Q or…? (涛子)
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序章 魔術師の再演
【0】Finale(終幕)


初めての作品です
至らない点が多々あると思いますが宜しくお願い致します


 

 ————何も無かった人生だった

 

 

 絶叫を上げのたうち回る壮絶な外面とは裏腹に、クィレルの心は淡々と凪いだままだった。

 期待と失望の繰り返しで、いつも周りの視線を気にしていたと思う。

意気地なしで臆病で、そのくせ見栄を張るのだけは一人前だった。誰かに認められたくて、何かを成したくて……迷走した結果がこのざまだ。

 業火に囲まれ、耳を塞ぎたくなる邪悪な叫び声を浴びながら土くれのように崩れ落ちていく。

 傾き朦朧とする視界に、蒼白な顔色で泣きそうに顔を歪める幼い英雄が映り込む。己の手で人を殺めた事実に呆然とする様は、あまりにも普通の少年の姿で、遠についえた筈の僅かな良心がツキリと傷んだ。

 

 ———安心しろポッター。私は既に屍だったのだから、お前が気に病むことではないさ

 

爛れきった口はもう動かないけれど、なけなしの力を振り絞りクィレルは言葉を紡いだ。

 嗚呼、なんてくだらない……なんて惨めな最期だろう。

 気を失い倒れこむ教え子を尻目に、灰になり損ねた想いの残り香が脳裏を掠めた。

 それにしても中々に自分の魂はしぶとい。灰になって崩れ死んでも尚、まだ考えることが出来ている。これほどまでに往生際が悪いのは如何なものか。パチパチと燃え盛る炎をぼんやりと聞きながらクィレルは苦笑いを溢した。

 

 ———いや、待て。何故まだ意識がある? 

 

 走馬灯というには薄く、余韻にしては長すぎるカーテンコールにハッと気付けば、既に身体を蝕んでいたユニコーンの呪いの痛みは消え失せ視界も良好になっていた。

 一体何が、なぜ、どうして? 

 戸惑いのままに手を伸ばした筈なのだ。しかし、今の自分の肉体は夢の中のようにあやふやな存在だった。ただ、思考するという行為だけが許されている。

 突拍子もない出来事に混乱するクィレルの耳に突然、ねちっこい男の声色が滑りこんできた。

 

「おんやぁぁ? これはこれは……中々に愉快になってるねえ!!」

 

 聞き覚えのある声に勢いよく振り向けば——あくまで感覚的にだが——、ニタニタとチシャ猫のように嗤うホグワーツのポルターガイスト、ピーブズが浮かんでいた。

 

「いやはや、まさかご教授ともあるお方が……いやーゴケンソンなんてなさらずに」

 

 固まるクィレルにあざとく首を傾げ目配せをしながらポルターガイストは芝居がかった仕草を交えべらべらと喋りだす。

 

「フーム……あんた結構な呪い(……)を持ってるねえ? 枯れ木みたいなナリの割にやるじゃないか!!」

 

 コチラの理解を求めない演説。一方的にほとんど一人でまくしたてたピーブズは返答を待つことはなく繰り返し素敵だ素敵だと拍手を打ち鳴らす。

 状況は全くの見込めないが、不愉快極まりないことには間違いない。今際の際に現れて人をおちょくるとはロクでもないやつである。苛立ちのままクィレルは鋭くピーブズを睨み付けた。

 

「ヤダなぁ! 怖いじゃないかセンセイ。そーんなふかしたジャガイモみたいなツラでこっち見ないでください……」

『どんな顔だ。ぶっ殺すぞ』

 

 舐め腐った態度でへつらうピーブズに、クィレルはたまらず毒づいた。声がでたことに驚きつつも、ひとまずコイツを追い払いたい。クィレルの決して深くはない沸点が確実に下がっていく。クィレルの威圧をものともせず、鼻で笑ったピーブズはぐるりと宙を回転しながら意地悪く目を細め言い放った。

 

「口だけは立派なセンセイに教えてやるよ」

 

 道化から一変、ガラリとまとう空気を悪霊然としたポルターガイストにたまらずクィレルはたじろいだ。

 

「アンコールはまだ続いてる」

 

 ぐらりと世界が歪む。

 

「スタッフロールも終わっちゃいない」

 

 水飴のように魂の根幹がとろけていく。

 

「開演ブザーも観客も喝采も全てが整った!!」

 

 刹那、目もくらむ眩しい暗闇が大きく口を開け、歪な裂け目を作りながらグワリとクィレルを飲み込んだ。

 

「さあ! 再演の始まりだあ!」

 

 抵抗するどころか声をあげる間も一瞬で引きずり込まれる。

 

 クィレルの意識は、ピーブズの嘲笑を最後にブツリと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




クィレル先生は割とマジで有能なはず
ピーブズも本気出せば凄いはず


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【1】Rerun(再演)

「なんだこれは」

 

 茶水晶の瞳を瞬かせながら、呆然と少女———リランは呟いた。

 いつものように、ご主人様の御仕置きに耐え残飯以下の食事を貪り散らしたリランは、放り込まれた小屋の中で一つ瞬きをした途端、突如として訪れた激しい頭痛により意識を失った。

 そして目覚めた今、リランの小さな頭の中には【クィリナス・クィレル】という男の記憶が刻まれていたのだ。

 なんだこれは。全くもって意味が分からない。

 埃や垢にまみれたみすぼらしい頭を、混乱に任せぐちゃぐちゃに掻き毟りながらリランは低く呻いた。

 反響する知る筈のない無数の声と覚えのない顔、景色、色、模様、匂い。小さな脳みそに溢れんばかりの煮え激る感情が無理矢理に詰め込まれている。

 脳裏に焼き付くのは不思議な光景。ザーザーと降り注ぐ細くも鋭いにわか雨、時折止むことを見るからにスコールだろうか。不規則なそれを浴びながら、リランは一席だけの椅子に腰掛けてスクリーンを見ていた。

 側にあった円形の物体がついた古ぼけた機材は、恐らく映写機だろう。昔、マグル学の教室で扱った覚えがあった。

 

 ———スクリーンにはいったい何が映っていたのだろうか。

 

「うっ」

 

 断片的な映像が再び弾け声が漏れた。痛い、どこもかしこも痛みでしかない。

 薄い母親の愛で育ち、虐められっ子な学生生活を送り、挙句の果てには甘い言葉に騙され禁忌を犯したどうしようもない男の一生なんて何の足しにもなりゃあしない。

 むしろ、なまじか成人男性としての意識があるので、前世とも呼べない男の境遇に怒りしかわかないのだ。

 リランには生前のクィレルとしての自意識のせいか、生まれた直後の記憶がある。映画のフィルムのようにきちんと残された無垢なリランの半生は、正しくロクでもないの一言に尽きていた。

 少女はマグルの両親の間に生まれ、そして流れるように捨てられた。

 正しくは、借金の返済金として押しかけた不成者の手により両親の死体と共に売られたのである。

 不幸はまだまだ続く。

 マフィアが裏で糸を引く児童養護施設に入れられたリランは、生まれつきの霞んだ空色、所謂ブルージュカラーの珍しい髪色も相まってか悪趣味な金持ちに買われた。そして現在、齢五歳になる彼女は動物のように虐げられながら辛うじて生き長らえているのだ。

 不幸比べで、小さいほうが我慢するというのは大嫌いだが、自分相手ならノーカウントだろう。というか、この地獄の元凶は確実に前世の業だ。

 不死を得られるユニコーンの血……その正体は蓋を開ければゾンビのほうが幾分かマシと言える劇薬と言った始末。甘い蜜にまんまと誘われた今は亡き愚か者に何を言っても無駄であるが、怒りを覚えずにはいられない。リランは鉄格子の嵌められた小さな小窓を苦々しく見つめた。

 まだ不可解な点が多くある。段々と鮮明になる記憶の中に憎たらしい二ヤケ面が浮かび上がってくる。脳裏に蘇るのはポルターガイストの不愉快な嘲笑と意味深な台詞。

 

「『再演の始まり』……」

 

 再演。素直に捉えれば、再び同じ舞台が始まるということ。だが今のところ【クィレル】と【リラン】の人生に共通点はない。そもそも性別も年齢も違う。

 というか、ここは一体どこの世界のどんな時空なのだろうか。

 たしかに終わりを迎えた筈なのに、受け答えが出来るほどの意識を持っていたあの空間。そしてポルターガイストの作り出した裂け目のようなもの。眩しい闇という何とも不気味なものに喰われた挙句、よくわらないままにクィレルの意識があるのだ。ここがかつて生きた時代と同じようなものだとは限らない。

 リランは体をこれ以上傷めないように慎重に座り直しながら懸命に過去の記憶を探していく。浮かび上がるものは、どれもこれもトップクラスの悲劇であり、子供らしい思い出が微塵もないことに苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

(誕生年、九月二十六日、五歳、リラン、苗字はなし……これは血統書か? 黒服の人間に、数字を叫ぶ声、オークションか。いや、違う選別?)

 

 商品選別らしきもので作られた血統書に大きな間違いはないだろう。あれだけマフィア共が大騒ぎしていたからこそ強烈に残っていたのは不幸中の幸いだった。今だけは珍しい容姿に感謝しようとリランは皮肉気に頷いた。

 

「誕生日がクィレルと同じなのが気になるな……」

 

 少なくとも西暦がクィレルとして生きていた頃と同じと言うことはわかったが。やはりここは魔法界ではないようである。

 いや、そもそもこの世界自体に魔法界というものが存在しているのだろうか。リランはマグルなのだろうか。魔法使いなのだろうか。仮に使えたとしても殆ど骨と皮である、衰弱しきったこの身体では判断できそうにない。

 

 ———ダメだ。あまりにも情報が少なさすぎる

 

 計画的な性分としては、既に八方塞がりな現状に苛立ちがこみ上げてくる。

 不気味な悪霊ピーブズに、不可解なユニコーンの呪い、そして得体の知れない己の未来。

 ドン詰まりな行く末に、たまらずリランは呻き声をあげながらささくれだった壁に爪を突き立てたが、軋んだ手足が痺れたのでやむなくそっと引っ込めた。

 お手本のような栄養失調状態では八つ当たりをしたくとも出来ない。下手をすればそのまま死んでしまうだろう。ともかく、最優先事項は健康第一である。

 そしてご主人様達……いや、下劣なサド野郎共から情報を得ていけば良い。

 目先の目標を立てて着実にこなし冷静沈着に淡々と焦らず見定める。

 かつて純粋に勉学に向き合っていた頃と全く変わらない考え方に、ふと切なさが込み上げてくるが思い出に浸るのは得策ではない。

 無理矢理憂いを振り払い、気合を込めて頬をペチリと叩いたリランは深く息を吐き出して床にゴロリと寝そべった。

 

「どうせ一度は死んだ身だ……やれるだけやってやる」

 

 これから自分がどうなっていくのかは全く予想がつかないが、少なくとも闇の帝王の配下につき、呪いを受け、身を焼かれて死んだクィレルよりはマシであろう。

 酷使された脳みそに染み渡る眠気と疲労に身を任せリランはそっと瞼を閉ざした。

 しかし彼女は気づかない。

 いくら生まれ変わったとしても人の本質はそう変わらないということを。

 つくづくクィレル同様に見通しが甘いことを。

 いくら避けようとも災難は理不尽に降りかかるということを。

 

 



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【2】Maria&Joseph (邪智と暴虐)

「ガェッ……ぁ……ッッ──」

 

 ビシャビシャと胃液をまき散らし、激しくえづきながら目の前に立つ黒い影をリランは怯えながら見上げた。

 吐瀉物の海に蹲り小刻みに痩せ細った体躯を震わせる様は、誰が見ても哀れの一言に尽きるだろう。

 小さく縮こまるリランを見やった影は満足そうに笑みを浮かべると、右手に握った細い革のベルトで小枝のような手首をきつく縛りつける。

 呻き声を低く漏らすリランをよそに、影──マリア・メンターは歌うように口を開いた。

 

「ああ、私の可愛いエンジェル……! 素晴らしいわ、上手に吐き出せたわね!」

 

 可憐な妙齢の女性が囁く言葉は慈愛に満ちていたが、リランが受けた残酷な仕打ちは紛れもなく彼女の所業だった。

 腐卵臭が立ち込める掘っ立て小屋に不釣り合いな、豪奢な装いをしたマリアはブロンドの髪をかきあげながらリランの頬へ手を伸ばす。

 

「さあエンジェル。おめかしの時間よ」

 

 綺麗にしなくっちゃね! と、マリアは無理矢理リランを立ち上がらせた。リランがふらつくのにも構わず、手首のベルトをリードのようにして半ば引きずるように歩み出す。

 マリアが上機嫌で暗闇の庭園を足早に抜けるとき、リランは初めて今までの人形じみた表情を崩した。

 虚ろだった瞳は理知に富んだ茶水晶に変わり、硬質な眼差しはありありと疑問符を浮かべていた。

 リラン———もといクィリナス・クィレルは、“前„の記憶を取り戻したあの夜から約一ヶ月。自身を取り巻く現状を己を買い取った豪富メンター夫妻からの虐待に耐えながら徐々に探っていた。

 リランが新たに得た情報は三つ。

 一つ目は時代。現在は一九八二年、十月上旬。細かい日付までは把握することが出来なかったが周囲の人間の言動からして確実だった。

 二つ目は国と州。ここはイングランド、ウェスト・ミッドランズ州。コチラは英語圏であることと言葉のアクセント、一つ目同様に召使い達の世間話から簡単に知ることが出来た。やはり詳しい住所などは得ることが出来なかったが、治安がとても悪い地域であることは間違いない。

 そして三つ目。リランのご主人様についてである。これが一番大きな収穫であり、そして一段ととんでもない有様だったのだ。

 先程からリランを無理やり歩かせているこの女。艶やかなブロンドとアイスブルーの瞳を持つマリア・メンターは、リランをエンジェルと呼び人形のように可愛がる。

 これだけならばただのうっとおしい女で済むのだが、彼女は文字通りリランを愛玩具として扱う。

 お人形は物を食べない、お人形は声を出さない。

 常に美しく清潔で、何をしたって睫毛一本だって動かないと言った具合にリランをいたぶるのである。

 そして信じられないことに自身の自慰にもリランを使う。

 初めて遭遇した時には、生前の童貞故の自意識か無駄に緊張したものだが今となっては只々悍ましい出来事だ。

 何せ人間には到底不可能な体制で吊し上げられ、未成熟で無防備な性器を思いっきりなじられるのである。快感など微塵もありはしない。

 豊満な肢体と長身に抗う術もなくただ時が過ぎるのを待つことしか出来ない。奇跡的に処女は守られているが、マリアは性欲が強い為、この地獄は数日おきにやって来る。

 美女の痴態を見ても全く興奮せず、むしろ恐怖しか湧かなくなったのは元男性としては若干ショックだった。

 不幸中の幸いか、一度闇の帝王の配下についたことがある故に、常人よりも拷問に耐性があった。魔法使い相手ではないと言う点も異常事態にも屈せず何とか理性的でいられる理由の一つだが、正直なところだいぶキツい。

 しかし、純粋な暴力の前にはリランの並外れた忍耐力も流石に陰りを帯びる。

 先程マリアに吐き出させられた食物は、もう一人の狂人ジョセフ・メンターに食わされたものだ。

 ジョセフはミルクティーの髪に優しく垂れたダークチョコレートの瞳、をもった甘い外見であり、愛嬌のある顔立ちと小柄な体型の一見すると紳士然とした男であるが、本性はとんだDV野郎である。

 殴る蹴るの暴行は勿論、『皮膚が剥けるまで鞭で叩く』『蛆虫の湧いたヘドロで窒息させかける』『爪を剥いでネズミのいる蔵に放置する』等、悪魔も真っ青で逃げ出す非道の数々を尽くしている。

 だが、マリアとは違い食事——と言っても残飯以下の屑だが——は与えてくれる為、人間の皮を被った化け物でもその時ばかりは聖父に見える。生きる上での三大欲求の一つであるし、飢えに飢えているのだから例え前提が狂っていてもありがたいものはありがたい。

 メンター夫婦について分かったことは、互いの利益のために結婚した故に殆ど顔を合わせる事はないと言うこと。屋敷と敷地をそれぞれ東と西に分け完全に別離して生活していると言うこと。また、金持ちには珍しく——リランの偏見だが——使用人の数は片手で事足りるほど少ないと言うことなどなど、かなりの収穫だった。

 人身売買といい虐待といい、いつお縄に頂戴されてもおかしくない所業のであるから真実を知るものも少ない方が良いのだろう。

 メンター家が中世の貴族ごっこを誰にも咎められることなく好き勝手にやっていられるということから鑑みるに、彼らの素性は恐らく一般人ではない。個人投資家、大地主、資産家、または親の金……マグルの職業については把握しきれていないために、何をやっているかは分からないが大方この辺りが妥当ではないだろうか。

 仮面夫婦な彼らが、唯一干渉するのは、知っている限り事務的な関わり合いか、リランの主導権を交代するときだけだった。

 交代時には絶対にお互いの領土には足を踏み入れず、屋敷の玄関ホールの隅にある物置の手錠にリランを繋ぐ。

 零時を回った途端、リランは役を切り替える。マリアには人形として感情を殺し、ジョセフには巧みな言語で許しを請わなければならない。

 正反対なサド人間の趣向はじりじりと命を蝕み削り取っていたが、ある程度のルーチンにリランは生来の冷静さを取り戻していた。が、どんな時でも慣れた瞬間が一番恐ろしい。

 

(……いつも通りなら『気絶してからのオメカシ』という流れだが……)

 

 一度、今のようにマリアにつられリランが屋敷内を歩いて来た時、ジョセフは烈火のごとく怒鳴り散らした。

 リランをゴミのように扱う彼にしてみれば、自分の屋敷をうろつかれるのは筆舌に尽くせぬほどに許し難いことなのだろう。

 互いに無関心な夫婦は、この出来事から零時交代制を決め、以降それを正しく守っていた。

 それ故に、想定外なマリアの行動にリランは動揺を隠しきれなかった。知らない事ほど恐ろしいものはなく予想だにしない出来事に対処出来るほど体は回復していない。

 

 ———落ち着け……コイツの前で焦るのだけはご法度だ

 

 いつの間にか、庭園の門の前にたどり着いたことに気づいたリランは、焦燥にざわつく心中を必死に収めた。過剰な瞬きや呼吸の乱れだけでこの女は鬼と化す。

 

「うふふっ! なんて素敵な日でしょう!! これで、たあっぷりあなたを可愛がってあげられるわ」

 

 何とか取り繕った無表情は闇夜に誤魔化されたのだろう。鈴を転がすように笑うマリアを見ながらリランはコッソリと安堵のため息をついた。

 

(クソ少し油断し過ぎたか? あぁ、一体なんだってんだ)

 

 こみ上げる不安を押し殺すリランだったが、そんなことをしてもムダなのだと、真鍮の表札に刻まれた【Mentors(メンター)】の流麗な文字が嘲笑うかのように煌めいていた。

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

「うーん、なかなか汚れが落ちないわね……どうしましょう?」

 

(これがお前の入浴セオリーか? このイカレっぷりは、最早脱帽モノだな)

 

 屋敷の風呂場に連れられたリランは、心臓が縮こまるほどの冷水を浴びながら砥石で身体中を洗われていた。

 こびりついた垢に苛立ったのか、マリアは床ずれや青痣に構わずゴリゴリと力任せになじってくる。

 いつもは胃の中身を筆頭に、内臓全てを空っぽにさせられ気絶してから入浴という流れの為、今回の『意識がある状態での行為』は初めてのパターンだった。

 リランは酷く警戒していたが、突然無理矢理排泄行為を促されるという経験を得た身としては、幾分か余裕を保てていた。それでも痛いものは痛いのだが。

 

「いっそのこと漂白してみようかしら?」

 

(ぶっ殺したい)

 

 あどけない童女の顔で小首を傾げるマリアに、リランは内に湧く殺意を堪え従順に振る舞った。

 流石にこの荒れきった肌に化学物質は耐えられない。冷や汗に歯噛みしていたリランは、次のマリアが放った言葉に己の耳を疑った。

 

「まあいいわ! あの人も今はいないのだから、根気よくやりましょう」

 

 マリアがあの人と呼ぶのはジョセフにほかならない。ソイツがいない? 一体どういうことなのだ。

 混乱のままに、リランは思わず『お人形』の役を忘れ砥石を掲げるマリアを見上げた。

 

 ———不味い

 

 途端、冷ややかな狂気を孕んだ空気にリランは失態に気づいた。

 

「なあに? 私のエンジェル?」

 

 ドロリと濁ったアイスブルーは身の毛がよだつ憎悪に満ち、穏やかな声色は血なまぐささを滲ませている。

 ガランとした浴室に響くシャワーの水音が、この場の異常を際立たせリランの緊張は限界まで引きあがっていた。

 微動だにせず笑みを貼り付けたマリアに、リランは襲い来る痛みを覚悟してグッと息を止めた。

 だが、彼女の決死の想いは杞憂に終わる。

 

「……そうよね! あなたはあの人より私が好きだったわね! 忘れていたわ、可愛いエンジェル」

 

 マリアは先程の狂った姿がウソのように、パチンと一つ手を打ちニッコリと笑った。嘘のように愛らしくチャーミングな女性そのものである。

 

(『人形』に感情などありはしないのに、都合のイイ奴だな)

 

 全くもって心外な捏造に、リランは否を唱えたくなるが傷が増えないに越したことはない。

 柔らかなタオルで身体を拭かれながら、内心で皮肉を飛ばすリランは上機嫌に語るマリアに耳を傾けた。

 

「当主だからって威張り散らすからきっと天罰がくだったのよ。悪霊なり何なりと一人で騒ぐのは結構だけれど、私の稼いだお金なのだからあまり使わないで欲しいわ!」

「ああ本当、神様は見てくださるのね! 調子に乗った馬鹿な猿には、精神病院がお似合いよ!」

 

(成程……そういうことか)

 

 興奮状態でまくしたてるマリアを横目にリランは情報を整理する。

 どうやら、マリアのほうが金に関して優秀なようだ。彼女は女という立場で押しとどめられる理不尽に相当鬱憤が溜まっているが、夫も酷く屈辱的だったのだろう。ただでさえ嫌いあう仮面夫婦なのだから、しょうがない。

 

 ———まあ、幼子を虐待する時点で二人ともゴミとなんら大差はないがな

 

 ケッと悪態をつきながらリランは『ジョセフ・メンターが心を病んで闘病している』という朗報に引っ掛かりを覚えた。

 

(マグルの世界で悪霊……? しかもこんな都合の良いタイミングで?)

 

 確かに魔法界同様、幽霊というものは存在している。それをタネに、ドキュメンタリー番組や霊媒師等が肥えているのを『マグル学教授の【クィレル】』として記憶しているから間違いない。

 だがよっぽど呪いの意思が強くない限り、マグルの亡霊が悪霊になるのは難しい。霊現象に特化した東洋の魔術に『人を呪わば穴二つ』ということわざがあるが、事実そのとおりである。

 魔力がある人間ですら地獄の苦しみなのだから、ただの人間などせいぜい耐えても3日が限度だろう。

 マリアの話が本当ならば、ジョセフは金にものを言わせて霊媒師やエクソシストを呼んだということになるが、そういう輩は、大体が偽物という場合が多い。

 が、少なくともリランが掘っ立て小屋に放置された3日とマリアの交代期間を含めれば、そこそこ手こずる悪霊がいる筈なので詐欺師の可能性は低いだろう。

 

(となると、魔法界の幽霊の線が濃厚になるが……)

 

 シルクのリネンに着替えさせられたリランの頭には、自分が【リラン】となった元凶の一つであるポルターガイストの不快な嘲笑が蘇った。

 

(いやいや、ポルターガイストだけで結びつけるのは安直だ。別の厄介な奴というパターンさきっと)

 

 何かが建築される気配を無視して、リランはマリアの腕の中で大人しく静止する。

 

「今日はもう遅いから、明日一日中遊びましょう!」

 

 相変わらず字面だけなら微笑ましいマリアの死刑宣告に、抱き上げられた身体が震えかけるがグッとリランは堪えた。

 これだけ機嫌がいいのだ。この分なら掘っ立て小屋には行かなくて済むかもしれない。あそこは北向きで秋の夜にはかなり厳しい。

 玄関ホールを横切るマリアのコツコツとなる靴の足音を聞きながら、リランはひとまずベッドで眠れると虚ろな目先の幸せを喜んだ。

 突然マリアが歩みを止める。

 抱きかかえられている為、振り向くことが出来ないリランは耳をそばだて状況を探った。どうやら、誰かが廊下に立っているようだ。

 

「アラ……何の用かしらサボク・オー? 不備でもあって?」

「いえ、奥様。全て上々です。書類等々は直ぐにでも申請出来ます」

「なら結構よ。そのまま貴方に任せるわ」

「かしこまりました」

 

 廊下に敷かれた赤暗色の絨毯にマリアとサボク・オーと呼ばれた使用人の男の会話が吸い込まれていく。

 淡々としたやり取りを聞く限り、マリアの秘書のような人間なのだろう。

 深い森を思わせる心地のよいテノールが言葉を続ける。

 

「明日のご予定は如何致しましょう? アヅーユ婦人からお茶会のお誘いがあります。リランお嬢様も是非とのことですが?」

「断って頂戴。ロンドンまで行くのも億劫だし、リランは誰にも見せる気はないわ」

「かしこまりました。旦那様の事ですが……」

「答えはNOよ。私もう眠いの。なにかあるならば明日聞くわ。貴方もお休みなさい」

 

(お茶会ねぇ……時代錯誤だよホントに。呑気なこって)

 

 リランは随分と自由なマリアの言動に呆れつつも、歩き出したことで見えたサボク・オーの容姿を眺めた。

 固そうな黒髪に、程よく焼けた肌とやや神経質な紅茶色の明るい瞳。オールバックのように撫でつけた髪型とガタイの良い体躯が、猟犬染みた強面との相乗効果で、秘書よりSPといったほうがしっくりくる雰囲気の男だ。

 かなり背も高い。女性としては高身長であるマリアの頭が胸部に届かないくらいだ。パッとみて6.5フィートはあるだろう。指先に残る火傷の跡や荒れた拳、眉間の鋭い皺……やはりどう見てもカタギの面ではない。

 暴力性を感じる風貌にコイツも屑の仲間かと怒りを滲ませたリランの視線に気づいたのか、ふと男はこちらを見やる。そしてニヤリと口角を上げた。

 途端、リランは全身の血が一気に引いていくのを感じた。

 アイツと同じ、腹立たしく神経を逆撫でするこの世の苛立ちを集めた小憎らしい嘲笑い。

 

(誰が間違えるかこの野郎……! 何でお前なんだよ!! 予感的中ってか? ふッッざけるなよ!?)

 

『センセイ』と唇だけで呟いたサボク・オー……またの名を悪霊ピーブズは、リランの殺気をものともせず、愉快犯そのものの厭らしいウィンクを飛ばしたのだった。

 



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【3】 Retrograde(禿げ上がり)!!

「頭からケツまで全部吐き出せ」

「ケツからは流石にキツイぜ、お嬢様ァ」

 

 吹けば飛びそうな痩身の少女はその外見に似つかわしくない、乱暴な仕草で目の前の男の胸倉を引っ掴むとドスの効いた声音で言い放つ。

 物騒な脅し文句を軽くいなした男は燕尾服が乱れるのにも構わず、大人しくソファーに押し倒されたまま腹の上にのしかかるリランを呆れたように見つめた。

 

「随分と積極的なお誘いだけど、生憎ピーブズは男色嗜好でも少女愛者でもないんだ」

 

 もっとも、サボク・オーがどんな性癖かわからないけどねと、冗談交じりに返したピーブズは、今にも噛みつきそうなリランを片手で制すと軽薄に口を開いた。

 

「ちゃんと説明するからさ、お前もチョット黙っててよ。そぉ~んなキンキン声で一々口を挟まれてちゃ、イカれた聖母(マリア)に気づかれちゃう」

「混乱に落とし込んだ張本人が何を言うんだこのッ! 大体、何でお前がここに居る。ホグワーツはどうしたんだ? 追い出されたのか? え?」

「おんやァ? そのホグワーツのイダイな教授様は、もう一度言わなれきゃ口も閉じれないくらいにおバカさんなのかい?」

「ああ、そうとも。だからバカにも分かるようにキッチリと説明してもらおうか」

「相変わらずクチだけは立派なこって」

 

 ヘンッと鼻先をしかめるピーブズを絶対零度で睨み付けたリランは、メンター家の内情を知ったあの日のことを思い出していた。

 真夜中の廊下で遭遇したマリアの秘書、サボク・オー・エアクイルが見せた怪しげな嘲笑はやはり、身体を乗っ取ったピーブズによるものだった。

 不幸に苛まれるリランにとって、突然の元凶襲来という出来事はオーバーキルにも等しい惨劇だった。

 結局、恐怖と混乱のままに一睡もせず朝を迎えた彼女が、現時点ではピーブズが一応味方であるということを知ったのは数日後のマリアがお茶会に出掛けた午後……つまり今である。

 マリアによる絶食生活に耐えるリランは無駄に神経をすり減らされ事実に爆発しそうだった。

 実際に耐えられ無かったからこその冒頭なのだが。

 

(嫌味でも飛ばさなきゃ、やってられないぞ全く……!)

 

 ジョセフがいない今、圧倒的に増えた自由時間を満喫していたのにいきなり現れられたこっちの身にもなってほしい。

 恐怖でしかないだろうが。ネタ晴らしならもっとセーフティにやりやがれ。

 誰にいうわけでもない切実な想いをひとしきり心中で叫んだリランは、何やら本題を話し出しそうなポルターガイストに思考を移した。

 

「だから、何度も謝っただろぉ? しつこい奴は嫌われるぜ?」

「誠意が微塵も感じられない謝罪と素敵なアドバイスをありがとう」

 

 言外どころか全身に嫌味と殺意を滲ませたリランに、ピーブズは肩を竦め言葉を紡いだ。

 

「まずは、お前の現状から話そうかと思ったけど、説明しにくいしなァ……まぁお前も薄々気づいてるだろうしここはもう言わなくても、———あーハイハイちゃんと言うから! ソレ辞めろ!」

 

 ピーブズの横暴で適当な言い訳にリランが問答無用に肺へ体重をかけ続きを促す。対して重くもないだろうにぶちぶち文句を言いいながらピーブズは話を続けた。

 

「センセイのご明察通り、クィリナス・クィレルの魂は年齢と性別以外はそのままに過去へと転生した。いや、厳密には全く同じ世界の過去をなぞった並行世界での時を遡った……ありたいに言えばRetrograde(レトログラード)。つまりは逆行ってのが正しいねえ! オット、眉毛を抜くのも辞めるんだ。ねえ、ホントに聞く気あるのかい?」

「あるに決まってるだろ」

 

 【クィレル】としての自我を取り戻したあの夜からなんとなく想像はついていたが、流石に今生きているこの世界が一度生きてきた過去であり、並行世界であり、尚且つこれからの未来であるとは夢にも思っていなかった。

 かなり衝撃にピーブズの眉毛を数本引き抜いてしまったが、この現状はコイツの仕業だったと思えば罪悪感も何もない。むしろザマァみろと高笑いしたいくらいである。

 

「即答かよ。……ええっとじゃあ何でお前が逆行なんてしちゃったのか。まあピーブズのせいだね! って、ああもう! 後で気が済むまで謝ってやるからその拳を収めろ! 金的にあてるんじゃあないよ? いいね?」

「はあ……ピーブズはね、他のゴーストとは違う混沌とした存在、chaos(カオス)なのさ。一人の人格、人生から生まれた唯一無二じゃなくて、概念的な存在。だから兎に角沢山魂を喰わなくちゃいけない。色んな概念を取り込まなきゃいけない。お前も見ただろあの裂け目を。アレがピーブズの本質さ」

 

 混沌だの、魂だの、情報過多に戸惑いながらもリランはクィレルの最期の記憶で見た不穏な闇を思い出す。

 まるで生き物の食道のように蠢いているのに鼓動など微塵も感じなかった気色の悪い『無機物の圧』は、成る程、ポルターガイストの持つ独特の雰囲気に似通っていた。

 生前はあまり気にしてはいなかったが、そもそも物理に干渉できる時点で侮れないやつだった。感覚の麻痺とは恐ろしいものだなと頷くリランに、ピーブズは自身も確かめるように言った。

 

「ピーブズはずぅと、それこそやっとホグワーツの一期生が卒業したころに出てきた。と言っても『ピーブズとしての自意識が』だけれどね。きっとそれ以降にchaos(カオス)は生まれていただろうし」

「さっきも言ったけどchaos(カオス)たる存在は常に混沌として居なきゃいけない。だからこそ、色んな魂やら魔力が残るホグワーツにいるわけなのさ。あぁ、勿論、創設者に生徒の魂は喰っちゃいけないって契約させられてるから、そんなに青ざめなくても平気だぜ」

「とにかくだ、魔術学校にはなーんにもしなくても、『向こう側』から精霊とか亡霊がわんさかやってくる。最高の場所だ。でも連中は魔力の塊みたいなモンだから、例え敵意が無くてもお前ら人間にとってはそこそこ有害! 創設者達もそれを知っていたんだろうね」

「それはつまり、お前は居心地の良い餌場を得る代わりに、生徒を害するような存在を排除する条件をつけられたってことだな?」

「その通り! 五〇〇年以上守ってやってるんだから是非とも感謝してほしいぜ」

 

 思った以上にピーブズが重要な存在であることに、リランは驚愕と恐怖で震えた。この恐るべき真実を知っている教員等はいるのだろうか。いや、きっといない。教員どころか魔法省も知らないのだろうか。危険極まらない『向こう側』とやらを放置するとは保守的な政府らしくない。

 

「既に管理されてんだよ。ホラ、アー、神秘部の奴らが研究してるアーチみたいなヤツがあるじゃん。あれもピーブズの持ってる『裂け目』と同じく、『向こう側』の世界と繋がってる。あそこは始まりの世界だから、ピーブズはその力を持つことが許されてる」

 

 リランが尋ねる前にピーブズがまたもやショッキングな暴露をぶちまけた。リランは大変動揺していた。だって、まさかこのチャランポランなエクトプラズム野郎が魔法界の神秘の一端を握っているだなんて。魔法省が知れば間違いなく血涙を流すほどの特級品の暴露に吐き気すら覚えてしまう。

 

「……随分あっさりネタをバラすんだな。悪趣味なお前にしてはヤケに親切だ」

 

 なんとか虚勢を張るリランを面白そうに見やり、愉しそうにピーブズは続ける。

 

「そうだろ? 優し~いピーブズ様がお前みたいな呪いの塊、ほとんど『向こう側』の魍魎らと変わんねぇー馬鹿を無視できると思う? なーのにお前ときたら! 制約通りに喰ってやろうと思ってたのに、闇の帝王なんて化け物背負って悪霊化しかけてるし! 信じられないねえ!」

 

 こんなのとっととバラした方が楽しいよ! と悲劇的な台詞に下衆を織り混ぜ語るポルターガイストを無視してリランは浮かび上がった疑問を投げかけた。

 

「ちょっと待て。聞く限り無敵そうな口ぶりだが、お前、血みどろ男爵や闇の帝王を恐れているじゃないか。本気を出せば、例えば『向こう側』にだって連れていけるだろ? お前も裂け目を作れるんじゃないか」

 

 創設者の契約があってもこれだけやばい奴なのにというリランの見解にピーブズは思いっきり眉根を寄せてぼやくように呟いた。

 

「血みどろ男爵様は……なんか取り込んだ魂がめちゃくちゃ怖がってて、おれもつられてって感じで……。ていうか、闇の帝王は論外だから! アイツは文字通りの規格外! 魂が何個もあって『向こう側』になんてつれけてないね! その前にピーブズが消される!」

「は? 魂が何個もある……? はぁ!?」

 

 激しい身振りで訴えるピーブズの言葉にリランは思わず声を上げた。魂が複数あるだって? そんな魔法聞いたことがない。元レイブンクロー生として、そして魔法学校所属の教授として聞き流せない事実にリランはピーブズに食い下がった。

 

「なにお前? 自分がなってた癖に分霊箱のこと、知らなかったわけかい?」

「なんだそれは? 私がなっていた……?」

 

 唖然とするリランを同情的にしかし確実に厭けざったピーブズは、カワイソウだねと溢した。

 

「分霊箱ってのは死を代償に魂を分ける闇の魔術さ。分けたら最期、二度と輪廻転生なんて望めない。悪魔だって手に余る絶望のシロモノだよ。お前、闇の帝王に取りつかれてたろ? アレも疑似的な分霊の一つだ」

 

 手短に分霊箱の仕組みを話したピーブズは、おもむろに懐中時計を取り出すと紅茶の瞳を瞬かせ、少し早口に語りだす。

 

「大分脱線したからちょっと省くけど、要はお前がヤバくて生意気なクソガキなせいでとんでもねぇ化け物になってたから、おれが喰らった。そうしたら思った以上に腹にイチモツ含んでて、結構しんどかったから、『向こう側』に向かって適当に吐き出した。『向こう側』で時を遡って生まれ変わったお前が、今クソみたいに過酷なのはユニコーンの呪い! 以上、そういうことだ!」

「おい、待て。なんとなく『向こう側』にこっちの常識や理屈が通らないのはわかったが、あのとき再演だのなんだと喚いていたお前は、一体どうやって私が生まれ変わったことを知ったんだ?」

「いっただろ、ピーブズはピーブズだよ。個じゃなくて概念なんだ。どこにでも有る。お前を喰って幕を開けたピーブズと、今ここにいるピーブズは全く違う存在で、全く同じ存在だ。消失した物体が全てにあるように、程度、少しだけ繋がりがある。ただそれだけだ」

「はぁ、言いたいことは色々あるが……ぶっ殺すぞお前ッッ!! アレか? お前の脳内万年ポルターガイスト状態なのか? こんの! 危機も把握出来ない!! 能無し悪霊!!!」

 

 なんという壮大な話なのだろうか。全く飲み込める気がしない。机上の空論にも程がある。まず並行世界の仕組みが理解できそうになかった。キャパシティをぶっちぎったリランは、器用にも小声で怒鳴り散らし思いつく限りの罵詈雑言をピーブズへぶつけた。

 だってこんなのあんまりだ。

 確かに、呪い事態は自業自得だし、危険だから排除されるという言い分も一応納得できる。それがコイツの役割であるなら尚更だ。

 だが、『しんどいから適当に吐き出した』これには全く同意出来ない。

 魂喰らいが生きる上での常套手段ならもっと慎重にやれと言いたいし第一、【クィレル】が危険人物だと多少なれど気づいていたのなら、ダンブルドアなり他の教師に伝えておけばいい。

 そもそも、完全に自分の愉快目的な行動原理が理解できない。制約を守る建前とはいえ、ピーブズは確かに命を弄んでいる。それどころかその範疇すら飛び越えた思想だ。あまりに闇に満ちている。

 

「……状況はだいたい分かった。要するに自業自得ってことだろう?」

「そうだね〜、受け入れが早くて助かるよ」

「……一つだけ聞きたいことがある」

「おんやァ? 一つだけ? なんだっていうのさ」

「———この身体の、本当の持ち主はどうなっている?」

 

 意外も意外と片眉を上げる悪霊は、本当に人間に近しようで程遠い存在だ。

 リランは痛みも苦みもまっぴらごめんだった。しかし、魔法使いの一人として人間として。前世の業を、己の不始末を、甘んじて受け入れるくらいの気概はあるつもりだった。

 しかし、地獄に堕ちる前に新しい生命を受けてしまった。いや違う、無理やり奪ってしまったのだ。

 

「お前の言葉が全て真実なら、この子は、(腐った男)の呪われた魂の受け皿に、偶々なったってことだろう? お前の気まぐれで吐き出しただけなのに。なぁ、この子の未来はどう責任を取るつも、———ッッ!?」

 

 段々と昂る感情に任せ、今までの思いを振り絞るような叫びを言い終わるか終わらないうちに突然、リランの視界がひっくり返った。

 反射的な瞬きの後に背中に伝わる弾み。押し倒されたと理解すると同時に眼前に広がったピーブズの顔はゴミでも見るかのように白けていた。

 

「いきなり聖人気取りとは……心までお嬢様になったのかい? 大体、そういう自己犠牲だの間違ってるだのってお前に言われる筋合いおれにはないんだけど」

 

 随分と偉く成ったものだねと一蹴したポルターガイストは、その大きな掌を、掴めるほどに小さなリランの顔の横に置いたまま問いかけた。

 

「それともなにかい? このまま殺してほしいの?」

 

 なんてこともないような声色はまさしく悪魔の囁きそのものであり、リランの背筋がヒクンと強張る。

 木漏れ日の差す寝室の和やかな午後の空気が、一瞬で張りつめる。

 一触即発というに相応しい雰囲気はともすれば少女の喉元が惨たらしく掻き切られてもおかしくない有様だった。

 覆いかぶさる死の気配。まともな感性をもつ第三者がここに居ればまず間違いなく最悪の未来図を思い描くだろう。

 リランは諦めたように瞼を閉ざし、そして静かに見開いた。

 

 ▼▽▼

 

「何を言っているんだお前は」

 ———今コイツなんて言った? 

 

 見当違いな大外れをぶちまけたつまらない奴に割く時間などない。少し惜しい気がしないでもないが、高々数ヶ月の関係性なのだ。大人しく次を探せば良いのである。

 そこそこに楽しめたのだからここの狂った住人ではなく、せめて自分が殺してやろうと、ピーブズが細い首に手をかけようとしたその刹那、目下の獲物が何やら呟いた。

 あまりにも場違いな唇に一瞬思考が止まってしまう。少女に一言言ってやろうと顔を見れば、じっとりとした視線を浴びせる茶水晶がこちらを真っ直ぐに見つめていた。

 双子のペテルギウスのような瞳は、子供らしいその煌めきの中に確かな保身を映しておりピーブズは更に目を見開いた。

 骨と皮しかないちっぽけな少女は、やたらと覇気に満ちた痩身を持ち上げる。覆いかぶさったピーブズを邪魔だと子猫よりも弱い力で叩いたリランは続け様に言い放った。

 

「……誰がいつ死にたいなんて言った?」

「私はな自分の犯した罪なら受け入れるとは言った。ああ言ったとも!!」

「でも、現在進行形で受けてるユニコーンの呪いはお前がこの世界に私を放り出したからだろうがァ!! 勝手にお前がやったことだろ? なぁ!」

「————頼んでもない未来(リラン)の責任を私に押しつけるんじゃない! このゲロ野郎が!!」

 

 いけしゃあしゃあと、怒涛の勢いで溢れたどこまでも自己中心的な主張に、ピーブズはポカンと呆けてしまった。

 何だか回りくどいが、つまりクィリナス・クィレルは、『今の不幸は全部お前のせい』『器になった少女の恨みまで自分が受ける羽目になったらどうするんだ』と言ってきたのである。

 罪を受け入れるだのと偉そうに宣ってはいるが、ただ単に『受け入れる』といっているだけでその後の責任はとるとは言っていない。完全に他人任せなある種の『逃げ出し宣言』はいっそ清々しいくらいだ。

 これはひどい、酷すぎる。偽善以下のとんでもない発言だ。

 

「というかお前ホントに何のためにここにいるんだ。あと普通に責任をちゃんと取れちゃんと!」

 

 己の精神の欠けを自覚しているのかは知らないが、リランの予想以上に屑な思考回路に笑顔が止まらない。ピーブズはにっこりと笑い、今度はとびきりの猫撫で声で答えた。

 

「勿論ちゃーんとアフターフォローはするつもりさあ!」

「ふむ、ならさっきの殺害予告はどういう意図だ?」

「この世界で死んでも、呪いは続くよって言い忘れてたから」

 

 目ざといリランを適当に誤魔化しながらピーブズは言った。

 

「ピーブズはダンブルドアに怪しまれないギリギリのタイミングでサボク・オーに乗り移って分身したからリランを助けるのにちょおっと手間取ったの。別に忘れてたわけじゃない」

「お前分身とか出来たのか!?」

 

 勿論、ど忘れ仕掛けていたし、助けるつもりもなかったが気が変わった。やたらと驚くリランは相当に自分を見くびっていたのだろう。蔑む癖が染み付いてるのが実に負け犬で、いやはや大変に愉快である。

 こいつは滅茶苦茶そのものの極まりない存在だ。こいつの死んだ世界でも面白そうな出来事が沢山起きそうだったが、今はこのリランの行く末が気になって仕方がない。

 

(マリアが帰って来るまで、どこまで話せるかな?)

 

 楽しげに企むポルターガイストは愉悦に目を細めやはり悪霊らしく笑うのだった。

 

 



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【4】Lilan(リラン)





 濃密な情報量と自分の成り行きに疲弊しつつも腑に落ちないことはまだ山ほどある。いきなり豹変したピーブズの態度に薄気味悪い何かを感じるもリランは口を開いた。

 

「『この世界で死んでも呪われる』……。随分とユニコーンの呪いはしつこいんだな」

「油汚れみたいにいうんじゃないよ」

「似たようなものだろう」

 

 少々ヤケクソ気味に答えたリランはソファーに座り直すと眉間をグニグニと揉み解し知り得た真実を整理していく。

 恐らくユニコーンの呪いというものは()()()()()()()()続くもの……否、「次」を殺し未来を奪い、呪われた魂の牢獄に閉じ込める。そういった類であった筈だ。

 リランも本来ならばそうなる筈だった。しかし、ピーブズと言う混沌の渦に飲み込まれたことによりなんらかの障害が起きてしまったのだろう。

 つまり、魂が巻き戻ったこと、そして肉体が関係のない少女であることが、呪いから逃げおおせた理由なのだろう。ピーブズの話を聞くからに呪いは存続しているようだが。

 

「死んでも許さないね……。実質的に生まれ変わったにしても、体は別人だろうに。現に、【クィレル】を思い出すまでリランは少しばかり奇妙なただの子供だった。それでも執拗に殺しにかかるなんて本当に聖獣のやることか? いや、聖獣だからこそ、か」

 

 なんて傲慢なんだと恐れ慄くリランにピーブズは笑いながら言った。

 

「聖獣だなんて言ったってアイツら自体は崇高とは程遠いぜ? ノアの箱舟然り、処女厨思考然り!」

 

 魔法生物なんて大概そんなもんさと、慰めるように締めくくったピーブズは再び時計をみやると口を上げた。まだ時間はあるようである。

 

「だけど悪いことばかりじゃぁない」

「どういうことだ」

 

 何を思ってそう言った。本当に馬鹿じゃないのか。盛大にののしりつつも、どこか心当たりがあったリランは辛辣に促した。

 

「ユニコーンの呪いによる圧倒的メリットは三つ」

 

 節くれた指を三本立て、親指を折り曲げながらピーブズは言った。

 

「一つ目は、マーキング。お前にはぶっちゃけ祟りかってくらいに酷い呪いがかかってる。これはお前を喰ったことによって間接的に呪われたピーブズにしかわからない。おれ自身は呪いみたいなものだしなんの弊害もないんだけどね、つまり安全面も抜群なGPSだ! ただ、濃度が高すぎて、近くにいるときは役に立たないな」

 

 全く安心できないし、リランのメリットではない。勝手に居場所を把握されている事実があまりにも気に入らず、折角ほぐれた眉間にしわが寄ってしまった。

 

「二つ目。魔力伝達の効率化。これはお前もなんとなく勘付いてたろう? 並の子供が六年間も絶食寸前で生きていけるわけがない」

「確かに怪我の直りが少し早い気はしていたが……。成程、生命維持に魔法を使っていたということか」

 

 薄っぺらい身体を撫でながら合点であると頷くが、やはりイマイチ理解できない。リランの疑問に人差し指をブンブンと振りピーブズは答える。

 

「魔力伝達ってのは基本的に使えば使うほど上手く強くなっていく。勿論、個人差とか生まれながらのセンスの違いもあるけどね。そんでもってお前は常に自分の命を守ってた。最小限の魔力で最大限の効果でね。だから無言呪文とか魔法の扱いは結構洗練されてるんじゃない?」

「魔法の発生までのラグがほとんどゼロってことか。……だが、それは不幸な目に合うユニコーンの呪いで、仕方なく習得したってことだろ? 結局はデメリットに変わりはないじゃないか」

「勿論!」

 

 リランは溜まらず呻いた。つまりそれは、このままメンター家に居れば未来がないと言うことだろう。ある程度の年齢を過ぎれば魔法省に勘づかれてしまうし、杖がない状態での魔法の使用に関してリランは素人である。

 ユニコーンの生息する魔法界には出来るだけ行きたくない。そしてここが過去と言うことは間違いなく闇の帝王も存在している。

 絶対リランを殺すマン(ユニコーンの呪い)なのだ。間違いなくマグル界よりも不運を引き起こせる世界に進んで行く阿呆があるか。

 何としてでも逃げ出し、ただのマグルとして生きなければ。じわじわと未来への不安が這い上がって来るのを感じながらリランは唇をきつく噛みしめた。

 その様を愉快気に眺めていたピーブズは、打ちひしがれる少女をヒョイと引っ張り上げると座り込むリランに視線を合わせ爽やかに告げた。

 

「ちなみに、最後のメリットはおれが滅茶苦茶愉しいってことだけど、そこら辺ちゃーんとわかってる?」

「お前が性悪なことだけ分かった。シネ」

「もう死んでるぜぇ?」

 

 苛立ちが頂点に達したリランは思いっきりピーブズのすね毛を引っこ抜いた。情けない悲鳴に少し溜飲が下がったが、腹立たしいことには変わりない。涙目で脚を摩り文句を言いつつ、ピーブズは手元の懐中時計をリランにみせる。

 

「冗談はさておき……そろそろマリアが帰ってくる時間だ。他に聞きたいことはあるかい、お嬢様?」

 

 文字盤の「12」と「4」をさす針に、『もうそんな時間か』と内心驚いたリランはビッとピーブズを指さした。

 

「サボク・オー・エアクイルだったか。そいつの精神は今どうなっているんだ? たしかマリアの秘書だったよな。今後に関わる。ちゃんと説明しろ」

 

 お前がよく言うね、と小さくぼやいたピーブズは身なりを整えながら、気だるげに答えた。

 

「こいつは元サラリーマンの廃人寸前のアル中野郎。会社では優等生やってたみたいだけど、一緒に暮らしてた母親を殴りつけてたからお前相手にはちょうどいいかなってかっぱらってきたんだ。本名は知らなーい!」

「お前……」

「顔立ちからして恐らくは中国系の血筋だろうから、それっぽい名前にしといた。まぁ、平気だよ、人種なんて大した問題じゃない。どちらにせよここに潜り込む前に改名手続きはしてるし。正真正銘、こいつはサボク・オー・エアクイル。それでいいんだよ 」

「ちょっとまて、サラリーマンってそれ、会社の方は平気なのか?」

 

 かなり重要なことを言われた気がするが、愉快犯相手に正論なんて時間の無駄でしかない。神経質な質のリランは細かいところまで把握したかった。

 

「だいじょーぶ! サラリーマンつったって、マフィアの傘下にあった会社だし。つーかそこの下っ端だったしね。取引先もお前が売られてた闇オークションだから平気へーき。むしろ人が消えても全く気にしないザル管理! コイツ、容量悪かったみたいだからきっと勝手にのたれ死んだって思ってるよ」

 

 治安の悪さに慄きつつも、ふと湧き出た疑問がポロリと溢れる。

 なぜコイツはリランが売られていたことを知っているのだ。

 

「おい、まて、まさかお前あの時あの場所にいたのか……!? 血統書と名前の……?」

「ああ、居たわ。ピーブズだね!」

 

 今度ばかりは呆れて物が言えなかった。というかこの流れは前もやった気がする。ああ、頭が痛くて泣きそうだ。

 運悪くサド一家に買われたリランを助ける為に———助けてはいないが———悪霊としてジョセフを追い詰め、マリアの秘書に取り憑いたのかと思っていたがだいぶ違った。

 正しくは、居なくなっても困らない人間に取り憑き、時代錯誤である意味わかりやすいメンター家に送り出したのである。つまりはこの悪霊が地獄の元凶だったのだ。いや、最初からそうだったか。

 怒りを通り越し力なく項垂れるリランの頭上でピーブズは得意気にべらべらと喋りだす。

 

「いやー我ながらいいセンスだと思うよ! Quirinas Quirrell(クィリナス・クィレル)のアナグラムでRerun qi Ariquills! (リラン・エアクイル)! 流石にLilanに書き換えたけど名前の由来が再演だなんてホーントぴったし! 素晴らしいネーミング! 才能感じちゃうね!」

「ちょっと待て」

 

 リランの導火線は短く乾燥気味だ。聞いてもいないのに、由来を語ろうとするピーブズの胸倉を再び掴み上げ、聞き捨てならないパワーワードを青筋を立てて問いただした。

 

「色々と物申したいが!! 今私の名字が『エアクイル』と言ったな? エアクイル!! お前の名前は!? 名前!!」

「んふふッ、サ、サボク・オー・エアクイルだけど?」

「エアクイル!? エ、エアクイルゥ!! そ、それってつまり」

「うん。養父だね」

「おま、おまえぇぇ……!!」

「パパだよリランちゃん」

「モ゛ア゛————ッッ!!!!」

 

 とうとうリランは奇声を上げてピーブズ揺さぶりだした。なんだそれは!! 全く! これっぽっちも!! 聞いてない!!! 

 

 ゼエゼエと息を荒げ憤怒に燃える瞳を限界まで見開くリランの形相は、血色の悪い顔色と相まって非常に恐ろしいものだが、ピーブズはへでもないらしい。それどころか堪えきれないとばかりに勢い良く噴き出し若干過呼吸になりながらも、

「リラン・チー・エアクイルじゃ不自然だから、Qと Iはおれが頂いたよ」

 と告げてくる余裕まである程だ。とても殺したい。

 火に油を注ぐどころか、ガソリンを背負って地雷原で華麗なタップダンスを披露したピーブズは、怒りのあまり人語を忘れたリランを掬い上げポンと天蓋ベッドに放り投げると何でもないように声をかけた。

 

「まあ後は何とかするからさ! もう少しでジョセフも廃人寸前だしさ、マリアがこの家の当主になるまで耐えててね!!」

「~~~~ッッ!?」

 

——当主交代ってなんだそれ! 全然聞いてないし知らないんだが!? というかやっぱりお前が犯人か!!

