ヒロインとの裏話 (やなや)
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兄の呼び方(在原七海1)

RIDDLE JOKER のヒロイン在原七海の子供時代の話。

原作では〝お兄ちゃん〟呼びがたまに出ちゃういいわけで「昔の癖で…」って言ってたけど子ども時代描写のときから呼んでなくない?と思ったので呼ばせていただきました。

ここまで長いの書いたの初めてだから拙いけど最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
楽しんでもらえたらもっと嬉しいです!


兄の呼び方

 

 わたしが在原家に引き取られてから一か月ほどが経った。ようやく〝父〟と〝兄〟に慣れてきて〝在原七海〟に馴染んできたところだった。いつも明るくて優しい父とぶっきら棒だけどやっぱり優しい兄のおかげで〝家族〟の暖かさを実感していた。

 今の暮らしには何の不満もないしきっと幸せなんだと思った。だから今、目下わたしを悩ませていることは別のことで、それは新しく通い始めた学校でのことだった。

 

 二週間前からわたしは小学校に通い始めた。もともと暁君が通っていた小学校の四年生。暁くんは一つ上の五年生だ。学年が違うから学校で接する機会は多くはないけどそれでも日に2,3回は見かける。多分だけどわたしを心配して様子を見に来てくれているんだと思う。本人はそんなことおくびにも出さないから直接は確かめてないし、きっとばれていないと思っているから聞けもしなくて実際のところはわからないけれど。

 だから遅かれ早かれ暁君には気づかれてしまっていた。それがたまたま今日だったというだけで。

 

 「おいこっち向けよ!」

「無視すんなよ在原!」

 下校時間、わたしは二人の男子児童に絡まれていた。目立たないように放課後少し時間がたってから昇降口に向かったのに見つかってしまった。普段は暁くんがわたしのことを待っていてくれて一緒に下校するけど、今日は五年生の授業が四年生よりも一つ多かった。だから一人で先に帰ることになっていたのに。

 

 何が気に触れたのか、転入して一週間ほどから男子にちょっかいをかけられるようになってしまった。わたしもはっきりと拒絶すればいいのかもしれないがよく知らない人と話すのが怖い。それでも周りに人がいないこの状況では誰も助けてくれない。自分で言うしか…。

「や、めて」

「あ?なんだよ。何か言ったか?」

「うじうじしてないで言いたいことがあるなら言ってみろよ」

 ダメだった。わたしのささやかな抗議は恐怖でかすれて言葉になる前に霧散してしまう。もう、逃げるしかない。

「あ、おい待てよ」

 運動が得意じゃないわたしの動きでは振り切れず腕を掴まれてしまう。痛い。怖い。

 誰か、助けて。

 

 ——ヒュ、ドカ。

 

 瞼にたまった涙が決壊しそうになった時、わたしの腕をつかんでいた男子の鼻先を何かがかすめて下駄箱に当たり、大きな音をたてた。それは見覚えのある運動靴だった。

「お前ら、何してんだ」

 その声に男子二人は何者かと、わたしはその正体を悟りながら振り向く。

そこには暁君がいた。

 

 

 

 「なんだよお前。関係ないだろ!」

俺は七海の腕を掴んでいる奴を睨みつけながら、

「俺は、七海の、兄だ」

そう言って一歩ずつ七海たちに近づく。そこで七海が目に涙を浮かべていることに気が付き、不快感が俺を支配する。七海の腕を掴んでいた手を強引に外す。

「お前らこそ何をしているんだ」

七海を背に隠してもう一度問いただす。突然の乱入者に驚きながらも言い返してくる。

「別に何もしてねーよ」

と。さらには残る一人が言い放つ。

「つーかさ、お前兄貴とか嘘だろ。そいつが転入してくる前からこの学校にいたよな、見たことあるぞ。しかもそいつ、親いないんだろ?母ちゃんが言ってたぞ!〝家庭の事情〟とか言ってるやつはそうだって」

「黙れよ」

その言葉に俺は思わず拳を握り振り上げてしまう。が、振り下ろす前に止められてしまった。背後にいる七海によって。

「だめ、です。乱暴したら暁くんが悪くなっちゃう…」

控えめながらもしっかりと俺の服の袖を握って離さない。なんでこんな奴らをかばうのか。

「ほら!自分の兄貴なら普通そんな呼び方しないだろ!やっぱり嘘なんだ!」

本当に黙れ!袖を引く七海を外し、しっかりと顔面を狙い、左足を踏み込む。

「だめ!」

七海に右腕に抱きつかれまた止められてしまう。

本気で自分に襲い掛かろうとしている俺にビビったのか、連中は「ばーか」とばかなことをぬかしながら走り去ってしまった。

 

 

 

 「…何で止めたんだ」

二人取り残された昇降口で暁くんが静かに訊いた。わたしは暁くんの腕を外し、うつむいている。

「…だって、わたしも暁君も話すの上手じゃないからきっと暁君が悪者にされて怒られちゃいます」

しばらく時間が経ってようやくわたしは声を出せた。

「別にいいって」

「よくないです。わたしが嫌です」

自分でも驚くくらいにはっきりと声がでた。それに驚いたのか暁くんは黙ってしまう。

「…なんでここにいたんですか?五年生は授業中、ですよね?」

「授業が体育なんだよ。それで膝すりむいて保健室に行くところだった」

その言葉に視線を向けると確かに膝から血がにじんでいた。大変だ、早く保健室に…。わたしは慌てて暁くんの靴を拾いに行き、(自分でやる、と抵抗した暁君から無理やり)もう片方の靴を脱がせ、五年生の下駄箱で上履きと交換して戻ってくる。

「早く、早く行きましょう」

「おい、ちょっと、引っ張るなよ。お前保健室の場所わかるのかよ」

そういえば保健室にはまだ行ったことがなかった。

 

 保健室につくと保健の先生が慣れた手つきで手当てを始める。「気をつけなさいって言ってるでしょ?」と小言をいわれる姿から暁君は常連さんなのかな、とのんきに思ってしまう。

 手当てが済むと暁君は、

「授業に戻る。七海はここで待ってろ、一緒に帰ろう」

と言い残し、保健室を出て行った。

 

 わたしと保健の先生の二人だけが残された。

「はじめまして、在原七海さん。私は…」

と先生が話しかけて自己紹介をしてくれた。私はたどたどしくもそれに相槌を打っていく。

「ところで、どうしてこんな時間に残っているの?四年生はもう授業終わっているわよね?」

その問いの答えに詰まってしまう。

 暁君は手当て中もわたしが触れないならと、さっきの内容は先生に伏せていた。わたし自身もこの先生のことを不審に思っているわけではないけど、初めて会う人にあんまり自分のことを話したくない。

 「まあいいわ。なにかあったら相談しに来なさい。学校のことでもおうちのことでも。もちろん、なにもなくても遊びに来ていいわよ」

答えないわたしに先生は優しく笑いかける。どうやらこの人はわたしの〝事情〟を知っているようだ。アストラル能力のことは秘密にしているはずだけど在原家に〝迎え入れられた〟ことは把握しているのだろう。

「ありがとう、ございます」

 そのあとは暁君が保健室に走り込んできて先生に怒られるまで二人とも喋らず、ただたまに吹く午後の風の音だけを聞き時を過ごした。

 

 帰り道を二人で、わたしは一歩遅れて歩く。どちらもずっと無言で。一緒に帰るときは会話が弾まず無言なことも少なくないけど、今日はいつもより空気が重かった。

 それでもわたしを助けてくれたこの人に一つ言っておかなければならない。

「あの…」

「なんだ?」

わたしのかすかな声をきちんと拾ってくれる。この人相手に怖がる必要はなにもない。きちんと言葉を伝えなくては。

「ありがとう、ございました。助けてくれて」

言えた。視線を下に向け、とてもお礼を言う態度ではないけれどきちんと言えた。暁くんはちょっと間をおいてから、

「いいよ、俺は七海の兄ちゃんなんだから」

と返してくれた。

 そのあとはまた無言だったけど、さっきよりも空気が軽く感じた。

 それからまたしばらく歩いてだいぶ家に近づいたころ暁君が七海、とわたしを呼ぶ。

「さっきのことだけどさ、学校、転入したばかりだけどまた別のところに入ることだってできると思う。親父に言えばそのくらい何とでもしてくれるだろうし、七海のためなら今の家から引っ越すことだって多分何もためらわない。俺も同じタイミングで転入すればあんなこと言われないで済むだろ?」

「…」

「俺のことだって気にすることはない。俺だってこの学校には転入してきたんだし、この学校を卒業したい、なんて愛着は特にない」

「…」

「とにかく、俺と親父がいるから。なにも〝嘘〟じゃないから」

わたしはずっと黙って聞いていた。わたしのことを考えてくれて守ってくれようとしている。それを実感して胸が温かくなる。

でも、だからどうしてもあの一言が引っ掛かった。

 

——ほら!自分の兄貴なら普通そんな呼び方しないだろ!やっぱり〝嘘〟なんだ!——

 

 考えてみればまだこの人のことを〝そう〟呼んだことがない。

新しい父のことを〝お父さん〟と呼んだことは何回かあった。まだ慣れなくてちょっとはにかみながらになるけど呼ぶとお父さんは嬉しそうに返事をしてくれた。

兄のことは一貫して〝暁君〟と呼んでいる。もともといた場所に父と母はいても兄はいなかったからそもそもその存在自体が未知なのだ。何て呼べばいいのか、どう接すればいいのかわからない。

今の関係をまさか〝嘘〟だなんてわたしが一番思っていない。でも受け入れ切れていないのも事実なのかもしれない。

 この人はわたしを守ってくれる。〝妹〟だから。そうやって兄を伝えてくれている。それならわたしはどうやったらこの人に妹を返せるのか。

 嘘だなんて思わせないし、思わない。本物の家族に、兄妹になる。そのために一歩踏み出したい。

 

 だから。

「あの」

 ずっと黙っていたわたしが急に声を出すものだからわざわざ立ち止まってこちらに振り向いてくれる。そしてじっとわたしの目を見る。目が合う。わたしは今度こそこの人と向き合えている。だからここで伝える。

 

 「ありがとう、〝お兄ちゃん〟」

 

 さっきとは違う、面と向かった言葉。自分の中のものをこの言葉に全部乗せた。初めて口にしたけど不思議としっくりくる。なんだか顔まで緩んでいる気がする。

 お兄ちゃんは少し驚いた顔をした後、

「ああ、任せとけ」

と笑ってくれた。

 後になって思う。〝在原七海〟はお父さんに保護されたあの日に始まった。そして、〝在原暁の妹〟は今この瞬間に始まったのだと。

 

 「お兄ちゃん、わたしは逃げないよ」

並んで歩き始めながらわたしは宣言する。お兄ちゃんの隣にいられるのがなんだか無性に嬉しい。

「お父さんとお兄ちゃんがいるんだからわたしはどこにも逃げる必要はないよ。きっと乗り越えるよ」

「そうか」

お兄ちゃんは不器用に、でもそっと頭を撫でてくれる。

「でも、また困ったら助けてほしい」

「いつでもどこでも助ける。俺は七海のお兄ちゃんだからな」

 

 

 次の日、授業の休み時間にまた例の二人に絡まれた。わたしはお兄ちゃんから

「自信なさそうに下向いてるから舐められるんだ。相手の顔を見てはっきりものを言ってやれ。どうしようもなかったらまた助けてやる」

と言われたことを思い出す。

 まず相手の顔を見る。対面するのはちょっと怖いけど、ちゃんと見たら普通の私と変わらない子ども。必要以上に怖がる必要はない。そう思うとちょっと余裕ができて笑みがこぼれる。向こうも私の表情を見て驚いたようで、ちょっと顔が赤くなる。睨んではいないはずだけど怒ったのかな?

 次にはっきりと口にする。別に喧嘩を売るわけではない。もしだめでも絶対助けてもらえる。だから。

「仲良く、して?お願い」

よし、言った、言えた、言ってやった。どうなる。

 相手の反応を待つと、二人してなんだか顔がどんどん赤くなっていく。そしてあわあわしながら走り去ってしまった。

 なんだかよくわからないけど、撃退?に成功した。

 

 廊下を見るとちょうどお兄ちゃんがこちらを見ていた。また様子を見に来てくれたのだろう。しかもばっちり目が合ってしまい今更気が付かないふりもできない。というか今更気が付かないふりなどしなくていいのだ。

 わたしはお兄ちゃんの方を見て控えめに、でもしっかりと右手の親指を立てて、グッとアピールする。お兄ちゃんもそれを受けてグッと返してくれた。

 わたしもお兄ちゃんも笑えていた。

 わたしの様子に安心したのかお兄ちゃんは自分の教室に帰っていく。その背中にわたしはささやく。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

 

 

 それからはずっとお兄ちゃんと呼んでいた気がする。お父さんとお兄ちゃん。二人のことをそう呼べるのが嬉しかったから。もっと家族に、兄妹になりたかったから。

 だから、〝暁君〟の呼び方を思い出すことになった心境の変化はこのずっと後のお話。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます!
在原兄妹には是非末永く仲良くしてもらいたいですね!

Twitterで1ページSS書くのとはまた違った楽しさと難しさがありました…。
また投稿しようと思うので是非お付き合いくださいな!


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七海ちゃん初めてのお菓子作り(在原七海2)

二回目の投稿になります。拙いのは優しい目で見ていただきたい。

今回もRIDDLE JOKER在原七海の過去編になります。
時系列的には前回「兄の呼び方」の一年後くらいを想定しています。
未読の方はぜひそちらも併せてお読みください。

少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。


 「今度、家庭科の時間にクッキーを作ります。みんなどんなクッキー作りたいか考えてきてね」

 

 クッキー!

 小学校の帰りの会で先生が全体に向かって言う。みんながはーいと返事をする中、わたしは衝撃で声が出なかった。

 お菓子を〝自分で作る〟なんて発想なかった‼お菓子はお店で買うものだと思い込んでたし、去年は誕生日やバレンタインなんかのそういったイベントも初めてのことで手作りする余裕はなかった。なんでもない日にお菓子なんて作っていいのか!

 手作りする=ご飯の等式が根底にあったわたしは自分でお菓子を作るという未知の体験に期待で胸を膨らませる。

 

 「上手にできたら持って帰っておうちの人に食べてもらってもいいですからね」

 

 なんだと!持って帰ってもいいのか!お父さんとお兄ちゃん食べてくれるかな。食べてもらうなら絶対に〝おいしい〟って言ってもらいたい。

 

 先生がさようならを言ってクラスが解散する。わたしが一人黙々とクッキー作りについて考えながら帰り支度をしているとクラスで一番仲良くしてくれている女の子、千華ちゃんが近づいてくる。

「七海ちゃーん。クッキー作り一緒の班になろうね」

「うん!おいしいの作ろうね」

「もっちろん!七海ちゃんはおうちでご飯作ってるからね。その腕前には期待してるよ~」

「うーん、確かにご飯は作ってるけどお菓子作りはしたことないからなあ。ちょっと自信ない…」

「七海ちゃんなら大丈夫だって!」

 帰り支度を終えて昇降口に向かおうとすると千華ちゃんが声のトーンを抑え内緒話をするように片手で口元を隠し話題を切り込んでくる。

「そ・れ・よ・り~クッキーおいしく焼けたら誰かにあげたりするの?」

「うん!お父さんとお兄ちゃんに食べてもらうんだ!」

わたしは満面の笑みで答える。すると、反対に千華ちゃんはちょっと遠い目をして

「…うん。だよね。知ってた」

とややテンションを下げてしまった。

「本当、七海ちゃんは家族大好きだよね。お父さんはともかく、私一人っ子だからお兄さんの感覚はわからないなあ」

「お兄ちゃんはとっても優しいよ」

「うん、七海ちゃんの話を聞いてるとそうらしいね。それなら、その二人のためになおさらおいしいの作らなきゃだね。二人とも好きな味とかあるの?」

「…味?」

 

 

 

 

 

 校門で千華ちゃんとは別れ暁君と合流した。

 帰り道、二人きりの時間。もうだいぶこの道にも慣れた。歩幅の大きさも、歩く速さも、繋ぐ会話も、この一年足らずで心地の良いものに変わっていた。

 そんな緊張感とは無縁の空間でわたしはただじっと暁君の横顔を見つめる。

 

 味。味の好み。ご飯を作り慣れ、〝おいしい〟と言ってもらえることは多くなった。しかし、そうなったらそうなったでなんでも〝おいしい〟だから味の好みについては実はあんまり把握できていない。野菜や魚よりは肉類の方が好き、とかその程度である。

 さらに甘いものとなるとまたやっかいだ。わたし自身は甘いものが好きだし、お父さんが何か買ってきてくれると喜んで食べるけど、お父さんや暁君がお菓子やデザート類を食べてるところをあまり見たことがない。暁君とはたまに一緒にお菓子を食べるけど何が好きとかは全然わからない。

 つまりはリサーチあるのみ。

 せっかくだからクッキーはサプライズにしたい。二人に気づかれることなく二人の好みを調べるにはどうしたらいいのか…。

 

 「…み。七海?」

「あ、なに、お兄ちゃん」

必死に考え込んでいたせいで呼ばれていたことに気が付かなかった。

「いやなんかずっと俺のこと睨んでるから…。俺、何か怒らせることでもしたか?」

「ううん、別にそんなことしてないよ。ちょっと考え事してただけ」

「それならいいけど」

 

 危ない危ない。いきなり勘づかれるところだった。とりあえず、家に帰ったらクッキーの作り方を確認しておこう。

 

 

 

 

 

 家についたわたしはさっそくパソコンを立ち上げ、いつもの料理関連のウェブページを開く。

 なになに、今週のおすすめは〝ストレス発散!鬱憤晴らしておいしくいただく叩きつけ餃子〟か。よくわからないけど後で見ておこう。今はクッキークッキー。

 えーと、材料を混ぜて寝かせて型で抜いて焼く。言ってしまえば簡単そうだけど作ったことがないからいまいち怖いなあ。

 お菓子作りのポイントは、分量をしっかり量ること、か。そこはしっかり気をつけよう。

 

 クッキーの好みって何があるだろう。ふわふわ柔らかめのものか、歯ごたえのある固めのものかな、混ぜる分量や焼き時間で調節できるのかな。でも、一回目で調整しきるのはちょっと無理があるから今回はレシピ通りのやり方でにしておこう。

 それで、肝心要の味は…プレーン、チョコ、ココア、コーヒー、紅茶、抹茶、いちご、キャラメル、黒ゴマ、エトセトラエトセトラ…。

 …いっぱいあるな。しかもチョコはチップで入れる方法なんかもあるのか。きりがない。

 仕方がない。こうなったら家庭科のクッキー作りの日までお菓子を置いてみて観察してみようかな…

 

 わたしはそうやって決戦の日までクッキー作り方のポイントやターゲット二人の情報収集をこなしていった。

 

 

 

 

 

 そして決戦の日。わたしたちは戦闘服(エプロン)を身にまとい。戦場(調理室)に赴く。

「気合入ってるねー七海ちゃん。エプロン似合ってる、可愛いよ」

「うん、千華ちゃんもすごく可愛いよ」

「ありがとー。おいしいクッキー作ろうね」

 

 わたしは改めて班を見渡す。メンバーは四人。わたしと千華ちゃん、そして。

「あ、在原よろしくな」

「おいしいの作ろうな」

〝例の〟二人だった。

 わたしに出していたちょっかいも〝お願い〟が功を奏したのかなくなっている。わたしもあれからはせめてクラスの人くらいには、と決意し目を見て会話するようにしていた。

 しかし、かわりにこの二人の方がわたしから目線を外すようになっていた。他の子とはちゃんとお喋りしてるみたいなのに…。よっぽど暁君が怖かったのかな?

