「転生したら幼女戦記の世界だった件」短編集 (間川 レイ)
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幼女戦記の世界でUボートの艦長になったが、乗艦が撃沈されかけている件
1.
俺は、潜水艦が好きだ。それも、現代のあの丸っこい、可愛らしい形をした潜水艦ではない。第二次世界大戦期の無骨で、シャープな、いかにも船を無理やり潜れるようにしましたというような、あの形の潜水艦が大好きだった。
だからこそ俺は、潜水艦ものの小説を、映画を、読み漁った。映画「Uボート」の最期には涙したし、「アラァァァァァァム!」の声には胸が躍った。「ローレライ」のラストには幸せになれよと涙ぐみ、絹美艦長たちの見事な散り際には思わず背筋を正したものだ。
だからこそ、俺が不慮の事故で死んだあと、神様的な存在に出くわして。転生させるにあたり何か望みはあるかと尋ねられた時。神様転生というものが実在したことに驚くより早く、Uボートの艦長になれるよう転生させてくれと頼んでしまったのも無理はないだろう。
なんたって夢に見た千載一遇の好機だ。伊号潜水艦の艦長とも悩んだが、正直回天は載せたくない。それに何と言ったって潜水艦の王様はUボートだ。
だからこそ、俺は神様的な存在の靴を嘗める勢いで土下座した。是非とも俺をUボートの艦長になれるようにしてくれ、と。お主の世界とは異なる世界での転生だ、とか転生先の作品はこちらで決めるなどといっていたが正直そんなことはどうでもいい。
俺はあの、狭く、汗臭く、危険な、でも敵の懐を狙う致死の短剣としての潜水艦に心底ほれ込んでいたのだから。
だからこそ、神様的な存在がよかろう、と頷いたときには心底喜んだものだ。そして再び目覚めた時、ドイツとよく似た「帝国」と呼ばれる国で「オットー」という潜水艦士官候補生として転生していることに気づいたときは人生で初めて歓喜の涙を流した。俺は、あふれんばかりの潜水艦への愛をもって、毎日必死に勉強した。
そして、その気持ちは、新聞などからこの世界が前世で昔読んだ、幼女戦記の世界らしいということを知っても俺の気持ちは揺るがなかった。幼女戦記は末期戦物だ。まっとうな人間なら亡命の算段か、どうにかして生き残るすべでも探るのだろう。
だが、そんなこと俺からすればどうでもよかった。俺は、心底潜水艦に惚れているのだ。潜水艦とともに死ねるのなら本望だ。そう思って努力した。その甲斐あって、俺はかなり上位の成績で潜水艦士官学校を卒業することができ、航海長として最初の潜水艦に着任した。
勿論士官学校を出てすぐに艦長になれるはずもない。そうわかっていたつもりであってもやはり艦長への長い道のりを考えるとめげそうになる時もあった。でも決して俺はあきらめなかった。それに潜水艦とはあたかも地獄のように語られがちだが、俺にとって夢にまで見た潜水艦だ。毎日が楽しくて仕方がなかった。
当然、感動にかまけて自分の仕事をおろそかにしたりもしない。常に早く、正確に航路を導き出し、幾度となく任務の成功に貢献した。少しの空き時間も惜しみ、群狼作戦の提案、魚雷の信管の改善案の提出など前世の知識を生かして、少しでも早く出世し、艦長になれるように頑張った。その甲斐あって主計長、水雷長、副長とキャリアを積み重ねていった。
その間、楽しいことばかりでもなかった。上との折衝で、ごたごたに巻き込まれた。演習中の事故で、親友のように親しくしていた部下を失った。戦争最初期は出撃すれば必ず戦果を挙げていた俺たちだったが、戦争なのだ。敵も当然その対策をする。いつの間にか敵を狩るつもりの俺たちが、狩られる側になっていった。
士官学校の同期の多くが死んだ。転属していった古参兵たちの、死亡通知を受け取る機会も加速度的に増えた。いつしか、補充される兵隊に、やけに若いのが目立つようになった。俺は、戦争を嘗めていたことをようやく悟った。戦争の恐ろしさを生まれて初めて知った。
何度も撃沈されかかった。何隻も撃沈した。重油の海で、必死に泳ぐ敵兵がサメに食われて死んでいく様を何度も見た。紙の上では戦死者とただの数字としてしかあらわされない数値の中に、必死に生きている生身の人間がいるということを知った。いつしか、俺は、この世界をただの物語の世界とは思えなくなっていた。
それでも、潜水艦に対する愛だけは尽きなかった。艦長への夢は、あきらめられなかった。
ごうんごうんというディーゼルエンジンの音。ブーンという静かなモーターのうなり声。
駆逐艦の目をかいくぐり大型輸送船を沈めた時の快感。怒り狂って血眼で俺たちを探す駆逐艦を返り討ちにしてやった時の高揚感。
そして狭い潜水艦という世界ならではの団結感。
そこには俺の愛したすべてがあった。だからこそ俺は、必死に部下を鍛え上げ、右も左もわからぬ新米士官を徹底的にしごいてやった。
そうした努力が認められ、俺がこの世界にやってきてから25年。U-77艦長の辞令が下りた時には静かに涙を流したものだった。たとえ、与えられた船が旧型の船であっても。部下たちが古参というにはロートルすぎる連中と、兵学校を出たてのピカピカの新兵の寄せ集めであっても。俺は彼らを必死にしごいた。汗の一滴が血の一滴だと知っていたから。
さんざん陰口を叩かれたりもした。でも今では誰もが俺の意図を察してくれ、もはや一個の有機的生命体のように動けるようになった。苦しい戦況の中、いつしか俺たちはエース艦の中に名を並べるようになった。
俺の転生してからこれまでの努力が報われた瞬間。ビアホールを貸し切って、皆で三日三晩飲み明かした。憲兵からは散々嫌味を言われた。だが俺は幸せだった。そしてこんな幸せな日々が続くと、そう無邪気にも信じていたのだ。
2.
「そう思っていたんだがねえ……」
思わずつぶやく。だが、その俺の声に反応するものはいない。それよりも明らかに間近に迫った脅威が差し迫っているのだから。
コォォォォン、コォォォォン
俺のつぶやきをかき消すように、不気味なソナーの音が発令所内に反響する。それとともにシュッシュッシュッシュという敵駆逐艦のスクリュー音がどんどん大きくなる。赤い非常灯に照らされた発令所要員の顔色は悪い。それはお客さんも同じか、と俺は苦笑する。
発令所内部で所在なさげにたたずむ二人のお客さん。すっかり薄れてしまった原作知識だが、さすがに二人の顔は覚えている。原作主人公であるターニャ・フォン・デクレチャフ中佐とその副官のセレブリャコーフ中尉だ。首元の演算宝珠が非常灯の光を反射して、鈍く輝いているのが印象的でもある。
「深度を報告せよ」。深度計の前に佇む潜航科員に声をかける。
「深度、35、40、45、なおも沈降中です」
「ベントは」
「すべて開放済みです」
「よろしい」
こんな危機的な状況でも、報告する声には乱れ一つない。こいつらも成長したな、と内心ほおを緩めつつ俺は頷く。見れば、速度指示器は全速に入れられている。機関科からの別段の報告もないのだ、きちんとスクリューは全速で海水をかき分けているのだろう。ならば今はできることはない。後は天にすべてを任せて祈るのみ。
ふと、天井を走るパイプから垂れた結露がぽつりと首筋にあたる。
「全く、まいったね……」
思わずつぶやく。通常のローテから行けば、本艦は、なんてことはない通常の北方海域における通常の哨戒に投入される予定だったのだ。それが終わればこの船もドックでメンテ入り。
そろそろ撃沈戦果がいい具合にまた溜まってきたので、俺たちは軍港そばのビアホールで気楽に飲んだくれていられたはずだったのだ。それが何の因果かこのざまだ。待ち受けていたと思しき敵の3個対潜戦隊とがっつり組んでの殴り合い。最も一方的に殴られているというのが正しいのだが。
「何なんだ、これは」と思わず笑ってしまう俺は悪くはないはずだ。
だが、こんな危機的状況において艦長が笑っているというのは、部下としては嬉しくないらしい。副長のこちらを見る視線には俺の正気を疑うような、やや怯えをはらんだ光があり、さらにぐるりと見渡せば他の要員もちらちらと俺の顔を伺っている。
しっかり信頼関係は築いたと自負していただけに、愛する部下たちからこんな目を向けられるのは悲しいものだ。やれやれ、と首をふりかけ、ふと思い返す。逆に信頼しているからこそこんな目をされるのかも知れないな、と。
俺は艦長になってからどんな状況でも、極力表情を変えないようにしてきた。士官が動揺すれば兵たちはパニックになる。どんな状況でも落ち着いて見せるのが士官の役割だと身をもって学んだからだ。だがそんな艦長が笑みを浮かべる?圧倒的劣勢下で?
そんなもの、恐怖で壊れたと思う方が自然だ。そしてこの状況下で艦長発狂など洒落にもならない。部下も怯えたような表情をするはずだ。やはり悪いのは俺の方らしい。すまんな、と手を上げて頭も下げる。
ようやく、俺が正気だとわかってくれたらしい。ほっと、司令塔内の張りつめていた空気が和らぐ。ふと見れば、原作主人公様が演算宝珠から手を離す姿が見えた。発狂していたなら即座に撃ち殺すつもりだったのだろう。
なんともシビアな主人公様らしい、そう思って苦笑しかけ、慌てて緩んだ頬を元に戻す。今日は表情の調整がうまくいっていない。気を付けないと。そう、心の中のメモ帳に記しつつふと思う。ああ、それにしても何でこんなことに、と。
3.
すべてが狂い始めたのはそう、俺たちが帰港したアイン軍港が、あの忌々しい連合王国のコマンドどもに襲撃されてからだ。基地警備隊はよっぽど無能ぞろいだったようで、内部への浸透を許したばかりか隣のブンカーまで吹っ飛ばされやがった。原作でもこんな攻撃があったな、と懐かしく思い出しつつも後の祭り。
大体、こちらは船乗りなのだ。専門訓練を受けたコマンドに勝てるわけがない。一部の砲台と一部の歩兵部隊の奮戦がなければ、俺たちのブンカーまで危なかっただろう。そして噂によれば、基地司令部はその砲兵隊と歩兵部隊の指揮官を抗命罪で捕まえたとかなんだとか。そしてそれが事実だと、読者にして転生者の俺だけは知っている。
だからこそ、潜水戦隊司令部に抗議の電話を一ダースはぶち込んだ俺たちは悪くないはずだ。彼らの奮闘が物語の枠組みで定められたことだったとしても、それでも俺の潜水艦と部下たちを守ってくれたのは間違いのない事実なのだから。
最も、潜水戦隊司令部もブンカ―を吹き飛ばされたことには怒り心頭で、きっちり俺たちのクレームを活用してくれたようだ。世話になった歩兵部隊と砲兵部隊にはワインを届けさせた。少しでも詫びになってくれればいいのだが。
まあ、そんなことはどうでもいい。アイン軍港を見事に吹っ飛ばされた参謀本部としては、したたかにメンツをつぶされたわけだ。だから、同じような方法で連合王国にやり返してやろう、と考えるのも無理はない。
その実行役として、さんざん抗議の電話をねじ込みいささか悪目立ちした俺たちと、参謀本部直轄の魔導士部隊を当てるというのも、まあ悪くはない考えだ。それに俺たちはそれなりに撃沈記録を伸ばしているエース艦でもある。正直成算の高い作戦といっていいだろう。
俺なんて帰港後のビアホールの貸し切りの予約を取ってからこの作戦に臨んだぐらいだ。それに実行役が第203航空魔導大隊というのもなんともありがたい。
俺の部下の誰も知らないことだが、俺だけはあの部隊の化け物ぶりをよく知っている。キルレシオ1対20とかいう馬鹿げた数字を平気でたたき出す連中だ。正直連合王国もかわいそうに。そんなことを思う余裕すらあった。
だが蓋を開けてみれば、敵の哨戒の薄かった地域を突破するはずが、待ち受けていた敵の対潜戦隊にばっちり見つかる始末。しかも通常なら出張ってくるにしても一個対潜戦隊が限度だろうに、三個戦隊も。これではどこからか情報が漏れたとしか思えないだろう。
いや、原作から見れば暗号がすでに解読されている可能性すらある。さんざん悩まされたラインの悪魔を潜水艦ごと仕留めておこう、なんてことを考えたのかもしれない。旧型潜水艦で、敵の三個対潜戦隊と殴り合い。こんな状況笑うしかないではないか。
4.
