BLOOD RAGE (天野菊乃)
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赤眼ノ悪魔
魔獣


はじめまして。
天野菊乃と申します。
この度、ブラック・ブレットの二次創作に挑戦してみようと思い、書かせていただきました。

原作未読の方は1度ブラウザバックして原作を読んだ方がいいと思います。


 激しい炎の中、青年は地面に倒れ伏していた。

 頭に金属片が突き刺さり、顔面は真っ赤に染ってしまっている。

 手足の感覚がなく、意識も朦朧としていて思考が纏まらない。

 

「 ───ッ!」

 

 だが視界だけは妙にクリアで、夜色の髪の少女がこちらを見ながら何かを叫んでいた。

 あれが一体誰で、声がどんなものだったのか。

 2年経った今でも、俺はあいつが何者なのかを思い出せない。

 

 

 日本列島の離れにある小さな孤島。通称『監獄島』。

 とある囚人を捕らえておくために設立されたその監獄は、ガストレア大戦と同時に崩壊したアルカトラズ島*1をモチーフに設立された。

 経歴のある民警しか立ち入ることを許されておらず、その理由はその奥にいる怪物に食い殺されてしまうという噂があるとかないとか。

 序列1568位、藤堂翔太は自分のパートナーである如月知音と共に黒い金属の門の前に立った。

 

「君が今日来ると言われていた民警の?」

「はい、藤堂翔太です」

 

 門を守護していた警備員は翔太の民警ライセンスを確認すると、携帯端末と懐中電灯を手渡した。

 

「ここに来たということはご存知の通りだと思いますが、ここから先は常識が通じません。奥にいるバケモノになにかされそうになったら逃げるか、命を絶つか。二択を選択してください」

「……わかりました」

 

 翔太の言葉に警備員は小さく頷くと、門を開けて翔太たちを中に招き入れる。

 照明の類は一切なく、人の息遣いと靴の音が妙に響き渡る空間だった。

 採光窓すらなく、鉄格子すらもない。これが、本当に監獄島だと言うのかと疑いたくなってくるほどだ。

 

「私は外におりますので、何かあればそちらの端末を。中で待機している警備員があなたを助けに行きます」

「なるべく使わないようにしますがね」

 

 翔太はでは、と言うと懐中電灯の灯りをつけてゆっくりとその足を踏み出した。

 

「……」

 

 先が見えないほど長い道のりを、懐中電灯の灯りを頼りに進み続けている。

 ここの道のりはアルカトラズ島とは打って変わっり、収監者たちの野次が飛び交ったり、殺気を浴びせられたりはしない。しかし、この異様な静けさが余計に警戒心を上げてしまう。

 翔太は自身の心の内を見抜かれないように知音に語り掛けた。

 

「大丈夫か?知音」

「はい───でも、すごく寒気がします」

「ここからは更に気を引き締めろ。ま、さっきの警備員さんが言っていたとおり、この奥の部屋は警備システムが厳重らしいから、心配は必要ないかもしれないが……」

 

 呪われた子供たちと呼ばれる彼女は、とあるウイルスにより超人的な治癒力や運動能力など、さまざまな恩恵を受けている。

 

「……そんなところなら、私を連れてくる必要はなかったのでは?」

 

 ジト目で問いかけてくる知音に「ペアじゃなきゃここには入れないんだよ。書いてあっただろ」という翔太。

 再び黙り込んだ二人だったが、ふと知音は疑問に思ったことを口にした。

 

「……どうして民警しか入れないのですか?」

「どうしてそんなことを聞く?」

「だって、民警じゃなくたって警察ならその怪物を捕らえておくことくらいは出来るはずでしょう?ガストレアなら、バラニウムの檻の中に入れておけばいい訳ですし」

 

 翔太は数秒沈黙してから唸るような声で呟く。

 

「鉄檻を力ずくで突破しようとした奴だ。警察じゃ止められない。それに、バラニウムの檻でもくたばらない」

「……奴?その言い方だとまるで人間みたいな」

 

 一拍置いて、翔太は言い放った。

 

「……そうだ。ここは、たった一人の人間のために作られた監獄の島だ」

「……ッ!?」

 

 それもそのはず。もしその話が本当だとしたら、この奥にいる人間には普通の人間が持ち合わせている常識が通用しないということになる。

 超人的な力を持っているとはいえ、知音は人間。檻を突破しようにも力が足りない。

 

「……まあ、今では高圧電流が流れている独房に移されたらしいから、その心配もないがな」

 

 軽い口調を叩きながら道を進む。

 進めば進むほど道は深い闇を作り、翔太の手元に握られている懐中電灯の一筋の灯りではとてもじゃないが、心許ない。

 

「……その人は、一体誰なんですか?」

 

 翔太の隣にいた知音が身を震わせながら呟く。

 無理もないだろう。知音はまだ子供だ。

 

「お前は今年で何歳になる」

「10歳です……それがどうかしたんですか?」

「なら当時8歳か……それなら仕方ない」

 

 翔太は生唾を飲み干しながら呟く。

 

「2年前、民警の男が───たった一人の男が起こした豪華客船の大量虐殺事件は知っているか?」

「ええ、知ってますけど……」

 

 知音は首を横に倒すと、それがこれと何の関係が?と言いたそうな目で翔太を見つめた。

 翔太は語った。この先にいるであろう、その怪物の正体を。

 

「この奥にいるのはそいつ───IP序列元二〇位の『ビースト』こと御影竜胆。二年前、その大量虐殺を繰り広げたバケモノだ」

 

 この先に『何』が居るかを知った知音は堪らず息を呑んだ。

 

「……ミカゲ、リンドウ」

 

 小さく声を漏らした。

『御影竜胆』の名を聞いたその瞬間、怯えている様子の方が目に映った。

 同時に、パニックに陥って無闇矢鱈に攻撃を仕掛けないという利点もある。

 御影竜胆の存在を知っているならば話は早い。不要な問答をしなくて済むのだから。

 だがそれでもなにか言葉を紡いでおかなければ気が持たない。

 現に、御影竜胆の言葉を口にした翔太の腕は、僅かにだが震えているのだから。

 

「……知っているのか?」

「……勿論ですよ、民警という存在に悪い意味で多大な影響を及ぼした最悪最凶のプロモーター。最初は洗脳されたと言われていましたが、彼が行っていた行為が露見されると、メディアが一斉に非難を始めたとかで。今でもたまに取り上げられたりしてますよね」

 

 知音も何かを話しておかなければ気が持たないというだろうか。暗くてよく分からないが、声が上ずっているのは聞き取れた。

 

「……意思疎通が出来るのに、平気な顔で人間を殺せる。私にはその意味がわかりません」

 

 あれから二年が経過し、世間が御影竜胆に対する評価はこうだ。

 人間離れしたパワーと身体能力、二丁の拳銃を用いて何百という人間を殺害する。その姿は狂気じみていて、とてもじゃないが会話が通用するとは思えない。

 戦闘と殺戮を好む獰猛な獣。それが世間の御影竜胆に対する評価だ。

 

「……ついたぞ」

 

 進んだ先にはなんの装飾も施されていない金属製の扉が立ち塞がっていた。

 より一層禍々しさを醸し出しおり、翔太たちの緊張感が高まる。今からでも引き返したいこの場所こそが彼らの目ざしていた場所だった。

 

「ここから先は何が起こるかわからない。だから、いつでも戦闘態勢に入れるようにしておけ、知音」

 

 腰に納められたニューナンブ拳銃に触れながら扉のロックを解除。額に浮かんでいた脂汗を拭いなら突入する。

 まずはじめに翔太たちを出迎えたのはLEDの眩しい光と、金属光沢を放つ異質な部屋であった。

 そして、その奥。恐らく高圧電流が流れているであろう柵の向こう側にいたのは、体の至る所に錠を嵌められた黒髪の青年だった。

 簡素なベッドの上に横たわっており、その上微動だにしないので死んでいるのではと疑ってしまう。

 

「あれが……御影竜胆」

 

 翔太は震える声で呟く。

 今まで色々な人間を見てきた翔太だったが、ここまで異質な気持ちを抱いたのは生まれて初めてだった。

 まるで、意識が濃密な霧に包まれたようなそんな感覚に陥る。

 

「……ッ」

 

 この男をここで殺さなければならない。そう錯覚してしまう。

 翔太はニューナンブ拳銃に手を伸ばしたまま、息を漏らした。

 

「……何してんだ、俺」

 

 仮にここでこの男を殺せたとして、翔太にとってはなんの意味もない。デメリットの方が大きいだろう。

 答えの出ない迷いにとらわれ、硬直していた。

 その時だった。眠る竜胆の目が僅かに震えた。

 

「……数日ぶりの客が、まさかお前とはな」

 

 脳髄を刺激するような、低く冷たい声。

 感情をまるで感じさせない声に、翔太は体を強ばらせた。

 

「───時は来た、か。俺の拘束を解け」

 

 露わになった瞳は、どんな人間の目にも見出したことの無い、深い赤色だった。

 磨き上げた宝石をそのまま瞳に埋め込んだような、妖しい輝き。

 その瞳を見た瞬間、途方もない寒気と焦燥感に駆られた。

 相手は拘束された人間だというのに、翔太はパニックに陥っていた。

 あまりにも異質だった。到底人間の瞳とは思えない。そう、まるで翔太たち民警が敵として認識している寄生生命体───ガストレアと同じ色をした()()()。違う点をあげればその瞳には明確な感情が篭っていることだろう。

 この感情は見たことがある。これは紛うことなき───殺意。

 

「……出せ、だと?そんなことが出来るわけないだろ」

 

 柵を介して竜胆との会話を試みる翔太。あくまで監視だ。これ以上、ここにいるわけにはいかない。

 そんな翔太に、竜胆は眉間に皺を寄せた。

 

「お前は黙って俺をここから出せばいい。そうすれば、命だけは助けてやる」

 

 それだというのに翔太は竜胆との会話が長引いてしまっている。なぜだろう、とても嫌な予感がする。

 翔太はニューナンブ拳銃を握り、臨戦態勢を取る。

 そんな翔太を見つめた竜胆はやれやれと言わんばかりに首を振ると、その瞳を僅かに細めながらボヤいた。

 

「……。交渉決裂だな」

 

 簡素なベッドの上で竜胆は足を組みながら、知音を見つめた。

 すると、知音は瞑目。口を小さく開いた。

 

「……どうやら、そのようですね」

 

 刹那、翔太の顔面に鋭い痛みが走った。

 後方に吹き飛び、扉に直撃。背中から嫌な音が鳴り響く。

 痛む身体に鞭を打って横に落ちた端末を拾おうとするも、その端末ごと知音に踏みつけられてしまう。

 

「知音……おまえ、一体どういうつもり───」

 

 知音は翔太の口元に人差し指を当てると、妖しく笑った。

 

「藤堂翔太さん。残念ながら、私はあなたのイニシエーターではありませんよ」

 

 知音が首の部分に左手を当て、皮を摘んだ。

 そのまま上へ引き剥がすと、中から現れたのは見知った知音の顔ではなかった。

 

「どうもはじめまして。とても弱い民警さん。私は(たいと)アリア。モデル・レオのイニシエーターです」

 

 金色の髪。翡翠色の瞳。顔立ちは整っているものの、その精巧さが不気味さに拍車をかけていた。まるで人形のような面立ち。それが、目前の少女に抱いた第一印象だった。

 

「急拵えで変装したのですが、ここまで上手くいくとは思いませんでしたよ」

 

 アリアは聞いているだけで歯の根が鳴るような不気味な笑い声を上げる。

 

「……待て。知音は……知音はどうした?」

 

 喀血しながら翔太が言うと、アリアは年齢不相応の笑みを浮かべながら言った。

 

「皮を被るために美味しくいただきましたよ、ええ」

「……殺した、ってことか……!」

「ええ。本当は型を取るだけで良かったのですが、お気に入りの武器を壊されてしまったので腹いせにこう、皮をグイッと」

 

 翔太から端末を奪い去ると、アリアはそれを地面に叩きつけ、力一杯踏みつけた。

 

「心配はないのですが、念の為。これで安心して、竜胆様を解放できます」

 

 アリアは竜胆が捕らえられている檻の近くまで歩くと、その檻に触れた。

 

「……!?高圧電流がなんで……!」

「私がなんの対策もなく来るわけないでしょう」

 

 電気の柵ということだけあって、強度は大したことは無い。簡単に捻じ曲げて人一人通れそうなほどの穴を作るアリア。

 その間をなんの躊躇いもなく竜胆は潜り抜けた。

 首を数回回してから竜胆は翔太が握っているニューナンブ拳銃に視線を映した。妖しい光を放つ赤い瞳で、竜胆は翔太を睥睨する。

 

「……巫山戯ているのか?」

 

 慌てて腰のホルスターに収めようとするも、僅か数瞬で奪い去ってしまう。

 呆気にとられている翔太に、眉一つ動かさずニューナンブ拳銃を睨めつけていた。

 そして───。

 

「お前本当に民警か?こんな玩具で人間を殺せると本気で思っているのか?」

「……人を守るのが民警の仕事だろッ!」

 

 痛む身体に鞭を打ち、立ち上がる翔太。

 そんな翔太を嘲笑うかの如く、竜胆は肩を竦めて言う。

 

「分かってないな、人を殺すのが民警の仕事だ」

「何を言っているッ!?」

 

 竜胆は溜息をついて赤い目を伏せた。

 

「……。わからないって言うなら、それがお前の限界だ」

 

 言いながら竜胆は翔太の胸元向けて発砲。鉛玉が描く軌跡が、翔太の胸元に吸い込まれていった。

 

「あがっ!?」

 

 続けて引き金を引く。翔太の右足、腹、左肩から血が吹き出る。

 苦痛に呻く翔太の髪を掴みながら、竜胆は言う。

 

「まさか、こういう使い方をするためにこれを選んだのか?」

「……ッ!!」

「……話にもならないか」

 

 赤い瞳を伏せながら竜胆は息を吐いた。

 翔太を地面に投げ捨てると、最後の一発を天井に向けて発砲。翔太の足元にニューナンブ拳銃を放る。

 

(たいと)アリア。こいつの処分はお前に任せる。煮るなり焼くなり好きにしろ」

「そんなことをしなくても彼はどの道死にますよ?」

「言葉を変える。この男を殺せ」

「畏まりました」

 

 アリアは息も絶え絶えな翔太に覆い被さるように身を寄せた。

 

「最後に一つ……今度生まれ変わる時は、私たち道具から目を離さないようにするのですよ?」

 

 翔太の両頬を包み込むように手を這わせるアリア。そのまま口を大きく開くと、アリアは翔太の首元に噛み付いた。

 

 

 

 数時間後。監獄島は原因不明の爆発によって消滅。

 

 その死亡者リストには藤堂翔太と如月知音、そして数名の警備員の名前が記されていたが、その中に『御影竜胆』の四文字はなかった。

 

 

 

魔獣/Demon Beast

 

 

 

「今回のガストレアは小物だったな!蓮太郎!!」

 

 帰り道、モヤシ二袋に卵一パックしか入っていないエコバッグを揺らしながら里見蓮太郎と藍原延珠は歩いていた。

 明朗快活を体現化したようなこの少女に、蓮太郎は目線を向けた。

 

「……ガストレアはガストレアだろ。大物も小物もねえよ」

 

 蓮太郎は手にしていたビニール袋を小さく掲げると、ため息を吐いた。

 タイムセールで報酬を受け取り損ねた挙句、社長にこっ酷く叱られ、そのタイムセールは見事惨敗。蓮太郎は堪らずがくりと肩を落とした。

 

「まあそう落ち込むな!次がある!!」

 

 延珠はこう言ってくれてるが、報酬を受け取り損ねて叱られるのは既に一〇を越えている。ついてねえなあとボヤきながらボロアパートへの道を歩いていると、携帯端末からけたたましいアラート音が鳴り響いた。

 んだよ全くとボヤきながら、携帯端末を取り出し内容を見て絶句。思わず歩を止めてしまう。

 

「蓮太郎、どうしたのだ?そんな浮かない顔をして」

「……いや、なんでもない」

「……?変な連太郎」

 

 蓮太郎はふるふると首を振ると、ポケットに携帯端末を放り込んだ。

 携帯端末の文字にはこう記載されていたのだ。

 

【死刑囚、御影竜胆の脱走】

 

 と。

 

 

 

 

 

 

 

 誰かが言った「人を恐怖させる物の条件」は三つだと。

 

『人語を介さない』『正体不明』そして、『不死身』。

 

 18世紀中頃に現れた怪物、『ジェヴォーダンの獣*2』はそのうちの二つを有していた。

 

 人間ではない。それだというのに残虐非道な行為を繰り返し、その正体は謎の包まれている。

 この生き物の伝えられた殺害方法は捕食動物としては異常で、獲物の頭部を標的にし、普通ならば狼やライオン等と捕食動物が狙う脚や喉を全く無視していた。

 獣が狙うは頭部。大体は砕かれるか食いちぎられていたという。

 

 オオカミやハイエナ、ハイブリットウルフといった説があるが、ナマケグマや狼男という説もある。

 そんな正体不明の獣だったが、目撃した人間たちは口を揃えてこう言うのだ。

 

 ───獣の背中には、黒く長い一筋の縞模様がある、と。

 

 

 そして、21世紀現在。

 

 悠久の時を経て、災厄の獣は再びこの世に生まれ落ちたのだった。赤い瞳を宿した、一人の人間として。

*1
アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ湾内、サンフランシスコ市から2.4kmのところに浮かぶ面積0.076k㎡の小島である。昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1963年まで連邦刑務所として使用されていた。

*2
18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方に出現した謎の生物。1764年から1767年にかけマルジュリド山地周辺に現れ、60人から100人の人間を襲った。




御影竜胆
性別:男
年齢:24
誕生日:6月19日
星座:双子座
身長 188cm
体重 80kg
所属:脱獄犯

【備考】
元IP序列20位の民警。二年前の記録なので、今ではさらに下の可能性あり。


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魔人

竜胆のセリフの修正『2021/04/02』


 ───とある科学者は言った。

 彼の男に未来は与えてはならない。明日を夢見ることを許してはならない。

 男がその事実から目を逸らそうとするほど、その現実は目前にやってきた。

 男には、地獄に堕ちる以外の選択肢は残されていなかった。

 

 だから男は自分の中の人間性を捨て、鬼となった。

 それが鬼に残された、たった一つの生き残る術だったのだ。

 

 

「入るよ、竜胆」

 

 ノックもせず自室の扉をあけられた竜胆は、不機嫌さを隠そうともせず、入ってきた金色の髪の少女を睨みつけた。

 

「……今日の仕事は終わった筈だ。用がないならとっとと失せろ」

 

 自室のソファでワインを煽っていた竜胆の目前に少女は椅子を置くと、その目前に座り込んだ。丁度見ていたニュースが見れなくなってしまい、邪魔だと言うも少女はどこうとしない。

 

「おい」

「話したらすぐ出るから。付き合ってよ」

「俺は話したくねえと言ってるんだ」

「竜胆はさ、ここでは無い別の世界に行けたら何をしたい?」

 

 ワイングラスを投げつけてやろうと振りかぶった腕を止め、竜胆は少女の言葉に疑問の声を漏らした。

 

「……ガストレア(バケモノ)共が存在しない世界に、そういうことを言っているのか?」

「そうそう。この侵略者(インベーダー)たちが蔓延らない、人間と動物たちの世界。つまりは私が産まれる前にあったと言われてる過去の世界。もしそんな世界に行けるとしたら、竜胆はどうしたい?」

 

 竜胆は、ネクタイを弛めながら天井を仰いだ。

 竜胆にとって過去も現在変わらないのだ。

 目前の少女くらいの年頃の時には既に武器を片手に数え切れないほどの人間を手にかけていた。

 ウィルスによって怪物(ガストレア)に変貌した人間ではない。見ず知らずの人間だっていたし、親しくしてくれる人間だって少なからずいた。

 

「……」

 

 嫌な記憶を思い出した、と竜胆はワイングラスを煽った後、僅かに首を振った。そして小さく息を吐いてから目前の少女を見つめ直す。

 

「なら聞かせろ。お前は一体、どうしたいんだ」

「どうしたい、とは?」

「ああ、俺にそんなこと聞くということは、さぞ大層な夢を持っているんだろう」

「……私の、夢……はそうだな」

 

 少女は一瞬目を閉じてから、その面持ちをゆっくり上げて竜胆に笑いかけながら言った。

 

「私は、海を自由に泳いでみたい」

 

 そんな少女の言葉に竜胆は堪らず吹き出した。

 

「はっ!笑わせるなよ、まだ一〇も行ってないクソガキが、随分とちっさな夢だな!!」

「ちっさくなんかない!」

 

 嘲笑った竜胆に腹を立てて立ち上がった少女は立ち上がる。

 しかし竜胆が真正面から威圧すると、若干たじろぐような動作を見せてから少女は渋々椅子に座り直した。

 

「……だってほら、海ってガストレアだらけじゃない?」

「浅瀬なら問題ない。それに泳ぎたいなら市民プールにでも行きゃいいだろうが」

「私は海の中を見たいんだよ。写真とか映像じゃなくて、本物の海。サンゴ礁とか、魚の群れとか」

「贅沢言うな」

 

 真っ向から否定しにかかる。そんな竜胆の様子に苛立ちを隠せずにいた少女は椅子を竜胆に近づけた。

 竜胆の眉間の皺が一層深くなる。

 

「邪魔だ」

「……ねえ、竜胆も教えてよ。もしこんな世界じゃない、別の世界に行けるなら何をしたい?」

「今と変わらない。今まで通り人間だろうとガストレアだろうと邪魔なものはすべて消す。それだけだ」

「じゃあ、こうしよう。殺す必要がなくなったら。竜胆はどうしたい?」

 

 そんな質問が来るとは思ってなかった竜胆は手にしていたワイングラスを思わず握り潰してしまう。中に入っていた年代物のワインが、竜胆のシャツを汚していく。

 

「あーあー勿体ない。高かったんでしょ、それ」

「……チッ」

 

 舌打ちをつきながら竜胆は真っ赤な液体が滴る自分の掌を見つめてから、瞑目した。

 

「……さあな。退屈しなけりゃなんでもいい」

「あはは、何にも思いつかなかったんだ?」

 

 何も言い返せなかった竜胆は、ボトルに入ったワインを一気飲みする。

 そのまま不貞腐れたように目を背けた様子を見て、少女はクスリと笑った。

 

「じゃあさ、答えが出たら教えてよ。ね、竜胆」

 

 そう笑いかけてくれた少女に、なんて言葉を返したのか。どういう表情を浮かべていたのか。

 もう、何も思い出せない。そして、数年経った今でも俺はその答えを出せずにいる。

 

 

 

 

 

「……、…… ───ッ!」

 