 

 「ところで七海ちゃん、味のリサーチはできたの?」

「うん…。完璧とは言えないんだけど、とりあえずお父さんには紅茶、お兄ちゃんにはチョコを作ろうかなって。材料もそれ用に持ってきたし」

「お、いいねー!私は特に味のこだわりはないけどどっちもおいしそう」

 

 本当はお父さんには毎朝飲んでいるコーヒーを作ろうと思っていたんだけど、試しにそのコーヒーを味見してみたらわたしには苦すぎてちょっと無理だった。さすがに自分で食べられないものを作って人に食べさせようとは思わない。

 お兄ちゃんについては一緒にお菓子食べるときによく観察したけど、あったものを食べただけ、という感じでよくわからない。でもたぶんチョコ自体は好きだし、ミルクよりブラック派なのかな。

 

 「はい、じゃあ皆さん、黒板に書いてある材料と道具を班で手分けして集めてください。準備ができた班からクッキー作りを始めていいですよ」

 先生の号令で戦いが始まる…。

 わたしは一目散に道具を取りに向かった。

 

 

 

 「…なあ、在原の兄貴覚えてるか」

「当たり前だろ、めちゃくちゃ怖かったんだから」

「だよな。この前も学年対抗ドッジボール大会で俺らすごく狙われたよな、しかも顔面狙い」

「ああ、明らかに顔面狙ってきてるから最初のうちはギリギリ避けられるんだけど、終盤になると勝つために普通に狙ってくるからな。そこからはもう避けられない…」

「しかも俺らが当てられた時の在原見たか?満面の笑み浮かべてすっごく喜んでんの。同じチームなの兄貴じゃなくて俺達なんだぜ?」

「だよな、あれはちょっとショックだった…」

 

 「ほら、そこのばか二人。お兄さんの悪口言ってるの七海ちゃんに聞かれたら確実に嫌われるよ。あんたたちがどうしても、って頼みこむから班に入れてあげたんだからきりきり働きな。好感度稼ぎたいならコツコツアピールしないとね」

 

 と千華に言われ二人は慌てて材料を取りに向かった。

 

 

 

 「千華ちゃん!お砂糖ちょっと多い!減らして!」

 「薄力粉、もっと丁寧に振るって!だまが残ってるよ!」

 「そこもっとしっかり混ぜて」

 等々と七海ちゃんの檄が飛ぶ。普段のおとなしい姿からは考えられない光景に目撃者全員が動揺する。七海ちゃんの目がマジすぎる。

 というか、私も若干ビビってる。ばか二人も張り切っていいところを見せようとしていたようだけど全然レベルが足りてない。

 当然、七海ちゃん自身も私たちに指示を出しながら作業している。しかも私たちは三人で紅茶クッキーを作っているが、七海ちゃんは一人でチョコクッキーを担当している。

 

 「あの、七海ちゃん。すごく気合入ってるね?」

と私が話しかけると、

「当然だよ千華ちゃん。絶対においしいって言ってもらうんだから!」

 本当にすごい。背後と瞳の中に熱い熱い炎が見えるようだ。

「これだけ頑張って作ったら、絶対おいしくなるよね。これだけ真心こめて作ってれば愛情たっぷりで完璧だよ」

少しでも熱を下げられるように、既に十分だという意味を込めて伝える。

 

 しかし。

「何言ってるの千華ちゃん。心をこめるのは当然だけど、愛情はそれだけじゃないよ。料理における愛情は『好みの分析把握と手間のかけ方』だよ!」

「え」

 想定外の切り返しの頭が追い付かない。なにかさらに過熱ボタンを押してしまった気がする。

「好みの分析は十分じゃない。もともとあまりお菓子に興味ない二人だし、わたしが作るものは大体おいしいって言ってくれるから分析が本当に難しい…。そして今回は授業時間内に終えなくちゃいけない関係でゆっくり手間がかけられない。だからそれぞれの作業を精一杯丁寧にやるんだよ!」

 目的のために完全やる気モードに入ってしまった七海ちゃんを前に、もうひたすらにおいしいクッキーを完成させなくてはならないと今更ながらにようやく悟る。

 「というわけで、残りの作業も頑張ろう!」

「い、いえっさー」

ま、そんなところも私の友達はかわいいんだけどね。

 

 

 

 

 

 帰り道、二人きりの時間。ちょっとだけ緊張する。でもそれは学校に転入した当初のようなお腹のあたりをきゅーと締め付けるような苦しいものではなく、心臓がバクバクしてなんだか落ち着かない感じ。

 

 ご飯はいつも作っているし、今日だってこれから食べてもらう。ただ、初めてクッキーを作ったというだけでそれの渡し方がわからない。

 味見はした。好みについては不明確だけど、クッキーとしては十分おいしくできてると思う。だから、きっと言ってくれる。

 

 「七海?浮かない顔してるけどなにかあったか?」

暁くんから声をかけられた。ついビクッと肩をあげてしまう。

「いや、なんでもないよ」

 我ながら嘘くさい。そもそも普段から黙って歩くことはあるけど、校門で合流してからわたしから一言も喋らない事なんて滅多にないからそりゃ怪しまれる。

 話を変えようと、今度はこちらから口を開く。

「今日、お父さんは遅くなるんだっけ?」

「ああ、そういってたな。夕飯の時間を過ぎるときには連絡するとも言ってたからどのくらいになるかはよくわからないけど」

 そうなると、もしお父さんが夜中とかに帰ってきた場合このクッキーは今日中には渡せなくなる。無理だ。もうすでに限界なのにこれ以上は心臓がもたない。早く楽になりたい。

 幸い、千華ちゃんのアイデアでお父さんとお兄ちゃん用にそれぞれでラッピングしてある。今ここで片方渡してしまっても問題なくもう片方にも渡せる。

 

 「ねえ、お兄ちゃん」

わたしの声にお兄ちゃんはこっちを向いてくれる。

「渡したいものが、あるんだけど」

わわわ、今更ながらになんかすごく恥ずかしい。今すっごく顔が赤くなってる自信がある。暁君は挙動不審なわたしに首をかしげる。

 落ち着け落ち着け、相手はお兄ちゃん。相手はお兄ちゃん。よし。

 

 心構えを終え、きれいにラッピングされた包みを渡す。

「はい、これ」

 お兄ちゃんは中身を確かめるように軽く握った後、壊さないように丁寧に包みの口を開けていく。

「これは、クッキー?」

「うん、授業で作ったの。持って帰ってもいいって言われたからお父さんと…、お兄ちゃんに。食べてもらいたいな、って」

「へえ、上手だな」

まずは見た目をほめてくれた。嬉しい。それだけでちょっとにやけてしまう。でも一番欲しいのはその言葉じゃない。

 「いいから、ほら食べて食べて」

「じゃあ、頂きます」

と言って包みから一つをつまみ、一回じっくり見た後にパクっと一口で食べてしまう。

 お兄ちゃんがその一口を味わっている中、わたしの緊張は最高潮に達していた。次にその口が開くのをまだかまだかと待つ期待と、そのままずっと口を開かないでほしいという不安が胸の中で混ざり合う。

 そしてついに口が開き、こちらの気なんてきっと知りもしないで気楽に言い放つ。

 

 「おいしい」

 

 ふっ、と胸の内にまぜこぜになって詰まっていたものすべてが消えてなくなったように軽くなる。

 そして顔中の筋肉がゆるみ、にやけるのが抑えられない。

 やったやったやったやったやったーーー‼

 

 「へへ、えへへ。よかった」

「これ、入ってるのチョコチップか?ビター系の」

「うん、お兄ちゃんチョコは甘いやつよりそっちの方が好きでしょ?」

「あー、最近やけに菓子勧めてきたのはそれを調べるためか」

「苦労したんだよ。お兄ちゃん、あんまり好み言ってくれないから」

「聞いてくれればよかったのに」

「ちょっとしたサプライズってね。それに、好きなご飯とか聞いても〝おいしいもの〟とか答える人にそんなの聞けないよ」

「それを言われると困るが…。七海の料理はなんでもうまいからなんでも好きだぞ、本当に。それに、このクッキーもすごくうまい。また作ってくれ」

「本当?」

「本当本当」

「わかった!また作るね!…クッキー以外のも作っていい?食べてくれる?」

「当たり前だろ、なんでも食べるよ」

 

 ついさっきまでの緊張が嘘のように次々に口が動き会話が弾む。

 欲しかった言葉がもらえ、また食べてくれるという約束までしてくれた。

 そのことが嬉しくて堪らない。

 

 「そうだ、今度お兄ちゃんも一緒に作ろうよ」

「ええ、俺料理とかしたことないぞ」

「わたしが教えてあげるから大丈夫だよ!きっと楽しいよ!」

「わかったよ今度な」

「うん!」

「クッキー、これで全部なのか?」

「ううん、あとお父さん用にもう一つあるよ。そっちは紅茶味なの」

「へえ違う味なのか、親父にちょっと分けてもらおうかな」

「それなら暁君もちょっと残しておかなきゃね」

「うーん、それももったいない…」

「また、作るから」

「うーん」

「―――――――――」

「――――――」

「――――――」

 

 夕日に照らされながら小さな二つの影は仲良く並んで兄妹の家へと帰っていった。




今回は七海ちゃんが父と兄を喜ばせたい!という内容を書きました。
暁との絡みが少なめになっちゃいましたが次にはもっといちゃついてもらいたいです。

ちなみにやなやの中では現時点で七海ちゃんは「暁君大好き!」でなく「お兄ちゃん大好き!」の認識です。

あと作中出したお友達の設定はそんなにないですが、イメージ的には赤髪ショートヘアのコミュ力お化けです。

Twitter(@11yanaya)でも七海ちゃんや他のキャラについて1ページ載せてますのでよろしければ是非…!
ちなみにやなやお気に入りは 在原七海/借り物競走 と 汐山涼音/私を呼ぶ声 です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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ピンク色に染まる頃(仮屋和奏1)

「卒業」をお題に一本書きました。

今回和奏ちゃんをメインに書きましたが、和奏√というわけではありません。
保科、海道、和奏は普通に親友です。


 「あーあ、ついに来たなこの時が」

昇降口を抜け、多くの生徒がそれぞれの輪を作る中を三人で歩きながら海道が小綺麗な筒を握りしめ感慨にふける。

 そんな海道と、その隣を歩くアタシと保科の胸には手のひらサイズの花が飾ってある。

 

 「柊史はいいとしてさ、和奏ちゃんは俺らと一緒にいていいの?女の子たちのところいかなくて」

「いいよ。もう十分に喋ったし、女の子同士ならSNSで頻繁にやり取りするし。海道はともかく保科はそんなにやらなそうじゃん?」

 話ながら歩いているとちょうどいい感じに空いたスペースを見つけた。

 

 「それにさ」

 

 そう言ってそのスペースに飛び込み、くるりと振り向くと保科たちを見上げながら言う。

「最後はあんたたちと過ごすって決めてたんだよ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん。どうしたよ柊史、ずっと黙ってて。我らが姫がこう仰せだぞ」

「いや、オレも嬉しいよ。友達なんてはっきり言えるのはオカ研を除いたらお前たちしかいないからな」

「お前はお前で悲しいこと言ってくれるね…」

「と・に・か・く!」

 アタシはそこで会話を切り、宣言する。

 

「高校生活最後の時間だ。存分に語りつくそうぜ、野郎ども!」

最後、という単語に胸がきゅっと締め付けられた気がした。

 ピンク色に染まった花びらがアタシたちを見下ろしている。

 今日、アタシたちは高校を卒業した。

 

 

 

 

 

 「やっぱさ、一番の思い出って言ったらバンド演奏だろ!」

「ああ、あれは最高だった」

海道の叫びに保科が同意する。もちろんアタシだって。

「和奏ちゃんは弾いて歌って大活躍だったもんなー、あの人気ぶりの欠片だけでも俺に分けてほしかった」

「オレたちも一緒にステージに立ってたのに全くちやほやされなかったからな」

「海道は普段の評価のせいでしょ。チャラチャラしてないで黙ってれば見てくれはいいのに。保科はオカ研の子にちやほやされてたでしょ」

 

 本当、いつもと変わらない。また明日からも同じ日常が続いていくようかのようにくだらない話を続ける。

 

 「海道はよく授業中にふざけて怒られてたっけ」

「それはそっちだってそうだっただろ!二人とも逃げるのうまいから結局俺だけ怒られちゃってさー、それ見てまた笑ってんの」

「あんまり見慣れちゃったからな。それにお前にとってはご褒美だろ」

「相手が早苗ちゃんならなー」

 

 この三年間で見慣れた笑顔が、今とても手放しがたい。

 

 「そういや和奏ちゃん、バイトはどうするの?」

「ん?続けるよ。アタシの進学先は実家から通えるところだからね。オーナーも喜んでくれた」

「それはよかった。相馬さんも働き手が減ると大変だろうからな」

「ちょっと保科、アタシまだ海道に喫茶店教えちゃったこと根に持ってるからね?二人でよくたまり場にしてくれちゃってさ」

「ごめんて。仮屋も休憩中は楽しそうにお喋りしてたからいいだろ」

 

 この時間ももう終わる。

 

 「そういえば本気で喧嘩したこともあったよな、なんだっけ仮屋のこと泣かせちゃったやつ」

「あったあった、和奏ちゃん泣かせちゃって俺らめっちゃ焦ったもんな。なんでだっけ」

「ちょっとちょっと!アタシのこと泣かせといて二人そろって理由覚えてないの⁉」

 

 本気で喧嘩したこともあった。喧嘩した理由なんて実はアタシも覚えてないけど「明日から一緒に笑えなくなっちゃうのかな」と思った瞬間涙が抑えきれなくなったことだけは覚えている。

 

 「毎日三人一緒にバカやったよね」

「笑えない日なんてなかったな」

「三人でいるのが当たり前だったな」

 

 アタシたちはこれから一人で旅立つ。

 共に過ごしたこの場所から別々の道を歩む。

 この思い出だけを胸に。この日々を思い出しながら。

 ああ、本当に。

 

 「本当に、たのし、かった…」

 

 気づいたら溢れていた。もう止まらない。拭っても拭っても抑えられない。

 二人が少し驚いて…それから微笑んでいるのがわかる。なんだよ、人が泣いてるのに笑うなよ。なんでずっと黙ってるんだよ、何か言ってよ。

 

 もう、息が苦しくて言葉がまとまらない。最後なのに。最後だから。こんな泣き顔見られたくない。この気持ちを伝えられない。

 

 だからアタシは二人を抱きしめた。右手に保科を、左手に海道を。二人の間に顔をうずめて…。

 

 

 ただ時間が過ぎるのを待った。二人はずっと待っててくれた。すこし気持ちが落ち着いてきて呼吸も整ってきた。

 二人から腕を離し、ゆっくりと数歩下がる。顔をあげると少し困ったような照れたような表情の二人がいる。

 まだ言いたいことはたくさんある。伝えたい気持ちも抱えきれないほどに。でもこの時間をいつまでも続けていいわけじゃない。あーあ。

 

 

 

 「あーあ、魔法があったらよかったのに」

 

 

 

 魔法?と保科が怪訝な顔をする。そりゃいきなりこんな突飛なこと言いだしたら不思議にも思うだろう。

 「魔法があったらさ、この楽しかった時間をもう一度過ごせたり、なんならずっと一緒に遊んでられるのになって」

 保科が今度は苦い顔をする。そんなうまい話あるわけないだろって感じの顔。もしもの話でそんな真面目に取らなくていいのに。

 

 「まあ、魔法は置いといてもさ、そう思えるくらいにあんたたちと過ごした時間は最高だったよ」

 二人の胸にそれぞれグーを叩き込む。いつもと違い花飾りつけた制服に本当に終わりを実感する。

 

 

 

 「魔法なんていらないさ」

 

 

 

 保科が言う。

「高校を卒業してもオレたちは終わりじゃない。オレたちの作った物語も消えない。明日やその先へつなげるだけだ」

「そうそう、俺たち高校卒業しただけだぜ。まだまだ楽しいこともバカもいろいろやって笑いまくるんだ。むしろこれから始まることの方が多いってもんさ」

海道が続く。

 

 二人は当たり前のようにそう語る。それが私には嬉しくて嬉しくて。

 

 「そっか、そうだね。これからも一緒に笑えるよね」

「当たり前だ。魔法なんかなくてもオレたちはなにも変わらない、だろ?」

「おうよ!三年間も毎日一緒にいたんだぜ、今更変われるかよ」

 

 だから最後に思いっきり笑えた。いつも通りの笑顔で。明日からもそうであるように。

 

 「よーし、だったら明日からのことを決めよう!二人とも、4月入るまでは暇だよね?遊び尽くそう!」

「いいねー、あっ俺腹減った。和奏ちゃんのとこの喫茶店で飯食いながら予定たてようぜ」

「このまま直行?なんだか卒業後も普通に入りびたることになりそうだな…」

「はーい、お得意様二名ご案内でーす!あ、卒業祝いにってオーナーがサービスしてくれるかもよ」

 

 

 

 結局、いつもと同じようにくだらない話をしながら最後の校門を抜ける。

 足を止め後ろを振り返ると三年間お世話になった校舎がそびえたつ。

 いろいろな思い出があった。たくさん学んだ。大事な人たちと出会った。

 本当に本当にお世話になりました。ありがとう。

 

 

 

 先を行く二人アタシが遅れたことに気づき声をかけてくる。それに返事をして小走りで追いつく。二人の間に入り、また笑いながら帰路を行く。

 

 

 

 本当、あんたたちと過ごせて楽しかったよ。

 




やなやは高校の卒業式の日には友人とラーメン屋に行ってグダグダお喋りしていた覚えがあります。
人それぞれの思い出があり、節目節目で思い出しては笑いあえる友人をこれからも大事にしたいと思います。

さて、実は「Hearts Grow」というグループの「物語」という曲がやなやはとても好きです。
内容は卒業にあたり、ずっと一緒にいた友人と離れる寂しさを歌ったものになりますが、別に卒業ソングとして好きというよりただ単純にこの曲が好きです。一番好きな曲です。
ただ、残念なことにびっくりするくらい知られてなくて当然カラオケなんかにも収録されてません。
確か、「NARUTO」の主題歌「ユラユラ」のB面に収録されていたはず…。
おすすめしようにもどこで聞けばええねんの状態。
とりあえずやなやはこの曲が好きなので節目節目の大事な時に聞きますし、当然自分の卒業時にもずっと聞いてました。

今回、その「物語」の歌詞を一部引用させていただいております。
といいますか、せっかく投稿というものを始めたのでこの曲を知ってもらいたい、というのが今回投稿した理由の80%ほどを占めております。
本当いい曲だと思いますので機会があったら是非お聴きください。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
和奏ちゃんとイチャイチャするお話は現在まったり執筆中なのでそのうち投稿します。

最後に、高校に限らず何かを達成し無事修了・卒業を迎えた方々、本当におめでとうございます。
あなたのこれからに幸多からんことをお祈りいたします。


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IF もし二人がアストラル使いじゃなかったら(在原七海3)

 ピ、ピ、ピ、ピ……。

 無機質な電子音が朝を告げ、今日も一日が始まる。

 かぶっていた布団をたたみながら起き上がり、窓を開けると少し冷たい風が頬を撫でる。

 万歳をするように伸びをして、まだぼんやりとしている頭を目覚めさせた。

「よし、今日も張り切っていってみよう!」

 

 キッチンに立ち、朝ご飯とお弁当の支度を始める。お弁当を用意するようになったのはこの春、高校に進学してからだからまだ慣れない。油断しているとうっかり遅刻してしまうことになる。

 とりあえず先に三人分の朝ご飯の支度を終わらせて、テーブルに運んでいると、

「おはよう七海。今日もおいしそうな朝ご飯だね」

 お父さんが起きてきた。

「うん、おはようお父さん。もう準備できるからね」

 そう言いながら準備を進めていく。

 最後に全員分のお箸を出したところで我が家最後の一人が顔を出した。

 

「おはよう。ごめんね七海、手伝えなくて。ちょっと寝坊しちゃった」

 

「大丈夫だよ。おはよう、お母さん」

 

 こうして、わたしの一日は始まる。

 

 

 

 

 

 わたしの家はごく普通の三人家族。たまに喧嘩なんかもしたりはするけど、お父さんもお母さんも優しくて大好きだ。

 わたし自身も特に変わりはない普通の女の子。……若干のオタク趣味はあるかもだけど。

 ほかにわたしの説明をするのなら、最近高校に入学した高校一年生である、ということぐらいだろうか。

 特筆することのない普通の高校。家からほどほどの距離をわたしは歩いて通学している。

 学力レベルは並み。部活動も目立って優秀な成果を上げているところはなかったはずだ。個人的に頑張ってもらいたい部はあるけれど。

 

 そんな高校を志望したのには、はっきりとした理由がある。

 大好きな人を追いかけるためだ。

 わたしより一つ年上の彼は、当然私より一年早く進学した。

 近所に住んでいて、親同士の仲もよく、小さいころから兄妹のように一緒にいた。

 いつの間にかしなくなってたけれど、昔は彼のことを〝お兄ちゃん〟なんて呼んだこともあった。

 気づいた時には男の人として好きになっていて、でも関係を壊すのが怖くて踏み出せなくて、ずっと「ただ近くにいる」状態が続いていた。

 

 けれど、それも今は変わった。

 彼の中学卒業のタイミングで、今までのように会えなくなる、誰かに取られてしまう、そんな不安から一歩踏み出した。

 その前と後で、正直わたしたちの関係は何も変わらなかった。

 それでも、〝恋人〟という名前をつけられたこの関係を、わたしはとても愛おしく思っている。

 

 

 

 

 

 学校の校門をくぐると、ちょうど予鈴が鳴った。

 いつも通りの時間。あとはこのまま歩いていれば……、

「おはよう七海」

「おはよう、七海ちゃん」

 後ろから追いついてくる声が二つ。

「おはよう暁君。周防先輩もおはようございます」

 

 西行暁。

 この人がわたしの恋人。

 わたしの一番大切な人。

 この人のことを追いかけてこの高校まで来たのだ。

 

 暁君はサッカー部に所属していて、今日も朝練に参加していた。周防先輩は暁君のお友達で、同じくサッカー部に所属している。

 今は朝練を終えて、部室棟から教室に向かうところだ。もうすでに練習着から制服に着替えている。

 いつもこのタイミングで歩いていると会えることをわたしは既に学んでいた。

 

