進撃の巨人 〜反撃の狼煙〜 (雨宮雨水)
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第一話『死別/遭逢』



進撃の巨人の二次創作です。ヒロインはクリスタで、サブ的な位置にサシャの予定です。ぜひ読んでいってください。




 

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

 俺は、そう言って出て行く父さんの背中を見るのが大好きだった。当時まだ子供だった俺には父さんの仕事がどれほど過酷なものかはよく分からなかったが、出て行く時の母さんの辛そうな顔を見て、気楽な仕事ではないということは理解できた。

 

「父さん! 俺、いつか絶対父さんと同じ『調査兵団』に入る!」

 

 だが、それでもやはり憧れは変わらなかった。俺は父さんの、その恐れを見せない勇敢な背中が好きだったから、いつもいつも、『壁』の外へと出向く父さんに語りかけた。

 父さんは何も言わなかった。だけど、いつも必ず笑顔で俺の頭を撫でてくれた。その大きく、暖かな掌の感触も大好きだった。

 そして、多くの人々に見送られながら『自由の翼』を身に纏った兵士達が壁の外へと馬を走らせる。その中にいる父さんを、俺はいつも母さんと共に見送った。

 

 

 その背中が、俺が見た最期の父さんの姿になったと知ったのは、それから数日後の事だった。

 一人の兵士が家に来た。父と同じ緑色のマントを羽織った『調査兵団』の兵士だった。彼の顔と言葉を聞いた母さんは、声をあげて泣きながら膝から崩れ落ちた。

 

 ──父は壁外での調査中、襲いかかってきた巨人の群れから部下を助けるために身代わりとなった。遺体は回収できなかった──と。

 

 兵士は、それだけ告げて去って行った。

 兵士の姿が無くなった後、母さんは俺を力強く抱き締めた。そして涙で俺の肩を濡らしながら、何度も何度も、「あなたは私が守るから」と呟いた。

 

 そして、『あの日』──。

 

 巨人に支配されていた恐怖を人類が思い出した、運命の日。

 

 

 俺は、全てを失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様ッ!! 貴様は何者だッ!?」

 

 847年、ウォール・ローゼ南方面駐屯地──。

 この地には現在、総勢300名ほどの人間が隊列を組んで並んでいた。俺もその中の一人で、この300人と共に今日からの三年間を共に過ごす事となる。いずれ脱落する者もいるだろうから、その数は正確ではないのだろうが。

 まあ、今はそんなことを考えてる場合ではないか。今は入隊式の真っ最中で、目の前には鬼のような形相をした訓練教官の顔がある。まずはこれをなんとかしなくてはならない。

 

「ウォール・マリア、シガンシナ区出身、ユリウス・ハウザーです!」

 

 俺は右拳を左胸に持っていき、高らかに名乗った。この敬礼は『人類のために心臓を捧げる』という意味を持っている。

 

「……ハウザーだと?」

 

 俺の名──特にハウザーと聞いたところで、教官の表情がわずかに変わった。驚いていたようにも見えたが、すぐにその表情を元に戻して「フンッ!」と鼻を鳴らした。

 

「脆弱そうな名だな! お前などすぐに脱落してしまうのではないか!?」

 

 そう言って標的を隣の訓練生に切り替えた教官に、そりゃあどうも、と皮肉を込めた言葉を心中で述べる。脱落などするつもりなど毛頭ない。

 

 二年前、ウォール・マリア、シガンシナ区に突然現れた全長50メートルを超す超大型巨人がシガンシナ区の鉄門を破壊、そこから入ってきた何十体もの巨人により、シガンシナ区は瞬く間に地獄と化した。逃げ惑う住人達と、人間を貪り喰らう巨人。俺の母も、逃げる途中で俺を庇い、巨人の餌食となってしまった。

 

『生きてユリウス! 強く、逞しく生きるのよ! それが私の──私とお父さんの願いよ!』

 

 最後に聞いた母の言葉を、俺は片時も忘れたことはない。父に続いて母を──懸けがえのない『宝物』を二つも失った俺は、開拓地で奴隷のように働きながら今日という日を待ち望んだ。目的は、ただ一つ。

 

 この世に蔓延る巨人という名の害虫共を、一匹残らず殺すことだけ。

 

 奴らが俺から全てを奪ったように、俺が奴らから全てを奪い尽くす。

 

「三列目、後ろを向け!」

 

 俺が思考を切り替えた時、既に俺の列での“通過儀礼”は終わっていた。教官の指示通り素早く後ろを振り向き、その時、俺は初めて後ろにいた人物の顔を見ることができた。

 

 それは、肩まで届く金糸の髪と、空の景色を映したような碧い瞳を持った少女だった。まだ幼さの残る顔立ちで肌は雪のように白く、それが彼女の金と碧を一層際立たせていた。

 

「──ぁ」

 

 すると、彼女の碧い瞳が俺を捉え、俺と彼女の目が合った。彼女はしばらく俺を見続けると、やがてニコリと、教官に気づかれないように控えめに笑顔を作った。

 

 それが俺──ユリウス・ハウザーと、クリスタ・レンズとの出会いだった。

 

 





えー、今回は一人称視点ですが、次回からは三人称視点でやって行こうかなと思います。



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第二話『懐かしき友』

 

 

 入隊式から数時間後。ユリウスが寄宿舎の大食堂で食事を摂っていると、彼の元に一人の少女が近づいて来た。

 

「あ、あの……席がどこも空いてなくて……あなたの向かいの席、座っても大丈夫?」

 

「ああ、全然いいけど……って、君は……」

 

 そこにいたのは、入隊式の時にユリウスの後ろにいた少女だった。あの金糸のような髪がゆらゆらと揺れ、空のような碧い瞳がユリウスの姿を捉えている。彼女は「ありがとう」と言って食器を乗せたトレイをテーブルに置いて座ってから、すぐに顔を向けてニコリと微笑んだ。

 

「入隊式の時に前にいた人よね? えーっと……ユリウス・ハウザー、で良かったかしら?」

 

「ああ、そう言う君はクリスタ・レンズ、だよな?」

 

「クリスタでいいわ」

 

「そうか、なら俺もユリウスでいい。これからよろしくな、クリスタ」

 

「うん!」

 

 そう言ってまたニコリと微笑んだクリスタの姿は、この場には似つかわしくない──正直言って美しい笑みだった。しばらく雑談を交わしながら二人で食事を摂っていると、あるテーブルの一角で大きな人だかりができ始めているのに気が付いた。

 

「何かな、あれ?」

 

「あいつは……」

 

 人だかりの中心にいたのは、黒い髪と翠色の瞳を持った少年だった。一見すると、鋭く吊り上がった目元が「人相が悪い」と印象付けそうだが、その瞳の奥には確かな強い意志が感じられた。そして彼は、ユリウスのよく知る人物でもあった。

 

「知り合いなの?」

 

「ああ……あいつはエレン・イェーガー。俺と同郷の、一応、幼馴染ってヤツだ」

 

 クリスタにそう告げてから、ユリウスは再び人だかりの中心に視線を戻した。エレンは大勢の訓練生からの質問を言葉を詰まらせながらも答えていた。話題はやはり超大型巨人や、シガンシナ区の扉を破壊した『鎧の巨人』についてだった。

 

「同郷……ユリウスは確かシガンシナ区出身って言ってたわよね?」

 

「……ああ」

 

「それじゃあ、あなたもその……やっぱり、見たの……?」

 

 何をなのかはクリスタははっきりと聞きはしなかったが、それでもユリウスには彼女が何を聞きたいのかは十分に理解できた。だからユリウスは、彼女の問いに至極簡単に答えた。

 

「ああ……見たよ」

 

 それは、あまりに突然の出来事だった。雷が落ちたような耳を劈く轟音がシガンシナの街に轟き、その直後、超大型巨人が忽然と出現した。いとも簡単に鉄門を破壊し、壁外に蔓延っていた巨人を呼び込み、その後は……説明しなくとも誰でも分かることだ。

 

「……まあ、その話は置いておいて。俺もクリスタに一つ聞きたいことがあるんだが……いいか?」

 

「えっ? う、うん」

 

 話を転換してユリウスが問うと、クリスタは大袈裟に返事をした。心なしか、挙動不審気味でもある。まるで、バレたくない何かがあるような、そんな挙動だ。

 あからさまだな、とユリウスは心中で息を吐いた。

 

「──なんで懐にパンなんて隠してるんだ?」

 

 瞬間、ビクッ、とクリスタの肩が大きく跳ねた。彼女のジャケットの懐には手をつけていないパンが一つ、隠す形で忍ばせてあった。

 

「ど、どうして分かったの?」

 

「隠すのを見たから」

 

 クリスタがパンを懐に忍ばせたのは、ユリウスが人だかり──エレンに視線を向けた時だった。彼女は見えていないと思ったようだが、コソコソと動いていた姿が視界の隅に映っていた。

 

「あ、あの……この事はできれば誰にも言わないで欲しいんだけど……」

 

「いや、別に咎めるつもりはない。そのパンをどうするつもりなのかは、だいたい予想できてるからな」

 

「え?」と、顔を上げたクリスタにユリウスは小さく笑って、彼女と同じように()()()()()()()()()()()()パンをテーブルに置いた。

 

「“彼女”の所に持って行くんだろ? 実は俺も、クリスタと同じことを考えてた」

 

「……………」

 

 クリスタはしばらくの間、ぽかんとテーブルに置かれたパンを見つめていたが、やがて堪えきれなくなったのか、噴き出すように笑い出した。

 

「あはは! そうだったんだ! ビックリした〜! でも、ユリウスも同じで良かったよ」

 

「まったくだ。それじゃあ、さっそく行くとするか」

 

「うん!」

 

 二人は再び懐にパンを忍ばせ、ついでに水袋を持って食堂を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第104期訓練生の中で、初日ながら既に有名人となった少女がいた。

 

 その少女の名はサシャ・ブラウス。

 

 なぜ彼女が有名になったか。それは、彼女が厨房にあった蒸かした芋を盗み、あろう事かそれを入隊式の最中に堂々と、しかも教官の前で食べていたからである。無論、それを教官が見逃すはずがなく、彼女は『死ぬ寸前まで走れ』という厳罰を下された。

 あれから既に五時間以上が経過している。ユリウス達が外に出ると、篝火の下で倒れ込んでいるサシャの姿を発見した。

 

「だ、大丈夫かな……?」

 

「そりゃまあ……今までずっと走ってたんだし、大丈夫なわけはないな」

 

 うつ伏せに倒れたままピクリとも動かなくなっているサシャを心配そうに見ていたユリウス達だったが、クリスタが一歩動き出した次の瞬間──

 

「キシャアーーーッッ!!!」

「きゃあああッ!!?」

 

 弾丸のような勢いで飛んで来たサシャが、クリスタの持っていたパンを強奪した。人間とは極限まで追い込むとこんな動きができるのかと、尻餅をついたクリスタを起こしながらユリウスは思った。

 

「パ、パンーーッッ!!?」

 

「あ、あの、まず先に水を飲まないと……」

 

 どうやら今まで走っていた疲労は、食欲と喉の渇きに勝てなかったようだった。サシャはまず喉を潤わそうと水袋を差し出したクリスタの手を取り、「神様ーーッ!!」と最早悲鳴にも近い声をあげる。

 

「あー……とりあえず、もう一つパンを持って来てるから、これも食っていいぞ」

 

 と、ユリウスも自分の懐に入れておいたパンをサシャに手渡す。すると、パンを受け取った瞬間、ボロボロと大粒の涙を流し始めた彼女を見て、ユリウスは思わず「うおっ!?」と仰け反った。

 

「か、神様がもう一人!!」

 

 感極まって抱き着こうとして来たサシャを押さえて、とりあえず落ち着かせようとする。

 

「オイ」

 

すると、暗がりからもう一人少女の声が聞こえてきた。ユリウスとクリスタはとっさに身構え、サシャは貰ったパンを没収されないようにガツガツと口の中に放り込み始めた。

 

「何やってんだ?」

 

暗がりから出てきたのは、鋭い目つきと、そばかすが特徴的な少女だった。

 

「え、えっと……この子は今までずっと走りっぱなしで……」

 

「芋女のことじゃない、お前らだ。お前ら、『いいこと』しようとしてるだろ?」

 

 少女はユリウス達をキッと睨みつけた。二人の行動を偽善的と咎めるように鋭い目を更に細めて、突き刺すように。

 

