港までの道程 (紫 李鳥)
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 一人の女が、九十九折(つづらお)りの道を登っていた。峠を越えると平坦な一本道が続き、田園風景が広がる。その道を反対側に下ると港町がある。だが、女は脇道の林に入った。林を暫く行くと、廃墟らしき掘っ建て小屋が見えた。

 

 引き戸を開けると、氷室(ひむろ)のように冷えきった感触の土間に足を入れた。真ん中に囲炉裏がある板張りの小上がりに腰を下ろすと、背負っていたリュックを下ろし、被っていた毛糸のマフラーを脱いだ。

 

 二十半ばだろうか、化粧っけのない女は大きくため息をつくと、ジーパンの上から脹ら脛(ふくらはぎ)(さす)った。そして、スニーカーを脱ぐと、寒さで感覚を失った爪先を凍えた指先で揉んだ。(すす)けた壁を見回しながら、指先に生暖かい息を吹き掛けた。――

 

 

 木村真雄(きむらまさお)が畑から帰ると、女房の孝子(たかこ)が飯の支度をしていた。

 

「ご苦労やったね。すぐにできるで」

 

 孝子は真雄に振り返ると、前掛けで手を拭った。真雄は、柄杓(ひしゃく)(すく)った桶の水で手を洗うと、

 

「近ごろ、畑が荒らされてるだ」

 

 と浮かない顔で手ぬぐいを手にした。

 

「えっ、野良犬ね?」

 

「そうじゃにゃー。きれいにもぎ取られてるのさ」

 

「何を?」

 

「なんでもかんでもさ」

 

 煙管(きせる)の火皿に細刻みを詰めながら孝子を見た。

 

「泥棒かね?」

 

 真雄に目を置きながら、杓子で鍋の煮物をかき混ぜた。

 

「泥棒って、こんなとこによそもんはいにゃーら?」

 

「……耄碌(もうろく)した五右衛門(ごえもん)じいさんがやったのかしら?」

 

「……分からん」

 

 腑に落ちない表情を残しながら、真雄は火皿の灰を囲炉裏に落とした。

 

 ……盗むとしたら、人目のない夜中だろう。

 

 真雄は外套(がいとう)を着ると、林に隠れて畑を見張った。――

 

 

 十年の月日が流れた。港町の蕎麦屋に、峰子(みねこ)という評判の美人がいた。三十半ばだろうか、毎日同じ(かすり)の着物を着ていたが、そのことを恥じるでもなく、いつも明るく客をもてなしていた。峰子は、蕎麦屋から程近い借家で、九歳になる真太郎と細々と暮らしていた。

 

「お母さん。行ってくるね」

 

 ランドセルを背負った。

 

「行ってらっしゃい。夕飯作っておいたから」

 

 ちゃぶ台の蠅帳(はいちょう)に目をやった。

 

「うん。行ってくる」

 

「気をつけてね」

 

「はーい」

 

 ズックを履くと駆けて行った。

 

 峰子が働く蕎麦屋、〈玄三庵(げんぞうあん)〉はこぢんまりとしていたが、昼時や仕事帰りの客が一杯ひっかける夕方からは忙しかった。店主の小宮玄三(こみやげんぞう)厨房(ちゅうぼう)を担当し、峰子が店を切り盛りしていた。

 

「大将、おはようございます。外は寒いですよ」

 

 ストールを座敷の小上がりに置くと、三和土(たたき)の隅にある下駄箱から(ほうき)塵取(ちりと)りを出した。

 

「おはようさん。風邪を引かにゃーでよ。あんたに休まれたら客が減るで、頼むね」

 

 白頭(はくとう)にねじり鉢巻をした玄三が蕎麦を打ちながら、厨房から声をかけた。

 

「ありがとうございます。風邪を引かないように、気をつけます」

 

 店内を掃くと、店先の落ち葉を塵取りに掬った。

 

「おみねちゃん!あとで行くからね」

 

 近くの漁港で働く、“(きん)ちゃん”と呼ばれている客が声をかけた。

 

「待ってまーす!」

 

 峰子は箒を高く上げると、愛嬌を振りまいた。

 

 夜の(とばり)が下りる頃、〈玄三庵〉は賑わっていた。

 

 そんな時、勤務を終えた吉岡勇人(よしおかはやと)は適当な飲み屋を探していた。どの店に入ろうかと迷っていると、風に(あお)られた暖簾(のれん)の間から、楽しげに笑う女の顔が見えた。勇人はその女に導かれるかのように、硝子(ガラス)の戸を開けた。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 峰子が席に案内すると、注文を訊いた。27、8だろうか、タートルネックにジャケットの格好からして、サラリーマンでないことは察しがついた。

 

「……酒を」

 

 肩に力が入っているのか、勇人の言い方はぎこちなかった。

 

「冷やと(かん)がありますが、どちらを?」

 

「うむ……燗を」

 

