ゆゆゆ短編集 (mn_ver2)
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乃木若葉と結婚する男

文章力を鍛えたい


 ……俺は勇者なんて大層な人間などでは決してない。

 勇者とは、人々を恐怖に陥れる魔王を倒すべく立ち上がる勇敢な者のことを指す。

 俺は戦わなかった。寧ろ知らないふりをしていた。四国の外から命からがら逃げ延びてきた人たちのことなんて、どうでも良かった。

 ただこの戦争状態が早く終わってくれないかな、なんて呑気なことを考えながら当時を過ごしていた。

 改築された大赦の廊下は文字通りピカピカだ。勢いよく走って滑りたい、という強い衝動に駆られるが、そんな小学生のようなことはしない。もう二十五歳の大人だ、流石にその辺りは弁えている。

 行き交う大赦勤めの人たちは皆揃いも揃って白い装束に身を包み、白い仮面を被っている。正直不気味さを覚えてしまうが、俺も同じ格好をしているのであまり強く言えない。

 外から差し込む夕暮れの光は優しげのある橙色で、これから臨む俺の人生において一世一代の大勝負を暖かく見守ってやろうという神樹様のご意思のように感じられた。

 ……いや、俺は巫女のように神託を受けることはできないから勝手に自己を納得させているだけだが。

 目指すはただひとつ。

 上の階へと続く階段を上り、上り、目的の階に着く。なんでエレベーターかエスカレーターでもいいから取り付けてくれなかったんだよ、と建築士に内心で愚痴を漏らして誰一人いない通路を歩く。

 この階に部屋はひとつしかない。この長い通路は奥にある部屋へと続いていて、特に装飾などが飾られているわけでもないのに、言葉にできない存在感を放っている。

 

「…………覚悟を決めろ、俺」

 

 そう言い聞かせ、足を進める。

 一歩進む度にどうしてか足取りが重くなっていく錯覚に陥る。俺はオカルト的なものは鼻で笑う人種だが、今だけは疑いなくその存在を信じられそうな気がした。

 いや違う、誤魔化すな。これは俺の心がそうさせているだけだ。この先に待つ人物に会うため、喝を入れてしっかりとした足取りでシンプルな木造ドアの前に立つ。

 大きく深呼吸をして、顎を引く。

 仮面を外す。

 そして、コンコン、と叩いた。

 すると奥の方から「お入りください」と落ち着いたソプラノの声が返ってきた。

 俺は物怖じせずにドアノブに手をかけ、ガチャリと開いて中に入った。

 部屋の構造は十畳ほどとあまり広くはなく、執務をする為の大きな机が四分の一ほどを占めている。まだ処理を終えていないのか、書類の山が高く積み上げられている。そしてその脇に四畳分の畳が敷かれ、そこにひとりの着物姿の女性が正座をして静かに佇んでいた。

 そして悟る。

 あの陽光は、俺の為などではなかったのだと。

 壁の小さな窓から細い陽光が降りてきている。それは女性を上から照らしていた。

 アメシストのような艷やかな光沢を放つ長髪を橙色の陽光が際立たせる。くっきりとした美貌がさらに強調されている。

 俺はつい呼吸をすることすら忘れて女性に魅入ってしまっていた。

 そうしている間にも、女性は長い睫毛を僅かに揺らし、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。

 

「お待ちしていました、睦月さん」

 

 上里ひなた。

 二十六という驚異的な若さで大赦のトップ。

 当時中学生の時に巫女を全員纏め上げ、神官たちを巫女という立場を利用して屈服させ、大赦を掌握したという恐るべき胆力の持ち主。

 そして、四国のため、あるいは若葉のためならば手を汚すことを厭わない人物。

 改めて上里様の人となりは、二十代のそれではなく、濃密な人生経験を重ねた年長者という印象を抱いてしまう。

 ごくりと生唾を飲む音が聞こえたのか、苦笑いを浮かべた上里様は口を開いた。

 

「さあさあ、こちらにお座りくださいな」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 根暗な学生のような、やや早口で情けない返事をした俺は、ぎこちない動作でありながらなるべく静かに座ろうと努めた。

 全身から熱い汗がどっと噴き出るのを感じながらも、なんとか正座できたことに内心で百回ほど安堵の息を吐く。

 いや、こんなことで精神力を消費してどうするのだ。

 

「それで? 何の御用でしょうか? ご存知の通り、私は多忙の身です。単刀直入にお伺いしたいのですが」

 

 こちらの考えを全て見通していながら、敢えて泳がせているような超然とした目つきで俺を見る。

 俺と上里様の関係性は友人であると評していいだろう。ある程度打ち解けた会話のできる仲ではある。

 とはいっても面と向かって会う機会はそう多くない。今言った通り、上里様は多忙の身。プレイベートの時間はあまりないし、あったとしても俺と何かをする、なんてことは滅多にない。

 しかし今日の上里様の言葉には、どこか碧色の冷たさが宿っている。

 俺の目の前にいるのは、友人という側面は備えつつも、大赦トップという側面を前面に押し出している上里ひなたなのだ。

 屈してはならない。

 ――そう。

 もう、すでに説得……勝負は始まっているのだ。

 だからこそ、ただ一言のもとに先手を頂く。

 

「若葉を俺にください」

 

「――そうですか」

 

 上里様はそう短く呟くと僅かに目を伏せた。

 その後にもう一度俺を見つめると、言った。

 

「もちろん、駄目です」

 

 きっぱりとした拒絶の言葉。

 この返事は十分想定されていたことだ。

 実質上里様は若葉の保護者。

 この年になっても耳かきをしてやっている噂があるとかないとか。

 

「そもそも睦月さんのそのお願い……どれほど恐れ多いものかおわかりですか? 若葉ちゃんとあなたの交際を許したのは、正直私の気まぐれとも言えます」

 

 もちろん知っているとも。

 初代勇者。唯一の生き残り。

 他の勇者たちが戦いで落命していく中、ただひとり生き残った当時中学生の若葉。

 四国の人間ならば大人から子供まで、誰一人として知らない者はいない偉人。

 そのような人物と付き合えていることがどれほどのことかはきちんと理解している。

 戦略的な交際だと当初は揶揄され、謂れのない誹謗中傷を嫌というほど受けた。しかし俺はその悉くを乗り越えて今に至るのだ。

 

「若葉ちゃんをあなたに託すことはできません。あなたよりも私の方が遥かに相応しいのは間違いありませんので。交際を許したのは、私が二十四時間守ってあげられないのでその代役に、という理由もあります」

 

「……そのようなことは以前言っていなかったと思われますが」

 

「当然でしょう。私が交際を許した理由を、なぜ一から全てを説明しなければならないのですか?」

 

「…………」

 

 確かにその通りだ。

 わざわざ思考情報を相手に全て開示する理由なんてない。

 当時は「わかりました。睦月さんと若葉ちゃんとの交際を認めましょう。ですがおふたりとも、一般人と同じようなことはほぼできないと覚悟してください」と正座する俺と若葉に告げた。

 その時の俺は天にも舞い上がるような気分だったが、膝の痺れで僅かに身じろぎすることしかできなかったのをよく覚えている。

 そう。今思えばあの時、上里様は理由をなにひとつ教えてくれなかった。

 あそこでさらに深堀りするべきだったか? 「どうして若葉との交際を認めたのですか?」と。しかし今となってはもう過去のことだ。

 だから俺は。

 

「そう、ですね……」

 

 と歯切れの悪い返事しかすることができなかった。

 自然と裾を強く握り締めてしまう。

 なんてダサいんだ⁉ と嘆かずにはいられないが、それでも俺はこの程度で怯むわけにはいかない。

 正直なところ、上里様の覚悟は俺には測り知れない。必要ならば手を汚すことも厭わない人間だ。四国の人間が全員清き心を持っているわけではない。

 もし四国や大赦、さらに言えば若葉に危害を加えようものなら、容赦なく文字通り『消す』ことができる。

 大赦内では、それを代行する集団を編成しようという議題が時々持ち上がっているのはまた別の話。

 しかしながら、俺の覚悟はしっかり理解してもらわなければならない。

 いや、なんとしてでも理解させてやるのだ。

 なよなよしている俺を若葉が見れば、「もっと自信を持て! そんなだと私が恥ずかしいぞ?」と背中を叩くこと間違いなしだ。

 全くもってその通り。

 乃木若葉という人間が好いた男は、俺だ。

 だから、あいつになるべく恥じぬような生き方をしなければならない。

 やや下がりかけていた調子を、根気と気合と根性で持ち上げる。

 引いてはならない。相手は大赦のトップ。下手な話術や感情誘導にかかるはずもない。なんなら俺よりも遥かに上手。それを自覚しろ。

 だからここは率直に、回りくどいことはなしにして述べるべきだ。

 俺はこれまでの人生で一番真剣な眼差しで上里様を見詰めた。

 すると上里様の瞳にほんの少しだけ揺らぎが生じた……ような気がした。

 

