良家出身の0さん (wanaza)
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プロローグ

 クソゲーは一説によれば、星の数ほど存在するらしい。そのクソゲーをクソたら占める要因は、シナリオであったりゲーム性であったり、販売元の内ゲバによってそもそも未完成品を世の中に出したやがったせいであったりと、実に様々だ。昨日、陽務楽郎が手にしたクソゲーは、そのいずれにも該当しない曰く付きのホラーゲームであった。

 

「つっても、単にシナリオがうっすいだけのホラーゲーだったけどな」

 

 そもそも、ホラーといえるレベルのものではなかった。そのゲームの名前は、一〇八(偽)という。世界中の怪奇現象を体験できる!という触れ込みのくせに、108個しかシナリオがない時点で大体お察しだろう。しかも、体験するという触れ込みのくせに、謎のNPCが永遠と怪談話を読み上げるだけであったり、なぜか日本の怪談話が圧倒的に多かったり、海外の怪談になるとNPCが片言の日本語を使うジェニファーになるというわけのわからなさが極まっていた。噂では、開発中に怪奇現象が何度も起こって、プログラマーたちが逃げ出したからこそのクオリティという話なのだが、当時まだ高価だったVR対応のゲームをフルプライスで買った連中の怒りは、相当なものだったと思う。

 

「これ、どっちかというと虚無の部類のクソゲーだよな」

 

 好きじゃない系統のクソゲーだったなと思いながら、楽郎はヘッドギアを頭から取り外した。予想よりも、虚無が極まっていたので、まだ日をまたいでない。

 

「たまには、早く寝るか」

 

 一人そう呟いて楽郎は、ベッドに横になった。意外と疲れていたのか、すぐに眠りの世界へと誘われる。

 

 だから、気づかなかった。

 ぞろりと、黒い靄のようなものが部屋に立ち上り、それが楽郎の顔を覗き込んで入り込まれたということに。

 

 朝はすぐにやってきた。久々に長い睡眠時間を確保できたなと思いながら、伸びをする。

 

「あれ?心なしか、体が重いような」

 

 まるで、何かが背中に乗っているようなそんな重さだ。念のために、背中を確認するがもちろん何も乗っていない。気のせいだと思い込むことにした。

 

「ほら、お兄ちゃん朝だよ、学校間に合わなくなっても知らないよ」

 

 身支度をしていると、妹の瑠美がドアを勢いよく開けて勝手に部屋に入ってきた。兄妹の間に、プライバシーなんてものは、存在しない。わかってはいるが、一応兄として、苦言は呈しておこうと思う。

 

「お前な、一応ノックくらいしろよ」

「んー、お兄ちゃんがカノジョさんを部屋に連れ込んだときは、ちゃんとするよ?」

「それ、普段は絶対にノックしないって言ってるようなもんなんだよなぁ」

「あれ、お兄ちゃん今日体調悪い?」

 

 妹は、楽郎の顔をまじまじと見てそんなことを言った。

 

「は?ちょっと体が重いだけで、絶好調だぞ」

「そうならいいんだけどね。なんか顔色が悪いよ」

「まじで?」

「うん、先週友達と見たゾンビ映画に紛れ込めそう」

 

 それ死人じゃん。

 

「カフェインが切れてんのかな……」

「前から思ってたけど、完全に中毒者の発言だよね」

「カフェインは、合法だから問題はない」

 

 結局、朝食の席で母親にもおんなじことを言われたので、日ごろは封印しているライオット・ブラッドを摂取して学校に向かうことにした。

 

「おおぅ……」

 

 体が、本気で重かった。例えるなら、プロレスラー10人から前に進めないように引っ張られている感じだろうか。もちろん、実際にそんな状態を経験したことはないけど。

 

「く、こんなに、学校まで遠かったか?」

 

 日ごろの倍くらい汗をかいている気がする。脂汗も混じっていそうだ。

 

「お、おはようございます」

「ああ、玲さんお、はよう」

 

 気づけば、同級生の斎賀玲といつも合流するところまで来ていたらしい。

 

「あ、あの、楽郎君?」

「どうかした?」

 

 これは、またもや体調が悪いのかを聞かれそうだなと思った。前もって、答えを用意しておくかと考えたのだが、

 

「憑かれてるように見えるのですが、大丈夫ですか?」

「あ、わかる?なんか、朝起きてからすっごく体が重くて、ここに来るまでに疲れちゃってさ」

「心当たりはありますか?」

「んー、昨日ゲームをしたけど、それでだと思う。けど、大丈夫だよ、そろそろカフェインが効いてくると思うし」

「カ、カフェイン……それで、どうにかなるとは思えないけど、いやでも」

 

 何やら、玲はぶつぶつとつぶやいている。そして、しばらくして意を決したように顔を上げた。

 

「あ、あの、私も、その、憑かれがとれるお手伝いをしてもいいでしゅhちあ;か?」

「なんて?」

 

 後半が、うまく聞き取れなかった。噛んでしまったらしい。とりあえず、楽郎の疲れを取る手伝いをしたいと言ったのかなと、あたりをつける。

 疲れをとる手伝いって何をするんだろうか。荷物を代わりに持ってくれるとかだろうか。そうならば、玲にそんなことをさせるわけにはいかないので、

 

「いや、大丈夫だよ」

「そうですか……」

 

断ったのだが、かなりしゅんとした表情を見せられてしまった。罪悪感が沸いてきたので、やっぱり頼む方がいいかと思い直す。そろそろ、体の重さがごまかせない域に達しつつあるというのもある。

 

「あー、なら、ちょっとだけお願いしようかな」

「そうですか」

 

 玲はぱああっと、太陽が差し込んだような表情をした。楽郎は、その顔を割とよく見ているので特に何の感慨も抱かなかったい。

 何をお願いしようかと、楽郎が動きが鈍くなりつつある頭で考えていると、玲はなにやら彼女のスクールバックをガサゴソとして、何やら漢字が書かれた紙を取り出した。そして、それをひとつを彼女自身のこぶしに巻き付けて、もう一枚を楽郎の頭にぽんと張り付けた。

 

「それでは、いきます」

「え、玲さんいったい何を」

 