 嫌な汗にまみれて竜胆は目を見開いた。

 飛び上がって周囲を見渡すと、独房とは違う生活感溢れる部屋が竜胆の視界に飛び込んできた。

 

「……ここは?……ああ、そうか」

 

 そういえばと竜胆は思い出した。

 監獄島を爆破してから、既に数日が経過していた。アリアに言われるがまま案内された竜胆は、そのまま備え付けのソファに転がり込んで───そこからの記憶が一切ないことに気づく。外出もしていないのに加え、情報収集等もろくに出来ていないため寝ることしかしてないの方が性格もしれないが。

 額にこびりついた脂汗を手の甲で拭うと、消え入りそうな声で呟いた。

 

「……また───同じ夢か」

 

 恐らくは自分が民警として働いていた時の記憶だろう。だが、その少女の顔と名前がまるで思い出すことが出来ない。

 医師曰く、頭部に突き刺さったまま摘出できていない無数の破片が脳に支障をきたしているらしい。そのせいか、記憶も曖昧で朧気だ。

 今はまだ辛うじて覚えているが───時間の問題だろう。すべて燃え尽きて戦うだけの怪物になるのはそう遠くないはずだ。

 寝る前に着替えたワイシャツの袖を捲り、一息つく。

 

「……ッ!」

 

 そこで漸く視線に気づいた竜胆は、殺気の籠った瞳で視線が向けられている方を振り向いた。

 そこに居たのはビニール袋を片手にギターケースを背負ったアリアだった。

 アリアは一瞬目を丸くさせていたが、直ぐに歳不相応の表情を浮かべると、人差し指を自身の唇に当てた。

 

「一〇数時間の眠りからおはようございます、竜胆様。おはようのキスしてあげましょうか?」

「小便くせぇただのくそ餓鬼が、戯言ほざいてんじゃねえよ」

 

 顔立ちは悪くないのだが、如何せん年齢の差が大きい。訴えでもされたら確実に敗北するだろう。

 

「まあ。減るものじゃないでしょう?こんな美少女にモーニングキスしてもらえるなんてそうそうありませんよ?」

「鏡を見て来い。もしそいつを名乗りたいのならあと四年は老けて出直してこい」

「四年経ったら竜胆様は二八……なんということでしょうか、犯罪臭がさらに酷くなりますね。尚更した方がいいと私は思いますけどね」

「そんなくだらねえことほざいてるんじゃねえ。俺はしないって言ってるだろ」

「私の育った環境ではこれくらいは普通なんです」

 

 得意気な表情を浮かべながら顔をほころばせて言うアリアを見て、竜胆は怒気を放った。

 

「いい加減にしろ、殺すぞ」

「わかりました」

「……」

 

 物分りがいいのか悪いのかよく分からない。それがアリアに抱いた印象だった。

 武器が手元にあれば今すぐにでも殺してやりたいところだが、生憎と竜胆の手の届くところに武器がない。それでもやろうと思えば殺せるのだが、それは後々面倒なことになるので、なるべく考えないようにする。

 

「……」

「なんです?」

「なんでもねえよ」

 

 竜胆はアリアの顔を数瞬睨めつけてから、彼女の装いに気づいた。

 戦う気がまるでないのである。

 赤いマフラーに黒いダッフルコート。その下はセーラー服、タイツはガーターベルト留めされているコスプレ紛いの服を着こんだアリアは、伊達眼鏡に縁取られた瞳*1を何度も瞬かせながら呟いた。

 

「どうです?私の数ある服の中で割とお洒落な部類に入る服です」

「……。やる気あるのか?」

「デザインは重視していますが、組織に作らせた戦闘もできる便利服ですから、その辺はご心配なく」

 

 言いながらアリアは手に持ったビニール袋を竜胆に手渡してきた。

 中を見やると、無数のおにぎりと500mlのペットボトル。竜胆は無言でそれらに手を伸ばすと食べ始めた。

 

「……礼は言わんぞ」

「大丈夫です。これも経費で落ちますから」

 

 言いながらアリアは竜胆の真横に座って一言。

 

「さて、一段落ついたところで」

「俺はついてないが」

「自己紹介をしませんか?」

「……」

 

 竜胆は明らかに鬱陶しげな表情を浮かべ、黙々とおにぎりを口にしていた。

 アリアはビニール袋を掻っ攫うと再度言い放つ。

 

「自己紹介をしましょう。竜胆様」

「……ナンセンスだ」

 

 不快感を一切隠そうとせず、竜胆は舌打ちをついた。

 

「そんな態度をとってもダメです」

 

 アリアは胸を張りながら言う。

 

「いいですか、私たちはこれから一心同体。つまりパートナーなんです。ならば、お互いのことをちゃんと知っておく必要がある。違いますか?」

「それがどういう経緯で自己紹介に繋がるのか、理解に苦しむな」

「言葉を使って自己紹介をする。それが人間に許された行為だからですよ、竜胆様」

 

 執拗に迫ってくるアリアに気圧されながらも、しばらくどうにか逃れようとしていた竜胆だったが、やがて諦めたのか小さく息を吐きながらやれやれと首を振った。

 

「自己紹介は勝手にしていろ。話だけは聞いてやらんこともない」

 

 竜胆がそう言うなり、アリアは飛び上がるように立つと、姿勢を正して自己紹介を始めた。

 

「私の名前は(たいと)アリア。年齢は内緒です。好きな食べ物は和菓子で嫌いな食べ物はありません。身長145cmで体重は秘密です。スリーサイズも内緒です。そして一応モデル・レオのイニシエーターということになっています」

「……」

 

 頭が痛くなりそうな自己紹介だった。

 実際、アリアについて分かったのは名前くらいだった。互いのことをよく知った方がいいと言いながらこの少女は自らの情報をまったく公開しなかった少女に、なんとも言えない感情を抱く竜胆。

 そんな竜胆の様子に気づいていないアリアは、満足げに数回頷くと、目を瞬かせた。

 

「……さて、次は竜胆様です」

「その前にひとつ聞きたいことがある」

 

 竜胆はうっすらと目を細めた。

 

「はい、なんでしょうか?」

「なぜモデル・ライオンと言わない?」

 

 レオはラテン語でライオンという意味を表す言葉だが、なぜそれを用いてきたのか分からない。竜胆は眉間に皺を寄せながら訊ねる。

 アリアから返ってきた答えは、なんとも言えない答えだった。

 

「それなら簡単です」

「言ってみろ」

「レオの方が格好いいじゃないですか」

 

 胸を張りながら答えるアリアに、竜胆は呆れたように息を吐いた。

 そんな竜胆の様子に気づいていないのか、アリアは続ける。

 

「それにしても日本人は面白いですよね。ライオンより獅子の方が読み方も書き方も格好いい。なのになぜ日本人は獅子ではなくライオンと呼ぶのか。理解に苦しみま───あいたたた」

 

 途中で言葉を遮られたのは竜胆に頭を掴まれたからである。

 万力のごとき力で掴まれたアリアは必死に竜胆の手から逃れようとするが、まったく逃げれる気配がない。

 竜胆は赤い瞳をアリアに向けて、黙れと言わんばかりに睨めつけた。

 

「龘アリア。お前の頭をこのまま握り潰してもいいんだぞ」

「予想の斜め上の答えに驚きが隠せません痛い痛い本当に割れちゃうんですけ───いたたた、本当に割れてしまいますって」

「そのまま割れてしまえ」

 

 このまま握りつぶしてしまおうかと考えたその時だった。

 外から爆音が鳴り響いた。

 竜胆はそちらへ目線をやり、その隙にアリアは竜胆の拘束から逃れた。

 頭の形が変わりました、だの責任とって下さいだの喚いているが、竜胆は無視して音のした方を見つめ続けていた。

 そして。

 

「おい」

「あ、はい。なんでしょうか」

「ここに戻ってくるまでの最中、何か見たか」

「何か、ですか?」

「ああ。些細なことで構わない」

「そうですね。パトカーに警察官と……学生服を着た人がいたような気がします」

「……ガストレアか」

 

 竜胆は口の端を歪めると、小さく呟いた。

 

 

【魔人/Demon】

 

 

 走り去っていく少年の影と、その後ろを仔犬のようについていく少女の影を見ながら、多田島は小さく息を吐いた。

 

「……モヤシ、だと?」

 

 助けてもらった礼でも言おうと思ったのだが、その言葉のせいか馬鹿馬鹿しくなっていた。

 呆れたような表情を浮かべながら煙草に手を伸ばそうとしたのその時だった。

 

「……!!」

 

 途方もない寒気を多田島を襲った。鋭利な刃物で全身を串刺しにされたような鮮明なヴィジョンが脳裏を横切り、手にしていた煙草か手のひらから零れ落ちる。

 身体に痛みが走っていないとはいえ、脳裏に焼き付いた光景はそうそう消えるものでは無い。

 強ばった体からは脂汗が滲み、金縛りにあったかのように動くことが出来ない。

 世界を滅ぼす者、と名乗った仮面の男とはまた一味違った形を持った殺意。これだけのものを放てる人間とは一体───

 

「爆音がした割には……随分と静かだな」

 

 低く錆び付いているがよく通る声が静かな住宅街に鳴り響いた。ただ一言口にしただけだと言うのに、多田島の緊張感が跳ね上がる。

 カツカツと靴底を鳴らしながらそれは此方へと着実に近づいていた。

 

「……ッ?!」

 

 立っていたのは黒髪の青年だった。

 ブランド物のスーツに黒の編み上げブーツ。その上から黒革のロングコートを羽織っており、髪の襟足には赤と白の羽のエクステが付けられていた。

 

「ガストレアは───なるほど、どうやら一足遅かったらしい」

 

 黒い頭髪の間から放たれる眼光は明らかに人間(ヒト)のそれとは違う、異質のものだった。

 夕暮れ時で辺りは暗くなってきているというのに、紅色の瞳は爛々と輝いており、数メートル先でも強力な圧力を感じる。

 視線に込められていたのはガストレアが既に倒されていたという落胆だろうか。青年は周囲を一瞥した後、腕を組んだ。

 多田島は青年が放つ圧力に押し潰されそうになりながらも、僅かに口を開くことに成功する。

 

「……他の、他の警察官たちはどうした」

 

 ここら一帯の封鎖はまだ解いていない。感染爆発(パンデミック)を防ぐ必要があったからだ。

 人が入れないよう、多田島以外の警察官が見張っていたはずなのだが他の警察官は一体どこに───

 

「ああ、邪魔だったんでな。ちょっと道を開けてもらった」

「殺したのか……!?」

「安心しろ、命までは奪ってねえ。寝てもらっただけだ───にしても無駄な時間を使っちまったな。せっかくの祭りだと思ったんだが……とんだ無駄足だ」

 

 青年が何かを言っているが、耳に入らない。

 この異様な緊張感は一体なんだろうか。先程対峙したガストレアの方がまだ優しいと思えるくらい、目前の青年の存在は異質だった。

 何とか口に溜まった生唾を飲み干し、青年が次にどう動くか様子を見る多田島。

 青年は数秒考えるような素振りを見せたが、大きな溜め息を吐くと多田島の横を素通りする。

 

「お勤めご苦労様。俺はここで失礼させてもらうとしよう」

 

 青年は再度ガストレアの死体を一瞥すると、舌打ちをしながら現場から立ち去ろうとする。

 

「……待て!」

 

 距離が少し離れたことにより、幾分か圧力が薄れ、動ける様になると同時に多田島は青年に近づいてその肩を掴もうとした。

 

「砂利が」

 

 肩に触れる瞬間、振り向きざまに放たれた回し蹴りが多田島の腹に炸裂。

 今まで感じたことの無い衝撃が多田島の身体を駆け抜け、突風に煽られたボロきれの如く吹き飛ばされ、数メートル先のパトカーに直撃。警告灯が点滅する。

 青年は興味無さそうに多田島を見つめてから言い放った。

 

「その捕まえようとする意思だけは認めてやる。だが、お前のその行動は無意味かつ無価値だ。大人しく見逃してりゃ痛い目見ずに済んだのにな」

「……テ、テメッ!」

 

 堪らず息を吐き出すと、唾に血が混じっていた。今の直撃で肋骨が肺に刺さったらしい。

 霞む視界で青年を睨めつけながら多田島は呻いた。

 

「お前は、一体……」

 

 青年はすかさず答える。

 

「獣だよ。それもただの獣じゃねえ。文字通り地獄に落ちた、な」

「地、獄?」

 

 青年の言葉に眉を顰める多田島。

 

「嘘だと思うなら信じなくてもいいさ。どうせお前のような国家の狗には関係のないことだからな」

*1
要は謎のヒロインXオルタの装備




精神的に、竜胆は安定していないです。

次回『紅蓮:Crimson』


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紅蓮

 会談が終了した聖天子は小さく息を吐いた。

 こんな予定ではなかった。蛭子影胤という男が入ってくることさえなければ、穏便に事が進んだはず。これもまた、自分の実力不足なのだろうか───。

 意気消沈していたそんな時だった。凄まじい勢いで聖天子の私室の扉が開かれた。

 

「何事だ」

 

 菊之丞は入ってきた自衛官を睨めつけるも、直ぐに愕然とした表情に変貌し、聖天子は顔を青ざめて小さな悲鳴を漏らした。

 普通の人間ならまずありえない方向に左腕が曲がっており、胸には巨大な風穴が開いてる。加えて、僧帽筋部分が見事に断ち切られており、夥しい量の血が噴出していた。

 

「お初にお目にかかります。東京エリア国家元首聖天子様とその補佐官の天童菊之丞様」

 

 自衛官が倒れると同時に、背後から現れたのは小柄な少女だった。

 身の丈を優に超える鎌を背負い、返り血を浴びたのだろう、血だらけになったセーラー服が更に異様な雰囲気を醸し出していた。

 

「私はアリア。(たいと)アリア。モデル・レオのイニシエーターです。以後、お見知りおきを」

 

 アリアと名乗った少女は、微かに罅の入った赤い縁の眼鏡を「割れてるからもういらないですね」と言って踏み潰した。足で踏み躙ってから幾分か満足したのか、顔を上げて首を傾げる。

 

「どうかしましたか?そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をして。安心してくださいよ、別に取って食おうって訳じゃないんですから」

 

 そう言って笑いかけてくるも、返り血とその悍ましい雰囲気から狂った殺戮者としか見えない。いや、事実自衛官のひとりが無惨な殺され方をしているのだから、狂った殺戮者なのだろう。

 恐怖で完全に硬直してしまっている聖天子の代わりに菊之丞は訊ねた。

 

「……イニシエーターか。ここに何をしに来た。まさか聖天子様を殺しに来たのか?」

「そんなわけないじゃないですか。あなた方を殺すのならこんな回りくどい真似をしないで聖居ごと爆破してますよ」

「……なら、何の用だ」

「私のマスターがあなたがたを呼んでいます。着いて来てください」

 

 案内された場所は精緻な白い扉の前だった。金の装飾が施された取っ手の部分には血痕がついており、その下には頭蓋が陥没した人間の顔があった。

 

「……酷い」

 

 聖天子の口からそんな言葉が零れる。すると、アリアはぐるりと顔を回転させた。

 

「可憐なお花にはこの光景はキツすぎましたかね。ですが、ここから先はもっと覚悟しておいた方がいいかと」

「……可憐なお花とは、私のことですか」

「あなた以外この場所にはいませんよ」

 

 言いながら扉をゆっくりと開けるアリア。そして、そこに広がっていたのはあまりにも凄惨な光景だった。

 レッドカーペットの上に数人の人間が無惨に転がっており、大理石の階段は血で染っていた。

 脈を確認しなくても分かる、死んでいる。

 頚を折られた者、頭を握り潰された者、身体に無数の銃痕が刻まれた者───これが、人間の死に方なのかと疑いたくなる光景に、思わず息を呑んだ。

 そしてその頂上。本来ならば聖天子が優雅に腰掛けている筈の玉座の上には、黒衣の男が腰掛けていた。

 

「───予想外のハプニングに随分と手間取ったようだな」

 

 オットマン代わりに積み重なった人間の亡骸を使用しており、ワイングラスを傾けるその姿は魔王を彷彿とさせる。

 もし魔王が存在して、人間の姿をしているのであれば、きっとこのような行いをするに違いない。

 

「先代ならもう少し上手くやっていたがな、三代目聖天子」

 

 黒い頭髪から覗く赤く鋭い眼光に貫かれた聖天子は思わず生唾を呑んだ。

 明らかに異常だった。目前の男から感じられる雰囲気は人間のそれではない。先程の蛭子影胤の方がまだ人間味があっただろう。

 しかし、玉座に座る男からそれは感じられない。あるのはあまりにも純粋で、濃密な殺気。全身が串刺しにされたのではないかと錯覚してしまう程だ。

 

「……どうしてあなたがここに」

 

 男は悪辣な笑みを浮かべながら、やれやれと言わんばかりに首を振る。

 

「名前くらい呼べよ、失礼な国家元首殿だな」

 

 頬杖をつきながら目を細める黒衣の男。

 この空間を支配するほどの重圧に動けなくなってしまった聖天子。冷や汗を垂らしながらも辛うじて動けた菊之丞は、聖天子を守るように立つ。

 菊之丞は黒衣の男を静かに睨めつけると、喉を震わせた。

 

「……やはり貴様か、御影竜胆。一体何をしに来た?態々捕まりに来たわけではあるまい」

「俺を捕まえる?ボケ倒すにはまだ早すぎる年齢だろ、天童菊之丞」

「……!」

「そう怒るんじゃねえよ。相変わらず気の短いクソジジイだな」

 

 竜胆と呼ばれた男は聖天子の方に視線を戻すと「思い出すな」と言いながら足を組む。

 

「数年前はまだ乳臭い餓鬼だったお前が、今じゃ東京エリアを統治する聖天子になった。俺が監獄島に閉じ込められている間に何があったのかは知らねえが、世も末だな」

「なんだと?」

 

 竜胆の言葉に菊之丞が鬼の形相で呟くも、さして気にした様子もなく話を続ける。

 

「なにか間違っていることを言ったか?血で血を洗うこの地獄()に、三代目聖天子という華は国家元首として頂点に君臨している。滑稽だとは思わねえか?」

「……何が言いたい」

「はっきり言ってやるよ、天童菊之丞。そこの女は頂点に君臨するには肉体的にも精神的にも脆すぎる」

 

 立ち上がり、聖天子たちの方へ一歩ずつ近づく竜胆。

 そして、聖天子との距離が三メートルを切った瞬間───何の前触れもなく菊之丞が竜胆の目前に現れ、渾身のストレートが繰り出された。風を切る音ともに放たれたその拳は竜胆に直撃する寸前、竜胆は簡単にその攻撃を防いでみせた。

 

「天童式戦闘術一の型八番、焔火扇……手の速さも相変わらずか。数年前から何も変わってねえな、お前は」

 

 眉を顰めながら菊之丞を見据える。そんな竜胆に菊之丞は歯を剥き出しにして吼える。

 

「この怪物が……!」

「怪物だろうが悪魔だろうがバケモノだろうが構わねえ。お前が俺に勝てないのは事実だしな───それにいいのか?菊之丞。お前がこうして離れている間に大事な国家元首殿が後ろの餓鬼に殺されるかもしれないぜ?」

「……ッ!?」

 

 そうだ。今の竜胆は一人ではない。龘アリアという仲間がいる。もし菊之丞が離れた瞬間、聖天子抹殺を試みられていたら?

 我に返った菊之丞が背後を振り向く。しかし、菊之丞の予想は大きく外れ、件のアリアは扉の前で静かにこちらを伺っているだけだった。

 その間、0.1秒。その僅かな一瞬を見逃すほど御影竜胆という男は甘くない。

 

「───甘えよ。守るべき者があるお前が、この俺に勝てると思うんじゃねえ!!」

 

 そのまま菊之丞の横腹を蹴り飛ばす。鞭のように振るわれた一撃は菊之丞に突き刺さるも、すぐさま回避行動を取っていたお陰で大したダメージは入っていなかった。

 しかし、あと数秒反応に遅れていたら肋の数本は持っていかれていただろう。

 

「浅いか。流石は天童流免許皆伝者だ。褒めてやるよ」

「御影、竜胆……!」

「別にお前の相手するのは構わねえが、次はねえぞ。聖天子のその服が真っ赤に染るところは見たくないだろ」

 

 後方から金属音が聞こえる。背後を振り向けば、アリアが自身の武器であろう大鎌を手にこちらを見つめていた。

 最悪の気分だった。この場所がもし聖拠ではなく、もっと別の場所で、加えてそこに聖天子がいなければ、まだ対等に戦えたはずだというのに。

 しかし、今はどうだ。今の菊之丞は力こそあるが枷がある。反面、向こうは数千人という人間を無表情で殺害することが出来る文字通りの悪魔だ。聖天子を殺すことなんて造作もないだろう。この状況に立たされている菊之丞に、最初から勝ち目などなかったのだ。

 菊之丞は歯を噛み締めると、大人しく聖天子の真後ろに立ち、竜胆を睨めつけた。

 

「そうだ。最初からそうしていろ」

 

 ただ一言そう言うと、竜胆は聖天子に目線を戻した。

 

「そもそも今回の目的はお前らを殺すことじゃない。それはそこの餓鬼から聞いているはずだったんだがな。番犬のリードはちゃんと握っておけよ」

「……ええ。確かに聞いています」

「おいおい、冗句を軽く返せるくらいの余裕は持ったらどうだ?」

「それで……要件とは」

 

 ようやくこの重圧に慣れてきたのか、聖天子は脂汗を垂らしながら竜胆に訊ねる。

 

「無視か……つまらねえ野郎だ。まあ簡単な事だ。国家元首殿主催の大レースに俺も参加させてもらおうと思ってな」

 

 竜胆のまさかの返答に聖天子は目を丸くした。

 赤い眼孔が、聖天子の姿を映し出している。その光景に若干の恐怖を抱くも、聖天子は平静を装って口を開く。

 

「……『七星の遺産』が目当てですか?」

「どうしてそう思った?」

「会話を聞いていたのなら、その可能性が高いかと思った迄です」

「正解……と言ってやりたいところだが、残念ながら違う」

「ならどうして?」

 

 その言葉に竜胆は腕を組みながらうっすらと目を細めた。

 

「この二年で鈍った感を取り戻すためだ。それに参加者には新人類創造計画の人間も含まれていやがる───相手にとって不足はない」

「───それだけが目的ではないでしょう」

「さあな、国家元首殿。答えてやる義理はない。さあどうする?答えは『はい』か『イエス』の二択だ」

 

 選択肢は最初から一つしかないらしい。聖天子は数瞬、沈黙してから目を閉じた。

 

「……わかりました」

「交渉成立だな。これで俺たちは失礼させてもらおう」

 

 竜胆はコートを翻すと、聖天子の横を通る。そして、竜胆が部屋から出る瞬間───何を思ったか竜胆は足を止めて聖天子の方へ振り返った。

 