だが、敵さんはおちおちこちらが考える時間すらもくれないらしい。シュッシュシュという音がさらに高まると、聴音室の水測員が大声で警告を発した。
「水面に突発音!数は6,7,8、いや、それ以上!爆雷、来ます!」
俺はそれを超える大声で命令を下す。
「面舵一杯!」
「おもーかーじ、一杯!」
操舵員が復唱応答する。ぐるぐると操舵器が回される。船体が傾く。だが直感的にわかった。間に合わない!
「総員、対衝撃防御!」
瞬間ぐわんと艦首に巨大なハンマーを打ち下ろされたような衝撃が走った。艦首が下がったかと思えば同時に艦尾が跳ね上がる感覚。それは強烈な衝撃。固定されていない装備がバラバラと散らばり、電気が瞬いて消える。
立っているもののほとんどが転倒し、装置に打ち付けられる。響き渡るうめき声。俺は潜望鏡の支柱にしがみついて転倒を免れたが、司令塔要員の中にはうちどころが悪かったのか、そのまま動かないものすらいる始末。
俺は声を張り上げる。
「損害報告!非常灯をつけろ!」
すぐさま返答が帰ってくる。
「前部魚雷管室、浸水!」
「前部兵員室、ハッチが破損!浸水しています!」
次々と損害報告が入る。
「浸水を食い止めろ!排水ポンプを動かせ!」
だが俺のその命令が実行されるより先に、水測員からの第二の報告が来た。
「敵艦、2隻目来ます!水面に突発音!数えきれない!こ、これは爆雷ではありません!」
ヘッジホックだ。すでに実装されていたのか。俺がそう考えるより先に先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃が艦全体を襲い、おれは支柱に頭を打ち付け意識を失った。
5.
「オットー艦長、オットー艦長!」
体を揺さぶられる。ゆっくりと目を開けると、原作組の片割れ、セレブリャコーフ中尉に揺さぶられていることに気づいた。
「副長、レイアム副長はどうした……」
掠れそうになる意識を頭を振ってしゃんとさせながら言うと、無言で指さされる。壁際でデグレチャフ中佐に治療を受けている副長を見つけた。どうやら無事らしい。
だが、艦の様子は最悪といっていいだろう。非常灯はいまだ復旧していないし、異臭が漂っている。有毒ガスが発生したのかもしれない。それより、損害報告が遅れていることが気がかりだった。
久々の損害に浮足立っているのかもしれない。あとで絞めなおさねばならんな。勿論ここを切り抜けられれば、ではあるが。そんなことを考える。
「うろたえるな!損害報告はどうした!」
そう叫ぶと途端、弾かれたように動き出す要員たち。その動きは悪くない。やや手間取ったとはいえきちんと動けることはいいことだ。内心頷く。損害報告が続々と入ってくる。
「配電盤、ショート!一次、二次電源ともに損傷!」
「キクマサ一等水兵が、魚雷の下敷きに!誰か救護要員を!」
「前部兵員室の浸水、止まりません!」
ちっと誰にもばれないように舌うちする。電源が落ちているのと浸水が止まらないのは不味い。電源が回復しなければスクリューも舵も動かせず、艦の姿勢を変えることができない。
そして浸水が止まらなければ沈没しかねない。それに浸水が増えれば艦全体の重量バランスを崩し、転覆しかねない。それに潜りすぎる危険性だって―そこまで考えはっとする。今の深度の報告がない。今は深度何メートルだ?
「潜航科、深度を報告せよ!」
だが返事はない。見れば、潜航科員は頭を強打したのか壁にもたれかかってピクリとも動かない。
レイアム副長が潜水科員を押しのけ深度計を懐中電灯で照らす。そしてレイアム副長は顔を青ざめさせると叫ぶ。
「深度130、135、なおも沈降中です!」
暗闇の中でも皆の顔色が変わるのが分かった。安全深度は100。このまま安全深度を超えて沈んでいけば、いずれ待つのは圧壊、沈没。これを避けるには方法は一つしかなかった。
俺は叫ぶ。
「メインタンク、ブロー!沈降を止めろ!」
だが、本来なら聞こえるはずの、空気の走る音が聞こえない。何故だ?直後潜航科から悲鳴のような報告が上がった。
「圧搾空気管、破損!ブローできません!」
「もう一度やってみろ!」
とっさに怒鳴り返す。だが。
「駄目です!ブロー不能!ブロー不能!」
さしもの俺も顔色が変わる。ブローできなければ、待つのは本当に沈没だけだ。いやそれどころか、ここは大陸棚だ。とっさに海図に飛びつく。目当ての情報を探る手間も煩わしい。
その間も深度はどんどん下がっていく。「145、150……」
「艦長……!」レイアム副長が耳元で低く怒鳴るのが鬱陶しい。「空気管、動力の復旧を急がせろ!」そう怒鳴り返し海図をめくる。そして見つけた。この地点の海底までの距離は180。ということは!
「総員、耐衝撃防御!着底す―」
だが俺が言い切るより早く、再び激震が艦全体を襲い、再び俺は意識を失った。
6.
遠くから水兵たちの叫ぶ声が聞こえてくる。
「前部聴音機、破損!復旧の見込み、ありません!」
「前部魚雷発射管、全損!」
「前部魚雷発射管室、浸水止まりません!」
「レンチを持ってこい!スパナもだ!浸水には当て木を当てろ!早くしろ!」
それは一言で言うなら喧騒。懐中電灯の光が交錯し、水兵たちの怒鳴り声が交差する
糞、俺はどれだけ意識を失っていた?そんなことを考えながらぼんやりとする頭を振りつつ身を起こす。
途端、ぴちゃりという水の感覚。下を見てひやりとする。くるぶし付近までよどんだ海水がたまっている。発令所内部にも浸水が始まっているのだ。
「発令所、浸水!」
とっさに大声を上げる。動ける発令所要員3,4人が、弾かれたように浸水箇所に群がる。海水の吹き出すパイプの継ぎ目を必死に抑えようとしているが、放射状に噴き出す水の勢いが強く、弾き飛ばされそうになっている。抑えきれそうにない。
「こちらにも道具箱をよこせ!急げ!」
要員たちが口々に叫ぶ。もはや叫喚にも等しい空気は艦全体を覆っていた。だが、ここでパニックに陥らせてはいけない。俺は殊更に笑顔を作ると怒鳴る。
「諸君!慌てるんじゃないぞ!できることをしっかりと、だ!」
即座に響く『おう!』の叫び声。士気は高い。いらぬ心配だったかと内心胸をなでおろす。
倒れている発令所要員を抱き起こしながら深度計を懐中電灯で照らす。183。沈降は止まっている。それにしても、ぎりぎりだな、と俺は苦笑する。
本艦の実用耐久深度は200。上限を超えていないとはいえ、本来の安全深度は100.しかもさんざんに爆雷やヘッジホックに打ちのめされた状態だ。いつ圧壊してもおかしくはない。
その証拠にギイギイという音が先ほどからずっと鳴り響き、水圧に耐え切れなかった隔壁からは海水が噴き出している。機関室、後部旋回式魚雷発射管室からも浸水の報告が届いた。
だがそれでも、今すぐに圧壊するということはないはずだ。この世界のUボートはやけに頑丈だ。210まで潜って帰ってきた艦の話も聞く。だからこの艦だって、まだ大丈夫なはずだ。
そして唯一の救いは敵の追撃がないことだろう。一時的に見失っているのかも知れない。こちらの沈没を確認できるまで引き上げはしないだろうが、それでも首の皮一枚つながったか、と内心安堵しつつ指示を出す。
「前部魚雷発射管室は放棄。要員は脱出後ハッチを閉鎖せよ。その後要員は排水ポンプを手動で動かせ」
「しかし艦長!」
レイアム副長が必死な顔で反論してくる。それはこの艦最大の攻撃能力である魚雷発射能力を失うということだからだ。だが。
「悪いが、命令だ」
俺としてはそう言うしかない。何せほぼ減速なしに艦首から海底に着底したのだ。前部構造物はほぼ駄目になったとみていい。全損した魚雷発射管の修理など手持ちの機材では到底無理だ。
ならば放棄し、手の空いた要員を別の作業に充てたほうがよっぽど効率的だろう。それは副長もわかっているはずだ。それでも諦め切れなかったというところか。だが艦全体の命を預かる俺としてはこのようにしか言えないのだ。わかってくれと背中を叩く。
機関室で火災という報告が届く。同時に俺たちの頭上で送油管が破裂するのが見えた。こんな暗闇の中でも黒々と見える重油が降り注いでくる。
「副長!お前は機関室を頼む!俺はここを直す!」
その言葉に頷き駆けだした副長を横目に見つつ、俺はレンチを取りに走り出した。
7.
どれほどの時間がたっただろう。送油管を直し、その他発令所内部の修復をあらかた終えた俺はずっと曲げていた腰を伸ばしつつ上を見やる。ズン、ズズンという水中爆発音が先ほどから鳴り響いていた。敵の爆雷攻撃が再開されたのだ。だが損害はないに等しい。
目くら撃ちだな。そう苦笑する。この海域にいることはわかっても、居場所までは特定できていないらしい。空気もだいぶよどんでしまっているが、窒息にまではまだまだ余裕がある。唐突に、赤い非常灯が灯った。配電盤の修復も終わったらしい。最悪は抜け出したか。そう思って苦笑を浮かべる。
ふと肩がたたかれる。見れば服のところどころを焼け焦がした副長の姿。その顔色はひどく悪い。最悪を抜け出したわけでもないらしいと苦笑しつつ向き直る。
「それで?報告を聞こう。」
俺は副長を促す。副長は頷くと答える。
「機関室の火災、浸水止まりました。その他の部署もすでにあらかたの修復、排水は完了しております。後部旋回式魚雷発射管の修理が難航しておりますが、間もなく完了するでしょう。また、圧搾空気管の修復も完了しました。着底の衝撃で少なからずの圧搾空気が漏れ出したようですが、ブロー一回分の空気は残っております。」
そこまでは朗報。だが副長の顔は暗い。つまりはよほどの凶報が待ち受けているというわけだ。覚悟を決めつつ先を促す。一つ頷き続ける副長。
「ですが、注排水管は完全に死んでいます。またモーターも完全にイかれました。機関の修理は完了しましたが、せいぜい出せて8ノットが限度かと。」
はあ、と思わず長いため息をつく。確かにそれは副長も暗い顔をするはずだ。状況は最悪を抜け出したどころか最悪ど真ん中なのだから。何せ、注排水管が死んだことで、潜水艦の強みである水中での静止が不可能になり、一度浮上を開始すれば敵が待つ水面まで一直線。
水中での移動を試みようにもモーターがお亡くなりになっているので、それも不可。水中でスクリューを回すことができず、死んだ魚のようにぷかぷかと浮かび上がることしかできない。
そして最後の頼みの綱、水上航行で逃げ出そうにも出せる速度は8ノットが限度。敵の船は30ノット以上を当然のように出してくるのだから逃げ出せるわけもなく。
そうなると選択肢は二つに一つだ。
「浮上戦闘か、浮上降伏か、か……」
俺はぼそりとつぶやく。浮上降伏と俺が口にした途端、副長がぎしり、と歯を食いしばる音が聞こえた。そして目はわずかな殺意を湛え、もしも降伏などと言い出したその時にはという強い意志をうかがわせる。
俺は苦笑して「降伏はなしだ」と手を振って見せる。すっと副長の目から殺意が消える。残ったのは覚悟を決めた目があるのみ。わかりやすい奴め、と内心苦笑しつつ思う。
俺だって逆の立場ならそうしただろう。なぜなら―。そこまで考え頭を振る。今考えるべきことではない。どうせ原作主人公様に説明する羽目になるのだ。
そんなことより、同乗者である彼らに今後の方針を説明しなければ。そう思って俺は第203航空魔導大隊の面々を探しだした。
8.