 するつもりなのかという質問は、最後まで言い切れなかった。変化はすぐに訪れる。楽郎の額に張られた紙から、ぼとりぼとりと、黒い何かが地面にシミを作っていく。そして、それは質量を伴って積みあがっていき、やがて楽郎と同じ大きさになった。

 

「え?」

 

 一体何が起きているのだろうか。これは現実ではないと信じたいのだが、つねった頬がひどく痛む。

 

「楽郎君、すぐに終わります」

「玲さん?」

「斎賀流には、こういった化生を相手取る型があるんです」

 

 そういった彼女が、一歩踏み出し無造作に手を黒い何かに突っ込んだ。一瞬で、その黒い何かは形を保てなくなり、ぐずぐずと崩れ落ちていく。

 現実感のない現象を目にした楽郎が思ったのは、

 

「良家出身って、すげーーーーー!!!」

 

ということだけだった。無論大混乱をしていたのだ。

 



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2話

 コツコツと足音が響き渡る。女は一人夜道を歩いていた。

 

「急がないと」

 

 今日は、推しがテレビ初出演の記念日なのだ。無論録画はバッチリしているし、後々サブスクでの配信もあるのだが、リアタイ視聴するのはファンのたしなみだ。運悪く残業が入ってしまいこんな時間になってしまった。あのクソ上司と心の中で呟きつつ、ひたすら足を動かす。

 十字路に差し掛かった。ここまで来れば自宅まであと数分だ。推しにもうすぐ会える。

 ほっとしたからなのか、お腹が音を立てて鳴った。

 

「あら?さっきドーナッツ食べたところなのに」

 

 少しの違和感。けれど、さほど気に止めずに足を動かす。またもやお腹が鳴る。激しい空腹感に襲われる。苦しさすら覚える。

 

「な……ん……で」

 

 空腹だけではなかった。足に力が入らない。前に進もうとするのに、身体が言うことを聞かない。もう、推しの出演に間に合うかではない。ただ、この場所を離れたいのに、それができない。

その時、目の前に異形のナニかが現れた。子供くらいの大きさで、頭に角が生えている。明らかに異形の存在だ。

 

「ひっ」

 

 それが近づいてくる。逃げたしたいのに、足は動かない。いよいよそれが女の身体に触れた。

ブッツリと、女の意識はそこで途切れた。

 

 

 夕方にも関わらず、クマゼミの大合唱は終わりの気配がない。

 夏だ。昔の人なら、このセミの鳴き声すら風流な歌にしてしまうのだろうが、現代っ子たる陽務楽郎はそんなことをするつもりもなく、ただただ煩わしい騒音にしか聞こえない。

 

「そういえば、母さんまた新しいセミを繁殖させていたなぁ」

 

今年は十八年ゼミの幼虫を貰ったのよ~、何て言ってたのは10年前だったが、今年はニイニイゼミらしい。

 

「にしても、暑すぎる……」

 

 この時期の夕方の暑さは格別だと思う。日中のように直接太陽光に焼かれるわけではないが、アスファルトが吸収した熱がむわりと足元から立ち昇ってくる。

 

「これ以上こんなところにいてられるか!俺は文明の利器に囲まれた家に帰らせてもらう!」

 

 気を紛らわせようと思って茶番を繰り広げたのだが、涼しくなるはずもなかった。

 

「……あほなこと言ってないで、早く帰ろう」

 

 歩調が速くなった。

 

 せこせこ歩いていると、十字路に差し掛かった。楽郎はひたすら無心でそこを突き進む。

 

「ん、なんか変なにおいするな」

 

 生ごみが、腐ったようなにおいが鼻につく。一度立ち止まって周囲を見渡せば、近くのマンションのごみ捨て場があるようだ。

 

「あー、この時期ならなあ」

 

 呟きつつ、再び前に進もうとした。だが、

 

「……は?」

 

 突然体が、いう事を聞かなくなる。以前のようにナニかに体を押さえつけられているのではなく、力が入らないような感覚だ。その理由を考える前に、ぐきゅるるるると腹が鳴った。

 

「えぇ、空腹で動けなくなったの?」

 

 そういえばこんなクソゲーがあったなと思い出したのだが、ここはリアルだ。流石に、空腹のバッドステータスで死ぬことはないと思うのだが、体が動かなくなっているのは事実だ。

 そこで、更に信じられないことが起きた。突然、ぞわりと地面から黒い影が形を持って湧き上がってくる。瞬く間に、そのナニかは、やせこけた人の子どものような顔になり、角を頭にはやした。昔やったホラーゲーで見たことがある餓鬼だ。

 

「kiiikikikikikikikikiki!」

「は、え?」

 

 餓鬼は嗤った。その声は、嫌悪感と恐怖心を同時に抱かせるものだった。

 

「kyokyokyokyokyokyo」

 

 ゆっくりとゆっくりと。餓鬼は、動けない楽郎に歩み寄って来る。これから、獲物をいたぶるのが楽しみで仕方がないという喜悦に満ちている。

 

「く……そ……が」

 

 楽郎の体の自由はほとんど奪われて。声も満足に出すことができない。

 

「kekekeke」

 

 万事休すだ。餓鬼は、いよいよ楽郎の目の前に立った。そして、にたりといやらしく嗤いがぶりと、

 

「楽郎君!」

 

噛みつかれなかった。ぐしゃりという音と同時に、同級生のゲーム友達の声がした。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、うん」

 

 彼女は心配そうにこちらを、覗き込んでくるのだが、それ以上に周囲に飛び散っている柘榴(比喩表現)が気になって仕方がない。良家すげえや。とりあえず、

 

「玲さんを二度と怒らせないようにするね……」

「へ?」

「いや、何でもないよ。ありがとう、君は俺の救世主だ」

「きゅっ!」

 

 翌日、いつも通りたまたまであった彼女と通学路を歩いている。自然と話題は、楽郎が昨日であった異形の話になった。

 

「あれは何だったの?」

「その、多分楽郎君のお話からすると、ヒダル神だと思います」

 

 曰く、十字路にあらわれる妖怪であり、これに憑かれると空腹感を覚えて動けなくなり最後には死んでしまうらしい。

 

「結構危ないやつなんだ」

「いえ、対処法さえ知っていれば、問題ありません」

 

 なんでも、かつての旅人はお弁当を全部食べるのではなく、何品かおかずを残しておいたらしい。そして、ヒダルに憑かれたときはそれを食べて少し休むとどこかにヒダルは行ってしまうそうだ。

