終わりのリリィ 柊真昼、十六歳の転生(リインカーネーション) (志祈月織)
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鬼のショウジョ

終わりのセラフとアサルトリリィって親和性が高そう、と思い書き始めた小説です。
独自設定等ありますが、よろしくお願いします。


 

 それは、きっと恋だった。

 

 あなたに、そんな気がなかったのはわかっている。

 ありえないと、知っている。

 

 けど、私はあなたの、その言葉に救われた。

 

 深い闇の中で苦しんでいた。自分の意志などなく、世界とか、社会とか、運命とか、そんな見えないものに流されて、人形のように生きるしかなかった私を、あなたが救ってくれた。

 

 私と同じように、いや、私以上に苦しんでいたあなた。

 

 だけど、あなたは抗っていた。あなたは戦っていた。そんな姿に、私は恋焦がれた。

 

 だけど、あなたと私は結ばれることなどない。そんなこと、ありえない。

 きっと、誰もがそう言い、私を嗤うだろう。

 

 不本意ながら、私も同じ意見だ。

 

 あなたと私は、決して結ばれることなどない。想い人と結ばれないなど、それは絶望なのではないだろうか。

 

 けど、そんなことに、私は絶望しない。

 だって、絶望なんて感じないほど、私はあなたに焦がれていた。憧れや尊敬や、そんな絶望なんて吹き飛ばすほどの気持ちに溢れていた。

 

 だから、それは恋なのだ。一生に一度の、大恋愛だったのだ。

 

 だから、私は考えた。私を救ってくれたあなたを、今度は私が救うのだ。

 その方法を考えた。考えて、考えて、考え抜いた。

 

 私の想いを届けるために、あなたを絶望から救うために。

 

 それが、私の恋なのだ。

 

 私は、この恋に生きる。

 私は、この恋で身を焦がす。

 私は、この欲望に飲み込まれる。

 

 そして私は──

 

「あはっ」

 

 私は、鬼になった。

 

 

 

 

「いや、これはまいったね」

 

 天野天葉は、そう言葉をこぼした。

 

 三月も終わりに近づき、あと少しで進級するという時期だ。

 新学期からは正式に、二代目アールヴヘイムの主将に就任することも、江川樟美とシュッツエンゲルの契りを結ぶことも決まり、四月を今か今かと待つ日々だ。

 

 そんな時だ。二日前、一つの任務が天葉が与えられた。

 

 それは、百合ヶ丘女学院から少し離れた場所、そこでヒュージ反応があったというのだ。

 その場所は、今までヒュージの目撃例などなく、ヒュージネストからも離れた場所。ケイブの出現もないという場所だ。

 ヒュージ反応だって、極々短い時間にあったのみ。普通であれば、機器の故障や誤作動を疑うものだ。

 

 だけど、念には念を、ということで調査を行うこともあり、そこへ立候補したのが、天葉だった。

 

 なにせ、その場所とは、ちょっとばかり有名な観光地で、春休みを利用し小旅行をするのなら、絶好のスポットと言える。

 もちろん、調査を適当に行うつもりなどないが、それでも、自ら進んで任務を受ける程度には、悪くない場所だった。

 

 そんな、少しばかり邪な理由もあり、ルームメイトでもあり、親友でもある番匠谷依奈を誘い、この地に来たのだ。

 

 その依奈は、

 

「まいった、どころじゃないでしょう」

 

 油断なく、CHARMを構えて、天葉の隣に立っていた。

 

「これのどこが、ちょっとした小旅行なのかしら」

 

 目の前に広がる、ヒュージの残骸を目にして、少し硬い声で依奈は言う。

 

 事の起こりは、一時間ほど前。目的地に着いた二人は、移動疲れを癒すべく、観光ガイドにも乗るような、有名でおしゃれな喫茶店に入った。

 もちろん、任務を放り出して観光を始めるつもりなどない。一番人気の紅茶を楽みこそすれ、話す内容は、今後の行動予定だ。

 

 まずは学園にヒュージ反応の報告をしたという地元の警察組織に行き、状況を確認。学園への報告以外にも、なにか些細な違和感などがないか、地元の人間だからこそ感じるものなどがないか確認する。

 

 それから、ヒュージ反応が観測された場所に向かう。

 

 そんなやりとりを依奈としていた時だ。

 

「!?」

 

 街の中に、ヒュージ出現を知らせる、大きなアラームが響いた。

 天葉と依奈はすぐに店を飛び出し、ヒュージが出現したという場所へ向かった。

 

 そして、今に至る。

 

「一応聞くけど、私たち以外にリリィが派遣された、とか聞いてる」

「聞いてないわよ」

「だよねぇ」

 

 百合ヶ丘から派遣されたリリィは天葉と依奈の二人だけ。ほかの学園からリリィが派遣されたという報告も受けていない。

 

 改めて、ヒュージの残骸を見る。数は、一体や二体では済まない。ギガント級こそいないが、中にはスモール級やミドル級以外にも、ラージ級までいる。

 つまり、警察や軍が倒したのではない。

 

「まさか、同士討ち?」

「ヒュージ同士が? そんなの、聞いたことないけど」

「いや、まあ、そうだけどさ。けど、この数だよ。それに、時間も。ヒュージ発生から、私たちがここに来るまで、そんなに時間経ってないけど」

 

 そうなのだ。二人がこの場所まで来るのに、十分程だろう。そんな短時間で、ラージ級まで含んだ両手を超える数のヒュージを破壊するなど、一人や二人のリリィでは足りない。

 少なくとも、高ランクのレギオンでなければ難しい。

 

 天葉と依奈が同じことをやろうとすれば、撃破こそできるかもしれないが、戦闘時間も長引き、そのせいで街に被害が確実に出るだろう。

 

「とにかく、依奈は学園に連絡して。私は、まだヒュージがいないか辺りを探ってくるよ」

「わかった。けど、無理しないでよ。報告だけ終わったら、すぐ私も追いつくから」

 

 天葉は依奈を残すと、自身のCHARM、グラムにマギを込めて走り出す。マギにより強化された身体能力で、まるで風のように、天葉は駆けた。

 

 そして、それを見つけた。

 わずかに聞こえた戦闘音。それに導かれて向かった先には、複数のヒュージと、一人のセーラー服を着た少女がいた。

 

 とても、きれいな少女だった。天葉と同年代か、少し年下だろう。薄い紫色のロングヘアー。口元には微笑を浮かべて、赤く染まった瞳からは、感情のようなものはうかがえない。そんな、背筋が凍るほど、きれいな女の子だった。

 

 その子が、ヒュージに囲まれるように立っている。そして、ヒュージが女の子に襲い掛かる。

 

「あぶなッ!?」

 

 少女に見惚れていた天葉が、やっと正気に戻り、駆け出そうとする。戦場で、思考を止めるという大失態を犯し、歯噛みしながらも、それでも懸命に、足を動かす。

 

 このままでは、あの子が死ぬ。リリィとして、そんなことは許せない。

 だが、天葉は間に合わない。明らかに、ヒュージの凶刃が、少女に先に届く。

 

「ははっ」

 

 だが、少女は笑った。天葉の気持ちを裏切る様に、愉快そうに声を出した。

 そして、ヒュージが破壊された。

 

「え?」

 

 今度は、思考だけでなく、天葉は足求めてしまった。

 だって、目の前の光景が信じられなかったから。

 

 あのままでは、少女が死ぬはずだった。だが、天葉の想いとは裏腹に、少女は生き残り、ヒュージが破壊された。それも、その瞬間を、天葉は捕らえられなかったのだ。

 

「ふぅん。さっきも思ったけど、ヒュージってこの程度なのね。ヨハネの四騎士と、どっちが強いのかしら」

 

 そう、楽しそうに、けれども無感情で話す少女の手には、いつの間にか武器が握られていた。それは、黒い刃を持つ、日本刀だ。日本刀の形をしたCHARMなのだろうか。だが、今までどこかに持っていた素振りなどない。まるで、突然手の中に現れたかのように思える。

 

「さあ、そろそろ終わらせましょうか」

 

 そして、少女は言う。

 

「私に憑依しなさい、ノ夜」

 

 その瞬間、少女の体からマギがあふれ出る。黒い靄のようなマギ。まるで、ヒュージが使用する負のマギのようなものを身にまとうと、少女の姿は消えた。

 そして、次の瞬間、ヒュージが破棄される。

 

(まさか、縮地!?)

 

 高速移動を可能とするレアスキル、縮地。それを使用しているかと思うほどの速度で少女はいつの間にかヒュージの横に立つ。そして、刀を振るうと、それだけでヒュージが破棄されるのだ。

 

 それを見て、天葉は自分の考えを否定する。かつて同じレギオンに所属した吉村・Thi・梅が縮地使いだったからよく知っているが、縮地は高速移動を可能にするが、身体能力を上げているわけではない。だから、ただ刀の一振りで、ヒュージを破壊するほどの力を得ることなどできないのだ。

 

 そんなことを考えている間にも、ヒュージが次々と破壊される。スモールもミドルも、ラージ級でさえ関係なく、少女の前に、ヒュージの残骸が積みあがっていく。そんな、今まで見たこともないような異様な光景を目にして、天葉は動くことができない。

 

 そして、思う。

 それは、先ほど依奈と見たものと同じ。目の前の少女が、先ほどのヒュージを破壊した犯人だ。

 

 そして、いつの間にか、残されたのは少女と、天葉の二人になった。

 

「どこの誰だか知らないけど、のぞき見は趣味悪いんじゃない?」

 

 その少女が、気が付けば天葉の顔を覗き込むように立っている。

 世界有数のリリィである天葉が反応できないほどの速さで、そこにいた。

 

「まあ、私って天才美少女だから、見とれちゃうのも無理ないけど」

「……それ、自分で行っちゃうの?」

 

 冷や汗をかきながらも、天葉は少女の軽口に答える。

 ヒュージではない人間の姿をした少女。でも、同じ人間とは思えないような力を持った少女(ナニカ)に、天葉は恐怖を抑え込む。

 

「事実だから」

「いや、そうかもしれなけど」

「けど、大丈夫。私ほどじゃないけど、貴女もそれなりにかわいいよ」

「えっと、褒められてるの?」

「もちろん」

 

 そう、少女は笑う。

 

「そんなに私のことを警戒して、懸命に怖いのを我慢して、思わず殺したくなるほど、かわいいわ」

「っ!?」

 

 そんなことを、酷薄な笑みを浮かべて言うのだ。

 

「……あなた、リリィなの?」

「リリィ……ああ、そうね。リリィ、そうよ。私は、リリィよ」

 

 本心を見透かされ、絞るような声で聞いた天葉の質問に、どこか不自然な返答をする少女。

 

「まったく、ダメね。あっちの真昼と、記憶の同期がまだできてないのかしら。いや、でもこれはこれで都合がいいわね」

「なにを、言っているの?」

「あは、貴女には関係のないことよ……と」

 

 突然、少女が足をふらつかせて、天葉から離れた。手に持った日本刀はいつの間にか消えていて、空いた手で頭を抑えている。

 

「残念、時間切れ。身体の方も、限界か」

 

 少女は腰を落として膝を地面につけると、天葉を見上げるように言った。

 

「私が寝ている間に、私を傷つけたら、許さないから」

 

 そういうと、少女は気を失い、地面に倒れた。

 

「天葉、だいじょう……なに、これ!?」

 

 その直後、天葉に追いついた依奈は、目を見開いて、天葉に聞いた。

 

 それに対して、

 

「いや、まいったね、これは」

 

 そう、答えるしかできなかった。

 

 



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見えないカオ

 柊真昼が恋をしたのは、五歳の時だった。

 ほんの偶然出会ったあの子に、すぐに真昼は恋に落ちた。

 

 真昼にできることが自分にできないと拗ねる顔が好きだった。

 頭をなでると、恥ずかしそうに背けた横顔が好きだった。

 時々だけど、向けてくれる笑顔が好きだった。

 

 その子に会える機会は少なく、周りの大人たちの目を盗んで話すことも難しいほどだったけど、そのわずかな間に、真昼の恋心は大きくなっていった。

 

 ずっと、一緒にいたい。

 いつまでも、そばにいたい。

 

 それだけじゃなくて、手をつないだり、好きと言いあったり、デートに行ったり。

 

 それにいつかは、キスしたい、なんて、五歳にしてはませたことを考えていた。

 

 ただ、楽しかった。

 ただ、幸せだった。

 

 大嫌いな神様に、あの子に合わせてくれたことだけは感謝した。

 絶対に信じないと決めた運命を、あの子と恋に落ちたことだけは、どんなことをしても受け入れたい運命だと思った。

 

 そして、真昼は走る。まだ小さい、子供の真昼は、丁寧に整えた髪が乱れたり、新品の服に汗が染みるのも構わずに、走る。

 

 今日は、あの子と会う約束をしたのだ。一か月以上ぶりに、あの子と会うことができるのだ。

 

 真昼は、満面のが身を浮かべて走る。そして、約束の場所についた。

 

 そこは、小さな河原だ。そして、真昼と同じくらいの背丈の子供がたっている。

 

 その子の後ろ姿を見て、真昼はその子を呼ぶ。

 

「──」

 

 大好きなあの子の名前を呼ぶだけで、胸の奥がじーんと熱くなる。自分が、世界で一番幸せな女の子だと、嬉しさがこみ上げる。

 

 だけど、心の片隅で思う。

 

 今、自分はあの子のことを、なんて呼んだだろう。

 大好きなあの子の名前は、なんだっただろう。

 

 そんな、ありえない考えが、頭の片隅をよぎる。

 

 だって、大好きなのだ。世界で一番、好きなのだ。親や、兄弟や、自分を慕ってくるクラスメイトよりも、ずっとずっと大好きなのだ。

 そんな相手の名前が、わからないはずがない。

 だから、こんなことは杞憂に過ぎない。

 

 真昼の視線の先に立つその子が、ゆっくりと振り返る。

 大好きな、あの子の顔が、真昼に向く。

 

「真昼」

 

 そう、真昼の名前を呼ぶその子の顔は──

 

「……」

 

 ──霞がかかったように白くて、見えなかった。

 

「……それで」

 

 小さく、だけど凍えるように冷たい声で、真昼が言う。

 

「これは、なんの茶番なのかしら」

 

 ()()()の姿をした、柊真昼が言う。

 

 すると、周囲の風景が溶けるように消えていく。

 それは、五歳の真昼だったり、河原だったり、顔の見えないあの子だったり。

 ただ、どこまでも白い空間が現れる。

 

「あれ、気に入らなかったかい?」

 

 その声に、真昼は振り返る。

 そこにいたのは、鬼だ。額から大きな角を二本生やした、少年の姿をした鬼が、裂けるほど大きな笑みを浮かべている。

 

「ノ夜……」

 

 真昼は、その鬼の名前を呼ぶ。

 

