黄昏信仰 / 暁天信仰 (宇宮 祐樹)
しおりを挟む

黄昏信仰 / 暁天信仰

 

 夕暮れが好きだ。

 太陽が嫌いだから。

 

 海の見える公園だった。わたしと彼女で見つけた、お気に入りの場所。

 毎日、そこで沈む夕陽を眺めていた。来る日も来る日も、ずっと。

 世界が暗闇に塗り潰されていくのが、好きだった。

 温もりも、眩しさも、全てが失われていくのが、まるで私みたいだったから。

 

 私には何もない。

 物心ついた時には、既に教会に預け入れられていた。

 親が私を棄てて逃げたというのは、なんとなく分かっていた。

 皆の憐れむような視線や、あれだけ長い孤独を味わえば、嫌でも理解させられた。

 恨んではいない。というより、恨むほどその人たちを知らない。

 でも、一つだけ何かを望めるのなら、普通の幸せを教えてほしかった。

 私はそれを、今になっても知らないから。

 

 女神様や教祖様は、私に優しくしてくれた。

 自分にはそれが、理解できなかった。私たちは本当の家族じゃないのに。

 それに、自分が女神様たちに返せるものも、何もないのに。

 育てられていくうちに、その優しさが重荷になっていくのが分かった。

 何もできない私を、どうしてそこまで気遣うのかが、本当に理解できなかった。

 

 一度、教会を出ていったことがある。

 これ以上、女神様たちに迷惑をかけたくなかったから。

 でも、半日もしないうちにすぐに見つかった。

 あとで聞いたのは、女神様が必死になって探してくれた、ということ。

 それだけ大切にされているんですよ、と教祖様は言ってくれた。

 そんな当たり前のことが分からない自分が、嫌になった。

 

 それからは、ずっと教会に籠りっぱなしだった。

 外にはあまり出ていない。それこそ、この公園以外には、どこにも。

 それに、黙って外に出たら、また心配をかけちゃうかもしれないって思うと、怖くなった。

 教会の仕事も、私には難しいから、ってさせてくれなかった。

 恩返しがしたい、って言っても、既にされてますよ、なんて教祖様は言うし。

 わたし、なにもしてないよ? ただ、のうのうと生きてるだけなのに。

 何もせずに迷惑をかけるくらいなら、死んだほうがマシだとさえ、思った。

 裁縫っていう趣味ができたのが、唯一のいいところなのかな。

 

「よっ」

 

 その日も、いつも通り彼女がやってきた。

 夕暮れよりも紅く染まる髪に、黄昏の景色を閉じ込めたかのような、オレンジの瞳。

 私が何か答えるよりも先に、彼女は私の隣へ腰を下ろして、続けた。

 

「お前、ほんとにここ好きだよなあ」

 

 …………。

 

「なにか、あったの?」

「……どうしてそう思う?」

「そんな、なんのひねりもないしゃべりかた、らしくないよ」

 

 すると彼女は一度、目を見開いたかと思うと、すぐにくしゃりと笑う。

 

「そんなすぐにバレるなんて、思ってなかったぜ」

「ずっとみてたから、わかるよ」

「それもそうだな」

 

 ははは、なんて笑ってから、彼女は口を閉ざしてしまう。

 沈黙。海の向こうへ沈む夕陽が海に反射して、ぎらぎらと輝いていた。

 

「わたしじゃ、ちからになれないの?」

「え?」

「こまってるなら、たすけたいから」

「あー……まあ、そうだな。こっちでなんとかするから、心配しなくていいぜ」

 

 言葉を濁しながら、彼女が私の頭を乱暴に撫でる。

 ……嫌だ。

 

「もう、いや」

「え?」

「どうしてそうやって、こどもあつかいするの?」

「そんなこと……」

「わたし、もうこどもじゃないよ?」

 

 立派な大人だって、言い張るつもりもないけど、それでも。

 おんぶにだっこじゃないと生きていけないような、そんなのじゃない。

 ……もうこれ以上、みんなに迷惑はかけたくないから。

 

「また、わたしだけなかまはずれ?」

「……違う」

「だったら、たすけさせてよ。わたしだって、ちからになりたい」

「気持ちだけで満足してる。そうやって気に掛けてくれるだけで、嬉しいよ」

 

 また、これだ。

 いつもみたいに、のらりくらりと躱される。

 ……やっぱり、わたしじゃ力不足なの?

 邪魔者なんだ。ろくでなしなんだ。いらない子なんて。

 ほんとはみんな、邪魔だって思ってるくせに。負担だって思ってるくせに。

 それならいっそのこと、気なんて遣わずに、そうやって言ってくれればいいのに。

 だったら、私も楽になれるのに。

 どうして――

 

「そういえばこの前、太陽が嫌いだって話してくれたよな?」

 

 沈んでいく思考が、彼女の声によって引き上げられる。

 

「俺は好きだぜ、太陽」

「そうなの?」

「ああ」

 

 そうして彼女は、沈んでいく夕陽を眺めながら、

 

「たとえ夜が訪れたとしても、明日が来れば、太陽はまた昇り始める」

「……だれのことば?」

「正真正銘、このうずめ様の言葉だよ。どうだ、カッコいいだろ?」

「びみょう」

「なんだよー」

 

 微妙なものは微妙なんだから、仕方ないでしょ。

 それに、今はそんな気分じゃないのに。そういうデリカシーも欠けてるし。

 こういうところ、女神としてちゃんとした方がいいと思うんだけどなあ。

 

「なあ」

 

 唐突に呼びかけられて、顔を上げる。

 

