちゃんと任されたことを全うしたい』と述べてくれたことから米の購入を任されることになったのである。

 

「なぁ皆。そこだとちょっと狭いし、外に出てみないか?……実は俺もさっきからそうしたくてうずうずしてる」

 

 そこで光輝から提案されると途端に全員首がとれてしまいそうなぐらいにうなずき、仲良く外へ出ることに。そしてフロントガラスで区切られることなく広がる自然に改めて六人全員が言葉を失った。

 

 雄大な自然が視界いっぱいに広がり、澄んだ空気を直に感じ、時折吹く風の音やそれで揺れる枝葉の音さえも微かに聞こえる。オルクス大迷宮で疑似的に再現されていた階層があったとはいえ、生の自然を長らく体験してなかった彼らにとってはあまりにも強い衝撃であった。

 

「……すごいな」

 

「そうね……」

 

 言葉少なに語る一同は、本当にすごいものを見た時は何も言葉なんていらないということを実感していた。地球とはまた違った自然を目にして進むことも忘れて呆けるだけで、それを咎める気は誰も起きない。少し日が傾いた頃になってようやく彼らは自分達の目的を思い出したのである。

 

「……ウルの街、どんなところかしらね」

 

「きっと俺達の予想を超えるよ、優花。だって遠くから軽く眺めただけで結構時間が経ってたしね」

 

 かくして景色を話のネタにしながら光輝達は進む。その先の意外な出会いを知る由もなく、キャンピングカーは道なき道を軽快に走っていくのであった。




しばらくは幕間ラッシュとなります。具体的には4話前後ぐらい。
……しっかり地固めしとけば、後に繋がりますからね(ニッコリ)


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幕間三十一 子供達は『英雄』へ至る道を進む(前編)

今回も拙作に目を通して下さる方に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAは137249、しおりも363件、お気に入り件数も801件、感想数も460件(2022/10/16 10:45現在)となりました。ありがとうございます。
もう100話まで秒読みの段階まで来ましたが、それもこうして皆様が支えて下さるおかげです。改めまして感謝を申し上げます。

そしてAitoyukiさん、拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。こうしてまた筆を執る力をもらいました。ありがとうございます。

それと今回の話を書いてたらまた15000字余裕でオーバーしそうなんで分割しました(白目)
という訳で今回の話は短め(8000字程度)となっております。それに注意して本編をどうぞ。


「――神の使徒様はまだ六十一階層で苦戦されているそうだ」

 

「此度でもう五度目……まだ十全な状態で突破出来ぬというのか」

 

「我等が最善を尽くして支援されているというのに……貴公ら騎士団の怠慢ではないのか?」

 

「我等を愚弄するか! 騎士団の中の選りすぐりを使徒様がたの許で戦わせているのだ! 言いがかりはよしていただこうか!!」

 

 ハイリヒ王国の王宮にある会議の間にて、各部門の大臣やイシュタルら聖教教会の上層部らは顔を突き合わせて互いに憂鬱な表情を浮かべている。それは議題ともなっている神の使徒の現況が原因であった。

 

 裏切者である中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴の三名が天之河光輝らを引き連れてオルクス大迷宮の深部へと潜っていった後、()()()神の使徒である永山らは再編成されたオルクス大迷宮攻略部隊と共に改めてオルクス大迷宮での訓練を続けていた。

 

 当初は神の使徒たる永山らのステータスの高さ、騎士団及び神殿騎士らの中で特に優秀な人間を三十余名を連れて数の暴力で押し込んだこともあってか破竹の勢いで階層を進んでいった。しかしそれも二十六階層を超えるまでの話。

 

 そこから次第に攻略速度も鈍化し、四十階層を超えた辺りから全員の消耗が激しくなり、四十八階層で回復薬が底を尽きて一旦足を止める。そして二日かけて地上に戻っては再度攻略。そして三日かけて六十一階層まで進んだ際に持ち込んだ薬品がほぼ底を尽きる。そして三日かけて戻り、一から攻略にあたる。ここ最近はこの流れを繰り返しをしていたのだ。

 

「これもそれもダーククリーパーのせいだ!! あの魔物さえいなければ足止めを食らうこともないというのに!!」

 

 その名前が出た途端、会議の場にいた全員の顔が暗くなる。それもこれもこの魔物の持つ厄介な特徴のせいであった。

 

 ダーククリーパーとはウォンバットを二回りほど大きくしたような魔物だ。この魔物は土属性魔法を使ってそこかしこに穴をあける性質があり、また極端に足跡も小さい上に普段は巣穴に隠れている。そして獲物の足音を聞いた途端、そこかしこからあけた穴より襲撃するという性質から冒険者に忌み嫌われており、気が付いた時には背後から首を狙われるということも少なくない。だがこの魔物が嫌われるのはこの点だけでは無かった。

 

「倒せど倒せど数が減らぬ……なんとおぞましいことか」

 

 そう。この魔物の真に厄介な点はその数である。何せどこぞのGのように一匹襲って来たら三十匹はそこかしこの穴から出てくる直前だったというのがザラにあるのだ。天井、足元、壁の穴からいつそれらの大群が襲ってくるかわからず、しかももう一度この魔物がいる階層に戻って来た頃には既に前回と同じぐらいの数に戻っている。これが悪夢でないはずが無かった。

 

「だが、永山様がたは数をこなす毎に立ち回りが上手くなっているという報告が上がっている。だというのに貴様ら騎士団は相も変わらず……うだつの上がらない兵でもあてがっているのではないか?」

 

「何度我等を虚仮にする気だ!! 国境の防衛にあたっている腕の立つ者にも声をかけて引き抜いているのだ! 実力に関しては申し分なかろう!! 教会の皆様が“豊穣の女神”様のためにあてがった戦力の幾らかをこちらに回していただければ――」

 

 当然進んだ分部隊の練度と技量は上昇しており、特に結界魔法を使える人間はこの魔物相手に必死にバリアを張っているせいで相当張り方が上手くなっていた。しかし、先述した魔物のせいで例の階層から先は消耗が激しいことから進めなくなっているのは事実であり、それ故に誰もが苛立っている。遅々として進まない迷宮攻略の責をこうしてなすりつけ合うのは自明の理であった。

 

「皆の者、静粛に!」

 

 溜まっていくフラストレーションが爆発する前にエリヒド王は一喝して黙らせるも、教会と騎士団の間の険悪な空気は改善されず。このままでは神の使徒のオルクス大迷宮攻略に支障が出てしまうと誰もが危惧した矢先、ルルアリア王妃が挙手をした。

 

「申し訳ございません、皆様がた……現状オルクス大迷宮の攻略は厳しいご様子ですし、このままでは永山様らの威光が(かげ)ってしまうのも事実。でしたら領内の治安維持のために派遣されてはいかがでしょうか?」

 

 イシュタル教皇やエリヒド王と比べれば発言権は劣りはするものの、腐っても王妃である。ましてやこうして紛糾している状況を打破するために差し込まれたまっとうな意見を誰も無視することは出来なかった。

 

「……なるほど、領内へ永山様がたを派遣されると」

 

「確かに。オルクス大迷宮の攻略の知らせを巡らせても、ここ最近は“伝説”の冒険者と民衆からよく比較されるというのも耳に入っております。であれば新たな試みは必要でしょうな」

 

「流石はルルアリア王妃様であらせられる」

 

 教皇が実質的なトップであるとはいえ、飾りでしかない権力としても力は力だ。事実イシュタルの心を動かし、他の面々もそれを非難することなく受け入れている。ひとまず事態が落ち着き、騎士団と聖教教会との間に亀裂が走ることを食い止めることに成功したことにルルアリアは心の中で少しホッとしていた。

 

(このままでは重吾さんが、他の皆さんが……)

 

 ――この場で唯一、『神の使徒』と持ち上げられている少年達を案じているリリアーナに気付かないフリをして。

 

 未だ実質的な軟禁が続いていたリリアーナは目の前で繰り広げられている会議を何とも複雑な思いで見ていた。

 

 理解は出来る。だって彼らは自分達を救うためにこの世界に遣わされた偉大な存在なのだから。こうして永山達がオルクス大迷宮で訓練を続けているのは、単に彼らの腕を鍛えるためではない。攻略を続けることで彼らの腕を喧伝するためだ――かの“最強”と呼ばれた冒険者を神の使徒は超えたのである、と。

 

 かつて相対したベヒモスはその二つ名を持つ冒険者をして歯が立たない相手であった。だがもし、それを神の使徒が倒したとしたら? 少なくとも冒険者の間では彼らの存在が大いに称えられるであろう。そしてベヒモスは図体も大きい。防腐処理を施した上で首や爪などを持ち帰れば神の使徒の武勇に箔がつく。だからなおの事、国が総力を挙げて攻略に力を入れていたのだ。

 

 だがそれも既に陰りが見えてしまっている。幸い死亡した人員は今のところ誰一人いないが、それは天職が“治癒師”である辻や教会の人間が必死になって治療しているからであって、損害そのものが皆無という訳ではないのだ。度重なる戦闘による回復薬や食料に武具の消耗が激しく、しかもそれが神の使徒の護衛として選ばれた部隊の人間の方がひどいといった具合なのだから。

 

 仁村が群れの攻撃を受け止めて吉野が付与魔法による支援、永山や玉井らが肉薄し、野村と相川が魔法による援護を行っている。そして傷ついた人間を辻が癒す。そんな彼らをサポートするべく遊撃をしたり、集団で中級魔法を放つなどして敵を撃破するなどして貢献していたという旨を永山から聞いてはいる。そして彼らのステータスが低い分、傷を負い、魔力が尽きて薬品を服用する頻度が多いことも。

 

 それらを考えるとここが限界であったと言わざるを得ないし、彼らの威光に陰りを見せぬようルルアリアが新たな策を考えたというのも理解できる。それはいち王女としてリリアーナもわかったつもりでいた。

 

(私だって王女です。このままでは重吾さん達の立場だけでなく、この国そのものが傾きかねないことぐらいわかってます。けれど……)

 

 既にパレードを行って大々的に神の使徒の存在を喧伝している。それ故に彼らが目立った成果も出せずにいたらどうなるか。それは間違いなく落胆や失望に繋がってしまうだろう。彼らの存在を宣伝してしまったが故にその傷は深くなってしまう。そしてその失意がどこに向かうか――神の使徒への不信あるいは王家に向けられるとこの場にいる誰もが容易に想像出来た。

 

 六十一階層まで頑張って攻略しました、では駄目なのだ。もっと派手に、もっと目立つ成果を引っ張て来なければただの虚仮威(こけおど)しとなってしまうのだから。だからこそ()()()()()成果として母が『盗賊の討伐』を提案したのだということも理解出来た。

 

(神の使徒の皆さんは……皆さんだって私達と同じ()()なんですよ?……どうして、どうしてこんな……)

 

 ……だが、リリアーナは知ってしまった。彼らの人となりを。大した時間でなかったとはいえ、何度となく話をしたからこそ少なくとも光輝と永山がどういう人間かを彼女は知ってしまっていた。

 

 なんてことはない。嬉しいことがあれば笑顔を見せるし、不安なことがあれば思い悩む。立場上敬わなければならないだけで、それ以外は自分達と変わらないのだと理解してしまっていた。

 

 魔物(生き物)を初めて殺して怖かった。ベッドの上で雫と身を寄せ合って、怖さを共有しなきゃ眠れなかった。これから人を殺すかと思うと気が重いと光輝が語ってくれた。

 

 毎日訓練に明け暮れて、そして作法を身に着けるためのレッスンを繰り返していると自分が何をやっているのかがわからなくなると永山がこぼしたこともあった。メイドと話をしている時とリリィと一緒にいる時間だけが唯一安らげる、とどこか疲れたような表情で語ることも少なくなかった。

 

 あまり長く話し込んでいた訳ではないにせよ、こうして彼らと何度も会って話をしていた。華々しい活躍だけでなく苦労も聞いていた。だからこそ永山だけでなく他の神の使徒にも親近感も抱いていたし、話しか出来ないことを歯がゆく思っていた。ただ戦いに送り出すだけで何の力にもなれないことに苦しんでいた。

 

(……もし、もし彼らが人を殺してしまって、そのせいで皆さんが壊れてしまっても、お父様は、お母様は、ここにいる皆様は何も、何も思わないの……?)

 

 故に、この場にいる人達が勝手に彼らの命運を決めてしまうことが怖くて仕方が無かった。怒りを覚えない訳ではない。けれどもその怒りのままに動いたところで彼らに何か出来る訳でもない。聡明なリリアーナだからこそ動けなかった。動く意味が無いことをわかっていた。

 

(私は、私は……)

 

 ただ力のない己が恨めしい。彼らを助ける力さえあれば、意見できる立場さえあれば、とうつむいて耐えるだけしか出来ない。そのことが何より辛かった。下手に動いたとしてもあのクゼリーのようになってしまうのが怖くて動けなかった。

 

「――であれば、デライオン盗賊団とやらが適当ですな。規模に関しても申し分ないでしょう」

 

「うむ。彼奴らも勇者様の覇業の礎となれるなら本望だろう」

 

(……どうして、私は無力なの?)

 

 心の中で浮かんだその疑問に誰も答えることは出来ず。彼女の心情など誰も汲むことなく会議は進み、対人戦の訓練を何度かこなしてから実際に盗賊の討伐を行わせることが取り決められる。そしてホルアド~フューレン間の街道でうろつく賊の噂が議題に上がり、その討伐に向かうことが決定されたのであった。

 

 

 

 

 

「……は? とう、ばつ?」

 

「えぇ。卑しい賊どもを皆様の手で滅ぼすのです、使徒様がた」

 

 そして先の会議で取り決められたことは練兵場にいた永山達にももちろん伝えられることとなった。休憩時間を利用し、彼らと付き合いが一番長いことから伝言を頼まれたクゼリーは微笑みを浮かべながらそう述べる。

 

「ね、ねぇクゼリーさん。そ、それって盗賊の人を殺せ、ってことだよね? 私達がしなきゃ、なんだよね……?」

 

 さも当然のように語る目の前の女性に対し、吉野は普段の軽い感じの口調も態度も消え、かなりうろたえた様子で問いかける。戦争に参加する旨は確かに伝えたし、覚悟はしたつもりだった。けれども()()()()なんて聞いてない、とばかりに問うてもクゼリーは心底不思議そうに首をかしげるだけであった。

 

「何を仰せになられるのです真央様? 奴らは既に人としてしてはならないことを幾度となく繰り返しているのです。ならば皆様が戦争で活躍するための糧とするのが世界のため、いえ道理なのは明らかだと思われますが」

 

 微笑みを崩すことなくさも当然とばかりに答える女に、質問した吉野だけでなく永山達は震える。

 

「せ、戦争のために俺達呼ばれたんだろ……?」

 

「そ、そうだよ。こ、ここまでやれなんて言われてねぇ――」

 

「何故ですか使徒様」

 

 玉井と仁村がそんなことは知らない、やりたくないとばかりに言い訳をしようとしたその時、クゼリーの顔から表情が抜け落ちた。それは周囲で彼らを見守っていた神殿騎士にまで伝播していき、神の使徒と称された少年達は短く悲鳴を漏らす。

 

「使徒様がたは我等人間族解放のために遣わされた方々のはずでしょう? なのに何故拒否されるのですか奴らは私達の生活を脅かす存在ですよ神の名の下に滅ぼすのが定めのはずでは? 魔人族との戦争の予行演習にもなるというのにどうして拒まれるのですかおかしいおかしいおかしい」

 

「ひぃっ!?」

 

 その悲鳴は誰のものか。まるで()を見るかのような冷たい眼光をそこかしこから浴びせられ、永山グループの誰もが怯えるしかなかった。

 

「国のために徴収した税を支払ってまで我等は援助したのです。何故ですか使徒様お答えください」

 

「我らの願いを無碍にするとでも仰るのですか何故ですどうしてですどういうことです答えて下さい答えろ答えろ答えろ」

 

「何故我らの頼みを無碍にされるのですか皆様――まさかあの裏切り者どものように我らを裏切る気か。答えろ。貴様らはエヒト様の遣いのはずだろう。もしや違うというのか。ならば今殺す絶対殺す確実に殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 

 誰もが身に着けた装備を手にし、今にも襲い掛かりそうに武器を構える。そこには普段彼らが向けてくる崇拝の念は無く、『神敵』を前にしたかの如くどこまでも冷たくおぞましいまでの敵意を露わにしていた。

 

「これはイシュタル教皇の御意志でもあるのですよ?――今すぐ答えろ。さもなくばここで殺す」

 

「わ、わかった!!」

 

 そしてクゼリーもまた腰に下げた鞘から剣を抜き、上段で構えるのを見ると同時に永山が声を上げる。

 

「し、従う!! お、俺達は神の使徒だから、参加する!! だから、だから武器を下ろし――」

 

 参加することを伝えなければ絶対に死ぬ。それを確信し、皆を守るためにすぐに命乞いをすると同時に彼等の瞳から敵意が抜け落ち、尋常じゃないまでの殺気も一瞬で霧散していく。そして能面のようになっていた彼らの表情に敬意や崇拝の念が瞬く間に戻っていき、すぐに自分達の前でクゼリーらは(ひざまず)いた

 

「そうですか……申し訳ありませんでした、使徒様がた。皆様がたを疑ってしまい、誠に申し訳ございません。どうか私めの命を以てその罪を贖い――」

 

「や、やらなくていい!! 今すぐ武器を下げてくれ!! クゼリーさん、ゲインさん達も!!!」

 

「そ、そうだ!! やらないでくれって!!」

 

「や、やめてください!! わ、私達が悪かったですから!! 反省してますから!! ねぇ!!!」

 

 今度は咎人の如く、許されない真似をした己を恥じるかのように自分の武器を首に添えるなり、互いに向き合って武器を向ける――互いに介錯せんと武器を振り上げた。それを永山は必死になって止めようと声をかけ、野村や辻など他の面々も何度となく声を張り上げる。

 

「……先程は誠に申し訳ありませんでした。使徒様がたからかけて下さった慈悲に応じるよう、今後も一層励む所存です」

 

「わかって、くれたらいい……ハァ、ハァ……」

 

 かれこれ十分ほど説得に時間を費やしたことで彼らも自害を止めた。しかし一層深まった崇拝の念を向けられ、息を荒げていた永山達は生返事をするしか出来なかった。そして訓練を終えた彼等はうつむきながら部屋へと戻っていく。

 

(本当に、これで良かったのかな……)

 

(私達、取り返しのつかないことをしたんじゃ……)

 

 吉野と辻は今更ながら自分達が間違ったことをしたのではないかと後悔していた。

 

 『この世界に連れて来た神様の言う通りにすれば帰れる』と信じて戦いに身を投じた。仲間の誰かが、もしくは自分達が魔法で殺した魔物を見て吐き気がこみ上げてくるのは今でも変わらない。けれどもこれから自分達は『人』まで殺す。それを自覚させられて体の震えが止まらなかった。

 

(あそこでうなずかなかったらどうなるかわかんなかったけど……けど!)

 

(何だよ、あれ……ひ、人殺しをしたくないって言っただけでなんであんな目を向けられなきゃならないんだよ……)

 

(怖ぇよ、怖ぇよぉ……人殺しなんてしたくねぇよぉ……)

 

 相川、仁村、玉井もまた戦々恐々としていた。

 

 日本にいた頃には戦争なんて自分達とはあまりに縁が遠い言葉であったし、自分達が関わることになるなんてこれっぽっちも思ってなかった。こうしてトータスに来る羽目になってもそれはゲームの延長、強いモンスターを倒してそれで終わりだなんて軽く考えていた。

 

 けれども自分達の手で殺した魔物の放つ血の臭いが、教え込まれた剝ぎ取りを繰り返す度に感じる血のぬるりとした感触や硬直した筋肉が、時折砕けていたりする骨の触感が、これがただの現実で、いくら自分達を襲ってくるといえど生き物の命を奪っていたことを実感させていた。それが今度は『人』に変わる。そう思うと背筋が凍ったような心地がして自然と過呼吸になってしまう。

 

(そう、だよな……俺達、戦争するために呼ばれたんだよな。人を、殺すんだもんな。今までの訓練でも、騎士の人達を何度も何度も……)

 

 野村は永山グループの中で数少ない人物――自分達は『人殺し』をやらされることを自覚していた人間であった。

 

 当初『戦争』と聞いた時はまさか、と思っていたものの、こうして何度も『対人戦』をこなしていれば嫌でもわかってしまう。自分達は本物の戦争をするのだ。自分の手で何人も人を殺すのだ、と。『神の使徒』だなんてどれだけ持ち上げられていようと自分達は軍人に、兵士でしかないということを理解していた。

 

 だけどそれを認めたくなんてなかった。だって怖いから。家に戻った時に家族にどう思われるかが、日本に戻った時に人殺しをした自分の居場所なんてあるかわからないから。だからオルクス大迷宮の攻略などで魔物を殺してる時に『自分が戦うのはこういう化け物なんだ』と思い込もうとしていた。それに冷や水をかけられて、目を覚まさせられた心地だった。

 

(……そうだ。戦争、なんだ……俺達は、人を殺すために呼ばれた。呼ばれて、きたんだ……)

 

 そしてリーダーである永山も自分達のやることの重さを理解し、覚悟していたはずの人間だった。けれども同時に皆に人を殺すことを強要するのが怖くて何も言わなかった人間でもあった。もし自分達がこれからやることを皆に伝えてしまえば彼らがどうなるかわからない、と自分に言い訳をして。そうしてずっと黙り込んでいた。それが最善だと信じて。

 

 魔物を殺すのだってようやく慣れてきたばかりで、戦争に参加するなんて、ましてや人を殺すなんてもっと先の話だと思っていた。けれども盗賊の討伐に自分達が駆り出されることを聞いて頭をガツンと殴られた心地になった。現実を見ろ、と。自分達はこれからその手をぬぐい切れない程の血で染めることになるんだ、と。

 

 怖い。やりたくない。けれども逃げられない。逃げる場所なんて、ない。

 

 とてつもない恐怖と後悔、そして先の見えない不安に苛まれながらもそれを打破する術を彼らは持ち合わせていない。ただ重い足取りのまま、これからやらなければならないことが頭の中で何度も何度もぐるぐると回った状態で部屋へと戻るしか出来なかった……。




後編は水曜辺りに投稿出来たらいいなー、って思ってます(出来るとは言ってない)

ちょっと皆様に質問をば。ヒーローショー、ってお好きですか?
ちなみに作者は大好きです。ええ。


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幕間三十二 子供達は『英雄』へ至る道を進む(後編)

ではまずは拙作をみて下さる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも138070、しおりも364件、お気に入り件数も804件、感想数も465件(2022/10/18 23:55現在)となりました。本当にありがとうございます。いやーお気に入り件数がここ最近ちょくちょく増えてくれて嬉しいです。ありがとうございます。

それとAitoyukiさん、拙作を再評価していただき本当に感謝いたします。こうして何度も何度も評価してくれると本当に嬉しくて仕方ないです。ありがたやありがたや。

では永山達の話の後編となります。ではヒーローショーの続きをどうぞ。


「お帰りなさいませ、重吾様」

 

 そうして沈んだ気持ちのまま部屋に戻った永山を出迎えてくれたのは彼専属のメイドであるシーナであった。夕日に照らされるブロンドの髪と白磁のような肌を見て、いつものように一瞬だけ見とれた永山だが、すぐに気分はまた沈んでしまう。すると何かに気付いた彼女の方から声をかけて来た。

 

「不躾を承知でお尋ねします。重吾様、何かあったのですか?」

 

 いつもなら笑みを絶やさない彼女であったが、今回は心配そうにこちらをただ見つめている。それだけで永山はいつの間にか涙を両の目から流してしまう。もう、限界であったのだ。

 

「重吾様? 一体どうされ――きゃっ」

 

「シーナ……シーナ……」

 

 そして彼女のそばへと寄り、そのまま抱きしめた。細い体の感触が、伝わってくる体温が、香油と石鹼の匂いが、ボロボロになってしまった永山の心を癒す。嫌な顔をすることなく寡黙な自分共にいてくれた少女の前で嗚咽を漏らす。

 

「助けてくれ……俺は、俺は……」

 

「――はい、重吾様。いつもみたいに話して下さりませんか」

 

 いつものように、しかし慈愛のこめられた言葉をかけてくれたことで永山は一層嗚咽を漏らし、強くメイドの少女の体を抱きしめる。『神の使徒』でなく一人の少年として、誰よりも『大切』に思う人の前で彼は号泣するのであった。

 

「……そう、ですか」

 

「……あぁ。遂に、この日が来てしまったんだ」

 

 どれだけ長く抱きしめていたか。暮れていた夕日がもう沈みそうになった辺りで少し落ち着いた永山は、シーナに促されて自室に設えられていた椅子に座り、これから自分達が盗賊討伐に駆り出されることを明かした。そしてそれがひどく憂うつであることも、己の手を血で染めることが怖いことも伝える。

 

「……怖い。怖いんだ、シーナ。人を殺すことを、戦争に参加すると決意した時から覚悟していた……そのはず、なんだ。なのに、でも……震えが、震えが止まらない」

 

 思い出せば今も震えが止まらなくなる。顔を青ざめさせ、救いを求めるように永山はメイドの少女に視線を向ける。すると彼の許しを得てベッドに座っていた少女はスッと立ち上がり――彼の唇にキスをした。

 

「――大丈夫ですよ、重吾様」

 

 瞳を閉じながら唇を重ねた少女は彼の目をしっかりと見つめながらそう答える。そして今度は彼女の方から永山を抱きしめ、そして赤子をあやすように頭をなでながら言葉を紡いだ。

 

「お辛かったんですね。苦しかったんですよね。でも、安心して下さい。私は重吾様の()()ですよ」

 

 そう優しく声をかけてくれたメイドの少女に再び永山は涙を流しそうに、嗚咽を漏らしそうになった。自分の専属メイドとなってくれた時からずっと、ずっと寄り添ってくれた少女がこんな自分を受け止めてくれた。それだけで何もかもが許されたような気がした。

 

「私は知ってますから。重吾様が私達のために戦ってくださることを。どんなに辛くても、苦しくても、逃げることなく立ち向かってくださるのを。こうして悩み続けていたことも」

 

 ふくよかな胸に頭を抱き寄せられ、その柔らかさといい匂いを感じて永山は一瞬何もかもを忘れた。

 

「いいんですよ、いっぱい泣いたって。私は()()()()()から。重吾様がどんな方であろうと、私は貴方のそばを離れたりしません」

 

「シーナ……シーナ……うぅ、うぅぅ……」

 

 怯えも、恐れも、何もかもを許容する言葉にまたしても永山は涙した。今度はむせび泣くように声を押し殺しながら彼女に抱き着く。それを少女は愛おし気に見つめ、ただ彼の頭と背をなでるだけ。

 

「ねぇ、重吾様。もしよろしければおまじないを受けてみませんか?」

 

「おまじ、ない……?」

 

 そうしてしばらく永山の頭と背中をなでていた少女であったが、不意に彼に言葉をかけた。そんな彼女の方を見ようと顔を上げた永山に再度少女は口づけをする。さっきのようにほんの一瞬でなく、数秒。ぬくもりを伝えるようなキスを。

 

「どうですか? 少しは楽になりましたか?」

 

「……あ、あぁ」

 

 少し意地悪気に笑う少女を見て思わず永山はそっぽを向いてしまう。からかわれたようで、気恥ずかしくて。けれども同時に彼は気づいた。少しだけ、気持ちが楽になったのを。

 

「重吾様。このおまじない、実は続きがあるんですよ」

 

「つづ、き……?」

 

 そう述べた少女は彼から体を離すと、そのままメイド服に手をかけていく。プツリ、プツリとボタンを外していく様を見て永山は生唾を吞み、そしてかぶりを振って下劣な感情を抱いた自分を恥じた。

 

「最高のおまじない、受けてみませんか? ()()()()の私達しか出来ない、素敵なことですよ」

 

 そう言いながら軽く服をはだけさせた少女は目の前の少年の手を引いてベッドへと連れていく。

 

「な、なぁシーナ……そ、それって……」

 

「重吾様はどうしたいですか。簡単な方と素敵な方、選んで……いただけませんか?」

 

 そしてベッドに腰かけ、うるんだ瞳で見上げてくる少女に永山はもう我慢が出来なかった。そのまま彼女をベッドに押し倒し、ほんのりと顔を上気させながら問いかける。

 

「いい、のか? 望んで、いるんだよな……?」

 

「仰ったはずですよ? 私と重吾様は相思相愛です、と……あまり、女に恥をかかせないでくださいませ」

 

 そうしてほんのりと頬を染めて軽く顔を背けるシーナを見て永山も覚悟を決める。両の手を恋人つなぎしながらキスをしようと顔を近づけても、少女は妖艶に微笑むまま。頭をクラクラさせながらしたキスは得も言われぬ興奮を彼にもたらした。

 

「そう、か……や、やるぞ……」

 

「はい。重吾様――子を宿してもおかしくないぐらい、お情けを私めに」

 

「――その言葉、後悔するなよ」

 

 期待に満ちた眼差しを向けられ、永山はもう我を忘れた。ただ無我夢中で、彼女に溺れて――そして朝を迎える。

 

「……じゃあ行ってくる」

 

「はい。行ってらっしゃいませ」

 

 言葉少なに永山はシーナに声をかけるとそのまま部屋を後にしていく。今日いきなり盗賊の討伐に向かうという訳ではないことはお互いわかっていたため、普段通りのやり取りで十分であった。

 

(もう……もう俺は迷わない)

 

 その目からは人を殺すことへの恐怖は無く、『地球に皆で戻る』という願いが、そして『愛する人のいるこの世界を守る』という使命感が宿っていた。昨夜存分に睦み合った後、彼女からお願いされたのだ。『どうかこの世界を、私達の未来を守って下さい』と。そこで永山は戦う意味を見つけた。愛する人を『守る』ためにもこの力を振るうのだ、と。

 

 もう指先がかすかに震えることも皆無で足取りも迷いなど見られない。力を振るう理由を見つけた少年は来る日に向けて備える気概まで既に宿しながら食堂へと歩いていく。

 

「ふふ、ふふふ」

 

 そして永山を見送ったメイドの少女はしばし部屋の扉を見つめると、二人で共に夜を過ごしたベッドの上に腰かけた。そしてお腹を愛おし気になでてぽつりとつぶやく。

 

(行ってらっしゃいませ。()()()()勇者様)

 

 しかしその顔は愛する人と結ばれたことを喜ぶ見た目相応の少女のようなものではなく、どこか粘つくような、蜘蛛のような『捕食者』を連想させるような笑みを浮かべている。

 

(あの顔ならもう迷く事無く盗賊も、いえ反逆者達も倒してくれるはずです。うふふ、体を捧げた甲斐がありました)

 

 ――彼女の本名はシーナ・チェルチス。このハイリヒ王国に仕える貴族の一つ、チェルチス家の令嬢である。彼女を含む神の使徒直属の使用人は単に彼らのお世話を目的にあてがわれたという訳ではない。その真の目的は『このトータスのために自らの命を捧げてまで戦える戦士として()()()()()()こと』であった。

 

 神の使徒がここトータスに現れる前に既に神託が広まっていたことから、直属の使用人は彼女含めてもう選出されていた。そのためこの命を受けたのは彼らが召喚された後であった。当初は『使徒様が自分達のために戦ってくれるはず』と無条件に考えていたものの、イシュタル教皇から『神の使徒様は少々迷われてるご様子です。どうかお力添えを』と言われたことからその考えを全員が改めていた。

 

 そして神の使徒として遣わされた少年少女達をその気にさせるべく彼らは動いた。裏切り者の例の三名を担当した者を除いた使用人達は自分が担当することになった子供に甲斐甲斐しく世話をし、朗らかに、そして寄り添うように接し続けた――自分達に依存してくれるように。自分達の頼みなら何でも聞いてくれるように。

 

 その役目はあの裏切り者どもと親しい仲であった天之河らが失踪したことで一層重くなった。リリアーナ王女の執り成しで()()を免れた担当の使用人から恨みがましい目を向けられたことはあってもシーナ達は与えられた役割をこなす。何としても『真の』神の使徒の戦う意志を残し、ハイリヒ王国への帰属意識を強くするために。

 

(後は私が子を成すこと……王女様が重吾様の子を成していただければこの子を渡さなくて済みますが)

 

 ――そんな彼等が神の使徒直属の使用人となって得られるのは単なる肩書だけではない。神の使徒の()を家に取り入れることが許されているのである。そのため使用人として選ばれた人間は厳正なる審査をパスしたか、その家が教会の『信心深い』信者以外いなかった。

 

「……うふふ」

 

 そして実家が相応に()()()()()ことで選ばれたシーナは妖しくも愛おし気に自分のお腹を再度なでた。昨晩はとても()()()()()。ならきっと子を成してもおかしくないだろうと彼女は想像する。自分は『愛しい人』の血を、心を繋ぎ留めることが出来たのだと思いながら。

 

「早く帰ってきてくださいね、()()様。この子も待ってますよ」

 

 元々は家のためだけに永山に奉仕していた彼女であったが、ウブで女にあまり免疫のない少年をいいように転がせたことで彼に愛着がわいたのだ。神の使徒という『存在』の彼に。

 

(この子が生まれれば我が家の地位は不動のものになります。そうすればこの子が将来、大臣の地位に座ることも難しくない――感謝します、重吾様。私の()()になっていただいて)

 

 彼女は夢見る。いつか生まれてくるであろうこの子が家を更なる高みへと導いてくれることを。母である自分にとてつもない恩恵をもたらしてくれることを。そして父である永山も自分達に幾度も幸せをもたらしてくれるであろうことを――シーナ・チェルチスは夢見て微笑んだ。

 

 

 

 

 

「ぐわぁあぁ!!」

 

「ぎゃぁああぁ!!」

 

「お、お頭! た、助け――」

 

 こんなはずじゃなかった。こうなるなんて思ってなかった。デライオン盗賊団の頭領であるダンは神の使徒に次々と自分の仲間が蹴散らされていく様を見て、ただただ茫然とするしかなかった。

 

 彼らは元々魔人族との戦争で犠牲になった人間であった。人間族への見せしめとして焼かれた村の一つの出身で、出稼ぎに出ていたことで難を逃れただけの()()な人間であった。

 

 小さく貧しいながらも誰もが畑仕事に精を出すその村は戻って来た時にはすべてが灰となっていた。残ったのは燃えカスとなった家の柱や炭化した誰かわからない無数の遺体。そして斥候と思しきハイリヒ王国の軍の人間に幾つか尋ねられ、そして彼らはそのまま解放される。何の慰めにもならない言葉をかけられて。

 

『ここ以外にも魔人族の被害を受けた場所はある。私達はそこへ向かう』

 

『せめて領主がすぐに兵を差し向けていればな……運が、なかったな』

 

 そう言っただけの奴らに生き残った人間は深い失望と怒りを抱く。それだけ? たったそれだけの言葉で村の皆の無念は晴れるのか?……その日から彼らの人生は面白いように転がり落ちていった。

 

 マトモな食い物も無く、生きる気力もロクにないままの彼らは、ただひもじい思いをしのぐために雑草や木の皮に根っこなどを口にしていた。だがそれらを口にしても飢えは収まらず、ただでさえ擦り減った心がやすりがけされていくかのように摩耗していく。

 

 そんな時、ふと彼らの前を魔物から逃げ回っている丸腰の隊商の馬車が通り過ぎた。その瞬間、彼らは思った――あそこなら食料があるかもしれない、と。いびつな笑みを浮かべながら。

 

 故郷を失って絶望に暮れ、いつ生き残った出稼ぎの仲間を手にかけてもおかしくなんてない状況だった。その時彼らはこれを『エヒト様のお恵みだ』と称し、逃げ回っていた隊商の人間が護衛もろくな見張りつけずに泥のように寝ているところを襲い、何もかもを奪い尽くした。

 

 その日から彼らは生きるために相手を選んで奪い続けた。荷物も、命も。全ては()()生き残った村の仲間のために。自分を頼って合流してくれた仲間のために。何もかもを正当化してほしいままにしていた彼らの欲望に満ちた日は唐突に鮮血の結末を迎える。

 

「クッ!!……暗き炎渦巻いて、敵の尽く焼き払わん――」

 

 そうして一人だけ残ったダンは生き延びるために炎属性の中級魔法“螺炎”の詠唱に移る。村が無事だった頃から人並以上に炎属性の魔法が使え、また出稼ぎで街へと向かう際によく頼られていた彼の最も得意な魔法を。こうして何度も人も馬も焼き、灰にし続けたことで使えるようになった切り札を。

 

「――! やらせん!!」

 

「灰となりて大地へ帰――ぐほっ」

 

 その瞬間、神の使徒のリーダーである永山の拳が的確にダンの腹を打ち抜き、内臓が潰された激痛で詠唱どころか意識を保つことすらままならなくなった。そしてダンは理解する。ここが自分の終わりなのだ、と。

 

(俺は……俺は、まだ、何も――)

 

 最初に人を襲った日からギラつき続けていた欲望がまだ満たされてない。食い物も金も女もまだ足りないとばかりに伸ばした腕を掴まれ、そのまま背中から地面に叩きつけられたことでみすぼらしい男の一生は遂に幕を閉じる。なんとも、呆気ない終わりであった。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 そして盗賊の根城となっていた洞窟に、蜘蛛の巣状の亀裂を()()作った永山は荒い息を吐いていた。

 

 こうして仕留めた男以外にも多く人を殺した。吐き気がこみ上げてくる。やってはいけないことをしてしまったことへの恐怖だって感じている。けれどもそれ以上のものを――『守った』という実感が彼の中にあった。

 

(やった……やったんだ。シーナを……皆を、守れた)

 

 共に戦っている仲間を、自分達のために戦ってくれている騎士団の皆を、そして何より愛する人のいる世界を守れた。その実感が確かに永山の中に芽生えていた。そしてそれは誓いにも変わる。

 

(俺は戦う……! 戦争で勝って、皆で地球に帰るために……トータスにいる人間を……シーナのいる世界を、未来を守るために!!)

 

 かくして神の使徒の『初陣』は終わった。

 

 賊の討伐に参加した使徒はいずれも()()()()()を挙げ、その武威を如何なく示したのである。

 

 

 

 

 

「……私達、倒したんだね」

 

 帰りの馬車に揺られながら辻がそうつぶやくと、同乗していた神殿騎士が彼女の座る場所の近くにいた野村と相川、そして吉野を含めて称賛し始めた。

 

「流石使徒様です!! 我等が一人二人を相手にしている間に五人、六人と倒して進んでおられたのですから!!」

 

「使徒様のおかげで誰も大きな怪我もせずに済みました! 感謝いたします、使徒様!!」

 

 崇拝の念を向けられながら何度となく持ち上げられることに野村と女子二人は愛想笑いを浮かべるだけ。一方、相川だけは()()()で神殿騎士達に声をかけた。

 

「任せてくれよフェリクスさん、ガイウスさん!! 俺達ならどんな奴が相手でも絶対勝ってみせるよ!!」

 

 相川がここまで機嫌がいいのも、この戦いに出る前に専属のメイドと()()()()からだ。メイドのシレーネと一夜を共にし、『昇様、どうかこの世界の皆を守って下さい。昇様なら出来ますから!!』と激励され、こうして戦果を挙げられたことが原因だったからだ。

 

 その結果、使()()()()()()()()ことで迷わなくなり、自分達が地球に戻るためだけでなく、トータスのためにも戦うことを決意したからである。

 

「……辻、吉野」

 

「「……野村君」」

 

 一方、野村と辻、そして吉野とはこの状況にひどく怯え、互いに手を繋いでいる。その理由は討伐に行くことをクゼリーの口から伝えられたあの日まで遡る。

 

 あの時は討伐に参加する意志を示さなければどうなるかわからなかったことから、部屋に戻っても野村はただただ怯えるばかりだった。そのことが気にかかったメイドのカルミアから尋ねられるも、そのことを口に出すことすら怖くて、失望されるかもしれないと思って野村は決して口を開くことは無かった。

 

 そして就寝の時間になってカルミアが部屋を出て一人きりになり、結局心細くてシーツを握りしめていると部屋をノックする音が響く。そこでドアを開ければ吉野も付き添う形で辻が野村の部屋を訪れ、お互い人を殺すことが怖くて仕方なかったこともあってか一緒にいるだけで不安が和らいだように感じ、その日から三人で寝るようになったのである。吉野が辻に、辻が野村に抱き着く形でだ。

 

 こうして三人は強いストレスや不安になる毎に手を繋いだり、体を寄せ合うようになったのである。

 

(……どうしたんだよ、重吾。相川も仁村も玉井も! どうして、どうして戦いに前向きになっちまったんだよ……)

 

(怖い……怖いよ。どうして、どうして永山君達は簡単に人を殺せるの?)

 

(おかしいよ……なんで、なんであんなこと出来ちゃうの? 怖くないの?)

 

 そして今も三人は体を寄せ合い、ただただ恐怖に耐える。戦ってた時は高揚感と倒すことへの義務感、そしてこの任務をこなさなかった場合どうなるかわからないことへの恐怖でどうにか押し切れた。けれどもこうして戦いを終えて冷静になってしまってはもう誤魔化せない。身を寄せ合っている相手以外の誰もが恐ろしくて仕方なかったのだ。

 

 あれだけ人を殺すことを怖がってたはずなのに、自分達と同じだったはずなのに、と言いたいけれど、答えを知ってしまったら自分達もあちら側に行ってしまいそうで。ただただ怖くて仕方がない。現代日本で培われた感性がゴリゴリとすり潰されているようにさえ三人は錯覚していた。

 

(もう、もう……どうすればいいんだよ)

 

(助けて……誰か、助けてよ……)

 

(もうやだ……もうやだよ……お家、帰りたいよ……)

 

 おかしいのは向こう? それとも自分達の方? 解いてはならない疑問に押しつぶされそうになりながら、三人は自分達を心配している様子の相川や神殿騎士の声にも反応することなくただ抱き合うばかりであった。

 

 

 

 

 

「――此度の任、誠に感謝いたします。神の使徒よ」

 

 そして無事王城へと戻り、謁見の間へと通された永山達は今回の討伐の顛末をエリヒド王、そして傍らにいるイシュタルへと報告する。するとやはりここでも自分達を称賛する言葉を耳にし、()()()()以外は各々得意げな顔を浮かべる。やっぱり自分達のやったことは『間違ってなかった』のだ、と改めて確信していた。

 

「感謝します、王様……それも王国、そして教会の皆様が助力してくれたおかげです」

 

 公の場での礼も大分様になった永山がそう返せば『おごることなきその姿勢、流石は永山様だ』だの『いつまでも謙虚であらせられるな。まぁその奥ゆかしさが皆様の魅力ですが』などと大臣や司教が口々に言い合っている。自分達への好意的な態度をとってくれている彼らの様子に少し口角が上がるも、ここは公の場だからと永山が表情を引き締めたその時、事件が起きた。

 

「――覚悟してもらおうか。神の使徒、そして王に連なる者達よ」

 

 勢いよく謁見の間の扉が開かれたと思いきや、どこか聞き覚えのある声が永山達の耳に届いたのだ。一体誰が、と素早く振り向いた永山らは思わず目を見開く。何故ならそこには――。

 

「な、何物だ貴様ら!! 名を名乗れ!!」

 

()()()がひとり、八重樫鷲三」

 

「同じく霧乃――この場にいる全員、お覚悟を」

 

 オルクス大迷宮でアクシデントがあったあの日、自分達や神殿騎士を襲ったあの老人と妙齢の女がそこにいたからだ。二人は()()()()()()()()()を構えており、こちらの様子をうかがっている。ならば先んじて動くべきかと考えたその時、侵入者の二人はいきなり距離を詰めて来た。

 

「――ぐっ!?」

 

「危ねぇっ――うわぁ!!」

 

「今のを防ぐか――ふっ」

 

「流石は神の使徒ですね――はっ」

 

 不意打ちに近い一撃をどうにか捌くことに成功したものの、それぞれ籠手と盾で防御した永山と仁村は軽く吹き飛ばされる。だが間髪入れずに野村達が魔法を撃ちこんできたことで追撃だけは免れることが出来た。

 

「無事か重吾、仁村!!」

 

「どうにかな……この二人、強いぞ」

 

「あぁ。本気で戦わないと絶対負ける――やられてたまるかよ!」

 

 戦いは振り出しに戻り、再度闖入者とにらみ合いを続ける。向こうの視線はこちらでなくその先――エリヒド王へと向けられているのに気づくとすぐさま辻と吉野が動く。

 

「――“聖壁”!! この先は、絶対に通さないから!!」

 

「“纏光”!! いい加減にしてよっ!!」

 

 血走った目でにらみつける辻と吉野にほぅと軽く舌を巻いた様子の二人。その二人が半歩前に動き、ここで仕掛けてくると思ったその時、ようやく戦える味方が現れた。

 

「遅くなって申し訳ありません!――狼藉者どもめ、覚悟しろ!!」

 

 外で控えていたクゼリーが部下だけでなく神殿騎士も引き連れてこちらに来てくれたのである。おかげで挟み撃ちする形となり、俄然有利となるが永山達は目の前の二人の実力を知っているため決して油断はしなかった。

 

「……少々分が悪いな。霧乃」

 

「はい、お義父さん。ここは退きましょう……一刻も早く雫達と合流して、この襲撃が失敗したことを伝えなければ」

 

 そう言い合うと同時に弾かれたように二人は横に互いに逆方向に走っていく。咄嗟の行動についていけなかった永山達を他所に二人は窓を突き破って外へと出て行った。無論すぐに全員が逃げた二人の行方を追おうと壊れた窓の外から二人の姿を探そうとするも見つからず。とうに姿をくらませてしまっていた。

 

「……くっ!」

 

 悔しさのあまり永山は壁に手を叩きつける。強くなったつもりだった。ベヒモスのいる階まで到達はしてなかったものの、あの時よりははるかに強くなっていたはずだった。なのにあの二人を取り逃してしまう。それに何より、二人が漏らしたある情報のせいで苛立ちが収まらなくなっていた。

 

「やっぱりアイツら……敵だ。やっぱり天之河の奴らは敵だったんだよ!!」

 

「ホント訳わかんねぇ!! あのジジイもオバさんもなんなんだよ!!」

 

「今度会ったら絶対に倒そうぜ、リーダー!! 天之河の奴らしぶとく生きてたみたいだし、俺らと王様をブッ殺そうとしてたしな!!」

 

 そう。あの口ぶりが本当ならば天之河達は生きていたことになる。少なくとも八重樫は生きていることがあの言葉から確認できた。故に仁村、玉井、相川は叫ぶ。あの老人どもを、そしてこんな事を企てた天之河達を絶対に殺さんと敵意をたぎらせて。

 

「もう……もう、何なんだよ!! アイツらは……アイツらは!! そんなに俺達が憎いってのかよ!!」

 

「そっか、そうなんだ……あんな奴らなんてもうクラスメイトでもなんでもない!! 敵だよ!! 倒さなきゃならない敵なんだ!!」

 

 野村と辻が半ば狂ったように吼え猛る。段々と皆がおかしくなっていくことに、自分達がこんな境遇に陥ってしまったことに八つ当たりしていた。これもそれも全部天之河の奴らのせいだと逃げ道を作り、軋んでいた心の拠り所を作ってしまった。

 

「……そっか。わかったよ。ねぇ野村君、綾子。それと永山君達も。倒そう、()()()()を。きっと……ううん、絶対私達が邪魔になったからこんなことをしたんだろうし」

 

 それは吉野も同様であった。表面上は落ち着いてこそいたものの、心の内は野村と辻と大差ないほどいっぱいいっぱいだった。だから()を作って責任転嫁することで心を守ろうとしていた。

 

「……あぁ。倒す……天之河……いや、()()()()を絶対に、倒す。このトータスのために!!」

 

 そして永山も決意と不退転の意志を見せる。ここで因縁を断ち切るために。愛する人の住むこの世界を守るために。裏切り者である天之河達を討つことを誓った。

 

「……頼みましたぞ、神の使徒よ」

 

 イシュタルもまたそんな彼らを見て感激の涙を流していた。あぁやはり、彼等こそが真にエヒト様に選ばれた存在なのだ、と永山らを改めて崇拝し、賜った神の慈悲に感激しながら。

 

「ま、待ってください重吾さん! 皆さんも!! こんな、これは絶対におかし――」

 

「リリアーナ様、落ち着いてください!!」

 

 ――これがあまりに出来過ぎた茶番であると、仕組まれた事でしかないということにその多くは気づかない。舞台の外にしかいられなかった王女は叫ぶもその声は誰にも届きはしなかった。

 

 その後、すぐさま会議が開かれ、迅速に話が進められていった。議題は無論反逆者の討伐である。すぐに部隊が編成されることになり、その中核に永山ら神の使徒が据えられる。永山らもそれに反対するどころかむしろ自分達が倒すと言わんばかりの勢いで賛成したため、議場にいた全員の気が昂ったことは言うまでもない。

 

 そして議会で取り決められた反逆者討伐隊に神殿だけでなく冒険者ギルドにも参加を要請し、また両組織に反逆者の捜索を行うよう通達する――それは奇しくも光輝達がウルの街近郊に着いた日に起きた出来事であった。




さぁー読者のみなさーん! みんなで神の使徒さまを応援しようー!! わるい反逆者をやっつけてもらおーう!! せーの!

ゆうしゃさまがんばえー!! ながやまさまがんばえー!! かみのしとさまがんばえー!!


……いやぁ、ヒーローショーって素敵ですよねぇ。だってこんなに胸が熱くなるんですもの(ニチャァ)


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幕間三十三 あまりにも忌まわしき再会

まずは読者の皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも139334、しおりも368件、お気に入り件数も808件、感想数も473件(2022/10/25 16:21現在)となりました。読者の皆さん、本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。いつもいつもこうして面白いよと評価して下さるおかげで執筆に向けて突っ走ることが出来ます。本当に感謝です。

……さて。タイトルの通り、今回も鬱・胸糞展開が盛り込まれてます。それと『本気』を出しました。要はそういうことです。では皆様、心を強く持って本編をどうぞ。

――皆様、覚悟のほどを。


「では、遂に……」

 

「ええ。時は来ました」

 

 愛子に朝食を食べさせ、彼女のお守りをデビッドら他の神殿騎士に任せて朝の礼拝のために教会へと訪れたローリエであったが、そこで不意に真なる神の使徒であるエーアストと出くわす。

 

 まさかと思って跪きながらも尋ねてみれば、エーアストが『この街の近郊に反逆者が現れ、この街にも忍び込みました』と告げた。それを聞いてローリエは歓喜する。長かった。ようやくあの女(薄汚いモグラ)を始末できる、神の使徒の永山様達の戦う理由を更に用意して差し上げられるのだ、と。

 

「今は二手――郊外に三人、この街に四人いるとエヒト様は仰せです。では信徒よ、上手くやりなさい。私達は見ています」

 

 続くエーアストの言葉にローリエは顔がにやけるのを抑えきれずにいた。神の使徒様の御前でこのような顔をすることなど不敬の極みではあったが、彼女にとってこんな嬉しい事態などない。あの人相書きに描かれていた奴らの顔が怒りと嘆きに歪み、そして最後は永山様達に討ち滅されて苦悶に満ちた表情でその首を晒すのだ、と。そんな薔薇色の未来が浮かんで我慢出来なかったのである。

 

「――ははっ!! 仰せのままに!」

 

 返事を聞くと同時にエーアストはこの場を後にしていくも、ローリエはその場から一歩も動かない。喜悦に満ちた表情のまま、しばしそこでじっとしていたのであった。

 

 

 

 

 

“そっちの状況はどうだ、皆?”

 

“正直とっとと帰りてぇぐらいだ。米なんて買ってる場合じゃねぇな”

 

 ウルの街近郊でキャンピングカーと一緒に待機している光輝から送られてきた“念話”に幸利は心底うんざりした様子でそう返した。それを聞いた光輝もそうかと苦々しく漏らすばかり。

 

 今回ウルの街に侵入したのは幸利、優花、奈々そして雫の分身の一人と計四人である。本来なら雫の分身をつけずに三人で観光がてら米を買うつもりだったのだが、それもこれも一行が遠目からウルの街を見ようとしたのが原因であった。

 

 “遠見”の技能を用いて自然と調和したウルの街がどんなものかを拝もうとした時、彼らは街の人間が妙にあわただしい様子なのを見かけてしまったからだ。また少ししてから何か話し込んでいる様子の人間も増え、尋常ではない様子が見て取れた。そのため目的を米の購入から『この雰囲気の原因は何か』を調べることに切り替わったのである。

 

“えぇ、ユキの言う通りね。すぐにでも戻りたいぐらい――『私達』のこと、探ってるみたいだしね”

 

 念のため四人で穴を掘って侵入し、他の班と同様に昼頃まで穴の中で待機してから地上の方へと彼らは出た。しかも“気配遮断”で完全に見つからないよう対策もした上でだ。そうして情報収集に当たった彼らであったが、すぐにやる気が失せてしまう。どこもかしこも“反逆者”の話題で持ち切りだったからだ。

 

 教会の人間も、ギルドか何かの組織の制服を着ている人間もこちらを血眼になって探しており、是が非でも自分達を見つけようと必死になっている。そしてそれを見た街の人達も不安な様子でいっぱいになっていた。それを見て自分達を悪人扱いしてくれていることへの苛立ちと、ここの人達をあまり不安にさせないためにもすぐにでも立ち去ろうという思いを優花達は抱えている。

 

“でも優花っち、愛ちゃん先生がこの街にいるかもしれないんだよ? 出来れば無事か確認したいけど”

 

 しかしそうもいかない理由もあった。この街の宿に愛子が泊まっているという話もちょくちょく耳にしたからだ。

 

 オルクス大迷宮で永山や神殿騎士を暗殺しようとしたという話や、その自分達がここに来ていることが何故かバレていることなどが大半ではあったが、時折ここに来ている“豊穣の女神”様はご無事なのかといった話題が出てくるのだ。それらの話の断片を繋ぎ合わせると愛子のことだとしか思えない人物しか浮かばず、そうなるとやはり早めに接触しておきたいと思うのも無理は無かった。

 

“そうね。奈々が言った通り、私も愛ちゃん先生と会いたいわ。お爺ちゃんとお母さんともしばらく会ってないし、うわさを聞いた限りだとあんまり良くない状況みたいだし、いっそここで合流した方がいいと思うの”

 

 そして雫が伝えた言葉に誰もがうなずいた。オルクス大迷宮で別れてからかなり時間が経っているし安否を確かめたいというのもわかる。それに何より愛子まわりのうわさがあまりに不穏だったのもそれに拍車をかけていた。

 

 どうもここで仕事をしている時の愛子は何かに追い詰められている様子らしく、女性の神殿騎士の一人に手を引かれて歩いているのだとか。どう考えても尋常ではないし、そんな状況で雫の家族である二人が何もしてないとは考え難い。もしかすると愛子本人が相当追い詰められてるか、或いは警護している二人含めて何かあったのでは、という悪い予想も皆の頭の中に浮かんでしまっていた。

 

“……そうだな。うん。わかった。俺も先生と鷲三さん、霧乃さんに会いたい。連れていけなくても話ぐらいは、先生の重荷を少しぐらいどかしてあげたい。頼めるか、皆”

 

“任せなさい。じゃあ私達はこれから愛ちゃんがどこにいるか探るわ。夜になったらすぐに連れてくるから待ってて”

 

“ありがとう優花。じゃあ皆、これから探っていきましょう”

 

 そして意見が纏まった一同は待機組との“念話”を切り上げ、そのまま愛子がどこにいるかを気配を殺しながら探ることにした。

 

 その際幸利が『二人一組に別れた方が早いだろ。んじゃ優花、行こうぜ』と“念話”で優花を指名したことで優花がまんざらでもなさそうな様子で少しもじもじしたり、少ししょげた様子の奈々が幸利にどうして優花を選んだかを尋ねて『いや、優花だったら近接戦闘もやれるだろ? それだけだぞ。その……雫を選んだ訳じゃないし、その、悪い』と返したことで優花が不機嫌になって奈々も安心したような悲しいような顔をしたり、雫が軽く頭を抱えたりと色々あったが、すぐに別れて情報収集する運びとなり、二つの組に分かれた四人は何度となく聞き耳を立てて探るのであった。

 

 ……そんな彼らを見下ろす二対の視線に気づかずに。

 

 

 

 

 

“ここか。畑山先生がいる場所は”

 

“そうね。水妖精の宿、ここで合ってるわ”

 

 日が沈む前に情報を集め終わった一同はウルの街にある一番の高級宿“水妖精の宿”から少し離れた通りの脇でそこの入り口の様子をうかがっていた。どうもここに愛子が宿泊しているらしく、ここの従業員が愛子のことを心配しているというのを彼らは何度となく耳にしている。

 

“愛ちゃん先生、ご飯ずっと部屋で食べてるって言ってたけど……”

 

“嫌な予感ばかりするわね……お爺ちゃん、お母さん”

 

 それを聞いてますます不安になる四人であったが、ふと見覚えのある影が視界を横切った。愛子である。

 

“なにあれ……そんな、愛ちゃん……”

 

 全員の目に映ったのはまさに生ける屍とも言うべき様子の愛子、彼女を囚人のように取り囲んでいる男の神殿騎士達、そして愛子の手を上機嫌で引く女の神殿騎士の姿であった。あんな状態の愛子を機嫌良く手を引く女にどこか寒気を覚え、また瞳の濁っている愛子がただただ連れていかれることに強い悲しみと憤りを感じずにはいられなかった。

 

“助けましょう。絶対に”

 

“だな。ありゃどう考えても普通じゃねぇ……気配が二人分少ねぇのが気になって仕方ねぇけど、とっとと先生を連れてくべきだ”

 

 雫が強く手を握りしめた様子でそう伝えれば、幸利も皆が抱えてる懸念を述べつつも彼女に同調する。ハジメと恵里、鈴の三角関係のことでちょくちょくお説教に来るちょっとうっとうしいながらも愛らしいあの先生をあのままにはしておけない。四人はうなずき合い、まず雫が愛子の後を追っていく。そして幸利達はもう一人の雫の分身がこちらに来ると同時に路地裏から宿の裏側へと向かっていく。

 

“そっちはどう? シズ”

 

“三階を移動して……ううん、今部屋に辿り着いたわ。一番奥の部屋よ”

 

“んじゃこっちにいる雫と一緒に今行く。待っててくれ”

 

 目的は愛子のいる部屋の確認、そして窓と扉の二方向からの侵入。“気配遮断”でバレないからこそ採れる手だ。すぐに幸利達も“空力”を使って指定された部屋の窓へと向かい、中をのぞいて確認する。

 

“今到着したわ。これから私達が鍵を開けるから、終わったら三つ数えて突入よ”

 

“オーケー、雫っち”

 

“タイミングは任せるぞ、雫”

 

“なるべく早く終わらせてね、シズ。愛ちゃんをあんなままになんてしておけないわ”

 

“わかってるわ。待ってて”

 

 そして確認を終えると両方の雫は懐から錠前破りの道具を取り出し、素早くカチャカチャと鍵をいじっていく。手馴れた様子で素早く鍵を外していく様はやはり忍者らしいというべきか。そんなズレたことが幸利達の頭に一瞬よぎるも、すぐに神経を目の前の窓に集中させる。そして――。

 

「いくわ。カウント。三、二、いーち――」

 

 扉と窓を素早く開け、五人は即座に部屋へと侵入していく。

 

「!? 何奴――ぐっ!?」

 

「悪いな、寝てろ」

 

 まずは神殿騎士の無力化。入ると同時に散って一人が一人ずつ相手をしていく。

 

「なっ!? 堂々と――ぐぇっ!」

 

「悪いわね。大人しくしててちょうだい」

 

 腹に一撃叩き込むと同時に既に相手を鎮圧した雫が当て身をかまし、意識を刈り取っていく。この間わずか数秒であった。

 

「……え?」

 

「迎えに来たわ、愛ちゃん」

 

 そして何か起きたことを察してこちらを向いてきた愛子に向けて幸利達はそれぞれ笑顔で返す。もう大丈夫、と。自分達がいる、と。

 

「え? あ……そのべ、さん? もしかして、やえがしさんにみやざきさん、しみずくんも……?」

 

「ええ、そうよ。ちょっと事情があって見た目が変わっちゃったけど、それは帰り道で――」

 

 そうして彼女の疑問に答えて手を取ろうとした瞬間、愛子の目から涙がこぼれる。きっと自分達が現れて安心したのであろうと彼らは考えていたが、その口から漏れ出てきたのは想像しなかった言葉であった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

「え? あ、愛ちゃん? ど、どうしたのよ一体……」

 

「わたしのせいで、わたしのせいで……やえがしさんごめんなさいながやまくんごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 

 次々と出てくるのは謝罪の言葉だけ。しかもあまりに断片的過ぎて一体何があったかもよくわからない。まさかこの場にいない鷲三と霧乃に何かあったのでは、と全員が勘ぐったその時、窓の外からとてつもない勢いで迫る何かを幸利達は感じ取った。

 

「――全員避けろぉ!!」

 

 幸利の放った言葉と共に高速でこちらに迫ってくる何かに当たるのを避けるべく五人全員が回避行動に移る。優花は愛子の手を引いて無理矢理、他の四人もこの場にいた神殿騎士を念のため抱えて大きく飛びのいた。紺と淡い藤色の()を一瞬目撃し、とてつもない音を立ててその場に現れたのは――。

 

「全く。雫、幸利君、優花さん、奈々さん。何をしてくれたんだ」

 

「えぇ、そうです。私達は畑山先生を、そしてそこにいた神殿騎士全員を殺そうとしていたんです。邪魔をしては駄目ですよ?」

 

 ――自分達が探していた二人の姿であった。

 

「「……なん、で。どうして、お爺ちゃん、お母さん?」」

 

 信じられない言葉が漏れたことに雫の分身もつぶやいてしまう。どうして守る相手に攻撃を仕掛けるの? なんで愛ちゃん先生に殺気を振りまくの? 訳が分からなさ過ぎてただただ茫然とするばかりであった。

 

「あぁ。ハジメ君達からの頼みでな」

 

「――危ねぇっ!!」

 

 そう言うや否や即座に()()()()()()()で神殿騎士を自分ごと切り捨てようとしてきた鷲三から幸利はどうにか体を捻って避ける。だが掠った個所からすさまじい激痛を感じ、そちらに意識を向ければ持っていたショートソードは濃紺の魔力を纏っていた。

 

「や、やめて……やめてください!! しゅうぞうさん、きりのさん!!」

 

「もちろんすぐに終わらせますよ――今ここで始末を終えれば」

 

「――このっ!」

 

 そして霧乃も弾かれたように優花と手をつないでいた愛子の方へと向かってくる。即座に優花はナイフを投擲するものの、持っていた一対のショートソードによって切り捨てられ、残った刀身も藤色の光と共に()()()()()

 

「やめ、て……駄目っ! だめぇ!! お爺ちゃん! お母さん!!」

 

「ならば雫、今すぐ神殿騎士と畑山先生を引き渡せ」

 

「そうね。()()()()なのだから言うことを聞きなさい」

 

「い、嫌っ!! 絶対に嫌っ!!」

 

 雫も二人を止めるべくそれぞれ一人ずつ鷲三と霧乃の相手をしているが、動揺しているのと触れた先から()()する魔力を纏った武器のせいであっという間に押されていき、その凶刃が彼女の首と心臓を捉えるのに大した時間はかからなかった。

 

「お願い、正気に戻って!!」

 

「私は正気だ――全く、なんと出来の悪い子だ」

 

「ッ!!」

 

「そうですね。こんなに聞き訳が悪いなんて――あなたなんて産まなければ良かった」

 

「あっ」

 

 家族からの拒絶の言葉。心底忌々し気な表情と共に放たれた事で雫の心は砕けてしまった。もう逃げることも武器を持つことすらも出来ない程に。実の家族の命を奪わんと迷いなく刃は伸びる。

 

「――“凍獄”!!!」

 

 だがそれも雫の首根っこを掴んで氷属性の魔法を発動した奈々によって止まる。何が起きたか、どうすればいいのかなんて奈々にはわからなかった。けれどもこのままじゃ分身とはいえ雫が死ぬ。それだけは嫌だと迷わずこの魔法を発動したのである。

 

 かなりの魔力が持っていかれて、腕輪型の魔晶石から魔力を補充しなければ立つことすら辛い。けれども二人を止めるために手段なんて選んでいられないと判断した奈々は友人の家族を()()()ことへの罪悪感で顔を青ざめさせていた。

 

「あ、あぁ……わ、たし……わたし……」

 

「――気にしてんじゃねぇ奈々!! お前がやらなきゃいくら分身でも雫が死んでた! 間違っていねぇ!!」

 

 誰もが呆然としてしまう中、即座に幸利が自身も震えながら彼女の手を取り、正面から言葉をかける。間違ってない。仕方が無かったんだと必死になって説得する。だが、それもつかの間であった。

 

「――氷が!」

 

「ふむ……流石に焦ったな」

 

「そうですねお義父さん――さて、聞き分けの無い子供は全員始末しましょうか」

 

 いきなり氷が内側から溶けていったかのように薄くなっていき、それが完全に消え去った時に鷲三と霧乃は姿を現す――自身の魔力と同じ色をした翼を生やしながら。

 

「間違いねぇ……恵里の時と同じだ! 二人とも改造されちまってる!!」

 

「そうだ。この身はエヒト様の手によって生まれ変わった。エヒト様の命を果たすためにな」

 

「そうです。ですからあなた達に勝ち目なんてありません。死になさい」

 

 幸利達の頭に浮かんだのはかつて恵里が語ってくれた過去――自身が魔人族に寝返り、光輝を手に入れるために自分の体を使徒のそれに改造したことであった。つまり目の前の二人も何らかの理由でエヒトに改造させられたということであり、どうして愛子のそばにいなかったかの理由も理解してしまった。

 

「逃げるぞ……全員逃げろ!! このままじゃ絶対に勝てねぇ!! コイツらも連れてだ!!」

 

 このままでは絶対に勝てない、マトモに戦えやしないと判断した幸利の言葉に優花と奈々が反応し、三人で“縛岩”を発動して神殿騎士を縛り上げ、優花も愛子の手を取ってその場から逃げようとする。

 

「雫っち!!」

 

「ごめん、なさい。わたし……」

 

「もう、むり……」

 

「いい子だ――そのまま死ね」

 

「ありがとう雫――死になさい」

 

 だが心が折れた雫はその場に立ち尽くし――そのまま首を刎ねられて姿をかき消す。もやのように消えていく親友の姿を見て慟哭しながら三人はウルの街の郊外へと向かっていく。

 

「――ハッ! こ、ここは!? そ、空に浮かんでいる!?」

 

「クソッ! こんな時に目を覚ましてんじゃねぇよクソが!!」

 

 鷲三と霧乃が時折ウルの街に攻撃を仕掛けようとしているのを魔法や銃撃で妨害し、分解の能力を纏った羽の弾丸を何とかかわしつつ、“空力”を使いながら空を駆けていた幸利達。だが運悪く女の神殿騎士が目を覚まし、自身にかけられた戒めを解こうともがき始めた。

 

「なっ!? あ、あの二人は使徒様だとでも――私です! エヒト様に忠誠を誓うローリエです!! どうか、どうかこの戒めを――」

 

「動くんじゃねぇ!!――ぐあぁあぁああ!!」

 

 翼を生やしていた鷲三と霧乃を見て困惑しつつも、鎖を解こうと必死にもがいたせいで彼女を拘束する鎖を掴んでいた幸利の体も揺れる。結果、彼の体を紺と淡い藤の羽根が何度となく掠めていく。

 

「よくやった。名も知らぬ信者よ」

 

「役割を果たしたことを褒めて差し上げます」

 

「――!! あ、ありがたきしあわ――」

 

 その神殿騎士が喜悦に顔を歪めたその瞬間、彼女の体ごと無数の羽根が貫いていく。腕も、胸も、頭すらも。射線上にいる幸利少年をただ殺すために。

 

「――ぅぇ?」

 

「しまっ――!」

 

 そして持っていた岩の鎖も羽根によって消し飛ばされ、落ちていく。

 

 裏切りの走狗は教会の屋根に取り付けられた十字架の先端に穴まみれの体を叩きつけられ……その衝撃でバラバラになって屋根を汚したのであった。

 

“何が、何が起きたんだよ皆!!”

 

 そして逃げる最中、今度は錯乱した様子の光輝が“念話”を飛ばしてきた。突然青ざめてうわごとをつぶやく雫を介抱し、何が起きたのかを聞いていた彼も真実を知って雫と同様に気が狂うしかなかった。

 

“答えてる暇なんてねぇ!! とにかくそっちに向かってる! 今すぐ車の準備してくれ!!”

 

“私達だってもう訳わかんないわよ!! こんなの、悪い夢以外の何だっての!!”

 

 女の神殿騎士を拘束していた鎖を手放したことで十全に戦えるようになった幸利が満身創痍になりながらも殿を務め、彼と優花だけがその叫びに答える。

 

「ごめん、なさい……わたしの、せいで……」

 

“どうして……どうしてなんだ!! 俺が、また間違えたせいなのか!!”

 

「もうやだ……もうやだよこんなの!!」

 

 愛子、光輝、奈々の嘆きが響く。その言葉に二人は返す言葉を持たない。先生が悪い訳じゃない。皆が間違えた。自分達だって絶望したい。けれどもそうしてしまっては愛子を、そして今運んでいる神殿騎士を助けた意味が無い。愛子は言うまでもないし、この神殿騎士を放置してしまっては鷲三と霧乃が手を汚す。そしてその殺害の実行犯として自分達が罪を擦り付けられる。だからこそこうして逃げている。懸命に絶望に抗っている。

 

「……悪い。恨みたきゃ俺を恨め!!」

 

 そう述べると同時に幸利は腰のポーチからあるものを取り出し、着火して投げつける。閃光手榴弾であった。それは二人が分解能力を持った羽根を飛ばすよりも先におびただしい光を放ち、全員の視界を塗りつぶす。そしてその瞬間を狙い、ファントムに電気を流し、光の魔力を纏わせた弾丸を電磁加速して二人に放つ。

 

「! これしきで――」

 

「小細工でどうにかなると――」

 

 だがそれでも二人を仕留めることは出来なかった。いくら歴戦の戦士であろうとも一瞬の隙は出来たが、それまで。けたたましい発砲音に気付き、それに反応してショートソードを振り抜いた。“纏光”でカバーしてても分解能力には抗えなかった。

 

「だろうな」

 

 けれどもそれは想定の範囲内。本命は“縮地”も駆使しての接近。超至近距離からの電磁加速された一発は鷲三の胸を穿ち、ガンスピンと共に吐き出された三発もの弾丸は霧乃の右もも、腹、心臓を的確に撃ち抜いた。

 

「ぐ、ぁ……」

 

「私、たちが……」

 

「後でちゃんと墓参りぐらいして……え?」

 

 そして()()()()()()()()を見て幸利だけでなく優花と奈々も困惑し――そして気づく。自分達を追っていたのは『分身』だったのだ、と。

 

「――まさか!!」

 

 その瞬間、幸利は本命が自分達じゃないことに気付き、すぐに全員に“念話”を飛ばす。

 

“優花、奈々!! 早く光輝達のところへ行くぞ!!”

 

“ど、どういうことよ!?”

 

“わけわかんないよ幸利ぃ!!”

 

“俺らは多分ついでだ! 俺達に罪をなすり付けられればいい、って程度でしかなかったんだ!! もしかすると他の奴らが危ないかもしれない!!”

 

 その言葉に優花と奈々だけでなく光輝達も驚愕する。確かにそれなら自分達が相手をしていたのが分身であることも一応の説明がつく。本当に自分達を『世界の敵』とするつもりだったのなら『本人』を連れて来れば良かった。にもかかわらずそうしなかったというのなら別の理由がある。つまり――。

 

“まさか……恵里が!?”

 

 彼らの脳裏に浮かんだのは恵里の存在。一応神の使徒対策はしてあるつもりだが、それも『耳栓』を知っている鷲三と霧乃がそれに気づく可能性も十分高い。おそらく恵里を操り、人質にして何かをやろうとしているのではないかと全員が予想する。

 

“可能性は高ぇ! 急ぐぞ皆! 一刻も早く合流するんだ!!”

 

 ようやくキャンピングカーを停めてある場所へとたどり着いた幸利らはすぐに乗り込み、心がやられてしまった雫を抱きしめる光輝の代わりに妙子が魔力を流し込んでいく。

 

「――飛ばすよぉ~!! しっかりつかまっててぇ~!!!」

 

 そしてフルスロットルで車を走らせていく。合流地点のハルツィナ樹海近郊まで、一秒でも早く。

 

「ユキ!! しっかり! しっかりしなさいよ!!」

 

「悪い……そこの回復薬、とってくれ……」

 

「ダメだよ!! 神水使わなきゃ死んじゃうよ!!」

 

「ダメに、決まってんだろ……全部で残り八本しかねーんだぞ……」

 

「そんなことの心配しないでよ!! アンタが死んだら、死んだら……っ!!」

 

 一方、キャンピングカーに乗り込んだところで全身血まみれになって倒れた幸利は今、備え付けのベッドを血で汚しながら横たわっている。優花も奈々も当然かなりの傷まみれだが、それも車に入った時にポーチから取り出した“聖典”の付与された回復薬を煽ったことでどうにか傷は塞がっている。

 

 しかし幸利の方は女の神殿騎士が暴れたことや殿を務めていたこともあってか体のそこかしこが抉れてしまっている。その上出血も激しいため、二人が言うように神水を服用しなければそのまま死んでもおかしくない状況であった。

 

「こう、き……こうき……」

 

「俺が……俺がずっとそばにいる。だから、だから……取り戻そう。二人を。雫の家族を」

 

「うん……うん」

 

 運転席と居住スペースを繋ぐ通路で座り込み、抱きしめ合いながら光輝は雫に言葉をかけていた。もう訳が分からなくて仕方がない。けれど分身とはいえ家族に自分を殺された雫の心を癒さなければ、と必死に何度も何度も。雫も心が砕けてしまいそうだったが、光輝に依存することでどうにか砕け散ってしまいそうな心を繋ぎ留めていた。

 

「……わたし、は。わたしは……」

 

 そしてもう一つの備え付けのベッドに腰かけながら愛子はただつぶやく。自分のせいで彼らがひどく傷ついてしまった。結局自分は何一つ出来なかった。その無力感がただ彼女の心を支配する。未だ気絶したままのデビッド達を見下ろしながら、ただ絶望に暮れるだけであった。

 

「キュウ、キュウ……」

 

 光輝達の旅に同道していたイナバも愛子の手や顔を舐めたり、膝の上で丸まったりなどして元気づけようとしているが反応はない。

 

 かくしてウルの街へと向かっていた子供達は仲間の下へと急ぎ戻っていく。その先に待つものが何か。それを今の彼らは知らない。




皆様ご存じの通り、作者はとってもサービス精神が旺盛です。だから娘・孫との再会を心待ちにしている鷲三さんと霧乃さんもこうしてまた雫と出会えました。もちろん愛ちゃんとの再会も果たせましたよ! ほっこりシーンがいっぱいです!!

あとそれと師弟対決も燃えますよね! テンプレではありますが、言うなれば王道展開ですからね! ならない道理なんてありませんよ!!

なーのーで……全部一緒くたにやらせてもらいました(ゲス顔)

今回は特に素晴らしいお話だと思いません?(オリジナル笑顔)

あ、それとちょっとした裏話。ちなみに愛ちゃんが自らの手でローリエを殺す展開も浮かんではいました。こう、土属性の初級魔法“礫球”を何度も叩き込むとか他にも一つ。

それと前回と今回の話でやたらと脳内で仮面ライダーギーツ主題歌「Trust・Last」がやたらと流れてました。多分第二章で一番しっくりくるのは……機動戦士ガンダムOOの「Ash Like Snow」とか「DAYBREAK'S BELL」辺りかも? 後は仮面ライダー鎧武の「JUST LIVE MORE」とか。


2022/10/27 合流地点を「ハルツィナ樹海近郊」に修正しました。雰囲気崩すとアレなんでこちらに記載します。

2022/11/7 イナバの描写も追加しました。


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五十八話 誰かが望んだ悲劇の結末は

まずは読者の皆様に感謝の言葉を。
おかげさまでUAも140650、しおりも372件、お気に入りとして登録して下さっている方も803人おり、感想も478件(2022/11/2 08:51現在)となりました。ありがとうございます。こうして拙作を贔屓にして下さり、読み進めて下さる皆様には感謝しかありません。

それとAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただきありがとうございます。おかげさまでまた書く力が沸きました。本当に感謝です。

今回の話もまた長く(約14000字)なりました。ハイいつものことですね(ドブ川のような目) では上記に注意して本編をどうぞ。


「頼むからやめてくれ!! 鷲三さん、霧乃さん!!」

 

「ならば死ぬがいい、反逆者め」

 

「その命を以てエヒト様に抗った罪を贖いなさい」

 

 ライセン大峡谷のある場所で穴まみれになった車が横たわっている。そしてその近くで龍太郎達は襲撃者である鷲三と霧乃と戦っていた。

 

「やめて!! お願いだからやめてください!! こんなこと、雫ちゃんは望んでなんか――」

 

「あぁ、あの()()()()()か。()()を殺し損ねたな」

 

「えぇ。分身とはいえ私達を打ち破るとは……後でちゃんと仕置きを受けさせるべきでしょうね」

 

「マトモに取り合うんじゃねぇ白崎ぃ!!」

 

 香織は“聖絶”を必死に幾重にも展開しながら二人の攻撃をどうにかいなし続けていたが、それでも二人の猛攻を止めることは叶わず。彼女の叫びも憎々し気に表情を歪める二人に届きはしない。大介も苦しい表情を浮かべながら二人を必死に()()()と二本のダガーを振るい続ける。

 

「大介!! 流石にそれじゃあ二人が死んじまうぞ!!」

 

「やるしかねぇだろうが!!――悪いけどな、俺は恨まれたって生きていたいんだよ!! アレーティアを、俺達のダチを死なせたくないからな!!」

 

 “城炎”で二人の動きをほんの少しだけ阻害している信治が大介を止めようと呼びかけるも、それでも彼は止まらない。死にたくない。いくら操られているとしても、友人の家族を殺してでも生き延びたい。好きな人と人生を歩みたい。その思いで必死に罪悪感を押し殺しながら彼は刃を振るい続ける。

 

「腹くくるしか、ねぇのかよ……!」

 

「……わかった」

 

 先程から中級程度とはいえ風魔法を撃ち続けていた良樹も覚悟しなければならないかと迷うばかり。何度目かわからない魔晶石からの魔力の補充をしつつ、友達の家族を手にかけることへの恐怖を抑え込もうとした矢先、大介の言葉で覚悟を決めたアレーティアが二人を見据え、皆に念話石で指示を送る。

 

“今から私が指示します――全員その通りに動いて”

 

“まさか……殺す気なのかアレーティアさん!?”

 

“私が……『部外者』の私が仕留めます! 皆さんの、あなた達の心に傷を負わせたくない!!”

 

 アレーティアもまた自分が世話になった人間の家族を殺すことへの抵抗はあった。けれども彼らが終わることのない後悔をしてしまうよりも既に何度も()()がある自分が恨まれた方がいいと判断し、彼らの心を壊したくないからこそ強引に押し切ろうとする。

 

“頼むぞアレーティア。俺はその通りに動く”

 

“――! 大介、いいの?”

 

“あぁ、気にすんな。俺はいつだってお前の味方だ。だって俺の女だからな。お前だけに背負わせるかよ”

 

 大介も即座にそれに同意を示し、同時に何があっても彼女を手放さないことを誓う。それを聞いた四人も悲痛な顔を浮かべながらも前を見据える。

 

“そんなの、嫌。檜山君とアレーティアさんだけに背負わせるなんて絶対に嫌だから!!”

 

“あぁ。俺も腹、くくったぜ――やるぞ。香織、大介、アレーティアさん”

 

“だぁーもう!! わかったよ! 俺だってのけ者になんてされたくねぇからな!”

 

“俺だって! お前達にいいカッコばっかさせるかよ!!”

 

 自分の手を血で染めることを、雫から永遠に恨まれる覚悟をして彼らも戦う決意をし、アレーティアの指示を仰ぐ。

 

“ん、わかりました! まず私と白崎さん、中野さんと斎藤さんで魔法を展開して一人ずつ追い込みます! そこを大介が攻撃、坂上さんはもう一方の足止めを!”

 

“了解だ! いくそ、皆!!”

 

 アレーティアからの的確な指示に従った五人の連携に分解能力をフルに発揮した鷲三と霧乃も段々と追い詰められ、遂に霧乃がやられてしまう。だがその瞬間、自分達を襲ったのが分身であることがわかり、本命が別なこととかつてオルクス大迷宮で無数の浩介の分身を相手にしていたことを思い出し、頭を切り替えて戦ったことで満身創痍ながらも鷲三の分身を倒すことに成功する。

 

「倒せた、けど……」

 

「俺らの方は分身だったな……じゃああの二人は一体どこにいるんだよ?」

 

「わからねぇ……とにかく車は捨ててハルツィナ樹海まで戻るぞ! ちと遠いけど我慢だ我慢!」

 

「ったく、面倒臭ぇな……あの二人が派手にブッ壊してくれなきゃ楽出来たってのにな!」

 

 アレーティアは大介の血を、他の皆は回復薬を飲んで傷を癒しつつ、つぶやく。二人の目的がわからないことへの不安、移動手段を破壊されたことで徒歩で戻るしかないことへの文句を垂れながらも彼等はライセン大峡谷を駆け抜けていく。ただ仲間たちが無事であることを願って――。

 

 

 

 

 

“なるほど。しかしお前達も追われる身ながらよくもまぁ色々と作ったものだ”

 

 グリューエン大砂漠の上空にて一匹の竜がその背に()ご主人を、現ご主人を含めた人間らの入った岩の箱を抱えながらとてつもない速さで飛んでいる。砂漠の砂も届かない遥か上空を音に近い速さで飛んでいるのだから相当の衝撃はあるはずなのだが、それは箱の中に入っている一人の人間が展開した結界によって防がれている。そのため竜自身もその快適さの恩寵を受けており、少し目を細めながらも指示した目的地であるハルツィナ樹海へと向かってどこかご機嫌に飛行していた。

 

“そりゃあそうしなきゃならないことを想定してたからね。生活を少しでも快適にしてストレスを減らすのは当然のことでしょ”

 

“いや、いくら本職に劣るとはいえ流石に寝具や調度品、馬いらずの馬車を造るのはないだろう……しかも寝泊まりまで出来るとか無茶苦茶ではないか”

 

 流石に無言で移動するのももったいないと感じたことからハジメから手渡された念話石を使いつつ、フリードは恵里達と談笑をしつつウラノスにちょくちょく指示を出していた。

 

 ちなみにウラノスの名前が戻ったのは、フリードが“縛魂”でかけられた制約を破ったことで発生する心理的な抵抗に耐えながらやたらとネチネチネチネチと嫌味やら小言やらを言い続けたからだ。言ってる最中はもう頭痛やら吐き気やら何やらがしたがそんなことなど知ったことかとばかりに我を通したのである。

 

 そこで勝手に人のものをとってしまったことへの罪悪感を感じていたハジメらが真っ先に折れ、もの凄い顔で彼を見つめて罵倒していた恵里もハジメと鈴の一言で渋々従うことになったのである。

 

()()()()のように自在に魔物を使役できるお前が言えた義理ではないだろう? それこそ軍務以外に使える魔物だって使役できるお前がな”

 

 なおメルドは全然呼び方を『ブリッツ』から変える気は無い上にフリードと仲良くする気はゼロであったが。国同士で積年の怨みがあるし、ここトータスでは普通の考えなのは恵里らも理解しているとはいえど、今の彼は子供の手本には到底できない駄目な大人である。

 

“貴様……!!”

 

“はい二人ともどうどう……ちょっとぐらい仲良くしてくんない? 面倒くさいから”

 

“無理だ”

 

“無理だな”

 

 そしてまた元気にいがみ合う二人の様子にため息を吐きながら恵里がなだめようとするも、この時だけは息を合わせてノーと言うものだから恵里だけでなく他の三人もため息を吐く他無かった。

 

“さて、そろそろ砂漠を抜けるな。合流地点は確か、樹海の近くだったか”

 

“うん。もう少し西手の方に寄ってくれる? そこがボク達が決めた合流地点だから”

 

 そんなこんなで快適な空の旅もそろそろ終わりを迎えようとしていた。前方にある雲に切れ間がないことから一旦高度を落としてもらい、今いる自分達の位置を確認すればもう砂漠の端まで到達していたようだ。そこでフリードに指示して高度を徐々に下げてもらい、恵里達は合流地点へと向かっていく。

 

“んー、誰もいないね”

 

“そうだね。光輝君達も龍太郎君達もいないみたいだ”

 

 しかし自分達が一番乗りであったのか周囲には他の班が使っているキャンピングカーどころか人っ子一人見当たらない。とりあえず他の人間の野営の後も見られないし、上空からはそういった影は一つも見えない。とりあえず降りて先に野営の準備でもしようと話し合い、着陸したウラノスから自分達の入ったかごをそっと下ろしてもらった。

 

「あ、設営は今回僕達がやりますんでフリードさんはそこで待っててください」

 

「その内覚えてもらうけど、まぁ今回はウラノスが頑張ってくれた、ってことで」

 

「人使いが荒いものだな、全く」

 

 やれやれといった風にため息を吐くフリードを横に恵里達は手馴れた様子ですぐに設営の準備にかかっていく。とはいってもハジメが宝物庫からテント一式を取り出し、それを組み立てていくだけだが。これも解放者の住処で暮らすことになって、今後地上で活動する際に必要だということで改めてメルドから仕込まれた技術の一つである。

 

「とりあえずテントの方は立て終わったぜー」

 

「周辺は今俺の分身を出して哨戒させてる。ただ、見た感じ怪しい人は――っ!?」

 

 テントの設営が終わり、後は他の班の到着を待つばかりとなった一行。そこで浩介の方が気を利かせて分身を二体出して周辺の警戒に回してくれた。だが、その際分身が何か見つけたらしく、近くにいた浩介の顔が驚愕に染まったことに全員が驚きを隠せなかった。

 

「何があった、浩介。説明しろ」

 

「……鷲三さんと霧乃さんがいました」

 

 その言葉に新参者であるウラノス以外驚きを隠せなかった。“念話”でやり取りをしていたフリードは話を聞いていたこともあって恵里達ほどではないにせよ驚いていた。だが、そこで事情を呑み込めずに首をかしげているウラノス以外の誰もが思った疑問を礼一が口にする。

 

「なぁ浩介、先生は? 愛ちゃん先生はどうしたよ?」

 

「いねぇ。少なくとも俺の分身の視界には見えないんだ。もしかすると分身かもしれない。でも……どうして」

 

 その言葉に全員気を引き締める。おかしいのだ。どうして自分達が護衛を依頼した相手である愛子がそばにいないのか。別にこれが二人の分身であったのならおかしくはないのだ――どうしてここにいるのか、という一点を除きさえすれば。

 

「……妙だな。話を聞いた限りでは護衛を放り出すような輩とは思えんし、かといってどうしてここにいるのかも不明だ。つまり――」

 

「……最悪の想像をしないといけない。そう、ですよね。フリードさん?」

 

「グルゥ……」

 

 自分達の()()を問いかけるように話すフリードにハジメは震える声でそう返した。うなずき返せば全員が唾を飲み込み、ウラノスもまた心配そうにこちらを見つめていた。

 

 まだオルクス大迷宮を出てからそこまで時間が経過した訳でもないのにこうして出会ったというのは偶然で片付けるにはあまりに出来過ぎている。そしてそれが出来る存在に誰もが心当たりがある。つまり今回は(エヒト)の差し金である可能性が彼らの脳裏によぎったのだ。

 

「今二人は俺の分身が話をしながらこっちへと向かわせてる。とりあえず当たり障りのない話を――リンクが切れた!!」

 

「――全員構え!! 浩介、二人はどの方向からだ!」

 

「ここから三時です! メルドさん、皆!」

 

 そして浩介もいきなり自分の分身が二人に襲われ、殺されたことでリンクが切れてしまったことを認識する。オルクス大迷宮でやらされた訓練のせいで、自分の分身ならば何人死のうが問題なくなってしまったことを感謝なんてしたくなかったと思いつつ全員を一瞥する。無論全員が身構え、すぐにメルドが号令をかける。

 

「久しいな、皆」

 

「お久しぶりです皆さん……どうして身構えているのかしら?」

 

 そうして待つこと数分、遂にゆったりとした歩調で二人は現れる。口調も朗らかで再会を待ちわびたかのように微笑んでいるものの、動きに一切の隙が見られない。どの口が言うか、と全員が思いつつ身構えていたその瞬間――遥か彼方より背筋が粟立つようなものが迫って来た。

 

「全員逃げろぉ!!」

 

 “魔力感知”で感じ取ったのはもはや魔力の洪水と言っていいような代物。それが浩介、メルド、鈴を狙って放たれ、誰もが意識の外にあったことから反応が一瞬だけ遅れる。メルドが大声を出し、すぐに全員が反応したことでかすることなく避けることこそ出来たものの、それは()()にとって絶好の隙となってしまった。

 

「我が主に代わり私エーアストが命じます――“中村恵里よ、私達に下りなさい”!」

 

「ハッ、やっと仕返しが出来るね――“緋槍”!」

 

 そして遥か上空から飛来する三つの影。いずれも前に戦ったノイントと全く同じ姿をした神の使徒であり、その一人が声を上げて恵里に命令を下す。だが恵里は不敵な笑みを浮かべながら幾つも並んだ灼熱の槍の投擲で返事をした。

 

「馬鹿な……声が届かなかったとでも?」

 

「なるほど。耳栓か」

 

「小癪な真似を……使徒様、ここは私達が!」

 

 エヒトの手によって恵里は神の使徒の声に反応する――まるで『神の言葉』に聖職者がひざまずくように――よう頭を改造されていたのだが何故かそれがこちらを攻撃し、従う素振りが無い。そのからくりを即座に見抜いた鷲三と霧乃は恵里の耳に入っている異物を取り出すべく翼を展開し、一気に恵里の方へと翔け抜けていく。

 

「鷲三さん、霧乃さんっ!!」

 

「やれやれ。絶好のタイミングだと思ったのだが」

 

 だがそれを仲間たちは見逃さなかった。一気に距離を詰めて来た鷲三と霧乃に浩介とメルドは刃を交わし、とてつもない膂力での抑え込みに目を見開きつつも“限界突破”も使ってどうにかつばぜり合いへと持ち込んだ。

 

「くっ! お二人とも、正気に戻ってくれ!!」

 

「私達は正気です――これも全てはエヒト様のため!!」

 

 悲痛な表情で襲い掛かって来た二人を見つめるが、表情は何一つ揺らぎはしない。ただ『敵』と見定めた相手を滅ぼすべく、その刃に自身の魔力を纏わせている。上手く受け流して反撃をしようにも武術を修めた二人相手には難しく、“金剛”を付与して強化しているはずの浩介の刀とメルドの剣はあっという間に分解されて削られていく。

 

「やらせるかクソジジイ、クソババア!!」

 

「言葉遣いがなっとらんな」

 

「目的を果たす前に少々しつけるとしましょうか、お義父さん」

 

「まだま、だぁ!!」

 

 鷲三と霧乃が駆け出すと同時に展開してきた計四人の分身を礼一と浩介の分身三人が相手どる。修行によって最大三体出せるようになったことでどうにか()()()動きを封じ込めることは出来た。

 

「クソが! 折角ハジメが強化してくれた武器が欠けちまったじゃねぇか!!」

 

「魔力を纏ってるとあの羽根みたいに分解してくるみたいだな……気をつけろよ礼一!」

 

「あぁ!」

 

 それでも親しかった相手との命を懸けたやり取りをせざるを得ない状況や、そして虚を突かれたことでまだ体勢を立て直しきれてないこと、未知の能力である自分達の武器を分解してくる力、そして触れただけで分解する砲撃によって攻めあぐねてしまっている。

 

 それでも全力を出さなければ絶対に勝てないと確信し、礼一は後先考えずに“限界突破”を、浩介はためらうことなく本体共々“深淵卿”を発動して戦いを繰り広げる。

 

「ぐっ!――“緋槍”!!」

 

「無駄です」

 

「耳を塞げば勝てるとでも、我等に敵うとでもお思いですか。ポーター」

 

「勝てる勝てないじゃない! 勝つんだ!! 僕の恵里は、絶対にもう奪わせない!!!」

 

「そうだよ! ハジメくんと鈴から、皆から恵里をとらないで!! “聖絶・光散華”!!」

 

 そして恵里ら三人も二体の神の使徒と相対しており、どうにか拮抗していた。他の面々と同様に“限界突破”を使いながらそれぞれ別に分かれ、“念話”で三人で連携して対処している。恵里が点による攻撃を、鈴が面による制圧を担当し、ハジメもドンナーとシュラークによる銃撃や迫りくる無数の羽根を迎撃すべくメツェライを取り出して唸らせるなどしていた。

 

「ぐっ!? やはり、厄介だな!」

 

「配下の竜共々、あなたはまだ利用価値があると主は仰せになられています。故に命を奪いはしません」

 

「舐めた口を……! ウラノス!!」

 

 そしてフリードもウラノスと共に空の上で神の使徒のひとりと戦っていた。尤も、それは明らかに手心を加えた状態であり、恵里達と合流出来ないよう単に妨害していたとしか言えなかった。

 

「ぐっ、がぁ……!!」

 

「厄介な。これでは支配下に置くこともままなりませんね」

 

(助かった。恵里の奴、ここまで考えた上で私に洗脳を……!)

 

 とはいえ隙あらば魅了をかけてくることもあり、単純な妨害とは言えなかったが。だがそれも恵里が仕込んでいた“縛魂”によって二つの命令がかち合い、完全な支配下に置くことを防いでくれたのだ。無論それもフリードが考えた通り、わかった上でやっていたのである。

 

「ウラノス、次は極光の連射を! 仲間に当たりさえしなければ何をしたっていい!!」

 

「グルアァ!!」

 

 しかし状況は決して良いとは言えない。自身の変成魔法によって強化されたはずのウラノスのブレスも容易にかわされ、自分の放つ魔法すら目の前の女に避けられるか銀の羽根によって消し飛ばされるためだ。

 

「無駄な足掻きです」

 

「だろうな。だがそれで構わん!!」

 

 だがそれでも構わない。自分が相手をすることで戦力を減らすことが出来ているのだ。ならば道化となろうとここで戦い抜くつもりであった。ウラノスも主に応じ、雄叫びを上げながら神の使徒とのドッグファイトを繰り返していた。

 

「少々、分が悪いですねっ!」

 

「少々? 笑止! いかに師といえど深淵を覗きし我等を超えること能わず!!」

 

「奇怪な言動を!」

 

 一方、地上の方もそれぞれ動きがあった。“深淵卿”のかかりが遅い分メルドの方が余裕が無くなりそうになっていたものの、時間をかけた分の見返りはしっかりと返ってきていた。神の使徒と同様の肉体となった鷲三と霧乃はそれをまだ十全に扱えてないせいか段々と押され始めたのだ。

 

 そして浩介の“深淵卿”の効果のせいで大仰に見えるターンなどの行動も自分達を油断させるためのものだと何度か仕掛けてわかり、二人はうかつに手出し出来なかったのである。オルクス大迷宮での訓練で香ばしい動きも相応に磨かれていたということだ。

 

「そらそらそらぁ! “風灘”! “嵐帝”!」

 

「ぐぅっ!!」

 

「我らを倒せるとでも?――深淵流が奥義“隆々顎々・降岩破(其は遥かなる大地より放たれし怒りの弾丸)”!!」

 

「おのれっ!!」

 

 礼一と浩介の分身の方も優位に戦いを進めていた。分身の方は言わずもがな、礼一は自分達に向けて弾丸のように放たれる羽根への対策が浮かんだのだ。触れたものを分解するというのなら()()()()()()()()()()()()()()()()のだ、と。たとえ魔法であっても実体のないもの――風を利用する手を思いついたのだ。

 

「ハッ、無様だなぁ! 術師でもない俺にやられちまっててよぉ!!」

 

 ただでさえ“限界突破”を発動しているせいで魔力の消費は著しい上に更に魔力を消費するという一見すれば愚の骨頂ともいえるべき行動。しかしそれも戦闘の技術が二人の方が遥かに上であることを悔しいながら理解して認めていたからだ。いくらオルクス大迷宮で鍛え続けたと言えどそれでもまだ及ばない。だがそれで更に悪くなった諦めのおかげで打開策を見出した。相手に無効化される前に無効化出来なくすればいいのだと。

 

 そこで自身が使える魔法を弄って魔法の範囲をかなり狭めて本来の威力を半分程度犠牲にする。しかし発動する場所を自分の遥か後方に、しかも発動の速度を三割早めて叩き込む。

 

「単なる虚勢でしかないだろう!」

 

「それの何が悪い!!」

 

 一々“瞬光”を使いながらやってるせいで鼻血を出してはいたが、こうすることで無効化される前に魔法そのものを発動出来た。威力こそ無くとも相手の動きの妨害は出来る。そこを磨き上げた自分の特技、槍術で突けば歴戦の相手であっても戦える。それを今目の前で証明してみせていた。

 

「ごほぉっ!」

 

「師に手を上げるなど!」

 

「師の誤りを正すのもまた弟子の役目也!!」

 

「汝らが戒め、深淵にて解き放ってくれる!!」

 

 両方の浩介の分身も先程から発動している“隆槍”の多重展開に加え、幼少から習っている八重樫流の動きを熟知したことによる動きの先読み、そして何度も経た実戦の経験から導かれた動きの最適化、そして“深淵卿”による能力値の底上げによって二人を圧倒しだしてきた。

 

「その(かいな)より血が溢るることがない以上、今我らが対峙しているのはどちらも写し身なのは明白!」

 

「ならば迷う道理もなし!」

 

「我らの手にて深淵へと(いざな)おうではないか!!」

 

「おのれぇえぇ!!」

 

 そして礼一と浩介がためらうことなく攻撃できる理由はこれであった。分身ならば散々相手をしていたからこそ心理的負担がほぼない。故に全力を出して倒せる。訓練の時でもやっていた自爆さえ気を付ければ問題すら存在しない。それを理解していたが故の逆転であった。

 

“流石に、キツいね!”

 

“でもやるしかないよ!”

 

“弱音を吐くのは後だよ! こんのっ!!”

 

 そうして四人が鷲三と霧乃を圧倒していた一方で恵里達の方は劣勢であった。三人とも“限界突破”を発動し、“瞬光”も駆使した上で戦っていたのだがそれでも銀の光を纏った二体の神の使徒相手に押されていたのである。

 

 何分この三人にとってはあまりに分の悪い相手だったからだ。レールガンと同程度の速度で飛来する無数の銀の羽根を展開しながら格闘戦を仕掛けてくる上、その一撃が全て必殺。“金剛”を駆使し、鈴が何度となく“聖絶”を十枚単位で展開してくれてはいるが、羽根と同様に分解作用のある魔力を纏わせた双大剣の一撃は熱したナイフがバターを切り裂くが如く。あまりに素早く間断なく振るわれる四つの軌跡に防御に使っている武器は段々と削れ、その性能をじわじわと失っていた。

 

「――ぐぅっ! この、“嵐帝”!!」

 

「そよ風程度で私を押しのけられるとでも?」

 

 しかも何度か仕掛けてみた闇魔法のことごとくも効かないことから恵里は魔法で対処するしかなく、それも凄まじい速度で幾つも飛んでくる羽根によってかき消される。まさに術師殺しそのものの存在にただただ苦悶の表情を浮かべるしかなかった。

 

「“聖絶”っ!!」

 

「所詮その程度ですか。勝敗は既に決しています」

 

「まだ、まだ負けてないから!!」

 

 追い詰められているのは鈴も同じ。何度も“聖絶・桜花”を発動し、その煌めく刃で神の使徒を切り裂こうとも銀の翼が邪魔をしていた。触れた先から分解され、潜り込ませようとも時には払い、時には自身を包み、ある時は他の神の使徒を守るべくもう一方が庇うように動く。

 

 そのため鈴は攻撃でなく防御と回復の方に回っていた。だがそれでも自慢の結界魔法が何の苦も無く破壊される様は心底悔しく、治しても治してもキリがない。

 

(せめて、せめて乱戦じゃなかったら確実に仕留められるのに……!)

 

 無論鈴の攻撃手段が全て封じられた訳ではなかった。取得した空間魔法の一つ、“震天”という空間を無理やり圧縮してそれを解放することで凄まじい衝撃を発生させる魔法がある。しかしその攻撃方法の通り、当然破壊力も及ぼす範囲も大きい。威力と範囲を絞ればいいかもしれないが、空間魔法そのものを習得して一日が経過した程度でしかなく、しかもこれを使った試しがない。下手にこの乱戦の状況で使えばどうなるかわかったもんじゃないから使えないのだ。

 

“鈴、何かないの! 空間魔法なんて大仰なもの手に入れたんだからそういうの使ってってば!!”

 

“あるけど、皆を巻き込んじゃうかもしれないし、魔力の消費は大きいし……”

 

“あるでしょ、鈴。もう一つ、強力な奴が”

 

 だがハジメが述べた通り、実は他にもう一つ凶悪な魔法がある。しかしこれも周囲を巻き込む可能性がある上にもし巻き込まれようものなら『真っ二つ』になる。“震天”と比べれば原型が残るだけマシではあるが、ぶっつけ本番で鈴は使う気にはなれない。その上今は“限界突破”を使っている最中だ。これにしても相応の魔力が必要となるから後先考えずに使えない。そのため鈴はためらっていたのだ。

 

“このままだとジリ貧になるんだよ! 頼むからそれを使ってよ!”

 

“恵里の言う通りだよ。お願い! 僕らで誘導するから使ってほしい。最悪僕の方でもやってみるから!!”

 

“うぅ~……知らないから。どうなっても鈴は知らないからね!”

 

 だが二人の必死な訴えに鈴も折れるしかなく、腹を決めると共に二人と連携しながら神の使徒を誘導していく。撃つなら一発、それも神の使徒二体を同時に撃破できるタイミングを狙って。

 

「逃げ回るだけで勝てるとでも?」

 

「策がお有りの様ですが、その程度見抜けないとでも思いましたか」

 

 当然神の使徒も三人の動きの意図に気づき、絶対に合流させまいと三人に銀の羽根を撃ち続けたり、鈴の方を執拗につけ狙いだす。しかし鈴も体を必要最低限に動かし、時には“瞬光”を使いながらその攻撃をかわし続ける。

 

「うっ!……まだ、まだだよ」

 

 二体の神の使徒の連携はあまりに上手く、ハジメがメツェライで弾幕を張っていても銀の羽根は雨が降り注ぐようにこちらに向かってくる。一度避ける毎に体の一部が三つか四つは抉られる。今も右肩の一部が削れて腕がダラリと垂れそうになったが、展開し続けている“聖典”のおかげですぐに傷も塞がる。しかし傷が治り切る前にはまた別の箇所が幾つもやられ、そこからまた血が流れる。

 

(この程度、ヒュドラの時よりも遥かに楽、だから! これぐらい、でぇ!!)

 

 しかし自分はもっと辛い痛みを知っている。もっと苦しい状況を潜り抜けている。その自負が、経験が鈴を支えていた。そして今自分が受けている痛みも苦しみもハジメと恵里が味わっている。なら絶対に折れていられないと自分を奮い立たせて少女はただ待つ。絶好の機会を。仕留められる時を。

 

「もう余裕もないようですね」

 

「これで終わりとしましょう」

 

 そう言いながら銀の羽根をバラ撒いて恵里と自分へと距離を詰めてくる二体の神の使徒。おそらく恵里に向かっている方は耳栓を取るためだろう。終わりをもたらす羽根を散らすと同時に駆け抜ける様はまさに死神のよう。

 

「「鈴っ!!」」

 

 ――だが死神の鎌が首にかかったのは向こうの方。それを三人が確信したのは()()()()()()()()()のを認識したからだ。

 

「うん。ありがとう二人とも――“斬羅(きら)”っ!!!」

 

 そして紡がれた言葉は必殺の一撃。口にした瞬間、世界が()()た。

 

「――がはっ!?」

 

「馬鹿、なっ!?」

 

 空間魔法“斬羅”。空間に亀裂を入れてずらす事で、対象を問答無用に切断する魔法である。それによって二体の神の使徒は対象とした空間ごと上下にスライスされ、そのまま切り分けられた上半身だけがこちらへと向かってくる。

 

「まだ、まだです!!」

 

「私達が負けた訳で――」

 

「“斬羅”」

 

 そして自分に向かってくる神の使徒に今度は縦に筋を入れる。翼で防御しながら突っ込んできたとしても空間ごとの切除は流石に無意味だったようだ。ほんの一瞬の間を置いて翼が消えると共にズルリと左右に分かれて神の使徒は地面へと落ちていく。

 

「よくも恵里を散々弄んでくれたな――借りは返すよ」

 

 そう言いながらハジメは構えたシュラーゲンの引き金を引き、首から上を吹っ飛ばした。ようやく自分達の方も片が付いたことに軽く安堵すると同時に鈴とハジメの体を纏っていた紅の光は消え、強い倦怠感と同時に吐き気を覚えた。

 

「“静心”っ! 落ち着いて、二人とも……」

 

 すぐさま異変に気付いた恵里がなんとか“限界突破”を維持しながらも二人を抱え、まだ交戦中の他の仲間のいる場所から離れたところへと避難する。幾ら相手が神の人形とはいえ、人の形をしていたことからハジメも鈴も『人を殺した』ことへの罪悪感や恐怖に震えたのだと恵里は察した。

 

“大丈夫、大丈夫だよ”

 

「「え、り……?」」

 

“二人のおかげでボクはここにいる。だから、気に病まなくっていいんだよ”

 

 そう述べながら恵里も“限界突破”を解除し、二人をギュッと抱きしめる。今にも動けなくなるほどの倦怠感に襲われながらもそれでも自分の思いを伝えていく。

 

“辛いのも、苦しいのも、一緒だよ。ボクはあの程度で苦しみはしないけどさ、でも今の二人を見て辛くない訳じゃないから”

 

 瞳を潤ませながら恵里は伝える。二人の受ける苦痛に自分が共感出来ないことを苦しみ、二人に一生ついてまわるかもしれない記憶を与えてしまったことへの後悔をにじませて。まだ戦いが終わってないから三人とも気は張り詰めたままであったが、それでも今この一瞬だけはそれが切れてしまいそうになった。

 

「うん……うん!」

 

「恵里……恵里っ」

 

 二人も涙を流し、ほんのわずかな間だけ恵里を強く抱きしめ返す。そしてすぐに三人は抱擁を止め、苦しみを堪えつつも周囲の状況を確認する。すると上空からもう一体の神の使徒が銀の羽根の雨と雷霆を展開しながら鷲三と霧乃を援護しようとしていた。

 

“行こう、二人とも!”

 

“うん!”

 

“わかったよハジメくん!”

 

 そして三人は再度“限界突破”を使って歯を食いしばりながら駆け出していく。時折飛んでくる紺と淡い藤色の砲撃をかわし、皆が無事でありますようにと願いながら――。

 

「くっ!……何故当たらん!!」

 

「神の人形となった貴公らに深淵は捉えられん! 我と純光の騎士、そして影の姫の師を返してもらおうか!!」

 

 恵里達が心配していた他の面々の方も既に戦いの終わりを迎えようとしていた。既に礼一、メルドは“限界突破”が切れて満身創痍ではあるものの、既に“深淵卿”の深度がステージⅢとなった浩介は更に分身を一つ増やし、計五人で鷲三と霧乃を抑え込んでいる。

 

 本体分身問わずそれぞれが放つ砲撃も難なく浩介はかわし、礼一とメルドも浩介の分身が一人ずつ背負いながら避けているため無事であった。二人を背負った分身は普段は魔法による援護をし、最悪被弾したら他の分身に代わりに二人を背負ってもらって自爆覚悟で突っ込んでかく乱。そして浩介本人も直接近接戦闘を仕掛け、分身には自滅覚悟で突っ込ませる。互いに分身を生み出しあいながら手を変え品を変え、戦闘を繰り広げる。

 

「ここは退きます」

 

 だがフリードとウラノスの相手をしていた神の使徒のエーアストが、どうにか拮抗していた状況を打破せんと、一度仕切り直さなければならないとやって来た。下に味方がいるからこそフリードもウラノスも下手に攻撃が出来ず、格闘戦を仕掛けようとしてはかわされ、まんまと接近を許した。

 

“前方二時の方向。大きく避けて下さい!”

 

「――了解した! ウラノス、二時の方向だ!!」

 

 だがそのおかげで仕留める用意が出来た。言葉短かにハジメが“念話”で伝えるとすぐにフリードらもそれに従って動き、その直後三つの必殺の一撃が木偶人形へと飛ぶ。

 

「無駄なことを!」

 

 放たれた十二のミサイルを銀の羽根で迎撃し、迎撃のタイミングで発動した“斬羅”を体をよじって右腕だけを犠牲にして生き延び、胸元目掛けて照射されたシュラーゲンの一撃を砲撃で相殺しながら体を上部にそらす。

 

「うん。それぐらいやってのけるよね」

 

 ――だが本命はそれらに非ず。撃鉄を起こし、“纏雷”によって十分に電気を蓄えたドンナーに装填された一発の弾丸が今、轟音と共に獲物目掛けて駆け抜ける。

 

「この程度――!!!」

 

 それを分解しながら切り払おうとしたその瞬間、弾丸に込められていた魔法――ハジメが即席で付与した“震天”のなりそこないが発動し、残った大剣に軽く亀裂を入れてエーアストと握っていた剣を弾き飛ばした。

 

「がはっ――!!」

 

「上手くいったね――じゃあ恵里、鈴」

 

「うん――さぁーて、ボクを散々滅茶苦茶にしてくれたお礼をしないとね」

 

「わかったよ!――今まで恵里を、皆を苦しめた分を受け取ってもらうから」

 

 奥の手として残していた弾丸によって吹き飛んだエーアストに向けてハジメはシュラーゲンを構え、声をかけられた恵里と鈴もグリップを握るハジメの手に自分の手を添える。

 

「「「とっととくたばれクソ野郎!!!」」」

 

 紅の砲撃が吸い込まれるように胸元を貫き、遂に全ての神の使徒が死に絶えた。そして浩介達の方も終わりを迎えようとしている。

 

「フッ――深淵を超える者もまた深淵也!!」

 

「そんな、馬鹿な……」

 

「私、たちが……」

 

 “深淵卿”のおかげで徐々に徐々にステータスが上がってきていたものの、一歩でも踏み間違えればアッサリと瓦解する拮抗の維持に浩介がしびれを切らしたのである。そこで思いついたのが“限界突破”の重ね掛け。それによって二重にステータスを上げて強引に終わらせようとしたのだ。

 

 結果は()()失敗。“限界突破”によるステータスの上昇は起きず、その癖“深淵卿”を維持することすら辛くなった始末。だが、このおかげで深度のステージが一つ進んだ――最高のⅤへと至ったのだ。

 

「「「「「「我等孤高にして唯一」」」」」」

 

「「「「「「空に瞬く星もまた深淵の手の内にあり」」」」」」

 

「「「「「「故にこの勝利もまた必定。全ては深淵の中に」」」」」」

 

 そう。分身から分身を無制限に生み出せるようになったことで数で勝っていた鷲三と霧乃をその数で抑え込んだのである。魔法、近接戦闘、囮、自爆と様々な動きをする卿の動きに二人はついていけず、結果地に膝をつくこととなったのである。

 

「うわー……」

 

「助けてもらって言うのもなんだが、その……すごいな」

 

 なお守ってもらった二人は奇怪な動きをする浩介を見て放心していた。無駄にターンを決め、荒ぶる鷹のポーズやら地面に寝そべって変なセクシーポーズをキメたりしている無数の浩介を見て色々と精神が削れたようである。何分オルクス大迷宮での訓練以来だったからちょっと刺激が強すぎたようだ。

 

「はは……やっぱり浩介君最強だね」

 

「これで時間がかからなくって、変な動きさえしなきゃね……」

 

「恵里、言わないであげよう。あの状態の浩介君はともかく、素の方は傷つくだろうから」

 

 そうして再発動した“限界突破”も切れ、もう指一本動かなくなった恵里らはその場に座り込み、ただただ目の前で起きる誰向けかわからない卿の芝居を見ていた。

 

「でも、取り返せた」

 

「うん。やっと、やっと鷲三さんと霧乃さんを……」

 

「謝らなきゃ……鈴達がすぐにオルクス大迷宮を出なかったこと、謝らないとね」

 

 背中に翼を生やしていたり羽を弾丸代わりに使っていたことから間違いなく恵里と同じ改造を受けたのだろうということを察し、自分達のせいで二人がいらない苦しみを抱え込んだことへのとめどない罪悪感に押しつぶされそうになりながら。

 

 彼らが手にした勝利の美酒は、あまりに苦かった。




ちなみに当初はここで神の使徒及び鷲三、霧乃は無事&恵里が奪われるという展開だったり。ただここはあえてプロットも何も決めずに一気に書いてしまった方がいいと考えて書きなぐった結果こんな感じに。ちなみに予定がちょっと狂っただけで大まかな流れは変わってませんよー。

あとタイトルも結構コロコロ変わってたり。


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幕間三十四 再生する絆、生まれ変わる繋がりと心

まずは読者の皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも141885、感想も484件、しおりも372件にお気に入り件数も803件(2022/11/11 12:54現在)となっております。ありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、OPPAIさん、拙作を評価及び再評価してくださり誠にありがとうございます。似たような言葉ばかりで申し訳ないですが、こうしてまた話を書く力を頂きました。感謝です。

今回の話を読むにあたって注意点が三つほど。一つはいつものように長い(約14000字)ことと今回の話があるキャラのファンにとって受け入れがたい可能性のある展開であることが挙げられます。そして最後に……愛ちゃんって素質あるよね。では本編をどうぞ。


「そう、か……ありがとう皆。二人を止めてくれて」

 

 恵里達が鷲三、霧乃そして神の使徒に襲われてしばらく経った頃、ようやく別れた二つの班の皆が合流した。そして合流地点がボロボロなのと鷲三と霧乃がいたことから念のために何があったかを尋ね、光輝達はその経緯を聞いたのだ。その後他の班も経緯を話し、皆を代表して光輝が頭を下げて礼を述べたのである。

 

「気にしないでよ光輝君。浩介君が頑張ってくれたおかげだし」

 

「あぁ。俺とメルドさんが先にぶっ倒れた後、あの二人をどうにかしたのは浩介だからな」

 

「よしてくれよ二人とも……俺達の師匠だし、俺の親友の家族だから。だから止めただけだよ」

 

 乾いた笑みを浮かべるハジメと礼一にそう言われ、浩介もまたやるせない様子でそう答えるだけだった。その一言で誰もが押し黙ってしまう。親しくしていた人を、親友の家族を暴力で止めるしかなかったのだから無理もなかった。

 

「それでも、だよ。皆のおかげで鷲三さんと霧乃さんがもう罪を重ねずに済んだんだ。だから……」

 

「うん……お爺ちゃんとお母さんを止めてくれて、ありがとう」

 

 それでも、と光輝と雫は今にも泣きそうな顔をしながら恵里達に感謝を伝える。皆にこんなことをさせてしまったことへの後悔を、もっと他にやりようがあったかもしれないということへの悔しさをにじませて。こんなことになってしまうなら踏破した後すぐにでも出るべきだったんじゃないかと多くが思った。

 

「そう、だな……だが、それも鍛え上げたお前達の実力あってのことだ。あの時の決断を恨むな」

 

「……ん。きっとあの時、オルクス大迷宮の一番奥にたどり着いた頃の私達の実力だったら、きっと負けてました。だから……」

 

 だがメルドとアレーティアは違った。ここトータス出身で、恵里達と行動を共にする前に何度となく戦いの経験を重ねていたからこそ鷲三と霧乃、そして本来の神の使徒の実力を冷静に見ることが出来たからだ。きっとあそこを突破した直後ではどう頑張っても地力の差で負け、神の使徒一人相手に何人もかからなければ勝てなかっただろう。ましてや二人のように分身出来るとなればまず間違いなく負けると考えたからである。

 

「でも、でもよぉ……」

 

「嘆きたいのはわかるぞ、良樹。だがな、俺達以上に苦しんでる人間がいるんだ」

 

 だがそれでもと誰もが後悔していて、そのことが口から出そうになった良樹をメルドは諫めた。その言葉に彼らはハッとして今も嘆き続ける一人の女性を見つめる。ずっと、ずっと力が及ばなかったがために彼女は苦しんでいたのだから。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……わたしのせいで……わたしなんかがいなかったら……」

 

「キュウ……」

 

 光輝達が連れて来た愛子は今、大迷宮で作ったベッドの上で横たわる霧乃の手を両手で握り、ベッドの上で眠っている()()に向けて懺悔し続けていた。自分のせいで、自分さえいなければ、とひたすら自分を責め続けて。イナバもそんな彼女の脚に頭をスリスリと押し付けたりしていたが、今はただ心配そうに見つめるばかり。

 

「愛ちゃん……」

 

「愛ちゃんお願い……もうやめてよ、もう謝んないでよぉ……」

 

「でも、でも……わたしがいたからしゅうぞうさんは、きりのさんは……」

 

「だからやめてよぉ~……絶対愛ちゃんは悪くないからぁ~……」

 

 そんな愛子に優花、奈々、妙子は声をかけ続けていたがそれが届いてはいない。擦り切れたはずの心を更に擦り減らしてただただ詫びるばかり。もう自分達の言葉が届かないところまで彼女を知らず知らずのうちに追い詰めたのだとこの場にいた誰もが思う。

 

「……皆、もう少ししたらこっちの四人の洗脳も解除出来るよ。終わったら起こして聞こう」

 

「うん……少しはわかるかもしれないから」

 

 グリューエン大火山の解放者の住処で作った洗脳解除用のアーティファクト“エアヴァクセン”に魔力を注ぎながら恵里とハジメは皆にそう伝える。一応これ一つで複数人の洗脳が解除出来るよう作ってはいるが範囲を絞ることで効果が強力になるようにも作っているため、他の皆に周囲の警戒をしてもらって二人は鈴と一緒に対処に当たっていた。

 

 こうして三人がこの護衛の男達の洗脳の解除をしているのも彼らが操られていると愛子が光輝達に教えてくれたことがきっかけだった。連れ出した後、一体愛子の身に何があったかを優花らが移動中に聞き出した際、断片的に語ってくれたことから推察し、合流した後に恵里が念のために“縛魂”をかけてみたことでそれは確信に変わった。だから恵里の言うように情報の提供を期待して三人はこうして洗脳を解除しようとしていたのである。

 

「――ここ、は……」

 

「ぅ、ぁ……私たち、は……」

 

「――お母さん! お爺ちゃん!」

 

 その時、鷲三と霧乃がようやく目を覚ました。既に洗脳の解除を終えて後は目を覚ますだけだった二人はまだどこかぼんやりとした様子であったが、鷲三の寝てるベッドの近くでずっとパイプ椅子に座って待っていた雫はすぐに立ち上がって祖父の手を握りしめようとする。

 

「鷲三さん! 霧乃さん!」

 

「お二人とも、目を――っ! 雫!」

 

 だが雫が手を伸ばそうとしたその瞬間、体が一瞬震えたのを光輝は見逃さなかった。すぐに彼女の手を両手で包み、雫の方を見やる。

 

「こう、き? どうしたのよ、一体」

 

「……無理はしないでくれ、雫」

 

「わ、私無理なんて……」

 

「じゃあどうして……どうして、今も手が震えてるんだよ」

 

 その言葉でようやく雫も自分の異変に気付いた。それだけではない。何故か呼吸が荒くなり、もう一度手を伸ばそうとしても体が動いてくれないのだ。どうしてと思ったその瞬間、彼女の体は光輝に抱きしめられていた。

 

「きっと、声だけでも鷲三さんも霧乃さんも安心できるよ。だから、だから……!」

 

「でも、でも! 恵里が洗脳を解いてくれたのよ! だったら怖くなんて、怖く、なんか……」

 

 その原因は彼女を見た誰もが気づいていた。きっと鷲三と霧乃に分身が殺されたことを体が覚えてしまっているのだろう、と。操られていたから出たとはいえ心無い罵倒が、明確な殺意を以て自分を殺したことが、強い憎しみをぶつけてきたことを体が忘れてくれなかったのだろうと。あまりに深すぎる傷が残っていることに誰もが目をそらしたくなってしまう。

 

「ごめん雫、俺うっかりしてた……最悪俺が話聞いておくから光輝と一緒に――」

 

「すまぬ。どうも少し頭がぼうっとしててな……わしの看病をして――ッ!!」

 

「ありがとう、ございます。皆さん……どうも、悪い夢を見てたみたいで――あ、ぁ……」

 

 浩介が気遣うように雫に声をかけ、まだもやがかった頭の鷲三と霧乃もどうして自分達がここにいるかを思い出そうとし――その顔が絶望に染まる。自分達のしでかしたことを思い出してしまって。あまりに重い罪を犯したことを自覚してしまって。

 

「わしは、何を……どうして……」

 

「しゅ、鷲三さん! あ、貴方も霧乃さんも何も悪くなんか――」

 

「悪いに決まっているでしょう!!……ごめん、なさい。雫、しずく……本当に、どうすれば……」

 

 わなわなと震えながら二人は己の両の手のひらを見つめる。見えない血がその手に、否、体中にべったりと着いているかのような心地がして青ざめてしまう。愛していたはずの、幸せを願っていたはずの存在を憎み、蔑み、この手で殺した記憶が頭から離れない。光輝は悪くないと言ってくれたが、操られていたからといってこんなことが許されるはずがないと二人はただただ己を苛む。

 

「悪くねぇ! 二人とも何も悪くねぇんだ!! だってそれもこれも鷲三さんと霧乃さんをさらったヤツが――」

 

「そうです! 自分を責めないでください!」

 

「だからといって許されるはずがなかろう!!」

 

「私達は、やってはならないことをしたんです……こんな、こんなことならあの時何としても死ぬべきだった……!!」

 

 浩介とハジメの言葉もまた届かない。確かに全面的に悪いのは自分達をさらって改造したエヒトなのだということは鷲三も霧乃もわかっていた。だがそれでも、雫だけでなく親しくしていた家族の子供達にまで殺意を向けた記憶も二人を苦しめる。どれだけ否定しようとも記憶は嘘をついてはくれないのだから。

 

「お爺ちゃん、お母さん!!」

 

「――触れるでない!!」

 

「駄目です雫!!」

 

 けれども雫は自分達は恨んでいないと二人の手を掴もうとし――その手を払われる。ありえない光景に雫だけでなく誰もが固まってしまう。

 

「なん、で……」

 

「こんな、こんな愚かな老人に触れてはならん……お前を汚したくないのだ」

 

「そうです……こんな、こんな母親として最低の仕打ちをして! どれだけ、どれだけあなたを苦しめたか……」

 

 もう雫を苦しめないようにするには遠ざかるしかない。自分達が家族を名乗るなどおこがましい。犯した罪咎が生む自己嫌悪のせいで二人はもう雫に触れられない。そんな資格などないとただただ絶望していた。

 

「あぁっクソッ! 止まれ! 目を覚ましていきなり自殺なんてするなってば!!」

 

 そして目を覚ました愛子の護衛の男達も暴れていた。意識がハッキリした直後、即座に近間にあった剣を奪い取り、それを鞘から抜いて首に当てようとしたのである。頸動脈を傷つけて死のうとしたのがすぐにわかったため、洗脳の解除をしていた恵里ら三人は羽交い締めにしたり、捕縛魔法の“縛印”を使うなどして四人を拘束していく。

 

「やめて……やめてぇぇ!! どうしてですか! デビッドさん、チェイスさん、クリスさん、ジェイドさん!!」

 

「当然だろう!! 俺は愛子……()()殿()に危害を加えたんだぞ!!」

 

「そうです!! 何が愛だ! 何が信仰も捨てるだ!! 私達は捨ててはならないものを捨ててしまったんだ!!」

 

 愛子の、男達の慟哭が響く。自分のために全てを捨てると公言して命を賭す覚悟を持っていたはずの四人は今、自分の命を捨てようとしていた。彼らの心は今、後悔と恐怖、己への怒りと失望で荒れ狂っている。

 

「運命の相手を殺す寸前まで痛めつけた人間が、生きる価値なんてあるものか!! こんな、こんなぁ!!」

 

「死なせてくれ! もう……罪を償うには死ぬしかない!!」

 

「それを畑山先生は望んでないよ! だからやめてよ!!」

 

 鈴の声も届かない。ただただ狂乱した様子で己の死を願っている。それ程までに彼らの絶望はあまりに深く、この場にいた()()()()の人間が己の力不足とどうにもならない状況にただただ歯噛みするばかりだった。

 

「ったくあぁもう、こちとらしんどいってのに! 静し――」

 

“止まって!!!”

 

 遂に我慢の限界に達した恵里が、“限界突破”の後遺症であるすさまじい倦怠感にまだ苛まれながらも“静心”を最大威力でぶつけようとしたその時、アレーティアが“念話”を思いっきり叩きつけて来た。

 

「ぐぇぇ……痛いぃ……」

 

「あ、アレーティア……か、加減しやがれバカ……」

 

「あ、あ、その……ご、ごめんなさいごめんなさいっ!!」

 

 無我夢中でやったであろう遠慮なしのすさまじい魔力を乗せたそれはこの場にいた全員の頭を揺らし、感情的になってた全員の頭を冷やすに足る一撃であった。尤も、鷲三や霧乃にデビッドらだけでなく他の面々も食らっていたため、悶える皆を見てすぐさまアレーティアは何度も平謝りする。

 

「うぐ……なに、を……」

 

「お、お願いします! どうか、どうか私の話を聞いてください!」

 

 脳にガツンとくる一撃をもらって頭を抱えつつも鷲三が問いかければ、アレーティアはすぐに頭を下げて自分の話を聞いて欲しいと頼み込んだ。

 

「話、とは……?」

 

「はい……私は、私は……」

 

 今自責の念に駆られている彼らを助けられるのはきっと自分しかいない。そう思ったからこそ彼らに話を聞かせるべく動いた訳だが、いざ話をする段となると怖くて怖くて仕方がない。ふとそんな時、彼女の左手を大介が握った。

 

「あ……大介」

 

「いてて……ったく、()()()でも話すんだろ? まぁ、その、なんだ。俺がいるからよ。何があっても大丈夫だから話しちまえ、アレーティア」

 

「……んっ!!」

 

 未だ残る痛みに頭を抱えつつもどこか照れくさそうにそっぽを向きながら伝えてくる愛しい人の言葉に勇気づけられたアレーティアは再度六人の方を向いて過去の自分の罪をさらけ出す。

 

「わ、私は……大介を、今の仲間の皆さんを一度、殺そうとしたことがありました」

 

「「「「「「……は?」」」」」」

 

 青天の霹靂。そう言って差し支えない言葉に鷲三らは度肝を抜かれた。

 

 何らかの経緯があって目の前の少女が少年達の仲間になったことは初対面のデビッド達でも理解は出来る。だがまさか殺し合いに発展した相手を近くに置くなんて普通ありえない。あまりにも突拍子の無い事実の暴露に己の罪咎を数えようとしていた彼等の頭はもう働かなくなってしまった。

 

「私はかつて、三百年前に存在した吸血鬼の国の王でした」

 

 そしてアレーティアは過去を語っていく。かつて自分は吸血鬼の中でも特別に強い存在として周囲に期待され、王位を継いで国のために戦ったことを。そして周囲からの称賛は畏怖へと変わり、後に叔父から反旗を翻されて大介達が潜ったオルクス大迷宮へと幽閉されたことを。

 

「そこで、そこで私は大介達と出会って、助けてもらいました……でも、でも私は……心の奥底で彼らを恨んでいたんです。私は裏切られたのに、信じていた人を失ったのにどうして、って」

 

 助けてもらったにもかかわらず、彼らへと憎しみを抱いていたことも。その言葉に聞いていた六人は絶句するしかなかった。こんな経緯があっては確かに絶望するしかない。自分達とてそんな状況で彼女のように考えないでいられるかという自信など無く、ただ彼女の話に耳を傾けるしかなかった。

 

「そして、そして私は……彼らを殺そうとしました。羨ましくて、憎くて、ずっと、ずっと欲しかったものがそこにあったから……」

 

 涙を流しながらアレーティアは語る。今にして思えばあまりにも幼稚で、愚かしいこと。なのにあの時は絶望に暮れて怒りのままに動くしか出来なかった。その後悔が彼女の心を絞めつける。

 

「それでも彼らは許してくれたんです。命がけで、私を止めてくれた……それは真実が明らかになった時にも、です」

 

 だがそれでもアレーティアは語ることを止めない。それではまだ届かない。全てを伝えきれてないからとそばにいる大介から勇気をもらいながら更に話していく。

 

「私が封印されていた場所に、叔父はメッセージを残してくれていました……これも私を守るためだったんだ、と伝えてくれたんです。私をあの場所に閉じ込めて、誰かが救ってくれることを祈っていました」

 

 自分のやったことを思い出して涙を流しながらもアレーティアは鷲三、霧乃、デビッド、チェイス、クリス、ジェイドを見つめて話す。そしてアレーティアはようやく伝えたかった本当の思いを口にする。

 

「皆……みんな私のことを許してくれたんです! 真実が明らかになっても! 私の逆恨みでしかないってわかっても! だから、だから――あなたの家族を信じて!!」

 

 鷲三と霧乃に向けてアレーティアは訴える。ここで家族の絆を断ち切ってはならない、と。そんなことをするべきじゃないんだと。

 

「あなた達に手を伸ばしてくれた人を信じて!! その手を振り払わないで!!」

 

 デビッド達に向けてアレーティアは叫ぶ。絶望に暮れていたはずなのに、それでもずっと案じていた愛子の思いを無碍にしないでと。思いよ伝われとばかりに声を張り上げる。アレーティアが荒い息を吐き、じっと見つめる中、彼らはまた涙をはらはらと流し始めた。

 

「許されて、よいのか……? わしなんぞを、恥知らずなのだぞ」

 

「八重樫さんを……雫さんを信じて」

 

 覇気も何も失った鷲三のしわがれた声にアレーティアは答え、その手を雫が震える手でそっと握る。

 

「だって、だって私のお爺ちゃんなのよ?……だって家族なのよ? 当たり前、じゃない」

 

「しず、く……」

 

 顔を上げ、体を震わせながらも必死に手を離さない孫を見て老人は嗚咽を漏らす。

 

「ですが、ですが……頭に、頭に記憶がこびりついているんです。雫、あなたをどこまでも憎んで蔑んだ記憶が……」

 

 あまりに弱々しい声で反論する霧乃の手をアレーティアが握り、そのまま鷲三の手を握る雫の手に重ね合わせる。

 

「大丈夫……赤の他人の私を許してくれて、気にかけてくれている雫さんを信じて」

 

「そうだよお母さん……お母さんはずっと、何があっても私のお母さんだから」

 

「あ、あぁ……しずく、しずく……」

 

 母は娘の体を抱き、滂沱の涙を流していく。同門の二人の少年もまた涙を流しながらそれを見つめ、吸血鬼の少女は伴侶の少年と共に微笑んだ。

 

「……俺、たちは」

 

「もう、何も言わないでください。あの時私を信じてくれた。それが一番の答えですから」

 

 デビッド達はうつむいたまま、何を言うべきか迷っていた。だが愛子は彼らに先に思いを伝える。

 

「私だって、私だってあなた達にひどいことを言ってしまったから……だからどうか、ここからまたやり直せませんか」

 

 神の使徒に襲われたあの晩、自分の訴えを聞いて信じてくれたことが嬉しかった。けれども同時に追い詰められていたとはいえ彼らを罵倒し、ぞんざいに扱ってしまったことを愛子は恥じていた。だからここでまた手を差し伸べる。こうまで自分のことで苦しんでいる彼らならばきっと大丈夫かもしれないと信じて、勇気を出して。

 

「「あい、こ……」」

 

「あいこさん……」

 

「あいこちゃん……」

 

 四人の男はその手をとらない。けれども涙を流しながらも彼女の顔をただじっと見つめる。自分達はまだ許される立場にない。けれども彼女の思いだけは無駄にしないと決意を込め、目をそらさなかった。

 

「私、は……」

 

 自分に視線を向けてくれることからきっと悪し様に思ってはいないだろうことを察したが、それでも自分の手を掴んでくれないことに愛子は意気消沈する。やはり自分なんかでは駄目なのかと。そんな時、デビッドらの背中を龍太郎と香織、幸利がトンッと押して目と鼻の先まで近づけたのだ。

 

「な、何を――」

 

「それだけじゃ伝わんねぇよ」

 

「うん。愛ちゃんの手を握ってあげて。それか言葉をかけてあげてください。言葉にしないと、やっぱりわからなかったりするから」

 

「そんなんで分かり合ったつもりになるなよいい年した大人がよ。現に先生うなだれてんじゃねぇか」

 

「それは……」

 

 三人にそう言われて彼らは答えに窮する。まだ子供に説教されることに幾らか憤りと羞恥を感じはしたが、その通りでもあったために何も言い返せないのだ。

 

 結局自分達は愛子の味方をしようとして、前と変わらない立ち位置に甘んじんていた。それでは駄目だったというのにだ。けれどもあんな仕打ちをしてしまった自分達が許されていいのかと葛藤し、手を伸ばせない。そんなデビッドの手を愛子はそっと両手で包んだ。

 

「もし、もし皆さんがまだ私のために戦ってくれるのなら……どうかお願いします。力を、力を貸してください」

 

 その瞳に四人は射抜かれる。まだ濁りがとれない、あまりにも弱々しい女の目に。助けを求めてただただ暗闇をさまよった少女が浮かべるような目をした彼女から視線を逸らせないでいた。

 

「――あぁ!!」

 

 だからこそデビッドはその手を勢いよく掴んだ。ただ盲目的に付き従うのではなく、彼女と共にあるために。

 

「ありがとう、愛子さん!」

 

「わかったよ愛ちゃん!!」

 

「愛子、お前の思いに今度こそ応えてみせる!」

 

 それはチェイス、クリス、ジェイドもだ。篭絡するための役割を、護衛という立場も捨て、ただ彼女の『仲間』となるために。その瞬間、わっと愛子の目から涙があふれた。

 

「みなさん……みなさん!」

 

 改めて行動で、言葉で彼らは思いを示してくれた。そのことが嬉しくて涙が止まらなくなる。自分は一人ではなかった。ただ孤独ではなかったのだと理解できて。そのことが彼女の心を癒していく。

 

「良かったわ、ホント。愛ちゃんにもちゃんと味方がいてくれて」

 

「うん。もう大丈夫だよ愛ちゃん。私達だっているから」

 

「そのべさん……みやざきさん……」

 

「そうだよぉ~。私だって、皆だっているからぁ~」

 

「すがわらさん……う、うぅ……うぁぁ……」

 

 そして彼女のそばでずっと寄り添っていた優花と奈々もまた愛子の両肩に手を置き、二人ごと妙子が愛子を抱きしめる。守りたかった相手がいつの間にか成長していた様子に幾ばくかの寂しさと悲しさを感じつつ、ただその優しさを受け止めようとしていた。

 

「わたし……みんなを、みなさんをまもりたかったのに……なにも、なにもできなくって……」

 

 どれだけ頑張っても理想に手は届かなくて、どう足搔いても何も成せなかった一人の女の懺悔をそばにいた誰もがただ静かに耳を傾けている。

 

「んなことねぇよ。そう言ってくれただけで俺達は救われた」

 

「しみずくん……」

 

 幸利が穏やかな笑みを浮かべながらその悔恨に満ちた言葉に反論する。味方が自分の親友達とその家族、全てを捨ててでもついてきてくれた鬼教官だけではない。たったそれだけのことでも今の彼等にとっては救いとなる。四方が敵となっているこの世界の中で安心できる存在となってくれているから。

 

「学校にいた時、恵里達のことをとやかく言ってたのだって俺達のことを思ってくれてたからだろ? それが変わってなかったってだけでホッとするんだよ。ありがとう先生」

 

「恵里ちゃんと鈴ちゃん、それとハジメ君のことは三人に任せて欲しかったから私達は怒ってたけど……でも、わかってたよ。ちゃんと愛ちゃんが真剣に私達に向き合ってくれてたこと。それに、今も私達のことを思ってくれてたのすごく嬉しかったよ」

 

「さかがみくん……しらさきさん……」

 

 龍太郎と香織の言葉で心が軽くなっていく。ただすれ違っていたのではなかった。自分の心配は彼等にも届いていたのだとわかって、そしてずっと彼らのことを案じていたことも理解してくれて。それが愛子の心の新たな支えとなっていく。

 

「ていうかよ、そもそも悪いのはあの国の奴らだろ? 先生だって被害者じゃねーか」

 

「言えてる。確かにまぁ、巻き込まれた先生だって俺達と立場はそんな変わんねーしな」

 

「つか俺らが下手なことしなかったらむしろ愛ちゃん先生ここまで追い詰められてねーだろ? 言われたくねーけど恨みの一つや二つ、吐き出したっていいんだぜ?」

 

「いや良樹、言われたくねーのかよ。まぁ俺も嫌だけどよ。でも、恨まれたって仕方ないってのはわかってるつもりだぜ」

 

「ひやまくん、こんどうくん……なかのくん……さいとうくんも……」

 

 大介が、礼一が、良樹が、信治が腕を組んだりしながらそう伝える。未だ悪ガキで地球にいた頃はうっとうしがっていた彼等であっても彼女が辛い目に遭って苦しんだのは理解している。だからこそ彼等なりにぶっきらぼうな言葉をかけ、自分達も味方なのだと遠回しながらも伝えていく。それが彼女の朽ち果てそうになっていた心に活力を与える。

 

「ありがとう、畑山先生」

 

「なぐもくん……」

 

「ありがとう、先生。鈴達のことも思ってくれてて」

 

「たにぐちさん……」

 

「……まぁ、そっちがボク達の将来のことを思ってくれてたことぐらいわかってるよ。いろんなとこ駆け回ってくれてたのも、永山達だけじゃなくてこっちのことも考えて足場固めしてくれてたことぐらいね」

 

「なかむらさん……わたしは、わたしは!!」

 

 ハジメと鈴の感謝が、恵里の理解が彼女の心に炎を宿す。灰となったはずの誓いもその炎にくべられ、新たな輝きを放ち始める。

 

「みなさん……みなさん……うぅ……うぁぁ……うわぁあぁぁあああぁぁぁ!!!」

 

 今一度愛子は大粒の涙を流していく。全てを奪われたことで慟哭した時以上に、全ての悲しみと嘆きを洗い流すかのように。寒く苦しい世界から今、彼女の心は解放される――。

 

 

 

 

 

「さて、まずはそちらの置かれていた状況を話してもらおうか」

 

 そうして愛子らが号泣することしばし。ようやく落ち着いたところでフリードが話を切り出しにかかった。当然デビッドらは彼と共にいたウラノス共々警戒心を抱いたものの、今の今まで静観していたことと敵意を感じられないこと、そして愛子の教え子の仲間なのだろうとよくわからない確信を得たことから剣を抜くことはせずに事情の説明をする。

 

「そうか。やはり俺達の今の状況は芳しくないということだな……」

 

 わかってはいたんだがな、とつぶやきながらもメルドは頭をかく。神の使徒がやはりエヒトの使いであると自称していたこと、鷲三と霧乃が拉致された後に相対した存在がエヒトであると伝えたことにあえて目をそらしつつもどうしたものかと考えていた。

 

「わしらが雫達を襲わなければ……」

 

「お爺ちゃんとお母さんが悪い訳じゃないわ……全部、全部エヒトが悪いもの」

 

 鷲三が力なくつぶやくと共に霧乃もうなだれ、雫も深い憎悪をその目から滾らせる。雫の言葉に恵里らは反論せず、メルドもまた信仰する神を侮辱されてはいたが言い返せる余裕も無く、これまでの経緯のせいで自身の信仰が揺らいでしまっていたために沈黙していた。

 

 今現在一行の置かれている状況は非常に不味いものだ。反逆者の汚名を着せられ、しかも反逆者の一人とされている鷲三と霧乃が実際にウルの街を襲ってしまったせいで、名実共に『人間族の敵』という扱いが定まってしまったからだ。

 

 無論幸利達が対処したおかげで人的被害は抑えられたはずではあるが、あくまでそれだけだ。ちゃんと確認したわけではないが戦いの余波で建物も少なくない数が被害を受けているだろうと幸利達も、鷲三と霧乃も認識している。

 

「今は敵の想定した通りの状況……俺達は今、かつて反逆者と呼ばれた人たちと同じ状況下にある」

 

 光輝の言葉に多くが唇を嚙んだ。解放者の住処に到達して真の歴史を知った恵里達はもとより、現地人であるメルドにデビッド達、フリードもまた自分達の置かれた状況を理解している。かつて人類の解放のために動いていた彼等はこうして追い詰められ、自分達も同じ道を踏まざるを得ない状況に追い込まれているのだと。この世界の歴史を知らない鷲三と霧乃、座学で一度学んだだけの愛子も自分達がどれだけ危うい立場なのかは痛い程わかっていた。

 

「逃げ回るだけでどうにかなったらいいけどね……大所帯になってきたし、大迷宮を回るにしても他の場所でやり過ごすにしても食料をどうするかが問題だよ。正直頭痛がするね」

 

 わざとらしくため息を吐く恵里に全員が首を縦に振る。オルクス大迷宮を攻略した恵里達は最悪魔物の肉とユグドラシルの果実を食べて生きることは出来るし、アレーティアは大介の血を飲めば問題ない。

 

 だが他の面々はそうもいかず、流石に自分達と同類になれとはさしもの恵里とて言わない。あの痛みは尋常ではなかったし、それを遠慮なしに勧めるほど今の彼女は鬼ではない。だからこそ()()を除いて誰もが迷っていた。

 

「……ま、それを解決する方法が無い訳じゃないけどさ」

 

「――本丸を落とす。そういうことですね、中村さん」

 

 冗談交じりに自分の考えを伝えようとしたその時、口を挟んできた愛子に恵里すら思わず瞳孔が開いた。

 

「今の私達の状況は極めて厳しい状態です。おそらくエヒトはそこを狙ってくるでしょう。きっとウルの街を起点に全ての街や他の国、ヘルシャー帝国やアンカジ公国とも連携して私達を包囲するはずです」

 

 ひどく冷静に、そして静かな怒りを宿しながら愛子は自分達が今後受けるであろう策を淡々と語っていく。その様に恵里は面白そうに目を細め、彼女をよく知るハジメらは背筋に寒いものが走っていく。

 

 あまり面識のないメルドも『畑山殿はこういう方だったのか……?』と首を傾げ、彼女の護衛をしていたデビッドらはこんなことを言い出した原因に思い当って冷や汗をダラダラと流し出す。唯一面識のないフリードとウラノスもよくわからないが不味いということだけは場の空気で察した。

 

「なら包囲網を敷く前に一点突破。ハイリヒ王国を陥落させます」

 

「何ぃー!?」

 

「えっ」

 

『愛ちゃーん!?』

 

『先生ぇー!?』

 

「「愛子ー!?」」

 

「愛子ちゃーん!?」

 

 遂にヤバいことまで言い出した。恵里は感心したように、鷲三と霧乃も顔を引きつらせながらもそれにうなずいているものの、他は大焦りするばかりであった。ちなみにフリードは魔人族に寝返る気なのだろうかと思ったぐらいでさして気にしていない。

 

「いやいやいや!? 先生何言ってんですか!? 国落とすなんて滅茶苦茶ですよ!?」

 

「そ、そうよ愛ちゃん!! ま、まだ永山君達もいるでしょう!! いくらなんでも言ってることが――」

 

「もちろん永山君達もその時に回収するつもりです。そのことを今話そうとしてました」

 

 光輝と雫は愛子を止めようとするも、口元だけ笑っている状態でそんなことを言ってのける様子に彼女をよく知る者達の多くが戦慄する。

 

 普段怒る時は見た目相応に可愛らしいものであるはずと認識していたハジメ達からすれば本当に同一人物だとは到底思えず震えるばかり。デビッド達は『度を越した献身をしてしまいかねない、そんなほっとけない愛子がこうなってしまったのは自分達のせいだ』ととてつもない罪悪感に襲われ、鷲三と霧乃もまぁこうなっても仕方ないだろうとため息を吐いた。

 

「そういうことではない!! い、いくら何でも気が早すぎるというか、その口振りからしてまさか陛下の首を狙って――」

 

「えぇと、メルドさんでしたっけ? そうですよ。とりあえず王様と教皇の首を取って……確か王子と王女がいたはずですし、彼らに私達の要求を聞いてもらおうかと思ってます」

 

「よしそうか、わかった。お前ら、立て。この頭のおかしい女を鎮圧するぞ」

 

 そんな中、メルドはハイリヒ王国を落とす算段を立てる目の前の女をどうにか止めようとし、そして返ってきた言葉から武力による鎮圧もやむなしと即座に腰の剣を抜いた。

 

「いやいやいや!? メルドさんも落ち着いて下さいって!!」

 

「落ち着いていられるか!! この女は俺の国をお陀仏にしようと――」

 

「ええ、そうですね。仰る通りです」

 

 すぐさま龍太郎が羽交い締めにし、メルドを落ち着かせようとした時にうっすらと怒りの感情がこもった言葉が愛子の口から漏れ――その瞳に宿った怨恨の炎を見て、恵里だけが興味深そうに彼女を見つめた。

 

「エヒトなんて神様がいなかったら、あの人達が子供達を戦争に駆り立てるような真似なんかしなかったら、天之河君達も、永山君達も、きっと傷つくことなく青春を過ごせた」

 

 静かに、ただ静かに幼げな容姿の()が語る。それは子供達が健やかに過ごすことが出来なくなったことへの怒りがにじみ出ていた。

 

「少なくともここまで深く皆さんが傷つくことはなかった」

 

 子供達を守らんと奮闘していた女が元騎士団長を視線で射抜く。子供達の人生を踏みにじったことへの憎しみがその目にありありと映っていた。

 

「――ッ! それ、は……」

 

「その上この子達の命まで奪おうと考えてるんですよ?――実際にやったのが誰であれ、上が責任を取るものでしょう」

 

 どこまでも冷たく、研ぎ澄まされた刃を連想させる眼光に、そしてかつて自分がいた国の狼藉を淡々と語られてはメルドも何も言い返せず……黙って剣を鞘に収めるしかなかった。

 

「あ、愛ちゃん……?」

 

「駄目ですよ、園部さん。皆さんを守れなかった私が教師を名乗るだなんておこがましいとは思ってますけど、目上の人を軽んじるような言い方はいけません。いつかそれが必ず返ってきますよ」

 

 そんな変わり果てた様相の愛子に思わず優花が声をかければ自分達が知っている愛らしい姿でなく、少し似た、落ち着きのある一人の大人としてたしなめようとする様を見せる。あまりに早い変わり身を見て光輝達はガタガタと震え、恵里だけが()()を見つけたかのように微笑んだ。

 

「へぇー。先生もそういう顔出来るんだ」

 

「中村さん、大人をあまりからかわないように。そういった態度は他の人から悪く見られますよ……でも、そうですね。皆さんを守れなかった人間なんかに教師なんて務まらないでしょうし……」

 

 からかうように言った恵里を軽く注意した後、ふと愛子は今の自分が何者だろうかと考え込む。

 

 ――デビッド達が寄り添い、優花達に慰められ、恵里に理解を示されて立ち直った愛子の心は今、『子供達を守り抜く』という意志一つに固まっていた。

 

「うーん……“豊穣の女神”なんて肩書も私には荷が重いですし」

 

 自身の無力さを痛感し、対話をしても聞き届けられないことも少なくなかった。何より守りたかったものを踏みにじられたことで彼女の心は一度砕けてしまう。だがこうして皆の声を聞いて、自分のやったことが無駄でないとわかり、頑張りを認められ、感謝されたことでよみがえったのだ。

 

 その時、彼女は今一度願った。今度こそ子供達を守り抜きたい、と。そのためなら何でもやってやる、と。大切な存在を目にして彼女は()()()()()()を捨てた。

 

「これから国を落としに行くんですから――いっそ“魔王”とでも名乗りましょうか」

 

 ……それはさながら、ある少年が奈落の底で豹変したように。

 

 話し合うことは今でも大事だ。相応の働きをして無視できないような立ち位置を作るという考え自体を馬鹿馬鹿しく思うようになった訳ではない。ただ、何をやっても通用しない相手であればあらゆる手段を用いて排除することも選択肢に入っただけだ。

 

 だから愛子は『第三の選択肢』をためらいなく選ぶ。これ以上子供達が傷つくことがないように。自分の体を張ってでも、暴力を振るうことすら忌避せず、むしろ使ってでも守り抜く。その決意を宿したのである。

 

「あ、愛ちゃんが……愛ちゃんが壊れた」

 

「どうして……どうして、愛ちゃん……」

 

 その様を見た子供達は絶望に暮れた。

 

「……私達のせいですね、お義父さん」

 

「いや、貴方達のせいではない……これもそれも俺達が愛子を追い詰めたせいだ」

 

 近くで見守っていた大人達も己の無力を嘆いた。

 

「どうしよう……だ、大介。こ、これでよかったの……?」

 

「いやなんでこうなんだよ……」

 

「キュゥゥ……」

 

 吸血鬼の元女王もうろたえ、自分の恋人にすがろうとするも彼自身も白目をむいていた。兎の魔物も奈落の魔物や自分達の主とはまた違った気配を放つ存在に怯えて涙目になる始末。

 

「……そうだな。これから俺がやろうとしたことを考えたら大差ないか。でも、国王陛下の御身は何としても守り抜かなければ……」

 

 教皇を成敗し、国を取り戻そうと躍起になっていた一人の男は迷いを見せた。彼女と自分は大差ないことをやろうとしていると。だが彼女を野放しにだけはしておけないと目つきを細めながら決意する。

 

「前だったら不敬だなんだと述べていたが……何故だろうな。力こそともかく、今の雰囲気はアルヴヘイトにそう負けてはいない気がする」

 

 魔人族の男も今の彼女の様子を素直に評価している。自分ほどの実力があるようには見えないものの、どこか覇者の風格を感じ取っていた。

 

「……恵里、どうするの?」

 

「別にいいんじゃない? ウジウジしてるよりマシだし、なんか前世のハジメくんっぽいのがちょっと気にはなるけどさ。使える戦力が増えたんだから喜ぼうよ」

 

「そうじゃないし喜ぶところじゃない。鈴が言ってるのそこじゃないんだってば……まさかこんなことになるなんて」

 

 そして時を遡った少女は彼女を使える相手とみなし、錬成師の少年と彼を愛する治癒師の少女は変貌した彼女を見て頭を抱える。蝶の羽ばたきがとてつもないものを引き起こしたとただただ痛感するのであった……。




……おや!? あいちゃんのようすが……!

おめでとう! あいちゃんはまおうあいこにしんかした!


……ちなみにこの展開、実はトータスに恵里達が来た辺りには浮かんでたものだったりします。その言い訳としてちょっとした比較をば。


原作ハジメ
・豹変前は普段は押しが弱く、事なかれ主義。しかし必要だと断じた時には意見を曲げずに突き進む。
・必要に迫られたら殺すことも選び、ためらわない。
・豹変前にベヒモス戦で勇者を説得したり、クラスメイト達を煽導するなどアジテーターとしての素質がある。
・魔物に腕を食われ、折れてもなお立ち上がった心の強さを持つ。
・得意分野が錬成と「無機物の操作」に長けている。

愛ちゃん
・色々と奮闘するものの、普段は押しが弱い。ただいざという時は頑固になって自分の考えを貫く。
・必要に迫られたら戦うことをためらわない。殺しは流石に罪悪感を感じるが、それでも乗り越えられる程度には精神が強い。
・最終決戦に備えてリリィと共にアジテーションを行い、人類の意志を一つにまとめ上げている。
・目の前で生徒が死に、意図せず大量殺人をして心が折れかけても(魔王の支えありきとはいえ)立ち直っている。
・得意分野の一つが土地改良であり、「無機物の操作」をしていると思われる。

……とまぁ軽く挙げてみた通り、割と共通点あるんですよね愛ちゃん。んで拙作では幾度もの絶望を経ていますし、彼女の手を何人もの人間がとりました。なので復活出来るかなー、と思って書きました。

ちなみにweb版原作の「豹変」の魔王が生まれていく感じをオマージュしてたりします。『魔王』を自称しているのはそれ劇中で語ったのに加えてそれがあるからだったり。

あと神代魔法の適性に関しても

生成魔法:土壌改良のことを考えれば魔王程では無いにせよかなり高い
重力魔法:魔王以外適性あり、と地の文にあったので最低でも人並み程度
空間魔法:もしかすると低い? ただ深淵卿三部で巨大な樹木の兵隊をアーティファクトありきとはいえ作り出して操ってたことを考えれば『動物と植物の境界をいじれる』と見做せなくもないため、適性がある可能性も。
再生魔法:作物の急速成長を考えれば香織ほどではないにせよおそらく高い
魂魄魔法:アフターで鎮魂を使ってた事を考えると人並み程度には最低でも高い
昇華魔法:不明。もしかすると低い?
変成魔法:文句なしで高い

と個人的には見てます。異論は認める


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五十九話 決戦、邂逅、そして

まずは拙作に目を通してくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも142889、感想数も489件あり、しおりも372件、お気に入り件数も802件(2022/11/16 20:59現在)となっております。こうしてひいきにして下さり、本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回もまた拙作を再評価していただき、毎度毎度どうもありがとうございます。おかげさまで物語を書き進める力をいただきました。本当にありがとうございます。

今回の話は少し長め(約11000字)となりますのでご注意ください。では本編をどうぞ。


「見事なものだな……」

 

 王国の周囲を取り囲む外壁の外に多くの戦士が並んでいる。その陣容は一言でいえば『壮観』に尽きた。

 

 王都及び近場のホルアドからかき集めたランク“黒”以上の腕利きの冒険者達がひしめき合い、互いに火花を散らしている。目的はもちろん反逆者を討伐することで得る名声と富だ。前々から大々的に募集をかけてはいたものの、三日ほど前から一層熱が入ったのである。

 

 理由はギルドを通して支払われる国の報奨金が更に吊り上がったからである。そのため元々参加を希望していたランク“金”の“閃刃”のアベルや“銀”の“剛断”のハックマンだけでなく名だたる“黒”の面々もここに集っていた。

 

「これだけ多くの人がアイツらを倒すために来たんだな」

 

「あぁ……いくらオルクス大迷宮を突破したとはいえ、これほどの数相手に敵うはずはない……」

 

 この戦いのために新たに設えた防具を身にまといながら野村と永山が話し合う。彼らの身に着けている装備はオルクス大迷宮四十二階層で採れる貴重な鉱石であるジェールトヴァ鉱石をふんだんに使っており、彼らが断念した六十一階層辺りであっても容易に砕けることはない。

 

 そしてそれは永山達と共に戦っている神殿騎士達の中の精鋭十人及び騎士団長のクゼリーにも与えられており、兵士達も今回の戦いに合わせて武具を新調している。

 

「こんなに多くの人がいるんだもの。絶対に負けないよ」

 

「うん。あの人達を倒して、戦争にも勝とう。それが帰る唯一の方法なんだから」

 

 野村の横にいた辻と吉野も軽く武者震いを起こしながらも戦う意志を露わにする。二人もお飾りとはいえ部隊を率いて“反逆者”と戦うことになっており、どちらも治癒と支援と役割は違うものの後方から前線部隊を支える役割を与えられている。

 

「勝とうぜ、リーダー」

 

「たった十人そこらで何が出来るってんだよ」

 

「負ける訳がない……俺達だってオルクス大迷宮で鍛え続けてきたんだからな!」

 

 仁村が、玉井が、相川が気炎を吐いて永山を見つめる。この戦いのために集まった腕の立つ冒険者七十余名に加え、総勢三千の兵士達が戦いの時を今か今かと待っている。もしもう一週間ほど時間があったのならば王国傘下の諸侯も集まり、トータル二万にまで膨れ上がっただろう。だが今回はこれで十分だ。なにせたった十七人が相手なのだから。

 

 先の二人の反逆者の襲撃により、王都を守る三枚の魔法障壁を発生させるアーティファクトである大結界が破損したものの、それでも彼らの中で勝ちは揺るがない。外壁に迫るよりも前に魔法の一斉砲撃によってチリ一つ残さず消し飛ばせると確信しているからだ。

 

「神の使徒様、支度が整いました。こちらに」

 

 そうして話し合いをしていたところにクゼリーが現れ、永山は彼女の後をついていく。開戦前に“勇者”から檄を飛ばしてもらい、戦意高揚を図るためだ。無論それを永山もわかっているため、事前に覚えた内容を頭で反復しながら歩いていく。

 

(……勝つぞ。ここで勝って、この世界の皆に勇気を与えるんだ。それが出来るのは俺達だけだ……)

 

 永山が見ているのは今回得られる圧倒的な勝利ではない。それによって得られるこの世界に住まう人々の喜ぶ顔、そして愛する人の笑顔である。それを得るために“勇者”となった少年は登壇し、熱弁する。

 

「――ここに反逆者が来るとイシュタル教皇は仰った……ならば俺達はそれを迎え撃つ! 全ては、この世界の未来のために!!」

 

『おぉおおぉぉおぉ!!』

 

「勝つぞ!! 勝って、俺達は魔人族にも屈しないことを示す!!」

 

『うぉおぉぉおおおぉぉおおぉ!!』

 

 上がる鬨の声。止まらぬ熱狂。今ここに、彼らの戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

“やれやれ、多勢に無勢もいいとこじゃんか。弱い者いじめなんてひっどーい”

 

“まぁ、あそこまで数をそろえられると正直引くかな……とはいえやることは変わらないでしょ、恵里?”

 

“そんなに鈴達が邪魔なんだね……まあでも、ここまでやってくれるならあんまり罪悪感は感じない気がする”

 

 耳栓を着用し、“念話”によってハジメや鈴と話をしながら恵里は魔力を更に流し込んでバイクを加速させていく。

 

 王国へと繋がる街道を疾走する三つの車両。雫の運転するバスに龍太郎がハンドルを握るキャンピングカー、そして恵里が駆るバイクだ。その遥か上空をフリードとウラノスが駆け抜けている。

 

 まずバスの方には幸利を除く光輝達の班と愛子に彼女の仲間の騎士達四人、礼一、信治、良樹、メルド、そして鷲三と霧乃がバスに乗車している。キャンピングカーに乗っているのは信治と良樹の代わりに幸利と浩介を加えた龍太郎達の班だ。そして恵里に抱きつく形でハジメがバイクにまたがり、取り付けられたサイドカーに鈴が乗っている。

 

 もちろんただ車両を別にしたという訳ではなく、彼らはある目的を持って三方向へと別々に動いていたからだ。

 

“中々の数だな。数日そこらでかき集めたにしては相当な数だぞ”

 

“たったそれだけですよ、フリードさん。この子達は『自分達ならやれる』と言ってるんです。なら私達が信じるしかないでしょう”

 

 今彼らの目の前に広がるのは相当な数の王国の兵士達や冒険者、そして永山ら神の使徒といった“軍隊”の布陣だ。魔法の有効射程に入った途端、初級中級或いは上級問わず様々な魔法によって迎撃されるだろう。だがその程度で光輝達は怯えてなどおらず、それがわかっていたからこそ愛子はフリードに向けて念話石を使って返す。こうして車やバイクを使って展開された部隊へと向かっていくのもちゃんとした理由があるからだ。

 

 それは恵里達がハイリヒ王国前の平原へと向かう少し前、どうやって王国を落とすかについて話し合ってたことに由来する。

 

 まず愛子が()()()()で相手の足を可能な限り止め、術師の信治や良樹に奈々、勇者の光輝が魔法や強力な技能を使って突破口を開き、そのまま一気になだれ込もうという作戦を提案した。

 

『いや、その……その足止め方法はすごいんだけどさ、流石に殺すのは反対だよ。死ぬのはアイツの木偶人形相手にしてほしいし』

 

『あの……さっきの方法はともかくとして、ちょっと人を殺すのは……』

 

 だが後のエヒト及び無数の神の使徒との戦いを想定していた恵里達は、最初に提示した方法は全員ドン引きしたり悲鳴を上げたりしつつもそれに首を縦に振るなどして賛成はする。だが結局作戦そのものには反対したのだ。可能な限り無力化して温存しておこうと恵里が代表して訴えたのである。

 

『ですがどうするんですか? 私以外にもこれが出来るんだったら……いえ、南雲君。あなたならやれますよね?』

 

 無論それに愛子も反論する。ただ、自分が提示した方法をハジメはやれそうであったため、それならまた別の作戦を立てられるのではないかと考え直し、すぐに確認を取る。ハジメもそれにうなずきはしたがあることが引っ掛かっており、少し思案しながらの形であった。

 

『うーん……確かに畑山先生の――』

 

『もう先生ではありませんよ、南雲君』

 

『あ、はい……畑山さんの持ってる“土壌管理”と“範囲耕作”、それと僕の“錬成”がちょっと気になって……』

 

 それは愛子の技能と自分の“錬成”、そして生成魔法のことであった。

 

 ハジメの使う“錬成”は金属だけでなく地面にも作用できる。前は『錬成なんだから多分鋼の錬〇術師みたいに地面に棘ぐらい生やせるよね』と特に理由もなく考えていただけであり、かなりグレードダウンするとはいえ当時はそれがやれたものだからそこまで深く考えてなかったのだ……どうして鍛冶師ご用達の技能が()()()()()()のかを。

 

『どうしたのハジメくん? 今度は何が気になったの?』

 

『いや、うん……どうして僕の錬成が地面にも効くのかな、って思って』

 

『ハジメ、お前が研究者気質なのはわかるが、今はそれどころじゃ――』

 

『待ってメルドさん……それってルーツの話、だよね?』

 

 鈴の問いかけにハジメはコクリとうなずいた。ルーツというのは以前地球にいた頃にやっていたトータス会議で話題に挙がった恵里の降霊術のルーツのことである。オルクス大迷宮を下っていく際、恵里らが暇つぶしの話題としてトータス会議のことも話しており、当然このことも光輝達の耳に入っている。

 

 聞いた当初は少し興味深そうに聞いていたのがチラホラいた程度であったが、こうして生成魔法という神代魔法を手にしたことで全員の関心は強まった。生成魔法が水にも付与できると知ってからはなおさらだ。

 

『……なぁハジメ。それってもしかすると、生成魔法はまだ何か出来るってことか?』

 

 仲間を代表して光輝がその疑問をぶつけてくる。ハジメがこんなことを言い出すのだから絶対何かある、とこれまでの経験から理解しており、そして彼自身も何か引っ掛かったのだ。もしかして何か見落としていないか、と。そしてハジメはそれに答えてくれた。

 

『うん。きっとそう。だって――』

 

 土だって無機物を含んでるでしょ?

 

 その言葉にトータス出身のメルド、フリードと魔物達はピンときてなかったが、神代魔法を取得してなかった愛子も何かに気付き、他の面々もハジメが言いたかったことを理解して大きく目を見開いた。

 

『皆、ハイリヒ王国に仕掛ける前にちょっと実験をしたいんだ。いい?』

 

 その言葉に恵里らは首が取れるぐらいうなずき、それがいかに重要かとわかった愛子も察したメルドとフリードもそれを承諾。数時間の実験と()()を経て、ようやくハイリヒ王国近郊の平原へと向かっていったのである。

 

“作戦の確認をしよう。俺達は右翼、龍太郎達は左翼を担当。ハジメ達は後ろに控えている奴らを担当だ。いいよな?”

 

“おう。左は任せとけ。絶対にやってやるさ”

 

“うん。この中でやれるのは僕だけだからね。”

 

 “念話”を飛ばしてきた光輝に龍太郎とハジメが各グループを代表して答える。今回作戦の肝になるのは作戦を提案してきた愛子と生成魔法を上手く扱える幸利、ハジメの三名のみ。他は魔法による防御と各種車両の運転、そして()()とその後の対処が主な役割だ。

 

“ああ。先生……じゃなかった。畑山さん、幸利、準備はいいか?”

 

“了解です、天之河君。しっかり仕事をしてみせます”

 

“問題ねぇ。やってやるさ!”

 

“うん! この一手で、全部終わらせよう!!”

 

 恵里が言葉をかけるや否や、遥か彼方より無数の魔力の光が迫ってくる。炎や水、土塊や風などの各属性の様々な攻撃だ。一発一発の威力はともかく、数えることすらおっくうになる程の量が津波のように襲ってきてはひとたまりもないだろう。

 

“全員、聖絶を展開!!”

 

 ただしそれは『普通』であればの話だ。光輝の号令と共に各車両の前方に幾重もの光の壁が展開され、無数の攻撃を弾き、受け流し、時には砕かれながらも迷うことなく進んでいく。

 

「ハッ、鈴や皆の“聖絶”を破りたいんならこの百倍ぐらい持ってきてほしいもんだね!!」

 

“百倍なんて随分甘く見るね恵里も――千倍、ううん、何億倍でも負けてなんてあげない!! 絶対守り抜いてみせるから!!”

 

 恵里と鈴は互いに気炎を上げながらそれぞれの役割をこなしていく。更に速度を上げ、左右に分かれたバスとキャンピングカーの間を縫って戦場へと突っ込む。

 

「くっ――怯むな!! 全力で叩けば必ず倒せる!! 絶対に奴らを通すな!!」

 

「緩み崩れよ汝が足場よ」

 

 一方、キャンピングカーとバスは指定されたポイントである両翼の最前線で止まり、結界を展開し続けて津波のように押し寄せる攻撃をひたすら防御していた。光輝と香織の展開する十重二十重の障壁は幾度攻撃を受けようと、たとえ砕かれようとも車をわずかに傷つけることすら許しはしない。小型の要塞となって愛子の技能と幸利の()()が発動する時を、こちらに敵が殺到する時をただ待っていた。

 

「ぬかるみ歪み、ものみな招け、汝は形なき手なり」

 

 恵里がバイクを飛ばしている中、ハジメもまた目を閉じながら本来必要のない言葉を口にし続ける。これはイメージだ。これから発動する()()を補完するための大切な作業。キャンピングカーに乗っている幸利も同様のことをやっており、持てる厨二心を発揮し、かつこの戦いで犠牲を出すことなく終止符を打つ。そのための必要な作業を続けていた。

 

“今だ!! 先生! 幸利っ!!”

 

「はいっ!! これで――」

 

「終わりだ!――“崩陸”!!」

 

 光輝の号令と共に愛子は、幸利はその力を十全に振るう――車の近くが一瞬にしてぬかるみ、まるで沼に足を踏み入れたかのように多くを引きずり込んでいった。

 

「うわぁああぁあああぁ!!」

 

「か、体が、体がぁああぁあぁあ!!」

 

「だ、誰か、誰か助けてくれー!!」

 

 愛子は“土壌管理”と“範囲耕作”と二つの技能を同時に行使し、この平原を流砂に変えた。それは幸利も同様で、生成魔法――その真髄たる『無機物の操作』を用いたのだ。

 

 幾度もの実験を経てハジメ達は“錬成”や“土壌管理”などの技能のルーツが生成魔法にあることを知り、その真価をも知った。そして生成魔法が使える全員で協力し、指定した箇所または発動した人間の周辺の土壌を流砂に変える新たな魔法“崩陸”を開発したのである。

 

「だ、駄目だ! か、体が……」

 

 その威力たるや凄まじく、食らった相手は誰も彼もが胸から下までが埋没しているという状況だ。もちろんこの魔法は範囲を選べるため車の真下と後ろは無事であり、体が沈んだ相手もそこに行こうとしてもがいている状況だ。

 

「こんな小細工如きで!!」

 

「我らを止められるとは浅はかとしか言えんなぁ!!」

 

 だがこんな状況でも冷静な人間は少なくなかった。すぐに“来翔”を詠唱することによって体を浮かせ、直接車に攻撃を仕掛けようとする兵士や神殿騎士がいたのである。

 

「まだ、だっ!!」

 

「こんな、ところでぇっ!!」

 

 そしてそれは永山達も同じ。魔法の得意不得意など関係なく、とにかく発動して抜け出そうとする。ただこのままで終われないとばかりに流砂の中を飛び出し、光輝達のいる車へと一撃を見舞おうとしていた。

 

“よし、全員出撃!”

 

 だがその程度、ここに来た誰もが予測していた。光輝が号令を下すと同時に流砂を更なる範囲に展開している二人と結界担当、運転を任されてた二人に空を駆け抜けることが出来ないデビッドら四人を除く面々が車の外へと出ていく。

 

「そこっ!」

 

「一旦おねんねしてなっ!!」

 

『あばばばばっ!?』

 

 目的は彼らの鎮圧である。優花は事前にハジメから作ってもらったチェーンをばらまいて兵士達に接触させ、他に“纏雷”が使える面々は直接触るなどして電流を流し、そのまま気絶させていく。無論、“空力”を使える面々はそれを駆使しながら戦場を駆け抜けているため、誰も足などとられてはいない。

 

「……単なる決めつけで大介達を追い詰めた罪、贖ってもらう」

 

「ぐぇーっ!?」

 

(……マジでアレーティア怒らすのやめよ。ホント怖ぇ)

 

 アレーティアの場合は大介におんぶしてもらいながら“風球”を顔面に叩き込んでKOさせている。かつて自分達を殺そうとしてた頃の冷たい殺気をたぎらせながら相手を容赦なく昏倒させるアレーティアに軽く引きながらも、大介も足で踏んづけて“纏雷”を発動したり、アレーティアと同様に“風球”をぶつけて倒していた。

 

「さて、罪滅ぼしのためにもわし達も動かねばな!!」

 

「ぐえっ!」

 

「この程度で贖えるとは思いませんが、それでも!」

 

「ゲホッ!!」

 

 鷲三と霧乃もまた翼を展開し、空を飛びながら彼らの意識を刈り取っていく。エヒトに改造された忌々しい体といえど使わない理由などない。わずかでも子供達のために、と今もあふれそうになる罪悪感を抑えながら二人は風となっていく。

 

「この、程度でぇー!!」

 

「死にやがれぇー!! 反逆者がぁー!!」

 

 だが相手もやられてばかりではなかった。永山と玉井は昏倒させるための一撃をどうにか避け、近くにいた礼一と信治目掛けて振りかぶる。目の前の相手が強いとはわかっていても、全力の一撃ならば届くと信じて肉薄する。

 

「悪ぃ、遅いわ」

 

「イナバの方がよっぽどキレがあるな」

 

「ぐわぁああぁあぁぁあぁあぁ!!」

 

「ぎゃぁああぁあぁああ!?」

 

 だが、それらの一撃も無情にもかわされ、そのままポンと手を置かれて電気を流されてアッサリ沈む。薄れゆく意識の中、仁村の声を二人は聞いた気がしたが、何を叫んだかもわからぬままにまどろむのであった。

 

「土術師部隊、近いところからでいいから地面を隆起させるんだ! それだけで全員が出られるはずだ!!」

 

 その一方、土術師の野村は“来翔”を発動するのではなく、この方法の弱点に気付いて全員が助かる方法を口にする。この封じ込め方の一番の弱点は『単に足場がもろいだけ』ということであるため、新たに足場を作ってしまえば簡単に解決できるのだ。当然恵里達もそこにも気づいており、それも踏まえて光輝の号令と共に鎮圧しに向かっているのである。

 

“ハッ、今更遅いね!――ハジメくん!!”

 

「了解!――“崩陸”!!」

 

 既に術師達の部隊が展開された場所までたどり着いた恵里はハジメに合図を送り、それにハジメも口角を上げながら応じる。途端、向こうの足場も一挙にもろくなり、そのまま多くが悲鳴を上げながら地面へと吸い込まれていく。

 

「なぁぐぅもぉー---!!!」

 

 だが一人だけ、野村だけは違った。それを予測していたために地面に自分達の足場を隆起させ、今度は飛び石のように地面を固めつつ、それを渡りながらこちらへとやってきたのである。

 

「うわ、面倒くさい。とっとと倒れてよ」

 

「お前達さえ、お前達さえいなければぁーー-!!! “隆槍”、“隆槍”、“隆槍”、“隆槍”っ!!」

 

 野村は叫ぶと共に“隆槍”を幾つも発動し続け、バイクごと串刺しにしようとしてくる。だがそれを意に介することなく恵里はスラロームを決め、全ての攻撃をかすることなく避けて進んでいく。

 

“下から来る攻撃をよけるのも面倒だね。よし、二人とも! 一旦バイクをしまうよ!!”

 

“オッケー、ハジメくん!!”

 

“わかったよ! それじゃ一緒に行こう!”

 

 とはいえ恵里の負担になることをハジメも嫌がったため、バイクをしまう旨を二人に伝えた。恵里も鈴もそれを承諾すると同時に三人一緒にバイクから飛び出していく。

 

「クソッ!! 車にバイク、空まで飛べるなんて卑怯だろうが!!」

 

「ハッ、苦労して手に入れた力を使って何が悪いのさ!!」

 

「悪いけど野村君。君もここで眠っててもらうよ」

 

 怨嗟にまみれた野村の絶叫を流しつつ、ハジメは鎮圧用にドンナーに装填しておいたゴム弾を野村の額に叩き込む。銃まで発明してたことに更なる驚きを見せ、怒りと嫉妬を顔に出しながらハジメをにらむ。

 

「本当に、お前――ガハッ!」

 

「鈴達の頑張りを卑怯の一言で済ませる人なんか、容赦なんてしないから!」

 

 そして昏倒したのをロクに確認することもなく三人はそのまま戦場を駆け抜けていき、他の術師の人間も無力化していく。

 

「“崩陸”!!」

 

「“風球”!」

 

「“光絶・光散華”!!」

 

 ハジメの手によって流砂に引き込まれた人間相手に、アレーティアや大介と同様に“風球”を幾重にも展開しては恵里は撃ち込んでいく。鈴の方も威力を最大限抑えた光の破片の爆破で気絶させる。息の合った連携を見せながら恵里達は後衛を一挙に潰していった。

 

「なんでよ……なんであなた達がぁー-------------!!!」

 

「お前らばっかり……どうしてお前らだけがぁぁああぁあぁあああぁあぁ!!!」

 

「どうして、どうして……私達の邪魔しかしないのよぉー-------!!!」

 

 吉野の、相川の、辻の叫びが戦場にこだまする。だが三人はそれに反論も謝罪もすることなくただ無力化に努めるだけ。一時間にも満たない内に勝敗は決する。恵里達は誰の命も損なうことなく、この虚しい戦いに勝利する。そんな時である。

 

「うん? なんだあれ」

 

 気絶した兵士や冒険者、神殿騎士を引きずり出して全員で拘束して一か所に固めようとしてたその時、平原に法衣を纏った禿頭の男が現れたのだ。龍太郎が間抜けな言葉を吐いてから数秒、男は無言でその場で踵を返してハイリヒ王国の方へと向かっていく……のだが、すぐに振り返ってこちらを見て来た。

 

“何あれ? 立体映像みたいだけど”

 

“本当になんだろう……鈴達の方をじっと見てるし”

 

“透けてることを考えるとやっぱり映像の類じゃないかな? それにずっと僕達を見てるし……まさか”

 

 うめき声を上げる永山をふん縛って平原の中央へと引きずっていく最中の恵里が“念話”でハジメと鈴に問いかけ、鈴は単に首をかしげるだけに終わったが、ハジメは何かに気付いたようであった。

 

「まさか、神代魔法……大迷宮か何かの仕掛けじゃないか? こっちに仕掛けてくる様子もないみたいだし」

 

 そう光輝がつぶやけば、まだ耳栓をつけている恵里と上空で待機しているフリードを除いた全員が彼の方に視線を向ける。あの男は未だこちらの方をじっと見ているし、その先に進む様子もない。その予測が当たってるか外れているかはともかくとして、決して無意味なことではないと感じられたからだ。

 

「そうね……前にこの平原で訓練をしてた時にこんな人は出てこなかったし……」

 

「どうする、お前達。別に無視してここの兵士達の処理をしても俺は文句を言わんぞ」

 

 雫のつぶやきに多くがうなずきながら思案し、メルドはどう動いても構わないと伝えてそのまま縛った神殿騎士を他の捕虜のいる場所へと置いていく。そこでふとアレーティアが大介と手を繋ぎながら挙手した。

 

「……行くべきだと思います。雫さんがそう述べたのならきっと何かあるはずです。でもここの処理もありますし、手分けした上で行った方が……」

 

「……ってアレーティアが言ってるけどよ、どうする? 俺はあのハゲが気になるし、アレーティアがいいって言うなら行ってみたいんだけどよ……いいか?」

 

「……わかった。よし、じゃあここに残る班とついていく班を分けよう」

 

 大介もそれに乗っかり、アレーティアとアイコンタクトをしてから行くことを表明するとすぐに光輝が話し合いの席を設けた。そこでここで作業するよりも早く王様に会った方がいいんじゃないかとメルドに気を利かせ、またある程度戦える面々がいた方がいいと結論付け、大介、アレーティア、メルド、優花、奈々、妙子の六人で向かうことに。

 

「気を付けてねー」

 

「おう気ぃつけるわー」

 

 念のために攻略の証をメルド達に預け、割と気の抜けるやり取りをしてから六人は体の透けた男の近くまで寄っていく。すると男の方も無言で前を向いてハイリヒ王国の方へと向かい、メルド達は黙ってそれに着いていく――そうして彼らの姿が見えなくなると共に()()()()()()異変が起きた。

 

“来たぞ!! 想定通りだ!!”

 

 上空で待ち構えてもらっていたフリードが“念話”を使いつつ、高度を落としながら自分の同胞がここハイリヒ王国へと攻め込んでくる様を伝えてくれた。姿をハッキリを確認出来る程の高さで、しかも戦いが終わって気が抜けた今現れた。このタイミングでエヒトが介入してくるのではないかという可能性が例の作戦会議で挙がった通り、奴らは進軍してきたのである。

 

“フリードさん、敵の数は幾つですか!!”

 

“灰色の竜が八に大鷲の魔物が十!! どれも部隊の入った籠をぶら下げている!”

 

 やはりこの時を見越してエヒトが命を下したのだろう。かつて自分が変成魔法で強化した灰竜はまだ温存しているようだが、かつての自国の南端に生息するギガースイーグルという機動力と膂力に長けた大型の鷲の魔物が大量投入されていることにフリードは気付く。闇魔法が使える魔人族も相応の数がいたため、彼らを動員してここまで戦力をかき集めたのだろう。

 

 そして大きな籠の中や灰竜の上などで魔法の詠唱に移っているのか、パッと見で二百。数だけ見ればともかくとして、遥か上空から一方的に攻撃出来る事を考えれば相当の脅威となり得るとフリードは否が応でも理解してしまう。

 

“なら俺達もすぐに――”

 

“いや、ここは私が引導を渡す”

 

 ならばと光輝もすぐそちらに向かおうと伝えようとした時、フリードはその助けを不要と切り捨てた。

 

“どうしてですフリードさん! 俺達だって戦えます!!”

 

“マトモに戦場に出たことも無い子供が吼えるな!!……身内の不始末は自分でつける。お前達には手を出させん”

 

 そう漏らすと共にフリードは“念話”を切り、届かない距離であり彼らのいる高度までへとウラノスを飛翔させる。

 

「裏切り者のフリード・バグアーを討ち滅ぼせぇー!!」

 

「――――揺れる揺れる世界の理 巨人の鉄槌 竜王の咆哮」

 

 ……かつてフリードは、魔人族が何物にも脅かされない未来を夢見て立ち上がった。長く続く人間族との戦争に終止符を打つべく神代魔法を求め、こうして二つの魔法を手にした。

 

「各員、魔法発動用意――放てぇー-!!!」

 

「万軍の足踏 いずれも世界を満たさない」

 

 だが、彼の夢は他でもない崇めていた魔人族の神によって穢された。今自分の目の前にいるのはかつての自分の同僚や仲間であった者達の姿。説得することもなく、ただ容赦なく自分達を殺しにかかるということはそういうことなのだろう。フリードの目から一筋の光が伝った。

 

「鳴動を喚び 悲鳴を齎すは ただ神の溜息! それは神の嘆き!」

 

「グルゥアアアァアァ!!」

 

 攻撃は全てウラノスに任せている。ギガースイーグルの攻撃は羽ばたきか鋭いかぎ爪を持つ足による一撃のみ。灰竜のブレスにさえ気を付ければどうとでもなるし、それをウラノスが出来ないはずが無い。だからフリードは相棒の作ってくれた時間を無駄にしないためにただ詠唱に集中する。

 

「汝 絶望と共に砕かれよ!――“震天”!」

 

 そして万感の思いを込めながら空間魔法を放つ。周囲一帯の空間が軋み、腹の底にまで低音が響く。炎の礫や氷の刃が幾つもこちらに向かってくるのをフリードは確認すると共にそれが二度と届かないとただ思う――刹那、空間が砕けたかのような爆音と共にあらゆる物が爆ぜていく。魔法も、魔物も、人も、何もかもが一気に欠片すら残さず消え去った。周辺の雲すら消し飛ばして何もない空を見ながら彼はつぶやく。

 

「……さらばだ。ケネス、ライオット、メイシー、ネイル。いつかお前達の恨みを一身に受けよう――あれは!」

 

 同胞を失った悲しみとこうするしかなかったことへの苦しみに耐えようと奥歯を噛みしめるフリードであったが、あるものを見つけると同時にすぐに恵里達へと“念話”を飛ばす。

 

“神の使徒だ! 奴が街や城の方へと向かったぞ!!”

 

“わかってます! 皆、すぐに作戦会議だ!!”

 

“あぁもう……まだ終わりじゃなかったっての!?”

 

 恵里達もフリードと同様に神の使徒が神山や王国の方へと向かうのを見ており、本命はこっちだったのかと全員が悔しさを噛みしめていた。

 

“班分けはどうする! 早く追いかけねぇと不味いことになるぞ!!”

 

“ならボク達が向かうよ!! これから市街地に突っ込むことを考えると直接戦闘よりも搦め手が使えるほうがきっとマシだろうし!!”

 

“僕も恵里と一緒に行く! 鈴、お願い!”

 

“うん! 鈴も二人と一緒に行くよ!! 他の皆は――”

 

“俺は残る! 雫と鷲三さん、霧乃さんといればここの皆の拘束はどうにかなるはずだ!”

 

“俺はハジメ達と一緒に行く! 礼一、信治、良樹達はどうする!?”

 

“俺達も行くつもりだ! とりまフリードが城の方にも行った、って言ってるしそっちに直接向かう!!”

 

“俺も行くぜ! 浩介はハジメ達の方についてってくれ!!”

 

“先生のフォロー頼むぞ浩介!”

 

“あぁ!!”

 

 話し合う時間すら惜しく、とにかく行きたい人間の早い者勝ちという感じとなったが、それで構わないと誰もが判断し、すぐさままとまって行動に移る。

 

“とりあえずキャンピングカーを借りるからね!!”

 

“持ってけ!! 後は頼んだぞ!!”

 

 時間の余裕が無いためぶっきらぼうな言い方になってしまったが、すぐに恵里達はキャンピングカーへと乗り込み、全員が入るのを確認すると同時に運転席に座った恵里は魔力を車に流し込んでいく。

 

「皆、しっかり掴まっててよ。一気に飛ばすからね!!」

 

 そして出せる最大の速度で恵里はハイリヒ王国へと続く門へと突き進む。手遅れになる前に間に合うように、とただ願いながら。




皆様、食前酒はお楽しみいただけましたか? 次が『本番』となります……ちょっと『調整』した分、肩透かしにならんよう気を付けますね(言い訳)


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幕間三十五 黄昏の中、立ち上がる『勇者』たち

まずは拙作に目を通して下さる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも143925、感想も493件まで上り、またしおりも372件、お気に入り件数も802件(2022/11/22 12:52現在)を維持できております。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただきありがとうございます。おかげでまた筆を進める力をいただきました。感謝いたします。

……さて、それでは今回の話を読むにあたっての注意を。結構長め(約14000字)です。そして何より『本番』です。作者の杞憂で済めば御の字ですが、御覚悟の程をお願いいたします。では本編をどうぞ。


「……は?」

 

 聖教教会における教皇という最上の地位に就いているイシュタルもまた他の司祭と同様、一体どういうことかわからないと顎が外れそうなぐらい大口を開けていた。

 

 イシュタルらは有事に備えてここ聖教教会の総本山である大聖堂に籠り、祈りを捧げながら神の使徒の凱旋を待ちわびていた。エヒト様が遣わして下さった方々ならば反逆者どもを容易に皆殺しに出来るだろうという根拠のない自信を持って。

 

『我が言葉を心して聞くが良い』

 

 そんな時、ふと自分達の頭にあの声――唯一神エヒトの声が聞こえて来た。神託である。誰もがそれに歓喜し、よもや勇者が反逆者どもを皆殺しにしたことを自分達のために伝えて下さったのかと神の慈悲に感謝した。

 

『今までご苦労だった“反逆者”ども。貴様らはもう我が盤面には不要だ。では最期まで私を楽しませよ』

 

 だが、聞こえてきたのは理解を超えるものであった。平時と変わらぬ神々しい声で仰せになったというのに、どうして嘲っておられるのか。その言葉に誰もが頭を揺さぶられ、しばし呆然とするばかりであった。

 

「エヒト、様……?」

 

「反逆者……? そうか、反逆者どもに宣告をなさったのですね! そういうことでしたか!」

 

 まだ言葉の意味を理解し切れず呆けている者、神託を聞けるのは限られた人間でしかないというのにその言葉を都合よく捉えている者と対照的に分かれ、場は一時混沌とする。

 

「そうなのですね、エヒト様。これで我等人間族の心を苛む不穏の種が一つ減ったと仰せになってくださるとは……その慈悲に感謝いたします、エヒト様」

 

 そしてイシュタルは後者の人間であった。エヒトへの感謝を捧げ、再度祈る。他の司祭達もそれに倣って祈りを捧げた。その言葉の意味を考えもしないまま。そうして祈りを捧げていると不意に扉が勢いよく開かれ、全員が振り向けば片手で戦棍を握りしめた修道女がその音を立てた下手人だとわかった。

 

「何用ですか。今我等はエヒト様に祈りを捧げている――」

 

「――見つけました。見つけましたよ使徒様」

 

 振り向いたオド司祭は扉を開け放った修道女をたしなめようとするものの、その当人の言葉に反応して口を止めてしまった。もう使徒様がお戻りになられたのかとその場にいた司祭と教皇は喜び、こちらに来られることを心待ちにする。

 

「なんと! ならば今すぐ使徒様をお呼びするのだ」

 

「ここまで早く反逆者を討つとは……流石はエヒト様が遣わした方々というもの」

 

「背教者共め……私達を裏切り続けていた俗物どもが」

 

 だがいつまで経っても永山らは祈りの間に入ってくることは無く、代わりに自分達と共に籠っていた修道士達が入ってくるだけ。そんな彼らの手にも戦棍が握られており、入って来た一人がつぶやいた言葉も含めて一体どういうことかと教皇も司祭達も戸惑ってしまった。

 

「は、背教者だと! ど、どこだ? どこにいるのだ?」

 

 彼らの言葉の通りならばエヒト様の教えに背いた愚か者がいるはず。そのために用意した武器を彼らが握っているのは理解できた。だが肝心の背教者の姿が見当たらず、一体どこに不届き者がいるのかとイシュタルらはただただ恐怖するばかりだった。

 

「……やはり救えない。己が罪に気づけぬなど。万死に値する!!」

 

 そんな時、修道士の一人が怒りに満ちた声を上げ、この場に入って来た全員が戦棍を構えてイシュタルらをにらみつける。

 

「よ、よもや我等の背後にいると――」

 

「背教者イシュタル、オド、パノス、カイサル、ラアナン、他十余名……魔人族に寝返った罪で粛清する!!」

 

 そして自分達の名前を挙げ、天を衝かんばかりの声を上げて修道士達は一斉に向かってくる。その瞳にすさまじいまでの憎悪と怒りを、狂気を宿しながら。

 

「ひっ……ひぃぃ!?」

 

「死して詫びよ、獅子身中の虫よぉおおおぉぉぉぉ!!!」

 

 すさまじい気迫と共に振り下ろされる鉄槌。爆ぜる司祭の頭。ここで彼らの頭の中で全て繋がってしまった――自分達はエヒトから()()()として捨てられてしまったのだと。

 

「ち、違う!! わ、我等は背いてなど――」

 

「天誅ぅうぅぅ!!」

 

 弁解しようとした司祭の一人の顔面が窪んだ。

 

「あ、あ……わぁあぁぁあぁぁあぁ!!」

 

「逃げるなぁぁあぁぁぁあぁ!!」

 

「殺せ、殺せぇー-----!!!」

 

 逃げ出した司祭が取り囲まれ、そのまま戦棍で何度も滅多打ちにされて血だまりを作った。

 

「荒ぶ疾風よ 姿なき刃よ 鋭き刃となり――」

 

「止めぬか! この大聖堂を傷つけ――」

 

「大聖堂を壊そうとした、その罪も償えぇえぇぇぇぇ!!」

 

 死にたくないとばかりに魔法で迎撃しようとした時、隣の司祭から言われた言葉で一瞬躊躇してしまい、二人共々鉄槌の頑固な染みになった。

 

「“風刃”!!」

 

「ぐぁっ!――まだ、まだぁ!!」

 

「抵抗するな死ねぇえぇぇえぇぇ!!」

 

 仮に迎撃できても威力が足らずにそのまま袋叩きに遭った司祭は、硬いものが砕ける音と粘り気の混じった音を幾度か発してからいびつな肉塊へと変えられた。

 

「――“聖壁”!!」

 

 イシュタルはどうにか“聖壁”を発動し、数人程度の司祭も範囲に入れると彼らに向けて大声を出す。

 

「早く、早く魔法を唱えるのだ! このままでは私達は皆殺しに――」

 

「だぁぁぁぁああぁ!!!」

 

 修道士の一人が光の壁に向けて戦棍を振り下ろし、ガキンと硬い金属同士がぶつかり合ったような音を立てた。高々一撃で砕けるほど柔な造りなどではないが、自分達を襲ってきた修道士達は三十名以上いる。このまま数で押されればいずれこの壁も砕かれてしまうかもしれない。だからイシュタルは早く他の司祭に結界魔法を発動するよう命令する。

 

「そ、そこに入れて――がはっ!!」

 

「生き延びようなんて浅ましいことをするな!!」

 

「エヒト様に裁かれろ極悪人め!!」

 

 何せこの魔法の外は紛れもない地獄なのだから。

 

 なんとかして入ろうと手を伸ばした司祭は背中の骨を折られ、血反吐を吐きながら倒れこんだところを血まみれの鉄槌でひたすら殴られて原型を失っていく。

 

「あ、あぁ……」

 

「も、もう無理だ……わ、私達はここで死ぬんだ……」

 

 そしてイシュタルの叫びに従う者は誰もおらず。外の地獄を見てしまったがために誰も彼も心が折れ、絶望のあまり失禁したり、口から泡を吹いて気絶してしまっている者すらいたのだ。

 

「早く、早く結界を張るのだ!! 早く、早くしろ!!」

 

「壊れろ壊れろ壊れろぉおぉぉ!!」

 

「エヒト様の御名の下にぃぃいぃぃぃぃ!!」

 

「もう少し、もう少しだ!! ようやくこの蛆虫を駆逐出来るのだ!!」

 

「ひっ!?」

 

 もうなりふり構わず喉が潰れんばかりに大声を上げるが状況が好転することはなく、罵声と共に何度となくミシリミシリと響く音が自身の終わりが迫っているのを告げている。そのことにイシュタルはただただ恐怖していた。

 

「な、何が望みなのだ! きょ、教皇の地位か!? く、くれてやろう! 私が後見人となってお前達を支え――」

 

「我らの望みは、貴様らゴミどもの抹殺だぁあぁぁぁ!!!」

 

 苦労して築き上げてきた自分の地位すら差出し、もうこの際奴隷同然となってでも死にたくないと命乞いをしたイシュタルだったが、無情にも返ってきたのは自身の張った壁を砕く一撃であった。その瞬間、武器が壊れて後ろで魔法を詠唱していた修道士達の口元が吊り上がり、裏切者の処刑を始める。

 

「――“風灘”ぁ!!」

 

「ぐあぁあぁあぁあぁ!?」

 

 吹き付ける突風で壁に叩きつけられ、老人は背骨と内臓を損傷する。

 

「“水槌”!!」

 

「げぶっ!!」

 

 真正面から叩きつけられた水の塊に肋骨ごと肺を、まだ無事であった内臓も全て潰される。

 

「た、たすけ……えひと、さま……」

 

 そして地面へとうつぶせに倒れた老人は救いを求めて手を伸ばす。慈悲深き我らが神は自分を絶対見捨てはしないと信じ、哀れな自分を助けてくれると願って。

 

「お前ごときがエヒト様の名を語るなぁあぁあぁ!!!」

 

 だがもたらされたのは助けではなく、怒り狂った修道士の一人の無慈悲な一撃。腕は簡単にひしゃげ、指もだらんと垂れてしまう。その手が何かを握ることはもう、無い。

 

「あ……がっ……!」

 

「これで終わりだイシュタル……その罪、エヒト様に永劫裁かれ続けるがいい!!」

 

 搾り出すようにして悲鳴を上げた老人に、遂に裁きの時が訪れた。何人もの修道士に囲まれ、一斉に振り下ろされた戦棍でその体は見るも無残に砕け散る……エヒトのために人生を捧げ、異世界から来た子供達の運命を狂わせた人間の一生は今、ここで幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

「しっかしよぉー、いつまで後ついてきゃいいんだ?」

 

 禿頭の男を追って早十数分。皆と一緒に()()()をしていた大介は心底面倒くさそうにそうつぶやく。

 

「あーもう、檜山。アンタもう黙っときなさいよ。別に馬鹿正直に登山してる訳じゃないんだからいいじゃない」

 

 そんな彼のボヤきを優花は呆れながらそう答えた。

 

 男の後をついて歩き、神山のふもとまで到着したメルド達一行。例の男はそのまま神山を音もなく登っていき、全員それに黙ってついていったのだがそこで大介が軽くかんしゃくを起こした。慣れない山道を歩くのを面倒くさがり、『どうせ頂上に用があるんだろ』と“空力”を使って上を目指そうとしたのである。

 

 途中で魔法を使って宙に浮きながら楽して移動していたアレーティアもこれには流石に顔を引きつらせ、他の面々も『うわぁ……』と言わんばかりの表情で彼を見つめた。その反応に大介は逆ギレしたのだが、なんと振り返ったあの禿頭の男が不意に大介と自分達の中間あたりのところまで浮き上がったのである。しかも宙に浮いたまま動いていったので『空飛ぶのアリなんだ……』と全員が思ったところですぐさま方針転換。リクエストで大介はアレーティアを横抱きし、全員“空力”を使いながら登山することになったのである。

 

「檜山君のリクエスト通りにこうして空を歩きながらだから辛くないでしょー? いや私も空中登山……登山? がアリなのは驚いたけど」

 

「怪我の功名と言うべきだろうが、頼むから事前に相談ぐらいしろ。それぐらいオルクス大迷宮で学んだだろうが……」

 

「……こればっかりはメルドさんが正しいと思う」

 

「へいへい俺が悪うござんしたー」

 

 呆れた様子の奈々に妙子もうなずき、自分を諫めてきたメルドとそれに同意してくるアレーティアに大介は唇を尖らせながらそう返す。確かに自分が悪いことは一応わかってはいるし、普段べったりなアレーティアも自分を想って言ってくれてるのは大介とて理解している。でもそれはそれ、これはこれ。なんだかんだ自分のおかげで楽出来たのだから誉めて欲しかったのだ。

 

 そうして軽くスネた大介と一緒に男を追って山の上空を駆け抜けていく一行。遂に頂上付近へとたどり着き、そこに建っていた大聖堂とそれを守る結界に誰もが感心した。

 

「建物もバリアも立派だよなー。あのハゲそのまま向かってったけど俺らは普通に無理じゃね? あれ壊せるか?」

 

「聖教教会の総本山だからな。造りが立派なのは言うまでもないし、相応の防備が固めてあるのも道理だ。ま、俺達なら地面を掘り進められるから問題――うん?」

 

 軽くアレーティアの方を見ながら大介は感想を述べると、アレーティアも少し首をかしげながら障壁の方を見た。あそこまで頑強そうなつくりだと彼女とて骨が折れるようである。だがメルドは馬鹿正直にやりあわなくってもいいだろうと述べたところであるものに気付いた。大聖堂正門にある台座に人影が見えたのである。

 

「台座が動いている……? お前達、見えるか? あの台座の上の人影が」

 

 メルドの問いかけに全員が首を縦に振ると、“遠見”の技能を持たないアレーティアを除く全員がじっと目を凝らす。動いてハイリヒ王国へと向かうあの台座の上にかなりの人間がいる様子であり、また恰好からして修道士の類なのも理解できた。

 

「大介、何が見えたの?」

 

「んあー……シスターとか僧侶のおっさんだな。しっかし変わってんな。まだら模様に赤が入った服なんか着てて……まさか」

 

 クイクイと襟の近くを引っ張りながら教えてほしいとねだるアレーティアに答える大介であったが、あの集団の異常さを他の皆と一緒に理解してしまう……あれは服の模様などでなく、血でベットリと汚れているのだということを。

 

「め、メルドさん!」

 

「二手に別れるぞ! 大介、アレーティア、妙子。奴らは俺と優花、奈々で調べる。お前達は男の方を追え。いいな?」

 

「りょ、了解っす!」

 

「んっ! わかりました」

 

「は、はいぃ~! 了解ぃ~!」

 

 正門の近くでこちらを振り向いていた男の方へと三人は向かっていき、メルド達は今も動く台座の方へと一気に空を駆け抜けていく。

 

「反逆者だー!!」

 

「殺せぇー!! 奴らを殺し、エヒト様にその血と心臓を捧げるのだぁー!!」

 

 自分達を迎撃せんと放たれる幾つもの魔法をひらひらと避け、難なくメルド達は修道士達へと接近していく。この程度、訓練で浩介が撃ってきた魔法の弾幕よりも遥かに密度も精度も低いため、あくびをしながらでも余裕で近づける程度でしかなかった。

 

「奈々!」

 

「はいっ! “凍柩”!!」

 

 魔法の射程内に入ったことですぐさまメルドは指示を飛ばし、それを待っていた奈々も氷の魔法を発動して彼らの下半身を一挙に凍らせる。体の半分を分厚い氷で覆われた彼等も寒さに身もだえして動けなくなり、三人は悠々と着地する。そしてメルドが武器を向けながら理由を問うた。

 

「……貴様ら、一体何の目的でこの台座を動かした? その服と戦棍に着いた血はなんだ? 答えろ」

 

「だ……黙れぇ……反逆者風情が、我等の成すことの邪魔を、するなぁ……」

 

 やはり体の半分が凍り付いているのは堪えるのだろう。歯をガタガタ言わせながらも懸命に答える修道士にやれやれと思いながらも改めてメルドは問いかける。

 

「俺が聞きたいのはその減らず口じゃない。お前達の目的と何をしたのかを尋ねてるんだ……そこで氷を解かして反撃しようとしてるのも見えているぞ」

 

 何人かが必死になって魔法で氷を解かそうとしているのを横目に見ながらもメルドは修道士達を見据える。これ以上黙っているようならば容赦などしないとばかりに剣の切っ先をその一人の首元へと突きつけて。

 

「ふざけ、るな……ふざけるなふざけるなふざけるなぁ!!」

 

「我等は、我等は反逆者達を皆殺しにするだけだ! それを神の使徒様から託されたのだ!!」

 

 目を見開き、口から唾やよだれをまき散らして狂乱しながら修道士達はそう答える。

 

 反逆者? ならば自分達のことだろうが、大介達がこの程度の輩に後れを取るはずがないとメルドは理解していたし、何より服に着いた血の乾き具合からして殺してから幾らか経っている。そして『神の使徒』はここにいる優花や奈々のことでなく、あの銀髪の女のことだろうと察した時、三人の中で何かが繋がった。

 

「まさ、か……」

 

「うそ……」

 

「……殺したな? 教会の関係者を」

 

 メルド達の背筋に寒気が走った。殺したり返り血を浴びたのが自分達でないとすれば最早教会の中で醜い争いがあったのではないか、と推測してしまったからだ。

 

「関係者……? 違う! 獅子身中の虫を私達は排除したのです!! 魔人族に寝返ろうと画策していたお前達の仲間を!!」

 

「貴様らもイシュタルの後を追わせてやる! 絶対に、絶対にだ!!」

 

 想像をはるかに超えた最悪の答えに三人は一瞬で血の気が引く。まさか教皇を既に手をかけていたなどと思わなかったのだ。

 

「――うっ! うぇぇ……」

 

「なんだよ、これ……どうなってんだよ」

 

「惨い……」

 

 ……それは奇しくも大介達が禿頭の男を追って、大聖堂で幾つもの血だまりとぐずぐずとなった肉の塊を見たのと同じタイミングであった。

 

 

 

 

 

「――エヒト様は仰せになられました。真なる“反逆者”は我が声を聞きながらも魔人族に屈し、奴らに与しようとしていた教皇一派、そしてそれに付き従っていた王族どもであると」

 

 ――時は少し遡り、城下街の広場にて。既に降り立っていた一体の神の使徒は集まった民衆に『世界の真実』を語っている最中であった。真なる『悪』は国の上層部にあり、と。

 

“見えたよ! 中央の広場!”

 

 キャンピングカーを降り、例の神の使徒を追って恵里達もパルクールさながらに街の屋根を駆ける。ようやく“遠見”で目的の人物を探し当てることに成功したものの、四人は相手の周囲に住民が取り巻いている状況に歯噛みした。

 

「そしていずれ異界から現れるであろう魔人族の手先を“神の使徒”と呼ぶことを画策し、彼らをもてなして力を蓄えさせていたのです」

 

“流石にドンナーもシュラークも使いづらいね……”

 

“鈴もちょっと、あそこまで人がいる中で魔法は使えないよ……”

 

 あまりに人が多すぎるため、下手に攻撃して誤爆してしまう可能性があったからだ。自分達の目的は無益な殺生ではないし、一般市民を傷つける理由も趣味も無い。だからこそ下手を打ってしまうことが怖く、相手のそばへ近づきながらも攻撃を一切できずにいた。

 

“闇魔法も通じないだろうしねぇ……浩介君、お願い”

 

 無論それは恵里もだ。相手諸共町民を殺してハジメ達への悪印象を与えるのは避けたいし、最悪“縛魂”があるにしても一人一人に何分も、それも何人もやることを考えれば魔力と時間の無駄になる。だからこそここで最高の鬼札にお願いをする。遠藤浩介。自分達の中で最強の存在にだ。

 

“わかった。音響手榴弾と閃光手榴弾をくれ!”

 

“うん! 使うタイミングは任せたよ!”

 

 恵里のお願いを聞き届けた浩介にハジメは指定された手榴弾を三つずつ投げて渡し、それらを受け取った浩介は更に速度を上げて広場へと向かっていく。

 

「楽に終わってくれよ――“限界突破”ぁ!!」

 

 そしてためらうことなく“限界突破”を使い、更に“気配遮断”で存在感を極限までそぎ落とし、八重樫道場で学んだ足音を殺す技術も遺憾なく発揮しながら。まるで日が沈むに従って伸びる影のように。

 

「そんな……」

 

「嘘だ……じゃあ、じゃあ国王も教皇も俺達をずっとだまして……」

 

「ふざけんな……ふざけんなよ!! アイツらは俺達のことをなんだと思ってるんだ!!」

 

「皆様がお怒りになられるのは理解できます。ですからどうか、その正しき怒りを燃やし続けて下さい。そして皆様を騙した者達を討つために立ち上がるのです。真なる信仰を取り戻す――来ましたか」

 

(クソッ、この距離でもか! やっぱり“熱源感知”や“魔力感知”みたいな技能が備わってると見ていいな!!)

 

 残り三百メートルといったところで神の使徒にバレてしまい、思わず浩介は内心舌打ちしたくなるも、それでも勝つしかないと腹をくくって持ってた手榴弾を“纏雷”で引火する。

 

「ど、どうされました使徒様……?」

 

「敵が来ました。ですがお気になさらず。高々気配を消すことが出来る程度の卑劣な魔人族の手先でしかありません」

 

 神の使徒の急な動きに民衆は不安を掻き立てられたが、神の使徒は特に何も思うことなくただ迫って来る浩介を悪し様に言って翼を展開するだけ。事実、浩介が予測した通りこの神の使徒も“魔力感知”をエヒトから与えられている。そのため浩介の動きは筒抜けであり、たとえ不意討ちをしようとも余裕で対処できるとそう考えたのだ。

 

「言ってろ量産型が!――皆、目と耳が大事ならとにかく塞いでろ!!」

 

 そう言うと同時に浩介は音響手榴弾と閃光手榴弾を素早く広場上空へと投擲する。そんなあまりにも見え見えなやり口に神の使徒は特に表情も動かすことなく、ただ翼から放った二枚の羽根でそれらを跡形もなく消滅させる。

 

「ハッ、案の定引っ掛かったな」

 

 もちろん投げたのはブラフである。点火自体は一応やっていたものの、当然それは無効化されるのは目に見えていた。だからこそ本命は爆発寸前の状態で自分が持っていたのだ。それをパッと放すと同時に耳に指を突っ込んだまま“金剛”も発動。瞬間、彼のすぐ近くでおびただしい光とけたたましい爆音が広がっていく。

 

「ぎゃぁあぁあぁ!?」

 

「目が、耳がぁー!!」

 

 一挙に場は騒然となるものの、神の使徒はほんの少し表情を歪めただけですぐに広場上空へと跳躍した浩介目掛けて銀の羽根を撃つ。

 

「当たるかよ」

 

「ならば当てに行くまで」

 

 しかしそれも木の葉が舞うように動いてかわし、ならば直接仕留めに行くべきかと神の使徒は飛び掛かる。

 

「ありがとう、浩介君――“縛羅”」

 

「っ!」

 

 途端、神の使徒の体はその場に縫い付けられた――空間魔法“縛羅”。対象を空間に固定するという防御にも捕縛にも使える魔法である。消費は相当激しく、それを行使した鈴の魔力もかなり持っていかれたものの、それでも十分な隙を作れた。

 

「皆!!」

 

 鈴の声と共に恵里とハジメも広場へと躍り出る。こんな絶好の機会を逃す必要なんてない。ハジメは恵里にシュラークを投げ渡し、恵里もそれを受け取って口角を上げながら二人して神の使徒へと接近する。

 

「ありがとハジメくん!――鈴、また一歩リードさせてもらったよ」

 

「はいはい。あんまりマウントとらないの」

 

「こんなとこでも夫婦喧嘩するんじゃねぇっつの――これで終わりだ、クソ女」

 

 恵里はバレルにキスしたシュラークを神の使徒の左耳に当て、ハジメは下からドンナーを胸に突きつけ、浩介は鞘から抜いた愛刀『黒曜』を首筋に添える――二発の銃声、一筋の煌きと鮮血が飛沫を上げた。

 

「し、使徒様! 使徒様どうかお助けを!!」

 

「目が、耳が、な、治してください! どうか、どうかご慈悲を!!」

 

 神の使徒の始末は終わったものの、まだ住民の方は強烈な光と音のショックから回復した訳ではないようだ。そこで自分達が起こした惨状を見せる訳にはいかないと思い至ったハジメはすぐさま宝物庫に神の使徒の死体を入れ、恵里も鈴も浩介も急いで水魔法を使って血を洗い流す。

 

“ど、どうするよ!? アイツは倒せたけど、これどうにか出来るのか!?”

 

“……よし。浩介君は先に城に行ってて。ここはボク達でどうにかするから”

 

“だ、大丈夫なの恵里!?”

 

“いや、これ流石にどうにかなるのかな……”

 

 流石に自分の服に着いたものはどうにもならないし、既に神の使徒が何かやっていた様子であったため、どうしたものかと焦っていると不意に恵里があることを思いついて“念話”ですぐにそれを明かす。

 

 三人もそれに軽く引きながらもそれに応じることにし、すぐさま恵里、ハジメ、浩介の三人は“気配遮断”を使いながらそそくさと建物の屋根へと飛び移っていく。そのまま浩介は城へと向かって行き、鈴だけがこの場に残ることになるのであった……。

 

 

 

 

 

「……それは誠か?」

 

「ウチのギルドの中でも腕利きの斥候が持ち帰った情報です。間違いないでしょう」

 

 ハイリヒ王国王宮の軍議の間にて、ギルドに所属していたランク“銀”の冒険者からもたらされた情報に、王族も大臣達もそして冒険者ギルドのマスターであるバルス・ラプタもまた絶望の色を隠せなかった。

 

 “勇者”永山重吾の敗北。

 

 いくら準備にあまり時間をかけることが出来ず、王国に従う諸侯の協力をほとんど取り付けられなかったにせよ、神の使徒だけでなく三千もの兵と選りすぐりの冒険者をかき集めたのだ。それがたった二十名足らずの人間相手に負けたのである。その衝撃が小さい訳がなかった。

 

「しかも魔人族もいるというではないか! あの恥知らず共め……我らを恨むだけでなく魔人族にまで与するというのか!!」

 

 しかもその斥候の報告には続きがあった。なんと空を白竜が飛んでいたというのだ。もしそれが何度か報告に上がった例の魔人族が使役していた魔物であるのならば、当然自分達に煮え湯を飲ませてくれた憎い相手もそこにいるということになる。つまり今のハイリヒ王国は魔人族の手によって滅ぼされる可能性が非常に高いことも示しているのだ。

 

「ここにいる守備隊で諸侯が集結するまで時間稼ぎは出来ぬか? 彼らの力を合わせればどうにかなるやもしれん」

 

「この城に残った戦力は精鋭揃いとはいえ五百そこらです。神の使徒様も加わった軍が一日すら保たなかったことを考えればどれだけ時間を稼げるか……」

 

「降伏は……? 最早降伏する他あるまい! 潔く負けを認め、苦渋をすする覚悟を持てばいつか寝首を――」

 

 こうしてエリヒド王や大臣、ギルド長らが話し合いをする中、リリアーナだけは放心したようなホッとしたような何とも言えない心地となっていた。

 

(……これで、これで良かったんです。きっと)

 

 国が滅ぶ。それがもう秒読みの段階にあるにもかかわらず、こうも落ち着いていられるのはやはり後悔をずっと引きずっていたからだろうとリリアーナは力なく笑う。

 

 裏切り者として扱われた三人を結局どうにも出来なかったこと、永山達を結局戦場に出させて同郷の人間と殺し合いをやらせてしまったこと。そしてそんな彼らを大事に思っていた愛子に最悪の仕打ちをしてしまったこと。

 

 自分が思いつくだけでこんなにもあるのだ。たとえ彼等が魔人族に寝返っていようと、これから自分達に復讐しにかかってこようともおかしくないと感じていた。

 

(滅ぶべくして滅ぶ……ただそれだけですから)

 

 これが根っからの悪人や暴力を好むような粗野な輩であれば話は別だっただろう。今この状況でも彼らの怒りをどうやったら抑えられるかを自分自身も考えてたに違いないとリリアーナは思う。だがこうして現れたのは元々は心優しい少年少女なのだ。彼らの人となりを見ていたからこそ自分達の罪深さをリリアーナは知っている。だからもう抵抗はしない。そのつもりだった。

 

「こうなればその命を捧げてでも魔人族を滅ぼすべく戦い抜くべきだ!」

 

「魔人族は我ら人間族を一人残らず始末するに違いない。徹底抗戦だ!!」

 

「だがどうするというのだ!? いくら勝てないから、殺される可能性があるとはいえ、私は反撃の機会を失いたくはないのだ!」

 

「見つけたぞ、反逆者ァ!!」

 

 議場が混沌とする中、不意に扉が開け放たれると同時に尋常じゃない様子のメイドと兵士がなだれ込んでいく。そして――。

 

「何用だ貴様ら! 持ち場に戻れ! 今は軍議の最中だ――」

 

「エヒト様の名の下にぃ、反逆者と裏切り者を始末するゥー-!!!」

 

 恐怖劇が、始まった。

 

「何を言って――!? 正気か貴様ら!?」

 

「私達は、正気だぁぁあぁあぁ!!」

 

 包丁を持ったメイドの一人がこの場にいた近衛兵へと襲い掛かり、それを近衛兵がいなして抑え込もうとすると同時に何人もの兵士が襲い掛かってきた。急ぎ腰の剣を抜いて斬撃を弾くものの、それが致命的な隙となる。

 

「ごほぉっ!?」

 

「死ね……死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇー-!!!」

 

 この場にいた国の上層部の人間を守りながらであったが故に、遥かに実力が上であっても近衛兵は狂乱した兵士達に押し込まれ、背後から先程抑え込もうとしたメイドが包丁を突き刺す。そしてグリグリと包丁を動かして傷口を広げ、内臓を傷つけられた痛みから剣を握る力が弱くなり、そのまま兵士達に切り捨てられてしまう。

 

「や、やめよ! やめるのだ!!」

 

「反逆者に与する者にも死を!! 恥知らずな王族どもはなぶり殺しだぁぁぁぁぁ!!」

 

「――“天絶”っ!!」

 

 当然守る人間がいなくなった大臣らも凶刃が振るわれる。だがその一撃はリリアーナが咄嗟に詠唱した“天絶”によって防がれ、すぐさま無事な者も後ろへと下がっていく。

 

「どうして、どうしてなんですか!? 私達がこれ以上どんな罪咎を――」

 

 いきなり近衛兵が何人か死んだことがショックではあったが、このままではいけないと即座に判断したリリアーナは彼らに問いかける。自分達は神の使徒と呼ばれた彼等にやった行い以外に何をしてしまったのかをだ。

 

「エヒト様の意に背き、魔人族に屈し、我らの命と引き換えに自分達が生きながらえようとしたことだぁ!!」

 

「……えっ?」

 

「イシュタル共々我らを欺いただけでなく、魔人族に与するとは言語道断!! その命を以て償えぇえぇぇ!!」

 

 その問いの答えを聞くと同時に自分達を守るはずの壁は力を失う。微塵も予想できない、どうしてそんなことを言われなければならないのか理解できないものだったからだ。だがそれと同時に暴徒共が自分達の方へと殺到していき、おびただしい殺意と共にその刃を振るってくる。

 

「そんな、そんなはずは――ぎゃぁあぁぁあぁ!!」

 

「我等は真なる神の使徒様から啓示していただいたのだ!! これまで仰いでいた神の使徒は魔人族の手先でしかなく、お前達は俺達人間族を裏切った屑の集まりだとなぁ!!!」

 

 意味の分からない言葉に混乱しつつも、残った近衛兵はただ守るべき主の盾となるべく彼らの攻撃をいなし続ける。

 

「姫様だけに守りを強いらせるな!!」

 

「魔法を使える者は使え!! この際誰でも構わん!!」

 

 そして国の上層部の人間もこのままではじり貧どころではないと理解し、すぐに攻撃防御問わず魔法を展開して襲い来る兵士とメイド達へと対処していく。そんな時であった。

 

「随分と手間取っているようですね」

 

 銀髪の戦乙女がこの場に現れたのは。途端、その神々しい姿に抵抗していた王族達も目を奪われ、狂乱していた兵士とメイド達もピタリと攻撃の手を止める。

 

「使徒様!!」

 

「今この不届き者を始末している最中です! どうか、どうかお待ちを!!」

 

 他者を惹きつけ、魅了する容姿を持った存在に兵士もメイド達も崇拝の念を捧げ、それを見た王族や大臣達もああなってしまうのも仕方ないと誰もが納得してしまっていた。

 

「わかりました。では少々力を貸すとしましょう」

 

 途端、その女の背中から翼が生え、放たれた銀の弾丸と共に生き残った近衛兵は瞬く間に穴開きチーズと化していく。そして重力に負けてぐしゃりと潰れた肉塊に特に興味を見せることもなく女は告げる。

 

「エヒト様の遣いである私が命じます――反逆者の始末を。それに与する者の抹殺を」

 

 そう言うと同時に女は踵を返し、場は再び狂乱と恐慌が支配する。自分達を守ってくれる心強い存在が一瞬にして無残な姿となり、神秘そのものと言っていい存在に「悪」と断じられたことで生き残った王族や大臣、ギルドマスターも恐怖するしかなかった。自分達は二度と救われないと確信してしまい、戦う意志を失ってしまった。

 

「や、やめて! た、助け――」

 

「嫌だ! し、死にたく、死にたくなんて――」

 

「はは、はははははは!! 死ねぇぇ!!」

 

 幾つもの命が一気に消えていく。兵士の持った剣が、メイドの持ったナイフや包丁が、彼らの衣服や亀裂のような笑みを浮かべた顔が、幾度も紅に染まっていく。

 

「これで終わりだァアアァァァア!!」

 

「ぐはぁっ!!」

 

 自分達の目の前に現れた存在が本当にエヒト神の遣いかどうかなど関係ない。ただあの圧倒的な存在が一方的に命を奪い、そして命じた時点でもう全てが運命づけられたのだ。自分達は死すべき存在なのだと。

 

「はは……」

 

「エヒト様、見ておられますか! エヒト様ぁー!!」

 

 それを理解してリリアーナはただ乾いた笑みが浮かぶ。因縁の相手である魔人族でなく、自分達が陥れてしまった神の使徒と呼ばれた少年達でもなく、ただ神の使いと彼らに呼ばれた存在によって死兵と化した、自分達の国に仕えていた兵士やメイドによって。

 

(これが、終わり。これで終わり? こんな、こんなのって……)

 

 理解も納得もいかない、この上なく理不尽な理由で死ぬ。その時は近づいていてもう逃げ場などない。目の前に迫る血まみれの刃を見てそう思った時、ふと目の前を誰かが横切った。

 

「ぐぅうぅっ!!」

 

「――えっ」

 

 父だ。父のエリヒド王が身を挺してリリアーナに迫る死を防いだのである。

 

「死ぬがいい! 諸悪の根源め!!」

 

「ぐ、おぉ……」

 

 リリアーナすらも心が折れ、誰も魔法を使えない状況で命が逃げ惑い、悲鳴を上げては散っていく中、エリヒドだけが自分を守るために体を張ったのだ。うめき声を上げ、血反吐を吐きながらも歯を食いしばりながら自分達家族を心配する眼差しをこちらに向けている。

 

「あなたっ!!」

 

「ちち、うえ……?」

 

「おとう、さま……?」

 

「逃げ、よ……秘密の通路を、つかうのだ……」

 

 悲痛な叫びを上げる母、自分と同様にただ茫然としているだけのランデルに向けて父はそう言った。この王宮はどこの部屋からも城から王都へと抜け出せる隠し通路があり、それを使って逃げ延びるのだと伝えてくれた。

 

「そんな!! 父上を置いて逃げるなど――」

 

「今は、そのような――」

 

「逃がすかぁあぁぁ!!」

 

 自分を置いて逃げることを嫌がったランデルをエリヒドは叱ろうとするも、彼の体を更に刃が突き立てられ、その端正な顔と上等な服を鮮やかな血が汚していく。愛する家族の命が急速に失われようとしている様を見せられ、リリアーナはただ涙を流すばかりだった。

 

「逃げ、ましょう。王の覚悟を踏みにじる訳には――」

 

「お前も逃がすかぁぁぁぁあぁあぁ!!」

 

「あぁぁぁあぁあぁ!?」

 

 青ざめていきながらも覚悟に満ちた父の表情を見て、自分達の手を引こうとした母親の背中にも刃が投げつけられる。何本も背中に刺さった痛みで叫びながら母も倒れ、リリアーナとランデルはもう動けなくなってしまう。

 

「にげ、て……いきのび、なさい!……リリィ、ランデル……!!」

 

「ははうえ! ちちうえぇ!!」

 

 遂に父も前のめりになって倒れ、母も荒い息を吐きながらこちらを見るばかり。そして近くまで来たメイドの一人が自分に向けてナイフを振るった。その様がひどく緩慢に見える中、リリアーナはただ思う。

 

(嫌……もう嫌)

 

 家族が目の前で死にかけ、まだ無事であった自分とランデルもすぐにその後を追うだろう。けれどもこんな状況でも信じていたはずの神様は何もしてくれない。自分達をこうして追い詰めて死に追いやっただけでその慈悲を示してなんてくれない。

 

(誰か、誰か助けて!! もう誰でもいいから!! お願いだから私達を――)

 

 自分の従者であり、姉のように慕っているヘリーナもこの場にいない。何よりただただ死ぬことが怖い。誰も助けてくれない。自分達を守ってくれない。そのことに絶望し、ただ救いを求める彼女の前に刃が落ちていく――。




……さて、『本番』は楽しめていただけたでしょうか? ちなみにそのままお出しすると不味いと作者はチキって半分程度に抑えました。はい。

どうせですから『デザート』もいかがでしょうか? そちらは今週の金曜日に投稿出来たらいいなー、と思っております。くふふ。


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幕間三十六 誰かが望んだ一流の悲劇

こちらは前に幕間三十五のアンケートにもあった『割愛』した箇所に+αしたお話です。
つまり作者が『本気』を出した話になります……それが読者の皆様に届くどうかはともかくとして、覚悟は出来てますか?

