同盟上院議事録異聞 〜周回遅れの星・タケミナカタ民主共和国〜 (Kzhiro)
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周回遅れの国・タケミナカタ民主共和国 1

「これからのこの世界では常識に囚われてはいけないのです」(「カムナガラノミチ」初代教主 スワ・サナエ、聴衆に向けて)


一般的に「交戦宙域」と呼ばれるイゼルローン近辺の諸星系の歴史は大変古く、古くはルドルフ・フォン・ゴールデンバウムによる銀河連邦簒奪とそれを逃れたポッケー・ナイナーニェン元帥が本拠とした銀河連邦サジタリウス準州を起源としている。

 

しかし宇宙は当然ながら広大でその中には手付かずの星系もいくつか存在していた。

 

タケミナカタ星系はまさしくその典型例であり、発見されたのが同盟建国から50年後という非常に遅い期間に発見、開拓作業が行われた星系である。

 

当時アルレスハイムという窓口を介さずに直接ハイネセンにやってくる亡命者や社会の落伍者の増加に手を焼いた同盟政府はこの大きく航路から外れ経済的価値などないに等しいこの星系に彼らをいくつかの支援装備と共に送り込むというある種暴挙に等しい行為により開拓を進めていった。つまりタケミナカタは同盟政府にとって「不必要」とされていた人材のゴミ箱としてその役割を始めたのである。

 

ゴミ箱の中のゴミはどんどん数を増し、やがていくつかの街を形成したとき、一つの悲劇がこの惑星を襲った。

 

コルネリアス1世の大親征である。帝国軍が大挙してイゼルローン回廊を越境、サジタリウス腕に襲いかかったのである。

 

しかし帝国軍はこの星系の存在を当然知る由もなく、そのまま素通りしていった。

 

当時のタケミナカタには一つの弱点が存在していた。それは超光速通信網があまり整備されておらず、他星系の情報インフラを間借りして外との連絡を行っていたのである。

 

当然ながら全ての情報はシャットアウトされ、外がどのようになっているかも、自分たちがどのような状況に陥っているか伝えることも不可能になってしまった。

 

何もかも分からない状況で市民たちはパニックになり、やがてその混沌の中から二つの派閥が生じた。

すなわち同盟が勝利したと信じる「勝ち組」と帝国が勝利したと考える「負け組」の二つである。

 

「勝ち組」と「負け組」の二つの派閥はこの星の処遇、いわゆる帝国か同盟、どちらにつくかという議題で相争い、内戦とはならなかったが途方もない血を流した。この時の流行語として「議論とは野蛮な。ここは穏便に暴力で…」という言葉から当時の血生臭さが窺えるだろう。議論はもはや無意味だったのである。

 

全てが落ち着いたのは帝国軍が宮廷革命により撤退し、同盟軍が一大反攻作戦を実行し、タケミナカタを「奪還」してからであった。

 

タケミナカタに進駐した同盟軍はまずその有様に驚いたという。何しろ帝国軍がイゼルローンの向こう側に撤退したにもかかわらず、彼らはやれ帝国が勝った、やれ同盟が勝ったと争っているのである。タケミナカタの人間が同盟が勝利したと気づくまでは進駐から二週間ほど経ってからであったという。

 

それからのタケミナカタの状況は少しは良くなった。進駐した同盟軍は情報インフラをはじめとする各種インフラを修理、整備し、種々諸々の復興に着手したがそれを行った後すぐさまハイネセンへと帰っていった。まあそれでも昔のようなゴミ溜めのような状況からマシになったのは確かではあったが。

タケミナカタ民主共和国と呼ばれる国家が成立したのはこの時である。長い間持ち堪えたことが功を奏し無事同盟政府から加盟国への格上げが認められたのだ。最も、その実態は放って置かれただけであったのだが。

 

それからのタケミナカタは細々と技術発展の恩恵を受け取りちょっとずつ自領を発展させながら外の情勢へと目を向けていった。アスターテ、ヴァンフリート、エル・ファシル、アルレスハイム。後の世に交戦星域と呼ばれる星々を使節団は共に歩む者を探して尋ね回り、その長い長い旅路の果てに彼らが目につけたのはほんの隣の星系、すなわちデルメル平和共和国であった。

 

デルメルの豊富な地下資源はタケミナカタの生活を維持するのに必要不可欠なものであったし、なにより彼らが目につけたのは負け組にとって重要なものが、すなわち『歪な平和』の産物であるフェザーンの独立商会、オリュンポス・カンパニーが抱える警備部隊、現地駐留の帝国軍が存在していたためであった。

 

多少はマシになったとは言え未だタケミナカタの通信インフラは劣悪そのものであり、常に周回遅れの情報を受け取ることを強いられていた。仮に同盟軍が敗北して交戦星域の制宙権を失った際、いつでも帝国に投降できる窓口が欲しい。負け組にとってしてみればこの警備部隊は窓口にふさわしい存在であった。

 

直ちにデルメル政府、そしてオリュンポス・カンパニーとの腹を割った話し合いが始まった。その結果としてデルメルから貿易協定とオリュンポス・カンパニーの支社進出が決定されたのである。すなわち、それは今の状況がさらにマシになるという意味合いがあった。経済的植民地になるという意味合いでのマシになる、という意味合いであったが。

 

「おらたちが輝くための一歩がいま歩み出されただ!おらたちはイゼルローンの輝ける星になるだ!皆、頑張ってくれ!」

 

当時の棟梁、勝ち組を構成する農民共同党所属のアルベルト・シュミットは集まった民衆たちに、彼らに親しい言葉でそう語りかけたという。この時、誰もが明るい未来を夢見ていた。