 

 最後の最後まで大切なことを言わないピーブズに、リランはありったけ呪詛を唱えるのだった。







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【5】Mad empress(気狂いの女王様)





 既にピーブズが部屋に訪れてから、時は二日経過していた。

 

「……ハァ」

 

 ベッドの枕に背中を預けたリランは、疲労が馴染んだため息を溢しながら、両の足首に取り付けられた枷に目をやった。

 目下、彼女を悩ませているのはこの重苦しい拘束具なのだが、頭痛の種の8割は先日のカミングアウトが原因だった。

 並行世界だの、養父だの当主交代だのと好き勝手脳内をひっかきまわし、さっさと姿を眩ませた憎きポルターガイストのピーブズ。ただの迷惑な雑魚と思いきや、その正体は長きに渡りホグワーツに蔓延る混沌を糧にした老獪の化け物だったのだ。

 記憶の中では、直接被害を受けたことがないことを抜きにしても、人騒がせな馬鹿という印象しかなかった故に大変驚いた。どうやらマリアの下で上手く執事を演じているらしく、独自で彼なりに動いているようだが、今までの言動からしてリランは心臓が縮む思いだった。兎に角胃が痛い。

 穴でも空いているのかと腹部を摩っていたリランは、こちらへやって来る足音に身をこわばらせた。小さく舌を打ちスゥッと表情を殺した瞬間、勢いよく扉が開いた。

 

「エンジェル! お行儀はよろしくて?」

 

(そろそろこいつの相手も限界だ……!)

 

 リランは貼り付けた無表情の裏で、喉まで出かけた悪態を堪え何やら喚くマリアに身を任せた。マリアはジョセフが完全に廃人となった今、新たな当主として忙しく働いていた。様々な事務に時間を支配される彼女に当然、今までのようなリランとの『オメカシ』が出来るはずもない。

 これは幸運だと当時ほくそ笑んでいたリランの思惑は、マリアの『寝室に監禁する』という暴挙でしかない解決策に爆発四散し、こうして鉄のアクセサリーと一日中過ごす羽目になっている。狂人の考えなんて誰が分かるか! リランは過去の自分を何千回と殴り飛ばした。

 

「ジャジャーン! 今日はこのドレスよ! どう? 気にいったかしら?」

 

 マリアは返事など求めていない。彼女は己が満足ならそれが答えなのだ。 元成人男性とか、元禿げ頭とか、元教師だとかそういうことは考えてはいけない。モラルなど今世の母親の腹に置いてきたのだ。だから、これ以上突っ込んではいけない。リランは空色のパニエを死んだ目で見つめると思考を放棄した。

 

 ──こいつもまだ仕事が残ってるんだ。たった数十分耐えればいい……。ああ、早く終わってくれ!! 

 

 毎日執り行われるこの苦行に精神を抉られつつも、リランは持ち前の流されやすさと忍耐力で順応していた。慣れとは恐ろしいものだ。リランはされるがままに為りながら、しみじみと頭の隅で考えた。

 傍から見れば、気が可笑しいやり取りだがここにはベッドも暖かい部屋もある。全裸でリンチや野ざらしよりは遥かにマシだ。明らかに狂った空間でもリランにとっては楽園同然。むしろ一種の安らぎすら覚えてしまっている。

 これが済んだら思う存分に眠ってやるぞと、リランは意気込んだ。

 ……だが、彼女の珍しい気の緩みは、次の瞬間ギュッと引き絞られることとなる。

 

「ねえ……エンジェル? あなた最近、ちょぉっと大きくなったんじゃなあい?」

 

 文字通り着せ替え人形よろしく、目を開けたまま微睡みかけていたリランは、マリアの言葉を聞いた途端、石のように硬直した。

 いつかのような毒々しい声色にどっと脂汗が湧き上がる。目に見える狂気に冷たくなったリランの身体を、マリアは無遠慮に弄りヒステリックに叫んだ。

 

「……ああ、やっぱり! 腰回りが太くなってるわ!! 道理で服が入らないわけよ!!」

 

 溢れる憎悪に当てられ、一瞬思考回路が滞るもリランは冷静に己の身体へ視線をやった。

 浮き出るあばら骨と肋骨、ズタボロの創傷まみれの乾燥肌に夥しい暴力の痕跡。いつもと変わらない、我ながら目を背けたいくらいの痩せ細った肉体だ。 

 何を見て言っているんだこの女は。お前のお気に入りの、脂肪一つない鶏ガラだぞ? 

 リランは肩透かしをくらったように胸中で小首を傾げたが、思い当たる節があったのかサアッと青ざめた。

 

(ま、まさか……!?)

 

 リランはジョセフからの食事が途絶えても、生命維持の魔法で何とか意識を保っていた。だが、魔法を使うのにもエネルギーは必要だった為に限界は直ぐにやってきた。まさしく餓死寸前の有様だったが、あの日の会合以来隙を見てはやって来るピーブズによって彼女は殆ど毎日食にありつく事が出来ていた。

 勿論、食事と言っても衰弱しきった身体では固形物など到底取れる筈もなく、東洋の『オモユ』という米の煮汁をリランは食べていた。ピーブズによれば栄養価が高い病人食で、出産後の妊婦などが食すモノらしい。 聞いた当初は無駄に博識だなと、ピーブズをアメーバほど見直したが今はそれどころではなかった。

 

(まだ食い始めて一週間だぞ!? 魔法じゃあるまいし、そんな急激に肉がつくわけあるかクソったれ!!)

 

 本物の化け物だったかと慄いていたリランは、髪を振り乱し発狂するマリアの姿に今度こそ完璧に固まってしまった。

 

「なんてこと!! 一体誰が食事をやったの!? ああああああああッッッ!! ダメよ、お人形はいつでも美しくなくっちゃ……変わるなんて許さないッ、ぜえぇぇぇったいに許してなるものですかァ!!!」

 

 鬼の形相で甲高い怒号をあげた貴婦人は、おもむろに部屋の箪笥を漁り始めた。生きた心地のしないリランは突然の奇行を見ることしか出来なかった。やがて目当てのものを見つけたのだろう。ガウンにそれを押し込んだマリアは、無邪気に笑いながらズンズンとリランに押し迫った。

 

「──ぅッ」

 

 声を上げれば更にマリアの機嫌を損ねてしまう。眼前のギラつく猟奇的なアイスブルーにリランは必死に悲鳴を飲み込んだ。

 

(落ち着けッッ……! 絶対に声を出すなッ、体を動かすな……。大丈夫、いつもみたいに大人しくしてれば直ぐ治まる。だいじょうぶ、おちつくんだ……!!!)

 

 言い聞かせるように、祈るように何度もリランは唱える。緊張はピークに達し、今すぐここから逃げ出したい。だが下手なことを打てば確実に殺される。覚えこまされた苦痛は正直だった。

 耐えろ、耐えろ、耐えろ。目を見開き、驚くべき鋼の精神力でリランはひたすらに悪夢が去ることを願った。

 ──けれど、呪われた彼女の現実はいっそ清々しいままに無情だった。

 

「!?」

 

 いきなりベッドへ縫いつけられたリランは、驚く間もなく手錠をかけられ、先程引き出したであろう鋏で服を引き裂かれた。冷たい金属に肌が泡立つも気丈にリランは口をつぐむ。どこまでも人形じみたリランに、蕩けた吐息を吐きかけたマリアは恍惚と少女の顔に手をかけた。

 痩せこけた輪郭をなぞりながら、彼女は吐き気を催す醜悪さで口を開いた。

 

「もう二度とあなたがヒトに堕ちないように」

 

 唇同士が触れ合うギリギリのところで、鋏を握った化け物は扇情的に囁く。

 

「今後一切あなたが薄汚いメスに成り下がらないように」

 

 リランはビシバシと感じる悪寒に嫌悪の震えを覚えた。彼女の非常に敏感な察知能力は、物の見事に最悪を捕らえてしまう。否、捕えてしまった。

 スルスルと下半身を這いずっていた蛇の掌が、ピタリとある一点で止まる。

 

「この可愛いクチビルを切り取ってあげるわ」

 

 理解の範疇を超えた、禍々しく凄惨なシナリオに少女は竦みあがることしか出来なかった。

 

 



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【6】Death of “Chaos”(お粗末な終わり)

「ホ~ぉ? 結構、羽振りがいいんじゃないマリア様? さっすがだねぇ!!」

 

 事務仕事に勤しんでいたピーブズは、おどけた調子で呟いた。

 

 それにしても凄まじい書類の数である。送付や提出、書き換え等々やることの多さったら途方もなかった。いくら睡眠を必要としないピーブズが憑依しているとはいえ、体はサボク・オーのもの。感覚が鈍かろうが流石に五徹はキツかった。

 

 ———秘書についたのはマズかったかもしれない

 

 紙束を適当に纏めながら冷静に思ったが、マリアきってのご指名だったのだから、どちらにせよなるべくして成ったのだろう。考えても無駄だとピーブズは首を降った。

 コチコチと静かな部屋で置時計が時を刻む。 小気味よい規則的な秒針の音と同調するように、ピーブズは思いを巡らせた。

 この男に憑りつき、屋敷に忍び込んでまだ半年も経っていない。だが、マリア・メンターは驚くほど簡単にピーブズを信頼していた。

 実のところ、肉体を得てもピーブズの五感は殆ど死んでいる。久しく乗り移った彼は、その特性をど忘れしていた為、初勤務で紅茶を淹れるお湯や暖炉の炎を幽体時と同様の感覚で、しかも、その時覆った大火傷にも真顔で対処というおまけ付きで扱ってしまった。多分それが彼女のおきに召したのだろう。相変わらず理解不能な琴線だと、リランがいたらどつかれそうな事をピーブズは思った。

 そう、リラン。脳裏に浮かんだ少女にピーブズは口角を吊り上げた。

 愚かな男を喰らったら、もっと愚かになって帰ってきた。これほど愉快で馬鹿らしい茶番は、生まれて、いや、死んで初めてだった。

 神経質で臆病者の皮肉屋、容量の悪い頭でっかちに歪んだ倫理観。日和見野郎かと思えば信じられない程の忍耐力でしぶとくしがみつく根性。安外と脳筋思考なのも面白い。度々崩れる御粗末な理論武装もお気に入りだ。

 悪人面で二ヤつく様子は控えめに言って不審そのものだったが、生憎、通報する目撃者はいなかった。

 無機物と生命体の呼吸が、紙の匂いと混ざっていく。淡々と資料を積上げピーブズはジッと左手を見やった。小指から順に握りパッと開けば陽炎のように景色が揺れる。続けざまに、パチンと指を鳴らすと歪んだ景色がスルリと吸い込まれた。

 一見何の変化も見られないが、ピーブズは確信した。

 

 ———カオスの、自分の力が増している

 

「マグルの体で裂け目が作れるなんてどーゆーことだよ……」

 

 気が抜けたしかし、困惑しきった声色でピーブズは眉根を寄せた。

 クィレルの存在が『向こう側』の自分から伝わった時、ホグワーツでシャンデリアの留め金を緩めていたピーブズは『どうやってここからそこへ向かうか』と頭を悩ませた。

 別にちょっとばかり留守にしたって何ら問題はない。他のゴーストと違って自分は自由だ。だが、感じる呪いの大きさからして一筋縄ではいかないことは容易に察せられた。これはかなりの持久戦になるだろうと当たりをつけたピーブズは、長期間学校を離れることに難色を示した。

 こんなに割の良い餌場はないし、ダンブルドアにだってきっと怪しまれる。それに悪戯が出来ないなんて有り得ない! 

 偏り過ぎた優先度に酷く迷走したピーブズが、『もうアイツ見捨てていいかな』と結論を出しかけたその時、事件は起こった。

 

「めんどくさいなぁ~……。アレだ、もうこっちのおれがやった訳じゃないし、いいよほっといても!」

「いや、絶対面白いってば! チラッとだけなら見に行けるぜ?」

「うーん……でも悪戯をサボっちゃうのは———って」

「え?」

 

 考え込んでいたらいつの間にか分身していた。

 今までの人生ならぬ悪霊生がひっくり返るような珍事にピーブズは本気の本気で焦りまくった。今までのこんなことは一度だってなかったのだ。

かなり動揺していた彼らの正気は揃いも揃ってゴミ箱に頭を突っ込んだところで戻ってきた。

 そしてスンッと憑き物が落ちたような顔で———彼ら自身が憑き物と言ってしまえばそれまでだが———互いに向き合ったピーブズらはあくどい笑みを浮かべた。

 

 ———これお前がいけんじゃね? 

 

 その後どちらが行くかで少々揉めたが、オリジナルのピーブズがクィレルの元へ行くこととなった。

 

「あとは任せたぜピーバジー」

「うん、お土産頼んだよピーブズ」

 

 教師とフィルチに感づかれないようピーブズはコッソリと場内から抜け出した。

 姿を消し、魂を飲み込んだ際につけた呪いを頼りにイギリスをうろつきまわる。中々に骨の折れる作業だったがクィレルの業を考えればまず間違いなく無事ではない筈だ。

 要は、信じられないくらい不幸なヤツを探し当てれば良い。三日ほど路地裏を中心に治安の悪い箇所を探っていたピーブズは漸く呪いの名残を見つけた。どうみても堅気で無い男の体に残る呪いの痕跡にやっぱりかと嗤いつつも適当に意識をかっぱらう。

 憑依先の仕事場はいかにも怪しい建物の地下だった。そこには狭苦しい部屋に押し込められたショウヒン達がいた。

 やはりマフィアだったかと死んだ目の子供達を眺めていたピーブズは気力に溢れた一対の水晶に目を奪われた。持ち主はマグル界では見たこともない珍しいブルージュの髪の毛をした少女だった。

 間違いない、アレは呪われた子供だ。

 記憶もないのに猫を何匹も被って従順にする強かさに興味を惹かれたピーブズは、思えばここで初めてクィレルを認識した。

 商品名の記入作業を任されたピーブズは少女の血統書を手渡されニンマリと心中でほくそ笑む。名前を付けれるなんて好都合だ。

 イル・リエニアルスルーク‎、ケリイ・カイス・ウウルル……Quirinas Quirrell(クィリナス・クィレル)の名前をパッと頭の中に並べ何回か置き換えていくが何だかどれもしっくりこない。

 存外にも拘りの強いピーブズはふと『向こう側』の己の言葉を思い出した。『再演』……そうだ!! 再び同じことを繰り返す! 

 ピーブズは閃きのまま書類にrerunと書こうとするが、一度頷くとLilanと少し捻って綴った。

 満足げに頷いた悪霊はクィレル……否、リランを買ったメンター家の詳細に目を通した。

 流石は裏側の世界だけあって情報は事細かに記載されている。そこそこに稼いでいるらしい地主の倅であるジョセフ・メンターは、母方の高祖父が階級男爵(バロン)の爵位を持っており時代錯誤な育ち方をしたらしい。

 サッチャー政策があるというのにと呆れたピーブズは伴侶のマリア・メンターにも目を通す。普通の家庭に生まれたマリアは貴族に大層憧れを抱いていた、否、現在進行形で憧れているらしい。

 その願望を周囲がドン引きするほど拗らせた彼女は中々強かな人物でジョセフの見合いに進んで名乗りを挙げたようだ。彼女自身が相当な投資家だった為、金目当てブランド目当てとある意味お似合いの二人と言えるだろう。

 

(まぁどっちとも狂った性癖モンスターだけどさァ!!)

 

 可哀想なリランちゃんと笑い転げた悪霊は、リランの買い取り先のしっかり住所を目に焼き付けると憑依を解き疾風の如く飛び去った。

 ホグワーツへの帰り道で彼は、着々と算段を建てていく。

 まずは、メンター家に忍び込み旦那の方をダメにしてしまおう。元々抑圧された人間のようであったし女よりは簡単に廃人になるだろう。それからさっきの男に乗り移ってメンター家に忍び込むのだ。リランだって誕生日を迎えたほうがきりがいいだろうし、何たって今月は大事なイベントがある。ポルターガイストとして見過ごすわけにはいかない。

 

「アー……養子制度ってどうなってるんだっけ? まあ後で調べればいいか」

 

 ウキウキと空を駆けぬけたピーブズは学校につくや否や、ことの次第を上機嫌にピーバジーへと語った。

 ピーバジーは発酵しすぎたウィスキーと蛆のわいたスモークサーモン片手に迎えてくれた。

 

「なあ、ピーブズ。お前これからどうするんだい?」

 

 天文台のてっぺんで夜景と怒り狂うフィルチを見物しながら宴を楽しんでいたピーブズは、ピーバジーの口に咥えられたサーモンが夜風に揺れるのを尻目に答えた。

 

「とりあえず、バレンタインをぶち壊す」

「そうだね!!」

 こうして、恋の芽を毟り取ったり、生徒の試験勉強を全力で妨げたり、フィルチにウィスキー(勿論腐っているものだ)を送り付けたりと外道極まりない日々を謳歌しながら、ピーブズは五ヶ月の間計画を練っていた。

 緻密な準備の末、彼は思惑通りの『ジョセフを墜落させマリアを当主にする』という書き筋を達成した。

 

「第二ステップまで、合わせて八ヶ月……結構長かったけどこーんなに素敵なオモチャ──じゃなくて、相棒が見つかったんだから安いもんだよね!」

 

 やはりリランがいたらすね毛を抜かれそうなことを口走り、ピーブズはチラリと時計を確認した。

 

「あらら、もう夜の九時ぃ? はっやいね人間の時間は……!」

 

 未だに慣れないとぶつぶつ一人ごち、まだ今日はリランに食事を与えていないことにピーブズは気づいた。

 医学書だったか、病人食の指南書かは忘れたが、そこに記載された極東の料理は胃に優しい物が多かった。常人では物足りないがあの萎びたもやしを肉付ける第一歩としては相応しい。アジアンマーケットでの買い物は多少値が張るが、金のあるメンター家にとっては微々たるものだろう。

 また味気ないオカユを食べるのかとピーブズは若干気が滅入るも、実は米の腹持ちの良さに感心していたりする。

 今度、日本のくさやという乾物と一緒に食してみよう。アレは臭いが凄まじいので感覚の鈍さも気にならないのだ。

 取り留めないことを考えたピーブズはグッと伸び上がり、ひと段落ついた仕事を終わらせようとしたところで———

 

「——イヤアアアアアァァァァァッッ!!」

 

 脳髄をぶち破る、悲痛にまみれた少女の絶叫が屋敷中に轟いた。

 

「は!?」

 

 少し掠れた曇りガラスのような悲鳴。子供らしい鼻にかかったまろい声に、大人びた冷めた声色。それは間違いなく聞きなれたリランのものだった。

 瞬時にピーブズは駆け出した。何か厄介が起きていることは確実で、何より今まで彼女の感情に溢れた声なんて聞いたことがない。

 

 ———生意気なアイツがあんだけ取り乱してんだ。絶対ヤバいぞコレェ!!! 

 

 瞬く間にマリアの寝室へ繋がる廊下へとたどり着いたピーブズは、叫びに駆け付けたであろう使用人を捕まえて焦るままに問いただした。

 

「ねえお前! どうせ事情知ってんだろ!? マリアはナニやらかそうとしてんだよ!?」

 

 教えろと怯える女中に構わず、ピーブズは小声で唸り上げた。もしかしたらいつも通りの『オメカシ』なのかもしれない。限りなく薄い可能性だとわかりつつも、リスクの大きさに躊躇った上での判断だった。

 

「わ、わたしはなに、なにもしらないッッ!! わ、るいことはしてな、っあ————」

「そーかよ。じゃあ、死んどけッ!!」

 

 自己保身に走った女を気絶させ、ピーブズは部屋へ突っ走った。ゴミが更に役立たずになるくらいの所業……。マリアに雇われるくらいにはまともな人間ではないコイツらが狼狽えるほどの何か。

 不味い以外の何者でもない。思いつく限りの最悪を予想し、覚悟を決めたピーブズは駆ける勢いをそのままに渾身の力を込めて扉を蹴り開けた。

 

「リランッッ!! お前、生きてるかァ!?」

 

 大砲並みの破壊音で鍵を粉砕したピーブズは、大声で少女の安否を確認した。しかし、彼が予想したマリアの驚愕の声もリランの返答も返ってこない。

 

「はぁ……? 一体全体どーなってんだよ……!?」

 

 薄暗い部屋に漂う濃厚な血の匂いと香水に鋭く舌を打ったピーブズは、訝しげにカーテンのしまった天蓋付きベッドへ近づいた。

 あからさまに不穏な気配がするそれに警戒しながら、ゆっくりとピーブズはカーテンへ手をかけ、僅かに聞こえたか細い息遣いにピタリととまる。ああ……リランのものだ。

 涙の混じりの声に間に合わなかったのかと舌を打ち苦々しく顔を歪めたピーブズは、一声、開けるぞと告げると返答を待たずにザッとカーテンを開け放った。

 絹の布が舞い上がると同時に一層濃くなる悪臭。遊び尽くす前に壊れてしまったかと何とも言えないやるせなさを感じたピーブズはそろりと広がる惨状に目を向けた。

 彼が目の当たりにしたのは体液の混じった赤黒い血しぶきと切り取られた肉片。そして奈落の絶望に沈む少女の姿……

 

 

 

 

 

 などではなく

 

 

 

 

 

「ッうぇ、んグェッア、おおン゛ン゛〜〜〜〜ンンッ!!」

 

 濁点交じりの奇声を上げ、泡を吹いてノックアウトしたマリアを下敷きにするリランという不可解な光景だった。

 




時系列

ピーブズが分身、going闇オク 2月 リラン5歳
勉強&計画。力を溜め込んだり 7月
リランが記憶を取り戻す 9月
サボク・オーとして勤める 10月 リラン6歳
奇声を上げる幼女(元成人男性) 10月←今ここ


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【7】Farce(茶番劇)

「この可愛いクチビルを切り取ってあげるわ」

 

 リランはマリアの言葉の意味を即座に理解することができなかった。

 デタラメな並びで認識されたアルファベットを無理矢理に完成させた完途端に、ぐるぐると腹の底から吐き気と焦りが込み上げた。恐怖に支配され、パニックに陥った脳みそは正常に働かない。

 何故鋏を持っている? どうして股を開かせる? こいつは今、何をしようとしている?あまりの狂気に、リランの脳内は疑問に埋め尽くされ、最早、生来の冷静な思考回路なぞまともに機能していなかった。

 

「さあ……エンジェル。大丈夫、安心して? なあーんにも怖くないわ……!」

 

 気の触れた女の甘ったるく酩酊した声が、茫然自失の精神を通り抜けていく。痩せ細り拘束された身体では、ただマリアの行為を見つめることしか叶わない。

 茶水晶の凍りついた視界の中で、ゆっくりと怠慢な動きで鋏が開かれる。勿体ぶるように碧眼をトロリと揺らした女の荒い呼吸が下腹部に霜のように張りついた。

 そして、鋭く冷たい鉄の刃がわずかばかりの柔らかな内腿の肉に触れたその時———

 リランの何かが『ぶつんッ』と引き千切れた。

 

「!? あなたッ急になにを———!?」

「ギェア゛ア゛ァ——ッ!!!」

 

 音を立ててぶった切られた限界に身を任せ、リランはあらん限りの力で暴れだした。突然の抵抗にたじろぐマリアの顔面へ、絶叫と共に渾身の膝蹴りを叩き込む。

 

「ッゴは、あぇッ!?」

 

 斜めの角度で抉るように決まった強烈な一撃は、痩身の幼女のものといえど十二分に痛い。思わずのけぞったマリアは暴走したリランに無防備な腹部を晒してしまった。

 その隙を見逃さず、いや、見ているのか見ていないのかわからないほどに狂乱したリランは、容赦なく骨張ったつま先で柔らかな腹を蹴り飛ばす。体重の軽さによる反動でうき上がった自身の背中と尻を反らせ、続けざまに容赦なく脚を振り回した。

 見た目からは想像もつかないほどに乱雑で思う存分に暴れ狂った怒涛の足技に、贅沢尽くしの貴婦人の柔い身体が耐えられる筈もなく。時間にして僅か数十秒後にあえなくマリアは気絶した。

 

「ハアッ……ハアッ……ハァ……!」

 

 崩れ落ちたマリアを見たリランは、荒い息を整え足先で体をつつき、完全に意識が飛んでいるかを調べる。

 口の端に涎と泡をふき白目を向くマリアの顔を、寝そべった視野で確認するとようやく力を抜いた。

 

「…………」

 

 ホッとしたことで頭が少し冷えたリランは、呆然と部屋を見渡した。

マリアを倒した。リランが。蹴りで。興奮に消えた記憶が断片的に蘇っていく。

 都合のいい展開にリランは現実味が感じられなかった。しかし、ひしひしと軋む肉体が真実を主張している。シーツに滲んだ赤色に鋏が擦ったのかと納得するがいかんせん脳内への伝達速度がカタツムリの欠伸よりも鈍臭い。

 気絶したマリア。鉄の拘束具。足元の鋏。

 ぐるりとそれらをもう一度見回したリランは、いくらか目を瞬き顔を伏せ、そのままスンっと真顔になった。それはもう見事なまでの「無」だった。

 

「うえぇッ……ン゛ン゛ん〜〜〜〜ッ!!!!」

 

 数秒後、濁りきった咽び泣きが寝室の中に響いた。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「なァ〜にやってんのおまえ」

「~~~ッッグぅ!! わ、らうなァ……!」

 

 はてさて。ことの顛末を聞いたピーブズの第一声はこれに尽きた。

 幼児の落書きのようにグッシャグシャな顔と酒焼した野郎顔負けのだみ声で叫ぶリランを適当にあやしながら、枷を外しとりあえず爆笑する。

 

「ほ、ほんとに゛っ、こわ゛かったんだぞ!? ~~~い゛つおきるかわかん゛、わかんないしッ、おまえ、ぜんぜんこないしぃぃぃ!!」

「あー……ごめんね。つーか顔ぉ! ドロドロじゃあないか」

「あ゛〜〜〜〜ッ!!!」

 

 しゃっくり上げ羞恥など知らんと言わんばかりのリランにハンカチを渡し、ピーブズはぐずる少女に少なからず安堵する。

 

「ホーント無事で良かった。まさかの物理は驚いたけどね 」

 

『死んでたらめんどくさかったし』という言外のそれを正確に感じ取った拳を躱し、ピーブズはマリアを担ぎ上げ部屋のソファーに投げ捨てた。

 

「……それどうするんだ?」

 

 ようやく平静を取り戻したリランの問いかけに、ピーブズはニッコリと答えた。

 

「ホントはもう少しだけ時間が欲しかったんだけど、お前のせいで早まっちゃったので!! 早まっちゃったのでぇ~す」

「ぶっとばすぞ」

「威勢がいいね泣きべそちゃん」

 

 さっきのアレを一生揶揄うネタにしたピーブズは、リランの呻きを無視してマリアの白目を閉じさせ、瞼越しに視線を合わせる。

 ようやくだ。ようやく本番に入れる。

 ピーブズは、練りに練った細やかな計画の最終段階『マリア・メンターの洗脳』に移れることを喜んだ。

 

「『哀れな孤児を引き取った使用人が使える富豪に訪れる悲劇……心を病み命を落とした夫を慈しみながらも自身を支えた使用人を慮った未亡人の奥様は彼の養子をも手厚く保護してくれた』ってのが一番建前として都合がいいのさ。今頃ジョセフ・メンターも殆ど死んでるだろうし結果オーライ!」

「お前そんなことまで考えてたのか……」

「世間の憐れみは女の方が引きやすいんだよ。ドン引くのは結構だが、一応お前の為だぜリラン」

 作為的な悲劇だろうが書き換えた戸籍は本物。辻褄はあっているのだし、いくらダンブルドアでも警戒レベルに留めてくれるだろう。

 

 ———まあ、ピーブズが分身してることに気づいてない時点で平気か

 

 あの賢者に限らず魔法使いは皆自分達人間以外の生き物の能力を侮っている節がある。きっと自分達だけが特別だと無意識に思い込んでいるのだろう。食物連鎖の頂点に甘じているのであれば致し方のないことかもしれないのだが。

 ……魔法生物の現状などどうでも良い。そんなことは魔法省の仕事である。いや、ピーブズが今やろうとしていることもある種の弱肉強食なのかもしれない。

 着々とchaos(カオス)の力でマリアの精神を汚染していく。魔法使いですら『向こう側』をちょっと見ただけで正気を失うのだから抗う術のない非魔法使いの人間など容易い。

 きっと彼女は地獄の片鱗を味わっているのだろう。せいぜいマグル達が思い描く阿鼻叫喚の景色を十分に味わうが良い。

 弱さ故の驕りが身の破滅を招いたのだ。因果応報、いい気味だとピーブズはスンっと鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「拙者親方と申すは、お立ち合いの中にご存知のお方もござりましょうがお江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をお過なされて、青物町を登のぼりへお出いでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今ただいまは剃髪致いたして、円斉と名乗りまする」

「エンサイドノー!! ぎゃはははッッ!!」

「えげつないなお前……」

 

 泡を吹きながらビクビクと打ち上げられた魚のように痙攣していたマリアは、ピーブズの洗脳らしき行為により異国の言語を流暢に語るようになっていた。

 

「え、何? Oyakata……? Ensai?? えぇ……」

 

 マリアが何を言っているのかはまったく分からないが、ロクな言葉では無い筈だろう。笑い転げるピーブズにリランは慄き呟いた。

 この馬鹿を具現化したような馬鹿オブ馬鹿にしか見えないポルターガイストは、学校でのしょうもない悪戯が嘘のように実に恐ろしい目論見を企てていた。終わってみれば実に鮮やかで合理的な手口だったがいかんせんモラルが皆無な為に素直に称賛できない。

 

「というか私の人権がなかったんだが」

「じんけん? お前が? 冗談はよしてよ!!」

 

 釈然と出来ず、ぽろりとこぼれた不満を耳ざとく聞き取ったピーブズがケラケラとせせら笑ってきた。やっぱり馬鹿だなと、上がった評価をマントルまで引き下げリランはマグカップの重湯を啜った。

 数時間暴れたせいか、微熱を出したリランは洗脳済みのマリアに世話をやかれ、現在ベッドに横たわっている。勿論、別室のものだ。

 部屋を移動する途中、何人か使用人が倒れていたがピーブズが即座に洗脳を施した為、事なきを得た。正直、マリアはトラウマ以外の何者でもないので今後一切関わりたくなかった。さっき着替え持ってこられた時も全く興奮しておらず、弱った子供に向き合う善良な人間そのものの仕草で逆に怖かったのである。

 密かにビビるリランは、今後は自分で着替えを持ってこようと心に決めズズーっと重湯を飲み込んだ。

 

 

 

「食欲があるなら食べとくざます」

「おいピーブズ、語尾がなんだか変だぞ」

「ハイハイ。マリア、お前部屋片付けてこい」

「分かったざます」

「ピーブズ!!」

「ワガママだなあ……折角面白いのに。マリア、普通にして今すぐ行って」

 



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【8】Hogwarts(ホグワーツ)

 一九八九年。

 瑞々しい木々の香りを孕んだ、そよ風が吹き抜ける初夏のとある日の午後。霧と雨の国を冠するイギリスの珍しい晴れ間を、けたたましい声が打ち壊した。

 

「リランお嬢様!! 手紙! てがみ来たぜぇー!!」

「わかったから、その巨体で大声を出すな喧しい!!」

 

 騒音の源は、バーミンガムの街の一角に立つメンター家の屋敷からだった。傍から聞けばこの慌ただしい男女のやり取りは、仲の良い使用人と令嬢のものに思えるだろうが、実際は全くもってそうではない。何故ならば、少女の中身は元成人男性の犯罪者であるし、呼びかける男の本性は人間に憑りついた愉快犯のポルターガイストだっただからだ。

 

「今行くから待ってろ!!」

 

 リランと呼ばれた少女の声は、磨りガラスのような繊細なソプラノに似つかわしくない乱暴な怒鳴り声を上げると、忙しなく階段を駆け下りた。

 

「おはよう寝坊助! いい朝だね!」

「思いっきり午後だ阿保!」

 

 勢い良く開けた扉の先で、嫌味と共に出迎えた体格の良い燕尾服の男、ピーブズを一蹴したリランは机に置かれた手紙に目を細めた。

 手に取ったそれには『リラン・エアクイル様』とエメラルドのインクで綴られ、裏返して見れば大きな紫色の蝋で封がされていた。『H』のエンブレムを囲む四匹の動物は、間違えようもなくホグワーツの紋章でリランは顔をそらす。

 

「そろそろかと思っていたが……。相変わらずどのタイミングでくるか分からん」

「ホグワーツの七不思議だねぇ〜」

 

 羊皮紙の封筒を眉間にしわを寄せ開封するリランに、ピーブズはブドウを摘まみながら返した。

 

「———親愛なるリラン・エアクイル殿

 このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書ならびに必要な教材のリストを同封いたします。新学期は九月一日に始まります。七月三一日必着でふくろう便にてお返事をお待ち申しております。

 敬具 副校長 ミネルバ・マクゴナガル──」

 

 読み上げた内容は記憶にたがわないものだったが、生憎あの時の感動など一ミリも湧かない。むしろ全力でお呼びでない入学許可書だった。

 同封されていた二枚目と三枚目を確認したリランは、憂鬱に満ちた心のままに叫びたい気分だ。

 

「『通達 来たる七月二十日、ホグワーツより教職員がお伺いします』だってさ! 誰が来るか楽しみだねぇ」

 

 追い打ちをかけるピーブズを睨み付け、リランはとりあえず落ち着こうと紅茶に手を伸ばした。

 涼しげなレモンの風味が火照った喉を潤していく。暑さと緊張に渇いた体に冷えた水分が心地よかった。

 ごくごくと喉を鳴らして飲み干していると、右側から視線を感じた。ピーブズだ。おちょくる以外の目的でマナー違反を咎めるような輩でもないし、送られるそれは悪どい興味を滲ませていて中々に鬱陶しい。

 

「……紅茶くらい好きに飲ませろ」

 

 オモチャではないのだと、負けじと見つめ返してやるとピーブズは弁解するようにニマニマと笑った。

 

「いやぁ〜なんか感慨深くなっちゃってさァ! だって死体歴五年ですみたいなツラしてたお前が天下のホグワーツに通うんだぜ! しかも、こーんなに美人になっちゃって! ピーブズ信じらんな〜い」

 

 なよなよと涙を拭うフリをして、面白がる本音を隠さず告げるピーブズに『自分が一番信じられない』とリランは遠い目で背後の姿見に映る自身を見つめた。

 椅子に腰掛ける少女は、ブルージュの珍しい髪色をしていた。聡明な茶水晶の瞳は切長で鋭く釣り上がっているが、絹糸のような頭髪と同色の長く豊かな睫毛に縁取られていることで伏目がちの甘い印象になっている。

 透き通ったきめ細やかな白磁の肌に、スッと伸びた鼻筋と形の良い小鼻。今は不快気に窄まっているが、サクランボの薄い唇は実に柔らかそうだ。淡い白地にブルーベルが散りばめられた七分袖のワンピースも大層似合っており、彼女の纏う冬の妖精のような美麗な雰囲気を年相応に見せていた。

 五年に及ぶ養生生活で、リランは見違えるほどに美しくなっていたのだ。

 食事が重湯からお粥に変わった頃は、美少女の片鱗など皆無だった。が、固形物を食して数ヶ月。リランの姿は信じられないくらいに変貌を遂げたのである。もっとも、やつれたゾンビ同然の顔など見たくないと鏡を避けていたリランが、自身の変化に気付いたのは三ヶ月ぶりにホグワーツから帰ってきたピーブズに指摘されてからだ。凄まじいビフォーアフターに二人とも混乱しきったのは早く抹消したい記憶である。

 

(まあ健康なのはいい事だが……)

 

 はっきり言ってしまえばリランはこの外見を煩わしく思っていた。勿論、どストライクでガッチリ心を鷲づかまれたし、自分といえども本気で惚れかけた。だが、いくら好みのタイプとは言え目立ちたくない身としては非常に困る。

 

「マリアで、ある程度耐性がついた私がこんなに動揺したんだ。ただでさえ警戒してる相手の童貞(クィレル)が更に拗らせて見ろ……」

「ぎゃははははッッ!!」

 

『向こう側』から転生した【クィレル】とこちらのクィレルは元は同一人物なのだ。自分同士の色恋沙汰なんて拷問は絶対にお断りだ。

 笑ってんじゃねーよクソ悪霊。

 

「はぁ……いっそ記憶を消すか?」

「無理無理! 何度でも蘇るよ」

「それ好きだなお前。流石、悪趣味野郎」

 

 先日公開されたばかりである日本作の映画をピーブズは気にいったようだ。世間の目もあり、リランは通信制の学校に通っている。元々マグル学の教授出会った故、早々に高校生レベルの知識を得た彼女は、尽きないマグルへの興味を満たす為様々な映画や書物に手を出していた。

 その中でも特に日本は素晴らしい。リランは東洋の島国の食とアニメに心を盗まれた。ちなみに可憐な王女の心を盗んだ粋な怪盗の映画が好きである。

 

「そんなにビビんなくても、おれとピーバジーがいるしだいじょーぶだって」

「一番の不安要素なんだが。というか前から思っていたが、お前ら入れ替わりすぎじゃないか。絶対感づかれてるぞ?」

「平気だって! もう修羅場を乗り切ったし、五年もたってるんだ。万一知られてても、いつおれが分身したかなんてわかりゃしないぜ?」

「ああ、みみっちさは折り紙つきか」

 

 リランは何の慰めにもならない励ましを切り捨て、手紙をたたむとバスケットのブドウを口に放った。甘い果汁に癒されるが、カレンダーの「20」に丸をつける右手は憤りに満ちている。

 

 ────ともかく、付き添いの教師がクィレルじゃありませんように

 

 リランの切実な願い(一級フラグ)は夏の空に消えていった。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「ホ、ホグワーツ魔法魔術学校から来ました……。ク、クィリナス・クィレルです。本日は、よ、宜しくお願い致します」

「ヨロシクオネガイシマス。ドウゾ、オアガリクダサイ」

 

 戦々恐々の五日間を過ごし、当日の呼鈴に出てみればこれだ。フラグ回収おめでとう! と背後で嗤うピーブズに殺意を募らせ、リランは無感情にクィレルを招き入れた。

 颯爽とお茶をだす洗脳済みの使用人にビクつきながら、クィレルはソファーに腰かけた。建前上、保護者のピーブズと慈悲深い雇い主のマリアに挟まれ、リランも座った。手紙は読んだかという確認に、愛想よく答えたピーブズに合わせてリランも薄く微笑んだ。

 

(社交辞令だ馬鹿野郎……! 真面目に照れるな!!)

 

 案の定、動揺するクィレルを脳内でしばきたおし何とか取り繕う。リランは、出生の分かる孤児のマグル生まれだ(両親は非業の死を遂げたことになっている)。それ故、丁寧に魔法界を説明するクィレルを無心で眺め、機械的に相槌をうつ。長々と話したクィレルは、必要な書類に目を通したかと再び念を押し、教科書などの買い物をするには先ずはグリンゴッツ魔法銀行で換金しなければならないと締めくくった。

 

「さ、早速ですがダイアゴン横丁に向かいましょう。エアクイル殿、準備はよろしいでしょうか?」

「勿論です。魔法使いの街なんて楽しみですね。リランもそうでしょう?」

「エエ、トテモ」

 

 昔と変わらない、唐突過ぎる出発と白々しいピーブズに疲弊しつつもリランはカーディガンを羽織り諦めた心持ちで家を出たのだった。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

「まあ! なんて綺麗なお嬢さんですこと! 腕がなるわ~! さぁ、こちらにどうぞ」

「……お願いします」

 

 電車を乗り継ぎ、漏れ鍋を抜け、グリンゴッツの殺人トロッコを潜り抜けたリランは、現在マダム・マルキンの店で制服のサイズを測られていた。

 ピーブズとクィレルは本屋で教科書と学用品を揃えにいっている。悪人ヅラのSPとターバン野郎と美少女の一行は人目をともかくひく。ろくに外出をしないリランは、人混みと好機の目に早々に気力を失っていた。幸いにして呉服店はいくらか人が少なかった。採寸中も衣服で隠されるので、リランはやっと一息つけた気分だった。手早く会計をすませ、通りで待っていたピーブズ達と合流したリランは、次に向かう店に心がざわついていた。

 

「こ、ここがオリバンダーの杖の店です。ここで貴女だけの杖を選ぶんですよ」

 

 立ちすくすリランに感動していると捉えたのか、クィレルは誇らしげに語った。興味深そうに店内を見回すピーブズを横目にリランはひっそりとため息をつく。

 

(自分だけの杖と言われてもなぁ……)

 

 魂がクィレルなのだ。どんな杖もきっと合わないだろう。

 

「これは、これは美しいお嬢さん。そんなに心配せずとも宜しいですよ。ここには全ての杖が揃っております故、安心なさい」

「っ!」

「さあ、杖腕をだしなされ」

 

 滑るように現れたオリバンダーにリランは飛び上がった。驚く様をしたり顔で眺めるピーブズの手首に爪を突き立てリランはおずおずとクィレルを見上げる。

 

「……ぁ! き、利き腕をだすんですよ」

 

 判断が遅い! 知らないふりも楽じゃないのだと、リランは動揺を見破られた腹立たちさをクィレルにぶつけた。

 

「まずはこちらを。黒檀とドラゴンの心臓の琴線、しなやか」

 

 渡された杖をリランが振るか振らないうちに、オリバンダーにもぎ取られた。翁の予想外の握力に意表を突かれるも、リランは渡された杖を大人しく振った。

 

「サクラにウンディーネの羽。水魔法が得意」

 

 ヒョイと振ったそれは杖の並ぶ棚を燃やした。水魔法はどこにいったんだ。

 それからリランは何十本も杖を試した。

 楓、不死鳥、葡萄にユニコーン……ありとあらゆる組み合わせは一向によい兆しを出さない。喜んでいるのはオリバンダーだけで、他の面子は疲れ切っていた。

 

「ほほう! 難しい客じゃのう……! まあ待て、キッチリ見つかるでな、そう慌てなさるな」

 

 欠伸を堪えるピーブズにオリバンダーは笑いながら言った。ニヤニヤと奥の棚に入り込む翁にリランはかなりドン引きしていた。

 

 ──もうコイツの杖を奪ってやろうか

 

 椅子に座りうつらうつらと首を傾けるクィレルに突拍子もない考えが浮かぶ。もう何でもいいから帰りたかった。

 

「おお、ありましたありました! これは中々珍しい一品でしてね────」

 

 さっきも聞いたぞそのセリフ。何度も聞いた口上にいい加減疲れてきた。だが、彼女の眠気はすぐさま吹き飛ぶこととなった。

 

「──なんと! ユニコーンの血が付着したたてがみを使っているのですよ!」

 

(ファ────ッッッ!?)

 

 オリバンダーの声を聞いたとたん、ピーブズは目を点にし、リランは白目を向いた。

 何言ってんだこの爺さん! 何でそんなタイムリーなモノを持ってるんだ爺さん!! 爺さんッッ!!! 

 混乱に語彙が果てたリランに更なる追撃が襲いかかる。

 

「ハンノキとユニコーンの血の付着したたてがみ……おお! 一点を除けばちょうどそこのクィレル先生と同じですな」

「へぁッ……!? そ、そうですね」

 

 ──満更でもない顔するな童貞!! そのまま永眠していろ!! 

 最悪だ。変に親近感を湧かせてしまった。絶対めんどくさい。

 

「……ッ」

 

 いっそハズレであれと懲りずに願うリランは、オリバンダーの圧に負けやけくそ気味に杖を受け取った。

 リランが杖を手にしたとたん、じんわりと指先が温まった。

 

「……ッッ」

 

い、いやまだ……まだ焦る時間じゃない……! 

 

 いかにもな演出に泡を吹きそうになる。はるか昔に感じた記憶と違わないあの感覚。しかし抱いた感情は喜びの対極だった。

 それでもリランは往生際悪く、最後の悪あがきとばかりに控えめに杖を振り下ろした。瞬間、月の煌めきが店内を包み込む。

 

「ブラボー!! ブラボー!! なんと美しい光景だ!!」

「す、素晴らしいですよ、Mrs.エアクイル!! って、ア……!?」

 

 

 リランは舞い踊る羽と銀色の水が描く華々しい光景を死んだ瞳で見つめるしかなかった。

 

(知ってたよコンチクショウ)

 

 無情な現実に耐えられなかったのかリランはいつのまにか涙を滲ませていた。ぼんやりとした視界の端で慌てるクィレルとしたり顔のオリバンダーが見える。何やら褒めちぎっているようだが、どれもリランには響かない。

 感動の涙というならばそれで良い。頬を伝った一筋の本当の意味はピーブズにしか分からないだろう。











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【9】Friendship Express(友情特急列車)

 曇天模様の心中とは裏腹に、九月一日の空は晴れ渡っていた。

 

「……色だけなら気が会うかも知れない」

「うわ……大分キてるねぇ」

 

 真っ青な顔で皮肉を吐くリランに、ピーブズがトランクを運びながら呟いた。

 クィレルと横丁に赴いてから、早くも一ヶ月半がたち、リランはホグワーツの入学日を迎えていた。

 正直、どうやって日常を送っていたのかは朧げだ。

 あの日、精神を大いに破壊されたリランは、醜態を記憶諸共『なかったこと』にすることで今日までを耐えていたのだ。

 杖を買ったあと、リランはペットショップもよらず早急に帰った。クィレルはリランの様子に戸惑いながらも、当日は九と四分の三番線に乗ることと、キングズ・クロスへの行き方を伝え、特急券を渡すと大人しく帰ってくれた。今思うとリランはかなり不自然に帰ってしまったが、初めての魔法に疲れてしまったと言うことにしたので、あまり気にしないでおこう。

 

(だから思い出すなってば!!)

 

 嫌な回想にかぶりを振ったリランは、タイミングを見計らいレンガの壁に歩き出した。硬い壁の中で覚える、水中に浮かんでいるような不思議な感覚は『前世』同様変わりなかった。

 

「わお! キングズ・クロスってこんな感じなんですね!」

()()()、そんなにはしゃがないでください」

 

 ピーブズと親子なんて何度聞いても鳥肌が立つが、もうここは魔法界なのだ。猫を幾重被っても足りない。

 まだプラットホームには人が少なかった。この分ならコンパートメントを独占出来そうだと、リランは足を速めた。

 杖と制服の入ったカバン以外の荷物をのせ、リランはさっさと紅の汽車に乗り込んだ。惜しむ別れなど微塵もない。

 

「ああ、リラン! お前と離れるのはとても寂しいです……!」

「私もです……」

「しっかりおやりなさい。向こうに着いたら手紙をくださいね」

(クッソ……とんだ茶番劇だ!)

 

 号泣するばかりか、とうとうハンカチを取りだしたピーブズにカチンとくるが、座ってしまえば問題ないだろう。相手にしてはいけない。

 折れろと邪念を込めて全力で握りしめたピーブズの手を離し、リランは空席を探し車内を歩き出した。全身全霊で演技をするポルターガイストとは、いっそ本気でおさらばしたいが残念なことに分身が待ち構えている為、逃げられない。

 丁度よく空きのコンパートメントを見つけた。窓から死角の位置に座りワンピースを整えたリランは、カバンからヒョイと杖を取り出し天井に向ける。

 

クワイエタス(静まれ)

 

 途端、狭い室内にシンと不相応な静けさが訪れた。それに満足気に頷き更なる安寧のため、続けざまに呪文を唱えた。

 

ノックス(闇よ)

 

 明かりが消え、薄暗くなったコンパートメントに陽の光が差し込んだ。少々弱い魔法だが、これで誰もここに入りたがらないだろう。何せこんな不気味な場所なのだ。自分が新入生なら絶対に近寄らない。

 

「後ろの車両だし、車内販売もすぐには来ないよな」

 

 ようやく落ち着ける。束の間の自由を満喫しようと、リランは緑茶片手に息を吐いた。

 だが、最近のお気に入り『玄米ポン菓子』の袋を開けた時、ガラリとコンパートメントのドアが開いた。

 

「あ、ごめん! 人がいるとは思わなくて……ねえ、もしよかったら相席してもいいかい?」

 

 黒髪とグレーの瞳をした整った顔立ちの少年は、ポカンとするリランに申し訳なさそうに告げた。

 冗談じゃない。あの悪霊がいない今!! 汽車の旅を存分に楽しみ、今後の為の心の栄養を取ろうとしていたのだ。

 断ってやろうとリランは口を開こうとしたが———

 

「ホント、ゴメンね……」

「……ええ、どうぞ。お入りください」

 

 ———別に仔犬みたいな目に負けたわけじゃない。別に浄化されかけたわけじゃない。

 少年のあまりにも純粋過ぎる眼差しに溶かされ、リランの休息は早くも幕を下したのだった。

 

 ▼▽▼

 

「わあ! このポンガシってとても美味しいんだね……! ありがとうリラン!」

「いえ、口に合って良かったです」

 

 無邪気に喜ぶ少年———セドリック・ディゴリーにリランは穏やかに答えた。

 列車の進む振動を聞きながらセドリックをコッソリと観察する。

 柔らかそうな黒髪に穏やかな灰色の瞳。背丈はリランよりやや低いが、幼いながらも洗練された雰囲気がアンバランスを醸し出し、将来が楽しみな少年だった。

 

(腹立たしいが、(リラン)の顔の良さに免じて許そう)

 

 ぶっちゃけこんな現実が充実したような人間の相手など真っ平ごめんだが、このセドリック少年はとても誠実だった。名乗る時も今の会話も常に相手を思いやっている。十一歳とは思えない程のジェントルマンだ。

 ピーブズのクソ野郎ぶりや、イかれた義母、洗脳済みの使用人たちと過ごしてきた弊害か、セドリックというまともな人間にリランは圧倒されかけていた。敗北感すら抱いていたと言っても良い。

 

「リランはどの寮に入りたいんだい?」

 

 小動物じみた仕草で、ポリポリ菓子を食べていたセドリックが話題をふってきた。先程の自己紹介でマグル生まれだと告げていなかったことに気付いたリランは素直に答えた。

 

「すみません。私、マグル出身でして……自分なりに調べたのですけれど、寮のことはよくわからなくて」

「え! 君マグル生まれだったの!?」

 

 セドリックはリランの言葉に目を真ん丸にして驚いたが、直ぐに不躾だったねと謝ると丁寧に各寮のことを教えてくれた。やはり紳士的な子供だ。

 

「———ハッフルパフは劣等生が多いって言うけど、僕はそんなこと思わない。だって、優しくて誠実な人が沢山いるってことはとても素晴らしいじゃないか」

「そうなんですね……説明ありがとうございます。あの、こんなこと言ってはナンセンスですけれど、どの寮もかなり偏見が多いですね」

「うーん、まあ特にスリザリンとグリフィンドールはね。どっちもいい所があるのに勿体ないよ」

「……セドリックはハッフルパフに入りたいんですね」

 

 公平で率直な意見を交えたセドリックの説明に頷きながらも、リランは彼の眩しさに燃え尽きそうになっていた。天然イケメン怖い。こいつは聖人かとひるむ、リランの問いかけにセドリックは頬を染めて言った。

 

「うん! どの寮も素敵だけどやっぱりハッフルパフがいいなぁ!」

 

 爽やかな笑顔にリランは死を覚悟した。くたびれた人間に純粋無垢だの青春だのはダメだ。いたたまれなくて絶命する。キラキラとリランも是非どうだいと告げるセドリックに何とか返してやる。

 

「レイブンクローかハッフルパフで悩んでいたので、それもいいかもしれません」

「やったぁ! あ、まだ気が早かったね。ハハハッッ!」

 

 嬉しそうなセドリックに、リランは久しく感じていなかった米粒ほどの罪悪感が悲鳴を上げたのを感じた。

 

 ———お前を隠れ蓑にするとか思っててすまない……

 

 啜った緑茶は嫌に渋かった。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 列車を降りた新入生たちは、暗闇とハグリッドと名乗った森番の巨体さに一様に驚き、呆けながらも、四人ずつ水辺の小舟に乗りこんだ。

 城につくまでの間、健気に話しかけてくれるセドリックに対して灰になりかけていたリランは相槌をうつことしか出来なかった。

 一緒に乗り込んだ二人の生徒が男か女かどころかケンタウロスでも気づかないくらいに緊張しきっていたのだ。

 暫しの船旅は聳え立つ大きな古城を前に終わった。ボートから降り中へと進んだ先には、落ち着いたエメラルドグリーンのローブを着た厳格そうな女性がスッと背筋を伸ばして立っていた。とても見覚えがある。

 

(ミネルバ・マクゴナガルだァ……!)

 

 かつての師の姿にビビるリランだが、今の自分はヒョロ長いハゲ野郎の面影など一ミリもない美少女なのだ。臆することはない。

 強固な石造りの城をせわしなく見渡す生徒達にならうことにした。マクゴガナルはリランを気にすることもなく生徒達を石畳のホールを抜け小さな空き部屋に案内した。

 

「ホグワーツ入学おめでとうございます」

 

 粛然とした一喝から始まったマクゴナガルの組み分けと寮の話と言う名のお説教を半ば聞き流しながら、リランは固く瞼を閉じた。

 視界の端に映るピーブズなど知ったことではない。今は精神統一が最優先なのだ。

 

「まもなく全校列席の前で組み分けの儀式が始まります。待っている間、出来るだけ身なりを整えておきなさい。学校側の準備が終わり次第戻ります。静かに待っていてください」

「緊張するねリラン」

「……ええ、そうですね」

 

 そっと話しかけてきたセドリックは緊張と興奮が入り混じった顔をしていた。ドキドキ、ワクワク、そんな擬音が聞こえてきそうなほどに好調とした顔色はかつての自分と同じように希望に満ちていている。

 キュっと僅かに軋んだ心に気づかぬふりをして、リランは再び目を閉じた。

 思い出に浸っているどころではない。何せ今後の生活、否、今後の人生を決める瞬間がもうすぐやってくるのだ。

 

 ———絶対に負けられない戦いが、今始まろうとしていた。

 

(とりあえずウィーズリー双子と同じ寮だけは御免だ)




ピーブズ:先にホグワーツにいる
リラン:緊張感MAX
セドリック:誠実さの化身


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【10】Sorting ceremony(組み分け儀式)

「では、皆さん一列に並んでください」

 

 戻ってきたマクゴナガルの指示におずおずと従った一年生たちは、時折躓きながら彼女の後ろに続いた。

 なんとか玄関ホールを抜け、大広間に入れば四つのテーブルに上級生たちが座っていた。宙に浮く何本もの蝋燭の炎が、食器の金色に反射して眩しく煌めいている。

 まさしく()()のような素晴らしい光景に、セドリックをはじめとした一年生はすっかり感激しきっていた。揺らめきざわめく魔力の気配に、皆呑まれてしまったのだ。

 否、一人だけ例外がいた。その冷静さは表面上だけであり、内心は浮き足立っていた。

 天井に瞬く銀色の星と神秘的な月は、喜色の気配もなく一人戦場に赴く佇まいであるリランをじっと見下ろしていた。

 なんとなく咎められている気がしたリランは、出来るだけ視界を狭めようと、前に立つ少年の靴を見つめた。

 数分経った頃だろうか。絢爛豪華な雰囲気にザワついていた新入生達は、壇上に置かれたスツールとボロボロの帽子に気を取られていることに気がついた。

 ぴくぴくと痙攣する不気味なそのとんがり帽子に広間の視線が集中している。突如として、水を打ったかのように静まり返った空間に、一年生は皆恐縮している。『何が起こるのだろう』と言う不安な心が直接伝わっているかのように、肌の表面がピリリと揺れた。

 一年生は恐々と、その他は静かながらも楽しげに見守る中、帽子の裂け目が口のように動きだした。アッと誰かが声を上げたかもしれない。いずれにせよ意気揚々と歌いだした帽子に遮られたようだった。

 

(グリフィンドールは嫌だ、グリフィンドールは嫌だ、グリフィンドールは嫌だ!!!)