「おい三代目」

「……今度はなんです」

「この東京エリアは必ず俺が貰う。それまでそこの玉座、しっかりと温めておけよ」

 

 そして、今度こそ竜胆は部屋から出ていったのであった。

 

 

 

【紅蓮/Crimson】

 

 

 

 音響信号の音が聞こえた瞬間、アリアは目を覚ました。

 瞬時に周囲を見渡して、ここが車の中だということを思い出したアリアは、小さく息を吐いてから天井を見上げた。

 一緒に乗ったはずの竜胆がいない。彼自身、脱走中の極悪人ということを理解して欲しいものなのだが。

 アリアはタクシーの運転手に近くで下ろすように言うと、会計を済ませてそのまま外に出た。

 成人男性を自由にさせるくらいどうってことないのだが、相手はあの御影竜胆。アリア自身も大概だが、人に対してなんとも思っていない彼を野放しにはしておけない。

 アリアは鬱々とした表情を浮かべながらゆっくりと歩き始めた。

 

「……」

 

 幸せそうな家族が、仲睦まじいカップルが、アリアの視界に飛び込んでくる。

 役に立たない愛情を振り翳す人間共を見て、顔を顰めた。何も知らず愛と平和を騙る人間たちが、アリアは大嫌いだった。

 ここで聖居で行ったような残虐行為を行えば、自分の心も少しは晴れるだろうか───なんて思考回路が働くも、急に馬鹿らしくなってやめた。

 力ないものを力で捩じ伏せたとしても得られるものは何も無い。得られるものは虚無感と恐怖心を植え付けることだけだろう。この心の飢えは、決して埋まることは無い。

 

「これも、全部あの人のせいということにしておきましょうか」

 

 言いながら引き返すアリア。もしかしたら、先に拠点に戻っているかもしれないという限りなくゼロに近い期待を抱きながら。

 拠点としているモノリス近くの建造物に入ろうとしたその時だった。

 パトカーがアリアの横を通過したのだ。

 

「……」

 

 ただ横を通過しただけなら気にも停めなかっただろう。しかし、ここは外周区近くだ。交番や警察署など、この近くには何処にもない。

 浮浪者やならず者たちが集まるこの最悪の土地に、やってきたということはつまり───気づけば、アリアはパトカーを追っていた。

 幸いなことに、パトカーは数百メートル先の廃ビルで止まり、追跡には困らなかった。あたりは静まり返っており、目につく範囲で人の影はない。

 鉄柵を飛び越えようとした瞬間、銃声。どうやら手遅れだったらしい。

 しかし、そんなこともお構い無しにアリアはその現場に飛び込んだ。

 

「国家の権力者たちが揃いも揃って外周区(こんな場所)に。しかも子供相手に発砲とは随分と暇なんですね」

「───!」

「まったく、羨ましいです。その暇な時間を私に分けて欲しいくらい」

 

 角刈りの警官が拳銃を握ったままアリアの方を振り向く。

 

「貴様は……!」

「ええ、あなた達が大っ嫌いな赤眼───『呪われた子供たち』ですが、なにか?」

 

 銃口を突きつけられるも、アリアはさして気にした様子もなく続ける。

 

「まったく、穏やかじゃないですね」

 

 角刈りの男が持つ銃と夥しい量の血を流す少女を見比べ、鉄骨が剥き出しになった天井を見上げた。

 数秒、剣呑な雰囲気がアリアたちを包み込む。

 

「……だからこういう人間は嫌いなんですよ」

「……!?」

 

 刹那、角刈りの警官の顎をアリアは蹴り飛ばしていた。

 防御も受け身も取れず、警官は数メートル先の柱に衝突。

 コンクリートの柱に体が叩きつけられ、放射状のヒビが入る。

 悶絶する角刈りの警官。突然の事で呆気に取られる眼鏡の警官にゆるりと近づき、その股間を蹴り上げて態勢が崩れたところを踵落とし。

 そのまま眼鏡の警官の頭を踏み躙っていると、重たい金属の音が耳に飛び込んできた。

 

「う、動くな……!」

 

 角刈りの警官が銃をこちらに向けていた。

 

「……へえ?」

 

 銃口が跳ね、照準は出鱈目。このまま直立不動していたとしても、彼は外すだろう。

 わかった上でアリアは微笑を浮かべながらくすくすと笑いながら歩み寄る。

 

「う、動くな!本当に当てるぞ!?」

 

 そう警告するも、アリアは歩みを止めずに近づく。あと数秒もしないでアリアは角刈りの男の元までたどり着くだろう。

 

「どうしたのです、この距離なら当てられますよ?」

「……!」

 

 銃声。真鍮色の空薬莢が排出されると共に、鉛玉が発射される。凄まじい速度でアリアに襲い掛かる。数秒もせずに鉛玉はアリアの胸部に突き刺さった。

 しかし、鮮血が吹き出すどころか、血すら滲んでこない。一体どういうことなのだ。

 アリアは余裕に充ちた妖しい微笑を浮かべたまま呟いた。

 

「ダーウィンが唱えている説の中にこういうのがあります。『ライオンの鬣は敵の攻撃から身を守るためにある』。今では強さのシンボルとして言われているそうです。無論私は(おんな)なので鬣なんて生えてませんが、急所となる部分にはちゃんと対策してあるのでその拳銃じゃ私は殺せませんよ」

 

 何が起こったのかわからない角刈りの警官は目を白黒とさせていたが、アリアが目と鼻の先の距離まで来ると、その表情を恐怖に染め上げた。

 

「心外ですね。どうしてそんなに怯えるのです?あそこの子を撃っていた時は随分と楽しそうな表情(カオ)をしていたというのに、私に対して浮かべる表情(カオ)がそれとは如何なものかと」

「な、なん……こ、この……ば、バケモノッ!」

「その通りです。私たち赤眼はバケモノ、何も間違ってません」

 

 クスクスと笑いながら、警官の拳銃を奪い去った。

 

「弾数は残り一発……そこで伸びてる人のも含めると計二発くらいでしょうか。まあ仕留めるだけなら丁度いいでしょう」

 

 アリアは拳銃を警官の眉間に照準すると妖しく笑った。

 そのままゆっくりと引き金に指をかけて引こうとしたその時だった。

 数メートル先から物音が聞こえ、アリアは銃口をそちらに向けた。

 

「誰です」

 

 アリアの視線の先、そこに居たのは黒髪の少年だった。

 ブラックスーツのような制服に、黒いブーツ。幸薄の顔と第一印象は外周区に迷い込んだ高校生だったが、少年から香る僅かな火薬の匂いにアリアは目線を鋭くした。

 

「……民警ですか。今は高校生もやるんですね、民警」

「今……何をしようとしていたッ」

「何っておかしなこと聞きますね」

 

 アリアは拳銃と少年、交互に見つめながら小さく笑った。

 

「排除ですよ」

「自分が何言ってるのかわかっているのかッ!?」

「わかってなければこんなこと言いませんよ」

 

 アリアは再び警官のほうに顔を戻すと、手に握っていた拳銃を向けた。

 

「……!や、やめ」

「───何かを殺すって言うのに自分は殺される覚悟はない。おかしなことだとは思いませんか?命を奪うっていうのはこういうことです」

 

 警官が何か言葉を発そうとした瞬間。

 アリアは躊躇も逡巡もなく引き金を引いた。

 鉛玉が警官の頭蓋に命中、体が一瞬跳ねたかと思うと、それきり何も言葉を発さなくなった。

 

「命中、ですね」

 

 短く息を吐き、拳銃を地面に捨てる。

 

「さて、お待たせいたしました民警さん。これからどうしますか?私と戦いたいというのならどうぞご自由に。かかってくるというのであれば絶対的な力で捩じ伏せるまでです。もしくはあなたの本来の目的であるそこの女の子の救済。そうするのであれば、見逃してあげます。ですが、そこにころがっている警官の命は保証しません」

「……てめえ」

「そんな怖い声を出しても答えは変わりませんよ。さあ、選んでください。あらかじめ言っておきますが、どっちもという選択肢はなしです」

 

 少年は数瞬考える素振りを見せて顔を俯かせていたが、そのままアリアの横を素通りすると、夥しい量の血を流す少女を抱き抱えた。

 

「賢明な判断です、民警さん」

「……るせえ」

 

 少年はそのまま少女を抱えたまま消えていった。

 アリアはその後ろ姿をしばらく眺めていたが、「さて」と呟くや否や、後方でガタッ!という音が聞こえてきた。

 

「まさか見逃すとお思いで?彼があの子を選んだ時点で、あなたの生殺与奪の権利は私が握っているのですよ」

「……!」

 

 アリアが眼鏡の警官に手を伸ばす。そして、その髪を掴むと自分の顔の位置まで持ち上げていた。

 

「───お世辞にも美味しいとは言えないでしょうが、これからの為にあなたたちの素材は有効活用させてもらいますよ」

「そ、そざ……!?」

「そんなに狼狽えて……可哀想に」

 

 アリアは口を大きく開くと、警官の首に噛み付いた。

 

「では、ゆっくりとおやすみなさい。名の知れぬ警官さん」

 

 そのまま首の肉を噛み千切り、警官はショックで意識を失った。

 




次回『蒼碧:Blue』



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蒼碧

 雨の匂いと血液の匂いが鼻腔をくすぐる。

 蓮太郎は手錠のついたケースをガストレアから引き抜くと、数歩あとずさった。

 雨の音と木々の揺れる音だけが不気味に鳴り響く。一刻も早く、これを手放してしまいたい。そして、おかしな事に気づいた。

 そろそろ他の民警が到着してもいい頃合なのに誰一人としてやってこないのだ。なにかトラブルでも起きたのだろうか───瞬間、得体の知れない寒さが蓮太郎たちを襲った。

 

「遺産の回収ご苦労様」

 

 錆び付いているがよく通る声。言葉の一つ一つに何か別の意味が込められていそうだ。

 蓮太郎たちが硬直しているうちに、その男は闇の中からゆっくりと姿を現した。

 全身黒い出で立ちに、闇の中からでもその存在を遺憾無く発揮する赤い瞳。

悪魔。その二文字が蓮太郎の頭を過ぎる。

 冷や汗が止まらず、細胞の一つ一つが「逃げろ」と警鐘を鳴らしていた。ガストレアと対峙した時の方がまだいいと思ってしまうくらいに、この男は異質だった。蓮太郎は肩で息をしながら、後退る。

 

「そう怖がるなよ」

 

 前髪から覗く真っ赤な瞳には殺気らしい殺気など存在しないのに、強烈な圧を感じる。なにより視線に込められているものが分からないのだ。喜怒哀楽、すべて抜け落ちているのではないかと感じてしまうのも無理はないだろう。

 ぬかるんだ地面を歩きながら男は言う。

 

「おい」

「……なんだ」

「穏便に済ませたいか?」

「……そりゃあな」

 

 蓮太郎の答えを聞いた男は、「なら話は早い」と呟いてから続けた。

 

「だったら、そいつを渡してもらおうか。そうしたらお前の命は取らないでおいてやるよ」

「……!」

 

 言葉を失うと同時に理解する。こいつは、敵なのだと。

 増援が来るまで、時間を稼がなくては───そんな蓮太郎の思考回路を見透かすかのように、男は悪辣な笑みを浮かべながら、嘲笑うように言葉を吐いた。

 

「救援なら期待しない方がいい。ここら一帯の民警は大体片付けた」

「なんだと……ッ!?」

「運が良ければ生きてるかもな。最も、二度と現場復帰は出来ないようにはしてやったが」

 

 男は腕を組んで赤い瞳を細めた。よく見れば体の至る所に返り血が付着しているのを見て戦慄した。

 XD拳銃をドロウしようとするも、体が思うように動かない。男はそんな蓮太郎を見つめながら再度訊ねた。

 

「さあ、どうする。選択肢は二つだけだ」

 

 そいつ、恐らくはこの中に入っている中身のことを男は言っているのだろう。蓮太郎は生唾を吞み込みながら、静かに腰を落とす。

 遠くで動けず硬直してしまっている延珠が蓮太郎の意図に気づけば、これを手に逃げてくれるはずだ。何とかして辿り着かなければ───。

 その様子を見ていた男は呆れたように息を吐いた。

 

「……。それがお前の出した答えか」

 

 蓮太郎が瞬きをした次の瞬間、男は蓮太郎の目前にいた。

 咄嗟に腕をクロスして防御の体勢に入ろうとするも、遅い。その腕を潜り抜け、赤い瞳の男は蓮太郎の首を掴み、持ち上げた。

 滅茶苦茶に暴れるが、微動だにしない。

 

「砂利の癖して、いい度胸してるじゃねえか」

 

 掴む力がよりいっそう強くなる。

 ダメだ、勝てない。そう思ったと同時に遠くにいる延珠に視線で訴えかける。自分のことはいいから助けを呼んでくれと。

 延珠は瞳を見開き硬直するも、何かを察したのだろう。泣きそうな顔で奥の茂みに消えていった。

 そんな延珠の姿を見ていた男は嘲笑した。

 

「あのモドキ、恐れをなして逃げやがったぞ。パートナーのお前を置いてな!!」

「……延珠は……そんな奴じゃねえッ!!」

 

 男は表情をを変えず、口を開いた。

 

「何が(ちげえ)ーんだ?お前がアイコンタクトで何を伝えていたかは知らねえが、あの餓鬼が逃げた事実は覆らねえ」

「……時間があれば、延珠は必ず……!!」

 

 瞬間、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。為す術もないまま背中に衝撃が走る。視界が明滅し、堪らず喀血する。

 男は蓮太郎の手からジュラルミンケースを奪い取ると、短く息を吐いた。

 

「戦わない戦士に用はない。このまま消えろ」

 

 不味い、死ぬ。そう思ったその時だった。

 男が凄まじい勢いで真横に吹き飛ばされ、数メートル先の巨木に激突。動かなくなった。

 胸元付近を抑えながらゆっくりと立ち上がる。

 まさか延珠が増援を連れてきたのかと思い、背後を振り向くと、そこには仮面の怪人が立っていた。

 

「影胤ッ!?」

 

 蛭子影胤。蓮太郎たちの敵だと言った男だ。それだと言うのに、影胤は蓮太郎を守っている。一体何がどうなっているのか。

 影胤は未だ立てずにいる蓮太郎を見下ろすと、再会を喜ぶかのように口を開いた。

 

「やあ、里見くん。あの男を相手によく生き残っていたね。普通だったら死んでもおかしくないというのに」

「……あいつを、知ってんのか?」

 

 視線を向ければ、巨木に叩きつけられ、指ひとつ動かさない男の姿があった。相当な勢いで吹き飛ばされたはずなので、気絶していてもおかしくないが───。

 刹那、体全身を何かが射抜く明確なヴィジョンが蓮太郎と影胤の脳裏に過ぎった。影胤は蓮太郎から男の方に視線をずらして言い放つ。

 

「……下手な芝居はやめたらどうだい。君を仕留めていないのは攻撃を加えた私が一番理解している」

 

 影胤の言葉に男は欠伸をしながら立ち上がると、首を数回ほど鳴らした。

 吹き飛ばされて尚、無傷な男を見て、影胤はやはりダメかと呟く。

 

「……獣と言うにはあまりにも頑丈過ぎやしないかい。御影竜胆」

 

 その言葉に男はピクリと眉を動かすと「ほう」と感嘆の声を漏らした。

 

「なんだ、知っていたのか」

「まあね。そんな人間がこんな辺境の地に一体何の用だい」

 

 影胤が訊ねると、男───御影竜胆は腕を組みながら答えた。

 

「こいつを手に入れるためのレースに俺も参加している、ただそれだけだ。参加条件は蛭子影胤の挑戦状を聞いていること。そいつは別室で聞かせてもらったから参加資格は得ているぜ?」

「盗み聞きかい。趣味がいいとは言えないね」

「趣味悪い仮面つけてやがるお前に言われちまったら終いだな」

 

 肩を竦めながら言う竜胆だが、隙という隙が見当たらない。竜胆は中々仕掛けてこない両者を見兼ねて、小さく首を回してから腕を組んだ。

 

「仕方ない。俺は寛大だからな、一度だけチャンスをやる」

「……チャンス?」

「俺に一撃でも加えたら、『七星の遺産』はくれてやるよ」

「……信用できると思ってんのか?」

「信用するしないはお前らの自由だ。さあ、とっとと掛かって来いよ」

 

 竜胆がゆっくりと歩み寄ると、蓮太郎が先に仕掛けた。

 

「天童式戦闘術一の型八番……『焔火扇』!」

 

 渾身のストレート。竜胆の顔面に直撃する寸前、竜胆の掌に阻まれた。そこで何かに気づいたのだろう、竜胆は低い声を漏らした。

 

「体に仕込まれたそれを使わずして、俺に勝とうなんざいい度胸してるじゃねえか」

「……ッ!?」

 

 竜胆の発言に呆気に取られる蓮太郎。その隙に竜胆の蹴りが顎に直撃、意識が混濁する。

 

「全力を出して戦う気がねえなら、とっとと失せろ」

 

 恐ろしい勢いで吹き飛ばされる。地面を数回跳ね、何とか体勢を立て直そうとした瞬間、体が浮いた。

 ふと見れば増水した川があり、とてもではないが泳げる流れではない。

 重力に従って頭から着水する。そのまま増水した川が恐ろしい勢いで蓮太郎を攫っていった。

 つまらそうにその光景を眺めていた竜胆は攻撃を仕掛けてこない影胤に視線を移した。

 

「どうする、続けるか?」

「彼は私の友ではあるが、仲間ではないのでね」

 

 影胤はホルスターからカスタムべレッタをドロウ、引き金に手をかけるも、恐ろしい速さで近づいてきた竜胆に照準をずらされてしまう。

 

「胴がガラ空きだぞ」

 

 風切り音と共に放たれる掌底が影胤の胴に突き刺さった。

 

「……ッ!」

 

 銃を撃つ瞬間だけは斥力フィールドを一時的に解除しなければならない。このタイミングで斥力フィールドを展開しようにも攻撃を食らった今ではベクトルを逸らすことは不可能だろう。咄嗟の判断で後方へ跳躍、威力を軽減することに成功する。

 しかし、完全に威力を殺すことは出来なかったのか着地と同時に血を吐く。影胤は口の部分を拭い、流れ出る血液を見やった。

 

「バケモノか……!」

 

 今の一撃を直撃していれば、骨折どころでは済まなかっただろう。斥力フィールドを展開する暇もなく攻撃を仕掛けてくる竜胆という男に恐怖すら感じる。

 そんな影胤の思考なんて露知らず、竜胆は近くにあった一枚岩に背中を預けて腕を組んだ。

 

「まだやるか?俺は一向に構わねえぞ」

 

 その距離、実に十数メートル。この距離なら、この男のテリトリー内ではない。

 影胤はゆっくりと腕を持ち上げ、竜胆に向けた。

 

「君に……私の技を見せよう『マキシマム・ペイン』!」

 

 斥力フィールドが形を変えて竜胆に急襲する。

 竜胆の頭部から血が吹き出した。体が岩に沈み込み、肉が変形し、凄まじい音が鳴り響く。

 勝利を確信した影胤だったが、竜胆の表情はまるで変わっていなかった。

 猛烈な圧力の中竜胆はつまらなそうに息を吐いた。

 

「……その程度か。『新人類創造計画』ってのは」

「なんだとッ!?」

 

 突然、鋭い痛みが影胤の腹部に走った。予想もしていなかった感覚に地面に膝を着く影胤。

 

「だからこんな風にやられる」

 

 圧力から開放された竜胆は肩を回しながら地面に降り立った。そんな竜胆を見て影胤は堪らず叫ぶ。

 

「なにを、した!!」

「馬鹿正直に種明かしをする奴がいると思うか?」

 

 ふと腹部を見やれば何か小さな装置のようなものが取り付けられていた。そこから血が吹き出しており、それが痛みの正体だと知る。

 引き抜けば、それはナイフのようなものであり、時限式で作動するようになっていたようだ。

 

「確かにお前の盾は最強だろう。だが、銃を撃つ際には必ずその盾を解除しなければならない」

 

 嘲笑しながら竜胆は言う。

 

「残念だよ。『新人類創造計画』がどんなものかと期待していたが……期待外れもいいところだ」

 

 言いながら、竜胆は手に持ったジュラルミンケースを影胤の足元に放り投げた。突然の行動に困惑が隠せない影胤。

 

「それでも約束は約束だ。遺産はくれてやるよ」

「……なんのつもりだい」

「『俺に一撃でも与えたら遺産はくれてやる』そう言ったはずだが」

 

 確かに、そんなことを言っていた。だが、約束を守るなんて思っていなかった影胤は竜胆の行動を理解できなかった。

 

「……君がそんな約束を守る男だったとはね」

「こう見えて、俺は義理堅いんでな」

 

 口角を上げて笑い、竜胆は腰のホルスターから拳銃を右手でゆっくりと引き抜いた。やや黒ずんだ銃身に、赤いラインの入ったスライド。重厚感のあるそれはデザートイーグルだと見抜くのにそう時間は掛からなかった。

 破壊力はあるものの、実戦向きではないそれをなせ使用しているのかは分からない。と言って、決して軽んじていい代物でないことも確かだ。目前にいるこの男は、この銃をもちいて膨大な数の命を奪い去ってきたのだ。妖気のようなものが黒い銃身にまとわりついているような気すらする。

 

「安心しろ、もうだいたい分かった。お前に用はねえ。さっさと帰ってその傷を癒すことに専念するんだな」

「……巫山戯ているのかい?私がもう一度『マキシマム・ペイン』を使えば君は確実に潰れる」

「勘違いするなよ。俺はお前を見逃してやると言ってるんだ。それに───」

 

 竜胆は赤い瞳を瞬かせながら言う。

 

「俺に、同じ技は二度も通用しねえ」

 

 影胤が足を一歩前に出した瞬間、竜胆のデザートイーグルが煌めいた。そのまま銃口を影胤と竜胆が立つ中間地点に向け、そのまま引き金を絞る。

 刹那、眩い閃光が辺りを包み込んだ。

 咄嗟に斥力フィールドを展開し、防御態勢を取る。同時に凄まじい風が斥力フィールドを襲った。

 数秒ほど拮抗し合い、爆風は収まるが、閃光によって遮られた視界は中々回復しない。

 さらにそれから時間が経過し、視界が回復してきた頃。目前の光景を見た影胤は愕然とした。

 

「……これは……!!」

 

 着弾地点を中心に半径約一〇メートル。着弾地点には小さなクレーターが生まれており、そこを中心として生えていた草木が吹き飛んでいた。

 そう言えばと影胤は思い出す。何故御影竜胆という男が『(ビースト)』と呼ばれていたかを。

 自身の身体能力にモノを言わせて戦うそのスタイルからそう呼ばれているというのが一つ。もう一つは───

 

「───獣が暴れ回ったような痕跡だけが、その場に残る」

 