 

が、現実は厳しかった。その経済的価値は交戦星域全てから見て低いものであったし、そのおかげか通信インフラもいつまでも整備されていなかった。今でもこの星は周回遅れの情報を受け取ることを強いられている。何が真実で何が嘘なのか見分けがつかない。

 

宇宙暦796年現在、タケミナカタは他の諸国が見れば羨ましがるほど平和であった。しかし、それは裏を返せば経済的価値が皆無故の平和とも言えるであろう。

 

そんなのどかな農業惑星の小さな宇宙港に、一台のシャトルが降り立った。

 

 

 

現在のタケミナカタ民主共和国の同盟弁務官であり、勝ち組党を構成する農民共同党の議員である立派な白髭の男、アントン・シューマン博士はシャトルの着陸の衝撃によって無理やり休息を中断させられた。

 

「んもう、全く、この惑星はぐっすりと休ませてもくれないのか…!!!」

 

シューマンは怒りながらリクライニングシートをゆっくりと立て直し、外の光景を見やった。いくつかのビルと遠くに見える広大な田んぼ、畑が織りなす緑のカーペットが彼の目に真っ先に入った。ハイネセンや他の惑星からここに帰ってくるたびにもう何度も見慣れている光景だ。

 

「全く、こんなはずではなかったのに、なんでよりにもよって弁務官なんかに任命されるんだ!」

シューマンはそう言ってからすっくと立ち上がり、ぷりぷりと怒りながらシャトルから外へ出た。

 

亡命者系の子孫であるアントン・シューマン農学博士はエル・ファシル中央大学農学科で学位を取った後、何十年か農業関係の仕事で働き、つい6年ほど前に故郷タケミナカタに農業的革新からの国力増大をもたらすべく選挙に打って出た男であった。

 

だが政治の世界で彼を待ち受けていたのは農業的革新以前の話であった。やれ同盟軍は勝っているのか、やれ帝国軍は勝っているのか、到底まとまりがつかない政治家たちであった。

 

一体いつになったら農業政策に打って出られるのだろうか。そもそもまとまりがつくのだろうか。そう思いながら彼は個性のある議員たちに揉まれながら議員としての責務を全うしていた。情報畑ではないアントンでもこればっかりは貧弱な情報インフラを恨んだものである。あれさえ整備しておけば他の構成諸邦と同じく正確な情報を受け取れ、こんなそれ以前の議論に終始することはないものの!

 

だが彼にとっての転機は2年ほど前に訪れた。前任の同盟弁務官であった負け組系のジョン・ヤマモト議員が何やらハイネセンの弁務官総会で何か失言をやらかしてしまったらしく解任され、新しく彼が同盟弁務官に任命されたのだ。曰くエル・ファシルをはじめとする仕事上のコネがあることがその理由だそうだ。

 

以後彼は慣れない外交官としてハイネセンに交戦星域各地に各地を多忙に飛び回っている。一時期は分身の術を覚えてしまいたいと考えてしまったほどに、多忙に宇宙を飛び回っているのだ。

 

つい最近はハイネセンの弁務官総会に顔を出してきて、今まさしくその結果を議会、そして政府に報告のために戻ってきたところである。仕事先で何回か知り合ったロムスキー氏を始め、アレークシン・リヴォフ、サンムラマート・アシリア、エドヴァルト・フォン・リッツなどの「民主主義の縦深」の濃いメンツと会うのは流石にある程度頑健に鍛えられている彼でも疲れる仕事である。特に前任者の失言の影響がまだ抜けきれていないのだから、その挽回のためにさらに労力を使用した。一年前となるとある程度冷たい視線を向けられていたのだから、多少はマシになっただろう。この惑星とおんなじである。

 

「全く、この惑星の重力はいつまで私を縛りつけるのだ。苦労が耐えやしないではないか。」

 

シューマンはそうぼやきながら簡単な金属、麻薬等探知検査を受けた後、宇宙港のゲートを潜っていった。博士はこれから始まる議会を想像してしまいため息をついた。

 

「こんなはずではなかったのだがなあ…」

 

議員になって早6年も経ったのにまだ慣れていない。足取りは重かった。

 

 

 

「…以上で、ハイネセンにおける同盟弁務官総会、その結果についての報告を終わります。」

 

勝ち組、負け組問わず何十もの視線がシューマンの体を突き刺さる。弁務官に就任してから2年であるが彼はまだ慣れ切っていなかった。

 

議席の一つから手が上がったのが見て取れた。

 

「ホンマ・ヨシムネ棟梁、発言どうぞ。」

 

シュルツ議長が挙手をした男、すなわちこの国の元首たる棟梁である農民共同党のホンマ・ヨシムネである。

 

ずんぐりとした恰幅のいい、気の良いおじいちゃんを思わせる笑顔の男が立ち上がったのをシューマンの目は捉えた。あのニコニコしている笑顔を見るたびに彼の精力というか、やる気というかが失われていくような気がするのは気のせいなのだろうか?

