宵闇のトレイター (街田和馬)
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第1話『延長線上のトランジション』

 僕ーー桜花光(おうかこう)は15年前、ある町に生まれ、そこで今日までの日々を過ごしてきた。

 

 その町は神代(こうじろ)町というのだが、その町には、ひとつ大きな神社があった。そこに祀られている神は、この国の主神とも呼べる神が祀られているらしく、この町に限らず国をも護っている。

 

 この町に生まれた子供たちは、小学生から神学について学ぶことが定められていて、勿論その神のことも習う。

 

 しかし、なぜかその神のことや神社の歴史だけはとても曖昧に教えられた。この神や神社はどういう存在なのかと率直な疑問を持った僕は、自分で図書館に行ったりインターネットを使ったりして調べたが、何一つわからなかった。

 

 まあ、要するに国を護っているとは言われながらも、未だ謎に満ちているのが、僕の住む神代町だった。

 

 

 僕は、この世に生を受けてからずっとこの町で生活してきたわけだが、最初の10年間はとても楽しいものだった。

 

 一切の不自由もなく、滞りなく流れゆく平和な日常を満喫していた。

 

 学校に行って友達と話したり、真面目に授業を受けたり、休憩時間は外に出てクラスのみんなと和気藹々と遊んだりした。

 

 家に帰ったら家族が待っていて、中学生の姉に宿題を手伝ってもらったり、幼稚園児の弟と一緒にテレビゲームをしたり、食事の時間は家族みんなでテレビを見ながら笑い合ったりした。寝るときだって家族5人で横一列に布団を敷いて、一緒に寝た。最高に楽しかったし、穏やかな日常だった。

 

 でも、永遠に続くと思っていた平穏な日常は、僕が10歳になって3ヶ月が過ぎた時に、唐突に終わりを迎えた。

 

 

 夏の蒸し暑さと陽光の肌を焼くのがすっかりなくなり冷たい風が身体を凍えさせんと吹き始めた頃のことだった。

 

 その時僕は学校にいて、休憩時間になっていつも通りみんなと外に出て、溌剌と鬼ごっこをしていた。

 

 休憩時間が終盤に差し掛かり、いつも一番に捕まえられる僕は珍しくその日未だに一度も捕まっていなかった。

 

 そんな僕の目にふと、狩人が獲物をロックオンした時のように、僕のことしか見えていないような視線を向けながら、こちらに向かって来ている男子が映った。

 

 ーーああ、逃げなきゃ。今日は絶対に捕まってやらないぞ。

 

 そう思って足を踏み出し、全速力で走り出そうとした瞬間のことだった。

 

 ーーあれ?なんか息が苦しいな。

 

 そう思った時には、既に僕の意識は深い深い闇に引き込まれていって、最後に感じたのは体の前面への衝撃だった。

 

 

 

 目を覚ますと、僕はベッドの上に寝ていた。上には清潔な白色の天井。見覚えのない光景に、まず家ではないことがわかった。

 

「ここはどこだ?」

 

 そう呟くと、ベッドの隣に置かれた椅子に座っていた母が、僕が目を覚ましたことに気付いた。

 

「ああ、よかった。気がついたのね。待っててね、今お医者さんを呼んでくるから」

 

 母はそう言って部屋を出て行った。

 

 ちらっと横を見ると、よくドラマで見る心電図のモニターのようなものが見えた。

 

 なるほど、ここはどこかの病院の病室らしい。

 

 なんとなく僕が置かれている状況を理解し始めた僕は、自分の脈拍が映し出されたモニターにふと違和感を覚えた。

 

「あれ?僕の心拍数、少なくないか?」

 

 

 

 僕はその後、母に呼ばれてベッドから起き上がり、重い体を引き摺って診察室に向かった。そこで医者から告げられた。

 

 僕は中等の心臓病だと。余命は5年ほどだそうだ。

 

 それを伝えられた時、家族は皆泣いていた。ずっと可愛がってきた息子が、弟が、慕っていた兄が、余命宣告を受けたのだから、当然のことだろう。

 

 一方の僕からは、涙ではなく乾いた笑みが溢れていた。この時点で僕は生に拘ってはいなかった。

 

「ああ、なんかもういいかな。もう死んだようなもんでしょ。こんな死にかけの人間のために皆に負担をかけられないよ」

 

 と言ったら、案の定家族にひどく怒られた。

 

 医師からは高度な延命治療が提案された。僕はもちろんこれ以上生きるつもりはないので反対したが、僕を少しでも長生きさせたい僕以外の家族は、全員医師に延命治療を懇願した。

 

 その結果、僕は延命治療を受けることになり、幾つもよくわからない機械が置かれた集中治療室とやらに入れられた。

 

 僕はそこで、5年の年月ーーつまり宣告された余命の5年間を使い切ったのだった。

 

 延命治療なしでの場合の余命をーー

 

 

 僕がその5年間、常にベッドに横たわりながら、これからの事についての計画を練っていた。

 

 初めて集中治療室に入れられた時から、僕は大人しくそこで最期を待つ気はさらさらなかった。

 ーーいつどうやって病院を抜け出し、外の世界で独りでどうやって生きていくのか。

 

 その事ばかりを考えていた。

 

 時には心臓の痛みに苦しみ、時には悪夢に魘され、時には家族に会えない苦しみに頬を濡らした。

 

 しかし、どんな寂しさも苦しみも、病院を抜け出してやるという意志で打ち消すことができた。

 

 一度だけ、その強い意志も折れそうになったが、その時に見た夢で誰かが僕のことを鼓舞してくれた。

 

 どんな人だったかももう覚えていないが、確かにその人は、もし脱走を決心したら僕に力を与えると言っていた。そして、病気も治してくれると言った。それだけは覚えている。

 

 だからその言葉を信じて、僕はこの5年間この狭くて退屈な治療室で強く生き続けてきた。

 

 気付けばあっという間に5年経ち、そして、今が好機だと直感的に思った俺は、いよいよ脱走を決行することにした。

 

 あの夢の言葉通りなら、俺の病気はもう治っている筈だ。加えて、力も与えられている筈だ。

 

 どんな力なのかはわからないが、きっと脱走が容易になるに違いない。準備は完璧だ。

 

 さて、残る問題は俺が計画通りに脱走を実行できるかだ。5年もかけて練っただけに緊張も凄まじく、それを解すために一度深く呼吸する。

 

「すぅ……すぅ……すぅ……うっ。ゲホッ」

 

 あまりの緊張に息の吐き方を忘れ、呼吸困難に陥りかけた。だが、自分の情けなさに不覚にも嗤ってしまい、それが功を奏して冷静になれた。

 

 そして、今度こそ覚悟を決める。

 

「すぅー。はぁー」

 

 集中力を高め、最大に達したところで俺は行動を開始した。

 

 まずは栄養を送ったり、水分を送ったりするために全身に纏わりつく様々な管を一気に引き抜く。多少の痛みが伴うが、いちいち怯んではいられない。

 

 計画より少し早い4秒で全ての管を外せた。すると器具から、ビーッとけたたましい警告音が鳴った。

 

 この音を聞きつけてあと数秒で数人の看護師がこの治療室に駆け込んでくる。廊下から女性の騒ぐ声と、ドタドタという足音が近づいてくる。病院では静かにしてほしいものだ。

 

 俺は、素早く扉の側に身を潜め、息を殺した。看護師たちが入ってきた瞬間が勝負だ。チャンスは一度きり。俺は、扉を凝視し意識を集中させる。

 

 そして、看護師が勢いよく扉を開きながら治療室に入ってきた瞬間に、俺は看護師たちの首に思いっきり手刀を撃ち込んだ。看護師たちは、首からポキッという音を立てながら倒れた。

 

 人に攻撃をすること自体が初めてだったので上手くいくかは五分五分だったが、うまく全員気絶させることができた。死んでは……ないと思う。

 

 今の手刀の攻撃力といい、先ほどからの体の軽さといい、どうやらあの夢の言葉は本当だったようだ。そして、能力とは身体強化の類だろうと推測された。

 

 俺は、他には誰も来ていない事を確かめて、5年ぶりに集中治療室の外に足を踏み出した。

 

 晴の門出を祝うには淡白すぎる、廊下の純白さに寂しさを覚えながらも、俺は走る足を止めずに非常階段を探した。

 

 この病院の構造を全く把握していないが、非常階段は小学校の校舎と同じように病棟の端にあるだろうと予想した俺は、廊下を真っ直ぐに駆け抜けた。

 

 途中で何人もの看護師とぶつかったが、その全員が俺を見て驚愕していた。どうやら、俺の存在はかなり知れ渡っているらしい。

 

 そのまま30秒ほど走るとようやく病棟の端にたどり着き、そこにはーー

 

「あった。非常階段だ」

 

 俺の目論見通りに、非常階段があった。俺はロックされた扉を無理やりこじ開けて、5年ぶりに外の空気を吸った。

 

「あまり、気持ち良くはないな」

 

 久しぶりの外気に、病院の人工的な清潔さとは違う気持ち悪さを感じた。吸いすぎると、健康に悪そうな味と匂いが心なしか感じられた。

 

 町の雰囲気も、どんよりとしていた。曇りという天気のせいもあるのかもしれないが、人の営みが全く感じられなかった。

 

 視線の直線状にあるビルは、よく見るとボロボロになっていた。外壁は所々抉れ、窓はほとんど割れてしまっている。並大抵のことではならないほど酷い状態だった。

 

「……っと、そんなことに気を取られている場合じゃないな」

 

 俺は、後ろから走ってくる足音が聞こえたので、急いで階段を降り始めた。

 

 どうやら、俺が入っていた治療室はかなり立派な病院の高層階だったようで、下まで降りるのも一苦労だった。

 

 もう追いかけてくる足音は聞こえなかったが、一刻も早くこの場所から離れなければならないと感じいた僕は、階段を駆け下りる足を止めなかった。

 

 やがて、長い階段を降り切って5年ぶりの大地を踏みしめた。また、外で走ることができるに感動を覚えた俺は、無意識に町を駆け出していた。

 

「やっとあの窮屈な場所から出られた。これで俺は自由だ」

 

 俺は、そう叫びながらこれからの生活を想像して胸を弾ませていた。

 

 自分が世界規模の危機に深く関わることになるとは、今の俺には知る由もなかった。




初投稿です

至らない点もあると思いますが、面白い作品にしたいと思っています。

不定期更新になるとは思いますが、よければ続きも読んでいってください。


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第2話「前途洋洋のホームカミング」

「小説家になろう」「カクヨム」にも同時掲載中です


 俺は今、病院から脱走して家に向かって走っているのだが、本当に家に向かっているのかわからないという状況に陥っている。

 

 脱走するとはいっても、自分が入院していた病院のことを一切知らなかったので、せめて名前だけでもと思い、病院の名前だけは確かめた。

 

 病棟の周りを一周して名前を探すと、入り口に書いてあった。病棟はかなり横長で一周するのに時間がかかる上、入り口から遠回りな方の回り方をしてしまった。

 

「反対向きに回ればよかった……」

 

 俺は、予定外のタイムロスにがっくしと肩を落とした。しかし、落ち込んではいられないので、俺は病院の名前を確かめてから病院を走り去った。

 

「神代中央病院……か……」

 

 その名前が何かの手がかりになればよかったのだが、残念ながら何もわからなかった。「名前だけは聞いたことがある」という感じで、具体的な場所はまったくわからなかったた。

 

 だから、俺は今なんとなく走っている。きっとこっちに走れば家に着くという直観に任せて、不安と困惑を両手に握りしめて走っている。

 

 俺が困惑しているのは、町の様子が5年前とは比べ物にならないほど退廃しているからだ。

 

 もともと神代町は、「この神聖な町の景観をあまり壊さないようにしよう」という国の方針であまり開発が進められなかった。

 

 自然を大切にし、森林や草原はそのままの状態に保てるように町民総出でゴミ拾いや清掃活動をしたり、神社の付近に高層ビルを建てることは禁じられていた。

 

 ちなみに、ポイ捨てをしているのが見つかったら極刑確定という法律がある時代もあった。流石に重すぎるという国民全体からの反対によって、俺が生まれる前に改正されたらしいが。

 