「……『いいこと』をして何が悪い?」

 

「別に悪いとは言ってねえだろ。……ただ、お前らのその芋女のためにやった行動は、それに見合った高揚感や達成感が得られたのか?」

 

 彼女の問いに、ユリウスもクリスタも答えなかった。沈黙が続く中、少女は呆れたように溜息を吐く。

 

「まあいい……とにかく、こいつをベッドまで運ぶぞ。オイお前、男なら手伝え」

 

 そう言って少女は、貰った二つのパンを完食して、しかしやはり疲れはあったのか、クリスタの膝で死んだように眠っているサシャの肩を持った。ユリウスも少女に促されて反対側の肩を持つ。

 

「あ、あなたも『いいこと』をするの?」

 

 二人の行動を見ながらクリスタが少女に尋ねると、彼女はくだらないと一蹴するように鼻を鳴らし、

 

「こいつに貸しを作って恩に着せるためだ。こいつの馬鹿さには期待できる」

 

 不敵に笑って、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死んだように眠っているサシャをユリウスとそばかすの少女──彼女はユミルと名乗った──で運び込み、後のことを二人に任せたユリウスは男子宿舎へと戻った。その道中、ユリウスは懐かしい三人組と再会した。

 

「あ……」

 

 ユリウスの姿に真っ先に気づいたのは、背の低い金髪の少年だった。彼の言葉を聞いて、他の二人もユリウスに顔を向ける。

 

「よう、相変わらず仲がいいようだな──エレン、ミカサ、アルミン」

 

「ユリウス……!? やっぱりお前だったのか! 入隊式の時に名前を聞いて、もしかしたらと思ってたんだ!」

 

 幼馴染との再会に嬉しそうな表情を向けるエレン達。その勢いに押されて思わず苦笑するが、彼らとの再会をユリウスもまた内心で喜んだ。

 

「二年振りだよね……ユリウスは今までどこにいたの?」

 

「開拓地にいたさ。お前達のいた地区とはまた違う場所だったけどな」

 

 ユリウスの答えに「そっか……」とアルミンが言ってから、四人の間に沈黙が訪れる。

 同じ街で育った、二年振りに会う幼馴染……。ここで故郷の話の一つや二つ出るものだが、彼らの故郷は既に無く、そして肉親もいない。それを察しているから、彼らは話さない。

 重い沈黙が流れる中、それに耐えきれなくなったエレンが真っ先に口を開いた。

 

「ま、まあとにかく、これからまたよろしくな、ユリウス」

 

 そう言って差し出されたエレンの手を、ユリウスは見つめた。そして顔を上げると、にっと笑うエレンの顔があった。

 当時、税の無駄遣いと罵られていた調査兵団に所属している父を持ち、ユリウス自身も調査兵団に入隊することを望んでいたがゆえに友人の少なかった二年前。彼の夢に賛同し、手を差し伸べてくれた一人の少年の笑顔。

 

 あの時のままの笑顔が、ユリウスの目の前にあった。

 

「──ああ、よろしく」

 

 だからユリウスは、二年前の時のように差し出されたその手を、躊躇うことなく握るのだった。

 

 

 



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第三話『曲がらない意志』

 

 

「まずは貴様らの適性を見る! 両側の腰にロープを繋いでぶら下がるだけだ! 全身のベルトでバランスを取れ! これができない奴は囮にも使えん! 開拓地に移ってもらう!」

 

 翌日。今日から早速本格的な訓練が始まる事となり、練兵場に集められた第104期訓練生に向けて訓練教官の怒声が飛んだ。これから行われるのは、立体機動を使用した際の姿勢制御の訓練である。初歩中の初歩の訓練ではあるが、しかし、初歩だからといって決して侮ってはならない。むしろ初歩だからこそこの時点で立体機動の素質が見抜かれ、兵士にふさわしいかそうでないかが決められてしまう。素質の無い者は教官が言ったように、囮にすら使えない。いざ巨人と戦うことになっても、なす術なく喰われるだけだ。

 

「ユリウス!」

 

 今のところ脱落者もなく、自分の順番を待っていたところで、ふとユリウスは自分を呼ぶ声に振り向いた。そこにはクリスタと、その両脇にはユミルとサシャの姿もあった。

 

「ああ、三人とも。いつの間にすっかり仲良くなってるな」

 

「あはは……えっと、ユミルとは昨日の夜からで、サシャとは朝食の時に」

 

「あ、あの、昨日は本当にありがとうございました! おかげで助かりました!」

 

 ガバッという音が聞こえるほど勢いよく頭を下げたサシャに、ユリウスは思わず「うおっ!?」と声を上げる。

 

「い、いや、そこまで大袈裟にお礼を言われるようなことはしたつもりはないんだが……」

 

「う……クリスタにも同じことを言われました」

 

「だから言っただろ。こいつら二人ともお人好しのようだから、礼なんて言っても意味ないって」

 

 呆れたように言ったユミルに反論してやりたいが、確かに昨夜の一件はそう言われても仕方のないことなので、ユリウスとクリスタは苦笑するしかなかった。

 

「と、ところで、ユリウスは姿勢制御できたの?」

 

「俺か? いや、まだやってないからどうにも言えないな。三人はもう終わったのか?」

 

「うん、何とかできたかな。少しブレちゃったけど……」

 

「まあまあだ」

 

「私は元々狩猟民だったので、バランス感覚には自信があります」

 

「そうか……こりゃあ、俺ができないと赤っ恥だな」

 

「大丈夫だよ! ユリウスならきっとできるよ!」

 

 まあ元々こんなところで終わるつもりもない。冗談で言ったつもりだったが、クリスタの励ましの言葉は素直に嬉しく思った。

 

「次! ユリウス・ハウザー!」

 

 教官の呼び声が聞こえた。話し込んでいる間に順番が回ってきたようだ。

 

「それじゃ、行って来る」

 

 そう言って三人の元から離れて、ユリウスは位置に着く。ロープを両腰のベルトに装着して全ての準備を終え、隣に控えた補助係がロープを上げる。徐々に体が浮き上がっていき、やがて地面から足が離れた。

 

「おおっ! 凄え!」

 

「まったく体がブレてない!?」

 

 周囲からどよめきと歓声が上がった。浮き上がったユリウスの体はブレることなくその場でとどまり、1分ほどして再び地面に足が付くまで、動くことはなかった。

 

「ふむ……なかなかのものだ。これからもその調子で励め」

 

「ハッ!」

 

 教官は相変わらずの仏頂面だったが、どこか満足そうにそう言った。教官がユリウスの元から離れると、今度はクリスタ達がユリウスの元に駆け寄ってきた。

 

「凄いよユリウス! あんなに上手くできるなんて!」

 

「そうですよ! それにブレもまったくありませんでしたし、私もあれには敵いません!」

 

 目を輝かせているクリスタとサシャに対し、ユミルは「確かに、なかなかやるじゃないか」と、どこか悔しそうに呟いていた。

 

「何かコツとかあるの?」

 

「コツ? コツか……そうだな……」

 

 クリスタの問いに、ユリウスはすぐに答えることができなかった。この姿勢制御の訓練は兵士の適性の有無が判別されるとはいえ、相当なことがない限り誰でもパスできる。かつて、小さい頃に父から色々と教わった事があるが、姿勢制御に関してはそれこそ才能がものをいうと、そう言っていたのを覚えている。

 

「何をしているエレン・イェーガー!! さっさと上体を起こせ!!」

 

 と、答えを言い淀んでいるユリウスの後方から教官の怒声が聞こえてきた。ユリウス達も他の訓練生も、怒声の聞こえた方に目を向ける。そこには、ただ一人姿勢制御ができず、真っ逆さまにぶら下がっているエレンの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼む! 三人とも凄く上手いって聞いたぞ! コツを教えてくれ!」

 

 一日の訓練が終了し、夕食も食べ終えた後の男子宿舎にて、ユリウスの元に頭に包帯を巻いたエレンが顔面蒼白でアルミンと共にやって来た。ユリウスの隣には、寝床が近い関係上親しくなったライナー・ブラウン、ベルトルト・フーバーもいる。

 

「その……エレン、悪いが……」

 

 クリスタに聞かれた時も結局答えられず仕舞いで、今回も同じだった。居心地悪そうに視線をライナー達に向ければ、二人も申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「すまんが、ぶら下がるのにコツがあるとも思えん。期待するような助言は与えられそうにないな」

 

 ライナーの言葉に、エレンはガクリと肩を落とした。明日に賭けるしかない、とアルミンがエレンを励まし、自分の寝床に戻ろうとした二人をベルトルトが呼び止める。

 

「エレンとアルミン、そしてユリウスは、その……シガンシナ区の出身だよね?」

 

「そうだけど……?」

 

「じゃあ、三人は巨人の恐ろしさを知っているはずだ。なのに、どうして兵士を目指すの?」

 

 唐突に投げかけられたベルトルトの問いに、ユリウス達は顔を見合わせる。そしてエレンとアルミンが再び腰を下ろしてから、最初にアルミンが口を開いた。

 

「僕は、エレンやユリウスと違って直接巨人の脅威を目の当たりにしたわけじゃないんだ。ただ……あんな滅茶苦茶な奪還作戦を強行した王政があることを考えると、じっとしていられなかっただけで……」

 

アルミンの言う『奪還作戦』とは、ウォール・マリア陥落から一年後に行われた反攻作戦のことである。壁内の全人類の総人口のおよそ二割を投じてウォール・マリア内の巨人を殲滅、これを奪還するという名目の作戦だが、それはあくまで表向きで、本当はウォール・マリア陥落により溢れた人口を少しでも減らすための、つまりは『口減らし』であった。アルミンの両親はその作戦に参加させられ、そして死んでしまったのだ。

 

「……二人は、どこ出身なの?」

 

「僕とライナーは、ウォール・マリア南東の山奥の村出身なんだ」

 

「えっ!? そこは……」

 

「ああ……川沿いの栄えた街とは違ってすぐには連絡が来なかった。なにせ、連絡より先に巨人が来たからね……」

 

 そうして始まったベルトルトの話もまた、壮絶なものだった。生き残れたのはまさに幸運だったと言えるだろう。

 

「おい、なんだって突然そんな話すんだよ」

 

「ご、ごめん、ライナー……えっと、つまり、僕が言いたかったことは……君達は、彼らとは違うだろってことなんだけど……」

 

「彼ら?」

 

「……巨人の恐怖を知らずにここにいる人達」

 

 言われて、ユリウス達は辺りを見渡した。彼らの目に映ったのは、楽しく談笑する同期生達の姿。ごくごく普通の、当たり前に映る光景だが、ユリウス達にとってはそう見えなかった。

 無理もない。彼らがここにいる大半の理由が『世間的な体裁を守るため』である。ウォール・マリア陥落以降、『12歳になっても生産者に回る者は腰抜け』と反転した世論に流されて訓練兵になり、かと言って調査兵団を目指すわけでもなく内地勤めで安全な憲兵団を目指し、駄目だったら駐屯兵団で憲兵団に入る機を伺う。そんな者達の集まりなのだ。

 

「けど……僕も彼らと変わらない。安全な内地で暮らせる憲兵団狙いで兵士になった。それが駄目だったら全て放棄するかもしれない。僕には……自分の意志がない……」

 

 と、ベルトルトは俯いて、自分を嘲るように呟いた。だが、そんな彼をこの場の誰も責めたりはしない。なぜなら、彼の言い分も最もだからである。誰だって自分の命は惜しい。ユリウスだってエレンだって、そう思う。世論に流された結果だとしても、ベルトルトの選択は間違ってはいない。自分の命を守ることは立派なことだ。

 

「俺は帰れなくなった故郷に帰る……俺の中にあるのはこれだけだ」

 

 「絶対に、何としてもだ」と、その瞳に強い意志を込めてライナーは言い放つ。彼にもまた、エレンやユリウスと同じように譲れない目的があった。

 

「エレンとユリウスは、何で兵士に?」

 

「オレは……」

 

「……………」

 

 ベルトルトの問いにエレンは言い淀み、ユリウスは黙り込む。二人の脳裏に浮かんだのは同じ光景だった。自分の目の前で、母親が巨人に捕食される光景。忘れたくとも忘れられない、網膜と脳裏に焼き付いて離れない悪夢な現実。

 