 

 だが残念ながら、全神経をアンチグリフィンドールに注ぐリランに、組み分け帽子の歌は一切聞こえなかった。命をかけているのだ。歌なんぞに気を割く余裕など無いに決まっていた。

 

「すごかったねリラン!!」

「そうですね」

 

 切られる拍手の嵐に紛れ話しかけてきたセドリックを微笑んで誤魔化しやりすごす。下手に会話を続けると聞いていなかったことがバレてしまう。拍手と歓声が完全に止むと、マクゴナガルが懐から羊皮紙の巻紙を取り出し、広げながら椅子の横に立った。

 

「名前を呼ばれたら、帽子をかぶって椅子に座り、組み分けを受けてください」

 

 ABCのアルファベット順で最初の生徒が呼ばれた。リランの性は『Airquills(エアクイル)』だ。もうじき順番が回ってくる。

 6人ほどのAの生徒が組み分けされ各々の寮の席へ向かっていく。セドリックが小声で『頑張れ』と言うのがどこか遠くに聞こえた。

 

「リラン・エアクイル!!」

 

(グリフィンドールは死んでも嫌だ!!!)

 

 名前を呼ばれたリランは、壇上を断頭台に赴く死刑囚の気分で登った。自分の呼吸がやけにうるさく、体の末端が氷のように冷たかった。

 かつてのように、およそ三十年ぶりに、恐る恐る古ぼけた木製のスツールに腰掛けたリランの視界は、次の瞬間、完全な闇へと変わった。

 

「フム……これはまた難儀な子が来たものだ」

 

(頼む。グリフィンドールだけはやめろ!)

 

 頭の中に響く低い声にリランは即座に言った。殆ど怒鳴った懇願をサラりとかわし帽子は答える。

 

「落ち着け少女よ。そう慌てなさるな。まだまだ君の選別は始まったばかりだ」

 

(グリフィンドール以外に!!!!!!)

 

 リランは窘める帽子に構わずに頭の中一面に願いを込めて全力で祈った。濁流の如き声に、帽子は戸惑ったようにみじろぎつつもじっくりと考え込んでいた。

 

「君は、フム、賢く冷静だが、自己中心的……かと言って情がないわけではない。忍耐力は実に並外れている。だが、とても、そう、酷く複雑だ。十一歳の子供とは思えん」

 

 ドキリと心臓が軋んだが流石の帽子も、完全に入れ替わった魂を見抜くのは難しいのだろう。例え見られても守秘義務により、リランの秘密は明かされることはない。それよりも組み分け先が大事なのだ。

 

「フム……その口ぶりからすると君は、いやはや、とんだ覚悟だ……」

 

 何やら急にポソポソとぼやき出した。五分程たっただろうか。悩む帽子にじれったさが募っていく。きっと外は騒ついているのだろう。

 面倒くさいがもう組み分け困難者で注目されることは妥協する。いずれ忘れられる。兎に角いまはグリフィンドール以外に入れて欲しいのだ。

 

「度胸がある割には壊滅な程逃げ腰……土壇場をくぐる勇気、懐に入れたものには少々甘い」

 

 殆ど悪口な見解に苛立つも、そこにグリフィンドール要素は見当たらない。いいぞその調子だと、リランは念をおくった。

 

「しぶといが諦め癖有り、冷静で生真面目。理論派な思考回路……うむ」

 

 どうやら生前同様、レイブンクローになりそうだ。ようやく決断した組み分け帽子にリランは安堵した。セドリックには悪いがこの際あんな高飛車寮でも良い。

 

 リランが肩の力を僅かに抜いた時だった。

 

「日和見で狡猾、粘着質で執念深いがひたむきな心……」

 

 リランの余裕は不穏な言葉の羅列に揺らいだ。

 

(は? おい、待てまさか———)

 

「ふむ、君の強い野心はやはりレイブンクローでは叶わないだろう」

 

 ぶわりと汗が噴き出る。脈打つ鼓動が耳の奥で轟いた。リランの心は途方もない焦燥感に埋め尽くされた。

 そう物事は上手く運ばないというのが現実であると、言われた気がした。

 

(いや、いや、まて、マグル生まれだぞ……!? 有り得ないだろうが!?)

 

「はっはっは」

 

 必死の声にも帽子はただ笑うだけだった。頭の上の悪魔にリランは大声で叫んだ。

 

(辞めろ! ふざけるなよボロ雑巾……! 今すぐ引きずり下して燃やすぞ!!!)

 

 取り繕うこともなく、全てをかなぐり捨てる勢いで怒鳴り散らすが、やはり帽子は動じない。頭の中を見られているからこそ、そんな度胸がないと知っているのだ。

 歯噛みするリランに構わず、やがて組み分け帽子は、罵倒への当てつけのようにゆっくりと口を開いた。

 

(ちょっ、待っ、てほんきでッッ———!?)

 

「退かず、苦難な運命に立ち向かうその生き様に祝福を送ろう」

 

「———スリザリンッッ!!」

 

 明朗に轟いた一線は雷光の如く、リランの首を斬り落とした。

 

 ▼▽▼

 

 割れんばかりの拍手も歓声も全く嬉しくなかった。

 幽鬼のようにリランはスリザリンの長机に歩いて行った。呆然に眩んだ白一色の頭では何もかもが霞がかり、五感の認識が何拍も遅れては怠惰に流れていく。

 おぼつかない足取りでよろめきながらリランは席に座り、俯いた。視界に映る黒色のネクタイが上品な緑に染まっていることに、深く絶望する。

 

「やあ、ようこそスリザリンへ」

 

 監督生らしき男子生徒に声をかけられる。引きつった笑みで返したリランは今すぐ逃げ出したかった。

 

「……死にたい」

 

 組み分けの儀式に夢中になるスリザリン生に、リランの呪詛は聞こえなかったようだ。頭を上げると丁度セドリックが無事にハッフルパフへ入寮していた。

 最悪中の最悪だった。まだグリフィンドールの方がマシなくらいだ。よりにもよってここ! マグル出身者だと完全に除外していた。

 予想外の最低な展開にリランは涙が出そうだった。血みどろ男爵のおかげでピーブズが寄って来ないのが、唯一の救いだが果たして本当にそれは慰めなのだろうか。

 

「———あぁ、そうか」

 

 久しく平和だったせいで、忘れかけていた。油汚れよりもしつこいユニコーンの呪いが、易々と平穏な学生生活を許すはずがない。

 リランは吐きそうになった。悲惨な過去が逆に油断を生んでいたらしい。グリフィンドール()()ならどこでも良いだなんて、なんて自分は阿呆なのだろうか。

 ゴドリック・グリフィンドールの帽子は公平だった。リランがレイブンクローが良いとどうしてもそこが良いと叫んでいれば、偉大な魔法使いの帽子はユニコーンの呪いに()()()のかと、望みを叶えてくれたのだ。

 しかし、リランは間違えた。()()()()()()と、ユニコーンの呪いの性質ならばマグル出身者の自分が地獄(スリザリン)行きになるだろと知っていたのに、知っていなければいけなかったのに!!! 

 無意識のうちに舐めていたのだ。自分はとてつもない愚か者だった。唯一無二のチャンスを己の手でかき消したのである。

 あまりの出来事に狼狽しきったリランはふと、職員席に目をやった。

 まず目に入るのは真ん中に座る白髪の老人、穏やかに微笑むアルバス・ダンブルドアだった。

 校長である彼は勿論、リランの出生を把握しているだろうに動揺の気配が微塵も見られない。リランの知る限り、スリザリン寮にマグル出身者が選ばれた記憶は一切ない。恐らく前代未聞。あらためて事態の重要さを、実感し、再び脂汗が滲み出す。

 しかしダンブルドアが校長なのだ。きっと適切な対応をしてくれるだろう。手汗をローブで拭ったリランは彼の善良さとカリスマ性を信じることにした。

 ダンブルドア以外で視界に多く入るのはやはりこの男、クィリナス・クィレルである。馬鹿でかいターバンが頭でっかちでとても目立つので嫌でも意識せざるを得ない。

 クィレルもまたリランがマグル出身者であることを知っている1人だ。くすんだ肌色の血相が殊更に悪くなっていて明らかに様子がおかしい。

 リランのことを心配しているのはわかるのだが、今こんなことになっているのはあの野郎のせいであると思うと本当に腹立たしさしか感じない。叶うのであれば今すぐ段上に戻りもう一度帽子を被り直したい。

 クィレルに八つ当たりをしても尚、リランの心は暗雲に覆われていた。

 




リラン:クソバカ。唯一の回避ポイントを無駄にした。具体的に言いなさい。
帽子:クソやばい呪いに祟られてるけど、本人的には、茨の道でも道だから行くタイプっぽいし、スリザリンにしよう!!(悪気なし)


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【11】Slytherin&Hufflepuff(リランとセドリック)

 ホグワーツ入学から三週間がたった。

 

結論から言おう。リランの学生生活は生前以上に酷いものになった。

 組み分け儀式のその後、ショックのあまり、リランの意識は地下室のスリザリン寮につくまで回復しなかった。気づいた時には、寝室での自己紹介タイム。取り繕う間もなく、同室になった女生徒のカマかけによりあっさりと身分をバレらされた。

 聖28族に『Airquills(エアクイル)』の性がないことを知っていた女生徒は、リランが半純血だと思っていたのだろう。知っていて貶めようとしていたのかはわからずじまいだが、こうなってはもうどうでもよい。

 貴族が多いスリザリンでは最初のマウントの取り合いが重要だ。元々面識があるなら繋がりを強く、初めてなら相手の技量を図るといったように、新入生の間では幼いながらもかなりの駆け引きが行われる。

 繋がりを何よりも重視するスリザリンは、良くも悪くもこうして一族を繁栄させてきたのだ。

 

 ———だからといって人の教科書を破っていいわけではないが

 

レパロ(直れ)

 

 別段、虐めが起きることなどリランは予想していた。排他的な純血至上主義者がひしめく狡猾な場に、彼らがもっとも忌み嫌う『穢れた血』がいるのだ。そりゃあこうなるのは当たり前だろう。

 

「レイブンクローのほうがもっと()()だったがな」

 

 直した教科書をバッグに詰めリランはフンと厭けざった。こんな程度の低い嫌がらせなど昔に比べれば可愛いものだ。痛くも痒くもない。

 動揺を一夜で切り替えたリランは、先ず『分を弁えること』に全力を注いだ。他の寮と波風を立てない、出来るだけ談話室にいない、程々に授業で点を稼ぐなど、キッチリと自分とスリザリンの関係に線引きをしたのだ。

 結果、『利用すべきものはしっかり働かせる』というスリザリンの効率的な思想をしっかり受け継いだ聡い上級生は、既にリランのことなど視野に入れていなかった。

 何かと忙しい貴族は、問題を起こしているわけではない都合のいい格下に構っている暇などないのだ。

 想定していた展開にリランは自画自賛した。本当の地獄を知らない学生が私に勝てるとでも思ってるのか。

 タイツに保温魔法をかけ、朝食を取りに大広間へ向かう。ひそひそと陰口を言うのは先程の稚拙な嫌がらせをした暇な奴らだった。

 テーブルの一番端にすわり、リンゴジュースとバターロールを取る。ベーコンエッグを皿に盛り、頂きますと呟くと野菜スープを飲み込んだ。

 

(コイツらは、どんどん自分が不利になることに気づかないのか?)

 

 しゃくしゃくとコンソメが染みたキャベツを噛みながらリランは思った。トップが放置したのなら、それに従うのが賢い選択だろう。

 つまり現時点でリランを虐めている人間は、純血以外はゴミだと言う言葉にこそ甘やかされているが、上の指示の意味を理解できないと自ら無能の烙印を押しているも同然なのだ。

 

(可哀想にな。もうお前たちは一生下っ端どまりだよ)

 

 冒頭で酷い日々と称したが、人の不幸で飯がうまいなあと思うくらいに彼女は余裕だった。

 長年狂人に虐げられ、腐った愉悦野郎(ピーブズ)と生活したリランは、折れて強くなる骨のように強固な精神を持っていた。

 流石に日刊予言者新聞に自分の記事が載せられていた———「前代未聞のマグル出身スリザリン生!!」———のは堪えたが、実名も性別も伏せられていたことと、ダンブルドアの采配で朝刊のみだったということもあり一ヶ月も経てば野次馬もなりを潜めたので良しとする。

 大体、皆関わりたくないと言うのが多くの生徒の本音であろう。リランも出来れば関わりたくないので何も問題はない。あとは面倒な純血主義の過激派であるがダンブルドアのお膝元で目立ったことは出来まい。

 陰口も嫌がらせにも全くへこたれないリランに、初めはめんどくさそうにしていたセブルス・スネイプも傍観を決め込んでいた。寮監としてどうかと思う行為だが、スネイプとも距離を置きたかったリランとしてはありがたかった。

 クィレルも虐めをとがめて自分に矛先が向くのを恐れたのだろう。一切話しかけて来なかった。流石(クィレル)

 ピーブズも余計な人間もいない! なんて素敵な毎日なんだ。満面の笑みでリランは蜂蜜ヨーグルトを頬張った。

 何やら周りがざわついているがどうでもいい。今は、甘酸っぱさとサラリとした金色が絶妙にマッチしたこの幸せを楽しみたいのだ。

 ベーコンエッグを平らげ、ポーチドエッグに手を伸ばす。トーストに乗せたそれにガブリと噛みつけば、トロトロの黄身がしっとりとパンに絡まり小麦の香りが鼻を抜けた。

 

イギリス(メシマズ)と言えども流石はホグワーツ……!)

 

 幼少期の弊害か、リランは大層な大食らいだった。加えて、初めての食事は日本料理だったこともあり、かなりのグルメ家だ。神経質な彼女が比較的穏やかに過ごせているのは、こうした食のサポートもあるのだろう。

 少しばかり、セドリックが気にかかる。入学式以来会話をしていないが、まあ元気にやっているようだ。彼は元教師の自分から見ても優秀だし、噂の話題が話しかけても迷惑だろう。

 自分の中に、巣立つ生徒を見送るような感傷が未だにあったことに驚いていたリランだが、雰囲気の悪さが肌に染み込んできたことに手を止めた。そして、先程から敢えて無視をしていた視線に大義そうに目を向けた。

 

「おい! マグル生まれごときが生意気だぞ……!」

「呑気に食事なんて……ホント野蛮ね!」

 

 如何にも虐めっ子ですといった傲慢な顔つきの男女がリランの正面に座っていた。馬鹿丸出しの取り巻きには、同室の女生徒の姿もある。

 早朝とはいえ、大広間には人がかなりいる。しかし、上座に座る教師陣はまだこの騒ぎに気付いてない。リランの席の周りに座り込んだ取り巻きによって、遮られているからだ。スリザリンの上級生は野次馬を決め込みせせら笑っている。

 

(高みの見物……卑怯な連中だ)

 

 至福の時間を邪魔した上、こんな美少女をいたぶるとは。余程性根が捻じ曲がっているらしい。他の寮も傍観していることに、リランは場違いにもスリザリンの嫌われっぷりを笑いたくなった。

 罵倒など聞こえなかったと言わんばかりに、リランは真顔で人参スティックを貪った。『穢れた血』やら『遥かに劣った生き物』やら稚拙な暴言が耳をすり抜けていく。

 こういうのは相手にしたら負けだ。じきに教師も気付く。虫と同じである。蝉と一緒だ。放置すれば勝手に死ぬ。

 経験上、リランは無反応を貫くことにした。ぼうっと考えるのは好感度が急上昇の日本だ。

 日本と言えば、この前食べた焼き芋が美味しかった。屋敷の落ち葉でじっくりと焼き上げたサツマイモが、ねっとり上顎に絡みついて最高だった。素朴なのに凄い。

 ピーブズはホクホクのほうが好きらしく、一度言い争いになったが、焼きおにぎりによって停戦協定を結んだ。

 醤油の香ばしさが、米のお焦げに馴染んでハフハフ放り込めばキュンと心臓が痛くなる。『チーズをかけよう』とピーブズが言ったとき、味覚が薄いくせに面倒な奴だったと思っていたリランは、その時ばかりだけポルターガイストが神々しく見えた。

 

(不味い、涎が出てきた)

 

 あまりの退屈さに、リランは記憶のご馳走に舌鼓を打ってしまった。

 だが無理に堪えたのが良くなかったのだろう。半端な躊躇のせいで彼らには舌打ちに聞こえたらしい。酷くいきり立っている。結構なことだ。

 スッと静かになる周囲に大袈裟だなと思うが、そう言えば今まで抵抗というものをしてこなかったかもしれない。けれどリランはそう焦ってはいなかった。

 

(そろそろ潮時だろう)

 

 慣れているとはいえ、ムカつくものはムカつく。うっとおしいことこの上ないし、成績の嫉妬による嫌がらせなんぞは阿保らしくて仕方がなかった。毎回、所持品に守りの呪文をかけるのも面倒くさい。

 大体、黙ってやられる筋合いもない。

 忍耐力はあるがそれは自分に関してだけ。リランの本質はクィレルの頃と一切変わっていなかった。

 

(成程、これは帽子もハッフルパフには入れないな)

 

 グイっと口元を拭ったリランは、目の前のスリザリン生(クソガキ達)にお灸を据えることにした。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 ———セドリック・ディゴリーにとってリラン・エアクイルという少女は『初めての同級生』だった。

 九月一日の朝。早々にキングズ・クロス駅についたセドリックは、汽車のなかを探検していた。きっとこれだけ空いているのは珍しいだろうという魂胆からの行動だった。

 

「あれ……? なんか凄い静かだなあ」

 

 後列までやって来たセドリックは、異様に静かな車両を訝しんだ。心なしか薄暗い気もする。

 これは何かあるに違いないと、両親に一言声をかけた彼は好奇心のままコンパートメントを探った。

 そして一番後ろの一室でリランと出会ったのである。

 静寂に満ちた後部車両はどこか静謐で、しかし確かな人の気配があった。同時にザワザワと遠から聞こえる生徒達の声に、セドリックは席をあらかじめとっておけばよかったと歯噛みする。

 これだけ静かな場所を選ぶということはきっと一人が好きな人だろう。しかし背に腹は変えられない。申し訳ないが相席を願おうとセドリックは伺いと共に扉を開けた。

 そこには浮世離れした美しさの少女が一人佇んでいた。

 差し込む陽光に揺れる柔らかな頭髪は冬の空色をしている。雪のような白い肌に上品な桜色の薄い唇、ビスクドールじみたリランの姿に惚けていたセドリックが、すぐさまに話しかけることが出来たのは、見慣れぬ文字が書かれたお菓子の袋を抱える姿に拍子抜けしたからだった。

 リランは外見通りおしとやかな性格だった。伏し目がちの切れ長な茶色い瞳は、冷徹な印象だったが耳障りの良い丁寧な発音と優しげな相槌、なによりその眼差しがとても暖かかった。

 案外人見知りをしてしまうセドリックは、ホッと肩の力を抜き気付けば聞き上手なリランと普段の無口が嘘のように会話を続けていた。尊敬する父のこと、クィディッチのシーカーになりたいこと、少し学校生活が不安なこと。

 マグル生まれだと驚いてしまった時も、嫌な顔をせずに笑ってくれた。あんまりにも綺麗な笑みにセドリックはドキドキと胸が高まり、勢いで一緒の寮に入りたいなどと言ってしまった。

 ホグワーツ城へ向かう際に、違う寮でも仲良くしたいと伝えるとリランはこくんと頷いてくれた。自分も緊張しているだろうに。心使いがくすぐったかった。

 だから、組み分け儀式のリランの顔がとても痛ましかった。

 勤勉な彼女は汽車での会話で、ある程度魔法界について調べたと言っていた。それはスリザリンがどんな寮かも知っているということだ。

 自分の組み分けの最中もセドリックはリランが気掛かりだった。

 翌日、瞬く間に広まったリランの噂にセドリックは泣きたくなった。

 開校以来初の『マグル生まれのスリザリン生』というレッテルを貼られた彼女に、セドリックは何を言えばいいか分からなかった。

 自分だけ望んだ場所にいけた罪悪感で、とてもではないが話しかけることができなかった。

 結局、悩んだまま三週間近くが過ぎたある日の夕食後、セドリックはたまたま先生達の会話に遭遇した。そこで初めてリランが虐められていることを知ったのだ。

 

『セブルス……これではエアクイルがあまりにも可哀想です。貴方の寮生でしょうに、傍観などもってのほかです……!』

『失敬、彼女から虐めの相談など受けていないのに何をしろと?』

 

 リランが虐められている? あの優しくて聡明な女の子が? 

 セドリックはしばらく動くことが出来なかった。リランの境遇にショックを覚えると同時に、それを知らなかった自分に怒りが湧いた。

 廊下で見かけた真っ直ぐな背筋はきっと泣いていたのだ。涼やかな眼差しは助けを求めていたのだ。セドリックの脳裏に何気ないリランの姿が浮かんでは消えていく。

 

「僕はなんてひどい奴なんだ……!」

 

 自己嫌悪とそれ以上の勇気がセドリックの内に燃え上がる。

 

「明日の朝食で、絶対に話しかけよう……!」

 

 噂も人目ももう気にしない。何より、怖気づいて友達を悲しませるなんてハッフルパフの名折れだ。

 

 ▼▽▼

 

 熱い決意を胸にしたセドリックは、翌日の朝、寝ぼけまなこの友人を置いていく勢いで大広間に向かった。まばらな人の群れに柔らかなブルージュ色は見当たらない。

 落胆しつつも、やって来たリランにセドリックは近づこうと席を立とうとした。しかし、突然スリザリン生がリランを取り囲んでしまった。

 

 ———自分より体の大きい先輩達が何だ! 僕が君を助けるんだ! 

 

 セドリックは勇気を振り絞ってスリザリンの長机に歩いていった。ただ見るだけの人間じゃない。自分は彼女の友人なのだ。

 

「やめろ! よってたかって何をしてるんだ!」

 

 罵倒の渦にセドリックの声が飛び込んだ。ギロリと睨み付ける視線を負けじと見返してやる。

 

「ハッ! ハッフルパフの王子サマが穢れた血ごときに何のようだい?」

「リランのことをそんな風に言うな!!」

 

 怖くてたまらなかったが、それ以上にリランを貶める言葉が許せなかった。肩をどつかれても、セドリックは何も言わないリランのほうが心配だった。

 泣いてるのか。怯えているのか。彼女の涙なんて絶対に見たくない。

 流石に喧騒に気づいたのか、周囲が湧きだった。教師がこのまま気づいてくれば上出来だ。胸倉を掴まれたセドリックが殴られる覚悟を決めたその時だった。

 ———凍えるような舌打ちが鋭く広間に響いた。

 

「いい加減にしてください」

 

 リランが静かな怒気を漲らせ言い放った。

 決して大きな声ではないそれは、ガラスのように透き通り鋭利に突き刺さった。先程までの無反応な様子から信じられない程の強い意思だった。

 

「これ以上、己の品位を墜としてどうする」

 

 纏う空気と裏腹に、温度のない平淡な一言だった。

 固まるスリザリン生に構わず、リランは周囲に視線を配りセドリックを見た。琥珀とメープルシロップを混ぜ込んだ、輝く茶水晶がパチリと瞬く。

 

「セドリック」

 

 戸惑うような幼い声色が儚く紡がれる。セドリックは堪らなくなって、リランの手を掴み取った。細くて柔らかで冷えた指先が小さく震えている。自分の体温を移すようにそっと掌を撫で、セドリックは意を決し口を開いた。

 

「リラン……ごめん! ずっと、ずっと君を一人ぼっちにさせちゃって……ぼくはッ、ぼくは……」

 

 ———僕は君の友達なのに

「わかってます。ちゃんと貴方の気持ちは伝わっています」

「———ッッ!!」

 

 やっぱり怖くて口を噤んでしまったのに。リランは聞こえていると微笑んでくれた。自分より少し上にあるリランの瞳は優しく揺れている。春の木漏れ日のように控えめで、しかし安心する暖かさだった。

 

「っうあ……ご、ごめん、ごめん、ねぇ……ッ」

 

 ———このとき、セドリックが人目も憚らず声を上げて泣いてしまったことは、これから先かなり揶揄われることになるのだが、この時ばかりは仕方がなかったと思うのだ。




格好つけて全て英語でサブタイつけたけど考えるのが大変



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【12】Quirinas Quirrell(リラン・エアクイル)

 現状はこうだ。

 スリザリンの愚か者どもに鬱憤をぶちまけているといつの間にかセドリックが居たので思わず『何故お前がここに居る?』と名前を呼んだ突然号泣された。

 

 成る程、心の底から脈絡がない。

 リランはただ、『独りにしてごめんね』と謝った彼が何か言いよどんでいたから『わかってる。もう話しかけない。お前の気持ちは伝わった』と気持ちを汲んだだけなのだ。

 要望通りにしたのに泣くなんて……思春期の少年は実に面倒だ。やはり感謝など柄でもないことをするものではない。

 リランの中ではセドリックの『話しかけずにいてごめん』は『君のことは別に嫌いでも好きでもないんだけど一緒にいると悪目立ちするからごめんね』といったネガティブな方向に解釈されていた。

 これは生前の気質(ボッチ)による認識と本人の性悪さからのズレだった。もし、ここに彼女の心を読み『違う、そうじゃない』と張り手を飛ばせる人間が居たら、彼女は誤認を改めることが出来ただろう。

 それにしても、タチの悪さならホグワーツの随一を争いかねないスリザリン相手に、よく一人で突っ込んできたものである。

 流石は入学早々に、ハッフルパフの王子様なる異名をつけられた男だ。

 リランの実態は三十路に肩が入った野郎だ。しかもかなり()()()()をしたプライドの塊のような男であるから、見下し切っている連中の虐めも問題ない。むしろダメージよりも煩わしさの方が圧倒的に勝っているくらいだ。

 だから、周囲の人間が想像するような事態———心を病む、悲しみに打ちひしがれる、等々———は一切存在しないし、セドリックの勇敢な行動も、彼自身の今後が危ぶまれる無謀な優しさとなってしまった。

 リランが本当にリランそのものであれば、彼の行為は何物にも耐え難い優しさとなったのだろう。救いの光にもなり得たかもしれない。折角の整った顔面を、涙と鼻水でべちゃべちゃに汚しながら控えめに啜り泣くセドリックに、先程の凛々しい面影は全く見られない。叱られた犬染みた酷い顔だ。嫌悪感は不思議と湧かない。

 

 ———あぁ、そうか

 

 すぐさま疑問は解けた。なんてことはない。ただ純粋に人から心配されたのが、リランは初めてだったというだけだった。

 いや、あのロクでもない【クィレル】の頃にもきっとあったのだろ。でも、あの時は受け止める余裕も人間性もなかった。だからそういった意味合いでの初めてということだ。

 気付かぬうちに自己肯定感が上がったのかなんなのか。リランは胸の端にともった奇妙な感傷を解こうとしたが、人目が集まってきたことに気がついた。仄かな暖かさは湧いた焦燥に押しのけられてしまった。

 

「セドリック」

 

 しかしことがことであるためにすぐにここから離れなければならない。

 リランは戸惑うセドリックにハンカチを持たせると、少しばかり強引に手を引きハッフルパフの机に押しやった。寛容なハッフルパフは薄情に大広間を去るリランを咎めなかった。

 

 ▼▽▼

 

 ブーツのヒールがコツコツと廊下に響く。規則的に刻まれる硬い音に、リランは吹きこぼれそうな程に煮えたぎった感情が徐々に平穏へと戻っていくのを感じた。

 大広間から勢いをそのままに、ひたすら歩き回った彼女の足はやがて女子トイレに辿り着いた。殆ど走るようにして個室に駆け込んだリランはドアの鍵をかけた途端、ずるりと座り込む。

 

(うおおおおおおお!? 何だこの爽快感!!!)

 

 両手を組み神妙な顔をしたかと思えばこの心中。かつてのトラウマ(虐めっ子共)に一矢報いたことは想像以上にリランの心を軽くさせていた。

 確かに少々騒ぎすぎた気もする。だが自分の姿は、大広間を出るまで取り巻きとデカブツに囲まれていのた。加えて大声も出さずにさっさと姿を眩ませた。この程度ならリカバリーがきくだろう。

 興奮しながらも、リランは先の状況を思い出し『セーフ』と判断した。無理やりだろうがなんだろうが、暴力もなくものの数分の出来事だ。無問題である。実際はかなりアウトよりのセーフなのだが、彼女にそれを知る由はなかった。

 否、知っていても教えない奴がいると言った方が正しいだろう。

 

「やあ、久しぶり! 調子はどうだいお嬢様ァ?」

「……たった今死ぬほど具合が悪くなった」

 

 聞きなれた人を食ったような声色に顔を上げれば、濁った双眸とかち合った。正体は、鈴飾りの帽子を片手にこちらを見下ろすピーブズだった。

 リランは、生気が感じられない紙色の肌と弧を描く大きな口、そして四方に伸びるぼさぼさの黒髪———額の真ん中で申し訳程度に分けられている———を苦虫を噛み潰したような顔で見つめた。汚い面である。

 

「……何さ?」

 

 流石に見すぎたのか疑念を露わにピーブズが言った。首元のオレンジ色の蝶ネクタイをジッと見つめ、もう一度ピーブズの顔を見上げ、再びネクタイに目をやった。リランの口元にはフッと勝ち誇った嘲笑を浮かんでいた。

 

「いや、随分とブサイクな面だなぁと」

「は?」

 

 突然飛び出した罵倒にピーブズはポカンと口を開けたままリランを凝視してきた。顔面崩壊寸前までに泣き腫らしていたセドリックよりも顔のバランスが狂っているなと、リランはサラリと毒を吐いた。

 

「いや、すまない。久方ぶりに醜いものを見たものだから、つい口が滑ってしまった。はは、私が美し過ぎるばかりに目が肥えたみたいだ」

「オイ、お前、そんなナマいってただですむ……ア゛!?」

「……思い出したか? クソ野郎め」

 

 ストレスというのは大切なことまでも忘れさせてしまうらしい。先の一件で軽減された負担は、リランの性悪さを呼び起こした。

 

 ———ピーブズは制約によりホグワーツの生徒に危害を加えることはできない

 

 リランは現在ホグワーツ生である。そしてひょんなことにもスリザリン生に所属している。スリザリンはピーブズが魂レベルで忌避している血みどろ男爵の寮である。

 つまり、それは何をしようともやり返されないということ、即ち、散々っぱらに人をコケにした悪霊野郎への逆襲の合法化である。

 

「……立場逆転だなぁ?」

「……ぶ、ぶち殺すぞクソガキィ!!!!」

「っくはっはっはは、やれるもんならやってみろ!! ハッハァ!!」

 

 歯をむき出しにして怒鳴り散らすピーブズに、リランは堪えきれずに笑い出した。とても暴言を吐いたものとは思えない、鈴を転がすような可憐な笑い声だった。

 なんて清々しい気分なのだろうか。こんなに声を上げたのは本当に久しぶりだった。便座から立ち上がり軽く裾を払ったリランは上機嫌にトイレから出た。無我夢中で気が付かなかったが、どうやらここは三階の女子トイレだったようだ。

 嘆きのマートルが運良く不在で良かったと、ギャアギャアと騒ぐピーブズを無視ししながらリランは軽やかに廊下を歩いた。

 

「くっそ、マジでほんっっっっと腹立つね!」

「それは大変光栄ですね」

「ウッワ、相変わらずサブいぼが立つよお前の敬語! なんとかしてよ気持ち悪い」

「嫌なら近寄らないでくれませんか? ……あぁ、怖い血みどろ男爵が居ない今が、唯一威張れる機会でしたね。忘れていました」

「ハァァッッ!? なあに調子のっちゃってんの!?」

 

 容赦のない煽りに、ギョロついたタレ目をガン開きにしながらピーブズが絶叫する。それを馬鹿にしきっていたリランだったが、青筋を浮かべたピーブズが懐から水風船を取り出したのを見てギョッと目を剥いた。

 

「……教えてやるよ、リランちゃん。命に関わんなきゃ何してもいいってことをさ!! ———頭冷やしな!!」

 

 リランが何か言うか言わないうちに、ニヤリと悪どく笑ったピーブズは水風船を投げつけた。

 

「は!? ———んぶっっ!?」

 

 ビュンビュンと剛速球のそれがリランの顔面に直撃する。ばしゃりと破裂しリランは頭から水を被ってしまった。

 

「あっははははははぁっ! ざまあみろ!」

「この……!!」

 

 腹を抱えて宙を転げるピーブズへ、滴り落ちる水をそのままに教科書の入ったバッグを投げつけた。遠心力で勢いをつけた鈍器がブーメランのようにボルターガイストの腹部にめり込む。

 魔法で水気を切ったリランは床に落ちたバッグを拾うと、蹲るピーブズをバッサリと切り捨て足早に授業へと向かった。

 

「くっそ、制約さえなきゃお前なんて、……ンン? それじゃ本末転倒? ハァ?」

「間抜け。目的を見失ってどうするんですか」

「カ———ッッ!! 腹立つぅ!!」

 

 リランは最高に楽しかった。ホグワーツは最高に楽しい場所であると認識を改めなければいけない。

 何せこちらには、悪逆非道のピーブズが、わざわざ身体を一度置いて(サボク・オーを置いてピーバジーと)合体する程に警戒している、アルバス・ダンブルドアがバックについているのだ。

 彼の恐ろしさは賢者の石を奪おうとした際の異様な罠の時点でとっくに知っている。あの時は本当に愚かだった。

 要は、神秘の石すらも駒にしてまで現行犯逮捕を望んだ男が、ピーブズの本質を知ればどうなるか。利用しない手立てはないという点こそが一番リランの強みだった。

 何よりも束縛を嫌うポルターガイストは、そんな致命的な結末を避けるため、余計なことはできない。勿論、リランも気を引き締める必要があるが、皮肉なことにピーブズの緻密な計画により身分の正当な証明がある。立場は圧倒的に有利であり、万が一正体が割れかけたとしてもピーブズのせいにしてしまえば問題ない。というか実質その通りだ。

 不本意だがピーブズに助けられたという建前がある以上、リランは今まで下手に出ることしか出来なかった。しかしホグワーツの学生である7年間は実質、自由なのだ。

 

「……ふふ、そ、それでは授業なので」

「!? ……おま、おっまえ!!」

 

 あくどい脳内と反比例した、花が綻ぶような華やかなリランの笑みに、良からぬ感情を察したらしいピーブズが呻いていた。腹立たしさに言葉が出ないらしい。ざまあみやがれである。

 

 ———案外、楽しめそうだなこの人生

 

 ポツンと浮かんだモノローグは、思いもよらない『希望』の(いろ)で綴られていた。自分には到底似つかわしくないが、苦痛でなければそれで良い。

 

「では、さよならピーブズ」

 

 鞄を抱え直したリランは、不敵な意志を美麗な微笑に隠しグッと前に踏み出した。

 

 だがしかし

 クィリナス・クィレル(リラン・エアクイル)の人生に幸福など訪れない。

 罪を犯した彼には、どうあがいても絶望の未来しか用意されていないのだ。

 望みも、願いも、祈りも。何もかもが届き、与えられることはない。

 観客が望むアンコールは、泥船に乗り込み地獄を目指す悲劇である。

 決して償うことのできない呪いは、死をかけても祓われず、傲慢に慈悲深く彼女を蝕んでいく。

 愚かな男が、自身の罪の重さを自覚するのはまだ先のことである———

 

 

 序章『 Quirinas Quirrell(魔術師の再演)』 【完】




これにて序章終了。以下、簡易プロフィール

リラン・エアクイル 1978 9/26 155cm、41kg(11歳)

セミロングのブルージュの髪、切れ長の茶水晶の瞳の美少女。幼少期の弊害により痩せ過ぎ。食にうるさい。
年中タイツ履くことでスカートに耐えている。生脚は耐えられなかった。ヒールブーツは作者の趣味


クールビューティー()な敬語女子のフリをする性格うんこ野郎。
食欲と自己保身が旺盛。メンタルは強いが自分の失態には弱い。
純粋無垢が天敵。クィレルに厳しい。僅かな善性が生きるか否かは、今後の展開次第。

クィレル先生

童貞。


ピーブズ

なんかヤバいポルターガイスト。悪趣味。
原作通りの外見。ピーバジーは彼の別称。性格下痢野郎。
くさやにハマった。物持ちは良い。


セドリックくん

凄く純粋無垢。今はリランより小さい。
いずれはチョウ・チャンと付き合う。
リランは親友。性格良し男


作者は最新刊での彼の未来にお茶漬けを溢した。セドリックェ


ユニコーンの呪い

リランの幸せを全力でぶっ壊すマン。フラグ建築率を90%近くまで跳ね上げた巨匠。とてもつよい。今後の展開はこの方が握っている。


作者は、『銀色の血』を完全に鼻水で想像していた。


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【幕間】 魔法薬学教授の隠仕言(かくしごと)

「はあ……」

 

 閑散と冷え切った地下の研究室で、セブルス・スネイプは重いため息をついた。

 唯でさえ仕事が忙しいというのに、学習意欲のない生徒の採点なんて負担でしかない。机に積みあがった書類の山を今すぐに燃やしてやりたい気分だった。

 

「……チッ」

 

鬱憤を晴らすように積み上がったレポートへ容赦なくペケを付けていく。補修課題を受けさせた生徒の名簿にはハッフルパフとグリフィンドール生が一番多く書かれており、それが益々苛立ちを呼んだ。

 もう何も考えまいと機械的に右手を動かしていたスネイプは、ふと目に付いた名前に頭痛が酷くなった。

 スネイプは入学きってからのホグワーツの問題児、ウィーズリー家の双子には二年生になった今でも変わらず──むしろかなり悪化した──悩まされていた。

 流れるような校則違反、嬉々として罰則に取り組む等、まさしく()()()()()()な暴れっぷりはスネイプの苦い記憶の琴線に触れた。触れるのみで爆発しなかったのは、彼らの悪戯は人をコケにするものではなく苦笑いですむようなものだったからこそなのだが、それはそれで釈然としない。

 結論としてスネイプの精神衛生はかろうじて瀕死程度で抑えられたが、あの双子自体が苦手な部類であることには変わりはなく、相変わらず頭は痛い。

 故にいつも付き纏われているリラン・エアクイルには少し同情を覚えていた。

 ……いや、エアクイルも問題児と言えば問題児だ。

 いくら成績優秀な彼女でも、マグル生まれのスリザリン生と言う時点でスネイプには厄介そのもの。組み分け儀式の後に彼女の出生を知った時は時は本当にどうしようかと頭を抱えたものだ。

 実際、寮内の不和の元凶だったのだしこの認識は正しい。だが悩ましくも、きっちりケリをつけたのもやはりエアクイル本人であるのだ。

 紅茶で唇を濡らしたスネイプは眉間のしわを深め、再び書類に向かった。

 

「……」

 

 彼女は不利な立場にも関わらず、たったの一年で全てを治めた。一年時の陰湿な虐めにも迅速に対処し、大事になりかけた際も冷静に場を乗り越えてしまった。

 スリザリンという寮は半純血でも肩身が狭いことをスネイプは深く知っている。そして多くの生徒が血の縛りによって辛い思いをしてきたことも大いに分かっていた。

 もとの寮風に加えて闇の帝王の影響もあり、スリザリン生は孤独を強いられる。それ故に内から追い出された人間は偏見の犠牲者になり虐めの事実を黙認される。胸糞の悪い話であるがこれが真実で現実だった。

 

 ────だからこそ、呪じみた血の束縛を振り払った彼女はとても異質な存在なのだ

 

 誰の手も借りず、自身の誇りも失わず。冷静かつ、効率的な思考で判断を下した。大人顔負けという次元ではなく、本当に心底異常であるのだ。

 大広間の騒動の後、彼女を取り巻く環境は大きく変わった。とは言っても、相変わらずスリザリンと他寮の仲は劣悪だし彼女自身の存在も浮いている。変わったのは、己の出生にコンプレックスを持つ生徒達だった。

『己の品位を墜としてどうする』

 リラン・エアクイルが放った言葉に感化されたのは、偏にスリザリン生だけではなかった。

 何かしら抱えている人間は自暴自棄になりやすい。救いの手すらも煩わしくなり、誰もが自分の敵だと思い込んでしまう。俗に言う『虐められっ子』は思春期も合わさり人の助けを酷く嫌う。

 そのくせ心の奥底では救いを求めているのだからとても扱いにくい。『傍観』という手段は、一見、本人の意思を尊重するように見えて実際はその拗らせた思考や行動の具合を助長させるだけなのだ。捻くれるだけならまだマシだが、悪の道に走った場合を考えると悪手と言えるだろう。

 スネイプも最初はリラン・エアクイルを助けるつもりだったのだ。繊細な心を傷つけないように、プライドを守りつつ慎重に、痛む胃を抑えてさりげなく動いていた。

 そんな配慮を重ねていた彼の対応が、数日で『最低最悪』に変わったのは単にリランがそれに当てはまらなかったと言うことに他ならない。

 堂々と自身を誇り、凛と前を見つめ、望まない形とは言え自分を見捨てた友の為に彼女は怒った。

 あまりにも強く気高い心が、スネイプには眩しかった。

 拗れきった自覚のある自分がこれだけ揺さぶられたのだ。意味は違えど『傍観』を決め込んでいたたかが学生がどれ程の衝撃を受けたかは想像に安い。

 

「……校長が気に掛けるわけだ」

 

 ダンブルドアが、ある種の革命を興したリラン・エアクイルのカリスマ性に闇の帝王のそれを感じてしまうのも致し方無い。致し方がないが、正直なところ、些か考えすぎだと思っている。

 確かにスネイプも、知れば知るほどにリラン・エアクイルと言う生徒をマグルでありながらもどの純血よりも実にスリザリンに相応しい人物と称していった。同時に、彼女の普段の生活態度に危険性などは皆無だとも感じていた。

 他の生徒同様、迷惑なピーブズに苛立つこと。ウィーズリー双子に雪玉を投げられて驚く様。セドリック・ディゴリーに見せる控えめな笑み。食事にみせる意外な執着。リラン・エアクイルは危険な怪物などではなく、至って普遍的な等身大の少女だった。

 そういえば、双子に付きまとわれた原因がピーブズを滅多打ちにしていたことだった。当時目撃してしまった少女の、珍しい素っ頓狂な表情には思わず吹き出しそうになったものである。

 かつての悪夢の再来を忌避する気持ちもわかるが、早々に決めつけてしまうことは逆にそれこそ悪手である。

 これが、リランへ抱くスネイプの見解であった。

 

「はあ……」

 

 物思いに耽りながらも、採点を終わらせたスネイプはもう一度深くため息をついた。喉を潤そうとカップに口をつけるが中身は飲み干してしまったらしい。スネイプは至極気だるげに杖を振るうと、器の底にこびりついた紅茶の茶葉を虚ろに見やった。

 オニキスの瞳は沈鬱に濡れていた。ランプの緑がテラテラと受け皿を舐め上げる。彼には残り香を漂わせごちゃごちゃとへばりつく茶葉が、己の薄汚い未練に見えていた。

 リラン・エアクイルを密かに自分と重ねていたことを馬鹿らしいと笑い飛ばしたかった。

 臆病に逃した自身のifを彼女の未来に押しつけて、救えなかった最愛を夢見るなど何ておこがましいのだろう。

 歪み切った恋慕なぞとっくのとうに腐り切っているのに。

 

「……ッはは」

 

 ふっと浮かんだ静謐な茶水晶が心底恨めしかった。二回りも年下の子供に嫉妬するあたり、自分の精根は余程澱んでいる。

 

「馬鹿は死ななきゃ治らないか」

 

 治るものなら早く死にたいのだが、まだ自分は死に切れない。まだ地獄に落ちるわけにはいけない。

 守らなければならない。最愛の人の守った命を、最も憎らしい男の子供を。スネイプは死守しなければならなかった。

 生きるも地獄、死ぬも地獄。二人の悪魔を欺くのは文字通り命懸けだが、今更被る罪が増えても明るい未来が自分に訪れないことは確かなのだ。気にかけていても仕方がない。

 低く地を揺らす雷鳴に、地下室の窓がカタカタと音をたてた。振り出した雨は、じきに嵐へ変わるだろう。

 

「……」

 

 ────夏の訪れ(運命の時)が近づいていた

 

 

 



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一章 愚者の意地
【13】Harry Potter(運命の名は)


 

 数奇な運命に立たされる人間は、どんな基準で選ばれているのだろうか。

 悲惨な過去を持つ者? 邪悪な思惑を抱える者? はたまた本当に巻き込まれただけの人物? 

 否、リラン・エアクイルはその全てが違うと思っている。それどころか運命というものも信じていない。理由は単純。彼女がそれに立たされた選出者であるからだ。

 リランの魂には、愚行と罪を重ねた男、クィリナス・クィレルの記憶が刻まれていた。それならば、過去を保持したまま人生をやり直す彼女の行く末というのは、中々に運命的で上記に当てはまるシナリオだろう。事実、それは否定できない。

 だが、リランは頑なに運命を拒絶し認めなかった。悪趣味なポルターガイストの気まぐれで、呪いの舞台を演じさせられている今を、死んでも悲劇のマリオネットになる未来を。自分の『物語』で片付けたくはないのだ。

 自分は本来ならば消え失せる筈の存在で、とっとと倒され立ち去るべきの脇役だったのに。何がどうして! 経験値稼ぎのモブキャストが世界の不条理に目をつけられるのだ! 認めない、頑としてリランははねのける。惨く苦しい思いをした美少女なんて誰がどう見ても悲劇の主人公だが、絶対に受け入れてなるものか! 

 だってそんなの、あんまりにも惨い。運命=生易しくないの図式は、今年入学する英雄ハリー・ポッターが証明している。

 

「絶対に嫌だ……!」

「え? リラン、君何か言ったかい?」

「いえ、お気になさらずに」

 

 何とも見苦しい壮大な駄々こねをぶちまけていたリランはこぼれた本音を誤魔化した。セドリックは不思議そうにしていたがリランの笑みに納得したのか話を続けた。

 三年生にもなってこんなに騙されやすくて平気なのかと、リランは楽しげに語るセドリックを胡乱げに見やった。柔らかな黒髪にグレーの甘い瞳、人懐っこいハニーフェイスと成長期の少年特有の色気のような雰囲気は実に魅力に溢れている。

 性格もまた大変に誠実で心優しく成績も優秀。去年からクィディッチのチームにも加入しておりまさしく非の打ち所がない。ハッフルパフの王子様は伊達じゃないなとリランは眩しそうに目を細めた。

 これほどまでの優良物件をホグワーツの女生徒達が放っておく訳もなく、少なくとも学生の間は恋愛経験に困らないだろう。全くもって憎たらしい。

 しかしリランが最も近寄りたくない人種である彼をこっぴどく無下にしていないことは同じコンパートメントにいることからして一目瞭然である。

 セドリックとは一年生の列車の旅で少し話した程度であり、少々トラブルはあったもののその後は特に何をしたという訳でもない。しかしその僅かな会合で随分と懐つかれていたらしく、セドリックは寮の隔たりに臆せずに隙さえあれば接触を試みてきた。

 初めは何度も振り払ったのだ。自分はハグレ者のスリザリンだから無理に構わなくて良いと幾度も伝え、迷惑であることも言った。しかし流石は忍耐力のハッフルパフ。その熱心さと仔犬の様な健気さにリランが折れるまで彼は諦めなかったのだ。

 本当に面倒くさいのに、純粋無垢というものにどうにもリランは弱かった。これではどちらが擦り込まれたのかわかりはしない。

 

(こんなはずじゃなかったのにな)

 

 遠い目をしたリランは窓の外を見やった。ガタンゴトンという汽車の振動は二年前と同じく緩やかだが、窓に映り込む自分の姿は確実に時の流れを感じさせた。

 切長く冴えた茶水晶の瞳と軽やかなブルージュの髪を肩まで伸ばした、ビスクドールのような少女がこちらを見つめている。妖精のような繊細な美しさは惚れ惚れするほど麗しい。

 リランがセドリックのような完璧超人のそばにいても致命的なまでに絶望しないのはこの容姿のお陰もあった。何せ自他共に認める学校一の美少女なのだ。誇らないわけがない。

 顔が良いと大体のことは乗り越えられるが、記憶の中の怒涛の日々の多くは例えタイプのツラを持とうともそう簡単に消費できるような代物ではなかった。

 この疲労感は確実にウィーズリーの双子、フレッドとジョージが原因に違いない。やはりあの時無視すれば良かった。いくらリランが悔やんでも、激情に駆られピーブズをしばき倒す様を目撃された事実は変えられない。

 あのポルターガイストがところかまわず奇襲を仕掛けてきたおかげで爆弾小僧達(双子)に目をつけられたのだ。溜まったストレスが尋常じゃなかった。

 

(つまり爆発した私は悪くない)

 

 後悔を暴論に投げ捨てセドリックに相槌を打ちながら、リランは彼が興奮気味に話す『生き残った男の子』の話題に脳みそを回した。

 去年、無事に闇の帝王と接触を果たしたクィレルは更に酷いどもり癖を獲得し、前世と同じ行動を取っている。特に記憶との違いはない現状にリランは少なからず安心していた。

 何とかクィレルには授業以外で関わらないでいられたが、二年間のスケジュールはリランの理想とはかけ離れてしまった。要注意人物が唯一思い通りになっている現時点を何とか維持したい。暗雲立ち込める願望だが、今のところ順調に進んでいる。

 

「あのハリー・ポッターと同じ汽車に乗っていると思うと凄いドキドキするなあ!」

「私も同感です」

「へー! リランでも緊張するんだね」

「失礼な。私をなんだと思ってるんですか」

「凄い優しくて、凄いカッコよくて、凄く凄い人」

「あなたそんなに語彙が乏しかったんですね」

 

 辛辣な返しにも頬を緩ませるセドリックがリランは居た堪れなかった。これがイケメンの余裕かと苛立つが、英雄入学という押しの強い字面が勝った。

 

 ———直接的な死の要因ではないが、ハリー・ポッターには近づきたくない

 

 不安な心を写すかのようにコンパートメントのランプがチリリと頭上で瞬いた。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「グリフィンドールッッッ!!」

 

 組み分け帽子が叫んだ獅子の寮に、張りつめた沈黙を破り捨てる歓声が轟いた。英雄を取ったと騒ぎたてる様は寮杯で優勝したかの勢いだ。

 

「……」

 

 次の組み分けを行う新入生が完全に萎縮してしまっている。頑張れと無責任な応援を送ったリランは、いつの間にか止まっていた呼吸をソロリと吐き出した。

 絶対に有り得ないが、もしスリザリンなんぞに入られていたら関わらざるを得ないだろう。こちとらそんな悪夢はお断わりだ。よくやったぞクソ帽子。ナイスな判断だ。

 一番の不安要素が消えた今、リランの心は早く寮に帰りたいという気持に移り変わっていた。スリザリン生との接触を徹底的に避けている身としては、一緒の席に着かなければいけない学校行事など苦痛でしかないのだ。

 

「そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 

 日本の漫画で見たが、校長の話というものは大体長いらしい。我が校のダンブルドアは短くて助かるなと、大皿に現れたポテトサラダを山盛りにしながらリランは思った。一番後ろの端にいるが、周りに誰も座っていないので思う存分に食事が出来る。

 クランベリーソースのかかったステーキは、ナイフを乗せるだけで切れるほど柔らかい。したたる肉汁をブリオッシュに絡め、付け合わせの玉ねぎとともに一気に掻っ込めば、信じられないくらいの幸福感が押し寄せた。ローストチキンは表面がパリパリ、中はもっちりジューシーだが、ニンニクとハーブのおかげでくどすぎずに美味い。リランは切実に米が食べたかった。この丸パンも最高だが、米粒をどっしりと口いっぱいに頬張りたいのだ。

 

「あーあ、ご馳走に夢中になっちゃうなんて案外余裕があるのかい?」

「……何のようですか」

「リス見たいな顔で凄まれても怖くないよ、じゃじゃ馬ぁ!」

 

 憎たらしいクズ野郎の登場に、一気に気持ちが降下した。

 本気でぶん殴りたいが、今は目立ちたくない。リランの晩餐を邪魔するだけなら、わざわざ血みどろ男爵の寮にコイツは近づかない。一体何の用だと睨み付ければ、ピーブズはグリフィンドールの机に顎をしゃくった。

 パチリ

 振り返ればエメラルドグリーンの瞳とかち合った。アーモンドの形の良い双眸はリランの視線に戸惑っている。目を逸らした彼は、両隣に座る赤髪のっぽのの体格がよいほうに何やら尋ね、もう一度こちらを見つめてきた。

 ハリー・ポッターとがっつり顔を見合わせている実状にリランは固まった。

 

(は? え、何だこの状況……? え? いや、えぇ……?)

 

 リランの脳内は、しょっぱなから計画が打ち壊された事実に宇宙が誕生していた。更に、緊張が高まりすぎたことで、今まで碌に人と目を合わせたことのない弊害に牙を剥かれ泡を吹きそうだった。

 目を逸らしていいのか、というかガンを飛ばされているのでは? むしろ怪しまれている? 