「なんだい、その顔は? 僕の顔に何かついているのかな?」

「なんで、お前がここにいる? お前は──」

 

 その声にかぶせるように、ノ夜が言う。

 

「真昼の中に封印されている、か?」

「ええ、そうよ。お前は、私の中に封じていた。なのに、なんでお前が私の中に、鬼としているの」

「はは、そう睨むなよ。美人が台無しだ」

「黙りなさい」

 

 すると、何もなかった空間に、日本刀が現れた。その日本刀は振れてもいないのに宙に浮くと、すごい速度で飛び出し、ノ夜の体を貫いた。

 すると、ノ夜の力が、少しだけ弱くなる。真昼の心を犯す、鬼の浸食が収まるのを感じる。

 

「まったく、酷いな。まあ、いいけどさ。実は、僕だって状況が飲み込めていないんだ」

「嘘を言わないで」

「本当だよ。例えばほら、真昼は好きな相手の名前を言えるかい?」

「バカにしないで。そんなもの──」

 

 そんなもの、決まっている。

 だって、五歳の時から、ずっと大好きなのだ。好きすぎて、その人の名前を呼ぶだけで、幸せな気持ちがあふれるのだ。鬼の誘惑に抗えないほどの欲望が、心の中にあふれるのだ。

 

 だから、真昼はその名前を口に出した。

 

「──一瀬グレン」

 

 口に出して、ただそれだけだ。

 真昼の心は、何も動かない。欲望が、微塵も湧きあがらないのだ。

 

「なに……これ……?」

「ほら、わかっただろう。どうも、僕と真昼は、グレンから切り離されているみたいなんだ。そのせいかわからないけど、真昼の心に変化が起きたみたいだ」

 

 そんな、ノ夜の声が聞こえないほど、真昼は冷静ではいられなかった。常に、冷静でいられるよう厳しい訓練を積んできたはずの真昼が、動揺を抑えることができなかった。

 

 真昼は、懸命にグレンとの思い出を心に浮かべる。出会った時のこと、高校で再開するまで、地獄なような時間の中でも、グレンのことを想っていたこと。鬼になっても、世界を滅ぼしても、グレンの黒鬼となった後も、ずっとずっと好きだったのだ。

 

 だけど、それは覚えているというだけで、真昼の大切な思い出とは思えない。その記憶は、まるで物語を読んでいるような感覚でしかなく、自分の経験として、実感できないのだ。

 

「なんで、どうして!! 私は、あの子を好きになった。五歳のあの時、恋をした。この気持ちは、間違いないのに」

「じゃあ、それはグレンじゃない、誰かなんじゃないのか?」

 

 いつの間にか、ノ夜が真昼の正面に立っていた。反射的に、右手に刀を生み出しノ夜に振るが、あっさりと刃を掴まれる。

 真昼の精神が乱れたせいで、再びノ夜の力が強くなったのだ。

 

「はは、いいね。お望みなら、もう一度幻覚を見せてあげようか。今度はちゃんと、グレンの姿で映してやるよ」

「ふざけないで!」

 

 真昼は刀にさらに力を込めて、振るう。強い気持ちで、ノ夜を拒絶する。

 

「さすがに、そこまで甘くはないか。でも、真昼。僕は君の中にいる。欲望に身を任せたくなったら、いつでも言ってくれ」

 

 そういうと、ノ夜の姿が消えた。

 白い空間に、真昼だけが残される。

 

 真昼は一人、虚空に呟く。

 

「……これは、どういうことなの? 今度は、誰が私のことを操ろうとしているの?」

 

 真昼は、今まで自分のことを操ってきた存在を思い返す。

 

 それは家だったり、組織だったり、人間以外の化け物だったり──。

 

「あるいは、神か運命か」

 

 そのどれもが、真昼一人では太刀打ちできなくて、けど、決して屈することなく、抗い続けた相手だ。

 

「ええ、誰だって関係ない。私は、どんな相手でも、戦うことをあきらめない。だから、待っていて」

 

 そう、誰ともわからない相手に告げる。

 

 そして、

 

「……おはよう、でいいのかな?」

 

 真昼は、ベッドの中で目を覚ました。

 




感想などお待ちしています。


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眠りヒメ

今回は天葉をはじめ百合ヶ丘学園サイドの話です。
リリィ視点からは、真昼はこう見える、というお話です。


「それで、彼女の様子はどうだね」

 

 百合ヶ丘女学園の理事長室。その部屋の主である、高松咬月が重々しい声で言った。

 

「よく眠っています。外傷は一つもない。それどころか、嫉妬を通り越して、見惚れちゃうくらいきれいな肌でしたよ」

 

 そう答えるのは、百合ヶ丘学園の二年生、真島百由だ。百由は眼鏡の奥で、いたずらっ子のように瞳を光らせる。

 

「もう、スタイルも抜群で、ウチの学園でも、あれほどの美少女はなかなかお目にかかれませんよ」

「真島君、その話はまだ続くのかね?」

「おっと、失礼。理事長代理には、刺激が強すぎましたか? いやぁ、お年を召していても、未だに現役ということですかね」

「真島君」

 

 咎めるような言葉に、百由は小さく舌を出す。

 

「失礼しました。なにせ、これから話すことは、少しばかり私にとっても信じられない話なので」

「そんなの、今更だね。私は最初から、あの子については、信じられない気持ち一杯だよ」

 

 そういうのは、ソファに深く腰を掛けた天野天葉だ。これから話す内容の当事者として、理事長室に呼ばれていた。

 

「学園が保護した彼女。仮称として、天葉が聞いたという、真昼さんと呼ばせていただきます。真昼さんの、正確な検査結果が出ました」

 

 天葉が、依奈と共に調査に向かったあの日から三日が過ぎた。あの後、依奈の報告で応援に駆け付けた学園のリリィと共にひと先ずの安全を確認した後、意識を失ったままの真昼を、百合ヶ丘学園で保護した。

 そして、天葉が見たという真昼の驚異的な強さから、徹底した身体検査が行われた。

 

 その検査をする際の中心人物、学園随一のアナーセルであり、研究者でもある百由から結果が報告されるのだ。

 

「結論から言えば、真昼さんは強化リリィです」

 

 そう、百由は断言した。

 

「血液検査や、摂取した細胞の解析や、その他もろもろ。そのすべてが、彼女が強化リリィだと示しています。それも、かなり重度の強化手術が施されています」

「やはり、そうか」

 

 天葉からの報告で、真昼が通常のリリィを超える大きな力があることはわかっていた。だから、人体実験を受けた強化リリィだということも、予測がついていた。

 

「でも、それだけだと、百由がなにを信じられないのか、わからないわね」

「真昼さんのスキラー数値ですよ。現在、確認さ入れているスキラー数値の最高値はご存じですよね」

「今年、高等部一年生となる立原紗癒さんの98だな」

 

 それが、現在世界で確認されているスキラー数値の最高値で、人間でいられる限界の数値と言われている。

 

「真昼さんのスキラー数値は100。正確に言えば、測定可能限界値というだけで、実際はそれ以上かもしれません」

 

 その言葉に、咬月と天葉の顔色が、驚愕に染まる。

 

「それだけじゃありません。彼女の体から検出されたヒュージ細胞は、他の強化リリィとは比べ物にならないくらい高いんです。マギだって、負のマギで汚染されている。検査結果だけで言えば、すでに人間とは言えない。人間の姿をしたヒュージ──」

「真島君!」

 

 咬月の強い声に、百由はバツの悪そうな顔をして、口を閉じた。

 リリィとヒュージを同列に見られる。それは、常日頃からリリィたちが苦しめられている行為だ。

 

 マギを使用できない人間から見れば、マギという超常の力を使い、圧倒的な身体能力を持って戦うリリィは、ヒュージと大差ないという、そんな意見がある。

 

 だからこそリリィは常に、自分を律し、規律に従い、人間としてあることに努めている。そしてこの百合ヶ丘学園は、そんなリリィたちが周囲の悪意から守り、ありのままに過ごすことができるシェルターとしての役目も果たしている。

 

 その学園の生徒が、同じリリィをヒュージとして扱っていい筈がないのだ。

 

「すみません。少し、結論を急ぎました」

「いや、私も少々冷静さを欠いていたようだ。続けてくれ」

「わかりました。とにかく、真昼さんへの対応は、慎重に行うべきでしょう。我々が刺激することで、彼女にどんな影響を与えるかわかりません」

「それって、例えばヒュージを呼び寄せたり、とか?」

 

 そう、天葉が言った。

 

「それは……」

「別に、彼女を悪く言うつもりはないよ。ただ、現状を正確に把握することは重要でしょう。三日前の突然のヒュージの出現、真昼ちゃんが呼び水になったんじゃないの? 状況証拠だけどさ」

 

 突然出現したヒュージの大群とその中心に真昼はいた。ただの偶然というには、出来過ぎだ。

 そして、調査のきっかけとなったヒュージ反応もだ。百由のいう検査結果が正しければ、ヒュージと誤認されても、仕方ないだろう。そして、真昼を仲間だと誤認したヒュージが、現れた。

 

「……それを否定する材料は、ないわね」

「それじゃ、今この瞬間、学園のど真ん中にケイブが出現する可能性もあるわけだ」

「否定はできないけど、でも、可能性は低いわ。今のところ、真昼さんは小康状態が続いているから」

「つまり、今は彼女が目覚めるのを待つしかないわけか」

 

 咬月の言葉を聞くと、天葉がソファから立ち上がった。

 

「じゃあ、今は様子見ってわけで。私はお見舞いにでも行ってくるよ」

「ちょっと、なんか軽くない?」

「そう? まあ、話はできるみたいだしさ。いきなり暴れだす、みたいなことはないでしょ」

「もし、暴れだしたら」

「別に、そうなったら、仕方ないでしょ」

 

 それに、実際に真昼の戦いを見た天葉だからこそわかる。

 

「もし真昼ちゃんがその気になったら、対処できるリリィは、この学園には誰もいないよ。もちろん、私を含めてね」

 

 そう言い残し、天葉は理事長室を後にした。

 

「まあ、天葉が言うなら、そうなんでしょうね」

 

 百由はため息をつくと、諦めたように頭を振った。学園どころか、世界有数のリリィである天野天葉の言葉だ。

 過大評価と、そう簡単に言えるものではない。

 

「真島君、この件はどこまで話している?」

「検査結果は、今この場で初めて話しました」

「わかった。しばらくは、真昼君の存在は秘匿する、先日の調査にかかわった人間に箝口令を引く。検査結果については、我々以外には生徒会の三役と特務レギオンの主将、副将のみとする。また、LGシグルドリーヴァには真昼君について、調査をしてもらおう」

「G.E.H.E.N.Aですね」

「ああ」

 

 G.E.H.E.N.Aは表向きこそヒュージ研究機関だが、その裏ではリリィに対して非人道的な実験を繰る返している、危険な組織だ。真昼が強化リリィである以上、その存在にG.E.H.E.N.Aが関係していると考えるのが自然だろう。

 

「ふぅ」

 

 咬月が、疲れたように息をつく。

 

「お疲れですね」

「ああ。もうすぐ新学期だからね。色々と、仕事が立て込んでるんだ」

「もうそんな時期なんですね」

「ああ、願わくば未来あるリリィたちに、少しでも健やかに笑顔で学園生活を過ごしてもらいたいものだ」

 

 眠っている真昼君を含めてね。

 

 そう、咬月は小さくこぼした。

 

 

 

 

「でも、さすがに眠り過ぎだと思うんだよね」

 

 そう、真昼が眠っている病室の前で、天葉は独り言ちた。

 百由から真昼のついての検査結果を聞いて、早四日が過ぎた。

 つまり、真昼はすでに一週間も眠り続けていることになる。

 

 そして、一週間、天葉は暇さえあれば真昼の病室を訪ねていた。

 

「真昼ちゃん、起きてる?」

 

 軽い足取りで病室に入ると、天葉はベッドに近づき、真昼に声をかける。

 だが、真昼はまだ起きていない。

 今も静かに眠り続けている。

 

「本当に、きれいな顔で眠ってる。まったく、惚れ惚れしちゃうよ」

 

 穏やかに一定の呼吸を続ける真昼の顔は、それだけで心を奪うほどきれいだった。

 少しばかり、自分の容姿に自信がある天葉だが、それでも、真昼の前では形無しだ。

 

「本当に、生きているんだよね?」

 

 そう、死んでいるのでは、と勘違いするほど、人間味のない美しさだった。

 

 けど、確かに生きている。真昼の体に取り付けられた器具は、彼女の心臓が動いていることを示しているし、点滴で生きるのには支障がないだけの栄養は与えている。

 時折上下する真昼の大きな胸元も、彼女が呼吸を続けていることを示していた。

 

「まるで眠り姫だね。王子様を連れてこないと、目覚めてくれないのかな」

 

 だとしたら、ずいぶんとぜいたくな話だ。

 周りの苦労も知らないで、穏やかに眠り続けて、その上王子様を連れて来いと要求する。

 とんだ、わがままお姫様である。

 

「やっぱり、特殊な強化をされたリリィだからかな。百由が色々調べてるみたいだけど、いい結果はまだ出ないみたいなんだよね」

 

 百由も真昼の身体検査を続けているが、成果は芳しくない。この学園にも強化リリィは在籍しているが、その誰とも異なる強化が施されている。

 それは学園きっての才女である百由をしても解明困難で、下手に治療を施してどんな悪影響があるかわからないと、ただ自然と目を覚ますのを待つしかない状況なのだ。

 

 ふと、病室にかけられた時計に、天葉は視線を向ける。

 

「ああ、もう時間か。樟美との待ち合わせに遅れちゃう」

 

 今日は、天葉のシルトとなる樟美のハレの日だ。真っ先におめでとうと言うと、ずっと前から天葉は決めていた。

 

「今日は入学式なんだ。真昼ちゃん、このままじゃ高校生になれないよ?」

 

 真昼の年齢は、わからない。学園の特務レギオンが真昼の経歴を調査しているが、一向に成果が出ないのだ。

 真昼の大人びた顔つきから、天葉よりも年上の可能性もあるが、けど何となく、年下なのでは、と天葉は感じていた。

 

「それじゃ、私は行くね。次は、出来たら王子様を連れてくるよ」

 

 そう、天葉は真昼に背を向けて、病室の外へ向かう。

 だが、

 

「残念ね、私の王子様は、もう決まってるの」

 

 そんな声と共に、背中に強い衝撃が走った。

 

 




なんだか天葉が目立っていますが、天葉は残念ながらヒロインじゃありません。
アニメの第一話にもたどり着いていなければ、まだメインヒロインも出ていない。

そんな小説ですが、感想などお待ちしております。


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目覚めたセカイ

 真昼の意識が、精神の奥底から浮上する。

 白の世界は徐々に黒に包まれ、やがて、外の世界を認識し始める。

 