といっても狭い艦内だ。すぐに第203航空魔導大隊の面々を見つけることはできた。その衣服は重油や海水で汚れ、彼らも修理を手伝ってくれたことをうかがわせた。そのことに頭を下げつつ「大隊長殿はどちらに?」と問えば無言で指さされる。
見れば負傷した水兵に包帯を巻きつけているところだった。みるみるうちに包帯がまかれていく。そのちっこいお手手でよくやるもんだ、と内心思いつつ、「中佐殿」と呼びかける。
「どうされました」とすぐさま振り返ってくる原作主人公ことデクレチャフ中佐。その鋭い眼光に若干気圧されつつ、手短に状況を伝える。
「おおよその修理は完了しました。ですが一部重要な機能が完全に破壊されています。もはや我々に残された道は浮上降伏か、浮上戦闘しか残されておりません」
デクレチャフ中佐は答える。
「となると、浮上降伏ですかな?」
その目線は依然として鋭い。だがその眼を一瞬よぎるのは歓喜の光か?すぐさま普通の鋭い目つきに戻ったものの、デグレチャフ中佐の目を注視していた俺にはわかった。その眼をわずかばかりの歓喜の光がよぎるのを。
そう言えば原作の時間軸から行くと、そろそろターニャは帝国に見切りをつけ、亡命を志し始めるころだったか。そんなことを懐かしく思い出し、思わず苦笑する。残念だが主人公様、君の願いはかなえられそうにない、と。
「いえ、浮上戦闘です」
「なぜですかな。……艦長、すでに貴官らは十分以上に祖国への義務を果たした。かくなる上は降伏もやむなしと小官などは考えるのですが」
むろん艦長には辛い決断でしょうが、と付け加えてくるデクレチャフ中佐。その本心を元読者という形で知る俺としては、ずいぶん食い下がるものだ、と苦笑するしかない。きっとデクレチャフ中佐は何とかしてこの狂信的愛国者である艦長を説得して夢の亡命ライフを、などと考えてもいるのだろう。
だが俺は、この間の乗員55名の生命と尊厳を守る身として、その提案を受け入れるわけにはいかなかった。だからこそ俺は逆に尋ね返す。
「ところでデクレチャフ中佐。連合王国の捕虜となったUボート乗組員の運命をご存じですかな?」
デクレチャフ中佐は怪訝そうな顔で返してくる。
「いえ……ですが、通常の捕虜の取り扱いと大差ないのでは?収容所への収容や、尋問などを想定しておりましたが……」
ああ、やっぱりと内心嗤う。彼女は知らないのだ。だからこそそんなことが言える。俺は端的に真実を告げる。
「いえ、その場での射殺です」
「馬鹿な!それは明確な戦時国際法違反だろう!」
思わず声を荒らげるデグレチャフ中佐。その顔にはでかでかと信じられないと書いてある。だが、これが真実なのだ。デグレチャフ中佐は表情を取り戻すと続ける。
「失礼、取り乱しました。……ですがなぜそんなことに?いつからここは血と野蛮が支配する世界になったのです?」
その顔は心底不思議そうだ。理性を重んじる彼女からすれば、到底理解できない話なのだろう。だが俺からすればその答えは非常にシンプルなのだ。俺は答える。
「私たちは殺しすぎました。心底憎まれています。……陸戦において、捕虜になった狙撃兵がどう扱われるかを考えればご理解いただけるかと」
そう言うと眉を顰めるデグレチャフ中佐。おそらくは理解してしまったのだろう。そう、俺たちUボートはあまりに戦果をあげすぎた。連合王国を干上がらせる寸前まで追い込むほどに。数多くの輸送船、駆逐艦を沈めた。
その犠牲者の数は計り知れない。だからこそ連合王国海軍にとって俺たちは戦友の、肉親の仇であり、銃後を脅かす明確な敵なのだ。それこそ生存が許容できないほどに。
だからこそ、俺たち潜水艦乗りは捕虜に取ってもらうことができない。捕虜にされたところで、いたぶられたうえで殺される。潜水艦の構造からしてひとたび撃沈されれば生存者はゼロに等しい。そうした特性が捕虜の虐殺を許容した下地となったのもあるだろう。
そうしたわけで、俺たち潜水艦乗りは捕虜になるわけにはいかないのだ。そしてこの場合の潜水艦乗りに彼女自身ら第203航空魔導大隊の面々も含まれることに気づいたのだろう。彼女は心底不愉快そうな顔を浮かべるといった。
「それで、艦長は我々にどのような役目を期待しておいでで?敵戦隊への切込みですかな?腕が鳴るところではありますが」
そう言ってくるデクレチャフ中佐。だが、その眼はその言葉の内容ほど勇ましくはない。ここで玉砕など死んでもごめんだぞ。そう言っているようにも見える。巧妙に隠されているあたり、さすがは原作主人公だ。
そう考えているであろうと原作知識から知っていなければ俺だって騙されただろう。だがまあ、そんな彼女の様子には気づかないふりで続ける。
「いえ、第203航空魔道大隊には敵戦隊に一当てした後、全速で離脱していただきます。本艦はその援護を為す予定です」
「……本当によろしいのですかな?それでは我が隊はともかく、貴艦は間違いなく撃沈されることになりますが」
そう言いつつ、デクレチャフ中佐の目がわずかに輝くのを見逃さない。そのことに苦笑しつつ俺は頷く。彼女たちにこんなところで死んでもらうわけには断じていかなかった。
それは彼女たちが原作主人公だからという理由などではない。彼女たちの力が帝国にとって、なくてはならないものだからだ。
俺はこの世界にやってきて、25年も生きてきた。それぐらい生きていれば、内地に親しい友人や親しい人間ぐらいはできる。彼らはこんな俺みたいな異邦人に対しても本当によくしてくれた、かけがえのない奴らばかりだ。決してこんな戦争で死んでいい奴らではない。
それ以外に顔見知りも一杯できた。みんなみんないいやつばかりだ。俺はこの25年の人生で、この世界の住人が決して紙の上の存在などではない、生きている血の通った人間だということを知ったのだ。そんな奴らを、死なせるわけにはいかない。もしその願いが叶わないにしても、せめてその子供たちにはいい未来を見せてやりたい。いつしかそう思うようになった。
そして、この世界が幼女戦記という物語の枠組みで動いている以上、それを為しうるのは彼女たちだけなのだ。だからこそ彼女たちには生きて帰ってもらわなければならないのだ。未来のライヒのために。
だからこそ俺は頷く。
「構いません」
と。俺の熱意が伝わったのだろうか。デクレチャフ中佐はわずかに目を細めると、
「……わかりました。貴艦に武運を」
と返してきた。これで俺たちの方針は決まった。
9.
俺は艦内放送で手短に方針を伝える。本艦に残された道は浮上戦闘しかないこと。第203航空魔導大隊は紛れもない精鋭で、彼らを失うわけにはいかないこと。その援護のため、俺たちは撃沈されるまで援護を行うこと。
艦内が静まり返る。彼らも薄々そうするしか方法はないことは察していたのだろう。だが、自分でそう察しているのと最高指揮官にそう言われるのでは意味合いが全然違う。こんなところで死ぬことになる恐怖、無念、いろいろあるだろう。
俺だって死ぬのは怖い。前世の終わりの際、自身を構成する重要なパーツが不可逆的にほどけて消滅していく、あの冷たく暗いあの感覚。あの感覚をもう一度味あわなければならないかと思うと叫びだしたくもなる。
だが俺たちが尊厳をもって死に、未来のライヒに希望を託すにはこれしか道はないのだ。
だから俺は言うしかないのだ。すまんが、ここで死んでくれ、と。だが、一言ぐらいは付け加えても許されるだろう。
「すまんな、みんな」
これは俺なりの誠意の精一杯の表し方。本来艦長という高級士官の口にすべきことでないことぐらいはわかっている。だが俺はそう言わずにはいられなかった。そして広がる一瞬の沈黙。恨み言や罵声の奔流を覚悟して目を閉じる。
だが、響いたのは爆発的な歓声だった。
「いいでしょう、いいでしょう!死んでやりましょう!」
「糞ったれのライミーに我らの意地、見せつけてやりましょう!」
「意地でも送り返してやりますよ!」
彼らは口々に叫ぶ。こんな事態を招いた俺に、皆だって言いたいことの一つや二つはあるだろうに、それでも彼らは口々に叫ぶのだ。やってやりましょう、やりましょう、と。それはまさしく俺の、俺たちの積み上げてきた絆の証。俺は思わず涙に声を震わせる。
「お前ら……!」
バシバシと背中が叩かれる。見ればにっこりとほほ笑むレイアム副長。いいんですよ、とばかりに頷いている。発令所を見渡す。皆、涙で目元を赤らめてはいたけれど。誰もが間違いなく笑っていた。
艦尾の方から爆発的な歓声が響く。見れば第203航空魔導大隊16名が隊伍を組んで歩いてくるところだった。潜水艦のクルーが魔導士の背中をバシバシと叩き、生きて帰れよ!と激励を飛ばす。魔導士たちも笑顔でそれにこたえ手を振っている。
ふと、歌声が上がる。見ればクルーと魔導士が肩を組んで歌を歌っていた。
【Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein】
本来であれば隠密性を保つためそれは咎められるべき行為であった。だがもう、最後なのだ。俺は咎めようとは思わなかった。歌声が広がる。水雷長も、機関長も歌っている。
【Und das heißt, Erika. Heiß von hunderttausend kleinen Bienelein】
ヴァイス中佐も、グランツ中尉も歌っている。副長と肩を組んで涙を流しながら歌っている。歌に合わせて力強く床を蹴りつけている
デクレチャフ中佐は俺の前で立ち止まると綺麗な敬礼をして見せる。
「第203航空魔導大隊、出発準備完了しました。……いつでも行けます」
原作アニメでもよく見た鉄面皮。だがその裏には若干の戸惑いが見て取れる。理性を何よりも重んじる彼女からすれば、こうした空気には馴染めないのかもしれない。よろしいのですか、軍機違反では?という目で見上げてくる。だが俺は黙って首を振る。そう、これでいい。これでいいのだ。
ふと思う。彼女だけ仲間外れというのもなんとも寂しいものがある。
「中佐、貴官も歌うといい。」
そう促してみる。本気ですか、とばかりに目を見開くデグレチャフ中佐。だが彼女も何か思うところがあったのか、彼女も目を閉じて歌い始める。
【Wird umschwärmt, Erika】.