「この国、好きか?」

 

 …………。

 

「すきだよ」

「……そうだったのか?」

「きいておいて、そんなこというの?」

 

 意外そうな彼女の表情に、思わず息をつく。

 

「いや……正直、嫌いだって思ってたからさ」

「このくにはすきだよ。みんなやさしいし、へいわだし。ぜったいに、いいくに」

「そ……そうか! そう思っててくれたのか! よかった……」

「でも、めがみさまがすこしへんなのが、ざんねん」

「そこは俺の事も褒めるべきだろ!」

「じょうだんだよ」

 

 カッコよくて、立派で、頼れる女神様がいるから、わたしはこの国が好きなんだ。

 そんなこと、恥ずかしくて絶対、面と向かって言えないけど。

 でも、それは本当のこと。

 親に棄てられても、一人ぼっちでも、わたしはこの国に産まれてよかった、って思う。

 

「……だったら、任せられるのかもな」

「え?」

 

 ぼそりと呟いた言葉に、思わず聞き返す。

 

「強制は、しない。嫌だって思ったら、断ってくれても構わない」

「……うずめ?」

「辛いこともある。恨まれることにも慣れなくちゃいけない」

「だから、なにいってるのかわかんないって」

「でも、お前ならなれるって、信じてる。そのためなら、この命だって賭けていい」

「ちょ……ちょっと、ちゃんとせつめいして……!」

「プルルート!」

 

 肩を掴まれて、強く叫ばれる。

 

「お前が、この国の明日になってくれないか?」

 

 

 部屋の外から聞こえる喧噪で、ゆっくりと意識が覚醒する。

 朧げな視界に見えた時計は、朝の六時を示していた。

 

「……うるさいなあ」

 

 未だに聞こえるどたばたとした騒音にぼやきながら、ゆっくりと体を起こす。

 太陽はまだ出ていない。けれど、あと数分もすれば、それが顔を出すんだろう。

 ……夜明けは嫌いだ。私にはない、希望がやってくる気がして。

 でも。

 

「……明日になって、って」

 

 昨日の彼女の言葉を、思い出す。

 未だにその意味は理解していない。それからの説明も、何もない。

 来るべき時が来たら分かる、ってことなのかな。

 

「ああ、プルルートさん! 起きていらしたんですね!」

 

 部屋から出るとちょうど、イストワールが私を起こしにきたところだった。

 

「……みんながうるさかったから。どうしたの?」

「実は、うずめさんが大変なことになって……とにかく、ついてきてください!」

 

 そう言って、くるりと踵を返すプルルートの後を追う。

 嫌な予感が過ぎった。昨日のうずめの言葉といい、不安が頭の中を埋め尽くしていく。

 気づけば歩む足も速くなって、それと同時に鼓動も昂っていく。

 そして、彼女の脚が止まったのは、謁見の間の前だった。

 

「こちらに……」

 

 イストワールに促され、足を踏み入れる。

 そこには。

 

「……うずめ?」

 

 巨大な水晶体の中に閉じ込められている、彼女の姿があった。

 

「起きたら、既にこのような状態に」

「いきてるの?」

「死んでもいません」

 

 曖昧なイストワールの言葉に、ただ頷くことしかできなかった。

 ただ、結晶の中に佇む彼女は、深い眠りについているようにも見えた。

 

「どういう、こと?」

「代替わりです」

 

 それって、まさか。

 

「プラネテューヌの女神が、代わるときがきたんです」

「……そんなこと、ひとつもいってなかったじゃん」

「私も聞いてません。おそらく、うずめさんの独断です」

 

 うずめが? 

 

「もともと、プラネテューヌのシェアは下降気味にありましたから。それに伴ってうずめさんも、女神としての神格を保てなくなっていて。代替わりする、ということは予測できていたのですが、まさかこのタイミングだとは……」

「……だれ?」

「え?」

「だれが、つぎのめがみになるの?」

 

 問いかけに一度きょとん、と珍しい表情をしたあと、すぐにイストワールが口を開く。

 

「まだ決まっていません。まさか、こうなるなんて思ってもいませんでしたから……」

「そっか」

 

 だったら。

 

「わたしがなるよ」

「……え?」

 

 結晶へと触れたその瞬間、光の奔流が視界を埋め尽くす。

 それは朝焼けにも似た、眩しいだけの光。わたしの、いちばん嫌いな光。

 でも、どこか暖かくて、柔らかい感じがして。

 それはまるで、太陽みたいだった。

 

「プルルート、さん?」

 

 やがて光が晴れたと思うと、目の前にはふわふわと浮かぶ、小さな結晶があって。

 

「……シェアクリスタル」

 

 両手で包み込んだそれは、淡い茜色の輝きを放っていた。

 

「……たとえ夜が訪れたとしても、明日が来れば、太陽はまた昇り始める」

「誰の言葉ですか?」

「わたしの、いちばんすきなめがみのことば」

 

 それはきっと、こういうことだったんだ。

 彼女が私に託してくれた、最初で最後の望み。

 ……ほんとこんなにまでなって、カッコつけるなんて。

 私がその意味を分かってなかったら、どうするつもりだったんだろう。

 ……でも、ああ、そうか。

 私だったら分かってくれるって、信じてくれたんだ。

 ずっと一緒にいたから、わたしのことをみまもってくれてたから。

 だったら、それに応えないと。

 

「わたしが、このくにのあしたに、なってみせる」

 

 暁の光が、窓から差し込んだ。

 

 




暁天 / 明け方の空、また、夜明け


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。