「……」

 

 だが、目は閉じたまま、声も出さない。

 まずは、自分の状態を確認する。

 

 どうやら自分は、ベッドのようなものの上で横になっているようだ。

 体にわずかにかかる重圧は、掛け布団によるものだろう。

 四肢は拘束されておらず、動かそうと思えば、自由に動かせる。

 

 そして、左腕の違和感は、おそらく点滴の針だ。体に妙な違和感がないことから、独や自白剤などは含まれていない、普通の点滴だと思う。

 

 そこまで確認してからやっと、真昼は目を開ける。

 

「……おはよう、でいいのかな」

 

 そう呟いて、真昼は上半身を起こした。

 長いこと寝ていたのだろう。体中が妙にだるくて、動きが悪い。

 

 体の調子を確かめるに、目の前で手のひらを数度、握っては開く。

 

「体があるなんて、何年ぶりだろう」

 

 世界が滅びてから八年間、真昼は鬼として、一瀬グレンに憑りついていた。いや、それは生きているのか、と言われれば難しいが、長いこと肉体を失っていたことは確かだ。

 

 だというのに、今は確かに、身体がある。胸元に手をやれば、柔らかい脂肪の奥から、確かな鼓動を感じる。

 

「私、生きてる。なんて、ちょっと感動的なセリフを言ってみたりしてね」

 

 だが、不思議とそのことに、違和感はない。八年もの間、身体がなかったというのに、すんなりと、自分の肉体を受け入れている。長い間横になっていたことによる軽いダルさはあれど、自分の体を動かすこと自体に、口に出したほどの感動はないのだ。

 

「実際、思ったように動かせているし」

 

 と、真昼は視線を横に向ける。腕につけられている器具と、その先にある心拍系に、真昼の脈拍が波形として表示されている。

 

 その波形は、真昼が起きてから、いや、起きる前から変わらず、一定の数値を示している。

 真昼が自分の脈拍をコントロールして、一定の数値に保っているのだ。この程度のことは、幼いころからの訓練で、容易にできるよう躾けられている。

 これで機器からの情報を観測している人間には、真昼は眠ったままだと思われたままだ。

 

「それにしても、不用心ね」

 

 真昼は、自分が寝ていた部屋を見まわす。見た限りは、ただの病室の様だ。

 真昼の寝ていたベッドの隣には、空きのベッドが置かれていて、その奥には暖かな日差しが差し込む窓がある。

 日差しの強さから、今は朝の時間帯。空は快晴で、雲一つない青空が広がっている。

 

「拷問室か、研究室にでも閉じ込められているかと思ったけど」

 

 真昼の予想では、自分がどこかの組織に確保されたのだとしたら、固く冷たい椅子に拘束され厳しい拷問をされるか、狭い部屋でベッドに寝かされ体の隅々までを解剖されるか、それに近い扱いをされるはずだ。

 それだけの扱いをされる覚えが、真昼にはある。

 なにせ、心と体を鬼に支配され、その後吸血鬼へと変貌し、最後は世界を滅ぼすための実験に利用された、狂った化け物なのだ。

 

 そして、一ノ瀬グレンの中で、狂った鬼として生きていたはずなのに、気が付けばこうして、再び肉体を手に入れている。

 真昼を捕まえた組織が日本帝鬼軍だとすれば、そんな未知の化け物を、こんな丁重に扱うはずがないのだ。

 拷問して、解剖して、さらなる力を得ようとするのが、あの組織だ。

 

 だというのに、真昼はただ眠っていただけだ。部屋に監視カメラの一台もなければ、四肢を拘束されてもいない。

 ただ安静に、寝かされていただけだ。

 

「私のことを知らない、誰かに保護された?」

 

 そう、考えるべきだろうか。

 だとすれば、誰に? 個人か、組織か。そもそも、自分はなぜ、ここにいる。なぜ、自由になる身体を持っている? 

 

「ダメね。情報が少なすぎる」

 

 そう、真昼は呟く。

 今がどんな状況なのか、これから自分はどうするべきなのか。

 

 情報も少ないし、なにより、真昼は自分の記憶が、いまいち信用できない。

 一瀬グレンや、日本帝鬼軍や、鬼などという、自分にとって無視できないはずの存在が、どこか他人ごとに思える。

 

「なにか、柊真昼を演じさせられているみたい」

 

 だとしたら、どこの誰が、真昼を真昼にしているのか。誰かが真昼を操り、どんなシナリオを紡いでいるのか。

 

「はは、何それ。結構ムカつくんだけど」

 

 真昼はそう、吐き捨てた。

 とにかく、今は、少しでも情報を手に入れる。

 そして、自分の身に起きていることを解明する。

 

 そう決めた時だ。病室の外に、人の気配がした。

 真昼はすぐに横になると、目を閉じ眠っているふりをする。

 

「真昼ちゃん、起きてる?」

 

 病室の扉が開くと、そんな軽い声が聞こえた。

 声の主は軽い足取りで、真昼が眠るベッドに近づいてくる。

 

 足音の間隔から、歩幅を推測する。そこから割り出される身長は、およそ160センチ程だろうか。

 声の高さから、女性で、年齢は真昼とそう変わらない、高校生くらいのものだと判断する。

 

 そして間違いなく、なんらかの訓練を受けた人間だ。聞こえてくる足音に、不安定さがなく、よく鍛えられた足腰をしていると、真昼は感じた。

 

 それに、なによりも警戒すべきは、その人間が真昼の名前を呼んだこと。つまり、真昼の素性を知るだけの、調査力があるということだ。

 真昼の正体を知りながら、拘束の一つもしていないことに違和感があるが、それでも、警戒を強めるには十分な理由だ。

 

 その人物が真昼のベッドのそばに立つと、呟いた。

 

「本当に、きれいな顔で眠ってる。まったく、惚れ惚れしちゃうよ」

 

 どうやら、真昼が起きていることには気が付いていないようだ。ならこのまま、眠ったふりを続けて、相手から情報を引き出すべきだ。

 するとどうも、ここがなんらかの学園施設で、今が四月だということがわかった。

 学園施設が、なぜ真昼を保護したのか、さらなる疑問点が増えるが、相手はただ見舞いに来て、眠り続ける真昼に独り言をこぼしているだけ、というようで、なかなか核心を突くような情報が出てこない。

 

 期待外れか、と思ったが、不意に、その言葉がこぼれた。

 

「やっぱり、特殊な強化をされたリリィだからかな。百由が色々調べてるみたいだけど、いい結果はまだ出ないみたいなんだよね」

 

 強化されたリリィ。リリィという聞きなれない単語だが、不思議とそれは、真昼に違和感なく溶け込んだ。

 そして、どうやら強化されたリリィというのは自分のことを指していて、何らかの調査をされている、とわかった。

 

(まあ、そうだよね)

 

 ここは、ただの学園施設でもなく、真昼は意味もなく保護されたのではないのだろう。

 少なくとも、真昼が化け物だと突き止めて、そのうえでここに置いているのだ。

 それは、飼い慣らすためか、それとも使いつぶすつもりか。

 

 少なくとも、善意で真昼を保護したとは、思わない。

 だって、人間が化け物を助けるはずがないのだ。

 愚かで弱い人間は、化け物を恐れる。それだけでなく、自分の欲望のためなら、同じ人間さえ踏み台として、自分の願いを叶えようとする。

 人間は、信用できない。信用してはいけない。

 信用できるのは、信じてもいいと思えるのは、心の底から好きななった、相手だけだ。

 

 だから、真昼は、今隣に立つ相手を信じない。

 心配するそぶりを見せても、その心の内では、何を考えているかわからない。

 例え、彼女が本心から真昼を案じているとしても、その裏にいる相手、例えば百由と呼ばれた相手が、彼女を操っている可能性もあるのだ。

 

 どちらにせよ、これで真昼の行動指針は決まった。

 

「それじゃ、私は行くね。次は、出来たら王子様を連れてくるよ」

 

 声の主が、部屋を出ていこうとする。その気配を感じて、私は飛び起きると、相手を地面に押し倒した。

 

「残念ね、私の王子様は、もう決まってるの」

 

 驚いたように目を見開き、真昼を見るその少女に、軽い口調で言うのだった。

 

 




天葉がお見舞いしている裏側の様子でした。
一向に話が進まないし投稿間隔も空いていますが、感想などお待ちしております。


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未知のキオク

アサルトリリィ展に行きました。
素晴らしい展示の数々でしたが、目当ての物販がほぼ全滅してました……。

それだけアサルトリリィの人気が高いってことですね!


 真昼が押し倒した人物は、想像通り歳がそう変わらないだろう少女だった。

 かなりの美少女だ、などと思いながらも、真昼は淡々とその少女の右腕を背中に回して拘束する。

 

「ちょっ──」

「はい、静かにしようか」

 

 なにかを言いかける少女の口に、空いた手の指を押し込む。少女の口の中、ぬらぬらとした唾液の感触を指先に感じながら、さらに奥、喉に届くほど押し込む。

 少女が苦しそうに暴れて、目元に涙を浮かべる。同年代の少女に比べると強い力で、やはり何らかの訓練を積んでいるのだろう。

 

 だが、真昼の拘束を振りほどくことはできない。力では振りほどけないような拘束の仕方をしているし、それ以前に、鬼の力で強化された真昼の力は、多少力が強い程度では敵うものではない。

 

「ねえ、苦しい?」

 

 少女の耳元に口を寄せて、呟く。少女が視線だけを真昼に向ける。

 

「口から指を抜いてほしければ、大声を出さないと約束しなさい。約束できるなら、これ以上は傷つけないわ。けど、私の言葉を無視するなら、このまま舌を引きちぎる」

 

 その言葉に、ぴたりと少女が暴れるのをやめる。真昼を見る目に。わずかに恐怖の色が混ざる。

 

 わかりやすい、と真昼は思った。戦闘訓練は受けていても、拷問などに対する訓練は受けていないのだろうか。だが、この程度の軽い脅しに反応してくれる分には、やりやすくて助かる。

 

「私のこと、多少なりとも調べてるなら、できるかできないかくらいわかるよね。約束するなら、左目をゆっくり閉じて、開けて。それ以外の動作をした瞬間、拒否したと判断するから」

 

 少女は真昼の言葉に偽りがないと判断したのか、ゆっくりと左目を開閉した。真昼はそれを確認すると、少女の口から指を引きるく。

 

 長いこと異物が口内にあったせいか、むせたように少女は何度か咳き込む。

 

「大丈夫?」

「……そう見えるなら、ずいぶんいい性格してるよ」

「あは、ありがとう」

 

 非難するような少女の言葉を、真昼は聞き流す。

 

「ねえ、私はあなたの言う通り大人しくするつもりなんだけど、いつになったらどいてくれるのかしら」

「しばらくはこのままのつもりだけど、問題ある?」

「大ありよ!」

「それは、私みたいな美少女に押し倒されて、興奮が抑えられなくて爆発しそう、ってことかしら?」

「そんな思春期真っ盛りな男子中学生みたいなこと考えてないから! いい加減重いし、胸もつぶれて苦しいのよ」

「あはは、そうなの。でも残念。そんな童貞っぽいこと考えている貴女を開放して、興奮のあまり襲われたら困るもの。だから、あなたを自由にするわけにはいかない」

「だから、違うから!! ってか、女子に童貞とかやめてよ」

 

 少女の文句など、真昼は聞き流す。もちろん、少女を自由にすることもしない。言われたことを素直に信じるほど、真昼はバカでもお人よしでもない。この少女は、たった今あったばかりの、どこの誰とも知らない他人なのだ。そんな相手に、真昼は決して気を許したりしない。

 

「まったく、あなたなんな──っ!?」

 

 何かを問いかけた少女の言葉を無視して、真昼は少女の体を片手だけで全身を撫でまわす。

 

「ちょっ、くすぐったい! ヘンタイ!!」

「はい、黙ってね。あんまりうるさい子は、怖い鬼に舌を抜かれちゃうよ」

 

 真昼の言葉に、少女は口を閉じるが、くすぐったさは耐えきれないのか、身体だけは小刻みに震えている。

 

「持ち物は携帯電話と、これは学生証かな? 武器の一つも携帯しないで、私みたいな不審人物に会いに来るなんて、不用心なんじゃない?」

「あいにく、狸寝入りで人を油断させて、いきなり人を襲うような女の子と会ったことがないから」

「なら、いい経験になったわね。あなたに次があれば、気を付けたほうがいいわよ」

 

 次があれば。つまり、少女にその次が来る機会は一生ないのかもしれない。

 その言葉の意味を理解したのか、少女に緊張が走る。

 

「それで、えっと、天野天葉ちゃん、かな?」

 

 取り出した学生証を開き、そこに書かれている少女の名前を読み上げる。

 

「これ、本名?」

「当然でしょう。そういうあなたは、真昼ちゃん、でいいのかしら?」

 

 あっさりと少女、天野天葉は自分の名前を教えてくれた。彼女の口調や、表情から、嘘ではないと真昼は判断する。一方、天葉の問いかけに、真昼は首をかしげて答える。

 

「真昼? それって、誰のことかしら、私の名前は、山田小百合だけど」

 

 と、答えた。

 

「それ、本名?」

「聞いてる意味が分からないわ。あだ名でも教えてほしいの?」

 

 どこでどう、真昼という名前を知ったのかわからない。だが、天葉の問いかけから、真昼の本名に確証が得られていない、つまりまだ、真昼の素性を詳細に調べ上げられていないと判断し、平然と偽名を名乗る。

 天葉の行動から、どうやらこの学園施設を管理している組織は、それほど大したことがない──それこそ、日本帝鬼軍とは比較にならないほど程度が低い組織だと判断した。

 

 そんな組織に、大した利用価値があるとも、利害による協力関係を築こうとも思えない。だから、こちらから相手が求める情報を与える必要などない。天葉から最低限の情報を引き出して、この場から去ることを決めた。

 

 天葉はまだ、真昼の言葉について思考を巡らせている。真昼がどこまで本当のことを話し、どこまでが嘘なのか、悩んでいるのだろう。だが、天葉の答えを待つ必要などない。真昼は天葉のことなど無視して、次の質問をぶつける。

 

「ねえ、ここってどこなの? 病院、ってわけじゃないみたいだけど」

「──百合ヶ丘女学園よ」

 

 その言葉に、真昼は横目で学生証を見る。すると、そこには確かに百合ヶ丘学園と学院名が記載されていた。どうやら、変にごまかしたりする気はなく、真昼の質問に素直に答える気はあるようだ。

 

 もっとも、天葉が真昼を欺けるほどの話術を持つとは思えないが。

 

「……百合ヶ丘女学園」

 

 学園名を口に出すと、自然と次の言葉が出た。

 

「じゃあ、ここは鎌倉なのね」

 