「朝練お疲れ様、暁君。今日もお弁当作ってきてるから一緒に食べようね」

「ああ、ありがとう。毎日悪いな」

「わたしが好きでやってるんだからいいの」

 

 わたしと暁君が話していると、周防先輩が話に加わってくる。

「いいよね暁は。毎日毎日彼女の手作り弁当が食べられてさ」

「ありがたいことにな」

「全く、わざわざ高校まで追いかけてきてくれる恋人だなんて羨ましいものだね。毎朝見せつけられるこっちの身にもなってほしいよ」

「ならわざわざ練習後に一緒に教室向かわなくてもいいんだぞ?」

「そうは言っても、練習終わったらいの一番に身支度整えて教室向かうのは暁じゃないか。七海ちゃんと会えるようにって。僕だって早く教室に着いて、朝のおやつのおにぎりを食べたいんだから仕方ないんだよ。練習のあとはお腹が減るからね」

「あれはおやつとかいうレベルじゃない気がするが……」

「それに、同じ教室に行くのにわざわざ別行動してたら、まるで僕と暁の仲が悪いみたいじゃないか」

 

 最後にわたしの方を向いて、もちろんと付け加える。

「もちろん、僕がお邪魔虫だって言うなら空気を読んで退散するけどね」

「いえいえそんな、邪魔だなんて。暁君が周防先輩とお喋りしているのを聞くのも好きですよ、わたし」

「いい子だねー、七海ちゃんは。本当、暁が羨ましいものだ。そうだ、聞いてよ七海ちゃん。今朝はさ、暁、練習中にドジっちゃってさ——」

「恭平。その話はいいだろ」

「えー、わたしその話気になるなー」

「いいから。ほら、もう昇降口についたぞ。七海、あとでな」

「もう、ばいばい、あとでね暁君」

 

 昇降口からは学年が違うわたしたちは分かれることになる。

 こういう時に周防先輩が羨ましいと思う。正確には周防先輩だけでなく、二年生の人たちが。

 わたしも同じ学年だったならもっと一緒にいられただろうし、こんな寂しい気持ちにもならなかったのだろう。

 

 わたしが一つ年下だから、わたしたちには超えられない距離を感じた。

 そんなものないとわかっていても、そう考えてしまうわたしがいた。

 

 そういえば、こんなこと考えるのは、この気持ちを暁君に伝えるかどうか悩んだ時以来だな。

 あの時はひとしきり悩んだ。

 この気持ちを伝えたら離れていく暁君をつなぎ留めることができるかもしれない。

 逆に、拒絶されたらもうわたしたちの間に「昔仲が良かった」以上のものは望めない。

 暁君がわたしのことをどう思っているのかがわからない。

 わたしのことなんて〝妹〟としか思っていないんじゃないかって。

 

 結局はなんだかんだで気持ちを伝えてしまったし、それを受け入れてもらえた。

 でも、その時に言われた言葉は今でも覚えている。

 

 

『七海が言わなかったら、俺から打ち明けることはなかったと思う』

『ずっと妹のように思っていたから。そう、自分に思い込ませてたから』

 

 

 兄妹のように一緒にいたわたしたちは、そこを壊すのが怖かった。

 兄妹のようで兄妹じゃなかったから。だから怖かったし、だからこそギリギリのところで超えることができた。

 

 だったら、もし。

 もしも、わたしたちが本当に兄妹だったらどうなってたんだろうね、〝お兄ちゃん〟。

 わたしは久々に、心の中でだけど、彼のことをそう呼んだ。

 

 

 

 

 

 お昼休みになり、わたしと暁君は校舎の屋上で落ち合っていた。

 いつもは他に数グループが利用しているけれど、どうやら今日はわたしたちしかいないようだ。

 

「あー、つっかれたー! やっと飯だ!」

「はいどうぞ、お弁当」

「いつもありがとな」

「どういたしまして。召し上がれ」

「いただきます」

 

 二人で壁際に腰を下ろし、膝にお弁当を載せて食べる。いつも通りの風景。

 しかし、暁君の動きがなんだかぎこちない。

 

「暁君、動き変だよ? 怪我でもしたの?」

「いや、たいしたことじゃないんだが、朝練で膝すりむいてな」

「ああ、今朝周防先輩が言おうとしてたのはそのこと?」

「まあな。本当たいした怪我じゃないから心配はいらないぞ」

「ならいいけど」

 

 そう言ってわたしは自分の弁当をあむっと一口食べる。

「もしわたしがアストラル使いだったら、治癒能力者になって、そんな怪我すぐに治してあげられるのになー」

「それなら俺は怪力の能力者がいいかな。そうすれば競り合いで負けてこんな怪我しないで済んだし」

「あんまり乱暴なのはわたし嫌だよ?」

「んー、じゃあ瞬間記憶能力がいいかな。見たものをパッと覚えられたらテストで満点取り放題だ」

「能力の悪用はいけません。ちゃんとテストは自分の実力で受けなきゃ」

「わかってるよ。だいたい〝もしも〟の話だしな」

「実際周りで見たことないしね、アストラル使い。でも知ってそうな人なら知ってるかな」

「ああ、在原のオッサンな。あの人何の仕事してるのかわからないから、怪しすぎんだよなー」

 

 暁君の言う〝在原のオッサン〟とは以前ちょっとしたことでお世話になったことのある職種不明の男性だ。街で会えば挨拶してくれるしご飯をご馳走してくれたりする。とだけ言えばめちゃくちゃに怪しさ満点なんだけど、わたしも暁君も妙にあの人には気を許してしまっている節がある。なぜだろうか。

「まああのオッサンのことはどうでもいいや」

 暁君はそう言って話を打ち切る。

 

「なんか七海、元気なくないか? なにか悩み事か? 話くらい聞くぞ」

 今朝からちょっと元気がないのを見抜かれている。

 それもこれも、学年が同じならなかった悩みなのに。

 学年が同じで、あわよくばクラスまで同じになれたらなにも屋上の堅い床の上でご飯を食べなくても済むのだ。

 それこそ教室で机を向かい合わせてみんなに見せつけるようにお弁当を食べればいい。

 ただ、現状さすがにクラスどころか学年が違う教室で食べるのは、心理的ハードルが高すぎる。

 本当は教室での暁君の様子も知りたいのに。

 だからこそ、周防先輩の存在はありがたい。これからも情報リークお願いします。

 それはそれとして。

 

「暁君、高校入ってから妙に女の子と仲いいよね?」

「そうか?」

「そうだよ、去年文化祭に学校見学を兼ねて遊びに来た時には、すごく驚いたんだから。すごくきれいでかわいくてスタイル良くて今や学生会長も務める才色兼備のあやせ先輩に、黒髪ロング和風美人の二条院先輩、年上の余裕…というかすごく大きくて大人の余裕を醸し出す式部先輩。あんなにかわいい人たちに囲まれて何なの? ギャルゲの主人公なの⁉ ……あとそれに周防先輩も」

「それは……、それぞれいろいろあって仲良くなったんだ。ギャルゲとか言うな。あと恭平は男だ何言ってんだ」

「最近じゃ、わたしの親友とも仲良くなろうとしてるし……。なに? 同級生も先輩も攻略したから次は隠しキャラの後輩を落とそうってつもりなの⁉」

「壬生さんと話すのは主にお前のことだぞ。なんだよ隠しキャラって。あの子全然隠れてるタイプじゃないだろ、切り込み隊長レベルのコミュ力お化けだろ」

「うん……、だからわたしとも仲良くなってくれたんだけどね」

 わたしは割と人見知りするタイプだから、入学式の日から積極的に話しかけてくれた千咲ちゃんには本当に感謝している。

 

「というか、悩みってそれじゃないだろ」

「……バレた?」

「バレるよ、わかるよ。ずっと一緒にいたんだ。そのくらいはな」

「別に今のだって全くの嘘ってわけじゃないからね。彼女として、彼氏の女性関係はいつでも心配しています。わかってるの?」

「別にやましい心当たりはないけど気をつけます……」

 

「それで? 本当はなにを悩んでいたんだ?」

 話を流すことなく、暁君は追求する。

 まあ、いいか。別に隠すことじゃないし、その辺りどう思っているのか気になる。

 

 「もし。……もしさ、わたしたち本当に兄妹だったらさ、わたしたちはどうなってたんだろうね、〝お兄ちゃん〟」

わたしは語りだす。

「本当に兄妹で、それでもこの気持ちを持っちゃって。そうしたらやっぱり怖くて踏み出せなかったのかな。ずっと兄妹やってたのかな」

 

 こんな〝もしも〟の話をしても意味がないのはわたしだってわかっている。

 でも本当にお兄ちゃんみたいに思って育ってきたからどうしても〝もしも〟の可能性を考えたら怖くなる。

 

「七海にお兄ちゃんって呼ばれるのも随分と久しぶりだな」

 

 暁君は独り言のようにぼそっと呟いた。

 くだらない話をして面倒に思っちゃったかなと不安になる。

 

「もしも、ね」

 

 今度はちゃんとわたしに聞かせるように言い、立ち上がる。

 わたしがそのまま黙って暁君を見ていると、当の本人は気楽そうに伸びをしてから振り向いた。

 

「そんときには、俺はきっとシスコンになっているだろうな」

「……え?」

「俺はまた自分自身でその気持ちを隠すかもしれない。でも、ずっと隠しきるのは多分無理だ」

「それって」

「〝もしも〟俺が本当に七海の兄貴になってたらな、それでも絶対に『最高のお兄ちゃん』『お兄ちゃん大好き』『お兄ちゃんがシスコンでよかった』って言わせてやるよ。そしてお前に手を伸ばす」

 

 暁君はわたしの目を見つめながら手を差し出す。

 

「だから、その時にはまたこの手を取ってくれるか?」

 

 まっすぐに差し出された手。今まで何度も繋いできた手。

 そこに暁君の手があるなら、その手を取らない選択なんてあり得ない。

 暁君の目を見つめ返しながらわたしは自分の顔が緩むのを抑えられないまま答える。

 

「うん、喜んで!」

 

 握った手がわたしを勢いよく引っ張り上げてそのまま暁君の胸に落ちる。

 

「大好きだ、七海」

「私も大好きだよ、暁君」

 

 少しの間、お互いの気が済むまでギュッとしたままでいた。

 暁君の暖かさがわたしの中に溶け込んでいく。

 今、この場に他の人がいなくてよかった。この時間は、この瞬間は、この人は、全部わたしだけのものだから。

 

 そして腕を緩め、体を離した暁君が言う。

 

「でも妹だと色々ハードルが高そうだから、義妹くらいだと周りの説得が楽かな」

「暁君、やっぱりギャルゲ意識してない?」

 

 この人とならきっと二人の出会いがどんな関係だったとしても、たどり着くゴールは変わらないな。なんて思いながらお弁当の片づけを始めた。

 

 絶対に繋いだこの手を、わたしたちは離さない。

 




エイプリルフールネタです。
書き始め当初のタイトルは「もし二人が兄妹じゃなかったら」でしたが最終的にこうなりました。
このIFでは二人は兄弟ではありません。
二人や周りの人はアストラル能力を持ってませんが、この世界には普通に存在します。
在原のオッサンもおそらくは特班で働いてます。ただの怪しい人じゃないよ。
また、IFのご都合設定によりあやせたちもアストラル能力は持ってませんし、なぜか橘花学園でもないのに同じ高校にいます。
あと、七海も暁も温かい家庭ですくすく健康に育ってきました。
ついでに言うと暁がサッカー部所属なのはやなやがサッカーしかまともにやったことないからです。他に意味などありません。他の種目は体育くらいでしか知りません。

まあ結局何が言いたいかというと、七海と暁はどんな関係でもイチャラブしていてほしいってことです。
今回は七海が落ち込んでいてできませんでしたが、お弁当食べる度にあーんはマストです。


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甘々空間(汐山涼音1)

 店の閉店後、スマホがメッセージの着信を告げる。あれ、宏人からLIMEだ。

 

『おっす、お疲れ。バイト終わったか? 明日休みだったよな、今からカラオケ行こうぜ!』

 

 いきなりだな。最近はずっとシフトに入っていたから遊ぶ機会も減っていたけど、なにもバイト終わりに誘うほど他に友達いないのかコイツ。

 まあいいか。この時間からとなると今夜はオールコースだな。

 

「昂晴―? 今日明日の予定は?」

 

 涼音さんが声をかけてきた。

 明日は店の休業日だから涼音さんもお休みである。だから今晩と明日の予定を聞いてきたのだろう。

 なにせ、涼音さんと俺は恋人なのだから。

 

「ちょうど今予定が入りまして……。今晩も明日もちょっと無理そうです。あ、でも明日の午後だったら何とかなるかも」

 

 確実に寝不足だが。

 

「ほう……。それは私よりも大事な用なのかね?」

「いや全然? 全く、これっぽっちも」

「キミねえ。ちょっと嬉しいけど相手に失礼でしょうが。仲良くしてる相手ならちゃんと大事にしなよ? どこの誰なのか知らんけど」

「あなたの弟ですよ」

「む、……宏人、不憫な奴」

「とにかくそういうことで、すみません。今日は無理です」

「ああ、いいよいいよ。というか、実は私も急に友達から連絡が来てね。これからご飯食べに行くんだ。一応伝えておこうと思っただけだからさ」

「そうですか。……ちなみに相手は女性ですか?」

「んー? ……ふふふ、気になる?」

 

 涼音さんはこっちを見てニヤニヤと笑う。

 

「そりゃあ気になりますよ。仮にその中に男がいたくらいでまさか浮気だ、とかは言いませんけど心配にはなります」

「そーかいそーかい。まあ安心しな。みんな女の子だからさ」

「そうですか、ならいいです。楽しんできてくださいね」

「ありがとう。そっちもね」

 

 店の片づけ後、俺は直接カラオケに行くために店の前で涼音さんと別れた。

 いつも一緒に帰るだけに少し寂しいがこういうときもある。

 夕飯はカラオケのルームサービスで適当に済ませようと、既にカラオケに一人突入しているらしい友人の下へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 まあ着いたとたんに帰りたくなったんだが。

 

「うおおおー、昂晴! なぜ俺には彼女ができないんだ⁉」

 

 指定された部屋に入ったらなんか完全に出来上がった状態の宏人がいた。

 歌った曲の履歴を見ると新しいものは全部失恋ソングなんだが。

 

「ええと、なにかあったのか?」

 

 こんなでも一応友人だし、今この場には二人しかいない。仕方がないから話くらいは聞いてやるか。

 その前に飯の注文はさせてもらうけど。

 

「今日他の学科の奴に組んでもらった合コンに行ってきたんだけどさ、そこでめっちゃいい子に会ったわけよ」

「ああ」

「可愛くてさ、趣味も合って、話も盛り上がって、ついにこれは俺の時代が来たと思ったんだよ」

「良かったじゃないか」

「だからさ、タイミングを見計らってLIME交換しませんか、て攻めたんだよ!」

「……それでどうなったんだ?」

 

 いやまあ、オチは読めてるけど。

 

「交換できたんだよ! LIME!」

「まじか! 良かったじゃないか!」

 

 まさかの決めてやがった。絶対拒否られたパターンだと思ったのに。

 

「そしたらアイコンが彼氏とのツーショットだったんだよ!」

「あー」

 

 大どんでん逆転ゴールを決められてしまっていた。

 一度OKが出てからの落差がえぐい。

 

「彼氏持ちなら合コン来るなよ! 口説かせる気ないならLIME交換するなよ!」

 

 漢、魂からの叫びであった。

 

「なんなんだよ! 人数合わせに呼ばれただけとか! お友達としてならいいかな、とか! 合コンに友達探しに来る奴なんていねーんだよ‼」

 

 本気で可哀そうになってきた。

 

「まあまあ飲めよ、な? またチャンスは来るって」

 

 とりあえずまだ空になっていないグラスを渡しておこう。

 と気を使ったら、宏人がギロっとこちらを見て、

 

「お前はいいよな、彼女がいて。……それが姉貴なのが触れづらいところだけど」

 

 まずい、矛先がこっちに向いた。

 

「なあ、詳しくは聞いてなかったけど、どういう流れで付き合うようになったんだ?」

「それは、……聞きたいのか?」

「あ、いや、やっぱなし。身内の馴れ初めとか聞きたくねぇ」

 

 回避に成功した。

 

「でもまさか昂晴がロリコンだったとはなぁ」

「別に俺はロリコンじゃないぞ。好きなった涼音さんがたまたま小さかっただけだ」

「ほー。言うね」

「当たり前だろ」

「クッソ、俺も彼女欲しいいい!」

 

 宏人は突如として立ち上がり、カラオケのデンモクを掴むと何かを入力し始める。

 

「もうこうなったら歌ってやる!」

「また失恋ソングか? あんまりそればっか歌ってても気は晴れないだろうに」

「いいや。次はこれだ。彼女ができたらしたいことを思いっきり歌ってくれるわ!」

 

 ということはラブソングか。乗せてやるためにも合いの手くらい入れたいから、俺が知ってる曲ならいいんだけどな。

 なんて、優しい心をもっていた俺に謝ってほしい。

 宏人が選択した曲が画面に表示される。

 

 

 

 【チチをもげ! (パルコ・フォルゴレ)】

 

 

 

 …………………………。

 

 

 「だっっっははははははは!」

 「ふはははははははははは!」

 

 俺、大爆笑。

 宏人、超やけくそ。

 

 軽快なイントロと共に場の雰囲気が最高に盛り上がる。

 

「おい、昂晴も歌えよな! この曲一人で熱唱するのは正直きつい!」

「任せろ! 楽しもうぜ!」

 

 宏人が俺にマイクを投げ渡してくる。

 俺たちは最高の笑顔で多少の音程のずれなど気にしないで歌い始めた。

 ————この後に始まる惨劇のことなど何も知らずに。

 

 

 

 

 

「「——もげ!」」

 

 Aメロを熱唱し終えた時だった。

 

「ゲホゲホ! おえ」

 

 宏人がむせてしまった。まああれだけ酒を飲んでこの歌を歌ったら仕方がない。

 

「おい、大丈夫か」

「ああ、ヘーキヘーキ。でもちょっと飲み物取りに行ってくるわ。ソフトドリンク」

「ひとりで行けるか? 代わりに取ってくるぞ」

「いいっていいって。それより昂晴。歌うのやめるなよ。この曲を止めるのは男の恥だ。俺が戻ってきたときに歌ってなかったらお前のことをチキンと呼んでやる!」

 

 最悪な捨て台詞と共に部屋を出て行ってしまった。

 まあ、あんな毒を吐けるなら途中でこけたりもしないだろう。足取りもはっきりしていたし。

 

 仕方がないから俺は一人でBメロを歌い始める。

 うわぁ。この曲一人で歌うのきっつ。宏人早く帰ってこないかな。

 

 もうそろそろBメロが終わるという頃、扉が開く音がした。やっと帰ってきたか。

 あいにく画面の文字を追うのに必死な俺は振り向けないが、事故なく帰ってきたようで何よりだ。

 

 …………。

 …………?

 

 やけに静かだな。

 Bメロが終わってしまったところで俺は違和感を覚えた。

 もう曲が終わるというタイミングで帰ってきたのだから、そこを歌わなかったのはわかる。

 だが、なぜ間奏に入っても何も言わないのか。

 

「おい宏人帰ってきたなら何か言えよな。一人で歌うのきついん、だ……ぞ?」

 

 俺はそこで安易に振り向いた自分を呪いたい。

 何も見たくない。

 

 振り向いた先、扉の前に立っていたのは。

 我が友、宏人と。

 

 我が愛しの彼女、涼音さんだった。

 

 

 

 

 

「なんで、……涼音さんがここにいるんです?」

 

 曲は間奏を終え、キャラクターたちが愉快な掛け合いをしている。

 その様子とは裏腹に、この部屋の空気は地獄だった。

 涼音さんの目が座っていてマジ怖い。

 

「友達とご飯行った後、カラオケ行こうかってなって来たんだよ。で、そこで宏人のこと見つけたから、つけた」

 

 つけた⁉

 気づけよバカ宏人。最悪なタイミングで部屋に招いてんじゃねぇ!