「──殺さなきゃならねえと思った。この手で奴らを皆殺しにしなきゃならねえって……そう思ったんだ」

 

「……巨人と遭遇しても、心が折れなかったって言うのか?」

 

「ああ……まあ今となっては、兵士になれるかどうかってとこなんだけど……」

 

 気まずそうにエレンは頭を掻き、アルミンがそれを見て苦笑いをする。

 

「なるほどな……ユリウスもか?」

 

「ああ、俺もエレンと同じだ……巨人は一匹たりとも生かしちゃおけない。あの日、俺の心は母さんと一緒に巨人に喰われた」

 

母が喰われる瞬間を見ていることしかできなくて、どうすることもできなかった無力なユリウス・ハウザーはもう死んだ。ここにいるのは、巨人の絶滅を目指す復讐者だ。

 

「俺から全てを奪ったあの化け物共から、今度は俺が全てを奪い尽くす……!」

 

 開かれたユリウスの瞳から見えたのは、激しく燃え盛る恨みと憎しみ、そして怒りの炎。その勢いは、同じ考えのエレンでさえ恐れ慄くほどだった。

 

「な、なんて言うか、ユリウス、お前……しばらく見ない内にだいぶ変わったよな……」

 

 ポツリと呟いたエレンの言葉を聞いて、ユリウスの瞳が元に戻った。ユリウスはフッと目を細めて小さく笑う。

 

「そう言うエレンは、昔からちっとも変わってないけどな」

 

「は、はあっ!? そんなわけねえだろ! どこが変わってないってんだよ!?」

 

「言っていいのか? 山ほどあるぞ?」

 

「えっ? うっ……や、やめてくれ。ミカサにもしょっちゅう指摘されてるんだ」

 

 だろうな、とユリウスは笑う。そう、エレンは変わっていない。容姿や性格は多少なりとも変わっているが、根本は変わらない。短気で子供っぽくて、しかし夢に向かって邁進する昔のエレン・イェーガーのままだ。

 ユリウスはそんなエレンの肩に手を置いて、

 

「俺の知ってるエレン・イェーガーは、ちょっとやそっとのことで諦めるような奴じゃない。立ち塞がる壁がどんなに高くても、最後まで食らいついて乗り越える、そんな奴だった。だから証明してくれ。俺に、皆に、そのことを」

 

「ユリウス………」

 

「そうだよエレン! ユリウスの言う通りだよ!」

 

「そうだな……まずはベルトの調整から見直してみろ。明日はうまく行く。お前ならやれるはずだ」

 

 投げかけられた言葉を、しっかりと噛みしめるようにエレンは飲み込んだ。そして、やがて決心したように晴れやかな顔になった。

 

「ああ、やってやる。ありがとな、皆」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日──。

 エレンの特別適性訓練が始まった。これの結果如何では、エレンが兵士になれるかどうかが決まる。エレンの顔には当然ながら不安の色が見て取れた。そんな彼を見守るユリウスの表情もまた、どこか不安げだった。いや、ユリウスだけでなく、アルミンやミカサ、ライナーにベルトルトも同じだ。

 

「ユリウス……エレン、大丈夫かな?」

 

 もう一人いた。ユリウスの傍らに立つクリスタが心配そうにエレンを見つめている。

 

「……どうだろうな。こればっかりは、俺達は見守ることしかできない」

 

「ふん、ダメなら才能がなかったってことなんだから、大人しく開拓地で畑でも耕すんだな」

 

 相変わらずユミルの言葉は棘が鋭い。エレンのことを言っているはずなのになぜかこちらが少し傷ついた。

 

「もう! そんなこと言っちゃダメだよユミル! 彼はユリウスの友達なんだよ!」

 

 今更ながら、クリスタは凄く優しい娘だと実感、そして感動。心に刺さった棘が抜かれて、なんなら傷口まで綺麗さっぱり癒された気分になった。

 そうこうしている内に試験が始まり、エレンの体が徐々に浮き上がり始めた。クリスタもユミルも、それまで小声で雑談をしていた他の訓練生達も一斉にエレンに目を向ける。足が地面から完全に離れ、20センチほど上がったところで動きが止まった。昨日までならこの瞬間から既に真っ逆さまにひっくり返っていたが、今日のエレンは制止したままだ。

 

『おおっ!!』

 

 周囲からどよめきが上がった──が、次の瞬間、エレンは真っ逆さまにひっくり返った。

 

「ま、まだ……!」

 

 ジタバタと足を必死に動かして何とか起き上がろうとするエレン。しかし、忙しなく動く足は哀れにも虚しく空を切り、体が起き上がらない。

 

「降ろせ」

 

 そんな中で告げられた教官のその一言は、エレンにとっては死刑宣告のようにも聞こえたことだろう。ロープが降ろされ、エレンは地面に跪いた。

 

「オ、オレは……」

 

 風の音に掻き消されるほどの小さなエレンの声。彼を笑ったり、バカにしたりする者は誰もいない。ただただ哀れむような視線をエレンに向けているだけである。

 

「ワグナー」

 

 そんな沈黙の中、教官が呼んだのはエレンではなく、補助をしていた訓練兵のトーマス・ワグナーだった。

 

「ハッ!」

 

「イェーガーとベルトの装備を交換しろ」

 

 彼の言葉に、エレンもトーマスも要領を得ないと疑問が隠し切れなかったが、睨み一つで急かされて二人のベルトが交換され、トーマスのベルトを装備したエレンは再び特別訓練を行った。そして浮き上がったエレンの体は、そのまま何十秒も空中で制止し続けた。

 

「こ、これは一体……?」

 

「装備の欠陥だ」

 

 いきなりできるようになって困惑するエレンに、教官はエレンのベルトを見ながら答えた。

 

「貴様が使用していたベルトの金具が破損していた。ここが破損するなど聞いたことがないが、新たに整備項目に加える必要があるな」

 

「で、では、適性判断は……」

 

「問題ない、修練に励め」

 

 教官の言葉を聞いて、エレンは空中にぶら下がったまま大きく腕を上げた。その姿を見て、ユリウスは一安心と大きく息を吐き出す。

 

「ふふ、良かったね、ユリウス」

 

「ああ、本当に良かった」

 

 全くお騒がせな奴だと愚痴を溢すユリウスの表情は、その言葉に反して嬉しそうだった。実際、ユリウスは嬉しかった。エレンは証明してくれた。それも、精神の強さだけではなく、壊れたベルトで一時空中に留まるという根性も。これには、エレンをバカにしていた多くの者達がその認識を改めざるを得ないだろう。

 

 かくして、第104期訓練兵団およそ300名が、この日より正式に兵士となった。

 

 

 



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第四話『二年後』

 

 

 時の流れとは早いもので、入団から二年の月日が経過していた。当初は300名あまりいた訓練兵はこの二年で三分の一弱が成績が足りずに追い出されたり、自ら開拓地行きを志願したり、はたまた訓練中の事故で死亡する等で脱落していった。だが、残った者達は最初の一年で行われたひたすらの体力作りにより少しずつ、確実に屈強になっていき、二年目になると立体機動訓練も本格的に始まり、この頃には成績の優劣が大分決定していった。

 

 ウォール・ローゼ南方面駐屯地・練兵場。そこでは現在、対人格闘訓練が行われていた。対人格闘訓練とは読んで字のごとく、“人間との戦闘を想定した訓練”であり、二人一組のペアを作り、一方がならず者の役をやって襲いかかり、もう一方がそれを制圧するという形式で行われる。しかし、戦う相手が人間ではなく巨人であるため、この訓練に必要性を見出している者は少ない。この訓練が点数にならないということもあり、多くの者は過酷な訓練の骨休めとして臨んでいるのだった。だが、こんな訓練でも真剣に取り組んでいる者も極少数だが確実にいる。ユリウスとクリスタは、その中の一人だった。

 

「やあああっ!!」

 

 木剣を持ったならず者役のクリスタが突進して来た。ユリウスは彼女の一つ一つの動きを冷静に観察しながら、紙一重でナイフを躱す。通り過ぎ際にクリスタは動きを急転換して再び木剣を繰り出すが、ユリウスはそれも焦ることなく躱し、突き出されたままの彼女の手を掴んで引っ張った。

 

「きゃっ──」

 

 体勢を崩したクリスタの手から木剣を奪い取り、そのまま彼女の足を後ろから払う。クリスタは受け身が取れず、尻餅をついた。

 

「い、いたた……」

 

「っと、悪いクリスタ。怪我はないか?」

 

 地面に座り込んだままのクリスタに手を伸ばすユリウス。彼女はその手を取って立ち上がると、いつものような柔らかい笑顔を作った。

 

「うん、全然大丈夫。でも、やっぱりユリウスは強いな〜」

 

「そうか? 俺なんかよりミカサやアニの方が断然格上だと思うが……」

 

 ミカサは同期の訓練兵の中では頭一つ抜きん出た実力を持っているし、アニも本人にやる気がないためあまり目立つことはないが、格闘技の心得があるだけあって相当強い。ユリウスもこの二人には未だに勝負をして勝ったことがなかった。アニには何とか互角に持ち込めたが、ミカサにはもう勝てる気がしない。

 

「そんなことないよ! ミカサもアニもユリウスのこと褒めてたもん!」

 

「うあ!? ち、近──」

 

 むぅ、と頬を膨らませて上目遣いでぐいっと顔を近づけたクリスタに、ユリウスは慌てて一歩後ろに退がる。

 

 すると──。

 

「クリスタから離れやがれユリウスゥゥゥゥ!!」

 

「ぐはっ!?」

 

 ユミルのボディーブローが飛んで来た。それは見事にユリウスの鳩尾にメリ込み、ミシッという嫌な音を響かせる。ユリウスは腹を押さえてうずくまった。

 

「な、なにすんだユミル……」

 

「なにすんだ、じゃねえよ! ったく、少し目を離すとすぐイチャイチャしやがって」

 

 「けっ!」と唾でも吐きかけるような侮蔑の込もった顔で、ユミルはユリウスを見下した。

 

「……あれのどこがイチャイチャしてるように見えたのか詳しい説明を聞きたいぐらいだよ」

 

「そ、そうよ、ユミルったら! 変なこと言わないでよ! イ、イチャイチャだなんて……わ、私はただユリウスと訓練をしていただけで……」

 

 と、口では否定しつつ、「えへへ」と嬉しそうに頬を赤らめているクリスタを舌打ち混じりにスルーして、ユミルは彼女の手を取った。

 

「とにかく! 次は私がクリスタと組むんだ。テメエはどこか行ってろ!」

 

 そうしてそのままクリスタの手を引っ張ってユミルはその場から離れていく。手を引かれながら、心配そうな顔で振り返っていたクリスタに大丈夫だと手を振って伝えると、安心したように息を吐いて、彼女も手を振り返した。

 

「よう、ユリウス。今日もクリスタと訓練か?」

 

 クリスタとユミルが離れて行ってからしばらく、休憩がてら鳩尾のダメージを癒すために隅に外れて地面に腰掛けていると、そんなユリウスの傍に一人の少年が近寄って来た。色素の薄い茶髪の刈り上げ、そして険のある顔が特徴の彼は、ユリウスの隣に腰掛けると、大げさに肩を組んだ。

 

「なんだジャン、お前も休憩か?」

 

 ジャン・キルシュタイン。第104期訓練兵の中では立体機動の操作技術がずば抜けて優秀であるが、自分に正直すぎる性格が他者との軋轢を生みやすい人物でもある。兵士に志願したのも『憲兵団に入って安全で快適な内地に行くため』と公言しており、そのためかエレンとの仲はすこぶる悪い。

 

「ま、教官に見つからない程度にな。しっかし、相変わらずお前は真面目だなあ」

 

「そういうお前は相変わらず適当に流してるな」

 

「当たり前だろ。こんな点数の入らない訓練なんか、真面目にやる方が馬鹿らしい」

 

 遠回しに馬鹿にされているような気もするが、それが癪に障るほど短気ではないつもりだ。まあしかし、これがエレンならばとっくに取っ組み合いになってもおかしくはないだろう。それくらいに、ジャンとエレンの仲は悪いのだった。

 ユリウスは肩に組まれているジャンの腕を除けた。

 

「そうかもしれないが、やって意味無いなんてことはないだろ。もしかしたら、将来役に立つ時が来るかもしれないしな」

 

「まあそうかもな。だが、だとしたらそりゃいつだ? オレ達の敵は巨人だ。巨人に対人格闘なんざ何の意味もねえ」

 