「はい、かしこまりました。つまみは、壁に貼ってありますので」

 

 勇人は顔を上げずに(うなず)いた。

 

 手際よく仕事をこなす厨房の峰子を目で追いながら、目が合いそうになると、勇人は視線を逸らした。

 

「おまちどおさまです。さあ、どうぞ」

 

 ぐい呑みを勇人の前に置くと、徳利を手にした。ぐい呑みを持った勇人の手が小刻みに震えていた。峰子はクスッと笑うと、動きに合わせて少なめに注いだ。

 

「おつまみはお決まりですか」

 

「いや。何にしようかな……」

 

 壁に並んだメニューを見上げた。

 

「この時期はおでんもありますし、もつ煮込みもあります。にしんの煮付けも美味しいですよ」

 

「じゃ、それを」

 

 峰子の顔を見ずに言った。

 

「えっ?それって、どれですか?」

 

「……全部」

 

 峰子を一瞥(いちべつ)した。

 

「あっ、はい。ありがとうございます。おでんは何がいいですか?」

 

「お任せします」

 

「はい、かしこまりました」

 

 売上に貢献してくれた勇人に礼を言うかのように、お通しの横の空になったぐい呑みに酒を注ぐと、

 

「すぐにお持ちします」

 

 そう言って、目を合わせた勇人に笑顔を向けた。

 

「おみねちゃん。燗、もう一本!」

 

 金ちゃんが仕事仲間と二人で呑んでいた。

 

「はーい!ただいま」

 

 峰子の明るい声を聞きながら、勇人は手酌をした。



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 湯気を上げている鍋に酒を注いだ徳利を入れると、おでん鍋から自分の好きな種を皿に取り分けた。玄三が盛り付けしたもつ煮込みと鰊の煮付けを盆に載せると、玄三が鍋から出した徳利の底を布巾(ふきん)で拭いていた。

 

「おまちどおさまです。このにしんの煮付け、私が味付けしたんです。味見をしてくれませんか」

 

 注文した物に箸を付けない客が峰子は嫌いだった。だから、すぐに箸を持たなかった勇人を焦れったく思い、食べるように促した。味見をしてくれと言われて食べない人は居まい。それが峰子の方策だった。

 

 勇人は口に含むと、ゆっくりと咀嚼(そしゃく)した。

 

「うむ……(うま)いっ」

 

 勇人が初めて表情を緩めた。峰子は嬉しかった。

 

「ひゃーひゃー、おまちどおさん。一杯どうぞ」

 

 片足が不自由な玄三が、徳利を手にして厨房から出てくると、金ちゃんに酌をした。

 

「なんで大将が酌をするんだよ。しなくていいって」

 

 金ちゃんが迷惑そうな顔をした。

 

「あんら、うちっちじゃおえんかしら(私じゃ駄目かしら)?」

 

 女形の声を真似た玄三が、口元を隠して方言で返した。他の客が哄笑(こうしょう)した。

 

「ほら、どうぞって」

 

 玄三は執拗(しつよう)だった。

 

「いらにゃーって」

 

「そんなこと言わにゃーで、ほら、どうぞって」

 

「いらにゃーって」

 

 金ちゃんも調子に乗っていた。勇人を見ると、二人の掛け合い漫才で緊張が(ほぐ)れたのか、子供のように笑っていた。27、8だろうか、タートルネックにジャケットの格好から、サラリーマンでないことは察しがついた。初めての店で、知らない人達と一緒になって笑ってくれた。そのことが、峰子はなぜかしら嬉しかった。

 

 

 帰宅すると、真太郎が寝息を立てていた。自分の布団の横に峰子の布団も敷いてくれていた。それは峰子が言い付けた訳ではなく、真太郎自らがやってくれていることだった。優しい人間に育ってくれたことに峰子は感謝した。

 

 台所に行くと、いつものように洗った茶碗を水切りかごに伏せてあった。明日の分の米を研ぎ終えた峰子は、化粧を洗い落とすと布団に潜った。縁側の障子からの月明かりが、真太郎の寝顔を淡く照らしていた。峰子は手を伸ばして真太郎の頭を優しく撫でると、声を殺して泣いた。――

 

 

 翌日の夕刻。〈玄三庵〉は珍しく暇だった。峰子が鰊の味付けをしていると戸が開いた。振り向くと勇人だった。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 割烹着(かっぽうぎ)を脱ぐといそいそと厨房を出た。勇人は昨日と同じ、隅の席に座った。

 

「いらっしゃいませ。ご注文は」

 

「昨日と同じで」

 

 俯いたままだった。

 

「かしこまりました。ただいま」

 

 峰子は浮き浮きしながら厨房に入った。玄三が酒の用意をすると、峰子はもつの煮込みやおでんを皿に盛り付けた。

 

「おまちどおさまです」

 

 勇人の前に皿やぐい呑みを置くと、徳利を持った。

 

「どうぞ」

 

