ラストスタリオン (水月一人)
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第一章・俺は異世界に種馬として召喚されたはずが、いつの間にかゲイと駆け落ちしていた
終わる世界①


 ウォール街のジョークにこんな話がある。とあるアメリカのビジネスマンがコスタリカの漁村を訪れた。彼が村一番の漁師の船を覗き込むと、そこには大きなキハダマグロが何匹も釣り上げられていた。

 

「凄い! これだけ釣り上げるのに、いったいどれくらいの時間がかかるんだい?」

「なあに、ほんのちょっとさ」

 

 漁師は得意げに言った。日の出前に起き出して、船を漕ぎ、沖に出て、夜が明けるまでのほんのひととき、釣り糸を垂らすだけだと。

 

「それ以外の時間は何をしてるんだい?」

「帰ったら二度寝して昼過ぎに起きるんだ。ご飯を食べて子供たちの相手をして、明日の漁の準備をちょっとして、女房と昼寝をしたら、夜はワインを片手に友達とギターを弾いてるんだ。毎日忙しくて大変だよ」

 

 ビジネスマンはあざ笑った。

 

「なんてもったいない。これだけの腕があるなら、いくらでもビジネスチャンスが転がっているじゃないか。君はもっと長い時間働いた方がいい」

「そうかな?」

「ああ! そしてお金を貯めて大きな船を買い、ウェブに広告を出して人を雇い、漁獲量を増やすんだ。魚も中間問屋に売るんじゃなくて、直接加工業者に持ち込んだ方がいい。そしてゆくゆくは自前で工場を建てるんだ。加工品も地元に卸すんじゃなくて、ニューヨークのような大都市に直接売りつければもっと稼げる。きっと上手くいくぞ。なんなら僕が手伝ってもいいよ」

「それにはどのくらいの時間がかかるんだ?」

「そうだな。15年から20年といったところか」

 

 漁師は首を振る。

 

「冗談じゃない! そんなに働いたら死んじゃうよ!」

 

 ビジネスマンは食い下がる。

 

「おいおい、長い人生のほんの一時のことじゃないか。それさえ我慢したらバラ色の人生が待ってるんだぞ」

「……本当に?」

「ああ、時がきたら上場して、企業の株を売ればいい。そしたら君は億万長者だ」

「それで?」

「売ったお金で引退して、あとは遊んで暮せばいいじゃないか。毎日、遅くまで寝て、自由気ままに釣りをして、子供たちの相手をしたあとは女房と昼寝でもして、夜はワインを片手にギターを弾いて、友達とホームパーティーだ。なんて素晴らしい毎日だろう」

「それは今とどこが違うの?」

 

 おかしなもので、行き過ぎた資本主義の果てに、ウォール街のビジネスマンは田舎暮らしの夢を見るのだ。YouTubeで漁村の風景を見ながら、あいつらが羨ましい、あんな生活をしてみたい、そんな風に思っているのだ。それでいて彼らは何故か漁師のことを見下しており、自分たちのやり方のほうが正しいと思いこんでいる。

 

 逆に漁師は漁師で、都市生活者(ビジネスマン)のことを、上手くやりやがってこんちくしょうと憎んでいるのだ。大して肉体労働せず机にかじりついているだけで、彼らは自分の何倍もの年収を稼ぐ。いつも都会の洗練された文化に囲まれてて、人を食ったようなナンセンスなジョークと、アメリカのホームドラマみたいな生活をエンジョイしてるんだろうなと。

 

 もちろん、それはどっちも間違いだ。都市生活者の殆どは、洗練された生活など送ってはおらず、スーパーの惣菜をつつきながら、過酷な労働時間に耐えているのが関の山だろう。そして漁村には、彼らが羨むようなお気楽な漁師なんてものは存在せず、嫁不足と安定しない収入に頭を抱えている男がいるだけだ。

 

 事実、ウォール街のジョークでも漁師はこう言っているではないか、「毎日忙しくて大変だよ」と。

 

 我々は、自分の不幸を感じることは出来るが、他人の不幸を感じることは出来ない。ビジネスマンにとって漁師の生活は幸せそうに見えても、漁師にとってはそうじゃない。漁師は漁師で悩みがある。どんなにお気楽そうに思えても、彼が不幸だと思えばそれは不幸だ。

 

 何が不幸で何が幸福なのか、それは自分にしか分からない。このように、自分にしか分からない感覚の機微のことを、心理学用語でクオリアという。

 

 我々は例えば、同じ赤い風船を見てても、実は同じものを見ているとは限らない。他人の不幸が分からないように、私が見ている赤の赤さと、あなたの見ている赤の赤さは、もしかしたら違ってるかも知れないからだ。

 

 そんなわけなかろうと言うのなら、色盲を思い浮かべてみればいい。彼らは特定の色が見えず、灰色の濃淡の違いにしか感じられないらしい。それがどんな感覚かは想像しづらいが、少なくともあなたが見ている赤の赤さとは明らかに違うのではないか。

 

 一人ひとりの不幸が違って見えるように、私達が見ている赤色という色は、実はみんな違って見えてるかも知れないのだ。

 

 ところが、我々はその赤の赤さを言葉で表現できないから、それを確かめようがない。あなたにとって赤がどんな色なのか、それは私があなたにならない限り、絶対にわかりっこないというわけだ。

 

 詰まるところ……

 

 我々は同じ地球上で暮らし、同じものを見て、同じ風に感じているはずのに、実は全く別の世界を生きているかも知れないというわけだ。我々は一度脳を通してしか世界を見れないのだから、その脳の処理の仕方によって、世界の見え方が変わってしまう。

 

 私の見ている世界は私にしか見えず、あなたの見ている世界は私には見えない。つまり私が今感じている、この"わたし"という感覚こそが、クオリアそのものなのである。この肉体はただのクオリアの容れ物であって、肉体が朽ちてしまえばそこにはクオリアだけが残るのだ。

 

 そのクオリアを、もし他人の体に乗せ換えることが出来たら、どうなるんだろうか?

 

 人類は未だその方法を見つけていないが、もしかするとやり方さえ分かってしまえば、今とはまったく違う別の人生を送るなんてことは、本当は容易いことなのかも知れない。

 

********************************

 

 月明かりを遮るように、巨大な影が過ぎっていった。

 

 それを指を咥えて見上げるしかない人間たちをあざ笑うかのように、上空を旋回するそいつが羽ばたく度に、下界では竜巻のような旋風がいくつもいくつも立ち昇った。騎士達は逃げ惑いながら、忌々しそうに上空を見上げた。それの持つコウモリみたいな羽は、巨体を支えるには不釣り合いなほど小さくて、まるでだまし絵でも見ているような気分になった。

 

「GIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!」

 

 化け物の奇妙な唸り声が辺りに鳴り響く。まるで剣山でガリガリと背中を引っかかれるような、鋭く神経をかき乱す悪寒が背筋を走っていった。痛みでのたうち回るというよりは、違和感に体がネジ曲がってしまうような、なんとも形容のし難い感覚だった。騎士達は必死になって耳を塞いだ。

 

 それにしても一体どこからそんな声を出しているんだろう。蛇のようにニョロニョロと伸びる首の先には、げっ歯類みたいな鋭い出っ歯が光っている。顔の半分を占める大きな目には黒目がなく、その目の周りにイボみたいな複眼がびっしりと並んでいて、まるで呼吸するかのように、周期的に開いたり閉じたり繰り返していた。

 

 トカゲみたいな細長い胴体は、竜のような硬い鱗で覆われていて、短い腕の先には鋭い爪が伸びており、ムチのようにしなやかな尻尾が左右に振れると、バチンバチンと音を立てて衝撃波が飛んできた。

 

 魔獣ジャバウォック……

 

 進化論を愚弄するようなその出鱈目な姿は、見るからに魔獣の名がふさわしい。

 

「ぎゃあっ!」

 

 幾度かの旋回の後、魔獣の長い尻尾の餌食になった騎士の一人が、もんどり打って倒れた。転げると言うよりは吹き飛ぶといった感じで、壁に叩きつけられた騎士はそのまま絶命し、肉体が光の礫となって消えていく。

 

 直撃を喰らえば、高ヒットポイントを誇る騎士でも一撃死がありえるのだ。次は自分の番かと、動揺するパーティーからどよめきが起きる。

 

 彼らはレイドボスに挑むにはレベルが低すぎる、初心者パーティーの一行だった。今日はサーバー全体がお祭り騒ぎであったため、それに乗り遅れまいと無理をしてこんなところまでやってきたのだ。

 

 だがやはり、手合違いだったようだ。タンクの騎士が殺られた段階で、パーティーは魔獣討伐を断念せざるを得なかった。撤収撤収と誰かが叫ぶ。しかし魔獣の攻撃が容赦なく飛んでくる。彼らはそれを避けようともせず、早く楽にしてくれと言わんばかりに諦め顔で受け入れた。

 

 と、そんな時、それを制するかのように凛とした声が辺りに響いた。

 

「みんな諦めないでっ! 敵の動きは単調だから、当たらなければなんてことないわよっ!」

 

 その声にハッとなった一行が我に返る。

 

 振り返れば彼らの後ろには、純白の鎧を纏った金髪のエルフ戦士が立っていた。手にするのは魔剣フィエルボワ、サーバーに一振りしか無いという伝説のユニーク武器だ。刀身は燐光を帯びて淡く光っており、その鋭さを誇示しているかのようだった。

 

 背後に翻るマントには踊躍(ようやく)するペンギンの刺繍が施されている。それはサーバー内最強と謳われるギルド『荒ぶるペンギンの団』の所属メンバーであることを示していた。更にはそんな彼女の頭上に、最高ランクを意味する堂々たるクラウンのアイコンと、『†ジャンヌ☆ダルク†』の文字列が燦然と輝いていた。

 

「ジャンヌさん!」「きた!盾きた!」「メイン盾きた!」「これで勝つる!」

 

 ジャンヌの登場で息を吹き返す一同。先程まで絶望に沈んでいた表情が、今はパーッと明るく光る。彼女はそんなパーティーメンバーの前に躍り出ると、

 

「ここは私が引き受けるわ! プロテクション!」

 

 彼女が叫ぶや否や、前方に薄っすらとした光の盾が展開し、ジャバウォックの攻撃を完璧に弾き返した。魔獣の攻撃に為すすべもなかったパーティーは目を白黒させる。

 

「すげえ……」「俺達じゃ、ああはいかない」「マジパねえっす」

「おい! いつまでぼーっと突っ立ってんだ。退くこと覚えろカス」

 

 棒立ちでジャンヌの勇姿を眺めていたプレーヤーたちに、背後から苛立たしげな声がかかった。青年……デジャネイロ飛鳥(あすか)の不機嫌を隠そうともしない顔を見つけて、彼らはさらに色めきだった。

 

「あ、あなたは! デジャネイロ飛鳥!?」「大賢者飛鳥か! サーバー最強の魔法使い!」「バカ! 飛鳥さんは今年40歳になって、大魔道に昇進したんだぞ!?」「マジっすか? 40歳童貞マジっすか?」

 

 飛鳥は頬を引きつらせながら、

 

「誰が童貞だ、誰が! いいからお前らも黙って働けよ! 魔獣討伐に来たんだろ?」

「「「はいっ!」」」

「返事だけはいっちょ前だな。ったく……いいかお前ら? 奴に的を絞らせるな。散開してチクチク攻撃するんだ。一箇所に固まってると、一網打尽だぜ」

「「「わかりましたっ!」」」

 

 飛鳥の指示であちこちに散らばっていくプレーヤーたち。そんな仲間を見送るようにして、さっきジャバウォックの攻撃を受けて死んでしまったタンクの騎士が、霊体のまま申し訳無さそうにうろうろしている。

 

「動き理解した? リザレクション」

 

 そんな霊体に、突如、優しい光が降り注ぐ。たちまち失ったばかりの肉体を取り戻し、騎士は驚き振り返る。

 

「あ、あなたは! ゲーム最強のヴァンパイアプリースト、『灼眼のソフィア』!!」

 

 ソフィアは眉一つ動かさぬ無表情のまま蘇生魔法をかけ終えると、感激して礼を言う騎士をガン無視して前線へとテクテク歩いていった。その足取りがあまりにも無防備だから勘違いしそうになるが、今は最強レイドボスとの死闘の真っ最中だ。ソフィアにもバシバシ攻撃が飛んでくる。なのに平気でいられるのは、彼女が文字通り最強の回復術師であり、その回復速度が敵の攻撃速度を上回っているからだった。

 

 さっきからたった一人で魔獣の猛攻を受けきっているジャンヌの横にソフィアが並ぶ。二人の見目麗しき乙女が盾となり味方を守る戦場は、まるで遊園地のアトラクションでも見ているかのような奇妙な違和感を感じさせた。

 

「俺たちも行くぞ、抗議デモだよ」

 

 ペンギンの団の最強軍師にして器用な魔剣士『カズヤ』が騎士の肩を叩く。

 

「肉壷わっしょい」「やめなよ」

 

 遊撃兼にぎやかし役の暗殺者『Avirl』と剣士『クラウド』がチクチクとした遠距離攻撃で続く。

 

「リロオオオオオオオオイ・ジェェェンキイイイィィィンスゥゥゥ!!」

 

 その二人の間を割るように、異常なテンションで自分の名前を叫びながら、無茶苦茶に特攻していくバーサーカー。『リロイ・ジェンキンス』は作戦を聞かないことにかけては、世界でも右に出るものはいないだろう。

 

 綺羅星のような有名プレイヤーの勢揃いを前に、さっきまで死んでいた騎士の目は、まるで子供のように輝いた。

 

「す、凄い……これなら勝てる。俺たち、あの最強レイドボスに勝てるんだ!!」

 

 騎士は紅潮する顔に満面の笑みを浮かべながら、リロイの後を追いかけていった。彼にはもうボスに対する恐怖など微塵もなかった。あの調子では、また死ぬのも時間の問題だろう。

 

「最強つっても、あれしかいないんだがな……インコグニション!」

 

 そんなプレイヤーたちを少し離れたところで見守っていた飛鳥は、全員が魔獣との戦闘を開始したところで、隠密スキルを発動した。コソコソと一人だけ逃げ回るつもりではなく、単に隠密状態からの不意打ちを決めると、全ての攻撃スキルの威力に1.5倍のボーナスがかかるからだった。

 

「エンチャント・ウェポン!」「スリープ・クラウド!」「エナジーフォース!」

 

 魔獣と戦うプレイヤーたちの絶叫が戦場に轟く。技名を叫べばスキルが発動するシステムだった。直感的で慣れれば非常に楽だが、最初の気恥ずかしさから敬遠する者も多かったという。

 

 因みに飛鳥もその口だったが、とある事情のために仕方なくゲームを続けていたら、そのうち慣れた。慣れざるを得なかった。高ランクスキルは名称を正確に発音するだけでなく、集中力も必要なのだ。

 

「集中しろ……集中……」

 

 研ぎ澄まされた心の中で、青白い光をイメージする。それは彼の目の前に現れ、やがて高温の火球となった。

 

 前線ではまだジャンヌ、ソフィアの二大タンクが魔獣の攻撃を受け止めている。その周りを飛び回りながら、味方プレイヤーたちが攻撃していたが、魔獣のHPを削り切るにはまだまだ火力不足だった。

 

 特に魔獣のHPが10%を切った後のいわゆる発狂モードでは、攻撃力と防御力が跳ね上がり、更にHPが自動回復するという仕様で、これを一気に削り切るだけの大火力が求められる。飛鳥の役目はそれである。

 

 火球が発するその圧倒的な熱量に気づいたジャンヌが、一瞬だけこちらに目配せをした。飛鳥が頷き返すと彼女はソフィアに声をかけてから一歩後退し、

 

「バインドトラップ!」

 

 行きがけの駄賃でソフィアのスキルが発動するや、魔獣ジャバウォックの動きが止まった。まるで金縛りにあったかのように微動だにしないが、状態異常が続くのは良くて一瞬だ。

 

 飛鳥は魔獣が止まるや否や、間髪入れずに大魔法を打ち込んだ。

 

「轟け、神の雷鳴! ついでに爆発しろ、リア充! ディスインテグレーション!!」

 

 飛鳥の心からの怒りを乗せた光球が、等速運動で一直線に魔獣に向かって放たれる。火球が通り過ぎたあとの地面が真っ黒く焦げ付いている。その異常な高温の接近に、背を向けていたプレイヤーたちも気づいて、まるでモーセの奇跡みたいに左右に飛び退き、まもなくそれは魔獣に到達した。哀れな獣は状態異常が解けた最後の一瞬だけ抗おうと試みたようだが、もはや無駄な抵抗だった。

 

 光球が魔獣に触れるやいなや、その中心に集中していた熱量が一気に解放される。瞬間、耳をつんざく轟音と共に、焼け付く炎の嵐が吹き荒れた。眩しい光りに包まれたプレイヤーたちが、目を細めながら地面に伏せる。耳を塞ぐもの、目を塞ぐもの、逃れるように岩陰に隠れるもの。開発者が設定を間違えたんじゃないかと言わんばかりの大音響と光の暴力にみんな苦しんでいたが、その中心にいる魔獣に比べれば遥かにマシだった。

 

 高温に焼かれ、身を裂かれた獣はギィギィと情けない悲鳴をあげて、やがて力なく地面に落下した。そして核爆発のエフェクトが収まると同時に、どこからともなく地響きのような音が聞こえてきて、魔獣はシャボンのような光を放ちながら崩れ去っていった。

 

 その悪夢のような強さに何度も挫けそうになっていた初心者プレイヤーたちは、しばし呆然となってその姿を見守っていたが、やがて自分たちが勝利したのだと気づくと、打って変わって歓喜の声を上げた。

 

「やった……やった! 初めてジャバウォックに勝ったんだ!!」

 

 一人の叫び声に呼応するように、彼の仲間たちが輪になって喜びを爆発させる。飛鳥は遠くからそんな初々しいプレイヤーたちの姿を眺めていた。荒ぶるペンギンの団の面々が近寄ってきて、まるで昔の自分たちを見ているような気恥ずかしげな表情で、同じように彼らの姿を見守っていた。

 

 と、その時、飛鳥は視界の片隅で、無機質なデジタル時計が23時を刻むのを見た。戦闘中はまったく気づくことがなかったが、どうやらもうすぐ日付が変わろうとしているようだ。

 

 それは普段なら、朝までゲームをしている廃人プレイヤー共には何の意味もない数字だったが……今日に限ってはそうは言っていられなかった。何故なら今日は彼らが遊んでいるオンラインゲームの最終日……日付が変わることは、仲間たちとの別れを意味していたからだ。

 



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終わる世界②

 フォーンリアファル・オンライン。通称ほにゃららは、今から15年前に発売された、世界初のフルダイブ型VRMMOである。

 

 VRMMO全盛期に、五感をゲーム内で再現することを売りに開発が始まったこのゲームは、期待感の大きさから誰もがその名前だけは知っているという超有名オンラインゲームなのであるが……今となっては当たり前の技術であるフルダイブ技術は、当時あまりにも革新的過ぎて、そもそもハードが行き届いておらず、おまけに開発費用を回収しようと躍起になった運営が無茶な課金体制を敷いたために見事に爆死し、あれよあれよという間に乱造された後発ゲームにその地位を奪われたという、曰く付きのゲームであった。

 

 ゲームシステムはよくあるハクスラ系RPGで、誰でも直感的に遊べるのが売りであったが、スキルを発動するためには技名を叫ばなければならないというのがこれまたネックとなって、知名度の割には全然売れなかったという経緯もあった。

 

 普段からロールプレイを楽しんでいる廃人ゲーマーならばともかく、やはり一般人には『流し斬り!』とか『やり逃げダイナミック!』とか技名を叫ぶのは、あまりにもハードルが高かったのだ。

 

 どうせ周りがみんな同じことをしてるんだから、恥ずかしくないんじゃないか……と思う向きもあるかも知れないが、考えてみて欲しい、フルダイブは五感の再現が売りなもんだから、技名を叫ぶたびについつい現実の方でも叫んでしまう危険性があるのだ。

 

 おまけに、ゲーム機本体が高価すぎてよほどの物好きでもなければ手が出せず、所有者が独身サラリーマンに偏っていたのも問題だった。普通、それくらいの年齢にもなれば中二病はとっくに卒業していて、MMOよりはFPSとかボイチャとかエロチャとかそっち方面に興味が向くものである。

 

 終いには五感の再現を売りにした『セックスが出来るVRゲーム』が発売されると、ますます一般人からは遠ざけられた。ハードの所有者はすなわちエロと見做されてしまうからである。こうなってしまうと、いくら本人が釈明しても、誰も信じちゃくれない。友達を誘ってVRMMOなんて夢のまた夢である。

 

 そんな中、ほにゃららは最古参タイトルとしての地位のお陰か、辛うじてサービス終了を免れ、細々とは言え15年もの長きに渡って続いてきたのだ。尤も、その実態はとんでもない自転車操業で、開発費用の捻出のために事あるごとにユーザーに課金を強いたせいで、いつしか課金豚オンライン、屠畜街道、狂ったマネーゲームと叩かれる始末であったのだが……

 

 ともあれ、新規に厳しくお財布にも厳しい、何が楽しくてそんなのを続けているのだと世界中から蔑まれたほにゃららも、15年という歳月には勝てず、ついにサービス終了の憂き目を迎えることとなった。今日はその最終日……あと1時間で、ほにゃららはこの世界からサーバーごと無くなってしまう、今は正にその瞬間だったのだ。

 

***************************

 

 耳障りな奇声を発しながら、ほにゃらら最強のレイドボス・魔獣ジャバウォックは光に包まれ消えていった。粉々に砕け散った体は燐光となって大気に散らばり、まるで星が降るような幻想的な光景を醸し出していた。

 

 殆ど役立たずであったとは言え、死闘を戦い抜いた初心者プレイヤーたちが歓声を上げる。彼らは今日、本サービスの最終日、最後の最後でこのゲームの最強ボスを倒したのだ。その喜びはひとしおだろう。

 

 雄叫びをあげるもの、荒ぶるペンギンの団の仲間とハイタッチを交わすもの、様々なプレイヤーがいたが、共通するのはみんな笑顔なことだった。

 

 初心者たちは、最後まで彼らの盾となって守り抜いた『†ジャンヌ☆ダルク†』にお礼を言っていた。その美貌のせいで、一見してとっつき悪そうに見られてしまうジャンヌであったが、意外にもその内面は気さくで世話好きなお姉さんであった。

 

 ゲーム内では率先して初心者の面倒を見てくれるので、あちこちに知り合いのいる、団の頼れるメンバーである。因みに、飛鳥も彼女にギルドに引っ張られた口だった。いつもサーバー内にいて何かやっているイメージがあるが、サービス終了した後はどうするのだろうか。

 

 そんなことを考えながらぼんやりと仲間のやり取りを見ていると、初心者プレイヤーたちが一人、また一人とログアウトしていった。最後までお礼を言っていた騎士に笑顔で手を振り、ギルドメンバーだけが残ると、途端にしんみりとした雰囲気になった。

 

「終わったわ。これで最後ね……」

 

 ジャンヌが誰ともなしに呟く。その呟きに呼応するかのように、ギルメンの数名からため息が漏れた。飛鳥と同じく、みんなのやり取りを遠巻きに見ていた『灼眼のソフィア』も、珍しく眉根に皺を寄せている。場の空気を察してか、ジャンヌは取り繕うように慌てて続けた。

 

「あらやだ。しんみりしちゃったわね。そんなつもりは無かったのよ。ただ、レイドボス戦もこれで打ち止めかなって思ってね」

「ああ、そういう意味ですか、ジャンヌさん」

 

 仕切り屋の『カズヤ』が合いの手を入れる。ジャンヌの言う打ち止めとはどういうことかと言えば、つまり以下の通りである。

 

 ほにゃらら最終日の今日、荒ぶるペンギンの団のメンバーは彼らが本拠地としているギルド砦に集まり、最後の瞬間を一緒に迎える約束をしていた。そんな彼らは夕方頃にログインすると、今までに溜め込んでいたアイテムやらお宝やらを、どうせ最後だからと盛大に無駄遣いした後、こっちも最後だからと言ってゲーム内最強のボスであるジャバウォック討伐にやってきた。

 

 ところが、いざボス戦に挑もうと思えばそこには既に先客がおり、見れば到底敵いっこないレベルの初心者だらけ。それを見るに見かねて、ジャンヌが手助けを始め、なし崩しにみんなで手伝う流れになっていったのである。

 

 ジャバウォックはゲーム内最強と言われているだけあって、もちろん初心者が気軽に戦えるような相手じゃない。普段ならどうしてこんな場所に迷いこんだんだろうと首を傾げるところだったが、これもサービス最終日の習わしというやつか、彼らも自分たち同様、どうせ最後だからと無理して遊びに来たのだろう。

 

 そう思って周りをよく見てみれば、レイドボス戦を遠巻きに観戦しているグループがちらほら見える。普段は過疎っている高ランク狩場に、こんなに大勢人がいるのは珍しい。おそらく彼らも目の前の初心者たちと同じ口なのだろう。

 

 案の定、最初のグループの手助けを終えて、最初で最後の出会いを記念し、スクショを撮ったり、和気あいあいと会話をしていたところ、さっきまで遠巻きに見ていた別のグループがおずおずと話しかけてきた。曰く、自分達も記念にボス討伐してみたい。

 

 こうなりゃ一人助けるのも何人助けるのも同じである。そんなわけ次々やってくる初心者たちの手助けをしながら、気がつけば日付が変わりそうな時間になるまで、彼らはずっとレイドボスを狩り続けていたのである。

 

「ちょっとサービスしすぎたかな。本当なら、ギルメン水入らずでもっと色んな場所を回るつもりだったのに」

 

 誰かの愚痴が聞こえてくる。とは言え、それじゃレイドボス戦以外に何をしていたら不満がなかったのかと言えば、長いこと遊んできたゲームとは言え、特に思いつかなかった。というか、思いつかないくらいだからサービス終了するわけで、愚痴は言っても誰も後悔はしている様子はなかった。

 

「ま、これはこれで俺たちらしいか」

 

 そんな言葉に、誰も彼もが苦笑いを漏らす。思い返せば最後の最後まで、よく遊んだものである。もし明日があるなら……そんな気持ちを押し殺しながら、祭りの余韻に浸るようなどこか物憂げな声が聞こえてくる。

 

「結局、レヴィアタンもベヒモスも実装されなかったな」「サービス初期から実装予定だったくせに」「やるやる詐欺だ」「どうする? 最後にもう一戦やってく?」「いや、ジャバは流石にもういいっしょ」「それより、最後だからメアド交換しないか?」「おまえ、これが終わったら次はどのゲームに行くの?」「俺は最近流行りの……」

 

 魔獣討伐も終わり、周りにギルメン以外の人も居なくなって、静けさに包まれた月明かりの草原で彼らが最後の余韻に浸っている……みんなこれで最後だと思うと、名残惜しくてなかなかこの場を離れられない。

 

 ところが、その時、そんな男どもを遠巻きに見ていたソフィアがスッと立ち上がり、いつもと変わらぬ無表情で、

 

「……それじゃ私、用事あるから」

 

 驚いたことに彼女はそう言うや否や、ギルメンの返事も待たずにさっさとログアウトしてしまった。まるで今日が最終日だと気づいていないかのように、普段どおりの行いに一同が唖然と見送る。

 

 え? 本当にこれで最後なの? 呆れるような寂しいような、そんな顔でカズヤが呟く。

 

「やれやれ、あいつ最後まで平常運転だったな。そりゃまあ、いきなり性格変わられてもビビるけどよ」

 

 あっけない別れに、みんななんて言っていいか分からずまごついていると……

 

『ほにゃらら運営チームです。ユーザーの皆様に置かれましては、当ゲームをご愛顧いただき誠にありがとうございました』

 

 オープンチャットでいわゆる天の声が聞こえてきた。時計を見れば23時30分を回っている。いよいよ、15年続いてきたゲームの終焉が訪れたようだ。みんなほんの少しばかり陰りのある表情で、黙ってそれを聞いていた。

 

 運営は一通り謝辞を述べたあと、ユーザーにログアウトするように促した。どうせ最後だからデータの破損など気にする必要もないのだが、実はフルダイブの性質上、正規のログアウト方法を使わずに落とされると、吐き気がするとか頭が痛くなるなどといった弊害があった。

 

 だから運営がサーバーをシャットダウンする前に自発的にログアウトするほうがいいのだが……そうは言っても、なかなか自分から落ちるとは言い出しづらい。

 

 こうなったら吐き気上等で最後までいようかな? そんな雰囲気が辺りを支配する中、飛鳥は一人、バツが悪そうに口を開いた。

 

「えーっと……ごめん、みんな。俺も明日仕事早いからお先に」

 

 飛鳥が苦笑しながら申し訳無さそうにそう言うと、意外そうなみんなを代表してジャンヌが話しかけてきた。

 

「あら、飛鳥君。あとたった30分じゃない、どうせなら最後まで居たら?」

「ごめん、ログアウトしないでバステ食らったら、仕事に支障が出ちゃうから」

 

 バステとは強制切断時の気分の悪さのことだ。人によっては翌日まで引きずるので、意外と馬鹿に出来ないのである。みんなそれは重々承知だから、

 

「そう……仕事じゃあ仕方ないわね」

 

 と、ジャンヌもあっさりと引き下がった。

 

「名残惜しいけど、それじゃこれでお別れね」「またな、飛鳥。おまえと旅した冒険は楽しかったよ」「次のゲームでもよろしくな」「メールするから」

 

 ギルメン一人ひとりと別れの挨拶を交わしたあと、飛鳥は自分にしか見えないメニュー画面からログアウトボタンを押した。名残惜しそうに手をふるジャンヌに手を振り返す。

 

 そうこうしていると映画館で上映後に照明がついたときのように、世界がどこか薄ぼんやりとした色合いになっていき……やがてギルメンたちの姿が消え、目に映る全てが真っ白に染まった。

 

 そして今度はズンッと重力に押さえつけられるような感覚がして……次の瞬間、彼はリアル世界の自分の部屋のベッドの上に戻っていた。

 

 防音を施した部屋の中は静まり返っており、耳鳴りがするくらいだった。部屋のドアに鍵はかかっていたが、かかってなくても誰も入っては来ないだろう。家族は居ない。ゲームの邪魔をされないように、だいぶ前に家を出たからだ。

 

 ベッドの上に横たわっていた彼は被っていたヘッドギアを取り外すと、ふぅ~っとため息を吐いてから、首をポキポキ鳴らして起き上がった。ヘッドギアから伸びるケーブルの先にはパソコンデスクがあり、そのモニター上にほにゃららのログイン画面が今も映し出されている。

 

 彼はヘッドギアを置いてデスクに向かうと、パソコンを操作して、ログイン画面から新規キャラクタークリエイトのボタンを押した。

 

 終了ではない、新規スタートである。

 

 ほにゃららはフルダイブ型VRMMOであるが、操作するキャラクターは自分の姿ではない。キャラクリで予め用意しておいたキャラクターを選んで操作する……つまり、今彼は新たなキャラクターを作って、再度ゲームにログインし直そうとしていたのだ。

 

 新規キャラクターの名前は『(おおとり)(つくも)』。変わった名前だが、れっきとした本名である。

 

 デフォルトで用意された無個性なキャラクターに自分の名前をつけると、彼は再度ヘッドギアを被ってベッドに寝そべった。HMDに睡眠導入画面が映し出され、ヘッドホンから流れる音楽が徐々に彼の意識を奪っていく……

 

 特殊な機械であるから、人によってはログインするまでに時間がかかる。だが今はそんな悠長なことは言ってられない。何しろサービス終了まで30分も残ってないのだ。彼はあまり意識を集中しないようにと集中して、精神が機械と早くリンクするように努めた。

 

 相手をあまり待たせてはいけない。何しろサービスの終了と同時に、彼女との関係も終わってしまうかも知れないからだ。

 

 先程、ギルメンたちと別れる前、用事があると言って飛鳥より先にログアウトした『灼眼のソフィア』……彼女が言っていたその用事とは、実はギルメン抜きで彼と二人きりで会うことだったのだ。

 

 いや、その時、自分はもう魔法使い・デジャネイロ飛鳥ではない。鳳白だ。

 

 彼はそんなことを考えるともなく考えながら、またあの世界へとダイブしていった。

 

 鳳は彼女に伝えるつもりだった。実は自分達はゲームで出会う前からの知り合いだったことを。自分がリアルでは鳳白という名前であること。そしてずっと一緒に戦ってきた彼女のことを、自分がどんな風に想っているかを……

 



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終わる世界③

 フルダイブ・ログイン特有のふわふわした感覚が収まってくると、やがて真っ白な視界の中から、徐々に建物の輪郭が見えてきた。ほにゃららに再度ログインしてきた(おおとり)(つくも)は雲の上にある空中神殿の前に居た。

 

 昔、デジャネイロ飛鳥としてゲームを始めたときは、いきなり草原に放り出されたはずだった。今は新規に始めると、こんなチュートリアルが始まるのか……その分の開発費を他に回していれば、寿命ももう少し伸びただろうに……そんなことを考えながら、彼は神殿の中に入っていった。

 

『ほにゃららにようこそ。ここは剣と魔法が支配するファンタジー世界』

 

 神殿に入ると神官らしきNPCの女性が、何もしていないのに勝手に話しかけてきた。チュートリアルを始める気がない彼はNPCを無視して神殿内を探ってみたが、どうやって先に進めばいいのかが分からない。

 

「なあ、そんな話はどうでもいいから、さっさと街に飛ばしてくれないか?」

 

 仕方なくNPCに話しかけるも返事がない。まさかチュートリアルを進めなければ、ゲームが始められないなんて知らなかった。でも、こんなところで足止めを食っていたら、日付が変わってしまう……

 

 青ざめながら時計を確認していると、

 

「……あ……」

 

 神殿に別のプレイヤーが入ってきた。

 

 こんなサービス終了間際に新規スタートするなんて、物好きな奴もいたもんである……

 

 なんとなくバツが悪くて、早く先に言ってくれよと思いつつ、お互いにそっぽを向いていると、後から入ってきた新規プレイヤーは、神殿の片隅にある何やらオベリスクみたいなオブジェの前でごちゃごちゃやって、パッと居なくなってしまった。どうやらあれでチュートリアルを飛ばせるらしい。

 

 それを横目で見ていた鳳は、慌ててオベリスクに駆け寄ると、見様見真似で動かしてみた。仕組みは簡単だった。親切心過剰な注意書きで満たされたメニューが表示され、これに従っていけばどうやらゲーム内の主要都市なら、どこでも好きに転送してくれるらしい。彼は見知らぬプレイヤーに感謝すると、待ち合わせ場所に一番近い街への転送スイッチを押した。

 

 転送装置から降りて、慌てて街を駆け抜ける。待ち合わせ場所の丘の上に人影はなく、まだ彼女は来ていないようだった。ソフィアは先にログアウトしたのに、どこかで道草でも食ってるのだろうか?

 

 鳳は待ち合わせ場所にあったベンチに座ると、風に吹かれながら、眼下に広がる大草原を見下ろすように眺めた。

 

**********************************

 

 『灼眼のソフィア』こと、本名エミリア・グランチェスターと鳳白は、実はリアルでも知り合いだった。出会いは今から8年前。彼が通っていた小学校に、彼女が転校してきたのが切っ掛けである。

 

 それ以来、色々あって仲良くなった二人は、同級生たちの嫉妬の混じったからかいにも耐えながら、お互いの友情を育んできたのであるが……そんな日々はいつまでも続かなかった。やがて手足が伸び切って男女として意識し始める頃には、二人は段々疎遠となり、いつしか別々の友達と遊ぶようになっていったのである。

 

 なんやかや言っても二人は異性同士、いつまでも一緒には居られなかった。それは仕方ないし、それでいいと思った。鳳も男友達とつるんでる方が気楽だったし、彼女も女友達と遊んでいた方が楽しいだろうと思っていた。

 

 だが、それは間違いだった。

 

 鳳と遊ばなくなったあと、エミリアはどうやらイジメられていたらしいのだ。

 

 その名が示すとおり、欧州人である彼女は金髪碧眼でとても目立っていた。それが意地悪な連中の目について、彼女は居場所を失っていった。

 

 やがて、馬鹿な鳳が気づいた時には、もう彼女は学校に来なくなっていた。不登校の彼女は両親が心配するほど部屋に引きこもってしまって、いつまでも外に出れずにいるらしい。

 

 鳳はそんな彼女に何かしてやれないかと手を尽くした。でも何も出来なかった。家に行っても彼女には会えず、いつしか彼女の家族からも、エミリアを刺激するから来ないでくれと言われるようになってしまった。彼は彼女にとって、もはや重荷でしかなかったのだ。

 

 転機が訪れたのは今から4年前、風の便りで彼女がほにゃららをプレイしていると聞いたことだった。これなら部屋から出ないでも遊べるし、ゲームとは言え外の世界とつながる切っ掛けにもなるから、両親が買い与えても不思議じゃないだろう。鳳もダメ元でゲームを手に入れ、ほにゃららを始めた。

 

 そして見つけた。灼眼のソフィア……カスタマイズされたアバターは彼女と似ても似つかなかったし、エミリアという名前ですらなかったが、彼にはすぐにそれが彼女だと分かった。そのソフィアというキャラクターが、いかにも彼女らしかったのだ。

 

 こうしてオンラインゲームの中で彼女を見つけた鳳は、自分とは悟られないようにキャラクターを作って、彼女と同じギルドのメンバーとして過ごしてきたのだ。もし彼女に悩みがあるなら、相談できる相手になろうとして。いつかまた彼女が元気になった時、もう一度会えると信じて。

 

 でももうそれも終わりだ。仮に彼女が受け入れてくれなくても、時間のほうが待ってくれない。ほにゃららは今日終わるのだ。そうしたらもう、オンラインでも彼女に会える方法がない。

 

 だから最後の最後にこうして彼女の前に現れ、ずっと隠していたけれど、今まで一緒に居たのは鳳白だったのだと。中学時代に疎遠になってしまったけれど、ずっと心配していたのだと。今日はそれを伝えようと……彼はそう思ってここまで来たというわけである。

 

『ほにゃらら運営チームです。ユーザーの皆様に置かれましては、今まで当ゲームをご愛顧いただき誠にありがとうございました。間もなく当ゲームは15年の幕を閉じて……』

 

 サーバー内にアナウンスが流れる。ぼんやりと景色を眺めていた鳳は、その声にハッと我に返って、慌てて時計を見る。無機質なデジタル時計の表記は23時55分……

 

「……俺は、フラレたのか……?」

 

 鳳は立ち上がってぐるりと辺りを見回した。待ち合わせの丘には人の気配はない。動くものなんて、せいぜい、遠くの方でモンスターが見えるくらいだった。木陰にも、ベンチの下にも、建物の中にも彼女の姿は見つからなかった。彼は呆然と立ち尽くした。

 

 ゴーン……ゴーン……

 

 っと、どこからともなく鐘の音が聞こえる。毎晩0時を迎えた時に運営が鳴らす、時報の鐘だ。

 

『ほにゃらら運営チームです。まもなく、当ゲームはサービスを終了させていただきます。今までご愛顧くださった皆様に置かれまして、どうかご自分の健康をお考えの上、自発的なログアウトをお願いしたく……』

 

 呆然と立ち尽くす彼の耳にそんな声が聞こえてくる。どうやら、サービス終了時間が過ぎてもなかなかログアウトしないユーザーを心配して、運営が時間を延長しているみたいだった。

 

 ゲームはまだ終わっていない。とは言え、ここで待っていてもソフィアはもうやってこないだろう。

 

 鳳は目眩がするのを堪えながら、フラフラした足取りで待ち合わせの丘から離れた。もう、こんな場所にはいたくなかった。かと言って、ログアウトもしたくなかった。

 

 もしかして何かの行き違いで彼女はまだここにたどり着いていないだけじゃないのか? ログアウトせずに残っていたら、彼女がウィスパー通信で話しかけてくるんじゃないか? そうだ! もしかしたら入れ違いでギルドの方に顔を出しているかも知れない。

 

 そんなことを夢想しながら、彼は駆け足に近い速度でギルド砦へと向かった。行く宛なんて、他にどこにもなかった。彼女がいるとしたら、もうそれくらいしか思いつかなかったからだ。

 

 と、その時……ギルド砦のある街角に差し掛かった彼の耳に、聞き慣れた声が聞こえてきた。ハッとして振り返ると、街の広場にギルドの面々が集っている。ジャンヌ、カズヤ、リロイにAVIRLにクラウド。見慣れた面々の姿に、何故か安堵する。

 

 その中には、残念ながらソフィアの姿は見当たらなかったが、何故か勇気を貰ったような気がした鳳は、彼らに近寄っていくと、

 

「おーい、みんな! ちょうど良かった」

 

 と話しかけた。しかし、どこか焦った様子を見せる鳳が近寄ってくると、ギルドの面々は怪訝な表情をしてみせた。それがまるで知らない者を見るような目であったから、思わずどきりとしたが……

 

「……誰だ、あんた?」

 

 そう言われて思い出す。そう言えば今、鳳はギルドの魔法使い飛鳥ではないのだ。

 

「あ、すみません! 間違えました」

 

 血の気が引くような思いがして、鳳は咄嗟に初対面の振りをした。もちろん、自分がデジャネイロ飛鳥の別アバターだと言うのは簡単だ。しかし今、アバターに付けてる名前が問題だった。何しろこれは本名なのだ。付き合いが長いとは言え、いきなり身バレはしたくなかった。それに、さっき別れたばかりなのに、別キャラを作って何をしてるんだ? と言われてもバツが悪かった。

 

 胡散臭そうな目つきのギルメンたちから逃れるように、彼は回れ右してすぐ近くの建物の影に身を潜めた。はっきり言って隠れているのはバレバレだったが、わざわざギルメン達が確かめにくることもないだろう。

 

 しかし、これからどうしたものか。ゲームサーバー内は相変わらずログアウトを促す運営のアナウンスが流れている。これで最後だと言いながら三回も延長しているから、まだ強制切断されることはないはずだ。

 

 だが、多分もうアバターを変えてここに戻ってくるほどの余裕はないだろう。ソフィアを探すならこの姿のままで何とかするしかない。やはりギルメンに正体を明かして手伝ってもらおうか……

 

「ギャハハハハハ!」

 

 と、その時だった。焦る鳳の耳にギルメンたちの下品な笑い声が聞こえてきた。笑い声から察するに、カズヤだろうか。何がそんなにおかしいのだろうかと耳を傾ける。

 

「にしても傑作だったな、飛鳥の顔。あれでバレてないと思ってるのかね」「ああ、あいつ、ソフィアに告りに行ったんだろ? 気合入りすぎて、鼻の穴ヒクヒクしてやがったな」「あははははは!」

 

 うっ……そうだったのか。

 

 鳳は顔から火が出るような熱を感じた。どうやら彼の想いはギルメンたちにはバレバレだったようである。自分としてはバレてないつもりだったのだが、やはりあの寡黙なキャラに必要以上に話しかけたり、色々と接触を持とうとしていたのが目についたのかも知れない。

 

 だったら今更恥ずかしがることもないだろう。こうなったら正体を明かして、みんなの知恵を貸してもらおうか……

 

 そんな風に彼が表に出ようかどうかと逡巡している時だった。

 

「でも今頃、あいつどうしてんだろうな」「どうって?」「いや、だってさ、待ち合わせ場所に行ったって、いつまで経ってもソフィアは来ないぜ?」

 

 ……え?

 

 鳳は目をパチクリさせる。

 

「ソフィアが来ないって、どうしてだ?」「実はよ。あいつが昨日、ソフィアを誘ってるの見かけて」「うん」「俺、待ち合わせ場所が変わったって、後でこっそり変更してやったんだよね」「なんでそんなことを?」「そりゃもちろん、面白いからに決まってんだろ!」「ギャハハハ! そりゃひでえ」

 

 ……なんだって?

 

 鳳は唐突な目眩に襲われた。膝がガクガク震えている。

 

「だからいつまで経っても来やしないよ。100%待ちぼうけだ」

 

 なんてことしやがんだ……

 

 鳳は怒りのあまり、頭から血の気が引いていくのを感じていた。脳みそでシナプスが暴れているのか、パリパリと静電気みたいなものが走っている。こみ上げてくる吐き気を抑えつつ、彼は千鳥足のようにフラフラよろけながら、建物の影から飛び出した。

 

「おまえ……なんてことしてくれんだ……」

 

 ギルメンたちは不思議そうな目で彼を見ている。鳳はあまりの怒りに血の気を失った真っ青な顔で、そんな彼らを睨みつけ、唸るように叫んだ。

 

「これで……最後だったんだぞ? もう、彼女に会えないかも知れないんだぞ……? どうしてそんな酷いこと、平気で出来るんだよ、てめえはっ!!!」

「はあ? おまえ、誰だよ?」

「ずっとずっと……今日のために頑張ってきたんだ! みんなのレベルについていくために、必死になってアルバイトで貯めた金をつぎ込んで、家族に呆れられても、彼女に会うためだけに部屋まで借りて……なのに……なのに……」

「もしかして、あなた……」

「ちくしょうっ!! ぶっ殺してやる!」

 

 怒り心頭の鳳が叫び声を上げると、流石にカズヤも焦ったようだった。突然現れた見知らぬ男に、いきなり殺意を向けられれば当然だろう。困惑する彼のもとへ拳を振り上げながら鳳が迫る。慌ててジャンヌが間に入って、彼を押し留めようと身構えるが……

 

 だが、その必要はなくなった。鳳の拳がカズヤに届くよりも、ジャンヌがそれを押し止めるよりも先に……

 

「な、なんだこれ!?」「あれえ? 体が動かない」

 

 突然、彼らの足元に光る謎の魔法陣が現れて、彼らの自由を奪ったのである。

 

 キラキラとした光に包まれ、体を拘束される。必死になってメニュー画面を開くが、それを操作することさえ覚束ない。唐突な出来事にパニックになる一同。その時、誰かが泡を食ったように叫んだ。

 

「も、もしかして運営が何かしたんじゃねえかな? 強制切断するとか」

 

 しかし、それを否定するようにまた誰かが叫ぶ。

 

「でも、こんなギミック今まで一度も見たことがないぞ? 最終日にいきなり実装するわけないだろう!」

「じゃあ、なんだよこれ!」

 

 彼らの足元に現れた魔法陣は、いつの間にか彼ら全体を包むように大きくなり、徐々に光量を増していった。やがてその光は周囲の景色をかき消し、すぐ隣にいる人の姿までもが見えなくなった。

 

 鳳はそんなまばゆい光の中で身動きも取れず、焦燥感に駆られながらも、必死にエミリアのことを考えていた。

 

 一体何が起きているかわからないが、ここに彼女がいなくてよかった……後になって考えても見れば、今生の別れだったかも知れないというのに。彼は最後までそんなことを考えていた。

 



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始まる世界

 世界は真っ白で、どうしようもなく眩しくて、目を瞑ってなければ網膜が焼ききれてしまいそうなくらいだった。耳をつんざく大音響が、痛いほど鼓膜を刺激する。三半規管が馬鹿になってしまったのか、上を向いているのか、下を向いているのか、自分がどこにいるのか、そもそも、自分なんてものが果たして本当に存在するのだろうか……そんな当たり前のことさえわからなくなってしまうくらいに、(おおとり)(つくも)は前後不覚に陥っていた。

 

 大声をあげて周囲に助けを求めてはみたが、果たして意味はあっただろうか、叫ぶ自分の声さえ耳に届かない。一体何が起きているのだろうか? 最後に覚えているのはゲーム内でカズヤに掴みかかろうとしたとき、不思議な魔法陣が現れて、その場に居たギルメン共々、包み込まれたことだった。

 

 あの後どうなったのか? 自分はまだあの場にいるんだろうか? 目を開けて確認できれば簡単かも知れないが、目を開けたところでどうせ何も見えなかっただろう。

 

 こうなってしまえばやれることは唯一つ……その場にうずくまってママーと叫ぶだけだ。もしかしたら最悪の選択かも知れないが、見境もなく大暴れするよりはマシに思える。鳳は耳を塞ぎ、目を閉じて尚も網膜を刺激する強烈な光に耐えながら、なんとかこの理不尽な嵐が去るのを待った。

 

 それからどれくらいの時間が流れただろうか……ほんの一瞬だったような気もするし、気が遠くなるくらい長い年月が過ぎたような気もする。ともかく、辛抱強く待っていると、やがて彼を容赦なく攻め立てていた大音響が収まってきて、ようやく目の奥を刺激する強烈な光が収まってきた。

 

 そして唐突に訪れる静けさ……さっきまでは何も聞こえてこなかったくせに、今は自分の心臓の音さえ聞こえてくる。危険は去ったのか? 恐る恐る目を開けてみれば、薄ぼんやりとした視界の先に、幾人かの人影が見えた。

 

「お?」「……ん?」「なんだったんだ……?」「終わったの?」

 

 力いっぱい目を瞑っていたせいか、貧血にも似た目眩がして、暫くはうまくピントが合わなかった。それがようやく落ちついてきたら、視界に映る人影は4つ。

 

 彼のすぐ目の前には自分と同じかほんのちょっぴり背の低い、吊り目がちでいわゆるしょうゆ顔の男がいる。そのすぐ背後には、背が低くメガネに出っ歯のトッチャン坊やみたいな男と、くたびれたダンガリーシャツにジーンズ姿の、シリコンバレーにでも居そうな白人男。そして鳳のすぐ隣には、筋骨隆々、剃り残しのヒゲが青々として、顎が2つに割れたマッチョの巨漢が立っていた。エレベーターの中とかで、あまり出会いたくない人物だ。その迫力に、思わず距離を取る。

 

 それにしても……目の前の男たちは誰ひとりとして見覚えがなかった。自分がどこにいるのか、何故彼らと一緒なのか、まるで見当もつかない。

 

 困惑しながら周囲を見渡せばそこは、石レンガを積み上げた壁に覆われており、明り取りの小さな窓から差し込む光だけが頼りの、殺風景な空間が広がっていた。石畳で出来た地面も同じく飾り気がなかったが、テラテラと光って見えるのは、何かの液体がぶちまけられているかのようだった。

 

 一体これはなんだろう? どす黒く汚れた地面の染みが何なのかは一見して分からなかったが、なんとなく嫌な感じがするそれを見ていたら、鉄分を含んだ血の臭いが鼻孔を刺激した。もしかしてこの染みは、血の跡なのか?

 

 何かおかしな儀式でもした後のような痕跡に怖気が走る。更によくよく見てみれば、その液体は何か幾何学的な模様を描いているようだ。

 

 鳳はなんとなく、それをどこかで見たことがあるような気がして、首を捻っていると……ようやく気づいた。

 

 これは魔法陣だ。細かいディテールまでは覚えちゃいないが、多分、ゲーム内で最後に自分達の足元に現れたやつだろう。それによく似ている気がする。

 

 そう考えてから、改めて男たちを眺めてみたら、彼らの位置関係はギルメンが魔法陣に巻き込まれる前に立っていた場所と一致していた。

 

 すると、目の前にいるこの男は……

 

「おまえ……カズヤか?」

「え? じゃあ、おまえはもしかして……飛鳥なのか?」

 

 ぽかんと口を半開きにして、鳳の顔をまじまじと見つめる男。間違いない。何故かいつものアバターとは姿形が変わってしまっているが、目の前にいるこのしょうゆ顔の男は、ギルメンのカズヤに違いなかった。

 

 その顔を見ていると腹の底にムカムカする感覚を覚えた。鳳はその胃のムカつきで、彼がここにくる直前に何をしたかを思い出し、目の前の男の胸ぐらを掴んだ。

 

「てめえカズヤ! ソフィアとの待ち合わせ場所を変更したって、一体どういうことなんだ!? 本当なのか!!」

「わっ! ちょっ! ちょっと待て!! やっぱおまえ、飛鳥なんだな!? とにかく落ち着け、こんなことしてる場合か」

「こんなことじゃねえよ! おまえ、俺がどんだけこの日に賭けてきたか……ふざけんじゃねえ、ちくしょうっ!!」

「わー! たんまたんまっっ!! 落ち着けよっ!」

 

 いよいよ怒り心頭の鳳が震える拳を振り上げる。そんな彼を刺激しないようにと思ったか、それともそれが持って生まれた性格なのか、カズヤの嘲るような憎たらしい苦笑を見て、鳳は寧ろ怒りを覚えた。

 

 もはや我慢の限界だ。彼は怒りに任せて上げた拳を振り下ろした。流石にやばいと思ったか、顔面蒼白のカズヤが防御するように腕をクロスする。

 

 しかし、二人がぶつかることはなかった。

 

「やめなよ」

 

 カズヤに殴りかかろうとする鳳の手首を、すぐ横で見ていたマッチョがはっしと掴んだ。

 

 未だ怒りが収まらない鳳は力任せにそれを振りほどこうとするが、丸太みたいなその腕はびくともしなかった。もみ合うように二人が押し合いへし合いしているそのすきに、カズヤは鳳から距離をとって、やり取りを見てあたふたしている男たちの背後に逃げてしまった。

 

 マッチョに羽交い締めされた鳳はそれを見ながら奥歯をギリギリと噛みしめると、ようやく力を抜いて吐き捨てるように言った。

 

「くそっ……わかったよ! わかったから離せよ!」

 

 マッチョは少し迷いを見せたが、すぐに彼を解放してくれた。鳳は乱暴にマッチョの腕を振りほどくと、真っ赤に血走った目でカズヤを睨んだ。そのカズヤは二人の男たちの影から軽薄そうな愛想笑いを向けながら、

 

「もう落ちついたか~?」

 

 と、また神経をかき乱すような声をかけてきた。

 

 ここまで無神経ならば、これはもうわざとと言うよりも、元々こういう人間だったとしか思えない。長年付き合ってきた人間の性質を思い知らされ、鳳は怒りを必死に抑えながら、舌打ちで返すと、ムスッとした表情でそっぽを向いた。

 

 実際、好き嫌いはともかくとして、カズヤの言う通り落ち着かなければならなかった。何しろ、状況が状況である。一体、自分達に何が起きたのか、ここがどこなのか、これから何をすればいいのか。何一つ分からない。

 

「取り敢えず、状況確認だけはしとこうぜ? お前が飛鳥だとすると……おまえはもしかして、AVIRLか?」

「そうでやんす」

 

 トッチャン坊やがおかしな返事をかえしてきた。ゲーム内ではそんなオタク丸出しじゃなかったと思ったが……人によってはネットとリアルで性格が違う者もいるし、彼もその口なのだろう。

 

 ところで彼がAVIRLだとすると、隣にいるダサいシリコンバレーは、

 

「リロイ……ジェンキンス……」

 

 こっちから尋ねる前に、シリコンバレーがそう言った。案の定、こいつはあのバーサーカーであるらしい。見た目と行動にギャップしか感じなかったが、らしいと言えばらしくもある。興奮すると妙に話が通じないと思っていたが、それは中身が外国人だったからなのだろうか。

 

 そして最後、鳳を羽交い締めにしたマッチョの男。これがクラウドだろう。クラウドはいつもパーティのみんなに気を配ったり、悪乗りするギルメンを嗜めたりと、ギルドの良心とも呼ぶべき紳士だった。なんというか他の3人と違ってイメージ通りである。

 

「あんたがクラウドか。さっきはみっともないとこ見せたな、ありがとう」

 

 鳳はまだムカムカしていたが、それでも気持ちを落ち着かせながら、暴力を止めてくれたマッチョに手を差し出した。あの時あのままカズヤを殴りつけても後悔はしなかっただろうが、その代わり惨めな気分になっていたかも知れない。それを止めてくれた相手に礼を言わないのも無礼だろうと、握手のつもりで差し出したのだが……

 

 ところが目の前のマッチョは何故か差し出された手を見ながら、戸惑うようにオロオロするばかりで、一向にその手を握り返そうとしない。どうしたんだろうかと首を捻っていると、マッチョではなくトッチャン坊やが、

 

「飛鳥氏、拙者は最後見たでやんすよ。クラウド氏はあの時、拙者たちと違って魔法陣の外にいたでやんす。だからここには居ないのではないでやんすか?」

「え? じゃあ、このマッチョって……?」

 

 キョトンとした表情でマッチョを見上げると、彼はほんの少し顔を赤らめ、巨体に似合わぬモジモジした仕草で、

 

「そ、そうよ……私はジャンヌ……†ジャンヌ☆ダルク†よ!!」

「えええええええ~~~~!!!!」

 

 トッチャン坊やを除く男三人の絶叫がハモる。鳳は目をパチクリさせながら、

 

「ジャンヌ……あんた、おっさんだったのか?」

「おおお、おっさん言うな!」

 

 ジャンヌは顔を真っ赤にして、肩をすくめ可愛らしい仕草をしながら声を張り上げた。なんというか、それがもし小柄な女性だったら可愛かったのだろうが、彼がやるとただ不気味であった。鳳はドン引きしながら、

 

「そ、そうか……アバターの性別を変えてプレイする人もいるけど、まさかジャンヌがそうだとは思わなかったよ」

「お墓まで持っていくつもりだったのにぃ~……!!!」

「ま、まあ気をしっかり持てよ……つかおまえ、見た目は、ジャンヌ・ダルクっていうより、呂布とかコマンドーって感じだよな」

「ううっ……私だって好きでこんな姿に生まれたんじゃないわっ!!」

「わっ! すみませんすみません!!」

 

 半泣きのジャンヌが血走った目で迫ってくる。丸太のようなその腕で殴られたら命の保証はなさそうだ。鳳は口を引きつらせながら謝罪の言葉を口にする。

 

 と、その時、二人の会話に割り込むように、カズヤが話しかけてきた。

 

「ところでさあ、さっきから俺たち当たり前のように会話してっけど、この見た目って……」

 

 彼のやったことを思い出すと腸が煮えくり返る思いがしたが、今はもう怒ってる場合ではない。鳳は彼に頷き返すと、

 

「ああ、鏡が無いから確かめらんないけど、多分俺たち、いま生身の姿なんだよな?」

 

 彼の言葉に、その場に居る全員がチラチラと周りの仲間たちに視線を配る。ゲーム内ではいつも一緒だったが、誰一人としてリアルでの付き合いはなかった。なんだか突然、心の準備もなく、無理やりオフ会に連れ出されたような気分である。

 

 ジャンヌは自分の顔をペタペタと触りながら、

 

「そうね、はっきりとはしないけど、多分これは私の顔よ。というか見慣れた筋肉が私だと雄弁に語っているわ……くっ」

 

 自分で自分の言葉に傷ついているようだ。彼はマッチョなのが相当嫌なのだろう。続けてトッチャン坊やがメガネを外しながら言う。

 

「拙者も自分の顔は見えないでやんすが、この眼鏡は自分の物だって断言出来るでやんす。着てる服も見覚えあるし……っていうか、今日着てた服でやんすよ?」

「リロイ・ジェンキンス!」

 

 シリコンバレーが同意するように頷いた。というか、彼はリアルでもそれで押し通すつもりなのだろうか……

 

 おまえはどうなの? と視線を送ると、カズヤも同意見であるのを示すかのように無言で頷いた。鳳も顔は見えないが、着てる服は自分のものだと確認した。ならおそらく、自分の体で間違いないだろう。

 

「どういうことだ? 鯖から強制切断されて、リアルに戻ったってことか?」

「だったら、自分の部屋に帰るだけだろ。どうしてみんな同じ場所にいるんだよ。瞬間移動したっていうのかよ」

「……強制切断されたと見せかけて、現実の姿を模したアバターに移し替えるドッキリとか?」

「運営にそんな技術があるなら、サービス終了してないわ」

「そりゃそうでやんすね……って、あれ?」

 

 トッチャン坊やが何かに気づいたらしく、変な声を上げた。どうかしたのかと促すと、

 

「いえその、さっきからメガネの度が合わないなと思ってたんでやんすが……メガネを外した方がよく見えるんでやんすよ」

「……どういうことだよ」

「拙者、ものすごく目が悪いんでやんす。だからメガネを外したら何も見えないんでやんすが、今は寧ろそっちの方がクリアっていうか……メガネを掛けるほうが見えにくくなるんでやんすよ」

「つまり……視力が回復したってこと?」

「そう考えるのが妥当でやんすかね?」

 

 メガネを着脱しながら、彼は不思議そうに呟いた。ゲームしてたら謎の魔法陣が現れて、どこかに飛ばされたと思ったら、生身の視力が回復していたというのだから、狐につままれたような話であろう。

 

「……やっぱまだゲーム内なんじゃないか? これ」

「そんな馬鹿な話があるか」

「現に馬鹿げたことが起きてるじゃないか。つーか、そもそもここはどこなんだよ」

「そうだ、ここはどこなんだ」

 

 一箇所に固まって顔を突き合わせて話し合っていた彼らは、自分達の言葉にハッとして改めて周囲を見渡した。最初に見たとおり、石壁に囲まれた殺風景な部屋だったが、心に余裕が出てきたことで、四方を囲む石壁の一つに、重そうな鉄扉で閉じられた出入り口らしきものが見えた。

 

「あ、なんだ、出口があるんじゃねえか」

 

 しかし、気づいた鳳が早速とばかりに近寄っていって扉を開けようとするが、

 

「ダメだ! 鍵がかかってやがる」

 

 ガチャガチャと開かない扉を鳴らしながら振り返ると、眉をひそめて険しい表情のジャンヌが近づいてきて、彼と同じように扉を調べ始めた。

 

「……本当だわ。私達、閉じ込められたってこと?」

「閉じ込められたって……一体誰に?」

「それはわからないけど……このお城の人じゃないかしら」

「お城? ここは城なのか?」

 

 鳳がそう聞き返すと、言った張本人が目をパチクリさせながら、

 

「え!? えーっと、そうね。お城じゃないかしら? って、なんとなくそう思ったんだけど……」

「どうしてそう思ったんだ?」

「それは……石壁とか、雰囲気で??」

 

 聞いているのはこっちなのだが……要領を得ないジャンヌの返事に、みんなの訝しげな視線が集中する。彼は困ったような愛想笑いを浮かべて小さくなった。

 

 と、その時だった。

 

「ステータス!」

 

 返答に詰まるジャンヌの顔をまじまじと見ていたシリコンバレーが、突然大声でそんなセリフを叫んだ。普段から話の通じないやつだったが、あまりに唐突すぎて面食らう。

 

 鳳が非難がましく睨みつけると、すると彼はほんの少し興奮気味に早口で、

 

「ほ、ほら! テンプレ。よくある小説、異世界転生ものとか、チートとか、ステータスがあるでしょう?」

 

 きっと母国語じゃないせいで、彼の頭の回転に言葉が追いついてこないのだろう。それは途切れ途切れで文としては意味が通じないものだったが、その場にいる全員が彼の言わんとしていることが分かった。

 

「ステータス!」「オープン・ウィンドウ」「メニュー画面、開く」「ボスが来たっ!」

 

 咄嗟にそんなセリフが飛び交う。

 

 そして彼らはお互いの顔を見つめ合った。

 

「見えるな……」「私も見えるわ」「まじかー……」

 

 彼らがゲーム中にステータス画面を呼ぶときの命令を声に出すと、目の前の空中に半透明の文字列が浮かび上がった。それはゲームのステータス画面とそっくりで、彼らのHPとかMPとかストレングスなどの各種基本ステータスと、スキルや所持品などの項目が見える。

 

 もしかして、スキルも使えるのでは……? そう思った鳳は、ステータス画面を操作し、自分が使えるスキルは無いかと探ってみたが……残念ながらスキルはおろか、アイテムなどの所持品も何も見当たらなかなった。

 

 そう上手くはいかないか……と落胆していると、ところが彼以外のメンバーは、

 

「へえ、スキルも使えるみたいだな」「ゲームと特に変わりないでやんすね」「リロイ・ジェンキンス」

 

 などと会話を交わしている。鳳が目を丸くして、

 

「え? おまえらはスキルが使えるの? 俺はスキルが見当たらないんだけど……」

「ああ……つっても、こんなのただの見かけだけで、本当に使えるかどうかわからないけどな」

 

 カズヤはそう言うと、腕を出入り口の扉の方へと腕をかざしながら、

 

「ファイヤーボール!」

 

 何の気なくそう言葉を走った瞬間だった。

 

 カズヤのかざした腕の先に、突如、小さな光が現れたかと思うと、それは徐々に大きくなって、やがて見事な火球となった。それをやった本人が一番驚いているのにも関わらず、その火球は自動的にカズヤの腕から飛び出すと、腕を差し伸ばしていた方向……つまり扉へと一直線に飛んでいった。

 

 ドドンッ!!!

 

 っと、鼓膜を突き破るような大音響が部屋内にこだまして、飛び散った炎のかけらが着弾点の近くで燃え上がる。途端に真っ黒な煤のような煙が室内に充満した。

 

「わああああ! やばいやばい!!」「火を消せ! 早くっ!!」

 

 鳳たちは上着を脱いで、バッサバッサと叩いて火を消した。火はあっさりと消えたが、扉には真っ黒に焼け焦げた痕が残り、その威力のほどが窺えた。一体、何を火種にして燃えていたのか分からないが、とにかくこれを人に向けて撃ったらやばいのは間違いないだろう。撃った張本人は、自分の手をためつすがめつしながら呆然としている。

 

 それにしても……これは現実に起きていることなのか? やっぱり最初に誰かが言っていたように、ゲームの運営会社のいたずらなんじゃないのか? そんな妄想が頭を過るが、それはその後すぐに否定された。

 

「そこに誰かいるのかっ!?」

 

 と、その時、扉の向こうから誰かが声を掛けてきた。つい今しがたまでギャースカ騒いでいた面々が、ピタリと黙った。

 

「誰か……いるのか……?」

 

 扉の向こうの声が、恐る恐ると言った感じで再度呼びかけてくる。鳳たちはお互いに目配せし合うと、頷いて、こちらも恐る恐るといった感じで返事をした。

 

「ああ、いる! あんた、ここの人なのか? 出来たらここを開けてくれないか?」

 

 すると外にいる人物の息を呑むような声が聞こえてきて、彼は泡を食ったように、

 

「わ、わかった! ちょっとまってくれ! 人を呼んでくる」

 

 ガッシャガッシャと鎧のような金属音を立てて、扉の向こうの人物はどこかへ去っていった。

 

 残された鳳たちはまたお互いに顔を見つめ合いながら、早まったかな? もう少し様子を見たほうが良かったのでは? と、胸中の不安を吐露しあったが……結局、何も出来ないから、彼が帰ってくるのをただ待つしかなかった。

 



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ここに勇者が現れた

 扉の向こうの男が帰ってきたのは間もなくだった。時間にしてせいぜい数分程度のことだったろうが、それを待ってる(おおとり)たちには、とんでもなく長く感じられた。しかし、戻ってくるまでは本当に戻ってきてくれるのかとヤキモキしたが、実際に戻ってくると、今度は部屋の外で動くガヤガヤとした気配がプレッシャーになった。

 

 どうやら彼が呼んできたのは一人や二人じゃないらしい。時折聞こえてくる金属の擦れるような音が不安を掻き立てる。さっきジャンヌが言った通り、ここがもし本当に城の中だとすると、向こう側にいる連中は衛兵か何かのはずだ。

 

 あれ? すると自分達は今、どういう立場なんだ? もしかして不法侵入なんじゃないか? 実は助けを呼ばない方が良かったんじゃないかと後悔しかけた時、炎で少し歪んでしまった扉がギシギシと音を立てて開いた。

 

 ぽっかりと口を開けた出入り口から、複数の甲冑を着込んだ男たちがなだれ込んでくる。その人数にも驚かされたが、それよりなにより、先頭の二人が構えている抜身の剣の方に驚かされた。鈍く光る刀身は如何にも重厚そうで、人を殺すために作られたものだと実感させられた。

 

 鳳たちが兵士の構える剣に恐れを為し無言で後退る。警戒する彼らを見て、兵隊の中からリーダーらしき者が慌てて飛び出してきて言った。

 

「剣を向けるご無礼をお許しください。どうか皆様には警戒しないでいただきたい。立場上仕方なくこうしておりますが、こちらから危害を加えるつもりは毛頭ございません」

 

 想像していたよりもずっと柔らかい物腰に、鳳たちは逆に警戒心が湧き上がってきた。こっちはどういう態度を取ればいいのだろうか。強気か弱気か。さっきみたいに魔法を使って、ここを突破するのがいいのだろうか……彼らの脳裏に様々な考えが浮かんだが、結局は無難な応答をするしか選択肢はなかった。

 

 鳳たちの中で最も体格の良いジャンヌが押し出されるようにして一歩前に出る。彼は冷や汗をかきながら、仕方なく兵士たちに向き合うと、

 

「わ、私達は何もしないわ。だから剣を下ろしてちょうだい」

「質問に答えていただければすぐにそういたします。あなた方はどこからどうやってこの中に入ってきたんですか?」

「どこからって言われても……」

 

 泣きそうな視線を仲間たちに向けるジャンヌ。どこと言われると困るものがあるが、ここは正直に答えるしかないだろう。

 

「どこからでもないわ。私達はただVRMMOのゲームをしていたら、気がついたらこの中に居ただけで……」

 

 彼の返答に兵士たちが動揺する。多分、VRMMOと言っても意味が通じてないのだろう。当たり前だ。このままだとあらぬ誤解をされかねないと思い、背後に隠れていた鳳が咄嗟に付け加えた。

 

「VRMMOってのは、魔獣を倒す訓練装置みたいなもんだ。俺たちはとある装置を使って、剣や魔法で魔獣を倒す訓練をしていた。すると突然、見たこともない魔法陣が現れて、俺達を包み込んだかと思ったら、次の瞬間にはここにいたんだ」

「訓練……装置? その装置というのは、一体どういう仕組みで?」

「知らないよ。道具は使い方さえわかれば、いちいちその仕組みまで知らなくてもいいだろう? それに多分、こっちの世界には存在しないだろう。異世界の装置なんだ」

「異世界!」

 

 その言葉に更に兵士たちがどよめく。鳳はまずいことを言ってしまったかなと内心冷や汗をかいたが、続く言葉はそれとは真逆のものだった。

 

「やはり……あなた方は異世界から召喚された勇者様なのですね?」

 

 鳳たちはその言葉を聞いて目配せし合った。さっきステータス画面を出したところで、薄々そうなんじゃないかと思ってはいたが……新たな情報を得て、それは確信に変わった。

 

 やはり、自分達は異世界召喚されたんだ……鳳たちの胸に言いようの知れない高揚感が広がってくる。

 

 ともあれ、まだまだこれまでの情報だけで、ハイそうですと言い切るわけにはもいかない。鳳は慎重に言葉を選んで続けた。

 

「もし、あんた達が異世界の住人を呼ぶ儀式なりなんなりをした覚えがあるなら、きっとそうだろう。俺たちは単に、謎の魔法陣に包まれて、気がついたらここに飛ばされていたんだ。それ以上のことはよくわからない」

 

 その言葉に兵士たちの間からどよめきが起きる。

 

「おお! やはりこの方々は……」「成功していたんですね」「すぐにお館様にお知らせせねば」

 

 抜身の剣を構えていた兵士たちは頷きあってから、慌てて剣を鞘に戻した。そして詫びるように握りこぶしを自分の胸に当てながら軽く頭を下げると、

 

「ご無礼をお許しください。あなた方がおっしゃるとおり、我々には身に覚えがございます。突然のことに混乱なさっておられるでしょうが、我が城主より状況をご説明させていただきますから、よろしければ謁見の間までご同行願えますか」

 

 丁寧でありながら有無を言わさぬ言葉にほんのちょっぴり尻込みする。だが、ここで拒否するという選択肢はないだろう……鳳たちはゴクリと生唾を飲み込むと、おっかなびっくり頷きかえした。

 

********************************

 

 一行は兵士に先導されて部屋を出た。途中、真っ黒に焼け焦げた扉のことを尋ねられて、カズヤが魔法を使ったことを詫びると、兵士たちの動揺はさらに大きくなった。魔法が使えるということが、彼らにはよほど重大事であったらしい。多分、それが鳳たちを異世界から召喚した証拠になるのだろう。

 

 彼らの言葉から察するに、どうやら召喚の儀式は失敗したと思われていたようだ。儀式をしたのはだいぶ前のことで、まさか時間差で成功するとは思ってもみなかったものだから、鳳たちが現れた時、部屋は無人の上に鍵までかかっていたのだ。

 

 その儀式がどういうもので、どうして自分達が呼び出されたのか、それ以上詳しいことは城主に聞いてくれとのことだった。彼らが儀式を行った張本人というわけじゃないから、一介の兵士ではこれが限界なのだろう。そりゃそうかと落胆しつつ、彼らの後をついて歩く。

 

 鳳たちが現れたあの殺風景な部屋は、どうやら城の地下にあったらしく、ジメジメとした暗い通路の奥には鉄格子の嵌った地下牢が見えた。多分、儀式を秘匿するために目立たない場所で行ったのだろうが、その薄暗い雰囲気には、このまま彼らについていっても平気なのかと緊張を覚える。

 

 しかし、地上に出ると一転して辺りは明るくなり、そこには様々な宝物で装飾された、目も眩むばかりの美しい世界が広がっていた。てっきり中世の要塞のような場所を想像していたから、そのギャップに驚かされる。

 

 通路の壁にはところどころニッチが施されて、そこに綺羅びやかな彫像が置かれている。アーチ状になった天井は圧迫感を感じさせないほど高く、いくつものシャンデリアがぶら下がっており、そのキラキラと光るガラス細工は見事の一言であった。どうやらこの世界には芸術を愛でるくらいの文化があるようだ。

 

 圧巻なのは通路に面し外壁をくり抜いた巨大な窓で、そこに嵌っていたのは曇り一つない透明なガラスであった。透明な一枚ガラスを作るのは言うまでもなく難しい。ここにはそれだけの物が作れる技術力があるのだ。更には、その見事なガラス窓の反対側の通路にも同じく窓を模した装飾が施されており、なんとそこには銀色に煌めく鏡がはめこまれていたのだ。

 

 外の風景を反射するその鏡によって、通路は見た目の倍以上に広く感じられ、シャンデリアで乱反射する光が通路を白く染め上げる。幻想的な光景にしばし見とれていると、なんだかどこかで見たことがあるような既視感を覚えたが、

 

「ヴェルサイユ宮殿みたいね」

 

 というジャンヌの言葉で思い出した。確かにこれはヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊にそっくりだ。実際に行ったことことがないからはっきりとは言えないが、この城を作った建築家は少なくともそれと同じような設計思想を持っていたのだろう。

 

 そんなことってあるのかな? と、不思議に思いながらそこを通り過ぎ、更に大きな吹き抜けの大広間を通って、二階へと続く階段を上る。

 

 二階は城主の居住区のようで、あちこちに待合用のソファが置かれており、一階にも増して見事な調度品の数々が目を楽しませてくれた。床には、おそらくビロードで出来ている、信じられないほど艷やかで柔らかな赤絨毯が敷かれており、それがつなぎ目もなく、どこまでもどこまでも続いている。

 

 極めつけ、謁見の間の前に用意された待合室は本当にすごかった。日本の家屋なら2階建てがすっぽりと入りそうな空間に、壁から天井に至るまで全てフレスコ画で彩られているのだ。陰影と遠近法で表現されたその精緻な絵画は、見るものが見なくても歴史的価値があるのが分かるくらい見事な代物だった。下手したら、ミケランジェロやラファエロにも劣らないのではなかろうか。

 

 鳳たちはため息を吐いた。なんというか大抵の場合、異世界転生ものの小説なり漫画なりでは、地球よりもずっと技術的に劣った世界に飛ばされるのが定番だが、少なくともこの世界は芸術の点では元の世界とタメを張れそうである。

 

 ここに来るまでに目にした調度品から推測するに、ざっとルネッサンスから啓蒙時代くらいの技術力はあるんじゃないか。もしかすると電気も存在するかも知れない。下手に知ったかぶって恥をかかないようにしておこう……

 

 口をあんぐり開けて天井画を見ていたら、謁見の間の扉が開かれ、宮廷衣装に身を包んだ慇懃丁寧な紳士たちが恭しく現れた。いよいよこの城の主とご対面のようである。

 

「勇者様御一行、おなーりー!!」

 

 そんなに大きな声を出さなくても聞こえるよと言いたくなるような大声に急かされ、鳳たちは謁見の間に足を踏み入れた。

 

 ここに来るまでに見せつけられた宝物の数々で、否応なく自分達の小ささを思い知らされた面々は、傍から見ればきっと小さく見えただろう。まあ、その方がいいだろう。少なくとも、不興を買うことはないだろうから。何しろ、目の前にずらりと居並ぶ人々がまた振るっているのである。

 

 鳳たちを出迎えてくれたのは、最初に地下に現れた兵士たちと同じ甲冑に身を包んだ近衛兵たちであったが、謁見の間にいた彼らは装備しているものが違った。左右に別れて立つ数十人からなる近衛兵たちは、捧げ銃のように手にしたライフルを天井に掲げて、続いてアーチ状にその銃剣を交差し、最後にまた捧げ銃をして脇に下ろし、回れ右をして白達に道を開けた。その一糸乱れぬ動きは彼らの練度の高さを窺わせる。まるで、お前ら変なことしたら蜂の巣だよ? と言っているようである。

 

 すっかり怖気づいてしまった一行に近衛兵達が道を譲ると、すると今度は、その先で一段高くなった場所に玉座があり、一人の男が鎮座していた。

 

 年の頃は、鳳と然程変わらぬかちょっと上くらい、せいぜい20代前半と言ったところか。金髪碧眼の細面で、秋葉原にでも居そうな感じもするが、どことなく気品も漂ってくる。勝ち気そうな生意気な面をしており、きっと子供の頃は相当やんちゃだっただろうと思わせる。遠目にも見事なのが分かる装飾がふんだんに施されたガウンを羽織り、下には金糸で様々な刺繍の入った衣装に身を包み、その頭には大きな金の王冠を乗せていた。多分、彼がこの城の主だろう。

 

 意外に若いその姿に驚きもしたが、それ以上に驚いたのは、彼の手前に並ぶ側近の男たちと、その男たちにかしずくようにして控える貴婦人たちの姿だった。

 

「おい、見ろ……エルフだ」

 

 鳳の隣に立っていたカズヤが、聞き取れないくらい小さな声で呟いた。本当に聞き取れないほどだったが、はっきりと聞こえたのは、多分この城に来て一番驚いた瞬間がこの時だったからかも知れない。

 

 目の前に、ファンタジー世界でお馴染みのエルフが立っていた。恐ろしく白い肌に端正な顔立ち、細長い耳が左右に垂れていて、まるで絵画から飛び出してきたような非現実感を漂わせている。

 

 例えば3Dモデルのように、人間に似せたCGを描いていると、それが人間に似れば似るほど気持ち悪く感じてくるという、不気味の谷現象というものがある。ところで、その谷を超えて更に人間に似せようとすると、ある時点を境に気持ち悪さは薄れて、今度は現実よりもずっと美しく神秘的に感じるようになる。目の前の彼らは、正にそんな感じの美しさを讃えていた。

 

 鳳たちが呆然と立ち尽くしていると、彼らをここまで案内してくれた兵士がこそこそと近寄ってきて、

 

「勇者様がた……さあ、どうぞ前へ」

 

 と言って、早く進むように促した。ハッと我に返った彼らは、促されるままに玉座の前まで進んだ。

 

 それで、これからどうしよう? 言われるままに城主のところまでやってきたは良いものの、これから先、何をしていいのかが分からなかった。

 

 台座の上に置かれた玉座には、城主がふてぶてしそうな表情で座り、鳳たちを睥睨している。周りには取り巻きらしきエルフたちが立ち並んでいて、その神秘的な眼差しでじっと異世界の闖入者たちを見つめている。こころなしかその表情が険しいように見えるのは、主君の前で無礼だと思っているのだろうか。

 

 どうする? 膝をついて何か格好いい口上とかを述べた方がいいのか? こういう時の作法がさっぱり分からない。パッと思いつくのはせいぜい、額を地面に擦り付けて土下座するくらいのものである。

 

 ジャンヌを始めとする仲間たちも似たようなものらしく、誰かが何とかしてくれないかと言った感じの視線をあちこちに飛ばしていた。鳳の背筋を冷や汗がスーッと流れ落ちていく。これは本気で土下座するしかないのだろうか。それとも昔見た映画の見様見真似で、きざったらしくお辞儀をしてみせようか?

 

「よく来た! 異世界の勇者たちよ」

 

 と、その時、冷や汗を垂らしてまごついてる異世界人たちを見かねたのか、玉座にいた城主らしき男が立ち上がり、両手を広げて彼らの元へと歩み寄ってきた。そして城主は見た目とは裏腹に、実にフレンドリーな様子で、一人ひとりをハグして回ったのである。

 

 背中をポンポンと叩かれて硬直する一同。驚いたのは鳳たちだけではなく、周りのエルフたちも同じようで、

 

「アイザック様! なりませんっ」「ヘルメス卿ともあろうお方が、そのようなことをなさっては沽券にかかわりますぞ」「もっとご自身の権威というものを大事になさってください」

 

 アイザックは城主の名前で、ヘルメス卿が役職かなにかか? 突然のハグにびっくりしながら、鳳がそんなことを考えていると、部下に窘められたアイザックが煙たそうな表情で彼らを振り返り、

 

「この期に及んで、権威もクソもあるか。もし、彼らが本物の勇者だとしたら、跪かなければならないのは我らの方だぞ」

「いかにも……しかし彼らが本物かどうか、まだ確かめておりません。それまではどうかご自身の立場をお忘れなく。皆が見ております故」

 

 そう言われてアイザックなる金髪の青年は憮然とした表情で押し黙り、やがて肩を竦めてから鳳たち、異世界人の方を向き直り、

 

「ご覧の通り、部下たちがうるさいのでこのままで失礼する。君たちは突然こんな場所に呼び出されて不安に思っているだろうに」

 

 アイザックは一行の中で一番リーダーっぽいジャンヌに向かって喋った。思いの外好意的な態度に、少し気が楽になった彼がそれに答える。

 

「は、はい。私達も何がなんだか。ここに来れば教えてもらえると聞いて来たんですけど……事情をお話していただけますか?」

「無論、そのために呼び出したのだ。しかし、その前に一つお願い出来ますかな。我々に、君たちが勇者であるという証拠を見せていただきたいのだ」

 

 突然の申し出に一行は戸惑った。そもそも、勝手に呼び出されて勇者だなんだと言われてるのはこっちの方である。証拠を見せろと言われても、何をやっていいのか分からない。彼らが困惑して表情を曇らせていると、若い城主はそれを察して助け舟を出した。

 

「もしも君たちが勇者であるなら、特別な力を持っているはずなのだ。それはきっと君等からすれば大したことでは無いかも知れないが、我々からすればとても特殊な、そういった類の力なんだが……例えば、そう、報告では、君たちの中で魔法を使った者がいると聞き及んでいるが」

 

 言われてカズヤがぽんと手を叩く。

 

「ああ、魔法を使えばいいのか……なら簡単ですよ」

 

 おお! っと謁見の間がどよめく。しかし、呪文を唱えようとしたカズヤは、すぐにバツが悪そうに表情を曇らせて、

 

「と言っても、実演しようにも、ここであんなのをぶっ放したら、大変なことになりますよ? 見たところ、貴重な品々が飾られているようだから、気が引けるんですが」

「なら、拙者のスキルでどうでやんすかね? 実はカズヤ氏が魔法を唱えた時から、拙者も試してみたかったんでやんす」

 

 カズヤがまごついていると、AVIRLが引き取ってそう告げた。彼のゲームでの職業はストーカー……もしもカズヤと同じなら、盗賊系のスキルが使えるはずだ。

 

「ハイディング!」

 

 そして彼がスキルの名前を叫ぶと、次の瞬間、AVIRLの姿が人々の前からパッと消えて見えなくなった。ハイディングは盗賊系スキルの基本中の基本で、姿を消すスキルだ。消えたまま移動することは出来ないから、最初に消えた場所を見られたら意味がないのであるが、ゲーム上では表示を消せばいいだけだから、見た目だけは完全に姿を消せるスキルだった。

 

 残念ながら現実では完全にとはいかないようだった。スキルを使ったAVIRLの姿は、光学迷彩みたいにうっすらと輪郭が見えるもので、注意深く見ればすぐにバレてしまうものだった。尤も、それでもこの世界の住人には十分驚きだったようで、

 

「馬鹿な!?」「こんな魔法は見たことがない!」「本当に勇者様なのか……?」「獣の使う妖術の類ではないか?」「いや、カインの者にこのような神技(セイクリッドアーツ)を使うものがいたはずだ」「神技だと? 彼は人間だろう!?」

 

 エルフたちは喧々諤々と会話をしている。セイクリッド・アーツとはまたえらい中二病的な名前が出てきたが、こちらではこの手のスキルをそう呼ぶのだろうか?

