神も仏もいないなら (りっくんちゃん)
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1.喧騒の中に沈む怪

 ただ、走る。

 

 何かが追ってきている。それに気づいていながらも、決して振り向かず、一心不乱に、繁華街を通り抜ける。

 周りの人は呪霊にも私にも気づいていない。いや、呪霊に関しては見えていないといったほうが正しいか。

 

 当然だ。あんなもの、見えないのが自然。見えないほうが健常。むしろ、存在していないもの、と言っていい。

 

(そんなこと言ったって見えない奴らにもあれは危害を加えるのじゃから存在しているというべきなのではないか?)

 

 …そうだとしても、私はそれを許さない。許すはずがない。許していいはずがない。

 

 彼らの日常が、そんな薄氷の上に存在しているということを私は決して許さない。

 

(…彼ら、の。そこにおぬしは入っておらんのか?)

 

 ない。そんなものはあの日、すべて崩れ去ったのだから。

 

(…そうか。そこの角を右に曲がり、しばらく進めば誰もいない袋小路じゃ。うってつけの場所じゃな。)

 

 彼女の言葉に従い、角を曲がると繁華街の喧騒から取り残された路地裏に繋がっていた。ビール瓶が転がり、浮浪者の寝床であろう段ボールが敷き詰められたビニールハウスがある。しかし、彼女が言っていたようにそこを根城にしているであろう人は今、この時にはここにいなかった。

 

 走り抜ける。瓶を踏まないように、家を壊さないように。されど、全速力で。

 

 しばらくすると三方をビルで囲まれた突き当りにたどり着いた。広さは学校の教室ぐらいはあるだろうか。

 

 そこで、初めて後ろを振り返る。しかし、先ほどまでは確かに後ろにいた呪霊はそこにいなかった。

 

(上じゃ!)

 

 彼女の声を聴いてすぐさま横に飛びのく。すると、コンクリートの地面に大きな針が突き刺さり瓦礫が周囲に飛び散った。針のすぐ上には黄色と黒の縞々。大きな四つの羽を羽ばたかせて針を抜いた呪霊は、見たことが無いほど大きかったが確かに蜂の形をしていた。

 

 なるほど。いくら周りから見えていないとはいえ奴らには物理的な接触を伴うものも多い。にもかかわらず人々がなんの声も上げないことに疑問を覚えてはいたけど、空中を飛んで追ってきたわけだ。

 

(蜂の呪霊。面倒なものに喧嘩売ったの~。確かにこの時期のお祭りにはつきものじゃが、人の多いところには巣をつくらんのじゃから、ちょっかいかけなければ何もせんのに。)

 

 確かに、喧嘩を売ったのはこちらだ。でも、目の前に呪霊がいるのなら、殺さないという選択肢をとることはない。

 

(さて、どうする?手っ取り早く片付けるとするか?)

 

 いや、まだ夜明けまであと、7時間ほどある。温存して刀だけで倒そう。

 

 肩にしょっていた竹刀袋から取り出すのは一本の刀。刃をつぶした模造品でも青銅で作られた祭器でもない殺すための真刀。先祖代々伝えられてきた神願家の家宝。

 

名をへし切長谷部。

 

(ま、へし切長谷部とされている刀は福岡の博物館に保存されとるらしいから本物かは疑わしいのじゃが。)

 

 確かに本物ではないかもしれないが。それでも、

 

「蜂を一匹殺すには、不相応なほどに十分です。」

 

 抜刀姿勢を保ったまま、足に呪力を回し蜂に向かって切りかかる。一息に頸を狙ったがさすがの機動力で躱された。慣性に従ってビルの窓ガラスを突き破って3階に入ってしまい、蜂も心なしか笑っているように見える。が、

 

「まずは一枚。」

 

 途端に、蜂の飛行が不安定になり墜落しそうになる。単純な話、すれ違いざまに四枚ある羽を一枚を切り落としたに過ぎない。少なくとも頸よりは柔らかいのだからさほど力を入れなくとも容易く切り落とせる。それで墜落しないあたり、おかしな話だけど。

 

(呪霊じゃし、是非もないよネ。)

 

 こちらは物理法則の範疇で戦ってるのだから相手も従ってほしいところだ。

 

(物理法則に従う人間は一息にビルの三階まで飛び上がったりしないんじゃが?)

 

 …蜂は何度も顎をカチカチと鳴らして威嚇している。ご自慢の羽が切り落とされたことにご立腹なのだろうか。

 

「とりあえず、機動力は落ちたことでしょうし、残りの羽を奪いましょうか。」

 

 そうして再び空中に身を繰り出し羽をめがけて刃を振るおうとすると、蜂は空中で反転し、針で私の斬撃を防いできた。羽がある分相手のほうが踏ん張る力が大きく、刀がはじかれ、空中で大きくのけぞる。

私ははじかれた力を利用して宙返りをし、足をビルの壁面につけて態勢を立て直した。

 

 すぐさま切りかかろうと顔を上げたその時、腹部に重い衝撃が走る。

 

 蜂の腹から生えた針が私の腹を貫通していた。

 

 すでに、あふれ出るはずの血液は凝固し、ゲル状に固まっている。出血毒か。これは蛇の毒のイメージだが。

 

 先ほどとは比べ物にならないほど明らかに、にんまりと蜂は私をあざ笑う。確かに、腹部の穴は致命傷だ。が、

 

「もう、逃げられませんよね。」

 

 獲物がまで諦めてないことに気づいたか、急激に増幅した呪力に気づいたか、慌てて逃げようとするももう遅い。腹に刺さった針ごと、私は蜂を真っ二つに両断した。

 

 蜂の死骸とともに地面に崩れ落ちる。腹に空いた大穴は私の横幅の半分ぐらいを占めており、血もとめどなく流れ続ける。このまま放置すれば間違いなく死亡するだろう。まあ、この程度の傷なら何度も受けている。傷口に呪力を集中させると見る見るうちに穴は再生していきその痕跡は少々パンクなファッションが示すのみとなった。

 

(…おぬし、先ほどの攻撃避けようと思えば避けられたじゃろ。)

 

 確かに、避けられた。でも、馬鹿正直に相手が突っ込んできたから、刺さって固定したほうが手早く殺すことができる。

 

(…)

 

 さて、一匹片付いたことだし、そのまま次に向かおうと一歩足を踏み出す。すると、

 

 身体が地面に崩れ落ちる。

 

(ふむ、神経毒じゃな。蜂なんじゃし、こっちももっとるじゃろ。)

 

 なぜ?たとえ、神経毒だろうと出血毒だろうと、あれが死んだ以上その効果も切れるはず。なぜ、毒の効果が表れる。

 

 すると、上から、羽虫独特の煩わしいあの音が聞こえる。それも、大量に。いうことを聞かない体を動かし仰向けになる。

 

 蜂だ。先ほど倒したはずの大きな蜂。それがざっと見ただけで10匹以上。

 

(なるほどの。蜂一匹で一つの術式ではなく、群れで一つの呪霊として成立しているわけか。殺しても術式の効果が消えないのはこれが理由じゃな。)

 

 そういうこと。羽を一枚切り落とした時に無暗に顎を鳴らしたのは仲間を呼ぶためだったのか。それとも、死骸からそういった特有のフェロモンでも出てるのか。

 

 毒のせいで働かない頭を動かしながら、刀を握りなおそうとするが手足の自由がすでに聞かないのか、触った感覚すらない。そうしている間にも蜂はどんどん近づいてくる。

 

 呪霊でも顎でちぎって肉団子をつくるのだろうか。

 

(そんなどうでもいいこと考えとる場合じゃないじゃろ。とっとと使うんじゃな。)

 

 …確かに。呪力を節約するつもりでいたのに。全くとんだ藪蛇になった。

 

 

 

--術式解放--

 

 

 

 

 

 

「ったく…どこの不良だよ、こんな町のど真ん中で小火なんかおこした奴は!」

 

 青い服を着た警官がビール瓶の転がる路地裏へと入っていく。15分前、この先で火の手が上がったという通報を受けたからだ。しかし、このあたりは営業許可書を持つ店は存在せず廃ビルばかりが立ち並ぶようなさびれた空間である。浮浪者の類は先日、祭りの日に当たって撤去させたばかりのため、まだ帰ってきていないと踏んでいた。そのため、雰囲気に酔った不良高校生どもが調子に乗って火遊びでもしたのだろうと考えたのだ。

 

「この辺り、この辺り…っと。あれぇ?」

 

 しかし、突き当りまで歩いてもぼやが起こったような形跡はない。まわりにはガラス片やコンクリートが散らばるばかりで新聞紙などの燃えやすいものはなく、廃ビルにも焦げ跡らしきものはついていない。