 その言葉に、真昼は内心で動揺する。なぜ、自分でも、この場所が鎌倉だと口にしたのかわからない。だが、それと同じく、何となくの思い付きやひらめきで言ったのではなく、確証をもっての言葉だとわかった。

 

 そして、一度言葉に出すと、自分でも信じられないほどに、次々と言葉が出てくる。

 

「鎌倉府5大ガーデンの一角か……もしかして、貴女って、元アールヴヘイムの天野天葉かしら?」

 

 ああ、気持ち悪い。

 とめどなく溢れる、自分が知るはずもない知識の波に襲われて、真昼は吐き気を催す。

 もちろん、そんな弱みを、天葉に見せるようなことをしない。

 

 実際、天葉は真昼の異変に気付いた様子もなく、

 

「名前を知っていてもらえたとは、光栄ね。よかったら、サインでもあげようか?」

 

 なんて、強がりを見せている。

 

「……なるほど、伝説のレギオンと名高いアールヴヘイムの副将も、CHARMを持たなければ、この程度か」

 

 まただ。自分で口に出したCHARMという言葉が、リリィが使用する武器だということが、真昼にはわかる。すると、リリィとは何か、なんてことが、連鎖的に真昼の脳裏に浮かんでは、それが正しい知識だと、強制的に理解させられる。

 

「まったく、これは何なのかしら?」

「ちょ、ちょっと、大丈夫!? 顔色が悪いわ、やっぱりまだ体調がよくないんじゃない!?」

 

 天葉が、心配するように、真昼に声をかける。

 

 これが、ただの痛みならいくらでも耐えることができる。どのような拷問にも耐えられるように、子供のころから訓練を積んでいるのだ。だが、未知の記憶に襲われるという、今まで味わったこともないような不快感に、さすがに顔色を隠せなくなったのだろう。

 

 ただ、自分を押し倒している相手の心配をするなんて、天葉はどういうつもりだろうか。真昼の情に訴えて、拘束から逃げるつもりだろうか。

 

 いや、天葉が、そんな駆け引きができるとは思えない、だとしたら、本心から、真昼のことを心配しているのだろう。だとしたら……、

 

「そういう善人ぶった態度、心底ムカつくんだよね」

 

 真昼は天葉の首に手をかけて、力を籠める。

 

「どうも、貴女からは大したことを聞けそうにないわ。後は好きにするから、もうおしゃべりはおしまいにしましょう」

「ちょ……苦しい……」

「大丈夫、私は約束を守るの。傷が残らないように、優しく楽にしてあげるから」

 

 天葉の瞳が、恐怖に揺れる。

 

「おやすみ、天葉ちゃん。次がなくて、残念だったわね」

 

 真昼は最後に、天葉に告げた。




次回、本作のメインヒロインがようやく登場する予定です。
早く真昼と絡ませたくてしょうがない。

感想等、お待ちしています。


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高校生活のハジマリ

やっとヒロイン登場です。


 海岸線を走る、一台のリムジン。その車内から、気だるげに窓の外を見ている少女が、呟く。

 

「あれが、百合ヶ丘女学院ですか」

 

 それは、とても美しい少女だった。まだ幼さが残りながらも、確かに大人へと成長途中の、可憐な容姿。長く伸びた赤みを帯びた、流れるような髪。モデル顔負けの、均整の取れたスタイル。

 

 彼女の名前は、楓・J・ヌーベルと言った。

 

 楓は、海岸線の向こうに姿を映す目的地、百合ヶ丘女学院に視線を向ける。

 海岸に面した地形を利用して、周囲の市街地を守るための天然の要塞。そういう前評判だったが、なるほど、と楓は頷く。

 

「守に易く、攻めるに難い──か。さてさて、立派なのは立地だけでないといいのですけれど」

 

 楓の言葉に、運転手が何事かと、視線を向ける。楓は手だけで何もないということを告げると、再び、窓の外へ目を向ける。

 

 そして、これから始まる三年間の学園生活での計画を検討する。

 なにせ、リリィが十全に力を発揮出来るのは、10代までとされており、それ以上は徐々にマギの力が衰え、CHARMを満足に起動することすらできなくなる。そうなれば、リリィとしては、死んだも同然。

 

 そのくせ、中学まではどんなに力があっても、ほとんど前線には出してもらえない。

 

 それはたとえ、中等部時代に所属していたレギオン予備隊を、世界最高評価のレギオンとしても変わらなかった。

 

 そんな、つまらない慣習に縛られた中学も終わり、やっと高校生活、リリィとして、真の戦場に出る時がやってきた。

 楓の、真の目的を果たす時がやってきたのだ。

 

 だというのに、だ。

 

(まさか、最初の一歩で躓くとは)

 

 楓はもともと、中等部まで所属していた聖メルクリウスインターナショナルスクールではなく、違う高校に進学するつもりでいた。

 

 第一希望は、東京のエレンスゲ女学園だ。あの学園は、新進気鋭のCHARM開発メーカー「アウニャメンディシステマス社」を経営母体に持つという、実家が世界一のCHARM開発メーカー「グランギニョル社」である楓にとっては、心情的には、進学しにくい学園だ。

 だが、それ以上に、年齢に関係なく実力主義で評価されること。

 

 そして何より、親G.E.H.E.N.A.主義のガーデンであることが、魅力的だった。

 

 なにも、G.E.H.E.N.A.という組織に対して、強い敬意を抱いているわけではない。むしろ、G.E.H.E.N.A.の黒いうわさが、まさしく真実であることを知っている楓にとっては、嫌悪の対象でしかなかった。

 

 だが、楓の目的のためには、G.E.H.E.N.A.に近づく必要があった。それがたとえ、楓の主義に反する、美しくない手段だとしてもだ。

 

 だというのに、幸か不幸か、楓の意志に反して、進学先は百合ヶ丘女学院となった。遺憾なことに、楓が関与しないところで、複数の学園が楓の進学先の権利を賭けで、様々な交渉が行われたらしい。

 

 楓が気が付いた時には、もう手遅れ。楓の計画は、始まる前に変更を余儀なくされた。

 

「まったく、他人のシナリオで動かされるのは、嫌になりますわ」

 

 だが残念ながら、今の楓に他人のシナリオを飛び出す力はない。なら、他人のシナリオを利用してでも力を手に入れるしかない。

 

 考えてみれば、百合ヶ丘女学院は悪くない。百合ヶ丘女学院はエレンスゲ女学園とは逆に、反G.E.H.E.N.A.主義を掲げるガーデンだ。学園のレギオンには、G.E.H.E.N.A.に対抗するための、特務レギオンがあるとも聞く。ならばこそ、楓が求めるG.E.H.E.N.A.の一般には公表できないような、そういう情報が手に入れられる可能性もある。

 

 世界的な評価に関しても、エレンスゲ女学園よりも上位で、より高度な教育を受けられるだろう。あの伝説のレギオン、アールヴヘイムを始め、世界的に名高いレギオンやリリィも数多く在籍し、自分の力を高める機会も多そうだ。

 

 多少遠回りとなるが、その分メリットもある。なら、計画を見直して、その中で最短の道を進む。

 自分の中に湧き上がる、この想いを遂げるために。

 

「お嬢様、到着致しました。いま、ドアをお開け致します」

 

 気が付けば、百合丘女学園に到着していた。運転手が動く前に、自らドアを開ける。

 

「ドアくらい自分で開けます。今日からは自分の面倒は自分で見なければならないんですから」

 

 そして、車から降りると、一人の女の子が立っていた。

 楓より、背は小さい。なかなか可愛らしく、楓の欲情をそそる子だ。

 なるほど、過保護な父親が、楓のために用意した使用人、というところだろうか。

 だが……、

 

「貴女、もう帰っていいですわ」

 

 そう、にべもなく告げるのだった。

 

 

「なるほど、同じ新入生だったのですね。失礼しましたわ」

 

 聞いてみると、彼女は楓と同じ新入生で一柳梨璃というらしい。

 うっかり付き人と間違えてしまったことを謝罪しながら、隣り合って校内を進む。

 

 どうも、一柳梨璃は素直な少女の様だ。感情が顔にすぐ出て、見ていて飽きない。

 そして、憧れのリリィを追いかけて、この学園まで来たらしい。そんな、好感が持てる少女だ。

 

「あら?」

 

 しばらくすると、人だかりができていることに気が付いた。

 様子を見ると、どうやら中心にいるのは、二人の生徒のようだ。

 

「なんでしょう?」

「大方、血の気の多いリリィが誰かに突っ掛かっているのでしょう」

 

 リリィ同士がCHARMを向けあうことに、抵抗を示す梨璃。

 一方、楓は冷静に、その様子を観察する。

 

 中心人物二人の顔には、覚えがある。事前に調べた、百合ヶ丘女学院の中でも、特に有力な生徒リストに名前があった。

 

 一人は楓と同じく、今年一年生となる遠藤亜羅椰。歴代でも屈指のフェイズトランセンデンス使いと言われるリリィだ。

 

 そして、もう一人は白井夢結。伝説のレギオン、アールヴヘイムのヘッドライナーとして様々な戦場で戦果を挙げ、また御台場迎撃戦では第1部隊に所属し多数のギガント級ヒュージを撃破したという、百合ヶ丘を代表するリリィの一人だ。

 

「さて……」

 

 この状況、静観するのも悪くないが、いい機会でもある。

 この場のイニシアチブを握れば、このガーデンでは外様である自分の存在をアピールすることができる。この学園で、上位のリリィに駆け上がるためには、多少強引な手段をとるのも、悪くはない。

 

 楓の隣で、うろたえている梨璃をその場に残し、一人渦中へと飛び込んだ。

 

「お待ちになって。このわたくしを差し置いて、話を進めないでいただけますか」

「……貴女は?」

「ごきげんよう。わたくし、楓・J・ヌーベルと申します」

 

 訝し気な夢結に対して、優雅に一礼する。

 

「夢結様にお会いできたこと、光栄に存じます、しかしまずは、そちらの無礼者の非礼、お詫びいたしますわ。この場はどうか、穏便に収めていただけないでしょうか?」

「まさか、その無礼者って、私のことではないでしょうね?」

 

 楓の背後で、怒気をはらんだ声がする。眉にしわを寄せる、阿頼耶だ。

 

「あら、そう聞こえませんでしたか? 入学式というハレの日に、いきなり上級生に喧嘩を売るような方、無礼者で十分ですわ」

 

 そう、挑発するように笑う。

 

「貴女、もしかして喧嘩売っている?」

「ふふ、まさか。喧嘩というのは、同じレベルの者の間でしか発生しないものですもの」

「……なるほど。とりあえず先に、貴女から叩き潰すことにしますわ」

 

 そういって、阿頼耶がCHARMを構える。

 ここまでは、楓の計算通り。好戦的な阿頼耶を焚きつければ、目標が夢結から楓に移るのは明らかだ。そして、ここからが本番。阿頼耶との立ち合いで、この学園での楓の立ち位置が決まる。

 

 この観衆の目前で、大口を叩いておいて、無様に負けでもすれば、身の程知らずの目立ちたがりという最悪のレッテルのもと、三年間を過ごすことになる。

 だが逆に、阿頼耶という実力あるリリィを華麗にあしらうことができれば、まずは自分のこの学園での立場を、確立することができるだろう。

 

「さて、わたくしの力は、このガーデンで通用するのでしょうか」

 

 楓は、そう呟いてから、微笑を浮かべる。通用するか、ではない。そんな、弱気な考えでは、真昼の目的は果たせない。この程度の壁は、軽く飛び越えなければならないのだ。

 

「夢結様、この場は、わたくしがお預かりしてもよろしいかしら」

「好きにして。もとから、私には関係ないわ」

「結構ですわ。では、始めましょうか」

 

 楓は、肩にかけたケースのカギを開けると、中のCHARMへと手を伸ばす。その中から、愛器であるジョワユーズのグリップを掴もうとする。

 

 だが気が付いたときに掴んでいたのは、細くて柔らかい腕だった。

 

「え?」

 

 そう呟いたのは、誰だったか。

 楓は掴んだ腕を引っ張り、影から近づいていた人物の背後に回り込む。そして、スカートの下、太ももに固定した、取り回しがしやすいダガータイプの第一世代CHARMに、空いた手を伸ばす。

 

 そこで、気が付いた。

 

「り、梨璃さん!?」

「い、痛い……」

 

 顔を歪める梨璃を見ると、楓は慌てて掴んだ腕を離した。

 いつの間にか接近して、楓の腕を掴もうとしていた梨璃を、逆に掴んでしまっていたのだ。

 

「すみません。ですが、CHARMを抜こうとしたところに近づいたら、危ないではないですか」

「うぅ……だからだよ、リリィどうしでCHARMを向けあうなんて、いけないよ」

 

 弱々しくも、そう主張する梨璃。その姿に、楓は納得する。

 どうも、梨璃は敵意や害意を持って楓に近づいたのではなく、純粋に争いを止めようとしていただけなのだ。

 だから、楓もその接近に、触れられる直前まで気が付かず、反射的に手荒い行動をしてしまったのだ。

 

 楓が望んで身に着けた訓練の成果が出たことを喜ぶ半面、相手も確認せず、むやみに力を振るってしまったことを反省する。

 

「……はあ、水を差されましたわね」

 

 どうにも、気が抜けてしまった。不完全燃焼ではあるが、阿頼耶との立ち合いも仕切りなおす、という気分ではない。それでは、この場をどう締めるか、と楓は頭をひねる。

 

 

 そんな時だ。校内に、チャイムの音が響き渡る。

 それは、学園をヒュージが襲撃した合図だった。

 

 

 

「これは、好都合ととらえるべきか、悩みどころですわね」

「なにか言ったかしら、ヌーベルさん?」

「いえ、別に。取るに足らない、戯言のようなものですわ」

 

 少し前を歩く夢結に、楓は肩を竦めながら答える。

 どうやら、校内を襲撃したというヒュージは、学園で研究用に捕獲していたヒュージが脱走したためのものだった。

 ずさんな管理をしている、とも思うが、ただ、先ほどまでの出来事を有耶無耶にできたのは悪くない。

 

 結局、あの場を収める都合のいい理由が思い浮かばなかったのだ。

 

 ──自分から挑発しておいて、気分でなくなったのでやめましょう、なんて、さすがに言えませんもの。

 

 そして、不完全燃焼をヒュージ討伐という形で発散できるのも、悪くはない。

 場を仕切り直し、ヒュージを倒すことで、自らの力を示す。

 

 だが、不安要素もある。

 

 一つは、夢結だ。

 百合ヶ丘女学院三役「ブリュンヒルデ」出江史房の命令で、ヒュージ討伐は夢結と組むことになった。

 目的のヒュージは周囲の環境に擬態する、という厄介な性質を持っているらしい。なら、不測の事態に備え、チームを組むことは悪くない。だが、史房の言葉が気になる。

 

「あなたには、足手まといが必要でしょ?」

 