 

「えー、シューマン議員。弁務官総会ご苦労様でした。それでタケミナカタ民主共和国の棟梁として尋ねたいのですが、結論を言いますと同盟は現在のところ勝利している、という認識でよろしいのでしょうか。」

 

そら来た、と博士は思った。これこそが現在この長閑なタケミナカタを長い間蝕む病理である。情報インフラが他と比べて整っていないせいでここに届くのは周回遅れの情報であり、そのせいで正確な情勢の把握が不可能なのだ。そのおかげでこの星の人間は誰も正確な情勢を把握できない。言おうとしたら空回りする。ここにいる国民の信任に基づく議員でさえも。

 

「…議題となった先のアスターテ会戦では2個艦隊が壊滅、一個艦隊が甚大な被害を被ったとのこと。結論を言って仕舞えば、現在は同盟不利と言っても過言ではないでしょう。」

 

「ほら見ろ!やっぱり同盟が負けているじゃないか!」

 

いつものことながら反対方向の議席からヤジが飛んできた。またしてもこれである。周回遅れの情報はそれだけのみならず議会を二つの会派に大きく分けてしまった。すなわち、同盟に追従する現状維持派の勝ち組党と帝国に追従しようとする派閥の負け組党である。

 

今発言したのは負け組を構成する国民同盟の議院であるアルフリート・ランドン議員である。

 

「もうこれで分かったでしょう!同盟にかつての勢いはなし!アッシュビーの栄光は死んだんだ!どうせこのまま帝国にむざむざ踏み潰されるくらいならもう帝国に降伏しましょう!それが国民のためなのですから!ねえ、そうでしょう?棟梁!あなたも愛国者ならわかるはずだ!」

 

頭が痛くなってきた。現実が見えていないどころの騒ぎではなく、そもそも伝えられる現実が不透明だとここまで悲劇的に、ダイナミックに騒ぎ立てられるのか。シューマンは呆れながらも感心した。

 

「この売国奴がぁ!よくもそんなことが言えたもんだな!」

 

反対側、すなわち勝ち組側の議席からも叫び声が上がった。

 

アントニオ・ホンダ議員。勝ち組系列のタケミナカタ協同党の有力議員であり、タケミナカタ・サンバ協会の会長で総合格闘家上がりの議員である。彼は叫び声を上げた次の瞬間、すっくと立ち上がりそのはちきれんばかりの筋肉に覆われた上半身を議場の諸議員たちに見せつけた。

 

「真に銀河に民主共和の啓蒙の光をもたらさんとする同盟がこれから巻き返すに決まっておろうがぁ!神州たる同盟は不滅!それを信じずして帝国にタケミナカタを売ろうなどと!不遜なことと知れ!この売国奴めが!」

 

ホンダ議員はその体格に見合う大きな声で議場を響かせながらそう叫んだ。勝ち組も勝ち組でよくここまでダイナミックに騒ぎ立てられるものである。シューマンはこちらにも内心呆れ果てながら感心した。

 

「なんだとぉ!貴様は現実が見えていないのかぁ!」

 

「現実が見えていないのはそっちだろ!報告によれば同盟政府は何かしらの反抗作戦を企図していると聞こえなかったのかァ!」

 

「どうせ失敗に終わるに決まっているだろ!」

 

「なんだと!降りてこい!ぶちのめしてやる!」

 

2人の声だけは大きい議員たちつられてか、周りもそうだそうだ、貴様こそ、と野次馬の如き様相を示し始めた。

 

「み、皆さん静粛に、静粛に!」

 

シュルツ議長がなんとか場を収めようとしているが、空回りになっているようである。

 

「諸君!静かにせんか!今は静粛に、落ち着く時だぞ!静かにせんか!ホンダ議員!あれほど落ち着いていろと言ったのに!」

 

ヨシムネ棟梁もホンダ議員をはじめとして勝ち組の議員たちをなんとか落ち着かせようと努力している。が、こちらも空回りに終わりそうだ。

 

(またこれか。)

 

シューマン博士は内心呆れ果てながらこの狂騒を眺めていた。いつも自分が議会に報告を持ち込むといつもこれである。勝っているのか、負けているのか、同盟につくべきか、帝国につくべきか。正確な情報が何一つわからないせいでいつもこのように議会は荒れ放題だ。

 

一周遅れの国、と誰かが言っていたがまさしくその通りだとシューマンは一瞬思ってしまった。一周遅れの情報を受け取るおかげで議論はいつも一周遅れ。その場でずっと足踏みをしている。

 

みんな内心ではこんな狂騒なんてやりたくないはずだ。選挙でちゃんと選ばれて、国民の意見をきちんと政治に反映させたい。だが議会ではいつもそれ以前の問題だ。

 

こんな国にいったい誰がしたのだろうか?いや、誰という問題ではない。この国を取り巻く現実という悪魔の果実がそうさせたのだ。せめてハイネセンがここら一帯を整備してくれていたなら、少しはマシになったはずなのに。シューマン博士はあの居心地の悪い巨大都市惑星を想起して、ため息をついた。

 

「み、皆さん!落ち着いて!落ち着いてください!」

 

ある1人の議員が止めに入った途端、議会での騒乱は嘘みたいにピッタリと止んだ。短く切り揃えられた緑の髪の議員がこの狂騒を止めたのだ。

 

「ハフリどの!売国奴を放っておくというのですか!」

 

ホンダ議員が声を荒げながらハフリと呼ばれた議員にそう尋ねる。

 

「あなたにとっては売国奴でも、ここでは国民に選ばれた議員じゃないですか!私も、あなたも!じゃあ私たちがここでやることといったらグッと堪えて国民のためになるような議論をするべきじゃないですか!それが我々、選挙で選ばれた議員ってもんでしょう!ホンダ議員、違いますか?」

 

ホンダ議員はハフリと呼ばれた議員の言葉にぐぬぬ、と唸ると、「ハフリどのが言うくらいならそうなのでしょう。」と言って元の議席へと戻っていった。他の議員たちも、勝ち組は勝ち組の、負け組は負け組の、それぞれの議席へと戻っていった。

 

(またハフリどのか。)

 

