黄昏信仰 / 暁天信仰 (宇宮 祐樹)
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黄昏信仰 / 暁天信仰
■
夕暮れが好きだ。
太陽が嫌いだから。
海の見える公園だった。わたしと彼女で見つけた、お気に入りの場所。
毎日、そこで沈む夕陽を眺めていた。来る日も来る日も、ずっと。
世界が暗闇に塗り潰されていくのが、好きだった。
温もりも、眩しさも、全てが失われていくのが、まるで私みたいだったから。
私には何もない。
物心ついた時には、既に教会に預け入れられていた。
親が私を棄てて逃げたというのは、なんとなく分かっていた。
皆の憐れむような視線や、あれだけ長い孤独を味わえば、嫌でも理解させられた。
恨んではいない。というより、恨むほどその人たちを知らない。
でも、一つだけ何かを望めるのなら、普通の幸せを教えてほしかった。
私はそれを、今になっても知らないから。
女神様や教祖様は、私に優しくしてくれた。
自分にはそれが、理解できなかった。私たちは本当の家族じゃないのに。
それに、自分が女神様たちに返せるものも、何もないのに。
育てられていくうちに、その優しさが重荷になっていくのが分かった。
何もできない私を、どうしてそこまで気遣うのかが、本当に理解できなかった。
一度、教会を出ていったことがある。
これ以上、女神様たちに迷惑をかけたくなかったから。
でも、半日もしないうちにすぐに見つかった。
あとで聞いたのは、女神様が必死になって探してくれた、ということ。
それだけ大切にされているんですよ、と教祖様は言ってくれた。
そんな当たり前のことが分からない自分が、嫌になった。
それからは、ずっと教会に籠りっぱなしだった。
外にはあまり出ていない。それこそ、この公園以外には、どこにも。
それに、黙って外に出たら、また心配をかけちゃうかもしれないって思うと、怖くなった。
教会の仕事も、私には難しいから、ってさせてくれなかった。
恩返しがしたい、って言っても、既にされてますよ、なんて教祖様は言うし。
わたし、なにもしてないよ? ただ、のうのうと生きてるだけなのに。
何もせずに迷惑をかけるくらいなら、死んだほうがマシだとさえ、思った。
裁縫っていう趣味ができたのが、唯一のいいところなのかな。
「よっ」
その日も、いつも通り彼女がやってきた。
夕暮れよりも紅く染まる髪に、黄昏の景色を閉じ込めたかのような、オレンジの瞳。
私が何か答えるよりも先に、彼女は私の隣へ腰を下ろして、続けた。
「お前、ほんとにここ好きだよなあ」
…………。
「なにか、あったの?」
「……どうしてそう思う?」
「そんな、なんのひねりもないしゃべりかた、らしくないよ」
すると彼女は一度、目を見開いたかと思うと、すぐにくしゃりと笑う。
「そんなすぐにバレるなんて、思ってなかったぜ」
「ずっとみてたから、わかるよ」
「それもそうだな」
ははは、なんて笑ってから、彼女は口を閉ざしてしまう。
沈黙。海の向こうへ沈む夕陽が海に反射して、ぎらぎらと輝いていた。
「わたしじゃ、ちからになれないの?」
「え?」
「こまってるなら、たすけたいから」
「あー……まあ、そうだな。こっちでなんとかするから、心配しなくていいぜ」
言葉を濁しながら、彼女が私の頭を乱暴に撫でる。
……嫌だ。
「もう、いや」
「え?」
「どうしてそうやって、こどもあつかいするの?」
「そんなこと……」
「わたし、もうこどもじゃないよ?」
立派な大人だって、言い張るつもりもないけど、それでも。
おんぶにだっこじゃないと生きていけないような、そんなのじゃない。
……もうこれ以上、みんなに迷惑はかけたくないから。
「また、わたしだけなかまはずれ?」
「……違う」
「だったら、たすけさせてよ。わたしだって、ちからになりたい」
「気持ちだけで満足してる。そうやって気に掛けてくれるだけで、嬉しいよ」
また、これだ。
いつもみたいに、のらりくらりと躱される。
……やっぱり、わたしじゃ力不足なの?