 後者は都市伝説的な扱いをされていたが、目前の光景を見て納得せざるを得なかった。

 伝説は、本当だったのだ。

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

 そう言って扉を開けた際にまず目に飛び込んできたのは、オットマンに脚を乗せてワインを煽っている竜胆の姿だった。

 アリアが手渡した書類には目を通してはいたようだが、問題はその扱いだ。地面に無造作に投げ捨てられ、ボロボロになっている。手間暇かけて作った書類が台無しだった。

 アリアは肩を震わせながら竜胆の方に近づこうとするも、竜胆がノーモーションでワイン瓶をアリアに向けて投擲してきた。

 避けることには成功したものの、僅かに残っていたであろう赤い液体がアリアのコートに降りかかった。

 

「うえ……」

 

 アルコール特有の匂いと独特な甘い香りがアリアの鼻腔をくすぐる。どうもこの匂いは苦手だ。

 アリアは首を振ってから酒を煽る竜胆を睨んだ。

 

「あの、ですね……」

 

 震える声で呟けば、アリアに眼球運動だけでアリアを見やってから「電話にどれだけの時間をかけてやがる」と言う。いつもの事ではあるが、今日は少しだけ腹が立った。

 しかし、怒ったところでこの男は直そうとはしないだろうし、何なら近くにいたお前が悪いと言い出す人間だ。怒るだけ無駄というものだろう。

 

「このコート、お気に入りだったのに……」

 

 言いながらアリアはコートを近くの椅子に掛けてから小さく息を吐いた。

 

「……それで、遺産はどうしたんですか?回収しに行くと言っていましたが」

 

 相変わらずワイングラスを持ったままだったが、竜胆はうっすらと目を細めた。

 

「さあな」

「さあな、って竜胆様……」

「俺が辿り着いた時には既にそこはもぬけの殻だった。文句あるか?」

「蛭子影胤に渡していましたよね」

 

 アリアがそう言うと、竜胆は明らかに不機嫌そうな表情を浮かべて小さく呟いた。

 

「趣味が(わり)ぃな。最初(ハナッ)から見てやがったのか」

「私の任務は竜胆様の監視ですから」

「殺されたいのか?」

 

 アリアに殺気を浴びせかけるも、微動だにしない。

 表情筋が硬直しているのかと思うが、違う。明らかに死に対しての恐怖が欠落している。

 

「……死体の方がまだ可愛げがあるぞ」

「まあ酷い。私こうして今を一生懸命生きてる最強の百獣の王のイニシエーターの超絶美少女だと言うのに。そんなこと言うなんてあんまりですよ」

「……ダニが」

 

 竜胆は舌打ちをつきながらグラスに溜まったワインを飲み干す。

 そんな竜胆にアリアは訊ねた。

 

「どうして『七星の遺産』を蛭子影胤に渡したのですか?あのケースの中身には興味ないことは知ってましたが、聖天子様にあれを渡せば確実に株が上がったと思いますよ?」

「それをする必要はない」

「なぜですか」

「俺にとって遺産はあくまで建前だ。言っただろう、俺にはやるべきことがあると」

「……竜胆様は、一体何がしたいのですか?」

 

 アリアの問いに竜胆は一瞬、答える必要はないと言わんばかりに瞑目したが、視線に耐えきれなかったのか、それとも軽く酔っているからか、竜胆はゆっくりと喋り出した。

 

「俺が行おうとしていることは、莫大な費用と人手が必要だ。金銭面は幾らでもカバーはできるが、人間はそうもいかねえ。強い人間が必要になってくる」

 

 竜胆の言うことにアリアはなるほどと頷くも、すぐに首を傾げた。

 

「竜胆様の言う『強い人間』なら、あの蛭子影胤はちょうどよかったのではないですか?」

 

 彼は竜胆の求める強い人間であると言うのに、竜胆はそんな彼を選ばなかった。その理由がアリアにはわからなかった。

 竜胆の答えを待っていると、明らかに面倒臭そうに眉を顰めた。

 

「……龘アリア、お前の言う通りだ。確かに蛭子影胤は強い。攻撃、タイミング、そして斥力発生装置。戦闘経験も豊富だろうから、俺の足を引っ張ることは無いだろう」

「だったらなんで加えなかったのですか?」

「あの男は俺の目的を知れば、確実に邪魔しに来るはずだ。今回絡んでみてそれがわかった」

 

 竜胆は手に持ったワイングラスを小さく掲げながら言う。

 

「もしあの仮面野郎が俺に楯突こうってんなら……その時は全力を持ってあの盾ごとぶち抜くだけだがな」

 

 竜胆の掌が僅かに煌めいたかと思うと、中の液体が一瞬にして気化し、ワイングラスが粉々に砕け散った。

 砕け散った硝子片を眺めながら、アリアは小さく呟いた。

 

「……掃除」

 

 

【蒼碧/Blue】

 

 

 自分の肉体が朽ちていく喪失感に襲われながら、蓮太郎は意識を僅かに取り戻した。

 難儀しながら目を開けると、自分の肉体を蝕んだ怪物の死骸が転がっており、その目前には二丁の拳銃を握った黒い外套の男が立っていた。

 どうやらこの男がガストレアを倒したらしい。

 全身は凍えるほど冷たいというのに、呼吸だけはなぜか荒かった。

 青年が銃をホルスターに仕舞い、此方を振り向くと、青年の持つ青い瞳が蓮太郎の視界に飛び込んできた。

 そのまま男は蓮太郎に近づくと、その顔を覗き込んだ。

 

「……目、腕、足。喰われて尚、まだ生きているか。余程生に執着しているのか、それともただの馬鹿か」

 

 なにか口にしようとするも、パクパクと口を開くだけで言葉を発することが出来ない。

 男は懐からシリンダーを取り出すと、死にかけの蓮太郎の目の前に突き出した。

 

「お前はもうあと数分も経たないで死ぬ。これだけの出血量だ。お前も薄々勘づいてるだろう?」

「……!」

「話は最後まで聞け」

 

 男はゆっくりと話し始めた。

 

「俺の手元にあるこのシリンダーは、失敗すればお前の体はたちまち腐り、骨すら残らない。だが、成功すればこの世に縛られる時間が僅かに伸びる。選べ。これを受け入れるか、それとも受け入れず殺されるか。受け入れる場合は頷くだけでいい」

 

 ───これは、まさか昔の。

 

 体を動かそうとする激痛が走った。蓮太郎にかけられた『生きろ』という呪いだけで、蓮太郎は何とか首を前に倒すことに成功する。

 男は唇の端を僅かに上げると、蓮太郎の胸元に躊躇なくシリンダーを突き刺し───蓮太郎の意識はそこで昏倒した。

 




次回『漆黒:Black』

「戦いでしか生きていることを実感出来ない人間がこうも集まってるんだ。仲良く殺し合うのも悪くねえだろ」


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漆黒

 午前三時二十五分。

 千寿夏世は目前で起きた異様な光景に硬直していた。

 体長は六メートル以上あるだろう。爬虫類特有の獰猛な顔には空洞が空いており、翼状の腕は肩口から吹き飛ばされていた。胴体にも同様の穴がある。

 御伽噺に出てくるドラゴンのような姿をしたそれは、微動だにせずただ異臭を放つ体液を体外へ放出していた。

 ステージIVガストレア。仮称としてここはドラゴンと名付けるとしよう。恐らく鳥類と爬虫類が混ざっているのだろうが、進行するにつれて元の生物がなんだったのか特定しにくくなる。

 ドラゴンは右足で地面を蹴り、夏世に急接近。

 不味い。そう思い、身構えたその時だった。

 

「邪魔だ」

 

 そんなドラゴンが、闇から現れた何者かに横面を叩かれた。

 数歩たたらを踏んだドラゴンは体勢を立て直し、殴られた方に振り向くも、誰もいない。

 

「消え失せろ」

 

 そこからの勝負は一瞬だった。

 銃口にエネルギーが収束、ドラゴンに向かって計四発射出。両肩と顔面、胴体に着弾。刹那、球状に膨張したエネルギーが包み込んだ部分を跡形もなく消し去った。

 ドラゴンは再生する間もなく絶命し、そのまま地面に伏した。

 そのままその人物は何をするでもなく夏世の方を一瞥すると、深い闇の中へと姿を消した。

 

「……たす、かった?」

 

 今の攻撃でドラゴンが死んだのは確かだろう。しかし、何故だろう。目前の脅威が消えたというのに心臓の鼓動は早まるばかりだ。それどころか、手が震え、冬が明けたというのに体が寒い。一体どうしてしまったというのか。

 夏世は思考を僅かに巡らし、最悪の答えに辿り着くも、頭を振ってその思考を破棄した。

 

「有り得るはずが……ない」

 

 かつて多くの人間を鏖殺した最凶の民警が、自分を助けるなんてありえないことなのだ。

 

 

『漆黒/BLACK』

 

 

 寄せては返す波の音が聞こえてくる。

 

「……海か」

 

 波は力強くコンクリートの塀にぶつかり、その姿を消して元の形なき液体に戻る。目を凝らして海を見れば、赤い瞳の小さな魚が無数に泳いでおり、集合体恐怖症の人間ならここで失神していただろう。

 竜胆はそのまま月明かりで照らされる水面と寄せては返す波の音を塀の上に座って聞いていた。

 

 

「───私はね、竜胆。この侵略者(インベーダー)たちが蔓延らない世界に行けたらね、海を見て自由に泳いでみたいんだ」

 

 

 掠れた記憶の中で、かつて仲間だったであろう少女が言った言葉を思い出す。今現在、その少女の求めた海辺にいるが哀しいかな。彼女の求めた2021年以前の海の姿はそこにはない。あるのは、より一層危険度を増した水の塊だ。

 感傷に浸っていると、耳につけていた無線機からアリアの声が聞こえた。

 

『聞こえますか、竜胆様』

「……避難という名目でこんな所を目的地にしやがって。目的はなんだ」

 

 今回ここに来た目的は名目上は避難ということになっている。だが、ここは外周区。避難するにはあまりにも危険すぎる。現にここまで向かう道中、数匹のガストレアに遭遇している。

 最初からなにかおかしいとは思っていたが、ここまで来るとさすがに嵌められたのではと思ってしまう。

 

『竜胆様にはスコーピオンの討伐をお願いしたいのです』

「怪獣退治ってか?ふざけんじゃねえよ、専門外だ」

『安心してください。ここには天ノ梯子が存在しますから』

「……龘アリア。お前の魂胆がよく理解出来た」

 

 要はそのための保険として、竜胆はここに駆り出されたわけだ。

 どうして俺がこんなことをと言わんばかりに溜息を吐くと、耳につけていた無線機を取り外して握り潰す。

 

「民間人の命がどうなろうと俺の知ったことではないが、今東京エリアがなくなるのは困るからな。早いところ、蛭子影胤を見つけ出し、遺産を奪えば問題ないだろう」

 

 ゆっくりと立ち上がり、歩き出そうとしたその時だった。

 無数の足音が竜胆の十数メートル先で止まり、殺気を飛ばしてきた。

 久しく浴びる他者からの殺気に竜胆は小さく息を吐いてから腕を組んだ。

 

「───誰だ。俺はこう見えて忙しいんだが」

 

 その答えは直ぐに帰ってきた。

 

「我々は、御影竜胆討伐作戦のために招集された民警だ」

 

《捕獲》ではなく《討伐》。この二文字の違いで、誰がこの作戦を発足したか一瞬で理解する。シナリオ通りにならないと理解した瞬間、東京エリアの象徴である少女の懐刀であることを忘れ、修羅となる。場合によっては大事だが、それは格下の、それも人間にやらなければ意味をなさない。

 竜胆は眉間に皺を寄せ、怒気を含んだ声を上げた。

 

「俺の討伐だと?そんなガストレアみたいに言うんじゃねえよ」

「監獄島を爆破させ、脱獄後も多くの人間をその手にかけてきた貴様が、我々と同じ《人》を名乗るな!」

 

 剣の切っ先を向けながら叫ぶ、集団のリーダー的立ち位置の男。

 竜胆の眉間の皺が更に深くなり、体の奥深くに押さえ込んでいた『(ビースト)』としての本能が「早く暴れさせろ」と耳元で囁く。

 まだ多少なりとも押さえつけられているが、あと一つ何か余計なことを言えば激昂する一歩手前まで竜胆は来ていた。

 そんな竜胆の様子に気づいていないのか、男は勝ち誇った顔をして続ける。

 

「こちらは武装した五〇〇〇番台以内の民警が大勢いるが、卑怯とは言わせないぞ」

 

 その時、竜胆の中で何かが切れた。何を生かしておく必要があるのだう。自分は正義の味方では無い。正義の味方に討ち滅ぼされなければならない、邪悪の象徴では無いのか。ここ最近、妙に民警と触れ合う機会が多かったせいで、要らぬ感情を抱いているような気がする。

 

「……」

 

 目線を鋭くして無数にいる民警たちを睥睨してから、竜胆はその口を開いた。

 

「安心しろ。卑怯なんて言わないさ。だが大丈夫か?俺は剥奪されたとはいえ、貴様らより遥の上に君臨する人間だ」

「だったらなんだって言うんだ。こちらの数は貴様より遥に上回っているんだぞ!」

 

 愚かだ。彼らがやろうとしていることは無謀に等しい。武器を持たないただの子供が、飢餓状態の肉食動物に挑むそれと同じだ。竜胆は悪辣とした笑みを浮かべながら呟く。

 

「……救いようがない砂利どもだ」

 

 むしろ、ここで殺してやるのが慈悲というものだろう。そう判断するのに時間はかからなかった。遅かれ早かれ、彼らは死ぬ。

 万が一、億が一にでも竜胆を倒せたとしても、ここのどこかに潜伏しているであろう蛭子影胤に確実に殺される。要は死ぬのが早いか遅いかだけの話だ。

 

「───構えろ。そして、楽に死ねると思うな」

 

 竜胆がそう言うやいなや、地面を蹴り抜く風切り音が耳に入った。

 気がつけば黒髪の少女が竜胆に肉薄、剣を振り下ろしていた。

 

「これで……!」

 

 しかし、その剣戟は繰り出される前に左手の人差し指と中指によって掴まれていた。目をうっすらと細めながら竜胆は、少女の顔を睨みつけた。

 

「力をフルに活用した状態なら俺に勝てるとでも思ったのか?あまり舐めてんじゃねえよ」

 

 いつの間にか引き抜いていたXIX拳銃を少女の眉間に照準、すぐさま後退しようとするも竜胆の引き金を引く速度の方が早い。

 

「惨たらしく絶命しろ」

 

 銃身が一瞬輝いたかと思うと───凄まじい炸裂音と共に銃弾が少女の眉間に叩き込まれた。刹那、少女の頭が内側から膨張し、爆ぜた。

 さっきまで少女だったものの亡骸を横に蹴飛ばしてから、竜胆は先頭に立つ民警を睨めつけ、冷たく言い放った。

 

「おい正義気取りのカス共」

「───!」

「戦いでしか生きていることを実感出来ない人間がこうも集まってるんだ。仲良く殺し合うのも悪くねえだろ」

「なにを……!」

「一縷の望みすら燃やし尽くしてやる。来い」

 

 凍てついた赤い瞳孔が武器を構えていた民警たちを射抜く。

 すると一体どうしたことだろうか。あんなに自信に満ちていた顔はそのままに、彼らの顔には多量の脂汗が滲んでいた。

 竜胆は肩を数回ほど回して、静かに呟いた。

 

「───来ないなら、こちらから行くぞ」

 

 気づけば、一メートル付近まで接近を許していた。民警の一人が咄嗟に盾を構えるも、竜胆の振り抜いた拳が盾を意図も容易く貫通。そのまま顔面を掴み、次の標的にシフトチェンジ。

 発砲音と共に繰り出される銃弾を手に持った男で防ぎ、強行突破。そのまま跳躍、踵落としで頭蓋を粉砕する。

 

「うるせえよ」

 

 そのまま地面に投げ捨ててから、腰のホルスターからもう片方のXIX拳銃を引き抜く竜胆。

 銃口を上下に撃鉄を合わせ、バレルが直線になるように構えてから、東洋武術の構えを取った。

 銃型(ガンカタ)。二挺拳銃を駆使し、超近接戦闘に持ち込む事で、多数の敵を短時間で倒す戦闘技法。

 

「俺に挑んだ愚かさを呪え。さあ、どこを撃ち抜かれたい。五秒以内に答えればリクエストに答えてやる」

 

 返答は銃の乱射だった。しかし、竜胆を照準に収められていない銃弾は当たるどころか掠りもせず、必要最低限の動きで避けながら一気に距離を詰められる。

 そして、それが無駄な事だと気づいた時にはもう時すでに遅し。竜胆のテリトリーに彼らは居た。

 

「───時間切れ(タイムアウト)だ」

 

 どこまでも冷徹で感情を感じさせない瞳を見開いて、躊躇なく引き金を引く。

 そのまま命を刈り取り、その間にももう片方の手で握ったXIX拳銃を爆速で近づいてくる少女の頭蓋に向けて発砲、直撃した部分が膨張し、内側から破裂。その小さな命を奪う。

 弾切れ寸前になったかと思えば空中に飛び上がり、回転しながら敵を撃つ。

 けたたましい絶叫と血の雨を浴びながら、マガジンを一瞬で交換。留まることなく引き金を引く。

 鬼神の如き強さを発揮する竜胆を見たリーダー格の男はあまりの光景に目を見開く。

 ただの人間が負けるのならばわかる。しかし、超人的な力を発揮する呪われた子供たちが再生を阻害するほどの一撃で仕留められるのは理解ができない。急所に一撃を受けても生きているような生物が、彼の銃弾の前ではその頑丈さが無効化されている。

 

「な、なんなんだ!何がどうなっているんだ!?」

「わからないか?これが貴様ら砂利と俺の、明確な『差』だ」

「ひっ……!?」

 

 目前に現れた竜胆に剣を振り下ろすも、凄まじい速度で振るわれた回し蹴りで真横からへし折る。その刀身は宙を舞い、海に落下した。

 恐怖のあまり指揮権を捨てて逃げ出そうとするも、竜胆の方が早い。そのまま顎に銃口を突きつけられ、生殺与奪の権利を握られてしまう。

 酷い顔だった。自信に満ち溢れていた顔が、今は恐怖と絶望で埋め尽くされている。

 

「何人殺したかは正直どうでもいいんだが……見たところ、御影竜胆討伐(オレを殺すという巫山戯た)作戦のメンバーはお前で最後のようだが?」

 

 赤い瞳を爛々と輝かせながら呟く竜胆。

 どうにかしてここを切り抜けようと思考を巡らすも、言葉が上手く口に出来ない。男は涙を垂れ流しながら懇願した。

 

「───た、頼む。俺の負けでいい。そ、そうだ。俺たちを雇った男にお前の犯罪履歴を抹消できるようにたの───」

「負け犬の戯言に真実はない」

 

 銃身が三回点滅し、引き金を引く。瞬間、銃口から閃光が放たれ、男の頭を吹き飛ばした。

 一瞥もくれず竜胆はそのままXIX拳銃を肩に担ぐようにして遠くの物陰を見やった。

 

「そこに隠れてる奴、出てきたらどうだ。 いるのは分かっている」

 

 数秒ほどの沈黙。一向に現れる様子がないため、竜胆はすかさず発砲。

 同時に筋骨隆々の男が飛び出してきた。

 地面を滑るように駆け抜け、あっという間に男の手に持つ剣のテリトリーに到達する。

 

「おらぁ!!」

 

 回転斬りの予備動作。そう理解するより早く、体が勝手に動いていた。宙へ飛び上がり、数メートル先の建物の屋根に着地。そのまま目を細めて笑い、口を開いた。

 

「不意打ちとはいえ、この俺を後退させるとはな。誇っていいぞ」

 

 年齢は二十代半ばほどだろうか。短く切りそろえた短髪を纏め、その肉体は筋肉の鎧に包まれている。

 伊熊将監。それがその男の名前だった。

 長身に迫るであろうその大剣を肩に担ぎながら髑髏のレリーフが施されたスカーフの下にあるであろう口を開く。

 

「……テメェが御影竜胆だな」

「まずお前から名乗れよ」

「IP序列一五八四番、伊熊将監……」

「一〇〇〇番台か。それにしては随分と遅い登場だったな」

「俺の質問に答えやがれッ」

 

 そういう男の体には、至る所に赤い血痕がこびりついており、ここまで来る間に同胞を殺害してきているのだろう。

 同じ穴の狢か。竜胆は屋根から飛び降りると、首を回しながら面倒くさそうに答える。

 

「もし、そうだとしたら?」

「テメェをぶっ倒し、蛭子影胤の仮面野郎もぶっ倒す!そうすりゃ全て解決する話だろうが」

「俺を倒すだと?」

 

 竜胆は死屍累々とした辺りを一瞥してから、その男の言葉を鼻で笑い飛ばした。

 

「この砂利共の残骸を見てまだ分からないか。お前がどれだけやれるかは知らんが、俺に勝てる確率はゼロだ」

「うるせえよ、その口引き裂いてやらァ!!」

 

 将監は大剣を低く構えると、地面を駆けぬけた。

 大層な口を聞くだけあって、竜胆の足元すらにも及ばなかった人間たちとは違う。

 大剣を片手で扱えるだけの筋力に、その筋肉からは到底考えられない俊敏さ、この状況を受け入れてすらいる状況判断能力。

 戦いの中で自分が見つけた戦闘スタイルなのだろう。一〇〇〇番台というのもあながち嘘ではないらしい。だとしても───

 

「ぶった斬れろッ!!」

 

 その実力の差はあまりにも明確だった。

 将監は確かに強い。だが、それは人の範疇での話だ。

 この男は、人の領域を踏み外したさらにその先にいる。

 

「俺とやるってんなら、この絶望的なまでの実力の差を少しでも埋めてから出直してこい!!」

 

 クロスした二丁の銃で剣をしっかりと受け止め、ガラ空きとなった将監の腹に鞭のような鋭い前蹴りを放つ。防御の体勢も取れず吹き飛ばされた将監はコンクリートの壁にクレーターを生み、そのまま項垂れた。

 態勢をそのままに竜胆は冷たく言い放つ。

 

「その程度か。ほざいていた割に、大したことは無かったな」

 

 言いながら銃をホルスターにしまおうとしたその時だった。

 

「……何、勝手に終わらそうとしてんだよ」

 

 その動きを止めて、「へえ」と呟きながらXIX拳銃を肩に担ぎながら竜胆は振り向いた。

 

「まだ生きているか」

 

 視線の先、地面に仰向けに倒れていた将監は大剣を片手に立ち上がっていた。

 息は荒く目は充血しており、体の至る所から血が吹き出している。

 だが、この男はこうして地面に立っていた。

 

「まだ、終わってねえだろ……ッ」

「……。タフだな。今ので肋の五、六本は砕いたはずなんだが」

 