 

「いたずら電話か?…これは。」

 

 あまりにもそれらしきものがないため、虚偽通報とにらみ始めたその時、足元に蜂の腹部のような黄色と黒の縞々の何かが落ちていた。蜂にしては大きく、黒焦げで確証はもてないが。

 

「おもちゃでも燃やしてたのか?まあ、持って帰るか。」

 

 ビニール袋にその炭をしまい、元来た道を戻る。

 

「おう、警官さん。なんかあったのかい?」

 

「いやあ、ぼや騒ぎって通報を受けたんですけどね…なんか、誇張だったみたいです。」

 

「そりゃあ気の毒に。どうだい、一杯やってくかい?」

 

「いえ、職務中ですし。それにきっちりお金は取る気でしょう?」

 

「ははっ、ばれちまってたか!」

 

 怪事件はいたずら電話として処理される。祭りで盛り上がってる彼らの中にそれを疑うものは誰一人としていないだろう。




読了ありがとうございました。


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2.閑静な街に微睡む洞

誤字報告ありがとうございます。

2021.03.01 冒頭の部分を修正しました。


 日が傾き始める。

 

 私は公園の木陰に座って水を飲んでいた。

 

 前回の戦闘から二日がたった。その間、久しぶりに夜に寝て、昼に活動する生活をしていたが、この街は温かい雰囲気に包まれた街だった。

 

 比較的に栄えているであろう都市部にもビルはほとんど無く、ところどころに木々が立ち並んでいた。先日戦闘を行ったあの廃ビル群も建設されたはいいものの、雰囲気が合わないからなのかすぐ使われなくなったのだろう。しかし、人通りが少ないわけではなく昼は主婦や子供たちが買い物に出かけ、夜は仕事終わりの大人たちが飲み歩いているようで、喧騒が途絶えることもない。

 

 住宅街ではよく近所の人たちで井戸端会議をしている姿が見られるし、いつもいつも子供たちが集団で遊びまわっている。その分、余所者は目立つようですこしずつ私に目をつけられているような気がするが。

 

 この公園はそんな都市部から少し離れた住宅街に設けられているようだ。

 

 休日だからだろうか、公園は昨日よりも人通りが多く、大人も子供も入り混じっている。夕方でも夏のうだるような暑さが満ちているからだろう、公園では備え付けられている噴水をつかって子供たちがはしゃぎ、その様子を両親であろう大人たちがともに遊んだり、温かい目で見守っていた。

 

 誰もかれもが、そんな素敵な休日を謳歌している。誰もが経験していそうで、見る人の心が温まるような景色だ。

 

 そんな煌びやかな風景が私は嫌いだ。

 

 もう、この手にはないものだから。失って、取り戻せないものとわかっているから、妬ましい。

 

 無邪気に走り回っている子供が嫌いだ。日常を当たり前のように享受し、我が物顔でふるまう姿は昔の自分を思い出して吐き気がする。

 

 温かく子供を抱擁している親が嫌いだ。常に子供の隣にいるような顔をして安心させるくせにいざ危険が迫ると子供の前に立って真っ先にいなくなる。その後、こどもがどうなるかも知らずに。

 

 そして、何より、こんな歪んだ見方しかできなくなった今の私が死ぬほど嫌いだ。

 

「おねえちゃん、だいじょうぶ?たいちょうわるいの?」

 

 そんな子供の一人が私に話しかけてきた。中学生になったこの身はこの時間に一人で出歩いても違和感はないはずだ。それにもかかわらず話しかけてくるあたり、いよいよ私の存在がこの町で目立ち始めたか、私の顔がよほど歪んでいるのか。

 

「だいじょうぶだよ。気にしないで遊んでおいで。」

 

 そう言って公園から出る。流し目にその子を見ると彼女の親であろう人が知らない人に話しかけるなと叱っていた。はた目から見れば、自身を見つめていた不審者にでも見えていたのだろう。あながち間違いではない。

 

(いや、中学生が公園にいただけじゃ不審者とは思われんと思うぞ。)

 

 …しばらく黙っていたのに、突然茶々を入れ始めたな。何か公園では気になるものでもあった?

 

(なに、おぬしが感傷に浸っておるから静かにしてやろうと気を遣ってやっていただけよ。)

 

天下布武を謳ったかの御仁が随分と丸くなったものだ。

 

(…まあ、それが原因であの最期があったわけじゃし?同じ失敗を繰り返す愚か者になるわけにもいかんのでな。)

 

 そんなものか。

 

(さて、軽口はここまでとしておぬしが昨夜絡んだ呪霊の行方を追うぞ。)

 

 ええ、そうしよう。

 

 一昨日の夜に祓った呪霊はあれで全部ではない、というのが私たち二人の見解だった。理由は単純、まだ毒の影響が私の身体に残っているからだ。私の術式で大部分を無力化させたが脱力感が抜けず、呪力の消費の関係もあってこの二日間はろくに索敵ができなかった。こんなことなら、最初から術式を使うべきだったか。

 

(まあ、後悔は先に立たんし?それよりも、奴らの根城を直接たたくべきじゃろうな。)

 

 その通りだ。群れの呪霊であるなら、その巣が存在してもおかしくない。もちろん、生物としての蜂と呪霊として蜂を一緒にしてはいけないだろうが、それでもある程度奴らは合理性をもつ。

 

(蜂の巣、といえば住宅街の軒下とかにあるイメージじゃが。)

 

 それはないだろう。この街はかなり地域のネットワークが発達している。もし不審死が続出している地域があれば話題になっているはずだ。

 

 そうなると、考えられる場所は山や畑といった人の少ない地域だろうか。実際のオオスズメバチは畑や山の斜面に巣をつくる傾向がある。

 

(その可能性も低いじゃろう。)

 

 なぜ。

 

(人が少ないからじゃ。確かに生物の蜂はそういう理由で巣を選ぶのかもしれんが、相手は呪霊。いくら蜂の呪霊でも彼らが生まれる場所は人が多い地域に限定されるじゃろう。そうでなければ人の恐れが顕在化できないからの。それに、呪霊とやらは生まれた場所にとどまろうとする傾向があるらしいし?)

 

 だけど、この町の建物にそれらしきものはなかった。回復中にあらかた見回ったが住宅街には時々、アシナガバチの巣がある程度で特別多いわけでもない。それもすぐに撤去されている。都市部には使われていない建物もいくつかあったが直接見て怪しい呪力が満ちた場所はなかった。

 

(なら、この町で有名な心霊スポットとかじゃろうな。)

 

 確かに、心霊スポットは人通りが少ない場所に多く、恐怖の象徴でもあるので呪霊は湧きやすい。実際何度か払った呪霊の中には心霊スポットにいるものもいた。だけど、こういった田舎の心霊スポットはネットで調べてもあまり出てくるものじゃない。

 

 …人に、聞くしかないか。

 

(いや、わしにいい考えがある。)

 

 

 

 

 

 じめじめとした暑さは変わらないまま時間が経過し、夜になった。呪霊の時間だ。私は住宅街から離れ、森と人里の間に近い草むらにしゃがんで身を隠している。

 

(別に呪霊は昼も出てくるのじゃがな。)

 

 それで一体、どういうつもりでこんなところで夜が来るまで待つことにしたのか。人がいない森にはいないって言ったのは貴方だったきがするが。

 

(確かにそういったがこうもあやつらを見ない以上、この辺りにしかいないと思っての。)

 

 どうして?

 

(一昨日の夜、おぬしが術式で奴らを祓った時、いくつか残骸が残ったのを覚えておるか?)

 

 確かに。全部回収しようと思ったけど、途中で警官が来たから諦めざるを得なかった蜂の死骸の破片があった。それがどうかしたのか。

 

(その死骸の欠片が残るということがおかしいじゃろ。おぬしの術式の性質上、呪霊が祓われたなら一片たりともその場には残らんはずじゃ。)

 

 そんなこと言ったって、私自身、この術式はよくわかっていないから例外だと思ったのだが。

 

(その可能性もある。じゃが、この場合は別じゃ。おぬしが拾った死骸のほとんどが石灰じゃった。)

 

 …石灰?貝殻などの成分をあの蜂が持ってたということか。

 

(そうじゃな。しかし、この地域は山に囲まれとるし海にわざわざ取りに行ったとは考えずらいじゃろ?)

 

 ということはつまり…この辺りがカルスト台地になっている。

 

(そうじゃ。いま居るあたりは他の地域と比べて地盤における石灰の含有率が高い。じゃからこの辺りに巣があるじゃろうと考えたわけじゃな。儂、頭いい!)