「俺は若葉を愛しています」

 

「言葉で言うだけなら誰にでもできますよ」

 

「俺の今までの行動はすべて、上里様の耳に届いているはずです」

 

 この世界には、産まれる時に特別な所作をした少女に『友奈』と名付ける風習がある。

 これは高嶋友奈に倣って始まったものであり、どういうわけか、大赦は『友奈』を監視下に置いている。

 神世紀と改められてまだ十年と少ししか経過していないが、『友奈』の存在は片手で数えられるほど確認されておらず、その全ては大赦は監視している。

 なんのためにかは俺にはわからない。しかしそれほどの諜報能力があるのなら俺のすべては大赦に筒抜けのはずだ。

 絶対にありえないが、もし俺が若葉を傷つけよううものなら、その行動をするまえに狙撃か何かで撃ち殺されるだろう。

 

「ええ、もちろんです。その上で言っているのです。私は若葉ちゃんのすべてをあなたに預けることなんてとてもできません。信用できないのです」

 

 絶対的な拒絶の眼差し。

 上里様から見れば、俺は幼馴染を奪おうとする悪い虫に他ならない。

 しかし。

 

「…………若葉はあなただけのものではない」

 

 上里様の抱くそれは、過保護を超えた依存に近いものだ。

 終末戦争を生き抜いた仲だ、それはもう俺程度に介入できない親密度なのは言うまでもない。

 もしどちらかが男性ならば、間違いなく結婚していただろう。

 だが悲しいことに、どちらも女性。近々同性婚という概念に対して何らかの法改正を考えているらしいが、今はそんなこと、どうでもいい。

 

「――――今、なんとおっしゃいましたか?」

 

 空気が変わる。

 上里様の目の色が変わる。

 不信は敵意へと移行する。

 緊迫した雰囲気が、緩やかに殺伐としたものへ変容した。

 ちりちりとうなじのあたりが疼く。

 全身の毛穴がきゅうう、と引き締まった。

 殺気を向けられたことは一度や二度ではない。若葉と交際を初めて半年ほどはよく刺客が送られてきた。情けないことに、同伴していた若葉にすべてを追い払ってもらっていたが、その時に浴びせられたものより上里様の殺気は粘性があって、闇色が深い。

 俺が上里様の逆鱗に触れたのは偶然ではない。故意だ。

 

「若葉はあなただけのものではありません。若葉を大切に想うお気持ちはよくわかりますが、それはあなただけが持つ唯一のものではありません。俺だって持っています」

 

 殺気を放ちつつ上里様は返す。

 

「睦月さんの想いが、私の想いに勝るとでも?」

 

 俺は力強く返す。

 

「勝ります。当然です」

 

「は?」

 

 あらゆる表情が消え失せる。

 上里様は膝の裾を擦らないように丁寧に立ち上がると、ゆっくりと俺の前に歩み寄った。そして睨むようにしながらもう一度座った。

 互いの膝が触れるほどの超至近距離。

 顔の間の距離は拳一つ分しかない。

 

「その傲慢な言い草、とても不愉快ですよ。私と若葉ちゃんの間に割って入ろうとする蛆虫が。軽々しく私の想いを踏みにじるな」

 

 敬語すら使わずに明確に敵意を露わにする。

 心臓が文字通り雑巾を絞られるような感覚に陥る。

 俺は即座に今の言葉を撤回したいという衝動に駆られた。これほど怒りに満ちた上里様を見たことがない。

 少しでも気を抜けば眼力だけで殺されそうだ。

 これが、大赦のトップ。

 男ながら、恐怖で泣き出しそうだった。

 

 ◆

 

 二年前の紅葉を迎えたある日、若葉は泣いていた。

 人知れず泣いていた。

 俺がそんな若葉を見つけたのは必然とも言えるだろう。

 大赦のイメージ向上の一環の活動として演舞をするために福祉施設で仕事を終えた若葉が、更衣室でひとり泣いていたのだ。

 便所に行こうと建物内を彷徨っていた俺は、偶然若葉の嗚咽がドアの隙間から漏れてくるのが聞こえたのだ。

 セクハラだ、とかそんな誹りを受けるかもしれないことなんて頭からすっ飛んでいた。

 急いでドアを開けた俺が中に入ると、薄暗くした部屋の隅で蹲るようにして泣いていた。

 ようやく俺は着替え中の女性の部屋に押し入ったというとんでもないやらかしに気づくが、それは弱々しく泣く若葉を見た瞬間、どこかへ消え去った。

 演舞用の白装束から私服に着替えは完了していた。

 膝を抱えながら泣く若葉に、俺はそっと言葉をかけた。

 

「若葉……?」

 

 すると若葉はさっと顔を持ち上げて俺を見る。

 

「おおおお、お前っ⁉」

 

 泣いていたのを見られたからか、それとも更衣室に俺がいたからかわからないが、動揺を隠せないまま真っ赤に泣き晴らした顔で後退った。

 

「な、なんでこんなところにいるんだ⁉ 女の着替えを堂々と覗きにやってきたのか、この変態め!」

 

 どうやら後者だったようだ。

 特に問題がなければ俺は慌てふためいて平謝りするべきだろう。

 問題がなければ。

 俺は濡れた裾を見ながら尋ねた。

 

「どうしたんだ?」

 

「…………なんでも、ない」

 

 ぷい、と顔を背けた若葉のマシュマロのような両頬を親指と人差し指で挟む。

 

「そんなこと言われたら余計気になるだろ。気になりすぎて朝も起きられないぞ、俺」

 

「あははおひほうな⁉」

 

 挟まれたままの若葉の言葉はいまいちわからなかったが、おそらくツッコミを入れられたのはわかる。

 一瞬だけ活力が戻った若葉だが、すぐにしゅんと、大人しくなった。

 俺は手を離し、次に壁のスイッチを押してでんとうの明かりをつけた。

 二十五歳だが、まだどこか少女らしい幼さを随所に残した顔立ち。

 世間では若葉は『凛々しくてカッコいい女性』、『いつでも冷静沈着』、『憧れの女性ぶっちぎりのナンバーワン』など、百人が評すれば万人が頷くすごい人物だ。

 しかしそんな評判とは打って変わった真逆の様子を知っているのは、上里様と俺だけ。

 幾ばくかの時間が流れた後、ぽつりと若葉は話し始めた。

 

「……演舞が終わった後、おばあさんたちから色々と話を聞いてな。歳を重ねるごとに、昔からの親友を亡くしていって辛いって……。それを聞いたとき、ふと我に返ったんだ」

 

 ……ああ、なんとなく予想がついてしまった。

 俺はただ「うん」とだけ頷き、続きを促す。

 

「私はいったい、何をしているのだろうって。ひなたが大赦を掌握してからずっと、私は大赦のため、四国のためにこの身を捧げてきた。これが正しい行いだと確信はしているのだが、何か、他に私にやるべきことがあるんじゃないかと思ったんだ」

 

 俺はもう一度頷く。

 

「それでさっきからずっと考えていたのだが……わからないんだ。でもなぜか無性に寂しくて……悲しくて……自分でもよくわからなくなって……気づいたら……うん」

 

「そっか」

 

 肯定もせず、否定もせず、話の邪魔もせず、すっきりしたかどうかはわからないが、とにかく若葉が話し終えるのをただ待った。

 そして再び俯いた若葉を、俺はそっと胸に抱き寄せた。

 

「ぁ」

 

 蚊の鳴くような声を漏らした若葉を、さらに一層強く抱きしめた俺は耳元で囁いた。

 

「泣くほどってことは、それほど大切なことなんだろう?」

 

「……たぶん。でも、変に思い込みすぎているだけなのかもしれない」

 

 俺には、若葉の悩みの答えに心当たりがある……ような気がする。違ったらそれは黒歴史ものだが、まあ、面白い思い出話の一つにもなるだろうと俺は話し始めた。

 

「あの、さ。なんで若葉は……俺と付き合おうと思ったんだ?」

 

「は、はあ⁉ どうして今そんな話をするんだ⁉ なんだ⁉ 私を辱めたいのか⁉」

 