ついでに言えば読まなくても別に問題ない箇所です。それでも見たくてこれを覗いたんですよね?









それではどうぞ(亀裂のような笑み)


「聞きなさい。我らが信徒達よ」

 

 ――それは天の彼方より現れた。銀の髪をたなびかせ、銀の翼をはためかせて。

 

「ウルの街を荒らした反逆者のみが敵ではありません。真の敵はあなた方の想像しえない場所に巣食っていたのです」

 

 それはオルクス大迷宮のために設けられた街に。

 

「エヒト様は仰せになられました。真なる“反逆者”は我が声を聞きながらも魔人族に屈し、奴らに与しようとしていた教皇一派、そしてそれに付き従っていた王族どもであると」

 

 街道沿いにある小さな街に。

 

「そしていずれ異界から現れるであろう魔人族の手先を“神の使徒”と呼ぶことも画策し、彼らをもてなして力を蓄えさせていたのです」

 

 農業が盛んな湖畔の街に。

 

「皆様がお怒りになられるのは理解できます。ですからどうか、その正しき怒りを燃やし続けて下さい。そして皆様を騙した者達を討つために立ち上がるのです。真なる信仰を取り戻すために」

 

 大陸一の商業都市に。

 

()()を討つために立ち上がりなさい。誰かに与えられるのを待つのでなく、あなた達の手で取り戻すのです」

 

 そして砂漠の中にある国と三百年前に傭兵が興した国にも、トータス各地へと降り立っていた。

 

「そんな馬鹿な……」

 

「お、俺たちはそんな奴らのために汗水垂らして税を納めてたってのか……!」

 

 嘆く者がいた。自分達のやったこと、信じていたものを裏切られたことへの悲しみが彼らを満たしていた。

 

「し、信じないぞ! く、国は俺達のために兵を派遣して魔人族から守ってくれたんだ!」

 

「そうだそうだ! エヒト様が降りてきたと思ってビックリしたけど、テキトーなこと言わないでくれ!」

 

 疑う者もいた。国や教会がやってくれたことが助けてくれたから、自分達が信じていたことが正しかったと思い込みたかったからと理由は様々だったが声を上げる者もいた。

 

「許さない……ふざけんなよクソッ!!」

 

「私達がどれだけ苦労して税を納めたと思って……この裏切者!!」

 

 怒る者もいた。自分達が生きた遥か昔より続く因縁に屈したことに、生活が苦しくなってもこれが自分達のためになると願っていたことを無碍にされたと彼らは憤怒の炎を燃やしていた。

 

「ホント、なのか……」

 

「噓でしょ……じゃあ、じゃあ誰を信じろっていうのよ……」

 

 だが多くは戸惑っていた。本当にそうなのか確かめる手段もなく、けれども天より現れた人ならざる存在に告げられたことから疑うことも出来なかったがために迷った者が最も多かったのである。

 

「エヒト様を、エヒト様の使徒たる私を信じなさい」

 

 故に神の使いは聴衆の目を見る。

 

「立ち上がるべきなのです。これも全てはエヒト様のため」

 

 迷う者、疑う者へと()()を宿すために。怒りを宿す者に『決意』を与えるために。

 

「あなた方を慈しむ尊ぶべき存在の願いを、信を裏切ってはなりません」

 

 自らの主たる絶対的な存在の望むままに。深く、深く『意志』を宿していく。

 

「これもエヒトさまのため……エヒトさまばんざい」

 

「わたしのしめい……はんぎゃくしゃをたおすたおすたおたおたおたおたおすすすすす……」

 

 迷う者達は『使命』を与えられ、それを疑わずに()()()()ていく。

 

「国はわたしたちをたすけ……たすけた? たすけたすけうら、うらうらうらうらぎったたたた……」

 

「まじんぞくをたすけるため?……そう、そうそうそうそうただしいただしいしとさまはまちがってないまちがってないただしいただしい」

 

 疑う者も与えられた使命を()()、『戦う意志』を燃やしていく。

 

「ころせ……殺せぇ!! 反逆者を皆殺しにするんだ!!」

 

「エヒト様万歳!! 反逆者に死を!! 人間族の裏切り者に神の鉄槌を!!」

 

 怒りに震える者も()()を超えるための『勇気』を授かり、力の限り雄叫びを上げる。

 

「では信徒達よ、戦いなさい。全てはエヒト様のために。信仰を取り戻すために」

 

 天の使いは全ての人間に『決意』をさせた訳ではない。ほんの少し()()ことで彼らが立ち上がるのだと唯一無二の存在より伝えられたからだ。だからこれで問題ない。この場の熱気は伝播していき、もう止まることが無いと理解して。

 

「では私はこれにて主の御下へと戻ります――エヒト様のご加護があらんことを」

 

 そう伝えると共に戦乙女は天へと戻る――狂気に蝕まれた衆愚の咆哮を聞きながら。一団となった暴徒が暴れる様を見ることなくただ空を仰いで。

 

 

 

 

 

「よくも……よくも私の体を汚してくれたなぁっ!!」

 

 神の使徒『であった』玉井淳史の世話をし、契りを結んだメイドであるミア・カルムは激昂していた。無論、この世ならざる美貌の乙女から『世界の真実』を聞かされたためだ。

 

 家の命運を賭けて自身の純潔を捧げた相手は実は魔人族の手先であり、自分は知らずにそれに加担したことを知った。聞いた直後はまさかとは思ったものの、宗教画に描かれたエヒト様の御姿に負けず劣らずの美しさ故か何故か()()()()()信じてしまう。結果、ただ利用されたことへの憎しみを募らせ、絶対に許さないと恨みを露わにしたのである。

 

「ふざけないでよ……あの男めぇぇえぇ!!!」

 

「あの女を抱かずに済んだのは幸運だったが……ああ吐き気がする!! あんな薄汚い輩如きに媚びを売っていた己がひたすらに恨めしい!!」

 

 それは共に『真実』を聞いていた同僚もである。仁村明人の世話を任されたエリナ・ロベリアも、吉野真央の身の回りの世話をしていた執事のトム・アコーニーもまた怒りと嫌悪で体をかきむしっている。

 

 正直な話、体を重ねる羽目に遭った面々はそうならずに済んだトムに加え、彼と同じ執事であり辻綾子の担当をしていたワイト・ホバローク、野村健太郎の担当をしていたメイドのショコラ・フリティラリアにも彼らは嫉妬と憎しみを抱いていた。だがそれを表立って向けることはしていない。『まだ』報復したい一番の相手への復讐は済んでいなかったからだ。

 

「あんな考えるだに悍ましい奴らは後で殺すとして――僕達もあちらに向かいませんか?」

 

 そこでワイトはあることを提案する。それは神の使徒と名乗った存在に『説得』された他の兵士達と共に、自分達にこんな役割を()()()()()愚かな王を抹殺しようというものだ。

 

 叶うことならば今すぐにでも自分が相手をしていた辻綾子(腐れ外道)をくびり殺したいと願っていたが、非力な自分達では簡単には出来ないことも理解していた。そこでまずは腹の底で煮えたぎる憎悪を少しでも満たし、また自分達の正義を成すべく王族とそれに連なる屑共を始末するべきだと提案したのである。

 

「……行きましょう。このまま怒りを我慢しきれそうにありませんし、何より私達の手で正義を成すチャンスです。あの愚王の血は確実に絶やさなければ」

 

 ショコラもそれに応じて先んじて兵士達の後を歩いていき、その後を他の奴らもついていく。

 

(許さない……絶対に許しはしない。必ず、必ず私の手で始末してみせる……永山重吾っ!!)

 

 そんな彼らの中で一際怒りをにじませていたのはシーナであった。その手から血が滴る程に強く手を握りしめており、ひどく目が血走っている。彼女が永山に入れ込んでいたのは『神の使徒』という特別な存在であることはもちろんであったが、その中で特に尊い“勇者”という天職を持っていたことも挙げられる。

 

 貴重な天職である分同僚達から羨ましがられ、彼らからの尊敬の眼差しをシーナは一身に受け続けていた。だがこうして永山の勝利を待っていた時にもたらされた真実は彼女の心をズタズタにする辛く苦しいものであった。あまり驕ることも無かったため、魔人族の手先らに騙されてたと同情や哀れみの視線を向けられるだけで済んだものの、それがひどく彼女のプライドを傷つけたのである。

 

(もうこの体が穢れた以上、手ぶらで家に戻ることは出来ない……! せめて、せめて私達の手でエリヒドを葬り、魔人族の手先の首も持って帰らなければ! そうでなければ父様にも母様にも顔向け出来ない!)

 

 そして彼女が最も恐れたのは自分の実家がどう動くかということだ。これは他の神の使徒の世話をしていた人間全員に言えることなのだが、全員もれなく自分の家の繁栄のために動いている。自分達が世話をしていたのは魔人族の手先であることは()()()()()が、これを知っているのが自分達だけであると彼らは思い込んでいた。そうしなければ心が壊れそうになったからだ。

 

(待っていろ人間の屑め……)

 

(僕達を裏切った罪、絶対に贖わせてやる……!)

 

(恥知らずの死体からどれを持ち帰ればいいアピールになりますかね……あぁ、早く殺さなければ!!)

 

 だから全てが知られてしまう前に成果を上げ、家に捨てられないよう取り計らう。言われずともシーナ達の意志は一つとなっていた。

 

「とりあえず近くに調理場があります。護身用の武器がないならそこで手ごろな武器を持って行くとしましょう」

 

「……こんな時ほど自決用のナイフが嬉しかったことなんて無かったわ」

 

 トムの言葉に何人かがうなずき、すぐさま彼らは調理場へと向かっていく――彼らが血と狂気に全てを染めるのも秒読みの段階に入っていた。

 

 

 

 

 

「――全員揃ったな。これより緊急会議を始める」

 

 ヘルシャー帝国の議場にて、急遽側近のベスタに指示を出して大臣を招集した皇帝のガハルド・D・ヘルシャーはすぐさま会議の開始を告げる。

 

「“神の使徒”から話を伺わなかった者はいるでしょうか」

 

「いる訳がねぇだろうがベスタ。とっとと始めろ」

 

 無論、今回の議題に挙がったのは例の神の使徒からもたらされた真実、そしてこれからヘルシャー帝国がどう動くかについて取り決めようというものだ。幸いにもこの話は直接、人伝を問わず知っている様子であったため、皇太子であるバイアスの指摘通り誰もがそれにうなずいて返す。本来ならガハルド辺りが諫めるのだろうが今はそうする時間すら皆惜しく感じ、すぐさま会議が始まるのであった。

 

「お前らも知っての通り、ハイリヒ王国の上の奴らも反逆者という事をあの女は言っていた……フィリオ支部長」

 

 本来ならばこの場に出席することなどまず有り得ないのだが、この場に来ていたヘルシャー帝国首都の冒険者ギルド支部長であるフィリオ・セントスが、既にガハルドに伝えたある重大な事実を打ち明ける。

 

「ええ……先程、私自らが出向いて皇帝陛下に伝えたのですが、他の街でも同じようなことが起きております」

 

 そのことに議場は軽くざわめくものの、それが本当に言いたかったことではないとこの場にいた多くが気づいており、彼らはフィリオの次の言葉を待っていた。

 

「デマでないとするならば、既に『何か』が起きている筈です。そうですわよね支部長様?」

 

「無論ですトレイシー様。各街のギルドからの通信の様子、一部は領主自ら出向いてもいます。それは――」

 

 そして続く言葉に誰もが言葉を失い――そして破顔する。欲の深い、狩人の目つきを多くが浮かべていた。

 

「そういう訳だ。お前ら、俺はこの機会を逃す気はない。ヘルシャーが出る意味も大義名分も十分存在する――盗るぞ。このトータス全土をな!!」

 

 それは現皇帝であるガハルドもまた例外でなく。この議場にいたほとんどの人間が彼の言葉に従い、鬨の声を上げる。これ以上ないヘルシャーの版図拡大の機会を目の前にして。

 

(……妙ですわね)

 

 ……それを疑問に思ったトレイシーら数人を除いて。

 

(あまりにタイミングが、都合が良すぎる。確かにこのタイミング以上にいい機会など存在しないでしょう。ですが――)

 

 そう考えながらトレイシーは議場の机に広がった世界地図に目を通していく。視線はすぐにヘルシャーから離れ、ハイリヒ王国周辺の諸侯の領地、最後に王都へと向かう。

 

(何故、どの王国の領地も()()()混乱に陥っているのです? あまりに早すぎる)

 

 不自然な世界の動きにただ、得体のしれないものを感じながらも、この流れに抗う術を彼女は持っていなかった。

 

 

 

 

 

「燃やせ、燃やすんだ!!」

 

「反逆者の手にかかった作物はどこだー!!」

 

 ウルの街に火の手が上がった。そしてそれをやったのはほとんどがこの地に住まう農夫である。

 

「やめろ! やめてくれー!!」

 

「あの女……よくも俺達の畑を駄目にしてくれたな!!」

 

 狂乱した人々は自他問わず表に出した様々な作物を一か所に集めては燃やし、今度は自分達の畑まで火をつけていく。

 

「あぁ……備蓄してあった食料が……」

 

「あぁそうだよ! おかげで食料が全部パァだ!! あいつのせいで俺達は終わりだ! 冬を越せずに死んじまうんだ!!」

 

 彼らがこんな愚かしい真似をしているのは神の使徒が去った後、ある農夫がつぶやいた一言が原因だった。『もしかしたら、教会が派遣してたあの女が俺達の畑に何かしたんじゃないか』と口にしてしまったことだ。

 

 神の使徒によって()()()()彼らであるが、当然教会上層部の意向に沿って動いた愛子への敵意も存分に抱いていた。そのため彼女がやった農地改革は魔人族が人間族を支配するための何らかの策だったのではないかと先の一言で疑ってしまったのである。

 

 そうなれば抱いた憎しみが疑惑を生み出すのはあまりに容易で、話を聞いていた農夫全員は自分達の畑が彼女の手によって()()されていなかったかと思い返し、等しく全員が絶望する。面積の違いこそあれど、皆の畑は畑山愛子に手を出されている。つまり、汚染されたのではと疑い出し、そして答えの出ないはずの問いはすぐに形を結ぶ――全ての作物の破棄、田畑の破壊という最悪の形で。

 

「止めろー!! 火をつけるなー!!」

 

「止まれ止まれー!!」

 

 だがもちろんそんな蛮行を誰もが黙認している訳ではなく、すぐに派遣された兵士や冒険者達が事態の収拾のために奔走していた。火災が起きる可能性を危惧して水属性の魔法が使える者達は優先的に消化を、風属性の魔法が使える人間は延焼を防ぐために風を吹かせて火の粉を可能な限り何もない場所へと送る。他はとにかく暴徒の鎮圧だ。

 

「そんなことをしなくても教会の人間に調査してもらえば済むことだろうが!!」

 

「その教会の人間が送ってきたのがあの女だろう! 信用なんて出来るか!!」

 

 無論土地や作物の方に異変や汚染が起きてないかを調べることは教会の人間ならば可能だろう。だがそんな芸当が出来る人間が派遣されるまで相応の時間がかかるし、何より畑山愛子は教会を介して派遣されたのだ。上層部の()()を知った者達はこれまで信じていた組織を信じることが出来なくなってしまっていた。

 

「いい加減止まれぇー!!」

 

「うるさい!! お前達が、お前達のせいで!!」

 

 幸いまだ教会に火の手は上がっていないようだが窓ガラスやステンドグラスなどは割られており、怒り狂った農民達は今も教会に火をつけようと必死になって抵抗している。

 

「もう……もうお終いだ……」

 

「どうやって、どうすればいいんだ……」

 

 何もこんなことが起きてたのはウルの街だけではない。畑山愛子が巡った場所の幾つかで似たような光景が繰り広げられていたのである。ある村では全ての作物が灰となり、畑に成った作物も全て農具でめちゃくちゃにされてたりと目を覆うような事態になっていた。

 

「クソッ、大損だ! 折角ウルの街から仕入れたばっかりだってのに!!」

 

「安全なのはアンカジだけか!……元手なんてもうねぇ、店をたたむしか……」

 

 フューレンでもウルの街から仕入れられた作物が大量に郊外に破棄され、そして火をつけられて処分されている。目ざとい商人の一人がこっそりやったことがバレて波及し、今では取り扱っていた誰もがそれをやる。結果、崩れてぐちゃぐちゃになった作物が山のようにそびえることとなった。

 

「急ぎ手配せよ! とにかくウル産のものは廃棄! アンカジと伝手のある商人に連絡を取れ!! お触れを出すんだ!」

 

 神の使徒と立ち会えた領主もまた、畑山愛子が行ってない()()()場所であるアンカジ公国からの輸入を考え、人員の手配に動いている。彼の領地はまだ暴動が起きていないものの、いつ起きるかもわからず不安であったため、先んじて動く。

 

『愉快。実に愉快なものよ。よく我を愉しませてくれる』

 

 かくしてトータス全土で混乱は続く。それを遥か上で眺める存在は、地獄と化した地上を見てただ笑みを深めるだけであった。




……いかがでしたでしょうか? 自分のお気に入りであり真に書きたかったところは最後の展開です(オリジナル笑顔)

皆様も感じませんか? 人間の可能性を――人はどこまでも愚かになれるってことをさぁ!!


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幕間三十七 皆が望んだ三流の喜劇

まずは拙作に目を通してくださった皆様に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも144932、感想数も497件(2022/11/26 7:39現在)まで増えました。誠にありがとうございます。これもひとえに読者の皆様が拙作をひいきにして下るおかげです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき本当にありがとうございます。こうして何度も評価してくださって作者としても身に余る光栄です。重ねてお礼申し上げます。

今回二つの話を投稿させていただきました。一つは前の幕間で削った分に+αしたお話、そしてこちらの話です。ちなみに削った分は詳しい描写を出さないだけで後に触れることになるので別に読まなくても大丈夫です……聡明な読者の皆様はこれで作者が何を言いたいかがわかると思います(ニッコリ)

そしてこちらの方の注意点としてちょっと長め(約11000字)になっております。ではそれに注意して本編をどうぞ。


「俺は……間違ってたのか……」

 

「勝てるんじゃ……勝ち戦じゃなかったのかよ……」

 

「ありえない……神の使徒様がおられたんだぞ……反逆者ごときに何故……」

 

 体を岩の鎖で縛られ、その上香織の“廻聖”によって永山らを含む王国軍の人間はギリギリまで魔力を抜き取られたことでロクに抵抗出来なくなっていた。

 

「なんで、どうしてなんだよ……」

 

 多くがうつむいてブツブツと何かをつぶやく中、玉井を筆頭とした永山を除く彼のグループの六人は光輝達の方を見ながら恨みと悔しさのこもった眼差しを向けていた。

 

「玉井……」

 

「どうして必死になって頑張って来た俺達が負けて、裏切ったお前達が勝つんだよ!!」

 

 その嘆きに光輝はどう返せばいいのかわからず、ただ黙るばかり。先程戦った感じからして彼らも相応の修練を積んでいるというのはわかっていたものの、あの奈落を潜り抜けたことによる実力の差というものも彼は理解してしまっていたからだ。自分達は彼等とは一線を画す程の力を得てしまっているのだと。そんな自分がどんな言葉をかければ玉井達の心を慰められるかもわからなかったからだ。

 

「そうだ! やりたくもない訓練して、人も殺して、それでも俺達はずっと頑張ってきたんだぞ!! 苦しくても耐えてきたんだぞ!!」

 

「仁村君……」

 

「ホントおかしいだろ! だったら、だったら……今までの俺達のやったことは何だったんだよ!!」

 

「相川、お前……」

 

 玉井が不満を吐き出すとすぐに仁村と相川も溜め込んでいた感情を爆発させる。望まぬ環境に身を置き続け、それでも足掻いてたのだということが彼らの口から理解できた。そんな様子を雫も悲しく思うものの、幸利の方は『こっちだって死にもの狂いで奈落突破してんだよ。ナメんな』と感じており、それを表情に出していた。

 

「そうよ……なんで白崎達なんかに負けるのよ!! 仲良しこよしで楽しそうにしてるあなた達なんかに、なんで、なんで!!」

 

「辻さん……わ、私達もその……」

 

 そして爆発したのは先の三人だけではない。辻もまた恨みがましい目をこちらに向け、涙をボロボロと流しながら心の中に堆積していた恐怖と敵意、そして理不尽への怒りを吐き出していく。

 

「努力してました、苦労してました、って言うつもり? ふざけないで!!……大して強くも無かった南雲が生きてたんだし、どうせオルクス大迷宮の下なんて楽なところだったんでしょ! そうじゃなきゃ意味わかんない!!」

 

 吉野もまた怒りと恨み、悔しさと恐怖の入り混じった叫び声を上げ、やり場のない感情をただただ香織達にぶつけてくる。

 

「ち、違うよ! 私達だってあそこでかなり苦労して――」

 

「うるさいっ!!……私達が、私達が行けば良かったんだ。あなた達なんかでも大丈夫だったんだから、きっと私達ならもっと楽に、野村くん達と一緒だったら絶対簡単に――」

 

「そんなことない! あそこで私達本当に死にかけて――」

 

「ウソついてんじゃねぇ!! だったらどうして皆生きてんだよ! 誰一人怪我もしてないのにそんなウソつくなんて最低だな!!」

 

 香織は必死に弁解しようとするものの、辻も野村もそんなことなんて聞きたくないと拒絶を露わにして怒りと恨みをぶつけるばかり。玉井達もさっきからずっと光輝達に怒り続けており、何も反論してこないことからただただ自分達はこんなに苦しんだんだと訴えている。

 

「おい吉野、野村テメェ!……あぁ、ったく。香織、もういい。ほっとけ。コイツらは一度頭を冷やさないとどうにもならねぇ」

 

「でも、でも龍太郎くん!」

 

「熱くなってんじゃ何言ったって無駄だろ……俺だって、そうだったからよ」

 

 親友達が悪し様に言われるのを我慢できずに龍太郎にすがりついた香織であったが、その彼の言葉で香織もあることを思い出す。小学生の頃に光輝とケンカをしてそのまま絶交しそうになったあの事件をだ。その時のことを思い出したからこそ踏みとどまったことを理解し、香織もまた唇をキュッと嚙みながら我慢する。

 

「ま、待て健太郎! 皆も……」

 

「永山君は黙っててよ! これもそれも白崎や天之河が悪いんだから!!」

 

「テメェら、ホントいい加減に――」

 

「ふざけるな貴様ら! それでも神の使徒か!!」

 

 永山が好き勝手言う彼らを止めようとしても逆に反論し、どれだけ自分達が憎いのかと幸利がキレそうになり、愛子も何かを言おうとしたその瞬間であった。いきなり兵士の一人が永山達に怒りをぶつけてきたのである。

 

「えっ……」

 

「な、なんで……?」

 

 一緒に戦ってくれた兵士達は自分達の味方だと信じていたため、相川も吉野も信じられないようなものを見る目つきで兵士達の方を見る。だが誰もが永山達を仇を見るような目で見つめるばかりであった。

 

「さっきから黙って聞いていれば何を軟弱な……お前らはエヒト様から遣わされた存在だろう! だったら役目を果たせ!! 反逆者を殺せ!! その程度のことすら出来ないのかこの役立たずが!!」

 

「冗談じゃない……! この僕に、ランク“金”である“閃刃”のアベルの経歴に泥を塗ってくれたな!! 今すぐにでもお前らを殺してやる!! 絶対に、絶対に許さないからな!!」

 

「エヒト様が遣わした存在がこのような無様を、このような失態をなさるはずがない! 貴様らは偽物だ!! エヒト様の威光を傷つけるまがい物の存在だ!! 死ね!! 今すぐ死んで詫びろ!!」

 

 兵士が、冒険者が、神殿騎士が、誰もが口々に勝手なことをのたまい、自分は悪くない、お前が悪いとひたすらに糾弾していく。信じていた相手に裏切られ、共に過ごしていた彼らに切り捨てられた永山達はただ落涙し、一層心に深い傷を負っていく。

 

「どう、して……」

 

「どうしても何もあるか! この穀潰しが!! 」

 

「ちが……違う! 俺達頑張ってたじゃんか! それを皆褒めてくれて――」

 

「嘘を言うな!……貴様ら、エヒト様の使徒という立場を利用して甘い汁をすすってたのだろう。そのために手も抜いていた。そうに違いない!! そうでないはずがない!!」

 

 必死になって国のため、世界のために頑張っていたと主張しても兵士達は聞く耳を持ちはしない。ただただ自分達が負けた理由を光輝達だけでなく永山達にも求め、ここぞとばかりにその責任をなすりつけようとする。

 

「いい加減にするんだ!! どうして味方の貴方達が永山達を否定するんだ! 答えろ!!」

 

「黙れ反逆者!! お前達が裏切ったからこうなったのだ!! そのせいでコイツらもとんだ腑抜けになったに違いない!! お前らが悪い! お前らが世界の悪なんだ!!」

 

 味方であったはずの相手から悪口雑言をぶつけられ、泣きながら否定する永山達を見て光輝達はいたたまれない気持ちになり、持ち前の正義感から光輝は兵士の一人に食ってかかったが、その兵士も支離滅裂なことを言って自分達は悪くないとばかりに自己擁護するばかりであった。

 

「やめて……やめてよ!! したくもないこといっぱいやってたのに! なんでそんなこと言われないといけないの!?」

 

「こんな考えを持ってたなんてな……心底失望させてくれる。今すぐ、今すぐお前達のために費やした金も時間も返せ!! この寄生虫――」

 

「黙りなさいっ!!!」

 

 彼らが何を言おうともただただお前が悪いと返す兵士達であったが、愛子の一喝と共に一部が姿を消す。先の戦いで魔晶石にストックしていた分も消費していた魔力を自らの身を削って用意し、それで作った落とし穴に落としたせいである。荒い息を吐き、四つん這いになりながらも愛子は落ちた兵士達に向けて声を張り上げた。

 

「頑張ったこの子達に、どうしてそんな仕打ちが出来るんですか!! 答えなさい!!」

 

 憎しみのこもった、世界を呪うような眼差しを受けて兵士達は軽く委縮したものの、彼らは口から唾を飛ばしながらも愛子を口汚く罵っていく。

 

「だ、黙れ神敵が! 豊穣の女神だなんだともてはやされておいて、反逆者に加担するとはどこまで浅ましいのだ!!」

 

「私はこの子達の味方であって、あなた達の味方でも都合のいい道具でもありません!! むしろあなた達が私を政争の道具に利用しようとしてたでしょう!!」

 

「どんな理由を並べ立てたところでお前もエヒト様の敵だ! 必ずエヒト様から神罰が下るぞ! 体を震わせて待っているんだな!」

 

「だったら今すぐエヒトに祈って神罰でも何でも落としてもらったらどうです! そんなに罰するのがお好みなら、今すぐ私が引導を渡して――」

 

「やめなさい愛子さん!」

 

「落ち着いて! 落ち着いてください!」

 

 好き勝手言う彼らに反論を続けていた愛子だが、言葉ではもう止まらないと確信し、永山や光輝達のためにもこいつらを()()()()()()()()と技能を使って生き埋めにしようとする。だが、すぐに鷲三と霧乃に妨害されてそれは叶わなかった。

 

「はな、して! 離してください!! この人達は、こんな人達は生きてちゃいけないんです! だから私が、私が!!」

 

「それが大人のやることではないだろう!」

 

「あなたのやらなければいけないことは理解し合えない大人を殺すことでなく、傷ついた子供達に寄り添うことでしょう!!」

 

 ほとんど力が入っていないながらも駄々をこねる愛子に二人は必死に呼びかける。本当に必要なのは憂さ晴らしではない。今あそこで傷ついた彼等に手を伸ばすことだと伝えれば、愛子もそれに気づいてすさまじい後悔の念に駆られて涙を流す。

 

「わたし、は……わたしは……」

 

「ここはわし達に任せなさい。だから、あの子達を頼みます」

 

「ええ、お願いします。先生であったあなたしか出来ないんです」

 

「……はい」

 

 こんなところで折れてはいけない、と奮い立たせて愛子は今一度永山の方を向いて声をかける。彼らに思いが届くようにとただ願いながら。

 

「……もう、やめましょう。もうクラスメイト同士で争いなんてしなくていいんです」

 

「……でも、だけど!」

 

「じゃあどうしろって言うの! 頭下げて許しを請えって!? 嫌よそんなの!!」

 

「愛ちゃんはどんな思いで俺達が戦ってたのかもわかんないからそんなことを言えるんだ!」

 

「……そう、だな。俺達が、間違ってた」

 

 けれども現実はあまりに冷たく、何を言っても彼らの心が変わる様子は無い。こうなったらひっぱたいてでも正気に戻すべきかと愛子が考えたその時、今までだんまりであった永山が不意につぶやいたことで全員の意識がそちらに向かう。

 

「じゅ、重吾……? お、お前何言ってんだよ!」

 

「そうだよ! 何抜かしてんだよ永山! 俺達は悪くなんか――」

 

「よせっ!……天之河、ひとついいか?」

 

 今度は自分達がリーダーとして仰いでいた彼が裏切ったかのようなことを言ってきたため余計に野村達はパニックを起こす。だが永山は彼らに構うことなく光輝に声をかけ、光輝もまたそれにうなずいて返した。

 

「……お前達の実力なら、きっと俺達を余裕で殺せたんだろう。違うか……?」

 

「それ、は……出来ない。俺達は、皆を殺すために来たわけじゃないから」

 

「ハッ! やっぱり出来ないんじゃないか! やっぱりお前達が勝ったのだってただのまぐれ――」

 

「健太郎!!……つまり、殺すこと自体は出来るんだろう?……一度も“天翔閃”も“神威”も使わなかったからな」

 

 人もクラスメイトも殺したくない、とその意を明らかにすると野村らは言葉尻を捕らえて彼らを馬鹿にするも、永山の言葉に一瞬で血の気が引いていく。そう。彼らは光輝の攻撃に使う技能を知っているし、実際に訓練で見たこともあった。なのにどうして使わなかったのかと疑問も浮かんだが、『切り札なんてそうそう何度も使えない』、『味方を巻き込みかねなかったからやらなかった』と適当に理屈をつけて納得しようとしていた。

 

「……空撃ちは出来るだろうか」

 

「それで納得できるなら……“神威”」

 

 虚空へ向けてノータイムで三度放たれた赤色の光。魔物を食べたことで変色したのとステータスが上昇したことで一層強くなったことを除けば健在のそれを見て野村達だけでなく、鷲三らに分解の羽を周囲に落とされて脅されていた兵士達もまた絶句する。彼らが殺す気なら自分達は消し炭すら残さず消えていた。それを真に理解したからだ。

 

「……悪いけれど、まだ二発は撃てる。それぐらいの余裕はある」

 

「だ、そうだ……俺達は、生かされたんだ。他でもない天之河達に。だから抵抗するな」

 

 静かにそう告げる永山にもう誰も反論する気力も起きず、ただただ絶望を噛みしめるだけであった。最初から勝負にすらならなかったのだ。本気だったら先の“神威”を一発撃つだけで一割近くが消えてただろう。それを何度も繰り返せばどれだけ士気が高くとも戦意を喪失して誰もが逃げ回るのも想像が出来たからである。

 

「永山、俺は――」

 

「それと天之河。頼む……俺の首一つで、皆を許してくれ。俺についてきてくれた野村達も、兵士の皆もだ」

 

 そして光輝は永山に手を差し伸べようとした時、彼の述べた言葉で幸利達も言葉を失ってしまう。死ぬ気だった。死んで皆を助けようとしてたからだ。

 

「な、永山! 俺はそんなつもりなんてない! 俺が皆を説得して、一緒に行こうと思って――」

 

「……それは、お前達を殺そうとした奴が相手でもか?」

 

「それ、は……」

 

 それでもと光輝は手を差し伸べようとするが、永山は乾いた笑みを浮かべながらそう返したことで何も言えなくなってしまう。彼とてわかっていたのだ。人を殺すことの重さが。それを正当化したことがあったとしても、こうして彼らに殺意を向けたことが無かったことにはならないと理解していたから。

 

「健太郎達は俺のせいでこんなことをしなければならなくなった……だから、頼む。アイツらだけは、アイツらだけは……帰してやってくれ。家族の、下に」

 

 震えながら光輝に頼み込む少年の姿を見て野村達も遂に正気に戻る。リーダーとしての責任を取るつもりだと。自身が犠牲になってでも自分達を地球へと帰そうとプライドも何も投げ捨てたのだと。

 

「や、やめろ……やめろ重吾! お、俺も悪かった! 謝る! 何度だって謝るから!! だから頼む! 重吾を殺さないでくれ!!」

 

「お、俺も頼む!! リーダーは、永山は俺達のために頑張ってくれてただけなんだ! だから殺すな! 殺さないでくれよ!!」

 

「そ、そうだそうだ! アイツだけが悪いんじゃねぇ!! お、俺達も……俺達だって同罪だよ!」

 

「永山は俺達の代わりに色々頑張ってくれただけなんだよ! だから殺すな! やってほしいことがあるならなんだってするから!! だから!!」

 

「お願い! どうか永山君を助けて!! 彼は、彼は何も悪くないの!!」

 

「やれっていうならなんだってやるから! 何度でも謝るし、どんなお願いだって聞くから! だから永山君にひどいことをしないで!!」

 

 だからこそ野村達も必死になって頭を下げる。こうして自分達を率いてくれた頼もしい彼を自分達のせいで失いたくない。その一心でただただ訴え続ける。光輝達は互いに顔を見合わせると、すぐに彼らを岩の鎖から解放していく。

 

「な、なぁ、もしかして……」

 

「もしかしても何もないよ。俺達は殺そうとなんて最初から思ってなんていなかったから」

 

 その言葉を聞いて野村達は心の底から安堵する。永山は死なずに済む。ただそれだけのことに。

 

「でも無罪放免、って訳にもいかないだろ。光輝」

 

「幸利の言う通りだ。ハジメや鈴ならともかく、恵里の奴が特に嫌がるだろうしな」

 

 しかしこのまま何もしない、という訳にもいかないだろうと幸利と龍太郎が述べると永山らの表情は少し強張る。当然だ。自分達は彼らを殺そうとしたのだから。本来なら何をやられても文句を言えない立場だと理解したからこそ、どんな処分も受け入れるしかないと考えていた。

 

「……でしたら彼らは私が身柄を預かります。それでいいでしょうか?」

 

「その、私はいいけど……恵里や檜山君達が納得するかしら?」

 

「させます。私を含めてどれだけ粗雑に扱っても構わない代わりに確約してくれれば」

 

 その時愛子が挙手して自分が預かる旨を伝える。雫もやはり恵里のことや、この場にいない大介らのことも危惧したが、それでもと愛子は粘った。もう教師と名乗れないような失敗を繰り返した自分でも、彼らを親元に連れていくことは果たさねばならないという決意を露わにしながら。

 

「それともう一つ」

 

 愛子がそう言うと、彼女は永山の頬をぺちんと力無く叩き、荒い息を吐きながら永山グループの皆を見やる。

 

「これは、あなた達への罰です。どんな理由であれ、クラスメイトを殺そうとしたことの報いです……もし今後またやるというのなら、私が命を張ってでも、暴力を振るってでもあなた達を止めます。絶対に」

 

 覚悟の定まった彼女の言葉に重吾達は真剣な表情でうなずいて返す。もう自分達も間違えない、と。暴力を振るうことをよしとしなかったはずの彼女にこんな真似を、こんなことを言わせたことを悔いながら。絶対に繰り返さないと誓って。遂に地球から来た子供達の絆は修復され、結ばれることになったのであった。

 

 

 

 

 

「皆さん、どうか落ち着いてください」

 

 一方その頃。城下町に降り立った使徒を仕留めた後、話し合いをした恵里達。そして話し合いを終え、何の目的かは不明なものの、奴が話をしていた住民の前へと鈴は出ていき、精一杯平静を装いながら声をかけた。

 

「ハッ……お、お前反逆者か! し、使徒様はどうした!」

 

「そ、そうだそうだ!! 使徒様を返せ!!」

 

「くたばれ。“限界突破”アンド“静心”」

 

 当然鈴の方にヤジが飛ぶがその直後、恵里が“限界突破”を使いながら全力の“静心”をその場にいる全員にひたすら叩き込んでいく。住民の心が一挙に沈静化されると同時に、鈴は恵里からの“念話”のカンニングを受けながらセリフを吐いていく。

 

「えっと……神の使徒様は天上の世界に帰られました。私はその代弁者としてここに残ってい……おります」

 

「そ、そんな……」

 

「嘘だ……どうして」

 

「使徒様が……なぜ……」

 

 精神を一度極限までフラットにされたせいかすぐさま激情を露わにするということは無かったものの、それでも困惑する様子が見え隠れしている。そこで鈴は恵里から伝えられた言葉を心底嫌がりながらも口にしていく。

 

「使徒様は仰せになられました。その罪を償う意志を示すのならば汝を許そうと。寛大な心を持つエヒト様もまた、私達が贖う意志を見せるのならば水に流そうと。私達、罪深い反逆者を生かしてくださると仰せになられたのです」

 

「お、おぉ……」

 

 恵里が思いついたのは『自分達はエヒトから許しを得て、これまでの行いを悔い改めて生きることになった』という大嘘を吐くことである。そうすることでこの場を切り抜けようと画策したのだ。

 

「う、嘘を言うな! お前達は魔人族の手先だと使徒様が――」

 

「えいっ“呆散”」

 

 しかし既に神の使徒がやってたことが実を結んでいた様子であり、自分達はいつの間にか『魔人族の手先』という扱いになっていたようだ。そこで即座に恵里が“静心”の元になった魔法である“呆散”を発動し、広場にいた鈴以外の全員の意識をぼんやりとさせていく。

 

「しと、さま……?」

 

“はい鈴とっととまくし立てる! しばらくはこっちでどうにかするから!!”

 

「やってることが悪の秘密結社だよぉ……コホン。皆さん聞いてください! 確かに私達は魔人族の手先としてこの世界に来てしまいました。ですがこうして自分達の罪を認め、悔い改めたいと神の使徒様に懺悔しました!!」

 

 意識がぼんやりしたことで鈴の言葉もあまり疑うことなく耳を傾けるようになり、恵里に急かされるままに鈴は言われたセリフを必死になって口に出していく。

 

「私達が罪深いことは理解しています! ですがどうか! 今の私達は皆様のために力を使いたいのです! どうか、どうかお許しいただけますか!!」

 

 そしてカンペ通りに頭を直角に下げ、相手の出方を待つ……すると聴衆がぼそぼそと何かをつぶやき始め、鈴はそれを聴こうと必死に耳に意識を向ける。

 

「いいんじゃ、ないのか……?」

 

「たしかに……だめだったら使徒様が来られるだろ」

 

「そうね……使徒様がここにいないのがその証拠よね……嘘だったらエヒト様が天罰を下すでしょうし」

 

“よし、これならきっと大丈夫! ねぇ恵里、次は――”

 

「待て……」

 

 その言葉に鈴は成功を確信する。すぐさま“念話”で上手くいった旨を二人に伝えるも、ふと何人かがいきなり待ったをかけてきた。

 

「私達は使徒様から反逆者を……国王と教皇を討てと言われたのだ……」

 

「私達の使命は……奴らの始末……それを邪魔するというのなら……」

 

「えっ!?……あーいや、その、えーっと……」

 

 しかもかなりヤバいことを抜かしながら。恵里の“呆散”を食らってもこうしてしっかりと話してくる辺りどう考えても普通ではない。未だ鋭い眼光や言葉遣いからして神の使徒に洗脳されたことは見て取れるのだがそれを解決出来るのは自分でなく恵里なのだ。

 

“恵里どうすんの!? そこから洗脳解除出来る!?”

 

“無理無理無理!! ちょっと遠すぎる!……あーもう厄介なことしてくれちゃって。ちょっと待ってて!”

 

“はい恵里これ使って! まだ予備があって助かった!”

 

 どうしようどうしようとすぐに“念話”を送れば、頭をかいて荒れている様子の恵里が鈴にも幻視出来た。すると洗脳された住民の言葉に同意している聴衆のつぶやきに混じってシャーっと何かが滑る音が鈴の耳に入ってくる。

 

“はい鈴受け取って! これで洗脳とっと解除!”

 

“ありがと恵里! よし、頑張る!!”

 

 かかとに軽い何かが当たったのを感じると、すぐさま鈴は“光絶”を下敷きにして浮かせ、ミルフィーユのように重ね上げて手元まで持ってくる。愛しのハジメが作ってくれた洗脳解除用の指輪型アーティファクトことエアヴァクセンであった。すぐさまそれを左の薬指に通し、魔力を注ぎ込んで起動していく。

 

「これから向かおう……俺達で国王と教皇を倒そう……」

 

「そうだ……私達で世界を正すんだ……」

 

「え、えーと、大丈夫です! そんなことしなくてもいいから!!」

 

 このまま放置して置いたら絶対に収拾がつかなくなるから時間はかけてられない。ハジメが作ってくれたものだから悪影響が出ないことを信じ、鈴は最大出力で洗脳の解除を行っていく。かけられた洗脳もまだ浅かったのか、発動して十秒足らずでおかしな言動をしていた人間がバタバタと倒れていく。

 

「だ、大丈夫ですかー!! し、しっかりしてー!!」

 

 もちろんこうなった原因は自分だとわかっていながらも鈴はすぐさま倒れた人間を介抱していく。頭を打ったことも考えて“天恵”を連続行使し、気を失っている彼らが起きることを願いながら何度も言葉をかけていく。

 

「あれ? おれは……」

 

「目を覚ましたんですね。良かったぁ……」

 

 横たわらせていた一人が目を覚まし、思わず鈴も安堵のため息を吐く。そして他の倒れた人間も目を覚ましたところで自分を遠巻きに見ていた住民の一人が問いかけてくる。

 

「なんとお優しい……あの、すいません。確かにこの人達が言ったように使徒様は俺達を騙した国王と教皇も討てとおっしゃったんですが……」

 

“あーそうだった! どうすんの恵里! ハジメくんも!! なんかいい方法ない!? このままだと絶対マズいよぉ!!”

 

“ホントもうエヒトのクソ野郎!! あー、クソッ……考えろ考えろー……何か、何かないか……”

 

“ヤバいよそれ!! えーとえーと……そうだ二人とも! これだったらどう!?”

 

 洗脳自体は解いたものの、まだ『国のトップもぶっ殺せ』とあの神の使徒が命じてたことは解決していない。どうしたものかと三人はパニックを起こすものの、ふとハジメの頭脳にあることが閃き、それを皆に伝えるよう鈴に言う。

 

「え、えっとその……た、確かに討てと使徒様は仰いました。ですがそれは悪しき意志です! 何も命を奪えと仰った訳ではありません!! 良からぬ心を捨てぬというのならばまだしも、そこまでやれとは仰ってません!!」

 

「で、ですが……」

 

「だとしたら私はどうなるのですか! かつてエヒト様に、皆様に害を加えようとした罪深い私達は許されて、国王陛下や教皇様は許されないというのは筋が通らないじゃあないですか!!」

 

 いっぱいいっぱいになりながらも鈴は必死になって、ハジメから伝えられた言葉を一言一句変えることなく町の住民に聞かせていく。すると誰も彼もハッとした顔つきになり、ざわめきだした。

 

「そ、そうだ……確かにそうじゃないか」

 

「神の使徒様が仰ったのはそういうことか……俺達はなんて恥ずかしい間違いを!」

 

 どうやらとっさに思いついた適当な言い訳は功を奏したらしく、誰も彼もその言葉を信じて考えを改めてくれたようである。

 

“も、もう無理……もう限界……”

 

“お、お疲れ恵里。あとは鈴とハジメくんでどうにかするから”

 

“うん。後は僕達に任せて”

 

 と、ここで恵里が遂に根を上げた。さっきから魔晶石の魔力も使って発動し続けていた“呆散”の維持も流石にしんどくなったらしく、それだけを伝えてすぐに恵里は“念話”を切った。するとハジメも自分がどうにかするよと言ってくれたことで鈴も心強く感じ、今度はどう出ようかと新たに意気込んだところであった。

 

「ありがとう……俺達は取り返しのつかない過ちを犯すところでした」

 

「ありがとうございます……慈悲深きエヒト様はここまで寛大な心を示して下さるのですね。ありがとうございます」

 

「え、えっと……はい」

 

「俺達は倒れた人を助けようと考えられなかったってのに……やっぱり変わったんだ。この方は生まれ変わったんだ!」

 

“あ、あれ~……な、なんか鈴やっちゃった?”

 

“え、何やったの? 僕だってエアヴァクセンにこんな効果搭載してないよ!?”

 

 ところが、なんだか住民が自分に向けてくる視線がちょっと変わってきたことに鈴は気づく。どこか熱っぽく、畏敬の念が混じっているような感じに。おかしい。何かやっちゃった? とハジメに“念話”を送れば彼も同様の意見を返してきた。まるで意味が解らない。

 

「こうしてエヒト様に許されて、我等をお救いくださった……聖人だ。この方は聖人となって我らの下に来てくださったのだ!!」

 

「えっ」

 

「そうか! そうなんですね!! なら向かいましょう聖女様! 間違った行いをした国王と教皇に悔い改めてもらうよう訴えに行こうではありませんか!」

 

「えっ!?」

 

「そうだそうだ!! 俺達を悔い改めさせてくれた聖女様の言葉ならあのお二人にだってきっと届くはずだ!! 行きましょう行きましょう!!」

 

「えぇっ!?」

 

 そして事態は思いもよらない方向へと転がっていく。段々と熱気が沸いていき、いつの間にやらお祭りムードにまでなってしまった。無駄にテンションが上がった女性に手を引かれ、鈴は連れ去られてしまう。

 

「お前らー!! 皆で聖女様と一緒に王宮へ向かおう!!」

 

「乱心された国王と教皇の心を取り戻すんだー!!」

 

 しかも事情を呑み込めてない住民に勝手に吹聴し、一緒にエリヒド王とイシュタルに考えを改めてもらうよう訴えに行くという流れが出来上がってしまう。もうここまで行ってしまったら恵里もハジメも止める手段が考え付かなかった。

 

「た、助けてぇ~!! ハジメく~ん!! 恵里ぃ~!」

 

「お、お二人も近くにおられるのですか!? さ、探せー!! 絶対に探し当てろー!!」

 

「お二人も悔い改められたのですよね! どうか聖女様と共に来てください! 共に国王陛下と教皇様に訴えましょう!!」

 

「……早まっちゃった?」

 

「……多分」

 

 悲鳴を上げる鈴を遠巻きに見ながら恵里とハジメは顔を引きつらせる。どうすれば収集がつくかなんて考え付きもせず、とりあえず鈴を一人にはさせておけないと宝物庫から着替えを取り出すのであった。




今回の話で皆様も『何か』が変わったことに気付いていただけたら、作者としても冥利に尽きます。だって、いつまでもやられっぱなしは誰だって嫌でしょう?


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幕間三十八 さぁクソ脚本を破り捨てろ!!

まずは拙作に目を通して下さっている皆様への感謝を。
おかげさまでUAも146079、お気に入り件数も805件、感想数も504件(2022/12/4 15:30現在)となりました。本当に感謝です。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき、誠にありがとうございます。こうして何度となく評価してくださるおかげで筆を執る力をいただいております。そのことに感謝しかありません。

では今回の話を見るにあたっての注意事項として少し長め(13000字足らず)なのでそれに気を付けて読んでください。では本編をどうぞ。


「ったく、ヤベぇことになってんなホントよぉ!!」

 

 悪態を吐きながらも信治は襲い掛かってくる兵士に触ると同時に“纏雷”を使い、感電させては気絶させていく。それは一緒に王宮へと来ていた礼一も同様であった。

 

「マジ面倒臭ぇな! こっちの身にもなりやがれ!」

 

「ひ弱な俺らのことも考えろってんだよ、この――“風灘”ぁ!!」

 

 良樹だけは威力を調整した風属性の魔法で壁に叩きつけることで昏倒させ、それでも駄目なら“纏雷”による電気ショックで気絶させると器用に戦っている。先程百倍以上の数を相手にやった経験もあってか、三人とも流れるような動きでやれている辺り流石としか言いようがなかった。

 

「ここで別れ道か……んじゃ俺らも別れて動こうぜ! 俺は向こう、良樹はそっち、礼一は真ん中ヨロシクぅ!」

 

「ったく、勝手に仕切ってんじゃねぇよ!」

 

「今回は許すけど次は俺の番だからな!」

 

 そして奥へと向かう際の別れ道でお互い軽口を叩き合いながらそれぞれ別のルートを走っていく。

 

「反逆者!? なら今はこちらを――」

 

「遅ぇよバーカ」

 

 信治は左手の通路を進みながら襲い掛かってくる、もしくはしようとしていた兵士達とメイドをも手馴れた様子で撃退していく。

 

「一体何の騒ぎだ!?」

 

「わかりません!……もしかして、反逆者が来たんじゃ!?」

 

(ったく、マジで俺ら嫌われてんなー。メイドにまで襲われるなんてよー)

 

 後で大介らが来ることも考え、彼らは憂さ晴らしも兼ねて様子のおかしい兵士やメイドを鎮圧していた。が、別れてから二度目の接触をしてからは流石に面倒だと思い、信治は“気配遮断”を使いながらなるべく物音を立てずに進んでいく。

 

 そうしてブツブツと何かを話している様子の兵士やメイドを横に進むもふとあることが気にかかった。

 

(そういやどうして兵士だけじゃなくてメイドまで襲ってくるんだよ? しかも他に反逆者がどうの、って言ってたし……礼一達がヘマしたとは思えねぇしなんなんだ一体)

 

 それは兵士だけでなく普通のメイドまでもが『何かを差し置いて』自分達を襲おうとしていた様子のことだ。王宮に侵入して最初に接敵した時からその何かに対して殺気をたぎらせていたのを感じていたし、どこかへと走って向かっていく様子から不自然に思えたのだ。

 

(城の兵士なんだし見回りの一つかもしれねぇけど、別にメイドまでやる必要ねぇだろ? しかも全員どっか同じ方に向かってるみたいだったし……あれ、マジでなんかヤバくね?)

 

 得体のしれない違和感。それを感じ取った信治はすぐに“空力”を使い、天井にギリギリ接触しない辺りに足場を作って駆け抜けていく。聞きなれない物音に兵士達が反応してざわめいているが、そんなものを気に留めている余裕はない。ただ兵士達が向かっている方へと走りつつ、一体奴らは何を目的にしていたのかを聞き取っていく。

 

「何故だ貴様! 何故反逆者をかばうのだ!!」

 

 そんな時、ふとこの声が気にかかった。どうやら仲間割れをしている様子らしいが、今の今までそんなことはなかった。一体どういうことかと首を突っ込もうと信治はその声のした方へと向かっていく。

 

「何度でも言います。リリアーナ様は反逆者ではありません! 国王陛下と教皇聖下の御心は私にはわかりかねますが、あの方は間違いなく違います! 何も出来ぬまま変わりゆく状況にいつも心を痛めておられました。その上でどうにかしなければともがいていたことも! 国王陛下が襲われた時もあまりに不自然だったと――」

 

 そこには一人のメイドを兵士や他のメイド達が並んで囲っているという状況であった。そして何人もの人間相手に啖呵を切っている様子を見て信治は思わずカッコいいと思ってしまう。

 

「ごちゃごちゃと御託を並べるんじゃない!!……神の使徒様が仰ったことは絶対だ。我等がしなければならないことは神の意に背いた愚か者の始末なのだ! それに従わないというのなら今この場で処分してくれる!」

 

 耳を傾ければおおよその想像がついた。つまりコイツらは自分達を襲ってきたあの女の同類に洗脳されて操られているのだということだと。すぐに信治の腹は決まった。

 

「死になさい愚か者め!」

 

「愚かなのはあなた達です! 私は……私は絶対に退きません!!」

 

 目の前の殺気マンマンな兵士達に囲まれているあのメイドを助けて事情を聴いて、事態の解決に挑む……それとついでにこの騒動が終わったらお礼代わりにデートでもしてもらおうと。

 

「ならばここで――死ねぇえぇえぇぇ!!」

 

「へぇー、誰が死ぬんだ?――“城炎”」

 

 割と邪な考えを交えながらも信治はメイドと有象無象の間に炎の壁を作る。

 

「なっ!? こ、この炎は――」

 

「あ、あなたは……」

 

「よぉアンタ、カッコ良かったぜ。力もロクになさそうなのに誰かのために必死になるなんてよ」

 

 そして顔を青ざめさせながらも必死に誰かを守ろうとしていたメイドの前へ、背を向けながら降り立った信治は体を張ったハジメや大介達の姿を思い出しながら彼女にそう伝える。

 

「だからよ、ちょっと俺も混ぜろよ。アンタの助けたがってる奴、俺がどうにかしてやらぁ」

 

 自信たっぷりに、少しキザったらしく横顔を見せながら。どこか間の抜けた彼女の顔を見て『手ごたえは……アリかこりゃ?』と内心軽く気落ちしながらも少年は気高いメイドの方へと歩いていく。

 

「本当、ですか……」

 

「あぁ。俺約束はちゃーんと守るヤツだぜ。だから――よいしょっと」

 

「きゃっ!?」

 

「説明その他、イロイロ頼むぜお姫様!」

 

 まだ呆然としている彼女をお姫様抱っこをし、炎を消すと同時に信治は空へと駆ける。

 

「ひ、姫様はリリアーナ様の方です! わ、私はあくまでリリアーナ様のメイドで……」

 

「あーもう例えだ例え! それよりも早く、何があったか言ってくれ!」

 

 顔を赤らめながらわたわたするメイドに信治はすぐに抱えるメイドに説明を求める。このままどこかへ向かう兵士達を追えればいいのだが、何分さっきの騒ぎで兵士どもがこちらへと殺到してきているのだ。攻撃をよけながら宙を駆け抜け、狭い通路じゃやりづらいと考えた信治は横に逸れると壁を砕いて中庭へと躍り出る。

 

「きゃぁあぁあぁ!? ら、乱暴すぎませんか!? こ、これでは落ち着いて話なんて――」

 

「いいからやってくれ! アンタの姫様……あー、いたいた。先生達の話聞いてきたあの人か! ソイツは今どこだ!!」

 

「も、もしや神の使徒様!?――わかりました。姫様は今、軍議の間にいます!」

 

 自分に向かって繰り出される幾つもの魔法を避けながら空中でステップを踏み、自在に空中を踊りながらも信治は抱えているメイドに説明を求める。すると彼女の方も自分達のことを知っていたらしく、主人であるリリアーナが今どこにいるかを語ってくれた。

 

「反逆者と呼ばれるようになった皆様を討伐するために陛下が会議を開き、リリアーナ様もそれに出席されたのですがまだ戻っておられません!」

 

(あーヤバいヤバい!! 女の人の体めっちゃ柔らかいしいい匂いするぅ!! 俺の中のケダモノが暴れそうだよぉー!!)

 

「ですからまだリリアーナ様がそちらにおられる可能性は……あの、使徒様?」

 

「はいっ信治は大丈夫でしゅぅ!!」

 

 ……なお聞いてた当人はさっきから刺激されてた煩悩のせいで割と聞き流していたも同然だったが。攻撃も割と体が反応してくれてどうにかしてる感じであったので台無しどころの騒ぎじゃなかった。

 

「と、とにかく三階! 三階です! ここからだと多分あちらに!」

 

「そ、そこだな! オーケー!! 今から突っ込むぞ。舌噛むなよぉ! “緋槍”!」

 

「つ、突っ込むって――ひゃぁぁあぁぁあ!?」

 

 信治は空を更に駆け上がると共に“緋槍”を発動し、天井スレスレを狙ってそこにぶつける。流石にそこなら誰も死ぬまいと撃ちこんだ灼熱の槍はしっかり侵入経路となる穴を作り、未だ火が残って焼けているそこへと信治はメイドと共に大胆に突っ込んでいくのであった――。

 

 

 

 

 

(お願い! お願いします! どうか、どうか私達を助けて! 誰か!)

 

 振り下ろされる刃。迫りくる死。その中でもリリアーナはただ救いを求めていた。神に見捨てられ、両親も血の海に沈み、残るのは弟のランデルと自分を含むわずかな人間のみ。それでもこんな理不尽な結末は嫌だと心の中で泣き叫ぶ。

 

「あぐぅっ!!」

 

「姉上ぇ!!」

 

 遂に刃が自分の胸を貫く。燃えるような痛みが走り、口の中に金臭い味が広がっていく。死ぬ。終わる。そのことをただリリアーナも実感してしまう。

 

「にげ、て……ラン、デル」

 

 ただそれでもリリアーナは気丈にもランデルの身を案じる。王女として積んだ人生が、まだ無事な家族への想いが自然と言葉として漏れる。

 

「姉上ぇ!! そんな、そんな……」

 

「ゴホッ……ぐぅっ……だめ、あなただけでも……」

 

「逃がすか、お前達など逃がしはしない!!」

 

 そしてまた血まみれの刃が掲げられる。むせこんで血を吐きながらも今度は一体どこに落ちるのだろうとリリアーナはぼんやりと思う。

 

(死ぬ、のでしょうね)

 

 左の胸に振り下ろされた。肺から空気が漏れるような心地がした。

 

(皆さんに謝ることも出来ず、こんなに、苦しんで)

 

 似たようなところに刺された。一層激しい痛みが体を駆け巡る。

 

(お父様、お母様、私もいま、そこにいきます)

 

 ぐりぐりと傷口を広げられ、ナイフが引き抜かれると共に自分の中から真っ赤な血がまた飛沫を上げる。

 

(ごめん、なさい。ヘリーナ、クゼリー)

 

 そしてまた血で染まったナイフが振り下ろされる。

 

「ヘリー、ナ……にげ、て」

 

 どうしてこれが出たかはわからない。けれどもただ自分の従者を案じる言葉を出してリリアーナは目をつむって最後の一撃を受け入れる――。

 

「っしゃぁ入れたぁ!!――って、なんかヤベぇなオイ!?」

 

「――リリアーナ様っ!!!」

 

 ――だが、その覚悟は何かが焼け落ちる音、聞き覚えのある声、そして何かを砕く音で邪魔されてしまう。

 

「……ヘリー、ナ?」

 

 目を開ければ議場の真ん中に設えられた机をへし折り、その上に男の人が自分の従者を横抱きにして立っている。彼女は自分を見るなり顔を真っ青にして男の方を見ていた。

 

「り、リリアーナ様が……リリアーナ様が!!」

 

「ま、まま、待ってくれって!! えっと、えっと――持ってけ! コイツ飲ませたら大抵の傷は治るはずだ! それと“城炎”!!」

 

「! 感謝いたします!――リリアーナ様!!」

 

 いきなり自分の近くに炎が上がり、熱波に煽られてむせ込みそうになる。だが襲おうとしていたメイドはその炎で怯んで自分から離れた。そこに聞き覚えがあれど普段ならしない声色の彼女が飛び込んでくる。

 

「ヘリーナ……あ、あね、姉上を助けてくれ!! どうか、どうか!!」

 

「だ、め……よごれ……」

 

「これを! どうかリリアーナ様!! 生きて下さい!!」

 

 倒れていた自分を抱え上げたせいで彼女の着ていたメイド服が汚れてしまう。そんなことをしてはいけないとたしなめようとするも口は満足に動いてはくれない。けれども自分の最期を彼女が看取ってくれるというのなら最高の死に様だろうと一人で結論付けようとするが、口から注ぎ込まれる液体をむせこみながらも飲み込んだ途端にその思いは一瞬で霧散した。

 

「……え? いたく、ない?」

 

「これは……こんな……感謝します、使徒様!!」

 

 スーっと痛みが引いたことで軽くパニックになるものの、とりあえずヘリーナが声をかけた方向を向けば一人の少年――記憶が確かなら中野信治という名の彼が何人もの兵士とメイドを相手に戦っている。

 

「反逆者がぁぁぁあぁ!!!」

 

「邪魔を、するなぁあああぁあぁぁあ!!!」

 

「っだぁー!! ったく、いい加減にしやがれ!! “縛岩”!! あと電気ショックぅ!!」

 

 しかも泣き言を言いながらも彼らを床から生えた岩の鎖で雁字搦めにし、それを避けた者には手を当てることで昏倒させている。夢にしてもあまりに滅茶苦茶で、どこまでも都合が良すぎる光景を見てリリアーナは言葉を失い、すぐそばで見とれていた様子のヘリーナに声をかける。

 

「ヘリーナ……これは夢、でしょうか?」

 

「いえ、違います……助けに来てくれたんです。彼らが、神の使徒様が来てくださったんです」

 

 自分達を守る壁となった炎に照らされ、少年は果敢に立ち向かっている。自分達が手ひどい裏切りを働いたというのに、それでも駆けつけてくれたことにリリアーナは己を恥じながらも感謝と涙が止まらなかった。

 

「かかってきやがれ三下がよぉ!! お前ら如きにやられる信治様じゃねぇんだよ!!」

 

「あ、あり……ありがとう、中野さん」

 

 白馬の王子様というにはあまりに粗野で、救世主というには人格に難がある。けれども自分を救ってくれた少年の名前を呼び、しばしリリアーナは涙を流す。

 

「姉上……あねうえぇ!!」

 

「リリアーナ様、リリアーナ様ぁ……」

 

 そばには自分の従者が、弟が寄り添ってくれている。これ以上何を望むのか。涙を流した後、やるべきことを見つけた少女は顔を上げてヘリーナとランデルに指示を飛ばす。

 

「……ヘリーナ、その薬の予備はありますか? それをお母様とお父様に飲ませなさい。ランデルも、ヘリーナの手伝いを」

 

「あ、姉上……?」

 

「何を、なさるのですかリリアーナ様」

 

「決まっています――助けるんです。中野さんを」

 

 そしてヘリーナを優しくどけて立ち上がると、すぐさまリリアーナは魔法を発動させようと画策する。結局自分は死ぬまで王女なんだなと思いつつも、今はそれでいいと一人納得する。孤軍奮闘する彼の姿を見て少女は前を見た。

 

「クソッ! やっぱ守りながらの戦いってのは――」

 

「中野さん!!」

 

「うぇっ!?――っと危なっ!……って姫さん!?」

 

 どうにか攻撃を回避し続けて無力化を続けている彼にリリアーナは声をかける。一瞬攻撃が首元を掠って危なかったものの、自分達を絶望から救ってくれた少年はそれをどうにか避けきってこちらに意識を向けてくれた。

 

「守りは私に任せて下さい! しばし時間を稼いでいただければ、私が生き残った方々を命をかけて守り抜きます!!」

 

 その彼にリリアーナはあと少しだけ時間を稼いでほしいと伝える。

 

 幸いにもまだ魔力は残っていた。だから後は持てる力を全て使って彼を支えるだけ。そう判断しながらリリアーナは彼の返事を得る前に魔法の発動に移る。自分達を守りながらではきっと戦い辛いかもしれない。ならば守りはせめて自分が請け負うべきだとそう判断を下しながら。

 

「――よっしゃぁ!! 頼むぞ!!」

 

「はいっ!」

 

 どこか浮かれた調子で返してきたことがクスリと笑えてしまうが、それでもいい。この人の役に立ちたい。ただその思いでリリアーナは詠唱に入る。

 

「あまねく敵意の壁となりて ここに守護の光を求める」

 

「ならば貴様の目の前でこの男を血祭りにしてやろう、反逆者ぁー!!」

 

「甘ぇぞテメェらぁ!!」

 

 まず二節を詠唱する。その間も彼は迫ってくる兵士達を拘束したり投げ飛ばしたりなど大立ち回りで捌いていき、その間もリリアーナはただ詠唱に集中する。

 

「あらゆる悪意を凌げ――」

 

「くっ……こうなったら!」

 

 更に一節。だが今度は兵士の何人かが自分を直接狙ってきた。詠唱よりも先にたどり着くかもしれないとリリアーナは薄っすらと思った。

 

「やべっ!――そっちにゃ行かせねぇぞ!!」

 

 だが信じていた。きっと彼が守ってくれると。自分達を守る炎の壁を厚くし、それによって直接こちらに切りかかってくるのを防いでくれた。

 

「武器を投げろ! どんなに炎が熱かろうと――」

 

「――“天絶”!!」

 

 武器を手放してでもこちらを殺そうとしてきたがもう遅い。自分を含めた生き残りを守る壁をしっかりと張り、一人で戦ってくれている少年にもう心配しなくていいと彼に声をかける。

 

「中野さん! 生き残った人達は私が守ります!」

 

「サンキュー助かった!――ありがとよ、姫さん」

 

「――はいっ!!」

 

 炎の壁が消えると同時にかけられた彼の感謝の言葉が、最後にほんの少しだけはにかんだような彼の表情が力を与えてくれる。それだけでもっと頑張れるとリリアーナは気合を入れ直す。

 

「来なさい……ここから先は、絶対通しません!!」

 

「そういうこった……諦めてとっとと家にでも帰ってな、三下ぁ!!」

 

 互いに啖呵を切ると共に戦況は変わっていく。

 

「どうしたどうしたぁ!! そんなんで信治様に勝てると思ってんのかよ!!」

 

 自分達生き残りの安否を気に掛けなくなって済んだ分、信治の動きのキレが増した。炎の壁を一瞬だけ発生させて後続の流れを断ち切ったり、その間に相手を無力化させていくことで数を減らしていく。

 

「クソっ、このアバズレがぁ!!」

 

「絶対に、絶対に破らせはしません!!」

 

 自分の張った障壁に攻撃してくる人間はいるものの、いずれも非力なメイドばかりだ。破るよりも前にきっと倒してくれるとリリアーナは信じている。もう恐怖も感じない。そのことで心が揺らぐことも無い。

 

「駄目です姉上! 父上も、母上も目を覚ましません!」

 

「陛下、陛下! 王妃様! どうか、どうか気を確かに! こんなところで死んでしまっては!」

 

 だが後ろから聞こえてくるランデルとヘリーナの悲鳴だけが気がかりだった。貰った薬は効いたようだが、それでも両親は未だ目を覚ます様子が無い。けどそれでも、とリリアーナは歯を食いしばって障壁の維持に努めつつ、二人に指示を出す。

 

「何度も、何度も声をかけて!! ()()()()が起こしてくれたように、私達でも奇跡を起こすんです!!」

 

 結局出てきたのは指示でも何でもないただの願望。けれどもここで足掻かなければ、神にも見捨てられた自分達が手を伸ばさなければそんな奇跡は絶対に起こらない。それを確信していたリリアーナはただ思いの丈を二人にぶつける。

 

「わ、わかりました姉上!……父上、母上!」

 

「……御意に。リリアーナ様! 陛下、王妃様! どうか、どうか!」

 

 ランデルもヘリーナもそれを信じ、再度眠り続けている両親に声をかけてくれる。ヘリーナがどこか微笑ましいものを見たかのように声をかけたことが少し気にかかったものの、リリアーナは己のやるべきことを成す――だからこそ奇跡はまた起きた。

 

「これは――何をしてるか貴様らぁぁあぁ!!」

 

「ここも……急いでとっちめるわよ、ナナ!!」

 

「うん、わかったよ優花っち! 中野君! 足止めは私がやるから!」

 

「来てくれたんだな!! 助かる!」

 

 新たにこの場に三人の味方――メルドが、園部優花が、宮崎奈々が現れた。メルドが敵を切り捨て、信治がその場を跳躍すると同時に奈々が氷魔法で兵士やメイド達の下半身を氷で覆い、そして優花が氷に直接鎖を当て、流し込んだ電気で全員を身悶えさせていく。三人の獅子奮迅の活躍により戦いは一気に収束を迎え、すぐにこちら側へと彼らは駆け寄って来た。

 

「陛下、陛下ぁ!! 王妃様、ルルアリア様! どうか、どうか気を確かに!!……何故、何故肝心な時に俺は、俺はぁー!!」

 

 メルドも父と母に声をかけるも反応は無く、彼の慟哭がぐちゃぐちゃになった議場に響く。

 

「他に薬は無いのか!? 早く、早く大臣に――」

 

「もうストックは無いわ!」

 

「ごめんなさい! 自分達の分を持ってきてただけでもう手持ちが無いんです! 本当に、ごめんなさい……」

 

 優花と奈々に比較的軽傷の生き残りが救いを求めるも、二人も悲痛な表情でただそう返すだけであった。その顔にはとてつもない後悔がありありとにじみ出ており、誰もがそのことに絶望していく。

 

「悪ーい! あのクソ女ぶっ殺してたら遅くなったー!!」

 

 だが運命は未だ彼らに見放さなかった。檜山大介、謎の金髪の少女、菅原妙子、遠藤浩介の四人がいきなり現れ、こちらへと駆け寄って来たのだ。

 

「これは……よし、大介、アレーティアさん、妙子! 急いで応急処置するぞ!」

 

「わ、わかったよぉ~!!」

 

 浩介の言葉に妙子はすぐにうなずき、顔を青ざめさせながらも死屍累々の現場を走っていく。

 

「……いえ。浩介さん、私達は私達でやることがあります」

 

「ぶっつけ本番だけどな。いっちょやってみるか」

 

 だが大介と謎の少女だけは首を横に振り、自分達の下へとやってくる。一体何を、と声をかける前に二人はその答えを返す。

 

「大介はそっちの女の人の魂を固定して。私はこの男の人を蘇らせる」

 

「オッケー。んじゃ、時間稼ぎぐらいやってみせるか」

 

「え、マジ――」

 

「ま、待ってください!」

 

 さも当然のようにあまりに都合のいい言葉を吐いた二人にリリアーナは我を忘れて思わず声をかけると、『蘇らせる』と言った少女がビクン! と思いっきり反応してこちらに視線を向けてきた。

 

「え、えっと……駄目、ですか? わ、私、また間違えて……」

 

「い、いえ! ほ、本当に出来るのならやってほしいのですが……やれるの、ですか?」

 

「……信じて。“固定”」

 

 まさかしてはいけなかったのだろうかと怯えと恐れの混じった表情をこちらに向ける少女にどこかちぐはぐなものを感じたものの、リリアーナが問いかければ彼女は先程見せた凛々しい表情で言葉と共にその御業を見せてくれた。

 

「“定着”……“焦天”」

 

「…………ぁ」

 

 聞き覚えの無い名前の魔法を二つ詠唱し、最後に中級の回復魔法を発動し続けると父の口からうめき声が出てくる。そのことに自分を含むこの場にいたほとんどの人間が驚く他無かった。

 

「おとう、さま……?」

 

「ちちうえ……?」

 

「へ、陛下……陛下!!」

 

「さわぐで、ない……しずかに、せぬか」

 

 うっすらと目を開けてこちらを見てくる父エリヒド王を見て一層驚愕し、そして何が起きたかを理解したことで生き残った者達は皆涙を流した。

 

「うわー……神代魔法超すげー……」

 

「うん……私も手に入れたけど、やってるのを見るとすごいねぇ~」

 

「アレーティア! こっちもどうにか繋ぎ止めるのは出来た! 悪いけど俺じゃ無理だ! すまん!」

 

「ん……ありがとう、大介。十分大介はすごい、後は私がやるから」

 

「いやお前ら何ナチュラルにスゲーことやってくれてんの? 俺の活躍霞むんだけど!」

 

「うるせぇ馬鹿!! 今話しかけんな!」

 

「あ、ご、ごめんなさい……ってあぁっ! こ、固定がはがれそうに!!」

 

 死者の蘇生という奇跡以外の何物でもないことを大怪我を治すようにしてやってのけ、軽い雑談をするかのような空気で再度それを成し遂げようとしている彼らにリリアーナは再度声をかけた。

 

「あ、あの! お、お母様も助けてくださるのですか!?」

 

 その言葉に大介と謎の少女は力強くうなずき、またなんてことないように再現して見せてくれた彼らにリリアーナ達はもう涙を流すしか出来なかった。

 

「ここ、は……?」

 

「目を覚まされましたか? 安静にしてて下さい。無くなった血は戻ってませんから」

 

 救世主はここにいた。彼等こそ救いの神であった。生き残った重臣にギルドマスター、メルド・ロギンスもまた二人の少年と少女に向けて手を合わせ、祈りを捧げる。

 

「……なぁ、アレーティア。なんか俺ら、崇められてる気がすんだけど」

 

「お前達が……いや、()()()()が真の神……」

 

「え?……えぇっ!? あ、あの、そういうの私、嫌なので……や、やめて……メルドさんも……」

 

 無上の感謝と共に。消えることなき畏敬の念と共に。

 

「……俺は? 俺の活躍は?」

 

「ハッ!……あ、あの、中野さん。わ、私はちゃんと見てましたから!」

 

「えぇ。リリアーナ様と私はあなたの勇姿を瞳に刻み込みましたよ、中野様」

 

「ヘリーナ! もうっ、もうっ!!」

 

 神に見捨てられた国の統治者とその臣下は新たな救いを、信仰を見つける。それは彼らの中で最早揺らぐことが無いほどに。

 

「……本当に何があったの?」

 

「う、うぷ、気分が……」

 

「あーはいはい“静心”……なんで檜山の奴とアレーティアが崇められてるの?」

 

「……さぁ? なんで?」

 

 聖女、聖人と共に乗り込んできた民衆もまたそれを目撃し、彼等もまた知ることになる――神の化身『檜山大介』、『アレーティア』の存在を。なお、惨状を見て吐き気を催している城下町の人達を介抱している三人の少年少女を含め、反逆者と呼ばれた子供達は困惑するばかりだった。

 

 

 

 

 

「本当に……本当に大丈夫なの?」

 

 そうして暴れていた兵士とメイドを鎮圧し、いきなり自分達を崇め出した国のお偉いさんや群衆を追いやって大聖堂に来た恵里達ことオルクス大迷宮を突破した一行&フリード。ただ、メルドは今この場にはおらず、またフリードはウラノスから降りてこっそりと来た形だ。

 

 そんな一行は現在、大聖堂の中、恵里達が召喚された際にいた台座に隠されたギミックを解除することで入れた光沢のある黒塗りの部屋にいる。

 

「だ、大丈夫……ぜ、絶対……多分……だ、大介ぇ~……」

 

「おい中村、アレーティアをイジメんなよ。こん中で一番適性があって、しかも魂いじった経験があるのコイツだけなんだぞ」

 

 そこであることをするためにここに一行は押しかけたのだが、念のため恵里がアレーティアに確認を取ると徐々に涙目になって大介に抱き着いた。やはりトラウマはまだまだ根深いらしく、グスグスと泣いて彼から離れようとしない。大介から半目でにらまれてしまい、追い詰めるつもりも無かったため恵里もばつが悪くなって視線をさまよわせる。

 

「うん。恵里、ちゃんと謝ろ? アレーティアさんごめんなさい」

 

「……ごめん。ただ、ちょっと不安だったから確認したかっただけだから」

 

 ハジメからも言われ、しかも彼が先に頭を下げてしまったものだから余計にいたたまれなくなり、すぐに恵里も頭を下げる。かれこれ十秒、頭を下げ続けたことでようやくアレーティアもこちらに顔を向けてくれた。

 

「…………あ、あの」

 

「ハァ……頼む、アレーティア。地球にいた頃から中村には世話になってたからよ、ここでその恩ぐらい返したいんだ。それにこの国の王様とえーと女王? 様も救ったじゃねぇか。やれる。お前ならやれるって」

 

「んっ。が、頑張る……!」

 

 そこですかさず大介が彼女に説得と発破をかければ、まだちょっと震えてこそいたものの奮起してくれた。そして片手で大介の服の裾をつまみながらもアレーティアはここで手に入れた力――魂魄魔法を行使しようとする。

 

「お願いします、アレーティアさん」

 

「お願い、アレーティアさん」

 

「頼むよ、アレーティア」

 

「んっ!――“魂癒”」

 

 ハジメ、鈴、恵里が頭を下げたのを見て絶対に成功させてみせると息巻くとすぐに魔法を発動し、恵里の体はアレーティアの黄金の魔力に包まれていく。本来は傷つき、摩耗した魂に魔力を注いで活力を与えるというものだが、これを利用して恵里の魂に干渉し、その不具合を見つけようとしているのである。

 

(――これ、は)

 

 するとアレーティアは彼女の魂の特異性を見抜いてしまう。普通は溶け込むように調和した状態で体の中心に燦然と魂は輝いているはずなのだが、その輝きが二重に見えるのだ。それもただ活力が足りなくてブレているというのではなく、まるで()()の魂がほんのわずかに違うタイミングで輝いているようなものだ。

 

(どういうこと? 確か、前に中村さんは未来から来たと言っていたけれど……)

 

 未来から来た魂が過去の彼女の魂と一体化した? それとも別の理由? 憶測は色々と浮かぶものの、すぐにかぶりを振ってアレーティアは本来の目的に戻る。

 

(南雲さん達が言ってた異常は……あった。ここを、こうして――)

 

 二重の輝き故に見つけ辛くはあったものの、それでも根気よく探せばほんの小さな穴が見つかった。そこをすぐに埋めるよう自身の魔力を送り込むも、抵抗が激しく中々埋まらない。だがそれが彼女の魂に仕掛けられた罠であることの裏返しとなったため、アレーティアは様々なアプローチを繰り返す。

 

(ただ埋めるのが無理なら中村さんの魂を活性化させて剥がす……これも駄目。私の魔力を浸透させて内側から引き抜く……強固で出来ない。なら二つの魂の輝きを一つに――いけた!)

 

「ぁっ」

 

 そして試行錯誤の末にようやく穴は無くなり、重なってた輝きも一つに収まる。途端、何かが起きたのか恵里が自分の体をぺたぺたと触り、確かめようとしている。

 

(これならきっと……ううん、駄目。本当に全部問題ないか調べないと)

 

 念には念を入れて再度くまなく調べるもそれらしいものは出てこない。一つになったことで輝きを増した魂を見て息を長く吐くと、アレーティアは“魂癒”の発動を止めた。

 

「……終わった?」

 

「……ん。終わりました。中村さん」

 

「どう、恵里?」

 

「うん……気づかないうちにちょっとズレてたのが元に戻った、っていうかピッタリはまった。そんな感じ」

 

 やはり、と思いつつもこのことは下手に触れるべきではないかもしれないとアレーティアは胸の内に留めておくことにした。真実を暴くことが幸せに繋がる訳ではないということを彼女もわかっていたからだ。

 

「後は……やってみて」

 

「うん。わかったよハジメくん――ッ!!」

 

 そして恵里は促されるままにこの場にあった魔法陣に足を踏み入れる――その途端、脳よりも遥か深く、アレーティアから色々やられていた感じからして魂そのものに入り込んでくるかのような感覚に強い不快感を覚えるも、それは瞬時に霧散し、頭の中に何かを刷り込んでくるような感覚に恵里は頭を押さえて耐える。

 

「大丈夫、恵里……?」

 

「……うん。覚えた。覚え、られたよ」

 

 すぐに駆け寄るハジメと鈴に恵里はそう答える。同時に彼女の両の目がうるみ出した。

 

「やっと、やっとだよ……ボク、もう皆を襲わなくっていいんだ……もう勝手に傷つけなくって済むんだ……よかった、よかったよぉ……」

 

 自分を縛り付けていた呪いが消え、もう敵の声に怯えずに済む。恵里にとってとても大事な願いが叶ったことにフリードは安心したような笑みを浮かべ、親友・幼馴染達は互いに顔を合わせて抱き合い、涙を流しながら喜びを分かち合う。

 

「やった……やったぞー!!」

 

「ありがとう! ありがとうアレーティアさん!」

 

「わ、わ、わぁー!! だ、大介助けてぇー!?」

 

「バカ言うな! お前がやってくれたんだぞ!! 胴上げだ胴上げ!」

 

「おっしゃいくぞ! せーの――わーっしょい! わーっしょい!!」

 

「やぁあああぁあぁあぁあ!?」

 

 その中でアレーティアはいきなり自分の幼馴染にもみくちゃにされ、すぐに胴上げに移行したことでパニックを起こして今にも泣きじゃくりそうになっている。というか思いっきり悲鳴を上げていた。

 

「長かったね、恵里」

 

「うん……」

 

「もう、大丈夫だよ。大丈夫だよ恵里」

 

「うん……うん!」

 

 恵里はハジメと鈴と抱き合いながら涙を流し合い、互いの体温を感じ合い。安堵と喜びに浸っている。

 

「ねぇふたりとも」

 

「なぁに、恵里」

 

「どうしたの恵里」

 

「ただいま……ハジメくんっ!! 鈴っ!!」

 

「「おかえり、恵里っ!!」」

 

 そして泣き笑いを浮かべてまた強く抱きしめ合う。

 

「ずっと――ずっといっしょだよ!!」

 

 心の底からの笑顔を浮かべ、少女は幸せに浸る。愛しい人と最高の恋敵(親友)の胸の中で。今までの人生の中で最高の幸せを。ずっとずっと噛みしめ続けていた。




次の幕間で第二章も〆となります。ともあれここまで長かったなぁ(しんみり)


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幕間三十九 がれきのくにのおとなとこども(前編)

まずは二週間投稿が空いたことをお詫びします。主にロドスのドクターとしての業務とかきくうしとか割と個人的な用事で立て込んでいました。申し訳ないです(カス並の感想)

では改めまして拙作に目を通して下さる読者の皆様への惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも147549、感想数も510件にまで上り、お気に入り件数も805件、しおりも369件、(2022/12/19 16:34現在)を維持できております。誠にありがとうございます。見捨てることなくひいきにしてくださる皆様には頭の上がらない思いでいっぱいです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき本当にありがとうございます。毎度毎度同じことばかり申し上げていますが、あなたのおかげでまたこの物語を書き綴る力をいただきました。感謝に堪えません。

今回のお話はお察しの通りまた作者が文章量でやらかしています(遠い目)
なのでちょっと短め(約9500字程度)です。それでは本編をどうぞ。


「お前達さえ……お前達さえいなければ!!」

 

「私達の……私達の人生を返せ裏切り者ぉ!!」

 

 心無い罵倒が重吾達に降りかかる。

 

「トムさん、どうして……?」

 

「エリナ……エリナぁ!!」

 

 信用していた、何があっても絶対自分達の味方でいてくれると信じていたはずの専属の使用人から浴びせられる悪意が彼らの心を一層傷つけていく。

 

「皆さん、もうこれ以上は――」

 

「どうして……どうしてだよ!! どうしてなんだよミアぁ!!」

 

「黙れ! 私の名を呼ぶな気持ち悪い!!……お前を、お前を受け入れたせいで、私は、私は!!」

 

 玉井も惚れた女の名前を呼ぶも向こうは嫌悪感と恨みのこもった視線で彼を貫く。血の涙を流して拒絶するミアの姿を見た玉井は絶句し、その場でくずおれてしまった。

 

 ……重吾らがこんな目に遭っているのは他でもない。彼らが自分達に仕えていた使用人達の助命を恵里達に頼み込んだからであった。

 

 最初から対等ですらなかった戦いで惨敗を喫し、味方であるはずの兵士や冒険者、神殿騎士に罵倒され、王宮に戻る際も敵意のこもった視線を彼等からぶつけられ続けた重吾達の心の拠り所はもう親しくしていた彼等のそばしかなかったからだ。

 

「もう、もう行きましょう。こんな、こんなところなんかに……」

 

 恵里達も愛子もは当初反対していたものの何度も重吾達が頭を下げてきたため、恵里達は『ガチガチに拘束して岩の檻に閉じ込めた状態』かつ『こちらは責任を負わない』という条件なら、愛子も『こちらが駄目だと判断したらそれで面会を終わる』ことを約束した上でそれを了承してもらった。

 

 その後リリアーナや生き残った重臣らに話をつけて一階の空き部屋を貸してもらったことで話し合いの場を設けてくれたのだ。しかし、彼等に待ち受けていた現実はあまりにも非情であった。

 

「待って!……どうして、なんでそんなことを言うのワイトさん!」

 

「うるさい!! こうして、こうして戒めを受けてさえいなければ今すぐにでもお前達を殺してやれるというのに、お前達の首を持って家に戻って名誉を回復できたというのに!!」

 

 この世界で唯一の居場所だと信じていたところもまた針の筵で、それを信じたくなくて辻達はそばにいた愛子の制止も聞かずにただただ必死になって声をかけ続けるがそれも届きはしない。

 

「ショコラ、俺と一緒に未来を歩んでくれるって言ってくれたよな……? それ嘘じゃないよな?」

 

「黙れ!! それは貴様がエヒト様の遣いだと私が信じていたからだ! なのに、なのにお前は……私達の心を弄んだんだ!! 魔人族の手先だと知っていたならもっと早く寝首を搔けたのに、確実に殺せたはずなのに!!」

 

 まるで蜃気楼に手を伸ばすよう。何度言葉をかけても手応えなんてない。代わりに信じたくなかった彼らの本性を見せつけられて愕然とするばかり。残酷な真実にただただ子供達はうちひしがれるしかない。

 

「シーナ……俺は、俺は! お前を愛して――」

 

「愛して? 冗談ではありません!! 私が愛したのは“エヒト様の遣い”であって、裏切り者などではない!! 死ね!! 死んでしまえ!! お前らゴミはエヒト様に――」

 

 重吾も一夜を共にしたシーナにすがりつこうとしたものの、明かされた彼女の腹の内と泡を吹いて卒倒する姿を見て何かが折れた。その場で膝をつき、ただ涙を流して呆然とするだけ。自分が愛したシーナという名前のメイドは結局幻でしかなかったことを知り、少年は絶望の淵へと落ちていく。

 

「もう……もう行こう。重吾、玉井、仁村、相川。もう、十分すぎるぐらいに頑張ったよ。だから、だから……」

 

「うん……私達はわかるから。永山君の、玉井君達の頑張りを知ってるから」

 

「そうだね……もう、全部忘れようよ。悪い、悪い夢だったんだよ……」

 

 そんな彼に声をかけるのは比較的ダメージが浅い野村、辻、吉野の三人のみ。だがそれでも信頼していた使用人達から受けた裏切りに苦しんでないはずもなく、それでも自分達はマシだったからと歯を食いしばって声をかける。

 

「いいよな……いいよなお前達は。お前らだけで仲良しこよししてたんだからな!!」

 

「そうだ!!……俺らのこと、見下してんだろ。クソ女に引っ掛かった間抜けだって言いたいんだろ!!」

 

「笑いたきゃ笑えよ!!……俺達なんて、俺達なんて!!」

 

 だが玉井、仁村、相川の三人は優しく手を伸ばしてくれた野村達に向けて吼えた。愛してたと思った人から裏切られた痛みを知らないからこんなことが言えるんだと反発して怒りをぶつける。

 

「そんな訳……そんな訳ないだろ!!」

 

「そうだよ! 私達仲間じゃ――」

 

「お前らも俺達みたいにコイツらと色々ヤッてたんならそう思ったけどな!」

 

「玉井君……」

 

 拒絶してくる相川達にうろたえる野村達だが、力なく自分をあざ笑う彼らを見てもう何も言えなくなってしまう。

 

 どうしてこうなったんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。後悔とも諦めとも区別のつかない感情が渦巻き、彼等もまた言葉を失ってしまう。

 

「死ね!! 死んでしまえ! お前達同士で争って醜く死ね!!」

 

「あぁそうだ、そうだよ!!……どうせ、どうせ俺達は――」

 

「――いい加減にしなさい!!!」

 

 未だに罵倒を続ける使用人どもの言葉にやられた仁村が自分を卑下しようとした時、愛子が息を荒げながら近くの壁を左手で思いっきり殴ったのである。

 

「ひっ!?……あ、愛ちゃん先生?」

 

 先程からずっと爪が手に食い込んでいたことで流れていた血が手のひらを伝って地面へと落ちる。全身を震わせ、一段と憎しみと怒りが宿った眼差しで彼らを睨む。その様は友達感覚で接していたあの頃とは全然想像のつかないものであった。

 

「さっきからあなた達は……永山君達をなんだと思っているのですか! 体のいい兵士や政争のための道具としてしか見てなくて、そうとしか扱ってないようなことばかり喋って!!」

 

「黙れアバズレ!! 貴様だってこの世界を滅ぼすために送り込まれたのだろう!! いずれお前にも天罰が下るだろう! エヒト様は我らを見捨てなど――」

 

 重吾らを散々貶し続けた奴らに食って掛かる愛子であったが、その彼らは相対する女の背丈も小さく、また王国の各地で土いじりをやっているといった程度の噂しか知らなかったため、自分達を害することなど出来まいと高を括って強く出た。

 

「なら……ならお望み通りにしてあげます!!」

 

 その挑発に乗った愛子はすぐに“土壌管理”を発動し、檻の中にいる彼等の下――地面そのものを思いっきり緩くしたのである。途端、床が抜けて彼らは悲鳴を上げる間もないまま一メートルほど下へと落ち、床材として使われていたレンガに体を打ち付けてうめき声を上げるばかりだった。

 

「な、にを……きさ、ま……」

 

「無様ですね。本当に……ここから水を流してやればどうなるでしょうか」

 

 まだかろうじて敵意を向ける余裕のあったシーナが犬歯を見せて愛子を睨みつけるも、当人は冷笑を浮かべるだけ。しかもここから追撃を加えようと言ったことで重吾達は凍り付いた。

 

「……え? あ、愛ちゃん? なにいってるの? も、もうやめようよ……」

 

「こんな人たちが、こんな人達さえいなければ……ここに、ここに水撃を望む――」

 

「も……もうやめてくれぇえぇ!!」

 

 吉野の言葉に耳を貸さず、怯える使用人らに“水球”を見舞おうとしたその時、重吾が彼女を羽交い絞めにして無理矢理抑え込もうとした。

 

「離して! 離しなさい!! この人達は、この人達は!! 死ななきゃ、死ななきゃいけないんです!!」

 

「もういいよ!! 俺らのことはもういいから!!」

 

「お願い! 愛ちゃんまで怖い人にならないで!! もう嫌だよ!!」

 

 泣き叫ぶ生徒達が必死になって抑え込んだことで魔法そのものは不発となったが、それでも愛子の怒りは収まるところを知らない。未だに使用人どもが落ちた穴を見つめ続け、憤怒のこもった声を彼女は上げる。

 

「私が……私がもっと早く、こんな人たちだと見抜いていたなら! もっと、もっと早く見切りをつけてたなら皆は、みんなは!!……うぅ、うぅぅ……ごめん、なさい……ごめんなさい……」

 

 その果てに出てきたのは尽きることのないろくでもないこの世界の人間と不甲斐ない自分への怨嗟。自分達以外のあらゆるものへの憎しみで燃え尽きそうになった一人の人間を見て、重吾達は彼女を抑え込むことも説得することも出来なくなり、愛子もまたその場で懺悔するだけであった。

 

 悪意に翻弄された人間ばかりの場所で、ただ力ない者達の嘆きが木霊する。夢を見ていた者達が迎えた結末は、あまりにも空しい。

 

 

 

 

 

「……探したぜ、メルドさん」

 

「……浩介か。何の用だ。俺は今忙しいんだ」

 

 まだ血だまりの乾かぬ荒れたままの軍議の間で、床に直接腰を下ろしていたメルドを見つけた浩介は相対するように近くに腰を下ろす。不機嫌そうに見つめてくるメルドに何とも言えない表情を浮かべながらも、浩介は彼の手に持っていたものを眺めながらため息を吐く。

 

「酒を飲むのに忙しい、なんてダメ親父の言うことじゃねぇかよ……」

 

 浩介の言った通り、彼が手に持っていたのは酒瓶である。それも城の食堂に併設してある倉庫から勝手に持ち出したものだ。しかも地面にはそれが空の状態で三本転んでおり、息も幾らか酒臭くなっている。そんなメルドをたしなめようとするも、当人は目を細めて浩介をにらむだけだった。

 

「なぁメルドさん」

 

「うるさい……今俺はもっと酒を飲んで酔っ払いたいんだ。邪魔をするな」

 

「……それだけ飲んでも酔えないから、ですか」

 

 瓶に直接口をつけて煽ろうとした時、ふと浩介の言葉に反応してその手が止まる。途端、先程までピリついていた空気が霧散し、メルドはひどく弱々しい様子で浩介に尋ねた。

 

「……気づいていたのか」

 

「えぇ、まぁ。割と酒臭い割には全然顔赤くないですし、呂律もまわってましたしね……メルドさん知ってます? アルコールって毒なんですよ。毒。だから俺達“毒耐性”持ちは酔っ払えないんですよ」

 

 俺も酒飲んで酔っ払ってみたかったなぁと浩介がどこか無理しながらもそうつぶやけば、メルドも持っていた酒瓶を横に置き、上半身を軽く前に倒してつぶやきを漏らす。

 

「……だというのなら、今はこの技能が恨めしいな」

 

「俺もです……逃げたくなるの、わかってるつもりですよ」

 

 こちらを見ることなくそう言ったメルドに浩介も同意を示す。浩介の説明が本当なのかどうか問い返す気も考える気も起きず、メルドは深くため息を吐く。

 

「……正直を言うとな、イシュタルさえ討てばまずどうにかなる。俺はそう思っていたんだ」

 

 そしてポツリと本心を漏らすも、浩介はそれに相づちを打つことも同意することもせず、ただそれを黙って聞いていた。

 

「陛下を言葉一つで操っていたあやつさえ倒せばもう陛下は吹き込まれない。俺達が真摯に説得すればそれで全て解決する。丸く収まると思ってたんだ。でも、でもな……!」

 

 メルドの声が段々と湿り気を帯びてくる。こんなはずじゃなかった。こうなるとは思ってなかったという後悔が彼の言葉からにじみ出ている。頼れる兄貴分の姿が浩介にはどこか小さく見えてしまっていた。

 

「なにも……何も良くなんてならなかった。むしろ何も出来ないままお前達が追い詰められるばかりだったじゃないか!」

 

 近くにあった壁に拳を叩きつければ軽く蜘蛛の巣状にヒビが入る。本来の彼の力なら壁全体に亀裂を入れるのも容易だろう。だがそうなっていないのを見て、鼻をグスグスと言わせているのを聞けばどれだけメルドが弱っているのかも浩介は理解できた。

 

「イシュタルを含めた教会の上層部は判別すら出来ない程無惨な姿になって、陛下も王妃様も王女様も死にかけた。ギルドマスターや大臣だってそうだ。あの惨劇でほんのわずかにしか生き残れていない」

 

 今自分達がいるこの広間で大介とアレーティアは奇跡を起こしたのだが、それでも救えたのはほんのわずかに過ぎない。エリヒド王、ルルアリア王妃、そして死に瀕していた数名の大臣が息を吹き返しただけなのだ。残りのほとんどは魂魄魔法を以てしても生き返らせることは不可能だった。

 

 だからこそあの奇跡がとても重いものであることもメルドを含めた誰もが理解していたし、失った多くの命の重みも皆が感じていた。それ故にメルドは二人にとてつもなく感謝している。

 

「どうして俺は肝心な時に何も出来ない!……もし、もしあの時大介とアレーティアが間に合わなかったら、陛下も王妃様も命を落としていた。なのに、なのに俺は……どうして敵を倒すことしか、恥を忍んで神代魔法を手に入れられなかったんだ!!」

 

 ……そして己の力不足も痛感していた。ただ敵を切り伏せるしか出来ず、頭ごなしに神代魔法の取得も拒んでいた。その結果がこの様だ。

 

「で、でもメルドさん。メルドさんは持ってた薬を渡してたじゃんか!」

 

「そんなこと!!……そんなこと、持ってさえいれば子供だって出来たことだ」

 

 応急処置そのものは騎士団に入った時に習ってはいたものの、それはあくまで助けられる範囲のものでしかない。戦場で戦うことを想定していたからこそ深手を負ってしまった、いつ死んでもおかしくない相手への対処法は学んでいなかったのだ。せいぜいメルドが出来たのは浩介が言った通り自分の持ってた回復薬を分け与えることだけしかなかったのである。

 

「あの時神代魔法を取得してさえいれば! そうすれば……俺は、俺は……」

 

 もし空間魔法を取得していたならあの時他に何か出来たかもしれない。その後悔がずっと頭の中にこびりついて離れないのだ。下らない意地を張って、神の教えにただすがるだけで怒りを吞み下そうともしなかった自分の愚かさを今になって感じている。

 

「だからって……あの時大介達が間に合ったからそれでいいじゃないですか! 過ぎたことばっかり考えるのは――」

 

「そうかもしれない。こうして後悔ばかりしても何も残らんのはわかっている。でも、でもな!……それだけじゃない」

 

 浩介がどうにかしようととにかく言葉をかけ続けているものの、苦し紛れに出たそれらはメルドに響きはしない。その理由をメルドは前に持ってきた自分の両手を見ながらつぶやく。

 

「怖いんだ……俺達が待ち構えていた王国軍を破った直後にあの惨劇があった。あまりに、あまりにタイミングが良すぎたよな? まるで、まるで俺達があそこで勝ったのを見た()()に状況を一変させられたとしか俺も思えないんだ」

 

 顔は青く、脂汗も流れ出ている。その手は震え、声も搾り出すようなか細いものが漏れ出るばかり。ひどくおぞましいものを見たかのように震えるメルドが何に怯えているかもわかっていた浩介は、そのことを口に出せずにいた。

 

「こんな……こんなことが出来るのは……神しかいない。このトータスを見下ろして、全てを眺められる存在しかいないとしか思えなくなったんだよ!!」

 

 そう叫ぶと共にメルドは自分の体をかき抱く。自身が信じていたものが崩れ去り、それらが幻想でしかなかったことを理解させられてしまった男のあまりに哀れな姿であった。

 

「俺は……俺は今、エヒト様が怖い。俺達人間族に希望と繁栄を与えてくださったはずのお方が、本当はどこまでも残虐な存在で、今も俺達を嘲笑っているかもしれないと思うともう、止まらないんだ……」

 

「メルドさん……」

 

 浩介も目の前の男にどう言葉をかけていいかわからず、ただ視線をさまよわせるだけ。自分達はそもそもエヒトを敵として認識していたのだからこれといったショックは受けてなんかいない。だがトータスに住まう人々の視点から考えれば、信仰していた神様や仏様が本当は自分達を苦しめるだけの存在でしかないと気づかされたのに等しいと浩介も彼らの立場で考えれば何も言えない。どう言えば慰めになるのかも想像つかなかったのだ。

 

「信じたく、捨てたくないんだ……エヒト様は本当に慈悲深くて、俺達に救いを授けて下さったお方だと信じたい。俺達を弄ぶような邪神なんかじゃないとずっと思っていたいんだ。なのに、なのに!!……疑いが俺の頭から消え去ってくれない。ずっと、ずっと俺の頭の中に居座って、今までの全ては無駄だったんだとささやいてくるんだ!!!」

 

 遂にメルドは泣き崩れてしまう。自分の中の確たる基盤が崩れ、何を信じればいいのかもうわからなくなってしまった。結局オルクス大迷宮であの時()()()が語ったことが真実で、自分もまた神を僭称する存在の操り人形でしかなかったことを認めるのが怖かったのだ。

 

「メルドさん、俺は……」

 

 ここトータスにおける頼れる兄貴分がこうも弱々しく、ただ涙を流している様を見て浩介も顔を俯かせるしかなかった。どれだけ敵を倒せても、どれだけの力を持っていたとしても今の自分は涙を流している目の前の大人を助けることすら出来ないのだから。彼もまたそのことに打ちひしがれ、押し潰されそうになっていた。

 

「……こんなところで酒を飲んでいるとはな。余程暇らしいな、メルド・ロギンス」

 

 ――そんな二人の近くに現れたのは他でもないフリードであった。軽い失望と強い怒りをその顔よりにじませながら彼は二人の近くへと歩いてくる。

 

「フリードさん……その、俺は……」

 

「……何の用だ? 俺をあざ笑いに来たのか?」

 

 浩介は心配そうに両者を見つめ、メルドはフリードに向けて力なく笑う。だがフリードは二人を意に介することなく上から見下ろすと、そのままメルドに向かって声をかけた。

 

「正直そうしてやりたいのは山々なんだがな。まぁ恵里の“縛魂”のせいで出来ないということにしておこう……それで、だ」

 

 そう言いながらフリードは屈むとメルドの服の襟を軽く掴み、手前に引き寄せると苛立ちを露わにする。

 

「その様子だと余程ショックだったようだな……だが、いつまで腑抜けているつもりだ?」

 

 鋭い視線と共に投げつけた問いかけに浩介は顔を青ざめさせ、メルドの表情に怒りがにじむ。

 

「なんだと……?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれって! め、メルドさんだって好きでこうなって――」

 

「お前は黙っていろ、遠藤……大方、城に仕える奴らが狂乱した様を見て想像するだにおぞましい真実を知ったからだろう。その時の気分はどうだ? 答えろ」

 

「そ、それは……」

 

 しかしフリードは構うことなく再度問いかけるが、メルドは答えられず彼の鋭い眼光に気圧されてしまう。迷いを見せ、自分から目をそらしたメルドにフリードは怒りをぶつけていく。

 

「辛いか? 苦しいか?……その痛みは私がかつて味わったものだ。耐えられんとは言わせんぞ」

 

 その言葉にようやくメルドも浩介も彼の言わんとしていることを、やろうとしていたことを理解した。彼もまた同じ苦痛をあのグリューエン大火山で味わったのだ。それに耐えろ、と。

 

「立ち上がれないと泣き言を言うつもりか? 戦う意味を見失ったとでものたまうか?」

 

 メルドの表情が変わったことを察しながらもフリードは更に問い詰めていく。自分は立ち上がった。自分は見失ってなどいない。そう暗に伝えるが、メルドはまだ迷いを吹っ切れていない。そのことに余計に苛立ちを隠せなくなり、またメルドの心情を理解していた浩介が彼を止めようとする。

 

「立場こそ違えど貴様も人間族の一人として国のために戦っていた男だろう! そんな貴様がここで心が折れて、酒におぼれる様など見せるな! 民のために戦っていた私まで同類と思われかねんのだ!!」

 

「フリードさん!!」

 

「黙っていろ!!……お前と同類扱いなど我慢ならん。少なくとも私はお前のように酒浸りになどなりはしない!」

 

 引きはがして止めようとした浩介にフリードは叫ぶ。“縛魂”によって従うようつけられた制約をとてつもない怒りと信念で破り、ただメルドに向けて己の思いを語る。

 

「私達魔人族を遊戯の駒として扱い、運命を狂わせたエヒトに報いを受けさせる。その使命があるのだ。だから私は止まらんのだ! 理解できるか!!」

 

 黄金色の瞳に灯る意志は、語調から伝わる決意はとてつもなく熱く、すさまじい。その熱を目の当たりにしてようやくメルドはハッとした。

 

 この男とて信じていた全てを裏切られ、何もかも信じられなくなっていた。なのにかつて抱いた思いを胸に立ち上がっている。だからこそ目の前の男(フリード・バグアー)は逃げてしまった自分に怒っているのだ、と。

 

「……私を失望させたままにさせるなよ、メルド・ロギンス。そして遠藤浩介」

 

 そう言い残してフリードは自分達に背を向け、部屋から出ていくまでメルドも浩介も彼の後ろ姿を黙って見つめる。そうして幾何か過ぎた後、メルドは自嘲するようにただ一言つぶやいた。

 

「……俺は何をやってたんだろうな」

 

 自分への嘲りであったが、浩介はそれをたしなめようとはしない。彼の瞳から淀みが消えていたからだ。

 

「奴の言う通りだよ……こんなことをやっている暇なんてない。相手が何を仕掛けてくるかわからない以上、国のために戦える俺が立ち上がらなきゃならない。元より、俺に出来ることはただ敵を切り伏せることだけだ」

 

「メルドさん……」

 

 そう言いながら立ち上がったその姿は紛れもなく自分達のために身分を捨て、奈落にいた時もずっと頼れる兄貴のものであった。遂に迷いが晴れたのだと浩介は理解した。

 

「よりによって魔人族に諭されるとはな……いや、()()()()だからこそ俺を諭すことが出来たんだろう。全く」

 

「……もう、大丈夫なんですよね?」

 

「あぁ、任せろ……世話をかけたな」

 

 浩介の問いかけにメルドは肯首し、照れくさそうに彼に詫びた。その言葉で浩介は確信する。もうメルドさんは大丈夫だ、と。俺達と共に戦ってくれるのだ、と。

 

「とりあえず、酒を盗んだことを詫びねばな」

 

「そうですよ。っていうかやっぱり盗んだんですね」

 

「仕方がないだろう……ま、暴れていたとはいえ城の人間を片っ端から切り捨てたんだ。酒蔵の管理をしていた奴も殺してしまったのか管理がザルだったからな」

 

 そう言って言い訳をするメルドに浩介は思わず頭を抱えてしまう。確かに『エヒト様万歳!』だの『エヒト様のために死ね!』だの言いながら城に仕えているであろう人間が自分を襲ってきたのは事実であるのだ。

 

「軍議の間に入るまではとりあえず殺しは避けたが……ま、怪我だけで済んでることを祈るしかない」

 

「それ笑いごとじゃないですからね……生きていてくれればいいですけど」

 

 それが雲霞の如く押し寄せて来たのだから手加減しながら戦うのも手間ではあるというのは理解していた。かといって殺していいのかと言われれば……後で受ける処遇のことを考えれば殺してしまう方がいいのかもしれないが。浩介は反逆罪に問われるであろう生き残った人間の末路を考えて何とも言えない表情になった。

 

「こちらが命を奪ったのならせめてちゃんと供養はする。それも俺の責任だな」

 

 一人頭を抱えている浩介を横に、メルドは地面に置いていた酒瓶や転がっていたものも拾い、彼と共に軍議の間を後にしていく。

 

「戦いに勝ったこちらが言えばある程度はどうにかなるだろう。流石にこの城にいた人間全員を処断してしまったら運営が成り立たなくなるからな」

 

「そうだよな。そうしないと駄目だもんな。なにせ城の人間全員ですしね」

 

 お互い眉をハの字にしながら二人は廊下を歩いていく。信じていたものを砕かれ、自暴自棄になっていた男は進むべき道を見つけ、彼を心配していた少年は再度頼れる後姿を目にする。

 

「――メルドさん! 浩介!」

 

 そして苦楽を共にした仲間たちと共に城の廊下を歩いていく。漢はもう翳ることは無かった。



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幕間四十 がれきのくにのおとなとこども(後編)

ソシャゲとかリアルの事情が立て込んでおり、投稿が遅くなりました。まぁ色々ありましたので、うん(遠い目)

……では、拙作を読んでくださる皆様への感謝の言葉を。
おかげさまでUAも1148936、お気に入り件数も806件、感想数も516件に上り、しおりの数も372件()を維持出来ました。誠にありがとうございます。こうして目を通して下さる皆様がいてくれるおかげで自分もまた投稿を続けて良かったと思えます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価していただき誠にありがとうございます。何度も何度も話を評価していただけるというのは作者冥利に尽きます。とても嬉しいです。

それで今回の話を読むにあたっての注意ですが、まず少し長め(約12000字程度)となっていること、そして本作は法律の違反を推奨する作品ではないということです。まぁBANされたらその時はその時です(ォィ) ではそれらに注意して本編をどうぞ。


「……そうか。あちらも話はついたんだな」

 

「えぇ……やっぱり俺も一緒に行くべきだったと思います」

 

 浩介と共に恵里達と合流したメルドは、自分達の前方にいる今にも死んでしまいそうな鬱屈した雰囲気を漂わせる重吾達の事を伺った。

 

 メルドは戦闘が終わった直後に信じがたい真実を前にして皆の前から姿を消してしまい、そのままあちこちをふらふらとして酒蔵から酒を盗み、その後誰もいなくなった軍議の間で一人ヤケ酒を呑んでいたため重吾達がどうなったか知らなかったのだ。

 

「気に病む必要はないぞ、光輝。それは向こうも承知の上だったんだろう」

 

 そこで雫に支えられながら歩いていた光輝にメルドは声をかける。気落ちしている彼にこれ以上心を痛める必要などない、と。

 

「そう、ですけど……でも」

 

「俺も目を背けていた。信じていたものが本当はおぞましいものだと思いたく無くてな。きっと、アイツらだってそうだったんだろう」

 

 そう言いながらメルドは目の前の子供達と彼等と共に歩く愛子の後ろ姿に視線を向ける。迷いを吹っ切ったデビッドらが傍らにはいるものの、彼らが声掛けをしてもロクに反応を返さない。その痛ましい姿に先程までの自分を重ね、どうしたものかと一人思案する。そんな時、黙り込んだ光輝に代わって恵里が彼に言葉をかけて来た。

 

「そういうメルドさんは大丈夫なの? こうして浩介君が連れて来たんだから問題ないとは思うけど」

 

「大丈夫だよ恵里。俺もメルドさんもフリードさんのおかげで目が覚めたから」

 

「あれは中々効いたぞ……フリードの奴には感謝しなければならん」

 

 そこでメルドがフリードの名前を出したことに恵里だけでなく他の皆も一瞬足を止めてしまう。不要な混乱を招くからと人払いを済ませた大聖堂の方へウラノスと共に件の人物は待機しているのだが、その彼の名前を口にしたのを見たのは浩介以外今回が初めてだったからだ。

 

 ようやくフリードとメルドとの間のわだかまりがほんのわずかであってもなくなったのだろうと誰もが確信し、それをめでたく思いながらも大介が重吾達を見て一言漏らす。

 

「メルドさんが前を向けたのは嬉しいけどよ、その……アイツらどうする?」

 

 そう。メルドはフリードのおかげで目を覚ますことが出来たのだが、夢から覚めてしまった彼等はまだ絶望の中をさまよっているのだ。もう生きる気力すら失っているやもしれない彼等をどうすべきか。そこでメルドはある思い付きを実行に移そうと考え、そこで()()()()()()()()()()――叶うことなら鷲三と霧乃にも協力を申し出たくはあったが、雫のことを考えて止めておいた――に“念話”でそれを話し、協力してくれるよう打診する。

 

“急な話ですまん。やって、くれるか?”

 

“ま、仕方ないね。確かにボク達でもないとやれないだろうしね”

 

“何とかやってはみるけどよ、バレても文句言わないでくれよ?”

 

“わかりました。説得は私と……その、中村さん。いいでしょうか?”

 

“それぐらいならね。でも確約は出来ないから”

 

“それで十分だ……ありがとう、お前達”

 

 そして打ち合わせを終え、三人の協力を取り付けることが出来たことに安堵しつつメルドは彼女達に感謝を伝える。

 

「永山達の事は俺に任せて欲しい。完全解決、とはいかんが悪いようにはしない。やらせてくれ」

 

『えっ』

 

 そうしてすぐに頭を下げ、ハジメ達に頼み込んだ。よりにもよってメルドが頭を下げるなんて事は滅多にないし、自分達ではどうすればいいかわからない重吾達への対処も思いついているのだ。思わずざわついた様子のハジメ達を見て、早速恵里達三人が動いた。

 

「メルドさんもこう言ってる事だしさ、任せてみようよ」

 

「でも……」

 

 地球にいた頃から重吾達とは険悪な関係であり、面倒だからメルドに丸投げしたいという意図が透けて見えるからハジメは待ったをかけようとしたものの、結局自分達でもどうすれば彼らを元気づけられるかわからないまま。

 

「あの、メルドさんなら多分大丈夫だと思いますから、その……」

 

「どうせ何も浮かんでねぇんだろ? だったら任せてみようぜ。メルドさんなら何とかするさ」

 

 そこで追撃とばかりにアレーティアと大介も声をかけてくる。事前に抱き込んだな、と皆が疑惑の目をメルドに向けるが、三人はまぁまぁと宥めにきた事で確信する。そのことで大いにハジメ達は脱力するものの、光輝が少し呆れが残ったままの顔でメルドに質問を投げかける。

 

「……本当に大丈夫なんですよね、メルドさん」

 

「信じてくれ、としか今は言えん。だがどうにかする。してみせる」

 

 強い決意を感じられる瞳を見て、光輝もしばし思案する。成功するかはわからない。けれども失敗してもメルドならリカバリーをしてくれる。そんな気にさせてくれる目をしていたのだから信じてもいいんじゃないかと考えを変えた。

 

「……わかりました。じゃあ皆、一緒に食堂に――」

 

「待った!!……お前達は部屋に戻ってくれ。その、ここからは俺一人でやる」

 

 ……が、冷や汗を流して焦りながら弁解するメルドを見て、光輝の中で信用が一瞬にして瓦解した。

 

 この後食堂でご飯を食べながら色々話をする流れだったはずなのにそれを拒否し、しかも理由も言わずに任せてくれ発言である。どう考えたって怪し過ぎる。

 

「…………本当に大丈夫なんですよね?」

 

「信じろ。俺を、信じろ」

 

「悪い、メルドさん。信用するためにも理由を言ってくれ。そうしたらきっと俺達も――」

 

「言えん。だが、信じてくれ」

 

 光輝の、龍太郎の問いかけにもとにかく信じろの一点張り。半信半疑だったハジメ達の懐疑の目が一層強まり、メルドは更に冷や汗をダラダラ流した。

 

「恵里、知ってるよね? こういう時真っ先に疑ってかかるよね? ね?」

 

「あーうん。大丈夫だよ多分。まぁ多分大丈夫」

 

「思いっきり生返事だね。絶対ロクでもないことでしょ」

 

 こんな物言いをするなら普通は探ってくるであろう恵里が全然反応を返さないことから、事情を知ってるであろうと推測したハジメが問いただすも、恵里はそれに明確には答えない。目をそらしながら返事をしたことで絶対何かあると確信したハジメはジトっとした目を向けるが、恵里の方は言いたそうなのをじっと堪えていた。

 

「……アレーティアさん」

 

「あ、あの、その……ご、ごめんなさい! た、頼まれたんで言えません!!」

 

「語るに落ちてやがる。んで、どうなんだよ大介」

 

「あー、悪い。今回ばっかはマジで無理だわ……」

 

 大介の後ろに隠れつつ奈々からの問いかけを必死になって誤魔化そうとするアレーティアだったが、即座に幸利に看破されてしまい完全に大介の後ろに隠れてしまう。アッサリバレてしまった事への申し訳なさと恥ずかしさで縮こまっており、軽くべそをかいていた。

 

『まぁ……気になるんならよ、後で一緒に見に行こうぜ』

 

『え、マジ? じゃ行く行くー』

 

『あ、じゃあ行くわ』

 

『俺もー。どんななのか気になるしよ』

 

『大介……礼一達も……』

 

 そして幸利から尋ねられた大介も親友相手でも口頭では言わなかった……代わりに内容は伏せた上で“念話”を使って全員に伝えてきたため、野次馬根性が刺激された三馬鹿はノリノリでそれに同意した。とんだクソ野郎どもである。

 

「メルドさん、いい加減正直に言ってください。何企んでんですか?」

 

「言わん。絶対に言わんからな。こればっかりは言う訳には――おいやめろ、お前ら近寄るんじゃなぁーい!!」

 

 疑いに満ちた龍太郎の視線にメルドは屈せず、断固として話そうとしない。遂に痺れを切らした皆がメルドにたかり、教えろ教えろと無言の講義を始め出した。

 

 心が砕けた重吾らを他所にしょうもないことをやっていたメルド達。結局メルドも恵里達も口を割らなかった事からハジメ達は追求を諦め、急ぎメルドは食堂……に行く前にちょっと寄り道をしてから向かうのであった。

 

 

 

 

 

「もう……やだ」

 

「……」

 

 食堂の一角はひどく澱んだ空気を放っていた。使用人達から散々罵声を浴びせられ、憎悪のままに暴れる愛子をどうにか止めてただ黄昏ていた重吾達。しかし彼らは別れて部屋に戻る気も起きなかったため、誰かが呟いた『夕ご飯の時間だ』というつぶやきに従うまま、食堂に向かったのである。

 

 しかし誰も食欲なんて湧いてはいない。もう重吾達には何かをしたいという気力すら残ってないし、愛子だって恵里達と重吾達を守るためにただ神経を注いでいるからこそ壊れないでいるだけでしかない。

 

「愛子。いい。いいんだ。もうお前が何もかもを背負う必要なんてない」

 

「愛子さん。それに皆も。きっと信じられないことがあったんでしょう。なら言ってください。怒りや恨みぐらい、耐えてみせますから」

 

「いいんだよ、皆。もう頑張らなくっていい。僕達……というとちょっと語弊があるか。でも君達の仲間がこの国に勝った以上、この国のことで悩む必要なんてないから」

 

「怒りも恨みも抱えるな。そんなものは今ここで捨て去ってしまえ」

 

 そんな彼等にデビッド達が声をかけ続けていたのだが、特にこれといった反応は示さず。ただ席についてぼぅっと過去を見つめ続ける彼らを前に幾度も歯がゆい思いをし続けていた。

 

「やはりこうなっていたか……ま、それでこそ動いた甲斐があったというものだ」

 

 そんな折、ふとメルドがカートを押しながら彼らの許へと現れると、その上に載せていた酒瓶をそのままドン! と半ば叩きつけるようにして愛子達の席の近くに置いたのである。

 

「……ぁ、メルド、さん?」

 

「すまん。驚かせたか」

 

 ただ時間を無為に潰し、意識の外から起きた出来事への反応が薄いことから思っていた以上に重篤であることを察しつつもメルドは動く。カートの上に置いていた他の酒瓶を大人達の方へ、子供達にはぶどうに似た果実を絞って混ぜた果実水の瓶を取り出して各自の手の届く範囲に置いてから話を始める。

 

「メルド、それは……」

 

「あの、メルドさん。それ……」

 

「あぁ。こっちは察しの通り酒だ……おっと、お前達は確か向こうの方では酒は駄目なんだってな。こっちは十五で問題なくなるんだが、培った常識というものを捨てるというのは難しいよな。だから果汁を混ぜた水の方を探して用意させてもらった。結構いい奴だぞ? さぁ飲め」

 

 その言葉に彼らの心はほんのわずかにだけ揺れ動き、全員がどこか酒臭い様子のメルドを見る。こんなものを呑んでる気分じゃないというのにどうして、とリアクションが薄いながらも彼を睨んだ。

 

「お前達の言いたいことはわかる。こんな時に飲んでなんていられるか、ってな。だがこう言う時こそ飲め。飲むんだ」

 

 だがそれでもメルドは目の前にあるものを飲むことを勧める。目の前にある酒を、果実水をだ。真剣な眼差しでそう訴えるメルドに、ふと愛子が小声で問いかけた。

 

「いいん、ですか?」

 

 何かを確かめるように。まるで失敗に怯える幼子のように彼女は顔を上げてメルドに尋ねる。

 

「何がだ」

 

「辛いことがあったから、苦しいことがあったから。もう、何も考えたくありません。だから、その……」

 

 言いよどむ愛子に特に何も言うことなく、メルドは瓶の口を手刀で切り落とすと、同じくカートに載せていたコップに酒を注ぎ、黙って彼女の前に出す。

 

「そうだ。そういう時こその酒だ」

 

 そう語るメルドの顔にどこか浮かんだ寂しさをデビッドらは理解した。これは失った人間の顔なのだ、と。こうして愛子にハニートラップを仕掛ける前は戦場に出ていたからこそ彼の表情に浮かんだものの正体に気付いたのである。

 

「魔人族との戦争で戦友を、上官を、部下を失ったことは何度もある……ザック先輩、ユーリ殿、ゼノ。誰もがいい奴だった」

 

 そう言いながらメルドは次々と酒と果実水をコップに注いでゆき、各人の前へとそれを持っていく。

 

「死んだか怪我で離れざるを得なくなったか。そういった違いはあった。それでも別れが辛いことは俺だって知っている……お前達の受けた苦しみはまた別だろうがな」

 

 そうして全員にドリンクが行き渡り、自分も酔えないながらも半端に瓶に残った酒を予備のコップに全て注いだ。

 

「そういう時は女を買うか、酒を飲んでいた。流石に作戦に支障が出ないようにしてだがな――ハイリヒ王国は負けた。永山、野村、相川、玉井、仁村、辻、吉野。お前達はもうこの国に縛られる必要はない。酒を飲ませる訳じゃないから好きなだけ飲んで、騒いで、それで寝てしまえ。全部が晴れることはないだろうが、楽にはなるはずだ」

 

 中々目の前のものに手を付けようとしない彼等に言葉をかけるも、それでもまだ迷いがあったのか手を伸ばそうとはしない。そこでもう一度発破をかけようと自分が手持ちの酒を飲んで酔っ払ったフリをしようとした時、愛子が目の前のコップをガッと両手でつかみ、そのまま一気に中身を煽ったのである。

 

「「愛子ぉー!?」」

 

「愛子さーん!?」

 

「愛子ちゃーん!?」

 

「ま、待て待て待てぇ!? この酒は結構度数が高いんだが!?」

 

 中身はそこそこアルコール度数の高いもののはずなのだが、それをものともせずに愛子は飲み干す。そして酒臭い息を長く吐くと泡を食っているデビッド達でなく、先生らしからぬ行動をしたことにショックを受けて呆然としている重吾達の方へと視線を向けた。

 

「そこにあるのはジュースなんれすよね?……のみましょ、永山くん。みんな……ひっく」

 

「あ、愛ちゃん……?」

 

 もう酔っ払ったのか軽く目が据わっており、重吾達から目を離さない。傍から見てもヤバい様子の愛子は再度彼らに向けて声をかけた。

 

「飲んじゃいましょう……せっかくメルドしゃんが用意してくれたんれす。飲んで、しまいましょう……全部、じぇーんぶわすれちゃっていいんれす」

 

 最初こそアルハラをしてくる酔っ払いのように話しかけてきたが、段々と声が湿っていく様をデビッド達も重吾らも目にしてしまう。最後は軽くうつむきながらそうつぶやき、無力感を感じさせながら話した彼女を見て重吾達もデビッド達も、そしてメルドでさえも何も言えなくなった。

 

「私に力がないから……皆を救える力なんてなかったから……だから、私とこの国のせいでいいんです……みんななすりつけちゃって、いいんです」

 

 色濃く残るとてつもない後悔、今もなお彼女を苛む無力感と自己嫌悪、憎しみを知り――今度はデビッド達が示し合せたかのように一斉にコップの中の酒を飲み干す。その様にまたしても重吾達は驚いてしまい、酒を飲み終えて顔を赤らめたデビッド達は重吾らに向けて言葉をかけていく。

 

「ふぅ……さて、俺達も飲んだぞ。お前らも飲め。ただの水だ」

 

「えぇ、私達に恥をかかせないで……ヒック、ください」

 

「そうだよぉ……皆は僕達にそそのかされて、ヒック……騒いでしまった。それでいいんだ」

 

「あぁ……お前らは駄目な大人に捕まって、いっしょにバカ騒ぎした。それでいい……ひっく」

 

 出来上がった様子の彼らに声を掛けられてしまい、重吾達は思わず戸惑った。これが彼等なりの不器用な気遣いだとわかっているからだ。自分達は何一つ悪くない。ただ悪い大人に捕まって、そのせいで自分達もそれに付き合う羽目に遭ったのだと言い訳させる余地をくれたのだと。

 

「……俺、は」

 

 だからこそ彼らは迷う。そうして相手に責任をおっ被せて、自分達も酔っ払ってしまってそれでいいのか、と。逃げたい気持ちは強いけれど、この世界の法律や彼らに全て押し付けて自分達は逃げていいのかと思ってしまったのだ。

 

「いいから飲め、お前達」

 

「メルドさん……」

 

「畑山殿や神殿騎士達に恥をかかせないでやってくれ。俺だってそうしろ、と言ったんだ。だからそれでいい。今はもう忘れろ。甘えてしまえ」

 

 そう言いながら自分の持ってたコップを煽り、メルドは胃に酒を収めていく。喉が焼ける感覚、体を回る酒精、しかし来ることのない酔いに心の中で自嘲しつつも、メルドは野村にしなだれかかり、()()()動きをしながら彼らをたぶらかす。

 

「ほれ、呑め呑め~。お前らが飲まないんだったら、俺が……」

 

 そう言いながら野村のコップに手を伸ばそうとした時、いきなり重吾が目の前の果汁水でなく近くにあった酒瓶を手に取り、それを一気に煽ったのである。瞬く間に赤くなっていく顔に野村らは声も出せずに口をあんぐりと開け、重吾をただ見ているだけしか出来なかった。

 

「な……何やってるんだ永山!?」

 

「…………はぁ~。ひっく」

 

「じゅ、じゅじゅ重吾ぉ!? な、何やってんだよお前! お、俺達未成年だぞ!!」

 

 隣に座っていた野村がメルドを軽く突き飛ばして重吾の両肩を掴み、日本にいたころの道理を説きながらぐわんぐわんと揺らす。しかし重吾の口から出た予想外の言葉に何も反論出来なくなった。

 

「もう、いやだ」

 

「……え?」

 

「もういやなんだよ、健太郎……シーナにすてられて、どこにも居場所なんてなくって、いきるのももういやなんだ……じゃあ、どうすればいいんだ? さけのんで、にげたい。もうよっぱらって、ぜんぶわすれたい。それも、だめなのか?」

 

 そう言いながらボロボロと涙を流す様を見て野村はその手を緩めてしまい、玉井、仁村、相川、辻、吉野もまた自分達が頼りにしていたリーダーが弱音を吐くのを見て思ってしまった。もう逃げたっていいんだ、と。もう辛いことを我慢しなくていいんだ、と。

 

「んぐっ!……んぐっ、んぐっ……ぷはぁー!!」

 

「玉井!?……じゃ、じゃあ俺だって!!」

 

 玉井が意を決して重吾が口にした酒瓶に口をつけ、一気に流し込んでいく。そうして酔っ払った様子を見た相川も席を離れて愛子達の席にあった酒瓶を全てかっぱらい、その中身を一気に煽っていく。

 

「お、俺だって、俺だってなぁ!!」

 

「わ、私も!」

 

「もう、もう忘れちゃおう! ぜんぶ、全部飲んじゃって忘れちゃえばいいんだ!!」

 

「仁村も辻も吉野も……じゃ、じゃあ俺も飲む! 仲間外れなんて嫌だ!!」

 

 それを見た他の皆も酒を口にしていく。ちびちびと飲んだり、一気に腹に流し込んだり、むせこんでしまったりもした者だっていた。けれども誰もが酒を口にすることをためらうことなんてしなかった。

 

「全く……だが、いい飲みっぷりだ。それと、このカートにまだ幾らか酒は残っている。オープナーもあるから飲みたきゃ飲め。騒ぎたくなったら騒げ。もう、我慢なんてするな!」

 

「そうれす……もうわすれちゃいましょー!! こんな時ぐらい、すきにしていいんれす!!」

 

『おー!!』

 

 メルドと愛子の言葉に誰もがうなずき、もう何も我慢するものかとそれぞれが好きに酒を飲んでいく。そして――。

 

「バーカバーカ!! エヒトのろくでなしー!! わたしたちをいえにかえせー!! おかあさんがいえでまってるんれすー!!」

 

「いいぞ愛子ぉー!! もっと言えー!!」

 

「私たちの信仰をすてさせたあのクズをもっとけなしてしまおー!!」

 

「滅べバーカ!! 教会なんてクソだクソー!!」

 

「ほろべエヒトぉー!! ほろべおうこくー!! 愛子がきずつくせかいなんて終わってしまえー!!」

 

 地獄が出来た。

 

「シーナ……シーナぁ……おれもうやだぁ……もうやだよぉ……」

 

「なーにあんなのの名前だしてるんらよぉ重吾ぉ!……ヒック。ハイリヒおーこうなんてなぁ、ただのクソ国家じゃんかー!! そんなとこにいるやつみーんなクソしかいねーよ! だからきにすんなー!!」

 

「のむらくぅ~ん、もっとおしゃけついでぇ~?♥」

 

「ぷっ、アハハハハハハハハ!! にゃがやまくんおもしろぉーい!! ウジウジしててかわいーい♥」

 

 思いっきり地獄絵図と化してしまった。

 

「うっぷ……も、もう無理……吐く」

 

「んだよ仁村ぁ~もうのめましぇ~ん、ってか? アハハハ!!」

 

「……うるせぇ、静かに呑ませろよ。ヒック」

 

 もうどうにもならないおぞましい世界がここに誕生してしまった。

 

「わらしがほんきらしたられすねぇ……ヒック、このせかいぜーんぶほろぼせますよぉー! ぜんぶぜーんぶ、さばくかぬまにでもしてやれるんれしゅー!!」

 

「さすが愛子ー!! それでこそ魔おうだー!!」

 

「そうですそうですー! 私たちにしたがわないやつらなんてみんなくたばってしまえばいいんだぁー!!」

 

「もっともっとー!! エヒトとかいうゴミムシなんかたおしてしまえー!! 愛子ちゃんならできーる!!」

 

「けんきょになるな愛子ー!! 愛子にできないころはなーい!!……ヒック」

 

「いぇーい!! まおうなめんなー!!」

 

 世界ぐらい滅ぼせると酒の勢いも相まってのたまう愛子をデビッド達は止めようとはしない。むしろ煽りに煽り立ててノリノリにさせる始末。放っておいたらその勢いのままにこの王宮どころか城下町や周辺を滅茶苦茶に荒らしてしまいそうな程の勢いがここにあった。

 

「もうわすれようぜぇー。あんな女なんてどこにでもいるじゃんかー。お前のことをちゃんと見てくれるー、やさしいおんなの人だってあらわれるって! な!」

 

「うぅ……でも、でも……シーナのことが、やっぱりわすれられないんだぁ……ヒック。うぅ……」

 

「わすれさせてくれるいいやつがくるってー。俺をしんじろぉ、じゅうごぉ~」

 

 泥酔してバシバシ肩を叩いたりはしているものの、女々しく泣いている重吾を野村は普通に励ましていた。相当失恋のダメージが深く、未だにかなり引きずっている様子であったが、それでも野村は彼をただただ気遣うばかりであった……まぁ当然とはいえ励まし方が割と酔っ払い臭かったが。

 

「やーんもぉ永山くんってばかわいーなぁー。そんなかわいいながやまくんにはーわらしがおしゃけついであげりゅねぇ~」

 

「むぅ~! 野村くんもっとおさけぇ~。まおでもいいからおさけちょおらいよぉ~!」

 

 一方、吉野は泣いている様子の永山のコップに酒をなみなみと注いでいく……というか文字通りあふれてしまっている。そしてその様子を見た辻もとにかくお酒をくれと何度も何度も催促している。

 

「うるせぇぞ酔っ払いども……ヒック」

 

「んだとぉー相川ぁー! お前だって顔真っ赤っかじゃねぇかー! アッハハハハハハ!! おもしれぇー!」

 

 酔うと人が変わるタイプだったらしい相川に笑い上戸の玉井が絡み、嫌気がさした相川は席を立って移動しようとするも、玉井が普通について回り、絶対に逃がさないとばかりに追ってきていた。なお相川は立派な千鳥足を披露していた。

 

「うぇっぷ……ォ゛ェ゛ェ゛ェ゛……」

 

「大丈夫か、仁村……すまん。お前は酒に弱かったんだな……」

 

 そして床に四つん這いになった仁村の口は立派な瀑布となっていた。そんな彼の背中をメルドはさすりながら謝罪の言葉をかけている。さしものメルドもたった一口そこらでこうなるのは予想外だったらしく、本気で反省していた。

 

「メルドしゃーん! おしゃけのちゅいかー!!」

 

「そうだぞー!! さけもってこーい!!」

 

 そんなメルドは今、仁村への気遣いと多数の酔っ払いの相手をさせられていた。どいつもこいつもアホみたいなハイペースで酒を空けてしまうものだから酒蔵から持ってくるよりも無くなる方が早いのだ。というか一人一本、しかもコップなんて使わずにラッパ飲みしかしてないもんだから追いつかない。ごまかすために渡した果汁を混ぜた水の瓶もとっくに空になっている。

 

(どうしてこうなった)

 

 この状況を作り出した当人はただ目の前のどうにもならん現実を嘆く他無かった。

 

「……うわぁ」

 

 そして重吾達がどうなってるか気になって出歯亀をしに来た大介達は目の前の光景を見て思いっきりドン引きしていた。なにをやろうとしていたかをメルドから聞いていた大介でさえ、今眼前で繰り広げられている光景を見て思わず目をそらしたくなってしまったのだ。

 

 どうしてこんなことになってしまったんだろうと思いながらも、とりあえずこの場から逃げようとおそるおそる踵を返そうとしたその時であった。

 

「――大介達か!」

 

「ゲェッ!? 気づいたぁー!?」

 

 なんとメルドがこちらの方を見て反応したのである。

 

「お前ら頼む! 一生のお願いだ! 頼むから助けてくれぇー!!」

 

「よし逃げるぞ!」

 

「おっしゃ了解!!」

 

「三十六計逃げるに如かずぅー!!」

 

「逃げるが勝ちって言うもんなぁー!!」

 

「は、薄情者ぉ~~!!!」

 

 なお馬鹿四人は即座に逃げ出し、あっという間にメルドは取り残される。

 

「おいメルドぉー!! 酒はどうしたぁー!!」

 

「お酒おさけぇ~!!」

 

「もっと飲ませろぉー!!」

 

「イヤぁあああぁあぁあぁああぁああぁ!?」

 

 酒は飲んでも飲まれるな。昔の人はよく言ったものである。

 

 ゾンビのように酔っ払いどもにまとわりつかれ、メルドの情けない叫びが王宮にこだまする。なおすぐに大介らがこの惨状を知らせたため、ハジメと鈴、そして鈴に少しでもリードを許したくないと二人についていった恵里以外はメルドを見捨てていた。自業自得である。

 

 

 

 

 

「そんな! ここでメルドさんが抜けるなんて!!」

 

「すまん……俺がついていけるのはここまでだ」

 

 翌朝。床とテーブルをメルドが事前に綺麗に掃除していた食堂にて。食事を終えた後に大事な話があると言ってメルドの口から伝えられた事実に光輝が信じられないとばかりに声を上げた。メルドがここで抜けることを表明したからである。

 

「嘘でしょ……どうして、どうしてなの!? 私達が嫌いになったの!?」

 

「……まぁ、昨日の晩のことは恨んでるぞ。うん。ハジメと恵里と鈴以外はな。ってそういうことじゃない」

 

 優花の問いかけに軽く虚ろな目をしながら答えるメルドであったが、すぐにそういう理由ではないと明かす。決して彼らの向けたジト目に屈した訳ではない。

 

「俺の目的はお前達の悪評の撤回とエリヒド王の目を覚まさせること、そしてイシュタルを倒すことだった」

 

 このことは後で陛下と一緒に皆で話し合うつもりだったんだがな、と少しうつむきながら付け加えるが、それでも皆のショックは決して軽くはなかった。

 

 そう。元々メルドが目指していたのは恵里達につけられた悪評をどうにかすることであり、そのために国王陛下を正気に戻し、イシュタルに対処することであった。だが恵里達の悪評は撤回するどころの話ではない。ならばどうして、と問おうとした時、メルドがその理由を明かしてくれた。

 

「だがお前達の悪評の撤回は俺の力じゃどうしようもならない……エヒトが敵としてお前達を追い詰めようとしているからな」

 

「それは……」

 

「恨むなら力のない俺も恨んでくれていい。だが理由はそれだけじゃない……いずれ神の使徒の軍勢とも戦うんだろう? だったら頭数だけでも多くしておいた方がいいはずだ。そのためにも、このハイリヒ王国を守るために俺は残る」

 

 このトータスを盤上として策を練れるエヒト相手には自分では力がどうしても足らないということを自覚し、しかしエヒトと将来矛を交えることになった時のために戦力を確保しておきたい。そう伝えたのだ。

 

「……母国だから残りたい、ってのもあるんでしょ?」

 

「……すまん」

 

 しかし説明をしていた時、理由はそれだけじゃないはずだと察した恵里がカマをかければ、短く謝罪をしたことから国に残りたいという思いも少なからずあるということを彼らは理解した。

 

「結局俺はこの国が好きなんだ。昨日の反乱で兵士も使用人も少なくない数が死んだ。そうなれば脆くなったこの国にエヒトが魔人族を差し向けてくるかもしれない。だからこそ残って戦って、守りたいんだ。どうしようもなくても、救いのない奴らばっかりだとしても。だから俺は――」

 

 恵里達の助けになりたいという思いは今も残っている。しかし、それでもこの国への愛が勝った。だからこそここに残りたいと訴えようとすると、フリードも含めた皆が首を横に振り、もう言わなくていいと伝えてくる。

 

「ま、だったら使える兵士をちゃんと育ててね」

 

「恵里……」

 

 九割の打算、一割の気遣いが含まれた恵里の言葉にメルドはただうなずいて返す。

 

「メルドさんがいるならここも拠点として使えるようになりますよね?……だったらそれだけでも心強いです。後はお願いします、メルドさん」

 

「私達の帰ってこれる場所、守ってください」

 

「ハジメ、鈴……」

 

 ハジメと鈴の寄せてくれた信頼にメルドは再度うなずき、この国を皆の居場所として守ることを誓う。

 

「メルドさんが決めたんなら俺達がこれ以上とやかく言っちゃいけないな。じゃあ、後は任せます」

 

「エヒトは私達が絶対倒すから。だから後ろはお願いします」

 

「後は俺達がやってみせます。だから、見ててくれよ」

 

「メルドさんがいなくても、ちゃんとやってみせますから。だから、安心して下さい」

 

「光輝、雫、龍太郎、香織……あぁ!」

 

 光輝達の言葉に、メルドも迷わず彼等に後を託すことが出来ると感じた。だからこそちゃんと返事を返す。

 

「ちょっと寂しくなっちまうな……頑張ってくれよ、メルドさん」

 

「絶対会いに行くから、生きててくれ。その、俺達の、頼れる兄貴だからさ」

 

「わかってるさ。浩介、幸利」

 

 家族のように慕ってくれた浩介と幸利にメルドは微笑みで返した。また再会できるよう約束を残して。

 

「生きて、生きてくださいね。そうしないと許さないんだから」

 

「メルドさん、今までお世話になりました!」

 

「ありがとぉ~! ホントにメルドさんありがとぉー!!」

 

「ああ。お前達も死ぬなよ! 優花、奈々、妙子!」

 

 かける言葉もそれぞれ違えど、優花と奈々と妙子も彼を思う気持ちは変わらない。だからメルドも彼女達が生きて戻ってこれるよう願いを伝える。

 

「あーあ。ったく寂しくなっちまうなぁ……じゃあな、メルドさん」

 

「い、今までありがとうございました! 大介を、私を許してくれてありがとうございました!!」

 

「ハァー……ま、仕方ないよな。せめて楽出来るように俺達が派手に暴れてやっか」

 

「そうだなぁー……メルドさんいなくなると流石に寂しいもんな」

 

「そうか? 俺はもう叱られなくって済むと思うと……ダメだ。やっぱ寂しい」

 

「俺がいなくなったせいで更に皆に迷惑かけるようになったら困るからな! 頼んだぞ! 大介、アレーティア、礼一、信治、良樹!!」

 

 未だに手のかかる悪童どもに軽く釘を刺し、そして最後にメルドはある男の方を振り向いた。

 

「フン……私としては清々するがな」

 

「そうか……俺の大切な仲間を頼んだぞ、フリード」

 

「いいだろう。託されてやろう、メルド・ロギンス」

 

 お互いに握りこぶしをぶつけ合えば、彼らは食堂を後にすると共にそれぞれ別の方向へと歩んでいく。

 

 出会いと別れ。それを繰り返しながら彼らの旅は続いていく――ある少女が動いたことで大きく変わった彼等の旅路の終着点は未だ遠く。されどその果てへと向かって彼らは力強く進んでいく。




おまけ とある『三人』のその後

野村「……ん、ぁ。朝か」

辻「おはよ、()()()くん」

野村「あぁ、おはよう辻……ま、待て待て待て! な、辻、お前、は、はだっ!?」

吉野「おはよぉ~()()()くぅ~ん」むにゅっ

野村「よ、吉野!? お前まで!? こ、ここ俺の――ぁっ」

フラッシュバックする昨晩の記憶。ベッドがギシギシ、アンアンアン♥とっても大好き♥になっちゃう運動をひたすらする自分達。

野村「うわぁああぁぁー!!! お、俺はなんてことを、なんてことをー!!」

辻「……ねぇ、健太郎くん。その呼び方やめて」

吉野「そうだよ。苗字呼びなんて他人行儀な言い方じゃなくて」

辻・吉野「「な・ま・え♥」」

野村「うおぉおおぉぉぉぉぁあぁぁあぁぁぁ!?」

野村発狂。その後、名前で呼び合う三人の姿が見られ、とある二股している少年を慕う子から野村らは散々こき下ろされたという。


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主要キャラ簡易まとめその二(ネタバレ注意)

第二章も先の話で終わりましたのでその区切りとして各人の簡単なまとめを用意しました(告知が遅いわ馬鹿)

ここに記載しているのは原作に出てたキャラのみとなります。またタイトルにもある通り、ネタバレ注意です。


・メルド=ロギンス

恵里が様々な行動をしたことでクラスメイトが二つのグループに別れたり、エヒトの奴に目を付けられたせいで悪評が広まったりなんだりの結果、大幅に運命が変わった漢。

 

ステータスプレートを渡して天職やらステータスを確認してた際に恵里達と永山達とが二つの陣営に別れて大喧嘩したことにブチギレてしまい、「こんな醜態をさらすような奴らを戦場に送り出せるか」とシゴき倒すことを決める。そして『神の使徒』という特別な役職であるにもかかわらず部下達に命じて思いっきりシゴかせ、自分は恵里、ハジメ、鈴の三人の監督をやっていた。

 

しかしそうして恵里らがめげずに訓練についてきたことから段々と絆され、三人の身柄の安全を守るために追放という体をとってヘルシャー帝国へと向かわせようとしていた。しかしイシュタルによって妨害され、また自分も家の人間も無事では済むまいと考えた際に恵里らの顔が浮かび、三人を守るべく兵士達を切り捨てながら王宮を脱出。その後鷲三と霧乃に拾われて治療され、その後抜け出してオルクス大迷宮にて恵里達と合流。

 

恵里とハジメをなんとしても殺そうとする神殿騎士達と戦って倒し、また神殿騎士や神の使徒との戦闘で心の折れた光輝らを奮起させた。その後恵里らと共にオルクス大迷宮を下っていき、二尾狼戦で心が壊れそうになった香織らの心に戦う意志を、家へと帰る願いを灯させた。

 

その後皆で一緒に真オルクス大迷宮を攻略していき、無事に突破……したはいいものの、メルドが格好いい『だけ』の大人でいられた時間はここで終わった。

 

オスカー・オルクスの真実の告白にキレたり、ディンリードが残したメッセージを見ることもしない。そしてフリードを散々煽ったり脳を破壊させたりと中々とんでもないことをやっていた。

 

しかし真実から目を背けた彼であったが、愛子が立案したハイリヒ王国急襲作戦に勝利した後の異変によってその報いを受けることになる。イシュタルを倒せばきっと大丈夫だと思っていたらイシュタルどころか教会のトップのほとんどが修道士が起こした内ゲバにより撲殺され、守るべき主君であるエリヒド王、そして王妃を守ることが出来ずに殺されてしまい、リリィも信治が間に合わなければ命を落としてしまっていた。

 

リリィは信治が持ってきた回復薬によって、エリヒド、ルルアリア、三人と他重臣ら数名は魂魄魔法を手に入れた大介とアレーティアのおかげで息を吹き返したものの、自分が神代魔法を取得することを拒んだせいで自らの手で守ることも助けることも出来ず大いに後悔し、酒におぼれようとしても“毒耐性”の技能のせいで酔っ払うことすら出来ずに自己嫌悪に苛まれた。

 

しかしそこに現れたフリードの一喝により目が覚め、戦う意味を取り戻す。その後、ガタガタになったハイリヒ王国を守るためにここに残る旨を恵里達に話し、彼らの承諾を得る。かくして裏切り者のそしりを受けた漢は『ハイリヒ王国最強の剣』として舞い戻ったのである。

 

……原作で自分が迎えた結末を知った場合、やるせない気持ちになるのではないかと思われる。

 

 

 

・アレーティア=ガルディエ=ウェスペリティリオ=アヴァタール

真オルクス大迷宮に恵里達がゾロゾロと大人数で来たことで運命が大幅に狂ってしまった少女。

 

自分が力を貸すことなく、叔父のディンリードが残したガーディアンを恵里達が撃破し、拠点に招かれた際に魔物の肉を食べると抜かして思いっきりショックを受けたりしたことで恵里達に対して恩を感じたり、彼女達の境遇に同情こそしたものの、彼らに対してシンパシーを感じることが無かった……それが後に彼女にとって大きな災いとなる。

 

共に恵里らと協力しながらオルクス大迷宮を攻略していったものの、時間を経る毎に段々と心の中に憎しみや嫉妬が膨れ上がり、当初は無意識下でしかなかったが時折自覚するまでとなってしまう。しかしそれも助けてくれた恩義で塗りつぶそうとするも、恵里達が仲間を信じ、裏切られる事無く困難を乗り越えていく姿を見て遂に暴発。怒りと憎しみのままに恵里達を襲い、亡き者にせんと涙を流しながら戦った。

 

その後自分がため込んでいた鬱屈した気持ちを吐き出し、オルクス大迷宮を突破したら別行動をすることを条件にオルクス大迷宮の攻略を手伝った。激戦を乗り越え、解放者の住処にたどり着いた後、信治からもたらされた情報により彼女はかつて自分が封印されていた場所へと赴き、遂にそこで真実を知る。

 

ディンリードが語った真実を当初は否定しようとしたものの、愛していた両親との記憶や叔父と過ごした時間を思い出したことでそれが本当のことであることに気付く――結果、彼女は壊れてしまう。しかし何度となく手を伸ばし続けた大介によって彼女は身も心も救われ、遂に名も無き少女から『アレーティア』へと戻ることが出来た。

 

現在彼女はチワワも同然となり、愛する大介がそばにいなければ常に何かに怯える程メンタルが弱くなってしまう。というかちょっとつつくだけで罪悪感からひたすら謝罪を繰り返してしまう程。また彼に依存していることも自覚しており、どうにかしたいとは考えている。

 

とはいえ彼女が奮闘したことによって恵里らが指名手配されることを未然に防ぎ、分身の鷲三と霧乃を倒すことが出来、またエリヒド王とルルアリアを蘇生したことで生き残った上層部から大いに感謝されるなどその貢献は計り知れない。

 

この様子を原作の正妻様が知ったら宇宙猫になることは想像に難くない。あと魔王がキレる(確信)

 

 

 

・フリード=バグアー、ウラノス

恵里の行動によってものすごい運命が変わった人物。

変成魔法を手に入れて思いっきり暴れたはいいものの、そのせいで違う運命をたどった恵里達を招くことになったので割と自業自得感はある(辛辣)

 

空間魔法を手に入れようとグリューエン大火山へと向かい、相応の戦力と共に攻め込んだはいいが、恵里達のグループもそこに向かったのが運の尽き。必死に抵抗したものの灰竜もウラノスも恵里達にアッサリと撃破されて灰竜はごはんに、そしてウラノスは是が非でも食べようとする恵里達が怖すぎて必死に命乞い。無事“縛魂”を受け入れたことで恵里達の配下に収まる。

 

そしてフリードも灰竜に乗せて連れて来た戦力を大火山攻略の際に削られていき、にっちもさっちもいかなくなる程追い詰められてしまう。しかもそんな時に恵里達が船を使ってマグマの上を渡っていくのを見てしまったことから留まる訳にもいかなくなり、犠牲を払ってでも突き進むしかなかった。

 

多大な犠牲を払ってどうにか最深部までたどり着いたはいいものの、情報源として保護するためとはいえ恵里に投げ飛ばされ、守護者に残った配下の魔物を全て殺され、土属性の魔法でみぞおちを突かれたせいで気絶と散々な目に遭っている。

 

試練が終わった後、何者かに操られていることに気付いた恵里に再度気絶させられ、洗脳を解除してもらいはしたものの、そこで相棒であるウラノスがNTRていたことを知り、激昂。叩き潰さんとばかりに炎属性の魔法を唱えるが反射され、ほぼ全裸のチリチリパーマになってしまう。しかもその後相棒がNTRれた様子を見せられて脳が破壊されてしまった。

 

その後、自分が洗脳されたことを話し、ウラノスを返すことを条件に協力することを伝えた。恵里達側から出された条件である“縛魂”を食らうことすらも受け入れ、遂に仲間と相成った。

 

……原作の自分の末路を見たら恐らく何とも言えない表情になるだろう。ただ、それはそれとして自分がダメージを受けたことに納得してるわけではないが。

 

 

 

・畑山愛子

拙作においてトップクラスで運命が狂ったであろう人物。

地球にいた頃から恵里、ハジメ、鈴の二股に注意してたり、またトータスに来てからも原作同様“作農師”として奮闘していた。そこまでは、良かった。

 

その後各地の農村や未開拓地を回って王宮に戻った際、恵里を中心としたグループがオルクス大迷宮の中で失踪したことを聞き、そのことでひどくショックを受けてしまい、涙を流す。そんな時、護衛をしていたデビッドらが気に病まぬよう声をかけたことで彼女の中で聖教教会関係者への『憎悪』が生まれ、デビッドとチェイスに八つ当たりをしてしまう。

 

その後、国のトップを相手取り、生き残った重吾達を解放しなければ今後一切協力はしないと脅し、イシュタルと『ハイリヒ王国の領地内の農地改革を行えば重吾達を強制的に戦争に参加させない』という約束を取りつけた。

 

そうして地方を回っている時に鷲三と霧乃に出会い、恵里達の身に何が起きたのかを教えてもらい、あの場ではもう下へ下っていくしか生き延びる可能性は無かったことを伝えられ、愛子は涙する。そうして二人と活動を共にするようになるが、突如襲来した神の使徒により心を通わせたデビッドらを操られ、鷲三と霧乃を連れていかれてしまい、しかも無事だった護衛のローリエに裏切られ、心が砕け散ってしまう。

 

そうしてただローリエの言いなりとなってひたすら農地改革に勤しむことしばし。ウルの街にやってきていた幸利らに助けられ、洗脳から解放されたデビッド達と再度心を通わせ、そして恵里らがかけてくれた言葉によって遂に立ち直った。

 

その後、子供達を守り抜くために手段を選ばなくなった愛子はハイリヒ王国を急襲して落とすことを提案し、その際自身が教師でなく『魔王』と名乗った。魔王畑山愛子の誕生である。

 

そしてハイリヒ王国が展開していた軍を恵里達との連携により無力化し、重吾達を引っ叩いて「もし間違えても私が命を張って絶対に止める」と宣言した。

 

王宮の中での騒ぎが落ち着き、重吾達のおつきの使用人らとの面会の時も同席している。その際、彼らを罵倒し続けた際に本気で怒り狂って使用人どもを穴に落とし、水属性の魔法を発動して溺死させようとしたが、重吾達によって阻止されてしまう。

 

お通夜みたいな雰囲気のまま食堂にたどり着き、メルドの計らいが切っ掛けとなって皆で酔っ払い、とんでもない乱痴気騒ぎを起こしたのであった。そのおかげで少しは精神的に落ち着いている。

 

原作の愛ちゃんが知ったら多分卒倒する。あとこっちの愛子が「生徒になめられて、いいようにされて、あなたそれでも教師ですか?」と容赦なく追い立ててくる。それも魔王オーラ込みで。

 

 

 

・デビッド、チェイス、クリス、ジェイド

愛ちゃん共々運命が大きく変わってしまった人物。元々はハニートラップ要員であったものの、彼女の持ち前の一生懸命さと空回りしてる様子に心を惹かれた。その結果彼女の信者のような形となった……が、それも長くは続かなかった。

 

ハイリヒ王国に一度戻って来た後、神の使徒の恵里達のグループがごっそりいなくなったことが原因で絶望している愛子を励まそうと不用意にデビッドとチェイスが声をかけたことが運の尽き。彼女の中になかった憎悪が芽生え、憎しみのこもった眼差しと言葉を向けられて遂に目が覚めてしまった。自分達は愛子の何を見ていたのか、と。その余波はその場にいなかったクリスとジェイドにも届き、彼等四人と愛子の間に大きな溝が出来てしまう。

 

だが彼女を護衛していた鷲三、霧乃を攫うことを目的に襲撃を仕掛けて来た神の使徒を前に信仰を捨て、彼女のために味方になることを決意する――その直後、魅了によりその決意も心も塗り替えられ、愛子を死ぬ一歩手前まで追い詰めてしまうが。

 

その後、ウルの街に来た幸利らによって気絶させられ、恵里の手によって洗脳が解除される。愛子を殴った時の記憶は残っており、それを理由に自殺しようとしたものの、土壇場で味方してくれたことで信用した愛子が彼らに手を伸ばし、その手を取って共に戦うことを決意する。

 

愛子に暴力を振るわなかった原作の自分達を見たら多分相当羨ましがるだろうが、同時に「コイツら本当に愛子のために動いているのか?」と疑問符を浮かべると思われる。

 

 

 

・八重樫鷲三、霧乃

拙作における最も不運な人達。恵里が運命を捻じ曲げたことで一番とんでもないとばっちりを食らった。

 

地球にいた頃から家族ぐるみで恵里らと接し、トータスに来た後でも彼らの身を案じて暗躍を続けていた。

 

しかし神の使徒相手に惨敗を二度喫し、また愛子の下に護衛に行った際の二度目の敗北で神域へと連れ去られ、肉体改造を受け、また洗脳されて幸利達の下へ現れた。その際分身であれ雫を殺害し、また幸利も神水を使わなければ助からないほどの重傷を負わせた。

 

その後恵里達の下へ赴いた本体の二人が撃破され、洗脳を解かれたことで正気に戻ったものの、自分の孫/娘をこの手で殺したことのショックは大きく、雫が手を伸ばしても振り払う程だった。しかしアレーティアの説得により和解。その後はハイリヒ王国襲撃の際に恵里達のサポートをしていた。

 

……原作の自分達を見たら、雫を傷つけずに済んでいることに安堵するだろう。ただ、向こうが雫の悩みに全然気づかなかった自分達を見て情けなく思いそうではある。ただ自分達も雫のイジメに気付かなかったことややらかしを思い出してうつむくだろうが。

 

 

 

・永山重吾、野村健太郎、辻綾子、吉野真央、相川昇、仁村明人、玉井淳史 

ここトータスに来たせいで運命を狂わされた少年少女達。地球にいた頃から恵里、ハジメ、鈴のことが気に食わなかったクラスメイトの一人であったものの、トータスに転移した後に広がった「中村恵里は裏切り者である」というウワサのせいでそれに余計に拍車がかかり、恵里達のグループと彼らのグループとでかなり深い溝が出来てしまう。

 

また家に帰れないことや違う環境で過ごさなければならないことから来るストレスもあって、彼女達に対して目が曇ってしまう。それが彼らの明暗を分けることになった。

 

オルクス大迷宮にて神殿騎士が彼女達を排除しようとした時も目を覚ますことが出来ず、ただ流されるままにオルクス大迷宮での訓練や礼儀作法の勉強、そして外に出た際も節度ある行動を強要された。終まいには目立った成果を挙げることが出来なかったために盗賊の討伐に駆り出され、精神がやられそうになったこともあった。

 

極限状態に追い込まれていた彼等であったが、鷲三と霧乃が謁見の間で襲ってきたことにより、遂に目が完全に曇ってしまう。恵里達を完全に敵視し、ハイリヒ王国に攻め込んできた時は殺す気で挑んだものの、戦いにすらならないまま返り討ちに合う。

 

その後、共に前線に並んだ兵士や冒険者、そして信頼していた冒険者らから罵声を浴び、また心の底から信用or愛していた使用人達からも拒絶され、心が壊れそうになってしまう。ただ、その後メルドの計らいが切っ掛けで全員が飲酒し、そのため幾らか楽にはなった様子である。

 

あと野村、辻、吉野は酒の勢いでえっちなことをした。三人で楽しんだ。お互い名前呼びにならないとおかしい程度には親密になることをいっぱいしましたァ!!!!(大事なことなのでry)

 

多分原作の自分達を見たら魔人族の襲撃の件を除いて羨むやもしれない。少なくとも自分達よりは窮屈ではないから。ただ原作の野村と辻、吉野は顔を真っ赤にして卒倒するかもしれない。

 

 

 

・リリアーナ=S=B=ハイリヒ

恵里が運命を変えたことでかなりの余波を受けた少女。

地球出身の恵里達がトータスに招かれ、彼女達をもてなす席にも出席し、一人一人と話をしてはいたのだが、その翌日に「中村恵里は裏切り者である」というウワサが流れ、本当にそうなのか確かめている内に雁字搦めになってしまい、軟禁され、何も出来ずに流されるままとなってしまった悲劇のヒロイン。

 

愛子に『光輝達が自分達の政争のせいで死んだ』と言われてショックを受け、また当時団長であったクゼリーが狂信者になっていく様を見て恐怖し、恵里達を迎え撃つべく用意した戦力が戦いにすらならずに負けたことから『自分達は滅ぶべくして滅ぶのだ』と考えるようになってしまった

 

だが突然起きた兵士達や使用人達の暴徒化には意味が解らずに本気で抵抗したものの、本物の神の使徒が近衛兵を全て殺したことでただ死にたくないと願うようになる。目の前で家族が殺され、自分もまた凶刃が振り下ろされてもう死んでしまうことを自覚したその時、彼女の元にある人物が現れた。彼が自分だけでなくヘリーナまでも救い、そして守るために戦ったことでその少年に特別な感情を抱くことになった。

 

……原作の彼女がこちらのリリィを見たら境遇が境遇だけに大いに同情しそうである。

 

 

 

・イシュタル

死因:たたき




……こうして見ると恵里の及ぼしたことがすさまじく大きい件について。
いや作者がこうなるように、とある程度想定して書いてたんだから当然ではありますが。


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第三章
幕間四十一 窮鼠とそれを見つめる猫達


皆様明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします(遅)
改めまして読者の皆様への惜しみない感謝を。

おかげさまでUAも150835、お気に入り件数も815件、しおりも376件、感想数も525件(2023/1/9 9:04現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして自分が頑張れているのも皆様がこうして目を通して下さるおかげです。感謝いたします。

そしてウエストモールさん、Aitoyukiさん、拙作を評価及び再評価していただき誠にありがとうございます。またこうして筆を執る力をいただきました。感謝に堪えません。

それでは新たな章に入る話に目を通していただく前に一つ注意を。今回のお話も長め(約13000字程度)となります。では上記に注意して本編をどうぞ。

追伸:作者が癖でとんだ大ポカしたので軽く修正しました。


 夜の帳が落ちて久しい頃、王都へと延びる街道を何台もの馬車が走る。その先を行くのは馬を駆って道先を照らす冒険者達であり、御者以外に馬車の中にいるのもまた同業の者だけであった。

 

「……集まったのはこれだけか」

 

「仕方ないだろう。銀が二人、黒が五人集まっただけでも運が良かったとしか言えんさ」

 

 彼等は一様に武装をし、その瞳が見つめるのはただ一つ、王都であった。

 

「ロア支部長も無茶苦茶を言うもんだ。いくら裏切者が内側にいたからって、軍隊出して勝てなかった奴らを殺せとかな。ベヒモスを殺す方が余程現実味があらぁ」

 

 冒険者ランク“白”のマットのもらしたつぶやきに多くがうなずく――今回彼らが王都へと向かってるのは“反逆者の抹殺”のためだ。そのためこうして戦える戦力を支部長権限で集め、破格の報酬を以て向かわせたのである。

 

「パメリアが目にしたものが嘘だとは思いたいが……」

 

「どちらにせよ、早いうちに反逆者を仕留めて損はないさ。なんせホルアドと王国はすぐそこだ」

 

 事前に出していた斥候代わりの冒険者が持ち帰った情報では三千もの兵と冒険者そして神の使徒……と呼ばれていた魔人族の手先の混成軍があっという間にやられたのだとか。

 

 仮にそれが本当であるとするならばこの人数程度で()()()ところで勝ちなど望めない。多くはそう思っていた。

 

「無駄口はそこまでにしておけ。勝てる戦も勝てなくなる」

 

「ハッ。流石、“迅影”様は言うことが違うな」

 

 天職“暗殺者”、“迅影”の二つ名を持つ冒険者ランク“黒”のレオンが静かにそう述べれば、言い返しこそすれども他の冒険者もそれ以上は出来ずに黙り込むしかなかった。

 

 天職が天職なだけに一対多数、それも正面切っての戦いはやはり苦手ではあったものの、天職故の気配の消し方の上手さ、相対した敵を確実に葬っていく。それ故についた二つ名を持つこの男をこの場にいた誰もがわかっていたからこそだ。

 

「正面切ってじゃまず不可能、だからって暗殺たぁな」

 

「だからだ。そのために支部長も()()を集めた」

 

 そう。今回彼らが行うのは『暗殺』。闇夜に乗じて反逆者及び魔人族の手先を仕留めるという作戦だった。

 

 今回集まった“暗殺者”はレオン、ニール、オルブリッチの三名。夜目も効く彼等に手引きしてもらい、寝静まったところを襲って仕留めるという算段だ。急ごしらえである感は否めないものの、今ホルアドの冒険者ギルドと自治する領主の採れる手段はこれぐらいしかなかった。

 

 何せうかうかしていたら反逆者であるエリヒド王がここ、目と鼻の先にあるホルアドに軍を差し向けてくるやもしれないし、そうなっては対処のしようがなくなってしまうのだ。だからこそ今こうして寝首を搔くことで終わらせるしかなかったのだ。

 

「見えたぞ! 王都までもう少しだ!」

 

 闇夜を進む目印としてリュックにランタンを取り付け、他の冒険者と同様に馬で先行していたオルブリッチが叫ぶ。技能の夜目のお陰で明かりは無くともその先が見えるためだ。

 

「おい待て! 誰かいるぞ!」

 

 すぐに馬車に乗り込んでいた面子はいつでも出れるように準備をするも、今度は他の先行していた冒険者が人影を見つけて叫ぶ。城壁の外にいた三人を見てすぐに現地協力者が手引きでもしてくれたかと考えるが、だがギルド本部とホルアド支部との間で連絡をしたということすら支部長からは聞いていない。

 

「同士だといいがな……」

 

「聞けば分かる! 全員攻撃準備を! 生け捕りにするぞ!!」

 

 例の三人の男女は城壁の外でただたむろしてたり歩いている様子ではない――こちらをじっと見ているのだ。それもひどく冷静に見つめ、出方を伺っている様子さえある。

 

 とあれば反逆者の中で夜目が効く面子がいたのだろうと誰もが察し、また反逆者がいかに強大であろうとも総勢三十二名の冒険者を前に無事には済まない。そして生け捕りにして人質に出来たのなら他の反逆者を倒すための一助になるやもしれない。そう考えていた。

 

「フリードさんに見てもらった通りだったな。師範、霧乃さん」

 

「そうだな、浩介君……今更師範面など出来ようはずもないがな」

 

「懺悔は後にしましょう、お義父さん。今は彼らを止めるのが先です……ええ」

 

 何かを後悔するかのような面持ちの老人と女、そして少年。老人と女はどこか心ここに在らずといった様子ではあったがむしろ好都合だ。こちらのためにやってきたとしか思えない。

 

「かかれぇー!!」

 

「“炎槍”!」

 

「“水槌”!」

 

「“風灘”!」

 

 既に詠唱を終わらせていた面々が即座に魔法のトリガーを引き、雨あられと言わんばかりに降り注ぐ。先のことを色々と考えてはいたようだが、手を抜いていい相手ではないということがわかっていた辺り、やはり腕の立つ冒険者であったことは間違いないだろう。

 

「ふむ。この程度ならばわし達でどうにかなるな」

 

「浩介君は隠れてなさい」

 

「うーん、俺の土属性魔法でもなんとかなりそうですけど……じゃ、お願いします」

 

 彼らの短いやり取りの直後、必殺の意志と共に撃ち出された様々な属性の魔法は彼らに容赦なくぶつかり続け、様々な属性同士のぶつかり合いによって爆発や轟音が起こる。それは周囲の地面が抉れ、とてつもない土煙を上げるほどだった。

 

「ここまでダメージを受ければ無事では済むまい。俺達が行く」

 

 そう告げると共にレオン、ニール、オルブリッチの三人は既に虫の息であろう反逆者の元へと足音を立てずに向かっていく。腰に下げた鞘から抜いたショートソードを構え、哀れな奴らに降伏を迫ろうとして――その腕を掴まれた。

 

「なっ!?」

 

「あの程度でわし達を倒せると思うてか」

 

 ……彼らはなまじ優秀であったが故に気付けなかった。

 

「あ、あれだけの魔法の直撃を受けて生きているはずが――」

 

「残念ですがあの程度では私達の体にかすりもしませんよ」

 

 無数の中級魔法を容赦なく撃ちこめば()()は死ぬ。つまり――。

 

「悪いな。幸利達の話じゃ奈々の上級魔法でさえも届かなかったらしいからよ」

 

「そんな……そんなバカな話が!!」

 

 ――普通ではない相手ではどういった結果を招くということか、わかっていなかったのだ。

 

 迫りくる全ての魔法を分解能力を宿した翼を展開することで直撃を避け、そして各属性の魔法がぶつかり合うことで発生した爆風などもそのまま受けて耐えるような奴らに勝てるはずなどないということを。

 

「ば、化け物め!!」

 

「言ってろ。オルクス大迷宮を生きて抜けた人間ナメるなよ」

 

 そう少年が言い返すと同時に、三人はそれぞれ別れて決死隊を鎮圧していく。その様はまさに荒れ狂う風のようであり、あっという間に腕利きであったはずの冒険者達をす巻きにしてしまった。

 

「よし。これでとりあえず完了しましたね」

 

「うむ。よくぞ技術を磨き続けたな、浩介君」

 

「今の私達なんかに褒められても嬉しくは無いでしょうが、せめて一人の大人としてあなたの頑張りを評価させてください」

 

「そんなの……雫のためにこうして頑張ってる二人には及ばないですよ」

 

 互いに乾いた笑いを浮かべながら語る三人の間に何とも言えない空気が漂う。それを叩きのめされた冒険者達はただ困惑しながら見つめるしかなかったのだった。

 

「……全く。人使いの荒い奴め」

 

「悪い、フリードさん。でもフリードさんとウラノスのおかげで助かったよ」

 

 一方、ホルアド近郊の上空にて。そこに一つの巨大な影と二つの小さな影が並走して空を飛んでいる。

 

“フリード殿、こうして助力していただき感謝する”

 

“ありがとうございます。私達だけでは少し時間がかかってしまいそうでしたから”

 

“浩介がいないところで精々一分二分増えるだけでしかないだろう。事情は理解できるが、次からはそちらだけでやってくれ”

 

 魔人族フリード・バグアーと彼の駆るウラノス、そしてその背にフリードと共に乗る浩介と空を飛ぶ鷲三と霧乃であった。この四人と一匹はホルアドを目指して空を駆け抜けていた。

 

 浩介だけは“夜目”のおかげでどんなに暗くても問題ないが、フリードらは流石に少し厳しかったため、先の技能を付与した眼鏡をかけることでこの暗い夜中でも問題なく突き進めていた。もちろんウラノスも特注のゴーグルをかけており、かけた時はちょっとパニックを起こした。

 

 そんな彼らがホルアドを目指す理由はそこの冒険者ギルドと領主の館の占拠だ。そうすることでこれ以上の戦力の派遣を防ごうとしたのである。

 

「そろそろ降下地点に移るぞ……私は帰って寝るからな」

 

「あぁ。ありがとうフリードさん。それとウラノスも」

 

「グルゥ♥」

 

 目を細めながらいかにも不機嫌そうに言うフリードに浩介は感謝の言葉を投げかけながら、乗っけてもらっているウラノスの背中を優しくなでる。ウラノスが気持ちよさそうに鳴くと一層フリードのしかめっ面がしわだらけになるものの、浩介は気にするでもなく地上を見下ろした。

 

「――よし。じゃあ行ってきます」

 

「精々無事で帰れ。恵里の奴の“縛魂”のせいでお前が欠けると悲しむやもしれん。約束ぐらいちゃんと果たせ」

 

「グルァ!」

 

「あぁ。じゃ、行ってきまーす!!」

 

 そう言いながら浩介はウラノスの背から身を乗り出し、そのまま自由落下に身を任せ――ることなく、“空力”で足場を作って更に加速していく。風切り音を奏でながら地上へと突っ走る彼に並走するように鷲三と霧乃も翼をはためかせて地上へと向かっている。

 

「では私達は領主の館へ」

 

「浩介君はギルドを頼む」

 

「了解です。じゃあ、すぐに終わらせてきますから」

 

 そう言いながら浩介らの分身の一つは目的地へとそれぞれ向かっていく――一時間後、ホルアドの冒険者ギルド支部と領主の館は無事に反逆者と蔑まれた者達の支配下に置かれたのであった。

 

 

 

 

 

「よくぞ決心なされたゼンゲン公! では教会も惜しみない協力を確約しましょう!」

 

「あぁ。アンカジ公国は総力を挙げて神敵を滅ぼすことを誓おう。よろしく頼む、フォルビン司教」

 

 アンカジ公国の領主ランズィ・フォウワード・ゼンゲンは目の前のフォルビン司教に力強くうなすき返す。

 

 ――昨日、いきなり自分達の前に戦女神が現れて()()を説いた時、ランズィは迷うことなくその話にうなずき、理解を示した。それは敬虔なる信徒として信じたという訳でなく、かといって女神の如き存在に()()されたからという訳でもない。恐れたからだ。このアンカジを守る“真意の裁断”という飛来する砂だけでなくあらゆる脅威を感知するアーティファクトより()()が入ったと知った途端、現れた目の前の強大な存在に。

 

『あなた方を慈しむ尊ぶべき存在の願いを、信を裏切ってはなりません』

 

『無論っ! 我らアンカジの民はエヒト様の教えに従う者! 総力を以て万難を排しましょう! エヒト様ばんざぁーーーい!!』

 

 あの時はただ盲信するかのように従うしかなかった。今もランズィはそう確信している。下手にあの場で反抗しようものなら何をするかわからなかったからだ。何せ目の前の相手は美しい顔立ちながらも人形のような冷たさをその表情から感じ取れたから。まるで何かの傀儡の如き存在だと感じ取ったからだ。

 

「しかし、いかに悪逆非道の存在といえど宣戦布告も無しに攻撃を行うというのはいささか問題がありましょう。一度使者を送り、降伏勧告ぐらいは行うべきでしょう」

 

 それ故あの場は従うしかなかった。そしていつあの存在が現れるかもわからないため、それを警戒して息子のビィズや他の家臣共々狂信者のフリをしているのである。

 

「ぬぅ……だが、素直に応じますかな? 何せ国と教会の上層部が揃って背信行為に走ったのですぞ。使者を切り捨てに走ってもおかしくはありますまい」

 

「ええ。ですがそのまま攻めてはハイリヒ王国に住まう無辜の民を犠牲にしかねませぬ。彼等もまた大事な信徒なのだ。その者たちを見殺しにしてはなりますまい?」

 

 だが、それでもこのまま動くわけにはいかないと色々画策はしていた。すぐに戦争に移るのではなく使者を送ると提案したのもその一つである。そうする事でハイリヒ王国で何が起きているかを探ろうと考えたのである。

 

「ぬぬ……ならばこちらも王国に送る使者のためにも護衛をつけさせてもらいましょう。使者に万が一のことがあってはなりませぬからな」

 

 とはいえ相手も素直に引き下がるということもなく。護衛がつく以上はかなりやり辛くなるだろうと考えつつ、ランズィは更に考えを巡らせる。

 

(そうなると放つのはかなりの手練れにせねばな。ランクが“黒”の暗殺者か斥候を呼ぶ必要があろう)

 

「ご配慮に感謝いたします、フォルビン司教。では使者はビィズを。私の名代として遣わせることにしましょう」

 

 そしてランズィは大胆に札を切った。領主の息子であるビィズならば名代としての格も問題ない。その上、そちらに注目が行く。その分秘密裏に事を運ぶのも容易となる。いいことずくめであった。

 

「な、なんと!? し、しかしビィズ殿はゼンゲン公の大切なご子息。もしものことがあったならば……」

 

「最悪の事態が起きる? おやおや、フォルビン司教。こちらも相応の人間を供に向かわせるつもりだが、よもやまさかの事態が起きるとでも? 教会はその程度のものしか派遣せぬと仰るつもりか?」

 

 念のため横にいるビィズを一瞥すればそれにうなずいて返す。息子の方も覚悟の程は問題ないため、後はそれを通すだけ。ランズィは更に畳み掛けていく。

 

「だ、大臣、いや相応の格を持つ者を向かわせるのはどうなのだ? 別に名代がビィズ殿ではなくとも……」

 

「それでも良かろう。だがアンカジ公国の意を示す者としてビィズ以上の者はいるまい? ヘルシャーのところにもあの戦女神が降臨されたというなら、あちらも相応の格を持つ者を出してくるやもしれぬ。トレイシー皇女やバイアス皇子などをな? その時に恥をかいてしまうのは避けたいのだ」

 

 そう言ってしまえばフォルビンもこの要求を吞まざるを得ない。しばし百面相を浮かべた後、観念した様子でフォルビンはこちらを向いてきた。

 

「……わかりました。ならばこちらも生え抜きをお供につけましょう。それでよろしいかな?」

 

「うむ。よろしく頼む、フォルビン司教」

 

「では司教様、よろしくお願いいたします」

 

 かくして砂漠の国の中で行われた話し合いは幕を閉じる。議場を後にしたフォルビンは廊下を歩く中ひとり思案していた。

 

(ここで反逆者を滅ぼし、魔人族の手先どもを捕えれば私が中央に返り咲く、いや教皇の椅子に座ることも夢ではない)

 

 この男の考えていたのはこの聖戦の後、自分の地位がどこまで上がるかの皮算用であった。近々来るであろうヘルシャー帝国からの同盟の打診。ここで王国と教会の上層部を一掃し、ヘルシャー以上の成果を挙げれば出世も望みのままだとくつくつと心の中で暗い笑みを浮かべる。

 

(しかしヘルシャーは傭兵の国。しかもガハルド皇帝もまた腕が立つと聞く……ならば、先んずるべきか)

 

 しかしフォルビンはヘルシャー帝国をあまり過小評価していなかった。ここで仮に同盟を結び、共同戦線を張った場合、どちらがより戦果を挙げるか。それがわからぬほど愚かではなかった。であるが故に考える。

 

(降伏勧告の際に卑劣な反逆者どもが我等を()()()()()()。そういう筋書きにすればよい)

 

 そこで神殿騎士が命を賭してビィズを守り、また反逆者と魔人族の手先を殲滅する。その結果、ハイリヒ王国は裏切り者どもから解放され、自分は教皇の座をいただく。

 

 完璧な計画だ、と自画自賛しながらそのために誰を()()として選ぶかを考える。国と教会、二つの思惑がこの砂漠の国に入り混じり、更なる混沌を呼び込もうとしていた。

 

「バイアスのお供は決め終わったか、ベスタ」

 

「既に。優秀な文官と腕利きの者たちをピックアップしました」

 

 一方、ヘルシャー帝国の方でも使者を送る算段を立てていた。だがこちらは既に送る使者は決まっており、皇太子であるバイアスはアンカジ公国に、そしてハイリヒ王国にはトレイシーが送られる手はずとなっている。

 

 バイアスの気質ではハイリヒ王国に送ろうものならいきなり開戦の狼煙を上げかねないのと今後の拍付けのためである。血の気の多い性分を上手く抑えて国のかじ取りをしてもらうためにもこの経験は必要だとガハルドは考えていた。尤も、血の気の多さはトレイシーも大概であるが、バイアスよりはかろうじてマシだと判断したが故である。

 

「ふむ……悪くねぇな。日程は?」

 

「どちらも準備に取り掛かっております。明後日には完了するかと」

 

「それでいい。んで、()()の方はどうなってる?」

 

 バイアスまたはトレイシーと共に送られる人員のリストに一通り目を通し、ガハルドは使いを送るための準備が滞りなく行われているか、そして準備――聖戦のための部隊の編制や武具の調達はどうなっているかを部下のベスタに尋ねた。するとベスタも口角をほんのわずかに上げ、それによどみなく答えていく。

 

「ハルツィナ樹海にて()()をさせていた部隊は近日再編します。また、北方で魔物討伐に向かわせていた部隊の一部も組み込む予定です」

 

「守りはちと手薄になるが、仕方がねぇな……調略の方はどうだ?」

 

「既に各家へ通達を行うべく出立しております。よい返事が期待できるかと」

 

 ベスタの返事に気をよくしたガハルドは笑みを深くしてうなずいた。アンカジ公国との同盟の締結、ハイリヒ王国への宣戦布告、聖戦の準備と並行してあることもやっていた。それはハイリヒ王国に仕えていた貴族の調略であった。

 

 先の緊急会議にて、フィリオ支部長から『ハイリヒ王国の支配下にある各地は現在混乱の只中にある』という情報を受けたガハルドはおそらく他の場所もこちらと同様にあの戦女神が訪れたのではないかと考えたのである。そこで改めてフィリオ支部長に各地の冒険者ギルドを通じて情報を収集した結果、やはり件の女が現れたという報告が上がったのである。そこでガハルドは一計を講じた……ハイリヒ王国に仕える貴族もこちら側に引きずり込めないかということだ。

 

「ならいい。奴らとて裏切者に仕える程酔狂じゃねぇだろうからな」

 

 この混乱の只中、もし仮に手を差し伸べる勢力がいるのならば鞍替えをするのではないかと考えたのがきっかけだ。正直な話、理由が理由とはいえここで鞍替えするような奴らにはさしたる興味は持たない。せいぜいこちらに仕える有力貴族と婚姻を結ばせ、少しずつ取り込んでいこうと考えているぐらいで、後はこの聖戦で邪魔しないでくれればそれでいいといった程度である。

 

 こちらのために戦ってくれるというのなら利用価値はまだ見いだせるが、それでも上が腐敗する前に膿を出すことも出来なかった奴らでしかない。ガハルドにとってはその程度の相手でしかなかった。

 

「武具の方の調達は少々遅れておりますが……」

 

「構わねぇよ。そもそも急な戦だ。ある程度の数を用意出来たらそれでいい。それと錬成師と鍛冶師にくれてやる金も予算の範囲内で弾んでやれ。あー、特にクイルには奮発しろ。奴隷も何人かくれてやれ」

 

 人員の手配は進んでいる一方、戦争に向けての武具の調達は流石に芳しいものではなかった。あまりに急に決まった話だ。対魔人族のための部隊に武具を最優先で支給しているが、その一部に加えて相応の数を今回の戦のために新造した部隊に回そうと考えている。

 

 そうなれば当然製造を担当している天職が錬成師や鍛冶師の者達にしわ寄せがくるため、彼らが手を抜いた仕事をしないよう給金を、また筆頭鍛冶師であるクイルにもその分労うべきだとガハルドは指示を出した。

 

「承致しました。ではそのように手配いたします」

 

「あぁ。頼むぞ」

 

 かくしてヘルシャーの方でも話し合いは終わる――彼等の浮かべた強欲に満ちた笑みを見たものは、誰もいない。

 

 

 

 

 

「……本当、ですか。お父様、お母様」

 

 恵里達がハイリヒ王国の混成部隊を撃破し、そして城下町や王宮で混乱が起きた日の翌日。恵里達に私室へと運び込まれたエリヒド王とルルアリア王妃はあることを実の子であるリリアーナとランデルへと伝えた。

 

「そうだ……お前達は、中村様がたの人質となれ……これは、王命だ」

 

「彼らの協力を得るためにも必要なことです……受け入れて、もらえますね?」

 

 蘇生そのものには成功したものの、体を起こすほど体力が残っていないエリヒドはベッドの上で横になりながら、ルルアリアも体を起こしながらではあったもののエリヒドと同様ベッドの上で二人にそう述べたのだ。

 

 昨日反逆者と認定していた中村恵里ら以下十八名による襲撃によって三千もの人員を配備した混成軍は完膚なきまでに敗北を喫した。それだけではない。その後起こった混乱の中で自分達やリリアーナ、そして他数名の大臣の命を繋ぎとめたのだ。そんな相手に逆らえるほど二人は酔狂ではない。

 

 しかし先の混乱のせいで混成軍はともかく王宮の中にいた兵士や使用人は少なくない人数が命を失い、またギルドマスターであるバルスから寄せられた報告によればハイリヒ王国各地で混乱が起きているということだ。それを各地のギルドにある通信装置から直に報告を聞いたため間違いない。

 

 つまり今のハイリヒ王国は砂上の楼閣もいいところでしかないのだ。そのため差し出せる中で最も価値があるものは自分達王族の血しかなかったのである。

 

「そ、そんな……余、余はまだ――」

 

「口答え……するで、ない」

 

「ええ、そうです。これも全てはこの国のためのこと……わかりますね?」

 

 まだ父と母と離れたくないとぐずるランデルに二人は口答えを許さなかった。たとえ身内であったとしてもこの命に反することは許すまいと見てくる両親にランデルは思わずたじろぎ、体を震わせる。だがその時、リリアーナはランデルの両肩に手を置き、そしてその命を出した二人に向かって浅く、しかし力強くうなずいた。

 

「……はい。その命、承りました」

 

「あ、姉上!」

 

「ランデル!……これは、王の命令なのですよ」

 

 ――これが自分達を思っての判断である、と気づいたからだ。

 

 直接見たのではなく恵里達から聞いた話ではあったが、たったの十八人で三千もの軍勢を倒すのでなく『無力化』をしてのけたのである。これだけで彼らの実力が自分達とは隔絶したものであるということがよくわかる。

 

 また彼らが運用していた車輪のついた長方形の箱型、もしくは馬の上半身の形をしたようなアーティファクト。当人らは『車』もしくは『バイク』と呼んでいたようだが、それらの速度も尋常ではない。それらを適切に運用していたのなら一方的になぶり殺すことすら可能であったはずだとリリアーナは考えている。

 

 それはつまり、彼らのそばがこの世界で一番安全だということに他ならないということ。たとえ魔人族が攻めてこようとも彼等なら自分達を守れる確率が最も高いのではないかと父と母は判断したのだと。それがわかったからリリアーナは従う。両親の思いを無碍にしてはならない、と。

 

「……陛下、王妃様。その命を受けるにあたり、どうかお情けをいただきたく存じます」

 

「……申せ」

 

「最後に……最後に、私とランデルを抱きしめてください。お父様、お母様」

 

 だが、リリアーナとてまだ齢十四の年端も行かぬ少女であった。父と母のつながりが消えてしまうかもしれないと恐れぬはずもない。ましてや一度目の前で死んだのだ。二人と離れることに恐怖を覚えるのも無理は無かった。

 

「……ならぬ。ならぬぞ、リリィ」

 

「なり、ません……っ! ここで、あなた達を抱きしめてしまったら……!」

 

 そしてそれは父と母も同じであった。ここで抱きしめてしまえば行くなと言ってしまう。ここで温もりを感じてしまえばもう放したくなくなる。だからこそ苦しみに満ちた声を絞り出すようにして拒絶するしかない。わが子を守るためにも親子の情が邪魔になるのならば捨てねばならない。その葛藤が、二人には届いた。

 

「……わかり、ました。では、陛下。王妃様。どうかお元気で」

 

「父上、母上……余は、余は必ず戻って参ります! ですからどうか、どうかお体にお気をつけて!」

 

 涙が流れてしまいそうになるのを互いにこらえながらリリアーナとランデルは()王妃()に別れを告げる。この選択が正しいものであるように。ただそう祈りながら。

 

「却下。いらない」

 

「いりません。お引き取りください」

 

 ……なお、謁見の間に集まった元反逆者の彼等に提案した途端、とある二人から即座に却下されたが。

 

「えっ」

 

「あ、あの……恵里さん? きゃ、却下って……」

 

「余、いらない?」

 

 当然そんなことを言われたものだからエリヒド王に代わって玉座に座っているルルアリアはおろか、リリアーナもランデルも顔を引きつらせており、そう冷たく切り捨てた中村恵里と畑山愛子以外は自分達に同情するような視線を向けたり、当の二人に冷たい視線を送ったりしていたが、彼女らは一切考えを変える気がないのは表情から見て取れた。

 

「な、なあ恵里……いくら何でも話を聞いてすぐに却下するのは……」

 

「光輝君はちょっと黙っててくれない? 理由を今から話すから」

 

 そして先の提案をにべもなく切り捨てた一人である中村恵里はその理由を至極簡潔に語ってくれた。

 

「だってボク達と比べると弱いから戦いに出せないし」

 

「ぐはっ」

 

「ぁぅっ」

 

「それに王族って言っても今となっちゃ泥船の国のでしょ? エヒトのクソ野郎が国中引っ掻き回したんだし、もう国交とかズタズタに――」

 

「恵里、ストップ。これ以上は駄目」

 

「う、うぅ……おうじょなのに、わたしおうじょなのに……」

 

「おうじなのに……よはおうじなんだぞ……」

 

 微塵の容赦もない切り返しであった。要はお荷物だからいらないと何のためらいも無しにバッサリと切って捨てたのである。

 

 正直ここで南雲ハジメが止めにかかってくれなかったらリリアーナとランデルは泣いていただろう。というか今も正直泣きそうになってる。ルルアリアすら辛辣な返しに思わず涙があふれそうになっていた。

 

「言わせておけば……大介様とアレーティア様のご友人とはいえ、王女様と殿下への暴言は――」

 

「ごめん。様付けやめてくれ。マジ恥ずい」

 

「あ、あの! あの! わ、私そんな大それた人間じゃないので……」

 

「何をおっしゃいますか! お二人は神の御業を成し遂げたお方です! そのお二人に感謝と敬意を表すれど、ぞんざいに扱っては――」

 

 止めに入った重臣も檜山大介とアレーティアの方にかかりっきりになってしまう。その隙に畑山愛子が何故その提案を切り捨てたかの理由を語り出した。

 

「人質として預ける、と仰ってましたが先程中村さんが話した通り、この国の状況はお世辞にも良いとは言えないでしょう? 昨晩ギルドマスターがここに来て説明したというのを彼らから聞いています。王国の各領地は混乱していて、同盟を結んでいるヘルシャー帝国や傘下にあるアンカジ公国の方もその情報を収集していた、と」

 

 そう。ギルドマスターが王国内で起きた混乱の説明をした際、メルドの世話をしていた中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴以外の面々はそれを聞いていたのだ。愛子はメルドに迷惑をかけていた側であったため、朝食の席で又聞きではあったが耳にしていた。

 

「あ、あのさー……愛ちゃん先生? そ、そこら辺にしてくんねぇ? えっと、王女様困ってるし、メイドさんすっげーオロオロしてんだけど……」

 

「それは、その……」

 

「つまりこの国はいつ切り捨てられてもおかしくないような状況です。そんなところの王族をもらったところで、いつか彼らが国を立て直すから預かっててほしいとしか思えませんよ。厚かましいとは思わないんですか」

 

「あ、愛ちゃん先生そこら辺で! マジストップ!!」

 

「う、ううぅ……」

 

 ほぼ完璧に見抜かれてしまっていた。正直言い訳のしようもない。しかも彼女は前にも増して敵愾心が一層露わになっている。下手なことを言ったら彼女の機嫌を損ねて面倒なことになりかねないのだ。何せ昨日も捕虜にしていた元神の使徒のお付きの使用人を地面の下に落としたという報告が上がっている。下手に怒らせてしまったら何をするのか読めない。だからこそ彼女の機嫌を損ねてはならないと黙り込むしかなかったのである。

 

「……王妃様、少々進言をしたいのですが」

 

「……なんですか、メルド」

 

「では失礼します……愛子殿がお怒りになられるのも仕方ないかと。教会が主体だったとはいえ王国のやってしまったことを鑑みれば、むしろこの場で自分達を殺しにかかってきても文句は言えないでしょう。国が滅ぼされたところで仕方ありません。流石に自分と光輝達がすぐに止めにかかりますから御身に危険は及ばせませんが」

 

 しかも傍に侍っていたメルドにすらこんなことを言われた。わかってはいる。やってしまったことと今の現状を鑑みればこの国を滅ぼされても本当に文句は言えないのだ。そもそも敗戦国家なのだから勝者である彼等の要求を吞まねばならない立場であることを改めてルルアリアは痛感した。

 

「あの……王女様と王子様のことは一旦保留にしまして、ちょっとお願いしてもいいでしょうか」

 

「ナイスハジメ! マジ助かったわ! つー訳で中村も先生もちょい話止めて。な? な?」

 

 しかしここでおずおずと手を上げた少年である南雲ハジメに場の注目が集まる。先程から何度か自分達をフォローしようとしてくれていた中野信治も必死になって二人の話を遮ろうとしてたのもあり、二人には感謝しかない。そこでハジメが何かを言おうとした瞬間、すぐに恵里と愛子が口を挟んできた。

 

「ハジメくん、何要求する気? 下手なこと言ったら絶対ふっかけられるよ」

 

「南雲君は少し黙っててください。この人達は信用がならないので一度恐怖を与えてからでないと――」

 

 中村恵里はともかくとして畑山愛子が滅茶苦茶怖かった。教会が色々とやったことを目の前の彼等から聞いているし、この国が恨まれるのも理解している。正直過去の自分達を絞め殺したくなる程度にはルルアリア含む重臣らは自分達の選択を本気で後悔していた。ただそれはそれとして何をやりだしてくるかわからないので相対していた王国の人間は全員震えあがった。

 

「恵里、そこは大丈夫。それと先生すっごい物騒なこと言わないでください!」

 

「当たり前でしょう? 彼等のせいで永山君達は戦争に参加することになったんですよ。相応の報いを受けさせ――」

 

「ちゃんとやります! それ含めてなんで! どうか、どうかお願いします先生!!」

 

 そう言いながらすぐにハジメは愛子に土下座をした。流石にそこまでされてしまうと彼女も口を出しづらいようで、アッサリと言い澱んでしまう。それを見たルルアリアらはこの奇跡に感謝していた。

 

「……わかりました。なら、ちゃんとむしれるだけむしって下さい」

 

「ねぇハジメくん。この人気絶させて――」

 

「ダメだからね!?……その、善処します。はい」

 

「うん、流石にもう無理だ! 先生! いくらなんでもその行動は目に余ります!!」

 

「私はもう先生じゃありません! ですが大人として、こんなロクでもない大人から守るためには――」

 

 そして愛子をにらむ恵里をハジメが必死になだめ、今度は彼と親しい仲であった天乃河光輝らが愛子を抑える。それを見て軽く途方に暮れた様子のハジメにルルアリアは声をかける。頼むから手早く終わらせてほしい。そう願って。

 

「……どうぞ。南雲様。お話の続きを」

 

「あ、はい……その、僕がお願いしたいのはこの王国に拠点を置くことです」

 

 彼から出されたのはひどくシンプルなもの。この王国に活動拠点を置くことであった。一体何が飛び出すのかと思って身構えはしたものの、少し拍子抜けするようなお願いでしかない。とはいえここからむしり取ってくる可能性もあったので、それを考えながらルルアリアはある提案を出す。

 

「なるほど、拠点ですか。であれば皆様のために工房の作成をするよう早急に手配をしますが――」

 

「あ、それはいいです。ぶっちゃけここの王宮にあてがわれてた僕達の部屋を好きに使わせてもらえればいいので」

 

 恩を売ることも含めての提案はあっさりと却下され、さらにこじんまりとしたお願いを出されてしまうこととなる。とはいえこの王宮、しかも部屋を再度あてがう程度でいいのならむしろ文句もない。ひとまずルルアリアは話を促すことにした。

 

「よろしいのですか? 皆様がよろしければ空屋を手配することも出来ますが……」

 

「あまり長い期間ここに滞在する訳じゃないので。その間やりたい実験とかをしたいんです。それと――」

 

 そこで一度話を区切ると、南雲ハジメはメルドの方を見る。一体何だろうかと思って続きを待てば、彼はにこやかな笑顔を浮かべながらあることを申し出てきた。

 

「メルドさんのためにも色々とやっておきたいと思いまして。もどき、になると思うんですが――産業革命に興味ありません?」

 

 ……そう言いながら浮かべた彼の笑みを生涯忘れることは無いだろう。この場にいた王国の人間の誰もがそう思った。




新年に相応しいさわやかな話だったと思います(すっとぼけ)


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六十話 巨人が齎したもの

お久しぶりです。ようやく最新話を書き終えることが出来ました。では読者の皆様への感謝を伝えさせていただきます。

おかげさまでUAも152918、お気に入り件数も822件、しおりも377件、感想数も532件(2023/1/25 11:53現在)となりました。重ね重ね感謝いたします。こうして皆様に目を通していただけることが何よりの幸せです。

それとAitoyukiさん、サッカーミアさん、sigure4539さん、さてさん、拙作を評価及び再評価していただき本当にありがとうございます。毎度毎度似たような文体となってしまって恐縮ですが、こうして評価をいただけたことでまた筆を執る力をいただきました。本当にありがとうございます。

では今回の話を読むにあたっての注意点ですが、今回の話は長め(約14000字)となります。上記に注意して皆様本編をどうぞ。


「産業……」

 

「革命……? どういうことだ。説明しろ、ハジメ」

 

 聞きなれない単語の組み合わせに王国側の全ての人間に光輝達やら愛子ら、そして同席していた重吾達に鷲三と霧乃もそろって首をかしげ、それを見たハジメの笑みが一層深まるのを恵里は見逃さなかった。

 

 流石ハジメくん、と後ろ側で腕を組んでうんうんと首を細かく縦に振ると、すぐに鈴と香織が“念話”を飛ばしてきたのに恵里はちょっとだけイラッとしながらも相手をする。

 

“恵里、知ってるでしょ。いつハジメくんから聞いたの?”

 

“恵里ちゃんどういうこと? その話、私聞いてないよ”

 

“あーはいはい。今朝ハジメくんと色々話をしてた時に出たの。詳細はハジメくんの話を聞いてね”

 

 香織だけでなく光輝達にも伝えると同時に即座に“念話”を打ち切り、すぐにハジメの方に意識を移す。朝の支度をしながら話をしていた時に『ちょっと驚かせてみない?』とイタズラを思いついたようにハジメは言ってきたのだ。

 

 聞いた時は恵里も目を丸くし、一秒そこら口をパクパクとさせるしか出来なかったぐらい驚いていたのだ。そんなイタズラを思いついた張本人に声をかけてもらうのを今か今かと待ち望めば、すぐにそれは果たされる事となった。

 

「じゃあ恵里、鈴。ちょっとお手伝い頼めるかな?」

 

「うん。いいよ」

 

「え?……う、うん」

 

 ハジメに手伝いを頼まれて心底嬉しくなった恵里はにへら~とだらしない顔をしながらスキップをしていく。鈴もハジメと恵里がこのことを黙っていたことに関してむくれてはいたものの、それでも大好きな彼に頼られたことが嬉しくてちょっとうつむきながら彼の元へと向かう。

 

「ではその説明に移る前にちょっとした実験を披露させてもらいます。ちょっと床から拝借しますね。“錬成”、っと……じゃあ恵里は事前に説明した通り“心導”を、鈴は“魔力操作”を付与してほしいんだ。お願い」

 

「うん。いくよ――“心導”」

 

「わかったよ、ハジメくん――んっ」

 

 床に使われていた石材を二つ掴んで抜くと、その二つを“錬成”で握り拳程度の大きさの球体、それも二層構造のものへと圧縮して加工していく。

 

 突拍子もないことをしたのとハジメの“錬成”のすごさに謁見の間にいる王族や重臣がざわつくのを見て、恵里は心の中で彼の凄さを誇り、鈴もいきなりとんでもないことをやった彼に呆れてはしまうもののこうして彼が一目置かれたことにまんざらでもない顔をする。そしてハジメに頼まれた通りに二人は魔法と技能を発動。彼の生成魔法を使ってそれを一層に一つずつ付与していく。

 

「あ、あの南雲様。今のは……」

 

「すいません王妃様。その質問に関しては後で答えさせてもらいます」

 

 付与そのものはほんの一瞬で終わり、一体何をしたのかと問いかけるルルアリアからの質問をいなすとハジメはその石の塊に魔力を送り込み、今朝から計画していたあるイタズラを実行する。

 

“聞こえますか? 今、僕は貴方達の魂へと直接語り掛けています”

 

「えっ!?」

 

「なぁっ!? げ、幻聴か!?」

 

「ど、どど、どういうことですか!? せ、説明してください!!」

 

 一瞬でこの場にいたほとんどの人間が慌てふためく様子を見れば大成功以外の何物でもない。したり顔を浮かべながら彼等を一瞥すると恵里はハジメの方を向いて右手を挙げる。

 

「ハジメくん、いぇーい!」

 

「いぇーい!!」

 

「二人とも……」

 

 恵里はハジメと一緒にハイタッチして喜び合っていると鈴がじっとりとした目でこちらを見つめてきたため、ハジメはそれに気圧されてしまい、ノリの悪い鈴に半目で恵里は迫っていく。

 

「鈴、ノリが悪いよ。イタズラ上手くいったんだからハイタッチしようよ」

 

「そういうのじゃ流石にやる気にはなれないから……ハジメくん、ちゃんと恵里止めてよ」

 

「いやー、これぐらいだったらいいかなー、って……」

 

 そうして恵里と鈴がうーっと軽くうなり声を上げ、ハジメがタジタジになっていると今度は光輝が深く、ふかーくため息を吐きながらこちらに声をかけて来た。

 

「あのな二人とも……こういうのは事前に言っておくものだろう!! 魂魄魔法を知らない人達が思いっきりパニック起こしてるじゃないか!!」

 

 驚いていないのは昨日魂魄魔法を取得したいつものメンバーだけ。大介達は彼等の鼻を明かせたことが嬉しいのか『やるじゃん先生』だの『なんだよなんだよ。そんな面白そうなの俺も混ぜろよー』と冗談めかして言ってきてるが、大体は呆れた様子でこちらを見ている。メルドは恨めし気な視線を送ってきているし、アレーティアなんかどうすればいいのかとうろたえにうろたえてる始末だ。

 

「えー、ダメー?」

 

「ダメだったかなぁ?」

 

「ダメに決まってるよ!!」

 

「こういうところでそんなイタズラをするな!! 恵里もハジメも!! あぁもう、“鎮魂”!!」

 

 叱り飛ばしてきた光輝がすぐに魂魄魔法の“鎮魂”を発動したことで場は静まり返るが、場を鎮めた当人は心底疲れた様子でまたため息を吐いていた。彼の様子を見てそんなにダメだっただろうかと二人で“念話”で話し合っていると、今度は幸利が光輝の肩に手を置いて自分の意見を述べてくれた。

 

「光輝、お疲れ。でも俺はさっき二人がやったのはアリだと思ったぜ」

 

「……幸利ぃ~」

 

「悪い悪い。物事にはツカみ、ってもんが必要だろ? これで嫌でも三人に意識を向けざるを得なくなったんだ。それだけは恵里とハジメの手柄だぜ」

 

「……今度はちゃんと話し合おうね」

 

 いきなり裏切った幸利に恨めしい視線を送るも、彼の言い分も納得できるものであり事実そうなっていることに光輝も言い返せない。諦めてまた一つため息を吐けばもう何も言わなくなり、鈴もジト目を向けながらも追求するのはやめにした。

 

「はい、反省してます……」

 

「ちぇー……ま、いいや。とっとと種明かししよっかハジメくん、鈴」

 

 あまり反省してない様子の恵里はともかくとして、軽くうなだれた様子のハジメを見て反省したと考えた鈴も今起きた事の説明に移ろうと考える。すると今度はひどく驚いた様子の玉井と重吾が声をかけてきた。

 

「な、南雲、い、今のは何なんだよ!? いきなりお前の声が頭? に響いたし、あんなの俺も知らなかったぞ!!」

 

「今のは流石に驚いたぞ!……説明はしてくれるんだろうな?」

 

「うん。それを今から説明するね。玉井君、永山君」

 

「はいはい。野次馬は大人しくしててね」

 

 そうハジメが声をかけてなだめ、恵里がシッシッと手で払ったことで、ハジメへ向ける視線を一段と強めながらも二人は黙って引き下がった。ようやく場が整ったと三人は早速説明に入る。

 

「えー、こほん……今ハジメくんがしたのは床の石材をひとまとめにしてアーティファクト化。その後ここにいる全員の魂に声を届けただけだよ」

 

「鈴……こほん。私が“魔力操作”の技能を付与したので魔力を持つ方なら誰でも扱えるようになっています」

 

 その言葉に再度場は騒然とする。無理もない。引っこ抜いた床材がいきなりアーティファクトに化けたのだ。これで驚くなと言う方が無茶と言うものだ。

 

 使われていたものは上質な石ではあったものの、金を積めば調達自体は可能な代物だ。それが国宝になり得る代物に今この場で化けたというのは最早異常としか言えない。とんでもないことを成した三人の子供達に王族や重臣、重吾達はもちろんのこと、合流した際に簡潔とはいえ説明を受けた愛子、デビッドらも驚きを隠せなかったのである。鷲三と霧乃だけはまた妙なイタズラを、と呆れの色が少し強かったが。

 

「大まかな仕組みは恵里が説明した通りです。神代魔法の一つである魂魄魔法を同じく生成魔法によってこの球に付与しました」

 

「し、神代魔法だと!?」

 

「馬鹿な!? そ、そそ、そのようなペテンに騙されるとでも思ったか!!」

 

 しかし少なくない人間が目の前で起きたことを信じられず、大声を上げる。流石にまだちょっと厳しいかー、とハジメは思ってただけなものの、恵里は一気に機嫌が悪くなっていく。『よくもまぁハジメくんのことを詐欺師呼ばわりしてくれたな』とがなりたてる奴らに“縛魂”をかけようかと考えた時、メルドの一喝が場に轟いた。

 

「皆様静粛に!!……ハジメ、続けてくれ」

 

 “威圧”の乗っていたその大声によってすぐに場は静まり返り、更に騒いでいた相手に“威圧”を向けて黙らせる。乱暴ではあったもの見事なフォローによってハジメは話を再開した。

 

「あ、ありがとうございますメルドさん!!――いきなりこんなことをやられても信じられないというのは理解しています。ですので、どうぞ。実際に手に取って使ってみてください」

 

「……わかりました。であれば私が。メルド、その玉を置くために机か何かを――」

 

「あ、ちょっと待ってください。“錬成”」

 

 自分達をじっと見つめている王族らに例の石の球をそっと差し出せば、ルルアリアがまず自分が使ってみると話し、メルドに机か何かを持ってくるよう頼もうとする。しかしそこでハジメが“錬成”で石の机を作り出せば、またしても多くの人間が常人離れしたその技に驚くばかりであった。

 

「ではいきます」

 

“聞こえますか。私の声は届いてますでしょうか”

 

 そうして常人離れした力をなんてことないように見せる彼らにどこか畏れを抱きつつもルルアリアは例のアーティファクトに触れ、魔力を流し込んで起動させればさっきと同じ現象が起きて再度場を騒然とさせる。

 

 その後大臣らや重吾達も試してみてその凄さを理解すると、今度はまじまじと石球を見つめ出した。見た目が神々しさもデザインとしての美しさもないただの球なのだから当然といえば当然なのだが、本当にこんなものがこれほどの効果を発揮するのかとややいぶかしげに、そしてハジメ達へと畏怖を向ける。

 

“やっぱり皆見つめてるねぇ~。実際ただの石で出来た球だしねぇ”

 

“うん。だから信じてくれるはず”

 

 わざわざ床材を使ったのもこれが狙いであった。当初はオルクス大迷宮で採取した金属を使うことをハジメは考えていたのだが、そこで恵里が待ったをかけた。それだと素材に何か効果があるんじゃないかと疑うだろうからもっと身近なものを素材にしようと人差し指を立てて言ったのである。

 

“で、お前らがやろうとしてたのってこの程度のことじゃねぇだろ?”

 

“うん。幸利君の言う通りだよ。まだ何か悪だくみしてるんでしょ?”

 

 そこで興味津々とばかりにこちらを見てくる幸利と再度ジト目を向けてきた鈴に恵里とハジメは簡潔に答える。

 

“もちろん。この程度ただの前座だよ前座。ボクらが神代魔法、とてつもない力を振るえるってことをアピールするだけだからね”

 

“うん。鈴には悪いけど、今度は恵里の出番になるから。ごめんね”

 

 今度は一体何をやる気やらと余計に関心を煽るようなことを言う二人に幸利と鈴も呆れるしかなく、先程こっそり“念話”した内容を友人らにバラせば彼らもほとんどが呆れ半分、興味半分で恵里とハジメを見つめ、大介達四馬鹿のみめちゃくちゃワクワクした様子で二人を見ていた。

 

“鈴、ごめんね。後でいっぱいワガママ聞いてあげるから。それで許して?”

 

“……デート。二人っきりになれる日にどこでもいいからデートして。そうしたら考えてあげる”

 

“うん、約束するね。思いっきり楽しもう”

 

 ……なお、こっそり自分にだけハジメが繋いできた“念話”のメッセージを聞き、鈴はちょっとだけ機嫌を直していたりする。

 

「では皆様、僕達の力を理解していただいたでしょうか」

 

「まぁこの程度序の口なんだけどねぇ~。ハジメくん、やろっか」

 

 『序の口』という恵里の発言にこれ以上まだ何かあるのかと王族らは若干興味を惹かれながらも戦々恐々としていた。そんな彼らを前に今度は宝物庫から適当な金属塊と事前に準備していたあるものをハジメは取り出すと、すぐに“錬成”で大型犬を模したゴーレムを作成していく。

 

 操作するための方法も無く、()()動かすための意志が存在しないそれを造り出した後、今度は恵里がある魔法の詠唱に移った。

 

「今この世に生まれ出ずるものよ 汝が身に纏うは肉か否か 如何なるものであれ祝福を受けよ」

 

 これは朝にハジメから提案されたイタズラのためにわざわざ支度しながらもずっと考えていた秘儀。魂魄魔法という力を得て、更なるステージへと進むことが出来た恵里が作った魔法。与えられた知識の外にある魔法を今、彼女は命なき存在へと施す。

 

「これより生を知りて死を恐れよ その命に意味あらんことを “入魂”!」

 

 ハジメと一緒に過ごしたことでオタクとして染まった恵里が、魔法の成功率を上げるために捻り出した補助のための呪文を唱え切るとゴーレムに淡い光が灯る。それはほんの数秒程度でしかなかったものの、大きく息を吐いて額の汗をぬぐった恵里を見れば何らかの魔法が既にかかったということはわかる。

 

 一体何が、と多くが思ったその時、直立不動であったはずのゴーレムが()()()()()()()()()()()()のである。

 

「えっ」

 

「――よしっ! 上手くいった、かな?」

 

「ぶっつけ本番だったけど上手くいったよハジメくん……ふぅ。おいで」

 

 軽くガッツポーズをキメつつもやっぱりちょっと不安げにゴーレムを見るハジメとゴーレムを手招きする恵里。恵里の声と手招きを受けてヨタヨタとした足取りで恵里の許へと歩いてくるゴーレム――何かが起きたことは明白であった。

 

「さ、先程の転倒は……」

 

「め、命令を受けて動いた、ということだろう? いや、しかし、本当に……」

 

「……いや、まさか。しかし、大介様とアレーティア様のご友人なのだから……だがしかし」

 

 にわかに騒がしくなっていく謁見の間。少しずつ足取りが確かになっていく犬型のゴーレムを見て各々推測を述べていく様を見てハジメも恵里も笑みを深くしていく。中には真相にたどり着いているらしい人間もいるのだからなおのことであった。

 

「え、恵里……も、もしかして、魂吹き込んだの……?」

 

「もっちろぉ~ん! だって前世の頃から魂に関してはエキスパートだからねぇ~。ふっふ~ん」

 

 鈴の問いかけにそう答えれば、段々と足取りがしっかりしてきたこのゴーレムの制作者以外、この場にいた全員が目を見開いた。何せ二人がやったのは『魂の創造』などというとんでもない所業であったのだから。

 

「は……?…………はぁ!?」

 

 王国側の人間はもう混乱と言って差し支えないほどに困惑していた。

 

 大介とアレーティアの疑似的な死者蘇生でさえ崇め奉るに足る奇跡であるのに、この二人はそれに匹敵或いは神すら恐れぬ恐ろしい真似である。ベクトルはどうであれ、この二人が起こしたことを理解してしまったがために呆然とする他ない。何せメルドでさえもアゴが外れそうなまでに口を開いているのだから。

 

「ここ、まで……これが、神代魔法の力……」

 

「無理よ。こんなの、勝てるわけないわ……」

 

 愛子と辻のつぶやきに重吾達もデビッドらも何度も深くうなずくばかり。

 

「流砂作るだけじゃなくてこんなことまで出来るのかよ……」

 

「確かそれは生成魔法だと言ってたな、健太郎……それで今度はおそらく魂魄魔法とやらなんだろう? だから、か」

 

 重吾達はあの決戦の際に発生した流砂が愛子の技能、そして神代魔法というあらゆる魔法のルーツとなる存在の力によるものと今朝の朝食の席で聞いている。実際に味わい、改めて説明を聞いて凄さの一端を理解したつもりであったが、別のものだとこんな芸当まで出来るのかと思わず脱力しそうになっていた。

 

「……改めて、君達が味方で本当に良かったよ」

 

「あの戦いの流砂を作る魔法で十分驚いたつもりだったが、それを上回るとはな……」

 

 クリスとジェイドのボヤきにデビッドとチェイスも無言で首を縦に振るばかりであった。愛子と合流した際に使える二つの神代魔法についても軽く教えてもらい、また重吾達のグループもそれによって無力化するのも見た。今度は魂を造って偽りとはいえ生命も創造した。どういった意図かはわかりかねたとはいえ純粋にすごいと彼らは感じていた。

 

「……まさか、これを――」

 

“あ、先生ちょっと黙っててください!”

 

“こっちが話すからちょっと黙ってて!”

 

 そんな中、愛子だけは目の前の光景に驚きつつもある()()を思いつく。だが焦った様子の二人に“念話”で止められ、開きかけた口を閉じた。もし自分の想定した通りならば、ここで自分が言うよりも彼らが説明した方がより効果的だと判断したからである。

 

 すぐさま自分以外にも運用方法を思いついた人間を黙らせるべく振り向けば、デビッドもまた何かを思いついた様子であった。そこですぐに人差し指を唇に当てるジェスチャーをし、彼等にも口をつぐむよう目で訴えておく。

 

「え?……えぇっ!? う、嘘だろ恵里!? き、昨日の今日でそこまで行くか普通!?」

 

「いくらなんでもメチャクチャよ、エリ!! 前世ってものがあるからってここまでやれるものなの!?」

 

 そんな中、光輝達は別方向で驚愕していた。何せこの魔法を恵里が手に入れたのは昨日の午後なのだ。それをたった半日そこらで自分達の知識に無いことをしれっとやってのけたことに驚きを隠せなかったのである。

 

「いや、まさかこんなに早くゴーレム作成とかやれると――おい、まさか」

 

「あ、これどう考えてもへ――」

 

“しーっ!! 幸利君も鈴もしーっ!!!”

 

“言うのはボクらの出番だから!! 頼むから今言わないで!!”

