聖女はこたつから出るのを拒否するそうです (タン塩レモンティー)
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聖女はこたつから出るのを拒否するそうです
こたつ。それは老若男女を魅了してやまない、体も心も温める魔法のアイテムである。
電気代が節約できたり健康や家族団欒に役立つ。
「あなたはこの世界に召喚されたのです」
ゲームに出てくる聖女みたいなエロい姉ちゃんが喋っている。いやあんた誰だよ?
聖女を見て即座にエロいと反応してしまう俺もどうかと思うけど、俺は悪くない。突然、部屋の中が光に包まれて、気がついたらここにいた。
ちなみに俺は、よれよれのTシャツにトランクスという恰好だ。そんな俺がこたつに入ったまま、このわけの分からない世界に連れて来られたというわけだ。さっぱり意味が分からん。
でも、なんでこたつごと召喚されてるのか。こたつの上にはミカンやら雑誌やらTVのリモコンまで召喚されている。
「あなたが足を入れているその木の机はなんですか?」
「これか? これはこたつだ。おっと、入らない方がいいぜ。初心者にはハードルが高すぎる」
なぜかニヒルな男を気取ってしまった。
「でも、なんだか気持ち良さそうですね」
俺の台詞がなかったことにされてる!? 聖女の姉ちゃんがそう言いながら、おそるおそるこたつ布団を覗き込む。
「ひゃっ! な、なんです? この生き物は?」
猫を見て驚く聖女。えっ? この世界には猫がいないのか?
「こたつを住処としているモンスターだ。心配はしなくていい。こちらに悪意が無い限り襲ってくることはない」
「は、はい。でも、とても愛らしいですね」
「ああ、猫は神様が作りだした中では2番目に愛らしい」
「えっ、この猫よりも愛らしい生き物がいるんですか?」
「ああ、その生き物は今、俺の目の前に座ってる」
一瞬の間をあけて、聖女が蔑んだ表情になる。え、褒めたのに。
「なんか、寒気がしました」
おいおい、うぶにもほどがあるだろ。
「こたつの中に足を入れてみるんだ。なに、心配するな。いざとなれば俺が助けてやる」
「は、はい」
聖女はおずおずとこたつの中に足を入れてきた。
まさか異世界に来て女の子と一緒にこたつに入ることになろうとは。
学校を卒業して以来、こんな至近距離で女の子を見るのは久しぶりだ。
「あ、ごめんなさい」
聖女の足が俺の脹脛に当たる。女子の肌と触れあうのも実に久しぶりだ。
「構わない。女子は足の指で相手の太ももをこちょこちょくすぐるのが礼儀だ」
急に聖女が微笑むと同時に、眼が冷たくなった。『ここで打たれたら怒るよ』とにこやかな顔で投手の足を踏みつけたとされる某プロ野球監督みたいに。
「でも、とても気持ちが良いです。これは……一度入ったら出られませんね」
「そうだろう。こたつは人類が発明したもっとも偉大でもっとも愚かなものだ。こたつが無ければ人類はもっと発展していた」
「……たしかに、ここから出る気が消え失せました。このまま横になりたいくらいです」
「だめだ! こたつで横になったら死んでしまうぞ!」
「そこまで言いますか?」
「ああ。こたつで寝てる女は最高の幸せを得るかわりに、色気を捨てることになる。最後には、こたつの中で下着を着替えるようになってしまうんだ!」
「まさか……」
「本当だ。行きつく先は生活必需品がすべて手の届くところに置かれている阿鼻叫喚な地獄絵図だ」
確かにその通りだ。お洒落なインテリア雑誌とは永遠にオサラバになること間違いなし。信じられないといった顔で聖女が口をつぐんだ。
だが、この女もこたつの魔力に囚われ始めている。引き返すなら今しかない。
「もうここから出たほうがいい。これ以上入っていると俺でも助けてやれなくなる」
「いやです! あなたはどうでもいいですが、猫を残してはいけません!」
そう言って聖女は身体を横にした。恐れていたことが起きた。だめだ。この女はもうこたつの暗黒面に堕ちはじめている。
「嘘つけ! ただ出るのが嫌なだけだろうが!」
「嘘じゃありません! 猫ちゃんは今、わたしの足の上に乗ってるんです!」
まさかそんなことが。
だが、こたつ布団を覗き込んで俺は息をのんだ。オレンジ色の世界で、猫が、聖女の足の上でくつろいでいる。
「おまえ……、俺の足の上には一度も……」
「ふふ」
俺は諦めて横になった。
……いつもと違う。こたつ布団が肩まで届かない。
「こたつ布団をそっちに引っ張るなよ!」
「だって寒いし」
「これは俺のこたつだろ!」
「じゃあ、もう一台持ってきて下さいよ!」
「召喚したのはあんただろ!」
こいつ、横になりながら喋ってるから顔も見えやしねえ。