 

「へー、でもなんでそんな奴が急に?」

「おそらくなのですが、場所が悪かったのだと」

「場所?」

「はい。妖怪が生み出されるのには、それなりの根拠があるんです。例えば、ヒダル神は低血糖で引き起こされる現象を、昔の人が理由付けるために妖怪としました」

「え、妖怪って人間が生み出したんだ?」

「一概には言い切れないですが……」

 

 鶏が先か卵が先かみたいな話になるらしい。

 

「今回の場合は、あの場所がヒダル神が寄り付きやすかったんだと思います」

「へー」

「ですが、も、もう大丈夫です!」

 

 彼女は、むんっと胸を張って続けた。

 

「あそこの区画は、斎賀家の力で本日から工事中ですから」

「えぇ」

 

 昨日の出来事から、まだ半日とちょっとしかたってないのに、そんなあっさりと。

 良家怖えや。マジで怒らせたら、この町から自分の存在を消されるかもしれないなと、楽郎は身震いした。

 

「そういえば、昨日何であんなところにいたの?」

「んぴ!けけけけけけ決して、らららららららら楽郎君を、ちゅりうけてたわけではぁぁぁ、ありましぇんよ!?」

 

 そりゃそうだろう。あの、斎賀玲が自分の後をつけるなんてそんなわけ。



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ホシカラクルモノ

だから、何度もそう申しております。

あの日見たことについては、私は一切の嘘をついておりません。

そんなものは、この世に存在するはずがない?

ええ、私もそう思います。ですが、実際に奴らに私は出逢ってしまったのです。

あの、口にするのもおぞましい、ナニかに。

もう一度、説明してくれと?

先ほども説明したばかりではないですか。あの日は、私は彼-ええ、現在行方不明になっている私の友人です-と、星の観察に出ておりました。あの地域一帯は、天体観測スポットとして人気ですからね。

実際、私も彼もあそこに訪れたのは始めてでは、なかったです。

あの時もいつも通り、私と彼は連れだってあの草原へと向かいました。ただ、あいにくその日は満月で星の観察には不適な日と思っていたのですが、星がやけに眩しくて彼と不思議だなという話はしておりました。

どうして、その時点で引き返さなかったかですって?

だったら、考えてみてくださいよ。たかが-ええ、たかがです-星が少しいつもより見えやすいだけで、そんなことが起きると予想できるとでもお思いですか。それもまさかあんな……あああみられてるここにいるここにああああ

失礼、取り乱しました。お水頂けませんでしょうか。

ありがとうございます。どこまでお話しましたか?

そうでしたね、彼と草原に行ったところまででしたね。その後ですが、それから観測の準備を整えて星を見てからは、三十分ほどたった頃でした。

彼が、突然「ほしがふる」と言い出したのです。

ええ、別に不思議なことではありません。そういう表現をすることは、ありますからね。

ですが、その時の彼は尋常ならざる様子でした。何度も何度もなんどもなんども指差して同じことを繰り返していました。

それから間もなくでした。彼が突然「 蝸壼他縲√◎縺薙↓譏溘′縲ゅ>縺ゅ>縺ゅ?縺溘$繧難シ」奴らが。そこに。けたけたと。嗤って。光が。めで。みて。

……ここまでです。ええ、ここまでなんです。私が覚えているのは。そして、目覚めてからの事は、あなたの方がご存じでしょう?

何が起きたのかを、知りたいのは私の方です。…………いえ、知りたくないです。あれの正体を知ることは、すなわち何もかもが覆る。

ええ、あなたもほどほどにしておきなさい。これは、紛れもなく知ってはいけないことだ。

おや?

こんな時間に珍しい、来客のようですね。

 

「ほら見てみろ楽郎、あれがなんか星だ」

「へーすごいきれいだー」

 

なんでこんなことに。

それが、陽務楽郎の今の気持ちだ。

冬である。高温多湿な日本においては、冬は星の観測に最適な季節らしい。そのため、親戚の星狂いから、「見にこい、コテージを貸してやる」という提案がされた。そして、どうしてか父と母がノリノリになったため、こんな山奥のキャンプ場に来るはめになったのだ。

一日目はそれなりに楽しかったものの、それほど星に興味を持っているわけではない楽郎は、さすがに星観察四日目ともなると飽きが来る。それは、となりの父も同じだと思うのだが。

 

「つーか、なんでこんな寒空の中……」

「はっはっはっ……楽郎、女性を怒らせるとこうなるんだ……」

「お、おう」

 

重みがすごい。両親は、今も普通に相思相愛だと息子の目から見て思うのだが、やはりそれでも色々とあったのだろう。

 

「まあ、でも楽郎まで付き合う必要はないぞ」

「うん、帰るわ」

 

慈悲はないのか、みたいな目ですがられる。

 

「あー、母さんにそろそろ許すように、とりなしとくよ」

「頼む……」

 

暗闇で、顔はあまり見えないのだが、哀愁が漂っていることだけはよく伝わった。

 

懐中電灯で、夜道を照らす。月明かりが、木々の隙間から差し込んでいるとはいえ、街の明かりに目がならされた楽郎にはやはり暗い。

 

 

「つーか、何この暗さ。デバフ?」

 

思わず文句がでてしまう。もちろん、これほどまでに、人工的な明かりがないからこそ、星狂いの親戚がわざわざ山を開墾してキャンプ場まで作ったのだろうが。

人間は暗闇に恐怖を感じる生き物のようで、楽郎もその例にもれないようだ。

 

「薄気味悪いというか……うおっ!」

 

ガサリと、音がした。思わず、そちらにライトを向ける。何もいない。

 

「なんだよ……って、祠か」

 

夕方ごろに通ったときは、気づかなかった小さな建築物。永い年月雨風に曝されているように見える一方で、しっかりと手入れされているという印象も抱く。

 

「それと、狛犬か……?」

 

それは、犬と言うには少し奇妙な造形をしていた。まず、足が多い。そして、目が全身の至るところにある。

雨風に長年曝されたことによって形が少し変わっている可能性もあるが。

一対の奇妙な門番に眉を潜めていると、ざわりざわりと音がする。

一人のものではない足音だ。

そして、物悲しいような楽しいような不安を煽るような、高揚させるような、笛と太鼓。

なんとなく見つかれば不味いような気がした楽郎は、とっさに祠のとなりの草むらに身を隠す。

足音が、笛と太鼓の奏でる音が、近づく。

 

(まぶし!)