 

 …確かに一理あるか。それなら、別に夜まで待たず昼のうちに探し回ったほうがよかったと思うが。

 

(おぬし…いくら場所が絞られたといってもこの辺りの山をしらみつぶしに探すにはどれだけ時間がかかると思っておるのじゃ…。蜂の巣探しのやり方なんぞ決まっとるじゃろ。)

 

 その時、大きな何かが私の頭上を高速で飛び去った。

 

(追跡して蜂自身に教えてもらうんじゃよ。)

 

 

 

 

 

 走る。それも全速力で。

 

 一昨日の夜と構図は同じだが奇しくも立場が逆転している。今回はあの蜂が追われる側で、こちらが追う側だ。

 

(ま、あの蜂はおぬしのこと気づいてないようじゃがな。それどころじゃないのかの~)

 

 確かに呪力を強化に回して走っているにも関わらず、蜂は気づいたそぶりも見せない。呪力を使わないと追いつけないのでちょうどよかったが。気づいていないほど余裕がないのか、それとも気づいたうえで見逃しているのか。

 

 そして奇妙なことが一つ、山道が整備されている。山の夜道を月明りを頼りに走る以上、かなり気を付けないといけないと思っていたがおかげで気を張る必要がなくなった。地面は獣道ばかりではなく、人の靴によって踏みしめられた道ができているし、危ない場所には転落防止用のフェンスまでつけられている。

 

(人通りの多い場所、かつ普段は人が寄り付かない山の中。蜂と呪霊の両方に都合がいい場所があったわけじゃな。)

 

 よほど有名な心霊スポットか、それともこの町の観光名所でもあるのか。ともかくとして悪条件の重なった結果、呪霊の巣が生まれたわけだ。

 

 そんなことを考えながら呪力を頼りに呪霊を追っていると蜂が急激に高度と速度を落として呪力の反応が消えた。この辺りに巣があるということか。

 

(さて、本番じゃ。気をしっかりの。)

 

 言われなくとも。鞘からへし切長谷部を抜いて構えながらゆっくりと後を追う。すると、視界の先が急に開け、月明かりがその先を照らしていた。

 

 洞窟だ。この先のあたりで呪霊の反応は消えた。

 

(また、やっかいな場所に巣をつくったものじゃ。月明かりが全く入らんからなんも見えんぞ。)

 

 確かにライトも持ってきていないため、かなり不便な状況だ。が、そこに呪霊がいると分かっている以上、引くという選択肢はない。意を決して洞窟に踏み入れる。その瞬間。

 

 世界が、変わった。

 

(!これは、かなり厄介な呪霊を引き当てたようじゃな。)

 

 呪力によって自身の好きなように空間を作り変える能力。滅多にそれを用いる呪霊はいないが、そういった呪霊は須らく強力で凶暴。

 

 内部は鍾乳洞がベースになっていた。元来は観光名所だったのだろう。壁にはヒカリゴケらしきものがくっつき、淡い光を放出することで神秘的な景色を作り出している。

 

 そこら中に開けられた薄気味悪い無数の穴が無ければ、の話だが。

 

(退路も閉ざされとるな…。正直、おぬしには手に余ると思うが?)

 

 笑止。撤退なんてここまで来てあり得るわけがない。

 

(そうじゃろうな。…呪力に満ち溢れとるから正確にはわからんが現状、周りに呪霊はおらん。)

 

 彼女の言葉を信用して先に進む。どこもかしこも同じような風景で、ヒカリゴケのおかげで壁面の観察は滞りなく行うことができた。その薄気味悪い穴をじっくり見れるのが幸か不幸かはわからないが。

 

 バキッ

 

 何か固く、もろいものを踏んづけた。いくらヒカリゴケがあるからと言って十分な光源があるわけじゃない。暗くて見えなかったので目を凝らしてよく見ると、

 

「っ!」

 

 人の頭骨だ。よく見れば、地面のそこら中に人骨が広がっていた。あまりの数に息を吞む。

 

(よくもまあ、ばれずにこんだけ食ったもんじゃの。)

 

 その通りだ。明らかに被害者の数とあの町の雰囲気が合わない。こんな数が消失していれば大騒ぎになるはずだ。何かがおかしい。

 

 そう思いながらも先へ進んでいくと、開けた場所に出た。気味の悪い穴も、鍾乳石もない平坦な場所。そこに一人の女の子が倒れている。

 

 見覚えがある。昼、私に声をかけてきた女の子だ。

 

(まて!うかつに近寄るんじゃ…)

 

 そう認識したとたん、彼女のもとに駆け出していた。頭に響く制止もろくに聞かず彼女を抱き上げる。

 

「大丈夫っ!?」

 

 外傷はみたところ何もない。少し泥が服についているだけだ。何度も呼びかけて、体を揺らすとゆっくりと目を覚ました。

 

「ひるまの、おねえちゃん?…ここ、どこ?」

 

 よかった。目を覚ました。無事だった。不安に思ったのか、途端に涙声になり始めたが大声で泣きださないだけ聡明な子だ。

 

「大丈夫。すぐに家に連れていくからね。」

 

 呪霊を祓うのは後回しだ。先にこの子をこの空間から出さないと。出口は消えているけれど私の術式で無理やり突破すれば…

 

 そう脱出の算段を立てながらとりあえずこの空間に入った方向へ戻ろうと振り返った瞬間、

 

 女の子の腹を大きな針が突き破り、私の心臓を貫いた。




 ご読了ありがとうございました。

 暇つぶしに書いたものでしたが思ったよりも読んでくださった方が多くて驚いています。どれだけ呪術廻戦が面白いかということが実感できました。


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3.身を焦がす激情

 前話の冒頭部分を修正しました。展開に変化はほとんどありません。


 大きな針が、心臓を、貫いた。

 

 

 行き場を無くした血液が喉元を迫り上がり、体が勝手に吐き出そうとするのを必死で飲み込む。この子の顔に私の汚い血をかけるわけにはいかない。ただでさえ、見慣れない場所で怖がっているのに、更に怯えさせてしまう。

 

(…心信(こころ)

 

 針が私の体から抜かれる。蜂の呪霊が目の前にいた。私がずっと追ってきた個体だ。ああ、なるほど。私のすぐ後ろをずっとつけてきたのか。支えを無くした私の体は膝を折り、倒れ込もうとする。うつ伏せに倒れそうになる体を何とか捻って仰向けになる。この子を私の身体の下敷きにするわけにはいかない。恐怖で震えている彼女の身体を無理矢理押さえつけるなんてあってはならない。

 

(…心信)

 

 くそ、この子を守りながら戦闘か、厳しいな。せめてこの領域外に出してからにしたかったけど、流石にそれを許してくれそうもない。

 

(…心信)

 

 あ、というか、この子も腹から血を流してる。治してあげないと。

 

 困ったな。他人の傷の治し方なんてよくわかんないや。布でも巻いて出血を止めるんだっけ?

 

 そうだ、確かそうすればいいはず。

 

 

 ああ、でも、

 

 

 お腹の半分が無くなってる時は、どうやって布を巻けばいいんだろう。

 

 

 

(…心信、その子はもう死んでおる。)

 

 …

 

(わしのミスじゃ。前方ばかりを気にしとって後方の索敵を疎かにしとった。)

 

 …

 

(そもそも、相手の土俵で戦っとる以上、呪力の感知は当てにならんということも失念しとった。)

 

 …ノッブは悪くないよ。そもそも、ノッブの制止を振り切って向う見ずな行動をした私が悪いんだし。

 

(…少なくとも、その娘っ子が死んだのは心信のせいではないぞ。)

 

 そうかなぁ。

 

(そうじゃ。間違ってもその責は心信にはなく、呪霊に在る。)

 

 …そういえば、あいつらは?

 

(…おそらく穴から出てきた通常の蜂の呪霊が数百匹。そして女王蜂を名乗っておる呪霊が一匹じゃな。)

 

 私の胸の穴は塞がった?