 

(なにそれこわい)

 

 余計な憶測だと分かっているのに、失せたはずの学生時代(陰キャラ)がそれを許さない。ジッと真っ直ぐな木漏れ日の緑に耐え兼ねて、リランはぐるりと机に向き直った。

 笑っといたから平気だよな? 平気? 平気? かと、心をチクチク抉られる感覚を誤魔化すように桃のゼリーを口に運んだ。

 

「えぇっ! 割とマジで余裕じゃん! つまんな———ってナイフは駄目だろ」

 

 ひゅんと我に返ったリランは、まんまと己を嵌めたポルターガイストの足首をバターナイフで殴りつけた。が、相手は幽霊である。おちょくるばかりのピーブズは血みどろ男爵を呼ぼうとするリランを慌てて引き留めた。

 

「待て待てまって! ふざけたワケじゃないってば! ほら、皆見てるよ? 落ち着こう!」

「……」

 

 声に出すのも憚られる罵倒を飲み込み、リランはピーブズの言葉を待った。リランとピーブズの相性の悪さは学校内で密かに目立っているのだ。本当に大切な要件でなければ殺すぞと念を込めた眼差しにピーブズはそっと耳元で囁いた。

 

「ハリー・ポッターはね、さっき来賓席を見てたんだ。わかる? クィレルだよ、それで額の傷をさすって、それからお前の方を見た」

「っ」

 

 刹那、リランの背筋に悪寒が走った。

 味覚が失せ、全身の血がザアッと臆病な思考に流れていく。事態を探ろうと急速に思考回路が動き出した。

 ハリー・ポッターは、禁じられた森の遭遇時も石を奪おうとしたときにも、頭を押さえていた。恐らくそれは、クィレルの頭部にある闇の帝王による限定的な頭痛によるものだろう。

 問題はここからだ。彼は『クィレルを見た後にリランをみた』のだ。

 前世であの少年は、賢者の石を狙う人間の名にクィリナス・クィレルをあげていた。スネイプの悪印象に彼の思考は乱れたが、少なくとも一度は怪しんでいた。結果としてクィレルはまごうことなき悪だったのだから、英雄の本能は侮れない。

 以上を前提とした上で、今さっき何故あれだけハリー・ポッターはこちらを凝視していたのかを考えてみる。導き出された答えにリランは吐き出しそうになった。

 

「なあリラン」

 

 血みどろ男爵の気配にスッと浮かび上がったピーブズは、いつもの甲高い声を潜め、らしくない素振りで口を開いた。

 

「ここはお前のいた過去じゃあないんだぜ?」

 ———そんなこともうわかっている

 

 震える指先を握りしめてギュッと目を瞑る。ぼやけた周りの声が頭の中の混乱に拍車をかけた。

 

(きっと勘違いだ。考え過ぎだ。英雄といえどもただの11歳だぞ?)

 

 懸命に落ち着きを取り戻そうと前を見やるが、リランの心臓には悪霊の去り際の一言が重たく圧し掛かっていた。

 目の前の豪華な食事ももう楽しめそうにない。

 







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【14】”He”aling&”Her”o(「彼」の癒しと「彼女の」英雄)

 ホグワーツでのリランの朝は早い。

 寮の誰よりも早く起床し、検知不可能拡大呪文を掛けたカバンを持ってさっさとベッドを離れる。

 強引な部屋換えによって変わったルームメイトの四人は、スリザリンにしては控えめな性格の為、荷物を荒らす真似はしないと思うが念には念だ。

 変に騒ぎ立てては彼女たちが起きてしまう。無理に顔を合わせる必要もないとリランは滑るように談話室から出た。

 薄暗く冷えびえとした地下牢を抜け、足早に廊下を進んでいく。窓ガラスを照らす太陽の位置はまだ低く、冬の気配が感じられた。寒さに指先をセーターの袖に引っ込めたリランは、厨房のある地下廊下へと向かった。

 かじかむ手で梨の絵画を擽ればドアノブがひょっこりと現れた。緩んだ頬を申し訳程度に引き締めたリランは、ノックと同時に扉を開けた。

 

「おはようございます。エアクイル様!」

「皆さんエアクイル様がいらしてくださいましたよ!」

「おはようございます! お嬢様! 丁度パンが焼き上がったところです!」

 

 ドアを開けた瞬間、鼻腔をくすぐる美味しい匂いがリランを包み込んだ。足を踏み入れるか入れないうちに、朝食を作るしもべ妖精たちにたちまち囲まれる。

 

「いつも美味しい食事をありがとうございます」

「そんな! 滅相もない!!」

 

 頭にお盆を載せた妖精にお礼をつげ、リランは厨房の隅の椅子に座り受け取った白パンに齧り付く。

 

(うっっまいなあ……)

 

 ほんのり甘いふわふわとした生地が、舌の上で優しく溶けていく。今日も最高に美味しいぞと意味を込め、目の前のしもべ妖精にリランは微笑んだ。

 途端にキーキー声で喜んだ彼らは、オレンジジュースをコップに注いだり、ソーセージにケチャップをかけたりと至れり尽くせり食べ物を持ってきた。

 ちまちま動く妖精たちはリランの数少ない癒しである。一年生のハロウィーンの頃から厨房を訪れるようになったリランは随分とここに救われている。しもべ妖精たちは自身を肯定してくれる上に、謙虚で神経を逆なですることもない。おまけに爬虫類好きなリランとしては、彼らはとても可愛らしい。

 

「昨夜のご馳走も美味しかったです。ピーブズに何か悪さをされませんでしたか?」

「ええ、大丈夫でございます。私たちが安心して働けるのも、お嬢様がいらしてくれるからです!」

「ああ、泣かないでください……! 私は大したことはしていません」

 

 零れんばかりに涙を浮かべるしもべ妖精にハンカチを渡す。拭ってしまってもいいのだが、彼らには過剰摂取なためこれに留める。

 名前の通り屋敷に努めるしもべ妖精は、意外にもマグル生まれに厳しい。

 そんな彼らにリランがこれほど受け入れて貰えているのは、ポルターガイストへの抑止力だからだろう。

 一刻も早く忘れ去られてほしい、通称『ピーブズ滅多打ち事件』彼らの耳にも入っていたらしく、大変感謝されている。

 学生時代は関わる機会のなかった屋敷しもべ妖精に、打算と言えども接触出来ているのは怪我の功名というやつだろう。

 しみじみとパンをかじっていたリランは、ふと気遣わしく見つめてくる特別に仲の良い(と思っている)しもべ妖精、アンリーの視線に首を傾げた。

 

「何か……?」

「いえ! し、失礼いたしました。その、リラン様のお顔の色があまり優れておりませんのでしたので……」

 

 食べかすでも付けていたのかと思っていたリランは、アンリーの言葉に驚いた。教員も騙せるポーカーフェイスも彼女には効かないらしい。やはりあの恐怖は昨日の今日では忘れられないようだ。

 周りを黙らせるため学年主席を守り続けて、悪霊やらウィーズリーやらイケメンやらに絡まれる日々を送っているリランは心底疲れていた。新学期初日で、えげつない情報量に翻弄された彼女は愛らしいしもべ妖精の思いやりが胸に沁みた。

 

「あのハリー・ポッターがいると思うと中々眠れなくて……」

「成程、それは致し方ありませんね。お水をお持ちしましょうか?」

「いえ、そろそろ戻るので大丈夫です。お仕事頑張ってくださいね」

 

 尚も案じるアンリーを制し、リランは立ち上がった。今の精神状態でこれ以上ここにいると死んでしまう。妖精達に再度お礼を述べ、盛大に見送られながらリランは厨房を後にした。

 何だか色んな意味で疲れた。地下の空気にキリリと気持ちを落ち着ける。

 

(ハリー・ポッターがどんな理由で私に目を付けたかなんていくら考えても仕方がない……。学年も違うのだしそうそう出会うこともないだろう)

 

 手土産に持たされたスコーンをバッグに入れ、リランは自分に言い聞かせた。この世界が記憶と違うものと確定した今、英雄よりもクィレルの動向の方が重要だ。もし暴走なんてされたら呪われたリランが真っ先に被害に合う。

 呪いが満足するまでリランは死ねない。あの地獄をもう一度なんて()()()()ごめんだった。

 

「はあ……」

 

 ———とにかくやるしかない

 

 リランは気合いを込めて拳を握った。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

「やあーっと見っけた! ハリー、ロン、彼女がリラン・エアクイルだ!」

「は、初めまして! ハリー・ポッターと言います!」

「ロン・ウィーズリーです!」

 

(どうしてこうなった!!!!!)

 

 リランの心中はこの一言に尽きていた。以前もやったぞこの件!! ワンパターンな呪いだなオイ!!! 

 とめどなく溢れる動揺を堪え、リランははにかむ少年たちに目を向けた。

 いや、薄々察していた。不機嫌なスネイプだったり、寮で憤るドラコ・マルフォイや上機嫌なマクゴナガルの様子から、何となくナ二か(フラグ)が打ち建っていることには気づいていた。

【クィレル】の記憶でも、ハリーを引き連れたマクゴガナルが、授業中にオリバー・ウッドを呼び出した後に大波乱が起きていた。よく覚えている。

 だからこそ、一ヶ月近くもウィーズリー双子を振り払ってきたのに。何故だ。なぜこう上手くいかない。

 この際素通りしようかと思うが、中庭で呼び止められているので人目が痛い。背後のフレッド・ウィーズリーを撒くのも至難の業だろう。ではどうするか。

 

「……初めまして。リラン・エアクイルと言います」

 

 コンマ数秒の熟考でリランが弾き出したのは、『逆に関わる』という打開策だった。今までの逃げの姿勢が良くなかったのかもしれない。呪いとリランはゴムの紐で繋がっているようなものなのだ。離れた分だけ反動が痛いのなら近づいて無効化してしまえばいい。

 

(肉体的に死ぬ可能性が上がったほうがまだマシだ)

 

 度重なるしっぺ返しに、肉を切らせて骨を断つどころか全てを犠牲にする極端な自暴自棄をリランは選んだ。

 

「早々に申し訳ないのですが、私と関わるとその……」

「オイオイ、何水臭いこと言うんだリラン!」

「そうさ! 言いたいヤツには言わせとけばいいんだよ。君がクールなことに変わりはないんだから」

「……相変わらず元気ですね」

 

 ———いやどんな仲だ。お前らグリフィンドールだろうが!! 

 

 衝動のままに双子を湖にぶち込んでやりたい。リランは苛立ちを押さえ何の用件かとジョージに尋ねた。

 

「元気だって? こーんなしょぼくれて今にも倒れそうなのに?」

「僕たちの溢れ出る悲しみが君には見えないのかい?」

「ハリー、君の眼鏡貸してやってくれ」

「うう、吐きそうなくらい気持ちわるいぜ———ってゴメン! ごめん!」

 

 真顔で見つめるリランに双子は冗談を飛ばすのを辞めた。ハリー・ポッターにやられたガン見攻撃はかなり有効な飛び道具らしい。今後も使おうとリランは心に決めた。

 

「ほら、なかなかさ君と会えなかっただろ?」

「ハリーがシーカーになったから、その報告も兼ねての友人紹介ってやつだよ」

「ロニー坊やもハリーも君のことを知りたがってたし」

 

(なにを!! やらかして!! くれたんだ!!!!)

 

 照れくさく笑う双子の善意が全力で恨めしい。友人経由で美少女と知り合うなんぞもう、主人公の典型的な出会いじゃないか。

 ほら喜べよ、お前の好きな悲劇のヒロインが爆誕したぞ。

 怒涛の仕打ちと完全にマークされた現実に、とち狂った感情のまま、リランは柔らかく笑みをこぼした。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「あそこでクィレル先生と話しているのはどなたですか?」

 

 組み分けを終え夢のような時間に浸っていたハリーの心は、鋭く痛んだ額の傷に若干冷めてしまった。

 来賓席に座った男の敵意に溢れた眼差しから逃げ、心配するパーシーを誤魔化すようにあの鉤鼻の先生は誰なのかと訊ねてみる。

 

「おや、クィレル先生はもう知っているんだね。あの人はセブルス・スネイプ先生。魔法薬学の教授だ。……本当はこの学科を教えたくないらしい。クィレルの席を狙ってるって言うのが専らの噂だよ」

 

 通りであんなに怯えているワケだとパーシーは肩をすくめた。ハリーはしばらくスネイプを見つめていたが、二度と彼はこちらを見なかった。

 そのまま何となくスリザリンの机を見つめていたハリーは、長机の一番後ろの空席に目がいった。よくよく見ると生徒の影から霞んだ空色が覗いていた。

 

(誰か座っている……?)

 

 ハリーは好奇心のままにジッと生徒の頭部を見つめていたが、ふと、その人物がこちらを振り返りパチリと目があった。

 瞬間、ハリーは時が止まったような気がした。

 煮詰めたカラメル色の切れ長の瞳が逸らされることなく静かに瞬く。真っ白い肌と冬の空の髪が砂糖菓子のようだ。蝋燭の光が少女の睫毛に煌めいたとき、ハッとハリーは我に返った。

 

「パーシー、スリザリンの席に座ってる青い髪の人って……」

「ああ、リラン・エアクイルのことかい?」

 

 リラン。どこかで聞いたことがある名前だ。思い出そうと再び彼女の方を見ると、柔らかく微笑んで向き直ってしまった。

 妖精のような少女の雰囲気に惚けていたハリーは、パーシーに話を聞こうと声をかけた。しかし、皿の上の料理が消え静まり返った大広間に機会を逃してしまう。

 結局ハリーが彼女のことを聞き出せたのは、学校生活にやっと慣れた頃、スリザリンと行った飛行訓練の騒動の後だった。

 

 

 ▼▽▼

 

『おい、ロン、俺たちは真ん中の車両まで行くからな。なんせリー・ジョーダンのでっかいタランチュラを見に行かなきゃならない』

『それにもしかしたらリランも居るかもしれないし……。あ、そうだ自己紹介はしてたっけ? 俺……じゃなくて僕たちはフレッドとジョージ! そこに居るロンの兄貴だ』

『じゃ、またあとでなハリー!』

 

「あ!!!」

 

 怒涛の連続にすっかり疲れ切っていたハリーは、掻き込んでいたステーキ・キドニーパイを飲み込んだ瞬間、唐突に思い出した。

 かなり素っ頓狂な声を出してしまったと慌てて隣を見やるが、百年ぶりのシーカーという事実をハリー以上に噛み締めていたロンは感動のあまり気づいていないようだった。

 

(……良かった、変なところは見られていないみたい)

 

 ほっと胸を撫で下ろしたハリーはじっくりと思考を巡らせる。

 そうだ、リラン、彼女の名前はロンと初めて話したあのコンパートメントで聞き覚えがあったのだ。ようやくひっかかりがとれたとスッキリしたが、今度は双子とリランの関係が気になってくる。

 どうしたものかとパイを咀嚼していると、僥倖なことにウィーズリーの双子がホールへと駆け込んできた。興奮した様子の彼らは、ハリーがシーカーになったことを褒め称え、クィディッチ・カップは手に入ったも同然だと笑っていた。

 話が一段落着いたところで、2人がまたどこかに行かないうちに思い切ってウィーズリーの双子に尋ねてみた。

 

「ねえ、フレッド! 汽車で君たちが言ってたリラン……あっ、パーシーからも聞いたんだけど彼女って、珍しい髪色をしてるスリザリンの女の人だよね?」

「ああ、そうさ! 彼女こそが僕たちのマドンナにしてベストクールガールのリランさ!」

「最近会えてなくってさ、君、いつ彼女を見かけたんだい?」

 

 彼女の名前に一層と破顔したフレッドがジョージと共にハリーの向かいに座りながら首を傾げた。ジョージも残念そうなへの字口である。

 

「入学式の晩餐で目が合ったんだ。ねぇ、彼女ってどんな人なの?」

「スリザリンなんだから嫌な奴に決まってるよ!」

「これだからロニー坊やは……」

 

 正気に戻ったらしいロンの突然の言葉にフレッドとジョージはやれやれと同時にため息をついた。

 更に憤慨するロンを宥めつつも、あんなに優しく微笑む人が意地の悪いスリザリン生と同じ性質の持ち主なのだろうかと、ハリーは疑問に思った。

 

「いいかロンよ。確かにスリザリンはいけ好かない奴ばっかりだ」

「なら、リラン・エアクイルも────」

「いいから聞きな」

 

 やはり堪らず口を挟んだロンの口にジョージが手近にあったロールパンを突っ込んだ。もがもがと呻く弟に構わずフレッドが話を続ける。ハリーも黙って耳を傾けた。

 

「僕たちは三年間ここで過ごして改めてスリザリンがヤな奴らだって言ってるんだ。耳年増は結構だけどお前はもっと視野を広く持て!」

 

 ホグワーツを語るにはまだまだ早いぜとジョージが小突くのにハリーはドキリとした。そうだ自分も先入観で決めつけている。

 組み分け儀式が終わった後も、無意識に聞いていた全てを鵜呑みにしていたのではないだろうか。マルフォイのことがあったにせよ全員が同じ人間とは限らないのではないのだろうか。

 

「いいかロン。リランはな、……マグル生まれなんだよ」

 

 フレッドが言うや否や、ロンはあんぐりと口を開けた。自分に対しショックを受けていたハリーはイマイチ理解が追いつかなかった。その様子にジョージが彼女は物凄く窮屈に毎日を過ごしてるんだと、簡単に噛み砕いた補足を加えてくれる。

 

「酷いもんだったぜ? しょっちゅう教科書なんかもぐちゃぐちゃにされててさ。しかも彼女、すっげえ美人だろ? 女の僻みも合わさって可哀想だのなんのって……」

「端っこの方だけど日刊預言者新聞にも乗せられちまってたな、実名報道はされてなかったけど好き勝手な投書もあった。……僕たちも最初はスリザリンだからって気にしてなかった。今思うと最低だよなあ」

 

 普段のお調子者な姿とは違う彼らはの初めてみる姿にハリーは息をのんだ。リランを取り巻く実情と壮絶な境遇を自分の過去と重ね合わせ、思案に耽った。

 叔母さんにはキッチンバサミで頭をくりくりにされ、叔父さんには不平不満の捌け口にされ、ダドリーにとっては都合の良いサンドバッグ扱い。

 学校ではダブダブのお古の服に壊れたボロのメガネをかけたおかしなハリー・ポッター。何をするのも上手くいかない全くまとも(……)ではない妙チキりんないじめられっ子が自分のレッテルでステータスで。

 誰にも相手にされない苦しみ、誰かの鬱憤を理不尽に受ける苦しみ……もう二度とあんな思いはゴメンだった。

 

(僕には魔法があったから自由になれたけれど、彼女は魔法に振り回されている……)

 

 文字通りスリザリン生の、否、魔法界の顔も見たことのない純血主義者達からの受ける差別と憎悪。少し考えただけでも腹の奥がドロドロと渦巻き、ハリーは今すぐにでも走り出したいような、居ても立っても居られない感覚に囚われた。

 いつしか周りに座っていたグリフィンドールの一年生も、話に聞き入っていた。ロンも神妙な顔つきで続きを促していた。

 

「ここからが彼女がクールたる所以の話さ」

「そして僕たちの友情物語も始まる」

 

 湿っぽい空気を一蹴し、ニヤリと得意げに笑った彼らは軽快に喋りだした。

 

「リランはまじでサイコーに強い女の子だった! 涙の一つも見せないで、授業でバンバン虐めっ子どもにやり返して、いまや学年の出席! 一番点数を稼いでるんだ」

「あの身も凍えるくらいの無視っぷりは凄まじいモンだったぜ? 雪女も真っ青な睨みもかましてた。ホントに凄いぜ、彼女にとっちゃ全部がA storm in a teacup(ティーカップの中の嵐)! 大した問題じゃなかったんだ」

 

 確かにあの整った顔で凄まれたらハリーはきっと動けないだろう。リランの予想以上の精神力はとてもではないが真似できそうにない。身振り手振りを交えた双子の語りは佳境を迎えた。

 

「何やっても顔色一つ変えないリランに痺れを切らしたんだろう。スリザリン生は、ある日朝食の席でケンカを売った。卑怯なことに集団での囲い込み!」

「あんまり人がいなくって、気づいたらそうなってたから僕たちも止めようが無かったんだが……」

「そこにハッフルパフの王子様セドリック・ディゴリーが現れた!」

 

 皆一斉にハッフルパフを見やった。リランに味方がいたことにホッと息を吐き、それで彼女はどうなったのだろうとハリー達はいつの間にか拳を握りしめていた。

 

「ディゴリーはデカい上級生にも勇敢に立ち向かった! でも王子様は簡単に跳ね飛ばされて胸ぐらをひっつかまれてしまった。もうダメだ! その場で気づいてた人間は皆そう思ったね」

「けどそんなピンチをリランが救った」

「『これ以上己の品位を貶めてどうする』」

「たった一言。それだけで彼女はスリザリンを黙らせた」

「魔法も暴力も使わないでの落し前のつけ方さ」

「サイコーにクールだったぜ」

 

 締めくくられた言葉のとおりだった。勇猛果敢で、忍耐強く、賢く、侮れない。同い年だった当時の彼女は素晴らしく格好いい人間だった。

 感心すると同時にハリーは先ほどまでの自分が恥ずかしくなった。

 パンを飲み込んだロンが、双子との友情を問うまでハリーは羞恥心と尊敬をため息をぎゅっと堪えていた。

 

「これだけ聞いたら完璧超人なエアクイル様だけど、彼女だって人間だった、ただの普通の女の子だったぜ」

 

 フォークにブロッコリーを突き刺したジョージは、心底面白そうに笑っていた。フレッドもふにゃふにゃと口元をヒクつかせている。どうやらコレが彼らとリランの友愛のきっかけのようだ。

 

「ある日の小春日和のことだ。廊下を歩いていた僕たちはお前らも散々迷惑してるピーブズの悲鳴に驚いた」

「え? あのチョークを投げてきたり後ろから鼻を摘んできたりするポルターガイストの悲鳴!?」

 

 ロンの驚きに同意するように周りの一年生やら寮生が首を傾げたり、目を見開いている。ハリーもまたあの幽霊に散々煮湯を飲まされた覚えがある為、かなり動揺した。

 

「そうさあのクソッタレの悲鳴なんて精々、血みどろ男爵以外に聞いたことがない!! こいつは何事だろうとコッソリ覗いたそこで僕たちは信じられないものを目にした」

「ま、まさか……!」

 

 何かを察したハリーは双子の煽りにつられて声に出してしまう。その反応に堪えきれないと噴きだしたフレッドをジョージがはたいた。

 

「そのまさかだよハリー。そう、僕らが見たのは……ぼっこぼこにピーブズをぶん殴るリラン・エアクイルの姿だったのさ!!」

 

 真剣な表情で告げられた衝撃の事実に、一瞬グリフィンドール生が静かになり、そしてドッと笑いの渦が巻き起こった。

 

「わははっ! 以上が僕たちの親友の話だ。満足したかいハリー?」

「うん!! 教えてくれてありがとう二人とも」

「リランは忙しいから中々見つかんないけどいつかちゃんと紹介するよ。それじゃあ僕たちはこの辺で。楽しい夕食を!」

「リー・ジョーダンが学校を出る秘密の抜け道を見つけたっていうんだ。きっと、『おべんちゃらのグレゴリー』の銅像の裏にあるヤツさ。じゃ、またな」

 

 足早に立ち去った双子を見送ったハリーはロンと顔を見合わせた。何が何だか分からない心境で、お互い呆然としている。

 そして数秒後、じわじわと再び溜まった笑いに弾かれたように二人は笑い出した。

 だが、満足に笑いきらないうちに会いたくもない顔が現れた。クラッブとゴイルを従えたマルフォイだった。

 

 ▼▽▼

 

 売り言葉に買い言葉、とんとん拍子に決まった真夜中の決闘にハリーは血気に逸っていた。夕食後、付きっきりで魔法使いの戦いの知恵をつけてくれたロンもとても興奮している。

 

『最後の食事を楽しんでいるようで何よりだよポッター。穢れた血……おっと失礼、食事中に言うものではなかった! 彼女と仲良くなりたいのなら、マグル界行きの汽車の旅なんて良いんじゃないかと思うよ、今夜にでも出るんだろ?』

 

 飛行訓練に関しては突っ掛かられることを予想していた。が、よりにもよって奴は今やあの場にいたグリフィンドール生の多くの賞賛を集めた尊敬すべきリラン・エアクイルをコケにしたのである。

「穢れた血」と言う言葉の意味はよく分からなかったが、リランに対して懐疑的だったロンがソーセージを滅多刺しにする程に憤るくらい酷い単語だと言うことで充分だった。

 真夜中の外出に関してのハーマイオニー・グレンジャーの忠告はもっともなことだと思ったが、厭けざるマルフォイの顔を叩きのめせるまたとないチャンスを見過ごすわけにはいかなかった。何より、リランの名誉と彼女の言葉が強く胸の奥で燃えさかっているのだ、止められるわけがない。

 ハリーは、ずっと一人だった。だが今は違う。ダドリーに虐められていた自分を、マルフォイに揶揄われ誇りを汚された自分をハリーは変えたかった。

 

「ロン、絶対にぶちのめすよ」

「もちのロンだよハリー!!」

 

 しかしそうは問屋が下さない。

 約束の時間、ハーマイオニーとネビルの余計なお荷物を抱えて、トロフィー室についてみればまんまとマルフォイに騙されたという始末。

 挙句の果てにピーブズに見つかる有様だったが、ロンの『リラン・エアクイルに言いつけるぞ』が功を奏し何と、フィルチから逃げる手助けをしてくれた。エアクイル様様である。

 ハーマイオニーの呪文で開いた部屋に雪崩れ込んだ四人は、息を殺してフィルチが去るのを待っていた。悪態とともに消えた気配に、やっと帰れると安堵していたハリー達は、三頭犬による死の恐怖に脅かされやっとのことで八階の寮にたどり着いたのだ。

 初めての冒険は散々な結果で、寮の得点どころか命を落とすものだった。だがそれ以上に、あの決断が無謀に終わらず、マルフォイの卑劣さを証明できたことへの充足感に溢れていた。

 次の日、ロンと一緒に昨夜の出来事について意見を交わしながら大広間に向かったハリーは、マルフォイの鳩が豆鉄砲を食ったような顔に笑い出しそうになった。

 三頭犬と仕掛け扉に何が隠されているかネビルとハーマイオニーは無関心だった。ネビルは三頭犬がトラウマになっているしハーマイオニーはハリー達と口も聞かなかった。

 ハリーとしては、お節介な知ったかぶりに指図されないことに清々していた。今やハリーとロンの想いはリラン・エアクイルに近づくことと、どうやってマルフォイに仕返しをするかでいっぱいだった。

 そのチャンスは両方とも一週間後に訪れた。コノハズクに運ばれてきたニンバス2000はマクゴナガルからの贈り物で、マルフォイが何も言い返せないのが最高にスッキリした。一時限目が始まる前にロンとコッソリみたニンバスは箒を全く知らないハリーでも素晴らしい出来だと分かった。

 興奮冷めやらぬまま浮ついた気持ちで午前中の授業を受けたハリーは、昼食を取るため大広間に向かう途中、フレッドとジョージの双子に呼び止められた、

 

「やあハリー! あ、ロンもいるな?」

「今少し時間を取れるかい?」

「いいけど、一体何だって言うんだい?」

 

 答える間もなく連れ出されたハリーとロンの疑問は、中庭に着いた途端一気に吹き飛んだ。

 ブルージュの髪と華奢な体躯、ブーツとタイツに包まれた長い脚。輝くカラメル色の甘い瞳、……間違いなく、リラン・エアクイルがそこには立っていた。

 

 ▼▽▼

 

「やあーっと見っけた! ハリー、ロン、彼女がリラン・エアクイルだ!」

「は、初めまして! ハリー・ポッターと言います!」

「ロン・ウィーズリーです!」

 

 憧れの人物を前に緊張するハリー達を知って知らずか双子は勢い良くリランに話しかけた。

 ゆったりと振り向いた彼女は美術品のように整っていて、自己紹介の声がどもってしまった。

 日の下で見る少女はどこもかしこも輝いて見えたし、伏し目がちな瞳が瞬くたび、音を立てているかと思うほどに羽ばたく睫毛が素晴らしく可憐だ。

 

「初めまして。リラン・エアクイルと言います」

 

 穏やかに花びらのような笑みを浮かべた彼女は、透き通った声色で名乗った。心地のよいソプラノにハリーはうっとりと聞き入った。双子の冗談に呆れる顔すら美しい。

 

 ──―ちょっと顔が良すぎるんじゃないかな

 

 やっと話せた喜びとリランのあまりの造形美に、ハリーの頭の中は緊張と困惑が蔓延し、全く語彙のない感想に埋め尽くされていた。

 




リラン「めっちゃ目ぇつけられとるやんけ・・・」
ハリー「めっちゃ美人おるやんけ・・・」





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【15】Halloween(ハロウィーン)

「やあ~ッッ! ハッピーハロウィ~ン!!!」

 

 光陰矢の如し。不確定要素に怯えながらリランは十月三一日を迎えた。噎せ返るくらいの甘ったるい匂いも、耳障りな声もただただ精神を削るばかりである。

 

「アララ! いつもなら言い返すのにどうしたのさぁ!」

「……お前本当に性格悪いな」

 

 リランの心労を分かっているだろうに、わざとらしくピーブズはおちょくってくる。冗談抜きで殺意の波動に目覚めそうだった。

 ハリー・ポッターと予期せぬ形で遭遇したリランは、一周回って吹っ切れていた。この世界が前世と違っていたとしても、過去の記憶と今の状況が全く噛み合っていない訳ではない。

 そもそも根本的に異質な自分が居ることでシナリオが崩壊しているのだ。つまり、多少の改変は当たり前。というかアイツが時を遡ったのだと言っていたのではなかっただろうか。

 色々と開き直ったことで冷静になったリランは、ピーブズの矛盾した台詞に気付きかけたのだが、その日の夜、当の本人による衝撃の事後報告により恐怖心が戻ってしまった。

 

『おい、ピーブズ! お前、私のことを揶揄っていたな? 意味深な適当を言いやがって!!』

『ンン? 何のことぉ? 朝からしかめっ面してさあ、美容に悪いんじゃない?』

『何をとぼけてるんだクソ野郎。大方、私を呼び出したのもおふざけの妄言だろう!』

『フーン……じゃ、ハリー・ポッターがこの間の夜中に抜け出して、三頭犬と賢者の石を見つけたことは言わなくて良いんだぁ~!!』

 

 残念だったなと勝ち誇っていたリランの余裕は瞬く間に消え失せた。

 リランは、ピーブズの『並行世界の相違』という台詞は『向こう側』の知識に基づいているものからだと考えていた。クィレルから引き継いでいるハリー・ポッター達の行動の記憶は、実際のところ彼らが賢者の石の存在に気づいたところからしかない。どうやって真実にたどり着いたのかえさえも最期まで分からなかった。

 対してピーブズは学校中を駆け回るポルターガイストだ。生徒の秘密の一つや二つくらい握っているだろうし、彼は魂やら魔法を喰らう目的でホグワーツに住みついている。英雄なんて格好のトラブルメーカーを見逃す筈もないし、実際にクィレルの本性にも気づいていた。

 ということはだ。ピーブズの言うことは、十中八九かつて過去で起きたことである。

 カンニングに頼らなければ死んでしまう立場のリランにとっては『英雄の行動』、一つ一つが重要なのだ。

 しかし、前世の疑問が解消されても、それは不安を煽るだけだった。今年はただでさえ死のリスクが高いのだ。しつこいユニコーンの呪いが闇の帝王なんて絶好の地獄を易々と手放すと思うか? いや、絶対に有り得ない。

 単にピーブズの嫌がらせだとしても、有益な情報だった。逆に近づこうとかそんな悠長なことを言っている場合ではない。たったの一ヶ月弱で、ハリー・ポッターは危険に突っ込んでいる。

 

 ちょっと前までマグルの所にいたよな? 何故そうアグレッシブになったんだ。誰だアイツの闘争心に火をつけたのは!!! 

 

 リランは混乱に混乱を重ね合わせ激昂した。それはもう盛大だった。突然のシーカー任命だの、真夜中の外出だのと大体がドラコ・マルフォイが着火マンだと思い出したときはそれはもう徹底的に荒ぶり散らした。

 元々いけ好かない小僧だと生前から認識していたリランは、自身が入学したばかりの頃の考えなしないじめっ子どもと同じようにやたらと自分を厭けざるマルフォイに対し

 

父親の栄誉を誇るのは結構です(親の七光りでデコまで輝くなんて流石貴族)

『|けれど貴方は何も為していない。ただ喚いてるだけです。《額の毛髪が純血界の行く末みたいだな》』

『|現状にご不満があるのならば、貴方が変えてはみては如何ですか? 《いっそお前の血を漂白してやろうか?》』

 

 と盛大に説教という名の憂さ晴らしを真顔で告げた。

 主に嫌味と頭髪への嫉妬を精神年齢だけなら二回りも小さな子供にぶつけた大人気ないリランは、数日後に妙に大人しいマルフォイと一部のグリフィンドール生を中心に蔓延っているらしい『リラン・エアクイルはやっぱりすげえ奴』的な噂を耳にし、死にたくなった。

 絶対に双子か犯人だろう。セドリックの純粋な瞳に辛さを覚えながらひたすら目を逸らした。

 クィディッチの練習に忙しいグリフィンドール勢が絡んでこなかったのが唯一の幸運だろう。リランは初めてこのスポーツがあったことを喜んだ。

 そんなこんなで、クィレルを警戒しつつ面倒な野郎どもを躱すという半ば自業自得のハードな毎日を過ごしたリランは、心身ともに萎れきった状態でハロウィンに挑むことになったのである。

 

 ▼▽▼

 

「トリックオアトリート!!」

「お菓子かイタズラどっちをお望みだい?」

「はい、どうぞ」

 

 ウィーズリーの双子にとってハロウィンとは狩りと同義である。中々に捕まえられない友人を、昼食前に見つけられた彼らは手渡されたカップケーキをしげしげと見つめてしまった。

 

「あの、それじゃ駄目でしたか?」

 

 あんまりにも動かない双子に、リランが不安そうに首を傾げた。一見すれば感情の起伏が薄そうに見えるが、リランは存外よく笑う性格であり、とくに瞳は雄弁である。

 

「いや! めちゃくちゃ嬉しいけど……」

「その、なんていうか君から貰えるとは思ってなくて」

「……そんなに薄情に見えますか」

「いやいやいや!!!」

 

 慌てて弁解を述べた二人はありたいに言えば心底驚いていた。一年生はともかく二年生の冬頃に関わるようになった自分達が、あのリラン・エアクイルとハロウィンを楽しんでいる。その事実が何だかむずがゆかったのだ。

 オレンジのカップケーキはたっぷりとチョコレートソースでコーティングされており、添えられた小さな白いコウモリが可愛らしい。見るからに手作りなそれに、フレッドとジョージは自分達のお菓子の詰め合わせが申し訳なくなってしまった。

 実際のところリランがお菓子を作ったのは、クィレル時代に見た双子のいたずらが恐ろしかっただけであったし、カップケーキはアンリーの作品である。

 だが、そんなことを知る由もない双子はどんな贈り物がリランに相応しいか頭を悩ませた。

 

「カップケーキ、サンキューな!」

「あのエアクイル様に貰えるなんて僕たち運がいいぜ?」

「だが待て、フレッド。この対価にこーんなちっぽけなお菓子で割に合うと思うかい?」

「ぜったい足りないな。どうする兄弟?」

 

 突然の掛け合いに戸惑っていたリランだったが、双子の言わんとしていること察したのだろう。彼女はいつかの雪玉合戦の時のような、悪戯っぽい笑みを浮かべクスリと呟いた。

 

「……お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ?」

「悪戯万歳!」

 

 クスクスと笑いながらヒョイとリランが杖を降った。たちまち、双子はキラキラとした柔らかい風に包まれる。ほんの数秒で終ったそれにリランはニッコリ笑うとその場を去っていった。

 

「んん? パッと見て特に変わった所はないな?」

「変な匂いも全然ないし……」

 

 双子は揃って首を傾げたが、学年首席の悪戯なのだしきっと遅効性のものだろうと納得して大広間に向かった。数時間後、魔法薬学の授業中に頭からカボチャの蔦を生やす羽目になることを二人はまだ知らない。

 

 

「あっははははは!! キミって最高だよ!」

「グリフィンドール十点減点!!!」

 

 ▼▽▼

 

「ここら辺でいいか……」

 

 ハロウィンの晩餐会をひっそりと抜け出したリランは女子トイレの見える廊下に佇んでいた。記憶の通りならもうすぐクィレルがトロールを城に招き入れる頃だ。キチンとシナリオが進んでいるかを確かめなくてはならない。

【クィレル】のときはかなり手の込んだ芝居と共に誘き寄せたのだが、忌々しくもスネイプに邪魔をされてしまった。そして判断力が大いに欠けた子供達により本格的に計画を妨害されたのである。

 前世でトイレに駆けつけた際と同じならば、無謀なハーマイオニー・グレンジャーがトロールを倒すと宣ってハリー・ポッター達に助けられるという手筈だった。

 恐らく真相は違うものだろうが、ともかく重要なイベントであることには違いない。リランは壁に身を寄せるようにしてジッとその時を待った。

 やがてブオーブオーと地鳴りのような醜い声が聞こえてきた。しかし、一向にハーマイオニー・グレンジャーは現れない。

 

(そっちのパターンだったか……!)

 

 舌を打ったリランは女子トイレに足を向けた。詳細を知らないリランはハーマイオニーがトロールを追いかけてトイレに入ったのか、それともトイレに入ってきたトロールを迎え撃ったのかが分からない。下手に動いて面倒なことになるのは御免である。リランは、目視確認という手段に頼るしかなかった。

 もし見つかれば怪しまれること必須で、杖の直前呪文を絶対に調べられる。人探しだとか探知系の魔法ならまだ良いが監視やら盗聴なんぞの呪文を使ったことがわかればもう逃げようがない。

 脳裏に浮かんだTHE ENDの文字を振り払うように、リランは女子トイレの扉を開けた。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

『まったく悪魔みたいなヤツさ』

 

 ロン・ウィーズリーの言葉がいつまでたっても耳から離れない。じわりと滲んだ涙をハーマイオニーはグッと堪えた。わかっている。自分が嫌われていることくらい。だが、わかっていても傷つかないわけではなかった。

 少し話をした同級生は 誰も彼もが勉学にあまり真剣ではなく、寮による偏見を持ち合わせた全く自制心のない人間ばかりで、ハーマイオニーは早々にうんざりしていた。

 

 ———みんな子供っぽくって嫌になるわ

 

 一人で行動するようになったハーマイオニーには噂や喧騒がよく目に入った。大抵耳にするのは、汽車で出会ったハリー・ポッターと何やらワケありの生徒、リラン・エアクイルの話題だった。

 ハリー・ポッター。彼はとても無謀な人物だ。ルールを破って許可なく箒に乗るなんて! 自分が素晴らしい飛行に目を奪われてしまった事を弁解するように、ハーマイオニーはハリーに殊更強く憤った。

 ハーマイオニーがリラン・エアクイルの事情を初めて知ったのは、飛行訓練の騒動後の夕食時だった。フレッドとジョージ・ウィーズリーを中心に、グリフィンドールの生徒が盛り上がっている。そこにはロンとハリーの姿もあり、気づけばハーマイオニーはコッソリと耳をそばだてていた。

 別に、ただ同じマグル出身であるリランのことが気になっているだけであって、彼らの仲間に入りたいわけではない。純粋にホグワーツの歴史を書きたいだけなのだ。

 聡明な彼女はそれが一体誰に対しての言い訳なのかを考えようとはしなかった。

 

 ▼▽▼

 

 結論から言えばハーマイオニーは散々な目にあった。

 くだらないお遊びの為に、真夜中寮を抜け出すなんて信じられない。大体、何故リラン・エアクイルの話を聞いた後でそんな発想に至るのだ。彼女の、正々堂々規則を守った上での行動と自分達の蛮行を同じ勇気にたとえるなんて! ハーマイオニーは男子二人の思考回路が全く理解できなかった。

 

「……彼女なら止められたのかしら」

 

 スリザリン生がマグル生まれを蔑んでいることをハーマイオニーはよく分かっていた。本で読んだ史実や自分に言われた言葉の数々、そのどれもが魔法界の在り様だった。

 ホグワーツは夢のような場所で、同時にとても窮屈な所だった。だからこそリラン・エアクイルに憧れた。自分と同じマグル生まれで、自分よりとても辛い境遇で、真っ直ぐに生きている彼女が理想の姿だった。

 故に思うのだ。何故自分は彼女のように上手く行かないのだろうと。美人じゃないから? 友達がいないから? 

 少しずつ溜まっていったそれらはロン・ウィーズリーの一言に爆発してしまった。

 憧れが嫉妬に汚れるのがハーマイオニーは悲しくて堪らなかった。素敵なあの人をこんな感情で見てしまう自分が大嫌いで仕方がなかった。

 図星を突かれて、トイレで拗ねて、友達の声も跳ね除けるなんて、ああ、

 

「……わたしがいちばんこどもっぽいじゃない」

 

 ポロリと零れた泣き言は、皮肉にも自分が彼らに下したレッテルで、ハーマイオニーは泣きたくなった。

 

(泣いているのに泣きたいなんて可笑しな事だわ)

 

 ぬぐっても拭っても溢れ出る涙を乱暴に振り払おうとした時、誰かがトイレに入ってきたことに気づいた。

 ハロウィンなのにこんな所にわざわざ来るなんてきっとグリフィンドールの誰かに違いない。先ほども追い払ってしまったのに、お人好しがすぎる。今は誰にも会いたくなかったハーマイオニーは、罪悪感で不安定な心のままに叫んだ。

 

「わ、わたしのことは放っておいてよ……!!」

 

 とんがったヒステリックな声にハーマイオニーは嫌気が差した。人の親切を無下にするなんて最低だ。自己嫌悪に涙ぐんだが、次の瞬間聞こえてきた声に雫が引っ込んでしまった。

 

「ハーマイオニー・グレンジャーさん……?」

 

 曇りガラスのような柔らかな声。一度聞いたきりの困惑したそれは、間違えようもなくリラン・エアクイルのものだった。

 何故彼女がここにいるのだとか、どうして自分の名前を知っているのだとかとどめなく疑問が溢れ出す。ハーマイオニーはパクパクと金魚のように口を開閉することしか出来なかった。

 何か、何か言わなければ。キャパシティーオーバーに呻き声を上げた時だ。

 

「グレンジャーさん!!! 今すぐしゃがんでください!!!」

 

 鋭い怒号にハーマイオニーは座り込んだ。リランの切羽詰まったそれに反射的に従う。静寂がトイレに木霊したその刹那———

 

「ブオオオオオオオオオオオオァァァァァッッッ!!!!」

 

 雷鳴の如き轟音が頭上を掠めた。鼻がもげそうな異臭と、パラパラ落ちる木の破片。噴射する水飛沫をハーマイオニーは透明な幕越しに認識した。 開けた視界を呆然と眺めた彼女は、自分に杖を向けるリランを見やり、そして今しがたトイレを破壊したものに目を向けた。

 コブのついた太い幹のような足、禿げた小さな頭、筋骨隆々な長い腕と醜悪な相貌。幾度も本で見かけ、読んだ灰色の怪物がそこにいた。

 

「———ッッ、ぁ、!?」

 

 身の毛もよだつトロールにハーマイオニーは悲鳴を上げそうになった。だが、寸でのところでそれを飲み込む。美麗な顔を険しく歪めたリランの姿があったからだ。

 ハーマイオニーは自分を包む透明な盾の中で蹲る。腰が抜けて動くことが出来ない。頭では今すぐ逃げなければいけないとわかっているのに、体が言うことを聞かなかった。

 じりじりとトロールがリランに迫っていく。中身のない脳ミソはただリランを潰すことしか考えていない。トロールを刺激しないように声を押し殺したハーマイオニーの目には、振り上げられた棍棒と細い杖がゆっくりと写った。

 高度な盾の呪文を使うリランが負けるはずがない。しかし、マグルとしての価値観が強いハーマイオニーには、華奢な少女の体躯が潰されてしまう未来が見えてしまった。

 

「———逃げてッッ!!!!」

 

 耐え切れず声を上げたその途端、ガチャリと鍵の開く音と共に二人の少年の声が飛び込んできた。勢い良く駆け込んできたハリーとロンだった。

 

「こっちに来い!!」

「やーいウスノロ!!」

 

 彼らは、リランとハーマイオニーに一度括目すると、床に落ちた石や瓦礫をトロールめがけて投げつけた。

 

「ウィーズリー君、ポッター君! グレンジャーさんのところに行きなさい!!」

 

 トロールが二人の妨害に気を逸らした隙を狙ってリランがビュンと杖を薙いだ。駆け寄ってきたハリーに背中を支えられたハーマイオニーは、眼球を氷漬けにされた怪物を見た。

 壁の隅に固まった三人は、鮮やかな手腕でトロールをノックアウトしたリランを尊敬の眼差しで見つめた。

 

「皆さん怪我はありませんか?」

 

 一転し、張りつめた空気を解いたリランが心配そうに歩み寄ってきた。近くでみる彼女は本当に美しく、しどろもどろになってしまった。

 危機が去ったことに安堵したハーマイオニーは、ハッと我に返った。二人もそれに気がついたのだろう。気まずい雰囲気が流れた。

 

「あ、あの! 助けてくださってありがとうございます。でも、どうして私の居場所が分かったんですか……?」

 

 居心地の悪さを取り払いたくて、ハーマイオニーは瓦礫を片付けようとしていたリランに声をかけた。一瞬面食らった様子のリランだったがすぐさま優しく笑いかけて答えてくれた。

 

「先生方から、優秀な貴女の話を聞いていたというか、その、同じマグル生まれの親近感というんでしょうか……」

 

 少しはにかむ彼女にハーマイオニーは舞い上がりそうになった。それはつまり、話しかけてくれようとしていたということ。

 

 ———彼女も私と同じ気持ちだったのね! 

 

 先程の恐怖や悲しみが嘘のように吹き飛んでしまった。憧れの存在に認められた。その事実がただただ嬉しかった。今なら箒にだって乗れそうだった。

 

「グレンジャーさん? やはりどこか痛みますか?」

 

 赤くなった顔を覆うハーマイオニーにリランが首を傾げた。知らない一面を知れたことに胸が弾んでいたハーマイオニーとそれに呆れるロンとハリーだったが、聞こえてきたバタバタという足音にサッと蒼ざめた。

 

 ▼▽▼

 

「一体全体、あなた方はどういうつもりなんですか」

 

 蒼白な顔でマクゴナガルが唇を震わせた。駆け込んできたスネイプと、トロールを見るなり悲鳴を上げたクィレルの視線がリランに注がれた。

 

「エアクイルどういうことですか?」

 

 怒りとそして困惑に満ちたマクゴナガルの声に、ハーマイオニー達は俯くことしか出来なかった。年長者である彼女に責任が問われることは分かっていたが、悔しくてたまらない。

 ロンが何やら口を開こうとしたが、三人を庇うように佇んだリランがそれを遮った。

 

「女子トイレにグレンジャーさんを探しに行ったところ、トロールに襲われてしまいました。そこに同じく彼女を探していたウィーズリー君とポッター君が危機一髪のところで来てくれたのです」

 

 三人は唖然とした。危機一髪? とんでもない、むしろ足手まといになっていたのに。いち早く察したハーマイオニーは、ポカンとするハリーとロンの袖をひきそれらしい顔をした。

 

「では、何故君がグレンジャーを探していたのかね? 特に彼女との接点はないだろうに」

 

 言外に寮の隔たりを滲ませたスネイプが刺すように言った。何故か視線はハリーに向けられている。

 

「……私は彼女に興味を持っていました。仲良くなりたい人を心配する、これだけでは理由になりませんか?」

 

 流石に教師の前でお友達宣言(それ)を言うとは思っていなかったハーマイオニーの心は爆発しそうになった。

 なんてことをしてくれたのだ。目を背けて本当に微妙な程に頬を染めたリランの姿に教師たちも目を丸くしていた。

 わかりづらいのに分かりやすいその仕草に、今すぐ叫びたいような、転がりたいような得も言われぬ感情を刺激され、ハーマイオニーは必死でその衝動を堪えた。

 トロールが転がるトイレにそぐわないなんとも微笑ましい空気が流れた。

 

「トロールはあなた達四人が倒したのですね?」

「はい」

 

 ゴホンっと咳払いをしたマクゴナガルにリランが即答した。リランに杖を渡すように言ったスネイプが低く呪文を唱える。ふわりと現れた木霊のような何かに、マクゴナガルは感心したように頷くと続けざまに言った。

 

「大人の野生のトロールと対決出来る一年生や、見事な防御術、氷結術、失神術を扱える生徒はそうザラにはいません。グリフィンドール十点、スリザリン二十点」

「怪我がないのなら早く寮に戻りたまえ」

 

 おとがめなしで終わったことに驚く間もなく四人は外に連れ出された。後片付けはクィレルがやるらしい。ハーマイオニーは怯える教師に任せて本当に大丈夫なのかと訝しんだ。

 コツコツと四人は黙って廊下を歩いた。リランに何か言わなければ、今度こそはとハーマイオニーはお礼を告げようとした。しかし、リランがひたりと足を止めたことで遮られてしまう。

 

「あの、僕たち……」

「その言葉は他に言うべき人がいるでしょう? ちゃんと伝えなければ」

 

 では、私はこれでと、ハリーに諭したリランは固まる彼らに会釈をし、寮に戻ってしまった。

 気まずい沈黙が再び流れる。先に口を開けたのはロンだった。

 

「ごめん! ハーマイオニー!!! 僕のせいで君を傷つけた……」

「僕もごめんね……あげくにトロールと閉じ込めちゃって……」

 

 頭を下げる二人にハーマイオニーは笑い出したくなった。なんだこんなにも簡単なことだったのに気づかないなんて。

 

「私こそごめんなさい」

 

 するりと零れた六文字は、ハーマイオニーの心を軽くさせた。ドロドロの恥ずかしい想いはすっかり消え去っていた。照れ笑いを交わした三人の間には確かな友情が結ばれたのだ。

 共通の経験をすることで互いを好きになる、そんな特別な出来事があるものだ。巨大な化け物を倒したり、憧れの人物に近づくというのもまさしくそういった経験だった。

 





リラン:燃えたい
ハーマイオニー:生まれて初めての感情(萌)
浮遊呪文さん :解せぬ
教師陣 :珍しい生徒の姿に不覚にも和んだ


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【16】The game starts(試合開始)

 ———米

 

 白く輝く粒だった甘み

 

 ———米

 

 ほわりと立ち昇る優しい匂い

 

 ———米

 

 肉汁を絡め、魚肉を包み、野菜と調和する魅惑の美食

 

 ———米、こめ、嗚呼……白米!! 

 

 極東の小さな島国が誇る食物は、その抜群の包容力でリラン・エアクイルの精神を支えていた。

 びゅうと吹いた木枯らしにリランは口まで覆ったマフラーを更に引き上げ、ぎゅうっと縮こまる。ブツブツと『米』を連呼する様は不信そのものだし、濁った瞳は即効で病院送りの瀕死っぷりだが生憎と彼女は至って正常だった。

 いや、客観的自分の総評(優秀な少女)を維持すべく正常を勤めていたというのが正しいだろう。その為の手段が米というあたり大分狂っているが、それも彼女の心境を考えれば致し方無い。

 彼女が外見通りのか弱い美少女なら医務室なり何なりと今すぐに向かうが、リランの精神年齢は三十路越えの野郎であった。

 無駄にプライドが高く、往生際も悪い拗らせきった童貞。おまけに陰キャ属性も付与された前科持ちのハゲ。

『地獄を乗り越えてしまったばかりに生まれてしまった開き直りの日和見うんこ』

 これはとあるポルターガイストが調子づくリランを評した言葉だが、実に的を得た答えである。

 まどろっこしく現状を濁しているが、端的に言ってしまえば、リラン少女が保身主義を貫きすぎた結果ハッフルパフの席でクィディッチの応援をしているという事態になったというだけなのである。

 スリザリンの試合なのに、自寮の応援はせず他寮の観客席に居座るなど、まさにどうしてそうなったとしか言いようがない。

 いくつかの要因が絡んだ故のイレギュラーだが、一番の原因はやはりハリー・ポッター、彼だろう。

 さかのぼること数日前。ハロウィーンのクィレルの動向を探るべく一段と気を張り詰めていたリランは、その努力も虚しくものの見事にトロールとハーマイオニー・グレンジャーに遭遇してしまった。

 キーパーソンがトイレで泣いているなんて予想外をかまされたリランは、気の強い女子から放たれた『放っておいて!』に生来の弱腰も相まって完全にたじろいでしまった。 思えば最大の失敗だった。

 優等生の建前上、思いっきりかち合わせた少女を見殺しにするわけにもいかず、かと言って『クィレル』のやり方でトロールを倒すわけにもいかない。

 不味い、不味いの一心で何とかトロールを仕留めようとしたその矢先に、英雄の登場。リランはあきらめの境地に達した。

 殆ど無意識に振るった杖は八つ当たりも兼ねて、いっそオーバーキルに愚鈍な怪物を仕留めた。

 しかし、前世においてスネイプのかけた反対呪文に即座に気づいた聡明なグレンジャー嬢は、不自然なリランの介入を訝しみ鋭くそれを指摘した。

 

『どうして居場所が分かったんですか』

 

 当然、『前世の自分が仕組んだからです』なんぞと答えられるわけがない。電波も不信もいいとこである。

 疲弊した脳ミソでは『誤魔化しておけ』以外の選択肢が浮かばなかった。リランは美少女フェイスを今までにないくらいに和らげて全力で微笑んだ。

 リランは更に決定的なミスを犯した。確かに彼女は自分の顔が大好きで、必要とあらばとことん利用する。だが自分の魅力は顔のみと認識している。故に、いくら顔面偏差値がマサチューセッツ工科大学の笑みだろうが、にじみ出ている性格うんこは減点もの。つまり、必殺『麗しご尊顔アタック』はあまり万能ではないと考えていた。

 演技力に自信があるくせに、周囲から遠巻きにされている理由を自身の性格の悪さと結びつける矛盾。ガワは清楚に取り繕っても、やはり彼女の本質は拗らせ野郎なのだ。

 いくたこくた、クールビューティーな美少女の笑みの真の価値を理解していなかったリランは、ポッター一行に懐かれ、教師陣に和まれ、そして現在進行形でクィディッチの応援に巻き込まれたという訳である。

 とどのつまり自業自得の自滅の自爆、それに過ぎなかった

 

「ハリー! フレッド! ジョージ! 皆頑張れー!!」

「……」

 ──こいつら、こんなに仲良かったか? 