「もっと大きく!」
そう言うと素直に声を大きくするデグレチャフ中佐。俺もそれに合わせて歌う。太い男たちの歌声にアルトとソプラノの歌声が入り混じる。そう、それでいいのだ。これが俺たちの鎮魂歌なのだ。
【Denn ihr Herz ist voller Süßigkeit,】
歌っている。皆が歌っている。俺はベントの前に佇む潜水科員に呼びかける。
「始めよう。メインタンク、ブロー!」
潜水科員が復唱する。
「メインタンク、ブロー!」
空気の走る音。ガコン、という潜水艦が海底から離れる重々しい音とともに、U-77の最後の浮上が始まった。歌声を縫って「深度183、180、175……」と潜水科員が深度を読み上げる声が響く。俺は一つ頷くと、制帽を深々と被りなおした。
9.
「深度50、45、間もなく浮上!」
潜水科員のその声に歌声がぴたりとやむ。
「総員、対水上戦闘用意!」
俺のその声に、皆が弾かれたように走り出す。甲板員たちは司令塔のラッタルに取りつき、浮上次第速やかに甲板上の砲座に取りつける体制をとる。第203航空魔導大隊の面々も、すぐさま甲板に上がれる体制に。前部魚雷発射管要員など、浮上戦闘において手持ち無沙汰になるものは、武器庫から小火器を取り出し武装している。
俺の部下が、第203航空魔導大隊の面々が俺を見ている。俺も皆の顔ををしっかりと眺める。どいつもこいつもくたびれた顔をしているが、それでも皆笑っていた。俺は言う。
「ライヒに未来を」
皆が唱和する。
『ライヒに未来を!』
デグレチャフ中佐と目があう。ライヒを、俺にとっての第2の祖国を頼む。その思いを込めて敬礼をする。
デクレチャフ中佐も目を細めるとゆったりと、しかし綺麗な答礼を返してくる。俺の心が通じたと思いたい。
ぐわんと艦体がひときわ大きく揺れる。浮上したのだ。ハッチが開かれる。新鮮な空気がなだれ込んでくるが、悠長に味わっている余裕はない。
「行け行け行け!」
その言葉に、待機していた甲板員が一気に甲板に上がり、甲板上の88ミリ砲や対空機関砲に取りつく。それに続いて第203航空魔導大隊の面々が続いて甲板に駆け上がり、発進のための魔力を充てんし始める。
さっそく撃ち放し始めた砲声に混じる、頑張れよ!生きて帰れよ!の声が彼らの背中を押す。デクレチャフ中佐もその声に押されるようにするするとラッタルを上がっていく。彼女は二度と振り返らなかった。
ずぅぅぅんという音とともに艦体が揺れる。敵の応射が始まったのだ。
俺も甲板員の手伝いぐらいはしなければ。そう思ってラッタルを登る。
そこでは猛烈な砲撃戦が繰り広げられていた。駆逐艦の主砲から機関砲の銃弾に至るまで、あらゆる弾がひょうひょうと、あるいはごうごうと音を立てて飛んでくる。
こちらも負けじと88ミリ砲がその口径の小ささを生かして連射を叩き込んでいく。対空機関砲が弾幕を張っている。デッキには第203航空魔導大隊の面々が整列し最終離陸準備を行っている。
艦橋からは手すきのものがボルト式ライフルを手当たり次第に撃っている。甲板員が倒れれば手すきのものがすぐさま穴を埋める。次第に艦橋もデッキも血まみれだ。潜水艦の周囲の海水が赤く染まる。だが誰も泣き出すものなどいない。皆が皆、最期の瞬間まで笑っていた。
ふと肩がたたかれる。そこに立っていたのはレイアム副長。彼は言う。
「せっかくですのでお客さんを歌で送り出したいのですがよろしいですか!」
そう言って指さすのは今まさに飛び立たんとする第203航空魔導大隊の面々。さっきまでさんざん歌っていたではないか。わざわざ許可を求めずとも好きにすればいいだろうに。だがまあ副長は規則順守型だ。さっきまでみたいな例外はともかく、やっぱり規則は気になるらしい。最後まで堅物な奴め。俺は苦笑すると勿論許可を出す。
「いいだろう!好きに歌え!」
【Zarter Duft entströmt dem Blütenkleid.】
再び歌声が大海原に響く。こちらの88ミリ砲が先頭の敵艦の艦橋に命中し、敵の操舵手を吹き飛ばしたのか、先頭の敵船の挙動が明らかにふらふらとした動きになる。敵戦隊の陣形に乱れが出る。
「いいぞシュターデン!その調子だ!」
俺は砲手に叫ぶ。だが、直後シュターデンの頭部がもぎ取られた。敵の放った対空機関砲が直撃したのだ。未だ血を吹き出すその死体を押しのけオフレッサーが砲座につく。
ひるむことなく砲撃を再開。続けざまに命中弾が後続のの敵艦に叩き込まれる。さらに乱れの出る敵の陣形。瀕死の潜水艦一隻にいいようにされているのだ。さぞや敵司令部はお冠だろう。そう思うと自然と笑みがこぼれる。
【Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein】
歌声はやまない。敵陣の乱れを好機と見たのか、第203航空魔導大隊の面々が一気に飛び立つ。見事な隊列を組んで一気に突っ込み、魔道砲撃をぶちかます。敵陣に更なる動揺が広がる。見ていて爽快なほどだ。さすがは主人公。練度が違うとはこのことか。アルコールがこの場にないのが残念だ。
あればさぞやいい酒のつまみになっただろう。だがないものねだりをしても仕方がない。仕方がないので、酒の代わりに懐から煙草を取り出し、ふかす。どこまでも青い空にタバコの煙が伸びていく。美味い。実にうまい。煙草をふかしつつ、傍らの副長に声をかける。
「あいつらを見ろ!実に見事なもんじゃないか、ええ?副長!」
「そうですな!ついでのその旨そうな煙草を私もいただければ幸いなのですが!」
砲声に負けじと怒鳴り返してくる副長。その間も射撃指揮の手を休めることはない。確かにもっともだと苦笑しつつタバコを加えさせ火をつけてやる。艦長たちばっかりずるいですよ、と騒ぐ部下たちにも同じようにしてやり、砲座の連中にも投げ渡す。
敵からの射撃は激しくなるばかり。砲座を操作していたオフレッサーが敵の至近弾でミンチになって海に落ちるのを見た。
【Und das heißt, Erika.】,
だが歌声はやまない。止むことはない。発令所で伝令兵代わりに詰めていた通信士がラッタルを駆け上がってくる。
「後部旋回式魚雷発射管、修復完了しました!いつでも撃てます!」
俺は頷く。彼らはよくやってくれた。また一つ、奴らに目にもの見せてやることができる。
「方位77から86にかけてばらまけ!装填完了次第次発も同じ!行け!」
「了解!」と叫ぶや通信士がラッタルを駆け下りていく。
オフレッサーの後を継いで砲座についたのはメルカッツ。この艦最古参のロートルだ。熟練した砲さばきでさらに命中弾を敵戦隊に叩き込んでいく。敵戦隊の先頭の船などあちこちから炎を噴き上げ随分と傾いている。あれはもう持たないだろう。
ざまあみやがれ。内心つぶやく。だが、それでも敵の数の方が圧倒的に多い。未だ無傷の二個戦隊が我々を包囲せんと動き出す。砲火は一層激しくなるばかり。至近弾もずいぶん増えた。未だ致命的な損害を受けていないが、撃沈は時間の問題だろう。だが、構うものか。
見れば敵戦隊をひっかきまわしていた第203航空魔導大隊の面々が離脱していくのが見えた。あれだけ引っ掻き回されれば追撃は不可能だろう。我々は任を果たしたのだ。そう思った直後さんざん弾幕を張っていた対空機関砲が直撃弾を受け、そのそばで射撃指揮を執っていた航海長ごと吹き飛ばした。
だが、負けじとばかりに、こちらを包囲せんとして動いていた新手の敵戦隊の中に巨大な火柱が複数立ち上る。先ほど発射した魚雷が命中したのだ。
「やるじゃないか!見たか副長!敵さんは大損害だぞ!」
だが返事はない。それどころかあたりもやけに静かだ。こちらの砲声も、先ほどから聞こえてこない。見ると副長は敵機銃弾に頭を吹き飛ばされ死んでいた。デッキを見ればちょうど88ミリ砲がメルカッツもろとも爆砕するのをみた。後には焼け焦げた残骸が落ちているばかり。
気づけば、俺の周りで小銃を撃ちはなしていたクルーたちもことごとくが死んでいた。
「すまんな」
俺はぽつりと呟く。だがそれを聴く者はいない。艦内を見下ろせば、わずかに生き残った兵たちが、必死の応急修理をしているのが見えた。だがあの様子からしてもう長くはもつまい。ふと懐に何かの感触を感じ、探る。そして見つけた。吸いさしのタバコを。
血や海水で湿っているが構うものか。咥え、火をつけると、双眼鏡を覗く。敵戦隊が波を蹴立ててこちらに迫ってくるのが見えた。抵抗が弱ったのを見て、この機にとどめを刺すつもりなのだろう。それに抗うすべは、もうない。
これまでか。内心つぶやく。
直後、艦橋付近で起きた爆発で、壁に叩きつけられた。その衝撃に思わずかはっと肺の中の空気を吐き出し―同時に感じる胸元の灼熱感。なんだこれは、と見れば折れた通信マストが俺の胸を貫いていた。だが、不思議と全く痛みはない。ただなぜだろう。なんだかとても眠くなってきた。
ふと気づけば、先ほどまでさんざん聞こえていた歌声も、もう聞こえてこない。とても静かだった。何の音も聞こえてこない、本当に静かな空間。その奇妙に静かな空間の中で、艦体に次々と艦体に着弾の火花が生じ、炎を噴き上げていく。でもやっぱり、音は聞こえなかった。
ああ、俺はここで死ぬのだ。そう悟った。だが、不思議と恐怖はなかった。後悔も、もうない。俺は夢に生き、夢に死ねたのだ。俺は満足だった。それに、と雲一つない青い青い空を仰ぐ。第203航空魔導大隊の姿はない。完全に離脱に成功したのだ。彼らさえ生きていれば、ライヒは救われるのだ。だから、俺に思い残すことはない。
唇から、吸い掛けのタバコがこぼれる。視界のなかで、駆逐艦の主砲が照準を定めるべく動いたのを見た。俺はあの歌の最後の部分を口ずさむ。
【Und das heißt, Erika.】
直後、俺の足元で灼熱の光が閃くのを見た気がした。
10.
第203航空魔導大隊 戦闘詳報
……以上の経緯より、本官らは第53戦区よりの撤退に成功せり。なれどその犠牲は極めて大にして、小官として沈痛の念絶えず。小官の名で彼らの昇進と受勲の申請を行うとともに、本件遭遇戦の原因追求と再発防止を切に願うものである。
第203航空魔導大隊 大隊長 ターニャ・フォン・デクレチャフ中佐
―承知した。直ちに調査にあたらせる
ハンス・フォン・ゼートゥーア中将
最後までお読みいただきありがとうございました。ご批評ご感想など頂けると励みになります。
ちなみに劇中で使用した楽曲はドイツ軍軍歌のエリカという曲です。著作権は切れております。
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転生したら配属先が幼女戦記の東部戦線だった件
以前別枠で「幼女戦記の世界に転生したら……」という作品を複数投稿していたところ、短編集という形で出すべきではとアドバイスをいただきました。そのため、これまでに掲載した「幼女戦記に転生したら」シリーズを本作にまとめて短編集とさせていただきます。
内容としては依然掲載していたものと大きな変更はございません。それでもレイアウトや誤字の修正など格段に読みやすくなっていると思うので、よろしければお楽しみください
1.