 峰子の言葉にぐい呑みを手にした。今日は勇人の手は震えてなかった。

 

「一杯、いかがですか」

 

 勇人が酒を勧めた。

 

「ありがとうございます。でも、仕事中なので……」

 

 峰子が遠慮すると、

 

「おみねちゃん、お客さんいにゃーで大丈夫だよ、一杯ぐりゃー」

 

 玄三が声をかけた。

 

「それじゃ、一杯だけ」

 

 峰子は玄三からぐい呑みを受け取ると戻ってきて、勇人の前に座った。徳利を持った勇人の手が少し震えていた。峰子は微笑むと勇人を見た。

 

「いただきます」

 

「どうぞ」

 

 勇人もぐい呑みを持った。

 

「昨日が初めてですか?ここ」

 

「はい。こっちに転勤になって。仕事帰りに一杯呑もうかとぶらぶら歩いていたら、あなたの笑顔が見えて、誘われるように入ってきました」

 

「それはどうも、ありがとうございます」

 

 峰子が頭を下げた。

 

「吉岡勇人と言います」

 

「はやとさん。どんな字を書くんですか」

 

「勇気の勇に、(ひと)です」

 

「素敵なお名前ですね」

 

「ありがとうございます」

 

 その時、戸が開いた。

 

「いらっしゃいませ!どうぞ、ごゆっくり」

 

 峰子は急いで腰を上げた。――

 

 

 それから数日後だった。客が帰った閉店間際、今日は勇人は来ないのかと思っていると、戸が開いた。そこにいたのは、酩酊(めいてい)状態の勇人だった。へたり込むように椅子に腰を下ろした。

 

「大丈夫ですか」

 

 峰子が声をかけた。

 

「……水を」

 

 勇人が弱々しく言った。峰子は厨房に行くと、水を入れてくれたグラスを玄三から受け取った。

 

「はい、飲んで」

 

 勇人にグラスを握らせた。それを一気に飲み干すと、

 

「……親友が……死んだ」

 

 ぽつりとそう言って、テーブルに顔を伏せると、(すす)り泣いた。困惑の表情で玄三を見ると、玄三が手招きした。

 

「先に帰るで話を聞いてやりなせゃー。鍵を渡すで、裏の水瓶の下にでも置いといてくれ。火の元に気を付けて。それじゃね」

 

 玄三は峰子に鍵を渡すと、静かに店を出て行った。峰子は暖簾を入れると、鍵をした。空になったグラスに水を入れて戻ってくると、勇人が寝息を立てていた。電気を消すと、勇人の前に腰を下ろし、目を覚ますのを待った。――いつの間にか峰子も眠っていた。

 

 間もなくして、峰子はびくっとして目を覚ました。顔を上げると、窓の障子から差し込む街灯の明かりに、峰子を見つめる勇人の顔があった。

 

「……起きた?」

 

 峰子が訊いたが、勇人は何も言わないで突然立ち上がり、峰子の手を引っ張った。

 

「痛っ」

 

 強引に引き寄せると、峰子の唇を奪った。

 

「うっ」

 

 峰子は力の限りに抵抗して腕から逃れると、思いっきり勇人の頬を叩いた。勇人は頬に手を当てると俯いた。

 

「……がっかりした。酒の勢いを借りないと何もできないんですか。……まさか、友人が死んだと言うのも嘘?」

 

「……」

 

 勇人は返事をしなかった。

 

「……どうして、そんな嘘を……」

 

 峰子は呆れた顔をした。



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「……あなたが好きだった。こうでもしなければ二人きりになれなかった」

 

 勇人は頬に手を当てたまま、横を向いていた。

 

「私には子供が居るんですよ」

 

「……玄三さんに聞いて知ってます」

 

「だったらどうしてこんな真似を……私が女給だから馬鹿にしてるんですか」

 

「いや、違う」

 

 峰子を見た。

 

「……弟のように思っていたのに……もう二度と来ないでください。来たら、ここを辞めます」

 

 峰子は鍵を外すと戸を開けた。勇人が店から出るのをじーっとして待っていた。やがて、

 

「……すまなかった」

 

 そう一言(ひとこと)残して、敷居を(また)いだ。途端、激しく戸を閉めると施錠をした。峰子は厨房に行くと、誰に(はばか)ることなく慟哭(どうこく)した。――

 

〈申し訳ありません。本日は休ませてください。峰子〉

 

 書き置きをすると、家に帰った。――真太郎の寝顔を見つめながら、峰子は鼻を啜った。

 

 ……勇人のことが好きだったのは確かだ。しかし、私にはかけがえのない真太郎が居る。……そして、愛する人も居る。その人に逢える喜びがあったから、この九年間、真太郎と二人で一生懸命生きることができた。……その人に逢える日を夢見て。ただ、その想いだけで……

 

 ――真太郎は朝食を済ますと、元気よく登校した。何もする気が起こらず、布団の中に居た。

 