シューマンは緑髪の議員を見ながら内心そう思った。

 

スワ・タダユキ議員。勝ち組にも負け組にも属さない中立派閥を単独で構成する「惟神会」の党首を若いながらも務める議員であり、この星の最有力宗教である「カムナガラノミチ」(一般名称はモリヤ派宇宙神道)の総本山、モリヤ・シュラインのハフリ(漢字表記で祝)を務める男である。

 

この星においてスワ一族の権威はそれこそ天に昇る太陽の如きものである。彼らと「カムナガラノミチ」の始まりは13日戦争よりもっと前、それこそ神代の時代から続くとされている。

 

現代宗教においてのカムナガラノミチは13日戦争後、90年にもわたる世界紛争の時代において「異界」から当時のハフリ、スワ・サナエが戻り、心身共に荒廃した人々を救済して回ったという歴史から始まった。当時地球に存在したモリヤ・シュラインの主神であるモレヤ神の直系子孫であった当時のハフリは人々から尊敬と畏怖の念を集め、地球統一政府樹立時代にはその統治範囲がそのまま構成邦の一つとなったほどの影響力があったと言う。

 

地球政府がその範囲を拡大していくことにハフリの権威は大きく高まった。人々が地球の外へ、世界の外へと一歩一歩、揺り籠から出た赤ん坊の如く歩みを進めるたびに各地に分社を立てていき、日常に密着していきながら勢力を広げていった。よくこの時代は旧世紀より宗教勢力の影響力が減少したと言われるが、こちらは日常に密着したことによりかえって影響力を感じさせることができず、後世の歴史家がどう説明つけていいのかがわからず一番混乱したところであったと言う。

 

シリウス戦役の動乱を信者たちの力添えによりなんとか乗り越え、銀河連邦の時代にはその勢いは頂点に達した。当時テオリアにあったモリヤ・シュラインは各地からの信者が集まり、いつも賑やかであったと言う。

 

そしてついに彼らにとって試練の時が訪れた。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの皇帝即位である。

 

ルドルフはオーディンをはじめとした北欧神話を基軸とした宗教を正教とし、それを人民に強制したことにより、信者は目に見えるまで減少、さらには分社も徹底的に取り壊され、その勢いを寂れつつあるテオリアの一角に止め置かなければならない時代を伯爵位こそ与えられたが170年ほど強制された。

 

当然神の正統なる子孫はこのパッと出の専制君主を容認しなかった。高位の貴族たちに広められた信仰の伝手を使い、あれやこれやと生き延びて、そしてついにアルタイルからハイネセンなる奴隷が新天地を求めて出立しようとした時、御神体といくばくかの歴史的資料を持参して彼らに無理やり加わり、そして長い旅路の果てに辿り着いたハイネセンにその居を立て直した。

 

そのハイネセンに居を立て直したはずのスワ一族がなぜこんな寂れた田舎惑星に居を建て替えたのか。それは何もなかったこの星に強制移住させられることを信者の1人から聞いた当時のハフリ、スワ・タダテルが彼らの境遇に涙し、彼らの旅路に同行したからであった。

 

そのおかげかタケミナカタの人間は神の子孫、現人神であるスワ一族を恩人のように慕い、彼らの信仰を進んで受け入れていったのだ。その証拠としてタケミナカタの名前の意味とその由来を調べてみるといい。この星がカムナガラノミチの神の名を冠しており、それがスワ・タダテルによって名付けられたことがすぐ出てくるだろう。当時の強制移住させられた哀れな人々から見てみれば、スワ・タダテルは地球教の聖ジャムシード、そして開祖スワ・サナエの影を見たに違いなかっただろう。

 

もう一度言うがこの星でスワ一族の権威は天に登る太陽のようなものである。即ち、どんなにいがみ合っていても、どんなに争っていても、ハフリ、あるいはその血縁者の言うことであるならば、すぐさま収まってしまうのだ。今目の前で起きたこともまさしくそれである。

 

シューマンはこの国が本当に民主共和国であるのか内心疑っていた。スワ一族の鶴の一声で全てが収まってしまうならば、何のための議会であろうか。何のための選挙であろうか。民主共和国の看板を下ろし、神聖共和国かいっそのこと神聖王国と名乗ったなら、どれほどこの星の政治的情勢がマシになっていたのだろうか。

 

だが、ここではスワの当主タダユキは一介の議員である。どのような血筋のものであろうとも彼は選挙によって民衆に選ばれ、民衆の利益を代表してここに立っているのだ。彼の言も最もなことである。

 

「…ああ、棟梁。どうも収まったようで。質問の続きをどうぞ。」

 

シュルツ議長が出番を奪われたためか、いかにもバツの悪そうな調子で国家元首に質問の続きを求めた。

 

「え、ああ。いいのかね。ウォッホン。ではシューマン議員。ハイネセンはアスターテの敗戦を埋め合わせるために…」

 

議会はまだまだ続きそうだ。まあ、劇的な改善などあり得ないどころか毒にしかならない。ちょっとずつ改善していくしかないのだ。野菜も、穀物も、そして政治も。そのための議会であり、そのための民主主義であるのだから。シューマンは一瞬思い浮かんだ邪念を振り切り、棟梁の質問を聞きながらそんなことを考えた。



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周回遅れの国・タケミナカタ民主共和国 2

「タケミナカタにとって棟梁の仕事とは何なのであるか」
「チェスト主義者を見張ること、後始末をすること、そしてペコペコと頭を下げて回ること。なおこれは棟梁のみならずこの星全ての政治家に言えることである。」
『初代棟梁テラダ・ムネシゲ語録』より