 

(うむ。もう治っておる。)

 

 そっか、それでこの子を治してあげることは出来ないよね。

 

(…すまん。)

 

 うん、ごめん。意地悪しちゃった。知ってたのにね。

 

 亡骸となった女の子を静かに地面に降ろし、羽織っていたパーカーをその上にかける。こんなところでは静かに弔ってあげることも出来ないけど、せめて、安らかに眠ってほしいから。

 

 ああ、でも、少し羽虫の羽音がうるさいな。

 

「…死ね。」

 

 なら、殺すか。

 

 

 

 

 

 蜂の被害件数は年間数千件にも上り、その刺突による死者は十数件存在する。一見、被害件数に対して少なく見える死亡者はその体内に宿す毒がさほど強くないことを示しているように思えるかもしれない。

 

 事実、ミツバチに代表される蜂は人間に対して有効な毒を持たず、刺された患部が腫れ上がる程度であり、また凶暴と名高いスズメバチすらも一般的な症状は激しい痛みを引き起こす程度である。

 

 しかし、その毒の恐ろしさは二回目で現れる。

 

 一度目において人体に侵入した毒素を撃退するために人体は急激な防御反応を取る。この過剰反応が人体に有害な影響を及ぼす、一般的にアレルギー反応と呼ばれる現象だ。蕁麻疹や紅斑、呼吸不全を引き起こし最終的に死に至る場合もある。

 

 御多分に洩れずこの呪霊もその特性を術式として備えている。即ち、同じ毒を二度注入した際に生じる必殺術式。その術式のトリガーが二日前の夜とこの瞬間に満たされ術式が起動したことを確信し、女王蜂はその餌を食べるべく巣の奥底から震えながら出てきた。

 

「…死んだ?死んだよね?二回刺したもんね?他の奴らもみんなちゃんと死んだもん。死んでるよね。」

 

 幼子のような声を出すその呪霊の姿は奇怪なものだった。頭から針の先まで二メートル程の体長を持っていながらその巨体を支えるには不釣り合いなほど小さい四対の翅を肩と臀部のあたりから生やしていた。顔は人間の顔を持っていながら顎先が真っ二つに割れ蜂のようになっている。上半身は人の女性のようだが起伏はなく、下半身は蜂の腹でできていた。

 

 愚かなことに自身から縄張りに入り込んできた小虫へゆっくりと近づきその手でツンツンと突っつく。なるほど、この呪術師は確かに死んでいるだろう。身動き一つしていない。

 

 そう確信して、呪術師の女の黒い髪の毛を引っ張り顔を見つめる。黒い瞳も虚ろで何も映していない。その顔を一飲みしてやろうと顎を開き自身の顔を近づけた瞬間、

 

 目に炎がともった。

 

 術式解放 燐炎呪法 「陰火」

 

 少女から青い炎があふれ出し、その女王蜂を巻き込んで洞窟内を火で覆いつくした。

 

 

 

 

 

 気づけば目の前にいた呪霊から奇声が発せられ洞窟内に響き渡る。かなりの呪力を消費したがこの薄気味悪い領域は解除されていない。

 

(おぬしの目の前に居った呪霊だけ呪力の総量が桁違いに大きい。後ろの数百匹の呪霊は焼失したが実体を保っとるあたりこやつが親玉じゃろうな。)

 

 悶えている呪霊を包んでいた炎が消えつつある以上、陰火だけでは殺しきれないのだろう。刀を拾ってそのまま呪霊に向かって斬りかかる。しかし、近づこうとした瞬間にそこらじゅうの穴から蜂が飛び出て邪魔をしてきた。再び陰火を使用するも呪力が不十分であるために数十匹を焼き殺しただけで炎が収まる。

 

(呪力を大量に消費しすぎじゃ。一度先ほどの穴や鍾乳石が無かった位置まで引け!)

 

 無理。そうすればあの子を巻き込む。

 

(…ならそこまで下がらずとも距離を取れ。どちらにせよ今、女王蜂は祓えん!)

 

 一先ず助言に従い後退する。あの呪霊を包んでいた火もいよいよ収まり、さらに私とも距離を取ったので膠着状態が生まれる。

 

「なんで!なんで死んでないの!ちゃんと二回刺したのに⁉術式が効かないの⁉」

 

 呪霊が怒り狂いながら、言葉を発した。気味が悪い。

 

(ふむ。何らかの術式を発動させておったのか。あやつの発言とこちらに近づいたタイミングを加味すると刺すことで発動する術式かの。しかし、一昨日の時点ではそんな形跡はなかったが。)

 

 …大方、アナフィラキシーショックでも狙ったんでしょ。小賢しい。

 

 そんな会話をしている間も、呪霊は妄言を吐き散らす。

 

「ああ!ああ!ああ!思うようにいかない!どうして私たちがこんな目に合わなきゃいけないの。悪いことなんてほとんどしたことなかった!他の奴らのほうが悪いこといっぱいしてたのに!みんなのためだからって約束を守ってあげたのに!ちょっと前までこの暗い部屋以外に出かけたことはなかった!でも、外からちゃんとご飯が来たからいい子にして待っていたのに!ここ数十年一人も持ってこなかった。死ぬほどおなかが減ってた。だから、仕方なく、約束を果たすために約束の量をもらってただけ!そのくせ、あいつらがギャーギャーと騒ぐせいでとうとう呪術師がやってくる!何とか殺したらましな栄養分になるけど!どれだけ私が怖い思いをしなきゃいけないと思ってるの!その上何なのよお前は!街中で蜂が死んだと思って十匹おくれば全員死んで、挙句の果てには誰も入ってこないはずのこちらに乗り込んできた!心臓を貫いても死なない?術式が発動しない?どうして、おかしいよ!なんで私たちだけこんなにも怖い思いをしなきゃいけないの!ああ、怖い怖い怖い怖い!」

 

(耳を貸す必要はない。所詮は呪霊の戯言よ。)

 

 …わかってる。少しばかり気になることがあるがあれにわざわざ聞く必要はない。

 

 刀に呪力を廻して炎を宿し構える。そして足を強化して走り出す。

 

「…そうやって殺そうとする。いやだいやだいやだ!死にたくない!お前が死ね!」

 

 穴という穴から蜂が飛び出してきた。針を躱し、隙を見て切りつける。刀にかすりでもした呪霊はそのまま炎が全身をなめまわして焼失する。しかし、あまりにも多い。たまらず、足を止めて攻撃を捌こうとするが捌ききれず、あちこちを嚙み千切られた。

 

 仕方ない。無視をして突貫しようとするが、数歩進むと足がもつれて倒れた。気づけば右足に他の蜂と比べて小さな蜂が針を突き立てていた。

 

「くそっ!」

 

 その蜂を切り落とし立ち上がろうとするも上から数匹の蜂がのしかかり針を突き立てる。途端に意識が朦朧としはじめ悪寒と吐き気が襲ってくる。が、

 

燐炎呪法 「陰火」

 

 少しばかり回復した呪力を使って焼き払い、飛び出していくつもある穴のうち比較的大きいものに飛び込む。なんとか、窮地を脱したが途端に眩暈が襲ってくる。

 

(呪力の使いすぎじゃ。傷を治しながら陰火を連発すればすぐに底をつくぞ!)

 

 陰火は私の呪力を周囲に放出し、その呪力に触れた呪霊を発火させる術だ。その性質上、指向性がなく、より広範囲にまき散らすほど大量に呪力を消費する。

 

 傷の治療は致命傷以外しなくていい。陰火については努力はする。

 

(…そんなことをすれば、たとえあやつを祓ったとしてもそのあと出血死するぞ。)

 

 それは殺した後に考えればいい。それよりも、あの呪霊についてわかったことはないの。

 

(…およそ500匹ほどあの蜂を殺しておるが、その影響があの女王蜂には見えん。儂らは最初、蜂の呪霊を群れで一つの呪霊と考えておったがおそらく違う。女王蜂を術者としてあの蜂共はただの式神じゃ。じゃから蜂をいくら殺したところでこやつは祓えん。蜂を生み出せなくなるほど殺せば別じゃが。)

 

 逆に、あの女王蜂を殺せば勝機が見えるってことね。なら策はある。

 

 横穴から飛び出し元の場所に戻ると相も変わらず女王蜂はいた。先ほどよりも蜂の数は増えているが。

 

「ああ~死んでない。なんで?術式が効かないの?おかしいおかしい!」

 

(それで、策とはなんじゃ。おぬしが奴を祓うには近づく必要があるが、あの数をどうする。)

 

 そんなの単純。

 

 厄介なのはあの針にあるで二度刺すことで発動するものと考えられる術式。しかも、小さな蜂までいるせいで意識の外から刺される可能性がある。それなら。

 

 放出範囲を抑えた炎を発動したまま近づけばいい。

 

燐炎呪法 「炎纏下」

 

 全身に青い炎が纏わりつき急速に呪力が消費される。その状態で刀を構え走り出す。蜂は愚直に私に向かって針や顎を突き出して攻撃してくるがその寸前で炎に触れ燃え尽きる。小さな蜂も例外ではなく、見る見るうちに女王蜂との距離が縮んでゆく。女王バチは逃げようとしているがその巨体が災いして進む速度は私よりもはるかに遅い。

 

 対して、私の方も余裕があるわけじゃない。頬には汗が流れめまいや頭痛が激しい。私の炎は別に高温ではない。ただ、呪力を無差別に消費して燃え続ける。そのため、私の全身を覆うようにして維持する炎纏下は陰火と比べて呪力の消費量がさらに激しい。相手の呪力を利用せず私の呪力だけで炎を維持する必要があるからだ。

 

 それでも、確かに距離は縮み続ける。女王蜂も追いつかれると踏んだのか天井を蜂に攻撃させて鍾乳石を落としてきた。通常、鍾乳石の先はさほど鋭利ではないが勢いのある巨大な石が降ってくることは純粋に脅威だ。そして私の炎は純粋な呪力をおびていない物質を燃やすことはできない。

 

 回避をするか。しかし、一個やニ個ならまだしも、大量に落ちてくる鍾乳石を回避するには大きく回避行動をとらないといけない。それをすれば間違いなく、女王蜂にたどり着くまでに呪力が尽きるだろう。

 

 故に、頭にだけは当たらないように気を付けながら無視して突っ込む。足や背中、腕に当たり、骨の折れる音が体の中を響くが足を無理やり進ませる。

 

 あと数歩。数歩で刀の間合いに入る。あいつを殺せる。

 

(待て!その先は…)

 

 そうして、体が訴える数々の異常を無視して一歩踏み出す。踏み出した瞬間。

 

 蜂の幼虫のような式神が足首を咥えていた。

 

 理解ができないまま、バランスを崩して倒れる。

 

 どうして。炎纏下は切れてない。なのに、何故?