 見ると宏人はソフトドリンクを汲んできたコップを置いて両手を合わせ、「ごめん!」とやっていた。許せねぇわバカ。

 

「ねえ、宏人。ちょっと昂晴と話があるからあんたは帰りな」

「え? ちょっ、姉貴! 今は昂晴と遊んでたんだけど……」

「あ? 私の言うことが聞こえなかった?」

「はい。失礼いたします、お姉さま」

「さっさと行け」

 

 そそくさと部屋を出る宏人。あまり見たくない家庭内ヒエラルキーを目の当たりにしてしまった……。

 つーかこの状況で一人置いてくなよな。

 俺は鉄の昂晴でも無敵昂晴でもないんだよ。

 高峰だけど「答えを出す者(アンサー・トーカー)」持ってないからこのピンチに対する答えは出せないんだよ。

 

 

 

 部屋にいるのはオレと涼音さんだけ。普段なら密室に恋人と二人きりという甘い空気に大歓喜しているのだが、今この部屋を支配しているのは薄ら寒い空気と、Cメロに入っても絶好調な曲だけだ。歌詞は歌われていないが、時折流れるキャラクターの合いの手がいちいち耳に痛い。

 すでに俺は自主的に正座に移り、涼音さんの目の前に鎮座している。怖くて顔をあげられない。

 かすかにスマホが振動し、着信を告げる。LIMEだろう。おそらくは宏人だろうが一人逃げ帰ったあいつを俺は絶対に許さない。

 

 体感時間がとても長く感じた曲がようやく終わる。

 そして、ようやく涼音さんが口を開いた。

 

「ちょっと連れに電話するから」

 

 涼音さんは携帯を取り出し、背を向けてそちらには行けなくなった旨を話し出した。

 俺としては速やかにそちらに合流していただきたいんですが……。

 俺はこの隙にさっきの通知を確認しておく。やはり、宏人からだ。

 

『とりあえず受付の人に入れ替わることは伝えておいた。あと、残り30分延長なしにしてもらった。姉貴が延長って言っても、待ってる人いるからって断ってもらえる手はずだ。残り30分耐えろよ。生きて会おうぜ』

 

 なんって頼りになる友人なんだ! 心の友よ!

 俺はさっきとは真逆の感情を親友に向けた。

 

 

 

 

 

「さて、どうしようか」

 ご友人に電話し終えた涼音さんがこちらを向く。どうも何も焼くなり煮るなり好きにしてください。

 涼音さんは「はぁ……」とため息をつき、言う。

 

「……ガッシュいいよね、私も好き」

「……‼ ですよね! 涼音さんならああいうの絶対好きだと思ってましたよ! ちなみに漫画派ですか、アニメ派ですか」

「断然漫画派。ゼオンが『一緒に暮らしてくれるか』ていうシーンすごい好き」

「わかります。俺はテッドがチェリッシュのために敵を殴り倒すシーンが最高だと思います!」

「ああ、わかる。最高にかっこいいよね」

「もう本当に。あいつらどいつもこいつも消え様がかっこよすぎるんですよ」

「……やめよう。この話は楽しすぎる。今この場でする話じゃない。楽しみは次回に取っておこう」

「……うっす」

 

 とりあえず俺は正座モードに戻る。

 そうか、涼音さんはガッシュの話できる人か。今度部屋に全巻持って行こう。

 

「とりあえず言い訳を聞こうか」

「言い訳、というほどのものはありませんが……」

 

 とりあえず選曲の経緯を説明する。

 

「……ふうん。あの愚弟の差し金か」

「いやあの、宏人のせいとかではなく男二人でバカやっていただけでして……」

「それで熱唱してたんだ。一人で」

「……」

 

 もう何も言い返せない……。これ以上どうしろと。

 

「昂晴、本当はデカパイ派だもんね」

「それは今関係ないでしょ!」

「やっぱり私のじゃ満足できないんだ」

「誰もそんなこと言ってませんて」

「へーそう」

「そうですよ」

 

 涼音さんがねちっこくいじめてくる。何か言うたびに苦しそうに顔をゆがませながら。

 いじめてくるんだけど、これは……?

 最初はそんなにも悲しませてしまったかと思ったけど、これもう違うだろ。

 

「口では、なんとでも……いえるもん、ねぇ?」

「……」

「本心はこんな歌を歌うくらい、大きいのが良かったん……でしょ?」

「……涼音さん」

「ほら、言い訳なら、聞いてあげるから。……っふ」

「涼音さん、本当は全く怒ってないでしょ。さっきから笑うの必死に堪えてますよね?」

「…………」

「…………」

「……ふふ、ふふふふ。あははははははは! だってそりゃ笑うでしょ! 部屋入ったら一人であんなの熱唱してて、わたしと目が合った瞬間に青ざめるの! あー面白かった!」

 

 全くこの人は。こちらの反省を返してほしい。

 

「いやー笑った笑った」

「マジで怒ってると思いましたよ」

「別に宏人とバカやってるくらいで怒らないよ」

「もしくは悲しんでるのかと」

「あー、あの歌に思うところがないわけでもないし、キミがおっぱい好きなのも知ってるけど、キミがちゃんと私のことを好きで大切にしてくれてるのも知ってるからね。悲しくなんてならないさ」

「……そうですか」

「……まあ? わざわざ私の前で当てつけみたいにあの歌歌ったら絶対に許さないけどね」

「肝に銘じておきます」

「よろしい」

 

 そう言って涼音さんは満足げに笑う。

 俺は安心して正座を崩して立ち上がる。

 

「そういえばお友達の方はいいんですか? 怒ってないなら、今からでもそっちに行けば……」

「んー。宏人も返しちゃったし、キミがかわいそうだからいいや。またいつでも会えるし。それにさっきまでさんざん惚気話聞かされてキミに会いたくなってたんだよね」

 

 さらっと嬉しいことを言われた気がする。

 

「涼音さんも惚気れば良かったじゃないですか。それとも俺の話じゃ自慢できませんか?」

「そんなことないよ。ちゃんと惚気てきたよ。でもそれで余計にキミに会いたくなっちゃった。毎日会ってるのになんでだろうね?」

 

 多少酒が入って、なおかつ機嫌がいい涼音さんがさっきから嬉しいことを連発してくる。いきなりのボーナスタイムだった。

 

「ってわけでさ。イチャイチャしようか」

「……へ?」

「たまには違う場所でね。密室に二人なんてムードあるじゃん」

「ちょっと涼音さん。ここはそういう場所じゃないんですけど」

「そうだねー。だからちゃんと我慢しきらなきゃだめだよ?」

「は?」

 

 涼音さんは唐突に俺の肩をどつき、部屋に備えついている椅子に座らせる。

 そして。

 俺の膝を跨ぐようにして、椅子の上に膝立ちになる。

 構図的には俺の眼前には涼音さんの胸。涼音さんの顔はもっと上だ。

 

「ふっふー。ほーらキミの大好物だぞー」

 

 なんて言いながら俺の頭を抱きしめてくる。沈み込むような柔らかさはないが、これで幸せを感じるのだから男は単純だ。

 

「昂晴―。好きだよ」

 

 本当に今日はあっまいな。

 

「俺も好きですよ、涼音さん」

「ふふふ、やったー」

 

 少し言葉を交わすだけでこんなにも嬉しい。

 

 結構な時間、そのまま抱きしめられていたと思う。

 ゆっくりと、俺を抱きしめていた手が緩んでいく。

 その手は俺の両肩を掴み、上体を固定する。

 ふっ、と。視界が暗くなる。

 上を見ると涼音さんが俺の顔を覗き込んでいた。

 

「んー、もう少し低くなって」

 

 との涼音さんの要望の下、浅く座り直し、頭の位置をさらに低くする。

 

 涼音さんは、「よしっ」と言って、俺の顔の上に自分の顔をもってくる。

 

「いーい眺めだ。いつも見降ろされてるからね。たまには上からキミの顔を見るのもいいね」

「この距離だと本当に俺の顔しか見えなくないですか?」

「いいんだよ。最高の眺めだ」

 

 涼音さんの長い髪が垂れてきて、俺たちの周りに薄いカーテンを作り上げる。

 それに仕切られ、今俺たちの目に映るのは互いの顔だけだ。

 隙間からほのかに光が入り、涼音さんの白い肌を煌めかせる。

 

「昂晴」

「はい」

「好きだよ」

「俺もです、涼音さん」

「大好き」

「俺も大好きです」

「——」

「——」

 

 互いに愛を囁きあい、そしてそれを紡いでいた口はお互いの口で閉ざされる。

 

 涼音さんは俺の頬に両手を添え、俺は左手で涼音さんの背中を、右手で後頭部を抱き寄せる。

 

 口の中で涼音さんと混じりあう感覚。

 幸福感以外のものは感じられない。

 さっき涼音さんは「我慢」なんて言ったがこれはもう無理だ。

 そして、それはきっと涼音さんも同じ。

 

「——涼音さん」

「——昂晴」

 

 俺たちは少しだけ口を離すと、さらに互いを求めるように——

 

 

 

————プルルルルルルルル……。

 

 

 

 そこで待ったがかかった。

 そういえば宏人が30分に時間変更したとか言ってたっけ。

 くそ。余計なことしやがって。友人への感謝など、恋人との愛の語らいの前には無に等しかった。

 

 

 

「はあ、続きは家に帰ってからにしようか」

「そうですね。早く帰りましょう」

 

 

 

 

 

 俺と涼音さんは手早く帰り支度を済ませ、店を出た。

 そして二人で歩く時間を大切にするようにゆっくりと。かつ、続きに期待を膨らませ足早に帰宅するのであった。

 お互いの指を絡ませ、しっかりと手を握りながら。

 




今回は初の涼音さんです。
ロリ姉さんいいよね。可愛いよね。
SSの方ではすでに何回か書かせていただいてますが、やなやのなかで涼音さんの乙女化が止まらない。
なんなら一番乙女して欲しいのは涼音さんだと思っている節まである。

最後エロいことすると思った?
私も思った。
なぜしないのか?
私にもわからない。
まあ、本当に言ってしまうと、やなや自身がイチャイチャチュッチュよりもイチャイチャラブラブの方が好きだから。
なにが違うかって?ニュアンスで分かって。

とりあえず今回めちゃめちゃ楽しんで書きました。
いつも楽しいんだけどね。
今回はひとしお。

あと、忘れちゃいけないのがフォルゴレ。
やなやはカラオケ行く度にカサブタ歌ってる。
「金色のガッシュ‼︎」いいよね。
一番好きな漫画です。
出した2つのシーンが2大好きなシーン。
まじかっけぇ。

「チチをもげ!」を出したのは涼音さんを切れさせたかったからです。はい。ごめんなさい。
カサブタと合わせて名曲ですよ!


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母親(椎葉紬1)

 紬と二人で出かけたとある休日。

 目的は既に終え、なんてことない内容の会話を交わしながら、帰路についていた時のこと。

 

「あ、公園があるね。ねえ、せっかくいい天気だし、もう少しお喋りしていこうよ」

 

 という彼女の希望で、休憩を兼ねて寄り道をすることにした。

 オレ自身、この辺りには何度か来たことはあったが、こんな公園があるなんて知らなかった。

 遊具の数は少ないが、敷地面積が大きくて子どもたちが元気に遊ぶにはちょうどよさそうな場所だった。

 現に、小学校高学年くらいだと思われる子たちが集団でボール遊びをしている。

 投げたり蹴ったりでルールはよくわからないが、それでも全員が笑いながら楽しそうに遊んでいた。

 

「元気で可愛くて、子どもっていいよね」

「そうだね。見ていて楽しいよ」

「柊史くんの子どもの頃ってどんなだったの?」

「オレの子どもの頃……オレは友達自体いなかったからあんな風に元気に遊んで、っていう覚えはないなぁ」

「う、なんかごめんね」

「別にいいよ。今は楽しくつるめる友達もできたし。そういう紬は?」

 

 子どもたちの様子を見ながら話が弾む。

 ……いや、弾んでいたかはともかく、オレたちはそうやってのどかな休日を堪能していた。

 それからしばらくしてからのこと。

 ボールが子どもたちの輪から飛び出して、てんてんと転がってくる。

 それを見た紬がボールを拾い上げると、

 

「おねーちゃん、蹴って!」

 

 とリクエストが飛んでくる。

 

「え? け、蹴るって……どうしよ、ワタシ、サッカーなんてちゃんとやったことないよ」

 

 とオロオロする紬も可愛らしい。

 

「おねーちゃん、早く早く!」

 

 しかし子どもたちは待ってはくれない。手を振り声を張り紬を急かす。

 

「とりあえず思いっきり蹴ってみたら? 外れちゃっても自分たちで取りに行けるでしょ」

「うん……。そうだね。——えいっ」

 

 紬が意を決して蹴ったボールは、綺麗な放物線を描いて飛んでいき——

 ——一人の少年の顔面にヒットした。

 

「うわあああああああ! ちょっ、大丈夫⁉ ごめんね!」

 

 その時の紬の慌てっぷりといったらもう、顔面ヒットの少年にも紬本人にも申し訳ないけれど、笑えてしまった。

 結局、ボールだけでなく紬自身も駆け寄って少年の様子を見る。

 少年も大した怪我はしなかったようで、慌てて駆け寄ってくる紬に笑いながら答えていた。

 

 ……そしてオレのデートの相手は子どもたちに取られてしまった……。

 

 

 

 

 

「バイバーイおねーちゃん」

 

手を振りながら去っていく子どもたちに同じように「バイバイ」と彼女は手を振り返す。

 

「元気な子たちだったね」

「そうだね、一緒になってはしゃいじゃった」

 

 彼女はそう言って笑うが、はしゃぐと言ってもそばのベンチに腰掛けながら見ていた限り、子どもたちが一緒に遊んでほしくて彼女の周りをぐるぐる回っていただけだ。

 その様子はまるで、

 

「お母さんみたいだった」

 

 思ったことを漏らしてしまった。

 丁度隣に座った彼女は「なっ」と再び立ち上がり目の前に回り込み文句を言ってくる。

 ……座っている俺に目線を合わせるように腰を曲げながら。

 

「ワタシはまだお母さんなんて年じゃないよ! いいとこ近所のお姉さんでしょ!」

「ふ、ははは」

 

 腰に手を当て、ぷりぷり怒っている姿はまさに子どもを叱る母親そのものに思えて笑ってしまう。

 

「ごめんごめん。紬はほんと、子ども好きなんだね」

「もう、悪いなんて思ってないでしょ。うん、子どもは大好きだよ、ほんと可愛い」

「なんていうか……紬はいいお母さんになりそうだ。もう子ども大好きな紬お母さんが想像できる」

「だからお母さんとか考える年じゃないから。それに子どもにはいいお父さんも必要なんだよ?」

 

 と再び横に座りながら、こちらの顔をじっと覗き込むように囁いてくる。

 その顔と言外の圧に耐え兼ねそっぽを見ながらほんの少し、あまり考えることのなかったことをつぶやく。

 

「子どもなら……父親よりも母親の方が嬉しいんじゃないかな。オレはあまり記憶がないからよくわからないけど」

 

 早くに母親を亡くしたオレは母親との記憶が乏しい。

 でも父親は一人でも立派に俺を育ててくれたし、人よりも不幸だったとか、そんな気は全くしていない。本当に。

 そんなオレの心にもない反抗を聞いた紬はちょっと考えるそぶりを見せ、そして、

 

「あーわかった。柊史くん寂しいんでしょ。自分もめいっぱい甘えてみたいんだー。かーわいい」

 

 と声高に言う。

 心の奥底からは否定できないその言葉に、目をむき振り返ると彼女は優しい声音で、

 

「いいよ、今だけね。今だけは柊史くんのお母さんになってあげる。おいで?」

 

 そう言って、オレの後頭部を抱き寄せるように自分の太ももに導く。

 

「これは…」

「ほら、存分に甘えちゃっていいからね。いい子だね、柊史くん」

 

 後頭部から伝わる柔らかさと、頭をそっと撫でる手の感触に、恥ずかしがるそぶりや抵抗よりも心地よさの方が勝ってしまった。

 穏やかな時間の中、次第に意識は薄れていき……。

 どれだけかの間そうしていると、夢心地の耳にかすかに声が聞こえた気がした。

 

「でもワタシがなりたいのはあなたのお母さんじゃなくて、あなたの隣でなるお母さんなんだからね」




母の日って言ったら紬ですよね。
というわけで母の日投稿です。
ちなみに紬√で一番好きなイベントは看病シーンです。
献身的にお世話してくれる子可愛い。

これは実はTwitterにSS投稿し始める2週間くらい前に書いたものですね。
その時はまだ投稿する踏ん切りがついてなかった。
それで一回眠らせちゃうと投稿するタイミング失って試合終了……。
となっていたものを「ちょうどいいから」という安直な理由で母の日に投稿しました。
ちなみにこれを書いた当初の目的は膝枕してもらいたかったからです。
他意はありません。ただ純粋に膝枕してもらいたかった。

同日投稿の「ヒロインとの1ページSS」の方で更新した「椎葉紬/ご挨拶」の帰り道という設定ですので是非ともそちらもお読みいただきたい。

特に気のきいたことは言えないですが、直接でも電話でもお母様に「ありがとう」だとか言うチャンスの日だとは思っています。
そんなこと、普段は照れくさくてなかなか言えなかったりしますからね。


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PARQUET AFTER AFTER ※ネタバレ注意

※注意
本二次創作は「ゆずソフト」様の姉妹ブランド「ゆずソフトSOUR」様新作「PARQUET」の二次創作になります。
未プレイの方はプレイ後の閲覧を推奨いたします。
プレイ済みの方は楽しんでいただければ嬉しい!


※注意

再三申し上げますが、「PARQUET」未プレイの方はプレイ後の閲覧を推奨いたします。

 

 

⭐︎PARQUET AFTER AFTER

「おはようございます」

「おう。おはよう。今日もよろしくな」

「おはようございます」

「おはようございます」

 

 ツバサの挨拶にマスターが気さくに返事したのを聞いてから、リノと俺が挨拶を続けた。

 

「なんだ。お前らまた来たのか」

「もう一端にこの店の常連ですからね。マスターに『最近見ないな』と思われない程度には通いますよ」

「まあ客である分にはいいんだがな。それで? 今日はどうなさいますか?」

「そうですね、今日は——」

 

 マスターの皮肉を軽く受け流し、俺とリノはそれぞれの注文を伝える。

 普段ならツバサが注文を取りに来てくれるが、彼女と一緒に入店すると、どうしても着替えや準備で一回バックヤードに下がらなくてはならない。だから、こうしてマスターが聞いてくれるのが常だ。

 

「畏まりました。少々お待ちください」

 

 既に馴染んだやり取りを終え、一息つく。

 そうしていると制服に身を包んだツバサがフロアに出てきた。

 

「カナトとリノ君はもう注文は済ませたかい?」

「ああ。楽しみに待ってるよ」

「ほら、ツバサさんは私たちに構わなくていいから、早くお仕事しなって。他のお客さん来てるから」

「はいはい。それじゃあ二人とも、ごゆっくりー」

 

 ツバサが俺たちに背を向け、新しく来店したお客のもとへ向かう。

 その顔はやる気と希望、幸せに満ちていて……。

 

「ツバサさん、本当に楽しそうだよね。この店に来るの、マスターの料理がおいしいのも本当だけどツバサさんのあの顔を見たいっていうのも大きいんだ」

「それはあるかもな。またいつものようにあの笑顔が見れてよかった。……いや、違うか」

 

 俺はツバサがまだリノと一緒だった時のことを思い出していた。

 

「? 違うって? もしかして昔の方が楽しそうだった?」

「そうじゃなくって」

 

 俺はツバサから視線を外し、リノに向き直る。

 

「ツバサは変わってないさ。変わったのは俺たちの方」

「どういうこと?」

「だから、俺とリノ、二人で一緒にツバサに会えるってこと。改めてそのことが嬉しくて」

「……そっか。そうだね。私もちゃんとツバサさんと会って、触れて、話せるんだ。前よりもずっといい」

 

 そう、二人で微笑みあったとき。

 

「何のはーなし?」

 

 また、新しい来客。

 しかもこの来客は勝手知ったる我が家のように、接客のツバサを待たず見知った顔があるテーブルへと突き進んできたようだ。

 

「あ、仁香ちゃん。こんにちは」

「こんにちは」

「うん。こんにちは、リノさん。オニーサンも」

 

 実際、勝手知ったる我が家も同然なんだろう。なにせ仁香さんはマスターの娘さんなのだから。

 

「いらっしゃいませ、仁香君。ご注文をお伺いいたします」

「あ、ツバサさん。今日は……ココアをお願いします」

「はーい。ココア、承りました。少々お待ちください」

 

 仁香さんの存在に気が付いたツバサがオーダーを取りにやってきた。つつがなく注文を終えると足早に去ってしまう。

 見ると、店内は珍しく盛況の様子。ツバサもマスターもいつもより忙しくしていることだろう。

 それでもツバサは笑顔を絶やすことがない。

 

「それでそれで? 何の話だったの? やけに楽しそうに話してたけど」

「大したことじゃない。ツバサは楽しそうに働くな、と」

「そうそう、あの顔を見るのもお店に通う理由の一つだよねって」

「…………ほー」

 

 仁香さんに聞かれたから話の内容を答えたのに、なぜ仁香さんはキョトンとしているのか。

 かと思ったら、リノの方に向き直り、小さくかつ高速に手招きする。

 

「(リノさんリノさん!)」

「? なに、どうしたの?」

「(どうしたの、はこっちのセリフですよ! オニーサンのアレ、なんですか⁉)

「カナトの、アレ?」

「(こっちも⁉ え? あれ? みんな名前呼びなの? 進展してるの?)」

 

 仁香さんは内緒話をしているようだけど、残念ながら丸聞こえだ。

 ショックのあまり、声を抑えきれていない。そもそもリノの方は小声ですらないし。

 

「あー、それね。……まあ、そういうことになったから」

「そういう……えっ? どういう?」

「お待たせしました、ご注文の——」

「うひゃあ!」

「うわあ! なんだい仁香君、突然奇声をあげて」

「ツツ、ツバサさん……!」

「なにに驚いているのかわからないけど。はい、ご注文のココア。それとリノ君と、カナトも」

「ありがとう、ツバサさん」

「ありがとう、ツバサ」

 

 仁香さんのと一緒に俺とリノの注文をそれぞれに置いていく。

 

「それよりカナト。仁香君はどうしたんだい?」

「俺にもよくわからないが。リノと何か話していたところだったな」

 

 ツバサの問いに俺が答えると。

 

「やっぱり。ツバサさんもリノさんもオニーサンも。みんな呼び方変えたんですか、いつの間に!」

「ああ、そういうことか。ついこの間ね、ちょっとしたキッカケがあってね」

「……私は……このままツバサさんに負けたくないから?」

「え? え? 負けたく……? つまりお二人は今……」

「つい先日、宣戦布告をしあった中だね」

「大変なことにね」

 

 仁香さんの疑問にツバサとリノが答えていく。

 どうやら、俺が口をはさむ隙はないらしい。

 

「ええーー! つまり三角関係。しかも三人は一つ屋根の下で……」

「まあ、そういうことだね」

「大変なことにね」

 

「オニーサン! なにノホホンと自分は関係ないような顔してるの⁉ 状況わかってるの⁉」

 

 舞台の外で状況を静観していた俺にも矛先が向いた。

 

「わかっているさ。……多分」

「多分って。不安だなぁ」

「大丈夫だよ仁香君。カナトはちゃんとわかっている。ボクもリノ君もそう行動した」

「……大変なことにね」

「え⁉ ええーー‼」

 

やっぱり俺が盤上に建てたのは一瞬だけだったようですぐに盤面から追い出されてしまった。

というかリノ、さっきから同じ言葉しか言ってなくないか?