 

 AVIRLのスキルは見事に発動したが、こちらの世界では馴染みのない技だったようで、エルフたちの疑念を晴らすには至らなかったようである。彼は技を解くと、それじゃ他のスキルも使ってみようかと提案したが、同じことの繰り返しになるかも知れないと、ジャンヌに止められた。

 

 それよりも……とジャンヌが続ける。

 

「カズヤ。攻撃じゃなくて、補助魔法なら問題ないんじゃないかしら。実演してみせてあげて」

「あ、それもそうか……それじゃあ、ちょっとそこの兵士さん」

 

 言われた彼はぽんっと手を叩くと、近くにいた近衛兵を手招きし、

 

「エンチャント・ウェポン!」

 

 と、彼に向かって腕を振った。瞬間、彼が腰に佩いていた剣が突然鞘の中でカタカタと音を立て、鍔の部分からまばゆい光を発し始めた。驚いた彼が剣を鞘から抜くと、そこには刀身が光に包まれた剣があった。

 

「馬鹿な! 古代呪文(エンシェントスペル)だと!?」「人間の身で、ありえない!!」「しかし、あの光は古代呪文だ。私も使うから見間違えようもない」「試してみよう。おい! そこの兵士!」

 

 動揺するエルフは、カズヤの魔法は見覚えがあったようで、それが本物かを確かめるべく、これまた近くにいた兵士を手招きして、彼の佩いている剣を受け取った。エルフは剣を鞘から引き抜くと、光り輝く剣を握っている近衛兵に向かって、

 

「おい、ちょっとこれを切ってみろ」

 

 と言って剣を向けた。

 

 兵士が一礼をしてから、軽くその剣の切っ先をエルフの持つ剣に触れさせると……スーッと、まるでチーズでも切るかのように、その刀身が真っ二つになる。カランカランと、切り落とされた剣の先っぽが地面で弾けて、けたたましい金属音を立てた。

 

 謁見の間にいた全ての人物から、おおっというため息のような声が漏れた。愛剣を切られてしまった近衛兵が、地面に転がっている自分の剣の成れの果てを手にして、涙目で光の剣を見上げた。

 

「皆の者、見よ!」

 

 アイザックは興奮気味に、驚いている近衛兵の腕を掴み上げ、光の剣を高々と持ち上げた。

 

「間違いない。これぞ勇者の証。我々は勝利した。儀式は成功し、ここに勇者が現れたのだ!」

 

 そんな城主の宣言により、謁見の間の空気が瞬時に変わった。それまで胡散臭い者でも見るような目つきであったエルフたちが、今では好奇に満ちた熱視線を鳳たちに向けていた。誰が始めたか分からないが、兵士たちが次々と膝を折って、主君にかしずくように頭を垂れる。

 

 鳳たちはそんな光景に引きつった笑みを浮かべながら、ほんの少しばかり得意げな気分になり、そしてほんの少し不安も感じていた。

 

 勇者というものが、この世界の住人にとって、どのような意味を持つのか……その重みが分からないうちは、まだ手放しで喜べないだろう。ただ一つ確かなのは、これで命の危険だけは免れたということだ。わからないことだらけの現状で、それだけが唯一の救いだった。

 



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世界に魔王は存在しない

 それから暫くして、謁見の間の興奮が収まってくると、城主アイザックは鳳たち5人を含む数名を残して人払いをした。異様な数の兵士たちに囲まれプレッシャーを感じていた鳳たちは、これでようやく人心地がつけると、ほっと胸を撫で下ろす。すると、部屋に残ったアイザックの部下らしき男性が、立ち話では疲れるだろうと言って椅子を持ってきた。

 

 5人が勧められた椅子に並んで座ると、その対面に、いわゆるお見合い席みたいな格好で同数の椅子が並べられ、アイザックとその取り巻きが座った。玉座ではなく、同じ高さの椅子に座ることで、上下関係がないことを示しているのだろう。エルフの女性たちはそんな彼らの後ろで立っていた。

 

 思ったよりも、彼らは異世界人である鳳たちに気を使ってくれているらしい。横暴な為政者じゃなくて安心はしたが、尤も、それで全て納得するわけではない。自分達5人は何故この世界に呼び出されたのか、その理由をまだ聞いていないのだ。

 

「無論、それを説明するつもりで人払いをしたのだ。君たちの疑問には何でも答えよう。だが、まあ、まずは昔話からさせてくれ。君たちはまだ、この世界のことを何も知らないだろう?」

 

 鳳が何から話を聞こうかと考えていると、アイザックがそう提案してきた。どうやら歴史の講釈でもしてくれるらしい。

 

 右も左も分からない現状、それが必要なら黙って聞くより他ないだろう。先を促すと、アイザックではなく、その取り巻きの一人が話を始めた。こちらはエルフではなく、普通の耳をした白髪の老人であり、如何にも学者然とした顔つきから、国王の家庭教師とかなんかそんな感じだろうか。因みに、ここに残った者の中で、エルフでないのは彼とアイザックだけである。

 

「勇者様方におかれましてはお疲れのところ、私めの長話にお付き合いいただき恐縮に存じます。出来る限り、かいつまんでお話いたしましょう。我が国には建国神話がございまして、かつてこの世界には全てを破滅へと導く魔王が君臨しておりました。それを封印した真祖ソフィアが、ここを領地と定め、そんな彼女に(かしず)く5人の精霊が国を拓いたと言われております」

「ソフィア……!?」

 

 その名前を聞いた鳳が、素っ頓狂な声を上げる。いきなり話の腰を折られた老人が、キョトンとした顔を向けた。

 

「何か、気になる点でも?」

「い、いえ……すみません、続けてください」

 

 ソフィアと言っても、よくある名前の一つに過ぎない。自分達の仲間であった『灼眼のソフィア』とは関係ないだろう……鳳は若干気にはなったが、話の続きを聞くほうが先決だろうと思い、老人を促した。

 

「五精霊は自分達の眷属として神人を生み出し、その神人が国の基礎を作りました。更にその神人は労働力として、魔物に怯えて暮らしていた人間を捕らえ使役します」

 

 神人というのが目の前のエルフ、つまり耳長の長命種のことらしい。精霊によって力を与えられた彼らは基本的に非死とされ、怪我や病気をしない限りは、何千年も生きるそうである。

 

 そんな神人は、生まれながらにして人間よりも優秀な能力を持っていたため、為政者として人間社会のピラミッドの上に君臨していたというのが本当のところだろう。

 

 しかし、今見たところ、この城の主であるアイザックは人間で、彼の部下の方が神人である。多分、どこかでその力関係が逆転するような出来事があったのだろう。

 

「5つの国家はそれぞれの守護精霊の名を冠して、カイン・セト・ミトラ・オルフェウス、そして我々のヘルメス国と称します。お気づきかも知れませんが、アイザック様はヘルメス伯として、当地を治めるお方です。

 

 五精霊は国家が成立すると、その運営を神人に任せてお隠れになりました。隠れるとは文字通りの意味でございまして、不死である精霊は魔王復活の事態を想定し、力を蓄えるために眠りに就かれたのです」

 

「ソフィアはどうしたんですか?」

 

 五精霊は眠りに就いたそうだが、それを作った真祖とやらはどうしたのか。当然の疑問としてそんな声が上がるが、老人は黙って首を振ると、こう告げた。

 

「真祖ソフィアがその後どうなったかは、はっきりとしたことは分かっていないのです。魔王との戦いで負った傷が原因で命を落としたとも、実は五精霊に分裂したのだとも言われております。五大国を統べる神聖帝国(ホーリーエンパイア)は前者の立場を取っており、彼女の墓の上に作られたのが、現在の帝国の政庁であるアヤ・ソフィアです。ですが、我々はそこに真祖は眠っていないと考えております」

 

 老人の口ぶりからして、ここヘルメス国は帝国と仲が悪いようだ。もしかすると、白達はそんな帝国との争いに巻き込まれたのかも知れない……だとしたら面倒なことになったと思ったが、実は、話はもっと複雑なことになっていたようである。

 

「精霊がお隠れになってから、帝国は神人の統治の下で平和な時代を謳歌しておりました。非死である彼らは世事にはあまり関心を示さず、人間たちの国家運営に口を挟まなかったのが功を奏したのかも知れません」

 

 君臨すれども統治せずというやつか。

 

「最盛期の領土は、ここバルティカ大陸の半分にも及び、帝国は繁栄を続けてきました。ところが、今より300年ほど前、大陸南部を占める大森林・ワラキアに、突如として魔王ジャバウォックが出現したのです」

「ジャバウォックだって!?」

 

 これには鳳のみならず、仲間全員が驚きの声を上げた。その反応っぷりには、流石に老人もびっくりした様子で、

 

「は、はい。ジャバウォックでございます。ど、どうかされましたかな、勇者様方? 魔王の名に何か気になるものでもあったのでしょうか」

「えーっと……なんて説明したら良いのか……」

 

 まさか、異世界のゲームで毎日のように倒していたとは言いづらい……そもそも、こちらの魔王とあっちのレイドボスを同列に考えても良いのだろうか。しかし、その魔獣の名前には反応せざるを得なかったのだ。

 

 言うまでもなく、ジャバウォックはルイス・キャロルのおとぎ話に登場する魔獣の名前である。なんというか、言ってしまえばそれは決して有名ではなく、寧ろマイナーな部類のモンスターだ。知名度的にはラブクラフトの小説くらいのものだろうか。十分有名じゃないかと思うかも知れないが、ここが異世界であることを考えてみよう。どう考えてもおかしな話である。

 

「その名前に聞き覚えがないわけじゃないのよ。ただ、それが時空とか世界とかを超えてまで聞こえてくるようなものかと言うと、私達の世界ではそれほどでもなかったのよね。たまたま、私達は知っていたというか、そういったレベル……だから、あなたの口からその名前が出てきたのが驚きなのよ」

「左様でございましたか。やはりこうして呼び出されただけあって、勇者様方はこの世界と因縁があるのかも知れませんな」

 

 そう言われるとそんな気がしなくもないが、なんか腑に落ちない。先のソフィアといい、気にはなるが……しかし話の腰を折り続けても逆に混乱の種になるだけだろう。取り敢えず、これ以上は質問せず、今は話の続きを促すことにした。

 

「魔王の再来は、まず南部の森に住む部族社会(トライブ)に混乱をもたらしました。帝国とは違い、森の民は国家というものを知らず、ろくな武力も持たなかったため、彼らはあっという間に魔族に駆逐され、逃げるように帝国領内へとなだれ込んできたのです。

 

 部族社会の大移動で帝国領内は圧迫され、やがて深刻な被害が出はじめました。帝国は当初こそ彼らを追い返していましたが、払っても払っても湧いて出てくる人の群れを前に、ついにその膝を屈します。このまま、降りかかる火の粉を払っていても、元を断たねばどうにもならない。

 

 そこで五大国から選りすぐりの兵士たちを集めて、討伐隊が派遣されることになりました。武力、知力、魔力に優れた神人を中心とした討伐隊なら、事態を収束してくれると信じて送り出したのです。ところが……

 

 お察しの通り、討伐隊はあっさりと返り討ちに遭いました。この時点ではまだ、南の森に現れたのが古の魔王であると、誰も気づいていなかったのです。しかし、選りすぐりのエリート達が散々に打ち負かされ、ぼろぼろになって帰ってきたことで、ようやく自分達が対峙しているものが尋常ではないと気づきました。

 

 戻ってきた精鋭たちはたった数人で、もう戦えないほどボロボロです。おまけに、彼らは追われるようにして逃げ帰ってきたため、結果的に魔王が帝国領内へ侵入するための水先案内人になってしまいました。

 

 突如現れた魔王を前に、戦の準備をしていなかった帝国は慌てふためきます。魔王配下の魔族たちが、帝国領内を蹂躙するのを座して眺めるよりありません。

 

 もちろん帝国もすぐさま徴兵を開始したのですが、既に起きている災害を前に、民衆はすっかり怖気づいてしまって、ろくな戦力が集まらなかったのです。

 

 そうこうしているうちに魔王の軍勢は、ついに帝都アヤ・ソフィアへとたどり着きます。残っている戦力は神聖皇帝と一部の貴族だけ……正に万事休すです。

 

 ところがその時、奇跡は起こります。

 

 突然、どこからともなく伝説の五精霊が蘇り、魔王の前に立ちはだかったのです。

 

 来たるべき魔王との決戦のために姿を隠したと言われていた五精霊が、古の契約を守り、本当に人類のために復活したのです。

 

 これには全人類が色めき立ちました。これで勝てる、人類は救われた。誰もがそう思ったことでしょう。

 

 しかし、そうはなりませんでした。魔王の力とは、それほどまでに凄まじいものだったのです。

 

 蘇った五精霊は魔王と激しい攻防を繰り広げ、それは七日七晩続きました。神にも匹敵する精霊と魔王の戦いによって、帝国領内は麻のように乱れ、その首都は草木も生えることが出来ないほど荒れ果てました。

 

 このまま戦いが続けば、遅かれ早かれ人類は滅びてしまう……追い詰められた神聖皇帝は、最後の賭けに出ました。建国の真祖ソフィアが残したとされる秘技、勇者召喚を行ったのです。

 

 そうして皇帝により召喚された異世界の勇者は、人の身でありながら信じられない力を持っていました。彼の放つ魔法は天を穿ち地を落とすと言われ、召喚された時点ですでに五精霊に匹敵するか、それ以上の力を有していたのです。

 

 そんな彼は間もなく人心を掌握し、精霊を従えて、魔王に挑みました。そして長い戦いの末に、ついに魔王を討ち果たしたのです」

 

 物語を聞き終えた鳳たち一行は、自分達が何故この世界に呼び出されたのか、その理由を理解した。

 

 300年前に行われた勇者召喚……それは魔王の襲撃により滅亡の危機に立たされた人類が行った、最後の秘技だった。ならば今回、自分達が呼び出されたのもその時と同じはず。

 

 今、この世界に再び魔王が現れ、人類は劣勢に立たされているのだ。

 

 そして、鳳たちはその魔王を倒す救世主として呼び出されたのだ!

 

 武者震いで腕が震える……自分達の使命を察した5人は、お互いに目配せして頷きあった。あの暗い地下室で異世界召喚された事に気づいてから、きっとこうなる予感はしていた。

 

 異世界に勇者として召喚された現代人が、現実世界のゲームのようなチート能力を与えられて魔王と戦う。実に定番な話ではないか。ならば戦おう、異世界のために。俺たちの戦いはこれからだ。

 

「いや、違うぞ。現在、この世界に魔王は存在しない」

「え? そうなの?」

 

 5人がこれから起こるであろう冒険を勝手に夢想してると、その様子に気づいたアイザックが脇からツッコミを入れてきた。これから王道ファンタジーをやる気満々だった鳳たちは、肩透かしを食らってガクリと項垂れた。

 

 それじゃ、一体、自分達は何のためにこの世界に呼び出されたのだ? 首を捻っていると、話の腰を折られた格好の老人が、おほんと咳払いをしてから話を続けた。

 



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君たちにはこの世界の女をジャンジャン抱いて、バリバリ子供を作ってもらいたい

「勇者様の活躍により、魔王は倒されました。それで一件落着といけば良かったのですが、話はまだ終わっていなかったのです。

 

 魔王ジャバウォックとの戦いが終わると、五精霊は眠りに就くと言って、またどこかへ消えてしまいました。代わりに帝国民たちは勇者様を、五精霊に匹敵する英雄と祭り上げて、新たな帝国の象徴として迎え入れます。

 

 尤も、それは疲弊しきった帝国が復興を果たすまでの時間稼ぎ……魔族の侵入を阻むための防波堤のようなものでした。彼らは勇者様に領地は与えず、切り取り自由と言って、ワラキアの大森林を開拓するように命じ、そこにいた魔族の残党を狩るように仕向けたのです。

 

 本来ならば神聖皇帝の冠を外してでも、どこかの王として迎えねばならないはずの勇者様にそのような仕打ち……少しくらい怒ってもいいはずなのですが、ところが当の本人はまるで気にした素振りも見せず、淡々と残党狩りを行ったそうです。

 

 更に、魔族の残党を追い払い、そこにあった部族社会(トライブ)を助けると、彼は切り取り自由と言われていた森には一切手をつけず、領地を海に求めました。大陸の西に広がる遠浅の海を埋め立てて、そこを領地にしたのです。

 

 こうして行われた干拓事業には、彼に恩義を感じていた人々が駆けつけ、あっという間に西の海は埋め立てられました。そして出来た勇者領(ブレイブランド)は、彼を慕う神人、人間、そしてトライブの住人も加わって著しい発展を遂げたのです。

 

 人種を差別しない自由な街は人の往来が盛んで、特に商業で栄えます。そしておそらく、勇者様は始めからこれを意識して西に領地を求めたのでしょう。古来より、帝国の遙か東方の海に存在すると言われた、幻の大陸ローレンシアへの西側航路を発見し、新大陸に新たに都市を築いたのです。

 

 まるで復興が進まない帝国領内とは裏腹に、勇者領は低地国、新大陸、そしてトライブとの三角貿易によって大いに繁栄し、これによって世界経済の中心は、帝国首都アヤ・ソフィアから、大陸西部へと移っていったのです」

 

 つまり、領地を与えてもらえなかった勇者は、これみよがしに大森林の住人を助けて恩を売り、その労働力を使って西で干拓事業を始め、更にはコロンブスさながら大西洋(?)を渡り、魔王災害のせいで滞っていた経済を回し、復興で疲弊していたこの世界をまた救ったというわけである。

 

 鳳は勇者の人心掌握術に舌を巻いた。300年前に現れたと言われる勇者は、かなりのやり手のようである。

 

「ですが、そのような活躍を見せる勇者様のことを快く思わない者がいました。言うまでもなく、神聖帝国の貴族たちです。

 

 お気づきでしょうが神人である貴族は、人間である勇者様を心からは信用してはおらず、いつか自分達の座を奪うのではないかと警戒しておりました。神人は生まれついての身体能力ゆえに優越感を持っており、人間や魔族を見下しています。ところが、勇者様は人間の身でありながら、神人はおろか、彼らが神と崇めている精霊をも上回る能力を持っていた……優秀であるはずの自分達はとても勇者様に敵わない。そんな脛に傷を持つ者特有の悪感情が、勇者様への不信感となって現れたのです。

 

 更に間の悪いことに、帝国内の人間の殆どが、魔王を倒し人類を救った勇者様を支持し、それに比べて神人は役に立たなかったと、大っぴらに帝国を批判していました。帝国貴族からしてみれば、人間が神人を批判するなど絶対にあり得ないことです。ところが勇者様の存在がそれを可能にした。そんな風に人心を掌握し、経済力をも得た勇者様に、貴族達の恐怖心は日に日に募っていったのです。

 

 そこで、帝国貴族達は一計を案じました。ある日、彼らはこれまでの功績を表彰するからと言って、勇者様を帝国首都に呼び寄せました。まさか自分が救った帝国に危害を加えられるなどとは夢にも思わず、勇者様は無警戒で帝国にやってきます。

 

 そして、そんなお人好しともいえる勇者様のことを、帝国貴族たちは暗殺してしまったのです」

 

「暗殺!? ちょ、ちょっとまってよ……だって、勇者ってのは神にも匹敵する力を持っていたんでしょう?」

 

「はい。ですが、何べんも申しあげました通り、勇者様は強大な能力を持ちつつも、その身は人間でしかなかったのですよ。致命傷を負ったり、致死量の毒を盛られたりすれば、やはり普通の人間のように簡単に死んでしまいます。

 

 一説によると、勇者様は宴会の席で酩酊するまで酒を飲まされ、女を充てがわれて気分が良くなったところ、寝込みを襲われて亡くなられたとか」

 

 張飛かよ。なんというか、ものすごく生々しい……無警戒だったならそりゃ死ぬわ、と言った感じである。

 

「やり方は最低とは言え、こうして祖国を救ったはずの勇者様を亡き者にした帝国は、束の間の平和を享受します。勇者様を信奉していた人間たちからは、もちろん怨嗟の声が上がりましたが、彼無き今、大っぴらにそれを口に出来る者はおりませんでした。もしすれば、報復されることが目に見えていたからです。

 

 やがて復興も進み、荒れ果てていた帝国内にも平穏が戻ってくると、神人と人間の力関係は魔王登場以前にまで還ってしまいました。元々、この国は神人が人間を支配する国。勇者領はともかくとして、帝国領内でもはや勇者様の名を口にする者はいなくなっておりました。

 

 ところが、それから数年して新たな問題が起こります。実は、殺された勇者様には沢山の奥様が居らしたのですが……彼が亡き後、生まれてきたその子供たちの悉くが、神人だったのです」

 

 なんとなく違和感を感じた白が老人に尋ねる。

 

「……あれ? でも勇者は人間だったんでしょう? 相手が神人だったんですか?」

 

 神人たちは勇者を警戒していたはずだが、中には彼と付き合おうとする変わり種も居ただろう。例えば勇者はエルフマニアかなにかで、そういったハグレモノをありがたく食っていたとか……

 

 ゲスな考えも思い浮かぶが、実際の話しはもっと複雑怪奇であった。

 

「いいえ、そうではないのです。その中に神人が混じっていたのは確かですが、人種は関係ありませんでした。勇者様の子は、相手が誰であろうとも、全てが神人として生まれてきたのです。このような存在は、帝国の歴史上でも五精霊しか存在しません」

 

 確か、神人というのは、精霊が創り出した存在だった。生まれてくる子供が全て神人である勇者は、つまり精霊と同格なわけだ。

 

「ところで、話は変わりますが、非死である神人は繁殖力が弱く、例え神人同士であっても殆ど子供が作れません。なかなか妊娠出来ないのです。それに、彼らは何千年でも生きられますから、人間とは違って、あまり自分の子孫を残そうという気にはなれないそうなのです。

 

 おまけに、頑張って子供が出来たとしても、生まれてくる子供が神人であるとは限らず、多くの場合は人間として生まれてきます。そして彼らの性質上、人間を生んでしまった神人は半端者として差別されます。つまりまあ、子供を作りたがらないのです。

 

 そんなわけで、勇者様が現れるまで、帝国で生まれた神人は数えるほどしかおりませんでした。勇者様の子供たちは、まさに数十年ぶりの神人の誕生だったのです。

 

 この事実に、帝国は揺れました。

 

 自分達のつまらぬ嫉妬のために殺してしまった勇者様は、精霊と同格の存在だった。彼が生きていたら、帝国はさらなる発展が約束されていたはずです。自分達の行いを後悔した帝国貴族達は、慌てて勇者様の名誉を回復し、暗殺を無かったことにしようとします。

 

 しかしこのような歴史修正主義は、神人にも受け入れられませんでした。何より、勇者様の子供たちの恨みが、それで晴らされるわけがありません。彼らからしてみれば、父を殺した帝国貴族たちは、絶対に罰すべき悪なのです。

 

 こうして帝国は二分されます。昔ながらの神聖皇帝の権威にひれ伏す守旧派と、勇者様こそ帝国を統べる正当な後継者であると、皇帝の退位を求める勇者派(アフターブレイブ)です」

 

 勇者を亡き者にした帝国に不満を訴える動きなら、彼が殺された直後にもあった。しかし、その時、主体となっていたのは人間であり、それが人間vs神人という構図に置き換えられてしまって上手くいかなかった。

 

 ところが今度は少数とは言え、神人が帝国を糾弾しているのであり、その動きは皇帝であっても容易には潰すことが出来なかった。こうして帝国は派閥によって二分され、争いの火種が燻り始める。

 

「一部の神人が味方したとは言え、初期の勇者派は守旧派と比べ圧倒的に少数であり、衝突が起きるようなことはありませんでした。事態が急変したのは勇者様の孫の世代が生まれた頃のことです。

 

 生まれてきた子供の全てが神人であった勇者様とは違い、孫世代は全てがとは行きませんでした。それでも他の神人とは比べ物にはならないほど、勇者様の孫の世代にも神人は多く生まれてきたのです。そしてその人数がある程度に達した時、どうすれば神人が生まれてくるのか、その法則性が判明したのです。

 

 どうやら、勇者様の子供たちは、配偶者の種を子に伝えるという遺伝子を持っていたようなのです。つまり、配偶者が神人であれば神人が生まれ、人間であれば人間が生まれる。そういう傾向があったのです。これには多くの神人が心を動かされました。

 

 元々、子孫を残すということに積極的でない神人であっても、生まれてくる子が確実に神人であるなら興味が湧きます。特に貴族は家督を継がせるという目的がありますから、なおさら勇者様の血が欲しくなるでしょう。

 

 その結果、どっちつかずで守旧派についていた神人の多くが勇者派に鞍替えし、新旧のパワーバランスが崩れました。元々、人間の殆どは勇者派だったので、人口比だけで言えば、この時もう帝国内の勢力図は逆転していたのです。

 

 数の力を借りて、勇者派はいよいよ守旧派に対する不満をぶちまけます。皇帝の退位を求め、勇者暗殺に関与したと噂される多くの貴族を糾弾し、その勢いは留まるところを知りません。

 

 こうなってしまうと守旧派も黙っていることが出来ず、首都を中心に勇者派に対する弾圧が始まり、そしてついに両陣営による武力衝突が起こりました。

 

 初めは守旧派が優勢でした。数が多いとは言え、勇者派は人間が主体ですから、神人にかかれば物の数にもなりません。しかし守旧派にも弱点がありました。彼らは人間を使役することで国家を運営していたので、その人間を排除してしまったら生活が成り立たなくなってしまうのです。

 

 やがて攻守は逆転し、守旧派は守勢に回ります。守旧派は領内の勇者派を黙らせたいが、暴力を用いれば自分達の首を締めかねない。悔しくても手が出せない。その怒りの矛先は、存在だけで人間を煽ってしまう、勇者様の子孫へと向かいます。勇者派は逆に、帝国領内の人間を押さえつけている帝国貴族への憎悪を募らせ、戦いはいつしか人間たちから離れ、神人同士の対決へと変わっていきました。

 

 戦争は断続的に、百年以上続きました。有史以来、初めて行われた神人同士の戦争は、そのやめ時が誰にも分からなかったのです。一人ひとりが強大な魔力を持ち、数千年を生きる神人はちょっとやそっとでは死にません。そのせいでか、勝敗が決するたびに止まるどころか、寧ろ恨みが増大するという悪循環に陥り、戦闘は常に凄惨を極め、どちらかが再起不能になるまで続けられました。

 

 休戦の話し合いは何度も行われました。しかし、一度も成功したことはありませんでした。何故なら、勇者様の子供たちがいる限り、勇者派は戦力の供給が出来るのに対し、守旧派は確実に勢力を削がれていくからです。

 

 休戦したら最後、帝国は勇者様の子孫に乗っ取られる。彼らは子供たちを目の敵にし、何が何でも殺そうと躍起になります。かつて、魔王が現れた時、人類の危機を救った勇者様の命を奪っただけに留まらず、その子孫まで根絶やしにしようとする帝国に対し、勇者派の憎悪はもはや決して許すことが出来ないまでに増大します。

 

 こうして、お互いに引くに引けない戦いがいつまでもいつまでも続けられ、不老長寿であるはずの神人たちは次々と命を落としていきました。やがて、守旧派の目論見通り、勇者様の子孫が根絶やしにされると、その恨みつらみを爆発させた勇者派によって、ついに帝国首都は陥落、その攻防の際に皇帝は命を落とし、代替わりします。

 

 元を質せば、勇者派の目的は皇帝の退位のはずでしたが、このときにはもう、争いをやめようとする者は居なくなってしまっておりました。誰も彼もが戦争をやめたいと、心底そう願っているのに、相手が憎くてやめることが出来なかったのです。

 

 戦争はその後も散発的に長いこと続けられ……ようやく終わりを迎えた時には、かつて10万人以上いた神人は、数千までその数を減らしておりました。両陣営が戦争をやめた理由は要するに、兵力がなくなって戦線を維持することが出来なくなったからです。

 

 勇者様暗殺より始まった骨肉の争いは、こうして幕を閉じたのです」

 

 老人が歴史の講釈を終えた時、鳳たちは誰ひとりとして、口を開くものはいなかった。感想を述べようにも、どんな言葉も出てこない。戦争なんてものは、どれもこれもクソみたいな結末を迎えるものだが、これは度が過ぎている。

 

 まさか勇者の登場によって救われた世界が、その戦後処理によって結局滅亡の危機に瀕しているとは……その始まりがただの嫉妬だと考えると、救われた者なんて、結局は誰ひとりとして居なかったのではないか。

 

 それにしても、人間は生命の危険さえなければどこまでも寛容になれるのかと思いきや、ずっと生き続けるが故に相手を絶対に許せなくなってしまうとは、なんとも皮肉な話である。思い返せば元の世界でも、若者よりも年寄りの方がよほど強情だった。ずっと同じやり方で生きてきたせいで、簡単には生き方を変えられないのだ。

 

 一方、神人が終わりのない泥沼の殺し合いを続けている間、人間たちはその勢力を伸ばし続けていたようだ。鳳は、何故人間のアイザックが神人を従えているのだろうか? と疑問に思ったわけだが……要は長引く戦争のせいで、疲弊しきった神人と人間の立場が逆転してしまったのだろう。元々、貴族はみんな神人だったわけだが、後を継ぐ者がいなければ、いずれ全ての貴族が人間になる。単純な話だ。

 

 しかし……彼はふと思った。

 

 それじゃ、自分達は何故呼び出されたのだろうか? この世界に魔王は存在せず、戦争も終わっていて、チート能力を与えられた勇者を召喚したところで、戦う相手がいないではないか。内政チートを期待されても、正直なところ、鳳たちにそんな技術力はない。何しろ、あっちの世界では、日がな一日ゲームばかりしていたのだ。オンラインゲームのランカーなんだから、当たり前だろう。

 

 それなのに、なんで自分達は呼び出されたのだ?

 

 その疑問は鳳だけではなく、仲間たちも同様に思っていたようだ。歴史講釈が終わるやいなや、彼らは眉間に皺を寄せて、難しい顔をしながらチラチラと仲間の様子を窺っていた。おまえ、なんとか言えよというプレッシャーがチクチクと突き刺さるが、そんなこと言われてもどんな感想も思い浮かばない。

 

 だが、そんな心配はする必要がなかった。彼らがこの世界に召喚された理由……それは間もなく城主アイザックによってもたらされたのである。

 

「さて勇者諸君、長話に突き合わせて本当にすまなかった。見たところ大分疲れている様子だが、いま暫く辛抱して欲しい。それでは本題に入ろう。今までの説明で、この世界の神人が絶滅の危機に瀕していることは君たちにも理解できたと思う」

 

 鳳たちはお互いに目配せをしあってから頷いた。それと自分達と何か関係があるとは全く思わなかった。しかし、アイザックは満足そうに頷くと、

 

「君たちが呼び出された理由は、それだ」

「どういうことですか……?」

「今、この世界で神人は絶滅しかけている。新しい子供が生まれてこなければ、そうなってしまうのも時間の問題だろう。しかし神人は繁殖能力が弱く、いくら彼らが不老非死でも、これから劇的に神人が増えることはないだろう。だが、もしそれ以外の方法で神人を増やすことが出来たら?」

 

 その意味を瞬時に理解したらしき男たちが瞠目する。

 

「かつて、魔王討伐のために召喚された勇者の子供は全てが神人だった。ならば、同じ方法で呼び出された君たちの子供もまた、神人となる可能性が高いのではないか。そして君たちの子供がまた神人と子供を作れば、その子がまた神人となるかも知れないのだ。

 

 つまり君たちはこの世界で絶滅しかけている神人の繁殖のために呼び出されたのだ。種馬扱いされて不服かも知れない。だが、男ならば寧ろ役得と思わないだろうか?

 

 そう、我々の願いはこうだ。

 

 君たちにはこの世界の女をジャンジャン抱いて、バリバリ子供を作ってもらいたい。君たちはそのために呼び出されたのだ!」

 



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うひょー! 拙者、待ちきれないでやんす

「君たちにはこの世界の女をジャンジャン抱いて、バリバリ子供を作って欲しい!」

 

 アイザックのそのド直球な要求に、さしもの鳳たちもその意味を消化するのに暫くの時間がかかった。ようやく事情が飲み込めると、今度はその内容の美味しさに、男たちは自分達の鼻の下が際限なく伸びていくのを止めることが出来なくなった。

 

「え? 子供作れって……セックスっすか?」「え……? マジ? うそ? マジで?」「拙者たち、そんな理由で呼び出されたでやんすか?」「リロイ・ジェンキンス」

 

 何しろ、あっちの世界でも四六時中ゲームばっかりしていたような連中である。女っ気など、生まれてこの方ろくにあったためしがない。そんなDTメンバーに、目の前に鎮座するハリウッド女優もかくやと言わんばかりの神人(エルフ)と子作りをしろと言うのだから、これを喜ばずして何を喜ぼうか。

 

「話は分かったけど、私はごめんだわ。そんな動物園のサルみたいな扱い……」

 

 ただ一人だけ難色を示すジャンヌを除いて、男たちは身を乗り出すようにして、その鼻息荒い顔面をくっ付くくらいアイザックに近づけた。目は血走り、鼻の穴はヒクヒクと痙攣している。

 

 アイザックはその勢いに若干引きながら、

 

「もちろん、嫌だというならば無理強いはしないが……出来れば協力して欲しいのだ。もしそうしてくれるならば、君たちの生活の全てはこちらが保証しよう。悪い話ではないと思う」

 

 もちろん悪い話ではないが、その物言いからちょっと気になることが頭を過ぎった。ほんの少しばかり冷静になった鳳が、アイザックに尋ねる。

 

「ところで……生活の保証をしてくれるのはありがたいんですが、俺達はその……帰れるんですかね?」

 

 すると、アイザックの部下たちが、それだけは聞かれたくなかったといった感じで、険しい顔つきを見せた。その表情を見ているだけで答えは分かる。案の定、アイザックが申しわけなさそうに、

 

「うーむ……実は、呼びだす方法は分かっていても、還す方法はわからないのだ。300年前に呼び出された勇者様も、結果的にこの世界に残って命を落としたのだから、いまだかつて元の世界に戻ったものは居ないだろう」

 

 なんとなく予想はしていたが、やはりそうか……しかし、落胆する鳳やジャンヌとは対象的に、残りの三人は気楽な感じで、

 

「まあ、異世界召喚にはよくある話だよな。俺は全然構わないぜ」「拙者も、元の世界に未練はないでやんす」「リロイ・ジェンキンス」

 

 彼らはもうこっちの世界で生きていくつもりになっているらしい。流石にそこまで割り切れない鳳は、驚いてその決意のほどを確かめるが、

 

「おいおい、おまえら、本当にそれでいいのか?!」

「って言われても別になあ……おまえこそ、どうしても戻りたいってほど、あっちの世界が気に入ってたのかよ?」「その割には、ずーっとゲームにログインしてたでやんすね」「リロイ・ジェンキンス」

 

 逆にそう言われてしまうと、鳳だってソフィアのことを除けば何もなかった。そりゃ両親はそこそこ心配するだろうが、ゲームばっかりしていたせいか、良好な関係でもなかったので、個人的にはこっちの世界に留まりたいくらいだった。やはり、彼も所詮はゲーマーなのだ。

 

 同様にジャンヌも、廃人と呼ばれるような生活を送っていたくらいだから、あっちの世界には興味がなかったようで、最終的には渋々ながらこっちに残ることを認めた。

 

「分かったわよ……私も別に残るのは構わないわよ。ただ、あれとヤレ、これを抱けなんて、お猿の真似事しなさいって言われるのはゴメンだわ。だって私は人間よ。好きな相手は自分で決めたいじゃない」

「もちろん、我々もこっちのルールで君らを縛り付けるつもりはなく、結婚相手は自由に決めてくれて構わないのだぞ。我々はただ単に、遊びで女を抱いてくれればそれでいいのだが」

「だから、それが嫌だって言ってるんでしょうが!」

 

 ジャンヌのヒステリックな叫び声に、アイザックは目を白黒させた。きっと彼からすれば、据え膳を食わぬ男がいるだなんて思いもよらなかったのだろう。

 

 まあ、ジャンヌを男と言っていいのかどうか分からないが、この世界にジェンダーとか、そんな言葉はないだろうから仕方あるまい。

 

 アイザックはプリプリしてほっぺたを膨らませるジャンヌを、奇異なものを見るような目つきで見ながら、

 

「そ、そうか……ならば無理強いはすまい。ただ、それでも出来ればこの城に残ってくれ。異世界の勇者である君なら、そんじょそこらの兵士などよりよほど役に立つだろう。食客として迎えよう」

「それなら私も不満はないわ。それに……みんなと別れて、知らない世界に一人だなんて嫌だもの」

 

 ようやくジャンヌが納得した素振りを見せると、二人のやり取りを見ていたアイザックの部下達はホッとため息を吐いて、肩を撫で下ろすような仕草を見せた。その姿になんとなく違和感を感じた鳳は、少し冷静になって、何が気になるのか考えてみた。

 

 さて、なにが気になるのだろうか……?

 

 さっき、アイザックは鳳たちに、種馬になってくれるなら生活の保証はすると言っていた。ところが、ジャンヌには食客といえば聞こえがいいが、要するに何もしなくていいから城に残ってくれと要請したわけである。それじゃ辻褄が合わないではないか。もしかして、彼らの目的は、単に鳳たちをここに引き止めておくことなんじゃないか?

 

 そう考えると他にも気になることがある。少し探りを入れてみようか……彼はそう考え、アイザックに尋ねてみた。

 

「ところで、ちょっと気になることがあるんですけど」

「なんだ?」

「さっきの歴史講釈を聞いてて思ったんですけど、あなたたちは勇者派でしょう? どちらかと言えば、人間の味方みたいなものだ。そのあなた達が、どうして神人の行く末を気にしてるんですか? 勇者派からすれば、もう帝国なんて潰れてしまって、人間の時代が到来した方が都合がいいんじゃないですか。

 

 それとも……もしかしてあなた達は、今度こそ守旧派を根絶やしにすべく、勇者派の神人を増やそうとしてるんじゃないですかね?」

 

 鳳からしてみれば、相手の痛いところを突いたはずだった。勇者派が、神人を増やそうとする理由があるとすればそれくらいしかない。すると、自分達はスケベをしたいがために、理由も知らされずに戦争に加担することになる。だからアイザック達はそれを隠したのだと考えたのだ。

 

 しかし……鳳にそれを指摘されたことに、アイザック達は驚いてはいたようだが、それは痛いところを突かれたといったものではなく、よくそんなことに気づいたなといった感じの、どちらかと言えば感心した素振りであった。

 

 特に、鳳たちに歴史講釈をしてくれた老人は驚くと言うよりも喜ぶといった感じで、

 

「おや、きっと若い人には退屈であろうと覚悟しておりましたが、あなた様はこの老いぼれの話を熱心に聞いてくださっていたのですな。大変、嬉しゅうございます。

 

 はい、おっしゃる通り、私達は勇者派でございます。守旧派に対する恨みつらみは、異世界のあなた様方には想像もつかないほど、心の中に刻まれております。ですが、それで本当に帝国を滅ぼしたいかと問われれば、そこはまた別の問題があるのです。

 

 というのも……仮に帝国が無くなったとしても、大森林の魔族はいなくならないからです。帝国の外にはオーク、ゴブリン、トロルなどの凶悪な魔族が跳梁跋扈していて、いつ人間の世界に攻め込んでくるか分かりません。もしその時、帝国が存在しなかったら、果たして人間だけでこの脅威に太刀打ちできるか……正直なところ、それは未知数です」

 

「ああ、なるほど」

 

 そう言えば、300年前に勇者召喚が行われたのは、魔王が帝国領に侵入してきたからだった。鳳は穿った見方をし過ぎたかなと、ほんのり顔が赤くなるのを感じた。

 

「大森林のその先には、前人未到のネウロイという土地がございまして、300年前の魔王ジャバウォックはそこから出現したと言われています。その時は、帝国に10万人を超える神人と、五精霊がいましたが、果たして今度はどうなることか……

 

 この世界で生きるものとして、我々、勇者派も精霊を崇拝しておりますが、彼らからすれば、眷属である神人ではなく、人間に肩入れする理由はありますまい。そういった観点でも、守護精霊を祭り上げる神官として、やはり神人は必要なのです。

 

 そしてその大司祭が、皇帝なのです。精霊と同格である勇者を暗殺してしまった先代が執拗に退位を迫られたのは、そういった宗教的意味合いもあったのでございます」

 

 つまり、いつ現れるか分からない魔王への抑止力として、精霊の力は絶対に必要であるから、その眷属である神人がいなくなってしまうことは、回り回って人間にとっても都合が悪いということだ。

 

 だから、過去に色々あったが、それはもう水に流して、人間と神人はお互いに協力しあって生きていこうと……穿った見方をすれば、神人は生かさず殺さず、そこそこの数が生き残っててくれれば、それでいいというわけである。

 

 しかし神人は不老であるが不死ではない。寿命で死ぬことは無いが、戦争や事故、病気などで死ぬことはありうるのだ。その時、減った神人を供給する必要があるから、その保険として、鳳たちが異世界から召喚されたというわけである。

 

「ご納得いただけましたかな?」

 

 鳳は大きく頷きかえした。

 

「よくわかりました、疑うようなことを言ってすみませんでした。俺たちの世界では、美味い話には裏があるって格言があるもんで」

「ははははは! 君たちが疑いたくなる気持ちも分かるな。生活の心配もせず、好きなだけ女を抱いて暮らしてくれれば良いだなんて、男にとっては夢のような話だろう。ほっぺたを抓りたくなっても仕方ない。しかし、聞いての通り、こちらにもちゃんとメリットがあるから、君たちは何も心配せずに子作りに励んでくれたまえよ」

 

 子作りという言葉に反応した男たちが、いやらしい目つきでアイザックの後ろに控えていた貴婦人たちのことを舐め回すように見つめた。神人の女性たちは、とてもこの世のものとは思えないほど、作りめいた美しさを讃えている。

 

「と、ところでその……子作りと言うのは、そちらにいらっしゃる方々もその……対象になっていらっしゃるので?」

 

 すると神人の女性たちは妖艶な目つきで、

 

「あら、私達はそれほど安い女ではございませんのよ? でも、勇者様が男らしいところを見せてくだされば、もしかして考えなくなくないかも知れませんわね。うふふふふ」

 

 と言って、思わせぶりに目を伏せた。それは強引に迫ったらヤレますよ的な何かを醸し出していて、否が応でも男たちの期待感を膨らませた。彼らは合コンの二次会で女の子を連れ出そうと狙っている野獣のごとく血走った目つきで、女性たちに釘付けになってしまった。鼻息で竜巻が発生しそうな光景に、ジャンヌが心底嫌そうな表情をしていた。

 

 尤も、そんな状況に若干引いてしまったか、間もなく女性たちはうふふうふふと笑いながら、視線だけで妊娠しそうな目つきを避けるように部屋から出ていってしまった。

 

「ああ! ち、違うんですっ! お姉さんたちっ!」

 

 彼女らが去り際に見せた流し目にズキュンと胸を撃たれた男どもが、だらしなく呆けた顔を見せている。こんなのを勇者と呼ばなくてはならないアイザック達に少し同情するが……しかし、彼らの方は一切気にした素振りを見せずに、

 

「ははは! どうやら君たちは彼女らを気に入ったようだな。それは結構。もちろん、言うまでもなく彼女らもその対象だ。でなきゃ、この場に同席したりはしないだろう」

 

 おおっ! と歓声が漏れる。

 

「しかし、見ての通り神人は気位が高いのだ。彼女らはああ見えて貴族だから身持ちが固く、行きずりの関係というものを嫌う。つまり、結婚をしてからじゃなきゃダメってわけだ。まあ、あれはあれで、君たちの第一夫人の座を手に入れようとして、駆け引きをしているのだろうがね」

「第一夫人ですか……? それって、結婚しろってことっすよね……」

 

 結婚は人生の墓場という言葉が脳裏をよぎり、男たちの表情が若干曇る。しかし、そんな彼らの表情を吹き飛ばすかのように、アイザックは面白そうにこう続けた。

 

「ああ、そうだ。神人と子作りするなら結婚するのが早いだろう。だが、何を恐れることがある? 君たちはこれから、第一夫人、第二夫人、第三第四と、数え切れないほどの妻を娶らねばならんのだぞ。最終的には彼女らが輿入れの際に連れてくる親族や下女も含めて、千を超える女を従えるハーレムを作るのだ。たかだか一度や二度の結婚くらいで、いちいちビビっていては体が持たないぞ」

「ハ、ハーレムだって!?」

 

 その言葉の持つ響きは、男にはかなりくるものがあった。ジャンヌを除いた男たちは目を血走らせて、食い入るようにアイザックの言葉の続きを待った。

 

「そうだ。君たちはこれから数え切れないほどの女を抱いて、孕ませなければならない。ものすごい体力勝負だ。そのために、我々がバックアップするわけだが……しかし、現状、君たちは王侯貴族ではないから、まずは立場を手に入れなければならないだろう。それにはさっきの女達を娶るのが一番だろうと我々は考えている。さっきも言った通り、あれは国内有数の貴族でもあるから、彼女らと結婚して家督を継承すればいい」

「貴族……俺達はこの国で貴族になれるんですか?」

「もちろん、どこの国でも構わないが、爵位は手に入れた方が良いだろう。そんなわけで、君たちはこれから覚えることが沢山あるぞ。早く貴族の生活に慣れてもらわねばなるまい。そしてゆくゆくは、この国の宿将として働いてくれたまえ」

 

 男たちは目を輝かせた。まさか、いい女とセックス出来るだけじゃなくて、労せずして支配階級にまでしてくれるなんて……あっちの世界では取るに足らない引きこもりニートで、日がな一日ゲームばかりして、鬱屈した日々を過ごしてきた。そんな自分達が貴族だなんて! もちろん、そうなった暁にはアイザックの恩に報いるのは言うまでもないだろう。

 

「どうやら、我々の提案を受け入れてくれたようだな」

「もちろんです、アイザック様!」

 

 アイザックはキラキラとした視線で、自分を見つめてくる男たちを苦笑交じりに見返しながら、

 

「結構結構。それじゃあ、君たちは暫くこの城で暮らすことになるだろうから、案内が必要だろう。すぐに部屋付きのメイドを呼んで……いや、そうだ、その前に。君は確か、ジャンヌと言ったか?」

 

 彼は何かを思いついたようにジャンヌの方を見た。体が大きいからリーダー扱いされてはいたが、素は小心者の彼は、はっきりと名指しで指名されてドギマギしている。

 

「は、はい。なにかしら?」

「これから食客として滞在するんだ、練兵場で兵士達に紹介しよう。ついでと言っては何だが、勇者諸君にもその練兵場で実力を披露してもらえないか? 先程、魔法を実演して見せてはくれたが、持っている技はあれだけではあるまい」

 

 鳳たちは頷いた。

 

「そうですね。こっちに飛ばされて来てから、すぐここに連れてこられたから、実は自分達でもまだ試してなくて気になってたんです。一度みんなで何が出来るか確認してみましょう」「そうね、実は私も興味があったのよ」「拙者も拙者も」

 

 そうと決まれば話が早いと、アイザックは部屋の外に控えていた近衛兵に案内するように命じた。鳳たち5人とアイザック、そして二人の側近らしき神人が彼らの後に付き従った。

 

 アイザックは練兵場へ向かう道すがら、窓の外にさっきの貴婦人たちの姿を見つけるとそちらを指差しながら、

 

「彼女らにもこっそり様子を見るように伝えておこう。君たちの力を目の当たりにすれば、きっと今晩にも抱いてくれと忍んでくるはずだ。なんせ第一夫人の座は一つしか無いからな。もしやってきた女が気に入ったなら押し倒してやれ」

 

「マジですか!?」「うひょー! 拙者、待ちきれないでやんす」「おまえ、前かがみになるなよ」「リロイ・ジェンキンス」

 

 俄然やる気になった男たちがスキップするような足取りで先を急ぐ。その後ろに、うんざり顔のジャンヌが続いた。

 



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またオレ何かやっちゃいました?

 アイザックの城は中央に吹き抜けのホールを備えた大きな建物があって、その左右に広がるように2つの細長い区画が存在した。謁見の間はその一つ……便宜上、A館に存在するとしたら、鳳たちが最初に閉じ込められていた地下の部屋はB館にあり、練兵場はそのすぐ外側に設けられていた。最初に彼らを発見したのが兵士だったのは、その位置関係もあったのだろう。

 

 中央ホールの玄関から外に出ると、そこには運動場みたいな大きな広場があり、多分ここで閲兵式やら一般の祝賀式典やらで使われているのだろう。その広場の端っこに見える狭い通路を通り、手入れされた見事な藤棚をくぐり抜けると、やがてその先に練兵場が見えてきた。近づくに連れて、気合の入った大声が聞こえてくる。

 

 練兵場の鉄扉をくぐると、一群が50人くらいからなるグループが、一糸乱れぬ動きで剣を振るっていた。兵士たちは城主がやってきたことに気づいていただろうが、将校らしき数人が敬礼を返すだけで、誰一人として動きを止めるものはいなかった。その姿から察するに、練度はそこそこ高いようである。

 

 それにしても……謁見の間でライフルを見たはずだが、何故兵士たちは剣を振っているんだろう。鳳がそんな風に思っていると、

 

「本当に君は、妙なことばかりに興味を示すな」

 

 と、呆れながらも、アイザックが親切に教えてくれた。

 

 曰く、剣を使っているのは神人対策らしい。人間同士ならライフルの撃ち合いが有効なのだが、神人相手に銃撃を当ててもまず死ぬことがないから、位置を特定されるだけ逆に危険であるらしい。

 

 神人はほぼ全員が強力な魔力を持ち、人間は彼らの使う魔法を防ぎようがない。だから人間は、神人に気付かれないようにこっそりと近づいて、彼らが苦手とする銀の切っ先の剣で斬り付けるのが、現在広く伝わる対神人戦術なのだとか。

 

 銀が特攻とは、まるで吸血鬼みたいであるが……それなら銀の弾丸で撃ち抜いたらどうなんだ? と指摘してみたら、もちろんそれでも構わないと返ってきた。だが、何しろ銀だから大量にばら撒くことが出来ない。おまけに、ただでさえ高価なのに、それ故に兵士がちょろまかしてしまうという弊害があり、結果として現在の戦術が取られるようになったそうだ。なんというか、世知辛い世の中である。

 

「しかしまあ、銀の弾丸が有効なことは確かだから、個人レベルでは……例えば暗殺者などには使うのがいるらしいぞ。それはさておき……」

 

 アイザックはコホンと咳払いすると、

 

「ここへは雑談をしに来たわけではあるまい。早速だが君たちの能力を見せてくれ」

 

 待ちきれないとばかりに鳳たちをせっついた。そんなに急かされて期待はずれだったらどうしよう……という不安も拭えなかったが、鳳たちも自分の能力がどんなものなのか、実際のところを知りたかったので、素直に応じることにした。

 

「でも、能力を見せてって言われても、どうしたらいいのかしら? 謁見の間で実演したみたいに、持ってるスキルを使って見せればいいの?」

「まず、勇者様方は、ご自分のステータスを見ることは出来ますでしょうか?」

 

 するとアイザックの背後に控えていた神人たちが、主人の前に一歩踏み出して詳しいことを話し始めた。

 

 ステータスならこの世界に飛ばされて来てからすぐに試していて、あっちの世界と同じような半透明な画面が見えることを確認していた。しかし、そんなのは自分達特有のチート能力だと思っていたが、どうやらこっちの世界の住人も例外なく自分のステータスが見えるらしい。

 

「マジですか?」

「本当です。我々は、神人、人間、帝国、勇者領を問わず、全ての人類がステータスを見ることが可能です。おそらく、魔族もそうなんでしょうが、確認は取れていません。自分のステータスは見れますが、他人のは見れませんからね」

「確かに」

 

 その点は元の世界と同じだった。あっちでも、HPやMPのような簡単なステータスなら確認出来たが、見えるのはそれくらいだった……神人の説明が続く。

 

「ステータスにはSTR(ストレングス)AGI(アジリティ)などの六種の基本ステータスと、レベル、HP/MPなどの可変ステータスがあります。その他にその人の職業や個性などを示すプロパティが表示されているはずなのですが……」

「ええ、確かにその通りよ。私のステータスもそんな感じ」

 

 ジャンヌが頷き返す。

 

「基本ステータスはその人の体力を表す数値で、文字通り基本的には増減しません。尤も、生まれた時と現在とで体格が違うように、成長や訓練などで多少の増減はありますが。平均的な数値は10前後で、人間は大体この数値に収束します。訓練で上がるのは15までと言われてますが、それは本当に一握りの天才だけが到達出来るもので、それ以上の数値は聞いたことがありません。

 

 ところが、我々神人はその数値を軽く超えることが出来ます。神人の平均値は生まれながらにしておよそ15付近で、才能を持ち努力を怠らない貴族には18を超えるものも、しばしば存在すると言われております」

 

 と、目の前の神人が誇らしげに言った。歴史講釈の時には実感出来なかったが、やはり神人と人間にはまだわだかまりがあり、神人は元々が支配者だけあってエリート意識が強いようである。貴族を強調するのも、彼が貴族だからだろうか。

 

 しかし、相手が悪かったようである。自慢げな神人に嫌気が差したか、それともいい加減に説明が長いと感じたか、アイザックがイライラしながら、

 

「それで、君たちのステータスはどんなものなんだ。勇者召喚されたくらいだから、相当なものだと期待しているんだが……」

 

 彼はマッチョでデカいという理由から、ジャンヌの方を見ながら言った。

 

 急に話を向けられたジャンヌはオロオロと戸惑う表情を見せ、出来れば自分のことは避けてほしかったいった感じに、情けない表情で鳳たちの方を振り返った。その様子からして、あまり芳しくない数値なのだろうか? とも思ったが……

 

 やがて彼は諦めたように小さな声で、おずおずとその数値を口にした。

 

「えーっと……その……ストレングスが……23」

「にじゅうさんっっっ!!!!???」

 

 その数値が飛び出してくるまで、鼻高々でふんぞり返っていた神人たちが、目を剥き出しにして叫んだ。

 

「馬鹿なっ!! そんな数値ありえないっ!!」「20超えだなんて、伝説級……いや、精霊級と言っても過言じゃないぞ?!」「信じられん。しかし、彼らは勇者なのだから、あり得るのか……?」「おい、伝説の勇者の数値はいくらだ!? 誰かくわしいものはいないかっ!」

 

 ざわざわとざわつくアイザック達。気がつけば、さっきまで城主が居るにも関わらず訓練を続けていた兵士たちも動きが止まっている。

 

 練兵場のあちこちから、まるでモンスターでも見るような視線が飛んできて、それが突き刺さったジャンヌが中心で小さくなっていた。

 

「もうっ! そんなゴリマッチョでも見るような目で見ないでちょうだい。他の数値は普通なんだから」

 

 そう言って、顔を真っ赤にしながら彼が示してきた数値は、やはりこの世界の常識を遥かに超えたもののようだった。

 

----------------------------

†ジャンヌ☆ダルク†

 

STR 23       DEX 15

AGI 12       VIT 19

INT 10       CHA 15

 

LEVEL 99     EXP/NEXT 0/9999999

HP/MP 3188/191  AC 10  PL 0  PIE 0  SAN 10

JOB PRIEST Lv9

 

PER/ALI GOOD/NEUTRAL   BT A

----------------------------

 

 この他にサブメニューがあって、そこに彼が使えるスキルずらりと並んでいるらしい。

 

 これらの数値はアイザック達、この世界の住人には衝撃的なものだった。彼らはジャンヌから次の数値を聞くたびに口をあんぐりと開けて放心し、最後には顎が地面に着きそうなくらいになっていた。

 

「ね? ストレングス以外は普通の数値でしょう?」

「どこが普通だ! さっきも言っただろうが、普通の人間は15を超えたら天才だ。君は15超えが4つもあるではないかっっ」

 

 たまらずアイザックが大声で叫ぶと、城主の興奮した声に兵士たちが一斉にビクッと体を震わせ、取り繕うように慌てて訓練を再開した。しかし彼らの指揮官である将校たちは好奇心を抑えきれなかったらしく、部下に訓練を続けるように言って、続々とジャンヌの周りに近づいてきた。

 

 こんな大勢の鎧を来た兵士に囲まれる経験などなかなかないので、安全だと分かっていても緊張する。

 

 それにしてもジャンヌの基本ステータスは鳳たちからしてもかなりのものだった。特にSTRとVITの高さは元の世界で脳筋タンクだったからだろうか。INTの低さは馬鹿みたいに見えるが、普通の人間の平均が10だそうだから、他の数値が高すぎるが故のただの錯覚なのだろう。

 

 呆然としている神人たちに対し、ジャンヌが話題を変えようとして、おずおずと質問した。

 

「ところで、基本ステータスってSTRが筋力、AGIが敏捷さ、INTが知力、DEXが器用さ、VITが体力よね? CHAってのは何なの? 見慣れない数値だけど」

「ああ、それはカリスマ……他者に与える影響力のことです。この数値が高いと良い指揮官になれるので、我が国では将校の採用基準に利用しております」

 

 鳳はそれを聞いて驚いた。そんなものが数値として表されてるのも不思議なら、それが基本ステータス……つまり生まれ持っての数値だというのは想像しにくかった。

 

 これは元の世界で例えるなら、政治家やアイドルになるには遺伝子が重要で、見た目や努力は関係ないということになる。実際、二世だらけだったことを思えば、正しいと言えば正しいのかも知れないが、イマイチ受け入れにくい現実だろう。

 

 これが可変ステータスならまだ理解できるのだが……

 

 因みに、その可変ステータスも、ジャンヌのものは、アイザック達からすれば、理解し難いものらしかった。

 

「レベル99だと……? そんな人間が存在するのか?」

「こっちの世界の平均レベルはどうなんです?」

「一般人は10以下が普通だ。我々のような貴族……それから魔物専門のハンターには30超えも珍しくないが……いくらなんでも、99など数百年生きた神人であってもありえないぞ。どうやったらそんなレベルになれるんだ?」

「どうやったって言われても……」

 

 あっちの世界ではこれが普通だったとしか言いようがない。

 

 と言うかレベル補正があるせいで、これ以下ではジャバウォックを倒すのは不可能だったのだ。因みに99はいわゆるカウンターストップであり、経験値が無駄になるから、上限を上げてくれと散々運営にクレームをつけたくらいなので、まさかそんなレベルで驚かれるとは思わなかった。

 

 それよりも鳳たちが気になったのは、レベルの数字よりも寧ろその後で、

 

「ところで、EXP/NEXTってのは現在経験値と次レベルまでの必要経験値だろう? それがゼロってことは……」

「この世界ならレベル100を目指せるってことね。これは嬉しい誤算だわ」

 

 ジャンヌがそう言って喜んでいると、

 

「君たちはまだ上を目指そうというのか……?」

 

 と、アイザックが呆れていた。

 

 ジャンヌはさらに次の質問をぶつけてみた。

 

「ACはアーマークラスよね? 低いほど敵の攻撃を避けやすくなり、ダメージを受けにくくなる……その横のPLというのは?」

「ペイロードですな。例えば、荷物を持ちすぎたり、重い鎧を着ていたら動きが阻害されるでしょう。その阻害される割合です。そうですね……実際に試してみたらどうでしょうか? おい、誰か! 彼に合いそうな武具一式を用意せよ」

 

 神人の男がそう命じると、周りで見ていた将校の一人が敬礼をしてから駆けていき、すぐに鎧一式を持って帰ってきた。ジャンヌの体の大きさからして、そんな彼の体に合うような鎧は見るからに重そうだったが、

 

「……あら? 意外と軽いわ。どうしてかしら」

「見た目通りの重さのはずですが、勇者様はレベル補正が入っているのではないかと。ACやPLはどうなりましたか?」

 

 ジャンヌが自分のステータスを確認すると、先程まで10だったACが7に。PLは1になっていた。

 

「ACは説明の必要はありますまい。PLの1は1%の阻害率という意味で捕らえていただければ問題ないかと」

 

 説明の歯切れがなんとなく悪いのは、PLが100を超えても動くことが出来るからだそうだ。ただ、そんな状況では動くことは出来てもとても戦えないだろうから、戦闘を基準に考えれば、この数値はわりかし意味があるものだそうだ。

 

 因みにPIEはピエティ・信仰心のことで、精霊信仰を持たない白達異世界人がゼロなのは当然だろうとのことだった。それより気になるのは、

 

「ところで、このSANってのは……?」

「それは正気度です」

「おお! マジでSAN値なの!?」

 

 クトゥルフTRPGで使われるマイナーな数値だから、まさかそんなことは無いだろうと思ったが、本当に同じSAN値だと知って鳳たちは驚いた。

 

 SANはサニティ・正気の略で、一定値より下がってしまうと狂気に侵され、行動に制限がかかってしまう。そしてゼロになってしまうと完全に狂ってしまって死亡扱いという、非常にきついペナルティがある数値だった。

 

 もしかして、こっちでも似たような目に遭うのかと尋ねてみたら、

 

「いいえ、SANがゼロになっても死にはしません。その代わり、レベルが下がります」

「レベルが??」

「はい。結構ごっそり持っていかれるので、気をつけねばなりません」

 

 そりゃまた意外ではあったが、ペナルティとしては妥当なところだろうか。ところで、こんな数値があると言うことは、割とよくSANチェックが入るような状況があるのだろうか。

 

「人間の妖術使いがSANを下げる攻撃を仕掛けてきます。防ぐにはこれまた人間の祈祷師が必要なので、厄介極まりないんですよ」

 

 神人はそう言って忌々しそうに舌打ちをした。その様子から察するに、どうやら人間が神人に対抗するための技か何かがあるようだ。妖術とか祈祷とか、銀の装備のこともあるし……この世界で人間は一方的にやられるだけの存在なのかと思っていたが、そう単純な話でもないらしい。

 

「ところで、私の職業なんだけど……プリースト・僧侶ってどういうことなのかしら? 私はあっちでは騎士だったし、回復魔法なんて使えないわよ」

 

 ジャンヌは魔法が一切使えない脳筋タンクだった。一応、騎士の派生ジョブは多少の回復魔法が使えたが、彼自体はそうではなかったし、やはり騎士と僧侶は間違えようもないくらい、対極にある職業だと思うのだが……

 

 そんな風に違和感を感じる鳳たちと違って、こっちの世界の人々はそうは思わない様子で、

 

「我々の世界でプリーストは、神技を使って肉弾戦を得意とする職業です」

 

 と言って、逆に不思議そうな顔をしていた。どうやら僧侶と言っても、モンク僧みたいな扱いらしい。それより気になるのは、

 

「それに、回復魔法……ですか? そんな奇跡を使える者など、この世にはいませんよ」

 

 聞けば、この世界に回復魔法はないらしいのだ。怪我を負ったり病気になった人間は、自然治癒に任せるしかないらしい。魔法を使えるのは神人だけのようだが、その神人は回復力が早く必要なかったので、そういう魔法が生まれなかったのかも知れない。

 

「一応、復活呪文(リザレクション)という神の御業があると言われておりますが……そう言われるだけあって、その使い手はかつて存在したことがありません。じゃあ、なんでそんなものがあるのか? と言われてしまうと、我々も困ってしまうのですが……」

 

 どうも口伝でそう伝わっているだけらしい。もしかしたら、精霊か真祖ソフィアか、その辺の伝説の人物が使えたのかもしれない。それよりも彼らの言葉に、また聞き慣れない言葉が混じっていたので、鳳は尋ねてみることにした。

 

「ところで、その神技(セイクリッドアーツ)ってのは何ですか? 確か謁見の間でも言ってましたよね。AVIRLがハイディングしたとき」

神技(アーツ)は精霊の加護を受けた神人の体術です。剣、槍、斧、弓、体術、様々な武器にそれぞれ特有の技があります。例えば剣なら流し斬りとか、二段斬りとか」

「ああ、俺たちの世界で言うところのスキルのことですか」

 

 元の世界のゲームで言うところの、剣技や体術などのことだろう。例えば剣士なら特定の技を使えば攻撃力が2倍になるとか、波動拳みたいに腕から気弾飛んだりするような、そんなものだ。

 

 剣と魔法の世界ならそういうものもあるだろうと思ったが、神人しか使えないのはどうしてだろう? 何故、人間は使えないのだろうか。

 

「精霊の力を借りているから、人間には不可能なのです。神技を使う術者は、まず精霊への感謝の祈りを捧げ、それから術名を叫ぶと、自然と技が繰り出されるという仕組みになっています。正に、神の奇跡としか言えないから、神技と呼ばれる所以でして……」

「え、なんだって!?」

 

 神人が説明していると、その途中で鳳たちが驚きの声を上げた。その反応にびっくりして目を丸くしている神人に対し、鳳が、

 

「技名を叫ぶと自動で技が発動するんですか?」

「いかにも……勇者様方には心当たりが?」

「あるもなにも……」

 

 自分達があっちの世界で遊んでいたほにゃららのユーザーインターフェースそのものではないか。ゲームはその叫ぶというUIが嫌われたせいで、ユーザーに逃げられ、ついにサ終の憂き目にあってしまったのだ。

 

 因みに鳳たちは特に恥ずかしがらず、臆面もなく技名を叫ぶことが出来たから、だからこそサーバー最強と呼ばれたわけであるが……

 

「こっちの世界も同じシステムなのか。そう言えば、カズヤやAVIRLも自然と技名を叫んでたな」「そうだな。いつもやってたから気にも留めなかったが、たしかに変な話だ」「拙者、精霊なんて信仰してないでやんすよ。そもそもその存在自体知らなかったでやんすし」「だよなあ。今更やっぱりゲームの中でしたなんてことないよな?」「もしそうなら俺は運営に一生ついて行くぞ」

 

 鳳たちが難しい顔でディスカッションしていると、それを見ていたアイザックが、

 

「つまり君たちは、やはり神技が使えるということか?」

「同じ方法で発動しているので、多分そうじゃないかと……一応、試してみたほうが良いでしょうね。ジャンヌ! 適当になんかスキル使って見せてよ」

「いいわよ。何か標的になるものはないかしら?」

 

 ジャンヌがそう言うと、将校の一人が訓練用のダミー人形を持ってきた。丸太に鉄の前掛けみたいな防具をつけたものだ。鉄なんか叩いたら刃こぼれしてしまうので、普通は木刀かなにかを使って訓練するのだろうが、ジャンヌはそんなことお構いなしに、先程貸してもらった鎧一式についてた剣を腰だめに構えて……

 

「これ、居合スキルだから、直剣で使えるかわからないわね」

 

 と前置きしてから、おもむろに腰を下ろし、

 

紫電一閃(しでんいっせん)往葬襲華烈斬刃(おうそうしゅうかれつざんじん)……」

 

 中国人の霊でも乗り移ったかのような漢字だらけの技名を静かに、それでいて誰にでもはっきりと聞こえるように発音した。

 

 すると次の瞬間……

 

 スーッと……彼の姿がかき消え……かと思うと、突然、ゴッ!! っと何かがぶつかる音がして、一陣の風が練兵場に吹き荒れた。

 

 砂埃が舞い、猛烈な勢いで叩きつける風圧に目を細める。

 

 そんな視界不良の中で、ジャンヌはどこへ行った? とその姿を追えば、彼が消える前に立っていた場所とダミー人形を結ぶ延長線上に、抜身の剣を解き放ったジャンヌの姿が見えた。

 

 距離にしておよそ30メートル。そんな距離を一瞬で、瞬間移動でもしたのだろうか? アイザックたちから感嘆のため息が漏れる。

 

 しかし驚くべきはそこではなかった。よく見ればなんと、ダミー人形の上半分が跡形もなく無くなっているではないか。

 

 誰かの「あっ!」っという声に、ハッと空を見上げれば、空中で錐揉みするように舞っている鉄の塊が見える。

 

 それはやがて重力に負けて、一回転、二回転しながら地面へと落下し、ドスン!!っと大きな地響きの音を立てて練兵場に着地した。

 

「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉ~~~~~!!!!」

 

 無残に転がるダミー人形の成れの果てを囲むようにして、兵士たちが歓声を上げた。彼らからしてみれば、鉄の前掛けをつけたダミーを真っ二つにたたっ斬る人間など見たことがなかったのだろう。その直前の瞬間移動といい、人間離れした技はまさに神技(かみわざ)の名にふさわしい。

 

 だが待てしばし、驚くのはまだ、ここでもなかったのだ。

 

 ジャンヌがその力の一端を見せたことに、アイザックは興奮し感嘆の声を上げた。

 

「凄いではないか。これは紛れもなく神技……」

 

 彼は鳳たちに話しかけようとして振り返る。しかしそこに異世界人たちは一人も居なかった。どこへ行ったのか? とその姿を探すと、彼らは何故か練兵場の端っこに退避していて、頭を守りながらこっちの方を見ている。

 

 何をしているんだ? あいつらは……とアイザックが首を捻った時だった。

 

 抜身の剣を構えたまま微動だにしなかったジャンヌの影がゆらりとゆれた。

 

 彼は手首を返すようにして、クイッと手にした剣の刀身を裏返すと、

 

「めくり……」

 

 と小さく呟いた。その瞬間……

 

 ドドドンッ!! っと耳をつんざく音が響いて、地面がグラグラ揺れたかと思うと、突然、ジャンヌが通り過ぎたライン上の地面がめくれ上がって、まるで噴水のように軽やかに土砂が吹き上がった。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 っと、地震のような揺れが練兵場全体に伝わって、立っていられなくなった兵士たちが次々と尻もちをつく。

 

 震源地のすぐ近くに立っていたアイザックは、もちろん堪えきれるはずもなく……間もなく地面に突っ伏すと、彼を守ろうとしてあちこちから将校たちが飛んできた。

 

 その人壁に覆いかぶさられながら見上げた宙には、練兵場の固められた地面の下から飛び出してきた、土や砂や砂利や石やらが、スコールのように土砂降っていた。

 

 ベチベチと土砂が当たるたびに痛い痛いと悲鳴が上がる。そんな地獄絵図の中、震源地の方を見れば、抜身の剣を鞘に戻し、どことなくしっくりこない表情をしながら、

 

「まあ、こんなものかしらね……」

 

 と肩をすくめるジャンヌの姿が見えた。

 

「ハハハハハハハハハッッ!!」

 

 アイザックは思わず笑ってしまった。

 

 たった今見せつけられた神の奇跡を前にして、それでも納得がいかず首を捻っているジャンヌの姿を見て、

 

「これが勇者の力……これが、俺の手にした力なのかっ!!!」

 

 アイザックの哄笑が練兵場に響き渡り、彼の野心的な瞳がキラリと光った。しかし兵士たちも将校たちも、みんな混乱していて、その笑い声を気にする者は誰ひとりとしていなかった。

 



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オレはやんないよ

「やりすぎだ、馬鹿野郎!」

 

 剣を鞘に収めてから振り返ったジャンヌは、飛んできた鳳にポカリと頭を叩かれた。

 

「あいたぁ~! なによ、なんで叩くの??」

「周りを見ろ、周りを」

 

 振り返ったジャンヌは、竜巻が通り過ぎたあとのような無残な光景を見て絶句した。踏み固められた地面は抉れ、その下の粘土層が見えている。練兵場の至るところに砂利が散乱し、兵士たちはみんな泥だらけで、震源地に近いほど腰砕けになっていた。

 

「なにこれ!?」

「おまえの技の爪痕だよ。何の気なしにやったんだろうけど、ここがゲームの中じゃないことを思い出せ」

 

 ジャンヌはそう言われてハッと気づいた。彼の使う技の威力は変わらないように見えても、実際にそれが周囲に及ぼす影響は全然違ったのだ。

 

 例えば、ゲーム内なら地面がえぐれるような攻撃をしたとしても、実際にフィールドに穴が空くようなことはない。同様に、砂煙が舞っても目は痛くならないし、石つぶての雨が降っても誰も傷つかない。それはただのエフェクトなのだ。

 

 ゲーム上では彼が通り過ぎた後に起きる地割れに触れたモンスターもダメージを受けるのだが、そのエフェクトからちょっとでもズレていたらダメージは入らないはずだった。

 

 しかしそれを現実で行ったら、見た目通りの被害が残ってしまうというわけだ。ジャンヌは飛び散った石の破片で血だらけになった兵士たちを目の当たりにして、申し訳無さそうにシュンと項垂れた。

 

「いやはや、凄まじい威力だ! 勇者の力とは大したものだな」

 

 覆いかぶさる兵士たちの山の中から引っ張り出されたアイザックは、そんなジャンヌの肩を叩きながら、気にするなと言った。彼はすこぶる上機嫌で、ジャンヌが見せた神技(アーツ)の威力に満足しているようだった。

 

「でも、練兵場をこんなにしてしまったわ……」

「構わん構わん。こういう時のための練兵場、こんなのどうせ土を被せて踏み固めるだけだ。それよりも、他に神技があるなら見せてくれ。俄然興味が湧いてきたぞ」

 

 ジャンヌはブルブル首を振った。

 

「私はもう十分だわ。代わりに他の人がやってちょうだい」

「あ、それなら俺が……」

 

 それを聞いていた鳳は、嫌がるジャンヌの代わりに今度は自分が試そうと手を上げた。そしておもむろにステータス画面を開いたのであるが……

 

(え!? なんだこれ??)

 

 彼は自分のステータス画面を見て固まった。そこには彼の想定外のものが映っていたのだ。なにかの間違いでは? 自分のステータスを上から下まで何度も何度も見返して、彼は狼狽した。

 

(どうしてこんなことになってるだろう? これじゃ勇者というよりも……)

 

 狼狽えながら、彼は自分のステータスがおかしな理由を、アイザック達に尋ねようとしたのだが、

 

「あ、じゃあ、次は俺が試してもいいか?」

 

 そんな鳳の言葉を遮るように、カズヤが先にアイザックに向かって宣言してしまった。

 

「おお、次は君か。名はカズヤと言ったな。いいだろう、まずはステータスから見せてくれ」

 

 アイザックは嬉々として彼の提案を受け入れ、それ以外はもう眼中にないと言った感じである。今度はどんな凄いものを見せてくれるんだろう……? ジャンヌよりもっと凄いのかな? 期待に輝く彼の瞳を見ていると、鳳は何も言えなくなった。

 

 カズヤはそんなアイザックに向かって、

 

「俺はジャンヌみたいに凄いステータスじゃないみたいですけど」

 

----------------------------

カズヤ

STR 14       DEX 14

AGI 11       VIT 8

INT 19       CHA 18

 

LEVEL 99     EXP/NEXT 0/9999999

HP/MP 1087/999  AC 10  PL 0  PIE 0  SAN 10

JOB LORD Lv9

 

PER/ALI NEUTRAL/LIGHT   BT A

----------------------------

 

 カズヤのステータスはジャンヌみたいに極端に高い数値はなかったものの、それでもこの世界の住人からすると破格なものだった。

 

 特に知力とカリスマは神人であっても屈指の数値で、あっちの世界のゲームでは、パーティーの作戦参謀で補助術士だった彼の特徴をよく表していると言えた。さっきアイザックの部下たちは、カリスマは人を惹きつける度合いを意味していると言っていたから、つまり彼は指揮官に向いているというわけだ。

 

 彼の職業が補助術士ではなく、君主を表すロードであるのも、そういった理由からだろう。ところで、このロードと言う職業は、鳳たちが感じる以上に、この世界の住人からすると特別な響きがあったようである。

 

「な、なんですって!? あなたの職業はロードですとっっ!?」

「え? あ、ああ……そうだけど。ロードだと何かまずいんですか?」

 

 カズヤがロードであることを示唆すると、それまで黙って聞いていたアイザックの部下たちが、突然目を血走らせて食いついてきた。その反応にたじたじになったカズヤが及び腰になりながら返事する。

 

「とんでもございません! ロードとは伝説の職業のこと。全世界……いいえ、全人類の歴史を通じても、数名しか存在しないと言われる非常に稀有な職業なのです。因みに現在、確認されているロードは神聖皇帝ただ一人。実は、皇帝になるための条件の一つが、ロードであることなのですよ」

「そ、そうなの?」

「はい……尤も、皇帝がロードであるというのは、職業詐称なんじゃないかと専らの噂ですけどね」

 

 そう言って不快そうに顔を顰めるのは、彼らが勇者派だからだろうか。そんな神人たちを脇に追いやり、アイザックが待ちきれないといった素振りで続けた。

 

「それよりも、君はどんなことが出来るんだ? もっと詳しく教えてくれ」

「あ、はい。と言っても、俺はジャンヌみたいな派手なのは使えないんですけど。その代わり、スキル……つまり神技(セイクリッドアーツ)と魔法が使えます。謁見の間で見せたエンチャントウェポンとか、ファイヤーボールみたいな」

「なんと! 古代呪文(エンシェントスペル)でも上位とされる、ファイヤーボールを!?」

 

 神人たちが目を丸くして身を乗り出してくる。もはやスポーツ漫画のモブキャラみたいな反応だ。本当にこの世界の支配層なんだろうか……カズヤは首を捻りながら、

 

「上位だって……? 俺らの世界では中級魔法くらいだったんですけどね。俺はこの上のライトニングボルトまで使えます」

「馬鹿な! ライトニングボルトは我々の世界では、最上位に数えられる元素魔法ですぞ!? とても信じられない……」

 

 神人たちは悪夢でも見ているのかといった感じに狼狽していた。きっと、自分達の能力によほどの自信があったのだろう。それが目の前のぽっと出の異世界人に覆されてしまい、相当なショックを受けているようだ。

 

 そんな神人たちを尻目に、カズヤが魔法を披露してみせると、練兵場にいた兵士たちから歓声が上がった。炎、氷、雷、3つの魔法を使い分け、ダミー人形を粉々にして見せた彼は、先程のジャンヌと同じ轍を踏まないように、神技は地味なものを選んだ。

 

「流し斬りっ!」

 

 それをダミー人形ではなく、ゲームの世界ではタンクの役をやっていたジャンヌが体で受けてみると、

 

「いたたたた……流石に痛いけど、怪我をするほどじゃないわね。でもHPがちょっと減ってるみたい」

「さすがジャンヌ、VITお化けだな。ところで、STRはどうなってる?」

「STR? あらやだ……18になってるわ」

「やっぱり。デバフもちゃんと効くんだな。ゲームと同じだ」

「これ、ちゃんと元に戻るのかしら……」

「他にも色々試してみようぜ」

 

 ジャンヌ達のそんなやり取りを兵士たちが呆然と眺めている。流し斬りが完全に入ったのに……と、練兵場のあちこちから聞こえてきた。

 

「そろそろ拙者の技も披露させて欲しいでやんす」

 

 ジャンヌ達がステータス増減効果のあるスキルを試していると、それをうずうずしながら脇で見ていたAVIRLが口を挟んできた。その声に、二人のやり取りを呆然と見ていたアイザックが我を取り戻し、

 

「そ、そうだった。すまんが二人共、今は全員の能力を確認しておきたいのだ。相談は後にしてくれないか」

「すみません」

 

 カズヤ達が謝って引き下がるのを見てから、アイザックはコホンと咳払いし、

 

「えーっと、ではAVIRLよ。今度は君の能力を教えてくれたまえ」

「へい! 拙者のステータスはこの通りでやんす」

 

----------------------------

AVIRL

STR 11       DEX 16

AGI 20       VIT 10

INT 10       CHA 12

 

LEVEL 99     EXP/NEXT 0/9999999

HP/MP 1868/214  AC 5  PL 0  PIE 0  SAN 10

JOB THIEF Lv9

 

PER/ALI NEUTRAL/NEUTRAL   BT A

----------------------------

 

 待ってましたとばかりに元気よく公開しただけあり、AVIRLのステータスもなかなか目を瞠るところがあった。なんと言ってもそのAGIの高さ。20超えは伝説の域だ。更には、盗賊だけあって器用さもかなりのものがあり、その数値は人間の常識を超えている。

 

 極めつけはAC、アーマークラスである。彼一人だけ、何も装備していないのに、はじめから5という数字なのは、もしかして職業補正なのかなと思ったら、こちらの世界にもそんな人間は居ないとのことだった。

 

「これはもしかすると、前の世界の職業補正を引きずってるのかもな。AVIRLは前の世界ではストーカー。アサシンの上位職だったけど、こっちではそんな職業が無いから盗賊になっている。その分、ステータスにボーナスがかかったのかも知れない」

「それじゃチートすぎるんじゃないでやんすかね?」

「異世界召喚されてる時点で非常識だからな。そのくらいのことが起きても不思議じゃないんじゃないか。それより、スキルの方はどうなんだ? 何か変わったところは?」

「見た感じおかしなとこは無いでやんすが……」

 

 アイザックが会話に割り込んできた。

 

「君の神技は謁見の間でも見せて貰ったな。ここにいる神人たちは妖術の類ではないかと疑っていたが、何か心当たりはないのか?」

「そう言われても、神技も妖術も、拙者には馴染みがない名前でやんすからね……拙者の使うスキルは、主に暗殺の技だったでやんす」

「暗殺だと……?」

「実演してみせるのが一番でやんすよ。誰か実験台になってくれでやんす」

 

 AVIRLがそう言うと、アイザック達はうっと息を呑んで口をつぐんだ。暗殺の技と聞かされたのだから当たり前だろう。しかしこのままじゃ埒が明かないと思ったのか、アイザックが部下の神人を名指しし、可哀想な彼は真っ青になりながらAVIRLの前に立った。

 

 AVIRLは苦笑しながら、

 

「そんなに緊張しないでも平気でやんすよ。取り敢えず、そこに立って背中をこっちに向けてくれでやんす……そう……それでいいでやんす。シャドウ・ハイディング!」

 

 AVIRLに言われた神人が背中を向けて立つと、彼は神人の作る影の上に立ち、おもむろに技名を叫んだ。すると突然、その姿が自由落下するかのように、スッと神人の影の中に落ちて見えなくなった。驚いた神人が自分の影をまじまじと見つめていると、

 

「今、拙者は貴殿の影に隠れてるでやんすよ。こうなったら最後、もう決して振り切ることは出来ないでやんすから、試しに少し本気になって逃げようとしてみてくれないでやんすかね?」

 

 自分の影に話しかけられるという稀有な体験を生まれてはじめてした神人は少し面食らっていたようだが、すぐ言われたとおりにその声から逃れようと、練兵場の端っこまで全力で走っていった。

 

 その速さはさすが神人といった感じで、もし仮に姿が見えていたとしても、人間が追いつくのは絶対に不可能というくらいの速度だった。ところが、

 

「バックスタブ!」

 

 練兵場の端っこで、ゼイゼイと肩で息をしている神人の背後に、突然AVIRLが現れてその肩をポンと叩いた。絶対にそっちには居ないと思っていた方向から肩を叩かれ、神人がひゃーっと素っ頓狂な声を上げる。神人のそんな姿など滅多に見れるものじゃない。驚愕の光景を見せられた兵士たちが目を丸くしていた。

 

「こんな感じで、拙者、一度ターゲットにした相手は絶対に逃がすことはないでやんすよ。ハイディングの無敵属性と、バックスタブの不意打ちで、チクチク攻撃するのが得意でやんす」

 

 軽く言っているがとんでもないことである。こんな奴に命を狙われたらひとたまりもない。その場にいた兵士の全員が、その事実に背筋を凍らせていたが、

 

「素晴らしい!」

 

 ただ一人、アイザックだけは上機嫌でそんな言葉を口走った。

 

「君は暗殺の技術だと言うが、これなら護衛の役にも立つのではないか? 君は常に影から護衛対象を守ることが出来る。誰にも悟られず、敵地に潜入することだって可能だ。もし君が私の味方になってくれるなら、こんなに心強いことはない。君は我が国の救世主だ!」

 

 そんな風に手放しで褒められる経験があまりなかったからだろうか。AVIRLはアイザックにそう言われると、デレデレとした笑みを浮かべながら、

 

「拙者も、アイザック殿のお役に立てるならこれ以上嬉しいことはないでやんすよ」

 

 AVIRLはそう言ってアイザックとガッシリと握手を交わした。

 

 お次はリロイ・ジェンキンスの番である。これまで城の者たちの期待を遥かに上回るステータスを見せつけてきた異世界人一行である。さぞかし凄いステータスをしているに違いない。周囲の期待の視線が突き刺さる。そんな中、彼は浮かない表情で、

 

「リロイ・ジェンキンス……」

 

 と弱々しくつぶやきながら、自分のステータスを公開した。

 

----------------------------

リロイ・ジェンキンス

STR 17       DEX 16

AGI 16       VIT 17

INT 10       CHA 11

 

LEVEL 99     EXP/NEXT 0/9999999

HP/MP 2632/100  AC 10  PL 0  PIE 0  SAN10

JOB FIGHTER Lv9

 

PER/ALI NEUTRAL/NEUTRAL   BT B

----------------------------

 

 リロイのステータスは15超えが4種とかなりのものだったが、それまでの仲間たちと比べると若干見劣りするものだった。職業もあっちの世界と同じ戦士で、AVIRLみたいに職業補正が掛かっているとか、特に変わったところは見当たらない。

 

 だからちょっと気が引けたのだろうか。ステータスをみんなに公表するリロイの声は、ほんの少し元気がなかった。ジャンヌはそんな彼の気持ちを察してか、

 

「あらやだ。INT10なんて私と同じじゃない。脳筋だからって、失礼しちゃうわね」

 

 と、気遣うように接していた。リロイも有り難そうに弱々しく笑っていたが、

 

「ななな、なにぃぃぃぃーーっ!!! Blood Type・Bだって!!??」

 

 突然、アイザックの部下の神人たちが大声をあげて飛び上がった。

 

 一日に二度も三度も、神人が取り乱す姿を見れるなんて、思いもよらなかった兵士たちが仰天している。見ればアイザックも険しい表情で眉間に皺を寄せ、リロイの顔を覗き込むようにして、マジマジと見つめていた。

 

 何だこの反応は? と思いつつ、鳳が尋ねた。

 

「そ、そう言えば……PER/ALIとかBTとか流しちゃってたけど、これって何なんですか? BTって、Blood Type? 血液型のこと?」

「変ね。私、A型じゃないわよ?」

 

 ジャンヌの言葉を否定して、神人がブンブンと高速で首を横に振った。

 

「そういう意味ではありません……説明しましょう。まずPER/ALIはパーソナリティとアラインメント。個性と属性です。例えばジャンヌさんはGood/Neutral、善良にして中立、カズヤさんはNeutral/Light、中立にして光属性」

 

 ハクスラ系ではよくあるやつだ。鳳たちはすんなりとそれを受け入れた。

 

「続いてBTとはBloodType、種族のことです。そしてAは人間……Bは神人なのです!!」

 

 まるでお化けでも見ているかのような表情で神人たちはリロイに向かって叫んだ。

 

 鳳はリロイが神人だと言うことに驚きはしたが、今までの流れからそういうこともあるだろうと、大して気にも留めず、

 

「へえ、おまえ、神人だったんだ。ところで、BloodType・Cってなんなんですかね?」

 

 と尋ねてみた。ところが神人たちは彼の言葉など全く耳に入ってこない感じで、

 

「そんな人間いませんよ!」

 

 と一蹴してから、リロイに掴みかからんばかりににじり寄った。

 

「あなた……本当に神人なのですか? 見た目はどう見ても人間にしか見えないのに……確かに、一口に神人と言っても耳の長さは人それぞれ。見た目もバラバラ。ですが、ここまで人間そっくりなのは見たことがありません」

「リロイ・ジェンキンス……」

 

 そんなこと言われても彼にもわけがわからないだろう。リロイは助けを求めるように背後を振り返った。カズヤが彼の言葉を代弁するかのように後を引き継いだ。

 

「そんなこと、こいつに言っても仕方ないですよ。それより、神人かも知れないなら、それを確かめる方法は無いんですか? 例えば、神人にしかない特徴みたいな」

「まずは耳が長いこと。その他には人間と違って古代魔法と神技が使えるという特徴があるのですが……あなた方が冗談みたいにポンポン使った後では説得力がありませんよね。あなた方こそ、本当に人間なのですか?」

 

 神人は非難がましい視線を向けてきたが、ハッと気づいたように目を見開いて、

 

「そうだ。もう一つ、超回復があります」

「超回復?」

 

 とは、筋肉をつけたい時のあれとは違う。

 

「我々、神人は不老非死、それ故に怪我や病気をしてもすぐに治ってしまうという特徴があります。神人を傷つけるには、銀製の武器か、より強大な力で圧倒するしかありません。試しに体の一部を傷つけてみればすぐに分かりますよ」

 

 神人はそう言うと、自分の腰に挿していた短剣を抜いて、リロイに差し出した。彼はその鋭い切っ先を見ながら、

 

「え? 傷つけるってナイフで? やだよ……」

 

 と、いつものロールプレイを忘れて素でそう言った。意外とかわいい声だった。

 

 しかし、そんな彼も衆人環視の下、期待に満ちた視線に晒されていては、いつまでも抵抗することは出来なかった。彼は神人からナイフを受け取ると二の腕をまくり、恐る恐るといった感じに刃の部分を腕に乗せ……スーッと、撫でるように横に引いた。

 

 そんなんじゃ切れないだろうと思いきや、思いの外しっかり手入れがされていたナイフは、彼の腕の上を滑らしただけで見事にその役割を果たした。リロイの顔が苦痛に歪み、腕には赤い線のような血が躙んでいく。ところが……

 

「お?」

 

 彼が傷ついた腕からナイフを離すと、たった今、傷つけたばかりの傷口がピタッと閉じて、あっという間に血が止まってしまった。まさかと思ってその血を拭ってみると、そこには傷一つない綺麗な肌が見えるだけだった。

 

 驚いて2度3度と続けてみても結果は同じだった。だんだん慣れてきたらしい彼が、見てるほうが痛くなるくらい、結構ばっさりと切り刻んでも、その傷はあっという間に塞がった。

 

 鳳たちは感嘆の息を吐いた。まるで不死身の怪物みたいだ。と、その時、カズヤがなにかに気づいたように声を上げた。

 

「そうか! こいつはあっちの世界ではバーサーカー……常に突撃戦法を得意としてきた男だから、もしかしたらそれを再現しているんじゃないか? 回避が得意なAVIRLのACにボーナスがついていたように、いつも敵中にあって攻撃を受けやすいリロイは超回復を手に入れたってわけだ」

「なるほど、言われてみればそうかも知れないでやんすね」

「彼がこっちでもあの戦法を続けるなら、これくらいのチート能力が無ければ通用しないものね」

「え? ……そんなんでいいのか? 君たちはそれで納得するの?」

 

 何しろ異世界召喚なのだ。これくらいのチート能力があっても問題あるまいと、あっさりと受け入れるカズヤ達に対し、こちらの世界の住人であるアイザックは戸惑いを隠せないようだった。

 

 そんな中で、リロイはいくら切り刻んでも傷一つ残らない自分の腕をじっと見つめてから、何かを思いついたように、手にしたナイフを天に掲げながら、突然、猛烈な勢いで練兵場の中心目掛けて駆けていった。

 

「リローーーーイ・ジェンキィィーーーーンスッ!!」

 

 彼が飛び上がって、振りかぶったナイフを振り下ろすと、ドドドンッッ!! ……っとダンプカーでも突っ込できたような衝撃音を立てて、練兵所の地面に嘘みたいなクレーターが出来上がっていた。

 

 ナイフを使ってどうやったらそんな痕が出来るんだと突っ込む間もなく、

 

「地烈斬! ストーンインパクト! 乱れ斬りっ!!!」

 

 彼が次々と繰り出す技の前に、練兵所の地面はまるで幼稚園の砂場のごとく穴だらけにされていった。全方位に向けて次々と繰り出される狂ったような攻撃を前に、兵士たちが驚いて逃げ惑う。見た目はシリコンバレーのオタクのくせに、まさにバーサーカーと呼ぶにふさわしい暴れっぷりだった。

 

「うおおおおおぉぉぉぉーーーー!!!!」

 

 練兵場の中心で雄叫びを上げるリロイ・ジェンキンス。どうやら彼は、自分に与えられたステータス能力が気に入ったようだ。はじめは少しがっかりしていた彼が元気になったのは良いけれども、この練兵場は誰が片付けるのだろうか……

 

「いやはや……ジャンヌも凄かったが、彼の暴れっぷりはそれ以上のものがあるな。見ているだけで恐怖を覚えるくらいだ。しかし、味方だと思えばこれ以上に心強いことはない。きっと彼の子供たちはその能力を受け継いで、強い男に育つだろう」

 

 大暴れするリロイを遠巻きに眺めながら、アイザックは呆然とした表情でそう呟いていた。そう言えば、すっかり忘れてしまっていたが、自分達はこの世界に種馬として召喚されたのだ。

 

 それを思い出した彼らがハッと城の方を見上げてみたら、練兵場を見下ろす窓辺にちょこちょこと動く影が見える。どうやら、城に滞在する女達がこちらの様子を窺っているようだ。

 

 ここで強さをアピール出来れば、セックスだ。

 

 俄然、やる気が出てきたカズヤとAVIRLがこれみよがしに能力を誇示し始めた。すでに練兵場の中央で暴れていたリロイと三人で、つきあわされる兵士たちが可哀想になるくらい大暴れしている。

 

「いやあね。スケベな男たちは。汚らわしいわ」

 

 そんな男たちを軽蔑の眼差しで見つめるジャンヌ。鳳はその横に立って、彼に同調するようにうんうんと頷いた。能力がなんぼのもんだ。男はもっと内面で勝負するべきだ。

 

 鳳がそんなことを考えていると、するとそんな彼に気づいたアイザックが、部下の神人たちを引き連れ近づいてきて、

 

「やれやれ、練兵場を壊されなければ良いのだが。君は彼らと一緒にアピールしなくていいのか……? っと、そうだった。そう言えば、まだ君の能力を教えてもらってなかったな」

 

 アイザックがポンと手を叩きながらそう言った。鳳はギクリと肩を震わせた。

 

「これまでの勇者たちのステータスは、みんな素晴らしいものだった。君はなかなか切れる男のようだし、さぞかし興味深いステータスをしているんだろうな」

「いやいや、自分なんかはそんな……」

「謙遜などしなくていいんだぞ。いや、寧ろ謙遜などされてはこちらの立つ瀬がないではないか」

 

 彼の背後に立っていた神人たちがうんうんと頷く。鳳は口の端っこを引きつらせながら、

 

「いやいや、凄いステータスならもう十分に堪能したでしょう? 俺のちんけなステータスなんかもう見なくってもいいんじゃないですかね」

「何を言ってるんだ? 君は……」

 

 鳳がステータスの公開を渋ると、アイザックはキョトンとした表情で、マジマジと彼の顔を覗き込んできた。鳳はその視線を避けるように顔を背けた。

 

「どうしたの飛鳥。もったいぶることないじゃない。私もあなたのステータスに興味があるわ。アイザック様、彼はあっちでは世界屈指の魔法使いでした。きっと凄いものを見せてくれますわ」

「ほう、それは楽しみだ」

 

 ジャンヌがそう請け合い、アイザックは満足そうに頷いている。

 

 勝手にハードルを上げるんじゃない……鳳は突っ込みたいのをぐっと堪えながら、愛想笑いを浮かべた。そうしたいけど、そうするわけにはいかない。彼は冷や汗をかきながら、どうにかこの場を切り抜けられないものかと思案した。

 

 そう、彼は逃げたかったのだ。ステータスを晒すなどまっぴらごめん。誰にも気づかれずにこの場から去り、出来れば城からも逃げ出してしまいたかった。

 

 しかし、そうは問屋がおろさない。

 

「おおい、どうしたんだ? そんなところにみんなで集まって」「そう言えば、飛鳥氏のステータスはまだ確認してなかったでやんすね」「リロイ・ジェンキンス」

 

 ステータスを公開するように迫られ、鳳がまごついていると、その様子を遠くで眺めていたカズヤ達が戻ってきてしまった。彼らが散々暴れたせいで練兵場はボコボコになり、訓練にならなくなった兵士たちも一緒に集まってくる。

 

 360度、好奇の視線で囲まれてしまった鳳が、ダラダラと冷や汗を垂らす。こうなってしまったら、もう逃げられない。覚悟を決めるしかないだろう。

 

「どうしたのよ、飛鳥。みんな待ってるわ。早く見せなさいよ」

 

 ジャンヌが早くしろとせっつく。

 

 鳳はため息を吐いた。

 

 アイザック、その部下、カズヤにAVIRL、リロイ、そして兵士たちに囲まれた彼は、ついに観念し、ヤケクソになって叫んだ。

 

「わかった! わかったよ……俺のステータスが見たいんだって? ああ、いいだろう。きっとみんな驚くに違いない。これが俺のステータスだ! とくと見やがれっ」

 

----------------------------

鳳白

STR 10       DEX 10

AGI 10       VIT 10

INT 10       CHA 10

 

LEVEL 1     EXP/NEXT 0/100

HP/MP 100/0  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ?

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

----------------------------

 



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Blood Type C

----------------------------

鳳白

STR 10       DEX 10

AGI 10       VIT 10

INT 10       CHA 10

 

LEVEL 1     EXP/NEXT 0/100

HP/MP 100/0  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ?