 

 手にした神代魔法のネーミングからしてやれてもおかしくないとは思ったものの、だからってこんなに早くやれる奴がいるかと誰もが驚いたのだ……しかも徐々に何をやるつもりなのか気づいた面々も出てきており、必死になってハジメと恵里は黙らせにかかっていたり。

 

「ふむ……あれも出来るか」

 

「ええ。恵里さんならきっとやれるでしょう。お義父さん」

 

 なお鷲三と霧乃は口にこそ出してなかったものの、他にも恵里がやれることを思いついていた。とはいえここは二人に花を持たせるべく、また自分達が水を差すべきではないとやや卑屈になりながら恵里とハジメを見守ることにした。

 

「こほん……さて。皆様も驚いた様子ですがこれから僕と恵里がこれを作った理由についてお話します」

 

 そうして一度せき払いをしてこの場にいた王族と重臣ら全員に視線を向け、ハジメが声をかける。すると彼らも重大な話があると理解してすぐに意識をそちらに移し、一挙手一投足を見逃すまいと注視する。

 

「よし。じゃあまずはちょっとした芸から。お座り、お手」

 

 王族らの意識が向いたところですぐに恵里は驚いている最中に“心導”で仕込んだ芸の一つを披露させる。恵里の命令通り、犬のゴーレムは後ろ足を畳んで座り込み、また右手をチョンと彼女の左手に乗せる。おお、と軽く驚いたところで今度はハジメが説明を始めた。

 

「このようにこの子はとても賢くて、生まれたばかりでも芸の仕方を教えればやってくれます」

 

「はい。じゃあ立ってぐるーっとボク達の周りを回ってー……はい上手上手~」

 

 今度は口頭でゴーレムに周囲を走らせ、一周して恵里のところへ戻ってきたところで二人でゴーレムの頭をなでて褒める。その時、何かに気付いた様子のメルドが脂汗をダラダラと流し出した。

 

「お、おい……ハジメ、恵里。まさか――」

 

 そこから先、何かを言いかけたメルドに先んじて恵里とハジメは答えを述べる。

 

「こんなに賢い子ならどんな場所でも連れてけるよねぇ~……例えば戦場とかさぁ」

 

「ちなみに僕と行動を共にしていた鈴と香織さんは治癒師なんですけど“聖絶”が使えるんですよ――さっき披露したみたいに、それが付与されたアーティファクトもこの子が使えたら便利だと思いません?」

 

 ――悪魔が浮かべるようなおぞましい笑みを浮かべて。二人の言葉に王族だけでなく重吾らもしばし息が止まった。これは紛れもない革命だ。このゴーレムは何もかもを一変させるとんでもない存在であったと理解させられたのである。

 

「まぁ流石に戦場に出すものは数も用途も絞りたいんですけどね。あくまで()()()()という体で出してますし。採掘とかで出た土砂を運んだり、馬の代わりに使うとかそっちをメインに提案したいなと思ってたんで」

 

「まぁメルドさんが欲しいんだったら何匹かくれてあげてもいいよねハジメくん?――たとえばガトリングを備え付けた子とかさぁ」

 

 またそれ以外の用途もしれっと説明してくるハジメにルルアリアや重臣達、リリアーナでさえもすぐにこのゴーレムにどれだけの利用価値があるかをわからせられ、恵里の漏らした言葉に重吾らと愛子、メルドはその恐ろしさを瞬時に理解する。

 

「が、が、がと、ガトリング……」

 

「お、おい……た、確かお前達が使ってるメツェライは……」

 

「うん。レールガンだよ。強いよ」

 

 仁村とメルドが口を何度もパクパクとさせながら指さしてきたことにちょっとムッとしながらも、間抜けな様子を面白がった恵里は二人にしれっとそう返す。そして恵里の言葉を正しく理解できたメルドや光輝達は『どこと戦争をおっ始める気だ!?』と心底恐怖した。

 

「……その、天之河。レールガン、って何だ?」

 

「……要はものすごい銃だと思ってくれればいい。それをハジメは作れるし、連射して撃てるものだって作ってる。とりあえず三つ手元にある」

 

 とにかくニュアンスと彼らの反応からしてわからずともヤバいものだと理解していた重吾は、未だピンと来てない辻や吉野らに理解してもらうために光輝にどういうものかと問いかける。光輝が簡潔にそれに答えた途端、朝食の席でハジメが銃を使っていたと野村が話していたことを辻らは思い出し、それ以上のものを作れるとわかって顔を青くする。

 

 ホントにヤバい奴らを相手にしてしまっていたのだということに改めて気づき、生きててよかったとこうして自分達が死なずに済んだことを心の中で感謝した。

 

「……と、とにかく、そのゴーレムの有用性は理解出来ました。その、お二人はどうされるつもりで……?」

 

 緊張しすぎて顔色が青を通り越してもう白くなりかかっているルルアリアがビクビクと怯えながら問いかければ、ハジメと恵里は思案する素振りを見せつつそれに回答していく。

 

「とりあえず荷物の簡単な運搬に使っていただけたらな、って思ってます。オルクス大迷宮の採掘もこの子につるはしや明かりを持たせたり、土砂を運ぶ役割を担ってもらえば鉱夫の人達もやれる仕事が増えるでしょうし」

 

「戦場に出すんだったらこの子に武装を載せたりとか、後は荷車や馬車を引かせるのも使えるよねぇ~。別に作れるのは大型犬の形だけじゃないし。馬でも熊でもなんでもいいもん」

 

 ハジメの方は実生活に根差した運用方法を、恵里の場合は戦場で使う際の具体的な案を出す。確かに運用目的に即した形状のものを作れるというのならそれに越したことは無い。いくら目の前の金属の犬が馬力が高くとも馬車を引いてもらうには流石に体が小さいし、やはり馬の形をしたものに引いてもらう方が兵士としても拒否反応が出辛いだろうと王国の上層部の皆は考えた。

 

「そういえば動力はどうなっているので? まさか魔力もなしに動いたりはしませんよね?」

 

「それに関しては魔物の魔石を使っています。それを加工して動力源にすることで動いてますよ」

 

 ゴーレムは体内に動力源となる核を持っているのが通常であり、その核は魔物の魔石を加工して作られている。かつて解放者の住処を物色した際、手に入れたオスカーのお掃除ゴーレムの設計書にもそう記されてあった。

 

 実はこの核は事前に作ったものであったりする。今朝の支度を終えた後、宝物庫に入れてあったそれを恵里に読み上げてもらいながら二尾狼の魔石を使って丁寧に作ったのだ。今のところ不具合は出ていないからとりあえずは成功といえるだろう。

 

「動力源まで調達が容易とは……」

 

「しかし、加工か。それに関して教えてはいただけないだろうか南雲殿」

 

「ごめんなさい。動力源に関しても、ゴーレムそのものの組み立てに関しても教えるのはちょっと……」

 

「ま、世界を一変させる代物だからね。貸し出すのはともかく作らせたくないってハジメくんは言ってたから。だから教えな~い」

 

 重臣からの質問にもハジメはすまなそうに答え、恵里もこの技術そのものはわずかたりとも明け渡せないと明言する。素材に関しては吐いて捨てるほどこちらにあるし、今のところ王国から提供してもらおうとまでは思っていないのだ。

 

「あ、それともう一つ――メルドさんに預けた奴を解体したりして研究しようとしたら、そいつらの頭があっぱらぱーになるような呪いでもかけとくから」

 

 ならばメルドが運用するこのゴーレムの姉妹機の引き取りを命じて解体すればと上層部が考えた途端、恵里が機先を制してきた。リバースエンジニアリング、ダメ絶対である。

 

「ええ。流石にそればかりは許せません。最悪魂魄魔法を用いて魂ごといじり倒します」

 

 しかもハジメまで追撃をかけてきて、メルドやルルアリア、リリアーナなど一部を除いた王国サイドの奴らが震え上がった。だったらこんなものを寄越さないでくれ、と言いかけた人間までいる始末である。

 

「……まぁ確かにこんなものがわらわらといたら戦いの概念が一気に変わるな。それに一層悲惨になる」

 

「うん。懸念はわかる。でもな、何がしたいんだよハジメぇ……」

 

「いやだって……ハイリヒ王国も結構厳しい状況でしょ? だからメルドさんのためにもちょっとだけお手伝い出来たらなー、って」

 

「絶対これちょっとの範疇じゃないよぉ……大事になりかねないよ、絶対ぃ……」

 

 深くため息を吐くメルドに頭を抱えてつぶやく光輝。今回の提案はメルドのことを思ってのものだとゲロるハジメであったが、すぐさま鈴にツッコまれてしまい、流石にやり過ぎたかとしょんぼりしてしまう。

 

「もう、鈴も光輝君もさっきからグチグチグチグチうるさいなぁ。別にいいじゃん。エヒトの奴との戦いの時に兵士だけでも頭数が欲しいってハジメくん……ぁ」

 

 そうして反発する鈴と光輝にちょっとイラッとした恵里はうっかり口を滑らせてしまい、場の空気が凍り付く。思った以上にヤバいことをやらせるつもりだったことにこの場にいたほとんど全員が気づき、トータス会議で既に結論を出してた三人と何人かを除いてまたパニックを起こしたのである。

 

「え、エヒト様に反逆を!?」

 

「ば、ばば、罰当たりではないか!! い、いくらなんでも無茶苦茶だ!!」

 

「いやいやいやいや!? 思ったより動機が最悪じゃないか!! なんてこと言い出すんだ!!」

 

「ま、待て!! お、俺達が生かされたのも、ま、まさかそういうことなのか!?」

 

「ふざけんなバーカバーカ!! 結局お前らも俺達を利用して――」

 

「――静粛に!!」

 

 重臣らや光輝、重吾達がわめき出し、恵里達を批判しようと一気にがなり立てようとしたその時、リリアーナの声が謁見の間に響いた。

 

「……了解しました。ならば来るべき時にはハイリヒ王国が総力を挙げて支援することをこのリリアーナ・S・B・ハイリヒの名において誓います」

 

 そして恵里達の前でひざまずき、頭を垂れてそれに従うことを誓ったのである。これにはさしもの恵里も光輝らも驚き、トータスの人間のほとんどに憎悪を抱く愛子さえも興味深そうに目を細めた。

 

「お、王女様!? な、何をおっしゃいますか!」

 

「御身は王族なのですよ! ならばうかつに約束を取り付けることの愚かさをご存じでは――」

 

「私達は彼らに負けた身です!……それに、昨日の惨劇を忘れたとは言わせませんよ。それを引き起こしたのがエヒト神の使いだと名乗った存在によるものであることも」

 

 彼女を諫めようと重臣らが声をかけるも、リリアーナの鋭い返しに一瞬で黙り込んでしまう。そう。ハイリヒ王国は恵里達に戦いを仕掛けて負けた国なのだ。本来ならば全権を掌握されてこの場で王族全ての血を根絶やしにされても仕方のない立場である。

 

 にもかかわらずこうして国の存続を許され、また国のために色々と考えを出してくれているのだ。はた迷惑に思いこそすれど、それを拒否することなど出来はしない。それ()わかっているからこそリリアーナは毅然とした態度で言い返したのだ。

 

「……失礼しました、皆様。ですが王国が尽力するということだけは確約いたします」

 

「……本当にいいのか、リリィ。君達が相手にしようとしているのは――」

 

「えぇ。私達が信奉する神です。ですが、既に私達は神に見放された身ですよ。勇者様」

 

 リリアーナが改めて自分達に協力を惜しまないことを約束し、そのことを光輝が思い直してほしいと声をかけようとするもルルアリアがエヒトと敵対することを明言する形で止める。そして臣下に向けてルルアリアは述べていく。

 

「少なくともハイリヒ王国の領土全域に神の使徒と名乗る何者かが跋扈し、このハイリヒ王国は風前の灯火となっています。もしかような存在がいたとするならばその者らを送り込めばおそらく魔人族も撃退出来たでしょう……それをせず、ましてや混乱を呼び込むようなことをしたということは、私達の信じる神というのはおぞましい存在であるということに他なりません」

 

 昨日の惨劇により死に瀕し、またトータス全土で起きた異変を知ったことで目が覚めたルルアリアが静かにそう告げれば、その場にいた多くが一遍に黙り込み、何も言い返さぬまましばし時間が過ぎる。

 

「南雲様、中村様、そして谷口様。このトータスに来訪されてからの我らの無礼、許してほしいなどとは申しません。しかし私達にまだ利用価値を見出していただけるのであれば、どうかお力添えを。吹けば崩れる藁の家になったこの国をお助けくださいませ」

 

 そうして玉座から立ち上がり、ルルアリアは頭を垂れた。その意味を誰もわからぬ訳がない。

 

 アレーティア以外のトータスの人間もそれに倣って頭を下げ、それを見た光輝達や重吾らはどうすればいいのかと考え込む。アレーティアと愛子、ハジメに鈴もまた思案する中、恵里だけが頭をかきながら本音を漏らした。

 

「……本当は恩を売って二度と頭を上げらんなくするつもりだったんだけどねぇ。ま、自発的に首輪をつけてくれるんならいっか」

 

「既に私達は服従以外の選択肢はありませんよ。リリアーナ、よくぞ言ってくれました」

 

 恵里の発言にハジメでさえも眉をひそめ、『そういうつもりだったんだ……』と言えば恵里も罪悪感でしょんぼりしてしまっていた。

 

 その一方、ルルアリアはそもそもどんな無茶振りにも応じるつもりであったと腹積もりを明かすと共にあの場でリリアーナが誓いを立てたことを褒めた。

 

「お母様……いえ、王妃様。ありがとうございます」

 

「エヒト討伐のためにも私達は力を尽くしましょう。それが出来ないというならば今ここで処断します。狼藉者と共に」

 

 感謝を告げるリリアーナには薄く微笑みを返し、従えぬ者はこの場で切り捨てるとメルドに視線を一度向けてからそう断言する。だが今度は誰も反論もすることなく覚悟を決めた様子で前を向いていた。ようやく彼らも目が覚めた様子である。

 

「ま、裏切らないんだったら何だっていいさ。ハジメくんにおねだりして洗脳用の道具を作ってもらう手間が省けたし」

 

「いや恵里の場合絶対何かの拍子に殺してたでしょ。降霊術みたいに魂魄魔法使って、いいなりにするとかしてさ」

 

「……ダメだよ?」

 

「ちぇー」

 

 なおその直後に恵里と鈴の口からとんでもない言葉が出てきて本気で歯向かう意思が砕け散った。逆らう以前の問題だった。どうなろうとも服従の未来しか見えないのならせめて自分の意志でやりたいと思うのも無理は無かった。

 

「やはりか。だがハジメ君、恵里さん。ゴーレムの貸出の際に約束を破った相手を洗脳するような道具、それこそ首輪や腕輪でも作って配備すればよかったのではないか?」

 

「えっ」

 

「そうですね。これなら誰が監督責任を預かっているか、そして相応の報復措置がすぐ近くに見えるというのは裏切りを防ぐ意味でも有用でしょう」

 

「お爺ちゃんもお母さんも何言ってるの!?」

 

 続く鷲三と霧乃の発言に心底肝が冷えた。もっとヤバい奴らがこんなすぐ近くにいるとは流石に思わなかったのである。具体案を出してきた二人に大慌てするハジメや雫、光輝らを見て絶対に逆らわないようにしようとハイリヒ王国の上層部の皆は考えた。

 

「貸し出し……であれば企業を立ち上げてはどうでしょう? 国御用達の企業ということで社会基盤を確立すれば少なくともこの王都の中では皆さんが軽んじられることは無くなりますよ」

 

「あ、いいね。それ。流石畑山先生。じゃあ“サウスクラウド商会”で」

 

「いやいやいや!? 何勝手に僕の名前使ってるの恵里!?」

 

「いいですね。であれば是非とも出資いたしましょう。皆様はそれぞれ行動して結構ですので、サウスクラウド商会の経理や事務などはリリアーナに任せます。よろしいですか?」

 

「えぇえぇえええぇ!?」

 

 そして愛子が恵里達の立場確立のために企業の立ち上げを申し出てきた。しかもそれに恵里とルルアリアが乗っかる形で名前を使われたハジメを含めた地球組ほぼ全員が大いに困惑し、あれよあれよという間に話が進んでいく。

 

「な、中野さん。その……私、頑張りますね!!」

 

「え?……あ、いや、おぅ……頼むわ」

 

 ……いつの間にか信治の近くへと来ていたリリアーナがふんすと奮起した様子を見せれば、どういう状況かわからなかったもののとりあえず美少女に頼られるのも悪くないと思ってちょっと視線をそらしながらそう返す。

 

「――はいっ!!」

 

「これからよろしくお願いいたします。中野様。どうか末永く姫様とお付き合いくださいませ」

 

「えぇっ!? い、いいの!?」

 

 満面の笑顔でそう返すリリアーナに思わず見とれ、しかもメイドのヘリーナが追い打ちをかけてきたせいで大いに焦るも、リリアーナも顔を赤らめながらこちらを見てきたためキュンとしてしまった。

 

「あー、そのー、お、お願いしましゅ……」

 

 女日照りを脱却したことに喜びながらも、どこか照れくさくてむずがゆい感じに襲われた信治はぶっきらぼうかつ嚙みながらそう返す。その様をリリアーナもヘリーナも笑顔で迎え、もちろん浩介は嫉妬をこじらせて無事に死んだ。

 

「あー、そういやさ。ハジメくんが作ったゴーレムはどうするの? ハジメくんのお願い通り鉱山とかにも――」

 

「あ、流石にこれを市井に流しては大事になりかねませんのでどうかメルドのところに配備するのと馬車馬代わり程度に抑えていただけませんか」

 

「あ、ハイ」

 

 なお、産業革命のオチはとてもしまらないものに落ち着いてしまった。竜頭蛇尾もいいところである。




とりあえず産業革命うんぬんに関してはあんまり肩透かしになってないといいなーと思いましたまる


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六十一話 足跡とこれからと(前編)

まずは読者の皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも154436、お気に入り件数も830件、しおりも381件、感想数も537件(2023/2/4 18:38現在)となりました。誠にありがとうございます。いやもうここまで伸びるの久々で感無量です……。

そしてAitoyukiさん、殺戮演技さん、拙作を評価及び再評価していただき、本当にありがとうございます。そのおかげでまたしても話を書き進めていく意欲が湧いてきました。感謝いたします。

今回の話を読むにあたっての注意点ですが、いつものごとく少し長め(13000字足らず)となります。それに注意していただければ幸いです。それでは本編をどうぞ。




「ひとまず私達がするべきことは皆様が経営するサウスクラウド商会の支援、それと来るべきエヒトとの戦いにおいて戦力を用意する。他には何かご要望はあるでしょうか」

 

「ええ。後はこの子達に着せられた汚名の撤回です。やれないとは言いませんよね?」

 

 話し合いもひと段落着き、ルルアリアがハイリヒ王国が恵里達に向けてすべきことの確認をすれば愛子が恵里達の汚名を晴らせと迫る。しかしそれを突きつけられたルルアリア含む王国サイドは渋い表情を浮かべるばかりだった。

 

「それもしたいところですが……何分この世界における聖教教会の存在とエヒト様への信仰は絶大です。教会の立て直しにも着手しようとは考えていますが、すぐに人を集めてお触れを出すにしてもというのも厳しいでしょう」

 

「いやそもそも無理でしょ」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔でそう伝えるとすぐさま恵里が反論をかぶせてくる。一体どういうことかと何人かが彼女に視線を向けてくるが、ハジメや光輝達、またルルアリアやリリアーナらはどうして恵里がそんなことを述べたのか心当たりがあった。

 

「浩介君達の話を聞いた感じだと王宮の方にも神の使徒、銀髪の甲冑の女が出たみたいだしね。城下町の方でも確認してるんだよソイツ……そうなるとさぁ、ソイツが王国各地に現れてあの混乱を引き起こしたと考えるのが自然じゃない?」

 

 その指摘にハジメや鈴達はうんうんとうなずき、重吾達は目を見開いた。また愛子やルルアリアも顔を伏せるしかなく、誰もそれに反論などしない。事実、こうでもしなければ一度にトータス全土の混乱を引き起こすことは不可能だろう。またその暴動で教会が襲撃されたらしいことも踏まえれば聖教教会そのものの力も下がってしまっているだろう。このままでは八方ふさがりもいいところであった。

 

「そこでちょっとお願いがあるんだけどさ……ステータスプレートの偽造って出来る? それかギルドの人間を抱き込むとかさ」

 

 そこで恵里は一計を案じる。おそらく効果は無いにしてもやらないよりはマシな策を。それを聞いて場がざわめくもその意図を察したハジメが恵里に尋ね返す。

 

「偽造ですか……ギルドマスターに聞くなり、実際にやってみないことにはわかりませんね」

 

「そう」

 

 偽造、という単語に軽く顔をしかめつつもそうしなければ恵里達がマトモに行動できないということはルルアリアも理解は示す。しかしそれが出来るかどうかは話が別だ。ならばせめてギルドの人間を抱き込むにはどうすればいいかと思案しつつもルルアリアはそこで恵里の言葉の真意に触れた。

 

「……皆様が他の街でも動けるよう便宜を図るとしても、今の王国の影響力はとても低いです。お望みの通りになるかはわかりません」

 

「……ハァー。そっか。まぁ職員抱き込んでボク達を素通ししてくれるようになれば一番だったんだけどさぁ。それが無理ならせめてステータスプレートの名前のところだけでもごまかせないかなー、って思ってたのに」

 

 ルルアリアのつぶやきに恵里がそう返せばざわめきの一部が止まる。そう。恵里が考えたのは他の街でも自由に動けるよう手を回せ、ということだった。

 

 現状恵里達が拠点として問題なく使えるのは今いるハイリヒ王国の王宮か城下町、もしくはオルクス大迷宮にある解放者の住処ぐらいだ。後は上空からもしくは地面を掘って街に侵入する他なく、実際にやるとしてもキャサリンとクリスタベルを抱き込めそうなブルックの街ぐらいしか今のところ候補は無い。

 

 そこで正規のアクセスで堂々と入るために何とかならないかと尋ねたのだ。

 

「見た目はどうするつもりだったんですか? 既に皆さんの人相書は出回っていますし、下手をしたら髪を染めたり瞳の色を変えたことすら記載されてるかもしれませんよ」

 

「こういう時のための神代魔法でしょ、畑山先生? たとえば――」

 

「魂魄魔法で私達を誤認させるような効果を発揮するアーティファクトをハジメくんから作ってもらえば大丈夫だと思います。そうでしょ、恵里?」

 

 もちろん愛子はそれだけでどうにかなるのかと尋ねれば、ちょっともったいぶって答えようとした恵里に代わって鈴が説明をする。

 

 ギルドの職員を介して街の出入りがフリーに出来れば一番楽だが、もしそれが無理な場合は偽造したステータスプレートを提示するしかない。その場合、見た目をどうごまかすかが問題となる。

 

 そこで鈴と恵里の頭に浮かんだのが魂魄魔法による見た目の偽装であった。見た目を変えずとも相手が誤認してくれればいいのだ。自分達をお尋ね者でなく、どこにでもいるような奴だと思って気にも留めないでくれればいい。それで全てが解決するのだ、と。

 

「いやそうだけどさぁ……人の説明とらないでくれる?」

 

「別に説明だけなら私でも出来たし。もったいぶる恵里が悪いでしょ」

 

 尤も、美味しいところを持っていかれた恵里は口をツンと尖らせていたが。対する鈴もこんな時までもったいぶる恵里に軽い呆れを見せている。一触即発になりかかった時、ため息を吐きながらハジメが二人の間に入ってどちらも抱きしめることでそれを止めた。

 

「二人とも……でもそれなら恵里に協力してもらえば大丈夫かな。魂魄魔法は魂に作用する魔法もありますし、おそらく可能だと思います。実際に色々と試行錯誤する必要がありますけれど」

 

 そこで二人を抱きしめつつハジメが詳しい説明に移る。すると先のゴーレム作成を見ていた面々もそれに納得し、ならばやれるかと考えたルルアリアがギルドマスターを介して方々のギルドに声をかけようと考えたその時であった。

 

「……なあ、先生。だったらステータスプレート提示した時に魂魄魔法使うなりアーティファクト使うなりして騙くらかせば良くね? 門番の魂に勘違いさせたりしてよ」

 

『あ』

 

 ……先程から挙がっていた問題は、一足先に魂魄魔法を習得していた大介が放った一言のせいでアッサリと解決してしまう。神代魔法超便利。恵里と残りの馬鹿三人は改めてそう思った。なお他の人間は神代魔法のヤバさに恐怖することになったが。

 

「……コホン。えーと、その、とりあえず皆さん。念のため先程恵里が頼み込んだ二つのことをしてほしいんですが、いいでしょうか?」

 

「か、構いませんわ。その程度でよろしければ……ただ、永山様がたの処遇をどうされるか。それはどうされますか?」

 

 とりあえず光輝はこれ以上変に話し合っていたらもっとヤバいネタが出てきそうな気がして急遽話を切り上げにかかるが、ルルアリアはここで重吾達の処遇についてもどうするかを尋ねてきた。そのことに光輝達は真剣な表情で重吾達を見やれば、彼らも覚悟を決めた表情で見つめ返してきた。

 

「……俺はどうなってもいい。リーダー、だからな。だから――」

 

「ま、待ってくれ!」

 

 声を震わせながらも自分を犠牲にすることで野村達だけは許してほしいと訴えかけてきたことには恵里も気づく。なら()()()重吾だけでも上手く利用しようかと思ったその時、野村が声を上げたのである。

 

「お、俺達も……何でもやる。何だってやる……だ、だから、その……」

 

 両隣にいた辻と吉野に手を握られながらそう述べる。彼らのグループに視線をやれば意を決した様子でこちらを見ていたため、じゃあ問題なさそうだと恵里が思案していると今度は愛子が彼らの前に立つ。

 

「待ってください中村さん……改めてお願いします。彼らの身柄、私の方で預からせていただけませんか?」

 

 そうして交渉を持ち掛けてきたため恵里は目を細める。愛子がそれを頼み込もうとしていたことは朝食の席で光輝達から聞いており、一応ハジメと鈴とも“念話”を使って話し合いを済ませていたがまだ彼女には話してはいない。そこで二人に一度視線を向けてから恵里は愛子の方に向き直った。

 

「ちゃぁーんと面倒見てくれるなら問題ないよ……でも、一つだけ。これだけはやってもらわないと困るのがあるんだけどなぁ~」

 

「内容によります。言ってください」

 

「エヒトとの戦いの際にちゃんと役に立ってくれること。それぐらいはやってほしいんだけどねぇ~」

 

 言葉遣いはともかくとして恵里の目は真剣であった。過去にエヒトの陣営につき、またこの世界に来て早々拉致された恵里にとってエヒトの脅威は嫌という程わかっているつもりである。記憶が確かならこの世界を捨てるはずだし、自分をなぶろうとしたことを考えれば何をやってくるかわからない。

 

 これはハジメと鈴との話し合いの時でも出した主張であり、また二人もそれを受け入れてくれた。無数にいる神の使徒との戦いが今後控えている可能性を思えば遊ばせておける戦力など一人もない。むしろ自分達でも苦戦するようなあの神の使徒相手にどれだけ戦える人間を増やせるか。そこが懸念となっていたからこそ恵里は愛子に問いかけたのである。

 

「……少し、時間をください。それと、彼らが強くなる手段も」

 

 その問いかけに愛子はうつむきながら答える。そう。あのデビッド達を容易に洗脳し、また鷲三と霧乃を羽虫を潰すかのように無力化した。あの存在の恐ろしさを愛子は忘れたことなどない。だからこそ濁す形で答えるしかなかった。今の重吾達では絶対に適わない相手であることを彼女も理解していたからだ。

 

「い、いや待ってくれよ。そ、そんなにエヒトの奴は強いのか……?」

 

「弱くなんてないよ。ボクの魂に鷲三さんと霧乃さんの体を改造して、しかも今の二人みたいな強さと力を持ってる奴を山のように従えてるんだ。そもそもボク達をこの世界に引きずり込んだ奴だよ? 何一つ安心できる要素なんてないね」

 

 玉井の疑問に忌々しげに答えれば彼らも相手がとんでもない存在であることを知って顔を青くする。何せ自分達を容易に負かした相手ですら楽観視できない相手であるというのだから。昨日力の差を思い知ったばかりの重吾達にとっては絶望する他なかった。

 

「……私とこの子達が神代魔法を手に入れればどうですか? それと、中村さん達のように強くなる方法はありますよね?」

 

 しかし愛子はそれに屈することなく淡々と恵里に問いかけてくる。瞳の奥から覗く憎悪が不退転の覚悟を訴えてきている。少なくとも目の前の女なら使えると見た恵里はすぐに“念話”でハジメ達と相談することにする。

 

“どうするの? バラす? 実際戦力は多いに越したことはないしさ”

 

“神代魔法の取得には賛成だけど、魔物肉を食べることは僕は反対かな。苦しんでまで手に入れるモノじゃないよ”

 

“まぁ恵里が補助してくれれば痛みも問題なくなるだろうが……使いこなせるかは別問題かもしれねぇ”

 

“俺は肉食わせるのだけはイヤだな。だって俺らが苦労して手に入れた力なんだぜ? そうそう簡単に明け渡せるかよ”

 

 恵里の提案にハジメは半分賛成を示し、他の皆もそれに乗っかっていく。誰もが神代魔法の取得に関して異は唱えないものの、やはり魔物の肉を食べさせることは理由こそ違えど抵抗感があるようだ。

 

“礼一の言い分はわかるぜ。あの激痛に耐えて手に入れたものだからな……あの頭がおかしくなるくらいの痛みにな。恵里、お前は永山達を魔法で気絶させたりする気はないんだろ?”

 

“当たり前だよ幸利君。ボクは食べてくれた方がいいとは思ってるけど、あの痛みを耐えずに力を手にするなんて横着は許さないから”

 

 礼一の主張に幸利も同意を示しつつ、恵里に麻酔代わりに“呆散”を使う気が無いことを確認すればやはりといった様子で目をつぶる。恵里は重吾達が神代魔法の取得と魔物肉を食べること両方に肯定的ではあるものの、その際生じるリスクを軽減させようと思える程、彼らに対して好感を持っている訳でもない。

 

“食べてる時の皆さんを見ていて結構辛そうだったのは私もわかるから、やめたほうがいいと思います”

 

“うん。アレーティアさんの言う通りだね。ともかく他の方法で永山君達の底上げを図ろう。恵里もそれでいい?”

 

“そうだね。とりあえず魔物の肉を食べるのはナシ、ってことで”

 

“ちぇー……まぁいいや。他に方法はあるかもしれないしね”

 

 こうして話し合いを切り上げた恵里達であったが、重吾達のグループや愛子にデビッドら、王族の面々などは心配そうにこちらを見つめており、またメルドだけは冷や冷やとした様子でこちらを見ている。どうやら思っていた以上に話に時間がかかっていたらしい。失敗した、と誰もが思う中、すぐにまたハジメが“念話”を使ってあることを提案してきた。

 

“ど、どうせだし、僕達がたどった経緯とかどういった力や魔法を使えるかとかを説明しない? 王国の人達も協力してもらうんだし、いいでしょ?”

 

“確かにやってもいいと思うけど……いいの、ハジメくん? あと皆も。別に、さっきのパフォーマンスでボク達がどれだけすごいかわかったと思うし。手の内を明かす必要なんてないよ?”

 

 それは自分達のこれまでの道のりやその過程で手にした力についてちゃんと説明することであった。その提案に鈴らは軽く考え込むものの、恵里だけはそれをもったいないと感じて別に披露しなくても問題ないと伝える。しかしハジメはそんな恵里の両肩を掴みながら説得をする。

 

“うん。どうせエヒトとの戦いの時にお世話になるんだし、明かしておこうよ。それに前に信治君がイタズラした時に生成魔法が無機物にも効果があるってわかった時のことも考えれば、何かの拍子にいいアイデアが浮かぶかもしれないよ? だからやろうよ”

 

“そう、だね……うん。わかったよハジメくん。じゃあ皆、どうする?”

 

 その説明を聞いてストンと腑に落ちた恵里はすぐに皆に尋ね返せば、皆もそれに納得した様子を見せてすぐに返事をしていく。

 

“そうだな。リリィまで巻き込むことになったんだし、別に明かしても大丈夫だと思う”

 

“だな。俺もその……姫さんやヘリーナには明かそうかなー、って考えてたし”

 

“中野君……まぁでも決まりだね。じゃあ伝えようよ”

 

 そうしてすぐに意見をまとめると、困惑した様子を見せる重吾達のグループや静かに自分達を待っていてくれた愛子や鷲三に霧乃、そしてデビッド達と王国の面々に代表して光輝が声をかける。

 

「お待たせしてすいません。もしよろしかったらここにいる皆さんでもう少し話し合いをしませんか? 俺達がたどって来た道のりやその過程で手に入れた力に関しても説明したいんです」

 

「いえ。そのような話が聞けるのであれば待った甲斐があるというものです。ここにいる皆でうかがいたいと思うのですが」

 

 ルルアリアを含めた王国側の人間もそれに是を唱え、メルドも助かると言わんばかりの表情でこちらを見ている。そこで恵里から『ここだと立ち話が続くし、食堂で腰据えて話し合わない?』と持ち掛けたことで王国側の人間もちょっと顔を引きつらせながらもそれを承諾。自分達より上の立場である恵里らからの言葉を断るのも不味いと考え、全員で移動を開始するのであった。

 

 

 

 

 

「もうちょい詰めろー。なるべく近くで見られるようにイス配置してくれー」

 

「その机はそこで。それとイスももう少し離して。うん、そんな感じ」

 

「ルルアリア様。私室よりお持ちしました」

 

「あ、ありがとうございます。メルド……」

 

「いやなんで普通にイスがどこからともなく出てくるんだよ……」

 

「えぇ……なんで四次元〇ケットがあるの? 剣と魔法の世界何でもアリすぎない?」

 

 恵里達が食堂に移動した後、すぐに話し合いのために机やらイスやらを動かしにかかる。

 

 既に多くの人間が朝の食事を終えていたことから話し合いのためのスペースの確保は難しくは無かったものの、チョークすら存在しないせいで黒板やホワイトボードに何があったかを書き記すことも出来ず、仕方なく円陣を組むようにイスやら机やらを配置していく。

 

 なおその際王妃であるルルアリアの座るイスに関してだがこれはそのまま持ってきたのではなく、メルドがハジメに頭を下げて宝物庫を借り、一度私室に寄ってから持ち込んだものである。無論それを見た王国の人間も重吾達も大いに驚き、何秒か動きが止まっていた。

 

「えーと、そこにいるの魔物、だよね……?」

 

「大丈夫よ! イナバちゃんとユグドラシルは悪いことしないから!!」

 

 また雫は別室で待機させていたイナバとユグドラシルも連れて来ていた。一応オルクス大迷宮で何が起きたかの説明のため……ではあるのだが、こうして抱きかかえてる辺りむしろ単に可愛がりたい様子である。さしもの光輝も鷲三と霧乃に雫の分身が殺された時のショックのことを考えると何も言えず、他もまた同様であった。

 

 そんな彼女の腕の中のイナバも仕方ないといった様子で抱かれているものの、その視線がちょくちょく鈴や優花に行く辺り正直であった。なお雫はそれに気づいてちょっぴりショックを受けている。

 

「よし。じゃあ皆さん席についてください。これから俺達の経緯について話を始めます」

 

“ハジメ、恵里、鈴。真ん中に来てくれ。説明をするんだったら三人がいた方がやりやすい”

 

“うん。わかったよ光輝君”

 

“はいはい。しょうがないなぁ~”

 

“うん。今行くね”

 

 イスと机の配置も終わったところで光輝は真ん中に陣取って全員に声をかけ、“念話”で三人を引っ張り出す。するとメルドも席には座らずに中央の方へとやって来た。

 

「おいおい俺は仲間外れか? こういう時は俺もいた方が都合がいいだろう」

 

「あ、すいません。助かりますメルドさん――ではこれから俺達の身に起きたことをお話しします」

 

 そうして光輝手動で語られるこれまでの経緯。まずはオルクス大迷宮で起きた様々なイベントを話す。神の使徒との遭遇、操られた冒険者の暴走、そしてトラップによる転移とそこで繰り広げられた死闘を。

 

「この話に関しては俺達以外にも証人がいる……永山、頼む」

 

「……はい。確かに、南雲達に向けて神殿騎士の人達が攻撃をしていました」

 

 メルドが目配せをしたことで重吾もそれに答える。この国の兵士や神殿騎士に裏切られてしまった以上、もうかばう必要も義理も無い。それ故に出た返答を聞いてルルアリアらは苦い表情になった。いくら教会の差し金とはいえここまでやってしまっていたのだ。心底恨まれても仕方ないということを改めて理解したからである。

 

“恵里、とりあえず変な事言わないでね?”

 

 ふと鈴が“念話”で釘を刺してきたため、ちょっとムスッとした様子で恵里は鈴に反論をする。

 

“変な事? 言う訳ないでしょ。どれだけ信用ないのボクは”

 

“いやだって、あの時追い詰められたことへの文句をグチグチ言いそうだし”

 

“うっ”

 

“これをダシにして協力を迫るぐらいやりそうだからね……もう約束取り付けてるし、向こうも乗り気なんだからいいでしょ?”

 

「うぅ~……」

 

 しかし鈴とハジメの推測が当たっていたため何も言い返せず、二人を恨めし気に見るしか出来ず。そんな恵里にハジメは後ろから抱き着きながら『悪いことしないで。ね?』とお願いしてきたため、恵里もまた渋々従うしかなく、軽く頬を膨らませるしか出来なかった。

 

「恵里……えーと、コホン。その後俺達はオルクス大迷宮を無事に突破して、そこで解放者――おそらく皆様には“反逆者”と言った方がわかりやすいかもしれません。その一人の住処へとたどり着きました。そこで生成魔法という神代魔法を手に入れた後、そこで訓練や色々な準備をしてから地上に出ることになったんです」

 

「おーい光輝ぃー。俺の活躍どこいったよ? 説明しろよー」

 

「いや中野、アンタと近藤と斎藤の恥を今ここで広めるけどいいの? 私は構わないけれど」

 

「あ、すいませんやっぱナシで」

 

 そうして簡潔に光輝が説明をする際、生成魔法の真髄の一端を突き止めるというとんでもない活躍を果たした信治が口を挟んだものの、即座に優花から鋭い返しを食らって撃沈し、また礼一と良樹から無言で肘鉄を受けて軽く情けない悲鳴を上げるしかなかった。自業自得である。

 

「リリアーナ様。中野様とて普通の人間ということでしょう。あまり高く持ち上げては中野様の負担となります」

 

「いえ、わかってます……わかってますけどぉ」

 

 なおリリアーナは信治の情けない姿を見てちょっとしょんぼりとした様子であり、ヘリーナになぐさめられていた。言動こそ荒々しかったものの、自分を助けてくれた素敵な人が実はとんだ悪ガキだったというのは彼女としてもちょっとガッカリしてしまったらしい。それでも幻滅した様子そのものは見せてない辺りお察しである。

 

「信治……礼一と良樹も……えー、オホン! ともかく、二か月の間訓練と様々なものを開発、製造した後で俺達は地上に出ました。そうして俺達は三手に分かれ、グリューエン大火山に行ったハジメ達は空間魔法という神代魔法も取得しました」

 

「……なぁ、質問いいか?」

 

 そうして恵里達のグループが新たな神代魔法を取得したことを光輝が述べると、おずおずと仁村が手を挙げてきたため、光輝はすぐに彼に発言を促す。

 

「あぁ、構わない。仁村、気になることでもあったなら言ってくれ」

 

「……じゃあ聞くけどさ、お前らバイク作ったよな」

 

「あぁ、『シュタイフ』のことだよね。どうしたの?」

 

 そこで出て来たのはバイクのこと。ちなみにバイクだけでなくハマータイプの車、キャンピングカー、バスにもハジメはそれぞれ名前を付けており、順に『ブリーゼ』、『ライゼ』、『フェアメーゲン』という。なおちゃんと名前で呼ぶのは恵里やハジメといったオタク連中ぐらいであり、大体はわかりやすい車種とかで呼ばれている。

 

 閑話休題。

 

 自分達がバイクを作ったことを尋ねてきたため、そうだとハジメが答えると仁村は据わった目でこちらを見ながらあることを問いかけてきた。

 

「いやお前らがバイクに乗ってたのは野村から聞いたんだよ……てことはよ。座席、作れるんだよな?」

 

「いや、そうだけど。何を今、さら……ぁ」

 

 恵里がそれに当然だと答えた途端、どんな意図を持ってこの質問をしてきたのかに気付いてハジメ達はビシリと固まる。その瞬間重吾達の視線は険しく、エラくネバついたものへと変化していた。

 

「じゃあイスぐらいは作れるよな。なら他にも色々何か作ってたりしないか?」

 

「作り方を覚えてたとか色々やってみたのかは知らねぇけどよ……俺らが思ってたよりも苦労なんてしてないだろ。なぁ?」

 

「ていうか車作れて銃作れるんならどんな魔物でも倒せるんじゃないか? どうなんだ南雲?」

 

「い、いや苦労はしたからね!? 実際魔物は強かったし、銃だってすぐ作れた訳でもないから!! 使えない階層だってあったんだからね!!」

 

 玉井、相川、野村からじっとりとした視線を向けられ、ハジメも目をそらしながらも何とか答えようとする。

 

 階層を一つ進む毎に魔物も階層そのものの特徴も変わるし、強さも跳ね上がる。銃だって作るのに苦労したし、使えない階層があったのは間違いない。間違いない、のだが……如何せん各階層に造った拠点のことを考えると『思ったより苦労はしてない』と彼らが決めてかかってきたのもあながち嘘ではなかった。

 

「へぇー……じゃあどうして俺達の方を見ないんだよ。え?」

 

「いやー、そのー……」

 

 とはいえ流石に目をそらしながら口にした言葉は信用してはもらえないようで。一層不信感に満ちた眼差しを向けられてハジメは思いっきりしどろもどろになっている。

 

「はぁ? 何言ってんのさ。ボク達はだーいぶ苦労してオルクス大迷宮を突破したんだからねぇ~。言いがかりもいい加減に――」

 

「その割にはあんまり髪の毛痛んでないんじゃない。手入れ、ちゃんとしてたでしょ?」

 

「そうだね~。魔法で水は出せるにしても、あんまり臭くないのはどういうことかな? むしろ石鹼のにおいがするけど?」

 

 そこですぐさま噓を吐いて騙くらかそうとした恵里であったが、今度は辻と吉野が追及してきて鈴達が思いっきり脂汗を流し出した。何せ彼女達の言う通りなのだ。何も否定なんて出来やしなかった。

 

 攻略初期の段階で風呂のアイデアもハジメが出したし、石鹸だって途中から作って使用していた。こればっかりはどう言い訳したものかと恵里以外の女子~ズはひたすら頭をフル稼働させるも、冷静な恵里以外はすぐに答えを出せずにいた。

 

「そんなの地上に出た後に街に寄って、買い物で手に入れた後で使ったんだよ。人を疑うとか恥ずかしいと思わないの?」

 

「……指名手配されてたお前達が、のんきに買い物なんて出来たとは思わないが?」

 

「変装してたからね。ま、あくまで髪染めてカラコン着けて、後はちょっとボロく見える装備を身に着けてただけどさ」

 

 完全な嘘ではない理由を話せばすぐさま重吾が質問を返し、それにも事実を混ぜた嘘を返す事で恵里はいなそうとする。だがここでとんだ伏兵が姿を現した。

 

「あ、あの……あの! わ、私が全部話します!」

 

 なんとアレーティアである。意を決した様子で真ん中へと向かおうとしたのを大介が腕を引っ張り、どうにか彼女の蛮行を阻止することが出来た。

 

「ちょ、馬鹿っ!! アレーティアお前!!」

 

「だ、駄目っ! こ、ここで嘘を吐いたりうやむやにしたらきっと大介達の、皆さんのためにきっとならないから! 後まで引きずるよりも今ここで……!」

 

 しかも自分の過去のやらかしが深く関わっているというのだからタチが悪い。そのことを理解できた恵里達はどうやって説得したものかと、不信感を顕にしている重吾達に見つめられながらも必死に考える。

 

「……メルド。オルクス大迷宮で何があったかを詳しく話してください」

 

「う、うぐっ………………御意」

 

 だが今度はメルドが裏切った。これにはアレーティア以外の全員が目をひん剥き、何度も何度も口をパクパクさせて間抜け面をさらしてしまう。何度も目を泳がせ、恵里達を裏切る(言うべき)国に背く(言わざる)かの岐路に立たされ、結局奴は国を選んだ。土壇場でとんだ裏切りをかましてくれたのである。

 

「こ、この裏切り者ー!!」

 

「国家の犬ー!! そんなことして恥ずかしくないんですかー!!」

 

「ふふ……お前達、最後に一つ指導をしてやろう。国に仕えるということはこういうことだ!!」

 

「イイ顔しながら言いやがったコイツ!? このろくでなしー!!」

 

 こうなったら実力行使で黙らせてやると恵里達が息巻いているととてつもなくイイ笑顔の愛子と心底呆れた様子の鷲三、霧乃がスッと彼らの前に立ちはだかる。

 

「どういうことですか? 説明をしなさい」

 

「あ、あの……せ、先生……こ、これには深いワケというものがありまして…………」

 

「でしたら是非とも弁解の機会を設けたいと思います。どうぞ?」

 

「アレーティア! アレーティアしっかりしてくれぇー!! 泡吹くなぁー!?」

 

 奈落にいた魔物とは別ベクトルで怖い愛子に見つめられてアレーティアは気絶し、香織と妙子もひどくうろたえる。大介なんかパニックを起こしてしまい、恵里とハジメ以外の皆もどうしようどうしようと言い訳を堂々巡りさせるばかり。

 

「さて。わしらにも知る権利というものはあると思うのだが?」

 

「いや、割と悲惨なんで聞く必要はないと思うけど?」

 

「でしたらどういう理由であのウサギ型の魔物と樹の姿の魔物を連れているのです? 詳しい説明を私達は聞いてませんが?」

 

「も、黙秘権を行使します……」

 

「「却下」」

 

 そうして愛子、鷲三、霧乃が時間稼ぎを成功させたことで奈落の底での生活が完全にバレてしまう。結果――。

 

「お前ら……ホントお前ら……」

 

「信じらんない……サイッテー」

 

 重吾達からの視線は嫉妬と憎しみが混じったものになり、自分達が苦労してる時によくもまぁそんな楽し気に生活してたなと恨みがましい目で見つめてくるようになった。流石に自分達の立場が下であることはわかっていたため、あまり言及してくることはなかったが。

 

「……私の苦労ってなんだったんでしょう」

 

「……途方もない苦しみを受けることが無かったことを喜べばいい。それでいいんだ、愛子」

 

「デビッドの言う通りですよ……だから彼らもこうして変わらずにいられたんです」

 

「無事でいたことを喜んだ方がいいさ、愛子ちゃん。心が壊れてしまってたというよりはよっぽどね」

 

「そうだ。体の一部を失うことすらなく無事に帰ってこれただけでも奇跡なんだ。それでいい」

 

 愛子は燃え尽きた様子でイスに座ってたそがれ、そんな彼女をデビッド、チェイス、クリス、ジェイドがそれぞれの言葉で慰める。ただ、そんな彼等四人も困った様子でこちらを見ていたが。

 

「……メルド。あなたが報告を控えたのも理解は出来ます。が、今後二度とこのようなことは無いように」

 

「……御意」

 

 頭痛が止まらないといった様子で頭を押さえるルルアリアとすごい申し訳なさそうな様子でかしずくメルド。重臣達も反応に困った様子で『えぇ……』と漏らすばかりであった。

 

「ねぇヘリーナ、こんな時はどんな顔をすればいいんでしょう」

 

「……とりあえず笑顔は相応しくないかもしれませんね、リリアーナ様」

 

「え、えーと……せ、誠心誠意、その……なんでもやりますんでどうか許してぇー!!」

 

 ものすごい疲れた様子で信治の方を見ているリリアーナとヘリーナ。自分は無力感で苦しんでたのに彼らはあんまり追い詰められた様子ではないことにひどくショックを受けていた。そして信治の方もそんな二人を見ていたたまれなくなって即土下座。ひどい光景が広がっていた。

 

「ふむ……まぁ思うところが無い訳ではないが」

 

「むしろ上手くやったと褒めるべきでしょうね。ありがとうございますハジメ君」

 

「ここでほめるのやめてくださいしんでしまいます」

 

 しかし鷲三と霧乃は恵里達にどこか釈然としない思いを抱きはしたものの、むしろ上手く切り抜けたことを評価していた。なお今この場でやるべきことではないし、感謝されたハジメの目はひどく濁っていた。火に油もいいところである。

 

「ハッ、だったらそっちもついて来ればよかっただけなのにねぇ~。負け犬の遠吠えは見苦しいよぉ~」

 

「お願いだから恵里ちゃん煽らないで!! “鎮魂”!!」

 

「はい恵里ステイ! ハウス!! “鎮魂”!!」

 

 その一方で恨めし気に見てくる重吾達を思いっきり恵里が煽り、その恵里に組み付いた香織と鈴がどうにか止めようと必死になって精神を落ち着ける魂魄魔法の“鎮魂”を叩き込む。流石に二人がかりだと厳しかったらしくぷしゅ~と敵意が抜けて穏やかな表情に変わる。

 

「キュゥ~……」

 

 そんな様子の人間達をイナバとユグドラシルは半目で見つめる。流石にイナバもこればかりは馬鹿馬鹿しくて止めようという気にもならないらしい。顔を洗ったり後ろ足で耳をかいたりと気ままに振舞う。ユグドラシルもとりあえず成っている果実を投げれば少しはマシになるだろうかと考えはしたものの、結局ダメだろうと判断してただそれを見ていた。

 

 誰も悪くなどない。

 

 皆が最善を求めて努力をし、目の前の問題に対処し続けてただけだというのにこうしてまたすれ違ってしまう。

 

 世の中はいつだって残酷だ。理不尽だ。それをこの場にいた誰もが感じ、嘆くばかりであった……。




想定ではもっと後で重吾達との関係が悪化(笑)する予定でしたが、「流石にここで重吾達は気づくよな。車とバイク見てるし」と思ってこうなりました。その結果、とてつもない悲劇が起きてしまいました。よよよ。


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六十二話 足跡とこれからと(後編)

まずは投稿が遅くなったことをお詫びします。ちょっと詰まったのとソシャゲの攻略事情のせいです(ォィ)

それでは拙作を見てくださる皆様への感謝をお伝えします。
おかげさまでUAも155749、お気に入り件数も835件、しおりも384件、感想数も543件(2023/2/16 21:30現在)となりました。毎度毎度ありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。こうして何度となく評価してくださり頭が上がらない思いです。感謝いたします。

では今回の話を読むにあたり、長く(約14000字)なっておりますのでご注意を。では本編をどうぞ。


「コホン……皆様がグリューエン大火山に行って別の神代魔法を手に入れたというところまでは伺いました。その後はどうなりましたか?」

 

 オルクス大迷宮での暮らしぶりがバレて一悶着した後、とりあえず鈴に香織、光輝など魂魄魔法に適性のある面々が乱発した“鎮魂”によりとりあえず場の空気は一応収まった。とはいえあくまで精神を落ち着ける作用しかない魔法であるため各々が抱いている感情が消えたという訳でもなかったが。

 

「あ、は、はい……その、俺達はそこである人と出会ったんです」

 

「――やはり魔人族、ですか?」

 

 一度せき払いをしてからルルアリアが場を仕切り直し、中央にいる恵里ら三人に声をかける。そこで説明を担っていた光輝が再度話を進めようとした時、『ある人』という単語を聞いてルルアリアは心当たりのあった相手を挙げる。因縁の存在が出てきたことで場はにわかに騒がしくなるも、すぐにルルアリアが一喝してそれを抑え込む。

 

「静粛に!……それで天之河様、真偽はいかほどに?」

 

「はい。王妃様が仰った通りです。グリューエン大火山攻略中、俺達は魔人族のフリード・バグアーさんと出会いました」

 

 そうして再度の問いかけに光輝が答えれば先程にも増して場は混沌としていく。無理もない。永きに渡る戦争の相手が話題とはいえ出てきたのだ。王国の上層部が敵意を露わにするのも仕方なく、また座学で魔人族との因縁を知った重吾達が警戒するのも無理はなかった。

 

「はいはい“鎮魂”……とりあえずあっちはボクの魔法で既に手籠めにしてあるよ。」

 

 そこで恵里が手を叩くと共に“鎮魂”を発動し、強制的にヒートアップした空気を冷却させる。その後でどう対処をしたのかを語るものの、それでも重臣らの疑惑――自分達が魔人族に内通した、もしくは支配下に置かれたという疑いは冷めることはない。

 

「本当だろうな? そのような真似が出来るとでも?」

 

「結局、どうなんだ……?」

 

「そ、その通りだ! やはり貴公らは魔人族と内通、否、彼奴らの配下に収まったのでは――」

 

「お待ちなさい! もし魔人族が彼らを従えていたというのならば私達を真っ先に滅ぼすでしょう!! それをしないということが中村様の言葉を裏付けています!」

 

 徐々に出始めた疑いの声をまたルルアリアが抑え込もうとするも、流石に今回ばかりは分が悪く、出てきた疑惑の声や眼差しを止めることは出来なかった。

 

「申し訳ありません、皆様。何分魔人族は私達人間族との永年に渡る因縁の相手。彼の存在を配下にしたというのならば、その証拠を見せていただけませんか」

 

 そこでルルアリアは頭を下げ、どうにか自分達に内通していないという証拠を見せて欲しいと頼み込んできたため、恵里達だけでなくそばにいたメルドもまた軽く思案しだした。そこで恵里は“念話”を使ってメルドにあることを頼み込む。

 

“メルドさん。ボクが手籠めにした証拠を見せればいいんでしょ? テキトーに人間引っ張ってきてくれない?”

 

“いいのか? すまん、助かる。今問題ない相手を連れてくるぞ”

 

「……恵里ならば可能です。今しがた罪人を連れて実験をするので少々お待ちを」

 

 “縛魂”を披露したいと暗に伝えれば、メルドもそれに答えて“縛魂”をかけても問題ない相手を今連れてくるとこの場で述べる。無論そのことにハジメを含めた幼馴染や大介らが気づかない道理は無かった。

 

「……恵里、“縛魂”を見せればいいって思ったでしょ」

 

「え? 駄目?」

 

 どこか頭痛を堪えている様子のハジメにそう問いかけられた恵里はキョトンとした様子で尋ね返せば、鈴達幼馴染~ズもかなり疲れた様子で恵里を見つめる。

 

「いや、まぁ……確かにその方が安心できるとは思うけど、その……」

 

「まぁ既にフリードさんにやってるから今更だけどさ……ナチュラルに目の前で洗脳するとかどう考えても悪の組織とかのやることだし」

 

「は? せ、洗脳?」

 

 鈴もためらいがちにそれを認め、ハジメも仕方がないとは思いながらもやってることが到底褒められたことじゃないと伝える。それを聞いた仁村を含めた重吾達のグループも顔を引きつらせ、光輝や香織らも渋い表情を浮かべながら首を縦に振る中、罪悪感に苦しんでるであろう幼馴染に恵里は微笑みながらこう伝える。

 

「そんなことないよ。ハジメくん、鈴。皆。正義の味方がする洗脳はいい洗脳だから問題ないもん」

 

『んなワケあるかっ!!』

 

 無論、即ひんしゅくを買った。

 

 『え、なんで?』と恵里は心底不思議そうに小首を傾げ、別にいいじゃんとうなずいて大介達も同意してくる。もちろんアレーティアに愛子、デビッドら、鷲三に霧乃にルルアリアら王国の上層部とそれに肯首してきたため、ハジメ達は一層深くため息を吐き、重吾達は改めてヤバいワードを聞いて心の底から震えた。

 

「洗脳って時点で普通はアウトだよぉ……」

 

「せ、洗脳って言ったよね……?」

 

「別にいいじゃん。国家転覆やらかしかけた奴らに人権なんてないよ」

 

「な、中村の奴そんなこと出来たのかよ……!?」

 

 辻に相川が恵里の恐ろしさに震える中、鈴が頭を手で押さえながら一般論を伝えるも恵里はどこ吹く風とばかりにしれっと返す。実際問題その通り過ぎて光輝達は言葉に詰まり、どう反論すればいいのかと途方に暮れてしまっていた。

 

「そりゃ王様や王妃様を殺そうとした人達なんだからそれぐらいやられても仕方ないし、フリードさんが僕達の味方だって証明するには一番だけどさぁ……」

 

「うん。だから別にいいじゃん。ねぇ?」

 

「う、嘘……わ、私達下手したら洗脳されてたの?」

 

「あ、うん。そうだよ。よかったね。ハジメくん達がお人好しでさぁ」

 

「恵里、めっ!! 野村君達は協力するって言ってるのにそういうこと言わないの!」

 

 ハジメのボヤきにも当然のように返す恵里に吉野も震えあがり、更に追撃を加えてきたせいで辻と吉野は軽く悲鳴を上げて野村に抱き着く。ハジメに叱られたことで恵里がちょっとしょんぼりする中、重吾達や王国の上層部は自身の幸運に内心ただただ感謝するばかりであった。

 

「離せ!! 私を誰だと思っている!! こんなことをすればチェルチス家が黙ってはいない!!」

 

「皆様、罪人を一人連れて来ま……何があった?」

 

 と、ここでようやくメルドが拘束していた罪人の一人を連れて戻って来たものの、場の空気が軽くカオスになっていたためいぶかしんだ。すぐにその理由をハジメ達が“念話”を使って説明してくれたことで納得し、恵里が“縛魂”を使う相手が国の上層部でなくこの罪人で良かったと思いながらメルドは女を輪の中心へと引きずっていく。

 

「えー、ではこの人間を相手に実演してみたいと思います。恵里、頼むぞ」

 

「はいはいりょーかーい。まずは“縛岩”」

 

「私に触れるな貴さ――もがっ!?」

 

「念のため“呆散”……じゃ、本命といこっか。“縛魂”」

 

 そして実演するべく恵里はまず“縛岩”を発動してやかましい罪人の女の口を塞ぎ、岩の猿ぐつわを嚙まされた女に向けて二つの魔法を発動していく。自分が前にノイントの洗脳を弾いたことを考えると、抵抗出来ないように意識はぼんやりしてた方が都合がいいと考えたが故だ。意識さえあれば問題なく“縛魂”は効く。そこに圧倒的なステータスの差があればなおさらだ。

 

「はい。それじゃあお名前と何やってたか教えてくれるかなぁ~?」

 

「はい。私はシーナ・チェルチスです。お父様の命で神の使徒のお付きのメイドとなり、家の繁栄のために子を成そうとしてました」

 

「う、うぅ……」

 

 重吾が何か言いたげな様子でこちらを見ているのに気づかないフリをしながら“縛魂”をかけること数分。完全に支配下に置いたメイドの一人に軽く質問をすれば彼女は朗々とそれに答えを返していく。なお重吾の顔が軽く青ざめたことに恵里は気づくことなく次の質問を投げかける。

 

「あ、あれ? 永山君?」

 

「重吾?……大丈夫じゃないよな重吾?」

 

「い、いい……俺に、構うな」

 

「ふーん。じゃあどうして牢屋に入ってたのさ? 何か悪さでもした?」

 

「いいえ。私は何も悪いことはしておりません。真なる神の使徒様が仰せになったのです。不義を討つために立ち上がりなさい、と。そこで私を含む城に務める者達でまずは神の使徒だと名乗っていた魔人族の手先でなく、奴らに加担していた王族を討ち滅ぼそうとしました……結果はこの通りです」

 

 予測はついていたものの、ようやく昨日の暴動の原因を犯人の一人から聞くことで確かめることが出来た。そのことに恵里らはため息を吐きたくなり、実際に殺されたり殺されかけた国の上層部は戦慄する。やはりこれは人為的に仕組まれたものであり、そして自分達はもうエヒトの加護も何もないのだろうということも改めて感づく。

 

「お、俺は……」

 

「大丈夫だ、大丈夫だ重吾。俺達がついてる」

 

「気にしてはいけません。あの人は永山君を利用していただけの薄汚い人間です。そんな人間に振り回される必要なんてないんです」

 

「永山君、無理しないで」

 

「あの人なんてただの敵だから。だから……」

 

 改めて愛していた人に自分のことを悪し様に言われるのはやはり辛かったらしく、口元を手で押さえて背中を軽く丸めていた重吾に親友である野村はすぐに声をかける。もちろん彼を慕う他のクラスメイト達や愛子もイスから立ち上がって彼に寄り添い、背中をさすったり言葉をかける。

 

「……そういやそっちの方大丈夫? さっきからなんか調子が変なんだけど」

 

「永山、お前のお付きのメイドだったんだな。そのことも事情もわからず連れてきてしまった。すまない」

 

「ごめん、永山君」

 

「すまなかった永山……」

 

「い、いえ……気に、しないでください……」

 

 そこでようやく恵里も気づき、知らず知らずのうちに気分を害してしまったことから声をかけづらそうにしていたメルドやハジメ、光輝らもようやく重吾に謝罪を述べていく。だが重吾はそれらの言葉にも首を横に振って返し、自身の心境を語っていく。

 

「まだ、またシーナとやり直したいと思ってはいた……けど、俺だけじゃなくて、健太郎達までただの道具扱いして、自分のことしか考えてない……そんな女、もう俺にはいらない」

 

 半ば自分に言い聞かせるように吐き捨てた重吾を見てハジメ達も恵里とメルド、そしてルルアリアの方に視線を向ける。これ以上は流石にダメだと全員が判断し、すぐに顔を合わせて各々行動に移った。

 

「じゃ、とりあえずボクが嘘を言ってないことはわかっただろうしこれでおしまいってことで。ねぇメルドさん。コイツ元の場所に戻してきて」

 

「あぁ。わかった。さて、今度は暴れるなよ」

 

「はい。わかりました」

 

 そうして全員でメルドと元重吾お付きのメイドを見送っていく。来る時とは打って変わって大人しく歩いていく様に、重吾達や王国の上層部の面々は恵里の魔法の凄さと共に何とも言えないやりきれなさを感じていた。恵里もそんな空気を感じ取りながらも、どうしたものかと口ごもっている光輝に代わって説明を続けていく。

 

「まぁその後はエヒトのせいで操られた鷲三さんに霧乃さんを無力化。あと一緒に襲ってきた神の使徒も返り討ちにして皆とあと先生とも合流。後はそっちの知る通りだよ」

 

 簡単な説明ではあったものの要点を押さえたものであったためハジメ達は特に言及はせず、また彼らの歩んできた道のりを知ってルルアリアにリリアーナは自分達の行いを恥じた。重吾達も恵里達がたどってきた道のりに同情しない訳ではなかったものの、それでもまだうらやましいと彼らは思っていた。

 

「……なるほど。中村さん達の経緯はわかりました」

 

 そんな時ふと意を決した様子の愛子が立ち上がると、恵里に視線を向けながらあることを問いかけてくる。

 

「中村さん、皆さんが手にした力は私達でも使うことが出来るようになりますか?」

 

「あぁ、神代魔法のことでしょ。だったら――」

 

「いえ。それだけではありません」

 

 愛子の質問に恵里は事前にハジメ達との話し合いで決めた答えを返そうとしたものの、すぐに愛子はそれにノーを突きつける。そして視線を逸らすことなく見つめたまま愛子は恵里に再度問いかけた。

 

「きっと皆さんは神代魔法とやらを手に入れただけじゃありませんよね? 私の見立てではそれ以外にも何かあるはずです」

 

 一切揺れることもない瞳を見て恵里は目の前の女に対して愉快な気分になるも、それをおくびにも出さずに逆に問い返していく。

 

「あ、あの……せ、先生?」

 

「ふーん。疑うのは結構だけどさぁ、その証拠でもあるの?」

 

「ええ。まずは谷口さん以外の身長が伸びていたり、体付きも良くなってるように見えます。特に天之河君達男の子は。それはどう説明をつけるので?」

 

「ただ鍛えあがっただけだよぉ。身長はただの覚え間違いじゃなぁ~い?」

 

 軽くうろたえ出すハジメを他所に愛子は恵里の問いかけに答えるも、恵里も想定内の回答に余裕を崩すことなく返していく。だが愛子が自分の反応を見てかすかに笑みを深めたのを見てほんの少しではあったが恵里は警戒した。

 

「シラを切るつもりですか……でしたら車は? あれの動力源はどうなっていますか?」

 

「あぁそれ、は――ッ」

 

 出された次の質問。これには恵里すら言葉に詰まってしまう。恵里達が駆る車両の動力源は運転手が注ぎ込む魔力である。さしものオルクス大迷宮も原油を産出することはなく、また原油があっても精製するのは流石にハジメの頭を以てしても不可能だ。それに誰でも持ってる魔力を使って動かす方が燃料の心配をしなくてもいい。

 

 そうして造り上げた車やバイクであったが、それの動力源から愛子は真実にたどり着こうとしている。そのことに恵里は今まで感じていた余裕が吹っ飛び、目の前の女に警戒心をむき出しにする。

 

「車なんて金属の塊ですし、そんな重いものがちょっとやそっとじゃ動くことなんてありません。それに、いくら物知りだからって高校生のあなた達が原油を精製することが出来るとも到底思いませんし――魔力を、使ってるんじゃないですか? それも莫大な量の」

 

「お、オルクス大迷宮を潜っていく時にステータスも上昇しましたから! そのおかげです!」

 

 じりじりと秘密に迫ってくる愛子にハジメや鈴、光輝達も無意識に半歩後ずさりしており、どう言い訳をするべきかと大介やアレーティアらも必死に知恵を巡らせている。すぐに光輝が尤もらしい言い訳をしてみるも、愛子はにこやかに微笑むばかりであった。

 

「なるほど。確かにそうですね。けれども他にも疑問に思っていることはあるんですよ? 車って精密機器の塊でじゃないですか。それをコンピューターの原型すらない世界でどうやって動かしてるんですか? きっと何かからくりがあるんでしょう?」

 

「あ、いや、あの、その……」

 

(クソッ! こんなところで魔力を動力にしたことが裏目に出るなんて!!)

 

 光輝からの回答をふんわりと受け止めながらも突きつけて来た返しの刃でハジメ達は思わず息を吞んだ。動力源のタネも悟られ、しかも“魔力操作”によって直接動かしていることすら感づかれる。色々と考えた末に造り上げたそれが今は自分達のアキレス腱と変わったことに恵里は内心歯噛みし、ハジメ達も大いにうろたえ出す。

 

「もちろん私も疑問を適当に並べ立ててるという訳じゃないんですよ?――魔物を食べた。きっとこれが関わっているんですよね?」

 

「な、なんと!?」

 

「確かに、オルクス大迷宮は洞窟だ……植物が自生していると、聞いたことは無い」

 

 そして、遂に真実の一端にたどり着いた。一瞬で場は騒然となり、オルクス大迷宮を良く知る者達の口から驚きや納得が漏れ出てくる。このままじゃマズいとすぐに恵里はイニシアチブを取り返そうとこの世界の常識を使って愛子に反論しようとする。

 

「馬鹿言っちゃいけないよ先生。第一魔物を食べたら死ぬ。それが普通でしょぉ~?」

 

「ええ、そうですね。そううかがってます。ですが、出来ますよね?」

 

「だから出来るわけがないって――」

 

「治癒師の白崎さんと谷口さん。二人が全力で魔法を使い続けて治し続けたのならそれも可能じゃないんでしょうか」

 

 その瞬間、食堂から音が消えた。ほんのわずかな間の静寂。目をむく恵里。ぽかんと口を開く鈴と香織。確信を得て笑みを深めた愛子は更に追撃をかけていく。

 

「永山君、正直に答えて下さい。あなた達はオルクス大迷宮を突破出来ましたか?」

 

「……いえ。途中で切り上げて盗賊の、討伐に」

 

「っ! ま、待った先生!! これ以上は――」

 

「「「せ、先生ちょっと待ってくだ――」」」

 

「お、おい待ってくれ先生!!」

 

 いきなり重吾へと質問する愛子に誰もが首をかしげる中、恵里とハジメ、鈴、光輝、幸利だけがいち早く彼女の質問の真意に気付いて止めようとする。しかし愛子は五人の焦りを知ってより口角を上げるばかり。

 

「いいえ待ちません。では白崎さん、谷口さん、それと辻さんも。ステータスプレートを見せていただけませんか?――三人のステータスがどうなっているのかを確認したいんです」

 

 そして差し込まれる愛子の一手。それを聞いて五人だけでなく雫達も敗北を確信する。これはどう転ぼうとも愛子の勝ちが揺るがない一手でしかないと理解したからだ。

 

 オルクス大迷宮の攻略を断念した辻と突破出来た二人では間違いなくステータスが異なる。数値はもちろん技能に関してもだ。ならそれがどれだけ違うのか、その違いを以て愛子は論破しようとしたのだ。

 

 辻を上回ったり全ての取得した技能が見えた場合は言うに及ばず、下回ったり同程度の場合は『どうしてこの数値でオルクス大迷宮を突破出来たのか』と詰め寄られる。無論潜り始めた当初はこれよりも低かったと言い返すことは出来るものの、それは自分達が生存できたことへの反論にはなりえない。故に恵里達は負けを悟ったのである。

 

「え、えーっと、実はオルクス大迷宮にも自然豊かなところがあったんです!! そ、そこで色々ご飯を食べてました!!」

 

「そうそうそうです!! ユグドラシルもそこで従えた魔物で、この子の成ってる果実も食べたりして生活してたんです!!」

 

 それでも香織と鈴はステータスプレートを渡すことなくどうにか誤魔化そうと必死になる。実際密林のような階層だってあったし、樹海みたいなところだってあった。ユグドラシルもまた密林のような階層で支配下に置いた魔物であるし、解放者の住処に魚もいたから色々食べていたというのも噓ではない。

 

 それで何とか切り抜けようとする二人であったものの、今度は愛子があることを投げかけてきた。

 

「うわ、往生際が悪い」

 

「そうですか……それでは白崎さん、谷口さん。でしたらどうしてその魔物がいた階層で大暴れしたんですか?」

 

「「あっ」」

 

 微笑みながら愛子が指をさした先にいたのはユグドラシル。それを見て香織と鈴は思い出す……そう。さっきオルクス大迷宮での暮らしを洗いざらい白状したことを。トレントモドキの果実を食べた後にヒャッハーしてた時のことも。焦りのせいで恵里達も忘れていたそのことを突きつけてきたのだ。

 

 辻の罵倒にも気づかず、一層圧が強くなった笑みを浮かべる愛子を前に二人は脂汗が止まらない。

 

「あ、あはは……な、なんででしょうね~……」

 

「ふ、不思議だよね……うんうん」

 

「笑って誤魔化せるとでも? もし仮に食料に困らなかったのならどうして我を忘れて暴れたりなどしたのですか。逆に食料に困窮してたからなったということではないのですか……返事は?」

 

「ハァ……その通りだよ先生」

 

「恵里っ!」

 

「恵里ちゃん!?」

 

 ここでこれ以上の悪あがきはもう無理だと見切りをつけた恵里が白状し、一切いじっていない自分のステータスプレートを愛子に投げ渡す。愛子もちょっとわたわたしながらもそれを両手でキャッチし、恵里に非難の視線を向ける。

 

「……中村さん、物を投げ渡すのは感心しませんが」

 

「いいから見て。そこに先生の欲しかった答えがあるから」

 

 注意をしても反省した様子を見せない恵里に愛子は苛立ちを感じつつも、そばに寄ってきたデビッドらや重吾達と共にステータスプレートを見ていきなり真顔になった。信じられないものを見るような目つきでステータスプレートをながめる彼らの様を見て恵里は一歩前に出る。

 

「信じられない、って顔してるね。まぁ無理もないけど」

 

「で、ですがこの数値と技能は……」

 

「ど、どう考えてもいじっただろ!! こ、こんなステータスの数値と技能なんて――」

 

「ステータスプレートがやれるのは隠蔽だけだよ。各数値と技能のね。でしょ?」

 

 こんな数値と山のような技能はおかしいと愛子と野村が食って掛かるものの、恵里はデビッド達に目配せをしてこの銀色の板が語るものが真実だと訴える。やはりデビッド達も目の前のものを疑ってる様子ではあったが、トータス出身であるが故に愛子達にそのことを伝えていく。

 

「愛子、それにお前達。これは本当のことだ」

 

「信じがたいことはわかっていますが、これは事実です。ステータスプレートが出来るのは隠蔽であって改ざんではありません」

 

「前に僕達が無力化されたことがあったけれど、ここまで高いステータスの数値なら納得しか出来ないな。それも術師の彼女でこれなんだからね」

 

「認めるんだ皆。これが現実だ……しかし、そうか」

 

 愛子の護衛を務めていた四人に言われ、そしてルルアリアやリリアーナらもそれに同意する様を見せて改めて愛子達は戦慄する。人間離れしたステータスと技能を映すそれに、そしてそんなステータスを持っているであろう恵里以外の他の面々に。

 

「……わかりました。ありがとうございます、中村さん」

 

「はいはい。じゃあとっととステータスプレートを返して――」

 

「お願いです。私にも皆さんが食べた魔物の肉を分けていただけませんか」

 

 そうしてステータスプレートを返してきた愛子であったが、手渡すと同時にとんでもないお願いをしてきた。またしても場はにわかに騒がしくなり、当然それを光輝達だけでなくデビッド達も止めにかかる。

 

「何を言ってるんですか畑山先生! そればかりは絶対に駄目です!!」

 

「だ、ダメだよ愛ちゃん! ものすごい痛くて苦しいんだよ!!」

 

「そ、そうだ愛子! いくら何でもそんなことをしたら――」

 

「私は!!……私は力が欲しいんです!!」

 

 必死に止めようと反対する周囲に愛子は大声を上げるが、それもすぐに終わる。理由は彼女の目にあった。

 

「あ、愛ちゃ……っ!」

 

「せ、先生……」

 

 その瞳はとてつもないほどの後悔と渇望が混じって濁っていた。見る人を怯えさせる程に。嘆きと欲望に満ちた眼差しをただじっと恵里に向けていたからこそ誰も何も言えなくなったからだ。そんな愛子に見つめられた恵里も目をそらすことなく、何も言わずにじっと見つめ返してただ彼女の言葉を待っている。

 

「あ、愛子! そんなものに手を出さなくても神代魔法を手に入れれば――」

 

「それだけですか」

 

「そ、それだけでも十分だよ愛子ちゃん!」

 

「そんな程度で妥協なんて出来ませんよクリスさん……鷲三さんと霧乃さんがさらわれたあの日のことを思えば、この程度で満足なんて出来ません……!」

 

 今にも血が流れ落ちそうなまでに強く拳を握りしめながら反論する愛子にジェイドもクリスも言葉が詰まってしまう。デビッド達が自分と共に戦ってくれることを誓ってくれはしたものの、結局あの時は何の抵抗も出来ないまま終わってしまった。

 

 その時に抱いた愛子の絶望と後悔はあまりにも根深く、彼女を苦しめている。それを痛い程理解できてしまったからだ。

 

「どんなリスクを負ってもいいです。どれ程苦しんだって構いません。地球で幸せに生きていけるはずだったあなた達を守れる力を手に入れられるならどうなったっていい。私は、その覚悟でお願いしています」

 

 あまりにも強く、あまりにも悲壮な覚悟。既に自分達の知っている畑山愛子という愛らしい女性は死んでしまったのだということを否応なしに理解させられるその言葉に光輝達も、重吾達も、デビッドらもまた閉口するしかない。

 

「うん。わかったよ先生。じゃあ条件を提示させてもらおっか」

 

「……わかりました。私は、その覚悟を尊重します」

 

「あぁ。それ程の覚悟がある人間を腐らせるには惜しい。頼めるだろうか」

 

 ただし恵里、アレーティア、いつの間にか戻ってきたメルドを除いて。

 

「恵里! それにアレーティアさんもメルドさんも!! そんなの絶対ダメだってば!!」

 

「ひっ!」

 

「駄目も何もないってば、ハジメくん。どうせこの人のことだし、国中から治癒師の奴らかき集めてでもボク達の真似を絶対する。そうでしょ?」

 

 それでも止めようと説得してくるハジメに恵里は自分の推測を語れば、愛子もまた無言でうなずいてそれに返してくる。恵里達がその願いを聞き届けてからは一段と瞳が濁っており、もう渇望を超えて妄執にまで至っているであろう。そんな意志を見せる愛子にハジメ達はうなだれるしかなかった。

 

「あ、あの……え、えっと……」

 

「……いいぜ、アレーティア。お前が正しいって思ったんだろ? だったらぶつけろ。な?」

 

 先程ハジメが大声を上げたことで自信がなくなって大介の服の裾をちょんとつまむばかりであったアレーティアだが、その大介が自分を見ながら励ましてくれたことでアレーティアも自分の意思を伝えようと勇気を出す。

 

「大介……んっ! あの、中村さんの言う通り、は、畑山さんは独自に動くと思います。だ、だから、その、私達が監督した方がいいと思い、ます……」

 

 やはり終始オロオロしながらではあったものの、それでもアレーティアは自分の意思を伝え切った。アレーティアの言葉にハジメ達や重吾は渋い表情を浮かべるものの、肝心の愛子はただ黙って聞いており、反論する様子も無い。彼女とてアレーティアの言う通り監督(監視)されることも頭に入っていたからだ。

 

「お前達、彼女のことが心配で仕方ないのはわかるが、そこまでにしておけ。覚悟を決めた人間はな、強いぞ」

 

 そしてメルドの言葉にハジメ達もうなずくしかない。何せ覚悟を決めたのは自分達もそうだったから。地球に戻って騒がしくも愛しかったあの日々を取り戻す。そのために戦っているのだから。

 

 狂気に駆られたとはいえ決意した重吾達もまた理解が出来てしまったが故に何も言えない。自分達のために、自分達のせいで、と思いながらもくちびるを噛むしか出来なかった。

 

「それで条件とは? 何を呑めばいいのですか?」

 

「大した条件でも何でもないよ。ただ、ボク達がやることにケチを今後一切つけないこと。それだけだよ」

 

 そして話し合いが終わったところで愛子は恵里に何をすればいいのかと問いかけるも、恵里が提示してきた条件が微妙なものであることに違和感を抱く。

 

(……後出しジャンケンが出来ますがそれだけですね。一体中村さんは何を考えてるのでしょうか。何か適当なモノを食べさせる腹積もりでは――)

 

「あぁそうそう。ボク達が提供するモノの方が地上にいる魔物を食べるよりも断然、強くなるよぉ~。どうするぅ~?」

 

「……っ」

 

 何とも言えない条件を提示してきた意味を愛子は考えようとし、恐らく適当なモノを与えようとしているのではないかと思い至ったその瞬間を恵里に突かれてしまう。執念は抑えきれない程に肥大化し、愛子の中に迷いが生じた。

 

(ここで探るのも否定するのも簡単です。しかし、向こうが嘘を吐いている道理も無い訳では……)

 

「いいのぉ~? 疑うのは簡単だけどさぁ、ボクの提案を突っぱねたら強くなるチャンスが消えちゃうよぉ~。蹴りウサギの肉、あげようと思ったんだけどなぁ~」

 

 疑い、迷い、どちらを採るかを決めあぐねていたその時、恵里がわざとらしく口にした『蹴りウサギ』という聞きなれない単語を聞いた時、愛子の心は一層揺れた。魔物の一種と思しきそれを聞いた時、ハジメ達が一瞬だけ『イナバ』と呼んでいたウサギのような見た目の魔物に視線を向けたからである。

 

「デビッドさん、チェイスさん、クリスさん、ジェイドさん。さっきの単語に聞き覚えは?」

 

「いや、それは……」

 

 デビッドらにすぐに尋ねてみれば彼らも聞き覚えがない様子を見せる。それは王国の人間や鷲三、霧乃も同様であり、それを見て愛子の心は決まる。この提案を逃してはいけない、と。

 

「……わかりました。ではその条件を呑みます。どうか、私にも力をください」

 

「はい、取引成立ぅ~。それじゃあ――」

 

「ま、待ってくれ!!」

 

 そうして愛子が頭を下げたことに恵里は笑みを浮かべるも、待ったをかけてきたデビッドに軽く顔をしかめてしまう。

 

「……何? 先生のやることにまだケチをつける気なの?」

 

「違う……俺も、俺達にもそれを分けてくれないだろうか」

 

 やれやれと思いながら問いただせば、デビッド達もまた覚悟に満ちた表情でそう頼み込んできた。それを聞いてハジメ達は当然、恵里も愛子も一瞬目を丸くするものの、すぐに目を細めて四人の言い分に耳を傾けることに。

 

「……愛子さんがああなってしまったのは私達が無力であったことにもあります」

 

「あの時、愛子ちゃんを傷つけてしまったことの後悔がずっと頭にこびりついて離れないんだよ……だから、だからせめて、彼女を守れる力が欲しいんだ」

 

「先程ステータスプレートを見せてもらった時に見つけた……“魔力操作”の文字を。たとえ俺達も魔物と同等に堕ちようとも、愛子を守るための力を手に入れたい。これは、贖罪だ」

 

 彼らの顔にも浮かぶ深い悔恨の情にハジメ達だけでなく王国の人間達も何も言えなくなる。事情を聴いたハジメ達は元より、よく知らない王国や重吾達もまたデビッド達から漂う後悔と己への怒りをその言葉の端々から感じ取ったからだ。

 

「……わかったよ。じゃあそっちも文句は言わないこと。いいよね?」

 

 予定外ではあったものの、恵里も戦力が増えること自体に異論は無い。愛子と同じ条件を出してうなずいた彼らを見てすぐに腹は決まったのであった。

 

 

 

 

 

「ぁぐ、がぁぁあああぁああ!!!」

 

「ぎぃ、いがぁああぁあぁああぁ!!!」

 

 つんざくような悲鳴が食堂の中でこだまする。自身の肉体が内側から崩れ、食い破られるような感覚に五人の男女が悶え苦しんでいる。その様を多くの人間がただ心を痛めながら静かに見守るしか出来ず、下手なことは出来ないと誰もが理解していた。

 

「先生! それに皆さんも! もう少し、もう少しの辛抱ですから!!」

 

「お願い耐えて!! 絶対に死なせませんから!! 私と鈴ちゃんで絶対に治しますから!!」

 

 唯一動いていたのは最上級回復魔法『聖典』を先程から発動し続けている鈴と香織だけ。反逆者と扱われた二人の少女が今この場で究極の癒しの力を振るう様に多くが驚きを感じはしたものの、それでも目の前の地獄のような光景から目も意識も離せはしない。悲鳴を上げ、頭を打ち付け、今にも体が砕け散って死にそうになっている人間達の様から誰も逃れられはしなかった。

 

「恵里! やっぱり“呆散”をかけよう! このままじゃ先生とデビッドさん達が――」

 

「お願い!! 愛ちゃんが死んじゃう! お願いだから助けて!!」

 

「なんでもするから!! 雑用でもなんでもやるから!! だから愛ちゃんを――」

 

「ごめん、ハジメくん。あとそっちの二人も。そのお願いは聞き入れられないよ。先生達も承諾したんだしね」

 

 ハジメに掴みかかられ、必死な様子の辻と吉野が懇願してくるも、恵里は苦し気に目をそらしながらそれを聞き届けることはない。こちらの仲間入りをするんだったらこれぐらいの痛みには耐えて欲しいというワガママもあったものの、そもそもこの激痛と言うのもはばかられるような痛みに耐えることを愛子達が誓ったが故でもあった。

 

『皆さんが受けた苦痛を私達も背負わなければなりません。そうしなければ仲間にはなれないでしょう?』

 

『愛子が受けると言ったんだ。俺達が逃げる訳にはいかない。ちっぽけではあるが、意地なんだ。これは』

 

 もちろんその申し出を聞いてハジメ達はどうにか説得しようとしたものの、そう儚げに、泣き笑いを浮かべながら言ってくる愛子を見てその意志を削がれてしまったからだ。そのため愛子達は自身が食らい尽くされていくかのようなおぞましい感覚に気が狂いそうになりながらも、それを甘んじて受け止めているのである。

 

(痛いいたいだいだイダイイタイ痛いいたいぁぁああぁぁあーー!!!)

 

 だが愛子達のその決意を容易に塗りつぶす程にその痛みはあまりにも苛烈過ぎた。体から軋み、割れる音が響く程にそれは強く、容赦なく愛子らを苛んでいく。

 

「どうして、こんな……」

 

 自分達もあわよくば、と考えていた野村や玉井らは二の句を告げない。中村達にやれたのなら自分達も、という浅ましい考えは既に砕け散り、のたうち回り、髪が段々と真っ白になっていく愛子らを見てただただ涙を流すしか出来なかった。

 

「まけ、るか……ぁ!」

 

 だが愛子は床に爪を立て、奥歯を強く噛み締めながら苦痛に耐える。鈴と香織が回復魔法を施しているせいで気絶出来ないというのもあったが、こんなところでくじけてたまるかと執念と憎悪を今一度燃やして堪え続ける。

 

「そう、だ……!!」

 

「わたし、たちも……まけない……っ!!」

 

「くるしいのは、あいこちゃんもだっっ!! この"ていどっ!!」

 

「すべではっ、あいごのだめに"っ!!」

 

 デビッド、チェイス、クリス、ジェイドもまた床に手や頭を叩きつけてでも正気を保たんともがき続ける。かつて愛子を精神的に追い詰め、操られたとはいえ暴力を振るってしまったことへの後悔が彼らを突き動かす。これに耐え、力を手に入れることが愛子の為になると信じて。

 

「皆さんあと少しです!!」

 

「本当にあともうちょっとだから! あとほんの少しだけ耐えて!!」

 

 そうしている内に五人の髪は完全に白に染まり上がり、瞳の色も赤に変わった。手の甲にも赤い線が走り、超回復によって体もデビッド達の方は大きくなっている。そして――。

 

「ハァ、ハァ……とま、った……?」

 

 ――遂に愛子達の変生が終わった。意識を失うことも出来ず、剝がれてしまうほどに強く床に爪を立てながらも五人は耐えた。耐えたのだ。かつて自分達が感じていたように体に力が溢れるのを愛子達も感じている様子で、手を何度も握っては開き、自分の体を触ったり、お互い顔を合わせて軽くギョッとしたりとしていて恵里達は少しだけ懐かしい気持ちになった。

 

「終わったみたいだね。じゃ自分のステータスプレートでも見てみたら」

 

 そう恵里が促せば、五人ともすぐに自分のステータスプレートを取り出して驚愕し、いきなり愛子ははらはらと涙を流し出した。

 

「……やっと、やっとなんだ」

 

 少し湿った声でぽつりとつぶやき、顔をうつむかせて銀の板を胸にかき抱く。

 

「まだほんのちょっとだけだけど……私、やっと手に入れたんだ。力を。皆を守れる力を」

 

 一匹分、それも奈落の底の一番浅いところの魔物の肉とはいえ相当ステータスは上がったのだろう。それを見てすすり泣く愛子にもらい泣きしたデビッド達がそっと寄り添い、彼女の涙をぬぐい、そして肩に手を添える。

 

「あぁ、そうだ愛子」

 

「共に戦いましょう、愛子さん」

 

「今度こそ、誓いをたがえはしないよ。愛子ちゃん」

 

「今度こそお前の剣として戦わせてくれ」

 

「はい……はいっ!」

 

 見ればハジメ達も少し目が潤んでおり、もらい泣きしたのは明らかであった。皆泣き虫だなぁと思いながらも恵里は一人思う。

 

(ま、こうして手を貸したんだ。見返りは期待させてもらうね)

 

 今後共に戦うであろう五人の()()を見ながら。今この場で色々言うのも野暮だと思ってただ静かに微笑みながら。




おまけ
本日のNGシーン


「ハァ、ハァ……とま、った……?」

 ――遂に愛子達の変生が終わった。意識を失うことも出来ず、剝がれてしまうほどに強く床に爪を立てながらも五人は耐えた。耐えたのだ。かつて自分達が感じていたように体に力が溢れるのを愛子達も感じている様子で、手を何度も握っては開き、自分の体を触ったり、お互い顔を合わせて軽くギョッとしたりとしていて恵里達は少しだけ懐かしい気持ちになった。

「終わったみたいだね。じゃ自分のステータスプレートでも見てみたら」

 そう恵里が促せば、五人ともすぐに自分のステータスプレートを取り出して驚愕し、いきなり愛子ははらはらと涙を流し出した。

「おもったよりのびてない……」

 ……そう。魔物の肉を食べるだけでかなり数値が伸びるんじゃないかと実は期待してたのである。

「流石にそこまでうまい話はなかったか……」

「高望みしすぎですよ愛子さん。私達の方も100から300ぐらい数値が上がってますし、それでよしとしましょう」

「確かに愛子ちゃんとしてはすぐにそっちの子達と並ぶぐらいの強さが欲しかったんだろうけどね……これから強くなろうよ」

「食事をするだけでここまで強くなれるのだ。これ以上文句を言ったら彼らに叱られてしまう」

「そうですけどぉ……うぅ……」

 魔物の肉を食べてクラスメイト達を守り切ってみせると意気込んでた上にちょっと高望みしすぎてたせいで愛子としては肩透かし気味な結末であった。なおその様を恵里達だけでなく重吾らや王国の人間も何とも言えない目で見ているばかりであった……。


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六十三話 先人の後をゆく者

また更新が遅くなりました(白目) いつの間にか経過してる時間が全部悪いんや(最悪の言い訳)

まぁ寝言は置いておいて、こうして拙作を読んでくださる皆様への惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも157243、お気に入り件数も836件、しおりも386件、感想数も550件(2023/3/3 0:29現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして目を通して下さり、お気に入りに入れてくれたりしおりをはさんでくれる皆様には感謝しかありません。

そしてレミイムさん、Aitoyukiさん、拙作を評価及び再評価してくださり誠に感謝いたします。こうして評価していただけることでやる気が湧きました。ありがとうございます。なんとかそれを執筆スピードに回せたらいいかなー、って(白目)

今回の話は分割した都合上短め(約8000字程度)となっております。いつもより短いですが本編をどうぞ。


「大丈夫ですか先生」

 

「ええ。体も軽いですし、もう意識もハッキリしてますから」

 

 光輝と龍太郎らが愛子とデビッドらに肩を貸そうと近くに寄るも、五人ともそれを断って自分達が使っていたイスに座り直す。そんな彼女達の様子を見てもう大丈夫だと確信した恵里はパンと手を叩いて声をかけた。

 

「それじゃ先生達も落ち着いたことだし、説明に戻ろっか」

 

 先程の愛子とのやり取りで少し時間を食ったものの、経緯に関する説明は既に大方終わっている。後はせいぜい神代魔法に関してのものぐらいだ。そこでハジメ、鈴、光輝に目配せをすれば三人ともそれにうなずいて応えてくれた。

 

「後は俺達が取得した神代魔法についてですね。その一つが生成魔法。無機物……えっと、金属や石などを操作する魔法です」

 

 光輝がまず生成魔法について説明しようとし、つい出た『無機物』という単語があまりポピュラーでないことを思い返して言い直す。ハジメも使い慣れた言葉が使えないことに苦笑しながらもすぐに宝物庫から適当な金属の塊を取り出して包丁やお玉、或いは板状に形を変化させていく。

 

「次は空間魔法です。空間に作用して壁を作ったり、空間に穴をあけて別の場所に行ったりと色々なことが出来ます――“界穿”」

 

 次は鈴が得意な空間魔法を発動し、それがどんなものかを見せていく。食堂にいきなり現れた光の膜の先には先程自分達がいた謁見の間が見える。あまり驚かなかった生成魔法の時とは違い、これには誰もが大いに驚いた。空間に壁を作るというのは結界魔法と大差ないが、場所と場所を繋ぐものなど彼らの知識には無かったからだ。

 

「実際に移動することも出来ます。けど、結構魔力を使うので早めにお願いします……」

 

「ではこの私、メルド・ロギンスが。鈴、もう少しだけ頑張ってくれ」

 

 とはいえこんなとんでもない魔法である以上燃費というものはなかなかに悪いらしい。ちょっとだけ辛そうにしている鈴を見てメルドがすぐさま立候補し、他に気になった重鎮も彼の後をおっかなびっくりついていく。そして何度か往復してこちらに戻ったのを確認すると、鈴は光の膜を消し去り、大きくため息を吐いた。

 

「「お疲れ様、鈴」」

 

「お疲れ、鈴」

 

「よくやった鈴。しかし本当に便利なものだな」

 

「ありがとうハジメくん、恵里。光輝君にメルドさんも」

 

 そばにいた恵里達から声を掛けられ、それに返事をしていく鈴。もう一度息を軽く吐くと周囲を見渡しながら鈴は再度空間魔法についての説明に戻る。

 

「先程御覧になったり体験されたように空間魔法にはああいうものもあります。後は強力な結界魔法や空間そのものを爆発させたり、えーと……空間そのものを真っ二つにしたり。様々です」

 

 鈴が説明を終えると様々な反応が飛び交っていた。やれそれ程の力があれば魔人族にも負けることはないだの王宮の緊急避難に使えるだのどこでもド○じゃねーかだの生成魔法と組み合わせれば小さな大結界が出来るだのといったものだ。

 

 それを見て誇らしげになった恵里はフフンと胸を軽く張りながらも、感慨深げに思いを口にする。

 

「さっすが、鈴にハジメくん。ボクの仲間達だよ」

 

「……ありがと、恵里」

 

「ありがとう、恵里――皆さん、説明に戻ります。俺達が取得した最後の魔法は魂魄魔法。ハイリヒ王国の教会のある場所に取得用の魔法陣が隠されていたのですが、これは先程体験されたように魂に作用したり、魂そのものを造るものです」

 

 ちょっと照れくさそうに返す鈴を見て軽くニヤけていると、自分にお礼を返した光輝が魂魄魔法について語り出したため、すぐに一歩前に出てその説明を補足する。

 

「この魔法が主に出来ることはさっき光輝君が説明した通り。それとこれ、降霊術と同じことも出来るから死体の操作だって可能だよ」

 

 おそらくこれが降霊術のルーツだろうと確信していた恵里がそう述べれば、やはりといった様子でハイリヒ王国の重鎮やルルアリアらはそれを聞いている。あまり騒いでいない辺り、すぐに連想が出来たのと移動前にしまったゴーレムの存在が大きいのだろうと恵里は見ている。

 

「とりあえずおおまかな説明は以上です。他に質問がある方はいませんか?」

 

「な、ならば大結界の代わりになる防御施設を造ってはいただけないだろうか? 現状ハイリヒ王国が丸裸のままなのだ!」

 

「先程謁見の間でそちらのお二方が述べてたように兵士どもを服従させる道具を作ってはいただけないか? 大半はそちらが無力化で留めていただいたおかげで戦力の激減は避けられたのだが、それでも近衛が壊滅したダメージは大きいのだ」

 

「いや、これはメイドや使用人達にも用意していただきたい! この広い城を管理、維持するとなると新たに募集をしてもどれだけの人間が来るかもわからぬし、何より使えるようになるまで時間がかかるのです!!」

 

「お、落ち着いて! 落ち着いてください!!」

 

 そうして光輝が質疑応答に移ればすぐさま上層部の人間から矢継ぎ早に質問、というかお願いを投げかけられてしまう。そりゃそうだよなぁとやや他人事みたいに応答に追われる光輝を横に見つつ、恵里は“鎮魂”で一旦頭を冷やした方がいいだろうかと考える。が、それも杞憂に終わった。

 

「静粛に!!……失礼しました。後で私達の陳情をしたためたものを用意させていただきます。私達のことを思うならばどうか目を通していただけませんか?」

 

「あはは……ありがとうございます王妃様。もちろんちゃんと読ませてもらいます」

 

「実際にやるかは別問題だけどね。最優先はボクらのことだから」

 

 またしても出たルルアリアの一喝に場は静まり返り、後々陳情書を出すことを伝えてきた。そのためお人好しの光輝が余計なことを言い出す前に恵里がすぐに釘をさし、けん制しておく。目を通せばまず間違いなくこのお人好しどもはやれる範囲で全部やろうとするからだ。

 

 自分達が優先だよ、とじっとりとした眼差しで伝えれば光輝だけでなく友人の大半もタジタジといった様子であった。

 

「全く……とはいえ恵里の言うことも尤もだ。お前達のことで優先すべきなのはお前達のことだからな。が、こちらのことも少しは気にかけてくれ。一応エヒトとの戦いに参加するんだからな」

 

「まぁメルドさんの言う通りだけどさ。でも一々聞いてたらキリがないじゃん。ハジメくん達も聞こうとするだろうし」

 

「まぁそれは違いない」

 

 少し呆れた様子のメルドに先の発言をたしなめられる恵里であったものの、ハジメ達が際限なくお願いを聞いてしまいそうなことにはすぐに同意する。ハジメ達も苦い表情を浮かべるものの、やはり心当たりがあるのか反論はせず。その様をだろうなぁと思って大介達四人は苦笑し、やや呆れた様子でアレーティアも見ていた。

 

「……あの、地固めは必要だと思いますけど、まず皆さんのことを優先すべきです。優先順位をはき違えたらいけません」

 

「あ、はい。すいません」

 

「んで、他に何かある?――無いんだね? じゃあボク達はこれから作業に移るよ」

 

「お待ちください中村様」

 

 こればかりは国を動かしていたアレーティアに敵わず、光輝も思わず平謝りしてしまう。とはいえこれで話もひと段落着いたため、これから新たに手に入れた空間魔法の研究がてらアーティファクトの作成に移ろうかとした時、ふとルルアリアの方から声がかかった。

 

「今度は何? 何をする気?」

 

「大したことではありません。その作業とやらに王女を、リリアーナを加えてはいただけないでしょうか」

 

 一体何を言われるのやらと尋ね返せば、その作業にリリアーナも参加させることをお願いしてきたのである。一体どうしてと思いはしたものの、大方一枚かませて何かするつもりだろうと考えた恵里は思わず眉をひそめた。

 

「あ、そう。じゃあきゃっ――ぁ」

 

 何を要求されるかわからなかったため、すぐに却下と言おうとしたものの、ハジメに手を掴まれたことでそちらの方に意識が向いてしまう。

 

「恵里、これぐらい別にいいでしょ」

 

「えー、だって……」

 

「俺達の手の内が露わになるのが嫌なのか? だったらさっき見せてるだろ。それとも単純に気に食わないとかそういう理由……なのか?」

 

「それは、その……」

 

 少し困ったような顔でなだめてきたハジメに口をツンと尖らせながら文句を言うも、光輝から諭されるように問いかけられれば答えに窮してしまう。事実彼の言う通りなのだから。そのリアクションに疑問と確信半々で問いかけた光輝を含めた面々が思いっきり呆れかえってしまった。

 

「そんなことだと思ったよ……」

 

「だってさ……ハジメくんだけじゃなくて皆を追い詰めようとしてた奴らだもん。気に食わないのは気に食わないよ」

 

 皆を窮地に追いやったことの恨みはまだ忘れていないし忘れるつもりもない。そんな様子の恵里を鈴は半目で見つめるも、ハジメだけはため息を吐きながらも彼女の手を取りながら胸元に手繰り寄せる。そして優しく抱きしめつつ語り掛けた。

 

「許してあげよう、恵里。だって今は一緒に戦う()()なんだから」

 

 ハジメにはわかっていた。恵里がどうしてまだ頑なであるかを。だから彼女の心がほぐれるよう少しずつ問いかけていく。

 

「さっきからずっと上の()()にいようとしたのも怖かったからだよね? 僕達に何かあったらと思うと不安でさ」

 

「……うん」

 

「でもさ、恵里。それは本当に必要? 大介君とアレーティアさんのことを本気で崇拝しそうな人達だし、リリアーナ様だって信治君にときめいてる。そんな王国の人達が裏切るつもりだと恵里は思ってる?」

 

「おいハジメマジでやめろ。なんか感情がぐちゃぐちゃになって死ぬんだよ!!」

 

「あぅぅ……」

 

 外野四人が顔を真っ赤にしているのを無視しつつ、恵里の頭をそっとなでながら問いかける。そうすれば恵里もハジメを強く抱きしめ返し、少しだけ悔しさをにじませながら不満を漏らした。

 

「まぁ南雲さんったら……その、えぇ。ふふっ」

 

「お、おう……ったくハジメ、テメェこの野郎……あ、いい匂い」

 

 ハジメが語った通り王国の人間は大介やアレーティアを新たな神として崇める勢いであるし、信治もまた救国の英雄という扱いでリリアーナも恋をする女の子らしい表情を浮かべている。それもわかっていたが故にハジメの問いかけにうなずくしかない。ただの杞憂でしかないとわからされるしかない。

 

「確かにそうだけど……ズルいよ、ハジメくん。そんな風に言われたら何も言えないじゃん」

 

「ごめん」

 

 謝罪するハジメに恵里はもう黙って彼の胸に顔をうずめるだけだった。鈴のうらやましげな視線を受けることしばし、顔を上げた恵里は王国の上層部の人達に向けて頭を下げた。

 

「……ごめんなさい。こっちも神経質でした」

 

「いえ。私達がしたことを考えれば中村様がそのようになるのも致し方ありません。ですので気になさらないのであればそれ以上のことは申しませんわ」

 

 謝罪を口にすれば空気がどこかホッとしたものへと変わる。ルルアリアもまた軽く安堵した様子でそう返せば、恵里も助かったといった具合に口角を緩めた。

 

「そう言ってもらえると助かるよ。じゃあさっきのを受け入れる代わりにもひとつお願いがあるんだけどさ」

 

「なんなりと」

 

「そっちの王女様だけじゃなくてメルドさんにも来てほしい。ハイリヒ王国の中で一番神代魔法に接してたのがメルドさんだろうからね。国としてもそっちの方が都合がいいでしょ?」

 

 その頼みはメルドも自分達の研究に参加させること。王国のために残ることになったからこそ自分達が習得した各種神代魔法やこれから作るアーティファクトについて詳しく知っておいてほしいのだ。ルルアリアも口角を上げながらそのお願いにうなずいて返してくれた。

 

「こちらとしても助かります。ではメルド、彼らに随意なさい。よろしいですね?」

 

「御意。すまん、助かる」

 

「ま、死線をくぐり抜けた仲間だしね。これから王国を守ってもらうんだからちょうどいいよ」

 

「恵里が言い出さなくても僕か誰かが進言してたと思います。ですから気にしないでください」

 

 自分達に感謝を述べたメルドに対し、恵里もハジメもいつもの柔らかい表情を浮かべてそう返す。もちろんそれは友人達も同じであり、彼のために協力は惜しまないという思いが見て取れる。故にメルドも口角をほんのわずかに緩めつつも、人前ということでせき払いをしてそれをごまかす。

 

「ではこれから俺達はハジメが使っていた部屋へと向かいます。よろしいでしょうか」

 

「すいません天之河君。私は永山君達の方についていたいのですがいいでしょうか」

 

「お願いします、畑山先生。永山達を、頼みます――じゃあ行こう、皆」

 

 愛子だけが何とも言えない表情をしている重吾達のそばにいたいと頼み込みはしたものの、これから作業に移ることに誰も異を唱えはしない。そうして恵里達はリリアーナと侍女のヘリーナ、メルドも引き連れて目的の部屋へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

「ようやくか。だがそちらの女どもは本当に大丈夫なのか?」

 

 そうして話をしながらハジメの使っていた部屋へとたどり着いた一行は、昨晩寝るために設置してあった自作のベッドを宝物庫へとしまい、取り出したイスやテーブルを運んで作業がしやすいように模様替えをしていた。

 

 そんな中、作業がてら鈴が“界穿”でフリードが待機していた教会とこの部屋を繋ぎ、彼を招いたのだがここに来て早々リリアーナとヘリーナに対して軽い不信の目を向けたのである。

 

「……俺の仕える国の王女とその侍従だ。気持ちはわかるが信じてくれ、フリード」

 

「いえ、そちらの方の懸念はもっともです。もし機嫌を損ねたというのならばお好きにしてくださっても構いません」

 

「な、なぁフリードさん。姫さんが変なことしないよう俺が見とくからさ、頼むよ。この通りだ!」

 

 そこですぐにメルドが信じて欲しいと頼み込み、リリアーナもまた何か気を害したのならどうなってもいいと毅然とした態度で訴える。また信治が土下座する勢いで頭を下げたため何も言えなくなり、ため息を吐くと彼らに向き直った。

 

「わかった。こちらからはもう何も言わん。一応通される前に話は聞いたからな」

 

「助かります――よし。じゃあ皆、これからハジメ達が手に入れた空間魔法、それとフリードさんの変成魔法がどんな魔法なのか調べていこうか!」

 

「? 光輝さん、何を仰っているのですか?」

 

「お前は何を言ってるんだ」

 

 目をつぶってそう返したフリードに光輝は頭を下げると、早速二つの神代魔法の真髄について調べようと音頭を取ろうと声をかける……が、案の定待ったがかかった。

 

「私の変成魔法については既に話していただろう。もう忘れたのか?」

 

「覚え間違いでなければ私も先程の説明会で空間魔法がどんなものかをうかがっています。応用方法の研究でしょうか?」

 

「王女様の言うことも一応は合ってるよ。でもね、そういう理由じゃないんだ」

 

 フリード、リリアーナ両名から違う形で質問が来るもののそれに恵里は冷静に答え、そこにメルドが被せる形で説明していく。

 

「王女様、先程の説明会では混乱してしまうと考えて光輝達は話しませんでした。理由は神代魔法を取得した時の説明です」

 

 自分の場合は又聞きですが、と強い後悔をにじませながらメルドは語っていく。ハジメ達の口から語られた神代魔法の取得時の説明を、信治のイタズラが原因でその時の説明が正しくはなかったことを。

 

「そして畑山殿の技能とハジメの気づき、検証を経てわかったのです。あの時取得した生成魔法はああいったものだった、と」

 

「元が金属への魔法や技能の付与だと? 全然違うではないか。どうなっている」

 

「……メルド、先程正しくはないと述べていましたがその説明自体は間違っていたのですか? どうなのですか」

 

「えぇ、間違いではありません。しかしそれだけです。厳密には本来出来ることの一つでしかないに過ぎません。だからこそ、わからないのです」

 

 メルドの返答にリリアーナは絶句し、ヘリーナも目が開きっ放しとなっている。何故こうも説明が食い違うのか。否、何故わずかな範囲にしぼって説明がされていたのか。

 

 解放者がはるか昔の人間であったことを考えれば作為的にこうしたのは間違いない。だがその意図が読めないのだ。何故力を託すというのに正しい説明をしなかったのか。これが何を意味するのかリリアーナは考えあぐねてしまったのである。

 

「それはあくまで生成魔法に限った話ではないのか? 他は関係ない可能性も――」

 

「いいえ、フリードさん。それは違います」

 

 自分が手にした力への認識が根幹から揺らいでしまいそうになり、不安を感じたフリードはそう反論するもそれにハジメがノーを突きつけた。一部しか説明がされてない、という証拠は他にもあったからだ。

 

「フリードさんを呼ぶ前、実は僕達はアーティファクトを作っているんです――この子ですけど」

 

 そう言いながらハジメは大型犬を模したゴーレムを宝物庫から取り出すと、すぐに声をかけて芸をさせる。お手、お座り、おかわりといった様々なものだ。その様子を見てどこか違和感を感じていたフリードに恵里が説明をしていく。

 

「ねぇフリードさん、どうしてこのゴーレムは芸が出来てると思う?」

 

「いや、それはコイツが意志を持っているから――っ!!!」

 

 恵里の問いかけに普通に答えようとしたその時、自分の中でかすかに感じていた違和感の正体にフリードは気づく。そして同時に戦慄する。この女はとんでもないことをやってのけた、と。

 

「そうだよ。この子にね、魂を吹き込んだんだ。この子に宿る魂に色々と芸を仕込んだんだよ。魂魄魔法でね」

 

 途端、フリードの口の中が一気にカラカラになった――なにせ取得時に聞いた説明は大雑把に言えば『魂に干渉できる魔法』というものだったからだ。ただ干渉するだけでなく、魂すら造ってこのゴーレムに宿したとなれば矛盾する。生成魔法だけがその効果の説明を限定していた訳ではない。魂魄魔法すらその説明を省いていたのだと認めざるを得なくなる。

 

「多分フリードさんが取得した変成魔法は有機物――生物に由来する物質に干渉する魔法だと思うんです。だって生成魔法の対になりそうなものですからね」

 

「そうだよねぇー。何せ『生き物を魔物に作り替える』、でしょ? ()()に干渉して作り変えてるんだからクロっぽいよねぇ~」

 

 推測を述べるハジメと彼に続く恵里の言葉にフリードはもう二の句が継げなくなってしまう。

 

 まさか自分が手に入れたものは自分が思っていた以上にとてつもない力だったのか、という驚きと変成魔法の真実に迫ったハジメと恵里への畏怖で彼の頭は満たされてしまっていたからだ。

 

「あ、でもこれはハジメくんが導き出した結論ですよ」

 

「いやいや、恵里が前世のことを話してくれて、それで色々話し合ってたらこうなんじゃないのかな、って思っただけで。こうして情報を持ってきてくれた恵里が一番すごいですよ」

 

「何言ってるのハジメくん。そのボクが出した情報を元に色々考えて推測を出したハジメくんが一番すごいじゃん。謙遜しないでよ」

 

 三人でやいのやいのと言い合っている様を見てフリードは脱力し、額に手を当てて深くため息を吐いた。どういう形であれ彼らが味方でいてくれて助かった、と。

 

「……これ程の知恵があって、実力もある方を排除しようとしていたなんて」

 

「ともあれ南雲様がたが私達を処断することなく、配下に置いてくださったのは幸運としか言えませんね。リリアーナ様」

 

 それは近くにいるリリアーナとヘリーナも同じようで、かなり疲弊した様子を見せている。顔を合わせれば『あぁ、そちらも』といった具合に乾いた笑いを浮かべ、自分も表情筋がヒクついたのをフリードは感じていた。

 

「はい三人とも、話はそこまで」

 

「それ以上相手の褒め合いやってたら日が暮れちまうぞ、ったく」

 

 ふとパン、と光輝が手を叩いて恵里達に声をかけた。このままでは話が進まないからだ。龍太郎も何やってんだか、と言わんばかりの表情で見つめてきたため、むぅとほっぺを軽く膨らませながらも恵里は龍太郎をにらみ返す。

 

「そうだね。ごめんね光輝君、龍太郎君」

 

「いいじゃん二人とも。生成魔法の真髄に気付いたのもハジメくんのおかげなんだよ。もっとハジメくんほめてよ」

 

「いやいやここはその気づきに至るための情報を持ってきた恵里をちゃんとほめてあげたほうが――」

 

「そこじゃねぇんだよお前ら。ほら光輝、とっとと説明続けてくれ」

 

 鈴だけは我に返った様子ではあったものの、恵里とハジメはまだ相手を持ち上げようとしていたため、心底呆れかえった龍太郎が催促し、光輝もため息を吐きたくなるのを堪えながら話を再開していく。

 

「えー……とにかく、空間魔法と変成魔法にも隠された力というか、本来の効果があると思うのでそれを調べたいと思います。意見はありますか?」

 

 その言葉に誰も反論はしなかった。




没タイトル「Giant steps」


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六十四話 ハイリヒ狂騒曲

まずは読者の皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも158332、お気に入り件数も837件、しおりも387件、感想数も555件(2023/3/7 22:37現在)となりました。誠にありがとうございます。我ながら大分遠いところまで来たものだと思います。それもこれも皆様が拙作をひいきにしてくださるおかげです。ありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当に感謝いたします。今回もまた筆を進めるための力をいただきました。いつもありがとうございます。

今回は『本文は』ほんの少し長め(約11000字程度)となっております。それでは本編をどうぞ。


「よし、それじゃあ空間魔法と変成魔法……変成魔法の方はさっきハジメが言った推測がそれっぽいな。えっと、空間魔法についてまずは皆で推測なり疑問に思ったことを言ってみるなりしてみようか」

 

 先程ハジメが語った変成魔法に関する推測がそれっぽかったためそちらは後回しにしようと考えつつ、光輝は空間魔法の真髄がどういったものかについて皆で考えようと声をかけた。すると早速ハジメが手を上げてきたため、すぐに話を振る。

 

「じゃあハジメ、頼む」

 

「うん――さっき説明しなかったんだけど、この空間魔法があれば容量はどこまでになるかわからないけど宝物庫の再現が出来ると思うんだ。ほら『空間』だしね」

 

 いきなり軽く脇道にそれかかったものの、ハジメの言葉を聞いて場は大いに沸いた。

 

「マジか!! そ、それなら俺達も好きに道具を持ち込んだり、回復薬の入った容器が壊れることに悩まなくって済むんだな!」

 

「あ、あのガントレットも修復出来るわよねハジメ君! だったら暗器……コホン、道具の持ち運びも楽になるわ!!」

 

 何せハジメが常に使っているあの何でも入る上にすぐに取り出せる四次元ポケ〇トみたいなアーティファクトだ。これがあるだけでやれることの幅がかなり広がる。これには光輝達だけでなく鷲三と霧乃、フリード、リリアーナにヘリーナまでもがひどい興奮を覚えてしまう。

 

「なるほど。確かにそれなら道具の携帯も容易になるな」

 

「そうですね。とはいえ一度操られた私達が持つには少々危険ではありますが」

 

 自分達がかつてエヒトに操られていたことを思い出し、少し顔をうつむかせながらも鷲三と霧乃は宝物庫を評価する。今ここで暗い顔をしても意味は無いと利便性の方に意識を持っていきながら。

 

「本当にとんでもないことを言ってのけるな、お前たちは……いかん、恨みがぶり返してきた」

 

 フリードもとてつもなく便利な道具を自分も手に出来るやもしれないと口元が緩むのを抑えきれなかったものの、ふと自分がヒィヒィ言いながらグリューエン大火山を攻略してた時のことを思い出し、思わず額を手で押さえた。時効になるにはまだ早いようである。

 

「確かに、あの場で言わなくて正解だったと思います。これ一つで色々と変わってしまいますもの……」

 

 リリアーナは今も恵里と一緒にゴーレムと戯れている少年を見ながらつぶやく。謁見の間でお披露目されたあのゴーレムもそうだが、彼が持っているあの指輪も量産できるということに戦慄せざるを得ない。

 

 これに物資を入れてしまえばその分身軽になって行軍時のスピードを増やせるし、諜報が出来る人間に持たせればいくらでも敵方の資料を盗み取ることにも使えるだろう。もちろんこれらの方面以外にもあのアーティファクトは役に立つ。仕事道具などを入れる便利な道具として、買い物袋として――或いは、窃盗したものをしまい込む便利な隠し場所として。

 

 何もかもを変えてしまう、全てが根底からひっくり返されてしまう危険なものであると認識できたからこそ冷や汗を流すしかなかった。

 

(これ一つあれば様々なものを用意出来ますね。日常生活においても腐らないアーティファクトですし)

 

 その一方、ヘリーナはもし手に入った際の活用方法を考えていた。無論彼女とてこの道具の危険性はわかってはいたものの、自分の立場がただ王族に仕えるだけのメイドでしかないということを自覚している。これの扱いに関しては国の重臣や陛下の代わりにかじ取りをしている王妃に任せるべきだと考えていたからだった。

 

「ど、どうなんだハジメ。やってみてくれるか?」

 

「うん。じゃあ実際やってみるよ。雫さん、それを貸して」

 

 雫は身に着けていたガントレットを外し、すぐにハジメへと渡す。ハジメもそれを受け取り、かつて修復できなかった魔法陣に触れ、頭に刻まれた知識を元にそれを直そうと試みる。奈落の魔物の深い階層にいた魔物の魔石を取り出して砕き、魔法陣を描き直す。そして空間魔法を生成魔法で再度付与したところでハジメは全員の顔を見回した。

 

「これで修復は完了したはず。じゃあ中のものを取り出してみるね」

 

 誰もが唾をのみ、備わっていたはずの機能がよみがえったかを今か今かとガントレットに視線を注ぐ。瞬間、ガントレットは一瞬だけ輝き、中に入っていた服――かつて恵里をさらったであろう神の使徒が着ていたとされるシスターの服がそこに現れた。

 

「よしっ!」

 

「やった……」

 

「すごい……」

 

 成功した。出て来た中身はこれだけであったものの、間違いなく直せたのだと全員が理解した。

 

「やったよハジメくーん!!」

 

「さっすがハジメだ!!」

 

「よくやった。見事だ」

 

 一瞬で場は歓喜に包まれる。ハジメに抱き着いた恵里と鈴ごと親友達はもみくちゃにすると、三人まとめて一気に胴上げ。全員でその喜びを分かち合った。

 

「全くアイツらは……すいません王女様。もう少しだけ待っていただけますか」

 

「いえ、構いませんよメルド」

 

 王女ほったらかしにして身内で盛り上がる彼らに少し呆れてしまうメルドであったが、リリアーナはあまり気にした様子もない……という訳でもなかった。

 

「リリアーナ様。先程から視線が中野様に注がれてますが、うらやましいのですか」

 

「っ!? そ、その……」

 

 さっきからずっと視線は信治に注ぎっぱなしであり、ほんのわずかに唇がとがっている。長い付き合いであったヘリーナは少し口元を緩めながら尋ねるも、リリアーナはしどろもどろになって肯定も否定もしない。きっと彼ともこういうことをしたいのだろうと考えていると、ようやくメルド達が動き出した。

 

「だ、大介ぇ~。け、研究は~?」

 

「お前達ー、そこらで胴上げも切り上げろー。やるなら夕食と風呂を済ませてからにしろー」

 

「嬉しいのは嫌と言う程わかったが、ここで時間を浪費するな。そろそろ作業に移ったらどうだ」

 

 アレーティア、メルド、フリードに声を掛けられ、『あぁそうだった』と全員が思い直すとすぐに持ち場へと戻っていく。そしてちょっと顔を赤くした光輝がうつむきながら軽くせき払いをすると、全員に向き直った。

 

「コホン……えーと、じゃあ他に誰かいないか? ちょっとしたことでもいいんだ。何でもいいから言ってほしい」

 

「あ、じゃあちょっと確かめたいことがあるんだけど」

 

「俺もだ」

 

 そうして再度話を振ると、今度は恵里と幸利が手を挙げてきた。気恥ずかしさをごまかすためにも、光輝は二人の方を向いてすぐに確かめたいことの確認に移った。

 

「じゃあ恵里と幸利。それぞれ意見を言ってほしい」

 

「ボクのは簡単だよ。単にどこまで“界穿”が届くかどうかってだけ」

 

「こっちもちょっとした疑問だ。“界穿”はどうやって別の空間と繋いでるのかが知りたいってだけだな」

 

 奇しくも二人の話題に挙がったのは“界穿”のことである。既にどういった魔法であるかはグリューエン大火山を攻略した面々は知っていたものの、まだその時はそこまで気にかかっていなかった。フリードのことや魔人族の事情に鷲三、霧乃の襲撃やハイリヒ王国を急襲したことなどで考える時間が無かったからである。

 

 しかしこうして余裕が出来、先程の説明会で披露した際に二人は気になったのだ。恵里は移動できる範囲を、幸利はその原理について知りたいと思ったのである。そこで鈴がうなずくと、すぐに意を決した様子で魔法を発動しようとする。

 

「じゃあやってみるね。“界穿”……駄目。少なくとも地球には繋がらない」

 

「異世界転移だもんね。座標とかがわかる道具があればともかく、流石に厳しいかもね」

 

「そうだね。まぁでもエヒトの奴がボク達をトータスに引きずりだせたんだからきっと方法はあるさ」

 

 そこで鈴は自分達の目的の一つである『地球への帰還』が出来るかを確かめるため、早速“界穿”を発動するが失敗。かなりの魔力を込めたものの、繋がるどころか光の膜すら現れず不発となってしまった。落ち込む鈴をハジメと恵里が慰める。

 

 そうして鈴が少し落ち着いたところで、彼女が身に着けていた魔晶石に先程使った分の魔力を恵里が注ぎ込み、話を進めるよう光輝に進言する。

 

「エヒトの野郎がボク達をトータスに引っ張って来たんだからきっと帰る方法はあるよ。まずはそれ以外の方法を探そう」

 

「そうだな。恵里の言う通りだ。じゃあ早速調査をしてみよう。空間魔法に一番適性があった鈴が恵里と組んで届く範囲を、“界穿”の原理を調べるんだったら浩介か礼一が付き合って調べてほしい」

 

「わかったよ光輝君」

 

「あ、俺の方は浩介の分身で構わねぇぞ。本人は本人で色々とやってくれりゃいい」

 

「悪い、幸利」

 

 そうして話は進んでいく。グループを作って分け、それぞれに光輝が調査を命じればすぐにまとまった。二つのグループが出来上がった後、光輝は改めて仲間に何か意見があるかを尋ねた。

 

「じゃあ他に誰か意見は無いか? 俺はフリードさんと一緒に変成魔法が本当はどんなものかを調べようと思ってるんだけれど、言いたいことがあるなら言ってほしい」

 

「ならハジメと一緒に造るゴーレムについて打ち合わせをしたいんだがいいだろうか?」

 

「そうですね。宝物庫は鈴と一緒に作った方がいいものが出来ると思いますし。じゃあ皆、僕はメルドさんと一緒にゴーレム造りをしたいんだけどいいかな?」

 

 『異議なーし』と光輝とメルドの提案にほとんどの面々が答え、フリードも目をつむったままではあったが反対の声を上げることは無かった。その後、まだ空間魔法を実際に使ったことのない浩介本人と礼一が空間魔法の運用方法を相談したいと述べ、各グループに誰を配置するかを決めてから事前の話し合いは終わりを迎える。

 

「よし。それじゃあ一旦解散! 夕方になったら再度この部屋に戻って各自報告。それでいいか?」

 

 『おー!』と元気のいい声を全員が上げたのを聞くと、すぐに一行は解散する。

 

「じゃあハジメくん、いってらっしゃい」

 

「うん。恵里も鈴もがんばって」

 

 そうして各々あいさつを済ませるとそれぞれが決められた場所へと移動していく。

 

 フリードの変成魔法を調べるグループはフリード当人に光輝、雫と鷲三、霧乃が担当することになった。またメルドが運用するゴーレムに関する打ち合わせの方にはハジメとメルド、そして一応浩介の分身の一人もアドバイザーとして参加している。

 

 幸利の疑問について考えるグループには浩介の分身一人に加えて信治と良樹を引っ張ってきた。無論今度も神代用魔法を解き明かすヒントが見つかるのではないかという願掛け込みのメンバーだ。その中にリリアーナとヘリーナもついていっていたりする。

 

 浩介と礼一の空間魔法の運用に関しては大介、アレーティア、優花、奈々、妙子が加わることになった。そして――。

 

「どこまで届くんだろうね、鈴ちゃんの“界穿”って」

 

「ホントな。手に入れてまだ数日だろ? それで食堂と謁見の間までつないだんだから大したもんじゃねぇか」

 

「当たり前じゃん龍太郎君。だって鈴だよ? やれない訳ないでしょぉ~?」

 

「うん。結界魔法のエキスパートの鈴の腕を舐めないでね」

 

 香織と龍太郎の二人がバッテリー担当として恵里と鈴のグループに加わった。もちろん恵里もバッテリー扱いである。三人で鈴を持ち上げつつ、宝物庫から取り出したパイプイスを全員脇に抱えながら隣の部屋へと移る。念のため鍵を施錠してからパイプイスを適当に配置し、鈴の準備が整うのを恵里達は待った。

 

「じゃあまずどこからいってみる? この王都の外とかは?」

 

「んー、それぐらいならいけるかも。じゃあやってみるよ――“界穿”」

 

 恵里からのお題に鈴はすぐに応じ、早速光の膜を作ってみる。するとその先には平原が広がっており、間違いなくこの王宮の外であることがハッキリと分かった。

 

「すごーい!!」

 

「ホント大したもんだ。んじゃ、早速どこにつながってるか確認してみようぜ!」

 

 目をキラキラさせて手を何度もパチパチ叩いて感激する香織と手でひさしを作りながら膜の先にある光景を見てため息を吐く龍太郎。どこに繋がったかはまだ定かではないものの、遠くの場所へと繋げたという意味では鈴はちゃんと成功を収めている。そこで膜の先は一体どこなのかを調べようと龍太郎が提案してきたため、恵里も鈴も笑顔で応じた。

 

「オッケー。それじゃあボクが魔力を注ぎ続けるから鈴、展開よろしく」

 

「わかった。じゃあ二人とも、いってらっしゃい」

 

「行こ行こ龍太郎くん!」

 

「おいおい急かすな!……ったく」

 

 はしゃぐ香織に手を引かれながら龍太郎は共に転移ゲートの奥へと消えていく。相変わらずにぎやかな二人を見送ると、恵里は鈴の持ってる腕輪型の魔晶石に手を当てていつでも魔力を充てんできるように準備する。

 

「そういえばさ、さっき食堂で謁見の間を繋いだ時とどっちがキツい?」

 

「やっぱりこっちだね。距離が遠い分、持ってかれる魔力の量も多いよ。まぁ技能のおかげですぐ回復出来るし、恵里が思ってるよりは持ってかれてないかな」

 

 そこでふと魔力の消費は説明会の時に披露したのと今、どちらが多いのかを尋ねてみれば、間を置かずに鈴は今の方が多いと返してきた。とはいえ鈴が語ったように技能の“高速魔力回復”のおかげで、消費した分は地球と繋ごうとした時には既に粗方回収済みであった。

 

 今も転移ゲートを展開し続けて少し辛そうにはしているものの、まだまだ余裕がありそうな表情である。

 

「ただいまー! すごいよ鈴ちゃん! ちゃんと王国の外に出てたよ!」

 

「辺りを見てみたら国を囲ってる門の外、それも真ん前だったな。つい昨日見た場所だったからすぐわかったぜ」

 

 そうして雑談を繰り返していると、香織と龍太郎が帰ってきたためすぐに鈴は膜を消した。一息吐くと共に魔晶石から少し魔力を補充しつつ、鈴は恵里と一緒に二人の話を聞く。聞いた限りでは王国の混成軍が自分達を迎え撃とうとした場所らしく、鈴もそれをイメージしていたのか特に驚いた様子もなかった。

 

「そっか。じゃあイメージ通りだね。そうなるとイメージさえ出来れば色んなところと繋げるかも」

 

「なるほどねぇ。じゃあさ、鈴。グリューエン大火山は? あそこまで繋げられる?」

 

「火山かぁ……うーん、やってみる。多分出来るかもしれないし」

 

「あー、火山の方もそうだけどよ、オルクス大迷宮の方はどうだ? 恵里はまだ生成魔法手に入れてないだろ?」

 

「あ、そうだね。確かに使いたい。ハジメくんまでとはいかなくてもある程度適性があるなら手伝えるし」

 

 そうして話し合いをしながら実験を続行。ちょくちょく留守番兼魔力を補充する役を変えながら色々な所へと四人は出入りを繰り返すのであった。

 

 

 

 

 

「これで全員揃ったな。じゃあまずは恵里達の方から発表してくれないか」

 

「オーケー。こっちの方はね――」

 

 時は過ぎて夕方。日が沈む前にハジメが使っていた部屋へと戻って来た一行はすぐに研究の成果を発表することになった。

 

「はい“崩陸”。それと“縛羅”」

 

 手に持っていた石の一部は砂となって崩れ去り、適当に放った石はコンと見えない何かに弾かれてそのまま落ちる――恵里の披露した二つの魔法に場は盛り上がった。そう、恵里は無事神代魔法を取得することが出来たのである。

 

 恵里達の調べていた“界穿”の範囲は『イメージがしっかりと出来る場所であるならばどこまでもいける』ということが判明した。事実、オルクス大迷宮及びグリューエン大火山の解放者の住処にも直通で行けたし、弾かれるということもなかったのだ。とはいえ正確にイメージが出来ていないと中々つながらない、もしくは不発に終わるということもあって万能という訳でもなさそうであった。

 

「流石に適性に関してはどっちも並以下だったのがねー。ここでやる前に試してみたんだけどさ、“崩陸”も足元をちょっといじれる程度だったし、“縛羅”も自分一人を覆える程度だったから。その癖消費はひどいしさ」

 

「ううん。いいんだよ」

 

 ため息を吐く恵里をそっとハジメと鈴が前後から抱きしめる。周りからの視線も温かなものであり、そのことを責めようという人間はこの場に誰もいない。

 

「恵里にはずっと助けられてるから。僕達の心を落ち着かせてくれたり、奮い立たせてくれたり。それに魂魄魔法のエキスパートだしね。これで他も人並みに使えたら生成魔法以外が微妙な僕の立場が無いってば」

 

「そうだよ恵里。鈴だって空間魔法はすごいけど生成魔法はそこまでじゃないんだからね」

 

「……うん。ごめん、二人とも」

 

 そう言ってくれる二人に心が温かくなり、恵里は二人に謝罪する。こうして自分を必要としてくれる人がいる。自分がそんな大切な人達の役に立っている。そのことを改めて理解したからこそ、こうして気を遣わせてしまったことをわびた。

 

「そこは『ありがとう』でしょ」

 

「うん。僕もそっちが欲しかったかな」

 

「そっか。ありがとう。ハジメくん、鈴。みんな」

 

 が、そんな二人は少しワガママだった。恵里も最愛の二人に微笑みながら感謝を述べる。それを見て一層微笑ましいものを見たとばかりに光輝達は温かいまなざしを送り、それに気づいた恵里をゆでだこにするのであった。

 

「……良かったな、恵里」

 

 ただ、メルドだけは何とも言えない様子で恵里を見つめており、何かを言おうとしては迷ってうつむいていた。それに誰も気づけないまま報告会は進む。

 

「んじゃ今度は俺達でいいか?」

 

「わかった。幸利、頼む」

 

「んじゃ俺達の検証について話すぞ。俺達の場合、あまり魔力を消費しないようにするのとすぐに結果が分かるように部屋の中で実験をしたんだ」

 

 そうして今度は幸利達の話が始まる。どういう風に調べたかというと部屋の中に転移のためのゲートを展開するという形でやったようだ。具体的には腕を突っ込んだり触ったり、生成魔法で床材を削って棒を作ってつついたりと割とまぁ地味な作業だったようだ。

 

「とりあえず光の膜に触ったりしてみたんだけどやっぱり手ごたえはなかった。んで中に棒突っ込んだまま“界穿”の発動をやめたら真っ二つになっちまったよ……あれはマジでゾッとした」

 

 なおその中でちょっとしたトラブルもあったらしく、それを信治が話した際には参加していた全員が顔を青ざめさせていた。恵里達もロクなもんじゃないとばかりに軽く背筋が震わせつつも、彼らの話に耳を傾ける。

 

「そんなこんなで色々やってたんだけどよ、幸利が気になること言い出したんだよな」

 

「あぁ。正直アレに気付いた時は背筋がゾワッとした……俺達が休憩してた時に思いついたんだ」

 

 そこで幸利はリリアーナから一旦作業を止めて休憩しないかと提案された時の話を語っていく。

 

 何度も魔法を発動しては実験を繰り返していたことで、浩介本人だけでなくバッテリー係の幸利達も魔力が相当目減りしていたのだ。体感的には一時間で半分近く消えたという。そこで一旦休憩しないかとリリアーナから話を持ち掛けられたのだ。

 

 研究がほぼ初手で行き詰まっていた幸利達からすれば最高のタイミングでの申し出であり、誰も反対することなくお茶会に興じることに。流石に家具が一切ない部屋での作業であったため、用意したパイプイスに腰かけ、他の部屋からかっぱらった机を使うという割と微妙なものであったが。

 

「そこで良樹の奴がやたらと砂糖入れやがってな。しかももったいないからって幾らか飲んでから新しいお茶を注いでもらってたんだ」

 

「いいじゃねぇかそこはよ。甘い方が飲みやすかったんだし。それに、俺のおかげで気づいた訳だろ」

 

 呆れた様子で語る幸利に浩介も首を縦に振る。お茶会をやってたことやその中で砂糖をぜいたくに使っていた良樹にうらやましさと呆れが伴った視線をギャラリーの皆がぶつけるも、それも彼の発言ですぐに収まった。何があったのかと全員が目で訴えれば、幸利も真剣な表情で恵里達を見つめ返した。

 

「あぁ、そうだな。そうやって雑談をしている時に気付いたんだよ――空間魔法は、()()()()()をいじるものじゃねぇのかってな」

 

 途端、一気に場がざわめいた。まさかここまで早くたどり着くとは誰も思わず、しきりに顔を見合わせている。それを見た幸利達もだろうなと言わんばかりの様子で彼等を見つめており、どういった経緯で気づいたのかを語り始めた。

 

「砂糖たっぷりのお茶にストレートのお茶が注がれるのを見て呆れはしたし、混ぜるなんてとんでもねぇって思ったよ。でもな、それも一瞬だった。二つのお茶が『混ざる』のを見てピンと来たんだ。“界穿”も二つの空間を溶け合わせるような効果じゃないか、ってな」

 

「でもよ幸利、それだと繋いだ空間と空間との間がヘンにならねぇか?」

 

「そうだぜ。俺も分身の方の浩介みたいに短距離で空間繋いでチョンパする、ってのは思いついたけどよ。じゃあその間のところには何も起きてないだろ? ただ光の膜が出てるだけでよ」

 

 幸利の推測にすかさず大介と礼一が反論し、浩介本人を除く彼等のグループの皆はそうだそうだと二人の言い分を支持する。もちろん幸利もそれは理解しており、静かにうなずくと更に話を続けていった。

 

「あぁそうだ。大介と礼一の言う通りだよ。事実空間の方は変調をきたしてなんていない。だから考え方を変えたんだよ」

 

「……まさか、さっき言ってたみたいに空間と空間の間の境界線を繋ぎ直した、って考えたの?」

 

 ビンゴ、とおそるおそる語ったハジメの推測に幸利が返せば、今一つしっくりきてないトータスの人間を除いて誰もが大いに沸き立った。その際ハジメが『なんかスキ〇妖怪みたいだ』と漏らしたが、その意味を理解できたのはオタク連中ばかりである。

 

「ま、待て幸利! で、では“界穿”は二つの空間の境界線をいじって一つにしたとでも言うのか!?」

 

「おそらくそうだ。そうでなきゃ説明がつかねぇよメルドさん……ま、あくまでこれは仮説だ。証明するための手段ってもんが無いからとりあえず俺がそう思ってるだけでな。けどそれだと納得がいかねぇか? どうして空間魔法を取得した際に“縛羅”なんてもんが手に入ったのか。“震天”を手に入れたのか」

 

 メルドからの質問に幸利はそう問い返す。確かに手に入れたものが全て空間に作用するものであることは間違いない。だがそれらのルーツを考えると一体どういう原理になるのか。それに幸利が提示してくれた仮説は答えてくれたような気がしたのだ。メルドはもう何も言えなくなり、リリアーナも何か考えこむような様子で彼をながめている。

 

「んー、じゃあ幸利君の仮説を基にして考えてみよっか。“界穿”は二つの空間の仕切りを一時的に取っ払う魔法で、“斬羅”は空間に仕切りを一時的に作る魔法かな?」

 

「であれば“縛羅”という魔法は任意の場所に仕切りを作るものではないでしょうか。もしくは迫ってくるものをあいまいにするとか」

 

「少々待ってくれぬか」

 

 そこで各種魔法に関して恵里が推測を披露すれば、リリアーナもそれに呼応するように自身の考えを語る。やるじゃんと言わんばかりの視線を向ければ少し恐縮した様子を彼女も見せる。が、その時いきなり鷲三が口を挟んできた。

 

「……もしや、わしや霧乃、それと神の使徒が使える分解もそうではないか? 空間魔法の親戚ではないだろうか」

 

 その瞬間、世界から音が失われた。

 

 今まとまりかけていた結論をひっくり返してしまうとんでもない疑問。それを差し込まれて誰もが驚きを隠せず、鷲三と霧乃以外の面々はただ静かに老人の言葉を待つ。

 

「もしそうであれば、空間魔法は空間の境界線だけをいじるだけに非ず。あらゆる物の境界線を操作するとてつもないものではないだろうか」

 

「可能性は高いと思います。何せ生成魔法の真髄がとてつもないものだったのです。これぐらいやれてもおかしくはないかと」

 

「し、調べましょう!! 鈴! イメージしてやってみてくれ!!」

 

「う、うん!」

 

 変わり果てた体となった二人の言葉に誰もが冷静ではいられない。それを確かめるべく鈴はあらゆるものをあいまいにする効果となる魔法をイメージし、それを実現しようと必死にイメージトレーニングを繰り返す。その間ハジメも宝物庫にしまっておいた二尾狼の魔石を一つ取り出し、それをテーブルの上へと置く。

 

「鈴、この魔石を分解してみて」

 

「うん。もしかするとテーブルも分解しちゃうけどごめんね――“分解”」

 

 イメージのまま、やや間の抜けた名前の魔法を唱えると紅い光がかかると共に魔石はもやのように消えていく――実験が成功してしまった。この瞬間、空間魔法の正体を彼らは理解してしまったのである。

 

「できた……」

 

「できちゃった……」

 

「いやマジでやりやがった……大手柄だぞ鈴ぅー!!」

 

 水を打ったように静まり返った部屋は一瞬で大歓声に包まれる。まずハジメと恵里が即座に抱きしめ、鷲三、霧乃、アレーティア、フリードとリリアーナ、ヘリーナ以外の皆がこぞって鈴に抱き着こうとする。宝物庫の量産が可能だと伝えた時のようにまた祭りのような雰囲気へと変貌した。

 

「流石鈴だよ!! うん、僕の大好きな人だ!!」

 

「そうそう! さっすがハジメくんとボクの鈴だよ!! すごいじゃん! こんなことやってのけるなんてさ!!」

 

「むぎゅぅ~、く、くるひぃ~……」

 

「すごいよ鈴ちゃん! こんなに早く空間魔法のことがわかるなんて!!」

 

「さっすがよスズ!! 今ほどアンタをスゴいって思ったことなんてなかったわ!!」

 

 輪の中心でもみくちゃにされて苦し気な声を上げる鈴に構うことなく全員が褒めちぎり、またハジメ達ごと胴上げしようとしている連中を見ていたイナバとユグドラシルがあくびをする。

 

「キュゥウゥ~~……キュッ」

 

「あ、あはは……皆さん仲がよろしいようで」

 

「……はい」

 

 いつものように雫の腕から逃げ出し、今回は自分の膝の上で毛づくろいをしていたイナバが大きく口を開けるのを見たリリアーナも苦笑せざるを得ない。何せメルドも混じって胴上げしてるのだ。脇に立っていたアレーティアも少し気恥ずかしそうにうつむいて『大介ぇ~、はやく戻ってぇ~』とやや情けない悲鳴を上げていた。

 

「嬉しいのはわかるのだが……まったく、まだ子供か」

 

「えぇ。まぁ少し羽目を外すぐらいはいいじゃないですかお義父さん。あの子達はとんでもないことをやってのけたのですから」

 

 鷲三と霧乃も苦笑はしつつも止めはしない。霧乃が言った通り神代魔法を解き明かしたのだからこれぐらいはしゃいでも仕方ないとは思っているのもあったが、何より彼らが年相応に騒ぐ姿を見て安心したからだ。度重なる苦境に直面してもなお、まだ明るさを失わずに済んでいることに安堵したからである。

 

「よっ、結界魔法の女王!」

 

「防げぬものなし!」

 

「今度のデート楽しみにしててね!! おすすめのデートスポット調べとくから!!」

 

「うん!! 楽しみにしてるよ!!」

 

「……順番を間違えたな」

 

「私もそう思います……」

 

「いいではないですかお二人とも。これ程強力な魔法を手にしておられるのですし、これから手に入れるんですから……これを応用すれば大結界も相当頑丈にならないかしら? そういえばごみの処理問題もこれ一つで解決しますね」

 

 向こうは向こうでひたすら鈴をヨイショしまくっている状態で、もう報告会もへったくれもあったものではなくなっている。

 

 自分達の成果がどう考えても地味に思われることをフリードは嘆き、アレーティアもそれに同意しつつ同情する。一方リリアーナはそんな二人をなだめながらも色々と考えを巡らせ、ヘリーナも自分の主のつぶやきに耳を傾けて一言一句違わぬよう記憶に励む。

 

「あ、そうだ! これやっぱ魂魄魔法もただ魂うんぬんなだけの魔法じゃないんじゃねぇの!?」

 

「いや、そんなわけ……十分あり得るね。よし、すぐ調べよう!!」

 

「あ、恵里! その前に造ったゴーレムに魂入れて!! とりあえず二十!!」

 

「ハジメの奴が張り切り過ぎてな! 魂を造れるのはお前だけしかいないから頼む!!」

 

 ……なお、恵里達の方はまたしてもカオスな様相を呈していたが。今度は魂魄魔法の真実を解き明かそうぜー、と変な方向に誰も彼も舵を切りそうになっていたため、蚊帳の外であったリリアーナ達も彼等を止めるために動くのであった。




おまけ:幸利達の研究シーン

「んー、しっかしわかんねぇな。膜に触っても何もないし、突っ込めばその先だ。なーにがどうなってんだろうな」

 先程から浩介が発動し続けている“界穿”に触りながら信治はぼやく。何分この膜、触ったところでこれといった感触を返すこともないし、その先には繋いだ場所がそのまま映っている。剣と魔法の世界で使えるようになったどこでもド〇を不思議がりながらただただどういう原理なのかと他の皆共々頭を悩ませていた。

「ホントそうだよなー。繋がってるこたぁ繋がってるんだけどよ」

「全然正体が見えねぇ……空間を折りたたんでるんならその間の部分も何か起きててもおかしくねぇだろー。トンネル作ってるんなら膜触ったら感触の一つもあるだろうしよー」

 それは良樹も幸利も変わらず。特に幸利はオタ知識をフルに活用して色々と考えてはいるものの、それらにかすりもしないことに軽く心が折れそうになっている。

「本当にわかんないよなー。あ、そろそろ良樹魔力補充してくれ」

「あいよー」

 もちろん展開し続けている浩介だって原理はわからない。ただそういうものだと受け止めているぐらいで、一体どういう仕組みなのかと転移ゲートの維持に神経を注ぎながらもなんとか考えてはいたのだ。無論それが功を奏しているという訳でもなかったが。

「不思議ですよね……あの膜の先に違う場所があるなんて。遠藤さんが今開けているのはちょっとした穴ですけれど、その先は別の場所なんですから」

「えぇ。ほんの数歩離れた場所に繋いでも、その間の部分は何も変わりありませんね――皆様、お茶にしませんか」

 リリアーナとヘリーナもわからないながらも考えはするもののやはりよい考えは浮かばず。そこでヘリーナは一度研究を切り上げて休憩しないかと提案する。

 四人も『さんせーい』と軽く力なく返事をし、転移ゲートから指も棒も引っこ抜いて消す。テーブルは他の部屋からかっぱらい、持ち込んだパイプイスに全員腰を下ろしながらも全員が一息つく。

「ヘリーナありがとなー。うん。うめぇわこのお茶」

「お褒めに預かり光栄です、中野様」

 信治には茶葉の違いや良さというのはわからなかったものの、美味いということだけはしっかりとわかっていた。そのため味の感想をストレートに伝えれば、粗雑なものでありながらもヘリーナとしても嬉しく感じて礼を述べる。

「良樹、砂糖溶かしすぎだろ」

「いいじゃんかよー。ほら頭脳労働やってんだし」

「お前がやってるの大体魔力の補充だろうが……」

 そんな折、良樹がヘリーナの用意したシュガーポットから幾つもの角砂糖をポンポンと景気よくお茶の中に入れているのを彼らは見てしまう。二個三個ならともかくとして五個も平気で突っ込む様に浩介と幸利は呆れてしまった。ただリリアーナはそんな彼らを見て心底おかしそうに笑みを浮かべるだけでそれを咎めることはしなかった。

「構いませんよ。遠藤様、清水様。お茶はおいしくいただくことが重要ですから」

 あくまで自分はもてなす側であり、主賓である良樹達の機嫌を損ねるような真似はしない。育ちの良さを見せられた男子~ズは圧倒されるほかなく、ほんのりと頬を染めながら自分の飲んでいるカップに視線を落とすばかりだった。

「まぁ王女さんが言うなら別にいいけどさ」

「そう、だな……やっべ、ちょっと甘い」

「あ、はい。そう、ですね……って、ほれみろ言わんこっちゃねぇ。もったいないことしやがって」

「いいじゃねぇか幸利。ちょっと飲んだら注いでもらえばいいし」

 そこで良樹がここで砂糖を入れ過ぎたことにようやく気付き、甘ったるい味わいに軽く眉をひそめた。何やってるんだかと幸利が言及すれば、良樹も甘くなったお茶を流し込んでいく。単に彼がケチったというのもあるが、せっかく入れてくれたヘリーナの機嫌を悪くしたくないという配慮も伴ったが故の行動である。

「よろしいのですか? 中身を捨てて新しく入れ直しますが」

「いいっていいって。砂糖もったいねぇしこのまま飲ませてくれ……サンキュー、うめぇわ」

 もちろんヘリーナはその程度微塵も気にしてはいないのだが、良樹から頼まれたので仕方なくお茶を注いでいく。マナーうんぬんはこの際横に置いて黙ってお茶を注ぎ終わると、再度口にした彼は満足そうに微笑んだ。それを見て後でマナーについても学んでいただければ、と思いながらもヘリーナはティーポットの中身を確認する。

「まぁでもずーっと穴蔵暮らしだったもんなー。こういうのゼータクに使いてぇって何度思ったことか」

 そんな時、ふと信治がどこか感慨深そうにつぶやいたのをリリアーナもヘリーナも耳にする。そうであった。彼らはあのオルクス大迷宮を命がけで突破したのだということを思い出す……まぁその際色々と彼等なりにぜいたくしてたことも思い出して軽く顔が引きつったが。

「だからってつぎ足すってのもどうかと思うぞ……うん、幸利? どうした?」

「……混ざった? 二つが、あいまいに……まさか!!」

 そうして浩介が呆れながらも良樹のやったことを言及しようとした時、幸利は何かに気付いた――これが真実に迫る大きな一歩になると確信して。事実、これが真実を暴くきっかけとなったのであった。


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幕間四十二 夢から醒めた者達の話

いやー大分遅く成りましてすいません(白目) 色々ありまして申し訳ない……。
ともあれこうして拙作を見に来てくれる皆様には感謝しかありません。

おかげさまでUAも159700、お気に入り件数も840件、しおりも393件、感想数も559件(2023/3/19 23:13現在)となりました。誠にありがとうございます。しばらく更新が途絶えましたが、それでもこうして気にかけて下さる皆様のおかげで筆を進める気力が湧いてきます。ありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、キクスイさん、拙作を評価及び再評価してくださり本当にありがとうございます。こうしてまた執筆するためのエネルギーが湧いてきました。感謝いたします。

今回は幕間、メルドに焦点を当てたお話となります。それでは本編をどうぞ。


「すまなかった……申し訳なかった……」

 

 果てしない後悔に満ちた言葉が男の口からこぼれ落ちる。百戦錬磨の戦士であったはずの男は目の前の遺骸を直視することが出来ず、うつむいたままただ懺悔を続けるばかりであった。

 

「すべて、すべて俺が愚かだったせいだ……エヒトなんかの教えをただ盲信していたせいで、そのせいで取り返しのつかないことをしてしまうところだった……」

 

 顔を青ざめさせ、ただただ両のまなじりからとめどなく涙があふれる。それを周りにいた少年達や男どもは声をかけることもしない。それが彼にとって必要だったからだとわかっていたからだ。そうしなければ前を向けない。未来へと進めないから、と。

 

「すまない、すまない……許して、くれ……オスカー、オルクス」

 

 ――オルクス大迷宮の最深部、解放者の住処にて。メルド・ロギンスはただオスカー・オルクスの遺骨に何度も何度も過去の過ちの懺悔を、そして得られることのない許しを請い続けていた。

 

 

 

 

 

「全く、お前達は……」

 

 メルドがただオスカーに詫びを続けることになった理由は遡ること数十分ほど前のこと。空間魔法の真髄を理解したことで有頂天になっていた恵里達をどうにか諫め、我に返って赤面している彼女達と話し合いを続けた後のことであった。

 

「ごめんなさい……」

 

「す、すいませんメルドさん……う、嬉しくってつい……」

 

 全員が消え入りそうな声で反省を示したため、仕方ないとばかりにメルドはすぐに指示を出した。もちろん報告の続きである。

 

「ハァ……とりあえず、当初の予定通り光輝とフリード達の方でやっていた変成魔法の真髄の調査の報告、それと浩介達の神代魔法の訓練の結果を伝えろ。いいな?」

 

『了解!』

 

 メルドの言葉を受け、先の失態をリカバーしようとすぐに恵里達はいい返事を返し、各々が所定の位置に戻るとすぐに光輝が報告を上げていく。

 

「フリードさんの変成魔法に関してですが、予想通り有機物――生物由来の物体に干渉する魔法でした」

 

「正直まだ私は混乱している……確かに動物を魔物にする、という点からアプローチすれば元が生物由来のものであるということも納得できないわけではない。が、何故紙や毛髪はいいとして、骨は駄目だったのだ……訳が分からないぞ」

 

 想定通り変成魔法は有機物に干渉する魔法だったらしく、力説している光輝の横で雫と鷲三、霧乃がうんうんとうなずいている。が、その魔法を行使した当人はその時のことを思い出した様子でうんうんとうなっており、四人もそれを見て苦笑いを浮かべていた。

 

「その……骨は生物しか作らないんですから、その神代魔法で効果が出るのではないのですか?」

 

「姫様が仰る通りだ。その……どうなってるんだ?」

 

 そう質問してくるリリアーナとメルドを見て、地球で知識を得た自分達とトータスの人間と差が出てしまっていることに恵里達は思わず苦笑する。そこでハジメが疑問符を浮かべ続けているヘリーナも含め、三人の質問に答えることに。

 

「あー、わかんないですよね。その、骨も無機物……じゃあわかんないですよね。えっと鉱物、金属の仲間だと思ってください。だから変成魔法じゃなくて生成魔法が効く範囲なんです」

 

「……その、南雲さんが仰るのならその通りなんでしょうね」

 

「わ、わからん……その理屈だと俺達は体内に金属を入れているということになるぞ? そ、それでいいのか?」

 

「あーもうそういうもんだって思って。後で証明するから」

 

「中村様が後で実演して下さりますし、それで納得するのが一番かと思われます。リリアーナ様、メルド様」

 

 流石に骨までは保管してなかったため口頭だけの説明となったが、リリアーナは半分あきらめた様子で返し、ヘリーナは口ぶりからしてもう理解をあきらめきっている。メルドも頭を抱えてしまっており、やはりすぐにはそういうものだと理解はしかねるらしい。

 

「……フフッ」

 

 混乱を深めた三人に恵里が少し面倒くさそうになだめれば、同時にフリードの同類を見る視線が彼等に向けられた。共感できる相手がいて少し嬉しかったらしい。

 

「あー、混乱してるとこ悪ぃんだけどさ……俺達の方もやっていいすか?」

 

「ん?……あ、あぁ! 頼む。ぜひともやってくれ!」

 

 ふとそこでどこか居心地悪そうに声をかけて来た礼一にメルドはちょっとオーバー気味にリアクションを返す。やはり理解の外にあるものよりも範疇に収まっていた話を考えたいらしい。『お、おぅ……』とやや引き気味に礼一が漏らすと、軽い困惑を浮かべながらも浩介が報告に移った。

 

「あー、その、俺達の方も一応ひと通りは確認した。流石に“震天”は使えなかったけど、他の空間魔法と全部の魂魄魔法はやってみた。使い方もアレーティアさんと相談したし、試しもしたよ」

 

「はい。お二人はその……そこまで適性が高くなかったので、攻撃や回避などの手札の一つとして採用したという感じ、です」

 

「だな。そんな感じだ……お前らがもうちょい適性があったらなー。アレーティアに気ぃ遣わせないで済んだんだけどよー」

 

「おいコラロリ介殺すぞ」

 

 少し申し訳なさげに浩介の補足をするアレーティアであったが、そこで大介がいらんことを言ったせいで即座に礼一がキレた。二人して取っ組み合いを始めて周囲を大いに呆れさせ、アレーティアがひたすら『ごめんなさい! ごめんなさい!』と何度も何度も礼一と浩介に頭を下げていた。

 

「いいってアレーティアさん……その、アレーティアさんからのアドバイスのおかげでとりあえず手札の一つとして使えるようにはなったよ。それは間違いないから」

 

「確かにそうね。短距離の転移とか背後からの攻撃、後は緊急時の防御とかそんな感じだったわ」

 

「流石に震天っていうのは使ったら被害がどうなるかわからなかったよ。だから保留にしちゃった」

 

 アレーティアの謝罪を受けながらも浩介は彼女がフォローしてくれたことを改めて説明する。一緒に見ていた優花と奈々の方も説明をしてくれたことで空間魔法を取得していた恵里達はもちろん、他の皆の理解も深まり、軽くどよめきが起こる。

 

「じゃあ相手の裏をかいて攻撃する手段の一つとしては使えるな」

 

「なぁ浩介、そっちは“界穿”で人間一人分ぐらいの穴をあけられるか?」

 

「んー、多分やれるとは思うけど、その分魔力は食うだろうな。本当にどうにもならない時ぐらいしか使いたくない。結構持ってかれるから」

 

 適性がなくとも使い方次第では色々とやれる。また扱いに慣れれば鷲三や霧乃のように分解の魔力を武器にまとわせることだって出来るんじゃ、と色々と盛り上がったところでふとある人物が口をはさんできた。

 

「……盛り上がっているところ、すまん。話を、聞いてくれないか」

 

 メルドである。一体何の用だと誰もが雑談を止め、礼一と大介も取っ組み合いを止めてそちらに視線を向ける。すぐに全員の視線が向けられたことに少し嬉しく思いながらも、メルドはあることを彼らに頼み込んだ。

 

「これで報告は終わったし、食事までまだ少し時間がある……その前に行きたい場所があるんだ。いいか?」

 

「もしや陛下のお見舞いでしょうか? でしたらすぐに――」

 

「いえ。身分違いということを除けばそれもしたいのは山々ですが、そこではありませんリリアーナ様」

 

「じゃあ一体何? 国に何もかも捧げてるメルドさんがさ、他に行くとこなんてあるの?」

 

 リリアーナの推測にメルドはノーを返す。事実、自分が王国の筆頭騎士でもあったならば頼むのも考えはしただろうが、それが目的ではない。一体何をしたいのかと誰もが疑問に思い、恵里が疑問を口にしたのだがそれもすぐに氷解することとなる。

 

「……オルクス大迷宮だ。そこの最奥部、()()()の住処に、連れていってくれ」

 

 ……悔恨にまみれたメルドの表情と言葉で。

 

 それを口にしたことで顔を青ざめさせたメルドを見て、同行していた恵里達は全てを察した。

 

 

 

 

「愚かだった……おれが、おろかだったんだ……!!」

 

 這いつくばり、おえつを漏らし、途方もない後悔を何度も何度も口にし続ける。周りがかなりのショックを受ける中、その弱々しさはあの時酒に溺れようと必死になっていた時と同じだと浩介とフリードは思った。胸に巣食った罪悪感が己を押しつぶそうとしているのだ、と理解できたからだ。

 

「メルド……」

 

 かつて優秀な騎士団長であった彼がこうも苦しむ様を、ついてきていたリリアーナもヘリーナと共に目にしていた。言葉、行動から何があったかを察して彼女は二の句が継げなくなっている。

 

 例のオスカーの映像を見たという訳ではなかったが、己の過去に苛まれているメルドを見てあの遺骸を破壊しようとしたのだろうとリリアーナはわかってしまった。それ故に何も言えない。自分とて目が覚めていなければ何をやったかわからないとメルドの気持ちが痛い程理解できてしまうからだ。

 

(……私とて奴とそう変わらんな)

 

 メルドの慟哭をながめながらフリードも心の中でひとりつぶやく。自分の場合は恵里の“縛魂”があったおかげで彼女達のために動こうと考えることが出来たものの、そうでなければ今も彼のように苦しんでいたやもしれないと思ったからだ。

 

 忠義を捧げ、信仰していたはずの魔王アルヴヘイトの裏切り。それに気づいた時のショックを今もフリードは鮮明に思い出せる。ウラノスがいなければ、共に戦ってくれるとハジメ達が約束をしてくれなければこの世の全てに絶望していただろうとただ己の幸運に感謝していた。

 

「うぅ、うっ……うぁぁぁ……」

 

「……お墓、作りませんか」

 

 メルドが終わらぬ嘆きを繰り返していた時、誰からともなくその言葉が出た。オスカー・オルクスを弔おう。それを何秒か遅れて理解したメルドが振り返れば、ハジメ達は悲痛な表情で彼を見つめ返していた。

 

「きっと、それで許してくれると思います。もう自分はエヒトの言葉に迷わない、って証明できるじゃないですか」

 

「その後でいいんで生成魔法も取得しましょう。他ならない()()()()()()()が想いを継いだ、って示せますし、手向けになると思うんです」

 

 光輝とハジメがかけてくれた優しい言葉。それを受けたメルドはまたうつむくと、己の中にあった思いを彼らにぶつけた。

 

「ゆるされるのか……それで、それですべてが許されるというのか!」

 

 何をどうしようと自分がやろうとしたのは遺骨の破壊だ。未遂とはいえそれが許されるなど到底思えない。その過去が、思いがメルドを苦しめ続ける。だがそのやりきれない思いを恵里だけはあっさりと受け止め、あることを口にした。

 

「じゃあ試してみる?――“回録”」

 

 降霊術のルーツとなったであろう魂魄魔法の一つをオスカー・オルクスの遺骨へと施す。すると映像にも出てきたあの黒衣の青年がおぼろげな姿となって自分達の前に現れたのである。

 

『どうか僕達が守れなかった人の自由な意思を、平和な世界を築いてくれ。この力を、名も知らない君に託す』

 

「――ぁっ」

 

 永い年月と共に少しずつかき消えていった残留思念のほんのひとかけらが、最後まで残っていた彼の思いが姿となって優しく微笑む。微笑みと共に思いを伝えると、オスカーの姿は世界に溶けて消えていく。

 

「ぅ、ぁ……あぁあぁあぁぁぁあぁぁあぁあああぁあ!!!」

 

 託された願いを聞き、メルドは再度号泣する。とめどない己への憎しみも、振り切れない後悔も、何もかもを流すように。ただ、子供のように。ハジメ達もまた涙ぐみながら一人の大人を見つめているのであった……。

 

 

 

 

 

「じゃあメルドさん。遺骨を」

 

「あぁ」

 

 ハジメが作った金属製の棺の中にオスカーの骨を丁寧に入れていき、そして同じくハジメが作った棺のふたを数人がかりでかぶせていく。“錬成”によって継ぎ目なくぴったりと閉じた棺桶はメルド、リリアーナ、ヘリーナ、そしてハジメの四人がかりで表へと運ばれていった。

 

「あ、メルドさん。こっちです」

 

 光輝に手招きされ、表に出ていた彼等が“錬成”で用意した穴の中に四人は棺をそっと入れていく。その後メルドはハジメから渡されたガントレットを身につけ、付加された“錬成”を使って丁寧に穴を閉じてきれいに埋める。

 

「――どうか安らかに眠ってほしい。解放者、オスカー・オルクスよ」

 

 そして一同は完成させていた墓に向けて静かに祈った。メルドは手を組むのでなく両手を合わせる――恵里達のように手を合わせながらオスカーの冥福を祈る。何秒か、何分か。祈りを終えると彼等は無言のまま向き合い、そしてメルドは恵里達に頭を下げた。

 

「ありがとう。俺のわがままにつきあってくれて」

 

「いえ。俺達もオスカーさんを弔いたいと思ってましたから」

 

「構うものか。いずれ私もこの解放者が残した神代魔法を手にする必要があるのだ。文句など向けられん」

 

 メルドからの感謝の言葉に誰も文句を言うことはない。あまり作業に関わらなかったとはいえフリードもそのことにケチをつけることはしなかった。

 

「ていうかいいの王女様? ドレス汚れたじゃん」

 

「えぇ。やはりお召し物が汚れてしまいましたね。申し訳ありません」

 

「いえ。ドレスの汚れやしわは洗えばどうにかなるものですし、後で着替えさせすれば済む問題です。そんな些細なことよりも私も解放者の方を弔いたかったのです。だから気になどしていませんよ中村様、メルド」

 

 墓作りは基本恵里達オルクス大迷宮攻略組でやっていたため、リリアーナとヘリーナのやったことはオスカーの骨が入った棺桶を運んだことぐらいだ。だがその際土がちょっとついて汚れてしまったり、ドレスに少ししわがついてはいた。だがその程度でしかないかったことからリリアーナは特に構うことも無く、ヘリーナも何も言うことは無かった。

 

「寛大なお心に感謝を……では戻りましょうか。鈴、“界穿”を」

 

「あ、メルドさん。ちょっと待ってください」

 

 ここで相応の時間を消費してしまったため、もう既に食堂の方では誰もが夕食をいただいているかもしれない。早く戻った方がいいだろうと考えたメルドは鈴に転移ゲートの展開を頼み込むが、そこでハジメが待ったをかけてきた。

 

「どうしたんだハジメ? 何かやり残したことがあるのか?」

 

「まぁそんなところですけど……恵里、鈴。ちょっと来て」

 

 一体何があったかとメルドが問いかけると、いきなりハジメは恵里と鈴を手招きする。その後無言のまま表情を変えてる辺り“念話”を使って話をしているのだろう。“念話”を知らないリリアーナとヘリーナだけは何をしているのだろうと考えていると、話がまとまった様子の三人はメルドの方へと向き合ったのである。

 

「鈴の“界穿”を見てちょっと思いついたんです。こういうのがあると便利かなー、って。“錬成”」

 

 するとハジメは宝物庫から取り出した二つの金属の塊を鍵の形状のものと鍵穴を模したものへと変化させると、恵里と鈴が発動した魂魄魔法と“界穿”を自身の生成魔法を使って付与していく。

 

「うん。出来ました」

 

「なぁハジメ、それは一体……」

 

「ちょっと見ててください。今実演してみせるので」

 

 そう言いながらハジメは恵里に作ったばかりの鍵穴型のアーティファクトを渡し、それをちょっと離れた場所に置いていく。そしてハジメは持っていた鍵型のアーティファクトを、鍵穴に差し込んでねじる動きをしてみせた途端にそこに“界穿”を発動した時のような光のカーテンが出現する。

 

「これ、は……」

 

「さっき思いついたアーティファクトです。これを使えば適性があまり高くなくても好きな時に好きな場所に行けるだろうな、って思って」

 

 恵里に渡した対になるアーティファクトが無いと流石に無理なんですけどね、と頭をかきながら大したことのないように言ってくるハジメにメルドは大いに驚くも、すぐにいつものことかと納得して彼の真意を問うことにする。

 

「……ハジメ、どうしてこのアーティファクトを作った?」

 

「えっと、その……いつでもオスカーさんのお参りが出来たらいいな、って思って。これっきりだと寂しいじゃないですか。この拠点も活用できますし」

 

 他はともかく最初に語った理由に納得を示す彼らを見て軽く脱力感を覚えるメルドらトータスの人間達であったが、それを非難する気は彼らには無かった。裏表のない彼らなりの気遣いだということはメルドには既にわかっていたし、リリアーナもヘリーナも、フリードであってもそれにすぐ気づいたからだ。

 

「そういう理由でこんな大したものを作るのは貴様だけだぞ、南雲ハジメ」

 

「あはは……」

 

 やや呆れた様子でツッコミを入れるフリードに軽くうなずいて同意を示しながらも、メルドは改めてハジメに感謝を示す。

 

「……ありがとう、ハジメ。大切に使わせてもらうぞ」

 

「はい……あ、でも試しに作ったばかりですからどんな状況でも動くかちゃんと調査しないと――」

 

「いい。よこせ」

 

 メルドはハジメからひょいと鍵型のアーティファクトを取り上げると、すぐに自分の懐にしまい込む。当然恵里が嫉妬してものすごい形相でにらんできたものの、それを気にすることもなくメルドは穏やかな表情でハジメを見た。

 

「これは大切に使わせてもらう。修理や改修はそのアーティファクトの量産の目途が立った辺りで十分だ」

 

「……やっぱり気づいてました?」

 

「当たり前だろうが。それなりのつき合いだぞ? いくら思いついたばかりとはいえお前がこれの価値に気付いてないとは思えんし、それを量産して仲間内に配ることぐらいは簡単に想像がつく。俺をなめるなよ?」

 

 たはは、と赤面して苦笑しながらも恵里をなだめるハジメを見てメルドはそう返す。誰かのために、という理由で動ける人間であることは承知だし、しかも頭が回る人物であることもまた理解している。だからこそ私的な用向きで作ってくれたこれにあーだこーだと言うつもりはない。ただ感謝を示すだけであった。

 

「ありがとう、お前達――お前達に出会えて、共に戦うことが出来て、幸せだった」

 

「ちょっと待ってくれメルドさん、縁起でもねぇって」

 

「ハハッ、簡単にくたばるかよ。お前達と一緒に死線をくぐり抜けてきた人間だぞ。あの絶望的な戦力差そのものだってお前達と一緒に覆したんだ。その上ハジメから作ってもらったゴーレムだってある。無理はしないし、魔人族だろうが神だろうが負けてやる義理だってない――俺を、信じろ」

 

 共に戦い抜いた少年少女達に感謝を伝えれば、その一人の影の少し薄い少年からのツッコミが入る。しかしメルドはそれを一笑に付し、自分が彼らと共に成し遂げたことを、そして問題ない理屈を挙げて伝えれば彼らもまた反論が出来なくなった。

 

「さぁ、戻ろう。飯が待ってるぞ」

 

 そんな彼らと共にメルドは声をかけ、今度こそメルド達は解放者の住処を後にする。その目に憂いも、迷いも映さぬままに。

 

 

 

 

 

「踏み込みが甘い! その程度で俺と()()()()の連携は崩せないぞ!!」

 

「ぐっ――はい!」

 

 メルドが恵里達と共にオスカーを弔って数日後、現在彼は復帰した騎士団の面々と共に実戦形式の訓練をしていた。

 

“ガーディアンツー、スリー、ファイブは遊撃! 他は遅延戦術にかかれ!”

 

 取得していた魂魄魔法の一つ、“心導”を使い、メルドは自身の駆るゴーレムの各個体に指示を出していく。すると大猿型が二機が地上を自在に駆け回り、熊型の一機が体当たりを仕掛けてはすぐに距離を取って団員達の辺りを周回。また他にもいた大狼型や蟷螂型のゴーレムなどがひたすら団員達の攻撃をいなすなどしてメルドが各個撃破する時間を稼いでいく。

 

 ――ハジメ謹製ゴーレム軍団 ガーディアンズ

 

 大狼型、熊型、蟷螂型、大亀型、大猿型とバリエーション豊かなゴーレムの軍団であり、現在は使用していないがどの個体もガトリングレールガンを体内のどこかに内蔵している。いずれも恵里が造った魂が込められており、知能も相応に高く優秀な奴らである。

 

 事実、相対している騎士団の団員達相手に上手に手加減しており、高いスペックにもかかわらずちょっとしたケガ程度に抑えるよう上手く動いていた。

 

「――よし、これまで!」

 

 そうしてメルドが号令をかけると同時にガーディアンズもご主人であるメルドの下へとすぐに戻っていく。こうしてメルドがガーディアンズを騎士団員にけしかけているのも訓練の一環であり、上手く運用するための訓練も兼ねていた。もちろん騎士団員に格上相手との実戦形式を積むという目的もあったが、それもおおむね良好なようであった。

 

「いやー流石です、メルド団長。こうして複数のゴーレムを従えながらも自分達一人一人を相手どって倒してくなんて」

 

 手を抜く暇すらありませんでしたねー、とのんきなことを言いながらも、まだいささか息が荒いニート・コモルド副団長がメルドの許へとやってきた。率直に感想にメルドは思わずため息を吐く。

 

「手は抜くな馬鹿者。とはいえ、俺は人を超える力を手に入れたからこうして戦えているだけに過ぎん。人の身でここまで奮闘するお前達には勝てんよ」

 

 流石に高くなってしまったメルドのステータスではマトモにやりあったら勝負にすらならないため、王国が所有していた罪人用の魔力封じのアーティファクトを幾つも身に着けた上で手加減した状態で訓練を行っていた。しかしそれでもメルドの技量は衰えることはなかったし、いい塩梅の重石を付けた程度だという感覚でしかない。

 

 “心導”以外の魔法を使うことなく、また技能も使わずにゴーレムに指示を出しながらであっても障害にすらなってないと当人は思っている辺り、とんでもないことになってしまったとメルドは考えていた。

 

「それでもですよ。その、団長。やはり俺達も、魔物の……」

 

「言っておくが俺はオススメはしないぞ。あの痛みはやはり尋常ではなかったし、おそらく恵里辺りが嫌がるだろうな。アイツの機嫌を損ねたとなると説得が面倒だ。武具の方で打診してみるからそっち方面はあきらめてくれ」

 

 そこでコモルドが自分達も魔物の肉を食べて強くなるべきかと口にしようとするも、すぐにメルドに制されて何も言えなくなってしまう。ああは言ったがメルドとしても恵里には恩義を感じていたし、へそを曲げるようなことはしたくないと思っていたのも本心であった。そのため他の団員達がそういったことを口にした場合は止めるよう努めている。

 

「そういえば団長。()団長はどうされてます?」

 

 そんな折、ふとコモルドはクゼリーのことについて口にした。

 

 先の戦争の後、なすすべもなく一方的に恵里達に負けた責任を取ることになり、騎士団の職そのものを解かれた……というのが表向きの理由だ。しかしそれ以上のことを彼を含めた騎士団員は知らなかったため、()()の理由を知っているメルドに思わずコモルドは尋ねてしまった。

 

「クゼリーか。アイツは今、王女様の護衛としてやっているな」

 

 そしてメルドもあっさりとその情報を明かした。

 

 責任を取らされた後、リリアーナや重吾達からの訴えを受け、ハジメ達に頼まれたことで仕方なく力を振るった恵里によって彼女の変調は解決された。やはり神の使徒による魅了を受けており、そのせいでクゼリーは狂信者のようになってしまっていたのである。

 

「どうでした? クゼリー元団長は大丈夫でしょうか?」

 

「リハビリも兼ねてだが……まぁ多分大丈夫だろう」

 

 ……なお正気に戻ったクゼリーは自信を喪失し、『私ごときが、姫様の護衛など務まるのでしょうか』と目に見えるほどわかるぐらい卑屈になっていた。なすすべもなく神の使徒に洗脳された上、国王や王妃を助けてくれた彼らに刃を向けた記憶が残っていたからのようだ。

 

 だがこればかりは自力で乗り越える他なかったため、ひとまず恵里やリリアーナ達に丸投げという形である。どうにか立ち直ってくれることを祈りつつメルドは再度号令をかける。

 

「よし、休憩は終わったな! これから俺の引率でオルクス大迷宮へと向かう! しっかり鍛えてやるからな!」

 

 そう言うとメルドは懐にしまってあったアーティファクト、後に“ゲートキー”と名付けられたアーティファクトのプロトタイプを手に取り、オルクス大迷宮の三十階へと続く転移ゲートを開く。

 

 ハジメ達の好意で設置されたゲートをくぐり、彼らは今日も訓練をこなす。夢から覚めた者達は今も生き足掻く。たとえ審判の時がいずれ訪れようとも。




クゼリーがどうなったかについては後ほど触れるつもりです。いやー、ここまで持ってくるのマジで長かった……。


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六十五話 久しく訪れた穏やかな日々(前編)

まずはこうして拙作に目を通してくださる皆様への惜しみない感謝を、
おかげさまでUAも160691、お気に入り件数も842件、感想も564件(2023/3/26 19:38現在)となりました。皆様本当にありがとうございます。UAも200000が見えてまいりました。これもひとえにひいきにしてくださる皆様のおかげです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠にありがとうございます。こうしてまた書き進める力をいただきました。毎度毎度ありがとうございます。

タイトルにもある通り、量が多くなりそうなので分割しました。いつものことですね(遠い目)
なので今回はちょっと短め(約9000字)となります。そのことに注意して本編をどうぞ。


「んっ……んぅ……」

 

(もう、朝かぁ……)

 

 夜が明けて部屋に光が差し込むようになっていくらか経ち、何度かの身じろぎの後で恵里は目を覚ます。まだ眠気で少しぼぅっとしているが、それに構うことなくまだベッドに横たわっている二人に目を向ける。

 

「すぅ……すぅ……」

 

「んっ……えり、すず……」

 

「……ふふっ」

 

 ハジメと鈴の寝顔を見つめ、今日も恵里は微笑んだ。オルクス大迷宮を攻略する頃からやるようになった日課のようなものであり、たまたま二人より早く目を覚ましては毎回やっている。

 

(良かった。今日もハジメくんと鈴といっしょだ)

 

 トータスに来てエヒトに改造され、しばし監視付で離れ離れにされ、一度は神の使徒によって操られてしまった。だがもう何の気兼ねも心配もなしに二人と一緒にいられる。自分がハジメと鈴に危害を加えることなく朝を迎えられる。

 

「えへへ……」

 

  そんな何気ない時間がとても愛おしく、ただただ幸せに感じる。だから恵里は二人を起こすことなくただじっと見つめるだけであった。

 

「……ぁ。おはよう、えり」

 

「おはよう。えり、すず……」

 

「うん、おはよう。ハジメくん、鈴」

 

 目を覚ました二人にあいさつを返す。何でもないようなささいなこと。けれども異世界に来てからこれがどれだけ貴重で大切かを理解した三人は今日もまた大切に時間を過ごす。何者にも奪われる事なくただ平和なひと時を過ごせる今を。お互いの温もりを感じながら。

 

「じゃあハジメくん、よろしくね」

 

「ハジメくん、それじゃあ今日は私の番だね」

 

「うん。今やるね、恵里。じゃあ鈴、よろしく」

 

 そうして互いに頭がスッキリしたところで恵里達は鏡台の前にイスを三つ並べ、ハジメは恵里の、鈴はハジメの髪をとかしてく。オルクス大迷宮の攻略を始めた時からの習慣は今もなお続いている。

 

「んー。ハジメくんの作ってくれたクシも悪くは無いけど、やっぱりこっちの方には負けるなぁ」

 

 ちょっと悔しさをにじませつつ、恵里は髪をすくクシの感触に目を細める。ハジメと鈴が使っているのはなんとべっ甲のものである。王家御用達のものを取り寄せてもらい、こうして使ってみればハジメが作った金属製のものを超える心地よさに唇をとがらせるしかなかった。

 

「気持ちいいもんね。あと、ちょっと髪の手入れも楽になったような……」

 

「間違いなく早くなってるよ、ハジメくん。寝ぐせを整える時間が減ったし」

 

 自分の作ったものが負けたことに少し残念そうにしながらも、ふと浮かんだ疑問を口にしたハジメにすぐさま鈴が答える。

 

 ルルアリアやリリアーナからの話を聞いた感じだと、エリセンの海に生息するレイディングタートルという魔物から採れるものを使っているらしい。狩りの際に群れを成して襲ってくることから名付けられた名前で、かなりの速度で泳いでくることから相当強いのだとか。

 

「やっぱり。気のせいじゃなかったんだ」

 

「ちょっと罪悪感感じるけど、本当に便利だよね」

 

 時折王国経由で冒険者に依頼して討伐してもらうことで卸していた代物であったが、例の如くエリセンも離反したために一層手に入りづらくなっている。これを取り扱っていた王国御用達の商人も悲鳴を上げているであろうことは想像に難くなかった。

 

 今こうしてハジメと鈴が使っているのもリリアーナのおかげだ。ハイリヒ王国を傘下に収めた日の翌々日、信治らとお茶会をしていたリリアーナが髪の手入れについて尋ねた後にすぐさま手配をかけたからである。ルルアリアもその件に関しては咎めるどころか褒めていた辺り、どうしても恵里達を手元に置いておきたいという王国側の意志が見て取れた……まぁ半分ほどリリアーナ個人の私欲が混じってはいたと誰もが感じていたが。

 

「もらえるものはもらっとこうよ。あっちから差し出してきたんだしさ」

 

「もう恵里、言い方」

 

 あっけらかんと言ってのける恵里にハジメも鈴も苦笑を浮かべるも、確かに使わない方がもったいないし不義理だと考えた二人は目の前の愛する人の髪を整えるのに専念する。実際問題使い勝手は良いのだ。昨日は二人がおっかなびっくり使っていたクシを今、普段使ってた金属のそれと同様に使って丁寧に髪を手入れしていく。

 

「はい。これでいいかな、恵里?」

 

「うん。バッチリ。ありがとうハジメくん」

 

「ハジメくんの方も終わったよ。じゃあ鈴の方もお願い」

 

「うん。じゃあ恵里、悪いけれど先に支度しててくれないかな」

 

「はーい」

 

 毎朝ハジメに先に髪をとかしてもらうのは日替わりであり、今日もちょっとだけ鈴をうらやみながらも恵里はハジメが作ってくれた宝物庫から服を取り出した。鈴が協力して空間魔法を付与したそれは家庭用倉庫の倍程度の容量があり、()()()()ネグリジェを脱ぎ捨て、そこから出したシャツとスカートを身に着けていく。

 

 シャツは王国から支給されたものではあったものの、今それはノースリーブとなっている。オルクス大迷宮を攻略する際に日々傷つき、ヒュドラ戦で大きく破れてしまったのをきっかけに恵里がそうしたのである。

 

 当時のメルドはそうすると述べた恵里に呆れたものの、解放者の住処にある服にも補修用の材料にも限りがあると訴えたことで可決。今はもう袖なしとなったそれのボタンを一つ一つ留めていき、ベッドの上に置いていたスカートも履いていく。

 

(だいぶ馴染んだなぁ、コレも)

 

 前に履いていたズボンに関してはヒュドラとの戦いを機に補修用の材料にすることに決め、新たに何か用意したいということで魔物の革を使ってこれを作ったのだ。なおスカートの方はあくまで拠点などで使う用であり、大迷宮攻略など戦闘があることが予測される場合はレザーパンツを身に着けている。今日はあくまで王宮の中での作業であり、別にいいだろうと判断したが故だ。

 

「お待たせ、恵里」

 

「待たせてごめんね」

 

「ううん、大丈夫だよ二人とも。じゃ、行こっか」

 

 着替え終わって髪型をどうするかと少し悩みながら二人の朝支度をながめていればすぐに時間は潰れてしまう。解放者の住処でもやっていた軽装に着替えた二人を見て恵里は髪をいじる手を止めた。今日は鈴は髪を下ろしており、それを見た恵里は自分こそがハジメの一番だということを見せつけようと髪の毛を手櫛で整えるだけで終わらせた。そうして三人で部屋を出て、食堂へと向かっていく。

 

「今日のごはんなんだろうね」

 

「畑山先生ならもうお米収穫しててもおかしくないんだけどねー」

 

「恵里がそんなこと言うからご飯が恋しくなってきたよ。いつになったら食べられるかなぁ」

 

 何気ない話に花を咲かせ、笑みを浮かべながら歩いていた恵里達。しかしすぐにハジメが苦笑いを浮かべ、恵里と鈴の表情が凍り付く羽目に遭う。それは目の前の馬鹿()()のせいであった。

 

「なぁレニーちゃんどうだったよ?」

 

「んー、そこそこだな。愛想とトークはうまいんだけどさ、他はまぁそれなりってか」

 

「そうなのか。あー、どうしよう。次もレイナさん指名しようかな」

 

「あー、わかる。レイナさんいいよな……」

 

「大人の包容力、ってかー。わかるぜーおっぱいおっきいし」

 

 ……何せ朝っぱらから猥談をしていたからだ。

 

 それもこれもハジメが産業革命モドキを提唱し、空間魔法の真髄が判明した翌日のことが原因だ。女日照りで苦しんでいた礼一らが『外で遊びたい』とゴネたところ、すぐに全員で協力して自分達の見た目をごまかすアーティファクトの作成を行ったからである。

 

「あーのエロ猿ども……せっかく人がハジメくんとあまぁ~い空気味わっていい気分になってたのにさぁ。よくもまぁやってくれたね」

 

「浩介君はわかるよ。変な技能が発露するぐらいだったんだもん。でもさ、近藤君と斎藤君は流石に鈴も許せないかなぁ……」

 

「二人とも落ち着いて。どうどう」

 

 オルクス大迷宮を攻略してから全員ずっとフラストレーションが溜まっていたため、礼一達のボヤきを呼び水に優花に奈々、妙子、そして香織らも外で自由に遊びたいと言い出したのだ。しかも本来ストッパーになるはずの光輝と雫、ハジメでさえもそれに同調したものだから全員まとまって作業することに。しかも面白いくらい急ピッチで進んでいった。

 

 その結果、午前でそのアーティファクトのひな型は完成し、実験と称して光輝と雫のペア、大介とアレーティアのペアの二組がお出かけしている……なおその実験(笑)を行うメンバーを選出する際にハジメが開発者特権を行使しようとして危うく血で血を洗う事態になりかけたり、グループの代表同士でじゃんけんをする際に“限界突破”と“瞬光”を使ってブラフを出し合ったり相手の手の内を読み合うなど全力で馬鹿なことをやっていた。

 

 閑話休題。

 

 こうして相手の認識を阻害するアーティファクトが完成した後、礼一と良樹が浩介を誘って夜の街へ繰り出すようになり、昨晩もまた三人で大っぴらには言えないお店で色々とヤッてたのである。礼一と良樹はもちろんのこと、浩介の精神もわかりやすいくらいに安定するようになったのは言うまでもない。

 

「ミュリアさんも良さげに見えるけどよ。どうす……げっ」

 

「んー、どうせ国が立て替えてくれるしなー。もう昼間っから行か……あっ」

 

「いやいや、流石に国が金出してくれるからって何度も厄介になってちゃ……ぅえっ」

 

 そしてようやく三人は気づいた。恵里達が近くにいることに。恵里と鈴がとてつもなく機嫌が悪いこと、そしてその原因が自分達の話であろうことに。

 

「……その、三人とも。一応ここ他の人も来るからさ、やめよう。ね?」

 

「「「本当にすいませんでしたぁー!!!」」」

 

 恵里と鈴がキレるよりも先にハジメが苦笑しながら彼らをたしなめ、二人が何かやる前に礼一達も腰を直角に曲げながら頭を下げた。

 

「もう……TPO考えてね」

 

「次またやったら魂魄魔法で不能にしてやるから」

 

「今すぐ靴なめるからやめてくれぇー!!」

 

「今日一日奴隷になるから許してぇー!!」

 

「悪かった!! 最近タガ外れまくってた!! 本当に悪かった!!」

 

 鈴だけは冷めた目で見つめながらも礼一達に軽くお説教をするだけで済ませ、恵里も脅しをかける程度で終わらせた。なお恵里の脅しはシャレにならなかったせいで礼一と良樹はすがりつき、浩介はもう土下座してひたすらわび続ける。カオスである。

 

「恵里、そういうのやめよう。ね? 礼一君も良樹君も浩介君もさ、やっとため込んでたストレスをどうにか出来るようになったんだから。前にトレントモドキがいた階層で僕達がヒャッハーしたのと同じだよ」

 

「うーっ、そう言われると……仕方ないなぁ、もう。じゃあ許す。許しといてあげる」

 

「ハジメマジでありがとう!! 本当に助かったよ! 流石に不能なんてまっぴらごめんだからな! それと恵里ごめーん!!」

 

「神様仏様ハジメ様ぁー!! ありがとうございます! ありがとうございます!! それと中村もサンキュー!!」

 

「もうこんな話廊下でやらねぇ!! 俺もう心入れ替えたから大丈夫!!」

 

 ハジメに説得され、ため息を吐きながら恵里は許す。そして三者三様のリアクションをとっていると知った気配がやって来た。大介とアレーティア、信治の三人である。

 

「何やってんだよお前ら……どうせ中村の奴の機嫌でも損ねたんだろ?」

 

「……時と場所はわきまえましょう。遠藤さん、近藤さん、斎藤さん」

 

「ばーか。どうせ風俗の話でもして――あ、ごめんなさい。すいません中村さん」

 

 大介が自分だけをずっと見つめてくれることから精神に余裕があるアレーティアは礼一達に軽く注意するだけに済ませ、好きな相手がいることで女遊びが必要なくなった大介と信治はあきれた様子で彼らを見つめていた。なお信治だけ余計なことを言ったため恵里ににらまれ、すぐに頭を下げる羽目になったが。

 

「ハッ、いいよなぁーロリ介君に信治君はよぉー! 彼女いるもんなぁー! かーっ、うらやましいー!!」

 

「つーか信治、テメェまだ童貞のクセにイキってんじゃねぇぞコラぁ!!」

 

「う、うるせぇ!! そ、その気になったらすぐにでも卒業出来るし!! ツレのいねぇ素人童貞のお前らとは違ぇし!」

 

 今度は信治相手に礼一と良樹がヒートアップしそうになった瞬間、“鎮魂”が口ゲンカしていた三人に、しかもそれぞれ別の人間から全員にかけられた。一瞬で勢いが鎮火したことから一体誰がやったと礼一らは周囲を見渡すと、とてもいい笑顔の恵里、鈴、アレーティアが彼らを見ていた。

 

「他所でやって」

 

「さっき言いましたよね皆さん……場所を考えて、って」

 

「何度もそういうことするならお尻に“光壁・桜花”ツッコむよ」

 

「「「ヒッ」」」

 

 一番過激な鈴の物言いに何も悪くないはずのハジメと大介、それと浩介はお尻に手を当て、キュッと力を入れる。無意識にどこぞの穴を守ろうと体が反応したのである。もちろん恵里とアレーティアの発言にも礼一達は顔を青ざめさせ、すぐさま無言で土下座。即許しを乞いにかかった。

 

「こんなところで何やってるんだ皆……」

 

 そんな時、ふと声のする方を見やれば光輝達残りの幼馴染~ズと鷲三、霧乃もこちらへと来ていた。彼等も呆れた様子で礼一達を見ており、彼等がまた何かやったんじゃないかと疑いの目を向けている。これだからこの問題児どもはと優花が大いに嘆息し、鷲三と霧乃も思わず目を伏せた。

 

「……とりあえず行こうぜ。飯の時間、終わっちまうぞ」

 

 そうして龍太郎が切り出したことで冷えていた空気も霧散する。恵里達も軽くうなずき、良樹らも龍太郎に頭を下げてから全員食堂に向かう。今日の食事のことや今後の予定、そんなことを話しながら穏やかな時間を過ごしていく。

 

 

 

 

 

「なぁ永山、最近の()()の方はどうだ? 少しはやれてるだろうか」

 

「……あぁ。どうにかな」

 

「そうか。あー、その、困ってることがあったら言ってくれ。俺達も出来る範囲で手伝うから」

 

 朝の馬鹿なやり取りの後で食堂に着いた恵里達一向は、先に食堂で食事をとっていた重吾達の近くで一緒にご飯を食べていた。その際光輝はどう自分達に声をかけていいのか迷っている彼等に話しかけ、少しでも関係をよくしようと色々と尽力している。

 

「別に、いいよ。天之河達に手伝われると、俺達のやることがなくなるから」

 

「……ごめん」

 

「謝らないでよ……元は、私達が悪いんだから」

 

 この国の人間に裏切られたことで心が傷ついた重吾達は今、愛子と共に畑仕事をやっている。戦うことにも嫌気がさしているが、かとといって何もしないでいることにも耐えられない。しかし恵里達と一緒に行動するのもためらわれる。そんな彼らの心情がわかったからこそ愛子は彼等に畑仕事を手伝ってほしいと頼み込んだのである。

 

「そういや愛ちゃん先生はさ、例の件はどうなったの?」

 

「目上の人や年上の人にはちゃんと敬称をつけるように。もちろん『先生』以外で、です。()()に関してはもう大詰めに入りました。馬車や衣服の用意を待つ間に終わるでしょう」

 

 そんな彼女は今、恵里と一緒にある悪だくみについて話し合っていた。

 

「……ねぇ愛子、さん。その、今からでも計画を中止したほうがいいんじゃないかしら?」

 

「今更ですよ。既に国の許可も下りてますし、飢えてる人を助けることにもなる。私達も国に大きな貸しを作れる。誰も損をしない素敵なお仕事じゃないですか」

 

 光輝にくっつきながらも頑張って話しかける雫に愛子は微笑みを崩すことはない。今自分達が進めていることは素晴らしいことだと述べ、雫の提案をそっと流す。

 

「……雫。その、畑山さんがやろうとしていることは合理的かつ立派なことだと私は思うぞ」

 

「えぇ。そう、ですね。王国の元領地にいた方々が信じて買い取るのもアンカジのものだけでしょうし。これは畑山さんだからやれることよ、雫」

 

「お爺ちゃん、お母さん……」

 

 ウルの街での一件以来、どこかぎくしゃくしてはいながらも鷲三と霧乃も雫に反論する。雫の方も軽くビクッと反応しながらも自分の家族を何とも言えない目で見ていた。

 

「別にいいじゃん雫。たかだか産地偽装するだけなんだし」

 

「それが大問題なのよっ!!」

 

 やれやれといった様子でなだめてくる恵里に雫は思いっきり反発する。

 

 ……そう。愛子がやろうとしていたのは自分が育てた作物の産地を偽装し、『本物』のアンカジの商人が売るのと同等のレートで販売しようということであった。

 

 復帰したエリヒド王に召集され、例のウル産の食糧の廃棄が行われたことへの対処法について相談を持ち掛けられた際に愛子が提案したのだ。ハイリヒ王国の領地を借り、アンカジが取り扱っている作物を育てて産地を偽って売ってしまえばいい、と。店で取り扱っているアンカジ産のものをまとめて買い上げ、その中に入っている種を育てれば確実に騙せるとまで言ってのけたのである。

 

 それを聞いたエリヒド王はもちろん、恵里以外のそこにいた全員がドン引きしていた。

 

「うん、やっぱりよくないよ……」

 

「あの時も言ったけど船場吉〇と変わらねぇしな……そりゃ、他にどうしろって話だけどよ」

 

 香織と龍太郎も再び顔を引きつらせながら愛子がやろうとしている行いを嘆く。この二人以外にも当時愛子が提唱した詐欺に文句をつけた人間はいた。というか恵里を除いたほとんどの地球組のメンバーだ。犯罪だの詐欺だのやり方をもう少し考えてほしいだのと色々とケチをつけた彼らに対してこの一言で黙らせた――なら他にどんな方法がありますか、と。

 

『魂魄魔法で洗脳ですか? それなら確かにウルの作物も皆さん喜んで食べるでしょうね。ですが広範囲の洗脳となりますから南雲君がアーティファクトを作ったにしてもそれなりの時間と手間がかかるはずです。それと話を聞いた限りでは既にウル産の作物は全滅してるようですし、向こうの畑も田んぼも焼き払われたみたいです。畑と田んぼが受けたダメージを計算しないにしても新たな作物が育ち切るには相応の時間がかかるでしょう――それで、それまでの間彼らに何を食べさせる気ですか? 結局私の力を借りるにしても、私が育てた作物を彼等が食べることには変わりませんよ?』

 

 ……この、微塵も容赦のない言葉で黙らせられ、すごすごと引き下がった苦い記憶がよみがえる。恵里としても実際その通りだと受け止めていたし、産地偽装するのが一番手っ取り早いと感じていた。そのためどうやってハジメと鈴を説得したものかと思案していたのもあってか愛子を評価している。もちろん恵里以外の面々は言わずもがなだが。

 

「大丈夫ですよ。国がGOサインを出したんです。上がこれを犯罪だとみなさないのならこれは単なる善行です」

 

 ニコニコと笑みを浮かべながらのたまう愛子に光輝達は力なくうなだれる。モラルがいかんともしがたい現実に屈した瞬間であった。また大介ら四人もヤベぇマジヤベぇと変わり果てた愛子を見ながらしきりにつぶやいている。

 

「……そうだよな。俺達犯罪やってんだよな」

 

「異世界来て何やってるんだろうな……」

 

「大丈夫ですよ玉井君、仁村君。あなた達は私に従わせられてただけで何一つやましいことを望んでやってるのではありません。悪い大人に騙されてた、と言えばいいんです」

 

「それが嫌なんだよ先生……」

 

 そして愛子を手伝っていた重吾達はもっとひどかった。戦うことも拒んで、恵里達の手伝いも拒否して、その結果犯罪の片棒を担いでいるのだから。愛子は責任を自分に押し付ければいいと言ってくるもそれを許せる程重吾達は面の皮が厚くはない。むしろウルの作物をいきなり廃棄しだしたトータスの人間が悪いと考えてたぐらいであったため、これにはあまり気が乗らなかった。

 

「そうだよ。産地偽装で救われる命があるんだから。毒を盛る訳でもぼったくる訳でもないんだよ。それしきごときでギャーギャー言ってたら体がもたないよ」

 

「えぇ。それと後で皆さんも販売に協力してもらいますからね。ハイリヒ王国の領土は広いですから」

 

 そして告げられる死刑宣告。恵里と大介ら四人を除くの地球出身の全員が一発で灰になりかけた。このままでは全員仲良く犯罪に加担する羽目に遭ったのである。そこである()()に白羽の矢が立つ。

 

「……浩介、頼む。“深淵卿”最大深度でやってくれ」

 

「絶対嫌だ!! てかあのテンションだと販売どころの騒ぎじゃないだろ! はい却下!!」

 

「……シズ、多分似たような技能持ってるわよね? 私達友達よね?」

 

「嫌。絶対に嫌だから!! 今度言ったら絶交よ絶交!!!」

 

「じゃあどうすればいいのー!? イヤだよー! 犯罪者になりたくないよー!!」

 

「………………奈々、それに皆。あれだよ。トータスのねずみ小僧になると思えばいいんだ。うん」

 

「それが詐欺まがいだからイヤだって言ったのぉ~!!」

 

「は、ハジメくん! ゴーレム! ゴーレム作って!! すっごい人間に近いの! お願い!!!」

 

「わかった、頑張る!! 流石にそんなの僕だってやりたくなーい!!!」

 

「えー。そんなのやんなくっていいじゃん。てかハジメくんは後方で色々やってた方がお得だろうししなくて済むんじゃないの?」

 

「いや恵里ちゃんも犯罪に加担するんだよ!? 正則さんと幸さん悲しむよ!?」

 

「お前流石に親悲しませたくねぇよな!? 流石に今の親を泣かせる気はねぇだろ!?」

 

「うぐっ。さ、流石にそれは、その……」

 

 幸利と優花を筆頭に救いを求める視線を向けられた浩介と雫。もちろん即座に拒否。どいつもこいつも犯罪なんてやりたくないと必死にゴネるものだからあっという間にカオスな空気に。恵里と大介らはどうでもいいと思っていたものの、香織の一言で流石に考えを改めた。親に犯罪がバレるのはそれはそれで嫌だったらしい。

 

「ですから私を生贄にすればいいと言ったでしょう? 全く……」

 

「あぁいや、それは俺が愛子をそそのかしたと言えば……」

 

「いえ。私が国のために吹き込んだと伝えて下さい。愛子さんにも皆さんにも罪は背負わせません」

 

「いやいや。僕がそう仕向けたと言ってくれればいいからね? 泥は僕らが被るよ」

 

「俺の名前だけ出しておけ。そうすれば俺の首一つで済む」

 

 そうして犯罪をしたくないと叫んだり、しなくて済む方法を必死になって考えてる子供達を見て愛子は思わずため息を吐く。またそれを見ていたデビッドらも自分に責任をなすりつければいいだろうにとボヤくと、彼等にそう言うよう席を立って伝えようとする。食堂の中の喧噪は中々止まりそうになかった。

 

「団長、その、いいんですか?」

 

「ほっとけ。納得できる結論が出なければアイツらはいつまでもやるぞ」

 

 なお同席していた騎士団の皆は止めようとメルドに進言したものの、恵里達の人となりを近くで見ていたが故の言葉で黙らせている。それでいいのかと騎士団皆が心の中で思うのであった……。



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六十六話 久しく訪れた穏やかな日々(後編)

まずはこうして拙作を見て下さる皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも164981、お気に入り件数も844件、しおりも397件、感想数も590件(2023/4/15 0:06現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして伸び具合を見た限りではエイプリルフールのお話も好評だったようで、とてもありがたく存じます。

そしてAitoyukiさん、竜羽さん、拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。おかげで筆を執る力が湧いてきました。感謝いたします。

今回の話を読むにあたっての注意点ですが、少し長め(約12000字足らず)なことと独自設定、あとちょっとしたサプライズがあることです。独自設定なところに関してはこういうものだと思って流して下されば幸いです。

では上記に注意して本編をどうぞ。


 昼食を終え、ゲートキーを使って解放者の住処に訪れていた恵里達。今回同席している他のメンバーはハジメ、鈴、信治、リリアーナとヘリーナの計六名だ。

 

 ちなみに昼食の後、ハジメが頑張ってゴーレムを造ってみたものの、表情の変化があまりいいものでなかったのと、恵里ぐらいしか魂を造れないため数をそろえるのに時間がいるということでめでたくゴーレムを使う案は却下となった。

 

 そして仲良く産地を偽った食糧の販売に加担することになったことを思い出して軽く遠い目をしたものの、すぐに気持ちを切り替えた恵里はハジメに声をかけることにした。

 

「ねぇハジメくん、調子の方はどう?」

 

「うん。一号の方は順調、二号の方はやっぱり幾らか遅れてるかな」

 

 二つのアーティファクトを手に取って調べていたハジメも、振り向いて試作品二つがどんな感じかについて簡単に述べてくれた。成果次第とはいえ()()()も期待できるかもと考えていると、隣で一緒に見ていた鈴も試作品を見比べながらどこか感慨深そうにつぶやく。

 

「貴重な魔晶石を一つ潰したけど、その分一号の方はいい成果が見込めそうだね」

 

「まぁね。複数魔法を付与出来るのは神結晶しかなかったから。後は一つ一つパーツごとに効果を付与したものと比較してどんな結果になるかを確認しないとね」

 

「うん。早く出来るといいね」

 

 実験用のアーティファクトを用意するためにわざわざ貴重な魔力タンクこと魔晶石を原料にした成果はもうすぐ出る。それを待ち遠しく思いながら恵里達三人は二つのアーティファクトに期待のこもった眼差しを向けた。

 

「さっすがウチの先生だよ。これぐらい余裕でやってくれ――姫さん? なぁ姫さん、大丈夫か」

 

「え、えぇ……ちょっとめまいがしただけです。()()聞いた時よりはショックは小さいですから」

 

 そしてそんな三人を後ろで見て色々とだべっていた信治とリリアーナ。しかし彼らの話を聞いて軽くフラッとしたため、すかさず側に仕えていたヘリーナ共々信治は彼女を支えて気遣った。

 

「確かに、今こうして聞いてても信じられません……熱にうなされて悪い夢を見ているかのようで」

 

「今更だ今更。新しい神代魔法手に入れたらもっとすごいことしてくれそうだしな」

 

 リリアーナと同様にため息を吐きながら思ったままを述べるヘリーナに、信治はケラケラと笑いながらそう答える。それを聞いて一層立ちくらみを強く感じたリリアーナとヘリーナであったが、もうこれ以上驚いてたまるかと意地も張っていた。

 

「……これ以上すごいことは起きそうにないと思いますが」

 

「えぇ……神結晶の制作、ひいては量産なんていくらなんでもおかしいですもの」

 

 頭痛を堪えながらも二人はつぶやく……恵里達が今やろうとしている『神結晶量産化計画』の始まりとなるやもしれない光景を見ながら。数日前に主従揃って仲良く卒倒したことを思い出しながら見つめていた。

 

 

 

 

 

 ――それはハジメが産業革命モドキを提唱したあの日の翌々日のことであった。

 

 恵里達は朝から魂魄魔法の研究を続け、昼食の時にはもうある程度目途をつけていたことを仲間に伝えていた。

 

『魂魄魔法の真髄も大体わかったよ。多分人間の体にある魂とかエネルギーに干渉するものだと思う』

 

『龍太郎君が昨日の夕食の席で話してくれたおかげで色々柔軟にやれたよ。本当にありがとう』

 

『俺は適当にアタリつけただけだ。その、感謝される程じゃねぇ……』

 

 恵里の語った内容に対し、同席していた多くの仲間がどよめきの声を上げる。恵里の説明が正しければ単に魂関連のものだけはなく、“魔力操作”に関してもこの技能がルーツであるということが判明したからだ。

 

 そのきっかけとなったのは、夕食の席でハジメが恵里の使っている魔法の一つである“堕識”のことについて触れたことだ。それは闇系魔法の一つであり、相手の意識を数瞬の間だけ飛ばしたり、応用技として脳から発せられる命令を明滅する間だけ阻害したりするというものである。

 

『恵里、これって魂に干渉してるんじゃなくて脳に干渉して動きを止めてるんだよね』

 

 この話ぶりに恵里達幼馴染はデジャヴを感じると共に抑えきれない期待が込み上げ、重吾達もまた何かを確信した様子のハジメに思わず唾を飲み込む。

 

『うん。そうだよ。魂に直接働きかけるのは多分エヒトの奴がやってたのじゃないかな?……ねぇハジメくん、もしかして』

 

『うん。恵里が降霊術師じゃなくて闇術師なのに前世の魔法を問題なく使えることを考えると、きっとどちらもルーツは魂魄魔法にあるんじゃないかな。もしそうだとしたら魂魄魔法がやれるのは魂そのものだけじゃなくて脳への干渉、体内電気に関してもやれるかもしれない』

 

 その一言に場は大いにどよめき、恵里も目を輝かせながらハジメを見つめている。またしてもハジメが謎を解き明かした。そのことに幼馴染〜ズは沸き立つものの、ふと何かに気づいた様子の龍太郎があることを口にはさんできた。

 

『なあハジメ、もしかしたら“魔力操作”もそうなんじゃないか? 同じ体の中なんだし、やれたりしねぇか?』

 

 刹那、全員の脳裏に電流が走った。

 

 関連性があるかは定かではないが、十分に試してみる価値はある。先のハジメの述べた体内電気のことも含めて明日調べようという事になり、血流はどうかとかこの世界にも気とかは存在するのかと様々な話題が飛び交っていく。

 

 そして迎えた翌日。この日も四名ほどでそれぞれ班に分かれ、恵里はハジメと鈴、そして幸利の四名で魂魄魔法の実験を行い、早速ハジメと龍太郎が提言した体内電気と“魔力操作”について研究。

 

 結果、その関連性を明らかにし、魂魄魔法は『魂そのものや意識、そして人間の体内にある電気や魔力などのエネルギーにも干渉するのではないか』という仮定を出した。

 

『それでさ、皆。ちょっといい? 思いついたことがあるんだ』

 

 龍太郎が褒められてまだ赤面する中、ハジメが遂に切り出す。あの悪魔の計画を。人工的に神結晶を造り、量産してエヒトとの戦いに備えようというとんでもない計画をだ。

 

 ――神結晶は千年という長い時間を掛け偶然できた魔力溜りで魔力が結晶化したもの。途方もない程に膨大な自然の魔力が固まったものである。ならば相応の魔力さえあれば、それも一箇所に押し固めてしまえば作れるのではないかと彼は考えたからである。

 

「いやー、ハジメくんが言い出した時は本当に驚いたよ」

 

「うん。鈴もびっくりしすぎてあごが外れるかと思った」

 

「あはは……でも複数の魔法が付与出来るのはこれしかないし、数が限られてるからね。作れたらきっと色々役に立つはずだよ」

 

 そして現在、一行は解放者の住処を流れる川に取り付けたある装置を調べながら経過の観察をしていた。ちなみに例の装置及び中の神結晶はこのようにして作られている。

 

 1.まず空間魔法を使って宝物庫と同様のもの、ただし容量は一メートル四方と大きさを限定したものを作成する。

 

 2.まず適当な大きさの鉄に“纏雷”で電気を流し続けて永久磁石を二つ作成。次に銅線を巻いて適当な大きさのコイルを用意し、先の永久磁石と組み合わせて簡単な発電機を作る。次にこの発電機に魂魄魔法を付与し、発電して得た電気を魔力に変換する仕組みを作る。そして水車を作り組み合わせて発電出来るようにする。

 

 3.魂魄魔法を付与し、受け取った魔力を別のものに注ぎ込む装置を作成する。

 

 4.空間魔法を付与し、空間の境界線を操作して中心に魔力が密になるようにする装置を作成する。

 

 ※なお素材に神結晶を使った場合は1.と3.と4.で作る装置を同じ素材で用意することが可能。

 

 5.上記のすべての装置を組み合わせてどこかの水源に置く。これで完成! 勝手に発電して神結晶を作ってくれる! なお時間はかかる

 

 ……といった具合のものが神結晶量産化装置(仮)だ。試作したものを数日かけて実験し、それで得られたデータを基に改良して昨晩設置したのが今彼らが見つめるものである。なお神結晶を素材に使ったものの方が結晶の育つスピードが早く、別々に作ったものの五割増しぐらいの早さで成長していた。

 

「今のところはまだ二ミリぐらいだね」

 

「神結晶が素材でも一晩ぐらいだとこんなもんかぁー」

 

「一つ一つの場合だとやっぱりロスが多いのかまだちっちゃい砂粒ぐらいだもんね」

 

 ただ、中で育っている神結晶を確認するにはやはり取り出す他なく、どうにかしてのぞき窓を作れないかというのが今の悩みであったりする。“界穿”を応用して空間を繋いで見られないかと考えたこともあったが、それだと魔力が漏れるからもったいないということで却下されていた。

 

「適当に何度か足運んで確認してよー、それで後はタイマーでも設定すりゃいいんじゃねぇの?」

 

「うーん。確かに信治君の案が今のところ一番かなぁ。魂魄魔法で魔力の密度は調べられても、結晶化したものまで見れる訳じゃないしね」

 

「でしたら確認するのは朝昼晩の三回はどうでしょうか。流石にそう簡単に神結晶が出来るということもないでしょうし」

 

「リリアーナさんの言う通りかなぁ。取り出すのは簡単だし、いざという時はハジメくんの技能でくっつけられるしね」

 

「神結晶使ってる一号はそれぐらいの頻度で良さそうだけど、使ってない二号の方は朝晩の二回でもいいかもね。とりあえず明日まで放置してどれだけ成長してるか確認でいいんじゃない? その後データを纏めて皆で話し合おうよ」

 

 改めてこの装置に対してどう扱えばいいのかを恵里達は話し合い、とりあえず今はそれぞれの結晶がどれだけ成長してたかと二台の機械の調子について調べ、リリアーナが用意してくれた紙にそれらを記載していく。

 

「そういえばハジメくん、神水の量産はどうするの? 二センチぐらいの大きさだったらちょっと魔力を注ぐだけで作れそうだけど」

 

「うーん、それも実験したいところだけど……下手に幾つも並行してやってるとごちゃごちゃになるし、神結晶だって分離は出来るから一旦こっちが落ち着くまででいいんじゃないかな。回復薬は十分あるしさ」

 

 この後も奥にある滝を使って発電すれば神結晶を作るスピードが上がるだの実験の終わった一号を改良すれば良さそうだの水車の形状や軸が耐えられるかだので色々と恵里達は話し合う。

 

「……驚きませんわ。えぇ驚きませんとも。この程度で驚いていたら皆様についていけませんから」

 

「リリアーナ様、手が震えております」

 

「ヘリーナも体震えてんぞ……まぁ俺らにとっちゃ今更だけど、そっちからすりゃ伝説のもんがポンポン目の前に現れてるワケだしな」

 

 なおそれを聞いて一層顔が青くなったのが二名いたが、信治がとりなしたおかげでどうにかなったため何一つ問題はない。未だに震えも収まらないし顔も青いままだが何一つ問題は無い。無いったら無いのだ。

 

「う、うぅ……」

 

 そうして色々と話し合っていると不意に気配を感じ、恵里達は後ろに視線をやればそこには満身創痍のフリードの姿があった。

 

「大丈夫ですか、フリードさん!」

 

「この程度ならば……と、言いたいが少々厳しい。回復を頼む」

 

 その場で四つん這いになっていたフリードに慌てて鈴は“焦天”を発動する。見た目はそこまで傷が深そうには見えなかったため、最上級でなく中級のものでも間に合うと思ったからだ。事実、その判断は間違っておらず、傷はすぐにふさがってフリードも立ち上がった。そして一言礼を述べると共にフリードは場所を変えたいと提案する。

 

「助かった……とりあえずここではなくリビングで話をしたい。いいだろうか」

 

「えーと、フリードさん。その前にちょっと……」

 

「その前に体の汚れ落としてからね。立ちっぱなしならいいけど、そんな格好でソファー座ったら汚れるし」

 

「衣服はこちらで用意しますので先に湯浴みをなさって下さい。フリード様」

 

「僕が案内するんでお風呂先入りましょう。ね?」

 

「……あぁ」

 

 彼の提案に誰も反対はしなかったものの、先に体に付着した血や汚れをとっとと落とせと言われ、フリードは少しバツの悪い表情を浮かべる。そしてそのままハジメに手を引かれて先に風呂へと向かうのであった。

 

「恵里、みっともないよ」

 

「だってさぁ……むぅ」

 

「相変わらず先生のことになるとヤバさが何倍にもなるよな中村の奴」

 

 なお恵里はハジメに手を引かれるフリードを見て軽く嫉妬していたため鈴達から呆れられていた。相変わらずである。

 

「そういえば南雲様、中村様。先日はどうもありがとうございました」

 

 そうしてフリードが風呂から出てくるまでの間、全員リビングで色々と話をしながら彼が来るのを待っていた。先程までしていた例の神結晶製造機関連の話を、結晶の成長度合いからどのタイミングで神水を生成するための器具の作成に移るかなどを話し合ったのだ。それがひと段落着いたところ、ふとリリアーナはハジメと恵里に礼を述べてきた。

 

「なんのことですか、王女様?……まさか、()()のことで?」

 

「多分そうだよハジメくん。“首輪”の件だよ」

 

 言われた直後は何のことかわからなかったものの、すぐに浮かんだ過去一ヤバい所業にハジメの顔が引きつる。しかも恵里がそれだと補足すると共にリリアーナはより微笑みを深くしたため、思い浮かんだことで間違いないことが確定した。ハジメは頭を抱えた。

 

「……やっぱりアレかぁ~」

 

「いいじゃんハジメくん。別に人が死んだわけじゃないんだし」

 

「えぇ。むしろ彼らを処罰することなく()()()()させていただいているんですよ? そのことを自慢こそすれど気に病む必要はありませんわ」

 

「いや死んでないから余計辛いと思うんだけど……よしよし」

 

「いや、ハジメは悪くねぇって……まぁ、自業自得ってヤツだろ。俺だって王女さんやヘリーナを殺そうとした奴らを許したくねぇし」

 

 恵里とリリアーナにフォローされるもハジメは頭痛に苛まれている。鈴も信治もそのことに心当たり、というか間違いなくあの事だというものが思い浮かんでいる。そのため鈴はハジメの頭をなで、信治もハジメのフォローをしつつも彼ら――真の神の使徒によって乱心したメイドや兵士の生き残りに同情しつつも無罪放免になることを許しはしなかった。

 

 ハジメと恵里が感謝をされた理由は、王侯貴族に刃を向けたメイドと兵士どもに罰として着けることになった首輪を作成したことに由来する。例の産業革命モドキ発言をハジメがした際、鷲三が提案した『誓約を破った相手を洗脳する首輪もしくは腕輪』を形にしたものだ。

 

 当然ハジメは乗り気ではなかったものの、国の上層部全員の懇願及びメルドからも何度となく頭を下げられた。そしてこの王宮の維持管理や魔人族が攻めて来た時の備え、今後エヒトとの戦いに頭数がいるからと説得され、渋々彼は作ったのである。

 

 アーティファクトのガワと生成魔法による付与をハジメが担当し、付与する魂魄魔法を発動するのは一番のエキスパートである恵里がやった。

 

『こんなもので私のエヒト様への忠誠が――ひぎっ!?……エヒトさまエヒトさまエヒトさまエヒトエヒエエエエエエエくたばれエヒトぉおぉおぉ!!』

 

『この国なんかに私は忠誠を誓わな――あぎぃ!?……エヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソエヒトはクソクソフリーダぁぁあぁあムっ!!!』

 

 ……なお、以上が首輪をつけた奴らの感想の一部である。誓約を破った奴らが誰一人例外なく具合がおかしくなったため、未だに反旗を翻す気があった奴らは一瞬で血の気が引いて即座に元の鞘に収まった。

 

 しかも誓約を破った奴らも言動がややおかしくなったものの、むしろこれまで以上に業務に精を出すようになったため国のトップからは大いに喜ばれるという結果に終わっている。倫理観がぐちゃぐちゃになりそうな光景であった。

 

「……もうやりたくないなぁ」

 

 ちなみにその時のハジメのリアクションは口いっぱいにほおばった苦虫を嚙み潰した感じである。やはり持ち前の倫理観のせいで苦しんだのも、後で恵里と鈴を筆頭に皆がなぐさめにかかったのも言うまでもない。

 

「もぅ、ハジメくんは……でもその優しいところがボクは大好きだよ」

 

「……ありがと、恵里」

 

 そうして恵里もハジメの頭をよしよしとなでていると、ドアノブを回す音が聞こえた。どうやらフリードの方も支度が終わったらしい。

 

「待たせたな、入るぞ」

 

 そう述べながらフリードはリビングへと入って来た。ヘリーナが用意したシャツと布のズボンに着替え、湯上りで赤い髪はほんのりと湿っている。ラフな恰好のせいで胸と腕の厚みがよりわかりやすく、軍人であったが故にその体が鍛えられて引き締まっているのが余計にわかる。

 

 大人の色香を放ちながらこちらに向かってくるフリードを見て、思わずハジメと信治はおぉと憧れとうらやみの混じった視線を送った。

 

「ハジメくんは今でもカッコいいし素敵だよ」

 

「うん。フリードさんに負けないもの」

 

「ありがとう、二人とも」

 

「信治さん、よろしかったら後で私達王族が使ってる香油をおすそ分けしますけれど……」

 

 恵里と鈴はちょっと呆れた表情を浮かべながらもハジメを評価し、彼も自分を好きでいてくれる二人に礼を述べて少し頬を染めた。またリリアーナも慕っている信治を少し自分色に染められるいい理由を見つけたと内心ほくそ笑みつつ、そんな提案をする。

 

「あ、いや、その……後でちょっと見させてくれ」

 

(お見事です、リリアーナ様)

 

 当の信治もちょっと驚いてドギマギはしたものの、ちょっと背伸びをしたくなってそれを受け入れた。ヘリーナは特に何も言及しなかったが、それが何より雄弁に物語っていた。

 

「……話に移っていいか?」

 

「あ、すいません。今回の探索、どうなったか話してください」

 

 用意されたソファーに座り、半目になってこちらを見てきたフリードにハジメも思わず頭を下げて話を始めるようお願いする。そして彼は今回のオルクス大迷宮の攻略の話を語り出す。

 

「……なるほど。結構厳しかったみたいですね」

 

「“震天”がどこでも使えるならここまでの損傷を負うことはなかったがな……それも言い訳か」

 

 今回フリードがこのオルクス大迷宮の攻略にかかったのはウラノスを休ませる時間を利用し、新たな配下となる魔物を見繕うためであった。

 

 今日までは光輝ら他の仲間と共にライセン大迷宮を空から探してもらっていたのであるが、連日探しても中々見当たらず。そのため今日一日はウラノスに休養をとらせ、単にウラノスの背に乗っていただけであまり疲れてなかったことからここの攻略にあたっていたのである。

 

「“震天”が使えずとも“斬羅”と“縛羅”を発動出来るアーティファクト、それに魔力をすぐに回復するものまでもらっているのだ。その上ゴーレムまで潰してしまったのだからな。お前達に何かを言える立場ではないか」

 

 まぁ多数でお前達が攻略していた点を除けばだが、とだけ付け加えてヘリーナが出したお茶にフリードは口をつける。口には合っていたらしく、かすかに口元が上がっていたのを見てヘリーナも内心ホッとする。こうして恵里のおかげで気を許してくれているのもあったものの、自分がメイドとして磨いた技術は目の前の魔人族相手でも通用するとわかったからだ。

 

「……よくもハジメくんのゴーレムを潰してくれたね」

 

「恵里、ゴーレムは壊れても作り直せるからいいでしょ……でもフリードさん、流石に連日働いた上でここを攻略してますから、そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか」

 

 なお恵里はハジメが供与したゴーレムを駄目にしたことを軽く根に持ったものの、ハジメのとりなしでどうにか収まる。そうして恵里をなだめた後、ハジメもフリードに働きすぎだと伝えれば、彼もそれは承知していたようで再度お茶を口に含んでからそれに答えた。

 

「それは理解している。現に七十階層から八十階層で配下にした魔物達も全滅させてしまったからな……思った以上に体は正直らしい」

 

 そう自嘲しつつフリードは大迷宮を攻略していた時のことを振り返る。燃費の悪い神代魔法は極力抑え、ハジメからもらったアーティファクトを緊急時に使ったり、ゴーレムと連携しながら追い詰める程度に留めながら進んでいた。道中魔物を変成魔法で従えたり、それを使い潰しながら攻略を進めていたのだが、それも八十二階層までの話。

 

 そこで出くわしたアリの魔物、それもモグラのように地面を進むどころか泳いで現れる奴によって蹂躙されたのだ。錬成か土魔法を使いながらタールの中を進む鮫のように地面を自在に泳ぎ回り、十匹単位もの群れで襲いかかってくる。それに襲われたのだ。

 

「それと自身の驕りも嫌というほど理解した。私は自分で思ったよりは弱かったのだ、と考えを改めざるを得なかった」

 

 自身の実力やもらったアーティファクトからヒュドラの待ち構えている最後の階層まで問題なく行けると思っていた。だが土属性の魔法で地面を固めても焼け石に水。ゴーレムや魔物を盾にしながら戦いはしたが、数の暴力を前に次々と倒れていく様を見てフリードは逃げることを選んだ。

 

「あのアリは仕方ないですよ……本当に数が多い上に一体一体が強いですから」

 

「ゲートホールで移動する時になんとか引っ込めてゴーレムは回収してほしかったけどね。まぁアレ相手に一人二人でやれ、って言われたら今のボク達でも手を焼くでしょ」

 

「全然ひるまねぇしな、アイツら。それ考えりゃフリードさんは逃げ切っただけマシだろ」

 

「そうだね。中野君の言う通りだと思う。鈴達の時でも地面に穴開けてそこに火属性の魔法撃ち込んで軽く地面をあぶったよね」

 

 そうそう、と返す恵里達を見てフリードだけでなく、リリアーナ、ヘリーナもまた冷や汗を流す。いくら多人数で挑んだとはいえよくもまぁ対処できたものだと乾いた笑いが浮かび、彼女達の非凡さを改めて痛感する。

 

「あ、フリードさん。後でどこでゴーレムが倒れたか教えてください。ゲートホールが設置してあるなら多分回収出来ますから」

 

 そこでふとハジメがゴーレムの回収を請け負うと言い出した。流石に引き連れていた魔物は既に骨だけになっているだろうが、金属製であるゴーレムが食べられてしまうことはまずない。

 

「そうだね。回収して問題点洗い出そっか」

 

「うん。もっといいの作って、皆の役に立ってもらおう」

 

 フリードの口ぶりからして、原型をいくらか保っていれば御の字程度ではあるだろう。しかしそれでも回収出来ればそこからどれだけの損傷を受けたか、どこかに脆弱な部分が無かったかがわかる。次回のゴーレム作成に繋がる。

 

 考えを切り替えた恵里がそう述べれば、同じ考えに至った鈴もまたそう告げる。その様を見てあぐらなどかいてられないなとフリードが思っていると、今度は信治から声がかかった。

 

「じゃフリードさんよ、場所だけ吐いたらもう今日は休もうぜ。俺達と一緒に茶でも飲まねぇ?」

 

「……そうだな。ただ、休むならばウラノスも共にすることが条件だ。そちらのメイド……確かヘリーナだったか。ウラノスに食べさせる肉を用意してくれ。小腹を満たす程度でいい」

 

「承知しました……と言いたいところですが、皆様、ウラノスに提供する肉のストックはあとどれくらい余裕がありますか?」

 

「ちょっと待ってくださいね……あ、もう何日かで底をつくかもしれません」

 

 信治の提案にフリードは条件付きで受けたのだが、ヘリーナからの問いかけにハジメが苦笑しながら返答したせいで軽く渋い顔を浮かべてしまう。確かにウラノスの体は大きいため、その分食料もそれなりに必要になる。今のやり取りの通り宝物庫にストックしてある肉を出して提供しているのだが、実際に出して計算してみた感じだとあと数日そこらが限界のようだった。そんな時、なんてことないとばかりに信治があることを提案する。

 

「あ、なら俺らで久々に魔物狩ろうぜ。先生と中村、それと谷口も行かねぇ?」

 

「はいはい勝手に仕切らない。それでハジメくん、どうするの?」

 

「そうだね。最近は研究ばっかりだったし、腕がなまったら大迷宮の攻略に差し支えるだろうしね。僕もお供するよ信治君」

 

「……ならボクも」

 

 ないなら獲りに行けばいいじゃない。どこぞのアントワネットさんみたいな発想である。恵里は信治が仕切ることにイラッとしつつも、それにノーを突きつけはせずにハジメに問う。ハジメもハジメで戦闘のカンを取り戻すためにもいいと判断し、一緒に行こうと言えば恵里もちょっとばつが悪い感じながらもついていくと伝える。

 

「あーハイハイ。先生と中村もだな。谷口はどうすんだ?」

 

「じゃあ鈴も――あ、フリードさん。よかったら一緒に行きませんか。鈴達の戦い方、もしかすると参考になるかもしれないから」

 

 恵里の態度は毎度のことであったため信治は特に気にせず、今度は鈴に問いかければ彼女もそれに乗っかった。が、ここで後学になるかと思った鈴はフリードに声をかけて一緒に来ないかと誘ってみた。

 

「なるほど……確かにまたとない機会だ。見せてもらおう」

 

「あの、皆さんがもしよろしければ私も……エヒトとの戦いの時はもちろんとして、他に対人戦がないとも限りませんし。谷口様の結界魔法の使い方を見て学びたいんです」

 

「わかりました。じゃあ、ヘリーナさん。良かったらヘリーナさんも来てください。鈴の結界魔法で絶対守りますから」

 

「いえ、結構です。谷口様。いただいた宝物庫にお茶の葉と皆様がいただくお茶菓子を補充しに向かいたいと思っていましたので。お心遣いには感謝いたします」

 

 そうしてフリードとリリアーナは一緒に来ることになり、ヘリーナだけ調理場に戻ることとなった。まずゲートキーでヘリーナの自室へ繋がるゲートを開いて彼女を見送り、一行はフリードが設置したゲートホールを通じてゴーレムの回収兼ウラノスの食べる肉を確保しに向かうのだった。なお、肝心の四人の戦い方に関してだが――。

 

「技量の高さと何より私以上の魔力量なせいで全然参考にならん」

 

「どう頑張ってもついていける気がしません……」

 

 ……とまぁ、フリードにとってもリリアーナにとっても微塵も参考にならなかった。後でそのことを()()()詫びた。

 

 

 

 

 

「お、戻ってきたね。お疲れさまー」

 

「あぁ、ただいま」

 

 お茶会を終え、そろそろ夕食の時間を迎えそうになったため恵里達は食堂へと向かっていた。その際光輝達とも合流し、歩きながらそれぞれの成果を報告する。

 

「今日で六ケ所ゲートホールの設置が終わった。確かこれで九割ぐらいが終わったはずだ」

 

「こっちは五ケ所だな。あと二日もあれば多分終わるぞ」

 

「お疲れ様、皆。それとこっちの方なんだけどね――」

 

 光輝、雫、鷲三、霧乃、イナバの四人+一匹はハイリヒ王国の東の元領地にゲートホールを設置するのを担当し、龍太郎、香織、大介、アレーティアの四人の班は西方面を担っていた。もうすぐ全部が終わる旨を話してくれ、ハジメも彼等に自分達の進捗について話す。そんな折、ふと向こうから聞きなれない声が聞こえ、全員の意識がそちらへと向く。

 

「うぅ、き、緊張しますぅ……良樹さん達に恥じないようにちゃんとご挨拶しないと」

 

「大丈夫だシア。良樹殿やアビスゲート()のご友人だ。寛大な心で私達も受け入れてくださるだろう」

 

「おうおう。大船に乗ったつもりでいてくれ」

 

「頼むから俺のこと様づけすんのやめてくれカムさん。あとそのキラキラした視線やめてぇ!」

 

 見ればそこには見慣れない顔が二つあり、しかも少女も壮年の男性も両方ウサ耳を生やしているのだ。そこでふと恵里の脳裏にいつぞやの記憶が浮かんだ。それはオルクス大迷宮を攻略していた時の頃、話のネタとして動物っぽい特徴を持った人間こと亜人の話が出たのである。

 

(……確か亜人って、ハルツィナ樹海をねぐらにしてたはず。そうなると手引きしてもらうにはちょうど良さそう。よくやったよ斎藤君達)

 

 斎藤らのグループが今日はハルツィナ樹海の探索に出ていたことも思い出し、多分そこであの二人を味方につけたのだと考えて心の中で感謝する。後でちゃんと伝えておこうと思って彼らのいる方へ向かうと、ふと二人の亜人がこちらに気付いて顔を向けてきた。

 

「貴方がたが良樹殿のご友人がたですか。私はカム・ハウリア。こちらのシアの父にしてハウリアの族長をしております。この度は良樹殿らにシアのみならず我が一族の窮地をお助け頂きました。そしてハウリアを匿っていただいたことに深く感謝致します」

 

「あ、あの、シア・ハウリアですぅ! 良樹さんと偉大なるアビスゲート様と礼一さんに告白されましたぁ!!」

 

『は?』

 

「「もうフッたわ!!」」

 

「だからその呼び方で様づけすんなって言ってんだろうが!!」

 

 カムと名乗った壮年の亜人はともかく、シアとかいう少女の愉快な名乗りに恵里達は固まってしまう。良樹と礼一はそれを否定し、浩介は『アビスゲート様』と呼ぶなと叫ぶ。とんでもないのを拾いやがった、と心の中で恵里は前言撤回するのであった。




世界よ、これが残念ウサギだ


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幕間四十三 きゅんきゅんきゅーとな、はうりあだもの。

まずは拙作を読んでくださってる皆様に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも165691、感想数も594件(2023/4/16 23:34現在)となりました。誠にありがとうございます。テンポよく投下するとホント伸びますねUA。当たり前ではあるんですが改めてそう思いました。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価して下さりどうもありがとうございました。おかげでまた話を書き進める力をいただきました。本当にありがとうございます。

では今回の話を読むにあたっての諸注意を。まずけっこう長い(約14000字)です。それと予め謝っておきます。シアスキーの皆さんすいませんでした(土下座)

とりあえず上記を察してから本編に目を通して下されば幸いです……。

追伸(2023/4/17 22:31)
シアのセリフを修正しました。


「う~ん、大丈夫ですよね……?」

 

 ハルツィナ樹海。大陸の東側に南北に渡って広がるうっそうとした森であり、足を踏み入れた途端に立ち込める霧によって()()()()()()()等しく迷う場所。

 

「ここ最近は出てませんし、多分、多分大丈夫……よし、やっちゃいましょう!」

 

 ここの深部には獣や魔物だけでなく亜人と呼ばれる存在もまた住んでいる。その亜人が築いた集落のひとつにある少女がいた。

 

「ハァ、ハァ……見えました。見えました、けど……」

 

 息を切らしているこの少女の名はシア・ハウリア。()()()()()()()()の上に兎の耳を、臀部に尻尾を生やしている。亜人族のひとつ、兎人族の少女だ。

 

「これマズいかもしれませんね……二人とも変な人に感謝したり祈ってましたし」

 

 彼女は兎人族のひとつであるハウリア族、その族長の娘である。そんな彼女は少し息が整うと、友人であるエルのことについて思案する。遠くで恋人といい雰囲気であった友人を一瞥した際、何かよくないものを見たかのようにシアの顔には焦りが浮かんでいた。

 

「……人間、ですもんね。今のうちにお二人に伝えておかないと」

 

 樹海の外にいる人間族。奴らによって亜人族が連れ去られるという話をシアは父や親戚などから聞いている。そのため二人がそんな恐ろしい目に遭わないようにと助言をしようと向かっていく。

 

「エルさーん! ちょっといいですかぁ~?」

 

 ――シア・ハウリアは普通の亜人とは()()()違う点が一つある。それは彼女は魔法が使えるということだ。

 

 普通、亜人族は魔法を使えない。単に使わないのでなく魔法を使う器官がないと言った方が近いだろう。それ故に彼女の存在は特異であり、また忌避されている。それも『魔物』と同等の脅威としてだ。本来ならば彼女はこの世に存在することなどありはしなかった。

 

「どうしたの、シア?」

 

「何があったのさシア? 僕達に何か用?」

 

「えっとですね、ちょっとお話したいことが……」

 

 しかしハウリア族は違った。

 

 生まれながらに魔物と同様の力を持っているなど普通なら迫害の対象となるだろう。しかし、彼女が生まれたのは亜人族一、家族の情が深い種族である兎人族だ。百数十人全員を一つの家族と称する種族なのだ。ハウリア族は彼女を見捨てるという選択肢を持たなかった。

 

「もしかしてシアの()()のこと?」

 

「はいですぅ! 実はその――」

 

 彼女の持つ力、それは“未来視”という固有魔法だ。

 

 文字通り未来を見る能力であり、任意で発動する場合は、仮定した選択の結果としての未来が見えるというものだ。これには莫大な魔力を消費する。一回で枯渇寸前になるほどである。シアは早速自分が見た未来のことを話そうとした。その時であった。

 

「――貴様、何者だ?」

 

 いきなりかけられた剣呑な声。三人が振り向けばそこにいたのは熊人族の亜人の青年であった。

 

「ひっ!?」

 

「あ、あの、彼女は、その、僕達の友達で……」

 

「そ、そうです! け、決して怪しい子じゃありません!!」

 

「怪しくないだと? 馬鹿を言うな! ならばどうしてそやつの髪はお前達と違うのだ!」

 

 友人達は怯えるシアをかばおうとするが、それも熊人族の青年の一喝によってアッサリと一蹴されてしまう。

 

 髪の色が他の兎人族とは違うからだ。普通の兎人族の髪色は濃紺であるがシアは違う。見た目からして普通の兎人族ではないが故に青年はわかってしまった――彼女は忌み子である、と。魔物と同等の存在であり、国の規律で見つけ次第殲滅する対象に含まれる存在だとわかったからだ。

 

「貴様の存在はすぐに報告に上げさせてもらう! 覚悟しろ忌み子め! 薄汚い()()をかばった貴様らも同罪だ!!」

 

 そう言い残すと同時に彼はその場をすばやく去った。熊人族の青年の気迫に押され、三人とも足がすくんでしまっており、動こうにも動けない。どうしよう。どうすればいい。みんなが危ない。一族に迫った危機を前にパニックを起こし、彼女達は何も出来ない。

 

「わ、私のせいだ……私が、私が“未来視”なんて使わなかったら……」

 

 シアは己の短慮な行動を心底後悔する。こんなはずじゃなかった。こんなことになってしまうと思わなかった。自分の愚かな行動のせいでハウリアが滅亡の危機に瀕してしまった。そのことで頭がぐちゃぐちゃになり、その場でへたりこんで涙を流す。

 

 ――“未来視”は自発的に使わずとも自動で発動する場合もある。それは直接・間接を問わずシアにとって危険と思える状況が急迫している場合だ。これも多大な魔力を消費するが、任意発動程ではなく三分の一程消費する。これのおかげでシアは自分の身がバレそうになっても今まで身を隠すことが出来たのだ。

 

 だがあの時、好奇心のおもむくままにこれを使っていたせいで発動する魔力は残っていなかった。そのために最悪の事態を自ら引き起こしてしまった。

 

「だ、大丈夫だよシア! と、とりあえず長に話をしないと……」

 

「そ、そうね! 長にこのことを話さなきゃ――」

 

「シア! シア、無事か!?」

 

 涙で顔がべちゃべちゃになったシアにハウリアの少年と少女が声をかけていると、そのハウリアの長であるカムがこの場に現れてシアはビクリと体を震わせる。

 

「と、とうさま……」

 

 こうなってしまったのも自業自得であり、しかも全てのハウリアを巻き込んでしまった。父に見捨てられる、拒絶されるのが怖くて自分の体をシアはかき抱いたが、カムは大粒の涙を流しながら彼女をギュッと抱きしめた。

 

「無事か? どこもケガは無いな?……良かった、良かった。お前が無事で」

 

「え……?」

 

 カムがかけたのは自分を心配する言葉。そのことが信じられなくてシアはカムを見るが、そこにあったのはやはり普段と変わらない優しい父の顔。我が娘を思い、無事を喜ぶいつもの様子であった。

 

「なんで……わ、私は皆を――」

 

「優しいお前が皆をいたずらに傷つけたり、陥れることなどするはずがない。私はわかってる。これは不幸な事故だったんだ」

 

 それでも信じられなくて言葉を重ねるシアに、カムはただ労りの言葉をかける。お前は悪くないのだと伝える。自分のせいでハウリア族に危険が及んだにもかかわらす、見捨てる気が一切ない父の様子にシアの目から大粒の涙がこぼれていく。

 

「とうさま、とうさま……うぅ、うぇぇぇ……うぇぇぇぇん……!」

 

「大丈夫だ。シア。ハウリアは誰も見捨てない。たとえお前が忌み子と呼ばれたとしても、何があってもだ」

 

 泣きじゃくる娘にただカムは無償の愛をぶつけていく。次々と現れた他のハウリアにもそれは伝染し、皆等しく涙を流すのであった……。

 

 

 

 

 

「さてお前達。このままではシアだけでなく、全てのハウリアが処罰されるだろう……私はそれを望まない。だから、共にこの里を出ていってくれるか……?」

 

 そうしてシアが泣き止んだところで、集まったすべてのハウリアにカムは問いかける。

 

 ハウリアは争いを嫌うが故に生活のための狩猟ぐらいしか暴力を振るうことがない。それすら何度も懺悔しながら命を奪う程だ。このままここに留まっていては他の亜人族が差し向けてきた軍に包囲され、皆殺しの憂き目に遭う。だからといって外は人間や魔物など様々な脅威が立ち塞がる。進むも地獄、退くも地獄なのだ。

 

 故にこの問いかけは死出の旅に付き合うことを強要させるものでしかない。震えながらもそう問いかけたカムにハウリアの一人が返事を返した。

 

「当たり前でしょう。だってシアが危険なんですよ? それにシアを匿い続けていた私達だって無事でいられるかわからない……なら一緒に逃げるのが一番じゃないですか!」

 

 それは紛れもなく家族愛の深いハウリアらしい答えだった。百数十人全員を一つの家族と称する種族は一人の少女を見捨てるということを選ばない。ためらうことなく共に逃げることを彼は選んだ。

 

「そうだ! ここでシアを見捨てられるものか!」

 

「シアだけをこの里から追放すると言ったのなら怒りましたよ! でも長は共に行こうと言ってくれたじゃないですか!」

 

「そうだ! 一緒に新たな安住の地を見つけに行こう! 皆がいるなら怖くなんてない!」

 

「ここで友達を見捨てるなんてハウリア失格です! 一緒に行きましょう!」

 

 それは他の皆も同じ。たとえこの里の外が危険に満ちあふれていたとしても共に逃げることを誰もが選んだ。たとえその目に怯えが宿っていたとしても、誰もがシアだけを危険な目に遭わせようとは思わなかった。心の底から彼女を案じていた。

 

「そ、そんな……で、でも! この森の外は危険なんですよ! 魔物だっていっぱいいますし、怖い人間だっているんです! だ、だから、だから……!」

 

 故にシアは怯えた。このままでは自分のせいで皆がいつ死ぬかわからない旅路へとつき合わせてしまう。いつまで続くかわからない逃避行につき合わせてしまう。だから必死になって考え直すよう伝えるが、それでハウリアは揺らぐことなど無かった。

 

「よいか、シア。ここでお前を放り出すなら生まれた時に長老に報告するなり何なりやっている ハウリアは家族を見捨てない。何があってもだ。だから私達はこうして肩を寄せ合って生きてこられたのだ」

 

「とうさま、みんな……」

 

 そう断言する父とそれに反論せずに自分を見つめてくるハウリア一同。もうシアは胸がいっぱいになって何も言えなくなってしまう。

 

 自分が皆のことを案じて心配するならば、皆も自分を案じて共に行こうと願っている。揺るぎないハウリアの絆を見てシアはかぶりを振って涙をぬぐう。ならばもう迷わない。もう怖いものなんてない。覚悟を決めたシアは目の前のハウリア全員を見据えた。

 

「――行きましょう、皆。皆で新しい楽園を見つけに行きましょう!」

 

『おー!!』

 

「よく言った、シア――さぁ皆、これからどこに向かうかを決めようではないか!」

 

『おー!!』

 

 こうしてハウリアはハルツィナ樹海を脱出し、自分達が脅かされることのない場所への大移動をすることとなった。人間や魔物の脅威のない『どこか』を目指して。

 

 

 

 

 

「おーい浩介……って今はアレか。アビスゲート、見つかったかー?」

 

「否……夢幻にて無限なる我を以てしても霧幻の森の突破は(あた)わず。幾万もの我で木々の間を埋めようとも容易く惑い、弾かれ迷う。流石は神に弓を引きし者の牙城よ」

 

 意訳:“深淵卿”使って分身してローラー作戦やってるけど全然効果が無い。むしろ作ったそばからすぐに分身が迷って森の中をうろつくか外に出ちまう。流石解放者だよ。

 

 こんな感じのことを述べたため、同行していた良樹と礼一は大いにため息を吐くしかなかった。

 

 現在浩介は彼等二人と班を組み、ハルツィナ樹海の奥にある大迷宮を探そうとしていた。昨日まではライセン大迷宮の方を幸利、優花、奈々、妙子の四人と一緒になってバスで探していたものの見つからず。かれこれ三日かけてもなしのつぶてだったのだ。そこでハジメや光輝が提案したのはハルツィナ樹海の探索だ。前述した三人にライセン大迷宮の捜索は任せ、自分達にこちらの方はどうなるかを探ってほしいと頼まれたのである。

 

 無論彼等三人はそれを二つ返事で了承したものの、現状こちらも成果は皆無といった具合だ。“深淵卿”の深度合Ⅴによる無数の分身作成によるローラー作戦でもすぐに方向感覚を失ってしまい、気づいた時には森の外に何十何百もの分身が出るようになるのもしばしば。自分達でもいけないかどうかと良樹と礼一も試したものの、何の成果も得られないまま。三人は揃ってため息を吐いた。

 

「アビスゲートでも無理かー……どんだけ面倒なとこなんだよ」

 

「フッ、仕方あるまい……神を屠らんとした無垢なる刃が選んだ場所だ。疎まれし者達の力無くして繋がる道ではなかったということだ」

 

「地面の下だったら迷いはしなかったけど、一度地面から出たらもう方向感覚ダメになっちまったしな……やっぱ帝国に行って奴隷買った方が良かったんじゃねぇの?」

 

 認識を阻害するアーティファクトは既に手元にあったし、昨日光輝らがゲートホールを設置する際に帝国に一番近い領地のところにも置いていったため、最悪そこから向かうということも出来なくは無かったのだ……帝国は中立商業都市であるフューレンをはさんでこのトータスの東に存在しているため、日帰りでどうこう出来る距離ではなかったが。

 

「どうにも上手くいかねぇよな……フリードさんに無理言ってウラノス貸してもらえばよかったか?」

 

「やれると思うか? 絶対手放さないだろ。てか浩介、いつまでアビスゲート続けてんだよ」

 

 もう面倒になったしとっとと帰るかと良樹が宝物庫からゲートキーを取り出そうとした時、まだ浩介が“深淵卿”を発動し続けていることに気付いて声をかける。何やってるんだかと思って声をかけようとした時、思いがけないことを彼は口にした。

 

「待て、爆嵐の奏者と古今無双の槍使いよ。この森の外に何者かが出ようとしている」

 

「何者か、って……魔物か? 最悪放っておいてもいいだろ。なわばり争いに負けたとかそんなんじゃねぇの?」

 

「いや、違う……数は百余り。何かに追い立てられているように森を駆けているのには違いないが、我の深淵が捉えたもののほとんどは魔力が無い。おそらく亜人族だ」

 

 自分達を止めようとした浩介に礼一は面倒くさがって適当な推測を述べるも、続けて語った言葉に良樹共々目を細めた。『亜人族は魔力を持たない』ということをかつてオルクス大迷宮で話題になった時に彼等も知り、そのことを思い出したのである。一体どういうことだと考えようとした時、今度は東から幾つもの足音、それも馬のものと思しきものが迫っているのが三人の耳に届いた。

 

「森からは亜人っぽいの、東は……確か帝国だったか? どうする?」

 

「様子見っていうのも悪くなさそうだけどな。浩介、確か魔力がないのがほとんどって言ったよな。じゃあ魔力が()()のはいるのか? そっちは魔物か?」

 

「……それも恐らく否だ。亜人と思しき者達とつかず離れずの距離でこちらに来ている。何か、事情があるのだろう」

 

 良樹達の脳裏に浮かぶのは、何らかのトラブルのせいで森の外へその亜人族らしき気配は逃げているのではないかという予測だった。ならば事情次第ではこちらに取り込むことも可能ではないかと彼らは考えたのである。

 

「もし追い出されたってんなら俺らで保護するか? 幸い王国の方はまだまだ貸しがたんまりあるし、適当な空き家を幾つか用意してもらえばなんとかなるだろ」

 

「話が通じる奴らだったらな。それでも百人は流石に無理そうだけど……ま、どうにか融通利かせるしかねぇだろ。ここの樹海を案内してくれる奴が手に入るかもしれねぇんだからな」

 

「神に見捨てられし者達の助力を得られるのならばこの上ない助けとなる。我らを試練へと誘う魔窟の前に繋ぎの門を埋め込めるだけでももう迷わずに済むのだからな」

 

 かくして三人の意見が一致する。意思疎通が出来る相手ならば彼らを保護し、通じないのならば後で考える。そうして森からやってくる気配と東から迫ってくる者達両方に意識を向け、いつでも戦えるように身構える。二方向から向かってくる気配が良樹達と出くわすのはほぼ同時であった。

 

「森の外に出た――人間!?」

 

「隊長! 森の外にガキと亜人どもが!」

 

「ほぉ。コイツは運がいいな。よし、お前ら。今すぐ部隊を包囲しろ。一匹たりとも逃がすなよ」

 

『了解!』

 

 現れた亜人達は森の入り口でまごつき、カーキ色の軍服らしきものを身にまとった者達は浩介らを取り囲んでいく。この時点で片方とはマトモな話し合いが出来なさそうだと礼一達は考えていると、帝国兵らしき男の一人が自分達に指をさしたのに気づいた。

 

「隊長! アイツら反逆者ですぜ! ここでコイツらを殺せば報奨金もたんまりと……」

 

「なんてこった! 兎人族に反逆者か……これもエヒト様のおぼしめし、って奴か。よし、神にたてつく馬鹿は二人殺せ。一人は手足そぎ落として残りの馬鹿を釣るための人質だ。あと兎人族はジジイだけ()()しろ。いいな?」

 

『うぉぉーー!!』

 

 兵士と思しき者達のときの声が上がる――それを聞いた三人の目がスッと細まった。コイツら相手に話し合いはいらない。ただし殺さず()()()()だ、とすぐに判断して武器を構え直す。

 

「……あれ、あの人って――」

 

「なぁお前ら」

 

 そんな時、ウサミミを生やした男達に守られていた青みがかった白髪のウサミミ少女が浩介を見て何か意味深なことをつぶやいたものの、後で話を聞けばいいかと判断した良樹が彼等に声をかけた。

 

「何か訳アリだろ? ここは一旦俺らに任せてくれ。守ってやらぁ」

 

「安心しろよ。こんな奴らに負けるほど俺らヤワじゃねぇし」

 

「貴公らは既に深淵の(かいな)に包まれた――最早何人たりとも脅かされぬ。この深淵卿、コウスケ・E・アビスゲートが汝らを守護いたそう!!」

 

 良樹、礼一、浩介は自分達の後ろで怯える亜人達に声をかける。心配はいらない。俺達に任せろと。自分達を包囲し、下卑た視線を送る兵士達を見て余裕を崩すことなく機を待つ。

 

「ハッ、王国の奴らが負けたとか抜かしてたが、どうせ油断したところを奇襲されたぐらいだ――このガキどもに現実ってもんを教えてやれ!」

 

 隊長格と思しき男の号令と共に一斉に兵士達は武器を構え、詠唱を始める。けれども少年達の余裕は崩れることはない。

 

「――“嵐空” お空の散歩でも楽しみな。“嵐帝”!!」

 

 亜人族に流れ弾が向かわないよう圧縮された風の壁を張り、良樹はすぐに魔法で竜巻を作る。狙いは向かってきた兵士達の足元だ。

 

「――っ!? うわぁあああぁぁああ!!!」

 

「ぎゃぁああぁあああぁあ!?」

 

「お、お空飛んでりゅーーーー!?」

 

 襲い掛かろうとしていた百に及ぶ兵士を一瞬で竜巻は吞み込む。それを手にしたスティレットを用いて自在に操り、次々と宙へと浮かせる。馬だろうが馬車だろうが関係なしに次々と空へと放り投げると、それに続いて礼一と浩介が空中へと躍り出た。

 

「“縛岩”! そらそらそらぁ!!」

 

()()魔法が一つ――“壌々来々・掴指戒縛(四方に伸びるは深淵の指)”!!」

 

「か、体がっ!――え、ちょ、待っイヤぁあああぁぁああぁ!!!」

 

「おがあぢゃぁああぁぁぁああぁん"!!」

 

 大空へと巻き上げられた兵士や馬、馬車などに向けて礼一と浩介は岩の鎖を展開。礼一は兵士のみ、浩介は分身込みで浮かんでいる全てに鎖を巻き付け、兵士のみを拘束している彼等だけがそのまま四方八方へと飛び回る。命綱ありの遊覧飛行のプレゼントだ。

 

「風神ヨシキ・W(ウィンディ)・サイトウよ! 罪なき者達を頼むぞ!」

 

「その名前やめろぉ!! 俺も巻き込むな! コイツらが誤解すんだろうが!!」

 

 馬と馬車だけに岩の鎖を巻き付けた浩介の分身はそれらを一か所にぶつからないようにまとめ、良樹の操った風を利用しながら徐々に高度を下げていく。なおその際深淵卿の口から出て来た厨二ネームに関しては良樹はキレながら返した。

 

「ハッ、口ほどにもねぇ。なーにが現実を教えてやる、だ。テメェらが現実見ろっての」

 

「致し方あるまい。我らを知らぬ者達からすれば奇天烈な話。我らの力を信じずに己の実力を過信したが故に起きただけのことでしかない」

 

 馬はどれも目を回していたが全部無事であり、馬車に関しても傷一つ負ってない。空を見上げれば襲おうとしていた兵士達は全員目を回すか情けない悲鳴を上げ続けるばかり。だが徐々に声が聞こえなくなっている様子を考えるともう全員が気絶するのも時間の問題だろう。すぐに良樹は飛び回っている礼一と浩介の分身全部に向けて“念話”を繋いだ。

 

“お前らー、そろそろ終わりにしようぜー。流石にこれだけやればもう逆らう気力もクソもねぇだろ”

 

“オッケー、了解りょーかーい”

 

“承知! では我が()友よ、この無礼者らを受け止める柔らかき風を吹かせてくれ!”