 少し若葉を怒らせてしまったようだ。バッ! と俺の手を振り払って後ろに下がった若葉は訝しげな目で俺を見る。

 

「いやいや違う違う! 神樹様に誓ってそんな意図はない! ただ、今訊きたいんだよ」

 

「はあ……お前の悪いとこは、そういう突拍子のないことを突然言うところだぞ……」

 

「返す言葉もございません……」

 

 すでに泣き止んでいた若葉は、その俺の『突拍子のないこと』に対してなんだかんだ答えてくれた。

 やや間延びした「あー」や「えーとだな」といった前置きを何度か繰り返し、恥ずかしそうにしながらもついに口にする。

 

「それは……お前が私のことを大切に想っていてくれるからだ」

 

「それは上里様にも当てはまるんじゃないか?」

 

 すると若葉はしかめっ面に急変した。

 

「ああもう! 深堀りするのか⁉」

 

 しかし俺のいたって真剣な顔を見ると押し黙る。

 俺は無言で促す。

 

「その……私を不愛想な女だって言ってくれたことだ」

 

 そう、絞り出すような声で言った。

 からからに渇いた喉で続ける。

 

「誰も私にそんなことを言う奴はいなかった……ひなたですらだ。でもお前は違った。お前は、私を馬鹿正直に評した」

 

「あー」

 

 よく覚えている。

 当然若葉にすり寄ろうとする男たちはたくさんいた。しかしそのほとんどは乃木家の恩恵を受けたいという下心丸出しな者たちだらけだった。中には真剣に若葉を想っていた男もそれなりにいたらしいが、ひなたの絶対防壁を突破できずあえなく撃沈、もしくは若葉の方から別れを突き付けられた。

 それはそうだ。如何に容姿端麗、勉学優秀であろうとも、皆が皆、口をそろえて若葉をよいしょし、持ち上げようとするのだから。

 それでも乃木家の跡取りは必ず残さなければならない。

 初代勇者という肩書きは絶大で、後の数百年にわたってその効力を発揮するだろう。さらに、裏で未だ謀反を目論む神官たちに対しての抑止にもなる。

 

「あの時はそうだな……正直、お見合いばかりで気が滅入っていたよ。だってほぼ毎日知らない男と引き合わされていたんだからな。ひなたが主導じゃなかったのもあって、告白すると、あまり乗り気ではなかった」

 

 俺はお見合いが始まって結構後の方の順番だった。

 睦月家はまったく無名の家だ。これを機に大赦内での力を手に入れる手駒として俺はいいように使われた。

 襖が開けられ、初めて間近で若葉を見た時の感動たるや、小学生の頃にあれほど四苦八苦して書いていた読書感想文の原稿用紙数枚をほんの三十分足らずで埋め尽くせる自信が漲るほどだった。

 顔は小さな卵型、大きな菖蒲(しょうぶ)色の瞳が眩しいほどの光を放っている。小ぶりな鼻筋の下に、桜色の可憐な唇が愛らしい。しかしながらくっきりとした目元は流石勇者様と嘆息するほど凛々しい。

 勇者であったころ、幾度かメディアでインタビューなどが報じられていたのを見たことがあったが、当時は少女らしさがあったが今はそれを残しつつも女性らしさがより際立っているように見えた。

 ……が、いざ若葉と一日行動――デートをした俺の感想としては、最悪だった。

 こちらから話しかけてもなんだか反応が適当だし、笑ってもくれない。

 単に俺の話がつまらないという可能性は十分に考えられたが、それでも社交辞令として愛想笑いくらいしてくれたっていいのでは、と思ったが、それすらない。

 大好物だという骨付き鳥の専門店に連れて行っても特にといった感じだった。

 最悪。とにかく最悪。

 我が人生でトップ五に入るほどクソな時間を過ごす羽目になったと内心毒づいた。

 俺より前に何人もお見合いをしたのは知っているし、それで疲れたのもなんとなくわかる。それなら一旦、日を改めることだってできたはずだ。

 俺は乃木若葉という人間に抱いていた幻想が音を立てて崩れるのを聞いた。

 勇者様もやはり人間であると思い知らされると同時に、心底失望した。

 だから俺はデートの終わり際に言ってやった。

 

『あんなに好意的に接したのに……なんだ、乃木若葉はこれほど不愛想な女なのか。こんな奴と結婚したいなんて奴ら、頭がどうかしてるんじゃないか? これなら部屋でシコってる方が遥かに有意義な時間だよ』

 

 若葉のすぐ脇に上里様がいることすら度外視して、さらに睦月家の未来をどぶに投げてもいいと考えた。それほど俺は失望した。

 今思えばとんでもない言葉選びをしたと思っているが、方向性に間違いはないと確信していた。

 驚愕と悲痛に目を見開く若葉と、次に見た上里様の絶対零度の視線を無視して帰宅し、間違いなくクビと、睦月家からの追放は免れないだろうと俺はさっさと次の転職先を探した。

 

「ま、まあ言葉は悪かったと今でも思ってるぞ? 黒歴史化してるから、ふと思い出して枕に顔を埋めることは稀によくある」

 

 流石に『部屋で寝てる方が』が良かっただろう。しかしその時の俺はそこまで頭が回らないほどただただ失望していた。

 しかし若葉はそっとかぶりを振った。

 

「いや、あれでよかったんだ。あの後ひなたにも少し怒られて……それで目が覚めた。お前とお見合いをするずっと前から、私は適当だった。でも皆『良かった』って言ってたから、これでいいんだって思ってしまった」

 

 その後、改めて若葉の方からお見合いの申し込みがあった。

 実は根に持っていて、会った途端生大刀で斬り捨てられるんじゃないかと死を悟って遺言を用意しようと思っていた。

 しかし、そんなことはしないと添えられていたから内心警戒しながらもう一度お見合いをしようと覚悟を決めて大赦に赴いた。

 再び会った若葉は見違えるほどキリッとした面持ちで、俺を見るや否や、深く頭を下げて謝罪した。

 

『この前はすまなかった。私の態度があなたを不快にさせてしまったこと、深くお詫びする』

 

 俺は即座に『頭を上げてください』などとは言わなかった。目上の人が頭を下げることがどれほどのことか俺だってわかっている。

 だからといって、少し頭を下げたくらいで許すつもりは毛頭なかった。

 たっぷり一分ほど姿勢を固めた若葉を見下ろし、俺は問うた。

 

『それは本心からの言葉ですか? 上里様に諭されたから謝っているだけではありませんか?』

 

 僅かに身体を震わせた若葉は頭を下げたままの姿勢で答えた。

 

『それももちろんある。しかし、あなたとの一日を振り返って、どれほど私の態度が悪かったのかはよく理解したつもりだ。言葉で言ってもちゃんと謝罪が伝わらないのはわかっている。だから……だ、だから』

 

 すると、許可していないはずなのに若葉は勝手に頭を上げた。

 俺はそれを咎めることはしなかった。なぜなら、若葉の顔が真っ赤なトマト色になっていたからだ。

 何度か口をモゴモゴさせると、片手を差し出しながらようやく続きに言葉を発した。

 

『わ、私ともう一度……デ、デートを……してくれな……してくれませんか?』

 

 今までずっと受け身だった若葉が逆に誘うというのは、ずっと勇気がいるものなのだろう。

 俺はぽかんと口を開ける。

 不意に目が合うと、若葉はきゅうう、と強く目を瞑ってしまった。

 しかし手は差し出されたままだ。

 俺はそれがなんだか面白くて、可愛らしくて、ついぷひゅ、と小さく笑ってしまった。

 そして若葉の細くしなやかな白い手を取り、

 

『はい、こちらこそ改めてお願いします』

 

 と優しく答えたのだった。

 

 その後のことは今でも鮮明に覚えている。

 少し口下手ではあったが、俺を知ろうとたくさん話してくれた。俺も逆に若葉のことをもっと知りたいと思って言葉を交わした。

 俺の『突拍子のないことを突然言う』悪癖が何度も出てその度にツッコまれたが、それはそれで楽しかった。

 

「これでいいだろう! 私が話したんだから、次はお前の番だ! さあ、私のどこに惚れたのか余すことなく言ってみろ!」

 

 先生に解答するよう指名され、無事解答してみせた生徒のように安堵と優越感の滲むサムズアップをする。俺にも恥ずかしがってほしいのだろう、若葉がさあさあと催促してくる。

 少し、いじわるをしてやろうという子供じみた出来心が湧き上がった。

 俺は食い入るように若葉を見詰めた。

 