 足手まとい扱いに、不服があるわけではない。楓は、この学園では何の実績もない新入生だ。だから、史房の評価は正当だし、楓もそれがわかっている。

 

 だけど、夢結に対して、なぜ足手まといをつけようとしたのか、わからない。

 

 ──そういえば、と事前調査で確認した、夢結のプロフィールを思い出す。

 

 ある時期から、夢結は無謀な単独行動を好むようになった。そして、精神的な疾患を患っている可能性もある。

 

 つまり、楓に求められているのは、夢結の暴走を抑えるための足枷ということだ。

 

 なるほど、白井夢結というリリィは、評判通り優秀ではあるが、優等生ではないというわけだ。

 

 そして、もう一つの不安要素。

 

「これ、全部ヒュージがやったんですか?」

 

 楓と夢結の少しあと、ヒュージによって廃墟となった街並みを見まわしながら歩く梨璃だ。

 役に立ちたい、と言って、楓と夢結についてきたのだ。

 

 山間に入ったあたりで、夢結から、周囲の特徴的な地形について歴史的講義を受ける梨璃を見ながら、楓は考える。

 

 梨璃は楓と同じく、高等部からの編入性だ。それも、二年前にリリィを目指し始めた補欠合格生。つまり楓とは違い、別のガーデンで中等部時代にリリィとしての教育を受けたわけではないということだ。なら、個人的にリリィとしての教育を受けた、ということだろうか。

 自分で考えて、楓は自らその考えを否定した。ヒュージに対して唯一の対抗手段であると言っても過言ではないリリィを一個人が独占して、専任教師にするなど、かなりの資産家でなければ難しい。意地の悪い言い方になるが、地元から始発電車で学園まで来る梨璃が、楓に匹敵するほど裕福とは考えにくい。

 

 そして何より、立ち振る舞いだ。近くにヒュージが潜んでいる可能性があるというのに、緊張が感じられない梨璃が、訓練を受けているとは考えにくい。

 

「……ねえ、梨璃さん」

 

 ふと、気になり楓は梨璃に声をかける。

 

「あなた、CHARMとの契約は、済ませているのですよね?」

「ほえ?」

 

 気の抜けた返事をする梨璃に、楓は不安を増大させる。

 

「だから、CHARMは起動できるのですわよね?」

「どうなの、一柳さん?」

 

 楓と夢結から疑惑の視線を向けられると、梨璃はうつ向いて、小さく答えた。

 

「その……ごめんなさい」

 

 嫌な予感が当たってしまった。

 楓は、大きくため息を吐きそうになるのを、ぐっとこらえる。

 

 本当は、CHARMも満足に動かせずによく戦場に来たな、と文句の一つも言いたいところではあるが、その可能性に気が付かなかった楓にも落ち度はある。

 

 しかし、どうにも今日は運がない。物事が、すべて楓の意図しない方へ向かっている。これが運命だというのならば、どうやら楓は運命の女神にとことん嫌われているらしい。

 

 だが、嘆いてばかりはいられない。今この瞬間も、ヒュージに襲われる可能性があるのだ。

 

「夢結様、一度学園に戻りましょう。満足に戦えない梨璃さんがこの場にいるのは、危険です」

「ええ、そうね」

「そん、そんな! 私だって、戦えます!」

 

 そう、必死に訴える梨璃に、冷たく夢結が言う。

 

「CHARMも起動できないで、どうやって戦うの? 今の一柳さんは、足手まといどころか、お荷物でしかないわ」

 

 非情だと思うが、正論だ。そして何より、梨璃自信を守るためである。

 

「……はい」

「理解したなら、早く学園に戻りましょう」

 

 歩き出す夢結に、楓が続く。だが、少し歩いたところで、周囲の違和感に気が付く。楓のレアスキル、レジスタの恩恵の一つでもある俯瞰視野が、その違和感を見逃さなかった。

 

 近くに、ヒュージが潜んでいる。

 

「みなさん、警戒を──」

 

 言い終わる前に、CHARMを起動して楓は走り出した、

 

 夢結の言葉にショックを受け、未だ動けずにいる梨璃のすぐそばに、ヒュージがいたのだ。

 ヒュージに気が付いた梨璃はCHARMを握るが、当然起動しない。

 

 ヒュージの凶刃が迫り、梨璃は反射的に目をつぶる。

 

「失礼しますわ!」

 

 その梨璃の腕を掴むと、楓は全力で引っ張った。無抵抗の梨璃と入れ替わる様に、楓がヒュージの前に躍り出る。

 

 楓はCHARMでヒュージの刃を受け流すが、体勢が悪い。楓の右腕に、熱のような痛みが走る。

 楓は歯を食いしばり、その痛みをこらえるとCHARM、ジョワユーズを振るう。

 

 ジョワユーズを巧みに操り、射撃と斬撃を使い分け、ヒュージと対抗する楓。

 

「ヌーベルさん、下がって!」

 

 夢結の声に、楓はヒュージの攻撃をジョワユーズで受けると、その反動を利用して大きく後ろへ飛んだ。

 そして、閃光がはじけた。夢結が目くらましを行ったのだ。

 

「一時撤退よ」

 

 梨璃を抱えて立つ夢結の後ろに、楓は傷口を抑えながら頷いた。

 

 

 ヒュージから逃げるように安全な場所まで移動すると、楓は手持ちのハンカチで、傷口を固く縛る。雑な応急処置ではあるが、しばらくすれば、出血は止まるだろう。

 

 ──けど、これは傷が残るかもしれませんわ。

 

 そんなことをぼんやりと考えていると、目元に大きな涙を浮かべた梨璃が頭を下げた。

 

「ごめんなさい、楓さん!」

 

 楓がケガをしたことに、責任を感じているのだろう。

 

「別に、気にしなくていいですわ。リリィをしていれば、多かれ少なかれ、怪我はつきものですもの」

 

 梨璃の隣に、夢結が立つ。

 

「ヌーベルさん、ごめんなさい。私も、不注意だったわ。上級生として、私がもっと気を払うべきだった」

 

 そう言って、夢結も顔を伏せる。場を、重い空気が支配した。その空気に、楓は耐えられなかった。

 

「ああ、もう。二人して、なにお通夜みたいな空気を出しているんですの! ここは戦場ですのよ! もっと気を敷きしめてください!!」

「でも、私がしっかりしていれば……」

「じゃあ、次はしっかりすればいい。ただ、それだけのことですわ」

 

 そう、楓は当たり前のように言った。

 

「梨璃さん、今はヒュージとの戦闘中ですわ。公開や反省なんて、後回し。ただ、次にするべきことだけを考えて、動けばいいのです」

 

 別に、梨璃に不満がないわけではない。けど、そんなことは些細なことだ。梨璃をかばったのは、楓が自分で選んだこと。その結果、楓がケガをしたのは、自身の実力不足。すべての失敗は、楓の責任だ。その責任を他人に押し付けるつもりなど、微塵もない。

 

「夢結様も、上級生だというのなら、ちゃっちゃとこの場を仕切ってください! 次にわたくし達がどう動くのか、支持してくださいな」

「──そうね、今はこの場を乗り切ることを考えましょう。ありがとう、ヌーベルさん」

「この程度のこと、感謝されるまでのことはありませんわ」

 

 そして、しばしの作戦会議の後、結論としては、三人でヒュージと戦うことを選んだ。周囲の環境に擬態するというヒュージの性質上、遠くに逃がしてしまえば、次に発見するのは難しい、なら、多少は無理をしてでも、近くにいるうちに討伐することにしたのだ。

 

 ただ、やはり戦闘能力のない梨璃が問題となる。なので、この場で梨璃とCHARMの契約を行うこととなった。

 その補佐を夢結が行い、楓はヒュージの発見、逃げられないようにヒュージと戦い、梨璃と夢結の造園を待つ。そういう作戦だ。

 

 負傷している楓が危険な役目を引き受けることに、梨璃と夢結は反対したが、レアスキルにより感知能力に優れる楓の方が適任だと、意見を押し通した。

 

 ──怪我人扱いするのもされるのも、いい気分はしないものですわ。

 

 そして楓はレアスキル、レジスタを発動し、走り出す。

 レアスキル、鷹の目までとはいかないが、高い俯瞰視野を手に入れた楓は、周囲の些細な違和感も見逃さない。

 

 そして、すぐに楓は目的のヒュージを見つけた。

 

 そのヒュージは、すでに討伐されていた。

 

「え?」

 

 楓がたどり着いた場所にいたのは、すでに朽ち果てたヒュージと、百合ヶ丘女学院の制服を着た一人のリリィ。

 

「なるほど、これがヒュージか。思ったより、手ごたえがなかったなぁ」

 

 どうやら、そのリリィがヒュージを討伐したようだ。だが、楓はそんなこと、どうでもよかった。

 楓は、そのリリィから目が離せなかった。

 

「あれ? 他にもこのヒュージを狙っている生徒がいたんだ。でも早い者勝ちってことで、許してね」

 

 そう言って、そのリリィは振り向く。

 

 それは、やはり見間違いなどではなかった。最後に会った時から十年は経過しているが、まちがいない。

 どんなに成長しても彼女のことを見間違えるはずなどない。

 

 楓は、そのリリィの名前を呼んだ。

 

「真昼!!」

 

 楓が十年間、再会を望んでいた最愛の恋人。柊真昼が、そこにいた。

 




本作のヒロイン、楓・J・ヌーベル登場でした。
アサルトリリィで一番好きなキャラで、楓の活躍が見たくてこの小説書き始めました。
楓の魅力を出していけるように、頑張ります。


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再会したコイビト

 軽い足取りで、真昼は百合ヶ丘女学院の校内を歩く。

 

 学院にとっては部外者である真昼だが、誰一人として、彼女を不審に思うものはいない。

 それは、真昼が進んで人気の少ない場所を選んで歩いているということもあるが、第一の理由は、真昼の姿だろう。

 

 真昼は、天葉から奪った制服を着ていた。そして、さも自分はこの学院の生徒だ、という顔で、校内を歩く。時折、すれ違いざまに挨拶をされるが、それにも笑顔を浮かべて、答える。

 

 今日が、入学式だということも幸いした。例え真昼に見覚えがなくても、新入生だと、勝手に勘違いしてくれる。だから、誰も真昼が不審者などとは思わない。

 

 真昼は立ち止まり、校内の窓ガラスにうっすらと映る、自分の姿を見る。百合ヶ丘女学院の制服は、よく真昼に似合っていた。

 

 ──少し、胸元がキツいけど。

 

 なんて、小さく微笑を浮かべる。

 

 だが、いつまでもこの学院にいるわけにはいかない。すでにこの場所に用はない。なら、真昼の脱走がバレる前に、お暇した方がよいだろう。

 

 真昼は、この学院からの逃走路を考える。一般的な、この学院からの移動手段は二つ。

 電車と自動車だ。

 

 だが、どちらの手段も人目に付きやすく、逃走には不向きだ。

 なら、周囲の山を越えて、市街地に出るしかないだろう。

 

 そんなことを考えていると突然、校内にチャイムが響き渡る。

 すると、途端に校内の生徒がざわつき始めた。真昼は、想定より早く脱走がバレたのかと思い、物陰に身を隠して、生徒たちの様子を観察する。

 

 だが、どうも様子がおかしい。生徒たちの行動は大きく二つで、CHARMを持たずに校内に集まる生徒と、CHARMを持ち校外に向かう生徒に分かれている。

 真昼の捜索を行うことが目的なら、校内に残る生徒にも自衛手段としてCHARMを携帯させるはずだ。

 

 真昼は何食わぬ顔で、近くを通りかかるCHARMを持った、緑髪の気の強そうな生徒に声をかける。

 

「ねえ、どうかしたの?」

「どうかしたもなにも、学校で生体標本にするために捕獲していたヒュージが脱走していたのよ」

「なるほど、それは大変ね」

「ええ、まったくよ。あなた、CHARMは?」

「今日は入学式だけだと思ったので、寮に置いてきちゃった」

「そう。なら、上級生の指示に従って、避難して」

 

 なんて、適当に相手に合わせながら、事情を確認する。

 しかし、これは真昼にとっては好都合だ。ヒュージ討伐に出た生徒に紛れて校外に出れば、目立つことなく逃走することが出来そうだ。

 問題があるとすれば、真昼はCHARMを持っていないので、これから手に入れる必要があるということだが──。

 

「まったく、亜羅揶の奴は朝から騒ぎを起こすし、天葉様はどこにいるのか、約束の時間に遅刻して樟美は泣きそうになるし。おまけにヒュージ騒動って、とんだ入学式よ」

「天葉? それって、天野天葉様のこと? それなら、さっき救護室の方で見かけたけど」

「本当に? まったく、この緊急事態に何をしているのかしら。ありがとう、探しに行ってみるわ」

 

 そういって、その生徒は人気の少ない救護室の方へと向かう。真昼はその後姿を見て、小さく笑った。

 

「さて、これで問題は一つ解決」

 

 そして、その生徒の後を、足音も立てずに追いかけるのだった。

 

 

 

「これがCHARMか」

 

 手に入れたCHARMを目線の高さに掲げながら、真昼は呟いた。

 初めて手に持ったはずのソレは、自然と手に馴染む。

 

「確か、第二世代のブリューナクだったかな。ノ夜、起動できる?」

 

 そう、真昼の中に潜む鬼、ノ夜に声をかける。

 

『どうだろう。鬼呪装備じゃないけど、なんとか行けるかな』

「そう。なら、早く起動しなさい」

『まったく、鬼使いが荒いね』

 

 ノ夜が言うと、鬼呪の力がブリューナクへと流れ始める。すると、ブリューナクのマギクリスタルコアに黒い光が宿り、真昼の身体に力がみなぎる。

 

「なるほど、鬼の力を使うには問題がないのか」

『そうみたいだね。少し違和感があるけど、力を使うには問題ないよ』

「なら、少し体の調子を確かめようか」

 

 そうして、真昼は足に力を入れて、地面を強く蹴る。それだけで、真昼の身体はすごい速さで、前へと進む。それは、常人が出せる速さなどではない。陸上競技の世界記録など比べ物にならない速度で、真昼は走る。

 

 瞬く間に、百合ヶ丘女学院の校舎が小さくなっていく。それは、当たり前だ。鬼呪の力は、人間の力を七倍以上にする、驚異的な力だ。特に、真昼の中に巣食う鬼、ノ夜は最上位の黒鬼に分類される化物だ。この程度の速度で走ることなど、難しくはない。

 

「……力を使うのには問題ないか」

 

 しばらくして、学院を囲む山の奥まで来たところで、真昼は足を止めた。そして、自分の体に違和感がないか、確認する。鬼の力は、ただ身体能力を向上してくれる、便利な力ではない。鬼は、人間の欲望を糧にする化物だ。少しでも鬼を信頼して気を許そうものなら、鬼に欲望を支配され、ただ己の奥を満たすだけの化物へと堕ちてしまう。