 

 そうしてあっという間に襲い掛かろうとしてきた帝国兵()()()()規模は何も出来ずに鎮圧された。そんな奇跡を起こした少年たちは、瞳を潤ませながら見つめている少女にまだ気づいていなかった。

 

 

 

 

 

「……すごい」

 

 ――最初は恐かった。森の外にいた人間族の三人の少年は自分達をさらうかもしれない人間だと思ったから。

 

「お父様、私は今夢を見ているんでしょうか……」

 

「だとしたらとんでもない夢だな。私も皆もすごい夢を見たぞ」

 

 自分の不運を、自分の行いを呪った。自分がくだらない理由で力を使わなければハウリアの皆をいきなり危険な目に遭わせることはないと思ったから。少なくとも捕まってしまうような目には遭わせることはないと思ったからだ。

 

「――よし。コイツら全員気絶してるっぽいしいいだろ」

 

「待て。我が奴らを戒めよう。さすれば二度とか弱き者達に被害は及ぶまい」

 

 この男の子達と会ってすぐにもっと怖い人達と出会った。自分達を人としてすら見てない、ただの道具や欲望のはけ口に使おうと考えているようなおぞましい視線をする集団に。自分は生まれてきてはいけなかったんだと心の底から思った。

 

「心配性だな、ったく……ま、やっといて損はねぇか。俺も手伝うわ」

 

「感謝するぞ。豪槍乱破のレイ・アインス・コンドゥ」

 

「ブチ殺すぞアビスゲート」

 

 けれども違った。彼等は自分達を襲うことなく、自分達に下卑た視線を向けて来た相手をいとも簡単に無力化した。しかも何かをする前に自分達の前に何かをしていた。今はそれが無いから証明は出来ないが、きっと自分達を守ろうとしてくれたんだ。そうシアは直感していた。

 

「大丈夫か?……って、流石に怖いか。あんな力披露しちまったしな」

 

 その少年の一人がこちらに来て声をかけてくれた。それも自分達を気遣ってくれたのだ。彼自身、披露した力のせいで怯えてるのではないかと心配していた様子だったが、シアはそんなことなど気になっていなかった。

 

「あ、あの!……さ、さっき、竜巻を起こす前に何か、し、しましたよね?」

 

「ん?……あぁ“嵐空”か。ま、そっちに流れ弾がいかないよう念のためにやっただけだ。実際何もなかったしな」

 

 シアの問いかけに風を操っていたと思しき少年はあっけらかんと答える。まるでこの程度何でもなかったかのようにだ――彼の気遣いに少女の心臓はトクンと高鳴った。

 

「ほ、本当ですか……?」

 

「あ、本当本当……よく見なくてもカワイイな、うん」

 

「ふぇっ!?」

 

 向けてきた視線は好奇なものでも敵意でもなく、ましてや下に見るものでも品の無いものでもない。ただ純粋にそう思ったというものが感じ取れるものを少し頬を赤らめながら少年が向けて来た。少女は一層心臓が高鳴るのを感じてしまう。

 

「か、カワイイだなんてそんな……えへへ」

 

「……ヤベぇな、タイプかも。先生がハマったのもわかるわ」

 

「ほ、本当ですかぁ!?」

 

 どこかドギマギした様子で時折視線をチラチラと向ける少年に、シアは頭の中が沸騰していく心地であった。同族でもないのに自分を()()な感じに見てくれて、こうして好意を寄せてくれる命の恩人である人間の男の子に夢中になっていくのを感じていた。

 

「おいコラ良樹。テメェ何抜け駆けしてんだクソッたれ」

 

「は? 俺が先に声かけたんだが? 後からしゃしゃり出てきた分際で生意気言ってんじゃねぇぞ礼一」

 

「冗談じゃねぇ。俺だってこんなウサギの美少女に声かける権利ぐらいあるだろうが」

 

「び、美少女!?」

 

 今度は空中を舞っていた男の子の一人が自分に声をかけようとしてきた。しかもヨシキという名前らしい男の子と同様、レイイチという彼は自分を美少女と言ってくれた。それだけで頭の中が爆発しそうになってしまう。

 

「ざけんなどけコラナンパ野郎。テメェみてぇな奴より俺の方がいいってのバーカ」

 

「うるせぇヤリ〇ン。見た目が良けりゃなんにでもツバつけるような奴より俺がいいに決まってるだろうが」

 

「あ、あの、あのっ! け、ケンカは、ケンカはよくないですぅ!」

 

 自分を助けれてくれた彼らがいさかいを起こして思わずシアは慌てて止めようとする。何人もの人間を止める際の話しぶりからしてきっと彼らは仲がいいのだ。そんな彼らの仲を引き裂くなんてあってはいけない。だから必死に声をかけた――なおその顔がかなりだらしなくなっているのに誰も全然気づいていない。

 

「気にする必要はない。麗しき少女よ。これしき如きで二人の間に亀裂は入らん。断金の仲である我等の絆は揺らぎなどしない」

 

「え、あ……は、はいっ!」

 

 そんな折、無数にいたはずの何者か――“未来視”でも見えた存在であり、しかも目の前でいくらでも増えたのだからおそらく人間が言う神様か何かだろう。そんなとてつもない存在に声をかけられ、しかも容姿を褒められてシアは有頂天になる。

 

「シアが、シアが命の恩人の皆様に愛されて……うぅっ、良かった。生きてて良かった。モナ、もう大丈夫だ。私達の娘はきっと幸せになれるぞ……!」

 

「よかった……よかったねシア! ヨシキ様とレイ様、それにアビスゲート様にモテてるじゃない!」

 

「あぁ、僕達が命がけで守ったから……良かった。シアもやっと幸せになれるんだ!」

 

「も、もうっ、もぉっ! み、皆さんそんな持ち上げすぎですよぉ!……でへへ」

 

 今度はハウリアの皆からも持ち上げられることに。老若男女問わず全てのハウリアが、カムに至っては滝のような涙をその瞳からあふれさせている。皆に祝福されてニヤケが止まらなくなったシアは結構気持ち悪い笑みを浮かべて頭をかいていた。

 

「礼一テメェそこまで言うならこの子に決めてもらおうじゃねぇか。どっちがタイプかってよぉ」

 

「は? 上等だコラ。ダントツで俺だから。絶対負けねぇから」

 

「静寂を取り戻せ二人とも。深淵がここにある限り神の刃とて届きはせぬが、まずは神に虐げられた者達を無事保護して――」

 

「み、みなさ~ん! わ、私のために争わないでくださぁ~い!」

 

 そしてケンカしていた三人に向けてシアは声をかける。この不毛な争いを止めるために、()()()()()()争う彼らがこれ以上ケンカを続けないように。口の端を思いっきり吊り上げながら。

 

「「よし来た。じゃあどっちがタイプで――」」

 

「そうだな。不毛な争いはここで終焉を迎え――」

 

「わ、私がすっごい魅力的な美少女なのはわかりますよ? でも、でもですね、私は一人しかいませんし、ヨシキさんっていう心に決めた人がいるのにこんなに求められたらもう……うへへ。皆さんをもてあそんじゃうなんてホント私ってば罪な女ですねぇもうもうもう!!」

 

 そこで調子に乗りまくって滅茶苦茶気持ち悪いことをシアはのたまってしまう。その結果――。

 

「あ、チェンジで」

 

「いや百年の恋も冷めるわー。ねぇわー」

 

「あ、ごめんなさい。俺別の人がいいです。理想は包容力のあるお姉さんで」

 

「え?……えぇーーーーーーー!?」

 

 ものの見事にフラれてしまう。樹海の端で、残念ウサギの叫びがこだました……。

 

 

 

 

 

「――こんなことがあったんですよ! ひどいと思いませんか!!」

 

 そして時は戻って現在。亜人族である彼女と父はハジメから作ってもらったアーティファクトを使い、見た目をごまかした状態で良樹達と一緒に食堂に同席していた。

 

 ちなみに渡したアーティファクトは魔力のない亜人族にも使えるよう“高速魔力回復”を付与したことで出来た魔力版バッテリー、“魔力放射”を付与した魔力をバイパスする回路が付属している。また発動用魔法陣を敢えて一部欠けた状態にし、スライド式のスイッチを動かすことで欠けた魔法陣が完全となって正しく魔法が発動するようになっている。

 

 閑話休題。

 

 これを二人に持たせたのも亜人族にあまりいい感情を持たれないだろうと考えたハジメや光輝らの配慮だ。なおそこで調子に乗って『ま、まさかハジメさんや光輝さんも私を狙ってたり……』と頬を染めながら馬鹿なことを抜かした直後、本気でキレた恵里と鈴、そして雫によって人目につかないところへとシアは引きずられていかれそうになっていたりする。

 

「うるさい泥棒ウサギ。洗脳されたい?」

 

「うん。シアさんちょっと黙ってて」

 

「……次変なこと言ったら耳の毛をむしるわよ?」

 

「ヒィッ!?……す、すいませんでしたぁーーー!!!」

 

 なお、食事の席に遅れるということでハジメと光輝になだめられたため、OHANASHIは未遂に終わった。とはいえ“威圧”まで使って本気で脅しにかかってきた三人を目にしてシアは粗相をしてしまっており、今も全身の毛が逆立ってしまっている。既に替えているため問題は無いが。

 

「まぁまぁ恵里も鈴も、雫さんも落ち着いて」

 

「あぁ。俺は雫以外になびかないし、ハジメだって恵里と鈴以外眼中にないだろ。違うか?」

 

「……そうだけどさぁ~」

 

「うん……やっぱり悪い虫が目の前に現れたら嫌だもん」

 

「そうね。私も鈴と同意見よ……光輝は私のものだもの」

 

 シアの不用意な発言で怒った三人はそれぞれの恋人になだめられたことで幾らか勢いが弱まった。そこで助け舟を出してくれた二人に頭を下げ、誰か同意してくれないかと他の方向に視線を向けるが大多数が即座にそらした。浮かれウサギを助ける気は基本誰もないらしい。

 

「うぅ、私のバカぁ……どうしてあんなこと言っちゃたんですかぁ……」

 

「いやお前なぁ……浮かれすぎだっつぅんだよ」

 

「あぅぅ……おっしゃる通りで言い返せません」

 

 そこで目をそらさなかった内の一人である良樹が自嘲するシアにそう返せば余計に彼女はうなだれてしまった。よりによって自分がやらかした相手であり、フラれた相手に言われるのは堪えたのである。

 

「でも、でもぉ……絶対振り向かせてみせますからね! 真っ先に声をかけてくれた良樹さんは絶対に! 絶対ですからね!」

 

「頑張れシア。私は応援してるぞ!」

 

「あーはいはい……ったく」

 

 だがこれで全然へこたれてない辺り流石というか無謀というか。闘志を燃やすシアと彼女を応援するカム、そしてどうも満更でもなさそうな良樹を見て誰もがため息を吐いた。すると今度はこの場にはいないハウリア族の皆のこと、とっ捕まえた帝国兵のことが話題に上った。

 

「そういえば他のハウリアのみんなってオルクス大迷宮にいるんだっけ? それで帝国の人達は……」

 

「厳密に言えば各階層の休憩所だな。俺達が昔使ってた奴に十人単位で配置してとりあえず待ってもらってんだ。あと帝国の奴らも回収済み。今はメルドさんに頼み込んで騎士団の人達に監視してもらってる」

 

 やはり百人単位でやってきた以上、彼等の居住スペースは問題となっていた。今はその場しのぎとしてかつて使っていた休憩所にいてもらっているのだが、自分達が作ったベッドとソファーが無いためそのまま寝たら体を痛めるだろう。家具を搬入するか新たに家を用意するかしないと彼等も苦しいことには違いない。

 

 また捕まえた兵士達は今、メルド率いる騎士団が王国の郊外にて監視中だ。そのためこの場にはメルドや彼の部下はおらず、食事が終わってハジメが例の首輪を作るまでの間四百名もの帝国兵を見張っている。連れてきた当初はそのことに大いに驚かれたが、帝国の内情を知るいい機会と考えてエリヒドも命を下してくれた。

 

「とりあえず空き家を融通してもらえないか王様に話し合ってみないとだな。駄目なら駄目で皆さん用にどこかスペースを作る必要がありそうだけれど」

 

 それはそれとしてハウリアの住居スペースに関するお願いはどうせ通るだろうなぁと良樹達全員が考えていたりする。きっと少しでも恩を返そうと必死になるだろうなぁと全員が予測していたからだ。

 

「まぁそっちは断られてから考えようぜ……てか浩介大丈夫か」

 

「あー、うん。一応“鎮魂”効いてるからなハハハハハ……ハァ」

 

 礼一からの問いかけに乾いた笑いを浮かべつつ、浩介はそれに答える。

 

 ……シアの例の浮かれに浮かれきった言葉でやっと我に返り、その時発生した羞恥心で浩介はその場でゴロゴロ転がり込んで『いっそ死にたい』、『もうやだ“深淵卿”使いたくない』とメソメソ泣き出した。

 

 が、ここからがマズかった。いつの間にやら浩介を信奉し出したハウリアどもが駆け寄ってきたのである。

 

『どうなさいましたかアビスゲート様!?』

 

『やめろぉ!! 俺はアビスゲートじゃねぇー!!』

 

『何をおっしゃるんですか! 私達ハウリアを救ってくださった偉大な方、人ならざる力を持ったアビスゲート様がアビスゲート様でなければなんなんですか!!』

 

『そうじゃねぇ!! アビスゲートはあくまで俺の技能であって――』

 

『やはり貴方はアビスゲート様なんですね!!』

 

『ありがとうございますアビスゲート様!!』

 

『私達を救ってくださった偉大なアビスゲート様に祈らせてください!! こうでいいですか!?』

 

 ……とまぁハウリアどもに囲まれてひたすら持ち上げられ、手を合わせて信仰され、フラれてショックを受けてたはずのシアでさえもいつの間にか真摯に浩介に向けて祈っていたのである。『モテたいけど信仰されたいとは言ってねぇー!!』は本人の弁であった。

 

 結果、思ってたのとは違う方向に事態が転んで恐ろしく気疲れしてしまい、今もどこか虚ろな目で虚空を見つめていたのである。これでも“鎮魂”が効いてるおかげで落ち着いている辺りどれだけ重篤かがよくわかる。

 

「……本当にいいんですか? 別にそこまでしなくてもいいと思いますが」

 

「……畑山さんはさ、いいのかよ。アンタ一応教師だろうが。困ってる人見捨ててよ」

 

「元ですよ。元。それに最優先なのは皆さん地球のクラスメイトです。他の人まで手を伸ばして、それで皆さんが救えなかったら元も子もありません」

 

「……畑山殿」

 

 その一方、愛子だけは彼らの参入に渋い顔をしていた。それもハイリヒ王国にわずかでも借りを返してほしくないためだ。未だ憎しみは根深く、また良樹達がその頼みに振り回されてしまわないかどうかが不安だったからである……そんな様子を見てあるハウリア族の壮年男性が悲し気に目を伏せていた。

 

「――よし! そういう訳でお願いします皆さん! 私の“未来視”があればきっとお役に立てますから!」

 

 ちょっと湿った空気を吹き飛ばそうとシアはイスから立ち上がって堂々と宣言する。救ってくれた少年達に報いるために。彼らの支えになるために――かくして兎人族の少女は本来の出会いと別の形で大迷宮攻略の旅に出た。その先がどんな未来になるか。それはまだ未来を見ていない彼女さえ知らない。




Q.前の話で三人に告白されたとか言ってたけどよ、良樹と礼一はまだわからんでもないけどアビィは全然違うじゃん。詐欺やんけ。
A.そうです。元々舞い上がって勘違い、っていう体のオチにするつもりだったんです(精一杯の言い訳)


イナバと接触したらどうなるかとか他のハウリアに関しては次回語れたらいいかなー、って。


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六十七話 迷える兎はどこを行く?(前編)

まずは拙作を読んでくださる皆様への感謝を。
おかげさまでUAも167255、お気に入り件数も846件、感想数も600件(2023/5/3 7:56現在)となりました。誠にありがとうございます。遂に感想数も600にまで……中々に遠いところまで来た感覚があります。これもひとえにひいきにしてくださる皆様のおかげです。

そしてAitoyukiさん、拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。また話を書き進める力をいただきました。今回もありがとうございます。

今回の話はちょっと長め(約11000字)となっております。これに注意して本編をどうぞ。


『未来視? あー……』

 

 シアの決意に満ちた宣言を聞いた瞬間、恵里を含む多くのメンバーからため息が漏れる。理由はシアが語ったここに来るまでの経緯だ。出歯亀目的で使ったせいで出るということになったという情報が彼女らを何とも言えない感じにさせたのが原因である。

 

「ちょ、ちょっとぉ! なんでため息を吐くんですかぁー!」

 

「だってそっちが樹海を出ていく原因になったやつじゃん。それを思い出せばため息のひとつも出るって」

 

「あぅぅ……」

 

 その様子にすぐにおかんむりになったシアであったものの、恵里の容赦のない返しでアッサリと撃沈してしまい、そのまま涙目になってうなだれてしまった。これは流石に可哀想だと感じた光輝は恵里をたしなめつつ、シアに言葉をかける。

 

「恵里、流石に言い方がちょっと……えっと、シアさん。もう一度改めて“未来視”の技能について俺達に教えてくれないだろうか。どういった条件でどこまでやれるかをちゃんと把握しておきたいんだ」

 

「ぐすっ……はぃぃ……」

 

「えー」

 

「えー、じゃないよ恵里。流石に今のはシアさんがかわいそうだってば……」

 

「……はーい」

 

 光輝に注意されたことにちょっと不満を抱いたものの、ハジメにまでこう言われては恵里もすごすごと引き下がらざるを得ず。まだちょっと涙目だったシアも目頭をぬぐって自身の固有魔法について再度語っていく。

 

「改めて聞くと本当にとんでもない技能ね」

 

「魔力に関しては魔晶石を使うとか“廻聖”で渡すなりすれば使えるか。けどな……」

 

「確かに強力ではあるな。だがそうなると彼女を守るためにいくらか護衛をつける必要が出てくるが……」

 

 シアの説明を聞いた後の反応は様々であった。優花や奈々、香織に大介らのようにとてつもない効果に圧倒される者、幸利や鷲三のように固有魔法のすごさを認めた上で彼女をどう扱うか迷う者。そして

 

「なぁハジメ。本来の未来のお前だったらどうしてると思う?」

 

「あんまり想像はしたくないけど、多分アレーティアと二人旅してたんじゃないかな。ハジメくんがオルクス大迷宮攻略にかかった時間を考えれば出くわしてたかもしれないけど、正直断言は出来ないね」

 

「シアさんと出会えているかが不明だからね……ブルックの街にある程度滞在してからハルツィナ樹海を経由してライセン大峡谷に降りていれば可能性はあったかもしれないけれど」

 

 ハジメが本来たどったであろう道筋を計算し、その上でどうするかを思案している恵里達と反応が別れた。しかし恵里達のやりとりを聞いたシアとカムは、彼女達が今まで歩んだ道のりを知らなかったために首をかしげるばかりであった。

 

「あのー……皆さん。さっきから皆さんが何を話しているかわからないんですけど」

 

「えぇ。どうも別の話をされているかのようで……アビスゲート様、一体どういうことですか?」

 

「だからアビスゲートじゃねぇ……って、そういや説明忘れてたな」

 

「あー、そうだったね……シアさん、カムさん。鈴達はね――」

 

 浩介への呼び方はともかくとして、二人に自分達の事を説明するのをここにいた誰もが忘れていた。そこで鈴が恵里の前世? を含めて話していく。その結果……。

 

「うぇ、ぐすっ……ひどい、ひどすぎまずぅ~。どうして、どうしてみなざんがぞんな……。そ、それと比べたら、私はなんでめぐまれて……うぅ~、自分がなざけないですぅ~」

 

「こんな……こんなごどがぁ~……アビスゲートざまもぞうでずげれど、えりどのが、えりどのが……あいごどのまでぞんな……ふぐっ……う"ぅ……」

 

 シアもカムも声を詰まらせながら泣いていた。改めて考えてみれば自分達も結構過酷な道をたどって来たなと恵里達全員が思いつつ、自分達のために涙を流してくれることを少なからず嬉しくは感じた。そこで香織や光輝が二人を慮って声をかける。

 

「私は、甘ちゃんですぅ」

 

「そんなことないよ。シアさん、カムさん。まだ許せないことはあるけれど、それでもこうして前を向いていられるから」

 

「し、しかし……」

 

「えぇ。こうして二人が泣いてくれたことで俺も頑張った甲斐があったと思えます」

 

 ――香織は怒りと悲しみを、光輝は胸の内にまだ残っている後悔を押し殺しながら。恵里だけでなくハジメ達もまた自分の中にある陰を吞み下しながらシアとカムを見ていた。自分達は大丈夫だからと香織と光輝が伝えると、ぐすぐすと泣いていた二人は共に目元をこすって涙をぬぐい、恵里達を見据えて己の思いを伝える。

 

「皆さん! 私、決めました! 私も旅に着いていきます! これからは、このシア・ハウリアが陰に日向に皆さんを助けて差し上げます! 遠慮なんて必要ありませんよ。家事でも“未来視”でもなんでもやります! 共に苦難を乗り越え、望みを果たしましょう!」

 

「私も微力ながら皆様のお力になりましょう! 後でハウリアの皆と合流し、事情を説明すれば必ずや皆も力になってくれるでしょう! 北の山脈地帯に行くまでの間としても、このカム・ハウリアが誓いを果たしてみせます!」

 

 二人は共に恵里達の力にならんと席を立ち上がって誓う。こうして助けてもらった以上その恩義に報いなければならないという使命感、身の上話を聞いてる内に芽生えた仲間意識が二人を突き動かしたのである。

 

「いや“未来視”はともかく炊事担当はもういっぱいなんだけど。アレーティアも条件付きだけどアタシ達全員それぐらいならやれるのよ」

 

「えぇっ!? そ、それはわかりましたけれど、どうして私と父様をそんな目で……」

 

「いや、なぁ……」

 

 ……なお、真っ先にその言葉に反応した優花は少し冷ややかな反応を返し、先述した恵里ら以外は何とも言えない目つきで二人を見ていた。それは良樹も同様である。

 

 料理をしてくれる人間が増えてくれるのは決して悪くはないものの、オルクス大迷宮を攻略の最中で元々自炊経験のない大介ら四人すらもやや大雑把ながらも料理は出来るようになっているからだ。しかもアレンジャー気質なアレーティアであっても大介や他料理の出来る人間が付きっきりなら問題ないため、“未来視”ぐらいしかシア独自の強みがないのだ。

 

「確かに未来を見る力はスゲぇとは思う。けどな、お前を守るのに誰かがつきっきりにならなくちゃならねぇからな」

 

「まぁ戦える人はいっぱいいるけどねぇ~。でもぉ~いつエヒトが何をするかわからないしぃ~」

 

「えっと、うぅ……へっぽこウサギで申し訳ないですぅ……」

 

「やはり厳しいですか……」

 

 それに先程鷲三らが述べてたように彼女を守るために人員を割くか、彼女自身を鍛え上げる必要が依然として存在することもまた悩みの種であった。龍太郎や妙子がボヤいたようにもろ手を挙げて歓迎するという訳にもいかなかったのである。

 

「……先程二人とも何でもすると仰いましたよね? 力になると述べましたよね」

 

「――は、はいっ。もちろん!」

 

「と、当然です。このカム・ハウリアに二言はありません!」

 

「じゃあ二人、いえあなた達ハウリア全員がエヒトとの戦いにおける戦力になってもらうのが一番有効な利用法ですね。お願いします」

 

「「えっ」」

 

 へこんでいた二人に向け、今度は愛子が中々にヤバいことを言い出した。恵里の話では神の使徒は雲霞の如くいるということを考えると、ハジメが作れる銃といった兵器を持たせて数合わせでもいいから立たせればそれなりの役には立つのではないかと考えたからだ。

 

 特にシアならば“未来視”というアドバンテージがあるから狙撃の真似事ぐらいはやれるのではと思いついたからである。中々に容赦がなかった。

 

「あ、あのー……わ、私は頑張りますけど、兎人族は争いが嫌いでけんかとか荒事は苦手でして……」

 

「た、戦いでなく手伝いという形なら私達もお役に立てますからどうか、どうか……」

 

「問題ありませんよ。簡単に戦いに意欲を燃やせる心にすることが出来ますから。ですよね中村さん」

 

「うん、余裕だよ。流石にハジメくんの許可なしじゃやれないけどね……やっていい?」

 

「「ヒッ」」

 

 震える二人に笑顔で愛子は語り掛け、恵里も愛子からの質問に条件付きで可能だと答える。その瞬間シアとカムは短く悲鳴を上げ、親子そろって体を寄せ合って涙目になって愛子を見つめた。本当にヤバい奴を前にして怯え切ってしまい、二人はすぐに良樹、礼一、浩介に視線を向ける。

 

「いいわけないでしょ!!」

 

「やっぱりそうだよね……聞いてみただけだよ、一応」

 

 当然即座にハジメが恵里にノーを出した。スレてしまった愛子と違い、ハジメや光輝達はまだちゃんと地球にいた頃の倫理観を持ち続けている。もちろん恵里もそこら辺はわかっていたし、多分GOサインは出さないだろうなぁと思いつつ念のため聞いたぐらいだ。

 

「はは……もう、そんなに落ち込まないで――って、えーと、鈴さん?」

 

「……鈴もなでてよハジメくん」

 

 ただまぁここまで食い気味に言われたら流石に恵里としても傷ついてしまう。そうしてちょっとしょげてうつむいた彼女の頭を苦笑いしながらハジメがなでた。その様を見て軽くうらやましく思った鈴も自分でハジメの手を掴み、頭の上に添えてなでるように動かす。もちろんその様が視界に入った地球出身の面々は一様にため息を吐いていた。

 

「お、お願いします! そ、それだけは! それだけはやめてください! 私ががんばりまずがら゛ぁ~! どうか、どうかぁ~!」

 

「し、シアに辛い目には遭わせないぞ! で、ですからどうかシアも含めて他の皆は巻き込まないでください! お、お願いします!」

 

 そんな彼らをよそにシアとカムは必死になって愛子に訴える。もしかすると自分達のせいでハウリアがとんでもない目に遭うかもしれないからだ。せめて自分を犠牲に、と涙ながらに訴えかける二人を見て思いっきり良心が痛んだハジメらはすぐに愛子に非難の視線を向けた。

 

「あぁもう……シアさんもカムさんも怯えてるじゃないですか、畑山先生。別の方法を考えましょうよ」

 

「中村やめてくれて助かった! それとクソ教師ぃ!! ちったぁ二人に配慮しやがれ!!」

 

「……マジで手段選ばなくなったな、ホント。いや俺もそれ反対だわ。もしやるんだったら俺だけでもコイツら北の山脈に逃がすかんな」

 

「頼む先生、それだけは……あ、それと礼一。畑山先生が無茶苦茶言うなら俺もやるぞ。いくらなんでも皆がかわいそうだからさ」

 

 ハジメが呆れ、良樹はキレ、礼一と浩介も愛子に冷ややかな視線を送る。他の皆もナチュラルに外道染みたことを言う愛子にドン引きしており、どうにかならないだろうかと無言の訴えを彼女にする。それを受けた愛子もやや苦い表情を浮かべてこう答えた

 

「……反対するのは結構ですが、何もタダでこき使うと言った訳ではありませんよ。相応の見返りも用意するつもりでした」

 

「……想像はつくけど一体なんだ?」

 

 重吾らからも恐怖の混じった抗議の視線を向けられて少しショックではあったようだ。少し気落ちした様子ながらも愛子はハウリアの皆をただ道具のように使うと述べた訳ではないと返す。その反応からして一応筋は通ったものではあるだろうとハウリアの親子以外の面々は感づいたものの、念のためうかがっておいた方がいいと考えた幸利から質問が飛ぶ。

 

「まずは衣食住の提供。私達に協力するのであれば、私から国に頭を下げて彼らの生活を保障するよう働きかけるつもりでした」

 

「……兵士として使うためだよな?」

 

「そうですが何か? 畑仕事は永山君達で足りてますし、今後エヒトと戦うことを視野に入れれば人手は足りなくても余るということはありません。それに――」

 

 慈悲もクソもない返答である。念のため尋ね返した幸利も思わず額に手を当ててしまう。幸利にちゃんと答えを返したとばかりに自称魔王はシアとカムに視線を向け、ある事実を突きつけた。

 

「あなた達が目指す北の山脈地帯、そこに脅威になる動物や魔物がいないとでも思ってましたか?」

 

「えっと、その……」

 

「う、うわさ話でしかないが、あまり魔物はいないとうかがっております。ですから――」

 

「つまりいないという訳ではない。わかりますよね?」

 

 その言葉に思わずシアもカムも言葉に詰まってしまう。愛子はハルツィナ樹海において亜人がどのように暮らしているかを知らない。だがこれまで自分が訪れた場所は基本的に魔物がはびこっていることだけは知っていた。ハウリアが目指していた例の山脈に関しても情報は聞いていた。山を越えなければ比較的安全な場所である……つまり、そこをねぐらにしている魔物や動物は少なからずいるということの裏返しでもあることも理解していた。

 

「まともに戦えないあなた達が行ったところでどう対処するつもりで? 仲良く共倒れになる気ですか?」

 

「そ、それは……」

 

「と、父様をいじめないでください!」

 

「いじめではありません。ただ聞いているだけです」

 

 カミソリもかくやの鋭い視線を向ける愛子にカムも二の句が継げず、シアも必死になって言い返すも愛子は黙らない。これはもう口をはさむべきかとハジメも恵里も考えた時、ポツリと漏らすように出てきた言葉に誰もが沈黙せざるを得なくなった。

 

「自分達ならきっとどうにかなる、と思っているのでしたらこう言わせてもらいます。それはただの楽観論です――国を敵に回す覚悟を持って臨んでも、どうにもならないことだってあるんですよ」

 

 それは愛子自身が感じている己への怨嗟が混じった忠告である。状況に流され、生徒達のために頑張っていたつもりでやっていた行動全てが彼らを追い詰める理由に、引き金になってしまったからだ。そんな大人の悔恨の情そのものを愛子が吐露したことで誰も何も言えなくなる。

 

「……一体何があったのだ?」

 

 そんな時、ふとこちらに向かってくる足音の方に恵里やシア達は視線を向けた。デビッドら愛子の護衛を()()()()騎士達である。今彼らはまるっといなくなった教会の上層部の業務を請け負っており、執務を終えて軽く訓練をしてから食堂へと来たのである。

 

「愛子ちゃん、この二人は?」

 

「……彼らが保護した人達です」

 

 どういった経緯でシアとカムがここにいるのかを尋ねたクリスに対し、保護した人間の情報すら伏せながら愛子は返す。

 

「愛子さん、君達。この二人をどういった経緯で保護したか教えてくれないだろうか」

 

 だが言葉少なに返した愛子と恵里達が()()保護したのか、どういったいきさつから保護することになったのか。それを補足しないことに引っかかりを覚えたチェイスは全員に保護した経緯を尋ねる。だが下手に答えてぼろを出すと不味いと思い、恵里も含めて誰もが口をつぐむしかなかった。

 

「……なるほど。つまりアーティファクトか何かでごまかしてはいるが、そこの二人は亜人だな」

 

 確信しながら言ったジェイドに恵里らの視線が向く。こうもアッサリと当てるとはと驚き、シアとカムも身を寄せ合っているとジェイドがその結論に至った理由を述べる。

 

「仮に罪人の類をここに連れて来たというのならば例の首輪を身に着けているか、それかお前達のいずれかがどういった罪状の人間かを語っていたはずだ。“縛魂”をかけているから問題ないと補足してな」

 

 そう。恵里も“縛魂”をかけた奴だと言わなかったのはシアとカムのどちらか、もしくは両方がうっかり口を滑らせる可能性を恐れたからだ。特にシアがやらかすのを警戒していたため、黙らざるを得なかったのである。

 

「おそらく俺達、いやそこにいる亜人を気遣ったからだろう?……すまん。ひとつ頼みがあるんだが」

 

 そしてデビッドからこんなことをした理由を言い当てられて答えに窮していると、その彼からあることを頼まれた。

 

「……一体何をお願いするんですか」

 

「大したことではない、愛子。まぁその……アーティファクトを外してくれないかと思ってな」

 

「……二人を迫害するというのなら、絶対にやりませんから」

 

 愛子からの問いかけに、決意とどうにか隠そうとしている嫌悪が入り混じった表情をしながらデビッドは答える。一体どうする気なのかとハジメは警戒しながら問いかければデビッドは意外な答えを返してきた。

 

「多分愛子は彼らを配下に置くつもりじゃないか? ならば俺達と、その……同士だ。仲よく出来るかと思ってな」

 

 神殿騎士であるデビッドの口から出た言葉に恵里やハジメ、シアとカムだけでなく愛子もまた目を大きく見開いた。しかもデビッドだけでなくチェイスやクリス、ジェイドまでもそのつもりの様子でハウリアの親子を見ているのである。

 

「私達はもうエヒトの教えには帰依しません。そのせいで愛子さんを傷つけ、この国は大きく傾いてしまったのですから。そんな相手の言いなりになる気はない。そのことを示そうと思ったのですよ」

 

「とはいえ長年こうして信仰していたせいで、感情を抑えきれなくってね……もちろんそこの二人が嫌だっていうなら、僕達もあきらめないと」

 

「新たな一歩を踏み出したい。そのためにも握手か何か、それかあいさつの一つでも構わない……どうか、してくれないだろうか」

 

 長い年月をかけて熟成された嫌悪や敵対心はそう簡単にぬぐい去れない。その証拠に彼らの表情も軽く引きつっていた。けれどもそれを乗り越えて手を取り合おうと四人はこうして言葉にしたのだ。どうしたものかと恵里らは迷っていると、シアとカムは自分達の首にかけてあった見た目をごまかすドッグタグ型のアーティファクトのスイッチを切った。周囲のどよめきと共に二人は本当の姿をさらしていく。

 

「……えっと、私は」

 

「私は……私は、神殿騎士専属護衛隊の隊長をしていたデビッドだ。今は雑務を、亡くなった教皇に代わって執務をされているルルアリア王妃様の手伝いを主にやっている」

 

 怯えて言いよどむシアに対し、デビッドが先んじて自分の名前と今の立場について答える。ほんの少しシアとカムの表情が和らいだ瞬間、残りの三人も意を決した様子で自己紹介に移っていく。

 

「神殿騎士専属護衛隊、元副隊長のチェイスです。今は元隊長であるデビッドと共にルルアリア様のお手伝いをさせていただいてますよ」

 

「あ、えっと……クリス。僕はクリスさ。近衛騎士をやっていたよ。その、よろしく」

 

「……ジェイドだ。今は一介の騎士、そして文官まがいのことをやっている」

 

 やはりチェイスらの表情はまだ固く、どこか迷いが見える様子ではある。最早常識として醸成されてしまった亜人種への差別的な見方や感情がシアとカムを見る度に湧き上がってきているからだ。

 

 けれどもそれを四人は抑え、守るべき国民や助けを求めて来た民衆と相対した時のように笑顔を浮かべようとしている。だから彼らは単に何とも言えない顔をしているだけでない。その笑顔が少し歪んでしまっているのだ。

 

「……カム・ハウリアです。その、お願いします。デビッド殿、チェイス殿、クリス殿、ジェイド殿」

 

 それもカムはなんとなく感じ取っていた。それに何より良樹、礼一、アビスゲートの三人が警戒しない相手であるとわかったからこそ、怖くても言葉を返す。彼ら三人の知人ならば、そして彼らの知己の一人である愛子が信用している様子の相手ならば問題ないと信じたからだ。

 

「っ!……よろしく頼む。カム・ハウリア」

 

 そしてカムの方も笑みを浮かべながら返したことに驚きつつも、恐怖に耐えてあいさつを返してくれた彼にデビッドは少し微笑みを深くしながら返事をする。

 

「あ、あの! その!……し、シア、シア・ハウリアですぅ……」

 

 空気が少し緩んだのを感じ取った様子のシアも続けて自己紹介を行う。父がしたのだから私も、とやればデビッドら四人の表情もわずかばかりだが柔らかいものに変わる。

 

「ありがとう。シア、さん。それとカムさん、貴方も」

 

「うん……勇気を出してくれて、ありがとう」

 

「……感謝する」

 

 チェイス、クリス、ジェイドも礼を述べたことで少し張り詰めていた空気も弛緩していった。無論、ここに亜人がいることに顔をしかめた人間がいない訳ではなかったが、そういった表情をした人間の多くはもうエヒトへの信仰を失っている。残りに関してもそうなりかけていた人間であった。自分達がしがみついていた教えに懐疑的であったからこそ口を出すことをためらっていたのである。

 

「さて、この()()を保護した経緯について改めて聞かせてくれないだろうか」

 

「二人?……あー、そっか。確かに勘違いするよね」

 

「えぇ。実は――」

 

 自己紹介を終えたところで席に座った四人であったが、デビッドがシアとカムがここにきた理由について恵里達に尋ねる。そこで保護することになったのは目の前の二人だけでなく、他にも大勢いると伝えればすぐに彼らの表情がひきつった。流石に百人単位は想定外だったらしい。

 

「い、一族全員か……この二人だけかと思ったらスケールが違うではないか……」

 

「も、申し訳ない! そのことについても話すべきでした!」

 

「す、すみません!」

 

「あー、その、あんまり気にしないで。流石にそれはちょっと想定してなかったってだけだから。はは……ちょっと大変かも」

 

 デビッドが思わず頭を押さえたのを見て慌ててカムとシアが頭を下げるも、クリスが他の三人の意見を代弁するように二人を気遣う。またどこかぎこちない感じとなった二人を見つつ、ため息もしくは苦笑いをしたジェイドとチェイスが持論を述べていく。

 

「……目の前の二人と同様、残りのハウリア族を見て判断すればいい。それだけだろう」

 

「そうですね。まずは対面してから考えた方がいいでしょう。実際にやるんでしたら明日以降でしょうか」

 

 そう冷静に述べたチェイスとジェイドであったが、実は額に手を当てていたりする。ともあれこの後で会って判断するという二人の言葉を受け止めることが出来たらしく、デビッドとクリスも首をゆっくりと縦に振った。

 

「そうだな……後で面会する時間をもらうぞ。急な話にはなるが、愛子、それに王国を救ってくれたお前達が受け入れると言うならば王妃様も無碍にはしないはずだ」

 

「まぁそっちの名前を勝手に使わせてもらうことになるのは悪いと思うけど……いいかい? 愛子ちゃん、皆」

 

「わかりました。確かに一度話を通しておいた方がいいでしょうしお願いします」

 

「そこら辺は丸投げさせてもらうよ。全員をどこに住まわせるかとかはそっちの方でやってもらえば楽だしね」

 

「すいません、お願いできますか?」

 

 デビッドとクリスの問いかけに恵里達も愛子も肯首する。愛子としても一度その話を挙げておいてからの方が話がスムーズに通りやすいと考え、恵里もまたデビッドらが政務に関わっているから話をまとめるのも簡単だろうと踏んで頼み込んだ。ハジメ達も愛子と同様であった。流石にハウリアをいきなり兵士に仕立て上げようという発想自体は無かったが。

 

「――ごちそうさま。ハジメくん、終わったら首輪作りに行こっか」

 

「あ、うん。もうちょっと待ってて」

 

 そうしてデビッドらを迎え、ハウリアを迎えたこと以外で今日あったことを話しながら食事をする恵里達。一足先に恵里は食事を終えると、ハジメに次の予定について話しかけた。ハジメの方も後少しといったところであり、少し彼を待つ必要が出来たことから食事中に思いついたことを実行に移そうと考える。

 

「はいはいシア、ちょっといい?」

 

「ふぇ? なんですか?」

 

 他の早い皆と同様に食事を終えて談話――主に良樹とである――していたシアの方へと向かい、彼女にあることを問いかける。

 

「改めて聞きたいんだんけどさぁ、そっちは重いものを持ったりとか出来る?」

 

「重いもの、ですか? えーと、他のハウリアの女の子よりはちょっと出来るぐらいですけれど……」

 

 一体どういう意図だろうと首をかしげるシアを見て、やはりと思った恵里はすぐにアレーティアと視線を合わせる。すると彼女も耳打ちをした後に大介の手を引きながらシアの下へとやってきて、恵里がどうしてその質問をしたのかの説明を始める。

 

「……中村さんがシアさんに尋ねたのは貴女が意識して魔力を操作できるかを確認したかったからです」

 

「えっ? そんなこと出来るんですか?」

 

 キョトンとしているシアを見てやはりと“魔力操作”を持っている面々はうなずいた。既に恵里達から教えてもらっていた愛子やデビッドはもちろん、愛子らと同席して話を聞いていた重吾達やローテーションで食事にきた兵士達も同様の反応を返す。そのため一層シアとカムはよくわからないとばかりに首をかしげていた。

 

「やっぱり。まぁ他に魔力を持ってる奴がいなかったんだし当然っちゃ当然か。はい」

 

 未だ疑問符を浮かべているシアの右手を手に取ると、恵里はその手を彼女の目線まで持ち上げた。

 

「? あ、あのー、恵里さん? な、何をするんですかぁ……?」

 

「ったく、本当にさぁ……まぁいいや。今後ボク達についてくる気なんだったら最低でもこれぐらいはやってもらわないと困るからね」

 

「何が、でしょうか?」

 

「こういうことだよ――“操魔”」

 

 そして恵里は思わずため息を吐きたくなりながらもある魔法、魂魄魔法を基にしたオリジナルの魔法を発動していく。

 

「お、おぉ……おわぁぁ……な、なんかこう右手の辺りがすごい変な感覚が……」

 

 効果は『接触した相手の体内の魔力を操作する』というシンプルなものであり、魂魄魔法の研究の際に作った代物の一つだ。それを施して恵里はシアの体の魔力を動かし、操っていく。

 

「今シアが感じ取っているのはそっちの体の中にある魔力。それを今わかりやすく操ってる」

 

「いや私の中にそんな力があるのはわかりましたけれど――うひぃっ!? な、なんか今度は体中がぁ!?」

 

「し、シア!? だ、大丈夫か!? ど、どうしてこのようなことをなさるのですか中村殿!?」

 

 右手とその周辺に収まっていた何とも言えない感覚が全身に広がっていくのを感じてシアが情けない悲鳴を上げる。それを見たカムもオロオロしながらも恵里に尋ねてきたため、やれやれといった様子でその理由を語っていく。

 

「簡単だよ。これからボク達の旅に付き合おうっていうんならこれぐらいやってもらわないと困るからね」

 

「魔力で体を強化するんだよ。だろ?」

 

「え、えっとぉ、どういうことですか?」

 

 良樹が恵里の説明を補足してそれに恵里がうなずくものの、まだシアもカムもそのことを理解していたとは言えない様子。そんな二人の様子を見て恵里達はかつてステータスプレートをもらった際のメルドの説明の一つを思い返す。シアの身の上話を聞いたことで魔力を持っていた亜人は常に排除されていたことも思い出してこうなるのも仕方ないかとただ納得していた。

 

「……魔法としてではなく、体内の魔力を直接操作しての身体強化なら誰もが無意識レベルでしているものです。ですから私達と同行するんでしたら、これで自分の身を守れるようになってもらわないと困るからです」

 

 アレーティアが述べた通りである。シアは他の亜人と違って魔力を持っている。ならばこれを意識して使うことで身体能力を少しでも上げ、せめて逃げ回れるようにはなってもらいたいと恵里は考えたのだ。

 

「アレーティアの言う通り。その感覚をつかんでもらうためにもこうやってシアの体の魔力を動かしてるの」

 

「実際やれると便利だぜ。重いもの持つのも出来るし、走るのも結構速くなるからな」

 

 事実、“操魔”を使って体内の魔力の動きを自覚させたことで一般兵も身体能力が向上したのだ。流石にそれを施したのは兵の中でも上澄み、それでも魔力の総量が自分達より低いこともあってか『ちょっと強くなったかも?』と思う程度ではあったのだが。

 

「な、なるほど……恵里さんのおかげでなんとなくわかったような気がしますぅ」

 

「そう。じゃあ後は他に魂魄魔法が使える人にでもやってもらって。ハジメくんもご飯食べ終わったみたいだし、ボクとハジメくん、それとアレーティアと幸利君で帝国兵どもにつける首輪作りしないといけないからねぇ~」

 

 一連の説明を聞いてシアが理解を示した様子であるのを確認すると、恵里はそのまま手を放してハジメの下へと向かう。例の首輪の効果の付与は魂魄魔法に高い適性を持つ恵里、アレーティア、幸利でなければ作れないものだからだ。なおアレーティアと幸利が加わることになったのは、忙しさで死にかかっていた恵里とハジメに引きずり込まれたせいだったりする。

 

 まだ外で二個中隊の帝国兵どもを見張っているメルドや王国兵達をあまり待たせる訳にもいかない。だからシアへのレクチャーを早めに切り上げたのである。もちろん恵里が挙げた人物もすぐに自分達のところへとやって来た。

 

「じゃ悪い。後頼むぜー」

 

「本当は私か清水さんが残ればいいんですけど……」

 

「ま、仕方ねぇだろ。首輪に付与する魔法を扱えるのが俺と恵里とアレーティアさんだけだしな」

 

「悪いけど後は頼むわよー」

 

「ごめんねみんなー。優花っちと一緒に幸利っち、に着いていくからー」

 

 なお当たり前のようにアレーティアは大介を連れて来たし、幸利の後ろを優花と奈々はついてきたが。これに今更異を唱える人間は誰もおらず、シアとカムも『あぁ、そういう……』と彼らの間柄を察してほっこりしていた。

 

「ごめんね皆。じゃあ行ってきます」

 

「じゃあねー。後は頼んだよー」

 

 仲間たちに見送られながら恵里達七人は食堂を後にするのであった。




おまけ アレーティア、幸利を引きずり込む前の極限状態のふたり

恵里「う"ぁ"ー……し、仕事が終わらないぃ……」

ハジメ「……うん、一息入れよっか」

城の兵士やメイド達に着けさせる首輪作りを必死にやっててお疲れな二人。そこで差し入れの果実水を飲みながら恵里はあることを思いつく。

恵里「そうだハジメくん! ハンコ! ハンコ作ろうよ! 押しただけで相手洗脳できる優れもの!」

ハジメ「また唐突に倫理観がゼロな発明を……うん、やっぱり駄目だよ」

恵里「どうしてー!? こういう道具あったら絶対便利じゃん! ポンポン押すだけで仕事終わるんだよー!?」

ハジメ「いやその……他の人に使われたらどうするの? 寝てる時に使われたらどうにもならないでしょ」

恵里「あ……うん。やっぱり地道にやろっか」

ハジメ「うん。そうしよう、恵里」

かくして恵里の思い付いた「洗脳スタンプ(仮)」の作成はお流れとなりましたとさ。なおアレーティアと幸利が引きずり込まれて仕込まれた模様


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六十八話 迷える兎はどこを行く?(後編)

リアルの都合で遅くなりました。申し訳ありません(白目) これもそれもハーメルンとカクヨムにある名作が面白くてタイムシーフなのが悪いんや(責任転嫁)

では冗談はここまでにして読者の皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも168751、しおりも399件、お気に入り件数も848件、感想数も606件(2023/5/21 15:15現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして拙作を読み返して下さる皆様には頭が上がりません。

そしてAitoyukiさん、今回もまた再評価してくださってありがとうございます。無論拙作を書くモチベーションが消えた訳ではありませんが、こうしてまた筆を執る力をいただきました。本当にありがとうございます。

では今回のお話を読むにあたっての注意点として結構長め(約15000字程度)となっております。ではそれに注意して本編をどうぞ。


「助かったぞお前達……やっとこっちも一息つけるな」

 

 シアやハウリアに関しての問題を光輝達に任せ、メルドと合流した恵里らは早速帝国兵達にはめる洗脳効果のある首輪作成に移った。今回はアレーティア及び幸利がいるため恵里だけが首輪に込める効果を負担せずに済むのは大きい。何せ数が四百名にも及ぶのだ。

 

「すいませんメルドさん。ちょっと時間がかかっちゃいました」

 

「これ程の数だ。何日もかかると思っていたが、日をまたぐどころか数時間そこらで済ませたんだ。感謝こそすれど責めなどするものか」

 

 そのため全員で分業して作業にあたった。首輪そのものの作成はハジメが、首輪に魔法を付与するのは恵里、アレーティア、幸利の三人が行う。大介、優花、奈々は魔晶石に魔力をこめて四人に渡すバッテリー兼取り付け係だ。

 

 事前の取り決めではこうだったのだが、実際はメルドや他の騎士団員も魔晶石に魔力を込めるなり首輪の取り付けを手伝ってもらったりしている。そのことには恵里らも感謝を示していた。

 

「……わかってるけど罪悪感あるね」

 

「そうよねー……向こうの自業自得なのはわかってるんだけどさ」

 

 そうして作業を終えた奈々と優花は未だ拘束されている帝国兵を見ながらボヤく。既に彼らは敵意を向けるどころか怯えに怯えて自分達を見返しており、その様子を見た二人はため息を吐いていた。

 

「ったく、園部も宮崎もいい子ちゃんかよ。洗脳なんて今更だろうがよ」

 

 そしてそんな二人を見て大介は軽く呆れた様子を見せた。帝国兵のやろうとしたことは彼女達も聞いているのだし、恵里がこういうことをやるのも今更である。にもかかわらず未だに真っ当である優花らに呆れとからかい混じりの称賛、それとちょっとした憧れの混じった言葉をぶつけたのだ。

 

「大介……」

 

「あー、うん。檜山君の言うことはわかるよ。でも……」

 

「あの様を見たら……ねぇ?」

 

 アレーティアはそんな大介に言外に言い過ぎだと服の袖を引っ張ることで伝え、奈々と優花は大介の指摘を聞いてある一角に視線を向ける。そこは特に異様な空気が漂っていた。

 

「いいか皆、()()は今こそ罪を悔い改めてこの亜人の皆さんに、そして使()()()()()のために尽くすべきだ!」

 

()達が間違ってたんだ! こんな悪行を喜んでやるなんて……皆、血の通った素敵な隣人なんだ! 今こそ生まれ変わろう!」

 

「時は来た……弱肉強食というルールに囚われていた我らはそれを捨て、新たなステージへと向かうのだ。人も亜人も皆友達なのだ。それを我は使徒様のアーティファクトを通じて知り、この境地へと達したのだ」

 

 ……そう。例の首輪の効果で心が『とってもきれい』にさせられた奴らが同僚どもを説得していたからだ。帝国兵の中で特に気性が荒い奴らがこの首輪を外そうとして思いっきりカウンターを食らい、魂を()()されてしまう。結果、ラブ&ピースがモットーの奴らになってしまった。

 

「怖ぇ……怖ぇよぉ……」

 

「ぐ、グリッド隊長ぉ、目ぇ覚ましてくれぇ……」

 

「嫌だ、嫌だぁ……俺こんなのになりたくねぇよぉ」

 

 もちろん帝国兵の奴らはそんな同輩どもを見て怯えに怯えきっていた。何せちょっと前までは『力ある者こそが全てを支配する権利を持つ』といった具合の自分達と同様の思想を持っていた奴らなのだ。それがいきなり反転したことを考えれば怖くて仕方がないのも無理はない。それを哀れんで優花と奈々は先程あの言葉を漏らしたのである。

 

「いいだろ別に。力がある奴が偉いなんて考え持ってる奴らにゃいい薬だ」

 

「僕もかなぁ……シアさん達のこともそうだけど、浩介君達をただお金のためだけに殺そうとしたことを考えたらね」

 

「これぐらいやんなきゃ反省なんてしないって。アイツらボクや優花達の体をチラチラ見てきたじゃん。こっぴどくやられてる癖によくやるよ」

 

「そういやそうだったわね。同情して損したわ」

 

「うん、そうだったよ。別にいいやあんな人達」

 

 ちなみに幸利とハジメは特に同情はしておらず、恵里も遠慮がちに色目を使ってきた奴らが多くいたことから呆れていたのを伝える。結果、優花と奈々もそれを思い出して無表情になり、すぐに彼らから視線を外した。

 

「まぁ敗北を受け入れられない以上、相応の目に遭っても仕方あるまい。さて、もう一仕事頼めるか」

 

 『帝国にケンカを売っといて無事に済むと思うなよ』だの『世界を敵に回して生き延びれると思ったら大間違いだ』と怯えながらもたてついていた帝国兵から恵里達は意識をメルドへと移す。今度は一体何かと考えていると彼はあることをお願いしてきた。

 

「これ程の数だと牢屋に入れるのも不可能だからな。かといって練兵場に連れてきても移動の手間も考えるとな……収容所か何かが欲しい。ハジメ、ほら穴でもいいから造れるだろうか」

 

 メルドが頼み込んできたのは彼らを一時的とはいえ押し込んで置ける場所であった。確かにこれ程の数の人間を収容する施設なんてそうそう簡単には用意できない。ルルアリア王妃に頼み込んだにしても、今はもう夜だ。お触れを出したところで手配するのも苦労するだろう。そこでハジメに頼ったのだ。

 

「あ、はい。やれます。“錬成”」

 

 無論ハジメとしても大したことでもなかったため、靴に仕込んであった魔法陣を使って“錬成”を発動。適当な大きさのほら穴をすぐに作成し、それを見て軽くうなずくと共にメルドは指示を出した。

 

「よし。助かった――お前達、このほら穴の中に入れ!」

 

「すぐに立て! もたつくな!」

 

 メルドのかけ声と共に帝国兵達は立たされ、一部を除いて力なくほら穴の中へと入っていく。周囲には騎士団が並んでいるし、それ以前に首輪の効果で反旗を翻そうとしてもすぐに洗脳される。結局どうしようもならない状況なのであきらめて入るしかなく、洗脳済みの奴らも『ご迷惑をおかけしてすいません』と謝ったり神妙な様子で進むばかりであった。

 

「よし。“ガーディアンズ各機、散開してほら穴の周辺を警戒。外に出ようとした奴らがいたなら蜂の巣にしろ” それとサイオン班とテスラ班はここに待機、他は休憩に移れ!」

 

 しかも帝国兵が全員入ったと同時にガーディアンズも出して起動し、周辺の警戒にあたらせる。その上幾つかの班に分けた騎士団の人間まで布陣する。その見事な手腕にオルクス大迷宮を一緒に突破した仲である恵里達はうんうんとうなずくも、号令を聞いた騎士団全員は思いっきり引いていた。どう考えてもやりすぎだと誰もが思ったのである。

 

「や、やりすぎでは、団長……?」

 

「く、首輪の効果もあるんですし、ここまで慎重にならなくても……」

 

「ん?……そういえば、そうか」

 

 そこで部下からの言葉に一瞬首をかしげるが、言われてみればその通りだと考えてメルドはうなずく。なお解除しようという気配は一切ないため余計に団員は引いているが。容赦がなさすぎて恐怖を感じていた。

 

「改めて感謝するぞお前達。今回の礼はエヒトとの戦いで必ず返させてもらう」

 

「期待させてもらうよメルドさん」

 

「おう。百倍返しで頼むぜー」

 

「恵里、もう……大介君も。えっと、あまり根を詰めないでくださいね皆さん」

 

 これでひと仕事が終わったと張り詰めていた気を解いたメルドに礼を述べられると、恵里はひらひらと手を振りながらそれを受ける。大介もにししと笑いながら冗談を返し、ハジメもそれに苦笑しつつ残った団員に向けて気遣いの言葉をかけた。

 

「大介ぇ……えっと、その、もし私でも手伝えることがあったら言ってください。いつでもどうぞ」

 

「決戦の時は頼むぜ、メルドさん」

 

「メルドさんも団員さん達もお疲れ様。じゃあユキ、ナナ、皆。早く部屋に戻って休みましょ」

 

「そうだね、優花っち。じゃあまた明日だね、皆」

 

 そして各々あいさつもそこそこに王宮へと戻っていく。この日もいつも通り恵里達はお風呂に入って一日の疲れをとって休むのであった。

 

 

 

 

 

「そんな……そんなことが……どうしてこんな悲しいことが……」

 

 その翌日、朝ご飯を食べ終えた恵里達はそれぞれゲートキーを使ってハウリアの皆を王国の郊外の土地へと連れて来た。もちろん帝国兵のいるほら穴の近くではなく、別の場所だ。ちなみにフリードやメルド、デビッド達も説得の要員として同席しており、主に愛子の暴走を止めるためだろうと誰もが考えていた。

 

「うぅ……むごい。なんてむごい! どうして皆さんがこんな目に遭わなければならないんだ!」

 

 そこでシアとカムの口から恵里達の事情を説明してもらったところ、彼らも思いっきり号泣したのである。モロに昨日の焼き直しであった。

 

「ひどいよ……お兄ちゃん達もお姉ちゃんが達もかわいそうだよ……」

 

「あ、あのー皆さん……パル君も他の子もそうだけど、そこまで気になさらなくても……」

 

「無理です光輝さん! アビスゲート様や良樹さん、礼一さんだけでなく友人知人である貴方達も想像を絶する苦しみを受けてたんですよ! これを、これを泣かずには……うわぁあーん……」

 

「雫ちゃん大丈夫だからね! お姉さんは貴女の味方よ!」

 

「あ、その、はい……」

 

 どいつもこいつも涙を流しては恵里達一人ひとりに労りの言葉をかけてきている。光輝達はそんなカムとシア以外のハウリアの行動にどうすればいいのかと困惑しており、恵里と愛子もため息を吐いている。

 

「話進まないんだけどさぁ……」

 

「頭痛がしますね……本題はこれからだというのに」

 

「その優しさは美徳だとは思うがな……」

 

「他の亜人族もこんな感じなのでしょうかね……」

 

 頭痛を堪えるように手を当てる恵里と愛子、彼らの様子に理解は示しつつも下手に巻き込んで大丈夫なのかとボヤくメルドにチェイス。デビッドらも似たような考えのようでどうしたものかと視線をさまよわせたりしていた。

 

「話……な、なんでも言ってください! 私達ハウリアは皆さんのためにも誠心誠意尽くします!」

 

「そうだ! 皆さんに恩を返さないまま北の山脈地帯に行くことは出来ません! どうかなんでもお申しつけください!」

 

 事前に話を通していたシアとカム以外のハウリアは、今も涙と鼻水を垂らして恵里達に同情している。これじゃあしばらく話は無理だと誰もが思っていたものの、愛子のつぶやきを聞いてシアら二人以外のハウリアは愛子の方へと視線を向けた。

 

「へぇ、なんでも――」

 

「ま、待てお前達! わ、私の話を聞いてからでも――」

 

「何言ってるんですか族長! ここまで世話になっておいて助けないなんて選択肢はないでしょう!」

 

「え、えっと、その、流石になんでもは言っちゃダメですぅ!」

 

「? どうしてなのシア? この人達は私達の恩人なのよ? なら今度は私達が助ける番よ!」

 

 しかも『なんでも』という単語に反応し、愛子はとてもにこやかな笑顔を浮かべた。そして彼女が言葉を紡ぐよりも先にカムとシアがインターセプトを決める。下手したら一族の命運がここで決まるのだ。二人は必死であった。

 

「じゃあ皆さん。申し訳ありませんが、皆さんのご厚意に甘えさせていただけますか?」

 

「み、皆さん! 話を聞いてから受けた方が――」

 

『はい、何なりと!』

 

「ありがとうございます。じゃあ皆さんを保護しますから代わりに兵士として働いてください」

 

『……え?』

 

 そしてそのにこやかな表情に何一つ似合わない言葉を愛子が吐いた途端、一気に気温が三度ぐらい下がったと当人以外が感じとった。ハジメも迷いながらもやはり止める方に動いたものの、もう手遅れ。微笑みと共に投げつけられた爆弾に徐々にハウリアはカタカタと震え出す。

 

「へい、し……えっと、それって……」

 

「あ、あの、愛子……さん?」

 

 全てのハウリアが体を寄せ合い、体を震わせながら愛子の方を見ている。これまたいつぞやの焼き直しである。しかし愛子は特に意に介することもなく言葉を続けていく。

 

「ですから衣食住は私達の方で手配するので戦ってください――皆さんは斎藤君、近藤君、遠藤君に助けられたのでしょう? だったらその恩、返していただけますよね?」

 

 見返りを用意した上に恩義につけ込む形で頼んできた。控えめに言って最悪である。その言葉に恵里だけがやるじゃんと口元を緩め、ハジメ達が頭を抱える。そして意を決した様子のシアとカムは今もにこやかな笑みを浮かべる愛子に向かって口を挟んだ。

 

「み、皆さんを巻き込まないでください! わ、私が頑張りますから!」

 

「そうです! わ、私が……私が皆の分まで働きます! ですから、ですから何卒……シアと他の者達だけは……」

 

 そう言って頭を下げたシアとカムを愛子はただ冷めた目で見つめるばかり。そんな様子を見ていられなくなった良樹達も苦い表情を浮かべつつ、ハウリアを助けるべく愛子に口をはさむ。

 

「……なぁ畑山先生よぉ。そこまでこだわる必要ねぇだろ」

 

「そうだぜ。戦うのが怖い奴らを巻き込んでどうすんだ。あ?」

 

「あぁ、良樹と礼一の言う通りだよ……トータスに来た時、先生は俺達を戦わせたくないって言ってたよな? だったらハウリアの人達も――」

 

「駄目です」

 

 だがハウリアをかばおうとした彼らを愛子は端的な言葉で制し、鋭い目つきでハジメ達を見据える。その瞳に強い意志が宿っているのは誰もがわかり、生半可な反論は許さないとばかりにじっと見つめ返していた。

 

「斎藤君、あなたに問います。あなたはシアさんのことをどう思っていますか」

 

「ど、どうって、その……」

 

「ではシアさん。あなたは斎藤君に好意を示してますよね? それも斎藤君達と行動を共にすると述べましたよね?」

 

「は……はいっ! 私は本気ですぅ!」

 

 愛子の問いかけに良樹は頬を染めてそっぽを向いたが、シアの方は顔を赤くしながらもそれにうなずく。その様を見た愛子は一層真剣な面持ちで全員にあることを述べた。

 

「だとすればそこをエヒトに狙われます。シアさんに斎藤君、近藤君、そして遠藤君の動揺を誘うために。そのためだけにハウリアは囚われるでしょう」

 

 その言葉で恵里はだろうねと言わんばかりの表情でうなずき、ハジメに光輝、アレーティアなどハウリア以外の面々は話を振った予想がついたことから無言となった。恵里や鷲三、霧乃をさらって改造したことを考えれば自分達と親しい間柄の人間を狙うのは容易に想像がついたからである。

 

「そんな……」

 

「えっ……そう、なの?」

 

 そしてエヒトの恐ろしさを理解させられた全てのハウリアは絶望していた。自分達が関わらなければ、自分達のせいで、命の恩人である浩介や良樹らに多大な迷惑をかけてしまう。彼らの親友を危険な目に遭わせてしまう。ざわめきが止まらなかった。

 

「そんな……み、皆さんが……私が、私が……」

 

 この指摘で一番動揺したのはシアであった。自分が良樹達と接触したせいでハウリアの皆が危険な目に遭わされようとしていることにショックを受けたからだ。

 

 ――もし仮に彼女がで目の前の障害を切り拓く()と揺らがぬ()()を持っていたら、他のハウリアも()()()()()()を持っていたのだとしたら話は別であった。たとえこの世界の神であったとしても真っ向から牙をむいて気炎を上げて戦いに臨んだだろう。

 

 だが()の彼女は違った。恵里のおかげで力を持っていることを理解し、好きな人についていきたいと思ってはいても自信も十分な力も無い。ハウリアは戦う気概すら持っていない。故にただ打ちひしがれるしかなく、シアもカムも、そして他のハウリアもただ己の無力さを前に何も出来ないでいた。

 

「……お前達、それとハウリアの者達には悪いが俺としては戦力となってくれると助かる」

 

「……こちらも参加をすすめておく。愛子と同じ理由だ」

 

 そんな折、今まで沈黙を貫いてきたメルドとデビッドが口を開く。まさかの意見にハジメ達は目を見開くも、どちらも苦々しい表情であったのを見て、出かかった言葉を吞みこんでしまった。少なくとも良心の呵責はあると思ったからこそ何も言わないことを選んだのである。

 

「エヒトの軍勢である神の使徒だが、恵里の話ではそれが無数にいると聞いている。お前達の恩人である良樹達であっても苦戦は免れない強敵が山のようにいるんだ」

 

「ですが今ここで敵の軍勢と戦うという訳ではありません。どれだけ先送りに出来るかはわかりませんが、まだ未来の話です」

 

 メルドの言葉によって更なる絶望を、チェイスの言葉で今すぐ立ち向かう訳ではないということを知った。

 

「そっちの思いを利用しているのはわかってるよ。恨んでくれてもいい。けれどいいの? 何もしないままでいられる?」

 

「あぁ。お前達は恩人を放っておいて安全な場所にいるつもりか?……おそらく、出来ないだろう?」

 

 クリスの言葉に怒りと悔しさを感じた。ジェイドの言葉に悔しくとも同意しか出来なかった――ここにいた全てのハウリアは思う。自分達はただ安全な場所で引きこもっているだけでよいのか、と。

 

「でも私達、戦いなんて怖くてやれないのに……」

 

「他の亜人から見下されている私達に、何が出来るんですか……」

 

「お兄ちゃんたちとお姉ちゃんたちに怖いことを押しつけるなんて嫌だよ……でも、でも、僕そんな力なんてないよ」

 

 だが出てくる言葉は嘆きばかり。自分達に力は無い。自分達じゃ何も出来ない。そんな無力感に囚われた者達の言い訳がぽつぽつと出てくるだけだった。

 

「それでいいのか、貴様らは」

 

 そんな時、フリードがかすかな苛立ちと冷笑を浮かべながらハウリアへと問いかける。

 

「それでいい、って……」

 

「何も出来ない。何もやれない。そう決めつけてただうなだれるだけで生き延びれると思ったら大間違いだ。世界はそんな弱者に優しくなどない」

 

「――フリードさん!」

 

 微塵の容赦もない問いかけにハウリアは一層うなだれてしまう。結局自分達は何も出来ないまま死ぬ運命なのかと絶望した矢先、彼らを見捨てるのかと光輝が怒鳴りかかる。

 

「光輝、お前は黙っていろ――このままお前達は這いつくばっているだけなのか。立ち上がる気概すら無いのか。言え。足掻く気概を持たないのなら、お前達はそれで終わりだ」

 

 だがフリードはそれを真剣な面持ちでそれを切り捨て、再度問いかけたことで光輝だけでなくハウリアの皆も気づく。戦う意志があるのなら、この運命に抗う意志があるのならば()()終わりではない。そう遠回しに述べているのだとわかったからだ。

 

「……ねぇ恵里さん」

 

「何、シア」

 

「私、戦う力があるんですよね? この魔力があれば少しはお役に立てますよね?」

 

 そんな中、震えながらもシアは恵里に尋ねる。自分が忌むべきものとして扱われることになったこの力を使えば何かを変えられるんじゃないかと。この力でハウリアを守ることが出来るのではないかと問いかけたのだ。

 

「シアの力がどれだけのものかはわからないから詳しくは言えないね。でも、そこらの兵士程度には戦える。それだけは保証するよ」

 

「――わかりました」

 

 恵里の答えを聞いた時、シアの中である決意が固まる。ゆっくりとうなずくと、ハウリアの方を振り向いて彼女は宣言した。

 

「私、戦います。忌み子と呼ばれたこの力を使って、エヒトと戦います」

 

 その姿はまだあまりに弱々しいものだった。さながら卵からかえったばかりのヒナのようではあったが、しかしその思いは本物であった。

 

 ただハウリアを守るために。そのためにも持っていた力を使うこと、暴力を振るうことをシアは決意する。

 

「だから皆さんは私が――」

 

「戦おう、皆」

 

 私が守ります。そう誓いを立てようとした時、キッとした表情のカムがそれをさえぎった。

 

「と、父様! それは――」

 

 今まで守ってくれていた皆を自分が守りたい。だからそう伝えようとしたというのにカムはそんな自分の思いに真っ向から対立するような言葉を投げかけた。シアはすぐに父の真意を尋ねようとすると、カムは全てのハウリアへと問いかけてきた。

 

「良樹殿、礼一殿、アビスゲート様が苦境に立たされているのに私達はただ黙って見ているだけでいいのか?」

 

 カムの問いがハウリアの心をえぐる。それはあまりにも深く、苦しい一撃であった。何も出来ない不甲斐ない存在のままでいるのかと言われたような気がした……否、そう遠回しに言われたからだ。

 

「それは……」

 

「我らの恩人と、そのご友人が……戦いにおもむいている時に、私達はただ自分の身の安全を思うだけでいいのか?」

 

「で、ですから父様! 私が、私が皆さんを守れば、そうすれば傷つかずに――」

 

「シアは黙っていなさい!」

 

 臆病なまま、ただ恩人に助けてもらうだけの恥知らずでいいのかとカムは続けて問いかける。それを聞いてシアはこれまでの恩返しとばかりに自分が皆を守るのだと伝えようとしたが、それをカムはいつになく厳しい表情ではね退けたのである。

 

「っ!? と、父様……?」

 

「……このままでは、私達ハウリアはただの恩知らずになる。ただ助けられ、庇護されるだけの存在になってしまう。私は嫌だ。お前を守ろうとした一族皆がそんな存在に成り下がってしまう。それを、それを……黙って見ていられないのだ!」

 

 一人の男の叫びが草原にこだまする。他の亜人族から蔑まれてもそれを受け入れていた。けれどもたった一人の同胞を守るためにハウリアは力を合わせたのだ。ならば自分達を助けた恩人に何もしないというのはどうなのだ? それはハウリアとして正しいのか?

 

 そう考えた時、カムの中で思いが爆発した。このままハウリアを貶めるようなことをしてはならない。その思いに突き動かされるまま、カムは叫んだのである。父の思いを知ったシアは沈黙し、この場にいた誰もがその経緯を見守っていたその時、ふとハウリアの誰かのつぶやきが漏れた。

 

「嫌、です……」

 

「コリン……」

 

「そんなの、嫌です……! 恩人の皆様に何も、何もしないでいるなんて……そんなこと、出来る訳ないじゃないですか……!」

 

 あるハウリアの青年の慟哭が漏れた。己の無力感に苛まれていたハウリアの一人であった彼であったが、弱い自分自身への怒りが上回り、恩を仇で返してはならないと涙を流しながら前を向いた。

 

「シアが、族長が戦うっていうなら自分だって、自分だって戦います!」

 

「……私も。私も戦う! シアと族長だけに全部押し付けるなんて耐えられない! 私達は、私達は家族なのよ! だったら戦う時だって一緒よ!」

 

 コリンが戦う意志を見せた時、また別のハウリアが覚悟を決めた様子でシアとカムに視線を向けた。

 

「わしも……わしも戦おう! 若者だけを戦わせるなど恥ずかしくて死んでしまう! 老いぼれなれどわしだってハウリアだ!」

 

「僕も……僕もやるよ! ウルマーおじいちゃんがやるんだったら僕だって!」

 

「わたしもー!」

 

「私も! シアちゃんが戦うと言ってるなら私だってやるわ! パル君みたいな男の子がやるって言ってるのに逃げ回るなんてできない!」

 

 そうして次々とハウリアは立候補していく。最早老若男女関係ない。誰も彼もが理不尽に抗おうとその心意気を見せる。その様にシアは圧倒され、両の瞳から自然と涙がこぼれ落ちていた。

 

「みな、さん……」

 

「よいか、シア。お前が守りたいと思っていた者達はな、お前に守られるだけの存在じゃないんだ。共に戦おう。一緒に理不尽に立ち向かおう。私達は家族だ。何時までも皆一緒だ」

 

 涙を流すシアの肩に手を置きながらカムは優しく声をかける。ひとりじゃない。共に行こうと言われ、シアの瞳が一層涙で潤んでいく。

 

「はい……はいっ!」

 

「どうかお願いします皆さん。私達ハウリアを、少しでも戦えるようご指導ください!」

 

 そうして全員で愛子やメルドに向かって頭を下げた。それを見たメルドやデビッドらも力強くうなずき、教えを乞おうとするハウリアに向けて声を張り上げる。

 

「ならばお前達の身柄も俺が責任をもって預かろう! そしてどこに出しても恥ずかしくない立派な兵士として鍛え上げてやる!……畑山殿、デビッド、チェイス、クリス、ジェイド。いいか?」

 

「構いません。むしろ本職であるメルドさんなら安心です」

 

「私達では政務に時間をとられてしまいますからね。つきっきりでやってくださる騎士団のトップである貴方ならば安心できます」

 

「わかった。感謝する――よし、これから俺は王妃様に報告を上げる! お前達に下す最初の命令はこの場での待機だ。いいな!」

 

『はい、わかりました!』

 

 事後承諾という形になったが愛子やデビッド達にハウリアを預かることの是非を問うと、どちらも問題ないと返してきたため即座にメルドも己の裁量で動く。初めての命令を受けてハッキリとした声で返すハウリアを見てハジメ達は複雑な表情を浮かべた。

 

「これで、良かったのかな」

 

「確かにありがたいよ。けど……」

 

 ハジメと光輝のつぶやきに彼らの幼馴染の多くは何も反応を返せない。今目の前で起きたことはかつて自分達がトータスに来た時の光景と大して違わないからだ。違うのはハウリアがかつての自分達に、自分達がイシュタルと同じ立場になったという点だけ。

 

 エヒトとの戦いを考えれば彼らが戦うことに前向きになってくれたのはありがたいことではあったが、とても手放しには喜べなかった。特に良樹と浩介は一層苦い表情を浮かべていた。

 

「俺達のせい、かな」

 

「いや、俺達が助けなきゃシアや他のハウリアの奴らも助かってなかったかもしれねぇんだ……けど、あんま喜べねぇな」

 

 ハウリアの皆を戦いに巻き込むことなく救う道はなかったのかとこの場にいた多くが思う。もっと他にやりようがあったんじゃないか、どこかで違う行動をとっていれば良かったんじゃないかと過去を振り返っていく。

 

「はいはいやめやめ……皆、もうこうなった以上はどうしようもないでしょ」

 

 だがそんな時恵里がパンと手を叩いてハジメ達に呼びかけた。どうしようもないお人好しのハジメ達ならば絶対にやってしまうだろうと想像はついていたし、その疑問に対して納得できる答えなんて絶対に出るはずがないとわかっていたからだ。

 

「皆さん、その……中村さんの身に起きたことを考えると、これで良かったと思います」

 

「……良かったのか、アレーティア? 礼一もよ」

 

 アレーティアの口から出た言葉に大介も遠慮がちに問いかける。彼もハウリアが戦ってくれることには賛成ではあったが、浩介と良樹のことを考えればそれを口にすることは出来ず。そこで二人と一緒にハウリアを助けた礼一にもこの疑問をぶつけると、彼の方も少し迷いながらも自分の考えを言葉にしていく。

 

「いいんじゃねぇの? 安全なとこなんてこの世界のどこにもねーんだ。だったらせめて自分の身は自分で守れるようになった方がいいだろ」

 

「ボクも近藤君の言うのに賛成かな。それに、少しであっても戦える人間なら欲しい。ハジメくんと鈴、それに皆が生きて地球に帰る確率が少しでも増えるだろうからね。選り好みしたせいで誰かを死なせるぐらいならボクは進んで嫌われるから。たとえハジメくん……であっても、ね」

 

 礼一の言葉にハジメ達も言い返せず、恵里もそれに乗っかる。そして自分達を平気で優先することを言ったり、ハジメに嫌われるのを何だかんだ本気で恐れてる様子のブレない恵里にアレーティア以外がため息を吐いた。

 

「恵里……でも、そうだね。巻き込んじゃった以上、鈴達も協力するよ」

 

「もう恵里ってば……大丈夫。恵里の言いたいことはわかるし、向こうも乗り気になってるしね。ならハウリアの皆さんが戦えるように僕もアーティファクトを作る。そうして戦えるようにする」

 

 とはいえ彼らの言葉が間違っているかというとそうでもない。実際エヒトがいつどこでちょっかいを出してくるかは予測がつかないし、たとえほんのわずかといえどハウリアが戦えるようになれば勝率は上がるのだ。ましてやこうして力を振るう気になった錬成師のハジメがいる。

 

 魔物の肉を食べた自分達程ではないにせよ、今以上に強くなるのは確実だということは明らかであった。

 

「……中村さんの言うことに一部賛成、です。エヒトの差し向ける神の使徒の強さと数を考えると、私達でもどこまで相手出来るかわかりません。けれどアーティファクトを作れる南雲さんがいるし、部隊の運用に長けたメルドさんもいる」

 

 そしてアレーティアも王として活躍していた経験を基に補足した。彼女がかつて王として君臨していた頃は自分が主体となって戦場を駆け抜けていたが、かといって他の者達が弱いという訳ではなかった。たとえ自分が敵陣に風穴を開けても後に続く兵達が弱くては意味が無い。彼女は軍隊という存在の強みを理解していた。

 

「彼らが()()となれば、相応の強さを手に入れられると思います。絶対に」

 

 兵士一人一人の質が高く、扱う武具も高水準であればいかなる数の有利も覆せる。少数の種族でしかなかった吸血鬼族はそうして戦乱を切り抜けて来た。たとえ過去の同胞に及ばずとも彼らは必ず強くなれる。そう信じて彼女は力強く断言する。

 

「……仕方ねぇか。なら乗り掛かった舟ってヤツだな。俺らも手伝ってやろうぜ」

 

「あぁ……やろうぜ、皆」

 

 良樹と浩介も腹を決めて友人らの顔を見渡す。この場にいた一同全員の意志がまとまり、うなずき合う。恵里達はメルドに声をかけて自分達も手伝うと伝えるのであった――。

 

 

 

 

 

 練兵場の一角に軽い地割れが走る。下手人はシアであった。

 

「どりゃぁああぁあぁ!!」

 

 手に持った大槌を振るい、目の前で機敏に動く恵里目掛けて振り下ろした一撃は風を切り、大地を割る必殺の一撃となっている。しかし恵里はそれにわずかにかすることすらなく、微妙な苛立ちを表に出しながらも余裕でシアの攻撃をいなし続けていた。

 

「ったく、面倒くさいなぁ――“呆散”」

 

「――なん、のぉっ!」

 

 適当に発動した闇系魔法も気合で耐え、意識が持っていかれそうになりながらもシアは恵里に追いすがらんと()()()()()()で思いっきり地面を踏み込んだ。

 

「はぁぁあぁあぁ!!」

 

「勢いだけで、勝てる訳ないでしょっ!! “縛岩”! “風球”!」

 

 一撃でいいから当てようと必死になっているシアの動きを止めようと“縛岩”を発動。宙に浮いたわずかな隙を狙って両の足首を岩の鎖で繋ぎとめ、後ろに引っ張ると同時に見えない弾丸をぶつけようとする。

 

「なん、のぉおおぉ!!」

 

 しかしシアはそのまま大槌を振り下ろして地面に叩きつけて強引に鎖を破壊すると、柄から離した左手で風の弾丸を迎撃する。その瞬間、恵里の口元がかすかに動いたことにシアは戦慄した。

 

「こ、このっ――」

 

「甘い。終わり」

 

 そしてシアの腕を掴むと同時に恵里は“纏雷”を一瞬だけ流して彼女の動きを止め、そのまま明後日の方向へと投げ飛ばしたのである。

 

「ぐぇっ!?……きゅぅ」

 

「はいはい。この程度で勝った気にならないの。そっちの成長速度が化け物染みてるのはわかるけどまだまだボク達のステータスには届いてないんだしね」

 

 のびてしまったシアに向けて辛辣な言葉をかけつつも恵里はシアの目覚ましい成長に内心ニマニマと笑みを浮かべていた。

 

 ――エヒトと戦うことをシアが表明してから()()たった現在。もう彼女は自身の技能である“魔力操作”だけでなく、その派生技能である“身体強化”という技能すらも幾らかモノにしていた。そしてそれは恵里達も把握している。

 

 ハウリア全員が戦うことを決意した後、シアの強さを確認するためギルドマスターからステータスプレートを融通してもらい、彼女のステータスも確認した。その後メルドや恵里達オルクス大迷宮攻略組のメンバーで彼女を鍛え上げたのである。

 

 

====================================

 

シア・ハウリア 16歳 女 レベル:10

 

天職:占術師

 

筋力:20 [+最大775]

 

体力:25 [+最大780]

 

耐性:20 [+最大775]

 

敏捷:30 [+最大785]

 

魔力:755

 

魔耐:800

 

技能:未来視[+自動発動]・魔力操作[+身体強化]

 

====================================

 

 

(やっぱりすごいよこの子。拾い物にしちゃ想像以上に優秀じゃん)

 

 まだ気絶しているシアの懐からステータスプレートを抜き取り、恵里は現在のシアのステータスを確認する。新たにシアが得た“身体強化”という技能は『魔力1に対して身体能力が1変換されて上昇する』というものだ。そのため魔力がずば抜けている彼女がこの技能を発動すればとてつもない強さを得ることになる。

 

(これだけ強けりゃその内使徒相手でも結構いいとこ行くんじゃない? ありがたいねぇ~)

 

 とはいえまだまだ自分達にはステータスの数値は遠く及ばない。そのため使う魔法も制限し、本気で相手をしない状態でシアと組手をしているのである。それ以外にも他のハウリアと一緒に“身体強化”なしでメルドにしごかれたりしていることもあってかほんの三日でここまで強さが向上していた。

 

「はい起きる。次が待ってるよ……って仕方ない。“心導”」

 

“はいシア起きる。次は優花とだからね”

 

“は、はいぃ……い、今起きますぅ~……”

 

 そしてステータスプレートをシアの懐に戻すと、地面で仰向けになって目を回す彼女の頬を何度か軽く叩き、“心導”を使って魂に呼びかけ無理矢理起こす。ごまかしようがない鬼畜の所業であった。

 

「エリ、アンタ鬼すぎない? いくらハジメとスズがデートしてるからってシアに当たるんじゃないわよ大人げない」

 

「うるっさいなぁ。図星突かないでくれる?」

 

 そんな恵里に心底呆れた様子で優花がツッコミを入れると、恵里もかなりイラッとした様子で優花に言い返した……なお恵里がこの組手の中でずっと苛立っていたりするのは先程優花が挙げたことが理由だったりする。

 

 シアを含むハウリアを鍛え上げることになった際、何人かがシアや他のハウリアと組手をするようになった以外に恵里達のやることはハルツィナ樹海の探索を除いて変わりは無かったりする。そのため今日も他の皆はライセン大迷宮の探索やゲートホールの設置を行っているのだ。

 

「ちゃんと話し合って決めたんでしょ? だったらその恨みをシアで晴らそうとするんじゃないわよ」

 

 ならばどうしてハジメと鈴はデートが許されているのか。それは恵里が自分の魂を治してもらった後、ハジメを一晩好きにしていいよと鈴から言われたことに由来する。その負い目があったのとハジメの方から恵里に鈴と二人きりでデートしたいと打診があったからだ。

 

 負い目があったからそれはまぁ受け入れられなくも無かったが、自分を通さずにこの話が浮かんだことから密約か何かをしたと勘ぐって問い詰めた結果大当たり。いつぞやの産業革命モドキをハジメが提唱した日に鈴と約束したことが判明したのだ。つまり自分を通さず鈴とこっそり約束した恨みつらみをシアにぶつけていたのだ。とんだとばっちりである。

 

「そうだけどさぁ……うぅ」

 

「アンタがハジメとスズのことでやきもきするのはいつものことだけど、それをあんまり親しくも無いシアに向けないの……じゃあシア、少し休憩したらやるわよ」

 

「は、はいぃ……わかりましたぁ~……」

 

 優花に完全に言い負かされ、恵里はすごすごと練兵場のすみっこへと行き、青空を見上げる。今頃ハジメと鈴はデートを楽しんでいるであろうことを想像しては大いにへこんでため息を吐く。

 

「でも優花さん、良かったんですか? 確か幸利さんは奈々さんと一緒――ヒィッ!?」

 

「……アンタの尻尾の毛、今すぐ丸刈りにしてやってもいいわよ?」

 

「ご、ごめんなさいぃぃー!!」

 

(いいよいいよ。明日は絶対ハジメくんとイチャイチャするもん。ボクが一番だってハジメくんと鈴にわからせるもん)

 

 シアが優花にいらんことを尋ねてエラい目に遭いそうになっているのを聞き流しつつ恵里はしょうもないことを決意する――本来この世界がたどるはずの未来がまた少し形を変えた。幾度も起きる変化がもたらすものは嵐か凪か。それを誰も知らないまま今日も時は過ぎていく。




という訳で拙作においてはハウリアを鍛える人間と経緯がこのように変化しました。やっぱメルドさんていう教官として優秀な人がいるし、組手に関してもユエ以外に頼れる人間がいますしね。

え? 拙作のアレーティアはどうしてるかって?……未だに大介から離れられないところから察して()


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六十九話 積荷と共に心も揺れて

また遅刻しました(白目) グラブルの古戦場からやっと脱走出来たのとカクヨムながめてたせいです(容疑者並の感想)

では改めまして読者の皆様への感謝の言葉を。
おかげさまでUAも170246、しおりも401件、お気に入り件数も852件、感想数も611件(2023/6/6 23:21現在)となりました。本当にありがとうございます。皆様がひいきにしてくださることに感謝の念が尽きません。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。また話を書き進める力をいただきました。感謝です。

今回の話を読むにあたっての注意点として少し長め(12000字足らず)となっておりますのでご注意を。では本編をどうぞ。


 ハイリヒ王国郊外に幾台かの幌馬車が並ぶ。これらは国のお触れ、聖女として担がれた鈴や現人神として崇拝されるようになった大介とアレーティアの声掛けなどで集められたものだ。

 

 なお鈴も大介もアレーティアは今の自分の扱いにまだ慣れておらず、苦笑いを浮かべたり、むずがゆさに居心地を悪そうにしてたり、顔を真っ赤にして縮こまっていたりした。

 

「こっちの積み荷は大丈夫だよー」

 

「こっちもOKでーす」

 

 現在それらは恵里達や見送りに来たメルドらによって最後のチェックが行われている。馬車の状態や中に積まれた木箱――中にある()()()()()()()()の野菜類や果物、そして麦などの確認だ。

 

「車軸の方も問題なし。張られた布も損傷なし」

 

「こちらの積み荷も指定された種類の野菜を確認しました!」

 

 訓練の一環としてハウリアも数名参加しており、久々に鬼教官になったメルドのここ数日のシゴきの成果が出たのかキビキビと動いている。預けて正解だったと恵里へ思いながらも、愛子の周りで集合している皆と合流する。

 

「チェック完了。特に異常なしかな」

 

「ゴーレムの方も問題ありません。いつでも動けます」

 

 少し遅れて合流したハジメと共に今回の作戦を担当している愛子に報告を上げる。全員の報告を聞いた愛子は一度うなずくと恵里達を見渡して号令をかけた。

 

「ではこれからゲートホールを通じてトータス各地へと行商を行います」

 

 遂に産地偽装食品をトータス各地の村や街に販売する日が来たのである。とはいえ流石に一気に全ての集落や街などに向かうとまずいため、今回はフューレンと元領地の端っこにある集落に絞って派遣する流れだ。

 

 こうして集められた馬車とそれを引く馬と御者もそのためであり、また改良した馬型のゴーレムも試験運用として参加させている。準備は万端であった。

 

「皆さん、見た目をごまかすアーティファクトの確認は?……わかりました。では各自持ち場についてください」

 

『了解!』

 

 シアやカムに渡した自分の姿を誤認させるドッグタグ型アーティファクトの親戚が全員の手元に渡っているかを再確認し、それが済むと共に愛子は全員に持ち場につくよう伝える。恵里達もそれに答えると共に自分達が乗る馬車へと向かっていく。

 

「信治君、大丈夫かな。ここ数日寝るのが遅かったし」

 

「ま、大丈夫でしょ。ヘリーナがいるんだし、ちゃんとケアしてるんじゃない?」

 

 馬車へと向かう中、ハジメが口にしたのは今回参加を見送った信治のことだった。彼は今回の行商を行う際の商品の数や集めた馬車のチェック、馬車を徴収した際に発生したお金のやり取りを記載した帳簿の記載などをリリアーナと一緒にやっていたのである。

 

「二人にいいところ見せるんだー、って頑張ってたもんね。休ませてあげよう」

 

 鈴の言う通り彼はリリアーナ、ヘリーナと一緒に夜遅くまで仕事をしていたため、それで気力体力が尽きてしまったようだ。そのため今回の参加は見送りとなり、一緒に王宮でお休みということに。今頃二人に甲斐甲斐しく世話でもしてもらってるんだろうなー、と考えつつも恵里は別の話題を二人に振る。

 

「中野君のことは二人に任せるとしてさ、フューレンってどんなとこなのかな」

 

「うわ、結構強引に話切り替えた」

 

「まぁまぁ鈴。確かに僕らじゃどうしようもならないし、リリアーナさんとヘリーナさんに後は任せよう……うーん、そうだね」

 

 そこで鈴が思わずツッコミを入れ、ハジメも鈴を軽くなだめながら恵里の話に乗っかって考える。

 

「商業都市っていうし、色んなお店がきっと並んでるはず。龍太郎君達から聞いたブルックのことも考えると相当すごいんじゃないかな」

 

「ハジメくんウキウキしてるね。やっぱり気になる?」

 

「うん。アンカジ公国の時もそうだったけど、やっぱり異世界に来たんだからどういうところかは知りたいなー、って思わない?」

 

 大陸一の商業都市であり、欲しいモノがあればこの都市に行けば手に入ると言われているほどの場所だ。そこではどんなものが店に並んでいるんだろうと期待で胸を膨らませるハジメを見て、恵里もつられてニヤニヤしてしまう。

 

「それはそうだけどね。あくまでお仕事で行くんだからあんまり羽目を外さないでよハジメくん。それと恵里も」

 

「「はーい」」

 

 鈴もそんな上機嫌な二人をたしなめるものの、やはり口元が緩んでいる辺りどんな場所なのか気になってしまっているのだろう。そんな三人をながめる礼一らも苦笑していたものの、それを止める気は誰もなかった。

 

「だったらよ、とっとと売り飛ばして観光しねぇ? どうせ商業ギルドに持ってけば終わりだろ」

 

「まぁ確かに近藤君の言う通りだね。個別に店に持って行って商談するより商人を取りまとめてるギルドに話をつけた方が楽だもん」

 

 礼一の提案にハジメと鈴は少し苦笑いを浮かべ、恵里はそれに同意する。他の場所に向かうメンバーは各村の長と話をつけてから露店を開くという形であったが、恵里達の場合は少し別の形となる。商人達が所属するギルドへと持ち込んだ商品を卸し、それを買い取ってもらう形となっているのだ。だからそれが終わったら各自フリーとなるのである。

 

「後はギルドの方でこれだけの商品を買い取れる余裕があるかだね。無理だったら当初の予定通り教会に寄って炊き出しにしよう」

 

「私達の目的はご飯を食べられない人達に食料を届けることだしね」

 

 今回自分達がやるプランの内容を確認する形でハジメと鈴が補足する。今回の目的はあくまで『トータス全土で発生してしまった食料不足の解消』であり、単に商品を売ってお金をもらうということではない。そのため向こうがお金を用意出来なかった場合に備えてこういったプランも考えられていた。

 

「よ、良樹さん! その……」

 

「あ、あぁ。デート、だろ? わかってるって。ちゃんとつきあってやるよ……うん」

 

 恵里達と同行するメンバーのひとりであるシアと良樹も荷物を捌き終えた後のことで軽く盛り上がっている。

 

 今日はシアの休みも兼ねており、ハウリアの女子~ズに色々言われたせいで浮足立ってしまっている彼女に良樹も顔を赤らめながらそう答えるのが精いっぱいだった。お互い人生初のデートということで先輩である恵里達から話を聞いて色々と想像を膨らませていたようだ。

 

「……健太郎、それに辻と吉野も。斎藤達みたいに羽目を外してもいいんだぞ?」

 

「いや、その……」

 

「うん……そうしたい、けど」

 

「ちょっと気が引けちゃうっていうかね……」

 

 そんな彼らとは別にぎくしゃくとした空気を漂わせていたのは重吾達だ。ギルドを通じてフューレン各地の店舗、そしてトータス各地へと渡り歩く行商人へと商品を行き渡らせるのも計画の内だ。

 

 そこで各地に売り歩く商人もいるであろうフューレンの方へ向かうグループは必然的に持ち込む商品も多くなっている。それもあって彼らも恵里達のグループに組み込まれたのである……これが表向きの理由であった。

 

「そんなこと言ったら重吾だって……別に、もういいじゃんか。今はもう勇者じゃないんだから」

 

「そうよ。もう永山君は責任を負わなくっていいんだから」

 

「うん。永山君がそんな顔じゃぁ……ね? 笑おう?」

 

 もう気負う必要は無いと伝える野村であったがその表情はどこか固い。辻と吉野も彼に言葉をかけるものの、重吾からはただうつむくばかり。お互い心の傷はまだ深く残っているせいだ。

 

 また野村、辻、吉野は()()あったことでまだ幾らか心の傷が癒えていたこともあり、相川らと同様に寄る辺を失った重吾とどう接すればいいのかわからなかったこともあった。そのためお互いがお互いを思い合っているというのに接し方がぎこちなくなっていたのである。

 

“重症だね”

 

“うん……もうケンカする理由もないんだし、永山君達には立ち直ってほしいところだけど”

 

 恵里は少し面倒くさそうに、ハジメはため息を吐きたくなるのを我慢しながら“念話”で重吾らのことを話し合っていた。

 

 今回の行商は重吾ら四人が自分達のグループに組み込まれているだけでなく、相川、仁村、玉井も他のグループに参加している。これも愛子が恵里達に頼み込んだのが理由であり、『愛子にとっては』という但し書きがつくが彼らのケアをしてほしいというのが本当の目的だったのだ。

 

“女遊びは逆効果……あ、すいませんごめんなさい”

 

“近藤君……まぁでも、すぐにお仕事を終わらせて何か気晴らしした方がいいよね”

 

 礼一がデリカシーもクソもない考えをうっかり出したものだから恵里、鈴ににらまれて即謝罪。その彼をにらんでいた鈴も礼一の『遊び』という言葉だけを拾い、一緒に何かやれば少しは気が紛れるんじゃないだろうかと“念話”を使える皆に相談する。

 

“確かにちょっと不安ですよね……重吾さん達も()()理由があって良樹さん達を襲った訳ですし、それに仲間から裏切られてますから”

 

 シアも念話石を使って参加しつつ、重吾らを一応気遣う。今でも良樹達を裏切ったことは信じられないし、それがここに転移してくる前からの個人的な恨みから来ているのに関しても呆れていない訳ではない。けれども仲間だと思っていた相手から手ひどい裏切りを受けたことや、良樹達が特に気にしてないことを考慮してあまり強く言うことはなかった。

 

“まぁ畑山先生が土下座する勢いで頼み込んできたんだ。なんかやりゃいいだろ……あ、そうだ”

 

 シアの発言を受けて良樹も一応何か出来ないかと考える。と、そこである妙案が浮かんだ。

 

“なぁ先生、野村の奴らとダブルデートやれよ”

 

「は?」

 

「えっ」

 

「えぇっ!?」

 

 そう。恵里、ハジメ、鈴と野村、辻、吉野の二組でダブルデートをしてしまえと提案したのである。それに思わず恵里らも素で声が出てしまい、軽く肩を落としながら馬車へと向かう四人に視線を向けられてしまう。

 

“な、何言ってるの良樹君!? い、意味がわかんないよ!”

 

“簡単だよ簡単。アイツらデキてるだろ? かといって地球にいた頃からそういう感じって訳でもなかったじゃねぇか。ならここ最近そうなったってことだろうし、先生が中村と谷口と一緒にどうやって普段過ごしてるか見せてやりゃちったぁ気がほぐれるって思ったんだよ”

 

“どういう理由!? いやわかりはしたけどそれをやれって!?”

 

 今思いついたにしては中々の考えだと内心自画自賛しながら理由を説明する良樹にハジメは何度も“念話”でツッコミを入れ続ける。中々にいいハジメのリアクションにケラケラ笑う良樹に便乗し、今度は礼一とシアも口をはさんできた。

 

“あ、いいな。俺も賛成だわ。ハーレムの先輩として格の違いってモン見せてやれよ”

 

“いいじゃないですか! あ、出来ることなら後でどんな感じだったか教えてほしいかなー、って”

 

“いやいや近藤君もシアさんも何言ってるの!? そ、そういうのって向こうの気持ちも考えないと――”

 

「一体何の話だ」

 

 そこで先程から軽く目を細めていた鈴も二人にツッコむ。えー、とちょっと不満げに口をとがらせる礼一と言い返されてあははと苦笑するシアをちゃんと説得しようとしたところ、重吾らが声をかけてきた。

 

「あ、いや、その……えーっと……」

 

「これから訪れるフューレンのことでの相談だよ。ボク達だって少しは緊張してたからね」

 

 言いよどむハジメをかばうべく、先程まで良樹と礼一をにらんでいた恵里がそれっぽい理由をでっちあげて説明する。一応フューレンで仕事を終えた後のことではあったため、嘘ではないことからハジメ達もごまかしやすいだろうととっさに頭を回転させて考え付いたのである。

 

「そう、か……お前らも、緊張はするんだな」

 

「人のことなんだと思ってるワケぇ~? ボクだって普通の人間だってば」

 

 嘘とはいえ普通の人間っぽさを恵里が述べたことでほんの少しだけ重吾はシンパシーを抱き、暗に人間離れしてると言われてちょっとツンとした態度で恵里は言い返す。

 

「いや絶対違うだろ……」

 

「あの、そう言いたくなるのはわかりますけど……でも」

 

「……意味合いによっては僕も怒るけどね。ていうか鈴までどうしてうなずいてるの?」

 

 そんな恵里について野村はしれっと毒を吐き、ハジメとシアだけが軽く苦笑する中、鈴と礼一、そして良樹だけはうんうんとうなずいていた。

 

「だって恵里でしょ? 下手な人より頭も悪知恵も回るんだし、あながち間違いでもないよねって思ったから」

 

「は? こんな性格のいい献身的な美少女のことをよぉくこき下ろせるねぇ鈴もさぁ~? そっちだって大概いい性格してるじゃ――」

 

「はい二人とも。お仕事いくよ」

 

 先程の野村の言にうなずいた理由を鈴が語れば、それに軽くカチンときた恵里がすぐにけんか腰になってずいっと鈴に迫る。そしていつものように口ゲンカが始まりそうになった時、すぐにハジメは二人の間に割って入り、そのまま二人を脇に抱えて馬車へと向かっていく。

 

「ハジメくん! ボクも鈴ももっとちゃんと扱ってよ!」

 

「そうだよ! ケンカしそうになったのは悪いって思うけど、鈴だってこういう風に運ばれるのイヤだよ!」

 

「だったらいきなりケンカしないの。続きをしたいんならせめてお仕事終わってからね」

 

 荷物みたいに運ばれることに鈴と一緒に抗議するも、ハジメは苦笑しながら二人に簡潔に言い返してそのまま馬車の御者台へと登っていく。そんな三人の様子を見た重吾らは足を止めてポカンとしてしまっていた。

 

「すごいな……南雲は」

 

「手馴れてるよねぇ……」

 

「うろたえもしないで上手くあしらってる……これが年の功なのかしら」

 

「十年近く中村と谷口とつき合ってるんだからな……すごいな」

 

「ほぇ~……なんかこう、熟年の夫婦みたいですよね。すごいなぁ……」

 

 そしてハジメの振る舞いを見ていた重吾、野村、辻、吉野、シアはその様に各々感銘を受けていた。好きな人同士に囲まれてもうろたえもせず、かといって道理に反することも機嫌を必要以上に損ねることもなく対処しているのに軽く感銘を受けていた。

 

「そら先生だしな」

 

「おう。俺らのハーレム王だしな」

 

「みんなー、早く馬車に乗ってー!」

 

「おう、今行くぜー先生ぇー」

 

 なお礼一と良樹だけは腕組みをしながらハジメを軽く持ち上げる程度だったりする。そんな彼らにハジメが声をかけると、良樹がそれに返事すると共に彼らは馬車に向けて再度歩き出す――仕事に出る前にほんの少しだけ、彼らの距離は縮んだようであった。

 

「全員乗ったよなー? んじゃこれからフューレンの街までひとっとびすんぞ」

 

 そうして御者台に恵里、ハジメ、鈴の三人が腰かけ、積載スペースに他の皆が乗り込んだのを確認した礼一は自分の宝物庫からゲートキーを取り出して使う。すぐに空間に突き刺してフューレンから数百メートル離れた場所へのゲートを開くと、すぐ転移先に誰もいないことを確認してからハジメに早く行くよう彼は促す。

 

「んじゃハジメぇー、早くしてくれー。穴がデカい分魔力使うからよー」

 

「はいはい。じゃあハジメくん、行こっか」

 

「うん。安全運転お願い」

 

「わかった。じゃあ“今からあのゲートに向かって前進。僕がいいと言うまで歩き続けて”」

 

 両脇にいる恵里と鈴にも声をかけられ、すぐにハジメはこの幌馬車を引く馬型ゴーレムに指示を出す。ゴーレムはいななくフリをしながらゆっくりと前に足を出し、力強い足取りでそのまま前方のゲートに向かって進んでいく。

 

「これが、南雲の……」

 

「本当にドラえも〇のどこでも〇アみたいね……」

 

 後ろから聞こえる重吾と辻の声に恵里は上機嫌になり、既に絡めていた彼の右腕にもう少し力を入れて抱きしめる。重吾らにはハジメの作ったアーティファクトのことを直接言った訳ではないが多分ウワサぐらいは聞いているんだろうと思いつつ、ボクの自慢の彼氏はすごいんだぞと心の中でアピールする。

 

「お疲れ、礼一君」

 

「おう。んじゃ、俺は後ろで大人しくしてるわー。目的地着いたら声かけてくれー」

 

 ゲートをくぐり抜けた馬車が街道のひとつへと出るのを確認した礼一は、ハジメに声をかけてすぐ積載スペースの中へと乗り込んでいく。どうせ大人しくしてないで適当に騒いでるんだろうなーと思った恵里であったが、それよりもハジメと鈴と一緒にフューレンまでの馬車の旅を楽しむことに意識を持っていった。

 

「いい天気だね」

 

「うん。本当にいい天気」

 

「温かいし、風も穏やかでいいね」

 

「そうだね。こうして馬車に揺られるのも気持ちいいよね」

 

 ゴーレムが道を歩く音、車輪が回る音をBGMにひどく穏やかな時間が流れていく。前世のことを数に数えればこうして馬車で移動した経験はそれなりにある。けれどもこんな風に心が満たされて、目的があるとはいえそこまで急ぐ必要のない状況に身を置いたのは恵里にとってはこれが初めてだった。

 

(……幸せ。こんな素敵な時間、地球にいた時以来かも)

 

 天候。好きな人の腕から感じる体温。何らかの目的に追い立てられることもなくただ過ごすだけでいい時間。そのいずれもが心地よくてついまどろんでしまいそうになってしまう。けれどもこんな貴重な時間を逃したくないと恵里は鈴と一緒に話を続ける。

 

「そういえばハジメくん。この馬車を引いてるのってゴーレムなんだし、そこまで真剣に手綱を握らなくてもいいんじゃない?」

 

「気分だよ気分。こうして馬を引く機会なんてなかったからさ……もし地球に戻ったらさ、お金をためて馬に乗りに行くのもいいかもね」

 

「そうだね。乗馬は確かにやったことなかったし、また皆で一緒に遠出しようよ」

 

「ただ乗馬するのもいいけどさ、どうせだしそういうサービスやってる牧場とか行くのもよさそうだよね」

 

「うん。名案だね恵里。えーと、そういうのってやっぱり北海道とか――」

 

 時にはハジメと、時には鈴と、とりとめのないことを話しては一喜一憂し、なんということもない時間が過ぎる。ただそれが無性に嬉しくてつい続けてしまう。無論オルクス大迷宮を攻略していた時の癖で“気配探知”で自分達の周囲に魔物が来ないかどうか探りつつではあったが、それを含めても特に何も起きる気配がないことからそんな優しい時間に恵里達は身を委ねていた。

 

「盛り上がってんなぁ先生達もよ」

 

「そうですね。ハジメさん達とっても楽しそうです」

 

 そうして恵里達が楽し気に談笑する中、良樹達もまた話に花を咲かせていた。

 

「なんていうか、その、よく大ゲンカしないよな南雲の奴ら。あれだけ気が強いってんならちょくちょくそういうことがあってもおかしくないと思うんだけど」

 

「あ? 何言ってんだ。割としょっちゅうあるぞ。オルクス大迷宮の一番奥で起きたフリージア……ってこれじゃわからねぇか。メイドのゴーレムの扱いで下手したらヤバかったかもしれないケンカだってやってたし、それレベルじゃないにしてもしょっちゅうケンカなんてやってるぜ」

 

 野村のつぶやきに礼一がすぐに反応を返せば、重吾らはそれに驚くだけであった。確かに地球にいた頃からちょっとしたケンカをあの三人がしていたというのはわかっていたが、仲間内でそう評価するぐらいの大事があったことに意外さを感じたからだ。

 

「……私達はどう、なのかな」

 

「うん……そんなけんかしても、元通りになれるのかな」

 

「綾子、真央……」

 

 そんな時ふと辻と吉野が心配そうに声を漏らすと、その間にいた野村が彼女らの両肩を抱いて軽く自分の方へと抱き寄せる。その様を見たシアは『ふぉぉ……』と感嘆し、礼一もやるじゃんとばかりにニタニタ笑っていたが、良樹だけはその様を見てどこか危うさを感じていた。

 

(なんつーか、アレーティアが大介におっかかってる感じっぽいな)

 

 そう思ったのはアレーティアという少女の危うさを何度となくよく見ていたということもあったのだろう。だがシアという気になる相手が出来てからなのか、良樹は他人の一挙手一投足が前より少しだけ気になるようにもなっていた。年頃の子供特有のナイーブさなのだろうが、そのせいか彼らがどこかお互いに依存しあっているように見えたのである。

 

「ま、そこらも含めて先生……じゃそっちはわかりづれぇか。ハジメの奴を参考にしろよ。多分それでどうにかなるだろ」

 

「ですね! ちゃんと思いをぶつけ合えばきっと大丈夫だと思います!」

 

 一応は味方になったのだからと良樹が少し気を利かせて野村らにちょっとした助言をすると、シアもそれに乗っかってきた。

 

「野村さん達だってお互い好きになることがあったんですよね? だったらそれを忘れなければきっと問題ありません!」

 

 野村達に何があったかは恵里達と同様にシアも知らない。けれどもきっと辻と吉野がお互いに嫉妬することもなく、ただ真ん中にいる少年のことを思っているとなれば相応のことがあったのだろうと考えた。だからこそきっかけさえ忘れなければ大丈夫だとシアは励ましたのである。

 

「あー、その……」

 

「そう、ね……」

 

「うん。そうだね……」

 

「えっ、えっ? え、えっと、も、もしかして三人ともそういう関係に……!?」

 

 そこで頬を赤く染めて気まずそうに顔を背ける三人を見てシアは頭の中でいらんことを次々と浮かばせ、()()()()シーンを妄想して同じくらい顔を真っ赤にする。そんな残念ウサギを見た良樹と礼一は『ヤベぇ。珍獣が増えた』と心の中で嘆いた。

 

(……良かったな、健太郎)

 

 そうして馬車の中で盛り上がりを見せる中、重吾はひとり寂しげに野村らを見つめていた。

 

(いっそのこと羽目を外して自棄(やけ)になれば楽になれるのかもしれない。でも……)

 

 彼の頭に浮かぶのは酒を飲んで泥酔した時のことや礼一らが夜遊びをやっているというウワサ。自分もそういういけないことに手を出して、何も考えないまま遊び(ほう)けてしまえば楽になれるのかもと思ってしまった。けれどもそれをしたくても彼は出来なかった。

 

(それを見た健太郎達はどう思うだろうな……それに、一夜の関係であっても信用できるのか)

 

 成り行きとはいえ野村らのリーダーを務めてやってしまえた程度にはあった責任感が、そして誰かを信じて裏切られた経験が彼を縛ってしまった。自分を慕ってくれる相手の期待を裏切るかもしれないという怖さが彼に二の足を踏ませてしまっていたのだ。

 

(俺は、どうすれば……)

 

 ただ一人考えの底なし沼にはまっていた重吾であったが、それも馬車が動きを止めたことでバカ騒ぎ一歩手前だったシア達と共に現実に引き戻される。一体何事かと声をかけようとするとハジメの方から理由を述べてくれた。

 

「ここから先、二百メートルぐらいのところに魔物の群れが見えた。一旦迎撃するからちょっと待っててほしい」

 

「数はどんぐらいだ?」

 

「うーんと……ざっと三十ぐらいかな」

 

 その言葉に重吾らに緊張が走る。いくらオルクス大迷宮の深層にいたような強い魔物でなくとも数が数だ。ここにいるメンバー全員が天之河のように“神威”が使える訳でもないし、南雲が持っているであろう銃だって弾に限りがある。

 

「南雲、お前は魔物達が迫ってきたら流砂を作って足止めしてくれ。そこを俺が叩く」

 

「その後私が重吾君、シアさん、それと近藤君を付与魔法で支援するよ」

 

「私と谷口で回復をしながら彼らを結界魔法で援護しましょう。やってくれる?」

 

「あと斎藤も風魔法で援護を頼む……数は多いが役割分担すれば倒せない数ではないはずだ……力を、貸してくれ」

 

 あの流砂を作る魔法があるとしても苦戦は免れられないだろうと考え、すぐに野村は具体的なプランを口にする。すると吉野、辻も自分達がどういった立ち位置で動くかを話し、重吾も頭を下げて協力を願い出る。数の不利があったとしてもやれるはずだと勝算を持ってハジメ達に頼み込んだ。

 

「え? 必要ないけど? この程度鈴とハジメくんだけでもどうとでもなるし」

 

「「「「え?」」」」

 

 ……が、それも恵里の容赦のない一言でバッサリと切り捨てられた。その一言に重吾らが目を点にし、ハジメと鈴は『なんて事を……』と頭を抱えてしまっていた。

 

「いや恵里……せっかく永山君達が協力をお願いしてきたんだから聞いてあげようよ……」

 

「そうだよ……別に僕達だけでやろうとしなくったっていい話でしょ」

 

「えー。そこまでやんなくったって鈴の“聖壁・桜花”か“聖壁・散”であらかた倒せるし、鈴じゃなくてもボクが“震天”使った後にハジメくんのオルカンかメツェライがあれば余裕で倒せるでしょ。周りに誰もいないみたいだしさ」

 

 どうにか説得しようとする二人に対し、恵里も別に協力しなくても余裕で倒せると具体例を挙げながら反論してくる。それを聞いた重吾らはちんぷんかんぷんだったものの、言ったことの意味がわかるシア、礼一、良樹はそれぞれ反応を返してきた。

 

「いや、あのー、恵里さん……? ここは一緒に戦って、仲を深めるところだと思うんですけど?」

 

「まぁそっちの方が楽だよな。わかる。中村の言った方法じゃ二分そこらあれば確実に終わるだろうしな。まぁうん」

 

「いやお前、自称魔王から頼まれたじゃねーか。永山達のケアしてくれって。言うか普通?」

 

 礼一だけは一応理解を示したもののあくまでそれぐらいで、シアと良樹にはそれはどうなのかと詰め寄られてしまい、恵里も思わず『えー』と返すばかり。

 

「いやそうだけどさぁ……とっとと戦闘も仕事も終わらせて、それで自由時間に色々やった方がいいと思ったんだけど。じゃあ、やる?」

 

「いや言いたいことはわかるんだけどさ……やろうよ恵里。別に今やっちゃダメな訳じゃないんだから」

 

 流石にほぼ全員からツッコミを入れられては恵里としても引っ込むしかなく、野村が提案した通りの戦い方でやるのかと尋ね返せばまたしてもハジメからツッコミを返されてしまう。ならもう仕方ないかと思い直し、一緒に戦うことを選んだのだった。

 

「はーい……じゃあ早く持ち場に着いて。こっちも魔法で色々と支援するから」

 

「あ、あぁ……」

 

「あ、うん……」

 

 そうして前方百メートルを切った辺りでようやく恵里達は戦闘の準備に取りかかる。重吾達にも渡した宝物庫から各自武器を取り出し、いつ来てもいいように即座に構えて迎撃することに。

 

「“聖壁” はい。動けないように閉じこめといたよ」

 

「えっ」

 

「ありがとう鈴。んじゃ“呆散” 後は余裕でしょ」

 

「うん。ありがとう鈴、恵里。じゃあ“崩陸”……よし。野村君、土属性の魔法で地面固めてくれるかな」

 

「あ、その、はい……」

 

「よっし。んじゃ良樹と吉野、あと野村もやれるんなら援護頼むぜー」

 

「あ、うん……」

 

「あいよ。ま、シアのためにも残しておけよー」

 

「はい、了解ですぅ!」

 

 ……なお、結果はイジメもかくやのものであった。

 

 鈴が“聖壁”によって魔物達の周囲を覆い、恵里の“呆散”で意識を軽くあやふやにしてマトモに動けなくしてからハジメが“崩陸”によって地面を流砂にして上にいた魔物全てを沈めた。

 

 その後野村が地面を固めてマトモに動けなくなったところを礼一、シアが接近戦でていねいに潰していき、やや気おくれする形で重吾も動く。良樹も遠く離れた場所で埋まっている魔物に向かって魔法で対処し、吉野も多分いらないだろうなーと思いながらも付与魔法を発動して一応のフォローをした結果、カップ麵が出来上がるよりも前に魔物の討伐は終わってしまう。なお辻は一切活躍することが無かった。

 

「お疲れさま、皆」

 

「まー大したことなかったよなぁ。ヌルいヌルい」

 

「やっぱり余裕だったね。ハジメくんがドンナーとシュラークを抜く必要すら無かったし」

 

「あそこまでやれたらこれぐらいいけるよ。お疲れ様、永山……あれ?」

 

 そうして恵里達はお互いの健闘をたたえ合っていたのだが、ふと全然声を上げていない重吾らの方を向けばお通夜みたいな空気になってしまっていた。

 

「……俺達、弱いな」

 

「天之河だけじゃなくて全員か……詠唱しないで、魔法使えるもんな。オルクス大迷宮突破してんだもんな」

 

「私達が強くなった意味ってあったのかな……私、何もしないで終わったんだけど」

 

「なんか、むなしいよね……確かにあそこまで苦しい目には遭わなかったけど、私達の苦労ってなんだったのかなぁ」

 

 既にステータスプレートを見てとんでもない奴らであることは理解していたし、見せたものはほんのひと握り程度でしかなかった。とはいえ自分達と隔絶した力を持っていることを理解させられたせいで、自分達の努力はなんだったのかと思い返す程度には重吾らは気落ちしていた。

 

「やっちゃい、ましたね……」

 

 シアの言葉が重く響く。恵里らと何度となく手合わせをしているが故に、強くなってもあまり自信がついていないシアだからこそ彼らの嘆きが手に取るようにわかった。これは自分が毎回皆さん相手に味わってる気持ちと同じだ、と。

 

 何度となく叩きのめされるのが普通であったがためにほんの片鱗とはいえ実力の差を見せつけられた時の気持ちに気付くのが遅れてしまったと自分のやらかしを噛みしめていた。

 

「……とりあえず、“鎮魂”かけとく?」

 

 そんな彼らを見て提案してきた恵里にハジメ達は重々しくうなずく。やめときゃよかったと後悔するも後の祭りであった……。




恵里・ハジメ・鈴・良樹・礼一「ボク/僕/鈴/俺達、またなんかやっちゃいました?」

シア「やっちゃいましたよ……」

重吾・野村・辻・吉野「やったよ馬鹿(涙目)」


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七十話 悪意がはびこる街_フューレン来訪異譚

つきひがすぎるのはとってもはやいですね(しろめ)
……いやマジでどうなってるの? もう前話投稿してから3週間近く経過してるんですけど。いやー申し訳なんだ。

では改めまして、読者の皆様がたへの感謝の言葉を。
おかげさまでUAも171609、しおりも404件、お気に入り件数も854件、感想数も616件(2023/6/24 6:22現在)となりました。誠にありがとうございます。いやもう見捨てずに見に来てくださる皆様に感謝の念が尽きません……。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠にありがとうございます。自分がこうしてこの作品を書き続けられているのもあなたの助力もあってのことです。感謝いたします。

では今回の話を読むにあたっての注意事項として『全体的に』少し長め(約12000字程度)となっております。ではそれに注意して本編をどうぞ。


「あ、見えた。見えたよ。多分あそこがフューレンだと思う」

 

 魔物と出くわし、対処してからずっと空気が死んだまま馬車の旅を続けていた一行だったが、ふと巨大な外壁とそれに並ぶいくつもの行列をハジメが見つけたことでほんの少しだけ活気が戻った。

 

「おっきいねー。何メートルぐらいあるのかな」

 

「下手な高層ビルより高いね……結構丈夫そうなつくりに見えるし、流石ファンタジー世界だよね」

 

「うん。こういうのもこういうので剣と魔法のファンタジーな世界に来た、って感じだよね」

 

 まず食いついたのは彼の両隣にいる鈴と恵里であった。高さ二十メートル、長さ二百キロメートルにもなるその外壁の威容にハジメと一緒に二人は感心していた。

 

「ホントデケェな……」

 

「王国もそうだったけどよ、デカいにも程があんだろ……」

 

「ほぇ~……おっきいですねぇ。私達の住んでた集落の辺りで見かけた木よりもはるかにおっきいですぅ」

 

 続いて出入口から身を乗り出した良樹、礼一、シアの三人もその大きさに圧倒され、ただため息を漏らすばかり。やれ『あの行列はどんな人が並んでるんだろうか』だの、『街並みはどんな風になってるのか』だのと恵里達は仲睦まじく話を始めていた。

 

「気を、遣わないでくれ……」

 

 ――そう。先程から陰鬱な空気を放つ重吾達を巻き込むように。

 

「えーっと、辻さん、吉野さん……」

 

「気にならない訳じゃない、けど」

 

「そんな気になれないよ……」

 

 そんな恵里達の気遣いも残念ながら空回りしていた。寄る辺を失い、ショックを受けたことがあったとはいえ努力して身に着けた戦う力も隔絶したものがあると知り、自信を喪失してしまった彼らには恵里達の存在はあまりにまばゆかった。自分達の弱さを突きつけるかのようでとにかく距離を置きたがっていたのだ。

 

「えっと、その……永山君も野村君も……」

 

「別に、いいよ。俺達のことなんか……ほっといてくれ」

 

 理由はそれだけではない。地球にいた頃から敵視して、トータスに来てからはそれを強めて殺そうとまでしたのだ。しかも圧倒的な力を以て負けてしまったことも彼らの心に影を落としている。地球で培った常識や良心が強く自分達を苛むのだ。こんな真似をしておいて、どの面下げて仲良くすればいいのかと。

 

 あらゆる面で劣等感を抱いてしまった少年達にとって、恵里達の気遣いは臓腑をえぐるようなものでしかなかったのだ。

 

“あーもうどうするんですか皆さん。やっぱり永山さん達、お葬式の空気のままですよぉ……”

 

“そんなこと言われたって困るっつの。事故の類じゃねぇか、ったく……どうすりゃいいんだよ”

 

 あまりにいたたまれなくなったシアが“念話”を恵里達に繋いだのだが、良樹の答えに彼女達はただうなずくばかりであった。

 

“それはそうですけどぉ……良樹さん、皆さん助けてくださぁ~い! こんな空気イヤなんでずよぉ~!!”

 

“ったく、やれたらボクだってやってるってば! 流石にこんな状況どうしろっていうんだよ!”

 

 半泣きで助けを求めてくるシアに恵里は頭を押さえながらそう返すばかり。さっきハジメが話を振って、こうして仲のいいメンバーで話題を膨らませるのでもどうにもならなかった以上、ハジメ達であっても打開策が浮かばなかったのである。

 

 あぅぅ……としょげる彼女も含めてどうしたものかと頭を抱える間にも馬車は行列へと近づいていく。並んでいる人間も後ろから感じる何とも言えない空気に振り向いてきたため、恵里、ハジメ、鈴も苦笑いを浮かべるしかない。

 

「お、お気になさらず~……」

 

「あ、すいません……」

 

「えっと、その……フフッ」

 

 結局重吾達を元気づける方法は思いつかないまま、フューレンの東にある入場受付のひとつに一行はたどり着く。受付を担当している人間もその横で警護している門番にも怪訝な視線を向けられつつも、恵里はすぐに余所行きの仮面をかぶって彼らに応対していく。

 

「あ、ごめんなさい。実はここに来る前にちょっとしたトラブルがありまして」

 

「という割にはいささか空気が違うようですが……」

 

「えぇ。恥ずかしい話なんですけど、その……私達アンカジからここに行商に来たのですけど、フューレンが見えた辺りで弟弟子(でし)の皆にちょっとキツめに叱ってしまいまして。皆真面目ですからそれで気落ちしちゃったんです」

 

 いつものように真実を混ぜた嘘をシレッと並べ立て、すぐにハジメと鈴に目配せをすれば二人も頭をかいたり苦笑を浮かべたままでいるなどしてそれを補強してくれた。それを見て受付の人間も一応の納得は見せつつもあることを尋ねてくる。

 

「……なるほど。身内同士でのトラブルですか」

 

「はい。巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 そう言いながら恵里は頭を下げ、受付もその旨を聞いて軽くため息を吐く……幸い今のところは嘘は露見していない様子であった。

 

 自分達の馬車が行列に近づく際にすぐに御者台にいる恵里達は姿をごまかすアーティファクトを起動し、良樹達も重吾らに声をかけながら発動させていたため、自分達は“アンカジ公国から来たであろう人間”だと思われているはずである。

 

「ではどういったものを扱うかを確認したいので荷物を改めさせていただけますか」

 

「はい。どうぞこちらへ」

 

 こちらへとやって来た数人の兵士を通し、積んである木箱を開けて中身をチェックしてもらう。当然中にあるのはアンカジ原産の食物しかないし、愛子の技能によってすくすくと育ったそれが産地偽装したものだとは気づかないはず。そう見込んで検品を受け続けていたが、ふと兵士の一人がある疑問を口にした。

 

「妙に緊張されているようですが……何か、やましいことでも?」

 

「あ、実はですね。そちらにいる弟弟子は今回フューレンに来るのが初めてなんです。なのでちょっと緊張しているんでしょう。あまり責めないであげていただけますか?」

 

 そう。自分達が扱おうとしているものが産地偽装した食品であることで感じていた後ろめたさに気付いたのだ。だがそれもすぐに恵里が機転を利かせて嘘の答えを述べていく。重吾らの話を聞いた限りではフューレンに訪れたことはない様子だし、この食品を売ることに緊張しているのは違いないはず。

 

「なるほど、それは失礼……確かにアンカジ産の野菜や果物であることは違いないようですね」

 

「そういえばあまり傷んでいない様子ですけれど、どなたかが水魔法などで冷やしたりとか?」

 

「あ、はい。す……私がやってました」

 

「なるほど……()()()()がおられるようで」

 

 新たについた嘘も特に問題なく通じ、痛み具合に軽く疑問を抱いた兵士に鈴がとっさの嘘を吐けばそれに納得して引っ込んでくれた。だがその様子に皆かすかな違和感を感じ取った。シアは首をかしげ、重吾達も悪意を向けられたのではないかと少し怯え、恵里達も警戒感を表に出さないようにしながら相手の動向をうかがう。

 

「私達どもはあなた方を初めて見ましたが、()も目利きもなかなかのご様子で」

 

「……えぇ。こう見えても自信があるんですよ」

 

「なるほど。でしたら私どもの方で少し話をさせていただけないでしょうか」

 

「話、ですか」

 

 ……物腰こそ穏やかなれど、ニタリとした笑みからねばついた悪意が感じられる。それに気づいたハジメらは思わず顔がこわばりそうになるが、恵里がいち早く反応したおかげで彼等には気取られずに済んだのは幸いであった。

 

「えぇ。……神の使徒様が現れて話をした後、騒動に巻き込まれたりしませんでしたか?」

 

“皆、動かないで。コイツはボクが相手する”

 

 それを聞いてなるほどと恵里は向こうの言いたいことを大まかにだが察した。目の前の男から前世? で母が連れて来たあのろくでなしに近しい匂いが感じられたのだ。恵里は“念話”で自分に対応を任せるよう伝え、向けられた心配そうな視線を無視しながら相手の出方をうかがうべくある嘘を吐く。

 

「……誰にも言わないでくださいね? 私達、使徒様が現れた時にその場にいなかったんですよ。ちょうどその頃次の宿場町に向かっている途中でしたから。なので……」

 

「そうでしたか……これは失礼」

 

「いえ。お気になさらないでください」

 

 そう言葉を並べ立てれば向こうも気の毒そうに返してきた。とりあえず直接その場にはいなかったという印象を与えることは出来たため、自分の懸念が当たっているかどうかを頭の片隅で考えつつ恵里は向こうが仕掛けてくるのを待つ。

 

「しかしこうして積み荷が無事となると……よほど良い場所に恵まれたということでしょうか」

 

「たまたまですよ。本当に。後は護衛の人間もいましたしね」

 

 兵士のリアクションで恵里は確信を得たが、念のためもう少し泳がせようと適当に話を合わせる。首をかしげていたシアも、何をしてくるかは完全にわからないまでも自分達に悪意を以て何かをしようというのだけは理解して良樹の服のすそを掴んだ。

 

「なるほど。ですが、今のフューレンは()()治安が悪いんですよ。よろしければ私達が護衛につきましょう……つきましては“心づけ”をいただければありがたいのですが」

 

 そして兵士が一層強くねばつく笑みを浮かべたことで全員が確信した――少なくともコイツは悪人と繋がっているということを。

 

(やっぱり。大方ここにいる裏組織のどれかと繋がってるな)

 

 以前ライセン大峡谷を登っていく際にメルドから聞いた話が恵里の頭の中でよみがえった。ここフューレンには三つの裏組織、地球でいうところの暴力団のようなものがあるという話だ。ならば目の前のコイツもそれらのどれかと繋がっている、もしくは下っ端なのだろうと察した。

 

 あの時は下着やら服やら調味料やら主食のためやらと色々なことのための資金源として狙っていたし話題になったが、今こうしてこんな形で関わってくるとは思わなかった。厄介な奴らに目をつけられたと思いながらも恵里はすぐに懐に手を突っ込む。

 

「それ、は――」

 

「な、どうして――」

 

「心づけですね。えっと……」

 

 そしていち早く反応しそうになった重吾らやシアをすぐにハジメ達は手で制し、恵里もお仕事終わりのデートのためのお小遣いが減るのに内心ゲンナリしながらも取り出した財布の中身を探る。不要なトラブル回避のためにもここは大人しく従った――フリをして、どこかで洗脳でもした方がいいと考えたからだ。

 

「とりあえず私が持ってるのはこれぐらいでして……後は皆からお金を集めますので、少々お待ちになって――」

 

「いえいえまだあるではないですか――このフューレンで買って帰る商品の代金が」

 

 悪意をもうわずかたりとも隠さなくなった相手に、恵里は内心ため息を吐きながらもどう対応するべきかと考える。ここで仮に向こうに金を渡さなければ時間稼ぎをされて背後にいる組織と連絡を取られるだろう。

 

(……まったく。有り金出さなきゃかなりの数に囲まれるだろうし、やったらボクらの正体がバレる。仮に洗脳したところで相手が不審な気配に気づいたら何を仕掛けてくるかわかんないな)

 

 無論そこらのごろつきなどオマケで来た重吾達であっても余裕で倒せる。だがそんなことをしようものなら後が絶対に面倒になる。自分達が何者かを喧伝するようなものだからだ。そこでふと洗脳に踏み切った後でも起きるであろうアクシデントに恵里は頭を抱える。

 

(……いや、仮に金を全額渡して後で回収してもいいけど、それで戻したら戻したで面倒くさそう。ていうか現時点でクズどもに目をつけられてんだし、何やったところで向こうが最高のタイミングで襲い掛かってきそう……八方ふさがりだなぁ)

 

 この後起こるであろうことも幾らでも思い浮かんだし、仮に有り金全部払ったところでこの積み荷を売り捌いた後で襲撃のひとつでも仕掛けてくるだろうことは容易に想像がついた。そうでなければこんな真っ昼間から堂々とカツアゲなんてしないはずだからだ。

 

“永山君、野村君達も抑えて。ここで暴れるのはマズいよ!”

 

“わかってる……わかってるけど、あぁっ! トータスの奴らはどいつもこいつも!!”

 

“こんな世界、守る価値なんてあるのか……”

 

“もう最悪……どうしてこんな人達なんて守ろうと思ったんだろ”

 

“うん……もう逃げたい。誰にも迷惑かけないところで過ごしたいよ”

 

“落ち着いて。辻さんも吉野さんも落ち着いてよ!”

 

 重吾達も“念話”で不満を爆発させており、ハジメや鈴らがなだめているがどこまで効果があるかは不明だ。“念話”でそれを爆発させている分まだ分別がついていると恵里は考えたが、状況が悪いことには結局変わりない。

 

“どうすんだ先生。それに皆も。俺としては全員ブチのめしてやっぱ無理でしたー、って畑山先生に言っとけば大丈夫だと思うんだけどよ”

 

“このままだと入ることも無理そうですもんね……礼一さんの言った通りでも悪くないと思いますよ”

 

“デートがパーになるけどな。正直、大人しくしてられる自信ってのがねぇし、洗脳でも何でもしてとっとと済ませちまおうぜ”

 

 礼一は既に臨戦態勢になっており、シアも消極的ながらも彼の意見に賛成している。良樹もまたそれを止める気配が無い。こうなったらいっそ()()叩き潰して帰ってしまおうかと考えていると、ふと前方でざわつく声が彼女達の耳に届いた。

 

「今は受付の最中です。フューレンを出る申請は向こうでやってください」

 

「いえいえ。こちらとしてもそうはいきません。大事なお客様をお迎えに上がったのですから」

 

「私達は()()()手続きに従って作業を行っています。まだそれが終わっていませんのでお引き取りを」

 

 前の方に視線を向ければ、冒険者らしき装いの人間を何人も連れた身なりの良い男が門番と言い争っているようだった。『お客様』という単語を聞き、まさかと思っているとあちらと目が合った。そこでニコリと微笑む男を見て恵里達はすぐに理解する。あの人間は少なくともこの場においては間違いなく味方であると。

 

“恵里、行ってくる”

 

“うん。任せて”

 

 “念話”で全員に断りを入れると、ハジメはすぐに“気配遮断”を使って御者台から例の男の方へと向かっていった。やっぱり頼りになる彼に鈴と一緒に改めてときめくと、恵里は鈴と協力して時間稼ぎにかかった。

 

「それで? どうされるのですか? いくら心強い護衛の方がいても何が起きるかわかりませんよ? 判断は早い方がいいかと」

 

「そうですよねー。それは私も心配してるんです。けれど大切なお金ですし……」

 

 向こうの騒ぎはこちらの兵士達にも伝わっており、言い方こそまだ丁寧ではあったものの露骨に催促している様子からあちらとしても都合が悪いのだと確信した。ならば少しでも結論を先延ばしにしようと恵里は隣の鈴にも声をかける。

 

「どうしよう? このお金は大旦那様から預かったものだよね。そんなお金に手を付けたら……」

 

「うん。私達も色々と言い訳が立たないですし、そればかりはどうか……」

 

「本当にいいんですか? この街に精通している私たちが守ると言ってるんですよ? 万が一のことがあったらどうするんです?」

 

 やはり焦っている様子だった。どうにかしてこちらから金をむしろうと話を持ちかけてきている。とっとと話を切り上げていれば良かったのに、と欲をかいた間抜けに心の中で舌を出しつつ恵里は迷うフリを続けた。

 

「私達の手持ちからいくらかでは駄目でしょうか? やはり宿代のことも考えると……」

 

「あぁ、それは心配しないでいいから。こちらの方で()()面倒見るから」

 

 そうして別の形で支払いを渋ってみると、今度はこちらをなめ回すように上から下へと視線を動かしてきた。虫が全身を這い回るような嫌悪感に思わず手が出かかったが、自分の左手を掴んできた鈴のおかげで恵里は思い留まることが出来た。

 

(……よくも鈴をこんな目に遭わせたな)

 

 ほんの一瞬、殺意が漏れそうになったがここで下手を打ったら何もかもが御破算になる。震える鈴の手を取り、そっと手を添えながら恵里は再度時間稼ぎに奔走する。

 

「流石にそこまでお世話になる訳には……」

 

「いやだから素直に従っておけって。ったく、商人のクセに物分かりってもんが悪いな」

 

「へぇ。誰の何が悪いんですか?」

 

 そうやってのらくらとやり過ごしていると、例の男達を連れてハジメが戻ってきた。他の兵士は憎々しげにこちらを見つめており、おそらくもう手出し出来なくなったのだろうと恵里は察する。

 

「あ?……悪いけどな、今は俺と話して――」

 

「商業ギルド、それと冒険者ギルドを敵に回す気ですか?」

 

 身なりの良い男が兵士にそう告げると、脇に控えていた冒険者達はそれぞれの得物に手を置いた。その剣呑な目つきから発せられる圧は紛れもなく敵意であり、必要とあらばそれを抜くこともためらわないといった具合だ。その様からは歴戦の戦士の風体を感じさせられており、彼らからの視線に思わずその兵士はたじろいでしまった。

 

「嫌ですねぇ。私はあくまでこのフューレンを守る兵士ですよ? 有事に真っ先にかけつける人間にどうしてそんな目を――」

 

「へぇ。そんな“目”ですか」

 

 だが兵士の方もたじろぎはしたものの、それでもどこか強気な様子でそう言い返す。今度はハジメがその兵士にスッと近づき、彼の耳元でささやく。

 

「――あの二人に何をした?」

 

 ハジメの一挙手一投足に常に意識を向けている恵里とちょくちょく意識を向けている鈴だけが彼が何をささやいたかを理解した。彼は自分達のために怒ってくれているのだ。見れば兵士はいきなり大量の脂汗をかいており、何歩か後ずさりながらハジメの方を見ていた。

 

「ぅ……ぁ、ぁぁ……」

 

「あの二人は僕の大切な人なんです――目に余るような行為は、慎んでいただけますか?」

 

「「ハジメくん……」」

 

 彼の表情は笑顔でこそあったものの、間違いなく本気で怒っていた。きっと自分達を見て何があったのかを察し、そして元凶である兵士に声をかけたのだろう。自分達をそこまで大切に思ってくれている、自分達を守ろうとしてくれるハジメに恵里も鈴も心がキュンキュンとしてしまっていた。

 

「――やはり、敵対は避けるべきですな」

 

「えぇ、あれは……」

 

「流石は支部長が認めた人間か……」

 

 だからこそ自分達に助け舟を出してくれた彼らのつぶやきには気づけなかった。既に自分達の正体が何なのか、うっすらと感づいていた様子の二人と既に知っていた身なりの良い男に。

 

「さて。話はついたようですし、彼らを通して下さっても構いませんね?」

 

「……了解、しました」

 

 話は終わったとばかりに身なりの良い男が他の兵士にそう伝えると、すぐに兵士達は道を開けて馬車が通れるように取り計らう。やはり既に他の兵士の()()は終えていたようで、これ以上何か妨害をすることもなく恵里達は助け舟を出してくれた三人と一緒にフューレンの門をくぐっていく。

 

“なぁ。さっきあの三下の奴が吐き捨ててたよな”

 

“これで終わったと思うなよ、ですよね? 私のウサ耳もウサッと反応しました”

 

 なおその際耳ざとい良樹とシアが兵士の一人のつぶやきを耳にしていたらしい。そのことをこっそり恵里達に“念話”で伝えてくると、やっぱりかと誰もがため息を吐く。

 

“アイツらのバックに裏組織がいるからだろうね。ただの使いっ走りのクセにさ”

 

“……今回の一件で裏組織を潰す理由が出来たよ。絶対に一人も逃がすもんか”

 

“……ありがとう、ハジメくん”

 

 心底面倒とばかりに恵里がつぶやけば、ハジメは心底はらわたが煮えくり返った様子で悪党どもの撲滅を誓う。そんな様子のハジメに鈴は軽く怯えこそしたものの、再度御者台に戻った彼の手を握ってそう伝えれば彼もまたすぐに落ち着きを取り戻した。

 

「……ごめん、鈴。僕、また……」

 

「いいよ。鈴は大丈夫だから」

 

 その直後すさまじい自己嫌悪に苛まれるハジメに鈴は微笑みを返す。それだけで救われた気がしてハジメはそのまま鈴を抱きしめ、彼女もまた抱きしめ返した。そしてそんな幸せそうな二人を横で見ていた恵里はほっぺを膨らませていかにも『怒ってます』といった様子で二人を見つめていた。

 

「……むー。鈴ばっかズルい」

 

 ハジメが自己嫌悪したのも鈴がそれを許したのも、香織から聞かされた話――自分がトータスに来て早々エヒトに連れ去られていなくなった時のことだということは想像がついた。が、自分はともかくハジメと鈴だけの秘密があるというのはいただけなかったようで、『ごめんね』と謝ったハジメの胸をポカポカと叩いていた。

 

「いやハジメ、マジでおっかなかったな……そこまでキレるなって」

 

 その一方、荷物スペースにいた礼一はハジメが唐突にキレたことに苦笑を浮かべていた。どうしてそうなったかということは外から聞こえて来た声やハジメがキレた時のパターンから何となく推測は出来た。けれどもそこまでやるもんだろうかと口を滑らせたのだ。その発言にまず良樹が反応した。

 

「いやー、キレるだろ。多分中村と谷口のことやらしい目で見たんじゃねぇの? 知らねぇけど」

 

「あのー、良樹さん。私だったらどう、でしょう?」

 

「いや、そりゃ……言わせんなよ、ったく」

 

「それってアレですか。『俺の女に手を出すな』ってヤツですか? そうなんですか? そうなんですよね!」

 

 当てずっぽうで正解を叩き出した良樹の腕をシアがクイクイと引くと、突然期待交じりでそんなことを問いかけてきた。そしてそんな質問を振られた良樹は段々と顔を赤くしていき、遂にはそっぽを向きながら答えたものだからシアのテンションは一層輝きとウザさを増した。見事なまでのウザウサギっぷりに思わず独り身の礼一と重吾はゲンナリしてしまう。

 

「多分そうなんだろうな……俺だって、綾子と真央にそんな目を向けてくる奴がいたら耐えられるかわからないし」

 

「「健太郎くん……」」

 

 一方、野村の方も恵里と鈴がそんな目に遭ったことを推測し、両脇にいた二人の手をただギュッと握る。名前呼びで自分達を大切に思ってくれる彼に辻も吉野も感激していた。

 

(全く、わからないものだ)

 

 ――恵里達が各々リアクションをとっている中、ゆっくりと進む馬車と並んで歩いていた男は考える。商業ギルドの遣いとして、そして興味が湧いた彼らを出迎える目的で入場ルートの近くに陣取っていたのだが、その彼らの人となりが自分が予想したものと大分違ったからである。

 

(“破槌”のポルトに“瞬断”のクイン。彼らは未だ警戒を露わにしているというのにどこか浮ついているようにしか見えない……先程のあの感覚は本物かと思ったが、買いかぶりだったかもしれんな)

 

 既に“彼ら”の素性を男は冒険者ギルド経由で知っていた。しかしギルドから護衛としてつけてもらったランク“黒”と“銀”を含む冒険者達が未だ警戒しているのに対し、彼らはのんきな様子を見せている。

 

「では皆様、これから私が案内いたしますのでついてきてください」

 

 そんな“神の使徒”とやらに軽い失望と侮りを抱きながらも、それはそれとして仕事が優先だと打ち合わせの場所へ案内することを目の前の子供たちに伝える。彼らも『はーい』といい返事を返すが、そこで御者台に座っていた少年が男にあることを尋ねた。

 

「あの、そういえばお名前をうかがってなかったんですけど。えっと僕は……」

 

「みなまで聞かずともわかっていますよ。確かレンさんでしたね?」

 

 レン(ハジメ)の質問に男は心の中に抱いた思いをほんのひとかけらもさらすことなく、人当たりの良い笑みを浮かべながらそう尋ね返す。するとレン(ハジメ)の方も一拍遅れて『あ、はい』と返したのを聞いてから彼からの質問に答えた。

 

「私、商いをしておりますモットー・ユンケルと申します。何卒、よろしく」

 

 ――短い付き合いでしょうがな。

 

 心の中で漏らした侮蔑を一切悟らせないままモットーは子供たちの方を振り向いて営業スマイルを浮かべたのだった。

 

“そういえばここらうろついてる奴らどうすんだ? 叩き潰していいのか?”

 

“ゴミどもは全員そうしたいところだけどね。でも中途半端に手を出しても絶対終わらないよ”

 

“後で畑山先生含めて説得しよう。金輪際こんな奴らが現れないためにも”

 

 ――彼が侮った子供こと恵里達は周囲にいた無数の人間、それも自分達に敵意を向けている相手に気付いてあえて見逃していることに気付かないまま、この程度など余裕で切り抜けられるような状況に身を置いていたということに終ぞ気付かないまま。




おまけ~少女達と寝ぼけまなこの少年

「えっと、その……し、信治さ~ん。起きて~、起きてくださ~い……」

「ん、んんっ……」

 聞き覚えのある声に軽く反応しながらも信治は寝返りを打った。親友達と一緒にオルクス大迷宮を突破していく際に彼もまた早寝早起きが習慣づいてしまったのだが、ここ数日徹夜していたこともあってかまだ眠り足りない様子だった。こうして朝日が差し込むほど日が高くなってもまだベッドで横になったままである。

「ヘリーナ、どうしましょう。し……中野、さんが起きてくれませんけれど」

「ここ数日のことを考えれば仕方ないかと。中野様も少々無理をなさっていたご様子でしたから」

 “女性”として意識している二人の少女がアレコレ話をしていることにも気づかぬまま、彼はまだ眠りを貪ろうとして再度寝返りを打つ。だがその顔は先程まで終わらない()()にうなされていたものと違って、どこか穏やかなものに変わっていた。

「そうですよね……中野さんにはとても助けられました。書類のチェックや仕分けをしてくださったおかげで大分助かりましたから」

「えぇ。不慣れなご様子ながらも中野様はリリアーナ様のために尽力されてましたから……朝食は後で私が用意しておくとして、私も仕事に戻ります。リリアーナ様はしばらく休んでいてはいかがでしょうか」

「いえ。サウスクラウド商会で目を通しておいた方がいい書類も残ってますし、朝食の前に済ませておきます」

 自分が慕う少年にどこか熱のこもった視線を送る少女と、沸き上がる感謝とそれとは別の感情を胸の内に留めておくメイドはそれぞれやるべきことをしようと名残惜しくもこの場を離れようとする。だがそんな時、彼のつぶやきが二人の耳に入った。

「ひめ、さん……リリアー、ナ。ヘリーナ……んっ」

「「っ!」」

 すぐに意識を彼の方へと向ければ、まだ目を閉じたまま眠っている彼の姿がそこにあった。ただの寝言だったらしく、まだ彼は起きる様子を見せない。

「寝言、ですね……」

「寝言、でしたね……」

 不意に漏れただけのものとはいえ、二人の少女は胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。いつも『姫さん』、『ヘリーナ』と呼ばれているのに今この時だけは彼の顔から眼を背けることが出来なくなっていた。

「……リリアーナ様、まだその書類は急いで処理する必要はありませんでしたよね? しばらくはここに残っていてもよろしいのでは?」

「そ、それを言うんだったらヘリーナも! た、たまには他のメイドに朝の仕事を任せてもいいと思いますが!? わ、私は信治さんの負担を減らすためにもやった方がいいですし!」

「いえいえ。量もそこまで多くはなかったはずです。いくら中野様に気に入られているとはいえ、仕事をおろそかにしたら他のメイドに軽んじられてしまいます。ですから私は仕事に――」

 そして起きてしまった謎の譲り合い。お互い自分『は』仕事に戻ると言い合い、とにかく相手を彼のそばに置いておこうと気を遣い合っている。

「うる、せぇなぁ……んだよあさっぱらから……」

「っ!……ご、ごめんなさい信治さん……」

「あっ……申し訳ありません。中野様」

 そうして熾烈な譲り合いをしていると件の少年はベッドから起き上がって彼女らに向き合った。二人はすぐに謝罪するも、そのままこちらへと体を倒してきた少年に軽く困惑してしまう。

「あの、信治さん……? あの、ベッドに戻って――」

「中野様、しっかり。もう少し眠られては――」

 二人で抱き合う形で受け止めたことで、彼は床に頭を打ち付けずに済んだ。まだ寝ぼけた様子からもう少し寝かせてあげようとベッドに戻そうとした時、彼にそのまま抱きしめられて二人とも動きが止まってしまった。

「あ、あのー……信治、さん? そ、その、わ、私としては幸せなんですけど、えっと……」

「信治……中野様。そう密着されては私どもは身動きが……」

「リリィ、ヘリーナ……」

 寝ぼけた状態とはいえ抱きしめられ、耳元ではないといえど自分達の名前を甘くささやかれた。それだけでもう二人から何かをしようという気は奪われてしまい、ただ彼の一挙手一投足を見守ることに意識が集中してしまう。

「だ、駄目ですよ……? そ、その、こういうのはちゃんと閨でやるもので……」

「駄目、です……まだ日が高いですし、わ、私も心の準備が……」

「すき……ふたりが、すきだ」

「「――ッ!!」」

 そして更なる不意打ち。これにはリリアーナもヘリーナも頭の中が甘く痺れてしまい、彼が腕に少し力を入れて心地よく抱き込もうとしているものだからもう何をする気力も湧いてこなくなった。

「……たまにはお仕事、サボってもいいですよね? 急ぎの仕事ではありませんし」

「か、神の使徒である()()()に無礼は働けませんから……仕方、ありませんね」

「いいぜ……いっしょに、いろよ……」

 ……お互い言い訳をしながらもそっと彼を抱きしめる。心臓の鼓動だけが強くなり、頭の中は比例するようにぐちゃぐちゃになっていく。抵抗するどころか今この時間が永遠に続けばいいのにと思いながら二人の少女は彼の体温を感じ、頭の芯まで痺れる言葉を聞きながらただ時間を無為にし続けていた……なお、その日は()()ともマトモに仕事が手につかなかったりする。


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七十一話 状況は違えど縁は巡る

祝復活……いやー、あの後再度病院行ったらコロナの陽性と出たもので、症状は軽かったのですがしばらく横になってないと無理でした。では前置きはここまでにして皆様への感謝の言葉を。

おかげさまでUAも173460、しおりも410件、お気に入り件数も861件、感想数も620件(2023/7/17 14:52現在)となりました。本当に感謝いたします。前回の投稿から結構間が空きましたが、これだけ伸びたというのは本当にありがたい。皆様に愛されて感無量です。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。あなたがこうして面白いと再評価してくれることでまた筆を進める力をいただきました。いつもいつもありがとうございます。

では今回の話を見るにあたっての注意点ですが、ちょっと長め(約12000字程度)となっております。それに注意して本編をどうぞ。


 かくしてモットー・ユンケルと名乗った男と彼の護衛を務めているであろう冒険者の一団にエスコートされ、恵里達はフューレンの街へと入場を果たす。

 

“今のところは何もしてこねーな”

 

“相手もそこまで馬鹿じゃないってコトでしょ。ま、余裕で返り討ちに出来るし別に問題ないよ”

 

 “気配探知”で周囲を探っても路地裏へと続く道に潜む奴らの動きはほとんど見られない。やはりユンケルが連れている冒険者に対して警戒心を露わにしているのだろうと推測しつつも、自分達ならそんじょそこらの相手なんかに負けるはずがないという自負もあってか心配はしてなかった。

 

“恵里、今は一応商人として来てるんだからあんまり自信満々にしないでね”

 

“うん。わかってる”

 

 とはいえ今はいち商人として姿を偽りながらここへとやって来たのだ。鈴の指摘に軽く恵里は返し、他の皆と一緒におっかなびっくりな感じを装いつつもメインストリートからちょっと離れた道を歩いていく。道幅の大きさからして、外からやって来た商隊などの人間が商業ギルドに商品を卸しに行くためのもののようだ。

 

“あの、なんだかジロジロ見られてちょっと落ち着かないです……きっと普段はこういう感じじゃないですよね?”

 

“そのはずだ。ま、それも俺らがアンカジの商人として見られてるからだろ”

 

 そんな自分達に向けられる視線にどこか居心地が悪くになって“念話”を全員に飛ばしてきたシアに、良樹は推測を語る。今現在シアも含めて自分達は『アンカジ公国の商人の一団』という見た目で動いているが、自分達と積荷に向けられる視線はどこか救いを求めている様子なのが見てとれた。

 

“……どこも人がまばらだな”

 

“あぁ。商人の街なんだからもっとにぎわっててもおかしくないはずだろ?……やっぱり、ウルの街の騒ぎが大きかったんだな”

 

 重吾と野村のつぶやきに恵里達は思わずうなずきそうになった。この街はあらゆる業種がこの都市で日々しのぎを削り合っていると事前にメルド、リリアーナから説明を受けている。ならばここがメインストリートではないとはいえ、今自分達が歩いているこの道もいくらか活気にあふれててもおかしくないのが普通だ。少なくとも自分達以外に商隊以外がいないなんてはずがない。

 

“うん……本当に活気のある街だったのかな”

 

“そうだよねぇ~。閉店の看板が出てたり、あんまり人気がないもんね……”

 

 だが先の二人に加えて辻と吉野が述べた通り、この通りに面している酒場と思しき店は閉店の看板を出していた。本来ならばこの通りを行く商人をターゲットに食事や酒を提供するのが目的の場所だったのだろうそこの店先には砂ボコリが溜まってそのままになっている。

 

“屋台もきっとあったのかもね。多分そことかあそこのスペース、結構広いから”

 

 それに不自然に空いたスペースなどもチラホラとあり、恐らく買い食いしてくれるのを狙って露店なども並んでいたのだろうとハジメは推測を述べる。事実の程はわからないにせよ、神の使徒が世界各地に降り立ったことがきっと後を引いている。約一週間前に起きたあの事件がこれほどの爪痕を残したのではないかと考えて、ハジメはため息を吐きそうになる。

 

“……こんな世界なんかのためにね”

 

“あぁ、そうだな……真央”

 

“なんでこの世界を救おうだなんて思っちゃったんだろうね、私達”

 

 が、重吾達がいる手前、そんなことは出来などしなかった。自分達に役割を押し付けてきたくせに、それが出来ないと知るや怒り狂って自分達に敵意を向けて来たトータスの人間に幻滅しているのだから。恵里達とてわかっているからこそ、彼らの神経を逆なでするようなことは言えなかったのだ。

 

(ま、そうそう簡単に割り切れるような頭を持ってたなら一緒にオルクス大迷宮を潜っててもおかしくなかったしね。上っ面だけでも協力してくれるだけマシか)

 

 吉野、野村、辻のつぶやきに誰も何も言わないまま、寂れてしまった商人の街に車輪の音がこだました。

 

 

 

 

 

「着きました。ここが商談の場となります商業ギルド、フューレン本部です」

 

 これといった話もなくただ無事に一行は商業ギルドにたどり着いた。運んできた積荷の納入を護衛をしていた冒険者達数名に任せ、モットーが開けたギルドの扉をくぐって中へと入っていく。汚れがあまり目立たない板張りの床に、ニスでツヤ出しがされているであろう木の柱。壁となっているモルタルも軽く色あせてはいたが、その白さはまだ美しい。

 

 商売に関するあれこれを行う場所である故か、冒険者ギルドと比べてひどく洗練された見た目ではあった。()()であれば落ち着いた雰囲気の漂う場所であったのだろう。

 

「チオービタ様お願いします! どうか考え直していただけませんか!」

 

「無理を言うな……この商会は私の代で店じまいだ。最後まで残ってくれた奴らに払うささやかなものしか残っておらん」

 

「ミリアナン家はどうだった!?」

 

「既にもぬけの殻でした! 置手紙しか残ってません!」

 

「まだか! わ、私の取り寄せた食料は、ま、まだなのか!!」

 

 そんな商業ギルドの空気は今、嫌な喧噪と陰鬱な空気でよどんでしまっている。受付で書類を書いている人間を担当している職員が止めようとしているのがチラホラと見かけられ、奥からはやれ誰々が姿をくらませたという悲鳴が響く。

 

「なぁ、思ってた以上にヤバくねぇか?」

 

 良樹のボヤきに恵里達も思わずうなずきそうになる。今回の取引のために事前に冒険者ギルドを噛ませて行われた話し合いの際、『私達のギルドは()()厳しい状態です』とは聞いていた。それが自分達の窮状をごまかすための言葉だということは誰もがわかったが、これ程までとは流石に思ってなかったのだ。

 

「あの時はまだどうにかなる状態だったのかもね」

 

「それで想定以上に火が燃え広がってる、ってところかな」

 

 続く鈴とハジメの言葉に誰かがため息を吐いた。思っていた以上にこの都市は混迷の状況の只中にあり、今後も産地偽装した食品を卸さなければこの街が儚く崩れてしまいそうだと思ってしまうのも無理は無かった。

 

「仰る通りです。『豊穣の女神』が反逆者だと認定され、ウルの街産の食料品が焼き払われた後、今度は彼女が巡った他の地域の食料も同様に焼かれました」

 

 目の前の光景に頭痛を感じていると、二人の護衛と共にやってきたモットーがこうなった経緯をかいつまんで説明してくれた。まさか広がる疑心暗鬼によって更にダメージを受けていたとはつゆも思わず、『何とかしてここの人達を助けないと』と奮起するハジメと鈴を横に恵里は深くため息を吐きそうになっていた。

 

「……商談、済ませましょう。ここに長居するより、そっちの方がよろしいのでは?」

 

「む? 申し訳ない……ではギルドの職員を呼びに――」

 

「ふざ、ふざけるなぁ!」

 

 そこで重吾がすぐにでも商談に移ろうと話を切り出してくれたのはありがたかった。別に言い出さなくてもハジメがすぐに声掛けをしただろうし、向こうの方もこんな場所に長く居たくない思いから来たのだろうがあえてそのことは恵里は口にしなかった。が、そこである受付の一角で一際大きな声が響いた。

 

「い、いつになったら、しょ、商隊が来る! わ、私は安全なアンカジ公国のしょ、食料が欲しいと言ったのだぞ!」

 

「大変申し訳ございません! 本日ギルドの方で大量の商品が卸されるとの話ですので、どうかそれまでお待ちを――」

 

「だ、黙れ黙れぇ! わ、私に、このプーム・ミン男爵に待てと言ったなお前ぇ!」

 

「ひっ!」

 

 話の内容を聞く限り、どうもこちらの産地偽装食品の納入が待ちきれずにわざわざ貴族のお偉いさんが怒鳴り散らしに来たようだ。こちらを向いていないため顔つきはわからないものの、体重が軽く百キロは超えていそうな肥えた体にベットリした金髪がのっている。ただ身なりだけは良いようで、遠目にもわかるいい服を着ているのは恵里達にもわかった。

 

「おうおう。たかがヒラのギルド職員ごときがよぉ~、ミン男爵様に逆らおうってか? あ?」

 

「この者が大変失礼をしました! ですからどうか、どうかご容赦を……」

 

 しかも周囲に輩としか思えないような奴らが数人、筋骨隆々の腰に長剣を差した巨漢が一人、その貴族の横に侍っている。これは関わったら絶対にロクなことにならないと誰もが感じ、全員目配せをすると同時に黙ってそのまま奥へと向かおうとする。

 

「あ? 何お前ら勝手に――ん?」

 

 だが、全員心底運が無かった。そうしようとした直後、輩の一人がこちらに視線を向けて来たのだ。そのせいで自分達がアンカジの商人(厳密にはそういう体ではあったが)だということがバレてしまう。

 

「いましたぜミン様ぁ! アンカジの人間でさぁ!」

 

「な、なんだと! よ、よし! う、動くなお前ら!」

 

「……最っ悪」

 

 とっとと商談を済ませてフューレンでデートするつもりだったというのに、どうしてこうも面倒なイベントがやたらと起きるのか。今世? のトータスってクソだなと半ばあきらめの境地に浸りながら恵里が思っていると、先の脂ぎった顔の貴族が体をゆっさゆっさと揺すりながらこちらへと真っ直ぐやってきた。

 

「お、おい、お前ら。も、持ってきた商品をみ、見せろ。わ、私が全て買い取ってやる」

 

 予想はついていたがやはり買い占める気満々のようだ。今回持ち込んだ食料はせいぜい数十キロ程度しかないし、これは商業ギルドを経由して他の商人に売りさばいてもらうためのものだ。そうすることで先の騒動でダメージを受けた商人は経営の維持を、住人は食料の確保が出来て安心してもらえるようにする計画だったのだ。

 

「申し訳ありません、男爵様。どうか今回ばかりはお引き取り願えませんか」

 

「ふ、ふざけるな! た、ただの商人の分際で! お、お前らは私の、い、言うことを黙って聞けばいいのだ!」

 

 だがこのブタ鼻の男は自分の都合でこちらの計画をご破算にしようとしている。現にモットーが頭を下げてそれは出来ないと述べた途端に怒りを露わにし、キィキィ声でがなり立ててきた。

 

「……レガニド。かの御仁は貴方のクライアントでしょう? いさめるべきでは?」

 

「ハッ、何抜かしてやがんだよ。俺は金払いのいい坊ちゃんに尽くす気はあっても、同業者のためにやる義理や人情なんてのは持ち合わせてねぇぜ?」

 

 護衛の冒険者の一人がレガニドという巨漢の偉丈夫に軽い嫌悪の混じった視線を向けながら言葉をかけるが、馬耳東風と言わんばかりの様子で言い返してくる。やはり冒険者といってもピンキリがあるのだろうと恵里達は頭痛を感じながらそう思った。

 

「ったく、この街でミン様を敵に回して生き延びれると思ってんのかよ」

 

「早まったマネはしないほうがいいぜぇ~? ミン男爵の気が変わったらどうなるんだろうなぁー」

 

「まぁ男爵サマはお優しい方だからよぉ、今ここで商品と女を差し出せば気前よく金払ってくれるかもなぁギャハハハハハハハ!」

 

 今度はごろつきどもがこちらを煽ってきた。ニタニタとした笑いを浮かべ、哀れな馬鹿を見るような目つきでながめてきており、心の底からなめられていると感じながらも、恵里はいつ仕掛けるかを考える。

 

“皆、適当にコイツら煽って手を出させてもいいよね?”

 

“……出来ればやりたくないけどね。商業ギルドの人達に迷惑がかかるし”

 

“うん……流石に、ね”

 

“言ってる場合かよ先生、谷口。コイツらその内手ぇ出してくるぞ絶対”

 

 ならいっそ今すぐ暴発させて襲わせようかと全員に提案するものの、ハジメはそれを渋り、鈴と野村、辻、吉野も迷いを見せた。が、礼一は甘ったるいことを言ってる場合かと忠告をすると、次の瞬間にはもう状況が変わってしまった。

 

「レガニド! それにお前ら! こ、この馬鹿どもを痛めつけろ! 運んできたものを、わ、私の下へと持ってこい!」

 

「了解ですぜ、坊ちゃん」

 

「そこの女どもはどうしますか?」

 

「す、好きにしろ! わ、私はアンカジ産のものがいただければいい!」

 

 ミン男爵と呼ばれた男の言葉に場が騒然となった。ごろつきどもは女を好きにしていいと言われてテンションが上がり、ギルドの職員は悲鳴を上げる。モットーも護衛の冒険者達も正気を疑うような言動に顔を青ざめさせ、特に冒険者達はモットーとこちらの顔をせわしなく交互に見ていた。おそらくどちらを守るべきか迷っているのだろう。

 

「もういいよねハジメくん。コイツらブッ飛ばすよ」

 

「……死なない程度にね? それと偽装は解除しようか」

 

「ナイス先生。それじゃちょーっと痛い目見てもらうか」

 

 レガニドと呼ばれた大男は腰の剣を抜き、ごろつきどもも短剣を構えてこちらを見ている。あっちが勝手に馬鹿をやってくれて助かると心の中で冷笑を浮かべながら恵里が問いかければ、ハジメも注意をする程度に留めて戦う覚悟を決めた。その様子に礼一も良樹も笑みを深め、お互い持っていた得物を宝物庫から取り出して構える。

 

「……俺達もいいか、南雲」

 

「えっと、大丈夫なの永山君? あと野村君達も」

 

「あぁ……流石に綾子と真央に手を出すなら話は別だ」

 

「うん……流石にちょっとね」

 

「正直イライラしてたから……直接はやれないけど、手伝うよ」

 

 そうして鈴も自分の杖を取り出した直後、重吾らも戦うと述べたのに対して尋ね返す。が、彼らもかなり苛立ちを露わにした様子で向こうを見ており、殺しまではいかないように見ておくかと何人かは重吾達にも意識を割くことを決めた。

 

「皆さん、逃げて下さい! ここは私達が――」

 

「いえ、不要です。だって――」

 

 こちらの身を案じて逃げるよう冒険者の一人が声をかけてきたが、ハジメがそれにノーを返す。それと同時に恵里達は見た目を偽装するアーティファクトのスイッチを切った。ほんの刹那の静寂の後、新たな叫びがギルドのエントランスにこだまする。

 

『は、反逆者だぁーー!!!』

 

「なっ!?……反逆者、だと?」

 

 当然ギルドの職員はパニックに陥り、先程自分達を気遣ってくれた冒険者も信じられないものを見たとばかりにこちらを凝視している。想定通りのリアクションだ。こうして正体を明かしたのも、悪名を使って自分達の強さをアピールすることで無用な被害を防ぐためなのが一つ。

 

(あの栄養ドリンクの人、こっちを静かに見てるってことは知ってたってことか。ま、だったら)

 

 もう一つは……どうせ暴れたらまず正体が割れるだろうし、なら先にインパクトを与えておけといった程度のものだ。しかし自分達の正体を知っていた様子のモットーはただ静かにこちらを見つめており、見定めるつもりだということが恵里達は何となくわかった。

 

「ビビったぁ~? 逃げ出すんなら今の内だけどぉ~?」

 

 ならしっかり自分達の強さを見せつけようかと恵里もまた杖を構えて嗜虐的な笑みをならず者どもに向ける。

 

「な、ななっ……は、はは、反逆者だと……っ!? こ、殺せっ! 殺せころせ殺せぇ!」

 

「いやーツイてるな。まさか反逆者が来てくれるなんてよ――じゃ、俺のボーナスになってくれや」

 

「世界の敵を血祭りにあげるんなら問題ねぇなぁ!」

 

「エヒト様も粋な計らいってのをしてくれるぜ!」

 

「じゃ、女どもは楽しませてもらうとして、男どもは目の前で首カッ切ってやろうやぁ!!」

 

「そこのヒトモドキもしっかり楽しんでやるから喜べよカーッカッカッカ!」

 

 そしてテンションが上がっているのはミン男爵の取り巻きどももであった。唯一雇い主である豚みたいな男だけは恐れから金切り声を上げているが、護衛どもは臨時収入を得たとばかりにはしゃいで身構えていた。そんな奴らを恵里達はただ冷ややかに見つめ、欲望のたぎった眼差しを向けられたシアも軽く身震いしながらも()()()()()構える。

 

「じゃあ一人一殺ぐらいでいいか?」

 

「殺すのはダメ。礼一君達もあの人達みたいにならないでほしいから」

 

「たとえだよたとえ。ったく、先生ちと頭固過ぎだって……大丈夫か、シア」

 

「は、はいっ!……大丈夫、私だってやれます」

 

「最悪死んでもボクがどうにかするから安心して――じゃ、行くよ」

 

 そうして軽く雑談を交えながらどう動くかを簡単に決め、恵里の掛け声と共に全員がその場を一気に駆ける。

 

「――ごっ!?」

 

「ほいっと」

 

 真っ先に仕留めたのは礼一であった。槍を逆手に構えるとそのまま石突でスイングし、輩を思いっきり打ち上げた。

 

「げべっ!?」

 

「よっし、いっちょあがりー……やっぱやりすぎたか?」

 

 そしてその直後、軽く跳躍して右肩の辺りに再度槍の柄を叩き込んでそのまま床に衝突させる。ヒットしたアゴと右肩の骨は間違いなく折れただろうし、地面に全身を打ち付けて骨にヒビは入っただろう。後で叱られるかなーと思いつつもまぁいいかとこの悪ガキは流した。

 

「どっせい!」

 

「ぐぇーっ!?」

 

 次に相手を無力化したのはシアであった。龍太郎を師として武器が無いときの戦闘方法も彼女は色々と学んでいる。“身体強化”を使って軽く肉体を強化し、振りかざしてきた短剣を避ける。その直後、腰をしっかりと落として放ったカウンターの右ブローは吸い込まれるようにごろつきの左頬にクリーンヒットした。

 

「あ、終わった……すっごい、楽でしたね」

 

 横にきりもみ回転しながら地面にダイブした男はそのまま気絶。余裕で目で追えて、しかも拍子抜けするほど楽に勝負が決まる。改めてシアは自分をシゴいている人間達がとんだ化け物ぞろいであることを実感していた。

 

「人の女に色目使ってんじゃねぇぞヤリチ〇がよぉ!!」

 

「ごぇっ!? ごっ!?」

 

 そのシアの横で良樹も輩の一人を容赦なく叩き潰していた。腹パンを叩き込み、流れるように頭に両手を当ててそのまま膝蹴り。無論力をセーブしていたから内臓や頭そのものが爆砕することは無かったものの、鼻の骨は折れてそこから血はダラダラと垂れ流しになっている。

 

「ぁぐっ……ご、ごめんなしゃぃ……」

 

「ハッ、謝れてエラいな。おう……次は無いと思えよ?」

 

「良樹さぁん……」

 

 地面に転がって悶える輩に嫌味をぶつけた後、ヤンキー座りをして見下ろしながら再度警告をする。途端、怯えた様子でこちらを見てくる男に興味を失った良樹は、亜人の女の子が自分に熱視線を向けていたことに気付いたのであった。

 

「まずは弱そうなお前らから、っと!」

 

「飛び交う刃と矢を防がん ここは光差す場所なりて 守護の光をここに――“光絶”!」

 

「光よ纏え 汝の力となりて あまねく困難を払いたまえ!――“纏光”!」

 

 自分達に迫って来た二人の輩も辻と吉野は連携することで対処していた。対人戦の()()があったが故に戦う際の心構えも出来てしまっていた。それ()あって心を乱すことなく、魔法を展開。辻がとっさに張った光の障壁の強度を吉野が補助したことで、ならず者どもが数度攻撃した程度ではビクともしない堅牢な壁が完成した。

 

「んなっ! クソッ、固ぇぞクソがっ!」

 

「チッ! じゃああのジジイを襲って――」

 

「ありがとう。綾子、真央――“礫球”!」

 

 攻撃をはじかれてうろたえているろくでなしども目掛けて四つの礫が撃ちこまれる。それぞれ額とアゴを狙って撃ちこまれた小石は正確に男どもにヒットし、そのショックに加えて地面に思いっきり頭を叩きつけたことで昏倒してしまう。

 

「ふぅ……綾子、真央。大丈夫か?」

 

「うん。私も真央も大丈夫。その……健太郎くんがいてくれたから、ね。頑張れたの」

 

「さっすがだよ健太郎くん~……ありがとう。かっこよかったよ」

 

 男どもが目を回したのを確認すると、すぐに両隣にいた辻と吉野に野村は声をかけた。二人からかけられる言葉に野村はただ無言で抱きしめる形で返す。好きな人を守れた、という実感をただ少年は嚙みしめていた。

 

「死にさらせ――がぁっ!?」

 

 暴漢をひと際鮮やかに無力化していたのは重吾であった。元々修めていた柔道の技を如何なく発揮したからだ。短剣を胸に突き立てようとした相手の腕を思いっきり掴み、その痛みと腕を大きく振らせたことでナイフを落とさせる。

 

「ふっ」

 

「ごはっ!」

 

 そのまま相手の服の襟を掴むと、右にステップをかけて左足で足払いをかける――送足払と呼ばれる技で相手を思いっきりこかして、そのまま腕を捻り上げて拘束した。

 

「不安だったが……何とかなるものだな」

 

「がっ、あぁぁあぁあぁぁ……!」

 

 “勇者”に祭り上げられ、ハードスケジュールな生活を送るようになるまで怠らなかったこともあってか腕がさび付いた様子は無い。それほど長い期間やらなかった訳ではないにせよ、やはり実戦で出来るか心配ではあったのだ。

 

 こういう形で披露することを目的としてやっていた訳ではないにしても、自分がやっていたことが無駄ではなかったと改めて感じることが出来たのか、重吾の口元はほんのわずかに緩んでいた。

 

「へぇ、嬢ちゃん達が相手か? ま、手足の一つ、駄目になっても文句言うな――」

 

「“堕識”」

 

「“縛印” “封縛”」

 

 そしてどこまでも一方的に終わったのが恵里と鈴のコンビだった。レガニドが剣を構えてこちらへと迫らんとした瞬間、恵里の発動した“堕識”によってほんの数秒ではあるが意識を刈り取ってそのまま地面に倒す。その隙に地面から生えた光のロープで体を縛り付けられ、鈴の手からも伸びていたものが武器を絡めとってそのまま彼女の手元へと収まる。そしてその巨体が何も出来ぬまま光の檻の中に閉じ込められたことで完全に勝負が決まった。

 

「さっすが鈴」

 

「恵里もフォローありがと。じゃあ――」

 

 お互い横を向いてそのままハイタッチを決めると、護衛が一瞬で壊滅した貴族の坊やの下へとゆっくり赴くハジメに視線を向ける。

 

「な……なぁっ!? な、何が、何が起きた!? 何が起きたというのだ!?」

 

「ただの正当防衛ですよ。そちらがけしかけてきた人達にはちょっと休憩してもらってるだけです。ところで――」

 

 語調も穏やかに、笑みも浮かべながら一歩ずつ近寄ってくるハジメにプーム・ミン男爵は腰を抜かして後ずさった。顔は脂汗に涙と鼻水でぐちゃぐちゃとなっており、恐怖で引きつった表情を浮かべている。何とかして逃げ回ろうとしているブタ男に対し、ハジメは静かに問いかけた。

 

「ミン男爵様、でしたよね? 聞き間違いがなければそれで合ってると思うのですが」

 

「そ、そうだ! わ、私は、私はプーム・ミンだ! プーム・ミン男爵だぞ! わ、私に盾突いたらどうなるかわかっているのか!」

 

「まぁ面倒なことになるかもしれませんね。けど――」

 

「お待ちください」

 

 ハジメがブタ男を受付のカウンターまで追い詰めようとした時、後ろから声がかかる。モットーだ。一体どういうつもりなのかと恵里達の視線が注がれる中、彼は自分の意見を述べていく。

 

「……正直、この御仁には私どもとしてもあまり良い印象を抱いていないお方です。ましてや取引相手となる貴方がたを殺そうとした人間です。皆様がそうなってしまうのもわかります」

 

「で? 何が言いたいワケ?」

 

 軽くうつむきながら話す辺り、やはりモットーとしてもこのブタ男は気に食わないと感じているのだろう。それは理解できたものの、この男が何かやらかさないとも限らないと考えた恵里が急かせば、モットーはそのまま頭を下げてこちらに頼み込んできた。

 

「されどもこの方はご貴族様です。それも()()このフューレンに出資して下さる貴重な方だ。その方にあまりご無体を働いては、私どもにも被害が及びます。どうか、これで手打ちにしてはいただけないでしょうか」

 

 そう言わざるを得なかったであろうモットーを見て全員が同情する。強く握った手は震え、その顔も口を真一文字に結んで堪えるかのようなものであった。本当はこの場で思いっきり叩きのめしてほしいと思っているのは何となく感じ取れた。

 

 だが、それをやってしまってはこのフューレンが危うくなる。それが理解しているが故に耐えているということをわかる傷ましい姿であった。

 

「そ、そうだ! そうだぞ! お前ら! 覚悟しろ! わ、私をすぐに助けなかったお前達もだ! 絶対に許さないから――」

 

「遅くなって申し訳ありません。少々話をうかがいたいのですが」

 

 モットーの言葉が響いた途端、威勢を取り戻したプーム・ミンはまたキィキィ声で騒ぎ立てる。すると今度はギルドの奥から金髪をオールバックにした鋭い目付きの三十代後半くらいの男性が、数名の冒険者らしき人間を連れて現れたのだ。

 

「ぎ、ギルド長か! は、早くこの無礼者どものをひっ捕らえろ! こ、こ奴らは私に暴力を振るおうとしたのだぞ!」

 

「なるほど。ミン男爵の言い分はそのようですか。ところで――」

 

 ギルド長、と聞いて恵里達は厄介なことになったと軽く眉をひそめたが、ふと現れた男の特徴を聞いてある人物が思い浮かぶ。確か、()()()()()()の支部長がこんな感じの見た目だと以前の打ち合わせで聞いたような気がしたのだ。

 

「そこに転がっているレガニドは何故、そちらのアンカジから来られた商人を襲ったので?」

 

「ふへ?」

 

 ひどく冷ややかな視線をオールバックの男性が未だ腰を抜かしたままのブタ男に向ける。一度こちらに微笑みを向けたのを見るにどうやら一部始終を見ていたらしい。だがブタ男はみっともなく言い訳を並べ立てていく。

 

「な、な、何を証拠に! こ、この男がそんなことをした証拠はあるのか!」

 

「えぇ。全てではありませんが、先程の騒ぎを見させていただいておりまして……少なくとも、ランク“黒”のレガニドが、貴方の指示通りに彼らに危害を加えようとしているのは見させてもらったんですよ」

 

 しかも止めないで見ていた辺り中々にいい根性をしている。いくら自分達の正体と実力を把握しているからってよくもまぁやってくれたものだと恵里は口元をヒクヒクさせていると、更にオールバックの男性は小男を追い詰めていく。

 

「それと、そちらに倒れているのは冒険者でしょうか? 確か、私どもの管理する冒険者ギルドの中に彼らの姿は無かった気がしたのですが……レックス、確認を」

 

「はっ――失礼、少々確認作業を行いますので身柄の引き渡しを」

 

 ちょっとした疑問を口にするようにつぶやけばブタ男の体がぶるりと震えあがる。やはり冒険者などではなく、悪党の類であったようだ。護衛をしていた冒険者の一人がこちらに来たため、拘束している輩ども全員を近くへと引きずっていく。するとレックスと呼ばれた男性は襲撃してきた奴らの懐を探り、ステータスプレートを数秒見つめてはすぐに別の奴のものを確認していった。

 

「……全て確認を終えました。クセノス以外に冒険者の表記はありませんでした」

 

「クセノス……なるほど、彼か。ご苦労」

 

 おそらく一目で冒険者だと判別する何かがあるんだろうと思っていると、すぐにその確認作業は終わったようだ。『ご協力感謝します』と短くあいさつをしてから冒険者ギルドの長らしき男性のところまで戻っていき、後ずさろうとしたブタ男の襟の後ろを掴んでオールバックの男性のところへと戻す。

 

「ぐっ!……な、何をする!」

 

「失礼しましたミン男爵。まだ話は終わってませんでしたから、少々質問を」

 

「わ、私はお前らに付き合う義理はない! こ、ここから出せ! 早くしろ!」

 

「彼らは一体どうしてここにいるのかをお伺いしたかったのですが、お答えできますか?」

 

 一刻も早くこの場から逃れようとあがくブタ男に対し、オールバックの男性は淡々と質問を投げかけていく。どうもあちらもこのブタ男に対して思うところがあったようで、向こうの文句に一切応じることはない。ただ真綿で首を締めるように、答えのわかっている質問をひとつひとつ突きつけているように恵里達は見えた。

 

「し、知らん! あんな奴らなど私は知らない!」

 

「なっ、ざけんなクソ豚ぁ!!」

 

「お前っ……俺らを裏切って、タダで済むと思うな!」

 

 ブタ男が即座に切り捨てにかかった途端、やはりろくでもないところと繋がりのあった輩どもが騒ぎ出す。それを見たオールバックの男性は一層にこやかな、見る人からすればひどく冷たい笑みを浮かべながらブタ男に告げる。

 

「そうですか……冒険者ギルドに所属する冒険者を商業ギルドで暴れさせたこと、またギルドに所属していない人間を雇って()()()を襲おうとしたこと……それとフリートホーフ、フェーゲフォイアー、アップグルンドの開催していた闇のオークションや取引に関わった疑いがありますので、一度保安署までご同行願えますか?」

 

 記憶が正しければ、保安署というのは地球で言うところの警察機関のようなものであったと恵里は覚えている。あの男、思った以上に真っ黒だったようだ。冒険者ギルドの支部長と思しき男性の言葉に、あのブタ男は顔を真っ赤にした。

 

「だ、黙れ黙れ黙れぇ! わ、私はプーム・ミンだぞ! こ、このフューレンのギルドの運営費を払っている善良な男爵だ! そ、それをお前はくだらん言いがかりで――」

 

「話は向こうでしていただけますか。私はこれから用がありますので……連れて行ってくれ、レックス」

 

「はっ……オラッ、暴れんな。手足の一つでも()()()()どうすんだ?」

 

「わ、私に暴力を振るう気か! や、やめろ! やめろやめろぉ!」

 

 米袋を担ぐようにブタ男を肩で担いでレックスという男が去っていく。汚らしく見苦しいブタ男の声が遠ざかっていくと、オールバックの男性が一度せき払いをしてからこちらを向いた。

 

「こうして顔を合わせて話をするのは初めてになるかな。改めて自己紹介させてもらおう。私は冒険者ギルド、フューレン支部長のイルワ・チャングだ」

 

 先程の威圧するような雰囲気も無く、ただのにこやかな笑みを浮かべる男に恵里達は『あ、どうも……』と返事を返す。先程からこちらをどこか怯えた様子で見ているモットーや彼の護衛の冒険者も含め、今回の商談は一筋縄じゃいかない気がすると今更ながら恵里達は思ったのであった……。




モットー「なんかよくわからん内にごろつきども負けたんだけど」

冒険者「なにあれガチでつよいヤバいこわい」

恵里達を見た際のモットーらのリアクションはこんな感じです。


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七十二話 『商売』の時間(前編)

色々あって前回の投稿から二週間経っちゃいました(白目) どうにか仕上げたんで許して(震え声)

おかげさまでUAも175025、しおりも412件、お気に入り件数も867件、感想数も624件(2023/7/31 17:02現在)となりました。皆様、こうして拙作をひいきにして下さり、本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、月琉さん、拙作を評価及び再評価してくださり誠にありがとうございます。またおかげで話を書き続けるモチベーションが上がりました。

久々に一万字そこらに抑えることができました。それでは本編をどうぞ。


「ハイリヒ王国の軍を一日足らずで退けた、というのもあながち嘘ではなさそうだね。その上理性的かつ、無用なトラブルを起こそうとはしない姿勢はこちらとしても十分に評価しているよ」

 

「あ、はい。ありがとう、ございます……」

 

 微笑みを崩すことなくそう伝えたイルワにハジメは軽く照れながら頭を軽く下げた。しかし恵里は前々から感じていた向こうの様子に更に引っかかりを覚え、軽く挙手をしてからイルワにそのことを尋ねようとする。

 

「ちょっと話聞きたいんだけどいい?」

 

「何かな、中村恵里さん?」

 

 世間話をするような具合に問いかけてくるイルワを見て恵里の中で一層疑問が膨らんでいく。自分達に対する距離感、それも()()()()()相手に向けるような接し方をする彼の立ち振る舞いに関してだ。

 

「前に『お願い』をした時もそうだったけどさ……どうしてそんなにボク達に肩入れしてくれてるの?」

 

 ――今回の商談を取り付ける際、実はハイリヒ王国の冒険者ギルドのギルドマスターであるバルス・ラプタを仲介し、フューレン支部のギルドの方に一枚かませてもらったのだ。理由はハイリヒ王国の商業ギルド支部を経由しての商談が破談に終わったからである。

 

 もちろん自分達が直接出向くことは隠した上でやってもらったのだが、()()()()()()()は神の使徒に『ハイリヒ王国は上層部が反逆者の集まりである』と印象操作されてしまったせいか全然取り合ってくれなかったのだ。

 

「ふむ、肩入れか。君達側から見れば確かにそうかな」

 

「そうそう。今もこうして襲ってきた奴らを返り討ちにしてやったけど、そっちは全然怯えてないしね。なんで?」

 

 そうして商業ギルドからでは相手にされなかったことから恵里達は別のプランを考えた。それが冒険者ギルド本部のギルドマスターから要請し、フューレンの冒険者ギルドの方から自分達は信用できるとを説得させて商談を取り付けるという案だ。実際バルスの方からコンタクトをとってもらったらアッサリとフューレン支部長はOKを出したのだ。しかもこうして商業ギルドとの商談も一日程度でどうにか取り付けるというオマケ付きで。

 

「そうそう。俺ら一応お尋ね者のハズだぜ? 一応ギルドの人間だったらとっ捕まえたりしねーのかよ」

 

「さっきの職員の奴らみたいにビビって腰抜かしたりしてもおかしくねぇってのにな」

 

 先程姿をさらしたことで自分達が反逆者であることは既に向こうもわかっているだろう。そして世間一般での反応は先のギルド職員や先程連れていかれたブタ男みたいなものしかないと恵里は考えている。だからこそ礼一と良樹が言うように余裕を崩さない目の前のオールバックの男性の様子に余計疑いが増した。

 

「まぁ君達が怪しむのも無理はないだろうね。名目上、必要な護衛も一人手放しているのだから尚更か」

 

 更に言えばあのブタ男を連行するためとはいえ貴重な護衛を一人手放しているのだ。それでもこの男が見せる余裕は崩れるどころか、むしろ自分達に更に信頼を寄せている節まであった。そのことに恵里達が訝しむのも無理はない。

 

「こちらの事情がわからなければ警戒するのも仕方ないとは思うよ。けれど、あまり長く立ち話をしているのも先方を待たせるだろうし、その理由は向かいながら話そうか」

 

 主導権が握られっぱなしな上に理由もわからないまま高い好感度を示している。そんな相手に怪訝(けげん)な表情を浮かべる恵里達だったが、確かに今回ここを訪れたのは商業ギルドと商売の話をするためだと思い返す。

 

「わかりました。イルワさん、お願いします」

 

「……わかった。じゃあ行きながら色々話聞こっか」

 

 まぁ向こうは話したくて仕方がないようだし、話の節々からその言葉が嘘か本当かを見抜けばいい。そう考えながら返事をしたハジメと恵里は皆とアイコンタクトをし、ゆっくりと歩き出した食わせ者の青年の後ろをついていく。

 

「それで、私が君達を信頼する理由のひとつだけれど、まずキャサリン先生が助言したというのがあるかな」

 

 ふと一瞬遠くを見るような素振りをしながら語ったイルワに、先程挙がった名前の人物が誰かを恵里達は思い返そうとする。

 

「えーっと……龍太郎君達がお世話になったギルドの職員の方、でしたっけ」

 

「あ、そうだね。ちょっともめたけど、最後は香織達に色々してあげた人だったよね」

 

 恵里や礼一らはすぐに思い浮かばなかったものの、ハジメは親友がお世話になった人であることから、鈴はブルックの街を訪れた香織らの話が印象深かったことから思い出し、二人が口にしたことでまた聞き程度であったシアも含めてその人物の名前を全員が思い出した。

 

「その通りだ。それと、彼女のことは君達の友人から聞いてないかな?」

 

 ほんのわずかではあったが一層笑みを深めながら肯定するイルワを見て、先のハジメ達の答えが合っていたことに恵里達は少しホッとする。が、その直後に返された質問に誰もが首をかしげてしまう。

 

「うーんと……恵里、覚えてる?」

 

「ハジメくんと鈴が覚えてないんじゃボクだってさっぱりだよ。近藤君達は覚えてる?」

 

「いや全っ然」

 

 記憶の限りでは『最初はもめたけれど、色々と親切にしてくれたオバチャン』といった程度のことしか恵里は記憶してないし、他の面々もそういった程度のものでしかない。龍太郎達が厄介になったあのオバチャンは一体何者なのやらと考えを巡らせると、クスリと笑ったイルワがその正体について答えてくれた。

 

「なるほど。その様子だと明かしてないみたいだね。彼女は、王都のギルド本部でギルドマスターの秘書長をしていたんだよ。その後、ギルド運営に関する教育係になってね。今、各町に派遣されている支部長の五、六割は先生の教え子なんだ。私もその一人で、彼女には頭が上がらなくてね」

 

 その正体を聞いて恵里達は思わずおぉ、と驚きを露わにする。大介らの話を聞いた感じでは例のオバチャンがいた街はそこまで規模が大きくは無い様子であったし、そんな場所にいたのだからてっきり人間が出来てる普通の職員だと恵里達は勘違いしていた。だが、目の前で懐かし気に語るイルワを見る限りでは想定をはるかに上回る大物であったようだ。

 

「その美しさと人柄の良さから、当時は、僕らのマドンナ的存在、あるいは憧れのお姉さんのような存在だった。その後、結婚してブルックの町のギルド支部に転勤したんだよ。子供を育てるにも田舎の方がいいって言ってね。彼女の結婚発表は青天の霹靂でね。荒れたよ。ギルドどころか、王都が」

 

「ふーん……じゃあ今回商談するのに使った連絡に使えるアーティファクトで話でもしたの?」

 

 続くイルワの話でどうしてあそこで職員をやっていたのかという疑問も氷解する。彼以外にもギルドの支部を任せられるような人間が彼女を慕うというのも理解したものの、肝心の疑問にはまだちゃんと答えてくれていない。そこでギルドマスターが使っていた長距離連絡用のアーティファクトでも使ったのかと尋ねれば、意味深な笑みを浮かべて彼はただこう述べた。

 

「さぁね。それに関しては秘密ということで――さ、着いたよ」

 

 結局どんな手段を使ったかはわからないまま恵里達は商業ギルドの応接室前までたどり着いた。多分後で聞いたところではぐらかされて終わりだろうと思っていると、イルワが扉をノックして中にいた人物へと声をかける。

 

「失礼。今回の商談の立ち合いをすることになった冒険者ギルドフューレン支部長、イルワ・チャングだ。お客様が来られたので入らせてもらう」

 

 そう言って応接室のドアを開けると、セミロングの髪を後ろでまとめたモノクルの男性と七三分けの男性が恵里達を出迎える。

 

「どうも初めまして()()()()()商人の皆さん。私は商業ギルド、フューレン本部ギルドマスターのグウィン・ブレッドルです」

 

「当ギルド秘書長のザックと申します……どうぞ、よろしくお願いします」

 

 やや緊張気味でそう答える二人を見て、既に先の騒動が伝わっていたことに恵里は内心軽くため息を吐く。やはりどこぞのブタ男のせいで正体を隠して商談に臨むつもりがご破算になったようだ。そのことにハジメと鈴、シアは心の中で安堵しているのではないかと適当にアタリをつけつつ、こうなったらなるようになれと恵里は偽名も含めて商業ギルドの二人に名乗っていく。

 

「どうも初めまして。アンカジより参りました商人のリンこと中村恵里です。どうぞよろしく」

 

 もう姿を偽るアーティファクトは起動していないし、人相書きなどで自分達の顔の特徴は把握しているだろう。それを踏まえた上でそう名乗れば目の前のグウィンの頬を一筋、隣のザックの方はダラダラと汗を流しているのが目に入った。

 

 一瞬グウィンの視線がイルワの方に向けられたのを見て、おそらく彼の方も抱き込んでいるのだろうと恵里は予想をつけた。まぁ自分だったらそうすると考えながら続くハジメ達の自己紹介を聞いていた。

 

「……どうも。先程、いえ、こうして正体を偽って話を持ち掛けたことをお詫びします。南雲ハジメです」

 

「そちらではベルという偽名で紹介したと思いますけど、鈴……私の本名は谷口鈴です」

 

 そうして二人に続く形でシアに礼一、良樹に重吾らも自己紹介を済ませ、終わったところで『どうぞ』とグウィンはソファーに座るよう促す。それに恵里達は応じると、弁舌に長けた恵里とハジメがソファーに腰を下ろす。

 

「……その、話し合いは南雲達に任せて、俺達は外に出ていた方がいいでしょうか?」

 

「いえ。永山様、でしたよね? 今回は皆様も同席してください……既に皆様の正体は当ギルドのグウィンが予測しておりました」

 

「それでも今回の話を引き受けたのは、そちらの提示する話に相応の利益を感じたからです。それがモットー氏とチャング冒険者ギルド支部長お二人の判断が正しいのか、こちらで判断してから取引に応じたいと思っております」

 

 軽くすし詰めになっている状態であったため重吾が部屋の外に出た方がいいかと提案するが、商業ギルドの二人は未だ緊張した面持ちながらもそう返してきた。

 

 確かに不測の事態で食料不足となったところに、いきなり現状安全が担保された国の食料を持ち込む商人が現れるという話はあまりに出来過ぎている。ましてや冒険者ギルドを使ってどうにか取り付けようという流れがあったのだから不信感を煽るにはあまりに自然であった。

 

“うっわ恥っず……”

 

“おい中村、これバレないって話じゃなかったのかよ……!”