 

彼らが祠の前にたつと、突然周囲が明るくなる。突然の強い光に目がなれてきた楽郎は、その光の正体が工事用の照明だと分かる。

 

(なんだこの格好)

 

全員が、同じ衣服を身に付けていた。その衣服には、腕を通すための袖以外に、腹部に二対の袖がついている。そして、服には目を模した柄がいくつもついている。頭には、烏帽子のようなものを被り、そこから吊るされている紙が顔を隠している。

ドン、とひとつ太鼓の音が鳴る。

大勢の人間がいるはずなのに、一切の静寂に包まれる。

 

(何が始まるんだ?)

 

恐怖心と少しの好奇心から、楽郎が目を凝らす。

 

何かを引きずる音がする。

 

不思議な音だけど、どうしてかそれが声だと分かる。

 

何かが、噛み砕かれる。

 

光が。そらから。

 

そのとき、

 

「正気でいたければ、あれを見ては、だめです」

 

おそらく手で、目を隠された。

突然の事で、楽郎は反応できなかった。だが、その女の声はやけに聞き馴染みがあるものだった。

 

「目をつぶって、耳を塞げますか?」

「は、はい」

「ならば、直ぐにそうしてください」

 

楽郎は、素直に従った。

 

幾ばくか、時間が経過した。楽郎は、肩を叩かれる。もう、大丈夫ということだろうか。

 

「目を開けても、良いですよ」

 

恐る恐る目を開く。先ほどまでの、眩しさはもうない。

そして、しっかりと楽郎を守ってくれた女性の顔を確認して、ひとつ訪ねた。

 

「えーと、お礼とか言いたいんだけど」

「いえ、大丈夫です」

「うん、やっぱり玲さんだよね」

「………………ふぇっ?」

 

彼女は、手にもっていた懐中電灯で楽郎の顔を照らした。

 

「ら、ら、ららくろうくん!?」

「あー、はい」

「わ、私、楽郎くんの、顔にてをふれてぇぇぇぇ!?????……………きゅぅ」

「うん、やっぱり玲さんだわ」

 

疑問は尽きないのだが、取りあえず気絶した彼女はおんぶした。

 

「その昨夜はご迷惑を……」

「いやいや、こっちこそ助けて貰ったわけだし」

 

昨夜、午後に約束を取り付けた彼女が白装束で、短刀を携えてきたのでなんとかなだめてようやくまともな会話になったのは、待ち合わせ時間の三分後だった。(彼女は一時間前、楽郎は三十分前に集合場所の池の前にきたので)

 

「それで、なんでこんなところに」

「わ、私は、ここら一帯が元々、斎賀の土地でして。その名残で、こちらに別荘があるんです。楽郎くんは?」

 

さすが良家だ、などなど思いつつ、親戚が云々を説明した。

それは、まあ今日聞くべき核心ではない。

 

「結局昨日のあれは、なんだったの?」

「そうですね……あれは、多分」

 

彼女は目をつぶりゆらゆらと首を振る。そして、ゆっくりと目を見開いて、

 

「……いえ、知らない方が良い、かと」

「そっか」

 

どうしてか、彼女が驚いた顔をする。

 

「何かおかしい?」

「その、楽郎君は、それで良いんですか?」

「だって、玲さんの事を信頼してるし」

 

彼女が、言わない方がよいと考えたのなら、それが楽郎にとって最善なのだ。

 

「そう、ですか」

 

彼女は顔を一度伏せ、次には満面の笑みで、

 

「楽郎君。ありがとうございます」

「(やっぱり玲さんは笑顔の方が)可愛いね」

「かかやわなてひにひぃ!????」

「Ⅹ[″″″Ⅱ$『Ⅱ″:::】$″^】】″!]」

「ちょ、そっちは池だから!?玲さん!?」

 

 

 

その冬、星狂いな親戚の友人が、行方不明になったという風の噂を聞いた。



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テケテケ

コメディに振りきってみた


カンカンカンカンカンカンと、踏み切りの警報音が鳴り響く。

辺りはすっかり暗くなっていた。この冬は寒さが厳しく、どれ程服を着込んでいても冷気が身体に伝わってくる。けれど、女はその寒さ以外の理由でぶるりと震えた。

 

「やっぱりここ、気味が悪いのよね……」

 

この踏み切りは、いわゆるホラースポットでもあるのだ。何でも、ここの踏み切りで亡くなった女の霊が夜な夜な歩き回っている、らしい。

 

「それが、本当なんて思わないけど……」

 

かさりと音がした。

思わず振り返る。そこにあったのは、ビニール袋だった。ほっと息をつく。良かった。それにしても、

 

「なんで街灯のひとつもないのかしら」

 

厳密には、あるのだがそれは寿命間近なものでずっとちかちかしているし、光源としては心もとない。

カンカンカンカンカンカンと、警告音はまだ鳴り響く。タイミングが悪く、反対方向からも電車が来るようだ。

この不気味な踏み切りに、もっと立ち止まらなければならないのか。赤い指示器の光さえも不気味に感じられる。

 

「あー、もうやめやめ!霊なんているわけないでしょ!」

 

大きな声を出して恐怖を払拭しようとする。タイミングよく、遮断機が上がった。女はさっさっとここを立ち去ろうと思い、電車が通過したことで見渡せるようになった向かい側に目を向け、

 

「ひっ」

 

声をあげた。

頼りない光源しかないこの場所なのに、髪の長い女性が一人うつ伏せに倒れているのが見えた。

 

「きゅ、救急車呼ばなきゃ」

 

鞄を探りつつ、駆け寄ろうとして異変に気づいた。

 

「あ……れ…………?」

 

さっき見たものがなくなっている。

到底動ける状態とは思えなかった女性のそれが、消えたのだ。

 

「な、なんで…………」

 

一体どう言うことだ。さっきのは幻覚だったのだろうか。

女は混乱した。だから、気づけなかった。

背後から、迫るそれに。

なにかが。

足に。

触れた。

 

「ひぃぃぃぃぃぃ!」

 