「超綺麗なそのブロンズヘアが好きだ。宝石のような紫の瞳に吸い込まれそう」

 

「は⁉」

 

「若葉のカッコいい声なんて目覚ましのアラームにしてみろ、俺は一秒未満で起きられる自信がある。ぜひ四国中にこの効能を布教したいところだ」

 

「ちょっ! お前、何言ってるんだ⁉」

 

「すらっとした手足に、色白の肌なんてもうヤバい。語彙力が低下するほど、ヤバい。うん、ヤバい」

 

「や、やめろぉ!」

 

「一見真面目だけど、よくよく見たら抜けまくってるギャップってやつがとてもいい。可愛い。好き」

 

「もういい! もういいから!」

 

「刺客から俺を毎度毎度助けてくれる時とか、もし俺が女だったら間違いなく白馬に乗った王子様案件だ。かっこいい。好き」

 

「うあ、あああ――……!!」

 

「どうした? まだ序の口だぜ? この程度で音を上げてもらっては困る。せめてあと六時間もらえないととても語り尽くせない」

 

 流暢に溢れ出す若葉の好きなところ。

 しかしそれを遮って若葉は声を荒げる。

 

「お前……私で遊んでるな⁉」

 

 恥ずかしさで卒倒しそうな若葉が俺の胸をポカポカと叩くが、痛くも痒くもない。もし本気で叩かれていたら俺の肋骨はたった数発で召されていただろう。

 十分反応を楽しめたからとりあえずこのあたりで切り上げるとして、俺は低く呟いた。

 

「若葉」

 

「なんだ?」

 

「俺はお前の良いところ、悪いところもひっくるめて若葉って存在が丸ごと好きだ。幸せになってほしいんだ。昔、どれだけ辛い思いをしたのか俺には理解しきれないけど、せめてこれからはたくさん幸せを感じてほしい。若葉に足りていないのは、幸せだと……俺は思う」

 

「…………」

 

 若葉はぴくりと眉を震わせると、伏せ目になった。

 少し、踏み込んだ言葉であることは十分に理解している。若葉は友である勇者たち全員を戦闘で失っている。

 年月は経っているが、それでも癒えない心。俺と出会うずっと前から少しでも癒やしてやりたい……という願いがある。

 大赦に籍を置いてからの若葉は毎日が大忙しだった。それは誰もが知っている。

 自分の時間を確保することなんて俺より遥かに難しいだろう。

 ゆっくりと若葉が顔を持ち上げた。

 

「そうだろうか……?」

 

 俺は喉を鳴らす。

 

「俺はそう思う。若葉が違うっていうのなら違うんだろうけど。そしてもれなくこの記憶は黒歴史にカテゴライズされる」

 

「なんかお前、よく黒歴史つくってないか?」

 

「男ってのは、しょっちゅう黒歴史を生む馬鹿な生き物なんだよ」

 

 全身を硬くした若葉を俺は抱き寄せる。

 抵抗はなかった。

 あらん限りの力で細い身体を抱き締めた。俺よりずっと力の強い若葉だが、完全に俺に身体を預けてくれる。

 両腕をわずかに緩めることなく、言った。

 

「幸せになってほしい。ただそれだけのために、俺は若葉にすべてを捧げる」

 

 こつん、と額を合わせる。

 若葉は震える吐息を漏らし囁き返した。

 

「……ありがとう。私もお前と一緒に幸せになりたい。そのために、私のすべてを捧げる」

 

 そう言うと、若葉の方から俺の唇を奪いにきた。

 柔らかい唇。触れ合う唇。

 互いに初めての口づけ。

 ファーストキスの味はレモン味だとかよく言われているがそんなことはなかった。

 熱くて蕩けそうな、命の味がした。

 互いの身体が密着し、若葉の甘くて良い匂いが鼻腔を撫でる。

 心と心がゆっくりと溶けて……混ざる。

 俺は皆の勇者ではない。

 終末戦争の時に何もしなかった凡人、それが俺だ。

 だから俺は遅れながら勇者になる。

 皆のためではない。

 俺は乃木若葉という女性のための――。

 

 ◆

 

 いや、いいや、違う!

 この程度(・・・・)で負けてどうする!

 上里様の放つこれは間違いなく本物の殺気だ。覚悟の決まっていない状態でこれを向けられていたら俺はあっという間に弱気になっていた。

 しかしこの殺気を向けられてなお正気を保っていられるのは……そう、誓いがあるからだ。

 若葉を幸せにすると言った。ならば、それを実現してやるのが男というもの。大赦のトップだろうが幼馴染だろうが、俺はその障害を踏破しなければならないのだ。

 そうだろう、若葉!

 俺は負けじと上里様を睨みつける。

 

「――俺はあんたの想いを踏みにじってなんてない」

 

 立ち上がる。

 見下ろす。

 俺はあんたに言い負かせられないぞと意志のこもった視線で見下ろす。

 上里様は俺を見上げる。

 毅然とした態度は俺も上里様も変わらない。

 

「では、睦月さんは何がしたいのですか?」

 

 透き通った瞳はまるで俺を真に値踏みするかのようだ。同時にこの回答をもって結論を出すだろうと漠然とした予感が脳裏を過ぎる。

 だからここで的外れなことを言ってはならない。

 さっきも考えた通り、変に言い繕おうとすれば即座に看破される。 俺は別にそれを回避できる程話術が優れているわけではない。

 ゆえに、馬鹿正直に述べるべきなのだ。

 俺は、あらん限りの勇気を振り絞って、叫ぶようにして答えた。

 

「俺は若葉を幸せにしたい!! 下心はある。独占欲だってもちろんある! あんなに素晴らしい女性に魅力を感じない男は不能としか思えない!!」

 

「は、はあ?」

 

「――そして俺は、若葉にとっての勇者になる。若葉と一緒に生きて、隣で喜びと悲しみを分かち合いたい。それで、俺のことも幸せにしてほしい」

 

 呆れ九割といったところか。

 上里様は豆鉄砲を食らったような顔で呆然と俺を見詰める。

 これが俺の想いを極限まで押し込めた言葉の羅列。本当ならもっともっと想いの丈を語りたいところだが、それはまた違うような気がする。

 もしこれで「それでも駄目です」と言われたら、俺は既成事実でも作ってやる気概でいる。

 それを若葉が了承してくれるかはまた別の話だが、その時はその時だ。

 握った掌が汗ばんでいて、少し気持ち悪い。

 まるで地震が起こったかのように緊張で視界が小刻みに震える。飲み込む唾が妙に喉に粘つく。

 ああ。

 俺は……極限まで緊張しているのか。

 心臓が短い周期で激しく脈打っているのが胸に手を当てなくてもわかる。

 命の危険を感じたとき以上の緊張。

 これほどにも、俺は必死になっているのだ。

 たっぷり時間が過ぎた後、上里様は呆れ顔で「はあ〜」と長く嘆息した。

 駄目だったか……?

 と俺は眉間に皺を寄せた。

 確かに無礼な物言いがたくさんあったし、それが悪かったか……。

 しかし上里様はどうしてか、俺から視線を反らし、部屋の隅のほうに置かれているクローゼットを見やった。

 丁寧な所作で立ち上がった上里様はクローゼットに近づき、取っ手に触れた。

 

「……らしいですよ、若葉ちゃん」

 

 扉を開くと、そこにはやや窮屈そうに身体を押し込まれている若葉の姿があった。

 上里様の手を借りて出てきた若葉の顔はこれまで見たことのないくらい真っ赤だ。

 目が合う。

 その瞬間、これまでのやり取りをすべて聞かれていたことを理解し、俺は即座にこの一幕を黒歴史に認定した。

 きっと俺の顔も若葉と同じように真っ赤になっていることだろう。

 恥ずかしい。恥ずか死ぬ。

 口を横一文字に結んだ若葉は、同じように口を結ぶ俺の横に座った。

 

「申し訳ありません、睦月さん。試すような真似をしてしまって」

 

 そう上里様は軽く頭を下げて俺に謝罪した。

 

「い、いえ、こちらこそなんか、なんかあれ、あれです。失礼なこと、いろいろ……すんません」

 

 曖昧な謝罪を返した俺はへなへなと力なく座り込む。

 今すぐここから消えてしまいたいという激しい衝動に駆られているのだが、なんとか理性でそれを抑え込むことができている。

 