 

“こっちだって想定外だよ!!……ったく、道理で二度目は簡単に話が進んだ訳だ”

 

“中村、お前……”

 

 そのことを突きつけられ、恵里達は自分達が目的ありきで進めたのを見抜かれたことに今更ながら気まずさと恥ずかしさに襲われるものの、仲間の大半からなじられている恵里はそれをおくびにも出さずに話を切り出していく。

 

「そっか。それじゃあ本題といこう。『アンカジ産』の食料、それを買い取る気はない?」

 

「大方“豊穣の女神”と称されていた畑山愛子の助力の下作られたものでしょう? せめて検査はさせてもらえますか」

 

「あ、わかりますよね……」

 

 そして自分達が持ち込んだ商品もどうやって用意したかも完全にバレていることに相手をナメ過ぎたと反省していると、別の冒険者が木箱を抱えながらこの応接室へと入って来た。

 

「お疲れ様、ユーネス。じゃあ早速“浸透看破”を」

 

「あいよ。んじゃ“浸透看破”っと」

 

 この男性も治癒師だったらしい。鈴と香織も持っている技能の名前を口にして自分達が持ち込んだ木箱の中身に手を当てた。今冒険者が使ったのは魔力を相手に浸透させることで対象の状態を診察し、その結果を自らのステータスプレートに表示する技能だ。これでアンカジ産だと偽った食糧に何か仕掛けられてないかを探るのだろうと推測しながら一同は事の成り行きをただ見守る。

 

「……見当たんねぇな。これといった毒なんてないみたいだ」

 

 時間にして一分足らず。全ての食料を一つ一つ手にとっては調べていた例の治癒師はため息を吐きながら結果を伝えた。当たり前だ。こうしてトータス全土を味方につけるための計画に使うものなのだから。魂魄魔法で食べた相手を洗脳する、なんて芸当も出来ないしハジメから止められたこともあり、促成栽培された以外にこれといった変化も何もない。想定通りの結果に恵里は笑みを深くすると、グウィンとザックに声をかけた。

 

「で? ボク達が持ち込んだ食料品は産地が違う点を除けばちゃんとしたものだけど? これなら、取引に応じてくれるよねぇ~?」

 

「確かにそう、ですが……」

 

「……チャング支部長、ユーネスという冒険者は信用に足る人物ですか?」

 

 が、やはりここでグウィンはイルワに連れて来た冒険者の腕について問う。一瞬恵里を含めた何人かはイラッとはきたものの、判別した相手の腕が悪かったせいで大きな損害を被るかもしれないのだ。

 

「おい、アンタ……いい加減に――」

 

「良樹君、ストップ」

 

“はいタンマ……向こうからすればボクらは不審者だからね。そこの冒険者がヘマしたせいで損害を受けたくない、って思うのも仕方ないでしょ。まぁ腹立つけど”

 

「ハジメも中村も……ったく」

 

 それを考えれば口を挟みたくなるのも仕方は無い。そう考えて良樹らの苛立ちを抑えつつ恵里達はイルワの出方をうかがう。すると彼はユーネスと呼ばれた冒険者と共にグウィンから向けられた疑いのまなざしにしっかりと反論をしていく。

 

「もちろんだ。ウチの中でも選りすぐりの治癒師、ランク“黒”の冒険者を愚弄しないでくれ」

 

「あぁ。少なくともこのフューレンに残った治癒師の人間の中じゃ一番だって自負はある。この技能も身に着けたのもつい数年前だ……それでもアンタらはこっちの奴らの飼い犬だって言いたいのか?」

 

「お待ちください」

 

 気性が荒い冒険者の中でもまれた人間、そんな彼らを相手にしている上の立場の者であったが故かその言葉にはむき出しの刃のような鋭さが伴っていた。だがそれでもグウィンの方は怯む様子は無い。そうしてお互い譲らなかったことでピリピリとした空気が出来そうになった時、ふとモットーの声が差し込まれる。

 

「ギルドマスター、チャング冒険者ギルド支部長。彼らが持ち込んだ商品、ぜひ私の方でも目利きをさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」

 

 ちょっとした提案をするように提案をしてきたモットーであったが、その声色とは似つかわしくない真剣な表情が彼の顔に浮かんでいる。グウィンとイルワと同様、恵里らもいきなり聞こえてきたモットーの声に反応してそちらを振り向いたのだが、あれは本気の目だということは誰の目にも理解できた。

 

「……本気ですか?」

 

「もちろん。冒険者ギルドでは安全面、私はこの商品の良し悪しを見定めるためにギルドマスターが依頼したはずでしょう? 私はただ、本分を成すだけです」

 

 道理でこの商人が自分達を出迎えた後もここにいて、そして商業ギルドが冒険者ギルドの話を聞いてくれたのだと恵里は考えた。確かにそれぐらいやらなければ出どころが怪しいものなんて受け入れはしないだろう。まぁそれはそれとして目利きをしている商人含め、勝手に密約を交わして最悪明かす気が無かったこの場の大人どもに恵里は心の中で何度も舌打ちをしていたりするが。

 

「いいよ。むしろやってくれれば助かるね」

 

「恵里、めっ。目上の人にそういう口の利き方しない……ではどうぞ」

 

「えぇ」

 

 とはいえこうして自分達が持ち込んだ物を認めてもらえるならば構わないと促せば、口の利き方でハジメに叱られて恵里はしょんぼりしてしまう。

 

「……なるほど。確かにこれは見事なものです。流石は“豊穣の女神”ですな」

 

「……信じてもらえたか?」

 

 そうして恵里がしょげてしまっている中、目利きを終えたモットーが満足そうにうなずいた。ふとそんなモットーに重吾がそう問いかければ、愛子と一緒に作物を育てていた彼らのグループ一同が疑いと敵意が軽くこもった視線を向けてきた。やはりトータスの人間に手ひどく裏切られたのが後を引いているのだろうと思いながら恵里は重吾らを一瞥すると、すぐにモットーの方へと視線を向ける。

 

「もちろん……だからこそ惜しい。貴方がたとはもっと早く知り合いたかった」

 

 そしてモットーは自分達が持ち込んだ作物の出来を認めた直後、力なく言葉をこぼす。出来が良かっただけにこういった形で扱うことになったのを惜しく感じたんだろうと思っていると、すぐにモットーは表情を改めて恵里達の方を見やった。

 

「これ程の出来、産地を偽装しているという点を除けば文句のつけようもありません……だからこそ、皆さんの悪評が広がる前に、私の伝手を使って貴方がたをアンカジへと送ることが出来れば。そのことが悔しくてなりません」

 

 心底悔しがる様子で語るモットーを見てどれだけこの作物が高く評価されているかがよくわかった。とはいえ初手でエヒトにハメられた以上どうしようもならない話でしかないと恵里はすぐに見切りをつけると、モットーへと迫る。

 

「こっちの商品を高く評価してくれてるのはわかったよ。で、実際に取引に応じてくれるの?」

 

「そうしたいところは山々ですが、商業ギルドを通してでは難しいでしょう……皆様が一刻も早くこれを流通させて、トータス全土の食糧問題を解決したいと考えているのはわかります。しかしあまりにタイミングが良すぎる。そこから誰かが“反逆者”畑山愛子が関わった、とウワサされては今度こそ私達は終わりでしょう。商売は信頼が無くては始まりませんし、続きません。そして、儲かりませんからな」

 

「面倒くっせぇな……」

 

 そう返すモットーに恵里に礼一、良樹は思わずため息を吐いた。確かに言いたいことはわかるが、だからってここでウワサがどうの信用信頼がどうのと言われたって困るのだ。いずれ来たるエヒトとの戦いのためにも今ここでトータス全土を立て直さないとおそらく真っ当な戦力は確保できないだろうと恵里は考えていたからである。

 

(ったく、そうなると畑山先生とかが他の集落に向かったのも悪手だったかな。とりあえず持ってきたものは炊き出しに使うとして、また考え直さないとダメかぁ……ん?)

 

 結局売る気はない様子からもう炊き出しでパーッと使おうかと考えていた恵里であったが、モットーがこちらを見定める様子で見つめていたのに彼女は気づいた。そこで何か引っ掛かりを覚えたその時、横にいたハジメがモットーに声をかける。

 

「……そうですか。じゃあモットーさん、ひとつ質問いいですか?」

 

「なんなりと」

 

「ありがとうございます……じゃあ仮に、もしですよ。アンカジ公国と取引を行っている商人のところにこれがあったらどうしますか?――これを徐々に流通させていくとしたら?」

 

 その問いかけに恵里の中で何かが繋がる。そういうことかとハジメとモットーの考えに気づいた時にはその推測が口から洩れてしまった。

 

「じゃ、じゃあ! そっちがアンカジと取引してるってんなら――」

 

「もしかして、買い取ってくれるんですか!? それで少しずつ流していくのは――!」

 

 恵里と鈴の答えにモットーは深く、強欲さがひどくにじみ出た笑みを浮かべた――商業ギルドを通して色んな商人にアンカジの商品を偽ってバラ撒くのではなく、モットーのようなアンカジ公国が取引先にある商人に卸すのならばどうとでもなるということを彼は示したのである。ならばアンカジと取引をしている商人を目の前にいる商業ギルドのギルドマスターにうかがって、分散して売り渡せばどうにかなるのではと恵里は考える。

 

「ギルドマスター、この商品は間違いなく私達の助けになります。エヒト神の思し召しといっても差し支えないでしょう――我がユンケル商会はこれを仕入れます。どうか、今後ともごひいきに――」

 

「待ってくださいユンケル……私どもとしても、()()()()取引を行うのは反対です」

 

 モットーは喜んで取引に応じるとばかりに手を差し出したものの、そこでグウィンが待ったをかけてきた。ここで冷や水を浴びせるような真似をするグウィン、そして彼を止めようとしないザックとイルワに恵里達は苛立ちを覚えた。するとモットーがせき払いをしてやや気まずそうな表情でグウィンらに視線を向ける。

 

「おっと、そうでしたな……逸ってしまいました。失礼」

 

「いえ、確かにこの商品を扱うことが出来れば私どもとしてもありがたい限りです――が、それ以前に皆様は“反逆者”という扱いを受けている。私どもとしてもそういった方々とそのまま取引をすることは出来ません」

 

 改めてそう述べるグウィン、そして信頼のこもったまなざしを向け続けているイルワに一行はどこか違和感を覚える。このままでは取引が出来ない。ならばそうさせるに足る何かをしろと投げかけているということだ。

 

「……ボクらに何をしてほしいワケ? 何かをすれば、取引に応じるってことだよね?」

 

「君達としても損はしない話さ。もちろん依頼達成の暁には少なくともフューレン冒険者ギルドは総力を挙げて君達を支援することを約束するよ」

 

 まだるっこしいと思って直球を投げつけた恵里だったが、イルワはただこちらにも利があると説くばかりだった。向こうが自分達に何かを求めているということは間違いないが、その内容と言うものが恵里達の頭には中々浮かばなかった。損はしない、と言ってはいるが一体何をやらせる気なのかと誰もが考える。

 

(商会の立て直し? 確かにハイリヒ王国からお金を引き出してもらえばどうとでもなるけどそうじゃないだろうね。だったらお金を出せって風に匂わせるだろうし、向こうの目つきからしてボクら個人を見てる気がする)

 

 そこで商会の立て直しが目的ではと疑ったものの、イルワの目から読み取った感じではそういうものではないと恵里は考える。それにもし立て直しが目的であったとしても、孤立した国からの資金を馬鹿正直に受け取ることはないだろうと恵里やハジメは考えていた。

 

(ボク達でどうにかなること……んー、もしかして)

 

「一体何やらせる気だよ。腕っぷしでも買おうってか?」

 

「まぁ俺らだったらそんじょそこらの奴らなんて目じゃねぇけど――おい、まさか」

 

 だからこそそれ以外の可能性、そこであることに恵里、良樹、礼一が思い至った時、イルワの口からそれが形となる。

 

「そのまさかだよ、礼一君――私達冒険者ギルドは“神の使徒”の皆様にこのフューレンにはびこる裏組織の摘発の手伝いをお願いしたい」

 

 もちろん動かせる人間だけで構わないけれどね、と付け加えた上で提示された依頼に恵里達は目を見開いた。

 

「摘発、ですか」

 

「……ふーん、そういうこと」

 

 先程イルワがそう述べた時、彼だけでなくグウィンやザック、そしてモットーも真剣な様子でこちらを見ていたのである。そこから察するに裏組織の問題は相当根深く、このフューレンを蝕んでいるというのも恵里達は理解できた。

 

「まぁ確かにブチのめしてもいいんだったら俺ら以上に適任なんていねーだろうけど」

 

「やることはわかりましたけれど、えっと、お手伝いってことでいいんですよね?」

 

「まぁ思ったより楽な作業だってのはわかった。で、何をやればいい?」

 

 ハジメと恵里に遅れて反応した礼一、シア、良樹はそのことに前向きな姿勢を見せた。元々フューレンの裏組織のことはライセン大峡谷に出た際にメルドから話を聞いていたし、あのプーム・ミンとかいう男に従っていた冒険者でない輩どもも真っ当な人間ではないというのもわかっていたからだ。それでどうにかなるなら、とやる気を見せたのである。

 

「前向きな姿勢に感謝するよ。ところで、そちらはどうかな?」

 

「その手伝いをしたんならOK、ってことでしょ? でも流石にボク達の一存でどうにかはならないかな」

 

「……愛子先生も説得しないと、だよね」

 

 礼一達の反応に感謝を示しつつも反応が無かった自分達の方を見てきたイルワに恵里と吉野はそう返し、ハジメと鈴、重吾達も首を縦に振った。シア達も『そういえば』と自分達で安請け合いしたことに気付いてコクコクとうなずいていた。

 

「えっと、鈴……じゃなかった。私達にも、色々とやることはありますから」

 

「すぐに結論は出す予定です――僕の恵里と鈴に手を出そうとした奴らを許す気はありませんから」

 

 鈴とハジメの返答にそうかとイルワは短く返す。その際、ハジメがほんの一瞬だけにじませた怒気にこの場にいたイルワやグウィンらはそれに吞まれかけ、重吾や野村ら、シアもぶるりと体を震わせていた。

 

「ハジメくん……」

 

「ぁっ……ごめん、また」

 

「ボクとしてはすっごく嬉しかったけどね……でも、鈴を怖がらせちゃダメだよ」

 

 礼一と良樹も一瞬体が反応したが、ソファー越しに後ろからハグする鈴と横で彼の手を握る恵里に謝る彼を見てホッとする。前に一度恵里が連れ去られた時のハジメの話を礼一らは思い出し、道理で谷口が怯える訳だと納得していた。

 

「実際どうするかはともかくとして、話ぐらいは聞いておいた方がいいだろうね。こっちとしても説得の材料にはなるしさ」

 

「……助かるよ。ならこちらの現状について色々と話させてもらうよ」

 

 ハジメの頭をポンポンなでなでしながら恵里はイルワにそう伝える。デートの件はお預けかなー、と思いつつも恵里はイルワらの口から語られるフューレンの現状に耳を傾けるのであった……。




どうして冒険者ギルドが一枚嚙んでいたか、どうして商業ギルドが商談に応じたのかはこれが理由です。

※今回の話のサブタイトル書き忘れてたんで追加しました(白目)


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七十三話 『商売』の時間(後編)

またしても二週間ぶりとなりました(遠い目)
いやその、やっと落ち着いてこっちに注力できるようになったんで(必死の言い訳)

改めまして読者の皆様に多大なる感謝を。
おかげさまでUAも176119、しおりも415件、感想数も628件(2023/8/14 15:08現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして読んでくださる皆様には頭が上がらない思いです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。またエタらずに書き続けたいと思う力が湧きました。

今回の話を読むにあたっての注意事項として少し短く(8000字足らず)なっております。はいいつもの悪癖の分割です(白目)

それに注意して本編をどうぞ。


「フューレンは商業によって成り立ってきた街だ。製造、販売、観光多種多様なものでね。けれど商売といっても真っ当にやってる人間ばかりじゃない」

 

「奴らは街が発展する毎に少しずつ勢力を拡大してきました。活動拠点や扱う()()の違いで三つのグループに分かれ、今一層フューレンを蝕んでいます」

 

 苦虫を嚙み潰したような表情でイルワとグウィンは語る。悔しさと怒りがにじみ出たその顔を見て恵里達は何も言わず、何も言えない。彼らフューレンに住まう人間にとって裏組織の存在がどれほど忌々しいかがわかったし、安易に言葉をかけていい状況ではないということは容易に理解できたからだ。

 

「彼等は明確な証拠を残さず、表向きはまっとうな商売をしているし、仮に違法な現場を検挙してもトカゲの尻尾切りでね……はっきりいって彼等の根絶なんて夢物語というのが現状だった」

 

「今でも手を焼いている相手ではありましたが、以前はまだ対処が出来ている分良かったと言えるでしょう……ですが、ある件を境に奴らは勢力を増していったのです」

 

 昔から中々にしたたかな相手であるということはわかったのだが、勢力を強めた原因があるということに礼一達は思わず首をかしげる。君達ならわかるだろうと言わんばかりの視線を向けられて重吾らも困惑している最中、ふとハジメがあることを口にする。

 

「……もしかして、僕達がハイリヒ王国の軍相手に勝ったから?」

 

「えぇ、そうです。その日を境に奴らは動きを更に活発にさせたのです」

 

 商業ギルドの秘書長のザックがそう答えると、あの後フューレンで何が起きたかを詳しく語ってくれた。

 

 恵里達がハイリヒ王国の混成軍に勝利した後、知っての通りエヒトの駒である方の神の使徒が世界各地に降り立った。それはもちろんこのフューレンも例外ではなかった。当時は何かに熱狂したかのようにハイリヒ王国への敵意を露わにした民衆が続出したこともあったが、それ以上に厄介だったのが例のウルの街産の作物の廃棄騒動であった。

 

「疑心暗鬼に駆られた、もしくは損切りのために行ったとか暴動によって奪われて燃やされたとか理由は様々さ。とにかくウルの街から仕入れた作物はいずれも廃棄されて食料の値段が高騰することになったんだ」

 

「高品質で味も良いウル産の食料を扱えるということは食料品を扱っていた当時の商人の間では一種のステータスでした。しかし、あの騒動で一瞬にしてそれが瓦解してしまい、仕入れの費用を回収できなくなってしまったんです」

 

 ウルの街の作物が捨てられることになった騒ぎは恵里達も知っている。しかしこうして現地の人間から話を聞くとその生々しさは段違いであり、ハジメと鈴は沈痛な面持ちでそれを聞いていた。

 

「当然食料の高騰が起きた。情けない話だけれどそれを真っ先に買い占めたのが裏組織とつながりがある疑いのあった貴族の家の人達でね。しかもそれに乗じて裏組織が経営していると思われる商店も動いた。そのせいで市場に流通する食料の数は激減してその分値段が跳ね上がってしまったんだ」

 

「私達商業ギルドの方でも買い占めを防ぐために貴族や商人を説得したり、またこちらの方である程度買い取って商人に利益が出る形で流したりもしたのですが、それでも受けたダメージは甚大でした」

 

 自分達が街で洗脳や煽導された人への対処をしたり城で起きた暴動の解決などに時間を費やしている間、フューレンではそのような事態となっていたようだ。思っていた以上に状況が悪いことを理解し、どうして今裏組織の摘発まで踏み切ろうとしたのかを恵里達は察した。

 

「経営が悪化した商店に違法な高利貸しとして近づいたり、向こうの経営している傘下に入るよう迫ったりとね……ハッキリ言って、状況は最悪に近い」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔のイルワにハジメ達はため息を漏らす。聞いているだけでもうんざりする程に危機的な状態で、今すぐどうにかしないとおそらくこのフューレンは腐り落ちる。この街に入る際に賄賂を迫った門番や自分達を遠巻きから追っていた悪党の気配、商業ギルドに入る際に出くわしたあの貴族を考えるとそれが容易に想像できてしまったからだ。

 

「なるほどね。聞いただけでも厄介だってのはわかったよ。他にも何かあったりするんでしょ?」

 

 そうして多くが頭を抱える中、恵里だけはただ冷静にイルワらに尋ねる。彼らの顔つきからしておそらく他にも色々とあるはずだと考えたからだ。

 

 確かに今挙がったものでも相当なダメージをこの街に与えているといってもいいだろう。だがこれ以外にも何か、それもこれら以上に恐ろしいものが多分あるだろうと予測したのである。他の集落などを訪れている皆、特にここトータスの人間に対して憎悪を抱く愛子を説得するためにも聞いておいた方がいいと思って尋ねてみれば、グウィンとイルワが額を手で押さえながらあることを口にする。

 

「……裏組織は人身売買や違法薬物の密売も行っています。恥ずかしい話ですが、私達ではまだそれを止められてないんです」

 

「これまでも保安局と連携して摘発することは何度となくやっていた。けれども貴族がバックにいるから大した成果を得られずこの様でね……君達の良心に訴えるような悪い大人であることぐらい自覚してるよ。それをわかった上で私は伝えている」

 

 やはりこの手の話の十八番であるあくどい商売を向こうもやっていたようだ。その上貴族まで絡んでいるときている。剣と魔法のファンタジーの世界を題材にした小説、後はおぼろげな世界史の授業の記憶ぐらいしか貴族に関する知識が無いとはいえ、相当に厄介なのだろうということを恵里はなんとなく感じ取っていた。

 

「確かに厄介だな……」

 

「わかるの? 野村君」

 

「うん……私達、一時期祭り上げられてたからかそういうパーティーに出ることも多くってね」

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくって、いいよ……気にして、ないから」

 

 大半が裏組織の所業に大なり小なり憤りを覚えていたり、イルワら大人の汚い手法に嫌悪感を示す中、『神の使徒』としてプロパガンダのために接触する機会が多かった野村らは貴族の脅威を恵里達以上に理解していた。自分の領地を持ち、自ら多くの金を稼いでいる相手がどれほど大きい敵であるか。重吾は強くなってしまった責任感からかイルワらに視線を向けて問いかけていく。

 

「……イルワ支部長、裏組織を支援している貴族はフューレンを支配下に置いている人間ですか?」

 

「厳密には違うね。ここフューレンは周辺一帯を治める複数の貴族、そして商業に力を入れている家からの支援があって成り立っている街なんだ。だからどこかの貴族を一つ叩いただけでどうにかなるという訳じゃない」

 

「ならあの騒動で得をしたのは……確かいくつか裏組織があったと記憶してますが、それらのバックにいる貴族も一つではないということですよね?」

 

「そうです。この街に潜む三つの裏組織、いずれも規模からして幾つかの家がついていると推測されます。中には複数の組織を支援している、これまで繋がりが無かった家も協力している可能性もあります。まぁ、これはあくまで推測の範疇ですが」

 

 重吾の問いかけによって引き出された答えを聞き、恵里、ハジメ、鈴も相手がどれほど強い存在であるかに気付く。既にこのフューレンは裏組織とそれに連なる貴族によって掌握されたも同然であり、真っ正面から動いたところで握りつぶされてしまうだろう。明確に相手の動きがわかったことでより正確に把握出来たからである。

 

「……なんだか、ちょっとフェアベルゲンみたいですね。いえ、こういうことはしてないとは聞いてましたけれど」

 

 途中シアが何か意味深なことをつぶやきはしたものの、それに構うことなく重吾はイルワらに向けて思ったことを口にする。

 

「じゃあ、どうやって相手をするんだ? その口ぶりだとフューレンはもう……」

 

 その言葉に野村、辻、吉野だけでなく礼一と良樹もうなずいていた。仮に摘発を手伝って裏組織の人間を捕まえたとしても何の苦も無く塀の外へと出てしまう。それが簡単に想像出来てしまったからだ。だが『必ずしもそうではないよ』とイルワが答えると、その理由についてグウィンと共に語っていく。

 

「確かにこれまでの私達の話を考えればそう悲観的になってしまうのも無理はないね。申し訳ない。けれど真っ当な貴族がいなくなった訳ではないよ」

 

「えぇ。イルワ冒険者ギルド支部長の言う通り向こうは肥大化し、このフューレンを吞み込むほどになりました。ですが、同時に御しきれなくなったことの証拠でもあります」

 

 そうして目に力が入った様子の二人を見て恵里達はうなずいた。今のこの街は沈みゆく泥船ではなく、まだ船底に穴が開いた程度で収まっているということを理解したからだ。

 

「個人的に親しくしてもらっている伯爵家、クデタ家はそれに抗おうとしてくれている。他にもレボルシオ家、リベリオ家もね」

 

「皆さんがこの商業ギルドを訪れた際、プーム・ミン男爵が連れてたような冒険者ギルドに登録していない人間が表によく出るようになってます。また人目を気にせずに貸しはがしをするようにもなったりと以前ほどの慎重さが向こうには無くなっていますからね。」

 

 少なくとも挙がった三つの家が、そして自分達が出くわしたあの輩の存在を含めて向こうが動いていることが解決の発端になっているということを一行は把握した。だから自分達が参加してくれることを切望し、そうすればどうにかなると考えているということも理解する。

 

「もし今回の商談がなかったとしても、冒険者ギルドのギルドマスターを通じて君達とはコンタクトを図ろうと思っていた――今回の摘発は本気だよ。君達だけでなく、保安局とも再度連携を取ることになったからね。絶対に失敗できないんだ」

 

「今現在が立て直せるかどうかの分水嶺という訳です……あの時断ったのは単にそちらを信用しきれなかったせいですね。そのことをお詫びします」

 

 いずれは自分達と接触をしようとしていたこと、商業ギルドが一度商談を断ったことの理由も語った後、イルワらフューレンの人間は恵里達に向かって頭を下げた。

 

「流石に犯罪行為に加担するような倫理にもとる行為・要望には絶対に応えられない。君達が要望を伝える度に詳細を聞かせてもらった上で私自身が判断する。けれども、君達の力に可能な限りなることを約束する。どうか、引き受けてくれるだろうか」

 

「イルワ冒険者ギルド支部長の言う通り犯罪に加担することはしませんが、この商業ギルド、いえフューレン全てがそちらにつくと確約します……どうか、どうかお願いします」

 

 そう切実に伝えてくる両ギルドの長に恵里達は渋い表情を浮かべる他無かった。お人好しのハジメと鈴、そしてシアはすぐにでもそれへの参加を申し出たいところではあったものの、仲間に相談せずに受け入れることは出来ないと考えたからだ。良樹と礼一に関しても似たようなもので、彼らはあくまで申し出を受けることでのメリットを考え、大介らに話をしてから参加した方がいいと伝えるつもりであった。

 

「俺、は……すまない。すぐには、決められない」

 

「……悪い。そう言われても俺には……綾子、真央」

 

「そう、ね……やっぱり、無理よ」

 

「ごめん、なさい……すぐに答えは、出せなさそう」

 

 その一方、重吾達はその申し出を受け入れらずにいた。裏切られるのが怖い。約束を果たしたところで何といわれるかわからない。だからその一歩を踏み出せない。野村も不安そうに辻、吉野を見れば彼女らも同様に迷いを見せてその頼みを一旦断った。

 

「……まぁ永山君達はちょっと事情があってね。とりあえず話を持ち帰って話し合う。それからでいい?」

 

 そして恵里はただ冷静に仲間達の動きを見ていた。ハジメと鈴はたとえ他の皆が断ったところでこの依頼を受けるだろうし、ハジメ達にあてられてお人好しが少しうつった礼一らもそれに前向きな姿勢を見せるだろうと推測していた。もちろん重吾達ハイリヒ王国に残った面々がそれに躊躇することも予測済みだ。

 

「構わないよ。ちゃんと話し合いをしてから結論を出してほしい」

 

「えぇ。()()結論は急ぎませんから」

 

 ハジメと鈴に付き合うつもりながらもここは一度話を持ち帰るべきだと考えた恵里がそう切り出せば、イルワとグウィンだけでなくモットーにザック、それとイルワが連れて来た冒険者も真剣な表情でうなずいた。かくしてフューレンの街で行われるはずであった商談は終わり、一行はハイリヒ王国へと戻るべく応接室を後にするのであった。

 

 

 

 

 

「結論は出ませんでしたね。私としては今すぐ出してほしかったのですけれど」

 

「確かに迅速な判断が求められる時もあるというのは理解していますよ、グウィンギルドマスター。ですが、私からすればあの場で慎重になったのはむしろ良いという風に思います」

 

 恵里達が去った後、程なくモットーもあいさつをしてから護衛と共に帰っていった。そして残ったイルワ、グウィン、ザックは応接室にて打ち合わせを続けている。イルワの護衛の冒険者達が横で侍る中、グウィンが漏らしたつぶやきにイルワは自分はそうでもないと目を細めながらそう伝えてきた。

 

「焦っている時こそ冷静な判断が求められる。これは冒険者であっても商人であっても同じだと私は思うんだ」

 

「焦りもしますよ。素性がやや心配ではありますが、起死回生の一手が巡って来たのですから」

 

 恵里達に語った通り、今の商業ギルドはストックしていた金はほとんど残っておらず、所属していた商人も最盛期の頃と比べれば四割程度にまでガタ落ちしている。それも自転車操業でどうにか経営を続けていられている商会も含めてだ。

 

「私としても即座に応じていただければとは思いました。本当に彼らが裏切るかどうかが懸念ではありますが、今この時を逃す機会は無いでしょう。立て直すならば早いに越したことはありませなからね」

 

「……やはり私が思っていた以上に厳しい状況だったようだね」

 

 そんな状況で恵里達をイルワが紹介してきたのだからすぐにでも手を取ってしまいたかった。それ程までに商業ギルドは追い詰められていたのである。そのことをザックが漏らせばイルワも苦い表情を浮かべ、出されたお茶に口をつけた。

 

「そちらも相当の冒険者が抜けたのでしょう? お互い後が無いのは確かだと思いますが」

 

「だからこそですよ……仮に彼らが本気で暴れればこの世界で止められる人間なんて誰もいない。だから下手に彼らの機嫌を損ねる訳にはいかない。竜の尻を蹴り飛ばして破滅する訳にはいかないんだ」

 

 痛い腹を突かれて思わず渋い表情を浮かべそうになったイルワであったが、再度口にしたお茶を飲む形で喉元まで出かかった思いを呑み下そうとした。

 

 “竜の尻を蹴り飛ばす”とは、この世界の諺で、竜とは竜人族を指す。彼等はその全身を覆うウロコで鉄壁の防御力を誇るが、目や口内を除けば唯一尻穴の付近にウロコがなく弱点となっている。防御力の高さ故に、眠りが深く、一度眠ると余程のことがない限り起きないのだが、弱点の尻を刺激されると一発で目を覚まし烈火の如く怒り狂うという。昔、何を思ったのか、それを実行して叩き潰された阿呆がいたとか。そこからちなんで、手を出さなければ無害な相手にわざわざ手を出して返り討ちに遭う愚か者という意味で伝わるようになったという。

 

 ちなみに、竜人族は、五百年以上前に滅びたとされている。理由は定かではないが、彼等が“竜化”という固有魔法を使えたことが魔物と人の境界線を曖昧にし、差別的排除を受けたとか、半端者として神により淘汰されたとか、色々な説がある。

 

「それに、私の見立てが正しいなら多くの仲間を連れて戻ってきてくれる。そう確信しています」

 

「キャサリンさんが見立てを間違えていなければ、ですが」

 

 そして確信を持って推測を語るイルワに、グウィンは苦笑しながら希望的観測を漏らす。彼がそこまで自信満々にそう言うのも恐らくキャサリンが何らかの形で太鼓判を押したからだろうと考えたためだ。それにイルワは反論することもなく意味深な笑みを浮かべるだけだった。

 

「ギルドマスター、よろしいでしょうか」

 

 そうして話し合いを続けていた三人だったが、ふとノックの音に我に返り、何事かと扉の方へと意識を向ける。

 

「一体何事ですか。用件は?」

 

「その……先程こちらを訪れた反逆者の二人が、話があると言ってきまして……」

 

「……わかりました。ではお二人を通してください」

 

 一体何事かと思いつつもザックとイルワに目配せをしたグウィンはひとまず彼らを招くことを決める。出て行って数分も経たない内に一体何事かと護衛の冒険者共々思っていると、程なくして兎人族の少女と一人の少年がその場に現れた。

 

「あのー、出て行ったばかりですみません……」

 

「ちょっと耳寄りな情報があってな。少しは役に立つかもしれねぇって思って戻って来た」

 

 シアと良樹の二人だ。良樹は手持ちの宝物庫から一枚の金属板を取り出すと、それをイルワの方へと渡した。一体何を見せたのだろうかとグウィンとザックが思っていると、イルワが何か思い出したように目を細めて良樹らの方へと振り向いた。

 

「……そうか、なるほど。ありがとう二人とも。記憶が確かならこの板に刻まれたのは冒険者の一人だよ。それも登録を抹消された人間だ」

 

 イルワの頭の中に浮かんだのは何年も前に冒険者登録を消されたある男だった。金回りの良いパーティーを狙って組み、アイテムや財布の中身をちょろまかしてたのが判明して保安局に捕まった男である。そんな男が裏組織に加担していることを考えて頭痛がしたが、それをどうにか隠しながらシアと良樹に礼を述べた。

 

「それで、彼はどうしたんだい? 既に保安局の方へと引き渡したのかな」

 

「いや、実は、その……」

 

 そしてシアの口から語られたことにイルワ達も思わず苦笑する。確かに彼らならばそうしないと動きが制限されるだろうということは容易に理解できたからだ。

 

「そのことについては商業ギルドは咎めません。そちらの判断を尊重します」

 

「冒険者ギルドの方も同じ意見だと思ってほしい。ありがとう二人とも。もう戻って構わないよ」

 

「あ、はい。じゃあ、お邪魔しました」

 

「すまねぇ。ま、俺らも参加するつもりだからその時はよろしく頼むわ」

 

 そうして応接室を後にした二人を見送ったグウィンらは深くため息を吐く……彼らがもし裏組織に加担していたとしたらどうなっていたかわからなかったと安堵のため息であった。

 

「どう思います」

 

「間違いなく白でしょう」

 

「裏組織に加担しているはずなんてないさ……じゃあ、改めて話し合いといこうか」

 

 それぞれが鍛えた人を見る目からして、反逆者と呼ばれた子供達はやはり無実の善良な人間だとしか思えない。特にシアという()()()()()()()()亜人の少女が逃げ出すことなく彼らと行動を共にしていることがその証拠だと判断を下したイルワ達は再度話し合いを続けるのであった。




続きは明日以降に投稿出来たらなー、と思っております。


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七十四話 さまよえる者達

まずは拙作を読んでくださる皆様に多大な感謝を。
おかげさまでUAも176730、しおりも416件、感想数も633件(2023/8/16 8:19現在)となりました。本当にありがとうございます。ほんの数日でここまで増えて作者も嬉しいです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。筆を執る力が衰えずに済んで本当にありがたいです。

今回も少し短く(8000字足らず)となりました(しろめ)
原因は例によって分割です。なんで増えるワカメみたいに書けば書くほど増えるんだよ!(逆ギレ)

では上記に注意して本編をどうぞ。


「――なるほど。そちらはそうだったんですね」

 

 愛子の言葉に恵里らはうなずく。話し合いを終えた恵里達一向はフューレンでデートすることなく()()()()終えてからそのまま王宮へととんぼ返り。食堂に仲間を集めて商業ギルドで起きた一連の話をしたのである。同席したのはクラスメイト一同や愛子、鷲三に霧乃だけでなく、リリアーナやヘリーナ、クゼリー、デビッド達元護衛騎士、メルド、フリード、ハウリア全員も参加していた。

 

「そういえば皆、持ち込んだ食料はどうしたんだ?」

 

「とりあえずハジメくんの宝物庫に入れてお持ち帰りしたよ。まだ日持ちするだろうし、外で待ち構えていた奴らもいたしね。あえて取引が成立したのを装って外へ出たんだ」

 

 光輝の質問に対して恵里がすかさず答える。恵里の言う通り、あえて自分達だけで商業ギルドを出ると裏組織の構成員と思しき奴らは襲ってきたのだ。その際恵里達は路地裏へ、それも人目につき辛い行き止まりを探しながら逃げたのである。

 

「思った通り来たよ、ろくでなしがさ。だからソイツらにしっかり()()して戻って来た、ってワケ」

 

「……まぁ、話し合いが終わったらすぐにゲートキー使うよりはマシだったとは思いたい、んだけどね」

 

 いやー疲れた疲れたと言わんばかりに肩をすくめる恵里に、ハジメが心底疲れたような面持ちでそうつぶやく。彼の一言で恵里が一体何をやらかしたかを同行しなかった面々も即座に理解を示し、光輝ら付き合いの長い面々が深くため息を吐いたのは言うまでもない。

 

「……また“縛魂”を使ったのか」

 

「大方、お前らの実力が向こうにバレないようにしたのと向こうの事情を探るためだろ?」

 

 光輝のボヤきと幸利の推測に『ご名答』と恵里は笑みを浮かべながら返した。彼女の言う通り襲ってきた面々に“縛魂”を使い、傀儡にして上手く立ち回ったのである。本人は一挙両得といった具合に軽くドヤ顔を浮かべているが、恵里以外は全員目をそらしている。やはり思うところがあったらしい。

 

「おかげで相手の情報もある程度抜き取ることが出来たからねぇ~。ま、下っ端も下っ端の奴らみたいだったし、大した情報はあまり持ってなかったけどさ」

 

「聞いた話は俺とシアで向こうに伝えた。ま、あっちもあんまいい顔してなかったけどな」

 

「何とも言えない顔でしたもんね……あちらの方も私達の事情がわかるからそこまで言ってはきませんでしたけど」

 

 ギルドの方で面倒ごとが起きたと暗に語る良樹とシアにこの場にいた多くが同情を向け、やれやれと言わんばかりの仕草をしている恵里に地球から親しくしていた面々が違和感を覚えた。これは絶対何か一つは使える情報を掴んでいるなと全員があたりをつけたのである。

 

「エリ、アンタ何掴んだの? ホントに何の成果も無かったんならそんな顔絶対しないでしょ?」

 

「あ、わかる優花? うん。下っ端どもが仕事を受ける場所と後は指示役の顔がわかったんだよ」

 

 いち早く反応した優花に恵里はフフンと上機嫌な様子で答える。洗脳した恵里が下した命令は二つ。自分達は捕まえられなかったことを向こうに伝えること、そして知っている情報を全て教えろというものだ。その際先程語った情報を手に入れたのである。ちなみに顔に関しては下っ端どもに似顔絵を描いてもらい、ハジメがその中で一番マシなものをブラッシュアップした形で判明している。

 

 ちなみにその際“縛魂”を使った相手の顔もハジメが“錬成”を使って似顔絵として描き、良樹とシアに渡していたりする。もちろんイルワに襲ってきた下っ端の情報をリークするためである。

 

「怪しまれて場所と人間を変えられる可能性はあるけどね。でも何もないよりはいいかと思って斎藤君達にもお願いしたよ」

 

「あっちは驚いてたぜ。どうも昔ギルドで悪さしてた元冒険者らしくってよ」

 

「改めて情報を精査するってイルワさんも言ってました。何か思い当たることがあったかもしれません」

 

 鈴に続いて再度良樹とシアがそう述べれば、軽くざわめきが起こる。手に入れた情報が使えるかはともかくとして価値があったこと、話を聞いた通りフューレンの腐敗具合がうかがえること、それを聞いてどう動くべきか迷うなど理由は様々だ。

 

「先に皆に言っておくけど僕は動くつもりだよ。この組織を放っておいたらどんな影響が出るかわからないし、商業ギルドと冒険者ギルドの助力を得るまたとないチャンスだから。それと――」

 

「一番は中村と谷口じゃねぇの?」

 

 どうしたものかと迷いを見せる()()にハジメは持論を語りつつ自身は参加する旨を述べていく。が、そんな彼に向けて大介はしれっと核心をついた言葉を投げかけ、ハジメの言葉を止めた。

 

「そりゃ幸利や浩介、光輝達より俺らは日は浅ぇよ。でもよ先生、ダチになってから別に浅い付き合いなんてした覚えはねぇぜ? それぐらいわかるっつの」

 

「……敵わないなぁ、もう」

 

 シシシ、とからかうように笑いながら語る大介にハジメは思わず苦笑いを浮かべる。実際ハジメが動いた一番の理由は恵里と鈴のことなのだ。彼女達に下卑た視線を向け、しかも口にするのもはばかられるような真似をしようとしていた輩はやはり許せなかったからである。

 

「ああいう人達のおかげでダブルデートもご破算になっちゃったしね……その恨み、しっかり晴らさせてもらわないと」

 

『いや私怨かい!!』

 

 私情丸出しの本当の理由を明かせば光輝、雫、優花、奈々にメルドらのツッコミがキレイに入った。それを聞いて恵里はハジメの愛を感じて身悶えし、鈴も鈴で呆れはしたものの頬を染めるだけでツッコむことは無かった。

 

「……リリアーナ様、その、大丈夫なのでしょうか? この方々に任せてしまっても」

 

「私としてはむしろありがたいぐらいです。こういう時は私的な情がわかる方が納得も理解も出来ますしね。それに南雲さんが自ら参加を促してくださったようなものですし」

 

 この話に参加していたクゼリーがそばにいたリリアーナに不安げに尋ねるも、リリアーナ本人としてはそれを拒むどころか目を細めて嬉し気に微笑む始末。フューレンにおける闇がいつ王国に降りかかるかもわからなかったし、ハイリヒ王国の混成軍を打ち破った元・神の使徒の一人であるハジメが参加を申し出れば少なくとも悪くない結果に収まる。それにハジメが行くのであれば恵里と鈴はまず間違いなくついていくだろうし、他の面々もそれに乗じるだろうと思ったからだ。

 

「え、えーと、リリアーナ、さん……?」

 

「信治様。驚かれたとは思いますが、それもリリアーナ様がそれだけ国を思っているからです。それと南雲様の実力を評価されているということも……もちろん、信治様のお力は理解した上で、ですが」

 

「あ、そうか?……いや、その、ならいいけどよ」

 

 なおそれを間近で聞いていた信治は好きな人が見せた腹黒さの片鱗にちょっと怯えたものの、ヘリーナの言葉にちょっと落ち着きを取り戻した。特にぽろっと漏れた私情の部分に。なかなかにチョロい男である。

 

「どうせ貴様らのことだ。そこの迷いを見せている者達以外は参加する気なのだろう? ならば留守は私達に任せておけ。大迷宮の捜索も――」

 

「いえ、反対します」

 

 フリードも彼なりにハジメらに理解を示し、やれやれといった様子を見せながらも行きたいのなら行けばいいと促そうとする。だがそれに愛子が待ったをかけた。

 

「……何? 今度のヒスは何が原因?」

 

 せっかく光輝達も参加を申し出そうな流れだったというのに水を差された恵里は愛子を軽くにらむ。軽くため息を吐きながら理由を尋ねれば愛子は静かにその理由を話した。

 

「……少し考え事をしてました。向こうの提案に乗るべきかどうか。それと、中村さんの前世やトータスで来た当初に起きたことを踏まえた上でどうするべきかをです」

 

 その愛子の言葉にこの場にいた全員が首をかしげる。前者の摘発に参加するかどうかはともかくとして、後者の恵里の過去のことが何故今の反対に繋がるのか結びつかなかったからだ。どういうことかと恵里本人もいぶかしげな視線を送れば、愛子も語り出す。

 

「確かにこの提案にはこちらにもメリットがあります。引き受けることで中立であった都市が丸々私達の味方につきますからね……それが嘘でなければ、ですが」

 

 その言葉にリリアーナやメルド、デビッドらは思わず顔を伏せてしまいそうになり、光輝達や重吾らも何とも言えない表情を浮かべる。過去の手ひどい裏切りは今も彼女の中で尾を引いているということを改めて認識したからだ。しかし問題はそこではないと恵里は愛子に視線で続きを促し、彼女もそれを了承したかのように話を続けていく。

 

「前に神の使徒が各地に現れて引っ搔き回したことが再度起きないとも限りませんしね……そうしたリスクを考えた時、ふと中村さんの身に起きたことが気になったんです」

 

「それはさっきも言ったよね。どうしてボクがそこで関わってくるのさ?」

 

 愛子が述べた通り、またエヒトが神の使徒を派遣して再度盤上をひっくり返してこないとも限らない。その懸念や改めて示したトータスの人間への不信感は理解したものの、恵里が言った通りどうして彼女のことがそこで関わるのかが誰もわからない。不思議で仕方なかったのである。

 

「記憶が確かなら中村さんはこのトータスとは別の世界、エヒトの居城と呼ばれる場所に二度行ってるはずです。それと先日の空間魔法の実験のことが気になったんです」

 

「空間……あっ」

 

 確かに恵里は前世? で“縛魂”をかけた光輝と共にエヒトの居城へと赴いたことがあったし、トータスに来て早々ノイントに連れ去られてしまったことがあった。どちらにしても苦い記憶であったが、そこでいきなり出てきた『空間魔法の実験』に恵里は他の皆と同様疑問符を浮かべたものの、いち早くその関りにハジメとアレーティアが気づく。

 

(ハジメくんは何か気づいたみたいだけど……空間魔法……実験……やったことは色々あったけど――もしかして!)

 

「……恵里や神の使徒がどうやって望む場所へと行くことが出来たか、ですか」

 

「望んだ場所に移動できる。それも、世界を超えてやれる方法があるということですよね?」

 

 どういうことかと考えを巡らせてふとあることに恵里が思い当たった瞬間、そのことを二人が口にしていた。それを聞いたクラスメイト一同や鷲三に霧乃、リリアーナもハッとして愛子の方を見れば、彼女も一度うなずきを返してから一同の疑問に答えていく。

 

「妙な話ですよね。空間魔法に適性のあったアレーティアさんと谷口さんでも地球に戻ることは出来ない。けれどもエヒトは私達をこの世界へと引きずりだすことが出来ましたし、向こうの居城へと自由に出入りが出来る……中村さんの話しぶりからして、そこは()()()だとしか思えないんです」

 

 そう。愛子が疑問に思ったのは何故エヒトやその陣営は自由に『世界』を行き来できたか、ということだ。言われてみれば確かにそういうことかと理解できたし、どうして愛子がそんなことを言い出したかを恵里も理解できた。故に、彼女が話そうとした内容すらもすぐに理解が及んだ。

 

「……前世のアイツもそこに攻め込んできてた。それを考えれば――」

 

「じゃ、じゃあ……本当に、世界を自由に行き来する方法はあるってことですか?」

 

 恵里のつぶやきに鈴が乗っかれば、にわかに食堂が騒がしくなる。あの実験で少なからず地球出身の人間は失意に襲われたが、地球に戻る方法はまだあるかもしれないという希望が再度芽生えたからだ。だが今の話の主題は厳密にはそこじゃないと考えた恵里は愛子に答えを言うよう催促する。

 

「それはわかったよ。それで、先生が言いたいことって――」

 

「中村さんのお察しの通りだと思います――地球に戻る方法があるのなら、無理にこの世界の人間を助けなくてもいいんじゃないですか?」

 

 ――あまりにも冷たい言葉にクラスメイトの多くがその場で凍り付く。そしてそれはトータス側の人間もそうであったが、デビッド達だけは苦しみを堪えようと強く手を握りしめるだけであった。

 

「ひ、必要でしょう畑山先生! だ、だって、ただの人助けじゃなくて俺達と共に戦ってくれる人間が増えるかもしれないんですよ!?」

 

「単に戦力だったら南雲君が作ったゴーレムを並べるなり、アンカジ公国やヘルシャー帝国を倒して支配下に治めるなりすればいいのではありませんか? そこまで肩入れしなくってもどうにかなるはずです」

 

「だ、だからって……愛ちゃん先生はここの人達がどうなったって本当にいいの!? 先生でしょ! そんな冷たいこと言わないで!!」

 

「言ったはずです。もう私は教師などではありません。私にとって一番重要なのはこの世界に来させられた皆さんの安否、ただそれだけですよ」

 

 半ばヒステリー同然のように訴えた光輝と優花にもただ冷淡に、にこやかに微笑みながら愛子は返す。まさかこれほどまでに人間不信をこじらせていたとは思わず、優花や香織ら女子を筆頭に何人もの人間が恐怖していた。得体の知れない何かを見るような目つきで彼女を見つめる人間も決して少なくないし、なんて言葉をかければいいかわからず惑うのが大半だった。

 

「た、確かにトータスの人間が憎いのはわかります! で、ですが愛子殿! そこまで容赦なく切り捨てるなど――」

 

 そんな中、きっとそこに自分達も含まれているとわかりながらもカムが叫ぶ。恵里らの話を聞いた限りでは彼女はクラスメイトから友人に近い距離で親しまれていたはず。ならば親しくしていた相手に疎まれたりするような真似をしていいのかと咎めようとしたのだ。自分達が嫌われているのも経緯からして仕方ないと考えつつ、訴えようとしたものの愛子はそれを途中でにべもなくさえぎった。

 

「だから何です?……私はただ、クラスメイトの子達がもう傷つかなくて済むように()()()()()()()()だけですよ?」

 

 愛子は微笑みを崩すことなくそう述べる。ふとその言い回しに恵里やハジメがいぶかしげな視線を送れば、彼女は悔恨を噛みしめるようにしてぽつぽつと語っていく。

 

「中村さんは真っ先にこの世界から切り捨てられました。彼女と親しくしている南雲君達もそうです」

 

 そう苦々しく吐き捨てるように過去を述懐する愛子に誰もが何も言えなくなる。魔王だと自称したりトータスの人間に敵意を見せるようになった彼女から、かつての愛らしくも頑張り屋で自分達を思ってくれる優しかった頃の面影が垣間見えたからだ。

 

「天之河君達もそれに深く傷ついたはずですし、永山君達とオルクス大迷宮や王国と衝突した時に傷つけ合ってます。それに本来ならしなくてもいいサバイバル生活だってやらざるを得なかった……まぁ私が思ってた以上にたくましく生活してたみたいですけど」

 

 結局オルクス大迷宮で色々やってなんだかんだエンジョイしていたのを思い出したのか、恵里達に一瞬やや恨みがましい視線を送りつつも愛子は更に胸の内を明かしていく。

 

「永山君達だって王国に、エヒトにいいように操られてその挙句手の平を返されて傷ついた――デビッドさん達は別ですけれど、私はこの世界の人間なんて信用出来ません」

 

 やはりトータスの人間に対してあふれんばかりの敵意を抱いているのは、地球から来た皆を必死に守ろうとしているからだということをこの場にいたハジメ達は理解し、重吾らも再認識する。言動がどこまでも冷酷になったとしてもそこにはクラスメイトやその家族を守るためという責任感ある大人としての思いが根底にあるからだとわかったのである。

 

「けれど皆さんを助けられるほどの力があるとうぬぼれてなんてもういませんよ。あまりに私は非力です……だからこそ、手を伸ばして守りきれる場所だけは守りたいんです。そのための、リスクはやはり減らしておきたいんです」

 

 その時浮かべた穏やかでどこか寂し気な笑みにクラスメイトの多くが静かに涙する。変えてしまった。自分達のせいで彼女はこうなるしかなかったのだと罪悪感に襲われ、もっと他に何か出来なかったのかと後悔したからだ。

 

「しかし、畑山先生……一切合切切り捨てるというのは間違ってはいないだろうか」

 

 そこで鷲三が絞り出すように声を出す。力不足であった、一人の大人として孫娘とその友人達を守りたかったと思っていた自分にも、先の愛子の言葉が深々と突き刺さっていたからだ。

 

「それが雫達のためになるとでも言いたいのですか? 絶対に違うでしょう」

 

「雫達が慕ったのは貴女がどこまでも真剣にこの子達と向き合う優しい先生だったからだと思います。冷たく容赦がなくなった貴女を、あの子達は望んでいると思うのですか」

 

 それは隣にいた霧乃も同様であり、けれども教え導く立場であった彼女がそのようなことをしてよいものなのかと説得を試みるも、愛子はただ首を横に振るばかりであった。

 

「反面教師、という言葉はあるでしょう? 少なくとも私のような大人にはならないように育ってくれるでしょう……それで、いいんです」

 

 しかし何もかもをあきらめたかのような言葉を出した愛子に鷲三も言葉が詰まってしまう。きっと説得しようとしても彼女は変わることはないという予感が頭をよぎってしまったからだ。それをどうにか振り払おうとしても結局何て言えばいいのかわからない。

 

「で、でも……だ、大介や永山さん達のように立ち振る舞いを変えても貴女を慕っている人はいます! 以前の貴女に戻ってほしいと思ってるんです! い、今の貴女の行動は、上に立つ人間としても間違ってて……」

 

「それで? その程度の説得で止まると思いましたか? 人の上に立っていたのなら、私がどれだけ本気でこうしているかわかるはずですよね」

 

「う、うぅ……」

 

 大介の後ろでアレーティアが必死になって訴えるも、愛子がそれを意に介する気は全くない。半端な思いでやってなどいないとにらみ返してきたのと、愛子にとって大事な存在である大介達を傷つけた罪悪感からアレーティアは怯えて彼の後ろに隠れてしまう。

 

「お願い愛ちゃ……畑山先生! アレーティアさんが言ったように私達は先生がそうすることを望んでなんていないの! だから!」

 

「構いませんよ。皆さんがこれ以上傷つかずに済むというのならどれだけの悪行を繰り返しても耐えるつもりですから」

 

「ったく、取り付く島もないね……!」

 

 雫が訴えるもそれがどうしたと言わんばかりの様子でハジメ達もどうすればいいのか途方に暮れ、恵里もどうやってこの頑固者を丸め込もうかと知恵を絞っている。

 

 “鎮魂”を使ったところで向こうに冷静に反論をする機会を与えるだけだし、どう見ても捨て鉢で自分達を守れればそれでいいと言わんばかりだから中々に質が悪い。そんな愛子をどうすれば説得出来たものかと考えあぐねていると、ふとハウリア族のパルという少年がぽつりと漏らした。

 

「じゃあ愛子姉ちゃんは、愛子姉ちゃんは誰が守ってくれるの?」

 

 あまりに単純で、稚拙で、けれども核心をえぐるその言葉に、誰も答えることは出来なかった。




最後のセリフ、ホンットにパル君に言わせたかったんです……!
だって拙作の愛子、自身の血肉を削りながら子供達を守ろうとしてるんですもん! そんなの恵里達は絶対に望んでませんから!

近いうち(2023/8/16 17:00)に次の話の投稿を予定しております。


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七十五話 光を求めて彼らは歩く

では予告通り次のお話です。本編をどうぞ。


「じゃあ愛子姉ちゃんは、愛子姉ちゃんは誰が守ってくれるの?」

 

 パル少年のその言葉を聞いてハジメ達はハッとして愛子を見る。確かに今の愛子は誰かを守ろうとしているだけで、守られることも支えられることも拒絶している様子だった。そしてそれを投げかけられた愛子もまた何も言わず、一度うつむいてからパルの方に視線を向ける。

 

「デビッドさん達なの? 光輝兄ちゃん達なの? それとも他の人なの?」

 

「……デビッドさん達は共に戦ってくれる人達です。それと天之河君達はあくまで私が守るべき子供ですから。鷲三さんも霧乃さんもそうです。だから、守ってもらう必要なんてない。私が盾になるんです」

 

「そうじゃない! そうじゃないよ愛ちゃん!」

 

 誰が守ってくれるのと問いかけるパルに愛子はただ淡々とそう答える。しかしそれを香織や他の皆は黙って見過ごせずに声を上げる。

 

「私達だって愛ちゃんを守りたいんだよ! ずっとずっと私達のためにいっぱい働いて、まだ戦おうとしてる愛ちゃんを私達だって守りたい!」

 

「あぁ! 一方的に守られたいだなんて俺らは思ってねぇ! 支え合いたいって思ってる!」

 

「ですが、ですが私は!」

 

 香織と龍太郎の言葉に一瞬瞳が揺れたものの、それでもかぶりを振って二人を半ばにらむようにキッとした目つきで見てきた。

 

「私、大人なんですよ? 子供だった皆さんを……守るのが、助けるのが教師の……大人の、役目じゃないですか」

 

 言葉を続けていく毎に愛子の瞳が潤んでいく。その様をデビッド達は静かに見守ろうとし、愛子に好きに言わせてほしいと恵里達を手で制止する。

 

「いきなりこんな世界に連れてこられて、望んでない戦争に参加させられそうになって。それを止めるなり貴方達をそこから遠ざけるなりするのが私の役目だった。でも、でも……」

 

 愛子の口から洩れる悔恨を聞いて恵里達は思う。この人はやっぱり教師なのだと。手段や方針が過激にはなったとしても、自分達生徒のことを優先して考えてくれる立派な教師だったのは変わらなかったのだということを理解したのである。

 

「……果たしてんだろうがよ」

 

 だからこそ言わなければ、伝えなければと皆が動いた。

 

「あんたは立派な教師だよ! 俺達のことをこんなにも思ってくれてるじゃねぇか!」

 

「そうよ愛ちゃん先生! あんな辛い目に遭ったのに、それでもまだ私達のために立ち上がってくれたじゃない!」

 

 幸利が、優花が声を上げる。心が折れて砕け散ってもなお立ち上がってくれた彼女に敬意を、感謝をぶつけていく。

 

「愛ちゃんはちゃんと頑張ってたんだよね! だったら私達文句なんて言わないよ!」

 

「そうだよぉ~! どうにもならなかったのは私達もだから~! 自分だけを責めないでぇ~!」

 

 自責の念に駆られる愛子に奈々と妙子が違うと真っ向から否定していく。

 

「人を殺した俺達を見捨てないでくれたのは愛ちゃんだろ!」

 

「大人たちにいいようにやられた俺達にずっと向き合ってくれた愛ちゃんに感謝してるんだ! だからそんな、自分を悪く言わないでくれよ!」

 

「俺達を家に帰すって約束を天之河達にさせてくれたじゃんか! 俺達の命は助けてくれたのは違いないって!」

 

 相川が、仁村が、玉井が、叫ぶ。既に血まみれになってしまった自分達の手を愛子が引っ張ってくれたことを伝えようと必死になる。

 

「私達をどうにか戦いから遠ざけようとしてたのも聞いたよ!」

 

「愛ちゃんは頑張りすぎだよ! そんなにボロボロになるぐらいなら私達を……私達を頼ってよ!」

 

「そうだ! むしろ俺達が先生に甘えっぱなしで……まだ恩を返せてない!」

 

「あぁ!……頼りない俺達でも、先生の支えぐらいにはなれる……いや、なってみせる! だから!」

 

 辻が、吉野が、野村が、重吾が大声で想いを示す。ただ助けられてばかりだった自分達が今度は愛子の助けになりたいと真剣になって伝えていく。

 

「愛ちゃん!」

 

「愛子先生!」

 

 彼らに続くように光輝達も愛子に言葉をかける。自分達がいる、一人じゃない、一緒に戦おう、という旨の言葉をひたすら愛子に向けて訴えていた。

 

「み、皆……でも、私は……」

 

「いや、ここは愛子の負けだ」

 

 だがそれでもと愛子は自分が子供達を守ろうと訴えようとするも、デビッドが彼女の肩にポンと手を置きながらそう諭す。

 

「愛子さんは私達を『仲間』として認めてくれたでしょう? でしたら彼らのことも同じに扱うべきです」

 

「少なくとも僕達と愛子ちゃんに戦う力をくれたあの子達は『対等』な関係じゃないとね」

 

「大切に思っているのは向こうとてわかっているだろう。だが、今の愛子のそれは鳥を籠の中に押し込めるようなものだ」

 

「デビッドさん、チェイスさん、クリスさん、ジェイドさん……」

 

 元護衛隊隊長のデビッドに続き、チェイス達も愛子の説得にかかる。過去に愛子を傷つけてしまったが故に自分達で彼女を説き伏せることにためらいを覚えるようになってしまった。だからこそ彼女を慕う彼らの言葉ならばきっと愛子をまた救えるのではないかと考えてあえてそうするよう仕向けたのだ。汚い真似をしたことを恥じつつも、後で彼らにわびようと四人は言葉を交わすことなく共通の思いを抱いた。

 

「愛子さん。わし達が言えた義理ではないかもしれん。だが、この子達の思いを受け取ってはくれぬか? 『元』とはいえ教師だったのだろう?」

 

「もう教師という肩書は捨てたのですよね?……少々卑怯ですが、それならば私達のつながりは『仲間』ということではありませんか?」

 

「鷲三さん、霧乃さん……うぅ」

 

 鷲三と霧乃も静かに愛子に言葉をかける。的確に弱点を、愛子が子供達のために戦える人間であることをわかった上で彼らの言葉を受け止めろと突きつける。そうすれば愛子も一層うろたえてしまう。

 

「そういえば先生さぁ~、前に言ったよねぇ。魔物肉を食べるためにはボク達が提示した条件を守れってさぁ~」

 

「っ……それ、は」

 

「ボク達がやることにケチを今後一切つけないこと、ちゃぁんと守ってね……一応期待してるんだからね? あの時見せた執念をさ」

 

 それに乗じるように恵里もまた声をかける。過去に魔物肉を食べる際に提示した条件を思い出し、それを突きつけた上で軽く本音を漏らす。あの時見せた執念に近いそれを恵里は評価していたのだ。これならば自分達、ハジメの力になると期待していたのである。

 

「良樹さんやアビスゲート様、礼一さんが慕っているならば私達ハウリアにとっても仲間です!」

 

「シアの言う通りです! 私達ハウリアは家族を――いえ! 仲間を見捨てはしません! 私達がついています!」

 

 トドメにシアとカム、そして全てのハウリアが彼女の近くへとやって来てそう伝える。亜人族一、情の深いハウリアに迫られてもう愛子も豹変する前のようにいっぱいいっぱいになってしまう。

 

「私達がいるよー!」

 

「僕達を信じてください!!」

 

「わ、わかりました! わかりましたから! み、認めます! 皆さんのことを仲間として認めますからぁ!」

 

 魔物の肉を食べて赤くなった目をぐるぐると回しながら、ハウリアにたかられた愛子はただそう叫ぶしかなかったのであった……。

 

 

 

 

 

「……それで皆さん。どうするつもりで」

 

 軽く言質を取ったことで恵里を筆頭に魂魄魔法を使える全員で“鎮魂”を発動。一度その場を落ち着かせてから再度話し合いに臨むことに。ハウリアにもみくちゃにされる寸前だった愛子は恨みがましい目を恵里達に向けるも、大半は苦笑いを浮かべたり穏やかな微笑みを浮かべるばかりだった。

 

「どうするも何もフューレンの裏組織の摘発に参加するのを止めるな、ってだけだよ。全員参加しろ、って言ってる訳じゃないしね」

 

「はい恵里。それ以上ダメだよ」

 

 そんな愛子の視線もどこ吹く風と言わんばかりに恵里はそう返す。恵里からすれば参加者を募ろうとしたところで愛子が話の腰を折ったという風にしか思えなかったのだ。たとえそれが参加者が半ば決まった形のものであってもである。だから軽く嫌味を返したものの、すぐにハジメに叱られてしまってぶーたれてしまう。

 

「いいじゃん別にぃ。話の腰折ったのあっちなんだよ。嫌味の一つぐらい」

 

「畑山先生が僕達のことを大切に思ってたからでしょ。まぁちょっと、行き過ぎてたのは僕も思うけど」

 

 そのハジメも恵里をたしなめたものの、愛子がやり過ぎだったのを認めていることから光輝達はため息を吐き、重吾達とフリードは心の中で二人を同類扱いしていた。

 

「あー、コホン……いいか皆? 俺は裏組織の摘発に参加するつもりだ」

 

 場に漂った変な空気を断ち切るべく光輝はせき払いをすると、自分が参加することを明らかにした。

 

「俺がそう決めたからって雫も永山達も続かなくていい。あくまで自由参加だからな」

 

「つってもどうせ八重樫も龍太郎も白崎も参加するんだろ? 違うか?」

 

「大介……あのなぁ皆」

 

 全員の意思を尊重することを伝えた上で自分の参加を申し出たものの、即座に大介が反論した上に龍太郎達もすぐに顔を合わせてうなずき合うものだから光輝はすぐに額に手を当てて深くふか~くため息を吐いた。予測がつかなかった訳ではなかったが、だからってすぐに反応するかと思ったからである。

 

「今回の奴に参加して成果を挙げれば作物をコソコソ売る必要もなくなるだろ? だったら参加するしかねぇだろ」

 

「そうね。参加の見返りは十分あるもの。大迷宮の探索も少し行き詰っていたし悪くないと思うわ」

 

 龍太郎と雫は参加することのメリットを提示し、幼馴染~ズもそれに同意する形でうなずく。

 

「私も皆様がそれに参加して下さるとありがたいと思っております。ここで皆様が成果を上げれば商業ギルドからの覚えも良いですからね……店をたたんでしまった方を取り込むことも簡単にいきそうですし」

 

「うわ腹黒っ」

 

 それにはリリアーナも同意を示した……彼女の場合はサウスクラウド商会の拡大の方に重きを置いていたが。もちろんフューレンの立て直しをするためという目的があったものの、この摘発で信治達が活躍することで商業ギルドからの助力を得、店じまいをしてしまった商人をピックアップしてもらってスカウトしようと考えていたのである。

 

「……やっぱ俺、惚れる相手間違えたかなぁ」

 

「あの、信治様……リリアーナ様はダメですか? その、無理だというならば……」

 

 またしても惚れた相手の腹黒い面を見た信治は明後日の方向を見つめるも、今にも消え入りそうなヘリーナの声を聴いてふと思う。仕事をしている時に見せる真剣な様子――たまにテンションが変になって奇怪な笑いを浮かべることもあるが――を知っているのは自分とヘリーナだけだと思うと優越感がすごいし、仕事の合間や終えた後にするお茶会の時に見せてくれる年相応の少女の顔を見て心臓が高鳴る時があるのだ。

 

「…………あー、うん。嫌えねぇ。そっちが無理だわ。悪い、ヘリーナ。姫さん」

 

 そしてそんな彼女を手放すことを考えるだけで胸が苦しい。これが惚れた弱みってことかと信治は理解しつつもそう返し、ほっと一息を吐いた後でえへへとはにかむリリアーナとどこか安堵するヘリーナを見てますます手放したくないと思うのであった。

 

「……なぁ天之河、どうしてお前は戦えるんだ」

 

 そうして恵里達全員が参加を決め、残るメルドやハウリア、愛子やデビッド達に重吾らの扱いをどうするかと相談を始めたところで、その重吾がぽつりとつぶやいた。

 

「どうしたんだ永山」

 

「いや……お前達だって世界を敵に回していただろう。どうして、どうしてそこまでこの世界のために戦えるのか。それがわからないんだ」

 

 光輝達とて恵里達をかばったことで一度メルドからにらまれたし、自ら死地に飛び込まざるを得なかった。それでも世界の敵として扱われていたのだ。いくら友達のため、目的のためといえど自分達と大差ない、むしろそれ以上に辛い目に遭ったというのにこの世界の人を助けられるのか。その迷いに光輝は困ったようにこう漏らした。

 

「……ごめん永山。この世界のために戦う理由は俺もよくわからないんだ」

 

 一度腕を組んで考える素振りをしたのだが、何度も何度も首をかしげて遂にこんなことを言ったのである。これには重吾達は思わずこけそうになり、リリアーナやフリードも何とも言えない表情でただ困惑するばかりだった。

 

「いや、わからないって……ただ、なんとなく人助けをしているだけなのか?」

 

「そう、かな……そんな感じだ。だって、そこに助けを求めてる人がいるじゃないか。だからだよ」

 

 まさに物語のヒーローさながらの思考をしていることを明かした光輝に、重吾達のグループは嫉妬と困惑の混じった視線を向ける。そういう視線を向けられるだろうなぁと薄々感づいていた光輝が苦笑いを浮かべると同時に雫も苦笑しながらそれを肯定した。

 

「そうね。いつもそう。光輝は誰かを助けずにはいられない人だもの……でもね、だから私も救われたの」

 

「あぁ。そんなお節介な奴のおかげで俺も立ち直れたんだよ。助ける相手ぐらい選べ、って言いたいけど、ま、助ける相手を選ぶ光輝なんて光輝じゃないしそれで構わねぇさ」

 

「そういう奴だよ光輝はな。実際それでお前らだって助かっただろ」

 

 ただし、そのおかげで救われたということを付け加えて。幸利も、礼一もやれやれといった具合に光輝の度の過ぎたお節介ぶりを評価するが、仕方ないなぁといった感じのものであった。そしてそれは恵里達や鷲三、霧乃もそうで、彼に向けて生暖かいまなざしを送っている。

 

「皆、もう……その、さっきはそう言ったけど、今回の摘発に関してはそうしたい理由はちゃんとあるんだ」

 

「一体何がだ」

 

「子供達だよ。裏組織のせいで離ればなれになった子供達を助けたい」

 

 困ったお節介焼きといった風に評価されてる周囲にどこか居心地の悪さを感じつつも、光輝は今回の摘発に参加する理由を語る。それは人身売買のために誘拐された子供を救いたいというあまりにもシンプルなものだった。

 

「確かにかわいそうだとは思うな。でも、だからって……」

 

「そうだな。そうかもしれない。でもさ、これって俺達と変わらないだろ?」

 

「えっ?」

 

「俺達みたいにさ、その子達は家族から引き離されてるじゃないか。だから、他人事に思えなくってさ」

 

 ――そして同時に、ひどくシンパシーを感じるものでもあった。その言葉に誰もが『あっ』と言葉を漏らし、その発言の主へと視線を向ける。

 

「どこかもわからない場所で、助けを求めて、それで放っておいたらきっとひどい目に遭う……だから、助けたい。それじゃ、駄目かな」

 

 その言葉がこの場にいた人間の心に染み渡っていく。考えたことが無かった。けれども光輝の言う通り、その子達は自分達と一体何が違うのかと恵里達は強く思ったのだ。無論それは愛子や鷲三に霧乃、メルドにアレーティアであってもそう思っていた。

 

「……そうだな。今までそう考えたことはなかったが、その通りだ」

 

「なるほど。何を言うかと思ったが、共感したくなるというのもわからんではない」

 

 メルドとフリードが同時に感想を漏らし、リリアーナやヘリーナもうなずいていた。

 

「そ、そうです……! い、言われてみれば確かに!」

 

「子供達にも家族がいる……め、メルド殿! 私達もこれに参加してもよろしいでしょうか!?」

 

「お、落ち着けお前ら! ちょっと待たんか!」

 

 ハウリアはなおのことリアクションが大きかった。しばしの間大きくどよめくと、すぐにメルドに向かって頭を下げ出したのである。家族愛が強い一族だからこそ、たとえ恐れている人間であっても家族が引き離される痛みに共感し、何とかしたいと願い出たのである。無論メルドはいきなりの申し出に軽くパニックになっていた。

 

「私、は……」

 

 そして愛子も少し迷いを見せた。クラスメイトの子達を守ると決めてからはデビッドら味方のトータスの人間の優先度を下げた。最優先すべきは地球出身の彼等であって他は切り捨てることも視野に入れようと決めていたからだ。だが先の説得と今の光輝の言葉にその決意は少し揺れ動いており、ほんの少しだけ誘拐された子供達に同情を向けてしまっていた。

 

(……変わらない。確かに、その子達は大介達と変わらない)

 

 アレーティアもまた想定しなかった見方に驚いて、未だ大介の後ろに隠れつつも光輝の言葉を噛みしめる。彼女もまたフューレンを味方につけることに賛成していたため、摘発に参加することに乗り気ではあったのだが、その言葉で一層やる気をたぎらせていた。

 

「……なら、行く」

 

 各々が考え、行動に移したりしている中、重吾はおそるおそる手を上げて光輝の方を見た。まさかと思って恵里や大介ら、フリードが視線を向ければ重吾は未だ迷っている様子ながらも行くことを表明したのである。

 

「誘拐された子供達も俺達と変わらない……だったら、助ける。助けたい」

 

「いいのか永山。まだ辛かったり苦しいんだったら――」

 

「俺への同情はいらない……いや、その子達を助けることで俺自身も救われたいと思っているかもしれない。最低なのはわかってる……でも、地球に戻った時に親に誇れることをしたと言いたい。それじゃ駄目か……?」

 

 動機の大半は言い訳のしようもないエゴばかり。だがそれで迷いながらも彼は人を助けることを、もう一度戦うことを選んだのである。そんな傷だらけの勇者の姿に光輝は軽くうなずいて称賛のこもったまなざしを送っていた。

 

「俺がどうこう言える立場じゃないさ――よろしく、永山。俺達と一緒に戦ってくれ」

 

「……あぁ!」

 

 自分達を救ってくれたある少女を一瞥してから光輝が手を差し出せば、重吾もその手を固く握り返す。彼とのわだかまりがまた少し解けたことを思いながら光輝はまぶしい微笑みを浮かべ、重吾も気まずくも気恥ずかしそうな表情で彼を見ていた。

 

「重吾……」

 

「リーダー……」

 

「永山、お前……」

 

「マジかよ永山……」

 

「「永山君……」」

 

 その様は彼のグループに属していた野村らにも影響を及ぼしていた。かつて敵視していた相手に気まずさと後ろめたさを感じていた彼等にとって、勇気を出して一歩踏み出した重吾がとてもまぶしく見えたのだ。

 

「……なぁ天之河、俺もいいか?」

 

 そのことをうらやんだり妬ましく思いはしたが、それを超えたのが自分達もそうしたいという願望だった。彼が乗り越えようとしているのなら自分達も、と思ったのだ。

 

「えっと……野村は、大丈夫なのか?」

 

「いいのか、健太郎?」

 

「正直今でも頭の中がぐちゃぐちゃだよ。けれど、ここで一歩踏み出せなかったら後悔するような気がしてさ」

 

 敵視していた少年達のようにやれたらという羨望、自分達に何が出来るのかという諦観、そして変わることへの恐怖が野村の胸の内にあった。だが今目の前で親友が前に進んでしまった。今この機会を逃してしまえばきっとこの先彼と一緒にいられないだろうという直感があった。だから野村は手を震わせながら光輝に申し出た。

 

「――私も! お願い健太郎くん。私も、真央も連れてって」

 

「健太郎くんと綾子とならきっと私も行けるから。だからお願い」

 

 その瞬間、彼の両隣にいた少女達も前に進むことを選んだ。辻は彼の手をそのまま握って、吉野は指をからめた彼の手を自分の胸の高さまで持っていきながら。三人一緒ならきっとどこまでも行けるという信頼とも願望ともつかない青臭いものを抱きながら。

 

「――あぁ! 俺と綾子、真央も頼む!」

 

 健太郎もまた同様のものを抱きながら光輝に向けて頭を下げた。謝罪や許しを請うものではなく、この二人とこれからを歩くために。健太郎に続いて綾子と真央も頭を下げると、光輝の優し気な声が彼らの耳に届いた。

 

「ありがとう野村。それと辻と吉野も。一緒に戦ってくれるか?」

 

 その言葉だけで何もかもが許された気がして。瞳を軽く潤ませた健太郎を綾子と真央がただ無言で抱きしめ合った。

 

「なぁ天之河、その……俺も、いいかな?」

 

「今更虫のいいことを言ってるのはわかるよ……でも」

 

「俺達も、変わりたい……ここでそれを示したいんだ! だから……」

 

 その光景に続いて相川昇が、仁村明人が、玉井淳史が参加を願い出た。慕っていたリーダーが、一緒にいた仲間達が変わろうと足掻くのを見て思いを止められなくなったのだ。

 

「……ならば私も。私も参加します。クラスメイトの皆を守る。そう決めたんですからね」

 

 最後に愛子もまた自分達と共に戦うことを表明した。保護しようとしている重吾達が戦うことを決めたのならば当然の流れではあったのだが、その表情は決して暗いものではなかった。渋々戦うのではなく、自分もまた子供達と共にありたいと決意したような顔つきで。

 

「――えぇ! 頼むよ相川、仁村、玉井それと畑山先生も」

 

「いいえ。やっぱり私に先生なんて荷が重過ぎますよ。今後も“魔王”で通すつもりです」

 

「メルドさーん! 私も参加しますぅ! 良樹さんの力になるためにも! 愛子さんのためにも!!」

 

「もちろん私達も同様です!! 愛子殿のためにも、ハウリアは一丸となって力を尽くす所存です!」

 

「だからやかましいわお前ら!! 話は一人ずつや――黙らんとぶっ飛ばすぞ!!」

 

 そして昇らと愛子の願いは聞き入れられる。その様子にハウリア一同のテンションがダダ上がりし、もみくちゃにする勢いでメルドに再度参加を申し出ていた。なお全然勢いが止まないことから一番近くにいたカムにげんこつが落ち、カムを回収すると同時に蜘蛛の子を散らす勢いでハウリア一同が逃げ回ったのであった。

 

「……こんなことになるなんて思わなかったね」

 

 そんなわちゃわちゃした状況をながめながら一人恵里はつぶやく。かつて自分達を敵視していたクラスメイトが今こうして歩み寄ってくるとは予想してなかったからだ。最後の最後で戦力になってくれればとは思っていたものの、その予想が良い意味で裏切られたことに内心驚きを隠せなかったのである。

 

「そこは光輝君の人徳が大きいかな。僕だとちょっと無理だったと思うし」

 

「ハジメくんもそんなに自分を卑下しないでよ。でも――」

 

 ハジメは自分と親友の懐の広さを比べて彼のすごさを実感し、鈴は愛しい人がそこまで狭量な人間ではないと口を尖らせた。恵里も鈴に続いてハジメに一言文句をつけようとした時、二人から抱きしめられる。

 

「やっぱり恵里がいたからだね」

 

「うん。恵里がいなかったらきっとこんな光景なんて見られなかったよ」

 

「……そ、そっか」

 

 普段ならば青天井に調子に乗るところだが、今の恵里はどこか気恥ずかしさが勝ってそれにうなずくぐらいしか出来なかった。

 

(でも、そっか。前世のボクだったらこの真逆の光景を見せつけてたんだよね)

 

 その理由もすぐに思い至る。クラスメイト達を裏切り、光輝を手に入れようと画策していたあの頃の自分を思い出したからだ。しかし今の状況は全く違って、思い描いていた以上にいい方向に転がったのを見てどこか感慨深げにうなずいた。自分はここまで変わったんだ、変われたんだということを改めて自覚していたのである。

 

「でもさ、それもね」

 

「うん。そうだね」

 

「「ハジメくんのおかげだから」」

 

「う、うん……そう」

 

 けれどそれもここにいる素敵な少年との出会いがあったから。彼が起こしてくれた奇跡だからと見上げながら恵里と鈴はハジメにそう返せば、彼も頬を染めて恥ずかし気に顔を背けるのであった。

 

 かくして裏組織の摘発に地球から来たメンバー全員が参加することになり、またハウリア全員もメルドの指揮の下で従事することが決まる。ありえた未来に魔王と呼ばれた少年が行った裏組織の殲滅は、大きく形を変えて行われようとしていたのであった。




ようやく恵里達の裏組織の摘発への参加が決まりました。
次回は本気になった彼女達が久々に見られるかなー、って思います(見られるとは言ってない)


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七十六話 商業都市の夜更け

ちょっと色々あって遅くなりました。主に掛け持ちしていたソシャゲの一つがサ終を迎えるまで遊び倒してたせいですが。

……コホン。では改めまして拙作を見て下さる読者の皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも178342、しおりも415件、お気に入り件数も866件、感想も641件(2023/9/1 23:27現在)となりました。本当にありがとうございます。これもひとえに皆様が見てくださるおかげです。

そしてウエストモールさん、Aitoyukiさん、拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。おかげでまた話を書き綴っていく力をいただきました。本当にありがとうございます。

今回の話はちょっとだけ長め(約11000字程度)となっております。それでは本編をどうぞ。


 裏組織の摘発に参加するかについての話し合いを終えた翌日、早速恵里達は朝一で冒険者ギルドを統括するバルス・ラプタにかけあってイルワに連絡をとる。ハウリア百数十人全員と彼らを監督しているメルドの参加も伝えれば、歓迎する旨も含めて承諾してくれた。

 

 向こうとしても人員が相当不足していたのだろう。是非とも参加してほしいとの返事とこれからすぐに話し合いをしたいというイルワの要望を受けた一行は、代表として恵里、ハジメ、鈴そしてハウリアの長であるカムとメルドの五人で向かうことに。そして先日フューレンに向かう際に使った街道へゲートキーで転移し、カムがついてこれる程度の速さで合流地点へと向かった。

 

「あ、見えました。あそこにいるのが案内していただける人でしょうか」

 

「だろうな。さて、カム。ついてこれるか?」

 

「無論です。皆さんが私に合わせて下さってるのですし、この程度ならば問題ありません」

 

 今回この人選になったのはハウリアの参加の意志と監督するメルドの顔合わせ、それと恵里が作る例の洗脳効果のある首輪を売り込みが目的であったためである。ハジメと鈴が来てくれることに恵里は喜んだものの、その理由はよりによって自分のブレーキ役だ。それを聞いた当初はやや渋い表情を浮かべたものの、結局ハジメと鈴と一緒にいられるからいいやと考え直していた。

 

「おはようございます。皆さん」

 

「いつの間に!?……いや、だからこそイルワ支部長がそちらを評価したということか」

 

「信じられん……ここ近辺は開けているというのに、フッと現れたぞ……これがハイリヒ王国を打ち破った者達の力か」

 

 すぐに平原の合流地点へと向かえば、そこにいた冒険者もいきなり現れた恵里達に驚きを隠せなかったものの、割と早く持ち直した。おそらくイルワが事前に説明をしてくれていたであろうことをありがたがりつつ、案内しようと声をかけてきた彼らにハジメが対応していく。

 

「早速で悪いのですがこちらへ。変装用の衣類も用意していますが――」

 

「あ、それは別に大丈夫。はい」

 

 その一言ですぐにドッグタグ型のアーティファクトを起動し、五人は姿を適当な町人のものを思い浮かべる。そうすることで他人からはそういう風に見られるようになるこれの便利さを改めて噛みしめつつ、驚愕する冒険者達を見やる。

 

「……話には聞いていたが、実際にやられると白昼夢を見てるかのような心地だな」

 

「驚かせてしまったのは謝罪する。では案内を頼めるだろうか」

 

「あ、あぁ。もちろんだ。ではついてきてくれ」

 

 メルドからの謝罪を受けた冒険者達はすぐに恵里達をフューレンへと案内してくれた。事前に話が通してあったのか今回の検問はおそろしくスムーズに終わり、一行は何の苦も無く街の中へと入ることが出来た。その間も裏組織の構成員が襲ってくるということもなく、五人は無事に冒険者ギルドへとたどり着く。

 

「来て下さりありがとうございます。当ギルド秘書長のドットです」

 

「まずは来てくれたことに感謝するよ。それと申し訳ないね。昨日の今日で呼び出してしまって」

 

 そして応接室まで案内され、イルワとメガネを掛けた理知的な雰囲気の男性に出迎えられる。イルワの気遣いに軽く恵里達は苦笑しつつも特に問題はないとばかりに手を振った。ゲートキーのおかげでゲートホールのある場所ならどこでも自在に行き来が出来るし、すぐに話し合いを進めてくれるのであれば願ったりかなったりだったからだ。

 

「そちらの男性と亜人も仲間かな? よろしく頼むよ」

 

「王国の騎士団長を勤めているメルドだ。そして隣にいるのは私の部下にあたる」

 

「カム・ハウリアです……よ、よろしくお願いします」

 

 冒険者ギルドに入った時点で恵里達はアーティファクトをオフにし、元の姿でイルワら二人と顔を合わせた。そのイルワも彼の横にいたドットという男も初対面であるメルドとカムを見ても特に驚いた様子も見せていない。そのことにあれ? と思った鈴はメルドに目配せをしながらその疑問をぶつけてみる。

 

「あの、イルワさんはメルドさんとカムさんとは初対面ですよね? それなのにあまり驚いてないみたいですけど……」

 

「それに関してはまず腰を下ろしてからにしようか鈴君。このまま立ち話というのもなんだからね」

 

「今二人分のイスも用意します。少々お待ちを」

 

 やや引きつった笑みをほんの一瞬だけ浮かべたイルワはそう返し、対面のソファへと視線を一度移す。しかしそのソファーは三人そこらしか座れないため、とりあえずオルクス大迷宮で引率をしてくれたメルドに先に座るよう恵里達は視線を向けた。

 

「いや、ここはハジメ、お前達が座れ。後々イスの配置とかで面倒になるからな」

 

「「「あ、はい……すいません」」」

 

 ……なお、その後起きるであろう面倒ごとを見越したメルドに止められ、ちょっと申し訳なさそうにハジメを恵里と鈴がはさむ形で三人は座る。そしてドットが用意したイスをもらってメルドとカムも腰を下ろした。

 

「それでさっきの鈴君の疑問だけれど、君達神の使徒がこのトータスに現れて二週間ぐらいの時期にある情報がこの冒険者ギルドでも流れたんだ。反逆者に与した王国の騎士団長を討ちとった、っていうものがね」

 

 そうしてお互い向かい合って座るとイルワはあるウワサがここにも流れたというのを口にした。彼の言う通り、メルドが自分達のためにエリヒド王に意見したことを恵里達は覚えていた。もちろんその顛末もだ。オルクス大迷宮攻略時に語ってくれたそれが一体どう繋がったのやらと恵里達は耳を傾ける。

 

「あの時の話か……」

 

「そちらからすれば苦々しい話であることは承知しているよ。まぁ聞いてくれないかな……そのウワサが流れてからしばらくして教会から手配書も配られてきてね。そこにメルド騎士団長のものもあった。そう考えるとハジメ君達と生きて行動を共にしているのも不自然ではないなと思ってね」

 

 あの時を振り返り、思わずメルドはため息を吐きそうになった。結果的には良かったものの、あれで進退窮まった時はどうしたものかと思ったのは事実であったからだ。まぁ今はそれにかまけている場合ではないと恵里達同様耳を傾ければ、それなりに納得のいく答えをイルワは返してくれた。

 

「ダッサ。倒したって言ってるのにメルドさんの手配書書いたとか。でもまぁそれでいつかは来るって思ってたってことでしょ?」

 

「その通りだよ恵里君。それと前にシア君が来たからね。他に亜人を誰か抱えていてもおかしくはないと思っただけさ」

 

 見事な推察におぉと一行からため息が漏れる。情報の仕入れもさることながら、支部とはいえ組織の長を勤めているだけあると感心したからである。なお恵里の教会への罵倒は全員思うところがあったのか特に誰も触れなかった。

 

「見事な慧眼だな。流石はギルドの支部長というだけはある」

 

「一応このフューレンの冒険者をまとめ上げてきた実績はあるからね。これぐらいならやれて当然、といったところかな」

 

「ならば頼りになるというものだ――こちらは今回の作戦に参加する俺達の名前を記載した名簿だ」

 

 微笑みを崩さないイルワにメルドは頼れるところを感じつつ、宝物庫から取り出した名簿をドットへと渡した。代筆によって書かれたハウリア一同の名前も載っているのはもちろんのこと、参加する全員の名前の横に天職と使える魔法や技能の一部もそれには記載されている。ドットに一度検分してもらった後、イルワもそれに目を通して思わずうなり声を上げた。

 

「……中々に見事な資料だ。これならどこに誰を配置するかもあまり悩まなくて済みそうだね」

 

 向こうからしても相当の出来栄えらしい。苦労して用意した甲斐があったと恵里達は思いつつ、続くイルワの言葉に耳を傾けていた。

 

「正直君達の中で数名参加してくれるだけでもありがたいと思っていたんだけれど、まさか全員とはね」

 

「えぇ、本当に」

 

 想像をはるかに超える参加者の数にイルワは感嘆を通り越して驚愕まで至っており、ドットも同様ではあった。だがその時漏れたイルワの疑問に恵里達はうなずく他無かった。

 

 実際今回参加するのは恵里達地球出身の人間全員にハウリア、そしてハウリアの監督をしているメルドとかなりの大所帯である。ここ最近大迷宮の探索が行き詰っているというのもあったが、一番の理由はフューレンのバックアップを得ることに誰も異論をはさまなかったからだ。

 

「フューレンの方で『アンカジ産』の食料を販売してくれれば各地の立て直しも容易ですからね。もちろんフューレンの皆さんを助けたいと思っているのは事実です」

 

「こっちとしても後でやってほしいことがあってね。その時空腹でマトモに動けないとキツいからさぁ~」

 

 軽く後ろめたさを感じさせる表情をしながら語るハジメにイルワとドットも思わず釣られそうになり、やや冗談めかして話す恵里に二人は何か底知れないものを感じ取って表情を引き締めていた。

 

(あの時ハジメくんが言ったみたいにね。ご飯を食べられないとしんどいってのはボク達もわかってるし。エヒトとの戦いで数だけ揃えたところで勝てる訳が無いんだからちゃんとご飯ぐらいは食べてもらわないと)

 

 それは恵里も飢えの苦しみをわかっていたからだ。たった三日そこら、それもオルクス大迷宮の奈落の底へとたどり着くまでの間だけとはいえどその時の苦痛は未だ忘れた事はない。

 

 このまま放っておけばおそらくトータス全土で相当な食糧難が起きるやもしれない。そうなってはかき集められる戦力も減る可能性は大いに高い。だから今回のことにも積極的になっているのだ。

 

「……なるほど。しかし騎士団長だけとはいえ、王国の方からも支援を出して下さるのはこちらとしても大変ありがたい話です。ここに記載されている亜人全部、もしやそちらの管……轄となっているということですか?」

 

 自分達の答えに納得を示した様子のドットではあったが、ある疑問を投げかける。亜人への差別感情がわずかに漏れたそれを聞き、多分ハジメくんと鈴の口元が軽くヒクついただろなーと思いながらも恵里はただ黙って聞いていた。

 

「……はい。厳密にはメルドさんが預かってくれているんですけどね」

 

 ハジメが述べたように現在ハウリア一同はメルド、より厳密に言えば王国の預かりとなっており、家屋の手配も率先して国が音頭を取ってくれた。シアを除くハウリアは騎士団の宿舎から少し離れたところに急遽建てたアパートみたいなつくりの家屋に住んでいる。シアはもちろんそこに住んでいるハウリア全員も参加を表明したのである。

 

「もちろんです。私がハウリアの代表として、全員が従うということを伝えに参りました」

 

 カムはそう答えたものの、声のトーンからして軽く気落ちしている様子なのは恵里もまた理解した。自分達はもとより、メルドであってもあまり差別意識を出さないで接しているらしいことを本人の口から聞いている。

 

 だからこそ自分達の機嫌を損ねないように言葉は選んだものの、心の奥底に根付いているであろう差別意識を感じ取ってカムは気落ちしたのだろう。そう恵里は感じていた。

 

「気に障ったのなら謝っておくよ。申し訳ないね。……しかしそうか。もしこれほどの数の人数が参加してくれるのなら本当に心強い。前にも言った通りこのフューレンに残ってくれた冒険者、あと恐らくは保安署の人間もそう多くないからね。人海戦術が使えるようになるだけでもありがたいんだ」

 

 自分達が亜人を大切にしているというのを読み取った様子のイルワが謝罪を述べた後、改めて彼の口からフューレンの現況が語られる。

 

 やはり芳しくないそれを再度耳にしたハジメと鈴は苦笑を浮かべ、直接当人の口から聞いたメルドとカムは深刻な表情でそれを受け止めている。恵里もこの街がいつ崩れるやもわからない状態であることを再確認しつつも、恩を売るにはもってこいな状況であることに内心しめしめと思っていた。

 

「恵里、変なこと考えてないよね?」

 

「気のせいだよきっと」

 

 なおそれを考えた瞬間にハジメの眼光がちょっぴり鋭くなったものの、恵里は彼からの問いかけを普通に流していた。そこまで深く追求はしないだろうなーと長年の付き合いから判断したのだが、今回も特に間違ってなかったようで軽くため息を吐きながらイルワの方に向き直っていた。

 

「あの、イルワさん。実はちょっとお願いがあるんですが」

 

「一体何だろうか」

 

「実はさ、ちょっとやってほしいことがあってね――」

 

 そして今回の摘発に参加するにあたって、事前に一つ決めてきたお願いを恵里が耳打ちする。それを聞いたイルワは不思議そうな表情を浮かべてこちらを見ており、確かにそう思うのも仕方が無いと思いつつその理由を話していく。

 

「大したことじゃないよ。念には念を入れようってね」

 

()の実力なら万が一もないと思います。ですからどうかやっていただけませんか?」

 

 恵里達の口から出る彼への信頼にイルワはやや困惑した様子を見せる。何せ自分達が頼み込んだのは名簿に()()()()()ある人物を預かってほしいということだったからだ。

 

「……それほどまで信頼できる相手なのかな」

 

「あぁ。違いない。アイツは俺達の中で最強だからな」

 

 当人はやや渋い表情を浮かべていたものの、万が一裏組織の人間が逃げること、そしてこのギルドにまだ裏組織と通じている人間がいるかもしれないという懸念を伝えれば最終的には首を縦に振ってくれた。下手に誰かの下について動くよりも彼の真価を発揮するにはこちらの方がいいと皆思ったからである。

 

「わかった。なら彼はこちらで預かっておくとしようか」

 

 そう述べるイルワに恵里達はコクリとうなずく。そしてイルワはドットに紙を一枚持ってくるよう伝えると、その紙にある問いかけを書いてこちらに見せた――『遠藤浩介という少年は好きにさせていいのだろうか』という疑問をだ。それに恵里達はうなずいて返せば、わかったとただ短く返した。

 

「あぁそうそう。他にもお願いがあるんだけどさぁ」

 

「……あまり無理のない範囲でお願いするよ」

 

 ドット共々苦々しい表情を浮かべたイルワにやってくれなきゃ困るんだよと述べつつ、恵里達はあることをお願いしていく。そのお願いに一瞬考える素振りを見せつつも最終的に承諾してくれたイルワに恵里達は感謝する。

 

 その後も打ち合わせは続き、数時間もの話し合いを終えた恵里達はゲートホールをイルワに預けて冒険者ギルドを後にしたのであった。

 

 

 

 

 

 そして時は流れて早二日。用意が出来次第バルスを経由して連絡すると言ったイルワからの通達が届いた。本日昼過ぎに作戦を決行すると。

 

“よし。皆、俺達もフューレンに行こう!”

 

“先に現地入りした浩介君に続きましょう! 練兵場に集合よ!”

 

 王宮で各々作業や話し合いをしていた恵里達は光輝と雫の“念話”を聞くと共にすぐに支度を整えていく。トータスに来た当初にシゴかれた経験とオルクス大迷宮で過ごした日々のおかげか全員支度はすぐに済ませ、即座に集合場所へと向かっていった。

 

「全員揃ったな! これより俺達はフューレンへと向かう。浩介は既に向こうで独自の任務に就いている。俺達もやるべきことをやるぞ!」

 

『おー!!』

 

 そして全員が集合したところでメルドが号令をかけ、それに恵里達とハウリア全員が返事をすると同時にゲートキーを使用。早速イルワに預けたゲートホールへの扉を開くとそこは冒険者ギルドの倉庫であった。『なるべく人目につかないところに置いて欲しい』というお願いに合致する場所であった。

 

「割と素材が積んであるね」

 

「それだけあっちも暇してるってところだろうな……ま、とっとと行くぞ」

 

「なんとか、しないとね」

 

 どこか寂し気につぶやくハジメに幸利が持論を語る。近隣にいるであろう魔物の皮や薬草類といったものが雑多に積まれ、これらが消費できなくなるほど冒険者の動きが無くなったのだろう。その推測にやる気をたぎらせる彼を見つつ、恵里は仲間と一緒に集合場所である冒険者ギルド一階のロビーへと向かった。

 

「いつの間に!?……これが冒険者ギルドの虎の子というわけか」

 

「まぁそう思ってくれればいいよ」

 

 革の鎧に金属製の籠手を身に着け、背中にカイトシールドのような大型の盾を背負った冒険者らしからぬ雰囲気の男性に一行は出迎えられる。おそらくイルワの話にもあった保安署の人間だろうとアタリをつけつつ、彼の疑問には濁す形で恵里が答える。別にイルワの懐刀になったつもりはないし、かといって否定して何者かを明かしてしまえば面倒なことになるとわかっていたからだ。

 

「他の方はまだ来られてないんでしょうか」

 

「もうそろそろだろう。指定した時刻に近いからな――来たぞ」

 

 まだ自分達以外まばらにしか人の姿はない。おそらく自分達に言葉をかけた保安署の職員だろうと思いつつ、もしやこれぐらいしかいないのだろうかと光輝が質問する。それとほぼ同時にギルドの扉を開けて何人もの冒険者らしき風体の人間がなだれ込んできた。

 

「今回集まってくれて感謝する。私は本作戦の指揮を執る保安署のクレス・ヘーラーだ。では今回の大規模摘発に関する会議を始める」

 

 ステータスプレートを見せて人員の確認をギルドの職員が終えた後、自分達に声をかけてきた男性が声を張り上げた。会議が始まり、恵里達は静かに耳を傾ける。

 

「急遽本作戦に参加した者達もいる。改めて今回の作戦について説明させてもらおう」

 

 有志のみを集めたせいか誰も軽口を叩く人間はおらず、少し張り詰めた空気がギルドの中で醸し出されている。自分達への気遣いをするクレスに頭の中で軽く感謝をしつつも恵里は作戦の概要を頭の中に叩き込んでいく。

 

「まずは判明している拠点を各班で検挙にあたる。これらの拠点は私達の送り込んだ捜査員からの情報だけでなく、()()()()()の協力によってわかったものも含む」

 

 洗脳効果のある首輪を渡した人達であろう有志の人間とやらの働きを内心褒めつつ、恵里は頭の中で情報を整理する。説明の際にクレスは少し場所を動き、地図の貼ってあるボードの近くで説明をしていく。

 

「班は一つごとにつにつき五~八人程度。それぞれの班は振り分けられた捜査ポイントへと侵入。怪しい奴は見つけ次第確保。その後私達保安署の人間で情報を抜き取る。以上だ」

 

 先日の冒険者ギルドでの話し合いでイルワが推測混じりで述べたように、情報を得ながら闇のオークションをやってる会場や本拠地を探すという内容であった。自分達が突っ込む予定のポイントは地図でピン留めされており、それは無数と言っていいほどある。

 

「すごい数……どれだけ裏組織が広がってるんだか」

 

「神の……ハイリヒ王国が陥落してからまだそんなに経ってねぇってのにな。それだけ根深いってのと、本気で潰すつもりなんだろ」

 

 三つの組織があるとはいえ向こうの勢力の広さが尋常ではないことに優花が軽く愚痴をこぼし、幸利もそれに同意しつつどれだけこの場にいる人間が本気かを語る。二人の言葉にいやホントと内心同意しつつ恵里は周囲のざわつきに耳を傾ける。

 

「話じゃ三人四人で組むんじゃなかったか?」

 

「まさかここにいる亜人どもも連れてけってか? コイツらに何が出来んだよ」

 

「おい、確かアイツら反逆者じゃ……」

 

「あぁそうだ。どうしてか参加することになったらしい……んなヤバい奴をどうして支部長は入れたんだ? 世界の敵だろ?」

 

「今回急遽参加する人間がいる。言っておくが彼らはあくまで協力者だ! 頭数が増えた結果組む人数が増えただけだ。彼らに害意はないことをイルワ冒険者ギルド支部長よりうかがっている。彼らを侮辱するならば今すぐここを出て行ってもらっても構わないとも私は聞かされているぞ!」

 

 元々班の人数は違ったようだが自分達とハウリア一同が参加することが決まって変更されたらしい。それはともかくとして、こちらの事情を知らないがために冒険者達の口から次々と出てくる不満に恵里は軽く舌打ちしそうになる。だがすぐに保安署のクリスの強い言葉によって、何よりハジメが心配そうにこちらを見つめてきてギュッと手を握ってくれた事でそれも収まった。

 

「では読み上げられた人物は一旦ここに来て顔合わせをしてから班を組んでくれ。まず――」

 

 さしものギルド支部長であるイルワが証言していたのならば、と冒険者達も彼への不信感を抱いた代わりに引き下がってはくれた。そうして班分けが始まり、五分もしない内に恵里達も名前が読み上げられる。ハジメと鈴、そして二人のハウリアと一緒にクレスの近くまで移動していく。

 

「お宅らが例の……俺はバフマン。ランクは上から五つ目の“緑”の“守護者”だ。ま、そこの亜人ともども邪魔だけはしてくれるなよ」

 

「貴公らが……私は天職“戦士”のエイブナーだ。協力してくれると助かる」

 

「あはは、どうも……僕は南雲ハジメです。横にいる恵里と鈴共々仲良くしてくださるとありがたいです」

 

 そして顔合わせをした冒険者然とした二人の男に自己紹介されるも、片方は敵意丸出し、もう片方は複雑そうな表情で自分達を見ているのがよくわかった。ハジメが率先して名乗ったものの、正直気乗りはしていない。とはいえハジメの顔を潰すのも嫌であったため、すぐに恵里も自己紹介に移る。

 

「谷口鈴です。その、よろしくお願いします」

 

「……中村恵里。これでいい?」

 

「み、ミナ・ハウリアです。お、お願いします……」

 

「イオ・ハウリアです。ど、どうも……」

 

 好きで汚名を着せられた訳ではないし、いつ敵対してもおかしくないような相手にいい顔を見せられる程恵里は優しくは無い。一緒に来ることになったハウリアはともかく、自分より先に名乗った鈴も自分と同じ気分だったようで、普段ならやったであろう説明もせずにただ名前を伝えただけで終わっている。

 

“早く終わらせよう。ハジメくん、恵里”

 

“同感。あんまり長くつき合ってたくないね”

 

“本当は注意するべきなんだろうけれどね……すぐ終わらせてハイリヒ王国でデートしよう、二人とも”

 

 目の前の冒険者に対して悪感情を抱いていたのはハジメも同じだったらしい。“念話”で胸の内を明かしてきてくれた鈴と自分に対して注意することはせず、ただこの仕事をすぐに終わらせてしまおうと述べるだけに留まっている。そのことでちょっと嬉しく思っていると残りの一人がこちらへと近づいてきた。

 

「保安署のダグだ。貴君らの力には期待している。どうか力を貸してほしい」

 

 こちらは悪意を向けてくることは無く、代わりに自分達を見定めようとしている様子だった。まぁこっちの方はまだいいかと思いながらも恵里達は自己紹介を済ませ、ミーティングへと移っていったのであった。

 

 

 

 

 

 ……恵里達が冒険者ギルドで大規模摘発の打ち合わせをしている一方、商業区の中でも外壁に近く、観光区からも職人区からも離れた場所で闇がうごめいていた。

 

「スパイからのタレコミは以上か?」

 

 公的機関の目が届かない完全な裏世界、そこの一角にある七階建ての大きな建物を本拠地として裏組織のひとつである“フリートホーフ”は動いていた。

 

「へぇ。襲撃は今日、それとどうも反逆者どもを引きずり込んだらしくって」

 

「ハッ。ついになりふり構わなくなったか」

 

 フリートホーフの頭であるハンセンは部下からの報告を聞いて嘲りの笑みを浮かべる。“反逆者”の存在は裏組織の間でも十分広まっており、その存在には一目置いてはいた。

 

「ウワサが真実だったら相当な手練れだろうが、ま、俺達フリートホーフに敵うワケがねぇ」

 

 とはいえ『王国に潜入し、神の使徒と偽って行動していた』、『ハイリヒ王国を一日足らずで陥落させた』といった数々のウワサは話半分どころか酒のつまみ程度のものだというのが裏社会における認識であったし、ハンセンがここまで保安署と冒険者ギルド相手に強気でいるのにも訳があった。

 

「だろう? エバーハルト、ファラル」

 

 横にいた二人の男にそう声をかければどちらも静かにうなずいて返す。彼らはギルドの影響力が弱まったと見るや裏組織に鞍替えした元冒険者であり、冒険者のランクとしてはそれぞれ“白”と“黒”とそれなりに腕が立つ。またこの二人以外にも何人もの冒険者崩れを抱え込んでおり、また冒険者及び商業ギルドには二重のものも含めてスパイも何人かいる。裏切り者から情報を集めていることもあり、自分を脅かす者は誰もいないと確信していたからであった。

 

「俺達はただマジメに()()やってるだけだってのにな。新しい()だって待ってるんだからよ」

 

 くつくつと笑うハンセンの頭の中には新たな営業先であるヘルシャー帝国のことが頭に浮かんでいる。まだ商業都市としての機能をどうにかフューレンを保ってはいたのだが、いずれここは腐り落ちるとどの裏組織も見ている。それほどまでにフューレンはダメージを受け過ぎていたのだ。

 

(ヘルシャーにだって俺達が食い込む余地はたんまりとある。亜人なんぞじゃ満足できないような奴らはゴロゴロいるだろうからな)

 

 人身売買の総元締であるフリートホーフは新たな顧客を求めて奴隷を買い漁るヘルシャー帝国をターゲットにしており、貴族相手に人間の奴隷を売ることを考えていた。ヘルシャーでは亜人は奴隷として扱っており、とてもメジャーなものではあったが人間の奴隷はそこまでではない。せいぜい重い犯罪などによって身分をはく奪されたような輩ぐらいしか市場に出回ってないのは調べがついていた。

 

(フェーゲフォイアー、アップグルンドの奴らも新たなシマ探しが終わったようだしな。仲良しゴッコもこれで終わりか)

 

 構成員からの話によれば、薬物売買を生業としているフェーゲフォイアーは治安が悪化しているであろうハイリヒ王国を、金貸しと地上げをやっているアップグルンドはアンカジを新たな拠点とするらしい。以前各組織の幹部同士の会合で話し合ったのだが結局どこまで本気やらと思いつつも、邪魔するならば潰すまでとハンセンは考えた。

 

「報告! 報告!」

 

「奴らが動いたか」

 

「へぇ! これから襲撃に向かうそうで!」

 

 そして息を切らせながらオフィスに入り込んできた部下からの報告にハンセンは笑みを深める。これまでリークさせたものの大半は保安署の奴らを迎撃して皆殺しにするためのものだ。理由は実績づくりのためである。

 

「聞いたかお前ら! このフリートホーフに手を出したヤツらがどうなるかをトータスに広めてやれ! 男どもは血だるま、女どもは徹底的に『しつけ』てやれ!」

 

 これから自分達が出向くのは既に他の悪党もひしめく場所であり、フューレンにいた時ほど自由に動ける訳ではない。だからこそ他の有象無象を黙らせる『成果』が必要であり、そのためにもこのフューレンは犠牲になってもらう必要がある。ハンセンが出した号令は瞬く間に本拠地全てに広がり、雄叫びが上がった。

 

「さぁクソどもをひねり潰せ! 殺し尽くして俺達の名をとどろかせろ!!」

 

 構成員が、引き込んだ元冒険者が、それらをまとめる悪党が迫ってくる奴らを蹂躙せんと立ち上がる――かくしてトータス最大の大捕物が始まろうとしていた。




おまけ

保安署を取りまとめているエラい人「正気か? 反逆者を入れるとは。いくらなんでもこの街の治安を守る立場にある私には看過できんぞ」

イルワ「今の私達の動かせる戦力じゃどこまで健闘出来るかわかりませんよ。それに彼らが本気なら今のこのフューレンをガレキの山にするのも簡単でしょう……それをせず、私達に手を差し伸べてきた彼らの善性を信じたらどうですか?」

エラい人「しかし、それも奴らの演技だとしたら……」

イルワ「……かつて神の使徒と持ち上げられていた少年達もいますよ。彼らの武勇は署長もご存知ですよね? その彼らも向こうにいるのです。敵対どころか下手に機嫌を損ねたらどうなるかぐらいわかっていると思いますが」

エラい人「ぐぬぬ……わかったわかった! 一応刺激しないよう周知はさせる! それ以上はやらんぞ!」

イルワ「それで十分ですよ」(ニコニコ)

こんな感じのやりとりが裏であったり。それと冒険者や保安署の人らがやたらとピリピリしてるのも恵里達についた悪評を払しょくできてないせいですね。いくら上司が大丈夫って言ってもそれを真に受けるられるかって話です。あとヤのつく自営業の方といえば本文にもあったヤツが主ですよね(偏見)


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七十七話 夜明けをもたらすは反逆者なり

まずは拙作を見てくださる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも178986、しおりも416件、お気に入り件数も867件、感想数も645件(2023/9/6 06:36現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして皆様に楽しんでもらえているおかげでこちらも書く気力が湧いてきます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。今回も評価して下さってくれて頬が緩みました。本当に感謝いたします。

では今回の話を読むにあたっての注意点として結構長め(約14000字程度)となっております。それでは上記に注意して本編をどうぞ。


「あの、本当に僕達は取り押さえた人達の拘束だけでいいんですか? その、一応援護も出来ますけど……」

 

「いらねぇっつってんだろうが。お前達はただ後始末をしてくれればいいんだよ」

 

 会議を終えて最初に向かう敵拠点への道すがら、ハジメが再度自分達も他に活躍が出来ると冒険者達に提案をしてそれを袖にされていた。それを見て恵里はまたため息を吐き、こんな奴らにそこまで心を砕かなくってもいいだろうにとパートナーのお人好しっぷりに軽く呆れていた。

 

 先の作戦会議の際、恵里達とハウリアは冒険者と保安署の職員が無力化した相手を拘束して監視することだけを彼らに命じられた。理由は言わずもがな自分達への不信感だろうとアタリをつけていた。

 

 確かにいきなり新参者が入ってきた上にそれが国全土を震撼させたテロリスト、そしてそれに付き従う人間扱いされてない亜人なのだ。ならない方がおかしいというのは恵里だってわかっていたが、だからといってその態度にイラつかない訳ではなかった。

 

“ハジメくん、もういいでしょ? ボク達歓迎されてないんだからさ、適当にやっとけばいいよ”

 

“まぁ歓迎されてないのは僕だってわかるよ……でもこれでいいのかなって思うんだ”

 

“最悪浩介君がいるしね。漏らしても多分大丈夫だとは思うけれど”

 

 恵里が“念話”で説得するもハジメはまだ納得した素振りを見せず、鈴の説得にそうかなぁと首をかしげはしたが内心諦めがついてないだろうなぁと恵里は推測していた。

 

“そりゃ非効率なのはわかるけどさ、だからって勝手に動いたら余計駄目でしょ。あっちがそれ以上やらなくていいって言ってるんだからそういうのは光輝君や浩介君達に任せとけば――”

 

「お前ら、そこの十字路を右に。この先にある廃倉庫が最初のポイントだ」

 

 再度ハジメを説得しにかかっている最中、班員のひとりである保安署職員のダグから指示が飛ぶ。いつの間にここまで近づいたのやらと思いつつも、恵里達はすぐ気を引き締める。今のところ“気配探知”でこちらを追ってきている人間はいないことはわかっているから挟撃の心配はないが、だからといって気を抜きはしない。オルクス大迷宮で身に着けた心構えはそうそう簡単に消えはしなかった。

 

「そちらの亜人どもが倉庫の引き戸を開けろ。やり方はわかるな?」

 

「えっと、横に引くんでしたっけ?」

 

「そうだ。ではバフマン、扉を開いたらそちらが最初に進入してくれ。私とエイブナーはそれに続く。他は外で待機していろ。いいな」

 

 使われなくなった倉庫のすぐ近くまで来た一行は改めて進入の手順を確認する。エヒトを信奉する教えのせいで人間扱いしていない亜人のミナとイオにやや高圧的に命じる様を見て、軽く馬鹿馬鹿しいと思いつつも恵里は口を出さない。

 

「……あの、鈴は結界魔法を使えますけど」

 

「僕もその、一応盾は作ってあるんで良かったら盾役もやりますけど……」

 

 ハジメと鈴もかつてのメルドを思い出したのかそれを非難するようなことは言わない。が、それはそれとして自分達を戦力として組み込んではどうかという提案はしてきた。自分達を腐らせておくよりも協力した方がいいと善意で言ったのであろうことはすぐに恵里は察する。だがそれを聞いた冒険者達の反応はお世辞にも良いとは言えないものであった。

 

「いるか。寝首を搔こうったってそうはいくかよ」

 

「気遣いには感謝するが不要だ。申し訳ないが、私もそちらを信用しているという訳ではない」

 

「……いざという時、もし私達に協力する気があるのであれば頼もう。ではそこの亜人、扉を開け」

 

 タワーシールドを両手で構えているバフマンには拒絶され、腰から下げた剣を今抜いたエイブナーも言葉遣いはともかくとして断られる。唯一保安署の人間であるダグだけは非常時のみ助けてほしいと言った程度であったが、すぐにハウリアの二人に命令を飛ばして倉庫の方へ視線を向けた。

 

「アイツら……!」

 

「……気にしないで、恵里。それと鈴も」

 

「うん……ダグって人からはOKもらったんだし、危険だと思ったらすぐに援護しよう」

 

 結果として二人の気遣いを袖にした形であったため恵里は音を立てて奥歯を噛みしめ、視線だけで射殺さんばかりに強くにらみつけた。そんな彼女をなだめるようにハジメは頭を撫でながら、鈴も向き合う形で声をかける。

 

「二人ともお人好しすぎるよ……ハジメくんと鈴の頼みじゃなかったら絶対アイツら助けないからね」

 

「うん。それでいいよ。恵里が僕達を思ってくれてるのはわかるから」

 

「それで大丈夫だと思うよ――じゃ、あっちの人達がどれぐらい強いのか。ちょっと見てみようよ」

 

 どこかやるせない表情で引き戸を引こうとするハウリアとスリーマンセルで突入しようとしている三人をながめつつ、恵里達は状況を見守る。そして扉が少し動いたその時、何かに気付いた様子のハウリアが叫んだ。

 

「逃げてください! 倉庫の中から詠唱のようなものが!」

 

「そうです! 倉庫から魔力の反応がありました!」

 

「持ち場から離れるな人モドキども! それと反逆者どもは黙れ――ぐわぁ!?」

 

 すぐに扉から離れてこちらへとハウリアは逃げ出し、倉庫の中から中級程度の魔法が展開されたことに気付いて冒険者達を心配したハジメだけがすぐに声をかけた。バフマンは彼らを咎めるがその直後、扉ごと貫いて現れた炎の槍に吹き飛ばされそうになり、いつでも戦闘に移れるよう恵里以外全員がそれぞれ身構えた。

 

「ハァ……これで死んでくれたと思ったんだがなぁ」

 

「その声は……“炎魔”のエリックか!?」

 

 すると穴の開いた倉庫の扉を蹴り倒して八人のごろつきがこちらを取り囲み、気だるげに一人の冒険者がゆっくりと歩いてくる。エリックと呼ばれたローブを身にまとい、杖を持った魔導士らしい恰好の男はつまらないものを見るかのようにこちらに視線を向けていた。

 

「ランク“白”の誇りは捨てたか!」

 

「ランクぅ? 荒れに荒れてるこのトータスで、今にも崩れ落ちそうな組織の評価ごときに誰がこだわるものかよ」

 

 エイブナーの怒りと焦りの混じった声からして、目の前の相手はこの世界ではそれなりに強い奴なんだろうということだけは察しがつく。そして今自分達を見て舌なめずりをしている輩どもを見るに、見立ての通りこちらの情報は漏れてたんだろうなーと恵里は考えていた。

 

「フェーゲフォイアーは俺を評価してくれてる。金だってギルド以上に稼がせてくれるし、女もヤク中ばっかだが好きな時に抱ける……正義の味方ゴッコに付き合うなんて馬鹿馬鹿しいと思わないか?」

 

「ほざけクソ野郎が! 俺らはな、このフューレンを愛してるんだよ。毎日色んな商人が訪れては別の街へと行く様が、毎日色んな演目が上映されてるフリーダ劇場が、贔屓にしているジャコモの武具屋が、やかましいぐらいに賑やかだったこの街を元に戻したいからクソどもと戦ってるんだ! 馬鹿にしてんじゃねぇ!!」

 

 寝返った元冒険者は心底冷めた目でバフマン達を見ており、それに怒り狂った様子のバフマンは己の思いを吐露しながらそれに反論していた。

 

“恵里、鈴。それとミナさんとイオさんも。僕に合わせて動いてくれないかな?”

 

 それを見て何か感じた様子のハジメがお願いをしてきたため、思わず恵里は大きなため息を吐いた。確かにハジメの人の好さのおかげで自分も鈴も救われたし、そんな彼が大好きだからこそ今の行動を咎めたくはない。仕方ないなぁと思いながらも恵里は彼が繋いできた“念話”にすぐに返事をする。

 

“まーだ手を貸す気なの?……もう、仕方ないなぁ。で、“呆散”あたりでもやっとけばいい?”

 

“うん。鈴は“縛印”とかの捕縛魔法で周囲の奴らを取り押さえて”

 

“わかったよハジメくん。でもやるんだったらちゃんと形が残る“縛岩”も使った方がいいよね……ミナさんとイオさんは鈴が魔法を使ったらあっちの駄目な人が魔法使えないように気絶させてください”

 

“わかったわ鈴ちゃん”

 

“えぇ。わかりました”

 

 自分の提案にハジメも了承し、すぐに各々どう動くかを話し合っていく。“念話”で行われた作戦会議はすぐに終わり、すぐに周囲に意識を向け直せばエリックとやらが反吐の出る提案を持ち掛けてきた。

 

「そこの女どもと雌、聞こえるか? 今すぐ降参するんだったら命は助けてやるようウチのトップに掛け合ってやる。ま、そこの連れは灰にするがいいだろ? 示しってもんが――」

 

「“呆散”」

 

 ふざけたことを言い切る前に恵里は“呆散”を悪党どもに叩き込み、意識を散漫にさせた。ハジメの指示を無視したがまぁいいやと思いつつ、賊どもが倒れそうになっているのを見るや否やすぐに鈴が動いた。

 

「もう恵里ってば!――“縛印”! “縛岩”!」

 

 鈴から伸びた光の縄と地面から生えた岩の鎖によって悪党どもは瞬時に雁字搦めとなり、何が起こったかもわからぬままガッチガチに拘束された。

 

「「「えっ?」」」

 

「あぁもう恵里ぃ……ミナさん、イオさん!」

 

「「は、はいぃ!!」」

 

 マトモに受け身も取れないまま地面に倒れこんだ輩を見て恵里は鼻で笑っていると、すぐにミナとイオがハジメの指示を受けて魔法使い然とした男へと向かう。同行していた三人が呆気に取られている間に全てが終わると、すぐにハジメが怒った様子でこちらへと歩いてきた。

 

「恵里! 僕の指示があったら動くって言ったでしょ! 勝手に動いちゃダメでしょ!」

 

「言ったけど! 言ったけどさ! でも嫌だったんだもん! ハジメくん捨てて俺の女になれみたいなこと言う奴なんか一秒でも見てたくないよ!」

 

「うんだろうね! なんとなくそんな気はしたけど! 僕のことを想ってくれるのは嬉しいんだけどね! それはそれ、これはこれでしょ!」

 

「……鈴も正直恵里がやってくれてスッとしたよ」

 

「鈴ぅ!?」

 

 案の定カンカンに怒ったハジメのお説教をくらったものの、言いつけを無視した理由を話せば一瞬痴話ゲンカ染みた方にお説教がブレた。それでもと続けようとしたハジメであったが、鈴の唐突な裏切りに彼は驚いた様子を見せた。鈴としてもあの男の発言が相当嫌だったらしい。

 

「で、でもだからって――」

 

「お、お前ら! 何指示を無視してやがんだ!」

 

「……助かったことは助かったが、バフマンの言う通り指示を無視しての行動は褒められたものじゃないぞ」

 

「あの冒険者はなかなかの手練れであったことを考えれば結果としては良かったんだが……指揮系統を無視するのは流石にいただけないな。今後は控えてくれ」

 

 ハジメが説教を続けようとしたところ、すぐに協力者である冒険者達の横やりが入る。そういやいたなと思いながら彼らの話に一応耳を傾けたが、結局聞く価値は無いと思った恵里はすぐにミナとイオが拘束している男の下へと向かう。

 

「あ、あのー、恵里さん……?」

 

「いや、一応抑え込んではいますけど、その、どうしました?」

 

「んー? いや、コイツ情報源ぐらいにはなるかなーって思って」

 

 ちょっとカタカタ震えてる二人のハウリアを特に気にすることも無く、二人の手によって気絶した相手の頬を何度かビンタを見舞う。そうして軽く意識を取り戻した相手に恵里は使い慣れた魔法をかける。

 

「ぐぇっ!? ごっ!? ぉふっ!?」

 

「は? いや待て何をやってる。それは私の出番――」

 

「ぅ……きさ、ま……」

 

「うん。元気はあるんだね。じゃあボクの言うこと聞こっかー。“縛魂”」

 

 手をかざし、その魔法の名前を唱えれば、男の目は段々と濁ったものへと変わっていき、三分とかからずに支配下へと置くことが出来た。奈落の魔物ほど簡単ではなかったにせよ、フリードと比べれば天地の差。簡単に洗脳が終わると恵里は目の前の男に質問を投げかける。

 

「はいじゃあしつもーん。お名前と、今いる組織について教えてくれるー?」

 

「……俺の名はエリック。今いるのはフェーゲフォイアー、このフューレンにおける世界三大裏組織のひとつだ」

 

「うんうんわかった。じゃあミナとイオの二人はもう押さえつけなくてもいいよぉ~」

 

 ひとまず“縛魂”がちゃんとかかっていることを確認し、恵里はハウリアの二人にどいてもいいと伝える。二人もシア伝いに聞いていた恵里のヤバさを実感し、一層震えをひどくしながらも離れていった。二人がどいた後、恵里は鎖を掴んでエリックとやらを引きずり、その身を保安署の職員であるダグの目の前へと放り投げる。

 

「がっ!……ぁ……」

 

「な、何のつもりだ……?」

 

 軽くうめき声を上げただけで特に抵抗する様子もないエリックを見て戦慄するダグ達。その様に気に掛けることはせず、恵里はただダグの質問に答えるだけであった。

 

「これでいくらでも尋問し放題だよ。知ってることなら何言ったって答えてくれるから――じゃあ今いる組織の拠点と構成員について話してくれるぅ~?」

 

「あぁ……今フェーゲフォイアーの拠点は――」

 

 知っている情報を吐き出すよう屈みながら質問すれば、次々とエリックとやらの口から様々な情報が漏れ出ていく。念のため下っ端と思しきごろつきの様子にも気を配れば、顔を青ざめさせたり体を細かく震わせている様子からおそらくそれが真実――エリックやごろつき供に意図的に伝えられていなかったり、嘘の情報を流されてなければ――であることはハッキリした。

 

「ふーん。そう。じゃあボク達を待ち構えてたみたいだけどどうして?」

 

「スパイにしてる奴からのタレコミらしい……誰がスパイかは詳しくは知らないが、真正面から打ち破って俺達の名声をとどろかせるためだと俺達のボスからは聞いている」

 

 そしてどうして連れの冒険者達に対して先制攻撃が出来たのかについて問えば驚きの理由が明かされた。まさかそこまで大胆なことをするとは恵里も流石に思ってはおらず、裏組織の大胆さにびっくりしつつもダグの方へと視線を向けた。

 

「そっか……それでさ、さっき打ち合わせで聞いた拠点の情報と今明かした情報は幾つか被るでしょ? どうなの?」

 

「……確かにそうだ。先程地図を広げて確認させてもらったが、この男に嘘が無ければほぼ情報の通りだ。他にもこちらが見つけられなかったものも幾つかあるがな」

 

 その答えに恵里はにんまりと笑みを浮かべる。フューレンの地理に関しては疎いし、自分達が地図を持っていた訳ではなかったため先程エリックが吐いた情報が全て真実かはわからなかったからだ。だがダグや残りの二人の反応からして相応の収穫が見込めたようだ。

 

「それにフェーゲフォイアーの首魁も我々が目をつけていた人物のひとりだ……ここまでとなるとそちらの実力を信じる他ないだろうな」

 

「お、おい! 保安署の人間がそんなことを言うのか!」

 

 こうして“縛魂”による情報提供が功を奏したか、ダグが半ば諦めた様子でこちらのことを信じると述べてくれた。だが行動を共にする前以上に自分達への敵意と不信感を募らせた様子のバフマンが、ダグに半ば怒りをぶつける形で説得を試みていた。

 

「コイツらは反逆者だぞ! いつこの力を俺達に向けるかを考えないのか!」

 

「……それはさっきの行動で示したと思うがな、バフマン。私達を見捨てて向こうにつくこともあちらは選べたんだぞ」

 

 ダグが一度視線を向けた先に恵里も向ければ、どうしてダグがそんなことを言ったかについて納得がいった。バフマンが持っていたタワーシールドの一部が軽く融解していたからだ。おそらく先の“炎槍”の一撃で融けたのだろうと思い、そしてそれ程の実力を持った相手に寝返らなかったことを評価したのだろうと恵里はアタリをつけた。

 

「そうだな。数としてはこちらがやや不利ではあった……賭けになるとはいえ助けを求めようとは思っていたんだ」

 

「エイブナー、お前……!」

 

 まだ自分達にマシな態度で接していた二人がこちらを信じると言ってくれた。そのことに恵里達は軽くホッとするが、バフマンの方は信じられないとばかりにエイブナーとダグの方を見つめ、またこちらに恨みがましい視線を向けてくる。

 

「俺は認めねぇ……絶対に俺は認めねぇぞ」

 

「あーうん。別にそっちから認めてもらう必要なんてないし。勝手にしたらぁ~?」

 

「……そちらが僕達のことをどう思おうと構いません。少しでも良好な関係を築きたいと思ったんですが」

 

「鈴達のことで信じられないのはわかるけど、でもそこまで意地を張られるとは思いませんでし――」

 

「お、思い上がってんじゃねぇぞオメェら!」

 

 断固として自分達のことを認めないという態度を取り続ける相手を恵里は適当にあしらう。ハジメも鈴も少し悲しそうな表情で向こうに自分の思いを伝えていると、いきなりとっ捕まえた下っ端の一人ががなり立ててきた。

 

「何いきなり? 鈴がしゃべってるんだからさぁ、三下は黙っててくれない?」

 

「う、うるせぇ!……お前ら、フェーゲフォイアーにケンカを売った奴がどうなったか知ってるか?」

 

「さぁ? どうせ捕まえられて口にするのも嫌になるような目に遭わせられるとかそういうのでしょ?」

 

 鈴が話している最中なのにイキり出した下っ端に恵里は不機嫌であることを隠さずに接する。が、それでも下っ端の男は黙らずに恵里達に問いを投げかけてきた。それっぽい答えを適当に返せば当の男だけでなく、他の奴らも軽く引きつったニタニタ笑いを浮かべながらこちらを見上げてきた。

 

「どんな魔法使ったんだかわかんねぇけどな、俺達フェーゲフォイアーを敵に回して生きてられると思うなよ」

 

「元冒険者も何人も囲ってるってボスは言ってたぜ。それもランク“黒”もいるんだ!」

 

「ゴートさんやハーマンさん、腕の立つ幹部だっているんだよ! お前らが束になったって敵うはずが――」

 

「うっさい。“炎天”」

 

 口々に自分達にケンカを売ったことを後悔させたい、あわよくば自分達を解放してほしいという意図があまりに明け透けであったため、いちいち言い返すのも面倒になった恵里はとりあえず炎系の上級魔法を発動する。煌々と燃え盛る第二の太陽が恵里の頭上に出現した途端、ハジメと鈴だけが苦笑いを浮かべ、他全員が一斉に黙り込んだ。

 

「でぇ? チンピラが何人揃ったって? ボク達じゃ束になっても勝てない相手だってぇ?」

 

「ひっ……」

 

 押し寄せる熱波が悪党どもの体からじわりと汗を吹き出させていく。しかし使った当人に加えてハジメと鈴はもちろん、バフマン達の方には一切熱が伝わってきていない。事もなげに三メートルの炎の球をチンピラどもの頭上で周回させて軽く熱波で炙った後、恵里は改めて彼らに問いかける。

 

「じゃあ聞くけどさ――そっちにケンカ売ったからなんだって? ハッキリ聞かせてほしいなぁ~」

 

「な、なんでもありましぇん!!」

 

「許してください! 靴でも何でも舐めるんで! 死にたくないでしゅぅぅぅ!!」

 

「もうやだぁ!! こんなのいるなんて聞いてねぇよぉ!!」

 

 その瞬間、三下どもが一斉に悲鳴を上げた。涙と鼻水を流しながら必死になって恵里のご機嫌取りをしにかかったり、こんな目に遭う羽目になった自分の不運を呪ったりと様々であったが、逆らう気概は完全にぽっきりと折れたようである。

 

「お、おいエリック……あの魔法、お前でも簡単に使えるよな? そうだと言ってくれ」

 

「出来ない。あれは炎系魔法の上位のやつだ。詠唱もなしにやれるような代物じゃないし、俺でも一人で発動出来ない。ましてやこちらに熱波の一つも届いてないからかなり魔法のコントロールも上手い。それから――」

 

 その後ろでバフマンがエリックに何かを尋ねていたようだったが別に恵里は気にしていない。連れの冒険者達の向ける視線が敵意や疑いの混じったものから畏怖のそれに変わったとしても恵里は何とも思わなかった。

 

「じゃあ二人ともどうしよっか。いちいち運んでたらキリがないよね」

 

「そうだね……理想は冒険者ギルドか保安署の前まで連れてくことだけど」

 

「うーん。冒険者ギルドの方は何度か足を運んでるから大体イメージできるし、“界穿”を使って送り届けた方がいいかな?」

 

 とりあえず三下どもが怯えて何も出来なくなった様子に満足した様子の恵里はスッと“炎天”を消し、ニコニコ笑顔でハジメと鈴に問いかける。その様を見て特にハジメも鈴も何も言わず、ただ冷静に自分の考えを述べるだけだった。

 

(流石にやりすぎな気はするけどね……でも、あの人達に容赦なく“縛魂”とか首輪つけたりしないだけまだマシかな? そう思っておこう。うん)

 

(相変わらず気に入らない相手には本当に辛辣だよね……まぁこれぐらいしないと反省しない気もするし、仕方ない、かなぁ)

 

 なお二人の内心はこうである。恵里のやり口にやはり思うところはあったものの、相手が相手なだけにまぁいいかと流していただけであった。

 

「いや、たかだか数人そこら連れてくだけで“界穿”使うのもったいないよ……あ。そういえばハジメくん、向こうのどこかにゲートホール置いたっけ?」

 

「あー、流石に置いてない。直近だと多分ギルドの倉庫の中かな。後で謝って動かすのは……ダメ、だよね」

 

「いや、あの……み、皆さん?」

 

 そうして色々と話し合っている中、連れの一人であるエイブナーがおそるおそるといった様子でこちらに声をかけてきたため、どうしたと思った恵里達はそちらに意識を向けた。

 

「うん? どうかした?」

 

「い、いや、その……えっと、良かったら俺達とそこの亜人……の皆さん、と一緒に連行しますけど、どうされますか?」

 

 思いっきり下手に出てきたエイブナーを見てハジメと鈴は察する。これ、味方にも効き過ぎてると。ミナとイオに関しては、浩介達が最初に会った際に派手に風系統の魔法を使ってたとシアが言っていた。そこと恵里に寄せる熱視線から察するに多分すごいと思ってるだけなのだろうとハジメ達は考えた。

 

「あ、そう? じゃあ地図だけ置いて連れてってくんない?」

 

「「いや流石にひどすぎるってば。恵里」」

 

 なお恵里は特に気に留めもしていない様子であり、唐突な向こうの提案に助かったとばかりに容赦なく要求を突きつける。もちろんハジメと鈴からツッコミが入った。

 

「わ、わかっ……りました。じゃ、じゃあすぐに――」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 そして顔を青ざめさせているバフマンも横たわっているチンピラどもを連れて行こうとしたその時、ハジメがすぐに待ったをかけた。宝物庫から適当に材料を選び、“錬成”を使って簡単な金属製のリヤカーを作るとそれをダグ達の許へと持っていく。

 

「とりあえずこれ、使ってください。まだ材料ありますから」

 

「あ、あぁ……お、お気遣い、感謝する」

 

「あ、その前にちょっと地図を見せて下さい。次に行く場所をハジメくんと恵里と相談するんで」

 

「持っていってもらって、か、構わん。ギルドに戻ればこの街の地図はあるだろうからな……はは」

 

 リヤカーを受け取ったダグの表情が硬い様子にハジメは軽く首を傾げたが、恵里と鈴はその理由に思い至った。多分宝物庫から物を取り出したのと瞬時に物を作るハジメの腕に驚いたからだろうと。

 

 恵里も鈴もこの世界の一般的な錬成師の腕前がどれ程のものかは知らない。だが、以前王都を守る結界を張る施設をハジメが修復するのに同行した際に彼以上に腕がある人間はいないということだけは理解していた。何せその場にいた奴らだけでなく、色んなところから錬成師が集まって大捕物になりそうだったからだ。

 

(あの時は大変だったなぁ。自分を弟子にしろー、って叫ぶ色んなおっさんにハジメくんと鈴と追い掛け回されたし。まぁでもそれだけハジメくんがすごいってことだよね)

 

(ハジメくん、きっと自分の中にある比較対象が幸利君と光輝君の二人だけで、この世界の普通の錬成師の人の腕前のことが頭から抜けてるんだろうなぁ)

 

 その時のリアクションを踏まえれば、まず間違いなくハジメの腕は隔絶しているというのは二人ともわかっていた。それで恵里と鈴はハジメのリアクションの理由を具体的に考えていると、ハジメも何かに思い至った様子で頭を掻きながら苦笑いを浮かべていた。ようやく保安署の職員達が引きつった笑いを浮かべている理由に思い至ったらしい。

 

「あ、あはは……ダグさん、バフマンさん、お気をつけて……」

 

 ミナとイオと協力してごろつきどもや魔法使いっぽい男をリヤカーに載せ、それを引いてダグとバフマンが去っていく。どうやら二人でやれるとミナとイオの協力を断ったようであった。

 

 バフマンがリヤカーを引き、まだ装備が無事なダグが護衛をする形で一旦ギルドへと戻っていく様をぎこちなく手を振りながらハジメが見送る……そうして二人の姿が少し遠くなった辺りでコホンとせき払いをし、こちらに向き直った。

 

「コホン……じゃあエイブナーさん、恵里、鈴、それとミナさんイオさん。次に行く場所について検討しましょうか」

 

 さっきの自分のミスを無かったことにしようとするハジメの姿勢に可愛げを感じ、恵里と鈴はクスッと笑う。二人のハウリアも『あ、はい』とうなずきながらハジメのそばへと近寄っていく。その様を見て軽く毒気が抜かれた様子のエイブナーはこちらを一瞥し、それに気づいた恵里達が視線を向ければ彼は気まずそうに目をそらした。

 

「あ、すまない。不躾だった……」

 

「いいですよエイブナーさん。鈴達は普段からこんな感じです」

 

「はい。一応修羅場は潜ってきてますけど、見た目通りの子供ですから」

 

 己の実力に(おご)っているのではなく、おそらく理解した上でただこう振舞っているのだろうとエイブナーは考えを変えた。これ程の実力を持っていたというのに自分達に接してきた際に高圧的な態度をとるどころか、対等なパートナーとして接するもしくは下手に出ていたからだ。

 

 早々簡単に出来ることではないと思った彼は一人の『大人』と相対するようなシャンとした顔つきで恵里達と向き合う。

 

「エリさんとスズさんだったな。それだけの力を身に着けるのに相当の時間と修練を重ねたはずだ。それとハジメさんと言ったか。君もそこまでの腕に至るまで相当経験を積んだはず。なのにどうして力をひけらかさない?」

 

「……この程度で粋がれるほど、自分に自信がある訳じゃないですから」

 

 向こうの問いかけにハジメが軽くうつむきながらそう返した。きっと自分がさらわれた時のことや自分達の悪評が撤回し切れてないことを気に病んでいるのだろう。そう思った恵里は鈴と一緒に彼の手を握る。そんな風に思わないで、と彼を見上げながら彼に思いを伝える。

 

「そんなことないよ、ハジメくん。だってハジメくんの頑張りはボクと鈴が一番知ってるから」

 

「うん。鈴と恵里以上にハジメくんを見てる人なんていないよ。もっと自信持ってよ」

 

「……ありがとう。二人とも」

 

 この一連のやり取りを見てエイブナーは目から鱗が落ちたような気がした。目の前にいる『反逆者』と呼ばれた少年少女はまだトータスでは駆け出しもいいところの大人*1だった。ただ、彼らの身に起きた不幸のせいで成長()()()()()()()()()ということがわかったからである。

 

「……そこの亜人の二人に優しいのもそれが理由だろうか」

 

「いえ。それは違います。単純に僕達のいた国では差別がタブーになってるだけですよ」

 

「肌の色が違う人間がこっちの世界にはいくらでもいるしね。むしろこういうウサ耳生やした奴らだったら創作……物語の世界の中でむしろ持てはやされてるぐらいだし」

 

「恵里の言う通りですね……実際ハジメくんがウサミミを見て興奮してたの鈴も恵里もわかってるんだからね」

 

 ミナとイオ、二人のハウリアと対等な立場で接している理由についてもそれぞれが意見を述べ、想像だにしなかった答えにエイブナーは大きく目を見開いていた。

 

 それはそれとして最初にハウリアに対面した際、ウサ耳に反応してたことを思い出した鈴と恵里はじっとりとした視線をハジメに向けると、彼は滝のような汗を流しながら明後日の方向に顔を背けた。

 

「えーと、その、あの……やっぱりケモ耳はオタクの浪漫といいますかなんというか……本当にすみませんでした」

 

「……仕方ないね。じゃあ今度はバニー姿で色々やろっか」

 

「二度とケモ耳に意識が向かなくなるぐらい鈴達に夢中にさせてあげる」

 

「お手柔らかにお願いします……」

 

「く、くくっ……ハハハ!」

 

 鈴の言葉を聞いてちょっと照れくさそうにしている様子の二人など目もくれず、ずっとジト目で見つめ続ければハジメも心が折れて土下座して許しを請うてきた。仕方ないなぁと思いながら条件付きで許してあげれば、彼も引きつった笑いを浮かべながらこちらを見上げてきた。その様に軽くゾクッとくるものを感じていると、ふとエイブナーが何かおかしそうなものを見たかのように笑い声をあげたのである。

 

「す、すまない……君達のことを敵だなんだとそういう目で見ていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまってな。どう見ても普通の『人間』にしか見えないものだから、無駄に警戒していたとしか思えなくなったんだ」

 

 ミナとイオ以外の三人が揃って怪訝な視線をエイブナーに送っていたが、その当人が理由を説明し、頭を下げたことで程度の差こそあれど三人とも驚いてしまう。

 

「すまなかった……正直そちらの価値観に関してはまだ受け止めきれていない。亜人を悪しき種族だという教会からの教えがあるし、それと真っ向から反するものを私はまだ認めることは出来ない」

 

 その言葉を聞いてゲッと恵里達は軽く焦る。以前メルドから聞いた話の中でどうして亜人が差別されるのかという理由について聞いたことがあったからだ。地球にいた頃のそういう感覚が全然抜けてなかったせいでそれと矛盾してしまったことに冷や汗を流したものの、目の前の人物はそれに嫌悪感を抱いている様子は無かった。

 

「エヒト様の遣いと呼ぶに相応しい程の力を持ちながらも驕ることも高慢になることもなく、私達を助けることを選んだ……これまでの君達の行動からするに裏表なく私達を助ける気だったのだろう。そう、信じたい」

 

 会って間もない、しかも友好的とは微妙に言い難かった相手からの評価が百八十度変わっている。そのことに恵里達は言葉を失ってしまい、嬉しさを感じてはいたが困惑が勝って思わず目を合わせてしまう。そんな時、ミナとイオが恵里達の手を順々に握って声をかけてきた。

 

「良かったわねハジメ君、恵里さん、鈴さん!」

 

「あ、うん……そう、だね」

 

「やっぱりアビスゲート様のご友人ですからね! そのすごさが伝わったんでしょう!」

 

「そう、かな……あ、あと浩介君のことをアビスゲート様って言うのはやめてあげて」

 

 我が事のように喜ぶミナとイオを見て自分達は認められたのだということを恵里達は実感する。その途端胸にこみあげてくるものを感じ、きっと龍太郎達もこんな感じだったんだろうなと思いながらも三人はこの場にいる全員に視線を向ける。まだ全部終わってない。まだこれからだと気持ちを切り替えて声をかけた。

 

「エイブナーさん、それとミナさんとイオさんも。次はどの拠点に向かうのかを決めていたんだったら教えてくれませんか」

 

「あ、そっか。確かに決まってるんならごろつきどもを置きに行った人達も合流しやすいだろうし」

 

「ハジメくん、地図――どこですか。確か今、鈴達がいるのって……」

 

「ここだ。それで確か近くに……あった。実はそこの家に隠し階段があって――」

 

 すぐに気持ちを切り替えた一行は次に襲撃をかけるポイントの相談に移る。今日こちらが合流するより前に冒険者と保安署の方で既に打ち合わせが済んでいたらしく、第二~第六のポイントまで、そしてどういった順番で向かうかを教えてもらう。

 

「――じゃあ皆、それぞれ拠点を一つ潰したら敵を連れてここに戻る。いいですか」

 

 そして三つの班に分かれ、それぞれが拠点を一つ落とすということが決定した。自分達のそれぞれのステータスが一万近くまで及ぶからこそ思いついたゴリ押しの作戦であり、それを聞いた当初のエイブナーとミナらは軽く呆然としていたのも記憶に新しい。

 

「本当に馬鹿げてるがな……了解した、ハジメさん」

 

「わかってるよハジメくん。じゃミナ、よろしく」

 

「えぇ。お願いするわね」

 

「うん。じゃあイオさんよろしく」

 

「わかりました鈴さん。では皆さん、ご武運を」

 

 ハジメがエイブナーと、恵里はミナと、鈴はイオと組むことになり、ハジメと一緒に行動できるエイブナーに正直嫉妬したものの、すぐに終わらせてハイリヒ王国でデートしようと恵里は画策しながら予定したポイントへと向かう。

 

「じゃあ行くよ――それっ」

 

「は、はい……うわぁあああぁあ!」

 

 ミナと手をつなぎ、“空力”で足場を作って近間の建物の屋根の上へと登っていく。無事に屋根に上り終えた二人は軽く息を整えると、これから向かう場所を恵里が探す。空を駆ける体験が初だったせいで心臓がバクバクいっているミナを他所に恵里は目的地となる場所の目印を見つけた。

 

「――あそこだね。あの煙突のある屋根の辺り」

 

「いやー本気でビックリしたわ……え、もう? わ、わかったわ。じゃあ行きましょう!」

 

 そしてついてこれるスピードに落としつつ、恵里はミナと共に屋根の上を駆け抜ける。時には恵里が手を掴んで空を走り抜け、目当ての廃屋のすぐ近くまであっという間にたどり着いた恵里は口角を上げてそこを見つめた。

 

「……よし。“気配探知”でもかなりの数がうろついているのがわかるし、ちょっとごあいさつといこうか」

 

「は、はいっ!」

 

 その廃屋の真上へと跳び――そこから重力に任せて下へと落ちていく。ミナの手を繋いで自由落下をしながらも恵里は魔力をその手に集めて発動していく。

 

「――“風球” あと“風灘”ぁ!」

 

 得意な属性ではなかったものの、オルクス大迷宮を攻略中もしくは攻略後に磨いた腕のおかげで中級程度ならばすぐに発動できるようになっていた。手のひらから放たれた三つの風のボールが屋根を砕き、開けた穴を中心につむじ風を巻き起こしながら恵里達は下へと降り立っていく。

 

「――よし、到着っと」

 

 ミナ共々怪我一つせずに無事に降り立った恵里が周囲を見渡せば、そこは死屍累々もかくやのものであった。

 

 流石に威力を調整していたため死んではいないだろうが、そこにいた全員が壁に体を打ち付けていたり、吹き飛んだ家具やらに押しつぶされていたりと散々なことになっている。これなら制圧も楽だろうと思っていると、よろめきながら立ち上がった禿げ頭の男が恵里に向けて問いかけてくる。

 

「て、テメェ……何者だこの野郎! よくも俺達をこんな目に遭わせてくれやがったな!」

 

「え、恵里さん! い、生きてます!」

 

「まぁ死なないように手加減したしね……っていってもしぶといなぁ、もう」

 

「答えろ! 俺らフリートホーフをコケにしやがって! 絶対に許しゃしねぇぞ!!」

 

 ホコリまみれになって、そこかしこから軽く血を流す相手を見てミナが軽くパニックを起こす。メルドの話じゃ魔物相手に実戦はやってるはずなんだけど、と思いつつもまだ人相手はやっていないということを思い出しながら恵里は男に向けてこう答える。

 

「そうだね――反逆者。反逆者の中村恵里だよ。かかってきなよ噛ませ犬」

 

 酷薄な笑みを浮かべつつ、徐々に立ち上がってくる賊どもを見回す。どうやって叩きのめすか、ミナにどれだけ任せるかを考えながら――悪党どもの未来が潰えるのに五分はかからなかった。

*1
拙作のトータスでは十五で大人扱い。「幕間四十 がれきのくにのおとなとこども(後編)」参照




読んでる間に倖田來未氏の「real emotion」が流れたらいいなー、と思って書いてました(ネタが浮かんだ際に脳内で流れたのがこの曲)。というかFFⅩ-2のOPをイメージして書いてました。なお全然違うのが(今のところは)出力された模様

あ、それと最後のフリートホーフの奴らは別に死んでませんよー。あと大介&アレーティア組の方も書きたかったなー、って懺悔しときます。


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幕間四十四 この夢に別れのあいさつを・序

またいつの間にか時間が経ってりゅ(白目)

それでも拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を送ります。
おかげさまでUAも180030、しおりも418件、お気に入り件数も872件、感想数も648件(2023/9/15 17:47現在)となりました。本当にありがとうございます。いやもう本当にモチベが上がります。

そしてAitoyukiさん、西野ひまわりさん、拙作を評価及び再評価してくださり本当に感謝いたします。本当にありがたいです。また結末に向けて書き進める力をいただきました。

久々の適量(10000字程度 ※あくまでも個人の感想です)となりました。では本編をどうぞ。


「“光絶・光散華”」

 

 使われなくなって久しくなったと思しき酒場の中でガラスのような無数の破片がきらめく。その光景を見ていた多くの人間がそれに思わず見とれてしまうと同時にそれは爆発する。それを起こした下手人である鈴は軽くため息を吐き、死なない程度に黒焦げになって裏組織の人間を見下ろしていた。

 

「じゃあイオさん、鈴がこっち半分やるからそっちの方お願いします」

 

「あ、は、はいっ!」

 

 待ち構えていた十人の男を事もなげに倒し、治癒魔法を使わずに済んだことにホッとしながらも鈴は同行してくれたイオに指示を出す。メルドの話だとオルクス大迷宮の浅い階層で頑張っているという話ではあったが、やはり対人戦はまだまだ厳しいのかもと思案する。

 

(でも仕方ないよね。鈴達だって浩介君の分身相手に訓練してなかったら躊躇してただろうし)

 

 最大深度まで到達した浩介ことアビスゲートが出す無数の分身相手でも当初は殺す気で攻撃できなかったことを思い出し、これから慣れればいいかなと思いながら鈴は“縛岩”で伸びている輩を次々と拘束していった。

 

「はい。終わりました」

 

「……本当に錬成師なのか、君は」

 

 その一方、とある空き家にあった地下の物置として使われていたスペースを掘って広げた場所で、八人の男が首から上だけ出て生き埋めの状態になっていた。なんてことはない。襲い掛かってきた裏組織の人間をハジメがまず“錬成”で人数分の落とし穴を作り、一瞬で首から下を埋めたのである。

 

「えーと、じゃあこの人達を引き摺り出して拘束しましょうか」

 

「いや、まぁうん……そうだな」

 

 無論、首から上だけが出ている輩どもの聞くに堪えない悪口雑言が飛び交ったが、ハジメはそれを無視して彼らの頭にタッチ。“纏雷”で次々と気絶させていったのだ。その後、パーマが軽くかかった奴らを見て特に何も無かったかのように相手を縛ろうと進言したハジメにエイブナーは心底ドン引きしていた。

 

「あ、大丈夫ですよ。ちょっと気絶してるだけです――“錬成”……もう大根とかゴボウ引っこ抜く感じで引っ張ってもらえば」

 

「あ、あぁ、そうか……」

 

 短い悲鳴を上げた後に気絶し、今は根菜類のように地面から引っこ抜かれていく悪党共にむしろ同情したくなったぐらいである。明確に敵対の意思を示さなくて良かったことに心の底からホッとしていた。

 

「“錬成”……よし。これで全員ですね」

 

「……すまない。一つ質問してもいいだろうか」

 

 宝物庫から取り出した金属で枷を作って手足を拘束し終えたハジメに、自身も持ち込んだ縄での拘束を終えたエイブナーは先程からずっと考えていたことを尋ねることにした。

 

「どうしました? 何か気になることでも?」

 

「正直聞きたいことはいくらでもあるんだが、一つ一つ口にしていたら日をまたぎかねん。だから幾つかに絞らせてもらう――君()はどこでその強さを手に入れた? おそらく他に参加した君の仲間も決して見劣りはしない実力の持ち主なんだろう?」

 

 エイブナーからの問いかけにハジメは軽く苦笑いを浮かべながらもそれに答える。

 

「オルクス大迷宮ですよ。それは確かです。それと他の皆は僕より強いですよ」

 

 ベヒモスを倒した階層から下に降りて行って、魔物の肉食べて死にそうになって伝説のアイテムガブ飲みしながら突破しました。こんな荒唐無稽もいいところな説明は流石に無理だったからものすごくぼかしてハジメは説明した。

 

(特に魔物の肉を食べながら進んでたところとか絶対言えないよなぁ……多分納得はしてくれると思うけど絶対引くだろうし)

 

 特に魔物肉の件は口が裂けても言えない。かつてアレーティアが言い放った『魔物は食べ物じゃない』発言が再来するのが目に見えているからである。けれども話さなければきっと目の前の人物は納得してくれないだろうという確信はあった。故にハジメはこう答えるしかなかったのである。

 

「……すまない。色々と信じていいか迷うんだが。かの伝説のベヒモスでも打ち倒せばエヒト様の加護でも授かるのか? それに君が一番弱いというのも本当かどうかも正直怪しい。本当にただの錬成師なんだよな?」

 

「はい――ちょっと死線を潜り抜けただけの、ただの錬成師ですよ」

 

「台車を瞬時に作って手から電気を流す人間が『ただの』錬成師な訳が無いだろう。冗談を言うならもっとマシなものにしてくれ」

 

 自分の答えを聞いても結局どこか信じてない様子のエイブナーにハジメは頭をかくばかり。こうなったら情報をある程度隠蔽したステータスプレートでも見せるべきかとハジメは頭を悩ませながらエイブナーと共に合流地点へと戻っていくのであった……。

 

 

 

 

 

 そうして恵里達が方々に散って裏組織の拠点をハイペースで潰している中、他の仲間達もそれぞれやるべきことをやっていた。

 

「くたばりやがれ! イケメン風情がよぉー!!」

 

「ふっ! はぁっ!!」

 

 大介達と同行していたランク“金”の“閃刃”のアベルが家屋の中でその異名に違わぬ活躍ぶりを発揮する。

 

「ぐあぁっ!?」

 

「ひぃっ!? こ、これが“閃刃”の……!」

 

 狭い室内でも取りまわしやすいナイフで襲いかかってきた賊であったが、次の瞬間にはナイフを持っていた手と脇腹に強烈な痛みが走り、武器を構えることも出来ずにただその場にうずくまってしまう。二つ名のある最高ランクの冒険者の実力は伊達ではなかった。

 

「どうしたんだい? 威勢がいいのは彼だけかな? だとしたら笑わせてくれるね。結局はコバエの類と変わらないじゃないか」

 

「ちょ、調子に乗ってんじゃねぇぞスカシ野郎が!」

 

 今彼らがいるここは裏組織に関わりのある人間が買い取った家であった。実際に突入してみれば、何かの取引をしようとしていた身なりの良い人物と多数の裏組織の人間と見事エンカウント。恵里達に負けて早々フューレンへと逃げるようにやって来たアベルは憂さを晴らすかのようにその力を遺憾なく発揮していたのであった。

 

「我々もアベル殿に続けー!」

 

「うぉー!!」

 

 その勢いに乗じて保安署の職員二人も突入していく。アベルが殺さず無力化に留めた相手を素早く抑え込んで拘束していく様は紛れもなくプロそのものであり、治安を守るために活躍する人間の意地を見せていた。

 

「こんなところにいられるか! 俺は逃げる――」

 

「んっ。 “風球”」

 

 そうして屋内でアベルと保安署の人間が活躍する中、あまり人が多くても動き辛いという言われて待機を命じられた大介達は二階から逃げようとしていた奴らに対処している。下の騒ぎを聞きつけてこのままでは不味いと悟ったのだろう。なりふり構わず逃げようとして窓から思いっきりジャンプした輩は下で待っていたアレーティアの魔法の餌食となった。

 

「――ほぐぉ!?」

 

「ま、運が無かったな。諦めてとっとと捕まってくれよ――“風球”」

 

 みぞおちに風のボールが叩き込まれ、逃げようとした男は苦悶の表情を浮かべながらそのまま地面に墜落する。その様を見た大介もやれやれと思いながらも自分も同じ魔法で窓やら壁を壊して出て来た奴らを叩き落としていく。

 

「お二人とも容赦がないですね……」

 

「……誰かを食い物にしている可能性のある人物ですし、これぐらいは」

 

「まぁ死なせないだけマシだろ。俺らがやれって言われてんの捕まえることだけだしな」

 

 ためらうことなく逃げ出した奴らをしばく二人を見て、同行していたハウリアの一人であるカイはぽつりと漏らす。その言葉に残りの二人も首を縦に振っていたが、アレーティアも大介も特に意に介する様子も無い。

 

 オルクス大迷宮で何度となく実戦訓練をこなしているとはいえ、人相手にはまだ武器を振るうことに抵抗のある彼らにとってはややショックを受けていたようであった。

 

「おや。そちらの()()()()もネズミを捕まえてくれていたんだね。いや感心するよ」

 

 そうして残ってた五人で逃げるのに失敗した輩を拘束していると、家の中からアベルが顔を出してきた。向こうもやることは終わったようだ。

 

「ん? まぁ()()アレーティアだしな。これぐらいやれるに決まってる」

 

「……だいすけぇ」

 

 その言葉にトゲを感じはしたものの、惚れた相手を評価してもらうこと自体は嬉しかったため大介は彼女の肩に手を置いてそっと自分に寄せながらアベルにそう返す。アレーティアも恥ずかしがりながらも大切に思ってくれている彼の名前をつぶやきながらされるがままとなる。

 

「あぁそうだね。そこの反逆者なんかと一緒にいるのがもったいないほどだよ。そうは思わないかい?」

 

 そのアベルは一度大介に敵意のこもった眼差しを向けながらアレーティアへとそう語る。途端、場の空気の温度が二度ぐらい下がった。

 

「……どういう意味ですか?」

 

 大介を侮辱したことでぽわわ~んとした空気が一転し、冷たい空気を纏ったアレーティアはアベルに言葉の意味を聞き返す。もし本心から自分の大切な人を貶したのならば容赦はしない。その腹積もりで問いたのだ。

 

「ハッ、何も出来ないで俺達に負けたヤローがなに言ってやがる。アレーティアは俺のもんだよ。口出ししてくんじゃねぇ」

 

「それを決めるのは君じゃない。彼女だ――可哀想に。そこの頭の悪そうな男に弱みを握られているんだろう? 冒険者最高峰の“金”である僕が助けてあげるよ。心配しなくても構わないさ」

 

 大介も明確に敵意を露わにしてきたアベルに軽くメンチを切るも、当の相手は気にした様子もない。むしろアレーティアを囚われのお姫様のように扱い、自分が白馬の王子様かのように振る舞う始末だ。その様を見て一周回って滑稽に思えた大介とアレーティアは揃って可哀想なものを見る目つきでアベルを見つめる。

 

「あ、あの! お、お二人はすごく仲睦まじいんで、そちらの考えているようなことは――」

 

「亜人風情が口を挟むなよ」

 

 ここでこの険悪な空気に耐えかねたケン・ハウリアが三者の間に割って入って仲裁しようとしたものの、それを不愉快に思ったアベルが今度は彼に敵意を向けた。

 

「全く……反逆者は奴隷の扱いというのもなっていないようだね。エヒト様より魔法をたまわった僕達と、エヒト様から見放されたお前達亜人なんぞが同等な訳がないだろう。口を慎みなよ」

 

「……っ」

 

 冷めた目でアベルに言葉をぶつけられ、ハウリア達の身がすくむ。そうだった。外ではこれが普通なのだということを彼らは思い出す。

 

 たまに話をする恵里達からは同じ『人』として扱われ、メルドからも容赦なくシゴかれるが『同士』或いは『部下』としてちゃんと接してくれている。それにメルドの容赦ない訓練を受けてこなしているのを見てくれたからか、最近は騎士団の人間もこちらを『仲間』として認めてくれる気配を出してくれている――だから勘違いしてしまいそうになっていた。自分達は『人間』に差別される種族であることを忘れてしまいそうになっていたのだ。

 

「も、申し訳、ありません……」

 

「なにこんな口だけの奴に謝ってんだバカ――おい。俺らにケンカ売ってるってことだよな? そうなんだよな? あ?」

 

 謝罪して縮こまるハウリア達にそんなことをしなくてもいいとやや荒っぽい言葉をかけた後、大介は本気で敵意を露わにする。軽く下から見上げるように鋭い目つきでアベルを見上げる。そうやってガンをつけていたが“威圧”はまだ使っていない。向こうが襲い掛かってこられたから撃退した、という大義名分を得るのを待っているためだ。

 

「っ……全く、これだから自分の行いを反省出来ない人間は醜いね。やはり僕が裁きを下すべきだ」

 

 ほぼ目論見通り、一瞬だけ目を見開いて顔をこわばらせたもののアベルは柄の端に手を置いていた剣を抜いてくれた。そしてその切っ先をこちらに向けてきたため、見事に挑発に乗ったと確信した大介も剣とダガーを鞘から抜いて構える。

 

「何をやっているかー!」

 

「アベル殿、何がありました!?」

 

 一触即発。空気が張り詰め、どちらから攻撃を仕掛けるかもわからなくなった状況で今度は同行していた保安署の職員の男供もこちらへと駆け寄ってくる。状況の説明のためにアベルも大介も一旦警戒を解く。

 

「あの、実は――」

 

「あぁ、すまないね。僕が彼とそこの亜人どもをたしなめていたらどちらも反発したものだからさ。やはり危険だよ。反逆者は」

 

「は?」

 

 先程から事態を静観し続けていたアレーティアがこの場を収めようと声をかけるも、それをさえぎるようにアベルが自分に都合のいいことをのたまう。すると職員の二人もそれに呼応するように各々武器を構えて大介達の方へと向き直った。

 

「ご、誤解です! た、ただあちらの方を大介さん達は止めようと――」

 

「亜人の意見など聞いてはいない……しかし、そうですか。アベル殿がそう仰ったなら仕方がないですね」

 

「上から敵対は避けろと言われていたが仕方ない。先に貴様らを倒して、他の反逆者どもも投降させるための材料にしてくれる」

 

 こちらの言い分を聞くこともなく、むしろ好都合とばかりにあなどりをにじませた表情で大介達を見ている。元々自分達のことが気に食わなかったのだろう。変に敵意やさげすみを隠すこともなく明け透けにしている様にむしろ大介は好感を抱いた。

 

「――ふむ。事態は混沌を極めている様子だな」

 

「ハッ。気に食わねぇってんならこっちとしても都合がいいな。ブチのめすぞアレーティ――」

 

 ……が、それはあくまで大介の抱いた感情であり、彼自身も迎撃することを選んでいる。ならば他の仲間はどうなるか――横にいたアレーティアに確認を取ろうと声掛けついでに視線を向けた時、大介は察した。

 

「今は矛を収めよ。この我、深淵の支配者たるコウスケ・E・アビ――」

 

「大介、皆さん。ごめんなさい――“凍柩”」

 

 あ、これやばい。アイツら死んだ、と。

 

 何せアレーティアがかつてオルクス大迷宮で自分達と敵対していた頃の空気を纏い、絶対零度の眼差しで彼らを見つめていたことに気付いたからだ。自分達に頭を下げた数瞬後、氷の柩がアベルと保安署の二人をいっぺんに覆った。

 

「えっ……あ、アレーティア、さん……?」

 

「か、体が!?」

 

「み、水系の上級魔法を一瞬で!? そ、そんな馬鹿な……」

 

「ど、どうしてなんだい!? 僕はただ、君を助けようと――」

 

「遠藤さんは手を出さないで……それとお前達は口を開くな」

 

 突如現れて素に戻った浩介は横に置いて、アレーティアは憤怒を湛えたままツカツカと氷の柩に包まれている三人のもとへ歩み寄っていく。幾らか近寄ったところで手をかざせば一部だけ氷が溶けた――何故か股間の部分だけが。

 

「あ、うん……いややっぱりヤな予感するんだけど」

 

「あ、あの、お気に召さなかったことがあったのなら謝りますので、どうかここだけじゃなくて全部溶いていただけませんか……?」

 

「ふざけるな反逆者め! 今すぐ私達を解放しろ! さもなくば今回の行動を報告してやるっ!!」

 

「おいやめろマット! この馬鹿っ!」

 

「ま、待て、待つんだ! 僕はランク“金”の“閃刃”のアベルだぞ! 今すぐ解放してくれるなら今回のことは水に流して――」

 

「……黙れ」

 

 股間の辺りだけ溶かしたことにどこか寒気を感じたアベルと職員の一人は必死に命乞いをするものの、マットと呼ばれた職員はただアレーティアに怒りを示すばかり。

 

「……お前達は私の大切な人を侮辱した」

 

 アレーティアは三人の言葉を意に介する様子も無く、ただ魔力を手のひらにこめていく。

 

「あっ……まぁ、だよなぁ」

 

「あーうん……てかいつの間に来たんだよ浩介」

 

「ついさっき深度が最大にまで達したんだよ。それで皆の援護をしようと――」

 

「……ましてや私達の話に耳を傾けるでもなく、上からの命令を破って私達を拘束しようとしている」

 

 大介が浩介に話しかけていくのを他所にアレーティアは手から無数の風の礫を生み出していく。百にも上るそれを瞬時に展開すると、アレーティアはかつて王として君臨していた頃のように三人の無礼者に告げた。

 

「……今すぐ生まれ変わってやり直せ。下郎ども」

 

 その瞬間、無数の風の球が男どもの股間へと降り注いでいった。

 

「えっ? ちょっ!? やめっ、あ、あ、アッーーーーーーーー!!!」

 

「あびゃぁー!!」

 

「お、おがぁぢゃーん!!」

 

 ソーセージを肉叩きで軽く叩くような音が何度も何度もこだまする。一定のリズムで軽快に奏でられるその音と共に野郎どもの悲鳴がフューレンの街に響き渡る。

 

「「「「ひっ」」」」

 

「こ、怖ぇー!! 本気で怖ぇーよぉー!!」

 

 執拗に男の股間を、しかし簡単に意識を失わせず楽にならないように攻撃する様を見て大介と浩介、そして三人の男のハウリアは思わず股間を押さえて内股になった。

 

 そんな永遠に続くかと思われた集中砲火はアベルらの意識の喪失と同時に終わりを告げる。アレーティアはふぅと軽く息を吐くと置き土産を残した。

 

「……“回天”」

 

 一つは中級の回復魔法。複数の離れた場所にいる対象を同時に治癒する魔法だ。淡い白光が三人の股間に降り注ぎ、それと共に傷がふさがっていく……なお完全に治った様子は無い。

 

「……流石に死なせはしない。そこまでやるほど私も落ちぶれてない」

 

「いや男として死んだだろ」

 

「……漢女になるがいい」

 

 そしてもう一つは怒りと恨みがたっぷり詰まった言葉だった。大介がツッコミを入れても即座に訂正しない辺り怒り心頭であることは明らかである。

 

 見るも無残な有り様となった彼らを見てカイらハウリア一同は思った――絶対にアレーティアさんを怒らせてはならないと。浩介も思った。久しぶりにキレたアレーティアさん怖い。大介も改めて思った。アレーティア怒らせたら絶対死ぬなと。

 

「……ん。いい仕事した」

 

「あ、はい」

 

「お、おう。そうか……」

 

 なおその下手人は(別にかいていないが)額の汗をぬぐうような仕草をしてからどこかスッキリした様子で大介と浩介の方を見やった。大介もそんな彼女に見つめられてちょっと胃がキュッとしたが、怯えている様子を見せまいと意地を張って平静を装う。

 

「な、なぁアレーティア、どうすんだ? コイツらここまでボコボコにしちまってよ」

 

 そこで大介はアレーティアにこのやらかしをどうするのかを尋ねる。こちらに非が無いよう大介は説明するつもりだったが、一応アレーティアの意見も聞いておくべきかと思ったのだ。

 

「そ、そうだ……コホン。吸血姫よ。其方が成敗したのは獅子身中の虫だが、されど我らの仲間ではあった」

 

「……確かに」

 

「いや確かにじゃねぇって……まぁ俺もここまでやらねぇけど反撃はしてただろうしよ……」

 

 気を取り直した様子の浩介も同様の質問をしてきたが、肝心のアレーティアは特に何も考えてなかった様子である。それだけ自分がコケにされたことに怒ってくれたらしく、大介は軽く視線をそらして頭をかいていた。

 

「このままでは汝らが謂れのない……いや、これ割と言い逃れ出来ねぇな。ともかく、我ら深淵の刃が敵として扱われるだろう。そこでだ」

 

 だが何を言おうとアレーティアがやったことは冒険者及び保安署の職員への暴行だ。向こうが仕掛けてくることを踏まえれば過剰防衛ではあるがやりすぎたのは確かだ。それにまだ最初のポイントを潰したばかりでまだまだやることが多い。浩介に言われてどうしたものかとハウリア共々頭を悩ませていたが、その当人があることを思いついていた様である。

 

「……まさか、証言してくれるんですか?」

 

「然り。分身とはいえ深淵卿たる我が顛末を見たと言えば向こうもそう強くは言い返せまい。一時とはいえ益荒男どもの長が我を預かっているのだからな。無碍(むげ)には出来ん」

 

 アレーティアの言葉に浩介は力強くうなずいて返す。言い回しからして多分イルワ支部長のことなんだろうなーとこの場にいた全員が思いつつ、良い案ではあったため浩介の考えに皆で乗ることにした。

 

「「「アビスゲート様、お願いします!」」」

 

「任せよ。我の爪牙となり得る者達よ」

 

「お、お願いします遠藤さん!」

 

「無論だ。二度と曇らぬ月光よ」

 

「頼むぜ。あ、ついでにコイツらの対処もよろしく」

 

「勿論だ。我が(とも)よ。では後はやらせてもらおう!」

 

 アレーティアも彼らを覆っていた氷を完全に消すと同時に現れた岩の鎖でがんじ搦めにすると、すぐに浩介の分身は襲い掛かろうとしてきた奴らと捕縛した悪漢どもを連れてその場を去っていった。そして大介、アレーティア、ハウリア一同は顔を合わせて話し合う。

 

「んじゃ、余計な奴らもいなくなったことだし俺らは俺らで暴れるか」

 

「んっ!……ハウリアの皆さん、行きましょう」

 

「わかりました! 行きましょう大介殿、アレーティア殿!」

 

「じ、実戦は初めてですが、お役に立ってみせます!」

 

「まだまだ日は浅いですけどメルド団長からシゴかれましたから! やれます!」

 

 口角を上げてワイルドな笑顔を浮かべた大介の言葉に力強くアレーティアがうなずく。カイ、ケン、ラウ・ハウリアもそれに追従する意志を見せる。すぐに大介は保安署の職員から借りパク、もとい拝借した地図を広げて現在地と近くにある裏組織の拠点を探す。

 

「……近いのはここから南東のここ」

 

「よし――じゃあお前ら、気合入れていくぞー!」

 

「「「おー!」」」

 

「んっ!」

 

 そして次に襲撃をかける場所を探し終えると大介達は声を張り上げ、そのまま次の目的地である南東の建物を目指す。

 

「あそこか!……ってオイオイ。冗談だろ」

 

「……立派なお屋敷」

 

 ハウリアの皆が追いつけるようにある程度抑えた速度でさびれた街中を走り抜けていけば、彼らの視界には貴族が住んでいると思しき邸宅が飛び込んできた。柵や門扉はひどく立派で、武装もしっかりとした兵士達が巡回している様子である。

 

「マジかよ……そういう奴の家にも突っ込む予定だったのか」

 

「……多分あの冒険者をアテにしていた。だからこの人数でもやれると考えていたんだと思う」

 

 門の前には馬車が停まっており、おそらく家主を待っている様子だ。おそらく逃げる前に突き止めて洗いざらい吐かせる気だったのだろうと大介もアレーティアも考え、どうしてあのイタい冒険者がいたのかを同時に察した。

 

「ど、どうされますか? 一旦引き返して――」

 

「その必要はない」

 

 予想外の相手を前にややうろたえている様子の大介とアレーティアにラウ・ハウリアが声をかけるが、彼の言葉をさえぎるようにある人物が彼らの隣を並走してきた。

 

「浩介か!」

 

「遠藤さん!」

 

「否! 今の我の名はコウスケ・E・アビスゲート! これより深淵が汝らの味方となろう!」

 

 おそらく人類最強、自分達の切り札である浩介の分身が現れたのだ。『急急如律令』と特に意味のないことをつぶやけば分身が二人三人と現れ、計六人の分身が共に戦ってくれることを示してくれた。

 

「ハウリアは我が受け持つ! 満月の化身と太陽の権化は魑魅魍魎の巣に静寂を!」

 

 意訳:ハウリアのことは俺に任せて、大介とアレーティアはあの屋敷で好きに暴れてくれ。

 

 大方こんな感じだろうと解釈した大介とアレーティアはうなずき返すとそのまま走っていき、すぐにアレーティアは大介の背に乗る。愛する少女が負ぶさったのを感じると、大介は“気配遮断”と“空力”を使いながらそのまま空へと駆け上がっていく。

 

「大介、人が少なそうな場所は?」

 

「とりあえず建物の左のとこだな。そこの窓ぶっ壊して突っ込むぞ」

 

「んっ! “風灘”!」

 

 屋敷の上空まで五秒とかからず昇った二人は襲撃をかける場所を話し合い、“気配探知”で人を巻き込まないで済みそうなところを特定して突っ込むことに。アレーティアの手から放たれた弱めのつむじ風は大介が指さした二階の窓とその周辺だけを器用に破壊し、穴の開いた屋敷へと一瞬で突っ込んでいく。

 

「て、敵襲! 敵襲!」

 

「ぞ、賊が現れました! だ、旦那様ぁ~!」

 

 蜂の巣をつついたような有り様となったが大介もアレーティアも特に気にする様子もない。何せハウリアの奴らと浩介の分身が表にいるのだ。万が一にも取り逃がすことは無い。

 

「行くぜ、アレーティア」

 

「行こう。大介」

 

 大介の背から降りたアレーティアと声を掛け合い、大介は屋敷の中を駆け回っていく。

 

「甘ぇ!」

 

「ぐはっ!?」

 

「弱い。 “風球”」

 

「ごはっ!」

 

 焦った様子でこちらへと向かってくる衛兵をみね打ちで、威力を弱めた魔法で次々と倒し、部屋を一つ一つ調べていく。

 

「な、何奴!?」

 

「“縛岩”……よし、コイツらは後回しだ」

 

 そして逃げ出す用意をしてたと思しき貴族の男を大介は容赦なく岩の鎖で縛りつけ、そのまま地面に転がしておいた。

 

「んっ……もし本当に悪いことをしてないなら動かないこと。この屋敷にあるものは全て調べさせてもらいます」

 

 そのまま大介は部屋を後にしたが、アレーティアは残って鎖で縛り付けられた男に言葉をかける。もし万が一、目の前の男が後ろめたいことを何もやっていなかったのなら恵里達に頭を下げてでも色々便宜を図ろうとは考えていたからだ。

 

「そ、それだけは……それだけは何卒! お、お金でもなんでも差し上げます! ですから、ですからどうか!!」

 

 だが命乞いをする様を見て、かつて王であった頃の記憶がささやく。この男は絶対に野放しにしてはならないと。

 

「……この街を食い物にした罪、しっかりと贖うがいい」

 

 その言葉と共にうなだれる哀れな男に背を向けてアレーティアは大介と共にまた屋敷の中を駆けていく――そこで押収したものを浩介に任せ、大介達はまた街の中を走っていく。街を覆う悪夢が覚めるのはもう秒読みとなっていた。




アベルもやっと漢女フラグが立ったよ。やったね!(よくない)

次は大介達並に派手に活動する面々を書くつもりです。


追伸:今回の例の流れになる前の残滓が残ってたので修正しましたorz


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幕間四十五 この夢に別れのあいさつを・破

いつもの遅刻です(白目)

それでは改めまして拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも181152、しおりも421件、お気に入り件数も880件、感想数も653件(2023/9/26 18:41現在)となりました。本当にありがとうございます。いやー久々にすっごい伸びた気がします。

そしてhideさん、拙作を評価してくださり本当にありがとうございます。おかげさまでモチベーションが高まりました。感謝いたします。

今回の話を読むにあたっての注意点として長く(15000字足らず)なっております。久々の快挙だぜ(しろめ)

では上記に注意して本編をどうぞ。


 高さ二十メートル、長さ二百キロメートルのフューレンを囲む外壁の上を等間隔に並ぶ無数の影がいた。そして外壁の根元でも等しい感覚で、かつ外壁の上の倍の密度で並ぶ影がいた。

 

「さて。今のところは我が深淵より逃れんとする悪は欠片とも見当たらないが」

 

 その影すべての名前はコウスケ・E・アビスゲート――遠藤浩介本人であった。恵里達より早くフューレンに入り、“深淵卿”を発動することしばし。ようやく深度が最大にまで達した彼はこの外壁の上に、そしてその下に無数の分身を配置して不審な人間を見逃すまいと監視していた。

 

「如何なる闇も深淵からは逃げられぬ」

 

 その表情は大胆にして不敵。

 

「魑魅魍魎、悪鬼なれども逃れること能わず」

 

 その言こそ傲慢なれど真実。

 

「深淵の(てのひら)の上」

 

『さぁ我らに迫るならば其方の深淵を見せよ』

 

 本体分身関係なく全てがクルリとターンを決めて、それぞれ違うポーズで言葉を紡ぐ……恵里達の中で最強だと評された少年は今、実に香ばしくなっていた。そんな折、ふと地面から幾つもの気配を感知系の技能が掴む。

 

「ほぅ、成程。門扉から出られぬならば地の底か。頭が回る土竜もいたものだ」

 

 “熱源感知”、“魔力感知”が感じ取ったのは紛れもなく人間のもの。大方地下通路か何かを事前に用意し、そこから逃げているのだろうと浩介は考える。

 

「ならば情けは無用か――トータス式八重樫流忍術が奥義“没獄・壊々陸土(崩れ崩れよ蟻地獄の巣の如く)”」

 

 単に歩いているというよりは()()を運んでいるかのような速さで外壁の外へと出たそれへと向け、浩介は特に意味のない詠唱をしながら“崩陸”を発動する。その瞬間、人間と思しき幾つもの熱源の周囲一帯が流砂へと変貌し、動けなくなってただ地面へと呑まれていく。

 

「トータス式八重樫流忍術が一つ“結土・隆陸来来(大地は山にも谷にも変転する)”」

 

 続けて発動した土属性中級魔法“隆土昇”によって地面そのものを隆起させる。沈下した地盤を元に戻したり足場を作るのに使われる魔法により、“崩陸”で柔らかくなった地面から彼らを引き上げた。

 

「ぶはぁっ!……し、死ぬかと思った……」

 

「た、助けて……」

 

「怖ぇ……地面が、地面がぁ……」

 

 想像通りそこにいたのは何人もの人間であった。九死に一生を得たといった様子の彼らとその近くにあった箱を一度視界に入れた後、分身の一人が彼らの下へと近寄っていく。

 

「そうか。こうなったのも深淵の導きだな――答えろ。お前らの持ってる箱の中身は何だ」

 

 そして彼らの中で一番偉そうな人間に浩介は質問を投げかけた。何故なら今日は冒険者ギルドと保安署の要請によって入場受付を閉鎖してあったのだ。無論理由は裏組織の人間を一人であっても逃さぬためである。

 

「……ぇ? あ、いや、これは……」

 

 それを破ってわざわざこんな地下通路を通り、しかも幾つもの木箱を持って外に出ようとしていた。確実に訳アリだと判断した浩介からの質問に男は答えない。ただ言葉を濁して近くの奴らにアイコンタクトらしきことをしているのを見て浩介はため息を吐いた。

 

「やれやれ。それでは答えを言っているようなものではないか――トータス式八重樫流忍術が一つ“岩蛇・縛糸封(その鎖、蛇のように這い寄る)”」

 

「ぐぇっ!?」

 

「ひぎぃっ!?」

 

 “縛岩”によって不埒な輩を締め上げ、そのまま木箱のフタの部分を蹴って開けば幾つもの瓶がそこに入っていた。浩介はその中から一つを手に取り、屈んで一番偉そうな男へと再度問いかける。

 

「“コレ”は何だ? 言え。後ろめたいことが無いんだったら言え」

 

 軽く殺気を飛ばしながら問いかければ、脂汗を流して顔を青ざめさせている。やはり人様に言えないことかと思っていると、その男は卑しい笑みを浮かべて震えながら浩介に質問を返してきた。

 

「だ、旦那も人が悪いよな……ほ、欲しいんだろ? 俺達フェーゲフォイアー自慢のヤクがさ」

 

「……どんな効果だ」

 

「い、一発で世界の全ての幸せを手に入れた気分になれる最高の代物だよ!……な、なぁ。コレを売れば金持ちになれる。使えば幸せになれる。だ、だからよ、俺達と手を組んで一緒にいいコトしようじゃ――」

 

「――却下だ」

 

 案の定違法薬物の類であると確認できた浩介はためらうことなく“威圧”を発動する。見逃しはしない。ためらいはしないとその場で分身を増やし、この場にいた悪党どもを一人ずつ担いで運べるよう数を合わせる。

 

「ひ、ひぃっ!? ば、化け物……」

 

「……どっちが化け物だよ。人を食い物にするようなお前達の方がよっぽどだろうが!!」

 

 そして怒りを露わにすれば男どもは失禁し、ひゅーひゅーと呼吸を荒くしながら浩介達を見つめるだけであった。

 

「お前達はこの箱と一緒に連れていく。その罪をしっかり償ってもらうからな。覚悟しろよ」

 

「な、なめるなよ! ふゅ、フューレンにどれだけ俺達の仲間が残ってると――」

 

「そいつらも全員捕まえるに決まってるだろ――連れて行くぞ、俺」

 

 一切の容赦なく連行すると告げれば、輩どもは最後の抵抗とばかりに自分達組織のことを口にする。しかし浩介はそんな程度の低い脅しに一切屈することなく男どもを縛る鎖を掴む。そして見張り用にもう一人分身を増やした後、男どもを連れ去っていった。

 

「お前達を裁くのはフューレンの人達に任せる。けど、俺が絶対に逃がさない」

 

 そして一人残った分身が怒りを静かにたたえながらフューレンを囲む外壁へと視線を向ける――分身が持つ視界共有能力によって本来閉鎖されている入場受付から馬車が出て来たのが見えていたからだ。無論そちらにも分身を向かわせたし、また外壁を破壊して外へと出て来た奴らにも分身の何体かが対処に当たっている。

 

「頼むぞ、皆」

 

 分身も何体か恵里達への援護へと向かわせている。この街を蝕む悪夢が晴れることを祈りながら、浩介は悪を逃さぬ網として立ち続けるのであった――。

 

 

 

 

 

「ふざんけてんのか? アァ? てめぇ、もう一度言ってみろ」

 

「ひぃ! で、ですから、潰されたアジトは既に三十軒を超えました。保安署と冒険者どもに次々と襲われてます!」

 

「冗談じゃねぇぞクソがぁ!!」

 

「へぶっ!?」

 

 室内で、怒鳴り声が止んだかと思うと、ドガッ! と何かがぶつかる音がして一瞬静かになる。フリートホーフの本拠地で報告を聞いていた首魁のハンセンが下っ端を殴り倒したからである。

 

「てめぇら、何としてでもそのクソ共を生きて俺の前に連れて来い。生きてさえいれば状態は問わねぇ。このままじゃあ、フリートホーフのメンツは丸潰れだ」

 

 ハンセンの号令と共に室内が慌ただしくなる。今開いているオークションで得た金を確保し、自分達に手を貸している保安署の職員全員をブチのめしてからこのフューレンを出るつもりであったのにそれを邪魔されたからだ。怒りに震えたハンセンは邪魔する輩を叩き潰すべく声を荒げて指示を出したのである。

 

「この街を出る前に奴らに生きたまま地獄を見せて、見せしめにする必要がある。連れてきたヤツには、報酬に五百万ルタを即金で出してやる! 一人につき、だ! 全ての構成員に伝えろ!」

 

 殴り倒された奴以外の下っ端はその指示を受け、組織の構成員全員に伝令するため部屋から出ていこうとしている。だがそれは叶わなかった。何故なら――。

 

「ていっ!」

 

 下っ端がドアノブに手をかけたその瞬間、金属の塊が扉をブチ抜いて吹き飛ばしたからだ。

 

「なっ!?」

 

 ドアノブに手を掛けていた男はその衝撃で右半身をひしゃげさせ、そのまま壁に叩きつけられた。更にその後ろの者達も散弾とかした木片に全身を貫かれるか殴打され、一瞬で満身創痍の有様となり反対側の壁に叩きつけられている。死屍累々といった有り様となっていた。

 

「やっぱりここでしたね……ってうわっ。ちょっと、やりすぎました?」

 

「だな。まぁそこの奴らは……とりあえず谷口か白崎の奴に“聖典”使ってくれるよう頼むか」

 

「あ、はい……そう、ですね」

 

 その一方、下手人であるシアは自ら作ってしまったショッキングな光景に軽く引いてしまい、隣にいた良樹もひとまず“念話”で鈴と香織に打診する。目的はあくまで『裏組織の人間の捕縛』であり、抹殺ではなかったからだ。

 

 とりあえず扉を壊そうということで良樹と話をし、じゃあ訓練ついでにやってみろよと焚きつけられて鉄槌を振るった結果、その扉が爆砕。しかも扉の前にいたであろう人間が冗談みたいに吹き飛んで反対側の壁でひしゃげてしまっている。しかも幹部か何かっぽい男は目を見開いたまま硬直している始末。

 

“あーあー、谷口、白崎。聞こえるかー? ちょっと“聖典”使ってくれねぇか?”

 

“何かやらかしたの? まぁいいけど”

 

“えっと、誰か死にそうになってるんだよね? わかった! 任せて!”

 

「……てめぇら、保安署と冒険者のカスども……いや、その容姿……反逆者じゃねぇか!」

 

 とりあえず良樹が虚空に視線を飛ばしていることから鈴と香織に“念話”を飛ばしているだろうとあたりをつけていると、当の目を見開いていた男が素早く武器を取り出して構え、ドスの利いた声でこちらに声をかけて来た。

 

「あ? それがどうしたってんだよ」

 

 よりによって悪党に惚れた人を反逆者扱いされたことにシアも内心ちょっと怒ったものの、だからなんだと良樹が呆れた様子で尋ね返せば向こうは侮蔑に満ちた視線を向けてきた。

 

「ノコノコこんなところに出てくるたぁめでてぇおつむだ。おい、今すぐ投降するならそこの亜人ともども命だけは助けてやるぞ? まさか、フリートホーフの本拠地に手を出して生きて帰れるとは思って――」

 

「“風球”」

 

「グギャアアア!!!」

 

 なおその舐め切った相手への返事は幾つもの風のボールだった。良樹が放った風の弾丸を食らい、錐揉みしながら背後の壁に激突。絶叫を上げながらうずくまる様にシアも軽く溜飲が下がった。

 

「お、こいつは」

 

「うわぁ……刺さってる木片が抜けてる。鈴さんか香織さんかわかりませんけどすごすぎません?」

 

 その後光の波紋がこの場を駆け抜けていくのを見て、鈴か香織のどちらかが発動した“聖典”を二人は確認する。ひしゃげていた男の体も、飛び散った木片で体を貫かれたり傷ついた人間の傷も元通りに修復されていく。ひとまず大けがした人が死ぬことはなさそうだと思っていると、ふと下の騒がしさと幾つも迫ってくる足音に二人の意識が飛ぶ。

 

「っと、早くコイツら縛り上げねぇとだな。“縛岩”」

 

「お願いします良樹さん。今から来る人達は私が相手をするので」

 

 そう言いながらシアは先程使った鉄槌を宝物庫にしまいこみ、インファイトスタイルで迎え撃つことを決める。直後、何人もの悪漢が部屋へとなだれ込んできた。

 

「亜人の女がよぉー! 黙って俺らのものに――」

 

「せいっ!」

 

「ぐえっ!?」

 

「はぁーっ!」

 

「ぎゃぁああぁあ!」

 

 鉄槌よりもまだ加減が効く拳で相手を次々と打ちのめしていく。“身体強化”を抑えて顔面、下あご、みぞおちに次々とボディーブローを入れ、時には回し蹴りで横に吹っ飛ばす。十人も叩きのめせば、真っ向からシアに突っ込もうという気概を持った奴はいなくなっていた。

 

「どうしました? 亜人の女がなんですって?――簡単に倒せると思ったら大違いですよ」

 

 戦える。化け物染みた何人もの師匠に何度となく叩きのめされていた日々はやはり無駄じゃなかった。そのことを改めて実感しながらシアはクイクイと手を動かして挑発する。

 

「おし。シア、こっちも終わったぜ」

 

「わかりました良樹さん――じゃあ行きましょうか」

 

「だな。行こうぜ」

 

 そして不敵な笑みを浮かべながら二人はフリートホーフの本拠地で暴れまわる――本拠地入口でワラワラと出て来た構成員を相手にせざるを得なかった保安署と冒険者の指示を無視し、突入して全員確保した二人が叱られるまであと五分。

 

 

 

 

 

「……やっぱり厳重だね」

 

 同行している皆と一緒に建物の陰に身を潜めた奈々がつぶやく。現在幸利は同じ班に割り振られた優花と奈々、ハウリアの二人と職員らだけでなく、礼一、信治、重吾、ハウリア二名+αの班と合流して物陰から次のポイントをうかがっているのである。

 

「ホントそうよね。どれだけ入られたくないのかしら」

 

 そうつぶやく優花が向けた視線の先にあったのは、今もフューレンで経営を続けていられる劇場の一つである。だが調査員によってここは闇のオークション――貴族相手に人身売買が行われている場所の会場でもあることが判明していたのだ。

 

「当たり前だお前ら。ここはオークションの会場なんだぞ」

 

 しかも入手した情報が本物だと示すようにこの建物の入口には二人の黒服に身を包んだ巨漢が、周辺を何人ものごろつきや冒険者崩れと思しき人間がうろついている。彼らがこの会場の警備にあたっているとこの場にいた全員が考えるのも無理はなく、奈々と優花の発言を保安署の職員の一人がとがめるのも自然ではあった。

 

「あ、はい……」

 

「あんまり奈々を叱らないでやってくれ……ま、ここまで集まってたら親切に教えてくれてるようなもんだけどよ」

 

「ナナ、気にしなくっていいわ」

 

 奈々は申し訳なさそうにうつむくも、幸利は優花と一緒に言葉にかけた。そんなことで気に病むなと思いながら言葉をかければ、少しホッとした様子で奈々は自分達を見つめてくる。その一方で奈々を注意した職員はもう興味が失せたかのようにただ目の前の建物へと視線を向けていた。

 

(ったく、俺達はエヒトの野郎に言いがかりつけられた方だってのに……まぁいい。最悪コイツら抜きで動けばいいからな)

 

 そのことに幸利は軽く苛立ちを感じはしたものの、それを腹の中にしまいこんでどう動くかに頭を使う。一応職員や冒険者にも自分達が考えた作戦を立案するつもりではあるが、この調子だったら放置しようとも考えていた。

 

「建物の裏はどうなってる?」

 

「駄目だな。どこへ行っても」

 

「二階の窓からも人が見える。たとえ屋根の上に登っても見つかる可能性が高いぞ」

 

「……どうする? このままだと侵入出来ないが」

 

 そうしてどうやって侵入するかについて職員や冒険者達が小声で話し合う中、自分達の班と合流した重吾もかなり悩んでいる様子でこちらに視線を向けてきた。

 

 保安署の職員達が話し合っている通り、裏手に回るのも屋根の上に登るのも現実的ではない。かといって馬鹿正直に真っ正面から突っ込めばすぐに自分達が来たことが伝わり、中にいる奴らが逃げ出すだろう。どちらにせよ作戦は失敗に終わるのが目に見えている。

 

「……俺ごときが頼み込めた義理じゃない。だが、アイデアか何かないか。それこそ前に披露したあの流砂の奴でもいい……どうか、やってくれないだろうか」

 

 声を絞り出しながら頼み込んできた重吾を見て幸利も思わずため息を吐きそうになった。もうとっくに過ぎた事だし、あの手ひどい裏切りを思い出せば敵意を抱き続けるのも流石に難しい。どうしたもんかと思いつつも幸利は友人達と一緒に準備を進めて行く。

 

「おし。装着かんりょー、っと」

 

“俺は“堕識”で奴らの意識を奪う。信治と優花は“錬成”を使って侵入経路を作ってくれ”

 

“わかったわ”

 

“おう。任せろ”

 

 宝物庫から取り出したガントレットを装着し、ニッと笑みを浮かべながら信治は幸利の方を見やった。対する幸利も保安署の職員と冒険者以外に伝わるよう“念話”で指示を出していく。その中にはもちろん重吾も入っていた。

 

「お前達……」

 

“どうして“念話”が聞こえるか、だろ? ま、察してくれ。そっちも貴重な戦力だからな”

 

 “念話”は繋ぐ相手を選ぶことが出来る。だからそっちも“仲間”としてカウントしていると暗に伝えれば重吾が気づくのに時間はかからなかった。だがそれと同時に困惑してしまった彼に“念話”で声をかける。

 

“言っておくけど俺達はもうお前らを恨んじゃいねぇよ。そこまで暇じゃねぇんでな”

 

“だ、だが……俺は、お前達を……”

 

“知るか。礼の一つも言いたいんなら後で光輝にでも言っとけ”

 

 どこか怯える様子の重吾を見て、まだ自分達への引け目が消えてないんだろうというのを感じつつも幸利はそう返す。そんなことよりも目の前のことの方が遥かに大事であったからとやや強引に話を切り上げる。

 

“罪滅ぼし、って言うんだったらそれでいいぜ。ま、そう簡単に返せると思うなよー”

 

“おい礼一、ったく……あんま気にするなよ。一応冗談のつもりで言ってるからな”

 

“……あぁ”

 

 こちらがこっそり話をしているのに気づいた礼一が茶々を入れてきたが、本気だと思われないよう幸利はフォローを入れる。その言葉が届いたかどうかは知らないが、重吾はゆっくりと深くうなずいて返してくれた。

 

「大丈夫ですよ重吾さん。やってしまったことはこれから挽回していきましょう」

 

「そうです。幸利さん達はもう気にしてない様子ですから」

 

「……ありが、とう」

 

 その後すぐに同行していたハウリアからも声をかけられた重吾を見て、もう大丈夫かと考えた幸利は職員らに声をかけた。

 

「あー、すいません。良かったら俺達でどうにか――」

 

「反逆者は黙っててくれ」

 

「お前達などアテにはしていない。いいか、私達はお前達の監視も仕事の内に入っているのだからな」

 

 仲間全員の準備は既に完了している。後は職員と冒険者に提案するだけだったがけんもほろろに断られてしまい、ならもう従う必要は無いかと即座に見切りをつけて()()()に視線を向ける。

 

“んじゃ作戦開始だ。さっき指示した通り信治と優花は“錬成”で地下まで道を作ってくれ。礼一と永山は前衛、奈々と優花が後衛で先に侵入。ヨルとミンもついていってくれ。俺は()の奴らに“堕識”ブチこんで連れていく。タムとポーは意識を刈り取った奴の拘束を頼む”

 

 その言葉に優花、礼一、重吾、奈々とヨル、ミン・ハウリアはうなずく。が、タムとポー・ハウリアの二人はちょっと悲しそうな顔をして幸利を見つめていた。

 

“わかり、ました……手を取り合えないのは残念ですが、致し方ないですかね”

 

“悪いな。ハウリアみたいに皆が皆分かり合えるって訳じゃねぇんだ”

 

“我々ハウリアも他の亜人とは仲良く出来てる訳ではないですからね。それを考えれば仕方ないです”

 

 タムとポーが残念そうにつぶやいたのを聞き、彼らをなだめつつも向こうにも色々とあるんだなと幸利は軽く同情する。だが今すべきことに意識を向け、仲間全員を見回した。

 

“そんじゃ作戦開始と行くぜ”

 

 開始を告げれば優花達全員がうなずいて返し、幸利は少し離れたところでこちらをいぶかしげに見ている職員の方に顔を向けた。

 

「一旦本部に戻って劇場周辺に人を集めるよう打診しよう」

 

「だが他の班の協力を得られるか? 拠点潰しが終わった奴らがいるとは到底――」

 

「どうした貴様ら? 私達に何か――」

 

「“堕識”」

 

 魂魄魔法を覚えたことで、その派生である闇系魔法の“堕識”を使えるようになった幸利はためらうことなくその力を振るう。ムスッとした顔でこちらに声をかけようとしてきた冒険者の意識をまず奪い、すぐに他の職員と冒険者も意識を飛ばしていく。

 

「――モガッ!?」

 

「うぅ、申し訳ありません。私達がもっと力があって、頼れるんだったら……」

 

「――ムグッ、グゥ……」

 

「これもまた罪か……フッ、あまりにも重いな」

 

 闇黒色の明滅する球体がしっかり仕事をしたその隙に、タム・ハウリアとポー・ハウリアはやや演技がかった言い方で懺悔しながらも縄を取り出して冒険者らを縛りあげていく。口元までしっかり縛っていく様は見事ではあったが、大して親しくも無い相手にそこまで罪悪感を感じるもんか? と見ていた信治達共々軽く呆れてしまう。

 

「えーっと、その、地下までの道、開いたわよ」

 

「とりあえずソイツら担いできてくれ。とっとと行こうぜ」

 

「……おう。んじゃタム、ポー。コイツらをとっとと運ぶぞ」

 

 見れば優花と信治は地下までの道を既に用意してくれており、幸利は返事をするとすぐにタムとポーに目配せをする。今頃は夢を見てるであろう計六名の冒険者と保安署の職員らを二人のハウリアと分担し、両肩に一人ずつ担ぎながら幸利達は礼一らの後を追っていく。

 

「よし。これで穴は埋め終わったぜ」

 

「それでどうするの? ここに置いてく訳にはいかないでしょ?」

 

「まぁな。これから協力してもらうよ……駄目だった場合は、後で考える」

 

 そして巡回しているごろつきに見つかる事無く無事地下にあった下水道へと侵入出来た幸利は、適当なところに担いでいた奴らを下ろし、こちらをにらんでいる一人の口を塞いでいる縄を下へとズラしてやった。

 

「貴様ら……こんなことをしてタダで済むと思うなよ」

 

「あそこで下手に騒がれるとマズかったからやらせてもらったんだ。それに、俺が提案しようとした時ノータイムで却下しやがっただろうが。それを忘れたとは言わせねぇぞ」

 

「黙れ……お前ら反逆者ごときが口答えするな。トータスを混乱に陥れたゴミどもめ……!」

 

 こちらに敵意を向けて来た冒険者の意見も尤もではあったが、そもそもこっちの意見をにべもなく切り捨てただろうと幸利は言い返す。しかし減らず口は全然収まる気配を見せないことから軽くイラッときた幸利は念のため他の職員や冒険者全員を一瞥する。

 

「……俺達とマトモに話し合う気はねぇんだな?」

 

「大罪人ごときが口を挟むな!……やはりお前達を参加させると見せかけて、俺達で捕まえるべきだった!」

 

「そうかよ――コイツは使いたくなかったんだけどな」

 

 さっきから口が減らない男と同様に他の面々も自分に敵意丸出しの視線を向けてきている。このままだと埒が明かないと判断した幸利は宝物庫から首輪を取り出し、それをすかさず口やかましい冒険者の首へと着けた。

 

「貴様、なにをををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををををを」

 

「悪いな。コレ、保安署で色々情報を話してくれた奴も着けてた特製の奴なんだよ――効果はすぐにわかるぜ」

 

 幸利が取り出したのはあの洗脳効果のある首輪であった――実はこれ、今回の摘発を前に恵里とハジメが必死になってこしらえたものである。作戦の実施日が近かったため、ハウリアを除いて一人頭十個程度しか用意できなかったが効果はてき面。

 

「貴様さまさまさまさまさまさまさまはなははなしあいあいあいあいあい――すいませんんんぅ! ()()が悪うございましたぁ!」

 

 いつぞやの城で反旗を翻したメイドやら兵士やらが身に着けたものと同等の効果を遺憾なく発揮し、見事に()()。首輪を身に着けた冒険者の変貌ぶりに五人の冒険者と職員らは大きく目を見開く。

 

「いやー自分アホウでした。反ぎゃ……えっと、そちらがちゃんと話し合おうって言ってくれてたのに。許してなんてそんな馬鹿な事は言いません。だから自分、働きで改心したのをしっかり示させてもらいまぁす!」

 

 着けた途端に一人称やらテンションやらが変わってしまうのも健在なこの首輪の効果を見て職員らは一気に血の気が引いた。これはヤバい。下手なことを口にしたらこうなる可能性が高いと理解した。あの変なしゃべりのごろつきはコレが原因でおかしくなったのかということを理解させられてしまったからである。

 

「お、おう……か、構わねぇぜ。」

 

 なおその下手人である幸利と他の仲間らもその変貌ぶりにやはり引いていた。幸利らは一応経験自体はあったがやっぱり驚きや罪悪感を感じない訳ではないし、全ハウリアに至っては身を寄せ合って体を震わせる始末であった。

 

「あざまーす!――さぁみんなぁ! この首輪着けて心入れ替えよう! きっと皆さんが許してくれます!」

 

 キラキラ笑顔でヤバいことを言い出した冒険者の男を見て、縛られた五人は涙を流しながら何度も何度も必死に首を横に振っている。絶対に身に着けたくないとばかりに救いを求める視線を向けられ、幸利も頭をかいてため息を吐く。

 

「……まぁ、俺らに協力してくれるんだったら着けねぇからよ。それは安心してくれ」

 

 それを聞いて縛られた奴らは幾度も首を縦に振った。これだけやれば流石に効いただろとハウリアに目配せをして一緒に縄を解いていく。

 

「貴様は危険だ! 今この場で――」

 

「おっとてがすべったぁー」

 

「タイホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホミーをタイホザぁ~ンス!」

 

 ……なお、幸利本人が縄を解いた際に不幸な事故が一度だけあった。それを見た優花達は手で頭を押さえ、ハウリアの皆も気まずそうに顔を背けるばかりであった。世の中ままならないものである。

 

 

 

 

 

「――さて、んじゃこっからは俺達の班と信治達の班で進むぞ」

 

 不幸な事故が起きてからしばし。騒ぎが収まったところで幸利はどう動くかについての話し合いをする。

 

 元の幸利、優花、奈々、タム、ポーと職員らの班と重吾、礼一、信治、ヨル、ミンに職員と冒険者の班で別れて行動するべきだと当人は訴えたのだ。その意見に反対する者は誰もおらず、保安署の人間も冒険者も()()()首を縦に振ってくれた。

 

「よし。なら俺達はこっち、礼一達はそっちの方に進んでくれ」

 

「おう」

 

「任せな」

 

「わかった」

 

「自分達にお任せをー!」

 

 目の前にある二つに分かれた通路の一方を礼一達に任せ、幸利達はもう一方の方へと進んでいく。

 

「……上にかなり人がいるな」

 

 そうして進んでいく中、ふと幸利達オルクス大迷宮突破組は幾つもの気配が上にあるのを技能によって感じ取った。オークションの会場か、それともそこで出される“商品”か。どちらにしても大打撃が与えられるのは確かであり、奈々達と共に足を止めるとすぐに幸利は指示を出す。

 

「優花、“隆土昇”で足場を作ってくれ。俺がガントレットで“錬成”を使って天井の穴をあける」

 

「いいわ。ちょっと待ってなさい “隆土昇”」

 

 すぐに優花はうなずき返し、天井まで続く足場を作る。“空力”が使えないハウリアや職員らのことも考慮して階段状に作っていくのを確認すると幸利は更に指示を出していく。

 

「そうやって目的のポイントに行くまで繰り返す。もし着いた先がオークション会場だったら――奈々、お前の魔法の出番だ。いいな」

 

「うん。わかったよ! ()()()!……あ」

 

 流石に殺すのは不味いが、中にいる悪党どもを無力化する必要はある。そこで奈々に白羽の矢が立ったのだが、その奈々は花が咲いたような笑顔で返事をする……が、ここで聞きなれない呼び方に幸利は思わず間抜け面をさらし、うっかりそれを口にした奈々はそれに気づくとみるみるうちに顔が赤くなっていった。

 

「え、えっと、今のは俺……だよ、な?」

 

「あ、あのね……その、えっと……」

 

 疑問を口にする毎にどこかむずがゆい感覚を覚えていく幸利だったが、奈々の方はその問いかけを受けても言葉が出てこなくてわたわたしていた。

 

「……ふーん」

 

「あらあら青春ザンスねぇ~」

 

「あ、いや、その……い、行くぞ皆! “錬成”っ!!」

 

 そしてそんな二人に優花がじっとりとした視線を向け、それに何とも言えない居心地の悪さを感じた幸利はその場から逃げるように階段を上って天井に穴をあける。その様をタム、ポー・ハウリア両名は微笑ましいものを見る目で見つめつつも、保安署の職員らの後を追っていった。

 

「――ユキ!」

 

“あぁ、この上だな! 流石に石じゃねぇみたいだがな!”

 

 そうして足場を作っては天井に穴をあけて上へと向かうこと数度、遂に一行は目的地の直下に辿り着く。

 

“やることは変わらねぇ! 優花、音は可能な限り抑えてくれ!”

 

「わかったわ “隆土昇”」

 

 上にいるのはオークションに出ている連中か商品扱いされている人間かまだ区別はつかない。ろくでもない客であることを警戒して幸利は“念話”で指示を出し、優花も声を抑えながら魔法をゆっくりと発動していく。

 

“幸っち、私が“破断”で穴をあけるから!”

 

 さてどうやって上へと行くかと幸利が思案した時、奈々が自分が穴をあけると提案してきたのである。

 

“やれるか?”

 

“もちろん! 上手くやるから!”

 

 “破断”は言うなればウォーターカッターのような魔法だ。水系の中級魔法のひとつであり、空気中の水分を超圧縮して撃ち放つという代物である。無数に増えた浩介との戦闘訓練でも使っていたそれならばこの天井を切り裂いてしまえるだろう。それを聞いて奈々に上手く穴をあけられるかと尋ねれば、自信満々にうなずいたのを見て幸利はニッと口元を吊り上げた。

 

“上にいる奴には当てるなよ!”

 

「もちろん――“破断”」

 

 かけた信頼を裏切ることなく奈々は手のひらから放った水の刃で一メートル程度の大きさの穴をこしらえる。途端に外からのざわめきが聞こえ、老若男女問わず困惑している様子の声からしてオークション会場の方だろうと幸利はアタリをつけた。

 

「外は!」

 

「オークションの会場っぽい!」

 

「なら問題ねぇな! 奈々! 死なない程度に思いっきりやってやれ!」

 

「うん! “凍獄”っ!」

 

 やはりと確信した幸利がすぐにゴーサインを出せば、奈々は持っていた杖を穴に向かって突き出した。詠唱を終えると同時に穴から一気に強い冷気が流れ込み、彼女と顔を合わせると幸利はすぐに号令をかける。

 

「全員外に出るぞ! 誰も逃がすなよ!」

 

「「「「了解!」」」」

 

「了解ザンス!」

 

「「わ、わかった!」」

 

 そのまま穴の外へと躍り出ればそこは悲鳴が飛び交う地獄のような有り様となっていた。

 

「誰か、誰かー!」

 

「さ、寒い……し、死ぬ、死んじゃう……」

 

 会場の客はおよそ百人ほど。誰もが奇妙な仮面をつけて『いた』。というのも奈々が席に座っていた客の膝から下をそこそこの厚みの氷で覆ってしまったことが原因である。いきなりの事態に混乱し、そこから逃れたり体を少しでも温めようと体を動かしているせいで仮面がズリ落ちたのがチラホラいたのだ。

 

「これ、流石にヤバいわね……」

 

「う、うん。消すね!」

 

「お、お前らかー!」

 

 誰も彼も顔面蒼白でブルブルと体を震わせているものだから逃がさないためとはいえちょっとやり過ぎた。すぐに奈々は魔法を解除すると、檀上から男の声が響いた。

 

「よ、よくもこのオークションをめちゃくちゃにしてくれましたね! お、お前ら! この馬鹿どもを早く捕まえなさい!」

 

 その口ぶりや男のそばにいるボロをまとった人間がいることからこのオークションを取り仕切っていた人間かもと幸利は推測し、すぐに全員に指示を飛ばす。

 

「タム、ポー! それと冒険者と保安署の人らは協力して客を捕まえてくれ!」

 

 まずは凍えながらも逃げようとしている客の確保。そのためにハウリア両名と職員らに声をかけてやってもらうよう頼み込む。

 

「わかりました幸利君!」

 

「了解です! お任せください!」

 

「迷惑をかけた分しっかり働くザマスよぉ~!」

 

「俺ら、いつの間にか立場逆転してるな」

 

「言うな。首輪つけられるぞ」

 

 各々反応は様々であったがすぐに承諾し、四方に散って参加者の確保へと移っていった。

 

「じゃあユキ、私はナナと一緒にスタッフの方を相手するわ」

 

「わかった。じゃあそこの偉そうな奴を倒してそこのおっさんも保護しとく」

 

「頑張ってね幸っち!」

 

「おう」

 

 優花と奈々とも短いやり取りながらもお互いのやるべきことを伝え合い、そのまま分かれて行動に移る。

 

「き、貴様! ふ、フリートホーフに手を出してどうなるかわかって――」

 

「黙ってろ三下」

 

 懐から素早くファントムを取り出すと、脅し文句を吐いた男の額に向けて装填済みのゴム弾を発射する。ぐぇっと汚い悲鳴を上げると共に勢いよく頭をステージに叩きつけてそのまま倒れこんだ。やりすぎたか? と思って念のため魂魄魔法で魂の状態を確認するが、とりあえず霧散した様子は無かったのでそのまま横にいた男の方へと歩いていく。

 

「あー、すまん。寒くねぇか? 良かったら軽く火にあたっていけよ。“火種”」

 

 この場にいた奴らを逃がさないためだったとはいえ、自分も奈々にやり過ぎな指示を出してしまったことを反省しながら拳大の火を手のひらに灯す。揺らめくその火を床へと移し、軽く体を震わせている男が暖をとれるようにして火にあたるよう促した。

 

「あ、ありがとうございます……あの、あなたは?」

 

「俺か? 俺は、そうだな……」

 

 そこで感謝と畏怖の混じった視線を向けられ、どう答えたものかと思案する幸利はただこう答えた。

 

「まぁ、悪ガキだよ。そこの悪い大人をこらしめてるだけのな」

 

 同行していた保安署の人らにヤバいことやったしなぁとちょっと遠い目になりながら。困惑する壮年の男性に背を向け、幸利はステージから飛び降りて優花達の援護へと向かうのであった――。

 

 

 

 

 

「これは……」

 

「大当たり、だな」

 

 一方、幸利達と別れて動いていた重吾達は地下深くに無数の牢獄を見つけた。おそらくオークションに出される人間がいる場所だろうと考え、周囲に見張りがいないかどうか見渡した。

 

「ま、とりあえず寝ててくれや」

 

「ぐがー……ぐぅ――アババババっ!?」

 

 すると入口に監視が一人いたのだが居眠りをしていたため、すぐに礼一が音もたてずに忍び寄って“纏雷”で気絶させる。そして周囲に見張りがいないことを確認してから牢獄の中を歩いていく。

 

「皆さん! 早く牢の中の方々を助けましょう!」

 

 首輪をつけられて改心した冒険者が言うや否や、重吾達は牢の中に閉じ込められた人間の保護に動いた。

 

「ひっ!?……だ、誰、ですか?」

 

「ただの正義のヒーローだよ。今ぶっ壊してやるから下がってな」

 

 牢の中で怯える人間に言葉をかけると、すぐに礼一は扉周辺を槍で切り刻んで人ひとりが通れる程度のスペースを確保。すぐにハウリアが向かって中にいた人間に手当てをしていく。

 

「待っていろ……今、助ける」

 

 信治や他の職員らも同様に扉やそこにつけている鍵の破壊に移っている。当然重吾も扉に着いている南京錠に似たそれを掴み、力に物を言わせながらそのまま引きちぎっていく。

 

「……誰、なの?」

 

 重吾が南京錠もどきを捨てて扉を開けると、ふと怯えた様子の弱々しい声が彼の耳に届く。そして声のする方を見て彼は驚きを隠せなかった。

 

「亜人の、子供が……」

 

 エメラルドグリーンの長い髪もその幼い体も軽く汚れているその子の耳を見てわかった。耳のある位置に扇状のヒレが付いており、亜人の子供であると。

 

「ね、ねぇ誰? 誰なの?」

 

 その子の他にも何人もの普通の人間の子供がおり、さっきの子と違って薄汚れてほほが軽く痩せこけている。おそらく長いことこの中に閉じ込められていたのだろうと重吾は察した。

 

「俺は……勇者、だ」

 

 身を寄せ合い、こちらを見上げる子供達の目つきは怯えが簡単に見て取れる。どうすれば、なんて言えばいいと迷った時、ふと漏れてしまった。

 

「ゆう、しゃ……おじちゃん勇者さまなの?」

 

「それ、は……」

 

 きっと訳も分からないままこんな薄暗い場所に閉じ込められ、ただ身を寄せ合うしか出来なかった子供達にどう接すればいいのかと考えた時に出てしまったのだ。このトータスに来て光輝達とオルクス大迷宮で別れてから身につけさせられた、まがい物の『勇者』としての振る舞いが出てしまったのである。

 

「ほんとう、なの?」

 

「でも、なんでつらそうな顔してるの……?」

 

「すまん……すまない……」

 

 少しでもこの子達を安心させたいという思いから出てしまった嘘。結局自分はまだ変わることが出来てないことを否応にも自覚させられ、けれども今更それを引っ込めることが出来なくて、泣きそうになるのをこらえながら少年は必死に嘘をつく。

 

「大丈夫だ……俺が、俺が助けに来たんだ。もう、安心してくれ」

 

 その言葉は誰に向けての言葉だったのか。言った当人すらわからないまま、傷ついていた男の子は泣き笑いを浮かべる。その様を人間族の子供達が、海人族の子供が不思議そうに見つめていた。




最後、特に最後の重吾の泣き笑いのシーンが書きたかったんです。マジで。


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幕間四十六 この夢に別れのあいさつを・急

では改めまして拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも182024、感想数も657件(2023/10/2 06:56現在)となりました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠に感謝いたします。またしても筆を進めていく力を分けていただきました。


今回の話は少し短い(約8000字程度)です。うん。このままだと15000字また超えそうなんで分割しました。いつものです。またいつもの!(しろめ)

……それでは上記に注意して本編をどうぞ。


「――ここはひとまず完了しましたね」

 

「うむ」

 

 フューレン北西にある潰れた劇場にて捕縛した賊を見下ろしていたのは光輝達の一団であった。彼ら一行は冒険者も保安署の人間も加えず、ただ二人のハウリアを連れて予定されていたポイントを回っている。そしてその都度()()()()()が本部に報告をしに行っている。

 

「お母さん、お爺ちゃん。もう襲ってくる人はいないわ」

 

「そう……ありがとう、雫」

 

 他のハウリアと共にここら一帯を見てきた雫からの報告に、やや目を伏しがちになりながら霧乃がそれに答える。それを聞いた雫はどこか言葉を詰まらせていた様子だったが、不意にその表情が和らいだ。

 

「……大丈夫だよ、雫」

 

「光輝……」

 

 光輝が後ろから抱きしめたからだ。たとえ操られていたとはいえ、分身であったとはいえまだ雫を殺めたことへの後悔が二人から完全に消えた訳じゃない。鷲三と霧乃の胸中を思いつつ、光輝は後ろから雫の顔を覗く。

 

「いいんだ。少しずつ進んでいこう。時間はいくらでもあるんだから」

 

「……うん」

 

 自分の声を聴いて苦しげな表情が少し和らいだのを見て光輝も少しだけ安心する。それと同時にもう絶対に雫を傷つけさせない、鷲三も霧乃も自分がどうにかしなければと使命感に軽く駆られた。

 

 ――ウルの街で雫の分身が家族に殺されて以降、彼女は変わってしまった。一つは常に鷲三と霧乃と一緒に行動するようになった、もしくは一緒に行動しようと誘うようになった点だ。

 

(昔だったら……昔だったらここまで鷲三さんと霧乃さんと一緒にいようとなんてしなかった)

 

 食事の時も、今回のような作戦や日々の作業をこなす時も、風呂に入る時も寝る時でさえも自分も家族も一緒でないと雫は不安がったり嫌がるようになったのである。おそらく自分がいないところで家族が取り返しのつかない状態になることを恐れているからだと光輝は考えている。

 

(皆といる時はあまり出ない。けれど俺達だけの時に甘えたりはしゃいだりするようになって……)

 

 そしてもう一つ。雫の言動が時折幼い感じになってしまうことだ。特に一緒に寝る時にそれが顕著になっている。

 

 鷲三と霧乃が正気に戻った後、二人が自分達に遠慮して別の部屋で寝ようとした際に雫がぐずり、何度も何度も『行かないで』とまるで子供のように言い出したのだ。それからはずっと四人揃って一緒のベッドに寝るようになり、あまり見ることの無かった満面の笑みをいつもするようになったのである。まるで幼い子供がするようなものを。

 

(昔もあまりしなかった。今じゃ滅多にしなくなったはずのあんな笑顔を……)

 

 そうなった理由を雫に尋ねたことは無い。だが長いこと彼女を見ていたからこそ光輝は少なくともわかったつもりでいた。あの時のことが雫に大きな影を落としているということを。だからか彼女を抱きしめる腕に少し力が入ってしまった。

 

「痛っ……痛いわ、光輝」

 

「……ごめん、雫」

 

 腕を緩めて謝りながら光輝は思う。守りたい。愛している人がもうこれ以上傷つかないように。彼女の家族がもう苦しまないように。己の非力を何度となく痛感しながらもなお彼は願った。

 

「俺に……俺に守らせてくれ、雫」

 

「? 私、いつも光輝に助けてもらってばかりよ? 変な光輝」

 

 そんな自分の様子に気付くことなく、不思議そうに声をかける雫に一層光輝は胸を締め付けられる思いに駆られる。その痛ましい様を雫の家族と二人のハウリアはただ胸が締め付けられる思いで見ていたのであった。

 

 

 

 

 

 恵里や重吾達がそれぞれ活躍している中、相川達は現在フューレンの街南東を進んでおり、中央区から幾らか離れたところにある倉庫の一つへと向かっていた。タレコミによるとそこは薬物売買を生業としているフェーゲフォイアーが利用しており、表の顔である薬品類の運搬業の名義で建てた場所だ。

 

「では突入前に最後の確認だ」

 

 今日そこで大きな取引が行われるらしく、保安署の職員であるハーランドが気を引き締めた様子で同行しているメンバー全員に声をかけてきた。

 

「天職が“戦士”のアイリーン、それと私が倉庫に突入。貴公らとそこの亜人は二人の後に続け。ガルドン、後詰を頼む」

 

「わかったわ」

 

「あいよっ。任せな」

 

 同行しているアイリーンは力強くうなずき、ガルドンも軽い感じでハーランドに返事をする。

 

「あーうん。わかったよ」

 

「はいはい」

 

「へーい」

 

 だが当の相川昇、仁村明人、玉井淳史の三人は不承不承といった感じで返事をしている。理由はもちろん同行している三人の冒険者と保安署の職員からの視線であった。

 

「ふん……せいぜい役に立てよ」

 

 エヒトの駒である本物の神の使徒が流したデマにより昇達も稀代の悪党のように扱われており、それ故にモチベーションも低く、どうしてこんなことをやらなきゃいけないんだろうかとやるせない気分になっていた。それ故彼らの士気は低く、また痛ましい様子でこちらを見つめてくるアル・ハウリアとルー・ハウリアの視線もまたそれを手伝っていた。

 

「ま、役目さえ果たしてくれればそれでいいから」

 

「そうだな。俺達の役に立ってくれればそれ以上は何も言わんよ」

 

 声をかけて来たアイリーンとガルドンからも蔑みのこもった目で見られている。この作戦に参加した当初はあったやる気も今や地の底にまで落ちきってしまっていた。

 

「……行こう」

 

 明人のつぶやきに昇も淳史も無言でうなずきつつ、職員達の後を追っていく。今すぐ投げ出してしまいたいけれど、そんなことをしてしまったらリーダーとして今も慕う重吾の、愛子の顔に泥を塗ってしまう。舌打ちをこらえながらも彼らは進んでいく。

 

「――着いたな。では突入まで三、二、一、ゴー!」

 

 道中何事もなく目的の倉庫までたどり着くと、号令と共にハーランドとアイリーンは倉庫の扉を蹴破って中へと侵入していく。昇達も二人に続いて倉庫内へと向かうが、入ると同時に感じた悪寒に従って三人とも体をよじった。

 

「……おい、どうなってるんだよ」

 

 淳史のつぶやきに答える者は誰もいない――何故なら倉庫にいたのは無数の武装した人間がいたからである。

 

「バカな……くっ、今すぐ撤退を――」

 

「させると思ったぁ?」

 

 少しうろたえた様子を見せたハーランドだったが、すぐに撤退を命じようと声を出す。だがその瞬間、彼の()()から凶刃が迫り、それをどうにか紙一重でかわしたハーランドはすぐに下手人へと視線を送った。

 

「あらあら。残念ねぇ。ここでやられてたら楽になれたのに」

 

「……どういうつもりだアイリーン。事と次第によっては――」

 

「……なぁ、あれって」

 

 仲間割れ同然のことをやったのはアイリーンである。困惑しながらも彼女を問い詰めるハーランドだったが、特にうろたえた様子も無くクスクスと笑っている――そんな彼ら二人のやりとりを見た明人らの脳裏に複数の光景がよみがえる。

 

「あぁ、どう考えても……な」

 

「俺達、また裏切られたって訳か」

 

 それは自分達を『裏切った』様々な人間の記憶だった。恵里達を迎え撃つために共同戦線を張った奴らが負けた途端に自分達を罵倒した、愛し合った人に役立たずだ裏切り者だなんだと罵られた記憶がよみがえったのだ。

 

「その通りだ。察しが良くて助かる」

 

 またしても自分達は裏切られる羽目に遭うのかと自分達の不運を嘆こうとした時、後ろにいたガルドンがニヤついた声でそれを認めた。向けば彼の隣にもフェーゲフォイアーの構成員と思しき輩が立っている。完全に包囲された形であった。

 

「どうして……どうしてこんなことを」

 

「お二人は、仲間だったのではないのですか……」

 

 そしてアルとルーもショックを受けた様子で声を上げていた。そんなハウリアを見て、淳史はふと初めて顔を合わせた際の彼ら一族の話を思い出す。確か彼らはシアという少女を守るためにわざわざ一族総出で彼女をかばい、また彼女と一緒に住処である森を出た、と。

 

(コイツら、怒ってるのか? ちょっと前に顔を合わせただけの奴らでしか……いや、なんか違うな)

 

 畑仕事が終わった後や行商での仕事の合間などでも自分達を励ましに来たことから仲間意識は飛び抜けて強いのだろう。だからてっきりちょっと顔を合わせただけの相手にでも入れ込んでいたのかと思ったが、どうもそういう類とはちょっと違いそうだと淳史は考える。

 

「共にこの街で生きた仲間のはずでしょう! 仲間だったはずでしょう! どうして!」

 

 アルの言葉にようやく淳史達は納得がいった。彼らにとって『裏切り』とはまずあり得ないことである。だからさっきは“怒り”で震えていたのだ。しかしアイリーンとガルドンはつまらないものを見るかのようにアルをあざける。

 

「亜人って本当に出来損ないなのね。この程度のことすらわかんないなんて」

 

「そこの亜人もそうだが好き好んで泥船に乗り続ける連中ばかりだからな。二つ三つの子供の方がよっぽど賢いだろう」

 

 その言葉がアル達だけでなく自分達、そして同僚であったハーランドにも向けられているであろうことを察し、昇達はもう話し合いの余地などないということを理解する。コイツらはもう明確な“敵”として扱っても構わないと。

 

「でも安心して。アンタ達は殺さない――他の反逆者や保安署の奴らをおびき出すためのエサになってもらうから」

 

「ウワサと違って反逆者の奴らはお人好しばかりみたいだからな。お前らを盾にすれば余裕だろうよ」

 

 続く言葉に明人らは吐き気と滑稽さを同時に感じた。自分達が慕う重吾を、友人である健太郎や綾子、真央にも危害を加えようという腹づもりは苛立って仕方なかったし、()()南雲達を相手にしたところで何も出来ないまま無力化させられるのが関の山だということがあまりに簡単に想像できたからだ。

 

「……昇、淳史、構えろ。こんな奴らなんかに負けてたまるかよ!」

 

「あぁ! やっちまおう!」

 

「南雲や天之河達には負けるけど、俺達だって強いんだってのを示さないとな!」

 

 もちろんただ黙ってやられるつもりは昇にも明人にも淳史だって無かった。自分達を利用しようとする裏切り者に中指を立てるために、ただ重吾達についていってるだけの金魚のフンでないことを示すために。

 

「……私達も」

 

「えぇ。戦いましょう」

 

 そんな淳史達の姿を見て、アルとルーもまた短剣を構える。ハジメから作ってもらったハウリア用の武器の一つを握る手に、普段以上の力が入っていることに気付かないまま。

 

 

 

 

 

「……どういうつもりですか」

 

 裏切りに遭っていたのは昇達だけではなかった。愛子とカム他二名のハウリアを連れた班もまた同行していた冒険者からの裏切りを受けたのである。

 

「どういうつもりも何も最初からこのつもりだったんだよ――そこの保安署の奴らとお前さん方がその身を挺して俺を助けてくれた。俺は情けなく涙を流しながら他の奴らに伝えに行って、ソイツらもまとめて始末する。その筋書きをなぞるだけだ」

 

 愛子達が今いるのはある商会が使用していた小さな屋敷である。夜逃げして主人がいなくなったこの屋敷にて薬物の取引が行われるという情報が保安署にリークされ、その情報を信じて彼女達は向かったのである。

 

「……なるほど。俺達の中でも裏切っていた奴はいたということか」

 

 同行していた保安署の職員が忌々し気にそうつぶやく。提供された情報が嘘であることは間違いなく、情報が提供された時点で街の治安を守る人間の中に獅子身中の虫が混じっていたことの証拠でもあった。

 

「裏切りなんて人聞きが悪いな。俺ほどじゃないがソイツだって利口だったってコトだよ」

 

 そう意味深につぶやき、へらへらと笑う冒険者をただ愛子達は憎悪のこもったまなざしで見つめるばかり。その理由はこの屋敷のエントランスのそこかしこに仕掛けられた物が理由であった。

 

「おっと、動くなよ。下手に動いたらお前達はすぐに死ぬぜ?」

 

 蜘蛛の巣のように縦横無尽に張り巡らされたワイヤーにこちらの方に矢じりを向ける二基のバリスタ。このワイヤーが他のトラップと連動しているのかそも不用意に接触した相手を切るものかは不明だが、至る所から不規則に伸びるこれに触れてはただでは済まされないだろう。何よりあの女性の腕ほどの太さもある矢がいつこちらに向かって放たれるかわからない。まぎれもなくここはあの裏切り者の領域であった。

 

「おのれジェイクスめ……貴様、一体何者だ?」

 

「おー怖い。そんな風に見つめられたらこの“紅蜘蛛”だってブルッちまうよ」

 

「紅蜘蛛……まさか! アップグルンドの幹部の!」

 

「ご名答」

 

 獲物を前に舌なめずりをするジェイクスを見て職員の一人があることに気付く。地上げと金貸しをやって金を巻き上げているアップグルンドの中に一人だけ武闘派の幹部がいるということは前々から保安署は知っており、ソイツは“紅蜘蛛”というコードネームで呼ばれているという情報も得ていた。

 

 まさか目の前の男がそうだったとは職員の誰も思わず、またジェイクスはそれを言い当てられてニィッと口角を上げた。

 

「そういうこったよ……いやーでも人を騙すってのはいいもんだ。何せその『顔』が見れるからなぁ」

 

 そう言いながらニタニタと笑うジェイクスを見てこの場にいた多くが理解する――この男は人を騙すことに何の良心の呵責も起こらないような真性の下種であると。愛子もまたつい先日自分を裏切ったあの女を思い出し、どこにでもこういう人間はいるのかと心底冷めた目で目の前の男を見つめる。

 

「……何故、です。何故そんなひどいことが出来るのですか!」

 

 だがそんな時、ふと横にいたカムが吼えた。見れば他のハウリアも含めて怒りと嘆きの混じった視線を向けており、その顔には悲しみが見えた。

 

「あ? 俺だって普段は『善良な』いち市民だからだよ」

 

「……えっ?」

 

 だがジェイクスは道端の石ころを見るかのような視線を向け、蔑みをたっぷりと含ませながらこう言い放つ。その様を見てカム達は放心した様子であった。

 

「普段から悪事働いてたら生きづらいったらありゃしないからな。それに獲物の吟味も出来る。最高だと思わないか劣等ども」

 

 そうして語られる言葉は聞くに値しないものでしかなかった。どこまでも自分本位でただ己の都合を並べ立てただけでしかない。そうして自分達をコケにするこの男に、職員だけでなくカム達の顔からも表情が抜け落ちた。

 

「……はぁ。もういいです」

 

 ため息を吐きながら愛子はただつぶやく。もうつき合う義理はない。この男がペラペラとしゃべる内に既に仕込みも粗方終えている。もうこちらから仕掛けようかと思った時、ふと眼前の下衆が口を開く。

 

「あぁでももったいねぇか。そこの女のガキと女の亜人は使えるしなぁ……よし、仲間のためにも手足切り落として持ち帰るか。気が強い方が面白いだろ」

 

「――貴様ぁーー!!」

 

 一瞬こちらに下卑た視線を向け、耳が腐り落ちるような事をあの男が吐くとほぼ同時に隣にいたカムが、他のハウリア達が叫んだ。

 

「この街の人間を騙し続けただけでは飽き足らず、血を吐くほどの苦しみに耐えてらっしゃる愛子殿や私達の家族にまで!」

 

「軽々しく『仲間』という言葉を使うな! お前みたいな他人を平気で傷つけられる人間なんかが、その言葉を使うなぁー!」

 

「お前がハウリアを食い物にするというのなら許しておけない! 今ここでお前を倒す!」

 

 振り向いてみれば彼らの表情には、その声には怒りがハッキリと灯っていた。自分が兵士になるように迫った時も、フリードから説教を受けた時もこんな表情を浮かべることは決してなかった。だが一族だけでなく情け容赦ない発言をした自分すらも守らんという気概に満ちた彼らの様子に愛子は一瞬だけポカンとしてしまう。

 

「知るかカス。死んでろゴミがよ」

 

 だがハウリアの叫びを耳障りなものとばかりにうっとうしがったジェイクスは右手をクイッと動かす。その瞬間、二基のバリスタがぐるりとこちらへと向いたのであった――。

 

 

 

 

 

“ラナ、トム隊は前方の敵を鎮圧しろ! ユノ、レオ隊はかく乱! レン、リル隊は構え――放てー!”