 ま、オレは憲兵団に入るから関係ないがな。と、そう鼻を鳴らしたジャンにユリウスは呆れを含んだ息を吐いた。別段、彼との仲は悪いわけではない。かと言って素直に友人と言えるほど仲が良いわけでもなく、こうして訓練や座学の授業前後に多少話をする程度の仲だ。だから贔屓目なしに彼の言葉を聞くと、なるほど、これでは他者との間で軋轢も生みやすいわけだ、と納得した。

 はあ、とユリウスはもう一度ため息を吐いてジャンから視線を外し、離れた所でユミルと訓練をしているはずのクリスタに目をやった。元来の性格が大人しい彼女がいなされながらもユミル相手に懸命に組み合っている姿を見ると、自然と笑みが溢れた。それを見たジャンが、ニヤリと口元に弧を描く。

 

「そういやあ、お前とクリスタは随分と仲がいいな」

 

「え?」

 

「お前ら、いつも二人でいるだろ。まあ、たまにその間にユミルやらサシャやらが入っちゃいるが、基本的にはお前とクリスタってセットじゃねえか」

 

「ああ……」

 

 そう言われてみれば、とユリウスはジャンの言葉に頷いた。確かに、入隊式の時に親しくなって以来、クリスタとはほとんど一緒に行動している。こうした対人格闘訓練でも然り、立体機動訓練や座学でも。ユミルやサシャが入ってきて三人、あるいは四人という時もあるが、クリスタとは就寝時以外ではいつも一緒だった。

 

「……なんでだろうな?」

 

「いや、オレに聞くなよ……仲が良いのは一向に構わないが、精々気をつけろよ?」

 

「は? 何で」

 

「何でってお前……クリスタが他の男共に人気があるからに決まってるだろ。奴らからすりゃあ、クリスタとあんなに仲がいいお前が羨ましくて仕方ねえんだ」

 

 クリスタは、その容姿と優しい性格が相俟って男子訓練兵の中ではダントツの人気を誇っているらしい。一部では『女神』や『結婚したい』などと言われているとか何とか。

 

「奴らからすりゃあ、お前は敵……いつ背中から闇討ちされてもおかしくねえぜ?」

 

「闇討ちか……俺、それ覚えあるな。この前の対人格闘訓練で後ろからいきなりライナーに襲撃された」

 

 まあ、あの時は何とかライナーを返り討ちにすることで難を逃れたが、エレンとベルトルトに引っ張られていくその時のライナーのユリウスを見る顔は、まるで親の仇を見るかのような形相だった。あの時は何事かと思ったが、そういうことだったのか。

 

「まあ、オレから見てもお前らは本当に仲がいいもんな。まるで恋人同士みたいだ」

 

「別にそんなんじゃねえよ。なに言ってんだ」

 

「ハハハッ! 冗談だよ。だが、実際のところお前はクリスタのことどう思ってんだよ?」

 

「どう思ってるって……」

 

 本当に、どう思っているのだろうか。確かにクリスタは綺麗だ。それは入隊した時にも思ったし、この二年でそれが更に顕著になってきたと思う。

 上質の絹のようにサラサラした金糸の髪に空を映したような碧の瞳、雪のように白い肌や瑞々しい唇。誰かが渾名しているように、『女神』という言葉が相応しい少女になった。先ほど彼女が顔を近づけてきた時なんかは胸が大きく高鳴った。それに、今まで当たり前のように過ごして来たから気づかなかったが、彼女といると心が安らぎ、自然と笑顔になっている自分がいた。

 

「(もしかしたら、俺は──)」

 

 と、そう思ったユリウスの思考は、

 

「──ハウザー訓練兵、キルシュタイン訓練兵。貴様ら、一体何をしている?」

 

 静かな憤りを含んだその声に中断させられるのだった。

 

「「えっ?」」

 

 声を上げるのも束の間、次の瞬間にはぐわしっと頭をわし掴まれ、ミシミシメリメリと万力にかけられているかのような締め付けが激しい痛みと共に襲ってきた。

 

「いたたたたたたっ!!?」

「あ、頭がぁぁっ!!!」

 

「訓練中に無駄話をするなど良い度胸だ! 覚悟はできているのだろうな!?」

 

「キ、キース教官!? ち、違うんです! これはジャンが話しかけてきたんです! 俺は悪くありません!」

 

「なっ!? ユリウスてめえ! 何一人だけ逃げようとしてんだ! 元はと言えばお前がサボってたんじゃねえか!」

 

「サボってねえよ! 休憩してたんだ!」

 

「どっちも同じだろうが!」

 

「ええい、黙れ!! 責任の押し付け合いなどと醜いことをするんじゃない! もういい来いっ! 貴様らのその腐った性根、遊んでいたブラウス訓練兵とスプリンガー訓練兵と共に叩き直してくれる!!」

 

 ズルズルと、必死の抵抗虚しく頭をわし掴みにされた状態で引きずられて行くユリウスとジャン。教官の向かう先には教官室があり、その中にはユリウス達より前に既に連行されたサシャとコニーがいるそうだ。そして、上手投げでその教官室という名の地獄に放り投げ入れられた二人。しばらくして、ゴンッ、という硬い何かと何かが衝突する鈍い音が四つと、四人の悲鳴が練兵場に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、頭突きという名の体罰が終わった後も教官による説教は続き、ようやく解放された頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。額を赤く腫らし、幽霊のような足取りでふらふらと教官室を後にするユリウス、ジャン、コニー、サシャの四人。特にサシャなんかは今日の夕食を食べていないので、まるでこの世の終わりのような顔をしていた。ジャンもコニーも、サシャほどではないにしろ教官の説教が精神的に効いているようで、終始無口で静かに兵舎の中に入って行った。

 

「はぁ……すごい疲れた……」

 

 大きく息を吐き、ユリウスも彼らの後に続こうとした時だった。

 

「ユリウス……」

 

 聞き慣れた声。振り返ると、そこには心配そうな顔をしたクリスタが立っていた。

 

「クリスタ……? 何してんだこんな所で。もう就寝時間はとっくに過ぎてるぞ」

 

「うん、分かってる。でも、ユリウスが心配だったから……」

 

 そう言ってからクリスタはユリウスに近寄り、スッと懐からあるものを取り出した。この展開、いつか見た憶えがある。

 

「あの……夕ご飯、まだ食べてないでしょ? これしか持ち出せなかったんだけど、良かったら食べて……」

 

 そうして差し出されたのは、一つのパン。確かあの時も、そうやって死ぬ寸前まで走らされて倒れ込んだサシャにパンを渡していた。もう一方の手にはあの時と同じように水の入った袋があって、それを見たユリウスは思わず噴き出してしまった。

 

「くっ……ははは!」

 

「え? え? ど、どうしたの?」

 

 頭に疑問符を浮かべながら首を傾げる彼女を見て、ユリウスはまた噴き出した。大声を出さないように右手で口を押さえて、左手で腹を抱えてしゃがみ込む。クリスタはますます訳が分からないと言ったような表情をしていた。

 

「ははは……悪い悪い。少しツボに入って……」

 

 笑いが落ち着いてからユリウスは腰を上げ、笑い過ぎて涙目になった目尻を拭ってそう言った。しかし、堪えきれずまた「くくくっ」と小さく噴き出す。すると、クリスタは不貞腐れたように頬を膨らませて背中を向けた。

 

「もう、折角ユリウスのために持ってきてあげたのに……もう知らない!」

 

 そう言ってそれきり口を閉ざしてしまった彼女に、ユリウスは少し笑い過ぎたかなと苦笑い。

 

「ごめんごめん、悪かったよ」

 

 謝るが、クリスタはふんっ、と不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。そして、小さくボソッと、

 

「……パンもあげない」

 

 参ったな、とユリウスは頬を掻いた。クリスタは存外頑固者である。特にこうして一度不機嫌になってしまうとなかなか機嫌を直してくれない。二年間という決して短くはない時間を彼女と共に過ごすことで知った一面である。しかし、だからこそどうやったら彼女の機嫌が直るのかも、ユリウスはもう知っていた。

 スッと、ユリウスは右手をあげ、

 

「────ぁ」

 

 次の瞬間には、ユリウスの右手はクリスタの絹のような金糸の髪を撫でていた。

 

「嬉しかったよ。ありがとう」

 

 髪を撫でながら、感謝の言葉。しばらくしてクリスタが振り返った。その顔は、夜の暗闇でも分かるほどに赤い。

 

「……はい」

 

 眼前に差し出されたパンを受け取り、一口かじる。味のついていない質素なパンだが、今のユリウスにはとても美味しく感じた。

 

「うん……美味い」

 

「そっか。ふふ、喜んでもらえて良かった」

 

 クリスタが微笑んだ。その笑みは、とても一言では言い表せないほどに美しく、夜の闇を吹き飛ばすほど綺麗に輝いていた。

 トクンと、心臓が跳ねる。

 

 ──ああ、そうか。

 

「(やっぱり、俺は──)」

 

 対人格闘訓練の時にジャンと話して気付いたこの感情。すぐ喉元まででかかっているこの感情の正体は──

 

「くたばれぇ!」

 

「がはっ!?」

 

 が、その思考はまたもや突然飛んできたドロップキックに強制的に遮断されるのだった。

 真横から飛んできた脚。それは見事にユリウスの横腹に直撃し、ゴキッ、という割と洒落にならない音を発して数メートル吹き飛ばされた。

 

「ったく! ホントに油断も隙もあったもんじゃねえなぁ、ユリウスさんよォ!」

 

 ドロップキックを炸裂させた犯人は、やはりというかユミルだった。彼女はまるで汚物を見るかのような目でユリウスを見下していた。

 

「ユ、ユミル!? 何やってるの!? サシャはどうしたの!?」

 

「サシャのバカなら兵舎のベッドに放り込んでやったよ。んで、あまりにクリスタの帰りが遅いからもしかしてと思って様子を見に来たら、案の定ユリウスがクリスタに手を出してるもんだからつい勢い余って殺っちまった」

 

「手を出すって、べ、別にそこまでされてないよ! あ、頭は撫でられたけど、でも、あれは全然嫌じゃなくてむしろ嬉しかったっていうか……」

 

「お? まだ息があるな。よし、じゃあトドメを……」

 

「ダ、ダメーッ!! ユミルやめて! 本当に死んじゃったらどうするの!?」

 

「むしろ好都合だ」

 

 だからダメだってばー! と、必死でユミルを止めるクリスタ。そしてユリウスはというと、なんかもういいや、と半ば投げやりな感じで地面に仰向けに倒れていた。やはり教官の罰と説教が効いているらしい。起き上がって反撃する気も反論する気も失せていた。

 

「(……まあ、でも)」

 

 小さく呆れを含んだ息を漏らしたユリウスの表情は、しかし柔らかく。

 たまにはこういうのもいいかもな、とこんな日常 を楽しく思う自分がいるのに気が付いて、また小さく笑うのだった。

 

 



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第五話『想いの自覚』


更新遅くなってしまってごめんなさい。




 

 

 日々過酷な訓練に臨む訓練兵達にも、二週に一度の割合で休日が存在する。その日に限っては一日中兵舎で寝て過ごすのも良し、街に出かけて買い物をするのも良しと、とにかく、問題さえ起こさなければ休日の行動は各々の自由にさせているのである。

 

 これは、そんなある日の休日の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、いたいた。ユリウスー!」

 

 朝、というにはいささか遅い時間帯。いつもより少し遅めの朝食を済ませたユリウスが、今日は何をして過ごそうかと食堂で悩んでいると、そんな彼の元に同郷の友人であるアルミンが声をかけてきた。

 

「どうした、アルミン?」

 

「これからエレンとミカサと三人で街に出掛けようと思ってるんだけど、ユリウスも良かったら一緒にどう?」

 

「街か……まあ、俺もちょうど暇だったし、付き合わせてもらうよ」

 

 と、ユリウスがそう返事をして席を立ち上がると同時、今度はアルミンのものではない元気のいい少女の声が耳に届いた。

 

「ユリウス!」

 

「ん? クリスタ?」

 

 駆け寄ってきたのはクリスタだった。いつもの兵団服ではない白を基調とした私服を着た彼女は、食堂に残っていた他の男子の目をまざまざと引いていた。女子兵舎からわざわざ走ってきたのか、クリスタはユリウスの前に立ち止まるとハァハァと荒い呼吸を繰り返した。