 そういう事情があって、元々神代町はいつまで経っても開発が進まない町だった。とはいえ、決して町が寂れていくことはなかった。

 

 他の県から態々この町に引っ越してくる人もいたし、逆にこの町から出ていく人は少なかった。環境に関しても、現状維持の能力に関しては、本国随一だった。

 

 それが一体どうして、こんな状態に陥ってしまったのだろうか。

 

 今走っているのは、一般家屋が少なく会社や飲食店、各種専門店が立ち並ぶ地域だが、その建物は皆、神代中央病院の非常階段で見たビルのようになっていた。

 

 建物の外壁には抉れや塗装の剥落、窓の割れが目立つ。また、道路は所々がひび割れ隆起や陥没で凸凹になり、とても機能しているとは思えない。それに何よりーー

 

「さっきから一切、人の気配がないな」

 

 今の時間帯は昼で、しかも今日は水曜日だ。普通なら会社員たちで賑わっている筈だが、賑わうどころか人の営みが一切感じられない。

 

 建物の明かりも今まで走りながら見てきた中では、ひとつたりとも点いていなかった。

 

「これはまいったな。土地勘もないし、現在地を確かめる手段も訊く相手もいない。本当に、どうしようか……」

 

 と、俺が誰にも聞こえない文句を溢しながら視線を道路沿いに並ぶ建物たちから逸らして正面に向けると、そこには見覚えのない建造物があった。

 

「あんなもの、なかったよな」

 

 俺が今見ているのは……いや、見上げているのは、天を貫かんとばかりに高々と聳え立つ赤いタワーだった。まるでこの国の首都にあるスカイツリーのようだった。先端は、雲の中に隠れ、本当の高さはわからない。

 

 それだけ立派な建物が入院する前からあったのならば、知らないわけがないだろう。ということは、俺が入院している間に建てられたということで間違いない。

 

 あのタワーが気になった俺は、とりあえずそのタワーに向かうことにした。

 

 周りの様子を気にしながらタワーに向かって走っていると、タワーに近づくほどに町の景観が変わっていくのに気づいた。

 

 昔はなかった……というか法律的に建てられるはずのなかった高層建築物が増えてきた。ボロボロなのは先ほどまでの建物と変わらないが、明らかに材質と割れた窓から覗く内装が立派だった。

 

 まさに、「都市」という感じだった。

 

 そこからさらにタワーに向かって走ると、広い公園に出た。そこは、高層建築物の建ち並ぶ地区とは打って変わって、緑に溢れていた。

 

 しかし、遊具が錆びていたりツルが絡み付いているのを見ると、昔のように人々が自然を維持しようとしているのではなく、自然に浸食されているということがわかる。

 

 草木が生い茂って森林のようになり、とても入れそうにはなかった。虫が多そうだし、何より普通に危険だ。ここを直進すればあのタワーに辿り着けるのだが、迂回するしかないようだ。

 

「はぁ。……本当にここはどこなんだ?」

 

 俺が、公園を迂回する右に延びる道を進もうとそちらに視線を向けると、その途中で気になるものが目に入った。

 

「……ん?あれは……?」

 

 それは、小さなバドミントンコートだった。とても今の状態ではバドミントンをできそうにないが、この草木がなければ子供たちが騒ぎながらバドミントンを楽しんでいるに違いない。

 

 子供たちがバドミントンをしている平和な映像を頭に浮かべた瞬間、俺はある違和感を感じた。

 

「このバドミントンコート……どこかで……?」

 

 改めてよく見ると、そのコートに俺は強く既視感を感じた。

 

 俺は必死に入院前の記憶を辿る。絶対にここに俺は来たことがあるはずだという確信を持って。そしてーー

 

「思い出した。俺は1年生の時に一度、ここに来たことがある。確か、小学生だった姉はバドミントンをやっていて、試合に負けて、悔しくて練習がしたいと言ってーー」

 

 そして、父が周辺の公園を巡ってバドミントンが出来そうな公園を探した。その結果、父が見つけてきたのがこの公園だったのだ。

 

 父が見つけた翌日に、早速家族でこの公園に遊びに来て、父と姉がバドミントンをしている間に、その横で俺は母と弟と一緒にゲームをしていたんだった。

 

 後は、帰り道を思い出すだけだった。幸いにも、俺はその道をはっきりと覚えていた。これでようやく、帰ることができる。

 

「よしっ。そうとなれば早く行こう」

 

 病院から脱走してもう1時間が経った。ようやく見えた希望の糸は、俺を絶望の底に落ちる前に引き上げてくれた。

 

 心に余裕を取り戻した俺は、ずっと走って脚が疲れ切っているのにも気づかずに、5年ぶりの我が家に向かって走り始めていた。

 

 

 

 走り始めてから10分ほど経ち、5年前まで家族みんなで幸せに暮らしていた家が、俺の目前に迫っていた。

 

 あれから5年ということは、もう弟は10歳に、姉は19歳になっている筈だ。

 

 久しぶりに家に戻るというのは勿論、大きくなった家族たちと対面することになるので、少し緊張していた。

 

 もしかしたら、無断で病院を抜け出してきたことを叱られるかもしれない。

 

 でも、それもそれで嬉しいような気がした。

 

 そんなことを考えている間も、念願の再開は近づいてくる。段々と緊張が募り始め、俺が気を紛らわすために、走りながら周りを見渡すと、懐かしい住宅街が広がっていた。

 

「この家も、あのブロック塀の落書きも見覚えがある。……けど、やっぱりボロボロだな」

 

 廃れてしまった思い出の町に愁いと哀しみを感じた。

 

 それでも俺は、足を止めない。俺に本当に必要なのは、あの家だけだから。

 

 ーーあの家さえあれば俺はいいんだ。

 

 やがて、俺は目的地に辿り着いた。見間違えるはずがない。一切の雑味がない純粋な黒で塗装された屋根、車一台しか保有していない我が家にとっては無駄に大きいガレージ、そして、なぜか敷地の半分を蝕む夏野菜の畑。

 

 それらが俺に改めて帰宅を実感させた。

 

 額に浮かぶ汗を薄汚れた患者服の袖で拭い、切れる息を整えるために深呼吸をし、再開の準備を整える。

 

 息が整ったのを確認して、インターホンに指を近づける。喉は渇き、指は震えている。

 

 緊張は最高潮だ。しかし、期待で既に顔のにやけるのが抑えられない。

 

 このままウジウジしていても埒があかないと思った俺はついに、緊張で力の入らない指で思いっきりインターホンのボタンを押した。

 

 ーーピンポーン……ピンポーン……ピンポーン。

 

「…………………………」

 

 いくら待っても、返事どころか足音すら聞こえなかった。

 

「……あれ?」

 

 念のため、もう一度押してみる。

 

 ーーピンポーン……ピンポーン……ピンポーン。

 

 やはり、反応がない。留守の可能性もあるが、ただ単に寝ているだけかもしれない。

 

「家族だし、別に何の問題もないよね?」

 

 そう言って、恐る恐るドアノブに手をかけ腕を引くと、簡単に扉が開いた。どうやら鍵がかかっていなかったようだ。

 

「なんて不用心なんだ」

 

 そう文句を言いながら、俺は当たり前のように家に入った。

 

 そういえば、5年前まではこれが当たり前だったんだ。

 

「懐かしいな。皆、元気にしてるかな?」

 

 玄関の床を見ると、靴が散乱している。その煩雑さにため息をこぼしながらも、小さな幼児用の靴に替わってカッコいい男児用のスニーカーがあったことが少し嬉しかった。

 

 俺も靴を脱いで廊下に上がり、リビングに向かおうと視線を上げたその時だった。

 

「ただいま………………は?」

 

 俺の視線のその先には、廊下を赤色に染め上げて、背中を横一文字に切り裂かれて倒れている母の姿があった。




3日以内には次話投稿予定です


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第3話「愛別離苦と一往直前」

 俺は、廊下で血を流し傷を負って倒れている母の姿を前に、呆然と立ち尽くしていた。

 

「……は?…………え、母さん?…………おいっ、大丈夫か?」

 

 俺は、棒になった足を叱咤して、母のもとに駆け寄った。

 

「おい、しっかりしろ」

 

 声をかけてみるが、反応はない。肩を揺すってみるが、やはり反応がない。揺する時に触れた母の肩は、冷たくなっていた。

 

 まさかと思って母の首元に指を当てると、生きていれば感じるはずの拍動がなかった。

 

 もう、死んでいた。

 

「そうか、死んじゃってるか」

 

 俺は、母が死んだというのに意外にも冷静だった。俺は、そんな自分が薄情に思えて仕方がなかった。そして、その薄情さに嫌気がさして、自分に怒りを覚えた。気が付けば、自分の頬をたたいていた。

 

「何が冷静だ。……動揺しまくってるじゃないか、俺」

 

 自分を叩いて改めて冷静さを取り戻した俺は、母の死体を跨いで、廊下の先にあるリビングへの扉に向かった。

 

 リビングにも、他の家族の誰かの死体が転がっている可能性がかなり高い。

 

 俺は扉の前で脚がすくんでしまった。ここで俺が扉を開けなければ、他の家族は死んだことにならない。

 

 誰も彼らの死を観測していないのだから。しかし、死した姿だとしても家族を見ておきたいという気持ちの方がやはり大きかった。

 

 俺は覚悟を決めた。ドアノブに手をかけ、腕を下ろし、そして、ゆっくりと扉を開いた。

 

 少しずつ全貌が見え始めたリビングには、やはり死体があった。父と、姉と……弟の死体だった。

 

 弟は随分と大きくなっていた。顔立ちは父に近づき始め、身長は同じ時期の俺よりは少し高かった。俺は母に似たから、残念ながら俺と弟はあまり似なかった。

 

 姉も立派な女性なっていた。顔もスタイルもそこらの芸能人には引けを取らないレベルだった。もしかしたら、読者モデルくらいならやっているのかもしれない。

 

 父は、随分と老けていた。5年でここまで変わるのかというぐらい、老けていた。

 

 原因は、容易に想像できた。ストレスのせいだ。父は俺のことを母以上に可愛がってくれた。俺の命の危機に誰よりも深い悲しみを味わったことだろう。

 

 俺は父の側にしゃがみ、うつ伏せになっていた父の体を仰向けにしてあげた。父は確か、うつ伏せだと熟睡できなかったはずだ。

 

 父の体を楽にしてから、俺は立ち上がってリビングの様子を調べた。

 

 壁には点々と血が飛び散り、窓や電球が割れ、ものが錯乱していた。一家心中というわけではなく、間違いなく何者かの襲撃を受けたのだろう。

 

 だが、襲撃者の目的がわからない。見たところ、何かが盗まれた形跡はないし、殺したいだけならこんなに荒らす必要はない。

 

 何より疑問を抱いたのは、母たちが受けた傷だ。表面の傷だけに限らず、内臓はぐちゃぐちゃになって体の中で血液とスープのように混ざり合い、骨も至る所が砕けているのが傷口の奥に見える。明らかに、並の人間の仕業ではなかった。

 

「じゃあ、一体誰が……?」

 

 

 その後、他にも何か手がかりはないかと家中を調べたが、どこも同じようにものが錯乱したり割れたりしているだけで、特にめぼしいものはなかった。

 

 折角家に帰ってきたが、こんな場所では過ごしようがないので、俺は家を出ることにした。

 

 家族の遺体は、移動はさせず楽な姿勢にするだけに留めておいた。中身がぐちゃぐちゃすぎて、動かす方が可哀想だったからだ。

 

 俺は、全員の頭を撫でてそれぞれにお別れを言ってから、玄関に向かった。

 

 靴を履き家を出ようとした瞬間に、後ろから俺がずっと聞きたかった声が聞こえた気がした。

 

『ーーーーごめんね』

 

 俺はその声に振り返るが、そこにあったのは母の死体だけだった。

 

 気のせいだろうと思って扉に向き直り、扉を開いて家を出ようとした時、俺は無意識に眼から涙を溢していた。

 

 俺はどうにか涙を止めようと唇を思いっきり噛み締めたり、瞬きを止めたりしたが、涙は際限なく溢れてくる。

 

「ーー何が……ごめんだ。…………俺は、俺……は……」

 

 その続きは言葉にならなかった。病院から抜け出してまでここに来たことが無駄になった絶望感が、独り取り残された孤独感が、生きる意味を失った虚脱感が、それら全てが鳴咽となって俺の口から溢れた。

 

 俺は、ドアを開けた姿勢のまましばらく咽び泣いていた。そろそろ落ち着いたかと思う度に感情の津波は押し寄せてきて、中々泣き止まなかった。

 

 それでも、俺はどうにか涙を止めようとした。失ったものは仕方がない。どうやったって返ってこない。大切なのは、これ以上失わないことだ。冷静になってそう思い始めると、次第に心は落ち着いていった。

 

 完全に涙が止まると、俺はようやく家を出た。非常食と水は家に常備してあったものを弟のものと思われるリュックに詰め込んだ。これで、しばらくは独りでも生きていける。

 

 玄関を抜け、とうとう家の敷地から完全に出た。俺は最後に家を振り返って、半ば独り言のように呟いた。

 

「俺は……生きていくよ。独りでも、皆の分まで……とはいかないけど、少しでも長く生き続けるよ。だから……バイバイ」

 

 そして俺は、家に背を向け住宅街を歩き始めた。目的地はない。探すのはどこかにあるであろう安住の地だ。

 

 

 

 俺は、住宅街を行く先も定まらぬまま歩きながら観察していた。先ほども思ったが、やはり全く人の気配がない。住居やブロック塀の破壊状況を見ると、他の家も俺の家の中と同じような状態になっている可能性が高い。生存者は……いないと考えて差し支えないだろう。

 

 ーー本当に、どうしたらこんなことになるんだ?