必死で振り払う。同時に足元を目で見たので、それをしたのが先ほどの女の死体だとわかった。上半身だけのそれは顔を上げて、にたり、と笑う。

 

「いやぁぁぁぁぁ!」

 

女はたまらずその場から駆け出した。悪夢なら今すぐ覚めたかった。

必死で逃げる。

けれど、距離が離れない。

てけり、てけり。

こんな時でなければ間抜けに思える音がする。

 

「こないで!」

 

声をあげる。足がとまる。

てけりてけり。

再度掴まれた。今度は振りほどけない。

 

ぶつりと絶望的な音がする。

女は、もう声をあげなかった。

 

「って言う話があるんだよ」

「そうか。遺言はそれでいいってことだな」

 

陽務楽郎は、不届きものを罰することに決めた。しょうもない話をしやがった罪だ。

 

「それは俺を殺すって意味か!?物騒すぎるだろ!」

「うっせえ。俺の貴重な睡眠時間を奪ったんだから当たり前だろうが」

 

昼休みとはすなわち睡眠時間である。人間における睡眠はすなわち生死に直結する重要な行為であるので、その時間を奪うことは生を阻害する行為に他ならないのだ。

 

「いや、その理屈はおかしい」

「ふむ、発言を認めよう」

「お前、昨日ゲームで徹夜したって言ってなかったか?」

「記憶にない、証拠がない、はい論破。つーことで、ピアス穴拡張な」

 

関係ない福耳が処された。

 

「ちょっと待てや!なんで俺を巻き込むんだよ!」

「くっ、俺のために犠牲になるなんて……雑ピ君の勇気は忘れない!」

「まてや!」

 

ギャーギャーやかましい愛の伝道師(笑)を無視して、問いかける。

 

「んで、なんで俺に訳の分からんホラー?の話をしたんだ?」

「あー、ホラーつうか都市伝説な」

「どっちも一緒だろ」

「まあ確かに。因みに名前はテケテケだぞ」

「へー、テケテケ……」

 

そういえば、数年前にやったクソゲーに出てきた気がしなくもない。

 

「おう、この話いろんなバリエーションあるんだけどよ」

「そうなのか」

「名前を呼んだやつのもとに、やってくるんだとよ」

「はぁ」

「つー訳で、最近なんでか斎賀さんと仲の良いお前は、せいぜい呪われろ!」

 

馬鹿なことを言ってる友人には、雑ピで頭突きしておいた。

 

 

それが、今日の昼だ。そして、今は放課後な訳だが、てけてけてけてけてけてけてけてけ!と間抜けな足音に追いかけられていた。

 

「あのくそやろう!明日覚えとけ!」

 

音の感じからして、昼間に聞いたテケテケで間違い無いだろう、多分。

陽はまだ沈んでいないので辺りは明るく、恐怖感というよりも笑いが込み上げてきそうだ。だが、執拗に楽郎の足を狙うそれは確実に捕まってはいけないことがわかる。

 

「えーと、対処法とかは……」

「ら、楽郎君まってください」

「うお!って、玲さん朝ぶりだね」

「そうですね」

 

隣を女友達の斎賀玲が並走してきた。

それなりに楽郎は本気で走っているのだが、彼女は頬が上気しているが息ひとつきれていない。単に身体能力の差だろう。

 

「あ、あの!この後、ロックロールに、よる予定なのですが」

「ごめん玲さん、今追いかけられてるから!」

 

テケテケ音は徐々に近づいてきている。楽郎の速度が落ちているのだ。

 

「す、すいません!」

「俺の方こそごめんね!」

「い、いえ!悪いのは」

 

彼女は、くるりと方向をかえた。そのまま上半身だけでこちらに向かってくる女の方に走り、とんっととんだ。

 

「これですから」

 

見事なかかと落とし。それが頭に突き刺さり、パンッと軽い音を立てて爆ぜた。それを確認して、彼女は残心をといた。

 

「良家すげえや…………」

 

楽郎は幾度も使った言葉を今日も吐いた。

そろそろ自分も習うべきな気がしてきた。

見上げた空は、ようやく暗くなりつつある。遠くで踏み切りの警告音が聞こえた気がした。



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夜光さん

色々アレンジしていますので、実際の妖怪のイメージと違うことがあります。ご注意ください。
また、説明部分も結構穴だらけだと思いますので、なんでも許せる方以外はブラウザバックお願いします。


鬼は外、福は内。

かつては、実家で家族と豆まきをしたものだなと、男は昔を懐かしむ。

今はまだぎりぎり二月三日だ。社会人となり、独身の男にとっては、悲しいかな普通の平日とは何ら変わりもなく、仕事終わりに駆け込んだスーパーで恵方巻きが半額になっていたことで、ようやく気づいた次第だ。

気分だけでもとおもい、今晩の夕食は恵方巻きと炒り豆にすることにした。

 

「まだ明るいな」

 

普段は、自宅の方向的に横断歩道を渡らなければならないというだけの理由で素通りする神社であるが、今日はどうやら豆の奉納をするためか篝火がたかれている。

 

「…………お詣りしていくか」

 

意味はあるのかは分からないが、多分厄よけとかしてくれるだろう。知らないが。

深夜であるために信号機はとうに点滅を繰り返している。念のために左右を確認して、道路を横断しようとしたその時。

 

『ぶるるるっ──!』

「は?」

 

自動車ではない、音がした。

例えて言うなら、生き物の鳴き声のような。

男は思わず音が聞こえてきた方向に振り向き、

 

「ひっ!」

 

短く声をあげた。

電灯のわずかな光の下に見えたのは、四足の怪物。

一瞬馬のように思ったが違う。尋常の生き物に当然あるべき、首が、ない。

化け物がいななく。

近づいてくる。

 

「く、来るなぁぁぁぁ!」

 

男がそう叫んだときには、もう遅かった。

 

 

『次のニュースです。今朝、神社の境内で倒れている男性を発見したとの通報がありました。男性は複数箇所を骨折しており、警察は何者かに暴行をうけたとみて捜査の継続を──』

 

「逢魔が刻って普通もうちょい暗くなった頃じゃねえのかよ!」

「か、彼らにであったときが、逢魔が刻ですから……」

 