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん……」

 

 胸に手を置いてゆっくりと深呼吸して息を整える。そして呼吸が落ち着くと、いつもの天使のような満面の笑みをユリウスに向け、

 

「ユリウス、もし大丈夫なら一緒に街に行こう?」

 

 と、言った。

 

「うえ? あー、えーっと……」

 

 アルミン達と街に行くと約束してしまった矢先になんてタイミングが悪い。ユリウスがどう答えるか悩んで言い淀んでいると、段々とクリスタの笑みが小さくなっていく。

 

「もしかして、都合が悪かった……?」

 

「うっ…」

 

 そんな顔で、しかも上目遣いまで加わると尚更「都合が悪い」とは言いにくい。とてつもない罪悪感がユリウスの心にズブリと突き刺さる。ついでに「クリスタを困らせているな……?」という他の男子達の非難の視線も。すると、そんなユリウスの心情を察したのか、アルミンが口を開いた。

 

「ああ、そっか。クリスタもユリウスを誘うつもりだったんだ。なら、僕らのことは気にしないで二人で街に出掛けてきなよ」

 

「え……いいのかアルミン?」

 

「うん。別に大した用事があるわけじゃなくて、街で適当にブラブラするだけのつもりだったから。それよりも、クリスタにはユリウスが必要なんでしょ?」

 

「う、うん。というより、ユリウスじゃないとダメっていうか……」

 

 最後の方は何やら声が小さくてよく聞こえなかったが、アルミンは全て理解できたようで、「そっか」と柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「なら、ユリウスはクリスタに譲るよ。楽しんで来てね」

 

 そう行って、アルミンは片手を軽く上げるとそのまま食堂を出ていってしまった。残された二人の間に、わずかに沈黙が流れる。

 

「あー、っと………とりあえず、暇になった。だから──」

 

 街に行くか。と、少々恥ずかしげにユリウスが言えば、クリスタは顔を上げ、

 

「──うん!!」

 

 やはり天使のような、見惚れるほどに美しい笑みを向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかけは昨日の夕食後、同期生のミーナに「よかったらクリスタもどう?」と誘われたお茶会に出ていた時の事だった。お茶会といっても貴族などがやるような優雅なものではなく、宿舎のベッドの上で集まって紅茶を飲みながら話をする程度のもの。クリスタの他には、ミカサとハンナも誘われていた。

 始めてからしばらくの間はあの時の訓練は辛かったとか、今日の立体機動は上手くできたとか、訓練兵ならではの話題が主だった。しかし、兵士を目指す者といえど彼女達は年頃の女子。話題は徐々に女子会ならではの──恋愛関係の話に変わっていくのだった。

 

「そういえばクリスタ、最近どうなの?」

 

「え──」

 

 ミーナから投げかけられたその質問に、クリスタは紅茶を口に運ぼうとしていた手を止めた。カチャリとソーサーの上にカップを置いてミーナを見れば、彼女は目を輝かせてクリスタの答えを待っていた。

 

「ええっと……どうって?」

 

「そりゃあもちろん、ユリウスとの仲に決まってるじゃない! 何か進展はあったの?」

 

「え……ええーっ!?」

 

 途端にクリスタは顔を赤く染めた。わたわたと慌て出した彼女を見て可愛いなぁと思いながら、しかしミーナは話題を変えない。それどころか、

 

「はっきり言って、ユリウスのこと好きなんでしょ、クリスタ?」

 

 その言葉で、クリスタの顔はもうトマトのように真っ赤になった。なんなら『ボンッ!』という音が聞こえるほどに。「うぅ……」とクリスタは赤い顔のまま俯いて、やがてこくんと、小さく小さく恥ずかしそうに頷いた。

 

「やっぱり! まあ、見てれば分かるけどね〜。ね、ミカサ」

 

「うん。多分、もう皆知ってると思う」

 

 分かってないのはエレンだけ、とミカサはそう付け加えて、クリスタはまた赤い顔で俯いた。既に頭からは湯気が上がり始めている。

 

「ユリウスはカッコいいもんねぇ。でも私はやっぱりフランツが一番かな〜。だってこの前──」

 

 惚気に入ったハンナは無視する。

 

「ユリウスは他の男子と違って大人っぽいからね~。事実、彼、結構他の女子にも人気あるのよ」

 

「え……?」

 

「やっぱり知らなかったか。一見クールに見えて実は優しくて世話焼きなところがいいみたい。私もこの前ユリウスに立体機動についていろいろアドバイスをもらった時、丁寧に教えてくれて少しドキッと来ちゃったなぁ」

 

 そういってミーナはわずかに頬を染めた。確かに彼女の言う通り、ユリウスは優しい。だからこそクリスタは惹かれたのかもしれないが、しかし他の女子もユリウスに気が合ったというのは初耳だ。

 

「(あ、でもそういえば──)」

 

 そう言われてみれば、心当たりはあるかもしれないとクリスタは考える。ミカサは同郷だし、サシャもよくユリウスと楽しげに話しているのを見かける。アニも何やかんやで仲がいいようだし、ユミルは──しょっちゅう喧嘩しているが、『喧嘩するほど仲がいい』とも言うし、そう考えると、もしかしたらと思う人物は意外と多い。

 そしてクリスタは──何故かそれが気に食わないと思った。

 

「あっ、クリスタ、もしかしなくとも気に食わないって思ってるでしょ?」

 

「え──」

 

 ミーナの言葉に、クリスタはどうしてと驚愕した。ミーナはやっぱりと笑って、

 

「顔に出てるわよ、ユリウスが他の女の子と仲がいいのが嫌だって。相当ユリウスのことが好きなのね~」

 

 クリスタは何も言い返さなかった。いや、言い返せなかった。彼女の言う通り、やっぱりクリスタはユリウスのことが自分が思っている以上に好きなのだから。その事実は否定したくはなかった。

 

「そういえば、明日は休日だったわね。ちょうどいいわ。ユリウスを街に誘ってみたら?」

 

「え!? ま、街に!?」

 

「そ、別によく行ってるんだし、今さら恥ずかしくはないでしょ?」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

 しかし、その時とは状況がまるで違うわけだし、何より出かける時はいつもユミルも一緒にいた。二人だけでというのは実は初めてだったりする。

 ちょうどその時、消灯を告げる鐘が打ち鳴らされた。

 

「あ、もうこんな時間かぁ。とにかく、明日クリスタは絶対にユリウスを誘うこと。いいわね?」

 

「う、うん……分かったわ」

 

「大丈夫クリスタ。ユリウスなら絶対に断らないから」

 

 別にそこは心配していないのだが。どこか論点がずれているミカサにクリスタとミーナは苦笑い。その後も一言二言会話をし、クリスタはミカサ達の宿舎を出た。

 外に出ると、涼しげな夜風がクリスタの頬を撫でた。だが、その風を受けてなお彼女の体は熱いままで、心臓がトクトクと早鐘を打つ音が耳に届くのだった。

 

 



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第六話『抑えられない想い』


お久しぶりです。三、四ヶ月ぶりです。

更新できなくて本当申し訳ございませんでした。こんな作品を楽しみにしてくださっていた皆様にはご迷惑をおかけしてしまいました。

不定期更新な駄作ですが、これからも『反撃の狼煙』をよろしくお願い致します。




 

 

 駐屯地近くの街に出たユリウスとクリスタの二人は、その相変わらずの賑わいぶりに思わず圧倒された。

 

「何度かこの街には来ているが、なかなかこの雰囲気には慣れそうにないな」

 

「そ、そうだね」

 

 比較的ウォール・ローゼから離れた内地にあるこの街は、二年前と比べるとかなり人口が増えた方だった。多くの商人がウォール・シーナの街々や王都を行き来し、そこで仕入れた品を売るために大通りにはいくつも露店が軒を連ね、それも人口増加の理由の一つにもなっている。

 が、純粋に人の多さに感嘆するユリウスと違い、クリスタは別のことで頭がいっぱいでそれどころではなかった。

 

「それで? クリスタは何か買いたい物とかはあるのか?」

 

「え、えーっと……特にそういうのはなくて、いろいろなお店を見たいなーって思って……」

 

 しまった。ユリウスを誘うことで頭がいっぱいいっぱいで、この後の展開をどうするか全く考えていなかった。なんとなくそれっぽい理由を言ったはいいもののさっそく心配になってきたクリスタは、とりあえず目に入った近くの服屋を指定してユリウスと店内に入った。

 

「うわぁー、可愛い服がいっぱいだね」

 

 クリスタの言葉に、ユリウスは「そうだな」と相槌を打つ。二人が入ったのは主に女性子供の服が売っている店で、庶民的なものから貴族が着そうな高級そうなものまでそれなりに豊富な種類の服が並べられていた。悪くない選択だったかもしれないとそれらを目を輝かせながら眺めていたクリスタだったが、ふとその表情を思案に変えた。

 

「どうした?」

 

「うーん……どういう服がいいのか分からないなぁ……」

 

 どういうのが似合うと思う? と、顔を向けて訊ねられ、ユリウスも陳列された服を見ながら考える。そして考えた末に、ユリウスは目に入った一着の白いワンピースを手に取った。

 

「これなんかどうだ? 今着ている服みたいに、白を基調としたデザインの方がクリスタのイメージには合っているし」

 

「そうかな?」

 

「ああ、すごく綺麗だと思うぞ?」

 

「えっ!? そ、そう? えへへ……嬉しいな」

 

 クリスタははにかむように頬を染めた。ユリウスに「綺麗」と言われてとても嬉しいと思う自分がいる。やっぱり好きなんだなぁ、とクリスタは改めて実感した。

 そうやって、他の服屋や雑貨店、装飾店などを見て回っているうちに、気付けば昼時という時間帯になっていた。

 

「そろそろお腹空いてきたね」

 

「そうだな……どこか座れる場所で昼飯でも食うか」

 

 ユリウスの言葉に頷いて、二人は人通りの激しい大通りを抜けて小さな広場に出た。座る場所も案外早く見つかり、促されるままにクリスタはそこに腰掛ける。

 

「どこかの露店で食べ物買って来るから、クリスタはここで待っててくれ」

 

「え、私も行くよ?」

 

「いいって。人通りの多い中を歩いて疲れただろ? クリスタは休んでてくれ」

 

「ユリウス……」

 

 実を言うのなら、クリスタはそれほど疲れてはいなかった。年端も行かないとは言っても、日々厳しい訓練をこなす兵士。あの程度の人の流れで疲れなんて見せていたら、今頃開拓地にいることだろう。だが、きっとユリウスもそれは分かっている。分かっている上で気遣ってくれているのだ。それがとても嬉しくて、クリスタは彼の言葉に甘えるしか選択肢が無くなった。

 

「ありがとう。それじゃあ、頼んじゃっていいかな」

 

「ああ、待っててくれ」

 

 そう言い残して、再び大通りの人混みに入っていくユリウスの大きく逞しい背中を、クリスタは見えなくなるまで眺め続ける。

 

「やっぱり、好きだなぁ……」

 

 この気持ちも胸の鼓動も、もはや抑えきれないほどに高まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心配のしすぎだろうかと、クリスタは帰りの遅いユリウスのことを考えながらそう思った。ユリウスが昼食を買いに行ってから既に20分が経過しようとしていた。彼のことだから何か事件や事故に巻き込まれたということはないとは思うが、やはり気にはなってしまう。

 

「探しにいった方がいいかな……」

 

 ベンチから腰を上げて通りに目を向けるクリスタだったが、入れ違いになったらどうしようと思い留まる。ユリウスは待っててくれと言っていたし、下手に動くのは得策ではない。ならば、ここは彼を信じて待っていようと、そう考えてクリスタは再びベンチに腰を下ろした。

 

「あン? お前、もしかしてクリスタか?」

 

 と、そんな男の声が聞こえたのは、その時だった。

 

「本当だ、クリスタじゃねえか。懐かしいなァ」

 

 クリスタの目の前に現れたのは、柄の悪そうな三人組の男。見覚えのない者達だが、向こうはこちらのことを知っているらしい。

 

「えっと……あなた達は……?」

 

「オイオイ、オレ達のこと忘れちまったのかよ!? ひでぇなぁ!」

 

「まあ、無理ねえんじゃねえの? 俺ら、一年前くらいに訓練兵辞めちまったし」

 

「え──」

 