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

----------------------------

 

 異世界召喚された鳳たちは、ジャンヌを皮切りに次々とそのチート能力を披露していった。彼らのステータスは軒並みこの世界の水準を大きく上回っており、そのステータスが明らかになるたびに、アイザック達は度肝を抜かれた。

 

 ところが、最後に残された(おおとり)(つくも)の番に異変は起きた。これまでの流れからして、さぞかし凄い能力を持っているだろうと期待された鳳であったが、彼が公開したステータスはびっくりするほど惨めなものだったのだ。

 

 ステータス画面は自分にしか見えないため、鳳はそのステータスを口頭で伝えるしかなかった。だから騙そうとすれば騙せたわけだが……彼がその数値の一つ一つを正直に伝えていくと、初めのうちはどよめきと苦笑で応えていた聴衆は、基本ステータスが全て10であることを知らされた瞬間、沈黙に変わった。

 

 続けて可変ステータスのレベル1、更には職業が不明であることを告げられた時、それを聞いていたアイザックの困惑はピークに達したようだった。

 

「おい、君。我々が分からないからって、からかってるんじゃないだろうな?」

 

 沈黙を破ってアイザックが冗談めかした口調でそう言った。白はそうならどんなに良かっただろうかと思いながら、

 

「どうせ騙すんなら良い方に騙しますよ。スキルの一つでも使えたら、そうしたかも知れない」

「君は神技(アーツ)古代呪文(スペル)は使えないのか」

「残念ながら一つも」

「なんてこった……どうして君一人だけ、こんなことになってるんだ?」

 

 アイザックは眉毛をピクピクさせながら、困ったように背後に控える部下たちを振り返った。主人の疑問の視線を受けても、神人たちは自分達に分かるわけがないだろうと言った感じに、黙って首を振った。分かるのであれば、他のメンバーのチート能力にいちいち驚いたりもしなかっただろう。

 

 答えの見えない疑問に場の雰囲気がどんよりと曇る。そんな時、あっと小さな声をあげて、ジャンヌが何かに気づいたように言った。

 

「そうだわ! 飛鳥、あなたこっちに召喚される直前に、別キャラでログインしてなかった? だから私達、最初はあなたが誰かわからなかったんだけど」

「あ! そうだったそうだった! そういや、ソフィアがどうのこうのと掴みかかられて、肝を冷やしたんだった」

 

 カズヤはその時のことを思いだし、ポンと手を打ったあと、すぐにバツが悪そうに顔を背けた。状況が状況だけに何も言うつもりはないが、彼がやったことを水に流したわけじゃない。鳳はギラリと睨むような視線をカズヤに向ける。

 

 しかしそんな恨みがましい顔をしている場合ではない。彼はすぐに気を取り直すと、

 

「確かにそうだ。俺はあの時、ソフィアに会いに行くつもりで、新規キャラクリエイトをしてサーバーに入っていた。そのままだと俺が現実の鳳白だと言うことを信じてもらえないかも知れないと思って……」

「鳳白って、飛鳥の本名なの? あらやだ、源氏名みたい。今度から(しろ)ちゃんって呼んでもいいかしら。つくもより可愛いわ」

「好きに呼べよ。みんなそう呼ぶよ。つーか話が脱線するから、少し黙れ」

 

 鳳が苛立たしげにジャンヌを睨みつけていると、カズヤがなにかに気がついたように続けた。

 

「あー、もしかして、これもゲームを再現しているってことじゃないのか? AVIRLの職業補正や、リロイの超回復みたいに。俺たちのステータスは、あの魔法陣が現れた時に使用していたキャラに合わせてあるんだよ」

「そのせいで、俺はレベル1でこっちに飛ばされたってのか?」

 

 鳳がうんざりした顔でそう嘆くと、カズヤはそんな彼の哀れな姿を見ながら、

 

「あはははははははっ!!」

「何がおかしい!」

 

 突然、他人の不幸を笑い出したカズヤに対して、鳳が激昂して掴みかかる。しかし、高レベルのカズヤに、レベル1の鳳がいくら攻撃したところで、子犬にじゃれつかれてるようなものであった。彼は苦笑交じりに攻撃を捌きながら、

 

「いや、だって、仲間たちがみんなチート能力持って召喚されてるのに、一人だけ無能だなんて、お約束すぎんだろ。どこの主人公だっつーの。おまえ、昔っからそういう美味しいとこ持ってくよな」

「くそが……これが自分のことじゃなきゃ笑ってられたかも知れないが、しかしこれは現実なんだ。俺はこれからどうしたらいいんだ?」

 

 鳳は力が抜けたようにへなへなと地面に両手をついた。いくら攻撃しても一向にダメージを与えられないことに疲れたのもあったが、これから先、どうやって生きていけば良いものか……将来を考えると、どっと肩に重い物がのしかかってくる。

 

 ジャンヌはそんな鳳の肩を叩き、

 

「まあまあ、白ちゃん。そう気を落とさないで。レベル1っていうのは逆に言えば、それだけ伸びしろがあるってことかも知れないわよ」

「そんな慰めいらねえよ。俺はいますぐ使える力が欲しかった」

 

 鳳が涙目で嘆いていると、それまで鳳たちのやり取りを呆然と見守っていたアイザックが話しかけてきた。

 

「つまり、どういうことなんだ……? さっきから、君たちが言っていることがいまいち理解できないんだが」

 

 異世界人の彼らには、ゲームだの別キャラだのログインだの、元の世界の言葉の意味が分からなかったのだろう。鳳は我が事ながら面倒くさくなって投げやりに、

 

「つまり、こいつらは成長しきった最強の姿でこっちに召喚されたのに、俺だけがうっかり生まれたばかりのステータスでこっちに飛ばされちゃったって感じです。生まれたばかりだから、何もかもが低レベルですし、職業も決まってないんですよ」

「君たちの世界には、職業が無い人間なんてものがいるのか……?」

 

 年越し派遣村とかに行ったらボコボコにされそうなセリフが飛び出してきた。鳳は逆にアイザックに尋ねてみた。

 

「そりゃ、普通、生まれたばかりの赤ん坊は職業にも就いてないでしょう? そういや、この世界ではどうやってジョブを決めるんですか?」

「いいや、普通の人間は何らかの職業を持った状態で生まれてくるぞ。戦士の子は戦士、盗賊の子は盗賊と言うだろ」

「なんですって?」

 

 まるで蛙の子は蛙みたいな口ぶりだが、実際、この世界ではそれが常識のようだった。職業選択の自由が存在する鳳たちには信じられない世界だったが、逆にアイザックからすれば、彼らの方が不思議な生き物に見えるのだろう。

 

「それじゃあ、君たちの世界では、職業はどうやって決まるのだ?」

 

 どうと言われると……普通なら学校行って就職活動をして、入社試験を受けて圧迫面接に耐えて……となるのだろうが、多分、アイザックの聞いてる職業はそういうのではなく、ゲーム上の職業のことだろう。

 

 鳳はキャラクリエイトの場面を思い出しながら、アイザックにも分かるように説明しようとしたが、

 

「えーっと、普通はキャラクリした直後にサイコロを振って……出た目の分だけ各ステータスにボーナスを割り振って、そうして決まった初期ステータスで、ある程度の職業が決まるん……ですけど」

 

 ちんぷんかんぷんなアイザックの代わりに、カズヤが食いついてきた。

 

「そうだったそうだった。そんで、強力な職業に就くには、ある程度サイコロを厳選しないといけないんだ。俺はそれで補助術士になった」

「私は騎士になったわ」「拙者は何も考えずに暗殺者にして、後で後悔したでやんすよ」「リロイ・ジェンキンス」

 

 アイザックがぽかんとした表情で言う。

 

「もしかして……まさか君たちは全員、好きに職業を選んだということか? 信じられない」

「いや、信じられない言われても。それが普通でしたから……あ、そうか!」

 

 その時、カズヤがなにかに気づいたように声を上げた。

 

「こいつが無職なのは、ステータスのせいだよ。サイコロボーナスは最低でも5は貰えるようになってたから、オール10なんてステータスは本来あり得ない。最も簡単な戦士になるにもSTRが11以上必要なんだ」

「あー、そういうことか……それじゃあ、俺もどれかのステータスが上がったら?」

「自動的に職業が決まるのかも知れないな。確か15までなら訓練で上げることが出来るんですよね?」

 

 カズヤが確認するようにアイザックの部下たちに尋ねると、彼らは呆気にとられながらも、

 

「は、はい。確かにそうです。ですが上がると言ってもほんの少しですよ?」

「もしかしたら勇者補正で上がりやすいかも知れないし、試してみろよ。無職よりマシだろう」

 

 カズヤにそう勧められ、鳳は渋々頷いた。

 

「やるしかないから、やるけどよ……なんで俺だけこんな目に」「そうふてくされるなよ。上手くステータスを上げれば、狙った職業に就けるかも知れないぞ?」「それはあるかも知れないわね。せっかくだから、白ちゃんも伝説のロードを目指してみたらどうかしら?」「そう上手くいくかなあ?」「わからんが、面白そうだから色々試してみようぜ」「他人事だと思ってよ」「カズヤのステータスの傾向からすると、ロードはSTRとDEX、INTとCHAが高いようね……ねえ、CHAってどうやったら上がるのかしら?」

 

 鳳たちは周りそっちのけで好き勝手に話を続けた。ゲーマー脳に侵されている異世界人の奇行を目の当たりにして絶句していたアイザックは、ようやくハッと我に返った。

 

「君たちは本気で職業は選べると思っているのか?」

「ええまあ。取り敢えずやっとけって感じですけど」

「ふーむ……それは面白そうだな。もし本当にそんな事が出来るというなら、我々も協力を惜しまないぞ。必要なことは何でも相談してくれたまえ」

「ありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げた時、鳳はさっき気になったことを、ふと思い出した。

 

「そう言えば……ステータスのことで一つ聞きたいことあったんですけど」

「なにかね?」

「Aが人間、Bが神人なら、Blood Type Cってなんなんですか? どうして俺だけCなんだろうって、ずっと気になってたんですけど」

「え!?」

 

 するとアイザックと部下の神人全員が、一瞬だけ驚愕の表情を見せた。しかし、彼らはすぐに取り繕ったように平静を装うと、

 

「いいや……そのような人間は聞いたことがない。まさか君はCなのか??」

「え、ええ……そうなんですけど。これって……」

「それは不思議だ。どういうことなのか調べさせよう」

 

 アイザックがそう言って部下に命じると、彼らはお互いに頷きあってから練兵場を出ていった。それまでとは明らかに違う様子に不安になる。顔に出さないようにしているが、何かを隠しているのは間違いない。

 

 尤も、何を隠しているのかは何となく見当がついているのだが……

 

「ところでさあ、おまえの個性と属性ってなんだよ。善良にして闇属性って、どこの中二病だよ。超ウケるんですけど」

 

 鳳とアイザックがお互いに余所余所しい雰囲気で無言のやりとりを続けていると、空気を読まないカズヤがゲラゲラと笑いながらやってきた。個性はともかくとして、この光とか闇の属性の方も、いまいち何なのか分かっていなかった。アイザックに尋ねてみると、

 

「実は、我々にもよく分かっていないのだ。その者が持つ、生まれついての何かとしか言えないな。因みに、闇属性の人間はいくらでも存在するが、神人では見たことがない。その傾向からして、精霊に関係があるのではないかと思われているのだが」

「精霊の加護を受けてるかどうかの違いとか、そんな感じでしょうか? あれ? じゃあ、闇属性は何の加護を受けてるんだ……?」

「さあ、なんだろう」

 

 アイザックも分からないと言った感じに首を振る。カズヤはようやく二人の微妙な雰囲気に気づいたのか、変なことを聞いてしまったかなと、取り繕うような感じで後を続けた。

 

「そうだ。もしかすると、これも職業に関係あるのかもな」

「職業?」

「ああ。闇属性じゃないとなれない職業とかがあるんじゃないか。例えば忍者とか。ハクスラ系のRPGだと、割と定番だろ?」

「忍者! いいでやんすね! 拙者、本当は忍者になりたかったでやんすよ」

 

 その単語にAVIRLが食いついてきた。あっちの世界のゲームには、忍者という職業がなかったから、彼はそれに近い暗殺者を選んだのだそうである。だからもし、こっちの世界で忍者になれるんならなってみたいから、鳳にそれっぽいステータスを目指してくれと頼んできた。

 

 いや、おまえの欲望のために職業を決めるのは冗談じゃないと断っていると、それじゃあ何になりたいのかと詰め寄られ、その後は鳳の職業についての話題になっていった。本当はBloodTypeについて、もっと突っ込んだ話を聞きたかったのだが……

 

 アイザックは涼しい顔をして会話に加わっている。兵士たちは荒らされた練兵場の修復で忙しそうだ。きっと誰に尋ねたところで、もう答えてくれることはないだろう。だから鳳はそれ以上、無理に尋ねることはしなかった。

 

 尤も、聞くまでもなく、何となくそれは分かっていた。これまでに受けてきた歴史講釈では、この世界には3種類の人類が存在して、それぞれ、人間、神人、そして魔族と呼ばれていたはずである。

 

 闇の眷属、魔族……BloodType AでもBでもないなら、考えられるのはこれしか残っていないだろう。おあつらえ向きに彼の属性はDARKと来ている。

 

 これがこの城の住人達にとってどういうことを意味するのか……どうやら鳳は、自分の悲惨なステータス以上に気を配らなければならないことが出来たようだった。

 



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うらやまけしからん

「あー! ちっくしょう! むしゃくしゃすんなあ……」

 

 (おおとり)(つくも)は硬いベッドの上から枕をぶん投げた。それは天井に当たって、バサッと床に落っこちた。しんと静まり返る室内に、モクモクと埃が舞い上がる。この部屋に案内してくれた侍従は、突然の来客で部屋の用意が出来なかったと言い訳をしていたが……それでも普通、こんな埃っぽい部屋に通すだろうか? 鼻がムズムズする。心なしか部屋も狭い感じがするし……

 

 鳳は不貞腐れるように横になると壁を見つめた。

 

 それにしても酷い一日だった。

 

 サービス終了の決まったゲームで遊んでいたら、いつの間にか見知らぬ世界に飛ばされていて、ステータスを確認したらみんなはゲームと同じ最強のままなのに、自分だけレベル1なんて……

 

 あの後、練兵場で鳳のステータスについて話し合っていると、みんな急に思い出したかのように疲れが押し寄せてきて、そのままお開きという流れになったのだ。考えても見れば、あっちの世界でゲームで遊んでいた時すでに深夜だったから、鳳たちはかなり長い時間を起きたまま過ごしていたことになる。相当疲れが溜まっていたのだろう。

 

 その後、案内された食堂で食べ物を口にしたら、おっさんのジャンヌがもう限界といった感じで船を漕ぎ始めてしまい、みんなそれぞれの寝室に案内されたのだ。その際、白だけやたらと待たされたのだが……

 

「まさか……他の連中と差をつけたりしてないだろうなあ?」

 

 つぶやきが、虚しく部屋にこだました。

 

 それにしても、どうしてこんなことになってしまったのだろうか……?

 

 そもそもの切っ掛けは鳳がソフィアに告るつもりで、待ち合わせの場所に行くためにキャラチェンしたことだった。

 

 あっちでレベル1のキャラを作った直後に勇者召喚されてしまい、ソフィアには告れず、仲間には差をつけられて、気がつけば一人だけお荷物扱いだ。こんな状態でこっちの世界に残っても、楽しいことなんて何も無さそうだし、戻れるもんならあっちに戻りたいものだが、アイザックの話ではそれは無理ということだった。

 

 呼び出しておきながら無責任な! と怒ったところで、元に戻してくれるわけじゃないし、生活の面倒も見てくれるというのだから、少なくとも暫くは大人しくしておくしかないのだが……もし本当にあっちの世界に戻れないのだとしたら、これから先どう生きていけばいいのだろうか?

 

 最初は、仮に自分一人だけが無能でも、仲間たちと城で面白おかしく暮らして行きゃ良いやと思いもしたが、最後の最後BloodType Cのステータスを知った直後のアイザック達の様子が気にかかる。鳳の予想では、BloodType Cとは魔族の証。つまり人類の敵かも知れないのだ。それを知られてしまった今、城に長く留まるのは自殺行為かも知れない。かと言って、彼のステータスでは、城を出たところで生きていけるかどうかもわからないのだが……

 

「まいったな。軽く詰んでないか、これ?」

 

 もっと慎重に行動するべきだった。女が抱けるとか言われて浮かれていたが、今となっては後悔しかない。好きな子がいるくせに、まったく何をやっているんだ。

 

 鳳はため息を吐いた。

 

 しかし、あんな美人とジャンジャンセックスして、バリバリ子作りしろなんて言われたら、健全な男であれば浮かれないわけにもいかないだろう。実際のところ、彼女らの姿を見ているだけで、チャームの魔法に掛かったかのように思考が停止してしまうのだ。元々、鳳に女っ気がないのも理由ではあるが、神人の女子というのは何もしてなくても男がそうなってしまうくらい奇跡的な美貌を備えているのだ。

 

 それが熱っぽい視線で舌なめずりしながら、自分のことを孕ませるオスを物色しているのだから、カズヤ達が発情期みたいに必死になってアピールしていたのを笑えないだろう。仮にスキルが使えたら、鳳も同じようなことをしていたに違いない。

 

 実際のところ、あの時、練兵場を見下ろしていた神人たちはどうしたんだろうか。

 

 アイザックの話では、彼女たちはヤル気満々なのだそうだが、本当にあの女神もかくやと言わんばかりの美女たちが忍んでくるというのだろうか。まあ、自分のところには来ないだろうが、もしかしたら今頃、カズヤ達の寝室を訪れて、くんずほぐれつ、めくるめく官能の世界が繰り広げられているのでは……

そう思うとチンチンもギンギンになる……

 

 トントン……

 

 と、その時、部屋のドアがノックされた。

 

 鳳はベッドの上で飛び上がった。

 

 え? なに? こんな時間に一体、誰? 今日はもう疲れてるから、話は明日にしようって、みんな言ってたじゃないか。だから、仲間達がこの部屋に訪ねてくるとは思えない。すると今、ドアの向こう側に居るのは城の人間に違いない。

 

 鳳はパンツに手を突っ込んでちんポジを直すと、引き抜いた手のひらを、クンッ……と一嗅ぎした。ちょっと酸っぱい臭いがする。さっきお風呂で一生懸命洗ったはずなのに。でもこれくらいならセーフだよね……

 

 鳳はドキドキと震える胸を抑えながら、出来るだけ平静を装いつつ、部屋のドアを開いた。

 

「あ! 白ちゃん。見つけた、ここに居たのね。探したわ」

 

 STRが23くらいありそうだ。

 

「チェンジ」

 

 鳳はドアをそっ閉じようとしたが、その膂力の前では無意味であった。

 

******************************

 

「なんだよ。俺もう寝ようと思ってたんだよ。話なら明日聞くよ。帰れよ」

「そんなこと言わずに入れてちょうだい。今わたし部屋に戻れないのよ」

 

 鳳はそんなこと知るもんかとグイグイ、ジャンヌを押し返そうとしたが、精霊をも凌駕すると言われた筋力を前にあっけなく敗れ去った。どすこいどすこいと、逆に部屋の奥まで押し込まれて、勢い壁ドンみたいな格好で覆いかぶさられる。

 

「ひっ! やめてっ! 私に乱暴するつもりでしょう!? ホモ漫画みたいに! ホモ漫画みたいに!」

「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい! 襲ったりなんかしないわよ!」

 

 ジャンヌはプイッとそっぽを向いて、ほっぺたをぷくっと膨らませる可愛い(本人は可愛いと思っている)仕草で抗議した。

 

「寧ろ、私の方が襲われそうだから逃げてきたのよ。匿ってちょうだい」

「ああん? どういうことだよ?」

「それがね……私が部屋で気持ちよく眠ってたら、神人の女がやってきて」

 

 ジャンヌが言うには、神人女が話がある風を装って夜這いに来たらしい。その気がなかったジャンヌがびっくりして拒絶すると、まさか断られるとは思わなかった彼女が激昂し、衛兵が駆けつける騒ぎになってしまった。

 

 それをどうにかこうにか収めたまでは良かったものの、今度は別の女がやってきてジャンヌを誘惑しようとする。また騒がれてはたまらないからと、丁寧に追い返したらまた別の女がやってきて、追い返しても追い返しても次々とやってくる城の女どもを前に、眠気がピークに達していた彼はついに切れ、部屋にバリケードを築き上げると、また別のが来たら撃退してちょうだいと、部屋付きのメイドに断ってからベッドに入ったらしい。ところが……

 

「眠ってたらなんか腰の辺りで変な感じがしてね? 仕方なく起きて確かめたら、私の下半身にメイドがまとわりついているのよ。うっとりとした顔で、さも嬉しいでしょうと言わんばかりの目つきで……私のアレを咥えている姿を見つけた時……私はおぞましさに耐えきれず思いっきり彼女を蹴り飛ばして逃げ出したわっっ!!」

「うらやまけしからん……」

 

 思わず本音が先に出てしまったが、鳳はすぐに言い直した。

 

「そのメイドさん生きてるんだろうな? あっちの世界と違って、今のおまえって歩くダンプカーみたいなもんなんだぞ」

「知らないわよ……ああ、思い出しただけで下半身がムズムズしてくる!」

 

 ジャンヌはパンツに手を突っ込んでちんポジを直すと、引き抜いた手のひらを、クンッ……と一嗅ぎした。

 

「やだ、酸っぱい」

「おい、その手でこの部屋のものに触れるなよ!! 絶対に触れるなよ!!」

 

 鳳に怒鳴られたジャンヌは備え付けの水差しで手を洗った。鳳もなんとなく一緒に手を洗った。

 

「話は分かったよ。おまえが種馬になるのはゴメンだって意思表示をしていたことは、城の連中ならみんな知ってるはずなのにな」

 

 それでも、無理を承知でアプローチしてみようとするだけの魅力がジャンヌには……STR23にはあるのだろう。実際、彼の能力は凄まじく、たった一度しか試技をしてなくても、仲間内で最強なことは誰にでも分かるくらいだった。もし仮にジャンヌと結婚して子供が出来たら家名も安泰だと、貴族である彼女らが考えたとしても、それは仕方ないことかも知れない。

 

 それにしても……なんだか年収のことばかり気にしている婚活おばさんみたいで感じが悪い。昼間見た時はその美しさに圧倒されたが、今はものすごく薄っぺらく感じる。尤も、またあれに目の前に立たれたら、そんなこと考えられなくなってしまうのだろうが……

 

 鳳がそんなことをぼんやり考えていると、

 

「そんなわけで、今晩はここに泊めてちょうだい。部屋に帰っても眠れないから」

「はあ!? おおお、俺はそっちの趣味はないぞ! 断固拒否するっっ!!」

「失礼なっ! 襲ったりなんかしないわよ。私のこと何だと思ってるの!?」

「何って、ホモだけど……」

「ゲイに向かってホモって言わないでちょうだいっ!!」

 

 オカマとホモとゲイの違いって何なんだろう。鳳がジャンヌの勢いに圧されて縮こまっていると、彼はプンプンとほっぺたを膨らませながら、

 

「実際、本当に襲ったりしないわよ。私はその……いわゆるネコの方だから、ノンケを襲ったりなんてしないわ」

「えー……ホントかよ?」

 

 それでも鳳が訝しげな表情を向けると、

 

「私は愛されたいのよ。抱かれたいの。襲うんじゃなくて、寧ろ襲われたいのよ。白ちゃん、あんた私を抱ける? 私のこと見て勃起する? 私のシルクワームにイージスアショア出来るって言うの!?」

「おおお、おぞましいこと言うなよっ! 勃起どころか陥没するわいっ!」

「あなたが聞いてきたんじゃないっ! 男はいつもそうやってオカマを傷つけるのよっ!」

 

 オカマって面倒くせえ……鳳は溜息をつくと投げやりに、

 

「わーった。わーかったよ。ホントに泊めるだけだからな? 襲ってきたら舌かんで死ぬからな? ってかイージスアショアってなんだ」

「しつこいわね。絶対襲ったりしないわよ。もう……それじゃ、私はあっちの部屋で寝るから、おやすみ」

 

 ジャンヌはいつまでも警戒を解かない鳳に対し、ムスッとした顔でそう答えると、クローゼットのドアを開けて中に入っていった。何をやってんだろうと思ったら、すぐに中から出てきて、

 

「なにこれ? クローゼットじゃない。この部屋、一部屋しかないの?」

「当たり前じゃないか。おまえんとこは違うのか?」

「私の部屋は寝室とリビングとクローゼットと、お風呂とトイレと、ついでに淫乱メイドがついてたわ。他のみんなもそうだと思うけど」

「くっ……はっきり差をつけられている」

 

 これで確定した。鳳はこの城の者たちに、完全に警戒されているようだ。それは彼がレベル1だからか。それとも……

 

 さっきも考えたことだが、本気でこの城から脱出する方法を考えておいた方が良いかも知れない。なんなら、今すぐにでも逃げ出した方が良いのでは……

 

 そんなことを考えていると、一部屋しかないことを知って足を伸ばして眠ることを断念したジャンヌが、今日の寝床と決めたソファの上で膝を折り曲げ、愚痴るようにこう言った。

 

「それにしても……この部屋暗すぎるわね。どうして明かりをつけないの?」

「ファンタジー世界に電気があるかよ」

「ランプならそこにあるじゃない」

 

 あるけど火種がないと鳳が言いかけた時だった。ジャンヌはランプと一緒に置かれていた一枚の紙を、ひょいとつまみ上げ、

 

「ティンダー」

 

 彼がそう一言呟くと、突然、つまみ上げた紙に火が灯った。

 

 彼はその火種を使ってランプの芯に火を点けると、キュッキュッと音を立てて風防を閉じた。一連の動きに迷いがなくて見逃してしまいそうだったが、もちろん鳳は仰天した。

 

「何いまの!? おまえ、火魔法も使えたっけ!?」

「まさか。案内されたとき教えてもらわなかったの?」

 

 ジャンヌが言うには、これはこっちの世界のマジックアイテムだそうである。スクロールを手にして呪文を唱えれば、誰でも簡単な魔法が使えるらしい。これはティンダーのスクロールだとかで、どんな家庭にも置いてあるマッチみたいなものだとか。

 

 見た目は赤と青の同心円が描かれたただの紙切れにしか見えないが……

 

 鳳はその紙切れをためつすがめつした後、ジャンヌの真似をして火を点けてみた。発声と共に当然のように燃え広がる火を灰皿に落として、彼はそれが消えるまで呆然と見つめ続けた。

 

 昼間も感じたことだが、この豪奢な城といい、マジックアイテムといい、この世界の技術は思ったよりも確かだ。何のチート能力も持たない異世界人が一人で生きていくのは、想像以上に難しいだろう。この城に滞在している間に、どうにかしてその方法を見つけなければいけないが……

 

 彼が黙って火を見つめていると、ジャンヌがまた愚痴るように呟いた。

 

「本当にファンタジー世界なのよね、ここ。魔法一つとってもこれだもん。きっと、まだ見たことがない冒険が待っているはずよ。それに思いを馳せるとワクワクするけど。でも……あーあー……こんなことなら、もう元の世界に帰りたいわ。あっちだって暮らしにくかったけど、少なくともLGBTに理解はあったもの」

 

 最初はファンタジー世界に召喚されたことをジャンヌも喜んでいたようだったが、その目的が異世界人の繁殖の手伝いだと知って、既に心は離れつつあるようだった。もし、彼が城から逃げ出す手助けをしてくれるなら心強いが……

 

「……俺も同感だが。アイザック達が元の世界には戻れないって言ってたのを覚えているか。多分、本当のことだろう」

「そうねえ……でも、本当に帰る方法が無いのか、探すくらいはしてみてもいいんじゃないかしら」

「そうだな。もし、おまえが本気でその方法を探すっていうなら、俺も協力するよ。出来れば俺も、帰れるものなら帰りたいと思ってるんだ」

「あら? 意外ね。白ちゃんはこっちの方が気に入ってるんだと思ってたけど」

 

 寝転がっていたジャンヌが意外そうにソファから身を乗り出して鳳を仰ぎ見る。彼はベッドの上であぐらをかき、腕組みをしながら言った。

 

「この待遇の差を見ろよ? これって俺だけがレベル1の無能だからだろ。今日明日くらいはなんとかなるが、きっとそのうちここを追い出されるんじゃないかと思ってる」

「そうかしら? たまたま部屋が足りなかったからじゃないの? 明日になったらもっといい部屋に案内してくれるわよ、きっと」

「仮にそうだとしたら、今日は部屋が汚いだけで、淫乱メイドはついてきたはずだろ」

「……確かに」

 

 決して淫乱メイドが居ないことが悔しいわけじゃない。状況確認の際に、一つ一つ可能性を潰していったら、自分にもメイドが付けられていないのは不自然だと、気づいただけである。本当だよ?

 

「それにまあ、冷静になって考えてみるとだな、種馬生活ってもんは言うほど楽しくないんじゃないかって、そう思うようになってきたんだよ。

 

 そりゃ、最初の内はめちゃくちゃ嬉しいだろうし、満たされた気分になるだろうけど、それも毎日となると単にしんどいだけだろう? 美人は3日で飽きるっつーし、別の女を次々抱いたところで、刺激は後になるほど薄れるはずだ。そうなってしまったら、もう作業じゃん。

 

 そんなことを、この城に縛り付けられながら、一生続けなきゃならないなんて、軽く悪夢だぜ。いや、別に、俺だけのけ者だからってディスってるわけじゃないぞ。そこんとこちゃんと分かってくれよな?」

 

 ジャンヌは勢いよく餌に食いつく鳩みたいにブンブンと首を縦に振った。

 

「うんうん、分かるわ! 私もそう思ったのよ。でも、みんなが嬉しそうにしてるとそんなこと言い出せないし……自分だけ城から出てくのも不安だったんだわ。でも、もし出来るなら、城を飛び出して、この世界を旅してみたいわよね。きっと素敵な冒険が待っているはずだわ」

「そうだな、きっとそっちの方が断然楽しいはずだよな。おまえのチート能力だって、ここにいるより活かせるだろうし」

「確かに……そう考えると、いつまでもここにいるのがもったいない気がしてきたわ。早く自立しなきゃ」

「……どうだろう。それなら俺と一緒に城を出ないか? 俺は役立たずかも知れないが、荷物持ちくらいにはなるからさ。俺はあっちの世界で会計と経理を学んでいたから金勘定は得意だぞ。料理だって簡単なものなら作れるぞ。よく口がうまい……ゲフンゲフン、交渉力に長けてるとも言われるし、おまえは安心して冒険だけしてくれてれば良いから」

「本当? ……じゃあ、お願いしちゃおうかな。あなたがついてきてくれたら心強いし、そのほうがずっと楽しそうだわ」

「いいともいいとも」

 

 計画通り……鳳はニヤリとほくそ笑んだ。これで財布と用心棒をゲットだぜ。一人で生きていくのは不可能だが、このオカマがいれば百人力だ。正直、城から出ていっても、どうやって金を稼ぐかが一番の頭痛の種だったが、ジャンヌのチート能力があれば、少なくとも食うには困らないはずだ。

 

 なんならどこぞのドラゴンスレイヤーでも見習って、この辺の盗賊を一掃してみてはどうだろうか。奴らに人権はないそうだから、お宝奪い放題だ。ついでに退治した盗賊を手下にすれば、自分の手駒も増えて一石二鳥だ。そうしたらジャンヌに頼らないでも生きていけるし、ゆくゆくは勢力を拡大してどっかの城を落とすのもいいだろう。

 

 そして王になったらハーレムだ! 美人の姉ちゃん達を侍らして、ジャンジャンバリバリ子作りだ! アイザック達の説が正しければ、自分はともかく、自分の子供達は優秀かも知れないから、生まれてきた子供たちを支配して、世界征服してやろう。胸が躍るぞ、くっくっく……

 

 鳳がだらし無い顔で、そんな邪悪な妄想をしていると、

 

「それじゃあ、共闘が決まったところで、私もそっちのベッドに入れてちょうだい?」

「……は? おまえ、何言ってんの?」

「何って……これから一緒に冒険するんでしょう? そしたらこういうことだってあるわよ。宿代を節約するために、同じ部屋に泊まるんだし。野宿で身を寄せ合って寝ることだって、きっとあるわよ。早く慣れてもらわなきゃ……あたたたたた、ソファなんかで丸まってたせいで、腰が痛いわ」

 

 ジャンヌは鳳の返事を待たずにズリズリと這いずりながら、ベッドによじ登ってきた。仰け反った鳳がベッドから転げ落ちる。

 

「いやいやいや、そういう状況になったんならわかるが、どうして今おまえと同衾せにゃならんのだ!」

「恥ずかしがらないでよ。さっきも言ったでしょ? 私がゲイだからって、別に白ちゃんのことを襲ったりはしないわよ……でももし、白ちゃんが私のことを欲しいっていうなら、構わないけど……ポッ」

 

 ジャンヌは品を作って顔を赤らめた。鳳の全身にポツポツとじん麻疹が現れた。

 

「ポッ! じゃねえよ、ポッじゃ! 冗談じゃないわ! 俺にそんな趣味はねえ!」

「だから、安心して寝なさいよ。私から襲うことはないんだから……ふぁ~あ~……いい加減眠くなってきたわ。それじゃ、私は先に寝るわよ。おやすみ」

 

 ジャンヌはそう言うと、鳳の返事を待たずにさっさと布団にくるまって眠ってしまった。彼が入ってこれるように、ベッドと枕の半分がわざとらしく開けてある。

 

「おい、こら。冗談はよせ。そこは俺の寝床だぞ!?」

「グーグー……」

 

 鳳は眠っているジャンヌの肩をユッサユッサと揺さぶったが、STR23はビクともしないで寝息を立てていた。そんなに寝付きの良い人間などいないから絶対狸寝入りなのだが、もはや何をしてもここを退かないという意思表示だろう。

 

「ちくしょう……」

 

 鳳は涙目になりながら、さっきまでジャンヌが寝そべっていたソファで横になった。ジャンヌが膝を抱えて眠っていたソファは、彼にはぴったりサイズだった。

 

 仰向けになって天井を見上げる。天井の片隅で、蜘蛛の巣が獲物を狙っていた。舞い散る埃が、ランプの炎に炙られ、焦げ臭いにおいがしている。

 

 ジャンヌを誘ったのは、もしかしたら早まったかも知れない。そっちの趣味がない鳳にとって、彼との生活はきっとストレスになるだろう。だが、この部屋のみすぼらしさを見る限り、この城で厄介者として生きていくのも、彼にとっては苦痛に違いなかった。

 

 果たしてどっちが正解なのだろうか……鳳はキュッとお尻の穴をすぼめながら、いつまでも寝付けない夜を過ごすのだった。

 



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ビビりすぎなんだよ

 翌朝、鳳の目の下には立派なクマが出来ていた。

 

 結局、昨晩は隣で寝ているホモに恐れをなして、明け方まで浅い眠りと覚醒を繰り返していた。ついに力尽きて眠りに落ちたのは数刻前だろうが、そんなことともつゆ知らず、先に起きていたジャンヌに、いい加減そろそろ朝食にしようと起こされ、鳳はいやいや体を起こした。

 

 多分、悩みが解消されたからだろう、やけにスッキリした表情のオカマを見ていると顔面パンチしたい衝動に駆られたが、下手にSTR23の不興を買って反撃されたら内臓が飛び出してもおかしくない。

 

 本当に、こいつと城を出ていくという選択肢は正しいんだろうか……? 不安を覚えつつ、フラフラする足取りで部屋を出る。

 

 洗面所がないので洗面器を借りて、井戸の周りでバシャバシャやっていると、急な差し込みがきて、慌ててトイレに駆け込んだ。毎朝のお通じという感じじゃなくて、こっちの世界に来たストレスのせいか、少し下痢気味のようだった。

 

 ゴロゴロ言うお腹を擦りつつ、取り敢えず、お尻に違和感がないか? うんちに血は混じってないかと気にしながら、柔らかいトイレットペーパーで尻を拭いた。どこぞの異世界転生者は紙がないと大騒ぎしたそうだが、この世界ではそんな無様な真似はしなくて済みそうだった。

 

 なにはともあれ、用を足したあとの便器を見ながら、このあとどうしたらいいんだろうかと途方に暮れていたら、メイドさんが澄ました顔でやってきて、おまるを持って去っていった。今、オレのうんちをメイドさんが抱えているという現実が疲れマラを直撃したが、

 

「あ、いたいた、白ちゃん。みんなが待ってるから早くご飯にしましょう」

 

 すれ違いざまにやってきたジャンヌのおかげで事なきを得た。お前が居てよかったという鳳の後を、目をパチクリさせながらジャンヌが続く。

 

 遅い朝食をとってから練兵場に行くと、既に仲間たちがいて、昨日と同じように自分達のスキルをあれこれ試していた。カズヤ、AVIRL、リロイ・ジェンキンス……3人ともどこか清々しい表情をしているのは何故だろう。

 

 彼らは遅れてやってきたゾンビみたいな顔をした鳳を見かけると、すぐに試技を中止して駆け寄ってきた。

 

 カズヤがニヤニヤしながら話しかけてくる。

 

「よう大将、お疲れのようだな」

「まあな」

「昨晩はどうだった?」

「昨晩って?」

「みなまで言わせるなよ。目の下にクマが出来ちゃうくらい……ヤリまくったんだろう?」

 

 ニヤ~っと笑うカズヤの目つきは完全におかめのそれである。何でそんなに上機嫌なんだ? 気がつけばAVIRLとリロイも近寄ってきて、抑えきれないといった感じに、ニヤニヤ笑いを浮かべながら、

 

「いやあ~! 肉壷わっしょいしたら世界が変わるって聞いてたでやんすが……世界……変えちゃったかな、拙者も」「リロイ・ジェンキンス」「神人、あんな貞淑そうに見えて、凄いド淫乱……さすが何百年も生きてるって感じ。搾り取られるかと思った~! で、どうだったんだよ、おまえの方は?」

 

 ああ、そういう……鳳はギリギリと奥歯を噛み締めながら返答した。

 

「なんもねえよ。俺んとこにはマッチョのオカマしか来なかったよ。ちくしょうめ」

「誰がオカマよ、失礼しちゃうわねっ!!」

 

 鳳とジャンヌがギャンギャンといがみ合ってると、神人の部下を引き連れたアイザックが練兵場にやってきた。

 

「勇者諸君! おはよう! 昨日は良く……眠れなかったようだな。はっはっは!」

 

 何がはっはっはっだ。鳳はいきり立った。昨晩、明らかに自分の部屋だけ差別したくせに、よくも涼しい顔をして出てこれたものである。そりゃ、こっちは無能のレベル1かも知れないが、だからって差別されて黙っているわけにもいかないだろう。他の連中はセックスしてるのに! 他の連中はセックスしてるのに!

 

 幸い、ジャンヌと二人で城を出ていく算段はついている。文明人としてこんな野蛮人にコケにされたままでは沽券に関わる。鳳は抗議してやろうと腕まくりしながら、アイザックの前に進み出た。

 

「おお! (おおとり)(つくも)と言ったか。昨日は君のステータスについて話し合っているところで解散したんだったな。今日は昨日出た意見を試してみようと思って、君のために色々と用意してきた」

「……え? 俺のために?」

 

 鳳はちょっと機嫌を直した。

 

「うむ。レベルが低いなら上げちゃえばいいじゃないと言う意見があっただろう。我々も一晩検討した結果、異世界から召喚された勇者ならば、もしかすると我々の想像もつかない現象が起きるかも知れないと考えたのだ」

 

 この領主様は領主様なりに、鳳のことも考えてくれていたようだ。文句を言ってやろうと思っていたが、一応、話だけは聞いてやろうと彼は思い直した。それが文明人というやつである。

 

 鳳が矛を収めて退くと、神人が進み出て話し始めた。

 

「正直に申し上げますと……鳳様のレベルが1ということで、我々もどう接して良いものか悩んでおりました。お城の女性陣に至っては眼中にないといった感じで……ですが、古い文献をあたってみたところ、なんと伝説の勇者様はレベルが200以上あったと書かれていたのです。

 

 もしそれが本当だとすると、現在の勇者様方のレベル99だって通過点でしかなく、レベル1も99も変わらないかも知れないんですよ……もちろん、我々からすれば途方も無い数値なのですけどね。

 

 ともあれ、異世界から召喚された鳳様なら、もしかすると我々の想像を絶するような成長を遂げるかも知れない。そんなわけで、今日は鳳様に経験値稼ぎをしていただこうと、色々と用意してきたのです」

 

 鳳はフンフンと鼻息を鳴らしながら神人たちの言葉に聞き入っていた。そんな彼の様子を見て、不安そうに背後からジャンヌがそっと耳打ちしてきた。

 

「……ねえ、私達、この城から出ていくんじゃなかったの? その話を切り出さなくってもいいのかしら」

「あ、ああ、そうだった。でも、そんなに急がなくたっていいだろう? なんか、俺のレベリング手伝ってくれるって言ってるし」

「そうねえ……レベル上げは私も興味あるけど」

 

 結局、城から出ていったとしても、鳳の経験値稼ぎやステータスアップの方法は探さなきゃならないのだ。そんなわけで今日はアイザックの好意に甘えることにした。ジャンヌはさっさと冒険の旅に出たがっていたが、低レベルの鳳にしてみれば死活問題なのだから我慢してもらう。

 

「それで、具体的に、この世界ではどうしたら経験値が増やせるんですか? 俺たちの世界のゲームでは、そのへん歩いてる雑魚モンスターを倒せばよかったんですけど」

「おそらく、その認識であってます。我々の世界のあちこちに棲息している魔物……これを狩ることで、この世界の人間は経験値が増え、レベルが上っていきます」

 

 そんなとこまでゲームと同じなのか……鳳は本当に不思議な世界だなと思いつつも、やり方が同じなら割とあっさり経験値稼ぎが出来るんじゃないかと安堵した。昔取った杵柄だ。しかし……

 

「それでは早速試してみましょう。今朝、近くの森であらかじめ魔物を捕らえておきました。鳳様には檻の外からそれに止めを刺してもらいます」

 

 そう言って兵士に運ばれてきた檻を前にした瞬間、鳳は自分の考えが甘かったことを思い知らされた。

 

 檻の中にはあっちの世界のゲームでも見たことがあるモンスターが捕らえられていた。ゴブリン……いわゆる子鬼と言うやつで、小さい体に緑色の肌で集団で活動し人間を襲う。特徴的なのは二足歩行の人型で、道具を使うことだ。だが、今目の前にいるゴブリンは何も手にしていない。

 

「さあ、勇者どの、これを……」

 

 鳳が口を半開きにして呆然と檻の中を覗いていると、兵士が近寄ってきて剣を手渡してきた。刃渡りは50~60センチほどで反りは無い。刀身は細く、切るより突くことに特化した剣のようだった。兵士もそのつもりで渡したのだろう。

 

「檻の隙間から突き刺せば、やつは抵抗できません。急所を外すと暴れますから、出来るだけ心臓を狙ってください」

 

 解説どうもありがとう、とでも言ったほうが良いのだろうか。鳳は細剣を手にしたまま、檻の前で呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 額から汗がにじみ出る。手にした剣がやけに重く感じられる。そりゃ、経験値を得るにはモンスターを倒さねばならないのは分かってはいたが、いきなり人型はハードルが高かった。これが表情のない魚類か、せめて鳥類だったらまだ抵抗も少なかっただろうに。

 

 檻の中のゴブリンは、いかにも邪悪な鬼といった容貌で、見ててもあまり憐憫の情は湧いてこなかった。ぶっちゃけ、これと全く同じグラフィックのモンスターを、鳳は元の世界のゲームの中で、何度も倒したことがある。だから、殺れと言われたらやれそうな気もするのだが、どうにも体が動かなかった。

 

 なんというか、いくら現実そっくりでも、ゲームではモンスターを倒すという感覚しかなかったのだが、今目の前のこれは全然違うのだ。命を獲るというプレッシャーが半端ないのである。

 

 鳳がぼーっと突っ立ったまま、いつまでも動かないせいか、周囲に微妙な空気が漂い始めた。アイザックが眉間に皺を寄せて厳しい表情で見つめてくる。兵士たちも何やってんだこいつと呆れた表情だ。鳳はダラダラと流れてくる額の汗を拭って、早くしなきゃと焦り始めた。

 

 と、その時……檻の中のゴブリンが突然暴れだした。鳳が剣を持って突っ立ってるのを見て、いよいよ殺されると悟ったのだろう。ギャアギャア! っと、突然もの凄い叫び声をあげて、狭い檻の中を転げ回り始めた。

 

 ガシャンガシャンと音を立てて檻が揺れた。ゴブリンが鉄格子に体当たりするたびにその肌が裂けて、血が吹き出しているようだった。いくら魔物だって死にたくない感情は同じなのだ。その哀れな姿を見せつけられて、鳳はいよいよ目の前のゴブリンを殺す覚悟を失ってしまった。

 

 しかし彼が臆病風に吹かれ、自分の使命を放棄しようとした、正にその時だった。

 

 ガシャンガシャンとゴブリンがめちゃくちゃに体当たりして、大きな音を立てていた鉄格子の一本が、その時、ガキンッッ!! っと、金属が弾け飛ぶような音を立てて外れた。そして、その隙間をこじ開けるようにして、血走った目をしたゴブリンが檻から飛び出してきたのである。

 

 鳳は驚いて固まった。彼に武器を渡した兵士は、邪魔にならないようにその場から離れてしまっていた。アイザックもその部下も、鳳の仲間たちも、檻の向こう側から遠巻きにこっちを見ている状況だった。

 

 やばい……頭では理解してるのだが、こういう時、どう動けば良いのか皆目見当がつかない。

 

 鳳が恐慌状態に陥りまごついていると、ゴブリンと目があった。魔物はこの窮地を脱するための最初の手段として、剣を手にしたまま何も出来ない臆病な男をターゲットにしたようだった。ギラギラと光る眼光で睨みつけながら、その姿どおりの俊敏な動きで迫ってくる。

 

「ひぃっ!!」

 

 鳳は迫りくるゴブリンに恐れをなして、情けない悲鳴をあげた。殺される! ……という恐怖に全身が硬直し、まるで自分の体じゃないようだった。

 

 ところが……

 

「ギャンッ!!」

 

 鳳とゴブリンが交差した時、次に悲鳴をあげたのはゴブリンの方だった。彼が無意識に突き出した剣が、飛びかかってきた魔物の肩を貫いたのである。

 

 これには、やった本人が一番驚いた。完全にパニクって無防備だったはずなのに、どうやら体が勝手に動いたようなのだ。おそらく、ゲームで似たような修羅場を何度もくぐってきた経験が、功を奏したのだろう。所詮、リアルに似せたゲームとはいえ、訓練にはなっていたようだ。鳳は自分の咄嗟の行動に驚いた。

 

 だが、リアルとゲームが似ていたのはここまでだった。片手に握った剣でゴブリンの全体重を受け切った手首に激痛が走り、鳳は痛みに耐えかねて剣を手放してしまった。

 

「ヒギャアアアアーー!! ギィィィイイイイーーー!!」

 

 剣を肩に突き刺したままのゴブリンが、痛みにのたうち回り恐怖に泣き叫ぶ。しかしそれも束の間、ゴブリンが自分の肩に刺さった剣に気づいた瞬間、その恐怖は怒りへと変わったようだった。

 

 邪悪な子鬼は自分の肩に突き刺さった剣を引き抜くと、射すくめられるような物凄い形相で鳳を睨みつけ、撃ち出される弾丸のようなスピードで彼に飛びかかってきた。

 

 殺られる……!

 

 絶体絶命のピンチを前に、鳳は今度こそ背筋が凍りついた。こっちは徒手空拳で、剣を受けるすべがない。せめて心臓だけでも守らなきゃ! そう思って、咄嗟に自分の腕をクロスさせた時だった。

 

「リローイ・ジェンキィィィーンスッッ!!!」

 

 突然、ドッカン! っと盛大な音を響かせて、さっきまでゴブリンが入っていた檻を吹き飛ばして、リロイ・ジェンキンスが突撃してきた。

 

 少なくとも百キロ以上はありそうな鋼鉄の檻ごとぶつかられたゴブリンは、剣を鳳に突き立てる前に遠くまで弾き飛ばされた。

 

「影縫いっ!」

 

 放物線を描いて飛んでいったゴブリンが、空中のあり得ない場所で、突然ピタッと動きを止めた。まるで杭でも打ち込まれように、垂直に落下するゴブリンに向かって、さらに追撃が加えられる。

 

「ライトニングボルト!」

 

 練兵場にいた全ての人間の目を眩ませながら、カズヤの手にした杖の先から青白い閃光が迸った。

 

 ドンッ!! っと、音を立てて、ゴブリンに雷撃が突き刺さる。オゾン臭の形容し難い臭いと、肉が焼け焦げるような臭いが辺りに充満した。

 

 閃光で脳がくらくらする。眩んだ視界が何とか平常に戻ってくると、鳳の視界の片隅に、炭化した人型の物体が転がっているのが見えた。

 

 鳳はよろめきながらそれに近づくと、炭化した腕が握っていた剣を抜き取ろうとして、その熱さに飛び上がった。きっと避雷針代わりとなってここに雷が直撃したのだろう。根本から変な方向に折れ曲がった刀身が、虹色に煌めいている。

 

「おおい、大丈夫か?」

 

 鳳が呆然とその剣を眺めていると、彼を救った仲間たちが駆け寄ってきた。彼ははっとして振り返ると、その頼もしい仲間たちに向かって深々と頭を下げた。

 

「あ、ありがとう。助かった」

 

 その普段は見せたことがないような殊勝な姿に、仲間たちが目をパチクリさせていた。彼らは照れくさそうに鼻の舌を指でこすると、

 

「おまえ、ビビりすぎなんだよ」

 

 半笑いしながらそういう彼らの言葉に、鳳は何も言い返せなかった。

 

 彼らが助けてくれなかったら死んでいたかも知れない。いや、今自分は確実に死んでいた……彼はその事実に戦慄し、額から吹き出る汗を拭いながら、相手が人型だからといって躊躇っていた自分を恥じた。

 

 ここはもう、かつて鳳たちが住んでいた平和な世界じゃないのだ。殺らなきゃ殺られる世界なのだ。気を引き締めて掛からなければ、いつ死んでもおかしくないのだ……

 

 彼はそう肝に銘じて、もう決して失敗はしないと気を引き締めた。

 

 そのはずだった。

 



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人生には大切なものが3つある…愛と友情だ!

「おまえ、ビビりすぎなんだよ」

 

 カズヤの魔法によって炭化したゴブリンの死体を、呆然見つめていた鳳の下に、仲間たちが駆け寄ってきた。鳳は彼らに改めて礼を言うと、

 

「すまん……どうやら俺は魔物とは言え生き物を殺すことに、思った以上に抵抗感があったみたいだ。でも、もう大丈夫。流石に今ので覚悟が決まったよ。しかしおまえら凄えな。いきなり躊躇なく殺れるなんて」

「そうか? まあ、咄嗟だったし、躊躇してたらお前やばかったし。あんま抵抗感無かったなあ……」

 

 カズヤは褒められたことが照れくさそうにおどけた調子で、

 

「もしかすっと、昨日パツイチ決めたのが効いたのかも知れねえな。女の前で格好悪いとこ見せらんねえからな。ははっ! おまえもさっさとレベル上げて、姉ちゃんに度胸つけてもらえよ」

 

 彼はゲスいニヤケ笑いを浮かべながら、親指と人差指で作った穴に、別の指をスポスポと抜き差ししてみせた。多分、さっきまでなら腹がたったかも知れないが、今は全くそんな気がしなかった。鳳は素直に頷いた。

 

「しかし……分かっちゃいたけど、死体が残るんだな」

 

 鳳の反応が素直なので興が削がれたのか、カズヤは真顔になると、足元に転がっていたまっ黒焦げの死体を前にそうつぶやいた。AVIRLがその横に並んで続ける。

 

「あっちじゃ、単にキラキラしたエフェクトが出るだけだし、臭いもしなかったでやんすからね……そう考えると、エグいでやんすね」

「早く慣れねえとな」

 

 鳳たちが死体を見下ろしながらそんな話をしていると、仲間たちに出遅れたジャンヌが申し訳無さそうな素振りでやってきた。その背後にはアイザックが続いている。

 

「ごめんなさい! 白ちゃん。私、あなたが危ない時に、一歩も動けなかったの。頭では分かっていても、怖くて体が動かなかったわ」

「いや、俺も同じようなもんだから気にするなよ。結果的に助かったんだし」

「それで、君のステータスはどうなったかね。経験値は入ったのか?」

 

 鳳とジャンヌがお互いに傷を舐めあっていると、ほんの少し不機嫌そうな顔つきのアイザックが、急かすような口調でそう聞いてきた。彼からしてみれば、鳳の体たらくは無様すぎて見るに耐えなかったし、最強のはずのジャンヌが、たかがゴブリンごときにビビってしまったことにも失望していたのだろう。

 

 確かに自分でも情けなくて穴があったら入りたいくらいだが、こちとら穢れを知らぬ現代人なのだから、多少忖度して欲しいものである。

 

 ともあれ、彼も言う通り、今は経験値のほうが気になる。鳳はアイザックに頷き返すと、急いでステータスメニューを表示してみた。しかし……

 

「……あれ? 何も変わってないぞ?」

「なんだって? レベルが上がらなかった……とかじゃなくて、経験値も入っていないのか??」

 

 カズヤの問いに鳳が頷く。彼のステータスは、昨日見た通りのまま、何一つ変化していなかった。

 

----------------------------

鳳白

STR 10       DEX 10

AGI 10       VIT 10

INT 10       CHA 10

 

LEVEL 1     EXP/NEXT 0/100

HP/MP 100/0  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ?

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

----------------------------

 

 せめて1でも入ってくれていれば希望も見えてきたのだが、いくら見返しても経験値はゼロのままだった。

 

「どういうことだ。攻撃判定がされなかったんだろうか?」「いや、結構ザックリいってたろ。あれでダメージが入らなかったとは思えない」「もしかして、ファイナルアタックを取らなきゃダメとか?」「最後に攻撃したの誰だよ?」「俺だ」

 

 カズヤが手を上げて、自分のステータスを見てみる。すると……

 

「お、入ってる入ってる経験値。100も入ってるぞ!」

 

 なんだって? 鳳は目を瞬かせた。それだけ入っていたら、自分ならレベルが上っていたはずなのに……そう思ってがっかりしていると、更に追い打ちをかけるような事実が判明した。

 

「あれ? 拙者も経験値入ってるでやんすよ」「リロイ・ジェンキンス」

 

 なんと、とどめを刺したカズヤだけではなく、他の二人にもきっちり経験値が入っていたようである。しかも、二人に割り振られた経験値も100ずつ。別にFAを取ろうが取るまいが、攻撃に参加すれば入っているように思える。

 

「どうして俺だけ入ってないんだろう?」「もしかして……与ダメで入る経験値が変わるとか?」「それなら、拙者も経験値が入ってないはずでやんすよ」「そういやそうだな。しかし、他に何も思いつかないぞ」

 

 鳳たちが額を突き合わせて喧々諤々やっていると、難しそうな表情でそれを見ていたアイザックが割り込んで言った。

 

「ならもう一度やってみたらどうだ? 今度は仲間の手を借りずに。君もこのまま引き下がる気にはなれないだろう? もちろん無理にとは言わないが」

 

 鳳は頷いた。仲間たちに助けてもらった手前、流石にもう城の連中に無様な姿は見せられない。

 

 彼の真剣な眼差しを受けて、アイザックは少し考える素振りを見せた後、あまり期待していないと言った口調で部下に指示を出した。間もなく、兵士がまた別の魔物を入れた檻を運んでくる。

 

「どうやら君は、人型のモンスターを殺すことに抵抗があるようだな。まあ、気持ちはわからなくもない……今度は四足の獣を用意したから、上手くやってくれよ?」

 

 そう言ってアイザックが指し示した檻の中には、今度は牛型の大きな獣が入っていた。これも前の世界のゲームで見たことがある。あっちでは暴れ牛鬼とかそんな名前がついていたが、こっちでは単に牛と呼ばれているらしい。簡単に言えば人面の大型牛である。

 

 檻の中に繋がれた牛は、周囲を人間に囲まれているせいで多少興奮しているようだが、身動きが取れないために比較的大人しく見えた。ゴブリンと違って知恵はないので、これから自分が何をされるかまでは、考えが及ばないのだろう。

 

 これなら死角から狙えば自分でも殺れるんじゃないかと考えていると、牛を連れてきた兵士が渋々と言った感じで、小声で囁いた。

 

「本当はゴブリンみたいな小さい魔物をお勧めしますがね……アイザック様の命令ですからあなたにお任せします。しかし、気をつけてくださいよ。大型獣は力がもの凄いから、失敗したときの危険は、さっきの比ではありません」

「そ、そうですか……肝に銘じます」

「本来なら眉間を一撃し、脳死を狙うんですが……熟練してないと不可能でしょう。だから今回は、横隔膜の下から心臓を狙います。的は大きいんで外す心配はないでしょうが、かなり力が必要です。さっきみたいに躊躇したら必ず失敗します。殺らなきゃ殺られるつもりで、本気でやってください」

「わ、わかりました……」

 

 兵士に何度も念を押されて、流石に冷や汗をかいてきた。さっきまでは無様を晒した名誉回復のことしか考えてなかったが、今はそんな甘い考えなど吹き飛んでしまった。

 

 鳳は兵士から槍を貸してもらうと、手のひらの汗を拭い、緊張を解すように、一度大きく深呼吸した。脳に酸素が運ばれて、パリパリと思考が再起動するような感じがした。どうやら緊張しすぎて呼吸すら忘れていたらしい。

 

 手にした槍は鋭く研がれていて、獲物に刺さらないということはないだろう。とにかくビビるな。可哀想だと思うな。自分は毎日のように肉を食っていたではないか。人類がこうやって肉を手にしてきたことを思えば、そんな考えなど思いつきもしないはずだ。

 

 鳳はそう何度も何度も自分に言い聞かせた。

 

「いいですか? あそこに浮き出ている肋骨の下あたりから、あっちの方に思いきり突いてください。手だけで刺そうとしないで、腰だめに構えて、下半身全体で突くような感じで、思いっきり。絶対に躊躇するなよ!?」

 

 兵士が心配そうに口を酸っぱくして説明してくれる。鳳はその言葉を真剣に受け入れると、気合を入れるためにほっぺたをパチンッと叩いてから、腰だめに構えた槍を渾身の力を込めて思いっきり突き出した。

 

「うおおおおおおおぉぉぉぉぉ~~~~~っっっ!!!」

 

 最初はドンッと壁にぶつかるような感覚がして腕がしびれた。もしかして骨に当たってしまったのだろうか? だが槍を引き抜いているような余裕はない。鳳はここで退いたら殺されるという思いで、力任せに腰に構えた槍を突きあげた。

 

 ズルッと滑るような感覚がして体の奥に槍が到達すると、魔物の体がビクリと震えて、ジタバタともの凄い力で暴れだした。失敗したか!? と血の気が引く思いをしたが、魔物はすぐに大人しくなった。どうやら、絶命の際の反射だったらしい。ドッと地響きを立てて魔物が地面に転がった。

 

 うつろな瞳がじっと鳳の顔を見上げている。もうその瞳に光が差すことはないだろう。彼はぷはぁ~っ! っと止めていた息を吐き出した。ほんの一瞬の出来事だったはずなのに、額から汗が吹き出し、肩で息をしていた。兵士が魔物の死体を確認しながら、今度は肉が取れるぞと嬉しそうな顔を見せた。

 

 そうか、彼はこれを食うつもりなのか。今度はっていうと、もしかしてさっきのゴブリンも食うつもりだったのだろうか。兵士に笑顔を返しながら、それは御免被りたいなと鳳は思った。

 

 鳳よりも大きな魔物の死骸が彼の足元に転がっていた。充足感はまったくなかった。そんなものより、どうして自分は異世界まで来て牛の屠殺をしてるんだろうかと言う、わけのわからない考えが頭を支配していた。と言うか、なんで自分はこんなことをしてるんだ? そう言えば銃があるはずなのに、それで撃つんじゃ駄目だったのか?

 

「それで、今度はどうだ? 経験値は入ったのか?」

 

 そんなアイザックの声が聞こえてきて、鳳はようやく我に返った。そういえばそうだった。自分は経験値稼ぎをしているんだった……いつの間にか頭が、命に感謝して目の前の人面牛を食べるモードに切り替わっていた。いや、それはそれでいいのだけれど。

 

 あとで兵士にこっそり肉を分けてくれと頼んでみよう。そんなことを考えながら、彼は自分のステータスを開いてみた。ところが、

 

「……あ、あれ!? 何も変わってないぞ??」

 

 鳳の言葉に、アイザックと仲間たちの表情が曇る。困惑気味にカズヤが、

 

「見間違いじゃないか? レベルが上ったせいで経験値がゼロってことは?」

「いいや、レベルも相変わらず1のままだ。他のステータスもそのままだし」

 

 何しろオール10だから覚えやすいのだ。しかし、それでは何故経験値は入ってこなかったのだろうか。もしかして、モンスター討伐じゃなくて屠殺っぽかったからだろうか?

 

「いいや。それでも経験値は入るはず、それは兵士たちで確認済みだ」

 

 それを否定するアイザックの目つきがいよいよ厳しくなってきた。やはりこいつはお荷物だと、その目が語っているようだ。自業自得だし、それならそれで構わないのだが……しかし、何をやっても経験値が入らないのだとしたら、結局、城から出ていったあと困ってしまう。

 

 鳳は自分だけに起きている理不尽な現象に頭を悩ませた。そんな彼に同情した仲間たちも、一緒に知恵を絞ってくれる。

 

「もしかして、スキルを使わないと駄目なんじゃ? 拙者たちはスキルを使って攻撃したでやんしょ?」

「そうだな。おい、飛鳥、お前なにかスキルは使えないのか?」

「無理だ。スキルの欄には何もない」

「本当に使えんやつだなあ……何でもいいから職を得て、スキルを覚えてみろよ……って、そうか!」

「どうした」

 

 カズヤが言う。

 

「もしかしておまえがジョブに就いてないのが悪いんじゃないか? ほら、経験値って、ベースレベルの他に、ジョブにも入るだろう。俺たちジョブレベルを上げて新スキルを覚えるわけだし」

「あ、そうか。じゃあ、先に何かのジョブに就けばいいってことか。しかし、職を得るって言っても、どうやりゃいいんだ? ここにはダーマ神殿もギルガメッシュの酒場もないぞ」

「それは昨日も言ってたじゃないか。きっとステータスを上げれば、なれる職業が決まってくるんじゃないかって」

 

 鳳たちがそんな話をしていると、それを周りで見ていたアイザックが、話はまとまったかと言った感じに口を挟んできた。

 

「ふむ、つまり今度はステータスを上げてみようってことだな? しかし、ステータスを上げると言っても一朝一夕では上がらないぞ。特に筋力は、君の体脂肪では半年はかかるだろう」

「うっ……そんなに?」

 

 その口ぶりから察するに、体脂肪を燃やして筋肉をつけろってことだろうか。変なところで現実感を出すのはやめて欲しい。鳳の顔がひきつっていく。しかし、器用さや敏捷さなんてもっと上げにくそうだし、地道に筋トレをしていくしかないのでは……?

 

 彼が絶望感に駆られていると、

 

「しかし、君は元々魔法使いだったんだよな? ならもしかすると、魔力を得ればINTなら簡単に上がるかも知れないぞ」

「え? INTですか?」

 

 INT……つまり知力なんて一番上がりにくそうなのに、アイザックはそれが一番簡単だと言う。どういうことかと詳しく尋ねてみたら、

 

「この世界でINTは魔法の威力に関わってくる。だからだろうか、魔法を使う職業の者は軒並みINTが高い傾向にあるんだ。つまりだ、INTというものは、地頭の良さとはあまり関係がないんだな」

「そ、そうだったんですか……?」

 

 INT19のカズヤが、がっかりというかやっぱりというか、なんとも言えない複雑そうな表情で項垂れた。アイザックは彼に頷き返してから、

 

「まあ、そんなわけか、後々魔法系の職に就くものは、子供の頃から魔力も高く、INTが上がりやすい傾向があるんだ。見たところ、君はまだ魔力に目覚めてないようだが、魔力さえ手に入れれば、案外簡単にINTが上がっていくかも知れない」

 

 なるほど、そんな方法があるなら試してみたい。鳳はアイザックに向かって言った。

 

「しかし、魔力を得ると言っても、具体的にどうしたらいいんですか? 瞑想したり、どっかの山奥で修行したりするんでしょうか?」

「まさか、そんなことしなくてもMPポーションを飲めばいいんだ」

「MPポーション?」

 

 またお手軽ファンタジー物質が出てきて、鳳たちは面食らった。

 

 アイザック曰く、MPポーションとは読んで字の如し、MPが減ったときにそれを回復するためのポーションらしい。ファイナルファンタジーならエーテル、ドラクエならエルフののみぐすりだろうか。もちろん、鳳たちが遊んでいたゲームにも存在し、お手軽回復アイテムとして彼も常備していたものだが……

 

 あれはゲームならではのお手軽アイテムであって、まさか現実に存在するとは思わなかった。同じ魔法職として興味があるのか、カズヤが目を丸くしながらアイザックに尋ねる。

 

「まさか、あるんですか? MPポーション」

「もちろん、あるぞ。君らの世界には無かったのか?」

「いや、あるにはあったんですけど……因みに、それを飲めば俺のMPも回復するんでしょうか?」

「ふむ……試してみるか?」

 

 アイザックがそばに控えていた神人の部下に命じると、彼は腰のベルトに差していた道具入れの中から、青みがかった半透明の瓶を取り出した。中にはドロッとした液体が入っている。

 

 カズヤはそれを受け取ると、流石にいきなり飲む気にはなれなかったのか、一旦、ほんの少しばかり中身を自分の手のひらに注いでみた。色は緑色で、なんとなく青汁っぽい感じの液体である。実際、ぺろりと舐めてみたカズヤの顔が、渋柿でも噛んでしまったように歪んでいたので、相当苦いのは間違いないようだ。

 

 ともあれ、カズヤはそれで飲めなくもないと判断したのか、もう一度クンクンと臭いを嗅いだ後、一気にそれを飲み干した。

 

「まず~い……もういっぱい!」

 

 お約束のセリフに慌てて神人が二本目を差し出すが、彼はそれを断って自分のステータスを確かめてみた。

 

「……本当だ! MPが回復してるぞ」

「本当でやんすか? ならば拙者も」

 

 スキル発動の際にMPを消費したAVIRLが興味を示すと、神人がすぐに新しいポーションを差し出した。やはり飲みにくそうにしていたが、どうにかそれを飲み干した彼がステータスを確認すると、

 

「おお! 拙者のMPも全快したでやんす。なかなか自然回復しないから不安だったでやんすが、これなら技を使い放題でやんすね」

「せっかくだから試し撃ちしてみたらどうか。おい、誰か。この城にあるポーションをありったけもってこい。今朝捕まえた魔物もだ。せっかくだから勇者たちの的にしよう。多少でも経験値になるからな」

 

 アイザックの言葉に、練兵場に詰めていた兵士たちが忙しそうに動き出した。

 

 生きた魔物を的にすると聞くと、魔物とは言え無抵抗の相手を痛めつけるのはゴメンだとジャンヌは嫌がったが、他の三人は割とあっさり受け入れた。先程、ゴブリンを倒したときに経験値が入っていたから、その先が気になっているようである。

 

「ゴブリンで100なら、他の魔物だとどのくらい入るんだろう」「拙者たち、次レベルまで100万でやんすが、狩りの目安にしたいでやんすね」「リロイ・ジェンキンス」

 

 鳳は一頭倒しただけで、心身ともにフラフラになったというのに、仲間たちは気楽なものである。やはり、スキルで簡単に倒せるから、抵抗感が薄れるんだろうか。それが良いとは言えないが、少なくとも今はスキルが使える彼らのことが羨ましかった。

 

 カズヤ達は練兵場の中心に集められた魔物の入った檻を前にすると、始めのうちは鳳と同じように一頭ずつ外から攻撃していたのだが、そのうちまどろっこしくなったのか、アイザックが兵士に命じて中身を練兵場に放つように言いだした。

 

 兵士たちは驚いていたようだが、どんな魔物も一撃で倒してしまう彼らを見ては文句などつけようもない。間もなく、アイザックの命じる通り、連れてきたモンスターが練兵場に解き放たれて、逃げ惑うそれをカズヤ達は面白そうに追い立て始めた。

 

 肉片が飛び散り、血しぶきが舞う。

 

 その凄惨な光景にジャンヌは目を伏せたが、考えても見れば前の世界のゲームの中で、鳳たちが毎日のようにやっていたのは、今目の前に繰り広げられている光景そのものだ。死体が残るか、残らないか。サーバー上のデータか、そうでないか。突き詰めればその違いでしかないのに、どうしてこうも自分達は忌避感を感じるのだろうか。

 

 鳳がそんなことを考えていると、カズヤ達の強さを見て多少気が晴れたのか、ごきげんな様子のアイザックがやってきて、彼に言った。

 

「さて、君の方はまずMPポーションを試してみたまえ。何か変化があるかも知れない」

「はあ……それじゃあ、一つ」

 

 鳳はポーションを受け取ると、カズヤと同じようにまずはその中身を手のひらに垂らしてぺろりと舐めてみた。見た目といい、苦さといい、やはり青汁にそっくりである。実際、何かの薬草を煎じて煮詰めたかどうかしたんじゃないだろうか。まあ、さっき仲間たちが飲んでいたのだから、そんなに警戒しても意味ないだろう。そう思い、彼は思い切って中身を飲み干した。

 

 匂いは青臭く、何というか草っぽかった。独特の苦味があり、少々飲みにくくはあったが、市販の青汁と感覚は似ていたので、特に抵抗感なくスムーズに嚥下できた。口の中に残った苦味を唾液で撹拌していると、なんとなく胃の中がカッカと燃え上がるような感覚がしてきて、鳳は驚いた。そう言えば、カズヤ達は飲んだん瞬間MPが回復していたから、こんな見た目でも即効性の成分が含まれているのだろう。

 

 その成分が魔力とやらを回復してくれるのだろうかと、じーっと効果を待っていたら、胃の中だけだった熱さがだんだんと全身に広がっていくような感じがして、間もなく心臓がバクバクと音を立て始めた。

 

 汗が吹き出て、貧血のような目眩がしてきて、ふらつきながら地面にしゃがむと、遠くの方からジャンヌの大丈夫かと問う声が聞こえた。どうしてそんな遠くの方から囁くような声で喋るんだ? と思ったら、いつの間にかジャンヌはすぐ側で鳳のことを覗き込んでいて、驚いて仰け反ったら、世界がぐるぐると回りだして、かと思ったら、今度は何も見えなくなった。

 

 こりゃやばい……世界がおかしい……というか、自分がおかしくなっていないか?

 

 鳳は足腰に力が入らなくなり、四つん這いになってどうにか姿勢を保とうとしたが、三半規管が馬鹿になってるのか上下の区別もつかなくなっていた。諦めて地面にぺたりと腰を下ろし、打ち上げられた魚みたいにはあはあと息を荒げた。

 

 しかし、それでいて苦しいのか言えば全く逆で、彼は今、言いようの知れぬ高揚感みたいなものを感じていた。思考は驚くほどクリアで、全身の血液が脳に集中しているかのようだった。やがて視界が戻ってくると、世界がスローモーションのように流れて見え、どうやら彼の思考に現実のほうが追いついていないようだった。今ならなんでも出来てしまいそうな、そんな気分だ。

 

 鳳はフラフラとよろめきながら上体を起こした。

 

 見上げる空がものすっごいキラキラしている。

 

 キラキラ……キラキラ……!

 

 神よ、感謝します! ああ、なんてこの世界は美しいのか!

 

 今の俺は無敵だ!

 

「白ちゃん! 白ちゃん、大丈夫!?」

 

 彼の様子がおかしいことに気づいたジャンヌは、彼が地面に倒れ伏した時からずっと、必死になって呼びかけていた。しかし、鳳はゾンビみたいに、視点の定まらない目つきでぼんやりとしながら、碧いうさぎがどうとか、もう恋なんてしないとか妙なことを口走るだけで、まったく要領を得なかった。

 

 そんな彼は突然フラフラと立ち上がったかと思うと、今度は子供みたいにキラキラした瞳で、何もない空中を見つめながら何やらつぶやき始めた。その様子がまるで宗教じみていて……一体、どうしちゃったんだろうと、ジャンヌが不安にかられていると、バツが悪そうな顔をしたアイザックが近づいてきて言った。

 

「これは、魔力酔いをしたな……」

「魔力酔い?」

「うむ……魔力がない者に無理やり魔力を注ぐと、酒で酩酊したようになることがあるのだ。やれやれ、どうやら彼は魔法の才能もなかったらしいな」

「お酒っていうか……完全にラリってるじゃないのよ。彼は元に戻るの?」

「放っておけばそのうちな。しかし、それまでおかしな行動をしたり、暴れたりするから厄介なのだ。おとなしくなるまで、拘束しといたほうがいいだろう。おい、誰か! 彼を取り押さえろ」

 

 アイザックの命令に従って兵士達が鳳を取り押さえようとすると、突然自分の体を押さえつけようとする相手に驚き、大暴れし始めた。見た目からしてひょろい鳳であったが、薬の効果だろうか、どこからそんな力が出てくるんかといった感じの暴れっぷりに、兵士たちもタジタジである。

 

 鳳と兵士たちの格闘は数分続き、これじゃ埒が明かないとジャンヌが焦りだした頃だった。練兵場の中央で、魔物を相手に実践訓練を行っていたカズヤ達の方から大きな爆音が聞こえてきた。

 

 どうやら、一通りスキルを試し終えた彼らが、いよいよ本気になって魔物の群れと戦い始めたらしい。多分、腕試しのつもりだろうが、尋常でない数の魔物に囲まれた仲間たちを見て、ジャンヌは不安に駆られた。

 

 あんなに一度に相手して、彼らは平気なのだろうか? こんなことしてないで、自分も加勢した方が良いんじゃないか?

 

 そう思ったのは、彼だけではなかった。

 

「みんな! 大丈夫か!? こうしちゃいられん!!」

 

 突然、大暴れしていた鳳が大声を上げて立ち止まった。そのすきを見逃さず兵士たちが飛びかかるが、彼は意に介せずそれをかいくぐり、仲間たちの方へ駆けていった。

 

 どうやらカズヤたちが魔物に襲われていると勘違いしたらしき鳳が、加勢しようとしているらしい。唖然としているジャンヌを尻目に、彼はリロイ顔負けの速度で、あっという間に魔物ひしめく戦場へとたどり着いてしまった。

 

「え!? デジャネイロ飛鳥氏!!!?」

 

 徒手空拳の鳳が突然乱入してくるとは思いもよらず、AVIRLが驚きの叫び声をあげた。突撃しようとしていたリロイ・ジェンキンスが彼を避けようとして、明後日の方へ吹き飛んでいった。

 

「バカッ! 避けろっっ!!」

 

 詠唱を完了していたカズヤが必死になって叫ぶ。彼の杖の先からは高温の火の玉が今まさに飛び出そうとしていた。

 

 ゴオオオオオーーーーーッッ!

 

 っと、音を立てて、巨大な火球が迫ってくる。鳳は魔物の群れの真ん中でそれを見ながら、呆然と立ち尽くしていた。

 

 あれ? これヤバいんじゃね?

 

 高温の火球が直撃するのを、鳳はまるで他人事みたいに考えていた。彼もろとも、容赦なく炎が魔物の群れを包み込む。

 

「白ちゃあああーーーーんっっ!!!」

 

 ジャンヌの声が耳に届いたが、それは間もなく聞こえなくなった。鼓膜が破けたか、焼かれてしまったかしたのだろう。

 

 ドカンッ!! っともの凄い衝撃が走り、鳳の体が吹っ飛んだ。高温の火球に焼かれた彼の体は一瞬で真っ黒に焼け焦げながら、錐揉みして笑えるくらい空高く舞い上がった。

 

 半分焼け焦げた彼の体がボトリと落下すると、同じように焼かれた魔物の肉片がパラパラと周囲に散乱した。それが香ばしい匂いを漂わせて、なんとも胃を刺激した。でももう、焼き肉など味わうことは出来ないだろう。何しろ彼の体は真っ黒に焼け焦げていたし、足の関節は逆方向に曲がり、炭化した腕などちぎれ飛んでいたのだ!

 

 どうしてこうなった……

 

 自分は何故こんなことを続けていたんだっけ?

 

 たかが、ゲームのはずなのに……

 

 もはや死を悟り、痛覚が遮断された思考の中で、鳳は考えていた。

 

 本当はただエミリアにもう一度会いたかっただけなのだ。あの時、勇気が持てなかった自分と決別したくて……彼女に許されたくてゲームを始めただけなのだ。サービス終了が決まったあの日、本当なら彼女は待ち合わせ場所に来てくれていたのだろうか。彼女は本当に、この世界にいないのだろうか……

 

 エミリア……彼女にもう一度会いたい。会ったら謝りたいんだ。薄れゆく思考の中で、鳳はただ一心不乱に彼女のことを考え続け……

 

 間もなく闇に落ちていった。

 



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シーキューシーキュー

 灼眼のソフィアこと、本名エミリア・グランチェスターと(おおとり)(つくも)が出会ったのは今から8年前。彼が通っていた小学校に彼女が転校してきたのが切っ掛けだった。

 

 名前の通り、エミリアは外国生まれの外国育ちで、引っ越してきた当初は日本語が喋れなかった。髪の毛は金色で目は青く、まるで絵本の中から飛び出してきた、外国のお姫様みたいな容貌をしていた。黒目黒髪の日本人だらけの学校では、かなり異質な存在だった。

 

 彼女はあっという間に孤立した。話しかけても言葉が通じず、その恵まれた容姿は男子には憧れの的に、女子には嫉妬の対象になった。話し相手は教師しかおらず、当時の彼女の気持ちは想像するしかないが、かなりの孤独感を感じていたことだろう。

 

 ところで鳳白は中国人みたいな名前をしているが、両親ともに歴とした日本人である。ただし、父方の祖母が海外出身であり、鳳はたまたま隔世遺伝で髪の毛がほんの少し明るい色をしていた。だからエミリアは勘違いしたのだろう。ある日の放課後、彼女は彼に英語で話しかけてきたのである。

 

 いつまで経っても学校に馴染めない、彼女にしてみれば藁にもすがる思いだったろう。その切羽詰まった表情を見るだけで、鳳にも彼女の気持ちがヒシヒシと伝わってきた。とは言え、彼は英語なんて喋ったことも無ければ、ローマ字を書くことすら覚束ない。何を言われても、あーとかうーとか返すのが関の山である。間もなく、エミリアは自分の勘違いに気づいたのか、ため息を吐いて背中を向けた。英語が喋れない彼はこれでホッと一安心だ。ところがその時、彼は落胆する彼女の背中を思わず引き止めていたのである。

 

 下心が無かったと言えば嘘になる。だが、それ以上に、なんだかその時の彼女はほっとけなかったのだ。もし今ここで引き止め無ければ、彼女とはもう会えないんじゃないだろうか……なんとなくそんな気がしたのである。実際、この時の彼女は学校生活にだいぶ行き詰まっていて、学校を変えようと思っていたそうである。

 

 そんなこととは露知らず、彼女を引き止めた鳳は辞書を片手に、片言の英語で彼女に話しかけた。一体何の用事だと。すると彼女は暫く沈黙したあと、黙って彼のスマホを指差した。

 

 小学校はスマホの持ち込みが禁止だった。一部の生徒が家庭の事情で持ってくるのは許可されていたが、もちろん鳳はそんなことはなく、ゲームをするためにこっそりと持ち込んでいたのである。きっとそれを見咎められたに違いない。彼はアワアワと言い訳しようとしたが、英語じゃ釈明のしようもなく、あっという間に行き詰まった。

 

 ところが、そんなしどろもどろな彼の姿を見て、エミリアの方も慌てだした。彼女は別にスマホを持ってきた彼を咎めるつもりはなかったのだが、彼が勘違いして慌てていることは分かったので、そうじゃないことを伝えようとしたが、彼同様に言葉が通じないせいでにっちもさっちも行かなくなってしまったのだ。

 

 奇妙なお見合いが数秒続く。

 

 エミリアはとにかく彼の勘違いを解こうとして、何度も何度もスマホを指差した。鳳は鳳で、彼女のジェスチャーを解釈しようとして、何度も何度も、彼女の指差すスマホを見た。

 

 よくあるデザインで、何か特徴があるわけでもない。特に高級でもなく、人に自慢できるような代物でもない。ただ一つ目立った物があるとするなら、落とさないようにストラップを付けていることくらいだ。鳳はそのストラップを見てピンときた。そのストラップの先っぽには、姉が修学旅行で買ってきた、土産の千代紙で出来た小さな折り鶴がついていたのだ。

 

 もしかしてこれだろうか? 外国には折り紙の文化がないから、折り鶴を見ると大変驚くと聞いたことがあった。彼はそれを思い出すと、オーケーオーケーと、一般的な日本人らしい生返事を返しながら、図工で使うために持っていたケント紙を使って鶴の折り方を実演して見せた。

 

 エミリアは別にそんなつもりだったわけではなかったのだが、訂正しようにもそうするだけの語学力もないし、彼が落ちついたようだから別にいいやと、彼が折り鶴を折るに任せていた。

 

 やがて、鶴を折り終えた彼がケント紙を差し出して、お前もやってみろと言っているようなので、エミリアも見様見真似でやってみた。やってみたら意外と難しく、何度も失敗しているうちに、いつの間にか二人は折り鶴を折るのに夢中になっていた。

 

 下校のチャイムが鳴り響き、先生が教室のドアを閉めに来た時、二人は電気もつけずにモクモクと折り鶴を折っていた。なかなか友達が出来なかったエミリアに友達が出来てホッとしたのか、先生は鳳が男の子であるにも関わらず、彼女を家まで送ってあげなさい、友達なんだからと言ってきた。鳳はまさかそんなことを言われるとは思いもよらずドキッとしたが、何となく誇らしい気持ちになって素直にそれに応じた。帰り道、二人はもちろん一言も言葉を交わさなかった。

 

 翌日……放課後になるとエミリアが近づいてきて、禁止されてるはずのスマホをこっそりと鳳に見せた。そこには昨日彼が遊んでいたゲームの画面が映し出されていて、その瞬間、彼は昨日エミリアが何を言おうとしていたのかを悟るのだった。

 

 以来、彼らは先生に見つからないように時間を気にしながら、放課後に対戦ゲームをする仲になった。

 

 彼女はクラスのゲーマーにすぐ馴染んだ。言葉は通じなくてもゲームの面白さは万国共通だからだ。ゲームをやってるうちにどんどん友達は増えていった。そのうち、ネットスラングから派生して日本語もどんどん覚えていった。

 

 そして彼女が日常会話に困らないくらいになった時、しかし彼女は孤立していた。ゲーマーは殆どが男子だったため、彼女は女子から嫌われたのだ。更に時期が悪かった。小学校から中学校に上がると、彼女はますます孤立した。彼女は中学生の男女が意識せずにはいられないほど、どうしようもなく美しかったのだ。

 

 日本人では絶対手に入らない美しいブロンドに、スラリと伸びた手足。彼女がいるせいでカラーコンタクトなどをつけるのが馬鹿らしくなり、ギャル系の先輩たちから何もしてないのに総スカンを食っていた。友達は相変わらずオタクしかいなくて、それが彼女らの怒りに拍車をかけた。

 

 鳳は彼女の友達として色眼鏡で見られるのが嫌だった。彼女のことを意識していたのも確かだったが、それ以上にチャラい系の先輩たちに目をつけられるのが怖かったのだ。中学生は1年と3年では大人と子供くらい体格が違う。そんな連中がエミリアを狙って、鳳に剥き出しの悪意を見せてくるのだ。

 

 そして彼は最大の間違いを犯したのである。ある日、部活の先輩に彼女を紹介してくれと頼まれた。部活の上下関係は厳しく断りづらかった。なにより断ったら何をされるか分からなかった。それに先輩は、ただ彼女と友だちになりたいだけだからと言っていたので、彼はそれを信じてしまった。

 

 ある日の放課後、二人で遊ぶつもりで呼び出されたエミリアは、そこに知らない男がいたことにショックを受けていたようだった。鳳は部活の先輩で悪い人じゃないからと彼女に言った。彼女はそれを黙って聞いていた。先輩はエミリアに執拗に話しかけ、そのうち鳳のことを邪魔者扱いし始めた。彼は空気が読める男だったから、先輩の邪魔をしないように帰った。多分、帰ってなかったら、ひどいことになっていたと思う。

 

 エミリアの悪い噂を聞くようになったのは、それから暫くたってからだった。あれ以来、先輩は鳳のことを露骨に無視するようになっていた。鳳は部活に行きづらくなり、間もなく彼との接点はなくなった。と同時に、エミリアとも接点がなくなってしまっていた。彼は彼女のことが心配だったが、自分から会いに行く勇気が持てなかったし、彼女の方から彼に会いに来ることもついになかった。

 

 気がつけば一学期が終わり、部活もない、エミリアもいない夏休みがただ漫然と過ぎていく……そして二学期が始まった時、エミリアは学校に来なくなっていた。

 

*******************************

 

「ふんぬらばげらっちょっ!!」

 

 意味不明の奇声を発しながら目を覚ました鳳は、手足をばたつかせながら飛び起きようとした弾みで手首を地面に強打し、その痛みのせいで結局また地面に這いつくばった。

 

「つぉぉぉおおお~~~おおぉお~おお~~~……」

 

 うめき声を漏らし、ゴロゴロ地面を転げ回る。ようやく痛みが退いてきたので、涙目になりながら慎重に体を起こそうと地面に腕をついたとき、カサっと音がして、何かが手に触れた。なんだろう? と触れた指先を見てみれば、

 

「……千代紙? なんでこんなもんが、こんなとこに……」

 

 鳳は美しい模様の描かれた和紙を拾い上げて、ためつすがめつしてみた。表には綺麗な模様がプリントされているが、裏は無地のよくある量産品の折り紙のようだった。薄っぺらくて安っぽかったが、それが返って現代技術で作られた工業品のようにも思える。と言うか、多分そうだろう。本当になんでこんものがあるんだろうか? こういうのも場違いな出土品(オーパーツ)というのだろうか? と困惑しながら、鳳は折り紙を半分に折って胸ポケットにしまうと、辺りをぐるりと見回した。

 

 そこはさっきまでいた場所と変わらず、練兵場のど真ん中であった。しかし、何故か周囲に人の気配はなくしんと静まり返っている。焼け焦げた土と衝撃で掘り返された地面が、そこで激しい戦闘が行われていたことを生々しく語っていた。あれだけ沢山いた兵士たちはどこへ行ったのだろうか? 鉄扉で閉じられた練兵場の出入り口の方を見ると、その脇に粉々になった鉄の檻が積み重ねられているのが見えて、鳳はハッと思い出した。

 

「そ、そう言えばさっき、俺は魔法で吹き飛んだんじゃ!?」

 

 気を失う直前に彼に向かって飛んできた火球。その大きさと熱を思い出して、鳳は身震いした。確か、あれが直撃して、自分はひどい怪我を負ったはずだ。

 

 しかし、慌てて体を確かめてみても、彼の体はピンピンしていて、怪我の一つも見当たらなければ、手足もちぎれ飛んだりもしていなかった。洋服もそのままで新品みたいにさっぱりしていて、とてもそんな事故が置きたようには思えなかった。

 

「おっかしいなあ……夢でも見ていたのかな??」

 

 そう言えば、事故が起きる前後の記憶が曖昧だった。あの時、鳳は魔力を得ようとしてMPポーションを飲んでいたのだが……あれを飲んだ直後から、異常なくらい気分が高揚してきて、何でも出来そうな気分になったのだ。体の底からパワーが漲り、なんだか自分じゃなくなったみたいなような気がして、事実、色々とおかしな行動を取っていたように思うのだが、何をやっていたかはよく思い出せなかった。

 

 何かと戦っていたような気もする。落ち窪んでギラついた目をした碧いうさぎが21球でこの支配から卒業したような……なんだそれは?

 

「やっぱ……夢だったか??」

 

 自分としては確かに、カズヤの魔法を食らって手足が吹き飛んじゃったような気がするのだが、荒唐無稽な幻覚と混ざってしまって、どっちが本当の記憶なのか、よくわからなくなってしまった。

 

 鳳はため息を吐くと、自分に言い聞かせた。少し、冷静になろう。

 

 普通に考えて、こんな何もない場所に怪我人を放置したままはあり得ないだろう。アイザックは、無能の鳳にもう期待をしていなかったようだが、いくら彼でも怪我の治療くらいはするはずだ。もしそうしなければ、少なくともジャンヌは怒るだろうし、カズヤたちへの印象も悪くなる。

 

 とすると、さっきまでのあれは全部夢で、鳳は練兵場のど真ん中でぐーすかいびきを立てていたことになる。しかし、それはそれで妙な話だった。朝、仲間たちがこの練兵場に集まった時、ここには兵士たちが沢山いたはずだ。もし、鳳がそのど真ん中で寝転がっていたら邪魔で仕方ないだろうから、せめて端っこに避けるくらいはするだろう。

 

 一体、どこからが夢で、どこまでが現実なのだ?

 

 彼は首を捻って空を見上げた。セピア色に見えるのは、黄昏時だからだろうか? だとしたら、朝この場所に来てから半日が過ぎたことになる。いくらなんでも、そんなに長い間、誰にも見咎められずに、こんなだだっ広い場所のど真ん中で、ずっと寝ていられるとは思えない。

 

 というか、今は何時頃なんだろう? そう思って鳳はステータス画面を開いた。

 

「お、おや~……?」

 

----------------------------

鳳白

STR 10       DEX 10

AGI 10       VIT 10

INT 10       CHA 10

 

LEVEL 2     EXP/NEXT 0/200

HP/MP 100/0  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ?

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

 

PARTY - EXP 100

鳳白          ↑LVUP

†ジャンヌ☆ダルク†  ↑LVUP

----------------------------

 

 鳳は自分の目をゴシゴシと擦った。彼がステータスを何げなく開いたのは、つい、前の世界の習慣で、画面に表示される時刻を見ようとしたからだったのだが……もちろん、こっちでは現在時刻など調べられなかったのだが、その代わりに、彼は別のものを見つけてしまった。

 

 まず目についたのはステータスの最下段に、PARTYという項目が追加していることだった。メンバーは自分とジャンヌの二人。ついでにEXPという文字が見えるのは、パーティーにもレベルがあるとかそんな意味だろうか?