「今日のスケジュールはどうなっとる?」

 

796年現在のタケミナカタ民主共和国の元首である棟梁の地位にいる男、ホンマ・ヨシムネは公用車の隣の席に座っている秘書にそう尋ねた。棟梁に2選してからまだ半ば。タケミナカタに尽くしてきて早6年も経つ。いい加減慣れてきたがそれでも疲れることには変わりはない。数学教師だったあの頃が懐かしいと思える日さえある。

 

「今日の予定は…あっ、ティアマト政府との首脳会談ですね。しかも本人が直接来られるようです。」

「タロットサァが来るんけ!?しかも直接!?回線の悪さに嫌気がさしたんけ!?」

 

流石の棟梁でもこれには驚いた。ティアマト政府との会談は普段はインターネットを経由するオンライン会議方式で行われるのが普通である。ティアマトは祖国を捨て、各地に自治領を持つことによって存続している国である。その事情を考慮すれば理にかなうものであった。

 

しかしタケミナカタはいかんせん通信状況がすごぶる悪い。イゼルローン回廊外部暗礁地帯にも近く、その自然環境的要因により超光速通信の精度が悪いのはもちろんのこと、そもそも通信インフラ自体が整っていたりしていないのだ。故に代々の棟梁はティアマトとの首脳会談に一苦労している。

 

しかし今回は一味違う。ティアマト民国の現在の元首であるヒューイ・タロット氏は直接この辺鄙な惑星にやってくるというのである。何故なのだろうか?

 

「途中でミナカタトミ共同自治区に寄っていくんじゃないですかね?ほら、シューマン弁務官の報告によればアスターテの敗戦で同盟軍は不利だと言いますし。」

 

「ああ〜、あの御仁ならやりそうやな。」

 

ヨシムネは秘書の答えが腑に落ちた。

 

話題に上がったミナカタトミ自治区はタケミナカタに存在するティアマト人、現在はティアマト系タケミナカタ人のコミューンである。その由来はティアマトから逃げた一部のグループが零細航路を使用してタケミナカタに逃げてきたことに端を発する。

ティアマト人たちは勝手に上陸するや否や、この星に一種の魅力のような何かに取り憑かれた。豊かな自然、大陸の間隙を縫うようにして流れる大河、そして豊かな栄養分を含有した土壌。ティアマト人の農民魂に火がついたのは言うまでもない。

 

「どうして同盟政府はこの星に目をつけなかったのか!?宝の持ち腐れではないか!」

 

こう叫んだのは当時のティアマト移民団の団長であったジャン・リュック・デバイレであったと言われている。そうして彼らはこの星の地表を耕し始めた。

 

まあそこに端を発するタケミナカタとティアマトの対立と和解の過程はおいおい話すだろうとして、その和解の過程で成立したミナカタトミ共同自治区はタケミナカタとティアマトの共同統治領として定義されている。

 

この半ば忘れられた惑星のことである。今やティアマト人の末裔のほとんどはどっちかといえばタケミナカタに帰属意識を持っているし、かと言ってティアマトの遺産を捨て去ったと言えばそうでもない。言ってみればティアマトとタケミナカタの妥協の産物と言えるものであった。

 

今回の首脳会談はこの共同自治区に関する運営方針のすり合わせのようなものであった。普段はこれはオンラインで回線の遅さに苦戦しながらやるものではあるがどうもタロット氏は本気のようだ。彼らのティアマト農民魂に火をつけていこうと言うのだ。

「不屈の精神の持ち主というか、ありがた迷惑というか…」

 

ヨシムネはタロット氏がデバイレ像の前で演説している姿を思い浮かびながらそうごちた。元はティアマト人とはいえ今では立派にカムナガラノミチを受け入れたタケミナカタ人なのである。それに彼らがいなくなってしまったらタケミナカタの農業はどうなってしまうのか。熱烈なティアマトシンパであるシューマンあたりが嘆いて身を投げてしまうのではないか。

 

「まあそれがかの御仁ということでしょう。」

 

「そうじゃな。問題はそのかの御仁にチェスト主義者が襲いかかってくるかどうかじゃな。」

 

「まあ通常の警備に加え信教防衛隊からも何人か人員を割いてもらっているのでそこのところは安心していいでしょう。」

 

「…どうじゃろうな。あの使命感にあふれた老人たちのことじゃ。分からんぞ。」

 

ヨシムネは普段は穏やかな笑みを浮かべている顔を厳しい表情に変えて、窓の外を見ながらあのペシミズムとバーバリズムが入り混じったような、時代錯誤な極右愛国勢力に思いを馳せた。公用車はもうすぐ宇宙港の存在するタケミナカタ第三の都市にして玄関口であり、同時にミナカタトミに最も近い都市であるセキ市へと入ろうとしていた。

 

 

 

「えー、それでは皆様お揃いのところで、796年度ミナカタトミ自治区共同運営首脳会議を始めさせていきたいと思います。疑似進行はこの私、スヴェン・スヴィヨンソン自治区長が務めさせていただきます。」

 

白髪が目立ち始めた初老の男、スヴェン・スヴィヨンソン自治区長が儀礼的に開会の言葉を読み上げた。自治区共同運営のための首脳会議がついに始まったのである。

 

タケミナカタ側はホンマ・ヨシムネ棟梁を始め、職業外交官として交戦星域を初め、中央星域にも強いコネを持つ三人の同盟弁務官の一人であるヨシダ・マサヒデ、そしてタケミナカタの実際の開発を担当するオリュンポス・カンパニーのタケミナカタ支社の長であるバシレイオス・ヘルメス、そして農政執事タナカ・テルアキと商政執事アルベルト・ブレネリなどといったなかなかの顔ぶれが揃っていた。