 

 入院中はニュースのひとつも見られなかったので、俺は外で何があったのか全く知らない。

 

 戦争やテロの類だろうか?……いや、母や父の死体の様子からもわかるように、これは到底人間の行える所業ではない。

 

 ーーでは、何が原因だ?

 

 再びその疑問に思考が辿り着いた瞬間、背後から気配を感じた。こちらの身体を引き裂かんとする冷たく鋭い殺意だ。

 

 俺は、咄嗟に背後を振り返って、距離を取るように一歩バックステップを踏んだ。

 

 刹那ーー俺が立っていた地面を何者かの腕が抉った。その怪力を見せた腕は、トカゲの脚のようにゴツゴツとしていてドス黒く、4本の指には鋭く伸びた鉤爪が生えていた。

 

 その腕から着地した何かは、こちらをじっと見つめながらその足を地に着けた。

 

 ようやく見えた何かの全貌は、今までに見たことのないようなものだった。体の大きさは人間の男と同じ程度だが、腕と同じようにゴツゴツして4本の鉤爪を持つ二足で立ち、腹と背中には頑丈そうな鱗が並んでいる。顔は前に尖るように細くなり、歯は剥き出しで顎が鋭く突き出していた。瞼はなく目玉が露出していて、それ以外の部分は男心を燻るがその目だけで奇妙に見えた。

 

 俺がじっくりとその人型の生物を観察していると、人型は前屈みになりながら、ニヤリと醜く顔面を歪めた。

 

 ーーまさか、来るのか?

 

 そう思った瞬間には人型は地面を蹴っていて、一気に距離を詰められていた。人型の気味の悪い顔が肉迫する。

 

 俺は咄嗟に横に跳ぶが、脇腹を切り裂かれた。必死で避けたので、跳んだ勢いそのままに横にあった壊れかけのブロック塀に背中から突っ込んだ。

 

「ーーかはっ。何だよ、あれ。くそっ」

 

 まずは脇腹の傷を確認。……幸い、傷口は浅く血も殆ど出ていなかった。次いで、立ち上がって人型の動向を確認しようとした。

 

 俺が人型の姿を捉えるために、僕の突進で崩壊しなかった部分のブロック塀から顔をひょっこり出そうとすると、眼前を人型の鉤爪が高速で縦に通過した。

 

「ひゃっ!」

 

 思わず変な声が出たが、どうにか当たらずに済んだ。当たっていたら、人型と同じように目玉が剥き出しになり、頭蓋骨の断面も露出していただろう。

 

「本当に、なんだよその攻撃力」

 

 俺の文句も全く意に介さず、再び人型は俺の目の前に立った。再び相対した俺と人型の距離はさっきよりもさらに近い。

 

 次、攻撃を繰り出されれば、今度こそ避けきれないし、避けようとすればそこを狙い撃ちされてしまう。

 

 そう、詰みだ。

 

 迫る命の危機を逃れる方法が思い浮かばず、諦めていた俺の前で人型がその左腕を振り上げる。

 

 ーーもうダメだ。折角生きようと決断したのに、こんなところで終わるのか。

 

 俺は来る衝撃と痛みに怯えて目を瞑った。それと同時に、ドンと衝撃音が聞こえた。

 

 しかし衝撃はやって来ず、俺に届いたのは右から吹き抜ける風だった。恐る恐る目を開けると、目の前から人型が消え、左の遠くの方でドサッという音が聞こえた。

 

 人型の代わりに、俺の正面には水色の髪の少女が立っていた。俺よりは2歳くらい年上だろうか。女子にしては高身長でおそらく160センチくらいだろう。

 

 肩甲骨あたりまで長く結ばれたポニーテールがなびき、膝丈くらいの赤のスカートを風にはためかせている。

 

「ーー何が……起こったんだ?」

 

「ふう、何とか間に合ったね。桜花くん、大丈夫だった?」

 

 その少女は、俺の無事を確認して太陽のような笑みを浮かべた。

 

「私の名前は海希。あなたを助けに来ました!」




次話は3日以内に更新予定です


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第4話「質実剛健のブルーマーメイド」

「私の名前は海希(うみ)。あなたを助けに来ました!」

 

 突然俺の前に現れた彼女は、そう言った。

 もし、俺が今高校に通っていて彼女ほどの美人を校内で見つけたのなら、所構わず即刻告っていただろう。

 

 それほど美しく、俺は一瞬見惚れてしまった。そんなことはひとまず置いておいてーー

 

「何で俺の名前知っているんだ?」

 

「......んーとね。ずっと探してたから?」

 

「何で疑問形?……もしかして、ストーカー?」

 

「いや、探してただけで後をつけているわけじゃないから違うんじゃないかな?」

 

 よくわからない論理でストーカー説は否定された。まあ、今の俺にとって彼女はストーカーであるか否かと言う前に命の恩人だ。

 

 それよりも今気になるのはーー

 

「さっきの化け物は?」

 

 さっき海希が現れてから、人型の姿がちっとも見えなくなった。海希が現れる直前に砂煙が遠くで上がったのは見たが。

 

「……あー、あれは私が吹っ飛ばしたよ」

 

「......やっぱりか。でも、あんな重そうな奴をよく吹っ飛ばせたな」

 

「あんなの軽いもんだよ。ちょっと小突いただけで見えなくなっちゃった」

 

「マジか。……何でそんな強いんだ?」

 

「君でも訓練すれば、私ぐらいには簡単になれるよ。……まあ、それには色々訳があるから、また後で説明するね」

 

「ああ。……『また後で』ってどういうことだ?」

 

「えっと、それなんだけど、ここじゃ長話をするには安全ではないので、今から桜花君には私の家に来てもらいます」

 

「......は?」

 

 こうして、俺は人生で初めて女子の家に行くことが決まった。

 

 

 

 というわけで、俺は海希の家に連れて行かれるらしいのだがーー

 

「……何で、海希家なんだ?他にも隠れられそうな場所はありそうだが」

 

「ごめんね。家に着いたらきちんと説明するから」

 

海希は申し訳なさそうに両手を合わせながら言った。……若干上目遣いなのがあざとい。

 

「はあ。……それで、家まではどれくらい歩くんだ?」

 

「ん〜。ざっと1時間くらいかな?」

 

「1時間だと⁈」

 

 あまりに予想外の道のりの長さに、驚きのあまり叫んでしまった。

 

「うん。普段は走って30秒くらいで着くんだけど、今日は君がいるからね」

 

「……は?走ったら120倍早いじゃないか!」

 

 さっきの人型を吹っ飛ばしたのといい、走る速さといい、どうやら海希は只者では無いらしい。

 

 だが素性が分からない今、一応海希は俺にとっては不審者だ。海希のことが知りたいな。

 

 ......いや、これじゃ俺が海希に興味を抱いているようじゃないか。......違うから。一目惚れなんてしてないから。...…いや、本当だから。

 

「あのー、こちらとしては知らない人について行っているので、早く海希の素性が知りたいんだけど」

 

「そっか。……うん、確かにそうだね。じゃあ、こうしよう」

 

 そう言った海希は、突然俺をひょいと抱き上げた。横抱きで俺は肩と膝の裏を支えられている。すなわち……これはお姫様抱っこだ。

 

「うひゃらほふぇ?」

 

「こら。男の子のくせに変な声上げない」

 

「す、すいません」

 

 ーーだ、だって、今まで女子とここまで接近した事なかったんだもん。

 

 なんてことは言えるはずがなく、俺は海希に抱き上げられたまま黙りこくった。

 

 俺が初めての体験に動揺している事もいざ知らずーー

 

「じゃ、跳ぶよ」

 

「......ん?跳ぶ?」

 

 訊き返した時には、俺の視界はもう周辺のどんな建物よりも高かった。見ろ、家々がゴミのようだ......

 

 ーー怖ぇぇぇぇぇ。人生で初めて高所に恐怖を覚えた瞬間だった。加えて、今の自分の顔を鏡で見たら、1週間は外に出られなくなるだろう。

 

「あれ、すごい顔だね(笑)。跳ぶの嫌いだった?」

 

「(笑)じゃねぇよ。いきなり跳ぶと思わねぇだろ普通……」

 

「ごめん、普段は跳ばないんだけどね。君が早く話がしたいっていうから、走りたいところなんだけど、何歩も走ると振動で酔っちゃうかもしれないと思ったんだ」

 

「なるほど。……でも、これは怖すぎるぞ」

 

 勇気を出して閉じていた瞼を開くと、手が届くくらいの距離に雲があった。それほどの高さまで跳んでいるということだ。

 

 俺はそんな高所にいてかなりの恐怖を感じているわけだが、どうやら海希なりの善意で跳んだらしい。

 

 そして、海希の言った通り30秒ほどで海希の家と思われる、ログハウスという言葉が相応しいであろう木造住宅に着いた。着いたのだがーー

 

「えっと、1つ訊きたいことがあるんだが……いいか?」

 

「え、何?」

 

「お前何でこんな山ん中に住んでんだヨォォォォォ!」

 

『住んでんだヨォォォォォ』

 

 

 

『『住んでんだヨォォォォォ』』

 

 

 

 我ながらすごい声量だと思った。久しぶりに叫ぶと、何かが吹っ切れるようで心地よかった。

 

 それよりも、ここはさっきまでの町の風景とは似つかわしいぐらいに、美しい山だった。

 

 緑の木々が生い茂り、町とは違って荒廃していない。何羽もの小鳥が唄うように囀り、跳んでいる時に下を見ると、鹿や猪といった野生動物も見られた。

 

 どう考えても、歩いて30分の景色の変化ではなかった。海希は歩くのも人より早いようだ。

 

「何でって言われても、そこも色々込み込みで今から説明しようかなと思って」

 

「なるほど。じゃあ、早く入れてくれ」

 

「あ、うん。……でもちょっと緊張するな」

 

「どうして?」

 

「いや、男の子を家に入れるの……初めてだから」

 

 俺は、一瞬にして全身の血液が沸騰するような感覚を覚えた。顔が耳まで熱くなり、手からは暑くもないのに汗が出た。

 

 ーー俺は照れているのか?

 

 今までに経験のない感覚に、気が動転した。その上、海希が顔をほんのり紅色に染めながら上目遣いで俺の顔をじっと見ている。

 

 ーーおい、やめろやめろ。そんな目で俺を見るな。マジで恥ずかしい。

 

 俺が阿呆面で口をふにゃふにゃさせて、目を泳がせているのを見て、海希は吹き出した。

 

「あはは。緊張してるのはお互い様ってことね。ま、入って。特別なものはないもないけどね」

 

 海希は多少緊張感を残しながらもあくまで客人を家に招くように落ち着いた感じで言った。

 

 しかし、実際に中に入るのにはかなり勇気が必要だった。そう、この家の中はまさに聖地、気軽に入るのが憚られる男子にとってのヘヴン。俺は今から天国へ行くのか。そう思うと段々と心臓の鼓動が早まった。

 

 そんな俺とは対照的に、海希はさっさと家の中に入って行った。さっきはああ言っていたが、さてはあまり気にしていないのか?