邪魔者なんだ。ろくでなしなんだ。いらない子なんて。
ほんとはみんな、邪魔だって思ってるくせに。負担だって思ってるくせに。
それならいっそのこと、気なんて遣わずに、そうやって言ってくれればいいのに。
だったら、私も楽になれるのに。
どうして――
「そういえばこの前、太陽が嫌いだって話してくれたよな?」
沈んでいく思考が、彼女の声によって引き上げられる。
「俺は好きだぜ、太陽」
「そうなの?」
「ああ」
そうして彼女は、沈んでいく夕陽を眺めながら、
「たとえ夜が訪れたとしても、明日が来れば、太陽はまた昇り始める」
「……だれのことば?」
「正真正銘、このうずめ様の言葉だよ。どうだ、カッコいいだろ?」
「びみょう」
「なんだよー」
微妙なものは微妙なんだから、仕方ないでしょ。
それに、今はそんな気分じゃないのに。そういうデリカシーも欠けてるし。
こういうところ、女神としてちゃんとした方がいいと思うんだけどなあ。
「なあ」
唐突に呼びかけられて、顔を上げる。
「この国、好きか?」
…………。
「すきだよ」
「……そうだったのか?」
「きいておいて、そんなこというの?」
意外そうな彼女の表情に、思わず息をつく。
「いや……正直、嫌いだって思ってたからさ」
「このくにはすきだよ。みんなやさしいし、へいわだし。ぜったいに、いいくに」
「そ……そうか! そう思っててくれたのか! よかった……」
「でも、めがみさまがすこしへんなのが、ざんねん」
「そこは俺の事も褒めるべきだろ!」
「じょうだんだよ」
カッコよくて、立派で、頼れる女神様がいるから、わたしはこの国が好きなんだ。
そんなこと、恥ずかしくて絶対、面と向かって言えないけど。
でも、それは本当のこと。
親に棄てられても、一人ぼっちでも、わたしはこの国に産まれてよかった、って思う。
「……だったら、任せられるのかもな」
「え?」
ぼそりと呟いた言葉に、思わず聞き返す。
「強制は、しない。嫌だって思ったら、断ってくれても構わない」
「……うずめ?」
「辛いこともある。恨まれることにも慣れなくちゃいけない」
「だから、なにいってるのかわかんないって」
「でも、お前ならなれるって、信じてる。そのためなら、この命だって賭けていい」
「ちょ……ちょっと、ちゃんとせつめいして……!」
「プルルート!」
肩を掴まれて、強く叫ばれる。
「お前が、この国の明日になってくれないか?」
■
部屋の外から聞こえる喧噪で、ゆっくりと意識が覚醒する。
朧げな視界に見えた時計は、朝の六時を示していた。
「……うるさいなあ」
未だに聞こえるどたばたとした騒音にぼやきながら、ゆっくりと体を起こす。
太陽はまだ出ていない。けれど、あと数分もすれば、それが顔を出すんだろう。
……夜明けは嫌いだ。私にはない、希望がやってくる気がして。
でも。
「……明日になって、って」
昨日の彼女の言葉を、思い出す。
未だにその意味は理解していない。それからの説明も、何もない。
来るべき時が来たら分かる、ってことなのかな。
「ああ、プルルートさん! 起きていらしたんですね!」
部屋から出るとちょうど、イストワールが私を起こしにきたところだった。
「……みんながうるさかったから。どうしたの?」
「実は、うずめさんが大変なことになって……とにかく、ついてきてください!」
そう言って、くるりと踵を返すプルルートの後を追う。
嫌な予感が過ぎった。昨日のうずめの言葉といい、不安が頭の中を埋め尽くしていく。
気づけば歩む足も速くなって、それと同時に鼓動も昂っていく。
そして、彼女の脚が止まったのは、謁見の間の前だった。
「こちらに……」
イストワールに促され、足を踏み入れる。
そこには。
「……うずめ?」
巨大な水晶体の中に閉じ込められている、彼女の姿があった。
「起きたら、既にこのような状態に」
「いきてるの?」
「死んでもいません」
曖昧なイストワールの言葉に、ただ頷くことしかできなかった。
ただ、結晶の中に佇む彼女は、深い眠りについているようにも見えた。
「どういう、こと?」
「代替わりです」
それって、まさか。
「プラネテューヌの女神が、代わるときがきたんです」
「……そんなこと、ひとつもいってなかったじゃん」
「私も聞いてません。おそらく、うずめさんの独断です」
うずめが?
「もともと、プラネテューヌのシェアは下降気味にありましたから。それに伴ってうずめさんも、女神としての神格を保てなくなっていて。代替わりする、ということは予測できていたのですが、まさかこのタイミングだとは……」
「……だれ?」
「え?」
「だれが、つぎのめがみになるの?」
問いかけに一度きょとん、と珍しい表情をしたあと、すぐにイストワールが口を開く。
「まだ決まっていません。まさか、こうなるなんて思ってもいませんでしたから……」
「そっか」
だったら。
「わたしがなるよ」
「……え?」
結晶へと触れたその瞬間、光の奔流が視界を埋め尽くす。
それは朝焼けにも似た、眩しいだけの光。わたしの、いちばん嫌いな光。
でも、どこか暖かくて、柔らかい感じがして。
それはまるで、太陽みたいだった。
「プルルート、さん?」
やがて光が晴れたと思うと、目の前にはふわふわと浮かぶ、小さな結晶があって。
「……シェアクリスタル」
両手で包み込んだそれは、淡い茜色の輝きを放っていた。
「……たとえ夜が訪れたとしても、明日が来れば、太陽はまた昇り始める」
「誰の言葉ですか?」
「わたしの、いちばんすきなめがみのことば」
それはきっと、こういうことだったんだ。
彼女が私に託してくれた、最初で最後の望み。
……ほんとこんなにまでなって、カッコつけるなんて。
私がその意味を分かってなかったら、どうするつもりだったんだろう。
……でも、ああ、そうか。
私だったら分かってくれるって、信じてくれたんだ。
ずっと一緒にいたから、わたしのことをみまもってくれてたから。
だったら、それに応えないと。
「わたしが、このくにのあしたに、なってみせる」
暁の光が、窓から差し込んだ。
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暁天 / 明け方の空、また、夜明け
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