 

 そして一見するとステータスに変化がないから見逃してしまいそうになるが、よく見ると自分のレベルが2になっていることにも彼は驚いた。何をやっても経験値が入らなかったのに、一体どのタイミングでレベルが上ったのだろうか? 尤も、レベルが上ったところで、ステータスが上がったわけでもないようなので、どうでもいいといえばどうでもいいのであるが……

 

 それより気になるのは、パーティー欄の名前の横に見える『↑LVUP』だ。自分だけじゃなくて、ジャンヌにもついている。これは彼らがレベルアップをしたという意味だろうか? それともこれをボタンみたいに押せばレベルが上がるということだろうか? 下手にいじると取り返しがつかないことが起きるかも知れないから、まだ押さないでおくが、非常に気になるところだ……

 

 ともあれ、パーティーという概念が追加されたことには身に覚えがあった。これは推測であるが、昨晩、二人でこの城を出ていこうと話し合ったことで、パーティーが結成されたのではなかろうか。それを裏付けるように、カズヤ、AVIRL、リロイ・ジェンキンスの名前は見当たらない。もし、彼らにも城を出ていこうと誘ってみて、その話に乗ったとしたら、ここに表示されるんじゃないだろうか。

 

 ところで、こっちの世界に飛ばされた興奮やなんかで、すっかりその存在自体を忘れてしまっていたが、元の世界のゲームではパーティーで行動するのが常だった。ステータスを表示するメニュー画面から、パーティーやフレンドの検索が出来るのは当たり前で、初心者はパーティーを結成して高レベルプレイヤーに引率してもらうのがレベルアップの近道だった。

 

 なのに、鳳がレベルアップをしようとした時、アイザックがパーティーを組めと勧めなかったのはおかしな話ではないか。レベル1の鳳が死にそうになりながら牛を屠殺するよりも、高レベルの仲間に魔物を倒してもらった方が、遥かに簡単なのは誰だって分かるはずだ。

 

 ところが、そうしなかったのは、もしかして、こっちの世界にパーティーという概念がないからではないか?

 

 と言うか、恐らくそうなんだろう。何故なら、パーティー機能は便利すぎるからだ。経験値の共有はもちろん、ログインしている仲間の居場所はすぐ分かるし、遠く離れていてもパーティーチャットで会話も出来てしまう。もしこんなのが現実に使えたら、今頃人類はテレパシーで会話をし、お金持ちは傭兵を雇って、自分のレベル上げを肩代わりさせているはずだ。少なくとも、アイザック達にそんな素振りは見えなかった。

 

 だからきっと鳳のステータス画面に映るこのパーティーリストも、おそらくはただの見せかけだけで、意味のないものなのだろう。

 

 彼はそう考え、何となくジャンヌの名前を指で差しながら、いつもあっちの世界でやっていたようにパーティーチャットで話しかけてみた。

 

「えーっと、シーキューシーキュー……聞こえるか? ジャンヌ」

『え!? 誰……? 誰なの!?』

 

 ところが、意に反して、返事はあっさりと返ってきた。鳳はびっくりして目をぱちくりさせながら、

 

「あ、あれ……? マジ、聞こえるの?」

『幻聴……? 変ね。私、疲れてるのかしら』

「いや、幻聴じゃないぞ。俺だよオレオレ、孫のたかし」

『まだ孫がいるような年齢じゃないわよっ!! ……って、白ちゃん?』

「ああ。なんか気がついたら周囲に誰もいなくなってたんだけど。みんなどうしたの。つか、おまえ今どこ居るの?」

『それはこっちのセリフよっっっっ!!!!!!』

 

 耳がキンキンとなった。鳳としては何の気無しに尋ねたつもりだったが、どうやらあちらでは何か大変なことでもあったらしい。突然の大声に目を白黒させながら、

 

「い、いきなり怒鳴るなよ! びっくりしたじゃねえか……」

『びっくりしたのはこっちの方よ。とにかく、あなた今どこにいるの? っていうか、私達どうやって話してるの、これ?』

「どこって、まだ練兵場にいるよ。どうやってってのは、パーティーチャットだけど。そうそう、なんかこれ、使えるらしいぞ?」

『パーティー……チャット? 練兵場……って……そんなわけ……私達も練兵……だけど……』

「あん? なんか聞き取りづらいんだけど」

『本当……どこ!? ……私達は練兵場に……白ちゃん……』

「おーい、ジャンヌ~?」

 

 それきりジャンヌの声は聞こえなくなってしまった。

 

「どうしたんだろ……磁気嵐でも通り過ぎたのかねえ」

 

 最後に聞こえたジャンヌの声はぶつ切れで、何というか電波が届かなくなった時の携帯電話みたいな感じだった。もちろん、携帯の基地局なんかがあるわけがないので、他に理由はあるのだろうが……いくら考えてもそんなものは何も思い浮かばなかった。

 

 取り敢えず気になることは、

 

「あいつ最後に妙なこと言ってたよな。自分らも練兵場に居るって……練兵場って……ここのことだよなあ?」

 

 鳳の知らない第2練兵場とか、第3練兵場とかがあるならともかく、そんなことはないだろう。では、どうして彼はそんなあり得ないことを口走ったのだろうか?

 

 鳳はじっと空を見上げた。

 

 あり得ないといえば、こんなセピアセピアした空の色もなんだか様子がおかしいような……黄昏時と言えばそれっぽいが、何かが足りないような違和感を感じる。なんとなく、写真を見ているようなのっぺりとした感じを受けるのだ。

 

 それがどうしてだろうと考えているときに、ようやくその理由に気づいた。グラデーションが無いのだ。普通、夕暮れ時なら西の空が明るく東の空が暗い。真上を見上げたら丁度その中間と言った感じに、徐々に空の色が変わっていくはずだ。ところが今の空はセピア一色でそれがない。

 

 そう思って見てみると、おかしなことは他にもあった。夕暮れ時なら星の1つくらい見えてもいいのに、まったく見えない。もちろん、月や雲ひとつ見当たらない。さっきからやけにしんと静まり返っていると思っていたが、そうして意識してみたら驚くほど風が凪いでいるのが分かる。

 

 人の気配がしないのは練兵場だけではなく、ここから見える城の廊下もそうだった。普通なら一人二人は歩いているはずだろう。そう言えば、城の外は城下町に繋がっているはずなのに、街の喧騒すら聞こえなかった。

 

 これはいくらなんでもおかしいんじゃないか。

 

 鳳はようやく、自分の置かれた立場に緊張感を持った。どうやら自分はおかしなことに巻き込まれているらしい。

 

 しかし、おかしいと言えば異世界召喚されたこと自体がおかしいのだ。今更この程度のことでいちいち驚いてもいられないだろう。鳳もジャンヌも同じ練兵場にいるというなら、ここは次元が違うか、タイムスリップでもしたのか、もしかしたら本当に夢の中かも知れない。何が起きたかはわからないが、少なくともこの場でぼーっとしていても、原因は見つからないだろう。

 

 取り敢えずやれることは1つ。ここから元の場所に戻る方法を探すことだ。彼はそう結論づけると、まずは練兵場を出て城の中へと入ってみることにした。

 



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人間一人を呼び出すための代償とはなにか?

 練兵場の重い鉄扉を押し開けて、藤棚のある狭い通路へと歩み出た。物理的に開くということは、少なくとも時間が止まってるということは無いのだろう。鳳は通路に落ちていた、いい感じの木の棒を拾い上げると、カンカンとわざと音を立てながら、城の大広間に続く勝手口に向かった。

 

 城の中央にある吹き抜けの大広間は、最初に通ったときにはその壮大さと美麗さに目を見張ったが、今はただただ不気味にしか思えなかった。理由は単純明快、照明がひとつも灯っていないからだ。

 

 広間の中央には天井から巨大なシャンデリアがかけられており、壁にはいくつもの装飾を施した燭台が飾られていた。本来ならその全てにろうそくが灯り、光が乱反射する美しい光景が広がっているはずなのだが、今は返ってその美しさが、言いようの知れぬ寂寥感のようなものを醸し出していて薄気味悪かった。

 

 何と言うか、打ち捨てられた廃墟のような感じである。人が居なくなって何百年も経っているような、そんな感じだ。なまじ、ついさっきまで、ここで人が行き交う光景を見ていたから尚更だった。みんなどこへ行ってしまったのだろうか。

 

「誰か、居ませんか~……」

 

 返事は返ってこない。もちろん、期待していたわけではないのだが、妙な焦りを感じるのは何故だろう。城の奥は薄暗すぎて、足を踏み入れるのを躊躇するレベルだった。所々に置かれている装飾品が今にも動きそうで、何というか、テレビゲームの裏ステージにでも入ったような気分になった。

 

 どこかの壁にカモフラージュした回転扉でもないかなと、壁を注意深く見ながら進んだが、そんなものはもちろん見つからなかった。取り敢えず他に思いつく場所がなかったから、謁見の間と自分の部屋だけは行ってみたが、中に入っても取り立てて何かあるということもなかった。

 

 というか、これで確定したが、この城は無人だ。人っ子一人居ないようだ。となると、出口を見つけるには自力でなんとかするしかないが、異常な部屋数を誇るこの城を調べ尽くすのには、一体どれくらいの時間がかかるだろうか……考えるだけで気が遠くなりそうだった。

 

 鳳は大広間まで戻ってくると、姿見の前にあるベンチに腰掛けた。鏡に手をついたら、向こう側に行けたりしないだろうか? などとメルヘンチックなことを考えながら、彼は今後の方針を検討した。

 

 とは言っても、やれることは限られている。とにかくあちこち歩き回って手がかりを探すだけだ。あとは、さっき一瞬だけジャンヌに連絡が取れたから、定期的に彼に話しかけてみるくらいか。

 

 しかし、探すにしてもどこから手を付ければいいものか。手がかりを探すための手がかりすらない状況では、ため息しか出てこなかった。結局、城にある部屋を片っ端から調べるしかないのだろうが、それで何かが見つかればいいが、もし見つからなかった場合を考えると気が進まなかった。

 

 城の外には練兵場もあれば、兵士の詰め所もあれば庭園もある。城門の外には城下町が広がっている。もし、出口がその城下町や、更に遠くにあったらもうお手上げではないか。鳳はまだ外の世界のことは右も左も分からないのだ。やはり、行動するにしても当てずっぽうは良くないだろう。まずは何でもいいから、手がかりを見つけてから慎重に行動したほうがいい……

 

 手がかりがあるとしたら、一番怪しいのは目覚めたときにいた練兵場だが、もう一度あそこに戻ってみようか? と言うか、どうして自分はあの場所で倒れていたんだろうか? やっぱり、目覚める前の記憶は正しくて、自分はカズヤの魔法で命を落とし、実はここは天国なんじゃないだろうか……

 

 本当にどこも怪我をしていないのかと、鏡に映る自分の姿をマジマジと見つめていた時だった……

 

 彼の視線が、胸ポケットに差してあるもので止まった。

 

「これって……千代紙だよな?」

 

 そう言えば、目覚めてすぐに拾ったのだ。なんでこんな物が落ちていたのか。あの時はまだ状況がよく分かってなかったからスルーしてしまったが、今にして思えば妙な話である。

 

 これは恐らく、こっちの世界の物ではない。昨晩、ティンダーの魔法で見たとおり、この世界にも紙は存在するが、何というか造りが雑なのだ。ところが今、鳳が手にしているそれに描かれている綺麗な模様と寸分たがわぬ正方形は、どう考えても日本の工業品としか思えなかった。

 

 それじゃ何故こんなものがあるのかと考えると理解に苦しむが……

 

「そう言えば目覚める直前に、夢を見てたような……」

 

 子供の頃の苦い思い出だ。灼眼のソフィアこと、エミリアとの出会いと別れ。自分の間違いが、彼女を追い込んでしまったこと。それを思い出すと胸が苦しくなるが……しかし、多分、いま考えなきゃならないことは、出会いの場面の方だろう。

 

 出会いと言うか、エミリアと初めて喋った日のことだが、鳳は彼女と二人で黙々と折り鶴を折っていた。あの時使っていたのはケント紙だったが、この千代紙はメタファーとしては、より折り紙を匂わせる。

 

「うーん……まあ、物は試しか」

 

 鳳はベンチから降りると、それを机代わりにして千代紙を折り始めた。折り鶴など何年ぶりかわからなかったが、驚くくらい自然に折れた。多分、自転車の乗り方みたいに体が覚えているものなのだろう。

 

 伸ばした首の先っぽを折ってクチバシを作ると、最後に彼は翼を開こうとして……

 

「……? エミリア!?」

 

 顔を上げたときに、視界の隅っこで何かが動いたような気がした。咄嗟にそちらを見ると鏡の中で金色の髪をした少女が駆けていく姿が見えた。驚いて振り返るが、その時にはもう鏡に写った少女の姿はどこにも見えなかった。

 

 姿を見たのはほんの一瞬で、それが誰だか分からない。もしかしたら幻覚だったのかも知れない。しかし鳳にはそれがエミリアのような気がしてならなかった。と言うか、夢の内容とか折り紙とか、ここまでお膳立てされてもし違ったら、その時は責任者を呼ぶレベルだろう。鳳は鼻息荒く立ち上がると、慌てて少女が消えた方へと駆け寄った。

 

 少女が消えたと思われる曲がり角まで来ると、鳳はその先にぼーっと光るものが見えることに気がついた。城に2つある居住区のうち、謁見の間とは逆の方、鏡の間がある方角だった。最初に鳳たちがこの世界で目覚めた地下室や、兵士の詰め所、それに牢屋みたいな場所がある区画だ。

 

 手がかりを探してた時にはすっぱり頭から抜け落ちてしまっていたが、考えてもみれば最初にこの世界で訪れた場所なんて、いかにも臭いだろう。この先に多分、いや、絶対何かある。

 

「シーキューシーキュー、聞こえるか、ジャンヌ?」

 

 鳳はジャンヌに声をかけてみたが、相変わらずパーティーチャットは繋がらなかった。正直、連絡が取れないまま先を行くのは腰が引けたが、かと言って他に行く宛もないので先に進んだ。

 

 ぼーっと見える光を追いかけるようにして鏡の間へとやってくる。いくつも吊り下げられているシャンデリアと大きな窓、対面にその窓と同じ大きさの鏡が並んでいる通路は、最初に訪れた時は見惚れるくらい美しかったが、光が差し込まない今は、まるでのっぺりとしたコンクリートの壁みたいだった。

 

 進行方向からすると右手が窓のはずだが、左のほうが窓のような錯覚を覚える。本当にこっちが窓だったっけ? と思ってじっと目を凝らしてみると、なんだか鏡のような気がしてきて、おかしいなと思って反対側を見てみれば、やっぱりこっちの方が鏡である。どっちも鏡じゃ変なので、また反対方向を見たら、やっぱりちゃんと窓だったので、ホッとしてまた前を向き先を進もうとすると、今度は右も左も窓のような気がしてくる……

 

 自分は今、前に進んでいるのか後ろに進んでいるのか。右が左で左が右か。もし進行方向からぼーっとした光が差してこなければ、きっと今頃、鳳は同じ場所をぐるぐると回っていただろう。

 

 そう考えると道案内みたいなその光が頼もしくも思えるが、食虫植物は良い匂いで獲物をおびき寄せると言うから、本当にこのまま先に進んでもいいものか、不安にもなってくる。しかし、振り返った先の暗闇は、いつの間にか濃く閉ざされていて、足を踏み入れたら二度と元には戻れないような、そんな気持ちにさせるのだった。

 

 結局、行っても戻っても不安にしかならないなら、先に進むよりないだろう。鳳はそう思って、それ以上深く考えずに、光が差す方へと歩いていった。

 

「シーキューシーキュー」

 

 時折、ジャンヌに連絡を取ろうとしたが、やっぱりチャットは繋がらなかった。

 

 やがて鏡の間を抜け、兵士の詰め所を通り過ぎ、地下へ続く階段へとたどり着く。案の定、光はそこから差しているのだが、下へと降りていって良いものかと、流石にちょっと躊躇した。

 

 というのも、さっきから1つも、明かりが灯っている燭台を見かけないのだ。なら、窓のない地下なんかに降りてしまっては、何も見えなくなってしまうのではないだろうか。彼はそう思ったのだが、しかしそれはすぐに杞憂と分かった。

 

 壁にしっかりと手をつきながら、おっかなびっくり降りて行った地下室は、何故か隅々まではっきり目に見えた。どこを見ても燭台は灯っていないはずなのに、どう考えても、地上も地下も同じ明るさだったのだ。

 

 おかしな現象が続いているから、今更驚きはしないが、これは一体どういうことなのだろうか。

 

 灯りがないせいで、ずっと暗い暗いと思っていたが、もしかするとさっきから鳳が目にしていたのは、この世界の色だったのかも知れない。普通は物体が光を反射して色を見せるのだが、この世界では物質自体が色を発しているのだ。だから明るい場所は暗く、暗い場所は明るく感じるのだろう。

 

 しかしそれじゃあ、あの案内するかのようにぼーっと光って見える物は何なんだ? そんなことを考えながら、それを追いかけて地下室を進む。

 

 行きつく先は、ここに来る前からなんとなく予想していた。光がこっちの建物を指し示した時点で、多分、鳳が最初に気がついたあの部屋に続いているんじゃないかと思っていた。ここまで来た今、確信に近い気持ちでいたのだが……

 

 ところが意外にも、光が続く先はあの部屋ではなかった。あの部屋の前を通り過ぎても、光はまだ先の方からぼーっと見えたのだ。

 

 なんだか狐につままれたような気分になったが、まあ、元々ただの予想でしかなかったし、間違ったところで何も変わらないだろうと気を取り直し、彼は先を進もうとした。

 

 だがその時、ふと思いついて、

 

「そういや、俺達が最初に目覚めた部屋って、今はどうなってんだろ」

 

 そう思って、何となく。本当に、何気なく、その扉を開いた。今度はそこに何かがあると予想したわけではない。寧ろ何もないだろうと考えて、それを確かめるつもりで、彼はその扉を開き……

 

 そして彼は後悔した。

 

「えっ……な、なんだこれ……」

 

 扉を開いた瞬間、彼はなんとなくツンと来るような、獣の臭いのようなものを感じた。動物の飼育小屋などから漂う、糞尿の入り混じった動物自体が発する独特な臭いだ。その臭いを嗅いだ時、鳳はなんとなく嫌な感じがして、扉を開けるのをちょっとだけ躊躇した。しかし、ここまで来たんだという結果と好奇心がそれを跳ね除け、結局、彼はその扉を開いてしまった。

 

 何かが扉にもたれ掛かっているつっかえるような感触がして、ぐいと押し込むようにしながら扉を開くと、その衝撃で何かがドサッと倒れる音と、カランカランと地面を転がる音がした。

 

 コロコロと転がる丸い物体を目で追いかける……すると、その物体には2つずつならんだ大きな穴と小さな穴、そしてずらりと並んだ、真っ白な歯がついているのが見えた。

 

 鳳はゴクリとつばを飲み込んだ。

 

「嘘だろ……」

 

 それは頭蓋骨だった。大きさからして多分人間のものだろう。上顎だけで下顎がなかったが、残りもすぐに見つかった。鳳が押しのけた扉の反対側に、それはあった。

 

 それは理科室の骨格標本で見たことがある、人間の白骨死体そのものだった。いや、あるのはそれだけではない。その隣にも、その隣にも、同じような人間の骨が並んでいる。大きさはマチマチで男性女性が入り混じっているような……白骨化しているから相当古い物のようにも思えるが、死体が着ていた服と髪の毛がまだ綺麗に残っていることから、実はそんなに時間が経っていないようにも思えた。

 

 解剖学に詳しいわけではないから、確実とは言えないが、頭蓋骨の数から死体は5体。外傷は見当たらない。整然と並んでいるのは、運び込まれた時から死体だったか、ここで殺されたとしても抵抗がなかったからではないか。例えばガスとか……魔法とか?

 

 鳳はこみ上げてくる吐き気を我慢し、口に手を当てながら、部屋から出て扉を閉めた。その途端、猛烈な息苦しさを感じて、彼は酸欠の鯉みたいにハアハアと荒い息を吐いた。どうやら気づかぬうちに呼吸を止めていたらしい。やけにうるさい音が聞こえると思ったら、それは自分の心臓の鼓動だった。

 

 びっしょりと額に浮き出た玉のような汗を拭い、彼は逃げるように部屋から離れると、壁にもたれかかるようにして、地面に腰を下ろした。

 

「白骨死体は5体……俺たちは5人……」

 

 確信は持てないが、ただの偶然とも思えなかった。そもそも勇者召喚というのはどうやってするのだろうか。その方法については全く聞いていない。

 

 人間一人を呼び出すための代償とはなにか?

 

 もしかしてもしかしなくとも、自分は見てはいけないものを見つけてしまったのではないか……

 

 ここは城の中……かどうか分からないが、城主であるアイザックがこのことを知らないとは思えない。聞いたところでしらばっくれるだけだろうし、下手したら命の危険があるかも知れないから、無邪気に何か言うつもりはないが……

 

 やはり、この城からはさっさと退散したほうがいいだろう。ジャンヌはともかく、他の3人にもそれとなく伝えねばなるまい。しかし、改めて思うのだが、もし鳳たちが城を出たいと言ったとき、アイザックがどういう行動に出るか……

 

「まあ、その前にこの謎空間から出れなきゃ、お話にならないか」

 

 鳳は大きく深呼吸すると、弛緩する太ももをバシッと叩いて立ち上がった。流石にショッキングな出来事だったが、いつまでもこうしてはいられない。ある程度、気分が落ち着くと、彼はまた歩き出した。

 

 尤も、終着点はそれからすぐだった。先程の白骨死体のある部屋から突き当りを二度曲がった先に、地下牢らしき鉄格子の嵌った檻が並ぶ区画があったのだが、その牢屋の1つから異常な光が発しているのが見えた。

 

 近づいて中を覗き込んでみると、その中身は他の牢屋と同じ大きさの殺風景な石壁に囲まれた空間だったが、部屋の一番奥の壁だけが明らかに違っていた。いや、本当なら他の牢屋同様にカモフラージュされているのだろうが、今は壁の中央部分が四角くくり抜かれるように光で縁取られているのだ。何というか、いかにもここに隠し扉がありますよと、強く訴えかけているようだった。

 

 鳳は取り敢えず危険は無いかと周囲を軽く探索してから、問題の牢屋の中に入った。もしかしたら牢に鍵がかかってるかも知れないと思ったが、そんなものはなく、あっさりと中に入れてしまった。

 

 問題の壁の前に立つと、彼は恐る恐る指先をその光の中に突き刺してみた。すると、当然そこにあると思われた壁を突き抜けて、指が向こう側へとズブズブ入っていく。どうやら、ここに見た目通りの壁はないらしい。どうなってるのか興味はあったが、魔法なんて理不尽なものを理屈っぽく考えても仕方ないだろう。

 

 ともあれ、やれることはただ1つ……このいかにもな光の扉の向こう側へ進むだけだ。引き返すなんて選択肢はもうないだろう。結局、城の中をぐるぐると回って、ここに帰ってくるのが落ちだから。

 

 ならばもう迷うことなく突き進むしかあるまい。ここを抜ければ、この謎空間からおさらばできるとも限らない。だが、鳳は不思議となんとかなるんじゃないかと楽観していた。彼の胸ポケットには千代紙で出来た折り鶴が刺さっている。

 

 何となく、こいつが自分を導いてくれるような、鳳は何故かそんな気がしていた。

 



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なんていんちきくさい名前だ

 光の中に足を踏み入れ、思い切って通過する。

 

 真っ白な光りに包まれ視界ゼロの中、踏みしめる地面は柔らかく、グラグラと揺れるような感じがしていた。光の扉を通り過ぎる瞬間、鳳の脳内でカチッとスイッチが入ったような、ブラウン管テレビがブンと音を立てるような、そんな感じの耳鳴りがして、クラクラとする目眩と何かが頭の中で切り替わったような、そんな錯覚に襲われた。

 

 気分は悪くない。だが、いかんせん、何も見えない。フラつきながら光の扉を潜り抜けた鳳は、たたらを踏んで立ち止まる。

 

 と、その瞬間、ふっと彼の頬に風が吹き付けて、遠くの方から喧騒の声が聞こえてきた。

 

 立ちくらみに耐えながら、彼は顔を上げて周囲を見回した。

 

 そこには、さっきまでの色のない世界が嘘のような、色鮮やかな世界が広がっていた。人の背丈くらいある生け垣には色とりどりのバラが咲き誇り、美しく手入れされた刺繍花壇の中央では噴水が小さな水音を立てていた。空を見上げれば真っ青なスカイブルーが広がり、庭園に集まる小鳥たちが、渡り鳥のように群れをなしている。

 

 さっきから聞こえてくるざわめき声の方を振り返ると、かなり遠くに城が見えた。建物の雰囲気に若干の違和感を感じるのは、それがさっきから何度も見ていた正面ではなく、裏側だったせいではなかろうか。どうやらここは、アイザックの城の裏に広がる大庭園の中のようだ。

 

 城まで1キロ弱はあるだろうか。かなりの距離だ。つい今しがたまで城の地下にいたとは思えない。鳳は妙な違和感というか、胸騒ぎと言うか、自分がどこにいるかわからないような、そわそわした感覚に見舞われた。何というか、空間座標がずれている。いてはいけない場所にいるような気がする。どういう経路を辿ってここまで来たんだ? あの世界はなんだったんだ?

 

 そこまで考えたとき、ハッとして振り返ると、自分が通ってきたはずの隠し扉は消えていた。いや、始めからここに扉の出口なんて無かったのではなかろうか。あの場所とこの場所は一方通行なのでは……

 

 鳳の頭は疑問でいっぱいになったが、多分、考えても何もわからないだろう。そう自分に言い聞かせて、彼は一旦考えるのをやめることにした。

 

 そんなことより、他に考えなきゃならないことがいっぱいあるだろう。彼は大庭園へ出てくるや否や、すぐにジャンヌに声をかけた。

 

『シーキューシーキュー。ジャンヌ、聞こえるか?』

『あ! 白ちゃん。良かった、無事だったのね!?』

 

 何となく予想していたが、案の定、彼とはすぐに連絡が取れた。さっきまで、いくらやっても連絡がつかなかったのは、文字通り電波が繋がらなかったのだ。あの空がセピア色の世界と、このブルーの世界の間には、光が通過できない次元の断層みたいなものが横たわっているに違いない。

 

 彼がそんなことを考えていると、ジャンヌが焦れたように、

 

『それで白ちゃん、どこにいるの!? 突然連絡がつかなくなって、みんな大騒ぎよ』

『あ、ああ、今俺は……いや待てよ』

 

 鳳は自分の居場所を伝えようとしたが、すぐに思い直した。

 

『……みんな大騒ぎってことは、今、城の連中は俺のことを探してるのか?』

『当たり前でしょう』

『一応、確認なんだけど。今朝、俺達は練兵場で経験値稼ぎにモンスターを狩っていた。その時、俺は事故ってカズヤの魔法に巻き込まれた。そうだな?』

『え? ええ、そうね……どうしてそんなこと聞くの?』

『俺はあの後どうなったんだ? 死んだのか?』

『違うわよ! 死んだと思ってたら、あなたから連絡が来たんじゃない。それで今、みんなで探している真っ最中だったのよ』

 

 鳳は舌打ちした。案の定、あっちの城でジャンヌと会話をした直後、彼はみんなに鳳が生きていることを伝えてしまっていたらしい。どうりで、かなり距離があるというのに、城が騒がしいと思ったのだ。状況的にジャンヌを責めることは出来ないが、出来ればまだ、自分が生きていることは隠しておいてほしかった。

 

 今、あの城ではアイザック達が血眼になって鳳を探していると言うわけだ。そこへ出ていってもすぐに何かが起きることはないだろうが……城の地下室であれを見てしまった後では、アイザックとどんな顔をして会話をすればいいのか分からなかった。向こうも多分、鳳が何故消えたのか? 消えていた間にどこへ行っていたのか、警戒しているのは間違いないだろう。

 

『ジャンヌ。今、おまえの周りに誰か居るのか?』

『え? いないわよ。誰か呼んできた方が良いかしら。そうね、あなたが無事だってこと、みんなに伝えなきゃ』

『馬鹿! 逆だ逆! 周りに誰もいないなら好都合だ。そのまま誰にも見つからずに、こっそり城から出てこれないか?』

『え……? どういうこと?』

『実はさっき、城の中でヤバいもんを見つけちまったんだよ。だからアイザックに見つかる前に、お前と話し合っておきたいんだけど』

 

 ジャンヌは声を潜めているのか、少し掠れた囁くような声色で、

 

『……ヤバいって、何を見たの?』

『それは落ち合ってから話すよ。聞いたら驚くだろうし、こうしてお前が独り言をしゃべってるのを聞かれるのもまずい』

『そ、そう……』

『一旦、チャットは切ろう。とにかく、人に見つからないように、城の裏手にある庭園まで出てきてくれ。そしたら誘導するから、準備ができたらまたチャットで呼びかけて欲しい』

『分かったわ』

 

 短い返事のあと、ジャンヌとの会話は途切れた。恐らく今頃は指示されたとおり、城から抜け出そうとこそこそ移動しているはずだ。ジャンヌはステータスは高いが隠密スキルが皆無なので、多少時間がかかるかも知れない。その間に、落ち合う場所を決めておいた方がいいだろう。

 

 鳳はキョロキョロと周りを見回した。今いる場所でも悪くないのだが、ここに来て欲しいと言おうにも、相手を誘導できる自信がない。ここは城から大分離れているし、そもそも、自分は地下室の隠し扉を抜けたらここにいたわけで、はっきりした場所は自分でもよく分かっていないのだ。

 

 ジャンヌが一発で分かるような目印のようなものは無いだろうか。そう思って探してみると、城から少し離れたところに別の大きな建物が見えた。本城に劣らぬ壮大な建物で、造りが似通っているから、多分、離宮かなにかだろう。普段使いでないなら人は少ないかも知れないし、何より目立つから落ち合うには都合がいい。

 

 鳳はそう考えると、とにかく近くまで行ってみようと歩き出した。

 

 庭園は迷路みたいに入り組んでいて、なかなか目的地には着けなかった。実際、ここは迷路なのかも知れない。ヨーロッパの城の中には、そうやって庭園を見にくる来客を楽しませたのもあると聞いたことがある。庭園を形作る生け垣は人の背丈よりも高く、緑が生い茂っていて視界を遮っている。

 

 垣根を強引に抜けようとしても、針金みたいな蔦がビッシリと絡まっていて、とてもじゃないが抜けられなかった。上を乗り越えるのも一度や二度ならともかく、それで迷路自体が抜けられるわけじゃないから、結局、我慢して迷路を攻略するほうがよほど早そうだった。

 

 イライラしながら闇雲に通路を進む。目的地がずっと見えているせいで、余計に気が急いてしまい、それが道を間違える要因になった。さっきから同じ場所をぐるぐると回り続けているような気がしてならない。方角だけは確かめながら歩いているつもりだが、一向に近づく気配がないので堪らない。

 

 鳳は舌打ちした。裏庭で遭難なんてシャレにならないぞ。本当にここから抜け出せる道はあるんだろうか。もしかして、また何か不思議な力に惑わされてるんじゃなかろうか……

 

 不思議な力?

 

 と、考えたときに、はたと気づいた。そう言えばさっきから、視界の先でチラチラと何かが動いているような感じがする。ただの陰影が作り出す錯覚だと思っていたが、目を凝らしてよく見れば、分かれ道に来る度に、明るい方と暗い方があるような……

 

 これはもしや、あの時の光では? 城の中と比べて、明かりのある外では気づき難かったが、よくよく見れば明暗ははっきりと分かれている。それ確かめるべく明るい方へ進んでみると、その先もまた同じように、通路の先のコントラストがくっきりと別れていた。逆に振り返って見れば道はほんのりと薄暗く見え……これはまたもや、何かが鳳を導いているんじゃないかと、彼はそう確信した。

 

 それにしても、この光はなんなんだろう……?

 

 最初に気づいたのはあの真っ暗な城の中だった。鏡越しにエミリアの姿が見えたような気がして、びっくりして後を追いかけていったら、そこに光が続いていた。鳳はそうやって光に導かれ、地下室の部屋で白骨死体をみつけたわけだが……

 

「いや、違うな。光の行き先はあの部屋じゃなかった。あれは単に、俺が寄り道をしただけだ」

 

 地下室で白骨化して散らばっていた死体の数々……自分がこの世界で最初に訪れた場所にそれがあったのだから、かなりショッキングな出来事ではある。だが、光はあの部屋を指し示してはいなかった。そこを通り過ぎて、更に奥にあった牢屋の中に隠し扉があることが示されていて、それをくぐり抜けたらこうして外に出られたのだ。

 

 外に出たことで光の役目は終わったのだと勝手に思っていたが、また現れたところを見ると、もしかすると光が導こうとしていたのは、初めから城の外ではなかったのかも知れない。実はまだ、光は鳳を導いている途中だったというわけだ。

 

 でも一体、どこに?

 

 そう思って光の進む先を遠くまで眺めてみると、生け垣の迷路の向こうに、いつの間にか大きな木が生えているのが見えた。

 

「え? いつの間に……」

 

 鳳は思わずぽかんとしてしまった。その木は背丈の低い低木からなる庭園の中ではかなり大きくて、遠くからでもよく目立つはずだった。なのに、さっきまでそこにそんなものがあることなんて、全く気づかなかった。もし気づいていたら、ここをジャンヌとの待ち合わせにしたのに……

 

 そう思ったときに、鳳はまたハッとした。そう言えばさっきから光を追いかけることに夢中になって、周りをよく見ていなかった。元々、彼は光を追いかけていたのではなく、ジャンヌと落ち合うために、離宮らしき建物を目指していたのだ。あれはどっちの方角だ。

 

 ところが、ぐるりと360度見回してみても、離宮はどこにも見当たらなかった。さっきまですぐそこにあったはずなのに……もしかして角度の問題か? と思って飛び跳ねながら遠くを見渡しても、離宮はやっぱり見つからなかった。それどころか、本城の方も見当たらないのだ。

 

 どう考えてもこれはおかしい。さっきまで見えていたものが見えなくなって、見えなかったものが見えている。もしかして、また謎空間に迷い込んでしまったのか?

 

 彼は、はぁ~……っと盛大なため息を吐いた。ジャンヌと合流するため、こんなことをしている場合じゃないのだが、こうなったらとことん付き合うしか無いだろう。幸いなことに、光の指し示す先には例の大木があって、今度こそそこが終着点である可能性は高かった。

 

 彼は鼻息荒く木を睨みつけると、光の指す方へ向かって再度歩き始めた。

 

 終点にはすぐ到達した。それから曲がり角を2つ3つ曲がった先だった。それまで視界を遮っていた、忌々しい生け垣の迷路が唐突に終わって、そこに広場が広がっていた。

 

 そこは、さっきの刺繍花壇で彩られたような可愛い庭園ではなくて、土の地面が剥き出しの、雑草で覆われた殺風景な広場だった。端っこには、家庭菜園みたいな畑があって、そこにトマトが成っていた。そのすぐ脇には、大きめのウッドテーブルが置かれていて、その周りに木の切り株みたいな椅子が並んでいる。テーブルの上に白磁の食器と、紅茶のポッドが置かれていることから推察して、どうやら頻繁に人が訪れているようだ。

 

 いや、寧ろここに住んでいるのでは? 広場の中央にある大木を見上げると、なんとその中腹に小さな家が建ててあった。何というか、アメリカのお父さんたちが、子供のために日曜大工で庭に作っちゃったような、映画ホーム・アローンでマコーレー・カルキンが遊んでいたような、あんな感じのツリーハウスである。

 

 それにしても大きな木である。一体何の木だろうか? 見ればところどころに赤い果実が成っているのが見えた。まさかとは思うが、あれはりんごだろうか? いや、しかし、こんな大きさのりんごの木なんてありえるのだろうか……? 明らかに、現実のものとは思えない。

 

 鳳はあんぐりと口を開いてそれを見上げた。なんでこんなものがあるのだろうか? ここは城の中だろう? 正確には城の敷地内であるが。

 

「いやしかし、肝心の城がどこにも見えないんだから、ここは城の外なのか?」

 

 鳳は頭痛がしてきた。あの真っ暗な城といい、この謎のツリーハウスといい、空間や時間や常識までもがねじ曲がってしまっていて、頭がこんがらがってきた。

 

 自分は一体、何を見せられているのだろう。どうしてこんな場所に連れてこられたのだろう。連れてこられた……? 言い得て妙だ。そう、あの光は一体自分に何をして欲しいのだろうか?

 

「誰かいるの?」

 

 と、その時、鳳が難しい顔をしてツリーハウスを見上げていると、いかにもその家の主にふさわしい子供の声が聞こえてきた。どうやら中に人が居て、鳳の独り言に反応したらしい。

 

 本当に人が住んでいたのか……

 

 彼は警戒しつつも、相手の声にどことなく聞き覚えがあるような気がして、そのままその場で突っ立っていた。こんな謎空間で初めて出会った先客である。怪しさマッハだが、少なくとも敵意は感じられない。それよりも早く、相手が何者か確かめたい。そんな気持ちが勝った。

 

 そして家の主は間もなく現れた。

 

 向こうも侵入者なんて全く警戒していなかったらしい。

 

 ツリーハウスの扉を開けてひょっこりと現れたのは、金髪を二つ結びにした少女だった。少々吊り目がちの大きな瞳は印象的な紫色に輝いていて、ブカブカのポンチョを羽織り、七分丈のズボンの裾から覗く足は靴を履かずに素足である。髪は頭の横で結んでなおもお尻が隠れるくらいに長く、彼女が動く度にポンチョの隙間から見える、スラリと伸びた手足は病的なくらい真っ白で、血管が浮き出て見えそうなくらいだった。

 

 暗い場所から出てきたばかりで眩しいのか、目鼻立ちの整った顔を顰めて見つめるその表情は、それすら人を惹きつけるほどの魅力があった。と言うか、鳳はその顔に釘付けになった。もちろん、彼女の可愛らしさもその原因の1つだったが……驚いたことに、彼はその顔に見覚えがあったのだ。

 

「エミリアっ!!」

 

 鳳のそんな絶叫にも似た驚愕の声に、ツリーハウスから出てきた少女は一瞬だけ虚を突かれたような顔を見せたが、すぐにまた眉間に皺を寄せたしかめっ面をして見せると、まるで不審者を見るよう目つきで彼のことを睨みつけた。

 

 彼女がハシゴを使わずにツリーハウスから飛び降りると、まるで羽でも生えているかのように、音を立てずに着地した。

 

 そしてその場で腰を抜かしそうな顔をして彼女のことを見つめていた鳳の顔を覗き込むようにしながら、

 

「あんた誰よ」

 

 と不機嫌そうに言った。

 

「誰って……エミリア。俺だよ、俺。鳳白だ。覚えてるだろう?」

「……? だから誰よ。どうしてここにいるの?」

「どうしてって言われても……っていうか、エミリア。俺がわからないのか?」

「知らない」

 

 まさか数年ぶりに間近に見ることが出来た彼女が自分のことを覚えていなかったなんて……彼は一瞬ショックを受けたが、すぐに数年ぶりだということを思い出し、冷や汗をかきながら言った。

 

「そ、そうか……中学以来だもんな。俺はあれから声変わりもしたし背も伸びたし、別人みたいなもんだよな……つまりその、あれだ、俺はほら、実はおまえと……ソフィアとずっと一緒に冒険していた、デジャネイロ飛鳥なんだよ。それなら、わかるだろう?」

「ソフィア? なに? 今度は真祖さま? 本当にあんたなんなのよ、あんたなんか知らないってば」

「……マジ? いや、だって、ずっと一緒にいただろう? 子供の頃も、ゲームの中でも。なのに俺のこと覚えていないと言うのかい??」

「だから知らないってば。気持ち悪いやつ」

 

 しかし少女の返事は冷ややかなものだった。鳳は心臓がえぐり取られるようなショックを受けた。ずっと会いたかった彼女から、まさか拒絶の言葉が出てくるなんて……並の男ならそうなるのも仕方ないだろう。彼は真っ青を通り越して、真っ白になった。貧血にも似た目眩がして、彼はその場にへなへなと腰を下ろす。

 

 少女はそんな鳳の姿を見て、不思議そうな表情を浮かべながら、

 

「っていうか、さっきからなんで私のことを神様みたいに言うの? レディの名前を間違えるなんて、失礼だと思わない? ま、悪い気はしないけどさあ」

「……は?」

「そりゃあ、私は女神様みたいに美しいから、あんたが間違えるのも仕方ないかも知れないわね。だから許してあげるわ。感謝なさい。ふふん」

 

 そう言って得意げに胸を張る少女を見上げて、鳳は強烈な違和感を感じた。その行為があまりにもエミリアと似つかわしくなかったのだ。

 

 彼女はどちらかと言えば寡黙で、しゃべる時は必要最低限のことしか言わなかった。それに、その恵まれた容姿のせいでイジメられていたから、自分のことを美しいなんて口が裂けても言うわけがなかった。

 

 そう考えると、目の前にいる少女はエミリアに見えてそうじゃないような気がしてきた。というか、さっき自分でも言ったことだが、二人は数年ぶりに再会したのだ。最後に会ったのは中学一年の一学期、ほとんど小学生みたいなものだ。あの時と比べて、鳳は脱皮したんじゃないかと言うくらい変わっている。ならエミリアだって、いくら女性とは言え、見違えるくらい変わってなければおかしいのではないか?

 

 なのに今、目の前にいる少女は鳳の記憶の中の姿のままだった。寧ろ、出会ったばかりの頃、小学生のイメージに近い。だからこそ、彼女を一目見るなり、エミリアと勘違いしたわけだが……

 

 勘違い?

 

 そう、鳳はもう、目の前の少女とエミリアを違う人物として認識していた。彼女はエミリアに似ているがエミリアではない。そう意識した瞬間、彼はそれまで全く気づかなかった、決定的な違いを見つけてしまった。

 

 彼女の顔の両側の二つ結びの髪の毛にかぶさるように、横に伸びた長い耳がぴょこぴょこと動いていたのだ。それはいわゆるエルフ耳……神人の特徴である。

 

「おまえ……誰だ?」

 

 茫然自失の鳳が呟くようにそう言った。

 

 その言葉を聞いた少女は癇癪を起こしたように地団駄を踏みながら言い返す。

 

「むかー! 何よそれ! 自分から間違えといて、今度は知らんぷり!? こんな失礼なやつ、初めて見たわっ! こんな……いいや……はっ!? もしかして、これはノリツッコミ? 有名なノリツッコミってやつなのね? なんて高等なテクニック! あんた、なかなかやるじゃない!!」

 

 何言ってるんだこいつは……ぽかんとして固まっている鳳とは対象的に、一人で怒ったり納得したり忙しそうにしていた少女が、コホンと咳払いをしてから言った。

 

「そうね、自己紹介がまだだったわね。私の名前はメアリー・スー。メアリーが名前で、スーがお母さんの名前よ。あんたは特別にメアリー様と呼ぶことを許してあげるわ。えーっと、おおと……も? おおと……変な名前の人!」

 

 流れの中で先に名乗っていた鳳の名前を覚えきれなかった彼女は、言うに事欠いて変なやつ呼ばわりしてきた。わからないならもう一度聞いてくれればいいのに……彼は彼女の名前をつぶやき返しながら、

 

「メアリー……スー……?」

 

 なんていんちきくさい名前だ。彼はそう思っていた。

 



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あはははははは!!

 城内で迷子になりながら、鳳が謎空間をさまよい歩いていると、やがて大きな木に建てられたツリーハウスの前に出た。そこから出てきたエミリアに似た少女は、鳳の幼馴染とは関係がない、メアリーという名前の少女だった。

 

「つーか、メアリー・スーだって?」

 

 彼は胡散臭いものでも見るような目つきで少女のことを見た。メアリー・スーとは、スター・トレックの二次創作に登場するキャラクターのことで、その異常なまでにハイスペックな能力で原作の主人公達を助け、彼らに超絶感謝されるという、アイタタタな展開をやらかし、原作ファンを激怒させたという曰く付きの少女の名前である。

 

 そのチート能力やご都合主義な物語の展開が、いかにも中二病患者にありがちなパターンを踏襲していたため、日本の二次創作界隈でも駄目な二次創作キャラの典型として忌み嫌われている。要するに俺tueeのパイオニアみたいなキャラクターであるが……

 

 そんな名前の少女が、幼馴染と同じ顔をして、目の前に現れたのである。しかもエルフ耳で。こんな偶然があってたまるか? 鳳は呆れるような口調で、

 

「それ……ホントに本名か? もしかして、俺のこと騙してない?」

「むきー! なんでさ! 騙してなんかいないわよっ!」

「いや、だって変じゃん……おまえのその名前」

「はあ!? オオトモの方が変なのに! 変なやつに変って言われたくないわ!」

「オオトモじゃなくて、オオトリな……あと、ツクモでいいよ、そっちの方が名前だから」

「ツクモ! 変な名前変な名前変な名前変な名前変な名前!!」

 

 鳳が間違いを訂正すると、よほど悔しかったのかメアリーは変な名前を連呼した。まるでガキみたいな反応に辟易したが、考えても見れば、いくらエミリアに似ているからと言っても、彼女は見た目通りのガキなのだ。鳳は大人気なかったと反省する。

 

「分かった、分かった! 悪かったよ。おまえの名前は変じゃないよ……その、知り合い? に、同じ名前のがいるんだよ。だからもしかして、おまえがそれを知ってて、俺のことをからかってるんじゃないかって思ったんだ」

 

 すると彼女の瞳がパーッと輝いて、

 

「ツクモの友達!? 同じ名前なの!? あはははははは!!」

 

 突然笑い出すメアリーに面食らい、鳳がぽかんとした表情で問い返す。

 

「……何がおかしいんだ?」

「何もおかしくないよ! 同じ名前の人がいるなんて、凄いびっくりだわ! あはははははは!! おんなじ名前! おんなじ! あははははははは!!」

 

 最初はその反応がさっぱり分からなかったが、しばらく見ているうちに、どうやら彼女は自分と同じ名前の人がいることが、単純に嬉しいのだと分かってきた。感情表現とかテンションがおかしいのは見た目通り、彼女がガキだからであろうか。

 

 見た目はドキッとするくらいエミリアそっくりなのだが、中身はまったくの別人のようだ。一体、この子はなんなんだろうか……

 

 鳳は彼女が落ち着くのを待ってから、彼女が一体何者なのか、エミリアとは関係がないのか、慎重に質問してみた。

 

「ところでメアリー。おまえ、ここで何してるんだ? ここはおまえの家なのか?」

「そうだよ? 見て分かるでしょ」

「いや、わからないが。そうか……ここで暮らしてるのか。一応聞くけど、いつからだ? 最近、異世界から飛ばされてきたとか、そんな体験があったりしないか?」

「異世界? なにそれ。あはははははは! 異世界だって、あはははははは!!」

「そそそ、そうですよね!? 普通、異世界なんて言い出したら、そういう反応しますよねっ! ちくしょう!!」

 

 ゲラゲラと笑い袋と化したメアリーに対し、鳳は顔を真っ赤にしながら言い訳した。実際、ホントのことなのに、どうしてこんな辱めを受けねばならないのだろうか。メアリーはひとしきり笑ったあと、

 

「ひぃひぃ……私は子供の頃からずっとここに住んでるわよ」

「ああそう。今も子供みたいなくせに……ところで、ここはどこなんだ?」

「どこって、お城の中だよ? 知ってるでしょう?」

「いや、そんな不思議そうな目で見られても……城の中ってのはわかるよ。でも周りを見てみろよ、なにもないだろう? 一体、この空間はなんだって聞いてるんだよ」

「知らないわよ」

「……知らない?」

 

 こんなにあっさりと否定の言葉が返ってくるとは思わず、鳳は面食らってしまった。

 

「いや、だって、おまえ、ここに住んでるんだろ? どうして自分の住んでる場所のことがわからないんだ」

「知らないものは知らないよ。ツクモこそ、どうやって中に入ってきたの? 入ってきたんなら、ここがどんな場所なのか分かるでしょ」

「いや、それが分からないんだが……」

「あたしも分からないわよ」

 

 なんだか会話がすれ違ってるような……と、その時、鳳は彼女の言葉の中に、ちょっと聞き捨てならないものがあることに気づいた。

 

「いや、ちょっと待て! おまえさっき、ずっとこの中で暮らしてるって言ってたな? ずっとって、どのくらいずっとだ?」

「ずっとはずっとよ」

「1年より長く……?」

「うん」

「2年よりも?」

「もっとずーっとよ」

 

 鳳は少々頭が痛くなってきた。謎空間か裏ステージか分からないが、明らかに普通じゃない場所に、この少女は何年も閉じ込められているというのか? そう言われてみると、家庭菜園とかウッドテーブルに並んだ食器の数々とか、生活臭がするものがあちこちにあることに気付かされる。

 

 何も、城の中でこんな生活をしなくてもいいではないか。見すぼらしいポンチョじゃなくてドレスを着飾ったって、素足じゃなくてガラスの靴を履いていたって。アイザックは何を考えているんだろうか?

 

「えーっと……例えばここは城の中だって、おまえは知ってるんだよな? どうして城じゃなくって、こんなツリーハウスで暮らしてるんだ?」

「人のお家を、こんなとは失礼ね!」

「そりゃ悪かったけど……でもここじゃなくても、城の一室でも貸してもらえばいいじゃないか。あっちには部屋がいっぱい余ってるぞ。なんなら俺から城主のアイザックに頼んでやってもいいけど」

「そうなんだ。でも無理よ」

「なんで?」

 

 すると彼女は少し機嫌を損ねてしまったのか、唇を尖らせながら言った。

 

「だってアイザックが言ったんだもの」

「アイザックが? なんて?」

「外は危険がいっぱいだから、見つからないようにここに隠れてろって」

「危険?」

「じゃないと魔王が来て食べられちゃうからって」

 

 なんだそれは……? アイザック達の話によると、魔王は300年前に倒されて、もうこの世に居ないはずだ。要するにこれは、いたずらっ子を諭すために吐く嘘のようなものだろうか。雷様におへそを取られるとか、嘘を付くと河童に尻子玉を抜かれるとか。

 

 それじゃあ、アイザックは子供をだまくらかして、いつまでもいつまでも、こんな謎空間に閉じ込めてるということか? 地下室で白骨死体を見つけた時から、あいつのことは信用ならないと思っていたが、まさか幼女監禁にまで手を出していたなんて……

 

 何しろいきなり飛ばされてきた異世界である。右も左も分からないから、無意識的にここが安全だと思ってしまっていたが、その前提は崩されつつあった。もはや一刻の猶予もない、さっさとここから出ていった方がいいだろう。

 

 義憤に駆られながら、鳳は少々怒り気味に言った。

 

「よく聞け、メアリー。魔王はもういないんだ。300年も前に勇者に倒されてしまったらしいから。もう外は危険なんかじゃないんだ。だからおまえも、いつまでもこんな場所に隠れてないで、さっさと外の世界に出ていった方がいい。アイザックは嘘を吐いているんだよ」

 

 しかし、メアリーは彼の言葉に首を振って、

 

「ううん。魔王が滅んだことなら知ってるよ」

「知ってる?」

「だって、魔王を倒したのはアイザックだもん」

「はあ!? あいつが魔王を倒したわけがないだろう?」

 

 一体彼女は何を言ってるのだ? 鳳は頭が痛くなってきた。

 

 アイザックはメアリーに、大人しくしないと魔王に食べられちゃうと脅かしたかと思えば、今度は自分が魔王を倒したなんて大ぼらを吹いている。そしてメアリーはメアリーで、そんな子供でも分かる嘘を受け入れている。

 

 話がどうこじれたらこんなことになるのだろうか? その理由は間もなく、彼女の口によって明かされた。

 

「ツクモが言ってるのは、今のアイザックのことね。違う違う。あたしに魔王の話をしてくれたのは、もっとずっと昔のアイザックだよ」

「……昔の?」

「うん。アイザックのお祖父ちゃんのお祖父ちゃんの、そのまたお祖父ちゃんの、もっとお祖父ちゃんのアイザック」

 

 なるほど。鳳はピンときた。海外の貴族なんかは、後継者に自分と同じ名前を名乗らせていたりするものだ。つまり、鳳の知っているあのアイザックは、正式にはアイザック5世とか6世とか、そういう代目がついているということだろう。

 

「つまり……大昔のアイザックの先祖が、魔王を倒したってことか?」

「そう」

 

 なるほど、それなら合点がいく。鳳は一番最初に、アイザックがヘルメス卿と呼ばれていたことを思い出した。

 

 確かヘルメスとは帝国を守護する精霊の一体で、国名でもあったはずだ。多分、アイザックのご先祖様が、魔王討伐で勲功を上げて、この国を治める領主となったんだろう。もしくは、領主だったから、勇者についていったのか。

 

 どちらにしろ、そういう縁があったために、この国は勇者派の首領として君臨し、と同時に苦境にも立たされているのだろう。もちろん、アイザック達が言っていたことが全て本当ならの話であるが……

 

 ともあれ、魔王の脅威が去った今、その脅威から隠すために作ったこの空間に、いつまでもメアリーを閉じ込めている必要はないだろう。やっぱりどうにかアイザックを騙すか説得するかして、彼女は外に出るべきだ。

 

 そう結論づけようとした時、鳳は話の中に潜んでいる異常さに気がついた。

 

「ちょ、ちょっと待て、メアリー。おまえ、アイザックに言われて隠れてるって言ってたよな?」

「うん」

「そのアイザックってのは今のアイザックのご先祖様。魔王を討伐したアイザックってことだよな? それじゃおまえ、一体、何年この中に閉じ込められてるってんだ?」

「何年って、知ってるでしょ。300年だよ」

 

 頭の中でチリチリと音がしたような気がした。もの凄い勢いでニューロンが活性化されて、おかしな電圧でも発生しているかのようだ。

 

 300年……300年って、何年だ?

 

 そんな頭の悪い感想しか出てこなかった。呆然と見つめた彼女の頭には、横に突き出るように伸びているエルフ耳があった。そうだ、彼女は見た目通りの年齢ではない。神人は不老非死。何事も無ければ、何千年だって生きられるのだ。

 

 100年も生きられない人間からしてみれば羨ましいことだと思っていた……だがそれは、こんな場所にずっと閉じ込められているのでなければの話だ。

 

「300年前、魔王が帝国に侵入したとき、アイザックはあたしをここに隠したんだ。そして魔王を倒して帰ってきたあと、あたしにお帰りのチューをしてちょうだいなんて言ったのよ。

 

 だからあたしは言ったんだ。げえ、気持ち悪~い! って。そしたら、そんな奴は外に出してやら~ん! って、そのままあたしは閉じ込められちゃった。アイザックって大人気なかったんだよね。

 

 それでもすぐ出してくれると思ってたんだけど、アイザックはしつこかったのよ。それであたしも意地になっちゃって、絶対アイザックにキスなんかしてやらないって……でも、それから暫くして、アイザックが死んじゃったのよね」

 

「……死んだ?」

 

「うん。こんなことになるなら、ほっぺにチューくらいしてやれば良かったわよ。お城の人たちは、あたしを外に出そうとして色々してくれたけど、全然駄目だった。それでずーっとここにいるのよね」

 

 メアリーは軽い調子で喋っていたが、内容はかなりヘヴィーなものだった。考えようによっちゃ、自分の恩人に素直になれなくて、すれ違ってるうちに相手が死んでしまった。挙句の果てに300年もこんなところに閉じ込められているのだ。

 

 いや、単に考えないようにしてるだけかも知れない。そりゃそうだ。人間、鬱々と300年も暗いことばかり考えていたら死んでしまう。だから彼女はいつしか考えることをやめたのだろう……そのうつむき加減の幼馴染にそっくりな顔を見ていて、そう思った。

 

 鳳はすっかり暗くなってしまった空気を払おうと、話題を変えた。

 

「……ところで、話は変わるが、エミリアとかソフィアって名前に聞き覚えはないか? 具体的には、おまえの親戚にそんな名前の人がいたりしないか。お母さんの名前は?」

「ママの名前はスーだよ。さっきそう言ったじゃん。ソフィアは真祖様の名前でしょう。それにエミリアは神様だよ」

「ああ、そうか……スーって名字じゃなかったんだな」

 

 それなら彼女も、メアリー・スー・田中とか、そんな感じの名字が別にあるんだろうか?

 

 鳳は改めて名字を尋ねようとしたのだが、その言葉が口をついて出るより先に、それ以上に気になることを発見してしまった。

 

「エミリアは……神様? そう言えばおまえ、さっきもそんなこと言ってたな。この世界にはエミリアって名前の神様がいるのか?」

「うん、ツクモは知らないの?」

「ああ、歴史講釈でもそんな話は聞いてないが……どんな神様なんだ?」

「ふーん。なら、あたしが教えてあげる。真祖ソフィアは、エミリアの化身なのよ」

「……え?」

 

 鳳は驚いた。てっきりエミリアとソフィアと言っても、それぞれ無関係な名前だと思っていたのが、まさかその2つに共通点があるなんて……しかも、ソフィアがエミリアの化身(アバター)なんて、鳳の住んでいたあっちの世界と全く同じではないか。

 

 エミリアとソフィアが同一人物で、目の前にはそのエミリアにそっくりな少女がいる……こんな偶然があってたまるか。

 

「昔々、人類が誕生するよりもずーっと昔、この世界は魔王によって支配されていました。魔王は命という命を刈り取り、地上は火と毒で荒れ果て、草木が芽吹く隙間もありませんでした。天に住まうエミリアは地上の惨状を憂えて、魔王を滅ぼす決意をしました。でも、天上の神と地上の魔王では住んでいる世界が違います。だから、エミリアは自分の化身を創って地上に遣わせました。それが真祖ソフィアです。地上に降り立った真祖ソフィアは、魔王と戦うために五精霊を生み出しました。最強の矛である真祖ソフィアを、最強の盾である五精霊が守り、そして見事魔王を討ち滅ぼしたのです」

 

 メアリーは昔話を終えると、少し懐かしそうな顔をして、

 

「だからエミリアとソフィアと精霊は三位一体なんだって、アイザックはそう言ってよく笑ってたのよね。何がそんなにおかしかったのか、わかんなかったけど……何がそんなにおかしかったんだろうね? ツクモには分かる?」

 

 それは多分、キリスト教の三位一体説となぞらえて面白がっていたのだろうが……確かに、こちらの人からしてみれば、わけがわからないだろう。そう考えた時、鳳はまた違和感に気づいた。

 

 あれ? それじゃあアイザックは何故笑ったんだ?

 

 アイザックはこっちの世界の住人ではなかったのだろうか。もしかして彼も、鳳たちみたいに異世界から呼び出されたのではなかろうか。考えても見れば勇者召喚されたのが、勇者だけとは限らない。鳳たちだって5人もいるではないか。

 

 いや、そろどころか、実はアイザックの先祖が勇者その人だったんじゃなかろうか。彼はそう思って尋ねてみたが、

 

「なあ、もしかして、アイザックと勇者って同一人物だったのか?」

「え? 違うよ?」

 

 アイザック勇者説はあっさりと否定された。そりゃそうか。もし、自分の祖先が勇者だったら、今のアイザックが自慢しないわけがない。でも、それならなおさら勇者とは何者だったのか気になるところだ。思えば歴史講釈をしてくれた老人も、勇者の名前はついに一度も口にしなかった。

 

「そ、そうか……じゃあ、勇者の名前ってなんなんだ?」

「さあ、知らない」

「はい? 有名人なんだから、当然知ってるだろう?」

 

 するとメアリーはムスッとした表情で、

 

「知らないものは知らないよ。勇者は勇者としか聞いたことがないもん。もしかして名前がなかったんじゃないかな」

「そんな馬鹿な」

 

 勇者の名前を彼女は知らないという。嘘をつく理由もないし、かなり妙な話だが、彼女には勇者の名前が伝えられてないということだろうか……いや、そうではない。歴史講釈の老人も知らなかったのだ。何故か分からないが、勇者の名前は後世に伝わっていないのだ。どうしてそんなことになっているのだろうか?

 

 勇者派と守旧派で争っているうちに、歴史から抹消されてしまったのだろうか? 彼女の言う通り、本当に名前が無かったということだろうか? もしも名前があるのなら、勇者ロトなりヨシヒコなり、現代に伝わってなきゃおかしいだろう。なんせ相手は、世界を救った勇者なんだぞ。

 

「じいいいーーーーー……」

 

 そんな具合に名無しの勇者について鳳が考え込んでいると、いつの間にかメアリーが近づいてきて、彼の胸のあたりをじっと見つめたいた。わざとらしく、じいー……なんて声を出しながら。

 

 一体何を見ているんだろう? と、視線の先を辿ってみれば、胸ポケットの中から折り鶴のしっぽが突き出していた。彼はそれを取り出して、

 

「これか?」

「うん。それはなに?」

「これは鶴だよ。紙で作った折り鶴だ」

「ツル……ツルってなに?」

「え? ツルを知らないの??」

 

 と言っても、鳳もよく知らなかった。北の方にいる渡り鳥で、かなり体が大きくて、コウノトリに似てるくらいしか分からないが……

 

「コウノトリ?」

 

 案の定、彼女はそっちの方も知らないようだった。そりゃそうだろう。300年もこんなところに閉じ込められていたんじゃ。

 

 鳳は仕方ないので身振り手振りで、どうにか伝えようと頑張った。

 

「えーっと、白黒の大っきな鳥で、主に寒い地方で暮らしてて、こう、ばさばさーって飛ぶんだ。ばさばさーって」

「ふーん……こんな鳥がいるんだ。変なのー……あはははははははは!!」

 

 メアリーは笑い転げた。最初の方でもちょっと思ったが、恐ろしく笑いのハードルが低い女だ。界王なみである。他に楽しみがないと、人間ってこうなっちゃうのだろうかと思うと、腹が立つどころか寧ろ可哀想になってくるが……

 

 彼女はひとしきり笑った後、

 

「ひぃひぃ……本当にこんなのが、パタパターって空を飛んでるの? こんな鳥、見たこと無いよ」

 

 メアリーは折り鶴を不思議そうに見つめている。

 

「え? そうだな……言われてみると、全然似てないな。折り鶴ってどのへんが鶴っぽいんだろうか。しっぽはこんなに長くないし、足もないし」

「足のない鳥がいるの?」

「いやいや、実物にはフラミンゴみたいに細い足がちゃんとあるんだけど」

「フラミンゴ?」

「ですよね」

 

 鳳は参ってしまった。まるで小さい子供に言葉を教えているような気分だった。図鑑なりなんなりがあればいいのだが、残念ながらそんなものはここにはない。出来れば実物を見せてやりたいところだが……300年も閉じ込められているという彼女にそんなことを言うのは、かえって酷だろう。

 

 鳳は食い入るように折り鶴をじーっと見つめているメアリーに、それを差し出した。

 

「やるよ」

「え? くれるの?」

「ああ。多分、もう、必要ないだろうし」

 

 なんで千代紙なんかを握っていたのかもわからないし、あの光がなんだったのかもよくわからないが、多分、ここでメアリーに会うためだったのだろうと、鳳はなんとなくそう思った。

 

 なんせ、彼女はエミリアにそっくりだし、折り鶴はそのエミリアとの思い出の品だから、きっと単なる偶然じゃないのだろう。

 

 それに……

 

「ありがとう! 宝物にするね!!」

 

 そう言って、ウキウキしながらそれを大事そうに抱えるメアリーを見ていたら、ここであげないなんて選択肢はないだろう。

 

 彼女は折り鶴を両手に抱えてくるくると回ると、

 

「しまってくるー!」

 

 と言って、ツリーハウスのハシゴを一目散に昇っていった。

 

 そんなに嬉しいものなのだろうか。いや、嬉しいのだろう。ここは彼女がそんなになってしまうくらい、あまりに刺激がないのだ。

 

 異世界に召喚されていないはずのエミリア、その彼女にそっくりなメアリー。この世界にはエミリアの名を冠した神が存在し、その化身が帝国の始祖ソフィア。かつて世界を救った勇者には名前がなく、今回呼ばれた勇者たちは種馬としての能力だけを期待されている……

 

 これらの事実はどう繋がるのだ? エミリアは本当にこの世界にいないのだろうか。とてもそうは思えない。もう一度、落ちついて状況を整理したほうが良いだろう。これじゃ何がなんだかわからないから。

 

 でも、その前に、ジャンヌと合流しなければ……すっかり忘れていたが、彼はどうしているのだろうか。外に出れたら連絡してくれと言ったはずなのに、一向に連絡してこない……

 

「そこで何をしているっっ!!」

 

 その時、この殺風景な広場に怒声が響き渡った。

 

 ハシゴを昇っていたメアリーが振り返り、鳳は冷や汗をかいて凍りついた。

 

 振り返れば、神人を引き連れたアイザックがギラギラとした瞳でこちらを睨みつけていた。

 

 しまった……忘れていたのはジャンヌだけではなかった……

 

 鳳は自分の迂闊さを呪ったが、もはや後の祭りであった。

 



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勝手にしやがれ!

「そこで何をしているっっ!!」

 

 激昂するアイザックの声が広場に響き渡った。そのあまりの剣幕に、ハシゴを昇っていたメアリーが驚き、段を踏み外して目を丸くしている。

 

 鳳は背筋に冷や汗をかきつつ、愛想笑いを浮かべながら振り返った。アイザックの表情は、初めて会った時の自信に満ちた貴公子然としたものとはもはやかけ離れており、その瞳はまるで地獄の餓鬼のように爛々と怪しい光を灯していた。

 

 どうやら彼は、この場所に鳳がいることが気に入らないようだ。そりゃそうだろう。こんな場所、誰かに案内でもされない限り、絶対に入ることは出来ない。彼は隠しておきたかったのだ。なのにそんな場所に得体の知れないBloodTypeCが紛れ込んでいたのだから、不信感マックスなのは当然だ。

 

 でもそれは、逆に好都合かも知れない。普通誰も入れない場所なら、偶然に入ってしまったことを強調すれば、そっちのほうが気になって、地下で見たあれに気づいていない振りを決め込めるかも知れない。

 

 鳳はそう思って満面に笑みを讃えながら、

 

「やあ、アイザック様。丁度良かった。実は道に迷って困っていたんですよ。一体ここはどこなんです? みんなのところに帰りたいんで、連れてってくれませんか」

「貴様、ここへどうやって入ってきたんだ!」

「さあ、俺もよく分からなくて。なんか生け垣で出来た迷路みたいな場所に出たと思ったら、変な光がふわふわしてて、それを追いかけていたら、ここに着いたんですよ。あの光は何だったんですかね?」

「嘘をつけ! どうやって入ったのかと聞いている!」

「いやいや、本当なんですって」

 

 実際、半分本当のことなのだが、アイザックは聞く耳持たない様子だった。奥歯をギリギリと噛み締めて、鳳のことを睨みつける目が血走っている。彼の後ろに控える神人二人も同じように、鳳に鋭い視線を浴びせて警戒していた。

 

 こりゃ、しらばっくれるのは無理かな……どうやら相手の方がよっぽど余裕が無かったらしい。取り敢えず、地下室の秘密さえ気づいてない振りをすれば、なんとかなるかも知れない。鳳はそう思ったが……

 

「そんなことよりも、おまえは死んだんじゃないのか!? 何故、おまえは生きている!?」

「えーっと、そんなこと言われましても」

 

 実は自分も死んだと思ったけど生きてました……なんて言ったら火に油を注ぐだけだろう。なんと言い返したものかと逡巡していると、その時、アイザックが思わぬことを口走った。

 

「おまえは死んだはずだ! 手は千切れて足はねじ曲がり、全身黒焦げだった。レベル上げの手伝いだと誤魔化し、上手く始末できたと思ったが……何故おまえは死なない!? どうやってあそこから復活したんだ!?」

「……は??」

 

 誤魔化し? 始末? 今、なんて言ったんだ、この男は……

 

 その瞬間、鳳の脳裏に今朝の出来事が次々と過ぎっていった。

 

 ゴブリンの檻が壊れたこと、MPポーションでラリったこと……考えても見れば、あんな狙ったようなタイミングで鉄格子の檻があっさり壊れるのはおかしいだろう。そして鳳がMPポーションでラリって居た時、アイザックは仲間たちに強引に捕まえた魔物を倒すよう勧めていた……

 

 昨日、鳳がレベル1のBloodTypeCと知った時のつれない態度を思い出す。あの時はそこまで露骨じゃなかったが、今やアイザックは憎悪を隠すことなく、鳳を睨みつけていた。

 

「殺した奴が消えて無くなる……そんな異常事態に驚いていれば、まさか結界を破ってこの中に侵入していたなんて……貴様、本当に何者だ? 魔王の手先なのか……? いや、もはやそんなことどうでもいい。おまえは危険すぎる」

「な、何を勝手なことを言ってやがる」

 

 自分は殺されかけたのだ……その事実に、鳳も流石に怒りを感じた。こいつ、殴ってやろうかと、当初の目論見などすっかり忘れてアイザックに飛びかかろうとしたが、

 

「アイザック様、ここは私達が」

 

 そのアイザックをかばうように、神人達が立ちはだかる。彼らは腰に佩いていたサーベルを抜き放った。ギラギラと鈍く反射する光を見て、頭に血が昇っていた鳳は瞬時に冷静になった。

 

 ゴクリ……嚥下した唾液が喉を通ると、寒くもないのに体が勝手にブルブルと震えだした。

 

「ちょ、ちょっと待てちょっと待て!! 一体なんのつもりだ!? 俺が何をしたっていうんだ?」

「黙れ! もはや貴様の言葉など聞く耳持たない。初めからおかしかったのだ。おまえは他の勇者たちと違う、一人だけ闇の眷属で、しかも魔族だ」

「うっは! やっぱ魔族だったの俺!?」

 

 自分でもそうじゃないかなと思ってはいたが、思うのと実際言われるのとでは全然違う。鳳は結構なショックを受けたが、この状況が落胆する暇も与えてくれそうになかった。

 

 抜身のサーベルを構えた神人2人が、じりじりと距離を詰めてくる。怯えた目つきでその剣先を見つめながら、鳳もジリジリと後退する。

 

「勇者召喚は禁断の秘技……何が起こるか分からなかったとは言え、まさか魔族を召喚してしまうとはな。お前を生かしておいたら禍根を残す。どうせみんな死んだと思っているのだ、悪いがお前にはここで死んでもらうぞ」

「悪いと思ってるならやめてくれっっ!!」

 

 鳳がどんなに必死になって叫んでも、神人達が剣を引く気配はない。突然のピンチにうろたえた彼を流石に可愛そうと思ったのか、それまで小さくなって状況を見守っていたメアリーが、神人達の前に飛び出した。

 

「アイザック! やめなさい。何があったか知らないけど、虐めちゃ可愛そうよ」

「分からないなら退いて下さい、メアリー! そいつは危険なんです!」

「ううん。ツクモは危険じゃないよ。さっきまでお話してたけど、特に何も無かったし、全然優しかったわよ」

「そんなのは今だけのことに過ぎません。なんせそいつは闇の眷属、魔族なんですよ。もしかしたら、君を殺しに来た魔王の手先かも知れない」

「そ、そうなの?」

 

 メアリーが不安そうに振り返る。鳳はブルブルと首を振って、

 

「そんなわけあるかっ! さっきのこいつとの会話を聞いてただろ? 俺はこいつに勇者召喚で呼び出されたんだぞ。それまではただの人間だった」

 

 アイザックはそんな鳳の声を遮るように、

 

「話を聞いていたならわかるでしょう。そいつはBloodTypeCなんですよ。他ならぬ、彼自身がそう言い切ったんだ。間違いない!」

「そ、そうなんだ……」

 

 その言葉を聞いたメアリーは、申し訳無さそうな表情で、おずおずと神人達に道を譲った。

 

 ちょっと待て、BloodTypeCってそんなにまずいものなのか? そうと知っていたら、絶対誰にも言わなかったのに……しかし今更後悔しても後の祭りである。

 

「お前たち、レベル1の魔族とは言え、相手は勇者だ。何が起きるかわからん、慎重にやるんだぞ」

 

 主人の言葉に呼応するかのように、神人達がサーベルを構え直し気合を入れる。鳳はすかさず叫んだ。

 

「ば、馬鹿め! 俺はもうレベル1じゃない! お前らには負けないぞ!!」

「な、なにっ、それは本当か!?」

 

 神人達はその言葉に動揺し、後退る。ステータスは全く上がってないしレベル2なのだが……嘘はついてないぞと、鳳は胸を張った。すると、神人たちは緊張気味に、

 

「ならば手加減はせぬ。ここは万全を期して本気でいかせてもらうぞ」

「うわー! やぶ蛇! うそうそ、俺ホントに弱いから!」

 

 鳳がそう叫んでも、もはや神人達に手を抜くつもりは無かったようだ。彼らは鳳を取り囲むように間合いを詰めると、片方がサーベルで牽制し、もう片方が杖を握って何やら呪文を唱え始める。

 

「スタン・クラウド!」

 

 その呪文には聞き覚えがあった。というか、そのまんまである。前の世界のゲームの中の初歩魔法で、この魔法で生成された雲に触れたら体がしびれて動けなくなるのだ。

 

 やばい……

 

 鳳は慌ててその場から飛び退いた。しかし、そのときにはもう周囲は魔法の雲に取り囲まれており、どこにも逃げ場はなかった。突然、全身から力が抜け、膝がガクンと折れ曲がる。

 

 彼は神人達に背を向けて、倒れまいとたたらを踏みながらドスドスと広場を駆けたが、間もなく最後の抵抗も虚しく、地面に倒れ伏した。鳳は殺虫スプレーを吹き付けられたゴキブリみたにビクビクとのたうち回っている。

 

 その光景があまりに無様過ぎたからか、攻撃してるはずの本人達も気まずそうな表情で、

 

「悪く思うなよ……」

 

 と言いながら、抜身のサーベルを手にして近づいてきた。

 

 やばい、やばい、やばい!!

 

 鳳は芋虫みたいに蠕動(ぜんどう)運動するように、必死になって地面を転げ回った。この状況を打破する方法はないのか? 言葉はもう通じないのか? こっちに召喚された自分が、デジャネイロ飛鳥のステータスを継承していれば、絶対にこんなことにはならなかったのに。彼の魔法耐性は100%を超えていて、絶対に状態異常にはかからなかった。せめて回復魔法でも使えないか? クリアヒールなんて、あっちの世界じゃ初心者魔法だったと言うのに……

 

「ステータス!」

 

 鳳は何か新しい魔法でも覚えてないかと、慌てて自分のステータスを開いてみた。震える手で画面を操作し、スキルメニューを覗いてみるが、そこは綺麗サッパリ空欄が並んでいるだけだった。

 

 なんで自分ばっかり、こんな目に遭わなきゃならないんだ!

 

 仲間はみんな、レベル99のチートスキル持ちなのに、どうして自分ばっかり!! 涙目になりながら、上手く動かない指先で白はメニュー画面を再度開く。何かないか? 何かないか?

 

 と、その時……彼の視線の先で、†ジャンヌ☆ダルク†の文字が光った。ひと目見ておっさん丸出しの痛い名前であったが、それが今は救世主に見える。

 

----------------------------

鳳白

STR 10       DEX 10

AGI 10       VIT 10

INT 10       CHA 10

 

LEVEL 2     EXP/NEXT 0/200

HP/MP 100/0  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ?

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

 

PARTY - EXP 100

鳳白          ↑LVUP

†ジャンヌ☆ダルク†  ↑LVUP

----------------------------

 

 鳳は咄嗟にジャンヌの横の↑LVUPの文字列を震える指先で16連射しながら、

 

「ジャンヌ! ジャンヌ! 聞こえるかジャンヌ! 助けてくれええ!!!」

 

 っと叫んだ。

 

 そもそもここがどこなのか、呼び出したはいいものの、果たして彼が来れるのか分からないが、そんなの考えている余裕があるはずもなく、彼はただ一心不乱にジャンヌの名前を叫んだ。

 

 彼が何をしているのか分からない神人達が、哀れなものでも見るような目つきで見下している。しかし……

 

『……白ちゃん? キャッ! 何よこの光?? 白ちゃん?』

 

 鳳の耳には、そんな救世主の声がちゃんと届いていたのだ。

 

「ジャンヌ!! 良かった、俺の声が聞こえるんだな!?」

『え、ええ……聞こえるけど。わあ、なにこれ。白ちゃん何をしたの? さっきから白ちゃんに呼びかけていたのに全然通じないと思ったら、突然光が現れて……』

「いいからとにかくこっちに来てくれ! 殺されるっ!!」

『ええ!? 一体、どうしたってのよ……?』

「アイザックに襲われてるんだ! 奴ら本気だ、助けてくれっっ!!」

 

 ジャンヌの息を呑む声が聞こえてきた。鳳の言葉は要領を得なかったが、その切羽詰まった声から状況を察してくれたらしい。

 

 しかし、ジャンヌが返事をする前に神人達の方が先に動いた。

 

「恐怖で気が触れでもしたのか……さっきから一人でギャアギャアと」

「早く楽にしてやれ。せめてもの情けだ」

 

 神人がサーベルを振り上げる。地面に這いつくばっている鳳は体がしびれて動けない。ヤバい……殺られる! 彼が自分の運命に絶望したその時……

 

 ガキンッッ!!

 

 っと、神人が振り下ろしたサーベルが、突然、どこからともなく現れた剣によって阻止された。

 

「な……なに!?」

 

 突然の横槍に体勢を崩しながら驚愕する神人の視線の先には、人工物のような四角い形をした光が宙に浮いていた。その形は何というか、扉を縁取ったような、そんな感じである。

 

 鳳はそれをつい最近見たことがあった。あの真っ暗な城の地下室から出てくる時、牢屋の奥にあった光の扉……そこからニュッと、ごっつい腕が出てきて……続いてSTRが23くらいありそうなゴリマッチョのおっさんが、鋭い睨みを利かせながら、ずずずいと這い出てきた。

 

 その瞬間、神人達は真っ青な顔をしてその場から飛び退き、鳳は感涙に咽び泣いた。

 

「ジャンヌーッッ!!!」

「……白ちゃん。よかった、無事ね? アイザック様、一体どういうつもり?」

 

 光の扉から出てきたジャンヌは、地面に這いつくばっている鳳を目だけでちらりと確認すると、彼のことを襲っていた神人達を真っ向に見据えながら、脇の方で泡を食っているアイザックに問いかけた。

 

 しかしアイザックはその言葉に答えることなく、ただただ唖然とした驚愕の表情を湛えたまま、

 

「ば、馬鹿な……ポータルだと? いや、これがサモン・サーヴァントなのか……? こんな伝説級の古代呪文……ありえんっ!!」

 

 どうやらアイザックは、光の扉を鳳が呼び出したと思っているらしい。もちろん、鳳にはそんなことをした覚えは無かったが……勝手に勘違いしたアイザックは、ワナワナと震える指先で彼のことを指差すと、

 

「刺し違えてでもその男を始末するんだ! 怯むな!」

 

 主人のその言葉に真っ青になっていた神人達がハッと我を取り戻す。彼らはサーベルを抜いて未だ動けない鳳に飛びかかってきた。

 

「そうはさせないわっ!」

 

 しかし、その行方を阻むようにジャンヌが飛び出し、

 

「紫電一閃! 春塵荒波風破斬(しゅんじんこうはふうはざん)!!」

 

 腰だめに構えていた剣を横薙ぎにすると、その剣圧で神人達が吹っ飛ぶ。彼はそのまま返す刀を地面に叩きつけるように振り下ろし、

 

「全てを打ち砕く神の雷! 快刀乱麻(かいとうらんま)っ!」

 

 ズシンッ! ……っと、まるで地震のごとく地面がグラグラと揺れ、彼の振り下ろした剣先の地面がぱっくりと地割れを起こした。

 

「ば、化け物め……」

「だが我らは二人だ。2対1で、人間が勝てると思うなよっ!」

「誰が化け物ですって、人聞きの悪い……いいわよ、かかってらっしゃい」

 

 屈辱的にも尻もちをつかされた神人たちは、土をつけたジャンヌのことをいよいよ敵と認定したようだった。

 

 ギラギラとした眼光を光らせ、神人達がジャンヌに躍りかかる。神人という生まれながらにして恵まれた身体能力、そして長年の相棒でもある二人から繰り出される技は、実際に鳳の目では追えないくらいの速さだった。

 

 だが、そんな神人の猛攻を前にしてもジャンヌの優位は覆らなかった。彼の剣技は神人達のそれよりも速くて重い。まるで子供の相手でもしているかのように、悠々と剣を捌くジャンヌが、徐々に二人を押し返していく。

 

「くそがあああああ!!!」

 

 激昂する神人達の叫びと、キンッ! キンッ! ……っと、金属がぶつかる音が広場に鳴り響く。

 

 ジャンヌ達が戦っている間、徐々にしびれが取れてきた鳳は、匍匐前進して必死に距離を取ると、震える膝に手をつきながらどうにか上体を起こした。

 

 額の汗が目に染みる。それを拭おうとした、その時……

 

「あっ! あぶねっ!!」

 

 ブオンッッ……! っと、鳳のすぐ横っ面をサーベルの剣先が薙いでいった。彼は咄嗟に倒れるように飛び退くと、地面に肩を強かにぶつけて着地した。

 

 肩に激痛が走り、ズキズキとした痛みに顔を歪める。と、またも鳳が体を起こそうとする瞬間、その起き上がり際を狙って剣が飛んできた。

 

「死ねっ!」

 

 鳳はまたも必死に体を捻ってその剣を躱すと、今度は前転受け身の要領で着地した。そんな彼の起き上がりこぼしを再度アイザックが狙ってくる。

 

「死ねっ死ねっ死ねっ!!」

「うわっっとっとっ!」

 

 次から次へと振り下ろされる剣を、右へ左へと必死に避ける。アイザックは決して剣が得意と言えなかったが、それでもそこそこの腕前はある。なのに鳳の動きの方が凌駕していたのは、きっと死の恐怖が彼を突き動かしていたからであろう。

 

 ひらりひらりと避ける姿は、まるで五条大橋の義経を思わせる……だが、そんな付け焼き刃はいつまでも続かなかった。彼は間もなく、まだ残っていたしびれのせいで足がもつれ、剣を避けた勢いのまま、思いっきり地面に顔から倒れ込んでしまった。

 

 脳を揺さぶられ目眩がする。打ちどころが悪かったのか、脳震盪でも起こしたのか、必死になって命令しても、鳳の体は動かない。

 

 背筋を滝のように冷たい汗が流れていく。おかげで頭はこれまでにないくらい冴えているというのに、体の方は言うことを聞いてくれない。万事休す。そんな鳳に向けて、アイザックの剣が、今まさに振り下ろされようとしていた。

 

 しかし、その時……

 

「だめえええーーーっっ!!」

 

 振り下ろされようとしていたアイザックの剣の前に、小さな金髪ツインテールが立ちはだかった。ブオンッ……っと風切り音がして、風圧がメアリーの肩越しから鳳に届いた。

 

 アイザックはフクロウみたいにまん丸の目をしながら、メアリーを凝視し硬直していた。彼の剣はあと数ミリで彼女に到達する、すんでのところで止まっていた。

 

 ハラリと、彼女の前髪が数本抜け落ちる。

 

 ぷはぁ~! っと、アイザックは止めていた息を盛大に吐いた。

 

「な、な、な、何をしてるんですか、メアリー! そこを退いてくださいっっ!」

「どかない。もうやめなさい、アイザック」

「何故、そいつを庇う!! そいつは魔族ですよ? 放っておけば、いずれそいつが魔王を連れて戻ってくるかも知れない。ここで殺すしかないんです」

 

 メアリーの向こう側にいるアイザックはどこか切羽詰まったような感じだった。鳳は元々、彼女は魔王から隠れるためにこの空間に入り、そして閉じ込められてしまったことを思い出した。

 

 そう考えると、アイザックが彼女の居場所を魔族に知られることを恐れる理由も分かるが……

 

「でも、アイザック。気づいてるでしょ? ツクモからは魔力を感じないわ。あのポータルだって、ツクモが出したんじゃないわよ、きっと」

「それは……きっと今だけのことです。いずれこの男は魔力を得て、我々の前に立ちはだかるに違いない。その時、殺されるのはあなたですよ!?」

「そうかなあ……とてもそうは思えないわ。ツクモはなんか間抜けだし、能力も低いし、基本的に善人っぽいし」

 

 酷い言われようである。

 

「それに魔族だとしても、全ての魔族が悪ではないことくらい、あなただって分かっているでしょう」

 

 全ての魔族は悪ではない……? てっきり魔族と、人間と神人のグループが古代からずっと争い続けてるのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。その辺詳しく聞きたいところだが……

 

「だが、善であるとも限らない。可能性があるなら、断っておかなければならない。さあ、わがままは言わず、そこをどいてください」

「だめよ、可哀想よ」

「いい加減にあきらめてください! そいつは殺しておくべきなんだ」

「いいえ、諦めるのはあなたの方よ、アイザック」

 

 アイザックがしびれを切らしてメアリーのことを押しのけようとした時だった。彼の背後から、押し殺したような、殺伐とした声が聞こえてきた。

 

 彼がドキリとして振り返る……そこには、

 

「……は、はは、ははは……神人二人を相手に無傷か。この化け物め」

 

 振り返ると、そこには足元に倒れた神人に剣を突き立て、こちらを藪睨みしているジャンヌが立っていた。神人たちはボロボロで、手足はおかしな方向にねじ曲がり、白目をむいて気絶している。アイザックはゴクリとつばを飲み込むと、

 

「……殺したのか?」

「死んではないわよ。こうしなければ止まらなかったの。神人の超回復ってのは、やっかいね……」

 

 そう言うジャンヌの声は震えていた。基本的に平和主義者の彼は、相手をここまで痛めつけなければならなかったことに傷ついているらしい。その気になれば殺すことは出来た、いや、いっそ殺したほうが彼らも楽だったかも知れない。なのに自分は殺すことが出来なかった。その事実がジャンヌを苛んでいるようだった。

 

 だからだろうか、

 

「さあ、アイザック。剣を引きなさい」

 

 そう淡々と言い放つジャンヌの言葉には、言いようの知れぬ迫力があった。

 

 アイザックはそんな彼をじっと見つめたまま暫く動かなかったが……

 

 やがて、大きくため息を吐くと、剣を下ろした。もうジャンヌが引くことはないだろう。それを理解した彼は、悔しそうに舌打ちをし、それからフラフラとした足取りでウッドテーブルのところまで歩いていくと、切り株の椅子にどっかと座って、両腕で頭を抱えるようにしてテーブルに突っ伏した。

 

 ため息が広場に響く……鳳はそんなアイザックが哀れに思えてきて、

 

「なあ、俺が魔族だとして、何がそんなにまずいんだ。俺はきっと魔王の手先なんかにはならないぞ。そもそも、そんな自覚は無いし、あっちの世界じゃ普通の人間だったんだよ。大体、おまえが言ったんだぞ、この世界に魔王は居ないと……まさか、それは嘘だったのか?」

 

 アイザックは声を出さず、ただ首を振ってそれに答えた。つまり、魔王なんていないってことだろう。

 

「なら、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。俺は何もしないよ、つーか、出来ない。能力が無いことは、おまえだって知っていただろうに。無い物ねだりはしないし、普通の生活さえ出来りゃそれで良いんだが……」

 

 するとアイザックは不機嫌そうな顔を隠さず、横目でじろりと睨みつけるような格好で言った。

 

「だが、おまえが危険ではないと誰が証明できる? おまえが悪に染まらないと。魔王とは何も関係がないと……」

「そんなこと言われても……」

 

 鳳は口ごもった。自分は危険ではないし悪でもないし、魔王なんて知りもしない。だからそんなものに染まるなんてことは、絶対にないと言い切れる。だが、それを証明しろと言われると案外困るのだ。

 

 自分の正当性を口でアピールすることは出来る。だが、自分は善人ですと言ってる人間の言葉を、そのまま受け取る人間がどこにいる? ただの胡散臭いやつじゃないか。

 

 逆の立場になって考えてみよう。例えばここが地球の日本で、自分は内閣総理大臣だとしよう。ある日総理が勇者召喚してみたら、5人の人間が出てきたが、そのうち1人がチンパンジーだったとしよう。

 

 その時、そのチンパンジーを大事にするだろうか? 他の4人と同列に扱うだろうか? 排除しようとするんじゃないか。得体が知れないからと、殺そうとしても不思議じゃないだろう。

 

 BloodTypeC……種族が違うというのは、要するにそういうことなのだ。

 

 鳳は、アイザックと自分は絶対に相容れないことを理解した。同時に、もはやアイザックのことは絶対に信用できないと悟った。

 

「そうかい……じゃあ、もう俺はここには居られない。出ていくよ」

 

 アイザックは何も答えなかった。

 

「私も彼に同行するわ。何がハーレムよ……何が勇者よ。こんなところで種馬人生だなんて、まっぴらごめんよ!」

 

 ジャンヌも鳳に同調する。アイザックは彼の言葉に一瞬だけショックを受けたような顔をしたが、すぐにまた不機嫌な表情に戻ると、

 

「勝手にしろ! だが、ここのことを話したら、二人ともタダじゃすまないと思え!」

 

 鳳は彼に背を向けながら、

 

「ここのことって、メアリーのことか? それとも……地下室の死体のことか?」

「……この城で見たこと、聞いたこと全てだ!!」

 

 鳳はその返事を待ってから歩き出した。すぐその後をジャンヌが続く。

 

 メアリーの横を通り過ぎた時、彼女は控えめに小さく手を振ってくれた。彼女はこれからどうなるのだろうか。もう300年も閉じ込められたのだ、これからまた何百年も、ここでこうして暮らしているのだろうか……

 

 広間から出ると、いつの間にかあの大きな木は見えなくなっていて、鳳たちは城の裏庭の迷路の中に居た。入る時は散々迷ったのに、出る時はやけにあっさりだった。

 

 二人はそのまま城には戻らず、逃げるように城外へ急いだ。城にはカズヤ達、仲間がまだ残っているのは分かっていたが、声をかけることはもはや出来ないだろう。

 

 こうして二人は後ろ髪を惹かれる思いを残したまま、未知なる世界へと出ていったのである。

 



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キラキラ

 ヘルメス卿の居城を臨む丘の上に、一人の老人が佇んでいた。

 

 頭頂が禿げ上がり、側頭部には真っ白なカリフラワーみたいな白髪がゴワゴワと生え揃っている。胸の辺りまで伸ばした長い白ひげが風が吹く度に靡いている。白いローブを着込み、サンダル履き、杖をついているのは、足腰が弱いからではなく、彼が魔法使いだからだった。

 

 その丘は周囲の平原の中では一際高く、その稜線が国境のような役割を果たしていた。峠の上には大きな樫の一本木が生えており、老人はその太い幹にもたれ掛かるようにして、眼下に広がる城下町を見下ろしていた。

 

 城の南側にある広場を起点として放射状に伸びた美しい街並みは、どこまでも広がる平原の中でオアシスのような彩りを添えていた。その中で暮らしている人々は、神人、人間を問わずみな笑顔が絶えず、幸福そうな笑い声が、この遠く離れた丘の上まで聞こえてきそうなほどだった。

 

 その美しい城下町から伸びる街道は、丘を避けるように弧を描き、反対側まで続いている。その道を目で追って、ぐるりと稜線の反対側を見やれば、城と丘とを結ぶ延長線上にまた別の街が見えた。

 

 日中でありながら夜と見間違うくらい、上空には煙突から漏れ出た黒煙が広がり、バラック小屋のトタン屋根は、どれもこれも酸性雨で赤茶色をしていた。道を覆う石畳はところどころ剥がれてしまっており、下から覗く地面の茶色と雑草の緑がまるでモザイクのような模様を描いていた。

 

 行き交う人々の顔はみな真っ黒く煤けており、ボロボロの服を羽織り、中には素足で歩いている者もいた。人の往来は激しく、街道を進む人々は馬車を使っていたが、道路事情が最悪のせいか、街内に乗り入れることは嫌って、みんな自分の背丈ほどもありそうな大きな荷物を背負っていた。

 

 とその時、積み荷を下ろしていた人足の一人が、盛大に荷物を地面に落としてしまった。ズシンという大きな音と共に砂埃が舞う。御者が駆けつけてきて、その男をムチで叩くと、彼は悲鳴を上げてからペコペコと謝った。そしてまた虚ろな瞳で巨大な荷物を背負うと、仲間たちの列に混じって街内へと歩いていった。

 

 その顔は毛でビッシリと覆われ、前方に突き出した口からは牙が覗いている。頭の上では大きな獣の耳がぴょこぴょこと動いており、上半身裸の胸板は毛むくじゃらだった。獣人を従えた御者がムチを地面に叩きつけながら何かを怒鳴ると、彼らは怯えるような表情でその後に続いた。

 

 老人はその光景を見ながら、やれやれと肩をすくめると、また綺麗な城下町の方へと眼差しを向けた。あの美しい街で暮らす人々は、この黒煙の上がる蒸気の街のことを何も知らない。あの街に獣人が入ることは禁じられているからだ。

 

 嘆かわしいことである。

 

 老人はため息を吐くと、くるりと方向転換し、みすぼらしくて猥雑な街の方へと足を向けた。一陣の風が舞い、穀倉地帯の麦穂を揺らす。風の匂いは鉄の香りがした。

 

********************************

 

 石炭が燃える黒煙と蒸気で、まだ昼だというのに街は薄暗かった。道行く人々はみんな目を細め、伏し目がちに歩いていた。街のあちこちで肩がぶつかったの何なのと喧嘩が起きる。たまに女が通りかかると卑猥な罵声が飛び交ったが、まるで耳がついていないかのように彼女は素通りした。

 

 誰も彼もがこの街では、他人のことなど気にしない。もしする時があれば、それは相手の悪口を言うときくらいのものだろう。そこは辺境の村のくせに、大都会みたいに孤独な街だった。

 

 そんな街の片隅にひっそりとその安宿はあった。素泊まり銭貨10枚……数百円程度の、閑古鳥がアクビするような場末の宿屋だ。たまに街に商隊が訪れるかなんかして、行き場を失ったはぐれものが転がり込む、穴蔵みたいな宿である。

 

 もちろん、食事など出すはずもなく、チェックイン以外で宿主が近づくこともない、風が吹くたびグラグラと揺れる、ブルーシートハウスの方がまだマシであろう、そんな姉歯建築も真っ青な建物の戸口から、筋骨隆々な偉丈夫がひょっこりと現れた。

 

 そのガチガチに固めた鉄板みたいに暑い胸板、女子供の腰回りくらいあるんじゃないかと思わせる二の腕、一度駆け出せば目にも留まらぬ速さで敵を屠るその足腰、STR23と聞いては誰もが逃げ出す、†ジャンヌ☆ダルク†である。

 

 彼は安宿から一歩外に出ると、うんと背伸びをして汚い空気を胸いっぱい吸い込んでは、ゲホゲホと咳き込んだ。ついうっかり深呼吸なんかしてしまうとこうなることを思い出し、げんなりと項垂れる。

 

 と、戸口からもう一人、鳳白が出てきて黙って彼の背中を擦った。ジャンヌはそんな鳳に向かって苦笑いすると、懐から給料袋を取り出し、

 

「ありがとう、白ちゃん。はい、これ今日のお小遣いよ」

「いつもすまないねえ……ジャンヌ。俺が役立たずなばっかりに……」

「気にしないで。こんなの今だけの話じゃない。私、きっとあなたなら、いつか前世みたいに、世界に名を轟かす大魔法使いになれるって信じてるわ」

「お世辞でもそんな風に言ってくれるのはジャンヌだけだよ。俺、嬉しいよ」

「ううん! お世辞なんかじゃない。女の勘は当たるのよ。男だけど」

 

 キラキラとした瞳で鳳を見つめるジャンヌ。彼はそんなジャンヌの瞳を真剣な目で受け止めると、

 

「期待に応えられるように努力するよ。俺……ジャンヌが女だったら、きっと好きになってたと思う」

「いやん! 白ちゃんったら、そんな風に言ってくれるなんて、お世辞でも嬉しいわっ!!」

 

 ジャンヌは顔を真っ赤にして腰をくねくねしている。彼はひとしきり照れた後、むんっ! っと気合を入れて、

 

「さあ、今日もジャンジャンバリバリ働いて、白ちゃんのためにお給料いっぱい稼いでくるわ。期待しててね」

「無理はしないでよ。俺は君が元気で帰ってきてくれたらそれでいいんだ。今日もジャンヌが好きなビーフ・ストロガノフ作って待ってるからさ」

「嬉しい! その言葉だけで元気が出るわ。今日は何でも成功しそうな気分よ。それじゃ行ってくるから、白ちゃんも訓練頑張ってね」

「ああ、今日こそステータスアップしてみせるさ。そっちも頑張って」

「あなたなら出来るわ~!」

 

 ジャンヌは満面に笑みを浮かべて、腕をブンブンと振りながら往来を駆けていった。何度も何度も振り返る笑顔が眩しい。方や、鳳は手を振り返しながら、そんなジャンヌ後ろ姿をじーっと見守り続け……

 

 角を曲がったジャンヌの姿が消えるや否や、

 

「ペーッ! ペッペッペッ!! 糞がっ、何が俺、君が女だったらきっと好きになってたと思う……だっ!! 気持ち悪いんじゃあああああ!!」

 

 自分で言ったセリフでダメージを受けた鳳は、自分の首を締めながら地面をのたうち回った。そんな毎朝の光景を、宿屋の前で寝起きしていた浮浪者が能面みたいな無表情でじっと見ている。

 

 鳳は背筋に走る悪寒を擦り付けるように、気の済むまでゴロゴロと地面を転がってから、はあはあ言いながら壁に手をつき立ち上がった。彼は手にした給料袋を逆さまにし、出てきた2枚の銀貨を手のひらで転がしながら、

 

「ちっ……たった2枚か。これじゃあ酒代にもならないぜ」

 

 と、うそぶきながら宿屋の戸口を閉めると、さっきまで無表情だった浮浪者が何かを期待するような目つきで見上げているのをガン無視して、ジャンヌとは反対方向へ歩き始めた。

 

 その萎びた背中は、まるで新橋のガード下辺りでゲロを吐いてるサラリーマンみたいにやさぐれていた。口をついて出てくる言葉は、ほとんどが相棒に対する悪口ばかりで、一言の感謝もなかったが、

 

「あいつばっか、毎日充実してて羨ましい」

 

 本音は、ジャンヌに頼らないと生きていけない無能な自分を直視しないための、代償行為であることに彼は気づいていなかった……

 

 ……アイザックの城から逃げ出してから二か月が経過していた。

 

 その間、いろんなことがあったのだが、とにもかくにも二人は城からほど近い、この黒煙に巻かれた街の安宿に棲息していた。

 

 ジャンヌは冒険者として身を立てて……鳳はそんなジャンヌに養われながら、ステータスアップをするために職安……もとい、訓練所に通っていた。

 

 彼には相変わらず職業が無く、そのせいでジャンヌみたいに冒険者になれなかったから、まずはオール10のステータスをどうにかしようと、街の訓練所に通ってステータス向上を目指していたのである。

 

 城でも話題になったとおり、この世界では職業がない者は居ないらしい。考えてもみればオークやトロルのような魔族に職業なんて無いだろうから、彼が無職だったのも仕方ないことかも知れないが、このままでは人間社会で暮らしていくのに不都合が出る。

 

 そのため、早めになんらかの職業につこうと努力していたのであるが、この2ヶ月間訓練所に通い続けても、彼のステータスは一向に上がる気配はなかった。

 

 彼はため息を吐きながら大通りを進んで街の中心にやってきた。この街はほとんどの店が街の中心に集中しており、その近辺は人でごった返していた。

 

 外からやってきた出稼ぎの労働者たちや、その男たちに品を作る客引きの売春婦、行商人が道端に商売道具を所狭しと並べ、それを相手に値切り交渉する人や、軽食を売り歩く売り子の声、スリや喧嘩もあちこちで発生していて、とにかく落ち着く暇がない。

 

 通り沿いには酒場や食堂、商店がずらりと並び、武器屋の軒先には鈍い光を反射する剣や鎧が展示されている。そんな商店街の一角には、一際大きな建物があり、それが街で唯一の訓練所だった。中からはダミー人形を叩く木剣の音や、授業中の教官が黒板にチョークを叩きつける音などが聞こえてくる。

 

 鳳はその訓練所の玄関を通り過ぎ(・・・・)、隣にある酒場の角を曲がってから、目つきが悪い男たちが無遠慮な視線をジロジロと向けてくる路地へと足を踏み入れた。殺伐とした視線を隠そうともしない男たちの目をうっかりと見てしまわないように、真っ直ぐ前を見たまま路地を通り抜け、そして裏通りに入ってすぐ正面にあった魔法具屋に、彼は吸い込まれるように入っていった。

 

「いらっしゃい……って、デジャネイロ飛鳥の旦那じゃありませんか! 今日はお早いお越しで」

「よう、店主。今日はこれで、いいとこを見繕ってくれないか」

 

 揉み手をしながらフレンドリーに近づいてきた店主に向けて、鳳は銀貨を一枚弾いてよこした。店主はそれをお手玉するようにキャッチすると、

 

「いつもありがとうごぜーやす、旦那! 旦那のために、今日も上物を用意しておりやすぜ」

 

 彼はゲヒゲヒと下卑た笑みを浮かべながら店の奥に引っ込むと、すぐに大事そうにビンを1つ抱えて帰ってきた。ビンの中には乳白色の錠剤のような結晶が詰め込まれており、白はその1つを取り出すと、おもむろに持っていた千代紙の上で、手にしたハンマーでガンガンと叩き割った。

 

 そして彼は粉状になった結晶でラインを作ると、懐の中に忍ばせていたストロー(麦わら)を取り出して徐に鼻の穴に突っ込み……

 

 スーッ……

 

 っと、鼻から結晶の粉を吸い込んだ。

 

「お? お? お?」

 

 それが鼻の粘膜を通して体内に吸収されると、視界がぼーっと狭まってきて、異様に神経が研ぎ澄まされてきた。見るものの輪郭が全てマジックインキで描かれたように太く見え、脳に直接刻まれているような錯覚を覚える。突然、虹のような光がチカチカと乱反射しはじめ、母の腕に抱かれているような幸福感が体中を支配した。

 

「あ、あ、あ! キラキラ、キラキラするよ! すっごくする! あ~……きもちぃんじゃぁ~……」

「へへへ、どうです旦那? なかなかのもんでしょ?」

「すっごい、すっごいよ、このクスリ! 今までのと全然違うっ!!」

「旦那の教えてくれた製法で、薬効成分だけを抽出した結晶ですぜ。いつもとキマり方が違うでげしょ」

 

 そう言う店主の表情も恍惚にとろけ、口の端っこからよだれが垂れている。

 

 実は今、二人は魔力が無い者はラリってしまうという事実を逆手に取って、MPポーションをキメているのだった。

 

 アイザックの城でMPポーションを飲まされた時、鳳はそのせいでラリってしまい、危うく死にかけた。だが、後になって思い返してみれば、あの時の気分は寧ろ爽快で悪くないものだった。なんというか、キマっていたのだ。だから、もし可能なら、彼はもう一度やってみたいと密かに考えていた。

 

 そして城から追い出されてこの街に来た彼は、MPポーションが普通に売られているのを見つけると、早速とばかりにそれを手に入れ試してみたのだが……いかんせん、その青汁みたいな味は罰ゲームといって過言じゃないほど酷い代物だったのだ。

 

 こんなんじゃ、気持ちよくキマれない!