 

 その掛け声と共にハウリアだけで組まれた部隊が突撃し、持ち前の素早さを活かして敵の動きを乱し、その合間を縫ってハジメ謹製のクロスボウを射かけていく。

 

 恵里や重吾、昇に愛子らがそれぞれ割り当てられたポイントで奮闘していた頃、メルドもまた班分けされなかった全てのハウリアを率いて各地を転々としていた。

 

「お願いです! もう降参してください!」

 

「言われて誰がやるか、よっ!」

 

「もう力の差はわかったはずです! もう抵抗するのはやめませんか!」

 

「ハッ、これだから人モドキってのはよぉ! 人間サマの理屈を知らねぇクセに口出ししてくるんじゃねぇ!」

 

 彼一人が暴れればアップグルンドの拠点の一つであるここも容易に鎮圧は可能だ。だが今回はハウリアを実戦で鍛えるために指揮に徹している。十人前後で構成される分隊を離れた場所から指示を出しつつ、迫ってくる敵を片手間に無力化していた。

 

「こんなことをして、何になるんですか! 誰かを苦しめてまで自分が得しようだなんて!」

 

「その程度もわかんねぇたぁおつむにゃ何も入ってないんだな! 流石はまがい物だ!」

 

 必死に叫びながらハウリア達は裏組織の構成員を無力化しようと懸命に動いている。訓練を始めた当初に花や虫などを踏まないようにしていたり、訓練で相手をする魔物をさも親しくしていた相手を殺したり己の罪深さをこれでもかと喧伝するかのように声高にのたまう彼らを鉄拳制裁しながらシゴいていた頃よりは遥かにいい動きをしていた。

 

(駄目だな。これでは勝てん)

 

 だがそれまでだった。オルクス大迷宮の十二階層辺りまでの魔物なら彼らも連携して狩ることが出来るようになった。しかし今のように『抵抗するな』や『もう足掻くな』などとのたまいながらやっているのと何一つ変わらない。むしろ()相手であるが故の躊躇(ちゅうちょ)が見える。パッと見で百名はいるこの拠点を、同じくらい人数がいるハウリアだけで落とすことはおそらく叶わないだろうとメルドは見ていた。

 

「お願いします! もう悪いことはやめましょう! それよりもこの街のみなさんが――」

 

 攻撃を躊躇するハウリアの一人であるコリンが相手を傷つけることなく捕縛しようとしていた時、真横から一本の矢が迫る。

 

「――くっ!」

 

 兎人族の持つ耳の良さ故にその一本を避けることは出来た。だがそうして姿勢を崩した隙を相手は見逃さない。

 

「危なっ――死ねぇぇえぇえ!!」

 

「しまっ――あがっ!」

 

 相対していた男によって守りの薄い首筋に刃を突き立てられ、短い悲鳴と共に鮮血が舞った。

 

「コリン!」

 

「へへっ。隙あ――ぐぇっ!?」

 

「いかん、コリン――ぐほぉ!」

 

 ハウリアの仲間意識の強さは美点であり、立派な欠点でもあった。仲間の危機に意識がそれた瞬間、ウルマーに何本もの矢が刺さる。味方もろとも攻撃してくるとまでは思わなかった様子のウルマーは、背後から攻撃を受けた構成員共々血しぶきを上げながらそのまま倒れこんでしまった。

 

「ウルマーさん!……仲間を、仲間をどうして!」

 

「ハッ。お互い利用してただけだよ! テメェらもそうだろうが!」

 

 普通の人間と比べ、亜人故に身体能力の高いハウリアにしびれを切らした奴らが味方諸共攻撃を仕掛けてくる。自分さえ生きていればいい、という発想を理解しきれない真っ当なハウリアが次々と討たれて散っていく。

 

“落ち着けお前達! 一旦下がれ! 戦線を立て直す――”

 

「“炎槍”ぉ!」

 

「ぐぁあぁあぁあ!!」

 

「ぎゃあぁぁああぁ!!」

 

 戦線を下げようと指示を出そうとするもそれよりも早く相手が味方諸共殺しにかかってくる。後ろに控えていたであろう魔法使いの人間が後先考えずに前に出ている人間ごとハウリアを狙い、それによって戦線が瓦解していくの見たメルドは一度目をつぶる。

 

(これ以上は厳しいか……後でシゴき直しだな)

 

 それとアイツらからの恨み辛みも受けねばな、と独り()言ちながらもメルドは一歩前に出た。戦況を打開するために。そのためにもまず一手を打った。

 

「“鎮魂”!――お前ら、早く下がるんだ! 急げ!!」

 

 恐慌状態に陥ったハウリア全員の心を静める。新たな誓いと共に神山で手にした力をメルドはためらうことなく使ったのであった――。




雫は大丈夫だと思いました? あっはっは。やだなぁ。あんな悲惨な目に遭って心がやられない人はいないでしょう? まぁ今のところはこんな感じですよー。

続きは近日中に投稿出来たらいいなー、って思っております。


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幕間四十六 いつか夢は消える、いつか朝は訪れる

こうして目を通して下さる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも182942、しおりも423件、感想数も662件(2023/10/6 08:37現在)となりました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠にありがとうございます。おかげさまでまた物語を書き進める力をいただきました。本当に感謝です。

そして今回の話を読む際の注意事項としてですが、今回は長め(13000字足らず)となっております。あとちょっとしたサプライズも。ではそれに注意して本編をどうぞ。


「“鎮魂”!――お前ら、早く下がるんだ! 急げ!!」

 

『は、はいっ!』

 

 “鎮魂”でハウリア全員を落ち着かせた後、メルドはすぐに号令をかける。一応ではあるが経験は積んだ。後はこちらが責任を取る番だと考えながら前へと進んでいく――シアの家族を、まだまだひよっこの部下を誰も死なせないために。

 

「コリン! ウルマーさん! マイ! 頼む、返事をしてくれ!」

 

 メルドがこの摘発にハウリアを参加させた目的は『本物の戦闘』をの空気を味わわせるためだ。

 

「――“炎刃”!」

 

「レオ、危ない――!」

 

 彼らの戦う意志は尊重しようと考えていた。エヒトの駒である神の使徒と戦った際、『人間相手には戦えません』などと言って戦線を崩す要因にはしないためにもこうして経験を積む必要があると判断したからだ。

 

「“縛羅”」

 

「あっ……」

 

「……ほぇ?」

 

 そのことを思い出しながらもレオに迫る炎の波を先日習得した神代魔法で防ぐ。何が起きたかわからない様子の悪党どもを見て、相手の気勢をそぐことが出来たと考えたメルドはまた一歩前に出ていった。

 

“鈴、香織。どちらでもいい。すぐに“聖典”を使ってくれ”

 

“はいっ!”

 

“わかりましたメルドさん!”

 

 手持ちの回復薬では足りないと見るやすぐさま“念話”を飛ばし、頼れる治癒師である二人とコンタクトをとる。遅れて数瞬、光の波紋がこの一帯を波打って抜けるのを見ると同時にメルドは目の前にいる敵へと“威圧”を使いながら声を張り上げた。

 

「聞けぇお前達!!!」

 

 その一喝に構成員達が一瞬すくみあがった。おそらく背後のハウリア全員もだろうと思いながらもメルドは言葉を紡いでいく。

 

「これが戦闘だ! 本物の戦いだ!――いいか。俺を恨むのは構わんが、本当の戦いで俺が的確に手助けできると思うな。甘っちょろいことをしてたらこうなると思え!」

 

 チラッと後方のハウリアに視線を送れば、彼らはただ呆然とした様子でメルドを見ていた。少しはいい薬になっただろうかと考えつつ、戦場の心構えを説いていく。

 

「貴様らが守りたいものは何だ? やるべきことは何だ? こちらを殺そうと迫る相手を傷つけずに逃がすことか? もうやめて下さいとでも根気強くお願いすることか?」

 

 それはハウリア達に先程までの行動を反省させるための言葉だった。それをやった結果どうなった? お前の仲間はどうなった? と問われてもハウリアから言葉が返ってくることはなかった。

 

「違うだろう? お前らは『家族』にそれを強いて傷つけさせるつもりだったか? それとも死なせるつもりだったか?――戦場に立つのならばそんな甘ったれたことを考えるのはやめろ!!」

 

 喝が入る毎に拠点の空気がビリビリと震える。己の言葉がハウリアに届くと信じながらもメルドは更に説教を続ける。

 

「その迷いがお前達を殺す! その甘さがお前達の家族や仲間をも殺す!――今回は相手を殺すことが目的じゃない。だが、傷つけてでも倒す気概を持て! 俺の訓練を受けてきたお前達ならばやれるはずだ! 出来んとは言わせんぞ!!」

 

 誰かを気遣えるその優しさは美点だろう。だがそれを戦いに持ち込むべきではない。その上でやるべきことはわかっているはずだと言えば、後方からハウリアの声がぽつぽつと聞こえてきた。

 

「そうだ……僕達は……」

 

「戦うって決めたんだ……シアのために、愛子さんのために!」

 

「そうよ……ここで戦うことをためらっちゃダメ」

 

「私達はハウリア……家族を守る。そう決意して里を出て来たんでしょう……!」

 

 “威圧”で動けない相手をながめつつ、メルドは後ろから聞こえる彼らの決意に耳を傾ける。それでこそだと軽くうなずくと、メルドは再度号令をかける。

 

「戦闘を続けるのが困難な奴は下がれ! 近くにいる奴に肩を貸してもらえ!――残りは俺と共に来い! 寄生虫どもを一匹残らず捕まえるぞ!」

 

『了解!!』

 

 気合の入った返事を聞いて笑みをほんのわずかに深くし、“威圧”を解いてからメルドは突撃する――言うまでもなく戦況は一転した。

 

「亜人ごときがぁー!!」

 

「そうだ! 私達はハウリア! お前達のような仲間を平気で切って捨てる奴らとは違う!」

 

「ぐぎゃぁあぁあ!? いてぇ、いてぇよぉ~!」

 

 トム・ハウリアが迫って来た悪漢の攻撃をいなし、右腕に一撃を加える。血が噴き出て痛みに悶える相手を見て罪悪感が湧き出るもそれをこらえ、次の相手へと彼は向かっていった。

 

「大人しく死んでろクソったれがぁ!」

 

「死ねない! 私が死んだら皆が悲しむ! 助かった命だからこそ戦う!」

 

 相手の懐に入り込むとラナの部隊に所属するトー・ハウリアはそのみぞおちに強烈な一撃を叩き込んだ。内臓の中の空気が漏れ出る音を出すと共にごろつきはその場でくずおれる。

 

「レン隊、クロスボウの装填終わりました!」

 

「同じくリル隊装填完了です!」

 

「了解! レン隊はラナ達に、リル隊はユノ達の方を援護だ! 味方にだけは当てるなよ――放てー!!」

 

 後方に配置された部隊もすぐにクロスボウに矢をつがえ、メルドの号令と共に一斉に射かけていく。それらにより持ち直したハウリアが次々と悪党どもを倒してゆき戦況は徐々に優勢に立っていく。だが相手もそれだけでは終わらなかった。

 

「ぐあぁあぁああ!!」

 

「なっ!?――ハァッ!」

 

 背後から切り付けられた男が覆いかぶさる前にラナ・ハウリアはバックステップで回避。その直後、振るわれた凶刃を持っていた短刀で弾き、周囲を囲む男達の出方をうかがった。

 

「また仲間を――あなた達には良心というものは無いの!」

 

「黙ってろ亜人のメスごときが! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

 

 ハウリアの一転攻勢により、悪党どもが一層手段を選ばなくなったからだ。時折あった程度のフレンドリーファイア越しの攻撃も隙あらば行うようになり、それによってハウリアも追い立てられるようになったのである。

 

「大丈夫かお前達!」

 

「まだ、大丈夫です!」

 

「流石に訓練どころではないな――“縛岩”!」

 

 仲間ごと仕留める必殺の一撃を次々と繰り出されては流石に鍛えられたハウリアの皆でもやりづらかった。身内ごと攻撃してくれるおかげで数は減ってくれるが、それに巻き込まれるハウリアはやはりいた。メルドも軽く焦った様子で“威圧”も併用しながら拘束魔法を使って悪党どもを次々と拘束していく。

 

「どうせシマも変えるんだ。だったら邪魔な奴らも消さねぇとなぁ――“炎刃”!」

 

「ぎぇっ!?」

 

「――ぁっ」

 

 だがすぐに全ての敵を縛り上げるには時間が足りなかった。奥で魔法を使い続けていた男がやけっぱちになって放った“炎刃”が男の腹を突き破り、そのままラナへと迫る――。

 

「深淵卿殺法が奥義“歪破・万難散華(全ての悪意は我が深淵の前に消える)”」

 

 ――だがそれは固定された空間が壁となって阻み、彼女に届くことは無かった。

 

「あ……あ、アビスゲート様!?」

 

「間に合ったか……怪我はないか?」

 

「は……はいぃっ……」

 

 天井を破って現れた浩介が急ぎ発動した神代魔法、これが彼女を守ったのである。顔だけをこちらに向け、ニヒルな笑みを浮かべた少年にラナのハートは思いっきり撃ち抜かれた。

 

「ここは我に任せ――え? ハウリアの皆に経験積ませる? あ、はい……コホン」

 

 そこで『よく頑張ったな。後は俺に任せておけ』とはいかず、メルドが即座に繋いできた“念話”によって無双するのを却下された少年を見てもラナの胸のときめきは収まらない。むしろこちらを振り向いたことで余計にきゅんきゅんしていた。

 

「確か、ラナ……さん、だったよな?」

 

「は、はいっ……ラナ・ハウリアでしゅ……」

 

 目の前の崇拝する男の子が『そっか良かったぁ。名前間違えてなくって……』とつぶやいたのも耳に入らない。というか右から左に流れてしまい、安堵する様も自分の身を案じてのものだと思い込んでしまう……しかも浩介が安堵したのはメルドが率いていた全ハウリアの無事を“念話”で伝えられたことも含んでいるから完全な的外れでない。余計に質が悪かった。

 

「ゴホン――ラナよ、もう少し戦えるか? この深淵卿と、共に深淵の静寂を(もたら)そうではないか」

 

 そしてトドメにこの一言だ。森を出た直後だけでなく今自分に降りかかりそうになった危機からも鮮やかに救い、無駄に香ばしい言動ながらも『共に』戦ってほしいと手を差し伸べられた。それだけでもうラナの頭の中は彼のことだけで決壊しそうになってしまう。

 

 ――素敵な男の子、厨二病患者の命の恩人は好きですか?

 

「は、はいっ! 一生尽くさせていただきますっ! どんな時でもアビスゲート様と一緒にいさせてくださいっ!」

 

「えっ!? あ、いや……はい…………す、末永く、お願い、します」

 

 この問いの答えはたった一つしかラナの頭には浮かばなかった。愛の告白だと盛大に勘違いしたラナは心底場違いなことを口にし、長年カップルどものイチャつきをながめていたことで彼女が本気で愛の告白をしてきたことを理解した浩介もまた場違いな答えを照れながら伝える。

 

「えっ、マジ? 俺、遂に独り身解放……? うぉおぉおおぉおぉ!! やったぁ! やったぞー!!」

 

 独り身をこじらせた少年では、ストレートな好意をぶつけてきたウサミミの付いた綺麗なお姉さんに敵う訳が無かった。思わず深淵卿でなく素の状態で浩介は思いっきり叫ぶ。

 

「何イチャついてんだクソ――がぁっ!?」

 

「っとと! まずはこの場を共に切り抜けようではないか、ラナ!」

 

「え、えへへ……はいっ、アビスゲート様!」

 

 そしてそんな茶番を見て心底イラついた悪漢が襲い掛かって来たが、浩介はすかさず裏拳で下あごを打ち抜いてそのまま昏倒させる。そして再度誘われたラナはデレッデレの顔のまま浩介と共に、他のハウリアと同様この場を切り抜けていくのであった――。

 

 

 

 

 

「知るかカス。死んでろゴミがよ」

 

 ジェイクスが右手を動かしたと同時に設置されていたバリスタがこちらを向く。射線からして同行していた保安署の職員と自分達ハウリアが狙われる。そう見抜いたカムはすかさず動こうとする。

 

「死にはしませんがやられるのはあなたですよ――“出盾”“海炎”」

 

 が、そこでひどく冷たい声色の愛子が返事をすると同時にアーティファクト越しに“念話”が飛んできた。ちょっと屋敷と地面が崩れます、と。そう伝えた直後、自分達の周囲を取り囲むように土の壁がせり上がり、それとほぼ同時にボンと大きな音が壁越しに響いた。

 

「「「えっ?」」」

 

「「なぁっ!?」」

 

「ぐぇあぁあぁ!?――ぁぁあぁぁあぁー!!」

 

 いきなり出て来た土壁に加えて謎の爆発音。その上向こうが二種類の悲鳴を上げ、屋敷が傾く――愛子が行ったのは持っている技能を活用したものだった。

 

 “発酵操作”という微生物を操る技能、それの発展系である“急速発酵”、“範囲発酵”、“遠隔発酵”を使ってメタンガスに近いものをジェイクスとバリスタ近辺に生成。それを風系魔法でその場に留めるようコントロールした後、威力をかなり弱めた“海炎”を生成した土壁の外から発動し、炎の津波を起こしてガスに引火させ爆破。更に“土壌管理”によって地盤を脆くして相手を落っことしたのである。悪辣過ぎるコンボであった。

 

 地盤を脆くしたのはこの屋敷近辺全域だが特にジェイクスのいたところを緩くし、体が軽く火だるまになったところで足場が崩れて情けない悲鳴を上げて落下したというのが真相であった。

 

「終わりましたね」

 

 どこかに何かが刺さる音が二つ響く。土壁もところどころ亀裂が入りながらも威力を調節した爆破にどうにか耐えきり、愛子が手で何かをどける動きと共にそれはあっという間に崩れ去った。そうして見ることになった光景はすさまじいの一言に尽きる。

 

「えっ……何、これ」

 

「せ、世界が……世界が一変してる」

 

 ジェイクスの置き土産であったバリスタも完全に破壊され、ワイヤーもところどころたるんで矢もどこかの柱や地面に刺さってしまっている。窓ガラスも爆発の衝撃でひび割れたり吹っ飛んでしまったものもあり、ジェイクスが落ちた穴はもちろん、屋敷の中もそこかしこが崩れてしまっていた。

 

「え、えっとその……じぇ、ジェイクスを探しに行ってきますね……」

 

「どうぞ。お任せします」

 

 すごい委縮した様子で保安署の人間はジェイクスを捜索すると伝え、そのままここを離れていったため今この場にいるのは愛子と三人のハウリアだけとなった。

 

「予行演習もなしにやりましたけど、どうにかなりましたね。では私達は声をかけられるまで――」

 

「愛子殿」

 

 事もなげに言ってのける愛子にカムは声をかける。するとやや不思議そうな表情で彼女はカムの方に視線を向けた。

 

「どうされました?……あぁ、いきなり爆破したことですか? それは謝ります。相手に悟られたらさっきのは通用しませんでしたから――」

 

「そうではありません」

 

 流石にいきなりあんなことをやったことに罪悪感は抱いたらしく、真剣な様子で頭を下げはしたのだがカムはそれが欲しかったのではないと努めて冷静に否定する。

 

「では何を? 他にあなた達に失礼なことなんて――」

 

「私達は仲間ではないのですか」

 

 一体何かやらかしたかとばかりに答える愛子にただカムは真剣な様子で尋ねる。

 

「我らは頼りない人間でしょうか。それとも貴方にとって信用に値しないこの世界の人間だからでしょうか。私達を、私達を頼っていただきたかった。そうすればこんな危険な方法を愛子殿が採らずに済んだというのに」

 

 カムはただ訴える。一歩間違えれば大惨事になっていたさっきの方法ではなく、自分達と協力して目の前の男を追い詰める方法は無かったのかと問いかけた。その問いに愛子はただ冷徹に言葉を返す。

 

「私はあなた達がどれだけ強いのかをちゃんと把握していませんでしたから。あの無数に張り巡らされたワイヤー……鋼の糸を潜り抜けて、あの裏切り者を捕まえられるかわかりませんでしたから」

 

「だからって……貴方は自分の体をもっと大切にしていただきたい!」

 

 カムの叫びが屋敷の中をこだまする。だが彼の叫びに愛子は首を横に振り、決意に満ちた瞳を向ける。

 

「いいえ。私のことよりもあの子達が大事です。手足が無くなったりした訳じゃ――」

 

「でしたら! 貴方を慕う方が、ご家族がその無茶を喜ぶと思うのですか!」

 

 その一言、特に『家族』という単語を聞いて愛子の目が軽く見開いた。言葉も中々出てこない様子からやはり彼女にも帰りを待っている人がいるのだろうと確信し、カムは更に愛子に訴えていく。

 

「それ、は……」

 

「いるのでしょう! ならば愛子殿のご家族を悲しませてはなりません! 己の身を削り続けながら誰かのために生きることが! ご家族とアビスゲート様がたを悲しませかねないということを自覚していただきたい!」

 

 カムにとって愛子は浩介(アビスゲート様)、礼一、良樹の慕っている女性であり、受ける必要のない苦しみに苛まれた女性であった。そして『家族』と離れ離れになってしまった悲劇の人でもあると認識している。

 

「私とてシアが大けがをしてしまえば間違いなくうろたえるでしょう。たとえそれがあの子が覚悟の上でやったとしても、そうしなければ無事に戻れなかったとしてもです。貴方に何かあったら、ご家族の方はどう思いますか?」

 

 自分もシアと引き離されたらどうなるか。彼女のような目に遭えばどうなるか。そして彼女の家族のことも思えば勝手に体が動いてしまったのである。同情や(あわ)れみであったとしても愛子の心に寄り添いたい。いちハウリアとしてカムはそうしたのだ。

 

「うっ……」

 

 愛子はうろたえ、目を伏せていた。やはりいるのだ。彼女達が守りたいと願っている少年少女達と同様に大切だと思える家族の存在が。カムは自分の両手で愛子の手を包むと更に言葉を紡いでいった。

 

「お願いです。貴方が傷つけばデビッド殿達も悲しむのです。どうか、独りで戦い続けないでくだされ」

 

 その言葉に愛子は反応しない。ただ何かを考えている様子で目を伏せて、カムの手を握り返すことなくされるがままとなっている。

 

「おーい! “紅蜘蛛”が地面のくぼみにいたぞー! しかも声かけても全然反応が無いんだがー!」

 

「これ結構深いぞ……死んだかもしれん! 土属性の魔法が使えるんなら早く来ーい!」

 

「……わかり、ました」

 

 自分の言葉が彼女にどこまで響いたかはまだカムはわからない。しかし保安署の人間からの呼びかけと共に顔を上げてこちらを見たことから一切届かなかった訳ではないと思った。思いたかった。

 

「あっ……光が」

 

「白崎さんか谷口さんの“聖典”ですね……行きましょう」

 

「はい」

 

 その後この屋敷全てを通った光の波紋から、鈴か香織が“聖典”を使ったのだろうと愛子が予測を口にしたのを聞きつつもカム達は彼女の後をついていく。

 

「……私、間違ってたのかな。お母さん、お爺ちゃん……」

 

 一度だけつぶやいてそれっきりだった、後悔に苛まれた様子の彼女の背中に視線を向けながら。

 

 

 

 

 

「はぁーっ!」

 

「ぐあぁー!」

 

 待ち構えていた組織の構成員、裏切った冒険者達の集団を相手にアルとルーは相川らに負けない活躍をしていた。

 

「――そこっ!」

 

「ぎゃあっ!」

 

 怒りのままに武器を振るい、時には蹴りをかまして襲い掛かってくる賊どもを次々と彼らはねじ伏せていく。元来穏やかな気性のハウリアであった彼らは迷うことなく戦う。

 

「亜人ごときがよぉー!」

 

「黙りなさいっ!」

 

「ウサギならウサギらしく俺らに飼われてろってんだよ!」

 

「私達はモノじゃない! 違う!」

 

 裏切りを是とする彼らに怒っているし、殺す気でかかってきている相手に対して手加減できる余裕がないのもある。だが一番の要因はその数であった。

 

「そらそらっ! 踊れ踊れ!」

 

「くっ!?」

 

「おっ死ね人モドキがよぉ!」

 

 倉庫には百人近くのフェーゲフォイアーの構成員がおり、また裏切った冒険者と職員も含めて荒事が得意な奴らも相当いる。そのため数の差が激し過ぎて普通にやればあっという間に圧殺されてしまう。

 

「この程度、かよっ!」

 

「――押し寄せる波濤よ 我らが敵を呑み込み流せ “辻波”!」

 

「ったく、南雲の作った奴も大概いい性能してやがるよっ! そらっ!」

 

 そう。普通であればだ。

 

「流石は、魔人族の手先だな!」

 

「その呼び方止めろっての!」

 

 そこかしこから来る攻撃を柳が揺れるように避けながらハーランドはカウンターを叩き込んでおり、天職“守護者”の明人が昇と淳史も含めて守っている。

 

「敵を一気に流したっ!……後は頼む!」

 

 “水術師”の昇が隙を見ては何度となく構成員を魔法で洗い流す。倉庫の中全部とまではいかないものの、そこかしこが水浸しとなっており、ここにいた半数近くの悪党どもは彼の発動した水系統の魔法の餌食となっていた。

 

「おう! 任せとけ!」

 

 幾度も魔法を使ったことで肩で息をしている昇に返事をしたのは“斧術師”の淳史。相手の無力化をするんだったらとハジメが作って譲ってもらった手斧を振り回し、刃の潰れたそれで加減しながら相手を叩きのめしていく。

 

「――鋭き刃となり この場を駆け抜け 敵を切り裂け 鋭じ――!」

 

「これも!」

 

「食らっとけ!」

 

 そうしてこちらを狙う魔法使い相手に淳史は隙を見てもう一つの武器の()()――純粋魔力砲撃用アーティファクト“グレンツェン”を向ける。

 

「んっ――ぎゃぁあぁぁぁぁ!!」

 

 相手が魔法を使うことも考慮に含めて作ったそれは“魔力操作”とその派生技能である“魔力放射”、“魔力圧縮”を各パーツに込めた代物である。ソードオフショットガンの形状となったたそれから発射された魔力の塊を食らえば、体内の魔力をかき乱されて魔法の発動を阻害する。

 

「ったく数が多いな!」

 

「ぐあっ!?……この、ぐぁっ!?」

 

 グレンツェンを持っているのは淳史だけじゃない。取り回しを優先してこの形状になったものを明人も持っており、迫ってくる相手に使って体内の魔力をかき乱す。そうすることで相手は不快感から隙を生じ、そこを突いた明人が盾で殴ったり蹴り飛ばしている。

 

「昇さん危ないっ!」

 

「うぉっ!?……た、助かったよ」

 

 無論アルとルーも負けてはいない。未だ三十人近くいる相手に大立ち回りをしていれば、明人も守りが間に合わない時もある。そこをハウリアの二人が迎撃し、体勢を立て直す時間を稼いでいるのである。

 

「クソッ、亜人がっ!」

 

「あなた達には負けない! 負ける訳にはいかないんだ!」

 

「そうよ! 裏切りで苦しんでいる昇さん達のためにも! 私達は!」

 

 シアと共に戦うために、愛子の支えになるために、そして今もまだ苦しんでいる様子の昇達のためにとアル・ハウリアとルー・ハウリアは戦う。少しでも彼らの支えにならんと気炎を吐きながら悪漢を相手どっていく。

 

「アイツら……」

 

「少しは役に立つか――ハッ!」

 

 そしてその様は少なからず明人達の、この街を守るハーランドの心にも届いていた。各々違うものを感じ取りながらも彼らはこの窮地を乗り越えるべく、ただがむしゃらに戦い続ける――。

 

 

 

 

 

「ようやく終わったな」

 

「うん。お疲れ様、龍太郎くん」

 

 かくして大捕物は終わった。他の皆に続いて幾つもの拠点を落とした龍太郎と香織は、連行されていく様々な組織の構成員を見送りながら感慨に浸っていた。

 

「これでケガの一つもなけりゃあな」

 

「うん……そう、だね」

 

 それぞれの拠点にいた悪党どもは全員確保。そちらの方()大した怪我もなく保安署、そして冒険者ギルドへと連れて行かれている。数が多過ぎることから一部を取り調べのために応接室などを開放したと聞いている。

 

「……パル、その、残念だったな」

 

「ううん……いつもメルド団長から言われてたし、ケガもよくしてたから」

 

 龍太郎は自分達と同行していたパルに声をかける。返事をしたパルであったがその雰囲気は暗い。何故ならハウリアの一部、それもメルドが指揮していた者達の中で数名が重傷を負ったからである。

 

「コリン兄ちゃん、まだ目を覚ましてないみたい……」

 

「そっか……」

 

 すぐに発動した“聖典”のおかげで死ぬことこそ無かったが、決して被害は軽くなかった。コリンは頸動脈を傷つけられた際に多くの血を流し、そのせいなのかまだ意識が戻ってないらしい。

 

 全身を貫かれたウルマーや体を炎の刃で焼かれたマイなどは最上位の回復魔法のおかげで無事ではあったが、無様をさらしたせいなのか一様に気落ちしていたと三人は聞いている。他のハウリアにもなぐさめられているともうかがっていた。

 

「脈はあるんだろ? だったらいつか目を覚ますさ」

 

「うん……」

 

 震えるパルの頭に龍太郎がそっと手を置き、優しくなでる。ハウリアの仲間意識の強さは龍太郎も理解している。きっと彼が震えているのも親しい相手がこんな状態に陥っていることだろうと考え、これ以上心配しなくてもいいようにと龍太郎は振舞ったのである。

 

「大丈夫だよパル君。何かあっても私達がついてるから。神代魔法が使える私達なら何があっても問題ないよ」

 

 香織もまた失意のうちにあるパルになぐさめの言葉をかける。事実、魂魄魔法を使えば人間の魂のサルベージも行えるし、メルドも魂魄魔法を手に入れている。そのメルドが声をかけていない以上、最悪の事態は起きてはいないだろうと香織は心配していなかった。

 

「うん……ありがとう。龍太郎兄ちゃん、香織姉ちゃん。でも、でもね……」

 

 だが彼が気落ちしていたのはそれだけではなかったらしい。一体どういうことかと次の言葉をじっと待っていると、不意にパルの目から涙がこぼれ出した。

 

「僕、全然兄ちゃん達の役に立ててなかったよね……」

 

 その言葉に思わず二人は目をむいた。射撃の腕が他のハウリアよりも秀でている彼が経験を積むためにも香織はちゃんと手加減して魔法で攻撃していたし、龍太郎もまた同様だった。一体何が彼の自信を奪ってしまったのかと考えていると、パルは涙ぐみながらも答えを口にしていく。

 

「香織姉ちゃんは魔法で悪いやつをすぐにいっぱいやっつけてたし、龍太郎兄ちゃんも一瞬で倒してた」

 

 そう語るパルだがそれだけではないと二人は思った。その奥にきっと何か、もっと彼を苦しめる要因があるのではないかと考えながら龍太郎と香織はあいづちを打つ。

 

「……まだ初めての戦いだろ? それに、言いたいことはそれだけか?」

 

「うん……きっとパル君、何か他にあるんだよね?」

 

「……うん」

 

 二人の問いかけにパルは何度もうなずき、ようやくその理由を語り出した。

 

「僕はまだ……魔物じゃなくて人を相手にするのは初めてだから、だから仕方ないって思ったんだ……コリン兄ちゃんや、ウルマー爺ちゃん達がひどい目にあってたのに」

 

 しゃくり上げ、鼻水を垂らし、軽くうつむきながらパルはその理由を語ってくれた。仲間意識の強さが原因かと少し驚きつつもそれに納得を示す。だが他にも何か言いたいことがあるかもしれないと感じた龍太郎と香織はただじっとパルの話の続きを待っていた。

 

「皆が辛い目にあってたのに、なのに僕は仕方ないって、しょうがないって思ってホッとしてた……それが、それが――!」

 

「馬鹿っ」

 

 いくら同行していなかったとはいえ、仲間が危機に陥っていたというのに一人だけ自分の力の無さに理由をつけてホッとしていたことが許せなかった。それがわかった龍太郎はこれ以上言わせるまいとパルの頭に軽くげんこつを落とす。

 

「いたっ……な、何するの龍太郎兄ちゃん……?」

 

「ったくお前は……確認させてもらうぞ。お前は他のハウリアがいつどうなるかもわかんねぇ状況だったってのに、自分だけ力が無いことにホッとした。それで自分だけそうしちまったことを後悔してる。それで合ってるか?」

 

「う、うん……」

 

 かつて香織が己の力不足を嘆いた時の様子と被って先に手を出したのだが、もし外れていたらまずいと考えて念のために龍太郎は問いかける。しかしそれは自分の予想と変わらず、ならば少しだけ説教してやるかと軽くかがんでパルと視線を合わせる。

 

「いいか、パル。もしお前がやられちまった奴らと同じグループにいて、そんなことを思っちまったんなら理解ぐらいはしてやれた。でもな」

 

「でも……?」

 

「馬鹿言ってんじゃねぇぞ。他の奴らがどうなってたかを知ることなんて出来なかったってのに、ソイツらが死にかけたからって勝手に自分を責めてんじゃねぇ。だったらハジメ達や大介達のところにいたハウリアはどうすんだ?」

 

 順序立てて説明してやればパルも言葉に詰まった様子で視線をそらす。いかに自分がちぐはぐなことを言っていたのかを自覚した彼に何かアドバイスでもと思った時、龍太郎より先に香織が動いた。かがんでパルの手を掴み、視線を合わせて声をかけて来た。

 

「強くなろう、パル君」

 

「香織、姉ちゃん……?」

 

「私もそうだったよ。私もそう思ったことがあった」

 

 パルに語り掛ける香織を見て、そういえばそうだったなとかつて真のオルクス大迷宮の一階層目での出来事を龍太郎は思い出す。なら後は任せるかと彼はただ黙って二人を見守ることにした。

 

「そう、なの? でも……」

 

「そうだよ。前の私はね、守る力も戦う力も、癒しの力だってここまですごくなんてなかった。今の強さだってちょっとズルして手に入れたものだよ。でもね」

 

 香織の横顔は一瞬だけあの時と変わらない苦悩と後悔がにじみ出たものになった。しかしすぐにそれも霧散して真剣な様子でパルに語りかけるようにして話す。

 

「それで自分が悪いって思ってるだけだったら何も変わらないよ。本当に大事なのはそこから動くこと」

 

 微笑みながらそう語り掛けている香織をパルはじっと見つめている。彼女の話を聞いてうんうんとうなずきながら龍太郎は黙って最愛の女を見守っていた。

 

「きっとパル君だって強くなれるよ。それだけ悔しがってるんだもん。ね?」

 

「……うん!」

 

 泣きはらした顔を上げ、少年は香織の言葉にうなずく。その表情を見て、ちょっと頬を赤らめている様子にまさかと思っていた龍太郎であったが、その心配はいきなり繋がれた“念話”によってかき消える。

 

“緊急事態だ皆! 東からヘルシャー帝国が迫ってる!”

 

 浩介から入ったその連絡に龍太郎も香織もすぐに顔を合わせる。“念話”が使えるアーティファクトを持っていたパルも驚いた様子で、どうしようとうろたえていた彼の手を龍太郎が取る。

 

「行くぞパル!」

 

「う、うん!」

 

“浩介君! 数はどれくらい? 浩介君でも対処できなさそう?”

 

“数はパッと見で五百! “深淵卿”はまだ解除はしていないしまだここまで距離はある! でも話し合いはした方がいいだろ! とりあえずメルドさんも繋いだし、ここのイルワさんと保安署の署長にも直接声をかけとく! 場所は……とりあえず冒険者ギルドで!”

 

「わかったよ!――龍太郎くん!」

 

「あぁ!」

 

 浩介の話からしてまだ時間の猶予はあったようだが、それでもひと段落着いた今の時点で現れた相手だ。一体何があるかわからないと警戒した香織は龍太郎に声をかけ、共に合流地点へと駆け抜けていく。

 

 かくして大捕物は終わった。このフューレンを覆っていた悪夢は消え去り朝が来た。されどそれは新たな騒乱の到来であった。

 

「状況は?」

 

「斥候の報告によりますと何やら無数の黒ずくめの男が外壁の外や上に立っている様子……ただ、時折奇妙な動きをしていたとか」

 

 フューレンから東に一キロほど、そこに張られていた天幕は紛れもなくヘルシャー帝国のものであった。

 

「使えねぇな、ったく……殺すか?」

 

「おやめくださいバイアスお兄様。ここで斥候の首を刎ねる必要はないでしょう? その者は十分に仕事を果たしたはずですわ」

 

「黙ってろトレイシー。とりあえずその使えねぇカス連れてこい」

 

「ですからおやめくださいお兄様」

 

 上座にいた粗野な雰囲気をまとった男が不機嫌そうにそうつぶやけば、その横に座っていた金髪の縦ロールの美女がそれをいさめる。それを繰り返すこと数度、ようやく斥候の首が刎ねられずに済んだことにバイアスと呼ばれた男以外が内心安堵していると、すぐに縦ロールの女が何かを決めた様子で報告に来た兵士に声をかけた。

 

「それで、向こうは何もしてこなかったのかしら? でしたら私が出向きますわ。馬の用意を」

 

「よ、よろしいので? トレイシー様御自ら向かわれるのは……」

 

「えぇ。確かに私は皇女ですが、皇帝陛下からいち大使として任命されておりますわ。ハイリヒ王国に向かうためにも物資は必要。フューレンから融通してもらうにしても私が直接出向いた方が色々と都合がいいのではなくて?」

 

 直接出向くことに臣下の間でどよめきが起きるも、尤もらしい理由を話してトレイシーはそれを黙らせる。そしてそのまま席を立つと天幕の外へと向かっていく。

 

(確か記憶の限りではフューレンの外壁に人が立っているということはなかったはず。話を聞く限りでは何かあった様子のようですわね――ふふっ)

 

 記憶を探り、報告した兵士の様子からトレイシーは推測する。先日のトータス全土に現れた神の使徒を名乗る存在のことを思えば何かの騒動が起きた可能性もあるのでは、と考えながら己の中に滾るものを感じていた。

 

「ふふっ……もしかしたらその男の中に私を滾らせる人間がいるとしたら……あぁ、楽しみですわぁ」

 

 フューレンの街で何かあったとしたら、そしてもしそれが武力を伴うものだとしたら――それを思うだけで体が震える。己の中の闘争本能が昂っていく。

 

「おい、あれ……」

 

「また皇女様の悪癖か……」

 

 周囲の空気を張り詰めさせながらヘルシャー帝国が第一皇女、トレイシー・D・ヘルシャーは進む。夜明けを迎えた街に迫るのは暗雲であった。




ヘルシャー帝国使節団「来ちゃった♡」

これで第三章も終わりとなります。もしかするとこの後ちょっとしたまとめも投稿してから次の章に移るかもです(やるとは言ってない)

2023/10/7 一部矛盾が生じてたので修正しましたorz


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これまでのあらすじ?(ネタもあるよ)

ちょっとした小ネタです。これの前に第三章の最後の話が投稿されたのでそちらもどうぞ。ネタバレ回避のためにいくらかスペースを開けさせてもらいます。















では小ネタをどうぞ。


親友であった谷口鈴との戦いに敗れ、自爆した中村恵里は何故か父が死ぬ日にちまで時間をさかのぼっていた。

 

恵里「いやー気づいた時には本当に驚いたよ。うっかりお茶碗落としそうになったしね」

 

恵里は父の死を回避し、勝ち馬に乗るために、そして鈴と本当に友達になるために彼女は奔走する!

 

恵里「うんうんそうそう。懐かしいねぇ~」

ハジメ「そうだね。これが僕と恵里と、鈴との出会いに繋がるんだもんね」

鈴「うんうん。この頃から鈴のことを思ってくれてたのは嬉しいよ」

 

篭絡するはずだったハジメにメロメロにされ、かつては手に入れようと必死になってた光輝は何故か雫一筋となった上に性格も全然違うものとなっており、しかも龍太郎経由で友人となったのである!

 

恵里「いやーうん。改めて考えるとホント色々と変わっちゃったよねぇ~。ま、全然後悔してないんだけどさ」

ハジメ「うんうん。これが縁で光輝君達と友達になれたんだよね」

龍太郎「ああ。本当に感謝してるぜ。ハジメ、鈴、恵里」

雫「うん。ありがとう鈴、恵里、ハジメ君」

鈴「どういたしましてだよ。雫」

 

そうして浩介、香織、優花、奈々、妙子とも友人関係を築き、小学生を卒業するころには己の本当の想いに気付いたのである――南雲ハジメを『好き』だということを。

 

鈴「いや鈴はすっごい後悔してるよ。恵里がハジメくんたぶらかす前に告白したかったんだけど。一番の座を奪いたかったけど」

恵里「そっかぁ。鈴ケンカ売ってるんだ――買うよ。何百倍にして返せばいい?」

ハジメ「二人ともやめてってば!」

 

そうして中学では幸利、高校では大介らとも友人となり、友人共々そして雫の祖父と母である鷲三と霧乃と共にトータスへ!

 

幸利「そうそう。光輝達のおかげで俺はやり直せたんだよな……その、ありがとな」

光輝「いいさ。俺のおせっかいで幸利が救われたんなら」

大介「実際幸利がいなきゃ俺達もマトモになれてねぇもんな。マジで光輝サマサマってヤツだよ」

礼一・信治・良樹「「「ホントホント」」」

 

だがトータスに来てからは艱難辛苦の連続! それを乗り越えてメルド、アレーティア、フリード、愛子を味方につけ、高校にいた頃から対立していた重吾達とも和解したのである!

 

メルド「……どうにかやり直したいものだな。せめてオスカーに刃を向けたのだけは無かったことにしたい」

アレーティア「私も……皆さんを襲うことがないようになんとか和解したかったです……」

フリード「正直私もだな。アルヴに洗脳されてたのもそうだが、ウラノスをいいようにされたのだけはどうにかしたい」

ウラノス「グルゥ……」

 

手に入れた神代魔法を研究の果てに解明し、様々なものを発明したりハウリア族と合流した彼らはあることがきっかけでフューレンに巣くった悪党対退に!

 

シア「私が自信をつけて暴れてる間にも皆が……無事で、良かったですけど」

 

その大捕物を終えて新たに現れたのはヘルシャー帝国の者達! 五百もの人間を引き連れ、現れたのはバイアス・D・ヘルシャーとその妹であるトレイシー!

 

恵里「あー、そうなんだ。そういう名前なのね」

浩介「名前までは知らなかったからなぁ。まぁ仕方ないけどさ」

 

アンカジ公国との同盟締結、ハイリヒ王国への宣戦布告を目的に行動していた両者。ここでトレイシーは供を引き連れ、反逆者どもが待ち構えるフューレンの街へ入った!

 

恵里「うん? なんか流れ変わってない?」

 

寂れ果てた街並み、閑散とした道路。変わり果ててしまった商人の街を訪れたトレイシー。そんな彼女の前に立ちはだかったのは無数の荒くれ者どもを抑え込んだ反逆者達であった!

 

恵里「ねぇちょっと。なんかボク達に対して当たり強くなってない? これボクの物語なんだけどー」

 

彼らから放たれるただならないオーラ。紛れもなく強者揃いだと確信したトレイシーは今日も不敵に笑う! 追い求めていた強敵とようやく出会えたのだと!

 

トレイシー「おーーほっほっほ! 次回からはこのわたくしが主役! このトレイシー・D・ヘルシャーが活躍しますわぁ!」

恵里「おいコラ話が違う! あとお前が主役じゃないだろ!」

 

戦えトレイシー! このトータスの未来を守るため! 今こそ解き放て魔喰大鎌(まぐいたいれん)エグゼス!

 

恵里「だから違ぁーう!! 何勝手に主役奪ってくれてるのさ!」

 

次回、ヘルシャー帝国戦記 第39028話「邂逅、反逆者達」

 

来週もヘルシャー帝国の覇道に付き合ってくれ諸君!

 

恵里「だからコレはこういう話じゃなーい!! ボクが主役だぁー!」

トレイシー「おーーほっほっほっほっほ! さぁ次も私と共に尋常に死合いましょう!」

恵里「帰れぇー!!!」




今の時点で人物まとめをするよりも後にした方がおいしいと気づいたため、急遽小ネタをはさませてもらいました。反省はしていない。


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第四章
七十八話 望まぬ来訪者の扱い方


では拙作に目を通して下さる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも184154、お気に入り件数も883件、感想数も666件(2023/10/15 10:53現在)となりました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、シュヴァルベさん、拙作を評価及び再評価してくださり本当にありがとうございます。新章を書き進めていく力をいただきました。

では新たな章の始まりとなります。いい塩梅にスタートが切れたかなーって。では本編をどうぞ。


「なるほど、ヘルシャー帝国が……」

 

 執務室にてイルワは深くため息を吐いていた。それもこれも急な来訪者の存在のせいである。

 

 浩介からヘルシャー帝国の一団が大挙してこちらへと向かっているとの連絡を受け、恵里達は急ぎ保安署の署長とイルワに取り次いだ。そのことについての話し合いのためのスペースが欲しいと述べたところ、イルワが自身の使う執務室を開放すると打診してくれたのだ。

 

 執務室を解放してくれたイルワに感謝しつつ恵里達は保安署の署長や商業ギルドのギルドマスターにも声をかけ、早速作戦会議を開いていたのである。

 

「……相手の出方次第ですね。尤も、こちらが採れる手段もそう多くはありませんが」

 

「だろうね。中々に頭の痛い事態だよ」

 

 ふとした瞬間に出る弱々しさ全開な感じや大介相手に甘えているような空気ではなく、真剣に今の事態を思案している様子でアレーティアはイルワに意見する。それを聞いたイルワもどこか思案している様子であった。

 

「面倒だよねぇ、ったく……こっちはやっと大仕事を終えたんだけどさ」

 

 かつて王であった片鱗を彼女から感じ取りながらも、恵里も嫌気を隠すことなくぶっちゃけていた。執務室の空きスペースに置かれたソファーやイスなどに座っているハジメ達も浮かない様子でそれにうなずいている。

 

「だよなー。中村の言う通り面倒くさいったらありゃしねぇ」

 

 大介の言う通り、ようやくフューレンに潜む世界三大裏組織の摘発を終え、今その構成員やそれに関わっていた冒険者などの取り調べを行っている最中であったのだ。そこに急にヘルシャー帝国の人間が訪れたのである。あまりにタイミングが悪すぎてイルワと恵里がため息を吐いていたことに誰も文句をつけることはなかった。

 

「どうすればいいんだろうな……出来ることなら何事も無く帰ってほしいけれどそうもいかないだろうし、下手に招いたらここの事が筒抜けになるかもしれない」

 

「ただ筒抜けになるだけならばいいがな……偶然であれ狙ったのであれ、良い方向に転ぶとは思わんな」

 

 五百という数からしてまず普通ではないし、その上彼らをこのフューレンから遠ざける理由がまず浮かばない。光輝と鷲三が述べた通り、下手を打てば事態が更に悪い方向に転ぶであろうことは恵里も察しており、この場を見渡せば誰もがそう考えている様子であった。

 

(本当に厄介なんだけどさー。帝国の奴らを追い返すための理由は弱いのしか出てこないし)

 

 恵里もどうにか帝国の人間に何も情報を与えずに追い返す手段を考えるも、正直“縛魂”を使って情報漏洩を防ぐぐらいしかいい案は思いつかない。

 

(下手な理由を与えたらそこをつけこまれる。だからって『入れられない』の一点張りじゃそこから察する。いやむしろここが『中立』でなくなったって難癖をつけてくる可能性だってある)

 

 馬鹿正直に裏組織の摘発をしていたと述べれば残党狩りを理由に入ってくるだろう。かといって嘘を並べ立てるにしてもこれ程大きく、どこにも属さないまま商売によって発展した都市が麻痺する理由もそうそう思い付きはしない。だからといって理由も述べずに追い返せばフューレンが緊急事態であることは嫌でもわかってしまうし、下手したら『中立の商業都市』である点を突かれて兵士を連れてくるだろう。

 

(これで来たのがほんの数人だったらどうとでもなったんだけどさぁ。たとえ五百でもボク達の存在を度外視すれば今のフューレンを落とすぐらい簡単だし……あぁクソッ! これもそれも全部エヒトの奴が悪い!!)

 

 来たのがほんの数十人程度だったらまだ打てる手も多かっただろうが、流石に数が多い。撃退自体は自分達がいれば容易であっても、それ程の数の人間が戻ってこなければいずれ本国の方にバレる。となれば前世? で雫達を騙した“縛魂”の力に頼るか外にいる奴らもまとめてぶっ飛ばすぐらいしか恵里の頭には有効な方法が浮かばなかったのである。

 

「正直我とて受け入れ難いがな……だがあの出で立ち、かつて我と槍嵐の覇者、風王が見たそれと同一だった。間違いあるまい」

 

「あ、こっちにいる礼一と良樹が彼と一緒に見たことがあったんです。実は――」

 

 ハウリアを保護する際に一度ヘルシャー帝国の兵士達を見ているのだ。その浩介の言葉を恵里達は疑いはしなかった。が、一体誰のことかと首をかしげている面々に対しては光輝が説明をする。

 

「……そこの遠藤君は面白い子だね」

 

「正直ふざけている場ではないのですが……」

 

「……すいません」

 

「その、彼が発動している技能の副作用みたいなものでして……大目に見て下さると助かります」

 

 商業ギルドのギルドマスターであるグウィンが言った通り、説明が面倒くさいから“深淵卿”をとっとと解除してくれと恵里達も思いはした。思ってはいたものの、それを解除していきなりヘルシャー帝国の奴らが襲い掛かって来たらどうなるかも予測がついていたため言えずにいた。そのため一瞬素に戻った浩介と共に光輝も頭を下げている二人を見て、またしても恵里の口からため息が漏れそうになる。

 

「……コホン。幸い今はその全てがこちらへと押し寄せてきている訳ではない。先程七つほどこちらに馬に乗って向かっているのを確認したがな」

 

「それは私と祖父、母が見たのを確認しています。ここから一キロほど先に天幕を張っているのですぐに動くことはないと思います」

 

 こういう時は本当に面倒だなぁと思いつつも恵里は浩介の言葉に耳を傾ける。せき払いをしてから現状のヘルシャーの動きを報告した浩介を雫がフォローすると、恵里含めその場にいた誰もが一体どういうことかと考えこむ素振りをした。今すぐ仕掛ける様子はない。ならば一体どうしてここに来たのかと思ったからだ。

 

「浩介と雫の話からしていきなりこのフューレンを狙いに来たわけではないだろう。あの国が本気ならもっと多くの数を連れてきてもおかしくはないだろうしな」

 

 この場で唯一の軍人であるメルドの推測にイルワ、保安署署長、グウィンもそれにうなずく。直接フューレンを包囲して陥落させようとしたにしてはあまりに数が少ないし、メルドの言う通りもっと多くの軍勢を率いてこちらにプレッシャーを与えてくるだろうと誰もが思ったからである。

 

「浩介、その七騎以外に向こうの動きは?」

 

「そちらは皆無だな……ただ、相乗りしているのが三人、それも東の門にたどり着く前に降りていると。それと馬に乗っていた一人が王女と思しき出で立ちをしていたとな。我の牙として参列したハウリアも同じ報告をしてきた」

 

 ちなみにシアとカム以外の戦えるハウリアはメルドからの命令で浩介と一緒に見張りをしていた。流石に執務室に大挙して押し寄せる訳にはいかず、自分が命令を与えたとメルド当人の口から聞いたからである。気になる点が幾つかあったものの、まだ本格的に動くわけではないということはこの場にいた全員が理解した。

 

「愛子殿、大丈夫ですか?」

 

「もし辛いことがあったら私でも父様でもいいですから話して下さいね」

 

「……いえ、何でもありません」

 

 そのシアとカムは愛子につきっきりとなっている。合流してからどうも心ここにあらずといった様子であり、ヘルシャー帝国の人間との話し合いには参加させられないと恵里は断ずる。彼女を起点としてこちらのペースを崩される可能性があるからだ。

 

“畑山先生は今回お休みしてもらおう。今の先生は見ててちょっと不安だし”

 

“やっぱりハジメくんもそう思う? 今の先生はちょっと任せてられないしね”

 

“そうだな……後で説得しないと。とりあえず俺がやってみるよ”

 

 このことはハジメも懸念していた様子であり、“念話”でも自分達に伝えてきたため恵里もそれに応じた。光輝や他の面々もそれに同意し、シアとカムにも“念話”を繋いで何人かが彼女の説得にかかっていった。

 

「こちらとしてはまず帝国の方々を迎え入れようと思っています」

 

「正直追い返す理由も今のところはないからね。それにここは商業『中立』都市だ。相手を選んで追い返すことをしたらそれこそつけ込まれてしまうよ」

 

 そうして親友達が愛子説得に動く中、グウィンとイルワは苦々しい様子ながらも自身の考えを明らかにする。この街はどの国にも属さず、あらゆる国の商人に門戸を開いている。つまり侵略の意志を持たない限りは相手を追い返すことはできないスタンスの場所なのだ。それ故にこう答えるしかないということを理解し、わかっていたとはいえ選択肢がせばまったと恵里は頭を悩ませる。

 

「なぁアレーティア、やっぱどうにか追い返せねぇ? 最悪、犯罪者大量に捕まえたせいでどうにもならねぇって言えばよ」

 

「……ごめんなさい。それだと向こう側にこの街に入る、むしろこの街に残った構成員を捕縛する名目で潰すための大義名分を与えることになる。どうやっても私達が窮地に陥るのは避けられない」

 

「うっわぁ……マジかよ。アレーティアでも無理かぁ」

 

 大介からの疑問に先程自分が思いついた理由を口にするアレーティアを見て、やっぱりそうだろうなぁと改めて恵里は考える。

 

(“縛魂”で『ボク達の情報を伏せたまま違和感が無いように振る舞え』って命令すればとりあえず追い返せる。けど、嘘をつくのが下手な奴にやらせたら即座に何かあったって見抜かれるな……もう、手詰まりじゃんか!)

 

 使える手札はほぼ無い。その貴重な手札の一つである“縛魂”による洗脳にしてもあれは自分の本性を上手く隠した上で、光輝達クラスメイトと四六時中接していないメイドや兵士などの死体に向けて使ったものだ。灯台下暗しを上手く突いたからこそバレなかったということを恵里とて把握しており、この方法が今回も通用するとは流石に思えず心の中でヒステリーを起こした。

 

「……だから、手を打ちます」

 

 故に、アレーティアが意を決した様子でそう述べた時に恵里は思わず目をむいた。恵里だけではない。ハジメも鈴達もどうやってと明らかにうろたえている様子であった。

 

「中野さん、ゲートキーを使ってリリアーナ姫に……いいえ、今すぐハイリヒ王国へと戻って下さい」

 

「お、おう。で、何やりゃあいいんだ?」

 

「王国を巻き込みます。それとそちらの二人」

 

 アレーティアの指示を聞いて恵里はハッとし、思わずハジメと鈴と顔を合わせるべく振り向く。すると光輝に鷲三、霧乃、幸利も彼女の意図に気付いたらしく、唾をのむ素振りを見せていた。

 

「私達かい?」

 

「はい……今一度お尋ねします」

 

 そしてイルワとグウィンにもアレーティアが声をかけた。二人が緊張した様子でアレーティアに視線を送っており、彼女の次の言葉を震えながら待っていた様子だった。

 

「あの時の約束、私達に可能な限り協力することを誓えますか」

 

 ヘルシャー帝国との接触を避けられないのであればその先を見て動く。かつて彼女が王として動いていた姿を恵里達は幻視し、その姿に頼もしさを感じていた。

 

 

 

 

 

 アレーティアの提案を受け、一応の結論を出した一行はひとまず移動することに。まだ捕まえた輩の取り調べが残っているし、そこに帝国の人間を招いてはわざわざ自分達の内情を大っぴらに明かすのと変わらないからだ。

 

“来たみたい、だね”

 

 そこで恵里達は()()のみ商業ギルドの応接室へ、残りは近くの空き家へと移動。わざわざ分けた理由は少しでも警戒心を持たれないようにすること、そして向こうからのリクエストがあったからだ。

 

“すまない。我が迂闊だった……”

 

“浩介君は打ち合わせ通り動いてくれてたでしょ? これに関しては皆の責任だよ”

 

 何せドレスを着たやんごとなき身分と思しき女性が門番に言ったのである。来訪したヘルシャー帝国の人間を通すよう門番に連絡し、いざ案内させる段階になってその女が『外壁の上に立っていた、もしくはその周りにいた人間を連れてきなさい』と。

 

“中村さんの言う通り、遠藤さんは悪くありません。あの時はあれが最適でした”

 

“カマかけで門番が動揺しちまったのが痛いな……ま、なるようにしかならねぇさ”

 

 もちろん当初は門番も無視していたものの、そこにいたのは反逆者の類かとその女が門番にカマをかけてきたのだ。その際門番が押し黙ってしまったことで向こうが確信したらしく、『反逆者がこの街にいるというのならばこちらも考えを改めないといけませんわ』と言われて踵を返そうとしたことでどうにもならなくなったのだ。

 

“浩介君、後は任せて。大丈夫、こっちにはアレーティアさんがいるから”

 

“……恩に着る”

 

 そこで動向を見守っていた浩介が仕方なく姿を現わし、軽い自己紹介の後にエスコートすることとなったのである。そうせざるを得なかった彼にハジメは声をかけ、浩介も香ばしい言動のままながらもしっかりとハジメに感謝していた。

 

「お招きいただき感謝いたします」

 

 アレーティアの指示で何人かの冒険者にも来てもらい、こちらが出迎える準備を終えたところで恵里達はヘルシャー帝国の一団と顔を合わせることとなる。

 

 見事なカーテシーを披露する目の前の女性のそばには文官らしき姿の人間や近衛兵と思しき鎧を身にまとった男がいる。合わせて()()。その一団の中央に、単に華美なだけでなく激しい動きもやれそうな独特なデザインのドレスを身にまとった例の女。その落ち着きようも見て()()()人間であることはこの場にいた誰もが理解できており、彼女の一挙手一投足を恵里達は見守っていた。

 

「そしてお初にお目にかかります。わたくしはヘルシャー帝国が第一皇女、トレイシー・D・ヘルシャーですわ」

 

「……初めまして。私はこのフューレンの商業ギルドのギルドマスターを務めているグウィン・ブレッドルと申します」

 

「初めましてトレイシー皇女。私はこのフューレンの冒険者ギルドの支部長を務めるイルワ・チャングです」

 

 その言葉にやはりと思いつつ、グウィンとイルワ、そして秘書長二人に続いて恵里達も自己紹介をしていく。

 

「とっくにわかってるとは思うけど紹介しとくよ。ボクは中村恵里だよ」

 

「恵里、ケンカ売らない……コホン。僕は南雲ハジメです。どうぞよろしくお願いいたしますトレイシー皇女様」

 

「な、中村さん、落ち着いて……失礼しました。アレーティアと申します。どうぞよしなに」

 

「あー檜山大介だ。まーよろしく」

 

「清水幸利だ。ま、よろしく頼むよ」

 

 今回参加したのはトレイシーを案内した浩介を除いて五名。今回の交渉をメインに担当するアレーティア、念のためのブレーンとしての恵里、ハジメに幸利、そしてアレーティアの精神安定剤役である大介の五人が参加することになった。

 

 自分達の存在が明らかになった以上参加しない訳にはいかなかったし、かといって交渉するのに向いていない礼一らを利用して相手に主導権を握られないままにならないようにこうして人数を絞ったのである。

 

“ヘマしないでよ檜山君?”

 

“あー、まぁ、やってみるよ中村……”

 

 恵里としては交渉事が不得手であろう大介もいない状態で交渉に臨みたかったものの、彼がいないとアレーティアがどうなるかわかったものじゃないし、アキレス腱となる可能性の高い彼がいても彼女がいることのメリットが十分あると判断したが故に皆で頼み込んだのだ。こうして交渉に臨む直線、下手を打たないよう大介にくぎを刺し、彼も緊張した様子でそれに返事をした。

 

「ご丁寧にどうもありがとうございますわ、反逆者の皆様がた。手配書の通りでしたわね――それで、本当にこの場にいるのは皆様だけでしょうか?」

 

「さぁ? そう思いたかったらそう思ってたら?」

 

「……判断はそちらに委ねます」

 

 そして目の前の女は早速揺さぶりをかけてきた。それに恵里もアレーティアも表情を崩すことなくそう返す。大方外壁の上や周りに立っていた人間の数から考えてそう言ってきたのだろうし、それにまともに取り合う必要もない。

 

「……それで、門番の方からの報告では皇女様含めて七人の人間がここに向かったと聞いていますが」

 

 そしてアレーティアが目配せをすると恵里は口を閉じた。今回の話でこちら側の舵取りをするのはアレーティアに一任してあるからだ。

 

「表に二人待機させていますわ。何か()()()()()が起きては大変ですもの」

 

「……そうですか。それと信用できる筋からの話では他に三名馬に相乗りしてたそうですが。その人達はどちらに?」

 

「えぇ。確かにいましたわ。ですが彼らは皇帝陛下の命で私と共に来た者達ですわ。すべきことがあると告げて一度下馬しました」

 

「……この街の中で色々と動いているのでは?」

 

「お答えしかねますわ。わたくしはあくまでハイリヒ王国への大使として派遣された身でしかありません。極秘のものだったのでしょう。わたくしは存じ上げていませんわ」

 

 すぐにアレーティアも軽いジャブとばかりにここにいる人間の数が合わないことを尋ねた。が、トレイシーは想定内だと言わんばかりに答えをしれっと返していく。この街に忍び込んだのではと問いかけるもそれらしい理由をつけてかわすばかり。

 

「そうですか」

 

「そうですわ」

 

(うわっ)

 

 ただの世間話をしたかのようにアレーティアとトレイシーは微笑む。が、二人の周囲の空気がどこか重く澱んでいく気配を恵里は感じ取っていた。これが王族同士の腹の探り合いかと感心していると、そうそうと今度はトレイシーが話を切り出してきた。

 

「こちらに来る際にフューレンの現状を拝見させていただきましたわ。何やら騒動か何かがあったご様子ですわね」

 

「そうでしたか。いえ、ギルドや保安署の方からのお話ではもう大丈夫とうかがいましたが」

 

「あら? しっかり拘束してあったとはいえならず者が列をなしておりましたが……そういえばこのフューレンは裏組織が三つあるとうかがっておりますが」

 

 今度は今のフューレンの状況からアプローチを仕掛けて来た。それも想定内であるとばかりにアレーティアは微笑みながら舌戦に応じていく。

 

「えぇ。私も存じております。それが何か?」

 

「尋常でない数のならず者がおりましたもの――まるでその全てを取り締まったかのようでしたわ」

 

「……確かに多かったですね。それで?」

 

「まだ残党が残っている可能性もあります。そのことを懸念していますわ。それに、そちらが与していた可能性も皆無ではないでしょう?」

 

「……推測するのはご勝手ですが、私達はたまたまここにいただけです。それと同席されてる両ギルドのトップも冒険者も私達の監視を目的にこちらにいます。そちらが無理なことを言わなければ彼らが出張ることも無かったのですが」

 

「あらあら。それは監視目的でいらっしゃる()()の方々がしっかり仕事をなさっているだけでしょう? 反逆者の貴女がたがいなければ彼らも職務を全うできたはずです……それとも、貴女達に対してそういう風に振る舞う必要があったのではないですか?」

 

「いいえ。そんなことはありませんよ。ただの誤解ですね」

 

(うわぁ……)

 

 笑みを崩すことなく言葉のナイフでぐさぐさと互いに刺していく様は恵里からしても軽く引くレベルであった。何せ一切敵意も疑惑の念も二人は漏らさず、ちょっと気になったことを尋ねたりそれらしい答えを返してるだけなのに空気がひどくピリピリとしているのだから。

 

 ハジメ、幸利、浩介は軽く体をカタカタ震わせてるし、大介はちょっと涙目になっている。イルワとグウィンは涼しい顔をしていたが、そばにいた冒険者達は顔面蒼白で今にも倒れそうになっていた。そんな彼らがあまりに不憫でハジメ達も巻き込む形でこっそり“鎮魂”をかけていたりするぐらいだ。なお幸利と一度目が合った時に彼の瞳からも冒険者への憐憫を感じ取り、考えることは一緒なんだなぁと思いながら二人で冒険者の精神を鎮めていた。

 

「あら、そうですの……ではイルワ支部長、貴方は反逆者の方々とどういった関係をお持ちになられているので?」

 

 そして“鎮魂”をかけつつも状況を見守っていた恵里は見かけてしまう。トレイシーがイルワに探りを入れた瞬間、この女の目が一瞬だけ細まったのをだ。本気で仕掛けに来たということを恵里は確信し、軽く唾を飲み込んだ。

 

「一体何のことかわかりかねますね。あくまで私は善良なこの街の住人であり、彼らは世界を敵に回した存在です。そこに一体何の関係性を見出したというので?」

 

「あら? 本来なら保安署の人間と一緒にこの街の治安の維持に努めているはずでしょう? それなのに私達が来るまで反逆者を野放しにしていたなんて……あまりに奇妙ではございませんこと?」

 

「彼女達の実力は一応把握しているつもりでしてね。それに彼女達も長く留まる様子ではなかったので、下手に刺激しないよう通達を出していたのですよ」

 

「あらあら。到底そうとは思えませんが? わたくしと会談する席であることを考えれば致し方無いでしょうけれど、あまりに警備が薄過ぎますもの」

 

 イルワの嘘でもなく本当でもない言葉を一切信じていない様子で返していく様を見て、薄々感づいてはいたものの恵里はこの皇女が何か確信を持って動いているであろうことを受け入れるしかなかった。おそらく自分達との関係性、そしてこのフューレンで起きたことも大方把握しているのだろうと思いつつ、ハジメ達と一緒に話を聞くしか出来なかった。

 

「こちらも色々と立て込んでおりましてね。そちらが誤解するのもやむを得ないとはわかっていますが」

 

「本当に誤解でしょうか……まぁいいでしょう。本題に入りますわ」

 

「まだだったのかよぉ……」

 

 大介の小さく、情けない悲鳴を横で聞きながらも恵里はトレイシーの方にだけ意識を向ける。一体何を言うのやらと身構えていると、まず彼女はイルワに向けてあることを口にした。

 

「ではこのフューレンについてですが、もしわたくしの出す条件を呑んでくださるのでしたら()()()()に協力させていただきます」

 

 それが体よく連れて来た戦力を差し向けるための言い分でしかないということはすぐにわかった。その名目でこのフューレンを包囲して自分達を逃がさないようにするつもりだと恵里は判断する。

 

「いやいや。そこまでしていただかなくても私達の手でやれはしますよ。トレイシー皇女殿下?」

 

「いいえ。このフューレンは商業中立都市です。つまり何かあった場合はわたくしの属するヘルシャーにも影響が出ます。それを防ぐためにもわたくしの提案を呑んでいただきたいのですけれど」

 

「……下手に干渉されてはこの街の中立性を保つことが出来なくなってしまいます。この街の不始末は自分達の手で行いますので――」

 

「あら? 既にその中立性は損なわれているとわたくしは考えておりますが」

 

 無論イルワもグウィンも反論にかかるものの、一も二もなくトレイシーは切って捨てる。その条件とやらはまだ聞いていないが、こちらとイルワらを分断するつもりで攻勢に出たということは明らかであった。

 

「……根拠もなしに言いがかりをつけられるのはこちらとしても不服ではあるのですが」

 

「推測の内ではありますがもちろんですわ――外にいた犯罪者はそこの方々と連携して捕まえたのでしょう?」

 

 トレイシーの言葉にイルワもグウィンも何も言わなくなった。やはりこの女は既に確信を得ている。それが揺らぐことは無いということを理解しつつ、恵里はすぐにアレーティアと“念話”を繋ぐ。

 

“アレーティア、ここから逆転するのは?”

 

“……しばらく相手のペースになります。堪えてください、皆さん”

 

“そっか。ありがと”

 

 しばらくはトレイシーの言うがまま、けれどもまだ何か手はあるということを示してくれたアレーティアに恵里は感謝を伝えるとただ覚悟を決める。おそらくとんだ爆弾を相手は放ってくる。そう確信していたからだ。

 

「沈黙は肯定とお見受けしますわ――ではフューレンの皆様に提示する条件は一度後回しにさせていただいて、今度は反逆者の皆様の番ですわ」

 

 微笑みは崩してはいなかったものの、口角が幾らか上がったのを恵里は見た。本気で仕留めにかかるつもりだと考えていると、トレイシーはそばで控えていた文官のような格好をした人間の一人に声をかける。そしてある書状を受け取ると、それの封を切って目の前のテーブルへと広げる。

 

「本来ならハイリヒ()王国に直接出向いて伝えるつもりでしたが、そこを落とした皆様相手でも問題ないと考えました。それで――」

 

 広げられた書類、それも親書を見て大介の間抜けな声が応接室に響く。

 

「……なぁ、アレーティア。これ、なんて書いてあるんだ? どう考えても王国をめちゃくちゃにする気しかねぇみたいに見えるんだけど」

 

「……大介の考えてる通り。これを、呑めと?」

 

 横を見ればハジメも幸利も『あぁやっぱり』といった諦めの表情で、アレーティアも納得した様子でその書面を見ている。恵里としてもまぁこれぐらい吹っ掛けてくるかと思いながら視線を前に移す。

 

「おいテメェ、マジで調子に乗ってんじゃねぇぞクソアマ」

 

「……正気か? この紙に書いてあることは本気なんだろうな?」

 

 先程アレーティアにこの書面の文字の意味を尋ねた大介だけでなく、浩介も怒りをにじませながらトレイシーにそう問いかける。だがヘルシャーの皇女は一層笑みを深く、それも亀裂のようなものを浮かべるばかり。

 

「えぇもちろん。当然ですわ――だって、ハイリヒ王国がこのトータス全ての敵となった。それはご存じでしょう?」

 

 ――ハイリヒ王国を統治していた王族全員の廃嫡と奴隷としてヘルシャー帝国へ帰属させること、統治権及び領土をヘルシャー帝国への無償譲渡、莫大な賠償金の支払いetc...

 

 簡潔に言えば相手はこう迫っていたのだ。無条件降伏をしろと。その全てを差し出せと。




こういう腹の探り合いとか舌戦って書いてて難しかったけど楽しかったです(こなみ)

あと作者からトレイシーへのちょっとしたフォローを。
今回の話で相当強硬な姿勢に出た彼女ですけれど、この世界的には仕方ないと思ってください。要は何人もの犯罪者が皆さんの住んでる近くに出たようなものですから。戸締りやら警察に相談はなさりますよね? それの延長線上みたいなものです。


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七十九話 冴え切った彼らの答え

まずは拙作を読んでくださる皆様への惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも185031、しおりも426件、お気に入り件数も886件、感想数も669件(2023/10/21 8:11現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして各種数値が伸びているのを見るとやっぱりテンションが上がります。

そしてAitoyukiさん、今回もまた拙作を再評価してくださり本当に感謝いたします。おかげさまでまた書き進める力をいただきました。

では今回の話をどうぞ。


(いやー、よくやるよ。あの皇女サマもさぁ)

 

 真っ向から堂々と無条件降伏を突きつけ、ふんぞり返っているヘルシャー帝国の皇女を見ながら恵里は内心毒づいた。この女の言う通り、今のハイリヒ王国は世界の敵であることは恵里とて理解している。だからといってこんな書面を王国へと持ち込もうという心底舐め切った態度を取っている向こうを見て、恵里は一つの可能性を頭の中に浮かべていた。

 

“ハジメくん、幸利君。どう思う?”

 

“恐ろしく(たち)の悪い冗談じゃないなら……やっぱりプロパガンダの類かな”

 

“俺もそう思う。多分アンカジとかに向けてのポーズだろ”

 

 “念話”を繋いでハジメと幸利に問いかければ、二人が出した推測に恵里も納得するだけであった。今回皇女、というかヘルシャー帝国がこの親書を持ってきた理由はアンカジ公国や貴族相手への印象操作が目的であったと。

 

(ヘルシャー帝国は慈悲深くも王国に手を差し伸べました。けれども悪い王国はその手を払いのけて襲い掛かろうとしました、って宣伝するつもりかな。ま、やりたきゃやれば、って思うけど)

 

 貴族やアンカジにハイリヒ王国の悪印象を植え付けるための茶番を仕掛けて来たのだろう。正義感の強い光輝を連れてこなくて良かったと考えていると、ふとアレーティアの方から“念話”が飛んできたため恵里はふとそちらの方に視線を向けた。

 

“……おそらくこの親書は王国から離反した貴族に向けて、そしてアンカジへのポーズだと思います”

 

 感づいてこちらに“念話”を送ってきたアレーティアもほぼそうだと答えてくれた。確かにエヒトの奴が色々とやってくれたから王国に従っていた貴族の中でも離反した奴らはいるだろうと考えていると、アレーティアが続きを話してくる。

 

“……遠藤さんが見たのはおそらくハイリヒ王国へと向かうための部隊です。確実にトレイシー皇女を生きて返すための。この茶番を仕掛けて王国を怒らせ、差し向けて来た兵をも撃破して帝国の強さを示す狙いもあるかもしれません”

 

 彼女の推測を聞いてなるほどとうなずく他なかった。もしこの推測通りであったならば中々に頭が回るというか人間性が腐っているなぁと思いつつも恵里は彼女に改めて問いかける。

 

“それで? いつ()()()()の?”

 

“……今()()()に軽く説明しました。返事がきたらすぐにでも”

 

 その返事を聞いて恵里は口角をほんのちょっとだけ上げる。ようやくこの出来の悪いコントを切り上げられると思っていると、他の皆の声も“念話”伝いに恵里の頭に届いた。

 

“お、そろそろやるんだな”

 

“わかりました。筋書きはアレーティアさんに任せますけれど、必要になったら僕達にも声をかけて下さいね”

 

“ハッ、やっとか。思いっきりほえ面かかせてやろうぜ。アレーティア、ダチ公”

 

“反撃の狼煙は吸血姫、其方に任せよう。この深淵卿も存分に使え”

 

 先程からの“念話”はやはりハジメ達にも繋いでいたようで、彼らも意気揚々とした様子でそれに応える。やはりあの女、というかヘルシャー帝国のふざけた言い分には腹に据えかねていたようだった。

 

「先程からうわの空のようですが、返事はどうしますの? こちらとしてはきょ――」

 

「……ハイリヒ王国はヘルシャーに降ることはありませ――えっ」

 

 そして返事を急かしてきたトレイシーにアレーティアが答えようとした時、何故かピタリと止まった。数度軽くカタカタと震えたものの、すぐに立て直した様子のアレーティアは再度トレイシーの問いかけに答える。

 

「……王国はヘルシャーに降ることはありません。是が非でも王国を手に入れたいという野心の見え隠れする要求には屈しないということです。お引き取りを」

 

 あ、これ向こうが勝手に動いたなと恵里は察した。

 

 本来ならば“念話”を使ってアレーティアと()()とで話し合いをしつつ、あちらからGOサインをもらったところでこちらが話を進めて行くだけだった。そのはずなのだが、アレーティアが動揺したというのならそうなのだろう。

 

“あー、アレーティアさん。信治君達、動いちゃいました?”

 

“はい、直接出向くからちょっと時間を稼いでほしいと……おのれリリアーナ。段取り決めてたのに勝手に動くなんて”

 

“あー、まぁ後で信治の方がなんか言うだろ。多分あっちも言いたいことがあるんだろうしよ。とりあえずこっちの方が面白そうだしやらせてやろうぜアレーティア”

 

“……んっ。大介がそう言うなら”

 

 すぐにハジメも仲間内でオープンな状態で“念話”を使いながらアレーティアに尋ねてきた。勝手に動かれたことに少し腹が立っていた様子だったが、大介に説得されたことですぐに鎮火する。やっぱり檜山君が絡むとチョロいなと恵里は思いながらも向こうのリアクションを待った。

 

「なるほどそうですか……好都合というものです」

 

 そのトレイシーもアレーティアが一瞬震えたのを見て怪訝な視線を送っていたが、その言葉を聞いてからは口角を限界まで上げて戦意でギラついた目を向けてきた。どうやらあちらもこの親書を突っぱねて欲しかった様子であり、皇女と一緒に来た奴らも驚きや怒りではなく侮りに満ちた視線を向けてきている。

 

「では王国側の返事はいただいたことですし、次の話と参りますわ」

 

「何? まだなんか話すことでもあったワケぇ~?」

 

 するとここでトレイシーが次の話をと切り出してきた。それに対して恵里も一体何を話すことがあるのかと問いかけるが、彼女は一度イルワ達に視線を向けてからこちらを改めて見据えてきた。

 

「単刀直入に言いますわ。貴方達、このヘルシャーに下りなさい。それが賢い選択ですわ」

 

 ここでまさかのスカウトをしてきたこの女の図太さに、恵里は呆れを通り越して感心するばかりだった。ここで自分達に声をかけるとか正気だろうかと思っていると、トレイシーは再度イルワらの方に顔を向けた。

 

「……これはまた大きく出ましたね。トレイシー皇女殿下」

 

「いいえ、当然ですわ――反逆者に与した疑いのある貴方達にとってまたとないチャンスだと思いますが」

 

 グウィンの言葉にさも当然とばかりに反論を仕掛けるトレイシーを見て、この街も呑みこむつもりだなと恵里は理解する。自分達がいたのは偶然ではあったが、これを利用しようという気概なのだろうと考えつつも事の推移を見守ることに。

 

「先程も仰っていましたね。条件次第ではここに残党狩りを派遣すると」

 

「えぇ、そうですわ。その条件はとても簡単。今すぐわたくし達、ヘルシャーにひざまずくこと。裏切らないこと。それを誓うだけですわ」

 

 『本当なら貴方達を奴隷にして確実なものとしたかったのですけれど』となんてことないように付け加えた点から向こうがどれほど本気なのかもよくわかる。

 

 確かに商業で発展している場所を押さえることが出来ればその恩恵は計り知れないだろう。今は泥船もいいところな状況であっても手に入れる価値があると向こうは見ていると恵里は考えた。

 

「もちろん、それは貴女達にも言えますわ」

 

「ハッ、お前のとこの犬にでもなれってか?」

 

「当然でしょう? こうして世界の敵となった以上、首輪の一つも必要でしょうから。鎖が付いていればなおいいですわ」

 

 恭順を誓うのならば命だけは助けてやる、と言わんばかりの態度をとっているこの女を見て内心嗤いが止まらなかった。この女は本気で言っているらしい。こちらの実力を知りもしないでだ。

 

「……へぇ~。じゃあさ、仮に突っぱねたらどうするの? それぐらい考えてるぅ~?」

 

「――それは本気で言っているのでしょうか」

 

 嘲るように問いかければ、目の前の女の表情が一瞬で変わる。目が細まり、上がっていた口角が瞬時に下がる。敵意と怒りに満ちた形相をこちらへと向けて来た。

 

「外にはわたくしヘルシャーの軍勢がいます。今回は大使であるわたくしを護衛する部隊()()()ですが、それでも五百は揃えています。それも精兵揃いをです」

 

 同時に彼女のそばで(はべ)っていた騎士や文官も侮りと敵意に満ちた目つきでこちらを見ている。

 

「わたくしとてヘルシャーに名を連ねる人間です。そこらの雑兵と同じだと思ったとでも?……いかにそちらが腕前に自信があるといえど、これ程質と数が揃った相手に勝てると思っているのならば中々の侮辱ですわね。ハイリヒ王国の軍にどのように勝ったかは存じませんが、それと同じだと思わないでくださることね」

 

 何か一つ弾みでもあれば、即座にこちらの首を刎ねんという程の殺気をこちらに向けてきている。現に一緒に来た冒険者達の方を一瞥すれば各々得物に手をかけようとしており、一触即発もいいところであった。

 

「ふーん。で?」

 

「プッ……戦う前から勝ったつもりとか、笑えて仕方ねぇぜ」

 

「……これ一応、“鎮魂”かけた方がいいかなぁ?」

 

「別にいいだろハジメ。本気でやったところで俺らに勝つとは思わねぇし」

 

「蟻が象に勝てると驕るか。ならばそれを正すのも一興」

 

「あ、あの、流石にここでぶつかったら色々とまずいので、お、抑えてくださいぃ……」

 

 が、この程度恵里達にとってはそよ風と大差ない。今でも時々大介達とケンカしている時のイナバの方がよっぽどマシな敵意を出すぐらいだ。流石にオロオロとした様子のアレーティアが気の毒だから恵里含めて誰も本気でやろうとは思ってはいないが。

 

「……そこまでわたくし達を侮るというのならば考えがあります。ケイトリン」

 

 自分達の態度を見て馬鹿にされたと察したらしいトレイシーは部下と思しき女性の名前を呼ぶ。それとほぼ同時に辺りに高い音がほんのわずかな間だけ響いた。向こうが手を打ったかと思いながらも恵里達はトレイシーからのネタバラシを待つ。

 

「アレーティア、先程貴女はこう仰いましたわね。相乗りしていた三人はどこにいると。これが答えですわ」

 

「合図を出しました。既に三人はこのフューレンの外へと向かっているでしょう。無論、私達をあなどった貴様らは絶対にこの場から出しませんが」

 

 やはり合図をするための道具を使ったかと思いつつも、さらに強くなった敵意を向けてくるヘルシャーの一団を適当に見渡していた。念のため隣にいた浩介を一瞥すると、彼が鼻で笑ったことからしっかりと対処をしたのは確実である。頼れる仲間が既に動いていたのだからあちらの思う通りにはいかないことは自明の理であり、勝利を確信しつつも恵里は『彼女』の動きを待つ。

 

「すぐにでも本陣が動きます。神の使徒などとおだてられて舞い上がってたことを後悔するが――」

 

『なっ!? 何故貴様がここに!?』

 

 相手の口上を適当に聞き流していればにわかに部屋の外が騒がしくなる。遂に来たと確信すると、彼女と一緒であろう信治に向けて恵里達はすぐに“念話”を繋いだ。

 

“遅いよ中野君。鈴に“界穿”使ってもらえばすぐ来れたじゃん”

 

“悪い中村。それと皆。でも姫さんがこっちの手札をバラすなって言ったもんだからよ。それと、『土産』を持ってきたからそれで勘弁してくれ”

 

“そっか。ご苦労様、信治君”

 

 恵里が文句を垂れるとすぐに信治はその理由を聞かせてくれた。それを聞いてそれならいいかと恵里は文句を引っ込め、ハジメが彼に感謝を伝えるのを聞きながら()()が入ってくるのを待つ。

 

『どきなさい。私が用があるのはこの部屋にいる人物です』

 

『なっ!? この者達は――ぐぇっ!?』

 

“んじゃ選手交代だ。後は任せてもらうぜ――俺のリリアーナにな!”

 

 勢いよく扉が開け放たれると同時に二人の影が部屋へと差し込む。それは間違いなく来るのを待っていた二人の存在。

 

「お久しぶりですね、トレイシー皇女殿下」

 

「お待たせー。光輝達と一緒に捕まえといたぜ」

 

 ハイリヒ王国の才援の王女であるリリアーナ、そしてす巻きになった三人の狼藉者を引きずりながら彼女の想い人である中野信治が現れたのである。

 

「まさか……こんな隠し玉を持っていたとは思いませんでしたわ」

 

「……なんのことやら」

 

 ふと恵里はここであることに気付く。す巻きになった奴らを見た時は目をむいた様子だったが、リリアーナの登場にははあまり驚いていない風に見えたのだ。そのことを不可解に思ったものの、これから暴いていけばいいとか考えを切り替えて恵里らは席に座り直したトレイシーの動きに注目する。

 

「久しいですわね。腹黒姫」

 

「……相変わらず私のことがお嫌いのようですね」

 

「相も変わらずその気持ち悪い笑みを見て安心しただけですわ」

 

 しかしトレイシーにリリアーナが滅茶苦茶嫌われてるなと思いつつ、恵里はアレーティアと一緒に席を立つ。それはハジメも同様だったからだ。

 

“ありがとう恵里。信治君とリリアーナさんのために席を譲ってくれて”

 

“どういたしまして。ハジメくんが立ったのもそうでしょ? ならボクだってそうするよ”

 

 リリアーナと信治に譲るためだと察して恵里は動いたのである。“念話”で軽くハジメとやり取りをしながら横に並ぶ。さっきアレーティアが立って大介の隣に座り直したのもここから先はリリアーナへと譲ったからだろう。チラッと見た彼女の顔つきからそう推測しながら恵里は第二ラウンドを見守ることにした。

 

「では改めて続きを話しましょう――ハイリヒ王国はヘルシャーには屈しない。それと」

 

「私達フューレンの冒険者ギルド及び」

 

「商業ギルドもハイリヒ王国、そして“神の使徒”である彼らに協力の意志を示します」

 

 リリアーナが答えると同時に目配せをすれば、イルワとグウィンはそう答える――会談に臨む前、アレーティアから頼まれたことを二人が果たしてくれたのである。

 

 何があっても自分達とハイリヒ王国に味方するとイルワ、グウィンに宣言させる。そしてヘルシャーからの使いにそう伝えてメッセンジャーにすること。流石に皇女が来たのは想定外ではあったものの、アレーティアの描いた絵図が見事形となった瞬間であった。

 

「……正気を疑いますわね。今にも倒れそうな古木に身を寄せると?」

 

「そうするだけの恩義は向こうにあるのでね。それを忘れてしまった商人など一流とは言えませんので」

 

「私としても中立を止めなければならないほどのことをしてもらったと考えているよ。そこまで恥知らずにはなれないんでね」

 

 三つの裏組織に食い潰されそうになっていたのを救ったというのはやはり大きく、たとえヘルシャーを敵に回したとしても構わないという気概がイルワ達から見えた。王国だけでなく自分達にも味方すると言ってのけたのを見て、恵里はどこか胸が温かくなったのを感じ、ハジメ達も感慨深げににそれを見ていた。

 

「なるほど……でしたらわたくしの話も少々聞いていただけませんこと?」

 

「……どうぞ。流石に聞かずに判断は出来ませんからね」

 

 そんな折、ふとトレイシーが妙なことを言い出した。今度は何の話をするのやらと思ってリリアーナ共々身構えていると、トレイシーは勝気な笑みを浮かべながら語り出した。

 

「こちらに来る前に貴族の方々とお話をしましたの。わたくし達ヘルシャーに加わってくださるようお願いしたのと、他に何か変わったことが無かったかと」

 

 ただハイリヒ王国へと行くだけでなく根回しまでしていたことを聞き、確かに取り込もうとするだろうなと思いながらも恵里は相手の動向を見守った。本題はここからだと思ったからである。

 

「立ち寄った家は六つほど。ですがどの家も快くヘルシャーの傘下に下ることを快諾してくださいました――そして、最近アンカジの商隊がやってきたという話も聞きましたわ」

 

 そこで『アンカジの商隊』という単語を聞いて恵里はどこか違和感を覚える。自分達が動いていたことが知れ渡っていたことぐらいは想定の通り。なのにどうしてこの女は口角を上げているのかと軽く気になったからである。

 

「どこからともなく現れた商隊。商売が終わってすぐに行方をくらませた彼ら――おかしいと思いません? 話をした貴族の大半がその商人を調べたのですが結局わからず終まいでした」

 

 一度話を切り上げてからこちらを見てトレイシーはニヤリと笑う。やはり行商の正体が自分達であることは見抜いているのだろうと思った恵里はふとあることが気にかかった。

 

(……まさかコイツ、ゲートホールの存在に気付いてる?)

 

 それはゲートホールの存在が明らかになっているのではないかという懸念だった。もし本当にそれを発見していたのであれば、自分達が自由に動ける範囲以外に移動が出来なくなる。こちらの手札の一つの価値が半減してしまうからである。

 

(いや、でもアレは相当深いところに埋めてたから大丈夫なはず。バレてない、はずだ)

 

 いくら地下深くに埋めているといえど、“隆土昇”などで地面をひたすら隆起させては探すといった方法なら流石に見つかってしまう……が、費用対効果の面からしてもはっきり言って非効率であり、やはりそれはないだろうと判断して話の続きに恵里らは耳を傾けた。

 

「何が仰いたいのですか」

 

「ここからは推測になりますが――おそらくその商人はそちらの反逆者の皆様がた、もしくは息のかかった人間ではないのですか」

 

 そこでトレイシーは大きく出た。思いっきり難癖を吹っ掛けて来たのである。なおその予想が大当たりではあるため、あまり表情に出さないよう恵里達は努める……が、トレイシーのニヤリとした顔を見て一度恵里は周囲を見渡す。

 

“……檜山君。中野君も”

 

“え、バレた?……わ、悪い!!”

 

“あ、俺も? うわすまーん!!”

 

 案の定、腹芸が出来なさそうな大介と信治が思いっきり表情が硬くなっていたため、それでバレたのだろうと恵里達は察する。流石にこればかりは仕方ないと考えつつも恵里は慰めの言葉を考えた。

 

“……後で私と訓練しよう、大介”

 

“え、えっと、信治さんは悪くありませんから!……その、私のわがままで連れてきてしまいましたし”

 

“えっと、その……誰にだって不得意なことはあるよ。気にしないで大介君、信治君”

 

“まぁ、仕方ねぇよ大介、信治。今回は相手が悪すぎた”

 

“月を照らす太陽と王国に希望をもたらした者よ。其方らが輝く場所はここに非ず。なればその真価を発揮出来ぬのも致し方なし”

 

“……まぁ、こうなるのも覚悟した上で檜山君を入れてたしね。それに中野君もアレーティアからの指示の中継役で動いてたのを連れてこられたんだし。それにここから巻き返すのも問題もないよ。多分”

 

“……すまん”

 

“ありがとよ姫さん。あとハジメ達もよ”

 

 流石にこればかりはどうしようもないかと考えながら“念話”出来ない人間以外の皆で慰めの言葉をかける。今回ばかりは相手が悪すぎた。計画が破綻した訳でもないだろうし、皆に合わせて恵里も慰める。

 

「話を続けてよろしいかしら、腹黒姫。貴女のお仲間との悪だくみはもう終わったのでしょう?」

 

「……コホン。悪だくみではありません。それと先程トレイシー様が仰ったことはあくまで推測ですよね? 確たる証拠も無しに言うのは中野様がたに対する侮辱とみなしますよ」

 

「推測とは申しましたけれど、わたくしだけが思っただけではありません。他の貴族の方々とも話して出した結論ですわ」

 

 そこでトレイシーの方から話の再開を促され、リリアーナもそれに応じる形で少し語気を強めながら彼女に意見する。しかしやはりあちらは涼やかな顔をしてペースを崩すことは無い。むしろ獲物が網にかかったといったような表情で持論を更に展開していった。

 

「本来アンカジの商隊は来ない。普段このタイミングで商隊が訪れることはない――貴族の方からその商隊について尋ねてみたところ、そのような答えが返ってきましたわ。であれば、その不審人物ばかりの商隊はそちら側の人間が何かしらやったと疑われても仕方ないと思いませんこと?」

 

(……なるほど。こりゃ完敗だ)

 

 ゲートホールの存在が露見した訳ではない。だが理詰めでこちらを責めてきているのだ。どうして商隊がいたのか、何者なのかを考えに考えて一枚のカードへと変化させてこの場で切ってきた。故に下手なごまかしは大きな隙を作ることにしかならないと恵里は考える。

 

(ったく、本物の交渉ってのはこういうヤツなんだね……あーもう仕方ない。ボクが出たところで下手を打つかもしれないし、あっちがいいって言うまで任せるしかないか)

 

 王族相手はここまで厄介なのかと思いつつ、まだリリアーナからの合図がないことからまだ待つべきかとじっと耐えることにした。

 

「……何を仰りたいのですか」

 

「まず一つ。どの商人も自分達が懇意にしているところがあります。それを無視して勝手に商品を売りつけるということは商人を中心として発展してきたフューレンにとっても無視できない事態であること。そしてもう一つ」

 

 トレイシーの持論を聞き、確かにこれも失点であったと恵里は思った。状況が最悪と言って差し支えないほどであったのと、食糧をトータス中の人達に届けることさえ出来ればいいとしか考えてなかったことが思いっきり裏目に出た形である。

 

 とはいえ根回しなんかしていたらどうにもならないからこそ動いた訳であったし、国からもOKが出たということは決して悪い策ではなかったのだろうと願望込みで考える。

 

「どのような手段かは存じません。が、このようなことが出来るということは各街、各国に好きに戦力を派遣することが可能ということ――ハイリヒ元王国及び反逆者は自由にこのトータスを混沌に陥れることが出来るとの証拠である。そう思いませんこと?」

 

(……なるほどね。これで楔を打つつもりか)

 

 ニィッと口の端を吊り上げながらトレイシーは語る。それを聞いてこの女の真意を恵里は悟った。これで自分達と協力を申し出て来たイルワ、グウィンとの間に亀裂を入れる気なのだと。

 

 そして商人の販路を荒らした点、自分達につけられたレッテル、トータス全土に現れることが出来るという点を以て『反逆者はこのトータス全てに害を与える』と印象操作し、フューレンを取り込むつもりなのだと。

 

「イルワ冒険者ギルド支部長、グウィン商業ギルドマスター。これでもまだ王国と反逆者に味方すると? 今なら()()わたくし達ヘルシャーが救いの手を差し伸べられますわ」

 

 そしてさも『自分達は貴方を信じています』と言わんばかりの態度を示せば簡単に寝返ると。おそらく最初に与すると言った時より不利な条件もつけながら支配下に置く気なんだろうなと思いながら恵里は見ていた。

 

「なるほど。確かに素晴らしい申し出ですね」

 

「トレイシー皇女殿下の言う通りですね。私どもとしてもその言葉には納得せざるを得ません」

 

「懸命な判断ですわ。でしたら――」

 

 自身の言葉を受けて感銘を受けた二人の様子を見たトレイシーは勝ち誇った笑みを浮かべ、侮蔑に満ちた笑みをこちらへと向けてくる。

 

(へぇー、やるじゃん。でもさ)

 

 確かにここまで手を打ってこられたら『普通なら』終わりだろう。もう何の手出しも出来ないだろう。だが――。

 

「ですが、それでこちらが帝国に与するとでも?」

 

「しかし、ただそれだけですね。先程も申した通り、恩を忘れるような三流の商人に成り下がるつもりはありませんよ」

 

(それで勝ったと思ったぁ?)

 

 この程度で彼らの覚悟が揺らぐことがないということを恵里達は確信していた。この程度で向こうが(なび)くと思ったら大間違いだと思いながら恵里は間抜け面をさらしているトレイシーへと目を向ける。

 

「な……なぁっ!? しょ、正気ですの!?」

 

「そちらがそこまで見通しているのであれば仰りますが、このフューレンもいつ潰れてもおかしくない窮地にあったのですよ」

 

「それを救ってくれたのはそちらではなく、“反逆者”と呼ばれ蔑まれている彼らだった。己につけられた悪名を(いと)わず、私達があてがった戦力に寝首を搔く人間がいてもなお協力を惜しまないでくれた……さる筋から彼らは悪人の集まりではないという確証も得ていてね。これでそちらに(こうべ)を垂れたとなれば、その方に顔向けが出来ないんだ」

 

 トレイシーは怒りと驚き、呆然などが入り混じった顔で問い返しているが、グウィンもイルワも物腰柔らかながらも真剣な表情と声色で彼女へと反論している。

 

『あの時の約束、私達に可能な限り協力することを誓えますか』

 

『当然だとも。君達が悪い人間でないことはキャサリン先生と今回の働きで十分にわかったからね』

 

『約束します。たとえフューレン全てを敵に回したとしてもこのグウィン・ブレッドルは絶対にそちらの力になると、いえ、フューレン全てを味方にした上で絶対に協力することを誓います』

 

 ――この会談が始まる前、アレーティアの問いかけに本気でこう答えてくれた彼らが自分達から離れるはずなどあり得ないと確信していた。故に恵里達は疑わなかったのである。

 

「……なるほど。わかりました。よくわかりましたわ。ここにいる方々がどれほど愚かであるかということが」

 

 頭を押さえ、お付きの人間に気遣われながらトレイシーは立ち上がる。もう話し合いの余地は無いと察してこの場を後にするのだろうと見た恵里は半笑いを浮かべながらざまぁみろと心の中でつぶやいた。後はとっととお帰りいただくだけだと思っていると、ヘルシャーの皇女がある提案を口にする。

 

「ヘルシャー帝国に味方するのでなく、むしろ王国に与するとのたまった時点ですぐにでも全員の首を刎ね飛ばすしかないと思いました……が、一つ提案があります」

 

 今度は一体何を言い出すのやらと恵里は冷めた目でヘルシャーの奴らを見つめていたが、続くその言葉に思わず眉が上がってしまう。

 

「この中で腕に覚えのある者がいればわたくしと勝負なさい――もし勝ったのであれば、わたくし達()この街から何もせずに立ち去ることを約束しますわ」

 

 それは唐突な勝負の提案。あまりにも突飛な割には心底どうでも良すぎて、思わず出そうになったあくびを恵里はかみ殺したのであった。




追記
今更ながらタグを追加しました。本当は4月馬鹿の話投稿時にやっとくべきでしたけどね(苦笑)

……あ、そうそう。自分は意識して無駄なことはしませんよ。えぇ。


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八十話 お返しは刺激的に?

ではまず初めに拙作を読んでくださる皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも185833、しおりも428件、お気に入り件数も887件、感想数も672件(2023/10/26 6:57現在)となりました。本当にありがとうございます。こうしてご愛顧してくださる皆様のおかげで自分も張り切って拙作を書くことが出来ています。ありがたい限りです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当に感謝いたします。こうして読んでいただく度に再評価してくださるAitoyukiさんには頭が上がりません。

それでは今回はトレイシーとの対決のお話です。もしトレイシーのファンの皆様が気を悪くしたらごめんなさいね。では本編をどうぞ。


「この中で腕に覚えのある者がいればわたくしと勝負なさい――もし勝ったのであれば、わたくし達()この街から何もせずに立ち去ることを約束しますわ」

 

(寝言は寝てから言ってくれない?)

 

 目の前の(トレイシー)の言葉に思わず出そうになったあくびを嚙み殺しつつ、恵里は心の中でボソッと毒を吐く。

 

(今度は決闘?……大方、ここで実力をアピールしながらこっちの強さを測る気なんだろうけどさぁ)

 

 一瞬彼女の部下がうろたえたことも踏まえ、どうしてそんなことを言い出したのかもやる気が失せた頭で何とか恵里は考える。おそらく独断でこんなことを言い出したのだろうとそれっぽい結論を出し、心の中でため息を吐いた。

 

「特にそこのコウスケ・E・アビスゲート、それとレイモンド達を撃退したと思しきそこの男!……確か中野信治だったかしら? 貴方達との戦いを所望しますわ!」

 

(それにわたくし達「は」って言ってたけど、これあっちがここから出ていくだけで連れて来た奴らをどうにかするとは言ってないよね……本当に面倒くさいんだけどさぁ~)

 

 どう考えてもあちらにしか利がない癖に相手をリクエストしている。面の皮が厚いにも程があると思いつつも恵里は名前の挙がった二人にくぎを刺そうとし、言いたいことをハジメに取られた。

 

“浩介君、信治君も。本気で相手しちゃ駄目だよ。向こうはこっちの実力を知ろうとしてるから”

 

“そうそう。ハジメくんの言う通りだよ。本気でやるだけ損だからね”

 

“あー、そういうことか。適当に“緋槍”でも足元に撃ちこんでビビらせて帰らせようと思ってたんだけどよ”

 

“あの女、居丈高である割には中々に頭が回る……とはいえ、本気でやらなければいいのだろう?”

 

 とはいえ正直考えることすら面倒くさいと思い始めていただけにハジメが代弁してくれたのはありがたかった。彼に乗っかってそう言っておけば案の定、信治はちょろっと本気を出すつもりだったらしいことがわかるし浩介も似たような意見を言っている。その程度ならまぁいいかと思いつつ、浩介には一応GOサインを出そうとすると今度はアレーティアが口をはさんできた。

 

“お二人とも、お願いですから力はひた隠しにするか、普通の人よりは強い程度に抑えておいてください”

 

“どういうこったアレーティア? 思いっきり力を見せてやればアイツらだって尻尾巻いて逃げ出すだろ?”

 

 “念話”を仲間全員に聞こえるようオープンにしていたらしく、全員の視線がアレーティアへと向く。当然彼女もこちらのやり取りは理解しているはずなのだが、それでもちょっとオロオロした様子で止めにきたため、大介と同様に恵里達は疑問符を浮かべていた。

 

“それが問題なんです檜山さん。この後のことを考えると皆さんの実力は上手く隠蔽しておいた方がいいんです”

 

“隠せってか? そらどうしてだよ王女様よ”

 

“先程トレイシー皇女が述べたように、ヘルシャーはかつてハイリヒ王国に貢献していた貴族を取り込んでいるようです……後々、エヒトとの戦いに挑む際にも彼らが怖気づく可能性を少しでも減らしたいんです”

 

“あー、そういうことね”

 

 そこでリリアーナが補足してくれたことで恵里もその意図に気付いた。なるほど、これは腹黒だなんだと言われる訳だと思いながらもまだピンと来ていない面々にそのことを説明しようとする。

 

“今のでわかったのか? 説明頼むわ”

 

“はいはい中野君……まず第一に、ハイリヒ王国に仕えていた貴族はあの騒動のせいで城にいた生き残り以外は裏切った。それはわかるよね?”

 

“そりゃな。んで、それがエヒトとの戦いにどう繋がるかってのがわからねぇんだよ”

 

“簡単な話だよ。何かの拍子に裏切るような奴は土壇場でも逃げ出すってだけ。だから逃げ道をふさぐんだよ”

 

“言い方が悪いってば。恵里”

 

 疑問符を浮かべたままの信治と大介に端的に説明すれば、アレーティアらの言いたいことに気づいた様子のハジメと幸利も苦笑いを浮かべつつも解説してくれることに。

 

“まず貴族の奴らがどうして寝返ったか。まぁ推測にはなるが、大方神の使徒の奴らが吹き込んだんだろう。それがまずリリアーナ姫の懸念してるところなんだろうな”

 

“ここで僕らが力を披露して、相手が尻込みした場合は多分王国側にまた寝返るだろうね。僕達もそこで争ってる余裕はないし、キツい処分を下す気も無い。それがきっと弱点になるとアレーティアさんと王女様は思ったんだよ”

 

“そ。幸利君とハジメくんが言った通り、これがアキレス腱……だとそっちの二人はわかんないか。弱点になるって訳。何かあったら最悪逃げ出せばいいって発想をしかねないから”

 

 三人の説明にほうほうと一応納得した様子を見せる信治、浩介であったが、大介は何かが引っ掛かっていた様子であった。

 

「それで? 一体どちらが相手をなさるのです? あぁもちろん、他にも相手をされたいと申し上げるのであれば誰であっても構いませんわ。ここにいるヘルシャーの精鋭、全員で相手をしてさしあげます」

 

「あ、すいません。ちょっと今立て込んでまして……」

 

「……なるほど。まぁ早く済ませてくれると助かるよ」

 

「あー、すいません……」

 

“いや、ハジメと幸利、中村の説明はわかった。わかったけどよ、じゃあどうしてソイツらが逃げ出すってことになるんだ?”

 

“……その貴族の人達は神の使徒の言葉に(なび)いた。それは大介もわかる?”

 

“そりゃな……あ、もしかしてアレか? どう転んでもいいように向こうが動くってか?”

 

“そうです。檜山さんの仰る通り、ここであちらが言い訳をする余地を残すことで逃げ出してしまう。その可能性を潰します。そのためにもあちらに喜んで与してもらって、後でヘルシャー帝国が派遣した軍と共に撃破する。負けた彼らの生殺与奪をこちらが握ることで、最後の戦いの時に逃げ出さないようにするんです”

 

 こちらが反応しないのが気になったらしいトレイシーとイルワにはハジメと幸利が対応しつつ、疑問をぶつけてきた大介にはアレーティアとリリアーナがしっかりと説明をしていく。それを聞いたことで大介もどうしてそんなことを言い出したのかを理解し、なるほどと首を何度か縦に振った。

 

「立て込んでいる? 待つのは結構ですが、時間稼ぎに付き合う気はありませんことよ?」

 

「ごめんなさい。もう少し、もう少しで終わりますんで……」

 

 なお先程から声をかけているトレイシーにハジメは頭を下げ倒していた。勝手にやってきて、勝手にケチつけて、その上こっちと戦わせろなんていう輩に頭を下げる必要なんてないのに、とイライラを募らせながらも恵里はそれを我慢する。ここで下手につついたら面倒なことが起きかねないためだ。早く説明が終わることを祈りつつ、アレーティア達の方へと意識を向けた。

 

“いや、でもそんなクソ野郎潰しゃいいんじゃねぇか? 先生と中村が作る首輪でもはめてよ”

 

“……その方法ですと、当主だけじゃなくてその配下の人間や兵士達が裏切る可能性も考えて大量に作る必要が出かねません。いえ、おそらく出ます。それだと南雲さんや中村さんの負担になってしまいますから”

 

“アレーティアさんが仰ったのもありますし、何よりその家ひとつひとつ尋ねる必要もあります……後々こちらと矛を構えるのならその時が一番効率がいいですし、それに皆さんには大迷宮攻略もありますからね。こちらのことを気遣ってくださるのはありがたいのですが、信治さん達は信治さん達のすべきことをなさってください”

 

 アレーティアとリリアーナの言葉に、途中で疑問を挟んだ信治共々大介らも納得した様子でうなずいた。やるにしても今の段階では手間なのだ。だから後で一気にやるのが一番効率がいいということである。

 

“ま、そういうこと。だから今は大迷宮攻りゃ――”

 

「終わりました? 終わりましたのね?――さぁ、わたくしと戦いなさい!!」

 

 そこで恵里が今は大迷宮の攻略にかかるべきだと伝えようとした時、我慢しきれなくなった様子のトレイシーが勝負をするよう急かしてきた。それに思いっきり恵里は顔をしかめ、誰にでもわかるように舌打ちをする。

 

「チッ……せっかく人が話をまとめようとしてたってのに、よくもまぁやってくれたなぁ……!」

 

「あら? 目だけで会話でもしてたようですけれど、口に出しもしないで話をされたところで誰が察することが出来るというのかしら? 気でも触れました?」

 

「ぬぐぐぅ……!」

 

 思いっきり眉をひそめながらトレイシーに敵意のこもった視線()()を向けるも、挑発混じりの正論を叩き返されて恵里は余計に苛立つ。流石に“念話”のこともそれで話し合ってたことを語る訳にもいかず、ぐぬぬと顔をしかめるのが精々であった。

 

「まぁこればっかりは仕方がないよ、恵里……落ち着いて。ね?」

 

 そんな苛立ちを露わにする恵里の頭にふと温かい感触が伝わる。ハジメの手だ。優しく髪をなでてくれるおかげで心が段々と凪いでいき、今にも爆発しそうだった怒りが少しずつ落ち着いていく。

 

「……うん」

 

「こんな時にさ、こういう宥め方をしてごめんね」

 

「いいよ。ハジメくんだから許してあげる」

 

「うん。ありがとう恵里……まぁそれはそれとして」

 

 そうやってポンポンと頭に手を置いてはなでられれば、腹の中で燃える怒りの火もすぐにぷしゅーと鎮火していった。我ながらチョロいなーと思いながら彼になでられていると、不意に背筋をぞわりとなでるような感覚が恵里の中を駆け巡った。

 

「トレイシー皇女様……僕の恵里にそういう汚い言葉を使わないでくれます? すっごく不愉快――」

 

「っ!」

 

「“鎮魂”!!」

 

 軽くキレたハジメが“威圧”を使ってヘルシャー帝国の人間全員にプレッシャーを与えようとしたのだ。焦った幸利が“鎮魂”をハジメに使わなければほんの一瞬だけでは済まなかっただろうことは恵里とて察した。

 

「うわ出たー。先生の中村へのクソ重い愛」

 

「これ見るとホントお似合いってのがわかるわー」

 

「……もう、ハジメくんてば。えへへ」

 

 故に笑みがこぼれる。大介と信治から茶化されても自分のために怒ってくれたのがあまりにも嬉しすぎて頬が緩みっぱなしとなってしまっていた。

 

「いや恵里、お前笑ってる場合じゃねぇっての。ハジメのせいで計画おじゃんになりそうだったんだぞ!」

 

「……今の威圧で計画が水泡に帰すところであったぞ。己の伴侶を貶されたとはいえ、時と場合を考慮してくれ」

 

「……ごめんなさい。ちょっと脅すだけのつもりだったんだけど、やりすぎました」

 

「ハジメくん悪くないし。ヘルシャーの奴らが全部悪いし」

 

「えーと、それは……」

 

 大きくため息を吐きながら幸利と浩介が説教すれば、頭が冷えた様子のハジメはリリアーナ達に向けて頭を下げていた。そこで恵里はハジメを擁護するのだが、ここで誰も異論を唱えなかったり気まずそうに顔を伏せる辺り全員そう思ってたらしい。するとトレイシーのそばで侍っていた鎧を纏った男がちょっと震えながらもこちらへと因縁をつけてきた。

 

「ほ、ほう……? 我らを愚弄する、と? そこの頭の軽い女は死にたいようだな? いいだろう。ならこのネイサン・ランディスが相手となってやろう。貴様の死に化粧を私が彩ってやる」

 

「えー……」

 

 声を震わせながら自分を相手に指定してきたため、面倒くさいと思いながらもリリアーナの方へと視線を向ける。するとすぐに彼女も“念話”でそれに答えてくれた。

 

“相手をしてあげてください中村さん。それも力は可能な限り伏せたままで”

 

 またしても無茶振りを要求され、どうしたものかと思っているとふと恵里の脳裏にある作戦が思い浮かぶ。ニィッ、と口元を歪めつつハジメ達の方を見渡し、それからトレイシーの方へと顔を向けた。

 

「嫌な予感しかしないなぁ」

 

「あー、あの顔の恵里は間違いなくヤバいもん思いついた時のヤツだ」

 

「いいよ皇女サマ。それとそこの三流騎士も。ただし、三対三でやろうよ」

 

 その提案にトレイシーは満足気に微笑み、ネイサンとやらは更に視線を強めてこちらを見てくる。どうせロクなことを考えてないんだろうなぁと漏らしたハジメと幸利にちょっとだけムッとしつつも、恵里はトレイシーから視線を外すことなく思いついた作戦の内容を“念話”で明かす。

 

“……うん。まぁ、その……ね? いいとは思うよ? うん……”

 

“ハジメ、あんまり恵里を甘やかすな……いやまぁ、意趣返しには悪くねぇとは思うけどよ”

 

“俺もそう思うけど、ちょっとなぁ……”

 

“……流石は策謀の転生姫、といったところか。いやそれはそれとして結構ヒドくないか? 加減間違えたら死ぬだろ”

 

 なおそれを聞いた男子~ズは揃って軽く引いた様子であった。間違いなく簡単にやれるのだがえげつない方法だし、何より相手のプライドを思いっきりズタズタにしかねないやり口だ。ハジメも作戦の出来は認めたものの、口ごもって目をそらしてしまった辺り正直であった。

 

“どうしてみんな反対しかしないの! あっちのプライドもへし折れるし、ちゃんと加減すれば多分誰も死なないよ!”

 

“うーん、やるのはいいけどよ。実際やって大丈夫なのか? 後々ヤバいことにならねぇ?”

 

“……私は使えると思いますよ、信治さん”

 

“……ん。少し容赦がないとは思いますけど、効果的に見えます”

 

“嘘だろ”

 

“マジかよアレーティア”

 

 ……が、リリアーナとアレーティアに関してはそれに否を唱えることはしなかった。むしろそれでいこうと後押ししているぐらいだ。これには信治と大介もギョッとした様子で相手を見ていたが、どちらも二人をうなずいて見返してから自分の意見を伝えてきた。

 

“ヘルシャーは何より武を、力を重んじる国です。その国の皇女が無様な負け方をしたとなればあちらを怒らせ、冷静な判断能力を失わせるのに使えます。仮にトレイシー皇女が何かを訴えたとしても、あちらが上手に嘘をついた場合でもない限りは皇帝が耳を傾ける可能性は低いかと”

 

“……こんな負け方をした人の話、大介は信じる?”

 

“いやまぁ、その……アレーティアの言う通りだよ。まぁ、使えるのは認めてるけどよ”

 

「よし!……じゃあ皇女サマ、場所を移そっか。悪いけれどもう一人はこっちから選ばせてもらうからね」

 

「構いませんわ――では皆さん、ついてきなさい」

 

 リリアーナとアレーティア二人の王族コンビの説得によりハジメ達も納得せざるを得ず、全員が押し黙ったところを見て恵里は早速決闘をしようかとトレイシーに言う。彼女もウキウキした様子で部下を連れて応接室を後にしていったため、恵里達もまたトレイシーに続いて動こうと立ち上がった。

 

「……ほどほどに頼むよ」

 

「大丈夫、悪いようにはしないから……何その顔」

 

 その時ふとイルワが力なくつぶやく。その一言にちゃんと返事をしたものの、余計に不安そうな顔をしたことに納得がいかない恵里であった。

 

 

 

 

 

「こんなところでやるの?」

 

「えぇ。冒険者ギルドの方にも訓練場はあるでしょうけれど、今は立て込んでいるのでしょう? でしたら外でやった方がいいと思いましたわ」

 

 そうしてトレイシーについていった一行がたどりついたのは入場受付から歩いて数十メートル程のところであった。恵里としても訓練場がヤバいことになるのは避けたかったため好都合である。

 

「あのー、トレイシー皇女様。考え直していただけませんか。その、戦うのやめません?」

 

 が、ここでハジメがおそるおそるといった様子で決闘の中止を提案してきた。この後彼女達がどうなるかをわかっているからこそ口を出してきたのだと仲間の誰もが察している。結果は分かりきっているとしても本当に止めてくれるのなら儲け物、と思いながらも恵里もハジメの行動を止めようとはしなかった。

 

「正直恵里と戦うのはオススメしません。すぐにでも帝国に帰ってくださるならこちらも何もしないと約束します」

 

「……このまま去るというのならどうぞ。それだったら私も止めはしません」

 

 そしてそれは光輝らも同様であった。近くの空き家に寄った際、トレイシーに了解を得てから声をかけ、彼らもギャラリーとしてついてくるよう許可をもらったのである。

 

 帝国の強さを見せつけるまたとない機会だからということで連れてこられた彼らも二メートル程度離れたところから忠告している。もちろん作戦の内容はコッソリ“念話”で伝えてあり、それを良心が咎めたらしい光輝とトータスの人間とあまり関わりたがらなくなった愛子がハジメに次いで口にしたのである。

 

「絶対にロクなことにならないわ。早く荷物まとめて帝国に帰ることを勧めるわよ」

 

「あら、臆病風に吹かれたというのかしら南雲ハジメ? それと天之河光輝に……畑山愛子だったでしょうか? 園部優花も他の反逆者もお黙りなさい」

 

 痛みをこらえるように頭を押さえていた優花も忠告したのだが、それらをトレイシーは切って捨てる。親切から出た忠告を引け腰の姿勢から来るものだと勘違いしたからのようだ。

 

「今更勝負から降りることは許可しませんわ。血湧き肉躍る闘争から逃げるなど、貴方がたには誇りというものが無いのかしら?」

 

 護衛の一人から大鎌を手渡され、それをトレイシーは身構える。見た感じ刃が潰れているようには見えず、実戦に使用する類のものらしい。もしやと思って護衛二人にも視線をやれば案の定、持ってる武器は真剣そのものにしか見えなかった。

 

「一応聞くけどさ、それ本物だよね?」

 

「当然でしょう? 本物の武器を使わずして、魂の底から震える戦いなど出来る訳がありませんわ――さぁ、覚悟なさい。例の噂、本当かどうか確かめさせていただきますわ」

 

 そう言いながら鎌を突きつけるトレイシーの顔は本気であった。戦いを前にしての興奮のせいか、口元がヒクヒクと動き、息遣いもかすかに荒い。その瞳もいつこちらが動くかをじっと見ているかのようにあまりまばたきもしてない様子で、護衛の奴らも既に剣を構えている。

 

「……貴女って人は」

 

「……そうだね、ハジメくん。覚悟決めて」

 

 光輝が怒りを堪えた様子でつぶやくのを横で聞きながら、恵里はハジメに声をかける――三対三でトレイシーらと戦うことになったのは恵里、ハジメそして信治の三人である。信治はあちらからのリクエストもあったし、自分もかかってこいと向こうから挑発を受けていた。残る一人をハジメにしたのは作戦を遂行するのに一番適していてかつ、この世で最も信頼できる相手だったからだ。

 

「いや誰のせいだと思ってるの……もう、仕方ないなぁ……」

 

「諦めろハジメ。とりあえずコイツら叩きのめしてから考えようぜ」

 

「ハァー……そうだね。やろうか」

 

 正直ハジメは気乗りしていない様子であったが、信治の一言で腹をくくったらしい。自分でなく信治の言葉で覚悟をしたことに不機嫌になりながらも恵里もまた自分の杖を構える。

 

「寡兵で王国の軍を破ったその力、どこまでが真実か確かめさせていただきます。では行きましょうケイトリン、ネイサン」

 

 その話しぶりからして、自分達が王国の三千もの兵士やら冒険者やらを打ち破ったことはあまり信じてない様子だ。実際恵里も直接見聞きしなければ自分達のやったことは話半分にしか聞かなかっただろうなと思いつつ、だからこそ都合がいいと内心ニヤつきながら目の前の武器を構える女を見つめる。

 

「御意」

 

「私達栄えある帝国の近衛兵にお任せあれ」

 

 護衛の奴らも一段と深く腰を下ろして武器を構えている。自分達との距離は二メートル足らず、勝負はまず一瞬で決まる。そう考えて恵里も使う魔法をチョイス済みだ。後は審判の役割を任されたメルドの一声がかかるのを待つのみであった。

 

「……では、勝負――開始!」

 

「さぁ、存分に死合いましょう――!」

 

 開始を伝えるその一声と共にトレイシー達は踏み込んでこちらに切りかかってこようとする。その一瞬で十分だった。

 

「“呆散”」

 

「――ごめんなさい。“錬成”!」

 

「――ふぇ?」

 

 “限界突破”なしで最大出力の“呆散”を叩き込まれ、トレイシー達の足元がほんの刹那の間グラつく。その隙にハジメは地面に手をついて“錬成”を行う――対象はトレイシー達の足元であった。

 

「っ! 今の、は……あぁっ!?」

 

「ぇ?……へぶっ!?」

 

「あ?……ぐぇっ!?」

 

 たたらを踏んでトレイシーは何とか耐えたものの、お供の二人はそのまま地面にしたたかに体を打つ。その直後、三人は下へと動く足場と共に地面の中へと消えていった。

 

「はい。じゃあ中野君も手はず通りやってね――“水球”」

 

「やりすぎだと思うんだけどなぁ……」

 

「まぁ姫さんからのリクエストもあるしな。俺はやるぜ。“火球”」

 

 半径一メートル、高さ三メートル程度の円柱状に作られた穴の中に三人を閉じ込めたのを確認すると、恵里は信治に確認を取りながら互いに魔法を発動する。どちらもシンプルな初球の魔法をそれぞれ一つずつ、それを穴の中へと突っ込ませていく。

 

「……ハッ! この程度の魔法で――」

 

「ねーえ皇女サマー、ちょっとしつもーん」

 

 ゴルフボール大の二つの玉、片方は上級魔法“炎天”に準ずる程燃え盛る炎の玉、もう片方はいくらかスカスカな水の玉を下へと向かわせていると、ふと声が下から響く。“呆散”の効果が切れてトレイシーがいち早く我に返ったらしく、早速対応しようとしていた様子だった。そこで恵里はヒョコっと穴に顔を出すと、底抜けに明るい声で彼女に声をかける。

 

「貴女を相手にしている暇なんてありませんわ、中村恵里! 吹き(すさ)ぶは仮初の嵐――」

 

「水蒸気爆発って知ってるぅ~?」

 

 詠唱からして“風灘(かぜなだ)”辺りのようだったがそんなことを恵里は特に気にせず、挑発まがいの言葉をかけてから顔を引っ込めると同時に操っていた水の球を炎の球にぶつける――穴の底から二メートル程度離れた場所で、ボンととてつもない音と共に膨れ上がった水蒸気がトレイシーらを襲う。

 

「ぐぇー!?」

 

「ぎゃぁあぁあぁぁ!?」

 

「ぐぉわぁー!?」

 

 かつてオルクス大迷宮で自分達も食らったあの衝撃と熱波が穴の中を駆け巡った。もちろん大けがをしないよう威力は調整してあったため、軽い衝撃と共に土まみれになってる程度だろう。そう恵里はあたりをつけていた。

 

「な、なぁっ!? き、貴様らー!!」

 

「トレイシー様に何かあったら我らヘルシャーが黙ってはいないぞ!」

 

「あーうるっさい。何? 結局何かあったらそっちがガタガタ騒ぐ訳?」

 

 自分の策がハマって内心ウキウキしていた時、今度は勝負には参加しなかった文官どもが口を出してきた。結局何をしようがケチをつけてくる相手をどうしたものかと考えていると、すぐにハジメが動いてくれた。

 

「あ、お二人はちょっと口出ししないでください。“錬成”」

 

「「のわーっ!?」」

 

 地面に手をつきながら“錬成”を使い、二人仲良く首から下を地面に埋めた。しかも地面をガッチリと固めたらしく、身じろぎしても全然脱出する様子がない。見事な仕事ぶりに『流石ハジメくん』と恵里は誇らしげにうんうんとうなずいていた。

 

「いや中村、お前の手柄じゃねーだろーがよ……さて、こっちもこっちで目ぇ回してんな」

 

「そうだね……流石に一声ぐらいかけといた方が良かったかも」

 

 信治からのツッコミを適当に聞き流しつつ、先に穴をのぞいていた二人と一緒に恵里も顔を突っ込む。もう熱せられた水蒸気が来ることも無く、穴の中を見てみればトレイシーとおつきの騎士どもが仲良く土まみれとなって気絶していた。見た感じ大きな怪我も無いようであり、これなら問題ないかと思いながらも次どうするかと二人に声をかける。

 

「とりあえず目を覚ますまで放っておくとしてさ、どうする? こっから水でも流す?」

 

「鬼か何かかオメーは。リリィから殺すなって言われただろうが」

 

「駄目に決まってるでしょ……とりあえず起きるまで待ってた方が――」

 

“待て、貴公ら。敵が来た。奴らが動いたぞ”

 

 しばらくは目を覚まさないであろうトレイシーらの処遇について話し合ってた時、ふと浩介から“念話”が届く。その言葉が何を意味しているかに気付くのに時間はいらなかった。

 

“動いたんだね、本隊が”

 

“然り。撤収を終え、こちらへと向かってきているのが我の分身が目撃した”

 

“浩介君のことだからもう皆に声をかけてるんでしょ? じゃあすぐ行こうよ”

 

“そうだな。じゃあハジメ、そこでくたばってる奴らは放っといて俺達も行こうぜ”

 

“そうだね。トレイシーさん達に構ってる暇はないし……一旦首から下を埋めたままにして、僕らも対応に移ろう”

 

「いや容赦なさすぎだろ……」

 

 浩介からの報告を聞き、相手が本気だということを知る。またリリアーナが無茶振りをしてくるかもと思いつつ、ひとまず話し合いに移ろうと結論づけて移動することに。なおその際ハジメがトレイシーに対してなかなか容赦ない対応をしたものの、別にいいかと恵里は無視してすぐに遠巻きで見ていた光輝達と合流しに向かうのであった。




あま役ちょっとウラ話

実は今回トレイシーに対してやるのは本当はもっとえげつないものの予定でした。

・今回の話同様穴に落下させ、ハジメに頼んで穴を鉄でコーティング。
・穴に思いっきり水を流し込んだ後、穴のへりで熱した水を流し込んで穴の水をお湯にさせる。
・その後熱した石が大量に入ったカゴを落として水蒸気を立ち上らせて疑似サウナ状態。

これをやって戦意喪失させるつもりだったんですが、これちゃんと可能なのかなと思いながら軽く計算してみたら普通に無理だったんで今回は水蒸気爆発での気絶という形となりました。あと元のヤツだと信治達の反応ももうちょい辛辣になってたり。

あと本当はバイアスまわりもササッと片付けるつもりだったんですが、いつもの如く字数が膨れ上がって無理でした(しろめ)


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八十一話 望まぬ来客のあしらい方

それではまず拙作を読んでくださる皆様への惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも186904、しおりも429件、お気に入り件数も889件、感想数も676件(2023/11/2 17:05現在)となりました。本当にありがとうございます。自分がそこそこのペースで投稿出来ているのも皆様がこうしてひいきにしてくださるおかげです。毎度毎度ありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、トリプルxさん、ゲンさん、拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。こうして考えに考えて書いた話が評価されると手ごたえを感じて嬉しくなります。ありがとうございます。

では今回の話を読むにあたっての注意点としてちょっと長め(約11000字程度)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「撤収急げー!」

 

「マック隊全員揃いました! これより隊列に加わります!」

 

「未だトレイシー様のご帰還なし!」

 

 トレイシーが商業ギルドに入って話し合いを始めた頃、中立商業都市フューレンより東に一キロほど先にあったヘルシャー帝国の天幕はひどく慌ただしい様子であった。蜘蛛の子を散らすかの如くそこかしこを兵や文官が走っており、それらに檄を飛ばしているのは皇帝に次ぐ存在のバイアスである。

 

「遅ぇ!!……ったく、チンタラやってんじゃねぇぞお前ら!! これからフューレンへ向かうんだからなぁ!」

 

 本来トレイシーの護衛としてつけられた兵二百も含めて動員させており、しかも彼にあてがわれた副官を通さずに指示を出す始末。無論、副官は止めようとしたものの、バイアスの放つ鋭い眼光と皇帝に次ぐ程の荒々しい殺気で言いよどんでしまったのだ。

 

「……バイアス様。まだトレイシー様は戻っておりませんが」

 

 下手に刺激したら殺される。血に飢えた凶悪な魔物と錯覚するほどのオーラをこの皇太子は放っている。だがそれでも聞かねばならないと今度こそ意を決して副官のネビルは(いさ)めた。フューレンへと向かったトレイシーがまだ戻ってないと。部隊を動かすには早いと。だがバイアスは鼻を鳴らすだけで特に堪えた様子も無く、ただネビルの方に体を向けた。

 

「それがどうした? トレイシーの奴を()()()()()部隊を進めるだけだろうが」

 

 それが言葉通りでないことはバイアスの吊り上がった口元とギラついた瞳から嫌でもわかる。やはりこのお方はフューレンを攻めにかかり、陥落させるつもりなのだと。貿易の要所であるあの街を破壊するには惜しいと考えた副官はすぐに己の意見を述べようとする

 

「確かに仰る通りです。ですが、フューレンには……フューレンには()()価値があります。それは今すぐ――」

 

 が、ネビルの必死の訴えは彼の首元に添えられたサーベルの刃によって止まる。首こそ刎ねられなかったものの、薄っすらと血が首を伝っていくのを感じながら命拾いしたとネビルは直感した。

 

「アイツもヘルシャーの人間だ。奇襲程度で死ぬならその程度だろうが。それに――」

 

「それに、何でしょうか……?」

 

「奴は俺に部隊を預けたんだからな。物資提供のために立ち寄ったヘルシャーの皇女をすぐに戻さねぇあの街に責任ってもんがあるだろ? ならそれは取ってもらわないとな」

 

 ――トレイシーが出立する前、彼女はあることを伝えていた。それは自身が戻るのが遅かった場合は死んだと思って好きにしてほしいと。『物資の補給をするため』という建前も伝えてからフューレンへと向かうのをネビルも見ている。だからこそわかるのだ。目の前の男は理由をつけてあの街を滅ぼそうとしているのだと。

 

「アンカジとの同盟締結だけで足りるかよ――いずれヘルシャーを、トータスを統べる存在である俺がその程度で終わっていい訳がねぇ。圧倒的な戦果を挙げる。それに、だ」

 

 今バイアスの口から紡がれた言葉でさえも建前に過ぎない。そのことはヘルシャーに仕えている人間にとっては半ば常識のようなもの。その血に塗れた本性がまた姿を現すであろうことをネビルは感じ取っていた。

 

「こうして攻めれば俺に盾突いて反抗するよなぁ……大義名分を得ながらにして(なぶ)れる。そして屈服させられる。こんな愉しいことがあるか」

 

「……御意」

 

 人の上に立つものとしてあまりに残忍で狡猾なその性根。この者がいずれ新たなる皇帝となることへの一抹の不安を抱きながらもただ、ネビルは従う他無かった。

 

 

 

 

 

「向かってくるヘルシャーの者達は残りの五百全員。皇女の奪還に者共が動いたかもしれん」

 

「そうだといいのですが……では皆さん、改めてお願いを」

 

 浩介の言葉にリリアーナは何か引っかかるものを覚えた様子であったが、かぶりを振ってすぐにこちらに頼みこんできた。

 

「叶うことならば今回もこちらの力を上手く隠したまま対応していただければと思います……ですが、それで無力化となると皆様は可能でしょうか」

 

 その言葉に恵里だけでなくハジメも光輝達も渋い表情を浮かべている。ハイリヒ王国の混成軍をどうにか無力化で済ませることが出来たのもあくまでこちらの持てる全力を使えたことが理由だからだ。高い機動力を確保できる車にバイク、それに切り札であった“崩陸”で敵の足場を崩して“纏雷”で気絶させることが出来たからこそ誰も死なせずに済んだのだ。それを封じられた状態でやれと言われても恵里達は渋い顔をするしかない。

 

「……すまない、リリィ。いくら俺達でもそこまで限られた状況じゃ殺さずなんて出来ない」

 

「天之河君の言う通りでしょうね。彼らだってあの時は使える手段が限られてなかったんです。それにあの方法を思いついたのは偶然に近いものです。そのおかげでお互い無傷で退けることが出来たんですから」

 

「……流石にそれだと皆さんもやれることが無いです。何かしら解禁してくれないと」

 

 さっきから雫に心配そうに見つめられていた光輝は苦々しい表情を浮かべてリリアーナの頼みを否定するしかなく、無理だと述べた愛子とアレーティア以外の皆も口には出さないだけで同様であった。

 

「……でしたら仕方ありません。可能な限り相手にとって不可解な状況に追い込んだ上で無力化するか追い返してください。ヘルシャーに与するであろう貴族に相手にされないような負け方をさせる。それだったら、可能でしょうか?」

 

 そこでリリアーナがやはりといった様子でため息を吐きながらも表情を改める。そうして新たな条件で撃退するよう言ってきたが、それならどうとでもなるかと思って再度考えを巡らせていると重吾が先に口を開いた。

 

「だとしたら……天之河、お前達が使った地面を柔らかくする魔法は? それとお前達が流す電撃で撃退自体は出来るはずだ」

 

「柔らかく……流砂か。確かにそれはやれるけれど、出来ればヘルシャーとの決戦の時までとっておきたい。永山達もすぐに対策してただろ? なるべく温存しておきたいんだ」

 

 彼が思いついたのは“崩陸”による敵の足場を崩してからの“纏雷”での電気ショックによる気絶であった。確かにこれは今回でも有用である可能性はあったものの、この方法がバレてしまうことだった。ハイリヒ王国の軍との戦いはそこで勝利すれば良かったから問題なかったものの、今やってくる部隊を後で帝国に戻すとなればそれへの対処がされてしまう可能性がある。故に光輝は渋ったのだ。

 

「じゃあどこでも〇アでヘルシャーに戻すのは? あの神代魔法は何人も使えるんだろ?」

 

「ごめん、野村君。悪くは無いとは思うけど、適性が高くないとあまり大きくゲートを開けないからやれるのは私とアレーティアさんだけかな。それにイメージ出来る場所じゃないと繋げられないし、入らなかったらそこで終わっちゃうしね」

 

 次に健太郎が“界穿”でヘルシャー帝国へと戻すことを提案したが、そこはアレーティアに近いレベルで空間魔法に適性があった鈴が答える。

 

 特にネックなのがゲートの大きさであり、鈴とアレーティアでもなければ軍一つを呑み込むようなものは使えない。それに相手が入らなければ無意味だし、展開するタイミングが悪ければ取りこぼす可能性もある。それ故にあまり鈴は気乗りしなかったのである。

 

「確か遠藤君もその神代魔法は使えるはずですよね? 今発動している技能と並行して無数に入り口を作るのは?」

 

「無論、世界を繋ぐ扉は我も使える……が、まぁ流石に巨大な門とするにはいささか適性が足らなかったがな。せいぜい人間一人入れば十分といった程度だ。それと真なる我が明らかになれば今後の計画に支障をきたすだろう」

 

「浩介君無数に並べてゲートで飛ばす、ってのもそこまで実用的じゃないね……それに本人が言った通り無数に増えるのがバレたらあっちも尻込みしそうだし。てか、どこへでも行き来出来る魔法の存在だけでも皆ビビるでしょ」

 

 そこで愛子が別の案を出したものの、浩介も苦々しい表情でそれを否定する。彼の空間魔法の適性が人並よりはちょっと高い程度でしかないし、それを補おうとして数を増やすとなれば当然“深淵卿”の存在がバレる。

 

 恵里もそれが浮かび、これは流石にまずいと思って言及した。無数に数が増えること、そしてそれ以上にどこへでも現れる魔法がバレてしまったら離反した貴族が日和見を決めるかもしれないのだ。浩介に頼る案も“界穿”を使うのも厳しいかと思った矢先、ハジメがおそるおそるといった感じで手を挙げた。

 

「えっと、じゃあ皆。“魄崩”を使って戦意をくじくってのはどうかな?」

 

「んー。悪くは無いんだけど、さ……ちょっと問題があるかな」

 

 一体どんなアイデアだろうかと恵里は軽く前のめりになりながらハジメのそれに耳を傾ける。それを聞いてなるほどと恵里は思ったものの、それだけでは決め手に欠けると考えてそれを通すにはどうしたらいいかと考えた。

 

「なんだその魔法? 横綱っぽい響きなんだけど」

 

「いやそういうのじゃなくってだな……俺達が神山で習得した神代魔法の内の一つだ。相手の魔力とか体力、そういったもんを攻撃する魔法だよ」

 

 この魔法の名前の名前の響きから仁村明人がある力士を思い浮かべたが、それを龍太郎が訂正。それについての大雑把な説明をする。それを聞いて習得出来なかった重吾達は悲しげにうつむきながらも納得したような様子を見せる。神山のコンセプトである『神に靡かない確固たる意志を有すること』を満たせなかったことを思い出しているのだろうと恵里は考えつつも、ハジメが提案してくれた方法がどうやったら使えるかと頭を悩ませる。

 

「“魄崩”か……そうだな。魂魄魔法に適性の高い恵里とアレーティアさん、幸利に俺、後は雫と浩介だったらやれるとは思う」

 

 それはこの魔法にも難点があるからだ。先程龍太郎が述べた通り、“魄崩”は対象の魔力、体力、精神、そういった目に見えないものを攻撃する魂魄魔法のひとつである。ハジメがこの魔法を使うことを提案してきたのは相手の精神、戦意喪失を狙ったのが理由だろうと恵里は結論付ける。

 

「けど、問題は発動する際に必要な明確なイメージと何より強い意志だな。そうじゃないと戦意だけを飛ばすのは厳しいんじゃないか」

 

「そうだな。ハジメがやりたいようにやるとなるとアーティファクトを幾つも作って持たせた方がまだマシってぐらいだろ。それだってどこまで時間があるかだな」

 

「そう、だね……ちょっと厳しいか」

 

 だが光輝が言ったようにこの魔法の特徴であり難しいところは『見えないものを攻撃する』という点だ。簡単に言えば絶対に他の一切を傷つけずに攻撃したい箇所だけを狙うという明確にして迷いのない意志が必須なのである。そうでない場合、他の部分にもダメージがいったり、その分威力が分散してしまう。

 

 そのためハジメの案をそのまま通すのであれば、幸利の言う通りアーティファクトの製造にかかった方がいいのだ。しかし今の状況を考えると現実的ではないとわかり、ハジメもため息を吐いている。

 

「幸利君が言ったこともそうね。後は……ある程度近づいてやらないと。“気配遮断”があるから大丈夫だとは思うけれど、何度も相手の意志をくじいているときっと警戒されるし、何かされたってわかると思うわ」

 

「南雲さんの案は悪くないと思います……でも、天之河さんと八重樫さんが言った通り幾らか難点があります。相手を敗走に追い込むには少し厳しいかと」

 

 そしてこの方法は他にも問題を抱えていた。雫が述べたようにやればやった分だけ相手が警戒するということだ。十分な効果を発揮させるのであれば一度に一人ずつが一番いいため、その分手数が多くなってしまうのだ。そのため一瞬で全員を恐慌状態に陥れるというのは厳しく、雫の言葉にアレーティアも補足したのである。

 

「“魄崩”を使って戦意をくじくってのは悪くないと思うんだけどね……こう、一気にパパーっとやれるのないかなぁ」

 

「それが出来るんだったらお前がいの一番に思いついてるだろ、恵里」

 

「後でエヒトと戦うこと考えると傷つけるなって話だろー? あー、面倒くせぇ。俺とアレーティアさんでよ――」

 

「私達を放置しておいて、一体何の話し合いですの?」

 

 恵里としてもハジメが出してくれた案を無駄にはしたくなかった。決して悪くないアイデアなのだが、龍太郎の言うようにそれを活用できる方法が思いついたのならそれをしれっと口にするなりハジメに伝えるなりしている。さてどうしたものかと頭をひねりつつ信治の思い付きに一応耳を傾けようとした時、軽く苛立った様子の女の声が不意にこの場に響いた。

 

「あ、土かぶり姫」

 

「誰のせいだと思ってますの!!……いえ、負けた人間があれこれ言うのは間違っていますわね」

 

 もしやと思って振り向けばトレイシーと彼女のお付きの奴ら七人がそこに立っていた。それも全身土まみれの状態で。そこで恵里が嫌味をぶつけてやれば軽くヒステリーを起こしたものの、すぐに冷静さを取り戻してこちらを値踏みするような視線を向けてきた。

 

「先程の決闘はわたくし達の負け。それは認めましょう。ですが、それでヘルシャー帝国に勝利したと思わないでほしいですわ」

 

「それでしたらトレイシー皇女、貴女と共に行軍していた部隊がこちらに向かっている様子ですがどういうことかご説明願えますか?」

 

「さぁ。わたくしを迎えに来る可能性もある、とだけ伝えておきますわ。腹黒姫」

 

 トレイシーの言に同意するように彼女の他の護衛の奴らも侮りと敵意の混じった視線を向けている。そこでリリアーナが探りを入れるも、彼女は意味深な返事をするだけでこちらを興味深そうに見つめるだけ。やはり向こうが動くことも視野に入れていたのだろうと推測していると、あぁそうそうとトレイシーが更に情報を明かしてきた。

 

「ですが敗北した身ですし、もしこちらに来るとしたならは誰が率いているかぐらいは教えます――バイアスお兄様、バイアス・D・ヘルシャーが残る五百を率いているでしょうね」

 

「と、トレイシー様!?」

 

 その言葉にリリアーナの表情が強張った。そんな彼女の肩に信治が手を置いたのを見つつ、結構ろくでもない奴なんだろうなぁと恵里は考える。普段ここまで表情が固くならない彼女がこうなっているのだ。色々と問題があるんだろうと思いつつ、部下から諌められているトレイシーへと恵里は質問を投げかける。

 

「何故明かしたのです! 反逆者ごときにそこまで情報を渡さなくとも!」

 

「あら? わたくし達は負けたのですよ? それも一方的に。それに――」

 

「ふーん。じゃあしつもーん。そっちのお兄さんってことは皇族の類でしょ? どうして一緒に動いていたわけ?」

 

「お答えしますわ。バイアスお兄様もわたくし同様、ある『国』への使者として行動していたからですわ。そこまで言えばおわかりでしょう中村恵里?」

 

 その答えに恵里だけでなく皆も納得したようにうなずいたり、口々につぶやきを漏らす。

 

「そうか。アンカジが目的で……」

 

“……おそらく国に赴いて対ハイリヒ王国同盟を締結するのが狙いだと思います”

 

 アレーティアが導き出した結論に恵里もまたたどり着いていた。トータスで他に『国』と称されるのはアンカジ公国しかないし、他は各国に仕える貴族の領地とのこと。トータスの地理についてメルドから雑談代わりに聞いていたこともあり、また当の本人も『なるほど……ならつじつまが合うな』と納得している様子であった。

 

“なぁリリアーナ、帝国からここまでこんなに時間がかかるもんなのか? 妙にチンタラしてた気がするんだけどよ”

 

“正確な距離を把握している訳ではありませんが、概ねそうです。フューレンの外で待機していた兵士達も護衛と考えればつじつまが合いますし、それらの兵の動員や再編、そして行軍にも時間はかかります。これでもかなり急いでやったものかと”

 

 そして信治がヘルシャーの部隊の進軍の速さについてリリアーナに尋ねたが、現地の人間であり王族である彼女は急いで部隊を動かしたとのではと推測している。こういった動きとなると流石に恵里もわからないため、リリアーナの言葉を信じるしかなかった。

 

「また空か何かをながめながら考え事をしているようですわね。それは結構ですが、早くしなければバイアスお兄様率いるヘルシャーの部隊が到着しましてよ?」

 

 煽るように言ってくるトレイシーに軽くイラっとしつつも、恵里はこちらへと来るヘルシャーの奴らへの対処を考える。ハジメが言ったように戦意をくじくというのは決して悪い訳ではない。だがハイリヒ王国に仕掛けに行った時と違って使える手法が限られているし、段々と時間が無くなっていっている。

 

(何か……何かないか。こうなったら人数だけ集めて上級魔法を撃つフリをして、それで死なない程度か回復して戦う気をなくす……ダメだダメだ! こっちの強さが相手に伝わりすぎる!)

 

「さて、反逆者の皆さん。たとえわたくし達に勝利しても、実力あるヘルシャーの人間に勝てると思っているならそれは大間違いですわ」

 

 実力差があり過ぎるが故に良い案が中々浮かばず、内心焦っているとトレイシーが勝ち誇った様子でこちらへと大言壮語を吐いてきた。

 

「バイアスお兄様は上に立つ者としてはともかくとして、実力は相当のものです――そのお兄様が率いるヘルシャーの軍は決して弱くなどありません。先程私達にしたような小細工を弄した程度で勝てると思ったら大間違いですわ」

 

「……あなたはそのお兄さんが連れてくる軍が勝利すると確信しているんですね」

 

「それに関しては答えかねますわ……ただ、五百もの数をどうやって捌くのかをここで見届けさせていただきます。それぐらいは構わないでしょう?」

 

 愛子にそう尋ねられ、土ぼこりまみれになりながらも自信満々に言うトレイシーの姿を見た恵里は軽くあっけにとられる。もう苛立つ以前に『あ、これフラグじゃん……』と考えてしまったからだ。自分と相手の実力差が全然わからなかったが故にイキッてるのを拝んでしまってある種の感動を覚えてしまったからである。

 

「……ひとつ聞かせてくれ。そっちは()()の兄が絶対に勝つと確信しているのか」

 

 ただ、問いかける際の言葉遣いと声のトーンからして光輝は本気で怒っていたようだが。さっきトレイシーと三対三で戦おうとしてた時も怒りを堪えた様子だったのを思い出し、戦うことに楽しみを見出すこの女が許せないんだろうなと恵里は察した。

 

「こ、光輝、ダメ……ダメよ……!」

 

「っ! ご、ごめん雫……」

 

 そのせいなのだろう。雫が妙にうろたえた様子で彼にすがりついており、そんな彼女の様子に気付いた光輝も慌ててなだめようとしている。妙に雫の情緒がおかしいことに気付いてはいたが、それは今は光輝にやらせておくしかないと委ねて恵里はトレイシーの話に耳を傾けた。

 

「何を言うのかと思えば……まぁ私達に勝利したように上手く策を弄する才があるか、偶然が何かが起きれば勝利するのでは? どうやってヘルシャーの兵に勝利するか、それを見定めたいと思っているだけですわ」

 

 その一方、問いかけられた当人は余裕の表情でこちらの手の内を見ようとしている。改めてイラっときた恵里は早速皆にアイデアを募ろうと“念話”で声をかける。

 

“もう、なんかない? あそこのもう勝った気でいる皇女サマの鼻を明かせるやつ。もうこうなったら本気でビビらせて逃げ出させるようなの考えようよ!”

 

「恵里ってばぁ……」

 

「そう言われたってすぐに考え付く筆頭の中村が思いつかないんじゃ無理があるだろうが! 俺らだって真剣に悩んでるっての!」

 

「っ……ごめん」

 

 その言葉にハジメが呆れ、礼一も頭をかきながら軽く怒鳴り返す。声を荒げて反論したことに苛立ちそうになったものの、礼一の真剣な表情を見て恵里はポツリと謝罪した。誰もが必死なのだ。どうにかやれる方法がないかと絞り出そうとしている様子を見て見当違いな怒りを抱いたことに気付いたからである。

 

“あー、さっき言いそびれたけどよ、俺とアレーティアさんとで“炎天”使っておどかすのは? なるべく被害は出さないようにしてよ”

 

“その……駄目です、中野さん。当てる気のない攻撃はまず相手に見抜かれます”

 

“じゃあ私とアレーティアさんで“冷結”を使って追い払うのは? 斎藤君にも手伝ってもらってエアコンみたいに冷たい風を吹かせて、体が冷えてあまり動けなくなるぐらいまでやればきっと逃げ出すよね?”

 

“えあこんというのがどういうのかは存じませんが、悪くは無いと思います。けれど宮崎さん、“冷結”は水系魔法の上位の氷の魔法ですし、その冷気をこの平野一帯に放つとなると斎藤さんの使う魔法もかなり強力なものを使わないと厳しいかもしれません。向こうに実力が露見する可能性が高いのでそれは流石に承服しかねます”

 

“……いっそ全員殺しては? 私が技能を総動員して仕留めますので、白崎さんと谷口さんは治癒魔法で傷を癒してください。後は魂魄魔法で魂を与えて――”

 

“やめてぇ! 愛……ちゃん、そんなことしないでよぉ~! お願いだからぁ~!”

 

“畑山先生まで……数が多いのに力を出せないし、どうすればいいの恵里ぃ……”

 

“ホントにそうだよ、もう……!”

 

 全員で色々と相談するも、必ずどこかしら引っ掛かってしまう。全力を出すにしてもあまり悟られないよう工夫する必要がある。その縛りがキツすぎるせいでもうヤケになった愛子が全殺しからの死体を操作すればと口にして妙子らに止められる始末。頭を抱える鈴を見て、かつて前世? で暗躍してた時と似てるようで違う状況に恵里はただ頭を悩ませるばかり。

 

「もう時間がありませんというのに……先程錬成と初級魔法の組み合わせでわたくし達に勝利したのと、かのハイリヒ王国三千もの軍を撃退したと聞いて期待していたのですが」

 

「しょせんまぐれで勝ったようなものでしょう」

 

「やはり真正面から相対してハイリヒ王国に勝利したなど、所詮尾ひれのついたうわさでしかなかったということか。なら先程の勝利も偶然でしょうな」

 

「チッ」

 

 そして外野からの一方的なヤジに、恵里はあちらに聞こえるぐらい大きく舌打ちをする。本気を出せるなら灰すら残さず消し飛ばせるハエごときがうっとうしく絡んでくるのが面倒になったからである。

 

(ったく、好き放題言ってくれて。こっちだって本気が出せれば……うん? どうしたんだろ、香織)

 

 取るに足らない相手とはいえ、真剣に考えてる時にヤジを飛ばされれば流石に気が散ってしまう。全力さえ出せればと心の中で負け惜しみを漏らした時、ふと変に体を震わせていた香織が視界に入った。

 

“どうしたの香織? いきなり顔青ざめさせてさ。“鎮魂”いる?”

 

“う、ううん……その、ね。ちょっと昔のこと思い出しちゃって”

 

 何かを思い出して怯えたような感じの香織に声をかけるが、本人は引きつった笑いを返すだけであった。オルクス大迷宮でもあそこまで怯えたことなんて無かったし、あんな無理した笑いはアレーティア周りのこと以外では()()()無かった。だがあの様子は前に一度見たことがあったような気がしたのである。

 

“んー……いつ頃だったっけ。ずーっと前に見たことがあったような……”

 

“言ってみろ、香織。ちょっとは役に立つかもしれねぇから。な?”

 

 それも大分昔だったようなと思い返していると、龍太郎に促されるまま香織はその理由を語ってくれた。

 

“その、ね……恵里ちゃんの皆でおどかす、ってのを聞いてついお化け屋敷に入った時のことを思い出しちゃって……うぅ、やっぱり怖いよぉ……”

 

 それを聞いて恵里もようやく腑に落ちた。小学生の頃、幼馴染~ズ&親~ズで一緒に遊園地に行くことがしばしばあり、その際に一度だけ皆でお化け屋敷に入ったことがあった。その時の香織の様子を思い出したからである。

 

 本物のお化けも“降霊術”のおかげでよくわかっていたし、何ならゾンビも恵里にとってはなじみ深いものだった。後は戦いの経験があったことから突然お化け役の人が現れても特に何ともなかったし、むしろビビりながらも自分のために奮起するハジメを見て微笑ましく感じてたぐらいである。

 

“……今でもダメなのかよ。ってか魂魄魔法で――”

 

“駄目。言わないで龍太郎くん。やっぱり怖いのは怖いもん。だっておばけなんだよ?”

 

 当時の香織は父の智一の反対を押しのけて龍太郎とペアで入ったのだが、終わった後もずっと龍太郎にしがみついて離れなかったのだ。それも涙と鼻水を垂れ流して怯え切った様子で。

 

 妙子も入った後にこの世の全てを憎むかのような目つきになったこともあり、以降はお化け及びお化け屋敷はタブーとなったのだ。しかし魂魄魔法を覚えた今でもダメなのかと恵里は呆れてしまう。

 

 苦笑する龍太郎になだめられる香織とうんうんとうなずく妙子を見て頭痛を感じていたが、ふと彼女の脳裏にあるイタズラが浮かんだ。それもこの状況において最適だと思えるようなものをだ。

 

「――ねぇねぇ皆、ちょっとやりたいことがあるんだけどい~い?」

 

「嫌。恵里のお願いでもぜぇ~ったいイヤだからね!」

 

「……恵里っち、妙子っちと香織っちがすっごいイヤがってるけど。やめといた方がいいんじゃ……」

 

「いやまだ何も言ってないんだけど……」

 

 それを口に出そうとした途端、妙子が奈々にしがみついて震えながらノーを突きつけてきたし、香織も言おうとしたことに気付いたのか首を勢いよく横にブンブンと振っている。二人の妙な勘の鋭さにため息を吐きたくなりながらもまぁいいかと思い直し、先にトレイシーの方へと言葉をかける。

 

「ねぇねぇ皇女サマ、ちょっ~と話があるんだけど」

 

「何ですか中村恵里。わたくしを失望させた貴女がたの話に、まだ耳を傾ける価値があるとでも?」

 

「ふ~ん。言ってくれるじゃないのさ――じゃあ特等席でショーを見せてあげるよ。お代は結構だからね。“縛岩”」

 

 愉快気に口元を吊り上げながらトレイシーに声をかけるも、彼女は心底冷めた目でこちらを見てきたため恵里は思わずカチンときた。そこで思い付きを実行、彼女達にも見せつけるべく恵里は“縛岩”を発動。トレイシーら一行を全員雁字搦めにしていく。

 

「こ、これは……! やはり貴女達、実力を隠して――もがぁ!?」

 

「あーうっさい。せっかく人が親切にしてあげようとしたってのにさぁ。ま、いいや」

 

「いや良くないって……流石にトレイシー皇女様もかわいそうだよ」

 

 口元まで細い岩の鎖で容赦なく塞ぎ、ミノムシ一歩手前の状態で地面に横たわらせる。その際鈴が大いに呆れた様子で文句を言ってきたが恵里は知ったことじゃないとはがりに聞き流す。そしてハジメ達の方へと振り向いて思いつきを語った。

 

“それじゃあ改めて言うけど、皆でショーをやろうよ。それもこの平野一帯を貸し切ってさ”

 

“あー、恵里。その、さ……前世で大得意だった技能を使うやつかな?”

 

“片っ端から色んなのを呼び覚ましたりとかするヤツだよね。すっごい罰当たりなことをするヤツだよね?”

 

「二人ともさぁ……まぁいいや」

 

 先の香織との話を聞いて思い至ったのだろう。ハジメと鈴からの問いかけを聞いて既にこれからやることが既にバレてることにやや意気消沈しながらも恵里は口にする。

 

“じゃもう一度言うね――特大のお化け屋敷、やらない?”

 

 その一言に香織と妙子はヒッと短く悲鳴を漏らし、他の幼馴染の皆や大介らも呆れた様子でため息を吐いている。重吾らも唐突な提案に『お前は何を言ってるんだ』と言わんばかりの顔で見つめ、現地人であるメルドとアレーティア、リリアーナだけがその言葉の意味を理解出来ずにただ首をかしげるだけであった……。




次こそは、次こそはヘルシャーの使者来訪関連の話もケリがつく予定です! マジでそうなって!(願望)


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幕間四十七 対応の差

それでは拙作を読んでくださる皆様がたへの感謝の言葉を述べさせていただきます。
おかげさまでUAも187600、感想数も680件(2023/11/5 18:06現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして読んで下さる皆様への感謝の念が止まりません。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠に感謝いたします。おかげさまでこの短期間で書き上げることが出来ました。ありがたい限りです。

では今回の話を読むにあたっての注意点としてやや長め(約13000字程度)となっております。それに注意して本編をどうぞ。


「バイアス様、もう少しでフューレンに着きます」

 

 フューレンの東およそ三百メートル、ヘルシャー帝国の部隊は既にそこまで商人の都市まで迫っていた。

 

「やっとか。騎兵だけで突撃をかけられたのならもっと早く行けたってのに」

 

 部隊を構成しているのが騎兵、各属性の術師、歩兵と弓兵であったため、バイアスを含めた全ての騎兵が速さを合わせる必要がある。

 

 仮に機動力の高い計二百の騎兵だけで突撃をかけても、フューレンの街を縦横無尽に駆け巡るのがせいぜいだ。攻城兵としての面を持つ術師がいなければ侵入経路は限られ、騎兵よりも制圧に適した歩兵と弓兵がいなければ抵抗する輩や逃げ回る民衆を鎮圧させるのも厳しいだろう。その程度のことはバイアスとてわかっていた。

 

「だがようやくだ。あと少し進むだけでフューレンを俺のものに出来る」

 

 だからこそ抑えていた。中立だなんだとお高くとまっていたあの街を襲い、徹底的に嬲った後でヘルシャーの末席に加えさせる。そうするために兵を進めるのだと堪えていたのだ。あと二百メートルも進めば術師達の放つ魔法もほぼ減衰することなく外壁に当てられる。壁が崩れ、泣き叫ぶ民衆どもを拝める。そう思ってただただ進んでいく。そんな時であった。

 

 ――……サレ。

 

 ふと兵士達のところに妙なうめき声が届いた。一体誰が、と何人かが周囲を見渡したのだが何も見つからず、彼らはただ疑問符を浮かべるばかりであった。

 

「あ? さっきから何そこら辺ながめてやがる。とっとと動――」

 

 ――……チサレ。

 

 今度はバイアスにもその声が届いたものの、視線を右に左にと動かしても人影ひとつすら見当たらない。一体何なんだと思っているとまたしてもその声がヘルシャーの部隊の者達に聞こえた。

 

「立ち去れ、立ち去れ」

 

 ――ココカラ、タチサレ。

 

 敵意のこもった声が聞こえ、再度ヘルシャーの兵士達は索敵に移る。周囲を見渡してもどこにもいない。なら身をかがめて声を出してでもいるのかと視線を落とせば、十の人間の首が転がっている。

 

「むー! んー!!」

 

「! バイアス様、あれは……」

 

「トレイシーとその配下どもだな。ヘマしやがったか、あの馬鹿は」

 

 否、よく見れば微かに動いているのが見えたため、生き埋めになっていた人間のそれだということがわかった。しかもそれが建前上探していた自分の妹であるとも。何があったかは不明だが、こんな状態となっている不出来な妹に心底失望しながらもバイアスらは声の主を探る。

 

「おい、他に人影はねぇのか。とっとと探せ」

 

「も、申し訳ありません……い、今すぐに不届き者を――」

 

 しかし不気味な声を発しているであろう人影は未だに一人も見当たらない。その上どこか不気味なこの声に薄気味悪さを感じていた兵士達だったが、不意にその中の一人、それも闇系魔法に精通した術師があることに気付いてしまう。

 

「な、なぁ……さっき聞こえた声、耳だけじゃなくて、頭とか……いや、なんか()()直接響くような……」

 

 ――先程から聞こえていたものの中にただの声じゃないものが混じっていることに。得体の知れない何かをずっと受けていたことを知り、兵士達の間で動揺が広がる。だが、それを収めるべくバイアスが声を上げた。

 

「何ビビッてやがる! こんなもん、ただの魔法にどっかの馬鹿がささやいてるだけだろうが! その程度で腰抜かして――」

 

「立ち去れ。立ち去れぇ……!」

 

 ――カエレ、カエレェェ……。

 

「私達の眠りを……妨げるのかぁ……!」

 

 ――ココカラァ……デテイケェ。

 

 ただのペテンだと喝を入れようとしたものの、またしてもあの謎の声が全軍に響き渡る。今度は違うセリフも混じっており、バイアスの言葉で立ち直った人間はともかく、うろたえていた者達はまたしても悲鳴を上げるばかりだった。

 

「あ、あれ!」

 

 そんな中、兵士の一人が前方を指さす。そこには見慣れない恰好の人が()()立っていた。

 

「お、お前か! お前がこの騒ぎを――」

 

「お前のせいだ……お前らのせいで私達の眠りが妨げられた……」

 

 ――タチサレ。タチサレ。

 

 ――ココカラ、タチサレ。

 

「私を殺したのはお前か……許さない、許さないぃぃ……!」

 

 女と男が二人ずつ。しかしいずれも生気のない青ざめた顔でこちらを見ては口を動かしている。だが問題はその顔色や動きだけではない。肌が、青白いのだ。その上着ている服も破けており、そこから覗く肌もまた同様であった。

 

「ぼ、亡霊か!?」

 

「こ、降霊術だ! 降霊術師がいやがるぞ!」

 

 すぐに兵士達はその正体を看破する。目の前の奴らは何者かの降霊術によって顕現した残留思念なのだと。だから身に着けている衣服が著しく破損しており、また人間らしからぬ気配を放っているのだとわかったのである。

 

「やはりか……さっきのも降霊術師の使った魔法だ! 震えが止まらねぇってなら俺がこの場でお前ら全員殺してやるからな!」

 

「立ち去らぬかぁ……」

 

「おのれ、おのれぇぇ……!」

 

 ――ユルサヌ、ユルサヌゥゥゥ……!

 

 すぐにバイアスも声を上げて怯える兵士達を恫喝し、切り捨てることすら厭わぬ宣言をした時、亡霊達の悲しげな声が彼らの魂に響いた。その時である。

 

「――っ!? う、うわあぁぁぁぁぁああぁ!?」

 

「じ、地面から! 地面から何か気配が、気配がぁあぁあ!!」

 

「う、うろたえてんじゃねぇ!! 黙りやが――うぉわっ!!」

 

 ()()()からとてつもない殺気があふれたのだ。それにあてられた兵士達はそろってすくみあがってしまい、中には腰を抜かした者までいた。バイアスも地面から発せられるそれに今まで感じたことのない恐怖に襲われ、怯えた馬がいななきと共に彼を落として逃げ去ってしまう。

 

 ――ソノツミ、ツグナエ。

 

 ――オマエタチモナカマダ。

 

「な、仲間が何だって――」

 

 体をしたたかに打ち付けてもなお、ヨタヨタと歩いてくる亡霊らしき存在が放つ声にバイアスは反論しようとする。しかしまたしても異変が起きてしまった。

 

 ――オイテイクナ……オイテイカナイデクレ……。

 

 ――ミステタナ……ワタシタチヲミステタンダナ……!

 

 亡霊が、増えたのだ。次々と姿を現し、五人、六人と増えていき、間を置かずに数十人もの亡霊がヘルシャーの部隊の前に姿を現したのである。

 

 ――アンタモシネ。

 

 ――オレタチノナカマニナレ。

 

 ――オマエモナカマダ。

 

 声も増えた。そこかしこから魂に響く声、いずれも違う声色のものが聞こえてくるのだ。だが今度はそれだけでは済まなかった。声を聞いてしまった兵達の中で段々と()()が生まれ、戦意だけが()()()()()。じわりじわりと己の中を恐怖だけが覆い尽くしていったのだ。

 

「く、来るな……」

 

「や、やめろ……こ、殺すぞ! お前ら全員殺してやるからな!」

 

 及び腰になりながらも持ってる武器を振り回す兵士達。その場で妙な動きをする亡霊が幾つかいたものの、少しずつじりじりと迫ってくる亡霊どもにそれが届くことはない。後ずさって武器をブンブンと振り回すしか兵士達は出来なかった。

 

「こう、なったら……地面を走りてもなお猛る炎よ 汝が吞みこまんとするは我が眼前にそびえる敵なり」

 

 恐怖に怯えるのは兵士達だけではない。バイアスもまた先程から感じている恐怖と殺気に体が固まってしまいそうになりながらも懸命に耐えていた。そこでどこかに隠れているであろう降霊術師諸共焼き尽くさんと、炎の津波を引き起こす“海炎”を詠唱しながら立ち上がろうとする。

 

(さか)(さか)りてことごとく――っ!!」

 

「“魄崩”」

 

 だがその時、亡霊の一人が、女のそれがバイアスの懐へといきなり潜り込んできたのだ。そしてバイアスの胸の鎧をツゥ、と指先でなぞって何かをつぶやく。

 

 ――アァ、コワイ。ワタシガモエル。モエチャウヨォ。

 

「ひっ――ひぃいいぃぃ!?」

 

「“魄崩”」

 

 その直後、バイアスの中から戦う意志が消えた。恐怖に抗う思いが消えてしまった。そうなれば発動しようとしていた魔法も霧散するのは自明の理であり、兵士や側近達も自分達の仕える主の情けない悲鳴を聞いて頭の中が真っ白になってしまう。

 

 ――ツギハドウサレタイ?

 

「ひっ……ち、力が抜け、て……」

 

「“与怖”」

 

 またしても亡霊が何かをつぶやくと同時にすさまじい気だるさがバイアスを襲った。まるで体から()()が抜けたかのような感覚であり、抵抗する力が無くなってそのまま腰を抜かしてしまう。目の前の亡霊はそんなバイアスの頬に()()()指先を当て、上へと軽くなぞった。

 

 ――オマエモイッショニサマヨウカ? ナァ?

 

「あ、あぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁあああぁああ!!!」

 

 亀裂のような笑みを浮かべた亡霊を見て、バイアスの中にあった恐怖が爆発する。戦う意志をくじかれ、抗う力もいきなり失い、あまりに不可解な現象に襲われてから聞いてしまったこの言葉。バイアスの精神の均衡が崩れるのは自明の理であった。

 

「に、逃げろ……お、お前ら逃げろぉおぉ!」

 

 涙と鼻水を垂れ流しながら四つん這いになってその場から逃げ出そうと手足を動かす。その様はもう野心あふれるヘルシャーの皇太子などではない。残虐非道な、次の皇帝になるとのたまっていた男の醜態は瞬く間に伝播し、部隊の中で平静を保っていられる人間は皆無となった。

 

「に、逃げろ! 逃げるのだ! ば、バイアス様の活路をひら――」

 

 だがヘルシャーの人間としての意地が残っていた副官のネビルが号令をかけ、なんとしてもバイアスを逃がそうと命じたその時、地面がぬかるんだように柔らかくなっているのを感じ、直後に自身の足が掴まれていることに気付く。

 

 ――オマエモナカマニナルンダロ? オイデ、オイデ。

 

「ひっ――ひぃいいぃいいぃいぃ!? て、手が、手がぁー!!」

 

 地面から生えていた手に軽く掴まれ、そして魂に響く声を聞いて確信する。あの殺気の主はこの腕だったのかと。弱々しいながらも少しずつ自分を地面に引きずり込もうとするその腕を見て、ネビルは恥も外聞も無く騒ぎ立てるしかなかった。

 

「うわぁああぁーーーー!! 手が、手がそこらにぃーーーーーー!!!」

 

「いやだぁー!! おうち、おうちかえる! おうちかえるのぉー!!」

 

 そのネビルの叫びを発端に、地面から無数に手が生えた。兵士達の足元に、はたまた平野の別のところにも。すさまじい数の手がうごめき、その場にいた人間の精神をゴリゴリと削っていく。

 

「あぁあああぁああぁあ!!!」

 

「いやだ、やだぁーー!! もうへいしやめりゅぅうううぅぅぅぅ!!」

 

 完全に恐怖に呑まれた者達は武器も物資もかなぐり捨ててそのまま四方八方へと散っていく。その姿は最早『弱肉強食』を是とするヘルシャー帝国の人間のものではなく、闇夜に怯える子供のようであった。

 

「お、置いてくな! 置いていくんじゃねぇー!! お、俺はこうたいしだぞ! えらいんだぞぉ!」

 

 蜘蛛の子を散らすが如く有り様でアンカジ公国、ハイリヒ王国へと向かうはずであった護衛付きの使節団は今ここに崩壊した。散乱した物資。恐怖のあまりその場で絶命しそうになっている軍馬。それらに目もくれることなく逃げる人間ども。ある種の地獄のような光景がしばし続く。

 

“終わったみたいだね。みんなお疲れー”

 

 逃げ出した輩がいなくなったのを確認したところでバイアスの懐へと忍び込んだ亡霊――中村恵里が号令をかける。かくしてここに『お化け屋敷大作戦inトータス』は幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

「お、終わったんだな」

 

「御疲れ様です、皆さん」

 

 一大スペクタクルショーを終え、()()()をしてからフューレンへと戻って来た恵里達を出迎えたのは、ある理由から先にフューレンへと戻っていた龍太郎達四人であった。

 

「出迎えてくれてありがとう龍太郎、リリィ。それと香織と妙子も」

 

「お、お疲れ様、皆……ね、ねぇ、お化け、いないよね? 大丈夫だよね?」

 

 東の入場受付で待っていた龍太郎とリリアーナからもらった労いの言葉と出迎えてくれたことにまず光輝がお礼を述べると、龍太郎の服の袖をギュッと掴んだ香織が心底心配そうにそう問いかける。

 

「大丈夫に決まってるよ香織。ちゃぁんとアフターサービスも――」

 

「やめて。聞きたくない。そういうのいらないから」

 

 あの後残留思念も全て昇天させていた恵里が心配ないよと呆れながらも伝えようとするも、香織の後ろに隠れていた妙子がほぼ真顔でマジギレ一歩手前のトーンでやめろと言い放ってきたため、はいはいと恵里は気の抜けた返事だけを返した。

 

「あー、うん。すまん……そういや皇女様達はどうした?」

 

「うん?……あぁ、いい薬になったと思うよ」

 

 相変わらずホラー系が完全に駄目な妙子のリアクションに龍太郎が代わりに謝りつつも、恵里に『特等席でお化け屋敷を体験させる』と連れていかれたトレイシーらの安否について尋ねた。すると苦笑いを浮かべた光輝が目で後ろを示し、龍太郎らもその視線の先を追ってその表情の意味を察した。

 

「う、うぅ……ゆ、ゆうれいが……ゆうれいがぁ……」

 

「オバケこわい……オバケこわいよぉ……」

 

 ……光輝と重吾が引いているリヤカーの上で、また岩の鎖でぐるぐる巻きとなっていたトレイシーらは仲良く悪夢に苦しんでいる。ちょっと異臭もする辺り、どれだけ恵里達の催しがヒドかったのかを彼らは瞬時に把握してしまったからだ。

 

“……なぁ、一体何やったんだ? 打ち合わせじゃここまで苦しむことも無かっただろ”

 

“ちょこちょこアドリブを入れただけだよ。そんなに大きく変わってないって”

 

“いや、ちょこちょこ入れてたら普通変わるだろ”

 

“まぁちょっと理由があったんだよ、龍太郎君……”

 

 ホラーが駄目な香織と妙子を気遣って“念話”で何があったか尋ねる龍太郎に恵里はこともなげに返事をする。そのことについてすぐさま龍太郎はツッコミを入れるも、ハジメがすぐにフォローを入れて来た。

 

「まぁここで立ち話もアレだろ? とりあえず商業ギルドに行きながら話せばいいんじゃねぇか」

 

「そうね。ユキに賛成だわ。こんなとこで突っ立ってたら門番の人達に迷惑だもの」

 

 幸利と優花の意見を受け、恵里達と龍太郎らは商業ギルドへと足を向ける。その道すがら何があったかを振り返りつつ、恵里達は今回の作戦のことについて語り出した。

 

“それで、結局当初のプランと何が変わったんですか”

 

“いやー、実はさ……”

 

 リリアーナの問いに恵里達は思わず苦笑いをこぼす――恵里が当初提案したお化け屋敷の案はそう難しいものではなかった。簡単に言えば、ヘルシャーの部隊を迎撃するポイント近辺にある残留思念や死体を魂魄魔法で使役しておどかし、また“魄崩”を使って相手の『戦意』をなくして帰ってもらうというものだ。

 

 後は短い話し合いの末、駄目押しとして相手を『恐怖』させるアーティファクトも用意。また上で脅かす面子以外は地下にこもり、予め地下に潜って“錬成”で柔らかくした地面から皆で手を伸ばしたり足を掴んだりするというのを追加したぐらいだ。これならイケるとほぼ全員が判断した末にGOサインを出し、こうして実行したのである。

 

 ……なお香織と妙子は話し合いの段階で気絶寸前となり、こりゃ使い物にならないと判断した一同が龍太郎に二人のことを頼んで先にフューレンで留守番するようお願いしたのだ。その際リリアーナもやれることが無くなったため、一緒に戻っていたのである。

 

「? 龍太郎くん、どうしたの?」

 

“まず最初がつまずいたんだよなー”

 

 ……そう。ここで良樹が述べた通り、この作戦は初手から大きくつまづいてしまっていた。

 

「あー、ちょっと振り返りやってるんだ。悪い、ちょっと待ってくれ」

 

“中村が山みたいな数の幽霊を動かすっつってたんだけどよー、全然幽霊も死体もいなくってなー”

 

 どういうことかと礼一が語れば龍太郎とリリアーナも思わず引きつった笑みを浮かべてしまう。なんと残留思念も十数人程度、死体に至っては数人と数匹程度しか残ってなかったのである。

 

「……うん。手短に、ね?」

 

“それで作戦を変えることにしたのよ。私と光輝、おじいちゃんとお母さんの四人でまず仕掛けてほしいって”

 

 恵里が幽霊と死体を操作し、光輝、雫、鷲三、霧乃の四人が“気配遮断”か“気配操作”を使いながら無数の幽霊と死体の中に紛れ込み、鷲三と霧乃が純粋な演技で、光輝と雫が“魄崩”や相手に恐怖を与える“与怖(よふ)”――なおこの魔法は恵里が既存の魔法をベースに急ごしらえで作ったものである――を付与したアーティファクトを使って相手の意志をくじく。それが作戦の要だった。

 

“死体を残らず食い荒らすほどの貪欲な魔物がいたか、或いは開けた土地のせいで犠牲になる人間がいなかったか……ともあれ光輝と雫、鷲三殿と霧乃殿はよくやってくれた”

 

 だが無数の幽霊や死体に紛れ込ませるのが不可能になってしまったため、メルドが述べた通りまずこの四人と恵里が頑張ることになってしまったのだ。

 

 四人はまず渡していた姿をごまかすアーティファクトを使い、幽霊の姿になってもらった。次に光輝と雫は“心導”を使って相手の魂に直接声を届け、体を改造されていることから神代魔法の習得を見送った鷲三と霧乃は幽霊の真似をしてもらったのだ。恵里は気配を殺しながらしばし指示役に徹し、相手を怖がらせようと試みたのである。

 

“……でも、相手がすぐに立て直しを図ったり、降霊術師の仕業だとみなしてきたのには焦りました”

 

 結局相手が立て直す前に対処したことで問題にこそならなかったものの、アレーティアが言及したことに恵里達もうんうんとうなずいている。あの集団の中でひと際声の大きかった男がバイアスとやらなのだろう。あの男の一声でヘルシャーの兵士達はそこそこ立て直していたのだから違いないと誰もが思った。

 

“そこは恵里がすぐに指示を出してくれたおかげかな”

 

“そうだね。ハジメくんと永山君達、あと浩介君は地下での仕掛けのためにも残っててもらわないといけなかったけどね”

 

 恵里が地下にいた皆に“威圧”を使うよう即座に指示を出せなかったら、姿をごまかすアーティファクトを起動して幽霊に見せかけた状態で地上に上がってくるよう言わなかったら……おそらく今回の作戦は失敗していただろうと実際にやっていた面々は考えている。ハジメと鈴の言葉に今回も中々に厳しかったということを龍太郎達は察した。

 

“んじゃあさっき鈴が言ったことを考えるとほとんどが地上で幽霊のフリしてた、ってことか”

 

“そうなると、元々の作戦も考えれば“魄崩”と恐怖を与える魔法を付与したアーティファクトを皆さんが使ってヘルシャーの部隊を壊走させたということでしょうか?”

 

“あぁ……そうなる”

 

 龍太郎とリリアーナが作戦にどんなアレンジを加えて実行したかを推測交じりに語れば、重吾がそれにうなずきながら肯定する。とはいえそれらがあまりに効きすぎたせいで“魄崩”と“与怖”を光輝達が兵士達に使ったのはほんの数度で、後は恵里が暴れた時ぐらいだ。とはいえ大筋は合致していたため、特に誰も言及することはなかった。

 

“あ、そうそう。ちゃんとあっちの皇女サマ達には『特等席』で見せておいたから”

 

 ……ちなみにトレイシーらはどうしていたかというと、迎撃するポイントの地面に首から下まで埋め込んだ状態であの幽霊姿を見せていたのである。それも石の鎖で口元を塞いだ状態で、恵里が操作する本物の幽霊に詰め寄られ、練習次いでに恵里から“魄崩”やら“与怖”をブチこまれてたのである。とんだ災難であった。

 

「な、なぜうごきませんの……わ、わたくしがおびえるとでも……」

 

「……同情しますわ、トレイシー様」

 

 そうつぶやきながらも視線を向ければ、トレイシーら一行はまだリヤカーの上でビクビクと動いている。もっとちゃんとした交渉をしてればこんな目には、と思いつつも国の状況が状況だけに仕方ないかと考えたリリアーナは視線を前に戻す。もう商業ギルドがすぐ近くに見え、思った以上に話し込んでいたのだということを今更ながら考えていた。

 

「さて、着いたぜ。んじゃ、報告といこうか」

 

「一応イルワさんが向こうに戻ってるかもしれないし、俺達は冒険者ギルドの方に立ち寄ってみる。皆は先に話をつけていてほしい」

 

 龍太郎の言葉に誰も反対はしなかったものの、光輝だけはイルワが商業ギルドの中にいないことも考慮して冒険者ギルドの方へと雫達と一緒に向かうと提案。今度こそ誰も異論をはさむことなく彼らは別れ、恵里達はギルドの扉を叩いたのであった――。

 

 

 

 

 

「――なるほど。それが今回の顛末ですか」

 

 恵里達を応接室に招き、話を聞いていたグウィンは少し長めのため息を吐いた。その表情からようやく終わったということを痛感しているのだろうと恵里らは察するも、それに言及はしなかった。

 

「対処してくれてありがとう。後はこちらの仕事、といいたいところではあるけれどね」

 

「何があったんですかイルワさん」

 

 イルワも恵里達の話を聞いてほっと胸をなでおろしていた様子だったが、どこか引っかかる言い方をしている。その際、彼を出迎えて“界穿”で商業ギルドまで送って来た光輝が問いかければ随分と疲れた様子でその理由を明かしてくれた。

 

「まず君達に無礼を働いたのと裏組織と癒着していた冒険者の処分だね。寝返っていた人間が予想以上に多かったし、それ以上にこちらが勧告していたというのにそれに反発した人間が多かった……彼らの中には優秀な人間もいたし、君達にどう詫びるか、そしてその抜けた穴をどうするかで悩んでいてね」

 

 そう語るイルワの姿は哀愁を漂わせていた。話を聞いた多くが『お、おう……』といった歯切れの悪い返事を返すしかなく、あまりにもあんまりな内情に何も言及することが出来ないでいた。

 

「そう。ま、同情はするけどそっちの不始末はそっちでどうにかしといてね。人手は……まぁ皆と相談してから、ってことで」

 

 なお一部除く。恵里も流石に同情はしてたが、光輝のように見返りも無しに手助けをする気はゼロであった。かといってフューレンを捨てる訳にもいかず、ハジメ達と話し合いをして動きを考えるとだけ述べるに留める。

 

「今回はこの子達に被害が及ばなかったですが、もし仮に何かあった場合はどうしました? 今後のそちらの対応含めて話し合いもしたいのですが」

 

 一方愛子の方は容赦なくむしり取る気であった。自分の時も冒険者の正体が裏組織の幹部だったということもあり、また恵里達の話を聞いて色々あったということはわかっていた。摘発を終えた時のどこか迷っていた様子は鳴りを潜め、また自分達のことを最優先に考えていると恵里らは考える。

 

「は、畑山先生……俺達は大丈夫でしたし、不満ぐらいしか出てないんです。いや、それも十分あれなんですけど……」

 

「そこをなぁなぁにしてはいけませんよ天之河君。私としてはそれが原因で皆がいいように扱われるのは反対なんです。最悪こちらを見捨て……いえ、破か――」

 

「いや言わせませんからね!?……すいません。すいませんイルワさん」

 

 無論彼女を止めようと光輝がまず動いた。ただ、こちらの話を聞いてしまっているから愛子を説得するのは難しいとわかっていたが、それでもとややうろたえ様子で止めにかかるも案の定愛子は過激なことを口にしようとし、すぐさまハジメが発言を被せてそれを阻止。そのまま流れるようにハジメが何度も頭を下げ倒していた。

 

「いいじゃんハジメくん。あっちの不手際なんだし、そういうところで甘さを見せるとナメられるよ」

 

「……愛子さんと恵里君の言う通りだね。これに関しては私達の不始末だ。それを見逃してもらおうなんて思ってはいない」

 

 恵里の容赦ない追撃にハジメ達はどうしたものかと頭を抱えるも、そのイルワがそれをよしとしたのだ。律儀で助かると思いつつも、じゃあどう誠意を示すのかと恵里はイルワに意識を向けていたが、その答えもすぐに提示してくれた。

 

「人道にもとることはやはり不可能だ。それだけは流石に許容できない……けれど、約束通り可能な限り君達の後ろ盾になろうと思う。ギルド幹部としても、個人としてもね」

 

 その言葉に恵里と愛子は手ごたえを感じ、ハジメ達もわっと安堵と喜びの混じった声を漏らしている。やっと自分達の頑張りが報われたんだと察して恵里はハジメ達に穏やかな笑みを向けた。

 

「フューレンにはびこっていた裏組織すべての摘発、それに訪れていたヘルシャーの()()を未然に食い止めてくれたんだ。ここまでやってもらってただ感謝を述べるだけで済ませるほど私だって馬鹿でも浅はかでもないさ」

 

「それはこちらもですね――まずそちらの要求していた『アンカジ産』の商品の卸売りの認可を出します。それとアンカジとの交易を行っている商人のピックアップも今秘書長のザックにやらせています。終わり次第そちらにリストを渡しますのでご精査を」

 

 感謝するイルワ、実際に行動に移していたグウィンにハジメ達の反応も大きくなる。これでフューレンそのものが味方になったも同然であり、エヒトが再度盤上をひっくり返すような真似をしなければこれで安泰であるとわかったからだ。

 

「ありがとうございます、グウィン商業ギルドマスター。ではそのリストは私の方で拝見してもよろしいでしょうか?」

 

「王女様が? 皆様が構わないのであればいいのですが一体どうして」

 

「先日王国承認の下立ち上げたサウスクラウド商会、皆様の支援を目的としたそれの経理と事務も兼任しておりますから」

 

 そこで今度はリリアーナが動いた。エヒトとの戦いに備えるためにもトータス全土の人間が飢えないよう食料を各地に行き届かせる必要があるからだ。そのためにも今はアンカジ産と偽装した食品をどうにかして流通させねばならないし、信治達は大迷宮攻略もあるからとその役目を買って出たのだ。恵里達もそれには特に反対しなかったものの、信治は少し心配そうに彼女を見つめていた。

 

「いいのか姫さん? 結構キツくならねぇか?」

 

「大丈夫ですよ中野さん。こういう時のための私です。それに皆さんには大迷宮攻略もありますから。裏方の仕事は私が頑張ればいいんです」

 

「……悪い、リリィ」

 

「これも信治さんと皆さんのためですから」

 

 ふんす、と両手で握り拳を作りながら奮起するリリアーナを見て、ただ申し訳なさそうにつぶやく信治。けれどもリリアーナの方はただ笑みを返すだけ。ふとそんな折、浩介の分身の一つから“念話”が入った。

 

“話し合いの所申し訳ないが眠り姫が起きたぞ。アレを渡して帰らせればいいのだな?”

 

“はい。お願いします遠藤さん”

 

 ……実はトレイシーら一同は路地裏の目立たないところにリヤカーごと運び、浩介の分身の一人に監視してもらっていたのだ。一応これも()()()として必要なことだからと恵里に説得されたためではあるのだが、ほぼ全員が彼女らを哀れんでいた。

 

“向こうから言伝を預かったぞ――この借りは必ず返す、とな”

 

 しばらく待ってからその言葉を聞いた恵里はニンマリと笑みを深める。これでまず策は成った、と。おそらくこちらの都合のいいように色々と動いてくれるはずだと。

 

「……リリアーナ王女はハイリヒ王国の代表として来ていますし、私達の方も仲間はそろっています。今後のフューレンの動きについて話し合いをしませんか、皆さん」

 

 アレーティアの方もヘルシャーの動きは問題ないと考えたか、ここでフューレンと一緒にどう動くかの話し合いを提案してきた。無論、それをしない理由も無かったため、誰もがそれにうなずいて返すのであった。

 

 

 

 

 

(本当に、本当にしてやられましたわね……!)

 

 自分達を縛っていた鎖を浩介に壊してもらい、ある金属製の板を渡されたトレイシーはそれを眺め――そして口元を吊り上げた。そのプレートには箇条書きで様々なことが刻まれていたからだ。

 

 ・ヘルシャーの部隊は撃退済み。その証拠にフューレンの東から三百メートルぐらいの場所に物資が散乱している。

 ・幽霊の恰好をした皆と降霊術を駆使しておどかし、また闇系統の魔法で相手に恐怖を与えた。

 ・念押しに地面を“錬成”と土系統の魔法で柔らかくしてそこから手を出して足を掴むなどした。

 ・早くヘルシャー帝国へと戻ることを勧める。最悪帝国が火の海になる。

 ・暴れた馬は何とかその場に留めておいた。帰りの足にでも使うといい。

 ・勝ちたいのなら今すぐ軍を纏め、貴族とアンカジ公国の協力を取り付けてハイリヒ王国へと仕掛けてくることをお勧めする。

 ・裏切者の元ハイリヒの貴族と引け腰弱虫の皇族、弱い者いじめが好きで仕方ないだけの奴らであってもまだ可能性はあるだろう。そこまでやっても勝つ自信が無いなら大人しくしてて欲しい。

 

 どうやってバイアス率いるヘルシャーの部隊を退けたのか、そして付け加えたかのような挑発を見て反逆者達の技量の高さ、強さを彼女なりに実感していた。故に彼女は笑ったのだ。期待外れなどと言った己の愚かさを恥じつつも、トレイシーは浩介の方へ顔を向けた。

 

「こ、これは……!」

 

「お、おのれ……! や、やってくれたな貴様ら……!」

 

「……一つ、伝言を頼めますか」

 

 そのプレートを自分についてきた者達にも見せれば、顔を真っ赤にしてぶるぶると体を震わせている。ヘルシャーの人間がこうなるよう、腹黒姫と常日頃そしっているリリアーナからの入れ知恵――なお実際は恵里が思いっきり煽っただけということを彼女は知らない――なのだろうと判断しつつ、あえてそれに乗ってやろうとトレイシーは伝言を頼みこむ。

 

「ほう。この我に言伝を頼むか。よかろう。貴様の言葉を我が同胞にすぐに聞かせてやろう」

 

「トレイシー様!」

 

「今は黙ってなさい……この借りは必ず返す。ただそれだけ伝えてくれればいいですわ」

 

「良かろう。その言葉、しかと聞き届けた」

 

 今にも浩介に飛び掛からんとする部下を諫め、手短に言葉を伝えてから彼女は急ぎ足でその場を後にしていく。

 

「皇女様! ただ逃げ帰るなど死に値する恥です! どうかお考え直しを!」

 

「お黙りなさい!……これは急務ですわ。必ずバイアスお兄様にもこれをお伝えし、急ぎ包囲網を完成させなければなりません!」

 

 無論部下が何もせずにこの場を後にすることを咎めたものの、トレイシーはそれに取り合うことなくただフューレンの外へと向かって進む。

 

(間違いなくこれはこちらを開戦に持っていくための布石。わたくし達をそう動かそうという発想は嫌でもわかりますわ)

 

 理由は簡単。相手の意図を彼女は気づいていたからだ。バイアス率いる部隊を追い返し、その対処方法をあえてチープなものであるかのように書き連ね、トドメに“竜の尻を蹴飛ばす”*1が如き罵倒をあえて書いている。どうしても様々な勢力をも巻き込んで戦争をしたいというのが、それでもなお勝利できるという意志が透けて見えたからである。

 

(えぇ、いいでしょう。でしたらお望み通り! 我がヘルシャーが全力を以てそちらを叩き潰して差し上げますわ!!)

 

 狙いは恐らくトータス全土の統一。そのためにも一度に全部負かして勢力下に置いておきたいというのもトレイシーは察したのだ……察したからといってそれに乗らないという選択肢を選ぶ気は無かったが。

 

「可能な限り物資は回収。そしてお兄様や他の兵士も見つけ次第これを見せ、士気を回復させます」

 

 反逆者どもは間違いなく強い。少なくともこちらの予想を()()()上回っているようにトレイシーには思えた。だが数の暴力、それもかつてのハイリヒ王国が動員した時よりも桁がもう一つ上の数を用意出来たなら……流石に勝利を収めるだろうとトレイシーは考えたのである。

 

「では――!」

 

「もちろんですわ――必ずハイリヒ王国を、反逆者どもを殲滅します。我らがヘルシャー帝国の威信をかけて」

 

 かくしてトレイシーもまた帝国へと戻っていく。ここまで自分達をコケにしてくれた奴らを叩きのめし、絶対に勝利するために。やっと本気を出す気になった反逆者どもとの魂が震える戦いをするために。

 

(ですが今のわたくしの実力ではどこまで渡り合えるか……宝物庫にある例のものを持ち出せばきっと)

 

 そのためにも呪いの武器と称される()()()()が必要だろうかと考えつつも彼女は部下と共に馬を走らせるのであった――。

*1
手を出さなければ無害な相手にわざわざ手を出して返り討ちに遭う愚か者という意味。

web版原作「冒険者らしいお仕事」参照




これにて帝国の奴らがフューレンに来て色々する話は終わりとなります。まぁそんな遠くない内に彼らとは再度顔を合わせる予定ですので。


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八十二話 フューレン再興へ向けて

いやーまた期間が空いちゃいましたね(白目) お待たせしてすいませんでした(土下座)
それでは拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を。

おかげさまでUAも189004、しおりも432件、お気に入り件数も890件、感想数も683件数(2023/11/18 22:14現在)となりました。本当にありがとうございます。こうして皆様に見てひいきにしてくださってありがたい限りです。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠に感謝いたします。またしても筆を進めていく力を授かりました。ありがとうございます。

では今回の話を読むにあたっての注意としてやや長め(約13000字程度)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「……リリアーナ王女はハイリヒ王国の代表として来ていますし、私達の方も仲間はそろっています。今後のフューレンの動きについて話し合いをしませんか、皆さん」

 

「ではアレーティア君の言う通り、今後のフューレンのことについて話をしていこうか」

 

 アレーティアの提案に一同がうなずいた後、微笑みを浮かべていたイルワも真剣な表情で話を切り出してきた。

 

「まず冒険者ギルドの方だけれど、()()()()だけ犯罪者の取り調べに職員を回すからギルドの運用は厳しい。とはいえほんの数日だ。それまでにある程度捌いて復旧できるように戻すつもりだよ」

 

「……商業ギルドに関してですが、前にも述べた通り抜けた商人の数が多く、また残った商会の多くも相当のダメージを受けました。その商会を支えるために補助金を出してしまったため、正直基金もほぼ底をついているのが現状ですね」

 

 両ギルドのトップからの話は恵里達にとって容易に想像がつくものであった。冒険者ギルドはしばらくは犯罪者の取り調べにかかりきり、商業ギルドは金が無い上に所属する商人も少ないという有り様。協力は取り付けたがあまり余裕も力も残っていないといった具合であった。

 

「そうですか……その、俺達に出来ることは――」

 

「おい待った光輝」

 

 相手がそんな状況だったからか、いつものお人好しが出たのであろう光輝が手を差し伸べようとしたがそれを大介が止める。自分達のリーダーである光輝にこういう時に待ったと言ってくるのは珍しいと思いつつも、恵里は大介がどんな言い分を持ち出すのかに興味が湧いて彼の方へと意識を向けた。

 

「大介、今のフューレンの人達の現状を考えると俺達だって力を貸した方がいいだろ? それはリリィもアレーティアさんもそうだろう?」

 

「あ、あの、そのぉ……」

 

「わかってるよそれぐらい……でもな、アレーティアがまだそのことで何も言ってねぇだろうが」

 

 光輝に手を貸すべきだと言われたアレーティアだったが、自分の意見を述べたいけれどもかつてのやらかしがあるせいで言うに言えないように恵里は見える。そんなオロオロしているアレーティアのために大介が光輝に再度待ったをかけた。

 

「俺達にどうにかしてほしい、って思ったんならちゃんとコイツは口にする。だからよ、待ってやってくれ。光輝」

 

「……すまない、アレーティアさん。それと大介も」

 

「き、気にしないでください。天之河さん……」

 

「そういう意味じゃ姫さんもそうだけどな」

 

「えぇ。申し訳ないですけれど皆さんの助力を受けるつもりではあります。ですが、もう少し話を進めるまでは待っていただけませんか。光輝さん」

 

 大介の指摘は尤もであったし、信治とリリアーナからも言及され、光輝は消え入りそうな声で『はい……』と漏らすばかりであった。まぁ今回ばかりは気がはやったのが悪いと思い、恵里は彼に助け舟を出さない。他の皆も苦笑するばかりで雫がうろたえてるぐらいだ。

 

「光輝君、そちらの善意は受け取っておくよ。さて」

 

「こ、光輝、ねぇ光輝ぃ!」

 

 そしてイルワからの気遣いがトドメとなって顔を真っ赤にしてうずくまってしまった。そんな光輝を見ていたたまれなくなった様子の雫が介抱しているのを横目に、恵里はイルワらが今度は何を言うのかとそちらに意識を向ける。

 

「現状フューレンの状況はこんな具合だね。トレイシー皇女様の前では何があっても裏切らない、とは言ったけれど()()()()ではそれ以上は厳しい」

 

「えぇ……無論、今のままでも可能な限り支援は行います。ですが」

 

 イルワとグウィン、両者共に申し訳なさそうな顔で己の力不足を伝えてきた。が、彼らの声のトーンと話の切り方からしてどこか恵里は引っ掛かるものを覚える。

 

“なーんかあんまり申し訳なさそうって感じがしないね。どう思う? ハジメくん、鈴”

 

 そしてそれはこっそり“念話”で話を振ったハジメと鈴だけでなく、アレーティアにリリアーナ、幸利に立ち直った様子の光輝でさえもその違和感に気付いた様子であった。幸利と光輝は頭を軽くひねったし、元含む王族二人は目を細めたりほんのわずかに口元を動かしたのを二人の方へと振り向いた際に恵里は目撃している。

 

“そうだね……多分、立て直しのために協力を取り付けようとしてるんじゃないかな? 今はこれが限界ですけど、立て直すことが出来たらもっとやれますよーって感じにさ”

 

“鈴もそう思うよ。申し訳なさそうに見えるけど、なにか考えを隠してる感じの顔だもん。恵里とそっくり”

 

「ねぇ鈴どういうコト? 場合によっちゃ怒るよ」

 

 ハジメの意見に納得するも、鈴の最後の言葉に思わず恵里は声を出してしまう。それを見た友人らが『あぁ、また何かやってるな』と軽く呆れた様子にも気づけないまま軽くメンチを切っていた。

 

「……えーと、何やらそっちがもめてる様子だけれど?」

 

「あ、あの……触れないでいただけるとありがたい、です……」

 

 それを心配した様子のイルワと気まずさと恥ずかしさに満ちたアレーティアの声で、ようやく恵里も自分のやらかしに気づく。こほん、とせき払いをすると少し口元をヒクつかせているイルワとグウィンへと顔を向ける。

 

「お、落ち着いて恵里。それと鈴も」

 

「あー、気にしないで。ハジメくんもね。答え次第で鈴をとっちめようって思っただけだから」

 

「今大事な話し合いしてるんだよ? 落ち着いて、ね?」

 

「ヒドくない? 鈴そこまで悪いこと言ったつもりないんだけど? 事実でしょ?」

 

「アッハッハッハ……よーしわかった。潰す」

 

 なお恵里が先程言葉を漏らした理由を述べればすぐに鈴と口論が始まり、取っ組み合いの大ゲンカになりかける――だがその瞬間、二人をなだめようとしていたハジメが即座に間にスッと入り、“威圧”込みの剣呑な空気を垂れ流してきた。

 

「あ、気にしないでください皆さん。アレーティアさん、王女様、話し合いの続きを」

 

「「あっ」」

 

 二人がハジメが本気でキレたことに気付くのにそう時間はかからなかった。今度はお互い抱き着き合い、顔面蒼白になりながら『笑顔』のハジメの方に視線を向ける。

 

「二人とも、正座。正座して。今大事なお話してるんだよ? どうして引っ掻き回すの?」

 

「だ、だって鈴が悪いもん……」

 

「え、恵里が過剰反応したのが悪いし……」

 

「そっか。じゃあ正座ね」

 

 涙目になってガタガタと震えながらも互いをけなす恵里と鈴。だが有無を言わさぬハジメの言葉に従う他なくそのまま正座。周りに迷惑をかけないよう“念話”での説教が始まった。

 

「どうぞ皆さん。話を続けてください」

 

 滅多にしないキレ方をしたハジメに話の再開を促され、幼馴染~ズすら多くが怯えてしまっている。大介と良樹は自分の連れと、礼一は信治と抱き合っている始末だ。オマケにアレーティアとシアはガチギレしたハジメを見てガタガタと体を震わせ、涙目で愛する人に抱き着いていた。

 

「……ハジメの言う通り、本当に気にしないでくれればありがたいです。まぁ、二人の自業自得ですから……はい」

 

「……本当に愉快な集まりだね、君達は」

 

「話し合い、お二人のお説教が終わってからにしましょうか……」

 

「ぜひ、そうさせて下さい」

 

 そんな中、光輝も深くふかぁーくため息を吐きながらイルワにそう伝え、イルワも口元を引きつらせながらそう返すのが精いっぱい。リリアーナも苦笑いを浮かべ、到底話し合いの雰囲気になれないことから話し合いの延期を提案すればグウィンも首を縦に振るだけだった。

 

「ひとまずお茶にでもしましょうか。私が用意しますから給湯室の場所を教えていただけますか」

 

「いや止めましょうよ愛子殿」

 

「中村さんと谷口さんは私よりも南雲君の言葉の方が心に届くでしょうからね。だったら少しでもリラックスしてもらう方が得策でしょう。急いで話を進める必要もありませんし」

 

 そんな中、一度お茶でも飲んで休憩しようと提案した愛子だけが異彩を放っていた。イルワとグウィンの様子からやはり続けるべきではないと彼女も悟り、自分の身内の不始末からこれを提案してきたのである。

 

 なおすぐさまカムからツッコミを受けたが、愛子は持論を語るだけだった。自分が叱るよりもハジメがやった方が効く。それなら少しでも建設的な動きをした方がいいと。コイツとんでもねぇなと多くが思ったのも無理は無かった。

 

“ケンカするのはいいよ。二人の性格を考えると仕方がないから。それはわかる。でもね、場所選んで? 選ばないでそういうことやったら皆に迷惑かかるでしょ?”

 

“は、はい。ごめんなさい……”

 

“ハジメくんごめんなさい……”

 

“うん。謝るのは僕にじゃないよね? 誰に謝ればいいかわかるよね?”

 

“あ、後でみんなに謝るから……”

 

“ちゃ、ちゃんと皆にごめんなさいって言うから……”

 

 そんな中でもハジメの説教は続く。ケンカするのもちゃんと場所を選ぼうと決意する恵里と鈴であった……。

 

 

 

 

 

「待ってくださってすいません。話し合い、再開してください」

 

「「皆さん本当にごめんなさい……」」

 

 自分達のせいで話し合いが中断してしまったことに若干気まずそうに謝罪するハジメと、カタカタ震えながら南雲家直伝の土下座をしてわびを入れた恵里と鈴。三人の間の真のパワーバランスが明らかになるような構図に誰もが苦笑しつつも愛子が再度提案してきた。

 

「時間ももったいないですし、そろそろ始めましょうか。あ、お茶のお代わりはいりますか?」

 

「いえ、遠慮しておきますよ愛子()()

 

「私も」

 

 なおその際イルワとグウィンの愛子に向ける視線に『畏怖』の色が軽く混じっていたが誰も言及しなかった。例の魔王発言を聞いていた皆はあの時の言葉に偽りなしと感じていたし、リリアーナと当の二人もただならないものを感じ取っていたからだ。

 

「コホン。では先程の話しぶりからして、フューレンを立て直すことが出来ればやれることも増える。そうお考えになってもよろしいでしょうか」

 

 とはいえそれに呑まれたままだと話が進まない。わざとらしくせき払いをし、リリアーナは先のイルワ、グウィン両名の言わんとしていた事を指摘する。すると二人も苦笑いをにこやかな笑みへと変えた。

 

「意を汲んでくださり恐縮です、王女様」

 

「えぇ。恥ずかしながら今の私達ではやれることに限界があります。ですがフューレンがある程度復旧出来たのならば相応の成果を出すと約束しましょう」

 

 その回答を聞いてやはりかと目ざとい恵里達は思案する。実際に街中を歩いて回った恵里達からすれば立て直しをしなければマトモに機能しないであろうことは理解していたからだ。商売関連は特にである。

 

「うわ、さっきのそういうことかよ」

 

「あぁ。いい根性してるっつーかな……」

 

 礼一のボヤきに幸利が答えれば、奈々や優花といったイルワ達の言葉の真意に気付かなかった皆も納得やら驚きやら様々なリアクションをしている。

 

「結構厚かましいわね……」

 

「あ、あはは……たくましいっていうかなんて言うか」

 

(ホンットそうだよねぇ~。で、向こうは一体何を要求してくるんだろ。使える人間寄越せ、って言ってくるのは間違いないけど)

 

 声を潜めて話し合うなりしており、全員があちらの意図を把握出来ただろう。そう思いつつ、恵里はあちらが何を要求してくるかを考えながら出方をうかがう。

 

「君達が言いたいのもわかるよ。厚顔無恥と言われればそれまでだけれど、ここで動かなければフューレンも立て直すのに時間がかなりかかってしまうからね」

 

「特に商業はダメージが甚大ですから。最早壊滅といっていい状況ですし、このままではフューレンはただの交易の中間地点といった程度の立ち位置になってしまうでしょう。私どもとしてもそれは看過できませんので」

 

 ギルドのトップである二人の言い分を聞いて多くが納得したようにつぶやいていたり、苦笑したりしている。恵里はどういう風にやれば恩を売れるだろうかと思いつつ、()()交渉に出ていない二人から意識を外しはしてなかった。

 

「確かに……わかりました。ではイルワ冒険者ギルド支部長、グウィン商業ギルドマスター。貴方がたは何をお求めになられるのですか。お答えください」

 

「私ども冒険者ギルドとしては数人ほど腕の立つ人間、それとは別に錬成師を数人ほど常駐させていただければと考えております」

 

()()()のお金を貸してもらえれば。後は残った商人の支援となる案を考えてくだされば助かります」

 

 リリアーナが直接話を切り出せば、イルワとグウィンはお互いの要求を提示してきた。錬成師を連れてきてほしいというお願いや単に金を借りたいというのに引っかかりを感じはしたものの、恵里もその要求に理解は示した。

 

(んー。グウィンさんの方はわかるけどイルワさんの方はちょっと引っかかるなぁ。腕の立つ人間は見た目を偽装して街の見回りとか、後は外の魔物への対処とかだろうけど。錬成師が必要ってのはよくわからないのがなぁ。何か壊れたの?)

 

「なるほど……グウィン商業ギルドマスターの方は理解しました。そちらは後でエリヒド王へと嘆願してみますので。それとイルワ支部長の方は街の外の魔物への対処と、あと他にも何かあるようですが。それをお教えいただけますか」

 

 恵里が軽く予想したものとリリアーナが口にした言葉はおおむね同じ。自分達を見回りに行かせようとは考えてなかったのだろうかと思いつつもイルワの答えを待つ。すると額に手を当てたり、軽いうなり声を上げるなど何度か逡巡する様子を見せてからイルワが口を開いた。

 

「……恩人である君達にあまり色々言いたくはないんだけどね、その、保安署や冒険者の方から報告があったんだ。幸利君達のことなんだが、地下水路の天井に穴をあけたり床を変形させたまま後始末を()()()()とね」

 

 即座に恵里含む何人かが幸利らの班の面々に顔を向けた。彼ら一同は即座に目をそらして口笛を吹き出した。図星である。

 

「まぁ被害そのものがあったという訳ではないからいいんだけどね。闇のオークションにかけられる人達を収容してたスペースをどうするかも考えてたから声をかけたんだ。後はここらで地下水路の補修や整備なんかも行いたいとも思っていたし、ギルドの方でも手配をかけようと思ってね」

 

 理由を聞けば納得は出来た。まぁ幸利達がテンションが上がって後始末を忘れたまま他の場所へと行ったのだろうと考える。後で幾らでも幸利達とはOHANASIは出来るのだ。今は別にいいかと考えていると、イルワは更に言葉を続けた。

 

「それと腕の立つ人間に関しては王女様の言うことも一理ある。色々と対処した上で見回りもしてくれると保安署に恩を売れるだろうと思ってね」

 

「何故です? 街の警ら活動はその保安署の皆様のお仕事、ですよね。それを奪うような真似をなさっては……」

 

「これがそうもいかないんですよ。リリアーナ王女様」

 

 やはり見回りも頼んできたかと思ったのだが、恵里もリリアーナと同じことが気にかかっていた。先の作戦で自分達は大暴れしたのだからその分注目を集めている。それも元の姿でだ。

 

 それを考えるとあまり自分達が外に出るのも不味いのではと勘ぐり、一体どんな理由を述べてくるのやらとイルワが話す内容に耳を傾ける。

 

「少し落ち着いたら裏組織壊滅の知らせを流そうと思ってたんだけど、何分君達が活躍しすぎたせいでね……冒険者の数が減った状況でどうやって裏組織全てを壊滅させることが出来たか。それをここの住民に納得させるためにも必要なんですよ。『裏組織壊滅の立役者』、それを成し遂げた人間がちゃんと表に出る必要がね」

 

 イルワの発言を聞いてようやく恵里も腑に落ちた。自分達が巡回することで『この人達のおかげでもうこの街は大丈夫なんだ』と納得してもらうためなのだろうと。とはいえそれではいそうですかと恵里は受け入れた訳ではなかった。

 

「あの、大介達の悪評のことは……」

 

 それは、一番の問題である自分達につけられた『反逆者』という悪評のことだ。

 

 これさえなければここまでコソコソ動く必要も無かったし、イルワが言った『裏組織壊滅の立役者』という立場に立つことも出来る。だというのにここで悪評がネックとなってしまうことを踏まえるとどうするのか。

 

 真剣な表情のアレーティアと共に恵里も視線をイルワに送れば、軽く息を吐いた後にその考えを述べた。

 

「一応私にも考えがある。君達が改心して善人となり、手始めにフューレンの街に巣食う裏組織の摘発に参加したというカバーストーリーを流したいんだ」

 

「なるほど、それで皆さんを受け入れる下地を作ると。では具体的にはどうされるおつもりですか、イルワ支部長」

 

 一体どうやるのやらと思っていれば、また中々とんでもないことをイルワが言い出した。それで信じてもらえたら苦労なんてしないと恵里は内心ため息を吐きつつも、リリアーナの出したご尤もな疑問にどう答えるのかと静観する。

 

「そちらは姿を偽装することが可能ですね?」

 

「ん……アーティファクトの力で姿を偽ることは可能です。何かに姿を変えてほしいということですか」

 

「えぇ。ではここでひとつ質問をさせていただきたい――鎧をまとった、どこか冷たくも神々しい雰囲気の銀髪の女性に見覚えはありますか」

 

 まず一つ質問を投げかけられ、再度受けた質問を聞いて恵里はハッとする。真の神の使徒の姿をとって、自分達に有利な情報を流す。イルワが言いたいことをやっと理解できたからである。エヒトの方から妨害を仕掛けられない限りはどうとでも出来る凶悪なカードが手元にあったことにやっと気づけたのだ。

 

(うっわぁ……よりによってこんな簡単な方法を思いつけなかったなんて……いや、ここで気づけたんだからそれでいいか)

 

 エヒトがどんな手を打ってくるかに考えが囚われ過ぎて、こんな簡単な方法を思いつけなかったかと恵里は心底気落ちするもすぐに気持ちを切り替える。こんなことで落ち込んでいる暇なんて無いし、これでエヒトがどう動くかは不明ではあるものの、やってみる価値はあると思ったからだ。

 

(そういえば確か一つだけ死体が残ってたはず。アレを出してみよっかな。どうしよう)

 

 ……なお、神の使徒の死体も実は宝物庫に保管してあったりする。王都に降り立って演説か何かをしていた死体は比較的きれいな状態だったのと、状況が落ち着いたらエヒトからの情報を抜き取るために一つだけ氷漬けにして保管してあったのだ。他は普通に『遺体』として処理している。

 

 とはいえ『比較的』きれいなだけであって、そこそこ損傷が激しいからそれをどうするかを考えないといけないという問題はあるが。その解決法も結局思い浮かばなかったため、やはり神の使徒の死体を使う案は一旦保留にしておいた。

 

「なるほど……中野さん、先のイルワ支部長が仰ったのは『神の使徒』のことですよね?」

 

「だろうな。俺ら……って言ってもアレーティアさんは別か。ま、あのクソ女に関しちゃ面識があるのは違いねぇよ」

 

 リリアーナからの確認に信治が半ば吐き捨てるように答える。確かに永山達もオルクス大迷宮で目撃してたんだからなんとなくわかるはず、と考えながら周りを見渡せば、重吾達も心当たりがある様子でボソボソと仲間内で確認をしていた。自分達に関しては言わずもがな。

 

「大介、大介。その女ってもしかして」

 

「おう。城進んでる時にぶっ倒したアイツだろ、多分」

 

 アレーティアは見てなかったような、と記憶していた恵里だったが、大介の言葉からするに場内で合流する前に倒していたらしい。なら誰がやっても問題ないかと思いつつ、イルワの方へと目を向けた。

 

「全員思い当たる節があるようだね――誰か一人、演技の上手い女性がその女に扮して説得してほしい。正直、教会の人間も君達のことに関してあまりいい顔をしていなくってね。緊急時だからってことで黙らせはしたんだけれど、ガス抜きを兼ねて早めに対処したい。いいだろうか?」

 

 それならば是非も無かった。住人を一か所に集めるのはあちらがやってくれるだろうし、後は誰を神の使徒役として選ぶかだけ。さてどうしてものかと思ったその時、ふと鷲三と霧乃がつぶやいた。

 

「ふむ、そうか……ならばわしと霧乃も」

 

「そうですね。お義父さんと私も加われば説得力が増すかと思います」

 

 神の使徒のように翼を生やせるようになった二人が名乗りを上げたのである。確かに見た目の異なる神々しい存在がいてくれればより説得力が増す可能性もあったため、恵里もそれに反対することはなかった。

 

「あ、じゃあ私も神の使徒の役をやらせてもらいます。後は光輝……と、他に何人か来てくれないかしら」

 

 じゃあ誰が神の使徒の役をやればいいかと考えた時、間髪を入れずに雫が名乗りを挙げ、光輝や他の仲間にも立候補するよう願い出てきた。

 

(あれ? 雫もやるんだ。光輝君以外にも人を呼んだってことは……ボク達が改心した、ってのをエヒトのヤツも認めてますよって示すため、かな?)