 

 何だか、自分だけドキドキしているのが馬鹿馬鹿しくなった俺は、すっかり熱が冷めて、少し残念がりながらも普通に海希の家に足を踏み入れた。

 

「じゃ、お邪魔しまーす」

 

「はいはーい、そこの椅子に座って」

 

「ああ。……っておい!」

 

「ん?どったの?」

 

「どったのじゃねぇよ。こんな……こんな高級な椅子に、座れっていうのか」

 

 俺は椅子に座ろうとしたが、それを目にした瞬間に足が動かなくなった。なぜなら、俺が座れと指差された椅子は、間違いなく高級な艶々のソファーだったからだ。

 

 こんなの、旅行先のホテルでしか見たことがない。

 

「いやいや。その程度で気にしてたら、うちでは気が休まらないよ」

 

そう言って海希が出してきた飲み物はーー

 

「バ、バカな。麦茶……だと……?」

 

 驚くというか何というか。家具は高級なくせに飲み物は麦茶だった。

 

 ーーなんて庶民的なんだ。

 

 そのギャップに、驚かずにはいられなかった。

 

「いやー。うちってこんな山の中だから、新しく食べ物とか買おうと思ってもそこまで良いものが買えないんだよね」

 

 確かに、高級なものを買うには相当いいお店に行かないと買えない。

 

 こんな山奥であればそこまで辿り着くには長い時間が必要だ。行くなら、近くのスーパーやコンビニだろう。でもーー

 

「海希ならひとっ飛びで町まで出られるんじゃないか?」

 

 海希のあの身体能力なら、町まで出るのにそこまで苦労しないはずだ。簡単に、高級食材だろうが何だろうが手に入れられるだろう。

 

 しかし、海希はその質問が想定内と言わんばかりに胸を張った。

 

「それはもう試したんだけど、私が速過ぎたんだ。ビニール袋の中に空気が猛スピードで入ってきて、バランス崩して足折っちゃったんだよねー。もう、バッキバキの粉々だよ。あっはっは」

 

「……おおう」

 

 「おおう」としか言えなかった。まるで日常的に足折ってるみたいなトーンで言われた。

 

 確かに、あんな身体能力を持ってたら自分の力を過信して自滅するみたいなことがあるのかもしれない。

 

 ……いや、海希はそんなにバカじゃないか。こんなに大人っぽいんだし。

 

「たまに、このくらいならいけるかなってちょっと力を抑えて跳んでったら、家の数10m前の崖に足からぶつかって足の骨が粉砕されたこともあるんだけどね」

 

「いや、あるんかい!」

 

 どうやら海希は典型的なバカだったようだ。俺が突っ込んだところで、海希はソファーに座った。

 

 未だに座っていなかった俺も、一息ついてようやくソファーに座った。すると、海希から発せられる空気が変わった。今までの少し砕けた感じから、真剣な感じに。

 

「じゃ、いま君が置かれている状況、そして君が病院にいた間に起こった出来事について説明しようか」

 

 という前置きから、海希の長い長い説明が始まるのだった。




3日以内に更新予定です


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第5話「古往今来のアウトライン」

「5年前、桜花君が入院した後のことだよ。元々、神代町と呼ばれていた町は6つの地区に分割され、名称も神代市となった。

 

 その6区にはそれぞれ、特殊な力の持ち主の中でもトップレベルの6人が、その地区の守り主のような形で配置された。

 

 特殊な力の持ち主のことを神依(かみより)と言って、特にその中でも強い6人のことを神徒(かみつれ)と呼んだ。その神徒に当たるのが私や桜花君なの」

 

「待て、俺もなのか?」

 

「そうだよ。まあ、いきなり言われて驚くかもしれないけど、本当にそうなんだ」

 

 俺は、意味がわからなかった。いつ手に入れたかもわからず、自覚したのすら半日前で、その正体すらわからない力の持ち主の中で、俺がトップ6人に入っているということが。

 

 俺が頭を抱えていると、海希が肩を叩いてきた。

 

「おーい。状況がわからなくて困惑するのはわかるけど、それも説明するから、とりあえず私の話を聞いて欲しいな」

 

 俺が渋々とだが首を縦に振ると、海希は微笑んで話を続けた。

 

「そして、神徒の力を象徴する建物が建てられた。まず、紅麗(こうれい)区の紅麗スカイツリー。これは多分、ここに来る途中に見てきたんじゃないかな?」

 

 そう言われて記憶を辿ると、それらしい建物の姿が思い浮かんだ。

 

「ああ、あの超高い赤い建物ね」

 

「そうそう。あれって800mくらいあるらしいよ」

 

「へぇ〜、そりゃ凄いな」

 

 俺が驚いていると、海希は自慢げに笑った。そして、続けた。

 

「次に青藍(せいらん)区の青藍競技場。ここは、神代市のスポーツ振興の拠点にもなっていて、メインスタジアムの他に、3つのサブスタジアム、それに大きなスポーツセンターも複合しているんだ。ちなみに、私はこの青藍区の神徒なの」

 

「……いや、紅麗区の神徒じゃないのかよ」

 

「え?何でそう思ったの?」

 

 海希が首を傾げた。

 

「いや、あんなに自慢げに紅麗スカイツリーのことを語ったら、そりゃそう思うだろ」

 

「たしかにそうだね。まあ、私は青藍の神徒なので。そういうことで、話を続けるよ。

 

 3つ目に黄姫(おうき)区の黄姫センタービル。ここには、いくつもの有名企業のオフィスや大手チェーン飲食店、それに何種類か遊戯施設も入っているんだよ。

 

 4つ目に緑神(りゅーしん)区の緑神神社。ここには、この国の主神が祀られているんだ。そして、私たち神依の拠点でもあり、神依の最上級のお婆さんがいるの。神徒というわけではないんだけど、実力は確かよ。いずれ、桜花君も会うことになると思うわ。

 

 5つ目に紫怨(しおん)区の紫怨空港。国内外から多くの人々が神代市にやって来る玄関口になっているわ。

 

 そして、それら5つの区が黒闇区を囲むように位置している。黒闇区には、基地があって、神依たちの最大の拠点になっているの。そして、黒闇区に置かれた神徒は最強だった」

 

「最強……だった?」

 

 俺が、謎の過去形に疑問を抱くが、海希は俺から目を逸らして遠くを見つめるようにして続けた。

 

「ここで、そもそも神徒って何するのかっていうことなんだけど、実は基本的には1つだけなんだ。

 

 それが、人間界に臨界した魔族を殲滅、もしくは浄化することなの」

 

「魔族?」

 

 聞き慣れない言葉に、俺は疑問の声を上げた。

 

「魔族っていうのはね、別の世界から来た攻撃的な生命体のことだよ。さっき、桜花君も襲われたでしょ」

 

 そう言われて、あの馬鹿力の人型の生命体が思い浮かんだ。あの異形と力、明らかにこの世のものとは思えなかったが、別の世界の生き物だったのか。

 

「その別の世界のことを魔界って言うんだけど、そこにはこの人間界と同じ様に多くの生き物が存在しているの。

 

 魔族にも色々な種類がいて、さっき見た人型とか、犬型とか、兎型とか、蟷螂型とかもいるんだよ。

 

 そんな多様性に溢れる魔界と人間界なんだけど、普通はお互い絶対に干渉できないようになってるの」

 

 違う世界同士が交わるなんてことがあったら、お互いにどんな影響があるかわからない。そうならないようになっているのは、当然だ。

 

「ただ、たまに悪い魔族が空間を捻じ曲げて人間界側に入ってくることがあるんだ。私たちにその原理はわからないのだけれどね。

 

 まあ、入って来るだけなら警察や自衛隊に任せられるんだけど、魔族は普通の人間には見えないの。だから、誰にも気付かれずに魔族が好き放題やっちゃうことがあって、たまに極悪魔族が人間に入り込んで暴れることがあるの。

 

 そいつらを人間ごと始末する、或いは魔族だけを浄化する、というのが神徒の役目なんだ。人間に入り込むのはよっぽど悪いし強い奴等だから、浄化では始末しきれないことがあるの。その時は……」

 

 海希は最後まで言わず、目を伏せた。おそらく、人間ごと殺す……ということなのだろう。

 

 俺とそこまで変わらない歳の少女が人殺しに手を染めなければならないとは、辛い世の中になったものだ。

 

「ここまでわかる?」

 

「今のところはね」

 

「うん、流石桜花君だね。じゃ、続けるよ。

 

次に話すのは、何でこんなに神代市が廃れてしまったのかについて。実は、人間もちゃんといるんだよ。

 

 神代市の人口は、多分ここ5年で5割ぐらい減ったかな。この、人口の減少も魔族の所為なんだよ」

 

「一体、この5年間に何があったんだ?」

 

「原因は5年前だね。5年前に何が起こったか。簡単に言うと、一時的に魔界と人間界のゲートがこじ開けられちゃったんだよ。

 

 こじ開けたのはその時の魔界の女王ーー魔女王ヘル。まあ、その1ヶ月後に黒闇の神徒に殺されたんだけどね。

 

 ーーで、その出来事を『第一次魔族侵入』って言って、それが起こったのが桜花君が入院した1ヶ月後だったんだ。良かったね。あの病院は紅麗の神徒が直々に守っていたから何事もなかったんだ。その代わりに、病院外はどうなっていたか。想像つくよね?」

 

「侵攻してきた魔族達によって、壊された?」

 

「そう。多くの魔族が人間に入り込んだり、魔術を使ったりして、町を壊し始めてしまった。そこで数千人もの人々が殺された。

 

 でも、町の破壊はその程度では止まらない。その時、5人の入り込まれた人間を浄化する神徒と、強大な魔族を殲滅する1人の神徒が現れた。

 

 それが今神徒となっている者たちだよ。その中でも黒闇の神徒は圧倒的だったよ。なんせ、魔王を倒したのだからね」

 

「魔王がどのくらいか分からないけど、かなり強かったんだろうね。因みに海希は何番目ぐらいの強さなの?」

 

「うーん。多分3番目かな」

 

「え、海希で3番目なの?」

 

「もう。魔族を吹っ飛ばしたのとジャンプだけで判断しないで。……きっとすぐ桜花君でも抜かせるよ」

 

「え、それってどういう......」

 

「続けるね。それで魔王は倒されたんだけど、その後も魔族はちょくちょく人間界に入ってきたんだ。それらに対処する役目が、私達に与えられた。

 

 でも、3ヶ月前に起こった第二次魔族侵入を機に、魔族発生のシステムが変わった。今の魔王であるイクリプスと黒闇の神徒は1ヶ月に一度直接対決するという取り決めをした。

 

 その時から、魔族の侵入は魔王の臨界に伴って起こるものになった。魔界からの侵攻開始30分前になると神代市中に警報が鳴り、人々は知らず知らずのうちに地下に掘られていたシェルターに隠れるようになった。

 

 そして、シェルターに逃げ遅れた人達はそのまま地上に残り、魔族に為すすべなく殺されていった。そして、1週間前の侵入で、事件は起こった」

 

「何が起こったんだ?まさか、どこかの区がなくなったとか?」

 

「違うよ。最強の神徒だった黒闇の神徒が、どこかに消えてしまった」

 

「え、最強の奴が?」

 

「そう。殺されたかは誰も見ていないけど、未だに現れないことと、君が力を手にしたことを鑑みると、そういうことなんだろうね」

 

「そんなことが……」

 

 俺は、体を震わせた。一度目の侵入を退けた最強の神徒が倒せなかった魔族がいる。そのことに、俺は激しく恐怖を感じた。

 

「黒闇の神徒が消えた後、イクリプスは魔界に帰っていった。一度で30分という侵入のルールは守って、消えていった。

 

 君の家族を襲ったのは、その時の生き残りの魔族と思われるわ。そして、殺し損なったのは私たちの責任よ。本当に、ごめんなさい」

 