 

 そう思った彼は行きつけの魔法具屋の店主に直談判すると、その材料から薬効だけを抽出する方法を編み出したのだ。

 

「旦那の編み出した、この高純度結晶……今この界隈じゃちょっとしたブームですぜ」

「そうだろそうだろ。MPポーションって飲みにくいと思ってたんだよね」

「効き目は確かですし、これが流通に乗れば、我々が天下を取るのも時間の問題でげす、ふひひひひ」

「うむうむ。そのためにももう少し純度を上げて、他社の追随を許さないように足場を固めなければ」

「純度が上がれば、もっと気持ちよくなれますし、やりがいありますしね」

「馬鹿、俺は純粋に使用者のためを思ってそう言ってるんだ……でも、その前に、もう一本いっとく?」

「へへへ、旦那も好きでげすね~」

「あー! きもちぃんじゃぁ~ キラキラ~キラキラ~」

「キラキラ~! キラキラ~!」

「キラキラ~! キラキラ~!」

「キラキラ~じゃなああああああーいっっ!!!」

 

 ゴチンッ……っと、音がして、頭の中で本当にキラキラと火花が飛んだ。鳳は突然、脳天を思いっきり殴られ、脳みそをグラグラと揺さぶられた。

 

「うっぎゃああああー! いったい、いたあーいっ!!」

 

 鳳が痛みと目眩で地面をのたうち回っていると、容赦なく追撃が飛んできた。みぞおちを蹴られてゴロゴロと転がり、涙目になりながら攻撃者を見上げると、そこには小さな少年が立っていた。

 

 金髪の長い髪を無造作に束ねたお下げが背中で揺れている。オーバーオールのツナギの裾を安全靴に突っ込んでいる。身長は160にちょっと足りないくらい。半ズボンが似合いそうな年頃で、見るからに生意気そうな面構えをしていた。

 

 少年は地面に這いつくばっている鳳を、まるで汚物でも見るような目つきで見下すと、

 

「ここんとこ訓練所で見かけないから、どこで油を売ってやがると思っていたら……まさかこんなところでヤクにおぼれてやがったとは」

「ヤクじゃない、MPポーションだ」

「俺はMPポーションをこんな使い方してるやつ初めて見たよっっ!!」

「そうだろそうだろ。俺はこれをアンナカと称して売り出そうと思ってる」

「まったく悪びれた様子がないとこが、逆に清々しいなっ!」

 

 少年がキレのある突っ込みでバシバシと鳳の頭を叩いていると、見かねた店主が間に入ってきた。

 

「これこれ、少年。そうポンポン頭を叩くんじゃありません。旦那の脳には、俺たちには及びもつかない、夢がいっぱい詰まってるんだ。この金のなる木……もとい、全人類の救世主を、もっと丁重に……うひっ!?」

「黙れ三下」

 

 どこから取り出したのか分からないピストルを鼻先に突きつけられると、店主は顔を引きつらせて手を上げた。少年がそんな店主を尚も睨みつけると、彼はおずおずと手を上げたまま後退していく。

 

 少年はフンッと鼻を鳴らし、未だに地面で這いつくばってる鳳を乱暴に引っ張り起こすと、

 

「ほら立てっ、訓練所に行くぞ」

「え~……いやだよぉ~」

「登校拒否児かよ、おめえは。いいから立て。こんなこと知ったら、ジャンヌが泣くぞ」

 

 鳳は少年にズルズルと引きずられながら店から外に連れ出された。店主がそんな彼のことをドナドナ言いながら見送っている。鳳を引きずる少年の力は強く、抵抗しても無駄のようだった。この世界はステータスが物を言うから、見た目では判断出来ないのだ。

 

 この少年……ギヨームと出会ったのは二か月前。鳳とジャンヌが城から逃れて、この街にたどり着いたその日だった。以来、彼は冒険者稼業に忙しいジャンヌと共に、鳳の面倒を見てくれていた。

 

 どうしてこうなったのか……物語は二か月前、二人が城から追い出された日に遡る。

 



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いい年こいたwwおっさんがwww冒険者ギルドとかwwwwww

 どこへ行くなり好きにしろ……

 

 アイザックと決別した鳳とジャンヌは、メアリーの住んでいた謎空間から脱出し、城の裏にある大庭園に戻ってきた。彼らは一度城に戻って仲間たちに事の経緯を伝えようと思ったが、それより早く、二人が裏切ったことが城に知れ渡っていたらしく、中から彼らを探す兵士たちの声が聞こえてきたので、断念せざるを得なかった。

 

 なんとなくアイザックは邪魔をしないだろうと勝手に思っていたが、やはり他の仲間達を連れて行かれるのは嫌だったのかも知れない。もしくは、ジャンヌにけちょんけちょんにやられた神人が、復讐心から勝手に行動したのか……どっちにしろ、何も知らない兵士と戦うわけにもいかず、二人は隠れるように裏庭から森林を通り、城を取り囲む運河を渡って城下町とは反対の方へと逃れたのだった。

 

 パーティーチャットで仲間たちと連絡を取れないかと考えもしたが駄目だった。会話機能があることに気づいてないのか、もしくはもう、彼らも鳳たちを仲間だと思ってないのか……穀倉地帯の麦穂の間に隠れながら城の様子を窺っていると、段々と考えが暗くなってきた。

 

 それも仕方ないだろう。勢いで出てきてしまったが、これからどう生きていけばいいのか、二人は全く何も考えていなかったのだ。

 

 勝手がわからぬ異世界で、元の世界に帰れるあてもなく、本当なら城下町で情報を得たり武器を買ったり、準備くらいはした方がいいだろうに、もはやそれも叶うまい。ロールプレイングゲームで言えば、こんぼうも50ゴールドも与えられずに、いきなり城外に放り出されたようなものだろうか。ゲームならどんだけケチなんだ、この王様はと笑ってられるが、いざ自分が同じ状況にハマったらため息しか出なかった。

 

 とはいえ、

 

「いつまでも、ここでこうしてても仕方ない。とにかく街を見つけようぜ」

 

 鳳がそう提案し、ジャンヌがコクリと頷いた。

 

 城下町の外には穀倉地帯が広がっていたから、もしかすると探せば農夫なり猟師なりが住む集落が近くにあるかも知れない。地平線が見えるほど遠くまで広がる平原には、見たところそれらしき集落は見えなかったが、幸いにも近くの丘の向こう側まで街道が伸びているのは確認出来たから、街道を辿っていけばいずれどこかの街に辿り着くだろう。

 

 鳳たちは街道を遠目に見ながら、まずは丘の上を目指した。直接、街道を進んだほうが良いのだろうが、万が一、城から追っ手が出てきたとしたら、漫然と街道を行くのは危険かも知れないと思ったのだ。尤も、後からしてみれば考えすぎでしかなかったのだが。

 

 遮蔽物のない平原を強い向かい風に逆らいながら歩いていると、鳳の前を進んでいたジャンヌが立ち止まり、遠くの方を指差した。

 

 指先を目で追ってみると、そこには数頭の牛がノシノシ歩いているのが見えた。もしかして、練兵場で鳳が仕留めた牛モンスターではないか? と思っていたら、突然、その牛の群れを取り囲むように、複数の人影が躍り出て戦闘が始まった。

 

 ピカピカと閃光が走り、炎が上がる。牛モンスターと戦っている連中は狩りに慣れているらしく、大きな牛の群れを圧倒している。逃げ惑う牛を容赦なく剣士が襲い、血しぶきが舞い散った。かなりの使い手だ。きっと手練の冒険者なのだろう……冒険者? 自然とそう思ってしまったが、本当にそんなものがいるのかな……とぼんやり考えていると、

 

「ゲームで見慣れた光景だから勘違いしちゃうけど、やっぱり異世界なのね。この世界では普通に、その辺りを魔物が跋扈してるんだわ……もっと気をつけなきゃ」

 

 というジャンヌの言葉にハッと我に返った。

 

 そうだった。ここはもうゲームの世界ではない。夢みたいな話であるが、これが現実なのだ。今、モンスターに襲われても、戦えるのはジャンヌだけ。鳳はせいぜい怪我をしないように逃げ惑うしかない。そう考えると、街道を外れて歩いていることが、ものすごく不安に思えてきた。

 

 二人は慎重かつ足早に先を急いだ。それでも街道を進まなかったのは、丘の上という高所を目指したほうが、結局は街を見つけるのに都合がいいと思ったからだ。

 

 その丘は遠くから見ると小さく見えたが、実際に登ってみると結構な高さがあった。城下町から峠までは約5キロほどの距離があり、意識しなければ気づかないくらいの、なだらかな斜面が1キロ以上続いていた。

 

 その斜面を滑り降りるように風が吹き付け、体を押し返すものだから遅々として進まない。それでも一歩一歩進んでいくと、峠にあった樫の大木の下までたどり着いたら、そこは素晴らしい絶景だった。

 

 眼下に広がる穀倉地帯の麦穂が、風に揺れる度にキラキラと輝き、まるで金の絨毯みたいだった。遥かに臨むアイザックの城の城下町は、放射状に伸びる道路で綺麗に区画整理されており、外の田園風景と併せてヨーロッパの町並みを思わせた。

 

 しかし二人を喜ばせたのはそんな景色ではなく、丘を登りきった先に街を見つけたことだった。

 

「見て、白ちゃん。あそこに街があるわよ」

 

 遠目にもはっきりと見えるくらい濃い黒煙が立ち上り、長い煙突が何本も天に伸びている。街道にはひっきりなしに馬車が行き交い、まだ街までかなりの距離があったが、往来の雑踏が手に取るように分かるくらい、かなりの人口を抱えた街のようだ。

 

 丘を挟んで反対側に見える城下町とそう距離は変わらないように見えたから、両者の間は10キロくらいだろうか。そこへ辿り着くにはまだまだ大分歩かなければならなかったが、目標が見えている分だけ気楽になったらしく、街へ到着したのはそれからあっという間だった。

 

 何が書いてあるのかさっぱり分からない汚いゲートをくぐって、ところどころ石畳が剥げた街路を突き進む。喧騒と人混みはかなりのもので、地球の大都市を思わせるくらいの賑わいだった。

 

 行き交う人波に揉まれていると、なんだか歩き慣れた日本の雑踏を思い出して懐かしくなる。まだ異世界に召喚されて2日しか経っていないはずなのに、それがものすごく昔のことのように思えた。

 

 街の中がゴミゴミしているせいか、馬車は街の中まで入っては来ず、町の入口を表すゲートの外側に停まって、そこで荷物を下ろしているようだった。大きな荷物を背負った人々が列をなして街の広場へと向かい、そこで積み荷を広げて商売している。

 

 露店を開くのに、特にルールとかは無いのかな? と思いながら、商品を眺めつつ歩いていると、そんな露天商の中に大きな獣耳をつけた人影を見つけた。あれは多分、カチューシャとかそんなんじゃない。

 

「なあ、あれはもしかして、獣人か?」

「やだ、可愛い! 私、ケモミミに目がないのよ」

 

 ジャンヌがオカメみたいに目尻を下げていたが、見たところ獣人達の境遇はあまりよくない感じだった。

 

 露天商の何人かは人足として獣人を連れているようだが、その扱いはムチで叩かれたり、頭ごなしに怒鳴られたりと散々なものだった。その逆は見かけないから、多分、この世界では基本的に人間>獣人の図式が成り立っているのではないだろうか。神人が人間を見下していたように、人間もまた獣人を見下しているのだろう。なんというか、救われない話である。

 

「みんな、元気が無くて可哀相……ペットじゃないのは分かってるんだけど……」

 

 獣人のそんな扱いを見ていると、案の定、動物好きらしいジャンヌがしょげ返っていた。鳳はジャンヌほどのショックは受けなかったが、代わりに自分のステータスBloodTypeCを思い出し、そっちのほうが気になった。

 

 もしかして、BloodTypeCとは、彼らのことなのではないか? 思い返せば、アイザック達が鳳に向けていた視線が、露天商が獣人に向ける目つきと被っているような気がする。いずれどこかで確かめねばならないが、その時までBTのことは誰にも話さないほうが良いだろう。彼は心のなかでそう決めた。

 

 そんなこんなで露店を覗いたり、街の様子を眺めているうちに、気がつけば太陽は傾き、西の空が大分赤くなってきていた。心なしか人通りも少なくなり、人混みの間から吹き付ける風が冷たく感じる。

 

 そろそろ今日の寝ぐらを決めねばならないが、しかし困ったことに二人には先立つ物がなかった。

 

「まいったなあ……宿を取ろうにも金がなきゃどうしようもない」

「どさくさに紛れて、お城の兵隊さんから借りた剣を持ってきちゃったけど、これ、売れないかしら?」

「ナイスだ、ジャンヌ。でも、それを売っちゃったら本当に何も出来なくなるから、最終手段だな」

「そうね。なら今日は野宿かしら。一日二日なら、屋根がなくても我慢できるわ。その間にどうするか考えなきゃ……」

「いや、出来れば一日でも野宿は避けたい。どっかにダンボールとか新聞紙でも落ちてるならともかく」

「そんなのあるわけないでしょう」

 

 野宿するにあたって怖いのは、夏の暑さや冬の寒さだけではない。ノミやダニなどの見えない生物が一番やっかいなのだ。特にここは異世界であるし、何が地面を這っているかわかったもんじゃない。マラリアなどの病気を媒介する蚊などもいるかも知れないし、その手の病原体対策をしておかないと、病気に罹ってからでは遅すぎる。

 

「白ちゃん……なんか手慣れてるわね。一体、どういう生活してきたらそんな発想になるのかしら?」

「別に、こんなの常識だろう?」

「そんなことないと思うけど……でも、それじゃあ、どうするの? 野宿が駄目ならどこか屋根があるところに泊まるってことだけど」

「そうだなあ……」

 

 二人が今日の宿を探して、ああでもないこうでもないと話し合ってる時だった。そんな二人のことを遠巻きに見ていた男が近づいてきて、

 

「おまえら仕事を探してるのか? 金稼ぎたいならうちにこないか」

「……あなたは?」

 

 突然話しかけてきた男を警戒しつつ、鳳が何者かと尋ねてみると、彼は手にしていた鉄のヘルメットをカンカン叩きながら、

 

「俺はあの山で炭鉱を開いてる者だ。街に入って煙突を見たならわかるだろう? この街は鉄材の生産地で、かなりの石炭需要があるんだ。で、俺は炭鉱で石炭を掘り出して、この街に運ぶ商売をしているって寸法さ。見たとこそっちのおまえさんは、すげえガタイが良いから、いい坑夫になると思うな。うちは歩合制で能力とやる気さえあれば、いくらでも稼げるから。だからどうだい? うちに来たら」

 

 男は会話をしていた鳳ではなく、主にその後ろにいたジャンヌに向かって話した。無視されるのは少々傷ついたが、まあ、話の内容からそうなるのも無理はない。確かにSTR23のパワーがあれば、炭鉱のような力仕事は天職と言えるだろう。どうせ何かで金を稼がなきゃならないのだし、悪い選択ではないのではなかろうか。

 

 しかし、当のジャンヌは、

 

「冗談じゃないわ炭鉱夫なんて、可愛くない! か弱い私には似合わないわよ」

 

 男はどこがか弱いんだと言いたいのをぐっと堪えながら、

 

「そうかい? ……まあ、無理にとは言わないけどよ。おまえさんなら即戦力になると思うんだがな。もし気が向いたらあっちの事務所を訪ねてくれよ。うちは全寮制で、朝晩の食事付き、給料から天引きしたりもしないし、こんな恵まれた現場、大陸中探してもなかなかないんだぜ」

 

 彼は自慢げに胸を張ってそう言った。確かにそれが本当なら、労働基準法もないようなこの異世界では破格だろう。無一文の今、当面の生活資金を稼ぐためにも、暫く厄介になるのも悪くないかも知れない。

 

 鳳の方は割と乗り気なことに気づいたのか、男は改めて彼の方に向き直ると、

 

「兄ちゃんも興味あるなら来てくれよ。仕事ならいくらでもあるからさ」

「はい。考えときます」

 

 男はもう一度ジャンヌに声をかけてから去っていった。

 

 鳳がそんな男を愛想よく見送っていると、全く乗り気じゃないジャンヌがジト目で話しかけてきた。

 

「白ちゃん、あんたまさか行くつもりなの?」

「まあな。俺はなかなか悪くない選択肢だと思うけど」

 

 彼が頷くと、ジャンヌは信じられないといった感じで、

 

「私はごめんよ? 行くなら一人で行ってちょうだいね」

「そうは言うがジャンヌ、他に行くあてがあるのかよ?」

「それは……」

「全寮制って言ってたし、雨風しのげて飯も食える、無一文の今、乗らない手はないんじゃないか? 何も一生炭鉱夫やろうってんじゃないんだ。取り合えず、最初は彼にお世話になって、金が溜まったら改めて別の仕事につけばいいって話じゃないか」

「……でも、炭鉱よ? 多分、あなたが考えてるよりずっときつい仕事だし、命の危険だってあるんじゃないの。ちゃんとそういうリスクまで考えて決めたの?」

 

 言われてみると確かに……他にやれそうなことがないから飛びついてしまったが、リスクについては全く考慮してなかった。バツが悪くなった彼は、自分の浅はかさを気づかれないように、質問を質問で返した。

 

「そうは言っても、ジャンヌさんよ。俺たちにやれる仕事なんて他にないだろうし、大体、こっちの世界に来たばかりで、まだ何かやりたいってわけでもないだろう?」

「まあ……そうだけど」

「なら、他に選択肢はないじゃないか。それともジャンヌはやりたいことでもあるってのかよ」

 

 もちろん、意地悪するつもりで聞いたわけじゃない。寧ろ、本当に他にやれることがあるなら聞いてみたいという気持ちが強かった。

 

 その言葉に、ジャンヌはウンウン唸りながら考え込んでいたが、突然、巨体に似合わないもじもじした仕草を見せながら、

 

「……やっぱり異世界って言ったら、あれじゃない? 冒険者ギルドで冒険者登録して、ファンタジー世界を股にかける大冒険をするのが定番なんじゃない?」

 

 鳳は嘲笑った。

 

「はっはっは! いい年こいたおっさんが、何バカなこと言ってやがんだ。もう一度、周りを見てから物を言えよ。この街の露天商達は地に足をついた商売をしてるし、炭鉱経営者が地方労働者を雇って鉄鋼業を行ってるような世界なんだぜ。そんなゲームみたいな施設があってたまるかよ」

「なによ~……ゲームみたいな世界なんだから、冒険者ギルドがあったっていいじゃない」

「現実を見ろ現実を……さあ、馬鹿なこと言ってないで、さっきのおっさんに頭下げて今日の飯にありつこうぜ」

「まだ無いと決まったわけじゃないでしょ。取り敢えず誰かに聞いてみましょ。ちょっと、そこいくお兄さん!」

「おーい、恥ずかしいからやめろよ……」

 

 鳳に馬鹿にされたジャンヌは引っ込みがつかなくなったのか、顔を真っ赤にしながら通行人を捕まえて道を尋ねた。巨漢のゴリマッチョに突然からまれ通行人がビビっている。鳳はそんな可哀想な通行人を助けようと間に入ろうとしたが、

 

「へえ、冒険者ギルドならそこでっせ」

「あんのかよっ!!」

 

 助けるつもりが裏拳でビシッと突っ込みを入れる鳳のことを、奇異な表情で見つめながら通行人は去っていった。

 

 口を引きつらせながらそれを見送っていると、勝ち誇った表情のジャンヌが言った。

 

「ほれ見なさい、何事もチャレンジせず、すぐに諦めてしまうのが今の若い子の悪いところよ。文句を言うのは、まずはぶつかってからしなさいよね」

「う、うっせえな。だって、普通あると思わないだろ?」

「でも残念、あったのよ。ほら、いつまでもうじうじしてないで、ちゃっちゃと冒険者ギルドに向かうわよ。私達のチート能力があれば、きっとどうにかなるわよ」

 

 ジャンヌは不貞腐れるようにその場でへたり込んでいる鳳の首根っこを掴んで、ズルズルと引っ張っていった。

 



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悪魔の紙片

 街の中央広場沿いの目立つところに冒険者ギルドはあった。実はさっきから目の前を何度も通り過ぎていたのだが、見た目が完全に酒場であったから気づかなかったようだ。入り口には腕相撲みたいに手と手を握り合う絵の看板が掲げられており、どうやらそれがギルドのトレードマークらしい。見ようによっては揉み手に見えなくもないなと、鳳はまだ遠くにある店を見ながら要らんことを考えていた。

 

 店の外にはオープンテラスの円卓が四脚ほど並べられてあったが、今は無人である。中から酔っ払い特有のねっとりとした笑い声が聞こえてくるから、恐らく酒場を兼任しているのだろう。もしくは酒場から発展したのだろうか。見た目はよくある冒険者の酒場といった趣きである。

 

 西部劇に出てきそうな両開きの扉を押し開けて中に入ると、まだ日が暮れて間もないというのに、もう出来上がってしまっている赤ら顔の男たちが、二人をじろりと睨んできた。絡まれたりしないだろうなと思いながら、おっかなびっくり奥に進むと、別のテーブルでは、タバコを吹かし足をテーブルに乗せ、賭けポーカーを楽しんでいる強面の男たちの姿が見えた。

 

 いや、強面と言っていいのだろうか? その鋭く光る眼光は完全に獣そのものである。たとえ頭部に目立つ大きな獣耳に気づかなくても、突き出た口から剥き出している牙を見れば、一見して人間じゃないことが分かるだろう。あれはもしや狼男(ウェアウルフ)というやつだろうか? 気づかれないように横目でチラチラ見ながら通り過ぎる。

 

 酒場をぐるりと見回してみると、一番奥にはグラスを磨いているダンディな紳士が接客しているカウンター席があり、その右手側奥の方に、無理やりねじ込んだ宝くじ売り場みたいなスペースがあり、そこに道祖神みたいに無表情で収まっている女性が見えた。

 

 ここが冒険者ギルドの受付だろうか?

 

 彼女の隣の壁に掛けられた掲示板には、所狭しとメモやビラがピン留めされている。その前にはいかにも初心者冒険者といった風体の若者二人が、手にしたノートに必死にメモを書き写していた。背後に回って掲示内容を確かめてみれば、やれ遺失物捜索だの、商隊の護衛だの、いかにもな内容が書かれているのが見えた。

 

「これよこれよ。こういうのがやりたかったのよ」

 

 突然、背後からオネエ言葉のゴリマッチョに囁かれて、若者たちがビビっていた。やりたいと言ってもそういう意味ではないから安心しろと言ってやりたい……ジャンヌはそんな彼らのことなど気にもとめず、いそいそとカウンターへ歩いていく。

 

「冒険者ギルドへようこそ。ご依頼でしょうか? モンスター退治? それとも、護衛? 採集や配達のご依頼も随時受付中です。お客様のご要望をなんなりとお聞かせ下さい。因みに、酒場のカウンターならあちらにございます」

 

 ジャンヌが近寄っていくと、さっきまで能面みたいだった受付のお姉さんの表情がくるくると変わった。彼女はこれ以上無いくらい魅力的な営業スマイルで、ジャンヌに応対する。彼はそんなお姉さんに向かって首を振ると、

 

「ううん、違うの、依頼じゃなくて、私達冒険者として働きたくてここに来たのよ。あなた、ギルドの方よね。良ければお話を聞かせてくれる?」

「なんだ、冒険者志望の方ですか」

 

 やってきたのが冒険者志願者だと知ると、お姉さんはまた道祖神みたいに無表情になった。鳳は仕事内容よりもお姉さんの表情筋の方が気になった。彼女はため息を吐きながらかったるそうに、

 

「っていっても、うちって結構ハードですよ。依頼は基本、モンスター退治とか盗賊退治とか荒事(あらごと)中心ですし、怪我をしても自己責任、死んでも年金出ませんし、採集や配達なんかぶっちゃけ配送料ケチるような依頼人の仕事だから、割りに合わないのだらけですし。大丈夫ですか?」

「もちろんよ、そういうのを待っていたの」

「ふーん……やる気があるなら止めはしませんが。ま、たまにはいい依頼もありますしね。個人的におすすめなのは、農繁期の刈り入れのお手伝いでしょうか。これは本当に実入りがいいですよ、収穫物分けてくれたりもするし、永久就職の口も紹介してくれるし、私の前任者の子なんですけどね、地主の家に嫁いだんですよ。羨ましい。マジ、おすすめ」

 

 夢も希望もありゃしない……掲示板の前で必死にメモっていた冒険者がプルプルと震えている。対してジャンヌは一向に気にした素振りを見せずに。

 

「あら、いいわね、そういうのも楽しそう。でも、どうせやるなら私はモンスター退治の方がいいわ。そっちの方はどうなのかしら」

「そりゃあ、この仕事、稼ぐんなら圧倒的に討伐系ですけど……そうですか。あなた、相当腕に覚えがありそうですね」

 

 お姉さんはジャンヌが冷やかしでないと見て取ると、姿勢を正して改めて彼の方をまっすぐと見据えて、

 

「冒険者ギルドへようこそ。我々はあなたのような強者を歓迎しております。申し遅れました、私は当ギルドの案内係のミーティアと申します」

 

 お姉さんことミーティアはそう言って深々と頭を下げた。ジャンヌが慌ててお辞儀を仕返し、

 

「あら、これはご丁寧に。私はジャンヌ。ジャンヌ・ダルクよ」

「ジャンヌ……?」

 

 どっからどう見てもゴリマッチョのおっさんが女性名を名乗ってきたから、ミーティアは一瞬だけ怪訝そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直したように無表情に戻ると、握手を求めて手を差し出した。こだわらない人である。

 

 彼女はジャンヌと握手を交わすと、すぐ後ろでやり取りを見守っていた鳳の方を見ながら言った。

 

「ところで、お連れ様も冒険者志望で?」

「俺? ええ、まあ」

「そうですか。なら、あなたも一緒に聞いてください。ギルドのルールをご説明しましょう」

 

 ミーティアはコホンと咳払いをしてから、

 

「と言っても、ギルドの仕組みは簡単です。普通の依頼はそこの掲示板に貼られたメモを、そのメモに書かれた通りにこなせば完了です。特にルールもございませんので、気楽に受けちゃってください。報酬はここで私から受け取れますが、その際に依頼をちゃんと達成出来たか確認させていただきます。

 

 ただし、これは誰にでも出来る簡単な依頼の話でして、高難度の依頼に関しては手続きが変わります。具体的に申し上げますと、高難度依頼は、我々が信頼する冒険者の方々に、こちらからお願いするという形を取らせていただいております。

 

 と言いますのも、例えば討伐依頼のような緊急性の高い依頼は、みんなが好き勝手に受けて、失敗されては困るのですよ。それで冒険者が死のうがどうしようが知ったこっちゃありませんが、魔物の被害に遭っている依頼主からしてみれば何の問題解決にもなってませんし、我々の沽券にも関わります。

 

 冒険者ギルドに依頼をしても、失敗続きじゃそのうち依頼人がいなくなってしまいますし、我々としては失敗するような冒険者を向かわせるわけにはいかないのです。

 

 ですので、ジャンヌさんが討伐依頼を受けたいのであれば、まずは当ギルドで冒険者登録し、試験を受けて最低ランクの格付けを得て、最初は私からの斡旋を待ってもらうことになります」

 

「わかったわ。ランク付けがあるのね」

「話が早くて助かります」

「それで、試験ってのは何をすればいいのかしら?」

 

 ミーティアはゴソゴソとカウンターの中を探りながら、

 

「簡単です。こちらのシートに、ご自身のステータスを記入していただけばそれで終わりです」

「え? そんな簡単なの??」

 

 彼女はこっくりと頷いて、じっとジャンヌの目を見ながら言った。

 

「ええ、能力なんてものは、その人のレベルとステータスが分かれば、ある程度把握できちゃいますからね。レベルやステータスが高い人は押しなべて能力も高いですし、その逆もまた然りです。

 

 ですが……ステータスはあくまで自己申告。必ず誇大申告する者が出てきてしまうんですよね。それで依頼失敗なんてことになったら目も当てられませんので、こちらとしては慎重にならざるを得ません。

 

 そこで、このエントリーシートを使います。この魔法の紙に書かれた文字は、それが真実であれば残りますが、偽りであれば消えてしまいます。これによって志望者は嘘を書けなくなりますから、我々は安心して採用できるわけです。大企業なら必ず利用している方法ですけど……って、どうしましたか? 背中が痒そうな格好で仰け反ったりなんかして」

 

「やめてやめて! その名前を口にしないで!!」

 

 エントリーシートという言葉が彼の過去の傷をほじくり返したのか、ジャンヌが悶絶していた。ミーティアは小首を傾げながら、

 

「エントリーシートという名前が嫌なら、履歴書でも構いませんが」

「ひぃっ、もっとやめて!! ……200社よ……200社……送っても送っても不採用通知と共に送り返されてくる悪魔の紙片。こんなので私の何がわかるってのよ!!」

 

 ジャンヌは地面に両手をついて泣きじゃくっている。ミーティアはその姿にドン引きしながら、こいつと話していては埒が明かないと思ったのか、その隣で二人の会話をボケーッとしながら聞いていた鳳に向かって話を続けた。

 

「……こほん。とまあ、そんなわけで、冒険者登録するなら必ずこの紙にステータスを記入してもらいます。あなたも志望者なら書いて下さい」

 

 彼女はそう言って鳳に紙を差し出した。BloodTypeCも書かなきゃいけないんだろうか……彼はそれを受け取りつつ、

 

「……これってステータス全部書かないといけないの? プライベートなこととか、あんま人に知られたくないんだけど」

「氏名年齢、レベルと基本ステータスは必須事項なので、それさえ書いていただければ後は構いませんよ……そうですね、なんなら試しに偽りを混ぜて書いてみてください。その部分が消えるのが見てわかりますから」

 

 言われるままに鳳は大嘘を書きなぐった。レベル256、ステータスはオール20、種族は神人。すると彼が書いた文字が次々と、インクが蒸発するみたいに、紙の上から消え去ってしまった。

 

 なるほど、こうなるのか……鳳が感心しながら空気中に溶けるように消え去っていくインクを眺めていると、ミーティアがどんなもんだいと自慢げな表情で胸を張っていた。別に彼女の力でもないだろうに……本当にあの表情筋はどうなってんだろうと思いつつ、鳳は今度は正直にステータスを紙に書いていく。

 

 レベル2、オール10。すると、それを見ていたミーティアが呆れた素振りで、

 

「よくもまあ、それだけ嘘八百並べ立てられますね。普通、二度目なら少しは真実を混ぜるものですけど……」

「え? そうだね……」

 

 鳳がぽかんとした表情でそう返す。ミーティアが真顔で見返す。なんとなく気まずい沈黙が続き、二人は暫くにらめっこのように見つめ合ったあと、突然、ミーティアがそれまでの無表情が嘘みたいに狼狽し始め、

 

「……え!? あれ?! レベル2? オール10? どうしてこんな嘘としか思えない数字が消えないの……紙が湿気ってるのかな? 申し訳ありませんが、こちらの用紙に、もう一度同じことを書いていただけませんか?」

「え? ……いやまあ、いいけど……結果は変わらないと思うよ」

 

 彼はバツが悪くなりながらも、言われるままに自分のステータスを再度紙に書いた。すると、今度も消えない文字を見て、ミーティアはガタガタと椅子から転げ落ちると、

 

「ひっ、ひえぇ~~! レベル2? オール10ですって!? そんな人間あり得ない! 最近は幼児だってもう少しレベルが高いですよ。一体、どういう生活を送ってきたら、そんな見すぼらしいステータスのまま、生きてこれたと言うんですか!? はぁーはぁーはぁっ!」

 

 そんな高菜食べてしまったんですかと言わんばかりに驚かなくても……鳳は彼女の醜態に若干傷ついた。

 

 しかし、どうやら彼のステータスはそれくらい酷いものらしい。気がつけばその様子を眺めていた酒場の客たちもが、こっちを驚愕の表情で見ながらどよめいている。レベル2? とか、オール10だってよ……とか、そんな言葉があちこちから聞こえてくる。

 

 マジでそんなにヤバいのか……鳳は突きつけられたくない真実を突きつけられて、この世界に来て初めて心の底から落胆した。いやまあ、アイザック達の様子からして、もしかしてそうなんじゃないかと思ってはいたが……突き刺さる視線が痛い。穴があったら入りたい。

 

 そんな鳳達のやり取りを見ている間に立ち直ったジャンヌが、屈辱に震える彼の肩を抱きながら言った。

 

「白ちゃん、こんなの気にしちゃ駄目よ。あなたはまだまだ伸び盛り、人生これからじゃない」

「黙れ、ホモ」

 

 高レベルチート野郎にだけは言われたくない。鳳がドスの利いた声で涙目になって睨みつけると、ジャンヌはその気迫だけで倒れそうなくらい狼狽していた。

 

 そんな二人の様子を見ていたミーティアが、さもがっかりした調子でジャンヌに用紙を突きつけながら、

 

「はぁ~……この様子じゃ、あなたも期待できそうにありませんね。取り敢えず、流れは理解してもらえたと思いますから、このシートに記入していただけますか?」

「わかったわ。レベルと基本ステータスだけでいいのね」

 

 ジャンヌはスラスラと自分のステータスを書き始めた。レベル101、STR23……あれ? レベル99じゃなかったっけ? もしかしてさっきの会話を聞いていたから、まずは嘘を書いてみようと思ったのだろうか。そんなとこまで踏襲しなくてもいいだろうに……

 

 ミーティアも同じことを考えたのか、

 

「あの……そんな天丼しなくてもいいですから。本当のステータスを書いてくれませんか?」

「え? そうね……」

 

 ジャンヌがぽかんとした表情で返す。ミーティアは真顔で見つめる。にらめっこが続き、耐えられなくなったジャンヌが先に視線を逸らすと、勝ったと言わんばかりの表情でミーティアが鼻息を鳴らしながら、エントリーシートを彼に突き返そうとして、

 

「……え!? あれ?! レベル101? STR23? どうしてこんな嘘としか思えない数字が消えないの……紙が湿気ってるのかな? 申し訳ありませんが、こちらの用紙に、もう一度同じことを書いていただけませんか?」

「え? いいけど……あなたも天丼じゃない」

 

 不満げにブツブツ文句を垂れながら、ジャンヌが大人しくステータスを再記入する。すると、またもや消えることのない文字列を見て、ミーティアは生まれたての子鹿みたいにプルプルと震えながら、

 

「ひっ、ひえぇ~~! レベル101? STR23ですって!? そんな人間あり得ない! もしかしたら精霊様より高いんじゃないですか!? 一体、どんだけ殺したら、そんな軍隊だって一人で退けられちゃいそうなステータスになれるって言うんですか!? はぁーはぁーはぁっ!」

 

 そんな高菜食べて以下略。

 

 ミーティアの動揺は伝染病のように店内に広がっていった。流石に嘘だろうと思ったのか、不届き者を懲らしめてやろうと睨みつけてきたウェアウルフが、ジャンヌの姿を一目見るなり、子犬のようにしっぽを丸めて大人しくなった。本当にそんな人間がいるのか? と店内がざわついている。

 

 ミーティアの視線はシートとジャンヌの顔を何度も何度も往復した後、やがて傍観していた鳳の顔で止まった。これってホント? とその目が言っている。彼が仕方なくウンウンと二度頷くと、彼女はゴクリとつばを飲み込んでから、

 

「こ、こんな凄いステータスの人間、初めてみましたよ。あなたならすぐにでもA級冒険者に……ううん、きっと伝説のS級冒険者にだってなれちゃいますよ! 素晴らしい! 是非、冒険者登録していってください。そうだ! なんならうちと専属契約を結びませんか? この辺りの美味しい仕事は、優先的に回させていただきますから」

「え? そ、そうね……そうしてくれると嬉しいけど」

「でしたら事務所の方までお越しください。ギルド長に紹介しますから。さあさあ、どうぞ奥までずずずいと」

 

 ミーティアはあの無表情からは想像できないくらい満面に笑みを浮かべると、ジャンヌの背中をドスコイドスコイと店の奥まで突っ張って行った。就活でこんなに自分の能力を認められたことがなかったジャンヌは、満更でもない顔でモジモジしながら為されるがままに連れて行かれる。

 

 鳳は、ヤレヤレ……と言った感じで肩を竦めながら、そんな二人の後を着いていこうとしたが、奥に続く通路に差し掛かると、

 

「あ、ここから先は従業員専用なので」

 

 と言われて止められた。

 

「え? じゃあ俺どうすんの」

「適当にその辺で時間つぶしててくださいよ。掲示板の依頼でも見てたらどうですか。レベル2じゃ大変かも知れませんが、プークスクス」

「なんだと!」

 

 鳳はギリギリといきり立ったが、ミーティアの誰にも真似できない魅力的な笑顔の前に敢え無く屈した。そんな顔をされたら怒るに怒れないだろう、鳳は肩を落としながら、意気揚々と店の奥に消えてく二人を見送った。

 

 城の中でも外でも、結局自分は味噌っかすでしかないのか。自然と漏れるため息が虚しく店内に響いた。

 



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レベル2ですけど、なにか?

 冒険者ギルドの受付嬢ミーティアはジャンヌを連れて店の奥に行ってしまった。その辺をブラブラしていろと言われたが、勝手の分からぬ異世界の酒場、おまけに強面の獣人達がジロジロと無遠慮な視線を投げかけてくる中では落ち着かない。仕方ないので掲示板を熱心に見ている振りをしてみたが、依頼の数にも限りがあるから、あっという間に手持ち無沙汰になってしまった。

 

 ジャンヌ、早く帰ってこないだろうか……せめてミーティアだけでも戻ってきてくれればいいのに、客をほったらかすとは不届き千万な受付嬢である。ところでなし崩しになってしまったが、自分もちゃんと冒険者登録されてるんだろうか。言われるままにエントリーシートを書いてはみたが……

 

 ふとカウンターを覗き込んで見れば、そのシートが無造作にほっぽり出されていた。ジャンヌの紙は見当たらないから、明らかに鳳の分だけ捨てられたのだ。ちくしょう、客を差別するなんて……彼はエントリーシートをひったくると、余白に『鳳白は将来性抜群。一考の価値あり』と書き殴った。

 

 瞬間、インクが紙の上からふわりと浮いて、彼の落書きは雲散霧消してしまった。無機物にまで将来性を否定されなきゃいけないのか。鳳がギリギリと涙を噛み締めていると、そんな彼を哀れに思ったのか、酒場のマスターがこっちへおいでよと手招きをしているのが見えた。

 

 ダンディといえば聞こえがいいが、見た目は完全に海坊主(ファルコン)っぽい。どうしよう……行ったほうがいいのかな? ジャンヌ達はまだ帰ってこないし……躊躇しているとウェイトレスが近づいてきて、

 

「ほらほら、そんなところに突っ立ってないで、こっち来なさいよ」

 

 と言って鳳の腕を引っ張った。

 

「でも、お金ないし……悪いし……」

「そんなの誰も期待しちゃいないわよ。レベル2のくせに遠慮しないの」

 

 レベル2ってやっぱりそういう扱いなんだろうか……なんだかグイグイとくるウェイトレスに腕を掴まれて、鳳はカウンター席まで連れてこられた。ミーティアとは感じが違うが、これまた笑顔が目映い女の子だった。

 

 年の頃は10代後半から20代前半、鳳と然程変わらないくらいだろうか。アキバのメイドさんみたいな格好ではなく、ドイツのオクトーバーフェストにでもいそうな感じの服を着ていた。こっちの世界ではこれが普通なのだろうか。

 

「私はルーシー、よろしくね」

「はあ……鳳白っす」

「鳳くんね。ほら、そんな背中丸めてないで、しゃんとしなさいよ。ミーさんも言ってた通り、登録しなくても出来るお仕事だってあるんだからさ」

「はあ、こんな俺でも出来るんでしょうか」

「大丈夫だよ。私にだって出来るくらいよ。だから元気出して」

「はあ……」

「こらっ! ため息ばっかり吐かないの!」

 

 人の情けが身にしみる。なんか、こっちの世界にきてから初めて優しくされたような気がする。ルーシーは鳳の背中をバンバン叩くと、他の客に呼ばれて去っていった。途中で何度も振り返っては笑顔で手を振る姿が可愛らしい。鳳を見つめる瞳がどことなく潤んで見える。

 

 もしかして俺のこと好きなのかしら……モッコリしてきた。などと鳳が思っていると、

 

「おい……あの子が優しいからって勘違いするなよ」

 

 と、彼女に聞こえないくらいの声で、マスターがボソッと呟いた。もしかして、マスターも彼女のことを狙っているのだろうか。残念だったな、彼女は俺に夢中だぜ、フフンっ……とか思っていたら、ルーシーが呼び出された客の注文を取りながら、ベチベチと親しげにその背中を叩いているのが見えた。

 

 遠くて聞き取れないから何を喋ってるかは分からないが、顔を真っ赤にしながら掴みかかった背中に胸をグイグイ押し付けている姿を見るに、相当話が弾んでいるようである。なんだあれは、俺の女に手を出しやがって、あの客、後で覚えてやがれよ……懲りない鳳がそんなことを考えていると、

 

「見ての通り、彼女は誰にでもああだから、凄い人気者なんだ。女性との一次接触に慣れてない童貞じゃコロッといっちまう。でも、勘違いして馴れ馴れしくしてると、店から出た途端にズドンだぞ。それで店に来なくなった客が何人もいる。お前も誰に闇討ちされるか分からないから、絶対手を出すなよ」

「天然トラップかよ! おっそろしいなあ……」

 

 もう一度こっちに来たら尻を触ってやろうと思っていたが、危ないところだった。鳳が額に吹き出た汗を拭っていると、彼の目の前にスーッと音もなくグラスが滑り込んできた。八合目くらいまで注がれた透明な液体がシュワシュワと泡立っている。マスターに、注文はしてないし、お金もないことを告げると、

 

「この街のルーキーにお祝いだ。遠慮せず飲んでくれよ」

 

 とのことだった。この店の従業員はとても親切だ。もしくはこの世界の住人がそうなのか。あまり文明の発達していない異世界だから、もっと殺伐としてるかと思いきや、意外と道徳的である。

 

 匂いを嗅いでから口に含むと、炭酸水に溶けたレモンとはちみつの爽やかな風味が口いっぱいに広がった。ほんのちょっぴりアルコールが入っているようなので、ジンフィズというやつだろうか。頭の中でレシピを思い浮かべるが、他はともかく炭酸水が手に入るのは意外だった。

 

 その辺で天然の(ペリエ)が汲めるのか、それともビール工場か何かで生産してるのだろうか……そんなことを考えていると、注文の小料理を仕上げてから皿を拭いていたマスターがポツリと、

 

「……レベル2なの?」

「ええ、まあ……レベル2ですけど、なにか?」

「……きっと良いことあるよ」

 

 なんか慰められた。彼は話題を変えるように、

 

「連れの、あの……筋肉だるま?」

「ええ、はい、筋肉だるまがなんでしょうか」

「あの人、レベル101って本当? STR23なんて……そんな人間がいるなんて、信じられないが」

 

 人間じゃなきゃ居るのかな? と思いつつ、マスターに本当だと返事している時、彼は自分にもちょっと不可解なものがあることに気がついた。

 

 確かジャンヌはレベル99だったはずだ。元の世界でそうだったし、昨日そう言っていたし、今朝方、アイザックに陰謀で行われていたレベリングにも参加していないから間違いない。なのにいきなりレベルが上っているのはどうしてだろうか。

 

----------------------------

鳳白

STR 10       DEX 10

AGI 10       VIT 10

INT 10       CHA 10

 

LEVEL 2     EXP/NEXT 0/200

HP/MP 100/0  AC 10  PL 0  PIE 5  SAN 10

JOB ?

 

PER/ALI GOOD/DARK   BT C

 

PARTY - EXP 0

鳳白

†ジャンヌ☆ダルク†

----------------------------

 

 鳳は自分のステータスを確認してみた。すると、昼間はあったはずのパーティー経験値が無くなっていて、名前の横のレベルアップの文字も消えていた。考えられるのはこれしかない。アイザックの部下に襲われていた時、藁にもすがる思いでジャンヌの名前を連打したのだが……もしかして、ジャンヌはその時レベルアップしたのでは?

 

 思い返してみると、あの時、パーティーチャットの向こう側で彼は妙に慌てていた。その後の出来事が色々ありすぎたせいでなし崩しになってしまったが、あとで話を聞いておいた方が良いだろう。

 

 仮にもし鳳の予想が正しいとすると、これはパーティーの共有経験値ということになる。なら、今後まずはジャンヌに経験値を稼いでもらって、それで鳳のレベルを上げて、行く行くは一緒に冒険者としてやっていくというのも有りかも知れない……

 

「よう、兄ちゃん。おまえ、さっきの筋肉の連れなんだろ?」

 

 そんなことを考えていたら、誰かが声をかけてきた。

 

 振り返るとそこに狼の大きな口があって、彼は思わず仰け反った。そんな彼の姿を見て狼男(ウェアウルフ)はゲラゲラと笑っている。

 

「おいおい、レベル2だからってビビり過ぎだぜ。獣人(リカントロープ)を見るのは初めてか?」

「え、ええ……まあ……」

「そうだろそうだろ。あっちの街で暮らしてたんなら、俺達のことを見る機会はないだろうからな」

 

 狼男は一人で納得していた。あっちの街とはアイザックの城下町のことだろうか……つい迫力に圧されて喋ってしまったが、まだこの世界のことがわからないうちは、あまり情報を漏らさないように気をつけたほうが良いだろう。

 

 鳳がそんな決意をしている間も、狼男は構わず色々と聞いてきた。

 

「さっきの筋肉だるま、レベル101ってのは本当なのか? もし本当ならもの凄い手練だ。俺たちもこの辺で冒険者をしてるんだが、そんな奴は見たことがない。もしかすると今後彼に世話になるかも知れないから、覚えておいて貰えると助かるよ。だから兄ちゃんも、仲良くしてくれよな」

「は、はあ……」

「そう警戒するなよ。俺の顔が怖いのは、俺のせいじゃないんだからよ」

「そ、そっすね。人を見かけで判断しちゃあいけませんね」

 

 鳳がおっかなびっくりそう返すと、狼男は、お? 分かってるな、とでも言いたげにしっぽをパタパタさせながら、

 

「こうして出会ったのも何かの縁だ。良かったら俺たちのテーブルに来て一緒にカードをやらないか? おまえ、置いてかれて暇してるんだろ」

「カード、ですか……?」

 

 狼男が指差す方を見てみると、中央のテーブルを囲んでカードをしていた狼男の一団が、手を振ってそれに応えた。店に入ってきた時にも目立っていた連中だ。群れをなす狼とはなんとなく怖いイメージがつきまとう。

 

 この狼男は感じが良さそうだが、あまり関わり合いにならないほうが良いだろう……彼はそう思って断ろうとしたが、その時、ふと彼らが持っているカードが気になって、

 

「カードって、ありゃトランプですか? 1スート13枚で、スペードとかクラブとかのマークが描いてあるやつ?」

「そりゃカードって言ったら、それしかないだろう」

 

 狼男は何を当たり前のことをと言いたげにしていたが、鳳からしてみれば不可解な話である。世界が変わっても似たようなカードゲームなら存在するかも知れないが、自分の知っているトランプと同じものがあるとは思わなかったのだ。

 

 さらに詳しく聞いてみれば、彼らがやってるゲームの名前はポーカーだという。これも彼が知ってる地球のポーカーと同じだとしたら、どうしてこんな偶然が起きているというのだろうか……?

 

 鳳がそんなことを考えていると、ウェイトレスのルーシーがやってきて、

 

「やめときなよ、カモにされちゃうよ」

「そんなことしねえよ、失礼な姉ちゃんだなあ」

 

 鳳を止めようとするルーシーと狼男がやり合っている。彼女の助言を聞いて断る方がいいのだろうが……

 

 結局、鳳はトランプのことが気になってしまい、確認のつもりで狼男達の囲んでいるテーブルへと行くことにしてしまった。

 

 背後でルーシーが不安そうな表情でこちらを見ている。彼女にしてみれば純粋に親切での行為だったろうから、あとで謝っておいたほうがいいだろう。彼は狼男達がたむろするテーブルに着きながらそんな事を考えていた。

 



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ストレートフラッシュ

 カードに誘われた鳳がテーブルに着くと、軽く自己紹介が始まった。狼男達は顔は怖いが意外とフレンドリーらしく、目を瞑っていればそんなに怖くはなかった。ただ口が大きい上に肉食だからか、思ったよりも口臭がきつかった。

 

 タバコの煙とアルコールの匂いに巻かれながらルール説明を受けてみれば、やはり彼らがやっているのは鳳も知っているポーカーだった。

 

 プレイヤーに5枚ずつカードが配られて1回だけドローが許される。ツーペアやフルハウスのような役を作り、レイズして掛け金を釣り上げる。一番強い役を出した者が勝ちだが、掛け金を釣り上げて相手を降りさせるのもテクニックの一つだ。

 

 細かいルールの違いはあるが、基本は大体こんな感じだろう。狼男たちがやっていたゲームも、オーソドックスなものだった。

 

 鳳はこれなら自分も出来ると思ったが、残念なことに掛け金がない。するとそれを見ていた最初に話しかけてきた狼男が、

 

「最初だから奢ってやるよ。もしも儲けたら返してくれよな」

 

 そう言って十枚ばかしコインを投げてよこした。レートはコイン一枚は銭貨一枚と交換出来るそうである。因みに銭貨一枚は百円にちょっと足りないくらいの価値らしい。レートが高いのか低いのか分からなかったが、どうせ他人の金だから、それが無くなるまで付き合っておけばいいだろう。

 

 第一ゲームは全員がブタで流れてしまったが、第二ゲームで鳳はいきなり勝った。たまたまフルハウスを引いたので自信を持ってレイズしたら、それをハッタリと見た狼男達がまんまと掛け金を釣り上げ、思わぬ収入が転がり込んできてしまった。早速、貸してもらったコインを返してゲームを続ける。

 

 それから第三第四とゲームが続き、勝ち負けを繰り返しながら、鳳は着実にコインを増やしていった。始めはビギナーズラックと揶揄していた狼男たちも、ゲームが進むにつれて段々口数が少なくなってきた。

 

 狼男達は顔が動物だけあって、本当に表情が読めなかった。怒ってるんだか、笑ってるんだか、苛ついてるんだか、青ざめているのか、後で突然激昂して襲われたりしないだろうな……と思いながら、おっかなびっくりゲームを続けていると……

 

 カランカラン……

 

 ドアを開く音が聞こえて誰かが店に入ってきた。しかし、ちらりと横目で見た出入り口には誰の姿も認められない。あれ? っと思って目を凝らしてみれば、なんてことない、背の小さな少年が扉を押し開けて入ってきたのだ。

 

「おいおい、ミルクが飲みたいなら入る店を間違ってるぜ」

 

 途端にあちこちからそんなヤジが飛んでくる。

 

 少年はそんな連中の言葉にもまるで気にした素振りを見せずに、ニヤニヤとした人懐こい笑みを浮かべながらテーブルの間を進み、マスターに向かって軽く手を上げた。すると、ルーシーが近づいていき、何やら親しげに会話を交わしはじめた。その様子は他の客とは明らかに違って、家族みたいに親密だ。

 

 あの二人、知り合いなのかな……と、ぼんやりそのやり取りを眺めていたら、

 

「おい、兄ちゃん。よそ見してないで早く続きやろうぜ」

 

 と、狼男に急かされた。慌ててテーブルに向き直る。

 

 そして再開して最初のゲームで、鳳はこの日最大のチャンスを迎えた。

 

 もう何回ゲームを続けているか分からないが、大分慣れてきた彼はちらりと見た手札を流れるように2枚捨て、場から2枚引いてきた。

 

 パッと見、ストレートかフラッシュが狙いやすそうだと思い、あまり考えずにカードを捨てたのだが……引いてきたカードはまさにその2つを同時に満たすものだったのだ。

 

 ストレートフラッシュ。

 

 彼は引いてきたカードを手札に入れて並べ、その大役が出来ていることに気がついた瞬間、思わず声を上げそうになった。

 

 その声をなんとか飲み込み、狼男達に気づかれないように表情を隠すと、彼は悩んでいる振りをしながら、警戒されない程度に最大限までコインを釣り上げる。

 

「レイズ」

 

 その強気な姿勢に狼男達が動揺した。鳳は自信があるらしい、降りたほうが良いだろうか? 彼らはそんな弱気な態度を見せるが……しかし彼らにも意地があるのか、それともビギナーズラックなんていつまでも続かないと踏んだのだろうか、最終的には次々と掛け金を釣り上げ始めた。

 

 レイズ、レイズ、レイズ……誰一人として降りる者が出ない中、一周して鳳の番が回ってきた。彼に許されているのはコールかドロップだけであるが……

 

 積み上がったコインを数えて、彼はゴクリとつばを飲み込んだ。正直、こんな場末の酒場で賭けるような金額じゃない。勝っても負けても禍根を残すのは間違いないだろう。よく見れば、コールしようにも彼の手持ちのコインでは足りなかった。

 

 普通なら地団駄を踏みそうな場面であるが、彼は寧ろホッとした。残念ではあるが、ここは降りた方が懸命だろうか……

 

「どうした? コインが足りないのか? 自信があるなら貸してやってもいいぞ」

 

 鳳が悩んでいると、隣の狼男が話しかけてきた。彼はもうカードをテーブルに伏せていて、どうやら次で降りるつもりでいるらしい。このゲームで勝てば、借りた金はすぐ返せるだろう。その時、お礼だと言って多めに渡せば、彼の顔も立って他の連中も手を出しにくいかも知れない。

 

 しかし、本当に勝負していいのか?

 

 テーブルを囲む狼男達の表情は相変わらず読めない。もしかしたら凄い手札を握っているのかも知れない。だが自分の手札はストレートフラッシュだ。そう簡単に負けるはずがない。なんせこれより強い役は二つしか残されていないのだ。ここは強気に行くべきだ。

 

 いや……しかし、彼の手札はハートのストレートフラッシュだった。もし、この場の誰かがスペードのそれを持っていたら、負けである。そんな可能性なんて万に一つもあり得ないと思うのだが……まったく表情を読めない狼男達の顔を見ていると自信が無くなってくる。

 

 やっぱり、降りたほうがいいだろうか。別に金を稼ぎたくてやってるわけじゃないのだし……変に恨みを買うのも良くないし……頭の中でぐるぐると様々な言い訳が飛び交う。

 

 と、その時、

 

「あっ!」

 

 鳳が突然上げた声に、テーブルを囲む狼男達がビクッと震えた。

 

「どうした?」

「あ、いや……すんません、何でもないです」

 

 彼はペコペコと頭を下げると、真っ赤になった顔を隠すように、自分の顔の前で手札を広げた。その時、彼は気づいてしまったのだ。

 

 これまでずっとそうしていたから、まったく気にしてなかったのだが……普通、ポーカーでは手札を捨てる時、カードを伏せて捨てるはずだ。ところが、ここの狼男たちはカードを表にして捨てていた。つまり、今、鳳の目の前に、このゲームで捨てられたカードが表のままで積み上がっていたのだ。

 

 その捨札を注意深く観察してみると、スペードのカードは五枚……そして、そのバラバラの五枚を抜くと、残った数字では決してストレートを作ることは出来ないのだ!

 

 つまり、狼男たちの中にスペードのストレートフラッシュを持つ者はいない。鳳は勝利を確信した。

 

「すんません、借ります」

 

 彼は隣の狼男に頭を下げると、彼の差し出したコインを掴み、自分の掛け金の上に乗せた。そしてそれをテーブルの中央に突き出し、いざ尋常に勝負! とコールしようとした時だった……

 

「やめとけ」

 

 ガシッ! ……っと、コインを差し出す鳳の手首が誰かに掴まれた。

 

 驚いて振り返ると、さっき店に入ってきたばかりの少年が、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、鳳の腕を掴んでいた。

 

 なんだこいつは? 鳳が小首をかしげる。もしかして、心配してくれてるのだろうか。その気持ちはありがたいが、でも今は負ける気がしない。

 

 鳳は少年を諭そうとして口を開きかけた。ところが、その時……突然、鳳よりも先に、何故か狼男たちの方が苛立たしそうに一斉に立ち上がったのである。

 

「なんだガキ! 邪魔するんじゃねえよ!! そいつの手を離しなっ!!!」

 

 その勢いがあまりにもわざとらしくて、鳳は思わず目を白黒させた。どうして彼らはそんなに鳳に勝負をさせたがるんだろうか? まるで勝利を確信しているかのように……

 

 少年はそんな彼らをあざ笑うかのように、

 

「そんなムキになるなよ。まるでイカサマしてるって白状してるみたいだぜ」

「イカサマ!?」

 

 その言葉にギョッとした鳳が少年に聞き返すと、彼は相変わらずニヤニヤとした人懐っこい笑みをしたまま、親指を立てて背後を指差し、

 

「さっきからこいつがお前の手札を見て、合図を送っていたのさ」

 

 振り返ると、鳳たちとは別のテーブルに座っていた冒険者風の男がギクッとした表情で肩を震わせた。まさかと思って鳳が目をぱちくりさせていると、いきり立った狼男たちが、

 

「証拠は!?」

「目撃者が居る」

 

 少年がそう言うと、それを遠巻きに見ていたルーシーがニコニコしながら手を振った。

 

「ここんとこギルドに顔を出さなくなった冒険者が増えてよ、調べてみたらみんな借金抱えて鉱山に飛ばされてるじゃねえか。そんでお前らが怪しいと内偵してたのさ……なあ、お前ら、冒険者ギルドに楯突いたらどうなるか、覚悟の上なんだろうな」

 

 声変わり前の少年の声は甲高くて、しんと静まり返る店内でよく通った。だが、その可愛らしい声には妙な迫力があった。鳳はなんだか喉元に刃物を突きつけられているような、得も言われぬプレッシャーを感じた。

 

 狼男たちもそうだったのか、彼らは獣人特有の不思議な表情で顔を歪めると、びっしょりと鼻の頭に汗をかきながら、尚もしらばっくれ、

 

「それは誤解だ。俺たちは確かにギルドの仲間とカードをしていたが、それだけだぜ? 借金をこさえたのは連中に運がなかっただけだ。イカサマなんてしていない、そっちのテーブルのやつなんか知らないし、ウェイトレスの見間違いだろう?」

「嘘だよ、私ちゃんと見たもん」

「嘘つき女はすっこんでろっ!!!」

 

 狼男が怒鳴り返すと、ルーシーは怯えるように顔を歪めてすごすごと引っ込んだ。常連客の何人かが、それを見て一瞬険しい顔をしてみせたが、残念ながらそれで男気を見せるような者はいなかった。

 

 いや、一人だけいた……

 

「おい、俺の前で女をイジメるなよ」

 

 少年はそう言うと、威圧するように胸を張って、彼女を恫喝した狼男の前に歩み出た。狼男を見上げる少年の顔が、あざ笑うかのように軽薄に歪んでいる……その笑顔にさっきから妙なプレッシャーを感じるのは何故だろうか。どうもこの少年の笑顔は、そのままの意味で受け取ってはいけないようだ。

 

 とは言え、体格差は文字通り大人と子供。狼男はそんな少年の滑稽な姿を見下しながら、

 

「おいおい、僕ちゃん。こいつは濡れ衣だ。俺たちはただカードを楽しんでいただけだ。あの女は俺たちに悪感情を抱いていて、嵌めるために嘘ついてるんだ。分かるな? 今日はこれで許してやるから、おまえは家に帰って母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってな。それでもしつこく俺たちが悪いっていうんなら、こっちにも考えがあるぞ?」

 

 しかし少年はそんな連中の言葉にもまるで怯んだ様子を見せず、ニヤニヤとした笑みを一切崩すことなく狼男の懐に入り込むと、

 

「じゃあ、こいつはなんだ」

 

 と言って、鳳の隣に座っていた狼男が伏せたカードをパタパタとひっくり返した。

 

 鳳はそれを見てギョッとした。そこに並んでいた数字は10・J・Q・K・A。しかもその全てにクラブのマークがついている。

 

「ロイヤルストレートフラッシュ!」

 

 彼が素っ頓狂な声を上げた瞬間だった。

 

 突然、鳳のすぐ頭の上から、ブオンッ! っと空気を切り裂く音が鳴り、もの凄い速さで獣人の腕が、少年に向かって振り下ろされた。鳳はその風を顔に受けて、当たってもないのによろよろと尻もちをついた。

 

 先程までトランプを握っていた狼男の指先に、いつの間にか鋭い爪が伸びている。その爪に切り刻まれたら人間の肌など一瞬でズタズタにされるに違いない。さっきまで軽口を叩いていた口からは、鋭い牙がむき出しになっていて、目は異様な光を讃えていた。

 

 狼男が突然、ウオオオオーン!! っと遠吠えのような雄叫びをあげると、鼓膜がビリビリと震えて平衡感覚が失われた。明らかに戦闘モードといった感じの狼男を前にして、鳳はおしっこをちびってしまいそうなくらい恐怖を感じていた。

 

 やばい……さっきまではやけにフレンドリーだったからそんな風に思わなかったのに、こんなのもう魔物と変わりないじゃないか。自分は一体何とポーカーをしていたんだろう。彼は自分の浅はかさを呪った。

 

 しかし、対する少年は、一切動じることがなかった。

 

 いつの間に距離を取っていたのか、振り下ろされた狼男の腕が空を切る。見れば少年は遠く離れたところでポケットに手を突っ込みながら、あくびを噛み殺したような仕草をしていた。

 

 その挑発的な態度に腹を立てた他の狼男たちが加勢に入るも、少年は一向に焦る素振りは見せずに、逆に狼男たちの間合いの中に詰め寄ると、

 

「なあ、おい。これはもう、俺たちはイカサマしてましたって白状してると見なしていいんだよな? 抵抗するなら反撃しても構わないんだよな? 俺は割と辛抱強い方なんだ。反省してるんなら許してやらないこともないんだが……」

「ざけんな、ガキがっ!!」

 

 軽口に激昂した狼男たちが一斉に少年に飛びかかる。その速さは弾丸もかくやと言わんばかりで、少年の悲惨な結末を見て取った鳳は、思わず顔を歪めて目を伏せた。

 

 しかし、そんな光景はついにやってくることはなかった。

 

 少年に飛びかかった狼男が、まさに彼にその鋭い爪を振り下ろそうとした瞬間だった。少年は目にも留まらぬ速さでその腕をかいくぐり、狼男の懐に入り込むと、その腹に向かって腕を突き出した。

 

 するとその瞬間、パンッ! っと、どこからともなく乾いた音が鳴って、飛びかかっていった狼男が、突然、糸の切れた人形のようにその場に転がった。

 

 何が起きたんだ? ……それを確かめるより先に、仲間がやられた狼男たちが激昂し、次々と少年に飛びかかっていく。しかし、そんな彼らの結末もまた、最初と同じ無様なものだったのである。

 

 少年は迫りくる狼男たちの攻撃をひらりひらりと掻い潜りながら、彼らの攻撃とすれ違うタイミングで、腕を突き出し、パンッ! パンッ! っと、その腹に拳を突き刺していく。すると狼男たちは面白いように体勢を崩して、その勢いのままゴロゴロと床を転がっていった……

 

 最初は、少年が何をやっているのか、どうして屈強そうな狼男たちが、少年の細腕ごときで次々と倒れ伏すのか分からなかった。

 

 だが、交差する瞬間、一瞬だけ光る少年の拳と……全員が制圧された後に、中心で佇んでいる少年の両腕に握られていた小さな銃を見て、鳳はようやく彼が何をしていたのかを理解した。

 

 少年は隠し持っていたピストルを使い、目にも留まらぬ早撃ちで、狼男たちを至近距離から撃ち抜いていたのである。

 

 このファンタジー世界……そんなものにお目にかかれるとは思いもよらず、鳳は目を丸くした。狼男たちも同じく、床に這いつくばったまま驚愕の表情で少年の顔を見上げている。少年はそんな狼男たちにニヤニヤしながら近づいていくと……

 

 彼はその日初めて笑顔をやめて、真顔で、透き通った瞳で、狼男たちの顔を見つめながら、ゆっくりと、言い含めるように、

 

「なあ、おい、痛いか? 急所は外してあるから死にゃあしねえよ。分かるだろ? 外してやってるんだよ。だがまだやるってんなら、今度はおまえのそこでドクドク言ってる動脈ぶち抜くぞ。痛いぞ、きっと。大抵の男は泣き叫ぶからな。なあ、おい、試してみるか?」

 

 甲高い声の小柄な少年が、大きな獣人を足蹴にしながら凄んでいるさまは、まるで映画でも見ているみたいにアベコベで滑稽だった。しかし狼男たちの方はもうそんなことを感じる余裕もなかったらしい。

 

 始めこそ虚勢を張って少年を睨みつけていた狼男も、少年に銃を向けられ、容赦なくガンガン傷口を蹴り上げられるうちに、キャンキャンとまるで犬みたいな鳴き声を漏らし、ついに屈服してしまった。

 

「わかった! わかったから! 俺が悪かったっ! やめてくれっ!!」

 

 一人の狼男が降参すると、それを見ていた周りの連中も大人しくなった。さっきまでピンと張っていた耳が、今は萎れて伏せている。その姿はまるで子犬のようである。

 

 少年はそんな狼男に、最後に思っきり蹴りを入れると、

 

「なら、とっととこの街から消えやがれ! もし次に見かけた時は、おまえらはもう狩られる側だと肝に銘じろ!」

 

 少年がピストルをぶっ放しながら威圧すると、狼男たちは文字通り尻尾を巻いて逃げていった。去り際に覚えていろと悪役っぽいセリフを吐き捨てて言ったが、大抵、このセリフを言うやつはその後出てきた試しはない。

 

 酒場の床には狼男たちの血と、ばらまかれたトランプと、割れたガラスの破片が散乱していた。

 

 さっきまであんなに楽しく遊んでいたのに……西部劇の世界にでも放り込まれたような一連の出来事に、鳳は改めて自分の立場を思い知った。ここは元の世界と違って、気を抜いたら簡単に身ぐるみ剥がされていても、おかしくない世界なのだ。

 

 もしこの少年がいなかったら、今頃どうなっていたことか……

 

「よう、大丈夫だったか?」

 

 鳳はそんな少年にお礼をしようと立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立てなかった。そんな彼の無様な姿を見かねたのか、少年の方から近寄ってきて、彼に手を差し伸べた。

 

 だがその手の先にはピストルが握られている。銃口を向けられた鳳が反射的に手を挙げると、少年はようやくそれを思い出したかのように、

 

「おっと、いけねえ」

 

 と言って、指先でピストルをくるくる回して、手慣れた手付きで腰のホルダーにそれを収める……のではなく、まるで腰にある見えないホルダーに入れるかのような仕草だけをしてみせた。

 

 すると、その瞬間、彼の指先でくるくると回転していたピストルが、キラキラとした光の礫を撒き散らしながら、鳳の目の前で虚空に消えてしまったのである。

 

 それはまるで、元の世界のゲームで倒したモンスターが消えるエフェクトのように見えて……鳳は素っ頓狂な声を上げた。

 

「え! なにこれ!? 今の、どうやったの?」

 

 彼はさっきまでピストルを握っていた少年の手のひらを、まるで手相でも見るような格好で覗き込んだ。しかしその手を穴が空くほど眺めてみても、ピストルはどこにも見つからない。本当に、痕跡一つ残さず空中に消えてしまったのだ。

 

 手品でも見せられているのだろうか? それとも、夢でも見ているのだろうか?