午後十二時半。太陽は一日で最も高い位置から、こうこうと地面を照らしている。

陽務楽郎の思わずといった叫びに、同級生の斎賀玲は律儀にも答えてくれた。

全力で走る二人の背後から、首のない馬の化け物が追いすがる。

そういった類いに詳しいことがここ最近判明した良家出身の彼女によれば、あれは夜光さんという妖怪らしい。

 

「問答無用に、人を蹴りつけてきて、何がしたいんだこの馬」

「よ、妖怪なので……」

 

明確な理由は不明らしい。

 

 

今日は、学生にとって最も厳しい日こと、テスト二日目だった。なんとか、三科目を終わらせて、偶然教室の前で遭遇した彼女と下校していたところ、突然街中で聞こえるべきではない馬の嘶きのような音が聞こえたのだった。

そして、次の瞬間には楽郎の目の前に首のない馬がいて、

 

「破ァ!」

 

彼女が楽郎を蹴りつけようとした脚をつかみ、ぶん投げてくれたお陰で事なきを得たのだ。流石良家出身。

しかし、普通なら(普通ではない)そこで大体終わるのだが、夜光さんは無傷で立ち上がり、

 

「ら、楽郎君逃げましょう!」

「はい」

 

そう言うことになった。

 

 

「何か良い方法はないの?」

「えっと、確か夜光さんは……脱いだ草履を頭にのせてひれ伏したら、こちらに気づけなくなるという、特性があった……はずです」

「スニーカーでもいけるかな!?」

「多、多分……」

 

楽郎はスニーカーを、玲はローファーを頭にのっけた。非常にシュールな光景だし、第一今の今まで地面に触れていた部分を頭につけたくはないのだが、背に腹は変えられない。

果たして、夜光さんは。

 

『……………………』

 

二人を見失ったようで、ふいっと向きを変えた。

 

「た、助かった」

 

今の楽郎なら、真に迫った『怪物に襲われて、間一髪生還できた』ロールを披露できるだろう。もはや、ロールプレイではないが。

しかし、安堵しきっている楽郎とは裏腹に、彼女の顔は険しいままだった。

 

「どうしたの?」

「い、いえ、その夜光さんの逸話を思い出しまして」

 

いやな予感がする。

 

「…………オッケー、続けて」

「その、夜光さんが出現するのは、節分の夜か大晦日、庚申の日、あるいは百鬼夜行の日なのですが」

「今日って節分だっけ……?」

「残念ながら、庚申の日でもないです……」

 

変化はすぐだった。

まず、太陽が陰った。辺りが、月のない夜のように暗くなる。気温が大きく下がる。

 

ひたりひたり。

べたりべたり。

ずるずる。

からんからん。

 

多種多様な足音。共通するのは、現代では聞くことがないであろう音ばかりということだろうか。

楽郎は、咄嗟に彼女の手を引いて、近くの公園の木の陰に隠れた。

 

ひとつあしの傘が。

一つ目の小僧が。

幕末でよく見かける大八車が。

牛車が。

顔のある大きな車輪が。

 

どこか明るく愉快に列をなす。

 

声を出してはいけない。楽郎はそう思った。

現にこういうことに詳しい彼女は、目をつぶってピクリとも動かない。なんなら呼吸している気配もない。

 

(流石だなぁ)

 

楽郎もそれを見倣うことにした。

しかし、不運は起こるもので、

 

『NYAAAA』

「うおっ!」

「はっ!」

 

木の上にずっといたのか、黒猫が突然降ってきた。楽郎は驚愕で、彼女はまるでたった今意識が戻ったような、声を出してしまった。

 

(まずい!)

 

一切途切れることのなかった足音のマーチが、ピタリとやんだ。気づかれた。

 

(ど、どうすれば)

 

せめて、彼女だけでも、逃がさなければ。

すると、さっき空から降ってきて、状況が分かっていないのか彼女の足にじゃれついていた黒猫が。

 

『NA~n』

 

一声鳴いて。

光った。それはもうメラメラと。

そして、それが百鬼夜行へと突っ込んでいき。

 

『NAm』

 

パアンッと爆ぜた。猫(?)の周りの異形どもが。そして、本猫は何事もなかったかのように爆心地でクシクシと顔を洗っていた。

 

「は?」

 

お猫様すげえ。

 

「こ、これは!」

「知っているのか玲さん!」

「い、いえ。この子がニャンラクちゃんということしか」

「うん?」

 

なんかどっかで聞いたことのある名前だな。

 

 

翌日。

テストは無事に終わった。今日は待ち合わせをして、昨日の黒猫(多分)へのお礼のにゃおきゅーるを買いに行っていたのだ。

命の恩猫(推定)は、大変満足そうであらせられた。

 

「結局、あの黒猫はなんだったの?」

「す、推測なら」

 

楽郎は続きを促した。

 

「その、なんらかの化身ではないかと……」

「えっと?」

「あの、あくまでも推測なのですが。猫は古来より太陽と関わりが深いものとされます。そして、昨日のあの百鬼夜行は陰の気が、あの子は陽の気が非常に強かったんです。あれ程陽の気が強いのは、その生物の範疇を飛び出してしまうので、ひょっとすると仏様の生まれ変わりとかだったりするのではないかと……」

 

なるほど。

数多のクソゲーのお陰で、多少整合性がとれていない話であっても理解できるようになっていたので、取りあえずは納得した。

とにかく、すごい猫だったのだ。

そういえば、彼女はあの猫をニャンラクと読んでいた気がする。

 

「玲さん」

「は、はい?」

「にゃあ」

「 み。」



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番外編 チカラクルモノ

京極の口調が迷子

格好いい京極はいません

ご都合主義が極まりました

楽玲婚約済み時空

本当になんでも許せる人向け



私が今これを書き記しているのは決して高尚な理由──例えば他者を救うという使命感──などではなく、ただただいつしか自分の身体に纏わりついてはなれなくなってしまった恐怖を──たとえこの行為にその効果がなくとも──どうにかしてしまいたいという身勝手な願いに基づいている。

私が、魂の深いところに刻み込まれてしまった、語るにおぞましいソレを経験したのは、23年前に仕事で訪れた東洋の島国での出来事だ。

当時の私は、今となっては愚かであったとしか思えないが、いささかオカルトに傾倒していて、出張先の土地にあるそういった──曰く付きの屋敷だとか古戦場跡だとか──噂の流れる場所を巡ることを趣味としていた。あの時、あの場所を訪れたのもその趣味の一貫としてだった。