 

(おぬしの足元は他の場所と比べてはるかに濃い呪力が集まっておる!そこにおる式神は他の式神と比べてはるかに込められておる呪力量が多い。炎纏下では焼き尽くしきれん!)

 

 ノッブの言葉を脳裏で聞きながら、地面に倒れこむ。呪力が尽き、炎纏下が切れた。

 

 そんな。ほんの少しだったのに。あと数歩。数歩踏み出せれば殺せた。

 

「はあ、はあ、死んだ?死んだの?」

 

 顔を上げて睨みつける。這いずってでも近づこうとするも上から蜂がのしかかり、身動きが取れなくなった。

 

「ヒイッ!死んでない!殺して!」

 

 蜂が毒針を突き立てようとする。だめ、せめて、殺してからじゃないと、死んでられない。

 

(どうする…儂が代わるか。しかし、この状況で代わっても…)

 

 

 

 その時、

 

 

 

 前にいる女王蜂が横殴りに吹き飛んだ。

 

 

 続いて私にのしかかっている蜂もはじけ飛ぶ。

 

 

「え…。」

 

 突然の状況に理解ができず唖然とした。手足が自由になるもけがと呪力の枯渇で身動きは取れない。だから、顔だけをそちらに向けて状況を理解しようと試みる。

 

「一体どういう状況かわかりませんが…。一先ず、大丈夫ですか。」

 

 薄暗い洞窟の中でスーツ姿で変な眼鏡をかけ、髪を七三分けにした会社員のような風貌の呪術師がそこには立っていた。

 




 ご読了ありがとうございました。

 なお、本作では蜂毒の危険性について、一度目は大したことが無いように記述してありますが、一度目であっても死に至ることはあり得ます。蜂に限らず山で何らかの毒虫に刺された場合は医療機関を受診してください。


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4.巧者の蹂躙

 任務を終え、帰宅に向かっていた途中、無線が入り、急遽別の任務が入った。推定一級呪霊の討伐だ。

 

「討伐要請のわりには、あまりにも情報が少ないようにも思えますね。」

 

「えぇ、補助監督三名を動員して街の住民に聞き込みや捜索を行っていますが、かなり排他的な様子でほとんど情報を得られていないようです。」

 

 現場への送迎を行う補助監督が答える。時間はもう五時を過ぎており、今から東北地方へ向かうとなるとかなり時間がかかることが予想された。その時間を利用し資料を読み込む。

 

「…定期的な見回りを行っていた、三級術師が行方不明。それに伴い二級術師が派遣されたものの、同様に行方不明ですか。」

 

「はい。また二人目の二級術師の方は準一級術師への昇級試験を間近に控えていた方で、ほぼ確実に準一級に上がるだろうと目されていました。その方で対処できず、呪霊も確認できていないため、呪霊を推定一級呪霊と認定し、一級術師以上の手が空いている方を当たった結果、七海さんに白羽の矢が立ったようです。」

 

 呪霊の確認が出来ていないにもかかわらず、術師を派遣する当たりよほど危険性が高いと判断したのか。資料をパラパラとめくる。ほとんど情報が集まっていない以上、その内容は薄く、数分で読めるものだった。

 

 気になる点はあまりない。世帯の収入は街の規模からみて平均程度であり、閉鎖的というのも村から発展した街にはよく見られる点だ。しかし、閉鎖的な環境を保つにはこの街は少々大きすぎる。住んでいる人のほとんどが顔見知りというのも人口に対してはかなり珍しいだろう。

 

 何か裏があるのか、うがった見方をしすぎているのか。

 

「ここ最近、呪霊の被害は確認されていたのですか。」

 

 呪霊が活発化するということは何かしらの変化が起きたということだ。閉鎖的な村なら余所から人がやってきて幅を効かせ始め、それをよく思わない人から生じる負の感情から呪霊が生まれることもあり得る。

 

「いえ、確認できている限りでは呪霊による被害、人為的な被害もここ十年間でありません。」

 

「人為的な被害とは、窃盗といった事件すら起きていないということですか。」

 

「はい。」

 

 いくらコミュニティが密接で犯罪を犯しにくい状況にあろうと、人が集まる場所で長期間犯罪が起こらないとは考えにくい。ならば、そういった事件を恒常的に隠蔽しているのか、それとも気性に関与する呪霊が発生しているのだろうか。

 

 

「着きました。ここが、最後に二級術師の方から連絡があった場所です。私達補助監督も引き続き調査にあたります。」

 

「ええ、お願いします。」

 

 降ろされた場所は住宅街にある公園の前だった。既に日は傾き始めており、あっという間に夜になるだろう。車から一歩足を踏み出す。ほんの一瞬、周囲の人から視線が集まった。即座に目を逸らされたが、様子を見ると先程まで遊んでいた家族も急いで帰宅の準備をしているように見える。

 

「すみません、最近、この辺りで…」

 

「…」

 

 一先ず聞き込みをしようと声をかけるも無視をされる。そのやりとりを数回繰り返すと、周囲に人は居なくなっていた。なるほど、確かに排他的だ。しかし、余りに露骨が過ぎる。これでは、何か隠し事があると言っているようなものだろう。

 

 夜が訪れる。

 

 この街の住民は私が話しかける際、私を恐れているようだった。いや、私というより部外者に何かが漏れることを恐れているのだろう。しかし、そういった恐れを常に内包している割にこの街には呪霊が少ない。

 

 この街には電車やバスが通っており、完全に外部と遮断されているわけではない。少なからず、外部の者は居るはずである。すると、住民は常に情報漏洩を恐れることになる。

 

 恐れや怯えは負の感情だ。こんな状況であれば、呪霊が現れてもおかしくない。

 

 しかし、呪霊の活動しやすい夜になったのにも関わらず一体たりとも呪霊と遭遇していない。危険な呪霊はもちろん、四級呪霊と言った下級のものもだ。これは異常。どんな街であろうと人が集まる以上、呪霊は生まれる。すると考えられるのは、受け皿となって居るような場所があるのか、他の誰かがあらかた祓ったのか。

 

 住宅街から街の方へ歩いていた足を止める。角を曲がると大きな人だかりができていた。しかし、昼間のように部外者である私を見ているのではない。

 

 近づくと周りの人々は私に気づいたのか、咄嗟に体を横に並べた。明らかに何かを隠そうとしている。そして何より、わずかに漂う血臭と残穢の気配。ただ事ではない。

 

「すみません、どいていただけませんか。」

 

 そう伝えるも、周りの人は顔を見合わせるだけで動こうとしない。事は急を要する。少し強引に立ち入る必要があるかもしれないと考えたときに、血まみれの男が人混みを割って出てきた。

 

「あんた、外の人間だろう!」

 

「確かにそうですが。それより、大丈b」

 

 そう答えると藁にもすがるような勢いで私の襟元を掴み、男は叫ぶ。

 

「頼む、娘が、娘が攫われたんだ!あんたしか、外のあんた以外に頼れる人がいないんだ!!」

 

 その男の腹には大きな穴が開いておりどう見ても致命傷だった。しかし、彼はそれを全く気にせず死の淵にいる人とは思えないような強さで私を引っ張っている。

 

「…娘さんはどこに、何に浚われたかわかりますか?特に、人が普段近づかないような疑わしい場所は?」

 

 そう聞きながらも、救急車の手配と補助監督に連絡を入れる。きっと手遅れになるだろうがないよりはましだからだ。

 

「わからん、黒い靄のようだった。浚われた場所も心当たりもない!だが、」

 