 

 少年は鳳の手を振り払うと、迷惑そうに答えた。

 

「どうって、こんなのはただの現代魔法(モダンマジック)だ。それくらい知ってるだろ?」

 

 当たり前のように少年はそう言ったが、もちろん、鳳にはなんのことだかさっぱり意味不明だった。ポカンとしている鳳を見ながら、少年はガリガリと後頭部を引っ掻いた。

 

 親切心で助けてやったが、どうも面倒くさいやつに絡まれてしまったらしい、その顔がそんなセリフを雄弁に語っていた。

 



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バガボンド

 カードでカモにされかけていた鳳は、ふらりと店に入ってきた少年によって窮地を救われた。少年の目にも留まらぬ早撃ちで、狼男たちは文字通り尻尾を巻いて逃げていった。その時、少年が手にしていたピストルが、まるで元の世界のゲームの中みたいに、光の礫になって消えていく光景を目にして、鳳は腰が抜けるほど驚いた。

 

 何だこれは? 一体どうやったんだ? と目を丸くする鳳に、

 

「何って、ただの現代魔法(モダンマジック)だろうが」

 

 さも当然であるかのように少年は言った。

 

現代魔法(モダンマジック)……? 古代(エンシェント)があるならモダンもあるのかよって思ってはいたが、本当にそんなもんがあったのか」

「はあ? 何当たり前のこと聞いてんだ? 今どき、そんなことも知らないやつがいるか。どんなド田舎から出てきたんだよ」

「レベル2なんだよね」

 

 呆れ返る少年とポカンとした顔の鳳がお見合いしてると、バケツとモップを抱えたウェイトレスのルーシーがやってきて、ニコニコしながらそう告げた。彼女はまるで何事もなかったかのように、狼男たちの血で汚れた床を掃除し始める。

 

 見れば、騒ぎの間、皿を抱えて退避していた客たちが、おのおの自分のテーブルに戻っていた。ここではこれが日常茶飯事なのだろうか? 阿吽の呼吸で平然としている客たちに、鳳は呆れるしかなかった。

 

 ルーシーの言葉を聞いて、今度は少年の方が素っ頓狂な声を上げた。

 

「レベル2!? 嘘だろっ!? 一体、どういう生き方してたらそんなんなるんだよ、逆に凄いわ!」

「ううう、うっさいわい。誰も好き好んでレベル2なんじゃないやい」

「レベルを上げない苦行でもしてるのかよ……つか、なんでそんな奴がこんな場所に居るんだ? ミルクが飲みてえなら、入る店間違えてんぞ」

「お前に言われたくないわっ!」

 

 鳳が涙目でそう返す。すると彼らの周囲で床をゴシゴシモップがけしていたルーシーが、

 

「お兄さんと一緒に、冒険者登録に来たんだよね。お兄さんの方は、さっきミーさんに連れてかれたよ」

「じゃあ同業者か」

「いや、兄弟じゃないんだけどね」

 

 二人はルーシーを手伝い、床に転がっていたテーブルと椅子を元に戻してから、そこに座った。少年は珍しいもので見ているような目つきで鳳の顔をマジマジと見ながら、

 

「ふーん……お前、もしかしてあっちの街から来たんだろ」

「え? いや、その……分かるのか?」

「まあな。現代魔法は知らないわ、レベル2だわ、初対面の獣人(リカント)とカードなんかしてるわ、そんな世間知らず、なかなかお目にかかれねえよ。よっぽど大事に育てられたんだろう」

 

 そう言って少年は一人で納得していた。もちろん、鳳は箱入り息子というわけではないのだが、事情をどこまで話して良いのか分からなかったので、勘違いしてるならそのままにしておこうと黙っていた。

 

 それよりも、狼男たちの件で、まだお礼を言っていなかった。鳳は改めて少年に頭を下げると、

 

「そういや礼がまだだったな。助けてくれてありがとう。あのまま負けてたらどうなってたことか……おまえ、子供のくせにマジすげえな」

「子供のくせにってのは余計だ」

「ギヨーム君はこう見えて、ギルドでも指折りの腕利き冒険者なんだよ」

 

 鳳たちのテーブルの周りをモップがけしながら、ルーシーがえっへんと胸を張って教えてくれた。ギヨームというのが少年の名前だろうか。不服を申し立てながらもニヤニヤ笑いが絶えないのは、どうやら彼の笑顔は顔に張り付いているらしい。

 

 そう言えば狼男たちとやり合ってる時も、この顔でギルドを舐めたらどうなるかとか啖呵を切っていた。笑顔のくせに妙な迫力を感じると思ったが……ギルドの主要メンバーなのか、ルーシーの雰囲気からしても、かなり頼られているようだ。ぶっちゃけ、ただの小学生にしか見えないのだが、やはりこの世界では見た目で人を判断しちゃいけないのだろう。

 

「それで、現代魔法だったな」

「え?」

「おまえが聞いてきたんだろう。現代魔法ってなんだって」

 

 ギヨームは不服そうな声でそう言った。鳳はまさか教えてくれるとは思ってなかったのでちょっと戸惑ったが、素直に教えてくれと頭を下げた。モップがけをしていたルーシーがお盆に飲み物を乗せてやってきて、鳳たちの前に置いた。どうやらサービスしてくれるらしい。カウンターにいるマスターに目礼すると、皿を拭きながら無言で頷いた。気がつけば他の客たちもみんなテーブルに戻っていて、店内は何事も無かったかのようにざわついている。

 

「それで、お前は魔法についてどれくらい知ってる?」

 

 どれくらいと言われると困ってしまうが、鳳は城でアイザック達が話していたことを思い出しながら、

 

「確か……ファイヤーボールとかライトニングボルトのことを古代呪文(エンシェントスペル)っていうんだろ。んで、流し斬りとか二段斬りとか叫ぶのが神技(セイクリッドアーツ)

 

 元の世界のゲームと同じで、技名を叫べば自動的に発動するはずだ。その旨も話してみたら、彼はあっさりと肯定した。尤も……

 

「まあ、俺は使えないから本当かどうか分からないがな。大昔からそう言われてるから、多分そうなんだろう」

「ふーん」

「その2つがいわゆるエンシェントってやつだ。これらはなんでか知らないが神人しか使えねえ。んで、それ以外のもんが現代魔法(モダンマジック)ってわけだ。おまえだって、ティンダーのスクロールを使ったことくらいあるだろ」

 

 鳳はコクコクと何度も頷いた。城の部屋で、模様の描かれた紙をマッチみたいに使っていたが、あれが現代魔法だったのか。そう考えると、さっきのエントリーシートもそうなのだろうか。

 

「大昔は古代魔法(エンシェント)を使う神人しか居なかった。ところが300年前に魔王に攻め込まれた時、人間が身を守るために編み出したのが現代魔法ってやつだ。必要は発明の母とはよく言ったもんだな。これらは訓練次第では誰にでも使えると言われてて、基本的にMPを消費しないのが特徴だ」

「MPを消費しない? じゃあ、俺にも使えるのかな?」

 

 ギヨームを肩を竦めながら、

 

「あくまでそう言われてるだけで、才能が無ければやっぱり使えねえよ。興味があるなら訓練所に行けば教えてくれるが、それで才能が開花するやつはごく僅かだ」

「そうなんだ……」

 

 世の中そんなに甘くは無いらしい。鳳はがっくりと項垂れた。そんな彼のこと眺めながら、少年は珍しいものでも見るような目つきで、

 

「本当に何も知らないんだな……まあ現代魔法は神人には無用のものだから、帝国の奥に行けば行くほど認知度は低いらしいが……おまえ、本当にどこから来たんだ?」

「えーっと……」

 

 城に仲間を残してきた手前、正直に話して良いものか……せめてジャンヌと話し合ってから決めたほうが良いだろう。鳳がモゴモゴと口ごもっていると、ジャンヌを連れて奥に引っ込んでいた受付嬢のミーティアが戻ってきて、

 

「お客様の中にレベル2の方はいらっしゃいませんか~? お客様の中にレベル2の方はいらっしゃいませんか~?」

「お医者様みたいに呼ぶんじゃないっ!」

 

 堪らず鳳が叫び返すと、店内がどっと湧いた。会話したこともない客にまで笑われているのは、なんかもう、彼はそんな扱いになっているからだろう。

 

 ミーティアは店のど真ん中の席に陣取って、古参冒険者たちの間にもう馴染んでる鳳を見つけると、ほんの少し驚いた表情をしながら近づいてきて、

 

「この短期間でもう仲良くなってるんですか。ある意味才能ですね」

「知らん。周りの連中が一方的に俺のことを知ってるだけだ」

 

 鳳のことというよりか、レベル2であることの方であるが……ミーティアはそんな彼の前に座っているのがギヨームであることに気づくと、

 

「あら、ギヨームさん、いらしてたんですか」

「ああ。例の内偵が終わったから、これから報告に行こうと思ってたんだが」

「ならちょうど良かった。今、探しに行こうとしていたところなんですよ」

「そうなのか?」

「はい。ギヨームさんと、それからレベル2の……なんだっけ」

「鳳だ!」

 

 ミーティアはコホンと咳払いしてから、

 

「鳳さん、ギヨームさん、お二人のことをギルド長がお呼びです。よろしければご同行願えますか?」

 

 鳳たちは顔を見合わせた。ついさっき知り合ったばかりだと言うのに、どうしてそれを知らないギルド長のところへ、同時に呼ばれたのだろうか? 二人は首を捻りながらミーティアの後についていった。

 

***********************************

 

 冒険者ギルドのカウンター横の扉をくぐると、酒場の裏庭に出た。ギルド長の執務室は同じ建物には無く、裏庭を挟んだ離れにあるらしい。そりゃ酒場なんかが同居していたら仕事にならないだろうから、当然と言えば当然だろう。

 

 酒場の二階は宿屋になってて、その二階から渡り廊下が伸びているのが見えた。剥き出しの地面を踏み、廊下の真下を辿っていくと、酒場の玄関でも見たギルドの小さな看板が掛けられていて、そこがギルド長の執務室であることを示していた。

 

 ミーティアが扉をノックして開けると、酒場より少し照明が利いた部屋の奥には、いかにも社長机といった感じの光沢のある大きな机が置かれてあり、その前方にはクッションの利いてそうな応接セットがあった。

 

 上座に座っていた長身痩躯でロマンスグレーの男性が立ち上がる。おそらく彼がギルド長だろう。慇懃に挨拶をする彼に向かって、これまたバカ丁寧にお辞儀をし返すと、彼はどうぞ座ってくださいと、先に来ていたゴリラの隣を指差した。

 

 鳳は大人しくそこへ座ったが、ギヨームは勧めには従わず、当たり前のように入口近くの壁にもたれて立っていた。部屋の人口が増えて気を利かせたのか、ミーティアがお辞儀をして去っていく。

 

 はて、なんで呼ばれたんだろうか? と、隣に座るジャンヌの顔をチラ見したら、彼は見るからに顔面蒼白でオロオロしながら応接セットの机を凝視していた。何かまずい事でもやらかしたのか……警戒していると、その理由はすぐに判明した。

 

「突然呼び出して申し訳ない。私はこの支部を任されているフィリップという。そこのジャンヌ君と話をしていて、少々気になることがあってね……尋ねてたんだが。彼はどうしても君と一緒じゃなきゃ話せないと言うので来てもらったんだよ」

「えーっと、何でしょうか?」

「単刀直入に聞こう。君たちは何者で、どこから来たんだ?」

 

 もう少し心の準備をさせてくれれば上手く誤魔化せたかも知れないが、いきなり過ぎて、鳳は表情を取り繕うことさえ出来なかった。ギョッとして助けを求めるように隣のジャンヌを見たら、彼は申し訳無さそうに顔の前で手を合わせていた。もうこの態度だけで何かやらかしたのは明白だろう。ギルド長は事の経緯をかいつまんで話してくれた。

 

「ミーティア君が期待の新人だと言って連れてきたから話を聞いていたんだけどね、するとこのジャンヌ君が神技(アーツ)を使えると言うじゃないか。神技は神人しか使えない古代魔法のはずだ。まさかとは思ったがエントリーシートには嘘は書けない。STR23なんてのも尋常じゃないし、これは何かあるなと詳しいことを尋ねてみたんだが……彼は君と相談しないと話せないの一点張りでね」

「あー……なるほど」

 

 鳳は引きつった愛想笑いを返しつつ、ジャンヌに顔を寄せ小声で話した。

 

「おい、どうすんだよ」

「ごめん、白ちゃん。出来るだけ話さないように意識していたんだけど……」

「おまえ、そういう腹芸苦手そうだもんな。仕方ない」

 

 鳳はため息を吐くと、どこまで話して良いものか考え始めた。

 

 正直、右も左も分からないこの異世界で生きていくことを考えたら、これから世話になろうとしているギルドに、事情を話しておくのは悪い選択じゃないだろう。しかしまだ、この人たちがどれくらい信用出来るかわからない状況では、全てを話すわけにもいかなかった。

 

 城を出る際、アイザックはここでの事を話したらタダじゃ済まないと言っていた。具体的に何をされるかは分からないが、仲間がまだ城に残っている現状では、下手に漏らして怒りを買うのは避けたほうがいいだろう。

 

 だから話すとしても自分達のことだけ……異世界のゲームで遊んでいたら、知らぬうちにこっちの世界に迷い込んでしまったということだけなのだが……こんな話、一体誰が信じるというのだろうか。

 

 しかし鳳がダメ元でそのまま話してみると、

 

「やはり、君たちは異世界からやってきた放浪者(バガボンド)だったか」

 

 意外にも、ギルド長はあっさり鳳の話を受け入れてしまった。これには逆に鳳たちの方が驚いた。

 

「ええ!? 信じてくれるんですか??」

「ああ、放浪者は昔からたまに現れるんだ。そこまで珍しくはない」

「放浪者?」

 

 ギルド長は軽く頷いてから、

 

「この世界の住人の中には、君たちのように異世界の記憶を持って生まれた子供や、ある日突然前世の記憶に目覚める者がいるんだ。そういった人物は大抵の場合、能力に恵まれており、突出した才能を見せたりする。恐らくだが、君たちはここよりもずっと進んだ文明のある星からやってきたんじゃないか?」

 

 鳳とジャンヌが顔を見合わせてから頷くと、ギルド長はさもありなんと言わんばかりの納得顔で続けた。

 

「それならジャンヌ君のSTRが異常に高いことや、神技が使える理由もわかる。放浪者は優れた前世の記憶を持ち、この世界に貢献してくれることが多いんだ。かつての勇者パーティーとか、現代魔法の創始者たちもそうだったんだよ」

「勇者パーティー……じゃあ、もしかして勇者召喚ってのは、その放浪者を呼び出す儀式なんですか?」

 

 鳳が探りを入れるつもりでそう尋ねてみると、ギルド長は首を振って、

 

「いや、それは帝国に伝わる、真祖ソフィア復活のための儀式のことだ。元々はソフィアを呼び出すつもりが、何故か分からないが勇者が誕生してしまったので、今日では勇者召喚と呼ばれているだけさ。君は勇者に興味があるのか?」

「いえ、もしかして、俺たちもそれで召喚されたのかなあ~って……」

「あっはっはっは!!」

 

 ギルド長は大声で笑った。

 

「それはない。それは皇帝位を持つものにだけ許された禁断の秘技、300年前に一度だけ行われたと言われる禁呪だよ。先代皇帝が死んだ今となっては、使える者なんていないのではないかな」

 

 それじゃアイザックたちは一体、何をやったのだろうか……? 彼らは鳳たちのことを勇者と呼んだ。それに、地下室で見つけた5つの白骨死体……気にはなったが、下手につついてやぶ蛇になっては元も子もないだろう。鳳は勇者召喚のことについては、まだ黙っておくことにした。

 

 ともあれ、この世界で異世界の記憶を持っていると言っても、それほど不思議がられることもないようだ。それなら今後は、ある日突然、前世の記憶に目覚めたことにしておこう。鳳がそんなことを考えていると、ギルド長は壁にもたれ掛かっているギヨームを指差しながら、

 

「因みに、そこの彼も放浪者だ。君たちの先輩だな」

「え!? そうだったの??」

 

 びっくりして鳳が振り返ると、壁で腕組みをしていたギヨームは珍しくニヤニヤ笑いをやめて斜め上の方を見ながら、

 

「……ニューメキシコのド田舎で暮らしていたんだ。牧畜以外に、何の取り柄もない土地さ」

「へえ、アメリカ人だったんだ?」

「まあな」

 

 口数が少ないのは、あまり前世のことに触れてほしくないからだろうか。ならばこちらもスネに傷がある手前、黙っておくのが賢明だろう。二人がそんな具合に微妙な空気を醸し出していると、それを察したギルド長が話題を変えた。

 

「まあ、そういうことなら、君たちのことを歓迎しよう。ジャンヌ君があまりにも得体が知れないから警戒していたが、放浪者と判明した今なら拒絶する理由もない。寧ろ、ジャンヌ君ほどの能力持ちなら即戦力間違いなしだ。是非、うちに冒険者登録して活躍して欲しいくらいだ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ジャンヌはホッとした表情で礼を言っていた。受付でエントリーシートを書く時も様子がおかしかったが、よほど就職活動に嫌な思い出があるのだろう。

 

 ギルド長はそんなジャンヌにニコニコ笑いかけながら、

 

「始めのうち、分からないことがあったらそこのギヨームに聞いてくれ。彼はこう見えて、このギルドで最も頼りになる冒険者だ。同じ放浪者でもあるし、気が合うかも知れない」

 

 突然話を振られたギヨームは一瞬面倒くさそうに眉を顰めたが、すぐに思い直したようにいつものニヤニヤ笑いを作ると手を差し出し、

 

「ギヨームだ。討伐をメインにやってるが、潜入や探索も得意だ。討伐隊(パーティー)を組む際は一緒になるだろうから、その時はよろしく頼む」

「よろよろ……よろしくお願いするわ」

 

 ジャンヌは立ち上がって彼の手を握り返すと、その小さな脳天を見下ろしながら、本当にこいつが先輩なのか? といった感じの表情を見せた。まあ、そう思うのも仕方ないだろう。ギヨームは見た目は小学生……せいぜい高学年といったところなのだ。しかし、その実力は折り紙付きである。

 

「ジャンヌ、この世界では人を見かけで判断しないほうが良いぞ。おまえだってそうだろ? そいつにはさっき危ないところを助けてもらったという実績があるんだ」

「そ、そうだったの? それは失礼したわ。改めてよろしく」

「ああ、せいぜい役に立ってくれ」

 

 ギヨームがぶっきら棒に挨拶を返すと、ギルド長が何やら書類を持って二人の間に入ってきた。

 

「それじゃ、ジャンヌ君。形式上だが書類にサインを頼むよ。文字が書けないなら拇印でもいい」

「いいえ、文字の読み書きは出来るみたいよ。考えてみれば不思議な話ね。一体、どうなってるのかしら?」

「さあな、考えても仕方ない。便利ならそれでいいだろう」

 

 三人が和気あいあいと話を進めている。鳳はそれを蚊帳の外で眺めながら、

 

「因みに、俺の分は?」

 

 自分も冒険者登録をしてくれないかと尋ねてみたら、ギルド長はギクリと肩を震わせ目を逸した。この様子からして、ミーティアから報告を受けているのだろう。

 

 彼は今までにないほど余所余所しい態度で、しどろもどろに、

 

「あ~……君は正直、登録しても回せる仕事がないと思う……簡単なものなら受付にあるから、ミーティア君に聞いてくれればいいんだが」

「うん、知ってた。そうなるんじゃないかと思ってた」

 

 鳳が不貞腐れてみせると、ギルド長は期待の新人がいる手前で、その仲間をあまり無下には出来ないと思ったのか、苦笑交じりに冷や汗をかいていた。しかし突然、何かを閃いたといった感じで、ポンと手を叩いたかと思えば、

 

「そうだ! ギヨーム、彼のことも面倒をみてやってくれないか?」

「はあ!? なんで俺が」

 

 その言葉に、ギヨームが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「今後、ジャンヌ君と行動を共にするなら、彼ともしょっちゅう会うことになるだろう。それに、考えてみれば彼だって放浪者なんだ。磨けば光る玉かも知れない」

「レベル2なのに?」

「レベル2でもだ」

「おいこら、あまりレベル2を連呼しないでくれないかっ!」

 

 堪らず鳳が抗議の声を上げると、ギルド長はまあまあ抑えて……といった感じに胸の前で両手のひらを見せながら、面倒くさそうな素振りでいるギヨームに向かって、

 

「なら、面倒見てくれたらボーナスあげるから」

「……具体的には?」

「そうだな。彼が使い物になるんなら、これこれ、こんな具合に……」

 

 ギルド長とギヨームは額を突き合わせてソロバンを弾き始めた。ギルド長が出す条件に対し、途中、何度もギヨームは口を挟んで訂正したが、やがて諦めたようにため息を吐くと、

 

「わかったよ。それで手を打とう。しかし期待はするなよ? ただでさえ低レベルなくせに、放浪者ときている」

「それでいい。だが手を抜くなよ?」

 

 ギルド長との話し合いがまとまると、ギヨームは面倒くさそうにポリポリと後頭部をかきむしりながら、今度は鳳に向かって手を差し出しながら、

 

「それじゃ、見ての通りお前の教育係を任された。知ってると思うがギヨームだ」

 

 鳳はその手を握り返しながら、

 

「ああ、よろしく頼むよ」

 

 鳳とジャンヌ、二人の異世界生活はこうして始まった。まだ右も左も分からない異世界で、これからどうやって生きていけばいいのかと悩んでいたが、こんなにも早く行き場が見つかったことは幸運だったと言えよう。

 

 冒険者ギルドなんて鳳ひとりだったら思いつきもしなかっただろうから、ジャンヌという仲間の存在はそのステータス以上に心強かった。逆を言えば今の所、鳳は何の役にも立っていないから、早く自分の立場というものを確立していかなければ、この世界で埋没するどころか、いつ野垂れ死んでしまってもおかしくないだろう。

 

 そんなプレッシャーを隠しつつ……鳳はまだ見ぬ冒険に思いを馳せていた。

 



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よくわかる現代魔法①

 異世界に召喚されてからたったの二日で、城から追い出されて行き場を失った鳳とジャンヌは、城からほど近くの街(それでも10キロくらいは離れてる)で生活を始めた。当初は二人で魔物退治などのクエストをこなすつもりだったが、鳳があまりにも無能であるため、現在はジャンヌ一人が冒険者として街周辺の魔物退治を行っている。

 

 冒険者稼業を始めたジャンヌは、やはりと言うべきか、驚くほどの活躍を見せギルド長を喜ばせていた。最初こそ、モンスターを殺すことを躊躇って教育係のギヨームを苛つかせていたが、一度経験してしまえば、廃課金と同じで罪悪感もなくなってしまったとかなんとか言っていた。

 

 例えはあれだがわかりやすい。元々、中二病を拗らせて女騎士ロールプレイまでしていた中年男性であるから、案外、こういうマタギ生活みたいなことが向いていたのかも知れない。今ではギルドのエースと呼ばれるほどにまで成長している。

 

 因みに鳳の方は、それを指を咥えて見ているだけで、たまに掲示板に張り出されるお使いクエストをこなして、小遣い稼ぎをするのが関の山だった。小遣い稼ぎと言うだけあって、本当に子供にも出来てしまうから、近所の子供と競争することもしばしばあり、気がつけばギルドの連中よりも、そんな子供たちと一緒にいることが多い始末である。

 

 冒険者ギルドはそんな具合に、街のお使いから魔物討伐まで幅広くやる、なんでも屋みたいなものだった。支部は勇者領を中心に世界各地にあるそうだが、通信技術が発達していないから、支部間の連携はあまり無いらしい。

 

 ただし、隣り合う支部は依頼内容次第で交流があるから、活躍すれば知名度もじわじわ浸透していくそうで、エースクラスは通り名で呼ばれ、世界を股にかける冒険者も中にはいるようだ。ところで意外……でもないかも知れないが、ギヨームも『ザ・キッド』の通り名で呼ばれる、割と知られた冒険者であるらしい。何というか、見た目そのままの名前である。

 

 因みに冒険者には達成した依頼の難易度でランク付けがされるのだが、彼は数少ないAランク冒険者の一人だそうだ。そんな彼は、元々は勇者領で活動をしていたそうだが、目立つことを嫌ってこっちの支部に移ってきたそうである。ギルド長は拾い物をしたと単純に喜んでいるようだが、ただの小学生にしか見えない彼が、たった一人でこんなガラの悪い街で暮らしているのは、なんだか腑に落ちない感じがした。

 

 両親はどうしているのだろうか? 異世界チート転生のお約束で、放浪者も見た目と違い中身は大人のようだから、自活していても不思議ではないのだが、彼はそういうプライベートな話はあまりしたがらなかった。

 

 さて……鳳がやれるような簡単な仕事を除けば、冒険者ギルドの依頼は主に3つに分類される。モンスター討伐、護衛、それから探索だ。

 

 まずはじめに、モンスター討伐は言わずもがな、人々に依頼されて人里に現れた魔物(モンスター)を狩る仕事である。

 

 この辺は帝国の食料庫と呼べるくらい穀倉地帯が広がっているのだが、すぐ南にはワラキアと呼ばれる大森林があって、そこから魔物がちょくちょくやってきては畑を荒らすらしい。国がなんとかしてくれればいいのだが、そんなのは現代人だから言えることで、こちらの農家は自分達で対処するしかない。しかし、魔物は全て猛獣だから、自警団のようなものを作っても限度がある。

 

 そんなわけでギルドは農家から依頼を受けて冒険者を派遣し魔物を退治する……まんま現代のハンターみたいな仕事だが、これが一番実入りも良くて依頼数も多い、ギルドの花形の依頼だそうだ。

 

 続いて護衛は、主に街から街へ渡り歩く商隊(キャラバン)を、目的地まで安全に送り届けるのが仕事である。たまに貴族なんかが、個人的に護衛を雇うこともあるそうだが、基本的に商隊相手だと思っていい。

 

 この街はヘルメス国の国境で勇者領へと続く街道が通っている。しかし勇者領へは森の中を通らなければいけない。森は魔物が棲息しているだけではなく、盗賊なんかも潜んでいるから、護衛の需要は割とあるらしい。

 

 何事も起こらなければこれほど楽な仕事はないのだが、難点は敵が出たとして相手を選べないことと、とにかく日数がかかることだそうだ。特に護衛は往復ではなく片道のことが多いから、行ったはいいが帰りは徒歩でとなりやすく、その間、別の依頼を受けたほうが結局は実入りが良かったということも多いらしい。だったら始めから商隊付きの傭兵になればいいやと、そのまま雇われる冒険者もいるらしく、需要が多い割に、なり手がすくない仕事のようだ。

 

 そして最後は探索……これには大雑把に二種類のものがある。

 

 まず一つは、魔物の巣を発見すること。この街は討伐依頼が頻発するくらい魔物がちょくちょく出没するわけだが、中には人里近くに巣を張って定期的に人を襲うような知恵のある魔物もいるらしい。鳳が城で殺されかけたゴブリンなんかがその典型である。

 

 冒険者ギルドでは集落からの依頼を受けて周辺を探索し、魔物の生息地を発見しては、駆逐するという仕事を請け負っているそうである。元々判明している巣を襲撃するのではなく、発見から駆除までするわけだから、かなりの経験と勘が試されるわけだが、ギヨームはこれが得意らしく、その相方としてジャンヌは主にこの仕事を受けているようだ。

 

 そしてもう一つの探索とは、文字通り遺跡(ルインズ)迷宮(ラビリンス)の探索である。この世界にはなんと、ゲームみたいな不思議なダンジョンがあちこちに点在するらしいのだ。

 

 ギルド長からのレクチャーでは……この世界の歴史は、記録に残っているのはせいぜい300年前からで、それ以前のことは口伝でしか伝わっていない。各地にある迷宮はその先史時代のものではないか? とのことだった。

 

 曰く、この世界には創世神話があり、それによると世界は四人の神様によって創られたのだとか。四人はそれぞれ、エミリア・デイビド・リュカ・ラシャと呼ばれ、万物の根源をなす四元素を司っていた。そう……エミリアである。メアリー・スーが、この世界の神様の名前だと言っていたのは、どうも本当のことらしい。

 

 四柱(よはしら)の神は仲良く世界を創ったまではいいものの、それを統治する人間のあり方で揉めて喧嘩を始めた。結果、ラシャはリュカを殺し、デイビドは逃げ出し、エミリアは閉じこもった。世界はラシャの生み出した魔王によって火に包まれたのだが……ここから先は、城で聞いた創世神話と同じである。

 

 エミリアは魔王を倒すべくソフィアという名の化身(アバター)を地上に遣わし、彼女が五精霊を生み出して魔王を倒した。その後ソフィアは行方不明となったが、五精霊は各国の守護精霊として実在している。300年前、本当に現れたことが記録として残っているのだ。

 

 そんなわけで、エミリアは神の中の神と呼ばれ、この世界で最も偉大なる神として崇拝されている。メアリーの言葉を借りれば、エミリアとソフィアと精霊は三位一体……その精霊に創られた神人たちは神の子孫であることを誇りに思っており、そうではない人間や獣人(リカント)のことを蔑んでいるそうだ。

 

 故に神聖帝国の正式名称は『神の神たる(デウス・)エミリアの治める(エスト・)聖なる帝国(エミリア)』と呼ぶ。彼らにとってエミリアは国であり神であるというわけだ。

 

 続いて、遺跡や迷宮は、ソフィアが魔王と戦った、神話時代のものと考えられている。

 

 迷宮(ラビリンス)と言うだけあって、その構造は人間の常識を超えており、トラップや謎解きはもちろん、奥に進んでるはずなのにいつの間にか外に出ていたとか、狐につままれたような出来事が当たり前のように起こるらしい。しかしその迷宮を攻略して得られるお宝もまた常識外れで、手に入れることが出来れば巨万の富を得ることもあり得ると言われている。

 

 具体的には、大昔、スクロール魔法を完成させた先駆者は、迷宮で得た宝を使用したのだと言われている。ティンダーの魔法を思い出せば分かるだろうが、あれに特許料が入ってくると思えば、迷宮がどれほどの富を生み出すかわかるだろう。要はそういう力が手に入るのだ。

 

 そんなわけで、迷宮探索はギルドでも最大目標の一つなのだとか。コツコツと知名度を上げてきたジャンヌは、今後迷宮にチャレンジする機会があるかも知れないと嬉しそうに語っていた。羨ましい限りである。

 

 さて、そんな具合に冒険者として着実に出世街道を歩いているジャンヌと対象的に、鳳の方はいつまで経っても街の中で燻っていた。彼が何をやっているのかと言えば、とにかく訓練所通いである。

 

 鳳は才能が無いだけではなくジョブもない。恐らく、このままじゃスキルを覚えることすら出来ないだろうから、訓練所でステータスアップするよう、教育係(ギヨーム)に命じられていたのだ。

 

 城でも言われたとおり、基本ステータスは地道な鍛錬で上げることが出来るから、ステータスの変動があれば何らかの職業に就くことが出来るかも知れない。訓練所では、木剣を使っての戦闘訓練のような実技の他、魔法の基礎を教えてくれる座学があり、鳳はどちらかと言えば後者の方で、知識を蓄積することを好んで行っていた。

 

 やはり、元の世界で魔法系ジョブに就いていたくらいだから、こっちの方に興味があったのだ。

 

 以前、ギヨームも話してくれたが、この世界の魔法は大まかに二種類が存在する。神人が使う古代魔法(エンシェント)と、人間が使う現代魔法(モダンマジック)である。

 

 そのうち古代魔法は、鳳たちがよく知る元の世界のゲームと殆ど同じものだった。どうしてそんなものがこの異世界に存在しているのかは分からないが、女神様の名前から察するに、彼女(エミリア)に何か関係があるのは間違いないだろう。

 

 古代呪文(エンシェントスペル)は、元の世界のゲームの魔法使い系ジョブが覚える魔法そのものであり、覚えられる種類が厳格に定められている。具体的にはゲームで魔法使いはジョブレベルが上がるごとに新しい魔法を覚えていくのであるが、こちらの世界でもそれを踏襲しているのだ。

 

 例えば、こっちの世界で魔法使い(メイジ)として生まれた子供は、生まれつき魔法レベル1のエナジーフォースを使うことが出来、成長して魔法レベルが2に上がったら、エンチャント・ウェポンやディスペル・マジックを覚えると言う寸法だ。

 

 因みにこの後、

 

レベル3 スリープクラウド・スタンクラウド

レベル4 ファイヤーボール・ブリザード

レベル5 ライトニングボルト

レベル6 レビテーション(・タウンポータル)

レベル7 ディスインテグレーション(・サモンサーヴァント)

レベル8 メテオストライク(・リザレクション)

 

 の順番で次々と覚えていくのだが、この世界の魔法使いは最大でもレベル5までしか存在しないらしい。じゃあ、なんでレベル8までしっかり定義してあるのかと言えば、真祖ソフィアが使っていたという伝説が残っているからだとか。

 

 因みに、カッコ内はゲームでは存在したのだが、こちらの世界では失われた禁呪と言われており、真祖ですら使うことが出来なかった魔法である。まあ、瞬間移動に召喚に復活と、その内容を考えれば理由も分かるような気がするが……

 

 ところで、鳳は神人に襲われた時にジャンヌをポータルで呼び出したことがあった。魔法どころかあらゆるスキルに対して無能である鳳が、何故あの時、都合よくポータルを作り出すことが出来たのか不思議ではあるが……今は考えても無駄だろう。エミリアのことも含め、もう少しこの世界のことが分かってから総括した方がいいだろう。

 

 続いて、神技(アーツ)である。これは元の世界のゲームでいえば、近接戦闘スキルに当たる。流し斬りとか、高速ナブラみたいなものだ。これは僧侶(プリースト)が主に使うものだそうである。

 

 古代呪文(スペル)がレベル5までしか使えないように、こちらもそれほど複雑な物は伝わっていないようだ。聞いた話では、流し斬りとか二段斬りとかパリィとか、元の世界では基本技と呼ばれるものしか存在せず、ジャンヌの使う紫電一閃とか快刀乱麻みたいな大技はないらしい。

 

 とは言え、それじゃ使い物にならないのかと言えばとんでもなく、技によってはバフやデバフ、ステータス異常を引き起こすようなものがあるのだ。

 

 例えばジャンヌとカズヤが試していたように、流し斬りが完全に入れば一時的にSTRが5減って行動が阻害される。いや、ジャンヌみたいな化け物なら阻害で済むかも知れないが、STRが10しかない鳳が食らえば半減だ。ただで済むとは思えない。ド派手な演出の大技よりも、実はこういった地味な技のほうが有用だったりするからわからないものである。

 

 尤も、これら古代魔法(エンシェント)はジャンヌのような例外を除けば、基本的に神人しか使えない。だから相手を選べば避けることが出来るが……現代魔法はそうはいかない。

 

 見た目、ただの小学生でしかないギヨームが、虚空からピストルを抜き出したように、その使い手はどこに存在するか分からない。おまけに、職業に左右されず、基本的にはMPを消費しないというのが現代魔法の特徴であるから、使用者によっては神人よりもよほど性質が悪かった。

 

 現代魔法はMPを使わないという性質上、もしかしたら鳳にも使うことが出来るかも知れない。故に彼は訓練所で主に座学を中心に受けていたのだが、この現代魔法(モダンマジック)なるものも古代魔法(エンシェント)同様に、いくつかにカテゴライズされていた。

 



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よくわかる現代魔法②

 現代魔法(モダンマジック)は、300年前、魔王と戦うために勇者と共に立ち上がった、人間が編み出した技術である。

 

 これまで何度も言及したとおり、この世界には魔王を倒した勇者が存在するが……その影に隠れて目立たないが、彼は決して一人で魔王に挑んだわけではなく、ちゃんと仲間が居たのだ。それが現代魔法の創始者たちであるらしい。

 

 仲間達は現代魔法で勇者をサポートし、魔王討伐後はそれを体系化して後世に伝えた。お陰で今では、現代魔法は街の訓練所でも習得できるスキルとなっている。ただし、それで本当に使えるようになるかどうかは、また別の話であるが……

 

 ともあれ、今度は現代魔法(モダン)の話をしよう。現代魔法も古代魔法(エンシェント)と同じように、大別すると二つのカテゴリーに別れている。

 

 まず一つ目は、利己的な共振(エゴイスティック・レゾナンス)と呼ばれる魔法体系である。これは一般には共振魔法と呼ばれており、学校や街の訓練所などで習うことが出来るのだが……どういうものか簡単に言えば、これは歌や演奏のような『音』に魔力を乗せて、対象の心理に強制的に働きかけるものである。

 

 例えばラグビーのハカのように、自分達の戦意を高揚し逆に相手の戦意を挫く儀式(セレモニー)が存在するが、共振魔法は正にそのような効果を現実にしたものらしい。

 

 思い出してほしいのは、鳳たちのステータスにはSAN値が存在することだ。神人たちが言うには、ゼロになっても死にはしないがレベルが下がってしまうとぼやいていた。

 

 共振魔法(レゾナンス)には、SAN値を下げるインサニティ、それを防ぐサニティという魔法があり、人間同士の戦闘の際には、まずその魔法をお互いに掛け合ったりするそうである。感覚的には、大昔の呪術合戦みたいなものだろうか。

 

 因みに神人や魔族にはそれを返す術がないらしく、銀の武器同様、使用者のことを避けて通るらしい。その点だけとっても、現代魔法は弱い人間が、より強い人種に対抗する有効な手段と言える。

 

 他にもSTRが上昇するバトルソング、HPとVITが上がるプロテクション、AGIが増減するヘイストやスロウ、一時的にレベルが上昇し狂戦士化するブレイブソウルなどが存在するらしい。

 

 共振魔法は精神に働きかけるものばかりだから、ただの気のせいじゃないかと思うかも知れないが、実際にステータスが増減するそうだから、もしかすると神人の使う神技(アーツ)と同じような仕組みなのかも知れない。

 

 こんな具合に、非常に使い勝手のいい魔法体系であるが……ただし、使い手は非常に選ぶ。

 

 共振魔法が、誰にでも使える可能性があるのは確かだが……鳳も興味を持って訓練所で習ってみようとしたのだが、最初の訓練でピアノの前で延々と発声練習をさせられたことからしても、血のにじむような努力と、天才演奏家(マエストロ)クラスの才能が要求されることが分かるだろう。世の中、そんなに美味い話はないわけだ。

 

 続いて、もう一つの現代魔法は、幻想具現化(ファンタジック・ビジョン)と呼ばれている魔法体系である。

 

 これは別名スクロール魔法と呼ばれているものだが、やはり相当の才能がなくては使えない。ティンダーやウォーターのスクロールのような、紙や道具に魔法を施す、マジックアイテムを作る魔法と考えればいいだろう。

 

 因みに、例のティンダーのスクロールには、赤や青の同心円が描かれているのだが、実はかなり抽象化されているが、あれは炎を描いたものらしい。同じように、ウォーターのスクロールには、青い水玉模様がちょこちょこ描かれていたりする。

 

 幻想具現化は、かつて勇者の仲間だった天才画家が、キャンバスに描いた物体を、絵画から取り出したのが始まりだった。彼は自分の内なる世界(ミクロコスモス)から、思いつく限りあらゆる兵器を取り出し、魔族との戦いに投入した。実は城で兵士たちが装備してたライフルも、この天才画家が最初にこの世に具現化したものが、後に現実でも製造されるようになったものだそうである。科学ではなく、魔法が先だと言うから驚きだ。

 

 魔王討伐後、画家は今度は兵器ではなく生活に役立ちそうな絵画を次々生み出し、そのスクロールを誰にでも使えるように抽象化、大量印刷することに成功した。これが現在世界中で利用されているティンダーやウォーターのスクロールなのだそうである。

 

 彼はその利権で巨万の富を得て、引退後は悠々自適の生活を送ったそうだ。今では、現代魔法を志す魔術師たちのあこがれの的である。

 

 因みに、ギヨームが使っているのも幻想具現化の一種なのだとか。一種と言うからには、完全に同じものであるわけではない。彼の魔法を、便宜上クオリアと呼ぶが……

 

 クオリアとは、例えば、人間は火という言葉を聞くと、頭の中で瞬時でそれを思い浮かべることが出来る。熱い、明るい、危険。水と聞けば、それが冷たいとか、形がないとか、透明とか……言葉にすると難しいが、頭の中で火や水の映像(イメージ)を作り出すのは容易いことだ。

 

 こんな具合に人間は、頭の中でなら、自由に物を創ったり壊したり出来る。この時、頭の中で思い浮かべている空想の産物のことをクオリアと呼ぶ。

 

 つまりスクロール魔法とは、クオリアを絵に投影し、それに魔力を込めて現実化していると考えられるわけだが……何故かギヨームは、絵に描くという工程をすっ飛ばして、いきなり空想(クオリア)を取り出すことが出来るらしいのだ。

 

 やってることは幻想具現化(ファンタジック・ビジョン)と同じことなのだが、その過程は著しく省略されて、もはや別物と言っていい。さらにギヨームのそれ(クオリア)は、現代魔法であるにも関わらずMPを消費するので、もしかすると古代魔法と仕組みが似ているのかも知れない。しかし現在のところ、その発動条件はよくわかっていない。

 

 クオリアの使い手は非常に稀で、使えればそれだけで価値がある。例えば、ギヨームがある日突然、絵的才能に目覚めたら、ピストルを作り出すスクロールを量産できる可能性があるわけだ。残念ながら彼に画才は無かったものの、その可能性だけで彼に投資する価値があるのが分かるだろう。

 

 例えピストルが作り出せなくても、銃撃をするスクロールがあれば、その使いみちが山程あることは誰にだって想像できるはずだ。もしかすると、彼が人を避けてこの街に流れ着いたのも、それが理由かも知れない。もし自分の子供にその才能があったら、両親は彼のやりたいこと、したいことを無視して絵を描けと言うだろう。まあ、彼がそれで傷つくような玉とは思えないが……

 

 話を戻そう。クオリアの才能には先天的なものと後天的なものが存在し、ギヨームは生まれつきクオリアが使えたそうである。尤も、彼は放浪者(バガボンド)だから、前世の記憶に目覚めた瞬間……と言ったほうがいいだろうか。

 

 逆に後天的なものとはどんなものかと言えば、遺跡(ルインズ)迷宮(ラビリンス)から発掘される、マジックアイテムを使用することで得られる力のことである。迷宮には必ずと言って良いほど、お宝が隠されているのだが、そのお宝を使用することで、なんとクオリアを獲得することが出来るらしいのだ。

 

 迷宮は先史文明の遺産と考えられているが、何故このようなものが地上のあちこちにあるのかは良く分かっていない。だが、そこに隠されているマジックアイテムが、巨万の富を生み出すことだけは分かっているので、世界中の資産家がこれを求め、冒険者ギルドとしても迷宮攻略は最大の目標の一つとなっている。

 

 さて……

 

 このように、誰もが血眼になって探し求めるマジックアイテム。それを使用することで得られるクオリアであるが……

 

 意外にも、鳳にもその才能があるかも知れないのだ。

 

 クオリアの使い手であるギヨームが言うには、先天的にその能力を有する者は、確固たる自分の世界(ミクロコスモス)を持っているものらしい。自分の世界とは要するに、これだけは譲れないという個人の(こだわ)りみたいなものである。

 

 ギヨームは自分のことをあまり話したがらないからはっきりとは分からないが、彼はあっちの世界で自分の身を守るために、いつもピストルを携帯していたらしい。これが無ければ死んでしまう、日常的にそういう状況に追い込まれていた。まさに自分の命と言っていいほど思い入れがあったから、こっちの世界のクオリアとして現れたのではないか……

 

 故にある日、鳳は彼に言われた。

 

「もし自分の命よりも大事なものがあるというなら、それを想像してみろ。おまえに才能があるなら、心の中に浮かんだそれが、形となって現れるはずだ」

 

 そう言われて鳳は、自分にも何か大切なものがなにかと考えてみた。

 

 とはいえ、元の世界に戻れないと聞いてもそれほど動揺しなかったくらい、鳳はあっちの世界に未練がない。だから大事なものと言われてもすぐには何も思いつかなかった。

 

 逆に後悔ならすぐに思い浮かんだ。もしもあの時、エミリアに告ろうとしてアバターを変えたりしなかったら、今頃こんな苦労をすることは無かったのに。うっかり初期ステータスの新キャラなんかをクリエイトしてしまったばっかりに、自分は未だにレベル2なのだ。

 

 それに今となっては、あの時いくら待っても彼女が待ち合わせ場所に来なかったことは判明しているわけだし、ただこっちの世界で生きづらくなるだけの行為に、なんの意味があっただろうか。

 

 そもそも、あんなゲームの中で告ろうとしたこと自体が間違いだったのだ。エミリアは実在の人間なんだから、始めからリアルで接触する方法を考えるべきだった。ゲームの中で声をかけること自体は悪いアイディアじゃなかったとしても、何もあんなギリギリになるまで引き伸ばす必要は無かったではないか。もっと早く声をかけりゃよかったではないか。

 

 単純に、鳳の勇気が足りなかったのが原因だが、そのせいで現在死ぬほど苦労させられているのだからやってられない。他の連中はゲームのステータスを継承してお姉ちゃんたちとよろしくやってると言うのに、ジャンヌだって冒険者として楽しくやってるのに、自分だけが近所のお使いクエストで小遣い稼ぎしか出来ないなんて、どう考えても割に合わないだろう。

 

 せめて、当初の目的通りエミリアに告れたならともかく……最悪、フラれたとしてもまだ納得行くだろうが、何も出来ずにただレベル2で異世界に放り出されるなんて、自分が何をしたというのだ。そりゃ、中学の時のあれは悪かったと思う。だが、それならそれで相談くらいしてくれたらいいのに、勝手に引きこもった挙げ句に、何度家に通っても会ってくれずに、終いには家族にまで煙たがられたんじゃ、どうしようもないじゃないか。

 

 鳳は考えているうちに段々ムカムカしてきた。

 

 頭の中はエミリアのことで一杯だった。

 

 だからだろうか……

 

「おい、おまえ……それどうやったんだ!?」

 

 突然、血相を変えたギヨームにそう言われて、鳳はハッと我に返った。

 

 つい自分の回想に熱くなってしまったが、今は会話の最中だった。彼は苦笑しながら自分のほっぺたをポリポリやろうとして、

 

「……おや?」

 

 その手に一枚の紙が握られていることに気がついた。

 

 広げてみればそれは和風な絵柄が描かれた千代紙……多分、真っ暗な城で目覚めた時に手にしていて、後で作った折り鶴をメアリーにあげたものと同じではなかろうか。あの時は、落ちていた物を拾ったと思っていたが、

 

「もしかして、これって俺が創り出したのか?」

 

 ポカンとしながら目の前にいたギヨームに尋ねてみるも、

 

「俺が知るか。いま自分が出したっていう感触は無かったのか? 俺には突然、おまえがそいつをどっかから引き出したように見えたが」

「いや、全く。別のことを考えてて、何も覚えちゃいないんだけど……」

 

 何を考えていたかと言えばエミリアのことだが……折り鶴は彼女との思い出に深く関係してて、それをあげたメアリーは彼女そっくりで、エミリアはこの世界の神であって、彼女があっちの世界で作ったゲームのキャラクターがこっちの世界じゃ真祖で……

 

 そういうことなのか? 彼女に対して思い入れがあると言えば、そりゃもちろんあるが……

 

「とにかくもう一度試してみろよ」

 

 ギヨームに促されて、鳳はエミリアとの思い出を一生懸命思い出そうとした。しかし、今度はいくら考えても千代紙は現れなかった。というか、千代紙を出すという行為と、彼女のことを考えるという行為が、イメージとして結びつかないのだ。彼女のことをどう考えれば、千代紙に繋がるというのだろうか?

 

 その顔を思いだせばそれでいいのか。彼女のことを愛していると切に想えばいいのか。逆にもう会えない彼女に対して怒ればいいのか。大体、子供の頃と最近とでは、彼女に対する印象も違う。今となっては小学生のころの記憶は薄れ、ゲームの中でのソフィアのイメージの方がよほど強い。ならもしかして、思い出すのはエミリアではなく、ソフィアの方にすればいいのだろうか? いや、もう一人いる。あの城の謎空間で出会ったメアリー。あの時、現れた光の行く先は、彼女のいる場所を示していた。それにこの世界にはエミリアという神様が居て、その化身の真祖ソフィアが存在する……

 

 鳳の彼女に対して持っているイメージはそんな具合に分裂していて、上手くまとまらなかった。それもそのはず、彼女と会ったのは中学一年の一学期が最後で、現実ではもう何年も前の話なのだ。

 

 だから何を考えても彼女の現在には繋がらず、その後いくら試しても千代紙は一向に現れなかった。

 



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このバカチンがー!

 それから二ヶ月の時が流れた。

 

 鳳たちがアイザックの城から抜け出して、たどり着いた名もなき宿場町は、今となっては二人のホームグラウンドとなっている。この街に名前がないのは、そもそもここが街として認められていないからだった。

 

 この街はヘルメス国と勇者領を繋ぐ街道の国境付近に位置し、ヘルメス国のまさに玄関口になっていた。勇者派であるヘルメス国は勇者の死後、勇者領との連携を考慮して、両国を結ぶ街道を作った。そして両国は通商協定を妥結し、商人たちのキャラバンは自由に往来できるようになったのだが……ヘルメス国は商人の通行を認めはしても、獣人(リカント)の入国は認めなかった。

 

 そのためキャラバンはヘルメス入国に際し、国境付近に獣人達を置いてから入国するようになったのだが、こうしてキャラバンに置いてかれた獣人たちが共同生活するようになったのが、いつしか街にまで発展したわけである。

 

 しかし、ここが仕方なく出来たゴミ溜めみたいな街だと思ったら見当違いである。江戸四宿に匹敵すると言ったら言い過ぎかも知れないが、この街はそのくらいのポテンシャルを秘めている。街の成立の仕方がそれと似ているからだ。

 

 江戸四宿とは幕府成立後に整備された千住、板橋、品川、後に甲州街道の内藤新宿を加えた四宿で、どれも現代でも栄えている街ばかりだ。

 

 しかし、その位置を地図で確認してみればわかるが、どうしてそんな場所に宿場街を作ったのだと言わんばかりに、これらは江戸城の目と鼻の先にある。何もこんな場所に泊らないでも、さっさと江戸に入ればいいではないか。で、何故なのか? と言えば、それが先の理由の通りなのである。

 

 江戸時代、諸大名は参勤交代で二年ごとに江戸に来なければならなかったが、その際の大名行列は、大名家が大きければ大きいほど盛大なものとなった。加賀前田家では最大で4000人が参列し、街道を練り歩いたと言うから大したものであるが、しかし、もしそれが江戸に入ってきたら、どこに泊まれば良いだろうか?

 

 大名は前田家だけではない。250カ国もあって、それぞれが派手な行列を従えてくるわけだから、流石に全員は面倒見きれない。そのため、江戸に入る前に大名は行列を切り離し、側近だけで江戸に入ってきた。その際、大名行列が最後に泊まったのが江戸四宿というわけである。

 

 参勤交代は2年毎だから、宿場町にはそんな大名行列が毎年沢山やってくる。多くはそのまま国に帰るが、中にはその近辺に留まる武士もいた。しかし、妻も子供も国に残して江戸に詰めている武士は可哀想だ。幕府もそういう事情を知っていたから、四宿には特権を与えて遊郭を置くことを許した。

 

 で、遊郭があるからますます江戸やその周辺から人が集まってきたため、四宿は大いに栄え、現代でも大きな繁華街として名残があるわけである。

 

 ヘルメス国のこの名もなき街も同じように、最初は取り残された獣人や下男を相手にする、商人や娼婦が集まってきて市場が出来た。それがそのうち評判になって、やってくるキャラバンもどんどん大きくなっていき、そこに街が形成されていった。

 

 歴代ヘルメス卿も、そういった理由を知っていたからか、城の目と鼻の先という立地にもかかわらず、特に規制もせずに国境の外なら勝手にやってよと放置した。そんなわけで、街は思いのほか発展しており、下手するとアイザックの城下町よりも人口が多いくらいだった。街には何でも揃っており、娼婦や危ないクスリなんかも手に入ることから、帝国の中からこっそりと遊びに来るものもちらほら居る。

 

 そんな街だから治安と衛生状況は最悪だったが、しかし住めば都の言葉通り、一週間もしたらすぐに慣れてしまった。今となっては鳳もジャンヌも、この街の昔ながらの住人と変わらないくらいに馴染んでいる。

 

 さて……

 

 ジャンヌが冒険者登録をした後、二人はギヨームに世話をされて安宿に転がり込み、以来、そこを拠点として活動していた。

 

 ジャンヌは冒険者として働き、そして鳳は冒険者見習いと言う名目で訓練所通いをしていた。ぶっちゃけ、鳳はろくに稼げないから、宿代はすべてジャンヌが支払っている。それどころか生活費も何もかも、全てジャンヌ持ちだから、鳳は彼に足を向けて寝られない日々が続いていた。

 

 そんなわけで今日も毎朝のように、ジャンヌはクエストを受けにギルドへ向かい、鳳は彼から小遣いを受け取りながら、

 

「うっひょー! いつもすまないねえ。ジャンヌ、愛してるよ~!」

 

 などとリップサービスに努め、それが分かっているのかジャンヌも、

 

「いやん、嬉しいわ! あなたにそう言って貰えると、今日も一日頑張れるわ」

 

 と、お約束で返してから意気揚々と出掛けていき……鳳はその背中が消えるまで見送り、悪態を吐いてから、自分も出かける準備をして宿を出る。というルーチンを繰り返していたのだ。

 

 鳳の行き先は訓練所……ということになっているが、しかし最近は訓練所には行かず、魔法具屋に入り浸る毎日だった。

 

 というのも、実はもう諦めているからだった。思いがけず現代魔法の片鱗を見せた鳳は、ギヨームのすすめで訓練所に通うことになったのだが、しかし通い始めた頃は結構真面目にやっていたのだが、すぐに挫折した。何故なら、経験値が入らないのだ。

 

 城でアイザックたちと試した時と同じように、鳳は訓練所でも相変わらず経験値が入らなかった。教官たちと模擬戦闘しても、魔物を倒してみても、訓練用ダミー人形を叩いてみても、何をしても鳳の経験値は1も上がらなかったのだ。

 

 こんな事態は初めてだと言う教官たちは、当初こそは戸惑うどころか寧ろ面白がって、彼の経験値アップに力を貸してくれたが……いくらやっても、なにをやっても、うんともすんとも言わない鳳を前に、最近ではどんどん余所余所しくなり、彼を持て余しているようだった。

 

 一応、月謝を払っているから行けば訓練させてくれるだろうが、多分、いくらダミー人形を模擬刀で叩いてみても、鳳の経験値は上がらないだろう。それでもめげずに叩いていれば、いつかはステータス(というか筋力)が上がるかも知れないから、全く意味がないことはないだろうが……ぶっちゃけ、そんなことするくらいなら、タンパク質を摂って、その辺の草っ原を走り回った方がマシであろう。

 

 しかし……どうして鳳のレベルは上がらないのだろうか?

 

 いや寧ろ……どうしてあの時、レベルが上ったのだろうか?

 

 鳳はこの世界に飛ばされてきた時、あっちの世界のキャラクリ直後だったせいでレベルが1だった。ところが、城でカズヤの魔法で焼かれた後、真っ暗な城の中で目覚めた時にはレベルが2に上がっていた。

 

 レベルが上ったのは、あの時一度きりだが、何が条件で上がったのだろうか。それはまだ判明していない。

 

 それからパーティー経験値である。鳳のステータス画面から見えるパーティーリストにだけ添えられたEXPの文字。あとでジャンヌに聞いてみたところ、彼のステータス画面には経験値はおろか、パーティーリストもないらしい。

 

 城で死にかけて目覚めたときにいきなり現れ、最初は100EXPあったのだが……メアリーの木の前で神人に襲われ、ジャンヌを呼び出した後はゼロになり、代わりに彼のレベルが上がっていた。

 

 これは鳳の固有スキルかなんかなのだろうか? もしかすると、これを使えば彼のレベルも上がるのかも知れないが……これまた鳳個人の経験値と同様、どうすれば入るのかちんぷんかんぷんだった。

 

 本当にパーティーの共有経験値なら、ジャンヌが敵を倒したら入ってきても良さそうなのだが、そんな美味い話は全くなく……かと言って訓練所で鳳が模擬戦闘しても、魔物を倒しても、他にも色々試してみても、有効な手段は何一つとして見つからなかった。

 

 それじゃ、最初の時の状況再現をしたらどうだろうかと思ってはみたものの、まさかまたファイヤーボールに焼かれるわけにはいかなかった。もし本当に、サイヤ人みたいに死にかけるのが条件だったら、たまったもんじゃない。

 

 しかし、他に方法も無いなら、試してみるしかないのだろうか。そもそも、あんな不思議な体験、普通にやってるだけじゃ駄目だろう。だから最近では、破れかぶれでそうするのも有りなんじゃないかと思えてきた。

 

 何しろ、今の鳳はジャンヌにおんぶに抱っこで、一人じゃ何も出来ないのだ。城を抜け出し、一緒に冒険者になろうと言ったは良いものの、未だに二人でクエストを受注したことは一度もない。それもこれも、鳳がレベル2のせいだ。

 

 もしこのまま、レベル2のまま一生レベルが上がらなかったとしたら、鳳はどうなってしまうのだろうか? ジャンヌだって、いつまでも彼の面倒を見続けてくるわけじゃないだろう。いずれどこかで捨てられて、一人で生きていかなきゃいけなくなる。その時、自分には何が残されているのだろうか……

 

 こんな右も左も分からない異世界に一人取り残されて、誰に頼ることも出来ず、この世界の住人にすら笑われちゃうようなレベルの自分に、一体何が出来るというのか。このままじゃ、いたずらに死期を伸ばしているだけなんじゃないのか? だったらいっそのこと、文字通り死ぬ覚悟で最後の賭けに出るのも悪くないじゃないか……?

 

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか、いつもの魔法具屋の前に来ていた。最近は、一人でいると際限なく落ち込んできて、おかしなことを考え始めてしまう……

 

 このままじゃいけない。考えないようにしようと思っても、そうやって目をそらしてる間も、いけない状況は続いているわけで……まさに鬱のスパイラルである。そろそろ、根本的な解決策を見つけなければ、精神的にもヤバいだろう。

 

 カランカランとドアベルを鳴らして、鳳は魔法具屋へと入っていった。

 

「ちわーっす、店主。来たよ~」

「あ! デジャネイロさん、いらっしゃい。いつものやつで?」

「うん、いいとこ見繕ってくれる? はい、これ今日の小遣い」

「もちろんですとも、デジャネイロさんのために、今日一番のネタを用意させてもらいました。ぐふふふふ」

「ぐふふふふ」

 

 鳳と店主はお互いの目を見つめ合い、ニヤニヤとしただらしない笑みで頷きあった。鳳は店主が持ってきた薬瓶の中から、チョコレートみたいな樹脂をひとつまみ取り出すと、網の上に置いて徐にアルコールランプで炙り始めた。

 

 暫くして上がってきた煙を逃さないように、スーッと鼻から吸い込むと、肺に染み渡るように甘く幸福感に満ちた感覚が広がっていく。首筋に雷が落ちたようなビリっとした感覚がして、続いて脳みそがバチバチとなった。

 

「あー、これだよ、これこれ。生きている感じがする」

 

 さっきまでの嫌な気分などもう吹っ飛んでいた。

 

 こうやってる時が一番落ち着く……

 

 鳳は地面に落っこちていきそうな、ふわふわとした浮遊感に身を任せて、椅子の背もたれにどっともたれかかった。

 

 同じく煙を吸っていた店主のだらしなく半開いた口から、よだれがだらだらと垂れ落ちている。

 

 汚えなあ……まるで滝みたいだ。ピエールの滝と名付けよう。そんなことを考えながら、流れ落ちるよだれを見ていると、ポタポタと落ちるよだれはやがて地面いっぱいに広がって、店の中に徐々に徐々にたまり始めた。

 

 鳳の足首までよだれが上がってくると、それはもの凄い勢いで店を覆い尽くし、あっという間に鳳の首まで水位が上がってきた。やばいと思ったときにはもう店はよだれでいっぱいになっていて、鳳は魚みたいにその中をプカプカ泳いでいるのだった。

 

 赤青黄色、色とりどりの魚があちこちで泳いでいる。水は虹みたいにキラキラ輝いてて、それに見とれていたらどこからともなく歌が聞こえてきて、見ればそれは泳ぐたい焼きだった。桃色珊瑚が手を振って、鳳の泳ぎを眺めている。

 

 あれ? なんだろう、これ、すっごくふわふわして楽しい……なんだか一生、こうしていたい気分だ。

 

 鳳は今朝までのことを思い出した。いつまで経っても上がらないレベル。相手に依存するしかないジャンヌとの関係。子供にまでバカにされる己の無力感……

 

 そんなもの、もうどうでもいい気分だった。このままずっと、虹色の海の中でぷかぷかしながら、一生を魚みたいに泳いで暮らしたい。

 

 そしてそれは可能なのだ。おクスリさえあれば。おクスリさえあれば。

 

 鳳はにへら~……っと笑いながら、店の中を泳いでいった。自分にはそう、翼がある。もう何も怖くない。店主が恍惚とした表情でビクビクしている。こんな状態、お客には見せられないなと思ってヘラヘラしていると……

 

 と、その時、突然、カランカランと店のドアベルが鳴って、

 

「こんの~……バカチンがあああああーーーーっっ!!!!」

 

 外から入ってきたギヨームが、鬼の形相で鳳の頭に一発げんこつをお見舞いした。

 

 バチンッ! っと音が鳴って、文字通り目から火花が出た。

 

「ぎゃあああああー!! 痛いっ! 痛いよっ! 今、バチッとなった! バチッとなったよ!? おクスリのバチバチと違って、とんでもなく痛いバチバチだった!」

「おまえが何言ってるかわかんねえよスカポンタン」

 

 ギヨームは、脳天を抑えながらゴロゴロ地面を転がっている鳳のことを、ゲシゲシと足蹴にしながら、

 

「おまえ、今日も訓練所にいやがらねえと思ったら、またこんなところで油売りくさりやがって、何度言ったらわかるんだっっ!!」

「ちっ、うっせーな。反省してま~す」

 

 鳳が不貞腐れた表情で言うと、バチンと平手が飛んできた。痛い。

 

「お前の口から反省なんて言葉は聞きたくないわいっ! とにかく、俺もギルド長に頼まれている手前、お前にこんなことされたら困るんだ。観念してお縄につきやがれ」

「あー! 痛い痛い、引っ張らないで」

 

 鳳はギヨームに首根っこを掴まれると、そのまま地面をズルズルと引きずられていった。腰ばきしていたズボンがずり落ちそうになっても、お構いなしである。

 

「またのご来店、お待ちしております~」

 

 ドナドナされる鳳のことを、店主が手を振り見送っている。ここんところ毎日だから、もはや手慣れたものである。見た目と違ってギヨームが怖いことを知っているから、もう止めようなんてことはしない。役に立たないやつである。ギヨームはそんな店主を振り返り、

 

「またこの馬鹿が来たら、今度は俺に連絡しろ!」

 

 と言って、首を絞められて顔が赤から青に変わろうとしている鳳を引きずりながら、地面をドスドス音を立てて去っていった。

 



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俺には才能なんか無いと思うよ……

 街の裏通りに面した魔法具屋から騒がしい二人が出てきた。少年ギヨームに首ねっこを掴まれた鳳が、痛い痛いと泣き叫びながら引きづられていても、道行く人々はちらりとそれを見るだけで、誰も足を止めるようなことはしなかった。こんな光景、日常茶飯事なのである。

 

 鳳は首が締まらないように、どうにかこうにか体勢を整えると、四つん這いになりながらギヨームの後ろについていった。体勢が体勢だけに、速度を合わせるのが難しい。そんな必死な鳳に対し、ギヨームは頭の上からコンコンと説教をし始めた。

 

「おまえなあ……自分で稼いだ金じゃなく、ジャンヌの金で遊びなんか覚えやがって……こんな三田佳子の次男みたいな生活、いつまでも続けてはいられないんだぞっっ!!!」

「やめてやめてっ! どこでそんな酷い慣用表現覚えたの!?」

 

 鳳は心をザクザクと切り刻む言葉に耐えきれず耳を塞いだ。ギヨームはそんな彼の指をスポンと引き抜きながら、

 

「こんなんで将来どうすんだよ! おまえ、このままじゃヒモまっしぐらじゃねえか。情けないと思わないのか!?」

「そんなこと言われたって……」

「いや、ヒモだって肉体奉仕という仕事をしてんだぞ? おまえは何もやってないじゃん。おまえヒモ以下じゃん」

「わー! 何もそこまで言わなくたっていいじゃないかっ!」

「じゃあ、おまえジャンヌ抱けんの? 肉体奉仕出来んの? ノンケだって食っちまえんだなっ!?」

 

 鳳はブーメランパンツ一丁でダブルバイセップスしながらウインクしているジャンヌの姿を想像し、一瞬にして心が折れた。

 

「あ、無理です……すみません。勘弁して下さい」

「だろう!? ヒモってのは、そんなちんこも立たねえような相手でさえも、満足させられる男がなるようなもんなんだよ。口だけじゃねえんだよ! 尻もなんだよ! おまえにその覚悟があんのかよ!?」

「すんません。ホント、すんませんでした……つかキレッキレっすね」

「うっせえな。大体、謝るんならジャンヌに謝れよ。あいつ、お前と冒険するのすげえ楽しみにしてるんだぞ? こないだ一緒に仕事した時も、もっと高レベルの依頼も受けられるのにどうして受けないのかって聞いたら、いつかお前が追いついてきたとき困らないように、まずは簡単な依頼から慣れておくんだって言ってたよ」

「え? マジで?」

「ああ、本当だよ。分かったんなら、訓練所行ってしっかり訓練してこい」

 

 ギヨームはそう言って鳳の背中をバンと叩いた。鳳がたたらを踏んで止まると、通い慣れた訓練所の大きな門と看板が目に飛び込んできた。

 

 彼は立ち止まって看板を見上げながら、小さくため息を吐いた。そしてポリポリと後頭部を指で引っ掻いて、最初は左を向いて、それから改めて右にくるりと回れ右して、背後を振り返ると、

 

「あー……それなんだけどさ。やっぱ行かなきゃ駄目?」

「はあ~!? おまえ、この期に及んで何言ってんの??」

 

 ギヨームは校門の前まで来て登校拒否をするような往生際の悪い態度にびっくりして、思わず鳳の頭を引っ叩いてやろうと腕まくりをしたが……その表情がどうにも虚ろで、目なんかは焦点が合わなくて、こっちをまっすぐ見ようとはせず、あっちこっち動き回ってるのを見て、彼は態度を改めることにした。

 

「……どうしたんだよ、おまえ?」

「実はその……もう冒険者は諦めようかと思ってて。ジャンヌには悪いとは思うんだけど……」

 

 胸につかえたものを吐き出すようにそう呟く鳳の声が深刻そうで、ギヨームは取り敢えず話だけは聞いてやろうと、場所を変えることにした。

 

******************************

 

 二人は通りから少し離れた営業時間外の小料理屋にやってきた。冒険者ギルドに行こうとしたら、こんな姿を知り合いに見られるのはちょっと……と鳳が嫌がったので、ギヨームの伝をつかって貸してもらったのだ。

 

 店主は気を利かせて外に出ており、店内には誰も居ない。相変わらず通りの声がうるさいが、誰かに聞かれる心配はないだろう。

 

 店に入って水の代わりに酒を汲み、チーズをちびちびつまみながら、あまり話したがらない鳳のことを辛抱強く待っていたら、やがて彼はポツポツと喋り始めた。

 

 ギヨームはそんな彼の話を聞いてため息を吐いた。

 

「……そこまでしても経験値が上がらないのか?」

 

 鳳はコクリと頷いた。

 

「まったく駄目だ。訓練所でも魔物を無理やり倒したりとか、教官と模擬戦したりとか、色々やってみたんだけど……あまりにも手応えがないから段々気が滅入ってきて、訓練にも身が入らないし、教官たちも最近は腫れ物でも触るような感じで余所余所しくてさ」

「そうか……」

「行きゃ訓練させてくれるけど、それやってて何になるの? って考えちゃうんだよ。もちろん、教官にも相談してみたけど、向こうだってこんなケース初めてだから何も答えられなくて、とにかく続けてれば好転するかも知れないからって……その一点張りだよ。こんなんじゃ、お互い続けてても不幸にしかならないだろ?」

 

 何一つ成果が上がらないのだから、正直もう彼らのことを信用してはいないし、向こうもそれが分かっているだろう。鳳はそんな状況で空々しい会話を続けているのに飽いてしまっていた。だから訓練所にはもう行きたくない……彼はそう言うのだ。

 

 ギヨームは思った以上に深刻だったんだなと、難しい顔をしながら腕組みをし、

 

「しかし、お前には才能があると思うんだけどな……ほら、一度、紙を創り出してみせたことがあっただろう? あれは多分、お前に秘められた能力なんだと思うぜ」

「そうは言うが、俺にもどうやったのかわからないんだ……それに、あれがお前の言うクオリアってやつなら、MPを消費するはずなんだろ? だけど、俺のMPは相変わらずゼロのままだし……」

「いや、俺が消費するってだけかも知れないし、もしかしたら違うのかも……」

「どっちにしろ……!」

 

 鳳は遮るように、

 

「俺には才能なんか無いと思うよ……お前に言われてその気になってさ、せめてMPだけでも獲得できないかって色々試してみたけれど、いくらMPポーションを飲んでも気持ちよくなるだけでMPが上がる気配なんて無かったんだ。気持ちよくなるだけで」

「どうして二度言った」

「そんなわけで、筋トレは続けるけどもう訓練所はやめようかなって。通うだけ金の無駄だと思うんだ。そんなことするよりも、空いた時間で好きなことしてたほうがいいだろう?」

「そりゃまあ……そうかもなあ」

 

 どうやら鳳の決意は固いようだ。ギヨームはそれ以上説得するのはやめておこうと思った。こうやって相手が落ち込んでいる時は、無責任に頑張れなんて言わないほうがいいだろう。それよりも、嫌なことはさっさと忘れて、楽しいことを考えるべきだ。

 

「話は分かった。それじゃお前これからどうする? まあ、すぐ決めることはないけど、時間もたっぷりあることだし、やりたいこととか探しておけよ。協力するからよ」

「それなんだけどさあ……」

「なんだ、もうあるのか?」

 

 鳳は頷いた。

 

「実は、小屋を建てようかと思ってて」

「小屋ぁ~……? どうしてまた」

「いくら安宿とは言え、今のままじゃ宿代がもったいないだろう? 払ってるのはジャンヌだし。そういうの気兼ねなくいられる、自分だけの空間が欲しいんだ……」

「なるほど、いいんじゃないか。やりなさいやりなさい」

「……そして行く行くはおクスリ工房を作ろうかと」

 

 ギヨームは、ブゥーッ! ……っと鼻水を吹き出した。

 

「おまっ……何、夢みたいなこと言ってんだ!」

「夢じゃねえよ、俺は結構マジなんだぞ?」

「いや、おまえねえ……」

 

 ギヨームは呆れるように盛大な溜め息を漏らすと、

 

「そりゃ、好きなことしろとは言ったが、クスリはねえだろ、クスリは。大体、小屋建てるっつったって、その金どうすんだよ? またジャンヌにたかるのか? ジャンヌの迷惑になりたくないから出ていこうってのに、それじゃ本末転倒じゃねえのか」

 

 彼は鳳の凶行を止めようとして、滅入ってるところ少々可哀想に思いつつも、もっと真面目な仕事を探せと諭した。ところが、鳳はそんな彼に対して自信満々に言い返した。

 

「いいや、金ならある」

「はあ? どうして? おまえ、ギルドでろくな依頼受けてないだろう」

「ギルドじゃない。実はさ……?」

「うん」

「MPポーションの高純度結晶が飛ぶように売れて……」

「はあ~!?」

 

 ギヨームは頭がくらくらして目眩がしてきた。彼は手のひらを額に当てながら、

 

「あの……おまえが鼻から吸ってたやつ?」

「うん」

「麻薬みたいな白い粉……つーか、まんまクスリだけど、あれ?」

「あれ」

「ぎゃふん」

 

 頬杖を突いて椅子に座っていたギヨームは、脱力して机に突っ伏した。

 

 魔法具屋の店主と仲良くなって分かったことがある。MPポーションはマジで麻薬だった。

 

 ギヨームに、お前は魔法の才能があるかも知れないと言われた鳳は、その気になって最初は訓練所でも魔法技能を伸ばそうと頑張っていた。しかし一向に経験値が入らない、ステータスもあがらない、ついでにMPの無い彼は、いくら現代魔法でもMPが無いなら才能もないんじゃんないか? と言われて、なんとかMPを獲得できないかとその方法を探しはじめた。

 

 そして城で試したように、まずはMPポーションを浴びるように飲んでみようと魔法具屋へとやってきたのだが……店主に出された不味いMPポーションを鼻を抓みながら飲んでも、気持ちよくなるだけで一向にMPが上がる気配はなかった。気持ちよくなるだけで。

 

 しかし他に方法を思いつくこともなく、仕方なくそれを繰り返しているうちに(決して気持ちいいからではない)、鳳は段々その成分を疑うようになってきた。

 

 そして、

 

「これちょっとおかしいんじゃないの? 紛い物とか混ぜてない?」

 

 と疑った彼が、怒った店主にもってこさせた原材料が……なんと、見た目どころか、まんま大麻だったのである。

 

「嘘だろ? そりゃ気持ちよくなるわけだ……」

 

 まさかMPポーションの正体が大麻だったなんて……唖然としながら、その製造方法を確認してみたら、店主はそれを乳鉢で擦って水に溶かし、青汁にして売っていた。

 

 そのままだと沈殿しちゃうので、飲む前によく振ってから、ドロドロの液体を流し込むのがこの世界のスタンダードなやり方なのだそうである。

 

 良薬口に苦しというが、いくらなんでも効率が悪すぎるだろう。鳳はそれを見るなり、

 

「ざけんなっ! こんな不味いもん飲めるかっ!」

 

 と言って、原材料から花の部分(バッズ)を取り出し、それを乾燥して紙に巻いてから、タバコのように吸って見せた。するとなんか店主に気に入られて、それに気を良くして、今度は茎の部分を圧搾して樹脂(ハシシ)を取り出し、炙ってみせたら、こいつは最高だぜと褒められた。

 

 思えばこの世界に来てから褒められたことなんか一度も無かった……

 

 そして鳳は水を得た魚のように、同じMPゼロの店主とポーションをキメていたら、だんだん意気投合してきて……そんな二人であれこれと新しい方法を試しているうちに、出来てしまったのがあの高純度結晶だったのである。

 

 しかし、不純な動機で作られたとしても、これは決して馬鹿にしたものではなかった。最初に飲んでいた青汁と比べれば、千倍(当社比)の効き目があるこの結晶は、単に気持ちよくなるだけではなく、MPの回復効率も劇的に改善されていたのである。

 

 ところで、神人はMPを消費していわゆる古代魔法を使うわけだが、この回復力が上がるとはどういうことか言うまでもないだろう。

 

 気がつけば客層はこの街の住人に留まらず、アイザックの城下町はおろか、今となっては帝国中に幅広く行き渡っていて、神人の買付人までやってくるようになっているのだ。

 

「そんなわけでさ、今は材料費は店主持ちだけど、アイディア料っつーか特許料で、結構な収入が入ってきてるんだ。お前を信用して打ち明けているんだから、製法が外に漏れると困るから、絶対誰にも話さないでくれよな?」

「お前……ホント、転んでもタダじゃ起き上がらないよな……」

「でさあ、行く行くは栽培にも手を出そうかと思ってる。そしたら拠点が必要だろう? それに材料だって大麻ばっかじゃない。考えても見りゃ、この世界はマジックマッシュルームなんかも合法なんだ。南の大森林を探せば見つかるかも知れないし、その時はギルドに依頼するかも知れないから、よろしく頼むな。お前、探索とか得意だったろ?」

 

 ギヨームは呆れ果てて何も言えなくなった。放浪者(バガボンド)はその性質上、この世界に新技術をもたらすことが多いわけだが……こんな放浪者見たことも聞いたこともない。

 

 落ち込んでいるようだから慰めてやろうかと思っていたが……そんな必要は欠片もなかったようである。ギヨームは溜め息を吐くと、嬉々として己のビジョンを語る鳳のことを黙って眺め続けていた。

 



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現代人の常識

 そんなこんなで、鳳の壮大なビジョンを聞いてぐったりしているギヨームを残して、彼は小料理屋から外へ出ると、人の流れが激しい雑踏へと入っていった。こう見えてもそこそこ都会の街であるから、みんなせかせかと早足で歩いていて、その流れに身を任せていたらだんだん息が上がってくる。

 

 息苦しいのはそのせいだけじゃない。この街のあちこちから上がる黒煙が、空気中に細かい粒子を撒き散らしているからだ。きっとここにずっと住んでいたら、そのうち喘息になってしまうだろう。

 

 だからもし小屋を建てるなら、街から少し離れた場所にしたほうが良いだろう。行く行くは栽培もと考えてるなら尚更だ。この街の土壌はとても植物が育つような環境じゃない。なんなら森に拠点を構えるのもいいが、流石にそれは魔物が怖いし……

 

 ジャンヌがいればそんなこと気にする必要もないだろうが、ギヨームも言っていたように、いつまでも彼の甘えているわけにもいかないだろう。ジャンヌは気にするなと言うだろうが、鳳にだってプライドがあるからそうもいくまい。プライドなんて生きていく上で不要なもの、かなぐり捨ててしまえばいいと思うかも知れないが、かと言って、冗談でもヒモになるなんて言おうものなら、その瞬間に友情は破綻するだろう。だから一日でも早く自立しなければならない。自分は今、試されているのだ。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、ギルドの小遣い稼ぎで知り合った娼婦が手を振ってきた。やはり自分で稼いだ金を持っていると気分がいい。これまではジャンヌに気が引けて彼女たちの前を素通りしていたが、今はその気になればいつだって買うことが出来るのだ。

 

 城で見た神人ほどでは無いが、この街の女もレベルが高い。まだ知り合って間もない頃、商売モードで押し付けられたおっぱいの柔らかさを思い出したらムラムラしてきた。いつも鳳のことをレベル2だと言って馬鹿にしてくるが、股間のマグナムはレベル2じゃないところを見せつけてやろうか?

 

 じゅるり……

 

 おっといけない。

 

 鳳はだらだらと垂れ落ちるよだれを拭った。これから土地を探して小屋を建てるつもりなのだ。今は何かと入用だ。こんなところで無駄遣いしている場合じゃない。鳳は娼婦たちに手を振り返すとニヤニヤしながら、街の外まで歩いていった。決して怖気づいたわけじゃないぞ……

 

 さて、現代ならば土地探しと言えば不動産屋めぐりをするところだろうが、この世界にはもちろんそんなものは存在しなかった。

 

 じゃあみんなどうしてるのか? といえば、住みたい土地の村長にお願いして認められれば、あとは人頭税を払えばそれでいいらしい。なんというか、非常にアバウトであるが、そもそもろくな税制もない時代なんてこんなもんだろう。

 

 この世界はエミリアから連なる神人による王権神授説が信じられているから、言うなればこの辺の土地はみんなヘルメス卿アイザックのものである。周辺の村の村長は、要するに徴税人の役割を担っており、村人は村長に年貢を支払う。代わりに村長は村人の面倒を見るが、村に人を養うだけの余裕が無ければ、断られてそれまでだ。

 

 村に住むのを断られたり、税金を払うのが嫌だというなら、どこか人里離れた場所に住むのは勝手である。ただし、その場合、野盗や魔物に襲われても文句は言えない。国家権力はそこまで及んでいないのだ。

 

 なにしろ、この世界には国民国家がない。勇者領がそうだと言えばそうだが、こちらは商人ギルドが牛耳っていて、まだ国家と呼べるような感じではないらしい。軍事力は傭兵に頼っていて、ここ数十年は戦争が無かったから、経済的に栄えていても、有事の際に帝国と戦える戦力はないだろうと言われている。

 

 何というか、科学的にはそこそこ発展しているというのに、本当にアンバランスな世界である。

 

 ついでだから、最近知り合った人たちから聞いたこの世界の話をしよう。それによると、大陸はこんな形をしているらしい。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 かつてソフィアが建国したとされる神聖帝国は、ここバルティカ大陸の北部のおよそ半分を占めており、帝都の周りを五カ国が取り囲んでいる。それぞれの国家は五精霊の一人を守護精霊としてその名を冠し、便宜上対等の付き合いをしていることになっているが、実態は違うということは以前に述べたとおりである。

 

 その一つ、ヘルメス国は帝国の南西部に位置し、南を大森林に接している。帝国唯一の勇者派で、勇者領とは同盟関係にあるが、しかし二国を繋ぐ連絡線である街道は大森林の中を通っているから、交通の便は非常に心許ない。

 

 鳳たちが住む名もなき街はこの街道の出入り口に位置し、すぐ近くにアイザックの居城もある。こんな僻地にヘルメス卿の城があるのは、勇者領と連携が取りやすいからだろう。お互いの街には絶えず商人のキャラバンが行き交っており、物流は盛んであるが、城下町に獣人や他国の人間は入れないことになっているから、人の出入りは少ない。

 

 その代わり、手前の街に人が集まるから、鳳たちの住む街は意外と栄えてもいるが、治安の悪さも折り紙付きである。冒険者ギルドはそんな環境で発生する様々なトラブルに対処するという、ニッチな需要を満たしているようだ。

 

 南部の大森林はワラキアと呼ばれ、かつては部族社会(トライブ)がヒャッハーしあう未開の地であったが、前回の魔王襲来で懲りた部族同士が結束して、現在は共和国(コモンウェルス)となっている。しかし実態は相変わらず部族社会の集合体だから、国家としては非常に脆い。

 

 大森林には魔物が跳梁跋扈し、本来ならとても人が住めるような土地では無いが、逆に言えばそれさえなんとかしてしまえば食べ物には困らないわけである。部族社会は、魔物を追いかけて捕食する人々が、食べるものが無くなったら移動するということを繰り返しているうちに、自然発生的に形成されたものである。

 

 そのため縄張り意識が強く、かつては部族間で激しい抗争を繰り広げていたわけだが、現在はお互いに魔物や魔族の情報を融通しあって、上手くやっているらしい。大森林は全ての部族を養えるくらい十分に広く、また、南半球にはネウロイという魔族が住む土地があり、そこからやってくる強力な魔族と戦うには、喧嘩するよりも仲良くしたほうがメリットが多いことに気づいたのだ。

 

 部族社会には人間系と獣人系のそれぞれの部族が存在するのだが、帝国が獣人を差別するため、共和国は勇者領とだけ国交を結んでいる。共和国は森では手に入らない物資を、勇者領は魔族の動向を知るために、お互いのことを重宝しているから、関係は良好のようである。

 

 また大陸北西部にも、帝国五カ国に属さない人間の国がある。南が大森林ならこちらは山岳地帯で、この一帯には鉱山が集中しており、それを経営する炭鉱夫による自治が行われている。一応、帝国に従属してはいるが、支配が及びにくい土地で独立心が強く、勇者領とも接しているため、度々、神人に対する不満を漏らしては帝国を怒らせているようだ。

 

 ここから産出される資源は全て帝国の物であり、北部のセト国を通って帝都に運ばれるはずなのだが、最近は勇者領に横流しするものがいるらしく、帝国はピリピリしている。因みに、そっちに流すのは、単純に高く買ってくれるからだ。

 

 資源の運搬には海路か、湖を通る水路を利用するのだが、ヘルメス国には一切入らないルートを取っているらしい。それだけみても、帝国が勇者派を非常に警戒していることが窺えるだろう。

 

 ところで、ヘルメス国だけが爪弾きにされているのかと思いきや、案外そうでもないらしい。帝国領内は守護精霊ごとに五カ国に分かれているが、分かれているくらいだから、そもそもあまり仲がよろしくない。元からそっぽを向いているのだ。

 

 一応、精霊に上下関係はなく、各国は対等ということになっているが、実際には国の方には格付けが有り、昔からカイン国がリーダー的な存在と目されてきたそうである。

 

 そしてアイザックの話では、魔王討伐後、勇者の台頭に苛立ったカイン国が主犯となって勇者を殺してしまい、それに怒ったヘルメス卿が勇者派となって、帝国の分裂が始まったとされているわけだが……

 

 それだけ聞くと、カイン国はとんでもなく傲慢な国家だと思われそうだが、ところが、城を出てからギルド長など、勇者領の人たちから聞いた話では、ちょっとニュアンスが違うのである。

 

 それによると、カイン国が勇者を殺したのは、自分達のプライドのためというよりは、実は勇者の浮気が原因だと言うのだ。

 

 どういうことか簡単に説明すると、勇者は魔王を討伐した英雄だからすっごくモテた。そりゃもう、あちこちに愛人が居て、どこでも誰とでもやり放題なくらいだった。そして英雄色を好むの格言通り、あちこちに子供を作った。その中には帝国貴族も大勢いたわけだが……勇者はその上下関係にまったく無頓着だったのだ。

 

 勇者が手を出した女の中には、カイン国の有力貴族の娘も数多くいたのだが、彼は貴族間の力関係を無視して全ての女を同列に扱ってしまったのだ。これはカイン国の貴族には耐えられないことで、当然、彼らは勇者に、形の上だけでも娘たちを尊重するようにと釘を刺した。

 

 ところが勇者は言うことを聞くどころか、そんな面倒な女はいらないと逆に遠ざけてしまったのだ。挙句の果てに、彼は神人が見下している獣人の女ともよろしくやっていて、彼女らをとても可愛がった。神人からしてみれば、おまえ達はペットや家畜と同類であると、挑発されているようなものであろう。

 

 勇者は恐らく現代人らしいフェミニストだったのだろうが、あっちの世界の常識をこっちの世界に持ち込みすぎたのだ。郷に入りては郷に従え。ワンマン経営者にありがちな失敗である。だから、いきなり殺されたとしても、そりゃ勇者の自業自得だとギルド長らは言うわけだ。

 

 どうやら同じ勇者派でも、ヘルメス国と勇者領、神人と人間とで、結構意識の差があるらしい。アイザックは決して勇者を悪く言わなかったが、人間たちは勇者の泥臭い面もそれはそれで愛しているようだ。まあ、ヘルメス卿の立場からすれば、もう引き返せないから、勇者を盲目的に崇拝するのも仕方ないのだろう。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか件の城が見える丘までやってきていた。峠には樫の大木が聳えており、風が吹く度に葉っぱがざあざあと騒がしくざわめいた。

 

 鳳は丘に登ると、その木陰に立って街を見下ろした。いつ見ても美しい街並みである。二か月前に出てきたばかりの城はまるで馴染みがなく、観光旅行にでも来たような気分になった。

 

 だが、忘れてはいけない、あそこが全ての始まりなのだ。二か月前、あそこでアイザック達に異世界召喚され、鳳たちは元の世界に帰れなくなった。人の気配がしない真っ暗な城の中には白骨死体が転がっており、300年も閉じ込められている女の子までいて、そんなところに仲間たちは今もいるはずなのだ。

 

 鳳たちが城を出てから、彼らの消息はまったく分からないが、今頃何をしているのだろうか。元気にしてればいいのだが、もしかして出来るかなと思ってオープンチャットで呼びかけてもみたが、反応はなかった。

 

 出てくる直前は、城の美女たちを抱いて上機嫌だったが、二ヶ月も経ったら流石に飽きも来ているんじゃなかろうか。彼らは今、どう思っているんだろうか。出来れば直接話してみたいが、城に近づくわけにもいかなかった。多分、アイザックたちは城から出ていった鳳たちを絶対に近づけようとはしないだろう。城に残った仲間たちまで出ていってしまったら困るだろうから。

 

 それに鳳には、アイザックが隠したくて仕方なかった、メアリーを見つけてしまったという前科がある。絶対に口外無用と言った目つきは本物だった。あの場は彼女の取りなしでなんとか凌げたが、今度はそうはいかないだろう。

 

 それにしても……どう見てもエミリアにしか見えない謎の少女メアリー。彼女は本当に、何者だったのだろうか? 仲間たちのことも気がかりだが、彼女のことも気になった。出来ることならもう一度接触を試みてみたいが……

 

 こうして見下ろしてみるアイザックの城は無防備そうで、忍び込むことは不可能じゃないように思えた。鳳はなんとか城内に忍び込めないかと、その城を眺めながら、メアリーのことを考えていた。

 



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勇者には3人の仲間がいた

 あの城の中の謎空間で出会った少女メアリー。彼女は鳳の幼馴染エミリアにそっくりな神人だった。彼女が言うには、あそこに居たのは、魔王襲来時に身を隠すためだったそうである。ところがその後、彼女をあの空間に隠した術者が死んでしまい、出るに出れなくなってしまった彼女は、なんとそれ以来300年間もあの中に閉じ込められてしまっているというのだ。

 

 神人という種族が、時間の流れをどんな風に感じているのか分からないからなんとも言えないが、それだけ長い時間を無為に過ごさざるを得なかった彼女には同情を禁じえない。

 

 因みに当代のアイザックとは面識があり、関係は良好のようである。アイザックの口調が丁寧だったのは、姿かたちを見ればアベコベに感じるが、本当は彼女のほうがずっと年長者だからだろう。

 

 恐らく彼は幼い頃から、彼女のところによく遊びに行っていたのではなかろうか。そして他に遊び相手もいない彼女に、きっと可愛がられていたのだろう。そう思うと、なんだか自分の幼馴染を取られたような気分になって、鳳は複雑な心境になった。

 

 それにしてもメアリー・スーとは……チート主人公の代表格みたいな名前をした少女が、幼馴染と同じ顔をしてこっちの世界にいるだなんて、何の冗談だろうか。他にも、この世界にはエミリアという名の神様が居たり、その化身が神聖帝国建国の真祖ソフィアだったというのだから、これがただの偶然なわけがない。

 

 鳳たちが勇者召喚をされた時、その場に『灼眼のソフィア』は居なかった。だが、実は気づいていないだけで、本当はあの時彼女も巻き込まれていたのではないか? もしくは、別の場所にいたけれどもやっぱり勇者召喚されたとか……何が起きたかは分からないが、彼女の身にも何かが起きたことは確実である。

 

 もし、彼女もこの世界にいるというなら、すぐにでも探しに行きたいところであるが……しかし、こうして創世神話なり建国神話なりが残っている事実からすると、彼女が同じ時代に召喚されたとは考えにくい。恐らく彼女は、鳳たちがいる現在よりも、ずっと大昔のこの世界に召喚されたのではなかろうか。

 

 そしてもしかしたら、先に呼び出された彼女が、何か助けを必要としていて、ゲーム上の仲間を呼び出したと考えれば、自分達がこの世界にいるということの辻褄も合うのではないか。鳳はそんな風にも考えてみたのだが……しかし、どうにもこれは決め手に欠けるようだった。

 

 というのも、アイザック達が語った勇者召喚の理由……鳳たちに種馬として期待しているやつの方が、ずっと説得力があるからだ。

 

 後でギルド長達にも確認したのであるが、この世界の神人が絶滅の危機に瀕していることは本当らしい。そして、この世界の住人全てが、もしも神人を増やす方法があるなら、喉から手が出るほど欲しがっていることもだ。だからもし、それを解決する方法があれば、それをやらない理由はないだろう。

 

 だが、これには不審な点もある。これまたギルド長たちと話していた時に出た話題であるが、そもそも勇者召喚とは300年前に一度だけ行われた禁呪なのだ。術者は皇帝ただ一人とされ、アイザックの周りに勇者召喚の方法を知るものはいないはずなのだ。

 

 それでも、鳳たちは身に覚えがあったから、本当に勇者召喚は不可能なのかと食い下がった。もし異世界から召喚した勇者が神人を産むのなら、また召喚して子供を作らせればいいじゃないかと、ずばり聞いてみた。

 

 だが、それこそが勇者召喚が無理な証拠だと彼らは言った。もし可能ならば、今代の皇帝が神人を増やそうとしてとっくにやっているだろうし、そんな話を聞かない時点で無理だとわかる。

 

 やはり勇者召喚は失われた技術であることは間違いない。つまり、それだけ難しいことを、アイザックはやったと言うことになる……それはどうにも説得力がないだろう。

 

 彼らがやったのは、本当に勇者召喚だったのか?

 

 地下室に転がっていた5つの死体。あれはなんだ?

 

 いや、そもそも勇者召喚とは何なのだ?

 

 わからないことだらけであるが……

 

 あの城にはまだまだ秘密がありそうだ。出来ればまたあそこへ行って、仲間たちと会って話をしたい……メアリーのことだって気になるし、どうにかして忍び込めないものだろうか?

 

 そんな具合に、自分の考えに没頭していたせいだろうか、

 

「見た感じ、完全に無防備な城だよなあ……その気になれば、楽に忍び込めそうだが」

 

 鳳は気づかぬうちに、そんなセリフを口に出していた。その言葉は本来なら、誰も居ない峠道では、風にさらわれてどこかに消えてしまうはずだった。

 

 ところが、

 

「ふむ、ではお主ならあの城をどう攻略する?」

 

 鳳がぼけっとしていると、いつの間にか背後に近づいていた老人が、いきなりそんな声を掛けてきた。

 

 ドキリとして振り返る。

 

 その老人は禿げ上がった頭の両サイドにカリフラワーみたいなモコモコした白髪を生やし、胸まで伸びる上等なヒゲを蓄えていた。服は古代ローマ人の着ているトーガみたいなあっさりしたもので、足元はサンダル履き、どことなくインドの修行僧を思わせるような、そんな出で立ちである。

 

 独り言を聞かれてしまうとは恥ずかしい……鳳はポリポリとほっぺたをひっかきながら、老人に向かって言い訳するように言った。

 

「いや、これは言葉の綾で、ホントに忍び込んだりはしないよ?」

「ふむ。そりゃそうじゃろうて。儂もそんなことは思っとらんわい。これはただの思考実験じゃ。もしお主に一軍を預けたとしたら、あの城をどう攻略する?」

「えー……? どうもこうもないだろう」

 

 変なのに絡まれちゃったなと思いながら、鳳は再度城の方を振り返ると、改めてその構造を眺めてみた。

 

 アイザックの城は東西に長い長方形をしていて、南側中央には式典用の大きな広場があり、その左右には大きな別棟が建っていてキルゾーンを形成している。更には、正門から放射状に広がる城下町は、いかにも石造りで頑丈であるから、市街戦になったら第二次上田合戦よろしく、大軍であるほど不利になるだろう。つまり、南側から攻めるのは馬鹿のやることだ。

 

 対して、城の北側は広大な庭園が広がっているばかりで、人の気配がなく完全に無防備である。庭園は生け垣の迷路になっていて、鳳は迷子になりかけたわけだが、そんなの軍隊には関係ない。焼き払ってそこに軍を進めてしまえば、無防備な城の背後を突かれたアイザックはひとたまりもないだろう。

 

 しかし、

 

「そんなの北から攻めれば……」

 

 そう言いかけたところで、何故か彼は口ごもってしまった。

 

 本当に、そんなに簡単に落ちるのか?

 

 仮にも城なんだぞ?

 

 そう考えると、かえってこの無防備さが罠のように思えてきて……彼はもう一度よく考えてみることにした。

 

 城の南の市街地は戦闘に向かない、これは間違いない。だから当然、誰もが北の庭園に軍を進めようと考えるだろうが……さて、実際にそうしようとしたら、どんな問題が生じるだろうか?

 

 城の北側には川が流れているのだが、これが半円を描くようにしてアイザックの城を囲んでいる。その円弧の内側には鬱蒼と茂る森があり、更にその内側に庭園とアイザックの離宮が建ててある。

 

 つまり、北の庭園に軍を進めるには渡河の必要があるのだが、仮に川を渡れたとしても、今度は森に阻まれて大軍を動かしにくい。渡河を避けて城の東西の平地から侵入しようとすると、隘路であるゆえに隊列が伸びて分断されやすい。

 

 それらの難関を突破して、実際に北部の庭園へ軍を進めたとしても、今度は離宮の存在が邪魔になってくる。離宮を無視して本城を攻めれば、離宮から側面後背を急襲される恐れがあるし、逆に離宮を攻めれば本城から狙われる。おまけに、この2つの城の間には連絡用の人工運河が作られていて、これを埋めない限りは、どちらか片方を包囲するということさえ難しかった。

 

「なるほど……無防備そうに見えて、案外考えられてるんだな。結局、正解なんてものはないのかも知れない」

 

 鳳が腕組みをしながらそう言うと、老人は愉快そうに笑い声をあげて、

 

「ふぉっふぉっふぉ……そうじゃのう。お主が最初に感じたように、普通は無防備な城だと思うのが関の山じゃろう。しかし、そう思って十分でない兵力で攻めればしっぺ返しを食らう。結局は、3倍の兵力を集めて力押しをするのが一番マシじゃろうて」

 

 すると市街戦か……あそこに3万が籠もるとしたら、確かに10万くらいの兵力は必要かも知れない。

 

「しかし、それだと市街戦を仕掛けてる間に逃げられるんじゃないか」

 

 鳳は老人の言うことを認めるしかないと結論したが、最初に無防備だと言ってしまったことが悔しくて、名誉挽回のためになんとなく気の利いたことを言わなきゃと、ぱっと思いついた言葉を口にした。

 

 老人はおや? っとした目つきでマジマジと鳳のことを見ると、

 

「どうしてそう思うんじゃ?」

「ほら、あの離宮の配置からして、どこかに隠し通路があるはずだ。じゃなきゃ、連携が取れないだろう?」

「ふむ……」

「それにいくら防備を固めたところで平城(ひらじろ)は籠城に向かない。勝てないと踏んだのならさっさと捨てて、要害城へ逃げ込んで再起を図った方が良いだろう。このへんだと、あっちの山岳地帯や、森へ逃げるのも悪くない。時期さえ待てば、敵は10万の兵力を維持し続けることは困難となり、必ずすきが生じる。そしたら反転攻勢だ」

「なるほどのう……そうじゃったそうじゃった。確かにお主の言う通りじゃわい」

 

 老人はポンと手を打つと、突然、鳳の腕を取ってそれを前方に突き出すように持ち上げた。

 

「何すんだよ」

「いいから、お主の腕の先をよく見てみよ。あそこに三本の大きな木があるじゃろ?」

 

 鳳が抗議の声を上げるも、老人は意に介さず、片目をつぶって遠くの方を指差しながらそう言った。不満に思いつつも、老人の言うとおりに、自分の腕の延長線上を見てみると、確かに、庭園の中に三本の一際大きな木が見えた。

 

「あの真ん中に、庭園迷路の生け垣にカモフラージュした抜け道がある」

「なんでそんなこと言い切れるの?」

 

 鳳が目を丸くして尋ねると、老人はさも当然と言わんばかりに、

 

「昔、儂はあそこで暮らしておったんじゃよ。それはもう昔のこと故、すっかり忘れておったわい」

「暮らしてた……?」

「うむ。儂はあそこの城主と仲良しじゃったんじゃ。しかし、今のとは仲が悪いでの、訪ねていっても門を開けてくれんで、困っておったところじゃ。お主のお陰で、抜け道のことを思い出せた。これで楽に忍び込めるわい。ありがとう、ありがとう」

 

 老人はそう言うと、まるで悪巧みをしてる悪代官みたいな顔をしながら、

 

「なんなら、お主も一緒にどうじゃ? 道案内くらいならしてやらんでもないぞ」

「ははっ! アホらし。さっきのは言葉の綾だって言っただろ」

 

 鳳は苦笑しながら一蹴した。どう考えても、この老人は胡散臭い。突然現れて、城を攻めるならどうするかと尋ねてきたかと思えば、城への抜け道があるなどと言い出す……それが本当かどうかは分からないが……鳳のことをからかっていると言うよりも、何か試しているような、そんな感じがする。

 

 この老人は何者なんだろうか? あの城に害をなす危険はあるんだろうか? もし、他国のスパイかなにかで、敵情視察をしているとかなら、鳳はまずいことを言ってしまったのではなかろうか……大丈夫だとは思うが、あそこには仲間もいるのだ。もっと慎重に行動すべきだった。

 

 彼は反省しつつ、老人の真意を探ろうとして話を続けた。

 

「どうして城に忍び込みたいんだ? 正面から入れないのは分かるが、それなら代理人を立てるとか、他にやり方があるんじゃないのか」

「それではいかんのじゃ。儂は別に城主とお茶を飲みたいわけじゃない。もっと他の目的がある……」

「何がしたいんだ?」

「なに……ちょっとした人探しじゃよ」

 

 老人はそう言ってから、手にしていた杖をズイッと城に向けて突き出し、

 

「今から数ヶ月前のことじゃ。勇者領(ブレイブランド)の重鎮が、帝国首都アヤ・ソフィアへ向かったまま帰ってこなかった。彼らは勇者領建国当時からの商人貴族で、勇者の子孫に当たる。つまり帝国と敵対している勢力なのじゃが……しかしここ数十年、両国の間にこれといった戦はなく、平和が続いておったがゆえに、もう帝国との争いは忘れて国交を正常化しようという機運が起きていた。勇者領はヘルメス国を通じてしか帝国との国交がない。商人である彼らはその販路を帝国全域にまで拡大しようと考えたのじゃ。彼らはその交渉のために帝国首都へと向かったのじゃが……」

「帰ってこなかったのか」

「そうじゃ。行方不明になった彼らの足取りを辿ってみると、どうもこのヘルメス国に入ったあたりで途切れてしまう。つまり……目の前にあるあの城じゃな。無論、儂らはヘルメス卿に彼らのことを知らぬかと尋ねてみた。しかし返事はつれないものじゃった。では、彼らは一体どこへ消えたというのじゃろうか……? お主は何か知らんかの?」

「俺が何か知ってるわけないだろう?」

「5人なんじゃが……知らんか?」

「……わからないな」

 

 5人って……あの地下室の?