「少し脅し口調になってしまいましたが、それでも()に歯向かおうとする反骨心……見上げたものでした。綺麗事を並べるだけの殿方ならいくらでもいますからね。だからこそ、男らしい欲望を素直に口にされたのは驚きこそあれ、好ましかったです」

 

 すらすらと評する上里様の声は、俺の耳にはほとんど聞こえていなかった。

 ただ極限なく込み上がる恥ずかしさをどうにかしたいとばかり願っていた。

 

「……認めましょう。どうか、若葉ちゃんをお願いします」

 

 そう言って。

 頭を下げられたところで俺は我に返った。

 この場は、俺の一世一代の大勝負の場であると同時に。

 上里様、そして若葉にとっても人生を大きく左右する局面でもあるのだ。

 ……少し、自己中心的になっていた。

 両頬を叩き、身を引き締めた俺は誠意をもって答えるべく表情を改める。

 この瞬間、唇が震え、自分の喉――あるいは魂から音が零れ出るのを聞いた。

 

「任されました」

 

 ごくごく微かだが、力強い声が密かに空気を揺らした。

 少し情けないほど小さな声に上里様はくすりと笑うと、

 

「はい。――では、少し私は席を外しますね」

 

 とだけ言い残し、若葉にウインクをして部屋を出ていってしまった。

 後には俺と若葉だけが残された。

 お膳立てしてくれたのは嬉しいのだが、どう話を切り出せばいいのかわからない。

 ちらりと盗み見るように若葉を見ると、まだ顔を真っ赤にして下に俯いている。

 いやいや、ここは男としてリードをしてやらねば……。

 俺は少し上擦った声で、愛する女性の名を呼んだ。

 

「……若葉」

 

「うわああああああああ⁉」

 

 すると、あの初代勇者の凛々しさなんてどこかへ吹き飛んだかのような、俺以上に情けない声で叫ぶとその場でゴロゴロと転がり始めた。

 

「お、おい落ち着けよ……」

 

 手を伸ばして動きを止めようとするが、その勢いたるや凄まじい。

 

「これが落ち着いてられるかぁ⁉ あんな、あんなことを言われて――!」

 

 しかし、しだいに転がる勢いが弱まっていき、ついに動きを止める。

 

「嬉しくないわけ、ないだろう……!」

 

「――――」

 

 その瞬間。

 俺は、胸のうちでずっと長い間抱えていた想いが、轟音とともに激しく爆発する音を聞いた。

 どろりと頭のてっぺんから指の先まで熱い感情が染み渡っていくのを感じる。

 そしてその感情に導かれるままに、俺は牢固とした口調で言った。

 

「若葉。俺と結婚してください」

 

 若葉の瞳が大きく見開かれ、鋭く息を呑む。

 きらめく瞳を俺にじっと向ける。

 俺のこのキザな言葉は、普通ならば流れるように黒歴史になって蓋をされることだろう。

 しかし、この記憶ばかりはそんなことにはならない。

 

「……はい」

 

 そっと頷き、頬に一筋の涙が流れる若葉が俺に見せた極上の微笑みを、生涯忘れるはずがないのだから。




次のテーマは決まっていますのでお楽しみに!


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わかちか

 ……雨が降っている。

 今日は六月九日。梅雨に入って約一週間と少しが経っている。

 この時期になると外で遊ぶなんてとてもできないし、洗濯物も乾きにくいしで色々と憂鬱になってしまう。

 小学生組……特に三ノ輪銀の反応は顕著で、あまりにも暇すぎて毎日てるてる坊主を数十体作るほどである。

 そうなると流石に須美と園子(小)に紙を使い過ぎと怒られる始末だ。遊びたいという衝動が最も強く小学生たちには些か辛いだろう。

 しかし千景は違う。

 確かに洗濯物は乾きにくいし、湿気で長い黒髪がボサボサになったりしてしまうという決して無視できないデメリットはあるが、それを笑顔で許せるくらい大きなメリットがある。

 それは、部屋にこもって好きなだけゲームができることだ。

 だから千景は梅雨がどちらかというと好きである。

 金曜日は昨日だったから、今日は土曜日。

 勇者部の活動も依頼は少ないし、あるとしても千景に割り当てられるものはないとして今日は休暇を言い渡された。この様子だと恐らく日曜も同じだろう。

 今日は完全にひとりの時間にすると決意している。高嶋からの誘いはないし、きっと友奈ズで何かしら楽しんでいるのだろう。

 窓から外の景色をぼんやり眺めていた千景は、その美しい黒髪を翻してカーテンを閉めた。

 部屋の照明は点けていないため、やや薄暗い。

 しかしこれでいい。

 今日一日ゲームをすると決め込んだ千景の意志は非常に固く、高嶋の誘いでもない限りまさに動かざること山の如くである。

 事前に近くのコンビニで買い占めたお菓子やらジュースやらを丸テーブルの上に広げ、ゲームカセットが敷き詰められた引き棚を開けて本日のお供を選定する。

 プレイすることは好きだが、こうしてどのゲームをするかを考えながら選ぶ作業が楽しい。

 タイトルを見るだけでそのゲームのセーブデータが脳内に呼び起こされ、どれくらいやり込んでいるかが蘇る。

 そうして千景はいくつかカセットを選び、テーブルとベッドに広げてたっぷり悩んだ後、『君に決めた!』とばかりに意気揚々とディスクをハードの口に入れた。

 時々高嶋や小学生組……特に銀とゲームをする時はたいてい軽めのものをと意識している。しかし今回は一人だけだから重めの……つまり難易度の高いゲームを存分にできる。

 千景は無意識に心躍らせながらコントローラーを手に取り、上機嫌にベッドの側面にコンパクトなリクライニングソファを置いてその上に腰を下ろす。

 ハードの電源を入れると、部屋の中にも聞こえる雨音が、ぶうううん、とファンの回る唸り音と混ざる。

 そして、いざと意識をゲームに切り替えようとした途端。

 コンコン、と誰かが部屋をノックしてきた。

 

「誰よ……」

 

 一気に目に見えて不機嫌になる。

 高嶋である可能性はなくもないが、限りなく低い。

 しかし高嶋でなければ、怒りぷんぷんだ。

 一応顔に表情が出ないように努めながら千景はドアを開けた。

 そこにいたのは一人だけだった。

 千景より一つ学年が下のくせに、ほんの少しだけ身長の高い人物。

 その人物――若葉は晴れ晴れとした笑顔で口を開いた。

 

「やあ、千景」

 

「ちっ」

 

 梅雨などどこ知らずといった感じの笑顔が少し不愉快で、つい……それこそもう無意識の領域で舌打ちをしていた。

 

「えええ⁉ なんでそうなるんだ⁉」

 

 若葉の動揺を一切無視して千景はドアを閉めようとしたが、普段から反射神経を鍛えているおかげか、ギリギリで滑り込ませた若葉の足がドアの間に挟まった。

 

「……なによ」

 

 不機嫌な猫のようだな、と思いはしたがそれを実際に口にすれば間違いなく大葉刈で刈り取られるだろうから、なんとか感想を喉奥に押し込んでから若葉は改めて言った。

 

「い、いや……今日は暇かと思ってな。部活もないことだし、珍しく友奈とも一緒じゃないらしいから、さ」

 

「暇じゃないわよ」

 

「そうなのか?」

 

「そうよ。だからほら、帰って」

 

 催促する千景は顎で指示してくる。

 ただのいじわるではなさそうだし、それなりに嫌がっているようだ。仕方ないと少しだけ寂しそうな表情を浮かべた若葉はこれ以上食い下がることはなく、大人しく踵を返す。

 その後ろ姿がどことなく千景の良心をちくりと刺す。

 これではまるでこっちが悪いみたいではないか。

 いや確かにほぼ一方的な会話をしてしまったのは千景の方だが、それはそれとしてこうもタイミングよく訪れてきた若葉の行動は故意的なものではないかと邪推してしまう。

 そこまで考えて、それはないだろうと即座に否定する。若葉はどちらかといえば頭脳より筋肉派だし、なんなら力こそパワー派である。

 心を滝に打たれるような感覚。

 否応なく何かに叩きつけられ、それから逃れるように千景は遠ざかっていく背中に声を投げた。

 

「待って、乃木さん」

 

 足が止まる。

 くるりと振り向いた若葉はこちらの言葉を待っている。

 

「その……ちょっと、悪かったわね。用事だけでも聞かせてもらえないかしら。もしかしたら大事な話かもしれないわけだし」

 

 すると若葉はばつの悪そうな顔をして後ろ頭をぽりぽりとかくとやや遠慮がちに言った。

 