神様転生。それは、浪漫だ。
俺はそう思っているし、前世の俺もそう思っていた。何と言ったって夢がある。もしも自分が神様転生した暁には、チートをもらって俺Tueeeeするのだと、そう息巻いていたのだ。
だが。
「よりにもよってこれはないでしょうよ……。」
慎重に双眼鏡を覗きこみながらそうぼやく。
双眼鏡の中には無数の連邦兵が「ウラー!」の叫び声とともに突撃してくる姿。硬くて88㎜でも持ってこなけりゃ抜けやしない敵の新型重戦車までがうじゃうじゃと。敵の重砲の到着が遅れているらしいことが唯一の救いだが、その代わりと言わんかばかりに空を我がもの顔で飛び回る、敵の魔導士の数を見れば本当に嫌になる。
全く持ってその通りですな、と隣でうなずく古参の軍曹。ですが我々は我々にできることをやるのみです、と続けてくる。連日の疲労から俺が、弱気になっていると見えたらしい。
確かにな、と頷きながら自分の首元にかかる演算宝珠をもてあそび、ふと思う。そう、思えばこの転生は最初から何かがおかしかった、と。
2.
そう、確かにこの俺の神様転生とやらは何かがおかしかった。ひょんな事故で死んでしまい失意にふける中、神様的な存在に出くわしたときは、これが神様転生かと年甲斐もなくはしゃいだものだった。
だが出くわしたばかりの神様的な存在は同僚と思しき存在と何か深刻そうな顔で話し合っているばかり。
漏れ聞こえてくるのは「観測世界の住人が……」とか、「恩寵を付して、放り出すしかありますまい」といった切れ切れで要領を得ない言葉たち。
さすがになんだかおかしいぞと声をかけようとすれば、ガツンと頭を殴られたような衝撃とともに意識が遠のく。
目覚めた先こそ地獄の一丁目一番地。第二次世界大戦期と思しき塹壕の中。そこでアドルフという青年に転生していることに気づいた。
そこはまさしく地獄だった。何せおはようと挨拶した同僚が、次の瞬間には顔面を狙撃兵に吹き飛ばされたりするのだ。
顔色が悪いぞ、大丈夫かと心配してくださった古参と思しき軍人が3人続けてはらわたをまき散らしてミンチになるのを見るに至り、現代日本人の倫理観など投げ捨てた。
それからの三か月間の記憶は薄い。自分が『演算宝珠』なる不思議な道具で空を自由に飛べることを疑問に思う余地もなく、鉄と血で覆われた空をひたすら先任について飛び回っていた。
それでも人はいずれ慣れるもので、三か月もたつと周りを見る余裕もできる。3か月たったころ初めて、ここが銀さえも血で錆びるといわれるライン戦線であると知った。そして、俺はようやくこの世界が前世で読んだ幼女戦記の世界であり、自分が魔導士と呼ばれる存在であることを知った。
俺は絶望した。よりによって帝国の魔導士として転生するとは、と。
幼女戦記とはいわゆる末期戦ものだ。確かに、今戦っている共和国軍には勝てるだろう。連合王国相手にも連邦相手にも一歩も引くまい。
だが全世界を相手に一国で戦争をするのだ、勝てるわけがない。それに読者として俺は帝国の未来を知っている。強力な軍事力を持つ帝国は、各地で勝利を積み重ねながらも勝利を有効に生かすことができず、最後は出血に耐え切れず崩壊するのだ。
敗北の確定している軍に属するなど最悪だ。それに、魔導士という兵科もいただけない。
魔道士とは、原作の言葉を借りるなら、装甲車並みの堅牢さを持つ攻撃ヘリとでもいうべき非常に便利な兵科だ。
しかしそれだけに酷使され摩耗していく兵科でもある。実際、原作ではさんざ便利使いされていた。俺としては絶望するしかない。ミンチになるのもはらわたをまき散らし泣きわめきながらゆっくりと死に至るのもまっぴらごめんだ。
俺は死にたくなかった。だからといって敵前逃亡は論外だ。何のために野戦憲兵という職種があるというのか。脱走兵を捕えるためだ。逃げ出したところで、あっという間に捕まり銃殺されるのが関の山だ。
だから、俺は主人公率いる第203航空魔導大隊に志願しようと思った。何せ公式チートの部隊だ。物語での損耗率は恐ろしく低い。主人公の優秀さから補給に困らないのも最高だ。
俺の脳みその出来からして、かの部隊の中隊長など夢のまた夢だが、幸いこの体の空戦技能はかなり高い。門前払いされることはそうないだろう。そう思った。
俺が申し込むころにはとっくに募集が閉め切られていた。俺は絶望した。
ならばせめて戦果を挙げて、教導隊に所属されることを目指そう。教導隊なら確か、本国待機だ。せいぜい登場するにしても本土防空戦。
危険度は高いが、撃墜されてもそこは本土だ。間違っても東部などに配属されるより生存率は高いだろう。そう思って頑張った。
何度もバディが、先任が、小隊長がミンチになるのを目撃した。俺自身は大したケガもしなかったとはいえ、ともに弾丸をかいくぐった戦友が死ぬのはつらい。
補充されてくる要員が、明らかに飛ぶのに慣れていないのを見ると眩暈すら覚えた。何より、前世の自分の妹とよく似た少女が魔力があるからと徴兵され、医務室のベッドの上で零れたはらわたに溺れながら、「痛い、痛いよ軍曹」と泣く姿には3日飯が喉を通らなかった。
それでも、頑張りは認められるもので。俺もエースと呼ばれるようになり、エースオブエースの称号も手に届くようになったころ、教導隊への内示がなされた。だからこそ俺も安堵していたのだ。せめて、俺がカバーできなくて死なせてしまった、あの妹によく似た少女の墓参りだけは欠かさないようにしよう、そう思いながら。
だが連邦の突然の宣戦布告がすべてをご破算にした。教導隊配属の命令は取り消され、戦時任官で少尉になった後、東部第三方面軍 第四航空魔導大隊 第二中隊長の下命が下った。即戦力として、東部軍に引き抜かれたのだ。そこで俺はまたも地獄を見た。
敵か味方かわからぬパルチザン。自治評議会ができてからは襲撃もマシになったが、今度は冬将軍と泥将軍に襲われた。届かぬ弾薬。届かぬ食糧。一日の食事がかびた軍用ビスケット三枚と、賞味期限切れの缶詰スープなんて日はざらだった。
少なくない部下が死んだ。誰もかれもが祖国のためにといって死んでいった。俺は転生者だから、祖国がどうとかは正直わからない。でも、彼らの義務感に燃える目は美しく、せめて一日でも長く生きられるよう、体に宿る借り物の知識ではあるがいろいろと教えたつもりだった。
でも駄目だった。部下も上司も、みんな死んでいった。付け焼刃で、軍人の視点を手に入れた俺から見ても送られてくる補充兵はひよっこばかり。数少ない古参兵とともに何とかケツをひっぱたきものにしようとさせた。
その甲斐あって、基礎訓練を完了し、ようやく使い物になる連中ができたと古参の連中とハイタッチし、涙を流して喜んだ翌日。友軍の砲兵の誤射でそのほとんどが吹っ飛んだ。
生き残ったのは、異常に気付いて退避壕にかけ込めた古参兵ばかり。後日、司令部から丁重な謝罪とともに補充兵が送られてきた。そのほとんどは、かつて俺が救えなかったあの少女と同じぐらいの、つまり15、16ぐらいの少年少女たちだった。使い物になるベテランは友軍に吹き飛ばされ、その代わりと送られてきたのは子供たち。
俺たちは、ただ天を仰いで参謀本部を呪うしかなかった。
これを見ればわかる。帝国軍は急速に瓦解しつつあった。俺たちは口を極めて、神を、参謀本部を罵った。本来であれば規律を保つべき憲兵に独房にぶち込まれても文句を言えない暴挙であることは自覚している。
だが、近くにいた憲兵たちはみな、突発性の難聴にかかったとやけに大きな声で独り言を言うと、何事もなくパトロールを続けていった。そして、その一週間後、連邦軍の本格反抗が始まったとの連絡がきた。
そしてそれから3日後の今日、俺たちのこもるゼーラウ高地第58陣地にも、連邦軍の魔の手が迫りつつあった。
3.