 

「いや、もう堕ちているのかな」

 

 真昼は、すでに一度、鬼に支配された人間だ。自分の欲望のままに暴れ、それでも自分以上のさらなる化物の掌で踊り続けることしかできなく、最後には世界を滅亡へと追いやった。

 今は何故ここにいるのかすらわからないが、果たして自分が正気であるなどと、言えるのだろうか。

 

「妙な記憶のことといい、やっぱり狂っているのかも。あなたは、どう思う」

 

 そう、自分の背後に現れた化物──ヒュージに問いかけた。その化物は真昼を認識するや否や、鎌のような刃が付いた腕で、真昼に攻撃を仕掛けてきた。

 

 直撃すれば、人一人の命など簡単に奪えるだろうそれを、真昼は片手に持ったCHRAMで受け止める。その表情に焦りなどなく、ただ、不敵な笑みを浮かべている。

 

「人の話も聞かずに、いきなり攻撃なんて酷いな。まあ、ヒュージに人の言葉なんてわからないんだろうけどね」

 

 そう言うと、真昼は力を込めて、ヒュージを弾き飛ばす。

 

『真昼、力を貸そうか?』

「はは、冗談でしょ。鬼の甘言なんかに乗らないわ。それに、私の力を試すにはちょうどいいもの」

 

 ノ夜の言葉を否定すると、真昼はヒュージに向かい駆け出した。

 

 ヒュージの連続攻撃をかわしたり、ブリューナクで受け止めたりしながら、真昼は冷静に、自分とヒュージの力の差を確認する。ヒュージ相手に、通常の火器が通用するのは、一定のサイズまでだ。それ以上を相手にする場合にはリリィの力が必要となり、場合によっては複数人の協力がなければ打倒ができない。そんな、化物を相手にして、真昼は言う。

 

「でも、お前は私にはかなわない」

 

 真昼がブリューナクを振るい、ヒュージの腕を一本切り裂いた。ヒュージは反撃にと無数の触手を伸ばすが、真昼を捉えることはできない。それどころか、真昼は忽然と、ヒュージの前から姿を消していた。

 

「ごめんなさい。ザコに、時間をかけている暇はないのよ」

 

 その声は、ヒュージの真上から聞こえた。いつの間にか真昼は、目にも止まらない速さで移動し、ヒュージの上に立っていたのだ。

 

 真昼はブリューナクをバスターモードに切り替えると、その銃口をヒュージへと突きつける。

 どうも、ヒュージには真昼がつけたモノとは別の傷があり、すでに別のリリィと戦闘をしていた形跡がある。なら、この近くにそのリリィがいる可能性が高い。だから、人目につく前に逃げるため、早々に終わらせることにしたのだ。

 

「うち抜け、ズドン」

 

 ブリューナクに鬼呪の力を込めて、トリガーを引く。

 

 黒い閃光が、ヒュージを貫いた。

 

 それで、終わりだ。真昼はゆっくりと崩れ落ちたヒュージから飛び降りると、すでに動きを止めてピクリとも動かないヒュージを見つめる。

 

「なるほど、これがヒュージか。思ったより、手ごたえがなかったなぁ」

 

 この様子だと、鬼呪を暴走させなくても、ヒュージと戦うには問題なさそうだ。十分動けることも確認したし、早々にこの場を去ろうとしたところで、背後から人の気配を感じた。

 

 ──ヒュージに気を取られすぎたかな。

 

 適当に会話を合わせて、隙を見て逃げる。それが無理なら、面倒だから殺す。

 そう決めて、真昼は振り返った。

 

「あれ? 他にもこのヒュージを狙っている生徒がいたんだ。でも早い者勝ちってことで、許してね」

 

 そして視線の先に立つ、そのリリィの姿を見て、

 

「──っ!?」

 

 真昼の心が、激しく揺れた。

 

 記憶にない少女だ。ハーフだろうか、西洋の血が混じった、美しい容姿。鮮やかな赤毛は、腰まで伸びて、太陽の光を反射して煌めいている。瞳の色は鮮やかな蒼色で、澄んだ空を思わせた。モデル顔負けのプロポーションは、真昼に匹敵するだろう。

 

 そんな、美しい少女だった。その少女から、真昼は目が離せない。その少女を見ているだけで、胸の奥が酷くざわついた。

 

「真昼!!」

 

 少女が、名乗ってもいない真昼の名前を呼んだ。その瞳には大粒の涙を浮かべて、だけどとてもうれしそうな笑みを浮かべて、真昼に向かって駆けてくる。

 

 その姿に、真昼は強い衝動に襲われる。少女と同じく、走り出したい。そのまま、少女を抱きしめたいと、欲望があふれ出る。

 

『うわ、すごい欲望だ。よくわからないけど、いいよ真昼。その欲望を思う存分満たそうじゃないか』

 

 ノ夜が、嬉しそうに笑う。ノ夜が、真昼の欲望を喰らいつくそうとしている。

 

 真昼はノ夜の誘惑を振り払うように歯を食いしばると、ブリューナクを少女へ向かい突き出した。

 

「……止まりなさい」

 

 刃を向けられた少女は足を止めると、驚いたように真昼を見つめる。

 

「なにを……」

「それ以上、近づかないで。殺すわよ」

 

 真昼は、湧き上がる衝動を懸命に抑え、少女を睨みつけた。少女は真昼の剣呑な気配を感じてか、一歩後ろに下がる。

 

「ねえ、真昼……冗談ですわよね」

「さっきから、ずいぶん人の名前を気安く呼ぶんだね。あなた、もしかして柊の関係者かしら?」

 

 真昼の言葉を聞くと、少女は悲しそうに顔をゆがめて、悲痛な声で叫んだ。

 

「わたくしは、柊ではありません。真昼こそ、どうしたのですか! わたくしのこと、忘れてしまったのですか。わたくしは──」

「ああ、うるさいな」

 

 少女の声を遮る様に、真昼は言った。

 少女の声を聴くだけで、胸の奥がざわつく。少女の泣きそうな顔を見るだけで、胸が締め付けられたように苦しくなる。これ以上は、限界だ。自分の欲望が、抑えられない。

 

 だから、真昼は少女を殺すことにした。

 

 真昼は地面へ強く蹴ると一瞬で少女の懐に飛び込み、ブリューナクを振る。少女は反射的にだろう、自分のCHARMで、真昼の攻撃を防いだ。

 悪くない反応だ。おそらく、相当な技量を持ったリリィなのだろう。

 

「けど、これで終わりよ」

 

 少女は攻撃を防ぎこそしたが、ブリューナクの一振りに耐えられず、腕が大きくはじかれてしまい、胸元ががら空きになる。真昼はその胸元を掴むと、背負い投げのようにして、少女を地面に叩きつけた。

 

「くっ!?」

 

 きれいに受け身を取り仰向けに倒れた少女はすぐに起き上がろうとするが、そんなことを許す真昼ではない。少女の腹部を右足で強く踏みつけると、苦しそうに顔をゆがめる少女を見下ろした。

 

「はは、苦しい」

「ま……ひる……。わたくしです、思いだして──」

 

 真昼は何も答えない。ただ、今すぐ少女を殺したかった。殺さなければ、狂ってしまう。そんな衝動に、支配されていた。

 

「もう、いいわ。死んで」

 

 真昼はブリューナクを逆手で持つと、その切っ先を少女の首元に向け、まっすぐ突き刺した。

 そんな真昼から目をそらさずに、少女は祈る様に叫んだ。

 

「わたくしです、楓です!!」

 

 地面に、ブリューナクが突き刺さる。

 

 その刃は少女──楓の首元をわずかに外していた。

 

「かえで……」

 

 真昼は、少女の名前を口にする。それだけで、胸が高鳴るのを感じた。

 

「そう、楓・J・ヌーベルです。十年前、あなたと想いを重ねた恋人です」

「十年前……恋人……っ」

 

 真昼は、痛む胸を抑えると、後ろに倒れそうになる体のバランスを保つように、後ろに数歩下がる。

 

 確かに、十年前に真昼には世界で一番大好きな恋人ができた。

 だが、それは一瀬グレンであり、楓という少女ではない。

 

 なのに──

 

「楓」

 

 なのになぜか、その名前を口にするだけで、感情が揺るぐのを抑えられない。気分が高揚し、幸せだという気持ちが、抑えられなくなる。

 

 楓を見ると、CHRAMを杖のようにして立ち上がり、真昼を見ていた。その表情は、殺されかけたというのに、恐怖や敵意などはなく、逆に真昼の身を案じているようにも見える。

 

 そして、楓は言う。

 

「大丈夫、真昼?」

 

 その声と重なる様に、もう一つの声が聞こえた気がした。

 

『大丈夫、真昼?』

 

 その瞬間、楓の脳裏に過去の光景がよみがえる。

 

 

 

 

 それは十年前、まだ五歳だった真昼が、満面の笑みを浮かべて走っている。その先で、大好きな恋人と会う約束をしているのだ。

 今日はどんなことを話そうか。いや、なんだっていい。だって、そのこと一緒にいられるだけで幸せなのだから。

 そんなことを考えて、約束の場所についた。

 そこは、小さな河原だ。そして、真昼と同じくらいの背丈の子供がたっている。

 

 真昼の視線の先に立つその子が、ゆっくりと振り返る。

 

 その子の後ろ姿を見て、真昼はその子を呼ぶ。 

 

『──』

 

 はたして、自分は何と言ったのだろうか。わからない。

 

 わからないが、真昼の声にこたえるように、大好きなあの子の顔が、真昼に向く。

 

『すごい汗』

 

 その子は汗でびっしょりの真昼の姿に、驚いたように目を丸くする。そして、心配そうに言った。

 

『大丈夫、真昼?』

 

 その子は、黒髪で生意気そうな眼をした男の子──ではなかった。

 

 その子は、赤毛で澄んだ蒼いい瞳をした少女だった。

 

 それは正しく、楓・J・ヌーベルだった。

 

 

 

「うわあああああああああ!!」

 

 閉じられていた記憶の蓋が開き、真昼は叫ぶ。

 鬼のことなど、気にしている余裕などない。ただ、あふれ出た記憶の波に押し流されるしかなかった。

 

「真昼……」

 

 視界の端に、目を見開き、こちらを見る楓の姿が映る。

 最愛の恋人の姿が、写った。

 

「いや、いやいやいやいや!! 見ないで、お願いだから醜い私を見ないで!!」

 

 大好きな楓に、化物になってしまった自分を見られた。狂ってしまった自分が、楓を傷つけてしまった。

 

 その事実に、真昼は悲痛な叫びをあげる。

 

「真昼!!」

「来ないで!!」

 

 楓は真昼に駆け寄ろうとするが、それよりも早く、真昼が動く。

 鬼呪を暴走させ、ありったけの力を込めて、ブリューナクを振る。

 

 楓を拒絶するように、大地が二つに割れた。

 

 地面にできた大きな亀裂の前で、楓が足を止める。楓が何を言いたそうに真昼を見るが、

 

「──ごめん」

 

 真昼は、それだけ呟くと、楓に背を向けた。

 これ以上、楓の前にいることが耐えられなくて、その場から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 夜も更けた頃、楓は本日から過ごすことになった自室にやっと戻ってきた。

 電気もつけずに、楓は疲れた体をベッドの上に投げ出すと、天井を見上げて、深く息を吐いた。

 

 長い一日だった。

 

 ヒュージ討伐の後、入学式が問い行われた。流石はヒュージとの戦闘における最前線、百合ヶ丘女学院だけあり、ヒュージ脱走による混乱などはほとんどなく、粛々と式は執り行われた。

 

 そこまでは、よかった。

 

 問題は、その後だ。楓は、理事長に呼び出された。

 

 聞かれたことは、もちろん脱走したヒュージのことだ。

 

 真昼が逃げるように消えた少し後、駆け付けた梨璃と夢結は、その場の光景に言葉を失った。

 なにせ、ヒュージがすでに討伐されているどころか、地面には自然にできたとは思えない深い亀裂が走っていたのだ。

 

 当然、どうしたのかと詰め寄られたが、楓は一瞬にも満たない時間で、真実を話さないことを決めた。

 だから、自分がこの場に来たときには、すでにこうだった、と答えた。

 

 梨璃は純粋にに、夢結は訝し気に、他のリリィが先に討伐したのだ、と結論付け、学院に戻った。

 

 だが、当然そんな言葉でごまかせるはずもなく、事情を聴くために理事長室に呼び出されたのだ。

 そこにいたのは学院理事長代理である高松咬月と生徒会の三役だ。

 その場の剣呑な雰囲気に、楓は警戒心を強くした。

 

 呼び出しの名目は、高等部編入試験をトップで合格し、また本日のヒュージ討伐で一定の成果を見せた楓を労うため。だが、そんなことはもちろん建前に過ぎない。

 

 真に聞きたかったのは、あの場での出来事だ。

 なにか、不審な点がなかったか、と聞きたのだ。

 

 咬月は言葉こそ好々爺としていて親しげだったが、メガネレンズの向こうの瞳は、楓の表情の変化を少しも逃さないというように、鋭い力が込められている。

 それは、他の三役も同じだ。蛇ににらまれたカエルの気分が分かった気がした。

 

 だからこそ、楓はここでも真実を隠すことにした。

 

 なぜなら、少なくとも咬月は、真昼の存在を知っている、と確信したからだ。

 

 表向き、ヒュージを討伐したのは三役の一人、出江史房ということになっている。

 だがもちろん、出江史房ではないことは、この場にいる本人がよく知っているだろう。そして、あの亀裂を作ることはリリィの力でも容易ではないこともわかっている。

 

 だからこそ、ヒュージを討伐したリリィが真昼だとわかっているし、その姿を見ているかもしれない楓に探りを入れているのだろう。

 

 真昼は、この学院の制服を着ていた。なら、真昼は学院に少なからず関係しているのだろう。

 百合ヶ丘女学院は強化リリィの保護をしている、と聞いている。

 楓が知る真昼の事情を考えれば、強化リリィとして、この学院に保護されている、という話は理屈として通じる。

 

 だが、それは真実だろうか。もし、この学院で真昼が保護されている、というのなら、なぜその事情を楓に話さないのか。探る様に、婉曲な会話で、楓が失言するのを待っているようにも見える。

 

 本当に、真昼はこの学院で保護されていたのか。それとも逆で、あの柊家の命令で真昼がこの学院に潜入していたのではないか。

 

 もしくは、この学院こそが真昼を狂わせた元凶ではないか。

 反G.E.H.E.N.A.主義を掲げていても、それはあくまで外からの評判だ。実際はどうかなど、自分の目で確かめなければ、わかるものではない。

 

 誰が敵で、誰が味方なのかはわからない。結論を出すには、あまりにも情報が少なすぎる。だから、真昼は真実を隠すことにした。

 