「大事ってわけではないのだが……お前とふたりで遊びたいなって、思って」

 

「……は?」

 

 部活の話だったりするかもしれないと予想していた千景だが、完全に外れた。それだけではなくなんの前触れもなく特大の爆弾を投下されたような唐突な誘いに瞠目した。

 聞き違いではと思って数秒の記憶を巻き戻して脳内再生するが、どうやら聞き違いではなさそうだ。

 

「忙しいのなら仕方ないよな。すまない、いきなり変なことを言ってしまって。どうか忘れてくれ」

 

 若葉も少し恥ずかしいようだ。

 説明が口早になっているのがわかりやすい証拠で、きっと内心では恥ずかしさで悶ていることだろう。

 

「……いいわよ」

 

 ぽつりと外の雨音にかき消されそうなほど弱い声で千景は言った。

 この世界に来てもう数年が経っている。西暦から約三百年と、気の遠くなるほど未来の世界。

 西暦にいた頃、即ち勇者として若葉たちと活動していた期間はせいぜい一、二ヶ月程度。その間に戦闘も一度しか行っていない。

 だがこの世界に来てからは軽く百はくだらないほど戦闘をこなしてきた。

 間違いなく戦闘における動きや本能的な身のこなしは初期と比べると格段に跳ね上がっている。

 それだけではない。

 バーテックスたちとの戦闘のみが千景たちに与えられたものではない。こうして何気ない日常を享受する中で、高嶋を始めとした仲間たちの知られざる一面とやらが次から次へと明るみに出てくる。

 その過程で、千景の心と皆の心の距離も縮まった……ような気がする。

 きっと若葉も同じ気持ちなのだろう。

 もっと知りたい。もっと仲良くなりたい。

 そんな人間的な、あるいは善人的な想い。

 そこから来た、お誘いなのだ。

 だが千景は若葉のことが嫌いだ。

 とはいっても近年は角が取れてきているとは自分でも思っている。

 こうして年下がわざわざ勇気を出してくれたのだ。年上がそれに怯えて、突き放そうとしてどうする。

 こちらからも歩み寄らなければならないことは、わかっている。

 でもやっぱり怖くて。

 別に確実に聞いてほしくて言ったわけではない、敢えての声量。聞こえなかったのならばそれで良し。聞こえたのならば、面倒だが付き合ってやろう程度の面倒なやり口。

 しかし鈍感系主人公ではないからか、若葉の耳にはしっかりと届いてしまったらしい。

 

「そうか!」

 

 ぱああ、と一気に笑顔になった若葉はずん、と一歩千景に近づく。

 思わず眉を顰める千景を見た若葉は「す、すまない」と少しだけ距離をとった。

 

「遊ぶといっても何をするのかしら? 外はあんなだし、乃木さんから誘ってきたんだから、もちろん提案はあるんでしょうね?」

 

「ああ、あるとも」

 

 当然だ。

 無計画だったから今から考えるとでも言おうものなら、ぴしゃりとドアを閉めてやろうと考えていた。

 ふんすと鼻息を吐き出した若葉は、

 

「一緒にゲームをしよう!」

 

 と言ったのだ。

 

「げぇ、む?」

 

 まるで日本語を覚えた宇宙人のように、知らないはずのない単語を口にする千景に構わず続ける。

 

「お前が生粋のゲーム好きなのは知っているからな。私は普段ゲームはしないのだが……いい機会だ」

 

「はあ」

 

 ため息を吐く。

 一人用のゲームをしようとしていたのにこれでは少し気は進まないが、それはまた別の機会に回せばいいだけのこと。

 一応高嶋や銀とするための二人用のゲームがいくつかあるから、それをすればいいかと結論づける。

 

「だめか?」

 

「いえ……まあ、いいわよ。私も今からゲームしようとしてたところだったから」

 

「もしかして……さっき暇じゃないって言ったのはゲームをやるからだったのか?」

 

「だったら何?」

 

 キッ、と睨みつけられた若葉は「いやいや何でもないぞ」と言ってから、

 

「はえ〜、ゲームっていう用事も存在するもんだなぁ」

 

 と少しばかり概念めいたことを呟いた。

 そんなノイズを無視しながら千景はさっさと部屋の中へと招き入れる。

 部屋の電灯はつけていないから光源はモニターに表示されたホーム画面だけであり、しかしながら千景は手際良くハードの電源を切った。

 

「あ、あれ? ゲームそれ、終わらせて大丈夫なのか?」

 

「ええ。これPS○だし。完全に一人用のハードだからス○ッチのほうにするわ」

 

 そう言いながらモニターに接続していたケーブルを繋ぎ変える。

 

「スイッ○なら私も知ってるぞ!」

 

「はいはい良かったわね」

 

「なんか雑だな⁉」

 

 手元が暗いから一旦部屋の電灯を点ける。

 ケーブルがきちんと接続されていることを確認して、適当にゲーム初心者の若葉でも楽しめそうなカセットをセレクト。

 あとはコントローラーを――。

 

「……あ」

 

 ふと思い出した。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

「コントローラー、たぶん高嶋さんが持ってる」

 

「んん? なんでだ?」

 

「昨日高嶋さんとここでゲームをしてたから。たぶんそのまま持って帰っちゃったのね」

 

 時々高嶋とふたりきりでゲームをすることがあるが、昨日は珍しく気分が乗ったせいで夜遅くまで続いてしまった。

 やや眠そうに瞼をこする高嶋を、大きく欠伸をしながら部屋まで送ったのを覚えている。

 きっとその時だ。

 恐らくどちらも特に何も考えていなかった。

 

「友奈は結城とイネスに行くと言ってたぞ。部屋は閉まってるだろうから取ってこれないんじゃ……」

 

 ついてない。

 ともあれ一緒にゲームをすることはできなくなった。

 どうしようかと千景は思考を巡らせながらベッドの上に散らかしたPS○のカセットを眺める。それも銃撃戦やアクションがメインのものばかり。

 とても若葉に勧められそうにない。とはいってもハードに直接ダウンロードしている無料のバトルロワイヤルものはきっと合わないだろう。

 ……と、ここまで考えて。

 どうして若葉のためにここまで考えなければならないのかと我に返った。

 どうして好きでもないやつのためにここまで。

 高嶋のためなら喜んでやるが、若葉は別だ。

 

「な、なんだ……?」

 

 どうやらじっと若葉を見つめてしまっていたようだ。

 私の顔に何かついているのか? と聞かれたから適当にネギと言ってやれば、本当に確かめようと顔をペタペタと触り始める。

 今日の昼食はどうやらうどんだったようだ。

 そうこうしているうちにこれならまあ大丈夫だろうとあるカセットを手に取る。ディスクをハードの口に入れ、再びモニターのケーブルをPS○に繋ぎ直す。

 

「できるのか?」

 

 若葉がそう不安そうに尋ねてくる。

 

「ええ。ふたりは無理だから、悪いけど乃木さんひとりだけでプレイしてちょうだい」

 

 そう言って、モニターにホーム画面が映ったのを確認した千景はコントローラーを手渡す。

 

「でもそれじゃあ、せっかく一緒にゲームがしたかったのに……」

 

「また別の機会にすればいいじゃない」

 

 と言ってから、何を言っているのだと遅れて気づいた。

 慌てて訂正しようとするが、その真意をいち早く悟った若葉は楽しげに「じゃあ、また今度な」と言った。

 だから「ふん」と鼻を鳴らす。

 

「ところで今からやろうとしているゲームはどんなゲームなんだ?」

 

「赤ちゃんを抱えながらおじさんが荷物を運ぶゲーム」

 

「…………うん?」

 

 目を丸くさせた若葉が可愛らしく小首を傾げる。

 

「んん? んん〜? なんだそれは。それは果たしてゲームなのか?」

 

「もちろんゲームよ。ストーリーがメインといったところかしら。一応ちょっとした戦闘シーンとかもあるわよ」

 

「変わったゲームなんだなぁ〜」

 

 時代に取り残された老人のようなコメントをした若葉に渡したコントローラーを操作して予備のアカウントでログイン。

 このゲームはセーブデータがひとつしか作れないため、複数作りたければ違うアカウントが必要だ。

 幸い今ログインしたアカウントにはセーブデータがないから、手際良く『New Game』を選択する。

 

「ゲームの難易度はどれがいいかしら? おすすめはノーマルかイージーだけど」

 

「そうだな……一応イージーで頼む」

 

「了解……ん、あとはどうぞ」

 