その地の名を、現地の人々はシ=イと呼んでいた。残念ながら島国の言葉に慣れ親しんでいない私にはその土地の名の意味するところが分かっていなかったのだが、今ならそれが不吉な地名であることが──そしてそれは古くからの警告であったのだろう──よく分かる。

 

その日の私が、シ=イを訪れたのは全くの偶然──偶然であったと信じたい、もしもこの時点からやつらの手の内であったとすればそれは──であった。

地獄──この国の物は我々のHellとは意味合いが異なるようであるが──に繋がるという井戸や、怨みを残した女の声がする屋敷といった、我々のような好事家の間で評判の地を、前日までは巡っていたのだが私を満足させるような恐怖はもたらしてくれなかった。ああ、このことのなんたる幸運か!本当の幸運とは失って初めて気づくものなのである。

その地は、特段人々の間で噂をされるような場所ではなかったと記憶している。しかし、本当に恐ろしいものは、巷間に広がるものではなく、そこで暮らす人々は秘するものなのである。

そこは、数多の寺社仏閣や住宅が立ち並んでいる中で、ぽっかりと空いた穴のようであった。その証拠に、周囲は開発が進んでいてアスファルトで舗装されているに関わらず、そこだけは剥き出しの土で、その色も不自然なほど赤っぽい色──少なくとも私にはそう見える──をしていた。私はそういった僅かな奇妙さに心ひかれてしまったということがあったのだろう。

時代の流れに取り残されてしまっているそこに、足を踏み入れると、さくりと軽いものをナニか踏み潰すような感触がした。そして、そのはずなのに、靴の裏にナニがへばりついた感覚があった。

慌てて靴底を確認しても、乾いた赤い土が付着しているだけで、とてもそのようなもの──薄気味悪いナニか粘り気のある──は無かった。

この時点で、私は昨日まで、否生涯を通して訪れたオカルト的な逸話が残る地に対して、感じたことの無い畏れを抱いた。それだけではない。粘りつくような気配に関する嫌悪もである。このようなものは、これまで訪れた地には抱いたことがない。

しかし、この後に及んでも私はまだ、ここから立ち去ろうとは思わなかった。この場所を写真に残し、故国にまつ同好の友達に自慢したいという顕示欲がそうさせてしまったのだ。

一歩踏み込む。

大地が、震えた。

それは、地震か、あるいは重量のある物が──たとえば鉄骨など──が空から降ってきたかのようだった。

そのどちらでもなかった。

波打ったのではない。地面が盛り上がったのだ!

なんと恐ろしいことか──ああ、神よ!神よ!

土のなかから現れたそれは生きていた。

生き物であった。

下から姿を表したとき、それは口にするもおぞましいものだった。神がこの生物を作り上げたのであればなんたる悪趣味か!

全長は、4~5mほどの大きさで、頭部に当たる部分が、人間に近しい動物─例えば類人猿など─ならば目や鼻がある部分が半分喪失していた。その代わりといえるのか、喪失部分を補うようにきのこの傘のような薄べったいものがついていた。

おそらく口に当たる部分は、常に気味が悪い笑みを浮かべるようにつり上がっていて、鮫を思わせる鋭い歯が並んでいる。

そして、恐るべきはその二本の腕の先についている鉤爪である。それは、口元とあわせてこの異形が、肉食であることを証明しているようだった。

 

私は、この時になってようやく──あまりにも遅すぎるが──そこから逃げ出した。だが、耳障りな金切り声をあげるそれの一歩は大きく、私の一歩は小さかった。

だが、神は私をお見捨てにはなられなかった。

 

「外人さん、どう為されたのかな?」

 

人がいた。

私はその人物に、老人といっても差し支えのない年齢に見えた、何かを告げることはできなかった。ただ、私の怯えようからなにかを察したようだった。

 

「少し手荒くなるが、許して欲しい」

 

老人が何をしたのかは分からない。

しかし、次に目覚めた時、私の目にはどこかの家の天井が見えて、怪物の姿はなかった。

 

 

「お目覚めか」

 

先ほど、私を救ってくれたご老人は、おそらくこの家のメイドに呼ばれて、私が寝かされていた部屋にやってきた。

私は、私の知る限りの感謝の言葉を、ご老人に述べた。

 

「気にせんでいい、あなたは運が悪かったのだ」

 

私は、あれが何であったかを知っているか、老人に尋ねた。

 

「知らん方がいい」

 

その言葉に私は、ひどくほっとして。

二度と、オカルトめいた曰くのある地を巡ろうとは思わないようになった。

 

 

近頃、あの恐ろしい異形を夢に見るようになった。日に日に、その姿が鮮明に、金切り声がはっきりと、見える、聞こえる。近づいてくる。これは、夢か。現実か。

 

神よ神よ、どうか救いを。

 

「おい、従妹殿よ」

 

今の斎賀百は、端的にいえば機嫌が悪かった。

 

新年の、龍宮院家での親戚の集まり。

かつてはお年玉が貰えるということが楽しみのひとつだった行事も、社会人になった百には煩わしいものでしかなかった。例年は仕事ということで、逃れられていたのに、実の妹が婚約者を連れてくるということで、長姉に捕まってしまったのだ。

その集まりは百の妹の祝福と、そして姉を筆頭とした百に対するお小言の場と化してしまった。

そこまでは、まだ良い。予測できていたことだ。

しかし、まさか見合いのセッティングまでされているとは思わなかった。

持てる力を総動員して、その見合い自体は中止にできたのだが、このままではもう一回くらいなら、セッティングされる恐れがある。

 

このある種のピンチに襲われているときに、数少ない百よりも年下の親戚である龍宮院京極がが、

 

「散歩でも、どうだい?」

 

と誘ってくれたのは、救いのように思えた。

 

そう、過去形である。

 

「おい、京極。貴様、まさかわざとか?」

「ち、ちがう。断じて、わざとじゃない!」

 

意図されたものではないのなら、新年早々名状しがたき異形に襲われている今年の百の運勢はどうなっているのだろうか。

 