 

 恵里は雫の発言の意図を推理しつつもある点が引っ掛かって考えてしまう。間髪入れずに自分もやると言い出した点、自分以外にもやって欲しいと頼んだ際に雫が光輝の名前を真っ先に挙げた点が気になったのだ。

 

「うん? どうしたんだ、雫。何か考えがあるのか?」

 

 その引っかかりを強めたのは光輝の反応だった。ほんの一瞬だけなんとも言えない表情を浮かべたため、どうして雫のことで? と気にかかったのだ。普段ならまんざらでもないような顔をするのにどうして、と。

 

「考えがあるのなら是非とも出してもらえるかな、雫君」

 

「はい。先程協力を申し出てきた祖父と母も神の使徒のように翼を広げる事が出来るんです。なので、神の使徒の真似が出来ると考えたんだと思います」

 

「なるほど、そういう事か。そちらのお二人は確か……」

 

「申し遅れました。八重樫鷲三と申します。そしてこちらが」

 

「雫の母の八重樫霧乃と申します。私達はこのように――」

 

 それを口にしようとした時、イルワが雫の発案した内容や鷲三と霧乃の素性について尋ね、二人は体が改造されたことで出せるようになった翼を小さく展開する。それを見ておお、とイルワとグウィンが圧倒され、同時に納得した様子を見せる。

 

(今はちょっと聞き辛いかな。後で雫……いや、光輝君は何か知ってるだろうし、そっちに“念話”送ろうか)

 

「そうか。これなら確かに! 流石だよ雫!」

 

「そう? えへへ……」

 

 光輝にほめられてはにかむ雫を見てやはりどこかおかしいと察したが、下手につついて今進んでいる話をオシャカにする気は恵里にはなかった。この違和感を頭の片隅に留めておき、話し合いが終わったらつついてみようかとイルワの悪だくみの方に集中する。

 

「なるほど……それなら確かに神の使徒として振る舞っても問題なさそうですね。いや、そもそも君達は姿を偽るアーティファクトを複数持っていたはずだから、あの翼を生やすことさえ出来ればあの姿にする必要はなかったかもしれないか」

 

「いえ、ですがそちらの前に姿を現した女もいるに越したことは無いでしょう。その方が民衆も事態を呑み込むのに時間をかけないで済むはずです」

 

「確かにそうですね愛子さん。そちらの都合もありますし、参加するのはそちらの四人に……」

 

「お待ちくださいイルワ支部長」

 

 いっそ全員翼が見えるようにするだけでもいいのではと思案するイルワに対し、真の神の使徒もいた方が『説得』がスムーズにいくのではと愛子はと伝える。イルワもそれに乗って筋書きを考えようとしていた様子だったが、今度はリリアーナが彼を呼び止めた。

 

「どうされましたか王女様。何か気になることでも?」

 

「えぇ。もしこの案をそのまま通した場合、このフューレンを中心にウワサが広がると思います。神の使徒はその罪を許された、と。私どもとしてはこれから帝国、そして王国から離れた貴族すべてと戦うつもりです。その際他の貴族がこちらにつく可能性を可能な限り排除したいのですが」

 

 神の使徒による説得を採用した際、起きうる問題を指摘するためであった。言われてみればごもっとも。ここにいる冒険者や商人が別の街に行った際に言いふらす可能性がある。とはいえ対処法自体はそう難しくは無いと恵里は考えている。例えば――。

 

「……理由は不明ですが、他の貴族にまで矛を交えるつもりということならば少々変えましょうか。では罪を償うためにはまずこのフューレンで一からやり直す必要があり、またこのことを口外してはならないとエヒト様が仰せになった。そう伝えれば大丈夫なはずです」

 

 信仰にかこつけて言いふらすのを禁ずればいい、と。他にも飴と鞭で口に出さないことの方がメリットがあると思わせるなどだ。思いついた内の一つをイルワが述べたことに腹の内でしたり顔になっていると、今度はグウィンの方も動いた。

 

「ですね。こちらとしても商業ギルドの方で緘口令を敷くとしましょう。違反した者には高い罰金を背負わせる。代わりに相応の()()()を与える、といった具合に。ただ、こちらが用意出来る見返りにも限度と言うものがありますし、そちらでご用意してくださると助かるのですがどうでしょう?」

 

 ここで自分が考え付いたものの一つ、しかもそれをよりしたたかにしたものを話してきたこの男に恵里だけでなくハジメや光輝達も軽く引いてしまう。自分達が見捨てないことを見越した上でここまで踏み込んでくるかと思ってしまったのだ。

 

「あ、じゃあいいで――」

 

「畑山先生! 頼むから! 頼むから今は抑えてくれ……!!」

 

「いいよ先生! 俺達のことでそこまで神経過敏にならなくっても!」

 

「危なっ!? ありがとう永山! 野村!」

 

 もちろん愛子はそれ以上だった。冷めた目で即刻手を引くことを宣言しようとし、すぐさま重吾を中心としたグループが止めにかかったのである。彼らの手によってどうどうと暴れ馬をなだめるが如くあやされ、すぐに恵里達も魔法を使って精神を落ち着ける。

 

「ダメです! 助けてもらいながらここまで厚かましく要求してくるような人と関わったら皆が――」

 

「先生今はちょっと落ち着いてね“鎮魂”!」

 

「流石に今台無しにされるとこっちも困るんだよ“限界突破”!――からの“呆散”っ!!」

 

「ぁぅ……ぁー……」

 

 使った魔法の中にちょっと用途が違うものが混ざっていたのには誰もツッコミを入れなかった。モンスター元教師を抑えこむには都合が良かったからである。とりあえず意識がもうろうとした隙に愛子を後ろ手にし、ハジメ謹製の簡単な手錠をかけて拘束。どうにか抑えこむことに成功したのだった。

 

「いや、その……今のは?」

 

「あ、お気になさらず……グウィン商業ギルドマスター、それでしたら私どもの方としましても限界があります。ですので」

 

「良かった……畑山さんに滅茶苦茶にされなくて済んだ……その、相談次第ですけど私達の出番ですね」

 

 愛子の暴走はともかく、グウィンからの要求には揺るぎすらしなかった王族コンビが答えを出す。一度息を吐いてからリリアーナが視線をこちらに送ると、同じくアレーティアも長くため息を吐いてからうなずき、こちらが動いた場合ならばやれると述べる。

 

「まぁこちらとしてもいささか厚かましかったですね。後でお詫びせねば。それで、王女様の方は具体案などはありますか? 無ければ私どもの方で商隊の護衛や積み荷の運搬などをお願いしたいのですが……」

 

「そうですね。扱える商人がいるかと皆さんが協力してくれるかどうかですが……皆さん、力を貸してくださいませんか?」

 

「俺はもちろんだよリリィ。ここで見捨てるような真似はしたくない。あ、それと俺は参加するのを決めたけど、皆にもそうしてくれとは言わないからな」

 

「……むぅ、私も。光輝が言うなら私もやるわ。あ、お爺ちゃんとお母さんも一緒よね?」

 

 もしちゃんとした計画などが無いのならば人夫として働いて欲しいと向こうは頼み込んできたものの、リリアーナは思案するような素振りをし、恵里達に協力を求める。案の定即座に光輝が反応し、何かに嫉妬した様子で雫も参加を申し出てきた。

 

「……あの、天之河さん。私も。それと直接手伝うのでなく、キャサリンさんの方に接触して何かできないか相談してみます」

 

「じゃあ俺も。アレーティアが行くんなら俺がついてかねぇとな。ま、後でだったら力仕事でも何でもやってやるよ」

 

「そうだな……なぁ、俺もいいか? キャサリンさんに相談しに行くってんならクリスタベルさんの力も借りてぇ。正直人手が多いに越したことはねぇしな」

 

「そうだね。私達はブルックの街に行ってちょっとやれることが無いか試してみるよ」

 

 アレーティアも伝手を使うことを提案し、すぐに彼女のお世話役として大介も名乗り出た。そして龍太郎と香織もかつて世話になった相手に力を貸してほしいと頼みこむ腹積もりを明かし、アレーティア、大介と一緒に動くことを伝える。

 

「おいハジメ。ゴーレム使うんだったらここじゃねぇか?」

 

「うん。僕もそう思ってた――グウィンさん。その見返り、用意出来ると思いますよ」

 

 幸利がここでゴーレムの貸し出しをやるべきだと暗に伝えたのを聞き、ハジメもそれに乗っかった。恵里としてもここ以上に最適な状況は無いと考え、それとあちらを軽く驚かそうと思って内容を明かそうとはしなかった。

 

「俺らで他に何かやれることねーか? なぁリリィ、何でもいいから言ってくれ。お前の力になりてぇんだ」

 

「信治さん……コホン。その、でしたらオルクス大迷宮の方で魔物を狩って、その素材や魔石を集めるのをお願いできますか?」

 

 信治もいいところを見せようとしたのか、リリアーナにどうやったら自分が力になれるかと直球をブン投げていた。そのリリアーナも信治の真っすぐな思いにキュンとして乙女な表情を数秒浮かべつつも、すぐにせき払いをして自分達なら片手間にやれそうな案を提示してくれた。

 

「んじゃ俺も信治君の恋のために一肌脱いでやるとすっか。あ、俺が遊ぶ時の金、全部負担でヨロー」

 

「礼一テメェ、この野郎……っ!」

 

 そして茶化しながらも悪友を助けようと礼一も声をかけ、信治も怒りと恥ずかしさで少し顔を赤くしながらも軽くにらみつけている様子から本気でキレた訳ではないのだろうと恵里は察する。

 

「ま、信治だけじゃなくって俺達のためにもなるしな。よし、じゃあ俺も久しぶりにオルクス大迷宮潜るわ」

 

「あ、あの、良樹さんが言うなら私も――」

 

「待てお前ら。ライセン大迷宮の捜索はどうした」

 

 そして良樹も名乗りを上げようとしたところでイイ笑顔のメルドが問い詰めて来た。その言葉で顔を青くした礼一と良樹を見た限りでは単に恋路を応援するというよりは大迷宮探索から逃げるためという理由が大きかったらしい。

 

「お、俺は……その、リリィの力になりたくって……! わ、わかってくれよメルドさん!」

 

「そ、そうです! お、王女としての権限を使って信治さんにはオルクス大迷宮の攻略を命じます!」

 

「王女様まで……全く」

 

 その後も信治だけは怯えながらもリリアーナのために役立ちたいとメルド相手に啖呵を切ったり、リリィもそれに乗ったり、重吾達がやはり迷っていたため参加を見送る形になったり、後で保安署から呼び出しがあったりと色々あったが話は進んでいく。

 

「ねぇ皆。ちょっといいこと思いついたんだけどさぁ」

 

 そうして各々やれることを列挙していき、ある程度話がまとまったところで恵里が猫なで声で話しかけてきた。先程思いついたいい案を早速形にしようと思ったのである。

 

「何かな、恵里君。他にいい案が浮かんだのかい?」

 

「もっちろ~ん。絶対に儲かる話だと思うけどねぇ~」

 

 湧き出る愉悦を止められずニタニタと笑う恵里を見て、付き合いの深い面々は何かを察したような何とも言えない表情で彼女を見ていた。周囲からの視線を特に気にすることなく恵里はその思い付きを口にしようとし、グウィンの方からケチをつけられる。

 

「絶対に儲かる、という話ほど胡散臭いものはないのですが……具体的にどうやって儲けるので?」

 

「簡単だよか・ん・た・ん」

 

 クスクスとほくそ笑みつつもグウィンをいなし、恵里は絶対に上手くいく策を言葉にする。

 

「商品を売りつければいいのさ。帝国とそれに追従する貴族の奴らにね」

 

 その悪魔的発想を形にした恵里の口元はひどく歪に歪んでいた――。



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幕間四十八 主演が涙する茶番劇、脇役が光る交渉

水古戦場走って遅くなりました。どこぞの緩歩動物とはもう会いたくありません(挨拶&言い訳)

では気を取り直して拙作を読んでくださる皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも190056、しおりも434件、お気に入り件数も892件、感想数も685件(2023/11/30 21:49現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして皆様が見て下さるおかげで書く気力が湧いてきます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございます。おかげさまでまた話を書く気力をいただきました。

今回の話の注意点としておまけを含めて長め(約13000文字)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「じゃ、じゃあ、反逆者の奴らは本当に改心したってことですか!?」

 

 フューレンの街の広場で男の怒号に近い叫びが飛び、周りにいた人間も声を潜めながらも本当かどうか信じられないような面持ちであった。しかしそれらを向けられていた存在は()()()冷静な表情で彼らを見渡していた。

 

「……はい。この者達は既に私達の前で懺悔し、その罪を認めて悔い改めたのです」

 

 無数の人だかりに囲まれる中、ドレス甲冑に近い装束を身に着けた銀髪の女性は目の前の四人の少年少女を見下ろす。

 

 簡素な()()を身に着け、後ろ手で拘束されて地面に膝をついている彼らは聴衆の言う通り反逆者一味である。ここにいるのは中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴、天之河光輝だけであったが、銀髪の女性の傍らに控えている男の老人と妙齢の女の姿をした二人が他の者達も既にエヒトの前で悔い改めることを誓ったと述べている。

 

「で、ですが使徒様! こ奴らは我らをたばかっていた大罪人です! 今も裏切りの機会を待っているのでは――」

 

「……っ。私達と、あなた達の信ずる神の言葉を疑うと?」

 

 そんな折、この場にいた神父の一人が本当に反逆者の面々は心を入れ替えたのかと問いかけるも、神の使徒と言われた女性はグッと手を握りしめながらも冷淡な口調でそう返した。途端、神父は目に見えてうろたえる。

 

「そ、それは……」

 

「その言葉、エヒト様への信仰を疑ったと見なしてもよいのか」

 

 神とそれに仕える存在である使徒の言葉を疑ったとなればこの場で切り捨てられても仕方ない。むしろ今この場にいる全ての人間からそういった仕打ちを受けてもおかしくないだろう。神父という役職に就いているならばなおさらだ。

 

 そのことに気付いたが故に神父はうろたえ、老齢の男の姿をした神の使徒もまたその言葉の真意を問いかける。

 

「も、申し訳ありませんでした……え、エヒト様の遣いたる使徒様の言葉を疑うとは」

 

 顔を青ざめさせながらもその場にひざまずき、神父は許しを請う。その彼に向けられる視線の中にほんのわずかな人間が憎悪を向けてもいたりするが、多数は困惑と同情であった。多くが突如光の膜と共に現れたエヒトに仕える存在の言葉に翻弄されたからであったが故である。

 

「ならば私めがエヒト様に代わり許しましょう。これからも励むように」

 

 すると妙齢の女の姿をした神の使徒が神父の下まで歩いていき、かがんでその手を差し伸べた。そして老人の方もにこやかな笑みをたたえて神父を見つめており、その姿から人々は日々説法の中で語られる慈悲深きエヒトの姿を幻視する。その背から広げる藤色の翼も相まって神々しく思え、中には感激のあまり涙を流す者までいた。

 

「あなたが心配するのも尤もでしょう。ですが案ずることはありません。信徒の皆様、もし仮にこの者達が再度愚行に走るというのならば私達の力によって対処するまでです」

 

 そう述べると共に女と老人の使徒はその翼から羽根を落とす。それが地面や石ころに着いた途端、触れたものが消えていく様を見てどよめきが起きた。それを見た誰もが神の御業であると誰もが信じ、遠くにいてわからなかった者にもすぐにそのことが熱狂と共に伝わっていく。

 

「ではあなた達、エヒト様に背いた反逆者の皆様は私達のために尽くすことを誓いますか」

 

「はい。誓います」

 

 そして女の使徒が虚空から剣を取り出し、その切っ先を反逆者に向けて問いかければ、天之河光輝が顔を伏せながらも真っ先に同意する。

 

「今ようやく()の目も覚めました。この中村恵里、これからはエヒト様のため、そしてトータスの皆様のためにこの身を削って尽くすことを誓います」

 

「僕も同様です。全てはエヒト様のために。そして神の使徒様の意のままに」

 

「私も誓います。どうか今までの罪を贖う機会をください」

 

 そしてすぐに中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴もそれに続いた。恭しく、この身は今やエヒト様のためにと述べれば更に熱狂は高まっていく。

 

「し、信じます! 私も使徒様のお言葉を信じることにします!」

 

「お、俺も! 疑ってしまって申し訳ありません!」

 

 そうしてほんの数人が信じると口にすれば空気が変わるのはあっという間であった。誰もが神の使徒様を信じると声を張り上げ、広場は熱気に包まれる。それを見た銀髪の女はわずかにたじろぎつつも一言つぶやく。

 

「“鎮魂”……では私達はこの者達をしかるべき場所へと移し、トータスに住むあなた達信徒のために奉仕させます」

 

「しかしこの事をこの街の外に広める事をしばし禁ずる。未だこの者達の罪はわずかたりとも清算されてはおらん。故に善行を重ね、わし達がよしと判断してからそれを広めることを許そう」

 

「今しばらくは私達が天の上より見定め、時が来たならば改めて伝えるとします。では私達はこれで。あなた達を見ていますよ」

 

 そして手短にこの場にいる聴衆へと伝えると、現れた光の幕を反逆者と共にくぐっていって姿を消す。神の使徒達が姿を消すと同時に例の幕もまた消え、またしても目の前で見せられた神の力に聴衆は再度興奮に身を委ねた。かくして反逆者が心を改めたということはフューレンの人間の共通認識となったのである。

 

「……ふぅ。やっと終わったかぁ。お疲れ、皆」

 

 ――そして広場から数百メートルほど離れた裏路地にて。自分の分身の目を使ってタイミングよく“限界突破”と“界穿”を発動した浩介は額に軽くかいた汗を手の甲でぬぐう。神の使徒が広場に現れる際の演出をしたのは素に戻って無理矢理()()()()()()()()彼のおかげであった。

 

 天から舞い降りるという方法も考えなくはなかったものの、神の使徒に姿を偽装した雫が不自然な動きにならないかと恵里からケチをつけられたため、この演出となったのである。

 

「――光輝ぃ!」

 

「おわっ!」

 

 そして七人が無事にゲートから出てくると、すぐに偽装を解いた雫がタックル同然に光輝へと抱き着く。

 

「ごめんね……ひどいこと言ってごめんね……すずも、えりも、はじめくんも……うぅ……」

 

「俺はいいから……なぁ、皆。許してあげて、くれないか」

 

 急な抱き着きに思わずたたらを踏みそうになった光輝であったが、無事に彼女を受け止めつつもその懺悔を聞いて許した。そして申し訳なさそうに光輝が視線を向けてきたため、恵里も鈴もハジメもやや苦々しい表情でうなずく。

 

「いいよ、雫。別に恵里が考えた筋書きをなぞってくれたんだからむしろお疲れ様だよ」

 

「気にしないでよ。ボクやハジメくん達が考えた演出だったんだから、雫が気に病む必要なんてないよ」

 

「うん。鈴と恵里の言う通り。これぐらい気にしてないから。もう泣き止んで。ね?」

 

 三者三様にそれぞれ気遣いの言葉を雫へとかける。事実、先の一連の流れは恵里、ハジメ、幸利、リリアーナにアレーティアなどが考えたものだ。こうすることで自分達が先の摘発で動いていたことを納得させ、フューレンで活動しやすくなるように演出したのである。

 

「ありがと……ありがとう、みんなぁ……」

 

“ねぇ恵里、ハジメくん。お願いがあるんだけどさ”

 

“雫のことでしょ、鈴? もちろん、どうにかしよう。だって大切な幼馴染だから”

 

“うん。光輝君だけに負担をかけさせる訳にはいかない。僕達も考えよう。雫さん、光輝君、それに鷲三さんと霧乃さんのために何が出来るかを”

 

“……ありがとう。二人とも”

 

 そうして気にしていないと言ってあげれば、ひどく安心した様子で泣きじゃくりながら光輝へとしなだれかかる。その様を見て間違いなく雫に異変があったことも、その原因がおそらくウルの街であった惨劇に起因するであろうことも三人は見抜いていた。だからこそ、大切な親友であり幼馴染をどうにかして助けたいと心の中で奮起する。

 

“……なぁハジメ。それに恵里と鈴も。雫を立ち直らせるの、手伝ってくれないか”

 

“すまないハジメ君達。その、雫のことなんだが……”

 

 そんな折、浩介と鷲三の方からも“念話”で打診が飛んできた。そちらの方を見れば霧乃も悲痛な表情でこちらを見つめ返しており、彼らもまた考えることは一緒だったようである。

 

“浩介君、鷲三さん、霧乃さん……”

 

“なんか雫の様子が変なのはわかってたんだけどさ、ここまでひどいとは思わなくって……頼む”

 

“これは私達家族の問題なのはわかっています。けれど、どうすればいいのかわからなくて……”

 

“無力だと笑ってくれても構わない。だがどうすれば、どうすれば雫の心の傷が癒せるかわからんのだ……”

 

 三人のあまりに苦しげな顔を見て恵里達は力になりたいと心の底から思う。特に恵里はエヒトに拉致された後、自殺しようと錯乱したのを雫が止めてくれたことに恩義を感じていたから尚更であった。

 

“もちろん。ボクがここにいるのは雫が止めてくれたおかげでもあるしね。だからどうかやらせて下さい。鷲三さん、霧乃さん”

 

“さっきそれを話してたところです。鈴達がどこまで力になれるかはわからないですけど、親友を助けたいんです”

 

“僕もです。地球にいた頃から鷲三さんと霧乃さんにもお世話になってましたし、その借りを返させてください。お願いします”

 

 恵里達がむしろ協力を申し出てくるのを見て、浩介らのほほを涙が伝う。ぐすぐすと鼻を鳴らし、三人とも腕やハンカチで目元をぬぐった後、また涙が出そうなのを堪えながら言葉を交わす。

 

“助かるよ恵里、鈴、ハジメ……”

 

“この恩は一生忘れん。その言葉だけでわし達も救われた”

 

“ありがとう鈴さん、恵里さん、ハジメ君……あなた達が雫の友達で、本当に良かった”

 

 口々に礼を述べる三人にうなずいて返した恵里達は、えぐえぐと幼子のように泣いてしまっている雫と彼女をあやす光輝に視線を向ける。どうか彼女の心の傷が治るように、泣きそうなのを堪えている少年の心が晴れるようにと決意を新たにしながら。

 

 

 

 

 

「なるほど。食料の補給か。通っていいぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 一方、ブルックにて。キャサリンとクリスタベルの助力を得るために会いに来た龍太郎ら一行は、姿とステータスプレートを偽装するアーティファクトを利用して真正面から堂々と街中へと入っていく。

 

「……やっぱりちょっと気になっちゃうね」

 

 アレーティアが門番の男性に返事をし、門を出てすぐに香織が少し罪悪感に苦しんだ様子でぽつりと漏らした。

 

“悪いのはエヒトのせいだろ白崎。んなもん気にしなくっていい話じゃねぇかいい子ちゃんがよ。な、アレーティア、龍太郎”

 

“え、えっと、大介の言う通りです。これは白崎さんが気に病むことじゃないですから……”

 

 仕方がないこととはいえ、今回も不正な手段で街へと入っていったことに納得が出来なかったり罪の意識を感じていたのだろう。それを察した大介はやれやれといった様子で、アレーティアも大介の言い方に少し焦りつつも彼女なりに香織を励ます。が、当人は納得しきった様子ではなかった。

 

“でも……”

 

“そうだな。大介とアレーティアの言った通りだ。でもまぁ、全部終わって謝りに行きたいってんなら、俺もついてくさ。な?”

 

「……うん。ありがとう」

 

 不服そうに言葉を漏らす香織に龍太郎は足を止めると、じっと彼女の顔をのぞきこみながら“念話”で思いを伝える。街中で自分達の名前を不用意に明かさないためだったが、効果はあったらしくほんのりと瞳をうるませながら香織はうなずいた。その様子を見て三人も少し安堵した様子を見せると、すぐに目的の場所へと向かおうと通りを歩いていく。

 

「おいおい。フューレンに寄ったって割にゃ品揃えが悪すぎんじゃねぇか? 普段の半分もねぇだろ」

 

「親しくしてた商人が夜逃げしちまってな……どうにかかき集めてきてこれっぽっちなんだよ」

 

「おい。真昼間から酒飲みやがって。今日は店やってねぇのか?」

 

「ウルの街産の食材は軒並みダメだからな。アンカジの方と取引してる訳でもねぇしよ……じいさんの代からの店、たたむしかねぇかもな」

 

“ねぇ、これって……”

 

 前に来た時とは違って通りに面した露店はあの時のような熱気も感じられず、数も少ないように見える。往来から聞こえる話からしてもフューレンやウルの方面でのトラブルによる影響が出ているのが嫌でもわかってしまい、香織は心を痛めていた。

 

“思った以上に影響出ちまってるな……”

 

“こりゃな……キャサリンさんとクリスタベルさんに土産、用意しといたほうが良かったか?”

 

 このままだとこのブルックもきっと駄目になってしまう。そのことを直感でわかった龍太郎は焦り、大介も他の人間はともかく恩人である二人のためにも何か食べ物でも持ち込んだ方が良かったかと漏らす。

 

“それは駄目、大介。きっと二人の間に不要なトラブルを生みかねない。だから”

 

 ただ大介の考えはすぐにアレーティアに理由付きで否定される。自分より頭の回るアレーティアからこう言われてしまっては流石に否定できず、ばつが悪そうに大介は頭をかく。

 

“あー、だな。悪い。そこまで考えてなかった”

 

“ん。大介は二人のことを思ってそう口にしたのは皆わかってる”

 

“うん。檜山君がそう思ったのもわかるよ……早く行った方がいいよね”

 

“あぁ。行こうぜ、冒険者ギルドへ”

 

 当初からのプラン通り、冒険者ギルドへと進む四人。まずはキャサリンと接触するべく、早足で通りを歩いていく。

 

“キャサリンさん、いるかな?”

 

“まぁ駄目だったらクリスタベルさんのところに行くしかねぇさ”

 

 何故先に彼女と会うかについては彼女をクリスタベルの店へ来るよう頼むためだ。ギルドの中では今回持ち掛ける相談と()()は聞かせられない。だから前に聞き取りや雑談をしたクリスタベルの店へと行ってもらうよう取り計らう。それが今の彼らの目的であった。

 

「ようこそ。冒険者ギルド、ブルック支部へ……おや?」

 

 ほどなくして四人はギルドの扉をくぐって進み、キャサリンがカウンターにいるのを一行は確認した……のだが、どうも一目見ただけでこちらの正体に気付いたららしく、多数の人に好かれるあの笑顔がほんの一瞬より柔らかいものに変わったのを香織達は見てしまった。

 

“まさか……キャサリンさん、気づいた?”

 

“なんでバレるんだよ……”

 

“キャサリンさん恐るべし……”

 

 奈落の魔物相手に観察眼を各々磨いていたため、四人は気付いてしまったのだ。アレーティアだけはほんの一瞬顔が強張る程度で済んだが、大介、龍太郎、香織は驚きのあまり体が動かなくなってしまう。

 

「おーい、あんた達。そこで止まってると他の冒険者達の迷惑になるから早くこっちに来な」

 

“ね、ねぇ、この声の感じって……”

 

“前にクリスタベルさんの店で話した時の感じ、だよな……見た目、違うはずだろ?”

 

 そしてかけてきた声も、以前クリスタベルの店で色々と雑談していた時の砕けた感じの声色と近い。ほぼ確実に自分達の正体がバレてしまっているであろうことが嫌でもわかってしまった。オバチャン恐るべし。四人はそう思いつつもキャサリンに促されるままカウンターへと歩いていった。

 

「はい、ようこそ。冒険者ギルド、ブルック支部へ。ご用は何だい?」

 

「……こちらの査定を」

 

 そして何事もなかったかのように用件を尋ねられた。完全に主導権も何も握られてしまっていると誰もが思いながらもアレーティアだけは事前の打ち合わせ通りに動く。袋から出すフリをして宝物庫から取り出した魔物の素材()()をカウンターへと置いた。

 

「へぇ。ここらの魔物の素材に少し大きめの魔石かい……ちょっと待ってな」

 

 キャサリンもすぐに気付いたらしく、ほんの一瞬だけ視線が素材……の下の方へと動いた。そのまま素材を受け取ったのを確認し、四人は彼女のリアクションを待つ。

 

「まいどあり。買取額はこれぐらいでいいかい? それと、()()は捨てといたからね」

 

「あぁ。ありがとう」

 

 そう言いながらキャサリンは二万ルタ程度の金をカウンターへと置く。龍太郎達は彼女が期待通りのリアクションを取ったことに内心手ごたえを感じながらも、それを表情に出さないよう必死に抑えながらギルドを後にしていった。

 

「よっしゃ! 上手くいったな」

 

「……ん。キャサリンさんには感謝しないと」

 

 そうしてしばらく歩いてから大介は大きくガッツポーズをし、アレーティアもそんな大介を見ながら微笑む。

 

 先程アレーティアは魔物の素材の買い取りをやってもらう際、その素材の下に一枚のメモ書きを忍ばせておいたのだ。それには『後でクリスタベルの店のお店に来ていただけませんか。もし来ていただけるならば後でゴミを捨てたとだけ言ってください。坂上龍太郎一行より』と書かれてあった。さっきゴミ云々で手ごたえを感じたのはそのためだ。

 

“まぁ会って早々俺達の正体がバレたのは流石に驚いたけどな”

 

“そうだよね。ちゃんと姿を偽装するアーティファクトは起動してたのにね。ますますキャサリンさんにかなわないって思っちゃったもん”

 

 まぁ最初から自分達の正体を看破されたことに関しては予想外もいいところだったが。そのことを振り返って誰もが苦笑しつつ、次の目的地へと向かっていく。

 

「あと数分も歩けばクリスタベルさんの店だったな」

 

「ん……気づいてくれるといいんだけれど」

 

 ブルックの街に来た際に厄介になった漢女、クリスタベルが経営する店へ。別れ際に可能な範囲で協力すると言質を取っているのだ。出来る範囲でそうしてもらうつもりで彼らは向かった。

 

「あらん。いらっしゃい♥ ここらだと見ない子だけれど、何の御用かしらぁん?♥」

 

 ドアベルが鳴ると共に懐かしい筋骨隆々のあの店主が出迎えてくれた。だが心なしかその声が前と比べて勢いがないように龍太郎らは感じ、アレーティアも何かあったと推測して言葉を詰まらせていた。

 

「あの、クリスタベルさん。お久しぶりです」

 

 クリスタベルの異変にうっすらと気づきつつも香織は声をかける。するとあちらも何かを思い出すように腕を組んで右手を下あごに当てて考える素振りをした。

 

「うん? どこかで聞いたことがあったような……ごめんなさいね。どこかで会ったことがあるかしらぁん?」

 

「あー、このカッコじゃわかんねぇよな。ちょっと、奥行かせてもらうぜ」

 

 申し訳なさそうに漏らすクリスタベルに、大介は店の隅へと歩いていき、すぐに姿を偽装するアーティファクトのスイッチを切る。その瞬間クリスタベルは大きく目を見開き、姿を偽装したままのアレーティアらと何度も視線を行ったり来たりさせていた。

 

「そんな……じゃあそっちの皆も」

 

「ん……私達の仲間の南雲さんのアーティファクトの効果で別人になりすましてます。お久しぶりです」

 

「もうあなた達ったら……! ちょっとリビングで待っててねぇん! すぐに店を閉めるわぁん!♥」

 

 顔を手で押さえ、瞳を潤ませたクリスタベルはすぐに店の外へと向かっていった。こうして店をすぐに閉めてこちらを出迎えようとしてくれる心優しい漢女に四人は少し涙が出そうになったものの、それは一旦後にしようとお互い目を合わせてうなずき合った。

 

「良かったぁ……クリスタベルさん、覚えててくれたんだ」

 

「当たり前でしょう♥ いっぱい苦労してた香織ちゃん達のこと、そう簡単に忘れる訳にはいかないわぁん♥」

 

「早いな!?……いやもう、その、ありがとうございます」

 

「いいのよいいのよ♥ 謝らなくったっていいわん龍太郎きゅん♥ じゃ、すぐにお茶を出すわねぇん。」

 

 一回しか訪れなかった自分達を覚えててくれただけでも嬉しいのに、こうして自分達をもてなそうとしてくれる。そんな彼女? の優しさにまたしても助けられたことをありがたく思いつつも四人は店の奥のリビングへと向かう。これから何を話せばいいやらと内容を色々と吟味しながら。

 

 

 

 

 

「――まったく、あんた達とんでもないことしかしてないねぇ」

 

「ホントそうよん。何度自分の耳を疑っちゃったかわからなかったわ」

 

 店の奥のリビングに案内された後、ほどなくしてキャサリンも店を訪れた。そこで龍太郎らは自分達に起きたことを話していった。親切な協力者が出来たこと、その後フューレンを訪れて商業ギルドから助力を得たことなど向こうが信じやすい情報だけを提示して。

 

「いや、その、あはは……」

 

「いや俺らからすりゃ秘密にしておこうとしてたのをしれっと見抜いたアンタが怖ぇーよ」

 

 なお割とアッサリとキャサリンに見破られてしまったが。王国、そしてフューレンと協力関係を結んだことまでバレてしまったのである。

 

「王国と協力関係になったことだけじゃなくって、フューレンが味方についたことまで推測で言い当てねぇでくれよ。心臓が止まるかと思ったぜ……」

 

 自分達が世界の敵となったこと、神の使徒がもたらした情報から推測して真実をほとんど言い当てたのだ。これにはアレーティアでさえも間の抜けた顔をさらしてしまい、残りの三人はひたすら冷や汗を流して目をそらすばかりだった。ただ本当のことを言ったら言ったで、向こうも信じられないものを見るかのような目で見てきた辺り理不尽である。

 

「ま、そのことは水に流そうじゃないか。そっちだってあたし達が信じるかどうかわからなかったから隠そうとしたんだろう? ほら本題に入った入った」

 

「まぁ、そうなんですけど……わかりました」

 

 キャサリンに話を進めるようせかされ、どこか釈然としないものを龍太郎らは感じたものの、こうして話をしてもいいとあちらから言ってくれたのだからと四人は本題を切り出すことにした。

 

「とりあえずキャサリンさんもクリスタベルさんも俺達の今の状況はわかったよな」

 

「もちろん。あんた達は今、ハイリヒ王国とフューレンと協力関係を結んだってのはわかったよ」

 

「そうねぇん。どうにか龍太郎ちゃん達の状況は飲み込めたわ。それで相談っていうとそのフューレンのことでいいのかしらん?」

 

 龍太郎が早速自分達の今の状況について尋ねてみればキャサリンはうなずき、クリスタベルも軽く苦笑しつつもフューレンに関する問題なのかと自身の推測を明かした。実際二人の認識は間違ってはいなかったため、大介らは一度目配せをしてからアレーティアに全部託す。

 

「ん……商業ギルドの立て直し。そのためにもまずお金を工面したいと思っています。一応私達の方でも考えたのですが」

 

 アレーティアもそれに応えてキャサリンに自分達が相談したいことを明かす。それを聞いた彼女も軽く目を細めてアレーティアらを見つめてきた。

 

「なるほどねぇ。確かにフューレンがダメになっちまえばこの街だって影響が出てくる。実際通りの露店は前と比べて少なくなっちまったからねぇ」

 

「はい。ですからここで一つ()()があります」

 

 眉間にしわを少し寄せながらもつぶやいたキャサリンに対し、恵里に幸利、リリアーナ、イルワ、グウィンに相談して決めた儲け話をアレーティアは持ち掛けた。

 

「商業ギルドの経営が回復するまでの間だけで構いません。私達の方で確保した魔物の素材、魔石を定期的に卸すので、それを買い取っていただけませんか」

 

 それは冒険者ギルドの方に素材を納品する形で金を引き出すというもの。とはいえ一度にもらう金額もある程度上限を設けなければあちらとて困るというのはわかっている。だがお互いにWin-Winの関係の取引となるから決して悪い話ではないし、必ず乗ってくるだろうとアレーティアは踏んでいた。

 

「なるほど、そうきたかい」

 

 そしてそれを裏付けるようにイルワ、グウィンのお墨付きであるこの案を聞いてキャサリンの方も眉間に寄せたしわが少し緩んだようであった。

 

「確かにありがたい話だね。ちゃんとこっちの利にもなるように考えてある。けれどもウチだっていくらでも金が湧き出てくるワケじゃないよ。限度はこちらで決めさせてもらう。それでいいね?」

 

「はい。構いません」

 

「やった!」

 

「ぃよっし!」

 

 出てくる条件も想定通り。事が上手く運んだことに喜んだのは香織や大介達だけでない。アレーティアもほんのわずかに口元を緩めつつも、更にもう一つの頼みを提案する。

 

「それともう一つ。ここ以外の各地のギルドでも同様のことをやろうと考えています。そのための口利きや便宜を図るのをお願いできますか」

 

 それはブルックだけでなく、冒険者ギルドが存在する各街や村を訪れて同様のことをやるということ。色んなところから少しずつ持っていけば一ヶ所で引き出す金が少なくてもそこそこの額になる。それを成し遂げるためにキャサリンに手伝いを頼み込んだのである。

 

「ふーむ……別にあたしに口利きなんてしなくても問題は無い。けれどもわざわざ頼み込んできたってことは、そっちが不審がられないように手引きをしてほしい。それとどこでどんな素材を納品すれば怪しまれないか。それを知りたいってことだろう?」

 

「はい。そうです」

 

 そのキャサリンもどうしてこういった形での協力も頼み込んだかも推測し、それを話してきた。それも全てアレーティアが懸念した点をだ。

 

「そこまで考えてるなんてすごいじゃないアレーティアちゃん♥ でも、口利きってのもモノによるわよん?」

 

「ん……それはわかってます。クリスタベルさん」

 

 話が早くて助かると思っているとクリスタベルの方もしきりに感心した様子でうなずきはした。だが自分達に手引きする方法は選ばせてもらうと言外に述べ、大介達も軽くつばを飲み込む。

 

「それも理解しています。ですのでキャサリンさんのやれる範囲で構いません。どうかお願いします」

 

 故にそれをわかった上で吸血鬼の元王は頭を下げる。ここまでくれば後は向こうの出方次第。もちろん協力できないのならばそれで構わないし、別の方法を一緒に考えればいい。そう思いながらアレーティアはキャサリンとクリスタベルが答えを出すのを待った。

 

「ねぇキャサリン。やり方は幾らでもあるんだし、あたしは悪くないと思うんだけど。少しぐらい手を貸してあげたっていいんじゃなぁい?」

 

「そうさね……わかった。便宜を図るのは流石に出来ないけど、やれる範囲で協力してやるさ」

 

「さっすが俺のアレーティアだ! 信じてたぜー!」

 

「んっ!」

 

「いよっしゃあー!!」

 

「やったー! やったよ龍太郎くん!」

 

 その言葉で一同は沸き立った。実際今回持ち掛けた商談もキャサリンの協力がなければどうにもならない話であり、ずっと緊張していたからだ。細部を詰めるのはこれからとはいえ、こうして成功を収めたことで緊張の糸が切れたことで押し寄せた喜びが彼らを支配したからである。

 

「おめでとう皆。それとアレーティアちゃん、ちょーっと聞きたいことがあるんだけれど?」

 

「? どうしたんですか、クリスタベルさん」

 

 そうして四人でもみくちゃになって喜んでるところにクリスタベルが話しかけてきたため、全員が彼女? の方に視線を向けて首をかしげる。何か不備でもあったんじゃ、と今更ながら不安が押し寄せるもかの漢女が言ってきたのはそういうことではなかった。

 

「フューレンの方で結構な人数の犯罪者が捕まった、って言ってたでしょ? もしそっちの方でも対処に困ってるならあたしが役に立てるかと思ったのよん」

 

 その提案に一同はありがたく感じはしたものの、あまりにも意外であったためにしばしそのまま固まってしまう。その反応から『あらやだ余計なこと言っちゃったかしらん?』と困惑するクリスタベルを見てようやく全員再起動。アレーティアがそのことを尋ねた。

 

「また変わったことを言うねぇ。どうしたんだいクリスタベル」

 

「……クリスタベルさんの提案はありがたいんですけど、どうして?」

 

「さっきの話、捕まえた犯罪者の対応で保安署の方も大忙しで冒険者ギルドの方も対応に追われてるんでしょ? だったら罪の軽い子達数人ぐらいならあたしでも面倒見れるかと思ったのよん」

 

 クリスタベルが申し出た理由を聞いて香織達は納得する。確かに最初に会った時は見た目のインパクトも相まって奈落の魔物に負けず劣らずの強さを持っているのではと感じたからだ。今こうして彼女? の見事な体格に一同が視線を寄せれば、やはりそこらのならず者ごときに後れを取るはずがない。そう確信できるほどの筋肉と均整の取れた体つきであった。

 

「もう……キャッ♥ あんまり漢女を見つめないでちょうだい♥ 流石に照れちゃうわん♥」

 

 そう言いながら両手で自分の体を抱くようにしてクネクネと動く様を見て、大介と龍太郎はちょっとだけイラッとする。香織とアレーティアはほんの数秒苦笑するだけに留めた。

 

「その……一応イルワ支部長に確認してからでいいですか? 私達の一存で決められる話じゃないので」

 

「もちろんよん♥……そうとなったらすぐに支度をしないといけないかしらん。フューレンまで馬車で一週間近くかかるし、でも馬車の方は――」

 

 その提案は一旦保留にしたいと回答すれば、クリスタベルも快くうなずいてくれる。そしてこれからフューレンに行こうと思案したため、香織がいいことを思いついたとばかりに手を打った。

 

「あ、大丈夫ですよクリスタベルさん。すぐ行けますから」

 

「もう香織ちゃんってば。そんな近所にある訳じゃないんだから」

 

 イタズラを思いついたように口元をちょっと吊り上げながら言えば、クリスタベルも苦笑しながら彼女をたしなめる。が、大介達は何を言いたいかがすぐにわかったため、同様に意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「あーアレか」

 

「香織お前なぁ……ま、いい意趣返しになるか」

 

「ん。やっちゃってください白崎さん」

 

「? もしかしてそれが出来たりしちゃうのかしらん?」

 

「そうですよー。えいっ」

 

 ニコニコしながら香織は懐からゲートキーを取り出し、そのままフューレンへと繋がるゲートを開く。その瞬間現れた光の膜には平野と街道が映り、それを目撃してしまったキャサリンとクリスタベルは目を大きく見開いてしばし固まってしまった。

 

「よし。一応ゲートホールは置いておいたぞ」

 

「ど、どういうこと? な、なんであたしの家の一部が街道になってるのぉん!?」

 

「ありがとう龍太郎くん。あ、どういうことかは行ってみればわかります。さ、キャサリンさんも!」

 

「ちょ、ちょっと待った! あたしもかい!?」

 

 そう言いながら香織達はキャサリンとクリスタベルの手を引いてゲートをくぐる。そこから歩いて数分、一行の視界にはフューレンを象徴するあの外壁が飛び込んできた。それを見た二人はその場で動かなくなり、しばし呆然とした様子で目の前のものを見ていた。

 

「これ、私達の親友のハジメ君が作ってくれたものなんですけれど、これのおかげで色んなところを一瞬で移動出来ちゃうんです!」

 

「ねぇキャサリン。これって夢かしら」

 

「奇遇だねぇ。あたしだってそう思ったよ」

 

 香織はドヤ顔でゲートキーを掲げるも、ショックが大きすぎたせいか夢か何かと勘違いしている様子。まぁ無理も無いかと思いつつ、二人を上手いこと驚かせたことに他の三人も満足していたのだった。




おまけ キャサリンの慧眼

 程なくしてキャサリンもクリスタベルの店に訪れたため、すぐさまアレーティア達は話を切り出すことに。

「まず私達が今置かれている状況です。先日、私達に協力を申し出てきてくれた方がいて、現在はその方のところに居を構えて色々とやってます。そこでフューレンの方でも私達に力を貸してくれる方が現れました」

 流石にハイリヒ王国、そしてフューレンが自分達と協力関係を結んだ経緯を話しても信じられないだろうと踏んだアレーティアは軽く言い換えて説明をした。

「ちょっと待った。アンタ達、その親切な人と()()そういった関係を結んだんだい? ハイリヒ王国の悪行がウワサになった辺りからかい?」

「あ、いや、その……」

 ところがキャサリンは何かに気付いた様子で問いかけられ、思わず答えてしまった香織の表情は強張ってしまっていた。無論それは大介も龍太郎もであり、それを見たキャサリンはやっぱりといった様子で四人を見つめていた。

「ちょ、ちょっと待ちなさい!……ねぇキャサリン、あなたのその言い方だとまるでハイリヒ王国がアレーティアちゃん達と協力関係を結んだ、ってとられてもおかしくないわよ?」

「なんだいよくわかってんじゃないかい」

 おそるおそるといった様子で確かめてきたクリスタベルに不敵な笑みを見せながらキャサリンは答える。見抜かれた。見抜かれてしまった。アレーティアは思わず口をポカンと開けたまま止まってしまい、大介達もブワッと大汗をかきながら視線をそらす。恐るべき洞察力であった。

「どう、して……」

「前に胡散臭い女が現れてハイリヒ王国も上層部がどうのって話を聞いたもんだからね。お互い世界の敵になった同士だし、利害関係を結ぶのは当然だと思ったのさ」

 そうなった経緯は違うのだが単なる勘でなくしっかりとした理屈まである。見事な洞察力を称賛するしかないと龍太郎らは思った。

「それにこの街の人間以外にもギルドの人間から話を聞く機会ってのもあってね。話を聞く限りじゃ香織ちゃん達に対する敵意は高い。そんな相手にわざわざ協力しようなんて人間はまずいないよ……フューレンの方はあたしの教え子のイルワが条件付きで提案してきたんじゃあないのかい?」

 更にえげつない追い打ちが決まる。わずかな隙すらないロジックで攻められればもう降参するほかない。アレーティアも深く、ふか~くため息を吐いてうつむくのがせいぜいであった。

「ったく、どこまで見通してるんだよ……実際その通りだよ」

「流石ねキャサリン……」

 その洞察力にクリスタベルも思わず舌を巻いており、龍太郎もそれを認めるだけだった。だがこれでオバチャンは追撃の手を緩めることはしなかったのである。

「そりゃあ教育役をやってたからね。これぐらい頭が回らなきゃやってられなかったさ――それで、どういった経緯で王国とイルワの奴とも協力関係を結んだんだい? あたしに教えておくれよ」

 あの人の好い笑顔を浮かべながら世間話でもするかのように迫ってきている。キャサリン恐るべし。この人を敵に回したらいけないと四人は心に深く刻みこんだのであった……。


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八十三話 またしても異世界に広がった波紋

また遅刻しました(白目)

コホン。では改めまして拙作を読んでくださる読者の皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも191215、しおりも436件、お気に入り件数も893件、感想数も689件(2023/12/12 05:13現在)となりました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価して下さり誠にありがとうございます。おかげでまた筆を執る力をいただきました。感謝いたします。

では今回の話を読むにあたっての注意としてやや長め(約13000字程度)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「あぁクソッ! ふざけんじゃねぇぞ!」

 

 フューレンから東に一キロほどのところ。未だ天幕を張る作業が続く中、ヘルシャーの皇太子の怒号が響く。

 

「お、落ち着いて下されバイアス様! 反逆者どもに苛立たれるのは理解しておりま――」

 

「黙れぇー!!」

 

 彼を(いさ)めようとした文官の一人を切り捨てようとバイアスは腰の剣を抜いたが、すぐさま割って入ったトレイシーの大鎌によってその一撃は止められてしまう。

 

「お兄様、今は怒りに身を焦がしている場合ではなくって……よ!」

 

「だったらどうしろと言う気だトレイシー!」

 

 バイアスの剣をやっとのことで弾いたトレイシー。だがバイアスは今度はその怒りを彼女へとぶつけるだけであった。

 

「このまま無様をさらし続けて、あのカス共の思い通りになれって言ってるのか! なら皇族のお前であっても殺してやるぞ!」

 

 フューレンの街まであと少しのところで亡霊に襲われた後、恐怖のあまり帝国の部隊は方々へと逃げてしまった。バイアスも例外ではなく、そこから何百メートルか走った後で疲労困憊となりその場で倒れこんでいた。追撃もなく、襲撃された場所から幾らか離れたにもかかわらず、他の兵士や文官共々降霊術師の存在に怯えていたのである。

 

「今は耐える時ですわ! 包囲網を敷いて、遥か遠くから数の暴力で確実に潰すのです!」

 

 そこでトレイシーらの一団が逃走した兵士数十人をどうにかかき集めてバイアスの下へとやって来たのだ。そしてバイアスのに先の亡霊の襲撃のからくりが如何なるものであったか、そして挑発まがいの忠告が刻まれた金属板を見せたのである。

 

「俺を犬と同列に扱ったか? ならば今ここでお前の首を刎ねる!」

 

「気に障ったのなら謝罪します! ですが、五百もの兵が()()で追い返されたんですのよ! 士気が低い兵も混ざっている上に兵も少なくなった現状で勝てると思いますの!」

 

 今も彼女の副官が兵を率いて逃げ出した兵や物資を集めに天幕の近くを走り回っている。が、いまここで集まってる兵も精々百に届くかどうか。おまけに彼女の言うように合流した兵の中で士気が低いのも二割はいるのだ。そんな状態で勝てるのか。それを理解できないほどバイアスは馬鹿ではなかった。

 

「俺に耐えろと、泥を被れと言うか!」

 

 だがそれをバイアスのプライドが許しはしない。ただ負けただけでなく、傷すらつけられずに敗走させられたという屈辱がこの男から冷静さを完全に奪い取っていた。故にトレイシーをこのまま切り捨てるべく全身の力を注ぎ込まんとする。

 

「どれだけ強くてもたかだか二十にも満たない人間! 烏合の衆しか残っていない元王国に何が出来ると思いますの!」

 

 それを察していたトレイシーは即座にバイアスに再度冷や水を浴びせる。『今は』無理だ。だが戦力さえ整えればあの程度は潰せるのだと暗に述べたのである。

 

「フューレンは元王国に味方したようですが所詮はいち都市。寝返った貴族がほとんどですし、例のあの女がアンカジに降り立っている可能性も高いと前に結論が出たではありませんの! ウルの街も実質潰れたと言っていい状況ですし、エリセンとていつまでも元王国の味方でいる可能性は低い! 包囲網を敷いて潰すことも! 圧倒的な兵力を以てすり潰すことだって可能ですのよ! ですから今は!」

 

 更に今のトータスの勢力図も帝国に味方している。孤立無援とほぼ同義のハイリヒ王国に味方する戦力はほとんどいない。先日、帝国の冒険者ギルドと連絡が取れなくなったホルアドが陥落したと見ても片手で数える程度にしか王国の味方はいない。ならば持久戦に持ち込もうとも、かき集めた兵で蹂躙することも可能だと告げればバイアスの動きが止まる。

 

「……そう、だな。いくら一匹一匹が強いからって何百倍もの戦力差で勝てるワケがねぇか」

 

 必死になって説得したのが功を奏したのだろう。バイアスは剣を鞘に戻し、部下からあつらえられたイスにどっかと音を立てて座る。それを見てトレイシーも軽くため息を吐くと、彼へと近づいていった。

 

「えぇ、そうですわ。既に早馬を帝国に飛ばしましたからすぐにお父様も動いてくれることでしょう――それに、あちらの勝ちの目を更にゼロに近づけるいい方法も浮かんでおります」

 

 抜かりなく動いたと述べたトレイシーにフンと軽く不機嫌そうにバイアスは鼻を鳴らす。しかし向こうはそれでも歩みを止める様子は無く、一体何の用だと思いながら待っていれば酷薄な笑みを浮かべながらトレイシーはバイアスにあることを耳打ちをした。直後、バイアスは信じられないようなものを見る目でトレイシーを見つめる。

 

「……正気か? 『アレ』を使って無事で済む人間なんざいねぇだろ」

 

「元より承知の上ですわ。それに勝負の果ての死は武人の誉、そうでしょう?」

 

 そう述べるトレイシーの表情はわずかに引きつっていた。勝利のためだけに己の命をベットすることへの恐怖が確かにそこにはあった。だが、別の感情もそこに宿っていることをバイアスは見抜いてしまった。

 

「あれだけやってまだ底が見えない……そんな相手に挑むな、なんてことは仰りませんよね。バイアスお兄様?」

 

 ――その目に勝利への飢えが根付いていることに。

 

 

 

 

 

“そう、シズが……”

 

“うん。何かいい方法でもないかなって思ってさ”

 

 広場での茶番を終え、雫をなだめるのを光輝と浩介らに任せた恵里達は現在とある劇場へと向かっていた。幸利達が襲撃をかけた闇オークションの会場となった場所である。先の猿芝居をする前、イルワとグウィンに披露したある思い付きをやるために広いスペースが必要だったからだ。その成果を確認するためにそこへと歩きながら恵里は優花と連絡を取っていた。

 

“私だってカウンセリングなんて専門外よ。でも、シズとコウキのためにどうにかしたいってのはわかるわ”

 

 こうして優花と連絡を取り合う前に既にハジメと鈴とも話し合ったのだがいい解決策は浮かばず。そこで友人達に報告がてら相談をしようと言うことになり、恵里はひとまず優花に声をかけたのである。今二人も口の堅い友人と連絡を取っているだろうと彼女は考えている。

 

“わかってる。でもボクだって雫の心を癒す方法が思い浮かばないんだよ……親友だってのにさ”

 

 そんな中、恵里は己の力不足を優花に打ち明けていた。前世? の間柄だったらともかく今の雫はただの幼馴染であり親友のひとりなのだ。あの様子だとアレーティアとは違って自分が変になっているという自覚も無いだろうと恵里は見ている。それ故に余計に痛々しく感じ、助けたいと心から思っているのだ。

 

“……今は私も作業にかかってるからあまり時間を割けないけど、考えてみるわ”

 

“うん。ありがとう。邪魔して悪かったよ”

 

“気にしないで。私だってその光景を見たら誰かに相談してたと思うし。じゃ、切るわよ”

 

 自分が頼み込んだ作業をしてる中、相談に乗って考えてくれた優花に礼を述べ、彼女からの返事を受けて少し心が軽くなる。優花とつないだ“念話”が切れると同時に恵里は息を短く吐き出し、まだハジメと鈴が話し合いを続けている最中であるのを確認してから一人思案する。

 

(とりあえず優花の方も色々と考えてくれるかな。ありがとう。さて)

 

 心の中で優花に一度礼を述べると他にこの話をしてもいい人間は誰か、光輝と相談していない今の段階でどこまで話していいのかと改めて考える。

 

(やっぱり畑山先生は却下。あの人のことだから馬鹿みたいに心配して雫を引き抜こうとするだろうし、そうなったら光輝君と鷲三さん達も戦力から抜ける……本当ならそうしてあげたいところだけど、あんまり悠長なこと言ってられないしなぁ)

 

 そこでまず愛子の存在を排除する。冷徹になってしまった今のクラスメイト第一な彼女に知られたらどんな動きをするかわかったものじゃない。どこまでも頭を回転させて雫を前線から下げようと必死になるはずだと恵里は結論付けた。出来ることならばもう戦わずにいさせてあげたいとも思いながら。

 

(そんなことをしたら雫が今の自分の状態に気づいて傷つくかもしれない。自分のせいで皆に、光輝君に迷惑をかけたと思ってふさぎ込むかも……うん。それだけは絶対に避けないと)

 

 そして愛子の行動のせいで雫が傷つく可能性も思い浮かべていた。だからこそ愛子にだけは絶対知られてはいけない。それと同時に表情に出やすくて口の軽そうな大介らにも話すべきではないと考える。

 

(近藤君達には悪いけど、こればっかりは言えない。それが先生とか雫にバレそうだしね。でも、ある程度は匂わせとかないと勝手に動きそうだし、少しは言っておこうか)

 

 だがただ言わないでいるとあちらも勘ぐってくるだろうし、軽く釘をさす程度のことはしておくべきかと恵里は思う。

 

(……記憶の消去、今ならやれるとは思うんだけどね。でも、でもなぁ)

 

 ――そんな折、ふと恵里は思いつくだけ思いついて実行をためらった案を思い浮かべる。魂魄魔法の力を以てすればおそらく記憶の消去も出来るのではないかと一瞬考え付いたのだ。だが何分見えないものであり、意志の切り捨てや恐怖の植え付けなどと『ただそれだけで済む』だけのものとは勝手が違う。

 

(もし仮に成功したとしても他の記憶も消してしまうかもしれない。それが雫にとって大切な記憶だったらと思うとさ)

 

 今取り調べを受けている犯罪者を何人か譲り受けて実験をしてからやることだって考えてはいた。だが記憶というものは何かの拍子に忘れたり、時間の経過で消えてしまうようなものだ。何を覚えていて、何を忘れたかを完全に把握できない以上は何を根拠に実験を成功とみなしていいかわからない。

 

(ごめんね雫。ボクには怖くて出来ないよ)

 

 だから怖い。それ故に恵里はこの方法に手を出さなかったのである。

 

「――り、恵里っ」

 

「っ!……あ、ハジメくん」

 

「大丈夫? 何か考え込んでたみたいだったけど」

 

「ううん。なんでも。何でもないから。ごめ――」

 

 そうして自分の力不足を嘆いてふさぎ込んでいた恵里はハジメがかけてきた声でやっと我に返る。そちらを向けばハジメだけでなく鈴も心配そうな表情でこちらを見ており、二人にいらない心配をかけたと思って謝罪しようとするもすぐに鈴に言及される。

 

「そういう嘘、鈴とハジメくんには通じないってわかってるでしょ? 謝らなくっていいよ」

 

「……そうでもしないとやってられないんだってば。だって、二人まで心配させたらって思うとさ」

 

 自分の内心を看破されてもなお強がる恵里を無言で鈴とハジメが抱きしめる。二人の体の温かみよりも雫のことが気がかりになっていることに何とも言えない気分になっていると、いきなり抱きしめてくれた二人が優しく言葉をかけてくれた。

 

「いいよ。僕達の前で強がりなんて見せないで。ね?」

 

「……うん。ありがとうハジメくん」

 

「うん。これは鈴達、皆で考えることだから。それより変な方法なんて考えてないよね?」

 

「鈴ぅ~? どれだけボクは信用ないのさ?」

 

 ハジメが自分の心をほぐしてくれて、鈴が半ば茶化すように言った疑問のおかげで恵里も普段の調子に戻れた。お互いクスッと笑い合い、一人で抱え込む必要は無いと改めて恵里は考える。

 

(そうだった。今のボクにはハジメくんが、鈴が、皆がいるんだ。自分一人で考えなくっても大丈夫)

 

「あ、二人とも。さっき幸利君と話し合いしてたんだけど、あっちの方も準備が整ったみたい。イルワさん達も来たみたいだし急ごうか」

 

「うん。わかったよ」

 

「そうだね。行こっかハジメくん、恵里」

 

 そうして三人は少しだけ早足になって通りを歩いていく。

 

(雫、ごめん。さっさと終わらせて皆で色々考えるから)

 

 雫のことが気がかりなのは変わらないが、自分が提案した案をあちらに吞んでもらうことに恵里は意識を切り替える。少しだけ後ろ髪を引かれる心地ではあったものの、それでもとかぶりを振りながら。

 

 

 

 

 

 幸利達が襲撃した例の劇場。そこにいたのは恵里、ハジメ、鈴に幸利、優花と奈々。それとある理由からこちらに来ていたイルワに冒険者ギルドの秘書長のドット、商業ギルドの長のグウィンと秘書長のザックそして数名の冒険者であった。

 

「……ひとつお尋ねします。先の幻想的な光景で本当に回復薬が出来上がったんですか? ショーの類としてなら納得はいくのですが」

 

 そこで先程奈々、幸利、鈴がやった一連の行動に関心は示しつつも商業ギルドの長であるグウィン・ブレッドルは疑問を投げかける。先程鈴達が見せたあまりに突拍子もないことに関してだ。

 

「見た感じ宮崎さんが魔法で出した水をタルに移し、鈴さんが回復魔法を発動。それと同時に幸利さんの手から赤い光が出ていた様子でしたが、これで? これでこの水を飲むだけで傷が治るようになると?」

 

 グウィンらに披露したのはいつも恵里達が回復薬を作るプロセスであった。ただ今回は身内で扱うものではなく、()()()()()ためのものであったため、鈴が使ったのは最上級回復魔法の“聖典”でなく中級の“焦天”だったが。

 

「いくら闇市場に流すものとはいえ、本当にこれで回復薬が出来てしまったらトータスが混乱しますよ。先程も申し上げた通り薬師の天職を持っている方々の価値がなくなるでしょう」

 

 ただやはりこの光景を見て、トータスの一般的な常識を持っている人間が信じられるかというと話は別であった。これにはメルドも苦笑いを浮かべ、恵里達もそりゃそうかと普段自分達がやっていることが他から見たらどれだけ胡散臭いかを実感する。

 

「まぁ、これは俺も実際に使ってみるまで疑ってはいました……なら尚のこと()()が重要となる。そうでしょう?」

 

 だからと同席していたメルドは疑いの目を向けていたグウィンとザック商業ギルド秘書長に向けてそう言い返す。

 

 なお実際のところ、本当に回復薬を作ってみた後のメルドのリアクションは彼の述べた通りではなかったり。軽く疑いの眼差しを向けながらも『お前達が言うのなら』と、ためらいなく自分の指を切ってから服用したのだ。もちろん効果は言わずもがな。疑っている様子の二人を説得するための嘘だろうと恵里達は見抜いていた。

 

「それは確かにメルド騎士団長の言う通りかな。まぁ実際に使ってみればわかるか――オクタヴィアン、パルマー、実験台をここに」

 

「はっ」

 

「あいよっ」

 

 グウィンらと同じくこの場にいたイルワもまた懐疑的ではあったが、メルドの言うことも尤もかと受け取った様子で連れて来た冒険者に声をかける。すると程なくして劇場の奥から全身に打撲痕や腫れがあるパンツ一丁の男数人を引きずりだしてきた。

 

「うぐっ……」

 

「うわ、ひどい……いくらなんでもそこまでやんなくっても……」

 

「うん……悪い人だからってそこまでやらなくったって……」

 

「まぁ、なぁ……」

 

 その有り様を見てつぶやいた奈々と妙子を筆頭に恵里以外の面々は同情を禁じ得なかった。今回の薬の効果を試すための実験台が欲しいと恵里がお願いした際、イルワの方から保安署に掛け合ってくれたのだ。そこで犯罪者を数名融通してもらい、腕の立つ冒険者に護送してもらったのだ。

 

「見てて気分のいいもんじゃないわね……」

 

「相手が相手だからね。口を割らせるためにも拷問もやむを得ないとは思う。けど……」

 

「あぁそうそう。引き取った際に保安署の職員から聞いたんだけどそこにいる金髪の男は婦女暴行の常習者、そっちの顔に大きな傷があるのは地上げ屋のひとり、あとそこの銀髪の男は陰で相当殺しをやってたらしいよ」

 

「そっか。じゃあどうなってもいいや」

 

「うん。心配して損したぁ~」

 

「ま、だろうね。どうせロクな奴じゃないと思ってたよ」

 

「ため息しか出ないわ。正直ユキとナナが用意したこの薬使わせたくないんだけど」

 

「優花、流石に使わないと効能が他の人にもわからないって。別に気に掛ける必要はないと思うけど」

 

 そんなパンイチの男どもに同情を寄せていたハジメ達だったが、イルワが彼らの犯罪歴を語った途端に華麗に手のひらを返した。ゴミを見るような目つきに変わった奈々、妙子と一緒に女子~ズは口々に貶しまくり、男子~ズも軽蔑の眼差しを向けるばかりであった。

 

「テメェら……! 後で後悔すんなよ……!」

 

「犯罪者如きが何抜かしてんだ。あ?……ではイルワ支部長」

 

「あぁ。早速服用を。効果のほどを確かめるとしようか」

 

 ボコボコにされてもなお憎まれ口を叩ける余裕が一人だけはあったようだが、イルワの指示を受けた冒険者に全員組み伏せられて無理矢理口に先の回復薬を突っ込まされる。途端、顔の腫れや体中の青あざといったものがすぐに引いていく。

 

「え、あれ? 痛みがねぇぞ?」

 

「え、マジ? さっきまでただの水だったヤツが十万ルタくらいする薬並みに効いてないか? えっ欲しい」

 

「だ、誰か魔法を使ったのか? そ、そうなんだろう!? こっそり“回天”使ってないか? なぁ!?」

 

「これは……はは、流石というか」

 

 それを間近で見た冒険者は元より治った本人でさえも困惑している様子である。イルワも苦笑いを浮かべるだけであり、彼の部下であるドットもずり落ちそうになった眼鏡の位置を修正することすらなく黙って見ているばかりだった。

 

「……思ったよりリアクション薄いね?」

 

「そ~だねぇ~。でも“焦天”だからこれぐらいじゃな~い?」

 

「いや奈々さん妙子さん、これ本気で驚いててどう反応すればいいのかわかんないヤツだと思うよ」

 

「うん。ハジメくんの言う通りだと思う。これ本気で引いてるから困惑してる人間のリアクションだよ。間違いないね」

 

「なんかやけに実感を伴った感じで言うわね。エリ」

 

「いや、でもオルクス大迷宮から戻って来た時のフリードさんに“焦天”かける時は大体これぐらいの傷の時だし……あれ?」

 

「感覚麻痺ってんな俺ら……普段使うヤツがもっと凄ぇから実感が薄いやつだ。ケア〇と〇アルガ比べて『ケ〇ルが弱い』って感じだろ」

 

 ちなみに恵里達の反応はこんな具合であった。真のオルクス大迷宮を潜り出した辺りならいざ知らず、最上位回復魔法である“聖典”を使うのが割と当たり前の戦闘を何度も繰り返してきている。それに解放者の住処で籠っていた時にもよく生成魔法で“聖典”を付与した水を飲んで訓練の傷を癒していた。そのせいで幸利が述べたように感覚がほぼ麻痺しているのである。天職“薬師”の人間が聞いただけで発狂しそうなリアクションの数々であった。

 

「これは……()()()、ヘルシャーにこの商品を卸す前に是非とも保安署の方にも()()()()融通出来ませんか?」

 

「えぇ。これだけの効果があるならあちらも喜んで金を吐き出すでしょう。向こうの予算全額吐き出させる価値はあります」

 

 そしてグウィン、ザックら商業ギルドの奴らは金のなる木を見つけたがごとく、全力で恵里にすり寄っていた。どうも商人の血が騒いだらしく、揉み手に低姿勢、営業スマイルと百点満点の商人スタイルを見せた二人に逆に恵里以外の面子がドン引きする始末であった。

 

「いやいやいや!? グウィンさんもザックさんも何言ってるの!?」

 

「そうだよ。鈴の言う通り。流石にハジメくん達の許可もらわないといけないって。まぁでも使えるってわかったでしょ?」

 

「ちょっとエリ? あんた何言ってるのよ!!」

 

 顔からブワッと汗を流しながら叫ぶ鈴。鈴に半ば乗っかりつつもすぐさま商談に応じる姿勢を見せた恵里に一層引いた様子を見せる優花。だがグウィンはそんな彼女らの叫びを無視してにこやかな笑みを恵里に向けた。

 

「それはもう。闇の市場に流しても八割増し、いや倍でも余裕で回収できるでしょうね。むしろ三倍であっても売り尽くしてみせましょう。それが出来る腕の人間はまだフューレンにいたはずですから」

 

 恵里の元々の企みは『ヘルシャー帝国に回復薬を売りつけて金を引っ張る』ということだった。これから王国に戦争を仕掛けるというのなら薬の類も入用になると踏んでのものだ。ただその計画もグウィンらの指摘により修正を食らったのだが、その修正をかけた当人がより金を稼げるのではと頭の中で算盤を弾いている。

 

「あの、グウィンさん? ちょっと、ねぇ!?」

 

「えぇ。向こうの薬師の人間が失業しないようギリギリのラインを攻めましょう――確かヘルシャーとつながりがあって、かつ失業していたのは……クイントンですね。彼の商会ならばやれるでしょう」

 

 相場のまま正規ルートに流してしまっては薬師、そして彼らを囲っている教会に大打撃がいって余計な恨みを買う。だから裏のルートで取引をすればあちらの不況も買わずに金を稼げるだろう。そう言ってグウィンが待ったをかけたのだが、そうして修正を受けた計画が今この瞬間にも根本から変質しかかってしまっていた。

 

「ねぇちょっと待って!? ねぇ!!」

 

「あのグウィンさん! 僕達話し合いしましたよね!? ヘルシャー帝国の方はともかく保安署の人達とばっちり受けてません!? そっちは普通にタダで譲りましょうよ! タダで作れますから!」

 

「あぁ確かに。南雲さんの仰る通りです。実際保安署の方にはずっとお世話になっていますし、そうするべきでしょう……まぁそれはそれとして、中村様がたが参加された摘発を保安署の職員が妨害したと聞いてますし、その分の慰謝料はそちらが請求してもよろしいかと。それともしそうするつもりならば私達にお任せ下さい。しっかりむしり取ってみせましょう」

 

 ハジメがすぐグウィンに保安署の人間から金をむしり取るのをやめるよう言うも、あちらもそれを受け入れたかと思ったら結局同様の結論を出してきた。そのため恵里達一同はズッコけかける。

 

「うぉい! 結局それそっちの懐に入れるって暗に言ってるんじゃねぇのか!」

 

「いけませんか? そちらの不満を解消出来てかつ私どももギルドの立て直す時間が少々早くなる。そちらにとっていいことづくめの提案だと思うのですが」

 

「がめつい! がめついよこの人達! いいことづくめの提案じゃないよ!」

 

 幸利からのツッコミを受けても今度はザックが理路整然とお互いの利を説いてきた。鈴からもツッコまれるも商業ギルドの二人は涼しい顔をするばかりであった。

 

「直接相手とやり取りをしている訳ではありませんが、私達も商人ですからね。やはり儲けることを念頭に動いてますから。それで商談に応じてくれますよね?」

 

「しないわよ!?……あぁもう、私達にちょっかい出してきた冒険者とか保安署のヤツらよりも何倍も厄介じゃないのよ!」

 

 はっはっはと笑う二人に優花もどこか疲れた様子でボヤく。それに恵里もハジメも思わずうんうんとうなずき、すぐに全員が“念話”で話し合って結論を出す。この人達の手綱はしっかりと握らないといけない、と。

 

「……()()()としてはその方法は少々勘弁してもらいたいところだけれどね。ここで保安署の予算が消えたら職員の給料もだれが払うんだって話になるから。そうなったら治安の維持が冒険者ギルドの仕事になってしまいかねないよ。ま、それはそれとして恵里君。冒険者ギルドの方にもその回復薬を幾らか譲ってくれるだろうか」

 

「あ、いいの? じゃあどれぐらいいる?」

 

「取引をするのならば是非とも私ども商業ギルドを通していただければ」

 

「手数料も込みで支払うとなると相場通り、いえそれだと皆様がご不満を抱くかもしれませんから相場の九割はどうでしょうか?」

 

「口挟んできた!! やっぱりろくでもないよグウィンさん達!」

 

「頼むから落ち着いてよぉ~! “鎮魂”!!」

 

 そしてイルワも個人的な意見をはさんでから商談を持ち掛けてきた。が、結局そこでもグウィンが商業ギルドの方で取引をやらせろとにこやかな笑顔で首を突っ込んできたため、奈々からツッコミを入れられ、妙子から“鎮魂”をブチこまれる。なお、余計論理的に商談を進めてきたため逆効果となってしまった……。

 

 

 

 

 

「先程は申し訳ありませんでした。何分、これを逃してしまったら二度とないであろうビジネスチャンスだと思ってしまって……」

 

「私も……ギルドの立て直しにこれ以上にいい商品があるとは思わずつい」

 

 かくして十分後、イルワも加わって説得に応じてようやくグウィンとザックも落ち着きを取り戻した。どうにか二人の暴走を止められたことに恵里達は大きくため息を吐き、イルワもまた軽くため息をついてから話を切り出す。

 

「ホンット、面倒だったわね……」

 

「“鎮魂”かけても止まらなかったしね……」

 

「さて。ひとまず奈々君達が作ってくれた薬は十分売り物になるということが判明した。しかも元手もほとんどかからない上に付与する魔法を変えれば他にも色々と作れる。違うかい?」

 

 作った回復薬のすごさを認めつつもイルワは他にも薬が作れるのではと問いかけてくる。そのことは既にグウィン、ザックも気づいており、当然恵里達もそれぐらいは考えるだろうと既に予想していた。

 

「まぁね。でもまぁそこら辺詳しいのは――」

 

「はい。“天恵”を付与すれば大した量じゃありませんけど傷と一緒に魔力も回復出来ますし、“万天”を付与すれば色んな状態異常を回復出来ます。もちろん水だけじゃなくて適当な金属とかに魔法をつけることだって出来ます」

 

 恵里が一度その質問に答え、餅は餅屋と天職が治癒師である鈴へとバトンタッチ。任された鈴も一度恵里の方を向いて口元を一瞬だけ軽く吊り上げてからはきはきと答えていく。それを聞いてイルワ、グウィン、ザックはどよめきを漏らした。

 

「なるほど。確かに傷と魔力を同時に回復出来る薬は流石にないし、こちらならある程度高い値段でも表に流せるんじゃないですか。グウィン商業ギルドマスター?」

 

「えぇ。間違いなく。流石に市販されている魔力回復薬の五割ほどは高くしないと余計な恨みを買うでしょうが、わざわざ裏の流通経路に流さなくとも売れるでしょう」

 

 中でも意外と好評だったのが“天恵”を付与したものだ。恵里達からすれば“天恵”の効果は最早微々たるものであまり使い道はない。しかしこのトータスにおいては飲むだけで傷と同時に魔力も癒せるというのはそう見ない効果らしい。今度は恵里達が感心してうなっていると、更にイルワが質問をしてきた。

 

「となると……鈴君、“譲天”の付与は出来るかい? 他人の魔力を回復させるものだが」

 

「あ、はいっ。やれます。皆と相談してからになりますけど。そちらも用意した方がいいでしょうか」

 

「ぜ、ぜひっ! 魔力回復薬に相当するものも作って下さい!」

 

「販売経路の確保と売買はお任せを! 皆さんのペースで製造してくださればそれで!」

 

 イルワから暗に魔力回復薬も作ってほしいと頼まれ、受けるかはともかく制作は出来ると鈴が述べればその手をグウィンとザックが握ってきた。まだ皆から了解をもらってないのに、とやれやれといった様子で懇願してくる二人を見てしょうがないなと恵里達は思う。

 

「そうですね。わかりました。こちらの方から皆に働きかけてみますので、僕達の方からのお願いも効いていただけますか」

 

 そうして二人のお願いを聞きつつもハジメもグウィンらにあることを頼み込む。一体何を頼むのかと恵里は思っていると、納得できる上にそうきたかと思わず膝を打つ内容を幸利と一緒に語っていく。

 

「もちろん! こちらでやれるものであれば!」

 

「ありがとうございます。じゃあまず、疲れ知らずの馬に興味ってありますか?」

 

 食い入る勢いで頼みを聞いてくれたグウィンに向け、宝物庫から犬型のゴーレムを出してそれの説明をしていく。

 

「なんと……この金属製の犬はそんなことが出来ると」

 

「はい。ここからはリリアーナ王女様やエリヒド王と話をしてからになりますけれど、良かったらそちらに貸し出そうと思っています」

 

「このゴーレムがいれば休憩はそっちのしたい時にやればいいだけだし、何より餌を運ぶ必要も無ぇ。つまり、その分だけ金も浮くし、運べる荷物だって増える。悪くねぇ話だろ?」

 

「「お、おぉおぉおぉお!!」」

 

 そしてゴーレムを運用した際のメリットを幸利ともども説明していけば、グウィンもザックも目を輝かせてハジメ達の方に視線を向けた。いつぞやの産業革命うんぬんを玉座の間で説明した時の国の上層部のようにわかりやすい反応を示してくれていた。

 

「やりましょう! 借りる際の価格は王女様との話し合いで、いえ、余程ひどい条件でなければそのまま受けましょう! これにはそれほどの価値があります!」

 

「ありがとうございます。それと、もう一つあるんですけど……いいですか」

 

「なんなりと!」

 

「アレか。じゃあ、その……ここらで散策とか気晴らしに向いてる商業施設って何かあるか?」

 

 もう言い値であっても半ば受け入れる覚悟すらしていたグウィンにためらいがちに幸利があることを問いかける。そしてそれの意味をすぐに恵里達は察し、真剣な面持ちで首をかしげているグウィンらに向き合った。

 

「劇場とかお店とか! そういうのじゃなくってただフューレンで有名なスポットとか! そういうのを教えてほしいの!」

 

「実は私達の親友、雫っちが辛い目に遭って、それで雫っちの心を癒せるような場所がないかって思って!」

 

「お願いします。そういう場所があるなら紹介してください。親友が、幼馴染が苦しんでて、何としても助けたいんです!」

 

「お願いします! 私の、鈴の友達を助けてください!」

 

 優花、奈々、恵里、鈴が声高に訴え、ハジメと幸利そして妙子は黙って頭を下げる。その様を見て何か思うところがあったのか冷静になったグウィン達は考え込み、既に犯罪者どもの口元を布で封じて先の話を見届けていた冒険者達も意を決した様子で恵里達の方を見た。

 

「なるほど……だとしたらメアシュタット水族館とかはいいと思いましたが」

 

「なぁグウィンさんよ、あそこって何日か前に閉鎖されてなかったか?」

 

「そうだね。メアシュタット水族館はここフューレンでも人気のレジャー施設だった。けれど食料事情から食べられる魚を全部あそこから確保してしまったことがあったしね……」

 

「残ってるのは見た目が良くても毒のある魚や貝類ばかりで、オーナーも売却処分をしたまま行方知れずになったはずです」

 

「観光区は他の施設も軒並み潰れてますからね……ここラッセル劇場だってそうですし」

 

 そうしてフューレンに住んでいる彼らは口々に恵里達の要望に応えられるものがあるかどうか話し合いを始める。芳しくは無い様子ではあったものの、すぐに応じてくれた大人たちを見て恵里達の心に温かいものが押し寄せる。

 

「皆さん……」

 

「なかなか浮かばないものだね……せめてこういう面でぐらい、いい恰好をしたかったんだけれどね」

 

「そうですね……ゴーレムの貸し出しを国と交渉してくださるのですし、メアシュタット水族館をそちらに寄贈しましょう。とはいえ管理運用はある程度そちらも負担して下さるとありがたいですが」

 

「魚が無いだけで施設そのものは問題ないはずだな」

 

「まぁ多少ホコリにまみれているでしょうが、それ以外の問題は無いはず。エリセンに寄って魚を確保すれば、再開は出来るのでは?」

 

 こうして自分達のためにささいなお願いを真剣に取り組んでくれる。それが何より恵里達にとっては嬉しいことであった。

 

「つってもエリセンだぞ? あそこまでどれだけ時間かかると思ってるんだ。グリューエン砂漠を超えるのに片道馬車どれぐらい――」

 

「ハジメ君、君達はさっきあのゴーレムを目の前で出した。ということは君達にも移動手段はあるんだろう?」

 

「はい。それを使えばおそらくエリセンへもすぐに到着するかと」

 

 そこでエリセンまで相当時間がかかる旨を冒険者の一人がこぼしたが、目ざといイルワからの指摘にハジメが自信満々で答える。何せ自分達には自動車があるのだ。砂漠の走破だって何度も経験があるし、その程度問題ないと恵里達全員の心にやる気がみなぎっていく。

 

「後はゲートホールを設置すれば、すぐに行き来が出来るね」

 

「よっし。じゃあ後はこっちでやってみるさ。その、ありがとう。おっさん達」

 

 一度たどり着いてしまえばゲートホールの設置だけでもう簡単に往復が可能となる。流石にある程度地面深くに設置しないと掘り返されるかもしれないが、それぐらいしか問題は無い。照れくさそうに幸利が冒険者らに向けて頭を下げればいいってことよと彼らは気前の良さを見せてくれた。

 

「そうね。だったらあっちの魚を仕入れてこのフューレンで調理して売れば少しはお金稼げるかしら」

 

「流石だね優花っち!……確かエリセンって海のある場所だよね? じゃあそこで皆でこっそり海水浴とかやろうよ! 雫っちも巻き込んで!」

 

「いいね奈々ぁ~! じゃあそこまでのドライブは誰がやるぅ~?」

 

「ったくお前ら……あ、そういえばさっきアンタ馬車がどうこう言ってたな。なぁハジメ、俺らでサスペンション付の馬車作らねぇ? 絶対欲しがる奴出てくるだろ」

 

「そうだね。流石幸利君。とりあえずこっちの方は解析されても問題ないし、貸し出しやローンとかで支払ってもらえばいいかな」

 

「じゃあハジメくんと幸利君は馬車用のサスペンションの作成を担当した方がいいし、ボクと鈴もそのお手伝いで」

 

「しれっと鈴と自分をお手伝い要員にしてるね、恵里……まぁ、鈴はそっちがいいけど」

 

 そうして今後の予定を大人も交えて恵里達は話し合う――ある一人の少女が地球で起こした波紋はここトータスでも起きている。少女の足掻きがこの世界の多くの人の運命すらも大きく動かしていたのであった。




次回は勇者にさせられた少年と子供達の話になる予定です。なお予定は未定な模様


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幕間四十九 子供の目に映った黄金

クリスマスには間に合いました(しろめ) すいませんリアルが色々と立て込んでました……。

では改めまして拙作を読んでくださる皆様に惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも192575、しおりも437件、お気に入り件数も896件、感想数も692件(2023/12/23 20:08現在)となりました。誠にありがとうございます。こうして多くの方に読まれ、気に入って下さることはとても喜ばしいことです。

そしてAitoyukiさん、sahalaさん、拙作を再評価してくださり誠にありがとうございます。おかげさまでまた筆を進める力をいただきました。本当に感謝いたします。

では今回の話を読むにあたっての注意事項ですが、少し長め(約12000字)となっております。それではそれに注意して本編をどうぞ。


「じゃあまずは名前、それとどこの村か街の出身か言ってくれるかな」

 

「えっと、ぼくはシェルビーです。ぼくがいた村は――」

 

 保安署の職員の一人が五歳の子供に尋ね、たどたどしい様子ながらも話してくれた内容を聞き取りペンを走らせている。保護した子供の聞き取りのために解放された冒険者ギルドの応接室でそれは行われていた。

 

「なるほど……ありがとう。出来るだけ早く家に帰れるようにするからもう少し待っててね」

 

「うん……」

 

 ペンの動きを止めた職員が笑顔で話しかけたものの、シェルビー少年はすぐに『おじちゃん』と呼んで慕っている人間の後ろに隠れてしまう。しかし職員は特に嫌な顔をすることなく別の子へと視線を向けた。

 

「じゃあ次はそっちの海人族のお嬢ちゃん、こっちに来てお話しをしてくれるかい?」

 

「みゅ……わかったの」

 

 そうして職員に声をかけられた亜人の女の子もある少年の服の裾を掴みながらも質問に一つずつ答えていく。

 

「ねぇまだ? まだ終わらないの?」

 

「おじちゃん、何かやってよー」

 

「外行きたい。早くお外行こうよー」

 

「……あの、いつ頃終わりますか?」

 

 そんな中、十人ほどの子供達に群がられていた一人の少年が少し疲れた様子で保安署の職員に質問をする。しかし聞き取りを行っているのとは別の職員からの言葉に彼は思わずため息をこぼしそうになってしまう。

 

「すいませんね。あとそこの三人から聞き取りを終えるまでですので」

 

「そう、ですか……」

 

 これも子供達を家に帰すためであることはわかっている。だから仕方ないと少年――永山重吾は出そうになったため息を呑み込む。

 

「ありがとうねミュウちゃん。じゃあそこの髪がアッシュブロンドのキミー、どこの誰か私に話してくれるかなー?」

 

 何故彼がここにいるかというと保安署の方から呼び出されたからだ。保護した子供達が“勇者のおじちゃん”を探したり会いたいと言っていたために聞き取りが中々進まず、それで件の人物の特徴を聞いた結果、子供達を最初に保護した彼を見つけに職員が来たのである。

 

「ねぇおじちゃんまだ~?」

 

「おじちゃん、お話聞かせて。勇者さまなんだからおもしろいのあるよね!」

 

 そこで職員と共に来てみれば重吾を見つけたと同時にどこか安心した様子で子供達が駆け寄り、どうにか聴取が進んだということである。親戚の子供の面倒を見たことはあったものの、十人単位でいる子供達の相手をするという経験なんて彼には無い。服やズボンの裾やら背中に登って髪の毛を引っ張ってくる子供達に振り回され、重吾は心の中で嘆いた。どうしてこうなった、と。

 

「……言っておくが、俺は十六だ。おじさんじゃない」

 

 そしていくらオッサン顔とはいえどまだ二十歳にもなっていないというのに『おじちゃん』扱いは地味に堪えた。それで訂正したものの、肝心の子供達の多くは納得してない様子で『えー』と訝しげな視線を向けている。ひどく率直なリアクションに最近眉間のしわが増えた少年は心の中で涙を流した。

 

 

 

 

 

「おじちゃん肩ぐるましてー」

 

「お兄ちゃん、もっとお話聞かせてよー」

 

 かくして長い取り調べも終わり、子供達を家に戻す際のルートを検討するからと言われて解放された重吾と子供達。だが彼らはアテもないままにただフューレンの大通りを歩いていた。

 

 平時であれば露店の呼び込みや通りを行く客の熱気などで大いににぎわっていたであろうここは自分達以外誰も見当たらない。裏組織の摘発も終わったばかりで当たり前のことではあったのだが、子供達の声がよく通るこの道を行きながら重吾は一人思う。

 

(……俺は結局、何がしたかったんだろう)

 

 いきなり異世界に来ることになり、家に帰れなくて枕で涙を濡らしたこともあった。戦争に参加することになった上にその訓練はいきなり厳しいもので、部活のそれとは比べ物にならないほどにハードでその場に倒れこみそうになったことだってあった。

 

(キツい訓練を乗り越えて、オルクス大迷宮で死にかけて、それでも訓練を続けて……俺は結局何を得たんだろう)

 

 それを乗り越えたら今度は魔物の討伐だ。平野部で生き物を殺し、生理的な嫌悪を覚えつつも今度は地下の大迷宮でのものに切り替わった。だが前々から敵視していたクラスメイトのせいでそれは死と隣り合わせのものとなってしまい、当時は頼りにしていた神殿騎士と騎士団の人間が戦い合って頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。それでも大迷宮での訓練が続き、先に進めなくなったら盗賊の討伐をやらせられた。

 

(人殺しをしただけで俺は……飾り物の勇者をやってただけだ)

 

 今となってはハニートラップ要員だったとわかる女にいいように言いくるめられ、やってのけた討伐を終えたらその次は行方知れずとなったクラスメイト達との戦いに望んで身を投じた。その果てに得たのは愛していたはずの女や信頼していた大人からの裏切りと罵声、お飾りの『勇者』として身に着けた振る舞い、そしてどうにか守れた『友達』の命だけ。微塵も釣り合わない結果しか返ってこなかった。

 

(……あの時、俺に勇気があれば――)

 

「おじちゃんどうしたの? お腹痛い?」

 

 ずっと敵視していたクラスメイトに頭を下げていればきっと違う未来が得られたかもしれない。そう思っていた少年の耳に彼を心配した様子の子供の声が入り、ハッとした重吾は視線を下に向けた。

 

「私たちうるさかった?……ご、ごめんなさい」

 

「やっぱり僕たちめいわくだったの?」

 

「違う……そうじゃない、そうじゃないんだ」

 

 どこか怯えた様子の子供達に何も悪くないとすぐに重吾は伝えるが、委縮した様子の彼らにその言葉は届かない。目に涙を浮かべ、びくびくしながらこちらの機嫌をうかがうように見つめてくる。

 

「君達は悪くない。悪く、ないんだ……だから」

 

「でも、でもお兄ちゃん、苦しそうだったの」

 

「僕たちがわがまま言ったから……だから、でしょ?」

 

 ここで重吾は思い出した。この子達は人さらいに遭っていたことを、あの暗い牢屋の中で身を寄せ合っていたことをだ。他人が怖くて仕方ない。機嫌を損ねたらどうなるかわからないという状況で過ごしていた。なら自分を怖がるのも当然だと思い至り、自己嫌悪で胸がねじ切れそうになる。

 

「違う……違うんだ。俺の話を聞いてくれ」

 

「ご、ごめんなさい……あ、あやまるから許して……」

 

「そうじゃない。そうじゃ――」

 

「あらん? どうしたのかしらん?」

 

 見捨てられることへの恐怖に満ちた目で見られ、どうすればいいと焦りとパニックで息が詰まりそうになった時、聞きなれない()の声が少年達の耳に届く。

 

「どうしたよクリスタベルさん?」

 

「おや……あんた達、あの子供達は誰なんだい? どうもきな臭い事情がありそうだけど」

 

「あぁキャサリンさん、実は――」

 

 重吾が目を向ければそこにいたのはクラスメイトに彼らの仲間らしい絶世の小動物系美少女、そして一切見覚えのないオバチャンと二メートル大の筋骨隆々の何かであった。

 

「お、おじちゃん。あ、アレ……」

 

「お、俺の後ろに隠れてろ……だ、大丈夫だ。俺が守る……っ」

 

 特におそろしくいいガタイをした性別が男っぽい何かに()()()子供達は怯えており、重吾もこれまでに感じたことが無い程の『死の予感』に体を震わせつつも子供達の盾になろうと一歩前に出て立ちはだかる。

 

「んもぅ、子供の前じゃなかったら()()()()怒ってたわよん」

 

「ひっ!?」

 

「う、ぅぇぇ……」

 

「みゅ……? おに……おねぇ、ちゃん?」

 

 一方魔物と勘違いしてしまいそうなおぞましい何か……もとい漢女はプリプリといった様子で『私、怒ってるわよん』と言いたげに手を腰に当てていた。なお顔面に幾つか青筋が浮かんでいたせいでほとんどの子供達が一層震えあがっていたが。

 

「いやその顔で言っても説得力ねぇよクリスタベルさん。血管浮き出てたら怖ぇって」

 

「大介、それを言うのは流石にクリスタベルさんが可哀想だと思う……“鎮魂”」

 

 そんな折、クラスメイトの一人である檜山大介のそばにいた美少女が何かをつぶやくと共に重吾の中から恐怖が消え去り、目の前にいるナイスバルクな性別不詳の何かも穏やかな面持ちになっていく。

 

「あらん? ありがとうアレーティアちゃん……ふふっ、気遣いの出来る子を持てて大介きゅんも幸せねぇん♥」

 

「……おう」

 

「あれ……こわく、ない?」

 

「うん……落ち着いた気がする」

 

 もしやと思って子供達の方に目を向ければ、彼らも困惑した様子ではあったもののその顔色は良くなっている。間違いなくあの少女のおかげだろうとそちらを向き、重吾は軽く頭を下げた。

 

「助かった……子供達はもう大丈夫だ」

 

「ん……気にしないでください。怯えてたら話が出来ませんから」

 

「それでもだ。ありがとう」

 

 やや他人行儀で返事をした少女に再度感謝を述べてから頭を上げれば、今度は白崎が連れである坂上と例のバケモノの手を引いてこちらへと近づいてきた。

 

「さっきは驚かせてごめんね。私は白崎香織。香織って呼んでね。それとこっちのおっきくて頼りになる男の子が坂上龍太郎くん! それでこっちの親切な、えーと……親切な人がクリスタベルさんだよ!」

 

「あー、おう……坂上龍太郎だ。ま、よろしくな」

 

「さっきは怖がらせちゃってごめんなさいねぇん。あたしは漢女のクリスタベルよぉん♥ よろしくねみんな♥」

 

 近づくなり白崎はかがんで子供達と目線を合わせ、連れて来た二人の分も合わせて自己紹介をする。微笑みながら紹介した白崎に何を言えばいいのか迷いながら名乗った坂上、そして余計に謎が深まる自己紹介をしたクリスタベルを子供達は戸惑った様子ながらも見つめ返していた。

 

「……ねぇ香織お姉ちゃん」

 

「どうしたの? 何か聞きたいことでもある?」

 

「えっと、その……お兄ちゃんとは知り合い、なの?」

 

 重吾としても何を言えばいいのか――特にクリスタベルとかいう白崎らと普通に親しく話をしている何者かに対してだ――と思って思案していると、海人族の女の子が彼の服の裾を掴みながら前に出て、白崎に話しかける。すると白崎も軽く視線をさまよわせてからその質問に答えた。

 

「えーっと、そう……だね。そんな感じだよ」

 

 白崎のその返答に重吾も内心ホッとしていた。クラスメイトという関係ではあったが、親しいというよりこちらが一方的に敵視していたことを隠してくれたからだ。あくまで知り合いという体を通してくれたのだが、少女はその答えにどうも納得がいかなかったらしく、首を軽く傾げながら白崎の方をじっと見つめていた。

 

「ホント? ホントに香織お姉ちゃんはお兄ちゃんと知り合いなの? 何かかくしてない?」

 

「う、うん! そ、そうだよ!」

 

「……お兄ちゃんもそう、なの? ウソついてない?」

 

「あ、あぁ……そうだ。信じて、くれ」

 

 そこで重吾はこの少女のものを見る力のすごさを知ってしまう。白崎と自分の間柄のことを見抜いた様子で問いかけてきたのだ。純粋な瞳で見つめてくるものだから嘘をついていることへの罪悪感も強く、どちらもそうだと返すのが精一杯であった。

 

「みゅ……わかったの。ごめんなさい」

 

 そうしてじっと見つめ合うことしばし。ようやく亜人の少女も追及を止めたが、自分のズボンの裾をギュッと握って何かを我慢するような様子を見せる。きっと言いたいことをこらえているんだと察した重吾は余計に胸が締め付けられる思いに駆られてしまい、何をやっているんだとまたしても自己嫌悪に襲われる。

 

「まったく……香織ちゃん達だけじゃなく、あんた達も大変だねぇ」

 

 気まずさでどうにも空気が沈んでいた時、苦笑しながらオバチャンが重吾の元へとやって来る。すると彼女と共に歩いてきた檜山と美少女もこのことに言及してきた。

 

「まぁ、そうだよな。お前だって本当のこと言えねぇだろ。カッコつけてたって聞いたし余計によ」

 

「永山さん、その思いは私にもわかります……気に病む必要は無いですから」

 

 檜山の方はぶっきらぼうではあったものの、自分に向けてくれた彼らの気遣いに余計に苦しさを感じてしまう。檜山の言った通り、この子達の前でとっさに勇者だと嘘をついてしまったせいで本当のことを言って失望されるのが怖かった。自分はそんな大それた存在じゃないということがわかって責められるのが嫌だった。そしてそんなことに怯えてしまう情けない自分が嫌で仕方なかったのだ。

 

「放っておいてくれ……こっちのこともわからないで、触れないでくれ」

 

 だからこそ向けてくれる優しさを重吾は拒絶する。苦しみにあえぐが故に何に手を伸ばせばいいのかわからなくなってしまった少年は自分と共に戦い抜いていたクラスメイトと、変わり果ててしまってもなお自分達を救おうとした教師以外の誰かを信じることが怖くなってしまっていた。

 

「おじちゃん……おじちゃん」

 

「こ、来ないでよ……おじちゃんいじめないでよ!」

 

「……お前達、どうして」

 

 けれどもそんな自分を心配そうに、必死になって守ろうとする子供達を見て重吾の心は揺れる。どうして、噓つきの自分なんかにどうして優しくするのかと思ってしまう。

 

「重症だねぇ、全く……この子達も健気だよ」

 

 オバチャンのつぶやきは重吾の耳には入らない。子供達が自分を守るべく必死になっていることで頭がいっぱいになっていたからだ。そして彼が驚いたのはこれだけに留まらなかった。

 

「お、お兄ちゃんから離れるの!」

 

「ぼ、ぼくたちがおじちゃんを守るんだー!」

 

「いや何にもしねぇって……ったく、これじゃあ俺らが悪者だな。おい永山」

 

 亜人の女の子が近づいてきた檜山の服の裾に掴みかかったのである。引っ張ったり揺らしたりして抵抗すると、他の子も続いて彼の足にまとわりついた。誰もが自分のためにと動いていたのだ。その様にただ呆然としていた重吾に対し、檜山も罪悪感を感じた様子ながらも彼の手を掴みながら声をかけてきた。

 

「ちょい俺らに付き合え。ま、悪いようにはしねぇよ」

 

「永山君、お願い」

 

「……わかった。好きにしてくれ」

 

 檜山からの唐突な提案、白崎からの頼みを重吾は断れはしなかった。自分も健太郎も彼らに負けてしまったのだ。彼らの機嫌をあまり損ねない方がいいと考えながら子供達に声をかける。

 

「行こう、皆……何かあっても俺がいる」

 

 そう言って子供達をなだめ、彼は心配そうにこちらを見つめてくる少年達の後を追うのであった。

 

 

 

 

 

「この店はやっていてくれたのは不幸中の幸いってやつだね。さて」

 

 大通りから場所を移し、まだ経営していた酒場にたどり着いた重吾達。全員が何かしら注文を終えた後、道すがらキャサリンと名乗ったオバチャンが話を切り出す。

 

「あんた達が世間じゃ神の使徒って呼ばれてた子だね?」

 

「まぁ、そうだな。俺は野村健太郎。で、こっちにいるのが辻綾子と吉野真央だ」

 

「えっと、その、はい」

 

「うん。よろしく~……」

 

 適当に腰を落ち着ける場所を探していた際、どこか手持ち無沙汰だった様子の健太郎、綾子、真央とも合流し、こうして同席しているのだが彼らの表情もどこか硬い。そんな彼らではあったが重吾から知り合いだと聞かされてからは子供達がそばに寄っており、気遣うように見つめたり服の裾を掴んだりしていた。

 

「おじちゃん……」

 

「大丈夫、大丈夫だから……それで、話は何だ」

 

 亜人の女の子を含む子供達もどこか不安そうにしばしばこちらに声をかけたり視線を向けてくるため、彼らが安心してくれるよう重吾は根気強く声をかけている。

 

 ピーク時を過ぎたからかそもそも人がいなくなったせいなのか、自分達以外に客がいない酒場で重吾の声が響く。するとキャサリンと白崎がそれに答えた。

 

「大した事じゃあないさ。何か食べながら世間話でもしようかと思っただけでね」

 

「私の方から言ってみたの。永山君、辛そうに見えたから」

 

 キャサリンはおくびにも出さなかったが、白崎の表情からはどこか自分達を気遣う様子が見て取れた。そこまで自分は思い詰めていたかと幾つもある心当たりのある点を頭の中に浮かべていれば、店の人間が頼んだ品を幾つか持ってきた。

 

「ま、食いながら話そうぜ。支払いは俺らが持つからよ」

 

「王国のツケにはするなよ、大介」

 

 檜山が気前のいいことを言ったと思えばすぐさま坂上にツッコミを入れられ、顔をそらすと共に口笛を吹く。どうやら図星だったらしい。

 

 一体何なんだと軽く気が抜けるやり取りを見てると、重吾の目の前にも頼んでいた十個の黒パンにスープの皿が数枚出された。

 

 保安署の職員から消化の良い食べ物を子供達に与えたとは聞いていたが、囚えられていた場所が場所であったしまだお腹が空いているかもしれないと思って注文したのである。顔を向ければ子供達はじーっと皿を見つめており、やはりまだ食べ足りなかったのだろうと思って重吾は声をかける。

 

「ほら、食べるといい」

 

「いいの? ありがとう、おじちゃん」

 

「あぁ。待っててくれ」

 

 こういった場所に来ることがまずなかったため重吾は相場を知らない。とはいえ、キャサリンとクリスタベルがメニューを見てた時に渋い顔をしていたことから恐らく高かったのだろう。

 

(具が少ないし、それにこのパンも硬い……話は聞いていたが、今のトータスはここまで厳しいのか。いや、今はそんなことを考えている場合じゃない)

 

 出されたスープはあまり具が浮いていないし、パンもガチガチで王宮で神の使徒として生活していた頃にはお目にかかれなかった。それもこれも今のトータスの状況が悪いせいなのかと思いつつも、それよりも子供達の食事が先だと重吾は黒パンを細かくちぎってはスープに浸し、かなりふやけた辺りで渡されたスプーンにそれを載せる。

 

「口を開けてくれ……ん」

 

「あー……んっ」

 

 注文した際に衛生面も考えてスプーンも人数分頼んでいたのだが、『客が来るかもしれないからこれで我慢してくれよ』と半分の五本を用意してくれた。少なかったとはいえ無理を聞いてくれた店側に感謝しつつ、重吾は渡された木のスプーンの一つを使って子供の一人の口へとふやけたパンを運んでいく。

 

「ふふっ。なんだか子沢山のパパみたいねぇん♥」

 

「……俺はそんな大した人間じゃない。あと歳も檜山や坂上と変わらない。そういう風に見るのはやめてくれ」

 

 そんな時、ふと同席していたクリスタベルが微笑ましげな視線と共にそんな事をつぶやいた。それを言われた当人も見た目を気にしていたこともあって言い返したものの、相手の見た目が見た目なだけにあまり強くは言及できず。すると甲斐甲斐しく世話をしている重吾を見て、キャサリンも彼の行動を評価してきた。

 

「何言ってるんだい。見た目も歳も関係ないさ。あんたなりにちゃんと子供達のことを考えて動いてるじゃないか。クリスタベルが茶化したのはともかく、面倒を見てる様は似合ってるさ」

 

「それは……だって放っておけないだろう。この子達だって好きでこうなった訳じゃない」

 

 微笑みながらそう述べたキャサリンに対し、少し照れくさそうに返す。同情からの行動であったり年上に見られる発言がちょっと嫌だったというのもあったが、人に世話をしている様を見て色々と言われるのはあまり慣れていなかくて恥ずかしかったのが大きかったのである。

 

 そうやって子供達にご飯を与えていると、思わぬところからフレンドリーファイアが飛んできた。

 

「確かにそうだな。でも重吾、勇者やってた時よりも似合ってるよ」

 

「おい健太郎っ……!」

 

「そうね。勇者やってた時は顔つきが険しかったし。今の重吾君、少し柔らかい顔してたから」

 

「うん。貴族の人達を相手にしてた時なんか表情作って頑張ってたしね。それによく眉間にシワ寄ってたよ」

 

「綾子と真央も……勘弁してくれないか」

 

 運ばれてきた料理に手を付けながら健太郎、綾子、真央もクスッと笑いながらそう言ってきたのである。

 

 これには流石に顔を赤くして軽くうな垂れるしかなく、軽くオロオロしてしまった様を子供達に見つめられるも『何でもない』とため息を吐きながら返すのが精一杯だった。

 

「……重吾はさ、もう頑張らなくていいよ」

 

 そうして恥ずかしながらも重吾が子供達に食事を与えていると、不意に健太郎がそんなことをつぶやいた。

 

「俺達のためにさ……頑張って頑張り続けて。もう十分じゃないか」

 

 子供達の前だからか言葉を選びながら己の胸の内をポツポツと語っていく健太郎。重吾も親友からの言葉にどこか胸のつかえがとれたような心地であったものの、子供達の手前リアクションを起こすことも出来ず。だがそんな時、ひとりの子供が不安そうに漏らす。

 

「ねぇ、おじちゃん。おじちゃんは勇者したくないの?」

 

「それ、は……」

 

 その言葉に重吾は答えられない。子供達を助け出したあの時、とっさに出てしまったあの嘘を認めてしまいたくなかったからだ。自分達と変わらない境遇の子供からすら幻滅されたくない。そのつまらない意地が彼の口を閉ざしてしまう。

 

「……あのときもお兄ちゃん、つらそうにしてたの」

 

「うん。ぼくたちも見ててわかったよ」

 

 だが自分があの時ついた嘘を彼らは既に見抜いてしまっていたということが今明かされた。これには恥ずかしさを覚えたものの、今ここで言ってしまえば楽になれるかもしれない。そう思って何もかもをぶちまけようとした時、海人族の女の子が見上げながら、少しだけ涙ぐんだ様子で重吾に思いを伝えてきた。

 

「でも、でもね。ミュウ、うれしかったの。くらくてさむかったあそこからお兄ちゃんはミュウもみんなも出してくれたの。だから、だからお兄ちゃんは“勇者”なの」

 

 年端も行かない子供らしいたどたどしい喋り方で、けれどもハッキリと己の思いを口にしてきた。その言葉を聞くと同時に重吾が持っていたスプーンが落ち、他の子供達も彼に向けて様々な思いを伝えてくる。

 

「僕も……僕もおじちゃんのことかっこいいって思った。だって、あそこから僕たちを助けてくれたんだもん」

 

「でも……おじちゃんがつらいならやめていいよ。勇者さま」

 

「ぼくたちを助けてくれたとき、どうして苦しそうにしてたかわかったよ。イヤだったんだよね。勇者をしてるの」

 

「カッコいいんじゃなかったら勇者さまなんてやめようよ。おっちゃんのわらってる顔のほうがずっといいもん」

 

「お前達……みんな……」

 

 子供達はわかっていた。自分の抱えていた苦しみを。自分が勇者という『役割』に囚われてしまっているのを。だから捨てていい。しなくてもいい。もうこの『型』から抜け出してもいいのだと思って目頭が熱くなる。

 

「香織ちゃん、そろそろ休憩の時間も無くなるだろうしブルックに帰らせてくれないかい?」

 

「あ、はい……わかりました」

 

 その時キャサリンが地元であるブルックへと戻ると言い出し、それを聞いて微笑んだ白崎らはすぐに席を立った。そして檜山がどこかばつの悪い様子でテーブルの上の料理に視線を向けながら、独り言らしい何かを漏らす。

 

「あー、頼んだのはお前らで食ってろ。俺ら腹いっぱいだわ」

 

「……ありがとう。檜山、白崎」

 

「気にするな。お前らの気持ちはわかんねぇ訳じゃねぇさ。じゃ、行くぞ香織」

 

「うん。私達は責めないからね」

 

 尤もらしいことを言いながら席を外そうとしているのが彼らなりの気遣いであることには重吾達も気づいていた。今この場で存分に泣いていい。好きにしていいと言外に伝えた彼らに重吾だけでなく健太郎達も感謝していた。

 

「じゃ私も戻ろうかしらん……あなたのことは龍太郎きゅんから聞いたわ。大人なんか信じたくないとは思うのはわかるわよん。でもね、あなたが守った子供達は信じてあげて。それがあたしからのお願いね」

 

 同様に席を立ったクリスタベルも去り際に重吾にそう伝える。言われなくともと思いながらも重吾は子供達を、健太郎、綾子、真央を見つめる。

 

「こんな……こんな不甲斐ない俺でいいのか?」

 

「いいも悪いもねぇだろ。俺達は親友じゃないか、重吾」

 

「うん。もうリーダーなんてしなくってもいいよ永山君」

 

「そうだね。もう勇者もリーダーもお休み。ただのクラスメイトとしてやり直そうよ」

 

 健太郎達の温かい言葉と共に両の目から涙があふれる。ダメな自分でもいいと言ってくれた親友に、もうただの『永山重吾』になってもいいと言ってくれた友人らにとめどなく感謝があふれる。

 

「おつかれさま、おじちゃん」

 

「ごめんなさいおじちゃん。僕たち、おじちゃんがずっとつらそうにしてたから、だから少しでもわすれてほしいって思って」

 

「ぼくたちとあそんでたらきっとイヤなこともわすれるって思ったの。ごめんなさい……」

 

「いい……いいんだ。もう、いいんだよ……」

 

 泣きながらも自分を気遣ってくれる子供達に涙をボロボロと流しながら重吾は答える。この子達はずっと自分の心に寄り添ってくれた。自分達だって辛いだろうにこちらを気遣ってくれたことが嬉しくて、自分が情けなくて、それでもありがたくて。ただただ涙があふれ続ける。

 

「ありがとう皆……俺、もう……やめるよ、勇者。ごめんな、皆」

 

「馬鹿言うなよ。親友」

 

「うん。勇者じゃなくてもお兄ちゃんはカッコいいの!」

 

 そうして遂に少年は背負わされた役目を脱ぎ捨てた。ずっと共にいてくれた友人達の支えが、自分を思ってくれていた子供達の心が彼をただの少年へと戻したのだった……。

 

 

 

 

 

 重吾が健太郎らと子供達の前で勇者を辞めると宣言した翌々日のこと。重吾と子供達はハイリヒ王国の都、その郊外にある畑で健太郎達と一緒に収穫作業をやっていた。

 

「うんしょ、うんしょ」

 

「無理はするな。持ち運べる量だけでいい」

 

 フューレンにいてもやれることもなく、また子供達が親元に戻れるまで少し時間がかかることから手持ち無沙汰となってしまったのだ。そのためここ数日は畑仕事を手伝ってもらったり、健太郎らに協力してもらって子供達と遊んだりしている。

 

「おじちゃーん! おっきいおイモ出たー!」

 

「そうか。偉いな」

 

 中村らがエリセンに行く際に子供達のいた村や街へ寄って移動用のアーティファクトを設置しているため、設置さえしてしまえば移動そのものはすぐらしい。だが、寄る場所が多いためあと一日ほど時間がかかるとのことだ。なので子供達は今日も重吾と一緒にいるために仕事をしている。なお子供達の『おじちゃん』呼びを訂正するのはもう諦めていた。

 

「良かったなリーダー、じゃなかった。重吾が元気出たみたいで」

 

「だよな。ずーっとしかめっ面ばっかだったし」

 

「あぁ……俺達も自分で何とかしなくちゃな」

 

「昇お兄ちゃんたち、どうしたの?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 その様を見た相川昇、仁村明人、玉井淳史はうんうんとうなずいて彼らを見ている。そしてそう述べた淳史の言葉に昇と明人も彼と同様にやや力なく笑っていた。そこを子供達に見られたものの、三人ともやや引きつった笑みでごまかそうとしていた。

 

「……無理はしないでくださいね。相川君、仁村君、玉井君。何かあったら私に頼ってください」

 

「……うん」

 

 そんな彼らに愛子は自分を頼るよう述べるも、返事をした明人と同様に昇も淳史も苦笑いを浮かべている。仲間以外の人を信用するのが怖くて、かといって精神的に危うい愛子に寄りかかるのもはばかられる。だからこそもう重吾に頼りっぱなしでいるのではなく、自力でどうにかしないといけない。そう思って彼らはどうにか自分を奮い立たせようとしていた。

 

「重吾お兄ちゃーん!」

 

 そうして全員で収穫した作物を種類ごとに木箱に分け、それぞれの宝物庫へとしまうと亜人族の女の子が重吾へと駆け寄って来た。

 

「お仕事おわったの! ミュウたちと遊んでほしいの!」

 

「あぁ。待っててくれ。ミュウ、皆」

 

 彼が保護した子供の中で、特に海人族の子供であったミュウが懐いている。片時もそばを離れることなく、よく重吾と一緒にいる。そのせいで夜も重吾がそばにいるようになったのが、子供達のために割り当てられたフューレンの宿の大部屋で全員一緒に寝ることになってしまったのはここだけの話。

 

「ホントにミュウに慕われてるよな重吾」

 

「……まぁ、悪い気はしない」

 

 健太郎にからかい半分でそう言われるも、重吾はそう述べた通り子供達から慕われることにもう疑問を抱くことも罪悪感を感じることも無くなっていた。自分達と変わらない境遇だったのと、子供達の本音を聞いたことがプラスとなって彼の新たな支えとなっているからやもしれない。

 

「だって重吾お兄ちゃんはミュウたちを助けてくれましたからー」

 

『たすけてくれたからー』

 

 むふーと自慢げに言うミュウに続いて子供達も軽くドヤ顔を浮かべている。それがなんだかおかしくて綾子や真央、他にも健太郎や昇達もつられて笑みがこぼれた。

 

「じゃあ行こうか……今日はどうしたい?」

 

「かくれんぼー!」

 

「おままごとー!」

 

 子供達に今日は何をして遊ぶかのリクエストを聞き、何をしようかと健太郎らと話し合いながら重吾は歩いていく――メッキの勇者は今、静かに黄金の輝きを放っていた。




なんだかんだ子供達も助けてくれた重吾のことをこれぐらい思っていると自分は考えてます。それと今年中にもう一回更新したいなーとおもってますまる


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八十四話 旅行の合間にお仕事を(前編)

なんとか年越しまでに間に合いました! ではまずは読者の皆様に盛大な感謝を。

おかげさまでUAも193238、感想数も694件(2023/12/30 19:17現在)となりました。誠にありがとうございます。

今回の注意点としてやや長め(約13000字程度)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


 昼間のグリューエン大砂漠、中天を既に過ぎたというのに灼熱が如き日差しは未だ衰えない。そんな身を焼くほどの陽光と時折飛び交う熱砂に苛まれる世界の中を突き進む集団がいた。

 

 数は三百。行商の隊列というにはあまりに規模が大きく、また引き連れている兵の数も尋常ではない。しかもその中に教会のシンボルマークがあしらわれた革鎧を身に着けた兵士がそこかしこに並んでいる。無論護衛されている人間はただものではなかった。

 

(予定通りならこれで半分は超えたか。もう数日でフューレンへと続く街道に出られるな)

 

 その一団の中央にいたのはまだ年若い二十歳半ばの青年である。名はビィズ・フォウワード・ゼンゲン。アンカジ公国の領主ランズィ・フォウワード・ゼンゲン公の息子であり、この集団を取りまとめる長でもあった。

 

(叶うならばフューレンの方で物資の補給も済ませたいところだが、ギルドの報告ではウルの街産の食料の暴落と共に商会が軒並み潰れたと聞いた。であれば厳しいだろうな)

 

 彼らは現在ハイリヒ王国へと進んでいる。その目的は王国民への降伏勧告であった。アンカジもまたエヒトを神として仰ぐ教えに熱心な信徒ばかりの国であり、いくら世界の敵となったとはいえ同じ信徒である王国の者達に降伏を迫る事無く攻めるというのははばかられたのである。

 

(幸い食料は補給せずともどうにかなる量はある。ただ、ここを抜けるのが遅れなければだな。氷漬けにしたものがまだもってくれるといいのだが)

 

 そうして使節団は砂漠を進んでいく。隊の食料に関しては国の商人から作物を買い上げ、保存のきくものに加工するなり氷漬けにするなりしてこの一団のために充てているのである。そのためフューレンで食料を補給せずとも計算上は問題ないはずであった。

 

(……さて、問題は王国との会談の場を設けられるかだ)

 

 そしてビィズは食料が不足するかどうかからハイリヒ王国の上層部と会談することに考えを切り替える。どうにかしてあちらの懐に潜り込まなければ()()の目的を果たせないからである。

 

(真意を見極めねば。ハイリヒ王国は真にアンカジの敵となったかどうかを)

 

 ……ビィズの本当の目的は王国に降伏勧告を告げることではない。エリヒド王らと面会し、向こうの真意を探るために接近する。それが彼ひいては領主たるランズィの思惑であった。もし仮に王国と手を取る価値がまだあるというのならば、自身が人質となってでもパイプを繋いでおきたいと考えている。これもまたランズィ公の意志でもあった。

 

(フォルビン司教の手の者が紛れ込んでいることを考えれば、そうすんなりとはいかないだろう。だが何としてもやらねば)

 

 だが母国アンカジにて司教を務めるフォルビンは王国と矛を交えようと考えており、今回護衛として派遣された神殿騎士も彼の息がかかった者しかいないだろうとビィズは判断している。おそらく王国に悪意があったと見せかける形で公国との間に亀裂を入れようとしているだろうとも。

 

(だが動かなければ処断のしようも無い。今は泳がせるしかないか)

 

 されどもここで神殿騎士を外すにしても正当な理由がない。もし仮に面会の場から外そうとすれば神殿騎士の口を通じて何が吹き込まれるかわかったものではない。下手をすればアンカジは教会を通じ、王国と同様にトータス全土を敵に回しかねないからだ。

 

 今回送りこまれた護衛が何をしでかすかもわからない以上、()()大人しくするしかあるまいと彼は静観を決める。そして一度教会の思惑を頭の隅へとやると、ビィズはずっと思っていたある懸念について再度考えだす。

 

(あの女はまさにエヒト神様からの遣いと呼ぶに相応しい見た目だった……だが、あまりに冷たすぎる)

 

 彼とゼンゲン公はあまりにも急な情勢の転換を不審がっている。教会の上層部だけでなく王族すらも腐敗に加担していたなどという不確かな情報がいきなり飛び込んできたからだ。それも空から舞い降りたどこか神秘的な様子の女から伝えられただけでしかなく、裏が取れている訳ではない。

 

(何故……何故、見ていて身の毛がよだってしまったのだ? 本当にあれがエヒト様が遣わした存在だというのか?)

 

 だがその女の無機質な表情をビィズも見ており、王族として生きてきた勘が全力で従えと命じて来たのだ。従わなければアンカジが危ういと。それに従ったおかげで何事も無く、自分と同じく無事であったゼンゲン公の指示の下に使節団を組んだのである――後に暗部の人間から父の意を聞き、それを果たすために。

 

(それに聞いた話ではウルの街で暴動が起きた時にはもういなかったというではないか。クァンシー支部長からの報告ならば信じる他は無い。だがもしそうであれば……エヒト様はウルの街を見捨てたということになる)

 

 またビィズがゼンゲン公と同じ意見となったのは単に神の使徒を見ただけではない。アンカジの冒険者ギルドの支部長からの報告もあったからだ。いくら街の人間が暴走したとはいえ、例の女は混乱に陥ったウルの街を見捨てたということになる。

 

(慈悲深いエヒト様ならば諫めはすれども見捨てるはずがない。あれは……エヒト様の遣いを(かた)る不届き者に違いない。そうで、そうであってくれ……)

 

 だとすればエヒトは、信奉する神は本当に自分達が思う通りの存在ではないのやもしれない。想像するだにおぞましい結論を信じたくないがために、ビィズはあの女を神の使徒ではないと思い込もうとしたのである。

 

「ビィズ様、ご報告が」

 

「申せ」

 

「前方にヘルシャーの旗を掲げた集団、それと遠方より砂煙を上げながらこちらへと迫る何かが来ております」

 

 そうしてひとり考えていたビィズを現実に戻したのは少し焦った様子の部下の声であった。ヘルシャーということはおそらく国で同盟を締結しようとしている使節団の類かと見当をつけたが、もうひとつの方はどうしたものかと考える。

 

「サンドワームか時期はずれの砂嵐かもしれん。『傘』を用意し、各自戦闘態勢にて待機せよ」

 

「はっ!」

 

 そこでビィズはある魔物かもしくは砂嵐の類かと推測して指示を出した。

 

 サンドワームとは普段地中に潜んでいる平均二十メートルもの巨大な魔物であり、獲物が真下を通った時に口を開けて食らおうとする存在である。ただ、サンドワーム自身も察知能力は低いので、偶然近くを通るなど不運に見舞われない限り狙われるということはない。つまりあの巨体からキャラバンか何かが逃げ回っている可能性があるということだ。

 

 それと今の時期にこの方角から砂嵐が来ることはまず無い。仮にそうだとしても突発的なものだろうと考えたビィズは、嵐をやり過ごすために公国から持ち出したアーティファクトの“慈愛の傘”の起動も視野に入れた。これは光属性中級結界魔法である“聖壁”を付与したものであり、こういった状況をやり過ごすための道具である。

 

 自身の号令を受けるとすぐに伝令は走っていく。それを見て前の方へと彼は意識を向けた。

 

(さて、これでひとまずは問題ないか。後はどれだけ足止めを食らうか。早く終わることを祈ろう)

 

 号令をかけるとすぐに兵らは密集し、周囲五メートルを覆う光の膜が形成される。魔力がある限りは“聖壁”を維持出来るが、それとてあまり長い時間展開し続けるのは厳しいし、氷漬けにした食料が解ける問題もある。

 

 エヒトに祈りつつただ嵐が過ぎるのをビィズ達はただ祈る……例の砂嵐の正体とやらがかなりの速度で砂漠を突っ切る謎の長方形の金属の塊であることに気づくのはもう少し後のことであった。

 

 

 

 

 

「どうもありがとうございます!――あぁ、シェルビー!」

 

 ある立ち寄った村の家にて、シェルビーと呼ばれた少年が両親と無事に再会を果たした様を恵里達は見届けていた。

 

「……じゃあな、シェルビー」

 

「うん……おにいちゃん、ばいばい」

 

 昨日おとといにトータスを駆け回って設置したゲートホールを使い、ミュウを除く全ての連れ去られた子供達を恵里、ハジメ、鈴そして重吾は送り届けていた。そうしてシェルビーとお別れのあいさつをした重吾を恵里達は出迎えた。

 

“永山君お疲れ様”

 

“はいお疲れ様。とりあえずミュウ以外の子供は終わったね”

 

“うん。何事もなかったし、お疲れ様永山君”

 

「……あぁ」

 

 家からいくらか離れてから“念話”で鈴が真っ先に重吾をねぎらい、続いて恵里とハジメも彼にいたわりの言葉をかける。重吾もコクリとうなずきながら相づちを返しており、その表情には安堵が見えた。

 

 ……実は子供達をそれぞれの故郷に戻す際、何度かうっかり子供が重吾の名前をバラしかける事態が起きかけた。子供達からすればヒーローであっても世界から見れば悪党そのものであるため、大事になりかけたのである。

 

 そこはどうにか重吾本人や、ゲートキーを持ってる恵里らが必死のフォローやら誤魔化しに走ったことで事なきを得たのだが、最悪恵里と鈴とで魂魄魔法を使って記憶の消去に走るやもしれなかったのだ。

 

“じゃあ戻ろうか。エリセンへの便がある港町の近くにも既にゲートホールは設置してるし”

 

 重吾の付き添いに恵里達がいるのは単にゲートキーを持ってるのが彼女達一行だけでたまたま選ばれただけではあったが、“念話”でわざわざ声掛けをしているのは彼の身バレを防ぐためである。なおわざわざ子供達を連れていくのが重吾なのは子供達からのリクエストであり、そうじゃないと嫌だとぐずってしまっていたからという事情もあった。

 

“あぁ……そういえば南雲達()来るんだろう?”

 

“うん。雫さんのメンタルケアも兼ねてるしね”

 

 重吾からの問いかけにハジメがうなずく。重吾はミュウを親の元に届けるためにエリセンに行くのだが、恵里達の場合は事情が違う。フューレンの水族館に展示する魚の捕獲だけでなく、ハジメが述べたように雫のためにエリセンで遊ぼうということにもなっていたからである。

 

“あんなことがあったしね……鈴達としても雫の心が少しでも良くなってほしいから”

 

“そうそう。親友だし、それにここ最近皆も疲れてるからここらでちょっと羽目を外した方がいいだろうしさ”

 

 先日目撃した雫の変調を見て、今は大事な親友である彼女の心が少しでも癒せたのならと鈴が立案したのだ。その際大介らが『色々あったしよ、どうせだから皆でパーッと遊ばねぇ?』と提案したこともあり、重吾達も含めて地球組全員の慰安旅行も兼ねることにもなった。

 

“……先生も気が休まるといいんだが”

 

“そこばっかりはね……雫と同じでどうにかなったらいいな、ってぐらいだし”

 

 無論その中に愛子も含まれている。当初は彼女は『あなた達だけで行ってきていいですよ。私は私で色々動きますから』とどこか寂し気に言って自分達を見送ろうとしていたのだが、どうにか説得して連れていくことになったのだ。とはいえ無理矢理承諾させたためあまり乗り気でないままではあったが。

 

「雫……」

 

“ま、こればっかりは気にしててもしょうがないよ。鈴。じゃあ、早く皆と合流して海の街に向かおっか”

 

 親友の様子を心配した鈴に恵里もいたわりながらも宝物庫からゲートキーを取り出す。既にもう村から出てしばらく経っているため見られる心配も無い。恵里の提案にうなずきながら、現れたゲートに全員が歩いて向かっていく。

 

「お疲れ様。永山、ハジメ、恵里、鈴」

 

「うんただいま。光輝君。皆」

 

 転移先の王宮の外には既に()()が集合しており、その中から真っ先に光輝が出迎えてくれた。それにハジメや恵里もあいさつを返すと彼等の下へと少し早歩きで向かう。

 

「重吾お兄ちゃーん!」

 

「うぉっ!……まったく」

 

 そして重吾の胸に勢いよくミュウが走ってきて飛び込んだ。まだ四歳の幼子(自己申告)とはいえ、その体重は既に十五、六キロくらいはある。勢い付けて飛んでくれば普通は受け止めた側がうめいたりするのだが、そこはチートパワー持ち。とっさに軸足を後ろへと回し、上手く勢いを殺しながらミュウを抱き留めたのである。

 

「駄目だぞミュウ。俺じゃなかったらそのまま倒れてたかもしれない」

 

「みゅ……ごめんなさい」

 

「あぁ……わかればいい」

 

 そうして飛び込んできたミュウを優しく抱きながらも重吾はたしなめる。それでしょぼくれて反省した様子の幼子の頭をややつたないながらも撫でる様は彼の顔も相まって一児の父のようであった。

 

「あの……私も参加しないと駄目ですか? へ、ヘリーナだけでもいいんですよ? 日々の疲れが溜まっているでしょうし、中野さんと一緒に……」

 

 そんな二人を見て癒されてた一行だったが、不意にリリアーナが気まずそうな様子で信治へと質問をする。するとヘリーナもキッとした表情で主人のリリアーナと信治に向けて己の意志を伝える。

 

「いえ、ここは私が残ります。メイドとしてなすべきことがまだまだ残っていますので。リリアーナ様は中野様とご一緒にお休みいただいて――」

 

「何言ってんだよ姫さん。あとヘリーナも。そっちだって働きづめだろうが。ほら行くぞ」

 

 ……実は今回の旅行、リリアーナと彼女の侍女であるヘリーナもそのメンバーの中に含まれていたりする。自分達のために商会の運営をしたり、そんな彼女の補佐をしている二人も連れて行きたいと信治からのお願いがあったのだ。

 

 もちろん恵里達全員が二つ返事でOKを出し、エリヒド王とルルアリア王妃からの承諾ももぎとった上で皆で仕事を分担。かくして二人を連れ出せるようになったのである。

 

「あ、ハジメ。それに恵里と鈴も。フリードさんとメルドさんはやっぱ無理だったわ。全然首を縦に振ってくれなかったよ」

 

「まぁ仕方ねぇって。フリードさんはウラノスが大事だし、メルドさんはハウリアの奴らをもう一度鍛えなおしてるからな」

 

 そして今回の慰安旅行はフリードとメルド、それとハウリア族全員も巻き込むつもりだったものの、それもほとんど失敗と言う形に終わった。

 

『ウラノスを残して現を抜かせるか。お前達だけで休んでおけ。私とて自己管理ぐらいは出来る』

 

『確かにハウリアの奴らも休ませてやるつもりだ。が、ここで全員となると面倒だろう? 何人かでローテーションで休ませる。俺はその間コイツらをシゴく』

 

 フリードには半目でこう言われ、メルドからは袖にされてしまった。そのため二人のためにエリセンのお土産を買って渡すなり、ウラノス用の特大の風呂でも後で神山にでも造ろうかと全員が画策していたりする。

 

「皆様、今日はどうかよろしくお願いします」

 

「ありがとうございます皆さん!」

 

「お、お願いします兄ちゃん姉ちゃん!」

 

「アビスゲート様とご一緒できるなんて……皆さんありがとうございます!」

 

 それで今回一緒に休養を取ることになったハウリアの面々はカム、シア、それとパルにラナの四人。『まず族長であるカムとその娘のシアが休めば他も続くだろう』というメルドの判断から最初にカムとシアが選ばれ、残りの二人は無作為に選んだとのことらしい。

 

 ただ、ヘルシャーの面々を追い返すのが終わった後の打ち上げで浩介がやたらと『俺にも春が来たんだうへへ~』とやたらと上機嫌で自分とラナが結ばれたことを言いふらしており、おそらくメルドもその経緯を知ってこの人選にでもしたんだろうと恵里は考えている。

 

「それじゃあ馬車に乗ってくれ。俺とハジメ、それと職人の人らの合作にな」

 

 そう言いながら幸利が親指で並んでいる六台の馬車を指す。今回旅のために用意された馬車はただのものではなく、彼が述べた通りハジメの協力や職人の手も借りて造られた特別製である。全員が姿を偽って移動することもあって馬車の見た目はやや大きめの普通の幌馬車そのものだが、中身は普通のものとは違う上にとある仕掛けが施されている。

 

「うわ、すごい……私達がやったのより上手だよ……!」

 

「王国筆頭の革製品の職人であるタズウェルが仕事をしましたからね……見事な座り心地です」

 

 馬車の中に設えられた長椅子状の座席は革張りであり、リリアーナが挙げた職人らの手によって出来た一級品である。王女であるリリアーナが利用するというのと王国を救った恩人たる恵里達のためにと腕の立つ職人をかき集めて作られたものだ。

 

 自分達が作って日常的に使用している革のソファーやベッドよりも遥かに座り心地が良く、奈々のようにこれほどのものを作り上げた職人らへの尊敬の念を抱かざるを得なかった。

 

「あークソッ……ま、まぁ俺らよりはちょっと上手いな。まぁちょっとだけな」

 

「……悔しいけどハジメくん達がやったのより上手だね。ホンットーに悔しいけど」

 

「気持ちはわかるけどさ、歯ぎしりしながら座るのやめない? 恵里」

 

 当時奈落の底でなめし作業をやった大介達やハジメに対して無駄にデカい感情を抱いている恵里からすれば面白くは無かったし嫉妬したりもしたものの、やはり卓越した技術を目の当たりにしては認めざるを得なかった。鈴が言ったように悔しさがあふれにあふれていたが。

 

「その、清水様。中野様を疑っている訳ではありませんが……あまり揺れないというのは本当でしょうか? どうも中野様のお話の限りではほとんど揺れないらしいのですが」

 

「あぁ。それに関しては信じてくれ。仕組みそのものはとっくに確立してるし、一応テストもやった。まず問題ねぇよ」

 

 馬車へと向かいがてらヘリーナが小声で問いかけるも、幸利はニッと軽く口角を吊り上げながら自信満々に返した。恵里達が所有する車に取り付けられているサスペンションが全ての馬車にもついており、数度ではあるものの実際にテストして揺れの具合を確かめたのだ。

 

 結果は……テストをした御者全員から尊敬の眼差しをハジメと幸利は向けられており、馬車の常識が変わると彼らに言わしめたほどであった。

 

「どうしたミュウ。もうすぐお母さんに会えるんだぞ」

 

「……うん」

 

 その一方、既に席に座った重吾にミュウはずっと抱き着いたままであった。わかっているのだ。慕っているお兄ちゃんともうすぐ別れてしまうことを。だからミュウはただ彼に抱き着いて頭をスリスリしたり、抱き着いて離れないのだ。そしてそれは重吾もわかっており、それをあまり咎めるようなことはしなかった。

 

「あー、ごめん! エリセン行きの便に送れるかもしれないし、そろそろ出発しよう皆!」

 

「……ごめんなさい。ミュウがわがまま言ったせいで」

 

「本当にすまない。永山、ミュウちゃん……」

 

「いや、いい。ミュウが謝ることじゃない。天之河もだ」

 

 重吾とミュウの心情はわかっていた様子だったが、このままでは船に乗り遅れるからと光輝はあえて空気を読まずに出発を促した。それを聞いたミュウは委縮した様子であり、それを見た光輝もすぐに重吾に謝罪していた。が、彼の方はどちらも咎めることなく微笑みを返しており、光輝がすぐに頭を下げたのを恵里らも見た。

 

「コホン。リリィももう乗ったか?――よし、じゃあ行こう! “ゲートに向かって前進”!」

 

 そして乗り遅れた人間がいないのを確認すると、ゲートキーを使って大きめのゲートを展開。先頭の馬車の御者台へと座った光輝はゴーレム馬に指示を出す。

 

 いななくフリをすると共に前へと進んだゴーレム馬に引かれ、馬車は光の膜の先へと動いていく。その先にあるエリセン行きの船が出る港町近郊へ向けて六台の馬車はゆっくりと前進するのであった。

 

 

 

 

 

「着いた……」

 

 港町から出た船に揺られること数時間、恵里達はようやくエリセンへと足を踏み入れることが出来た。

 

「着いたね……ここがそうなんだ」

 

 初の船旅でテンションが上がって大海原を見回したり、船が着くまでの間に色々と話――港町近辺にゲートホールを設置する際にアンカジ方面から来た集団やトレイシーらがいたと思われるヘルシャーの集団らとエンカウントしそうになったことなど――をしたりして一行は時間をつぶしていた。

 

 だがこうして船から降り、検問所を抜けて実際の街並みをながめれば感動もひとしおであった。遠くに見える石で出来た住居の数々、港も兼ねているらしい発着場の近くに並んだ露店、そこからただよう焼いた海産物や香ばしいタレの匂いに観光客の呼び込みをしている様子の海人族。

 

「……すごいね。当たり前だけどアンカジとはまた別だね」

 

「うん。エリセンってこういうところなんだ」

 

「海の上の街ってこんな感じなんだ……来て良かったね。二人とも」

 

 前に訪れたアンカジとはまた違う形で異国情緒を感じる風景に、ハジメも恵里も鈴も思わず心を奪われてしまう。ほとんど誰もリアクションしてない辺り、きっと自分達と同じなんだろうと恵里はぼんやりとそう思っていた。

 

「はやく、はやく行くの! ママに会いたいの!」

 

 が、そんな恵里達が余韻に浸っていたのもつかの間。うずうずした様子のミュウが声を上げたことで全員がハッとした。恵里達にとっては観光気分に酔いしれるのもある種目的ではあったが、ミュウと重吾に関しては話が別だ。すぐにでも家族に再会させないといけないのだから。

 

「……あ、あぁ。悪かった、ミュウ」

 

「うん。はやく行こ()()!」

 

「ま、待て! まずは冒険者ギルドに立ち寄ってからだ!」

 

「俺達が重吾についてくからそっちはそっちで勝手にやっててくれ!」

 

「重吾君は私達がいるから大丈夫!」

 

「好きにやってていいからね~!」

 

 そう言って手を引くミュウにややタジタジな様子で重吾は街へと消え、彼の後姿を健太郎、綾子、真央が追っていく――実は彼の呼び方が変わったのは船旅でのあることが原因であった。

 

『みゅ……わかったの。お兄ちゃんの名前、出しちゃだめなんだよね?』

 

『そうだ。今は姿を変えているが、もしバレたら大事になる。だから頼む。我慢してくれ』

 

 エリセンに到着した後の行動の確認のため、恵里達は一度船内の大部屋の一角に集まって話し合いをしていたのである。そこで話題に挙がったのがミュウが自分達を呼ぶ際の問題だ。

 

 ハジメ達のことも『お兄ちゃん』と呼んでいるため、区別のために下の名前もつけて呼んでいるのだ。そのため他の保護した子供達と同様にふとした拍子に名前バレしかねないというリスクを抱えていた。一応彼の偽名も考えてあるし、それをミュウにも伝えてはあったものの、万が一を防ぐために重吾が直々に頼み込んだのが発端だったのである。

 

『……じゃあほかの呼びかたならいい?』

 

『あぁ……まぁ、おじちゃんでも最悪構わない』

 

『……パパ。パパがいい』

 

 すぐに別の呼び方をすればいいのかとミュウに問いかけられ、重吾も半ば諦めた様子で『おじちゃん』呼びを許容していた。その結果、もっととんでもない答えがカッ飛んできたのである。

 

『ぱ、パパ……そ、その、ミュウ? お、俺はお前のお父さんじゃない、ぞ……?』

 

『やっ。だってミュウね、パパいないから』

 

 そしてサラッと語られた真実に場の空気が一気に重くなる。これには恵里や大介達も苦笑いを浮かべ、雫もかつてアレーティアにお世話しようとした時のような母性がうずいており、案の定光輝に羽交い締めで止められていた。

 

『ミュウが生まれる前に神様のところにいっちゃったの……キーちゃんにもルーちゃんにもミーちゃんにもいるのにミュウにはいないの……だから、だからお兄ちゃんがパパになってほしいの』

 

『え、あ、いや……その、な』

 

 更に場の空気が重くなる一言を浴びせられて重吾はもう言葉も出なくなっていた。これには流石に恵里も彼に同情しており、こんな状況に追い込まれてどうしろとやや他人事ながらも思っていた。

 

『もうおじちゃんでいい。それで構わない。だからな――』

 

『やっ、パパなの! パパはミュウのパパがいいのー! パパがいてほしいのー!』

 

 そして更にぐずり出したせいで収拾がつかなくなりかけた。他の乗客もこちらに視線を向け、『早く親子ゲンカ止めろ』と目で訴えてきたのである。一瞬で針の筵となり、他の皆がうろたえる中、こうなったら仕方ないと恵里がすぐに貧乏くじを引いたのである。

 

『そっか。わかった。じゃあがんばってねパ~パ♪』

 

『パパ……!』

 

『お、おま……っ! な、なか……お前ぇっ!!』

 

 茶化すように恵里が重吾のことを『パパ』呼びすれば、ミュウが目をキラキラさせながら彼を見つめる。そして重吾の方もここで本当の名前を出す訳にもいかず、かといってここで裏切ってくれた恵里に対して怒りのこもった眼差しをぶつける。やってはいけないことと追い込まれた怒りで頭がバグりかけてたのである。

 

『……まぁ、いいんじゃないか。ジュード(重吾)パパ』

 

『け、健た……お、おいっ!!』

 

 そこに追撃をかけてきたのが彼の親友である健太郎だ。用意した重吾の偽名も使いながら『パパ』と呼んだことで余計に重吾の頭がこんがらがってしまい、頭をかきむしるしか出来なくなっていた。

 

『パパ……だめ?』

 

『……………………もういい。もうわかった。好きにしてくれ』

 

 トドメにミュウのおねだりだ。少し涙ぐんだ様子で見上げられてしまい、これにはもう白旗を上げるしかなくなった。深くため息を吐いてからその場にヤンキー座りをし、再度長い溜息を吐いてから重吾はミュウの方に視線を向ける。

 

『……嫌になったら後で変えていいからな』

 

『やっ。パパはミュウのパパだもん』

 

 一応呼び方を変えてもいいと伝えはしたものの、子供の理屈でそれを否定したミュウは重吾に駆け寄って抱き着いた。その結果、永山重吾少年は高一にして一児の父親(仮)となってしまったのである。

 

「……まぁあっちの方は大丈夫でしょ。野村君達もいるしね。じゃあ色々とやる前にホテルを探しに行こっか」

 

 ひとまず重吾らを見送った恵里達。とりあえず彼らに任せればいいだろうと判断し、すぐさま宿探しに移るべきだと恵里は全員に提案すれば誰もがそれにうなずいた。

 

「うん。早く行かないといいところ押さえられちゃうしね。検問所の人達も言ってたし」

 

 ここエリセンは大陸の西の海の沖合にある巨大な浮島である。故に外部の人間がアクセスするには船を使う必要があり、そういった客のために幾つもの宿があるのだ。ただし宿といっても貴族向けのしっかりとしたつくりのものだったり、冒険者が安い値段で素泊まりするための簡易的な施設のようなものだったりとバラバラなのだ。

 

 そのためハジメが述べたように検問所の人達は宿をすぐに確保するよう促している。しかも常連らしき人が何人も腕を組んでこちらを見ながら師匠面をしており、大げさでも何でもないということを理解したのである。

 

「ま、そっちはそっちで頑張ってくれよ……えーと、その、な。行こうぜリリィ。ヘリー……オ、トロープ」

 

「はい。シン(信治)さん。それとヘリオトロープ(ヘリーナ)も」

 

「わかりました()()()()()

 

 ただ、例外はあった。リリアーナに関しては王族であるため、フューレンの商業ギルドが手を回してくれたのである。『さる商会の支援者である貴族が泊まられるから良い宿を斡旋してほしい』と身分を偽った状態でだ。そこでリリアーナが『夫婦とメイドという関係なら三人とも怪しまれないのでは?』と知恵を働かせたせいでこんなことになったのである。

 

「ふふっ。名前じゃなくて『あなた』と仰った方が良かったですか?」

 

「勘弁してくれよ……俺もう心臓保たねぇって……」

 

「ではメイドである私は旦那様と奥様の宿を探しに先に参ります」

 

「ま、待ってくれ! おーい!」

 

 信治が心底気恥ずかしそうにしている中、上機嫌でリリアーナは信治に近づき、ヘリーナも口角を上げながら通りに向かって歩いていく。ヘリーナの後を追っていく信治とリリアーナを見て、改めてリリアーナ達のしたたかさと立ち回りの上手さに女子~ズは感銘を受けていた。

 

「じゃあ行こっかレン(ハジメ)くん、ベル()。流石にリリィ達クラスは無理だけどさ、そこそこいいところは泊まりたいよねー」

 

「そうだね。海は……多分どこでも見れるだろうし、静かそうなところに行こっか」

 

「んー、す……私は出来れば美味しいご飯食べれるところがいいな。エリセンのご飯はどんな感じか知りたいし」

 

 信治達が行ったのを皮切りに恵里達も偽名で呼び合いながら宿探しへと向かっていく。宿泊先がバラバラな理由は人数が多いから押しかけたら宿側に迷惑がかかるのと、各々の自由時間の使い方を一任しているためである。そのため恵里達はちょっと通りから離れたところにある宿の空き部屋を探しに行く。

 

「いやす……ベル、アンタ料理人じゃないんだから。ま、いいわ。ユキ、ナナリー(奈々)、私達も行きましょ。ちょっと割高だけど飲食店街に近い『海豚亭』にね」

 

「へいへい……わーったよリュカ(優花)。それと……ナナリー」

 

「そうだね。行こっかユキっち、リュカっち」

 

「あ、それ俺も狙ってたとこじゃねぇか。ま、お前らの邪魔はしねぇから俺も連れてってくれー」

 

 料理人の(さが)故にエリセンの料理はどんなものかと確かめようと優花は幸利と奈々を連れて早足で例の宿屋へと向かっていく。その後を魚料理に飢えていた礼一が追いかけていった。

 

「なぁオリヴィア(香織)。ベランダかバルコニーのあるところ行かねぇか?……その、よ。二人で星空見るってのも悪くねぇだろ?」

 

「――うん! 行こうリュウ(龍太郎)くん!」

 

 龍太郎からの誘いに香織も満面の笑顔でうなずき、すぐに腕を組んで二人は宿を探しに通りを歩いていった。

 

「……私は静かなところがいい」

 

「あいよ。んじゃ先生達の後でも追うかレティ(アレーティア)

 

「あのー、ヨシュア(良樹)、さん。私達はどうしますか?」

 

「そうだな……ま、テキトーに探して見つけようぜ。シア。先に出店制覇するってのもアリだろ?」

 

「いいですね! わかりました!」

 

 大介とアレーティアは恵里達の向かった先に、良樹とシアは宿探しもそこそこに先に通りに面した出店をうろつくことを選んだ。

 

“ねぇ光輝、私達はどうする? 私は光輝の行きたいところがいいわ”

 

“そうだな……じゃあ皆が行かなかった方向に。静かそうなところに泊まらせてもらおうか”

 

“そうか。では行こうか光輝君、雫、霧乃”

 

“はいお義父様。雫と光輝君も行きましょう”

 

 そんな中、光輝達のグループは全員が行かなかった方に足を延ばすこととなる。ちなみに雫が“念話”を使ったのはどうしても偽名でなくちゃんと光輝を名前で呼びたかったからである。かなり女の子女の子している理由であった。

 

「あの、私もですか? 私は別に一人でも……」

 

「いいえ、なりません! 私達が愛……アイ(愛子)殿を支えます!」

 

「うん! 愛……姉ちゃんのためにも僕も頑張るよ!」

 

「私もです! あの時誓ったことは絶対守ります!……えーと、アビスゲート様も出来れば……」

 

「いや先に聞いてくれ。それとその呼び方やめてくれっての……まぁ、先生が負担にならないんだったら俺が話し相手に――」

 

「いや悪い遠ど……えっと、アビスゲートでいいんだっけ? 俺達が先生を支えるから」

 

 そして最後に残った愛子達。彼女のメンタルケアのためにハウリアどもが即座に立候補してお世話をすると言い出しており、浩介もラナに半ば巻き込まれた形ながらも彼女の話し相手ぐらいにはなろうという考えを明かした。なおその後自分達も愛子のためにと手を挙げた仁村明人だったものの、浩介の偽名をド忘れして深淵卿の方で呼んだため、浩介の『違ぇー!』という叫びがエリセンにこだました。

 

「あそこの宿とか良さそうだよね。どうする二人とも?」

 

「まずは空き部屋があるかどうか確認してからでいいんじゃないかな」

 

「空いてるといいね。ちょっと離れたところにお店もあるしね」

 

 そうして各々好きに宿泊先を探していた頃、恵里達の方も良さげな宿をまた見つけた。見つけたのはこれで三軒目であり、今度こそ部屋が空いていますようにと地球の神様と仏様に祈りながら三人は新たな宿へと向かっていく。

 

「あ、でもあまり無駄遣いは駄目だよエリー(恵里)。お金は大事なんだから」

 

「大丈夫大丈夫。ちょっとぜいたくしたぐらいで無くならないってば」

 

「いや国のお金だからね今回の旅行の資金! 一応商会が貯めてるお金から出したって名目だけど!」

 

 ……ちなみに今回の旅行費の出どころはサウスクラウド商会の資本からである。その内訳は九割がた血税(残りは素材の売買で稼いだお金)であった。




税金使って恵里達旅行してました。いぇーい(いぇーいじゃない)
まぁ当然かなりの面々が渋い顔してましたが、そこら辺はリリィの鶴の一声で黙らせたという裏があったり。

恵里達の偽名に関しては後で割烹に投げるつもりです。理由? 載せる前にうっかり投稿しちゃったからだよ!(涙目)

では皆様よいお年を!!


2023/12/30 20:14
偽名一覧作りました!
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=306922&uid=294218


2024/1/4 23:08

龍太郎と香織の会話の部分で
「テラス」→「ベランダやバルコニー」に変更。テラスってマンションとかの建物の1階から庭などに張り出した平らなスペースだったんですね……。


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八十五話 旅行の合間にお仕事を(中編)

どうも皆様あけましておめでとうございます(大遅刻)
本年も拙作をどうぞよろしくお願いいたします。というわけでまずは皆様への盛大な感謝を。

おかげさまでUAも193911、感想数も698件にまで増え、しおりも437件、お気に入り件数も895件(2024/1/6 21:42現在)を維持出来ております。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当に感謝いたします。頭が上がらない思いです……。

では今回の話を読むにあたっての一応の注意点として、本文とあとがきのおまけ合わせて10000字程度となっております。それでは本編をどうぞ。


「はぁ……すごい」

 

 ようやく部屋を確保出来た五軒目のホテルの部屋にて、恵里達三人は沈みつつある夕陽を見て大きくため息を吐いていた。

 

「時々旅行の帰りとかで夕方の海辺の辺りを通ったりしたことはあったけどさ、すごいね。神秘的だ」

 

「そうだね……ため息、出ちゃうね」

 

 三人が宿泊することになったのはここエリセンの中でも海辺に近い隠れ家的な宿であった。備え付けられたベランダから海まで目と鼻の先程度の距離しかない。そこへ夕日が影を落としており、彼方から続くそれは波と共に揺れ動いている。

 

 地球にいた頃はここまで間近で、そしてゆっくりと海へと沈む夕日を見たことが無かったため恵里達はその美しさに思わず見とれてしまっていた。

 

「……こんな風にゆっくりするの、どれぐらい前だったっけ」

 

「よくてオルクス大迷宮かな……いや、あの頃も研究とかそういうのに打ち込んでたから、地球で最後に旅行した辺りかな」

 

「でも地球での最後の旅行って確か千葉の――」

 

 ハジメの隣で手すりに軽く体を預けながら恵里はふとそんなことをつぶやいた。それに対してハジメも鈴も記憶を探りながらそれに答えれば思い出話に花が咲く。

 

 やれ絶叫マシンに乗った時に自分達は叫んだりしてたのに雫と浩介だけは心底平気な顔して悲鳴の一つも上げずに乗ってたとか、お化け屋敷で恵里だけ特に怯えも何もしないまま突っ切ってハジメと鈴だけが足がガクガクになったこととか、出店で買った菓子類などをカップル組がお互い食べさせあいをしてたりといったとりとめのないことをだ。

 

「……あっ」

 

 ゆっくりと沈みゆく太陽をながめ、もうすぐ夜が訪れる頃にぐぅと不似合いな音が響く。三人仲良くお腹の虫が鳴り、これにはお互い気恥ずかしくて困ったように顔を見合わせる。

 

「……恥ずかしい、ね」

 

「あはは……でも三人一緒だから、ね?」

 

「そうだよ。別にボク達以外いないんだし……ちょっと早いけどさ、ご飯、食べに行こっか」

 

 こんないい雰囲気でムードぶち壊しなことをやってしまった。そのことに若干の気まずさを感じてはいたものの、皆でやったんならまぁいいかと三人とも考え直す。そこで恵里は恥ずかしさや気まずさを軽く我慢しつつも、もうご飯を食べに行かないかと二人を誘った。

 

「うん。いいね……そういえば確かちょっと離れたところに酒場があったよね。そこにする?」

 

「いいね。ただ、今の時間帯だと早夕飯の人もいるかも。そこはいい?」

 

「あー、そうだね。結構人がいてうるさいかも。じゃあさ、出店でいろいろ食べ歩いたりするのもいいんじゃない?」

 

 そうして夕飯の予定を色々と話し合いながら三人は宿を後にしていく。外に出れば一段と濃くなった夕日の赤が目の前の通りを照らしており、美しい茜色に世界を染め上げている。また自分達以外にも宿を出ていって食事をしようとしているのか表通りへと向かっていく様子の人間も多い。

 

「じゃあ僕達も行こっか」

 

「うん。行こう」

 

「そうだねレン(ハジメ)くん。行こっか」

 

 三人も仲良く目の前の通りを歩いていき、鈴が語った酒場にまず行ってみようといつになくゆっくりとした足取りで向かっていく。

 

「すごい活気だね……」

 

「ホントだ。地球の市場とそんな変わらないかも」

 

 そうして表の通りに出てみれば、そこかしこを歩く人達の数に恵里達は思わず圧倒されかけた。過去に一度訪れた地球のとある市場通りとそん色がない程に人が行き来しており、客引きの声もそこかしこから飛んでくる上に買い食いをしている人も珍しくないぐらいには大勢いたからであった。

 

「あ、恵里……エリーさーん!」

 

 想像以上の活気ある通りを見てて軽く圧倒されていた時、ふと聞き覚えのあるウサミミの声が三人の耳に届いた。声のする方を振り向けば、そこにはシアだけでなく良樹に愛子、カム、パルに何故かデビッドまでいたのである。

 

「お前達か。少しは気を休めているか」

 

「いや、なんでデビッドさんがいるの……」

 

 もちろん旅行に行く前にデビッド達にも声をかけたのだが、四人とも『仕事が忙しいから旅行には行けない』と返していたはずなのである。

 

 まぁゲートキーとゲートホールさえあればどうとでもなるし、多分愛子が予備のゲートホールでも携帯していて彼らにゲートキーを渡したのだろうと恵里は勝手に推測していた。

 

「少しばかり息抜きにな。真似事とはいえ、教皇の仕事というのは中々に疲れる」

 

 そう言いながら懐からゲートキーを出したことで推測がほぼ的中したということを恵里は確信する。それだけ愛子にお熱なのかと思っていると愛子も困った様子でデビッドを気遣うような言葉を向けた。

 

「デビッドさん、お疲れでしたら私に構わず休んでください。おみやげでしたらチェイスさん達の分も含めて幾つか見繕いますから」

 

「そうですデビッド殿。あ、でももしよろしかったら一度宿に戻ってハウリア秘伝のマッサージでも……」

 

「いや、愛子の顔を見るのが一番なんだ。以前より肉体も強靭になっているし、疲れというのも精神的なものが大きい。それだけだ。それとカム。貴様の気遣いには……その、感謝する」

 

 少し困ったように彼を気遣う言葉をかける愛子にデビッドはあくまで精神的な疲労でちょっと抜け出したとだけ返す。そしてカムの提案に複雑そうな表情を浮かべて辞退しつつも感謝を述べていた。

 

「そうですか……いえ、もし何かあったら私達ハウリアを頼っていただきたい。仲間を助けるのに理由はいりませぬ」

 

「……感謝する」

 

 かつて荒れていたメルドのことを考えればああいう態度なのも納得はいったし、当の愛子とカムらも特に気にしていない様子だったので恵里は言及しないことにした。

 

「では私はそろそろ戻るつもりだ。その、愛子を頼む」

 

「はいはいりょーかい。ま、後はこっちに任せてよ」

 

「恩に着る。では失礼させてもらう」

 

 そう言いながらデビッドは表通りから去っていき、後に残った愛子ら五人にハジメが声をかけた。

 

「えっと、その……一緒にご飯食べに行きませんか?」

 

「そうですね。私はまだ食べてませんでしたし、カムさんとパル君もそのはずです。さい……ヨシュア(良樹)君とシアさんもどうされますか?」

 

「あー、まだ二軒だけだったな。シア、まだ入るか?」

 

「今日はあまり運動してないですけど、もう少しぐらいなら。じゃあエリーさん、レン(ハジメ)さん、ベル()さん、行きましょう!」

 

「では参りましょうかアイ(愛子)殿、それに皆様」

 

「うん! 行こう兄ちゃん姉ちゃん!」

 

 ご飯のお誘いをすればすぐに全員がそれに乗ってくれた。それをありがたく思いながらも恵里達は出店のものを買い食いしたり、そのことを愛子にたしなめられたりしながら食事処を探す。そうして歩くことしばし、適当な酒場に足を運ぶと恵里達は空いているテーブルの席に座ることに。

 

「それじゃあ皆、今日この時まで奮闘を続けてお疲れ様でした。では今日この時の休息に――」

 

「「「「「「かんぱーい!」」」」」」

 

「「か、かんぱーい!」」

 

 各々適当に注文し、また頼んだドリンクが全員分運ばれるとすぐに乾杯をする。恵里達も頼んだ有料の水やら果実水やらを口にし、音頭を取った愛子も水をグラスの三分の一ぐらいまで飲んでから静かにテーブルに置いた。

 

「あー……これ水頼んだ方が良かったわ。ぬるくてマズ……いやスンマセンスンマセン!」

 

 こういう場だから、ということでエールを頼んで飲んでみた良樹は味の微妙さにケチをつけたのだが、すぐに他の客&店員から敵意やら殺意やらのこもった視線を向けられ、即刻頭を下げまくった。それを見て恵里も場所をわきまえりゃいいのに、と他の多くの面々と同様に白けた視線を送る。

 

“まったく斎藤君はさぁ……ま、冷えてないと水も結構微妙だけどね。海の上だしお酒とかも常温保存なんだろうね”

 

“そうだよね。どれだけ現代日本が恵まれた環境か実感するよ……”

 

 恵里と鈴も愚痴を漏らしたものの、それは“念話”でバレないようにした上であった。その手があったか、と言わんばかりの表情で見てくる良樹に対してこっちみんなと恵里は手で追い払うジェスチャーをする。

 

“恵里、やめなってば……その、僕達が飲んでる水は多分、水属性の魔法を使う人が生活用水含めて売りさばいてるからじゃないかな。それか海水をろ過する装置みたいなのがあってそれを売ってるのかもね”

 

「「「おぉー」」」

 

 ハジメもどうして水が有料なのかについて軽く考え、それに恵里に鈴、そして良樹もちょっと感銘を受けていた。そうして皆で今回泊まることになった宿のことやらお互いここ最近は休めているかどうかといったことなどをネタに話をし、その途中で注文した料理が届いたことからそれらに手を付けつつも歓談を続ける。

 

「……やえ、ティア()さんも少しは元気になってるといいですけどね」

 

 そんな中、今度話題に上ったのは雫のことについてだ。愛子が軽くうつむいてそう漏らすと恵里達も何とも言えない表情で言葉が途切れてしまう。

 

「んー、まぁそこはブライト(光輝)君達が何とかしてくれてるでしょ。下手にボク達が何かしたりアレコレ悩んでも仕方ないよ。そう考えといた方がいいって」

 

「そう、ですか……」

 

 こういう時でも生徒のことを心配する愛子に呆れと感心が入り混じった様子で恵里も答える。自分達が下手に気遣うよりも家族や恋人と一緒にいた方がマシだろうと述べるが、愛子はやはり気がかりな様子であった。まぁ自分達とて心配しているのだから無理もないかと思いつつ、ひとまず別の話題を振って空気を変えようと恵里は画策する。

 

エリー(恵里)の言う通りだと思いますアイ(愛子)……さん。それにえっと……()()()()がいないし」

 

 そこで鈴が自分のフォローに入ってくれ、一瞬遠い目をしたことで何を言いたいかを恵里はすぐ察した。確かにあの連中がいない分、まだ雫も気分的には楽だろうなと鈴の言いたいことを理解したからである。

 

「あー……うん。そうだね。ソウルシスターズの人達、いないもんね」

 

「? あの、ヨシュア(良樹)さん。今レン(ハジメ)さんが言ったのって何ですか?」

 

 そこで雫を追い掛け回していた例のヤバい集団のことが話題に挙がり、恵里もハジメも深くため息を吐く。そこで聞きなれない言葉を耳にしたシアらハウリアの面々が良樹に顔を向ければ、彼も髪をかきながら例の形容しがたい集団について語ろうと試みていた。

 

「いやー、俺はハジ……レンでいいんだよな? ともかく付き合いが微妙に浅かったからよ、あくまでソイツらのウワサを耳にした程度なんだが……」

 

「そういえばや……ティア()さんが嘆いたのを聞いたことがありましたね。変な人達に付きまとわれてるって」

 

「そうそう。自称ティアの()気取りの奴らがね」

 

 ソウルシスターズ――たとえ学校も学年も、住んでいる県すら異なっていても、それどころか雫よりも年齢が下であっても彼女を、“妹”を甘やかしたりするために現れる謎の集団。だが同時に妹のためなら足の引っ張り合いやら出し抜き合いも辞さない狂気の集団……である。

 

「うん……ティアのお姉ちゃんを自称してる頭のおかしい人達がここにいないもん。そこは良かったと思いたいなぁ……」

 

 近づいてきたりバッタリと出くわしてしまった時はすぐに雫が雲隠れしたり、浩介やいつの間にか現れた鷲三に霧乃、それと雫の父である虎一が諫めるなり何なりしていた。気配を断ったまま耳元でささやいたり、立ちはだかったり、最悪の場合当て身をやったりして対処していたのだ。それでも全然勢いが衰えはしなかったが。

 

「そういえば前に『どきなさい!!! 私はお姉ちゃんよ!!!』って言ってきた人もいたね……うん。ああいう手合いの人達が押しかけてこないのだけはまだマシだとは思う」

 

「アイツらどこでも現れるからねぇ。ちょっとでも隙を見せたら猫可愛がりしようとしてくるし……そういやママを自称する奴もいなかったっけ」

 

「うん。いた。確か大学生の人だったよ……そこだけは異世界で良かったなぁって思うのなんでだろうね」

 

 心底憂うつそうにつぶやく鈴を見て恵里もハジメもうんうんとうなずく。何せ隙あらば雫を甘やかしたり義姉と呼ばせるべく現れるヤベー奴らの集まりなのだ。年下の癖に雫の姉を自称する輩なんかも多いせいで『私ってそんな風に見られてるのかなぁ……』と気落ちするのも一度や二度ではなかったりする。

 

「美月ちゃんだったらいても良かったなぁって思うんだけど……いや、やっぱりダメかなぁ」

 

 そこでふとハジメが光輝の妹である美月の名前を出すが、それを聞いた恵里も鈴もハジメと一緒に難色を示す。彼女も雫を『年上の妹』扱いしているのだが、先のアホの集団とは無関係。むしろ彼女に警戒されることがない上に付き合いも深いことから嫉妬の眼差しで見られている人物である。ちなみに彼女もソウルシスターズを毛嫌いしている。

 

「何故駄目なんです? あま……ブライト(光輝)君の妹さんなんでしょう? そこまで問題ないのでは?」

 

「まぁ、本質的にはあの人達と大差ないっていうかなんというか……」

 

 恋人の妹であり、雫ともそこそこ仲のいい彼女だったらいてくれた方が良かったのではと思いはしたものの、アイツら並に暴走するかもと恵里達はふと考えてしまう……流石に光輝と一緒にメンタルケアやフォローをしたり、雫を元気づけようと色々動いたりといった程度だろうとは願望込みで思ったが。

 

「なんだかんだティアのこと可愛がってるからね。何故かお姉ちゃんの立場でだけど」

 

 ちなみに美月と雫の関係についてだが、なんだかんだ楽しく過ごせてはいるし実害もないからと雫はややあきらめの境地で美月の姉ムーブに付き合っている……本来たどるはずであった二人の関係性とは色々な意味で真逆となってしまっていた。

 

「シア姉ちゃん、族長。どうしよう。僕、兄ちゃん達の言ってることが全然わかんない」

 

「……年は重ねたくないな。皆さんの言ってることが私には全くわからないんだ。シア、わかるか?」

 

「大丈夫ですパル君、父様。私も何を言ってるのかわからないですし出来ればわかりたくないです」

 

 そしてその話を聞いていたハウリア一同は異次元な方にハイレベルな会話を聞いて首をかしげるどころか顔面を引きつらせてしまっていた。『年下が姉って……』だの『彼女には母親がいるはずなのに母を名乗るとはどういうことだ……? アビスゲート様の故郷はそういうところなのか?』と意味の分からないものを耳にして頭がオーバーヒートを起こしかけている始末である。

 

「まぁともかく、家族水入らず、恋人と一緒なんだから問題ないでしょ。それでいいじゃん」

 

「そう、ですね……というかそういうことにしてください。私にはちょっと荷が重すぎました……今はどうにもなりませんし」

 

 雫に関しては多分光輝達が何とかするだろうと恵里が再度結論付ければ、それにすがるように愛子も同意する。やはり愛子にも意味が解らなかったらしく、頭を抱えながら深くため息を吐いていた。

 

「まぁ、そのよ……追加の注文、いいか? ちょっとこの魚料理気になっててよ」

 

「そう、なんですか?……じゃあその、ヨシュアさんが頼むのなら私も。すいませーん!」

 

 何とも言えない空気が漂い、どうしたものかと思った矢先に良樹がそれをぶち壊さんと動いてくれた。メニュー表を置いて気になってるらしいものをトントンと指でつつくと、空気を読んだシアもそれに乗って店員に声をかけた。

 

「えーと、じゃあレンくんとベルはどうする? 何か頼みたいのある?」

 

「僕はこれ。この貝料理ちょっと気になったし、皆でシェアしない? もちろんアイさんやカムさん、ヨシュア君も含めてね。どうしますか?」

 

「じゃあ……私もこれ。いい?」

 

「あ、それか。んじゃ俺ももらうわ。シアはどうする?」

 

「あ、いいですか? ありがとうございますベルさん」

 

「アイ殿、何か頼まれますか? それとも頼んだ料理を少しもらいますか?」

 

「……そうですね。ベルさん、少しだけもらえますか? それとこちらも注文しようと思ってるんですが――」

 

 その流れに乗った恵里達も手元のメニューをながめ、どれが美味いしそうかと色々と目星を付けては話し合う。そうして決めた注文の品が届くとすぐにテーブルの中央近くへと置いて、ついでに頼んだ小皿の一つを取って盛りつけていく。

 

「塩っ気が絶妙……香辛料あんまり使ってなくてもこれだけの味が出せるんだ」

 

「そこは多分出汁を利かせてる感じじゃないかな。ほらこっちの貝料理とか」

 

「他のメニューも頼んで味を調べてみたいね。でもあんまり頼むと残しそうだし……」

 

「……あの、ベルさんもエリーさんもレンさんもそういうのが趣味、っていうかそれで生計立ててたりしてますか?」

 

「彼らのお家はそういうのとはあまり縁が無いはずですけど……むしろその、リュカ(優花)さんがそうですね。洋食屋ですし」

 

「いやアイツらの場合は趣味だぞ……なぁシア、男の料理って興味ねーか?」

 

「え? ヨシュア兄ちゃん料理出来るの?」

 

「そら大め……ダチと交代しながらやってたからな。パル、お前にも食わせてやってもいいぜ?」

 

「なんと……! うぅ、シアが遂に手料理を食べさせてもらえるほどヨシュア殿と深い仲に……モナ、もう心配しなくても大丈夫だぞ。私達の娘はきっと、きっと幸せになる。うぉぉぉん…………」

 

「いやあの、それはそれでちょっと複雑というか……その、一緒にお料理しません?」

 

「あ、いや、ぉぅ……おい先生、これどう答えるのが正解なんだよ。ちょくちょく二人と料理してんだろ。答えぐらいわかるだろオイ」

 

「あ、受けて正解だよヨシュア君。一緒に料理するの楽しいし」

 

「いや普通に受けりゃいいじゃん。別に腕前見られて困るほどでもないでしょ」

 

「受けてあげたらヨシュア君。シアさんもそっちが嬉しいと思うよ」

 

 そしてアレコレ話をしながら頼んだ料理を皆で分け合ったり、他愛のないことを再度話題に挙げたりして一行は夕食の時間を和やかに過ごすのであった……。

 

“え? 現地の人に何故か囲まれた? しかも微妙に歓迎ムード? 多分明日は動けない? せ、説明してください永山君!!”

 

 ……なお、食事の途中に愛子に向けてカッ飛んできた“念話”のせいでこの食事も流れそうになった。




おまけ 母娘の再会_異文録

「ママーー!!」

 冒険者ギルドに立ち寄り、ミュウを保護した旨を伝え終えた重吾達はミュウの自宅を訪れていた。その際ギルドの職員や道中でミュウを知るご近所さんと出会った後、ミュウの母親であるレミアの状態を聞いて急いで向かったのである。

「こ、この声! みゅ、ミュウちゃんかい!? ミュウちゃんが帰ってきたのかい!?」

「ッ!? ミュウ!? ミュウ!」

 家に着くなりミュウはステテテテー! と勢いよく家の中を走っていき、居間らしきスペースでご近所さんにお世話されていた様子のレミアの胸元へ胸元へ満面の笑顔で飛び込んだ。もう二度と離れないというように固く抱きしめ合う母娘の姿にギルドの職員もご近所さんも温かな眼差しを向けており、重吾達もどこかホッとした様子で親子を見ていた。

 レミアは、何度も何度もミュウに「ごめんなさい」と繰り返しつぶやいていた。それが何を意味するのかは重吾達は知っていたが、ミュウにいらぬ心配をかけるまいとその理由を語ることはしない。するとミュウはレミアの顔を見ながら言う。

「ただいま、ママ。ミュウ、かえってきたよ。パパとパパのお友だちと一緒に帰ってきたの」

「は? パパ?」

「ミュウ、よか……えっ。い、今何て言ったの?」

 ……そう。ここで『パパと一緒に帰ってきた』と言ってしまったのである。『パパ』なんて単語を出したものだからレミアも彼女の世話をしていた様子のご近所さんも固まってしまっており、そう言われている当人も心底気まずそうに顔をそらすばかりであった。

「ママ! あし! どうしたの! けがしたの!? いたいの!?」

 そんな時、ミュウは肩越しにレミアの足の状態に気がついてしまったようだった。彼女のロングスカートから覗いている両足は包帯でぐるぐる巻きにされており、痛々しい有様である。それを見て慌てた様子のミュウであったが、気遣われたレミアの方はそれどころではなかった。

「え、えっとあのね、それもそうだけどミュウ、パパって一体誰のことなの――」

「パパぁ! ママを助けて! ママの足が痛いの!」

 一体パパとは誰なのか。人一倍甘えん坊で寂しがり屋であったこの子が一体誰に懐いたのかとミュウが顔を向けた方を見れば、レミアにとってあまりに意外な人物――人間族の壮年と思しき男性が飛び込んできたのだ。これには思わず驚いてしまう。

「あ、あらあら……あの、あなたがミュウの……」

「えっ!? あ、あぁユーリックか。お前いつの間にパパになって――」

「いや、その、言いづらいんだが……そこの男だ」

「に、人間族の男が……? ウソだろ……」

「パパ! はやくぅ!」

 人間族の商人がこの海上の街を訪れることは割と多いし、ごく少数ながらも住んでいるのは確かだ。だが大半は海人族であるエリセンで人間族を見る機会はあまりないといったレベルだ。そんな相手にまさか懐いてしまうとは、と誰もが驚愕する他なく、方々から向けられる視線が痛くて重吾は逃げ出したくなっていた。

「あ、あぁ……その、綾子。頼む」

「……綾子、悪い」

「……うん。がんばる」

 だがここで逃げたらかえって面倒だということはわかりきっていたため、手提げカバンから取り出すフリをして宝物庫の回復薬を出しつつも、念のため治癒師である綾子にも声をかけた。やって大丈夫なのかという不安に軽く怯えながらも、健太郎からの頼みは断れず、重吾と一緒にレミアのところへと歩いていった。

「綾子、治せるか?」

「ちょっと見てみる……レミアさん、足に触れますね。痛かったら言って下さい」

「は、はい? えっと、お、お願いします?」

 お互い困惑した様子ながらも診察は始まり、触診、魔法による検査を数度繰り返して『どうにか回復は可能』という結論が出た。これには重吾もご近所さん達も診断を下した当人も安堵していた。そんな中、ちょっとだけ不安そうな顔をしたミュウが綾子に問いかけてくる。

「綾子お姉ちゃん、ママの足なおる?」

「うん。私の魔法とお薬を使って、おいしいご飯を食べて休めばきっと良くなるから」

 そう言いながら綾子は不安そうに見つめてくるミュウから視線を外し、重吾の方を見やる。その視線の意味を理解した重吾も軽くため息を吐きながらかがんでミュウの頭をなでた。

「大丈夫だ……綾子がミュウのママを治す。だから心配しなくていい」

「ホントなの……?」

「あぁ。だから泣くな。な……?」

 髪をちょっとぐしゃぐしゃにする感じのやや不慣れな頭のなで方にミュウは目を細めてされるがままになっている。それを見てレミアの顔から疑問の色が抜け、やつれた様子ながらも穏やかな笑みを浮かべて重吾の方に視線を向けた。

「あらあら、まあまあ……本当にありがとうございます。ミュウを連れてきてくれただけじゃなくて、私の足を治してくれるなんて。なんとお礼を言えばいいのか」

「い、いや……仕事、ですから」

 手をつきながら上半身をゆっくりと倒して頭を下げたレミアに重吾は頭を横に振る。あくまで自分は仕事でここに寄っただけだとあまり関わりを持たなくて済むように言ったのだが、その言い方にミュウが怒ってしまう。

「ちがうの! パパが優しいからなの! ミュウやみんなをさむいところから出してくれて、いっぱいがんばってたパパだから助けてくれたの!」

「い、いや、だからなミュウ。俺はそんな大それた……」

「……だな。ミュウのパパが助けてくれたからですよ。な?」

「健た……ケイン、お前また……」

「そうだねー。私達とミュウちゃんが心を許してるのもジュード(重吾)君が頑張り屋さんだからだよ」

「そうよ。だからミュウちゃんの言葉だけは信じてあげようジュード君」

「真央……じゃなかった。モニカ、アーヤ(綾子)、お前まで……」

 しかもそれに健太郎らも乗っかって言うものだから、余計に周囲から自分がよく思われてしまうことに重吾は頭を抱えたくなってしまう。この世界の人間を信用するのが怖いのに、と思っていると今までダンマリだったご近所さん達が動いてしまう。

「お、おい! 緊急集会だ! レミアさんとミュウちゃんを温かく見守る会のメンバー全員に通達しろ! こりゃあ、荒れるぞ!」

「おう待ってろ! すぐに連れてくるぞ!」

 大事になるのは確定してしまったらしい。健太郎らと顔を合わせればお互い顔が引きつっていたし、レミアの方に視線を向ければ『あらあらうふふ』と穏やかな笑みでこちらを見ているものだからどうにもなりそうにない。

 その結果、夜分遅くまで重吾は押しかけてきたレミアのファンに質問攻めに遭い、そしてレミアからも『お礼をしたいのでどうかしばらくこの家に泊まっていただけませんか』と頼まれてしまう。なおレミアの提案に関して一切の拒否権は存在せず、しばらくの間ミュウの世話をするついでに厄介になることが確定したのだった……。


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八十六話 旅行の合間にお仕事を(後編)

新年二回目の投稿となりました。まずは読者の皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも194858、しおりも440件、お気に入り件数も897件、感想数も701件(2024/1/14 15:07現在)となりました。本当にありがとうございます。こうしてまた見て下さる方が増えてくれたことには感謝しかありません。真にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。また筆を進める力をいただけました。感謝に堪えません……。

では今回の話を読むにあたっての注意点としてやや長め(約13000字)となっております。それでは上記に注意して本編をどうぞ。


「すまん……本当に迷惑をかけた」

 

 おそらく重吾から飛んできた謎の“念話”のせいで今にも飛び出していきそうな愛子を説得し、とりあえず出された料理を食べ終えてから会計を済ませた恵里達一向。その後、今重吾達がどこにいるかを愛子経由で聞き出しながらその家へと向かっていった。

 

「驚きましたよ全く……あなた達に何かあったと思ったら、私は……」

 

「あんまりじゅ……ジュード(重吾)のことを責めないでくれよ先生。心配だったってのはわかるけどさ」

 

 愛子から聞いた話では重吾達は無事ミュウの家にたどり着けたらしいのだが、どうもご近所さんが原因でやたらと人が集まって集会のようなものが起きているのだとか。実際家の近くまで来てみれば無数の海人族の男がたむろしており、何かを聞いている様子であった。

 

「しかし一目見てみれば、なかなかにしっかりした奴じゃないか」

 

「フューレンの方で大捕物に加わった腕利きの冒険者だ、って付き添ってたギルドの職員が言ってたしな」

 

「ぐぬぬ……レミアさんとミュウちゃんは俺の方がもっと知ってるってのに。クソッ、悔しいぜ……」

 

 そしてその男どもは揃って重吾のことをアレコレ言っており、男の嫉妬がかなり強めに出ているものの、彼を認めている意見が多い。コイツら一体何しに来たんだと恵里は呆れた様子で男どもを見ており、とりあえず何があったのかを尋ねるべく家の中へと入って渦中の人物と対面したのである。

 

「そ、それでアーヤさん、だったか? 本当にレミアの足は治るのかい?」

 

「は、はい……流石に数日かけないと無理、ですけど」

 

「数日、数日か! そんな腕の立つ治癒師まで連れてきてくれたのか」

 

「いやとんでもない人じゃねぇかアンちゃん! ハハッ、こりゃ駄目だ。俺達よりもよっぽど頼りにならぁ!」

 

 そうして話を聞き取った結果、ミュウの母であるレミアの家にご近所さんが上がり込んで元気づけていたところに重吾達が来たということ、そこでミュウが彼のことをパパと呼んだのを聞いてレミアのファンの男どもが集まったということがわかった。一体何をやってるんだかと恵里達が再度呆れたのは言うまでもない。

 

「パパ、ミュウ悪いことしちゃったの?」

 

「いや……ミュウは悪くない。まぁ、その、多分」

 

 その際、自分のせいで皆に迷惑をかけたのではと泣きそうになったミュウをすぐに重吾が止めていたりする。ちなみに恵里はその様を見て、心の中で『立派にパパやってるじゃん』とからかっていた。

 

「ふふっ。いなくなったミュウが帰ってきて、私もヴィンスさん達もちょっと驚いただけよ。ミュウは悪くないわ……それと皆さん。久しぶりにミュウが見つかって、それで私の足が治るかもしれないと聞いてヴィンスさん達が盛り上がってしまったせいでご迷惑をおかけしましたね。申し訳ありません」

 

 こうして事情がわかったことで愛子の心配が単なる杞憂に終わってくれたことは確かであった。だが、今回の騒ぎのことで愛子含むこちらにいらぬ心配をかけさせてしまったことをレミアがわびると、男衆どももつられてこちらに頭を下げてくる。すると愛子がため息を吐きつつもレミアの方へと顔を向けた。

 

「……その謝罪は受け取っておきます。それで、ジュード君をこちらに泊めると言いましたがこの子の相手をしてもらいたいからですか?」

 

「それも無いとは言いません……娘とこうして再会できたのは全て()()()()()()と仲間である皆さんのおかげです。一生をかけてでもこのご恩をお返ししたいと思っています。ですのでもし、宿がまだ決まっていないならこの家に泊まっていただきたいと思いまして」

 

 ミュウの方に一度視線を向けてから愛子はレミアに問いかけた。本当に重吾達をこの家に泊める気なのかと。ミュウの家に行く中でそのことを愛子から聞いており、ミュウを連れて来たことと自分の足を治すことのお礼としてそうしたいらしいと訝しげに言っていたのを恵里も覚えている。愛子からの問いかけを聞いたレミアは微笑みを絶やさぬまま、そう愛子に答えた。

 

「……ジュード君、ケイン(健太郎)君、アーヤ(綾子)さん、モニカ(真央)さん、あなた達はまだ宿を見つけてませんか?」

 

「いや、その……ミュウをこの家に連れてきてから色々とありまして……」

 

「質問攻めやら持ち上げられたりでさ……その、探す暇も無かったんだよ」

 

「流石に悪いって思ったんだけど、レミアさんに断られ続けちゃって……」

 

「部屋はいくつも空いてるから好きに使ってくださいとか、好きな時に治療が出来ますとか言っててぇ……」

 

 愛子からの質問に重吾達は顔をそらしたり引きつった笑いまで浮かべながら答えていった。どうもミュウの母親はおっとりしている風ではあるが、相当押しが強いらしい。また彼らがこう述べたにもかかわらず全然焦った様子もなかった。なかなかに肝も据わっているということを察した恵里はレミアのクセの強さに『えぇ……』と軽く引いてしまう。

 

「……申し訳ありませんが、彼らにも色々と事情がありまして。()()()()()ゆっくりできる場所を彼らに用意してあげたいんです」

 

「あら、そうでしたか……ですがもう時間も遅いですし、宿の方も空き部屋がどれだけ残っているかわかりませんよ? それに私はジュードさん達にお礼をしなければならない立場ですし、無理を言ったりはしないつもりです」

 

 重吾達のメンタルを守ろうと語気を強くしながら語る愛子に対し、何かを感じ取ったのか真面目な顔でレミアもそれに答えていく。あくまでもこちらの考えを尊重するといった感じで答えており、愛子から目をそらさず、目が泳ぐこともなかった辺り裏も無いのだろうと恵里は察する。

 

「一人でいたい、親しい相手と時間を過ごしたいとこの子達が思った時はどうするんですか? 一緒の家だと気が休まらなかった場合は?」

 

「もちろんその時は私も引きます。ミュウにもちゃんと言って聞かせますよ……それに、この家は結構広いですから。ジュードさん達の分の部屋は一人ずつあてがっても問題ありませんし」

 

「レミアさんの、いや俺達の恩人だからな! 駄目だったら俺らの家に招くぜ!」

 

「エリセンの家は基本広いからな! 気を遣えばその程度問題ねぇ!」

 

 その後も外野からのヤジを加えながら愛子とレミアが何度も応酬を繰り返す。お互い押しが強かったものの、どうしても重吾にお礼をしたがってる様子のレミアが根気強く反論していく。

 

「えっと……こういう時って、ジュードさん達本人の意志を確認するのが先ですよね? いやアイ(愛子)さんの気持ちもわかるんですけど」

 

「結構神経質になってやがるからなぁ……なぁ、そっちはどうなんだよ?」

 

 そんな時、恵里達同様蚊帳の外であったシアが尤もなことを口にした。それに良樹も応じて重吾の方に視線を向ければ、彼らも心底気まずそうにしながらも自分の意見を言葉にしていく。

 

「……レミアさんの言う通りだ。今から宿を探しても空き部屋が無いんだったら、な」

 

「なぁ愛ちゃん、俺達のことを大切に思ってるのはわかるよ。けどさ、レミアさんならきっと大丈夫だよ」

 

 重吾は軽くため息を吐き、仕方ないといった表情をしながらもその声色は明るかった。また健太郎の方も少し怯えが見られる表情ながらも愛子を気遣い、重吾に引っ付いているミュウを一瞥した後にそう述べた。

 

「二人とも……でも」

 

「そうだよ。けん……ケインくんの言う通りだよ。きっとレミアさんは良い人だよ。その、こんな風に目の下にクマ作ってるんだし」

 

「そうだね~。レミアさん、ミュウちゃんに何度も謝ってたし……悪い人は謝らないよ、きっと」

 

 それでも説得を続けようとしている愛子に対し、健太郎に腕を絡ませたり手を強く握りながら綾子と真央も推測を伝えていく。

 

 二人の動きからして、多分ミュウの前だから見栄を張ってはいるもののまだ怖いのだろうと恵里は推測していた。だが綾子の言う通りレミアの目の下にはクマが出来ているし、心なしか少し頬がこけているようにも見える。それに先程から表情や声のトーンから悪意の類が見られないことから手助けして恩を売るのもアリかと恵里は考えた。

 

「そんなに気になるならさ、そっちだって泊まればいいじゃん。今泊まってる宿を解約してさ」

 

「なか――」

 

「っ! そう、ですね! それなら……まぁ、目を光らせることは出来ますか」

 

 そこで恵里が提案をすれば、愛子も納得した様子は見せた。その際重吾が自分の苗字をつぶやこうとしていため、もしやそれでバレるかと心底焦ったものの、愛子の方がすぐに大きな声で被せたおかげか気づいた様子は無かった。

 

「カムさん、すぐにホテルに戻りましょう。荷物を持ってきてこちらに厄介になります」

 

「……わかりました。その、レミア殿。お気を悪くしたのなら申し訳ありません」

 

「いいえ……皆さんも何か事情があるというのはわかります。けれどそれはここでは関係ありませんから」

 

「ありがとうレミアさん!」

 

「「「ありがとうございますレミアさん」」」

 

 踵を返してすぐに家を出ようとする愛子をカムは追おうとする。しかしその前に一度レミアに謝罪すると、彼女の方もこちらが色々と抱えているのを分かった上で気遣いの言葉をかけてくれた。それに対してパルにシア、ハジメと鈴も感謝を述べた。

 

「いいえ。どういたしまして……本当なら私が料理を振舞ったりしたいところなんですけれど」

 

「おっしゃ。じゃあミュウちゃんを連れてきてくれたお礼に俺達で宴会開くぞ!」

 

「俺ぁカミさん連れてきて色々やってもらぁ! こんなめでたい席だしアイツも悪い顔しねぇだろ!」

 

 ハジメ達が述べたお礼にレミアも返事をするが、今の自分ではもてなせないことを軽く嘆いて頬に手を当てながら短くため息を吐いていた。するとレミアを慕う男衆どもがやいのやいのと言いながらすぐに宴会を開く算段を立てていく。

 

「「「良かったねジュード(重吾)君」」」

 

「良かったですねジュードさん」

 

「まぁ良かったじゃねぇか。やっと頑張りが形になったんだしよ」

 

 ハジメと鈴は純粋に彼を思った様子で、恵里の方はからかい半分で重吾に声をかけた。シアもちょっと感極まってた様子で、良樹もいくらか茶化した雰囲気ではあったものの、彼の苦労が報われたことにねぎらいの言葉をかけていた。

 

「……あぁ」

 

「パパ、良かったの! ヴィンスおじちゃんやウォルトンおじいちゃんたちがはりきってるの!」

 

「……あぁ。ありがとう、ミュウ」

 

 自分達の返事に対してはやや気恥ずかしそうに顔を背けながらも返すばかり。しかしミュウの場合は向き合って彼女の頭を不器用ながらも優しくなでながら話しかけている。それを見て健太郎が彼の背中を軽く小突き、綾子と真央は微笑んでいた。

 

「ほらジュードさん、これ食えこれ食え!」

 

「エリーさん達だっけか! まだ腹が減ってるならアンタ達も食ってくれ!」

 

「おーいアイさーん達はまだかー? まだ……おー、来た来た!」

 

 急遽開かれた宴会は恵里達も巻き込んで行われ、地元の人を中心に大いににぎわったのであった。

 

 

 

 

 

「おーい先生ー、そっちはどうだったー?」

 

 ミュウの家近辺で宴会が行われたその翌日。エリセンに行く前に決めていたグループに分かれ、恵里達は信治、リリアーナ、ヘリーナの三人と共にエリセンにある商業ギルドと漁業ギルドが入っている建物を訪れていた。

 

「あ、シン(信治)君。一応話し合いは終わったよ」

 

 信治達、というかリリアーナはフューレンの商業ギルドからの推薦状を持ってギルドの支部長との話し合いに向かっていった。そして恵里達もその推薦状とリリアーナの口利きで漁業ギルドと交渉しようとしたのだが、対応した相手がなんと昨晩宴会に参加していた海人族の一人であった。

 

「運が良かったよ。何せ昨日会った人が受付にいたからね」

 

「おかげで推薦状を出さなくても結構スムーズにいけたよ」

 

 そこで彼の口利きもあってすぐに秘書の一人を回してもらって色々と相談をしていたのである。それを終えて待合室の長イスに座って待っていると、少し経ってから信治達もこちらへと向かってやってきた。それで彼らをその場で立って出迎えたのである。

 

「マジか……じゃあ結果の方も」

 

「うん。とりあえず漁師の人は何人か確保。予定が変更にならない限りは獲りに行ってくれるって」

 

「気に食わないけどあの女が引っ搔き回してくれたおかげでね……」

 

 恵里、ハジメ、鈴がやっていたのは水族館に展示する魚類を漁師に捕獲してもらうための交渉だったが、なんと結果は成功。宴会で知り合った相手の口利きもあったが、一番大きかったのは神の使徒の存在であった。コイツらがトータス全土に現れてお告げをし、トータス中が混乱に陥ったことで逆に漁師が暇になってしまったせいで自分達の依頼を受ける余裕が出来たのである。

 

「エリセンの方も情勢がいくらか不安定になってるのと大きな取引先であるハイリヒ王国との貿易を一旦取りやめたせいで漁師も仕事が減ったみたいでさ。金をチラつかせたらすぐに食いついてくれたよ」

 

 仕事が減れば当然貿易に必要な金を獲得するチャンスが減る。だからこそ自分達が持ち掛けた仕事にも漁業ギルドが食いつき、数人の漁師を斡旋してもらえたのだ。

 

「なるほどな。じゃあ漁師の方はどうにかなるか」

 

「そうだね。それでそっちの方は? 渡されたリストに載ってた魚は買い取れそう?」

 

 信治がこちらの成果を聞いてただうんうんとうなずいているのを見て、おそらく向こうも特に問題なかったのだろうと勘ぐった恵里は信治達の方の成果について尋ねてみた。すると担当していたリリアーナの方が反応する。

 

「そうですね。こちらの方も今かけあってもらっているところです。多くはこの街でも食用とされているものですし、余分があるなら幾らか買い取れるでしょう。それと船の方の手配も既に済ませています」

 

 リリアーナ達が担ったのは水族館で展示する魚の買い付けとそれらを輸送するルートの確保であった。流石にこの街の中で大っぴらに宝物庫やゲートキーを駆使して運ぶという訳にもいかなかったため、商会の資金を出して向こうの港まで運ぶということとなった。もちろんある程度離れて人目が無くなったらアーティファクトの出番ではあるが。

 

「後は手配が終わるまでの間滞在かな。しばらくゆっくりできそうだね」

 

「そうですね。皆さんも研究に大迷宮探索と色々されてましたし……ここで少し休んでもいいんじゃないでしょうか」

 

 軽く背伸びをしながら恵里がつぶやけば、リリアーナの方も頬を染めながら軽く信治の方を見やっていた。すまし顔ではあったものの信治の後ろについているヘリーナと同様、信治と一緒にいられるのが嬉しいんだろうと思っていると、不意にその彼があることをつぶやく。

 

「そいつぁいいな……あ、そうだ。()()、どうするんだ? 無理だった時用に一応持ち込んでるだろ?」

 

 信治が言った『アレ』の正体に恵里達もすぐに気づき、顔を合わせて三人そろってニマニマといたずらっぽい笑みを浮かべる。

 

「アレ?……あ、うん。待ってる間にちょっと使()()()を思いついてね」

 

「そうそう。待ってる間にちょっと話し合ったんだよねー。別にさー、展示するのは魚()()じゃなくってもいいでしょ?」

 

「だから後でこっそり使うつもりだよ。あ、でもスペースが限られてるから人数限定かな」

 

 実は今回エリセンへと向かう際、仕事の合間を縫って恵里達はあるものを急遽造っていた。やはり急ごしらえな分色々と粗が目立つし、そこまで大きいものも造れなかった。が、ある『目的』のためならば運用しても問題ない出来栄えであると同時に恵里達は考えていた。

 

「魚以外?……あ、なるほどな。そういうことかよ」

 

「? あの、シンさん。アレ、って一体何ですか?」

 

「皆様が夜に何かをされていたのは存じてますが、一体何を……」

 

「ソイツは見てからのお楽し……っとと、あっちも終わったみたいだな」

 

 それを見た信治も同様にあくどい顔をするも、『アレ』の正体に心当たりがないであろうリリアーナとヘリーナだけはそろって首をかしげるばかり。一体その正体は何なのかと尋ねるも、後で驚かす気満々の彼はそれを先延ばしにする。そうして軽くむくれるリリアーナを見て苦笑する彼と共に恵里達の方にも“念話”が届いた。

 

“頼まれてたもんは全部買っといた。じゃあ指定した場所に集合な”

 

“きっと恵里ちゃんと鈴ちゃんに似合うと思うから!” じゃあまた後でね!”

 

「こっちもだね。じゃあ行こうか皆」

 

「だな! おーし遊ぶぞー!」

 

「し、シンさん! ば、場所を考えてください!」

 

 どうも他のグループの方も頼まれていたことが無事終わったらしく、後は合流するだけとなった。ハジメが目的地に行こうと誘えば信治も場所をわきまえずに大声を上げる。すぐにリリアーナから注意をもらって気まずい様子になった彼を横に、他の皆と同様にテンションが上がっていた恵里はすぐに彼と腕を組む。

 

「うん。じゃあ行こっか。えへへ、ハジメくんとデート、デート♪」

 

「エリー、名前名前!……もう」

 

 ハジメとデートが出来るということで大いに浮かれ、そこでうっかり恵里がハジメを偽名でなく本名でうっかり言ってしまったことに鈴が大いに焦る。幸い誰にも聞こえてなかった様子でホッと一息吐いた後、すぐに空いてるハジメの腕に自分の腕を絡め、仲間達と合流しようと一緒に歩いていく。

 

「じゃ行くぞリリィ、ヘリオトロープ。思いっきり楽しむと――」

 

「あ、あの、シン……さん。わ、私も着替えないとダメ、ですか……? その、とても恥ずかしいんですけどぉ……」

 

 自分達の後を信治達も追ってきたのが足音でわかったが、ふとリリアーナの羞恥に満ちた声を聞いて恵里達は振り向いた。

 

「あー……駄目?」

 

「旦那様の世界の方では珍しくはないのかもしれませんが、高い身分の人間は人前で肌を晒すということは普通しませんので……あの、私も、なんですよね?」

 

 リリアーナとヘリーナが顔を赤くして身もだえしながら彼に問いかけており、それを聞いた恵里達は顔を合わせて何故あの二人が顔を赤くしているかに気付く。続くヘリーナの言葉からして下手すればお嫁に行けなくなる程にショッキングなことだったというのも三人は納得を示す。

 

「いや、でもよ。肌を見せたくねーんだったら俺の上着でも羽織ればいいし、そういうヤツ売ってたって聞いたぜ」

 

「その、でもぉ……」

 

「お、奥様もこう仰ってるんですし、その、今回ばかりは……」

 

「……俺さ、二人の水着姿、スッゲー楽しみにしてたんだけど」

 

「「あ゛ぁあああぁ~……」」

 

 だがそれでもと信治は食い下がったせいで二人も今にも泣きそうな表情で渋っている。そこで駄目押しとばかりに心底残念そうにボソッとつぶやけば、リリアーナもヘリーナも顔を覆って今にも奇声を上げてしまっていた。

 

「シン君、やっぱり今回は見送った方がいいんじゃ……」

 

「あー……ダメか? 先生もやっぱダメって――」

 

「う、うぅ……や、やります。わ、私の未来の旦那様のためなら、ちょ、ちょっと脱ぐぐらいやってみせます!」

 

「おい言い方ァ!!」

 

「わ、私も……み、未来の奥様に負けぬよう精進します! ひ、人前で素肌をさらすことも我慢します!!」

 

「お前もかーい!!」

 

 そして色々と覚悟を決めて決意表明を二人はしたものの、この場でエラいことをやりかねないと誤解されかねないことをのたまったせいで大いに信治が焦ってしまっている。周囲から白い眼を向けられる信治達の手を引き、恵里達はこの場を後にするのであった……。

 

 

 

 

 

「やったなこのっ! ハジメくんっ!」

 

「ふふっ。これぐらい鈴でも避けられるよ!」

 

「だから二対一は卑怯だって――うわっ!」

 

 太陽は中天に至り、穏やかな海を明るく照らしている。外部からやってくる船や漁船などが停泊している港とはまた別の素潜り漁などをやる人間用に開放された桟橋の辺りで恵里達は思い思いに戯れている。

 

「永山達は不参加か……」

 

「ミュウちゃんのお母さんのこともあるもの。仕方ないわ」

 

 来た当初は人がいるかもと幾らか警戒していたのだが、漁は既に終わっていたのか誰もいないためプライベートビーチのようにほぼ気兼ねなく遊んでいた。ただ、重吾達四人に関してはレミアやミュウのことがあったため不参加だったが。自分達はいないけど楽しんでくれと愛子からの伝言があったことからそこは全員ほぼ割り切っていた。

 

「ぷはっ――海の中すごいよ! お魚さんいっぱいいた!」

 

「あぁ! 地球じゃ見ねぇような色合いとか形だったな!」

 

「じゃあ今度は()()()()()にね――行こう!」

 

 髪の毛と同じ白のビキニを身に着けた香織が龍太郎と共に海面から顔を出すと、お互い海の中で見た色鮮やかな魚の群れに感動をぶつけ合う。そしてまた見ようと香織が誘うと、お互いシュノーケルのマウスピースのようなパーツがついたスプレー管みたいなものを宝物庫から取り出して口にくわえ、一緒に海の中へと潜っていった。

 

「ぶはー!……アレーティア速ぇな。俺本気で泳いでたってのによ」

 

「ぷは……ん。昔色々と鍛えてた」

 

 先程まで一緒に泳いでいた大介とアレーティアは桟橋に上がって休憩に。光輝達と一緒に前衛を務めるだけあって後衛の魔物の肉を食べた面々よりも引き締まった肉体が映える。他の男子~ズと同様にトランクスタイプの水着を着ていた大介は真隣に座った黒のビキニ姿のアレーティアに顔を向け、勝負に勝てなかったことにちょっと残念そうにボヤいた。

 

「あーあ。これでも結構体力には自信あったんだぜー。ったく、アレーティアにいいとこ見せたかったんだけどよー」

 

「ん。私も全力を出さなかったら負けてた……それよりも私は大介を誘惑出来なかったのが悔しい」

 

「あー、いや、その……似合うぞ。うん」

 

 その一方、軽くスネた大介を労わっていたアレーティアも、自ら選んで買ったこの水着で大介を悩殺しようとしていたのが成功してないことに軽くおかんむりであった。ただ、不満を口にした途端に大介は顔面を真っ赤にして顔を背け、海を見ながらつぶやいたまま黙り込んでしまう。それを見て彼女は溜飲が下がったのか、彼の肩に頭を乗せて目を細めた。

 

「気持ちいいですねアビスゲート様!……アビスゲート様?」

 

「これ、これだよ……俺が欲しかったのはこれだったんだ……!」

 

 桟橋からちょっと離れたところで一緒に泳いでいたラナと浩介。たまたま近くに人がいないからってうっかりアビスゲート呼びしてしまったのだが特に浩介は咎めようとはしない。かつてなら血の涙を流していた『海でイチャつくカップル』に自分達もなれたということを存分に噛みしめ、感激の涙を流しながら天を仰いでいた。

 

「良かったなぁ、浩介」

 

「そうね。本当に不憫だったもの……ねぇ光輝、お祖父ちゃんとお母さんもまた泳がない?」

 

「あぁ。わかったよ雫」

 

「うむ。行こうか」

 

「ふふ。じゃあまた競争でもしましょうか!」

 

 立ち上がるとすぐさまその場で飛び込んだ光輝、雫、鷲三、霧乃の四人。ターコイズブルーのホルターネックの水着をまとった雫は光輝と共にすぐに海面へと顔を出し、そこからちょっと進んだところで鷲三と霧乃も海面から上半身を出す。お互いの姿を確認してから軽く沖へと向かって泳ぎ出した。

 

 ……ちなみに当初、鷲三と霧乃は水着代わりにふんどしとサラシを身に着けていた。雰囲気にそぐわないため雫が用意した水着に着替えることと相成ったのである。ちなみに鷲三は黒のビキニ、霧乃は青のワンピースタイプのものだ。

 

「ねぇユキ。アンタ泳がないの?」

 

「せっかく水着買ったんだし泳ごうよ幸っち。ね?」

 

 黒のタンクトップビキニを身に着けた優花とフリルの着いたワンピースタイプのものを着た奈々に幸利は迫られている。二人と一緒に未だ桟橋の上で座り込んでいた幸利は、泳いでいる皆に再度視線を向けてから軽くため息を吐いてこう返す。

 

「あんな人外どもの泳いでるのとか見てたらやる気も失せるっての……泳げねぇ訳でもねぇけどそこまで得意じゃねぇって」

 

 先程また泳ぎ出した光輝達はもちろんのこと、桟橋に上がって休んでいる大介にアレーティア、初の海に興奮して“身体強化”まで使ってトンデモスピードで泳ぐシアに負けじと追いすがる良樹。当初はちょっと泳いでみるかと思っていた幸利も水しぶきを上げながら泳ぐガチ勢を見てそんな気分ではなくなってしまったのである。

 

「そんなのいいわよ別に。エリ達みたいに水かけあってるのでも楽しそうじゃないのよ」

 

「うん……私もやりたいんだけど、ダメ?」

 

 けれども幸利と思い出を作りたくて二人の少女は軽く瞳をうるませ、彼の両脇から顔をのぞきこむようにしてお願いする。そうされてしまえば二人に気のある幸利も迷いを見せ、救いを求めて近くにいた妙子に視線を向けた。

 

「なぁ妙子……」

 

「つきあってあげなよ~幸利ぃ~……ちゃんと二人と向き合って。ね?」

 

「……わかったよ、もう。泳ごうぜ、二人とも」

 

 オフショルダータイプのビキニを着けた妙子がやれやれといった表情でたしなめれば、幸利も遂に観念する。途端、すぐに二人の少女は彼の両脇を抱えながら立ち上がり、そのまま海面へとダイブするのであった……。

 

「獲ったどー!」

 

「これ確か食える魚だったよな! 後何匹か捕まえたら焼いて食おうぜ!」

 

「ったく、槍は俺の専売特許だろうが……! 次は負けねぇ!」

 

「ははっ、銛と槍じゃ勝手が違うってことだろ!」

 

 海面から出て魚が刺さった銛を掲げているのは仁村明人であった。彼と友人の相川昇、玉井淳史、そして礼一はハジメから作ってもらった銛を使って素潜り漁の真似事をやっていたのである。

 

 来た当初は微妙な空気を漂わせていた明人達に礼一が人数分の銛を渡し、これで魚を獲らないかと言い出したのだ。そして一番数が少なかった奴が罰ゲームということで三人を海に突き落として無理矢理巻き込んだのである。結果は成功といっていい具合だ。モヤモヤした気分でいた彼らもゲーム感覚で体を動かしたことで昔の明るさを少しは取り戻せていた様子であった。

 

「……やっぱり無理強いしない方が良かったですね」

 

 その一方、クラスメイト達が集まっている桟橋の先近辺から離れた場所にて。ワンピースの水着に上着を羽織り、潮風を浴びながらクラスメイト達を見つめていた愛子はすぐ近くを見下ろしていた。

 

「い、いえっ! わ、私はその……こ、こういうのも悪くないかなーって思ってたんです! し、シンさんは悪くないですし!」

 

 近くにいたのは信治、リリアーナ、ヘリーナの三人。だがリリアーナだけはぷるぷると身もだえしており、うずくまった信治をヘリーナが看病しようとしているという構図である。

 

「し、信治様! だ、大丈夫ですか! お気を確かに!」

 

「ヤベぇ……もう俺あの世逝きそう。てか逝くわ」

 

 理由はリリアーナとヘリーナの水着姿を見て信治が鼻血を噴き出したせいである。シンプルなタイプの白のワンピースの水着のリリアーナ、そして同じタイプの黒を着ていたヘリーナを見て興奮のあまり鼻からパトスがほとばしったのだ。

 

 『ここが天国か』とのたまった後、鼻血を噴き出したまま後ろに卒倒しそうになった信治であったが、そこは意地と気合でどうにかたたらを踏んで留まった。そして自身の水着をところどころ赤に染めた後でその場でうずくまったのである。

 

「えーと止血、止血……確かメルド兄ちゃんが血が出てる部分を高い場所にするといいって!」

 

「ならば私が肩を貸しましょう! さ、信治殿!」

 

「お、おう……」

 

「大丈夫ですか! 信治さん!」

 

「私達も何か手伝えることはありませんか!」

 

「ぶほっ」

 

 結果、色んな意味で恥ずかしがるリリアーナに鼻血が止まらない信治の処置をするべく必死なヘリーナ。そして彼の鼻血を止めるべく奮闘するカムとパルというバカンスには不釣り合いな奇妙な光景が出来上がったのであった。なお真正面に心配した様子のリリアーナとヘリーナが立ったせいか、鼻血が余計に噴き出してどうにもならなくなっていた。

 

「大丈夫かなぁ信治君……」

 

「大丈夫でしょ。多少鼻血が出たぐらいだし」

 

 そして“空力”で足場を作って水のかけ合いをしていた恵里達は今、足場を維持したまま桟橋の方を見やっていた。

 

「まぁ“念話”で治療してほしいって言ってないし大丈夫だと思うよハジメくん」

 

 鈴の言う通り、別に治癒魔法が入用になっていたという“念話”が届いた様子は無かった。あるんだったらすぐにでも“聖典”発動の際に発する光が周囲を覆っているはずである。ちなみに鈴の水着はヘリーナと似たデザインの白のワンピースタイプのものであった。

 

「そうそう――やっぱりさ、泳ぎに来てるんだからちゃあんとボクを見て欲しいんだけど」

 

 そうして軽くジト目で見上げればハジメもちょっとタジタジの様子で頬をかいて目をそらす。恵里が今着ているのはブラジリアン水着に近い代物である。香織に『結構露出度の高い奴買ってきて!』と頼んだ際、他の面々と比べてかなり攻めたものを用意してくれたのだ。やはり効果は抜群だったらしく、お披露目してから今もハジメが自分の水着姿を見る時は必ず赤面している。

 

「そうだよねー。鈴の方も見て欲しいなーハジメくーん」

 

「いや、あのね……その、二人とも近いって……」

 

「裸ぐらいならちょくちょく見てるんだし、これぐらいどうってことないよねぇ~?」

 

「そ、それは別! 別だから!」

 

 そうして鈴と一緒にしなだれかかり、胸を彼の体に接触させれば面白いようにハジメは慌ててしまっている。耳の先まで真っ赤に染まっている、変なところでウブな彼を見て恵里は満足そうに微笑んだ。鈴と一緒だからというのもあるのだろうけど、自分達を見て愛しい彼が冷静でいられなくなっている様に恵里は興奮を隠せずにいた。

 

(ふふっ。ハジメくん可愛い……それじゃあ、もーっとドキドキさせてあげ――)

 

 その興奮のままに更に体を密着させようとした時、ふと大きな波が彼らを襲った。大して大きな波が来なかったために恵里は思いっきり油断しており、そのまま波に呑まれて岸の近くまで流されてしまう。

 

「ぶぇっ!?……げほっ、げほっ……あー、ひどい目に遭った」

 

「わぷっ!?……うぇぇ……飲んじゃったぁ」

 

「うわっ!!……あぁ、びっくりし、た……ぁ」

 

 すぐさま呼吸を止め、波の勢いが弱まった辺りで再度“空力”で足場を作って海面に顔を出す。判断が早かったのが幸いしたか気管支に水が入るということもなく、三人とも溺れずに済んだ様ではあった。

 

「? どうかしたハジメくん? ボクの胸ばっかりじっと見ててさ」

 

「い、いや、その……み、水着が……」

 

 こちらに視線を向けたハジメは顔だけでなく全身が真っ赤に染まっており、よくわからない言葉を発していて恵里は思わず首をかしげる。確かに結構きわどい水着を着ていたし、もしやさっきの波で少しズレたのだろうかと考えて恵里はハジメのウブさにちょっと苦笑いを浮かべる。

 

「水着? あ、もしかしてちょっとズレたの? やだなぁもう。確かになんかスースーするけどさ、ちょっとぐらいだけでしょ。それぐらいで――」

 

「い、いや、だから、み、水着が! 水着が!」

 

「あーうん……ちょっと鈴、泳いでくるね……」

 

 やはり大きく慌てている様子のハジメと何故か目をそらして沖へと泳ぎ出した鈴を見て、流石に恵里も違和感に気付く。一体何があったのやらと思って視線を落とし……さっきからどうしてスースーしているのか。その原因にようやく恵里はたどり着いた。

 

「ぁ……あ、あぁ、あぁぁ……」

 

 即座に胸元を手で隠し、彼女もまた周知に悶える。さっきの波で上の部分が持ってかれたことにようやく気付いたのである。

 

「ん――ぷはっ……なんだこれ。誰の水着だよ」

 

 運が悪いことに恵里の上の水着がただよってた辺りに素潜り漁をやっていた礼一らが現れてしまう。しかも礼一の顔面にそれが乗っかる始末だ。それを手に取って周りを見渡すのを見て、恵里の羞恥心は遂に爆発してしまう。

 

「し……死ねアホぉーー!! “風刃”っ!!!」

 

「「「ぎゃぁぁぁあぁぁ!?」」」

 

「どわぁー!! こ、殺す気かぁー!!」

 

 容赦なく“風刃”をかっ飛ばして礼一を真っ二つにしようとして大失敗。オルクス大迷宮で鍛えた反射神経のおかげで礼一は見事に回避。昇達も紙一重でかわす。が、ものの見事に恵里の水着だけはお陀仏になってしまった。

 

「し、死ねぇー!! お前なんか死んじゃえー!!!」

 

「す、鈴ー!! は、早く“鎮魂”かけてぇー!!」

 

「あーもうとんでもないことになってるよぉ! “鎮魂” “鎮魂” “鎮魂”!!」

 

 水着がただの布切れになってしまったことで余計に頭がぐちゃぐちゃになった恵里は、もうひたすら“魔力放射”で形にもなってない魔力の塊だけを飛ばす。そこから必死に逃げる礼一達に恵里を止めながら鈴に“鎮魂”で落ち着かせるよう大声で頼み込むハジメ。そして必死になって“鎮魂”をかけまくる鈴。

 

“ゲートホールの設置終わったよー”

 

“もうすぐそっちに戻れるぞー”

 

“来るの後にして龍太郎君、香織さん!”

 

“今ちょっと恵里の水着がご臨終で大変なの!!”

 

“何が起きたの!?”