 ……そろそろ、真太郎が帰る時間だ、起きなければ。

 

 そんなことを思っていると、鍵を開ける音がして、戸が開いた。

 

「……お母さん。どうしたの?」

 

 布団に居る峰子を心配した。

 

「ん?仮病。真太郎と一緒に居たくて。今起きるね」

 

「いいよ、寝てて」

 

「ありがとう。でも、真太郎と一緒におやつ食べたい」

 

 体を起こした。

 

「駄菓子屋で買った麦チョコとクラッカーがあるよ。どっちがいい?」

 

「じゃ、クラッカー」

 

「あたりまえだの――」

 

「クラッカー。ふふふ」

 

 真太郎が、テレビで宣伝している商品名を言ったので、峰子が繋いだ。――

 

 

 夕食を作ると、テレビを観ながら食事をした。休み以外に、こんな時間に真太郎とテレビを観るのは、久しぶりだった。

 

「国語の成績はいいけど、算数はどう?」

 

 肉じゃがを食べながら訊いた。

 

「九九も覚えたよ」

 

 じゃがいもを頬張りながら答えた。

 

「すごいじゃない」

 

「……でも、変な覚え方なんだ」

 

「どんな覚え方?」

 

「たとえば、2×3=6(にさんがろく)のときはちゃんと言えるのに、3×2=6(さんにがろく)のときは、頭の中で2×3(にかけるさん)にしてからじゃないとすぐに答えられないんだ」

 

 真太郎が口を尖らせた。

 

「変な覚え方だね。でも、答えが合っていればいいんじゃない」

 

「そうだよね」

 

 真太郎が安心した顔をした。真太郎と一緒に過ごせたせいか、峰子の気持ちは晴れやかになっていた。

 

 翌日、店に行くと、玄三が心配そうな顔を向けていた。休んだ理由を風邪気味にすると、割烹着を着た。

 

「ああ、吉岡さんから手紙を預かってるよ」

 

「えっ?」

 

昨夜(ゆうべ)、終わりごろに来てね」

 

 思い出した玄三は打ち粉のついた手を払うと、作務衣(さむえ)の懐から白い封書を出した。

 

「……すいません」

 

 峰子は俯いたままで受け取ると、箒とちり取りを手にして、店の裏で開封した。

 

〈私の軽率な言動をどうか許してください

 酔っていたとは言え 貴女の気持ちも考えず 自分本位だった事を反省しています

 もう二度とあのような真似はしません

 ですから 玄三庵に行く事をお許しください

   峰子様へ 吉岡勇人〉

 

 読み終えた峰子は肩の力を抜くと、(わず)かに口角を上げた。――

 

 〈玄三庵〉はその日も賑わっていた。店内を一人で切り盛りする峰子は、頻繁に開け閉めされる戸口に、いちいち振り返る余裕はなかった。暫くして、気付くと、聞き覚えのある声が背後からした。びっくりして振り向くと、そこには、金ちゃんの席で愉快に笑っている勇人の顔があった。飲み物を見ると、箸を持った勇人の前には、酒が入ったぐい呑みがあった。

 

「……いらっしゃいませ」

 

 峰子は努めて笑顔を作ると、勇人と目を合わせた。短い沈黙の後、勇人は謝るかのように頭を下げた。

 

「おみねちゃん忙しそうだったで、俺が猪口(ちょこ)や箸を持ってきたんだよ。大将んとこから」

 

 金ちゃんが概要を話した。

 

「あら、呼んだ?」

 

 玄三が厨房から顔を出した。

 

「もうそれはいいって。頼むで酌をしにゃーでよ」

 

 金ちゃんは満更でもない顔だった。

 

「すぐに行くで、待っててね~」

 

 玄三が女形のしゃべり方を真似ると、他の客が笑った。

 

「いいって、来なくて」

 

 二人の漫才は続きそうだった。

 

「……燗とにしんの煮付けを」

 

 勇人が注文した。

 

「あ、はい。かしこまりました」

 

 峰子は笑顔で承ると、厨房の玄三にカウンターから伝えた。その時だった。

 

「そう言えば、この先の林で白骨死体が見付かったんだってな?」

 

 常連客の一人が連れに話していた。途端、峰子の手が止まった。勇人は、その硬直した峰子の後ろ姿を見逃さなかった。

 

「気色悪いな。男?女?」

 

 連れの男が訊いた。

 

「分からにゃーらしい。だが、話によると、死後十年は経ってるらしい」

 

 峰子は硬直したままだった。

 

「そしたら男か女か分からにゃーな、骨だけじゃ。俺の女房も、口紅を塗ってにゃーと男か女か分からにゃーんだで、肉が付いてにゃーっけらなおのこと男か女か区別がつかにゃー。ハハハ」

 

 客らは白骨死体の話で盛り上がっていた。

 