 今の攻撃は決して手を抜いていた訳では無い。

 並大抵の人間ならば今ので終わる。現に先程まで戦っていた民警の何人かは竜胆の蹴りで絶命していた。それが、目の前の将監はどうだ。満身創痍ではあるが、こうして生きている。

 

「だがタフさだけじゃ俺には勝てんぞ」

「どちらかが死ぬまで……俺は、止まらねえ!!」

 

 裂破の気迫。将監から放たれるプレッシャーを直に浴びながら竜胆は意気消沈としていた目を僅かに輝かせた。

 

「弱者が強者に立ち向かうか。面白い、貴様の死は俺がしっかり見届けてやる」

「やってみやがれ!!」

 

 剣を構え、地面を駆ける。竜胆にあと一歩で迫るという瞬間、竜胆の姿がブレた。

 何がどうなっている。剣を構えながら眼球運動で竜胆の姿を探す。しかし、一向に竜胆の姿は見当たらない。

 

「本当に、何が……」

「こっちだ」

「!?」

 

 頭上から錆びた声が聞こえた時にはもう遅かった。背中と肩に数発の銃弾を喰らい、苦痛に思わず声をあげる将監。

 着地と同時にバックステップを取りながら、マガジンを交換する竜胆。

 

「どうした。俺の口を引き裂くんじゃなかったのか?」

「……」

 

 剣を杖がわりにして立ち上がる将監。

 肉体に刻まれた無数の風穴から血が吹き出るも、そんなものは関係ない。

 御影竜胆を倒し、功績をあげる。彼ほどの人間を倒せば、三桁の序列に入ることも夢ではないだろう。

 そのためには、どんな手であろうと使うしか無かった。

 

「行くぞ……!」

「少しは学習したらどうだ?」

 

 将監は剣を振り下ろす───寸前、剣を手放して時限式爆弾を自然な動作で地面に転がした。

 

「……!」

 

 ここに来て竜胆が初めて戦慄の表情を浮かべた。将監はスカーフの下で口角を上げると、

 

「吹き飛べや!」

 

 そのまま腕をクロスして後方へ跳躍。同時に凄まじい爆風が将監を襲った。

 数メートル先まで吹き飛ばされるものの、何とか着地に成功し、爆炎に包まれている先程まで自分が立っていた場所を見ながらほくそ笑んだ。

 ゼロ距離からの爆破。流石にあんなものを喰らえば、序列二〇位の男であろうとひとたまりもないだろう───。

 

「───」

「……ッ!?」

 

 勝利を確信していたその時だった。体の内側から何かが突き破るような明確なヴィジョンが将監の思考を過ったのは。

 将監は堪らず目を剥き、爆炎の方を振り向く。

 馬鹿な、有り得ない。様々な感情が蠢きながら物陰に隠れるも、一向に攻撃の気配がない。

 気の所為か?そう思って警戒を解いた瞬間、一瞬のスキをついて爆炎の中から銃弾が放たれた。太腿に銃弾が直撃し、血が飛沫く。堪らず膝をつき、足を抑える将監。そして───

 

「……さすがに今のは少し不味かったな。直撃していれば死んでいたかもしれん」

 

 爆炎の中から何食わぬ顔で赤い瞳の怪物はゆっくり現れた。

 ロングコートは吹き飛んでいるものの、それ以外は軽く煤がこびりついているのみで無傷。そして、僅かに燃えてしまったのだろうか、ワイシャツの胸元部分が露出していた。

 

「……ッ!?」

 

 竜胆の胸元。そこには、虎のような無数の痣があった。人間には決して存在しないそれを直ぐに傷跡だと理解した瞬間、将監は震える声で呟いた。

 

「……なんだ、それは!!」

 

 全てが同じ傷だと理解した瞬間、ありえないと言わんばかりに首を振った。

 もし、これがすべてその時に出来た傷だとしたら……通常の人間では間違いなく即死級だ。それだと言うのにこの男は、二本の足を地につけて立っている。こうして呼吸をして、生きている。

 

「なんなんだ、お前ッ!本当に……人間なのか!?」

「ああ。残念なことに、正真正銘愚かでどうしようもない、唯の人間だよ」

 

 一瞬で距離を詰め、拳を振りかざす。その瞬間、僅かながら拳が輝いたのを将監は見逃さなかった。

 

「……ッ!?」

「さっきの爆発のお返しだ。しっかり防げよ」

 

 呆気にとられて防御すら忘れていた将監の胸元に、風切り音と共に振るわれた拳が直撃。爆音と共に凄まじい勢いで吹き飛ばされ、コンクリートの壁を三回ぶち抜き、アスファルトを数回跳ねてからようやく勢いが止まった。

 荒い息を吐きながら何とか立ち上がろうとするも、足に上手く力が入らない。

 

「あれを喰らって、まだ意識を保っていられるとはな。ここまで来ると、さすがに呆れが勝つ」

 

 その将監を追うように竜胆は現れた。

 手からは湯気が立ち上がっており、何が起きたのかを理解する。

 あの光り輝いた拳だ。あれが威力を何倍にも傘増しし、あれほどの破壊力を持つ拳を繰り出せたのだ。

 ならば、カラクリがあるはずだが───そう思考しようにも、将監にそんな時間は残されてはいなかった。将監の首をつかみ、持ち上げる。

 

「ここで楽に死ねたほうが幸せだっただろう。お前自身のタフさを呪うんだな」

 

 体にいくら命令を出しても、指一つ動かない。どうやら、限界を迎えてしまったらしい。そんな将監の姿を見ながら竜胆は嗤う。

 

「それで……どうした髑髏。もう終わりか?俺のこの口を引き裂くんじゃなかったのか?」

「……!」

「……残念だ。まだ遊べると思ったが、もう言葉も口に出来ないか」

 

 落胆。失望。竜胆の声にはそれらが含まれていた。竜胆は地面に将監を放り投げると、ホルスターからの引き抜いたMark.XIXの銃口を向けた。

 

「勝った人間の言葉にこそ、すべての意味がある。残念だったな。お前が強さという鍵を手に入れていたなら、こんな結果にはならなかっただろう」

「俺、は……」

「消えろ」

 

 銃身が三回点滅し、その引き金を引く。

 刹那、将監の視界は眩いほどの閃光に包まれ───凄まじい熱の中、意識を手放した。

 

「……さて」

 

 竜胆はそのまま視線をずらすと、遥か向こう側で行われているであろう戦闘に目をくれた。

 

「向こうもそろそろ終わりか?」

 

 口の端を歪めて笑うと、そのまま次なる戦場へゆっくりと歩き始めた。




次回:『純白:White』


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純白

新年明けましておめでとうございます。

次回はここまで長い期間があかないよう頑張ります。


 戦いが終わり、静寂が降りた。肩で息をしながら滝のような汗を垂れ流す。

 これでようやく全てが終わった。

 ゆっくりと息を吐くと、延珠のほうを振り返り笑って見せようとする。

 そんな時、心臓が鷲掴みされるような寒気が蓮太郎を襲った。

 

「───お前が蛭子影胤を倒すとはな。どうやら、勝利の女神は民警(サイド)に微笑んだらしい」

 

 消えかけていた警戒心が最大値まで引き上げられる。既に満身創痍ではあるが、ここで逃げ出したところで奴は追いかけて来るだろう。

 生唾を飲み込み、震える声で呟く。

 

「……てめぇ、はッ!!」

 

 すぐさま戦闘態勢を取ろうとするも、出血量が多かったせいだろうか。足に力が入らず、視界が霞んで焦点が定まらない。

 勝機はゼロ。万全の状態であればまだ可能性はあったかもしれないが、現在のこの状況では戦闘すらままならないだろう。

 そんな蓮太郎を見ながら竜胆は僅かに目を細めた。

 

「安心しろよ民警。そんな状態のお前と戦うつもりは毛頭ない」

「……どういうことだ」

「血の出しすぎで頭まで狂ったか? 満身創痍のお前と戦っても意味がねえと言ってるんだ」

 

 その言葉が真実か、それとも偽りのものなのか。眉一つ動かさず言ってくるので、蓮太郎にはわからない。

 竜胆はそんな蓮太郎を見ながら「だが」と続ける。

 

「どうしてもやりたいって言うなら、相手になるがな」

 

 ホルスターに手を伸ばしながら竜胆は呟く。

 どういう訳か僅かに負傷している竜胆だが、それでも今の蓮太郎の状態と比べてみれば無傷と言っても過言ではない。加えて、地力が蓮太郎と竜胆とでは天と地ほどの差がある。

 どうする。目の前の男の言葉は信じられない。だが、今ここで戦えば確実に───。

 そんな時、いつの間にか近くまでやってきていた延珠が、蓮太郎の服の裾を掴んだ。そして、竜胆の姿を真っ直ぐに見つめた。

 

「蓮太郎。この男が言っていることは本当だと思うぞ」

「延珠……!?」

「この男が嘘を言っているように、妾は思わない」

 

 延珠の言葉に竜胆は動きを止めた。そして、無言で延珠を凝視してから溜息を吐き、抜きかけていたXIX拳銃を乱暴にホルスターに捩じ込んだ。

 

「……ちっ、そこの餓鬼に救われたな」

 

 吐き捨てるように言うと腕を組んでこちらを睨みつけてきた。どうやら本当に戦いに来た訳ではないらしい。

 

「だったらなんの用なんだよ」

「……どうやら、お前が倒した蛭子影胤の思い通りに事が進んだらしくてな」

 

 何を言っているんだ? と訊ねようとしたその時、胸ポケットが震え、電子音が鳴り響いた。

 

『生きているみたいね、里見くん』

 

 声だけで誰かわかった。聞き心地のいいいつまでも聞いていたくなるような声が聞こえてきて、目頭が熱くなるのを感じた。

 そんな様子を見兼ねてか、竜胆は舌打ちをつくと大股で近づいて蓮太郎の後頭部を引っ叩いた。

 

「いきなり何しやがる!?」

「感傷に浸っているところ悪いが、グズグズしてる暇はねえぞ」

「はあ!?」

『里見くん、悪いけど彼の言っている通りよ』

「木更さんまで一体なんだってんだよ……!?」

 

 木更はいつになく暗い声を出した。

 

『落ち着いて聞いて。ステージVのガストレアが姿を現したわ』

「……え?」

 

 蓮太郎は小さく声を漏らした。

 せっかくこの戦いに勝ったというのにこれですべてが終わりだと言うのか? 

 ちなみにこれは現在進行形の話らしい。

 東京湾に侵入した大型ガストレアの頭部が確認されたと同時に、ミサイルと毒ガス、魚雷などが発射されたが、軽度な損傷を与えただけで即座に修復。毒ガスには地上最悪のガスが使われたが、その成分を即座に解析、分析し、耐性を付与してしまっているという。頼りの綱であったバラニウム徹甲弾はガストレアの装甲が硬くて弾かれる。

 今も遠くの方で爆音が聞こえてくる。東京エリア崩壊のカウントダウンは刻一刻と迫っていたらしい。

 

「もう……手は無いのか? このまま東京エリアは終わっちまうのか?」

『いえ、まだ手ならあるわ。君から見て南東方向に最後の手が残されている』

 

 言われて首を巡らせる。そして、木更の意図を悟ると、ふるふると首を振った。

 出来るわけがなかった。

 一.五キロに及ぶに並列走行の二本のレールが、雲を貫いている。その先端は確認することは出来ないが、蓮太郎は見ただけでこれが何なのかを理解した。

 ガストレア大戦末期の遺物。完成はしたが、遂に使われることのなかった超巨大兵器、線形超電磁投射装置───通称『天の梯子』。直径八百ミリ以下の金属飛翔体を亜光速まで加速して射出することの出来るレールガンモジュール。

 一つ間違えれば死の大地を生み出してしまう代物。

 できるわけが無い、とつぶやく蓮太郎の背中に凄まじい衝撃が駆け巡った。

 

「っで!?」

 

 振り返れば、そこにはオロオロとした表情で蓮太郎を見やる延珠と、どこまでも冷めきった瞳で睨めつけてくる竜胆が居た。

 

「……いつまでここにいるつもりだ。早く行け」

「お、おいッ! ここまで来たってことは天の梯子が目的なんじゃねえのかよ!?」

「最初はその気だったが、気が変わった」

 

 それにと続けながら赤い瞳が蓮太郎を射抜く。

 

「東京エリアを救いたいなら民警であるお前がやるんだな」

「……なッ」

「なぜ極悪人であるこの俺が、ぬるま湯に浸かりきった砂利共の為に力を振るわなければならない?」

 

 その言葉に蓮太郎は歯を噛み締める。

 今ここで天の梯子に最も近い民警は蓮太郎しかいない。

 蓮太郎がやるしかないのだ。

 

 

『純白/White』

 

 

 荒れた大地をゆっくりと歩きながら竜胆は、遠くで暴れるガストレアに視線をずらした。

 

「……あれが噂のステージVってやつか」

 

 怪物。ただその一言に尽きる。

 何種類もの生物をその身に取り込んだのであろう肉体。ひび割れた肌は疱瘡にかかったようなイボが無数にあり、そこから突起状の物体が生えている。

 頭部は異常なまでに肥大化しており、左目はあまりにも小さい。

 二足歩行で歩くその怪物は人々の心を恐怖のどん底に突き落とすには十分だった。

 ゾディアックガストレア、通称『天蠍宮(スコーピオン)』。かつて世界を壊滅寸前まで追いやった最悪最凶のガストレアの内の一体。

 

「だから『天の梯子』(この兵器)を使うって訳か」

 

 あの怪物は既存の兵器で殺すことが出来ない。だからこそ『天の梯子』を使えとアリアは言ったのだ。

 しかし、どういう訳か竜胆はアリアに言われたことすべてを蓮太郎に丸投げすることにした。

 確かに、今東京エリアが消滅してしまうのは竜胆も困る。現に先程までは竜胆が起動しようと考えていたが、木更の無線を聞いて考えを改めた。

 あの兵器は政府の許可が降りなければ使用出来ないであろう。万が一に使用許可が降りたとしても弾薬が補充されていない可能性が非常に高い。

 電力の供給ならばどうとでもなるだろうが、弾薬まではさすがにどうにもならない。だったら、バラニウム義肢を持ったあの男に直接やらせた方が効率がいい───竜胆はそう結論づけた。

 

「……にしてもあの民警」

 

 天の梯子の中にいるであろう蓮太郎のことを思い出しながら眉を顰めた。

 

「あの面構え、あの目付き。たしか、どこかで───」

 

 と、そこで竜胆は歩みを止めた。

 何かがおかしい。そう気づいたのは歩みを止めてから二秒が経過した頃である。

天蠍宮(スコーピオン)』が出現したと言うのに、いくらなんでも静かすぎる。ガストレアは音や気配に敏感だ。竜胆が大量の民警を相手に一方的な蹂躙を繰り広げていた時。蓮太郎と影胤が戦闘を行っていた時。少なからず未踏査領域に音が響いていたはずだ。

 それだというのに、ガストレアが一向に姿を現さない。

 理由は割と直ぐにわかった。誰かがガストレアを止めていたのだ。

 

「……どこの誰だか知らんが余計な真似しやがって」

 

 血の匂いが濃密になる。

 登りきると、そこには無数の死体が転がっていた。

 人のものでは無い。すべて、ガストレアのものだ。予想していたより遥かに数は少ないが、それでも数は一〇〇を優に超えている。

 竜胆は死体の中をゆっくりと進んだ。

 しばらくして、根元から吹き飛んだ人間の足が道端に転がっているのを見つけた。足の大きさからして、子供のそれだ。

 歩みを止め、数十メートル先に視線をずらすと、そこに少女がいた。

 右足がない。白いワンピースは血と泥で染まり、身体には無数の傷跡。

 その傷を、人のものとは思えない速度で修復してた。それどころか、右足まで再生しかかっている。

 

「……」

 

 もう手の施しようがなかった。ガストレアウィルスは体内浸食率が五〇%を超えると、人の姿を留めて居られなくなる。ここまで来たら最後、現代医療では引き伸ばすことも、押し留めることも出来ない。

 それでも尚、人の姿を維持できているのは───なにか理由があるのだろうか。

 

「餓鬼一人でガストレア相手だと? 馬鹿馬鹿しい」

 

 竜胆はXIX拳銃を抜き、息も絶え絶えな少女の眉間に照準した。

 放っておいてもどうせ死ぬ。しかし、ガストレアになられたらそれはそれでやることが増える。今この場で殺してしまった方がいいのだろう。

 しかし、なぜだろうか。いつもならば躊躇なく引き金を引くことが出来るというのに、今はそれが出来なかった。

 

「……やめだ」

 

 無性に疲れたような気がする。

 理由も分からないまま、竜胆は小さく息を吐いてから再びゆっくりと歩き出した。

 警戒を解いた訳では無い。いつ少女がガストレア化してもいいように、XIX拳銃は握ったままだ。

 死体の中を突っ切り、開けた場所に出ると、誰かがこちらにゆっくりと歩み寄ってきていた。

 眼球運動のみで足音の方を振り向けば、ギターケースを背負ったアリアが闇の中から現れた。

 

「どうもお疲れ様でした。竜胆様」

「……俺にすべて丸投げしたお前が今更何の用だ。まさか殺されに来たわけじゃねえだろ」

 

 竜胆の言葉にアリアは憮然とした表情を浮かべた。

 

「丸投げとは心外ですね。信頼していたからこそ、全部任せたのです。それにリハビリにはちょうど良かったでしょう?」

 

 アリアの言葉に竜胆は小さく息を吐いた。

 確かに、悪いものではなかった。実力こそ大したものではなかったが、久しぶりに銃を握って戦ったのだ。二年間、監獄島に閉じ込められ、鈍っていた戦闘センスを取り戻すには十分だった。

 それでも、将監の不意打ちにやられたのは癪ではあるが。

 どうやら完全に元に戻った、という訳では無いらしい。

 竜胆はホルスターにXIX拳銃を捩じ込み、腕を組んでからアリアを見下ろした。

 

「こんなに早く出てきたということは、ずっと見ていたんだろう。趣味の悪い餓鬼だ」

「ええ。竜胆様があの民警───いえ、『新人類創造計画』の少年と戦わなかったところも、ばっちりと」

 

 アリアの言葉に竜胆の目付きが凶暴になる。

 そんな竜胆を見ながらアリアは「そんな殺気立たないでくださいよ、怖いですね」とボヤきながら竜胆に問いかけた。

 

「どうして彼を殺さなかったのです」

「あ?」

「彼はこれから先、竜胆様が計画を遂行する上で障害になるでしょう。そんな彼をなぜ殺さなかったのですか」

 

 アリアの問いに耐えきれず笑い出す竜胆。

 アリアはそんな竜胆の姿を見て目を丸くしていた。

 

「くはっ……くくっ。あんな砂利が障害だと? 笑わせるんじゃねえよ、あんな格下相手に俺が負けるはずねえ」

 

 腕を組んで竜胆は死体だらけの大地に目線を一瞬向け、その後に『天蠍宮(スコーピオン)』の方に視線をずらした。

 

「それに、俺とあの餓鬼には目に見えた違いがある」

「……違い、ですか?」

「なんだかわかるか。龘アリア」

 

 まさかそんな質問をされるとは微塵も考えていなかったアリアは僅かに動揺した様子を見せるが、直ぐに平常心を取り戻して答えた。

 

「力、でしょうか」

 

 アリアの言葉に竜胆は眉を顰めた。

 

「その理由は」

「里見蓮太郎は四肢による超人的な破壊力と義眼による超演算能力で敵を圧倒する能力を持っています。四肢に備え付けられたカートリッジを使用すればステージⅣガストレアだって葬れます」

「……それがどうした」

「竜胆様だって、それはやれるでしょう?」

 

 瞬間、竜胆の目付きが明確に変わった。

 怨嗟、憎悪、憤怒。これだけではないであろう、無数の負の感情が竜胆の瞳の中で渦巻いていた。

 外周区にいる『呪われた子供たち』たちの中にも竜胆のような負の感情が瞳の中に宿っているが、それはあまりにもちいさな炎。大したものでは無い。

 しかし、目の前にいる竜胆はどうだろうか。その瞳に宿るは地獄の業火。対象を燃やし尽くすまで消えることはない。

 

「お前が俺の事を調べ尽くしていることは、理解した」

 

 脂汗を垂らしながらアリアは数歩後退る。流石に切り札を出すのは早すぎたか───。アリアが臨戦態勢に入ろうとするも、竜胆は意外にも怒ることはなく小さく息を吐いた。

 そのまま瞑目して「続けろ」と首で促す。

 アリアは僅かに動揺しながらも言葉を続ける。

 

「それに彼は天童流格闘術。天童菊之丞より遥かに劣るであろう技を扱う時点で、竜胆様に勝てる要素はゼロです」

「……お前の言うことも一理ある。だが、残念ながらそうじゃない」

 

 竜胆は目を細めてアリアの出した答えを否定する。

 だったら何が答えなのだろうか。そう言いたげな目線を竜胆に寄越すも、反応がない。答える気がないのだろうか。

 そういえば御影竜胆という男はこういう人間だったかもしれない、と思い直してからアリアは話題を切り替えようと口を開こうとして───それより先に竜胆が答えた。

 

「簡単だ。あの餓鬼が守護者だからだ」

 

 そう答えた竜胆の顔は笑っていたものの、その赤い瞳はどこまでも凍てついていて、狂気が宿っていた。人のそれとは到底思えない瞳。

 

「人間っていう生き物は不思議なもので、守りたい者があればあるだけ強くなれると錯覚しちまう。それが自分を奮い立たせるための鍍金だと知らずにな」

「鍍金、ですか」

「最も、その守りたい者っていうに『呪われた子供たち』が含まれている時点で、そう遠くない未来に鍍金は剥がれ落ちるだろうが」

 

 蓮太郎に対して嘲笑っているのだろうか。それとも、かつて『英雄』と謳われた自分の姿を思い浮かべながら、自嘲気味に笑っているのだろうか。

 アリアの目からは両方が見て取れた。

 

「兎も角、だ。あいつが誰かを守りたいという願いがある限り、あの男が俺に勝つことは不可能だ。もしそれで俺に勝とうと吐かすのであれば、それは勇者でもなんでもない。ただの愚か者だ」

 

 陽はまだ上がらず、夜の暗闇に支配されている。

 銃と血と行き場のない怒りを。戦闘の余韻を残し、今は静寂に包まれていた。

 破棄されてから随分と経過しているであろうこの場所は、もはや人の関心などどこにも無い。ただ忘れ去られ、ただ朽ちていくのみ。

 

「帰りましょう。朝ごはんは作ってあります」

 

 ここに無数に転がる死体も同じだ。一瞬だけ哀しまれ、その後に忘れられていく。

 竜胆は何も答えず先を歩くアリアの背中に続く。そして、雑木林に入る寸前───竜胆は『天の梯子』の方を振り向いた。あの中にいるであろう蓮太郎の姿を思い浮かべながら。

 

「里見、蓮太郎……」

 

 思わぬ報酬を手に入れた。蓮太郎を殺さなかった理由は彼が満身創痍だからとか、守護者だからではない。それは、蓮太郎の瞳が由来していた。

 この世界に絶望しながらも、一縷の希望が揺らめく瞳。傷だらけの心を燃やして明日へ辿り着くために闘う。

 竜胆は不敵に笑った。意味もなく戦い続ける人間より、目的を持った人間と戦った方が面白いに決まっている。

 

「お前の正義、少しは楽しめそうだ」

 

 竜胆は笑みを浮かべたまま、暗闇の中へと姿を消した。




Q.なんでガストレアの数が少ないの?