 

 隣に座るセドリックに合わせ小さく旗を降ったリランはふと思った。前はそれ程親しい間柄とは言えなかった双子とディゴリーが、リランを通じて友達になったことを知らない彼女は眉間にしわを寄せる。

 当初の予定では、前世の通りクィレルがポッターの箒に呪いをかけるかどうかを確認をするだけだった。しかし、トロールの件で益々クィレルに目をつけられたと警戒していたリランの計画は、早朝から待ち構えていたウィーズリー双子に粉砕されてしまった。

 混乱するリランは、ハリーが緊張してるんだとか、ハーマイオニーも張り切ってるんだとか、僕たちも応援して欲しいだのという怒涛の押しにあれよあれよと流され、セドリックによってハッフルパフの応援席に連行された。

 それにしても双子の圧が凄かった。きっと彼らは、ハロウィンの悪戯で生やしたカボチャにまともな思考能力を吸い取られてしまったのだろう。素であの過激な暴動はありえない。

 あのまま毛髪も栄養の糧になればよかったのにと、前世から双子に振り回される恨みからリランは低く毒づいた。

 

「凄い飛びっぷりだなあ! ハリー凄いね!!!」

「……ソウデスネ」

 

 ──ああ、お米よ。お米さま

 

 光属性は話を聞かない。負けから学んだリランは、高くついた勉強代に再び米へと想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 十一月に入り校庭の湖が凍りつき霜柱がおりた今日この頃、早朝の大広間は騒めきと興奮に満ちていた。

 クィディッチの開幕と、ハリー・ポッターのデビュー戦に沸き立つ生徒たちは、頭上に漂うピーブズに気づいていない。

 自ら透明化しているとは言え、無関心なのは頂けない。目立ちたがりのポルターガイストは、数百年前の契約を恨んだ。

 リランという最高の玩具と過ごした好き放題の数年が恋しい。今までに働いたそれなりの悪事を棚に上げ、調子よく憂いた男は、ふと聞こえてきた会話に耳をすませた。

 

「ああ、遂にクィディッチが始まった!! 開幕早々スリザリンとグリフィンドールなんてもうすごいよ!」

「去年はボコボコにやられちまったからなぁ……勝ってくれよぉ!!」

「勝てるさ! だってあのハリー・ポッターがいるんだぜ!? ウィズリーの話じゃ物凄い飛びっぷりだったらしい」

「何にせよ、クィディッチ狂いのマクゴガナルじきじきご指名のシーカーなんだから期待してもいいと思うよ」

「違いないね!」

 

 鼻息を荒げ興奮しながら談笑する男子生徒達を、ピーブズは冷めた眼差しで一瞥した。

 つい先日まで、リラン・エアクイルのハロウィン騒動に夢中だったのに何とも変わり身の早いことだ。

 話題の移り変わりが早いのは、閉鎖的なホグワーツでは致し方無い事なのかもしれない。だが、自分が手掛けた玩具の愚行がこうもやすやすと流されるのは大変面白くなかった。

 ピーブズは必死になって優等生を演じるリランが滑稽で堪らなかった。メンター家の地獄で培った滑らかな魔力循環と言えども、それを駆使する脳内は生前の凡人スペック。天才なんぞと身に余った称号に無意識に縋る少女は学習能力がないのだろうか。

 

 ──臆病者のクセしてすぐ調子に乗るよなァ、絶対に

 

 今まさに、眼前でウィーズリー双子に絡まれているリランを半目でピーブズは見やった。

 キチガイに刃物とはよく言うが、是非とも辞書に、日和見屋に演技力も付け加えてほしい。いや、そもそもあの顔面がいけない。

 誰だよあんな美少女にうんこ野郎突っ込んだのは、そうだよピーブズだよ。やりこめられ虚無に陥った馬鹿面(リラン)に笑いが堪えきれなかった。

 

 ▼▽▼

 

 何も知らない少年達の甘酸っぱい青い春が、元禿げ頭の犯罪者に注がれるというのは、心の底から愉快極まりない。

 惨い字面に腹をよじらす愉悦の悪魔は、寒空の下で穴熊の寮に居座るリランをただただ見つめた。

 ハリー・ポッターが入学してから、ピーブズは殊更にリランの言動を見るに留めていた。ただ単に血みどろ男爵が嫌だったという理由もあるが本命は違った。

『あちら側』から伝わったクィリナス・クィレルの終わりはもう直ぐ近くに迫っている。

 ユニコーンの呪いで、賢者の石にまつわるいざこざにリランは確実に巻き込まれるだろう。

 聖獣の怨念を滲ませた魂を一時とはいえ飲み込んだ自分は、結果的にマグルの体で裂け目を創り出せる程の力を得た。

 リランとクィレル(クローンとオリジナル)

 超えた修羅場は違えど、本質は同一な彼らの引き起こす『何か』をピーブズは待ちわびているのだ。

 なぁリラン。現実逃避に走るのは結構だけど、随分とお前余裕だねぇ

 それとも自分のことなのに分からなくなったのかい? 

 揺蕩うような囁きがパキリと凍てついた。

 



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【17】Reckless driving(無謀な駆動)

 いくら現実から目を背けようとも、時というものは無情に流れるものである。

 幾分か平静を取り戻したリランは、弾丸のように目の前を掠めたブラッジャーの風圧に顔をしかめた。

 鋭く弧を描いた暴れ玉は、冷え切った空気を巻き込みながらギュインッとハリー・ポッターに向かって突撃していく。

 ぶつかってしまうのではないかと一瞬肝を冷やしたが、物理法則など意に介さない身のこなしで易々と交わす姿に、心配は無用かと息を吐き出した。

 

「リラン、そんなに気を張ることないよ! ホラ、今だってフレッドがブラッジャーを遠のけてくれたしさ」

 

 リランの緊張に震えた呼吸に気づいたセドリックが、背中に手を添えて明るく言った。

 だがしかし。普段なら本当に人間がよく出来ているなと、嫉妬すら抱かず珍しくも素直に感心していたであろうセドリックの励ましも、今のリランには全く響かなかった。

 

(頼むから何事もなく終わってくれ……!)

 

 本当に何かイレギュラーが起きてはしまわないかリランは気が気でない。何せこの試合で、クィレルはポッターを殺そうと初めて直接的な行動を起こす。そしてその企みを阻止しようとしたスネイプを英雄一行は怪しむのだ。

 それにしても中々機会が掴めないとはいえ、こんな大人数が集中するクィディッチの最中で、我ながら随分と阿呆な真似をした。よくもまぁ目撃者がたったの三名で済んだものである。

 

(知性もなにもない愚策中の愚策! 全く、お前に知性のレイブンクローを名乗る資格はない)

 

 ありもしない薄っぺらい寮愛を盾に、リランは徹底的に過去の己を貶めた。

 リランはかなり緊張していた。それこそ普段よりも激しい罵倒の一つでもなければ今にも失神しそうなのだ。

 実質的にクィレルの最期が決まる、いわば全てのターニングポイントと言っても過言ではない重要な一幕に冷や汗が止まらない。

 リランは浮足立つ心を抑えるように、肺の奥を冷えた空気で満たしリー・ジョーダンの実況放送に集中する。

 

「さて今度はスリザリンの攻撃です。チェイサーのピュシーはブラッジャーを二つかわし、双子のウィズリーとチェイサーのベルをかわして、ものすごい勢いでゴ……!?」

 

 一瞬途切れた軽快な語りに、遂にクィレルが動いたのかと、心臓が嫌に引き攣った。しかし、流石と言うべきかすぐさま本調子を取り戻した解説により、リランのそれは杞憂に終わった。

 どうやら先程の詰まりは、ゴールに突っ込むエイドリアン・ピュシーのすぐそばにスニッチを見つけた驚きだったようだ。ざわざわと観客席に広がった興奮のさざ波を突っ切って、二人のシーカーが宙を駆け巡っていく。

 金色の閃光により近いのは小柄な紅蓮のユニフォームだった。一段と箒の速度が上がっていく。

 役目を忘れたかのように佇むチェイサー達も、隣で息を呑むセドリックも、誰も彼もがハリー・ポッターが縦横無尽の大接戦を制したかに見えた。

 刹那、鈍い衝突音とそれに続く怒りの声が寒空に轟く。

 スリザリンのキャプテンであるマーカス・フリントが、ハリーに体当たりを働いたのだ。

 あからさまな反則行為にグリフィンドール寮生や観客から抗議や罵倒が沸き上がった。

 

「何て事をするんだ、彼にはスポーツマンシップのカケラもないのかい……!?」

 

 グリフィンドールに与えられた、ゴールポストに向けてのフリー・シュートを見つめるセドリックが静かに憤った。これにはリランも心から賛同した。危うく英雄様が死にかける所であったし、何より、もし自分があの巨体に突撃された挙句、もう少しで地上に突き落とされていたかと思うとゾッとする。

 穏やかな他寮のセドリックでさえ怒りを露わにしたのだから、リー・ジョーダンが中立中継を保つのことが難しくなっても仕方がない。

 マクゴナガルに注意される前の実況には、『胸糞の悪くなるインチキ』や『おおっぴらで不快なファール』などの暴言が聞こえた。

 凄みに耐えかねたジョーダンは、咎めるマクゴナガルをあしらうと、グリフィンドールのシーカーを危うく殺しかけたマーカス・フリントの不正を()()()()()()()()()()()()()と皮肉たっぷりに称して解説に戻った。

 アリシア・スピネットが投げたペナルティーシュートが決まり、クアッフルはグリフィンドール所持のままゲームが続行する。

 

 ────そろそろ頃合いか……

 

 ジッと空を凝視していたリランは、再び襲いかかってきたブラッジャーを交わしたハリーの箒が不自然に揺れ動いたのを見逃さなかった。多少の抜けはあれど【クィレル】としての記憶はしっかりと覚えている。特に最悪の一年だったのだから尚更だ。

 呪いのかかった箒は、呪文の目的に違わず乗り手を振り落とそうと自由自在に動き回っている。全く言うことを聞かなくなったニンバス2000の異常に気づいている者は、生徒の中では恐らくリランただ一人だろう。

 ゆっくりと上昇していくシーカーを余所に、双子のどちらかがフリントにめがけてブラッジャーをかっ飛ばした。直後、唸りを上げた剛速球は見事に標的の顔面へ突撃する。

 しかし、衝撃を受けつつもスリザリンのキャプテンはクアッフルを取り落とさなかった。思いのほか根性があったのだろう。鼻っ面がへし折れていて欲しいと呟くジョーダンの期待を裏切るようにボールは金の輪っかをくぐり抜けた。

 再び奪い奪われのせめぎ合いが続いた時だった。

 

「ねえ、何だかハリーの様子が可笑しいよ……!?」

 

 スリザリンの大歓声を悔しげに見ていたセドリックが、突然顔色を変えて宙を指さした。指先の向こうには、小さな影が遥か上空を旋回していた。漸く異変に気づいた他の生徒もあちらこちらで空を見上げている。

 次の瞬間、球場にいた全員が息をのんだ。荒々しく揺れ動いていた箒が更に高く舞い上がったのだ。競技用のブーツがプラプラと無防備に投げ出される。今やハリーは片手だけで箒の柄にぶら下がっていた。

 

「マーカス・フリントに何か呪いをかけられたのかも」

「箒のコントロールを失っちゃったのかな……?」

「ああっ、危ないってば!!」

 

 背後に座るハッフルパフの生徒たちが口々に騒ぎ立てる。唯一、冷静と言っても妥当な立場であるリランと言えば、固く拳を握りしめたセドリックに習って身を震わせていた。眉まで寄せた渾身の心配顔である。

 リランは固唾をのむ観衆を尻目に、グリフィンドールの真正面に位置された職員席へ双眼鏡を向けた。丁度ハリーの真後ろにスネイプの姿が見える。反対呪文を唱える土気色の顔に感情は伺えないが、内心は焦りに満ちている筈だ。

 

「頑張れハリー……もうちょっとだけ粘るんだ!! フレッド達が上手く受け止めてくれる!」

 

 激しく震える箒に観客は総立ちだ。同様に、恐怖に顔を引き攣らせたセドリックがハリーに向けて励ましの声援を送った。人知れずクアッフルを奪い、五回も点を決めたフリントなど最早誰の眼中にもなかった。

 セドリックに続くように、ハッフルパフやレイブンクローが声を上げた。自寮の試合ではないために人数は少ないが、それでも団結した彼らの掛け声はしっかりと伝わったようだ。

 

(これ、私も何か言わなくてはいけないのでは?)

 

 スネイプの一つ後列に佇み、何食わぬ顔で呪詛を唱えるクィレルを注意深く睨んでいたリランは、いつの間にかグリフィンドールからも聞こえ始めた応援の声にハタと気づいた。

 認められた人間でないとはいえ、敵チームのシーカーを援護するのは如何なものかと躊躇うが、そもそもスリザリンのチームにいる連中はリランへの対応を()()()()馬鹿だけだった。

 あまり目立ちたくはないが、この状況で優等生のリラン・エアクイルが無反応なのは反感をかってしまう。

 

 ────これ、完全にヒロインポジションだよな

 

 完全なる自意識過剰な思考回路だが、現状として一番安全な選択である『敢えて近づく』と『必要最低限の関わり』を満たすものはこれしかないのである。

 精神年齢を意識した途端、脳内の絵面が阿鼻叫喚と化してしまった。リランは自身の精神衛生を考慮してセドリックの後に叫ぶことにした。中身が【クィレル】(拗らせ童貞)でもセドリック(美男子)なら相殺できる。

 セドリックのポテンシャルに責任を擦り付けたリランは、一つ瞬きをすると大きく息を吸いこみ──まるで鬱憤を晴らすが如く──ここ数年ぶりに声を張り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────頑張れハリーッッ!!! 

 

「……おんやァ?」

 

 目下混乱中の『クィディッチの初試合』とは名ばかりのお粗末な殺人計画を、愉しく愉快に嘲笑っていたピーブズは、飛び交う声援を掻き分けた涼やかな声色に眉を上げた。

 ガヤの中でも全く色褪せない繊細なソプラノは、実に小気味よくハリー・ポッターの心に透き通ったようだ。

 霧が晴れたように苦悶の表情へと確かな力が宿る。声援に頷いた英雄は、見かけによらず案外肉体派なようでガシッと箒の柄を握りしめると未だに暴れ狂う箒に勢い良く跨った。

 突然聞こえた美しい声にどよめいていた一瞬は、果敢なその姿によってたちまちに塗り替えられた。

 

「い~のち拾いしたねぇ……」

 

 ────運がいいのやら悪いのやら

 

 感動に包まれる会場を浮遊しながらピーブズは呆れ返った顔でリランを見つめた。

 いい加減あの阿呆は自分の影響力に気がつくべきだ。どうせ、内心のゲスが周囲にはバレているだとか、そんなに意識されていないだとか、しょうもない間抜けなことを考えているのだろう。

 その見解は間違ってはいない。ただ、間違っていないだけで正解ではないのである。

 リラン・エアクイルと言う人間は、スリザリン生にとっては得点稼ぎでしかない、ただの面汚しな邪魔者で、グリフィンドール生は宿敵のスリザリンに属している時点で論外だ。

 温厚なハッフルパフの生徒にとっては、いくら外見が美しいとは言っても張り付けられたレッテルの多さから関わりたくない人物であるし、自分達レイブンクローを差し置いて学年主席に居座る人間は目の敵そのものだ。

 蛮勇で、陰湿で、保守的で、薄情。

 リランの中で蓄積されたホグワーツの四寮に対するイメージはどれも冷徹で等しい現状だ。何百年生きているピーブズが言うのだから間違いない。だからこそピーブズは不思議でならない。そこまで客観視できるのなら何故自分に適用出来ないのか。

 

「やっぱり何処か狂っちゃってんのかねぇ~?」

 

 元のスペックは平凡だがクィレルは決して鈍感ではない。自分が喰らった故の魂の欠陥なのか、それともただただ単純に馬鹿なのか。ガワは完璧なリランのつむじを見つめピーブズは欠伸をこぼす。

 学校内の人間全てに認められる何てことはとんでもない魔法を使わない限り絶対に無理だ。あの天下のダンブルドアだって全員一致は不可能なのだからお里は知れている。

 同時にそれは多数決原理が全て正しいと言えないということを証明している。

 リランが認識している自身の扱いは事実だ。遠巻きにされている厄介者。それは正しく、しかし全てに共通している訳ではない。

 決して良い意味合いではないけれど、『異端』である己をスリザリンに認めさせた。グリフィンドールの売りである『勇気』を彼らよりもよっぽど正しく纏った。『知恵』を尽くし自分の価値を見出し、辛い状況を『忍耐強く』乗り越え、そして『友を守った』。

 これのどこに文句をつければいいのか。打算的な感情はあれど、そこは持ち前の猫かぶりでキッチリ覆い隠しているのだからもうアレだ、普通に質が悪すぎる。さぞかし響いただろうなとピーブズは想うし、響いたからこその今の慕われようだ。

 というか、そろそろ自覚しないと認められない連中(一生群像集団)が可哀想だ。人生二週目の大人げない無自覚死体蹴りで、ご自慢のプライドが風穴に塗れてしまう。

 

 ────まァ、性根が臆病者だから数がデカい方に靡くのはしゃーないか

 

 潔くリランの奮闘を放置したピーブズは、また一つ大きな欠伸をした。この圧倒的な適当ぶりが、ピーブズの悪霊たる由縁である。

 リランの掛け声を聞いた途端、クィレルの呪いの出力が跳ね上がったことだったり、ハリー・ポッターの箒の呪い返しの容量が、ギリギリ寸前で今にもはじけ飛びそうだなんてことをわざわざ教えてやる筋合いはピーブズにない。

 必死にしがみついているが、そろそろ限界だろう。乱高下するジェットコースターのようなそれを耐える精神には舌を巻くが、体力は所詮十一歳の少年だ。

 

「いやマジで、他の奴らの心象を読み取れよ」

 

 この調子では主にポッター少年の命が別の意味で危ぶまれる。

 対人偏差値及び、恋愛知能指数が味噌っかす・オブ・カスなリランを、ピーブズは心底残念なものだなと、冷ややかに見つめた。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「……えぇ……?」

 

 心底憎たらしい相手に哀れまれているとはつゆにも思わないリランは、記憶よりもかなり激しく暴れるハリーの箒としぶとく耐え続けるハリー張本人に困惑していた。

 果たして“前„の時はこうだっただろうか? 情けなくもグレンジャー嬢に薙ぎ倒された【クィレル】はここまで強力な呪いをかけただろうか? 

 イレギュラー(リラン)の介入で依然よりも闇の帝王に強く脅されているのか、はたまたこの世界の住人自体が強化されているのか。いずれにしてもリランには分からないことだ。

 いちいち起こりうる差異に反応していてもキリがないと、手早く切り替えたリランは、再度観客席を注視する。

 

 ────いた

 

 茶水晶の相貌は、遠方の、観客の群れを掻き分けてスタンドを疾走するハーマイオニー・グレンジャーを捉えていた。

 風に靡く豊かな栗毛を追いかければ、彼女は職員席のすぐそばまで近づいている。そしてほんのひと瞬きの合間に、友のために自力する健気な少女は、眼前のターバン男を盛大に客席から叩き落した。

 

「────ンッッ、ぐっ、ふ……ッッ」

 

 リランは噴き出すのを必死に堪えた。内の頬を噛みしめすまし顔を全力で装い、スネイプのローブの裾から竜胆色の鮮やかな炎が上がったことを確認する。

 慌てふためく教員を見るか見ないかの内に、とうとうリランは両手で顔を覆ってしまった。先程の頭からつんのめったクィレルの無様な有様に笑いが抑えきれない。

 

「リラン、もう大丈夫だよ! ハリーはちゃんと箒に乗れてる!」

 

 零れそうになる汚い嘲笑を飲み込むあまり、彼女の全身は震えていた。傍から見れば恐怖と心配に耐えられなくなった美少女だが、中身は最低の阿呆である。

 まさか同級生がろくでなしの馬鹿野郎とは知らない純粋なセドリックに、なけなしの良心が痛んだリランは辛うじて冷静を取り戻すと顔を上げた。

 その時リランが目にしたのは、急降下した真紅の流星が四つん這いで着地した光景だった。

 パチンと口元を抑え、まるで何かを吐き出そうとするハリーに、セドリックが恐々と息を漏らす。

 戦々恐々と見守る中、彼の口元からこほっと何かが飛び出した。間違いない。あの眩い金色の球体は勝利の終止符だ。

 

「──────スニッチを捕ったぞ!!!」

 

 シーカーの掲げた猛々しい雄たけびに、会場は熱狂の嵐に飛び上がった。割れんばかりの歓声がガンガンと反響する。英雄の頭上にかざされた胡桃大の輝きにリランはやっと試合が終わったことを実感した。

 

「やったあああああッッッ!! 凄い、すごいよハリー!! よく頑張った!」

「セドリック嬉しいのはわかりますが少し落ち着いてください。そんな前のめりでは落ちますよ」

 

 ブンブンと旗をふり全身で喜びをあらわにするセドリックに、若干の温度差を感じつつもリランはいつものように窘めた。いずれは敵対するのによくもまあこんなに喜べるものだ。

 直射日光に目がくらんだリランは呆れまじりに口角を上げた。マーカス・フリントを筆頭に反則だと喚くスリザリン生以外は、皆楽しそうである。肩の荷が一つ降りた故か今は素直に祝福を譲受出来そうだ。

 

 ──―とりあえず帰ったら米を食べよう。

 

 波乱万丈のクィディッチ初戦。様々なアクシデントがありつつも、試合結果は前回と同様、170対60でグリフィンドールの勝利で幕を閉じたのだった。

 





リラン:一人だけガキ使
セドリック:ぐう聖 真のヒロイン
ハリー:ヒロイン()補正でナイス主人公
ハーマイオニー:MVP
スネイプ:鋭い悲鳴(CV:土師孝也)





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【18】Lobelia(悪意)

「……」

 

 クリスマスまでもう少しという十二月も半ばの早朝、あまりの寒さにリランの目はすっかりさえてしまった。

 ただでさえ明かりが届かない地下牢は、部屋の広さも加わっていつにもまして冷え込んでいる。

 これはかなり雪が積もったなと、億劫そうに身支度を整えながらリランは顔を顰めた。

 念入りに保温魔法をかけたリランは、久々にしもべ妖精の所へ行こうと早々に談話室を後にするが、地下廊下に差し掛かった辺りでふと歩みを止めた。

 リボンに彩られた松ぼっくりやヒイラギといった控えめなクリスマス飾りが目に入ったからだ。

 

「……」

 

 彼女にとってクリスマスという行事はあまり縁のないものだった。薄っすらと残る【クィレル】としての意識が覚醒する前の記憶にも、メンター家を乗っ取った数年間にも祝った覚えが一切ない。

 また、【クィレル】自身の思い出にも特に馴染みはなかった。母子家庭故に贅沢は出来なかったし、イギリス人ではないマグルの母はそもそもキリスト教を信仰していなかった。

 僅かばかりに通っていたプライマリースクールの同級生の話や、絵本、店の広告などで知識としては知っていたが、『知っている』と『やったことがある』は同義ではない。

 マグルの世界で育ちつつも宗教的な意味合いで、クリスマスの文化自体触れていなかった当時の自分は、ホグワーツのクリスマスにさぞかし驚いた。

 とはいっても、学生時代は闇の帝王の全盛期だった上に、陰湿な虐めやクリスマスのもつ一定の年齢で気づく残酷な意味合い(リア充共がイチャつき盛る日)により、素直に感動したのは入学年くらいだったが。

 塩分濃度の高い思い出に浸っていたリランは、可愛らしい装飾品を前に突然んん? と首を傾げる。パチパチと瞬きを繰り返し、やがて合点が言ったと言わんばかりにふむと頷いた。

 

「……まともにクリスマスを祝うのは今年が初めてか」

 

 入学許可書が届く以前もピーブズはホグワーツに帰っていたし(というかクリスマスを楽しむ間柄ではない)、リランも去年、一昨年と冬休みは屋敷に帰省していた。

 成人もとい教師になってからはもはや気にも留めていなかった白い聖夜を、人生初めてと言っても良いくらいに迎えるという事実にリランは妙に感心していた。

 

 うん、そうか、そうなのか、

 

 胸の奥からじわりと滲みだす不慣れな感情を持て余したリランは、それを誤魔化すように再び歩き出す。

 足取りはどこか覚束なかった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「お、お、おはようご、ざいますっ、ぉ、お久しぶりですね、ミ、ミス・エアクイル……!」

「オハヨウゴザイマス」

 

(——————いやいやいやいやいやッッ!!!!!!!!!!!)

 

 数分前の柔らかな心中はどこへやら。荒波雷鳴突風渦巻く大惨事な脳内で力いっぱいリランは叫び散らした。

 

 時を戻すこと十五分。密かな趣味である押し花の材料採集にと、中庭へ足を運んだリランは温室の扉が開いている事に気づいた。

 スプラウト教授が植物の手入れをしているのだろうか、もしかしたら新鮮な花が貰えるかもしれないとハウスへ入った彼女はまさか、一番会いたくない人物が居るとは夢にも思っていなかったのだ。

 

 よく考えれば、自分自身であるクィリナス・クィレルと行動や思考回路が被ることは予想できた筈である。しかし、リランはクリスマスプレゼントと言う名目でしもべ妖精に後腐れのない贈り物が出来ると浮かれていたのだ。

 

(兎に角この場から退散……いや、いきなり逃げるのも露骨か? よし、それとなく会話をして隙を見て逃げよう———ッッ!!!)

 

 脱出経路を描き出したリランは、いつも以上に深く猫を被り直すとしゃがみ込むクィレルの隣に近づいた。

 びくりと跳ねた背中に苛立つも、構わず距離をつめ話しかける。

 

「……先生はどうしてここに?」

 

 掴みは無難な問いかけだ。先に相手の目的を知っていたほうが会話を合わせられる上に、トンズラしやすい。仄かな笑みを覆い隠し【クィレル】の限界接近距離である三十センチの空間を保ったリランは何気なく話を降った。

 

「ひぇ……え、えっと、そうですね、じゅ、授業の教材に使えるものがあったらと、スッ、ス、スプラウト先生に鍵をお借りしたん、ですよ、えぇ」

 

 しきりに目を泳がすクィレルが花を見つめながらひきつった声色で答えた。やめろ気持ち悪いなと思いながらリランも躊躇いがちに言葉を返す。

 

「……お仕事の邪魔をしてしまってすみませんでした」

 

 若干の間をおいて謝罪を述べれば右横の気配がヒュッと揺らいだ。手ごたえありだ。拳を握りしめたリランの脳内では、頼りなさげに謝り倒すクィレルとそれを気にかけつつも逃げおおせる自分の姿がありありと想像できた。

 

「私がいると気が散るでしょうし、お暇させて頂きま———」

「いえ、構わないですよ?」

「……え……?」

 

 あともう一押しだとトドメの台詞を吐いたリランは、思わぬ返答に呆然と固まった。

 

「こんな早朝にやってくるのですから、大切な用事なんでしょう?」

 

 神経質な三白眼を逸らすクィレルにリランは混乱を通り越してもう泣きそうだった。

 乱舞する小宇宙とビックバンをすり抜けた瀕死体の冷静沈着な自分が、いいから逃げろと怒号を上げる。

 

「でも、また別の機会に来ますので、ホントお気になさらず……」

「この時期に外で花を見つけるのは苦労しますよ?」

「……」

「……ゆっくりどうぞ」

 

 今にも飛び出しそうな、どもりはどうしたとか、もう黙ってくれだとか、お前誰だとかと言ったあらぬ暴言をリランは黙り込むことで抑え込んだ。

 縮こまったひょろ長い図体を横目に、開花期真っただ中のクリサンセマムを眺めるリランの脳ミソは衝撃の展開に考えることを放棄していた。

 

 ———いや、もう、ほんとに何なんだ……

 

 茫然自失の胸中に、雪深い白と陽だまり色の花びらがそよいでいる。

 この温室で管理されているのは、魔法植物や薬草だけではない。魔力を持たない普通の花は退職する教師への手向けだったり、ちょっとしたお見舞いの品として役立たれている。魔法により季節を問わずに咲き誇る花たちはいつ見ても壮観だったが如何せん、隣りのコイツが怖すぎる。

 

(待てよ、どうしてこの男は私の目的を知っていたんだ……?)

 

 まともな対人コミュニケーションをかましたクィレルのインパクトに霞んだが、浮かび上がった疑問は紛れもなく不穏だった。ぞわぞわと背筋を駆け巡る悪寒にリランはもう普通に限界寸前だった。

 すわストーカー行為かと怯えるリランは、すくっと立ち上がったクィレルの顔をまともに見ることが出来なかった。そんなリランに気づいているのか否か、ローブを軽くはたくクィレルは何かを差し出した。

 

 ぱちり

 

 瞬いた先には、まろやかなシルクが連なったアネモネの花が咲いていた。花柱から生えた五つの花弁を包むように、一回り大きな花弁ががくを縁取るそれは一足早い春を纏っている。

 

(ど、どうすればいいんだ……?)

 

 突拍子のない不可解な行動に思わずクィレルを見上げる。

 膝に片手を置き、中腰で佇む彼の表情は全く読めず、しかし、どこか歪でリランはおずおずと花を受け取るしかなかった。

 

「ぁ、ありがとうございます……」

 

 クィレルの凪いだような、それでいて今にも泣きだしそうにも思える見たこともない表情に、どもりが移ってしまった。どういたしまして、と返すやはり平淡な声に何故だか不快感は覚えない。不気味な筈なのに、嫌いな筈なのに。

 今日は何だか調子が可笑しいのかもしれない。熱でも出したかなとコッソリ手首の脈を図るが心拍は至って平常通りだった。

 

「アネモネは押し花に最適です。きっといいものが作れますよ」

「!! どうして……」

「あー……この間の提出物にその、しおりが挟まっていて……」

 

 レポート課題は分厚いですものね。盗み見のような形になってすみませんと、少し眉を下げるクィレルにリランはただただ頷くことしか出来ない。もっとエゲつないものを想像していたからに、随分と健全な理由で拍子が抜けた。

 

(え、(クィレル)ってこんな感じだった……?)

 

 大事な何かが溶け出しかけたリランの本能は、即座にこの場を離れろと喚きだした。逃げろ、さもなくば死ぬぞ! 今までの認識が、私の中の私が溶けてしまうぞ! 

 

「あ、栞は今度の授業でお返ししますね」

「丁寧にありがとうございます、あの、そろそろ図書室が空くころなので失礼させて頂きます」

「ああ、はい、行きなさい。で、ではまた……ちょっと待ってください」

 

 セドリックやハーマイオニを前にした時のような独特の危機感に従ったリランの背に、静止の声がかかった。

 近づく影に今度は何だと身を固めるが、何か触られた感触はない。やがて頭上のクィレルが身を引いた。

 

「髪に花びらがついていたので呼び止めました。そこのロベリアの花ですかね、あぁ、もう行ってよろしいですよ」

「……ありがとうございました」

 

 骨ばった指に張り付いた瑠璃色から目をそらし、手短にお礼を述べたリランはようやく温室から立ち退くことが出来た。

 

 

 ▼▽▼

 

「…………」

 

 ハウスを抜け角を曲がり切ったときリランは手のひらを額にあてがった。伝わる体温は冷気に冷えて熱いどころかさっきより低い。

 

 中庭のベンチに腰かけ、手元のアネモネをなんとなく朝日に透かしてみる。雪の乱反射を集めた花はキラキラと小さな銀河を生み出していた。

 

『アネモネは押し花に最適です。きっといいものが作れますよ』

 

 いつもの野暮ったさのない、さらりとしたクィレルの言葉が鼓膜を撫でる。

 

「———そんなこととっくの昔にしってるよ」

 

 わたしがいちばんよく知ってるんだ

 

 

 

 

 

 ▼▽▼

 

 

 

 

 ———いやもう何なんだ。お前の中で一体全体何が起きたっていうんだよ、ホントに。心の底から、力いっぱい、大真面目に意味がわからない。わかるわけない。わかりたくもない。どういうことなんだ、何を考えているんだ

 

 予想だにしないクィレルとの遭遇から数時間。正しく、心ここに在らずな有様で午前の授業を終えたリランは図書室の片隅で頭を抱えていた。

 本棚の影に隠れていても噛み締めた唇や、眉間のシワから滲む彼女の困惑は計り知れない。

 普通に会話をして、共通の趣味があって、おまけに花まで貰って……しかも、ただの花では無くアネモネときたものだ。長年の趣味で愛用してきた植物の花言葉をリランが知らない筈もない。

 これまでのリランなら恋慕を確実に向けられているこの時点でそれなりの態度を取っただろう。自分が傷つく態度などお茶の子さいさいだのと宣って、表向きは当たり障りなく負の感情を伝えて、内心では己の持ち得る限りの罵倒を尽くし、全力で恋の芽を摘む。

 しかし、ここまで彼女が憔悴しきっているのは、クィレルのアクションに対して即座に反応出来なかったということであった。

 あまりに不気味な展開に脳が麻痺していたのだろう。でなければ、後頭部に闇の帝王を貼り付けた犯罪者に同情心染みた感情など湧くはずがない。頼む、そうであってくれ。

 本棚から取り出したなるだけ分厚い本で集めた花々をぎゅうぎゅうと圧縮する。正気に戻った今、なにか無心になれることをしなければ今度こそ本当に被った猫が剥がれ落ちてしまう。

 学園生活をマシに過ごすために、必死に積み重ねてきた今までの苦労をそう易々と水の泡にしてたまるか。そう、落ち着け、落ち着くのだリラン・エアクイル。今のお前はただの押し花生産機だ。淡々とやるべきことをこなせ。そして速やかにこの悍ましい記憶を抹消するのだ。

 ハッキリと、それこそ目を瞑ってでもわかっていた自分の顔の輪郭が急にぼやけてしまったような、疑うことすらなかった事実が覆ったような、そんなどうしようも無い想いがもやを放ってリランの心に覆い被さっていく。

 不安感のあまり、普段は全て手作業でこなす押し花作りに魔法を使ってしまった。異常なスピードで出来上がっていく作品の山を見ても手は止まらない。心細いだの、寂しいだのとそんな生ぬるいものではない。己の存在意義そのものが崩れ落ちた感覚は実に気色が悪かった。

 

「ハァ……」

「どうしたんだい? ため息なんかついちまって」

「おまけに顔色も雪みたいに真っ白だ」

「!! ……フレッド、ジョージ……!」

 

 折り重なった押し花を片付ける気力もなく、疲労感のあまり思わず深いため息をついたリランは、背後からかかった二人分の声にパッと振り返った。

 

「よぉリラン、元気そう……には、うーんどうみても見えないね」

「最近寒いからなぁ、風邪でもひいたのかもしれないぜ」

「そりゃ大変だ! 医務室にいったほうがいい」

「ところでジョージ、一日一個のリンゴは医者を遠ざけるっていうけど、本当かい?」

「ああ、よく狙って投げればね」

 

 何故か鼻の頭を真っ赤に染めた双子が、会話に入る隙もなく矢継ぎ早に捲し立ててくる。いつもの流れであれば(大変不本意だが)冗談を飛ばしたあたりでリランが流れを断ち切るのだが、生憎と彼女の元気はしおしおと枯れ果てていた。

 

「なぁ、ホントに君平気かい?」

「大丈夫です、ちょっと疲れてしまっただけなので。お二人こそ体が冷えているじゃないですか」

 

 心配そうにこちらを伺ってくるフレッドから目を逸らしつつ適当に話を切り上げる。背丈の分だけ冷気を纏っているので側に寄られると地味に寒いのだ。

 

「ああ、ちょっと外で遊んで来たんだよ。折角雪が降ったんだし楽しまなきゃソンだろ?」

 

 尚も眉根を下げる片割れを小突きながらジョージが快活に笑った。数年付き纏われて分かったが、片割れよりも少しばかり冷静な性質であるらしいジョージが———あくまで微々たる差なのだ———上手く話を逸らしてきた。今だけはありがたい気遣いに便乗してリランも口を開いた。

 

「こんなに寒いのに元気ですね」

「雪が固くなっちゃう前に雪合戦がしたくってさ、あとやーっと明るくなってきたし」

「マジで今日は最高だよ、なんたってクィレルが居ないから午後は授業を受けなくて済む」

「でも、自習課題はあるんでしょう?」

 

 一番聞きたくない言葉にグサッとくるも、はて、自分はこんな時期に休んでいたかとリランは首を傾げた。とりあえず会話を続けねばと優等生らしい返答をするが、首をすくめてニヤつく彼らを見れば答えなど分かりきったものである。

 かつては真面目に授業をこなさないコイツらに殺意も覚えたが、リランとしては一行に構わない。むしろ存分にヤツを困らせてくれ。

 

「ほーんとクィレルせんせー様様だよ。できればこのまま休んでくれないかな。ニンニク臭いのは懲り懲りだ」

「元からなんかヤバい感じだったけど、最近のあの人はマジでヤバいよな。あの血走った目を見てみろよ」

 

 まるで、なんかに取り憑かれてるみたいだと呟くフレッドは、存外勘が鋭いようである。こんなクッソ寒い中よく出かけるなと馬鹿にしていたことを謝ろう。まさにその通り、絶賛ヤツは文字通り魔王級の化け物に寄生されているし、これから聖獣にも呪われる予定だ。

 

「ま、何はともあれ彼のおかげで僕らの午後は実質パラダイス。おまけに今日を含めてあと二日寝ちまえばクリスマス休暇だ!!」

「さりげに木曜と金曜を飛ばしましたね」

「重たいタールデイ(thars)なんて飛び越え(……)ちまいたいよ」

「ThursとFriだけにってか?」

「ッフ、それ結局、金曜日に着地してるじゃな、いですか……ふふっ」

 

 あんまりにもくだらないジョークと未だに赤い鼻っ面が無性に可笑しくてつい吹き出してしまった。

 

(ちくしょう、こんなので笑うなんて……!)

 

 らしくないとはわかりつつも、疲れ切った頭はどこか沸点が低くなっているようで笑いは止まらない。得意げに顔を見合わす双子の姿を捉えたところで漸く波が引いてきた。調子に乗らせては後が億劫だとかつての記憶が告げてきたのだ。

 

「わお、いいモンみれたな兄弟よ」

「そうだな。ホラ、彼女の顔色もいい感じだぜ」

「リンゴも医者も必要なかったみたいだな」

「その通り! 投げるのは雪玉だけでよかったらしい。これで僕達の苦労も報われる」

「ああ、心が弾むぜ! クィレルのターバンみたいに。それにしたってよく跳ねたよな、あの雪玉」

「的には上出来な頭でっかちだからかもな? なぁ、リラン君はどう思う?」

「フッ、くぅ、っ〜〜〜!!! し、しりま、ふァ、しりませんっ、よ、そ、んなこと……!」

 

 誰か笑い転げなかった事を褒めたたえて欲しい。我ながらよく耐えた。よくぞここまでで押し込めた。

 気分が落ち込んでいなかったら、顔の穴という穴から液体が飛び出た放送事故待った無しの酷い絵面になっていたところだ。しかし、双子の応酬はまだ終わらない。

 

「ふぅーむ……ベストクールガールのリラン・エアクイルにもわからないとなっちゃあ、僕らにわかるはずがない」

「いや、待てフレッド。ひとつだけ証明出来た事があるのを忘れていないか?」

 

 チェシャ猫のようにブルーの瞳を歪ませた瓜二つの顔面を見た途端、リランは即座に悟った。これ以上コイツらに一言も喋らせてはいけない。

 だが、必死の制止も心の中では無いも同然。

 再び互いを見あった悪戯小僧達はその名に相応しいあくどい笑みを浮かべると言葉を紡いだ。

 

「さて、フレッドおさらいの時間だ。リランの調子は……うん、とっても元気そう見えるね」

「もうすぐクリスマスだからなぁ、彼女もワクワクしてるのかもしれないぜ」

「そりゃ素敵だ! 僕らと一緒に談話室へいったほうがいい」

 

「ところでジョージ、一日一個の雪玉はクィレルを遠ざけるっていうけど、本当かい?」

「ああ、よく狙って投げればね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホントにごめんって!!!」

「……別に……怒ってない、です……よ」

 

 とどめを食らった爆笑後、俗に言う賢者タイムに入ったリランは羞恥に死んでいた。よりにもよってウィーズリー達の前で笑い転げてしまうなんて。一旦落ち着いた思考回路は既にクソ野郎のせいでキャパを超え、多重労働による肉体疲労もろとも全てを放棄してしまった。

 ぺちゃんと机に突っ伏した無防備な姿が珍しいのか、揃って手を合わせて頭を下げる双子の謝罪はどこか意識の外だ。控えめに肩を突かれたり、目の前で掌を降られていても好きにさせてやった。

 疲れに疲れたリランは、絶対に後で面倒くさい事になると分かっていても、そっとローブのフードをかぶせてくる彼らに抗えない。やけになっているともいう。

 

「あらら、マジでこりゃめっずらしいな……」

「おーいリラーン? 寝ちゃダメだって、マダム・ピンスがこっちに来たらやばいよ」

「午後の授業もあるだろ?」

「……あなたたちが、それを、いうんです、か……」

 

(———あ゛〜〜ねむい、かえりたい、お茶飲みたい……)

 

「ンンー……重症だな!」

「やっぱりリンゴが必要みたいだ」

 

 フード越しのくぐもった双子の会話になんとか返事をするも、リランの瞼は段々と下がってきてしまう。司書のマダム・ピンスは本の扱いに殊更煩く、ただ借りるだけでも嫌味を言う。大事な書籍に花を挟んで図書室で眠りこけるなど以ての外。間違いなくはたきで顔を叩かれる。

 それは嫌だな、いっそ授業をサボって厨房で寝てしまうかとうろうろと考えていた時だった。首に引っ掛けたマフラーをグルグル絡めとっていたフレッドが突然、あっと声を上げた。声がデカいと布の隙間から思わず睨み上げるが既にジョージが目線で咎めていた。

 

「おい! リランが起きちゃうだろ!! いや、起こしてたんだっけ……ともかく急にどうしたんだよ?」

「いや、ハリー達からリラン当てに伝言を預かっててさ、今思い出したんだよ」

「ああ、確かに僕らかセドリックしかリランは捕まえられないからな~。いい判断だね」

 

(今なんと?)

 

 ぶっこまれたパワーワードにリランの眠気は一気に霧散した。だが、体は鉛のように重く、いつの間にか頭に乗せられたジョージの腕が振り払えない。リランの戸惑いもお構いなしにポンポンと重大事項が飛び出してくる。

 

「で? 何を頼まれたんだよ?」

「ちょ、ジョージ、うでをのけてくださ」

「なんかリラン、猫っぽいね。ええっと、なんかこの間の、そうそう! クィディッチのお礼が言いたかったんだってよ。今日の放課後」

「おれい」

「ああ、それか! そういやぁハーマイオニーがなんか昨日言ってたな、ニコラスなんちゃらがどうとかこうとか。休暇中は家に帰るらしいからその前に、勉強を教わりたいらしいぜ」

「おそわりたい」

「猫よりも九官鳥みたいになってんな、いやオウムかな? まあ、今日の放課後なら君も空いてるだろ? 最後の科目もクィレルだしさ」

「流石にここまで会えないのは可哀想だし、あってやってよ。あとリランはどっちかっていうとインコだ」

「ほう? いってみたまえよジョージ君」

 

 なにやら頭の上で謎議論が始まったが、リランの聴覚はイベント予告の前に全て遮断されていた。この時期にニコラスなんちゃらだなんて単語が出るあたりいよいよ本場だろう。というかお前ら三年生だろ、世紀の錬金術師の名前くらい覚えておけよ馬鹿。

 

 ———もうマジで帰りたい

 

 結局、リランが動けるようになったのは、猫ならロシアンブルーでインコなら水色だと決着がついた頃だった。

 

 

 




クィレル先生の趣味は押し花(公式)


精神年齢35歳の13歳:SAN値ゴリゴリ削られた。押し花どうしよ。
暫定22歳童貞:ターバンべちゃべちゃ。
フレッド:リランは猫っぽい。雪玉は弾ませてからが本番。フードを被せた。
ジョージ:リランはインコっぽい。リンゴは投げるもの。腕を乗せてた。





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【19】Venus(明星)

「ハローリラン!! 色々と忙しいのに時間を取らせてしまって申し訳ないけれど、やっと貴女に会えて嬉しいわ! 話したいことが沢山あるのよ! ああ、何から言えばいいかしら? あ、そうだ! この天文学書に書かれている『薔薇星雲と一角獣座の関係がもたらす次元的スピリチュアル』について是非リランの意見を聞きたいの!」

 

「……一角獣の定義にもよるんじゃないでしょうか? 魚類のイッカクなのか、はたまた聖獣のユニコーンなのかでかなり意味合いも変わってくると思います。天文図を見た限りでは薔薇星雲に組み込まれている星座の由来もあやふやですし、発見した人物の自伝書などを見ては?」

「成る程……流石リランだわ! 私そんなこと考えもつかなかった、ありがとう!」

 

 キラキラと眩しい限りの笑みを浮かべたハーマイオニーから、リランはそっと顔を背ける。彼女と話した時間は3分にも満たないと言うのにとてつもない疲労感だ。

 

 クィレルの接近やら双子の前での醜態やら強引に取り付けられたハリー・ポッターとの約束やらと満漢全席並みのボリューミーな一日を前に、リランはなんとか最後の授業を終えた。

 寝惚けた頭に投げられた爆弾の被害はそう容易くは払われず、キリキリ痛む胃と相変わらずなスリザリン生を無視してやっとこさ乗り越えたのである。

 体面など取り繕わずいっそ逃げてしまうかといった虚な邪推は、授業終了の鐘が鳴るや否やどこからか現れた双子を前に揺らぎ、なすすべもなく再び図書室に引きずられる途中で、これまたご機嫌なセドリックがひょっこりと加わったことで完璧にへし折れた。

 なんでお前まで来るんだ! とリランは大層憤ったのだが、そもそもクィレルの担当教科はグリフィンドールとハッフルパフの合同授業だったのだからセドリックに批はない。悪いのはクィレル。つまり自分だ。

 やり場のない怒りと嫌悪に浸る間もなく、たどり着いた先の図書室では存分に恥を晒した場所に座らせられ、挙句意気揚々と双子がその時の様子をセドリックに語るものだからやっていられない。

 更に半ば意識を飛ばしたままやり過ごした公開処刑のその後に、満を辞してやってきた英雄一行及び迫り来るハーマイオニー・グレンジャー。息つく間もなく怒涛の勢いで踏まれたNGワードにトドメを刺されたリランは、ただただひたすらに泣きたかった。

 

 ———私、めちゃくちゃ頑張った。地雷原に放り出されたのによく答えた。あぁ、今すぐその好意の眼差しをやめてくれ。半分程は適当に答えたヤツだ、ヤケクソだから!! 

 

 なにやら話しこむ一年坊主たちを前にため息を飲み込む。外面だけは一丁前なこの体は便利だがハロー効果も絶大で大層扱いづらい。薔薇星雲の星図の話はまだ新任だった頃にも、一度だけ話したのだが誰も聞いては居なかった。

 見目の良い者の話に説得力があるというのはある種の傲慢な魅了魔法(チャームマジック)なのかもしれない。結局のところ人間は見た目が九割なのだ。

 

「ねぇ、リラン、リランはニコラス・フラメルって知ってる? その、僕たちその人のことが気になっててずっと調べてるんだけど」

 

 世知辛さに内心で毒を吐いていたリランは真正面からかけられた控えめな声に顔を上げる。かちあった緑の瞳は期待に満ちていて心底頭が痛い。

 さらにハリーを挟んで向かいに横並ぶ一年生だけでなく、両隣と上座からも待望という名の圧力もかかり居心地がとことん悪い。

 知っているもなにもフラメルの名は魔法界だけでなく、マグルの児童書にまで知れ渡っていると記憶している。しかし強大なダンブルドアの名に若干影を潜めているのもまた事実。錬金術師としては優秀でも肉体は老人であるフラメル氏の計画的策略なのかは定かではないが、セドリック達には知っていて欲しかった。それとも彼の名前には妙な魔法でもかかっているのだろうか。

 いずれにしても教師としては嘆かわしいばかりであるがそろそろ視線が痛くなってきた。しかしここで素直に答えて歴史が変わってはいけない。かといって知恵無しと思われても評判にかかわる。上手く話題を逸らしつつ出来れば彼らの好奇心も押さえたい。さてどうしたものかと、諦めの色濃い半笑いのままリランは口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、リラン、リランはニコラス・フラメルって知ってる? その、僕たちその人のことが気になっててずっと調べてるんだけど」

 

 ハリーの問いかけにセドリックは首を傾げる。どこかで聞いたことのある名前だがパッと思い出せない。確かに聞いたことがある筈なのだ。

 うんうんとセドリックが頭を悩ませている間に、リランが苦笑混じりに言葉を紡いだ。

 

「ええ、知っています」

「ホント!?」

 

 相当な問題だったのだろう、三人揃って同時に驚いたハリー達はリランの解答に歓声を上げていた。興奮に頬を火照らす彼らはなんとも微笑ましく、特にクィディッチの騒動以来それとなく会話をかわし大人びているなと感じたハーマイオニーが初めて年相応に見えた。

 

 ハロウィンの騒動から何かとハーマイオニーを気にかけているらしいリランも、まなじりを緩めた新鮮な顔をしている。あの時に起きた事については触れて欲しくなさそうだったので無理に問い詰めることはしなかったが、今の様子を見れば大方予想はつく。

 歳の差はあれど二人はマグル出身だ。きっと話も合うのだろう。嬉しそうなリランの姿を良かったと思うのと同時に、少し寂しさも感じてしまう。セドリックは少しばかり感傷的な気分に浸っていた。

 

「ところで一体どこでその名を聞いたのか伺っても?」

 

 フレッドの赤い髪の毛越しにリランが肩をすくめる。途端顔を見合わせたハリー達はまごつき中々口を開かない。

 

(あ、コレはダメなやつだ)

 

 刹那、ガラリと空気が引き絞られる。左右を背の高い本棚で囲まれた空間に冷たい圧迫感が押し寄せた。

 

「言えない……、いえ、言いたくないといったところでしょうか?」

 

 不穏な何かを感じとったのか、いつもなら真っ先に突っつき回そうとするフレッドもジョージもリランの両隣でふぅんと鼻を鳴らすに止め。静観を貫いている。

 

「……もし少しでも後ろめたいという気持ちが貴方達にあるのであれば、私はその質問に答えるわけにはいきません」

 

 至って平坦な、まるでいつかのあの時のような温度のない声色に3人の肩が揺れる。

 どうして、とリランに対する失望に溢れた声が漏れるが、彼女の表情は依然として変わらない。ひたりと見据えた煮詰めたカラメル色がじわりと紙の匂いに混ざっていく。手出しは無用かとセドリックは事を見守る事にした。

 

「つまりは貴方達は何か隠したいことがある……そう言うことでよろしいですね?」

 

 先程のハリー、ロン、そしてハーマイオニーの反応は露骨過ぎた。リランの全てを見通すような瞳の前では並大抵の誤魔化しは効かないことをセドリックは身をもって知っている。ふぅと息をついたリランの声はまだ平常だ。

 

「試すような真似をしてすみません。貴方達が一生懸命何かを調べていることはフレッド達から聞いていました。勉強を教わりたいとも。だからこそ疑問に思ったんです。……そこまでして知りたい事をどうして先生方でなく私に聞きたいのか」

 

 目を細めるリランは美麗な容姿と相まってかなりの迫力だ。砂糖菓子のような淡いブルーの髪がサラリと揺れる。フレッドはジョージに向かっておっかないなと口だけを動かしていたが、彼らの青い目にはリランへの親しみが溢れていた。

 さてそろそろ出番だろう。このままでは一年生達が可哀想である。きっとコレを見越して声をかけてきた双子に苦笑いをしつつセドリックは口を開いた。

 

「あのね、ハリー。なにもリランは怒っているワケじゃないんだ。ただ、そのね、言い方が悪くなっちゃうけど……その君たちのやり方はまるで彼女を利用しているように聞こえてしまうんだよ」

 

 今まで口をつぐんでいたセドリックに、すぐ目の前のハーマイオニーがヒャッと背筋を伸ばした。ロンとハリーは不可解だと眉根を潜めている。

 

「利用って……そんな僕たちは、ただ知りたかっただけで」

「うん。わかってるよ。君たちにそんなつもりは無いよね」

 

 半ば遮るようになってしまったロンに申し訳なくなりつつもコレは大切なことだ。キチンと伝えなければならない。

 

「……リランがとても大変な、つまり、ホグワーツ史上初のマグル生まれのスリザリン生っていう微妙な立場に居ることは知っているよね」

 

 こくこく頷く三つの頭を横目に、セドリックは目を見開くリランに大丈夫だよと目配せをした。

 

「だから些細なことでも気をつけなきゃいけないんだ。例え後輩の相談事一つでもね」

 

 そう、実名こそ伏せられていても新聞で報道された彼女の学校生活は想像以上に苦しいのだ。昔、フレッドとジョージが起こした大規模な悪戯に知らぬ間に巻き込まれかけたとき、リランは静かにそして尋常でないほどに怒り悲しんでいた。

 

「『何をするのも貴方の自由だけれど、迷惑の基準も人それぞれです。文句をつけられたくないのであれば誠実に真摯にやりなさい』……ハリー、ロン、ハーマイオニー。君たちの好奇心は自由だ。でもリランに対して、僕たちに対しては誠実じゃなかった」

 

 リランの主張は最もで、同時にたかがと一蹴できてしまうほどの物だ。

 しかし彼女が伝えたかったのは、今までの苦労を無に返す真似をするなということではなく、物事への尺度が人それぞれ違うからこそ真摯な対話とお互いへのある程度の遠慮が必要だということだ。

 我ながら十代の子供には難しいことだと思う。でも不可能ではないこともリランといる事で分かった。

 

「……無理に話せとは言いません。正直に言えないのであれば私も全てを話すことはしません。でも貴方達の助けにはなりたい」

 

 要は何かあったとき言い逃れが出来る最低ラインまでなら教えますと、にっこり微笑んだリランは珍しく狡猾なスリザリン生だった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「さぁーて!! 重たい空気はコレでおしまい!」

「僕たちもぶっちゃけ分かんないから一緒に考えてやるよ、さ、リランヒントだ!」

「……ニコラス・フラメルなら三年生までには習う筈ですが」

「マジで?」

「嘘だろ?」

「ッフフ」

 

 テンポのいい応酬に思わずセドリックは吹き出してしまった。それはハリー達も同じようで口元を押さえている。緊張は解けたようだ。

 

「……押しつけがましいようですが、私はあまり融通が利かない状況です」

 

 神妙な顔で念を押すリランにセドリックは呆れそうになった。

 

 ———君が誰から構わずに押し付けるような人じゃないことくらい皆知ってるよ

 

 言外に告げられた友人としての距離感がくすぐったいやら、探り探りの遠慮の取り方があまりにも不器用やらで、リランを除いた全員の心が一つになった。

 

「うん、分かった。ちゃんと僕たちで探してみるね」

「ちゃんと話せなくてごめん……助けてくれてありがとう」

「無遠慮に迫ってしまってごめんなさい……貴女に恥じないよう精一杯頑張ってみるわ!」

 

 無意識に持っていた罪悪感も安らいだらしく、後輩達の面構えは清々しい。うん、やっぱりリランは凄い。

 

「はい、答え探し頑張ってくださいね。影ながらですが全力で応援しています。……では、ニコラス・フラメルの出生についてです。彼はフランスのボーバトン魔法アカデミーを卒業し、その後———」

 

 セドリックの視線は、熱心に羊皮紙へメモをとる一向から柔らかく語るリランにふわりと移り変わっていく。

 スラリとしたしなやかな手脚と、肩にかかるグレージュの髪は出会った頃よりも随分と伸びていて、確かな時間の流れを感じさせる。昔は顔を上げなければ、リランと目が合わせられなかったセドリックもこの夏で頭ひとつ分ほど大きくなった。

 今年の新学期の朝は驚いたものだ。久々に見た憧れの女の子はこれほど小さかったのかと衝撃を受け、単に背が低いと言うことではなく———むしろリランは長身だ———華奢だとか、薄っぺらいななどと言う感情が生まれた。今なら分かる。アレは庇護欲と称するのに相応しいものだったのだ。

 彼女は冬の空のように儚い。しかし、煌めく金星の瞳は誰よりも力強く勇ましい。セドリックは理解する。守りたいのではなく、隣に立ちたい。頼り頼られる関係を築きたい。

 

 だというのに、このどこまでも優しく聡明な友人は、自身の立場からか巻き込まないように人を遠ざけようとする悪い癖がある。

 一度、臆病風に吹かれて彼女から離れてしまった自分が言える事ではないが、セドリックはリランの側に居たい。ただそれだけなのに一年生の頃、和解が解けた後に距離を置かれた時は本当に泣きそうだった。

 必死に引き留めたおかげか今はなりを潜めているが、好きを突き離す歪な防衛行為は、セドリックが唯一リランに抱いている不満なのである。気に入らないといってもいい。そのくらい大切なことだった。

 だからこそ無防備に笑う姿が本当に嬉しい。このささやかな幸せがいつまでも続けばいいなとセドリックは瞳を閉ざした。







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【20】Christmas Eve(クリスマスイブ)

 どうにか正規のルートに戻そうと、一か八かの大勝負、又の名を悲劇のヒロインムーブをかましたリランは見事その賭けに勝利した。

 

「———単に十四世紀に誕生しただけの人間が今も尚騒がれることはない、ここまでは分かりますね?」

 

 平静を装いフラメルについて話しているがこれでも滅茶苦茶に驚いている。正直なところ、こうもすんなり成功するとは思っていなかったのだ。

 

 ただ質問しただけなのに突然の説教の流れと言うのは何度考えても無茶苦茶だった。ぶっちゃけリラン自身も、貼り付けた笑みの裏で『お前の事情なんてこっちには微塵も関係ないしそんな筋合いもないからとっとと教えろよ自意識過剰勘違い女(笑)』ぐらい言われても可笑しくない状況だと鼻で笑っていた程である。

 

「歴史に残る、いえ、今も語り継がれるほどの偉大な何か……古今東西、人類の栄光と言っても過言ではない何かを彼は為しています」

 

 あの茶番劇は、リランの顔の良さとセドリックとウィーズリー達の助太刀、そして一年生達の純朴さがなければこうもすんなりとはいかなかっただろう。

 何故、関係のない彼らが助け舟を出したのかは検討もつかないが終わりよければ全て良しだ。流石はグリフィンドールのトリックスターとハッフルパフの王子様———初めて聞いた時リランは笑い転げた———だ。ありがとう、カーストトップクラスの圧力は有無を言わない説得力があったぞ。

 特にセドリックの言い回しは見事だった。少々大袈裟な言い草だったがスリザリンの馬鹿共が鬱陶しいのは本当の事であるし、付き纏う双子に我慢出来ず『優しいリラン』の仮面を外してしまった失態もいい具合に美化されている。なんにせよ誤魔化せたのなら万々歳、ただそれに尽きる。

 

(私がお前ならとっくに友達辞めてるよ……ケッ、彼女持ちは度量が違うってか?)