 徳利と鰊の煮付けを盆に運んできた峰子の顔は、心なしか青ざめて見えた。

 

「はい、おまちどおさまです」

 

 作り笑いで勇人の前に徳利と皿を置くと、酌もしないで他の席の器を下げに行った。そして、厨房に入ると溜まった皿を洗い始めた。



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「おみねちゃんはいい女だら?俺は嫁さんに欲しいんだが、なかなか口に出せにゃー。……他に好きな男が居るようなんだ」

 

 独り言のように呟く金ちゃんの話を聞きながら、もしそれが俺のことならどんなにいいだろうと勇人は思った。ついでに、ふとした疑問が湧いた。

 

 ……どうして峰子は酌をしなかったのだろう。酌をする手が震えるからではないだろうか。俺も初めて峰子に会った時、興奮からか、手が震えた。震えるほどに興奮することが峰子にあるとすれば、それは俺の見解どおり、“白骨死体”の件しかなかった。この事件に、峰子が関わっていると言うのか?

 

 吉岡勇人は、この港町に転勤してきた刑事だった。

 

「吉岡さんは、どんな仕事をしてるんですか」

 

 しらす()えを口に入れた金ちゃんが訊いた。

 

「……オランダ語の翻訳をしています」

 

 咄嗟(とっさ)に話を作った。

 

「えー!じゃ、蘭語もペラペラ?」

 

 金ちゃんはギョロ目を見開くと、興味津々に勇人に向きを変えた。

 

「いや、ペラぐらいですよ」

 

 勇人が謙遜した。

 

「じゃあ、……手はなんて言うの?」

 

「ハント」

 

「ハントか。じゃあ、頭は?」

 

「ホーフト」

 

「すげぇ、すげぇ。じゃあ、膝は?」

 

「クニーかな」

 

「クニーか……クニーって、ナニー?なんちゃって」

 

 金ちゃんは一人で喋って、一人でウケていた。

 

「あら、呼んだ?ジーって」

 

 片足を引きずりながら、玄三が厨房から出てきた。

 

「ジーじゃにゃーよ、ニーだよ」

 

 金ちゃんが嫌な顔をした。

 

「えー?なんだって?サンだって?」

 

 耳が遠い振りをすると、金ちゃんの前に座って、持ってきたぐい呑みに金ちゃんの徳利を傾けると、一口呑んだ。

 

「俺の酒を勝手に呑んでからに。あー、もう空だ」

 

 徳利を覗きながら金ちゃんが嘆いた。

 

「なんて?ニー?」

 

「そう。ニー」

 

「お銚子、ニー!」

 

 玄三が厨房の峰子に注文した。

 

「はーい!お銚子二本ね?」

 

 洗い場から峰子が返事をした。

 

「誰も注文してにゃーら」

 

「えー?なんだって?サンだって?」

 

 玄三がまた、聞こえない振りをした。

 

「サンじゃにゃーよ、ニーだよ」

 

 二人の押し問答に勇人も笑っていた。

 

「はい、おまちどおさま」

 

 徳利を一本手にした峰子が、金ちゃんに酌をした。

 

「ほれ、見てみぃ。おみねちゃんは優しいね。一本しか持ってこにゃーよ」

 

 金ちゃんがにやけた。

 

「同時に持ってきたら、一方が冷めるからよ。伝票には二本つけたわよ」

 

 峰子が淡々と言った。

 

「ガクッ」

 

 金ちゃんが大袈裟(おおげさ)にテーブルから肘を滑らせた。

 

「どうよ、いい子だら?」

 

 玄三が峰子を褒めた。

 

「どうぞ」

 

 峰子が勇人にも酌をした。

 

 勇人は、峰子が手にした徳利に目を()えたが震えてなかった。このとき勇人は、峰子は聡明な女だと思った。先刻、酌をしなかった理由を手が震えるからだと推測した。だが、いま酌をした手は震えてなかった。これを、時間の経過に因るものだと捉えるか、もしくは、背中が硬直して見えたのも、顔が青ざめて見えたのも錯覚で、そもそも手の震えとは無関係だ。たまたま酌をしなかっただけで、“白骨死体”とは関係ないと捉えるか。

 

 仮に意図的に酌をせず、動揺を収めるために時間の経過を待ったとしても、手の震えに関しては何も立証するものはない。結果、手の震えを見せなかったことで、後者の捉え方に適合する。――

 

 客が帰ると、片付けを終えた峰子が前に座った。

 

「……手紙を読んでくれましたか」

 

 勇人が俯き加減で訊いた。

 

「……えぇ」

 

「申し訳なかった」

 

 頭を下げた。

 

「やめてください。もう気にしてませんから」

 

「ありがとうございます。大将にも迷惑かけて、すみませんでした」

 

 厨房の玄三に謝った。

 

「気にしにゃーで。呑めば誰でもそうですよ」

 

 玄三が配慮を見せた。

 

「それじゃ、勘定を」

 