「でも肩が寒いわね。肩当でも作ろうかしら」
言ってるセリフがおばちゃんみたいになってきた。
「おまえ聖女だろ。この世界を救うために俺を召喚したんじゃないのか?」
「そうだったかしら。へけっ」
こいつ、とっとこ走るハムスターっぽくなりやがった。おい、もうこたつに住む気満々だな。身体をこたつに対して対角に配置するとか完璧だなおい。
「ねえ、魔王を倒してきてよ」
「いや、簡単に言うけど魔王がどこにいるのかも分からないんだぞ? せめて一緒に来るとかさ」
「えー、無理」
「おまえそれでも聖女かよ!」
「ひゃって、むひなもんは、むひだもん……もぐもぐ」
「勝手にミカンを食うんじゃねえ!」
それでも俺は何とか聖女を説得して魔王のところにやってきた。どうやら召喚の際に転移魔法を使えるようになっていたようだ。
しかし、こんな魔法があったら、ますますこの生活から抜け出せなくなるな。
「なんだ、おまえらは?」
身長約2メートル程度のイケメン魔王が俺たちの姿を見てそう言った。
まあ、言われても仕方がない。魔王を倒しにきた勇者と聖女が目の前でこたつに入っていたのだから。
「観念しなさい! 魔王!」
「ほう、聖女ちゃんか」
「さあ、勇者! こたつから出て魔王をやっつけて!」
聖女はこたつの中で横になりながらそう言って俺の足を蹴る。
こいつ、どこまでズボラなんだ。しかも横になっているのはまだしも、顔は魔王と反対方向を向いてやがる。
「ずっと同じ姿勢だと肩が凝るのよ」
そう言って聖女はミカンを咥える。
「なんだかよく分からんが、そのこたつとやらに我も入れてはくれんか?」
魔王が興味深そうにこたつに近づいてくる。
「えー? ちょっと狭いんですけど?」
露骨に嫌がり、魔王に向かって背中で語りかける聖女。
魔王に向かってなんという口のきき方だ。それに、心なしか太ってきた気もするが大丈夫か?
「おお! なんだこれは? 身も心もとろけてしまいそうだ」
「でしょ? こんなものを異世界から持ち込むなんて不届きものよね。なんだか色んな事がバカバカしくなっちゃうもの」
「悪いが勇者。もう少し詰めてはくれんか?」
「だからこれは俺のこたつだって!」
「もうみんなのモノでいいでしょ! まったく器の小さい勇者ね!」
結局、俺と魔王は戦うことはなかった。
聖女に元の世界に戻してもらった。もちろんこたつごとだ。自称聖女はエロい姉ちゃんに戻ったが、それまでには色々あったよ。
パ〇ラッシュ、ぼく、もう眠いよ……
ただ、今でも小さな争いは残っている。
「掃除するからどいて」
おかんの穏やかな声が聞こえる。
「えー、出たくない」
「せっかく暖まりかけたのに」
聖女と魔王はこっちの世界に居候していた。そんな彼らがブー垂れるも、おかんに片手で頭を鷲摑みにされ、持ち上げられた二人は無言で頷いた。冷や汗を垂らしながら。
こたつから間一髪出た俺を見た聖女と魔王は、おかんには決して逆らわないと固く誓ったそうな。
「さあ鍋パよ! あんたらありがとう」
「そりゃ、どうも」
陽気に声を上げたおかんがそうじを手伝って疲労困憊の声で答える聖女と魔王。
火が通った野菜を魔王に渡す。
「何でそんなムッキムキなの?」
「やることがなかったから運動していた」
おかんからの問いにこう言う。意外とストイックだな。
魔王には俺のトレーナーの上下を貸したらぱっつぱつになったが、足が膝近くまで出ているのは俺の心を若干傷つけた。
「……あつっ」
「あー聖女ちゃん慌てないで、一気に口に入れると火傷するからフーフーしてちょっとずつ、ね」
「……美味い」
言われたようにゆっくりと食べ、頷いた魔王におかんが笑った。
「でしょ。ほら、どんどんいきな」
おかんも美味しそうに頬張り、これやこれ、などと出来上がっている。
「ところであんたら、どうやって帰るの?」
おかんは聞いた。
「……さあ。呼ばれただけなので帰り方が分からん」
「知らないわよぉ」
おい聖女、あんたは召喚できるだろうが!
「やだ1人で帰れないの? 困ったわね。ま、とりあえず帰り方が見つかるまでウチにおればいいけどな」
いやそこじゃないと思ったが、おかんは二人を見た。
「魔王さんも聖女ちゃんも無職だからね、仕事はしてくれるといいけどね」
「分かった」
だが、魔王と聖女には身分証明書も住民登録もないので、魔王はおかんの友だちがやっている飲食店で『武者修行中のプロレスラー』としてバイトを始めた。
聖女は動画の配信者を始め、わずかながらも広告がつくようになったという。
いかがだったでしょうか。
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