 

 健気な友情心を私利私欲のペテンに利用した挙句、妬みを激らせた救いようのないカメムシの煮汁(リラン)はいっそ清々しいまでの下劣な本性を秀麗な(かんばせ)にひた隠す。

 

「———漠然として良く分からないので有れば彼の出生や年代を調べると良いでしょう自ずと答えが見つかる筈です」

 

 リランは長い演説と思考を締めくくると、注がれる尊敬の眼差しを努めて無視しパチンと手を叩く。身を乗り出す勢いでメモをとっていた後輩達も反響した乾いた音にようやく正気に戻り始めた。

 

「ハァ———……! リラン、君は教師になるべきだよ。ビンズ先生の授業より百倍分かりやすい!」

 

 右隣から上がったフレッドの声にセドリックとジョージがうんうんと頷く。

 我ながら素晴らしい講座だと自負していたリランは、サボり魔のウィーズリーまで食い付いたことに、やはり自分には教える才があったのかと調子に乗りかけた。

 が、今持ちゆる技術は【クィレル】だった時分に必死になって習得したものだったこと、そして本来の生では空回りに終わっていたのだという事実に気づきその思考は一気に黒く染まる。

 死ぬ気の努力がまさか比喩ではないなんて誰も思わないし、やる事全てが一切実を結ばないなんて鬼畜にも程がある。しかも新たな人生ですら前世の業で曇りまくりの地獄絵図だが、彼女の言動を振り返れば当然とも言えた。

 

(ウィーズリー、セドリック……他意はないにせよお前達の言葉は私の心を多いに抉ったぞ……!!)

 

 さっきのファインプレーとコレとは話が別だと苛立つリランは、度重なった心労が良くない形で現れてきていることを自覚し、早くこの場を離れるべきだと素早く席を立ち上がった。

 

「……あぁ、そろそろ図書室が閉館する時刻ですね。さ、皆さん。これ以上廊下が冷える前に寮へ戻りましょう」

「本当にありがとう! 明日もう一度探して見るよ。ただ、図書室が広すぎて何処から見ればいいか分からなくて……」

 

 途方にくれたように頬を掻くハリーに、司書に聞く発想はないのかと呆れるが、言外に告げられたマダム・ピンスの名前にああ、と思い直す。

 ハッキリ言ってしまえば彼女の生徒に対する態度は大変宜しくない。しかし上手く接していけば必要以上に干渉してこないタイプの人間だと分かる。

 但し、それを理解するには面倒くささに耐えられるだけの忍耐力と塩対応でも折れない心が必要だ。ちなみに【クィレル】の頃のリランは早々に諦めた。

 

「そうですね、同じ世代で活躍した人物を探ってみるのもいいかもしれません。案内板に表示がありますからそこを目安にしてください」

 

 本にしか興味のない人間を相手取るにはかなり時間がかかるし、一年生にはキツいよなと、二割程の同情心を抱いたリランは軽いアドバイスを送ってやった。

 

(確かに、ただ連れ立って廊下に出るだけの生徒達(私達)をロクデナシのように見てくる人間に話しかけたくはないのは分かる)

 

 ゾロゾロと図書室から退散しながら神妙に頷くリランだが、彼女に関してだけはマダム・ピンスの審美眼が正しいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬休みに入り、三日がたったクリスマス・イヴの朝、リランはしもべ妖精の元へ足を運んでいた。

 クリスマスに備えいそいそとご馳走の支度を始める妖精達の表情は、いつにも増して輝いており大層可愛らしい。

 

「リランお嬢様、紅茶をお入れいたしましたので、よろしければどうぞ」

「わぁ……ありがとうございます、このクッキーもとっても美味しそう」

 

 ジンジャークッキーとポットを載せたお盆をアンリーが机の上に並べていくのをリランはだらしなく頬を緩ませながら見つめる。彼女の小さな手が動くだけで一切のストレスが吹き飛んでいくのを感じた。

 砂糖を入れずストレートのまま嗜んだアッサムの芳醇な香りは殊更に上品で起き抜けの体に心地よい。食べるのが惜しいくらい細やかなアイシングが施されたクッキーをえいっと放り込めば、サクッとした小気味良い音と素朴な甘みが口内に広がった。

 

(コレだよ……私が求めていた安らぎは……!)

 

 昨日は本当に最後まで気が抜けなかった。元気ハツラツなウィーズリーズが、とっとと帰りたいリランの切なる想いを無惨に裏切り他休暇中も会いたいだのクリスマスは楽しもうだのと鬱陶しい彼女の様に騒ぎ立てきたのである。

 咄嗟についたクリスマスプレゼントの準備があると言う嘘と、必殺麗しご尊顔アタックのゴリ押しにより無事図書室解散となったのだが、寮までの帰り道で、ただ厄介事が増えただけだと言うことに気づきリランは白目を剥いた。

 結局、就寝時刻を過ぎてもその場しのぎにしてはお粗末な言い訳をしてしまったとベッドの中で頭を抱えていたが、深夜を回る頃には、よくよく考えてみれば酷使された脳みそにしてはまともな返しだったろうし、寧ろよく頑張った方だと気持ちを切り替えることが出来た。

 

(信憑性の為には少々凝ったものを作らねばならないが、周囲の好感度を上げる機会だと思えば良い)

 

 そんなわけで、下手に馴れ合いを拒んでも後が面倒だと、素直に贈り物を考えることにしたリランは、精神回復も兼ねてゆっくり作業が出来る厨房に居座っているのである。

 すっかり食べ終わったクッキーの皿をなんとなしに眺めながら、紅茶を一口すする。さて、一体全体何を用意すればいいだろうか? 

 ホグズミードに行くには時間が足りず、かと言ってクリスマスカードだけでは物足りない。文房具や日用品などが無難なところだが、現物が残るもを贈るのは個人的に嫌だ。アクセサリーや化粧品も考えたが装飾品は重い上に、そもそも三分の二が野郎だった。

 ある意味定番の品である手編みのセーターや手作りのお菓子も、たかが同級生相手に贈る物ではないしそんな手間も暇も度胸もないと切り捨てる。

 金も時間もかからずに量産できる、男女関係なく使える消耗品……そんなものある訳———

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………………石鹸……とか」

 

 うんうんと頭を悩ませていたリランに突如として天啓が授けられた。

 

 ———石鹸、石鹸、石鹸……⁉︎そんなもの貰っても嬉しくな、いやまて、魔法でなんか細工すればいい感じになるのでは? こう、なんか透明に加工して花とかハーブとか入れれば……

 

 閃きに混乱しながらカッと茶水晶を見開いたリランは、いつも持ち歩いているバッグを食い入るように凝視する。その中には、昨日扱いに困る程量産した押し花が入っていた。

 

アクシオ・プレスドフラワー(押し花よ来い)

 

 馬鹿な奴らに持ち物を壊されては叶わないと全ての私物を鞄の中に入れたはいいが、こう焦っている時すらも目当ての物をいちいち呼び出さなければならないと言うのは非常に億劫である。リランは便利だが検知不可能拡大呪文も考えものだと杖を振るった。

 引き寄せたポーチの中身を覗き込めば、まだ伸していない花がちらほら見える。パッと見たところ使えそうなものはガーベラとカレンデュラ、クリサンセマムの三種類だけだが、これだけあれば上々だとリランほくそ笑んだ。

 

(あと必要なのは石鹸の素地だが、問題はそれをどこで手に入れるかだな……)

 

 今から買いに行くことは出来ないとなると用具室か浴室でかっぱらうしかない。だが自分の外面上バレると色々終わってしまう。どうすればいいか。ゴシゴシ呪文(スコージファイ)でいけるだろうか。

 調子に乗った途端発覚した致命的なミスに焦るリランに、背後から耳心地の良い声がかかった。

 

「リラン様、メープルデニッシュはいかがですか? ちょうど出来立てでございます」

 

 控えめな掠れ声の主はアンリーだった。甘く深い香りを纏った彼女は、空になったポットを取り替えいそいそと世話を焼いてくれる。ツヤツヤと黄金に輝く生地に涎が湧き上がるが、今はそれどころではない。

 

「お嬢さま、……何かお困りですか?」

 

 ポーカーフェイスがあまり効かないアンリーは、リランの内なる焦燥を察したのか瞳を泳がせている。しもべ妖精なら石鹸の在処を知っているかもしれないと、リランは彼女の好意に甘えることにした。

 

「友人達のプレゼントに花を混ぜ込んだ石鹸を贈ろうと思ったのですが恥ずかしい話、材料費が少し足りなくなってしまって……。流石にクリスマス前にお金の請求は避けたいなぁと」

 

 家族にもサプライズで渡すつもりだったのでと、平然と嘘を並べ立てリランは困ったように眉を下げた。善良な妖精を騙すことは気がひけるが馬鹿正直に話すわけにもいかない。それに一方的な感情だがリランはアンリー達しもべ妖精を仲間同然だと思っていた。

 

「なんと素晴らしい贈り物でしょう! ええ、ええ、とっても素敵です! 是非お手伝いさせていただきますわ!」

 

 鋭いアンリーも心までは読めないらしく、お優しい優等生の言葉に感激している。興奮気味に耳をパタパタとはためかせる姿を見るからにどうやらアテがあるようだ。

 

「リラン様、ホグワーツ城の7階には『必要の部屋』と言うものがございます」

「『必要の部屋』?」

「はい。『あったりなかったり部屋』とも言われています。そのお部屋は名前の通り必要な物はなんでも揃っているのです」

 

【クィレル】の頃にも聞いたことがない話にリランは驚きが隠せなかった。そんな夢のような場所が公になっていないのは使用条件が決まっているからだろうか。リランの疑問は心得たと言わんばかりにアンリーは声を顰めて秘密を語った。

 

「このお部屋は基本的に隠されていて扉はございません。具体的な目的をもって壁の前を三度往き来すると入り口が現れます。そこならばお嬢様の望みの品が見つかると思いますよ!」

「ありがとうございます……!! 大変助かりました……本当にありがとう!」

 

 石鹸一つがホグワーツの秘密に化けるとは。思わぬ収穫に、やはりしもべ妖精は偉大であると尊敬の念を込めてリランはアンリーの手を握る。

 そして紫紺の大きな瞳と視線を合わせると、硬直した小さな身体をそっと引き寄せ優しく抱きしめた。

 

「アンリー、貴女は最高です……!!」

「ヒァ°ッゥ———!!?」

 

 

 ▼▽▼

 

 

 数時間後、今期最後の授業を終えたリランは大広間の煌びやかなクリスマスツリーもそこそこに、ホグワーツの最上階に赴いていた。

 

「ここら辺だろうか……?」

 

 適当な壁の前に立ち、手作り出来る石鹸の材料が欲しいと考えながらアンリーの教え通り三往復歩く。暫しの間をあけ目を開けると小さな扉が出現していた。

 

「おぉ、本当にあるんだな……」

 

 途中、奇声を上げて慌てふためくアンリーの姿がよぎってしまったが無事開いたようで何よりである。感極まっていたとはいえ、可哀想なことをしてしまったと反省しながらリランは部屋の奥へと足を踏み出した。

 

 教室の半分ほどの広さの空間は、アイボリーの優しい色合いをしていた。入り口から見て右側の壁には棚が取り付けられており、紙袋やボトルが置かれている。試しに手に取った瓶には『廃油』とラベルが貼られていた。

 反対側に鎮座した本棚には、手作り石鹸についての指南書や完成した物の写真付きの図鑑が蔵書され、向かいには道具の乗った作業台があった。

 充分すぎる設備だが使いこなせる自信がない。棚を見ただけでもかなり種類があるようだし、何を作ればいいのか悩んでしまう。

 

「あっ、そうか……想像すればいいのか」

 

 ここは必要の部屋なのだから使用者はただ『望めばいい』のだ。部屋の性質を漸く理解したリランは事細かく注文を考えた。

 まず、花が映えるような透明感は外せない。人体に影響がなく安全性が保証されていて、数時間で作れるものがいい。子供受けもよく高級感もあれば言うことなしだ。

 数分かけて丁寧に理想を思い浮かべたリランはゆっくりと瞼を開く。

 

「大分条件絞ったからなぁ……」

 

 室内は作業台のみを残し二回りも小さくなっていた。先程の専門店のような風貌とは一転した部屋に慄きつつも、リランは台に歩み寄る。

 台上には、ビー玉サイズの半透明の球体が入った円錐形の瓶と小鍋の乗ったガスコンロが一口、計量器に何種類かの色材らしき小瓶、紺地のエプロン、そして匙入りの紙コップがあった。

 

「何々……『ジュエルソープ』?」

 

 机の端に付けられた完成品の写真をリランはまじまじと見つめた。キラキラと輝く鮮やかなそれは名前の通り宝石のように美しい。花をそのまま閉じ込めたものや、型に嵌めたものなどもありバリエーションも豊かである。

 

「これなら贈り物に相応しいし花も活用出来る……!」

 

 そうと決まれば話は早い。

 リランは直ぐ様作業に取り掛かるべく、いつの間にかあったコート掛けにローブを下げエプロンを付けると、手順行程のメモ用紙を片手に台へと向き直った。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「で、できた……!!」

 

 二十分後、ステンレスの台上には十二個の宝石が光り輝いていた。ランプに照らされた石鹸達は、ルビーとシトリンの様に絢爛だ。

 椅子に座り突っ伏したままの体勢でくくった髪をほどきながら散らかったゴミを消失させる。この部屋自体が無くなるにせよ片付けて悪いことはない。

 ノロノロと立ち上がったリランは杖を振り、透明な膜で石鹸を包むと二つずつラッピングをかけた。石鹸の中心に閉じ込めたクリスマスフラワーのガーベラは繊細な縮小呪文により鉱石の中で咲いているように見える。

 色ごとの花言葉を考えて、グリフィンドール勢には赤色の『前進』を、セドリックには黄色の『親しみ』とオレンジの『忍耐』をチョイスした。魔法で精油にしたカレンデュラの香りと純白のクリサンセマムの花弁は良いアクセントになるだろう。

 凝りすぎたと思わないでもないがセンスがあったのだから仕方がない。ふふんと天狗になったリランは、エプロンを畳みローブを羽織ると上機嫌で扉をくぐり抜けた。

 部屋の痕跡が跡形もなく消え去ったことを確認し、足早に階段を駆け降りていく。雪が降り始めたのか廊下は更に冷えこんでいた。

 

「……」

 

 動く階段を待ちながらリランはそっとポケットに触れる。そこには削り取った破片を丸く加工したジュエルソープが入っていた。

 リランはこれをクィレルに贈るつもりでいる。今までも、『学校案内を担当した教員』と言う社交辞令でクリスマスカードだけは送っていたし、送られていた。

 死ぬほど嫌だったが、三年間経てば顔見知り程度の人間との付き合いは終わっていいという己の中の一般論と、どうせ3年後に死ぬ相手だし関係ないと念じることで耐えていた。

 

 全て(クィレル)の犯した罪であるのに何故同情せねばならない。もう(クィレル)には自業自得を悔やむ資格などないというのに。何もかもが遅すぎた(クィレル)を、愚かしい無様なクィレル(リラン)の行く末を哀れむ余地などとっくに失せているというのに。

 

 最期の年だろうと容赦なく簡素なカードのみで終わらせるつもりでいた。本当にそのつもりだったのだ。

 

『アネモネは押し花に最適です。きっといいものが作れますよ』

 

 悪の道を進んでいても、この世界の(クィレル)は純粋な愛情を持っていた。恋愛感情ではないにせよ、曇りのない真っ直ぐな想いなんてリランは抱けなかった。

 私が(リラン)出来なかった事を(クィレル)は成し遂げた。

 ただそれだけだった。

 ……液体の凝固中に読んだ資料によると、石鹸には気休め程度であるが厄祓いやお清めの効果があるらしい。

 

「———最期の手向けに夢くらいは見させてやるよ」

 

 クィレル()にかけてやれる温情はこれっきりだけだと、リランは大きく息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 待ちに待ったクリスマスの朝、リランの足は無数の食虫植物に拘束されていた。

 

「………………………………………………は?」

 

 



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【21】Christmas (クリスマス)

 人間の生命としての成長というものは、他の生き物に比べて非常に愚鈍であり、また非効率的である。

 個体によっての身体機能の差異が顕著であったり、繊細かつ複雑な心理の発達過程を得る割には、そこかしこにロクデナシがひしめいている。

 何故、こんなにも同種でありながらも完成体の質が違うのだろうか。

 

 リランとしては、やはり人格形成を担う幼少期から青年期の合間に秘密があるのだと思っている。

 特に、十代前半から訪れる思春期なるものの影響力は殊更に凄まじい。他者との交流が増えると共に達成感、有能感、自己認識を求める意識が増加するため、個としてのぶつかり合いが大変にエゲつなくそして面倒くさい。

 やたらめったらに、容姿だの性格だの能力だのと誰の基準かも分からないレッテルを貼りつけたカースト制度をぶったてたがるし、排他的な癖に一人を怖がる。

 性の目覚めも成熟し始めればオスとメスの二種類に無理矢理分類される殊更に厄介な時期だって訪れる。

 リランは既に十三歳を迎え、体は子供から大人へ変わりゆく道に足を踏み入れていた。幼いころの劣悪な生活からか初潮など二次性徴の兆しはまだ見られていないが、精神は既に三十路を超えたもう十分な大人だ。平たく言えば、男性のアレやソレらの事情はキッチリ履修済みということである。

 つまり、鼻腔を掠めた覚えのある生臭ささに彼女の意識は一気に叩き起こされた、と言うのが事の次第であった。

 

「………………………………は?」

 

 驚愕に見開かれた琥珀が捕らえたのは、陽だまりの面影を残す可憐な黄色の花弁だった。

 えづきそうな濃い臭気と相反するそれにやや面食らうが、それ以上に臭いを辿った先に佇む、ぐるりと反り返った山羊の角のじみた真っ黒な実と、ヌラヌラと涎のような粘液を滴らせる醜悪な青黒いツルのビジュアルが凄まじい。

 

(オッッッェェァ……!!!! 無理無理無理無理ッッッ!!! 誰だこんな真似をしたド変態は……!)

 

 まさかの絵面に一周回って冷静になったリランは、この悪質なクリスマスプレゼントの贈り主の特定に勤しみだした。眉根を寄せ困惑をありありと浮かべていた面持ちは段々と苦々しく歪んでいく。

 己がモテない万年発情期な野郎どもの餌になっていることを察していたリランは、遂にスリザリンの男子生徒らの性欲が暴発し白ジャムテロを実行してしまったのか! とあんまりな推測をしていたのだが、この様子を見るにどうも勝手が違うらしい。

 おそらく己を襲っている化物の正体は、複数の植物を掛け合わせることで作られた合成生物、キメラだろう。

 キメラを錬成するには非常に高度な技術が必要なため、たかが学生風情が悪戯で扱うには無理な話である。

 ならば外部から取り寄せた可能性もある。が、こんなイロモノは検問所で絶対に引っかかるに決まっているのでこれも論外だ。

 正直、目下の触手プレイ×美少女という眉唾物のブランド(エロ同人的展開)には惹かれたのだが、幾ら性に飢えていたとして穢れた血を相手に犯罪者になりえるリスクをお貴族様達が起こすだろうか。

 見目麗しさにトチ狂ったといった可能性もあり得なくはないが、やはり現実的ではない。

 となると犯人は寮の合言葉を必要とせず、そして熟達した錬成の知識と技量を備えたものに限定される。

 候補としては、クソッタレなピーブズと寮監督のスネイプ、校長のダンブルドア、大穴で屋敷しもべ妖精が挙げられるが……面子だけでわかる。

 大きく舌を打ち悪態をついたリランは寝間着に張り付く湿り気に吐き気を催しながらも、目の前の怪物を排除しようと枕元に腕を伸ばし杖を取り出そうとする。

 しかし、指先は空をきっただけだった。

 

「ヒェッ!?」

 

 なんと頼みの綱の相棒はギリギリ手の届かないベットの淵に挟まっていたのだ。

 命に等しい武器の不在に絶句する肢体に構わず、リランに絡みついた触手達は下腹部を弄りながら足の甲から太股にかけてヌルりと這いずりまわる。

 性的意図を感じる動きとそのおぞましい感触に、全身の感覚機関が総動員で拒絶反応を引き起こすが寝起きの肉体では上手く力が入りきらない。

 リランの顔が更に青褪めた。神聖なるクリスマスの早朝に処女を失いかけているという現状が絶望感とともに重くのしかかってきた。

 そうこうしている内にも蔦は無情に乙女の花園へと迫ってくる。

 

「〜〜〜〜ッざけんなよあの野郎ォ!? く、っふ、最近やたらと大人しいと、おもッッ〜て!! ッちくしょ、思ってたらァッ!!!」

 

 必死に脚を突っ張り抵抗するが所詮力は少女のもの。勝敗は見るまでもなかった。

 

「うあ゛っ……!?」

 

 不意に指のまたから抜け出した一本に腰回りを擽られた。重力に従い倒れたリランの柔らかなリネンコットンの寝巻きを、不埒な粘液が汗を混ぜながらじっとりと濡らしていく。

 これから自分がどうなってしまうのかを悟ったリランは、分厚い睫毛を震わせる。

 最早逃れることは叶わない。せめてもの矜持で同僚は起こすまいと少女はさくらんぼの上品な唇を歪めた。

 脳裏によぎるのはかつての忌々しい(マリアに襲われた)記憶。無意識に刻まれた残酷なワンシーン。

 それを知ってから知らずか、下世話に嘲笑った不届き者は舌なめずりをするかのように触手を振りかぶった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「ッッ、ァ……ふァ、ア、ンは、っ」

 

 

 薄暗い寝室に響くのは淫らな水音と軋むベッドのスプリング、そして快感に戸惑う少女のあえかな声……

 

 

 

 

 

 などではなく

 

「ッハァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!?」

 

 ビチビチとのたうち回る触手とそれを握りしめる密やかな雄叫びであった。

 雪魄氷姿(せっぱくひょうし)柳眉倒豎(りゅうびとうじゅ)

 濡れ場も凍りつくこの展開はリランの記憶にも既視感のあるものだがそんなことは関係ない。リスクを承知で火事場の馬鹿力を発揮した可憐な美少女の背中は歴戦の漢ものであった。

 

(耐えろ、耐えるのだクィリナス・クィレル! お前は女じゃねぇ、男だ! I'm a man! めっちゃ男!! 日陰者の女々しい童貞! 禿げの心を忘れることなかれ!!!)

 

 必死だった。リランは本当に必死だった。貞操の危機を守るためならば抗う術が無様な自虐だろうが何だろうが構わなかった。

 健やかに眠る少女たちを起こさぬよう小器用に荒ぶり散らし、苦しげに暴れる植物の根を手の甲に血管が浮かび上がるほどに鷲掴む。

 これ以上の面倒ごとは全身全霊でお断りだった。

 しつこいようであるがホグワーツは本気で居心地が悪すぎる。考えても見てほしい。前世も含め、ただでさえ悲惨な思い出ばかりなのに、リランはダンブルドアだの闇の帝王だのハリー・ポッターだのとかいうホグワーツやべえ奴が三乗される世代に在校している。

 更に言えば前代未聞なマグル出身のスリザリン生。そして外見だけは絶世の美少女なのでそれはそれは妬まれるし欲情される。中身はもういい歳のオッサンなのにだ。

 

 何度でも思う、本当に私可哀想。

 

 称賛も優越感も気持ち良いが、所詮は魔力循環がそこそこな凡人スペックなのでボロが出たら終わる。かといってこれからに備えて高度な呪文を覚えようにも教師の目が怖すぎる。少なくともクィレルがいるうちは絶対に出来ない。

 努力せねば文字通り死に至る精神崩壊施設。それがリランにとってのホグワーツだった。

 もし才能と度胸があれば、入学許可証なぞ焼き捨て海外に移住していた。それほどに嫌悪し慄く世界で弱みなど見せてなるものか! 恥辱を黙って受け入れる弱者(メス堕ちヒロイン)になってたまるものか! 

 今にも爆発しそうな万感の想いを胸に、確実にとどめを刺そうとリランは上体を持ち上げた。

 のしかかり、さぁさっさと堕ちてしまえ化け物めと悪役じみた顔のまま力を込めたその瞬間、

 

「なにしてんのお前??????」

 

 背後から憎たらしい声がかけられた。

 

 一閃。

 

 痛いほどの静寂が早朝の寝室に降り立った。

 ただならぬ雰囲気に、空気の流れも時計の秒針も蠢く触手キメラでさえもヒタリと動きを止め、息をひそめて事の次第を凝視する。

 くぐもった湖の波打ちが石壁越しに響いた頃、ようやくリランは首だけを振り返った。

 ゆったりとした動きのそれは寛いだドラゴンのように雄大であるのに、一切の温度を感じないまっさらな表情が、人工的な美と得体の知れない宇宙の造形を思い起こさせる。

 ギラつくスモーキークォーツは無言のままピーブズの濁った(まなこ)を見据えた。

 リランの心は不思議と穏やかだった。先ほどまでの焦燥も恐怖も痛みも怒りも何もかもがまろやかに凪いでいた。

 ピーブズも異変に気づいたのかヒクヒクと口元を引き攣らせている。

『目は口程に物を言う』。成程、昔の人間は上手いことをいったものだ。

 腹立たしい双子の片割れと同名の詩人に、心からの賛辞を送ったリランはふうと息をつく。

 人生において先人の偉大なる言葉は大体がその通りに実現される。個人的な意見だがこれはある意味真理であると思うのだ。

 

「……!? お、おい待て、落ち着けリラン!! これにはワケが——————」

 

 刹那。

 

スクージィィィィィィッッ(霊魂退散)!!!!!!!」

 

 オモダカの花弁の形をした翡翠色の稲光が、愚かな悪霊を戯言もろとも黙殺した。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 すっかり日も昇りきった午前八時。

 朝日がきらりと差し込む六畳ほどの一室で一組の男女が向き合っていた。

 二人のいる板張りの部屋は、隅の方に子供の背丈ほどの白いクリスマスツリーがあるだけで実に質素でありなんとも味気がない。

 せめて絨毯でも敷けば少しはマシになるであろうが、残念なことに既にウォールナットのフローリングは、男、もといポルターガイストのピーブズが膝を冷やすのに使っていた。

 ひたすらに身を縮こまらせ板の目を見つめるその顔は溢れんばかりの虚無満ちている。

 大人しいピーブズ。ホグワーツ生が眼を向くほどに字面も絵面も尋常でないが、もしも第三者がここに居たとすれば彼よりもそれを見下ろす少女の怒気に卒倒するだろう。

 切れ長の伏目がちな瞳を限界まで見開き、杖をレイピアのように携えた少女は水気を含んだ唇をそっと開いた。

 

「これは何ですか?」

「植物です」

「これは何ですか?」

「……触手キメラです」

「…………」

「…………」

 

(なんだこれ)

 

 沈黙が痛い。

 

 自分のやったことをこうも事務的に解いた出されるとなんだかとても居た堪れない。なんだろう、久々だよこんな感覚とピーブズは半ば意識を飛ばしかけるが、そんなことは意にも介さないリランは淡々と言葉を続ける。

 

「どういった植物で錬成しましたか?」

「イビセラ・ルテアをベースにプロボスキディアとハルパゴフィツム• プロカムベンスを合わせました」

「どういった植物で錬成しましたか?」

「…………ユニコーン・プランツをベースに悪魔の爪と獅子殺しを合わせました」

「それらはどういった特徴を持っていますか?」

「栗の花のような香りを放つ花は芳香剤に、若い実はピクルスにして食べることが出来ます」

「それらはどういった特徴を持っていますか?」

「………………イカ臭い匂いを放つ花は発情薬に、硬い実は動物の肉にめりこんで死に追いやることが出来ます」

「…………」

「…………」

 

(だからなんなんだよコレ〜〜!!!)

 

 美少女になじられる趣味はないんだよピーブズは!! 

 誰に言うでもなく弁解すればうなじあたりに突き刺さる視線が一層冷えたような気がした。

 

 ひたすらに木目を数えるピーブズには、今更自分のやらかしを知らぬ存ぜぬで決め込むつもりなどなかったのだが、リランはそう思わなかったらしい。

 

「……よそ見とは余裕だなァッ!!」

「オワ──ッッ!?」

 

 ズドーンだかピシャーンだか、とにかく激しい擬音とともに、いつの間にか習得したらしい練度の高いスクージが再び襲いかかってくる。

 まともに食らっては不味いと咄嗟によけた翡翠の呪文は、ピーブズの判断通り滑らかな床が盛大に焦げつくほどの威力だった。

 幽霊のくせに冷や汗がツゥと頬を伝う。

 

「テメェなんてことしやがんだァ!?」

「それはこっちのセリフだド畜生ォ!!!」

 

 本気で殺しにかかってきたリランに、ピーブズは立場も忘れ堪らず文句を飛ばしたが、負けず劣らずの怒声がすかさず張り上がった。

 

「お前のせいでこちとら処女喪失寸前だったんだぞ!? 呪文の一つや二つくらい甘んじて食らっとけってんだ!!!」

「だから!! 悪いことしたなって思ってたから受けてやったんじゃん!!」

「ア゛ア゛ン゛ッ!? 倫理破綻者の分際でなぁに逆ギレしてんだよゴルァ!! オーイ、だれかコイツの腐った脳みそン中に今すぐ塩酸をぶち込んでやれ!!! 手遅れになるぞ!!」

「お前の口の悪さの方が十二分に手遅れッ、んギャアァァァァァッッ!!?」

「うおあッッ!?」

 

 突然、ピーブズの頭の上に塩酸の雨が降り注いだ。数秒ほどで止まったソレにピーブズは低く舌を打つ。

 ダメージも何も関係ないのに塩酸程度の攻撃で悲鳴を上げてしまったことはかなり癪に触ったが、シュウシュウと煙を上げる床を眺めるリランの顔が青ざめていたのでまぁ良しとしよう。

 

「……必要の部屋(ここ)に連れ込んどいて何ビビってんのさ」

「うるさい」

 

 こんなに忠実だとは知らなかっただけだと喚くリランをハイハイと宥め、一席だけ用意されたロッキングチェアに誘導する。

 

「ちゃんと説明するからさ、とりあえず落ち着いてよ」

 

 また怒り狂われてはいけないと、ここに来る前に咄嗟に回収した彼女宛てのクリスマスプレゼントをいくつか膝の上に乗せてやった。

 流石のリランも贈り物を無碍には出来ないようで大人しく大きなチェアにちょこんと収まっている。

 その様は妖精じみた容姿もあり、なんとも庇護欲を誘うものである。酷い詐欺だ。ピーブズはやるせない気持ちのまま問いかけた。

 

「お前さ、生理ってまだだよね」

「なんて?」

「いいから答えろ」

「・・・・・・きてない」

「じゃあ、おっぱいとか張ったりする?」

「はれない」

「そっかぁ……」

「なんなんだ一体」

 

 どうしよう、思ったよりもリランの中の『男』の部分が大きかった。

 見た目は紛うことなき美少女だ。身長は少し高い方であるが、骨格は華奢で声色だってソプラノ。今は丸みよりも薄さが目立ち色気なぞカケラも見当たらないがそのうちソレはどうにかなる。

 問題は、女性ならば少しは気にするであろう質問にも躊躇なく平然と答えてしまったその中身だ。

 もっと言うならば、長い髪の毛と声色をどうにかすれば美少年でも通じてしまう程に性が希薄であることだった。

 普段ならばどうでも良すぎて気にもかけないコレが、今回の騒動に一番深く関わっていると言うのはなんとも皮肉な話である。

 さてどう切り出せばいいのやら。朗報とも悲報とも取れる事実は少なからずリランを混乱させるだろう。そして確実にまたアレ(スクージ)を撃ってくる。

 あんなもの積極的に受けるものではない。

 

(え、マジでどうしよう……他人(ひと)の気ぃ使うなんてことやったことないからわかんねー……)

 

 現在進行形で立派なロクデナシなピーブズには人の心がわからない。

 

「おい、話すなら早くしろ。朝食に遅れたらどうするんだ」

 

 本格的に頭を抱えたピーブズにとうとう痺れを切らした当事者(リラン)が、肌寒かったのか贈り物であろうニットのカーディガンを羽織ったまま急かし立ててきた。

 リランの奇抜な髪色とよく馴染むアッシュグレーとケーブル編みの凝ったデザインからして恐らく手作りだろう。あまりの熱意にピーブズはまじまじと見つめてしまった。

 

「随分、気合い入ってんねソレ」

「は? いや、コレはウィーズリーから、」

「ハァ!?」

「違う!! ウィーズリーの母親からだ!!」

「ア〜……」

 

 てっきりガチなのかと焦ったが、杞憂だったらしい。息子の友人に贈るにはクオリティが高すぎる気がしないでもないが恋愛が絡んでいなければオーケーだ。

 

「結局お前は何が言いたいんだ……」

「うーん、どっから話せばいいかって思ってたけど……うん、この分なら心配いらなかったぜ」

「腹立つなぁ……」

 

 気色悪そうに鳥肌をさするリランを見たピーブズは決めた。リランは女っ気も恋の予感も見当たらない三十路の野郎だ。躊躇いも遠慮も必要ない。とっとと話して終わりにしよう。

 

「単刀直入に言います。———お前は永遠に処女を卒業出来ません」

「……………………????」

 

 

 ▼▽▼

 

 

「つまりお前は、私にかけられたユニコーンの呪いの副作用の一つがどこまで有効なのか調べたかったからクリスマス休暇を利用してわざわざあんな化け物をぶち込んできたと」

「うん」

「……そして検証の結果、挿入されかけた時だけ所謂『ご加護』が発動して一瞬だけ身体能力が向上することがわかったと」

「そゆこと」

「…………実験の感想は」

「アイツら処女厨拗らせすぎだよなァ〜〜〜!」

 

 七年前の襲いかかるマリアを滅多撃ちにしたリランの謎が漸く解けたと嗤うピーブズに、本日三度目のスクージが轟いた。

 

 

 

 

 

 

「ほんッッッとうに信じられない」

「別に被害者はお前だけだからいいじゃん」

「マジで死ね、世界の人口分だけ死ね」

「オー怖ッ! 誰かに聞かれてたらどうすんのさ」

 

 黒いスキニーに包まれた長い脚をピーブズはにやにやと追いかけた。

 さっきまで憤った足音を廊下中に響き渡らせていたのに大広間が近づくにつれて猫を被る姿が面白くてたまらない。

 つけ方がわからないと首を傾げていたハーマイオニー・グレンジャーからのプレゼントである白銀のヘアピンを律儀に差しているのも愉快極まりなかった。

 地下の寮から遠く離れた所まで行かなければブチ切れることもままならない臆病者に、普通の女の子は同性からのプレゼント一つで動揺なんてしないんだと教えてやりたい。全力で弄り倒したい。

 

(中身が童貞だからマリアも触手キメラもやられちゃったんかなぁ)

 

 喉元過ぎればなんとやら。ニワトリよりも能天気なピーブズはとことん懲りない阿呆であった。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

「わぁ……」

 

 フワフワとした金の(あぶく)を纏ったもの、粉雪の散る真紅の花が咲いたもの、色とりどりのリボンが煌めくもの、どれもコレもが豪奢な総数十二本のクリスマスツリーを前にしてリランの怒りは消え失せてしまった。

 休暇前から準備されていたことは知っていたが凄いものは凄い。

 出来ることならずっと眺めていたいのだが、生徒の視線が少し気になる。少ないとはいえ学校に残るスリザリン生もきっと居る筈だ。

 面倒ごとはもう十分だ。宙に浮く繊細なスノードームを避けたリランはそそくさと自寮の長机に座った。

 

 机の上には、スモークサモンのカナッペやぷりぷりとしたエビのサラダ、丸々太った七面鳥のローストに山盛りの茹でポテト、はち切れそうなチポラータ・ソーセージが敷き詰められていた。

 奥の方にはたっぷりのバターで煮た豆とクランベリーソースが銀の器に並々と満ちている。

 昼に近い時刻とはいえ、散々に消耗しきったリランにはかなり酷なラインナップである。

 

(小腹が空くまでちょっと待とう)

 

 ご馳走を諦めるつもりなどないリランは、山のように置いてあった派手な柄のクラッカーの一つを手遊ぶことにした。

 凄いデカイなクラッカー。ドッと疲れが湧き上がってきたリランはボーっとしたまま天井を見上げた。

 弾けるダイヤモンドダストが何故だか目に染みて、こんなにクリスマスプレゼントを貰ったのは初めてだとか、永遠の処女とかいうパワーワードだとか、そろそろクィレルが死んでしまうだとか、ピーブズの姿が見えないなとか、とにかく色んなことが迫り上がり、鼻の奥がツンと痛くなる。

 

 ———上を向いても溢れそうだよSUKIYAKI。

 

 ……リランのクリスマスはまだ始まったばかりである。

 

 




リラン:永遠の童貞から永遠の処女に進化した

ピーブズ:永遠のクソ野郎

ユニコーンの呪い:永遠の処女厨

SUKIYAKI :永遠の名曲


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【22】Blessing of fire(祝福の焔)

 

 ツリーの下の贈り物に歓声をあげ、豪勢で愉快な食事を終えたとなれば、次に来るのはやはり遊興というのがクリスマスの定番ではないだろうか。

 勿論、暖炉の側で聖書を読んだりジンジャークッキーをミルクで楽しむというのも魅力的ではあるが、遊び盛りの若者であるならば広大な銀世界を遊び尽くさないという手はないであろう。

 

「ほーらよ!! これでもくらいなロニー坊や!」

「お兄さまからのプレゼントだぜ!」

 

 暖炉で燃え盛る炎のような赤髪を振り乱し、威勢のある掛け声と共に雪玉を投げつけるフレッドの後方に続くようにして、片割れのジョージとハリーの『GQT』(グリフィンドールクィディッチチーム)が勢いよく駆け抜けていく。

 

「フレッド! ジョージ!! その呼び方はやめろって言ってるだ、うげっ!?」

「ッロン! そんなに前に出たら当たってしまうぞ!?」

 

 相対するのは、あけすけな挑発に苛立ち、吠えあげたロンの襟首を引っ掴むパーシー率いる、チーム『ポジショニング』である。リランはこちらのメンバーだ。

 どんなに大人しい子供でもクリスマスには少なからず心が躍らされるもの。ホグワーツで一、二を争うほどに()()()な少女であるリラン・エアクイルにも雪の魔法は等しく降り注いだようで、控えめではあるものの、嬉々として所詮雪合戦なる冬の風物詩に乗じていた。

 

(誰だ最初に雪で遊ぶことを思い立ったやつは。殺すぞクソッタレのアホ野郎!!!!!)

 

 ———否、乗じているように見えているだけであった。

 

 外面だけは一丁前でお馴染みである彼女の心は、白熱し佳境もかくやという周囲の状況と反しすっかりと冷めきっていた。

 一見すれば、寒さの余りに細かく瞬かれる目元も彼女の機嫌が負の方向に振り切られている時のみに起こる仕草であり、それはクィディッチの開幕戦時にも見られていた。

 つまり、リランが雪合戦に参加しているという今の状況は、あの時と同様に、断る間も無くあれよあれよと巻き込まれたというなんの面白みのない経緯によるものである。

 二度あることは三度ある。そんなことはリランも百も承知のうえであった。だからこそ、今までの忌々しい思い出から『お決まりのパターン』なるものを学び、そんな恐ろしい流れなど断ち切ってやると対策をとっていたのだ。

 対策といっても、双子の気配を察知した瞬間にその場を離れるだとか、喧しい声が聞こえたら即座に逃げるだとかといった、まぁ出来る限りに過ぎないものではあった。が、なんとも珍しいことにリランはこの方法によって幾度も逃れることに成功していた。

 では何故今回はダメだったのか? 言わずもがなリランの危機察知能力が死んでいたからと言うことに他ならなかった。

 まともなメンタルは朝の珍事により既に消耗し尽くされ、しかし慣れない贈り物に僅かな良心を揺さぶられ、殆ど初めてと言ってもいいクリスマスにリランの情緒はすっかり乱されてしまっていた。

 当然ただ呆然とミルク粥に浮かぶナッツを突っつくだけのすっぽぬけた状態では人間ブラッジャーと名高い双子を躱せる筈もなく。いつかの失態(ピーブズボコボコ事件)を見られた時と同じように流され……情けなくも今に至るのである。

 言い訳だろうがなんだろうが、誰だって朝っぱらからあんなものを体験すれば意識の一つや二つに莫大な弊害が起きるだろう。

 

(おのれ……氷漬けにしてくれる!!!)

 

 堪えれない舌打ちをマフラーに顔ごと埋めながら、リランは黙々と杖を振るった。覚悟していろと、切長の瞳を猫の様に吊り上げ、ハンデとして与えられた杖使用許可を存分に使い雪玉を量産していく。

 

「やっぱりリランに杖を使わせちゃうのはダメだってば、ッッ!?」

 

 小憎たらしい悪ガキウィーズリー共を、自分の印象を落とさずにとっちめられる合法的な機会だ。そう易々と見逃すわけにはいかない。

 そもそもユニコーンの呪いは積極的にリランへの嫌がらせを仕掛けてくるのだ。死ぬことよりもハリー・ポッターの日常での登場人物として適度に振り回される方が断然マシである。

 よくいえば、切り替えの早いタチのリランは大変大人気なかった。

 

「パーシーさん、ロンくん、追加の玉です」

 

 リランが、ひょいひょいっと杖先で空気を軽く混ぜるように振るう度にどんどんと雪玉が積み上がっていく。数の暴力に流石の双子も悲鳴をあげるが知ったことではないとリラン達は攻撃の手を緩めなかった。

 面倒くさい輩にいつもおちょくられる苛立ちも、監督生であることを意味不明に軽んじられる怒りもよくわかる。不憫な彼らにシンパシーを抱いてしまうのも致し方のないことだ。

 何もしていないハリーには申し訳ないと思わないでもないがこれは、いわば逆襲。はらしたい鬱憤がリラン達には存分にあるのだ。

 

「だからって僕たちみたいなマッチョマンが女の子相手に遠慮なしは不味いだろ!? っうおっと!!」

「どうした? 逃げてばかりじゃ勝負にならないよマッチョマンズ!!」

「よくいったパーシー!! そうだそうだーエセマッチョマンズ!! ぐへッッ!?」

 

 逃げ惑う双子を揶揄ったロンが報復のダブルスローに被弾した背後で、リランは遠慮なしにプロテゴを張った。寒いのは嫌なのである。

 

「ウベッ!!!」

「グワァ!?」

「あ」

 

 勝敗のつけどころがイマイチよく分からなくなってきた争いは、パーシーの存外に力強い大振りが双子の赤髪を真っ白に染め上げたことにより、試合終了を告げた。

 長引いた割には終わりが随分とさっくりしている。まだまだ暴れ足りない気がしないでもないが引き際は大切だ。

 しゅるしゅると勢いを失っていく怒りに、「ひと回りも歳下の子供相手に自分は何をやっているのだろうか」と、虚しさが込み上げてきた。顔を顰めたリランは遠い目のまま空を仰ぐ。

 

「…………」

 

 何が悲しくてこんな目に遭わなければならないのか。一体全体自分が何をしたというのか。少なくとも今世では何もしていない。強いて言うならば分厚い猫を被っているだけだ。

 陽光に煌めく白銀、弾けまわる瑞々しい笑い声、遠くから微かに響く讃美歌が微睡みとなんとも言えないやるせなさを誘う。

 引き篭ろうにもキメラがいた寮に戻る気は起きず、かといって図書室は司書が恐ろしい。大変便利であるが必要の部屋もあまり多用はしたくない。

 ピーブズを締め上げる為にやむなく入室したが、冷静に考えればあんな画期的な部屋をダンブルドアが知らない筈がない。

 否、絶対にあの好好爺は何らかの方法で校内を把握している。感づかれ邪推されるなど溜まったものではない。

 7階まで行くのが面倒くさいというのもある。というか、そこに行き着くまでにへそ曲がりなフィルチ管理人に合わない自信がない。もしかしたら道中でクィレルに出くわすかもしれない。今の注意散漫な状態で余計なことはすべきでない。

 何もせずともこの始末なのだ。右を見れば無垢な一年坊、左側には悪辣非道なクソ悪霊、前門の赤獅子に後門の一角獣とは全く惨いことである。

 喜びのままにはしゃぎまわるチームメイトを背後に、リランはきゅっと鼻をしかめた。

 

 

 ▼▽▼ 

 

 

 燻る炎の温もりがゆったりと満ちたグリフィンドールの談話室にて。

 ふかふかとした大きな肘掛け椅子に寄りかかったリランは、チェスに勤しむハリーとロンを凪いだ瞳で見つめていた。

 深紅を基調とした豪奢な室内は、自寮のスリザリンとは全く異なった暖かみに溢れる空間だった。勿論、スリザリンにも天蓋から差し込む月光だとか、湖の揺蕩うくぐもった反響音だとか、冷たい地下牢特有の良さはある。

 曲がりなりにも3年近く過ごした寮である。愛着とまではいかないまでも居心地の良さを見出せるくらいの興味は持っているつもりだ。

 ただし、いくら部屋が良くあっても共に過ごす人間達は本当に嫌いである。ねちっこく神経質で排他的かつ高圧的。上級生からの目立った嫌がらせ行為は無いが、それはそれ、これはこれ、嫌いは嫌い、QEDだ。

 故に、この獅子達の憩い場が余計に眩しくて仕方がない。暖色系の色合いといい寮生のアグレッシブな気質といい、根本から光り輝いている「滾った志」を四方八方から浴びせかけられているようで、少々暑苦しいのである。

 おまけに今一緒にいる連中も何故だかリランを慕っている。最初はどことなく刺々しい態度であったパーシーとロンでさえ、雪合戦を終えた途端にリランの側に寄ってきた。というか真っ先に寮へと連れ込んだのはこの2人である。

 さっさと退散しないからこんなことになるのだ。なんとも言えないむず痒い感覚に陥ったリランは、ソワソワと椅子に座り直すと大きなマグの底を抱え込んだ。

 

「ココアのおかわりはいるかい? まだたっぷりあるぜ」

 

 落ち着きのないリランの様子に目ざとく気づいたらしいフレッドが、トランプを切る手を止めリランに話しかけてきた。真っ青なセーターと赤毛の対比が目に痛い。

 

「僕たちは今からポーカーをやるつもりだけど……リラン、君はもう少し休んだほうが良いみたいだね」

 

 反応速度がまだおぼつかないリランがフレッドに応じようとした途端に傍からパーシーが口を挟んできた。

 先程までハリーに対してお節介なチェスレクチャーを講じていたのに、よくもまぁ気が回るものだとリランは苦笑混じりに息を吐く。

 

「せっかく雪合戦のリベンジが出来ると思ったのに……。ま、まだ時間はあるし休んどきなよ」

「おや? フレッド、オールメイドでの大負けが無かったことになってるよ」

「おいパーシー、胸んとこのイニシャルはピンヘッドのPで良いんだっけか? それともドンキー連敗記念にDに変えとくか?」

 

 リランのマグに何個かマシュマロを放り込み終えたパーシーの拳がフレッドの脳天に炸裂した。

 ブラックジャックだのヤニブだのと散々っぱらに遊んだと言うのにまだそんな体力があるのが不思議でならない。これが若さというものかとしみじみしているリランの隣にいそいそとジョージが近づいてきた。

 右手にはフレッドが配り終えていたらしいトランプを、左手にはリランのものより少し大きめのマグカップを握っている。片割れ同様に青いセーターを着た彼はなにやら大変上機嫌のようだ。

 

「……何か気になることでもありましたか?」

「ん? いや、なんか、お揃いじゃん。良いなーって思ってさ」

「お揃い……?」

「ウィーズリー家のセーター」

 

 ニコニコと見つめてくる視線に耐えかねたリランはジョージの予想外の答えに面食らった。成る程、確かに彼等の母親お手製の衣服を着ているという点はお揃いだろう。しかし、青地に黄色のセーターとアッシュグレーのカーディガンではかなりの差があるとは思うのだが。

 訝しげなリランの様子に気づいたジョージは何が楽しいのか目を細めマグを机に置いた。代わりにミンスパイの皿を引き寄せ、おもむろにトランプの手札を明かしてくる。

 

K(キング)が三枚に、10とJ(ジャック)……スリーカードか。初手にしてはかなり良い手札だな)

 

「良い手札」。本当にそれしか感想が出ない。意図が分からず考える余力もないリランは大人しくジョージに目線を送った。

 

「へへ、良い手札だろ?」

 

 ———さっき言ったな。

 

 あのウィーズリーと同じ感想になってしまったと、どうでも良い事までにも疲れた頭で鈍く苛立つリランは黙って頷く。ミンスパイを齧るジョージは相変わらず笑みを絶やさない。ガチャガチャと眩しい。

 

「今日は大分ツイてると思うんだ。クラッカーのオマケは大当たりばっかだったし、オールメイドじゃ一抜けだ。……雪合戦には負けたけど」

「そうですね」

「でもロンとパーシーは雪合戦に勝った。フレッドもトランプは大体ボロ負けしてたけど途中までは良い線いってたよ、ウン」

「はい、そうでしたね」

「パーシーなんてプティングのシルック銀貨を当てたんだぜ? ラッキーだろ?」

「そうだったんですね、すごい」

 

 だから本気で何だって言うのだろうか。殆ど適当に聞き流していたリランは怒りよりも困惑が大きかった。

 果たしてジョージ・ウィーズリーとはこんなにも電波全開全力野郎であっただろうか? トリックスターや人間ブラッジャーの面影があまりにもなさすぎる。

 

「な、こんなこと聞くのもヤボだけどさ、プレゼント沢山貰えた?」

 

 とうとう脈絡が死んでしまった。不明瞭でフワフワとした会話にリランさ目眩を覚えた。

 最早答えるどころでは無いが、プレゼントの数なら去年よりも多かった筈。言葉は出ずとも間を持たせねばと、リランは適当ににっこりと笑い返した。

 リランの珍しい笑顔に、ジョージは一瞬目を見開き照れ臭そうに笑った。こういう時顔が良いと大変便利である。やっかみも二倍だがお得度も二倍のケースバイケース。面倒くさいものである。

 

「一年生のときは全然仲良く出来なかったし、去年はカードしか送れなかっただろ? だからさ、プレゼント贈ったりもらったり、遊んだりさ……クリスマスをリランと一緒に過ごせてんのがなんか、こう嬉しくて」

「……!!」

「ジュエルソープだっけ、アレ凄い気に入った! 折角だからフレッドの分を実家に送ったんだ。多分君宛のフクロウ便が直ぐに来ると思うよ」

 

 リランはジョージの言葉に衝撃を受けていた。一昨年は完全に浮いていて、セドリック以外にプレゼントは貰っていないし———クィレルからのカードなど最早呪いなので数には入れない———帰省もしていた。去年も似たようなものだった。

 それが今年はどうだろうか。初めて出来た女子の後輩であるハーマイオニーからは美しい白銀のピン留めを、ハリーとロンからはチョコチップ入りのトフィーと可愛らしいクリスマスカードを。セドリックからはなんと和柄のティーセットを。そしてウィーズリーの双子からは繊細な模様の羽を使った濃い蜂蜜色のペンを貰った。

 今日まで関わりの薄かったパーシーだって、沢山のマシュマロと一番大きなクッキーをくれたし、学校に使えるしもべ妖精という難しい立場であるアンリーも枕元にアプリコットの茶筒を贈ってくれた。

 ウィーズリー夫人だってそうだ。会ったこともない、ましてやスリザリン生……否、魔法界にとってすら異端な存在に、素晴らしい真心をくれた。

 こんなに沢山の贈り物は生まれて初めてだった。本当に初めてのことだった。

 クィレルのカードやらピーブズの悪行が霞むほどの祝福にリランは再びむず痒さに襲われた。

 思わずうつむき目を閉じると胸の奥がじわじわと痛み、そしてそれ以上に暖かくなるのを感じる。

 

「なぁ、リラン。さっきも言ったけどさ今日の僕らはめちゃくちゃツイてるんだ。それこそ君を落ち込ませてる悪いナニかを吹っ飛ばすくらいにはな」

「ジョージの言う通り! だからさ今日はずっと一緒にいて、ラッキーガールになっちまおうぜ!」

「!!」

 

 いつの間にかやってきたフレッドがジョージとは反対側にリランの隣へ座り、そっと肩を叩いてきた。

 バッと顔を上げれば、目の前にはお菓子を差し出し人懐っこく笑うロンと、親しみ深い眼差しのハリー、眼鏡に指を添え穏やかに頷くパーシーがいた。

 なんということだろう!! 彼らはただの無神経ではなかった。

 刹那、ズギャーンと冬の雷のような激しい一撃がリランの中心を貫いた。青い稲光が脳みそを走り抜け、軽快な鼓動を刻んだ。

 視界にはダイヤモンドの煌めきと天使の羽ががパチパチと飛び散り、リランはまるで初めて運命の杖に出会った時のような衝撃を受けていた。

 

「……もう、十分すぎるくらいラッキーですよ」

 

 迫り上がる何かを飲み込んだリランのやっとのことで絞り出た一言は、いつもより少しばかり正直で、少しばかり幸せだった。

 

 

 





リラン:過去最高に疲れ、多分恐らく最高に幸せな筈
双子:やっぱり彼らは最高だぜ
監督生:なんだかんだ言っても兄属性。
ロン:なんだかんだ言っても光属性
ハリー:雪合戦もチェスでもすごく負けた。かわいそう


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【23】Tank of Erised (大失敗の「みぞの」)





 

「ええー……へんなの! おかしな形だなあ。ねぇハリー、コレって本当に

「あははっ、そんなに気に入ったならあげるよ」

「本当!?」

 

 思わぬ贈り物を得たロンは、物珍しげな眼差しで手元のコイン(五〇ペンス)を繁々と眺めた。くすんだ色合いに、やたらと角張った薄っぺらい硬質の物体はなんとマグルの世界の通貨らしい。

 柔らかな輪郭線の横顔の女性が描かれたそれは、ロンにとっては全く馴染みのないもので、世の中にはまだ知らないものがあるのだなぁと柄でもないことを考えてしまう。

 同時に、魔法界ではなんの価値もなさそうなこんなちっぽけなものを、ハリーの保護者たちはわざわざクリスマスプレゼントに()()()()()ということも不可解だった。

 そう思うと先程までの興奮がスンっと萎えてしまった。手の中の小さな塊はじんわりとロンの熱を帯びている。つまらないけれどハリーが心良く譲ってくれたのだ。そこに関しては価値があるのではないだろうか。

 

(ハリーが僕に贈ってくれたんだからそれでいっかな)

 

 友人の気前の良さを知ることが出来ただけ良いことなのである。硬貨をポケットに突っ込んだロンは、ひとまずハリーと一緒にプレゼントの山を開拓することにした。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「こういうマントを手に入れる為なら僕、なんだってあげちゃうよ。ホントにもう()()()()!!」

 

 ハリーのよりも少しばかり高くつまれた山に抱いた気まずさのようなものはハリー宛のとある贈り物によって一瞬で消し飛んでしまった。

 透き通った銀鼠色の輝く織物……正真正銘、本物の透明マントがハリーの手の中に収まっていた。とんでもない。本当にとんでもない。

 よく母親にねだっていた寝物語の一つである「三人兄弟の物語」という話の中にも死の秘宝として透明マントが登場する。ロンは死神からも完璧に姿を隠しおおせるマントと、絶対的な勝利の杖のどちらかが欲しかったのを覚えている。

 いや、今でも欲しい。叔父のビリウスが亡くなってしまうまでは蘇りの石にそれほど興味がなかったのだが叶うなら全て手中に収めたい。

 そんな憧れの魔法道具をクリスマスプレゼントに貰うだなんて! やはりハリー・ポッターは伊達ではない。謙虚で控えめな性格であるから忘れていたが紛れもなく彼は英雄なのだ。

 ハァと感心のため息を思わずロンは溢していた。しかし思案に耽るハリーは気づいていないようである。

 そろそろ下に降りようと声をかけようとしたその途端、寝室のドアを勢いよく開いて現れた双子の兄達によりロンの呼びかけは遮られてしまった。

 

「ハリー、ロン、メリークリスマス!」

「おい、見ろよフレッド! ハリーもウィーズリー家のセーターを持ってるぜ」

「ワォ! そいつは驚い……ウン……すっげぇ気合の入り用だぜこりゃ」

「ロン、なんでセーターを着てないんだ? 着ろよ、あったかいじゃないか」

 

 クリスマスの鈴の音も驚く騒がしさで、フレッドはハリーのセーターを手に苦笑を溢し、ジョージはセーターを着ていないロンに目敏く気づきせかしたててきた。

 

「僕、栗色は嫌いなんだよ……」

 

 あまり気乗りはしないがここでごねると面倒なことになる。うめき声を漏らしながらロンはセーターを頭から被った。文句をいいつつも分厚い毛糸の生地はほかほかと暖かく心地よい。

 

「あれ? おいおい、ロンのイニシャルが入ってないじゃないか」

「コイツなら名前を間違えないと思ったんだろうよ。でも僕たちだって馬鹿じゃない。自分の名前くらい覚えてるよ、グレッドとフォージさ」

 

 青地に黄色の大文字でイニシャルが入ったセーターで胸をはり、真面目な顔をするフレッドとジョージにロンはたまらず吹き出した。ハリーも顔を綻ばせている。

 

「この騒ぎは何だい? 一体どうしたっていうんだ」

「説教はよしなパーシー! クリスマスくらい好きにやらせろよ」

 

 ドアから顔を覗かせたパーシーは嗜めるようなことを言ってくるが、その腕には開きかけのプレゼントが抱えられている。見覚えのあるもっこりとした質感のセーターもあった。

 真面目ぶっていてしっかり自分も楽しんでいるじゃないかとロンは呆れた。フレッドの言う通り今日くらい肩の力を抜けば良いのに。チョコレートファッジを摘んでいると、無理やりセーターを着せられたらしいパーシーがジタバタと暴れる声が聞こえた。

 

「監督生のPじゃないことくらいわかるだろ? 着ろよパーシー。ロンも僕たちも着てるし、ハリーとリランの分もあるんだぜ?」

 

 ———なんだって? 