 勇人が腰を上げた。

 

「また、待ってますよ」

 

 玄三が声をかけた。峰子も、柔らかな眼差しで勇人を見た。――

 

 翌日。峰子が出勤する前に、勇人は〈玄三庵〉に行った。峰子の身元を調査するため、勇人は身分を明かした。

 

「……やっぱり、そうでしたか」

 

 玄三がそこまで喋って、勇人は、ハッとした。方言がなかった。

 

「初めて見た時から、同じ匂いを感じてましたよ。なぁに、東京に居た頃、刑事をやってた時期がありましてね」

 

「えっ……」

 

 予想だにしなかった展開だった。

 

「吉岡さんが知りたいのは、白骨死体とおみねちゃんの接点でしょ?昨晩の吉岡さんからは、おみねちゃんの背中が見えていたが、俺のほうからはおみねちゃんの横顔が見えていた。顔のほうが正直だ。白骨死体の話が出た途端、おみねちゃんはびっくりしたように顔を強張(こわば)らせて、目を見開いていた。確実に事件に関わっていると直感した。

 

 おみねちゃんがこの店に来たのは九年前だ。白骨死体と符号する。九年前、おみねちゃんと初めて会った時のことは昨日のことのように鮮明に覚えている。

 

 あれは、枯れ葉の舞う今頃の時分だった。乳飲み子を抱えたおみねちゃんが、働きたいと言ってな。訳ありだと直感した俺は、即決した。初めて会った時は(かげ)のようなものを感じたが、いざ仕事となると笑顔を絶やさなかった。乳飲み子を抱えながら、一日も休まず働いてくれた。余程の信念がなければ続かない。芯の強い女だと感心した。

 

 吉岡さん。俺はこう推測する。白骨死体には関わっているが、人殺しではない。つまり、殺人幇助(ほうじょ)や目撃者の(たぐ)いだと。人を殺した人間には必ず、(おび)えというものが付きまとうものだ。毎日、戦々恐々(せんせんきょうきょう)として、雨の音にも、風の音にも怯えるものだ。



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 しかし、この九年、おみねちゃんにはそう言ったものはなかった。白骨死体の話で初めて見せた狼狽(ろうばい)だった。だが、それはすぐに収まった。つまり、そのことを払拭できるだけの、何か確固たる理由がある。それが何かは分からないが、自分に繋がる物証は決して露見することはないという自信のようなものが、いとも簡単に動揺を払拭できた理由ではないか……これが俺の見解だ」

 

 話を終えた玄三は、冷めたお茶で喉を潤した。

 

「ありがとうございます。とにかく峰子さんのことが気がかりで。白骨死体と無関係であってくれるといいんですが……」

 

 勇人は心配した。

 

「おみねちゃんが捕まるようなことはない。俺が保証するよ。ハッハッハ」

 

 何かを隠すかのように、玄三は無意味な高笑いをした。

 

 

 翌日。勇人は出勤すると、刑事課の課長、松山(まつやま)に話を訊いてみた。

 

「ああ。玄三さんのことなら知ってる。“イノシシの玄三”と呼ばれた新宿△署の敏腕刑事(デカ)だった」

 

「……イノシシ?」

 

「ああ。足の速さは天下一品だった。だが、強盗を追っている時に足を撃たれてな。間もなく退職して、故郷(ふるさと)の静岡で蕎麦屋を始めた」

 

 ……足を引き摺っていたのは、その怪我(けが)が原因か。

 

「足が速いから、イノシシって呼ばれてたんですか?」

 

「それもあるが、干支(えと)のイノシシとゲンゾウのゲンを漢字にしてみろ」

 

「……亥と玄、……似てますね」

 

「だろ?そこから、亥の玄三と異名で呼ばれた訳だ」

 

「……なるほど。江戸時代の岡っ引きみたいでカッコいいですね」

 

 勇人は納得した。

 

 当夜、〈玄三庵〉が店を閉める時間を見計らうと、事情聴取を兼ねて峰子に会いに行った。そして、身分を明かした。

 

「……なんとなくですが、そんな気がしてました。お客さんが白骨死体の話をした時、あなたの刺すような視線を感じていました。その時、もしかして、と」

 

 峰子は、勇人の前で俯いていた。玄三は止まり木で背中を向けていた。

 

「で、関係があるんですか?白骨死体と」

 

 興奮からか、勇人は早口になっていた。

 

「……たぶん」

 

「たぶんとは?」

 

 勇人は焦った。

 

「白骨死体がどこのどなたか分からないのに、こっちもはっきりできないでしょう?」

 

 勇人を睨み付けた。

 

「では、たぶんというのは?」

 

「十年前という年月に心当たりがあったからです」

 

「その心当たりとは?」

 