 彼らの話を聞いてクリスタは目を見開いた。どうやら、彼らはかつての同期生だったようだ。

 

「あ、あの、ごめんなさい。私、あなた達のこと憶えてなくて……」

 

「いいぜ、許してやるよ。その代わり……」

 

 と、男の一人が目つきを変えた。クリスタの体を、上から下までじっくりと舐めるように観察した。その視線を感じ取り、クリスタは身を縮こませる。

 

「ちょっとオレ達に付き合ってくれよ。実はオレ、結構お前のこと好きだったんだぜ?」

 

 そう言って、男はクリスタの手を強引に掴んだ。

 

「いやっ、放して!」

 

「大丈夫だって、本当に少しだけだ。帰宿の時間までには解放するからよォ」

 

 必死に抵抗するも、掴まれた腕はびくともしない。日々厳しい訓練を行っていても男女の体格差の前では無力だった。それでもクリスタは抵抗を辞めない。

 

「チッ! 大人しくしろ!」

 

「キャアッ!?」

 

 クリスタの激しい抵抗に業を煮やした男が、彼女の頬を引っ叩いた。パシンッ、という乾いた音が鳴り響き、クリスタは地面に倒れ込む。

 

「ったく、こっちは三人もいんだぞ? 抵抗するだけ無駄だろうが」

 

「もう面倒くせぇよ。ここで身ぐるみ剥いじまうか?」

 

 取り巻きに両腕を押さえ込まれて完全に身動きの取れなくなったクリスタは、その言葉を聞いて固まった。

 

「そうだなァ、ちょうどここは大通りから死角になってるし、バレねえだろ」

 

 取り巻きの言葉に賛成した男が、歪な笑みを浮かべながら少しずつ近寄ってくる。

 

「イヤッ──」

「おっと、大きな声を出すんじゃねぇ!」

 

 悲鳴を上げようとすると口元を押さえられ、声が出せなくなってしまった。その間にも男はクリスタとの距離を詰め、目の前まで迫るとクリスタの衣服に手を掛ける。

 

「(ユリウス、助けて……!)」

 

 徐々に上着が捲り上げられていく中、クリスタは涙を滲ませて声にならない悲鳴を上げた。

 

 その時だった。

 

 

「──お前ら、クリスタに何してやがるッ!!」

 

 聞きたかった少年の声がクリスタの耳に届き、彼女の視界の片隅で、見張りをしていたもう一人の取り巻きが吹き飛んだ。

 

「な、なんだ!?」

 

 何度も地面に打ち付けられ、壁に激突して動かなくなった仲間を見て、男達は一斉に身構える。仲間が吹き飛んで──いや、殴り飛ばされてきた場所を睨み付けると、そこには怒りを露わにしているユリウスの姿があった。

 

「テメェは、ユリウス……!?」

 

 ユリウスの姿を見て腰が引けた男達を無視して、ユリウスはクリスタに歩み寄る。

 

「ユリウス……ユリウスっ!」

 

 クリスタは堪らずユリウスに抱き着いた。ユリウスは優しくクリスタを抱き止め、泣きじゃくる彼女の頭を撫で続けた。

 

「遅くなってすまないクリスタ。怖い思いをさせてしまった」

 

 耳元で謝ってきたユリウスにクリスタは小さく頭を振った。

 

「いいんだよ。だって、助けに来てくれたもの」

 

「……当たり前だろ」

 

 優しい囁き。自然と心が落ち着きを取り戻していくのが分かる。

 

「おい! オレ達を無視してんじゃねえ!!」

 

 男の怒声が響く。すると、ユリウスはクリスタを放して立ち上がった。

 

「お前達、どうやら元同期のようだな?」

 

「ああ、そうだよ! それがどうした!」

 

「いや、別にどうもしない。お前らが知り合いだろうがなかろうがどうだっていい」

 

 ユリウスはそこで言葉を切って、途端に憤怒に満ちた表情を男達に向けた。

 

「よくもクリスタを泣かせたな! 貴様ら、絶対に許さない!!」

 

「言ってろよ! いつもクリスタとイチャイチャしやがって! 前から気に食わなかったんだよ!」

 

 そう言って男達は懐からナイフを取り出した。決して小さくない、刺されたら間違いなく大怪我を負ってしまうほどの大きさのナイフだった。

 

「ユ、ユリウス……」

 

「心配するなクリスタ。こんな奴らが武器を持ったところで怖くも何ともない」

 

「テ、テメェ……! 後悔しても遅ェぞ!!」

 

 男は激昂し、ナイフを構えてユリウスに突撃してきた。しかしユリウスは焦ることなくクリスタを少し離れた後方に押しやると、紙一重で男の突撃を躱した。

 

「な、なにっ!?」

 

 驚愕する男。さらにユリウスは突き出されたままの腕を掴み、突進の勢いを利用して地面に叩き付けた。

 

「がはっ!」

 

「対人格闘訓練はお前もやったはずだよな? まあ、お前はサボってた部類の人間なんだろうが」

 

 腕をギリギリと締め上げ、その激痛に男の表情が歪む。

 

「隙ありだぞ!」

 

 背中を向けたユリウスにもう一人の男が襲い掛かった。ナイフを振り上げ、一突きにせんと迫る。しかし──

 

「ハアッ!」

 

「なっ!?」

 

 その奇襲を横から割り入ってきたクリスタに防がれ、男と同じように制圧されてしまった。

 

「なかなかやるな、クリスタ」

 

「私だって、毎日ユリウスに倒されるだけじゃないんだから」

 

「はは、それもそうだな………さて」

 

 笑顔から一変、ユリウスは冷たい瞳を男達に向ける。

 

「本当なら最初の男と同じように一発ぶん殴ってやってもいいんだが、そんなところを優しいクリスタに見せたくはないんでね。このまま俺達の目の前から消え失せるなら解放してやる。だが、まだ抵抗すると言うのなら……」

 

 ギリ、と男の腕を捻る。男は「ギッ……!!」と小さな悲鳴を上げた。

 

「──この汚い腕をへし折ってやる」

 

「グッ……わ、分かった! もう抵抗しねぇ!」

 

「ユリウス、放してあげて」

 

 クリスタの言葉を受けて、ユリウスは男の腕を解放した。クリスタも制圧していた取り巻きの男を解放すると、二人はそそくさと立ち上がり、ユリウスに殴られて完全に伸びてしまったもう一人を抱えて立ち去っていった。そして三人が見えなくなってすぐ、クリスタは再びユリウスに抱き着いた。

 

「クリスタ……?」

 

「ユリウス、ユリウス……!」

 

 やはり怖かったのだろう。彼女は小さく震えていた。その震えを抑えるように、ユリウスはその小さな体を強く抱き締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ユリウス……」

 

「……ん?」

 

 更に時が経ち、頭上に昇っていた太陽も沈み始めていた頃。心なしか人が少なくなっている大通りを二人並んで歩きながら、クリスタはふとユリウスに訊ねた。

 

「あの時、どうして戻ってくるのが遅かったの?」

 

 ユリウスを責める問いではなく、素朴な疑問だった。あの三人組に絡まれる前から気になっていた疑問。昼食を買いに行くだけだったのに、どうして20分近くも時間が掛かってしまったのだろうと。

 

「ああ、それはな……」

 

 と、彼女の問いに対して、ユリウスは言い辛そうに言葉を濁した。人差し指でこめかみの辺りを掻き、その表情は恥ずかしそうに僅かに赤らんでいた。

 

「ユリウス……?」

 

 どうして顔が赤いのだろうと小首を傾げるクリスタ。しばらくの間歯切れの悪い反応を見せていたユリウスは、やがて「よしっ!」と何かを決心したように気合いを入れてクリスタに向き合った。

 

「ク、クリスタ。実は、お前に渡したい物があるんだ」

 

 そう言ってユリウスは、いつの間に持っていたのか、小さな紙袋をクリスタに差し出した。

 

「え──」

 

「見てみてくれ」

 

 言われるがままに、クリスタは紙袋の中身を取り出す。中から出てきたのは、可愛らしく包装された小箱だった。

 

「これは……」

 

 視線をユリウスに向けると、開けてみてと言うように彼は頷いた。その顔はさっきよりも赤く、そんな彼を見るのは初めてだった。指示通りに包装を解き、蓋を開ける。

 

「あっ──」

 

 それは、髪留めだった。白い花の付いた髪留めである。そしてそれは、クリスタには見覚えのある物だった。街を見て回っている時に見つけた装飾品店にあった、クリスタが可愛いと言った髪留めだ。

 

「凄く欲しそうに見ていたからな。他の装飾品なら教官に没収されるけど、髪留めなら大丈夫だろうし、ちょうど良かったよ」

 

 矢継ぎ早にユリウスはそう説明した。異性に贈り物をするというのはきっと初めての経験だったのだろう。台詞は噛みがちで、視線も忙しなく右へ左へと泳いでいる。

 しかし、そんなことは全く気にならなかった。全く気にせず、クリスタは無意識の内にその髪留めを手に取り、髪に留めた。その姿を見て、ユリウスの泳いでいた視線がクリスタで止まる。

 

「どうかな……?」

 

「え、えっと………凄く、綺麗だ」

 

「ふふっ、ありがとう」

 

 そう言って、クリスタはユリウスに抱き着いた。彼の胸に耳を当てると、ドクドクと心臓の激しい鼓動が聞こえてきた。それが今の彼女にとって、何よりも心地よく感じた。

 

「ク、クリスタ。人が見てるから……!」

 

 言われて、ようやくここがまだ街中だということを思い出した。慌ててユリウスから離れれば、街の住民が微笑ましそうに二人を見つめていた。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「い、いや……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙が流れる。今になって急に恥ずかしくなってきた。顔が熱を帯び、まともにユリウスの顔を見ることができない。しかし、それは彼も同じだったようで、彼の視線はクリスタとは別の方向に向いていた。

 

「……そ、そろそろ帰るか」

 

「……そうだね」

 

 ユリウスの言葉に頷いて、再び彼の隣を歩き出す。しばらく歩いていると、不意に左手に温もりを感じた。見るとそれはユリウスの手で、つまり今、手を繋いでいるということ。

 

「ユリウス……」

 

「……嫌なら解いても構わない」

 

 小さな声でユリウスはそう言った。クリスタは頭を振った。

 

「ううん、嫌じゃないよ」

 

 逆に、クリスタは指を絡めた。解けてしまわないように、しっかりと。

 そして、ようやくクリスタの中で決心が付いた。

 

 ──言おうと。

 

「ユリウス、私……」

 

 凄く緊張する。心臓の鼓動が鳴りっぱなしだし、手が汗ばんでいて不快に思われてないかなと現実逃避してしまうほどに混乱していた。でも、言わなくちゃ。言わないと、もうこの想いを抑えることができそうにない。

 

「私──ユリウスのこと、好きだよ」

 

 言った。もう後戻りはできない。後はユリウスの返事を待つだけだ。しかし、そのユリウスから返事が来ず、それまでの時間がまるで地獄のように思えた。反応を伺おうにもまともにユリウスの顔を見ることができず、ユリウスは私のことはそんな風に思っていないのかなとか、やっぱり言わなきゃ良かったとか、そんな後ろ向きなことばかり考えてしまって、段々と視界が潤んできた。

 

「ご、ごめんね! 急におかしなこと言っちゃって。き、気にしないで!」

 

 逃げてしまおうと考えて、クリスタはそう言って手を解いて走り出そうとした。しかし、それはできなかった。何故なら、逃げるために解こうとした手が解けなかったからだ。ユリウスは、繋いだ手が解けないように、力強く握りしめていた。

 

「ユ、ユリウス……?」

 

「……も………だ」

 

「え?」

 

 ユリウスが何かを呟いた。聞き取れずに訊き返すと、ユリウスが顔を上げた。彼の顔には、笑みが浮かんでいた。

 

「──俺も、好きだ」

 

 一瞬、聞き間違いなんじゃないかと思ってしまった。しかし、聞き間違いなんかではない。彼の口からはっきりと紡がれた言葉だ。

 

 「好きだ」と──。

 

「ぁ──」

 

 気が付けば、一筋の涙がクリスタの頬を伝っていた。その一筋を皮切りに、堰を切ったように涙が溢れてきた。そんな彼女を、ユリウスは何も言わずに抱き締めた。泣き顔を隠すように体を覆い、目いっぱい体を寄せて。