 一瞬迷ったような表情を浮かべる。しかし、それを振り切ったようで迫力のある瞳で答えた。

 

「ここから西にある山の一部に鍾乳洞がある。そこは誰も寄り付かないように昔から言いつけられているがきっとそこに違いない!」

 

 その鍾乳洞という言葉が出た瞬間、周囲の人が息を呑む。おそらくこの街の者にとってのタブー。部外者に伝えてはいけない部分なのだろう。

 

「なるほど。お子さんの服装や特徴は?」

 

「短髪の黒髪にピンクのジャンパーを着ている。頼む、助けてくれ!」

 

「わかりました。最善を尽くします。」

 

 そう伝えると、力を絞り切ったかのように気を失った。ゆっくりと横に座らせ周りの人のうち比較的、彼と同年代の男に声をかける。彼が先ほど鍾乳洞という言葉を出した際に最も動揺が薄かった男だ。

 

「鍾乳洞への行き方を教えていただけますか。彼の娘さんの命にかかわります。」

 

 すると、一瞬の間逡巡したが了承し、車で送り届けると伝えた。しかし、それを断り、位置情報だけをいただいて一直線でその場に向かう。

 

 ところどころ、道は舗装されており、山道とはいえ、案外早く鍾乳洞への入り口と思われる洞窟へたどり着く。そしてその中に一歩踏み出した瞬間景色が一変する。幻想的でありながらもその美しさを壊すようなおどろおどろしげな数々の穴と髑髏。不完全ながら、生得領域が展開されている。

 

 この呪力の密度では特級呪霊の可能性も存在しうる。そう思いながらも先に進むと開けた場所に出た。血だまりと何かを隠すように青いパーカーが被されていた。

 

 厳しい顔になっていることを自覚しながらも、パーカーをめくる。

 

 そこには先ほど聞いた特徴に一致する小さな少女が横たわっていた。

 

「…」

 

 一瞬黙禱し、パーカーを戻す。呪霊がこのパーカーをかけたとは思えない。だれか、この持ち主が来ているはずだ。

 

 その持ち主を探そうと立ち上がった瞬間、背中から呪符をまいた刃物を取り出し横なぎに振り払う。すると、壁に呪霊が打ち付けられた。人間大の蜂型呪霊。それがこの領域の主だろうか。それならばこの無数の穴が開いた生得領域も説明できる。蟻の可能性も捨てきれないが。

 

 すると、無数に空いた穴の一つから青い炎に包まれた蜂が一匹飛び出し、目の前で燃え尽きた。

 

 誰かが呪霊と戦闘している?

 

 急いでその穴に入り、通路を駆け抜ける。すると、再び開けた場所に出た。そこにはすさまじい惨状が広がっている。壁のあちこちに青い炎が引火してまるで地獄のような様相を呈していた。足元には骸骨だけではなく、もとは蜂であったのだろう塵のようなものも存在している。

 

 その先を見ると蜂型呪霊と明らかに呪力量が違う大きく歪な呪霊がいた。あれがこの生得領域の主だろう。こちらに注意が向いていない現状、最もダメージが入るであろう頭部に術式を合わせようとして、

 

 一つの小さな人影が地面に倒れ伏しているのが目に入る。上には先ほどの蜂型呪霊がのしかかり、今にもその毒針を細い背中に突き立てようとしていた。

 

十劃呪法

 

 一瞬で距離をつめ、目の前の巨大な呪霊を横なぎに振り飛ばす。その勢いのまま、のしかかっている蜂型呪霊に術式を発動させ、その周囲にいる蜂型呪霊ともども消し飛ばした。

 

 横たわっていた人影は腰まで黒い髪を伸ばした少女だった。歳は中学生ぐらいからだろうか。先ほどの女の子の姉かと思ったがその右手に握られている一本の刀でわずかに警戒する。おそらく先ほどまで蜂型呪霊と戦闘していたのはこの娘だ。呪術師が来ているという報告は受けていないため、考えられるのは呪詛師。そこまで考えを巡らせ、詰問するか、一先ず簡単に捕縛するか考え、

 

 その瞳を見てそんな考えが霧消する。

 

 その瞳に浮かんでいるのは強い怯えの色だ。その対象が私か、呪霊に対してかはわからないが、まるで迷路に一人残された幼子のような瞳をしている。

 

「一体どういう状況かわかりませんが…。一先ず、大丈夫ですか。」

 

 体を見ると、あちこちから出血し、衣服に血がにじんでいる。左腕はあらぬ方向に曲がり、何より右足の足首から先がなくなっていた。服は半そでのTシャツで、いくら夏であろうとこの時間は肌寒いはずだ。おそらく、先ほどの女の子にかけていたパーカーは彼女の物。

 

 ネクタイをほどき、一言声をかけてから右足首を縛り出血を抑える。他にも応急処置をしたい箇所はあるが流石にそこまでの余裕はない。

 

「そのまま身を隠していてください。それと、この人形を。あなたを守ってくれます。」

 

 夜蛾さんのつくった呪骸を渡す。

 

「…あいつは。」

 

「ご心配なく。私が追い払っておきます。」

 

 そう言って彼女に背を向け、呪霊と相対する。

 

「なんでなんでなんで!あと少しだったのに!なんでまた私の邪魔をするの!」

 

「申し訳ありませんが、これも仕事ですので。」

 

 得物を構えて一歩前に出た。

 

「夜も更けてきましたし、手早く終わらせましょう。」

 

 

 

 

 

 私以外の呪術師。それを見たことが無いわけじゃなかった。もう死に体であったり、見つからないように遠目からみるだけでその本領を具に観察したことはなかったが、大抵は物理法則の埒外にある呪術でごり押ししたりする者ばかりだった。それが正しい姿と思っていたし、実際、私も術式頼りの正面突破だ。

 

 しかし、目の前で戦いを繰り広げる呪術師。彼は私が今まで見た中で別格だ。

 

(呪力量の密度もさることながら、戦い方が巧いな。)

 

 手数は圧倒的に相手のほうが多い。先ほどのように数百匹も式神がいるわけではないようだが、それでも一本の得物で対処するのが難しいことは身に染みている。しかし、その術師はそれを難なくこなしていた。

 

 地形を利用し、四方を囲まれないように一度も止まらず一撃で式神を殺す。呪霊はそのまま物量で押し切ろうとするが広い空間を縦横無尽に駆け回る術師を追い切れず少しずつ数が減らされ、女王蜂との距離が詰められてゆく。小さな蜂は大きな蜂が殺される隙に入り込み刺そうとしているが、彼自身が纏う堅牢な呪力に阻まれ、そもそも針が刺さっていない。そのまま、術師に潰された。足元の幼虫型の呪霊も嚙みついたはいいものの、その顎を閉じることもなく踏みつぶされる。

 

「やだやだやだ!近づかないで!こっちに来ないで!」

 

 徐々に、ゆっくりと、堅実に距離を詰める。絶えず蜂は穴から出てきているがその速度以上に殲滅する速度が速い。

 

 数分の攻防の末、洞窟の中には女王蜂と数匹の蜂が残る程度になった。

 

「やだ、死にたくない!まだ、何も悪いこと…」

 

「終わりです。」

 

 呪力が爆ぜ、術師の得物が女王蜂の頸部に突き刺さる。そのまま、頭は吹き飛び、胸部と腹部はそのまま地面に落ちて潰れた。ついでのように周りの蜂も吹き飛ばされ地面のしみになる。

 

 薄気味悪い穴が消える。洞窟の中も様変わりして先ほどよりも明らかに狭くなった。

 

「厳しいでしょうが…立てますか?」

 

 呪術師が私に近づき、携帯の光をともして尋ねる。

 

「…はい。」

 

 刀を支えにして壁にもたれながら立ち上がる。足首を治せるほど呪力は回復していなかった。

 

「私が貴方を背負って外に出ましょう。」

 

「いえ、歩けるので大丈夫です。それより、奥の女の子をお願いできますか。」

 

 こんな場所から少しでも早く出してあげたいという気持ちから、その厚意を断る。そのまま、歩いて外に出ようとすると途端に足元に躓いて転びそうになった。慌てて両手をついて衝撃に備えようとすると、横から体を支えられた。

 

「…わかりました。それならここで座って待っていてください。私は奥に行ってその子を連れてきます。そうしたら一緒に外に出ましょう。それでいいですね。」

 

 有無を言わさず尋ねられた質問に首肯する。歩けるといってこけそうになった手前、返せる言葉はない。

 

 呪術師が奥へ走っていくのを見届ける。人工の光が遠ざかり洞窟の中にはヒカリゴケのわずかな光と鍾乳石の先から垂れる水の音だけが響いている。本来の神秘的な光景が取り戻されていた。