 

 鳳は真っ先にそのことを思い出したが、そう気取られないように黙っていた。目の前の老人が何者であるのか、はっきりしたことが分からないからだ。下手なことを言って、おかしなことに巻き込まれたらたまらない。それに、あの城にはまだ仲間たちがいる。彼らに迷惑がかかるようなことは、なるべくなら言いたくなかった。

 

 老人は城を指していた杖を下ろすと、両手をその頭に乗せて、仕方ないと言った感じに肩を竦めた。とても高齢に見えるが、背筋はピンと伸びていて、まだまだ足腰はしっかりしていそうだった。

 

 ビューっと風が吹き抜けて、老人のカリフラワーみたいな白髪を揺らした。耳は短くて、神人でも獣人でもない、こうして見ているとただの老人のようである。しかしその得体の知れなさは警戒を抱かずに居られなかった。

 

 微妙な空気が流れているのを感じて、鳳は話題を変えることにした。さっさとこの場を後にしてしまえば良かったろうに、なんとなく、この老人の正体が気になったのだ。彼は微動だにせずじっと城を見つめている老人に向かって何気ない素振りで尋ねた。

 

「そう言えば爺さんはあの城の中に入ったことがあるんだっけか」

「ふむ? ああ、そうじゃが」

「なら、謁見の間の前にあるフレスコ画は見たか? あれは見事なもんだった」

「そうか? そうかのう……まあ、それを聞いたら、あれを描いたやつも喜ぶじゃろうて」

「それにあの、鏡の間もすごかったよな。シャンデリアがこれでもかってくらい吊り下げられてて、外の景色が鏡に反射して、どっちに向かって歩いてるのか、だんだんわかんなくなってくるんだ。友達が言うにはヴェルサイユ宮殿みたいだって。きっと、ああいう発想を持った人間が、こっちの世界にもいたってことなんだろうけど……」

 

 鳳はそこまで言ってから、この老人にあっちの世界とかこっちの世界と言っても通じないことを思い出し、慌てて話題を変えようとしたが、

 

「そうじゃの、確かにあれはヴェルサイユ宮殿じゃ」

 

 老人はまるで意に介さずに、当たり前のようにそう返してきた。

 

 その瞬間まで話題を変えようとしていた鳳は言葉を飲み込んだ。

 

「……は?」

「さては、気づいておらんかったな? お主の言う通りじゃよ。あれは初代ヘルメス卿がヴェルサイユを真似して作った代物じゃわい」

「まさか、そんなはずは……爺さん、嘘ついてるんだろ?」

「失礼な男じゃのう……お主が言い出したことじゃろうて。鏡の間、それが答えじゃよ。よく見よ、とても有名な城じゃ。お主もあの外観に、見覚えがあるのではないか?」

 

 老人は改めて杖を突き出し、城の方角を指し示した。鳳は呆然としながらその先を目で追った。外国の城だから、はっきりそうだとは言えない。だが、言われてみると確かに、その外観はどこかで見た覚えがあるような……そんな気がした。

 

「本当に……ヴェルサイユ宮殿なのか? でも、どうしてこんなところに前の世界の建物が……」

 

 ……そう驚いている時、彼はハッと思い出した。

 

 放浪者(バガボンド)……

 

 ギルド長が言うには、この世界にはたまに異世界の記憶を持ったまま紛れ込んでくる者がいる。他ならぬ自分自身がそうであったし、ジャンヌも、そしてギヨームもそうだと言っていた。

 

「つまり……この城を建てた初代も放浪者だったのか??」

 

 老人は驚き戸惑う鳳に向かってゆっくりと頷いた。鳳はその事実に驚いたし、これ以上ないほど狼狽してもいた。まさかこんなところにまで、前世の影響が見て取れるなんて……

 

 しかし、驚かされるのはこれだけでは済まなかった。老人が続けて口にした言葉は、鳳を思考停止させるには十分なものだった。

 

「いかにも……勇者には3人の仲間がおった。おそらく、名前くらいは聞いたことがあるじゃろう。一人はレオナルド・ダ・ヴィンチ」

「……はあ? それって……あの?」

 

 ルネッサンス期に生まれた巨匠で、あらゆる分野に精通し、万能人間と呼ばれ、後の歴史に多大な影響を与えたという……

 

「もう一人はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」

 

 鳳が老人を問いただすよりも先に、彼の口から出てきた名前は、鳳を更に混乱させるに十分なものだった。

 

 モーツァルト? モーツァルトが勇者の仲間だって? どうして音楽の天才の名前がここに出てくるのだろうか……そう考えた時、彼の脳裏に稲妻のような閃きが走った。

 

 利己的な共振(エゴイスティック・レゾナンス)……現代魔法を習得しようとして、鳳は訓練所で何をやらされた?

 

 そして老人は、酸欠の鯉みたいに口をパクパクさせている鳳に向かって、更に驚きの事実を口にするのだった。

 

「そして最後はアイザック……アイザック・ニュートン」

 

 その名前には聞き覚えがあった……いや、現代人ならば彼の名前を知らない者など居ないだろう。そうではなくて、こっちの世界で聞いた、今目の前にある城の主の名前は……

 

「もしかして……あの城にいるアイザックってのは?」

 

 老人は首肯した。

 

「そうじゃ。あれはアイザック・ニュートン……確か、11世くらいじゃったか」

 

 ヘルメス卿アイザック……その初代とは、なんと鳳もよく知る世界の偉人、アイザック・ニュートンだった。

 

 まったく予想外の事実に衝撃を受けて、鳳はついに言葉を失った。開いた口が塞がらないとはこのことで、様々な疑問が頭の中を忙しく駆け巡っているというのに、何一つ言葉として現れてはこなかった。

 

 老人は完全に思考停止状態に陥ったの鳳を愉快そうに眺めた後、何も言わずに踵を返して、街の方へと歩き去ってしまった。

 

 一体、この世界に何が起きているのだろうか?

 

 その疑問に答えてくれるとしたら、きっと目の前の老人しかいないだろうに……その背中が小さくなるまで、鳳は呆然と見送るより他なかった。

 



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おい、見ろ。戦争だってよ……

 300年前の魔王襲来時、伝説の五精霊が復活したにもかかわらず劣勢に立たされていた帝国は、最後の賭けに出た。古の禁呪、勇者召喚によって異世界から勇者を呼び出したのだ。彼は人々の期待に応え見事に魔王を討ち滅ぼし、そしてこの世界に平和が訪れた。

 

 そんな勇者には3人の仲間が居た。一人はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。現在ではオルフェウス卿アマデウスの名で呼ばれた彼こそが、最初は救世主だと思われていたそうである。

 

 魔王が襲来し、魔族が無差別に人々を襲うという時代、彼の生み出す歌と音楽は人々を勇気づけた。彼の音楽に触れていると、何故か力が湧いてきて、人々は神人に頼らずとも魔族と戦えるんじゃないかという気持ちになれた。それは正に魔法だったのだ。

 

 現在では共振魔法(レゾナンス)と呼ばれ、広く認識されている現代魔法(モダンマジック)は、こうして彼の手により生み出された。人々は陽気な彼を慕って集い、それがいつしか一大勢力にまで成長し、帝国に侵入しようとする魔族と最前線で戦い始めたのである。

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチはそんな人々の中に現れた稀有な人材だった。彼は人間にも関わらず、なんと古代魔法(エンシェント)を使う魔法使いだったのだ。それだけを聞けばジャンヌ達と変わらないが、彼が違ったのは幻想具現化(ファンタジックヴィジョン)を生み出したことだ。

 

 彼の描く絵画には魔が宿り、それが現実のものとして取り出せた。彼はこの力を使ってこの世界には存在しなかった兵器、銃や大砲を創り出して、人類が魔族と戦うための足がかりとした。

 

 ヘルメス卿アイザック・ニュートンは前者二人とは違って、これといった特技らしい特技はなかった。しかし彼はそんなものは関係ないくらいの、いわゆる知識チーターだった。レオナルドが創り出したライフルを量産したのも彼だった。その他、彼の持つ力学の知識をフル活用し、砲術の基礎をまとめ、要塞の強度設計の見直しなど建築関係にも力を注いだ。

 

 アイザックが最も優れていたのはその政治力だった。彼は帝国の貴族と渡り合い、人類を魔族と戦う対等のパートナーとして認めさせた。また戦後は、前世で造幣局長だった経験を活かし、通貨改革を敢行して、混乱していた帝国経済を見事に立て直した。彼はその功績を讃えられ、当時空位だったヘルメス伯の地位を授けられ、帝国貴族となった。

 

 オルフェウス卿アマデウスも同じく帝国貴族に叙されたが、こちらはアイザックとは違って、単なる名誉職みたいなものだった。彼もまた、勇者と同様に領地は与えられず、戦後は勇者に従って大森林の魔族の残党狩りへ向かい、その後、歴史に彼の名前は登場しない。

 

 レオナルドは他の仲間達とは違い、戦後は一線を退いて隠居生活に入ったそうだ。彼は自分が編み出した現代魔法、幻想具現化を改良し、新たにスクロール魔法を作った。そしてティンダーやウォーターなどの便利なスクロールを量産し、巨万の富を得たそうだから、きっと悠々自適な毎日を送っていたことだろう。

 

 そしてヘルメス卿アイザックは荒れ果てた領内を統治し、帝国貴族としてその末席に連なっていたわけだが……そんな時に勇者が殺されるという事件が起きる。この時、ヘルメス卿には帝国に恭順するという選択肢もあったが……結局、彼は友人である勇者を討った帝国と敵対する道を選んだようである。

 

 ここに帝国守旧派と勇者派による300年近くにも及ぶ戦いの火蓋が切って落とされたわけだ。初代ヘルメス卿は戦争が始まるや、間もなくその戦闘によって命を落とすことになる。以来、代々のヘルメス伯は勇者派の首魁として、帝国との戦争の矢面に立ち続けているわけだが……

 

 さて……城の中にあった謎の空間で出会った少女、メアリー・スーはこの初代アイザックによって城の結界(?)の中に閉じ込められたようであるが、ここに矛盾が存在する。

 

 というのも、彼女はあの空間に、魔王から逃れるために入ったと言っていた。しかし、歴史を紐解いてみれば、アイザック・ニュートンがヘルメス卿となったのは、魔王討伐後。つまり、魔王がいる間は、まだあのヴェルサイユ宮殿を模した城は存在していなかったのである。

 

 じゃあ、何故、彼女はあそこにいるのだろうか。嘘をつかれてまで。

 

 そして、何故、彼女は幼馴染(エミリア)にそっくりなのだろうか。

 

 何故、この世界にはエミリアという名の神様が居て、その化身(アバター)がソフィアなのか……

 

 この世界のいわゆる古代魔法(エンシェントマジック)は、鳳たちの世界のゲームシステムをそのまま踏襲していて、ソフィアが生み出したと言われる神人のみが使えるものだった。

 

 ところが300年前、二人の天才が現れて、現代魔法(モダンマジック)という新しい魔法系統を作り上げ、そして現在、世界には2系統の魔法が存在している。これにより浮き彫りになるのは、古代魔法とはエミリアの存在が前提とされる、エミリアの魔法だったということだ。

 

 この世界は、エミリアがいなければ、神人も、魔法も、勇者召喚もありえなかった。

 

 この世界には創世神話があるようだが、冗談抜きで、この世界はエミリアから始まっているのである。

 

 一体、幼馴染(エミリア)に何がおきたんだ?

 

 それを知るには、300年前にブレイクスルーを起こした3人の天才のことを知る人物……そして自分の幼馴染にそっくりな少女……メアリー・スーにもう一度会ってみたいと、鳳は考えた。

 

*********************************

 

 月のない晩のこと、闇夜に乗じて、アイザックの居城の庭園の中を、不審な影が蠢いていた。ジャンヌは人気のない庭園に忍び込むと、コソコソと周囲を気にしながら、鳳に指示された通りの場所を目指していた。

 

 街外れの丘から城を眺めてみると、庭園に3本の大きな木が見える。その真ん中に隠し通路があると言うのだ。そして、ジャンヌが言われた通りの場所を調べてみたところ、その通路は実在した。彼はそれを発見するや、パーティーチャットで鳳に話しかけた。

 

『白ちゃん白ちゃん……聞こえますか?』

『ああ、感度良好だ。どうだった?』

『うん、あなたの言ったとおりの場所に隠し通路があったわ。茂みの奥をかき分けたら、枯井戸に偽装してるけど、その中は通路になってるみたい』

『そうか……じゃあ、あの爺さんの言ってたことは全部本当とみて良さそうだな……』

 

 彼が昔、あの城で暮らしていたことも、そして、勇者領の重鎮5人が行方不明になってることも……5人と聞いて思い出すのは、やはりあの城の地下で見た5つの死体だ。アイザックはあれを使って、何をやったというのだろうか……あの死体と、自分達との関係は? 無いとはとても思えない。

 

『どうする? この先も確かめてみる?』

『いや、見つかったら元も子もない。これ以上深入りするのはやめとこう』

『わかったわ』

 

 ジャンヌは踵を返すと、身を屈めてもと来た道を戻り始めた。本城から少し離れているとは言え、ここも一応城の中のはずだが、ここに来るまで歩哨の気配は皆無だった。もし隠し通路の存在を知っているなら、こんなに無防備なはずはないから、もしかしたら城の人間も知らないような通路なのかも知れない。なら、下手なことをして気づかれるより、今は大人しく引いておいたほうが無難だろう。

 

 そう考えると、それを知っていたあの老人の正体が余計に気になった。彼は本当に、かつてこの城に住んでいたのだ。この城を攻めるならどうする? なんて言っていたが、多分、ヘルメス卿の敵と言うよりは味方なのだろう。じゃなければ、こんな情報知るはずもない。

 

『本当に、その老人は何者だったのかしらね……』

『そうだな。こんな情報を知っていたことも胡散臭いが、それをわざわざ俺に教えたのも胡散臭い。これってつまり……俺たちが何者か、勘付いてるってことだろう?』

『そうかも知れないわね……それに、5人でしたっけ? 勇者領から消えた重鎮の数は。それが、城の地下室にあった死体の数と一致する。そして同じ空間に閉じ込められた女の子が……ソフィアにそっくりだったと』

『ああ、そうだ』

『うーん……おかしなことだらけね。ところでソフィアって、どんな子だったの?』

『え?』

 

 不意打ち気味の言葉に鳳は面食らった。ジャンヌはいかにも素朴な疑問を尋ねてるといった感じに続けた。

 

『今までの話を総合すると、この世界にソフィアが居たことは間違いないでしょう。そして私が使える神技にも彼女の影響が見えるわ。だからこの際、彼女がどうやったのかは置いておいて、どうしてこんなことをしたのか……それを探るためにも、彼女の気質とか性格とかを知っておいた方が良いわよね』

『なるほど、それもそうか……と言っても、取り立てて目立つような性格はしてなかったんだよ。寧ろ陰キャとかオタクとか、クラスの目立たない連中の特徴を、まとめて体現してたのがエミリアだった……テストはいつも平均点。身長も真ん中くらい。運動神経は無くて、大概の競技でドベだった。

 

 ただ……とんでもなく、あれだ、美少女だったんだよ。それが、アニメとか漫画とか、そっち方面にばっかり興味を示すから、下手に目立ってしまったんだ。ほら、日本人って何故かオタクのことを軽蔑してるだろう? 見下してもいいって雰囲気さえある』

『そうね……そうだったわ』

 

 ジャンヌはげっそりとした感じでそう返した。

 

『仲良くなったあとに知ったことだけど、エミリアのお父さんは欧州の某有名ゲームデザイナーだったんだって。彼は子供の頃から日本のテレビゲームをやって育ったから、日本に憧れを持っていて、会社が日本に拠点を構える事になった時、自ら進んで転勤を志願したそうだ。

 

 エミリアはそんなお父さんの話を聞いていたから、きっと包容力のある素敵な国なんだって、日本に幻想を抱いてたそうだよ。でも実際に来てみたらオタクは常に肩身の狭い思いをしていて、何もしていないのに性犯罪者みたいな目で見られる。それで大分幻滅していたみたいだ。だから俺が話しかけなければ……欧州に帰っていたかも知れない』

 

 振り返ってみればあれは間違いだったと、彼は確信を持ってそう言えた。あの時無理して話しかけなければ、きっとその後、彼女が傷つくこともなかったろうし、鳳も今ここでこんなことをしていなかったはずだ。

 

 だが……もしそうしていたら、彼は彼女のことを好きになることは無かっただろう。楽しかった思い出だって、ちゃんとあるのだ。放課後の学校で先生に隠れて、二人仲良く肩を並べて、RPGのボスを攻略したことも。限定トレカを手に入れるために、隣町に出張したことも。禁止されてるゲーセンで、大昔のレトロゲームに、10円で何度も何度も挑戦したことも。それが間違いだったとは思えなかった。

 

『そう……白ちゃんはやっぱり、本当にソフィアのことが好きだったのね?』

『え?』

 

 ジャンヌがポツリと呟くように言った。

 

 鳳は反射的にそんなことはない……と言いかけたが、今更隠してもしょうがないと思い、どこか突き放すような投げやりな感じで続けた。

 

『ああ、好きだったよ。でもそれに気づくのはいつも失ってからだ。あいつといられたのは本当に短い時間でしかなかったけれど……俺はその貴重な時間の中で、彼女のことよりも周りの目ばかり気にしていたよ』

 

 彼女と居ると、いつもチャラい連中に睨まれた。オタクでしかない鳳は、自分よりも体が大きくて威圧的な先輩たちに、いつも怯えていた。おまえに彼女は似合わないと言われたら、おっしゃる通りだと同意していた。だから、いつしか彼女と一緒にいるよりも、彼女をいかに遠ざけるかと、そんな事ばかり考えていた。

 

 中学に入ってから、慣れない運動系の部活に入ったのもそうだし、先輩に彼女を差し出したのもそうだった。勇気が持てなかったのだ。しかし、当時の鳳に勇気を出せと言ったって、それは無理な話だろう。彼女はいつもそばに居た。居なくなって初めてそれが永遠じゃないと気づくのだ。

 

 そんな初恋の失敗談を話していると、だんだんと空気が重くなってきた。鳳は努めて明るく振る舞うと、ジャンヌに向かってお返しとばかりに尋ねた。

 

『つーか、ジャンヌはどうなの? あっちに、好きな人っていたのか?』

『え!? えええ~!? い、いないわよ、そんなの』

『おい、今更隠し事なんかするなよ、俺だけ話したんじゃ不公平だろ』

『そそそ、そんなこと言われても……年上をからかうもんじゃないわ』

『都合のいいときだけおじさんぶるなよ。そういや、おまえの好みってどんなの? ホモになった切っ掛けってやっぱあるの?』

『ないない、ないってば! 私は今まで人を好きになったことなんてないってば』

『そうなの……? まあ、いいけどよ』

 

 もし誰かを好きにならなければ、ホモになんかならないはずだ。でもどうしても話したくないなら、無理に聞くようなことじゃないだろう。きっと忘れたい過去があるのだ。自分だってそうだ。傷を舐めあったところで虚しくなるだけだ。

 

**********************************

 

 それからおよそ一ヶ月が経過した。

 

 鳳たちはこの街にやってきてからずっと世話になっていた安宿を出て、新たに建てた小屋へと引っ越した。最初は鳳が一人で引っ越すつもりだったのだが、ジャンヌがどうしても自分もついていくと言って聞かないので、結局二人で住むことになった。

 

 鳳としては、いつまでもジャンヌに頼り切りってわけにもいかないからと思っての行動だったが、そのことを彼に話してみたら、頼っているのは鳳ではなく、寧ろ自分の方だと反論された。

 

 考えても見れば、右も左もわからない土地に放り出されて、同郷のものがいるだけでどれだけ心強いだろうか。海外留学なんかでも、日本人は日本人、同郷ばかりで集まっているではないか。要はそういうことだと言われて妙に納得した。

 

 そんなわけで、二人は改めて対等なパートナーとして、この世界でやっていくことに決めた。鳳が挫折して冒険者をやめたことも、ある意味では功を奏した。鳳は薬屋として、ジャンヌは引き続き冒険者として、別々のことをやっていれば、不用意にお互いの生活に踏み込むことがなくなるからだ。

 

 小屋を建てる際にはギヨームが駆けつけ、色々と世話をしてくれた。もはや彼のほうが、よっぽどジャンヌの相棒としてふさわしいような気がしていた。その旨を伝えてみたら、心の底からやめてくれと真顔で返されたが……

 

 建築にはツーバイフォー材が非常に活躍した。まさかそんな規格が存在するとは思いもよらなかったが、小屋を建てようとして材木屋に行ったら、どこもかしこも当たり前のように置いてあったのでびっくりした。

 

 元の世界でもツーバイフォー建築は、アメリカの開拓時代に流行したのが始まりだったそうだから、こっちの世界でも新大陸への移民ラッシュの際に自然と規格が出来上がったのだろう。もしくは、これにも放浪者が関わっているのかも知れない。

 

 トタン屋根も、外壁材に染み込ませるためのクレオソートやコールタールも簡単に手に入った。何しろ、貧乏人が集まって出来た街だから、この辺では家を自分で建てるのが当たり前らしく、新築を建てていたらあちこちから人が集まってきて、頼んでもいないのに色々とアドバイスしてくれた。お陰で思ったよりも立派な小屋が建ち、家具まで一式揃ってしまった。間取りとしては鳳のおクスリ工房を中央に建てて、その左右にそれぞれの寝室を設けた格好である。

 

 竣工お披露目パーティーには、魔法具屋の店主やギルドで知り合ったメンツも集まってきて、思ったよりも賑やかになった。これでもし城の仲間と連絡が取れれば最高だったが、残念ながらパーティーチャットも繋がらないし、城には近づけないので断念せざるを得なかった。

 

 いつかほとぼりが冷めたら会いに行きたいところだが、一体いつになることやら……

 

 しかし、そのいつかは割とすぐにやってきた。

 

 そして、二人の新しい生活も、いつまでも順風満帆とはいかなかった。

 

 ある日、アイザックの城から兵士が大勢やってきて、街の広場に何かを建て始めた。最初、鳳たちは自分達を探しに来たんじゃないかと、気が気じゃなかったが、どうやらそれは取り越し苦労のようであった。しかし、兵士たちがこの街にやってきた用向きは、それよりもっと深刻なものだった。

 

 兵士たちが城へ帰っていくと、広場には一枚の大きな看板が残されていた。街の人達がその周りを取り囲んで喧々諤々としている。兵士に見つからないように遠巻きに見ていた鳳は、何があったんだろうかと近づいていくと……

 

 その途中で飛び込んできた街の人たちの会話を耳にして、彼は思わず立ち止まった。

 

「おい、見ろ。戦争だってよ……」

 

 ギョッとして見上げた看板には、募兵の二文字が踊っている。鳳は、突然、自分の身に降り掛かってきた危機をすぐには認識できず、ただその場で立ち尽くすばかりだった。

 



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我々は、何者でもないのだよ

 戦争が始まる。その噂はあっという間に街中に広まっていった。

 

 ある日突然城からやってきた兵士が立てた看板には、募兵の詳細が書かれていた。曰く、帝国から不当な嫌疑をかけられ、我がヘルメス領は侵攻の危機に晒されていること。曰く、それを跳ね返すだけの兵力は十分にあるが、万全を期すために勇気ある兵士を募っていること。曰く、恩賞には十分報いるつもりであること。

 

 立て看板に細かく提示された支度金、報奨金の額は破格であった。正直なところ、この貧乏な街の住人であるなら、それだけで一生暮らしていけそうな額だった。それ故に、ヘルメス卿の劣勢は誰にでも簡単に予想が出来た。もし、看板に書かれている通り、十分に跳ね返せるだけの兵力があるなら、こんな額を支払って兵をかき集める必要などないのだ。

 

 それから数日間は、てんやわんやの大騒ぎだった。募兵に応じて一攫千金を狙おうとするもの、取り敢えず様子見を決め込むもの、さっさと逃げだそうと荷物をまとめるもの、みんなそれぞれがこの国で今起きていることの情報を欲していたが、入ってくるのはどれもこれもみな信憑性に乏しいものばかりだった。

 

 例えば勇者派であるヘルメス卿は、帝国への憎悪を募らせ、ついに悪魔に魂を売り渡したとか、例えば守旧派の切り崩しを画策し、勇者領の商人を使って帝国内をかき回そうとしていたとか、例えばヘルメス卿は変態で、男たちを侍らせて毎夜酒池肉林の宴を繰り広げているとか、ヘルメス卿は嫉妬から優秀な部下を次々と殺してしまったとか。

 

 ただし、中には信憑性のあるものもあった。例えば、ヘルメス卿は乱心して、夜な夜な街の娘をさらってはその生き血を啜っているとか、勇者領からひっきりなしに人がやってくるのだが、出ていったのは皆無だとか……

 

 これらの噂の出どころはなんとなく想像がついた。アイザックは城に残った仲間たちに女を充てがっているわけだが、その醜聞はいくら隠しても隠しきれないだろう。そして、消えた5人の勇者領の重鎮の噂も……

 

 ともあれ、そんな具合に玉石混交の情報を集めてみたはいいものの、結局の所、このテレビも電話もない世界では、帝国が何故ヘルメス国へ攻め込んでくるのか、その正確な理由は何も分からなかった。現代人ならこんなときネットで調べてSNSに愚痴でも書いているところなのだろうが、新聞すらないこの世界では、正確な情報を掴むのも、投書欄に意見することすら出来ない。分かるのは、アイザックが何かをしてしまったことと、そして帝国が彼を排除したがってることだけだった。

 

 ところでどのくらいの兵力が、ここヘルメス領へ攻め込もうとしているのか……その正確な数字もはっきりしなかったが、ただ、それでもあちこちから駆け込んでくる早馬の情報を総合すれば、帝国がヘルメスを除く四精霊国、全ての国から兵をかき集めており、その数は10万を下らないだろうとのことである。

 

 対して、ヘルメス卿は2万を集められるかどうか……噂では、ヘルメス領北部はとっくに帝国に屈服し、その兵力は当てに出来ないようだ。

 

 それどころか、ヘルメス卿の味方はどこにいるのか……勇者領にも疑心暗鬼を生じている今、探しても見つけられないくらい、彼は窮地に立たされていた。

 

******************************

 

「はぁ~……本当に、戦争になっちゃうのかなあ?」

 

 ギルド酒場で、ウェイトレスのルーシーがため息を吐いていた。このところ冒険者ギルドは、入ってくるよりも外に出ていく人が増えたせいで閑古鳥が鳴いていた。酒場のカウンターの対面にあるギルド受付では、ミーティアが忙しそうにしていたが、仕事の殆どは国外へ逃げ出そうとする人たちの護衛の依頼だった。

 

「そうなって欲しくないけど、期待しても無駄だろうな」

 

 カウンター席に座っていた鳳は、真っ昼間っからビールをちびちびやりながら、彼女と同じように嘆いていた。せっかく独り立ちしておクスリ工房を立ち上げたばかりだと言うのに、このところの騒ぎのせいで商売どころじゃなくなってしまったのだ。

 

 店の外に目をやれば、大きな荷物を抱えた不安げな表情の人々の列が見える。城下町から続く街道には人が溢れ、それが森の前で渋滞を起こしていた。無防備なまま森に入れば魔物に襲われるかも知れない。だが、護衛の数が圧倒的に足りないから、彼らは護衛の手が空くまで待っているのだ。

 

 尤も、仮に空いても彼らに冒険者を雇うような金は無かっただろう。今や護衛依頼は需要に供給が追いついておらず、依頼料もうなぎ登りだったのだ。ここに来るまでに持ってきた財産を売り払えば、もしかしたら護衛を雇えるかも知れないが、しかし身一つで勇者領に逃げ込んだところで、彼らに待ち受けているのは過酷な生活しかないだろう。命あっての物種とは言うが、そこまで割り切れる人間も中々おらず、森を目前に足止めを食っている人の群れは、どんどん町の外に広がっていった。

 

 勇者領に続く大森林を貫く街道は、馬車を使っても野営が必要なくらい距離があった。それを徒歩で大量の荷物を抱えてとなると、片道4日は必要だろう。その間、一度も魔物に襲われないという保証はなく、多大な危険を伴うのだ。かと言って、ヘルメス卿が全方位から攻撃されている今、他国に逃げようとしてその途中で軍隊に行き合いでもしたら、容赦なく襲われるのは必至である。

 

 戦争において、略奪は兵士の権利なのだ。それを止められる程の力をもった国家は、まだこの世界には存在しない。難民はただ奪われるだけだ。

 

「ミーティア君、中止だ中止。今やってる仕事、もう片付けちゃって」

「え? どうしてですか?」

 

 鳳たちがカウンターで溜め息を吐いていると、酒場の裏口からギルド長のフィリップが難しい顔をしながら入ってきた。彼は理由を尋ねるミーティアを無視してカウンター席にどっかと座ると、マスターに軽食を注文した。

 

「朝から何も食べてないんだよ」

 

 ギルド長はたまたまカウンターにいた鳳を見つけると、後ろめたい気持ちを誤魔化すような苦笑を向けつつサンドイッチにかぶりついた。その目の下には真っ黒なクマがついていて、このところの忙しさを物語っていた。どことなくイライラして見えるのは、疲労困憊のせいだろう。だが、それはミーティアも同じだった。彼女はカウンターに座るギルド長の背後に立つと、恨めしそうにその頭を睨みつけ、不満たらたらの表情で彼に詰め寄った。

 

「食べながらでいいから理由を聞かせて下さい。護衛依頼はまだ沢山来てるんですよ?」

「その護衛が成立しなくなったんだ。現場の方からクレームが入ってね。もうこれ以上はタダ働き出来ないと……」

「タダ働き? そんなはずはありませんよ。頂いた依頼料は公平に分配するように手配してあります。実績のある冒険者には前金も渡しているはずですが……」

「そうじゃない、金の問題じゃないんだ。いや、金の問題でもあるんだが。まあ、聞きたまえ」

 

 ギルド長はうんざりした様子で手にしたサンドイッチを一気に頬張ると、それをコーヒーで流し込み、そして今起きてるトラブルの全貌を話し始めた。

 

 このところの戦争余波で発生した難民が、ヘルメス領から勇者領への護衛を依頼していたのは前述の通りである。依頼を受けた冒険者ギルドは書き入れ時とばかりに冒険者を集めてそれに対応していたが、それでも回しきれないくらい、護衛依頼はひっきりなしに舞い込み続け、圧倒的に人手不足な状態が続いていた。

 

 人手不足の一番の原因は、護衛にかかる時間の問題だった。普段でも片道二日、帰りは早馬を使って一日でも、計三日はかかるこの距離を、今回の護衛では徒歩で大きな荷物を抱えた難民を連れていかなければならないのだ。すると最低でも五日、長くて一週間以上の日数がかかり、それだけの時間を拘束されては、冒険者がいくらいても足りなくなるのは必然だろう。

 

 そこでギルド長はやり方を変えることにした。勇者領のギルドと連携して、街道のあちこちに冒険者を予め配備し、駅伝方式を採用したのだ。これなら冒険者が護衛する距離は極小で済み、次から次へとやってくる難民の護衛を少ない数で回すことが出来る。

 

 この方法は最初は上手くいった。ところが間もなく問題が発生した。フリーライダーが現れたのだ。

 

 街道を歩いて移動していたのは、護衛をつけた難民だけではない。中には危険を承知で身一つで勇者領に向かっていた者たちもいた。そのうち彼らは街道のあちこちに冒険者がいて、彼らの後についていけば安全だということに気がついた。するとその噂はどんどん伝播していき、やがて依頼料を払ってない難民が、護衛のあとを付け回すようになったのである。

 

 それが少数のうちはまだ誰も気にしなかった。それがどんどん増え、やがて護衛する数よりも多くなると、依頼料を払ったものから不満があがりはじめた。自分達は金を払っているのに、何も払ってない連中まで助けるのはどういう了見か。

 

 だが、ついてくるなと言っても彼らが言うことを聞くはずがない。なら、襲われてるところを見捨てればいいかと言えば、それも寝覚めが悪い。助ければ正規の料金を払った依頼者が不満を持ち、助けなければ人が死ぬ。仮に生き残っても、逆恨みされる。

 

 そんなことが続いているうちに、ついに冒険者の一人の堪忍袋の緒が切れた。何しろ、危険な森の中で何日も過ごしているのだ。それだけでも相当なストレスなのに、クレーム処理までさせられたのでは堪らないだろう。

 

 しかし彼が抜けた穴は誰かが埋めなければならない。するとその周囲にしわ寄せが行き、その中からまた不満を爆発させるものが現れる……いたちごっこだ。

 

「そんな感じで駅伝方式にも限界が来てしまったんだよ。これ以上続けては、現場で体を張っている冒険者に危険が及ぶのも時間の問題だろう。だからもう、すっぱりと諦めるしかない」

 

 話を聞いていたミーティアはよろよろと、腰が抜けたかのようにカウンターに突っ伏した。

 

「そんな……それじゃ、私の今までの苦労は一体……」

「それは違うぞミーティア君。今までのは前哨戦に過ぎない、これから我々は既に料金を支払ってくれた依頼者に、護衛が出来なくなったことを伝えねばならないんだ。我々の戦いはまだはじまったばかりだぞ」

「嫌だー! 死ぬ! 死んでしまう!! わ、わかりました。私も職場放棄します。お給金はいりません。今までお世話になりました。あとはギルド長一人でなんとかしてください」

「別に私はそれでも構わないけどね……それで君、これからどこいくの? 勇者領に帰っても、職場放棄したなら仕事はないよ? 大体、護衛もつけずに、一人であの街道を歩いていけるのかい。こっちに残っても行くとこある? 兵隊に捕まったら、レイプされるよきっと」

「くっ……鬼! 悪魔! 人でなし!」

「……腹ごしらえしたら、君も職場に戻ってくれ。またこれから数日、寝る暇もないくらい忙しくなるからな」

 

 ギルド長とミーティアの絶望的なやり取りを横目で見ていた鳳は、複雑そうな表情で彼に向かって聞いてみた。

 

「……護衛の仕事をもう受けないなら、森の前に溜まってる難民キャンプは、あれはどうなるんですか?」

「見捨てるしかないだろう」

 

 ギルド長は当たり前のように言い切った。

 

「彼らは兵士に捕まって略奪されるか、一か八か、街道を通って勇者領へ向かうしかないだろうな。帝国軍の軍規がどれくらい行き届いているかわからないが、まあ、まず見つかったらタダじゃすまないだろう」

「助けることは出来ないんですか? この街で匿ったりとか……」

「匿う? どこに? 外壁もないような吹きっ晒しの街だぞ? こんな場所、軍に攻められたらひとたまりもないだろう」

「それじゃ、一戦もせずにこの街を明け渡すんですか?」

「そりゃそうだろう。そもそも、ここは街として認められていないんだ。街道の途中に出来た、ただのキャンプという扱いだぞ。我々はここを放棄して勇者領へ帰るよ。鳳くんも、これからどこへ行くか分からないが、身の振り方を考えておきたまえよ……まあ、君にはジャンヌ君がいるから平気だろうけどね」

 

 鳳はぐうの音も出ず、黙りこくるしかなかった。考えても見ればこの街には町長もおらず、ヘルメス国にも従属していないのだから、ここを防衛しようなどという変わり者はいないのだ。やはり、放棄して逃げるしかないのだろうか。せっかく、新しく小屋を立てて、生活の基盤が出来てきたというのに。これから街を出て勇者領へ向かったとしても、また1からやり直さなければならない。

 

 しかし、鳳にはまだ気がかりがあった。自分がここを捨てて逃げるのはいいけれども……城に残っている仲間たちはどうするつもりなんだろうか。アイザックの城が落ちたら、あのメアリーはどうなってしまうんだろうか……彼らの去就は気がかりだった。もし一緒に逃げることが出来たらそうしたいところだが……

 

「鳳くんは、勇者領へ行くのかい?」

 

 鳳がそんなことを考えていると、黙って食器を拭いていた酒場のマスターが話しかけてきた。

 

「そうですねえ……ジャンヌが帰ってきたら話し合わなきゃだけど、多分、そうなるんじゃないかと」

「そうか……なら、一つ頼まれてくれないか?」

「頼み?」

 

 マスターはこっくりと頷いて言った。

 

「一緒にルーシーを連れてってくれないか。ここが無くなったら、僕も彼女も行くところがないんだ。僕は男だし、故郷に帰ればまだなんとかなるが……彼女は孤児でね」

 

 そうだったのか……? 驚いて彼女の方を振り返ったら、ルーシーはバツが悪そうな顔をして、

 

「たはははは……お恥ずかしながら。でもマスター、そんなの気にしないでいいですよ。自分だけ助けてもらうんじゃ、子供たちに悪いですしね。私だけなら、娼婦のお姉さんたちに仕事を教えてもらえば生きてけるんじゃないかな」

 

 彼女は冗談めかしてそう言ったが、正直まったく笑えなかった。子供たちに悪いと言ってるのは、鳳が依頼を取り合った子供たちのことだろうか。そういえば、よくこの辺をうろついる子供たちがいたが、彼らに親がいるとは思えなかった。

 

 戦争が起きたら、彼らはどうなってしまうんだろうか……ちゃんとご飯を食べていけるんだろうか。下手に盗みなんか働いて、兵隊に殺されたりしないだろうか。なんだか、体を売れば生きていけるというルーシーの方がマシに思えてきた。少なくとも食いっぱぐれることはないのだ。

 

 そうだ、これは戦争なのだ……甘いことを言っていても始まらない。

 

 だが……鳳はどうにも割り切れなくて、散々悩んだ末に、腹に食べ物を入れてウトウトとしているギルド長に向かって言った。

 

「やっぱり、なんとか助けることは出来ませんか。あの森の前の難民キャンプも。この街に残る人たちのことも……」

「……それが夢物語なのは、君にだってわかっているだろう?」

「でも、冒険者が集まれば、なんとかなるんじゃないですか? ギヨームも、ジャンヌも、冒険者一人ひとりは、軍人よりも強いですよね」

「そりゃ、傭兵みたいなものだからね。でも相手は軍隊、元の数が違うんだ。絶対に勝てるわけがないよ」

「いや、勝つ必要はないでしょう」

 

 鳳がはっきりそう言い切ると、ギルド長は少し興味を示した。

 

「寧ろ勝っちゃいけませんよ。どっちかっつーと、上手く負けなきゃならない」

「どういうことだ?」

「相手が略奪に来るのは、こっちが弱いからですよね? 無抵抗な相手からは、奪っても殺しても、何をやってもいいと思ってやってくる。でも、弱いと思っていた街の人達が抵抗して、不用意に手を出したらタダじゃ済まないと思わせたところで、交渉を持ちかけたらどうでしょうか? 我々には街を開放する用意がある。その代わり、命は助けてくれと下手(したて)に出たら」

「……なるほど。少なくとも金で解決することくらいは出来そうだな」

「そうでしょう?」

「しかし、その金はどこから出るんだ?」

「え? ……それは、街の外にいる人達に頼んでかき集めれば……」

 

 ギルド長は椅子に深く腰掛け直すと、真剣な表情で鳳の目を真っ直ぐ見ながら言った。

 

「それを君は一人で出来るか? 今の話を難民たちにして、信じさせることが出来るか? 一人二人くらいなら話を聞いてくれるかも知れない、だが彼らは命を賭して戦うことも、全財産をなげうつこともしないだろう。例え、そうしなければ死ぬと分かっていてもね」

「そうでしょうか……」

「我々は、何者でもないのだよ。我々が何を言ったところで、それは夢物語にしかならない。誰も話を聞いちゃくれない。それを覆すための実績もカリスマもないからだ。だから、君の作戦を実行するには、まず金が必要なんだ。そう、世の中金で回ってる。金さえあれば、冒険者を募ることも出来るだろうし、外の難民たちも話を聞く気になるだろう。君の話は、つまり順序が逆なんだよ」

「なら、金さえあればなんとかしてくれるんだな?」

 

 鳳とギルド長が話し合っていると、突然、そんな横やりが入った。

 

 二人の会話に割って入った声の方を振り返ると、酒場の入り口でやけに重そうな荷物を抱えたギヨームとジャンヌが立っていた。

 

 二人は汗だくになりながら、手にした袋をカウンターの前まで持ってくると、その中身をぶちまけるように、ギルド長の前に投げてよこした。するとその袋の中から、ジャラジャラと、盛大な音を立てながら、大量の銀貨が転がりだしてきた。

 

「こ、これは……」

「見てのとおり、金だよ、金。重いのなんの、ここまで運んでくるの苦労したぜ……魔物退治の方がよっぽど楽だ」

 

 ギヨームはそう言いながら、トントンと自分の肩を叩いた。彼よりも大きな荷物をしょっていたジャンヌはクタクタと地面に突っ伏している。

 

 ギルド長は転がりでた銀貨を数えてニヤニヤしているミーティアを押しのけて、その袋の中身を確かめながら、

 

「何故、こんなものを君たちが?」

「俺たちが護衛の仕事を終えて引き上げようとした時、リレー相手の冒険者から渡されたんだ。本店からの救援物資だそうだぜ」

「救援物資?」

 

 ギヨームは頷くと、

 

「ああ、タイクーンはここを守るように指令を下した。戦争に加担することはない、ただし、街と難民を守れとのお達しだ」

大君(タイクーン)が!?」

 

 大君とはなんだ? 鳳が首を捻っていると、ジャンヌが冒険者ギルドの一番えらい人だと教えてくれた。冒険者ギルドは支部ごとに独立しているが、一応それを束ねる組織が存在する。要するに持株会社みたいなものらしいが、支部長はみんなこの組織に所属しているから、大君とはつまり社長のことで、命令には絶対逆らえないらしい。

 

 ギルド長は大量の銀貨を前に目を白黒させながら、

 

「何故、ここを守る必要があるんだ? 街がどうなろうと我々には関係ないだろう」

「俺に聞かれても困るよ……つかそのセリフ、街の住人の前で言うなよ」

 

 ルーシーと酒場のマスターの視線が突き刺さる。ギルド長は口の前で手を併せて謝罪の意を示した。ギヨームはそんな彼を見ながら、

 

「とにかく、救援物資は渡したぜ? 詳しいことはあとから来る連中に聞けばいいよ」

「あとから来るって?」

「勇者領の方から腕利きを派遣してくれたらしいぞ。あとはそいつらと相談して防衛計画を立てればいいさ……それから鳳、大君からおまえに伝言だ」

「は? なんで俺……??」

 

 鳳は目をパチクリさせた。何故この流れで、突然自分に話が振られるのだろうか? ギヨームはちらりとジャンヌを見てから、

 

「俺もよく知らないが……とにかく伝言だ。隠し通路は見つかったか?」

「……あ!」

 

 鳳はその一言で相手が誰か悟った。あの時、城の見える丘の上で出会った老人……あれが大君だったのだ。何故、彼があの場所にいたのか。どうして鳳に話しかけてきたのか。それは分からなかったが……

 

 ギヨームは続けて言った。

 

「忍び込む気があるなら、ギルドに依頼を出せってよ。なあ、おまえ、一体なにやったの? 面白そうだから、俺にも一枚噛ませろよ」

 



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潜入

 それからの数日間は寝る間もないほど忙しかった。

 

 ギルド長フィリップは、まさか自分が最前線の指揮官にされるとは思ってもおらず、真っ青になりながら防衛策を練らなければならなくなった。それにしても、憲兵もいないようなこの無法地帯でどう街を守れというのだろうか。いくら金があるとは言え、兵力を雇おうとしても、それは既にアイザックがやってしまっている。それ以上の金で釣ることは、まあ、出来なくもないが、それで本城の防衛に支障をきたしては元も子もないだろう。

 

 だから何か発想の転換が必要なのだ。彼は何かアイディアは無いかと広く募り……そして鳳の策が採用された。

 

 街を守るというのは何も敵を撃退するということではない。負けても略奪を受けずに済む方法を考えるのだ。それには、攻めるよりも話し合いで解決したほうが良いと、相手に思わせる必要がある。攻めればそれなりの被害が出るが、しかしこっちが恭順の意思を示しているなら、それでいいと思わせるのだ。

 

 それにはまず何をすればいいか。とにかく、ここは街道に自然発生した街だから、防備らしい防備が全く無い。最低限、外壁で囲まれていてほしいのだが、無いものをねだっても仕方ないだろう。今から敵の大軍を防げるだけのバリケードを作るのはとても間に合わない。というわけで、代わりに堀をめぐらすことになった。

 

 深さは特に必要ない。幅もそんなに必要ない。取り敢えず人の背丈程度の深さまで掘って、内側に掘った土を土嚢にして積み上げ、さらに戸板で補強すれば、それなりの外壁が完成する。こんなのはその気になれば簡単に乗り越えられるだろうが、要はここを乗り越える時に足が止まることが重要なのだ。動いている敵は攻めにくいが、止まっていればただの的だ。おあつらえ向きに、この世界の主力兵器は銃である。

 

 あとはこれだけの大仕事をするための人員確保が必要だが、そこはギルド長の腕の見せ所だった。今、町の外にいる難民たちはリーダーを欠いている。頼れるのは冒険者ギルドの護衛だけだ。ところがその護衛が居なくなったせいで彼らは動揺している。良かれ悪しかれ、この動揺を抑えられるのは、今はギルド長だけだった。

 

 民衆とは複雑な問題は間違うが、一つ一つの簡単な選択ならほぼ間違えない。無知であっても真実を見抜く目は持っているのだ。だから真実を告げれば、意外と容易に説得されるものである。

 

 ギルド長は言った。

 

「今、ヘルメス領から勇者領へと逃れようとしている難民には護衛が必要だ。だが護衛の数には限りがあって、全ての難民を救うことは出来ない。難民を見捨てて逃げるしかない……だが冒険者ギルドはこの街と難民を死守することを決定した。敵と交渉し、時間を稼げば、全ての難民を逃がすことが出来るだろう。そのためには、多くの人手が必要だ。街の防衛網を築き上げ、敵に手を出すのは割に合わないと思わせるだけの戦力が必要なのだ。だからみんな協力して欲しい」

 

 ギルド長がその旨を伝えると、始めは無理だと頭から否定していた者たちも、段々と意見を変え始めた。特に護衛依頼をキャンセルされた人たちは、最初こそ不満を爆発させていたが、意見表明後はクレームもピタリと止んだ。みんな、やらなきゃやられることが分かっているのだ。

 

 こうして嫌々ながらも街の防衛網が作られ始めたら風向きも変わってきた。難民の間に、逃げるよりも戦おうという意識が芽生え始めたお陰で、さっさととんずらを決め込んでいた近隣の炭鉱夫たちも協力してくれるようになったのだ。彼らだってここを失えば、販路を一つ失うことになる。新天地を開拓するより、ここに残っていて欲しいのだ。

 

 穴掘りの本職が加わったお陰で、街を取り巻く塹壕は想定以上のスピードで構築されていった。(ほり)はより幅広く、(へい)はより堅固に、鉄板で補強された遮蔽板は、少しくらいなら鉄砲の弾もはじくだろう。ギルドから送られた救援物資の金は、武器と弾薬、鉄条網などに変わっていった。

 

 そして街の防衛網が思ったより強固に仕上がった頃、地平線の向こうから帝国軍の大軍がやってきた。それは黒い波となって、アイザックの城下町を包み込むように進軍した。

 

 あちこちから警笛のようなラッパの音が聞こえてくる。威嚇射撃の発砲音と、硝煙で上空は白く煙った。鬨の声とそれを取り囲む大軍のせいで、あれだけ大きく見えた城が今は小さく感じた。

 

**********************************

 

 鳳たちは闇に紛れてコソコソと城に近づいていた。月明かりのせいで大胆な行動は取れなかったが、北部の川沿いは思ったよりも人影が少なく、身を屈めていれば見咎められる心配は少なかった。

 

 こちらに人が少ないのは言わずもがな、主戦場が南だからだ。帝国の大軍は、南の城下町を取り囲むように布陣していた。前に丘の上で老人と議論した時のように、彼らも渡河をして北部から攻めるのを嫌ったのだろう。

 

 帝国軍は30万と号する大軍だったが、実際には10万強くらいだろうか。鎖帷子を着込んだ騎兵隊や、槍や銃剣で武装した兵士が整然と並ぶ姿は壮観だったが、それを丘から見下ろした時は、こんなものかと物足りないものを感じた。

 

 考えても見れば10万という数字も、せいぜい東京ドーム2個分に過ぎないのだ。人混みに慣れている現代人からすると、案外こんなものかも知れない。帝国が戦力を分散せずに南に集中しているのも、意外と余裕が無いからだけなのかも知れない。

 

 だがあれが全て人殺しだと聞くと薄ら寒い思いがした。人間とは、何故こんな愚かなことをしてしまうのか? 地上で最も繁栄した種族の生存戦略に同族殺しがセットされているのだと思うと、なんとも不思議なものを感じる。

 

 首までどっぷりと水に浸かりながら川を渡った。川幅が狭い場所を選んでは、見つけてくださいと言ってるようなものだから、比較的長い距離を泳ぐ羽目になった。先頭をギヨームが進み、その後ろに鳳とジャンヌが続く。隠密スキルの無い二人の代わりに、ギヨームが先行している格好だ。

 

 開戦前に、なんとか城に侵入したいと言い出したのは鳳だった。仲間たちがもし、にっちもさっちも行かない状況に陥ってるなら救ってやりたかったし、謎の空間に閉じ込められたメアリーのことも気になった。だが、無能の鳳や脳筋のジャンヌでは、いくら隠し通路を知っていても、城に忍び込むなんて不可能だった。そこでギヨームに相談してみたところ、彼は意外とあっさり協力を約束してくれたのだ。

 

 どうにかこうにか対岸に渡り、庭園の外側にある森にまでたどり着いたが、流石にここまで来たら衛兵が警戒していることは間違いないだろう。恐らく今、兵士に見つかったら、問答無用で襲いかかってくるはずだ。そしたら城内に侵入なんて出来なくなる。だから絶対に見つかってはいけないのだが、ギヨームはほとんど無警戒かと言わんばかりの自然体でどんどん先に進んでいく。

 

 そんなんで大丈夫なのか? と再三注意したが、彼は平気と返すばかりだった。実際、道中一度として危険な目に遭わなかった。何度か近くに誰か居るような気配は感じたが、それで衛兵と鉢合わせするなんてことは一切なかった。探索や潜入が得意と聞いていたが、どうやら踏んできた場数が違いそうだ。鳳たちだけだったら目的地に辿り着くことさえ出来なかったろう。

 

 だが、そんなギヨームも最後の最後、目的地の目印の大木の間近まで来たところで、突然、しーっと指を唇に当ててから、警戒するように身を屈めた。どうしたんだろう? と思ったら、どうやら目的地に誰かの気配を感じるらしい。

 

 彼は自分の魔法(クオリア)でピストルを作り出すと、慎重に歩を進めて曲がり角から先を覗き込んだが……次の瞬間、警戒を解いて武装を解除すると、背後でそれを見守っていた鳳たちを手招きした。

 

 何を見つけたんだろう……? 曲がり角を曲がったら、例の隠し通路に繋がる大木の陰に、いつかあの丘の上で見た老人が佇んでいた。

 

「爺さん、あんたどうしてここに……?」

「やれやれ、せっかちな男じゃのう。忍び込むならギルドに依頼しろと言ったじゃろうに。危うく置いていかれるところじゃったわい」

「そうか。それじゃやっぱり、あんたが大君(タイクーン)だったのか?」

「いかにも」

 

 老人はこっくりと頷くと、鳳の隣にいたギヨームに向かって何かの袋を投げてよこした。ギヨームは袋を受け取ると、中にずっしりと収められていた金貨を一枚取り出し、

 

「悪く思うなよ」

「おまえが情報を流したのか?」

 

 鳳が彼のことを非難すると、大君が間を取り持つように言った。

 

「鈴をつけさせてもらったんじゃよ。お主らだけで行動されて、失敗されては元も子もないからのう」

「まあ、実際、こいつが居なければここまで来れなかったから、その点は感謝するけど……爺さん、あんたの目的はなんだ? どうして俺たちに協力するの?」

「お主、メアリー・スーに会ったじゃろう?」

 

 鳳は老人のそのものズバリの言葉に、咄嗟に返事が出来なかった。知らないというのは簡単だが、今更、ここまで来てしらばっくれることもないだろう。彼は観念してそれを認めた。

 

「ああ、どうしてそれが分かった?」

「精霊が騒いでおったからじゃ」

「……精霊が??」

 

 一見するとボケ老人が不思議ちゃんみたいなセリフを吐いてるように見えるが、そもそもここはファンタジーな世界だった。多分、彼の言うそれは、そのままの意味なのだろう。

 

「この世界と精霊(アストラル)界は繋がっておる。儂ら人間はそこから力を得て魔を操る。あの子は五精霊に祝福されておるんじゃよ。それは間違いない。じゃからお主があの子と会った時、精霊がざわついたのじゃよ」

「はぁ……よくわかんないけど、なんか不思議な力でわかっちゃったんだな?」

 

 それは信じるしかないけれど、

 

「っていうか、爺さん、あいつと知り合いだったのか?」

「まあな。正確には、あの子の父親とじゃが」

「父親と……?」

「ああ、彼に娘のことを託されたのじゃ。ところがこの城の主が猜疑心の強い男でのう……儂が彼女のことを利用するんじゃないかと、ある日突然城から追い出して、以来一度も近づけようとしなかったのじゃ」

 

 彼女の父親なら300年以上前の人物ということになるが、目の前の爺さんはその頃から生きているとでも言うつもりだろうか……?

 

 鳳は一瞬、そんな疑問が湧いて出たが、すぐに父親が神人なら今も生きているのだから有り得る話だと思い直し、つまらないことを考えるより先を続けようと、大君に尋ねた。

 

「……爺さんは、あいつのことをどうするつもりなんだ?」

 

 すると彼は鳳の目を真っ直ぐ見ながら、

 

「そうじゃのう……逆に問おう。お主はあの子に会って、何をするつもりじゃった?」

「それは……俺は何も」

 

 そう返されると何も言い返せなかった。鳳は彼女に会いたいとは思っても、その先は何も考えていなかった。何故なら、

 

「つーか、あいつのことどうこうしようにも、俺にはどうしようも出来ないだろう? 何か不思議な空間に捕らわれているから」

 

 すると老人はいかにもそのセリフを待っていたと言わんばかりに、

 

「儂ならあの子を外に連れ出せると言ったら?」

「え……? 出来るのか?」

 

 老人は当然のごとく頷いてから、

 

「ここの城主が儂を近づけなかったのはそれが理由じゃ。城主は、あの子に危険が及ばないように、結界に封じ込めたわけじゃが、儂にはそれを解放する力がある。そして外に出た彼女は、誰に利用されるか分かったもんじゃない」

「解放……? 利用……? なあ、あいつは一体何者なんだ。どうしてあんな場所にずっと閉じ込められていたんだ」

「それを知ったら引き返せなくなるが、お主にその覚悟があるのかの?」

「え? 覚悟っつわれても……」

「今、何故戦争が起こっているのか……その真の理由が分かっておるか?」

 

 老人にそう迫られては言葉を飲み込むしかなかった。まさか、この戦争とメアリーは関係があるというのか? 正直、それは信じられなかったが、かと言って、本当の理由もよく分かっていなかった。

 

 この世界にはテレビもない、新聞もない。入ってくる情報は、全てプロパガンダされた為政者にとって都合のいいものだけだ。噂では、単にアイザックが帝国に弓を引くために大量破壊兵器を隠し持ってるとか、夜な夜な女を慰み者にしているとか、そういう醜聞ばかりだ。だから多分、彼が勇者召喚をしたことがバレたんじゃないかと思ったのだが……

 

「それも一つの理由じゃろう。じゃがそれだけではない。帝国はメアリーを捕らえようとしている。儂はそれを阻止したいだけじゃ」

「もしかして……爺さんは、俺たちがどこから来たのか知っていたのか?」

「まあな。じゃが、お主らがこの世界でどう生きようと、儂はそれを留め立てするつもりは毛頭ないぞ」

「そうか……」

 

 鳳は少し考えてみた。城に忍び込んで何をやりたかったのか……彼の目的は、昔の仲間達に脱走の手引をすること。そしてメアリーに会うことだった。会って、どうして彼女が自分の幼馴染とそっくりなのか、率直なことを聞いてみたいと、そう思っていただけだった。だから彼女のことを連れ出そうとか、そんなことは考えてもなかったのだが……

 

 もしそれが可能だと言うなら、それは魅力的な提案に思えた。今、この城は大軍に囲まれて、恐らく数日も経たず落城するのは必至だろう。その後、あの謎の空間に閉じ込められていた彼女がどうなってしまうのか……それは鳳も気がかりだったのだ。

 

 老人が、彼女のことを助けたいというのならそれも悪くないかも知れない。問題は、彼が信用のおける人物かどうかだが……ギヨームやギルド長たちが彼の部下だと言うのなら、信じるのはそれほど悪い賭けでもないと鳳は思った。

 

「わかったよ。じゃあ一緒にいこうぜ、爺さん」

「もとよりそのつもりじゃ。どうせこの先はお主らも初めてなのじゃろう?」

「ああ、そうだけど」

「ならばついてこい。儂が道案内しよう。その代わり、お主は儂をメアリーの元まで案内せよ。恐らく、あの空間に誰にも気づかれずに入り込めるのは、お主だけに違いない……」

「そうなのか?」

「身に覚えがあるのじゃろう?」

 

 言われてみれば確かにそうかも知れない。あの謎空間に迷い込んだのは、ただの偶然じゃない。不思議な光に導かれたからだった。恐らくあれは、今度も鳳のことを導いてくれるのではなかろうか?

 

 鳳が返事をすると、老人は満足げに頷いてから、枯井戸に偽装した隠し通路へと入っていった。その後をジャンヌ、鳳と続き、殿をギヨームが務めた。

 



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タイクーン

 枯井戸の中の隠し通路は地下まで続いており、何一つ光源のない状況では一寸先すら見えなかった。鳳たちはそんな真っ暗闇の中をジェンカを踊るように、前の人の肩を掴みながら進んでいた。

 

 あちこちからぴちゃんぴちゃんと地下水が滴る音が鳴り響き、時折頭上や首筋などに水滴が落ちる度に、心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいに驚いた。足元はぬかるんでいて気を抜いたら転んでしまいそうだった。思った以上に緊張しているのだろうか、息苦しく感じるのは、ここが狭い地下通路であるせいだけじゃなさそうだ。

 

 足元すら覚束ない鳳は、一歩進むにも相当勇気を持って足を踏み出さなければならなかったが、そんな状況にも関わらず先頭を進む大君(タイクーン)は、一度も立ち止まることもなく、ずんずん進み続けていた。その足取りの確かさはまるで周りが見えているかのようだった。

 

 もしかして魔法でも使ってるんじゃないかと疑っていたら、

 

「人間は目に見える情報に頼りやすいが、外部からの情報はただ視覚からのみ得ているわけではあるまい。例えばコウモリは自分の発した超音波によって空間把握をしている。目の見えぬ人物なら、暗闇を歩くことなど造作もない。人間もコウモリも同じように、神経を研ぎ澄ませれば、音だけで空間把握することは可能なわけじゃ」

「へえ、それじゃ爺さんは音だけで周囲の状況を確認していたのか。すげえな」

「音だけではないぞ。重力や肌に触れる風や、匂いなんかもそうじゃな。人間はその記憶を映像として脳に刻み込んでいる……と勘違いしておる。故に視覚情報に頼り切り、目に映るものが全てだと思いこんでいるものじゃが、実際には自然からより多くの情報を受けているものじゃ。その全てをありのまま受け入れれば、己の空間座標がポンと心の中に浮かび上がるように、自然と自分の立脚する、足場というものが固まってくるものじゃ。さすればもう迷うことなどない」

 

 なんじゃそりゃ、精神論か……?

 

「よくわからないけど……とにかく魔法じゃないんだな?」

「それはどうかのう。ある意味これこそが魔法と呼べるのかも知れぬぞ。例えばお主は160キロを超える豪速球を、針の穴を通すようなコントロールで投げられるか? 見ているものが今にも動き出しそうだと勘違いするほど、精巧な絵画を描く事が出来るか? 聞いただけで涙が溢れてくるような、そんな歌を作ることが出来るか? そしてそれらは、訓練だけで実現可能だと、本気でそう信じられるか?」

「いや、そう言われると……全然自信ないけど」

「儂ら人間は、割としょっちゅう奇跡を目撃しておるものじゃ。しかし、誰もそれが魔法だと思わない。何故か? 実は奴らは魔法使いかも知れんぞ。しかし、そう言ったら皆は笑うじゃろう。それはあり得ないと。彼らは努力したからあれが出来るようになったのであって、努力すれば大抵のことは出来るものだと……たった今、それを否定したばかりなのにのう」

 

 言われてみれば確かに。やってみなければわからないというのは優等生の答えだろうが、実際問題どんなに頑張っても、多分、鳳に160キロの豪速球は投げられないだろう。大人になってしまった今更だから投げられないんじゃなくて、きっと生まれたときからプロ野球選手になろうと努力していたとしても、投げられなかったんじゃなかろうか……

 

 だが、現実に160キロを投げる投手は存在するし、誰一人としてそれを魔法と呼ぶものはいない。しかし今、唐突に、鳳が160キロの球を投げたら、それは魔法と呼ばれるだろう。この差はなんだ。

 

 不可能を可能にしたものだけが魔法と呼ばれるなら、じゃあ現実の160キロ投手は、不可能を可能にしたとは言えないのだろうか。

 

「魔法とは存外そんなものかも知れぬ。人間は常識という枷に自分をはめ込もうとするが、魔法とはその埒外にあるものじゃ。それは決して手に入れることが出来ないように思えるが、現実にはそれに触れている者はいくらでもおる。自然をありのまま受け入れよ。目で見えることが全てと思うな。目が見えぬ者が耳を研ぎ澄ますように、可能性は既に、手が届く範囲に転がっているのかも知れぬぞ」

「なんか禅問答みたいなことを言う爺さんだな……」

 

 鳳が更に話を続けようとしていると、すぐ後ろを歩いていたギヨームが彼の肩を叩きながら、

 

「おしゃべりはそこまでだ、そろそろ、城の地下に到達したみたいだぞ」

 

 その言葉にハッとなって目を凝らしてみると、進行方向の先がほんの少し見えるような気がした。恐らく、出口から漏れる城の灯りのせいだろう。鳳は口をつぐむと、黙って老人の後に続いた。

 

 やがて出口が近づいてくると、鳳にもはっきりと地面が見えるようになった。四角く縁取りされた隠し扉の向こう側から、城の光が漏れ出していた。到着するや、一番うしろを歩いていたギヨームが先頭に躍り出て、壁に耳を当てたり手で触ったりして、慎重に扉周辺を調べ始める。恐らく、罠がないか調べているのだろう。

 

 やがて満足したギヨームが壁をトントンと叩くと、四角く縁取られていた扉がくるりと回転して、向こう側の景色が飛び込んできた。

 

 そこは城の内部、謁見の間や鳳たちがいた居住区などがある西館の地下だった。どうやら武器庫になっているらしく、火薬と埃の入り混じったツンとした空気が鼻を突いた。しかし今は、戦争のせいで部屋の中の武器は軒並み運び出された後らしく、殺風景な空間が広がっていた。

 

 鳳たちはそんな武器庫の端っこの、こんなの誰が着るんだ? ……と言いたくなるような、分厚い鉄板のプレートメイルが飾ってある裏側に出た。多分、使いみちがないから、隠し扉のカモフラージュとしてふさわしかったのだろう。

 

 そんなことを考えながら、先に出ていたジャンヌに引っ張られるようにして武器庫の中に這い出ると、先行偵察で既に部屋の出入り口辺りまで行っていたギヨームが人差し指を立てて、静かにしろというジェスチャーを見せた。すると部屋の外から、

 

 コツ……コツ……

 

 っと、誰かの足音が聞こえてきた。恐らく、見回りの兵士だろう。現在、この城は厳戒体制中である。見つかったら大騒ぎになるからと、鳳は息を止めてその足音が遠ざかるのを待ったが……その時、

 

 ぴゅいぴゅいぴゅい……ぴゅーい……

 

 っと、突然、大君が口笛を吹き始めた。呆気にとられた鳳がびっくりして、

 

「お、おい! 爺さ……」

 

 老人を止めようとした瞬間、血相を変えたギヨームが飛びかかってきて彼の口を塞ぎ、ついでにすぐ隣にいたジャンヌに羽交い締めにされた。どうしてこっちを止めるんだと、モガモガと言葉にならない抗議をしていると、コツコツという足音はどんどんこの部屋に近づいてくる。そして、

 

 バタンッ!!

 

 と、音が鳴って、部屋の扉が開かれた。揃いの鎧を来た衛兵が二人、扉を開けて中に入ってくる。それでも老人はその場に立ち尽くし、ぴゅいぴゅいと口笛を吹いていた。扉を開けて、いきなりそんなのが立っていたら、すぐに見咎められるはずだ。

 

 ところが、兵士たちは部屋の中に入ってくると、口笛を吹く老人の横を素通りして、部屋の奥までキョロキョロしながら進んでいき……途中、羽交い締めされている鳳のことも、確実にその視界に捕らえていたというのに、結局、彼らのことを全く無視して、そのまま部屋から出ていってしまった。

 

 パタリと音がしてドアが閉じる。瞬間、羽交い締めにしていたジャンヌの腕が弱まり、鳳はハアハアと止めていた息を吸い込んだ。

 

「どういうこっちゃ? どうして、あいつら、俺たちに気づかなかったんだ? まるで何も見えなかったかのように……」

「実際、何も見えなかったのよ。今のは認識阻害(インビジブル)共振魔法(レゾナンス)の一種よ」

「今のが!? 訓練所で習ったのと全然違うぞ? もっとこう、あーあーあーって発声練習とかしたんだけど……」

 

 すると口笛を吹いていた大君が愉快そうに笑い、

 

「楽器を使う者もおれば、歌を歌うのもいる。つまるところ、魔法が発動すればいいのじゃ。実際の現代魔法に型はない。そんなことをしておったら、戦闘では使えんからのう」

「そ、そうだったのか……」

「方法は千差万別、自分のやり方は自分で見つけるしかないのう。まあ、切っ掛けくらいは与えてやれるから、訓練所ではそういうやり方をしておるのじゃろう」

 

 彼はそう言うと、まるで自分の家にいるかのように、自由に城を歩き始めた。

 

 先頭を行く老人の後を歩いていれば、すれ違う城の衛兵たちがまるで何も無かったかのように素通りしていく。中には勘のいいのもいて、一瞬だけこちらの方をじっと見つめるような素振りを見せるのもいたが、すぐに思い直したように首を振るとどこかへ行ってしまった。察するに、どうやら見えていないわけではなく、文字通り認識が阻害されているようである。

 

 例えば人間は雑踏の中を歩いている時、そこにどんな人物がいるとか、何人いたとか、まるで気にならないものである。そこにいるのが当たり前と思えば意識してそれを見ることはない。記憶に残らなければ、いてもいなくても同じことだ。

 

 ただし、この魔法は一人ひとりにしか効果がなく、

 

「一度に大勢はかけられんから、そういう時はこうするんじゃ」

 

 城の中央の大広間までやってくると、大君は持っていた杖の石突きをコツンと地面に当てた。すると水面に波紋が広がっていくかのように、空気の断層みたいな透明の線が、大広間全体に広がっていった。そして一瞬だけ重苦しい空気が辺りに充満したかと思うと、突然、広場に居た全ての人々がピタリと行動を止めて動かなくなった。まるで時間が止まってしまったかのようである。

 

「ほれ、急げ、長くはもたんぞ」

 

 彼の言葉に従って四人は大広場を突っ切り、鏡の間まで駆け込んだ。次の瞬間、暗闇でフッとロウソクに息を吹きかけるように一瞬だけ目の前が真っ暗になったかと思うと、背後からまた喧騒が聞こえてきて、場面が切り替わるように何事もなく周囲の時間が動き出した。

 

「人間の思考とは突き詰めれば電子の流れじゃから、それをせき止めてしまえばこの通りじゃ。奴らは自分達の時間が一瞬止まっていたことに気づけぬ。スタンクラウドという古代呪文(スペル)があるじゃろう? あの応用じゃ。やり方さえわかれば、誰にでも出来る」

「そんなこと出来るのは爺さんだけだよ」

 

 ギヨームが呆れるような表情でぼやいた。この老人、只者ではないとは思っていたが、これまでの奇跡の数々に鳳は舌を巻いた。もしかして、自分達などいなくても、この老人なら一人でメアリーのところまで行けたのではないか?

 

「もし足手まといなら、言ってくれれば外で待っていたのに」

 

 鳳がため息交じりにそう言うと、

 

「儂ではあの子のいる空間にはいけないと言ったじゃろう。もし、城主の目を盗んであそこまでたどり着けるとしたらお主だけじゃ」

「あ、そうか」

「道案内は任せたぞ。ここから先、どっちへ行けば良いのか?」

「それなら、こっちだ」

 

 鳳はそう言うと、みんなを導くように先を急いだ。行き先は鳳たちが最初にこの世界にやってきた地下室……ではなく、その先にある牢屋である。以前、鳳は無人の城の中で光にあそこへと誘われた。だから考えられるのはそこしかないと思ってのことだったが……

 

 鏡の間を抜け、兵士たちの詰め所を通り過ぎ地下へ降りると、それまで行き交う人々でバタバタしていた城内が一気に静かになった。この区画はやはり犯罪者などを収容する施設なのだろうか、今の状況では用がないため、誰も近づかないようである。きっと牢屋に入っていた者も、恩赦で外へ逃れたのだろう。

 

 鳳は記憶を頼りに、そんな無人の牢屋の一つの前までやってくると、

 

「確かここだ。この奥の壁が、隠し通路になっていたんだ」

 

 そう言って指差すと、早速とばかりにギヨームが中に入っていって壁をペタペタと触り始めた。最初は慎重だった手付きが、段々と雑になってくる。

 

「おい、本当にここか? 何もないみたいだが」

「え? そんなはずは……もしかして、間違えたのかも。見た目はみんな同じだし、他の牢も探してみよう」

「いや、恐らくここで間違いないじゃろう。精霊もそう言っておる」

 

 鳳が別の牢を見に行こうとすると、大君がそう言って止めた。案内した本人が自信が無いと言っているのに、どうしてそう言い切れるのだろうか。精霊が言っているとはどういう意味なのかと尋ねると、

 

「感覚の問題じゃ。ここに霊的な痕跡がある。魔術の残滓と言っても良い。何かあるのは間違いないのう」

「しかし爺さん、俺には何も見つけられなかったぜ?」

 

 ギヨームが非難がましくそう言うと、大君は分かってると言わんばかりに頷きながら、

 

「それは物理的な方法で閉じられておるのではないからじゃろう。きっと、ここを抜けるには鍵のようなものが必要なんじゃ。お主、何か心当たりはないかの?」

「鍵……あ、もしかして」

 

 あの折り鶴ではないだろうか……鳳がそう思った瞬間だった。

 

 バサバサ……っと、音がして、見れば彼の足元に数枚の千代紙が落ちていた。あの謎空間で目覚めた時に手にしていた折り紙で、ギヨームと魔法について話していた時も一度出したことがあった。あれからどうやっても出すことが出来なかったそれが、今、何枚も地面に転がっている。

 

 唖然とする鳳の横から、ひょいっと大君が屈んで地面に落ちたそれを一枚拾い上げた。彼はためつすがめつそれを眺めてから……

 

「ふむ……これはお主が造り出したのか。物質としてかなり安定しておるな……これを虚空から生み出すとは、儂などよりお主のほうがよっぽど化け物ではないか」

「そんなこと言われても……それって凄いのか?」

 

 すると老人はその自覚も無かったのかと言いたげな非難がましい目つきで、

 

「この世の物質は全て、突き詰めればエネルギーの塊じゃ。これは1グラムにも満たない紙きれとは言え、生成するためのエネルギーは莫大じゃ。それをお主は一体どこから出してきたと言うのかのう」

「いや、そんなこと言ったらギヨームの方が凄いじゃないか。あいつはピストルを作り出すぞ」

「しかし用が済んだら消えるじゃろう。お主のこれは消えん」

 

 言われてみれば確かに。痩せても枯れても現代人、鳳はなんだか自分がとんでもないことをしでかしているような気がしてきた。彼は落ちていた別の紙を拾い上げると、どうして消えないのだろうかと冷や汗を垂らした。

 

 いきなり爆発したりしないだろうな? そんなことを考えているとギヨームが、

 

「なあ、俺には何が凄いかさっぱりだが、そろそろ先に進まねえか? ここも城の中には代わりねえ、いつまでもゆっくりはしてらんないぜ」

「そうじゃった……どれ、この紙を壁に当てればよいのか?」

 

 大君はそう言って紙をペタペタと壁に擦りつける。

 

「そうじゃない。これはこうして……」

 

 鳳が地面にしゃがんで折り鶴を折って見せると、それを上から見ていた大君が珍しいものを見たと愉快そうに笑いながら言った。

 

「それは紙を折って動物を形作っておるのか」

「ああ、これは鶴だよ。見たことある?」

「ある……しかし、日本人とは本当に面白いことを考えるのう。利休や北斎のような稀有な人材が時折現れ、驚かしてくれる」

「へえ、爺さん、千利休なんて知ってるの?」

「知っている。会ったこともあるぞ」

 

 何を言ってるんだこの爺さんは……もしかしてボケちゃったのか? と鳳は思ったが、考えても見ればおかしな話である。利休も北斎も、鳳たちがいた世界の歴史上の人物である。こっちの世界の人間が知るはずがない。

 

 思い返せばこの老人からは、この城の持ち主が、アイザック・ニュートンであったことも聞いていた……もしかして、この老人も放浪者(バガボンド)なのだろうか?

 

 鳳がそのことを尋ねようとした時だった。

 

「あ、おい!」

 

 ギヨームの声に呼応するかのように、突然、鳳が折ったばかりの折り鶴が光を発し始めた。

 

 驚いたことにそれは翼を広げ、パタパタと羽ばたき始めたかと思えば、そのまま目の前の壁の中へと飛び去ってしまった。そうして光る折り鶴が消えた先には、四角くくり抜かれた形の光の扉が残されていた。それは以前、この場所で鳳が見たものと同じだった。

 

「これ、私が白ちゃんに呼び出された時にも現れたものだわ」

 

 ジャンヌがそう付け加える。メアリーの住む大きな木の下でアイザックに襲われた時、鳳は無我夢中でジャンヌに話しかけた。彼はその後、ポータルを使ってあの空間に現れたわけだが、その時に使ったポータルがどうやら目の前のそれであるようだ。

 

「どうやら、ここで間違いなかったようだな」

 

 ギヨームはそう言うと、立ち上がって光の扉を調べ始めた。手を触れると、指が壁の向こう側に突き抜ける。彼はびっくりして一旦その指を引っ込めたが、すぐに気を取り直すと、再度腕をその先に突っ込んでみせ、

 

「通り抜けられるようだな……一体どうなってんだ、これ。迷宮(ラビリンス)みたいなものか?」

「行こう、この先でメアリーが待っておる」

 

 その光の仕組みに首を捻っているギヨームの横で、大君がそう宣言した。鳳たちはお互いに頷きあうと、その光る扉を抜けて先に進んだ。

 



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脱出

 光の扉を抜けた先には、見上げるほど巨大な一本のリンゴの木が立っていた。その中間には小さな小屋が、麓は広場になっていて、そこにウッドテーブルと家庭菜園が見える。以前は城の裏庭に続いていたはずが、今回はいきなりメアリーの住むツリーハウスの目の前に出てきてしまい、鳳は少々面食らった。

 

 だが、思い返してみれば、あの時は城の裏ステージみたいな不思議な空間から移動したはずだから、今回とはまた条件が違った。ここがどこにあるのか分からないが、城の外に陣取る帝国軍が発する威嚇射撃や鬨の声は聞こえてくるから、これらの空間がどんな風に繋がってるのかは、多分考えるだけ無駄だろう。

 

 ウッドテーブルではランプが灯っており、その仄暗い明かりがテーブルの上に並べられていた料理を照らしていた。さっきまで食事をしていたのだろうか? 冷え切ったシチューと食べかけのパンが転がっている。見れば料理皿は二組あり、もしかしてアイザックと鉢合わせてしまったかと警戒したが、幸い周囲にはもう彼の姿は認められなかった。

 

 緊張を解いて広場の中ほどに進んでいくと、頭上のツリーハウスからゴソゴソと誰かが動く気配がした。

 

「誰かいるの……?」

 

 鳳たち4人が近づいていくと、ツリーハウスからひょっこりとメアリーが顔を覗かせた。二つ結びの金色の髪の毛が、まるでシルクのように重力によってサラサラと滑り落ちる。その神秘的な紫の瞳は、この暗がりでは真っ黒に見えた。ぼーっと浮かぶ白い顔は緊張感からか強張っており、もし彼女と知らずに突然出くわしてしまったら幽霊と見間違えたかも知れない。

 

「俺だ、メアリー。鳳白だ。覚えているか?」

 

 鳳は彼女の姿を確かめると、はしごの下まで駆け寄って声をかけた。

 

 覚えているか? と聞いてはみるが、会ったのはたった一度きり、あれから三ヶ月も経っているのであまり期待できないと思っていたが、

 

「あー! ツクモだツクモだ!」

 

 メアリーは木の下にいるのが鳳であるとすぐ気がつくと、強張っていた表情をほころばせ嬉しそうに、ハシゴを使わずぴょんと飛び降りてきた。そしていきなり飛び降りて来てびっくりしている鳳の胸に飛び込むと、背中に手を回してギュッと彼のことを抱きしめた。

 

「また会えたわね。今日はどうしたの?」

 

 彼女はそう言って、彼を見上げながら、これ以上ないくらいの笑顔を見せた。

 

「良かった。俺のこと覚えててくれたようだな。忘れてたらどうしようかと」

「当たり前よ。つい最近のことじゃない。そんなに物忘れはひどくないわ」

 

 どうやら、メアリーは鳳のことをはっきりと覚えていたらしい。それにしても懐きすぎなのは、彼女の日常がそれくらい刺激に乏しいからだろう。三ヶ月と言えば鳳からしてみれば結構な時間に思えるが、考えても見れば、彼女はこの中に300年も閉じ込められているのだ。ほんのついさっきと言っても過言ではない。

 

 しかし相手が小学生みたいだとは言え、好きになった相手と同じ顔をした少女である。鳳はほんのりと顔を赤らめながら、彼女の視線から逃れるように顔を背けた。するとそんな二人の密着具合に嫉妬するようにジャンヌが二人の間に割って入ると、

 

「もうっ、女の子がはしたないわよ。離れなさいっ!」

 

 っと言って、メアリーのことを引き剥がした。するとメアリーはそんなジャンヌのことを見て、怯えるような目つきに戻ると、鳳の背中に隠れながら、

 

「あ、あの時の怖い人も一緒だ……」

「誰が怖い人よっ! 失礼しちゃうわね」

 

 ジャンヌはプンプンと怒りながら、反射的にそう答えたが、すぐにあの時自分が何をしていたかを思い出し、

 

「ああ、そう言えばそうだったわね……でも、あの時は仕方なかったのよ。神人を倒さなきゃ、白ちゃんが殺されちゃいそうだったし……私も必死だったから」

「メアリー、このおじさんは顔は不気味だけど、怖いおじさんじゃないんだよ」

「誰が不気味よっ!」

 

 鳳がフォローになってないフォローを入れると、おっかなびっくりといった感じではあったが、メアリーはおずおずと彼の背中から出てきた。

 

「そ、そう……そうよね。ならいいんだけども……私もちょっとナーバスになってたから……きゃあっ!!」

 

 彼女がそう言って相好を崩した時だった。

 

 突然、遠くの方から、ドンッ!! っと大きな爆発音が響いてきた。鼓膜がビリビリと震え、腹の底から響くような振動が、ズンと体を突き上げた。

 

 すわ、攻撃が始まったのか!? とも思ったが、続けて聞こえてきた兵士たちの鬨の声がすぐに収まったところからすると、まだ戦端が開かれたわけではないようだ。恐らく威嚇射撃だろう。

 

 メアリーはその音に驚いて、まるで雷を怖がる子供のように耳を塞いで地面に座り込んだ。その怖がり方が尋常じゃないからどうしたのかと思ったら、彼女はしゃがんだままの姿勢で鳳の裾を引っ張りながら、

 

「ねえ……さっきから一体、外で何が起きてるの? 今日は朝からずっと大きな音が聞こえてくるけど……」

「君は何も聞かされてないのか?」

 

 メアリーはコクリと頷いた。鳳はチラリとウッドテーブルの食器に目をやった。食事は二人分……きっとさっきまでアイザックが居たんだろうに、彼は何も言わなかったのだろうか。その無神経さに腹が立った。

 

「アイザックはなんて?」

「特に何も……ちょっと城下でトラブルがあって大騒ぎになってるけど、演習みたいなものだって。ここにいれば安全だって……でも、そんなこと言いながら、すごく寂しそうな顔してたから、気になっちゃって……ツクモは何か知ってるの? きゃあっ!」

 

 話の途中でまた大きな音が鳴って、彼女は耳を塞いでうずくまった。彼女は怯えきった表情で、

 

「ねえ、もしかして……この城に魔王が攻めてきたのかな? だったら隠れなきゃ」

 

 そんなセリフをつぶやきながら真っ青になっていた。

 

 まさか、魔王なんているわけないのに、ここまで怯えてしまうのは、きっとこの空間から出られないせいだろう。考えても見れば、外の音だけが聞こえて、何が起きているのかわからないのはとんでもなく怖いことだ。

 

 鳳はすぐに彼女に何が起きているか話そうとした。しかし、外で戦争が起きようとしていると言いかけたところで、その言葉を飲み込んでしまった。ここから出れない彼女に、そんなことを言ってどうなるんだ? 余計に不安がらせるだけじゃないか。

 

 多分、アイザックもそう思って何も言えなかったのだろう。外の世界を知らない籠の鳥に、自由を教えて何になるのか。きっと彼女は外の話を聞く度に、その冒険に思いを馳せると共に、傷ついてもいたはずだ。鳳は歯がゆくて奥歯を噛み締めた。

 

 と、その時、メアリーはそんな鳳の背後にいる残りの二人を見ながら、

 

「ところで、そちらの二人は? さっきから見かけない顔だなって思ってたけど」

 

 メアリーがそう言って二人の方を指差すと、鳳が説明するよりも先に大君(タイクーン)が一歩踏み出し、彼女の目線の高さに合わせて腰を曲げると、

 

「久しいのう、メアリー。儂のことをまだ覚えておるか?」

「え……? だあれ、あんた……あたし、知らないわよ?」

 

 すると老人は少し残念そうな、それでいて穏やかな慈しむような表情で、

 

「覚えておらぬか。そうか……そうかも知れん。お主と最後に会ったのは、それはもう随分と昔の話じゃ。お主はまだ幼く、儂もまだフサフサじゃった。お主は儂のヒゲを気に入って、よくブチブチと引き抜いておった。お陰で暫く化膿して痛かったわい」

「そ、そうなの……? ごめんね。1年や2年前のことなら覚えてられるけど……」

「よいのじゃ。それよりもメアリーよ。お主は外の世界のことを知りたいと言ったが、その言葉に偽りはないか?」

 

 大君に突然そんなことを言われてメアリーは戸惑った。しかし彼女は確かに、外で何が起きているのか知りたかった。だから特に何の気もなくこう返した。

 

「ええ、もちろん知りたいわ。教えてくれるの?」

「いやそうではない」

 

 老人はそんな彼女に首を振ると、

 

「儂はお主に外の世界のことを教えに来たわけではない。実はお主のことを、外に連れ出しに来たのじゃ。昔、お主の父君に頼まれてのう……」

「え……? あたしのお父さんに??」

 

 メアリーは目をパチクリさせて、隣に佇んでいた鳳の顔をマジマジと見つめた。恐らく、それが嘘か本当か聞きたいのだろうが、鳳にはそれが分からない。肩を竦めてみせると、彼女は眉をひそめて複雑そうな顔をしながら、

 

「あたしはお父さんのことを何も知らないわ。あなたが知ってるというのなら、どういう人なのか聞かせて。今、何をしているの?」

 

 すると大君はほんの少し困ったような表情をしてから、

 

「死んだ……」

 

 と簡単に一言返した。

 

「そう……」

「だいぶ前の話じゃ。父君は、お主がここに閉じ込められていることを気に病んでおった。出来れば外に出してやりたいと。同時にヘルメス卿がお主をここに封じた理由も理解しておった。故に、儂に言ったのじゃよ。もし、お主が望むのであれば外に出してやれと……」

「本当に……外に出してくれるの?」

「ああ、もちろんじゃとも」

 

 大君がそう請け合うと、メアリーは一瞬だけパーッと瞳を輝かせた。だが、すぐにその表情が曇ったかと思うと、どこか後ろめたそうな顔をしながら、鳳、ジャンヌ、ついでにギヨームの顔色を窺うような目つきで見えてから、

 

「でも、勝手に出てっちゃっていいのかな? アイザックに何も言わずに行くのは悪い気がするわ」

「彼に言えば必ず止められるじゃろう。彼に言われて考えを改めるのであれば、ここに残るのが良いじゃろう」

 

 家督を継ぐということは、その意思を継ぐということだ。立場上、アイザックが彼女を自由にすることはないはずだ。

 

 大君の言葉にメアリーは眉根を寄せて押し黙った。きっと後ろめたいだけではなく、ここから出るということに不安も抱いているのだろう。彼女の視線が鳳の視線と交錯する。彼は何か切っ掛けになるような言葉を掛けてやりたかったが、すぐには何も思い浮かばなかった。

 

 と、その時、蚊帳の外だったギヨームが、

 

「おい、爺さん」

 

 と言って何かの袋を放り投げた。大君がそれを受け取り中を開けると、ズシリとした袋の中からジャラジャラと銀貨が転がり出てきた。

 

「テーブルの上に置いてあった。多分、路銀のつもりだろう」

「左様か……」

 

 メアリーは老人からその袋を受け取りながら、

 

「これは、アイザックが置いていったの……?」

「じゃろうな。ヘルメス卿は儂が来ることを、ある程度予見しておったのじゃろう……そして、お主が出ていくことも」

「そう……アイザックは、もうここには来ないつもりだったのね」

 

 鳳たちがここに来る前に、彼女はアイザックと一緒に居た。きっとその時、いつもとは様子が違うことに彼女も気づいていたのだろう。アイザックは外の様子を何一つ彼女に話さなかったようだが、これだけ盛大に色んな音が聞こえてきていては、何が起きているかは彼女だってある程度想像がついているだろう。

 

 鳳はなおも迷っているメアリーに向かって言った。

 

「いこう、メアリー。多分、次にここを訪れる者がいるとすれば、それはアイザックでも俺たちでもない。きっと魔王の手下に違いない」

 

 魔王じゃなくて、本当は外にいる帝国兵の誰かだろうが……彼女に危害を加えるだろうという点では、どちらも変わらないだろう。だから今、彼女を連れ出すしかないのだ。鳳は腹が決まった。彼女を助けたい、そう思った。

 

 彼がそう言うと、メアリーはほんの少し考えるような素振りをしてから、

 

「……わかったわ。多分、もうここにいるのは危険なのね」

「そうかもな」

「なら、私を外に連れてって。本当は……ずっと外の世界に憧れてたの」

 

 彼女のその言葉を待っていたかのように、老人は手にした杖を高々と掲げると、まるで天の神様に向かって祈祷を捧げているかのように、厳かな声で高らかに宣言した。

 

「理非曲直。理は有限、時は無限。永劫回帰。始まりは終わり、終わりは始まり。マイトレーヤよ、我は願う、永劫の未来においてこの楔を断ち切り給え」

 

 その時……鳳たちのいる空間を、何かが通り過ぎた。

 

 水槽の中で断層のように泡が立ち上るように、地震が起きて津波が発生する時のように、あちら側とこちら側を分ける線のような何かが空間を走査していった。誰もがぼんやりと何も考えず沈黙を保っているとき、天使が通り過ぎたと形容することがあるが、そんな感覚が鳳たちの胸に去来し、それが過ぎ去った後には、彼らは根こそぎ体力を奪われたような虚無感に襲われた。

 

 目眩がして視界が暗転する。貧血にでもなってしまったのだろうか?