 

 ロンは口元に運びかけていたファッジを危うく取りこぼしそうになった。今、聞き間違えていなければジョージはリランといった筈だ。

 

「ママから手紙が来たんだよ、今年はハリーとリランの分も作ったからちゃんと感想を聞いとけって」

 

 パーシーの腕をセーターで抑えるつけるようにして寝室を去っていく双子を目で追いながら、ロンはなんとも言えない気分で目を逸らした。

 前代未聞のマグル出身スリザリン生、リラン・エアクイル。彼女の名前は帰省した双子の兄達が語りまくる故に散々聞き馴染みがあったし、実際今年に入ってロン自身も二人の紹介で何度か話をしたことがあったので、その人となりも少しは知っている。

 絵本でみた妖精のような容姿に、スリザリンらしからぬ誠実な性格。そして勇気に溢れた行動の数々に憧れは確かに抱いていたが、その隙のなさが実のところロンは少し苦手であった。

 リランが嫌いということではない。むしろ好きな方だ。……いや、嫌いだったというのが正しいだろうか。

 ロンはホグワーツに入学するまでは確かに彼女のことが嫌いだった。兄を取られたような気分になって面白くなかったこともあるし、何よりスリザリン生ということも大きかった。

 会ったこともないのに勝手に性格を想像しては高慢ちきなヤツだと決めつけていたくらいに捻くれていた自覚はある。

 まぁ、その甚だしい勘違いはリランと出会った途端に消え去ったのだが。

 ただ、やはり苦手という気持ちは完全には物色されていないというのが正直なところではある。

 ハロウィーンの騒動や休暇前の図書館での会合でなんとなく「苦手」と思ってしまう所以がわかったのだが……なんというか彼女と接する度に、自分がいかに凡人であるかということを自覚せざるを得ないような気分になるのが嫌なのである。

 

(僕がちんちくりんなのはそうだけどさ……なんだかなぁ)

 

 彼女にはそのつもりが全くないというのもロンの良心が痛む要因だった。誰も悪くないのに申し訳ない気分になるあの感じも苦手の一つかもしれない。

 そっとヘッドボードに目を向けるとリランからのプレゼントである宝石のような石鹸が目に入る。キラキラと輝く贈り物は一目見れば、沢山の気遣いと魔法が詰まっているということがよくわかった。

 

「……『お前はもっと視野を広く持て!』」

 

 いつかフレッドとジョージに言われた言葉の意味を理解できたのは最近だ。多分、全部を全部一括りに見てしまうのが自分の欠点なのだろうと思う。

 ロンはセーターの濃い栗色は確かに苦手だ。でもハーマイオニーのボサボサとした栗色は嫌いではない。そりゃあ、最初は嫌いだったかもしれないけれどあの感じは別に「苦手」ではないのだ。

 それと同じようにリランの「苦手」もいつかは好きになれるかもしれない。もっと色んなリランを知って、もっと色んな自分を知っていけば「苦手」を克服出来るかもしれない。

 今日はクリスマスなのだ。頑張ればリランに話しかけることが出来るだろう。お礼をいって、一緒に遊んで、素晴らしく楽しい時間を過ごせば良い方向に迎える筈だ。

 

 ———絶対に仲良くなれないわけではないんだ

 

「……よし!」

「うわ! 頬なんか叩いてどうしたのロン」

「なんでもない! ……それよりご馳走を食べに行こうよ! きっとクリスマスツリーもすんごいって」

「あははっ、そうだね」

 

 

 ▼▽▼

 

 

 その夜、ロンは最高に幸せな気持ちでいっぱいの胸と、七面鳥とケーキで膨れた腹をさすりながら天蓋付きのベッドに横たわった。

 目を閉じれば楽しい時間の数々が浮かび上がってくる。長机いっぱいのご馳走に全力の雪合戦———あんなにはしゃいだパーシーは監督生に選ばれたときぶりに見かけた———、得意のチェスに白熱したトランプ遊び。そして恥ずかしそうにはにかんだリランの笑顔。

 

 ———『……もう、十分すぎるくらいラッキーですよ』

 

「……ふふふっ」

 

 思い出す度に胸の奥がじんわりと暖かくなる。リランはロンが思うよりもずっとずっと普通の女の子だった。

 特に雪合戦の時なんて「高慢ちきなヤツ」であればまず見せないであろう気迫っぷりで双子を追い詰めていた。まさかアレほどにアグレッシブだとは思っていなかったロンは、良い意味で度肝を抜かれた。

 そりゃあフレッドとジョージがこぞって誉めそやすわけである。

 談話室で遊んでいたときに見せていた憂いた表情も、初めての友達と過ごすクリスマスに戸惑い、感動していたからこその顔だと思うとなんだかくすぐったい気持ちになる。美しい生き物の無防備な様を見たようなそんな特別な感覚をそっとロンは噛み締めた。

 だが、一等にロンが嬉しかったことは自分を気にかけてくれていたことだった。雪遊びの後、疲れた様子を見せながらもリランは、ビッショリと濡れたロンを魔法で乾かしてくれた。

 その優しさとどこまでも誠実な態度、そして僅かに見えたいじらしい様はロンの「苦手」をすっかりと洗い流してしまった。変わりに芽生えたのは、尊敬する一番上の兄と話した時のような純粋に慕う気持ち。

 今までのようなふわふわとした憧れによる好意ではなく、気安くも暖かな親しみ。それこそ、あんな人を嫌いになる方が不思議であると思うくらいにはリランのことを好きになっていたのである。

 トロトロと微睡みながらロンはハリーから貰った五〇ペンスを取りだした。絞ったランプの光は刻印された「D.G. REG. F.D」の文字を柔らかく照らしている。

 この言葉はラテン語で書かれているらしい。菓子を食べながらコインを弄んでいた時、なんとなく言葉の意味を尋ねたらリランが教えてくれたのだ。

 

『ねぇ、リラン。これはハリーに貰ったマグルのお金なんだけど、このD.G.なんとかってどういう意味なの?』

『あぁ、これは「Dei Gratia Regina Fidei Defensor」の略ですね。ラテン語で……ええと、たしか「神の恩籠による女王、信仰の守護者」という意味、だったと思います』

『へぇー! ってことはこの真ん中にいる人は女王様ってこと?』

『そうですね。この人はマグルの世界で、いえ、イギリスで一番、偉大な女性です。持っているときっといいことがあるかもしれないですよ』

『……本当に僕が貰っちゃって良かったのかな』

『……ハリーくんから幸せのお裾分けを貰ったことにしちゃいましょう』

 

「……ふふっ」

 

 ロンにとっては七角形のヘンテコな硬貨でしかなかったそれは、リランとハリーのお陰で特別に素敵なものに変わった。

 三頭犬が守っている物の正体や、ニコラス・フラメルなどまだわからないことばかりだけれど、きっと上手くいくに違いない。

 ロンはもう一度コインを眺めると今度は眠気に抗わず柔らかな枕に身を任せたのだった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

 ———全然上手くいかない

 

「ハァ……」

 

 本当にどうすればいよいのだろうか。年末のパーティを催している談話室の一角にて、椅子に腰掛けたロンは喧騒を聞きながら深いため息を溢した。

 彼の深い悩みの種は、同じように目の前で腰掛けている親友、ハリーだった。

 

 ことの発端は遡ること数日前。最高の気分で眠りについたクリスマスの翌朝だった。

 呆然としたままシリアルを突くばかりで何も口にしようとしないハリーに胸焼けでもしたのかと尋ねてみれば、なんと透明マントを使って真夜中の学校を忍び歩き図書館の禁書の棚をあさった挙句、その先で自分の家族が映った鏡を見つけたというのである。

 朝からとんでもない情報量にロンは混乱した。たった一晩でとてつもないことをしたハリーはやはり見た目にそぐわずかなりの冒険者である。きっとそれは家族譲りの逞しさなのだろう。自分も君の両親に会ってみたいと伝えてみれば、今度の夏休みにウィーズリー家に来る約束をした。

 この時からハリーの様子は少しばかりおかしかった。あんなに夢中になって探していたニコラス・フラメルのことなど忘れてしまったかのような振る舞いに思わず声をかけたが、ハリーは心あらずのまま頷くだけでやはり食べようとはしなかった。

 そして、ロンの嫌な予感はものの見事に当たってしまった。

 その晩、常にない程に神経質なハリーに連れられ、漸くたどり着いた「鏡」は確かに最高に素晴らしいものを見せてくれた。

 残念ながらハリーの家族を見ることは出来なかったが、変わりにビルがつけたようなバッジをつけ、最優秀寮杯とクィディッチの優勝カップを掲げたロンを見ることが出来た。

 しかし重要なのはそこではない。ミセス・ノリスに出くわすという随分と危機一髪な目にあったというのに、全く焦りの色を見せないハリーが問題だったのだ。

 チェスやハグリッドの元へ遊びに行こうかと誘っても全くの上の空、ハーマイオニーと同じくらいのしつこさでいくら注意しようとも聞く耳を持ってくれない。

 アーモンド形の緑色の目は取り憑かれたように曇っていて、ハリーの意志があまりにも感じられなかった。

 

 ———『僕の家族はもうみんな死んじゃったんだよ』

 

 ———『僕は両親に会いたいんだ』

 

 ロンはなんと声をかければ良いかわからなかった。

 亡くなった最愛の両親に焦がれる気持ちをどうしたら止められるというのだろうか。いや、止めて良いのかすらもわからなかった。

 結局、ロンはハリーを寮の中に留めることが出来なかった。が、どうやら驚くべきことにダンブルドアに説得されたようだった。

 ハリーが夜な夜な鏡の元は向かうことは辞めさせることが出来たのだが、そう簡単にことは運ばない。

 ハリーは毎晩魘されていた。響き渡る高笑いと緑の閃光と共に消え去る両親の姿を見るというのだ。家族の姿をきちんと認識してしまったが故の苦しみは、ロンの手には負えるものではない。

 そうして今に至るという訳なのである。

 うんと疲れてしまえば悪夢を見る暇もないだろうとパーティーに無理やり連れたのだが、ハリーははしゃぐどころか萎れたキャベツのような始末で、花火が上がった事にも気づいていない。

 

(ウワ———!! ど、ど、どうしよう……!!!)

 

 もう本当にお手上げである。

 飲めや歌えのドンチャン騒ぎの中でロンはとうとう頭を抱えた。誰でもいいから僕とハリーを救ってはくれないだろうかと唸っていると、誰かが横に佇んでいることに気づいた。

 

「ロン君、飲み物はいかがですか?」

「リ、リラン……!!」

 

 レモネードを持ったリランが心配そうにロンを覗き込んでいた。

 思ったよりも近い距離に慌てて顔を上げると、やはり心底心配という顔のままハリーとロンを順繰りに見ていた。

 

「折角の花火ですけれど……あまり具合が良くなさそうですね」

「っぇ!? え、えっと大丈夫! その、僕たち昼間はずっと図書館にこもってたから……ちょっと騒がしいのに驚いちゃってて、も、もう平気だよ!!」

「……そうですか」

 

 常日頃からフレッドとジョージの爆弾に慣れているグリフィンドール生には通じない苦しい言い訳は、どうやらリランには通用したようだ。いや、特に追求してこないのは彼女の優しさだろう。

 咄嗟に嘘をついてしまったことに後ろめたさを覚えるが、これはハリーの問題だ。ロンが簡単に言っていいことではないと思った故の判断は間違ってはいないと思う。 

 ソワついた気持ちを払うべく、紙コップに注がれたレモネードをロンはグイッと飲み干した。暖炉の近くにずっと居たせいか甘味と酸味が染み入るように美味しかった。

 

「……セドリック達の所へ行かなくていいの?」

 

 空っぽのコップにおかわりを注いでくれたリランに礼を言ったロンは、一番騒がしい辺り———フレッド、ジョージ、リー、がセドリックの周りで何やらはしゃいでいる———に目をやりながら尋ねた。

 リランの纒う静謐な空気感に、ロンの焦りは鳴りを潜めていた。

 もう少し側に居て欲しいくらいには心地よいが彼女もきっと同級生達と話したいだろう。

 

「今、あそこはセドリックの赤裸々暴露大会になっているので避難してきました。むしろここに居させてください」

「一体全体何があったって言うのさ!?」

 

 神妙な顔つきでとんでもないことを言い放ったリランにロンは堪らず叫んだ。

 赤裸々暴露大会ってなんだ。バッと見ると今度はどこかの部族の儀式のようにセドリックを囲む兄達が居た。意味がわからない。

 

「……セドリックがですね、えっと、クリスマス前に恋人と、つまり破局したことが彼らにバレてしまってですね……」

 

 これ言って良かったんですかねと首を傾げながら、リランは笑いを堪えているような、見たこともない顔つきで詳細を教えてくれたが、ロンはそれどころではなかった。

 

(えぇ……リランとセドリックが付き合ってるんだと思ってた……)

 

 衝撃の事実にロンは頭痛が酷くなった気がした。だが、言われてみれば今までのリランの態度からして二人の間には友情しかなかった気もする……いや、本当にそうなのか? 

 ロンは真偽を確かめる為に、とうとう控えめに肩を振るわせたリランをじっと見つめた。

 茶水晶の理知的な瞳は暖炉の燃え盛る炎の揺らぎを写し、深く煮出した紅茶のように艶やかしい。だが、魅力的な眼差しとは反対に、薄く笑みを湛えた顔はあまりにも幼く見えた。

 

「……あ!」

 

 途端、ロンの中にストンと分厚い本が落ちた時のような、響きのよい閃きが起こった。

 認識を改めたとはいえ、どうしてあそこまでリランに親近感を抱いていたのか、漸くわかったのだ。

 ロンは、ビルと似たような雰囲気だけに惹かれたのではなく、その中身、小さかった頃の妹と同じような無邪気さを無意識に感じ取っていたのだ。

 

(と、とんでもない……)

 

 まさかまさかの予想外。ダブルショックどころかトリプルショックの展開にロンはとてつも無い脱力感に襲われた。

 もしもセドリックがリランに恋愛感情を抱いていたらと思うと不憫でならない程に清々しく無垢な真実だった。

 

「……さてロン君、ハリー君。じっくりと悩むこともまた一つの学びですが、力を抜くというのも賢い方法ですよ」

「!!」

 

 半ば自爆しハリーと同じようにキャベツと化していたロンは、淡々としたリランの声に再び顔を上げた。

 レモネードのピッチャーを抱えた彼女はニッコリと笑うと、何か言う前に窓の方へ向かってしまった。

 

「……やっぱりとんでもないよ」

「……うん」

 

 暫しの沈黙後、ポロリと溢れた声に、同意の返答があった。

 ハリーが復活していた。顔色は良くないが、瞳には輝きが戻っており会話を交わせるくらいには元気そうである。

 

「ロン、心配かけちゃってごめんね」

「いいよこのくらい」

 

 眉を下げる親友の肩をそっと叩いたロンはリランに習い、ハリーを連れて窓の方へ向かった。

 結局、リランのことはわかったようでわからなかった。けれど、彼女を知ると言うことはロンにとって決して無駄ではなかった。

 同じようにハリーの心もわかることは出来なかったけれど、ハリーの為に考えた時間もまた無駄なものではない。

 人の望みや心の全てを知ったとしてもそれを知る為に費やした時間の方がきっと大切なのだ。

 それはきっと、意味を知らなければ、ただ珍しいだけで終わってしまった五〇ペンスの硬貨と同じようなことなのだろう。

 

(それを知れただけ今は充分!!)

 

 花火と共に打ち上がる新しい一年の訪れを、ロンはひとまず楽しむ事にした。

 

 

 

 

 

 

 




ロン:とんでもないよ———!!!
ハリー:しんどい
セドリック:まさかの破局!!!!


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【24】Valentine&Frog(バレンタインと蛙チョコ)

 

 新たな年を迎え、慌ただしく始まった二学期もようやく落ち着いてきた頃かという某日。胸元に本を抱えたリランは人気のない廊下をそそくさと歩いていた。

 一面がまろやかな夕陽色に染まった城壁は、暖かそうな色味とは裏腹にうっすらと冷気を孕んでいる。

 室内ですら身震いするほどの寒さなのだから、雪が降り頻る外の有様など考えたくもない。ただでさえ、常人よりも熱を蓄える脂肪が少ないリランの薄っぺらな体躯では、きっと五分と持たず文字通り全身が凍りついてしまうだろう。

 しかし、こんな風に苦言を呈しているリランが今まさに向かっている先は、その散々っぱらに否定している中庭である。しかもその目的は読書兼勉強だった。

 断じて気が狂ったわけではない。まだまだ冬真っ盛りな一月末の中庭でやる事ではないことくらいは百も承知している。

 リランだってこんな阿呆極まりないことなどせず、今までのように放課後の自由なひと時を図書館の片隅で過ごしていたかった。

 だがその憩い場は、どこぞの不届き者がクリスマス休暇中の真夜中に抜け出し、図書館に忍び込んだおかげで利用困難になっている。

 ……困難なだけで利用自体は出来る。出来ることには出来るのだが、その際には荒ぶり散らす図書館の女主人、マダム・ピンスと対峙しなければいけないという問題が生じるのだ。

 その校則違反野郎は、無断侵入に加えて閲覧禁止の棚にも手をつけていたらしく、それがまたマダム・ピンスの烈火の怒りにダバダバと油を注いだ。

 生徒よりも蔵書の方が大切であるとヒステリックを拗らせた司書は、今や図書館に訪れるもの全てを犯人と決めつけており、執拗に威嚇と警戒の眼差しを浴びせかけてくるのである。

 たった一冊の本を借りるどころか入室にも一苦労。周辺に立ち寄ることすらも憚られる程の窮屈さ。

 何をするにも野ウサギのようにビクビクとしなければいけないところで、まともに読書など誰が出来るのだろうか。

 どうしても用事がある猛者———レイブンクロー生が殆どである——ですら、立ち読みはせずさっさと貸し借りの手続を終えると素早く飛び出す次第だ。

 暗黙のルールを破り長時間居座るということは、油を売ると同義である。本末転倒だ。図書館の存在意義が息をしていない酷い規程であるが、禿鷹女に常識は通じない。無謀な油淋鶏(ユーリンチー)に皆なりたくないのだ。

 

(ほとぼりが冷めるまでは、あそこには近寄らない方が良いだろうな)

 

 天下のホグワーツに務める職員が、果たしてこんなに横暴で許されるのか。至極同然に抱いた疑問も、今現在で滅茶苦茶に許されている故に無意味な不満だと証明されてしまった。成る程、全くもって理解不能である。

 校則を破った理由が図書館の本目当てという点だけを取り上げれば、マダム・ピンスの対応も間違ってはいないかもしれない。だが、いくら針の先ほどに焦点を絞ったとしても、他の生徒が八つ当たりの対象にされている事実は変えようがない。

 やはりどう解釈しても良い迷惑でしかない現状だ。本好きの生徒諸君は皆一様に怒りを募らせていることだろう。

 リランもブチ切れそうだった。クィレルのころだったら確実に切れていたと思う。

 そんな是が非でも全然クィレルじゃないリランが、未だに捕まらない犯人どもにそれ程怒りを抱いていないのは、率直に言ってしまえば犯人の正体を知っているからだった。むしろマダム・ピンスを若干称賛しているくらいである。

 確かに庇い用がないくらいにイカれポンチのすっとこ女であるとは思うが、たかが一年生にホイホイと秘密を暴かれているザル警備よりもよっぽどマシだ。

 

(……いやまて、マダム・ピンスもザルの一因かもしれない)

 

 事件以降、彼女は鷹の目ならぬ鷲の目を血張らせている。

 だが、その監視の目をものともせずに、毎日のようにやってきては本棚を探る犯人、もとい、ハリー一行に疑問を抱いていない。ザルである。

 彼らの動きが休暇前とは打って変わり明らかに手慣れている様や、限られた時間にの中でもきっちりと探す範囲を絞っていることに、マダム・ピンスは気づいていないのだ。

 怒りの炯眼も所詮は一過性。漏れ出した圧力は猛禽類のそれではなく、無駄吠えの激しい瓦鶏だったとリランは先の評価を取り消した。

 つらつらと、ホグワーツに足りないものは総じて観察眼だなと偉そうに呆れ返っているリランであるが、実は、革新的手がかりを見つけたであろうハリー達の動向を危うく見逃しかけていたりする。

 というか、年末のパーティーに参加していなければ、もっというなら妙に大人しかったハリーとそわついたロンを見ていなかったら、前世の記憶があっても絶対に気が付かなかった自信がある。

 決して胸を張ることではない。

 

「……ハァ」

 

 致命的すぎる失態を思い出したリランは歩みを止めた。情けなさのあまりに溢れたため息が、真っ白に霧散していく。鼻の奥まで冷え切れば少しは冷静になれるだろうか。

 言い訳をするならば、リランの脳みそはクリスマス以来、すっかりと溶かされてしまっていたのだ。

 優しいがすぎる獅子寮の面々と別れた後、リランはベッドの中でひたすらに呻いていた。部屋の片隅に残っていた触手キメラそっちのけで、今までの自分が取っていた悪辣な態度を猛省し、罪悪感と苦しみに軋む良心を抑えなんとか夜を越していた。  

 なんとかまだその時は正気だった。だが、翌日のボクシング・デーに届いたウィーズリー夫人からの手紙にトドメを刺されてしまった。破裂寸前だったキャパシティはいとも容易く弾け飛んでしまった。

 

(確かにジュエルソープ(あの贈り物)はいい出来だったが、それにしてもこんな爆速でお礼の手紙を……聖人か?)

 

 態々パーシーのヘルメス(三男坊のフクロウ)を使ってまで、あったこともない———しかも何かと確執のある蛇寮所属である———生徒相手にこれほど心を砕けるとは。未知が過ぎた経験にリランは死んだ。

 これが、文字通り命懸けの運命を見過ごしかけた理由だった。端的に言えば、感情を飲み込むのに忙しく周りに目を配る余裕がなかったのだ。それに尽きる。

 だが、幸運なことにそんな壊滅的な精神状態が功を成した。

 常ならばさらりと躱していたであろう年末パーティへ参加したことである。

 なるべく関わらない方針は何処にやったと聞かれれば何も言えない。だが、招待者が入学当初からリランを肯定し、好みバッチリのプレゼントを贈ってくれたセドリックに誘われてしまったのだからしょうがない。

 上記の通り、リランはどうしようもないくらいバグりにバグっていた。しかし、この心底弛んだ判断のおかげでリランは正気に戻ることが出来たのだ。

 それはパーティ当日の確か花火の打ち上げが間も無く始まる頃だった。

 ポンコツと化していたリランの世話を焼いていたセドリックを、ウィーズリーの双子が揶揄った時に事は起こったのである。

 

『……リラン、随分疲れてるみたいだけど大丈夫かい? 何か飲み物でも持ってこようか?』

『お、見ろよジョージ、流石は彼女持ちクンだぜ、紳士の振る舞いだ! わはは』

『アー、まぁ、オレはちょいとばかし近すぎる気がしないでもないけど、うん、これは殆ど介護だな、彼女にエクスパルソ(爆破)される心配はないぜ王子様』

『はは、大丈夫だよジョージ。その、あの子とはもう別れてるから』

 

 ———その後のことは語るまでもない。菓子や飲み物が置かれた丸机を囲んでいた四人の空間に一瞬の静寂が流れ、そして、その内三人は揃って目玉をひん剥いた。

 

 ⦅セ、セドリック——————!!! ⦆

 

 かくして、リランの狂った脳みそは、完璧超人なあのセドリックが恋人と破局していたというショッキングな事実によって平静を取り戻したのである。

 思い返せば思い返すほどに、外道の下を遥かにゆく回復方法だった。言うなればショック療法、力技というかなんというか、そういう類であることに違いはないが、普通に最低だった。

 ハッフルパフの王子様が、クリスマス前にフラれていた特種スクープに盛り上がる双子を他所に、リランはリー・ジョーダンと入れ替わりでそっとその場を離れた。

 妙なフィルターが解けても、セドリックに対する僅かばかりの想いやりは消えなかった。一方的とはいえ三年もまとわりつかれては情も湧く。

 非常に、力一杯に気になる話であるが、リランは同じ男としての情けで、赤裸々暴露大会の傾聴は辞めてやることにしたのだ。

 そして、まともに開けた視界を取り戻した途端に、リランはあからさまにおかしいハリー・ポッターを見つけた。

 

 ⦅いやスゲェあからさまだわ⦆

 

 リランは花火を見るふりをして、挙動不審な彼らに近づきそれとなく探りを入れた。だが、意外なことにロンもハリーも口を割らず拍子抜けした記憶がある。特に、楽をしがちな印象があったロン・ウィーズリーが率先して頼らなかった事が一番の驚きだった。

 彼らなりにきちんと学習し努力しているらしく、結局、得られた事の流れはリランの想像よりも少なかった。都合の悪い成長である。

 こんなことならば、レモネードに真実薬(ベリタセラム)でも入れてやれば良かったかもしれないとリランは内心で毒を吐いた。

 たがその翌日、年始の挨拶をしようと厨房に向かう途中で、先に述べた校則違反について盛大な愚痴を溢すフィルチを見かけた為に、望みの情報は存外さっくりと把握できた。

 加えて、連日のマダム・ピンスの態度である。ここでピンとせずにいつ閃けというのだろうか。

 

「ハァ……」

 

 結果的には上手くいったとはいえ、何度思い返してもギリギリの展開にリランは再び息を吐いた。肝が冷えるどころの話ではない。

 情けに向かう刃無しとはよく言ったものである。冷たい斜陽が細めた瞳に沁み入った。

 

 

 ▼▽▼

 

 

 外はいつのまにか雨が降り出していた。みぞれ混じりの雨の中で本を読めばマダム・ピンスに殺されるが、その前に凍死してしまう。

 残念だが今日はもう大人しく寮に帰らなければならないようだ。いや、厨房に行くのもいいかもしれない。

 久しぶりに妖精たちに会えると浮き足だったリランがホールに差し掛かった時だった。

 

「やぁ、リラン! 調子はどうだい?」

「……元気ですよ、セドリック」

 

 噂をすればなんとやら。箒を担ぎ、カナリア・イエローのクィディッチユニフォームに着替えたセドリックに遭遇した。

 松明に負けず劣らずの暖かな笑顔が眩しい。ついさっきまで、彼の破局事情を思い返していたからに、謎の申し訳なさを覚える。

 リランはせめてもの罪滅ぼしのつもりで、何やら話したそうなセドリックに少しだけ付き合ってやることにした。

 

「これから練習ですか? かなりの雨ですけれど……」

「うん。でも、一ヶ月後にグリフィンドールと試合があるんだ。首位争いだからみっちりやっとかないと」

 

 肩をすくめつつも、意気込むセドリックは相も変わらず青春を謳歌している。反してリランは、前世においてその試合の後にスネイプに詰め寄られていたことを思い出し、内心で苦い顔をしていた。

 たしか【クィレル】を怪しんだスネイプが自ら監督を買って出た試合だった筈だ。閏年だったこともあり、朧げな記憶中でも鮮明な出来事だったと思案していると、つい話に身が入らなくなってしまう。

 

「? リラン、どうかした」

「いえ、少し寒くて……紅茶が飲みたいなーと」

 

 キャッチボールの放置はいくらなんでも失礼すぎるかと、今度はリランから話題をふることにした。

 

「あぁ、紅茶といえば……セドリック、クリスマスプレゼントのティーセット、本当にありがとうございました。魔法界で和柄模様だなんて探すのが大変だったでしょう? よく見つけましたね」

「はは、喜んでもらえて嬉しいよ! 実はね、父さんの職場の人が少し早めにクリスマスカードを送ってきてくれて、その人はトヨハシ・テング大ファンだったんだ」

「トヨハシ・テングって、あの、マホウトコロの……!」

「そうそう! それで、そのカードと一緒に日本の風景画とかしおりを貰って、思いついたんだ。きっと君は和柄の方が嬉しいだろうなって。だから母さんに頼んで、元々渡すつもりだったティーセットに模様をつけて貰ったんだ」

 

(セ、セドリック——————!!!)

 

 何気ない話かと思いきや、途方もない善性の話だった。耐性がなければどうなっていたかも危ぶまれるくらいの威力である。ウィーズリー夫人しかりディゴリー夫人しかり、世の中の母親というものはこんなにも慈愛に満ちているのか。

 母親にあまり愛された記憶のない三十路にはよく効く攻撃だ。ちょっと泣きそうである。

 これ以上話すと身がもたない。飛躍の年とは言えども、クィディッチ関連で事が動き過ぎではないだろうか。

 

(あー……紅茶よりも白米食いてぇ〜〜〜〜!)

 

 最後にもう一度セドリックを労わったリランは、軽くセドリックに手を振ると厨房へ向かった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「すみません、夕方のこんな時間に場所を借りてしまって……」

「ひぇ、お顔を上げてくださいお嬢様、滅相もないです!! あ〜〜」

 

 これ以上謝るとアンリーが頭を机に打ち付けかねない。

 紫紺の瞳を溢れんばかりに見開いた顔馴染みのしもべ妖精に従い、リランは再度場所の提供へ礼を述べると、借りてきた本、もとい高等呪文書の守護霊のページを開いた。

 この本を借りるのは初めてでは無い。一年生の時から度々勉強に使わせてもらっている。……というのは半分建前であり、本音としては不幸への対抗手段を一つでも多く身につけたいからだった。

 いくら優等生でも、大人でも習得が難しいとされる守護呪文を習得していては怪しまれる。賢かろうがなんだろうが出る杭はガンガン打たれてしまうのだ。

 

 だからこそ一、二年生の内は控えめに徹していたのだが、今年はハーマイオニー・グレンジャーなる麒麟児が入ってきた。彼女の活躍のお陰でリランの懸念はほぼなくなった。素晴らしい。

 

「ええっと、五章目、二〇六ページ参照、防衛術の応用と発展……」

 

 エクスペクト・パトローナムとは、守護霊を呼び出す呪文であり、魔法族の間で最も強力な防衛術の一つである。吸魂鬼(ディメンター)生ける経帷子(レジフォールド)を唯一退けることが出来る魔法であるが、それ故にとんでもなく複雑かつ難解だ。

 そもそも、守護霊(パトローナス)と呼ばれる部分的に実体のある良いエネルギー———呪文集の説明だ———幸福を基軸とした呪文を作り出すこと自体が大変に難しく、前述の通り成人した魔法使いであろうとも、殆どが実体どころが、霞すら生み出せない。

 裏を返せば守護霊を作れることは、優秀な魔法使いの証となる。リランは自衛と名誉の為に何としてでも守護呪文を覚えたかった。

 クィレルのときは辛うじて霞が出せる程度の実力だった。闇の魔術に対する防衛術を担任するにはやや不十分だったが、元はマグル学専攻であり闇の帝王の隠れ蓑の八割死体野郎にしては充分だろう。

 そんな状態でも才能はあったのだ。今の魔力変換が並外れた完璧美少女ならば、然程苦労せずともスッと有体を出せるに違いない。去年のリランは本当に舐め腐っていた。

 

 ———いや、マジで全く出ないな本当に

 

 リランの目下の悩みは、死に体でも出せていたパトローナスが、微塵も作り出せないことだった。

 杖を振るったところでウントモスントモでない。若干の中毒寸前まで幸せだったあのクリスマスの記憶を使っても駄目だった。

 ……本当はわかっている。幸せな気分になれないる理由をリランは知っている。入学当初から常に緊張しきった心と体、間接的な死の要因が側にいる現状、そして常に呪われている今の状態ではとても無理に決まっている。休まるということが根本から出来ていないのだ。

 

(いくらグリフィンドールがいい奴らでも、セドリックが聖人でも、しもべ妖精が可愛くても、それでも無理、無理なのか……)

 

 少なくともクィレルが生きているうちにリランが真に幸せになることはないことは確実だった。奴が死ねばリランの胸の内は軽くなる。しかしそれでは間に合わない。ユニコーンの呪いの性質を考えれば、クィレルが死ぬ時に、必ずリランを殺しにかかるからだ。

 耐えきれない重さにリランはとうとう机に突っ伏した。本当にどうすればいいのだろうか。ぐずぐずと頬を擦り付けていると、ふと机の端に置かれた料理の本が目についた。

 

「……フォンダンショコラ、チョコクッキー、チョコレートサラミ、チョコレートボンボン」

 

 思わず手に取り開いたそれは、美味しそうなイラストと解説が載せられたチョコレートのレシピ本だった。文章は所々ドイツ語とフランス語が混じっていて少し読みにくいが、とても丁寧にまとめられている。 

 

(そういえば、吸魂鬼にはチョコレートが気付け薬に使われるよな……。恋愛成分だの幸福成分だの根拠はよくわからないけど)

 

 チョコは美味しい食べ物だから幸せが詰まっているのだろうか。きっとそうに違いない。美味しいとは幸せの象徴なのだから。食の喜びを嫌う人間などこの世には存在しない。

 

 ———もしかしたら食べ物に関する幸せでも、守護呪文は成功するのではないだろうか? 

 

 幸せの密度は人それぞれなのだから案外的外れでもないだろう。だって手のひらに収まるくらいの小さな本が3センチの厚みを増すまで情熱を捧げる人物がいるのだから。

 偶発的な思わぬ接点に、少しだけ解決の糸口が見えた。足掛かりをくれた本を好奇心のまま終いまで捲ると、裏表紙の隅に著者の名前を見つけた。

 

「『Henri(ヘンリー)』……?」

「はい、お呼びでしょうかお嬢様?」

「え、アンリー?」

 

 何気なく呟いた名前に何故かアンリーが返事をしていた。ヘンリーではなくアンリー。

 ヘンリー、アンリー、フランス語、ドイツ語……。リランは無垢な顔でこちらを伺うしもべ妖精に向き合いながら急速に頭を回した。

 

「あ」

 

 時間にして数十秒。スーッと細く息を吸い目を閉じてリランは天を仰いだ。どうやら自分はとんでもない勘違いをしていたらしい。

 今まで名前の綴りを目にしていなかったことや、彼女、否、()の顔が可愛かったせいでわからなかったのだ。言い訳はよそう。リランは常になく潔かった。

 戸惑うアンリー、否、ヘンリーにそっと微笑みながらリランは深々と頭を下げ、謝罪を述べた。

 

「アンリー。アンリーはヘンリーで、女の子で男の子だったんですね……!!!」

「え、? 、あ、ハイ、———え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、あっという間に一月が過ぎ去り、二月も幾分か馴染んだ頃である。結論から言えばリランの守護呪文は一切進歩していなかった。

 否、好きだと宣った相手の名前と性別を間違えていた、愚か者の謝罪をアンリーが受け入れてくれたこと以外にリランの進歩は全くなかった。

 それも、アンリーの、『アンリー』という名を愛称として気に入っていることや、歴代の主人達がフランス人やドイツ人だったというフォローがなければ、歩むどころか爆発四散していた始末であるから救いようがない。

 だが、リランが爆発しようがなんだろうが世の中はお構いなしである。現に、先程受けたマグル学は、もう直ぐバレンタインデーだという理由だけでリランに縁が無さすぎるイベントの講義が延々と行われていた。

 曰く、バレンタインデーの歴史はローマ帝国の時代に遡るとされるだの、かの有名なマグルの詩人ウィリアム・シェイクスピアの戯曲が起源であるだの、キリスト教圏の祝いであるだの、毎年二月十四日に行うとされるカップルが愛を祝う日だのなんだの!!! 

 リランはブチ切れた。クィレルのころでも確実に切れていたが、クィレルでなくとも普通にキレた。慷慨憤激(こうがいふんげき)怒髪衝天(どはつしょうてん)、マダム・ピンスに負けず劣らずの激怒であった。

 童貞の虚しい過去はさておき、今のリランは女である。超絶美少女である。腫れ物扱いであるが超絶美少女である。つまりそれは調子づいた野郎どもから、肥やしにもならない贈り物があるということである。決して自意識過剰ではない。二年生時に経験したからこその恨み節だった。

 

(どうせならマグルを見習え野郎ども! ほんの二、三年前から奴らはチョコレートを渡してるぞ! 友達同士で贈りあってるぞ!! そのセンス皆無な花束を用意するより寂しく野郎同士でチョコを渡せ!! オラ!! しろよチョコレートに!!!!!)

 

 悲しいかな、いくら外見が麗しくとも中身が野糞(うんこ)である。

 クィレルの後釜を務め、健気にマグル学を教鞭しているシカンダー教授が、その豊かなブラウンの髪と髭を毟られなかったことは幸運と言えるだろう。

 二月とは本当に水の出やすい季節である。雪も涙も止まらない。

 そうして、怒りと虚しさに苛まれたリランがその感情を昇華しきる前に、バレンタインデーは全速力でやってきた。

 

 

 ▼▽▼

 

 

 二月十四日、金曜日。ホグワーツの校内は甘い恋の色めきでキラキラと沸き立っていた。リランと言えばいつも以上に目尻を吊り上げ、校内で最もカップルが少ないであろう図書室に向かっていた。

 胸元にアンリーから貰ったチョコレートの菓子がなければ、朝方に燃やした不特定多数からの気色の悪いカードに対する殺意が漏れそうである。

 

 ———いっそのことマダム・ピンスを怒らせて学校の空気を凍らせてやろうか

 

 夜が迫るほどに甘ったるくなる空気に嫌気が差し、いっそう歩みを早めたリランが図書館まであと一つと、角を曲がった時だった。

 

「———ッッッッッ!?」

「う、あば、ヒョワァッ!?」

 

 危機一髪の紙一重、勢いよく踏み出したブーツの爪先はなんとか足元の塊を回避した。

 

「……あの」

「……うえぇ、ああ、ああの、その、ぼ、僕」

「……大丈夫です、か?」

 

 口から出たのはチープな言葉だった。だが、兎跳びの姿勢で半べそをかく少年に遭遇したとき、一体、心配以外にどんな言葉をかければいいのだろうか。正解があるなら是非とも教えてほしい。

 とりあえずこの状況は大変宜しくない。字面も絵面もヤバさそのものだ。

 

フィニート・インカンターテム(呪文よ終われ)。さ、これでもう大丈夫ですよ」

 

 つい三秒前まで、丹念に被った猫を自ら切り裂くような危険思想を抱いていたとは露ほども感じさせない微笑みで、リランは少年にかけられた呪文を解いてやった。

 震えながら立ち上がった少年のネクタイとローブの裏地はグリフィンドール生の真紅に染まっていた。体格からして一年生だろうか、随分と弱々しい。

 きっとスリザリンの誰かにやられたのだろう。初級呪文の、足縛りの呪いを使うあたり、相手は同じ一年生の可能性が高い。馬鹿な上級生の場合もあるが。

 それにしても潤んだ瞳が生まれたてのネズミより情けない。変に怖がられても余計に面倒だと判断したリランは、戸惑う少年の手の中にチョコレートを乗せた。

 

「うぇ? あの、コレ」

「その痺れた足では上手く歩けないでしょう。宜しければ寮まで送りますが、どうでしょうか?」

「はぇ、でも、その……い、いいんですか? ホントに? グリフィンドールなのに……あ、えと、じゃあ、お願いします……あ、ぼ、僕はネビル、ネビル・ロングボトムです……!!」

 

 丸い顔のヘリまで真っ赤に染めたネビルの弱気な態度に苛立ちならがも、ここまでのチョロさはやりやすいとリランは内心でほくそ笑んだ。

 最初は呪文を解いてそのままとんずらしようかと思ったが、スリザリンの上級生もいない今なら、グリフィンドールに近づいても問題ないだろう。

 

(アイツらと同級生なら、少しは動向を知っているかもしれないだろうし、さっきの邪魔はチャラにしてやるよロングボトム)

 

 

 ▼▽▼

 

 

 人目につかない道順を選んだ割には、すんなりとグリフィンドール寮に到着出来た。尚、この道中で得られたものは何もない。

 そもそもが駄目元の企みであるから仕方がないことだが、いかんせんネビル・ロングボトムによる精神疲労が大きかった。

 適当にあやしていて分かったが、ネビルは本当に気弱な性格で、リランが居なければ兎跳びでグリフィンドールの塔まで行きかねないくらいにくらいに鈍臭かった。一体何度足を踏まれかけたことか。

 

「さぁ、ロングボトム君。寮につきましたよ。私が耳を塞いでいるうちに合言葉を」

「あ、ありがとうリラン、僕、なんてお礼を言えばいいか……」

 

 まごつくネビルに目配せをしたリランは宣言通り耳を覆った。合言葉など遠の昔に知っているが、次に会った時を考えれば彼の警戒心を解いて損はないだろう。幾分かわざとらしい気がしないでもないが、律儀なリラン先輩の像はいくらあっても問題ないのだ。

 訝しげな太った婦人(レディ)から目を逸らしたリランはネビルが肖像画の穴に入り込むのを手伝ってやった。リランは知っている。おとぼけた子供を相手どるとき最後の最後まで気を抜いてはいけないと言うことを。

 案の定、何がどうしてそうなったのかは分からないが、穴の縁に引っかかったらしいネビルの足がリランのローブの袖を巻き込んだ。

 

「うわぁぁあっ!???」

 

(最早ミラクルだろうこのうっかりは!!!)

 

 ドスンという鈍い音とどよめきにリランは唇を噛んだ。転がり込んだネビルの尻越しに見える戸惑った寮生達の顔があまりにも気まずい。

 

「ネビル! それにリラン! 二人とも一体どうしたの?」

 

 いつまでも穴に顔を突っ込んでいるわけにはいかない、兎に角退散しなければ。さりげなく首を引込めようとするが、その前にハーマイオニーに声をかけられてしまった。

 駆け寄る彼女を無視するわけにもいかず、渋々と寮に入ったリランはネビルを立ち上がらせると、ハリーとロンの側の椅子に座らせた。

 談話室にいるのが一年生ばかりでよかった。年末パーティの時よりも人は多かったが、この程度の野次馬なら我慢できそうである。刺さる視線を努めて無視したリランは、これ以上は目立つまいと事の成り行きをハーマイオニーに任せることにした。

 

「マルフォイに図書館の外で、それで、その、誰かに呪文を試してみたかったって……それでリランが助けてくれたんだ」

「ネビル、マクゴナガル先生のところに行った方がいいわよ! マルフォイがやったって報告しなきゃ!」

「〜〜〜ッこれ以上の面倒はイヤだなんだ……僕みたいな弱虫がグリフィンドールにふさわしくないなんて、言わなくてもわかってるよっ、うぅ」

「立ち向かわなきゃ駄目だ! そんなんじゃアイツが調子に乗るだけだよ」

 

 黙って聞くに徹していたリランは、ここで初めてネビルに共感を覚えた。ハーマイオニーの言い分もロンの言い分もわかる。相手を付け上がらせない為にも、屈服せずにやり返すことは大切だ。

 しかし、それは充分な自己肯定感があってこその手段である。自分に自信がない人間は心の疲労が激しいのだ。

 声を詰まらせながら嗚咽を溢すネビルを見たリランは、打算を抜きにしても何故彼を無碍に出来なかったのかが分かった。

 ネビルは、邪気の無さと肉付きの良さを除けば、昔の自分にそっくりなのである。

 

「マルフォイが十人束になったってネビルには及ばないよ。君は組分け帽子に選ばれてグリフィンドールに入ったんだ」

 

(やっぱりみんな落ち込むとチョコを食べるんだな)

 

 折角の良いシーンも台無しである。後輩の美しい友情を前にこんな酷い心中であるリランを知れば、ハリーから貰った蛙チョコを嬉しそうに開けるネビルも気弱さを克服出来るだろう。

 涙の跡を頬に光らせながらリラン達に礼を述べたネビルは、蛙チョコの付属品である「有名魔法使いカード」をハリーに渡すと寝室へ向かっていった。

 リランも早く寝室に行きたい。ネビルに習い部屋に戻る寮生達を見るからに、もう帰ってもいいだろう。

 

「では、私もこれで失礼しま、」

「———みつけた」

 

 刹那、リランのどさくさ紛れの挨拶をハリーの声が遮った。

 激しい興奮と静寂の合間を掬ったような囁き声に、リランの背中がゾクリと震えた。見つけた? 何を? 

 殆ど帰ろうとしていたことも忘れ、リランは堪らず穴にかけていた手を離し振り返った。

 

「———ッは」

 

 カードの裏を凝視しながら英雄は笑っていた。朗らかに、満足げに笑っていた。

 眼鏡越しでもはっきりとした爛々と輝く緑の瞳に、リランは動くことが出来なかった。

 ドクン、ドクンと耳の奥で鼓動が跳ねる。運命の流れを前にした緊張感が血潮を巡った。

 順繰りにロンとハーマイオニーの顔を見やったハリーは、最後にリランを見つめるとポツリと、だが、確実に言葉を紡いだ。

 

「———フラメルを、ニコラス・フラメルを見つけた」

「どこかで名前を見たことがあるって言っただろう? ホグワーツ特急のときだったんだ。ダンブルドアのカードの……ホラここ、『……パートナーであるニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究などで有名』って」

「ねぇ、リラン。僕達とうとう見つけたよ……!」

 

 

 

 

 





ネビルが好きです。ネビルくんはいいぞ

リラン:通常運転に戻った
妖精:男の娘。発音の有無による勘違い。名前に拘りはない。
ネビル:運勢シーソーボーイ
セドリック:セドリック———!!!!(爆発)


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【25】 Cherry bonbon Bomb boy(錯乱某忘・爆弾坊々)

 我らがマグル学教授である、アリフ・シカンダーは言った。

 バレンタインデーとは恋愛の催事として名を馳せながらも、その実は明確な起源がわからずじまいな奇妙な歴史であると。

 奇妙さを語る理由の一つとして、約八〇〇年程前にローマ皇帝クラウディウスに反抗し処刑された「聖ウァレンティヌス(バレンタイン)」を祈る日だというものが挙げられている。

 キリスト教徒にとっても重要な日であることから今現在で最も有力な説とされているらしいが、恋を唄うにはいささか血生臭い由来である。

 つい先程までの浮かれ髭ポンチが嘘のように、シカンダー教授は真面目に語った。いや単にバレンタイン馬鹿なのかも知れないが、それを抜きにしても彼の授業は勉強になった。

 学問として実に幅が広いマグル学を教える難しさは、かつて同じ学問を専攻し教鞭を振るっていたリランだからこそわかる。

 魔法族にとってはどうしても異文化的なマグル学なのだ。丁寧でわかりやすい説明をせねば、あらぬ誤解が生じたり、新たな火種を生みかねない。

 それ故に【クィレル】の若輩者ぶりが改めて分かったことも加え、尊敬とは言わずとも彼のことをそこそこに気に入っていたのだ。

 だがその敬意は、たった今この瞬間をもって過去のものと化した。

 移り変わって芽生えたのは、何としてでもシカンダーの髭を毟りとるという決意、そして処刑台を前にした囚人のような諦めであった。

 

「なぁ〜リラン〜……なんでオレには、バレンタインくれないの?」

「……? ……!?」

 

 リランが死刑囚であるならば、真横に居座る赤毛の男は処刑人と言ったところだろうか。いや、この重圧はバレンタインを追い込み圧制した皇帝(クラウディウス)に違いない。

 嗚呼、なんという事だろう。髭野郎の余計な知識(…………)のせいで、比喩の絶望感が深みを増してしまった。

 じらりじらりと炎に炙られるような切迫感。

 どうして自分はジョージ・ウィーズリーに詰められる羽目になっているのだろうか。

 

 ▼▽▼

 

 発端はわからない。リランが授業までの暇なコマを空き教室で過ごそうと椅子に座った途端に、後を追ってきたらしいジョージが駆け込んできたのだ。

 

「リラーン? なぁ、なんで?」

 

(ひ、ひぇ〜〜〜〜!? 急にどうしたんだお前ェ……)

 

 既に絞首刑は執行されていたのかと錯覚するほどに青の眼差しが息苦しい。突拍子もない圧力に思わず情けない声が漏れそうになってしまった。穏やかとは言い難くとも単純に怒っているわけではないあたりが尚更気味が悪かった。

 口振からして原因は一週間前のバレンタインデーだろうか。しかしフラメルを見つけたハリー達の衝撃的な瞬間も相まって、リランの記憶はかなり断片的である。

 だが、こうも強引に話を進めようとするらしくもないジョージを見るからに覚えはなくとも何かしらやらかしたに違いない。

 やはりいくら体面を取り繕いたくとも、らしくないことは無闇にしない方が良いに限るのだろう。現にリランはその()()()()()振る舞いのせいで意味不明な状況に陥っているのだから。

 泣き虫蛙を助けたばかりに、蛇は獅子に捕まってしまった。惨い仕打ちだ。スリザリンでも目を逸らすに違いない。

 兎にも角にも彼の「バレンタインくれる」に当枠するもっと鮮明な記憶が必要である。無い心当たりを探るべくリランは必死に脳みそを回した。

 バレンタイン当日はハーマイオニーが女子寮へ脱兎のごとく駆けたその隙に逃げ出した。その後は誰にも会っていない。ということは翌日の土曜日だろうか。

 快晴だった為リランは中庭で読書をしていたのだが、そこかしこに成立ホヤホヤであろうカップル共が湧き、虚しさと忌々しさに耐えかね退散しようとしたのだが、邪魔が入った。

 

(あぁ、そうだ。フレッドとハーマイオニーがやってきたのだったか。ここで何かやらかしたな?)