 海希は、苦虫を噛み潰したような顔をして、俺に向かって頭を下げてきた。俺は、ひどく動揺した。

 

「そんな、気にしないで。もともと、もう見られないはずだった顔だったんだ。もう一度見られただけで、俺は満足だよ」

 

「そうか。……ありがとう」

 

 海希は、目に涙を浮かべていた。本当に、心から人々を守ろうとしているのがよく伝わった。

 

「それにしても、桜花君はよく生きていたね。やっぱり、選ばれたのかな」

 

「ん?ちょっと何言ってんの?」

 

「まあ、それもおいおいね。それで、来月ーー4週間後にもまたイクリプスは来るわけなんだけど、私たちじゃいくら頑張っても殺せない。そこで桜花君なんだ」

 

「ん?何で?」

 

「君は、選ばれたんだよ。前の黒闇の神徒に。その証拠に、なんの訓練も受けていない君は、目覚めていきなり力に目覚めた」

 

「それは、つまり……」

 

「そう、君が後継者に選ばれたんだよ。黒闇の神徒の後継者に!」

 

「………………」

 

 いきなり最強の神徒の後継者と言われて戸惑い、何も言えなくなっている俺に向かって海希はーー

 

「ーーだから、黒闇の神徒になってください!」

 

 そう告げた。

 

 

「え、いやだ」

 

俺はそう答えた。対して、海希の反応はーー

 

「え、あれ?うそ?」

 

 とても動揺していた。視線は定まらず、両手両足を遊ばせていた。冷や汗らしいものもかき始めていた。

 

 どうやらこの答えは想定外だったらしい。……にしても、ここまで動揺する海希は初めて見た。まあ、初めて会ったのも数十分前だけど。

 

「え、何で?」

 

海希の問いに対して俺はーー

 

「だって、怖いじゃん。どうせアレだろ。俺を黒闇の神徒にしてイクリプスと戦わせるんだろう?」

 

「逆にそれ以外ある?」

 

「まあ、そうだけど......」

 

「大丈夫だよ。私が特訓してあげるから」

 

「いや、でも海希って3番目でしょ?」

 

 3番目に特訓されたところで奴に勝てるとは思えないーーというのが正直なところだ。

 

 第一、最強の先代黒闇の神徒に倒せなかった奴が、俺に倒せるかっていう話だ。

 

「3番目っていうのは、総合的に見てだよ」

 

 海希が何か言い訳のようなことを言っている。

 

「つまり、何が言いたいんだ?」

 

「私ね、魔法技術なら1番上だったんだよ」

 

「ほぇ、うそ?あんな物理攻撃と身体能力してたのに?」

 

「いや、本当だよ。おそらく私の見込みでは君の能力は世界最強レベルだと思う。先代も超えるほどの。そこに私が直接伝授する魔法が合わさればどうなるか、分かるよね?」

 

 海希が、魔法技術が高いことは予想外だった。あんな力を見せられたら、怪力女としか思えない。

 

 ……まあそれは置いといて、もし本当に俺にそんな能力があるなら凄いことになるかもしれないがーー

 

「でも、俺そんなに特別な力を感じたことがないんだが?」

 

「ああ。それなら大丈夫だよ。能力は神徒になってやっと覚醒するからね。今、桜花君が使えている強い力は、誰かに認められて神依になった結果だよ。神徒になれば魔法も使えるようになるよ」

 

 俺はここで1つ疑問を抱いた。

 

「じゃあ、神徒になる方法は?」

 

 待ってましたと言わんばかりに、間髪を入れずに海希が返答する。

 

「神様にお願いするだけだよ」

 

「……え。それだけ?」

 

「それだけだよ。君はもうすでに誰かによって、神依になり、そして何故か神徒になる資格を持っている。あとは、神様にお願いするだけだよ。自分を神徒にしてくれってね」

 

 あまりにもシンプルすぎて、俺は拍子抜けした。そもそも何故俺がその資格を持っているのかもわからない。どういう力なのかも、未だによくわかっていない。

 

 そんな力を、俺は得るべきなのだろうか。

 

 そう思った時、海希は言った。

 

「これは、私達だけじゃなくて君にも利益があると思うよ。親の仇が取れる訳だし、もっと言うと......」

 

 次の一言は俺に神徒になる決断を下させるのに十分だった。

 

「君は、長らく苦しめられてきた心臓の病から解放された、代償を負わなければならないはずだよ」

 

 それを聞いて、心臓の鼓動が速くなった。頭か内側から痛くなった。何かを忘れていた。それが今まさに思い出されようとしている。

 

 あれは、俺の意思を再び立ち直らせた夢の中でのあの男の言葉だった。

 

 ーーそして、力を得た君は、この町を魔の手から救うんだ。約束……してくれるね。

 

 ーーああ、勿論だ。生き延びられるのなら、なんだってするさ。

 

 そのことを思い出した俺に、もう迷う理由なんてなかった。

 

 俺はまだ少し残っている頭痛から、手を頭に当てたまま、言い放った。

 

「わかった。黒闇の神徒になってやるよ。そして、親の仇も取る」

 

 海希からは、やれやれという感じで言ったように見えたかもしれない。

 

「そうこなくっちゃ」

 

 そう言った海希の笑顔には安堵が見られた。

 

 ただ、その瞳の奥には困惑のようなものも感じられたような気がした。



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第6話「悠々閑々のエントランス」

 黒闇の神徒になると決意したその日、俺は海希の家に泊まった。……というか、これからしばらく海希の家にお世話になることに決まった。

 

 家族が皆いなくなったし、今この町にはひとりで過ごすのに安全な場所などどこにもないので、こうなるのは当然のことだろう。

 

 久しぶりに病院以外の場所に泊まった俺は見慣れない光景に舞い上がっていて、寝付けるか心配だった。

 

 普段は、寝付けるかどうか心配になることはない。そこで、俺はあることに気づいた。

 

「そういえば俺、女子の家に泊まるの初めてだな」

 

 小学生の頃は、女子の友達がいるにはいたが、泊まりに行くことはおろか泊まったことすらなかった。

 

 だから、海希が男子を家にあげるのが初めてだったように、俺は女子の家に上がるのが初めてだった。

 

 いろいろありすぎて、来たばかりの時は頭がこんがらがっていたが、少し時間が経ってようやく頭の整理がされてきた。

 

 それはいいことなのだが、その所為で自分が女子の家にあがっていることを認識し始め、少しずつ落ち着かなくなってきた。

 

 ーーやばい。本当に寝られない気がする。

 

 俺がそんな初心な懊悩をしていると、海希が部屋に入ってきた。その腕には寝具一式が抱えられていた。

 

 少し嫌な予感がした俺は、恐る恐る海希に尋ねた。

 

「あ、あの。……そ、それは?」

 

 それに対して、海希はあくまであっけらかんとして答えた。

 

「ああ、これ?私もこの部屋で寝るから、新しく布団を買ってきたのよ」

 

「……やっぱりか。どうしよう、これは本当にまずい」

 

「何がまずいの?」

 

 予感が的中し下を向いて動揺している俺の顔を、海希が覗き込んできた。顔が近い。

 

 俺は驚いて、バッと遠のいた。海希は俺を不審そうに見ている。俺は海希の顔から目を逸らして、海希が俺が寝る場所の隣に下ろした布団を見た。

 

 ーーだめだ。こんなの……こんなの寝られるわけあるか!

 

「俺はリビングで寝る。海希はこの部屋でひとりで寝ればいい」

 

「ええ?ちょっと待ってよ。そんなの、申し訳ないよ」

 

「こ、こんな環境で寝られるわけあるかっ!」

 

 俺が、そう言って部屋から枕と布団を持ち出そうとするとーー

 

「そっか。少しでも、親御さんを失った寂しさを紛らわせられたらなと思ってたんだけど……」

 

 しゅんとしてしまった。悲しそうに俯き、ゆっくり布団に潜り込んでしまった。

 

 それが俺の心に罪悪感を生じさせた。なんか、海希ほこういうの結構長く引き摺りそうな気がした。もしそうだとすれば、これからの生活に支障が生じる。それは、困る。

 

 だから俺はーー

 

「わかったよ、一緒に寝ればいいんだろ?」

 

「本当にっ?やった!」

 

 俺が布団を敷き直そうとすると、海希は布団から跳び上がって喜んだ。

 

 ーーさては海希、最初からこういうつもりだったな。

 

 しかし、嵌められてしまったものは仕方ない。俺は大人しく海希の隣に敷いた布団に潜った。

 

 しかし、入った時点で緊張感がとてつもなかった。やはり、とても寝られそうにはなかった。

 

「おやすみ、桜花君」

 

「ああ、おやすみ」

 

 お互いに挨拶を交わし、就寝となった。その後すぐに、隣からすぅすぅと可愛い寝息が聞こえ始めた、

 

 ーーこいつ、家に男子をあがらせるのは緊張するのに、男子が隣に寝るのはまったく気にならないんだな。

 

 そんなどうでもいいことばかりを考えて、気を紛らわせようとするが、その思考には必ず寝息が侵食してくる。

 

 それも1時間半ほど経てばだんだんと慣れてきて、睡魔もようやく襲ってきた。

 

 ーーああ。そろそろ寝られそうだ。

 

 そして、俺の意識が闇に飲み込まれてい…………こうとした瞬間だった。

 

 ドゴッ

 

「かはっ」

 

 何かが俺の鳩尾を打った。その硬さと速さによる凄まじい衝撃で、俺はしばらく息ができなかった。

 

 ーー何だ?何者からの攻撃か?いや、だとしたら海希が気付かない筈がないだろう。じゃあ、落下物か?……いやだとしたら何の兆候もなかったし、何よりここは部屋の真ん中だ。ここまで落ちてくるものは、この部屋にはなかったと思うが。

 

 原因は、いくら考えてもわからない。というか、考えている間もずっと胸に重圧がかかっている。

 

 俺はそれを掴んでどかした。掴んだ感触は、少し柔らかくほんのり温かかった。そして、細長く片方に向かって細くなっていた。

 

「……何なんだよ」

 

 そして、その細長い物体の伸びる先を見ると、それはもう一本の細い物体と合流した。そして、さらにその先を見ると一定のリズムで双丘が上下していた。

 

 そこで俺は、その正体がようやくわかった。それを確かめるために、俺はさらに視線を上げる。そこにあったのは、気持ちよさそうに寝ている海希の顔だった。

 

 ただ、気持ちよさそうなのは海希だけだ。

 

「こいつ……何つう寝相だ」

 

 海希は、その寝相の悪さから俺の鳩尾に脚を容赦なく振り下ろしたのだ。

 

 流石にこれでは寝られないと改めて思った俺は、静かに部屋から出て、リビングに置かれているソファーで夜を明かした。

 

 ーーーー翌日

 

「ねぇ、何で私が寝てる間に部屋からいなくなったの?やっぱり私が嫌だったの?」

 

 案の定、海希は俺に泣きついてきた。昨夜からこうなることはわかっていたので、俺は言い訳を既に考えていた。といっても、大した言い訳ではない。

 

「あのさ、俺は昔からひとりで寝ていたんだ。だから、俺はひとりの方が落ち着けるんだよ」

 

 ーー嘘である。この男は毎晩、家族全員で寝るリビングで、母と姉に挟まれるポジションに我先にと布団を陣取っていたのである。

 

 しかし、海希はそれでも引き下がってくれない。

 

「そうなんだ。でも、やっぱり私は悲しかったの。私は桜花君を元気づけてあげたかったの」

 

 ーーめんどくせぇ!