 

 

 

「おーい、ツバサ。いつまでも喋ってないで仕事に戻ってくれ。こっちは今手が離せなくて」

「あ、はーい。そういうわけだけど、これからもボクたちのことをよろしく」

 

 マスターに呼ばれたツバサはそう言い残して席を離れた。

 あとに残されたのは目を見開き口をパクパクさせている仁香さんと、頬を染めて明後日の方向を見ているリノと、事の成り行きを見守っていた俺だけだった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで食事を終えた俺たちは会計を終えて店を出た。

 珍しく繁盛しているときに、追加注文もしないのに席を占領していてはマスターも困るだろう。

 

「それじゃねー、オニーサン。リノさんは頑張って!」

「ああ、また」

「ばいばい……」

 

 店の前で仁香さんとは別れた。

 去り際のリノに向けた言葉が気になる。

 

「頑張るって?」

「なんでもない! それよりカナト。今日これからの予定は? なにか用事ある?」

「……? いや、夜にバイトに行くまでは特に何もないが」

「そう。それならよかった。ちょっと付き合って」

 

 

 

 

 

                          

「ここは?」

「ショッピングモールよ。この辺で一番大きめの」

「それは見ればわかるが。何か目的のものがあるのか?」

「服よ」

「服?」

「そ。ほら、私今まで日中は行動できなかったから、あまり自分でいろんなお店を見て服を選んだりできなかったのよ。だから、今日は服を見たい」

「なるほどな。俺は荷物持ちってわけか」

「は? ……いや、伝わるわけないか」

「リノ?」

「なんでもない。ほら、行こ」

 

 そう言うとリノは俺の腕を掴み、モールの入口へと歩き始めた。

 

 

 

「……どう?」

「いいと思う」

「……これは?」

「似合ってる」

「……こっちは?」

「アリだな」

「………………」

「………………」

 

 ……この男。言ってる台詞こそ変えているけど中身が全部同じなんだけど⁉

 シャッ、シャッ、シャッ、と。

 次々とカーテンを閉め、着替え、カーテンを開ける、を繰り返す。

 現状はまさに一人ファッションショー状態。

 モールに入ってから目についた店に入るなり、ぱっと見で気に入った商品を次々に抱きかかえ、試着室に入った。

 そしてそれぞれを着て、カナトに見せる。

 作戦としては単純それだけだ。

 カナトの好みを探るためと、……私自身の女の子アピール。

 一挙両得だと作戦立案時は震えもしたのに。

 

 私とツバサさんとカナト。

 この関係の名前が三角関係だとはっきり意識したのがついさっき。

 今までわかってなかったわけではないし、三角関係だって初めて聞く単語でもない。

 でも、ツバサさんやカナト以外の人の口から私たちの関係を示されて焦りがよぎった。

 

 ツバサさん相手でも絶対に引かない。

 そう決めていたし、今でもそれは変わらない。

 でも、今このままで私はツバサさんに勝てるのか。

 カナトはツバサさんの笑顔をほめていた。

 あの笑顔は私も魅力的だと思う。

 じゃあ、私は?

 無理。あんな屈託のない100%のスマイルなんてできない。

 もっと、もっとアピールしなきゃ。

 女の子として、魅力的な女の子として。

 

 なのに現状はどうだろう。一人突っ走って、空回りしているだけのような気がする。

 私は試着室に積まれた洋服の山を見て、自虐に浸る。

 というか、試着ってこんなに一度に持ち込んでいいものだっけ?

 覚えがなさ過ぎて全然わからない。

 えっと、えっと。

 とりあえず持ち込んでしまったものは仕方がない。

ここにある分は試してみよう。

えっと、次は……。

 

洋服の山を崩していた私の手がピタリと止まった。

さっきまで試していたのは、ラフなパーカーとか、タイトなショートパンツとか。

言ってしまえば「いつも通りの私」だった。

でも、無意識につかんでいたこの服は……。

 

 

 

「リノ? なにか問題でもあったか? 店員さん、呼んでこようか?」

 

 矢継ぎ早に着替えては見せ、着替えては見せ、を繰り返していたリノが今度はなかなか出てこない。

 なにかあったのだろうか。

 しかし、着替えにてこずっているだけなら勝手に店の人を呼ぶのも迷惑か。いや、そういう場合は逆に呼んだ方がいいのか?

 返事がない今、俺はとりあえず待つしかない。

 その間に今度リノが着替えた時のコメントでも考えておこう。

 俺は、考える。リノが喜ぶ感想を。

 彼女たちとの関係が変わろうとしていく中で、俺は思った。

 この伊吹カナト、企業の立て直しはできても、女性の扱い方はわからない!

 今まで一番近くにいたモデルケースとして三吉さんを思い返す。

 彼女とある程度友好な関係を築いてからのこと、彼女がいつもと異なるヘアセットで出社してきたことがあった。

 それに対し俺は、『いつもと違う雰囲気も、素敵だ』と女性のいつもと違うことはほめるべし、といういつ学んだのかすら忘れた技を放った。そうしたら彼女は。

 

『はあ。すみません、今日は朝時間がなくって簡単にまとめただけなんです。……まさかとは思いますが皮肉だったりしませんよね?』

 

 と。

 とかく、女性をほめることは難しい。

 最大限の、しかし柔軟に対応できる言葉を贈るべきなのだ。

 だから俺はあらかじめ何パターンか言葉を用意し、

 

「ごめん、待たせた。……これはどう?」

 

 次にカーテンを開けたリノの姿に言葉を失った。

 

 ブーツを脱いだ足元は変わらなかったが、その雰囲気は先ほどまでと大きく違っていた。

 ショートパンツはふわりと広がったスカートに。

 ショートだった髪はロングに。

 そう、まるでツバサのように。

 

「髪は、試着室になぜかウィッグがあって。どう、かな?」

 

 俺は驚きのあまり声が出なかった。

 髪と服の雰囲気を合わせ、顔は瓜二つの少女。

 このまま人に会えば、なにも疑われずにツバサだと認識されるだろう。

 

「お、今までで一番いい反応だね。カナトはこういうのが——」

「似合ってない」

「え?」

「全然似合ってない。そんな恰好はやめろ」

「え、でも」

「カーテンを閉めて元の服に着替えるんだ」

 

 俺はそれだけ言うと、こちら側から勝手にカーテンを閉めて待つ。

 しばらくすると、ごそごそと服がこすれる音が聞こえてきた。

 

 

 

「……怒ってる?」

「別に怒ってない」

「……悲しんで、る?」

「……わからない」

 

 俺とリノはあの後すぐに店を出て、モール内をさまよっていた。

 俺が先を歩き、リノが様子を窺いながら後をついてくる。

 

「なんで、あんな格好を?」

「……別に本当にツバサさんになろうと思ったわけじゃない。でも女の子らしくて可愛いかなって」

「そうか」

「もうしないからそんなに怒んないで」

「だから怒ってないって。それに別にああいう格好をしてもいいと思うぞ。リノが本心からしたいなら」

「え?」

「出てきた時のリノ、すごく暗い顔をしていた。それまでの少し照れたような笑い顔じゃなくて、……人形のような暗い顔」

「…………」

「それが嫌だったんだ」

「…………」

「リノ?」

「あーあ、うまくいかないなー」

 

 口を閉ざしていたリノが、ため息とともにそうつぶやいた。

 

「考えてみたらさ、この状況って三人で考えると確かに仁香ちゃんが言ってたような関係だけどさ。私とツバサさんだけで考えると、『初めての姉妹喧嘩』って状況なんだよね」

「姉妹喧嘩?」

「そ。だから私、ツバサさんのこと意識しすぎちゃった。私は私なのにね。ツバサさんになろうとしたわけでもなく、ツバサさんに体を譲るわけでもない。私は私。そんなことがちょっとわからなくなっちゃってた」

「リノ」

「だーかーら。この話はここでお終い。今日のも区切りなおさせて。また今度、デートのリベンジさせてよ」

「デート?」

「そ。デート。まさか本気で分かってなかったの? こんなところでさんざん服見せて。ただの荷物持ちなわけないでしょ」

「それはなんとなくわかっていたけど」

「わかってたんだ。鈍感のクセに。というかわかってたのに服の感想がアレなの?」

「な! 何を言ったらいいのかわからなかったんだよ」

「とにかく、次回はちゃんと覚悟しとくように。わかった?」

「OK。了解だ」

「そ。じゃあ気を取り直して何か見ようか。デートではないけどデートの予習に」

 

 

 

 

 

 家に帰ると、先にツバサが帰ってきていた。

「おかえり、二人とも。一緒だったの」

「ああ、まあ」

「うん。ショッピングモール行ってた。二人で」

 

 リノがやけに「二人」を強調して言う。

 

「二人で洋服見たり、その後に二人でちょっとお茶したり、二人でウインドウショッピングしたり。二人で」

「な、な、な……」

 

 どうしてそこまで二人を強調するのか。一度言えば二人だったことなんてわかるだろうに。

 しかし、言われたツバサの方も「二人」という単語が出るたびに何かダメージを受けているようにも見える。

 

「じゃ、私たちこれからバイトに行くから。二人で。行こ、カナト」

「少し時間が早くないか? もう少しゆっくりしてからでも……。ああ、ちょっと待って。じゃあツバサ、いってきま——」

「ちょーっと待った! ボクもいく! 一緒に連れていけー!」

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 接待飲食店街の一画、フラワーショップ熊童で聞きなれた挨拶が飛ぶ。

 

「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませー」

 

 ……今日一日で聞き慣れそうなほどに飛ぶ。

 

「え? 今日めちゃくちゃ忙しくないですか」

「そうなの、なんかいきなり忙しくなっちゃってさ。今日は早めに来てくれて助かったよ」

「それは……たまたまです。でもよかったです。早く着いて」

 

 接客をリノ一人に任せて、俺と亜弥さんは花を整えたり、フラワーアレンジメントを製作したり、裏方作業に回っていた。

 

「あ、あの、リノ君。ボクも何かてつだ——」

「ごめんツバサさん。ちょっとどいて」

 

このタイミングでついてきてしまったツバサが若干気の毒である。

大勢の客と忙しく動くリノの邪魔にならないように気を配りながら、手伝いを進言するもリノにそれを聞く余裕がない。

っと。こっちもツバサを気にしている場合じゃなかった。

 

「亜弥さん、こっちの花、支度終わりました」

「ありがと! じゃあ早速配達行ってくれる? これ住所」

「はい。ん?」

 

 配達先の住所を記した紙をもらって俺は首をかしげる。

 この住所、わからないぞ。

 

「あ、もしかして場所わからない? 仕方ない、リノちゃんと交代して——」

「あ、ここならボクがわかるよ」

「ツバサ?」

「着いてきたはいいけど、カナトもリノ君もすごく忙しそうだからね。ボクにも何か手伝いたい。案内するよ」

「じゃあ、頼んでいいか?」

「ボクにおまかせ!」

 

 

 

 

 

「フンフンフーン♪」

 

 軽快な鼻歌と共に、軽い足取りで先行するツバサ。

 その後ろを商品である花を落とさないように気をつけながら俺が歩く。

 ツバサの手にはちゃっかり店長のリードが握られていた。

 

「ツバサ、それ」

「ふふーん。いいだろ、亜弥さんにはちゃんと許可を取って来たよ」

「別に文句を言いたいわけではないんだが」

「今日のお店の様子だと、この子の散歩は無理そうだろう? たとえ一日であっても外を自由に歩けないっていうのはとても不自由に感じると思うんだ」

「…………」

 

 それはわかる。その不自由を感じたからこそ、外に出たいと思ったからこそ俺はあの部屋を出たのだから。

 

「だからこうして手の空いているボクが散歩を申し出たのさ」

「……本音は?」

「犬のお散歩、やってみたかったんだ。たまにリノ君からの申し送りにあってすごく羨ましかった」

「よかったな、夢が一つ叶って」

「夢だなんて大げさな。……いや、そうだね。また夢を一つ叶えられた」

 

 その後もツバサの鼻歌は留まることを知らず、ついに配達地に辿り着くまでご機嫌なままだった。

 

 

 

「ありがとうございました。フラワーショップ熊童のまたのご利用をお待ちしています」

 

 ツバサの案内のおかげで無事に花を届けることができた。

 

「どうだい? 僕は役に立ったろう?」

「誰も疑ってないよ。ありがとうツバサ、助かった」

「ふふん。いいってことさ」

 

 手が空いた俺はツバサから店長を預かろうとしたが、ツバサは頑としてそのリードを譲らなかった。

 まあ、重い荷物というわけでもないし、このまま任せてしまっていいだろう。

 

「そういえばツバサ。一つ聞きたいんだが」

「なんだい?」

「なんで今日はついてきたんだ?」

「……キミはそれを本気で言っているんだろうなぁ。本当、鈍感だよ」

「……?」

「はあ、まったく。前からカナトたちが働いているところは見てみたかったのさ。いつもボクの働いている姿は見せているわけだからね。それは本当。でも今日の理由は違う。あんなにリノ君に二人で二人でと煽られて、黙っていられるわけないだろう? なのにまた二人でバイトに行くだなんて。そんなの我慢できるわけないじゃないか!」

「なるほど」

「そうだ、ボクの方こそそのことで聞きたいことがあったんだ」

「なんだ?」

「今日、二人で出かけたと言ったね。なにを話したんだい?」

 

 何を。

 難しい質問だ。ありのまま話すにはリノの許可が欲しいところだ。

 俺の判断で話せるところは……。

 

「『初めての姉妹喧嘩』と言っていたな」

「姉妹喧嘩?」

「ああ。ツバサとリノの初めての喧嘩」

「……ああ、なるほど。納得がいったよ」

「何に」

「リノ君の言動にだよ。リノ君は元来とても優しい子だ。それなのに今日はカナトと二人で二人でと、ボクにわざとダメージを与えるようなことを言っていただろ」

「そうだったな。それが?」

「そのままだよ。『私は動いた。何もしなければこのまま自分が持って行ってしまうぞ』と。そう忠告したんだ」

「回りくどいな」

「そういう子だ」

「確かに」

「情けない。容赦はしないと言われて、それに応じたはずなのに。気を使われてしまった。『まさか昔のことを引きづって遠慮なんてしないだろうな』と」

「優しい妹だな」

「妹……。やっぱりそうなるのかな? ボクが姉?」

「リノがいつか言っていたぞ。姉のようだと」

「それは、嬉しいね。本当に自慢の妹だ。そして初めての姉妹喧嘩がとんだ大勝負になってしまったな」

「今まで喧嘩とかはなかったのか?」

「……ないね、多分。そもそもボクはリノ君と直接顔を合わせることができなかったからね。せいぜいがカロリーの取りすぎをたしなめられる程度さ」

「ひどい姉だ」

「悪かったとは思っているよ。でもあの味がやめられなくて……」

「……本当にひどい姉だ」

「ところでカナト。質問が増えた。もう一つ答えてくれ」

「何だ?」

「カナトは姉萌えとか、妹萌えとかはあるかい? 姉萌えだったら嬉しいが、妹萌えだと弱ってしまうよ」

「…………」

「あ、くだらないと思ったね? これは重要なことだ。すごく」

「ないよ。どっちも。そもそも俺には兄妹がいないからその感覚がよくわからな……。いや、姉のような人ならいるのか」

「何! それはどこの誰だい⁉ 僕の知ってる人!」

「やけに食いつくな。姉、というか俺の後見人のような人だ。保護者っていう年でもないしな。たまに連絡とってるのを見たことがあるだろう」

「ああ、あの人か。そうか。それあらひとまず、保留にしておこう。問題はカナトに姉萌えの素質があるかどうか……」

「だからないって」

 

 そんなくだらない話が続く。

 

「はあー楽しい。すごく楽しいよカナト。夜空の下を歩くのも。カナトと笑いあうのも。それもこれも全部カナトのおかげだ。ありがとう」

「礼を言われる程じゃない。俺が俺の意思を持ってやったことだ」

「それでも言わせてほしいんだよ。カナトがボクを支えてくれた。道を照らしてくれた。背中を押してくれた。だから今のボクがここにいる」

「それが俺の願いでもあったからだ」

「うん。そしてボクの願いでもあった。きっとリノ君もそうだ。カナトはボクたちの願いを見事かなえてくれた。キミの名前の通りだ」

「俺の名前?」

「カナト、でしょ。ボクたちの、そしてキミの。願いを叶えた人、カナト。うん、キミにぴったりだ」

 

 願いを叶えた人、カナト。

 それは素敵だった。

 この名前をもらったときに意味は聞かなかったけど、そうだったらいいと思った。

 

「うん、俺は俺の、そしてキミたちのカナトだ」

 

 ツバサが俺の目をまっすぐに見つめている。

 夜道の中でも、月明かりに照らされてそれがはっきりと分かった。

 

「キミたち、か。今くらいはキミの、と言ってもらいたかったけどまあいいか。うん、キミはボクたちのカナトだ」

 

 そう言って笑う彼女の笑顔は夜の中で太陽のように輝いて。

 

「カナト。もう一つお願いがあるんだけど」

 

 ツバサが言う。

 

「なんだ」

 

 俺が応じる。

 

「今夜は、帰りたくないんだ」

 

 その言葉に、俺は。

 

「えっ、今の流れのどこで気を悪くしたんだ。一緒に帰りたくないほど致命的な何かをやらかしたのか俺は」

「…………」

「帰らないと危ないぞ。今はだいぶ暖かくもなって来たが、それでも野宿はやめたほうがいい、らしい。それにカプセルホテルは熟睡できないぞ」

「……はあ。本当、カナトは鈍感で世界を知らないよ。行こう、店長」

「あ、ツバサ? 帰るのか? ちょっと、ツバサ?」

俺は店長を連れて先に歩き出してしまうツバサを追いかけ歩き出した。

 

 

 

 

 

 部屋の電気は既に消え、布団の上で寝る二人の息遣いだけが聞こえる。

 

「……ツバサさん。もう寝た?」

「……寝たね」

「起きてるじゃん」

「バレたか」

「……私さ、負けないから」

「望むところさ、ボクだって負けない」

「どっちが勝っても恨みっこなしだからね」

「恨めるもんか、家族のことを」

「そっか」

「そうだよ」

「おやすみ、ツバサさん」

「おやすみ、リノ君」

 

 二つの影はしっかりと寄り添ったまま、夜が更け明けていく。




最後までお付き合いいただきありがとうございました。
新作「PARQUET」面白かったです。
今回「AFTER AFTER」と銘打ったにもかかわらずあまりお話は進んでいません。
なんかこう、対等な二人の勝負という構図の三角関係が好きです。
次回PARQUETで何か書くなら多分ヒロインをどちらかに絞って書きます。
いちゃつかせたいです。
ありがとうございました。


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かなりピンチな三司あやせの一日(体育祭編)

「はい……はい。わかりました。その件に関してはこちらから話を通しておきます」

「ありがとうございます! やっぱり三司さんは頼りになりますね」

「良いですよこれくらい。この手の話は学生会長の立場から進めた方がなにかとスムーズでしょうから。それより当日の進行についてですが……」

「あ、はい。それについては抜かりありません。競技スケジュールから設備の点検、関係各所への連絡も済んでいます。実行委員以外で係として各クラスに依頼した手伝いの人選も決定しましたし」