 

 珍しい組み合わせの二人につい押し止められ会話をしたことを思い出した。彼らは月末のクィディッチについて話し合っていた。スネイプが審判を務める事について、贔屓されないのかだの、ジョージが驚きすぎて箒から落ちて泥を食っただのとリランを挟んで言葉を交わしていた。

 

 ———そうだ。そのときリランはアンリーからのチョコ菓子を手に持っていた

 

 ネビルにも与えたチョコだ。守護霊を呼び出す為に必要な幸福感を掴もうと持ち歩いていたのだ。

 そして、目敏く気づいたフレッドに面倒だからとチョコを渋々やった。ハーマイオニーにもだ。帰り際にはセドリックに会った。彼にも渡した。破局に対する慰めのつもりだった。

 

「……ジョージ、それは、土曜日の」

「……」

 

 返事を聞かずとも不機嫌そうな顔を見れば十分だった。成る程、これは見事にジョージだけが仲間外れである。自分は意図せずに可哀そうな事をしてしまったらしい。

 点と点が繋がり漸く合点がいったリランであるが、同時にジョージの言動に対する疑問が湧いてきた。

 

(いくら寂しいからって、『友人』からチョコが貰えなかっただけで、こんなに人を追い詰めるものなのか?)

 

「その、ジョージ」

「……? ……!? は、オレ、エ、なん!?」

 

 リランが声をかけきらないうちに、ジョージも自身の不自然さに気づいたらしい。釣り上がっていた碧眼を丸々と見開くと、珍妙な声をあげて椅子から瞬時に飛び退いた。

 腑抜けた沈黙がリランとジョージの間を通り過ぎる。カチカチと規則的な時計の秒針だけが、唯一動じていなかった。

 跳ね上がった姿勢のまま自身の手とリランを交互に見る姿に、先程の威圧感は微塵もない。忙しなく青くなったり白くなる顔は赤髪も合間って二日酔いした信号機のようだった。

 

「……あの、わざとではないんです。本当にごめんなさい」

「!? あ、うん、そ、ソウダネ」

「お詫びと言ってはなんですが、コレどうぞ。試合応援してます」

「は、……ありがとうございます?」

 

 一言でリランの心情を表すならば、「何が何だか」が一番適切だろう。

 よく分からない拗ね方をする子供に付き合う暇などリランは持ち合わせていない。持ってるのはせいぜい皮肉とキャラメル一粒くらいである。

 リランは挙動不審なジョージの掌に無理矢理それを握らせた。

 昼食時に出たちょっとした菓子だ。何の意味も他意もないが、貰えるだけマシだと思って欲しい。こちとら言われのない罪で無駄に緊張させられたのだ。身に覚えのない何かで責め立てられるほど気分の悪いものはない。

 

「では、これで失礼しますね。遅れましたが、ハッピーバレンタイン」

「ハッピーバレンタイン……?」

 

 本当は呪いの一つでもくらわせてやりたかったが、先の醜態と顔芸に免じて勘弁してやることにした。日陰物気質を極め切った卑しい男はどんな時でもカースト上位者の失態を見過ごさないのだ。

 言動がブラッジャー野郎な人間クソ爆弾にも、異性との触れ合いに対する気恥ずかしさは存在していたらしい。流石はローティーン、まだまだ夢みがちな年頃(チェリー)だ。

 もっと揶揄いたい気持ちもあったが、コレ以上美少女との戯れを許してやるのも癪であると、リランは立ち上がり振り返ることなく廊下へ向かった。

 思わぬことで面白いものが見られたが、危うく13階段を登ったバレンタインのようにリランもまた殺されかけるところだった。呆れたプラマイゼロ理論である。

 どちらにせよ、バレンタインなんてクソ食らえ、つくづくその一言に尽きた。

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 さて、様々な珍事はあれど季節の巡りは早いもので、本日はクィディッチ首位決定戦である。

 多くの生徒が待ちに待ったハッフルパフ対グリフィンドールの戦いは、昼過ぎというのもあり、観戦席の殆どが満員に近い。

 陽気なカナリアイエローと強烈なスカーレットがそれぞれ競うようにひしめき合い、視覚的にも大変騒がしい限りであるが、その中でも一際に目立つのはハッフルパフが掲げた横断幕だった。

 

Gryffindor goes out like a lamb(グリフィンドールは子羊のように去っていく)……ねぇ……)

 

 三月のライオンのオマージュだろうか、随分と苛烈な煽りである。これほど露骨に荒れたハッフルパフは初めて見た。

 やはり温厚な寮と言えども、優勝杯を七年近くもスリザリンに取られっぱなしだったことがよほどの屈辱だったのだろう。優しい人ほど怒らせると手に負えないのだ。

 誰が考えたのかは知らないが、好戦的なけしかけを目にしたリランは少々気まずくなってしまった。両者が目の敵にするスリザリンである自分が、どちらにも肩入れしないと宣いつつも、グリフィンドールの客席で傍観しているというのは結構な挑発ではないだろうか。

 本当ならリランは今日の試合は見るつもりがなかった。この試合自体、記憶にもあまり残っていないことに加えて、これ以上のハリー達との交流は避けるべきだと考えたからだ。

 リランの身のふりの方針は、ハリーにとって、時折りアドバイスをくれるヒロイン候補の先輩でいることだ。彼らの兄貴分であるウィーズリー双子を介して関わることが出来る絶妙な距離感と、不遇にもめげない憂いた高嶺の花であることを重視した立ち位置。

 以前にも述べた通り呪いとリランはゴムの紐で繋がっているようなもので、離れた分だけその反動が痛く残酷になる。関わっても死、関わらずとも死。いつ考えても不条理である。

 どうせ酷い目に会うならば最小限の負傷で済まして仕舞えばいいと、リランの眩い美貌と影のある風情を利用した、酷く自惚れた解決策を講じ続け約5ヶ月。順調そのものとは言い難いが、概ね上手くいっている。

 問題は、リランが若干絆され過ぎた気がすることだった。いや、確実に絆された。冬休みは思わぬ伏兵だった。その間隔を戻す為にも、大人しく守護霊の勉強をしようと思っていたのだ。

 しかし、またしてもセドリックと双子に応援を頼まれ逃げの選択肢を失ってしまった。同世代との付き合いがあってこその計画である。

 クリスマス前に避けまくった結果が、あの酷いバグの要因だとすれば断るのはリスクが優る。苦渋の末にいやいやと引き受け今に至たるのだ。

 

「いいこと、忘れちゃダメよロン。ロコモーター・モルティスよ」

「わかってるったら! ガミガミいうなよな」

「ねぇ、二人とも杖なんか持ってきて何をしてるの?」

 

 左隣から上がったハーマイオニーとロンのなんでもない! と言う大声にリランは内心で頭を抱えた。

 そうだ。部外者の自分がグリフィンドールの席にお邪魔をするとなれば知り合いが居て当然。しかし、隔てを置くと言って早々にハリー一行に絡まれるとは、とんでもなく意志薄弱だ。

 否、スネイプが本日の試合の審判を買って出たせいで、リランまで駆り出される事になったと言うのが正しい。ただの寮生の一人であるリランには何もできないというのに。

 バレンタインの後日、ハーマイオニーとフレッドが悩んでいたスネイプの審判問題は()()()()()()()()殆どなかった。

 ということは、その時のクィレルは何も出来なかったということ。おおかた、ダンブルドア辺りが観戦に来たのだろう。いくらスネイプがハリーを守る為の憎まれ役を演じようとも、臆病者の【クィレル】が圧倒的脅威の前で事を起こす筈がない。

 つまり、ハッフルパフの贔屓やハリーへの傷害を案じ、必死に足縛りの呪いを練習している彼らには申し訳ないがそんな可能性は百パーセントないのである。

 これは予備知識と自分自身であるからこその考察だ。リランが言えるわけもなく、結局もどかしさに苛まれたまま試合開始を待つしか出来なかった。

 なんでもないと下手くそな言い逃れを揃ってボヤきながら、首を振るハーマイオニー達とリランの温度差たるや、語るまでない。

 そのままなんとも言えない気持ちのまま眺めていると、訝しげな顔で二人を見つめていたネビルと目があった。

 本当に面倒なので軽く瞬きをしてやると、途端に色白の柔らかそうな肌をサッと赤らめアワアワと縮こまってしまった。リランのそれは図らずも言い訳の手助けになっていたらしく、ようやく三人の問答は終わった。

 

「ありがとうリラン、助かったわ。上手く誤魔化せたわ」

 

 ハーマイオニーの耳打ちに返事を返す前に、選手達がグラウンドに入場してきた。スタンド中に反響する湧き上がる歓声とがなる鳴り物の中で、ロンが嬉しそうに叫んだ。

 

「ハーマイオニー! ダンブルドアだ! スネイプを見ろよ、あんなに意地の悪い顔をしてる!!」

 

 リランの予想通りだった。長い銀の髭を撫でるダンブルドアと側にいるクィレルの姿にグッと苛立ちを堪える。案の定しっかりバッチリ監視されているではないか。

 よくぞあのザマで前世は成功したものだと、悪態をそのまま飲み込んだその時、試合開始のホイッスルと同時にロンの呻き声が聞こえた。

 

「あぁ、すまないねウィーズリー。気がつかなかったよ、ホラここはどこもかしこも赤いだろ?」

 

 撫でつけたプラチナブロンドに、冷えた薄いグレーの瞳。白く冴えた細い顔と嘲笑を浮かべる皮肉に歪んだ口元。

 何事かと振り向いたそこには、ドラコ・マルフォイが立っていた。

 

 ▼▽▼

 

 ハーマイオニー達の懸念は半分正解だったようで、スネイプは試合開始直後にも関わらず、グリフィンドールに何かと難癖をつけてはハッフルパフを贔屓していた。

 どうせなら、やりたい放題やりたいのだろうか。難儀というか普通に厄介な男である。これでは生徒に嫌われても文句は言えない。

 

「知ってるかい? グリフィンドールの選手は気の毒な人達ばかりが選ばれているんだ」

 

 丁度、スネイプが今度は何の理由もなくハッフルパフにペナルティー・シュートを与えた時だった。スタンドに腰掛けたマルフォイが聞こえよがしに嫌味を投げてきた。

 スリザリンの厄介な男はもう一人いた。グリフィンドールの面々はマルフォイの挑発に苛立ち素振りを見せつつも、試合に集中しているらしく一切応じなかった。特にハーマイオニーは空を旋回するハリーに夢中で一言も言葉を発さない。

 

「ポッターは両親がいないし、ウィーズリー一家はお金がない。ロングボトム、君もチームに入ったらどうだい? 脳みそがないんだから」

 

 誰も反応しないのが面白くないのか、マルフォイは子分のいかにも愚鈍そうな少年達——クラッブとゴイルだったか、どちらかは正直区別がつかない——と共にせせら笑いながら中傷してくる。

 が、不思議とリランに対しては何も暴言を吐かず、反抗的な目で睨んでくるだけだった。

 

(フンッ、痛くも痒くもないな)

 

 リランははっきり言ってマルフォイに全く興味がなかった。関わりと言えばせいぜい、ハロウィーンの騒動で噛みついてきた際にハリーの闘争心に火をつけた戦犯と知った怒りをそのままぶつけた程度だった。

 入学式の後にも何か言われた気がするが、リランの出生に対する嫌味は彼以外のスリザリン生からも吐いて捨てるほどぶつけられているので一々覚えていない。つまりマルフォイはその程度の存在だった。

 むしろホグワーツの理事である父親のルシウス・マルフォイの方を恐れていた。穢れた血を排除せんと強制退学なんぞを命じられるかと思ったのだが、ダンブルドアがいる以上強くは出れないらしく、3年経った今でも何の嫌がらせもない。

 理事の立場であるからこそリランの有能ぶりを間近で感じ取ったのか、人知れずダンブルドアがリランにかかる火の粉を振り払っているのかは分からない。

 いずれにせよ、今まで闇の帝王だの、サド義父母だの、クソポルターガイストだのを相手にしてきたリランは、前菜程度の脅し文句にビビった挙句、陰から罵ることしかできない額が七光りした貧相な小蛇なぞ全く怖くないのである。

 しかしながら、これは経験を得た大人だからこその意見だった。

 いかに相手の格が低くとも、自分にぶつけられた暴言が少しでも名誉をかすめたのなら、黙って受け流してはいけない。

 十代の多感な時期には逆に不健全ではないかとリランは思うのだ。

 ネビルは座ったまま後ろを振り返り、正面きってマルフォイに言い放った。

 

「マ、マルフォイッ、ぼ、僕……僕には、君が何人束になってもかなわないくらいに素晴らしい価値があるんだ!!」

 

 リランの好きな大福のようにふにふにした顔は真っ赤に染まっていたが、瞳は怯えつつも決して逃げ腰ではなかった。

 

(よ〜く言ったァ!! よく言ったな、いいぞロングボトム!!)

 

 マルフォイもクラッブもゴイルも笑い転げていたが、リランは彼らを笑い飛ばした。とんだブーメランと言われて仕舞えばそれまでだが、どんな事情やしがらみがあろうとも、人を罵ることでしか上に立てない奴は所詮、その程度なのだ。

 ロンも試合から目を離す余裕がないながらも「いいぞネビル、もっと言ってやれ!!」と声を張り上げた。ハーマイオニーも指を十字架に組みコクリと力強く頷いていた。

 

「ハッ、ロングボトム! 君は脳みそが金で出来ているに違いないね。君はウィーズリーより貧乏だ。つまり生半可な貧乏じゃないってことさ」

 

 よくもまあ、回る舌と頭だ。咄嗟にアルフォンス・ドーデが出るあたり腐っても貴族らしく教養には富んでいるらしい。

 ハッフルパフの弾幕といい、存外マグルのマザーグースや書物は魔法族に広まっているようだ。シカンダー教授が喜びそうである。

 それにしても意外だ。純血主義を掲げるわりに、『黄金の脳を持つ男』を——フランス人のマグルが書いた怪談だ——読み聞かせるだなんて、それこそ寓話的に思う。

 リランも読んだことがある。屋敷に囚われていた頃、マリア・メンターに読み聞かせられたのだ。悪趣味な女の私物に教訓を語る本があることもまた、寓話染みている。

 話の内容は至ってシンプルな因果応報的ものだ。

 黄金の脳を持って生まれた男が、実の親にたかられ友に裏切られ、阿呆な女に恋焦がれ、どんどんと脳みそを失い、最後は虚しく命を落とす。

 黄金は自分を形作るものの比喩、知識や感情、感動、記憶だろう。易々と他人に明け渡すなといった説教は妙に身につまされる話だったのでよく覚えている。そう、本当に記憶というものは———

 

「え」

 

 刹那、リランの背筋が凍った。

 血管がギュッと引き締まり、グラグラと視界が揺らぎだす。耳の奥で心拍が轟き、胃が勢いよく競り上げ、冷や汗が全身をつたった。

 ハーマイオニーが立ち上がり、マルフォイが何か叫んだようだが、リランは全く気づかなかった。

 目の前を急降下する紅の閃光をリランはただ見つめることしかできなかった。

 空をかける流星のごとく、飛沫を上げた今までの情景が弾け回り、身体の芯を揺さぶる。

 ぐるぐる、

 

『クィレルを怪しんだスネイプが自ら監督を買って出た試合だった筈だ。閏年だったこともあり、朧げな記憶の中でも鮮明な出来事だった』

 

 ぐるぐる、

 

『ハーマイオニーとフレッドが悩んでいたスネイプの審判問題はリランの記憶には殆どなかった』

 

 酩酊、

 ———クィディッチ初戦、かつてのクィレルはハーマイオニー・グレンジャーに薙ぎ倒されたか? 

 酩酊、

 ———違う。スネイプのローブに青い炎がついたのだ。燃え盛って、目を離して、

 酩酊、

 ———クリスマスに抜け出したハリー・ポッターは図書館に忍び込んで、廊下で自分はスネイプに詰め寄られ、そして、何かにスネイプは手を伸ばして、

 ……矛盾。

()()は圧倒的な、どうしようもないほどの、禍々しいまでの矛盾だった。

 

「ッハァ」

 

『アネモネは押し花に最適です。きっといいものが作れますよ』

 

 吐き気に耐えきれず咄嗟に下を向いてしまう。嗚咽が喉を締め付け、脂汗がこめかみをつたった。

 嵐のような歓声もリランには水の中のようにくぐもり不鮮明だった。

 閉じた瞼の裏に、かつて見た、()()()()()()()凪いだようなクィレルの顔が浮かんでは霧散していく。

 くすんだ不健康な肌が、神経質そうな三白眼が、泣き出しそうな眼差しが……、

 

「————————」

 

 ……自分の顔の輪郭が急にぼやけてしまった? 

 違う、違う、違う!!! 自分の顔ではない。クィレルはクィレルであり、リランではない。

()()()()()()()()()は純粋な愛情を持っている。そうだ、そうだ。そうなのだ。

 疑うことすらなかった事実が覆った。疑うべきだったのだ。疑わねばならなかったのだ。

 今までも心当たりはあった筈だ。あった。確かにあった。何故見逃した? 何故気がつかなかった? 何故何故何故!!!! 

 知らない記憶、やけに朧げな記憶、あまりに粗雑な記憶の混沌(カオス)

 逆行とは、物事の順序に逆らった方向に進むことだ。

 しかし、既にリランの知る歴史と本来の歴史が混同している。

 リランが全てを知らなければ話は違った。歴史を変えた影響だと受け入れることが出来た。

 

『この世界が前世と違っていたとしても、過去の記憶と今の状況が全く噛み合っていない訳ではない』

 

()()()()()()()()。微塵も噛み合っていない。全て破綻してしまっている。めちゃくちゃに乱丁したシナリオだ。

 リランは知らないはずの記憶を、()()()()()()()()()()はずの記憶を当たり前に受け入れていた。当然のように、自分の記憶のように。

 その事実が酷く恐ろしくて堪らなかった。

 リラン本来の記憶がじわりじわりと蝕まれていたのだ。

 

『ここはお前のいた過去じゃあないんだぜ?』

 

脳みその奥で久しく聞いていなかった、憎らしい声が嗤っている。

 

『おい、ピーブズ! お前、私のことを揶揄っていたな? 意味深な適当を言いやがって!!』

『ンン? 何のことぉ? 朝からしかめっ面してさあ、美容に悪いんじゃない?』

 

 奴は否定をしなかった。肯定もしなかった。嘘ではない、からかいではない、空言ではない。

 

『———世の中には自らの脳で生きるしかなく、些細な日々を生きる心の糧を、自らのそのものとして欠くことができない人がいます』

 

『最も大切な大切な純金の粒で、つぐなうしかない人々がいるのです。つぐないは彼らにとって酷い苦しみです』

 

 マリアの歌うような声が、ピーブズのいやらしい囁きが、クィレルの平淡な吐露が、リランの心の奥を、丁寧に優しく無惨に引き摺り出す。

 

「……あぁ」

 

『———そうして、その耐え難い呵責の苦しみに疲れ切ると……』

 

リランは正しく、『黄金の脳をもつ男』だったのだ。





シカンダー:恋愛煩。出番はもうない。

ジョージ:爆弾坊。思春期。キャラメルは大事に食べた

マルフォイ:乱坊々。散々な言われようだが、お勉強ができる為に、criticalを打った

ネビル:忘れん坊。可愛い。頑張ったね!!

リラン:錯乱忘。そ れ ど こ ろ で は な い!!!!!!!!


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【26】That’s The Badger…Just a sec(その通り、いやちょっとまて)⁉︎

 ———物体を構成する部品の全てを、一つ残らず新しいものに置き換えたとき、過去の()()と現在のそれは同じであると言えるのだろうか。

 

 ギリシャ神話から由来する『テセウスの船』というパラドックスがある。

 テセウスは激しい戦いの末、怪物ミノタウロスに勝利した。人々は栄光を讃え、彼が乗っていた船を後世に残そうとしたが、肝心の船はどこもかしこも朽ち果て、とても持ちそうにはなかった。

 人々は考えた。もしも船を修繕してしまえば、『英雄の船』という本来の価値が失われてしまうのではないかと。

 矛盾じみた存在意義の問いは大変難しいものだった。多くの者が悩み、頭を捻った。現在でも完全に分からずじまい、という訳ではないが、それでもすぐに答えられる者は中々居ない。

 人類にとって幸いだったのは、紀元前三〇〇年の時代に、かの有名なギリシャの哲学者であるアリストテレスが見解を示していることだろう。

 アリストテレスは『テセウスの船』について議論を交わす、弟子デメトリウスと()の哲学者達に事の要因を形相、質料、起動、目的の四つに分けて考える『四原因説』を提言した。

 すると彼らは、質料因、すなわち船の構成部品だけが違っていることに気がついた。一周まわっただけのように思えるが、このアイデンティティの判断基準が議論において重要であると判明したのである。

 そうしてデメトリウス達は、過去の賢人ヘラクレイトスの『ヘラクレイトスの川』という、同じく同一性を問いた論理も用いて結論を出した。

 川の水が流れ新たな水に変じようとも、川そのものの名に影響するわけではない。同じようにこの世の全ては生々流転であり、中身が変わろうともその本質の客観的な認識は変わらないと定義づけたのだ。

 そう小難しいことではない。人間や生命、自分自体が身近な例だ。

 人間の細胞は約七年間で入れ替わり、どんなに生命力の強いものでも十年は持たないという。しかし記憶や心、そして魂は不可視であり不変だ。

 それ故に、皆一度は自己愛を拗らせたモラトリアムに陥り、自分が何者であるなどと突飛に疑えど、結局は自己存在そのものを否定せずに生きている。

 ただしそれは、己を己であるとたらしめる理由が()()であった場合のみに成立する。

 

「———ッ、ハァ、ッ」

 

 リランは違った。()()()()()()()()()。理に反しているのだ。

【クィレル】が呪いから一時的に逃げおおせられた理由は、一切関係のない少女の肉体に魂が成ったからである。

 この時点で、【クィレル】とリランの形相因(姿や形)は異なり、同時に肉体自体は呪われていないことから質料因(材質)も否定された。

 また、【クィレル】はアイルランド人のマグルの母とイギリス人の魔法使いの父の間に産まれた。リランの産みの親は南イングランドに住むイギリス人のマグルであり、もっというなら一度ピーブズに魂を飲まれている。起動因(誰がどのように)は根本から切り崩された。

 目的因(何の為に)などこちらが聞きたいくらいだ。何故この世に存在しているのかなんて、生きているのかだなんて、自分自身ですら理解不能だと言うのに。

 ……もう()()ではない。

 リランは既に、不変でなければならなかった記憶と魂(アイデンティティ)を消失してしまった。

 クリスマスイブの夜、リランは言った。

 クィレルの犯した罪であるのに何故同情せねばならないと。

 自業自得を悔やむ資格はなく、無様な行く末を哀れむ余地などないと。

 正しくその通りだった。罪も業も文字通りリランのものではなかったのだから。 

 今思えば、なんて烏滸がましいのだろう。

クィレル(リラン)】はクィレルではなかったというのに、【クィレル(リラン)】こそ生きた屍であるというのに。

 ……モラトリアムは誰にでも訪れる『大人になる為の猶予期間』だ。

 うろうろと彷徨う者や、もがき苦しむ者、ダラダラと躊躇する者、人それぞれに子供と大人の境を歩み、アイデンティティを見つける。

 人格形成において重要なのは拗らせた期間の長さではなくその密度と質である。

 ねじ曲がったまま大人になり、最期を迎え損ねた承認欲求の燃えかす(リラン)が、()()である筈がない。

 リランは激しい動揺の理由に気づいてしまった。

 理想の自分を盾に過去を罵りながらも、無意識の底ではクィレルでありたかったのだ。

 

 クィレルのままで自分をやり直したかったのだ。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「やった! ハリーが勝った……私たちの勝ちよ! グリフィンドールが首位に立ったわ!」

 

 リランがゆっくりと顔を上げたその時、左半身に何かが突撃してきた。ハーマイオニーが感極まって飛びついてきたのだ。

 いつの間にか試合は終わっていたらしい。狂喜するグリフィンドール生達を、ハーマイオニーに揺さぶられるままリランはただ無感動に見つめた。

 先程までの強烈な吐き気は嘘のように引いていた。少しばかり目の奥が痛む気がするが、全てがのっぺりと鈍間なように感じる。

 左右に揺れる視界に、遅れて頭痛が始まる。どうにも五感の類いが他人事だった。

 

「信じられないわ! こんなに早くスニッチを捕まえるなんて、5分もたってい、ないの、に……? リラン、?」

「ックラッブ、ゴイル!! ウィーズリーをぶちのめせッ!!」

 

 ハーマイオニーの声が不意に萎んだ途端、間髪いれずマルフォイが噛み付き遮った。昂った鋭い声に鼓膜がジンと痺れる。

 何があったのか、ブロンドの髪はどこもかしこも埃塗れで、怒りに歪んだ目には青あざをクッキリとこしらえていた。

 

「も゛う一発くらいだいか負け犬め! とっどと失せろ!」

 

 スタンドから立ち上がったロンが鼻血をダラダラと流しながら、濁点混じりの啖呵をきった。マルフォイと同じくらいボロボロで、肩には気絶しているネビルを背負っている。

 

「フンッ、その様でかい?」

 

 マルフォイが鼻で笑った。威勢は良いがどう見ても手下達相手(クラッブゴイル)に軍牌が上がっている。

 一触即発の雰囲気に、状況を飲み込めていないらしいハーマイオニーがリランの手を握ってくる。困惑した顔と揺らぐ茶色の瞳にようやくリランの琴線が揺らいだ。

 そうだ。どんなに絶望していようとも、優しいリランの仮面を外すわけにはいかない。

 リランにとっては偽りの人格でも彼女達には真実なのだから。

 

「ハーマイオニー、さん」

 

 リランはハーマイオニーの手を軽く握り返すと、空いた右手でゆっくりと頭を撫でた。

 リランに成って、初めて本当の意味で優しく人に触れた瞬間だった。

 

「、リランッ、あなた」

 

 栗色の髪からそっと手を放す。カタカタと震える指先、妙に気抜けた思考回路。だが、魔力は不思議と漲っていた。

 溢しかけた苦笑を飲み込むと、リランは静かに杖を取り出した。

 フワフワと覚束ない意識を半ば無理矢理に手繰りよせ、無言のまま山なりに杖を振り下ろす。

 

イモビラス(動くな)

 

 微かに揺れた杖先から青紫のストロボが勢いよく二発飛び出し、バキバキと拳を鳴らすクラッブとゴイルにそれぞれが命中した。

 

「オワッ!!」

「なんだと、っ!?」

 

 何かに縛られたように静止した二人に、マルフォイとロンは揃って振り返ったが、まるで正反対の感情に目を細めている。

 その拍子に、リランの視界がくらり、と一瞬傾いた。

 

「ッッ、覚えていろよウィーズリー!」

 

 不利を悟ったマルフォイは屈辱に顔を歪め、憎々しげに一瞥すると、手下を置き去りにスタンドを去っていった。

 

 ———なんとか、上手くいった

 

「〜〜〜ッリラ゛ン〜!! 君っでば最高だぜー!」

 

 ネビルを振り落とさんばかりに喜び踊りながらロンが近寄ってくる。

 笑顔は返せているだろうかと、リランは無意識に止めていた呼吸をゆっくりと吐き出した。

 寒い。凍えそうなほどの寒気に全身の産毛が逆立つが、気色の悪いことに身体の芯が裂けそうなほど血が熱く蠢いている。

 吸って、吐いて、また吸って。ふらつかないように椅子に手を押し付け、両足をぐっと踏ん張らせるが俄然、自由がきかない。

 

「リラン!? 顔が真っ青よ、やっぱり」

 

(あ、れ、体が、うまく)

 

 世界が斜めに落ち込み、ハーマイオニーの泣き出しそうな顔が目の端に映り込む。

 直後、ブレーカーを落としたようにリランの意識はブツリと途切れてしまった。

 

 

 ▼▽▼

 

 

「……ぁ……、?」

 

 眼裏(まなうら)に浮かんだオレンジ色に誘われるまま、リランは睫毛を振るわせた。

 ぬかるんだ意識がのんびりと状況を咀嚼する。頬への柔らかな感触、鼻につく薬の匂い、身体の気怠さと疼く熱っぽさ。

 

(私、熱が……倒れ、それで医務、室に、ックソ)

 

 順繰りに記憶を辿り終わった途端に、刺すような痛みが脳みそを揺さぶった。思わず眉間に力が入るが、反動で更に悪化する。

 一度体調の悪さを自覚してしまうと、もうどうしようもなかった。今やスプリングの軋む些細な音さえ耳障りで仕方がない。

 瞬きをするごとに増していく不快感をやり過ごそうと、なんとか首を傾けたときだった。誰かの話す声と気配が徐々に近づいてくる。

 

「いいですか、十五分きっかりですからね。まだ彼女は安静にしなければなりませんから」

「はい、勿論です先生……」

「……セド、リック?」

 

 零れ落ちたリランの声に、スクリーン越しのシルエットがビャッと飛び跳ねた。なにやら慌てた様子で右往左往したかと思えば、数秒後にマダム・ポンフリーを連れて戻ってきた。

 

「起きましたか? あぁ、まだ熱が少しありますね、喉は痛いですか? 結構、この薬をお飲みなさい」

 

 カーテンが開き、水差しと薬のボトルを抱えたマダム・ポンフリーがベッドを覗き込んできた。彼女は心配そうな顔のまま、しかし非常にテキパキとリランの容態を確認し始める。

 リランはされるがままだった。パジャマを取り替えられ——いつのまにか着ていた——、身体の汗を拭われ、杖を振るわれ、小匙の液体を流し込まれる。

 

「〜〜〜〜苦っ!?」

 

 強烈な苦酸っぱさに具合の悪さが一瞬吹っ飛び、口いっぱいに唾液が溜まる。

 きっと顔中がしわくちゃに歪んでいるに違いない。リランは吐き気と頭痛を堪えると、ほとんど気合いで飲み込んだ。

 この学校で唯一、リランの変顔を目撃したであろうマダム・ポンフリーは特別に反応することはなく、リランに氷のうを当てがい、セドリックに厳重に注意を施すとエプロンを翻して去っていった。

 

「やぁリラン。食べれそうなら、コレ、口直しにどうかな?」

「……お気遣いありがとうございます」

 

 葡萄の入った籠を持ち上げなから苦笑するセドリックに、リランは迷わず頷いた。良薬は口に苦しのことわざ通り、体はすっかり楽になっていた。

 

「君、突然倒れて、そのまま丸一日眠ってたんだよ。みんな心配してる。特にハーマイオニーが……ハイ、どうぞ」

「態々皮剥きまで……ありがとうございます」

 

 小皿に乗った葡萄を受け取ったリランは、セドリックとの会話に躊躇いを覚えていた。顔を、目を合わせることが酷く難しい。

 

(……あのまま、寝たフリをしていればよかったのに、ちくしょう。なまじ調子が戻ったせいで、クソ)

 

「……リラン、何かあったんだろ?」

「ッ!!」

 

 不安を見抜かれ、図星を突かれたことにリランの心がまた軋んだ。その通り、()()()()()。想像もしていないとんでもない何かだった。

 彼の真っ直ぐな目を見てしまったら、慰められてしまったら、何も知らない癖にと、自ら棚に上げて当たってしまいそうだった。

 

(優しく、するなよ)

 

 ひとえに、理不尽な感情を抑えられているのは、セドリックが相手だからだった。

 リランは知っている。彼の純粋さと優しさが本心であることを。彼は最初から誠実に友であったことを。

 

「……自分がわからなくなって、しまって」

 

 重く迫る暗雲からポツリと、並々と満たされたコップからタラリと、想いが、言葉が転がり出た。

 

「私らしさって、私が居る意味はなんだろうって……」

「好きだと言外に伝えられても、それは本当のクィレル()に対するものなのか、どうかもわからなくなって」

「っ、見栄なんです全部。一から理解しないと守護霊(魔法)も何も出来ないし、前世の矛盾(大事な事)も忘れてしまうし、少しも完璧じゃない」

「皆が信じてくれるリラン()クィレル()は正直に答えられていない気がして」

 

「———そんなことない!!」

 

 堰を切ったように溢れたリランの吐露は、出し切るほんの手前でセドリックに拒まれた。

 いつもの優しげなものとは違う、聞いたことのない切羽詰まった声色に、リランはシーツをギュッと握りしめた。

 

「そんな、そんな悲しいこと言わないでくれよ……!!」

 

 俯きながら絞り出された声は、酷く震えていた。今にも泣き出しそうなセドリックにかける言葉が分からず、ただ口を噤むことがしかできない。

 

「———この際だからハッキリ言わせてもらう。僕は君に理想なんかない」

「え? 、ッ!?」

 

 突如、温かい何かに顔が包まれ、柔らかな灰色の瞳にぶつかった。

 リランはセドリックの掌を頬に添えられたまま、文字通り真正面に向き合っていた。

 

「リランは寂しがり屋の癖にすぐ逃げようとするし、結構食いしんぼうだ。今みたいにに時々極端なこともある」

「……でも努力家で負けず嫌いなところも、とても優しくて感情的なのも知ってる」

 

 セドリックの眼差しは、聞き分けのない子供を見るもので、しかしそれ以上に慈愛に満ちた穏やかさだった。

 

「僕はねリラン。そのままの君を、僕の友達を信じてるよ」

「———ッッ!!」

 

 稲妻に打たれた気分だった。陽光の煌めきが、砕けた心の氷に反射しながらリランの、クィレルの瞳の中に舞い上がった。

 心地の良い既視感。だが、クリスマス(あの時)よりも荒々しく、無茶苦茶だ。

 胸の奥が激しく軋み、滲み出した熱い奔流がつま先から巡り喉元から迫り上げてくる。

 リランは今まで見て見ぬフリをして振り払っていた、不慣れな感情の正体を理解した。

 

(やり直したかった。クィレルのままで、ありのままで、セドリックに、友達に受け入れて欲しかった)

 

 セドリックが述べた『リランの悪癖』は、リランとして取り繕うことが出来なかった綻びで、クィレルの名残りで、テセウスの船だったのだ。

 

「っ、セドリック、ありがとう」

 

 真実、心からの言葉だった。嵐がさった後の清々しさに久方ぶりに肩の力が抜けた。

 

(結局は、振り出しに戻っただけ……何も解決はしていない。でも、それでもコレで良い)

 

 この気づきは無駄ではない。デメトリウス達が交わし合った議論のように、大切で重要な黄金の粒を見つけられたのだ。

 

 ……それからリランはセドリックと沢山の話をした。

 全て本音ではないけれど、精一杯なるべく正直に感じたまま想いを紡いだ。セドリックには本当に誠実でありたかった。

 アンリーから預かったというチョコ菓子——バレンタインの時と同じだ——を受け取り、はたまた試合の結果を慰めたり、この先の試験について話したり、と会話は弾んだ。そしてその中で、いくつかの意外な事実も判明したのである。

 例えば、スネイプが倒れたリランを医務室に運ぶ程度には自分を気にかけていたことや、あの苛烈な横断幕を考えたのはセドリックだったということだ。

 

「ちょっとライオンを落ち着かせたくてね、負けちゃったけど、結果的に正解だった見たいだし」

 

(ラ、ライオン?? 一体何が?)

 

 リランが尋ねる前に、そろそろ時間だとセドリックは笑いながら立ち上がったので、会話は打ち止め、お開きになってしまった。

 

「それじゃ、お大事に。あ、忘れるところだった! コレ、体調が落ち着いたら読んでね」

 

 葡萄の入っていた籠の中から、セドリックがいくつかのカードを渡してきた。暖色の派手な色味のものは双子とパーシー。サックスブルーはハリーとロンから。たんぽぽ色はハーマイオニーとネビル。そして、ミント色のセドリック。それぞれからのお見舞いだった。

 

「うん、コレで寂しくないね。じゃあ、今度こ、」

「ディゴリー!! エアクイル!! 時間厳守です!!」

 

 天井のシャンデリアを揺るがすマダム・ポンフリーの怒号に、セドリックとリランは二人揃ってビャッと肩を跳ね上げた。

 ソロリとお互いに顔を見合わせ、同時に苦笑する。

 全く締まらない、しかし、素敵な友情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春も半ば、イースター休暇まで僅かという麗らかな金曜日。

 

(何が『素敵な友情だった』だこの野郎ォ!!!!!!!)

 

 リランは今までの傷心はどこへやったと言われんばかりに、内心口汚く下衆に荒れていた。

 鼻息荒く向かう先は、めでたくマダム・ピンスの監視網が落ち着いた図書館であるが、今日は守護霊の勉強ではなく息抜きを兼ねた別途だった。

 

 今週をもって期末試験まで十週間を切ったのである。息抜きになっていない? 腐っても一度N.E.W.T(イモリ)試験を合格し、教職に着いた身からすると苦でもなんでもない。

 むしろ、三年生の勉学は余裕でパスできる難易度で、頭を回しつつ一息つくのに丁度良い塩梅なのだ。

 

(そんなことよりもだ!!! 守護霊は一瞬も出てこないし、腐れポルターガイストは全く顔ださねーし、スネイプは順調に誤解されてるし、クィレルはヘタレてアピールしてこねぇーし!!!)

 

 いや、しなくていいんだって!! と、リランはブンブンと頭を振った。あのハゲ野郎のアプローチは変わり映えのない鬱陶しさで、遠回りで、大変めんどくさいのである。

 リランが退院する日に、隠すように枕元に添えられていたデイジーも恐らくクィレルの仕業だろう。

 妖精か。さっさと告白してくれば思いっきりフッてやれるのに、気持ち悪さも大概にしてくれないだろうか。

 態度をどうにかして欲しいといえばスネイプもそうだ。相変わらずハリーを守るとはいえやり方が不器用というか、あまりにもおざなりすぎで逆に態とらしい。

 あまりに悪役がハマりすぎているせいで、子供達がものの見事にミスリードにかけられている。

 天職か。どうせ嫌な奴になるならば、ことあるごとにクィレルに優しく接するハリーとロンの奇行を止めてはくれないだろうか。善意が見ていてキツいのだ。

 普通に考えて、11歳に励まされる22歳(ハゲ・童貞・ロリコン・後頭部に闇の帝王)の絵面を目撃したら酷い以外の感想が出ないだろう。何故誰も止めない。リランがおかしいのか、この世界のクィレルが舐められ過ぎなのか。

 

「ハァ———……」

 

 深く深く吐き出した自身のため息に、リランは溺れそうだった。

 三月は、拗らせから抜け出し切れていなかったことによる黒歴史に始まり、リランにとって色んな意味で居た堪れない日々だったのだ。

 耳元でライオンの咆哮をぶつけられたようなスタートに鼓膜が劈けそうになったと言っても過言ではない。

 リランは、セドリックの前で曝け出したあれやそれを素直に美談として片付ける事を良しとしなかった。

『開き直ったように見えて、その実未練タラタラでした』というリランと【クィレル】の本音を、格好をつけずにそのまま受け止め、悶える事が大切だと思ったからだ。

 その代償がこの荒みっぷりなのだが、精神疲労と侮る事なかれ。セドリックという奇跡の権化のような友人を得ても、恥ずかしい過去に削れるものは削れるし、人は羞恥にベッドの上で声無き声を上げる。

 リランはマフリアート(耳塞ぎ)シレンシオ(沈黙呪文)に心の底から感謝し、オブリビエイト(忘却術)の使用を何度か本気で検討した。

 本当に恥ずかしかったが、不思議とスッキリした気分だった。募りに積もった感情の塊に、リランはかなり追い詰められていたらしい。

 

(イースター休暇に入れば、クィレルはハグリッドから三頭犬のたぶらかし方を聞き出す為にドラゴンを手に入れる筈だ。そこにハリー達が首を突っ込んで、大量減点。禁じられた森の罰則でユニコーンを殺しているところを目撃されて、()()()なケンタウロスに邪魔立てされる)

 

 これ以上の矛盾がなければ、ハリーの掌にかけられた不思議な呪文によりクィレルの顔は焼け爛れ、そのまま灰になって崩れ死ぬ

【クィレル】がユニコーンを殺し血を飲み始めたのは、四月の半ばであるが、記憶の矛盾と改竄がわかった今、もうアテにしない方が得策だろう。

 いずれにせよ、呪い殺されること自体に変わりはないのだから。

 

「ハァ……ん?」

 

 嫌な最期だと再びため息をこぼしかけたリランの頭上を、キラキラ光る赤色の何かが通過した。

 目で追いかけたそれは、透き通った四枚の羽と大きな複眼をもったトンボだった。季節外れの燃えるような色合いが、鈍色の空によく映えている。

 悠々と暫く空を泳いでいた赤トンボは、やがてリランの前に降りてくると二、三回身を震わせ、ポンッと軽快な音を立てて羊皮紙に変身した。オレンジの星形の煙が宙に霧散する。

 

「え、何、……『ヘイ、リラン!!』……ウィーズリー?」

 

 突然の変身術に戸惑いながらも手に取ったそれは、暫く話していなかった双子からの手紙だった。一巻き分くらいある。どちらが書いたのか、やけにガチャガチャした文章だった。

 要約すると、『もう直ぐ母の日である為贈り物をしたいが、女性であるリランの意見が欲しい』ことと『試験勉強の為の勉強会に来て欲しい』とのことだった。

 

「ご丁寧に日付の指定までねぇ……参加者はセドリックに、リー・ジョーダン。いや、流石に明日は無理。四日は自分で使いたいし、十一日か」

 

 リランが四月十一日の土曜日に丸印をつけると、羊皮紙は再びトンボに戻り、一度、複眼を七色に煌めかせるとどこかへ飛び去っていった。手の込んだことをする双子である。

 ユニコーン殺しの大罪人が同級生と勉強会とは、中々に不可解なものであるが、フラッシュバックする黒歴史に一人延々と耐え続けるのにも限界が来た。

 リー・ジョーダンとは殆ど話したことがないが、セドリックも居るのであれば安心だ。双子も多分余計なことはしないだろう。

 羞恥心はまだ燻っているが、やはり持つべきものはハッフルパフの友達だなと、リランは妙な言えない気持ちのまま一つ瞬きをした。

 

「……そういえば、もうすぐアイツらの誕生日だっけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼▽▼▽▼▽▼▽▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、その万年筆使ってくれてるんですね……!」

「モチロン! すげぇ使いやすいぜ、なジョージ?」

「ん? あぁ、ウン。そうだな、ありがとうリラン!」

 

 ———いや、あからさまだよ君

 

 セドリックは飛び出しそうになった言葉をグッと飲み込んだ。

 図書館の片隅にて開かれていた期末試験の勉強会は、フレッドが取り出した赤い万年筆によって一時中断された。

 どうやら、先週の水曜日にあった双子の誕生日にリランが贈ったものらしい。通りでリランが嬉しげで、ジョージがボーッとしているワケだ。

 

「それにしても宿題が多すぎるよマジで。リランの万年筆があっても一生終わる気がしない」

「色変わり、文字翻訳、計算機能、辞書付きって、いやエアクイル凄いな!?」

「それだけじゃないぜ、リランはセンスもいいんだ。ママも僕たちのアルバムに喜んでたぜ!」

「いや、本当にエアクイル凄いな!?」

「リランでいいですよ。リー・ジョーダンくん」

「リーって呼んでよ、リラン!」

 

(良かったねリラン……!!!!)

 

 背伸びをしながらボヤいたフレッドを皮切りに、それぞれが休憩に入った。リーの純粋な賛辞に微笑むリランは、控えめだが本当に嬉しそうで心が温かくなる。

 セドリックは年末のパーティー以来、どこか上の空でいつにも増して浮世離れしたリランの雰囲気が心配だった。

 スリザリンに心無い言葉を言われたのか、それとも双子のどちらかの調子に乗りすぎたイタズラにまた悩まされているのか。

 もしイタズラならば、今度の首位決定戦でやり返してやろうと意気込んだ。別れた彼女に未練はないが、フラれ弄りも腹に据えかねていたことに加えて、少し確かめたいことがあったのだ。

 どちらにせよ思いっきり煽りまくろうと決めたセドリックは、友人の手を借りながら巨大な横断幕を完成させた。リランと双子の度肝を抜いた顔を想像しただけで、面白可笑しかった。

 ……どことなく気がかりに思いながらもクィディッチの練習に勤しんでいたのが悪かったのか。

 負けの悔しさを噛み締めていたセドリックは、ふとグラウンドではしゃぐグリフィンドール生越しに見えた、がらんどうのスタンドに釘付けになった。

 背の高い真っ黒い出立ちの佇まいに、ヒュッと息が詰まる。

 

 ⦅スネイプ先生が、誰が担架に乗せている? 一体なぜ、あの人が……ッ!!!! ⦆

 

 考えるまでもなかった。試合前に双子と言い合ったではないか、リランはグリフィンドールの応援席にいたのだ。

 ミーティングを終わらせチームメイトを慰め、慌てて城の中に入った時、中庭に差し掛かる手前でハーマイオニーとロンを見つけた。

 

『ッハーマイオニー!! リランが倒れたって、大丈夫なのかい!?』

『!! セドリック、リ、リランが! リランの手がすごく冷たくて、私気付いてたのに何もできなくて』

『マルフォイが喧嘩を売ってきたんだ。それでクラッブとゴイルに殴られそうになったところをリランが助けてくれて……! でも、限界だったみたいで、魔法を使った後にそのまま倒れちゃって』

『……何か思い詰めてるみたいだったわ、凄く顔色が悪くてっ』

 

 詳しいことはわからないが、顔中が血まみれのロンとほとんど泣いているハーマイオニーを責める気など起きるはずもない。二人ともすっかり憔悴しきり、その場の混乱が目に見えるようだった。

 

『セドリック? 、あ、ロン! ハーマイオニー!!』

『!! ……教えてくれてありがとう、君たちは何も悪くないよ。じゃあ、僕はこれで』

 

 自責の念にかられていたセドリックは、背後からハリーが現れたことをきっかけにその場を退散した。向かう先は医務室だった。

 

 ⦅リラン、リラン、!! ⦆

 

 試合の疲れも忘れてセドリックは南棟に走った。医務室へのあと一つの曲がり角を疾走した時、お菓子を抱えた双子に出くわした。

 

『よぉ、セドリック! そんなに走ってどうし』

『それどころじゃない!! リランが倒れたんだ!!』

 

 片手を上げるフレッドをセドリックは遮った。丁度良い、二人にも話してしまおうと、ハーマイオニー達から聞いたことの顛末を余すことなく伝えた。

 

『マルフォイの野郎、次あったらただじゃおかねぇ……!!』

 

 二人の苛立ちは凄まじかった。特にジョージは持っていたパウンドケーキを握り潰すほどに怒り狂っていた。かなりの激情にセドリックの方が冷静になったくらいだった。

 リランに会えたのは翌日の昼過ぎだった。マダム・ポンフリーに頼み込み許可をもぎ取ったセドリックは恐る恐るリランのベッドに近づいた。

 

 自分の名を呼ぶ掠れ声に一年生の頃の記憶が蘇った。また自分は彼女に気遣われてしまったのだと、セドリックは泣きそうになった。

 そして、紆余曲折を得てセドリックはようやくリランの心に触れることができた。

 どうやら少々強引な方が彼女には効くらしく、現に、歪な防衛行動も少しばかり鳴りを顰めたようであった。

 だが、最もセドリックが驚いたことは彼女の悪癖に対してではない。リランとの付き合い方はゆっくりと向き合う長期戦だということは身をもって知っている為、今更であった。

 それよりも、ジョージがリランに対して行動を起こしていたことに仰天したのである。

 

『好きだと言外に伝えられても、それは本当の私に対するものなのか、どうかもわからなくなって』

 

 リランが告白されるのは今に始まった事ではない。厄介者扱いを受けつつも、しょっちゅう手紙をもらっているし、彼女はそれに辟易している。

 だからこそ、告白自体に嫌悪を抱いていないリランにセドリックは引っかかった。それはつまり、その告白した人物に対してリランがかなり気を許している相手からということではないだろうか。

 そして()()ということは、直接的ではないにせよ相手は何か行動を起こしている。愛を伝える日といえば、バレンタインという最高のイベントを外す者はいない。きっとその日に何かあったのだ。

 セドリックは殆ど確信に変わった疑念を再確認する為に、お見舞いの後、双子の元を訪れた。

 

『やぁ、フレッド、ジョージ! リランに会ってきたよ』

『どうだった? 元気そう?』

『ちょっと疲れが溜まってたみたいで、色々話もしたよ。ああ、そうだ。もしカード以外にお見舞いを渡すつもりならチョコはやめておいた方がいい。アンリーから貰ってる』

 

 セドリックは、リランが告白じみた行為に戸惑っているということは伏せて、リランが会話の中で一番反応していた、チョコレートに、いや恐らくはバレンタインについてそれとなく持ちかけてみたのだが……

 

「———そろそろイースターだろ? ハグリッドがハロウィーンのカボチャみたいなでっかいイースターエッグ作ってくんねぇかな」

「アー、そういやこの間やけにルンルンしながらブランデーの樽を担いでたぜ? きっとチョコレートボンボンでも作る気なんだよ」

「おいフレッド! それじゃあオレが食えないだろ!!」

「それならブランデーチョコじゃないですか? あ、でもただのチョコなら持ってますよ」

 

 ボヤいたリーに笑ったリランが鞄から取り出したチョコレート手渡すのをセドリックは殆ど呆れたまま眺めた。

 正確にはちゃっかりリランの右隣に座り、ジトっとリーの手元のチョコを見つめるジョージであったが。

 

(冗談のつもりの煽り文句だったのに、まさかホントに煽っちゃうだなんてさ……)

 

 セドリックはジョージのポンコツ具合にため息をつきたくなった。

 案の定ジョージはバレンタインに何かやらかしていたらしい。が、タチの悪いことに彼は全て無自覚である様子なのだ。

 年末パーティーからなんとなくは察していた。リランの世話をやく自分に対して、やんわりと突っかかってきたり、リランと自分が絡まないことに対しては少し語気が荒くなっていたり。

 

「セドリックも良ければどうぞ」

「ウン、アリガトウ……」

 

 リランもリランだ。もっと仲良くなろうとマグルの文化を勉強していたセドリックは知っている。

 もし、ジョージがマグルの間でバレンタインにチョコレートを渡す意味を知ったらどうなるだろうか。

 今だって、チョコとリランの顔をチラチラ見ている。聞き間違いでなければ、ジョージはキャラメルと呟いていたと思う。本当に二人の間で何があったというのだろうか。

 

(リラン、チョコの意味、絶対知らないだろうな……)

 

 リランの詳しいマグル界の事情は知らないがこれも多分予想通りだろう。セドリックは、もう、なんというか罪な女の子だねとしか言えなかった。

 とにかく、リランが元気であればそれでいい。割り切ることにしたセドリックは教科書と新しい羊皮紙を机に広げた。

 現実逃避よりも、目下優先すべきは試験勉強である。休みが明けたら課題の量はもっと大変になるだろう。

 

「よしっ!」

 

 三学期も終わりが近づいている。リランの懸命な努力のおかげか、スリザリンの得点は去年以上に(かさ)を増している。

 優勝杯を逃したことに悔しい気持ちが訳ではないが、腐らずリランを見習って最後まで頑張ろうと、セドリックは羽ペンを片手に決意を固めた。

 

 ———だが、セドリックは3週間後信じられない光景に目を向くことになった

 

「何だよ、コレ、……!?」

 

 後に一夜の悪魔と密かに語られる、グリフィンドールとスリザリンの大量減点であった。




リラン:漸くまことの友を得た為SAN値回復。暫く悶える。
セドリック:忍耐強く真実な奇跡の13歳。そりゃ彼女にフラれる。友情わからせアナグマ野郎。
ウィーズリ-:リランが倒れてびっくり。一名は本気で不整脈。
一年生:リランが倒れて心臓止まりかけた。減点で心臓止まった。

フォイフォイ:リラン特攻持ち&ヘイトが倍に。減点で心臓止まった。
スネイプ:ネビルとリランを魔法で運んでくれた。クラッブとゴイルはその場で解除して、二点減点した。

デイジー:誰が置いたのかな


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