 

 まるで自分のじゃなくなったみたいに膝がガクガクし、よろめきながら何とか体勢を立て直すと、鳳はついさっきまでいた大きなりんごの木の下ではなく、薄暗い地下牢の中に立っていることに気がついた。

 

 無論、そこには見覚えがあった。メアリーに会うために開いた、あの光の扉があった牢屋だった。

 

 どうやら老人が何かをした瞬間、あの空間から元の場所に戻されたらしい。それも一瞬で。周囲を見渡すと、ジャンヌにギヨーム、老人、そしてメアリーが居た。

 

 老人は、彼女をあの場所から連れ出すことに成功したのだ。

 

「時間を無限に加速することで、結界が張られる以前の状態に戻したのじゃ。今はもう、あの空間に繋がる扉は存在しない」

 

 もう元には戻れないと聞いて、メアリーはほんの少し寂しそうな顔をした。

 

「そう……でも、仕方ないわね。本当は持ち出したい物もあったんだけど」

「それは申し訳ないのう。儂も少し気が急いていたようじゃ……」

 

 老人のその言葉はどうやら本当らしかった。どれくらい今回のチャンスを待ちわびていたか知らないが、それが成就した今、彼はほんの少しばかり気もそぞろになっていたようだ。

 

 牢屋の周辺はしんと静まり返って薄暗く、鳳たちは完全に油断していた。しかし、トラブルはそんな油断した時にこそ起こるものである。

 

「そこに誰かいるのか!?」

 

 鳳たちは元の牢屋に戻ってきた時、そこが城の中であることを完全に忘れて安心しきっていた。そんな弛緩した雰囲気の彼らに、何者かの誰何(すいか)の声がかけられる。

 

 本来なら敵の接近など許すはずもないギヨームは舌打ちすると、身を屈めて空中からピストルを生成した。老人は慌ててピュイピュイピュイっと口笛を吹き始める。

 

 だが、その術式が完成するより先に、鳳たちのいる場所に繋がる通路の先から人影がひょっこりと現れた。人影はまさかこんな場所に誰かが潜んでいるとは思いもよらなかったのか、ビクリと体を震わせ、腰に佩いた剣に手をやった。

 

 その瞬間……人影の機先を制するようにギヨームが飛び出したのだが、

 

「待って!」

 

 そんな彼を押し止めるように、ジャンヌが一瞬だけ早く彼の前に躍り出た。

 

 突然、進路を絶たれたギヨームがバランスを崩してたたらを踏む。

 

 カンカンカン!! っと盛大な足音が牢屋全体に響き渡って、老人の認識阻害の魔法は完全に無駄に終わってしまった。

 

 万事休す。人影の向こう側から、バタバタと数人の足音が近づいてくる。

 

「勇者様! どうかされましたか!?」

 

 見えない壁の向こう側から、兵士たちの声が聞こえてきた。

 

 しかし、鳳たちの前に現れた勇者と呼ばれた人影……カズヤはその声に答えるために振り返ると、

 

「なんでもない! ちょっと足を踏み外しただけだ」

「大丈夫ですか? 怪我はございませんか?」

「ああ、ありがとう。こっちは異常なしのようだ。お前達は引き続き、城内の警戒に当たれ!」

「かしこまりました」

 

 カズヤに命令された兵士たちはそう返事して去っていった。彼はその後姿を敬礼しながら見送った後、ゆっくりと鳳たちの方へと向き直った。

 

 目の前に、3か月前に別れてそれきりだった仲間がいる。久しぶりに再会した彼はどこか草臥れて見えたが……その顔つきは、精悍な大人のそれに変わっていた。

 



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別離

 メアリーとの再会を果たした鳳たちは、彼女を結界の外に連れ出すことに成功した。しかし、そうして結界から出てきた瞬間、気が緩んでいた彼らは運の悪いことに、城を巡回していたカズヤに見つかってしまった。

 

 このままでは騒ぎになる……と鳳たちは焦ったが、彼らを見つけたカズヤは慌てること無く、同じ巡回の兵士に異常がないと偽りを告げ、兵士たちを遠ざけてくれた。コツコツと兵士たちの足音が遠ざかっていく。その音がやがて聞こえなくなると、鳳は無意識に止めていた呼吸を一気に吐き出した。

 

 緊張が解けて、ジャンヌやギヨームが脱力したかのようにその場にへたり込む。同じく腰を抜かして地べたに座り込んでいた鳳は、そんな彼のことを穏やかな視線で見つめているカズヤに向かって言った。

 

「久しぶり……だな」

「ああ、久しぶり。三ヶ月ぶりか」

「どうしてた? AVIRLやリロイは?」

「元気だ。何とか連絡を取ろうとしたんだが、まさかそっちから忍び込んでくるとはな……驚いたよ」

「そうか。実は俺たちも連絡取ろうとして、何度かこの城に忍び込もうとしてたんだが……上手く行かなくてさ、こんなギリギリになっちまったよ」

「おいおい、発見したのが俺じゃなかったらやばかったぜ?」

「助かったよ……おまえ、なんか雰囲気が変わったな?」

 

 鳳がそう言うと、カズヤは一瞬だけ虚を突かれたようにキョトンとした表情を見せたが、すぐにまたどこか落ちついた大人びた顔に戻ると、

 

「そうか? 自分じゃわからないが……おまえはあんま変わらないな。ジャンヌの方は何か精悍な顔つきになったというか、見違えたけど」

「ほっとけ……ジャンヌは今冒険者をしてるんだよ」

「冒険者……?」

 

 その単語にカズヤが興味を示したと見たか、ジャンヌが鳳を押しのけるように、

 

「そうなの。この世界には冒険者ギルドがあったのよ。こちらはギルドのお仲間さんたちよ。実はそのことで、何度もあなた達と連絡を取ろうと試みていたのよ。ここから逃げても、外でもちゃんとやってけるから、だからあなた達ももうこんな城からは逃げ出して、一緒に冒険者をやらない?」

「そうか」

「あなただって、そういう冒険がしたかったんでしょう? 望めばそれが出来るのよ。魅力的だと思わない?」

「ふーん……」

 

 カズヤはあまり興味が無さそうだった。彼は一緒に逃げようと言うジャンヌとは、決して視線を合わそうとはせずに、生返事ばかりしていた。その態度からして、返事は期待できそうもない。それが分かるからか、城からの退去を勧めるジャンヌはより多弁になっていった。

 

 そんなジャンヌとは対象的に、カズヤは静かに佇んで、その必死な言葉には耳を貸さずに、背後にいる仲間のことを見回していた。そしてギヨーム、老人と来て、メアリーを見つけたところで、ふと、彼の視線が止まった。

 

「へえ、エミリアにそっくりだ……そうか。アイザックはこれを隠してたんだな」

 

 カズヤはそう言ってメアリーの顔をマジマジと見つめた。驚いた彼女が老人の背後に隠れる。会話の最中に突然出てきた呟きに、鳳はぎょっとした。どうしてその名前がカズヤの口から出てくるのか? そんな鳳の動揺に気づかず、彼は尚も独りごちた。

 

「いや、でも彼は俺たちの仲間(ソフィア)のことまでは知らないはずだ……じゃあ、どうして隠す必要があったんだ? エミリアとソフィアの関係性はこの世界では伝説でしかないのだし、その顔までは誰にも分からないはずなのに……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

 

 口角に泡を飛ばしながら、鳳は慌てて突っ込んだ。

 

「どうしておまえの口からエミリアの名前が出てくるんだ!? おまえはゲームの中のソフィアのことしか知らないはずだ。なのに、どうして俺の幼馴染の名前を……」

 

 するとカズヤは、はぁ~……っと長い溜め息を吐くと、鳳の真ん前まで歩いてきて立ち止まり、じっと彼の目を覗き込むように言った。

 

「やっぱりおまえ、覚えていないんだな……よく見ろ、飛鳥。いや、鳳白。俺の素顔を見ても、まだ思い出せないか? 実は俺たち、小中学と同じだったんだぜ?」

「え……!?」

 

 鳳は驚いてカズヤの顔をじっと観察してみた。考えても見れば、ゲームの中では毎日のように一緒だったのに、こうして彼の素顔を間近に見るのは初めてだった。鳳は彼に言われた通り、記憶の中を探ってみた。すると小学校の頃のゲーム仲間の中に、なんとなく、彼の面影がある少年がいたことを思い出した。確か名前は……

 

「おまえ、まさか……」

「ああ、お前とエミリアと、それから他の数人で、良く学校帰りにゲームして遊んでただろう」

「カズヤって……あのカズヤだったのか」

 

 鳳は唖然とした。カズヤなんてよくある名前だし、それが自分の知人だなんて思いもよらなかった。ネット上の付き合いは嘘みたいに希薄だとはよく言われるが、まさかこれまでずっと一緒に遊んでいた相手が、子供の頃もずっと一緒の幼馴染だったなんて……

 

 しかもどうやら、相手の方はそれを知っていながら黙っていたようなのだ。どうして一声掛けてくれなかったのか、鳳がそのことを非難がましく抗議しようと思ったら、それを制する格好でカズヤの方が先に謝罪の言葉を口にした。

 

「悪かったな、ずっと黙ってて」

「本当だよ。どうして言ってくれなかったんだ?」

「それは……」

 

 彼は鳳のその言葉にほんの少し口ごもると、バツが悪そうに視線を逸してから口を結び……暫く何か考え込んでいるのか、目に被さるように垂れた前髪を指で弄んでから、やがて何かを決心したように顔を上げると、

 

「悪かったな、鳳……」

「……なにが?」

「あっちの世界の最後の日のことだけどさ……ソフィアに嘘の待ち合わせ場所を教えて、おまえと会えなくしちまっただろう?」

「ああ、あれか。そんなのもう気にしてねえよ」

「おまえはそう言うかも知れないけど、俺はずっと気にしてたんだよ。本当は、あの時すぐに謝れば良かったんだけど、おまえは居なくなっちまうし、探しても見つからないし……こんな遅くなっちまったけど。本当に悪かった」

「いいさ」

 

 今更、彼を責める気にはならず、鳳はそう言って彼を許してやることにした。いくら彼を責めたところで、もうあの時は帰ってこないのだ。しかし、どうしてあんなことをしたんだろう。イタズラにしても度が過ぎていると思っていると……彼はもう一度バツが悪そうに頭を掻きながら、

 

「エミリアのことが好きだったんだよ……」

 

 と彼は言った。

 

「おまえが彼女を呼び出したことを知って、つい、魔が差しちまったんだ……悪いことしてるって自覚はあったし、本当は、あとでちゃんとフォローするつもりだったんだよ。でも、こんなことになっちまって、もう取り返しもつかないし……」

「……そうだったのか」

「本当にすまなかった」

 

 そう言って彼は頭を下げた。その姿が、なんだかとても余所余所しくて、他人みたいで切なかった。ずっと一緒にいたはずの仲間が、幼馴染がどっかに行ってしまったみたいで、鳳は慌てて彼に近寄ると、頭を上げてくれと促しながら、

 

「いつから気づいてたんだ?」

 

 自分のことが小中学の幼馴染だってことに、いつ気づいたのかと彼は尋ねてみた。カズヤは鳳に引き起こされながら申し訳無さそうに、

 

「……結構前から。おまえとゲームの中で再会したのはただの偶然だ。最初はデジャネイロ飛鳥が誰かなんて分からなかった。それが分かったのは、隣にソフィアが居たからだ。おまえもそうだろう? あの灼眼のソフィアって名前を見て、あ! こいつ、エミリアじゃないか? って、そう思ったんだろう」

 

 鳳は頷いた。

 

「ああ、その通りだ」

 

 何故なら、『灼眼のソフィア』というのは、小学生の頃のエミリアが考えた、TRPG用のキャラクターなのだ。当時、彼女が夢中になっていたラノベのキャラクターから名前を拝借し、普段は青い目をしてるが本気を出すと赤い目に変わるという、痛いロールプレイをしていた。ほにゃららの種族・吸血鬼は血を吸うと目が赤くなるという特徴があり、そのギミックを利用して、TRPGキャラと同じロールプレイをしていたのが、ソフィアだったのだ。

 

 鳳は、風のうわさでエミリアがほにゃららをやっていると聞いて、ゲームにログインしてからすぐに、灼眼のソフィアというキャラクターを見つけた。そして彼女がジャンヌの作ったギルド、荒ぶるペンギンの団に所属していることを知り、近づいた。

 

「俺も同じだったんだよ。サーバー内でソフィアを見かけて、もしかして? って思ってギルドに入って、そこでおまえを見つけたんだ。最初は誰か分からなかったけど、ソフィアに対する態度や、二人の会話からすぐに気づいた。あれ? こいつ、鳳じゃないかって……おまえは隠してたつもりだろうけど、お前がソフィアに対する態度ってバレバレだったからさ。

 

 すぐに正体を明かせばよかったんだろうけど……おまえら仲が良かったから、なんか疎外感を感じてさ。時間が経つにつれてどんどん言い出しづらくなってそれっきり……そして最終日、おまえがソフィアを呼び出したことを、当の本人から聞いちゃってさ……それで……」

 

「そう……だったのか……」

 

「すまなかった」

 

 カズヤはそう言って遠くを見つめた。その視線の先はすぐに地下牢の分厚い壁にぶつかってしまって、きっとその目には何も映っていなかったろうが、しかし彼の目には見えないあちら側の世界が見えているのだろう……そんな気にさせる目だった。

 

 彼は下唇を噛み、それを後悔していることを告げながら、

 

「本当は、言わないほうが良かったのかも知れない。でも、おまえと会うのもこれで最後になるかも知れないと思ったら、やっぱ言っておいた方がいいかなって……」

「最後だなんて、寂しいこと言わないでちょうだい……!」

 

 たまらずジャンヌが叫び声を上げるが、潜伏中のいま、そんなことが許されるはずもなく、すぐにギヨームによって口を封じられた。涙目のジャンヌがもがもがと尚も何かを訴えかけている。

 

 鳳はそんな彼に代わって、

 

「なあカズヤ、ジャンヌの言うとおりだ。おまえならこの世界で楽しくやっていける。ヤバい橋を渡るくらいなら、一緒に逃げちまおうぜ? 俺ならもう気にしてないから、絶対、そうした方がいいよ」

「それは出来ない」

「どうして? アイザックに義理立てする必要なんかもないんだぞ。おまえは知らないだろうが、実はあいつは俺のことを殺そうとしてたんだ。召喚したのは失敗だったって。その召喚だって、実は誰かの命を犠牲にして行われた儀式だったんだ。俺はこの城の地下で無残に殺された人たちの死体を見た。だから、アイザックは俺を殺そうとしたんだよ」

 

 鳳としてはこの話はカズヤを改心させる切り札のつもりだった。しかし、彼はそれを聞いても表情をほとんど変えずに微笑を浮かべると、

 

「そのことなら知ってるよ」

「え?」

「アイザックが、俺たちを利用しようとしているだけだってことも……」

「だったら……!」

「まあ、聞けよ。おまえらが外の世界でよろしくやっていたこの三ヶ月、俺たちだって何もしてなかったわけじゃない、色々と調べていたんだよ。特に、俺たちは本当に勇者なのかってことをさ……」

 

 城に残った仲間たちの日常は、充てがわれた女を抱くこと以外は比較的自由だったようである。そんな中で、彼らは自分達のレベルを上げたり、抱いた女とデートしたり、色々していたようだが……やがてそれに飽きた彼らは、自分達のことを調べ始めた。

 

「始めのうちはとっかえひっかえ女が抱けることを喜んでいたんだよ、でもそのうち、心から俺に抱かれたがってる女なんていないことに気づいた。中には、親に命令されてイヤイヤ俺のとこに来た女もいた。そういうのを抱かずに帰しても、それはそれで問題が起きても困るから、一晩中泣いてる女の隣で寝たりしてさ……

 

 そんなことを続けていたら、思うわけよ。こいつらは俺が勇者だから抱かれている。俺が勇者じゃなかったら何もやらせちゃくれない。相手は俺じゃなくても誰だっていいんだ。いや、そもそも、俺は本当に勇者なのか? って……

 

 そうやって考えてみると、おかしいじゃねえか。俺もおまえも、元の世界じゃ取り立てて凄い人間じゃない。特に選ばれてこっちの世界に来るような理由はない。すると、最初はお気楽な成り上がり小説みたいだなって思って、気にも留めなかったことがどんどん気になってくる。俺がこの世界に呼び出された理由ってのを探したくなる。

 

 おあつらえ向きに、この世界にはエミリアやソフィアの名前がちらほら聞こえてくる。ああ、これだなって……きっと俺が呼び出された理由は、これを調べていくうちに見つかるんじゃないか。そう思って調べ始めてみたら、すぐに勇者召喚についての噂に行き当たったんだよ。

 

 帝国には元々、勇者召喚の噂があったんだ。実は皇帝はこの300年間、何度も勇者召喚を試しては失敗していたんだよ。当たり前だよな? もし成功したら、アイザックが言う通り、絶滅しようとしている神人を救うことが出来るんだから、やらないわけがない。

 

 でもそれは全部失敗だった。呼び出した勇者は全部、俺たちと同じように能力は高かったけど、普通の人間だった。彼らが子孫を残しても、神人は産まれてこなかったんだよ。

 

 つまり……俺たちも同じ運命を辿るんだろう……

 

 そうやって調べ始めてみたら、矛盾がいくつも見つかったよ。勇者召喚の方法ってのもすぐにわかった。勇者召喚には、必ず犠牲が必要だったんだ。それも神人か、勇者の子孫である必要がある。俺たちを呼び出した時に使った生贄もそうだったんじゃないか?」

 

 カズヤの言葉に戸惑っていると、それを聞いていた老人が黙って頷いた。そう言えば、消えた五人は勇者領の重鎮たち……勇者の子孫だったはずだ。

 

「だから俺たちは、ある日アイザックを捕まえて問いただしたんだ。そしたら、あいつはあっさりとそれを認めた。俺たちは怒った。どうして嘘を吐いていたんだって? 理由は単純明快だった。そうしなきゃ体制が保てないくらい、現在の勇者派が弱くなっていたからだったんだ」

 

 その話なら以前にも老人から聞いていた。実は、犠牲になった五人は勇者派から守旧派へ鞍替えしようとしていた商人達で、ここを通したら勇者領はヘルメス領から離れ、アイザックは孤立してしまうところだったらしい。

 

 それで彼は五人を殺し……その隠蔽のためにメアリーのいる結界に死体を隠した。それから駄目で元々だと思いつつ勇者召喚を行ってみたのだろう。その証拠に、鳳たちがこの世界に呼び出された時、周囲には誰も居らず、兵士たちが泡を食って集まってきたくらいだ。それが真相だったのだ……

 

 鳳は頭を振りながら言った。

 

「そこまで分かってるなら、尚更、義理立てする必要なんてないだろう。アイザックは俺たちの能力を利用しようとしただけだったんだ。女をあてがったのは、ここから逃げ出さないよう、自分達の言うことを聞かせるようにするためだったんだろう。ならもういいじゃないか。さっさとこのヤバい城からは逃げ出して、俺たちと面白おかしい異世界ライフを始めようぜ?」

 

 するとカズヤは乾いた笑い声をあげながら、

 

「あはは、だから駄目なんだって」

「どうして!?」

「……子供が生まれるんだよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が変わったような、重苦しい沈黙が流れた。鳳は絶句して何も言えなくなり、代わりにジャンヌがなにかを言いかけたのだが、結局、何も言えずに口をつぐんだ。

 

 カズヤはそんな二人の態度を見て、バツが悪そうにほっぺたをポリポリしながら、

 

「そりゃ、やることやってりゃそうなるわな……あの日、初めてを俺たちに捧げた神人の女達は、俺たちのことを勇者だと本気で信じてるんだ……他にも、俺たちに身を任せて妊娠した女が大勢いる。でも俺たちは勇者じゃない。生まれてくる子供たちも、きっと普通の子供だろう。母親は、苦労するだろう……なのにさ……もし、子供が大きくなった時、父親が逃げたと知ったらどう思うだろうか?」

 

 それはアイザックが悪いんだから……そう言いかけた言葉を鳳は飲み込んだ。そんなことを言って何になると言うんだ。きっと大きくなったら子供たちだって事情を汲み取ることは出来るだろう。だが、それで父親を恨まずにいられるとは限らない。

 

 カズヤはどこか他人事のように素っ気なく言った。

 

「……ぶっちゃけ、この世界に来たときから、ろくな死に方はしないと思ってたんだよ。こんな物語みたいな世界なんて、ありえないって……その通りだな。ここは現代じゃない。コンビニもない、テレビもない、入ってくる情報が少なすぎる。生きていても不自由だし、苦労も多い。力を使えば、恨みも買う……俺たちは無邪気に力を振るい過ぎた。

 

 でも、だからって死を恐れて何もしなければ、あっちの世界で燻っていた日々とどこが違うんだ? 逃げ出して、どこかで隠れて暮らすよりも、これはこれでいい人生だったんじゃないかって、俺はそう思うんだよ。

 

 なあ、おまえにも分かるだろう?」

 

「わからねえよ」

 

 鳳は反射的にそう答えたが、本当はその気持ちが少し分かる気がした。

 

 人生に意味なんてない。やりたいことやって生きていける人間なんて、ごく一部の恵まれた人だけだ。目標があるとすれば、それは普通に生きていくことだけで、みんなどこか諦めながら暮らしている。そんなのより、いっそパーッと花火みたいに、戦って散っていくのも、それはそれでありなんじゃないか……

 

 彼に分かっていることは、今逃げ出せば、確実に後悔することだけだった。

 

「多分、俺は死ぬだろうが、生きながらに死ぬよりは、ずっといい人生だったと思うよ」

 

 カズヤがそう独りごちた時、

 

「カズヤ様! どちらにおられますか、カズヤ様!」

 

 彼を呼ぶ兵士の声が聞こえてきた。カズヤはその声に返事をしてから、

 

「どうやら、おしゃべりしすぎたようだな。そろそろ戻らなきゃ兵士たちが動揺する。本当なら、おまえらを安全なとこまで送っていってやりたいとこなんだが……」

「それなら平気だ。入ってきた時の隠し通路がある」

「ふーん、そうか……一応、その場所を聞いても構わないか? 警備上の問題があるから」

 

 鳳が老人の方を振り返ると、彼は黙って首肯した。カズヤはそんな場所があったのかと関心しながらメモを取り、改めて鳳とジャンヌの方に向き直ると、

 

「それじゃ、俺は行くよ……AVRILとリロイになにか伝言あるか?」

「もし、彼らが逃げるっていうなら、私のとこへ来てって伝えてちょうだい。全力でサポートするわ」

「ああ、確かに伝えよう」

 

 カズヤはどこか清々しい表情で請け合った。きっといくら言っても、もはや彼の決意を覆すことは出来ないだろう。

 

 カズヤは鳳の顔をまっすぐ見ている。幼馴染のその大人びた表情を前に、鳳はこれ以上決意を鈍らせるような事を言うのは蛇足だろうと思い、当たり障りのない、いつものような軽口を叩いた。

 

「そうだな。リロイには、退くこと覚えろカスって伝えてくれ。あと、AVIRLにおまえの名前なんて読むの? って」

「いまさらかよ」

 

 カズヤはそう言いながら、声を一切立てずに笑った。ヒューヒューと、おかしそうに、息を吸い込む音だけが響いている。鳳はそんな彼をぼんやりと眺めながら、とてもいい笑顔だなあと、その顔を心に刻み込んだ。

 

 それから彼らは短い別れの挨拶を交わした後、二手に分かれてその場から離れた。先にカズヤが行って兵士たちをひきつけ、そのすきに鳳たちが地下牢から抜け出た。

 

 城の中は相変わらず兵士でごった返していたが、老人の魔法のお陰で見咎められることは無かった。一行はあっさりと城から抜け出すと、東の空が明るくなる前に、急いで城から離れた。

 

 早朝の城下町はしんと静まり返っていて、とても戦争が起きるような気配は感じられなかった。しかし、嵐の前の静けさとはこういうものを言うのだろう。やがて日が昇るや否や、城下を取り囲む10万の大群が一斉に声を上げると、ヘルメス卿の居城をめぐる戦闘が始まった。それは後の歴史家に、勇者派の敗北を決定づけた最後の戦いであったと言われている。

 

 戦争は早朝に始まり、それから三日三晩断続的に続けられた。帝国軍は搦手を使うことなく、ヘルメス卿に籠城も許さず、大群を活かした正攻法で押し切るつもりのようだった。迎え撃つ勇者派は市街地での奇襲を軸に、城からの遠距離攻撃を中心に応戦した。やはり籠城側の抵抗が激しく、戦闘は間もなく膠着状態に陥ったが、勇者派は徐々に劣勢に立たされていった。その理由は単純明快、数が違いすぎたのだ。

 

 そんな中、三倍する敵を前に敢然と立ち向かう者たちがいた。その三人は居並ぶ大軍を物ともせずに蹴散らすと、一時は帝国軍が城外に撤退せざるを得なくなるほどの、古今無双の活躍を見せた。あまりの強さに神人ではないか? と噂されたが、それが人間であったことが帝国軍の混乱に拍車をかけた。

 

 そして帝国軍の神人に犠牲者が出たことから、一時期は休戦が検討されるまでに至ったのだが……逆にその犠牲が帝国軍に火をつけたらしい。一転して攻勢に出た帝国軍が、もはや犠牲を恐れずなりふり構わぬ攻撃をし始めると、多勢に無勢の勇者派は前線を支えきれず、ついに無類の活躍を見せていた一角が崩れると、あとは一方的だった。

 

 最後まで抵抗を見せていた勇者たちは、一人、また一人と倒れ、ついに帝国軍は城門にたどり着き、あっけなくヘルメス卿の居城は陥落。将として兵を率いていた者たちの死体が晒される中、首謀者アイザックは落ち延びたらしい。多分、鳳たちが通った抜け道を使ったのだろう。

 

 カズヤに、その抜け道のことを教えておいたのは、良かったのか悪かったのか……そんな状況下、帝国軍は、城に最も近い場所にあった宿場町にも、当然攻撃を仕掛けてきた。鳳たちは仲間が戦死したショックを未だに引きずっている中で、大軍を相手に一世一代の大博打を打たねばならなかったのである。

 



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軍師

 ヘルメス卿の居城は燃えていた。あの白く美しかった城は煤で真っ黒く覆われ、ところどころ剥がれ落ちた外壁と、大砲で空けられた穴とで、見るも無残なものだった。城を最後まで守っていた近衛兵たちは、かつて練兵場と呼ばれた広場に集められ、容赦なく処刑されていった。悲鳴が轟き血しぶきが舞う。いくつもの頭が転がり、賽の河原みたいに積み上げられていた。

 

 あまりの凄惨な光景に耐えきれず、新兵が練兵場の隅で胃の中身をぶちまけている。帝国軍総司令官ヴァルトシュタインはそれを見ながら忌々しそうに舌打ちした。死んだのは敵兵だけじゃない。味方も大勢死んだのだ。おまけに、ここまで犠牲を払ったにも関わらず、敵の総大将ヘルメス卿に逃げられたのは痛恨だった。

 

 勇者派との最終戦争から、かれこれ数十年。平和に慣れ親しみ過ぎて戦乱を忘れてしまった将兵に代わって、帝国軍総司令官として抜擢された彼は、大勢の神人を従えて行軍していた。しかし神人はプライドが高く、その上全員がヴァルトシュタインよりも爵位が高いせいで言うことを聞かず、いざ決戦となった時、まともな戦力として機能しなかったのだ。

 

 あの役立たずの神人どもは人間を見下しきっていて、いくら人間を倒しても誉れにならないなどと言い、戦おうとしないのだ。本陣が脅かされたことで渋々腰を上げたはいいものの、散々文句を言った挙句の果てにその人間に殺されているのだから始末に負えないだろう。お陰でヘルメス卿との市街戦は、農民出身の新兵を中心に戦わねばならなくなり、おまけに神人が殺られたせいで士気が下がりきっていて、幾度も潰走させられた。

 

 相手も寄せ集めの農兵が多かったことと、何よりも彼我の兵力差でどうにか押し切ることが出来たが、何度も本陣を脅かされてヴァルトシュタインも生きた心地がしなかった。なにか一つでも歯車が噛み合わなかったら、彼も今頃戦死を遂げていたかも知れない。終わりよければ全てよしなんて言えっこない。正に薄氷の勝利だった。

 

 それにしても勇者と呼ばれていたあの三人の戦士……あれは凄かった。

 

 尋常でない能力の持ち主であることもさることながら、何というか、戦い慣れていた。

 

 実は今回の戦争は、彼らの抹殺がその使命の一つであったのだが……帝国情報部の話では、対神人用に異世界から勇者召喚されたという彼らは、ここぞという場面で本当にその神人を破り、帝国軍の動揺を誘った。

 

 勇者召喚とは、放浪者(バガボンド)を無理やり呼び出す儀式のことのようだが……彼らは人間であるにも関わらず、神技にそっくりな魔法を操り、驚き戸惑っている神人を次々と屠っていったのだ。

 

 もしこのような人材を自由に呼び出せるのだとしたら、確かに、戦争を起こしてでも食い止めねばならないだろう。

 

 一人は激戦地に飛び込んでいくや、銃弾の雨あられを物ともせずに獅子奮迅の活躍をし、一人はどこからともなく現れては、こちらの指揮官クラスを的確に暗殺していく……そして最後の一人は、なんと魔法レベル5のライトニングボルトを連発するのだ。人間が古代呪文を使うなんて聞いたこともなければ、その魔法の威力たるや、あの神人すらも一撃で焼き殺すのである。こんな連中にどうやったら勝てるというのか?

 

 ところが、寄せ集めでは到底太刀打ちできないと思った彼らも、軍師の勧めで銀製の武器を使ってみたら、思わぬ形でその一角が崩れ、一人が死んだらあとはあっけないものだった。

 

 その直前までは、死を恐れない敵だと評していたはずの彼らが、たった一人の仲間が死んだだけで動揺し、突然崩れるのだから分からないものである。一体、彼らは何者だったのだろうか……?

 

 ともあれ、今回の戦争の目的は一応達成したが被害は甚大、ヘルメス卿にも逃げられ、戦果は最悪としか言えない。自分を売り込むつもりで引き受けた戦だったが……これでは帝国に帰っても芳しい評価は得られないだろう。忸怩たる思いだ。

 

 幸い、今回の戦でいくらかの知己を得た。これらの戦力を結集して、またどこかで一旗揚げられればいいのだが……

 

「伝令! 総司令官殿にご報告申し上げます!」

 

 そんな取らぬ狸の皮算用をしていると、彼のもとに一人の伝令の兵士が駆け込んできた。ヴァルトシュタインが不機嫌と見て取ったか、兵士は彼と目を合わさないように、わざとらしく気をつけをして空を見上げていた。

 

「なんだ?」

 

 ヴァルトシュタインが不機嫌を隠そうとせずに短く答えると、伝令の兵士はさっと敬礼をしてから、

 

「はっ! 現在周辺を警戒中の警備部隊によりますと、ここより10キロ先、近隣の街を落としにいった分隊が、街を占拠する難民から思わぬ抵抗を受けており、未だ落とせず苦戦しているとのことです! 分隊指揮官がおっしゃるには、落城まで今暫くかかりますが増援は無用とのことであります!」

「これ以上俺に恥をかかせるなよ……」

 

 彼が忌々しそうに手近にあった石を蹴飛ばすと、伝令の顔の横あたりをかすめて飛んでいった。それでも彼は微動だにせず、直立不動の姿勢で相変わらず空を見上げていた。見上げた胆力である。

 

 ヴァルトシュタインはすれ違いざまにその彼の肩を叩き、

 

「ご苦労さん……おまえはここで待機していろ」

「はっ!」

「軍師殿! 軍師殿はいるかっ!!」

 

 彼は陰気臭い練兵場から出ると、瓦礫の山と化した城前広場まで歩いていった。落城後は、戦後処理のための本陣を置いていたのだが、その天幕の直ぐ側に、瓦礫で作ったベンチに腰掛けながら、独特の黒い茶器で茶を飲んでいる男がいた。

 

 傍らでは彼の黒い愛馬が草を食んでいる。ここは戦場のど真ん中だと言うのに、何故かこの一体の空気だけが一変して見えるのは、その男の持つ雰囲気のせいだろうか。

 

 ヴァルトシュタインが総司令官として軍勢を預けられた時、軍師……というか監視役としてつけられた男である。総司令官に声をかけられるとその男は手にしていた茶をぐいっと飲み干し、手早く茶器をしまうと、彼が近づいてくる前にベンチから立ち上がり、背筋をピンと伸ばした姿勢で、軽くお辞儀をしてみせた。その動きは緩慢で決して素早くはないのだが、見る者を少しも苛立たせないのは、きっとその流れるような一連の所作が洗練されて見えるからだろう。

 

 黒尽くめの服を来て、目も頭髪も真っ黒。年の頃は30半ばと比較的若いはずだが、異様に貫禄があるというか、迫力があるというか、落ち着き払っている姿は、老練の武術家を思わせ妙に近寄りがたい。噂では皇帝の相談役として、唯一、一対一で対面が許された『放浪者』であるそうだが……

 

 その性質から、恐らく中身は見た目通りの歳ではないのだろう。名前はなんと言ったか……確か、そう、利休宗易(りきゅうそうえき)

 

「軍師殿! よろしいか?」

「……あちらの街のことですかな」

「話が早くて助かるよ。それを落としに行った馬鹿が、未だに手間取っているらしい。増援は要らんと言っているそうだが、現場を見なければ話にならんよ。大体、足りんから苦戦してるんだろう。これからひとっ走りするから、ついてきてくれないか」

「御意に」

 

 軍師と呼ばれた男……利休は愛馬の手綱を引いて、ヴァルトシュタインのあとをついていった。

 

*********************************

 

 城からほど近く、峠に樫の大木があり、だいたい街との中間点にあるその小高い丘の上に、側近の兵隊およそ100騎を引き連れたヴァルトシュタインが現れた。隣には黒鹿毛の愛馬にまたがった利休がおり、彼らは馬上から遠くに見える街の様子を観察していた。

 

 街の広さはおよそ10町歩、外周1キロ強といった範囲に、トタン屋根のバラック小屋がすし詰めにされている。中には長い煙突が伸びている建物もあることから、鉄の精錬なども行われていたのだろう。ヘルメス卿の城下町とは対象的に薄汚い街だった。

 

 遠目から臨む街の中には着の身着のままの難民たちがひしめき合い、かなりの人数があの中で立ち往生しているようだった。恐らく、戦争が始まるや否や逃げ出した近隣の住人が、森を前にして行き場を失い、あそこに集まったのだろう。

 

 人数は目測で1万くらいだろうか。対する帝国軍分隊は3千と、人数の上では負けているが、ろくな装備もない難民相手に苦戦するような数ではない。

 

 街の周囲は、恐らく外壁を引っ剥がして作った即席の木の防壁で覆われており、その前方には比較的浅い塹壕が掘られていた。防備らしい防備は他には見当たらず、何故あんなものに手こずっているのかと首を捻っていると、その街の方から数騎の兵隊が飛んできて、ヴァルトシュタインの前に滑り込んできた。

 

「こここ、これは司令官様! このようなみすぼらしい場所に何の御用向きで!?」

 

 彼の前に、片目で出っ歯の小太りな男が揉み手をしながら現れた。

 

 盗賊上がりの傭兵隊長で、連れている兵隊の質はそこそこだった。ただし、始めから略奪を目的として従軍しているのは明白だったので、重用する気にはなれなかったのだが……決戦前、周辺の街を無力化しておいたほうが良いと具申してきたので、汚い仕事は薄汚い連中にやらせておけばいいと任せてみたのが、この有様である。

 

 ヴァルトシュタインはギリギリと歯をむき出しにしながら怒鳴り散らした。

 

「おい! いつまで手こずってるんだ!? お前、大口を叩いた割には、たかがあれしきの街一つ落とせないのか!!?」

 

 未だ何一つ戦果を挙げられていない彼は青ざめながら言い訳の言葉を口にした。

 

「ももも、申し訳ございません! 私も必死にやっているのですが、敵の反撃が思ったよりも堅固で。おまけに、街の中に潜んでいた神人が大暴れしていて、中々近づけないのです」

「言い訳は聞きたくない! おまえは俺に周囲の脅威は全て自分が払ってみせると言ったんだ! なのに、おまえは未だにこんなところでお遊戯してやがる。見ろ! おまえがまごついている間に、本体の方はとっくに片付いているんだぞ!? つまりおまえは、俺たちの背後を守ると言いながら、何一つ役に立っていなかったんだ! これは軍法会議もんだよなあ!?」

 

 総司令官が当たり散らすと、彼の部下たちが分隊長を取り囲むように馬を進めた。その迫力に圧迫された分隊長は冷や汗を垂らしながら土下座の格好で地面に這いつくばる。

 

「なにとぞ! なにとぞ、お許しを~!!」

 

 その哀れな姿を見下ろしながら、ヴァルトシュタインはチッと舌打ちをした。プライドがあるならこんな真似は絶対に出来ない。これが出来るから、こ汚い連中というのは始末に負えないのだ。生き残るためにプライドをかなぐり捨てられては、こちらはもう何も出来ないではないか。

 

 彼は腹立たしげにぼやいた。

 

「クソったれ……たかがこれしきの仕事も出来ずに、俺に尻拭いなんかさせやがって……大体、あんなのは手持ちの兵力で突撃してったら一発だろう? 何を躊躇してやがるんだ。防壁だってあんなに薄くて、軽く小突いたら倒れてしまいそうじゃねえか。塹壕も浅くて子供にだって乗り越えられる……なのにお前は何をやってる? あんなの、誰がどう見たって無防備じゃねえか……?」

 

 無防備……? ヴァルトシュタインは自分の言葉を反芻して、はたと気づいた。

 

 そうだ。いくらなんでも無防備すぎる。まるで突撃してくれと言ってるようなものじゃないか。塹壕は浅くてせいぜい3メートルくらい。街を取り巻く壁は薄くて、銃弾は突き抜けてしまう。あれじゃ視線を切るための遮蔽物にしかならないだろう。本当に、子供にだって簡単に乗り越えられるはずだ。

 

 だが、あそこに大群で押し寄せていったらどうなる? あの塹壕は、簡単によじ登れるが、駆け抜けられるほどには低くない。つまり、必ずあの前で渋滞を起こす……

 

「ありゃあ……ザルだな」

 

 ヴァルトシュタインがそうポツリと呟くと、もはや彼の言葉をオウムのように繰り返すしか出来なくなった分隊長が、

 

「おっしゃるとおりで。そうです、あんなのはザルです。すぐに、この私はどうにかしてみせましょう。だからどうか総司令官様、もう一度私に突撃命令を……」

「馬鹿野郎!!」

 

 ヴァルトシュタインが癇癪を起こしたように怒鳴り散らすと、分隊長はついに丸くなって縮こまった。その哀れな姿に周囲から失笑が漏れる。しかし、総司令官はそんな物などすでに目に映らなくなっていた。

 

 あの目の前に立ちはだかる壁は、文字通りザルだ。小さな粒なら簡単に通すが、大きな物は引っかかって通れない。人間で言えば、少人数ならすきを見てそれこそ子供でも突破できるが、軍隊は基本的に数十人という大人数で動く。すると、あの手前の塹壕で必ず足を止めねばならず、そこを狙い撃ちにされて近づけないのだ。

 

 あれは無防備に見えて、意外にも理にかなった備えなのだ。

 

「あれは惣構(そうがま)えですな」

 

 ヴァルトシュタインが街の周囲を取り巻く防壁を見て唸っていると、そんな彼の横に馬を寄せてきた軍師がそう発言した。

 

「……知ってるのか?」

「はい。あれは我が国独特の城郭であります故、大陸の方には馴染みがないのでしょう。総構え、総曲輪(くるわ)とも申します。我が祖国は山がちで平地が少なく、昔から山に依って戦う戦術が発達してきました。山の切り立った断崖の上に土塁を乗せ壁で囲う。こうすれば上から一方的に攻撃が出来ます。この陣地のことを(くるわ)と申しました。それが平和な時代が続くようになり、為政者が平地に降りてくると、だんだん形を変えてあのような構えになっていったのでございます」

 

 惣構えは利休の住んでいた堺の街が有名で、昔は街の外周を取り巻くように堀が張り巡らされていたが、織田信長が上洛すると埋められた。

 

「ふーん……そんなものがあると言うことは、あそこにあんたと同郷(バガボンド)がいるかも知れないわけだ」

 

 城の捕虜を尋問して聞いた話では、あの勇者と呼ばれる連中の一人が逃げ出したと言っていた。それにさっき、この分隊長は街の中で神人が一人大暴れしてるとも……

 

 つまり、あの中に、あの勇者と同格の人間がいるかも知れないというわけだ。

 

 ヴァルトシュタインは低い唸り声を上げた。

 

「攻めるのは簡単だ、数を揃えればいい。だが落とすのは容易ではない、必ず犠牲が出るだろう……そんな犠牲を払って手に入るのが、あのゴミ溜めみたいな街じゃあ割に合わねえよなあ」

「兵糧攻めはいかかでしょうか。見ての通り、あの街は多くの難民を抱えております。糧食もそう長くは持ちますまい。このまま街を包囲し、投降を呼びかけるのがよろしいかと……いや、その必要もなくなりましたか」

 

 軍師の言葉に促され、街の方を見ると、街の中心にある大きな建物の上で白旗が翻っていた。

 

「どうやら、先方は話し合いを所望のようですな」

「受けるべきか拒否するべきか……どう思う?」

「受容するのがよろしいかと」

 

 ヴァルトシュタインは溜め息を吐くと、

 

「城攻めでは虎の子の神人を失い、町の外じゃ難民に舐められる……踏んだり蹴ったりだな。俺のキャリアはボロボロだよ。受け入れよう。話し合いの席を設けろ」

 

 総司令官がそう命令すると、彼の子飼いの部下たちが忙しそうに散っていった。彼はその姿を見送ると、未だに地面に這いつくばってる分隊長の尻を蹴り上げ、

 

「命拾いしたな、おい」

 

 と言って、悔しそうに街を睨みつけた。

 



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休戦交渉

 銃声が轟き街のあちこちで喚声が上がった。銃弾が足りない、負傷者はこっちだ、怒号が飛び交い、ひっきりなしに衛生兵が駆けていく。みんな火薬の噴射のせいで顔の半分が真っ黒で、充血する目からはとめどなく涙が溢れていた。

 

 人々は街の外周に作った土塁の影に隠れ、街を取り巻く板塀の隙間から近づいてくる帝国兵に銃撃を浴びせかけていた。ここを抜かれたらもう後がない。殺るか、殺られるか、選択肢は二つに一つ。その事実が戦争を知らないただの難民たちを屈強な兵士に変えていた。背水の陣である。

 

 そんな目を血走らせた男たちに混じって、鳳も慣れないライフルを構えては、壁の向こう側にむけて当てずっぽうに引き金を引き続けていた。銃撃は向こうからも飛んでくるから、狙いなんてつけられるはずもない。だから殆ど当たらないだろうが、きっと何人かは鳳の銃撃によって死んだんじゃないかと思っていた。何しろ、彼の被る鉄兜だって、この数時間で何度も甲高い金属音を上げているからだ。もし、これを被って無ければ、鳳はこれまでに8度は死んでいた。

 

 だから鳳の放った銃弾も、きっと見知らぬ誰かに当たっていることだろう。だが人を殺したという実感は欠片もなかった。大勢の味方に囲まれて、無我夢中で撃ち続けていたら、そんなことを考える余裕もないのだ。剣や槍で戦っていたときよりも、銃が出来てからの方が、戦争はより凄惨になっていったと言うが、その理由が分かる気がした。

 

 鳳は弾を撃ち尽くしてしまったことに気づくと、前線を後続に譲って転げるように後退した。土塁を離れて安全なところまで来ると、思った以上に緊張していたらしく、膝がガクガクと震え地面に倒れそうになった。全身から汗が吹き出し、ゼエゼエと呼吸が乱れている。まさか異世界にまで来て戦争の真似事をやらされるとは思わなかった。

 

 ……いや、真似事ではない。まるで他人事のように感じるが、これはまさしく戦争だった。

 

 そっと手のひらを見る。血の染まるなんて言うが、実際には真っ黒で、火薬と埃と鉄の臭いしかしてこなかった。

 

 喉の乾きを覚えた彼は、水と弾薬を求めて街の中心部にある冒険者ギルドまでやってきた。今回の籠城戦の言い出しっぺが、幸か不幸かギルド長だったので、冒険者ギルドが本陣兼補給所になっていた。

 

 ギルドの両開きの扉をくぐると、中で忙しなく走り回っていたルーシーが彼のことを見つけて、

 

「あ、鳳くん! おかえりなさいっ!」

 

 と声をかけてきた。

 

 補給所にいた全員の目が一斉に彼に突き刺さる。人好きのする彼女は、どうやら既にこの街のナイチンゲールになっているようだ。名前を呼ばれただけの鳳に敵意を剥き出しの視線を向けてくるのもいるから、おまえら今戦争中なんだぞと叫びたくなった。

 

 鳳はそんな針のむしろのような視線を掻い潜り、店の奥のカウンターまでやってきた。普段はマスターが黙々とグラスを磨いている場所だが、今は補給物資の置き場になっている。

 

 彼はその中から弾薬と包帯、代えの手ぬぐいとMPポーションを取り出すと、その高純度結晶をハンマーでガンガンと叩き割り、粉状になった白い粉末を取り出した紙の上で一直線になるようにラインを引き、懐から取り出したストロー(麦わら)を鼻の穴に突っ込んでおもむろにそれを吸い込もうと深呼吸した時……

 

「シリアスな顔して何やってんだ、馬鹿野郎!」

 

 突然、後頭部を思いっきりぶっ叩かれて、鼻の穴に突っ込んでいたストローが奥に刺さり、鳳は吸い込もうとしていた息を強制的に吐き出させられた。

 

「げほごほげほげほ……ちょ!? これ、高いんだぞ!? いきなり、なにしてくれるんだよ、このスットコドッコイ!?」

「スットコドッコイはおめえだっつーの! みんな死ぬ気で戦ってる最中だっつーのに、おまえは何してやがんだ、このボケ!」

 

 鳳の背後にいつの間にか立っていたギヨームは、容赦なく彼の後頭部を連打した。痛い痛いと抗議しながら、鳳は頭を保護するように鉄兜を被る。

 

「そんなポンポン叩くなよ! 俺だって真面目にやってるよ。ここには補給に来ただけじゃないか」

「おめえには補給するようなMPなんかねえだろうが」

「別にMPが無くっても構わないじゃないか。ていうか、これが本来の使い方なんだぞ? 戦場で少しでも恐怖を和らげるようにって」

「知るか。とにかくこれは没収だ」

「横暴だ!」

「やかましい! おまえがこんなもんを広めちまうから……見ろ!」

 

 ギヨームは忌々しそうにギルド酒場に屯する歴戦の冒険者達を指差した。

 

 獣王ガルガンチュア……大森林の部族の長で、かつて勇者に救われた恩を忘れず、代々冒険者として勇者領に貢献している狼男。部族で一番強い者が獣王の名を受け継ぎ、同時に長になる。冒険者ギルドの最高ランク、A級冒険者の一人である。

 

 金剛力士サムソン。子供の頃から怪力と知られ、郷土相撲では無敗を誇った。人間でありながら、なんとSTR19、VIT19という伝説級の鋼の肉体を持ち、その強靭な膂力はあまねく人に知られている怪力無双の豪傑だったが、そんな彼もSTR23のジャンヌの登場にショックを受けているようである。

 

 指揮者スカーサハ。齢300歳を超える神人でありながら現代魔法を修得したという稀代の戦術家。神人らしからぬ好奇心旺盛な人物で、帝国を飛び出し、現在は新大陸で暮らしている。大君とは昔なじみで彼のことを師匠と呼んでいる。その縁で今回は彼の呼びかけに応えて、新大陸から馳せ参じた。

 

 その他、パン屋の倅とか、大工の息子とか、童貞とか、クソムシとか……冒険者の二つ名ってどうしてこんな酷いものばかりなんだろう……? と首を捻りたくなるような名前がずらりと並ぶが、そんな名前でもみんな百戦錬磨の強者ばかりだ。

 

 その冒険者ギルド自慢の強者達が今、補給所と化したギルド酒場で、鼻の穴にストローを突っ込みながら、

 

「あ~……キクキク。これキクよ~」「いいわー、これ。今までとぜんぜん違う」「マジ生き返るって感じ」「すっごい……こんなの初めて」「神よ……」

 

 どこか恍惚とした表情を浮かべながらMPポーションをキメていた。別にラリってるわけではない。いつもよりずっと回復が早いから、そのぶん充足感に満たされているからだろう。多分……

 

 ギヨームはそんな冒険者たちの姿を見ながら嘆かわしそうに、

 

「おまえのせいで、まるでギルドが阿片窟じゃねえか!?」

「いや~、自分でもまさかここまで評判になるとは思わなかった……照れるなあ」

「褒めてねえし!」

「でも、MP回復が必要な人が喜んでるのは確かだろ?」

「そりゃ確かにそうだけど……」

 

 どうしてこうなった……ギヨームは額に手を当ててヤレヤレと首を振っている。鳳はそんな彼が居る間はキメられそうもないと諦めて、ギヨームに飲み物を差し出しながら、話題を変えるように、

 

「ところで、城の様子はどうだった? 偵察に行ってきたんだろ」

「ん? ああ、そうだった……城の方は、まあ、大方の予想通り、全滅だ。他に言葉が見つからねえ」

 

 ギヨームは飲み物を受け取りながら、周りに聞かれないようにほんの少しトーンを下げて続けた。もし聞かれたら、士気が下がること請け合いだ。

 

「……城下町はどこもかしこも穴だらけで瓦礫の山だ。城は焼け落ちて真っ黒な煤で覆われていた。非戦闘員は街の外に作られた収容所に詰め込まれている。多分、奴隷送りだろう。でも生きているだけマシかもな。戦闘員の方は容赦なしって感じで、一箇所に集められて次々と首をハネられていた」

「そうか……」

「それから、おまえの仲間なんだけど……」

 

 ギヨームはチラリと鳳の表情を窺ってから、

 

「カズヤって言ったか? あの、城に忍び込んだ日に会ったやつだが……大罪人として晒されていた。一緒に並べられていたのが、恐らくおまえの仲間たちなんだと思うが」

「……二人いたか? トッチャン坊やと、オタクっぽいやつなんだけど」

「どうかな。多分そうだと思うが……」

「わかった。報告ありがとう」

 

 鳳は返事すると持っていたタンブラーをぐいっと傾けた。アルコールが胃に染み渡り、胸のもやもやを払ってくれる。ギヨームはそんな彼の顔を見ながら、

 

「意外と冷静だな。もっと取り乱すかと思ったんだが」

「全然冷静じゃないよ。ショックがデカすぎて実感が湧かないんじゃないかな。それに……相方が荒れてるからなあ……」

 

 戦闘が始まってからジャンヌは殆ど休みなく前線で戦い続けていた。この世界にやってきた始めの頃は、魔物を殺すのも躊躇していたはずの彼が、人間を相手に一切の躊躇を見せずに敵を斬り伏せ無力化していた。彼が通り過ぎた後には血しぶきが舞い、戦況は確実に一変する。

 

 その鬼神の如き戦いぶりは敵味方問わず惜しみない賛辞を送られていたが、彼の耳にはそんな言葉は届いていなかっただろう。何というか、まるで罰を受けているかのように彼は敵を殺し続けていた。きっと、仲間を助けに行けなかったという後悔が、彼を変えてしまったのだろう。

 

 この世界は殺るか殺られるか、甘いことを言っていたら殺されるだけだ。鳳は握りしめた自分のライフルを見つめながら、そう肝に銘じていた。

 

「あ、ギヨームさん、鳳さん」

 

 二人がカウンターで会話を続けていると、ギルド長の執務室へ続く裏口からミーティアがひょっこりと顔を出した。彼女は酒場の中に二人の姿を見つけると手招きし、

 

「見張り番が近くの丘に将校らしき身形の良い兵士の一団を発見しました。確認してみたところ、帝国軍の将兵で間違いないようです」

「それで?」

「ギルド長が白旗を上げて交渉を呼びかけてます。相手方からの攻撃が止んだので、恐らく応じてくるんじゃないかと」

「はぁ~……やっと終わったか」

 

 その言葉を聞いて、酒場に居合わせた人々から溜め息が漏れる。早速とばかりにみんなに知らせようと街に駆けていく者がいたが、ぬか喜びにならなければいいのだが……

 

 ミーティアはそんな人々を止めようとしたが、多分言っても無駄だろうと思い直し、鳳たちの方へ向き直ると、

 

「とりあえず、お二人にもギルド長の執務室に集まっててもらえませんか? 今後の方針を決める際に意見が欲しいと、大君もお呼びです」

「わかった、いこう」

「俺もいいの?」

 

 鳳が自分のことを指差しながら意外そうにそう言うと、ミーティアは何を当たり前なと言った感じに、

 

「鳳さんもジャンヌさんに負けず劣らず、今やこの街の顔じゃないですか。今回の作戦だって、お一人で考えられたんでしょう?」

「いや、俺は聞かれたから答えただけで、そんなことはないと思うけど……」

 

 鳳はそう言いかけたところで、今、謙遜したところで何にもならないと思い直し、素直に応じることにした。正直、相方のバーター感しかなかったが……

 

「ジャンヌも呼ばれてるの?」

「ええ」

「なら行くよ。戦闘が始まってから全然会ってないから、労ってやろう」

 

 彼はそう言うと、ギヨームと一緒にギルドの裏手へ続く扉をくぐった。

 

************************************

 

 ギルド長の執務室に入ると、その部屋の主が忙しそうに動き回っていた。たった今、敵が交渉に応じると伝えてきたので、責任者として会談に赴くところのようである。彼は入ってきた来訪者の中にミーティアの姿を見つけると、

 

「あ、ミーティア君。ちょうど良かった。君も来てくれ」

「げ……どうして私が?」

「一人で会談に臨むわけにもいくまい。かといって、冒険者を同行させるわけにもいかないから、職員である君が適任なんだよ」

「大君がいらっしゃるじゃないですか」

「逆だ、彼が出ていっては、かえって大事になってしまう。今回の件は、ここの冒険者ギルドが単独で起こしたことだと強調しなくちゃなんないんだよ」

「すまんのう、お嬢さん」

 

 その大君は鼻からMPポーションの高純度結晶を吸い込んで、フガフガ言っている。お年寄りのそんな姿を見るのは何だかショッキングだったが、それはMPを回復しているだけなのだから、勘違いしてはいけない。

 

「そんなあ~……もう勘弁してくださいよ。私、楽だからこの仕事に応募したんですよ?」

「世の中そんなに甘くないのだよ。私だってババを引かされたと嘆きたいところさ。覚悟を決めてついてきたまえ」

 

 哀れなミーティアはギルド長にズルズルと引きずられていった。鳳は合掌してそれを見送った。

 

 部屋に入ると先客が3人いた。そのうち二人は大君とメアリー、もう一人は指揮者スカーサハと呼ばれる神人だった。

 

 噂では大君の弟子だそうだが、何百年も生きた神人に師匠と呼ばせるのだから恐れ入る。現代魔法を教えたということなんだろうが、本当に謎の多い爺である。まさか愛人なんてことはないだろうな……とゲスな勘ぐりをしていたら、件の神人が近寄ってきて、

 

「あなたがツクモね。あの、改良型MPポーションを作ったという。素晴らしい! あれのお陰で、私達はMPの消費量を気にせずに戦うことが出来ました。もしあれが無かったら、今の勝利はあり得なかったはずだわ。正にマジック革命。あなたは街の救世主よ」

「ほら見ろ大絶賛じゃねえか」

 

 鳳がスカーサハの熱烈な歓迎を受けながらギヨームの方を睨みつけると、彼は明後日の方を向けて口笛を吹いていた。いやまあ、納得行かない気持ちもわからないではないのだが……

 

 続いて、戦闘中ずっと部屋の中で縮こまっていたメアリーが駆け寄ってきた。

 

「ツクモ。外はもう平気になった?」

 

 メアリーが震える声で尋ねてくる。どうやら戦闘が始まってから、ずっとこの部屋の中で耳を塞いでブルブル震えていたらしい。兵士たちの声に怯えて結界から外に出たはずが、その出た先でも戦争に怯えなくてならなかったのだから、彼女にしてみれば話が違うと言いたいところだろう。

 

「ああ。もう大丈夫だろう。これからギルド長が交渉しに行って、金を払えばそれで終わりだ」

「本当?」

「多分な。この街を潰すにはかなりの戦力が必要だって分かったろうし、向こうにももう戦う理由もないだろうから」

 

 鳳がメアリーにそう説明していると、部屋の扉がノックされて、外からジャンヌが入ってきた。並み居る冒険者ギルドの強者達を押しのけて、勲功第一の大活躍である。鳳はそれを労ってやろうと思い、手を上げて声をかけようとしたが、

 

「あ、白ちゃん……いたんだ」

 

 ジャンヌは部屋の中に鳳がいることに気づくと、一瞬だけビクッとしてから、気まずそうに視線を逸した。鳳は、なにか嫌われることでもしたかな? と思ったが、理由はそんな些細なことじゃないだろう。

 

 最前線で敵と戦い続けていたジャンヌは、鳳と違って手応えがはっきりと分かっているのだ。戦闘中はアドレナリン全開で無我夢中に戦ってればいいだろうが、一度落ち着いてしまえば、襲ってくるのは人を殺したという重苦しい事実だけだ。彼の気持ちを慮ると、下手な慰めの言葉は返って傷つけてしまうだろう。

 

 鳳が何も言えずにまごついていると、代わりにギヨームが近寄っていって、軽い労いの声をかけていた。こういう時、戦友がいればどれだけ心強いだろうか。この時、鳳はこの世界に来て最も自分の無能を恨んだ。こんなことで、そんな気持ちを味わわなければならないなんて、とても馬鹿げたことだ。

 

 それから暫く、部屋の中はしんと静まり返ってしまった。みんな何を話して良いのか分からず、ただ時間が過ぎていくのを待っているといった感じだった。

 

 交渉は上手くいっているのだろうか? 金だけじゃなくて、なにか他の要求をされるのだろうか? まさか戦闘再開なんてことはあるまい……

 

 話し合いたいことはいくらでもあったが、結局は交渉に行った二人が帰ってくるまで憶測を言い合っても仕方ないから、誰も口を開かなかった。

 

 そして小一時間の時が流れた。その間、執務室にあつまった面々は、重苦しい空気を紛らわせるように、時折思い出したかのように会話を交わしたが、身のある話は何も出てこなかった。

 

 やがて、そんな空気を引き裂くような大きな音を立てて扉が開き、ギルド長たちが戻ってきた。鳳たちは、ようやくこの重苦しい状況から解放されるとホッとしたが……それも束の間、帰ってきた二人の顔を見れば、どうやら交渉は芳しくない結果に終わったことを物語っているようだった。

 

 一体何があったのだろうか? 不穏な空気が場を支配する中で、ギヨームが代表して尋ねると、執務椅子にぐったりと体を預けたギルド長が、消耗した様子でこう言った。

 

「先方はこの街への攻撃を中止すると言っている。ただ、条件を出されて……」

「条件? どんな?」

「ああ、条件は二つ。一つ目は、ジャンヌ君……勇者の仲間である君を引き渡せというものだった。先方は……君がヘルメス卿の残党だと決めつけて、一歩も引かない構えだ」

 

 その場にいた全員の目が、一斉にジャンヌに向いた。彼は驚愕の表情を浮かべ、その場でヘナヘナと、力なくしゃがみ込んだ。

 



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俺は異世界に種馬として召喚されたはずが、いつの間にかゲイと駆け落ちしていた

 冒険者ギルドが中心となって挑んだ街の攻防戦は、敵軍の将軍が出てきてようやく休戦の運びとなった。鳳たちは、後は金さえ支払えば、この窮地を乗り切れると思っていたのだが……ところが、帝国軍との交渉に臨んだギルド長が帰ってきたところ、彼は苦々しげに相手方に二つの要求を突きつけられたと語った。

 

 一つ目は、ジャンヌの引き渡し。

 

 城下町での攻防戦で一騎当千の活躍を見せた勇者と呼ばれる異世界人。その一人がこの街に逃げ込んだという情報を掴んでいた帝国軍は、この街の攻防でも一際目を引く活躍をしていた彼を差し出せと要求してきたのだ。

 

 曰く、帝国の今回の挙兵は、世界平和を維持するために、ヘルメス卿がその野心により呼び出した違法な勇者召喚者を排除するためのものだった。故に、この残党が残っている限り、彼らがこの街から手を引くことはあり得ないというのだ。

 

 この時、ギルドの面々は初めてジャンヌの正体を知り、特に相棒として何度も一緒に依頼を受けていたギヨームは驚き、

 

「ジャンヌ……帝国軍が言ってることは本当なのか?」

 

 ジャンヌは苦しげに答えた。

 

「……絶滅の危機に瀕している神人を保護するため、勇者召喚をした。呼び出された日、ヘルメス卿はそう言っていたわ。私達はそれを無邪気に信じていたんだけど、話はそんな単純なものじゃなかったみたいよ」

「どうして隠してたんだ」

 

 ギルド長が不満げに言う。これには鳳が答えた。

 

「城に仲間が残っていたからです。あそこから出てくる時、アイザックは俺たちに城での出来事を口止めした……実際、今回の戦が勇者召喚にあるなら、俺たちが自分達の素性を吹聴していたら、戦争はもっと早まったかも知れない」

「うーむ……信じられない。勇者召喚なんておとぎ話じゃなかったのか?」

「いや、事実じゃ」

 

 大君が横から口を挟む。

 

「勇者召喚が禁断の秘術とされているのには理由がある。勇者を呼び出すための代償に、神人の生贄が必要だったんじゃ。故に、神人の長である皇帝がおいそれと勇者召喚するわけにはいかんかった。神人を助けるために、神人を犠牲にしておっては元も子もないからのう……もう1つ、生贄は勇者の子孫であっても構わない。今回、こやつらを呼び出す時に使われたのはそっちの方じゃな」

 

 勇者派の中枢が帝国に鞍替えしようとしていた。ヘルメス卿が凶行に及んだのは、それを止めようとしたからだ。しかし、それだけの大物が消えれば当然騒ぎになる。大君が探りに来たように、帝国も密偵を送りあの城を調べていたのだろう。そして帝国は、カズヤ達、異世界から召喚された勇者がいることに気がついた。

 

 鳳は悔しそうに唸り声を上げた。

 

 それじゃ今回の戦争は、鳳たちを殺そうとして始まったのか。たったそれだけのことで、これだけ多くの犠牲が生まれてしまったと思うと、いくらなんでもやりきれない。

 

「いや、開戦理由はそれだけではなかろう。どちらかと言えば、もう一つの方が肝心じゃ」

「もう一つ?」

「敵の突きつけてきた要求は二つあったのじゃろう?」

 

 大君がそう促すと、それまで深刻そうな表情で机を見つめていたギルド長がハッと我を取り戻して、

 

「そうでした、敵軍の要求はもう一つ……メアリー・スーの捜索と引き渡しです」

「やはりな」

 

 その要求が意外すぎてミーティアや指揮者、当の本人すらも目をパチクリさせて首をひねっていた。しかし、例の結界の存在を知っている鳳たちは、彼らがメアリーを引き渡せという理由が分かる気がした。何しろメアリーは300年前の英雄、初代アイザックが密かに匿っていた人物だ。

 

 大君はギルド長に向かって、

 

「それで、お主はご丁寧にメアリーがここにいることを教えてしまったのか?」

「御冗談を。そんな名前の人など知らないと、しらばっくれておきましたよ。かなりしつこく聞かれましたが、最終的に引いたところを見ると、敵はまだ彼女の行方を知らないようですな。私達に要求したのは、たまたまここにいたら儲けものだと……その程度のことじゃないかと思われます」

「そうか。それは重畳じゃった」

「……多分、知らんぷりしておいたほうがいいだろうと判断したのですが……それで一体、彼女は何者なんですか?」

 

 ギルド長がそう言うと、同じ疑問を持っていた鳳たちの視線が大君に集中した。彼はその浴びせかけられる視線を無視するように、手にしていた杖に顎を乗せながら、

 

「それを知れば面倒事に巻き込まれることになる。話せば長くなるし、お主らはまだ知らないほうが良い。今はそんなことをしている場合でも無いじゃろうて」

 

 大君がそう言うと、壁に寄りかかっていたギヨームが不快げな表情を隠そうともせずに、少々ドスの利いた声で、

 

「今更隠すこともねえだろ。巻き込まれるってんなら、こちとらとっくに巻き込まれてんだよ。まあ、爺さんが俺たちのことをどうしても信用出来ないってんなら仕方ねえが……どうなんだ、おい!?」

「やれやれ……」

 

 ギヨームの辛辣な言葉を受けて、鋭い視線が更に白髪の老人に集中した。大君は苦笑気味に溜息をつくと、喧嘩でも始まるのかとおっかなびっくり周りを見回していたメアリーの方をチラリと見てから、

 

「本人も知らぬから……本当なら、落ち着いてから話そうと思っておったのじゃが」

 

 彼はそう前置きすると、

 

「実は簡単な話なんじゃよ。メアリーは勇者の娘……その最後の生き残りじゃ」

 

 その事実は意外な物だった。大君が執拗に隠そうとした理由もうなずける。だが、一体どんなとんでもない秘密が飛び出してくるのかと思っていたギヨームにとっては、意外と大したことのない事実に思えた。もちろん、勇者の娘というのは凄いことではあるが……

 

「へえ! こいつ、勇者の子供だったのか……道理で、ヘルメス卿がコソコソ匿っていたわけだな。勇者派にとって、彼女はお姫様みたいなものか」

 

 ギヨームがそんな小学生並みの感想を述べるが、鳳はそんな風に無邪気に笑っては居られなかった。彼はまだ気づいていないのだ。勇者の娘という、その意味を。

 

「ギヨーム、これはそんな単純な話じゃないぞ」

「あん?」

「勇者の娘ってことは、あれだ……彼女は神人の子供を産む可能性がある」

「……ああ」

 

 ギヨームはその言葉がすぐには飲み込めず、一瞬だけポカンとした表情をしてみせたが、やがてその意味を理解すると、徐々に深刻な表情に変わっていき、

 

「そうか……こいつは、金の卵を産むガチョウってわけか」

 

 勇者の子供は全てが神人だった。鳳たちも、その勇者の能力を受け継いでいると言われていたが、それは嘘だった。

 

 だが、メアリーは本物だ。勇者の子供から生まれる子供……つまり勇者の孫は全てが神人ではなかったが、それでもかなりの数が生まれてきた。その条件は単純明快、勇者の子供は、伴侶の種族遺伝子を孫の世代に伝えるのだ。

 

 つまり、メアリーが神人と子供を作れば、それは必ず神人になる。

 

「帝国はその繁殖能力を恐れて、勇者の子孫を根絶やしにした。しかし、現実に神人が絶滅の危機に瀕している今、その能力は帝国こそが喉から手が出るほど欲しいのじゃ。対する勇者派は、今や勇者への恩は忘れ、経済的な利益だけを追求するようになっておる。帝国と敵対するよりも、交易相手として付き合ったほうがいいと考えるようになっていたわけじゃ」

 

 ここに双方の利害が一致した。

 

「ヘルメス国と勇者領は何しろ長い付き合いじゃ。上層部は婚姻関係を結ぶなど、家族ぐるみの付き合いをしておる。故に、勇者派の重鎮の一部は、メアリーの存在を知っておったのじゃよ。彼らはそれを手土産に帝国に近づいた。そして、その野心がバレているとも知らず、ヘルメス国に不用意に近づき殺された……」

 

 帝国は、約束をしていた勇者派の裏切り者たちが消え、代わりにヘルメス国に勇者が現れたことで、それをヘルメス卿の帝国に対する挑戦と捉え、今回の開戦となった。だが、その本当の目的は、メアリーを捕らえることだったのだ。

 

「そういうわけじゃ。帝国は、メアリーを引き渡せばそれで退くじゃろう。じゃが、儂にこの子を渡す気は毛頭ない。もし引き渡せば、この子がどうなるか、誰でも簡単に想像できるじゃろう?」

 

 恐らく彼女は帝国のどこかに幽閉されて、延々と好きでもない男たちに孕まされ続けることになるだろう。それも一回二回じゃ済まない。何しろ彼女は神人だ。何百年だって生き続けることが出来る。

 

 たかが、年間1人の神人を増やすためだけに、この幼馴染に似た少女がそんな酷い目に遭わされるなんて……

 

 鳳の中でチリチリと炎のような何かが燃えだした。炎は彼の内で燃え広がり、今や一つの大火となりつつあった。その炎は決して外に漏れることはなく、彼の内だけで燃え続けている。考えろ……考えろ……何か手はあるはずだ。

 

「なら……私が出頭するわ」

 

 その時、沈黙を破ってジャンヌがそう呟いた。何を言い出すのだろうか? と、ギルド長たちの視線が集まる中で、彼は苦渋に眉をひそめながら吐き捨てるように言った。

 

「相手の目的の一つが私なら、私が出ていけばそれで済むはずだわ。メアリーちゃんのことは向こうにだってまだ知らないわけだし、私を捕まえたことに満足して兵を退くはずよ……メアリーちゃんは、その後で、難民に混じってここから逃げ出せばいい」

「馬鹿を言え。おまえにだけババを引かせるなんてこと出来るかよ!?」

 

 ギヨームが不満たらたらに反対する。しかしジャンヌは彼の言葉を遮って、

 

「思い出して? この街は今、一万人以上の難民を匿っているのよ。私一人がごね続けている間も、彼らはずっと帝国軍の銃口に晒されている。もし交渉が決裂して戦闘再開なんてことになったら、今度こそ彼らの命の保証はないわ。なにせ、相手は10万人……寄せ集めとは言え、その全てが兵隊だっていうのに、こっちで戦えるのはせいぜい千人にも満たないわ。到底勝ち目なんかない。

 

 だったら……一万人を救うために、たった一人の犠牲で済むならそれを選ぶべきよ。本当は、私だって嫌よ。死ぬのは誰だって怖いわよ……でもね、もう疲れたのよ。この、不思議な世界に来て、最初はファンタジー最高なんて喜んでいたわ。でも今起きてるこれは何? どこかの誰かの思惑のために、勝手に呼び出されて、繁殖馬みたいに扱われて、仲間は惨殺され、挙句の果てに私は人殺しになった。

 

 何も楽しくない。来るんじゃなかったって後悔しかない。どこかの誰かの恨みを買ってまで、こんな世界で生きていたいとは思えないのよ。死んだほうがマシよ! ……ならいっそ、私の命なんかもうを差し出して、一万人の命を救った方がいいじゃない。それがきっと一番冴えたやり方だわ」

 

 そういうジャンヌの顔は青ざめて、本当に疲れ切っていた。目は落ちくぼみ充血していて、鼻の穴がピクピクと動いている。誰ともなく啖呵を切った声は弱々しく、殆ど生気が感じられない。どこか他人事みたいに響いていた。覚悟が決まっている……そんな感じだ。

 

 だが……それでいいのか? ジャンヌ一人が犠牲になることで、確かに1万人の命は救われるだろう。それで万事解決、全ての幕を引いてしまって……そんな終わり方でいいのか? カズヤたちみたいに、また目の前で友達が死んでいくのを、ただ黙ってみているだけで、本当にそんなんでいいのか?

 

 鳳はジャンヌの前に歩み寄ると、思いっきりグーで引っ叩いた。

 

「アホたれ」

 

 ガツンッ! っと乾いた音が部屋に鳴り響いて、すぐさまジャンヌの悲鳴が上がった。

 

「痛っ! いったあ~い~~!!」

「痛いもんか、このVITお化けめ」

 

 鳳はジンジンとする拳をさすりながら、涙目で彼のことを見上げているマッチョのおっさんのことを睨みつけた。

 

「おまえの悲壮な決意はわかったよ。だが先走るな。いいか? 俺たちは別に負けたわけじゃない。今はまだ交渉の最中なんだよ。おまえのそれはただの譲歩で、交渉じゃない。大体……相手がおまえのことを出せと言ってるのは、おまえが勇者だからじゃないぞ。単におまえが怖いからなんだよ」

「……え?」

「考えても見ろ? 敵はおまえのことを勇者だと言ってるが、どこにそんな証拠があるんだ? この話を持って帰ってきたギルド長でさえ、たった今知ったばかりなんだぞ」

「言われてみれば確かに」

 

 そのギルド長がポンと手を叩いた。鳳は苦々しげに続けた。

 

「敵は単にカマをかけてきただけなんだよ。おまえのことは滅法強いただの冒険者だって突っ張れば、それで通る話なんだ。要するに、敵は今この状況で、どのくらいこっちが消耗しているのか探ってるんだ。なのに、はいどうぞって勲功第一のおまえを差し出してみろ。こっちが相当弱気だと踏んで、相手は更に難癖つけてくるぞ」

 

 鳳が苛立たしげにそうまくしたてると、執務室に集まっていた人々は動揺してお互いに顔を見合わせた。彼の言ってることは妥当なのかどうか……そんな中、黙って彼の話を聞いていた指揮者スカーサハが、

 

「確かに、あなたの言うとおりね」

 

 と同意すると、一同はホッとした表情を見せた。鳳は悔しそうに、

 

「ちくしょう! 俺の意見じゃ不安なのかよ……」

「でも、ツクモ。そうしてジャンヌを差し出すことを拒んで交渉を続けたとしても、どこに落とし所を見つけるのかしら? なにせ、相手は10万よ。その気になれば話し合いなどせず、私達など一捻りに出来る。あまり交渉を長引かせすぎると、最悪の場合、力づくという結果を招いてしまうかも知れない」

「そうですね」

「なのに、ジャンヌは渡さない、メアリーはいないじゃ、向こうに引くメリットは何もないわ。冷たい言い方かも知れないけれど、ジャンヌを引き渡さずに済む方法があるかどうか、私にはわからないわ。もしかして、あなたに何かアイディアがあるのかしら?」

 

 すると鳳は二人のやり取りをぼんやりと見ていたギルド長に向かって、

 

「相手はジャンヌの引き渡しに応じれば兵を退くって言ってるんですね?」

「え!? ……ああ、そうだが」

「なら、引き渡しに応じよう」

 

 鳳の熱い手のひら返しに、堪らずギヨームがツッコミを入れる。

 

「おいこらっ! おまえ、さっきと言ってることが真逆じゃねえか!」

「まあ聞け」

 

 しかし、鳳はそんなギヨームを手で制すと、

 

「敵はこっちに勇者が居るか半信半疑だ。ジャンヌのことを疑っているが、確証はない。なら、こいつは正真正銘、本物の勇者だと教えてやれ。しかも、STR23の化け物で、その強さは城にいた連中の比ではないと言えば、敵はこれを絶対に無視出来なくなる」

「……それじゃ逆効果じゃないか?」

「寧ろそれが狙いだ。ここにあの化け物みたいな勇者の仲間が居ると知ったら、敵は驚いて他のことなんて考えられなくなるぞ。何しろ、皇帝に命じられた目標の一つなんだから、確実に排除しなければならない。なら、そいつを逆手にとって高く売りつけてやればいい。こっちがジャンヌという街の救世主を差し出す代わりに、帝国は何をしてくれるのか? じゃんじゃん譲歩を引き出してやれ」

 

 鳳はポカンとしているギルド長に向かって、

 

「最低でも、難民の安全保障、賠償金の減額、それからこの街での徴発の回避は絶対引き出して下さい。後はこちらの武装解除と引き換えに憲兵を要求しましょうか。大体、その辺を基本線にして、思いつく限り搾れるだけ搾り取ってやりましょう。相手は渋るかも知れませんが、無傷で勇者を捕まえることが出来るというなら、お安い御用だ」

「あ、ああ……やるだけやってみるが……しかし、鳳くん。それで実際にジャンヌ君を引き渡すことになったら、どうすりゃいいんだね?」

「そしたら街に火をつけます」

「はあ?」

 

 ギルド長は素っ頓狂な声を上げた。たった今、必死に守ろうとしていた街に、火をつける……? その場にいた全員が、気でも狂ったのかと言いたげに鳳のことを見つめていた。

 

 しかし、彼は自信満々に、

 

「街を守った英雄を引き渡すっていうんですからね、そりゃムカつきますよね? 中には、彼を助けようとする輩が出てくるかも知れない。つまり、俺です。ジャンヌも死にたくないから暴れます。

 

 何も知らない難民たちは、突然の大火に驚いて街から逃げ出すでしょう。すると、外にいる帝国兵はどうします? 今は交渉の最中で、手出しは無用と言われている。そんな相手から助けを求められたら……? 恐らく彼らは難民を保護するでしょう。

 

 そして一度守ると決めたら人間ってものはそう簡単に態度を覆すことはないんですよ。人間ってのは意外と名誉を重んじます。ついさっきまで、相手から略奪してやろうと思ってたはずなのにね。

 

 きっと彼らは騒ぎの中心になってる俺たちを制圧しようとするでしょう。英雄なんてとんでもない、あいつらは悪人だ。ぶっ殺せ。そして、俺たちはそのどさくさに紛れて逃げ出すって寸法です。これなら、ジャンヌを逃したのは帝国の責任でしょう? 街のせいじゃない」

 

 あっけらかんとそう言い放つ鳳に対して、一同は声を失っていた。彼はそんな人々の反応など見向きもせずに、

 

「問題はそうなった時、ジャンヌ一人で敵の包囲を突破できるかどうかだけど……どうせ死のうと思ってたんだ。もちろん、それくらいやれるよなあ?」

 

 鳳が煽るようにそう言ってジャンヌを見ると、彼は呆気にとられた様子で固まっていたが、すぐに気を取り直して笑顔を作り、

 

「もちろん、やれるわよ。人を殺すことに比べれば、造作もないことだわ」

 

 さっきまで悲壮感に満ちていた表情は、今は希望の色に染まっていた。

 

 そんな二人のやり取りを見ていた大君が二人の間に歩み出る。

 

「なら、儂も手伝おう。悪者も大勢のほうが様になろう」

「いいのか? 爺さん」

「敵の要求はメアリーもじゃ。儂らも一緒に行くのが筋じゃろうて」

 

 老人の服の裾を掴んでいたメアリーもおずおずと頷く。

 

「もちろん、俺も乗るぜ」

 

 とギヨームが続く。ジャンヌが慌てて、

 

「いいの? 一緒に来れば、きっとお尋ね者になるわよ?」

「大したことじゃねえよ。そんなことより、ここでお前らを見捨てることの方がよっぽど屈辱的だ」

 

 彼が加わり、悪巧みには5人が乗ることに決まった。鳳、ジャンヌ、ギヨーム、大君、そしてメアリー。ギルド長と指揮者が話し合い、そんな彼らをサポートすることを約束する。

 

 こうして一世一代の大博打が始まった。

 

 ジャンヌ一人を守るために、街を一つ犠牲にして、鳳たちはきっと世紀の大悪人として人々の記憶に残るだろう。冗談抜きで、一生お尋ね者になるかも知れない。こんな右も左もわからない異世界で、ただ生きていくだけでも困難だと言うのに、今度は更に追っ手までつくのだ。

 

 だが、きっとなんとかなるだろうと、誰一人として悲壮感の欠片も持ち合わせてはいなかった。それぞれの役割を果たすべく、そして彼らは動き出した。

 



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ガンスミスのお気に入り

 交渉は二日間に渡って続いた。交渉窓口を受け持つ冒険者ギルドの男は意外とタフなネゴシエーターで、当初、軽く脅しつければすぐに屈すると思っていた目論見が外れた。所詮は他人事のはずなのに、彼は街の解放に当たって難民たちを守る姿勢を一歩も崩さず、ついには交渉に当たっていた文官たちの尊敬を勝ち得ていた。

 

 帝国軍総司令官ヴァルトシュタインとしては、もうこんな面倒くさい街のことなど部下に任せて帰ってしまいたいところだったが、困ったことに、本当に勇者召喚者が街の中にいることが判明してしまい、引くに引けなくなってしまった。

 

 挙兵に当たって皇帝が下賜した命令は二つあったが、そのうちの一つが勇者の捕獲だったので、現場放棄をするわけにはいかなかったのだ。

 

 交渉人はそのことを知ってか知らずか、勇者を引き渡すに当たって難民の安全のみならず、その他諸々の条件をねじ込んできた。やれ、難民の財産を奪うなだの、賠償金を減額しろだの、街の徴発禁止だの、今後撤兵するまで帝国軍が街の治安維持をしろだの……

 

 普通なら一蹴してしまうところなのだが、条件として勇者を騙して引き渡してもいい、と言われると踏ん切りがつかなくなった。こんな街など一息で踏み潰してしまえるくらいの戦力はあるのだが、それで肝心の勇者に逃げられては元も子もない。一応、刺客を放ってもみたが、一瞬で発見されて逆に相手の交渉材料にされてしまった。この手のスタンドプレーこそ、冒険者の得意分野なのだ。それ以降は下手な小細工はせずに地道な交渉を続けていた。

 

 そして交渉が始まってから丸二日。長い時間をかけてようやく交渉はまとまった。結局、相手には最初の条件と、街の治安維持の約束をさせられた。それを例の傭兵隊長に命じたら、ポカンとして固まっていた。略奪に来たはずだったのが、逆にこの街を守れと言われるのだから、世の中わからないものである。

 

 ともあれ、これで冒険者ギルドの長は、勇者を裏切って差し出すことを約束したのだ。あの、街のために必死になっていた彼が嘘を吐くとは思えない。きっと今頃は勇者を騙してふん縛っている頃であろう。問題は、あれだけの大立ち回りを見せた勇者を、本当に冒険者ギルドだけで捕らえることが出来るかどうかだが……

 

 ヴァルトシュタインが街の外で気を揉んでいると……その時、街の中心部から爆発音と共に黒煙が上がった。

 

「なんだ? 何が起きた?」

 

 突然の出来事に戸惑っていると、勇者の引き渡しのために街中へ行っていた兵士の一人が大慌てで戻ってきて、

 

「申し上げます! 引き渡し予定だった敵兵が逃げました!」

「なんだって?」

 

 総司令官は白目を剥いた。しかしこれじゃ何がなんだかわからない。

 

「もっと分かりやすく話さんか! 何があったんだ!?」

「はっ! 敵交渉人はこちらとの約束通り、問題の戦士を捕らえて現れました。しかし、その引き渡しの最中に、それを快く思わない連中の襲撃を受けて問題の戦士が逃亡。それを追う兵士と現在交戦状態となっております!」

 

 その言葉を言い終わるや否や、街の中心部でさらなる爆発が、ドン! ドン! っと二発三発と次々続いた。あっという間に空は黒煙で覆われ、街の中から悲鳴が轟く。木造の家屋から火の手が上がると、防火の防の字も知らない街のあちこちに飛び火して、遠くからでもメラメラと炎が燃え盛っているのが見えるくらいだった。

 

 すると間もなく、突然の大火に驚いた難民たちが蜘蛛の子を散らすように街から飛び出してきた。みんな恐怖に戦いた表情を煤で真っ黒にして、中には火傷を負って目を血走らせた者が、助けを求めて町の外を取り囲んでいた帝国兵に縋り付いてくる。

 

 何しろつい二日前まで銃口を向けあっていた仲である。兵士たちは一瞬虚を突かれてそれを攻撃しようとしたが、すぐに今は交渉中で手出し厳禁と言われていたことを思い出し、逡巡の末に結局その難民たちを受け入れた。すると、一人が助かったのを見て、別の難民たちが大挙して押し寄せ、あれよあれよという間に、町の外は兵士と難民が入り混じって大混乱に陥ってしまった。

 

「ええい! 何をやってるんだ。とにかく、逃げた兵士を追うぞ。手の空いている者はついてこい!」

 

 ヴァルトシュタインは腹立たしげにそう怒鳴り散らすと、着剣して自分の愛馬に飛び乗った。すぐさま彼を取り巻く衛兵たちも乗馬し、彼らは燃え盛る街の中へ突撃しようと手綱を握りしめたのだが、

 

「お待ちくだされ」

 

 と、その時、勢いよく飛び出そうとしていたヴァルトシュタインの前に、真っ黒な馬に乗った長身の男が立ちはだかった。全身黒ずくめのその男は、皇帝が彼の監視役につけた軍師・利休宗易である。

 

「なんだ! この忙しい時に」

「闇雲に追いかけてもこの混乱の中、敵に追いつけるとは限りますまい。こういう時こそ落ち着いて、一手二手先を考えて行動するのがよろしいかと」

 

 ヴァルトシュタインは軍師ののんびりとした口調に、一瞬だけ瞬間湯沸かし器のように頭に血が上ったが……すぐに彼の言うことも一理あると冷静さを取り戻すと、

 

「なら、おまえならどうすると言うんだ?」

「私が敵であれば、この混乱に乗じてここを逃げ出すことを考えるでしょう。すると、行き先は我々の待ち構えているこちらではなく、逆方向……逃走しやすさも考えて、森に面した方角に向かうかと」

「なるほど……」

 

 ヴァルトシュタインは少し考えるようにあごひげを指で擦っていたが、すぐに納得したように頭をガリガリと引っ掻いてから、

 

「包囲を固めよ! 特に森に向かう道は厳重に。難民に構うな、勇者が出てきたら、それだけを狙うよう兵士に指示しろ」

 

 総司令官の命令に応じて、部下の兵士たちが散り散りの駆けていく。ヴァルトシュタインはその姿を見送った後、忌々しそうに街の方を睨みながら、

 

「それにしても火勢が強いな……敵が飛び出てくるのは間違いない。軍師殿の言う通りだ」

 

 彼はそう自分に言い聞かせるように呟いて、溜飲を下げているようだったが、その言葉を聞いて軍師は逆に少し考えてしまった。

 

 確かに、いくら燃えやすい家屋が多いとは言え、火の勢いが強すぎる。まるで用意していたかのようだ。しかし、あれだけ交渉人が必死に守ろうとしていた街を、こうもあっさりと燃やしてしまえるものだろうか? いや、そう思わせるのが策なのか? これがもし全て敵の計略だったとしたら?

 

 思えばこんな無防備な街が帝国軍と対等に渡り合っているだけでも奇跡なのだ。これだけのことをしておいて、尚もこの包囲を突破し逃げ出すことが出来る人間がいるとするなら……もしそんな人物がいるというなら、是非お目にかかりたいものである。

 

 彼は燃え盛る街の炎を眺めながら、そんなことを考えていた。

 

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 火の勢いは留まるところを知らず、街はいよいよ火の海になっていた。鳳たちは予定通り、ジャンヌの引き渡し場所で大立ち回りを演じると、敵に自分たちがテロリストであることを印象づけてから、すたこらさっさと逃げ出した。

 

 振り返ればギルド長がこの人でなし! と泣き叫びながら石を投げていた。実はより信憑性を増すために、彼には内緒で冒険者ギルドからぶっ放してやったのだ。ギルドは攻防戦の最中に武器庫になっていたからよく燃えた。それはもう盛大に燃えたものだから、思わず爆笑してしまうほどだった。ギルド長はそんな鳳の憎たらしい顔を見て、顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいた。

 

 そんなこんなでジャンヌを奪還した鳳とギヨームは、三人並んで燃え盛る街の中を駆け抜けた。遠目から眺めると街は無茶苦茶に燃えているように見えるが、実は予め逃走経路を計算に入れて、火の弱い場所をちゃんと残しておいたのだ。

 

 着火にはティンダーのスクロールを使ったのだが、裁断される前のトイレットロールみたいに繋がっている紙は、そのまま導火線として扱え、おまけに匂いもしないので隠蔽するのに役立った。と言うか、そのあまりの利便性に、これを作ったやつはきっと放火魔に違いないと軽口を叩いていたら、それを用意してくれた指揮者が複雑そうな顔をしていた。

 

「白ちゃん、あっち!」

 

 街の外縁部まで逃げてくると、先行するジャンヌが前方を指差した。外壁にそって半円を描くようにぽっかりと出来た炎の隙間に複数の人影が見える。予め逃走用の馬を用意しておいた、大君とメアリー、それから指揮者スカーサハである。

 

 大君は鳳たちが駆け込んでくると、

 

「やっと来おったか、待ちくたびれたわい。それにしても景気よく燃やしたもんじゃのう……あれだけ街の住人や難民の財産を守ろうとしておったくせに、彼らはこの大火で相当のものを失ったのではないか?」

「ボヤ騒ぎ程度じゃ難民が街の外まで逃げてくれるかわからないからな。どうせ俺たちは大罪人、恨まれたところで痛くもないさ」

 

 それに、あれだけやっとおけば、この大火に冒険者ギルドが一枚噛んでいたとは帝国軍も思わないだろう。ギルド長は今頃本気で鳳のことを恨んでいるはずだ。

 

「こちらをどうぞ」

 

 鳳たちは指揮者に差し出された馬に跨った。隊列はジャンヌ、ギヨームが先行して、中央にメアリーを乗せた大君、殿に鳳が続くことになった。鳳がどうにかこうにか馬に背負われるような格好で跨り、こんなことならもっと真面目に訓練所に通っていれば良かったと悔やんでいると……馬の逃げ道を作ろうと外壁の一部を外しに向かったギヨームが緊迫した声を上げた。

 

「おいっ! ちょっと待ってくれ、いつの間にか敵に囲まれてるぞ!?」

 

 その言葉に驚いた指揮者とジャンヌが近づいていって、壁の隙間からコソコソと外を覗き込んだ。すると、ギヨームの言う通り、壁の向こう側の平原に、いつの間にか二重三重の包囲が敷かれているのが見えた。

 

 ギヨームは眉をひそめて険しい表情を作りながら、

 

「おかしい……今朝調べた時は、街の裏側は手薄だったはずだ」

「ええ、私がついさっき見た時も、こんなに兵士はいませんでした」

 

 困惑気味に指揮者が同意する。そんな二人に対し、大君がのんびりとした口調で言った。

 

「どうやら敵の中にも、頭の回る者がおったようじゃの。先回りされたようじゃわい」

「どうする? ここが無理なら、また手薄な場所を探さなきゃならないが……」

 

 ギヨームが悔しそうに提案する。しかし、そうするには火の勢いが強すぎて、計画を変更するのはもはや不可能のようだった。

 

 ジャンヌは悲壮な決意を秘めた表情でみんなの前に進み出ると、

 

「それなら……私が突破口を作るわ。あれだけの人数、やれるかどうか分からないけど、みんなは私の突撃で空いた隙間を通って森まで駆け抜けてちょうだい」

「おまえはどうするんだ?」

「みんなが通り過ぎたあと、なんとか逃げ延びてみせるわよ」

「そんな行きあたりばったりの策があるかよ!?」

「でも、他に方法がないじゃない!」

 

 鳳とジャンヌが口論を交わしていると、二人の喧嘩を怖怖と見つめているメアリーを背中に従えた大君が、馬を進めて彼らの前に歩み出ると、

 

「これこれ、こんな時に仲違いするでない。隙なら儂が作ってやるわい」

「爺さんに出来るのか?」

 

 老人はニヤリと笑うと、手にした杖で外壁を指し示し、

 

「どれ、壁を馬が通り抜けるくらい少し開いておくれ」

 

 そう言われた指揮者が鉄板で補強された立板の釘を外すと、その部分だけの壁が崩れてぽっかりと穴が空いた。外で街を包囲していた兵士たちは、突然空いた隙間に驚いて一斉に銃口をこちらへ向けた。

 

 大君はそんな無数の銃口が待ち構えている場所に向かって、まるで散歩でもするような足取りでパカパカと馬を進めると、

 

「さて、ようやっと儂の見せ場じゃわい……」

「ご武運を。後のことはお任せ下さい」

 

 大君は恭しく敬礼する指揮者の横を通り過ぎて壁に空けられた穴から外に出ると、老人と少女という謎の組み合わせを銃撃していいかどうか戸惑っている兵隊たちに向けて、ズイッと手にした杖を構えた。

 

「万物の根源たる粒子。光となりてその力を解き放て。陰は陽、陽は陰。崩壊せし物質は流転し、新たなる世界を生み出さん。原子崩壊(ディスインテグレーション)

 

 ディスインテグレーション?

 

 鳳は自分の耳がイカれてしまったのかと思った。というのも、その呪文は前の世界で、まだ彼がデジャネイロ飛鳥だったころの得意技だったからだ。

 

 彼は前世で高位の魔法使いだった。この世界の古代呪文(エンシェントスペル)は前世のゲームシステムをそのまま踏襲しているから、その魔法自体が存在してもおかしくはない。

 

 しかし、問題なのはそれを神人ではない大君が使っていること。聞き慣れない詠唱を伴っていること。そして、その古代呪文が、こっちの世界では禁呪として伝わっていないはずだということだ。

 

 大君の詠唱に応じて杖の先に小さな光の礫が現れた。それはまるで小さな太陽のようなまばゆい光を放ちながら、徐々に大きくなっていく。やがて光球は拳大にまで膨れ上がると、膨張を止め、今度は一直線に敵に向かって飛んでいった。

 

 何が起きているのかわからない帝国兵が呆然とそれを見送る。すると光球はそんな兵士たちの中心で地面に触れたかと思うと、途端にその地面を中心に巨大な火柱が立ち上がったかと思うと……

 

 ゴオオオオオオオオーーーー!!!

 

 っと、鼓膜を破らんばかりの爆炎を轟かせながら、天にまで届きそうな炎を撒き散らした。それは前世のゲームで見た魔法そのままだ。違うのはその業火が過ぎ去った後に死体が散らばっていることだけだった。

 

 炎獄に晒された地面は真っ黒に焼け焦げ、ところどころ塩の柱みたいに真っ黒に炭化した人型の物体が立っていた。それが風に吹かれてサラサラと崩れ去ると、その場にはもう何も残されていなかった。

 

 あまりに凄惨な光景に、敵味方問わず沈黙が場を支配する。

 

 そんな中で唯一人、大君だけがいつもの飄々とした声で、

 

「何をしておる。隙が出来たぞ、さっさと逃げんかい」

「あ、ああ……おい、鳳!」

 

 ギヨームの叫び声にハッとなって、鳳は慌てて馬の腹を蹴飛ばすと、一瞬にして味方を失い、未だに唖然としている帝国兵たちの隙間を縫って駆け抜けた。

 

「な、何をしている! 追え! 追えーーーっ!!!」

 

 彼らの馬が通り過ぎると、流石に帝国兵たちも我を取り戻し、慌てて鳳たちの後を追いかけ始めた。しかし、包囲するため辺りにいたのは殆どが歩兵で、馬で逃げる彼らには追いつけない。まんまと逃げ出すことに成功した鳳は、冷や汗をかきながら前を行く老人の馬に自分の馬を寄せると、

 

「……なんで爺さんが古代呪文を使えるの!?」

 

 大君はそんな鳳に向かって息も絶え絶え、

 

「お主の仲間だって使えたじゃろう……それより、儂はMPを使い果たしてしまったわい。露払いは任せた