「ああ、そういえばうちのクラスでも係決めをやってたみたいですね。ちょうどその時は学生会長の仕事で抜けていたので詳しくはわからないですけど。そもそも私は学生会長ということでその人選自体を免除されていましたし」

「仕方ありませんよ。会長はただでさえ忙しいんですから。それに係でこそないものの、こうやって準備を手伝ってもらってるんですから」

「私だって楽しみにしているんです。協力は惜しみませんよ。当日は……いいえ、当日までの準備も含めて色々大変なことはあるでしょうが頑張りましょうね、実行委員長」

「はい、任せてください。絶対に大成功させて見せます。この体育祭を!」

「ふふ、頼もしい限りです」

「あ、それで三司さん。かなり心苦しい……いえ、胸の苦しいお願いがあるのですが……」

「はい、なんでしょう。私にできることなら」

「胸を潰してほしいんです」

「………………は?」

「胸を、平らにしてほしいんです!」

「…………………………あ゛あ゛?」

 

 

 

 

 

「どうして! 自分で盛った胸を! 自分で潰さなきゃならないのよ!!!」

「……うわぁ」

「おいそこ、珍しく余計なこと言わないと思ったらものすごく気の毒なものを見る目で私を見るのをやめろぉ!」

「…………」

「無言で目を背けるなぁ!」

「もうどうしろと」

「めんどくさそうな顔しないで……。私だってもうどうしたらいいのかわからないんだから」

「もう一度話を聞かせてもらっていいか? 『胸を潰す』のインパクトが強すぎて他のことが頭から抜け落ちてしまった」

「ピンポイントでそこだけ覚えてるんじゃないわよ。……はぁ。もう一度言うから、今度こそちゃんと聞いてよね」

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「ですから、胸を平らに潰してほしいんです」

「いえ、聞こえなかったわけじゃなくてですね。言葉の意味が分からないと言いますか……」

「あ、すみません。つい気が逸ってしまって。体育祭当日のプログラム、午後の部一番に『応援合戦』があるじゃないですか」

「ええ、紅組白組それぞれの応援と、赤白合同で行う全体応援ですよね」

「そうですそうです。その全体応援なんですけど、ぜひ応援団長を三司さん、いえ、学生会長にやっていただきたいなと」

「えっ、私ですか⁉」

「はい。色別の団長はともかく、全体の団長ともなると学生会長である三司さんにやってもらいたいんです。というか正直他の方に務まるとも思えません」

「いやいや、別に新しく三人目の団長を立てなくても、紅組と白組の団長たちに二人でやってもらえばいいじゃないですか。例年そうでしたよね、確か」

「……まあ、妥当なご意見ですね」

「でしょう?」

「だが断る!」

「な⁉ え? あなたそんなキャラでしたっけ、実行委員長?」

「こと、このお願いに関してキャラを隠している場合ではないのです! 私の願いはただ一つ! 学院のアイドル、三司あやせに応援団長をやってもらうこと! そしてその際に学ラン衣装を着てもらうことなんです!」

「え」

「学ラン衣装の三司あやせをこの目に焼き付けるためだけに、私は体育祭実行委員長にまでなって今回の激務をこなしているのです!」

「えー」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「なるほどわからん」

「でしょうね。正直なところ真正面から言われた私だって、理解するのに時間がかかったわ」

「つまりは三司さんに学ランのコスプレさせるためだけに実行委員長にまでなったのか? その生徒は」

「……コスプレって言わないでほしいんだけど、どうやらそうみたいね。そしてその完成度をあげるために……」

「胸を平らに潰してほしい、と」

「ええ。正直相手が男子だったら訴えていたわ。あの子、あの熱量をよく今まで隠していられたわね……。それにしてもどうしよう。自分で盛って自分で潰すとかどんなマッチポンプよ……」

「そんなに思い詰めるくらいなら断ってもいいんじゃないか? 学生会長だからって何でもしなくちゃいけないわけじゃないだんだろ」

「それはだめ。お願いであって強制されているわけじゃないけど、やらなきゃいけないの」

「どうして」

「……体育祭実行委員の人たちには本当によく頑張ってもらってるわ。星幽発表祭と違って一般公開もアストラル技術も関係ない体育祭に学院側は力を入れていない。そんな中、あの人たちの主動でみんなに楽しい思い出を作ってもらえるように頑張ってるの」

 

 三司さんはそこで少し間を取ってから付け加える。

 

「今年はお姉ちゃんも見る。まだ炎天下の中運動するのは危ないから見学だけだけど、お姉ちゃんは体育祭をすごく楽しみにしてるの。だから、この体育祭はなにがなんでも成功させたい。そして、楽しい体育祭を作ってくれる人たちに返せる恩があるなら、私は全力で報いたい」

 

 そんな、まっすぐで純真な言葉に三司さんの葛藤を理解する。

 

「……そうか。なるほどな。それは是が非でも頑張らなくちゃいけないな」

「そうなの。だからたとえ辛くても、心が全力で拒んでも、私は最後までやり通すの」

「そこまでの覚悟があるなら頑張ってくれ。俺もできることは協力するからさ」

 

 三司さんの覚悟を聞いて俺の口から、気が付けばそんな言葉が飛び出ていた。

 

「……本当?」

「ああ、本当だ」

「漢に二言は?」

「二言はない」

「手伝ってくれるの?」

「任せろ。……あ、いや」

 

 やけに確認を重ねる三司さんに嫌な予感がして止めようとしたがもう遅かった。

 三司さんは上目づかいでまるで甘えてくるかのような表情から一転、罠に獲物が掛かった狩猟者のようににやりと笑うと、拳を振り上げて高らかに宣言する。

 

「………………っしゃーー! 言質取った! 労働力ゲット!」

「……は?」

「あー助かった。実際参ってたのよね。学生会長としての日常業務に加えて体育祭の手伝いとか、さすがに身がもたなかったから」

「嵌めたな?」

「なんのことでしょう? お手伝いの申し出、ありがたく受け取ります。頼りにしますね、在原君?」

 

 先ほどまでの砕けた態度と打って変わって、〝学生会長〟三司あやせの鉄仮面をかぶって微笑む三司さん。

 心なしか、普段の笑みよりも口角が上がって可愛らしい気がするが、今の俺にはご馳走を目の前にした捕食者にしか見えなかった。

 

「本当、欲しかったのよね、私専用の雑用がか……秘書的な存在が!」

「おい。今〝雑用係〟って言ったよな? 確かに言ったよな?」

「なによ、だって会長としての難しいあれこれはどっちにしろ任せられないんだから、結局は雑用係でしょ。それともなあに? 漢に二言があるっていうの?」

「……約束した以上はきちんと手伝うよ。こんなだまし討ちみたい形じゃなくて言ってくれれば素直に協力したけどな」

「う……それは悪かったわよ。お願いします、在原君。体育祭までの間でいいので私のことを支えてくれませんか?」

 

 言葉遣いこそ〝学生会長〟モードであったが、仮面を外した素の彼女の頼みに俺は答えに躊躇う必要がなかった。

 

「ああ、任せてくれ。あまり難しいことはできないから、猫の手くらいに思ってほしいところだが」

「は? アナタに猫を名乗る資格があるの? 猫を名乗るならもっと可愛くしてきなさいな」

 

 ……手伝いを辞退してやろうかと割と本気で思った。

 

 

 

 

 

 そして体育祭準備の忙しさに目を回していたらあっという間に体育祭当日がやってきた。

 俺の主な仕事は、学生会長と体育祭実行委員や関係各所の連絡役だったりとか、用具運びといった力仕事がもっぱらだった。

 あまり小難しい書類仕事を任されるよりはよっぽどいいが、本当に雑用係の感じが否めない。

 そんな苦労を乗り越えた本日、天気は快晴。なんの不安もなく体育祭に臨める。

 一応、学生会長の建前上の秘書である俺も出席した朝ミーティングもつつがなく終わり、あとは開会式を待つばかり。

 係の生徒たちが持ち場に散る様子を眺めながら、俺は三司さんに声をかける。

 

「それじゃあ三司さん、俺はクラスの方戻るから。何かあったら遠慮なく声をかけてくれ。三司さんは開会式で学生会長として話すんだろ? 頑張ってくれ」

「………………」

「三司さん?」

「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

「おーい、三司さん? …………三司さん! 大丈夫か?」

「はっ、はい! あ、なんですか在原君。今日は頑張りましょうね」

 

 三司さんが我に返ったように学生会長モードで慌てて返事をする。

 

「ああ、頑張ろう。……じゃなくて。大丈夫か? 開会式の挨拶とかそんなに緊張してるのか?」

「違うのよ、緊張しているのは挨拶じゃなくて午後の……」

「ああ、応援合戦か」

 

 話を誰にも聞かれていないことを確認してから、三司さんが素で話す。

 

「そう。私は前に出て全体の音頭を取るだけだし、声を張り上げるのは紅白の団長が手伝ってくれるから内容はそう難しくないの」

「それは知ってる。俺はその練習にも立ち会ったからな」

 

 一応仮にも秘書として。

 

「学ランにも袖を通してみたの。この気温だとかなり暑くて苦しいけど、まあ何とかなる範囲ね」

「それも知ってる。俺も試し着するところを見たからな」

 

 一応仮にも秘書として。

 

「胸も潰してみたわ。実行委員長から借りたさらし巻いてぺったんに。体操服の上から巻くだけでいいのは助かったわ。……彼女、なんであんなの持ってるのかしら」

「それは知らない」

 

 秘書だろうが知らないものは知らない。

 

「まあ、学ランコスプレを見たいなんて言うくらいだからそういうコスプレとかが好きな人なんだろ。それなら持っていても不思議はない」

「そういうものなの?」

「さあ?」

 

 多分、我が妹を見る限りにおいては。七海もそういったものをいろいろ持っていたはずだ。

 

「あああああ……。それにしても本当に怖い。試着できちんと胸がつぶれてるのは確認したけど、ぺったんの状態で人前に出るのがものすごく怖い」

「その恐怖は俺には計り知れないが。でも普段の三司さんを見てる人ならそのぺったんを見ても、本体がぺったんだなんて思わないだろ。いつもの変身後を見てる人なら」

「本体とか変身後とか言うのやめてもらえます? ぶっ潰すぞ」

「悪かったって。なんの気休めにもならないが、それでもやりきるって決めたんだろ? それに琴里さんも見てるんだ。せっかく琴里さんが見学してる教室から見やすい場所で応援合戦ができるように調整したんだ。胸張っていこうぜ」

「……ありがとう。確かになんの気休めにもなってないけど、なんか勇気出てきた。不思議ね、自分でもわかってたことを言われただけなのに。アナタに手伝いを頼んで本当によかったわ」

「……」

「……アナタ今まさか、『張る胸なんかないけどな』とか思った? ちょっと、おい。こっち見なさいよ」

「……健闘を祈る」

「あコラ逃げんじゃないわよ! 今日の私の手伝いも忘れないでくださいねー!」

 

逃げ出した俺に向かって、わざわざ口調を変えて三司さんは釘を刺したのだった。

 

 

 

 

♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧

 

「あ、在原君。よかった。ここにいたのか」

「二条院さん」

 

 運営の方の手伝いをしているとはいえ、当然俺にも参加種目はある。俺が参加する種目は二つ。

 二人三脚と、借り物競争である。

 二条院さんとは二人三脚のペアとして参加する。

 

「ちゃんと合流できてよかった。在原君は三司さんの手伝いなんかで忙しそうだったからな」

「いくら手伝ってると言っても、さすがに競技の方が優先だよ。実行委員の人たちも三司さんも、その辺りは大丈夫だと思うぞ」

「それもそうか。準備してくれている人たちが楽しめないのは良くないからな。それなら安心だ」

 

 俺と二条院さんは係の誘導に従い競技の列に並ぶ。

 運営側に関わっているせいか、ついついそっち側も気にしてしまうが滞りなく進んでいるようでよかった。

 

「さあ在原君。体調は万全か? 我ら紅組の勝利のために少しでも点を取りたいところだ」

 

 そう、俺たちは紅組である。

 クラスごとに色分けされているため、俺も二条院さんも恭平も三司さんもみんな紅組。

 もっと言うと、学年の違う七海や壬生さん、茉優先輩たちも紅組らしい。

 この体育祭では色の目印に頭にそれぞれの色の鉢巻を巻いている。

 当然、俺と二条院さんの頭には赤色の鉢巻がなびいていた。

 俺は鉢巻をしっかりと締めなおして応える。

 

「ああ。問題ない、ばっちりだ」

「それは良かった。やるからには狙うは一等賞だ」

「あまり練習はできてないけど、やるからには勝ちたいな」

「そこは問題ない。在原君となら勝てると思ってこの競技に決めたんだ」

「え?」

 

 聞き間違いでなければ、二条院さんは自らこの競技に立候補したそうだ。しかもペアを俺と断定したうえで。

 そういえば俺はクラスで参加種目を決めた時に、三司さんと一緒に抜けていたから、決定の経緯を知らない。

 てっきり、人気のない種目に勝手に振り分けられたと思ったのだが。

 

「俺、種目決めの時にいなかったから知らないんだけど。二条院さんが決めたのか?」

「そうだぞ。在原君とペアを組めば勝てると思ったからな」

「なんで」

「朝、一緒に走っているだろ? お互いに相手の走り方だとかクセはわかっているはずだ。だから勝てる、とまでは言わないが他のペアに比べて有利なことは間違いない」

「なるほどな。それは確かに。練習の時に最初からちゃんと走れたのはそれが原因か」

「だから勝つぞ、在原君。他のペアを引き離して、文句なしの一番を取ろう」

「ああ、やってやろう」

 

 

 

そしていよいよ俺たちのレースの番。

二人の脚が離れないように、布を固く結ぶ。

ひょこひょことレーンに並んでから、肩を組む。

体操服の薄い生地越しに感じる柔らかさにどうしてもドキドキしてしまうが、上体をしっかりと固定しなければ走りづらくなってしまう。

二条院さんの方を見てみると……。

少し鼻息を荒くし、頬は紅潮している。

しかし、照れや恥じらいというものは一切感じず、ジッとゴールだけを見つめている。

完全に「入って」いた。

これは俺も気合を入れなおさないと、文字通り足を引っ張ることになりかねない。

 

『それでは、位置について……』

 

 スターターの合図が聞こえる。

 

「ぶっちぎるぞ、二条院さん」

「もちろん。最初から全開だ」

 

『よーい……ドン‼』

 

 全組一斉に飛び出す。

 しかし、俺たちの前には、いや、俺たちの横にすらも人はいない。

 スタートから完全に頭一つ前に出られた。

 後ろからは「イチ、ニ、イチ、ニ」と掛け声が聞こえるが俺たちにはその必要すらない。

 いつも一人で走る時よりも少しだけ相手の走り方を意識して……。

 お互いがお互いの走りをしているから、ぴったりと鏡合わせのような走りができている。

 

『おおー! 紅組の一ペア、速い速い速い! 他の組を置いてきぼりにしてまだまだ加速していくーーー!』

 

 放送実況の声が聞こえる。後ろを振り返る余裕は流石にないが、この分なら転んだりしなければ一位は確実だろう。

 ラスト20m。確実に息を合わせて……。

 

『ゴール!!!』

 

 俺たちは見事に一着でゴールできた。

 他の組は未だゴールする気配すらない。

 

「やった! やったぞ在原君!」

「やったな、二条院さ——」

 

 喜びを分かちあおうと二条院さんの方を向くと、ガバッと。

 真正面から飛びつかれた。

 俺の首に腕を回し、結んでいない方の脚だけでぴょんぴょんと器用に跳ねる。

 大変可愛らしいが、単純に近いのと、密着しながら跳ねるせいで胸部あたりに何やら幸せな感触が……。

 

「やったやったやった!」

「二条院さん、わかったから、俺も嬉しいから。早くどかないと次にゴールしてくる人の邪魔になってしまう」

「ん? そうだな。移動を……」

 

 俺の言葉に冷静になった二条院さんが動きを止める。

 そして……。

 超至近距離で目が合ってしまう。

 至近距離というか、抱き着かれているから実際はゼロ距離である。

 

「な、な、な……。ワタシはなんて大胆なことを……。しかもこんな公衆の面前で! ゴメン! 在原君!」

 

 ドン、と俺を突き放すように距離を取ろうとする二条院さん。

 しかし俺たちの脚はしっかりと結ばれたままで……。

 

「あ、わわっ、うわ、——きゃっ」

「危ない!」

 

 ドサ。

 転びそうになる二条院さんを受け止めようとしたが、足が不自由なせいで踏ん張りがきかなかった。

 俺を下にしたまま、二人で倒れる。

 

「いたた……。怪我はないか、二条院さん」

「……ぽー…………」

 

 目を開けると、何やら呆けた様子の二条院さん。

 形的には俺が二条院さんに押し倒されている体勢。

 そしてその距離は、やっぱり近いままで。

 むしろ倒れて身長差がなくなった分、顔同士の距離がさっきよりも近い。

 どちらかがもう少し踏み込めば、唇と唇が触れてしまいそうな……。

 

「……ぽー…………」

 

 二条院さんは変わらず呆けているし、どうしたものか。

 俺が下だから、二条院さんに動いてもらわないとどうしようもないのだが。

 

「二条院さん、そろそろ……」

「……ぽー…………」

「二条院さん、二条院さん!」

 

 反応のない二条院さんのことを腕の力だけで持ち上げ、少しだけ距離を確保する。

 これでこれ以上の事故は起きないだろう。

 

「二条院さん、どいてくれ」

「……ハッ、ワタシはまた何を……。ゴメン在原君! すぐにどく。……あ、あれ? 足が、絡まって? 解けない……。って、うわ!」

 

 立ち上がる前に足の布を解こうとした二条院さんが体勢を崩して俺の上へ。

 何の因果か、ちょうど俺の顔の上に二つの禁断の果実が降り注ぐ。

 

「ああああああああ! ちょっ、待つんだ在原君。こんなところで何をするんだ。みんな見てる、見てるからーーー!」

「さっきから、俺は、何もしてねぇーーー!」

 

 果実に埋もれたままの俺の声は、果たして届けたい相手に届いたのか。

 それは誰にもわからない。

 

 

 

「たった一種目に出ただけなのにすごく疲れた……」

 

 結局あの後、近くにいた生徒の力も借りて布を解き脱出に成功した。

 全体の競技も終わり参加生徒が散り散りに去っていく中を、二条院さんは「頭を冷やしてくる」と言ってさすがの健脚でいち早く抜け出していった。

 

「あ、在原君。ちょっといいかい?」

「ん?」

 

 呼ばれた声に振り向くと、ここのところの準備ですっかり顔見知りになった体育祭実行委員の男子生徒がいる。

 

「なんだ?」

「用度よかった。ちょっとお願いがあってさ……」

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 よろよろと、段ボール箱を三つ重ねて運ぶ影がそこにはあった。

 というか俺だ。

 実行委員からのお願いというのは、この段ボールの移動だった。

 中身が何なのかは聞いていないが、もうすでに使い終わったもので、今日はもう必要ないから校舎の中に運んでおいてほしい、と。

 おかげで今は一人で配達員をやっている。

 それにしてもこの段ボール、一つ一つは大した重さではないが、さすがに三つ重ねるとそれなりの重量があるし背が高くなって前が見えづらい。

 落としたりぶつかったりしないように慎重に運ばなくては……。

 

「あれ? 先輩?」

「その声は……壬生さん?」

 

 視界が塞がれていて姿こそ見えないが、確かに壬生さんの声が聞こえた。

 

「そうです。可愛い後輩ですよ……、って。先輩、ストップ! スト―ップ!」

「っ!」

 

 壬生さんの突然の大声に、思わず立ち止まる。

 

「ふう。先輩、そのままちょっと屈んでくださいね。はいオーラーイ、オーラーイ。はい、一つ預かります」

 

 そんな声と共に、視界が開け、腕が軽くなる。

 三段重ねの段ボールのうち、一番上の一つを壬生さんが持ってくれたようだ。

 

「はい、先輩。見えますか? 目の前の光景が」

「……段差と猫耳が見えるな」

「でしょう⁉ クラスで流行ってるんです、この鉢巻猫耳。どうです? 可愛いです?」

 

 おそらく壬生さんが指摘したいのは段差のことだが、そんなことより彼女の頭に乗っかる猫耳の方が気になる。

 鉢巻をカチューシャのように頭のてっぺんの方に巻き、どういう結びかはわからないが猫耳のように小さな三角が二つ付いている。

 

「ああ、すごく可愛らしいよ。鉢巻でそんなことができるんだな」

「にゃーん。ありがとうございます。ちなみに七海ちゃんもやってますよ」

「そうか。あとで見てみるよ」

「あ、そんなことより! 前が見えなくなるほど抱えてると危ないですよ。せっかくの体育祭なんですから怪我なんかで台無しにしないでください」

「悪かった、気を付けるよ。ありがとう壬生さん」

 