「……尉!アドルフ中尉!」
俺の今世での名を呼ぶ声に、ふっと正気に返る。古参の軍曹が心配そうに顔を覗き込んでくる。すまんな、と謝っておく。
敵の突撃が開始されつつあるのに、ぼんやりとしている上官など悪夢でしかないだろう。さぞかし不安がらせたにちがいない。すまんな、と再度詫びる。
そして、塹壕内をぐるりと見渡す。そこには我等第4航空魔導大隊の残存兵員33名が勢ぞろいしていた。そこには後方で訓練にあたらせていた補充二個中隊24名のひよっこどもの姿もある。
この陣地の背後には本国につながる幹線道路がある。その防衛陣地であるこの第58陣地防衛において、兵力を遊ばせておく余力はないというのが防衛司令部の考えなのだろう。だが、このひよっこどもを上げたところで何になるのか。そう思う気持ちがあるのもまた事実。だがそんな思いはおくびにも見せずに軍曹に尋ねる。
「それで、司令部は何と?いつも通りに自由戦闘許可か?」
軍曹はにやりと笑っていう。
「ええ、その通りで。それにしても毎度毎度自由戦闘許可とはね。行き当たりばったりもここに極まれりですな」
本来ならそれは中尉と軍曹の会話ではない。本来であれば大隊を指揮する大隊長とその副官のするような会話だ。
だが、この戦線において、大隊長が戦死したところでその補充は来なくなって久しい。だからこそ、この中で最上位である俺が大隊の指揮を執ることになる。
俺はあたりをぐるりと見渡す。にやにやと笑っている古参兵たち。こちらは問題がない。問題なのは緊張に顔をこわばらせている補充兵たちだ。本来であれば訓示をして補充兵の緊張を和らげるべきなのだが、時間がない。だからこそ手短に檄を飛ばす。
「行くぞ諸君、戦争の時間だ。招かれざるお客をせいぜいもてなしてやれ!」
『おう!』
と威勢のいい古参兵どもの返事。さすがは誰もかれもが鉄十字勲章以上を保有し、50機以上の撃墜を積み重ねたエースオブエースたち。頼りにしているぞと頷いて見せる。
そしてひよっこどもに向き直り続ける。
「新兵諸君。貴様らにいうべきことは一つ。指示に従え。無理はするな。危ないと思ったら降下して基地に帰れ。何、歩兵の火力では魔導士は殺せんよ!」
それは紛れもない事実。だが乱戦においてしばしばひよっこどもはこんな簡単な事実さえも忘れ、パニックになり、撃ち落とされる。果たして何人生きて帰れるか、なんて内心はおくびにも見せず、一気に飛び上がる。
続いて空域に展開する大隊諸君。驚いたことに、展開速度はそこまで悪くない。勿論補充兵交じりにしてはだが。これは幸先がいい、と胸をなでおろす。
こちらの出撃を確認した敵魔導士が突撃陣形を敷いて突っ込んでくるのが見える。その動きはそこまで早くない。だからこそ、
「各位散開!のちに光学術式で統制射撃3連!奴らの足を止めろ!」
その勢いを殺させる。正直、我々の練度を考えれば当たれば儲けもの、あくまで突撃を阻止し、勢いを殺させるための物。敵の突撃をもろに受けた新兵はもろい。だからこそ、足を殺す。そのつもりだった。
だが―あたらない。するりと術式の間をすり抜け、こちらの前衛に切り込んでくる。もろに突撃を受けた形。無線がひよっこどもの悲鳴であふれる。
「糞があ!」
思わず叫ぶ。ひよっこどもの練度が想定より低かったのだ。飛行能力からみてもっとできる連中だと思っていたが、違う。飛ぶことしかできないのだ。統制射撃でありながら火箭はまばら。火力が貧弱に過ぎた。ひよっこどもの力量を見誤っていた俺のミス。慌てて古参兵に援護させるも、いかんせん数の差が大きい。一機、二機とひよっこどもが落ちていく。
「ひよっこ!下がれ!陣地に戻って貴様らは歩兵の援護だ!古参兵!突っ込め!切り崩せ!」
狩られるだけの鴨であるひよっこを下げ、俺たち古参が前に出る。
乱戦に突入する。正直、敵の手ごたえとしてはもろく、墜としやすい。うわさに聞く敵の新型宝珠とは大違いだ。装備の質に劣る、二線級部隊に違いない。それだけに、こんな奴らにやられたのかといういら立ちが支配する。
当てつけに次々と撃墜する。遠ざかれば光学術式で狙撃し、近づけば爆裂術式でこんがりロースト。さらに近づけば魔道刃でなます切り。まるで鴨撃ちだった。今度は敵の無線が悲鳴で埋め尽くされる。「畜生、こんなはずじゃ!」「母さん!母さん!」馬鹿めとあざけりながら次々堕とす。
だが、中にはできる奴もいるようで、高速で一機突っ込んでくる。それは確かにかなりの速度。
「帝国の犬め!地獄に落ちろ!」
ご丁寧に帝国語で叫びながら。
だが
「届かんよ」
その突撃をするりとかわしざまに首筋を銃剣で切り裂く。ただ高速で突っ込むだけならそうわきまえたうえで対処すればいいだけのこと。侮ったな、と鼻で笑う。
信じられないという顔をしながら落ちていく敵機。どうやらそれが敵の指揮官だったようで、敵部隊が退いていく。
ふうとため息をつく。友軍陣地を見れば何とか敵の突撃を撃退したらしい。敵歩兵が退いていくのが見える。ひよっこどもも何とか無事陣地までたどり着けたようだ。それにしても、今日は散々だった。そんなことを思いながら帰投する。
補充魔導中隊の損害を軍曹から聞く。死亡2名、負傷後送1名とのこと。まだましな方か、なんて思ってしまう自分に吐き気がする。
その夜、指揮官用テントに補充魔導中隊第一中隊長だと名乗る少女がやってきて、今日は危ないところを助けていただきありがとうございましたと感謝の言葉を述べに来た。損害が少なくすんだのは中尉のおかげですと。
嫌味のつもりかと怒鳴って追い返した。泣きそうな顔になりながらも、私たちが中尉の指揮のおかげで生き残れたのは本当です。そのことに感謝の心しかありません、と言い残して走り去っていった。
その横顔が、かつて救えなかった少女にどことなく似ていて無性に腹が立った。
4.
翌日は
「連邦軍の再度の突撃を確認!各防衛部隊は所定の方針に則り対処せよ!」
との無線で目が覚めた。各中隊長級を集め、改めて防衛箇所の指示をする。古参組9名2個小隊強は上空にて敵魔導士の迎撃、排除。可能なら敵地上兵力への攻撃。補充組21名は陣地にて歩兵の援護。
「はッ」という威勢のいい掛け声とともに別れる中隊長たち。だが昨日の少女だけが残って何か言いたげにしていた。
「何かね?」と問いかける。しばらくは言いにくそうにもじもじしていた少女。だが、時間がないのだがと先をせかすと意を決したようにようやく言った。
「小官たちも十分に敵魔導士迎撃の任に堪えます!何より迎撃が9名とはいくらなんでも少なすぎます!私たちにもやらせてください!」
と。はあ、と頭を押さえる。確かに言い分はもっともだ。だが、昨日の練度を見ればそれは明らかに無理だ。意気込みはいいが、意気込みと技術が合致していないのだ。
「馬鹿か、貴様」その言葉をのみこみ言う。
「すまんが、それは許可できない。それに今は出撃前だ。異議があるなら後で書面で申し立ててくれ」
なっ、と固まる少女を尻目に指揮所をでる。これ以上、あの少女とよく似た顔を見ていて冷静でいられる自覚がなかった。どうかされましたか、と駆け寄ってくる軍曹に苛立ちのままに事のあらましを伝える。ははっと笑う軍曹。笑い事じゃないのだがと睨みつけると軍曹は笑顔を引っ込めていった。
「ですが、昨日のあの惨状を見ても空に上がろうとする意志は大したもんでしょう」
と。まあ確かに、そうなのかもしれない。そのガッツは、生き延びられればきっと彼女の力になるだろう。生き延びられれば、ではあるが。あんな少女にまで戦力となることを期待しなければいけないことにも苛立ちを感じる。
そのまま、すまん待たせたと待機室に駆け込む。そこにはすでに準備を万全に整えた古参兵たち。どうかしたのですかと顔で問いかけてくるのに対し軍曹があらましを説明すると、爆笑が沸き上がる。顔が憮然とするのを抑えられない。「仕事の時間だ、行くぞ」とだけ言い残すと飛び上がる。そんなかっかしないで下さいよといいつつ続く古参兵たち。
確かに、なにを自分はかっかしているのだろう。俺は彼女に厳しすぎやしないだろうか。ふと思うが戦闘前だということを思い出し頭を切り替える。
あたりを見渡すとさっそくこちらに向かって突っ込んでくる連邦の魔導士ども。だがひよっこがいない分、昨日よりは気が楽だ。
さっそく2、3機を続けざまに叩き落す。この調子だと術弾が足りるだろうか。そんなことがふと頭をよぎるが、それ以上を考える余裕もなく乱戦に巻き込まれた。
5.
結局その日は5度ほど陣地に引き返して術弾を補充することになった。各位が15機以上撃墜するのは当たり前で、俺も18機、軍曹などは22機も撃墜していた。これで、少なからずの打撃を与えられたのならいいのだが、とようやく退いていく歩兵部隊と魔導士部隊を尻目に思いつつ帰投する。この調子なら、守り切れるかもしれない。そんなことを考えて。
損害をまとめていた軍曹の報告によれば、補充魔導士部隊の方に若干の負傷者を出したものの、死者はいないらしい。正直2,3人の死者までは覚悟していただけに、正直意外の思いを強くする。なんでも、2,3度危ない場面もあったが、中尉に物申した少女が陣頭に立って事なきを得たらしいですぜとにやにや笑う軍曹。心にさざ波が走るが務めて無視しようとするも、軍曹にはまるわかりだったらしい。ふと表情を改めると、言った。
「中尉殿、なぜあなたがあの娘っ子にだけ厳しく当たるのかは聞きません。私もライン帰りですから見当はつきます。ですが、これだけは言っときますがね-」
だがそこで、ちょうど話題の少女がこちらにやってくるのが見えたらしく、そこで言葉を止めた。そして軍曹はにやにや笑いを再び浮かべると、
「おや、小官としたことが事務の連絡を忘れていたことに今気づきました。至急戻らねばなりません。後は二人でごゆっくり」
そう言い残すと駆け足で司令部へと走っていく。さぞや大笑いしていることだろう。あとでしめねばならんなと思いつつ、少女と向き合う。気まずい沈黙が広がる。今朝の出来事について責めるべきか、それとも奮戦について褒めるべきか。判断に迷うまま口を開こうとし、
「申し訳ございませんでした、中尉!」
深々と頭を下げる少女に機先を制された。彼女は続ける。
「私は、小官は驕っておりました。たとえ技量に劣るといわれようとも、必勝の信念さえあれば、何とかなると思っておりました。ですが、そんなものまやかしであると今日ようやく学びました。」
彼女は言う。確かに彼女は陣頭に立ち、友軍の危機を救った。だがそれ以上に、友軍から救われたのだという。もう助からないと覚悟した場面での友軍の機甲部隊による防衛支援で、何とか事なきを得たというのが実情だと。
さらに、今朝の自分の態度が軍隊では抗命に分類されかねない危険な言動だったと軍曹から教えられたという。二度とこのようなことはしないので、どうか後送だけはやめてくださいと必死に頭を下げる少女。それは私はお国のためにここに来たんです、下がれなんて言わないでくださいと頬を膨らます、かつての少女を幻視させて。
ぶつり、と。頭の奥で何かが切れる音を聞いた気がした。気づけば俺は怒鳴っていた。
「貴様らは、貴様らはどうしてそんなにも死に急ぐ!命が惜しくないのか!それに口を開けば祖国祖国と!馬鹿じゃないのか!国家なぞ人間の生み出した幻想だ!そんな実在しないもののために自分の命を投げ出すのか!答えろぉぉぉぉぉぉぉ!」
と。肩で息をする。将校として口に出すべきでないことを言っている自覚はある。だがこれは俺の紛れもない本心。返答次第では、どんな理屈をつけてでも後方にたたき返すつもりだった。
「では、中尉殿は何のために戦っておられるのですか。」
それは静かな声。俺はそれに対しはき捨てるように返答する。
「決まっている、戦友のためだ」と。
最初は違った。この世界に来たばかりの頃は、自分がただ死にたくないから、死なないために戦っていた。だがいつしか思うようになったのだ。俺は一度死んで、蘇った死者に過ぎない。そんな死者に過ぎない俺が何の因果かぴんぴんとしていて、この世界で元から生きていた人間がバタバタとまるで虫けらのように死んでいくのは間違っていると。
皆、今際の際にいうのだ。死にたくない、死にたくないと。なのに俺はぴんぴんしている。蘇った死者に過ぎない、この俺が。やりたいことも一杯あっただろう、未来ある子供たちが、若者たちが死に、生きる死体の俺が生き残る。そんなの不合理じゃないか。
だから思ったのだ。彼らが戦場にやってくるのは、仕方がない。戦時中で、徴兵のある国に生まれたのだ。逆らうことは難しかろう。だから、決めたのだ。死者に過ぎない俺が彼らの分まで危険を背負い、なんとしても彼らを生かして返すと。そして、やりたいことをやらせ、満足して天寿を全うさせるのだ、と。その願いはかなわなかったが。
だからこそ、俺には許せない。技能に劣ると自覚しながら戦場に居続けようとするその精神を。生きて帰る道がありながら自らそれを放棄しようとするその生き方を、許せなかった。もしそれが本国後方安全地帯で言う「愛国心」なるカルト的妄信に基づくものであるなら、手足を撃ってでも本国に返す。そのつもりで睨みつけた。
「中尉殿は、守りたいもののために戦うのですね」
彼女は静かに言った。
それは違うと俺は言う。俺は守りたいもののためになんて、そんな高尚な意思で戦っているわけではない。これは、ただの贖罪なのだ。死体風情が人間のふりをして生きていて、その挙句多数の生者を殺したことへの贖罪なのだ。我ながら滅茶苦茶なことを言っているとわかっている。はっきり言って、俺の滅茶苦茶な言動の意味を、すべて少女が理解できたとは思えない。
だが少女はふわりとほほ笑むといった。
「たぶん、それも守りたいもののために戦うというのだと思います。」
と。彼女は続ける。私も同じですと。命はもちろん惜しい。死ぬのは怖い。でも家族や自分の過ごしてきた地域の人たちが死んでしまうのはもっといやだ。彼らには生きて、たくさんのものを見てほしい。だからこそ、我が身を盾にしてでも戦うのだと。中尉殿の、戦友を生かして返したいという思いと同じです、と彼女は言う。
そういう彼女の目はどこまでも澄んでいて。ますます、あの妹によく似た目をした少女もこんな目をしていたなあ、と守れなかった少女を思い出す。ここで私が頑張れば、たくさんの人を守れますから!そう微笑んでいた彼女。だから、そんな目で見ないでほしかった。
「やめろ、やめてくれ。その眼で、そんなことを言わないでくれ。」
思わずこぼす。
「中尉は、私と似たような部下をなくされたのですか」
そう尋ねてくる少女。そうだ、と答える。君と、妹とよく似た見た目の少女を死なせたのだと。もう二度と会えない妹の顔がふとよぎる。それとともに思い出される退屈で、でも平和な日本での生活。つう、と涙が流れるのを感じる。
「妹さんと、その部下の方の名前を教えてください」
そういう少女。本来なら答える必要のない質問。だがここまでしゃべったのだ、答えてやる。百合と、ユーリだと。
「そうですか」短く答える少女。
そしてやにわに姿勢を正すといった。
「私の名前はリリー・マルレーン!そのお二方と混同されるのは困ります!」
そして表情を和らげるといった。
「……わたしは、死にませんから」と。
それはまるで慈母のような微笑みで。どうやら俺は励まされているらしい。情けないなと涙をぬぐう。叱責するつもりが、年が一回りは離れた少女に愚痴をこぼした挙句、慰められているのだから。なんだか、心の闇が払われた心地がした。
いえいえ、中尉の本音が聞けて良かったですよとほほ笑む少女。その横顔を、雲の切れ間から洩れた月の光がやさしく照らす。やけにその横顔が美しく見えたのが、印象的だった。
5.