A.アリアが裏で頑張ったから。

Q.なんで左腕は残ってるの?

A.アリアが裏で頑張ったから。

Q.相当距離が離れているのに、なんで肉眼でそこまで捉えられるの?

A.████(削除されています)

【次回:︎︎   】



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第1章完結です。
次回からはもう少しガストレア出します。


 ───そこはまるで地獄だった。

 辺り一体が炎に包まれ、その身を焦がしていく。

 酸素が体に上手く回っていないのか、視界がふらついてよく分からない。

 思考すらままならない。自分が、何者かなのすら思い出せない。

 不意に視界に黒い影が現れた。銃器を持った男が自分を見下ろしている。顔は分からない。しかし、その目が爛々と輝いていることは理解出来た。

 

『……』

 

 声は出ない。しかし、喉元からは唸り声が漏れていることが分かった。

 

『……!』

 

 そして思わず息を呑んだ。

 仲間がいた。寝食を共にし、生き抜いてきた仲間が、男の後方にいる。

 しかし、それらは既に息絶えていた。

 頭部を砕かれ、何も言わなくなっていたのだ。

 

『───』

 

 心臓が引き絞られるような感覚に、奥歯を噛みしめた。

 途方もない悲しみと、途方もない怒りが心の中で渦巻く。

 ただ生きていた。それだけだ。何も悪さはしていない。男に干渉したことなど一度もない。それだというのに───男は、襲撃を掛けてきたのだ。

 その視界に込められた悪意に。

 自分を消し去ろうとする殺意に。

 その心が、砕け散るのは必然であった。

 

『───!』

 

 怒りに狂ったそれは、雄叫びを上げ、それと同時に地面を蹴り上げて男の首元に噛み付いた。

 抵抗間もなく、男の命は絶え、何も言わぬ骸となった。

 

『……』

 

 こうしたところで、自分の仲間が戻ってくるわけではない。復讐からは、何も生まれない。

 それは、小さく唸るとその場から立ち去った。その瞳に、憎悪の炎を燃やして───。

 

 数日後の一七六四年。六月一日。

 怪物は現れた。

 怪物は全身が焔と同じ、赤い体毛で包まれており、牛とほぼ同じ大きさの狼に似よくた生物だった。その長く曲がりくねった獅子のような尻尾は先端まで覆われていた。そして、鋭い鉤爪と血に飢えた牙を持ち、黒く長い一筋の縞模様が背中にあったという。

 

 人を狩るためでも、食するためでもない。人を殺す、ただそれだけ。

 時には喉に牙を突き立てて血を吸い、頭の皮を剥がして抹殺した。

 

 人々はその怪物を『(ベート)』とそう名付け、恐れた。

 

 

 

 

 暖かい風が吹く。風に吹かれる度に花弁が綺麗に散る散歩道に蓮太郎はいた。

 延珠は公園の片隅のアイスクリーム屋まで全力疾走。財布の中身はスッカラカンだ。

 

「……まあ、せっかく序列が上がったというのに寂しいお財布事情ですね」

 

 先程まで暖かった雰囲気が一瞬にして豹変する。底冷えするほどの寒さが蓮太郎を襲った。

 蓮太郎は振り返ると、距離を取った。

 

「お久しぶりです。いや、この場合は数日ぶり?」

 

 先程まで蓮太郎がたっていたすぐ後ろにいた少女は、陽光に照らされていた。

 歳は十代前半くらいだろうか。紺色ののセーラー服を身にまとった、金色の髪の少女だ。背丈は延珠より僅かに高く、その背中にはギターケースを背負っていた。

 名前は知らない。しかし、その少女のことを鮮明に覚えていた。

 

「お前は……!」

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私の名前は龘アリア。モデル・レオのイニシエーターです。以後お見知りおきを」

 

 レオ。ラテン語でライオン。なぜレオと名乗ったのかは不明だが、この少女が侮れないことを蓮太郎はよく知っていた。

 

「……俺に何の用だ」

「別に。大したことではありませんよ。先ずは序列昇進、おめでとうございますとでも?」

 

 ただただ純粋な笑みを浮かべられた蓮太郎は吃る。しかし、ここで警戒を弛めてしまえば、いつ攻撃してくるか分からない。蓮太郎がXD拳銃に手を伸ばそうとすると、アリアは首を横に振りながら言った。

 

「安心してください。今この場でやり合うつもりは毛頭ありませんから。そもそも、私は対面で戦う時は正々堂々と戦うのが好きなので」

 

 どうです?ライオンっぽいでしょう?と表情を変えないで答えた。

 蓮太郎は冷めた目で睨めつけると、アリアは一瞬だけキョトンとした顔を浮かべて溜息を吐いた。そしてその次の瞬間、蓮太郎の上半身と下半身が切り裂かれた。

 

「……!?」

 

 何歩かたたらを踏む。幻覚だ。しかし、今確かに切り裂かれた気が───。

 

「やめておいた方がいいですよ。今のあなたと私とでは、天と地ほどの差がある」

 

 アリアの瞳の色が変わっていた。宝石のような翡翠色から、赫灼たる赤色に。

 濃密な殺気に襲われた小鳥がこの場を立ち去り、桜の花びらが更に散る。

 冷や汗が額から鼻を伝って地面に垂れた。

 

 ───コイツ、気迫だけでダメージを再現させやがった……!

 

 達人の行き着くその更に向う側。それを平然とやってのけた少女に戦慄を覚える。勝てない。その答えに行き着くのに時間は掛からなかった。

 蓮太郎の戦意が喪失していくのを見ながらアリアは小さく笑った。

 

「分かっていただけたのなら何よりです。無闇矢鱈に戦うのはあまり上品ではないので嫌いなんです」

 

 その表情は先程と同じく笑みが彩られている。それも余裕に満ち溢れた、だ。

 

「では簡潔に。里見蓮太郎さん、あなた、私たちの仲間になりませんか?」

 

 少女の口から飛び出したのは勧誘の言葉だった。

 

「私は正直気が進まないのですが、上がそうしろというものですから」

 

 身体が動かない。手脚はあると言うのに、ピクリとも動かないのだ。

 

 ───動け、動け!

 

 幾ら命令を出しても指ひとつ動かない。

 

「さあ、どうです?その『新人類創造計画』の力を、我々のために振るいませんか?」

 

 言いながら蓮太郎に近づき、右手を伸ばした。

 そして、ひんやりと冷たい手が蓮太郎の頬を撫でた瞬間───

 

「……っ!」

 

 アリアが突然後方に飛び退いた。

 瞬間、凄まじいインパクト音とともに地面にクレーターが生まれ、盛大な粉塵を巻き上げた。一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。

 

「大事ないか、蓮太郎ッ!」

 

 先程までアリアが立っていた位置には、延珠が立っていた。

 

「ああ、そういえば……邪魔なイニシエーターがいましたね」

 

 アリアは首を回しながらステップを踏むように片足を地面に打ち付けた。

 

「───仕方ありません。今回は撤退するとしましょう」

 

 アリアは背中を向けてゆっくりと歩き出す。数歩歩いたところで蓮太郎たちの方に視線を向けると、アリアは妖しく笑った。

 

「それでは、また。いつかとか?」

 

 ゆっくりと歩き出すアリアの後ろ姿を、延珠は追いかけようとする。

 

「延珠ッ!やめろッ!!」

 

 蓮太郎の呼び掛けで動きを止めた延珠は、訝しげな表情で蓮太郎を見詰めてきた。

 

「……いまは、やめろ」

 

 小さくなっていくアリアの後ろ姿を見ながら蓮太郎は呟いた。

 ゆっくりと立ち上がりながらそう答える蓮太郎の姿に、何か言いたげな表情を浮かべていた延珠だったが、渋々ながら頷いた。

 

「……わかった」

 

 薄紅の背景の中、蓮太郎と延珠はしばらくの間、呆然とアリアの姿を見つめることしか出来ずにいた。

 

 

 

 

 空は闇に覆われていた。

 黒い雲に覆われた空には星一つなく、月も見ることも出来ない。

 ビルの屋上に座っていた御影竜胆は気怠げに首を回した。

 背後には───無数の人間が倒れている。正確に言うのなら、このビルの中にいる人間すべてが、竜胆によって抹殺されていた。

 そんな中で竜胆の瞳が妖しく輝く。まるで夜空に代わりに輝く星のように。

 本来ならば攻撃する必要はなかったのだが、先に仕掛けられたため、止むを得なかった。所謂、正当防衛*1と言うやつである。

 

「……」

 

 身に纏っていた黒のロングコートは激しい戦いを物語るかのように、所々破れ朽ち果てている。その姿はまるで激戦の末に勝ち残った魔王のようだった。もしくは、闇に堕ちた勇者か。

 時刻は既に、午前一時を回っていた。やはりと言うべきか、二年間の監獄島生活のせいで、戦闘技術がかなり落ちている気がする。数日に渡る連戦であったが、かつての自分ならば無傷でくぐり抜けることが出来ただろう───そう考えてしまう。

 立ち上がり、XIX拳銃に視線を落とすと、かつての仲間が銃に刻みこんだだ赤い花が視界に飛び込んできた。

 

 

「竜胆にはさ、正義の味方でいて欲しいんだ。だから、この花のレリーフを刻ませてもらったの」

「銃に彫刻なんざ必要ねえだろ」

「これだけだからいいじゃん」

「こいつでお前の頭をぶち抜いてもいいんだぞ」

「やーめーて」

 

 

 竜胆。花言葉は『Justice(正義)

 名前も思い出せないかつてのコンビであった少女が、竜胆に刻んだ、呪いの花の名前。舌打ちをついて強引にホルスターに捩じ込む。

 どうもこの銃を握っていると嫌なことばかり思い出す。破棄するべきだった。

 何が正義だ。銃は所詮、人を殺すための道具。使い方によればと言う人間もいるが、この銃は人を殺すことに特化した拳銃だ。正義とはまるで程遠い。

 二年前のあの時だったそうだ。少女の言葉を鵜呑みにせず、単独で行動していれば、少女は死ぬことは無かった。

 プロモーターとイニシエーターという関係性を逸脱した結果、関係の無い人間の命を奪ったのだ。

 

「……」

 

 自分は一体、少女との関係に何を見出そうとしてたのだろう。

 友情だろうか。それとも愛情だろうか。

 その甘ったる思考のために、民警ならば犯してはいけない境界線を越してしまった。それが、『呪われた子供たち』を殺すことになると知っていたのに。

 

「……」

 

 だから、竜胆は決めたのだ。そのために、素性も知らないアリアの組織に協力することにしたのだ。

 革命などには興味はない。政治なんてものもどうでもいい。成すべきことはただ一つ───。

 

「……ゾディアックガストレアを一体、この手中に収める」

 

 言葉と共に、目線は空間に放たれ、そして消えていった。

 竜胆の感情は晴れない。あいつが今の俺を見たら、一体どう思うだろう。そう言いたげな面持ちだ。

 まだ夜は開ける気配すらない。冷たい夜風が、闇に溶けては消えていく。

 怨嗟と憎悪が渦巻く胸の中で、黒衣の怪物は悲痛そうな表情で、嗤った。

 

 

【︎︎ 虚無 /Nihility】

 

 

 ───かつて、悪魔の怪物と謂れた獣は、多くの人間を殺し、そしてたった一人の人間に敗れた。

 

 ───闇へと消えたその魂は、長い年月経て新たに生まれ落ちた。

 

 ───自分が標的としていた、人間となって。

 

【第一章:赤目の悪魔】

END

*1
過剰防衛である




最初のあれは史実とは関係ありませんので悪しからず。
感想、誤字脱字等などありましたら、よろしくお願いします。

Nihility:虚無。無価値である。


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凶ツ星 ーMeteoraー
流星 -1-


 冷たい潮風が御影竜胆の顔面を叩く。

 波の音に耳を澄ませていた竜胆は鬱陶しげに瞼を上げて、周囲を見渡した。

 太陽が天高く昇っている。どうやら目を瞑っている間に昼時になっていたらしい。通りで空腹感を覚えるわけだ。

 こうして波の音を聞いていればなにか思い出すかと思っていたが、現実はそう甘くはない。

 少女の声はおろか、姿形すら思い出すことが出来ない。

 記憶しているのは、ただそこにいたという事実だけ。

 一度、アリアにその少女の情報を調べろと命令したことがある。しかし、どういう訳か経歴、記録がすべて抹消されていたのだ。まるで、少女の存在が最初から存在していなかったかのように───。

 

「……いや、有り得るはずがない」

 

 だがそれだけは絶対にありえない。少女が遺した言葉は竜胆の耳に嫌という程焼き付いている。

 頭が覚えていなくとも、魂がしっかりと覚えているのだ。

 彼女は空想の存在ではない。間違いなくこの世界に生きていた。

 

 波止場を歩きながら竜胆は、ふと二年前の出来事を思い出していた。

 豪華客船に搭乗していた人間を一人残らず鏖殺したあの日を。

 二年前のあの事件は、誰一人として幸せにならないものであった。内側から塗り潰されるほどのドス黒い感情によって周囲の人間を蹂躙し、そして殺した。

 誰かに頼まれた訳でもない。この結末は彼に希望を見出していた人間すべてにも求められていたものでもなかった。

 だからこそ、今こうして安全圏にいることは、竜胆には許されることでは無いのだ。

 

「……」

 

 空はどこまでも青く、そしてどこまでも歪んでいるように見えた。

 青く塗り潰された世界が元に戻らない。折角檻から解き放たれ、自由の身になったというのに、心の中では未だに消えることのない虚無感が襲ってくる。

 

「……ッ」

 

 払拭することが出来ない痛みが呼び起こされる。

 頭に突き刺さった金属片。身体を燃やす炎。そして───耳にこびりついた少女の悲鳴。

 何時間、何日、何週間、何ヶ月。そして、二年経ち、完全に傷は癒えたというのに、当時の痛みが時折竜胆を襲う。

 最初はこの幻の痛みに苦しまされたが、時間が経てばなれるもので、この痛みに対して苦痛だと思うことはなくなった。だがそれでも、痛みというもの事態が、竜胆にとって忌々しいことこの上ない。

 自分は最強なのだ。誰に言われるでもなく、最強の存在として生まれてきた。

 その最強の存在である自分が、痛みを感じ、自分もまた無力な人間の一人であることを感じさせられることがこの上なく腹立たしい。

 

「……クソが」

 

 その鬱憤を晴らすかのように竜胆はXIX拳銃をホルスターからドロウ。銃弾が装填されていることを確認してから、銃を構えた。

 刹那、銃に光が灯る。仄青い光が銃に充填されていき、輝きを増していく。

 最初は数十秒単位の点滅、徐々に十秒、数秒と点滅する速度が早まり、最終的にずっと灯しているかのように見えるまでになる。

 

「さっきから目をギラつかせてうぜえんだよ、テメェは」

 

 そのまま竜胆は後方に向けて引き金を絞った。

 撃ち出された銃弾は青白いエネルギーを纏い、凄まじい速度で発射。数秒の後、耳を劈くような悲鳴とドス黒い液体が地面にぶちまけられた。それと同時に、先程まで道のりとなっていた風景が変化。巨大なカメレオンのような怪物が、肩口から尻尾にかけて風穴をあけた状態で佇んでいた。

 

「爬虫類風情が」

 

 大きさからして、ステージⅡのガストレア。目をギョロギョロと動かしながら竜胆の方を睨めつけているが、様子を伺うばかりで攻めてくる様子はない。どうやら、先程放った竜胆の攻撃を警戒しているらしい。

 そうしている間にも風穴の再生が始まり、せっかく与えたダメージがゼロに等しいものとなってしまう。

 弾薬は残り二。カートリッジを交換すればまだ弾薬はあるが、そんな隙は与えないだろう。ガストレアは決して無能ではないのだ。

 竜胆は再度銃口をカメレオンのガストレアに向ける。

 

「せめて楽にあの世に送ってやる」

 

 その時を待っていたと言わんばかりにカメレオンの口から舌が伸び、竜胆の右腕を拘束する。そして、そのまま竜胆を自身の巨大な口の中に放り込もうとして───動かない。いくら自身のところに引き寄せようとしても、竜胆が微動だにしないのだ。

 竜胆は赤い瞳を細めながら怒声を上げた。

 

「汚ねえもんで……俺に触れてんじゃねえッ!」

 

 そのままカメレオンの舌を鷲掴みにし、そのまま自身の方へ力いっぱい引く。

 するとどうしたことだろうか。カメレオンの肉体が竜胆の方に引き寄せられ、その距離を詰められる。

 

「───カッ消えろっ!!」

 

 銃の点滅が数秒単位で行われている状態で竜胆はカメレオンの脳天向けて引き金を絞った。

 刹那───頭部が内側から膨張し、そして爆ぜた。

 自分の腕に巻きついたままの舌を海に放り投げ、そのまま竜胆は天を仰いだ。

 

「……」

 

 血の雨が地面を、そして海を穢していく。

 こんな海が汚されていく光景を見たらあいつは悲しむのだろうか。それとも、俺が無事で良かったと吐かすのだろうか。

 何がともあれ、記憶がなければそんなことは分かるはずはない。

 すっかり動かなくなってしまったガストレアの死骸を海に蹴り飛ばしてから竜胆はもう一度空を仰いだ。

 やはり、空はどこまでも澄み切った青色であった。

 

 

【流星/Shooting Star】

 

 

「休暇、ですか」

 

 外周区付近の寂れたマンションの一室で、(たいと)アリアは翡翠色の瞳を丸くしながら首を捻った。その動作に合わせて金色の髪が揺れる。

 

『ああ』

 

 それに返すように答えるのは女の声だった。高くもなく、低くもない中性的な声。

 アリアの所属する組織の実質的なトップである。

 

「それはまたどうして」

『ここのところ働き詰めだったし、たまには羽を伸ばすといい』

 

 休暇が嬉しくない訳では無い。しかし、今アリアがいるのは日本の東京エリア。イタリア出身イギリス育ちの彼女にとって、ここは勝手が分からないのだ。事実、周辺環境を把握しているのは、この寂れた廃墟のようなマンション周辺の第三十六区と聖拠がある第一区、あとは簡単なデパートくらいである。臨時休暇が貰えるのではあれば、こんな異国の地ではなく、イギリスにいた時の方がありがたかった。

 しかし、仕方の無いことなのだ。この地には『(ビースト)』と呼ばれた男がいるのだから。

 

「まあたしかに彼のことで多少の苦労はありましたが……」

 

 特殊指定対象、御影竜胆。

 恐るべき戦闘能力を持つ人の形をした怪物。彼を仲間に引き入れ、神より造られし審判の獣───ガストレアの能力を持つ『呪われた子供たち』を中心とした世界を作る。そのためには彼の力が必要不可欠であった。

 とはいえ、傲岸不遜な彼の男はこちらから願い出たところで首を縦に振るとは到底思えないし、実力で物を言わそうにも返り討ちにされるのがオチだ。

 返り討ちにされることなく戦える唯一の実力者こそ、龘アリアであった。

 

『話は以上だ』

「あ、ちょっと待ってくだ───」

 

 アリアが物言う前に、通話を切られてしまう。アリアは項垂れながら小さくため息を吐いた。自分が監視を辞めたら一体誰が御影竜胆を監視するというのだろうか。

 アリアはそう考えながら、赤い縁の眼鏡をかけた。

 

 

 

 

「……で、お前の言うその休暇とやらになぜ俺が付き合わなきゃならねえ」

「いいじゃないですか。どうせいつも暇じゃないですか、竜胆様は」

「……あ?」

 

 ドスの効いた声で竜胆が睨めつけてくるも、素知らぬ顔で巨大な構造物へと向かう。

 大きな円上のゴンドラ、空中に敷かれたレール───遊園地だ。

 アリアは遊園地の地図を握りしめながら竜胆の顔を見やった。

 

「たまにはいいと思うんですよね。やることがなければいつも部屋で呆然とテレビを眺めながら昼間からお酒、銃の手入れって。余生が短いおじいさんじゃあるまいし」

「───どうやら、死にたいらしいな」

 

 夕暮れのせいでより一層禍々しさを増している竜胆の赤い瞳が、アリアを射抜く。

 明らかに苛立っている。ここで暴れて遊具を破壊しないかが心配だ。

 

「ほら、行きましょう。きっと入れば楽しいですって」

「一人で行け」

「なんで一人悲しく遊園地に入らなきゃ行けないんですか」

「興味ねえ」

 

 嫌がる竜胆の腕を引っ張りながらチケットを購入、それを係員に見せてから遊園地に入った。

 

「人が沢山いれば自然と楽しくなるというものです、さあ遊びましょう」

「……節穴か。この中の何処に人が沢山居るんだ」

「え?」

 

 見れば、人は殆どいなかった。静寂の中、ほとんど空の遊具がくるくると回っていた。

 

「どう、して……」

「平日の、しかもこの時間だぞ。少し考えてみればわかることだろうが」

 

 俺は帰るぞ。そう言うなり、竜胆は改札を飛び越えるとそのままどんどん遠くへ言ってしまう。呆気に取られていたアリアは数秒ほど硬直し、竜胆の後ろ姿を眺めていたが、現実に戻ってから頭を抱えた。

 

「あの人は……!!」

 

 つい先程竜胆に言い放った一人悲しく遊園地で遊ぶというのが現実になってしまった。今更竜胆を連れ戻そうとしても今度こそ激昂して暴れかねない。仕方ない、何個か遊具で遊んでから帰ろう。

 そう思い、手近なジェットコースターに向かおうとすると、係員のくぐもった悲鳴が耳に飛び込んできた。見れば、薄汚れた作業着を着た少年と少女が自動改札を飛び越えていたところだった。

 そして、その背後を追従するようにして少女が改札を飛び越えた。

 チェック柄が刻まれたコートにミニスカート。底の厚いブーツに左右に括られたツインテール。夕陽を背負いながら現れたその姿はまるでヒーローのようだが、悲しいかな。彼女は料金未払いの不法侵入者だ。しかもその姿をアリアは知っていた。

 

「……なんでここで会うんですか」

 