 その優しい温もりを感じながら、クリスタもユリウスの背中に腕を回す。溢れる涙に比例して、クリスタの胸を幸福感が満たしていった。

 

 

 茜色の夕陽に照らされて、二つの影が一つとなった。その影の中、髪留めに付けられた一輪の花が、小さく輝くのだった。

 

 





誤字脱字などございましたら、ぜひご指摘ください。



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第七話『解散式の夜』

 

 

「心臓を捧げよ!!」

 

『ハッ!!』

 

 数ヶ月後。

 陽が完全に沈んだ夜。篝火の焚かれた練兵場では、第104期訓練兵団218名の三年に及ぶ厳しい訓練の全過程が修了し、解散式が行われていた。

 訓練兵を卒業した彼らが所属することのできる兵団は全部で三つ。

 壁の強化に努め各街を守る『駐屯兵団』。

 王の元で民を統制し、秩序を守る『憲兵団』。

 そして、犠牲を覚悟して壁外の巨人領域に挑む『調査兵団』である。

 

「憲兵団に入団できるのは、諸君らの中で最も成績の良かった上位10名のみ。今より、その10名を発表する!」

 

 そう言って教官は一枚の紙片を取り出した。それには、第104期訓練兵の中で優秀な成績を残した上位10名の名が記されている。そして教官がその紙を見ながら名前を呼び、10人の兵士が前に出た。

 

首席 ミカサ・アッカーマン

次席 ユリウス・ハウザー

三番 ライナー・ブラウン

四番 ベルトルト・フーバー

五番 アニ・レオンハート

六番 エレン・イェーガー

七番 ジャン・キルシュタイン

八番 マルコ・ボット

九番 コニー・スプリンガー

十番 クリスタ・レンズ

 

「──以上10名! 後日、配属兵科を問う。本日はこれにて第104期訓練兵団の解散式を終える……以上!」

 

『ハッ!!』

 

 こうして、三年に及ぶ厳しい訓練を耐え抜いた者達は、新たな道へと歩み出すこととなった。

 しかし、この時はまだ誰も知る由はなかった。

 

 前に歩き出しても、待っているのは絶望だらけであることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめでとう、ユリウス!」

 

 200人以上の人間が入ってもスペースが余るくらいに広大な三階建ての会場で、いわゆる祝宴は開かれていた。今まで禁止されていた酒も開放され、至る所で笑い声や騒ぎが起こっている。

 しかし、その喧騒の中でも、クリスタの透き通った声はユリウスの耳によく響いた。

 

「やっぱり凄いなぁ、ユリウスは! 二番の成績だなんて!」

 

 指を胸の前で組んでさも自分のことのように喜んでいるクリスタを見て、ユリウスは自然と笑みを溢す。

 

「そういうクリスタこそ、十番内に入ったじゃないか」

 

「でも、私だけの力じゃ何にもできなかったよ。全部ユリウスのおかげだよ!」

 

「……あたしはどうせオマケだよ」

 

 と、ユリウスの隣に座っていたユミルが不貞腐れるようにグラスを一気に煽った。そんな彼女の顔は赤い。おそらく、酔っている。

 

「あっ、ち、違うの! もちろん、ユミルにも感謝してるわ! 立体機動のコツとかも一杯教えてもらったもの!」

 

「いいよいいよ、気を遣わなくても。いつもみたいにあたしを差し置いてユリウスと乳繰り合ってればいいじゃねぇか」

 

 途端、クリスタの顔が一気に赤くなった。ユリウスも気恥ずかしそうに視線を逸らし、こめかみの辺りを掻いている。

 ユリウスとクリスタが友人以上の関係──つまり恋人同士となってから数ヶ月。今でこそこうして受け入れられているものの、その事実が周囲に知られてからの一週間はてんてこ舞いだった。主にユリウスが。

 何が大変だったかなんて言うまでもなく、クリスタに少しでも気のある男子陣による嫉妬に狂った襲撃である。これは主にライナーの主導によって行われているものだった。そしてもっと面倒だったのが、その男子たちの襲撃に乗じたユミルの闇討ちだった。今思い出すと、こうして受け入れられたという事実が信じられない位ハードな毎日だった気がしなくもない。

 

「ご、ごめんユリウス。ユミルが酔い潰れちゃったから、私たちは先に戻るわ」

 

 と、クリスタが酔い潰れて寝息を立てているユミルの肩を持ってユリウスの前に立っていた。人がちょっと昔を思い出している間にもうそこまで酔いが回ったのか。どうやらユミルは酒に弱いらしく、ちょっと意外だ。

 

「何やかんやでユミルも楽しんでたみたいだな。俺のことは気にしなくていいから早く寝かしてやれ」

 

「うん、ありがとう」

 

 それだけ言ってクリスタは「愛してるぞ〜、クリスタ〜」などと寝言を言いながら抱き付いてくるユミルを、慣れた手付きで流しながら寮に戻っていった。その背を苦笑いで見送りながら、ユリウスはクリスタの金糸の髪に目をやる。

 彼女の髪留めから一輪の白い花が、ランプの明かりに照らされて輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 外に出ると、夜風が優しく頬を撫でた。すっかり酒が周り熱くなってきた体には堪らなく心地がいい。相変わらずの中の喧騒に耳を傾けながら、ユリウスは酔い醒ましのための水を飲んだ。冷えた水が体中を駆け巡る。これもまた心地いい。

 

「ハウザー……」

 

 しばらく夜風に当たっていると、聞き慣れた荘厳な声がユリウスの耳朶を打った。

 

「キース教官……?」

 

 突然目の前に現れた訓練教官キース・シャーディスに、ユリウスは反射的に姿勢を正す。

 

「そんなに畏まらなくてもいい。楽にしてくれ」

 

 しかしキースはそれを制し、ユリウスの隣に立った。彼の手には酒の入ったグラスが持ってあった。

 

「三年間、よくやった。よく厳しい訓練を耐え抜いたな」

 

「……………」

 

 珍しいこともあるものだ。まさか全訓練兵から“鬼教官”と恐れられている彼に労いの言葉をかけられるとは思わなかった。

 

「……いえ。自分がここまで成長できたのは、ひとえにキース教官のご指導の賜物であります」

 

「フッ、私は何もしていない。……私はただ、()()を果たしたかっただけだ」

 

「約束……?」

 

「ああ……」

 

 そう言って頷くと、キースはユリウスの方に体を向け、彼の顔をまじまじと見つめた。そのまま動かなくなったキースに狼狽するユリウス。

 そしてキースは大きく一度頷くと、「やはり」と呟いて、

 

「顔立ちはヴィクトール、瞳はエリシアにそっくりだ」

 

「え──」

 

 その名を聞いて、ユリウスの目は驚愕に見開かれた。それもそのはずだ。

 ヴィクトール、エリシア……それは、ユリウスの両親の名だった。

 

「何故……といった顔をしているな。無理もない。何度かお前の家に行ったこともあったが、一度も会ったことは無いからな」

 

 キースはそう言って目を小さく細めて夜空を見上げた。相変わらずの仏頂面だったが、いつもと違い、その顔には少しだが優しさが込められているとユリウスは感じた。

 

「……5年前まで、私は調査兵団の団長を務めていた。ヴィクトールは、その時の副団長だ」

 

 ヴィクトール・ハウザー。それは、ユリウスが思っている以上に人類全体に広く知れ渡っている男の名だった。

 調査兵団副団長にして天才的な立体機動技術と超人的な戦闘能力を誇り、建物の無い平地での戦闘においても、三体の巨人を一人で討伐して見せたほどの実力を持っていた兵士。

 まるで翼が生えているかのように自由自在に空を駆けるその姿は、まさに調査兵団が掲げる“自由の翼”の体現者と言え、人々はそんな彼のことを『鳥人』と呼び讃えた。

 

「──私とヴィクトール、そしてお前の母であるエリシアは、元々同じ街で生まれ育った幼馴染だった。私とヴィクトールが訓練兵団に入る前夜、我らは三人で酒を酌み交わし、『必ず生き残る』と誓い合った。………だが」

 

 キースはそこで言葉を切り、悔しそうに歯を鳴らし、食い縛った。

 

「今や、生き残ったのは私のみとなってしまった……!」

 

 力の限り拳を握り、喰い込んだ爪によって裂けた皮膚から血が滴り落ちる。それだけでユリウスは、今キースがどんな気持ちでいるのかを理解できた。

 同じだ。

 あの時──目の前で母を巨人に喰われ、己の無力を思い知らされた五年前の自分と。

 

「……教官」

 

「ハウザー……お前は、調査兵団に行くのだろう?」

 

 投げかけられた問い。ユリウスは、「はい!」と大きく返事をした。全てを失ったあの日から──否、父の背中を見続けていたあの時からずっと変わらない決意。

 キースは「そうか……」と頷いた。

 

「これはお前の選択だ。私は口を出すつもりはない。今までも、そうして沢山の者たちを送り出して来たのだ。例えお前であろうとそれは変わらん。……だが、これだけは言っておく」

 

 そう言って、ユリウスの肩に手を置き、一言。

 

「死ぬな! 何としてでも生き残れ!」

 

 それは、教官としての言葉でもあり、また、亡き父の親友としての言葉でもあった。

 彼のその真摯な想いを受け取って、ユリウスは大きく頷き。

 そして同時に、ご心配なく、と笑顔を返した。

 

「俺は死にません……絶対に」

 

 この世から巨人という存在を消し去るまでは死ぬわけにはいかない、と。

 それを聞いたキースは少しの間黙り込むと、「分かった」と言ってユリウスの肩から手を除けた。

 

「ともかく、お前の無事を祈っている。……ではな」

 

「キース教官!」

 

 その一言だけを残して立ち去ろうとするキースの背をユリウスは呼び止める。キースは返事をしなかったが、ピタリと歩みを止めたので、ユリウスは彼の背に敬礼をした。

 

「本当に三年間、ご指導ありがとうございました! そして……父さんの戦友(とも)でいてくれて、ありがとうございました!」

 

「──ッ!?」

 

 キースは目を見開き、ゆっくりと振り返ってユリウスを見た。

 そこにいるのは、ユリウス・ハウザーで間違いはない。だが、キースには今の彼の姿が、若き日のヴィクトールの姿にしか見えなかった。

 

「(……ああ、ヴィクトール。彼はやはり、お前の息子だ)」

 

 思えば、ヴィクトールという親友を失ったあの日から。

 五年前、エリシアが死んだと聞いたあの日から。

 キースの心には、ポッカリと埋めようのない大きな穴が空いてしまっていた。

 しかし、二人の遺志を受け継いだ少年の強い心が、そんな彼の心を埋めてくれた。

 それの、何と嬉しいことか。

 涙は出ない。涙は、数多の仲間と掛け替えのない二人の親友を失った時に流し尽くしてしまった。だから、その代わりというわけではないけれど。

 最上の敬意と、感謝を込めて。

 

「また会おう──()()()()

 

 手を左胸に置き、初めて見せる笑顔で、旅立つ“息子”を見送った。

 

 

 







 今更ながらオリジナルキャラ紹介です。一応、主人公であるユリウスと、ユリウスの両親の設定を記載しました。今後、ストーリーを進めていくうちに修正していくかもしれません。



 ユリウス・ハウザー

 エレンたちと同じウォール・マリア、シガンシナ区出身の少年。17歳。
 かつて調査兵団副団長であり『鳥人』と呼ばれていたヴィクトール・ハウザーを父に持ち、ユリウス自身も調査兵団を目指して第104期訓練兵団に入団する。
 入団時から卓越した潜在能力を発揮し、卒業時にはミカサには僅差で及ばなかったものの、ほぼ同率と言っていいほどの成績を修めて二番となった。
 巨人によって両親、特に母親を目の前で殺されたため、巨人に対してエレンと同じくらいの恨みを抱き、“巨人の絶滅”を原動力としていたが、クリスタとの出会いを通じて変化が起きつつある。


 ヴィクトール・ハウザー

 ユリウスの父親にして元調査兵団副団長だった男。天才的な立体機動技術と戦闘能力を誇り、立体機動が上手く活かせない平地での戦闘においても数体の巨人を一人で倒してしまうほどの強さを持っていた。その地形の良し悪しに囚われずに空中を駆ける姿から『鳥人』と呼ばれるほど兵士たちの間では伝説の存在となっていたが、数年前の壁外遠征の際に巨人から部下を庇って戦死する。享年42歳。
 訓練教官のキースとは同じ街で育った幼馴染であり、地位の枠を超えた友情を築いていた。