 

 お人好しも行き過ぎたらただのわからずやだ。海希はそのわからずやに値するらしい。これからの生活、こいつにはかなり苦労させられそうだ。

 

「なーんてね」

 

「…………は?」

 

「安心してね。ここまでのは演技だから」

 

「え?…………は?」

 

 訳がわからなかった。嘘?……いったいどこから?まったくわからない。

 

 俺が困惑しているのを見て、海希は口許を抑えて笑っている。

 

「昨日の夜の寂しさを紛らわせてあげたいっていうところからもう既に嘘だよ。本当は、久しぶりに同じ屋根の下に他の人がいるから、嬉しかっただけなんだ」

 

「そうだったのか」

 

「今まで、すごく寂しかったんだ。1ヶ月に1回しか皆とは会えないし、皆と一緒に学校に行っていたのも、もう10年近く……いや5年前のことだしね」

 

 その話から推測するに、海希は5年間もひとりだったのだ。俺と同じだ。それなら、同じ境遇のもの同士、一晩だけでも心を近づけてお互いに心を温め合うのも悪くなかったのかもしれない。

 

「まあ、あそこまでやって布団から出て行くとは思わなかったよ。意外と薄情なんだね」

 

「いや、それは海希が叩いてきたから……」

 

「叩いた……?何のこと?」

 

「あ、やっぱ何でもないです。俺が薄情でした」

 

 どうやら、俺を攻撃したのは自覚なしのようだ。つまり、あの寝相の悪さは純正のもの。

 

 心優しい俺は、乙女に恥をかかせないために何も言わないで俺が折れてあげるのです。なんて優しいんだ。

 

 ちなみに、海希に恥をかかせないためにも、今日以降海希を他の男と寝かせないと心に誓った。

 

 

 そんな茶番を終えた俺は、海希が何をしているのか気になった。

 

 実は、俺が起きてきた時からずっと、茶番の間も海希は、トントンとだったりかちゃかちゃだったりと音を立てながら、手元を忙しく動かしていた。

 

「何をしているんだ?」

 

 俺が訊くと、海希はこちらをチラッと見てから手を止めて、俺を手招いた。

 

 俺がそれに従って海希の方に行くと、ようやく海希が何をしているのかわかった。

 

「料理か?」

 

「そうだよ。匂いでわかんなかった?」

 

 海希は今スクランブルエッグを作っている。たしかに、言われてみればそんな匂いがする気がする。さっきから何か香ばしさを感じていたが、その正体が料理だったとは。

 

「普通の料理が久しぶりすぎて、匂いを忘れていたんだ」

 

「まあ、たしかにずっと5年間まともに食事取ってなかったしね」

 

 よく考えてみれば、海希が立っているのも明らかにキッチンだ。

 

 女の子がキッチンに立っているのに、何をしているのか訊くのは失礼だったとも思ったが、海希は俺の説明に納得してくれたようだ。

 

 俺がしばらく海希が料理をしているのを見ていると、海希がはっとして顔を上げた。

 

「そういえば、久しぶりの食事なのに普通のご飯出して大丈夫なの?胃を慣らしておいた方がいいかな?」

 

 ーー本当に、優しい人だな。こんな人が彼女だったらいいのにな。

 

「ああ、自覚はないけどその方がいいかも。頼めるか?」

 

「任せてよ。腕によりをかけて、最高のお粥を作るよ!」

 

 海希は、弾けるようなスマイルでそういった。俺が海希に出会ってからの1日でいちばんの笑顔だった。

 

 ーーエンジェルッ!

 

 俺は、あまりの海希の眩しさに気絶しそうになるのをなんとか堪えて、リビングのテーブルについたのだった。

 

 

「「いただきます」」

 

 その20分後に、俺と海希は少し遅めの朝食を食べ始めた。

 

 それまでの間に、俺はテレビを見ていたのだが、少しわかったことがある。

 

 それはマスメディアの廃退だ。

 

 朝食の待機中に少しでも現在の国の情報を知りたかった俺は、海希に「新聞はないか?」と訊いた。そして、返ってきた言葉はーー

 

「この国の新聞社は、すべてなくなったよね

 

 とのことだった。どうやら、魔族の出現により新聞配達が困難になったことと、多くの店が閉まったことによって販売も不可能になったことが原因らしい。

 

 記事のネタも集まらず、新聞自体もどんどん薄くなっていった。デジタル化も行なったそうだが、予想していた収益が得られず赤字が続いたそうだ。

 

 ラジオはまだ続いているということなので聞いてみたが、少し昔の歌謡曲が延々と垂れ流されているだけで、災害時の情報収集手段としての面影は完全に消え去っていた。

 

 テレビだけは機能していると言われたので、テレビも見てみたが、残念ながらテレビ局はひとつしか残っていなかった。

 

 少し遅めの時間とはいえ、朝なので情報番組をやっていた。そこでは、俺が知っているキャスターが昨日起こったニュースを紹介していた。

 

 そのどれもが、酷いものだった。どうやら、魔族の被害を受けたのはこの町だけではなかったようだ。

 

 全国の至る所で、爆発事件や猟奇的殺人、放火が起こっている。ひと通り紹介された後には、昨日の死者数なんてものも発表されていた。

 

 昨日は1800人が死んで、残りの国民は3800万人だそうだ。俺が入院する前は1億2800万人いたから、この5年でかなり減ってしまったことがわかる。

 

「随分と、廃れてしまったんだな」

 

「まあ、これでもよく頑張ってる方だと思うよ。特に、リスクを冒してまで市場に農作物や魚、肉類を無償で届けてくれる生産者の人たちには、頭が上がらないよ」

 

「無償で?」

 

 俺は疑問に思った。こんな事態に至ってしまったというのに、お金を取らないとは何てボランティア精神なんだと。きっと、その人たちだって、生活は苦しい筈なのに。

 

 俺の疑問を見透かしたのか、海希はこう続けた。

 

「もうこの国にね、お金なんてものの価値はないんだよ。仕事がないからお金は入ってこない。でも、お金がないとモノが買えない。そんな世界のあり方は、そんなに続かなかった。

 

 お金が入ったって、娯楽なんてものはないし、国家も崩壊寸前で所得税も取られない。お金の使い道はなくなったんだ。そして、お金を取る意味がなくなった生産者や提供者はお金を取るのをやめた。

 

 もちろん食品の寡占が横行しないように、量の制限は行なった。神依たちで復旧させたネットワークによって、国民をIDで管理して、食物を受け取るとそれがデータに残るようになった。

 

 そうやって、平等な分配社会が形成された。やることがなくなった若者たちが農業や畜産業に注目し始めて生産者も増えてきた。おかげで、今の国は成り立っているんだ」

 

「そうだったのか」

 

「……こんな暗い話はやめにしよ?せっかくの食事なんだから」

 

「そうだね。お互いに他人と食事を取るのは久しぶりだしね」

 

 そうして、俺たちは再び箸を進めた。……まあ、俺が食べているのはお粥だから握っているのはスプーンだが。

 

 久しぶりの食事に、予想通り胃は驚いていたが、海希の料理は母に負けないくらい絶品で、あっという間に食べ切ってしまった。

 

「ところで、昨日俺は神徒になるって言ったけど、やっぱり訓練ってするのか?」

 

 俺が訊くと、海希がまだ朝食を食べていた箸を止めて答えた。

 

「まあ、訓練は必要になるけど、それは明日からでいいんじゃないかな。時間はないけど、桜花君なら明日からでも余裕で間に合うと思うから」

 

「そうか。じゃあ、今日は1日寝ていようかな」

 

「ダメだよ」

 

 俺がぐっと上に伸ばした手を、海希が机に乗り出してガシッと掴んできた。

 

「だ……だめとは?」

 

「今日からは、訓練だけじゃなくて義務教育も受けてもらいます。桜花君が受けていない小学校4年生の後期からの内容を2週間で私が教えるから、全部覚えてね」

 

「ひぇ」

 

 そういった海希の顔には、かつてないほどの迫力が表れていた。俺は、海希からは逃げられない……逃げたら殺されると思った。

 

 

 

 結局、今日は小学校4年生の内容が、全部終わった。その内容を教わるのが初めてなのが嘘のように簡単に理解できた。

 

 俺はそれに歓喜したが、明日から勉強がペースアップすると聞いて、落胆したのだった。




お久しぶりです
諸事情により多忙を極めています
次話投稿も来週の予定です


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第7話「咄咄怪事のジーニアス」

お久しぶりです。

今後も不定期で頑張ります


 カーテンの隙間から差し込む朝日が俺の顔面を焼いている。ぐっすりと眠っていた俺は、それによる顔面だけという局所的な厚さによって目を覚ました。

 

「うがー。目がー、目がー」

 

 とても素晴らしい朝だ。こんなに良い目覚めは5年ぶりだ。普段なら朝起きた瞬間に心臓がキュッと締め付けられるような感じがあるのだが、今日はそれが全くない。顔が焼かれたことを差し引いても今までに比べてかなり良い目覚めだった。

 

 目覚めがいいどころか、体が軽くなったような気までした。その感覚に高揚してした俺は、勢いよく布団から跳び上がろうと、足を大きく振り上げて力を溜めて、そして一気に足を振り下ろし体を跳ね上げた。

 

「うんしょっ!」

 

 ーードンッ!

 

 すると、弾丸のような勢いで顔面から向かいの壁に突っ込んだ。なんか、思ってたのと違う。空中で何回か回転してスタッと着地するつもりだったのに。思ってたのと違う。

 

 壁に顔がめり込んでいる。息ができない。

 

 ーー誰か......助けて……。

 

「なんかすごい音がしたけどどうしたの?って、うわああああああ、大丈夫?」

 

 轟音を聞きつけて俺の寝室にやってきた海希は、壁に顔をめり込ませてじたばたしている俺を見てひどく驚いた。しかしすぐに俺を壁から引き抜いてくれた。

 

「ふぅ、助かったよ。……それにしてもどうして急にこんなことに?」

 

「それに関してなんだけど......」

 

 海希は微笑んで、全く申し訳なさそうではない軽快な口調で言った。

 

「昨晩、君が寝ている間に君の心臓を黒闇の神徒の心臓に替えておきました。君の力が大幅に強化されているのはそのせいです」

 

「……は?……え?もう替えたのか?」

 

「そりゃ、替えないと特訓できないでしょ」

 

 俺はてっきり、筋トレから始めるのかと思っていたが、確かに心臓を替えただけでこれ程強化されるのだから、筋トレの必要はなさそうだ。

 

「安心して。替えるときは麻酔をかけておいたから」

 

「それって安全な麻酔だよね?」

 

「もちろん。まあ、普通の人に使えば最低でも5日間は眠ることになるだろうけどね」

 

「ひぇぇ……」

 

 平気な顔してかなり危ない薬を俺に使っていた。俺は海希の凶行に多少顔を引き攣らせたが、海希はそんなこと歯牙にもかけていない。

 

「じゃ、そこに着替え置いておいたから着替えたら降りてきてね。朝ごはんもう出来てるから」

 

 一瞬用意された着替えが女物じゃないか不安になったが、ちゃんと男物だったので安心した。上下セットの黒色で上の胸元と下の両端に青いラインが入っているジャージだ。

 しかし、男子を部屋に入れたことが無いのに男物の服があるってどういうことなんだろうか。

 

「なあ、なんで男物の服がこの家にあるんだ?」

 

「ん?…………あ、えっと、それは………………と、とにかく早く降りて来てね」

 

 一瞬焦りを見せた後、誤魔化すように海希は小走りで一階に降りていった。階段を降りる大きなテンポの速い音が、すぐに聞こえ始めた。

 

「なんか、可愛かったな」

 

 俺は、少しにやけてしまった。やはり、海希も女の子なんだなと思ってしまったのだ。

 

 

 俺は、急かされてしまったので急いで着替えを済ませて一階に降りるとーー

 

「これは、なんて美味しそうなんだ」

 

 俺の眼前のテーブルに広がっているのは、美味しそうに湯気を立てている味噌汁と白ごはん、色彩豊かなサラダ、そして目玉焼きが並んでいた。

 どれも庶民的な朝食だったが、久しぶりのまともな食事に俺は涙が出そうになった。

 

「でしょ?気合入れて作ったんだよ。これから厳しい特訓続きなんだから、食事くらいはしっかりしていないとモチベ保たないでしょ?」

 

 厳しい特訓が待っているのかと少し憂鬱になるが、美味しそうな朝ごはんを前にしてそんなことはどうでも良かった。

 

「じゃ、いただきまーす!」

 

「はーい、遠慮なく食べてねー」

 

 実際食べてみると本当に美味しくて、口に入れるとたちまち口の中に海希の優しさが広がっていった。まだ胃腸が完全復活していない俺のために、味付けにかなり気を遣ってくれたことがわかる。

 あまりに美味しかったので、全ての料理を食べ尽くすのに10分もかからなかった。

 