 

 呪力と血液の欠乏から頭が朦朧とする。欠損したのは初めてだったが、治すことができるだろうか、そんなことを考えながら私は意識を手放した。




 ご読了ありがとうございました。

 遅くなり申し訳ありません。他の方の作品や小説を読むと情景描写に圧倒的なセンスの差を感じて自身の非才を思い知らされていました。思い知らされただけでフィードバックはできていません。

 因みに私は七海さんが呪術廻戦の中で一番好きです。


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5.始まりの話譚

「おっつかれーななみん!はいこれお土産ー。」

 

「なんでここに貴方が居るんですか、五条さん。」

 

 鍾乳洞での任務を終え、補助監督の方々の報告を聞いてあの街にあった背景とともに報告書を提出し、帰宅した次の朝。少し顔を出しに病院へ向かうと、高専の頃の先輩である五条悟が私を待ち構えていた。確か、特別任務でアメリカの方へ昨日まで居たはずだが。

 

「またまたー、ここに来た理由ぐらい七海が一番分かってるでしょ。」

 

「彼女のことですか。」

 

 お土産と称する空箱を受け取りそのままゴミ箱へ捨てる。

 

 心当たりなど先日私が保護した少女のことぐらいしか身に覚えがない。未登録の呪術使いの少女。そんな人間を二人の呪術師が失踪していた地域から見つけたとなれば呪詛師として彼女が殺したのではないかと疑うのも当然だろう。実際、上層部はどう拷問して情報を聞き出すかを朝まで考えていたようだった。

 

「ぶっちゃけ、ななみんは彼女が殺したんだと思う?」

 

「わかりませんよ。彼女と話した時間もせいぜい数分程度です。それでどちらか判断するにはあまりに早計でしょう。」

 

 そうだ。このわずかな判断材料で殺すか生かすかを決めることは論理的でない。しかし、

 

「ただ、私見を言えば彼女は殺していないかと。」

 

「へぇ?それはまたどうして。」

 

「呪詛師は徒党を組んで呪術師や非呪術師を襲うことが多いです。しかし、彼女は一人で呪霊に挑み、敗れた。実際に、私が助けていなければ間違いなく死んでいたでしょう。そんな状況にある程度呪霊に対して知識を持つ者が陥るとは考えにくい。」

 

何より、

 

「彼女は失神する直前まで被害者である少女のことを気にかけていました。そんな人物が人殺しをしているとは思えません。」

 

 ハッと気づくとニヤついた笑みを浮かべながら聞いていた。こほんと咳払いをし、ペースを乱されないように眼鏡を掛け直す。

 

「・・・失礼、忘れてください。根拠にあまりにも乏しい。どちらの可能性も考えておくべきでしょう。」

 

「いーや、僕も同意見だね。あながち間違ってないと思うよ。」

 

「そもそも、貴方のその目ならそもそも呪術師の殺害が可能かどうかわかるでしょう。聞く必要などなかったのでは?」

 

 呪術師として教育を受けた者と何もそういった教育を受けていない者では実力に大きな差が出る。もしその差を埋めることができるとすれば術式の相性だ。その点、彼の持つ術式の本質を見極める六眼は非常に役立つ。

 

 そう言った事情で確信を持っているのだろうと考えた私は五条さんにそう問うた。しかし、彼はその軽薄な笑みを一層深くしてこう答える。

 

「いーや、わからなかった。」

 

「・・・は?」

 

「だから、何も分からなかったって言ってるのさ。この僕が、六眼を使って。」

 

「・・・そんなことがあり得るんですか。」

 

「ありえない。六眼は初見の術式であろうと関係なく看破する。その術式の構造を事細かに分析して丸裸にするからね。術式がないならないと断言できる。それを踏まえて、分からないって言っているのさ。」

 

 五条悟が最強たる所以の一つである六眼を持ってして分析できない術師。その存在は呪術界を揺るがしかねない事実だ。

 

「それなら、どうしてそう断言できるんですか。私がいうのもなんですが、得体の知れない術式で二人の呪術師を殺した可能性もある筈です。」

 

「ああ、それは単純だよ。僕は彼女の為人を知ってるからね。」

 

 そう言って、この人はようやく笑みを消し、珍しく真面目な顔で言った。

 

「彼女は一年前に起こった呪霊災害事件の被害者だ。」

 

 

 

 

 

「・・・っていうのがその事件のあらすじだ。それより前の彼女は驚くほど善良で正義感の強い女の子だったみたいだねー。」

 

 あらかた話し終わったけど七海の様子に変化は見られない。冷たいねー。

 

「七海ならもっと憤るかと思ったんだけど。」

 

「他人の身の上話ほど興味のない話はありません。ただ・・・」

 

 七海は一呼吸置いた後、吐き捨てるように言った。

 

「子供が受け止めるにはあまりに大きな絶望だとは思います。」

 

 …やっぱり、彼の感性はマトモだ。

 

「これから硝子のとこに行って容態とついでに色々聞いてくるけど一緒に来る?」

 

「いえ、遠慮しておきます。仕事がありますので。家入さんにはよろしく伝えておいてください。」

 

 そう言って踵を返して病院から出て行く。彼の背中から漂う呪力はいつもより少し多かった。

 

 

「ヤッホー硝子。調子どう?」

 

「いつも通りだよ。」

 

 いつものように目の下にクマを作ってカルテを見ている。相も変わらず毎日のように運び込まれる重傷者の手当てで自分を追い込んでいるんだろう。いくらほぼ唯一の反転術式の使い手とは言え医者の不養生を体現してたら世話無いだろうにさ。

 

「で、結局どーなのさ。彼女の身体は?」

 

「めちゃくちゃだよ。内臓の場所が入れ替わっていたり、穴が空いた形のまま出血が止まっていたりしている。普通に暮らしていれば痛みで発狂しているだろうね。」

 

「へぇ〜。それでよく死んでないね。」

 

 内蔵の場所が変わっていたり心臓に穴が空いていたりすればすぐに死んでしまいそうなものだけど。

 

「さっきも言ったように出血そのものはしていないし、内臓としての機能も果たしているんだ。自然治癒ではそんな回復の仕方はしないけど。」

 

「・・・するとつまり、彼女は。」

 

「そう。おそらく彼女は反転術式を不完全な形で会得している。きっと一人で戦う上で致命傷を負った際に失血死だけは避けるために体が勝手に覚えたんだろう。」

 

 それを聞いて笑みが溢れる。ああ、間違いなく彼女は逸材だ。反転術式を会得している術師はほとんどいない。それこそ、一級術師である七海すら会得できていないのだ。それを不完全とは言え高校生にも満たない年齢で独学で会得している。

 

 そして、この僕の六眼ですら解析できない術式。彼女はきっと僕に並ぶ術師になるだろう。

 

「それで、その身体は治したのかい?」

 

「…ああ、治しはしたよ。」

 

 珍しく含みのある言い方だ。何か問題でもあるのだろうか。

 

「反転術式が効かなかったんだ。だから、行った治療はすべて外科的な治療。呪力を用いた治療はできなかったんだ。だからかなり出血したし、その影響であと一か月は退院できないだろうね。」

 

 反転術式が効かないということはあり得ないはずだ。あれは負のエネルギーである呪力をかけ合わせることで体を構成する生のエネルギーを生成して治療する術。そこに呪術師、非呪術師であるかどうかは関係がない。それにもかかわらず効かないということは…

 

「…やーめた。本人に直接聞こう。会うことはできる?」

 

「去年の彼女の姿をみた限りでは何とも。七海の報告書だけなら大丈夫な気はするけど背景が背景だからな。そもそも、まだ目を覚ましてはいないから、医者としては面会謝絶と言わざるを得ないね。」

 

「うーんそれはちょっと了承しかねるかなぁ。」

 

 どちらにせよある程度話を聞いて今後の方針を決めないとこのまま上層部は死刑で話を進めるだろう。疑わしきは罰する愚者ばっかだから。

 

「はあ、私が付き添いで一緒に見ること。それが最大限の譲歩だ。」

 

「オッケー!じゃあ行こっか。」

 

 そのまま硝子を連れて彼女がいる病室へ向かう。完全個室なようで他の患者がいないのは都合がいい。

 

「お邪魔しまーす!」

 

 ノックもせず扉を開け放つ。硝子が頭を抱えているけど気にしない気にしない。ズカズカと入り込み彼女の前に立つ。既に彼女は目を覚ましていた。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、白い天井が目に入る。消毒薬の特有のツンとした鼻につくにおいが鼻腔を刺激して急速に意識が覚醒した。知らない場所だ。すぐさま体を起こして臨戦態勢を整えようとするも、体を動かしたとたんに眩暈がして次の行動に移れない。