 ベッド横に置かれたリクライニングソファに座るよう促し、千景はその隣に座った。

 小さな丸テーブルの下にふたりが脚を伸ばす。ベッドの上に寝転びながら観賞も考えられたが、それではなんだか若葉に失礼な気がした。

 

「ありがとう、千景」

 

「……ん」

 

 ゲームは映画風な映像から始まった。

 千景は一度クリアしているので無言でプレイを見届ける。

 

「ところでどうやって移動するんだ?」

 

「Lスティックを倒すのよ」

 

「える……すてぃっく……? なんだかかっこいい響きだな」

 

 そうだった。

 初心者にもほどがあるのでは思ってしまうほど初歩的な質問に、密かに笑いがこみ上げてくる。

 恐らく移動の信号を一定時間感知しないと、ゲーム側でわかりやすいようにボタン操作を表示されると思われる。

 が、一応ここはおんぶにだっこ精神で丁寧に教える。

 なんとか移動やカメラ操作、ジャンプやその他の操作諸々は覚えたのだが、やはりキャラの動作はぎこちない。

 まあ慣れの問題だろうと千景は成り行きを見守る。

 

「映像ばっかりだな。思ってたのと少し違う」

 

「まあ確かにこのゲームはそこらのものとは違うし。でも面白いわよ。私が保証する」

 

 それなりにクソゲーか良ゲーかを見極める目はあると思っている千景は自信満々に伝える。

 すると。

 

「なら安心だな!」

 

 と疑いもなく信じる若葉が千景にはよくわからなかった。

 それほどの仲ではないというのに。

 まだ序盤だからゲームシステムは複雑にはなっておらず、すいすいと荷物を運ぶ。

 どうやら若葉は多くの荷物を往復して届ける派ではなく、一気に運ぶ派らしい。

 当然荷物は重くなり、その分キャラの足取りが重くなる。

 

「すごく……難しい……なっ!」

 

 キャラの歩行のリズムに合わせてそう言った若葉。

 レースゲームで曲がるときに自分の身体も傾く人はそれなりにいるが、まさかこんな人間もいるのか。

 半ば関心しながら「そうね」と適当に返事を返しながら、そろそろ喉が渇いてきたからテーブルの上のジュースに手を伸ばす。

 そこでようやくコップを用意していないことに気づいた。

 なんだかんだゲームに熱中に一言断ってから台所に立ち、食器棚にしまってある使い捨ての紙コップふたつと取り、マジックペンでそれぞれ『千』と『わ』と書く。

 これで互いに間違えたりすることはないだろう。

 リビングに戻ってくると、何やら若葉が難しそうな顔をしている。

 

「なあ千景、これどうしたらいいんだ? 荷物を持ったまま川を渡ろうとすると、スタミナがごっそり削られるんだ。それに時々流れに耐えられずに流されてしまう」

 

 確かにゲーム画面を見れば、スタミナがもう半分以下にまで低下している。

 飲み物を飲めば回復するが、スタミナの最大値までは回復しない。拠点に戻れば別の話だが。

 

「ちょっとどんな荷物を持ってるのか見せてもらえる?」

 

「ああ」

 

 表示された荷物一覧を一瞬で読み、適切なアドバイスを送る。

 

「梯子を持ってるわね。それを使うといいわ」

 

「なるほど? どうやってやるんだ?」

 

「ちょっと貸して」

 

「わかった」

 

 コントローラーを一旦受け取った千景は手際良く装備を『梯子を持つ』にして、押すボタンを見せながら実践してみせた。

 

「おおー! なるほど! これなら確かに川が渡れるな! さすが千景!」

 

「……別に大したことないわよ」

 

 そう、本当に大したことない。

 これくらいなら難易度がイージーだからヒントが勝手に出てくるはずなのだ。

 それでもできないとは、思っていたより若葉はゲームが下手なのか……? どんなことでものみこみが早いと考えていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

 紙コップにジュースを注ぎ、お菓子の袋を開ける。

 

「ジュース、いる?」

 

「ああ、ありがとう」

 

 千景はちらりと若葉を一瞥する。

 薄暗い部屋で、ふたりきり。

 高嶋とならそれなりの頻度であることだが、よりにもよって若葉と、という状況はやはり不快感を覚える。

 でもこうして屈託のない若葉との会話はちょっぴりだけ心地が良い。

 高嶋とはまた違ったもの。

 高嶋に対しては比較的受け身になることが多いが、若葉の場合だとこちらからそれなりに言葉をかけることが多い。

 自分はあまり口数は多くないと理解しているが、不思議とこちらから口が前に出る。

 荷物を運び終えて任務を達成した若葉はコントローラーをテーブルに置いてコップを手に取ってジュースを喉に流し込む。

 

「面白いな、このゲームは! ストーリーも面白いし、引き込まれたぞ!」

 

 続いてお菓子に手を伸ばそうとする。

 

「――上里さんの差し金?」

 

 と、千景は唐突に尋ねた。

 若葉の手が止まった。

 ゆっくりとこちらを振り向く。

 

「上里さんに言われて来たんでしょ? きっと」

 

「…………」

 

 若葉はきゅっと唇を結んで黙りこくる。

 沈黙は肯定と受け取る。

 まあ、そんなところだろう。ひなたは中学生とは思えないほど俯瞰した視野を持っている。だから千景の様子を気にかけて若葉を仕向けたといったところか。

 ……余計なお世話、だ。

 とはいえこうして部屋に入れた以上、今更出て行けなどとは言わない。ゲームもここからが面白いというのに、それは自身の中のゲーム魂が許さない。

 

「……そうだな。今日は本当は学校の宿題をしようとしていた。正直言うと、ひなたに言われるまで千景のことは頭になかった」

 

「ま、そうでしょうね」

 

 失望はしていない。落胆もない。

 ゆえに気分は沈まない。

 魂の奥深くから溢れるように大きくため息を吐くと、若葉が身体をぴくりと震わせる。

 

「別に怒ってなんかないわよ。私とあなたの仲はこの程度ってこと。今日のこれだってたまにするくらいの仲。それでいいじゃない」

 

 千景の双眸は、長時間放置によって自動的に休憩モードになったキャラを一点に見つめている。

 

「別に仲間だからって無理して親密になる必要はない。バーテックスが襲来してきた時は一緒に戦う。日常もまあそれなりに」

 

 頬杖をついた千景はほら、と顎でゲームの続きを促す。

 それに黙って従う若葉は静かにキャラを動かす。

 

「千景は……私のことが嫌いなのか?」

 

「どちらかと言えば嫌いよ」

 

 即答された若葉はしかし、悲しむことはせず、むしろ微笑みを向けた。

 

「そうか……しかし、こうしてゲームさせてくれているわけだから、どうしようもなく嫌いってわけではないのだろう?」

 

「……ふん」

 

 すると若葉は得意顔になった。

 

「なるほどな。知ってるぞ。こういうのを『ツンデレ』というのだろう?」

 

「なっ⁉」

 

 急激に身体が熱くなる。

 わざとか? わざとなのか⁉

 無知ゆえの発言ならまだ許せるが、知っていて言ったのならばそれはもう確信犯だ。

 デレ要素は全力で否定するが、確かに今の「……ふん」はツン要素にカテゴライズされるのは違いない。

 目に見えて狼狽えた千景はそれを必死に隠そうとすぐさま表情を戻すが、その様子を終始見ていた若葉は楽しそうに笑った。

 

「すまないな、少しいじわるがしたくなったんだ……くくく」

 

「あなたね……! もういいわ。さっさと続きをしなさいよ」

 

 言われて渋々コントローラーを手に取り、キャラを少しばかり動かしたところでなぜか動きを止めてしまう。

 そしてもう一度こちらを見ると、

 

「実は私のプレイが見たくてうずうずしているのでは……?」

 

 となんとも面倒くさいことを言ってきた。

 逆鱗に触れはしないが、その周囲で煽るように羽毛でそっと撫でられているような感覚だ。

 だが不愉快であることに違いはない。だからどうしても言い返してやりたいと強く思い、

 

「ネタバレしてあげましょうか? 実は――」

 

 と不敵な笑みを浮かべながら言ってやる。

 

「今すぐ始めますだからネタバレだけはしないでくれぇ!」

 