翌日は連邦からのモーニングコールに悩まされることもなく起きることができた。やけにすっきりとした目覚めなのが印象的だった。
この日は敵の攻撃は散発的で、敵の魔導士も全然飛んでこなかった。飛んできてもどちらかというと偵察がメインのようで、こちらが本格的に戦闘の体制をとるとすぐさま撤退していった。昨日の戦闘がよほど堪えたらしい。そんなことを空中で言い合う余裕すらある始末。
さしたる成果もなく、古参兵ともども帰還する。リリー少尉が手を振ってきたのでこちらも手を軽く振り返す。ヒュウと口笛を吹く軍曹。中尉殿も隅に置けませんな、とからかってくる古参兵はとりあえずどついておく。だが、どうしても頬が緩むのを抑えられない。
すると、司令部付の参謀が息せき切って走ってくるのが見えた。どうやら厄介ごとらしい。
6.
司令室には俺だけが通された。このあたりの地理が詳細に記された地図を沈鬱な表情で眺める初老の将校が、そこで待っていた。彼はこの陣地の防衛指揮官である。階級は大佐。
俺が入室したのを確認すると、大佐は前置きもなく単刀直入に切り込んできた。
「貴官は現在の状況をどう見る」
だから俺もシンプルに返す。
「正面の敵軍には少なからずの打撃を与えました。しばらくは膠着状態でしょう」
大佐は苦虫をかみつぶしたような表情で俺の見解を肯定する。
「そうだ。分析班によれば、敵師団は魔道部隊の2分の1を失った。地上部隊は3分の1をだ。これだけの打撃を受ければ、簡単には動けまい。貴官のおかげだな」
本来であればそれは笑顔で言祝がれるべき報告。だが、その苦々しげな表情が報告がそれで終わらないことを示していた。
「増援が、来るのですか?」
首肯する大佐。
「大物がな。敵の親衛師団4個師団がこちらに向かっているとの報告があった。大盤振る舞いだな」
敵の親衛師団4個師団が急行中。その知らせにくらりと眩暈がするような感覚に襲われる。この陣地にいるのは定員割れの一個戦闘団に過ぎないのだ。そこに、敵の精鋭たる親衛師団が4個も。一瞬で踏みつぶされるのが目に見えていた。
「それで、どうなさるので?増援は……あるのですか?」
この世界でそれなりに生きていて、元読者ということも合わせればわかる。わかってしまう。増援を出す余力など、帝国にはもうない。だが増援がなければ、我々は踏みつぶされる。きっと俺の声は震えていただろう。だが返答はもっと悪かった。
「わからん」
「は?今なんと……」
「わからんといったのだ!東部軍司令部は混乱するばかりでまともな返事をよこさん!増援がなければ撤退せざるを得ないと報告したにもかかわらずだ!」
我慢の限界に達したのか怒鳴り声をあげる大佐。
背筋につららを突っ込まれた気がした。それが事実だとすれば。
「おそらくは、全前線が崩壊しつつあるのだろう……。おそらくは司令部でさえどこに自軍の戦略予備があるのか、撤退するにしてもどこに防衛線を引けばいいのかわからんに違いない」
それは破滅が近いということだ。だからこそ俺は繰り返す。ではどうなさるのですか、と。
疲れ切った表情で大佐は言う。
「撤退するしかあるまい……。だが、それには目前の敵師団が邪魔だ。少なくない損害を与えたが、動けんわけではあるまい。」
俺はうなずく。たとえ少なくない損害を受け、通常なら戦闘行動ができないほどの打撃を受けているとしても、追撃戦なら話は別だ。うかつに背を向ければ、増援の到着を待つことなく飲み込まれることになるだろう。
ここで俺はようやく大佐の言わんとすることを察する。
「つまりは俺たちに敵司令部の破壊をやれと」
「そうだ」
沈鬱そうな表情でうなづく大佐。敵師団司令部をたたき、その混乱の隙を縫って撤退する。言うは易しの典型例だ。斬首戦術は確かに帝国軍の十八番。だが、帝国軍はそれを繰り返し過ぎた。敵だって対策はしているだろう。半壊した師団とはいえ、がちがちの防護をしてあるはずだ。それに練度からして実行部隊は俺を入れた古参連中のみ。わずか9名で敵司令部に突撃。当事者が俺たちでなければ嗤っていただろう。
「無茶をおっしゃいますな」
思わずこぼす。
「無茶は承知だ。だがやらねばならんのだ。諸君らにはすまんと思っている。必要なら命令書を出しても-」
何かいいかける大佐を制する
「誰かがやらねばならんのです、やりましょう」
そう、誰かがやらねばならんのだ。ならばそれをなすのみ。何より、成功すればリリーたちは本国に生きてたどり着けるかもしれないのだ。やるしかないだろう。
「すまん」
「いい酒を頂ければ、それで十分です。それで、部下も納得するでしょう」
7.
翌日。
突入を開始して20分後。俺たちは敵司令部の目前で猛烈な対空砲火とえんえんと現れる敵魔導士に捕まっていた。
「02,03、そちらから司令部は狙えるか!」
「射程にはとらえていますが、対空砲火と敵の迎撃が激しく狙撃はこんな……。うわああああああ!」
「03どうした!」
「03ロスト!敵魔導士の自爆に巻き込まれました!奴ら死んでも通さないつもりです!」
「中尉殿、このままでは司令部要員に逃げられます!」
それは、時間との戦いでもあった。時間をかければ司令部要員に逃げられる。敵としては最悪その時間さえ稼げればいいのだ。まだ、撤収はできてはいまい。だがこれ以上時間をかければどうなるか。それだけに敵の抵抗も熾烈で、自爆すらいとわなかった。すでに07と、09が自爆に巻き込まれて落ちていた。
それに、と自軍陣地をちらりと見やる。圧倒的に押し込められていた。敵からすれば、厄介な航空戦力は司令部前に釘付けにできているのだ。残っているのは地上部隊による迎撃すら可能なひよっこ魔導士と、摩耗した一個戦闘団のみ。この機に陣地をぶち抜いてやろうと考えるのも無理はなかった。
すでに一部では防衛陣地内部への浸透を許している。陥落は時間の問題であった。司令部直撃をあきらめ、撤退して陣地の援護にあたれば守り抜くこともできようが、その先がない。だから何としても敵司令部を吹き飛ばす必要があった。
だがこちらの損害と疲労は高まっていくばかり。ちらりと見ても生き残った者の大半が少なからずの傷を負っている。これは最悪全滅か。そんな嫌な想像が頭をよぎったその時。
ザザザというノイズが無線に走る。何事か、と身構えた時に耳に飛び込んできたのは、リリーの声だった。
「ヒナドリ0よりヒナドリ1!動きが単調!私たちが落ちればそれだけみんなが苦労するの!ぼさっとしない!」
それは無線の混線だった。崩れかかっている友軍を何とかまとめ上げようとするリリー。その様子を耳にし、古参兵の間に笑みが広がる。
「ひよっこどもも存外やりますな!」「中尉の姫に対する薫陶の結果ですかな?」「いやいや、逆に姫からの不甲斐ない我々への激励かもしれませんぞ!」。
こんな時だというのに飛び交うジョーク。そして再度突撃陣形を組み突撃を開始した刹那、それは聞こえた。
「ヒナドリ5、よけなさ、きゃあああああああああああ!」
ぷつんと途絶える無線。俺はそれが聞こえた瞬間、うかつにも動きを止めてしまっていた。俺はまた部下をなくしたのか。俺の心の闇を払ってくれた、大切な部下を。そんな愚かな思いにとらわれて。
それは、空戦において明確な隙。複数の魔道照射を感知する。しまったと思ったときにはもう遅い。目の前に迫る複数の術式の光に目を閉じ―
「どけええええええ!中尉ぃいいいいいいいい!」
横から突っ込んできた軍曹に弾き飛ばされた。くるくるとスピンする俺の体。
「軍曹?!何を!」
体勢を立て直しそう叫び振り返った先にいたのは。左肩から先を吹き飛ばされ、脇腹をえぐり飛ばされた軍曹の姿。
だが軍曹は何時と変わらないような、飄々とした笑みを浮かべて。
「よかった、中尉殿。無事だったんですな。死なせていたら姫さんにどやされるとこでした」という。
「あ、ああああああ……。」
声が震える。目の前が真っ暗になりそうな思い。俺はまた自分のせいで人を死なせたのか、また。
「しっかりしてください中尉殿!」
軍曹に残った右手でどつかれる。その衝撃で若干の正気を取り戻す。そ、そうだ止血をしなければ。包帯はどこだ。そんな慌てる俺の肩を掴むと、俺の目をしっかり覗き込みながら軍曹は言った。
「中尉殿、あんたがしっかりしないでどうするんです!あんたにゃあの娘っ子たちを本国に生きて送り返す義務があるんです。それがこんなところで呆けていてどうするんです!」
「しかし軍曹!その傷では、軍曹は!」
おそらく俺はみっともなく泣いているんだろう。視界がゆがむ。しょうがない、といわんかばかりに苦笑する軍曹は、ぽんと軽く俺の背中をたたくといった。
「俺はもう助かりません。ですが、連中を道ずれにすることぐらいはできます。……娘っ子たちのこと、頼みましたよ」
そういうと演算宝珠に明らかに規定より多くの魔力を流しだす。不吉に赤く輝く演算宝珠。止める間もなく一気に敵司令部に向けて加速し始める。
軍曹の意図を察した俺は叫ぶ。
「軍曹、まて!軍曹!」
だが軍曹は止まらない。理論上の速度を超え、さらには音速へと迫って敵司令部を目指す。防衛部隊も速度差に手出しができない。ただ、その明らかな無茶の代償として、負荷に耐え切れず残っていた右手がぐしゃぐしゃと折れ曲がる。
とてつもない激痛が走っているだろうに、軍曹はそれでも笑っていた。
そして軍曹はその勢いのままに敵司令部に突入すると、轟然と爆発した。
とたん、動揺の走る連邦軍。おそらくは無事に敵司令部を吹き飛ばせたのだ。軍曹の犠牲と引き換えに。
「っ……。撤退する!」
俺たちは凱旋する。ようやく敵をはねのけつつある陣地に向かって。
8.