 

対するティアマト側も身一つでティアマト・ブランドを復興した凄腕の資本家上がりのヒューイ・タロットをはじめ、彼の娘で現在のタロット・オーガナイゼーションの会長を務めるエリザベス・タロット、ティアマト・ブランドの穀物をその実践によって広め、今では同盟弁務官を務めている生粋のティアマト農民であるフィリップ・ストルムグレン博士、その他大臣級の閣僚諸々のタケミナカタに負けぬ顔ぶれである。

 

その内の1人が会議が始まるや否や挙手した。

「えー、ヒューイ・タロット議長。発言をどうぞ。」

 

司会に促されて挙手をしたがっしりとした体格の男、ヒューイ・タロットが立ち上がった。

 

「ティアマト民国としてはミナカタトミ自治区の管轄を共同統治ではなく、我がティアマト一本に絞ることを提案する。」

 

このいきなりの提案にタケミナカタ側は大きく動揺した。かねてより共同運営首脳会議はタケミナカタ政界にとって大荒れの代名詞として知られていたが、まさか早速大荒れになりそうな議題を放り込んできたとは。どうもヒューイ・タロットという男を自分たちは過小評価しすぎたらしい。

 

「…一つ聞きますが、なぜいきなりそのようなことを?今の体制でも上手いこと回っているではありませんか。」

 

ヨシムネは恐る恐ると言った感じでそう質問した。なぜティアマト側はわざわざ爆弾を開始早々放り込んだのか。いくつか考えられるがタケミナカタ側を代表して聞いておきたかった。

 

「そんなの決まっているだろ。」

 

タロットはいかにもイラついているような感じでそう答えた後、机を勢いよく平手で叩きつけた。

 

「今の体制でも上手く回っている?そんな田舎者の戯言は今回限りにしてくれないか!どう見たって上手く回っていないだろ!少なくとも、我がティアマト側から見て、だ!」

 

タロットは厳しい口調でそうがなりたてた。タケミナカタ側はさらに動揺を見せた。上手く回っていない?一体どういうわけだ?自治領の利益は双方にうまく還元されているし、何なら問題という問題も目下発生していない。一体タロット議長は、そしてティアマト側は何が不満なんだろうか?

 

「まずは一つ!こちらの提示した開発計画が一切反映されていないのは何故だ!開発計画も、それに使用する資材類も、全てデルメル主導らしいではないか!我がティアマトの意見が一切反映されていない!これではデッカい取引(ビッグ・ディール)どころか取引のとの字にもならないじゃないか!」

 

タロットはがなりたてながらパソコンを操作してスクリーンにとあるデータを映し出した。種籾、球根、種芋、各種資材、各種産業機器類、重機などの各種開発用機材がどこから出ているのか、そしてそれらを使用した自治区の開発計画がどのようなものになっているのかが映し出されていた。

 

「機器、資材類は全てオリュンポス・カンパニーから、開発計画に至ってはオリュンポスの観光開発計画だ!一才ティアマトの意見が反映されていない!これじゃ詐欺だ!どういうわけか説明してもらおうか!」

 

バシレイオス支社長はやれやれと言った感じで首を横に二、三回ほど降ると質問に応えるために立ち上がった。

 

「それに対してはこの私、バシレイオス・ヘルメスがお答えします。まず議長、何故あなたはティアマト製の資材、機器類を使用しなかったのか?と聞きましたね。その答えは簡単です。ティアマトの機器類は確かに高性能ですが距離的に考えればデルメルから取り寄せれば安上がりになるからです。タケミナカタからデルメルまではわずか4.3光年。対してティアマトは24光年から1000光年までとバラバラです。距離的にも近所であるデルメルから取り寄せれば安上がりにもなりますし速やかに資材を取り揃えて開発に取り掛かれます。次に開発計画のことについてですが…」

 

バシレイオスが開発計画のところに話題を移そうとしたところでティアマト側の席から手が上がった。

「エリザベス・タロットが質問します。バシレイオス支社長、あなたが提出した開発計画、これはどう見ても観光地用に開発する計画であると見ました。ミナカタトミ、ひいてはタケミナカタ全土が置かれている状況に対しては我々の農地開発プランの方が優れている、と考えますが、なぜわざわざ観光地化の開発計画を?」

 

バシレイオスは二、三回咳払いをした。

 

「それは簡単な話です。タケミナカタは既にその人口を賄えるだけの食糧生産が可能だからです。ですからこれ以上の食料の増産ではなく」

 

「増産ではなくモリヤ派の聖地であるこの惑星の特性を活かした観光地化がタケミナカタにも相応しい、そう言いたいのですね。」

 

エリザベスの鋭い目がバシレイオスの体を貫いた。バシレイオスはその目を見ると萎びた野菜のように萎縮してしまった。

 

「…ええ、その通りです。その方なら目下の課題であるインフラの改善も見込めますし」

 

「今あなたはティアマトが置かれている状況がどのようなものであるか理解していないようですね。現在サジタリウスの各地に散ったティアマト人たちは力を合わせて失われた故郷を取り戻そうと奮起しています。ミナカタトミだけ例外である、とは言わせませんよ?」

 

エリザベスは冷たい口調でそう言ってから、机の上に置いてある緑茶を一口啜った。

 