 藍原延珠。組織にスカウト中である英雄、里見蓮太郎のイニシエーター。

 またいつかと言いつつ、こんな短期間で、しかもこんな寂れた遊園地で奇跡の出会いをするなんていくらなんでも嫌すぎる。

 そう考えたアリアは足早にこの場から立ち去り、一箇所だけやけに人だかりが出来ている場所に向かった。

 あの中に紛れ込んでしまえば、彼女とそれに関連した人物には出会うことは無いだろう……そう思っていた。

 

 

 魔法少女に子供たちが群がっていた。

 

 

 正確には、魔法少女の着ぐるみ目掛けて、小学校低学年くらいの子供たちが総出で着ぐるみをいじめていた。

 あれは魔法少女を描いたアニメ『天誅ガールズ』に登場する天誅バイオレットというキャラだ。ちなみに言うと、アリアは天誅バイオレットが一番好きなキャラである。

 天誅バイオレットの何がそんなに憎いのかは分からないが、バイオレットが袋叩きにされている姿を見るのはあまり気持ちのいいものでは無い。近づいてその行為をやめさせようとすると、バイオレットの笑顔の奥からくぐもった声が聞こえてきた。

 思わず足を止めてバイオレットの方を凝視する。なんだかとても嫌な予感がした。

 

「うぜえんだよクソガキ共ッ!!」

 

 突如、魔法少女が暴言を吐いたかと思うと、ムクリと起き上がり、首に手をかけた。そして、中から大粒の汗をかきながら荒い息を吐く目つきの悪い少年が現れた。

 

「俺をいたわれガキ共ッ!!ぶっ飛ばす───」

 

 と、ここで蓮太郎と目線があったアリア。

 

「お前は───」

 

 すかさずアリアは背中を向けて全力疾走で走り出した。

 そして、ふと思う。

 

 休暇だからといって無理して遊園地になんて行かなければよかった、と。

 

 

 それからどれくらい走ったのか分からない。遊園地が視界に映らなくなるくらいまで離れたところで、アリアはようやく足を止めた。速度を一切緩めず走り続けていたせいか、心臓の鼓動が早く脈打ち、身体全身が酸素を欲している。

 アリアはゆっくりと歩きながら呼吸を整えた。

 

「……」

 

 慣れてないことはやはりするべきではなかったのだろう。大人しくマンションに戻って本でも読んでいれば良かったのだ。

 今日の出来事は悪い夢だと思って忘れることにしよう。今からゆっくり休めば、明日からまた頑張れるはずだ。

 そこでおや、と思う。

 まるで見覚えのない場所に来ていた。倒壊した建物と半壊した家屋。それに反してあまりにも綺麗に舗装されたアスファルトの路面。

 間違いない、外周区だ。それも、アリアたちが住んでいるところとは別の場所の。

 どうやら逃げることに一生懸命で逃走経路を把握していなかったらしい。

 

「…………はあ」

 

 ───ついてない。ただその一言に尽きる。

 アリアは思わず陰鬱にため息を吐いた。

 五歳の時までは、無邪気に笑えていた過去の自分を思い出してしまいそうで。

 普段は押さえ込んでいる衝動が目覚めてしまいそうで。

 生まれた所がちがければ、もしかしたら別の道を歩めていたかもしれない。

 そんな馬鹿げた事を考えてしまうのは、遠くの方からこちらを見つめてくる『呪われた子供たち』のせいであろう。

 こんな苦しい中でも一縷の希望を信じてやまない赤く燃える瞳。その瞳がアリアには疎ましく思えた。




龘アリア
性別:女
年齢:正確な年齢は不明
誕生日:10月10日(正確な日は不明)
星座:獅子座
身長 145cm
体重
所属:███

【備考】
モデル・ライオンのイニシエーター。しかし、時折ライオンが備えていない行動を行うことがあるので、警戒されている。


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流星 -2-

 久しぶりの休暇を堪能したアリアは死んだような顔で聖居の中に潜入していた。

 以前に比べて警備が強化されているものの、大したものでは無い。ならばなぜ死んだ顔をしている訳だが───監視対象が、あれから家に戻っていないのだ。

 数週間ほどで戻ると書き置きがあったものの、アリアの本来の任務は竜胆の監視及び、組織の引き込み。勝手に居なくなられては困るのだ。

 無論、そのことは上層部に知られている訳で。事実上のトップ2であるアリアが、本来ならばする必要のない仕事を現在しているわけだ。

 

「それにしても……」

 

 何度見ても豪華絢爛な内装だ。一体、これだけのためにどれだけの国民の税金が徴収されているのだろうかと思うと頭が痛くなってくる。それに数週間ほど前に破壊活動を行ったばかりだというのに、もう既に何部分かは修復が完了してしまっている。

 

「……こんなことにお金使うんですねぇ」

 

 厳重な警備網を潜り抜けてから聖天子がいる記者会見の場へ向かう。

 別に今回の任務は別に聖天子抹殺ではないのだが、何となく彼女の顔を拝んでおきたかったのだ。血による穢れを知らない白百合の姿を。普通の人間として生まれ、戦いを知らない少女の姿を───。

 

「……ってあれは」

 

 真っ白いドレスを着て、張り詰めた表情をうかべる少女の前に、ブラックスーツに似た制服を着た少年。里見蓮太郎だ。

 蓮太郎は俯き加減に後ろ頭をかきながら謝罪の言葉を述べていた。何をしたのだろう。後で調べておこう。

 数分ほど軽い談笑を挟んでいる二人組みをみて、そろそろ撤退しようかと思っていたそんな時だった。聖天子の口からとんでもない言葉が飛び出したのは。

 

「里見さん、大阪エリア代表の斎武大統領が非公式に明後日、東京エリアを訪れます」

 

 記者会見室から出ようとしたアリアの耳にそんな言葉が飛び出してきた。

 ここ数年、大阪エリアは東京エリアとコンタクトを取ろうとすらしなかった。

 理由はおそらく天童菊之丞の不在だろうが、それだけとは思わない。もっと他の別の理由があるのだろう。

 例えば、天童菊之丞不在の今だからこそ行える聖天子の抹殺だろうか。

 

「……考えても仕方ありませんね」

 

 アリアは小さく呟いてから記者会見室を後にした。

 後に聖居から出てくるであろう蓮太郎に接触を図るために。

 

 

【星屑/Stardust】

 

 

 蓮太郎が聖居を出ると、空は既に茜色に染っていた。

 散々な目にあった*1。蓮太郎は額に巻かれた包帯に手を当てながら態とらしくため息を吐いた。

 

「お疲れ様です。とりあえずお茶でも飲みますか?」

「ああ、ありがとう……っておい!」

 

 手渡された紙コップの中身を一瞬飲もうとして、いつの間にか隣にいたアリアに蓮太郎は目を剥いた。

 アリアは小さく悲鳴をあげ、耳を抑えてからジトっとした視線を蓮太郎に向けた。

 

「急に叫ばないでくださいよ。耳が壊れるかと思いました」

「あ、ああ……悪い」

 

 なんで俺が謝ってんだ?と思いながら蓮太郎はキャリアウーマン風の服を着込んだアリアを見やった。

 

「……って言うかおまえ、なんでここに」

「それは聖居に用があったからですが」

「そうじゃねえよ。お前、ここで散々暴れたんだろ。顔がバレてる状態でどうやって入ったんだよ。まさか警備員を殺したとか……」

 

 ふと、アリアの目付きが鋭くなるも、すぐに元の柔らかい表情に戻る。そして小さく息を吐いてからアリアはそんなことするわけないでしょう、と言わんばかりに胸を張った。

 

「安心してください。今回は正々堂々、正面から入って入館許可証もらいましたよ。まあ多少の変装はしましたが」

 

 どうです。似合っているでしょう。と自信満々に言うアリアだったが、背伸びしてる感が否めなかった。化粧をしてやや大人びているが、それでも蓮太郎よりも下に見られる。これでよく変装と言ったものだ。

 考えて見ればわかる話であった。警備員を殺したのであれば、間違いなく騒動になっているだろうし、聖天子も蓮太郎と会話することはなかったであろう。それに保脇の一件もなかったはず。

 適当に流しながら夕暮れ刻の空を仰いだ。そんな蓮太郎の顔を見つめるアリア。

 鬱陶しそうな目で睨めつけると、アリアは何度か目を瞬かせてから続けた。

 

「そんな顔しないでください。特に理由はないんです。ただ、すごい不幸そうな顔をしているなと」

「ぶっ飛ばすぞお前」

「まあこわい」

 

 そう言いながらもさして怖がる様子は見せないアリア。

 それもそうだろう。蓮太郎と彼女とでは明確な実力の差がある。戦ったところで蓮太郎が地面に伏すのは見えている未来だ。なんでこんなガキに、と思いながら顔を上げて、おやと思う。

 聖居前に据えられた凝った意匠の噴水の周りを、自転車が周回していたのだ。それも、さっきから意図的に意識を逸らそうとするくらいに。

 乗っているのは隣にいるアリアと同じ年齢くらいの少女で、風で靡く金色の髪が夕陽で輝いている。

 しかし、着ている服は身の丈に合わないパジャマで、足はスリッパ、髪の毛は寝癖だらけで口は半開き、その表情からまともな思考が出来ていないと考えられる。

 

「なんですか、あれ」

 

 没我の表情で自転車を漕ぐ少女を見て、アリアは一言呟く。

 

「……俺が聞きてえよ」

 

 なんだか蓮太郎はとても帰りたい気持ちになった。

 

「なにか聞きに行ってあげたらどうですか」

「ああいうのにはな、関わらないのが一番なんだよ」

 

 大人しく帰路につこうとした突如、背後から何かが倒れる音が聞こえてきた。

 

「どこ見てんだてめぇ、ああ!?」

 

 同時に大喝。見れば、一昔前の不良の格好をした少年3人組が少女に絡んでいた。

 自転車の少女は何が起こったのか分からないと言った様子で目を白黒とさせ、口をポカンと開けている。周囲の人間も助けるつもりがないのか、それとも巻き込まれるのが嫌なのか、絡もうとしない。

 

「気になるのなら、行ってあげたらどうです?」

 

 と、そこでアリア。

 なんで俺が、と喉まで出かけて、延珠がこの場に居たらきっと助けに行くだろうと考えた瞬間、足が勝手に動いていた。

 足早にリーダー格の男の背後まで近づくと、肩に手を置いて振り向かせる。

 不良の少年は不愉快そうに眉を顰めながら蓮太郎を睨めつけた。

 蓮太郎は小さくため息を吐いてから、自分の後ろの腰───ベルトに挟んである拳銃の位置を二回叩いた。

 青年はなにかに気づいたのか、眉間に皺を寄せて蓮太郎を殺意の籠った瞳で睨みつけしばらくして踵を返し、仲間を引き連れてどこかへと消えていった。

 助けた少女の方を振り向くと、いつの間にか移動していたのか、アリアが少女を介抱していた。あれだけのことがあったのにまだ目が覚めていないのか、ぼーっとした表情で蓮太郎のことを眺めている。

 

「……正義の、ヒーロー……はじめてみました」

「とっとと家に帰れよ、じゃあな!!」

 

 少女の安全を確認してから帰ろうとすると、制服の裾が掴まれた。アリアだった。

 

「ここがどこだかわからないみたいですよ?優しいお兄さん」

 

 蓮太郎は顔を掌で覆うと、天を仰いだ。

 

 

 

 近場の公園まで移動した蓮太郎一行は、少女をベンチに座らせると、少女の顔を水で濡らしたタオルで拭いながら訊ねる。

 

「お前、どこから来た?名前は?保護者は?というかなんだその格好は」

 

 少女は自分の服装に視線を落とし、首を傾げる。

 

「さあ?」

「さあってお前……じゃあ名前」

 

 少女はしばらく黙っていたが、やがて諦めたように自分の名前を言った。

 

「……ティナ。ティナ・スプラウト。ティナで大丈夫です」

「俺は里見蓮太郎だ。蓮太郎でいい。それで、もう一度聞くが、保護者はどうした」

「いません」

 

 訝しげに眉を顰める。一体どういうことだろうか。

 

「覚えている範囲でどこから来たか言え」

「……さあ?」

 

 確信した、これは蓮太郎の手には負えない案件だ。

 

「とりあえず覚えてる範囲で帰りやがれ!そんでもって、道がわからなくなったらこれに電話しろ!」

 

 蓮太郎はメモ用紙に自分の電話番号を書いて手渡す。

 ティナはそれを受け取ると、紙を見ながらスマートフォンを操作し、背を向けてから耳を当てた。瞬間、蓮太郎の胸ポケットが震える。

 

『突然ですが蓮太郎さん、幼女趣味はやめた方がいいですよ?』

「は?」

「先ほど私の隣にいた子は同い歳くらいだと思ってます。まさか私も仲間に加えようと……」

「精神科に行け」

「あと私、帰り道わかります」

 

 蓮太郎は携帯を地面に叩きつけたくなる気持ちを抑え、電源を切った。

 

「今日はとても楽しい一日でした。また会えるといいですね、蓮太郎さん」

 

 ティナは丁寧にお辞儀をすると、覚束無い足取りで公演を出ていく。蓮太郎はその姿が見えなくなるまで見送ってから携帯を胸ポケットに入れようとして───自分の手元にないことに気づく。

 見れば、アリアが何やら蓮太郎の携帯を操作していた。

 

「おい」

「私の電話番号を登録しておきました」

「そうじゃねえだろッ」

 

 怒鳴る蓮太郎にくすくすと笑いながら携帯を投げ渡す。何とかキャッチに成功してから、蓮太郎はアリアを睨んだ。

 

「よかったですね、幼女の知り合いが今日だけで2人出来ましたよ。夢に近づきましたね?」

「あ?」

「幼女の楽園を作るのが夢なのでしょう?それも赤眼の。ああ、私は気にしませんよ。エリア外や海外では割とよく見かける光景ですので。本当、気にしなくて大丈夫ですから」

「ぶっ飛ばすぞ」

「ふふふ。本当にあなたといると飽きませんよ。まあ、前に一人で遊園地に取り残されたところを見られた時は本気で殺してやろうかと思いましたが」

 

 ───ああ、あれやっぱりお前だったのかという言葉は胸にそっとしまう。

 アリアはくすくすと笑ってからゆっくりと歩き出し、何かを思い出したかのように蓮太郎の方へ振り返った。

 

「またお話しましょうね、里見蓮太郎さん?」

「二度と御免だよ」

「また会いにきますから。今度は連絡します」

「連絡してこなくていい。あと、二度と来んな」

 

 アリアは小さく笑うと、公園から足早に消える。

 蓮太郎は彼女の気配が完全になくなるまでそちらを見つめ、やがて小さく息を吐いた。

 なんだか、今日はとても疲れた気がする。

 延珠に帰りが遅くなった理由をどう説明しようか考えながら、蓮太郎はゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜の冷たいアスファルトの上で、アリアはキャリアウーマン風のスーツを脱ぎ捨てると、黒色のパーカーを身にまとった。

 夜が、来る。警戒心を高めつつ、アリアは先程蓮太郎が言い放った言葉を思い出していた。

 確かに警備員は誰一人として殺してない。しかし、今日誰も殺していないかと言われると嘘になる。

 事実、アリアは今日だけで二人の人間を殺していた。一人はキャリアウーマン風のスーツを身にまとった女性。理由は至極簡単、服を剥ぎ取るためだ。新品でも別に良かったのだが、新品の服には独特の匂いと硬さがある。そのため、早朝から聖居近くの駅にずっと息を潜め、アリアと体格が近い人間を見つけ───一瞬でその命を刈り取った。

 もう一人は、それを間近で目撃した警察官。

 奪った拳銃は持ち歩いているが、一撃で生命を奪うには心許ない。どうしようかと悩みながらまま路地裏に入った瞬間、ガラの悪い男にぶつかった。

 

「すみません、急いでいたもので……」

 

 そう言うと、男は僅かに口角を上げてアリアの前を阻むように立った。

 不信感を隠しきれないアリアは眉を顰めながら訊ねた。

 

「……私に何か用ですか」

「小さい子がこんな時間になにしてんの?」

 

 なんて、アリアの全身を舐めまわすように見ながら言ってくる。

 幼女趣味の人間かと身構えるが違う。視線はどこまでも冷たく、わずかながら血の匂い。

 自分と同じ闇の人間。人の道理から外れた人間の形をした怪物。気に食わない人間を何度もその手にかけてきたのだろう。

 ああ───、とゆっくりと頷きながらアリアは笑みを浮かべた。

 

「お兄さん、私と交わりたいのですか?」

 

 アリアの言葉に男は一瞬、呆気に取られた表情を浮かべた後、額に手を当てて笑い始めた。

 

「おお、積極的だねぇ。まだ小さいのにそういうのに興味あんの?」

「まあ人並み程度には。それより場所を移しませんか?ここは些か人目に付く」

 

 男とアリアは一定の距離を保ちながら、近くの廃屋に入った。

 そして、その戸を開け、中に入るなり男は好色な笑みを浮かべながらアリアに手を伸ばした。

 

「それじゃあ遠慮なく───」

 

 しかし、男の腕がアリアに届くことはなかった。

 アリアの姿が掻き消えたかと思うと、男の胸元に激しい熱が生まれる。

 

「あ?」

 

 アリアの右手が男の胸元を穿いていた。現実を未だに理解出来ていない男は何度も自分の身体に突き刺さる少女の腕を見やり、徐々に状況を理解できたのか、悲鳴をあげようとして───

 

「いつもなら相手もしたくない小物以下ですが、今日の私は機嫌がいいですからね。ゴミ掃除、とでもしておきましょうか?」

「!?」

 

 いつの間にか引き抜いていた右腕を振るい、血で目潰し。それと同時に恐怖と痛みで重心がズレていた男の足を払って崩す。そのまま力を解放し、男の膝関節に向けて踏み蹴り。凄まじいインパクトともに男の足が膝から吹き飛ぶ。

 そのまま男の顔面を地面に叩きつけ、歯を砕いて鼻をへし折る。

 しかし、ここまでやってアリアの攻撃は止まらない。倒れている男の頭をまるでサッカーボールのように蹴り飛ばし、即座に追いかけていつの間にか手に握っていた鉄パイプで男の喉元向けて突き刺した。

 凄まじい鮮血がアリアの白い肌を真っ赤に染め上げ、その中でも赤い瞳だけがただ赤く揺らめいていた。

 

「お、お前は……!?」

「唯の少女が、こんな時間にたった一人で。出歩くと思います?」

 

 アリアが唇を歪めると、懐から拳銃を取り出す。

 装弾数は四。これだけ痛めつけたのだ。殺すのにはさほど苦労はしないだろう。

 と、そこでおやと思う。

 男が全身をガタガタ震わせながらこちらを必死で見ていた。焦点は恐怖で定まっておらず、口からは血と涎が混じった液体が垂れていた。今にも死んでしまいそうな呼吸をしながら、アリアに訴えかけてくる。

 

「ゆ……ッ、許して……くれッ!ほん……の、出来心……ッ!!」

 

 アリアはゆっくりと目を伏せながらくすくすと笑った。

 そこにもし蓮太郎がいたのであれば、その歳不相応な不気味な笑い声にXD拳銃を向けてくるかもしれない。

 

「残念でした。もしあなたが目をつけたのが私ではなく他の人間ならば───欺くことも出来たでしょうに」

 

 次にアリアが目を開いた瞬間、男は呼吸をするのを忘れた。

 おかしいのだ。『呪われた子供たち』は目が赤く光っているというのが特徴だ。

 それが、この少女はどうだ。

 赤いなんてレベルではない。通常の子供たちの瞳が炎だとして、アリアの瞳の輝きはまるで『凶星』。それはまるで地球を滅ぼすために宇宙から飛来してきた隕石の如く。

 先程とは打って変わった赫耀の瞳を薄らと細めて笑っていた。

 

「バ、バケモノ……ッ!!」

「あら、あら」

 

 アリアは男の背中を踏みつけたまま頭髪を掴み、持ち上げる。そして、後頭部に銃口を突きつけた。

 

「世間に公表されていないだけで、何人もの人間を傷つけ、恐らく命を奪ってきたあなたも───十分にバケモノですよ?」

「た、たすけ───」

 

 刹那、発砲音。男の体が僅かに跳ねる。それきり、男は声を発さなくなった。

 

「あら、余りましたね。これはまたいつか使うとしましょうか」

 

 短く息を吐き、銃を懐にしまう。このまま死体を放置してしまいたいところだが、この男の肉体も有効活用出来るかもしれない。

 アリアはそのまま携帯端末を取り出し、何処かへと連絡すると、そのままその場所を後にした。

 

*1
保脇たちに絡まれ、発砲せざるを得ない状況に陥った




赫耀:赤く照り輝くさま。

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彗星 -1-

【改訂:2023年11月18日】


 御影竜胆の脱獄から既に数週間が経過しようとしていた。

 獰猛な猟犬を檻から解き放つことで、アリア自身の戦力増強になると考えての行動であった。

 しかし、竜胆は猟犬などではなく血の味を覚えた狼であった。首輪をつけてもその首輪ごと噛み千切る。そんな制御不能の怪物だったのだ。

 唐突に拠点に戻ってきたかと思うと、次回蓮太郎と会った時にどう揶揄ってやろうかと考えていたアリアのベッドを蹴り上げ、準備をしろと言う。アリアは一瞬呆気に取られるも、すぐに意識を切り替えて準備を整えながら竜胆に訊ねた。

 

「今までどこに出かけていたんですか。心配していたんですよ?」

「俺が何処にいようと俺の自由だろ。それとも何だ、お前は俺のことをいちいち観察してなければ気が済まないのか?」

 

 赤い瞳を細めて睥睨。部屋は暗いと言うのに、まるでその瞳が光を放っていると言わんばかりの迫力にアリアは瞑目しながら答えた。

 

「そうじゃありませんよ。ただ、竜胆様に自覚を持って欲しいだけです。脱獄犯なんですから」

 

 アリアの真っ直ぐな瞳に、やがて竜胆はその視線から逃れるように瞑目した。

 

「民警時代に作った拠点に行っていただけだ」

「拠点、ですか。一体何をしに?」

「弾薬補給だ。先の戦いで弾薬が底をつきかけてるんでな」

 

 竜胆のその言葉にアリアは目を何度も瞬かせた。

 竜胆の使う拳銃はXIX拳銃。リボルバー向けに設計されたた大口径弾薬である44レミントン・マグナムを使用している。入手が困難な弾薬かと言われると、民警がいる現代ではそれほど難しくはなく、加えて蓮太郎が使うような黒膂石バラニウムを素材にしているわけでもない。

 言ってしまえば、わざわざ拠点まで足を運ばなくとも、アリアに言えば弾薬の運搬は楽に行えた。

 しかし、竜胆は危険を冒してまで拠点へ向かう選択を取った。それは一体どうしてだろうか。

 

「俺の銃弾は特別製でな」

 

 譫言のように呟いた竜胆の言葉に思わず目を剥くアリア。

 