「……十年前まで東京で暮らしていました。夫と二歳になる息子と。ところが、交通事故で一度に二人を亡くしてしまったんです。生き甲斐を失った私は、死に場所を求めて静岡に来たんです。歩き疲れて、ふと見ると廃墟がありました。体を休めているうちに眠ってしまって。目が覚めたのは夜でした。お腹が空いて、食べるものを探しました。死ぬことより空腹が勝ったんです。情けない話です。

 

 林を抜けると、月明かりに畑が見えました。そこから、サツマイモやニンジンを抜き取り、近くの沢で洗って食べました。町に出て宿に泊まれば、こんな真似をしなくても済みます。でも、死に場所を探していた私は、そんな気持ちにはなれませんでした。

 

 そんなことを数日続けていた時でした。戸を叩く音がしたんです。びっくりした私は息を殺してじっとしてました。すると、

 

『……よかったら、食べてくだせゃー』

 

 と、男の声がしたんです。私が黙っていると、

 

『ここに置いとくで……』

 

 そう言って、去って行きました。恐る恐る戸を開けると、新聞紙に包まれたものがありました。広げると、弁当箱と割り箸があって、中にはご飯や惣菜が入っていました。私は感謝の気持ちで、月明かりに男の姿を探しました。そして、次の日も、次の日も、男は弁当を戸口に置いてくれていたんです。

 

 それから数日後。感謝の気持ちを伝えるために、戸を開けました。そこに居たのは、無精髭(ぶしょうひげ)の三十代の男でした。照れるような優しい眼差しで私を見ていました。その時、私の中に安らぎのようなものが生まれました。男は、私の身の上話を親身になって聞いてくれました。そして、言ってくれたんです。

 

『死なざぁんて思っちゃおえん。亡くなったご主人とお子さんのためにも生きなけりゃあ』

 

 と。私はその言葉が嬉しくて泣きました。そして、生きる決意をした私に、男は駅の近くにアパートを借りてくれました。男の優しさに(ほだ)され、いつしか恋心が芽生えました。そして、妊娠したんです。

 

『女房とは別れるで産んでくれ』

 

 男はそう言ってくれました。悩みながらも、子供が欲しかった私は産むことを決意しました。男は身重(みおも)の私を大切にしてくれました。

 

 それは、子供が生まれて間もなくでした。離婚話に逆上した妻が包丁を手にして襲いかかってきたので、包丁を奪おうとして揉み合っているうちに、誤って殺してしまったと。駆け付けた男はそう言って、狼狽(うろた)えていました。

 

「これから警察に自首する。このアパートはまずい。君に迷惑がかかるかもしれにゃー。乳飲み子を抱えて大変だらが、このアパートから出てくれ」

 

 男はそう言って、紙幣の入った封筒を置いて行きました。私は男の言う通りにするしか(すべ)がありませんでした。そして、この港町にやって来たんです」

 

 峰子は項垂(うなだ)れていた。

 

「……それじゃなぜ、白骨死体の話に動揺したんですか」

 

 勇人が疑問を投げかけた。

 

「……自首すると言っていたけど、もしかして、……遺体を埋めたのではと思ったからです」

 

 顔を曇らせた。

 

「男の名は?」

 

「……木村真雄(きむらまさお)



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 峰子はすべてを喋っていなかった。話にはまだ続きがあった。

 

「――罪を償ったら、君を迎えに行く。それだで、焼津(やいづ)に居てくれ。君の住みゃーだという目印を決めておかざぁ。そうだな……物干し竿に手ぬぐいを結んどいてくれ。そうすれば君の住みゃーだと分かる。真太郎を頼む」

 

 それが全貌だった。峰子はそれから九年間毎日、物干し竿に手ぬぐいを結んでいた。雨の日も雪の日も。

 

 

 勇人は、資料室に(こも)ると、九年前の三面記事や事件ファイルを調べてみた。だが、事件はおろか、木村真雄が自首したという記録さえなかった。

 

 ……つまり、あの身元不明の白骨死体は木村真雄の妻だ。だとすると、殺した後に死体を遺棄して逃走したことになる。だが、こんな推測もできる。妻を殺害したというのは真っ赤な嘘で、峰子と別れるための作り話だった。……いや。峰子の話が事実なら、前者のほうが可能性が高い。

 

 勇人は、白骨死体が発見された村に行ってみた。木村真雄が住んでいた借家はすでに取り壊されていた。

 

「木村さんですか?働きもんでしたよ。十年近くなるか、突然姿が見えなくなって。夫婦ともです。引っ越すなら一言(ひとこと)あってもいいのにって、皆と話してたんですよ」

 

 姉さん被りの初老の女は、そう言っ(くわ)を持った手を休めた。

 

「夫婦仲はどうでしたか?」

 

「そりゃもう、仲がよかったですよ。旦那さんが優しい人だで、奥さんも幸せそうでしたよ」

 

 女の回答は、峰子が語った木村の人柄と合致した。やはり、故意に殺したのではなく、揉み合っているうちに誤って殺してしまったというのが真相のようだ。

 