 猫耳をほめられて喜んだり、段差を注意して怒ったり。ころころと変わる表情が見ていて面白い。

段差のことをいうのなら、いくら前が見えないと言っても道は覚えているので把握していたし、足元の確認はしていたので転ぶこともなかったとは思うが。

 それでも俺のために頬を膨らませ怒ってくれるこの可愛い後輩の善意を考えるとそんなことはどうでもよかった。

 

「素直でよろしいです。ご褒美にこの荷物、運ぶの手伝ってあげます」

「それは助かるけどいいのか? 壬生さんの参加種目の時間とか、あとは友達と一緒に観戦するとか」

「今ちょうど競技が終わったところだったんですよ。それに、七海ちゃんがお仕事に行っちゃったので一人で暇なんです」

「七海が仕事……? ああ、あいつ体育祭の間は救護係なんだったっけか」

「そうです。七海ちゃんのアストラル能力を貸してくれ、って実行委員の人にお願いされたみたいで」

「ふむ」

「おや、ちょっと浮かない顔ですね。何か心配事でも?」

「心配というほどではないが……。あいつは能力を使うとその分体力を消費するからな。乱用して体育祭が楽しめなくなったら困る」

「ははーん。やっぱり心配なんですね。さっすがお兄さん! でもまあ、そんなに心配はないと思いますよ。万が一大怪我してしまったり熱中症で倒れちゃった子がいた時だけ応急処置を頼みたい、って話だそうですから。ただの擦り傷だとかに能力は使わないと思います」

「そうなのか? それならいいが」

「まあ、それとは別に、体育祭として順当に疲れてはいるかもしれませんけどね」

「それはどういう?」

「さっきの競技、七海ちゃんと一緒だったんですよ。組は違いましたけど」

「へえ。なんの競技に出たんだ?」

「障害物競走です」

「あー、七海のやつ、結構どんくさいからな。無意味にバタバタしてしかも結局順位は低いって結果になってそうだ」

「さすがですね。まさにズバリです」

「やっぱりな。壬生さんは? 障害物競走どうだったんだ?」

「ふっ……聞いて驚け! なんと一着でした!」

「おお! すごいじゃないか、おめでとう!」

「あんな障害、私の前には物の数ではないんです。私のこのスリムボディの前では!」

「…………」

「ゴールしてニコニコだった私は気づいてしまったんです。順位と、体型の相関関係に……。そりゃあ七海ちゃんは順位低くて私は一番ですよ。……ふっ」

 

 なんともコメントのしづらい話題が飛んできた。

 

「網の目くぐりでみんな何に引っかかっているのか不思議だったんですよね。〝何に〟じゃなくて〝何かが〟引っかかっていたんですねぇ。そりゃあ私はするするくぐれるわけですよ。引っかかるものなんて何もないですから」

「…………」

「先輩、何か言ってください。でないと私、なんだか惨めです……」

「……需要は人それぞれだから」

「あああああ! 身体測定に更衣室、プールにお風呂以外のイベントでこんな気持ちを抱くなんて……不覚!」

 

「……結構多いんだな、悩むイベント」

 

 

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 荷運びを手伝ってくれた壬生さんにお礼を言って別れると、俺は急いで校庭の集合場所に走った。

 本当はもう少しくらい一緒にお喋りしたり観戦したりもしたかったが、俺の二つ目の参加種目がもうすぐ始まってしまう。

 俺の本日二つ目の参加種目。それは、借り物競争である。

 

 

 

『位置について、よーい、ドン!』

 

 スターターの合図で俺の組の計9人が一斉に走り出す。

 スタート位置から少しのところに箱が置いてあって、お題を引く方式だ。

 さて、俺のカードにはなんて書いてあるのか……。

 

『救護係』

 

 借り『物』じゃないな。借り『者』もありなのか。

 なんにせよ引いたからには借りてこなくちゃ始まらない。

 幸い、救護係には七海がいるから人選には困らないし、場所は校庭に面している保健室だということはわかっている。

 あとは、他の競技者よりも早く七海をゴールまで連れて行けば俺の勝ちだ。

 

 

 

「——ハァ、ハァ……。七海! いるか!」

 

 ガラッと保健室の戸を開く。救護係ならここにいるはずだ。

 

「うわぁ! さ、暁君? びっくりした―」

「わぁ、暁君だぁ。こんにちは」

「茉優先輩に琴里さん? あれ、七海は?」

 

 保健室に俺が探していた七海はおらず、代わりに茉優先輩と琴里さんがいた。ちなみに二人は普段の制服姿ではなく、体操服姿である。茉優先輩の方はその上から白衣を着こんでいたのでかなりのマニアック感が否めないが。

 

「七海ちゃんならね、さっき保健医の先生と一緒に校庭の方に行っちゃった。体調不良の子が出ちゃったんだって」

「だから茉優と私でお留守番してるの」

 

 なるほど。ここに七海ではなく二人がいた理由はわかった。しかしそうなると弱る。それなりに広い校庭の中から救護係の生徒を見つけなければならない。

 確か腕章をつけていたはずだが、それでも探すのは骨が折れるだろう。

 

「暁君はすごく慌てていたみたいだけどどうかしたの?」

「ああ。ちょうど今借り物競争に出ていてな。お題が『救護係』だったから七海に来てもらおうと思ったんだが……」

「『救護係』? それならアタシでもいいのかな?」

「え?」

 

 白衣のポケットをごそごそ漁ったかと思えば、そこから出てきたのは救護係の腕章だった。

 

「じゃーん、実はアタシも救護係なのでした! だからアタシが一緒に行ってあげるよ、暁君」

「よかったねぇ暁君。茉優、ここには私がいてあげるから安心して」

「うん。そんなに時間もかからないと思うし、少しの間お願いね」

 

 淡々と二人の間で話が進んでいく。

 とりあえず茉優先輩が救護係というのならありがたい。これでお題達成できる。

 

「そういうことなら頼む、茉優先輩」

「おっまかせ~。じゃあ琴里、行ってくるね」

「は~い。二人とも頑張ってぇ」

 

 そして保健室を飛び出し、俺たちは走り出した。

 

 

 

「——ぜぇ、……はぁ、……ぜぇ、……はぁ。…………うっ」

「大丈夫か茉優先輩。もう終わったから、焦らなくていいからしっかり息をしてくれ」

「……あんま、だいじょばな……うぇ」

「救護係呼ぶか? いや、茉優先輩がそうだったな」

「そこまでは、へいき……。たぶんもうしばらくすれば……おち、つくから」

「茉優先輩の体力も考えずに無理に走らせて悪かったよ」

 

 借り物競争は終わった。茉優先輩の協力のおかげで、一位とは言わずともそれなりの順位で紅組に貢献できたと思う。

 しかし、ゴールして隣を見てみると、元から色白の顔を青白くさせながら息を絶え絶えにしている茉優先輩の姿があった。

 それもそのはず。途中で茉優先輩が俺のペースについていけないのを感じ、自分から、

 

「暁君、引っ張って!」

 

 と伸ばしてきた手を、俺が引きながら走ったのである。

 当然茉優先輩は自分のキャパ以上のペースでそれなりの距離を走ったことになる。

 結果、ゴールするころには完全グロッキー状態の茉優先輩の完成だ。

 

「はぁはぁはぁ……少し落ち着いてきたかも」

「保健室まで戻れそうか?」

「……ダメ。まだ歩けない。でもここにいたんじゃ次の競技の邪魔になっちゃうよね」

「うーん、肩貸すから少しだけ移動できるか?」

「肩……。あ、じゃあ暁君。後ろ向いて、しゃがんでみて」

「……? こうか?」

 

 

 

「いやぁ、らくちんらくちん」

「おんぶとか恥ずかしくないのか? 周りの目とか」

「体操服白衣で校庭に出てる時点でいろいろ目立ってるからね」

「自覚あったのかよ……。白衣は脱いで来ればよかったのに」

「あー無理無理。こんな炎天下の中、体操服だけで外に出たらおねーさんお肌が死んじゃう」

「でも暑くないか? その格好」

「あつぅい。もう無理早く冷房の効いた保健室に戻りたい」

「体育祭中にあるまじき発言だな。……茉優先輩も救護係だったんだな。知らなかった」

「そうだよー。アタシはもう体育祭なんかも十分経験してるからね。一般生徒としてではなく教員よりでの参加なんだ。体育祭の間は保健室も忙しくなるから。保健室の先生(仮)って感じ?」

「なるほど」

「あとは琴里のこともあるかな。せっかく目を覚ましてくれたんだから、体育祭に競技参加はできなくても一緒にいたかったのさ」

「あれ、そういえば琴里さんように教室が用意されてるって聞いたけど。校庭が見やすい教室を」

「あー、一人じゃつまらないって抜けてきちゃったみたい。まあ保健室からも校庭が見えないことはないし、いいかなってアタシも許しちゃった」

「そうだったのか。……昼からやる応援合戦の時には教室に戻るように伝えといてくれ。でないと困る」

「それは大丈夫。琴里もすっごく楽しみにしてたから。三司さんの応援」

「それなら安心だ」

「——はあ。それにしても……」

 

 そこで茉優先輩が話を切ってつぶやく。

 

「懐かしいなぁ。昔は今とは逆に、アタシが暁君をおんぶしてあげてたよね。あの頃はまだアタシの方が体が大きかったからなぁ」

「…………」

「暁君も『茉優お姉ちゃん、大好き‼』ってよく甘えてきたっけ」

「…………」

「本当、あの頃は可愛かった。なにをするにもアタシの後をついてきて……」

「なあ」

「振り返るとすごく嬉しそうな顔をしてくれたっけ」

「なあってば」

「ん? なあに、暁君」

「いい加減、過去の捏造を語るのはやめてくれないか」

「えーいいじゃんいいじゃん。思い出に浸らせてよぅ」

「だから! 捏造した記憶を! 思い出とは言わないんだよ!」

 

 全く油断も隙もあったものじゃない。

 昔を知っている相手はこれがあるから困る。

 それと同時に、昔の頃だったら俺が今抱いているこの悩みもなかったのかと考える。

 

「本当、大きくなったね。暁君」

 茉優先輩が俺に聞かせるでもなく静かにつぶやいたその一言で、俺がずっと自分自身に押し殺していた悩みが表層に浮き上がる。

 大きくなった。

 本当に大きい。

 大きい感触が。

気になる。

 さっきから、背中に当たる大きな感触がすごく気になる。

 一歩歩くごとに、ふわんと弾む感覚。

 いや、だめだ。気にするな俺。落ち着くんだ俺。

 そうだ、こんな時は円周率でも数えて……。

 

「3.141……これ以上知らないや」

「ん? どうしたのいきなり。円周率? 3.141592653589793238462643383279……」

 

 と、茉優先輩が不甲斐ない俺の代わりに続きを唱えてくれる。というかそんなにすらすら出てくるのすごすぎない?

 

「ふはぁ、息が続かないや。でもどうしたの? いきなり数学の神秘にでもはまった?」

「いや、ちょっと雑念を払いに……」

「んー? まあ、こんなに桁があって面倒だから普段はπでみんな計算してるんだけどね」

「っパイ⁉」

「そうπ。え? 流石に知ってるよね?」

「あ、いやいや。大丈夫知ってる平気だ」

「すっごく何かを取り繕ってる反応だけど本当に? 二回も留年してるアタシが言えることじゃないけど、成績が足りなくて進級できませんでした、とか言わないようにね」

「わかってるって。ちゃんと勉強する。大丈夫だ」

「本当に? 何かわからないことがあったらすぐにおねーさんに聞きに来るんだよ。なんでも教えてあげるからね」

「あーもう、ここぞとばかりに姉ぶるんじゃない!」

 

 

 

 

 

♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤

 

午前の部は終わり、昼食のための休憩時間も間もなく終わる。

俺と三司さんは午後の最初である応援合戦の準備をしていた。

とはいっても、三司さんが学ランを着るだけなのだが。

 

「いやよ。誰に見られるかわからない場所で胸を潰すだなんて!」

 

 という三司さんの主張により簡易の着替え用テントが用意されていた。

 校舎まで戻ってしまえばきちんとした更衣室はあるのだが、「上から着るだけで脱ぐわけではない」のと、「学生会長としてなんだかんだ忙しくなるであろう三司さんが校舎まで往復するのは手間」という理由で簡易更衣室だ。

 そこに向かう道すがら。

 

「在原君。例のモノ、ちゃんと持ってるんでしょうね」

「ん? ああ、ちゃんと持ってるよ。はい」

 

 と応援合戦用着替え一式が詰め込んである紙袋の中から、さらしを取り出して三司さんに手渡す。

 

「ちょっと! こんなもの外で堂々と渡さないでくれる⁉ 人に見られたいものじゃないのよ!」

「悪かったって。というかなんで俺もついていくんだ? 着替えるだけだろ?」

「そうだけど。……不安なのよ。ちゃんと胸を潰せてるのか確認してもらう必要があるの。万が一にも『あれ? なんか妙な部分が膨らんでませんか』なーんて言われてみなさいよ。私の命はそこまでです」

「ああなるほど。パッ……、オホン。その、中身の構造は良く知らないけど、絞めつけたことによってずれて他の場所が膨らんでいたら事件だもんな。可変式虚乳が可動式虚乳になってしまう」

「おい……なんでパッドの単語を避けることができたのに可動式とか言い出す? 在原君の命をここまでにしてあげましょうか?」

「悪かった。本当に悪かったからその顔やめてくれ。マジで怖い」

「ったく隙あらば余計なこと言いだすんだから。あ、それと私が着替えてる最中、万が一でも覗きがいないか監視しててよね。まあ、在原君のことは信用……」

 

 ——その時。

 

 ぶおおおお……と轟音と共に校庭の砂を巻き上げながら突風が吹き荒れた。

 校庭のそこかしこで悲鳴が上がる。

 声の感じを聞く限り、危険性はなくただ強風に驚いただけだろう。

 第一波だけならそれで済んだ。

 しかし、間を開けずに第二波がやってきた。

 さっきよりも強い風で目を開けるのもやっとだ。

 少しだけ開いた目の端にテントが浮き上がるのが見えてしまう。

 

「まずい……」

 

 一つ二つ程度ならまだいいが、校庭に立てられている簡易テントの数はそれだけではない。

 全部が吹き飛んでは体育祭どころではないし、最悪怪我人だって出る。

 とは言え、俺にできることは何もなく……。

 せいぜいが手近なテントに手を伸ばし、吹き飛ばないように体重をかけるだけだ。

 一つは守れても全部は……。

 

 ——その時。

 

 今までよりもさらに強い風が吹き荒れる。

 真上から。

 まるで今まさに浮き上がろうとしているテントを押し戻すように真下に吹き付ける風に今度こそ目も明けられない。

 そして十数秒後。

 やっと風が落ち着いて恐る恐る目を開けると、多少プログラムの紙や誰かのタオルが散らばってはいたものの大きな被害は確認できなかった。

 真上からの強風。これはおそらく……。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 三司さんがつぶやく。

そう、おそらく琴里さんのアストラル能力によるものだろう。

これから始まる応援合戦を見るために見晴らしのいい教室にいた琴里さんが校庭を守ってくれたのだ。

瞬時にこれだけの規模の能力を使えるなんて。

 

「さすが最強のアストラル使い」

 

 そう評価するしかない。

 なんにせよ助かった。琴里さんのおかげこの後も問題なく体育祭を続けられる。

 

「それじゃあ三司さん、テントに……」

 

 行こう。と続けようとした言葉は最後まで言えなかった。

 顔面蒼白の三司さんに驚いて。

 

「三司さん? 大丈夫だって。琴里さんには茉優先輩が付いてるはずだから、安心しろ」

「そうじゃない! お姉ちゃんのことは心配だけど今はそこじゃないの!」

「じゃあ、なに?」

「ないのよ!」

「なにが?」

「さらしが!」

「……はあ⁉」

 

 見ると、三司さんが持っていたはずのさらしがどこにもない。

 

「なんで⁉」

「わからない。多分さっきの強風で持っていかれちゃったんだと思う」

 

 慌ててあたりを見渡すも、さらしらしきものは見当たらない。

 

「ど、どどど、どうしよう。あれがなくちゃ胸が……」

「落ち着けって。最悪そのまま行けばいいだろう。学ランは飛ばされてない。これさえ着てしまえば胸の大きさなんて些細なものだろ」

「あん? 今胸の大きさが些細なことだって言った? もっぺん言ってみろや」

「今そんな話してる場合じゃないだろ。とりあえず学ランを……」

「ダメ! ダメなの。言ったでしょう。これは強制ではないけど感謝のしるしとしてやりきるんだって。今この時にも実行委員の人たちは体育祭のために動いてる。だから私も私にできることをやるの!」

「そうは言っても……」

「ぐぅ……」

「胸を締め付けられるようなものも今は何も持ってないしな」

「…………」

「三司さん?」

「…………こうなったらもう、覚悟を、決めるしか」

 

 三司さんは俺から学ランを奪い取るように受け取ると、簡易テントの中に入ってしまう。

 かと思えば、顔だけ少し出して。

 

「絶対、ぜーったいに、誰も、通すな」

 

 とだけ告げた。

 

 

 

 数分後。

 学ランを着るだけにしてはずいぶんと時間をかけてから彼女は出てきた。

 

「…………ん」

 

 言葉にもなっていない一言だけを告げ、学ランの入っていた紙袋を押し付けてくる。

 ? なにか入ってるな?

 中を覗き込もうとすると……。

 

「中を見るな。絶対に。そして私が受け取るまで誰にも見つからない場所に保管しといて」

 

 と釘を刺される。

 そこでようやく納得した。この紙袋の中身について。

 

 普段の彼女の、服の内側から存在を主張する膨らみがない。

 さらしを巻いてみた時よりも自然な、完璧なフラットがその胸部に形成されていた。

 

「三司さん……」

「何も……何も言わないで! やめて、見ないで!」

「似合ってる?」

「何も言うなつってんでしょう! 似合ってるって何よ! せめて疑問形じゃなくて言い切ってよぉ!」

「とりあえず見た目に問題はない。実行委員長の要望そのままだ。自信を持て」

「この格好で自身持てって言われてもねぇ」

「ほら、琴里さんだって見てるんだから。胸張っていこうぜ」

「張る胸がなくなっちゃたんだけどねぇ。……はぁ。自分で言ってりゃ世話ないわね。よし、在原君!」

 

 俺の名前を呼ぶとともに、バっと右手を振り上げる。

 

「なに?」

「もう、察しが悪いわね。ハイタッチよハイタッチ。景気づけにね」

「なるほど。それなら」

 

——パンっと小気味の良い音が鳴り響く。

 

「よし、行ってくる」

 

 そう言い残し走り出す三司さん。

 彼女がやりきると決めたのだ。それなら俺も俺に与えられた任務を果たすのみ。

 つまるところ、この三司さんの秘密を守りきる。

 

 

 

 

 

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 

 その後の体育祭は異様な熱量のもと行われた。

 学院のアイドル、三司あやせによるコスプレ応援。これがすべての原因だろう。

 

 そのあり得ない熱量のもと、残りの種目もすべて終わった。

 結果発表を含む閉会式の後、体育祭の最後の目玉であるフォークダンスが執り行われる。

 学年もクラスも関係なく、男女の区別のみで列をなし、曲とともに男女が手を重ねて踊り始めた。

 どことなく甘酸っぱい雰囲気にもなるが、まあ、それだけ。

 これが終われば長く長く感じた今日が終わる。

 この曲が終われば……。

 

 

 

 そろそろ曲が終わってしまう。

 もうちょっとだけ、あとちょっとだけ。

 あと二人。あと一人。

 そして……。

 

「お疲れ様、お兄ちゃん」

「お疲れ、七海」

 

 俺が差し出した手を次に握ったのは七海だった。

 両手をそれぞれ重ねてステップを踏む。

 ついさっきまで飽きるほど何度も繰り返したこの動きが、なぜ今になってこんなにも楽しく、こんなにも気恥ずかしく感じるのだろうか。

 ずっと伏せていた眼を、少し上げてみる。

 ぱちりと。すぐ至近距離で開かれた大きな瞳がこちらを見つめていた。

 

「…………」

「…………」

 

 つかの間の沈黙。

 最初の会話以来、お互いに無言だったから今更気にすることではないのだけれど、それで

も言葉を探して、見つからなくて。

 この状況で何か気の利いたことを言えるほどの器用さは俺にはないらしい。

 

「……ふふ。なんだか照れくさいね。こうやって手を繋いで二人で踊るの」

「そうだな。実は緊張してた」

「ね、どう、猫耳? 似合ってる? 可愛い?」

「ああ、似合ってるよ。壬生さんに聞いてたけど本当に猫耳してたんだな」

「む、サプライズになってなかったか。残念」

「まあ見られただけ良かったよ。今日はなぜかなかなか会わなかったしな。一回は七海のこと探しもしたのに」

「そうだったの? せっかく体育祭なのに運のない……。あ、ていうかお兄ちゃん! フォークダンスの途中からわたしのこと見すぎだよ。近くなってから露骨にわたしまであと何人かとか数えてたでしょ」