「どうしてそれを私に話したのですか」

 

 震える声で訊ねると、竜胆は視線を此方に寄越さず、腕を組みながら答えた。

 

「行動を共にする上で知らなければ不便だと判断した。ただ、それだけの話だ」

「……それは私のことを仲間と認めたと言うことでいいですか?」

 

 刹那、アリアの胸倉が掴まれ、そのまま宙に放り投げた。竜胆の手が離れると同時に直様臨戦体制。後方へ引き下がって構えるも、竜胆はそれ以上の攻撃の意思を見せなかった。

 またいつもの挑発だろうか。アリアが僅かに警戒をといた瞬間、竜胆の顔が目前にあった。そしてそのまま首根っこを掴まれ、床に叩きつけられる。咄嗟のことに受け身が取れず、肺にたまった息を吐き出した。

 数秒の沈黙が流れる。明滅し、ボヤけた視界で見やると、赤い瞳を限界まで見開いた竜胆がそこにはいた。悍ましく、そして猛々しい。どこまでも純粋で歪んだ殺気をその瞳に滲ませながら、竜胆は続けた。

 

「───勘違いするなよ。利用価値があるから貴様を使うだけだ。俺とお前は対等ではない。俺が使うと決めて、初めてお前は俺の道具となり、手足となる。それ以外はただのガキだ。わかったな」

 

 殺気と共に放たれたただのガキという言葉は正直、言われて嫌な言葉ではなかぅた。

 世間一般に『呪われた子供たち』は怪物として扱われる。赤い瞳を宿し、いつ同じバケモノになるかわからない人間の姿をした怪物。その子供たちにアリアは含まれる。

 しかし、竜胆はそんなアリアを等しく見ていた。

 それもそうだろう。竜胆にとって『呪われた子供たち』は超常的な力を持った人間の一部にしか過ぎない。普通の子供たちと同列に纏められるのは癪ではあるが、それでも一歩前進したのではないかと、そう考えてしまう。

 

「はやく準備しろ」

 

 アリアから手を離しながら面倒くさそうに呟く竜胆。そんな姿を見ながら、乱れた服を直しつつアリアは訊ねた。

 

「それで、私たちはどこへ向かおうとしているのです?」

「……今この東京エリアに大阪エリア国家元首が来ているのは知っているな」

 

 答えは意外にもすぐ帰ってきた。竜胆のいうその人物は大阪エリア国家元首、斉武宗玄のことだろう。聖天子との会合があるということで、態々東京エリアまでやって来ているのだ。

 

「ええ。それがどうかしたのですか?」

「あいつに用がある」

「用、ですか?」

「ああ。なに心配するな、しっかりアポは取ったさ」

 

 嫌な予感がする。アリアは震える声で竜胆に訊ねた。

 

「ちなみに、なんと?」

 

 竜胆は悪辣な笑みを浮かべ、そしてこう答えた。

 

「今から大阪エリア国家元首、斉武宗玄をぶちのめしに行くとな」

 

 

 

 

 高層ビルが立ち並ぶ東京エリアの区域に竜胆とアリアはやってきていた。

 ネクタイを緩めながら竜胆はサングラス下の赤い瞳を細めた。

 

「竜胆様と斉武宗玄は知り合いなのですか?」

 

 黒いセーラー服に身を包んだアリアは竜胆を見上げながら訊ねた。その質問に竜胆は軽く「ああ」と返す。

 

「俺が民警時代に、少しな」

「なんですその含みのある言い方は。まあそのことはどうでもいいです───どうしてここに斉武宗玄がいると?」

 

 その言葉に対して竜胆は薄く笑った。

 

「獣の嗅覚を舐めるなよ」

「答えになってませんけど」

 

 そのアリアの訴えに竜胆はなにも言わない。普段ならここで理不尽な暴力を振いそうなところではあるが、今日の竜胆は上機嫌だ。それも不気味な程に。

 まるで、久しぶりに親しい友に会う子供のように。これでもし鼻歌なんて歌っていれば、アリアは目を疑うだろう。

 

「───ああ、答えになるよう言ってねえからな」

 

 やはり今日の竜胆は変だ。常日頃アリアを顎でつかう人間だというのに、今回は自ら足を動かして宗玄の居場所を突き止めた。竜胆の言い方から察するに、民警の情報網でもアリアのような組織のバックアップもなく、場所を突き止めたのだろう。

 彼の言う『獣の嗅覚』が本当のことだとするならば、それはもう第六感とも呼べるだろう。

 

「着いたぞ」

 

 気づけば、宗玄がいるであろう高層ビルまで十数メートルと言う距離まで迫っていた。一般人が泊まるにしては些か厳重、しかし国家を統治してる人間ともなれば頑強な建物に見える。

 実際そうなのだろう。ここに宗玄がいるのであれば、彼に用がある人間意外彼の部屋には行けないようになっている筈だ。

 アリアはホルスターに忍ばせているクナイに手を伸ばして、そこで竜胆が「ああ」と呟く。

 

「お前はここで待っていろ」

「はい───はい?」

 

 竜胆の口から飛び出した言葉に思わず目を剥くアリア。

 

「あの、それは一体どう言う意味───」

「そのままの意味だ。お前はそこらで時間でも潰してろ」

 

 そう言って、高層ビルの入り口を見やる竜胆。その中には普段よりもわずかに多い警備の人間が見えた。竜胆が攻撃に転じ次第迎え討つ気なのだろう。竜胆は中身を見ながら心底残念そうにため息をついた。

 

「見たところ、私服を含め二〇程度か。舐められたもんだな」

 

 サングラスを地面へと投げ捨てそのまま踏み潰す。露わになった赤い瞳には怒りの色が見て取れた。

 

「そう言うわけだ。龘アリア、生かす殺すはお前に一任する。煮るなり焼くなり好きにしろ」

 

 そう言いながらビルの中へと姿を消す。しばらくしてから窓を突き破って頭の形が変形した警備員がアリアの真横に落下した。

 一人取り残されたアリアはしばらく呆然としてから、数秒後に眉間を押さえた。

 

「どうしてあの人はあんなに自由なんですか!!」

 

 アリアの悲痛な声は虚しく喧騒の中へと消えていった。



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彗星 -2-

 張り巡らされた警備網を前に、竜胆は眼球運動で見つめて息を吐いた。

 最上階の一室で踏ん反り返っているであろう男の顔を思い浮かべ、心の中で悪態をつく。自らを守るために選りすぐりの人間を集めたのだろう。

 それでも取るに足りない人間たちだ。戦闘の経験はあれど、命を奪い合う経験は皆無と見て問題ないだろう。緊張感はある。竜胆に致命傷を与える武器もある。しかし、それだけだ。

 一人の警備の人間が竜胆の姿に気づき、近づく。

 

「君、ここは立ち入り禁止───」

 

 竜胆の肉体に触れようとした瞬間、意識の隙をついて繰り出された踵落としが頭蓋に振り下ろされた。爆音と土煙をあげて頭部から落下する警備員。

 体が一瞬でもピクリと跳ねたかと思うと、すぐに動かなくなり、地面を赤く汚していく。

 突然のことに思考が追いついていない警備員たちを他所にXIX拳銃をドロウ。手と銃身が一瞬輝いたかと思うと、その引き金を引いていく。

 

「極悪人の顔はしっかり記憶しておけ」

 

 全発。一人一人の肉体に()()()()()()()()的確に当てていく。

 すると、どうだろう。着弾地点を中心に膨張していき、そして肉片と血液を撒き散らしながら破裂した。

 血の雨を浴びながら前髪を掻き上げて、竜胆は監視カメラの方を睨みつけた。

 

「見ているんだろう、斉武。相変わらず自分は頂上で王様気取りか」

 

 そう言うも返答はない。そのまま竜胆は監視カメラに向けて告げる。

 

「ダンマリか。まあいいだろう」

 

 そう言って向き直った瞬間、銃声。竜胆の頬を何かが掠めた。

 見れば男が拳銃を竜胆に向けていた。どうやら、どこかに隠れていたらしい男が、一瞬の隙を狙って引き金を絞ったらしい。

 

「銃を下ろせ! 次は当てるぞ!!」

 

 今のは威嚇射撃だったようだ。その男の行動を見て竜胆は小さく息を吐いた。

 見たところ、年齢もまだ若いが、竜胆よりは歳上だ。しかし、血で血を洗う闘争の経験は皆無に等しいのだろう。銃を握る腕こそ震えていないものの、声はやや上擦っており、顔もわずかだが青ざめている。

 今の一撃を竜胆の頭部に当てればすべてが終わっていただろう。しかし、男はそれをしなかった。それが、すべての過ちだったことに気づくにはもう遅かった。

 

「───消えろ」

 

 乾いた銃声と共に何かが破裂する音が鳴り響いた。

 

 

 宗玄は苛立っていた。

 自分を守るために選りすぐりの人間を集めたというのに、このザマはなんだ。そう言わんばかりに大きなため息を吐いた。

 

「無能どもが」

 

 思わず毒付く。自分の城でなければ、所詮はこの程度か。もしここが東京エリアではなく東京エリアだったのならば、結果は変わっていたかもしれない。

 首なし死体を担ぎながら現れた竜胆を睨みつける。

 

「無能はお前だ。斉武」

 

 その顔つきはまるで再会を喜ぶかのように柔らかい表情をしていたが、普通の人間よりも僅かに細いその瞳孔は毒蟲を見るかのような冷たさを放っていた。

 人と言うにはあまりにも猛々しく、獣というにはあまりにも理性的。

《悪魔》。その二文字が竜胆にはよく似合う。

 

「どんな気分だ? 自分の要塞が足元から崩されるというのは」

「貴様ッ!!」

 

 回転式拳銃を引き抜き、竜胆に照準しようと全神経を総動員して腕を動かす。しかしそれより早く竜胆の右腕が閃き、その銃身を掴んだ。宗玄の手に握られたそれを確認すると、目を細めて嗤う。

 

「年老いて西部劇にでもハマったか、斉武」

 

 銃身を握りしめた瞬間、軋んだ金属音を撒き散らしながら銃身が捻じ曲がれ、発砲を封じた。

 そのまま死体を放り捨てた後に宗玄の肩に手を回す。そして、憤怒の表情に彩られた顔貌を見遣りながら再度口を開いた。

 

「還暦を迎えて未だに威勢がいいのは結構なことだが、性懲りも無くまた何か企んでいるみたいだな。いい加減落ち着いたらどうだ」

「……俺に、何の用だ」

 

 ───刹那、ドス黒い殺気が宗玄を呑み込んだ。

 赤い光を放つ悪魔は、一〇〇を超える人間を手に掛けたというのに、未だ血に飢えていた。殺しという快楽に飢えていた。

 

「安心しろよ。お前をぶちのめしに来ただけだ。態々殺しにきたわけじゃねえ」

 

 しかし宗玄を殺すような真似はしないだろう。宗玄は歯を噛み締めながら睨めつけるも、たじろぐような動作すらしない。そんな宗玄の姿を見て、薄ら寒い笑みを浮かべるだけだ。

 

「そう睨むなよ。ただでさえ物騒なその顔貌(ツラ)が余計に酷くなって見てられんぞ」

 

 笑いながら宗玄から距離を取り、そのまま向かいのソファに深々と座り込んで足を組む。この状況が脅威でも何でもないとそう言わんばかりに余裕の表情を浮かべる。

 そんな様子を見た宗玄は感情を昂らせ、唾を撒き散らしながら口汚く罵った。

 

「……貴様のことは噂で聞いている。英雄ともてはやされていた男が、人間を大量虐殺───今の貴様はただの犯罪者だ。愚かな男よッ」

「相変わらず臆病な奴だな。地位や名誉を話の出汁にしなければ俺と対等に会話することすらできないのか?」

 

 竜胆は宗玄の言葉を鼻で笑い飛ばす。

 ここでようやく応援が到着する。宗玄と竜胆の様子を見て銃を構えるも、この状況を見て尚、竜胆は恐怖しなかった。

 

「貴様ァ……!!」

「そう睨むなよ。真実だろ? 過去にお前の自慢の玩具を蹴散らした時も同じことを言ってやったはずだ」

「英雄と呼ばれていた貴様が、聞いて呆れる!」

「痴呆か?元より英雄なんて肩書きに興味はない。俺が監獄島にいた二年間でそんなことすら忘れたか」

 

()()()()()()()()()()()()()を細めて続ける。

 そんな竜胆の態度に納得いかなかったのだろう。護衛の一人が声を荒げた。

 

「口を慎め犯罪者風情が! この方を誰だと思って───」

 

 そして、竜胆の脳天目掛けて拳銃を照準。堪らず宗玄は一喝、すぐさま攻撃の手を止めさせようとするも、一秒遅かった。

 護衛官が引き金に手を伸ばそうとした瞬間、竜胆は凄まじい速度でXIX拳銃を照準、同時に銃声が鳴り響く。そして、拳銃を構えた護衛官は着弾地点を中心に奇妙な膨れ方をし、そして破裂した。臓器や骨がぶちまけられ、夥しい量の血液が一室を汚していく。

 銃を撃った姿勢のまま竜胆は、何も言わなくなった骸に目もくれず続けた。

 

「俺に銃を向けるということはこうなる覚悟があるということだ。理解しておけよ」

 

 そのまま護衛官たちの方へと視線を移した。

 

「今のを見てわかったはずだ。あまり余計なことは言わない方がいい。斉武を守る仕事とはいえ、死に方くらい選びたいはずだ」

「───」

「お前たちにだって大切な者がいるわけだろう。それをこんな得体の知れない爺なんぞに命を燃やす。馬鹿げてるとは思わないか?」

 

 そう言った竜胆の瞳に一瞬だけ人間らしさが現れる。しかし、それはすぐに悪魔へと戻った。

 

「ただ、選んだのはお前たちだ。俺は俺に刃向かった人間を誰一人として逃すつもりない。それは心に刻んでおけ」

 

 その言葉に触発されたように宗玄を守るように動こうとするも、この空間に支配されているせいか、体が言うことを聞かない。

 つい最近、竜胆自身を討伐するために作られた戦闘集団がものの数分で壊滅したというのは記憶に新しい。

 自分たちもこうなるのかもしれない。本能的な恐怖が、彼らを支配していた。竜胆はそんな彼らの姿を見て、気にする素振りを見せない。

 脳がそんな状況を処理しきれないまま、ただ立ち尽くすことしかできない護衛官たち。このまま動かなければ、宗玄が殺されるかもしれないというのにだ。

 目を細めて竜胆は薄く笑った。

 

「番犬のリードはしっかり握っておけ。還暦に入ったとはいえ、まだ死にたくないだろう」

 

 銃を下げながら宗玄に語りかける竜胆。

 竜胆にとって彼等は殺す価値すらもないのだろう。今この場で殺さなくても、あとで殺せる。命が数秒から数分、もしくは数時間後に先延ばしになっただけだ。

 竜胆にとって、彼らは存在を認識するほどの存在ではなかったのだ。

 

「それとも番犬共を周りに置かなければ、自分を飾り立てることすら出来ないのか? あの独裁者の斉武宗玄がそんなことはねえよな」

 

 凄まじい重圧に宗玄と護衛官たちは脂汗を垂らす。

 無論、宗玄自体、これが小手調べということは分かっている。現に一人犠牲になったのみで、他の護衛官は無事だ。

 竜胆は何処からか白いハンカチを取り出すと、無造作に放った。

 ハンカチは空中で広がり、柔らかい音ともに宗玄の足元に落ちる。

 

「使えよ」

 

 宗玄はハンカチに手を伸ばして、逡巡する。

 竜胆は薄く笑ったまま口を開いた。

 

「何も仕込んじゃいねえよ。単にお前の汗が見苦しかっただけだ」

「───ッ!」

 

 宗玄は歯を噛み締めながら、自身の額にこびり付いた脂汗を拭う。

 想像しなかった量の汗を、ハンカチが吸い込み、その色を僅かに変える。

 ハンカチを握りしめて宗玄は堪らず竜胆を睨めつけるも、件の竜胆は顔色一つ変えず、むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見えた。

 生殺与奪の権利を完全に握られてしまっている。しかし、ここで沈黙を貫くのは国家元首として、そして宗玄のプライドが許さなかった。

 血走った目で竜胆を睨み、そしてゆっくりと口を開いた。

 

「……俺に一体何の用だ。逃亡中の身のお前が、わざわざこんな談笑をしにきた訳ではないだろう」

「ああ。簡単だ。東京エリア国家元首、聖天子は諦めろ」

「───」

 

 竜胆の口から飛び出してきた言葉に宗玄は眉を小さくあげた。

 そして、顎髭を貯えたその頬をゆっくり緩めると、先ほどとは打って違った悪辣な笑みを浮かべた。

 

「やはりお前も俺と同じ悪か。なら、話は早い。脆弱なる東京エリアを崩すなら天童菊之丞がいない今だ。そして、聖天子という傀儡を消して、俺がこの東京エリアの頂点に君臨する」

 

 刹那、銃声。護衛の一人に竜胆の凶弾が腹部に着弾。先程と同じ、奇妙な膨れ方をして爆散する。臓器や血液がぶちまけられ、血の雨が降り注ぐ中、竜胆の冷えついた声が響いた。

 

「俺の言った言葉が理解できないのか?」

 

 さらにもう一発。乾いた銃声と死の音が奏でられる。

 

「聖天子の命を狙うと言うのなら、お前がこうなるだけだ」

 

 そして忠告。余計なことをすればつぎはお前がこうなる番だという、竜胆なりの優しさでもあった。事実、護衛の命は奪っても宗玄の命までは奪っていない。

 宗玄は発しようとした言葉を飲み込んでそのままデスクの上に置かれた水に手を伸ばした。

 竜胆はそんな宗玄の様子をしばらく眺めてからもっとも、と続ける。

 

「俺がお前を止めずとも他の人間がやるだろうがな」

 

 竜胆から飛び出した、聞きなれない言葉に困惑の声を漏らす。

 

「……なに?」

「面白いやつを見つけたんだよ。天童菊之丞の周りを飛び回っていた小僧だ、お前なら知っているだろう?」

「……里見蓮太郎のことを言っているのか?」

「ああ」

 

 宗玄は信じられない、と言わんばかりに鼻で笑い飛ばした。

 無理もないだろう。他者を見下し、傲岸不遜に振る舞い、圧倒的な力を持って立ち塞がる者を捩じ伏せる。そんな(御影竜胆)が他者を評価するなんて到底思えなかったのだ。

 かつて序列五〇番以内まで登り詰めた大量殺戮兵器と、つい最近序列一〇〇〇番台にのぼった少年とでは実力に差がありすぎる。

 宗玄は訝しむように竜胆を見つめた。

 

「貴様より遥かに力の劣るあの蓮太郎(ガキ)が、この俺を止められるとでも?」

「俺の目が正しければ、あれはそういう人間だ。」

 

 その瞳はなにか眩しいものを見るように僅かに細められた。

 竜胆が考えることは宗玄にはわからない。強者には強者なりの考え方があるとは言うが、正しくそれなのだろう。

 宗玄は自分の中でそう結論付けると、竜胆の顔を見やった。

 

「竜胆」

 

 返事はない。宗玄の方へと視線を寄越すだけだ。

 益々この男らしい、内心ほくそ笑みながら宗玄は言葉を紡ぐ。

 

「俺の意思は今も変わらん。お前を監獄島に閉じ込めた東京エリアを捨てろ。先代の東京エリア統治者が存在しない今、このエリアは脆弱そのものだ。滅びの道を辿るのみ」

 

 そこで竜胆の目が伏せられる。

 

「俺とお前の力をもってすれば、お前を監獄島に閉じ込めた憎き聖天子の血族、そして天童家を根絶やしにすることだってできる。東京エリアを手中におさめたあとは、お前に東京エリアの管理を任せたっていい」

 

 竜胆は何も答えない。そんな竜胆を気にせず、宗玄は続ける。

 

「俺の下へ来い。そうすれば今以上の力を手に入れることができる!」

 

竜胆は一瞬、大きな欠伸をしてから目をゆっくりと開いた。そして、そのままおもむろに立ち上がると、宗玄の右腕を掴み、捻りあげる。

 

「戯言はそれで終わりか?」

 

 脂汗を浮かべて唐突に生まれた痛みに呻くことしかできない宗玄。そんな姿をただ冷徹に見下ろす竜胆。

 

「カスの下につくなんぞ、より反吐が出る───ああ、腕は折らないでいてやるよ」

 

 そのまま宗玄の右腕から手を離した。───交渉決裂。宗玄と竜胆の間に沈黙が降りる。

 いつまでも続くかと思われた沈黙を最初に破ったのは、意外にも竜胆であった。瞑目しながらゆっくりと口を開く。

 

「権力と暴力に縋ることで力を誇示することしかできない人間が語る理想なんて、どうせ大したものじゃない。俺もお前もな」

 

 過去に囚われた紛い物ではない。未来を渇望し、目的のためなら現在(イマ)ですら喰らう怪物。竜胆の答えに宗玄は敵意を剥き出しにして吐き捨てるように放った。

 

「……竜胆、今回は見逃してやる。だが、次に俺たちが会う時は敵同士だ」

 

 強気な宗玄の発言に竜胆は噴き出すようにして笑ってから、目を細めた。

 

「なら、今度は『新世界創造計画』でも相席させておけよ。こんな俺の足元にすら及ばないカス共よりは役に立つだろう」

「───ッ! お前、それを一体どこで!!」

「俺のやり方はわかっているはずだ、斉武。知りたければ力尽くで奪え」

 

 去ろうとする竜胆の腕を掴んだその瞬間、宗玄の眉間にXIX拳銃が照準された。

 宗玄は一瞬目を見開くも、すぐに諦めて目を閉じた。これ以上竜胆を止めるというのであれば、宗玄は確実に今この場で命を落とす。こちらを見つめてくる竜胆の瞳に負の感情は見受けられないが、怪物の考えなど理解出来るはずがない。

 宗玄はゆっくりと竜胆の腕から手を離すと、後方へゆっくりと後退し、倒れ込むようにしてソファに座り込んだ。

 ただ腕を掴み、手を離す動作をしただけだというのに、ごっそりと体力を持っていかれたような気がする。

 竜胆は小さく笑ってから、歩き出そうとして───自分がやってきた方向に武装した護衛官たちがいることに気づいた。無数の銃口を向けられている。

 罵声と絶叫を聞いてまだ立ちはだかるか。驚きよりも呆れが勝つ。

 

「まだわからないのか?」

 

 右手に握ったXIX拳銃の引き金に指をかけたその時だった。

 

「……通してやれ。そいつは俺の客人だ」

 

 力は抜け落ちているが、どこか威厳を感じさせるような、そんな声が聞こえてきた。

 

「また会おう」

 

 微笑を浮かべ、そのまま竜胆はそのまま警備網の横をすり抜け、部屋を後にした。



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