 血相を変えてすぐにゲームに意識を切り替えるのを見て、「ふっ」と鼻で小さく笑う。

 若葉とこれほどの量の会話をしたのは恐らく初めてではないだろうか。

 そもそも口数の少ない千景が他人と話すことは高嶋を除いてそれほど多くない。

 なおさら嫌いな若葉となれば会話は極端に減る。

 ……若葉が嫌いだ。

 理由はたくさんある。

 勇者みたいな凛々しさが羨ましい。

 勇者みたいな強さが羨ましい。

 勇者みたいな優しさが羨ましい。

 勇者みたいな……勇者みたいな、明るさが羨ましい。

 認めよう、これは嫉妬だ。

 千景は一方的な嫉妬で若葉を嫌っている。

 しかしながら、これがそこまで悪いことではないと思っている。人間誰しも好き嫌いがある。四国の人間が全員、若葉を好きなわけではない。

 嫌いな人間が偶然間近に……同じ勇者だっただけだ。

 決して相容れない関係というものは確かに存在している。

 若葉が嫌いだ。

 あなたはリーダーに向いてないと厳しく罵ったこともあった。

 だが今はどうだ。勇者部は風をトップとしているが、戦闘になれば指揮系統を分散することなんて多々ある。その中で若葉は的確に指示を出すことができるようになってきている。稀にミスをすることもあるが、さすがに完璧を求めるのは酷というものだろうし、それをカバーするのが千景たちの役割でもある。

 これも認めるしかないが、若葉はリーダーとして上手くやっている。日常でも、皆のまとめ役をよく買って出る。

 非常に腹立たしいが、これもまた一方的なドロドロした醜い感情。それも若葉の前では光を当てられた闇のように霧散してしまう。後には喉につっかえるもどかしさが残るのみ。

 きっと。

 きっといつの日か、胸の内でずっと燻っているこの猛烈な嫉妬は消えてなくなってしまうだろう。

 そんな漠然とした予感を千景は感じている。

 告白すると、勇者部というグループは非常に居心地がいい。全員が勇者、もしくは巫女、さらに防人といった特殊な御役目を頂戴した者しかいないこの集団では、誰もが千景を特別な人間として見ない。

 贔屓しない。

 平等に見てくれる。

 悪いことをしたら怒られ、良いことをすれば素直に喜んでもらえる。

 こんな当たり前といえる日々こそが、千景が恋い焦がれ、強く欲していたものなのだ。

 この優しさに当てられて角が取れてしまうのは仕方ないこと。現に当初はあまり上手くいっていなかった夏凛と芽吹も今では仲良しこよし。

 あれは恐らく芽吹から夏凛への羨望に似たものなのだろう。

 いつか自分たちの時代に戻った時、心の平穏を同じように保ったままでいられるか。これが最も重要である。

 この時代の人たちはほとんどの人が明るく接してくれているが、西暦の人たちはまるで違う。

 疑念や侮辱なんて挨拶のようなもの。

 それに千景は耐えられるか?

 昔、千景をいじめていた奴らにふと遭遇した時、平常心を保てるのか?

 ……無理だ。

 今の千景には、無理だ。

 カラカラになった喉を潤そうとコップにジュースを注ぐ。若葉のコップのもついでだから注いでやろうか、と考えた時。

 

「このボスみたいなのどうするんだ⁉」

 

 身体を少しばかりこちらに傾かせた若葉が困惑の声を上げた。

 不意に肩同士が触れ合ってしまうが、若葉は気づかないままアドバイスをせがんでくる。

 見たところキャラの体力も残り三割を切り、非常に差し迫った状況だ。

 

「ほら、そこに落ちてる装備を拾って」

 

「ええ⁉ でも遠いし足場が悪いから無理だ!」

 

 頑張って千景の指を差した装備を拾おうと奮闘するが、ボスの攻撃や地面のぬかるみに囚われて思うように前に進めない。

 

「そこの崖の縁を走ったら行けるでしょ! ……ああもう、下手くそ!」

 

 怒りのままに言い放った言葉に若葉の困惑は頂点を突破した。

 

「ええええ⁉」

 

【挿絵表示】

 

 そう言ってうだうだしている間にもボスに残り少ない体力を削られて死んでしまった。

 

「やられたああああ!!」

 

 と叫びながらゲームをポーズした若葉は両腕を上に高く掲げ、そのまま後ろのベッドに上半身を倒れこませる。

 披露の溜まった眼球を休ませるべくきゅうう、と強く瞑ったあと、カーテンのかかった窓を見やる。

 やや明るかった外も暗くなっていて、あれほど耳障りだった雨音もとうに聞こえなくなっていた。

 

「あー、もうだいぶ暗くなったな。だいたい二時間くらいやってたか? 流石にもう、目が疲れたな」

 

 しょぼしょぼと瞼を瞬かせる若葉は眠そうに大きく伸びをした。

 

「そうね。これだけ長時間すれば疲れるでしょう。そのくらいにしておいたら?」

 

「うむ。そうだな。ここまでにしよう」

 

 のっそりと立ち上がった若葉は最後のひとつまみとしてお菓子をつまみ、もう一度伸びをする。

 若葉をドアまで送る千景の目にも少し疲労の色が滲んでいる。

 あれだけ下手くそプレイを見せつけられて口出ししたくなるのを極力我慢していたのだ。

 怒りといった負の感情はないが、こう、色々教えてやりたいといった欲求が留まるところを知らなかった。

 

「今日はありがとう」

 

 そう、ぽつりと落とし物をしてしまったかのように唐突に若葉が言った。

 こちらに背中を向けているため表情は窺えない。

 

「今日は私ばかり楽しませてもらったが……千景は良かったのか?」

 

「良いわよ、別に。ゲームの面白さを少しでも布教できたと思えば僥倖よ」

 

「それならいいのだが……」

 

 腑に落ちない様子で若葉がこちらを振り向く。

 釈然としない顔。

 菖蒲(しょうぶ)色の瞳が千景を覗き込む。

 つい千景が無意識に顔を逸らすと、若葉が口調を切り替えて言い放つ。

 

「お前が私のどこを嫌っているのかは正直わからないが……こうしてふたりきりで同じ時を過ごすことができたんだ。きっと私たちがわかり会える日が来るさ」

 

「は、はあ? そんなわけ……ないでしょ」

 

 目を細めながら冷たく返す。

 

「いいや、来るな。異世界に来て長い時間が経って気づいたが――間違いなく千景は変わってきている。いい方向にな」

 

「…………」

 

 沈黙は肯定だ。

 若葉は小さく笑う。

 

「いつか……私のことが嫌いではなくなって……好きになる日が来ると、私は思っている」

 

「来ないわよ。百歩譲っても私が乃木さんを好きになることはないわ」

 

「……つまり、嫌いではなくなる可能性は十分にあるな」

 

「――――」

 

 不愉快だ。

 ちょうど胸のど真ん中を小突くが、若葉はどこ吹く風といった顔。

 

「いつ元の世界に帰れるのかはわからないが……それまではできる限り仲を深めようじゃないか。私は千景のことをもっと知りたいし、千景にも私のことを知ってほしい」

 

 真剣な眼差しになった若葉から視線が外せない。

 これだから若葉が嫌いだ。

 人のことを知りもしないでずかずかと居間に乗り上げてくる。

 その態度が特に気に食わないというのに。 

 のに、どうしてだろう。

 若葉の言葉には妙に説得力がある。

 だから真っ向から否定できないでいる。

 一方的に向けられる優しさは良い。

 正直言って心地良い。しかしながら、与えられるだけの人間は……違う。

 それは勇者などではない。

 他人を知り、自分を知ってもらう努力をすることが、今の千景に必要なこと……なのかもしれない。

 

「それで、だな」

 

 あまり人前で見せないようなもじもじした動きをしながら、こちらの反応を窺うように続きを口にする。

 

「あのゲームって……あとどのくらい続くんだ?」

 

「……今日で一割と少し進んだところね。まだまだ長いし、わかったとは思うけどストーリーもとても良いわよ」

 

「だよな。そうだよな……だから……」

 

 口元をもごもごさせた若葉は意を決したのか、しかしまだ少し照れが残っている声色で言った。

 

「またお前の部屋にお邪魔してもいいか? それに、今度こそはふたりでゲームがしたい」

 

「…………」

 

 なんだ、若葉も可愛いところがあるではないか。

 ちょっぴり優越感を覚えた千景は両頬を緩ませる。

 これこそが、若葉の知らない一面を知れた、といったところだろうか。

 仄かに残った雨の香りが嗅覚を満たす。

 程よく心が晴れたような気がして。

 不安げな年下に、千景は穏やかに返事を返したのだった。




なんて返事したのかはどうぞ妄想してください

もう一話くらい投げたいけど、ネタがないからこれで終わりかもしれないです


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