異形の移動速度はあまり早くなく、幸いにして百と京極の両者共に動きやすい服に靴だったので、異形の鉤爪による初撃を躱してなんとか今は走って逃げている最中だ。

だが、いつまでも二人が全速力で移動を続けられるかという問いには、否と答えるしかない。

 

「せめて、得物があればな……」

 

百も良家出身なので、当然異形を相手取る型は身に付けているが、百の場合は刀に類する物が必要だ。そして、京極も剣士であるので同様に得物が必要だろうと、百は考えたのだが。

 

「でも、大丈夫だよ。今回は、あそこまで走れば逃げ延びられるから」

「何だと?」

「説明は後で」

 

気障っぽく唇に指を当てる仕草を胡乱な目で睨めつつ、百は京極に従ってちょうど交通標識が立っている十字路まで全力疾走をした。

 

異形との距離はかなり開いているはずなのだが、その巨大さは変わらない。

京極はすっかりリラックスしてあくびなどをしているが、百は念のために武器になりそうな良い感じの枝を拾う。

 

「おい。そろそろ説明しろ。なぜここなら安全だと言いきれるんだ」

 

京極は、芝居がかった仕草で肩をすくめて、

 

「これはお祖父様から聞いた話だけどね」

 

お前が考えたんと違うんかい、と突っ込みそうになるのを百はぐっとこらえる。

 

「さっきまで、僕たちが散歩していた所の町名は知っているかい?」

「しい町か?」

「そうそう、なんでひらがな表記になったと思う?」

 

異形がこちらに気づいてその距離が確実に縮まっているのだが、京極は落ち着いたままだ。百は、すぐに動けるように両の足を肩幅くらいに広げた。

 

「知らん、どうせ気まぐれとかそんな理由なんじゃないか」

「死入って書いていたそうだよ」

 

京極が文字を空中に書く仕草をする。

 

「なんとまあ、縁起の悪い」

「だから、変えたらしいんだ。それも、本当は全く前の名前の所縁もないものにしようとしたらいんだよ。お祖父様はそれに猛反対していて、元の音を残したまま表記だけ平仮名にしたんだ。因みに、1ヶ月後にはこの市の行政の上層部の総入れ換えがあったらしいんだけど」

「ああ、良くあることだな」

 

良家周りだと日常茶飯事だ。

異形はいよいよ近づいてきて、地面の揺れが強くなってきた。

念のために、百はすぐに突きが放てるように枝を構える。

 

「さっさと結論を言え」

「お祖父様が元の町名を変えることを拒んだのは、あいつがいたからなんだ。ここの町はあいつの為に名付けられたと言っても良い。つまりあいつは、しい町という名前で縛っているから、ここより外には出てこられない!」

 

自信満々に、京極は四つ辻の向かい側を指差した。そこが町境なのだろう。

果たして、もう眼前に迫ってきた異形はその手をこちらに伸ばしてきて──

 

 

『Syaaaaaaaaaaas!』

「ふえ??????」

 

何事もないかのように、その腕を振り下ろす。

 

「疾ィ!」

 

百は、それを枝で突いてなんとか直撃をそらした。

 

「話が違うぞ!」

「そ、そんな!?」

 

再び二人仲良く逃げ回る羽目になった。

 

「他にあれの弱点とか倒し方とかそういう役立ちそうなものは!」

「…………き、聞いてなかった」

「…………はぁ」

 

百は言葉をこらえる代わりに、ため息を吐いた。京極は走りながら、しおしおと沈みだす。

万事休すという単語が、百の頭に浮かびあがってきた。

ぼちぼち二十代も後半に差し掛かってきた百の体は、悲鳴をあげ始めている。限界も近い。そして、異形はもう真後ろにいる。

 

その時である。

一陣の風が百と京極の間を吹き去った。

そして、それは異形に組み付いて、

 

「はぁぁぁぁぁ!」

 

気合いの声と共に、その巨大な物体を投げ飛ばした。

無論、風ではない。

それは、桃色の艶やかな晴れ着を纏った百の妹だった。

 

「玲!」

「え、え、え????」

「姉さん、京極ちゃん、あっちの路地に!」

 

 

妹の斎賀玲は、義弟予定との街散策中にこの訳の分からない事態に巻き込まれたらしい。妹の指示した路地に逃げ込むと、義弟予定の陽務楽郎が息を潜めて隠れていた。

 

「どうも」

「ああ、やはり君もいたのか。災難だったな」

「良くあることなんで」

 

中々に肝が座っているなと、百は彼の評価を上げる。もう一方の親戚は先ほどから無言であった。アスファルトに、指で何か書き出しそうな勢いでいじけている。

 

「それで、こいつはなんでまた萎びたほうれん草みたいになってるんですか?」

「だれがしなびているって」

「お前だよ」

「その話は、おいおいだな」

 

まだ、窮地を脱したわけではない。

間もなく、玲が駆け込んできた。振り袖がふわりと舞って、動きにくそうだ。

 

「玲、どうだ?」

「姉さん、あれは埒外の存在です。そして、この空間も同じく」

「やはり、か」

 

百は腕をまくる。ならば、やるべきことは一つだ。

 

「いけるか?」

「合わせます」

 

斎賀流には二人で行使する業がある。呼吸を完璧に合わせられることが最低条件の、最高の難易度を誇るそれは、しかし絶大な効果をもたらす。

 

「「破ァ!!!」」

 

京極と楽郎は完全にシンクロした姉妹の動きに、息をのんだ。そして、バリバリと空間が裂ける音を聞いた。

 

「それで、埒外の存在って結局どういう意味なの?」

「分かりやすく言うなら、別の宇宙の理に従う存在でしょうか」

「エイリアン?」

「広義ではそうですが、もっと狭く言うなら別の神様と言いますか」

「あー、旧支配者?」

「もしくはライバルの、どちらかですね」

 

なるほど、と楽郎はうなずく。そして、改めて滔々と的はずれな推論をどや顔で語っていたらしい京極の新たな煽りネタが生まれたことを理解する。

 

「じゃあ、あの二人でやった技は?」

「あれは、そういった存在に立ち向かう、斎賀の奥義です」

「……………………」

 

楽郎は思う。

先ほどのあの存在は、神とまでいかずともそれに近しい力を持つ存在だったはずだ。

 

なんというか、良家すげえな。改めてそう思った。



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