俺は陣地に到着するとまっすぐに司令室に向かった。兎にも角にも作戦の成功を報告せねばならなかった。だがそこにいたのは、俺の先任の大尉ただ一人。大佐の姿はなかった。
「大佐はどうされた?」
思わず尋ねる。
大尉は吐き捨てるような声で言った。
「戦死されたよ。自ら陣地再奪還の号令をとられてな。見事な最期だった。……これで俺が本戦闘団の最先任だ」
俺は沈黙する。大佐らしい最期といえば大佐らしいのかもしれないが、撤退戦の指揮を執るべき大佐が戦死というのは笑えない。そして後継が大尉というのはなおさらだ。戦闘団の指揮官が大尉で、航空魔導大隊の指揮官が中尉。敗残兵の集まりとしては、案外ふさわしいのかもしれない。そう思い苦笑する。
「さらに悪い知らせがある」
という大尉。
「もう何を聞いても驚かないですよ」と返す。
「全前線が崩壊した。じきに、ここにも他戦線からの敵の増援がやってくる。あと3時間ぐらいで敵の先鋒が到着するだろう」
「馬鹿な!」
そう声を荒らげつつ、心のどこかで納得する自分がいる。つまりは今日が、帝国最後の日なのだ。
「ですが、残り3時間では撤退も困難です。よしんば撤退に成功しても、この距離では追いつかれます!」
それでも指摘すべきことは指摘しておく。
「それでも、撤退させるしかないだろう。」
魂を吐き出すような、疲れ切った大尉の声。
「負傷兵や軍医たち、戦えんものには撤退命令を出した。俺と部下はここに残って時間を稼ぐ。お前は好きにしろ。降伏しようがともに撤退しようが構わん」
まあ、奴らが降伏を許すとは思わんが、と皮肉気に嗤う大尉。そこにあるのは少なからずの諦観。だが少なくとも戦えぬものだけは生かして返すという覚悟がそこにはあった。
そうは言われても俺の腹は決まっている。何より軍曹と約束したのだ。ひよっこたちを本国まで送り返す。そのためには俺たちがここで時間を稼がねばならんのだ。
「魔導士抜きの歩兵で遅滞戦闘をやると?それこそご冗談でしょう。大尉、水臭いですよ。俺たちは戦友でしょう。戦友には一言あれば十分です」
「……。すまん。頼む。」
「喜んで」
9.
撤退の段取りを考えつつ司令室を出る。ぐずるだろうひよっこたちを撤退させるのは難儀だろうななどと考えながら。すると、出たばかりの廊下に一人の少年が立っていた。記憶をたどれば、リリーと同じ中隊で、リリーの副官のようにかいがいしく働いていた少年。
その少年が言う。ひどく沈んだ声で。
「リリーが呼んでいます。医務室まで来てください。」
俺は、悲報は続くものであるということを思い出していた。
10.
連れていかれた医務室では無数の負傷兵がベッドの上でうめいていた。撤退の指示は届いているのだろう。軍医やナースたちがせわしなく患者をトラックへ運ぶ騒音が響く中、リリーのベッドの周りは沈黙だけが支配していた。
カーテンを開け、「中尉をお連れしましたよ」という少年。そこにリリーはいた。四肢に欠けるところはない。だが、その眼には真っ白な包帯が巻き付けられていた。近くの軍医に目をやると、黙って首を振る。つまりは一時的な失明などではないのだろう。無言で差し出されたカルテを見る。「砲弾の破片により、両目とも眼球が破裂。回復の見込みなし」
音に反応したのか、リリーが飛び上がるように身を起こす。
「中尉殿!来てくださったんですね!撤退と聞きました!殿軍が必要ですよね!私、志願します!」
その調子はひどく明るい。まるで無理をしてそうしているかのように。
「リリー、君の負傷では戦闘を行うのは不可能だと判断する。おとなしく、撤退することだ。ひよっこもともに後退させる。そうすれば-」
「やだなあ中尉殿!私の目がだめなのは今だけですよ!それに見ていてくださったでしょう!私、これでもそれなりに戦えるようになったんです!だから、だから!」
徐々に涙声交じりになっていく。それはまるで、親に捨てられるのを恐れる子供のようで。
いや、とふと思う。事実彼女にとってここは家なのだろうと。
故郷に別れを告げる間もなくいきなり徴兵され、おざなりな訓練とともに東部に放り出される。どこの戦線でも持て余され、とりあえずは司令部付と事実上放置されていたリリーたち。上からは使えない駒とみなされ、下からは無駄飯ぐらいと揶揄される。それは針の筵な日々。
そんなリリーたちを拾ったのが俺たちだった。短い時間ではあったが生き残るすべを、戦うすべを教わった。ともに敵の弾丸を潜り抜けた。はじめて古参兵たちに邪険にされることなく笑いあった。それは家族以上に親密な時間。だからこそここは、リリーにとって第二の家であり、俺は、第2の親か、それ以上の存在なのだ。
だが、それは幻想だ。戦争という狂気が生んだ、妄想なのだ。だからこそリリーの肩をしっかりとつかみ、言い聞かせる。
「リリー聞け!残念だが、君の目はもうだめだ。それに、最期の後始末をつけるのは俺たち戦争を始めた大人の責任だ。君らは付き合わんでいい!君ら若い世代は、一人でも多く生き伸びねばならんのだ!」
「中尉までそんな嘘をつくんだ!そうやって私を、私たちを捨てるんだ!いいです、私一人でも戦います!そうしなきゃいけないんです!そうしないとダメなんです!」
だがその効果はないようで、声はだんだんと危険な調子をはらんでいく。
仕方がない。軍医にうなずいて指示を出す。軍医が懐から鎮静剤の入った注射器を取り出す。だがそれを雰囲気で察したようにリリーが突然暴れだす。
「いやいやいやいやいや!そんなの絶対に嫌!私は戦うの!……何をするの!離しなさい!離せっ!!!!」
軍医やナース、ひよっこたちが総出で抑え込んでいるのに、けが人とは思えないほどの力で跳ね飛ばされる。
だから俺はリリーの枕元に立つと、優しく語り掛ける。
「なあリリー」と。すでに失われた目と俺の目が合う。頭をなでる。徐々に抵抗が弱くなっていく。
「わかってくれとは言わん。だが俺は君に、君たちに生きてほしい。生きて、おいしいものを食べて、好きな人と一緒になってほしい。そうしてくれれば、俺たちに死んだ意味がある。……俺に、生まれた意味がある。」
何度も何度も頭をなでる。
「でも中尉!私は!」
反論を封じるように言う。その先を聞きたくなかった。死者に過ぎない俺は、聞くべきではなかった。
「わかってくれ。……頼むから……。な?」
沈黙が広がる。1分、2分。リリーがようやく口を開く
「わかり、ました……。」
リリーの包帯の下から涙があふれていく。俺は軍医にうなづく。打ち込まれる鎮静剤。すうすうと寝息を立てて眠ったリリー。それを確認すると軍医に一つ敬礼をして踵を返す。
ひよっこたちが深々と頭を下げると、担架に乗せられたリリーとともにトラックに向かうのを背中で感じ取りながら。
一人、ひよっこたちの群れから抜け、背後から駆け寄ってくる足音。振り返ると、俺を医務室に案内した少年が息を切らせて立っていた。すぐに戻りますから一つだけ質問させてくださいという少年。無言で先を促す。
少年は何か覚悟を決めるような顔で聞いてきた。「中尉は、リリーを愛しておられたのですか」と。
俺は無言で考える。俺は果たしてリリーを愛していたのだろうか。確かに、俺がリリーを好ましく思っているのは事実だ。だが、愛していたかといわれるとそれは違う。俺がリリーに救われたのは間違いない。だがそれは恋愛感情とはまた別なものだ。むしろ-。そこまで考え首を振る。それ以上は野暮なことだ、と。
俺は苦笑すると返す。違うな、と。そうですか、とどことなく安堵したような少年。ふと、そういや少年の名前を聞いていなかったなと思い名を尋ねる。
「シュルツです。シュルツ・イェーガー」
いい名だな、と返し踵を返す。「……幸せにしてやれよ」そう言い残して。
シュルツの、「中尉も……御武運を!」という声が追いかけてくる。無言で手を背中越しに振って返事とした。
11.
俺たちの大隊の司令部テントにたどり着く。
そこには武器装備を満載した5人の男たちが待っていた。
「遅いですよ、中尉殿!」
「待ちくたびれて先に始めなければいけないかと思ってました!」
その顔に悲壮感はない。あるのは覚悟を決めた男たちの顔があるばかり。
だが念のため確認しておく。
「もし撤退したいものがいるなら今からでも遅くない。すぐに離脱しろ。トラックは出てしまったが、お前らの腕なら飛んですぐに追いつけるはずだ。免責のために一筆書いても―」
だが俺の言葉はさえぎられる。
爆発的な笑い声によって。
皆が口々に言う。
「水臭いですよ、中尉殿!」
「俺たちは東部で死ぬと決めてるんです!仲間外れはやめてください!」
「せっかくパーティの準備を整えて、今更お預けなんてあんまりです!」
「俺は連邦人と楽しいダンスの予約をしてるんです!今更ぶっちなんてできません!」
「そんなことおっしゃるなら、中尉こそ帰るべきですよ!」
今更野暮だったなと苦笑する。
「すまん、みんな。」
でも、一言謝るだけなら許されるだろう。
「すまんというのなら、その懐にあるよさげな酒をください。それで、俺たちには充分です」
お調子者の男が言う。俺は苦笑しながら昨日大佐から巻き上げて、皆で飲みそびれたポケットウイスキーの瓶を取り出す。
皆で一口ずつ回し飲みする。悪くない味だ。
だからこそ、
「皆で飲んでおけばよかったな」
そうぼやく。
「何、あの世でたらふく飲んでいるでしょう。足りないというなら、今はここで」
というとトントンと地面をけるお調子者。彼らが散っていった大地を指し示す。
「そうだな」
俺はうなずく。
「戦友に」
ポケットウイスキーの瓶を掲げる。
『戦友に』
皆が唱和する。まだまだ中身の残っていたそれを大地にぶちまける。
遠くから、敵先鋒の出す砂煙が見え始めていた。
最期の見納めとして、もう一度部下たちの顔をぐるりと見渡す。
微笑んでいるもの、タバコをふかすもの。皆が皆、笑っていた。
顔を撫でまわす。ざらりとした無精ひげの感覚。上がった口角にふと触れる。俺はこの時、自分が笑っていることに気づいた。
そうか、俺は笑っているのか。そう思う。思えば、いろんなことがあった。たくさんの地獄を見た。だが、未来ある子供たちのために死ねるのだ。こんな終わり方なら、悪くない。
部下たちがこちらを見ている。指示を今か今かと待っている。俺は一つうなずくといった。
「諸君。戦争の時間だ、行くぞ。……子供たちに、未来を」
『子供たちに、未来を!』
俺たちはそう唱和すると、一息に飛び上がり、敵先鋒に向けて突撃を開始した。
ご意見、ご感想などお待ちしております
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