 

 ある目的からエリセンの水面下の部分にゲートホールを設置しに向かっていた香織達も近くまで戻って来たらしく、“念話”でその旨を伝えてくれたがこちらはそれどころではない。錯乱した恵里をどうにかしようと幼馴染~ズ全員が彼女の近くに向かって“鎮魂”をかけにかけまくっている始末である。

 

「えへ……えへへ……いっそ殺せよぉ……もぉハジメくんのお嫁さんにしかなれないよぉ……」

 

「いや恵里大分余裕ありすぎない?」

 

 かくして波間のバカンスは散々な結果に終わった。次からはちゃんと波にさらわれても大丈夫な水着を着けよう。そう恵里が決意したのは言うまでもない。




いやー年明けに相応しい水着回でしたね。このオチのために恵里の選んだ水着はコレにしました(支離滅裂な発言)

ちなみに作者はモノキニとクロスデザインが調べてて好きになりました。何のことかって? まぁアレですようん。

あ、そうそう。エリセン名物のある話をしてからやっとライセン大迷宮に移るつもりです。うんいつものように伸びましたよ(白目)

2024/1/19 追記
ライセン大迷宮寄る前にやることがあったの思い出した&次の話が構想の段階で一話で収まりきらないことが判明しました(白目)
ライセン大迷宮攻略はもうちょっと先になります……orz


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幕間五十 その出会いがもたらしたもの、もたらすもの

きくうし業やらドクターとしての業務してたり本読んでたり金カム実写版見たりしてたら遅く成りました(白目)(精一杯の言い訳)

……コホン。では改めまして読者の皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも195972、お気に入り件数も901件、感想数も705件(2024/1/28 13:59現在)となりました。誠にありがとうございます。遂にお気に入り件数も900まで来ましたし、UAも20万が目の前まで迫ってきました。これもひとえに読者の皆様が拙作をひいきにして下さるおかげです。感謝いたします。

そしてAitoyukiさん、きゆみおさん、拙作を評価及び再評価してくださり誠に感謝いたします。またしても最後まで突っ走る力をいただきました。ありがたいです。

では今回の話を読むにあたっての注意としてやや長め(約12000字程度)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「ちぇー。いいじゃん不可抗力じゃん。ボク何も悪くないもん……」

 

 ランプの明かりが薄暗くなった部屋を照らす中、恵里はベッドの上で体育座りをしながら思いっきりスネている。

 

「確かにあの波が原因なのはわかってるし、恵里のあられもない姿を鈴以外に見せたくないのはわかるよ。僕だってそうだし」

 

「ねぇハジメくん、だから畑山先生にハジメくんも叱られたんだよ。わかる?」

 

 そんな恵里の隣で、ハジメは彼女の頭をなでながらなだめていた……のだが、ほぼ私欲が丸出しな発言のせいで彼の隣に腰かけていた鈴からツッコミが飛んだ。

 

 恵里の水着ご臨終事件がどうにか収束を迎え、宝物庫に入っていたハジメの上着を彼からかけてもらった後、恵里は愛子からお説教を食らったのだ。どうしてそうなったかという理由に関して向こうも理解は示していたものの、クラスメイト達全員を生かして帰す気概の愛子からすれば恵里の暴挙はどうしても許しがたかったようだ。そのため桟橋の上で正座させられたまま恵里は叱られたのである。

 

「どうしたの鈴? ボクがうらやましかったの?」

 

「いや鈴も流石にこういうのをいちいちうらやましがらないってば……」

 

 なおそこでハジメが愛子の言葉を聞きながら『恵里のあんな姿が他の人に見られなくて良かった』だの『僕と鈴以外には恵里の裸は絶対見せません!』なんて言ったせいで彼も一緒にお説教を受ける羽目に遭ったが。鈴は軽いジト目でハジメを見やり、その彼もアハハと苦笑いをした後でせき払いをしてから再度恵里に声をかける。

 

「こほん……でもね、流石に礼一君達に攻撃するのは駄目だよ。礼一君なら絶対避けられたとは思うけど、僕たちの大事な友達で仲間なんだから。ね?」

 

「わかってるけどさぁ……別に死ななかったんだしいいでしょ。あの時はもういっぱいいっぱいで狙いも何もなかったし」

 

 頭をなでながら諭すハジメに対し、恵里は気持ちよさげに少し目を細めつつも言い訳を繰り返す。するとハジメがそっと両肩を掴んで動かし、向かい合わせてくる。

 

「恵里、駄目だよ」

 

「うぅ……駄目?」

 

「うん。元々は雫さんのためだとしてもせっかくのお休みなんだから。そんな時間を血生臭くするようなことはしちゃ駄目だよ。ね?」

 

 表情は穏やかながらも真剣な眼差しをしたハジメにそう言われてしまえば恵里も敵うはずが無かった。どこまでも真剣に自分のことを本気で思ってくれているのがわかるからこそ反論出来ない。彼からの問いかけに恵里は少しため息を吐きながらもゆっくりとうなずく。

 

「……うん」

 

「うん。ありがとう、恵里」

 

 ずっと自分を愛してくれた彼からの言葉なのだ。自分を思いやってくれているのがひしひしと伝わり、こんなのどうやったって敵わないよと思いながら微笑むハジメを恵里は見つめた。すると鈴がわざとらしくせき払いをし、あることを口にする。

 

「コホン。ハジメくん、恵里ばっか構わないでよ……実際恵里のせいで鈴達のナイトクルージング無くなっちゃったんだからね」

 

「うっ」

 

「まぁまぁ鈴。落ち着いて。ね?」

 

 その言葉に恵里も思わず軽くうめき声を上げ、向かい合っていたハジメも後ろを振り向いて鈴をなだめにかかっている。

 

 そうして愛子からのお説教を終えた後、ハジメは自分と恵里、そして鈴の三人に加えて数名で夜のクルージングを楽しもうとしていたのだ。使うのはただの船ではなく、ここ数日の間、休みを縫って造り上げた小型の潜水艇である。真っ暗な夜の中で海の魚()()を捕まえながらクルージングする予定だったのだが、ある六名にそれを譲ったことから彼らはお留守番となったのだ。

 

「だって……近藤君達は恵里のせいで死にかけたからわかるよ。それと、理由はわかるけど畑山先生がそこに収まったからね。アレーティアさんと檜山君じゃなくって」

 

 そう。今夜ナイトクルージングに向かっているのは例の事件で恵里が襲った礼一に昇、明人、淳史に加えて愛子とカムの六人なのだ。ここで愛子とカムが選ばれたのにもちゃんと理由はあった。

 

「まぁまぁ鈴……確かにアレーティアさん、とんでもないことになってたしね」

 

 ……実は恵里がポロリした事件の裏である騒動が起きていた。恵里の錯乱振りを見たアレーティアが突然顔を青ざめさせ、ブッ倒れてけいれんを引き起こしてしまっていたのだ。

 

 隣にいた大介曰く、恵里が“風刃”を飛ばした直後に瞳が濁り、やたらと『ごめんなさい』と何かに謝り続けた後に口から泡を吐いて倒れたらしい。『多分俺達を襲った時のこと思い出したかもしれねぇ!』と必死な形相で“鎮魂”を使いながら言っていたと近くにいた礼一らから聞き取っている。

 

「あーうん……あれはちょっと気の毒、だったかなぁ」

 

「檜山君大丈夫かなぁ……」

 

「大丈夫だって思いたいけどねぇ……」

 

 その後、“鎮魂”をひたすらかけたことでアレーティアはメンタルを持ち直した……はずだったのだが、自分達を見るなりすぐに大介の後ろに隠れてガタガタ震えていた。その後彼女は大介と一緒に宿に戻り、先程香織の“念話”を経由してもう大丈夫だという連絡が来たためひとまず三人もホッとしていた。

 

「それに相川君達の事情を考えると流石にね。信頼できる畑山先生がいた方がいいと思う」

 

 そして愛子らが選ばれた理由なのだが、それは昇、明人、淳史の三人が惚れた相手に裏切られたことに起因していた。自分達がハイリヒ王国の混成軍と戦う前までは相思相愛であったらしいが、負けると同時に手のひらを反されてしまったからだということだ。

 

 その際人間不信を患ったらしく、また彼らが信頼を寄せている愛子から『仁村君達の面倒は私が見ます』と述べたためハジメが自分の宝物庫を譲ったのである。今頃はもうエリセンの人が寄り付かない西北西の海域へと足を延ばしている頃だろうと三人は推測している。

 

「ハニートラップかどうか疑っとけばよかったのに……ボクが言えた義理じゃないか」

 

 そんな時、恵里はため息を吐きながら明人達のことに言及する。あの時本当に彼らを好きになった女達は本気で愛していたのか疑えばよかったのにと述べたのである……その女どももかつての自分と何一つ変わらなかったことへの皮肉も言いながらだ。

 

「恵里」

 

 流石にこれにはハジメが怒った様子を見せた。再度振り返った時にはこれ以上何も言わせないと言わんばかりの表情で自分を見ていたのである。

 

「ねぇ恵里。どうして僕が怒ってるかわかるよね? それと前に恵里が道を踏み外さないように僕は何とかしたいって言ったのは覚えてる?」

 

「うん……わかってる。それに覚えてるよ」

 

 道理を考えればハジメが怒るのも恵里は理解できる。それに今回は自分が悪いことも理解しているつもりであったし、彼が何としても自分を日の当たる道にいさせたいと言ったのも覚えてた。だからこそ少しビクビクしながらも彼の言葉を恵里は待つ。

 

「そっか……あのね。僕もさ、相川君達と大差なかったと思う。恵里が心変わりしたから、本気で僕を想ってくれたからそうはならなかっただけでね」

 

「……うん」

 

 その言葉で恵里の胸はズキリと痛む。そう。目の前の大好きな男の子は境遇を考えれば淳史達と大差なかったのだ。たまたま彼が自分を本気で愛してくれて、それで自分も彼を本気で愛したからあんなことにはならなかっただけでしかない。息が詰まって苦しげにうめく恵里にハジメはなおも訴えかける。

 

「恵里、僕のことを想っているなら彼らの痛みもわかってほしい……玉井君達だって本気で愛してたと思う。そうじゃなかったらきっと畑山先生が必死になってかばったり、案じたりなんてしないと思うから」

 

「……っ」

 

 その言葉に恵里は何も言い返せない。以前、ハニートラップを仕掛けた奴らを愛子が水責めで殺そうとしてたというのを本人とその場に居合わせた重吾らの口から聞いていた。そのことを考えれば裏切りの傷は相当深かったのだろうと恵里も想像がつく。下手をしたらこの少年に同じ傷を与えていたかもしれないと推測出来てしまうからこそ何も言えなかった。

 

「だからお願い。恵里、僕達だけじゃなくって他にも色んなものを、人を大事にしてほしいんだ」

 

 そう真剣な様子で訴えてきたハジメに恵里はどう言葉を返せばいいか迷う。恵里にとって大切なものはハジメに鈴、両親に幼馴染と親友達とその家族であり、彼らがいれば後はどうなったって構わないと今でも思っている。

 

 高校に入ってから親しくなった大介達馬鹿四人に関しては失ったら少し惜しいと思う程度だし、このトータスそのものにしたって別に焼け野原になろうと知ったことじゃないと考えている。けれども目の前の男の子はそれらも大事にしてほしいと言ってきたのだ。どうして、と問いかけるよりも先に彼はその理由を語ってくれた。

 

「それは……」

 

「恵里にとって大事なのが僕や鈴、正則さん達なのはわかるよ。でもね、恵里にとってどうでもいいことでも他の人にとっては大事なことかもしれないんだ」

 

 体を抱き寄せ、ギュッと抱きしめながら耳元で彼はつぶやく。彼の言葉を聞いて自分の価値観が少し揺らいでしまうのを感じつつも恵里はハジメの話に耳を傾ける。

 

「僕達はそれも大事にしたい。恵里にもさ、そうしてほしいって思ってる――だってさ、もし恵里にとって大事なものがその人にとっては何でもなくて、消えてしまっても別に構わないとしたら僕は辛いから」

 

「ハジメ、くん……」

 

 目を少し潤ませながらハジメに訴えられ、恵里は胸が締め付けられる思いに駆られる。今自分が考えているスタンスは立場が逆になってしまえばこんな簡単にわかってしまうものだから。だからこそそうならないでほしいと願う彼の思いが痛い程にわかったから。

 

「エヒトみたいな奴だったらまぁ仕方ないけど。関わらないようにしたり対処したりすればいいだけなんだから。でも、僕達と一緒に動いてくれる人に、そういう風にしないでほしい。代わりに僕もその人達に恵里の大切なものを守ってほしいって伝えるから。僕も守るから。お願い」

 

「……うん」

 

 彼が痛い程に自分を思ってくれていることを言ってくれて、恵里はそれにうなずき返した。

 

 自分をただ愚直に好きになってくれて、どこまでもまっすぐに愛してくれる。そんな彼の願いと愛を恵里は振り払えない。そんな彼だからこそ好きになってしまったのだから。夢中になってしまったのだから。簡単に無碍(むげ)にすることなんて出来やしなかった。

 

「そうだね。ハジメくんの言う通りだよ――ねぇ恵里。正則さんや幸さんにとって誇れるような人間でいたいんでしょ? だったらさ、もっと色んな人の大事なものを大切にしてあげてよ」

 

 いつの間にか自分のそばに来ていた鈴の言葉で恵里は余計にハッとする。とても大切な父親のためにもいい人間に見えるよう昔からずっと努力してきたのだから。だからこそその言葉も届く。恵里は軽く息を吐き、一旦ハジメから離れると柔らかい表情を浮かべながら恵里はハジメと鈴を見つめる。

 

「そうだね……わかったよ。そうする。ハジメくんに鈴、それにお父さんや……皆にさ、いいところ見せないとね」

 

「「うん」」

 

 日の当たる方へと進もうという決意を恵里は大好きな二人に向けて口にする。ハジメと鈴も恵里の決意を優しく受け止めながら、彼女をギュッと抱きしめるのであった。

 

 

 

 

 

「すごいな……ライトが当たってるところだけはちょっと薄暗い程度だ」

 

「なんかテレビで映ってた夜の海を見てる感じだな」

 

 そうして恵里達が宿で休んでいる一方、ハジメから潜水艇を譲り受けた礼一達は彼に勧められた通りナイトクルージングを楽しんでいた。

 

「これを南雲達が造ったってんだよなぁ。船もそうだけどライトもどうなってんだか」

 

 ハジメが造ったものをあまり間近で見る経験が無かった昇達が特にリアクションが大きく、今自分達が乗ってる船のすごさにも驚きながら夜の海を楽しんでいる。

 

「ま、そりゃ俺らの先生……だとややこしいな。ハジメや幸利の腕ってもんだよ。腕がな」

 

 自分が褒められた訳ではないのだが、礼一は少し自慢げにしながら船を操作していた。ちなみにこの潜水艇は恵里の手によって魂を付与されたゴーレムの一種であり、“心導”で指示を出すことで備え付けのライトや水圧に耐えるために付与された“金剛”の発動といったサブの機能を動かしている。

 

「しっかし色々いるよなー。これが深海じゃなかったらそのまま俺も泳いでたんだけどよー」

 

 主なコントロールは船自身に任せているため彼も普通に海の景色を楽しんでおり、見たことのない魚やクラゲなどを見て驚きの声を上げている……ちなみに礼一だけでなくこの船に乗っている面々は皆水着のままだ。理由はこの船を出した場所が陸上や桟橋の近くなどではなかったからである。

 

「ですな。私も年甲斐も無く泳ぎたくなってしまいます……これもひとえに龍太郎殿と香織殿、それと皆様の配慮のおかげですな」

 

 この潜水艇、実はエリセンの『底』とも言うべきところで出したからだ。

 

 ハジメ達のセンスに大きく引っ張られたのかトータスで普及している船とは見た目が違ったというのもあった。だが何より人前で出すのをためらった要因は『所持者不明の船』を他の人に見られないようにするためだ。自分達は今あくまで『水族館の魚の仕入れ』のために港から定期便を使ったのだ……当然、こんな船を見られたら一発で怪しまれるため事前に手を打っていた。

 

「そうですね。今回は坂上君と白崎さんに感謝しないといけませんね」

 

 それは愛子が述べた通り龍太郎と香織のおかげであり、エリセンの成り立ちが大きく関わっている。エリセンは木で編まれた巨大な人工の浮島の上に成り立った場所だからだ。そのため潜って泳ぎさえすればこの浮島の海面下にある木で編まれた部分にたどり着くことだって出来る。そこ目掛けて二人が酸素ボンベもどきを口にくわえ、ゲートホールの設置をしてくれたのである。

 

 そうすれば後は簡単。龍太郎と香織と同様に酸素ボンベもどきを口にくわえ、水の中でゲートキーを使えば誰にも怪しまれることなく小型ボート大の船を展開できる。そうして彼らはエリセンの住民が寄り付かない海域へと出かけたのであった。

 

「しかし色々な魚がいるものですな……愛子殿、楽しんでおりますか」

 

 この潜水艇に同乗していたカムも集落にいた頃は拝めなかった光景に少しはしゃいでしまっており、目を輝かせながら魚やら海の中の植物やらを見ている。とはいえ愛子への気遣いを忘れていた訳ではなく、こうして時折声をかけていた。

 

「……まぁ、楽しんでないと言えば噓になります」

 

 愛子も席の一つに座り、礼一と“念話”を使いながら潜水艇のスクリューを操作しながら外の景色を見ている。フロントガラスならぬフロント水晶(透明な鉱石ですこぶる頑丈な代物で形成)越しに映る地球とは違う海の景色に色々と興味が湧きそうになるのを抑えつつ、昇達の方に意識を向けるという器用な真似もしていた。

 

「色んな魚とかがいるもんだなぁ……お、あそこにアシカっぽいのいるじゃん」

 

 各々夜の海を楽しんでいる中、ふと礼一はアシカに似た生き物を見つけると共に“魔力操作”を使って船に搭載されたギミックを起動する。

 

“右腕もうちょい上でえーと、あとちょい左……よし、発射”

 

“了解。キャプチャーボール発射”

 

 船に仕込んであった生物捕獲のための装置であるキャプチャーボール。ハジメらから頼まれた『現地生物の捕獲』を目的としたそれはゲートキーとゲートホールの技術の応用によって作られている。

 

 先端に取り付けられたバスケットボール大の球体に発射装置となるアームを展開し、礼一は大雑把なアームの向きを決めると船の魂に細かな指示を飛ばす。次の瞬間、射出された球体はすぐに目の前のアシカ型の生物の近くへと向かい、一瞬で姿を消す。今頃はメアシュタット水族館にある水槽の中で驚いていることだろう。

 

「おっし。ひとまずこんだけ送っとけばいっか……そういや、な」

 

 既に転送済みである魚やら亀の群れやら、それに鮫にアシカと色々な生き物のことを思い浮かべてもう仕事しなくてもいいだろと夜の海を楽しむ方に礼一は意識を向ける。ふとそんな時、礼一は大介達のことが気にかかった。

 

“どうしました近藤君。何か気になることでも?”

 

“よろしければ私にでもご相談ください礼一殿。微力ならば力になります”

 

 すぐさま“念話”を使って繋いできた愛子とカムに内心軽くギョッとする礼一であったが、幸い昇達には気づかれてないことから二人の厚意に甘んじることにした。

 

“いや相変わらず重いってカムさん。あと畑山先生もよ……ま、大介のことだよ。正確に言えばアイツが惚れてるアレーティアのことだ”

 

「……そうですか」

 

“愛子殿、お、落ち着いてください!”

 

 つぶやいた理由であるアレーティアへの懸念を話せば、目の前で座ってる愛子の機嫌が軽く悪くなったのを礼一はすぐに感じ取った。それとほぼ同時にカムが彼女をなだめ出したため、やっぱり不味かったかと思いつつも黙ってるよりはマシかと考えて思ったことを伝えていく。

 

“大したことじゃねぇよ。まーたプルプル震えてチワワみたいになっちまってたから今頃どうしてんだろうなーって思っただけだ”

 

 そうして礼一はアレーティアがブッ倒れた時のことを思い出す。見た目は絶世の美少女である彼女が泡を吹いて白目をむいた様は中々にホラーであり、目を覚ました後の怯えっぷりは見てて気の毒になるレベルであった。もう彼女に対して遺恨が無いからなおさら礼一はアレーティアと大介が不憫だと感じていたのである。

 

“檜山君が()()に心底惚れこんでいるのはわかります。わかってますけどね……重ねて聞きますけれど近藤君、彼女の存在が檜山君の負担になっていませんか?”

 

“なってねぇっての。本気で嫌ならアイツはとんずらこいてる。多分重荷に感じててもそれを楽しんでんじゃねぇの”

 

 なおその場には愛子もいた。多分前にアレーティアが大介らに逆恨みで殺そうとしたことをカミングアウトした時のことを思い出して、それで不機嫌になってるんだろうなーと邪推した礼一は改めて愛子からの質問にノーを突きつける。

 

“……彼女に甘い顔をしているとかそういうのではないですよね?”

 

“ないない。アレーティアが前に起こしたヒステリーがあったし、大介のモノになってるからこちとらとっくに冷めてる……まぁ同情ぐらいはまだしてるし、後は単に一緒に色々切り抜けてきた仲間だからな。そんなもんだよ”

 

“そう、ですか……”

 

 それでもなお疑う愛子に再度礼一はノーをぶつける。真実を知って発狂し、やらかしが理由で人が変わったことに対しては思うところはあるがあくまでその程度。あくまで共に死線を切り抜けてきた仲間でしかないと伝えれば愛子もあきらめた様子でため息を吐いた。

 

「えーと、愛……ちゃん?」

 

「どうか、したのか先生……?」

 

「いえ……何でもないですよ」

 

「ほ、本当にかよ?」

 

「えぇ」

 

 そこでこちらが何かやってるのに気づいたのか明人達もおっかなびっくりな様子でこちらに声をかけてきた。だが愛子が少し疲れた様子で首を横に振ってそれを否定すると、昇も明人も何も言えなくなったのかそのまま黙り込んでしまう。

 

「……なぁ近藤。お前はさ、南雲の奴に嫉妬したことないか」

 

 だが淳史だけはおずおずといった様子で尋ねてきた。唐突な質問であったせいで一瞬あっけに取られるも、何言ってるんだかといった様子で礼一は背もたれに寄りかかりながら淳史の方を見た。

 

「なんだいきなり。ハジメの奴に嫉妬したとかよ。そりゃしてるに決まってるだろ」

 

「やっぱりしてなんか……え、マジか」

 

「マジもマジ。大マジだ。つーか今でもアイツがうらやましいしどうにかして超えてぇって思ってるよ」

 

 しれっと答える礼一に今度は淳史達がポカンとしてしまう。普段からつるんでる様子からして普通に仲が良いと思っていたからだ。

 

「最初に見た時は中村と谷口はべらせてたしな。それでイライラしてたし、こっちの世界に来てハジメの奴がフツーの天職だったから大介達と『じゃあ俺らで守ってやるか』って息巻いてた。その代わりに強ぇ武器たんまり作ってもらおうと思ってな」

 

「いや、えぇ……」

 

「で、ですが礼一殿。ハジメ殿やお仲間の皆様との前ではそんな素振りは……」

 

「そりゃな。だって……恥ずかしいだろうが」

 

 愛子もため息を吐いてから礼一を呆れた様子で見やり、明人達は軽く引いている。カムだけは困惑した様子ながらもそんなはずはないと否定しようとしたが、礼一はそれをあっさりと認めてしまう。そのせいで余計に彼らは戸惑ってしまった。

 

「そう思ってた。でもな、違った。全部違ったんだよ……アイツさ、スゴかったんだよ」

 

 一度背もたれに体重をかけ直し、視線をしばし宙にさまよわせてから礼一は語る。

 

「俺らと違って力なんて無いくせに、メルドさんのシゴきについていって。んでベヒモスも中村と一緒に倒しただろ? それ思い出すと今でも悔しくて仕方ねぇ。あとな、ハジメがいなかったらちゃんと飯も作れなかったんだぜ? 包丁も鍋もアイツが作ってくれたし、オルクス大迷宮を進む時もハジメと一緒に壁の中に大部屋作ったからあんま体痛めなくって済んだしな」

 

 もちろんベッドとかソファーもな。ありゃー革命だったわ。そう付け加えながら礼一は天を仰ぐ。その声色から尊敬に憧れ、そしてうらやみを感じた愛子達は何も言えなかった。

 

「だからよ。勝ちたい。アイツに負けない人間になりたい。そう思ってんだ……って、何黙り込んでんだよ」

 

 礼一が決意にも似たことを言うと場がシンと静まり返ってしまう。何か変なことでも言ったかと軽く焦る礼一であったが、すぐにカムが彼に声をかけた。

 

「いえ。違うのですよ、礼一殿……私も、あまり皆様をちゃんと見ていなかったのだと痛感しただけです。礼一殿も私達と変わらないのだとわかった。それだけなんです」

 

「……まぁ、俺のこと持ち上げてくれるのは悪い気はしねぇし」

 

 あまりに礼一らを過剰に持ち上げていたことを恥じるカムにつられ、礼一も顔をそらしながらつぶやいた。礼一のほほが少し赤くなっているのを見て、愛子も明人らも軽く息を漏らすと共に場の空気が柔らかくなる。

 

「そっか……近藤、お前も俺らと変わんねーんだ」

 

「……ぉぅ。まぁ、な」

 

「そうなのか……いや、さ。南雲の奴、こんなすごいの造って、それになんか幸せそうだったし、その……な?」

 

「あーわかるわかる。ま、俺だって最初はそう思ってたからな。ま、俺らがとっくに過ぎたとこをお前らも通ってるだけだよ」

 

 ハジメに嫉妬してたり力の差を感じているのは自分達だけじゃない。そのことに少し安堵した様子で明人がつぶやけば礼一は顔を背けながらそう答え、淳史が何故ハジメに嫉妬していたかと尋ねた理由を聞いてカカッと笑いながら軽く上から目線で返した。

 

「なんというか安心しました……近藤君はいい方向に変わることが出来ていて。私の手助けが無くても大丈夫で少しホッとしてます」

 

 そして礼一達の話を聞いていた愛子も安堵と寂しさが混じった笑みを浮かべながら胸の内を漏らす。自分が守らなくても彼らは問題なかった。そのことに何とも言えない思いを抱きながら。

 

「ホッとしてるにしちゃなんだよその声……まぁその、これもハジメのおかげだよ。だから気にすんなって。ハジメの奴だったら中村のおかげだって言うんだろうけどな」

 

 愛子の声にどこか違和感を持ちつつも、藪蛇になったら面倒だと礼一は下手に突っ込みはしなかった。代わりにこれもそれもハジメのおかげだと述べ、また自慢の親友ならばその連れが原因だと言うだろうと個人的な推測を漏らす。

 

「南雲君が、ですか?……もしかして中村さんの前世の……」

 

「あぁ。けどまぁ正直今でも信じきれちゃいねぇけどよ」

 

 そこで愛子も恵里のことについて軽く説明を受けたことを思い出して口にすると、礼一もそれで合っていると一応答えた。だがそれに関して完全に信じ切ってはいないとアッサリ白状し、『えっ?』と全員に怪訝な目を向けられるとすぐに礼一はその理由を語る。

 

「いやーだって俺らがたどった未来と全然違ぇし。俺なんて中村の奴に後で殺されて操られるんだぞ。色んな意味で信じられるか」

 

「「「うわぁ……」」」

 

「その、えぇ……」

 

「そ、そんな……え、恵里殿とてそこまでひどいことをされるはずが……」

 

 その発言に全員が軽く引いてしまった。カムに関しては恵里にも善性があると思ったが故の抵抗であったが、他の四人に関しては付き合いがまだ長くは無いにしてもアイツならやりかねないという嫌な納得から来るものだった。

 

「いや大マジ。昔は光輝の奴に執着してたらしいし。それも俺らが知ってる光輝とは似ても似つかねぇような口先だけで調子のいい奴によ。ハジメにベタ惚れなのを知ってると違和感しかねぇし」

 

 そしてどうして礼一が信じてないかという理由もしっかりと語ってくれ、それに五人それぞれ納得を示した。彼らとしても前世? の光輝が礼一の語ったような人間だったとは信じられず、ハジメに心底惚れこんでいる彼女の姿を思えば別の奴に尻尾を振っている様など全然思い浮かばなかったからだ。

 

「っと、長話になっちまったな。とっとと行こうぜ。あっちの奴らが寄り付かない場所によ」

 

 そして話が切れたところで礼一は更に奥の海域へと進むことを提案する。エリセンからかなり離れた――計測すれば二百キロは離れている――ところで色々とやっていたが、もっと先へと礼一が言うと愛子達は思案し出した。

 

「問題は無いんですよね……戻るにしても南雲君から預かった宝物庫にこの船をしまって、ゲートキーでエリセンの下へ行けばいいだけですし」

 

「確かに……それとハジメ殿や恵里殿がエリセンの人間が寄り付かないところに大迷宮があるやもと仰ってましたし」

 

 愛子の言う通りエリセンに戻るのはとても簡単であったため、帰還をもう少し先延ばしにしても構わない。またカムが言ったようにハジメが宝物庫を貸した際に、誰も人が寄り付かない場所は大迷宮の近くだからではないかという推測を口にしていた。そしてそれもごもっともだと思ったカムもまたそれを確認してからでも良いのではと思ってしまった。

 

「相川、お前達はどうなんだよ」

 

「その……」

 

「まぁ、近藤がいいなら別にいいだろ」

 

「おし。じゃあ決まりだな。んじゃ行こうぜ行こうぜ」

 

 そして昇らに確認すれば特に反対の姿勢を見せることも無かったため、そのまま進むことを彼らは選んだ。目指すは更なる先、まだ見ぬ展示用の魚や生き物の捕獲、そしてあるかもしれない大迷宮の入り口を探しに――。

 

 

 

 

 

 ――海人族の街の遥か沖、西北西の彼らが寄り付かない遥か彼方。その海域の底にある解放者の一人が残した大迷宮、その中で悪魔が暴れ狂っていた。

 

 巨岩すら押し流す激流の中、無数に泳ぐ三メートル大のサメ型とトビウオ型の魔物達。サメの魔物は自身の固有魔法によって巨大な氷――破城槌と言うべき形状をした一メートル程のものを作り、それをすさまじい水流に任せた。流れる氷の周囲をトビウオのような魔物も泳いでおり、体表の色も相まってまさしく銀の弾丸となっていた。

 

 それらが雨あられの如く向かっていたのはこの大迷宮に潜り込んだ侵入者の下であった。数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの死の雨をそれは避けることも迎え撃つこともせずにただ待ち構え――全て、受け止めて貪り食らう。

 

 十メートルはあろうその巨体を貫かんとした氷の破城槌はすぐに形を失っていき、遂にはひと欠片も残ることなく怪物の腹に消えた。それは魔物も同じであった。食い破ろうとした侵入者の体に触れると同時にジュワーと音を立てて頭か溶かされていく。無論トビウオの魔物もすぐに逃げ出そうとするが、瞬く間に盛り上がった侵入者の体がそれを許さない。いずれもすぐに腹の中に納まり、肉も骨も内臓も血も、余すことなく食らい尽くした。

 

 しかしこの場所を守るために存在する魔物は怯えることなく侵入者へと向かっていく。巨大な氷の槍を展開しながらだ。激流の一部を氷の塊だけで埋め尽くしてしまいそうなほどに増え、そしてその全てが侵略者へと突き進んでいく。

 

 百重ねて足りなければ千並べ、千も並べて足りなければ万で埋める。今もなお増え続ける無数の殺意と共に魔物は進む。これで絶対に仕留めるとばかりに進めば――。

 

 グパァ!!

 

 悪魔から、無数の触手が伸びた。

 

 ほんの一瞬で伸びた触手は木のように無数に枝分かれして氷も魔物も一切合切を絡めとっていく。掴み、砕き、へし折り、取り込み、そして食らう。数えることすら馬鹿馬鹿しいほどの氷の凶器も、それを扱うサメの魔物も、一切残ることなくこの存在の腹の中。触手を収めたその魔物――地球で『流氷の天使』とも称される生物に似た存在は激流に逆らい、岩壁に穴をあけ、そして閉じた門から外へと出ようとする。

 

 まだ足りない。既にこの縄張りに現れる()は食らい尽くした。また出るまでに時間がある。それを理解していたが故に、あまりにも大きな体を維持するがためにそれは動く――悪食と呼ばれるそれの欲望はまだ、満ちていない。




海だ! 水着だ! パニックホラーだ! という訳で悪食ちゃんです(何がだ)
悪食ちゃんとの戦闘はまた次回で。

2024/1/29
ちょっと加筆修正しました。


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幕間五十一 戦う者達は日常へと戻っていく

またしても遅刻しました(白目) ほんに堪忍やでぇ……。

コホン。改めまして読者の皆様への惜しみない感謝を。
おかげさまでUAも198247、しおりも449件、お気に入り件数も910件、感想数も709件(2024/2/9 18:42現在)となりました。誠にありがとうございます。これもひとえに皆様が読んでくださるおかげです。

そしてAitoyukiさん、Ku0213さん、桐藤さん、拙作を評価及び再評価してくださり本当に感謝いたします。いやもう久々に日間ランキングでランクイン入りさせてもらいました。ホントありがたいです。

では今回の話を読むにあたっての注意として本編+あとがき含めて話が長く(約14000字程度)なっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「お、あれアシカじゃん。なぁ近藤、アレも捕まえるんだろ?」

 

「おっ、そうすっか。それじゃ――」

 

 西北西の沖へと更に進んだ礼一達は目につく様々な魚や海獣などを片っ端から捕まえていた。熱帯魚っぽいのやイルカなど目玉になりそうな生き物に次々とキャプチャーボールを撃ち、フューレンの水族館の水槽へと転移させていたのである。

 

「よっしゃ確保ー。こんだけ捕まえたんならちっとは盛り上がるだろ」

 

「……なぁ近藤。ちょっと、やりすぎじゃね? ここらの環境変わったらどうすんだよ」

 

「そういやな……とりあえずあっちの水槽ももう満杯じゃねぇか?」

 

 そうして先程目撃したアシカに似た生き物も捕まえたのだが、そうやってホイホイ捕まえている様を見て少し不安になった淳史が意見する。

 

 確かにキャプチャーボールは接触した相手の半径三メートルを海水ごと一瞬で転移させる代物であるため、それなりの数の生き物が巻き込まれているのだ。それを聞いた明人も水族館の状況から暗に止めるよう礼一に言った。

 

「いや大丈夫じゃねぇの? ここら人間来ねぇし……けど、水あふれたら面倒だよな」

 

 その言葉を聞いた礼一は環境のことは気にしなかったが、水族館の今の水槽の状態のことを言われて考える素振りをする。

 

 フューレンにあるメアシュタット水族館は譲ってもらいはしたが、未だ人間を雇ってはいないからだ。そのため仮に水があふれていたら掃除も自分達でやらなければならないのである。

 

「環境のことは別にいいんじゃないですか?」

 

「うーむ……かんきょうとやらはよくわかりませんが、確かに目につくものは大抵捕まえてしまってますしな」

 

 その言葉に愛子とカムも反応した。

 

「根こそぎという訳でもないですし。でも水があふれたらお掃除が大変ですね。人を雇えてたらそちらに回せたんですが」

 

 憎しみが根底にあるからかトータスの環境なんて知ったこっちゃないと考えた愛子であったが、大した手間ではないとはいえ流石に生徒達が余計な苦労をするかもしれないというのなら話は別だ。もしもの話を口にした後、じゃあどうしたものかと軽く思案している。

 

「礼一殿と愛子殿の言葉からしてすいぞくかんとやらの状態も良くなさそうですし、やめたほうが良さそうですな」

 

 カムの方も『環境』や『水族館』といった言葉の意味をわかってはいない様子だが、礼一らの話を聞いてこのまま海の生き物を捕まえ続けるのはよろしくないということは察した。そのため皆の意見に同調したのである。

 

「あー、じゃあ帰るか。んじゃお前ら、酸素ボンベ出して……お、何か来た、な……? ん?」

 

 迷っていたところで他の皆から説得されたため、じゃあいいかと礼一は自分の宝物庫から酸素ボンベ――龍太郎と香織がエリセンの底にゲートホールを取り付けに行く際に口にくわえたスプレー管みたいなものだ――とゲートキーを取り出す。

 

 全員が同様にボンベを取り出したのを首をひねって確認し、じゃあ早速とゲートキーを前に突き出そうとした時に礼一は何かに気付いた。

 

「こんなとこにもクリオネがいるんだな……ん?」

 

 クリオネだ。クリオネみたいな生き物がフロント水晶越しの視界に出て来たのである。トータスにもこんな生き物がいるのかと感心していた淳史であったが、礼一と同様に違和感に気付いた。

 

「……なぁ、なんかその、デカくね?」

 

「しかもこっちに近づいてきてるような……」

 

 たまたまこの潜水艇のフロント水晶の近くに現れたのかと誰もが勘違いしていたのだが、そうではないことに全員気づく。何故なら徐々にその姿が大きくなってきているからだ。

 

「お、おい……これ、二メートルとか三メートルとかじゃ済まないレベルなんじゃ……!」

 

 初めは握りこぶしにも満たない大きさにしか映ってなかったものが子供の大きさ、大人に近いぐらい、そしてちょっとした家程度へと段々とサイズを変わってきている。これに異様さを感じない人間はいなかった。

 

「逃げるぞお前ら! 早くボンベを出して着けろ!」

 

 既に礼一はゲートキーをいつでも使えるように準備していた。オルクス大迷宮で培った危機感が何度も警告を鳴らしていたからだ。アレは()()()のヒュドラに匹敵するレベルの化け物だと直感が何度もわめいていたからである。

 

「――触手が!?」

 

 だが伝えるのが一歩遅かった――フロント水晶いっぱいに無数の触手が押し寄せてきたのだ!

 

「ぐわっ!?……礼一殿、すぐにゲートを開いてくだされ! 皆様、早くボンベを!」

 

「わかってる! 溺れても文句言うなよ!」

 

 何センチもの分厚い水晶は一瞬にしてヒビだらけになり、そこからまず浸水が始まった。メキメキと金属がきしむ音と共にそこかしこから水が流れ込み、今すぐ逃げなければ死ぬというのを誰もが理解した。メルドのシゴきで危機感が研ぎ澄まされていたカムはすぐ立ち直ると共に檄を飛ばし、既に持ち直していた礼一もすぐにゲートを開いた。

 

「うわぁぁあああ!! が、ガラスが!?」

 

 ゲートから一気に水が流れ込むとほぼ同時に砕けたフロント水晶からおびただしい数の触手も入り込んでくる。一瞬で視界を覆い尽くさんばかりに広がるそれを見て明人は思わず叫んでしまった。

 

“ボサッとしてんじゃねぇよバカ!!”

 

 そうしてすくみあがった明人の肩を掴むと、礼一はそのまま光の膜へと放り投げる。そして自分の宝物庫から取り出した二本の槍で押し寄せる触手を切り払おうと勢いよく振り回した。

 

“近藤君! 相川君達は向こうに送りました! 早く脱出を!”

 

“後は我らだけです!”

 

 礼一が槍で触手を相手している間に愛子とカムは淳史らをゲートの向こうへと追いやった。そして自分達もゲートから体半分出した状態で礼一に避難を呼び掛けている。既に礼一の腰元まで水が浸水しており、必死になって叫ぶのも当然であった。

 

“あぁ!――こりゃとっとと逃げ出さねぇとあの世逝きだ!!”

 

 その礼一もかなり焦った様子でゲートへと飛び込んだ――持っていた槍はどちらの刃も既に原型を留めないほどにボロボロになっている。触手を数本切り飛ばしただけでここまでひどく損傷し、マトモに相手をしてはいけないということを嫌と言う程理解させられたが故だ。

 

 そうして皆と無事に合流し、ゲートを閉じようとした瞬間、例の金属すら溶かす触手の一本が礼一の右足を掴んだ。

 

“ぬわっ!? こ、コイツ、切られても生きてやがる!!”

 

 恐ろしいことにこの触手は空間が閉じて本体から離れてもなお力が緩むことはなく、むしろ礼一の足を砕かんと更に力を入れようとしていた。

 

 すぐさま礼一は“金剛”の派生技能である“集中強化”によって右足を守ろうとするが、それでもミシミシと彼の足からきしむ音が響いてくる。

 

“こ、近藤!”

 

“近藤君!!”

 

“礼一殿!!”

 

“この、クソがっ!! 分解っ”

 

 皆が悲痛な表情で見てくる中、礼一はしめつけられた右足近辺で“分解”を発動。空間魔法の真髄を得たことにより使えるようになったあらゆるものを文字通り分解するこの魔法には流石にこの触手も敵わず、少し時間がかかりはしたもののどうにか全て消し去ることが出来た。

 

“大丈夫か! 足折れてねぇか!?”

 

“まだヒビ、ぐらいだろ……それよりも、痛ぇ……っ!”

 

 昇が“念話”で声をかけるも、礼一は苦痛に苛まれた様子で返事をする。すぐに昇は水魔法も併用して一瞬で礼一のところまで泳ぎ、彼の肩に手を回した。

 

“お、おい! ど、どうなってんだよ!”

 

“知るかよ……金属を溶かすんだから、俺の体だってやられた、んだろ”

 

 その際彼の右足を見れば、触手がしめつけていた部分の辺りが赤くただれてしまっているのがわかった。先程の一撃で皮膚にかなりのダメージが入り、そのせいで海水が染みたのだと察した昇はすぐに全員に声をかける。

 

“早く上に戻ろう! とっとと谷口とか白崎に治してもらわねぇと!”

 

 その意見に誰も反対する者もおらず。昇の水魔法で流れを作り、一行はこの場を後にしたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 街の中央にある広場に薄っすらと朝日が差し込む。ほとんど人気がない中、立ったり噴水のへりに腰掛けたりしながら昨晩礼一達の身に起きたことを恵里達は改めて聞いていた。

 

 わざわざこの時間帯と場所を選んだのは他人に聞かれることを防ぎ、皆で情報を共有するためだ。現地の人達に怪しまれないようあえて全員違う宿に泊まっていることが足を引っ張ったこともあり、全員早起きしてここに集まったのである。

 

「――こういうことが、ありました」

 

「……そうか。そんなことがあったんですね。詳しく話してくれてありがとうございます畑山先生。それと、皆が無事でよかったよ」

 

 聞けば聞くほどあまりにもデタラメであり、かなり絶望的な状況であった。愛子の説明が終わると皆を代表して光輝は礼一達をねぎらうが、彼らの表情からは憂いがありありと浮かんでいた。

 

「俺らはいいよ……」

 

「むしろ近藤がな……俺と明人、何もしてないし」

 

「あー、気にすんなって。ヒュドラと戦った時のこととかも思い出したぐらいで何ともねぇっての」

 

 戻ってすぐに鈴達が礼一を処置したことで骨に入ったであろうヒビもただれも治っている。何でもないかのように礼一は言うものの、お世辞にも顔色は良いとは言えない。そんな彼を見て同行していた明人と淳史達は苦々しい表情を浮かべたままであった。

 

「ホント心配したぜ……お前がマトモに戦って勝てないとかどんだけヤバいんだよ」

 

「知るかよ……正直、“分解”の効きすら遅かったからな。マジで生きた心地がしなかった」

 

 大介が心の底から心配そうに礼一に声をかければ、礼一も軽く顔を青ざめさせたまま声を震わせながら返事をした。友人が生きててくれたことにホッとしつつも、身震いしている様子を見てどれだけ彼が恐怖したかを恵里達はひしひしと感じ取っていた。

 

「礼一君の話が本当なら魔法の効きも悪いし、金属すら溶かす触手の持ち主なんだよね……」

 

「しかも馬鹿力で何本も出せる上に本体までデカいときた……控えめに言ってクソゲーだろうが」

 

 ハジメと幸利も浮かない様子で礼一達が相手をした生物のことについて思案している。

 

 水中にいる以上機動力もあちらが上だろうし、ちょっとした船程度ならおそらく簡単にへし折るであろう怪力の持ち主でもある。こんな化け物相手にどうしたものかといった様子で頭を押さえていた。

 

「そういや槍の方はどうなんだハジメ。直る……ワケねぇよな」

 

「穂先は取っ替えた方が早いぐらいかな。それ以外が残ってるだけなぐらいだからね」

 

 その上触手だけでも魔法が効き辛い上に金属製の武器であっても簡単にボロボロにしてしまうというのが実に厄介であった。一体どうやって勝てばいいのかとオルクス大迷宮攻略組はそろってうなり続けている。

 

「……“縛魂”は効いてくれると嬉しいんだけどなぁ」

 

「そうだといいんだけどね……でもそれ以前にかなり近づかないとダメでしょ? 解放者の人達もあんな生き物置いてくれちゃってさぁ」

 

 それは当然恵里と鈴もだ。恵里の切り札である“縛魂”が効くのであればまだいいのだが、そもそもあの魔法は射程が短いという欠点がある。実際にやるとするならばあの凶悪な触手の雨をかいくぐって本体に打ち込まなければならないのだ。

 

「“縛魂”で対処するのもあんまり現実的じゃないかなぁ……ごめん」

 

「せめて水中じゃなかったらいいんだけどね……でも、どうにかなるかも」

 

 実際にやる場合、“聖絶”や“縛羅”を使って攻撃を防ぎながらになるだろうがアレは簡単に破りかねない。試しにやってみるにしてもあまりに危険すぎるのである。だからこの方法も効果があってもやれそうにないと二人は結論付けたが、鈴だけは何かを思いついた様子で首をひねっていた。

 

「鈴、どうしたの? 何か悪知恵でも浮かんだ?」

 

「恵里じゃないんだからそういうの浮かばないよ……“界穿”でどうにか空に引きずり出して、それでハジメくんの兵器とか光輝君の“神威”とか皆の魔法で集中砲火とか出来ないかなって思っただけだよ」

 

 恵里が鈴を小突きながら尋ねれば、出してくれた案はそこまで悪くはなさそうであった。これならば水中の機動力を殺しきることが出来ると恵里も考え、『ほら思いついてんじゃん』とひじで軽く鈴の脇腹を小突く。

 

「それでも触手が馬鹿みたいに出てくるんだろ? 流石に海にいた時みたいにやれるとは思わねぇけどそれを抑え込む方法が欲しいところだな」

 

 ただそれでも問題を全て解決したという訳ではない。触手による攻撃という問題が残っていたからだ。

 

 流石に空中ならば重力に引っ張られるせいで縦横無尽に伸びることは無いと考えている様子の龍太郎だったが、それでもこちらに攻撃が届くことも懸念した様子で色々と思案している。それには恵里達も特に異論は唱えなかった。

 

「そこは“縛光鎖”とか“縛羅”とかで一時的にでも固定出来ないかな? あ、でも“縛羅”だと上手にやらないとあっちに攻撃が届かないね」

 

「使うのは“分解”と“震天”かしらね。それで思いっきり吹っ飛ばすなりウラノスの手を借りるなりしたいところだわ」

 

「神代魔法の取得のため、って言えばフリードさんも嫌な顔はしないよね。後で話してみよっか」

 

「だよねぇ~。頭の部分を魔法で固定して、他の部分を吹き飛ばせば大丈夫かなぁ~?」

 

 代わりに出てきたのは対策案である。香織が魔法による拘束方法を考え、優花が魔法による具体的な攻撃方法を口にする。奈々を含めたオルクス大迷宮攻略組がそれに乗っかって更に議論を続けていく。その様を見て重吾達は少しうつむき、ため息を吐きながらつぶやいた。

 

「襲われたばっかだってのに、もう話し合いなんて……」

 

「……強いな、お前達は」

 

 その表情からは卑屈さや嫉妬、驚きなどが感じ取れた。どうしてこんな、何がそこまで駆り立てるのかといった様子で彼らは時折恵里らをチラチラと見ている。その理由を光輝や龍太郎達が口にしようとした時、重吾らと同様に沈んだ様子であった愛子がその答えを言い当てた。

 

「……オルクス大迷宮ですか。そこで色々考えるようになったからですか」

 

「……はい」

 

 それに光輝は重々しくうなずく。事実その通りだ。考えに考えて、対策を練って、そうして慎重に一歩ずつ着実に恵里達は進んできたのだから。その答えを聞いてグッと拳を一層強く握った愛子に向け、光輝はそうならざるを得なかった理由を語る。

 

「あそこは一筋縄じゃいかない場所でした。最初に出会った敵も俺達が策を練って死力を尽くしても死にかけましたし、それ以降もただ考えなしに突っ込んだら確実に死んでしまうような相手の連続でした」

 

「やっぱり……」

 

「でもそれはただ生き延びるためだけじゃありません。皆で生きて地球に帰るために考えて戦ってたからです」

 

 光輝の言葉を聞いて更に落ち込んだ様子の愛子であったが、続く彼の言葉に重吾達共々動きを止める。そしてこちらをじっと見つめてきたため、皆であの時決意したことを語っていく。

 

「最初の敵を倒した後、皆して腐っちまってな……でも、メルドさんとハジメの言葉のおかげで立ち直れたんだよ俺達は」

 

「ユキの言葉もあるけどね……少なくとも、私()それで絶望からなんとか立ち直れたわ」

 

 龍太郎の言葉にうんうんとハジメ達もうなずき、特に恵里と鈴が何度も何度も首を縦に振っている。また優花の話に奈々も『私だってそうだけど……幸っちの言葉で立ち上がれたし』と軽く不満を漏らす。そして二人の言葉を聞いた幸利は赤くなった顔を背けながら『お、おぅ……』とつぶやいていた。

 

「俺達だって家に帰りたいからな。そのために色々やってたんだよ色々」

 

「んっ……だいすけぇ」

 

「皆の装備とか色々調整してね。銃も作ったりなんかして……永山君達はどうだったの」

 

 大介も未だビクビクしているアレーティアの頭をなでながら言い、ハジメも彼なりに言及しながら重吾達に問いかける。すると彼らもお互いにチラチラと視線を向けるもこちらと顔を合わせようとしなかった。

 

 気まずさやまだ残っている卑屈さ辺りが邪魔してるんだろうと恵里が邪推していると、意を決した様子の明人が胸の内を明かしてくれた。

 

「そう、だよ……俺達だって、そうだった」

 

 声を震わせながらただそう漏らす。うつむきながらため息と共につぶやいた明人に続いて健太郎と綾子、真央も思いを形にしていく。

 

「戦うなんて嫌だったよ。今でも、やっぱり嫌だけどさ」

 

「でもそうしなきゃ……そうしなかったらどうなるかわからなかったから」

 

「だよね……それで私達、そっちと戦ったんだし」

 

 三人の実感のこもった言葉に恵里達もあぁと短く言葉を漏らしたり、ほんのわずかな間だけ同情のまなざしを向けるのがせいぜいだった。彼らの身に何があったかはわかるし、その心の傷に寄り添うのは自分達じゃない。やるならば愛子に任せるべきだと各々が色々と考えたからである。

 

「……結局、南雲達もそうだったんだな」

 

「……家に帰るために色々とやっていた。それは俺達と変わらない。そう、だったんだな」

 

 淳史と重吾の言葉に恵里達はただうなずくだけだった。結局お互いにやれることをやっていた。ただそれだけでしかない。しかしそのことがあちらにも伝わったせいか余計に彼らの表情は暗くなってしまう。

 

「……強いよ、お前ら」

 

「あっそ。それで何? 勝手にウジウジしたいんならしてたらいいじゃん」

 

 諦めとも羨望ともとれる言葉を明人がつぶやいて一層空気が沈むも、そこで恵里が少し困った様子でとんでもないことを言い出した。

 

「え――えぇっ!?」

 

「中村さん、あなたって人は……!」

 

「い、いやいや恵里! 何言ってるの!? 今すぐ謝らないと!」

 

「お待ちください」

 

 追い打ち同然のようなことを言い出したせいで重吾達はあっけにとられたり大いに困惑したりしており、また愛子も軽く憎しみのこもった目つきで彼女を見つめている。ハジメも愛する人の奇行に驚きながらも今すぐ謝ろうよと提案するも、先程まで口をつぐんでいたリリアーナが騒いでいた皆を止めた。

 

「中村様、おそらく何か話されたいことがあるんですよね」

 

「まぁ、ね。そこの王女様の言う通りだよ……ハジメくん、ちょっとだけ待っててね。別に好きなだけ苦しんでなよって言おうとしてる訳じゃないから」

 

 恵里を見て何かに気付いたらしく、ざわめく周囲をたった一声で静止させるとリリアーナはすぐに話をするよう促す。恵里もハジメに一瞬だけ恨めし気な視線を送り、誤解が解けるようワンクッション置いてから思ったことを口にした。

 

「えっとさ、ボク達はすぐに立ち直らないとどうにもならない場所にいた。それにボクやハジメくん、鈴のために命を懸けてくれるようなお人好しばっかだったから覚悟を決めることが出来ただけだよ……その、ボクらみたいになれないことをとやかく言う気は無いんだって」

 

「だからって……」

 

「“鎮魂”……ねぇ皆、もうちょっとだけ恵里の話を聞いてあげて」

 

 視線をさまよわせたり、どこか言葉を詰まらせながらも恵里は語る。言葉を選び、何とか説明をしようとしている彼女に昇が言い返しそうになったが、そこで鈴が魂魄魔法で昇達を落ち着かせてから待ったをかけた。すると何かに気付いた様子のハジメも鈴の言葉に続いて頭を下げる。

 

「お願いします……今の恵里は、きっと永山君達のために何かを言おうとしている気がするんだ」

 

「……ありがとう、二人とも。あとハジメくん、王女様より早く気付いてよ」

 

「ごめんごめん」

 

 この上ない信頼を置いている二人が援護してくれた。そのことに恵里は柔らかな笑みを浮かべて感謝を述べるもすぐに気づいてくれなかったハジメへの恨みをちょろっとだけ漏らし、彼が苦笑いして謝罪した後で話を続ける。

 

「……えっとさ、ボクもそっちみたいに悩んでいじけてたことはあったよ。地球にいた時とか、トータスに来てすぐにさ。まぁ、その……そういうこと、だから」

 

 だがそれもあまりにつたないものだった。目をそらし、気恥ずかしそうに語れば重吾達やパル、それに愛子がどよめいた。リリアーナとヘリーナも意外なものを見たとばかりに目を一瞬だけ大きく見開いている。

 

 なお自分の過去を知っている幼馴染~ズと四馬鹿、それとカムとラナだけは微笑ましいものを見る目で彼女を見ており、羞恥と怒りに耐えながらも恵里は思いを形にしようと悪戦苦闘していた。

 

「ハジメくんに頼って、それで皆に甘えて、だからその、えっと……ともかく、悩みたいんだったら悩めばいいってこと! それを受け止めてくれる人が近くにいるでしょ! そういうこと!」

 

 かつて両親とケンカをした時やノイントに拉致された翌日に自殺しそうになった時のことをちゃんと話そうとするも、結局恥ずかしさが勝って恵里はそのことを明確に述べないまま顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 

 もうとにかく早く話を切り上げたいとばかりに上ずった声で勢いのままにしゃべった後、涙目のまま無言で彼女はハジメに思いっきり抱き着いたのであった。

 

「お疲れ様、恵里。がんばったね」

 

「………………うん」

 

 その彼も穏やかな笑みでただ彼女の頭をなでるだけ。羞恥心やら何やらでもういっぱいいっぱいになった彼女をいたわるだけであった。

 

「お疲れ様、恵里。ちゃんとハジメくんや鈴以外の人達にも優しく出来るじゃん」

 

「…………………………うん。がんばった」

 

 フフッと微笑む鈴に恵里もやや鼻声でそう答える。それを見て重吾達もどこか力が抜けた様子で彼女を見つめており、そんな彼らに幸利が声をかけた。

 

「まぁそういうことだ。恵里の奴だってな、お前らが思ってるほど冷徹でも何でもねぇんだよ。ハジメと鈴にダダ甘えして、大介の奴らが馬鹿したら冷めた目で見てくる。結構普通な奴なんだよ」

 

「……そう、ですか」

 

 あくまで彼女も普通の人間と変わらないのだと幸利が伝えれば、愛子は困惑と親しみが混じった視線を恵里へと向けている。重吾や健太郎達の方は困惑の色が強く、お互い顔を合わせてどうすればいいのかと戸惑っていた。

 

「うん。僕も恵里も鈴も、それに一緒に来てくれた光輝君達や大介君達にメルドさんも。永山君達のように迷って悩んで、それがきっと正しいと信じて答えを出した……それで失敗したこともあったけど、それでも進んだ。それだけだよ」

 

「南雲様もそうだったんですね――でしたら重吾さん。それに野村様がたも。どうするべきかでなく、『どうしたいか』を考えればいいのではないでしょうか」

 

 そこにハジメが自分達も今の重吾達とそんなに変わらないんだと伝え、そこにリリアーナが言葉を重ねる。そうしたことで彼らの顔から困惑の色が抜け落ち、そうかと漏らしたりうなずくなりとどこか納得した様子を見せた。

 

「お疲れ様、恵里……普段の恵里ならやらないのに、ハジメ君達から何か言われたの」

 

「雫うっさい……うぅ」

 

 微笑まし気に見つめてくる雫に対し、恵里はハジメの胸に顔をうずめたまま憎まれ口を叩くだけ。それを聞いて余計に雫がニコニコと笑みを深くするばかりだった。

 

「永山達は永山達でゆっくり進めばいい。俺達はそれをとがめないよ」

 

「……そうか。ありがとう、天之河」

 

「あぁ」

 

 そんな雫のそばに寄り添いながら光輝は重吾に思いを伝える。すると彼も少しぎこちない様子ながらも笑みを浮かべてありがとうと返す。それを受け取った光輝は微笑みながら短く返事をすると、すぐに音頭を取って礼一達を襲った敵相手への対策会議を再開する。

 

「よし。じゃあもう一度礼一や相川達を襲った奴にどう対処するかの話をしよう! 誰でも意見を言ってくれ!」

 

「あ、じゃあ僕から……魔法も武器も駄目ならさ、火炎放射器とかで燃やすのはどうかな?」

 

「お、流石ハジメ。確かに燃やすのはいいかもしれねぇ。俺も直接殴ったら礼一みたいに手がただれるだけじゃ済まなさそうだしな」

 

「いやそれで大丈夫じゃない? 皆で燃やせばどうにかなりそう」

 

「じゃあ燃料はあのタール? あれって確か燃えると三千度ぐらいになったはずだし」

 

 そうしてやいのやいのと色々と話し合う様を()()()はただ黙って見ている。ただしその瞳に映る嫉妬の色はひどく和らいでおり、バカンスに来る前に見せた気負った様子もあまり見えなくなっていたのであった。

 

「やっぱり、私も……でも、永山君達を放っては……」

 

「メルド団長に鍛え直してもらわねば……今のままでは」

 

 ……故に彼らの目に悔しげに顔をしかめている愛子とカムは映っていない。彼らの耳に二人の迷いと決意は聞こえていなかった。

 

 

 

 

 

 その後は()()()()を除いて特にトラブルをもなく、恵里達はバカンスを終えることになった。

 

「……パパ」

 

「また来る……だからそんな顔をしないでくれ」

 

 それはミュウがぐずって重吾を引き留めようとしたせいで、彼が大いに迷ったことだ。レミアの強い後押しもあったせいで重吾だけはずっとミュウの家に宿泊することになり、その間ずっとミュウの相手もしていたこともあって後ろ髪を引かれる思いに駆られてしまったからである。

 

「別にここにいてもいいんだぜ? お前はミュウのパパなんだからさ」

 

「だから健た……ケイン、お前な」

 

「……悔しいですけど、この子と一緒にいて彼の表情が少し和らいだような気がしますからね。本当に悔しいんですが」

 

 健太郎が微笑みながらまだ滞在しても構わないと暗に告げるも、重吾は悩みに悩んで答えを出せない。ただ恨めし気に彼を見つめる重吾に対し、愛子も心底悔しげにレミアを見つめていた。

 

「私は構いませんよ、ジュードさん……でも、何かをしたいと顔に書いてありますし、必ず来てくれると約束してくれましたから」

 

 愛子にそんな目つきで見られている当のレミアは頬に手を当てながら微笑むだけであった。そしてミュウの髪の毛を優しくなでてあやしながら、重吾を引き留めようとはしない。もう一度ミュウに会いに来てくれるとちゃんと約束してくれたから、きっと口約束で終わらせないと根拠も無く確信していたからであった。

 

「……悪い」

 

「いいえ。でも、今度来てくれる時は()()()()ミュウのパパになってくれたら私も嬉しいですけれど――治療のお礼もありますしね」

 

 実は綾子の治療を受けたおかげでレミアはある程度動けるようにはなっている。流石に泳ぐのは厳しいところだが、日常生活を送る分にはほぼ問題ないレベルにまで回復していた。そのことへの感謝故か或いは別か――熱っぽい視線を向けられた重吾はどこかうろたえている様子だった。

 

「永山君、行きましょう」

 

「あ、いや、愛……先生! っと、また来るからなミュウ! レミア……さん!」

 

「ミュウちゃん、また遊ぼうな」

 

「……うん。パパ、ケイン(健太郎)お兄ちゃん、みんな、バイバイなの」

 

 重吾の手を引いて愛子はレミアの家を後にし、重吾達は涙をこらえながら手を振るミュウに別れのあいさつをする。一同に微笑ましいものを見るような目つきで迎えられ、一行はエリセンを出ていった。

 

 帰りの船旅も特にこれといったこともなく終え、大陸側の港町を出て王宮へとゲートを開いて戻っていく。

 

「王女様、それに神の使徒の皆様! 報告が!」

 

「何がありましたか。詳しく聞かせてください」

 

「はっ!――フューレンの街にアンカジ公国の使節団が現れたと冒険者ギルドを経由して報告がありました!」

 

 ……そうしてバカンスを終え、日常に戻った彼らを待ち受けていたのは新たなトラブルの芽になりそうなイベントだった。厄介ごとがまたフューレンに舞い込んできたと皆心の中でため息を吐いたのであった。




おまけ 大人たちの休暇?

「ですからぁ! 私に王女さまの護衛なんてムリですよぉ~……」

 ある晩、王宮から少し離れた騎士団の宿舎の一角にて。ボトルに入った酒をグラスになみなみと注ぐと、それをまたしてもクゼリー・レイルが一気飲みする。そうして酒臭い息を吐きながらこの部屋の主であるメルドに泣き言を漏らしていた。

「お前なぁ……陛下が命じたんだぞ。いい加減受け入れろ」

「ムリですよぉ……だって、だってわたし、永山さまたちにあんなことをぉ~」

 怜悧な目元やキリッとした眉にキュッと引き締まった口元。普段から真面目で細やかな気遣いも出来る高嶺の花の美女は今、べそべそと泣きはらしながら備え付けのテーブルに突っ伏し、ひたすら弱音を吐き続けている。騎士団員やメイドからよく美しいと称賛されるストレートの金髪も今はくすんで見えてしまっていた。

「……アイツらは何も言ってこないだろう。そこまで自分を追い詰めるな」

「だって、だってぇ~」

 ハイペースで酒を飲み、三杯目を一気飲みしてからずっとこの調子である。何度も何度も『自分は駄目だ。ろくでなしなんだ』ととにかく自分を卑下するばかり。気にするなと何度言っても聞き入れてもらえず、どうしたものかと頭を抱えていたメルドだったが不意にクゼリーの雰囲気が変わる。

「……私、永山さまたちを役立たず扱いしたんですよ」

 打って変わって静かにつぶやく。その内容は恵里達がハイリヒ王国の混成軍に奇襲を仕掛けて勝利した後に彼女もしてしまった失敗。他の兵士と同様に重吾をけなしてしまったことだった。

「戦う役目を押しつけて、同じ故郷の人間とたたかわせて。挙句に負けたらののしって……私、なにやってたんでしょうか」

 乾いた笑いを浮かべ、虚ろな目となったクゼリーが自嘲する。操られていたとしてもその記憶が残るというのは鷲三と霧乃の件でメルドは知っていた。恵里のおかげで正気に戻り、彼女自身が真面目であるからこそそのことを真正面から受け止めてしまったのだということを理解するのに時間はかからなかった。

「クゼリー……それは」

「おまけにエヒト様から王国ごと見すてられたんですよ……じゃあ私たちのやったことって何だったんでしょうか」

 空になったグラスを音を立てて置いた後、抑揚のない虚無に満ちた言葉が漏れた。引きつった笑いを浮かべていたクゼリーのまなじりから涙がこぼれた。

「エヒトさまから預かった強大な力を持った子供たちを戦いに仕向けて、同じ故郷の人間族同士争わせて……私達はただのく――」

「“鎮魂”」

 はらはらと涙を流しながら自分達がやったことを振り返り、そして自分も王国の皆もただの屑でしかないと言おうとしたクゼリーにメルドは魂魄魔法をかける。いきなり心が落ち着いてしまって、何が起きたかわからなくなったであろうクゼリーに“鎮魂”をかけ続けながらメルドは慰めの言葉をかける。

「それ以上は言わせん――それを言えば俺とてそうだ。結局恵里やハジメ達、永山達にいらん苦しみを与えてしまっただけだ」

「メルド団長……ですが、ですが」

 魔法の効果によって驚くことも何も出来ないが故に普段通りの平坦なトーンでしかクゼリーは話しかけてこない。そんな彼女を無視してメルドは話を続けていく。

「俺もお前も、この国の皆も……いや、トータス全土がエヒトの奴にいいようにされている。だからお前だけが悪い訳じゃない」

「で、ですが、その、それでも、私のやったことは」

「だから悪くないと言ったはずだ……全く」

 自分もクゼリーも悪神であるエヒトの被害者でしかないと言うもクゼリーは納得した様子を示さない。それに少ししびれを切らしたメルドは席を立つと彼女のそばまで歩いていく。

「な、何ですかメルド団長。その、()()ならばここでなく別の場所で……」

「違うそうじゃない……罰が欲しいか、クゼリー」

 すぐに彼女も席の近くでひざまずき、頭を垂れた。口ではああ言っているがこの場で首を刎ねられても構わないのだろうと察したメルドは少しイラっとしながらも彼女にあることを問いかける。

「罰……はい。是非。私ごときの命で良ければ」

「その言葉、二言は無いな?――なら、お前に今すぐ罰を与えてやる」

 己を罰してもらえることにどこか安堵した様子で、落ち着いた声色で受け入れるとクゼリーが言うとメルドは口角をほんの少しだけ吊り上げる。

「ならばこれから……そうだな、毎晩俺の部屋に来い」

「……っ」

 それは彼女の心を癒すためにメルドが考え付いたものであった。クゼリーの様子を見てメルドは思ったのだ。彼女もまた自分に似ていると。信仰が無意味と知り、己の所業を悔い、生きる意味を見失った人間なのだとわかったからだ。

「そして先程お前に使った魔法を俺が良いと言うまで受け続けろ。いいな?」

 故にこれを思い付いた。かつて自分はフリードに発破をかけられ、オスカー・オルクスの遺言を聞いて立ち直ることが出来た。だが誰の言葉も届かないかもしれない目の前の女には別の方法で、心に安らぎを与える魔法で彼女の傷を少しでも癒せないかと考えたのだ。

「はい……はい?」

 なおクゼリーは思っていたのと違うとばかりに間抜け面をさらしていた。

「あ、あの、メルド騎士団長? その、てっきりそういうことかと……」

「そうして欲しかったか? 悪いがその方法だとお前はもっと心を病みそうだったからな。さっきも言ったが俺とてお前と変わらん。傷の舐め合いではお前は立ち直れないだろう?」

 話の流れからして下世話な方だとクゼリーは勘違いしたのだろう。尤も、メルドもそう誘導することで承諾させるつもりだったし、実際に言質は取った。なら少しでもマシな方向で彼女が立ち直れるようメルドはしたたかに立ち回る。

「それとさっき『はい』と言ったな? 約束は守ってもらうぞ」

「え……で、ですが!」

「二言は無いと言ったはずだ――俺に恥をかかせる気か。クゼリー・レイル」

 言い訳をするクゼリーのあごに手を添え、ただ彼女をじっと見つめる――髪の毛を掴んだり額に手を当てて無理やり自分の方に顔を向けさせる訳にもいかないだろうと思ってやったこの動き、それが大失敗だったということにメルドはすぐ気づかされる。

「……はい。仰せの、ままに」

「ん……ん?」

「どうぞ……気のすむままにしてください。メルド団長」

 ほんのりと頬が赤くなっており、瞳もうるんでいる。酒とさっきの涙のせいかもと思い込もうとしたが、微かに震えるクゼリーの声にどこか期待が混じっているのがメルドにはわかってしまった。

 これは不味いことをしたのでは? と思ってイヤな汗が顔からブワッと出るが、相対するクゼリーは無言でただこちらをじっと見ている。

「……わ、わかった。な、なら、もう少しだけ“鎮魂”をかける。その後で自室に戻れ」

「はい……」

 どうにか平静を装いつつ、メルドは自分にも“鎮魂”をかけ続ける……今回のことがきっかけで『メルドがクゼリーを通い妻にした』というウワサが流れてしまうようになったのと当人が頭を抱えたのは言うまでもない。


2024/2/11 あとがきの内容ちょっと修正
2024/2/12 あとがきもうちょっと修正


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八十七話 使者の顔は怒りに歪む

どうも。月に二回更新するのがもう習慣化しつつある作者です(遠い目)

コホン。では改めまして拙作を読んでくださる皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも199357、お気に入り件数も910件(2024/2/23 10:15現在)となりました。誠にありがとうございます。割烹でも述べましたが、感想数減りましたけど自分は元気です。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠にありがとうございます。またモチベーションが上がりました。感謝いたします。

では今回の話を見るにあたっての注意点として少し長め(約13000字程度)となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「――これは何の真似だ!」

 

 フューレンの一等地にあるホテルの一室にて。男は歯を砕けんばかりに噛みしめ、青筋を額に浮かべながらテーブルを凝視している。

 

 今にも人を殺しそうな顔をしているビィズ・フォウワード・ゼンゲンを見て、すぐに鈴もリリアーナのそばに立って結界魔法を使えるよう身構えている。

 

 突然声を荒げた彼を見てすぐに恵里も自前の杖を構え、いつでも魔法を発動できるようにしていた。同席していたハジメと信治の方にも視線を向ければ同様であった。

 

「すぐにでも“聖絶”は使えます王女様」

 

「皆さん、今は静観を。下手にあちらを刺激するわけにはいきません」

 

 鈴が耳打ちし、リリアーナが小声で自分達に指示を出したのを聞きながらも恵里はじっと機会を待つ。そうしていると、金の刺繍された法衣をまとった見た目五十代の男がこちらに指をさした。

 

「そうです! 我らは話し合いの場を設けたというのにこのような真似を――」

 

 ヤンシー司祭と呼ばれた男が恵里達の方を見て行いを咎める――このような事態が何故起きたか。それは数時間前に王宮で行われた話し合いが起因していた。

 

 

 

 

 

「なるほど。ビィズ殿を含めたアンカジの人間がそちらにいるか」

 

 フューレンにアンカジ公国の使節団到来。その知らせを聞き、恵里達はすぐさま支度を整えて玉座の間へと向かった。扉をくぐれば既にエリヒド王も玉座におり、重臣とメルド、冒険者ギルドのギルドマスターも待っていた様子である。

 

 入ると同時に視線を向けてきた彼らの表情がほんの一瞬だけ少し緩んだ辺り、多分自分達を待ってたのだろうと全員が推測しつつも上座へと向かう。そしてフューレンで何が起きているかについて耳を傾けたのであった。

 

「えぇ。冒険者ギルドの方でも確認済みです」

 

「同じく。商業ギルドの方でもそういった旨の報告が上がっておりました」

 

 エリヒド王の言葉に同意したのは冒険者ギルドのギルドマスターと商業ギルドの人間――後で聞いた話によると支部長だったとのこと――であった。わざわざ違うギルド両方から報告が上がったことからしておそらく何かの意図があるのだろう。そう踏んだ恵里達はすぐさま“念話”で話し合いを行う。

 

“やっぱりさ、ただの親切やトラブルの解決だったりボク達に恩を売りたいって訳じゃないよね”

 

 その中で恵里は真っ先にある疑いを口にする。玉座の間に来る前にも話し合いはしていたのだが、その時出した仮の結論も『何かのトラブルがあったが、自分達に恩を売れるようイルワとグウィンが何か考えている』といったものだ。

 

“そうだな。恵里や幸利が言ったように、あの人達のことだからただ単に教えてくれた以外に意図があってもそんなにおかしくないかもしれない”

 

“それ以外の可能性だと……うーん。やっぱり王女様が言った結論かなぁ”

 

 あの二人がタダでは転ぶまいという意見が出ても光輝もハジメも異論は出さない。産地偽装食品をフューレンの商人に売らせる代わりに裏組織撲滅に手を貸すよう言ってきたり、帝国に輸出しようと考えていた回復薬を自分達のところでも売り捌こうとした前科があったせいだ。そのため全員の頭の中にはリリアーナが述べたある考えが思い浮かんでいた。

 

“おそらくそうでしょうね……公国の早急な引き込みとあちらの食料関係のトラブルの解決かと”

 

 彼女が口にしたのは複数の要因が絡み合ったが故の報告ではないかというものだった。

 

 フューレンから王国までまだまだ時間がかかることを考えれば、食料の補充や道中の魔物との戦闘で消耗した武具の修繕、そして使節団の人間の旅の疲れを取るために宿に泊まろうとしたりするのではと彼女は述べた。だが、今のフューレンの状況を見れば満足に出来ないということも恵里達はわかっていた。

 

“今のフューレンはそこらの村と大差ないだろ。食料も人間も無ぇし、施設だってあまり機能してるようには見えねぇ。いくら人数が多くないとしても満足することはねーと思うぜ”

 

 幸利の言い分に恵里達はうなずく。今のフューレンは機能不全を起こしていると言っても過言ではないし、もしそんな状況で多くの人間、それも国が送り出した使者をもてなしたりするには厳しいとしか思えなかったからだ。

 

“そうね。私達が商品として渡した産地偽装食品なんかもあるし、もしまだそれがあそこに残ってたらトラブルになるわね”

 

 それと優花が語ったように王国で育てたアンカジ産の食品の問題もある。流石に上手く隠してはくれているだろうが、今のフューレンは問題があまりにも多い。フューレンの両ギルドからの報告を聞きながら恵里達はどうしたものかと思案していた。

 

「ふむ……では天之河殿、皆様がたの意見をお聞きしたい。それとゼノ、そちらもだ」

 

「わかりました」

 

「御意」

 

 そこで王様が話を振ってきたため、ご指名を受けた光輝は自分達の考えを代表して伝えてくれた。それに王様含む上層部の面々がうんうんとうなずき、宰相のゼノもまた自分達と似たような意見を述べた。

 

「――それと帝国と同様、我が国に降伏勧告のために向かっている最中やもしれません……ならば好機、でしょう。ともあれどのような理由でフューレンを訪れたかはともかくとして調べる必要はあると愚考します」

 

「ふむ……もしそちらの負担になるのでなければどうかアンカジ公国の者達と会ってきてはいただけないだろうか。もちろんそちらの都合を最優先するつもりではある」

 

 そして宰相とはアンカジの使者が何の目的でフューレンまで来たかを語り、エリヒド王も彼らと接触することを頼んできた。

 

 だが宰相の方は光輝と同様の結論を述べた後は段々と額にしわが寄るようになり、またエリヒド王も渋い表情でこちらを見ている。他の上層部の人間やメルドも一様に歯噛みしたり迷っている様子であった。

 

「……その、王様や皆さんが望むのでしたら俺が話し合いを」

 

「光輝君」

 

「いけません、光輝さん」

 

 やはり敵対を選ぶのは心苦しいのだろうと察した光輝が和解の方に動こうと提案を持ち掛ける。だが、今後のことを考えればアンカジも裏切れないよう叩きのめしたいところであった。そこで恵里も止めようとしたが、それより先にリリアーナがかすかに震えの入った冷たい声を彼にかける。

 

「リリィ、でも……」

 

「この国に仕えていた貴族の中で離反しなかったのは先日軍議の間にいて助かった者達のみです。アンカジが先の混乱の後にギルドを経由して王国に未だ仕える旨を述べたのならばともかく、それをしなかった……あちらも裏切る可能性は十分にあるのです」

 

 光輝は食い下がろうとするも、続くリリアーナの言葉にただ手を強く握りしめて黙り込んでしまう。

 

 実際あちらも土壇場で裏切る可能性はあるのだ。それがもしエヒトとの戦いの際にやられたらそれだけで勝てる見込みは絶望的になる。少なくとも恵里はそう見ていた。

 

「それと民の心には未だエヒトへの信仰が根付いております。下手に王国と手を取り合うことをすれば混乱を招くことは必至です……どうか、今だけは堪えて下さい」

 

 リリアーナはダメ押しでもう一つ理由を挙げた。事実、王都でもまだエヒトに対する信仰が途絶えた訳ではない。あくまで大介やアレーティアなども対象に選ばれるようになったに過ぎないのだ。

 

 だからこそこの訴えに光輝は何も言い返せない。ただうつむいて肩を震わせるだけであった。

 

「光輝、お前が皆を助けたいのはわかるさ」

 

「龍太郎……」

 

「でも、まずは俺達を守らなきゃだろ?」

 

 そうして堪えていた光輝に龍太郎が言葉をかける。彼の言葉に光輝は一層うつむき、隣にいた雫が無言で彼の右手にそっと両手を添えた。

 

「ねぇ龍太郎、いくらなんでも――」

 

「まぁ待てって雫。どうせ戦いになったとしても全員無傷で無力化しちまえばいいんだ。俺達ならやれる。違うか?」

 

 その一言に光輝は顔を上げると、先程まで握りしめていた自分の左手を開いてじっと見つめている。龍太郎の言葉にどこか腑に落ちた様子で彼の左手にも自分の右手を重ねていた。

 

「そうね……私達ならやれる。龍太郎の言う通りね。ねぇ光輝、今は駄目だけれど」

 

「……あぁ。絶対助ける。これが罪滅ぼしになるかはわからないけれど俺はそうしたい。その、皆は……そうか」

 

 優しく微笑んだ雫に光輝もやや苦い表情ながらもアンカジ公国との戦いを受け入れる。そして振り向いて何かを言いかけた彼であったが、自信満々に微笑む恵里達の方を見てどこかばつの悪い顔を浮かべて苦笑するだけであった。

 

「ボク達は最初からそのつもりだよ、光輝君」

 

「俺達は一日足らずで戦争終わらせたんだぜ? だったら同じぐらいの速さでスピード決着、お互い無傷のまま勝てばいい。だろ?」

 

 恵里と幸利がアンカジ公国と矛を交えることに同意を述べれば、他の皆もうなずくなり短く同意の言葉を漏らすなりした。

 

 魔物肉を食べて手にした力と死線をくぐり抜けた経験、それに神代魔法を恵里達は三つ手にしているのだ。組み合わせ次第なら相手を無傷で追い返すことも出来るという自負が恵里達にはあったし、恵里達ならやれるだろうと重吾達は感じていたが故の答えであった。

 

「それで皆さん、どうするつもりですか? 大迷宮の攻略もあるでしょうし、最悪放置しても問題は無いと思いますが」

 

「ボクはとっとと接触した方がいいと思う。もし本当に降伏勧告のつもりだったら早く戦争の準備をしてもらった方がいいでしょ。いつエヒトの奴が何を仕掛けてくるかわかったもんじゃないしね」

 

 とはいえ戦争を仕掛けるタイミングはどうするか。愛子が出した疑問に恵里が答えれば、ハジメ達も確かにと言いながらお互い目を合わせてうなずき合っている。

 

「では使徒様がた、よろしいでしょうか?」

 

「わかりました……けれど、あまり大人数で押しかけるとあちらを威圧しそうだから、何人かに絞りたいと思ってます。いいですか?」

 

 自分達の反応にホッとした様子で軽くため息を吐いたエリヒド王から、改めてアンカジの使者の調査を頼まれた。だがもし仮に自分達が接触するとなるとあちらも人の多さで驚くだろう。光輝の提案に恵里も王国の上層部の誰も異論ははさまなかった。

 

 

 

 

 

「まずは私達の求めに応じてくれたことに感謝いたします王女殿下」

 

 フューレンを治める貴族の一つであるクデタ伯の家の応接室にて、恵里達は当主から直々に歓待を受けていた。

 

 玉座の間での話し合いを終え、恵里達はすぐさまフューレンに訪れるメンバーを決めた。頭の回る恵里、ハジメ、そしてアンカジの使者と会うことを踏まえて王族代表としてリリアーナ、彼女の護衛として信治、いざという時に治療が出来る鈴の()()である。

 

 なお他の皆はライセン大迷宮の捜索や人工神結晶の研究など普段通りの活動に戻っている。

 

「いえ。礼には及びません。少しでもそちらの力になれるのであれば幸いです」

 

「王女様の気遣い、痛み入ります」

 

 そうしてメンバーが決まるとすぐにゲートキーを使い、メアシュタット水族館のバックヤードに置いておいたゲートホールを通じて五人はあちらへと向かった。冒険者ギルドの倉庫に置いておいたゲートホールは先日帝国の人間がやってきた日に回収しており、また礼一が送った生き物を確認がてらこちらの方にゲートを繋いだのだ。

 

「こっちは驚いたけどね。使いっ走りが入り口で待ってるとかどれだけ切羽詰まってたのさ」

 

 そこで初めて海の生き物を見たリリアーナと共に目を白黒させたり輝かせながら出入口へと向かうと、そこに冒険者ギルドと商業ギルドの職員そして数名の冒険者が待っていたのだ。

 

「申し訳ありません。いささか状況が切迫しておりまして」

 

 おそらく両ギルドの使いだろうと察した一向はすぐに彼らから話を聞き、今のフューレンの統治に尽力している貴族の一人であるクデタ伯爵の邸宅へと馬車で向かった。現在恵里達は伯爵の家の応接室におり、イルワ及びグウィンそして家の当主であるグレイル・クデタ伯とテーブルを境に向き合っていたのである。

 

「中村様の仰る通りです。ではクデタ伯爵、今の状況を教えていただけませんか」

 

「はっ。現在はこの街に残ってくれた教会の者達が対応に当たってくれていますが……正直厳しいかと」

 

 恵里がやや呆れた様子でイルワ達が使いを寄越したことを述べれば、リリアーナも少し眉間にしわを寄せながら問いかける。するとクデタ伯は少し顔を下に向けながら現状を語ってくれた。

 

「ひとまず使者であるビィズ殿と近衛、それとお付きで来られた教会の司祭と護衛をする神殿騎士数名がこの街で一番の宿にいます。しかしその司祭が無理を言いましてね」

 

「王国に向かう際に必要な食糧、武具の整備を()()の相場の八割での提供、そして使節団全員を()()の宿に泊めるよう仰せになられておりまして……」

 

 現在の使節団の動向をグウィンが語り、それをクデタ伯爵が補足する。道理で厳しいと述べた訳だと恵里達はすぐに理解を示した。

 

“えーっと……なぁハジメ、今のどういうこった? フューレンがマトモに動かねぇってのに馬鹿言ってる感じか?”

 

“うん。大体それで合ってるよ信治君”

 

 そして信治の方もある程度噛み砕いたようでそれをハジメに“念話”で確認をとり、ちゃんと把握している彼のことを恵里はちょっとだけ見直す。

 

「こほん……グウィン商業ギルドマスター、フューレンにある宿で機能しているのはどれほどですか」

 

「……記憶の限りでは四割、その程度だったかと。それも王国の血税の一部でどうにかといった具合ですね」

 

 なるほどなーとポツリと漏らした信治を横に再度リリアーナが問いかければ、商業ギルドの長であるグウィンは目をつむって苦虫を嚙み潰したような表情で答えた。

 

「何分急いで集めたので……過不足はありませんでしたか?」

 

 帝国の方に薬を売りつける案を恵里が提案した後、すぐにリリアーナは王国へと戻って事情を話して急遽会議を開いた。そこで予算を編成し直し、かき集めた金をフューレンの商業ギルドに預けたのである。

 

「二日足らずで用立てて下さったことを考えれば文句など言いようがありませんよ。それに坂上さん達が工面して下さったものもあります。当座をしのぐことは出来ました」

 

 また龍太郎らも各地を飛び回って魔物の素材を換金し、そこまで多くはなかったものの商業ギルドに稼いだお金を寄付していたのもあった。それらの金を受け取った商業ギルドはすぐにフューレンに残った商人と店を維持するために金をばら撒き、どうにか全ての店を潰さずに済んだのである。

 

「ですが使節団をもてなすに相応しい格の宿だけでは収容しきれません。扱いに差が生じてしまいます。それと残った武具職人の方はかつての三割程度で、食事をするのもやっとの状況なのです」

 

 だが、ここで問題となったのが今回訪れたアンカジの使節団、厳密にはその司祭の無茶振りであった。それに応えられるほど今のフューレンは余裕が無かったし、かといって無碍に扱ってしまってはどんな悪評が立つかわかったものではないからだ。

 

「その上で先の要求ですか……」

 

「バッカじゃないの? フューレンの都合を無視して勝手に自分達の意見を通そうだなんてさぁ」

 

「王女様、中村様の仰る通りです……」

 

 リリアーナは若干目を細めながらぽつりとつぶやき、恵里も半笑いを浮かべながら推測を口にすればクデタ伯爵はハンカチを取り出して顔を何度も拭いている。アンカジ使節団の要求をグウィンが語った辺りでアタリをつけていたが、まさかここまでとはと皆でため息を吐いた。

 

(どうせ箔づけしてやるから感謝しろとかそんなところでしょ? ったく、余計なことしてくれちゃってさぁ……)

 

 あまりにも無茶苦茶な要求をしてきた輩に心底呆れ果て、どうせその理由も大したものじゃないんだろうと恵里は邪推する。向こうも大変だなと軽く同情を寄せながらもソファーに少し深く背中を預けながら耳を傾けた。

 

「あの、すいませんグウィンさん。そのことで何かトラブルとかありませんでした? その、私達が持ち込んだ食料とか……」

 

()()()()()のものに関しては未だバレてませんよ谷口さん。それと先程の件についてですが、幸いにもビィズ殿が仲裁に入ってこちらの意を汲んで下さったおかげで問題はありませんでした。ですがあちらも入用なのは事実ですし、司祭の方は納得されてない様子でして……」

 

「なるほど」

 

 そこで鈴がトラブルが起きたのではと質問をするが、ビィズの采配によって何とか避けられたことをグウィンが言ってくれた。だがグウィンも伯爵もイルワも額を手で押さえている辺り、その司祭とやらには今も困らされているのだろう。

 

 じゃあどうするのやらと恵里はリリアーナに視線を向ければ、キッとした表情を目の前の三人に向けて一気に切り込んだ。

 

「事情は理解しました。しかしそれでしたら私達が出来る事となると、あちらと接触して真意を探るくらいしかありませんね――私達を呼んだのはそのためですか?」

 

「……誠に心苦しいのですが」

 

 そうしてリリアーナが自分達がやれそうなことを述べた後で問いただせば、伯爵は顔をひどく青ざめさせながら弱々しい声で一言つぶやく。その答えに恵里は軽く疲れを感じたものの、想像を下回ったぐらいでほぼ想定通りの答えだったためまぁいいかと妥協する。そして皆と顔を見合わせてから伯爵らの方へと向き直った。

 

「わかりました。ではクデタ伯爵、会談を行うために向こうに打診していただけますか」

 

「なんと……では」

 

「はい。場合によっては早期に解決出来るやもしれません。早急の手配をお願いします」

 

 ならば後は出たとこ勝負だとリリアーナが手配を要請する。流石にイルワやグウィンがいきなり自分達を呼びつけたり、自分達が用があるから声をかけるのとは勝手が違うだろうしこの采配は妥当だろうと恵里は考えた。

 

 するとクデタ伯爵は今にも目から涙を流しそうな程うるませ、口を手で押さえてこちらを見ていた。

 

「はっ! ではすぐにでも使いを出します! それまで皆様はこの家を我が家と思ってごゆるりと過ごしてください!」

 

 立ち上がりながら力説してきた辺り、かなり苦労したんだろうなと恵里は察する。とはいえそれをとやかく言う気も無かったし、それよりも一息吐いたイルワが何かを言いたげにこちらを見つめてきたのに気を取られたからだ。

 

“どんだけしんどかったんだよ……ま、伯爵サマからこう言われたんだし、茶でも飲んで過ごすかー”

 

「……よし。グレイルの方は話が済んだみたいだね」

 

「あの、イルワさん。他にも何か話が?」

 

「あぁ。実はウルの街のこととちょっと()()()()()があってね――」

 

 一体何を話すのやらと思いながらも恵里達はしばしイルワの話に耳を傾ける。後で持ち帰って皆に相談しようとまとめた辺りで使用人が現れ、準備が整った旨を伝えられる。すぐさま恵里達はアンカジ使節団との会合に向かうのであった。

 

 

 

 

 

「なんと……まさか本当にリリアーナ殿が来られたとは」

 

「驚くのも無理はありません。少々特別な方法を用いてここに来ましたから」

 

 ここフューレンにおいては中心部に近いほど信用のある店が多く、中央区に近いフューレンの一等地のあるホテルに恵里達は訪れた。手続きもあまり時間はかからず、すぐにアンカジの使節団の長たるビィズ・フォウワード・ゼンゲンと会うことも出来たのである。

 

「使いの話は本当だったとは……」

 

「なるほど……ではそちらの方たちのお力でしょうか」

 

「それはご想像にお任せします。ただ、()()()になっているのは確かです」

 

 何か思案する様子の教会の人間、おそらく例の司祭であろう人物をずっと視界に入れながらも恵里はビィズとリリアーナのやり取りを見ていた。

 

(王族ってどこもこんなのかなー……さて、あの司祭とやらはまだ動いてなさそうだけど)

 

 どこぞの帝国の皇女様と対面した時とは違いとてもにこやかに、されどお互い静かに相手を探りながら話す様を見て王族ってどこもそんなもんなのかと恵里は半目で見ながら思う。無論、司祭と神殿騎士っぽい見た目の輩どもの一挙手一投足は見逃してなかった。

 

「なるほど。では護衛の方でしょうか? そちらの皆様もどうぞ」

 

「はい。失礼します」

 

 粗相がないようにと緊張しているであろうハジメを見て、真面目だなぁと恵里は顔がちょっとほころびそうになるのを我慢しながらハジメ達と共にリリアーナの後ろに立つ。ちなみにリリアーナはソファーに座り、テーブルをはさんでビィズと対面している。

 

「ほう……中々()()な方を連れておりますね。不穏な噂を耳にしましたが、彼らがいるならばハイリヒ王国も安泰でしょう」

 

「えぇ。彼らの尽力のおかげで今も王国はどうにか形を保っております」

 

 無用なトラブルを避けるために今回もアーティファクトで姿を偽装しているが、一瞬ビィズがこちらに鋭い視線を向けたことからしてどこまで機能しているやらと恵里は内心ため息を吐く。おそらくもう見抜いたんだろうなぁとハジメや鈴達と目を合わせながらも、とりあえず事の成り行きを見守るしかないと腹をくくった。

 

「紹介が遅れましたな。こちらは今回使節団に同行させていただいた司祭のヤンシーです」

 

「いやいやどうも初めまして王女様。アンカジ公国で司祭を勤めておりますヤンシーと申します」

 

 顔のしわも深く、微笑みを浮かべている様子からどこか好々爺のような印象を受けるロマンスグレーの髪色の男が穏やかな声色で自己紹介をしてきた。

 

(コイツ……王女様に視線合わせてないし、今もちょくちょく目が動いてる。あと名前でも呼んでないね。コイツは敵でいいかな)

 

 しかしこの男はビィズから話を振られるまで名乗りを上げてはいなかったし、別のことに意識が向いていた様子を見せていたことから恵里は完全に見切りをつけていた。

 

「はい。初めましてヤンシー司祭。ハイリヒ王国の王女、リリアーナ・S・B・ハイリヒです」

 

「……さて。司祭の自己紹介も終わりましたし、お互いの状況を知るためにも少々話をしようではありませんか」

 

「えぇ。こちらとしてもアンカジ公国が今どうなっているか気になっておりました」

 

 その司祭が自己紹介をするとリリアーナも見事なカーテシーでそれに応える……そうして表面上は和やかなムードのまま会談が始まった。まずお互いの近況から話し、神の使徒と名乗る存在が現れたことやその時どういった対応を取ったかなどを語り合っていく。

 

“皆、調理場に行こうとした変な奴らがいたけどとりあえず全員無力化しといたぜ”

 

“お疲れ様、浩介君”

 

 ――リリアーナとビィズが話し合いと腹の探り合いをしている中、同行していた浩介の分身から“念話”が届く。今自分達がいる部屋の前に本人、そしてこの会場となったホテルの中を分身が二人歩いて警備しており、その内の一体が事が起きる前に対処してくれたのだろう。

 

 リリアーナの身に危険が及ばないようにとエリヒド王の頼みで鈴と浩介もメンバーに加わったのだが、それが取り越し苦労とはならなかったことに恵里は何とも言えない気持ちとなった。

 

“それともう一つ。その変な奴らを抑えようとしてた人達がいたから接触してみた。後で報告するよ”

 

“そっか。じゃあ話がついたらまた連絡してね”

 

 そして続く浩介の話に恵里はアンカジの面々が一枚岩でないことを察する。調理場に向かった、ということはこれから出すお茶にでも何か仕込む気だったのだろう。それを阻止しようとした人間もいるということは最低でも二つの思惑があると恵里は考えた。

 

“調理場、ってぇとやっぱ毒でも盛ろうとしたのか?……やってくれるじゃねぇかアイツら”

 

“待って待って信治君。そういう人達を抑えた、ってことはあっちの人達の中に僕達と敵対する意思は無い人もいるかもしれないよ”

 

“落ち着いて中野君! もしかすると浩介君が話をしようとしてた人は味方かもしれないから!”

 

 案の定リリアーナに危害が及んだかもしれないと考えた信治が思いっきり顔をしかめそうになり、すぐにハジメと鈴がフォローを入れる。すぐに恵里も小声で“鎮魂”を唱えて彼をクールダウンさせて説得にかかった。

 

“はい落ち着く。まだ浩介君からの報告も無いでしょ。やり返すんだったら事実がわかってからね。愛しの王女様に恥かかせる気?”

 

“あー……助かった。中村”

 

“ありがとう恵里。でも流石にやり返すのはちょっとやめよう? ね?”

 

“えー。一応仕掛けようとしてきたのあっちじゃーん。ハジメくーん”

 

 リリアーナのことを交えて冷静になるよう説得すれば、魔法の効果で気分がフラットになったのもあってかすぐに信治も落ち着きを取り戻してくれた。ただそれはそれとしてハジメに踏みとどまるよう言われたのはあまり納得がいかなかったが。

 

“それにしても王女様が話してる最中に不審者が出るなんて……なんか怪しいね。いきなり行動に移した感じがする”

 

“それ俺も思ったわ谷口。多分俺達がここに現れるのは想定外だったんじゃねぇか?”

 

 ふと鈴が口にした疑問に信治が答え、そのことに恵里も少し考え込む。鈴の言う通りこの会談は急遽ねじこまれたものだ。にもかかわらず二つある不審者のグループの一つが調理場に何かをしに向かった。という点がどこか引っかかる。

 

“多分ボク達に何か仕掛けるのは予定通り。けれどボクらがここに現れたのは想定外、ってところじゃないかな?”

 

“ありえそうだね。恵里”

 

 目の前の司祭が今もせわしなく視線を動かし、何かを待っている様子も相まって浩介に取り押さえられた奴らが関係しているとしか恵里には思えなかったのである。自分の推測を簡潔に伝えればハジメを筆頭に皆も納得を見せた。

 

「――なるほど。そちらも大変だったご様子で」

 

「いやいや。王国と比べれば私どもの方は平穏無事といった状況です。」

 

 そうして話し込んでいる内にどうやらリリアーナとビィズの方も話に一区切りついたらしい。

 

 ハジメ達と話し合いながらも恵里は王族同士の話にも耳を傾けていたが、国に起きたことを詳細に語ることこそしなかったものの、あえて弱った様子で話していたのは記憶している。それも助けを求めるようにチラッ、チラッ、と視線をビィズに送っていたのもだ。

 

(うわっ腹黒っ。よくもまぁここまで堂々と演技が出来るね。ボクだったら恥ずかしくて出来ないよ)

 

 王国がもう風前の灯火だということを印象付けるためにしれっと演技しているリリアーナに対し、コイツかなり腹黒いなと恵里は自分のことを棚に上げながら心の中で非難していた。

 

“どうしたの鈴? 何か言いたいことでもあるの?”

 

“別に……よくわからないけど釈然としないなぁって思っただけ”

 

 なお何故か鈴にあり得ないものを見る目つきで見られたが、特に心当たりも無かったため恵里は無視した。

 

「ふむ、そちらの状況は理解しました……ではビィズ殿、この機会ですし今ここで書状を改めてもらうのはどうでしょうか」

 

「いや、しかし……」

 

「こちらにおわすのは王家の人間です――でしたら分別の一つもつくでしょう。我らの役目をお忘れではあるまいな?」

 

 そうしてリリアーナのことを頭の中でとやかく言っていると、あちらの方も動きがあった。やはり彼ら一行は王国に向けて動いていた様子であり、改めてこの使節団が一枚岩ではないということが確認出来た。仕掛けてくるならそろそろだろうかと思っていると、司祭のそばにいた神殿騎士がビィズの下へと向かっていくのを目撃する。

 

「ですが――待て! まだ私の話は終わっていない!」

 

「本分を果たされませビィズ殿! 我々は王国に降伏勧告をしに参ったのです!」

 

「待て貴様ら! ビィズ様の意志を無視する気か!」

 

 すぐにビィズの横にいた護衛と思しき兵士達が神殿騎士を止め、ビィズと共に抗議の声を上げる。神殿騎士の言葉が本当で、ビィズと兵士が演技をしていないとなれば教会と彼とでそれぞれの思惑があるということになる。面倒だなぁと恵里は思わず眉をひそめていると、司祭はしれっと書状を手に取ってテーブルの上へと置いた。

 

「ではこちらの書状の確認を――ランズィ公の慈悲に感謝なさい。反逆者ども」

 

 その広げられた書状の内容を確認すれば、いつぞやの帝国が差し出した書状を彷彿とさせる文章がそこにあった。即時降伏を勧める旨の文章、公国と帝国に割譲する領土の取り決めの会議の日取り、勧告を受けた後の王族の扱い等々である。

 

“うわーすっごいデジャヴ感じるー”

 

“……帝国の時と大差なかったね”

 

“帝国よりはマシには見えるけどそれだけっぽいな”

 

“今の王国の立場を考えるとわからなくもないけど……ひどいね”

 

 皆で一緒に“念話”で色々言い合っていると、それを確認し終えたリリアーナがため息を吐きながらビィズの方に視線を向けた。

 

「……これはアンカジ公国の総意と見てよろしいでしょうか」

 

「お待ちくださいリリアーナ殿! 私はただ、ハイリヒ王国とまだ手を取り合えるかどうか――」

 

 実際問題あちらが敵対の意志を向けるのであれば願ったり叶ったりである。リリアーナもやや平坦な声を出してはいるが、どうせ失望を堪えてる風に装ったものだろうと恵里は確信している。しかしビィズがまだ話し合いをしたいと大きな声を出したとほぼ同時に外の方からも声が上がった。

 

「おのれ恥知らずのアンカジ――うげぇ!?」

 

「くたばれアンカジの外ど――ぶべらっ!?」

 

“あ、なんかチンピラみたいな奴が近くの部屋から二人出て来たから迎撃しといたわ”

 

“あ、ありがとね浩介君”

 

 大方司祭辺りの仕込みであろう輩も出入口の前で待機していた浩介に即座に鎮圧された。ひとまず浩介に礼を述べ、一体何を仕込んだんだかと考えながらも恵里は司祭の方に視線を向ける。ここでまたあの男が手を打ってくるのは見え透いていたからだ。

 

「なっ……何者だ!」

 

「はっ! いきなり我らの部屋に武器を持って侵入しようとした輩が現れました! 我らの方で即座に捕えたのですが、先の声明からしてアンカジに恨みを持つ輩、それか王国に仕える人間かと!」

 

 やはりである。扉の前で番をしていた神殿騎士どもが近くの部屋から出て来た不審者どもを引きずって現れたのだ。それも自分達にしれっと悪印象を植え付けることを抜かしながらであった。

 

「やはり……ビィズ殿! こ奴らは私達を暗殺しようとしたのです! これは許されることではありますまい!」

 

「うわクソみてーな芝居」

 

「……ここまで低クオリティなのってある?」

 

 信治とハジメがボソッと漏らしたように恵里もひどい三文芝居だと心の中で毒づくが、特に何もしなかった。このままあちらが敵対する流れに持って行ってくれれば色々と手間が省けて万々歳だからである。小三の時に旅行先で見た日〇猿軍団の芝居以下だったなーと思いながら向こうの動きを待っていると、いきなりビィズがテーブルをバンと叩いて叫んだ。

 

「――これは何の真似だ!」

 

 歯を砕けんばかりに噛みしめ、青筋を額に浮かべながらテーブルを凝視している。今にも人を殺しそうな顔をしているビィズを見て、すぐさま鈴がリリアーナのそばに立った。

 

 もちろんあちらが動くのなら“呆散”で意識を思いっきりあやふやにしてやるつもりであったし、ハジメと信治の方も武器こそ出していないが身構えている。

 

「すぐにでも“聖絶”は使えます王女様」

 

「皆さん、今は静観を。下手にあちらを刺激するわけにはいきません」

 

 鈴が耳打ちし、リリアーナが小声で自分達に指示を出したのを聞きながらも恵里はじっと機会を待つ。そもゲートキーさえ使えばすぐにでも逃げ出せるのだから焦る必要なんてない。ただ静かに見守っていると、司祭がしたり顔でこちらに指をさしながら声を上げる。

 

「そうです! 我らは話し合いの場を設けたというのにこのような真似を――」

 

「貴様が言うか!!」

 

 とはいえうっとうしいことには変わりなかったため、その煽り文句に恵里は思わず舌打ちしたくなる。が、ビィズが叫んだ次の瞬間にはそのことが頭から抜けた。あの司祭がビィズに殴り飛ばされたからだ。

 

「がっ!?……な、なにをされますか……?」

 

「お、お待ちくださいビィズ殿! ヤンシー司祭は何も悪くありません!」

 

「このような下らん芝居を仕掛けたのは貴様だなヤンシー! そうまでして王国と矛を交えたいか! 王都の民を戦の火で炙りたいと申すか!」

 

 殴られて呆然としている司祭に近づこうとして神殿騎士から抑え込まれるが、ビィズはそれでも吼え続けた。目を大きく見開きながら訴える様からして本気で王国を案ずる様が見受けられる。

 

「ゼブ! アッシュ! 王国の民をいたずらに傷つけたいと申したこの愚か者を切れ! 民のことを考えぬ者はアンカジにはいらぬ!」

 

「は……はぁ!?」

 

「いや、えぇ……」

 

 故に本気で恵里は困惑していた。正直あそこで自分達を殴りにかかってくれていれば後腐れなく敵対出来たのに、この熱血漢はマトモな理論を振りかざしてアホ司祭を処罰までしようとしている。部下と思しき兵士達も何度となく顔を見合わせており、どうしたらいいのか本気で迷っているのが嫌でもわかってしまう。

 

「……ど、どうしよう。これ、止めた方がいいよね?」

 

「す、すぐに止めましょう! 中村さん、すぐに“鎮魂”を! 谷口さんは結界魔法でビィズ殿とヤンシー司祭、それと他の兵士の方々を守ってください! 遠藤さんは入り口の騎士が不用意に動いたら対処してください!」

 

 不安そうに漏らした鈴のつぶやきにすぐにリリアーナが答える。そうして恵里達は事態の収拾を図るべく尽力し、話し合いを再開するまで小一時間かかってしまったのであった……。




世界の敵になって落ち目もいいところの王国を更にハメようとしたら公主のご子息に殴られたでござるの巻 by ヤンシー司祭

今回の話割とこんなんでした

2024/2/24 ちょっと修正しました。


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八十八話 子供達の暗躍と見え隠れする困難

二週間経過してないんでセーフにしてください(しろめ)

では改めまして読者の皆様に盛大な感謝を。
おかげさまでUAも200440、お気に入り件数も914件、しおりも451件、感想数も699件(2024/3/2 23:58現在)となりました。ありがたいことにUAも20万にまで登りました。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり本当にありがとうございました。またしても書き進める力をいただきました。感謝です。

では皆様、本編をどうぞ。


「大変申し訳なかった! 教会の手の者がそちらに大変不躾なことをしてしまったことをお詫びしたい!」

 

 アンカジからの使者であるビィズの必死な声がフューレンの一等地の宿の一室の中で響く。お付きの司祭が恵里達に色々となすりつけようとしたことにビィズがキレてしまい、彼をなだめることにしばし時間がかかったからだ。

 

 恵里の“鎮魂”の重ね掛けによってビィズも落ち着きを取り戻し、ひとまず教会の人間とチンピラはこのままだと面倒そうだからと岩の鎖で拘束して床に転がしたことでどうにか事態は収束。現在ビィズは顔中に汗をかきながらこちらに何度となく頭を下げ倒していたのであった。

 

「むー! むぐー!」

 

「いえ……しかし、良かったのですか? このようなことをしてしまっては教会を敵に回すようなものでは……」

 

 そのせいかリリアーナもいたたまれない様子で彼を気遣っており、声のトーンや顔にうっすらと浮かんだ汗からして彼女も演技でなく本気で心配しているのだろうと恵里も推測している。とはいえ下手に口出しして話の腰を折るのもまずいと思い、とりあえず何もせずに突っ立っているだけであった。

 

「そちらが世界の敵と宣告されたのはわかっております。ですが、このまま物別れに終わるのは私の本意ではありません」

 

 先程の焦った様子から打って変わり、拳を握りしめながらリリアーナを見据えてビィズは話してくる。その様を見て嘘は無いように見えたのだが、ならば何の目的で王国を訪れようとしたのかがわからず恵里は思わずつばを呑んだ。

 

“大丈夫。とりあえず王女様に任せておこう”

 

“うん……”

 

 あちらの意図が見えないことに少しだけ怖くなってハジメの方に視線を向ければ、彼の方も真剣な表情であちらを見ている。しかしすぐにこちらの視線に気づいて、ほんの少しだけこちらに顔を向けて“念話”を使って声をかけてくれた。その気遣いのおかげで少し落ち着くと恵里は短く返事をする。

 

「物別れ……そういえば先程『まだ手を取り合える』と仰っていましたね。もしや今回の訪問の目的は――」

 

 そうして再度前に視線を向けると、何かに感づいたらしいリリアーナがビィズに質問を投げようとする。するとそれに先んじてビィズの方も口元をほんの少し緩ませながら己の腹の内を語ってくれた。

 

「はい。リリアーナ様のご想像の通り、降伏勧告の(てい)を取ってまだ我らは共に未来を歩めるかを確かめに参りました……この愚か者どものせいでご破算になったかもしれませんが」

 

 その際猿ぐつわを噛まされてす巻きになってる司祭や神殿騎士に鋭い視線を一瞬向けつつも、ビィズは額に手を当てながら深くため息を吐いている。恵里としてもまさかそんな理由で王国に来るとは思わず、やはり他にも何か裏があるんじゃないだろうかと思わず勘ぐってしまう。

 

「そうですか……それ()本心だということはわかりました。ですが、この窮地を利用しようとは考えていませんか?」

 

「……流石にわかりますか」

 

 そこでリリアーナも一旦あちらの主張を受け取った上で疑問をぶつければ、あちらも参ったとばかりに苦笑いを浮かべた。そしてキッと表情を改めてから話しを再開する。

 

「先の護衛の方々を見て確信しました。おそらく『魔人族の手先』と世間で言われるようになった神の使徒の方々ではありませんか」

 

 その言葉に恵里は軽くげんなりし、チラっとハジメ達の方を見れば彼らも顔を引きつらせてたり苦笑していた。とりあえず全員で一斉にリリアーナに視線を向ければ、彼女も軽く息を吐いてからコクリとうなずく。再度皆で顔を合わせると、一斉に姿を偽るアーティファクトのスイッチを切った。

 

「モガッ!? ムガー、ムー!!」

 

「やはり……ならば一日足らずでハイリヒ王国の軍三千を打ち破ったというのもあながち嘘ではなさそうですな」

 

 地面に転がってる奴らはうなり出したが、お互い特に気にすることなく話を続ける。やはり自分達が王国の混成軍を倒したことは伝わっているかと思いながらも、リリアーナが語った『他の目的』とやらは何なのかと恵里は持っていた杖を握り直した。

 

「えぇ。それは本当です……もしやこのことをランズィ公に話し、アンカジと会談の場を設けるおつもりですか?」

 

「そう出来ればそちらも楽やもしれませんが、アンカジの民が納得はしませんでしょう。ここにいるような者達もいるのです」

 

(ま、だろうね)

 

 リリアーナの推測にかぶりを振ってビィズは否定する。確かにそこに転がってるような教会の奴らはまず許さないだろうし、自分達の悪評が神の使徒経由でトータス全土に広まったことをなどを考えれば相手の言い分も理解が出来た。それほどまでにエヒトに対する信仰は根強いということを改めて恵里は感じる。

 

(そうなると他に何か考えてたか即席で思いついたはず。一体何を――)

 

 口ぶりからしてこちらとやりあう気は皆無なようにしか見えないが、もったいぶっている辺りどんなとっておきがあるのやら。王族の会話は面倒だなぁと思っていると、ビィズが口角を上げたのを恵里は目撃する。

 

「――そこで私がそちらに(くだ)る、というのはどうだろうか?」

 

 バンザイしながら唐突に出してきたビィズの提案に思わず恵里は目をむく。まさかこんな提案をしてくるとは思わなかったのだ。すぐにハジメと鈴の方に顔を向ければ二人も信治も鳩が豆鉄砲を食ったような顔でビィズの方を見ていた。

 

「ビィズ様、何を仰います!」

 

(ホントに予想外だよ! 一体何考えて……あっ!)

 

 何が目的でこんなことを言い出したのかとこれまでのビィズの言葉や行動を一つ一つ思い出して洗っていき、ふと同じようなことが前にもあったのを恵里は思い出した。自分と愛子が即座に却下したあのやり取りをだ。

 

“ね、ねぇどういうこと!? どうしていきなり降参するってビィズさんが!?”

 

“いやマジで意味不だろ……もしかして俺らにゃ敵わないって思ったか?”

 

“信治の言う線もありそうだな……なぁハジメ、恵里。二人はどう考えてる?”

 

 恵里が答えと思しきものに行き当たった一方、鈴達も軽いパニックを起こしていた。自分もあのやり取りを体験して断ってなければ多分鈴達と同様に自分も慌てふためいたかもなぁと思いつつ、恵里はハジメと目を合わせた。

 

“恵里は思いついたみたいだね”

 

“ハジメくんこそ”

 

“じゃあせーので言おっか。せーのっ”

 

「ゼンゲンの血とアンカジを守り、また自身を交渉の糸口とするためですか」

 

 ――アンカジ公国を守るため。奇しくもリリアーナと共に推測を同じタイミングで口にすれば、ハジメと目を合わせて一緒に苦笑を浮かべる。

 

 そうしてうなずいた後、その答えに鈴達もあること――エリヒド王とルルアリア王妃がリリアーナとランデルを自分達に預けようとしたことを思い出したようで、何度かリリアーナとこちらに交互に視線を向けてきた。

 

「参った。まさかそれも見抜かれていたとは」

 

「ビィズ様、それは!」

 

「お前達も見ただろう。先程の彼らの力を……半分だ。半分しか彼らは動かなかった」

 

 配下の兵士も声をかけたが、ビィズの言葉に一様に黙り込んでしまう。事実、教会の奴らを抑えるのに動いたのは恵里と鈴だけであった。恵里が“鎮魂”でビィズを落ち着かせ、鈴の魔法で光と土の魔法で丁寧に司祭らを捕縛。ハジメも信治も動いていない。

 

 浩介は部屋になだれ込もうとした輩を叩きのめしただけで、リリアーナからの指示で気配を消したままだからカウントされなかったのだろう。ビィズが述べたようにたった二人が事態を収束させた。そのことを彼はちゃんと受け止めていたのである。

 

「ウワサが本当ならば二十人ほどで討ち破ったと聞く……皆が彼女達ほどの強さを持っているならば、方法次第では王国の部隊を倒すことも出来たはずだ。どこまで本当かはともかくとしてな」

 

 さっき動いた自分と鈴の実力からして逆算し、向こうの戦力じゃ敵わないと察したのだろうと恵里は思う。だからといってあまりにも思い切りが良すぎないかとため息を吐きたくもなっていたが。

 

「それにどのような経緯であれ、私達は王国に一人残らず切り捨てられても仕方のない立場だ……ならば私の身柄を置くぐらいはすべきだろうし、もし今後アンカジと話し合いの場を設けるのならば私の身柄を王国が預かっていた方がやりやすいだろう」

 

 その言葉になるほどと恵里は内心うなずいていた。どうせアンカジも倒して手中に収める手はずではあるし、ビィズがいれば公国に対してアクションをかけやすい。筋も通っているし中々計算も上手い。

 

 王族だけじゃなくて貴族にも頭回る奴がいるなぁと思いつつ、リリアーナが次はどんな手を指すのかと恵里は黙って見ていた。

 

「えぇ――それとビィズ殿が私達に降るのであれば少々こちらの腹積もりも話してもよさそうですね。私達が今、どんな絵図を描いているかを」

 

 そう述べながらリリアーナは帝国及び公国とも敵対して戦争に持ち込み、両者を支配下に置く算段を語っていく。その話を聞いて何度となくビィズはつばを吞み、少し顔を青くしながらも彼女の話にただ耳を傾けていた。

 

「……一つ伺いたい。王国は一体何をするつもりなのだ?」

 

「エヒト神との敵対です。少なくともトータス全土に現れた銀髪の女()()を討ち滅ぼすことは確定事項ですね」

 

 おそるおそる尋ねたビィズに対し、リリアーナは表情を一切変えることなく淡々と語る。ちゃんと覚悟を持ってエヒトと矛を構える気概であるリリアーナに対し、ビィズを含めたアンカジの面々は一層顔を青くしていた。まぁそれも無理は無いかと思いつつも恵里は成り行きをただ見守るだけであった。

 

「……それは王国がエヒト様に見捨てられたからか? それとも彼らの支配下にあるからか?」

 

「両方、というと少し語弊がありますね。少なくとも私は自分の意志で信治さん達の力になれるよう動いております」

 

 そう言いながらリリアーナは出されてしばらく経ったカップに口を着ける。部屋に入って出されたっきりのお茶を口に含みながらもリリアーナは毅然とした態度を崩しはしなかった。

 

「乱心なされたか!」

 

「よせ!……しかし、それならば一層私の存在は必要ではないだろうか。ただ、その」

 

 兵士がこちらを理解出来ないようなものを見るような目つきで見ているが、ビィズは苦々しい表情を浮かべながらも止めた。そこで改めて自分の存在価値を訴えてきたが、続く言葉はどこか勢いがない。

 

(そういえばあの司祭を殴った時民がどうとか言ってたな……もしかしてボク達と戦った際の犠牲のことでも考えてる?)

 

「アンカジの兵がどれだけ犠牲になるか、ですね? それに関しては南雲さん達の方がお詳しいかと」

 

 何故言いよどんでしまったのかを恵里は推理してみたのだが、リリアーナはその答えを即座に提示する。ビィズもそれにうなずき、リリアーナと一緒にこちらに真剣なまなざしを向けてきたため再度ハジメ達と顔を合わせて話を始めた。

 

「まず犠牲は出さないつもりです。現に王国と戦った際にも気絶させる程度に抑えて全員無力化しました」

 

「どうやって無力化したかを今説明します。“礫弾”」

 

 まず自分達を代表してハジメが王国の軍相手にどうしたかをサラッと説明し、続いて鈴がボーリングの玉ほどの大きさの岩の弾丸を作ってハジメに手渡す。そして受け取ったハジメはすぐに“崩陸”を発動。岩の塊が瞬時に崩れ去っていくのを見ておぉ、とアンカジの人達からどよめきが漏れた。

 

「まぁこんな感じ。さっきのはハジメくんが考え付いたオリジナルの魔法でね、地面にすら作用できるよ」

 

「それも目の前ぐらいは一気にな。それでわかったろ?」

 

「……なるほど」

 

「むぐぐ……むがー! もがー!」

 

 そこに恵里が補足し、信治も乗っかる。流石に視界いっぱいとなるとハジメや光輝、後は浩介と愛子辺りと限られるだろうがいいハッタリにはなる。現にそれを聞いたビィズや兵士達も考え込んでいる様子であった。それと相変わらず地面に転がってるイモムシどもがうるさかったりする。

 

「……それならば兵に犠牲が出る可能性は低いか」

 

「エヒトと戦うならば兵はいくらいても足らないでしょう。ですので無用な犠牲は出しません……ご納得いただけましたかビィズ殿」

 

 あごに手を当ててビィズは考え込む姿勢をとっている。リリアーナはダメ押しとばかりにエヒトと戦う意思を再度示し、どうして自分達に話を振ったかを暗に述べながらも了承を迫っている。

 

 王族の交渉エグいなと軽く引きながら恵里は二人をながめていたが、ふと空気が変わったのを感じた。ビィズが軽くうつむきながらため息を少し長く吐くと、表情をキッとしたものに変えてこちらを見据えてきたからである。

 

「……わかりました。であればこのビィズ・フォウワード・ゼンゲン、道化となろう。アンカジを巻き込む理由、戦争を終えた後の公国との顔役、好きに使っていただきたい」

 

 ソファーに座りながらも深々と頭を下げ、協力を誓ってくれた。予想外の方向に少し話がズレたが、いい方向に転がったと恵里はにんまりと笑う。

 

「ありがとうございますビィズ殿。では使節団の方と話し合いをして――」

 

「あの、ちょっといいですか」

 

 そしてリリアーナがこの後の対処について話し合おうとした時、ハジメがおずおずと話に割り込んできた。

 

「どうされましたか南雲さん? 何か、話に不備でもありましたか……?」

 

「いや、そういうんじゃないですけど……ちょっとビィズさんもアンカジの人達も気の毒に思っちゃいまして」

 

 何かと思えばハジメがお節介を焼きたがってただけであった。ホントお人よしなんだから、とため息を吐いて半目になりながら恵里は彼に何をする気なのかと軽く問いただそうとする。

 

「何やる気なのハジメくん」

 

「うん。やっぱりさ、役得ぐらいあってもいいんじゃないかって思ってね」

 

 役得、と言って一体何をするのやらと思って軽く首をかしげた時、ふと恵里の脳裏にあるものが浮かぶ。もしやと思ってハジメの方を見てみれば想像通りの答えが彼の口から出てきた。

 

「王女様、もしよろしければ僕達の商会についても話してみるのはどうですか」

 

 ビィズらは首を傾げ、鈴達は軽く目を見開いてうなずく。確かにそれならこちらにも利はあると思いながら恵里はうんうんとうなずき、口角を上げながらリリアーナに提案をする。

 

「いいねハジメくん。だったらさ、見返りに支店をアンカジに置かせてもらおうよ王女サマ」

 

「いいですね。ではビィズ殿、ここからは商売の話をしましょうか」

 

「商売、ですか……その話、くわしくお聞かせ願えますか」

 

 話を振れば彼女もニコリと笑みを張り付け、ビィズも少し戸惑いながらも少し前のめりになりながら話をうかがってきた。向こうもどうやら乗り気のようで、だったらしっかりと引き込ませてもらおうと“念話”で何を話していこうかとリリアーナ共々画策していく。

 

「もがー!!」

 

 それと相変わらずうるさいイモムシ達を見て、後で()()の材料になってもらおうかと恵里は舌打ちするのであった。

 

 

 

 

 

「いやはやこれは……本気で驚かされたな」

 

 ビィズらを連れてゲートキーで王宮へと戻ってきた恵里達は、自分達が開発したゴーレムなどを一通り()()()()した。現在は一連のパフォーマンスを終えて呆然とする彼らを連れ、自作のソファーなどを並べたハジメの自室にて小休止をしている。

 

「そうでしょうそうでしょう! 正直私も皆さんといて何度驚かされたやら……」

 

「あ、はい……」

 

 ソファーに思いっきり体を預けて深々とため息を吐くビィズに、対面で座っていたリリアーナは仲間を見つけたとばかりにしきりにうなずいている。ビィズはそんな彼女を見て顔を引きつらせ、何かを言いよどんだ様子でこちらを見ていた。

 

(ひっどいなーもう。ボク達だって最初は驚いたってば)

 

 ヘリーナから出されたお茶が相変わらず美味しいと思いつつも、先のリリアーナのセリフに恵里は内心口をとがらせていた。確かに常識破りなことはしょっちゅうやってる自覚はあるが、流石にそれを口に出されると傷つくのだ。外から来訪した要人がいなければ今すぐブー垂れたくなるぐらいには不満だったのである。

 

“後で鈴と一緒にお茶しよっか。何か言いたかったらその時に。今は我慢。ね?”

 

 どうやらこちらの様子に気付いたらしいハジメが“念話”を使ってお誘いをかけてきた。彼の方に視線を向ければ微笑みながら見ており、全部お見通しかぁーと恵里は思わず脱力しそうになる。

 

“はぁーい……”

 

「ごめんごめん」

 

 ちゃんと自分のことに気付いてケアもやってくれるのは嬉しいけれど、かんしゃくを起こした犬とかそういう風に扱われている気がした恵里はちょっと不承不承な感を装いながら返事をする。するとハジメが小声で謝ってくると共にこちらの頭を何度かなでてきたため、とりあえずそれで我慢するかと目を細めながらそれを受けていた。

 

「仲睦まじいですな()()()は」

 

「えぇ、まぁ……はい」

 

「「あ、すいません……」」

 

 ふとビィズがこちらを微笑ましげに見つめ、リリアーナもやや気まずそうな恥ずかし気といったトーンでそれに返事をしていた。ハジメと鈴も同様だ。別に休憩中なんだしいいでしょ、と腰に手を回したハジメの手にそっと自分の左手を重ねながら恵里は内心ボヤく。

 

「それで、先程見せていただいた品の数々、特に馬型のゴーレムは私どもの方でも扱いたい。それともう一つ」

 

「お褒めいただきありがとうございます。それと他にリクエストというのは?」

 

「馬型のもの以外も造られてましたし、出来れば牛型を。メインである果物と比べてそう多くは無いですが、野菜類を育てている畑を耕すのに牛の力はうってつけと思いまして」

 

(あー、そういえば砂漠の中の国のくせに割と畑が広かったな)

 

 何度かお茶を口にした後、ビィズは先程見せたゴーレムを褒めそやすと共に新たな注文を提示する。その内容を聞き、恵里はアンカジに潜入した時のことを思い出してひとり納得していた。

 

「あくまで目的別に形を変えてただけなんで、パワーさえ調整出来ればそのまま馬の方でも使えますよ。でも農業目的に使うんだったら別に造った方がいいかもしれませんね」

 

「なるほど。それは後で話を詰めさせてもらおう――では、そろそろ()()()を戻す時か」

 

 そこでハジメもゴーレムが何故様々な形をしているかの説明をしつつ、ビィズに理解を示した。それを受けて表情を軽く緩めたビィズはうんうんとうなずき、不意に視線を鋭くした。『あ奴ら』という単語を聞き、恵里も視界の隅にいた奴らの方に視線を向ける。

 

「あいやあいやビィズ様! 私どもに何をご指名でしょうか!」

 

 好々爺らしい雰囲気をかもしていたはずのナイスミドルは人懐っこい笑みを浮かべながら快活に答えた。そう。恵里は例の首輪もコイツら相手に披露したのである。その結果、いつものように愉快なことを言い出すようになっていた。

 

「うむ。ヤンシー司祭、そしてボールドウィン、カルヴィン以下神殿騎士三十余名。残りの日程を逆算し、帳尻が合うようフューレンに滞在。それとフューレンの民を慮り、行動せよ」

 

「はっ!」

 

「そしてフォルビン司教に私に不幸な出来事が起きたと伝え、表向き従え! これは命令である!」

 

『ははー!!』

 

 そしてこちら側についた司祭らに命を下す――先程首輪で洗脳した際、何故あんな三文芝居をしたのかを問い詰めるとその背後にいた存在が明らかとなった。アンカジの聖教教会を牛耳るフォルビン司教の命令であったのだ。

 

「予定では帰国まであとひと月。()()殿()、改めて貴殿に同行をお願いしたいだろうがよろしいだろうか」

 

 そこであえて向こうの思惑に乗る。フォルビンの方には偽の情報を流し、アンカジを統治するランズィにだけはビィズが連れていた暗部の人間と共に事実を報告。共に演技をしてもらおうということになったのだ。

 

「あぁ、もちろん」

 

 このことは既に友人達全員に通達済みであり、OKは既にもらっている。わざわざ浩介を連れていくのも経緯の説明とその補強のためだ。浩介もそれに二つ返事で改めて答えた。

 

「ではビィズ殿、私達が勝利した暁には」

 

「無論、私の方でサウスクラウド商会の支部を設立するよう手配を整えよう。たとえ父が反対しても必ず」

 

 ここに今、ハイリヒ王国とアンカジ公国の間で密約が結ばれる。エヒトを倒すための計画がまた一歩進んだことに恵里は笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「――では皆様、御武運を。光輝さん達にもよろしくお伝えください」

 

「あぁ。サクッと行って取ってきてやらぁ――行ってくるぜ、リリィ」

 

 ビィズと密約を結んでから早二日。練兵場でリリアーナとメルドそして騎士団とハウリアの面々に愛子とかなり多くの人間が恵里達()()()のメンバーは見送りに来た。

 

「いきなりねじ込まれた依頼さえなければ私も着いていけたのですが……」

 

 見送る側の愛子が軽く眉間にしわを寄せ、一緒に行けないことを悔いているがそれも仕方ない。フューレンの方からの緊急の要請があり、急ぎウルの街へと向かってほしいと打診されたからだ。既に何人か復興のために冒険者を向かわせていたのだが、想定以上に田畑の損害がひどいらしい。そのため何としても“作農師”である愛子の助けが必要になったのだ。

 

「流石にそれは断りますよ畑山先生。これから僕達が向かうのは先生みたいな人がマトモに戦えなくなるところですし」

 

 たとえそうでなくともハジメが述べたように、これから自分達が行く場所は彼女のような魔法を主体に戦う人間がマトモに戦えない場所――遂に発見したライセン大迷宮へと向かうのだ。自分達なら高いステータスで中級魔法ならゴリ押しが可能だが、まだ魔物肉を食べてる量が少ない愛子では無理だろうと恵里は厳しい目で見ている。

 

「ま、来たかったらその問題を解決してからだね」

 

「今回私達が挑めばどういう装備が必要になるかわかりますし、それまで待っててください畑山先生」

 

「……わかりました。お願いします」

 

 流石に足手まといがいるとなると大迷宮攻略の難易度が跳ね上がる。それはハジメ達の危険にも繋がるため、恵里はあえて軽く突き放す。

 

 とはいえ鈴が言ったように今回の挑戦でどういったものが必要になるかわかるだろうし、後々エヒトとの戦いに備えるためにも神代魔法を使える人間はいるに越したことは無い。悔し気に見つめる愛子らに見送られながら恵里達は開いていたゲートをくぐってライセン大峡谷へと転移する。

 

「着いたぞ。ここが」

 

「ライセン大迷宮か……」

 

 捜索隊が設置したゲートホールのおかげで大迷宮の入り口の真ん前に恵里達は出た……もしこれが他の大迷宮だったらもっとテンションが上がっていただろうと恵里は思う。しかしこの場にいる皆のテンションは自分と同様に低かった。というのも……。

 

“おいでませ! ミレディ・ライセンのドキワク大迷宮へ♪”

 

「ホントふざけた字面だよね。嘘であってほしかったんだけど」

 

 原因は視線の先にあったのはふざけた看板。壁を直接削って作ったであろう見事な装飾の長方形型のそれには、女の子らしい丸っこい字でこんな文面が掘られていたのである。この話を聞いた時は自分の耳を疑ったし、今は自分の目がおかしくなったのではと恵里は心配していた……が、どうやらそうでもないらしい。

 

「マジかよ……ウソでもなんでもねーのかよ」

 

「いやー、聞いた時は全然信じられませんでしたけど……ねぇ」

 

 メンバーの一人である良樹も口元辺りの表情筋がヒクついているし、シアも信じられないとばかりに目を細めている。二人の言葉には恵里も心の底から共感しており、油断でも誘うためかあるいはかなり愉快な性格をしているかのどちらかであってほしいと願望込みでアタリをつけていた。

 

「えーと、光輝君達がここに入ったのは昨日からだよね。でもまだ、ってことは」

 

「相当苦戦してるのかな。魔法を使うのが厳しいだろうし」

 

 ここでハジメが半ば強引に話題をすり替え、鈴もそれに応じて推測を話す。大方どうにかこの何とも言えない空気をどうにかしたかったのだろうと推測するが、今回はそれがありがたかったことから恵里もそれに乗っかる。

 

「まぁ二人が言いたいことはわかるよ。でもさ、万能選手の光輝君に忍者の雫と鷲三さん、霧乃さん、あとアレーティアはともかくとして檜山君もいるし大丈夫じゃない?」

 

 鈴の言う通りこの峡谷では発動した魔法に込められた魔力が分解され散らされてしまうし、おそらくこの大迷宮の中もそうだろうという予想は容易に立つ。しかし恵里はそこまで心配はしていなかった。

 

「それもそうだな。アレーティアさんはハジメが作った武器とかもあるだろ? あの水鉄砲とか。そこまで心配する必要ねぇだろ多分」

 

 純魔法使いタイプなアレーティアはともかく他はこの大峡谷でも戦える人間揃いだ。それに信治が述べたようにアレーティアにはハジメが制作した数々のアーティファクトも持たせている。威力偵察に向かった一次隊のこのメンバーならばどうにかなるだろうと恵里は見積もっていた。

 

「それもそうだね。ちょっと皆を甘く見過ぎ――」

 

「「ミレディぃーー!!」」

 

「……でもなかったかも、ね?」

 

 例の看板の近くから響く光輝と大介の怒号。思ったよりこの大迷宮の攻略は骨が折れそうだと皆と仲良く恵里は冷や汗を流すのであった……。




という訳でようやくライセン大迷宮に突入することが出来ました!
……マジで長かったっすわー。一応時間軸的には原作と大差ないぐらいなんですけどね。

あとちょっとしたネタバレですがミレディ戦の難易度がちょっと上がります。具体的には拙作のスーパーヒュドラくんよりちょい上ぐらいを想定。EXハードな感じです。


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幕間五十二 彼女『たち』の思い

お久しぶりです。やっとこさ仕上がりました(遠い目)

それでは読者の皆様がたへの盛大な感謝を述べさせていただきます。
おかげさまでUAも201546、お気に入り件数も915件、しおりも452件、感想数も702件(2024/3/18 8:39現在)となりました。誠にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、今回も拙作を再評価してくださり誠にありがとうございます。おかげさまでまたモチベーションを上げることが出来ました。感謝いたします。

では今回の話を読むにあたっての注意点ですが、長め(約13000字程度)となっております。あとあるキャラに関してちょっとヘイトが高まるかも? とだけ述べておきます。

それでは上記に注意して本編をどうぞ。



「この区画の土壌の改良は終わりました」

 

「マジか。流石はフューレン支部長の秘蔵っ子だな」

 

 トータス一番の穀倉地帯で()()()ウルの街近郊、日本の琵琶湖の四倍ほどもあるウルディア湖の近くにあった畑の一角に愛子はいた。現在彼女はフューレンから派遣された冒険者のひとりとして“反逆者”畑山愛子に()()()()、現地の人間によって破壊された土壌の改良を行っており、二つの荒れ果てた区画を終わらせたところであった。

 

「他に残ってるのは向こうの畑がいくつかだな。やれるか?」

 

「少々魔力が心もとないですので少し休んでからでもいいですか?」

 

「あぁ構わねぇ。“耕作師”のアンタがいなきゃどうにもならんからな」

 

 無論正体を偽った上での参加であり、天職も“作農師”の下位互換のひとつを自称している。ステータスプレートを確認してきた際も偽装用のアーティファクトを使って騙すとかなり徹底していた。無事に監督役の冒険者から休憩の許可をもらうと、愛子は他の人の作業の邪魔にならないよう離れたところにひとり座る。

 

「ふぅ……」

 

 無論休まなくともまだまだ働けはするが、そうしたら偽装したものよりステータスが高いのを見抜かれかねない。そこから正体が露見する危険があったため、トータスの人間とあまり大きく差がなく感じるよう抑えている。

 

(私が土壌汚染をしたと難癖をつけて、勝手に壊して……本当に身勝手ですね)

 

 聖光教会からの指示に、自分を裏切った神殿騎士のローリエに言われるがままにこのウルの田畑も土壌を改良した。にもかかわらずエヒトの策略か何かのせいでこの街の人間に破壊された田畑を直すことに空しさと怒りを感じてもいた。だがこれが後々クラスメイト達の為になるのならと様々な感情を愛子はためらうことなく飲み下す。

 

(大丈夫でしょうか、天之河君達は……)

 

 そんな時、怒りや嘆きでなく何か別のことを考えようとしてふと大迷宮に挑んでいるであろう生徒達のことが気がかりになった。元々何かしら考えながらでも作業が出来ていたのだが、手持ち無沙汰になってしまったせいだろう。一度生まれてしまった不安に頭を悩ませながらも愛子はそれを打ち消すべくただ考える。

 

(いくら人数が多かったとしても、天之河君達は永山君達でさえ突破が出来なかったところを踏破した……だから問題ないはず)

 

 恵里達の実力がトータスに来てからすぐの頃とは次元が違うのは愛子とてわかっている。この間なんて素材集め及び騎士団に支給する装備の試験と称して、信治とクリス、ジェイドの三人がオルクス大迷宮を入り口から六十五階層までを一日で踏破したのだ。

 

(クリスさんとジェイドさんも鍛えるためにオルクス大迷宮に向かった中野君についていきました。お二人は彼についていくのがやっとだったとも言ってましたけれど)

 

 重吾達と騎士団では突破が叶わなかったらしい六十一階層すら信治のおかげで容易に突破したとも彼らから聞いている。

 

 信治が次元の違う強さであったことや装備のおかげで何とか戦えている。そうクリスとジェイドが歯噛みして悔しがっていたことを思い出してクスリと笑い、また政務で行けなかったデビッド共々鍛錬の時間を増やすと息巻いていたことも愛子は思い返して心の中で応援していた。

 

(当時は南雲君と中村さん、それと騎士団の人達でどうにか倒した伝説の魔物とやらも中野君だけで仕留めたらしいですしね。クリスさん達が悔しそうにしていたのもわかります)

 

 ちなみに倒した魔物のほとんどはデビッド達と愛子、そして恵里達が一口食べる分だけ解体したらしい。また六十二階層より上の出くわした魔物は灰すら残さずに信治が焼き払ったとのことだ。その伝説の魔物であるベヒモスに関しても信治が出会い頭に“緋槍”で頭を貫いて燃やしたと聞いている。

 

(中野君達のおかげで訓練もあまり出来てない私も強くなれましたしね。まぁ蹴りウサギとやらのものを食べた時と比べるとそこまであまり上がってませんでしたけど)

 

 懐にあったステータスプレートを取り出し、自身の本当のステータスの数値を再度確認する。前に見た時よりも数値が60~100は上がっているが、それでも恵里達が料理して寄越した魔物一匹分には遠く及ばない。とはいえ重吾達のメンタルケアのための畑いじりやこういった仕事で訓練の時間が取れない愛子からすればありがたいことではあった。

 

(でもあの子達、やたらと凝った料理を出してましたね……やっぱりオルクス大迷宮で過ごしたことが影響してるんじゃ――)

 

「おーい。そろそろ魔力も回復しただろうー? 次の現場に向かってくれー」

 

 恵里達お手製の香草をふんだんに使って数時間煮込んだ『ベヒモス肉の角煮モドキ』や『魔物肉のソテー』などを夜にデビッド達といただいた。それとオルクス大迷宮もそうやって魔物を調理して食べて彼らは突破していたことを考えるとやはり相当食事事情は厳しかったのではと軽く胸が締め付けられる思いに駆られるが、そこに監督の声がかかった。

 

「はい、わかりました――皆さん、どうかご無事で」

 

 サボる気も無かったし、少しでもクラスメイトのためにと休憩を切り上げ、冒険者に指示された場所へと愛子は歩いていく。両手でハジメ達から作ってもらった杖を強く握り、大峡谷にいる彼らの無事を祈りながら。

 

 

 

 

 

「お、さっきの子達が戻って来たねー。十分対策はしてきたのかなー?」

 

 ライセン大迷宮の最奥にある解放者の住処、そこでどこか楽し気な()の声が響く。声の主は子供ほどの背丈をした乳白色の長いローブをまとった何者かであった。

 

 ――やっぱミレディの野郎いい根性してんだろ。入り口にワナ仕掛けといてこれだもんな。

 

 ソレは虚空に浮かぶパネル状の何か――もしここである異世界から来た人間が目にしたのなら『ディスプレイ』や『スクリーン』とでも称しただろうソレを見つめている。そこにはこの大迷宮に侵入した六人の少年少女が映っていた。

 

 ――マジでクソ女だろ。いきなり即死トラップ仕掛けてくるとか馬鹿じゃねーか。

 

 入口の回転扉で入った直後、飛来した漆黒の矢を彼らは難なく避けるなり捌くなりしていた。ただしこの程度はこの大迷宮においてはまだ序の口で軽い警告程度の罠でしかない。それをこの場所にいる存在は知っているからこそ、この程度の罠と地面に浮き上がったメッセージで反応している彼らをまだまだ青いと考えていた。

 

 ――この罠仕掛けた人、絶対腹の奥底まで腐ってますよぉ……。

 

 挑戦者である彼らはほとんどが白髪赤目であり、中には少し青みがかったロングストレートの白髪のウサギの亜人と思しき少女もいた。その中でガラも口も悪い少年二人と亜人の少女が()()をけなす言葉を口にしたものの、部屋にいた何者かはププッとこみあげて来た笑いを手を推さえてこらえるだけであった。

 

「あれあれ~? その程度でイライラしてて大丈夫ぅー? ココを突破する前に泡吹いて倒れても知らないぞぉ~?」

 

 挑戦者である彼らを映像越しに軽く煽るとソレは残りの三人の方に意識を向ける。これで翻弄される程度じゃ攻略など夢のまた夢でしかないと判断し、じゃあ残りの三人の方はどんなリアクションをするか気になったからだ。

 

 ――光輝君や雫の話の通り、煽って冷静さを失わせる目的だろうね。心底いい性格してるよ。

 

 片方の少女の言葉を聞いてほうほうとソレはあごに手を当てる仕草をする。とはいってもその体に()()()()()は無かったため、ニコちゃんマークの口元の部分に手を添えるだけだったが。まぁ今の段階ならこの程度は頭が回るかとソレは考え、まだ脅威にはなりえないと切り捨てようとした。

 

 ――本当にそうだね。恵里みたい。

 

 ――鈴、もしかしなくてもケンカ売ってる? 買うよ。三百倍にして返してあげる。

 

 ――鈴、恵里を煽らないの! 恵里もケンカしようとしない!……まぁでもよく出来てるよここは。

 

 だがそんな折、エリとスズという名前の少女の間に入って仲裁した少年にこの部屋の主は注目する。彼が間に入った後で漏らした言葉に一行の視線が集まったからだ。

 

 ――光輝君達の話だと一息吐いたタイミングとか、焦ってるところにこの文章が出てたって言ってたよね。鷲三さん達やアレーティアさんも思わずキレそうになってた、って言ってたし下手に付き合う必要はないよ。

 

 その少年の話に誰もが耳を傾けている様子であり、腕を組んだりして何度もうなずいたりしている。その様子からして彼がリーダーの類かもしれないとソレは推測しつつ、周囲に気を払いながらも話を続ける少年達の方に再度意識を向けた。

 

 ――まぁ嫌でもこういう文章見せつけられるんだろうけどね……。

 

 ――せめて魔法が使えればね。ホントいやらしいところに造ってくれちゃってさぁ。

 

 ――うん。でもオルクス大迷宮を突破してきた僕達なら、それに僕達と鍛錬を重ねたシアさんならやれる。そうでしょ?

 

 彼の両脇にいた少女達も肩を落とすなりため息を吐くなりしてげんなりした様子を見せている。だがその少年の一言で白髪赤目の面々の顔から陰りが落ち、亜人の少女もうなずき返して拳を握りしめていた。

 

 ――そうだね。やってやろうじゃん。

 

 ――うん。オルクス大迷宮と同じくらいなら鈴だってやれるよ。魔法が使えなくたって戦えるんだから。

 

 エリとスズという少女は互いに口角を上げ、少年にその不敵な笑みを見せた。

 

 ――あぁ。谷口の言う通りだ。光輝達から話聞いて色々準備したんだからな。

 

 ――おう。それにシアだってここ最近は相当強くなったし、俺らについていくぐらい訳ねぇだろ。

 

 ガラの悪そうな少年たちも身に着けていた指輪に視線を落とすなり、亜人の少女と肩を組んで歯を見せながら笑っている。

 

 ――そ、そうです! わ、私だってやってみせます! 良樹さんにいいとこ見せますよー!

 

 そしてウサギの亜人の少女も顔を少し赤くし、軽く表情をこわばらせながらも威勢のいい言葉を出す。そして一行はまっすぐ通路を進んでいったのであった。

 

 ――また矢かよ!

 

 ――今度は両方の壁から!

 

「ふぅん。そっかぁ~。オーちゃんの大迷宮突破したんだぁ~」

 

 攻略者一同が通路を進み、壁から発射された矢をなんとか避けているのを見て、ちっこい何かは興味深げにつぶやいた。

 

「なるほどねぇ~じゃあ実力はちゃんと保障されてるってことかな? どこぞの暗殺者ちゃん達のグループも結構動けたしね」

 

 彼らより先にここを訪れた六人の男女のパーティのこともソレは思い出す。コウキやシズクといった名前の男女も仕掛けた罠を紙一重で対処していたし、様々なルートをさまよわせても誰も脱落はしなかった。せいぜいスタート地点に戻した時にコウキとダイスケという名前の少年たちが叫び、他が頭を押さえるなり舌打ちするなり苛立った様子を見せただけだ。

 

 ――やだー! 臭い! すっごい臭いぃ~!!

 

 ――いやぁ~~~!! とって! ニオイとってください良樹さぁ~ん!!

 

(こっちの子達も初見でここまで対処出来てる……ハジメとかセンセイって呼ばれてる子は相当頭も回るし、エリって名前の子は悪知恵もそれなりに働く。今は泣き叫んでるけど油断はしちゃ駄目な類かもね~。ふふっ)

 

 床から迫る槍をかわし、せりあがる床の部屋に穴をあけて脱出し、しかしその直後にクッサい水をぶっかけられて発狂したエリとシアという少女達をなだめている一行を見ながらソレは考える。きっと初の攻略者に彼らはなり得るだろうと心の中で期待が高まっていた。

 

 ――ハジメくんのゴーレム……ボクと最初に造ったゴーレムが……。

 

 ――恵里、しっかり。しっかりして!

 

 ――ゴーレムは最悪造り直せるから。ね? それにあの子がいなかったら僕達も脱出に間に合わなかったかもしれないから。

 

 ――だな。少なくとも無駄死にじゃねぇよ。

 

 ――壁が迫って潰すとか殺意高すぎるだろ……マジで死ぬかと思ったぜ。

 

 ――そうです! 恵里さんとハジメさんのゴーレムのおかげで私達助かったんですから!

 

「それじゃあ見せてもらおっか。この私、ミレディ・ライセンに君たちの実力ってものをさ」

 

 ――遥か昔、トータスで人々の自由を勝ち取るために戦った解放者の一人、肉体を捨ててでもなお神を討つ覚悟を持った少女は画像越しに声をかけたのであった。

 

 

 

 

 

「あーもう疲れた。もう行きたくない。死ねミレディ」

 

 ハイリヒ王国の王宮、そこの食堂のテーブルに今日も恵里は力なく突っ伏していた。ライセン大迷宮攻略開始から既に五日が経過したが、まだどのグループも最奥まで到達していない。今日も皆罠やライセン大迷宮の構造などに振り回され、そのまますごすごと王国に戻る羽目に遭ったのである。

 

「ねぇ雫、流石にイナバ()()がかわいそうだよ。もう吸うの止めてあげようよ……」

 

 他の皆も大迷宮の罠やらミレディのメッセージやらで手玉に取られ、恵里と同様に突っ伏していたりひじを着いていたりと様々。その中で異彩を放っていたのは光輝の膝の上に乗っかりながら、イナバのお腹に顔を埋めて呼吸していた雫であった。

 

「そ、そうだな……なぁ雫、その、そろそろイナバさんを放してあげよう? な?」

 

「スー、ハー……あと三回。三回吸ったらイナバ()()解放するから。だめ?」

 

「そ、それぐらいなら……いい、かな?」

 

 軽くしどろもどろになりながら光輝も注意するが、当の本人はイナバから顔を上げてうるんだ瞳で条件付きの継続を願い出た。それにアッサリ屈した光輝がおそるおそるといった様子で鈴の方に顔を向けるが、鈴はため息を履きながらイナバの方に視線を落とす。

 

「きゅぅ……きゅぅぅ……」

 

「もう。イナバさんの目がまた死んでるよ。光輝君も鷲三さん達もあんまり甘やかさないのっ」

 

「あぁん……鈴のいじわるぅ」

 

 瞳がにごっていた様子のイナバを見ていたたまれなくなった鈴は、頭痛をこらえながらも雫のなすがままになっていたイナバをひったくった。雫の恨み言も意に介することなくすぐに自分の席に戻ると、()を膝の上に置いて頭をなでる。

 

「はい。イナバさんお疲れ」

 

 あえて雫のイナバ吸いを許容したのも雫のためであった。先日のウルの街の一件で軽く幼児退行してしまった彼女のメンタルケアのために我慢するよう()()こみ、今日も役に立ってくれたからである。

 

“堪忍やぁ……助かったでぇ鈴はん……”

 

 首輪に付与された“言語理解”と“心導”によってイナバは鈴に礼を述べる――こうしてちゃんと言葉でやり取りできるようになったのも魂魄魔法の研究のおかげであった。実験をしている際に雫が『もしかしたらイナバちゃんとあとユグドラシルと話が出来るかも!』と思い付きを口にし、じゃあ試しにとやってみたことがきっかけだったのだ。

 

「すまんイナバ殿。今日も雫のために付き合ってくれて助かった」

 

“あーかまへんかまへん。ワイだって雫はんのために一肌脱ぎたかったんや”

 

 そこで魂魄魔法の一つである“心導”を付与した首輪をイナバに与えて意思疎通が出来るかどうか試してみたが、その時はちゃんとした言葉とはならずに感情の揺れ動きなどがわかった程度だった。そこで自分達が持っている“言語理解”も付与してみればこうして話をすることが出来るようになったのである。

 

「まぁ雫のために我慢してくれるのは助かるけどさ、あんまり我慢出来なかったらすぐに逃げよう。ね?」

 

“無理言わんといてやぁ……だって雫はん可哀想やったし、放っておけなかったんや”

 

 ……なおその際、イナバがコテコテの関西弁を放つ一人称が『ワイ』の男の子だということが判明。また皆にビビり散らしていることや死にたくないがために媚びに媚びていたことまで明らかになっている。あとユグドラシルは結構なビビりであることもわかった。そして雫はイナバの本性を知って無事に卒倒した。

 

「まぁシズのことは私達とコウキでもなんとかなるから。アンタだって大切な仲間なのよ。意見ぐらい言いなさいよ」

 

“ありがとうな優花はん……”

 

「うん。次は僕達に相談してね……じゃあそろそろ大迷宮攻略会議に移りたいんだけどいいかな?」

 

 恵里と同様にテーブルに突っ伏していた優花も軽く顔を上げながらイナバを気遣い、切なげにきゅうきゅうと鳴きながらイナバも返事をした。ハジメもイナバに自分達を頼るよう述べると、毎食後のライセン大迷宮攻略会議の開始を持ち掛ける。

 

「えー、やりたくねぇ……あそこ面倒くせぇじゃん……」

 

「だよなぁ。俺もう行きたくねぇって。アレーティアとエロいことしててぇよ」

 

「ぁぅ……大介ぇ」

 

 しかし礼一を筆頭に馬鹿四人が心底嫌そうな顔をハジメに向けており、それを恵里も光輝もとがめようとはしない。礼一の言う通り何度も何度もあそこで翻弄され続けたせいで皆モチベーションがダダ下がりしていたからである。

 

「礼一君や大介君が言いたいのもわかるよ。でも氷結洞窟と比べてリスクが低いし、それ以外に攻略出来るのがあそこしかないんだから。ね?」

 

 だがハジメも口調はやや柔らかいながらもそれを受け入れることはなかった。それは自分達がライセン大迷宮の攻略に差し掛かった際、メルド率いるハウリアの部隊がハルツィナ樹海である大迷宮を見つけたことも関係していたからだ。

 

「確かにそうですけどね……父様達が見つけたあの大迷宮、何か別の神代魔法が必要みたいですし」

 

 なかなかライセン大迷宮が見つからないことに業を煮やし、光輝達が他の大迷宮に関する情報を漁ってくれたことがきっかけであった。偶然にも王国の図書館の蔵書の一つに大迷宮に関する情報が載ったものがあり、その一つにハルツィナ樹海が該当していたのだ。

 

 そこでシアやカムが自分達ならば迷わずあの樹海を動ける旨を伝え、それを聞いたメルドとフリードが腕の立つハウリア数名を連れて樹海を探索したのである。その際樹海に住まう亜人とひと悶着あったものの、どうにか無事にたどり着いたのだ――樹海の奥にある枯れた大樹に。

 

「俺らから借りた攻略の証じゃどうにもならなかった。だよなメルドさん?」

 

「あぁ。数も足らないし、再生に関する神代魔法など手に入れてなかったはずだからな」

 

 テーブルに頬杖を突きながら幸利はメルドに問いかけ、メルドもそれに答えながらため息を吐いた。

 

 メルドとフリードの話では大樹の近くには石板があり、それには七角形とその頂点の位置に七つの文様が刻まれていたらしい。しかもこれまで攻略して手に入れた大迷宮の証と同じ紋様が三つあり、その裏側にも何かをはめるくぼみが七つあったというのだ。

 

 そこで一度ゲートホールを設置し、すぐに恵里達から攻略の証を借りてセットしたところ石板にこのような文言が浮かんだと述べていた。

 

“四つの証”

 

“再生の力”

 

“紡がれた絆の道標”

 

“全てを有する者に新たな試練の道は開かれるだろう”

 

 そんな意味深な文字が石板に出たと彼らは話しており、それに恵里達が疑問を抱いたのは言うまでもない。

 

「名前からして治癒魔法の上っぽいよね。やっぱりルーツって奴かなぁ」

 

「多分ナナの言う通りでしょうね……まぁ問題はどこにあるかだけど」

 

 幸利の左隣にいた奈々がつぶやけば、同じく右隣にいた優花がそれを肯定する。とはいえその再生に関わる神代魔法はどこにあるかわからず、結局ハルツィナ樹海に関しては後回しにするほかなかったのである。

 

「そうだな。正直私とてあの大迷宮にはうんざりしている……が、氷雪洞窟には私以外の魔人族が行っている可能性とてある。正直勧めはせんぞ」

 

 かといって生成魔法のある氷雪洞窟は魔人族の領地に近い。腕と足を組み、目をつむっているフリードが述べたように魔人族とエンカウントする可能性もあるため下手に近づけない。そのため結局ライセン大迷宮を攻略するしかないと手詰まりの状態なのである。

 

「あー、うん……今回ヒドかったもんねフリードは」

 

「やめろ恵里。貴様、私の醜態を口にするなよ」

 

 ……なお、昨日からフリードも大迷宮の探索に参加していたのだが、熱湯をかけられたり、対応が遅れて麻痺毒を持つサソリの群れの中にダイブしたり、後方から迫って来た巨大な岩を皆と一緒に悲鳴をあげながら逃げ回ったりなどしたと幸利らから聞いた。故に他の皆と同様かなりイライラしていた。

 

「まぁまぁフリードさん抑えて……でも、()()()()なら他の大迷宮も知ってるはずですから」

 

 ハジメもフリードをなだめつつも、あることを口にする。それは一昨日辺りから抱いたある疑惑のことであった。

 

「まだあのアマが生きてる、って話か。確かに妙っちゃ妙だもんな」

 

「ですねぇ~。いくら大迷宮のことを熟知しているといっても、ちゃんと私達に()()()()()()メッセージを出すなんて出来ませんよね」

 

 ――それはミレディ・ライセンが生きているという疑いだ。

 

 六人一組でメンバーを編成し、二つもしくは三つの組でローテーションを組みながら恵里達は大迷宮の攻略を続けていた。誰もが何度も何度も罠にかかっては地面に浮かぶメッセージに煽られ、イライラしていたのを攻略会議で毎日毎日愚痴っていた際にある疑問が浮かんだのである……どうしてあれらのメッセージは()()()的確に自分達の目の前に現れるのかということだ。

 

「あの煽り文、床だけじゃなくって壁とか天井とかにも浮かんでるしね……それも見ないよう意識したつもりでも通路のところに出たりするしさ」

 

 罠にかかっては浮かんでくる例の煽り文を目にしないために、途中から恵里達は進路方向をあえて見たり、それか周囲を警戒してそこらの壁を見るだけに努めていた。だがそれでも通路の先や周辺の壁などにその文章があり、苛立ってしまうのだ。まるで絶対に神経を逆なでてやろうと言わんばかりにである。

 

「えっと、その……な、中村さんの仰ったように出来過ぎてますしね。絶対私達を逃がさないみたいに、その……」

 

「だな。そこはアレーティアの言う通りだ。床を見ないようにしたら絶対壁とかに浮かんでるしな」

 

 大介の手を握りながらアレーティアが述べたように必ず誰かしらが見かけるようにそのメッセージが浮かぶのだ。その上それを目撃するのは大介達四馬鹿や恵里のようにキレやすい人間の場合が多い。そのため、ハジメや光輝、そして冷静になった恵里達がどうしてここまで的確に煽れるのかを疑ったのである。

 

「……もしお前達の予測が当たっていたとするなら、宝物庫の存在を匂わせたのはまずかったかもしれんな」

 

 そんな折、毎回会議に顔を出していたメルドも目をつむりながらため息と共に懸念を漏らした。皆もなぞるようにため息を吐き、うなり声を上げるなどしている。

 

「そこですよね……トラップ対策のために道具を宝物庫から出してたのはあっちに見られてる可能性がありますから」

 

「そうだよねぇ……前に犠牲になったゴーレムも宝物庫から直接出したし」

 

 ハジメが述べたように攻略にあたっていたメンバーはちょくちょく宝物庫からアンカー付のワイヤーを取り出したり、恵里が言ったようにゴーレムを使ってトラップを検知しようとして壊されるなど失敗を繰り返している。

 

 それもあちらがリアルタイムで目撃しており、その対処に移ったと考えれば自然であった。まず間違いなく自分達の手の内が割れているだろうし、その対策を取られる可能性もあって憂うつになったのである。

 

「……でもやるしかない。どんな法則で動いているかもなんとなくわかってきたしな」

 

「そうですね。光輝君の言う通り、君達が付けたマーキングは決して無駄にはなっていません。全部一から造り変えている様子はないというのはわかっていますから」

 

 だが悪いことばかりではない。かつてミレディに『一定時間毎に大迷宮は変化するからマッピングは無駄で~す』といった旨で煽られたことがあったが、どういった法則に基づいて構造が変化するかもある程度見通しが立っていたのである。

 

「そうだね……光輝君の言う通りだ。あの大迷宮で使えそうな装備も人数分作ったし、皆空間魔法も取得したしね」

 

 ハジメの言葉に全員がうんうんとうなずき返す。魔法の発動が大峡谷以上に困難なあそこでも使える装備を思いついたハジメはそれを皆に話し、協力して制作していた。また弾数に限りのあるそれ以外にも奥の手として残りのオルクス大迷宮突破組とシアは空間魔法を取得していたのである。

 

「最悪俺ら全員で空間魔法使いまくればどうにかなるだろ」

 

「ま、燃費の問題からしてそうそうやれねーだろうけどな」

 

「いやあの中で“震天”とか“斬羅”撃ったら崩れるだろ。ま、そこはハジメの作った新装備に任せようぜ」

 

 最悪空間魔法のゴリ押しでどうにかなるだろうと礼一が述べ、回数のことを信治が懸念するがそれ以前に大迷宮崩落のことを浩介にツッコまれ、二人はバツが悪そうに顔を赤くして背ける。それと新装備のことについても浩介が言及すれば、ハジメも苦笑いしながらそれに答えた。

 

「本当は作りたくなかったんだけどね……結構チープだし、プラモの延長線だしさ」

 

「それでもだよ。あればっかりはハジメがいなきゃ絶対作れなかっただろ?」

 

 大迷宮攻略でハジメももちろん苛立っており、攻略会議で恵里達と一緒に愚痴を吐いたのも割としょっちゅうであった。その際彼のものづくりのプライドを投げ捨てて作ったのが例の装備である。地球にいた頃に作ったB〇戦士の武器のギミックを利用したものだったが十分使える威力なのは既に実証済みだ。

 

「そういえばフリードさん。ユグドラシルの成長具合は?」

 

 そして力を入れていたのはそれだけではなかった。大迷宮攻略が始まってから二日後、今この場にはいない愛子がこの大迷宮を攻略することを見通して一行はフリードにあることを頼み込んでいた。それは変成魔法を使ってユグドラシルを強化してもらうということだ。

 

「流石にまだ実戦に投入するには早いだろうが、歩けるようにはなった。走るのはもう少し先といったところか」

 

 まだやり出して三日そこらではあったが、それでも従来なら出来なかった歩行が出来るようになり、大幅にやれることが増えたのだ。とはいえ長時間歩いていると根っこが痛むらしく、あんまりやらせないでほしいとユグドラシル当人(当木?)が訴えていた旨を恵里達は思い出して苦笑する。

 

「そうだね……やってやろうじゃん。今度こそ大迷宮の奥まで行って、ミレディの奴を倒して神代魔法手に入れよう」

 

「うん。今度こそミレディに一泡吹かせてあげるんだから」

 

 そんなハジメ達のやり取りを聞き、やる気が湧いた恵里は鈴と一緒に体を起こしてそう宣言する。そうそう何度もいいようにされてたまるかと言えば、多くの面々が胸を張り、また中には立って意気込みを語るのもいた。

 

「あぁ。ここまでやられっ放しはシャクに触るしな。やってやろうぜ!」

 

「うん! 皆でこの大迷宮も攻略しよう!」

 

「そうだな。お前達ならやれる。やってみせろ!」

 

 龍太郎と香織の言葉に全員がうなずき、メルドが発奮をかけたことで全員が『おー!』と歓声を上げる。かくして今回の会議は幕を閉じる。自分達ならやれる。自分達だったらここも無事に突破できる――そう()()を抱いたままで。

 

 

 

 

 

「さて……今回もあの子たちが来たね」

 

 大迷宮に人間が現れるようになってからかれこれ七日。今日もミレディは挑戦者たちの様子をながめていた。

 

 ――優花、奈々、無事か!

 

 ――うん! 幸っちのおかげでね!

 

 ――ユキ、手を放さないでよ! 流石にサソリの群れは嫌だからね!

 

 ユキトシ、ナナ、ユウカ、タエコ、コースケ、レイイチ、フリードという男女のグループが今この大迷宮を攻略しており、誰もが馴れた様子で罠を回避したり対処しては進んでいる。

 

「まぁ交代しながらだけど何日も潜ってるもんね。余裕になっちゃうかぁ~」

 

 こうして大迷宮の攻略にいそしむ彼らを見てミレディはつぶやく。その声は微妙にトーンが低かった。

 

(確かにこれ程の腕前だったら一番奥までたどり着けるね)

 

 その実力は彼女とて認めている。当初から誰も脱落するどころか怪我もろくに負わないままこの大迷宮を進んでいるのだ。煽り文を見せつけても苛立ちを表には出さないようになったし、大迷宮の構造の変化のタネも割れたのか『あぁこのパターンか』といった具合のセリフを吐くと同時に的確に対処していっている。

 

(けれどもそれだけ……あの子達は道具に、神代魔法に()()()()()()()気がする)

 

 そのことは間違いなくプラスの判断材料ではあったが、それ以上に不安になるものがあった――彼らが道具と神代魔法にあまりに頼り過ぎているように見えたことだ。

 

(ただ道具として使いこなしているだけならいい。いいんだ。けどそれだけじゃエヒトの奴には勝てない)

 

 既に空間魔法と生成魔法、魂魄魔法も取得しているだろうとミレディは考えている。

 

 まず空間魔法に関しては彼ら全員がどこからともなく道具を取り出しており、それがおそらく宝物庫によるものだろうと推測していたからだ。ならば当然付与のためにも生成魔法は持っているだろうと結論づけている。

 

 また髪の毛があまり痛んでいないことからおそらく“界穿”を使ってどこかの拠点に移動しているのではないかとも思っていた。表のライセン大峡谷で魔法で水を出し、汚れをふき取るよりはそちらの方が余程自然だと感じたし何より髪の毛がベタついてるようには見えなかったからだ。

 

(何度か出したゴーレムも自立して動いてた……でもまだまだ。あの程度じゃ脅威になんてなりえない。あれぐらいの完成度だと昇華魔法も使ってない可能性もあるかな)

 

 そして魂魄魔法に関しては何度か出したゴーレムが勝手に動いたように見えたのが原因だ。映像に写っている挑戦者達は今大量のゴーレムとエンカウントして戦っている。そのゴーレム達は自分が利用している感応石――特定のものを遠隔で操ることが出来る鉱石を利用して操っているものだ。しかし彼らが出したゴーレムを操る素振りは見えなかったからである。

 

(確かにここは魔法使いにとって天敵の場所だし、手に入れた神代魔法を使って対処するのもわかるよ……けれどさ、君達はそれに頼り過ぎてないかい?)

 

 自分が操っているゴーレム軍団を容易に切り捨てていく様子からして、おそらく“斬羅”辺りも付与されているのだろう。ユウカという名前の少女が持つ投げナイフやコースケとやらが使う細い反り返った剣を見てミレディはひとり結論付ける。だからこそミレディは両手を握りしめていた。

 

(……ここは私が軽く目を覚まさせてあげないとかな。もし仮にエヒトの奴を倒すのが目的だとしたらこのままじゃたどり着けない)

 

 エヒトを倒すためならばただ神代魔法を集めるだけでは足りない。彼らには“極限の意志”を持ってもらわなかればいけない。そうでなければエヒトを倒せないのだ……そしてミレディはただ彼らに不安や期待を抱いただけでなはかった。

 

(それにさ……君達真剣なの? いちいち拠点に戻って体洗うなんて贅沢なことやってる場合?)

 

 かすかな苛立ち、これも彼らに対してミレディは抱いていた。彼らを見ててどこか甘いように思えたのだ。

 

 本気で攻略するつもりならば拠点に戻るためにいちいち神代魔法を使うのか? ただでさえ魔力の消費の激しいこの場所で無駄遣いなんかするのか? 野営のための準備を整えて攻略にあたるのではないか? 彼らの肌や髪の汚れからどこか本気ではないのではないかと彼女はイラついていたのである。

 

(……そういえばあのシズクって子、やたらとコウキって子や家族とベッタリだったね。アレーティアって子もだけどさ、緊張感無さすぎないかな)

 

 それだけではない。コウキという名前の少年が率いるグループの中にいるシズクそしてアレーティアという少女の存在をミレディは冷めた目で見ていた。

 

 アレーティアという子はダイスケと、シズクという少女はコウキとシュウゾウそしてキリノという男女と常にベッタリな様子である。ちょくちょく頼っている相手に意識を向けている二人のその様子からして、その相手がいなければ何も出来ないような人間ではないかと勘繰ったからだ。

 

(覚悟の足りない子を連れてくなんてさ、舐めてるの? それで攻略出来るって本気で思ってるならさ……心底私達を馬鹿にしてるとしか思えないんだけど)

 

 そんな人間を連れても攻略出来ると思っているのならばそれは驕りでしかない。場合によってはその鼻っ面をへし折る必要があるだろうともミレディは考えていた。

 

「まぁいいさ。君達と対面すればわかる話だし。ミレディさんがマジメに戦えばいいだけだしね」

 

 またしても振出しに戻り、ため息を吐いている挑戦者達を見ながらミレディはひとりごちる。全ては自分が()()で相対すればわかるだろう。そう結論を先送りにしながら。

 

(もし君達がコレクション感覚で皆の遺したものを集めてるんだとしたら――ここで潰す。絶対に。それだけは許せない)

 

 だがもし、彼らが遊び半分で神代魔法を集めているのであれば?――そうであるならば何としても潰す。たとえエヒトに迫る資質があろうともだ。漆黒の決意を宿しながらもミレディはじっと挑戦者達を見つめているのであった……。




web版原作でも「ライセン大迷宮と最後の試練」で

>「目的は何? 何のために神代魔法を求める?」
>嘘偽りは許さないという意思が込められた声音で、ふざけた雰囲気など微塵もなく問いかけるミレディ。もしかすると、本来の彼女はこちらの方なのかもしれない。思えば、彼女も大衆のために神に挑んだ者。自らが託した魔法で何を為す気なのか知らないわけにはいかないのだろう。オスカーが記録映像を遺言として残したのと違い、何百年もの間、意思を持った状態で迷宮の奥深くで挑戦者を待ち続けるというのは、ある意味拷問ではないだろうか。軽薄な態度はブラフで、本当の彼女は凄まじい程の忍耐と意志、そして責任感を持っている人なのかもしれない。

ってあるんでコレクション感覚で集めてたり、戦う覚悟がない子を連れてるとかだとキレると思うんですよ(本日の言い訳)

それとライセン大迷宮の残りの話はこれから書き溜めるのでちょっと感覚が空くかもしれません。理由はもちろんミレディのヘイト管理ですね。マジで思いっきり憎まれる可能性があるので、なるべくポンポンと話を投稿してどうにか軽減したいと考えているからです。

あとお察しの通りミレディ戦の難易度上昇してます。EXハードとかマストダイ辺りに。では失礼。


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八十九話 現れた『壁』

ミレディ戦の終わりの目途が立ったので投稿します。単にもう我慢が効かなくなっただけとも言う(ォィ)

それでは拙作を読んでくださる皆様への盛大な感謝を。
おかげさまでUAも205076、感想数も715件まで伸び、またしおりも450件、お気に入り件数も922件と多くの方が待っていてくださったことがとてもありがたいです。

そしてAitoyukiさん、エイプリルフールネタを評価して下さり本当にありがとうございました。投稿してよかったと励みになりました。

では今回の話の注意事項として、とあるキャラへのヘイトが高まるかもしれません。では上記に注意して本編をどうぞ。


「皆、早く来てぇ~! 一番奥に行けるかも~!!」

 

 ライセン大迷宮の入り口近くで待機していた恵里達の耳に妙子のやや間延びした叫びが届く。自分達が突入するのはいつ頃になるだろうかと話し合ってた時に聞こえたため、弾かれたように六人は声のする方へと振り向いた。

 

「妙子さん!?」

 

「どういうこと!? 説明は!」

 

「ちょ、ちょっと後回しにしてぇ~! 開いてると、魔力が無くなりそぉ~!」

 

 声がしたのは入り口から一メートル足らずのところに置いてあったゲートホール、そこを起点に開いたゲートからだ。ゲートキー片手に軽く脂汗をかいている妙子の姿がそこにあり、苦し気な表情をしていたのもゲートの維持のためということに恵里もすぐに気づいた。

 

「今行くぞ菅原!――おい先生! 中村も谷口もボサッとしてんな!」

 

「アイツが必死に魔力注いでんだ! 突っ立ってる暇なんてねぇだろ! シア!」

 

「は、はいぃ~!」

 

 自分達をたしなめることを言うや否や信治と良樹が駆け出して行った。

 

 彼らの言う通り魔法が分解されやすいこの大峡谷と、ここ以上に分解作用が強い大迷宮を繋いでいるのだから当然魔力の減りは尋常ではないのは妙子の表情を見ればわかる。シアの手をつなぎながらゲートへと走っていった良樹と信治の後を追おうと三人はお互い向き合った。

 

「っ! わかった! ハジメくん! 鈴!」

 

「ま、待って! 今行く!」

 

「う、うん!」

 

 すぐさま恵里達もゲートへと駆け込めば、出たのは長方形型の奥行きがある大きな部屋だった。部屋の全容を把握しようとするが、衝突音や破砕音など誰かが戦っている音に気付いてハッとする。そちらへ全員そろって視線を向ければ、幸利達がハジメ謹製のアーティファクトを使って騎士のような奴らと戦っているのが見えた。

 

「ユキ、セットしたわ!」

 

「助かる!――食らいやがれぇ!」

 

 直径三十センチ、長さ一メートル半、後ろにクランクが付属したバズーカ砲のような見た目のソレから発射されたのは弾丸を模した岩の塊。それは何体もの鎧姿の相手を巻き込み、派手に吹き飛ばしていく。

 

「よっし命中!」

 

 どこぞのSDなガンダ〇のプラモに付属している、プラスチック製の弾丸を発射するバズーカやビームライ〇ルを基に作り上げた武器はちゃんとその力を発揮していた。ちなみに弾丸はここライセン大峡谷にある岩石三十キロを圧縮して作った代物である。

 

「次の弾丸装填するわよ!」

 

 ちなみに三十キロもの岩を飛ばすために使ってるのは巨大かつ強力なバネだ。それを元のおもちゃのように押し込んでセットするのは手間がかかるため、専用のクランクが付属しているのである。尤も、全身の力を使わないとチートなステータスの恵里達でもクランクを回せないため、最悪使い捨てを想定している武器であった。

 

 幸利の横にいた優花はナイフを一度投げると、すぐにクランクに手を伸ばし、思いっきり踏ん張りながらそれを回していた。

 

「有象無象程度が群がろうと!」

 

 優花と幸利がマトモに戦えない状態ではあったが、そこは奈々と浩介が対処していた。剣と盾を構えて接近した相手は“深淵卿”を発動した浩介が流れるような動きで愛刀『黒曜』を振るって難なく切り捨てている。

 

「深淵卿はどう、浩介君!」

 

「深淵の極みまで至れば我の影を幾億も並べてみせよう! しかし半ばの今では影は霧散し、深淵の力も形無しといったところか!」

 

 魔力を体に纏うことによって身体能力を向上させる仕組みである“限界突破”は、この大迷宮の持つ魔力の分解作用によって()()無意味となる。それは亜種ともいえる“深淵卿”も同じだった。分身だってほんの一瞬で消えると前に述べていた。

 

「されど我が深淵を捉える者なし!」

 

 とはいえ彼の口ぶりからして“限界突破”よりはかろうじてマシだと恵里は考える。本当に無意味であるならどこかのタイミングでそれを切っているからだ。実際“深淵卿”を発動してない時よりいくらかマシな動きはしており、今もゴーレム騎士を切り捨てている。まぁその香ばしさは変わらないと思いつつ奈々の方へ視線を向けた。

 

「じゃあ今度は私の番! いっけぇー!」

 

 奈々も手に持ってたグリップ付きの金属製の大型の筒を向け、トリガーを引いてウォーターカッターを発射する。その正体は水系の中級魔法“破断”であり、この筒の中及び背負っているタンクの中にある水を使ってそれを発動していたのだ。

 

 魔法で空気中の水分を集めるよりも最初からある水分を圧縮してやる方が魔力消費が少なくて済むのでは? というアレーティアのアイデアを受けて作られた代物であり、発案者だけでなく天職“水術師”である奈々も装備していたのである。

 

「っと、浩介や幸利だけにいいカッコさせらんないよな!」

 

「応よ! 俺達も!」

 

 そう言うと同時に信治はクリオネモドキ対策に作った火炎放射器を取り出して炎をまき散らし、良樹は幸利と同様にクランク式のバズーカ砲をブッ放してゴーレムを破壊していく。

 

「は、はいですぅ!――どっせぇい!」

 

 そしてシアも宝物庫から取り出した直径四十センチ長さ五十センチ程の銀の円柱状の物体に魔力を流し、大槌へと変化させて接近してきたゴーレムの騎士をフルスイングする。これもまた“ドリュッケン”という名前のハジメが作った大槌型のアーティファクトであり、大迷宮攻略の日にシアに渡した代物だ。見た限りではちゃんと活用出来ている様子である。

 

「はい妙子。大丈夫? やれる?」

 

「うん。ありがとぉ~恵里ぃ~」

 

 他の面々の活躍を見つつ、恵里はハジメと鈴と一緒に空になった魔晶石に魔力を分割して流し込んでいた。魔力が溜まったソレを妙子に渡して回復してもらうと、またしても別方向から声が響いた。

 

「全員来たな! 閉じるぞ!」

 

「ごめん皆、遅くなった!」

 

「すまん、魔力の回復で時間かかった!」

 

「あ、あの! わ、私達は先に通路を進んで敵を排除しに行きます!」

 

 礼一が開いていたゲートから光輝達のグループも現れたのだ。合流が遅くなったことを口々に詫びると、アレーティアが述べた通りすぐに彼らは通路を進んでいった。

 

「私の魔力をある程度注いでおいた。足しにしておけ」

 

「サンキュー、フリードさん」

 

 ゲートを閉じた礼一にフリードが別の魔晶石を投げ渡す。こうして全員がここに来たことを確認すると、恵里は光輝のグループ以外の全員に不調がないことを確認してから全員に声をかける。

 

「ハジメくん! 皆! そろそろ先に進もう!」

 

「わかった! でもまだ厳しいなら安全を確保してから休憩を――」

 

 ハジメがその声に反応したその瞬間、異変が起きた。なんと数体のゴーレム騎士達がこちらに()()()()()、切りかかってきたのだ。

 

「どこからだよ!?」

 

「っ! 考えるよりもまず倒す!」

 

 このゴーレム達が再生能力を持っていることは光輝達からの報告で知っていたが、いきなり上から降ってくるのは知らなかった。ハジメ達も面食らった様子であり、いち早く我に返った恵里が宝物庫から手榴弾を取り出して振りかぶる。

 

「はい皆離れててー、よいしょー!――って、ぎゃぁああぁあ~~~~!?」

 

『どわあぁああぁ~~~!?』

 

 その声で全員通路の先へと押しかけ、投げた手榴弾が一回バウンドすると同時に大迷宮を揺るがさんほどのすさまじい爆発が起こる。“震天”を付与した空爆手榴弾――この『空爆』は『空間爆砕』の略とのこと by ハジメ――がゴーレムをしっかり粉々に粉砕してくれたのをながめながら恵里は爆発で吹っ飛び、逃げてた皆もその場で思いっきりぶっ倒れる始末であった。

 

「いだっ!?……うぅ、思った以上にすごかったぁ……」

 

「マジで死ぬかと思ったぞオイ!」

 

「鈴、次はちゃんと加減して付与するよ……」

 

 何ともしまらないやり取りをしつつも恵里達は立ち上がり、先に進もうとする。だがその瞬間、前方に何かが()()してきた。

 

「ゴーレム!? どうして!?」

 

 現れたのはこの通路に出てくるゴーレム騎士そのもの。すぐに恵里達は視線を上へと向けるが不審なところは見当たらない。それどころか後ろからガシャガシャと嫌な音が響いてくる始末だ。

 

「挟み撃ち、ってこと? 全然笑えないわ!」

 

「確かにここのゴーレムは壊してもすぐ直っちゃうけどぉ!」

 

「怯んでんじゃねぇ! 俺らならやれるだろうが!」

 

 優花も奈々も上ずった声を上げ、ヒステリーを起こしていたがそれを大介が一喝する。それと同時に二人だけでなく、ショックを受けてた恵里や他の皆もまたすぐに立ち直って武器を構える。この程度、オルクス大迷宮では当たり前なことでしかなかったからだ。

 

「“鉱物系鑑定”に反応なし! 多分神代魔法を使ってる!」

 

「重力でも操作してる、ってことだね! 了解、ハジメくん!」

 

 ハジメの報告を聞き、すぐに恵里は宝物庫からオルカンを取り出して引き金を引く。バシュウウ! と轟音を上げながら進んだロケット弾は二秒足らずでゴーレム騎士の群れに着弾。爆炎と共に吹き飛んだゴーレムは両サイドの壁や天井に激しく叩きつけられ、そのまま動かなくなったのであった。

 

「ウサミミがぁ~、私のウサミミがぁ~!! え、恵里ざぁ~ん……」

 

 なお、今しがた響いた爆音でシアは情けない悲鳴を上げながらうずくまっていた。亜人族で一番聴覚に優れた種族である兎人族故に、ウサミミをペタンと折りたたんで両手で押さえて涙目になって悶えていたのである。

 

「シアの鼓膜破れたらどうすんだ中村ァ!!」

 

「その時は薬使えばいいでしょ! はい行くよ! 光輝君達も前の奴らを倒してくれたみたいだしね!」

 

 耳に突っ込んだ指を抜きながら良樹がキレたが、恵里は薬でも使えばいいとのたまい、前方のゴーレム達を倒し終えた光輝達を見てとっととここを抜けるべきだと主張する。

 

「後で僕も一緒に謝るから! 今はごめん良樹君!」

 

「ったく、先生に恥かかせてんじゃねぇぞボケ!」

 

「あーもうわかった! わかったから! ボク一人で何度も頭下げるから!」

 

「……お前達はいつもこうなのか?」

 

「えーっとその、特例です。フリードさん」

 

 そうしてやかましく言い合いながらも恵里達は通路を駆け抜けていく。その間復活したと思しきゴーレム騎士達を相手取っては進むのを繰り返すこと五分ほど。遂に通路の終わりが見えた。

 

「全員、飛ぶぞ! フリードさんは誰かが補助を!」

 

『了解!』

 

 通路の先は巨大な空間が広がっているようだ。道自体は途切れており、十メートルほど先に正方形の足場が複数見える。背後からは数は少ないながらもゴーレム騎士達が落下しており、それらを迎撃し、躱しながら恵里達は通路端から勢いよく飛び出した。

 

「何人かで別々の足場に!」

 

 光輝の指示を受けながら走り幅跳びの要領で恵里達は次々と跳躍していく。大迷宮の魔力の分解作用により“空力”すらもマトモに使えない中、オリンピック選手を遥かに凌ぐ距離を恵里、ハジメ、鈴そしてフリードは一緒に跳んでいった。

 

「駄目ぇ!」

 

 ――空を漂う中、シアの叫びが恵里達の耳をつんざく。その瞬間、全員の身に異変が起きた。

 

「んなぁっ!?」

 

「わっ!?」

 

「きゃっ!」

 

「ぐぅっ!?」

 

 なんと恵里達は後方へ()()()感覚に襲われたのだ。

 

「ぐぇっ!?」

 

「ぁぐっ!?」

 

「ぐはぁ!」

 

 振り返る暇すらなくほんの一瞬で誰かと体がぶつかったような痛みが走る。その直後、今度はすさまじいまでの重圧が彼女達を襲う。

 

「な――がぁっ!!」

 

「から、だ、がぁ……っ!」

 

 見えないプレス機にはさまれて潰されるかのような心地であった。しかも手足どころか指一本すらマトモに動かないほどの押し込む力に何とか抗おうとするも敵わない。だがそれもほんの一瞬で終わった。

 

『宝物庫がっ!』

 

「してやられたかっ!」

 

「あ――か、返せコラぁー!!」

 

 ――持っていた武器、ホルダーに入れてた薬、そして宝物庫全ての喪失と引き換えに。それら全てが宙空へと飛び出し、一か所で塊になると同時にまばたきの間に下へと勢いよく落下していく。

 

「おいおい冗談だろ……」

 

「誰か武器は! 残ってる人間はいないか!」

 

「駄目だ! 俺の籠手も残ってねぇ!」

 

「薬も無くなってる! ど、どうしよう!」

 

「――やってくれたな、ミレディ・ライセンっ!!」

 

 ここにいる皆だけでなく恵里も冷静ではいられなくなってしまう。流石に大ボスを前に武器どころか薬すらも喪失するなんてシャレにならない。魔法ですら使えるのが中級が限界のここでこの状況はあまりに痛すぎる。恵里も頭をかきむしりながらただ叫ぶだけだった。

 

「何かが来ます! 皆さん、警戒を!」

 

 どうすればいいのかと誰もが迷っていたその時、アレーティアが叫ぶと同時に猛烈な勢いで何かが上昇してきた。それは瞬く間に恵里達の頭上に出ると、その場に留まりギンッと光る眼光をもって睥睨する。

 

「……冗談、キツいってば」

 

「これで戦えって?……正気かな?」

 

「おっきい……アレと……?」

 

「……これでは処刑と変わらんな」

 

 目の前に現れたのは宙に浮く超巨大なゴーレム騎士だった。全身甲冑はそのままだが全長が二十メートル弱はある。右手はヒートナックルとでも言うのか赤熱化しており、左手には鎖がジャラジャラと巻きついていてフレイル型のモーニングスターを装備している。

 

「あ、はは……これ、シャレにならないかな」

 

「光輝ぃ……」

 

「良樹、さん……」

 

 恵里達が巨体ゴーレムの存在に圧倒されていると、いつの間にかいなくなっていたゴーレム騎士達がヒュンヒュンと音を立てながら飛来して周囲を囲むように並びだした。整列したゴーレム騎士達は胸の前で大剣を立てて構える。まるで王を前にして敬礼しているようであった。

 

「やほ~、はじめまして~、みんな大好きミレディ・ライセンだよぉ~」

 

『……は?』

 

 ……今この場で無惨に殺されてもおかしくない状況の中、聞こえてきたのは巨大ゴーレムのふざけた挨拶であった。まるで家に来た友人を出迎えるような軽やかなトーンで声をかけられ、誰もが間の抜けた言葉を漏らしてしまう。

 

「あ、それともう一つお知らせ。君達の持ってた武器とアーティファクトはぜーんぶ没収させてもらったよ。若い子が道具に頼り切っちゃダメだぞ」

 

 しかし呆然としていられたのもそこまでだった。やはり自分達のものを奪ったのはこの女の声を出すこのゴーレムが原因だったのだと理解させられたからだ。それほどの力の差、あまりにも自分達に不利な状況。恵里も乾いた笑いが浮かんでしまう。

 

「あのねぇ~、挨拶もしたし君達のアーティファクトがどうなったかもちゃんと答えてあげたんだよ? だったら何かお礼の一つも返すのが礼儀ってものでしょ? 全く、これだから最近の若者はさぁ~」

 

 目の前にいる凶悪な装備と全身甲冑に身を固めた眼光鋭い巨体ゴーレムの嘆きに恵里達は何も言い返せない。燃え盛る右手と刺付き鉄球を付けた左手を肩まで待ち上げ、やたらと人間臭い動きで「やれやれだぜ」とでも言う様に肩を竦める仕草まで相手はしている。

 

「……それで、こっちの武器を奪って満足した? 解放者じゃなくて泥棒でも名乗ったら?」

 

「だな。追いはぎやっといて言うセリフがそれかよクソッタレ」

 

「我らを恐れるのは道理だ。深淵に至る我らに敵は無し……が、このようなやり口は心底気に障る」

 

「……わしらを試すというにはあまりに姑息としか思えんがな。武器を奪われた上で戦え、というのはあまりに卑劣ではないか」

 

 けれども言われっ放しは癪に触ると恵里は相手を()()()()()()ながら嫌味をぶつける。大介と浩介、鷲三もとげとげしい言葉を放ったりしていたが、向こうは右手の人差し指を立てながらこちらに事もなげに返してきた。

 

「まぁそう見えるよね――でもさ、君達は空間魔法、生成魔法、魂魄魔法は最低でも持ってるでしょ? それじゃあアッサリと試練を突破しちゃうじゃん」

 

 途中、立てた指で円を描きながら答える相手に恵里は思わず歯噛みする。完全に手札が割れており、その上でしっかり対策を打ってきたということだ。自分達の武器や道具を一つでも確保出来ていたらと思ったが、そうさせないために自分達に仕掛けて来たのだろうと察する。

 

「……そのゴーレムは特別柔らかい、ってことですか? そうじゃなかったら俺達の勝ち目がないんですけれど」

 

 光輝が問いかけるが、声のトーンがやや平坦なのと話し方からしておそらく腹を括るためのものだろう。そう考えて自分もどうやってこのゴーレムを倒そうかと恵里は考えていると、当のミレディとやらは親しい人間と雑談するような明るいトーンで答えてきた。

 

「ん~? もしかして楽できると思った? 残念でした~。今まで君達が戦ったゴーレムに()()()()ぐらい硬いよー。でもでも~、ミレディさんはちゃんと『試練』として君達と向き合うつもりだから」

 

 腰に両の手を当てるような仕草をし、胸を張るような仕草をしながらだ。やたらと人間臭い仕草をするこのゴーレムに思わず恵里は鼻を鳴らし、ミレディ・ゴーレムの()()やその周囲にいるゴーレム騎士の動きを観察しながらどうしたものかと考える。

 

(ハッ、よく言うよ。武器も魔法もロクに使えない中で倒せって? お前が遠くから操ってるのはとっくにバレてるんだよ)

 

 あまりにも無理ゲーなこの状況でどうやって勝つんだと思いつつも恵里はあるものを探っていた。それはミレディ・ライセンを自称するゴーレムのどこに『彼女の魂』が入っているかだ。

 

 もし仮にあの女の魂が入っているのならばそれを直接攻撃し、破壊してしまえばこの大迷宮は突破できる。だが貴重な魔力を消費しながら魂魄魔法で探ってもそれは一切見えなかった。代わりに人間の心臓にあたる部分に魔力の流れが集まってるぐらいだ。

 

(お供の武器でも奪ってそれで核になる部分でも壊せって? 本当にそれで勝てるの?)

 

 けれども恵里はその攻略法では()()勝てないと確信していた。それはこの大迷宮を進んでいた際に何度となく痛感したミレディ・ライセンの底意地の悪さからだ。これまで仕掛けられた罠の数々、それも一歩間違えばオルクス大迷宮を突破した自分達でも死にかねない凶悪さを放つものが幾つもあったのだ。判断が甘ければきっとここでも死にかねないと恵里は直感していたからである。

 

(そうなるとあのゴーレム辺りをぶつけるか、空間魔法による直接攻撃か。それか他に……うん?)

 

 浮いてるゴーレム騎士を叩きつけるなり、威力の減衰を覚悟で“震天”や“斬羅”で直接当てるか。せいぜいそれぐらいかと思った時、ふとあることが気にかかった。

 

(待った。じゃあ()()()()()はどうやってクリアするの? 多分あのゴーレム騎士も再生するだろうし、壊して武器を盗みながらなんて現実的じゃない)

 

 それは自分達のような()()()()()()()()()人間でなく、()()()()()()が攻略する場合はどうすればここを突破できるかということだ。自分達でも中級程度の魔法がせいぜいなのに、武器も魔法も大した破壊力のものがない状況でどうやってクリアするのか。

 

(じゃあ他に何かある――まさか!)

 

 ゴーレム騎士の持ってる武器程度で勝利させてくれるほどこの女は真っ当な神経をしてないだろうと考え、ならば他に何があるか――そう考えた時、恵里はこの空間に浮かぶ様々なブロックへと視線を移した。

 

「……一つお伺いします。お供のゴーレム、それと――」

 

「――周辺に浮かぶブロック、どちらを壊せばクリアするための手段が手に入りますか」

 

 そしてそのことは光輝とハジメも思いついていたようだ。やっぱりと思いながらハジメの方を見やれば、彼も目を合わせてゆっくりとうなずいてくれた。流石ハジメくんだとニンマリと笑みを浮かべつつ、恵里は眼前の巨大ゴーレムを倒すための方法を口にする。

 

「へぇ、そこまでもうわかったんだ! 正解はね――」

 

「「――浮かんでるブロック、違う/だろ?」」

 

 光輝とハジメの疑問に感心したのか、声のトーンを軽く上げたミレディが何かを答えるよりも先に幸利と一緒に恵里は答える。彼の方を見れば口の端を吊り上げて鼻を鳴らしており、ハジメ並に信用できるブレーンである彼と答えが一致したのなら確実だなと恵里はニィッと口角を上げた。

 

「……そっか。それぐらい頭回るんだね。やっぱり頭の面じゃ問題なさそうか」

 

 その瞬間、ミレディの声のトーンが最初の挨拶と同程度にまで下がった。腰に両手を当てるような仕草もやめ、軽く両腕を曲げている。声に今仕掛けてきてもおかしくない姿勢からして恵里は直感した。この女の仮面がはげたのだということを、こいつは自分と同類だったと本能で理解したからだ。

 

「じゃあさ、私の質問に答えてくれるかな」

 

「何を、ですか」

 

「……何を問うのだ。ミレディ・ライセン」

 

 そして抑揚に欠けた声で問いかけるミレディに光輝とフリードが問い返す。一体何を言ってくるかと思いつつも恵里はあちらの出方をうかがう。

 

「目的は何? 何のために神代魔法を求める?」

 

 噓偽りは許さないとばかりに威圧感の伴った声で問いかけてきた。それを聞いた恵里はやはりあの軽薄な態度はブラフだったと察し、何かを見定めようとしている今の姿が本質なのだろうと考える。

 

「決まってるよ――エヒトの奴を殺す」

 

 気に食わない答えならばきっと自分達を殺しにくるだろう。そのことも察しつつも恵里は先んじて答える。嘘偽りない本音を、大切な人間を踏みにじろうとするあの存在への憎しみを露わにしながら。

 

「何度も煮え湯を飲まされたし、アイツを放置して元の世界に戻ったらお父さんにお母さん、それと友達の家族が危険だからね。だからここで絶対に殺す」

 

 オスカー・オルクスの遺したメッセージから解放者の目的は知っている。だからその意に沿うものであり、自分達がしなければならないことを伝えていく。振り返ればハジメ達だけでなくアレーティアもうなずいており、シアも一拍遅れて首を縦に振っていた。

 

「……私は魔人族の国の奪還、全ての魔人族の救済だ。そのためにも貴様は倒す。ミレディ・ライセン」

 

 フリードも目的を伝えればミレディはただ短く『そっか』とつぶやいた。声の感じは先程と変わってない様子であったし、ひとまず即座に切り捨てにかかってくることは無いだろうと恵里が確信しているとミレディが再度言葉を紡いだ。

 

「私達の意志を紡いでくれるのは素直に嬉しいかな。そっちの魔人族の彼は君達と目的が別だけど別に構わないしね」

 

 その言葉を噛みしめるように何度も何度も首を縦に振っており、やはり大丈夫かと恵里は心の中でホッと一息吐く。そんな時、ミレディはあることを問いかけてくる。

 

「――でもさ、ふとした拍子に戦えなくなるような子を連れてくるのはどういうことかな? 馬鹿にしてる?」

 

 一オクターブ下がった声色が、燃え盛る右手を強く握りしめた音がこの球状の空間に響く。まるで首元に氷の刃を添えられたかと錯覚するかのように、先程とは比べ物にならないほどに威圧をかけてきている。呼吸を一瞬忘れるも、すぐに我に返った恵里は左腕を盾代わりに前に出した。

 

「わかるよね? そこのシズクって子とアレーティアって子だよ。ねぇ?」

 

「そ、そんなこと……そんなことないわ!」

 

「それ、は……」

 

 思わず二人の方を振り向けば、雫は軽く顔をこわばらせながらもすぐに反論していたが、アレーティアはやはり答えに窮して大介の後ろに回って彼を抱きしめている。やっぱり二人の弱さを見抜いていることに歯噛みしそうになりながらも、恵里は顔を上げて反論する。

 

「で? ウダウダ問答したいのそっちは。試練をするんじゃなかったのぉ~? もしかしてボク達に揺さぶりでもかけようってぇ~?」

 

「……それもそうだね」

 

 このままミレディと問答を続ければ二人が参ってしまうかもしれない。親友を傷つけようとするのは気に食わなかったし、アレーティアだって心強い戦力だと恵里は考えている。だからこそヘイトをこちらに向けさせようと挑発すれば、癪に障る言い方ではあったがあちらも追及を止めた。

 

「今私がするべきなのは試練だ。君達に後を託して大丈夫かどうか。それを戦いながら確かめればいいだけだからね」

 

 ゴーレムの頭をこちらへと向け、静かに、平坦なトーンでミレディは語っていく。今の今まで攻撃を仕掛けてこない辺り、()()になれば自分達はいつでも平気で潰せるのだろうという確信が恵里にはあった。何せこの部屋に入ってすぐ、『重力操作』と思しき魔法になすすべなくやられたのだから。

 

「じゃあ戦いを始める前に一つ忠告……そこの暗殺者君達。分身を出して自爆させまくって勝とうだなんて野暮なことはしないでね。でないと――“壊劫”」

 

 その凄まじいまでの実力差を恵里達は改めて実感させられる。

 

 突如ミレディ・ゴーレムの右手に黒く渦巻く球体が出現し、近くを漂っていた三メートル大のブロック一つを呑み込んだのである。ほんの数秒、金属がきしみ潰れる音がこの空間中をつんざいた。そして――。

 

「こんな風に()()からさ……君達はとっくに気づいてるでしょ? 私が操るのが重力を扱う魔法だってことに。さっきみたいに君達を意のままに動かすことも可能だよ。だからさ」

 

 ――球体が消えると同時に数cm程度の大きさのいびつな金属の塊が音も無く落ちた。

 

「失望、させないでよ?」

 

 あっという間に下へと消えた金属の塊を見て恵里は確信する。絶対に下手なことをしてはならない。そうなれば自分達は『挑戦者』でなく、『敵』としてああなってしまうと。

 

「ははっ……嘘でしょ」

 

 全員のつばを飲む音を聞きながら恵里は前世? のことを思い出す。かつてクラスメイトを裏切り、化け物と蔑んだ少年と対峙した時に感じた命の危機をだ。震えが、止まらなくなっていた。




ミレディ「アイテムなぞ使ってんじゃねえ!」

という訳でミレディ・ゴーレム戦EXハードモードです。ミレディアンチというかマンチ(マンチキン)というか。詳しくはggってください。

具体的に言うと某サルファのリアル女主人公で同難易度を選んだぐらいですね多分。これも詳細はggってください(他力本願)

あと重力魔法を直接ぶつけてこないからセーフ! アフターで浩介が挑んだのと多分大差ないし! 多分!! 続きは二日後となります。それでは。


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九十話 怒れる解放者

皆様お待たせしました。ミレディ戦の続きです。二日前に更新したばかりなので、まだ御覧になってない方はそちらをぜひ。

それと今回ちょっと長め(約11000字程度)となっているのと、またミレディへのヘイトが上がりそうな内容となっております。では上記に注意して本編をどうぞ。


「失望、させないでよ?」

 

 ライセン大迷宮の最奥、直径二キロ以上ある球状の空間でミレディ・ライセンの冷たい声が響く。ほぼ同時に皆のつばを呑む音もまた恵里の耳には届いていた。

 

(はは……冗談でしょ? これで勝てって? ……ふざけるな。ふざけるなよ!)

 

 幾つも神代魔法を持っていたせいでハードルが上げられたことを恵里は心の中で嘆いていたが、それが通じる相手じゃないことはもうわかってしまっている。先程の彼女の言葉と共に五十ものゴーレムの騎士が散開していったからだ。

 

「――皆! あのゴーレムに魂は無かった! あのクソ女、どこかから遠隔で動かしてる!」

 

 このままじゃなぶり殺しもいいところだと考え、恵里は振り返って叫ぶ。さっきの自分のように戦意がなえてしまったかもしれない皆を奮い立たせるために、ここを切り抜けて神代魔法を手に入れるために。皆を見れば誰もがハッとした様子であり、すぐに表情をひきしめたのがわかった。

 

「だな! 気合入れろシア!」

 

「は……はいっ!」

 

「まったく……お前達はこんな苦境を超えていたのか!」

 

「オルクス大迷宮の時がマシな気はしますけどね!――戦おう皆! 勝つんだ、ここでも!」

 

『うん!』

 

『おう!』

 

「承知!」

 

 自身の言葉でハジメ達の顔はすぐに真剣な表情になり、ほほを両手ではたいたり声を張り上げてそれに応じた。呆然としていたほんの数人もため息を吐いてから目を細めて表情をひきしめたり、動揺しながらもミレディが操る巨大ゴーレムの方に視線を向ける。これなら大丈夫と確信した恵里はすぐに前方へと体を向けた。

 

「……一番注目しなきゃいけなかったのは君の方だったかなぁ!」

 

 するとミレディも左腕を突き出し、モーニングスターを射出してきた。予備動作もなく猛烈な勢いで飛び出してきたため光輝が大声を上げる。

 

「散れぇー!」

 

 恵里もフリードの手を取ってハジメ、鈴と一緒に別のブロックへと飛び移った。さっき脅した時に語ったように重力を操作する魔法で方向を調整して“落下”させたのだろうと恵里は察する。

 

「……ふぅん」

 

「皆、まずはゴーレムの騎士に対処! 術師の皆は数人がかりで戦うんだ!」

 

 光輝の号令にうなずきつつ、恵里は周囲を見渡す。六メートルほど先のブロックの上で鷲三と霧乃が広げた翼をたたんでいたため、きっと二人が光輝と雫をつかんで空を飛んだのだろう。

 

 他の皆も無事に別のブロックに移れたようでホッとしつつも、今自分達のいるブロックへと迫っている四体のゴーレム騎士を見て恵里は構える。

 

「あっちの武器を奪ってから他のブロックを破壊しよう! それと破片とかは僕に渡して! 鈴と協力して“震天”が付与出来ないかどうかやってみるから!」

 

「「わかったよハジメくん!」」

 

「来るぞお前達!」

 

 流石に生成魔法での付与ぐらいは許してほしいと思いつつ、ハジメの提案に鈴と一緒に応じる。そしてフリードの声に内心うなずきながらもこちらへ“落下”してきたゴーレム騎士の盾の一撃をかわす。

 

「このっ!」

 

 四体全てが持っていた盾を前に出して砲丸のように突っ込んできたが、動きが見えていたことで恵里達は難なく避けられた。だがその直後に騎士達は弾かれたような勢いで切りかかってきたため、オルクス大迷宮仕込みの回避技術で恵里はギリギリの所でかわす。

 

「“炎刃”っ!」

 

 半歩体をずらして振り下ろしの一撃を避けると、そのまま横へと動いた。そして相手の真横に立った恵里は右手を突き出し、相手の肘から十cm程度のところまで近づけて炎系初級魔法“炎刃”を放つ。

 

 目的は剣を持っていた腕の両断。いくら金属で出来ているからって関節部分は他と比べて頑丈だとは思わなかったからだ。

 

「“炎刃”! “炎刃”! “炎刃”! そらっ!」

 

 一度では三cm程度溶けたかどうかな程度であったため、更に三発連射して肘の半分ぐらいまでを溶断する。これ以上は魔力の無駄だと考えた恵里はすぐに“豪脚”で腕を蹴り飛ばした。半分程度しか残ってなければ腕を支える強度もないと見込んだからだ。

 

「――っ!! いっだぁ……」

 

 予想は的中。かなりの痛みを伴いながらも腕はもげて床代わりのブロックの上へと転がり、直後にゴーレム騎士も上へと“落下”していく。

 

「とりあえず武器は確保……と、ハジメくん! 鈴! フリード!」

 

 多分ここでも再生するというのはわかっていたが、こうして逃げた辺り材料がないと無理なのだろう。完全に倒しきれなかったことを口惜しく思いながらも恵里はハジメ達は大丈夫かと彼らの方に振り向いた。

 

「“聖壁・光散華”っ!」

 

「“崩陸”っ! でぇいっ!……い、痛ぃ」

 

 鈴は中級の防御魔法である“聖壁”を刃物に見立て、ゴーレムの両腕と頭に三つのバリアを突き刺すとそのまま爆破。ハジメも両手をゴーレムの腕に当て、“崩陸”で関節部を脆くすると自分と同様に蹴ってひじを破壊していた。

 

「万物は集い散りて成される 砕けたる金剛石 押し固められし砂――ふッ! いずれも天の理に従うものなり――ぬっ! しかし我が成すは天の理を覆すものなり!」

 

 一方、フリードの方も攻撃を避けながら詠唱に移っていた。解放者から伝授()()()()()()文言を連ねながら振り下ろした剣と叩きつけられる盾をかわしていたが、流石にこれでは集中できないだろうと恵里はすぐにハジメ達と目を合わせる。

 

「いくよ、ハジメくん、鈴っ!」

 

「うん! フリードさん!」

 

「今援護します! “聖壁・刃”!」

 

 自分の意を即座に汲み取ってくれた二人と息を合わせ、恵里は攻撃に移る。まず鈴が両ひざの裏へと二枚の光の花弁を飛ばして突き刺し、恵里はハジメと息を合わせてその花弁を一枚づつ蹴り抜く。

 

「「やぁーっ!!」」

 

 “豪脚”による一撃により浅く刺さっていた花弁は亀裂を入れながらも更に深く進んでいく。そして砕け散ると同時にゴーレム騎士の両ひざの両断に成功する。

 

「助かった!――あまねく存在を消し去る力 塵芥すら残さずうつろい失せよ 其は神の怒り 至高にして究極の無慈悲 裁きを受けよ――“分解”っ!」

 

 ズゥゥン! と音を立てて前のめりに倒れると同時にフリードは駆け寄り、剣を持っていた手に自分の手を重ねながら詠唱を終える。途端、カランと落ちる音がすると共にゴーレムの騎士は上空へと舞った。

 

「よし……これで武器は四つ確保したか」

 

 この大迷宮の中でも神代魔法は効果を発揮してくれたようだが、フリードが膝をついて肩で息をしている辺り魔力の消費は相当激しいのだろう。

 

 ただ発動するだけでも相当使うのだから、魔力の分解作用のあるここならなおさらかと思いつつ、こちらを見上げているフリードに恵里はため息と共に手を差し出す。

 

「はい手を取って。それと鈴、“譲天”使ってあげて」

 

「うん。お疲れ様ですフリードさん。“譲天”」

 

「……すまん」

 

 フリードの手を引いて立ち上がらせると、彼の腕に手を当てながら鈴は魔法であちらの魔力を回復させていく。

 

 “豪脚”など体の内部で魔力を展開する方の技能は特に問題なく使えるため、おそらく皮膚同士の接触で魔力のロスを減らそうとしたのだろう。すぐにフリードの顔色が良くなり、鈴もすぐに手を放した辺りあまり魔力のロスもなかったのではと恵里は考えた。

 

「はい。じゃあフリードさんももう大丈夫そうだし」

 

「うん。じゃあ僕と鈴は手に入れたゴーレムの腕に“震天”の付与を」

 

 そしてお互いサッと話し合うと、ハジメと鈴と顔を合わせてうなずき合ってから恵里は入手した剣を一本手に取る。そしてフリードと向き合って手を再度差し伸べる。

 

「じゃあボクはフリードと一緒にブロックの破壊ね。やれる?」

 

「これぐらいしか私にはやれんしな。やるぞ、恵里」

 

「オッケー。じゃあ行くよ。ハジメくん達のためにも武器を持ってこないとね!」

 

 フリードも剣を手に取ると、差し伸べた手を掴んだ。恵里はほのかに口元を緩めると、彼の手を掴みながら二メートル近く先にあるブロックへと向けて駆け出して跳んでいったのであった――。

 

 

 

 

 

「ぐっ! ぬぐぅ……!」

 

「くっ……流石に少々厳しい、ですね……っ!」

 

 恵里達や他の皆がゴーレム騎士に対処しながらブロックの破壊に移っていた一方、光輝達は苦戦を強いられていた。ミレディが操る二十メートル弱の超巨大ゴーレムの猛攻をドーム状に翼を広げた鷲三と霧乃がひたすらしのぎ、また次々と迫り来るゴーレム騎士を光輝と雫が対処していたのである。

 

「ふーん。流石に二人がかりだと両手じゃ簡単には壊せないかー」

 

 ミレディは特に何の感慨もないとばかりにつぶやきつつも攻撃の手を止めない。右手のヒートナックルで何度も叩き、左手のモーニングスターを容赦なくぶつけ続けている。そのせいか二人の翼には徐々に亀裂が広がっていた。

 

「くそっ! このっ! 数が!」

 

「お祖父ちゃん! お母さん!」

 

 倒して奪った剣を半ば使い捨てる形で光輝と雫は集まってくる他のゴーレムを切り捨てている。だが一体切り捨てては二体が、二体倒しては三体が、と次々と現れるせいで包囲されて動けないでいた。しかも下手に隙を作れば鷲三と霧乃に向けて武器や盾を投げるなりしてくるため、二人はそれに追われてしまっているのである。

 

「やれやれ。この程度で泣き言言ってちゃダメだよ~? だってあのクソ野郎の手駒はこんなに弱くも少なくもないんだからさぁ~」

 

 淡々と言葉を連ねながらもミレディは攻撃の手を緩めることなく鷲三と霧乃の翼の結界にヒビを入れ続けていた。だが大振りで右手を叩きつけた後、『けれど』と述べるとミレディ・ゴーレムと他のゴーレム騎士も弾かれたようにその場から離れる。

 

「ちょっとワンパターン過ぎて飽きちゃうよねー。だからさ、これはどうかな?」

 

 そう述べた直後、上からすさまじい勢いでブロックが降ってきたのだ。しかもそれだけではない。

 

「――横から!」

 

「ほーら。逃げないと潰れるか押し出されちゃうぞー。がんばれー」

 

 更に横からもブロックが突っ込んできたのだ。すぐに光輝達は剣を複数拾ってから後ろに浮かぶブロックへと逃げ、体勢を整えようとした。

 

「また上から!」

 

「騎士以外は複数動かせないけれど、単に落とすだけならどうとでもなるからねぇ~。ほら、逃げないとぺちゃんこだぞぉ~」

 

「だったら!」

 

 しかしミレディがつぶやくと共に再度ブロックが降ってきたのだ。すさまじい勢いで頭上から落ちてくるそれに対し、光輝達は顔を見合わせるとすぐに上を向いた。

 

「このまま逃げの一手を選んでも勝てそうにないのでな!」

 

「私達も戦うとしましょう!」

 

「うん! お祖父ちゃん、お母さん! 光輝ぃ!」

 

 ゴーレム騎士から奪った剣を鷲三と霧乃に渡すと、すぐに四人はそれを構えて迎撃に移った。まず二人が分解作用のある翼を出してブロックを押さえ、勢いが弱まると同時に持っていた剣でひたすら切りかかる。

 

「“分解”――うぉおおぉぉぉぉ!!」

 

「「「はぁあぁぁああ!!」」」

 

 時折“分解”の魔力も載せながら何度も切り結べば、ゴーレム騎士の剣全てとブロックが砕け散ると共に黒い剣や槍などの武器が破片と共に現れる――それを見て光輝達全員が表情を緩めた直後、巨大な影が横から迫って来た。

 

「しまっ――!」

 

「ちょっと気が抜けすぎてない?――じゃあこのまま死んでもらおっか」

 

 大きく右手を構えたミレディ・ゴーレムが目の前に現れたのである。ブロックへの攻撃に専念していたせいで反応が遅れ、再度飛んで逃げるにしても直撃は避けられない。ならばと鷲三と霧乃は翼を広げて光輝と雫を守ろうとした。

 

「それはこっちのセリフだボケぇぇーー!!」

 

「くたばれですぅー!!」

 

「うぉっとぉ!?」

 

 だがその瞬間に横から良樹が黒い短剣、シアが黒い剣でミレディ・ゴーレムの横っ面をひっ叩いた。最高のタイミングでの横やりにミレディ・ゴーレムは軽くのけぞってしまい、向こうの攻撃は空振ってしまう。それを見るや否や、そのまま落ちていく彼らへと向かって鷲三は飛び立った。

 

「全く、無茶をする!」

 

「危なかったぁ……って、しなきゃ皆潰れてただろジイさん! 礼ぐらい言いやがれ!」

 

「た、助かりましたぁ……こ、このまま落ちて地面のシミになっちゃうかと」

 

「……まぁ感謝しておる。戻るぞ」

 

 口ぶりからして後先考えずに突っ込んできたのだろう。叱り飛ばした鷲三だったが、反発する良樹と軽く顔を引きつらせながら涙を浮かべるシアを見てため息を吐いた。そして二人を抱えたまま、すぐに光輝達のいるブロックへと戻っていく。

 

「心臓が止まるかと思ったよ……でも助かった。ありがとう良樹、シアさん」

 

「そうよ。本当に驚いたんだから……」

 

「でもあの時飛び出さなかったらお前ら死ぬかもしれないって思ったらよ……」

 

「心臓潰れるかと思っちゃい――皆さん、左へ!」

 

 光輝と雫が心底心配そうに二人を出迎えるも、ハッとした顔つきのシアに全員が反応して左へと飛びのく。ほぼ同時に巨大なモーニングスターが足場代わりにしていたブロックにぶつかり、壁へと吹っ飛んで激突してしたのだった。

 

「やれやれ。そこのクサいウサちゃんも厄介だねっ!」

 

「く、くさ――ブッ倒してやりますよぉ!」

 

 エグい悪口と共にミレディ・ゴーレムが右のヒートナックルを振り下ろせば、光輝達はすぐ後ろにあったブロックへと飛び移る。臭いと言われてシアも剣の切っ先を向けながらキレたが、飛び移ったと同時に襲い掛かって来たゴーレム騎士の対処に追われる。

 

「ったく! これじゃあ流石に――」

 

「打つ手なし、か!」

 

 持っている武器の切れ味と強度が高いおかげで何体ものゴーレム騎士を難なく倒せてはいるが、時折ブロックも迫ってくる。その破壊にも努めなければならず、壊した時には上や左右から無傷のゴーレム騎士が襲い掛かってくる。

 

「やれやれ。オーちゃんの大迷宮を突破した君達ならこの程度のハンデなんて余裕だと思ったんだけどね。期待外れだったかな」

 

「何がハンデですか! 武器も道具も奪われたらどうにも――」

 

「それだよ」

 

 直接ミレディを叩くことが出来ず、誰もが悔し気に表情を歪める中で当の相手がやれやれといった様子であった。左手のモーニングスターを腰に近づけ、人差し指だけを立てた右のヒートナックルを兜に向けながらつぶやいたミレディにシアが反発するが、その直後に感情の乗ってない言葉が彼らの耳に届く。

 

「あいつはこの程度で済ませるほど優しくなんてないよ。それもわからないのかい? 今私と君達がやっているのは()()でしかない。こんな生ぬるいもので弱音を吐く程度じゃ駄目だって言ったんだよ」

 

 時折声のトーンが落ちつつも語るミレディの言葉に、光輝達はゴーレム騎士の攻撃をいなしながらも歯噛みする。エヒトが厄介であることは新参者であるシアであっても良樹達の口から聞いている。だがその程度の認識では、この程度の強さでは勝てなどしないと言われても光輝達はただゴーレム騎士を倒すしか出来ずにいた。

 

「オーちゃん達の大迷宮をクリアして、どうやって至ったかはわからないけど神代魔法の真髄まで知って、それで浮かれてただけでしょ――エヒトを倒すって言った割にさ、私達やあのクソ野郎が既に知っているものではしゃいでる程度じゃね」

 

 そして驚きと失望の混じった声で思いを告げて来たミレディに光輝達の手が一瞬止まり、大きな隙を晒してしまう。その隙を逃さなかったゴーレム騎士に押し込まれ、またミレディの方も左手のモーニングスターをこちらに向けたことに()()()気づく。

 

「戦える手段を奪われてもなお抗い続ける。それすら出来ないような人間に用は無いから。じゃあね」

 

「――クソッ!」

 

 ゴーレム騎士ごと潰さんとばかりにモーニングスターを射出してきたが、光輝達は迎撃も逃げることも、反論することすらも出来ずにいた。苦々し気に鷲三と霧乃が再度翼を展開しようとしたその時、ハジメの叫びが彼らの耳に届いた。

 

「くらえぇー!!」

 

 奥からキラリと何かが光るとほぼ同時に、巨大なトゲ付鉄球へと腕のようなものが飛来する。ドン! とけたたましい音と共にモーニングスターは弾かれて斜め下へと行き、何かを砕いたような音を聞きながらも光輝達はゴーレム騎士を倒していった。

 

「さっきからふざけたこと言って――いい加減にしなよクソ女がさぁ-!!」

 

 聞きなれたヒステリーと共に現れた彼女達を見て光輝達はホッとしてしまう。もう恵里達が武器を携えて合流してきたのだ。たったそれだけで彼らの顔はみるみるうちに明るくなっていく。

 

「恵里……あぁ! 行こう皆!」

 

「うん! 皆がいるなら私達だって!」

 

「だな! セコい手使ってエラそうにしてやがるババアに言われっぱなしでたまるか!」

 

「はいですぅ! 思いっきりほえ面かかせてやりましょう!」

 

 光輝が言葉をかけると共に雫が、良樹が、シアが声を上げて武器を構え直す。その様を見て鷲三と霧乃はほほが緩みそうになるのを抑えられなかった。

 

「……わしらがいなくともこの子達は立派になってくれてたな」

 

「えぇ……少々寂しいですが、私達も気を抜いてはいられませんね。お義父さん」

 

 次々と集結していく子供達を見て表情を緩めた二人だったが、すぐに手にした短剣を構えてミレディと向き合うのであった――。

 

 

 

 

 

「さっきのは“震天”を付与したゴーレムの腕かな。魔力の消費も激しいのによくやるね」

 

「友達を助けるためですから」

 

「それで切り札になりそうなものを使っちゃうかー。ま、その友情は素敵だと思うよ」

 

 とっさのハジメの行動にだけは本気で称賛した様子であったが、その前の感心したようなつぶやきに関してはあちらの声のトーンはほとんど変わってない。

 

 先程光輝達に好き勝手言った癖に勝手に幻滅したミレディへと恵里は視線を向ける。見れば仲間達も超巨大ゴーレムを取り囲んでおり、種類こそ違えど全員漆黒の武器を手にしているのがわかった。

 

「言ってくれるじゃん。何もかも知ったような口でさぁ」

 

 目の前のゴーレムを叩き潰す準備が整ったということがわかり、ならばと恵里は先んじてミレディに不満をぶつける。

 

「あっさりボク達に囲まれて、しつこく雫達を狙っても倒せない。かなり悔しかったんじゃないのぉ〜?」

 

「……ふーん。言うじゃん。否定はしないよ。否定はね」

 

 正直嫌味の一つでも言ってやらなきゃ気が済まなかったのだ。戦闘に移ればそれを言っている暇なんてないというのはわかっていたし、あちらのメンタルに少しでも揺さぶりをかけようと考えたからでもあった。

 

「それと直接やり合った訳じゃないけど、あいつの厄介さはしっかり理解してるよ。だからこそ必死さを感じないそっちに幻滅したんだけどね」

 

「ハッ、アイツに対面したことも無いくせによく言うよ」

 

 やれやれといった口ぶりで返してきたミレディだったが、恵里の告白と共にあらゆる動きがピタリと止まる。流石にそればかりは想定外だったのだろう。恵里は額にしわを寄せ、口元を吊り上げながら自分のことを語っていく。

 

「この世界に来て早々ボクは神の使徒に連れ去られてるし、神の使徒と戦ったこともそれなりにあるしね」

 

「この世界……なるほど。違う世界、か。やっぱり。名前からして違うと思ったよ」

 

 恵里がそう述べれば、あちらも納得をした様子を示した。手にした神代魔法も筒抜けだったのだから当然かと思いつつもひとまず出方をうかがう。まだミレディも動く気配が無かったし、ここで下手を打って相手が殺す気になっても困るからだ。

 

「あいつ、そこまでやれるんだ。ま、神を自称するだけあるか……だったらさ、どれだけあいつが厄介かぐらいは皆理解できてるはずでしょ?」

 

 するとミレディが苛立ちを含んだ声で問いかけてきたため、皆の舌打ちや歯ぎしりをしたであろう音を恵里の耳が拾う。当然わかっていたつもりではあったが、さっき光輝達のところへと向かう際に言っていた言葉が脳裏に浮かんでしまったせいで言い返せない。

 

『エヒトを倒すって言った割にさ、私達やあのクソ野郎が既に知っているものではしゃいでる程度じゃね』

 

(悔しいけど……悔しいけど事実だ。ボク達がわかったことをエヒトの奴がわからないはずがない。それぐらい簡単にやれるってことは頭の片隅にでも置いておくべきだった)

 

 はるか昔、解放者達が戦っていた時代からエヒトはいたのだ。ならば自分達が手にした神代魔法の真髄だって既に知っていてもおかしくなんてない。

 

 自分達をこのトータスに引きずり出したことや自分のいる領域、神の使徒が“分解”を使えることを考えれば、空間魔法だけにしても自分達を凌駕するほどの腕前なのはわかってしまう。

 

(変成魔法だって、ボクの一番得意な魂魄魔法だって、アイツはボク達の遥か上であってもおかしくない。ったく、どれだけ思いあがってたかがよくわかるよ!)

 

 神の使徒の製造に変成魔法も、神の使徒に空間魔法を授けていることや魂一つで存在している可能性も考慮すれば魂魄魔法だって自分達のはるか先に至っているだろう。お釈迦様の掌の上でいい気になってた孫悟空の気持ちもよくわかると悔しさで顔をしわくちゃにしていればミレディが更に追撃してくる。

 

「さっき言ってくれた君、それとシュウゾウとキリノって人達は特にわかるんじゃないの?……体を神の使徒に近いものにされたみたいだしね」

 

 その言葉を聞くと即座に恵里は雫の方へと体をひねった。やはり雫の顔は青ざめており、軽く背中を丸めた彼女を光輝達や浩介が取り囲んでいる。とりあえず四人が体を支えているから気絶しない限りは大丈夫かと思いつつ、ミレディの方に振り向けばまたも容赦のない言葉を浴びせてきた。

 

「どうせそこのシズク、って子がやたらべったりしてるのもその二人が関係してるんでしょ? きっとそこの二人が家族とかで、エヒトに操られてひどい目に遭ってたから。でしょ?」

 

「この……っ!」

 

 どうして雫が顔面蒼白になっているかの理由もわかった上で追求してきたのである。歯がひどくきしむ音がしたことに気づかぬまま、良心が少しはとがめないのかと恵里が言い返そうとしたその矢先であった。

 

「あ、あぁ……」

 

「誰かのために戦った奴が言うんじゃねぇ! ふざけるんじゃ――」

 

「そうだよ――私達も仲間たちをエヒトに操られた。方法は違うだろうけど君達の同類だからね」

 

 自分が言うよりも先に叫んだ龍太郎に対し、ミレディはただ淡々とそう答える。途端、この空間の中で張り詰めていた空気が霧散したような気がした。

 

「あいつの策略を退けて、手を差し伸べて、そうして増やしてきた仲間がさ……ある日敵になったんだよ。あいつの駒の力でね。私達は討てなかった。君達はその不幸にどうにか抗えたようだけどさ」

 

 虚空を見上げながら語るミレディに恵里もハジメ達も何も言葉を返せない。ミレディが受けたその苦しみはかつてオルクス大迷宮の最奥で生成魔法を授ける際の映像で知っているからだ。

 

「お、おかあさん、おじいちゃん……」

 

「雫! 雫、しっかりするんだ! 雫!」

 

「師範も霧乃さんも何やってるんだよ! 雫を気遣ってやってくれよ!」

 

 あの時はそういうことがあったのかと思った程度だったが、鷲三と霧乃が操られて戦うしかなかった過去を経た今は違う。その言葉がひどく重く感じてしまい、遠くから聞こえる雫を気遣う光輝と浩介の叫びもあって恵里は思わずうつむきそうになる。

 

「だから私達はそれぞれ大迷宮を用意して待っていた。私達の代わりにあのクソ野郎を倒す逸材がいつか現れるのを待つために……覚悟も持たないまま、ここまでやれる人間が現れたのは想定外だったけどね」

 

「覚悟って……僕達は――!」

 

「雫だって覚悟して――」

 

「あるわけないでしょ。君達にさ」

 

 祈るように、待ちわびるように遠くを見ながら語っていたミレディだったが、こちらに視線を落とすと同時に声色から強い失望がハッキリと感じられた。そのことにハジメや鈴達が怒りをあらわにしたものの、ミレディは更に怒りの込めた声で恵里達を否定する。

 

「私からの問いかけで簡単にくじけるような人間を連れて、特定の相手を執拗に狙っただけでうろたえるような子を連れてきてさ、馬鹿にしてる? あいつが見え見えの弱点を狙わないはずがないでしょ?」

 

 その問いかけにも恵里は何も言えなかった。その通りだったからだ。

 

 いくら分身とはいえ鷲三と霧乃に殺された雫の精神がほんの半月そこらで治るはずがない。そんな雫を連れてこの大迷宮を訪れたのだ。モノによっては雫が命を落とす可能性だってあった。そのことを考えてなかったことをさっきから何度も突かれていると感じ、反論出来なかったのである。

 

「それ、は……」

 

「……その通り、じゃな」

 

「私達が、全て……」

 

「仲間を見捨てられない? 可哀想? そう思うのは立派だけどね、だったら尚更連れてくるってのは間違いじゃない?……大事に思うにしたってやり方ってものがあったでしょ」

 

 さっきの言葉に()()が言いよどんでしまい、更なるミレディの追及に恵里の頭は真っ白になってしまう。戦力の低下、仲間内の不和を招く可能性などそういった計算が先に来ていたが、今のミレディの言葉で本当の自分の思いに気付いてしまったからだ。

 

(ボクは、馬鹿だよ……どうして、どうして今まで気づけなかったのさ)

 

 あふれてくるのは雫への思いだった。雫と離れたくない。傷ついてもなお戦おうとする彼女の力になりたい。仲間外れにしたくない。仲間外れにして悲しませたくない。彼女をいたわる思いがずっとそこにあったことにやっと気づけたのだ。

 

(ボク、間違ってたのかな……あいつの言う通り、光輝君達ごと雫を遠ざけておくべきだったのかな)

 

 けれどもミレディの言う通り、それが彼女を死なせてしまう要因となったら? あの時は分身だったが本人が死ぬようなことがあったら?――今となっては大切な幼馴染で、()()の一人の命が失われる可能性を考えれば嫌われてでも遠ざけるべきだったかもしれない。うつむいた恵里の顔から涙がこぼれ落ちる。

 

「そんな……私、私は……っ!」

 

「そんな震える手でエヒトが倒せるとでも思ってる?……どこまで失望させてくれるの」

 

 雫が懸命に叫ぶ声が聞こえたが、ミレディの方には微塵も届いていない。むしろこちらに対する侮蔑が一層強まった様子であり、大きなため息も聞こえてしまう。

 

「もういいや……()()()にはがっかりさせられたよ。今ここで潰す。私達の願いを継がせる資格なんて――」

 

 遂にミレディの声に()()が伴ったことで恵里はすぐに顔を上げる。このままでは確実になぶり殺しに遭う。けれど重力そのものを操る相手にどう戦う? どう立ち向かう? すぐには結論が出ず、どうすればいいと軽いパニックを起こしそうになっていたその時であった。

 

「……言いたいことはそれが全てか、ミレディ・ライセン。だとすればこちらとしても興ざめだな」

 

「言うじゃねぇかフリードさんよぉ……ま、俺もだけどなヒスババアが」

 

 フリードが、良樹が失意と侮りを露わになった声をミレディへとぶつけたのである。




対ミレディ戦は次回で終了の予定です。投稿は明日を予定しております。


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