 署に戻る前に、開店前の〈玄三庵〉に立ち寄った。蕎麦を打っていた玄三が厨房から顔を出した。

 

「お忙しいとこすみません」

 

 頭を下げると、止まり木に座った。

 

「お疲れさん。遺体の身元は分かりましたか?」

 

「……いいえ、まだ。歯科所見でも一致するものがなくて」

 

「ま、虫歯一つない歯の丈夫な人は居るでしょうから」

 

 手を動かしながら、玄三が一瞥(いちべつ)した。

 

「歯医者に行ったことがないなんて羨ましい。あとは復顔という方法もありますが……」

 

「吉岡さん」

 

「はい」

 

「俺は、おみねちゃんに辞めてほしくないんだ」

 

「え?」

 

「身元不明のままにしてくれないか」

 

「……玄三さんの気持ちも分からないではないですが」

 

「立場上、そういう訳にもいかないか」

 

 玄三は手の粉を払うと、茶を淹れた。

 

刑事(デカ)の頃、いろんな人間ドラマを見てきたよ。逮捕される父親に『お父さん!行かないで!』って、泣き叫ぶ女の子。『父さんのバカヤロー!』と言って泣き叫ぶ少年。……真太郎くんにはそんな思いをさせたくない」

 

 勇人の前に湯呑みを置いた。

 

「……玄三さん」

 

昨夜(ゆうべ)のおみねちゃんの話が事実なら、正当防衛だ。遺棄したとなれば、死体遺棄罪に罰せられるべきだが、白骨死体が奥さんだと確認された訳じゃない。だから、このまま身元不明にしてほしくてさ」

 

 玄三は勇人に目を据えながら茶を飲んだ。

 

「……」

 

 勇人は、玄三に返す適当な言葉が見付からなかった。

 

「木村さんが仮に奥さんを殺し遺棄したとして、事件が発覚すればおみねちゃんに迷惑がかかると思い、離ればなれになったに違いない。おみねちゃんは真太郎くんに、『父さんは外国で働いている』とでも言ってあるのだろう。もうすでにご主人とお子さんを事故で亡くしているんだ、これ以上悲しい想いをさせたくない。できれば木村さんと親子水入らずで暮らしてほしい。これまで女手一つで真太郎くんを育ててきたんだ、……おみねちゃんを幸せにしてやりたい」

 

 玄三は目頭を押さえた。

 

「……玄三さん」

 

 

 その頃。木村真雄は、建設現場を転々としながら、飯場で寝泊まりしていた。

 

「木村さんは(いき)だね、キセルなんかで吸って」

 

 相部屋の高島(たかしま)という四十代の男が話しかけた。

 

「あ、親父(おやじ)の形見なんです。いちいち刻みを詰めるのは面倒ですが、慣れると手放せなくて」

 

「それだと、指が黄ばまなくていいよな。俺なんか両切りだで、ヤニがついて取れにゃー」

 

 高島は恨めしそうに、自分の指先を見た。

 

「そうは言ってもやっぱ、使い慣れた枕と一緒で、吸い慣れたタバコが一番ですよ」

 

 真雄が配慮を見せた。

 

「同感だ。どうですか、今夜、花札でも一緒に」

 

「申し訳にゃー。賭け事は苦手なんで」

 

 真雄が頭を下げた。

 

「木村さんは真面目だな。そんなに貯めてどうするんですか」

 

「……妻と一人息子が待ってるもんで。苦労かけっぱなしなんで、金持ってって、いいとこ見せにゃーと」

 

「いい旦那さんだな。奥さんも幸せだ」

 

「ありがとうごぜゃーます。……出稼ぎが長かったんで、一日も早く息子に会いたくて……」

 

 沁々(しみじみ)と語った。

 

 

 真雄は九年前、自首するつもりでいた。だが、正当防衛を警察が認めてくれるか不安だった。“若い女ができて妻が邪魔になったから殺した”とされかねない。真太郎を人殺しの子供にはしたくなかった。

 

 遺体さえ発見されなければ、“殺し”を知られることもない。遺体をリヤカーで運んで林に埋めると、翌日には家財道具を処分した。――そして、建築現場で働きながら金を貯めた。三人で暮らすために。……仮に遺体の身元が判明し逮捕されても、それは仕方がないことだと覚悟を決めていた。だがその前に、峰子と真太郎に一目(ひとめ)だけでも会いたい。真雄はそんな想いだった。

 

 

 

 それから間もなくだった。物干し竿に手ぬぐいを結んだ家に、小石が入った丸めた紙が投げ込まれた。それには、電話番号と住所が書いてあった。

 

 

 数日後、峰子と真太郎が忽然と姿を消した。空き家になった物干し竿には手ぬぐいは結ばれていなかった。

 

 

 

 

 

 一方、復元された頭蓋骨の顔貌は、真雄の妻、孝子に似ていた。――

 

 

 

 

 

 完



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