「30分後に特訓開始だから、支度したら玄関で待ってて。覚悟も決めといてよ」

 

 海希が、微笑を浮かべながらも何か威圧感を感じる恐ろしい顔で言った。俺はもう心が折れそうになった。

 

 

 恐ろしすぎて遅刻したら殺されると確信したせいか、30分どころか10分で支度が終わってしまった。あと20分何もせずビクビクとしているのも癪なので、特訓の開始を早めてもらうことにした。

 そこで海希を部屋に迎えに行くことにしたのだが、海希の家は外からの見た目の割に中は大きくて、並みの一軒家よりは大きかった。

 この家は三階建てで、海希の部屋は3階にあるそうなので、リビングから出て正面に玄関があるが、左に曲がって廊下の突き当たりにある階段を上る。3階に上がると、廊下を真っ直ぐ進んで3つ目の部屋が海希の部屋らしい。

 

「ここか…………」

 

 実際に部屋の前に着くと、間違いなくそこが海希の部屋だとわかった。その部屋の前だけ、異常に床が綺麗だった。ドアも他とは材質が違った。この部屋のドアだけ上質で木目の美しい木が使われていた。

 余りの優雅さに魅了されていた俺は、ノックを忘れて部屋に入ってしまった。

 

「海希、準備と覚悟できたよ……」

 

「え?ちょ、待って!今入ったら……」

 

「ん?今入ったら何…………………あっ」

 

 そこにいたのは、今まさに着替え中で下着しか付けておらず、艶やかな白い肌とすらっと伸びた肢体を露出させている海希だった。俺は慌てて出で行こうとするがーー

 

「ごめん。すぐ出て行くから」

 

「いや。ちょっと待て」

 

「え?…………あ、取り敢えず落ち着いて、海希さん?」

 

 物凄く低く唸るような声に引き止められた俺が恐る恐る海希の方を振り返ると、海希は先程とは比べ物にならないほどの鬼の形相をしていた。海希の手元を見ると、何か光が発生していた。

 

『やばい。死ぬ』

 

「パニシング・ストライク!」

 

 そう思った時には、俺の体は海希の魔法によって、家の外に吹き飛ばされていた。

 

 

 

「はい、じゃあ最初の特訓を始めます!」

 

「……はい」

 

 あれから数分も経たないうちに外で倒れ伏して呆然としていた俺を迎えに来た海希は、すっかり怒った様子はしていなかった。まあ、多少は顔を赤らめていたが。

 何はともあれ、特訓をしていただけるのはありがたいので、思い起こさせて機嫌を損ねないように謝ったりはせず、黙って海希に従うことにした。

 

「まずは魔法の基礎。魔法を使えるようになるには3段階を踏む必要があります」

 

「へぇ。それは?」

 

「第1段階は、魔力を外に出すということ。これは体の中に巡るエネルギーを一か所に集めて一気に外に放つイメージだよ。これが殆どの魔法の基礎になるの」

 

「なるほど」

 

 目を閉じて、体の内側に意識を集中させる。たしかに、血流のように体中をエネルギーが流れているように感じたので、その一部を左手に集中させてある程度溜まったところで放つイメージをすると、左手から黒い球体が飛び出した。

 それは眼前の木に直撃して、球体はパッと消滅してしまった。

 

「おお、できてるじゃん。今はまだ火力に乏しいけど、何回もやってるとちゃんと攻撃に使える魔法になるはずだよ」

 

「そうか。一発でできたけど、もしかして俺って天才?」

 

 ちょっと調子に乗ってみたが、海希に冷静に諌められた。

 

「え?いや、このくらいならできてもらわないと困るよ?」

 

「あ、そうなんだ……」

 

 俺は思い違いをしていたようで、半分冗談混じりだったのに冷静にマジレスをされてかなり肩を落とした。開始5分で既に心はボロボロだ。

 

「それにしても、陰属性に適性ありか。……ちょっと不安だなぁ」

 

 海希が腕を組んで、うーんと唸っている。

 

「陰属性?……魔法には属性があるんだな。それで、陰属性の何が不安なんだ?」

 

「陰属性ってね、多くの魔族が得意とする魔法の属性なの。だから、相手と同属性なのって、少し対抗戦力として不安なんだよね」

 

「じゃあ、なんとかして魔法の属性を変えられないのか?」

 

 俺が訊くと、海希は待ってましたと言わんばかりに、俺に人差し指を突き出しながら言ってきた。

 

 

「そこでっ、次の段階なの!第2段階は、自分で魔法の属性を変えること。体から出している魔力に炎や水をイメージして色付けをする感じかな」

 

「はーい、やってみまーす」

 

 というわけで、もう一回魔力を出す。今度は、水属性の魔法を出そうと思って、左手に溜めた魔力に水のイメージを重ねた瞬間だった。

 水の魔力が突然、ドス黒い何かに喰われた。そして、そのドス黒い何かは俺の体を貪り始めた。体の内側が普通から考えられないくらい痛くて、意識が飛びそうになる。内臓や骨、筋肉が喰われ内側がスカスカになって軽くなっていく感覚と、体の中の何かが膨張し重くなっていくことに加えて体が内側からはち切れそうになる感覚が混ざり合って、とても気持ち悪い。

 そして、体がはち切れそうになった瞬間に、俺は目を覚ました。

 

「ーーちょっと、ねぇ!大丈夫?しっかりして!」

 

「…………く……はっ。……う、オエッ」

 

 海希の俺を呼ぶ声で正気に戻った俺は、たちまち込み上げてきた嘔吐感に抗えず、胃の中身をぶちまけた。

 どうやら、さっきまでのは現実ではなかったようだが、嘔吐によって胃の中が空っぽになる感覚があり、先程の体の内が空になる感覚が思い出されて気分が悪い。

 

「ごめん。なんか、死にかけてた」

 

「本当に大丈夫なの?全身からすごいオーラが出てるけど」

 

 そう言われて、自分の手をじっくり見ると、何かドス黒いオーラが漏れ出ていた。

 

「うわ、なんだこれ?闇みたいな黒だな。自分ですらも呑み込まれそうだ」

 

 実際のところは、呑み込まれるどころか喰らい尽くされたわけだが。

 

「やっぱ、そうだよね。ちょっとそれ止めてくれる?意識が持ってかれそうだから……」

 

 そう言った海希は、顔面を蒼白にし全身から汗が出ていて、体を震えさせてもいた。そこには言葉以上のキツさがありそうだったので、俺は急いで止めようとする。だが、方法がわからない。

 一度体中の魔力を見てみるが、左手に魔力が溜まったままだった。だから、俺はそれをさっきしたように陰属性のまま放った。

 すると、体からオーラが出なくなった。その瞬間、何かが喉に詰まった感じがして咳き込むと、ベチャッと少し凝固した血液が吐き出された。口の中に血の味が広がり、鼻腔を鉄の臭いが突き抜けた。

 

「おえっ。ヤバイなこれは。血吐くほどって、俺の力大丈夫なのか?」

 

 得体の知れない自分の力に不安になったので海希に訊いてみたが、なかなか返事が返ってこない。おかしいと思って隣を見てみると、海希がその場にへたり込んでいた。

 

「おい!大丈夫か⁈」

 

「…………あ、ごめんもう解除してたんだ。それで、何か言った?異常に早口だったから聞き取れなかったんだけど」

 

「は?何言ってんだ?俺はいつも通り話したんだが」

 

 それは間違いなかった。普段と変わらない速さ……いや、むしろいつもより遅かったくらいだ。俺が何が起こっているのか分からず頭を抱えている一方で、海希は何か合点がいったかのように手を叩いた。

 

「やっぱり、黒闇の神徒には時間を操る能力があるみたい。君と私のさっきの会話のタイムラグはそれによるものだと思うよ」

 

「マジで?俺、時間操れるの?」

 

「多分、練習すれば自在に操れるようになると思うけど、今のが無意識に発動したっていうなら、少し怖いなぁ」

 

 海希に心配されてしまったので、なるべく早く自在に扱えるようにしておこうと決めた。

 

「じゃあ、第3段階を教えてくれ」

 

「ああ、ごめん。忘れてた。って言っても、第3段階は第2段階で色付けした魔力を飛ばすだけなんだよね。それが、攻撃魔法やらになるよ。ちなみに自分にバフをかけるだけなら第2段階の時点でできてるよ」

 

「わかった。やってみる」

 

 そうは言ったものの、まず俺は第2段階ができていないので、この方法では陰魔法以外は使えない。俺は、別の方法で魔法の属性を変えることを考えた。

 

 ーーもしかして、一度体の外に出した魔力に色付けすることも可能なんじゃないか?

 

 そう思いつくと、俺はすぐにその方法を試した。まずは、左手に魔力を集中させ、体の中からゆっくりと取り出す。そして、左手に浮かぶ陰魔法に水のイメージを付与する。そして、放つ。

 

 すると、さっきの黒い球体より少し大きめの水の塊が飛んでいって、木に当たってパシャっと弾けた。この方法を使うと、楽になったうえに、魔力が増大した気がする。

 

「やるねぇ。もう魔法の仕組みを理解してる」

「俺が思ってたより簡単だったよ。妄想や想像は、ずっと病室にいた俺からすれば簡単なことだからね」

 

 と言いつつも、俺はさっきよりもさらに大きな様々な属性の魔力の塊を大量に出していた。

 あとはそれを飛ばすだけだったのだが、意外とイメージ通りの軌道に飛ばすのが難しいのだ。

 どうにか狙い通りの弾道で飛ばせないか試行錯誤する。そして何回か試しているうちに自分の失態に気づく。

 

 ーーそうか。今日初めて魔法を使うような奴がいきなりこんなデカイ球体を飛ばそうとしても、まともに魔力操作が出来てないんだからうまく飛ぶわけがないんだ。なら、こうすれば……

 

 そうして左手に最初の球体よりもさらに小さな陰属性の球体を生み出す。

 

「桜花君。君は……本当に…………」

 

 ーーあとは、イメージを固めるだけだ。強い、攻撃の意思を持って、放つ!

 

 自分の中で攻撃のイメージがしやすい形に球体を変える。すると、小さな球体は、糸ほど細い暗黒の槍に形を変えた。そして、左手に浮かぶ闇の槍を握って腕を引く。そして、助走をつけて投擲した。

 

「漆黒槍(ユルシギュラ・スピア)!」

 

 詠唱とともに放たれた陰魔法の槍は、その細さからは想像のつかないような威力をもっていた。俺の隣にいた海希も開いた口が塞がらないでいた。

 槍の軌道にあった木は跡形も無く消滅ーーというよりは蒸発し、それが50メートル先まで続いていた。しかも槍は消滅した地点で爆発し、その周囲10メートルも木が蒸発していた。

 さすがに自分でも驚き、しばらく海希と2人で呆然と森に一瞬にしてできた道を見つめていた。しばらくの沈黙の後、ようやく口を開いたのは海希だった。

 

「君はこれほどの魔法を初日から使ってよく立っていられるね。普通の神依だったら気絶しているよ」

 

「いや、だって多分まだ1割も魔力を使ってないよ」

 

 そう言われた海希は、ため息を吐きながら無言で家に入っていった。

 

「え?……海希?」

「………………今日はもう終わり。……お疲れ様。午後からは勉強だよ。5年生の内容に入るからね」

 

 特訓1日目は、こうして30分ほどで海希の提案によって終了した。

 



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第8話「才能開花のミッドナイト」

 その日の午後、俺は小学校5年生の内容を全て学習した。特に難しいことはなかったので、すらすらと覚えた。俺自身は苦を感じなかったのだが、海希には「普通、そんな一気に覚えられないよ」と言われた。

 

 本当に覚えているのか不安になった海希から総復習のテストをさせられたが、何の問題もなく満点を取った。

 

 海希は一日で覚えられるとは思っていなかったのか、俺のテストを採点し終えるとロケットような勢いで明日の教鞭の準備のために自室に戻っていった。

 

 ーーもしかしたら、映像記憶能力とかあったりして。

 