 そんな腹芸をして、ようやく戻ってきたのが、今の時間だ。

 

「疲れましたわ」

 

 楓は思わず、呟く。

 荷物の整理もまだ済んでなく、部屋の隅には生活用品や着替えなどの荷物が高く積まれている。使用人は連れてきていないので荷ほどきも自分で行う必要があるのだが、今はその気力すら出ない。

 

 楓は正々堂々とした立ち合いを好んでおり、騙し合いや探り合いのような、美しくない手段をとるのは嫌いなのだ。見知ったばかりの相手を疑ってかかるとなれば、なおさらだ。

 だから、真昼に関する情報を掴むためとはいえ、苦手とする手段をとるのは、精神的な疲労が高い。

 

 だけど、そんな弱音ばかりは言っていられない。だって──

 

「やっと見つけた」

 

 十年前から再開を望んでいた、最愛の恋人を、柊真昼をやっと見つけることができた。

 けど、それは最悪の形でだった。

 

 真昼は、楓のことを忘れていた。いや、忘れさせられていたのかもしれない。

 

 柊家やG.E.H.E.N.A.なら、真昼を都合の良い駒にするために、記憶改ざんぐらいするだろう。そして、それ以上に酷い人体実験も受けたのだろう。だからこそ、楓でもまったく敵わないような、驚異的な力を持っていたのだ。

 

「でも、泣いていましたわ」

 

 真昼は、楓を見た瞬間から、ずっと泣きそうだった。真昼本人が気が付いていたかわからないが、苦しくて、悲しくて、くしゃくしゃに顔をゆがめていた。

 それは、楓を殺そうとする直前でもそうだ。だから、楓は真昼が少しも怖くなかった。どんなに圧倒的な力を持っていても、恐怖は感じなかった。

 ただ、真昼のことを救いたいと思った。抱きしめたいと思った。それだけだ。

 

 その後の、真昼の狂乱の様は、見ているだけで痛々しいほどだった。楓のことを思い出したのかわからないが、見てほしくないと泣き叫び、楓を拒絶し、逃げだしたのだ。

 

 そのことを思い出し、楓は強くこぶしを握る。爪が掌に食い込んで血がにじむが、痛みなど無視して更に力を籠める。

 

 自分に、力がないから真昼を泣かせた。もし、自分にもっと力があれば。逃げる真昼に追いつき、その手を取る力があれば。真昼が自分の醜いなどと蔑むことなく、守ってあげられる力があれば。真昼がいくら拒絶しようとも、気にせずに抱きしめる力があれば。

 

「少しは強くなったと思いましたが、まだ全然弱いですわ」

 

 そして、楓は薄暗い部屋の天井を見上げて、呟いた。

 

 

 

 

 

 奇しくも同時刻、真昼は廃ビルの一室にいた。

 部屋の隅に座り込み、膝を抱えて背を丸くする。

 

 蘇った記憶による混乱は、だいぶ収まっていた。

 

 だから、真昼は崩壊した世界で過ごしたことなどないということを思い出した。

 

 真昼が十五年を生きた世界は、ヒュージという化物とリリィという少女が戦う、この世界であることを、思い出した。

 世界を滅ぼす死のウイルスも、人の血を吸う化物も、一瀬グレンという少年ですら、真昼の記憶の中だけの虚構の存在だと、理解してしまった。

 

 まだ整理しきれないもの、理解できていない記憶はあるが、その中でも一番大切な思い出だけは、確かに胸の内にあった。

 

 柊真昼は、楓・J・ヌーベルを愛している。

 

 そんな想いが溢れていた。

 

『だったら真昼、すぐにその娘のところに行こうよ。そして押し倒して、自分の欲望でメチャクチャにしようよ』

「黙って!!」

 

 ノ夜の誘惑を拒絶するだけの余裕が、今の疲弊した真昼にはなかった。

 いや、元からそんなものはなかったのだ。すでに真昼は、狂っていたのだから。

 本当の自分も忘れて、大好きな楓のことも忘れて、偽りの記憶を持った自分を正気だなどと勘違いしていたのだ。

 

 今も気を抜くと、自分の意識が消えそうになる。もう一人の自分が、出てきそうになる。

 

 楓を押し倒したい。どす黒い欲望で、楓のことを犯したい。そして、いっそ殺してしまいたい。

 

 そんな、真昼(バケモノ)に飲み込まれそうになる。だから、自分が消える直前、祈る様に呟いた。

 

 

 

 

「真昼」

 

 楓が決意を込めて言う。

 

「楓」

 

 真昼が絶望の中で言う。

 

「わたくしが、貴女を救います」

「早く、私を殺して」

 

 

 

 




最後の方は駆け足になりましたが、アニメ版一話完結となります。

次から、少しアニメの話数がとぶ予定です。

更新ペースは遅いですが、これからもよろしくお願いします。


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理想のユメ

新章のプロローグ的な話で、少し短めです。

少しずつ終わりのセラフ要素を強くしていきたいです。


 それは、いつも通りの朝だった。

 

 百合ヶ丘女学院の二年生、白井夢結は自室の鏡で身だしなみを確認する。百合ヶ丘女学院に所属するリリィとして、服装の乱れは許されない。リボンやソックスなど、細かい箇所まで、入念に確認する。

 

「ずいぶん、準備に余念がないんだね」

 

 夢結の背後から、声がかけられた。

 

 それは、ルームメイトの秦祀ではない。彼女は、生徒会の所用があるとのことで、一足先に部屋を出ている。

 

 その声の主は、夢結にとって最も大切な人物。

 

「貴女には、関係のないことでしょう。お姉様」

 

 それは、夢結のシュッツエンゲル、川添美鈴だった。

 

 美鈴は苦笑すると、

 

「ずいぶん、素っ気ないね。最近、僕に対する態度が冷たいんじゃないか」

 

 そんな、非難するような言葉を、夢結は聞き流す。だって、その言葉を聞くことに、意味はないのだから。

 

 ──川添美鈴は二年前に戦死しているのだから。

 

 だから、この場に美鈴がいるわけがないのだ。なのに、夢結の視線の先には美鈴がいる。

 

 夢結にしか見えない、美鈴がいる。

 

 美鈴は夢結の前に現れたのは、二年前。美鈴が戦死した甲州撤退戦のすぐ後だ。

 

 最初は、ただ嬉しかった。なにせ、自分の目の前で傷つき、命を失ったはずの姉が生きていたのだ。自分の傷が痛むのも構わず、大声で泣きながら、美鈴を抱きしめた。

 

 だが、その幸せも長くは続かなかった。

 

 最初は、違和感しかなかった。夢結が美鈴と話していると、見舞いに来た友人たちが、顔をゆがめるのだ。泣きそうな、何かを言いたそうな、でも言うことができない。そんな、無理やり作った笑顔をするのだ。

 

 そして、吉村・Thi・梅が、それを口にした。

 

『夢結、この部屋に美鈴様はいないゾ』

 

 そして、夢結は幸せな夢から覚めた。夢結の世界の熱は冷めて、色を失った。

 

 それは、梅の精一杯の優しさだったのだ。誰もやりたがらなかった残酷な役目を引き受けてくれた。

 

 けど、それからの夢結の生活は、地獄のような日々だった。最愛の人を失い、それでも自分は生きている。

 

 ──そしてなにより、死んだはずの姉だけが、夢結の前で色づいて見えた。

 

 医師の診断では、精神的なショックによるものだろう、ということだ。なにせ、姉を失ったことはもちろんだが、甲州撤退戦の最中、一週間、夢結と美鈴は行方不明だったのだ。必死の捜索の上、もう諦めようかという空気が漂う中で、やっと見つけたのが夢結とすでに冷たくなった美鈴だった。

 

 行方不明となった一週間、何をしていたのか、夢結も覚えていない。調査隊が組まれたが、一週間に何があったのか、手掛かりは発見できなかった。

 ただ、夢結が精神的疾患を受けるだけの、なにかがあったのだということだけが、わかった。

 

 夢結も最初は、その事実を受け入れようとした。美鈴お姉さまはもういない、自分が見ているものは、自分が生んだ都合のいい幻にすぎない。そう、懸命に自分に言い聞かせた。

 

 だが、結局はダメだった。

 どんなに、美鈴の幻を振り払おうとも、その声を無視しようとしても、最後には、耳を傾けてしまう。存在を受け入れてしまう。

 

 愛しの姉といたいという、欲望に負けてしまう。

 

 それから、夢結の生活は一変した。美鈴を拒絶したい、けど受け入れたい。そんな矛盾した想いが、現実の生活にも影響を与え始めた。

 

 端的に言えば、他人との距離がわからなくなったのだ。どこまで、自分は相手と親しくしていいのか、友人だと思っている相手は、ただの幻想ではないのか。すべて、自分の都合のいい思いこみではないのか。

 

 そうしているうちに、夢結はルームメイトや級友、所属していたレギオンメンバーとも、交流を持つことを避けるようになっていた。

 

 友人などいらない。仲間もいらない、ただ、ヒュージと戦う。そして、美鈴といる。自分には、それだけあればいい。

 

 いつしか、「死神」などという呼ばれ方をされるようになったが、そんなことは気にならなかった。ヒュージと戦っている間だけが、自分の存在を認めることができた。ヒュージと戦う間だけ、より美鈴の存在を近くに感じることができた。

 

 夢結の世界には、自分の姉だけいればいい。そう、思っていた。

 けど最近、夢結の世界に、土足で踏みいる存在がいた。

 

 それが、一柳梨璃だ。

 

 どんなに邪険に扱っても、夢結のそばから離れず、シルトにしてほしいと、引き下がらなかった。

 もちろん、夢結はシルトを作るつもりなどなかった。自分のような狂ったリリィが、シルトを作れるはずがない。

 

 それなのに、梨璃は諦めなかった。あまりにもしつこいので、いっそ近くに置いて、梨璃が求める理想の夢結などいないのだと思い知らせてやろうと、シルトにしたが、それがいけなかった。

 

 梨璃は、狂った夢結を受け入れたのだ。ルナティックトランサーを発動させ、ただヒュージを倒すだけの化物となった夢結のことを、それでも姉だと言ってくれた。

 

 だから、夢結も少しずつ、変わろうと思ったのだ。少しでも一柳梨璃の姉であることを、誇れるように。

 

「いい加減、自分の都合のいい妄想に浸ることはやめたんです」

 

 視線だけを美鈴に向け、夢結は言った。

 

「なるほど、夢結も姉離れする時が来たということか。うれしいような、寂しいような、複雑な気分だよ。けど、梨璃ちゃんは私にとっても、可愛い孫のようなものだ。夢結が梨璃ちゃんのために頑張ろうとする姿は、見ていてとてもうれしいものだ」

 

 そういう美鈴は、嬉しそうに笑っている。けど、瞳だけが冷たいままだ。美鈴は、いつもそうなのだ。愉しそうなのに、まったく笑っていない。ただ、夢結を甘やかすように、すべての行動を肯定してくる。

 だから、つい甘えたくなってしまう。認められることが気持ちよくて、美鈴という誘惑に逆らえなくなってしまう。

 

 だから、夢結は強い口調で言う。

 

「お姉さまがどう思おうと、関係ありません。もう、私には関わらないでください」

 

 そういうと、夢結は通学かばんを手に取ると、美鈴を残して部屋を後にした。

 

 

 

「ふふ、怒った夢結もカワイイな」

 

 一人残された美鈴は、窓から部屋の外を眺める。窓からは海が見えるが、さらにその先に視線を向ける。

 

「二年か、思ったより長かったな。けど、この調子じゃ今日がその日かな」

 

 二年間、待ちわびていたものが、やってくる。そして、自分と夢結が、一つになる。

 

「悪いね、柊真昼。僕は、僕の欲望を抑えられない」

 

 そう笑う美鈴の額には、二本の角が生えていた。

 

 

 



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蒼月とのミツダン

天葉様がもうすぐラスバレ参戦ですね。
今から楽しみです!!


「本当に、びっくりです~。アールヴヘイムのノインヴェルト戦術を見学できるなんて」

 

 驚きと喜びが混ざりあり、興奮した声を出したのは、前を歩く二川二水だ。その隣では、一柳梨璃が同じく笑顔で頷いている。

 

 周りをいる一同も、皆似た感じだ。違うのは、最近は多少なりとも柔らかくなったが、それでも厳しい表情が多い白井夢結と、どこかこの状況を他人事に思っている自分、楓・J・ヌーベルだけだ。

 

 さて、一体どうしてこんなことになっているのだろうか、と楓は思い返す。

 

 もともと、楓はこの学院で、親しい友人は作るつもりはなかった。楓の学院での目的は、柊真昼を捜索する手がかりを手に入れることと、あの柊と対立するだけの力を手に入れることだ。

 

 世界的名門校である百合ヶ丘女学院のリリィが気の抜けた気持ちでヒュージと戦っているとはさすがに思っていないが、それでも、戦うモチベーションというのは様々だ。なので、真に自分を高められる相手を厳選し、不要なものは切り捨てようと思っていた。

 

 なんとも傲慢で独りよがりの考え方だが、自分の目的を最短で達成するためには、必要なことだと割り切っていた。

 

 その気持ちは、真昼と再会した日からより一層強くなっていた。まずは、力を高めながら、この学院と真昼の関係を探る。そして、この学院が敵となるのか味方になるのか、見極めようと思っていたのだ。

 

 だというのに、気が付けば楓は、新米リリィである梨璃が隊長を務めるレギオン、一柳隊に所属しているのだ。

 

 理由はなにかと聞かれれば、単純に、絆されてしまったのだ。

 

 梨璃とは初日の戦闘で一緒になったことや、クラスが同じになったことで、梨璃から一方的であることが多いが、よく話をするようになった。そして、彼女がこの学院に来た理由を知った。

 憧れの夢結を追いかけてリリィになり、そして懸命に夢結を追いかけるその姿が、真昼を追いかける自分と重なってしまった。そんな、簡単な理由だ。

 

 自然と、梨璃が夢結のシルトになれるように手を貸していたし、レギオンにも参加することになっていた。

 

 正直に言えば、誤算だ。想定外にもほどがある。今は六月半ば。予定では、今頃学院でも発言力がある上位レギオンに所属し、この学院の隠し持っている情報の一つや二つを手に入れているところなのだ。なにせ、楓には学院の八つのレギオンから勧誘があったのだ。十分、実現可能な計画だった。

 

 だというのに、今いるレギオンは結成したての弱小レギオン。どこで、予定が狂ったのかわからない。

 

「まったく、梨璃さんのせいですわ」

 

 聞こえないほどの小さな声で、呟く。

 

 梨璃には、不思議なことに人を引き付ける魅力があった。何事にも一生懸命な姿は、どうも手を貸してあげたくなる。助けてあげたくなる。

 