「…だからと言ってそちらの意見を無理やり通そうとするのですか?ミナカタトミは代々タケミナカタ人たちが暮らしてきた大地ですよ?住民のほとんどもモリヤ派を受け入れている生粋のタケミナカタ系です。先祖がティアマトの人間であれど、彼らは胸を張ってタケミナカタの人間であると応えるでしょう!何を隠そう、私がそうであるのだから!」

 

彼女の冷徹な口調に抗議の声をあげたのは商政執事のブレネリであった。彼はミナカタトミの出身であり、生粋のティアマト系タケミナカタ人であった。彼でなければこのような言葉は言えなかっただろう。

 

「………」

 

エリザベスは猜疑の目でブレネリを見つめると、緑茶をひと啜りして口を開いた。

 

「…あなたはこの共同運営を通じて我がタロット・オーガナイゼーション、ひいてはティアマトからも投資を受けている、という事実をお忘れですね。これを機に投資を打ち切ってもいいんですよ?どうせ困るのはあなたたちですから。まああなたたちはオリュンポス・カンパニーとベッタリですから、そう困ることはあまりないでしょうけど。」

 

「…!!!勝手なことを…!!!」

 

エリザベスとブレネリの間に一触即発の空気が広がった。放っておけば口論が始まりそうな、険悪な雰囲気が場を支配した。ホンマ棟梁はブレネリを宥めることにした。

 

「ブレネリサァ、落ち着け。お茶飲んでどうどう。」

 

「これが落ち着いていられますか…!!あの女、数少ない命綱を出汁にしてきて…!!」

 

「わしに任せい。何とかする。」

 

ヨシムネはそう言うと立ち上がり、タロット親子に向き直った。

 

「…分かりました。限定的ではありますがあなたたちの要求を飲みましょう。」

「棟梁…!!」

ブレネリは何か言おうとしたが棟梁はすぐにそれを静止した。

 

「よし!分かればいいんだ。それで、どのようにする?」

 

「この円グラフのうち20パーセントをティアマト産の製品に置き換えましょう。開発計画については…そうですな。この南東を流れるフジエダ川近辺を農地にしましょう。そこにティアマトの小麦なり米なり何なりを植えればよろしいでしょう。」

 

ヨシムネは一通りそう言うと、かしこまって頭をゆっくり下げて、

 

「ティアマトは我がタケミナカタにとって大事なお得意様です。ティアマトの投資は多ければ多いほどいい。母国奪還のための支援は惜しみませんのでどうか、どうか打ち切らないでください。」

 

深々と頭を下げながらホンマはタロットに対してそう言った。

 

タロットは満足そうに笑みを浮かべると、

「その態度、気に入ったぞ!だがまだ話し合いは終わったわけではない、そうだよな?さぁ次の話題だ!次はこの星のクソみたいな通信設備について何だが…」

 

そう満足そうに言って彼は再びノートパソコンをいじり、新しいデータを出し始めた。ホンマはドンと椅子に深く腰かけた。

 

「棟梁、どう言うわけです?ティアマトの脅しに乗るんですか?」

 

「そうです。我がデルメルとティアマトの関係を知らないと言うわけではありませんな?」

 

棟梁はバシレイオスとブレネリの2人の小声を聞きながらお茶を啜った。やがて彼はお茶を全部飲み干し、テーブルの上に湯呑みをゆっくりと置いた。

「分かっておる分かっておる。分かった上でやったんじゃ。」

 

「ですが棟梁!ティアマトの資材を導入すると言うことは明らかにコストに見合っていません!大幅に開発計画が遅れるかもしれませんよ!」

 

「そうです!あのまま断固としてNOを突きつけてくれたならデルメル、ひいては我が社の利益に叶っていはずなのに。」

 

ヨシムネはふう、と一息ついてから

「おはんら、棟梁、という言葉の意味を調べたことはあるか?」

と2人に問うた。

 

「いきなり何を…棟と梁、建造物に欠かせない二つの機構だったはず。」

 

「そうじゃ。棟と梁じゃ。棟梁は国の棟であり梁である。だが今のタケミナカタはどうじゃ?建物全体がそもそもお粗末すぎて、風が吹くだけで飛んでしまう。だから外から大工を呼ぶ必要があるんじゃ。デルメル、ティアマト、ガラティエ。いずれわしはサジタリウスの多彩なところから大工を呼び込み、この自由と民主の国をがっしりとした、豊かで安心な建物にしたいんじゃよ。そのためならわしはいくらでも頭を下げる。靴を舐めろと言われたらいくらでも舐めてやるち。そのくらいの覚悟でないと棟梁は務まらん。」

 

2人とも、覚えておくんじゃぞ。ヨシムネはそう言って再び映像に目を向けた。その顔はいつも見せているような、穏やかな笑みを浮かべた老人の顔であった。

 

会議はまだ続きそうだ。

 

 

 

「…ミナカタトミの諸君!空を見よ!あの空に輝く一等星!あれこそがティアマトの星である!我らが故郷!我らの憩いの大地が、天のすぐ近くにあるのである!」

 

ティアマト民国の現在の参事会議長、すなわち国家元首に相当するヒューイ・タロットは、満点の星空の下、ジャン・リュック・デバイレの立派な銅像の下で聴衆、すなわちティアマト系タケミナカタ人の前で熱弁を振るっていた。その有り様はどこか満足そうな様子であった。

 

今回の取引は大成功である。開発用資材の2、3割を買わせることができ、限定的であるが開発計画を容認させ、さらにその作付けする作物に「キシャルの麦」をはじめとする「ティアマト・ブランド」の作物類の種籾が選ばれた。

 

(全く、貧乏人様様だな!ちょっと投資を打ち切ってやると脅すだけであんなに買ってくれるのだ!)