 自分の隠された力を見つけた気になって少し天狗になっていた俺は、学年が上がることでの勉強の難易度の壁の前に棒立ちになるしかないーーなんてことは一切なかった。

 翌日の小学校6年生の内容も1日で覚え、中学校の内容は教科数が多いため2日で一学年分ずつ覚えた。

 俺は1週間で小学校4年生から中学校内容までのマスターを果たしたのだった。

 

 その日の夜は、俺の勉強完了を祝って、少し豪華な食事をした。なんと、ピザだった。人生で初めて食べたピザだったが、実に美味しくあっという間に平らげてしまった。

 

 勉強の方は順調の一途を最後まで辿った。しかし、魔法の方はというと、あまりパッとしない進捗だった。

 

「なかなか、魔法の方は強くならないね」

「本当に、何でだろうな」

 

 1週間経っても、魔法の制御が上手くならなかった。制御は上手くならない一方で、一度に放てる魔法の出力は跳ね上がっていた。

 

 今では、小さい山なら消し飛ばせるくらいにまで最大出力は上がっていた。だが、制御ができないため実戦では使えないし、特訓でも危険すぎて使うことができないという状態だった。

 

 今日も、弱めの魔法で精度を上げる特訓を行なっていた。何日も同じ内容をしていれば、弱めの魔法なら絶対に狙ったところに当てられるようになったが、出力が上がったり、弱めの魔法でも一度に放つ数が多かったりすると、途端にダメになった。

 

「今のところ、どのぐらいの強さまでなら制御できるの?」

「相変わらず、数十メートルにわたって木を消せる程度だよ」

「じゃあ、それは同時にいくつまでなら制御できるの?」

「その時どれくらい集中できているかによりますけど、大体5つまでかな」

「うーん。……なかなか厳しいね」

「ごめん。ただでさえ時間がないのに。こんなことで立ち止まってて」

「まあ、頑張ってとしか言えないなぁ。この力の扱い方に関しては、感覚を掴むしかないからね。前の黒闇の神徒に何か訊ければよかったんだけど、できないからなぁ」

「もうちょっと、頑張ってみるよ」

「うん。頑張って」

 

 その後も、何回も魔法を使って感覚を掴もうとしたが、一切の進歩がなかった。その日はいつもより2時間ほど長めに頑張ったため疲れた俺は、夕食を食べて風呂に入った後、歯を磨くことも忘れて布団に潜り込んだ。そして、あっという間に眠りに落ちたのだった。

 

 

 真っ暗な空間に、俺は独り佇んでいた。佇んでいる……のかもわからない空間だ。足が地についている感覚はあるし、手を広げてみても周りに壁がない。

 しかし、本当に何も見えない。周囲の様子はおろか、自分の姿すらも見えない。全てが暗黒に包まれている。

 

 このままここで佇んでいても何にもならないので、手を動かして周囲を警戒しながら歩くことにした。

 しかし、いくら歩いても一切の光がないのは変わらないし、周りにものはない。段々と自分がまっすぐ歩けているのか不安になってきた。それでも、俺は歩き続けた。そうするしかなかった。

 

 10分ほど歩き続けると、ある変化が起こった。視界正面に小さな光が現れたのだ。おそらく、かなり遠くにある。途方もないほどの彼方にあるのだろう。しかし、無限とも思われた暗黒の深淵の奥にようやく見つけた光だ。俺は、無意識のうちにその光に向かって走り始めていた。

 

 走っているうちに、ほんの少しずつだが光が大きく見えるようになっていった。そして段々とその輪郭がはっきりとしてきた。人の形だった。

 もっと近づくと、さらに形ははっきりとしてきた。だが、まだ距離がある。足が痛い。肩が痛い。肺が痛い。心臓が痛い。体感にして1時間ほどという長い時間を走り続けた俺の体は、もう限界だった。

 足が絡れ、転びそうになる。必死の思いで伸ばした手はーー光に届かない。

 そして、深い絶望に囚われながらとうとう倒れた俺は意識を失い、そして視界は暗転ーー否、明転した。

 

 

 

「ハッ。……ここは?」

「やっと目を覚ましたね。ここまでお疲れ様〜」

「誰だ?」

「覚えていないか。……よかった。ちゃんと記憶操作は継続して効いているようだね」

 

 そう言って、飄々として俺の前に立っているのは、俺よりは何歳か年上に見える青年だった。かなり細身だが、顔色は悪くなかった。まぁ、長い前髪でほとんど隠れていて見えないが。

 身長は俺より20センチメートルほど高く、しかしその高身長から威圧感は感じない。むしろ、俺に対して友好的に見えた。

 

「じゃあ、改めて自己紹介からしようか。僕は柊月夜ーー君の前の黒闇の神徒だ」

「お前が?」

「そうだよ。……あぁ、そんなに警戒しないでくれ、コウ。5年前からの仲じゃないか」

「5年前から?……俺は知らない」

「まぁ、それならそれで構わないよ。僕のことは、前みたいにラギって呼んでくれると嬉しいんだけどなぁ」

「断固拒否」

「つれないなぁ」

 

 柊月夜と名乗る青年は、やれやれと言わんばかりに両手をあげて首を横に振っている。だが、その口調にはちっとも残念さを感じなかった。

 

「ところで、お前が前の黒闇の神徒だってのは、本当なのか?」

「本当だよ。……っておいおい、そんなにがっつかないでくれ。久しぶりに透子さん以外の人と話すんだから、ビクッとしちゃうじゃないか」

「……透子さん?」

「あ、気にしなくていいよ。それで、コウは僕に魔法の制御の仕方を教えて欲しいんだっけ?」

「お前、俺が何を思っているのかわかるのか?」

「わかるよ。だって、5年前からずっと、君のことを見ていたからね」

「……なんか、気持ち悪い」

「おいおい、僕は別にストーカーなんかじゃないぞー」

 

 俺はあらぬ勘違いをしているようで、柊月夜は激しく抗議してきた。だが、ずっと見られていたなんて、本当だとしたらゾッとするどころではない。

 

「その疑惑に関しては、魔力制御の方法を教えるってことでチャラにしてくれないかな?」

「……構わない」

「ありがとう。じゃあ、まずその力について話しておこうか」

 

 そして、柊月夜は黒闇の神徒の能力について、語ったのだった。

 

「そもそもね、魔法というのは神依というこの国の主神を護っている者たちに与えられる力のことだよ。流石に、これは知っているよね?」

「ああ。海希から聞かされた」

「海希かぁ……懐かしいな」

「懐かしい?あったことがあるのか?」

「まあ、それはおいといて……」

「いや、俺けっこう気になるんだけど」

 

 柊月夜は俺の質問を無視して、話を続けた。これ以上追求しても、望んだ回答は得られないだろう。俺は諦めて、大人しく話を聞くことにした。

 

「神依は、一般人が簡単になれるものじゃないんだ。昔から神社にお仕えして、主神を祀っている家系の者が代々継いでいく者だった。そして、その中でも有力だった五人が神徒になった」

「五人?……待て、神徒は六人じゃないのか?」

「そう、六人だ。だが、六人目はかつてない異例の神徒だった。それが、僕だよ」

「異例って……どういうところがだ?」

「僕はね……ある日突然魔法が使えるようになった。元一般人だよ」

「なんだって?」

 

 最強と謳われていた前の黒闇の神徒が実は一般人だったとは、誰が想像できようか。俺も元一般人だが、俺は力を実質的には柊月夜に譲渡されて神徒になった。しかし、柊月夜は自らその力に目覚めたというのだから、衝撃だ。

 

「しかも、元一般人が他の神徒が手の届かないほどの強者になるとはね。自分でもびっくりだったよ。ただ、僕は少し他の神徒と違っていた」

「どこが?」

「僕はね、魔法を使うときに体内の魔力を使うんじゃなくて、体外のエネルギーを使っているんだ」

「体外の?」

「そう。僕は残念ながら体内にほとんど魔力を持っていなくてね、そうするしか魔法を使う方法がなかったんだ。だから、体内の魔力だけであんな大規模な魔法を使えるコウは、僕なんか比較にならないくらい才能があるんだよ」

「だが、俺には魔法の制御ができない。それなのに、才能があるって言われても……」

 

 俺は、唇を噛み締めた。どれだけ魔法が強くても使えなければ宝の持ち腐れだ。俺は悔しかった。だからこの1週間、がむしゃらに何百回も何千回も魔法を使った。それでも、強い魔法の制御はできなかった。才能があるようで、俺には才能がなかった。

 

「そんなに嘆かないでくれよ。僕の力を継いだってことは、力の供給源も僕と同じ、体外のはずだ。体内と体外というだけの違いだ。……しかし、それだけの違いで魔法は大きく変わってくる」

「じゃあ、お前と同じやり方をすれば、俺は魔法を自在に使えるのか?」

「もちろんだ。僕が保証しよう。さて、じゃあ君に問おう。君は、僕に力の扱い方を教えて欲しいか?」

 

 俺は迷わなかった。迷うはずがなかった。こいつは俺にとっては初めて会ったばかりで、信用も信頼も何もできない。だが、俺にはこいつに頼るしかなかった。だからーー

 

「ああ。教えてくれ、ラギ」

「やっとその名前で呼んでくれたね。人にものを頼むときは敬語だと思うんだけど、まあそこは目を瞑ろう」

「ありがとう」

「それじゃ、今からコウの脳内に僕が魔法を使っている時の感覚を流し込む。言葉で教えるのが苦手なんでね。うまく伝えられる自信がないんだ」

「いや、魔法が使えるようになるならなんだって構わない」

「そうか。じゃあ、始めるよ。ここで僕とは一旦お別れだ。目を覚ましたら、魔法が使えるようになっているはずだよ」

 

 ラギは俺の頭に両手を伸ばしながら、そう言ってきた。俺は目を閉じて、全てをラギに委ねる。

 

「じゃあな、ラギ」

「またね、コウ」

 

 お互いに別れを告げてーーそして俺の意識はプツンと糸が切れるように落ちた。

 

 

 目を覚ますともう辺りは明るくなっていて、香ばしいパンの焼ける香りが部屋の外から漂ってきていた。

 そして、廊下を進む足音が聞こえた。その足音は俺の部屋の前で止まり、そしてドアが開かれた。

 ドアを開けたのは、青藍の神徒である海希だ。彼女はもう運動しやすい服に着替えていて、その上にエプロンをつけている。なんか……いいな。

 

「おはよう、桜花君」

「ああ。おはよう、海希」

 

 その後、いつも通り朝ごはんを食べて着替えて歯を磨いて顔を洗って、そして外に出た。魔法の特訓のためだ。

 俺は、海希に「多分魔法が使えるようになったから見てほしい」と言って、快諾してくれた海希に見てもらっている。

 

 俺は、右の手を上に掲げて、掌に意識を集中させた。イメージは、周囲の空気からエネルギーを搾り取る感じだ。すると、掌に小さな球体が生じた。そしてそれはさらに周りのエネルギーを吸収して収束させていく。

 魔力は十分に溜まった。後はこの魔力に属性を付与するだけだ。炎が燃え盛るのを頭の中でイメージし、そのイメージの炎を頭から首へ……そして腕へと伝わせる。すると、掌の球体がボッと音を立てて燃え始めた。

 そして、俺は掌から力を放出するイメージとともに叫んだ。

 

「ラ・インフェルノ」

 

 俺の詠唱とともに、火焔の奔流が上空に向かって解き放たれた。それはあっという間に天高く昇っていき、白雲を灰色に焦がしながらなおも上昇していく。魔法を放出し終わると、もう火焔は見えない高さまで上昇していたが、空は一面が夕焼けのように赤橙に染まっていた。

 

 ーーマジで、力の供給源を変えただけでどうしてこう簡単にことが進むかなぁ。

 

 今までの苦労が水の泡のように、あまりにもあっさりとした成長に、俺はほんの少しの歓喜と同時に大いに落胆した。

 俺が強い魔法を操っているのを見て、海希は目を輝かせていた。その意味するのが、俺が魔法を制御できるようになったことへの喜びなのか、制御できるようになった過程に対する好奇心なのか、或いは他の感情なのかーー俺には理解できなかった。

 

 しかし、俺はようやくスタートラインに立てた。全ては、俺に適した魔法の使い方を教えてくれたあいつのおかげだ。

 

 ーーあれ?……あいつって…………誰だっけ?




最近、モチベ上がってきたので頑張ります


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