 もしかして運命の歯車が少しでも異なれば、真昼ではなく梨璃のことを運命の人だと思っていたかもしれない。

 

 ──確かに、容姿はわたくし好みではありますが。

 

 なんて、ありえないIF(もしも)の考えを振り払い、気を取り直す。

 

 今日はこれから、結成したばかりの一柳隊のために、アールヴヘイムがノインヴェルト戦術を見学させてくれるのだ。

 学院の最上位レギオンの一つであるアールヴヘイムが、新米レギオンのために動いてくれるというのは、そうそうあるものではない。これは、夢結と吉村・Thi・梅のコネによるところが大きい。

 

 楓としても、こんな貴重な機会は滅多にないので、少しも見逃さないようにし、自分の糧とするつもりだ。

 

 そして、ヒュージが到来する戦場へと向かう途中で、

 

「……」

 

 ふいに、楓は足を止めた。

 

「どうかしましたか、楓さん?」

 

 隣を歩く、郭神琳が怪訝そうに聞く。ほかのメンバーも、立ち止まり楓を見ている。

 

「いえ、少し所用を思い出しました。申し訳ありませんが、先に行ってください」

「なんじゃ、トイレか?」

 

 なんて、品のないことを聞くミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウスに、わざとらしく顔をしかめて、

 

「違いますわ、ちびっこ二号! ちょっと、CHARMのことでお父様に連絡する約束をしていたのです。予定時間までには終わらせるので、少々失礼しますわ」

 

 適当な言い訳をして頭を下げると、楓は来た道を引き返す。向かう先は一柳隊のレギオン控室でも、他の電話に適した場所でもない。しかし、楓は迷いなく歩を進める。そして、目的の部屋の前まで来ると、一呼吸して気を張ると、扉をノックした。

 

「どうぞ。カギは空いているよ」

 

 緊張した楓とは逆に、軽い調子の声が部屋から聞こえた。

 楓はその部屋、アールヴヘイムのレギオン控室に入る。

 

「失礼しますわ」

「ようこそ。歓迎するわ」

 

 その中にいたのは、ただ一人。

 アールブヘイムの隊長、天野天葉だった。

 

「……」

「いつまでも扉の前に立ってないで、こっちに来てソファーに座ったら? お茶くらい入れるよ」

「いえ、結構です。お互い、ゆっくりしている時間はないはずですわ」

 

 友好的な天葉に対して、楓は警戒心を解かない。

 なにせ、天葉は楓一人をここに呼び出したのだ。それも、物陰に隠れ、歩く楓の背中に対して敵意を向けるという方法で。楓も、相手がだれか気が付かなかった。ただ、敵意を感じ、その主を追いかけてきたら、ここに来ただけだ。

 

 それが天葉だったことには驚くが、警戒心を解く理由とはならない。

 

「それはそうだね……いや、最初に謝るべきかな。あなたを無理やり呼び出すようなことをして、ごめんななさい」

「謝罪は受け取りますが、説明はしてほしいものですわ。同胞であるはずのリリィから敵意を向けられて、冗談などという理由で済ます気はありませんわよ」

「ええ、もちろん」

 

 そういうと、天葉は部屋に置かれたソファーに座る。楓も、覚悟を決めて、天葉の対面に座った。天葉の様子から、長話になるのは避けられないと判断したのだ。

 

「理由は二つ。一つは、貴女と二人で話したかったの」

 

 その答えに、楓は顔をしかめた。

 

「意味がわかりませんわ。わたくしと話したいなら、接触方法は他にもあったでしょう。それ以前に、天葉様がわたくしと、二人だけで話したいという理由が思い当たりませんわ」

「そうかな? 貴女は、あたしと話したいと思っていたみたいだけど」

「どういうことでしょうか?」

「熱心に、あたしのことを聞いて回ってたんでしょう」

 

 楓は表情にこそ出さないが、内心ではその意味を理解した。

 どうも、天葉のことを探っていたことを、知られているようだ。

 

 楓は入学してしばらくの間、この学院で真昼の情報を探っていた。もちろん、学院が敵か味方か判断できないうちは、大きな行動に出ることはできない。なので、何気ない会話から、少しでもこの学院で、真昼に関する異変が起きていないか、探ろうとしたのだ。

 

 そこで、気になったうわさがあった。

 

 例えば、妹を溺愛している天野天葉が、入学式当日に姿を見せなかったこと。

 例えば、入学式のヒュージ逃走時、天野天葉を探しに行った田中壱が戻らなかったこと。

 

 それは、気になる話ではあるが、それだけで真昼に結びつくものではなかった。だが、その情報源の一人

 田中壱についての愚痴をこぼしていた遠藤亜羅椰だが、田中壱のその後の動向について聞こうと思った時、言葉を濁したのだ。

 

『ああ、その話。ごめんなさい、私の勘違いだっただけ。いっちゃんは、私とは別の場所でヒュージ捜索していたみたい』

 

 なんてことを、棒読みのように話す亜羅椰に、違和感を覚えない方が無理だった。

 それは、天野天葉についても同じだ。

 

 彼女のシルト、江川樟美にも、雑談を装って入学式での天葉のことを聞いてみると、濁すような、曖昧な返事が返ってきた。

 そこから、少しずつ、楓の行動を悟られないように、天葉の入学式前後の情報を探った。

 

 時にはなにげない雑談のように。時には先輩に憧れる一年生リリィのように。

 

 そうして、どうも天葉は入学式の直前に、同室の番匠谷依奈と共にヒュージ発生した地域に調査に出たらしい。そこから帰ってきてからというもの、天葉は一日に一度は、どこかに一人で行っていたらしい

 

 断片的な情報を組み合わせて、楓はどうにかそこまでの情報を手に入れていた。ただ、それが真昼と関係するまでは、不明のままだった。これ以上は、より踏み込んだ動きが必要だと、思っていたところに、天葉からの接触だ。

 

 熱心に、と言われるわかりやすく動いていたつもりはないが、天葉の言う通り、無意識のうちに目につくようなことをしていたのかもしれない。

 

 ここで否定するのは得策ではない。だが、真実を話すわけにもいかない。今は、適当に話を合わせて、ごまかすことにする。

 

「お恥ずかしい限りですわ。憧れのリリィである天葉様とお近づきになりたくて、少々はしたない行動をとってしまたようです」

「へえ、あたしのファンってこと?」

「はい。天葉様の数々の戦歴は、リリィとして尊敬の念しかありません」

「そういう楓ちゃんも、かなりの実力だと思うけど。なんせ、あたしの気配だけを追いかけて、ここまで来るんだもの」

「あれくらい、天葉様でもできると思いますが」

「ヒュージとの戦闘中ならね。だけど、学内で少しの、それも人の敵意を感じて、すぐこの部屋まで来るなんて、できないよ。まるで、人間を相手にすることも想定した訓練をしていたみたい。実は、いざという時のために、本当の実力を隠していたりして」

 

 なんて、からかうような天葉の言葉から、大体の話の流れが見えてきた楓だが、少し微笑みながら言う。

 

「恐縮ですわ。天葉様からお褒め頂けるなんて、光栄です」

「それじゃ二つ目の理由ってことで、憧れの天葉さんから、一つ質問してもいい?」

「わたくしに、答えられることなら」

 

 楓がそう言うと、天葉はいたずらっ子のように、笑みを作って言った。

 

「真昼って聞いて、なにか心当たりある」

「……さあ」

 

 と楓は言った。

 

「お昼時のことですわよね? 言葉の意味はわかりますけど、それ以上のことは……」

 

 表情は、うまく隠せたと思う。ただ少し、直接的すぎる質問だったために、驚いてしまった。

 楓の反応を確認した天葉は、言葉を続ける。

 

「今の答えは、どういう反応なんだろう? わざと答えをはぐらかしたのかな」

「おっしゃっている意味がわかりませんわ」

「……はぁ」

 

 天葉は、疲れたように大きなため息をつくと、肩を落とした。

 

「やっぱり、こういう探り合いとか、回りくどいやり方は、理事長代理や百由ならともかく、あたし向きじゃないわ……ねえ、楓ちゃん。お互い、腹を割って話す気はないかしら」

「どういうことでしょうか」

「まあ、そういう反応になるわよね。いいわ、こっちから話しましょうか。楓・J・ヌーベルさん。貴女は、百合ヶ丘女学院から、学外組織のスパイ容疑がかけられています」

 

 天葉は、そう話を切り出した。

 

「百合ヶ丘女学院は三月後半、強化リリィと思わしき少女の保護をしたわ。少女の本名は不明だけど、自身を真昼と呼んだことから、学園関係者は彼女のことを、そのまま真昼という仮名で読んでいたの。あ、ちなみに最初に真昼ちゃんを保護したのはあたしね」

 

 楓は、天葉の言葉を聞きながら、自分の持つ情報との擦り合わせを行う。楓が知る天葉の当時の行動と、矛盾はないように思える。

 

 だからと言って、その言葉を鵜吞みにするわけではないが。

 

「それで、ずっと眠りっぱなしだったんだけど、入学式の日の朝にやっと目が覚めたんだ。けど、目覚めると同時に、その場に居合わせたあたしのことを気絶させ、学院から逃走したんだ。その途中で、生徒の一人を襲ってCHARMまで強奪してね」

「天葉様を気絶させるなんて、その真昼という方は、かなりの実力者ということでしょうか」

 

 すでに、今の真昼の実力を見ている楓だが、天葉の会話に合わせて、質問をする。そこで、どう回答するかによって、天葉の思惑を読み取るためだ。

 

「気絶したのは、油断したからってことが大きいけど。そうだね、あたし一人じゃ手も足も出ないかな。どうも、入学式の日に脱走としたヒュージを撃退したのは、状況的に真昼ちゃんみたいなんだよね」

「私は、出江史房様がヒュージを撃退した、と聞きましたが」

「それは嘘。ちょっと、真昼ちゃんの事情は、公にできない事情があってね」

「事情ですか。それは気になりますね」

「あはは……その事情、楓ちゃんは分かってるんじゃないのかな?」

 

 そう、天葉はまったく笑っていない目をして、楓を見た。

 

「どういうことでしょうか?」

「ヒュージが撃退された現場の検証を行ったのよ。少しでも、真昼ちゃんの手がかりが残っていないと思ってね。そしたらどうも、妙な戦闘の形跡があったのよ」

「ヒュージと戦闘があったのなら、形跡位いくらでもあるでしょう」

「だから、妙なのよ。どうも、ヒュージ以外の何かと戦っていた。そんな形跡ね」

「なるほど。その何かが、私だと言いたいのですわね」

「へえ、驚かないのね」

「あの現場に、最初に到着したのは私。なら、疑われても不思議ではないですわ」

 

 あの時、楓は真昼に襲われ、少なからず抵抗した。その痕跡など、探せばいくらでも残っているし、真昼が逃走する際に残していった、地面の亀裂もある。入学式には不自然な呼び出しもあったし、最初から疑われているのは分かっていた。 ただ、天葉からこうして、手の内を明かすような話をされることは、少し意外だった。

 

「私は、その真昼さんと接触し、それを黙秘している。なら、百合ヶ丘にとって、不都合な存在である可能性がある。真昼さんと通じていて、意図的に逃走の補助をした。そんなところでしょうか」

「まあ、間違ってないけどさ。それ、自分で言うんだ」

「ええ、もちろん。私の経歴に、なんら後ろ暗いものがないことくらい、もう調査済みなのでは?」

 

 楓の言葉に、天葉の顔色が分かりやすく変わった。交渉事が苦手というのは、本当なのだろう。

 

 楓の経歴が調べられているは不思議ではない。むしろ、警戒すべき人間をなんの調査もせず、放置するなど組織としては愚かな行為でしかない。だから、百合ヶ丘も楓の背後関係、特にG.E.H.E.N.A.辺りとの繋がりを調べたはずだ。

 

 だが、なんの問題もない。楓は、G.E.H.E.N.A.や他の後ろ暗い組織と繋がりなどない。あるとすればは、実家であるグランギニョル社だが、家族でさえ、楓の目的を知らないだろう。

 

 楓はただ、一人で真昼を追いかけてきたのだ。

 

「……ええ、そうよ。学院の調査では、あなたを疑うような結果が出なかった。だからこそ、あたしがこうして、楓ちゃんと話すことになったのよ」

「どういう意味でしょうか」

「だから最初に言ったでしょ。腹を割って話さないか、ということよ」

 

 なんて、天葉は言う。

 

「まずは、学院が持つ情報を、あなたに公開したわ。まあ、さすがに全部とは言えないけど、それでも、楓ちゃんにかけられた嫌疑に関する情報は、話したつもりよ」

「だから、私にも知っていることを正直に話せと」

 

 楓は、あまりのことに、思わずため息を吐く。

 それは、交渉でも何でもない。契約も結んでいないうちに、一方的に情報を開示し、だから楓も知っていることを話せと、そう言っているのだ。なんて、バカバカしい話だ。

 

「それ、私が嘘をつくとは思わなかったんですの?」

「楓ちゃんって、嘘つきなんだ?」

「そういうことではありません!」

 

 的外れなそれはの反応に、思わず声が大きくなる楓。

 

「そもそも、真昼さんという方のことを、私が知っているという確証はないんでしょう。そんな相手に、学院の機密事項を明すなんて、もう少し警戒心を持つべきですわ」

「はは、あたしの心配してくれるんだ。楓ちゃんは優しいね」

「私のこと、バカにしてるんですの?」

「そんなことないよ。それに、楓ちゃんは真昼ちゃんのこと、知ってるでしょ」

「だから、私は──」

「知ってるよ」

 

 楓の言葉を遮る様に、天葉が言う。

 

「楓ちゃんは、真昼ちゃんのことを知っている。いや、大切に思っているのかな?」

「なにを根拠に、そんなことを言うのか理解できませんわ」

「根拠なんかないよ。けど、あたしも、どんなことをしても守りたい大切な子がいるから。真昼ちゃんのことを聞いている楓ちゃんの反応を見れば、なんとなくね」

 

 それだけ言うと、天葉はソファーから立ち上がる。

 

「そろそろ、約束の時間だね。返事は、今日の任務が終わった後に聞かせて。合流するタイミングはずらした方がいいだろうし、あたしは先に行くね。それじゃ、またあとでね」

 

 そう軽く手を振ると、天葉は控室を出て行った。

 

「はぁ……」

 

 しばらくすると、楓は深く息を吐き、ソファーに身を預ける。楓は、完璧に感情を表情に出さなかったはずだ。それは、理事長代理との会話でもボロを出さなかったほどだ。それは、真昼の話が出たからと言っても、変わらないはずなのだ。

 

 なのに、天葉はあっさりと見破った。楓の中の真昼を、見つけ出して見せた。

 

「なにが、交渉事は苦手ですか」

 

 なんともいえない敗北感に襲われる楓だった。

 

 



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