 

タロットは今回の取引においてタケミナカタ首脳陣の慌てぶりを思い返しながら満足そうにそう思った。

 

(特にホンマのあの仕草!あのおねだりするような仕草は何度見ても見飽きないな!クセになる。)

 

今度はホンマが何度と見せた仕草について思いを馳せた。別に彼はサディストというわけではないが人が何か物を頼む仕草は何度見ても見飽きない。

 

(ああ、貧乏人との取引もやっぱり捨てたもんじゃないな!しかもこれが帰郷の礎にもなるのだから、やっぱりタケミナカタは外せない。)

 

タケミナカタは得るものが少ないが何かと役に立つ。それが彼の出した結論であった。何より零細航路であるがティアマトに近いのがいい。強いて言うならば情報インフラをもう少し整えてほしいが。まあそれを持ち出したらデルメルの人間が「同盟政府に言え!」と返してきたが、もうそれは過去の話である。

 

「…同胞諸君!この閉じられた、忘れられた国から一刻も早く出て、我々の祖国に!ティアマトに!誇りを持って凱旋しようではないか!もう君たちは巨大企業にも、貴族上がりのカルト教団にも、支配されることはないのだから!祖国を我が手に!」

 

タロットは演説の締めとしてそう叫んで右拳を頭上、すなわち恒星ティアマトに重なるように掲げた。

「祖国を我が手に!」

 

「祖国を…って、おらの祖国ここだべ。」

 

「あいつ何気にオリュンポス・カンパニーを侮辱しただ。」

 

「スワ様を侮辱したな!ゆるせねぇ!チェストじゃ!根切りじゃ!」

 

が、同じく右拳を掲げた人間は3割ほどであったらしく、後は各々で何かを喋っている。

 

「…私は同胞諸君の、誇りある農民魂を信じている!我々とともに祖国に凱旋しようではないか!」

タロットはそう締めて降りることにした。正直言うとタケミナカタに土着していてティアマト人の誇りが失われつつあるように感じられる。

 

(今回の取引で、どれだけ取り戻せるかな。)

 

タロットはそう皮算用しながら演壇から降りた。

「待て!タロット奴!」

 

タロットは自分に向けられた声に気がついてそちらに向き直った。軍服のなれ果てらしいぼろ切れを纏った老人が、剣の長さほどある木の棒切れをこちらに突き付けながら、こちらを睨みつけていた。

「おやおや…これはどちらさまで?サインなら受け付けていないが?」

 

「俺いを覚えているか!覚えていないだろうな!タロット!」

 

「はて、私は君のような知り合いはいないのだが…」

 

タロットはしばらく考え込んだ。彼の人生に知り合いは数あれど、この老人のような知り合いはいない。いや、もしかしたら…

 

「…ああ!君に似たような人間なら知っているぞ。チェスト主義者と言ってな、もう25年前になるか。この星の宇宙港でチェストー!と言いながら刀を構えて襲いかかってきたんだ。一撃躱したら急に切腹し出してな。その隙に逃げ帰ったよ。いやぁ、我ながら嫌な思い出だ。」

 

「フジイどんを笑うな!フジイどんは今際の際に俺いに語りかけよった!タロット奴を撃て!チェストせよ!とな!」

 

老人はそう言うと棒切れをトンボに構えて殺気を放った。

 

「俺いはこの命にかけておはんをチェストする!デェェェェェヤァァァァ!!!!」

 

男はそう言うと叫び声を上げてこちらに向かって走りかけてきた。あの叫び声は猿叫というのだろう。何年か前にアルレスハイムで起きた戦役の時に鳴り響いていたと聞く。流石のタロットも命の危機を感じて走り出した。

 

が、どうも彼の身に必殺の一撃とも言われるタケミナカタの秘剣・剛剣サツマは届かなかったようだ。老人は石につまづいたのか、それとも足を捻らせたのか、情けなく地面とキスをした。

 

「待て!タロット奴!逃ぐるか!ボッケモンの意地を見よ!チェェェェェストォォォ!!!!」

 

老人は元気そうにそう叫ぶも足を挫いたのかジタバタと手足をばたつかせるだけで向かっても切りかかってもこなかった。

 

タロットは近寄ると老人に一撃足踏みをお見舞いした。

 

「そうだ、こんなことを思い出した。あれからタケミナカタで取引をしているときに尊崇の目で見られてな。何故かと聞くとチェスト主義者の一撃を躱したからだそうだ。確か、ウィンチェスター、だっけな?チェストに勝利したもの、と言う意味合いだそうだ。もっとも、私の他にも何千人といるようだがね。」

 

タロットはそう言うと足で老人を表返した。老人はタロットに気がつくときっ、とこちらを睨みつけてきた。

 

「チェスト主義者も老い朽ちたもんだな。過去の栄光にしがみついて何もせずに棒切ればかり奮っている。この国の信教防衛部隊を見習いたまえ。彼らは多種多様な訓練をしているよ?」

 

「黙れぇ!フジイどん!フジイどぉぉん!!!!」

 

「戦いにばっかりしがみつくからそうなるのだ!覚えておけ!」

 

タロットは老人にそう吐き捨てると腹にもう一撃足踏みをお見舞いした。老人は情けない声をあげると気を失った。

 

やがて騒ぎを聞きつけた警備員が駆けつけたらしく、タロットは警備員に男の身柄を引き渡すと、簡単な取り調べを受けて、颯爽とその場を去っていった。少なくとも、彼にとってこの星でやるべきことは終わった。

 

この事が現地の警察に、そしてホンマ棟梁の元に届けられたのは、翌朝のことであった。



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