 エリシア・ハウザー

 ユリウスの母で、ヴィクトールとキースとは幼馴染の間柄だった女性。医者の娘であり、少年期のヴィクトールとキースが喧嘩をして怪我をする度に治療を施していた。誰にでも優しく人に好かれる性格で、また美人でもあったために当時は“街一番の美女”とも呼ばれていた。ヴィクトールと結婚した後は周囲の反対を押し切ってシガンシナ区に引っ越し、壁外遠征に赴くヴィクトールとキースを見送り続けた。
 845年、超大型巨人と鎧の巨人によるウォール・マリア侵攻の際に足を負傷。逃げ切れずに巨人に捕まり、ユリウスの目の前で捕食されて死亡した。享年40歳。
 エレンの母であるカルラ・イェーガーとはシガンシナ区に越してからの友人で、ユリウスはその経緯でエレンと知り合うこととなった。




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第八話『絶望の再来』


えー、皆さん。お久しぶりです。約1年ぶりでございます。今まで投稿できなくて大変申し訳ありませんでした。
諸々の事情があり、このサイトを開いたのも1年ぶりでした。
これからは今までの遅れを少しでも取り戻すためにどんどん投稿します!……と言いたいところですが、以前よりも自由にはいかなくなってしまい、更新は不定期となってしまいます。この作品を楽しみにしてくださっている読者の皆さんには大変申し訳なく思いますが、これからも執筆は続けていくつもりですので、応援を宜しくお願いします。




 

 

 解散式から一夜明け。

 ウォール・ローゼ、トロスト区。

 翌日に各兵団の勧誘式を控えた訓練兵たちは、とうとう本物の兵士になれると胸を高鳴らせながら、しかし訓練兵としての義務として、幾つもの班に分かれて割り当てられた仕事に従事していた。

 仕事内容は壁上に設置されている固定砲の整備だったり、立体機動に欠かせないガスの点検だったり、馬舎の清掃だったりと様々である。

ユリウスは、その中の馬舎清掃班として、班員たちとトロスト区に設置されている馬舎の清掃を行っていた。

 

「……えっ、お前も調査兵団に入るのか?」

 

 クリスタら女子陣に馬を別の馬舎に移してもらい、空になった元の馬舎で排泄物や喰い散らかされた餌の処理を行っていた男子陣の中で、一人の同期の話を聞いたユリウスが声を上げた。

 

「へへ、まあな」

 

 名をデンゼル・ライジンガーという彼は、ユリウスの問い返しにニカっと爽やかな笑みを向けた。一年ほど前からユリウスと親しくなった彼は、ユリウスにとってはエレンやアルミンと同じくらい気心が知れた同性の友人であり、こうして同じ班で行動する事も多い。また、訓練兵としての成績も、上位10名には及ばなかったものの優秀な成績を残しており、教官たちから将来を期待されている人物でもあった。

 

「だがデンゼル。お前、志望は駐屯兵団のはずだろう? なのにどうして……」

 

「いや〜、まあ……そりゃ最初はオレも駐屯兵団に行くつもりだったんだが、昨日のエレンの言葉を聞いて、な」

 

「エレン?……ああ、なるほど」

 

 いきなり出てきたエレンの名に一瞬疑問符を浮かべたユリウスだったが、すぐに昨夜の出来事を思い出して納得した。

 それは、解散式の打ち上げが始まって間もない時の事だった。

 

 上位10位以内に入っていながら調査兵団になると一貫した態度を取るエレンを思い直させようと仲間たちが断言した『巨人に勝つことは不可能』という言葉に、彼は異議を唱えたのだ。

 

『何十万という命を犠牲にして手に入れた戦術の発達を放棄して、大人しく巨人の餌になるのは御免だ』

 

 その演説から一夜経ち、エレンのこの言葉は思っていた以上に多くの同期たちの心に残っていたようだ。

 

「言っておくが、デンゼルだけじゃねえぞ」

 

 と、話し込む二人の間を割って、もう一人の男子が近寄ってきた。

 

「俺も調査兵団に入るぜ」

 

 レイヴェン・クリストフ。彼もまたユリウスの友人であり、ライナーと同じくらいの図体を持つ頼れる男だ。

 

「おお、レイヴェンもか! ふーむ……そうなると、今期はかなりの人数が調査兵団希望ってことになるなぁ」

 

「そうなのか?」

 

 ユリウスが問い返すと、デンゼルは「ああ」と頷いた。彼の話によると、昨夜のエレンの演説に心を打たれたのはこの二人だけでなく、かなり多くの人数がいるらしい。ジャンと同じく憲兵団に行くとあれだけ公言していたコニーでさえ、調査兵団に希望を変えたそうだ。

 

「なるほど……やっぱりエレンは凄いな」

 

 ユリウスは小さく頰を緩ませた。エレンは別段、突出した才能や身体能力があるわけではないが、誰よりも強い意志と執念を持っている。上位10番内に入れたのも、彼のそうした感情から供給される無尽蔵の爆発力と、血の滲む努力の賜物と言えるだろう。そうしたエレンの執念と努力を知っているからこそ皆は彼の言葉に耳を貸し、感化されるのである。

 リーダーの資質とは少し違うけれど、人を惹きつける“カリスマ”のようなものが彼にはあるに違いない。

 

「あ、そういやあユリウス。クリスタはどうすんだ?」

 

 と、デンゼルは話を切り替えてユリウスに訊ねた。すると、その言葉を聞いたユリウスは少し不満そうな顔になって、

 

「クリスタは……調査兵団に入るそうだ」

 

「やっぱりそうだろうな〜……ってあれ? でも、その割にはあまり嬉しそうじゃないな?」

 

「当たり前だろ。調査兵団は常に死と隣り合わせの危険な部隊だ。そんな所にクリスタを行かせたくない」

 

 これは、ユミルも交えて三人で話し合った問題だった。ユリウスとユミルで説得を続けたがクリスタは頑として聞き入れず、希望を変えようとしなかった。 

 

「っかあ〜! 分かってないな〜、ユリウスは」

 

 ユリウスの愚痴を聞いて溜息をついたデンゼルが「な?」と隣のレイヴェンを見た。レイヴェンもデンゼルの言わんとすることの意味が理解できたのか、うんうんと頷いた。

 

「はあ? どういう事だよ、デンゼル?」

 

「お前、クリスタの恋人なんだろ? なら、あいつの気持ちをもっと察してやれよ」

 

「それは分かっているさ。だからこそ、危険な調査兵団には……」

 

「だからだよ」

 

 「え?」と訊き返したユリウスに、デンゼルはニカっと爽やかな笑顔を見せた。

 

「危険な調査兵団にお前が行くからこそ、クリスタはお前について行くんだよ」

 

「あ……」

 

 その言葉を聞いて、ユリウスはようやくクリスタの真意に気付くことができた。

 調査兵団は常に死と隣り合わせ。いつ自分が死んでもおかしくはない兵団である。ユリウスは死ぬつもりなど更々ないが、必ず生き残れるという保証もない。父・ヴィクトールのように、何の前触れもなく巨人に喰われてしまうかもしれないのだ。

 

 だからこそ、クリスタは望んだ。

 

 ユリウスの側にいることを。

 

「それに、危険だって思うならお前が彼女を守ってやりゃー良いじゃねえか? な、レイヴェン?」

 

「ああ。それが恋人として当然の責務だろうな」

 

「お前ら……他人事だと思って簡単に言いやがって」

 

 壁外でそうするのがどれだけ難しいかなど、この二人も知っているはずだ。しかし、二人の言葉が的を射ているのもまた事実だった。

 危険だと思ったら、自分が彼女を守ってやれば良い。それが恋人である自分がすべき当前の責任。それに気付かせてくれた二人に内心で感謝を送りつつ、ユリウスは遠くから聞こえてきた自分の名を呼ぶ声に耳を傾けた。

 

「お、噂をすればお姫様が来たぜ、王子様。満面の笑みで手を振ってらあ。お熱いねぇ、コノコノ!」

 

「……黙れデンゼル」

 

 ニヤけ顔をして肘で脇腹を突いてからかってくるデンゼルを押し返して、ユリウスも彼女に応えるべく手を挙げた。

 

 ──まさにその時だった。

 

 

 ズドンッ!!!

 

 

 トロスト区に、雷が落ちたような耳を劈く轟音が轟いた。

 

「うおおお!? な、なんだあ!?」

 

「地震だ!」

 

 直後に大きく揺れる大地。デンゼルやレイヴェンがその音と揺れに身構え、クリスタは倒れそうになったところをユミルに支えられて事なきを得た。

 

 誰しもが突然の出来事に戸惑う中で、ユリウスだけは身動き一つせず、ある一点を──高く聳える壁の上を見つめていた。

 

「……ユリウス? お、おい、どうした?」

 

 デンゼルが壁を見つめたまま動かないユリウスの肩に手を置くが、彼からの反応は無かった。驚愕と絶望が混じったような表情で、ギリギリと拳を固く握り締める彼の尋常ならざる雰囲気につられて、デンゼルも壁上を見上げた。

 

「………ぁ………」

 

 そして、彼らは目撃した。高さ50メートルを誇るウォール・ローゼの壁をゆうに越し、人類を見下ろす一体の巨人の姿を。

 

 5年前、突如現れてトロスト区の壁を破壊し、ユリウスから母を奪った元凶。

 

 人類最大の敵──『超大型巨人』が、人類を滅ぼさんと再び現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  『超大型巨人』の出現と同時、トロスト区と壁外を隔てる開閉扉が蹴破られた。

 

「──ッ!? 避けろッ!!」

 

 衝撃と共に、開閉扉の瓦礫が巨大な砲弾となってユリウスたちの元に飛来する。ユリウスは隣に立っているデンゼルを引っ張って大きく馬舎側に回避した。すると、そのすぐ後にユリウスが立っていたちょうどその場所に瓦礫が着弾した。

 

「お、おい! 大丈夫か!?」

 

「あ、ああ。オレらは何とか………お、おい、ユリウス! クリスタは?」

 

「──ッ、クリスタ!!」

 

 間一髪瓦礫の下敷きにならずに済んで安堵したユリウスだったが、デンゼルの言葉を聞いて一気に血相を変えた。瓦礫が飛んで来る前、クリスタとユミルはユリウスの数メートル先にいた。

 まさか、この瓦礫の下敷きに──そんなことを考えて、ユリウスの表情から一気に血の気が失われていった。

 

「ユリウス!」

 

 しかし、そんなユリウスの耳にクリスタの声が届く。声のした方を見れば、瓦礫の向こう側から回り込んで、クリスタとユミルが駆け寄ってきた。

 

「クリスタ! 無事だったか!」

 

 クリスタの無事を確認して今度こそ安堵したユリウスは、胸に飛び込んできたクリスタを抱き止めて強く抱き締める。見たところ着弾の衝撃による砂塵と石飛礫による細かい傷があったが、大きな外傷は無いようだった。

 

「瓦礫が飛んで来た時、ユミルが咄嗟に引っ張ってくれて。おかげで巻き込まれずに済んだの」

 

「そうか……ありがとう、ユミル。お前も無事で何よりだ」

 

「フン……当たり前だろ」

 

 ユリウスがユミルに顔を向ければ、ユミルは小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

「おいユリウス! 悪いがお互いの無事を喜び合うのは後にしてくれ! 今はそれどころじゃねえんだからよ!」

 

 と、釘を刺すデンゼルの言葉にユリウスは我に帰り、クリスタを放してから再び壁上を見上げた。そこには50メートルをゆうに越す『超大型巨人』の巨大な頭部が、相も変わらずユリウスたち──否、人類を見下ろしていた。

 そしてその足元──ついさっきまでトロスト区の開閉扉があった場所には、『超大型巨人』によって蹴破られた大きな穴が空いている。

 

「おい、まずいぞ……」

 

 デンゼルが、生唾を飲み込みながら呟いた。彼の言葉の意味を、全員が理解していた。

 

 まったく同じだった。

 

 5年前のあの日と、まったく同じ。

 

「………………っ」

 

 ユリウスの脳裏に再び悪夢が蘇る。

 目の前で母を喰われた、あの光景が。

 

 それは、まさに──

 

「──巨人が入って来る!!」

 

 絶望の再来だった。

 

 



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