「……そんなことないぞ。俺が見てたのは相手の男だ。フォークダンスにかこつけて大事な妹に手を出す不埒な輩がいないか監視してたんだ」

「おんなじだし……。本当にシスコンきもいなー。……ふふっ」

「きもいとか言いながら笑うなよ。というか、そういう七海はやたら俺の様子を把握してるみたいだけど、踊った相手の顔ちゃんと覚えてるのか?」

「……えへへ」

「笑ってごまかすなよ。七海だって残りの人数気にしてたんじゃないか」

「だって、曲がもう少しで終わっちゃいそうだったから。あとちょっとのところにお兄ちゃんがいたんだもん。せっかくなら二人で踊りたいじゃない。お兄ちゃんは違ったの?」

 

 踊りながらも器用に小首をかしげて上目遣いで尋ねてくる。

 そんなに素直になられると意地を張っている俺の方が子どもに思えた。

 

「いや。俺だって七海と一緒に踊りたかったよ。七海に届くまで続いてくれ、って必死に祈ってた」

「そっか。片方だけしか祈ってなかったら叶わなかったかもね」

「?」

「ほら、もう終わっちゃう」

 

 長らく続いたフォークダンスの曲も、気づけば締めくくりに入る。

 どうやら今のペアで最後らしい。

 

「そうだな。二人とも祈ったから叶った」

「うん。最後にお兄ちゃんと踊れてよかった」

 

 いよいよ曲が終了し、七海と向かい合ったまま動きを止める。

 フォークダンスを始める前に説明があった通り、この後は流れ解散のはずだ。

 多少、このままお喋りをしていたっていいだろう。

 向かい合ったままではないが、二人で隣に並びたつ。

 ……なんとなく繋いだ手を離すのが惜しくて、二人の間の手はそのまま。

 俺も七海も振り払う素振りもない。

 きっと、この時間が終わるまではこのままで。

 

「紅組勝てたね、やった」

「ああ。昼過ぎからの紅組の盛り上がり様はすごかったからな。特に男子の」

「あやせ先輩の応援効果だろうね。学ランまで来て気合入ってたし。応援合戦が終わっても脱がなかったなんてよっぽど応援に熱が入ってたんだね。あやせ先輩、思ったよりも負けず嫌いなのかな?」

 

 体育祭の勝ち負けとは別のところで勝負していたなんて、この純粋な妹にはとても言えない。

 手に汗をかいていないかちょっと不安になる。

 

「それにしてもすごかったなぁ、あの格好。胸まできれいに潰して。あやせ先輩くらいのサイズだと、あそこまできれいに潰すのは結構大変なんだよ?」

 

 七海はおそらく自身のコスプレの記憶から言っているんだろうが、つぶされていたのは巨乳ではなく虚乳なのだ。いくらでも潰せる代物なのだ。

 

「今度きれいな潰し方教えてもらおうかな。ぜひ参考にしたい」

「やめてあげてくれ。本人、あまり気乗りしてなかったから」

「そうなの? 学ラン姿の応援、すごくカッコよかったのに」

 

 七海から胸の潰し方教えてくださいなんて言われたら三司さんが本気で泣いてしまう。

 

「それより七海。あとで三司さんに能力を使ってあげてくれないか? 疲れているところ悪いが、三司さんも結構余裕がないはずだ。」

「? それはいいけど。わかった。後であやせ先輩のこと探してみるね」

「うん、頼む」

「そういうお兄ちゃんは? ここのところ忙しそうにしてたけど、疲れてない? 怪我とかは?」

「大丈夫だよ。疲れてはいるけどまだ余裕はあるし、怪我はない。七海の方は? 怪我とか。障害物競走ではずいぶん苦労したと聞いたが」

「むぅ。千咲ちゃん、また余計なこと言って。大丈夫、怪我なんてないよ」

「そうか」

「ま、二人とも怪我がないならよかったよかった。それならわたしの能力を使う必要もないね」

「ああ、それは三司さんに取っておいてくれ。それに……」

「それに?」

「それにこうして手を繋いでるだけで、七海の温もりを感じて癒されるしな」

「……お兄ちゃん、やっぱり結構疲れてない? いつもならそんなこと言わないのに」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 繋いでいた手が少しだけ強く握りなおされた気がする。

 能力を使っているわけではないのだろうが、この手から順に癒しが体中に伝わっていくようで。

 

 やっぱり、もう少しだけこのままで。

 

 

 

 

 

♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤♤

 

 締めのフォークダンス後に残っていた生徒も解散し、日中の騒々しさを惜しみながらの撤収作業がいよいよ始められた。

 一般生徒は既に寮に戻り、人数は少なくなるが実行委員たちだけが残っている。

 とは言え、今日のうちに片さなければいけないものなど微々たるものだ。しかもその大半も使い終わったものなどはその時点で片付けてしまっているので、残すは日除けのテントくらいなものである。

 今日まで体育祭の準備を手伝っていたことだし、最後も何か手伝うことは、俺もこの場に留まっていたがその必要はなかったようだ。

 それならお役御免ということで俺も先に寮に戻るかな、と思っていたところで声をかけられた。

 

「在原君、お疲れ様」

「ああ、三司さん。お疲れ。……やっぱりまだその格好なんだな」

 

 三司さんは応援合戦の時のまま、学ラン姿だった。

 そこを指摘すると三司さんはキョロキョロと周りを窺った後で答える。

 

「当たり前でしょう! どんなに暑くても迂闊に着替えられないんだから!」

「そうだったな。実行委員長の反応はどうだった? 苦労した甲斐はあったのか?」

「……ええ。とても喜んでくれたわ。正直引くくらいに。まさか感極まって泣かれるとは思わなかったけど」

「泣かれたのか……。いやまあそこまで喜ばれたなら良かったじゃないか」

「まあそうね。頑張った意味があったわ」

「一通りの仕事が終わったなら先に寮に戻っててもよかったんじゃないのか? 学生会長としての三司さんの仕事はもう終わったんだろ?」

「それはそうなんだけど。自分が関わったことだし、最後まで見届けたいの。どうせ今寮に戻ったところでお風呂にも入れないし」

「なるほど。三司さんらしい理由だ」

「……ねえ、どっちが? 最後まで見届けることとお風呂に入れないこと、どっちが私らしいって?」

 

 額に青筋を浮かべながらそう訊いてくる三司さん。いやもう、本当に〝らしい〟よ。

 

「そんなに素を出してていいのか? 近くに誰もいないとはいえ、いつ誰がそばに来るのかわからないんだぞ」

「ご心配なく。その時にはすぐに切り替えられますから。こんな感じに。」

 

 一瞬前の表情が嘘のようににこやかな笑みを浮かべる姿を見てそれ以上の言及をやめる。

 

「あ、そうそう。ありがとう」

「なにが? 学生会長秘書(仮)のこと?」

「それもそうだけど。さっき七海さんが来てくれて能力を使ってくれたの。疲れてたし暑いしで大変だったんだけど、すごく楽になったわ。聞いたら、在原君に頼まれたって言ってたから」

「それは良かった。最後の最後で倒れられでもしたら事だからな。わざわざそれを言いに来たのか?」

「なによ。悪い?」

「いや別に。律儀だなと思ってさ」

「本当は後でお礼しに行こうと思ってたんだけどね。在原君はもう帰っちゃってると思ってたから」

「そこまで薄情でもないさ。もう手伝いはいらないみたいだから帰ろうとはしてたけど」

「そ。ならここで会えてよかったわ。こういうのはなるべく早く伝えた方がいいだろうし」

「どうせまた明日教室で会うんだから、そこまで気にする必要ないと思うけどな」

「私がちゃんとしておきたいのよ」

「そうかい。ちゃんと受け取ったよ。三司さんもお疲れ様。少し横で手伝ってただけだけど、学生会長って本当に大変なんだな」

「ありがとう。ええ、すっごく大変よ。……だからこれからもずっと私を支えてくれる人がいると助かるんだけどなー」

 

 まるで独り言のように(その割には大きな声ではっきりと)つぶやく彼女に苦笑しかできない。

 というか横目でちらちら俺のこと見てくるし。

 

「俺にできることならな。また頼ってくれ」

「やった!」

 

 そう言って目を細めて笑う彼女は嬉しそうに続ける。

 

「でも、そんなにずっと一緒にいたら周りに勘違いされるかもな。現に今回だって『なんでお前が手伝っているんだ?』と何人かから訊かれたぞ」

 

 それが純粋な疑問なのか、嫉妬心ゆえのモノなのかは定かではないが。

 

「……いいわよ」

 

 肯定の言葉。

その言葉に思わず振り向く。三司さんの顔が赤く見えるのは夕日のせいか、それとも……。

 

「アナタとなら、在原君となら勘違いされてもいい」

 

 聞き間違いかとも思った。彼女の態度がそうではないと告げてくる。

 

「……三司さん」

「だって……」

 

三司さんはそこで俺に向き直ると生徒会長としての仮面を外した、普通の女の子のように満面の笑みで言葉を続けた。

 

「だって、それくらい在原君のことをこき使えてるってことでしょ? いやー学生会長の仕事が捗っちゃうな―」

「……おい」

「あはは、冗談よ」

「いや絶対に本気だろ。完全に本気で言ってるだろ」

「ちゃんと冗談だってば。……途中からは」

「え?」

「なんでもない! ほら、まだ残ってたってことは急ぎの用事はないんでしょ? 手は足りてるみたいだけど、私たちも手伝って早く終わらせちゃいましょ」

「あ、おい、ちょっと」

 

 実行委員たちが集まる場へ三司さんは駆け出——そうとして、立ち止まる。

 

「在原君、最後に」

「ん?」

「ん」

 

 三司さんがスッと右手を上げる。

 いつも察しが悪いと言われる俺でもさすがにわかる。

 

「ははっ、体育祭の成功を祝して」

「うん、成功を祝して」

 

——パンっと、二人の掌を重ねた音が大きく響いた。

 

 

 

特別賑やかな一日が幕を閉じた。

また、俺たちの平和な日常は続いていくのだった。




最後までお付き合いありがとうございました。
楽しんでいただけていたら幸いです。
RIDDLE JOKERより共通√その後のお話です。
イメージとしては完全にドラマCD「かなりピンチな三司あやせの一日(温泉編)」です。
なぜに(温泉編)と銘打っていて他がないのか。
こんな感じの「友達以上恋人未満」って雰囲気の中でわいわいしてるのがかなり好きいです。

私史上最長文でした。
なかなかに難しかったです。楽しかったから何も問題はありませんが。

ちなみに登校日本日8月8日はやなやが投稿を始めてから半年になります。
いつもお読みくださっている読者様には特別の感謝を。


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あなたのハートにダイレクトアタック☆(綾地寧々)

 今宵は夏祭り。

 恋人たちのデートにはうってつけのシチュエーション。

 私の視線の先にも一組の男女が腕を組んで歩いている。

 その二人の後ろを、少し距離を開けて私が付いていく。

 はたから見たら、カップルの後をつける私はどう映るのだろうか。

 でも、そんな心配はいらない。どうせ誰も私のことを気にも留めないのだから。

 夏祭りにはとても似合わないおかしな格好をしていても、誰も私に気が付かない。

 そういう風になっている。

 私に気づけるのは唯一彼だけ。

 その彼も、今は隣の恋人に夢中のようで他のことは眼中にない。

 やがて二人が足を止めた。

 つられて私も足を止める。

 射的屋の前。

 彼女にねだられて、景品のぬいぐるみでも取ってあげるのだろうか。

 店主に冷やかされた彼が照れた様子で笑う。

 それを見た彼女も嬉しそうに微笑む。

 その姿を見れば、きっと誰もがお似合いのカップルだと思うだろう。

 本当に幸せそうだ。

 出会った頃の彼とはまるで違う。

 彼の心が満たされているのがよくわかる。

 

 

 

 ——私の心はこんなにも穴があいているのに。

 

 なんで?

 なんであなたの隣にいるのは私じゃないの?

 私はずっとあなたのことを見ているのに。

 どうしてあなたは私のことを見てくれないの?

 どうして?

 どこで私たちは間違えたの?

 あのステージに立っていたのが彼女じゃなくて私だったら、今あなたの隣にいるのは私だったの?

 どうしたらあなたは私のことだけを見てくれたの?

 

「……そうだ」

 

 ふと、ひらめいた考えを私は即座に実行する。

 彼のすぐ後ろに立ち、背中側から彼の心臓に銃口を突き付ける。

 

「たしか、射的では景品を打ち抜けばお持ち帰りできるんでしたよね」

 

 ——ズドン、と。

 

 私だけに聞こえる銃声と共に、彼の身体が崩れ落ちる。

 傷もなければ血も出ようがない。

 私の銃弾が砕くのは肉体などではないのだから。

 今の今まで隣で笑っていた少年が声もなく倒れたことに、少女は驚き狼狽していた。

 どうして? なんであなたが慌てるの?

 彼の心配は私だけがすればいいのに。

 本当、邪魔だなぁ。

 

 ——ズドン。

 

 誰にも聞こえない二度目の銃声。

 突如として二人の男女が倒れたことにあたりが騒がしくなる。

 

「ああ。うるさい、うるさい。今から彼は私とおうちに帰るんです。だから、騒がしくしないで!」

 

 ——ズドンズドンズドン。

 

 銃声が聞こえるたびに私の世界から私と彼以外が消えていく。

 

「あは、あはははは、あははははははは……」

 

 何もいらない。誰もいらない。

 彼さえいれば私の世界は完成する。

 それだけで私の心は満たされる。

 そうすればやり直せるんだ。

 正しい未来を。

 私と彼の正しい未来を。

 

「大好きですよ、柊史君」

 

 

 

 ————あなたのハートにダイレクトアタック☆————




いかがだったでしょうか。
投稿本日8月10日ハートの日とせっかく夏なので夏祭りを掛けてみました。
……嘘です。
たまたま書いたのがあったのでハートの日にかこつけて投稿しました。

突然の寧々バッド、というか鬱√で申し訳ない。
でも私はたまにならこういうのも好物なのです。
特にTwitterの宣伝からおいでなさった人はだまし討ちみたいになって本当ごめんなさい。
え、そう来る? みたいな感想持ってくれてたら嬉しいです。

ちなみにいつも書きたいシチュエーションや言わせたい台詞が最初に決まってから書くのですが、今回は、
「たしか、射的では景品を打ち抜けばお持ち帰りできるんでしたよね」
の台詞を言わせたかった。
ちなみにこの時点では鬱√って決まってなかった。
ハッピー展開も余裕であり得てました。
この台詞でちゃんとハッピー展開書くのもいいかもですね。

最後に一言。
超楽しかったです!


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RIDDLE JOKER/式部茉優/幕間

幕間のお話。


☆いつか温めたい体温

 年の瀬も近づいた12月の中頃、眠っていたアタシはふと目が覚めた。喉の渇きを感じ、水を求めて食堂へ向かう。もうみんな寝静まっているだろう。物音を立てないように気を使いながら薄暗い廊下をゆっくりと進む。

 ここは風蘭児童学園。家の無い子ども達のための養護施設である。保護されている子たちはそれぞれに大変な思いをしてきたけど、ここでは贅沢とはいえないまでも、不自由と嘆くほどでもない生活を送れている。

 食堂に着いた。今晩の夕食だったカレーの匂いが中に入る前から漏れ伝わってくる。

 ドアを開き中に入ると……そこには先客がいた。その子は眠っていた。椅子に座りテーブルに組んだ腕の中に自分の顔をうずめるようにして。

 驚きはなかった。電気はついていなかったし、物音がするわけでもない。彼がここにいることは知らなかったが、それでも彼がこの場にいること自体に戸惑いはなかった。

 この子は西行暁くん。この施設「唯一」のアストラル使い。そんな彼は普段からとげとげしていて、触ると噛みつかれる猛犬のように生きていた。

 そんな彼が施設を抜け出し街で問題を起こしては、遅くに帰ってくるということはたびたびあることは知っている。

 食堂に備え付けられている電子レンジを見ると夕食のカレーが一人分盛り付けられて入っていた。おそらくは、温まるのを待っている間に眠ってしまったのだろう。部屋の電気くらいつければいいのに。

 多分彼なりに他の子を起こさないように気を使っていたのだろう。とげとげしているといっても誰彼構わず攻撃するわけではない。こちらから近寄らなければ被害はない。しかし迂闊に接触すると痛い目を見る。だから彼は施設内で孤立していた。

 そして、彼がそんな風な行動をとり始めた理由にも想像がつく。アストラル能力を使えるから。周りと違うから。そんな空気を感じ取るからだろう。

 本当に不器用で、強くて、寂しい生き方だと思う。

 ぐっすりと眠る彼を起こすのは可哀そうで、起こした彼の反応が怖くて、私は彼に触れることができなかった。

 

「ごめんね」

 

 私は水を飲まずに部屋に戻る。それからもう一度戻ってきた。眠る彼に部屋から持ってきたブランケットを優しくかける。

 

「今夜は冷えるね」

 

 彼はこれからも問題を起こすだろう。褒められないことをするだろう。きっと何かを見つけられるまで。自分を見つけてくてくれる誰かが現れるまで。

 彼はきっと自分でも何を探しているかわからないままに、走り続けるのだろう。

 

「ごめんね」

 

 アタシには勇気がない。この男の子の隣に立つ勇気が。

 アタシはあげられるはずなのだ。この男の子が欲しがっているものを。

 

「ごめんね」

 

 アタシは食堂にやってきた目的も忘れて部屋に戻り、布団にくるまって目を閉じた。

 冬の寒さは被った布団なんて気休めにならないくらいに凍えた。きっと彼はずっとこの中にいるのだ。

 もしアタシに勇気が持てたら。もっと大人になって強さを手に入れられたら。少しだけ年下のあの男の子を温めるように、この胸に力いっぱい抱きしめてあげたい。

 

 

 

 

 

☆あの日

 彼は何者なのだろうか。

 アタシのアストラル認証を盗み取って研究データを狙ってきた何者か。その不届き者を単独で捕まえるために罠を張った。その罠にかかったのは昔はよく知らなかった、今ではよく知った大事にしていた存在だった。

 風蘭児童学園で一人行き場のない感情をむき出しにしていた西行暁君。

 この橘花学院で再会し、ちょっとシスコン気味だけど楽しそうに、幸せそうに日々を過ごしていた在原暁君。

 そして、昨晩不届き者としてアタシが捕まえた暁君。

 幸せそうに妹と友達と…アタシと、一緒に過ごした彼は偽りだったのか。全てはアタシに取り入って目的を果たすための演技だったのか。

 彼は救われたと思っていた。笑えるようになったと思っていた。自分のことを受け入れられるようになったのだと思っていた。

 でも違った。

 風蘭児童学園から引き取られてから今までの彼の人生を、アタシは知らない。どんな環境でどんな人たちとどんな成長を遂げたのかアタシは知らない。

 嬉しかったのに。

 また出会えたことが。

 アタシが救えなかった彼が救われていたことが。

 ……好意を向けられていると感じたことが。

 あの子を起こすために、アタシは戦わなくてはならない。その妨げをするなら今までの感情を無視してでも。絶対にアタシの邪魔はさせない。

 これから彼に会いに行く。弱気を見せれば隙になる。堂々と望まねば。

 さあこの研究室を出て、彼の下へ。

 

 でもこれって……。

 

「つらい、なぁ…」

 

 

 

 

 

☆贖罪

 虫のいい話だ。

 彼が自分の正体を語った。

 いや、正確には語ってないか。「今夜、橘花学院が襲撃される。その証拠や情報源は明かせないが、自分たちを信じて力を貸してほしい」そう語ったのだ。

 なんて虫のいい話なんだろうか。

 笑ってしまう。本当、笑える。

彼が、あの彼が、誰かを守るために誰かを頼るなんて。

 こんなこと、あの頃のアタシたちに言ったって絶対に信じられないだろうな。

 

 状況は突然で、にわかに信じがたく混乱する。

 それでもアタシの心はすぐに決まった。

 そもそも、アストラル能力者を拉致して商品にするとか絶対に許せない。

 そして、個人的に、この学院に土足で踏み込んでくるのはご遠慮願いたい。あの子の存在は公にできない。あの子の目を覚まさせること、目を覚ました時に笑っていられること、それが今のアタシの目的だ。

 もっと言うと。

 今、この子は笑えていたんだ。あの頃のアタシじゃ助けられなかった彼が笑えていたんだ。

 彼の幸せな時を壊させるなんて認めない。

 そんな連中がいるなんて、そんなのアタシは絶対に、絶対に。

 

「——絶対に許さない」

 

 今の彼を助けることが、あの頃のアタシたちへの贖罪になるなんて思うのは、虫の良すぎる話だろうか。




気に入ったら他のお話も読んでもらいたいです。
特に最初の「いつか、温めたい体温」はTwitterの方に投稿している「冷たい体温/温める体温」の前日譚の位置づけですので是非。


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