 

(落ち着け。そもそも死に体だったおぬしが生きている時点で危険な状況ではなかろうさ。)

 

 ノッブの声で思考が急速に冷める。確かに、私を害するつもりなら寝ている間に行動に移るだろう。それに対して病院まがいな場所に連れられている以上、私にとって最悪の状況ではないはず。

 

 あたりを見回す。間取り、景色、どれも見覚えのないものだが部屋の全体の雰囲気は私がかつて入院した病室と似ている。もしかしたら、そもそも知っている病院なのかもしれない。

 

「お邪魔しまーす!」

 

 そう考え落ち着き始めたころに、突然病室の扉が開かれ目隠しをした白髪の男と儚げな雰囲気を醸し出した女性が現れた。大きな音に体はびくりと反応する。はた目から見れば私の身の安全はかなり危ういといえるだろう。

 

(なにせ、目隠しした長身の男なんぞ怪しさ満点じゃからな。)

 

 だけれど、私はその二人の名前を知っている。この二人が来たとなると、先日あったあの呪術師は彼ら側、体制側の呪術師ということなのかもしれない。

 

「お久しぶりです。五条さん、家入さん。」

 

 そういうと、二人は僅かに驚くような顔を見せる。心外だ。そんなに物覚えが悪い人間とでも思われていたのだろうか。

 

「…体の調子はどうだい?特に左足は動く?」

 

 家入さんに尋ねられ、足首を動かす。そういえば切断されていたんだった。親指から小指までまげて自在に動かせることを確認した。

 

「はい、大丈夫です。家入さんがつなげてくれたんですね。」

 

「私は呪力を用いない一般的な治療しかしていないよ。断面がきれいだったからつなげるところまではやったけどその神経や筋肉をつなげたのは君自身の力さ。」

 

 これなら、もしかしたら。

 

「私と一緒に保護された女の子がいたと思うんですが、その子は助かりましたか?」

 

「残念だけど、助けられなかった。」

 

「…そうですか。」

 

 知っていたことだ。死者を蘇生するなんてできないことはわかり切っていたのだが、割り切れない思いがそんな当たり前のことを口にさせた。

 

「そうだ、先に君に聞いておかなくちゃ。君は術式を使えるのかい?」

 

「…はい、使えますね。」

 

 重い沈黙を打ち破るように殊更明るく、五条さんがそんな話を振った。あまり聞いてほしくない話題だったが。ここで隠したところで意味はないだろう。鍾乳洞での戦闘で彼らに私の術式の概要は伝わっているはずだ。

 

「じゃあ、その術式を使って二人の呪術師を殺したりしたかい?」

 

(相も変わらず直截に聞いてくるの~。)

 

 軽薄な笑みを浮かべながら聞いてくる五条さんに対し、家入さんは眉をひそめてこちらをにらんでいる。なるほど、その呪術師殺しの犯人として疑われているのだろう。

 

 しかし、二人。二人死んでいるのか。

 

「呪術師の方とは先日助けていただいた方以外と面識もありません。」

 

「そっか、それならいいんだ。なら…」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。」

 

 別の話題に移ろうとした五条さんの声を遮って制止の声を上げた私に訝しげな眼を向けてくる。いや眼はバンダナで隠して見えないのだが。

 

「その方の写真も見せてもらってません。それなのに、私の言葉を鵜呑みにしていいんですか。」

 

 現状、私の状況はかなり怪しいものだ。呪術師はかなり枯渇していると聞いたし、そんな貴重な人材を殺した最有力候補者の事情聴取をこれで終わらせてはいけないだろう。しかし、

 

「いーのいーのそんなの。どうせ頭の固いお偉いさん方がほざいてるだけなんだから。」

 

「いや、でも…」

 

「少なくとも、僕と家入、そして君を助けた七海っていうやつはそうじゃないっておもってるよ。」

 

 そんなの、おかしな話だ。二人とも別に長い付き合いじゃない。一年前に少しだけお世話になっただけ。しかも、その時は会話した内容すら覚えていない程度の付き合いだ。七海という呪術師の方はあの時が初めて出会った。なおさらわかるわけがない。

 

「…どうしてですか。」

 

「うーん理由なんてたいそうなものはないけどねぇ…、」

 

 肘を来客用の机につけてさも当然のように、言う。

 

「子供のことを信じるのが僕ら(大人)の役目ってものでしょ。」

 

 …大人。大人か。考えてみれば、私が大人ではないというのは当然の話なのだが。

 

「…短絡的ですね。」

 

「ま、それで痛い目に合ったら反省すればいいだけの話さ。」

 

 冗談めかして返事は返された。

 

「で、次に移っていいかい?」

 

「はい、どうぞ。」

 

「君の今後についての話だ。」

 

 すると五条さんは組んでいた足を解いて姿勢を正した。本題に移るということだろう。別に今までの話が冗談というわけでもないだろうし、相も変わらず肘はついているが。

 

「その様子だと、君は一人で呪霊狩りをやってきたんだよね。」

 

「まあ、そうですね。」

 

 実際、ほとんどの期間は一人でやってきた。まあ、厳密に一人というかは疑問の余地が残るが。

 

(儂がおるからな!)

 

「誰かと協力して祓う気は…」

 

「ありません。」

 

 脳裏に彼らの姿がちらつきながら即座に回答を返す。少なくとも五条さんは敵ではないだろうがどんな裏があるか分かったものじゃない。

 

「大きな組織に属すれば私がしたいように動けなくなります。それに、隣にいる誰かに気を遣いながら呪霊を殺すなんて器用なことは私にはできません。」

 

 とりあえず建前を返す。別に本当に思っていないわけでもないが。すると、思いもよらない質問が飛んできた。

 

「…君が呪霊を殺す理由は何だい?」

 

 私が呪霊を殺す理由。そんなの、決まっている。

 

「呪霊が憎いから。あんなものがこの世に在っていいものだと思えないからです。あらゆる難難辛苦を許容できても、あれだけは存在を許すことができません。」

 

「ふーん。要は呪霊をすべて祓いたいってことだよね。」

 

 聞いてきたのに興味のなさそうな返事が返ってきた。それでいて要点をつかんでいるのが腹が立つ。

 

「…その認識で相違ないです。」

 

「でも、それを一人で成し遂げるのは不可能だ。」

 

「…」

 

 確かに、それは事実だ。見た片っ端から呪霊を殺してきたが、あいつらは同じ場所に何度も湧いてくる。それこそ、ゴキブリ以上に際限なく出てくるのだろう。人の負の感情がある限り、決していなくなることはないということも私は、知っている。

 

「だからこそ、余計なしがらみにかまってる暇はないんです。」

 

「別に君に呪術連に入れって言ってるわけじゃない。ただ、君が一人で祓い続けてもいずれ限界が来る。実際、今回死にかけたわけだし。だから、戦い方とか、知識を学ぶために一時的にうちにこないかって誘ってるだけさ。」

 

 う。それを言われると少し痛い。実際に足首を治してもらっておいて家入さんの目の前で開き直ることができるほど私は厚顔無恥ではない。

 

「しがらみが嫌なら僕が盾になろう。これでもそこそこ僕は偉いからね。大概のわがままは通せるし、何よりそういう経験も積んだほうが呪霊を効率的に狩れる。いろんな人も守れるしね。」

 

(逃げ道を塞がれたな。どちらにせよ、おぬしが拒んでもこやつの話では処刑されるだけじゃ。より多くの呪霊を殺したいなら受け入れる他なかろうて。)

 

「…わかりました。少なくとも戦い方等を教わるまではお世話になります。でも、将来五条さんや家入さんみたいに律儀に働くという約束はしませんよ。」

 

「私はともかくこの馬鹿目隠しは律儀に働いてはいないよ。」

 

「ひっど―!」

 

 私がかけた保険を気にも留めずに了承された。まあ、口約束の保険だ。いくらでも反故にされる可能性はある。

「じゃあ、よろしく。改めて自己紹介を。僕は都立呪術高等専門学校担任かつ特級術師の五条悟だ。少なくとも高専に入学することがあれば僕が君を受け持つことになると思うよ。」

 

 この人。その風貌と言動で教師だったのか。

 

(すでに先行きが不安になってきたの。)

 

「…神願心信(かんなぎこころ)です。よろしくお願いします。」

 

 14歳の夏。本来なら中学二年生を迎えていたはずの私はこうして呪術の世界に本格的に身を置くことになった。




 ご読了ありがとうございました。

 ここまでがプロローグです。主人公の名前を出すのにかなり時間がかかってしまいましたがお許しを。
 速筆というわけでもないので時間はかかると思いますが読んでくださる方は気長にお待ちしていただければと思います。


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