病弱系VTuber白梅雨桔梗は、元気っ娘後輩に絆される (銅鑼銅鑼)
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自主退職とか
A
季節は春。とは言え冬の気配も未だ残る頃の事だ。
ボクは、今まで続けていた仕事を辞めた。
どうして辞めたのかと聞かれたら、続けて行くのが苦になったからだ、と表面上は答えざるを得ない。
そう言い切ってしまえば、きっとこの日本で働いている皆様方にとても失礼なのだろうけれど。
けれどもやはり、ボクはどうしても駄目になってしまったのだ。
何が駄目になってしまったのかと言えば――。
……自分語りになってしまうが、これでもボクは優秀な方だった。誰よりも仕事は出来たつもりだし、誰よりも仕事は早かった方だった。
けれども、身体は付いてこなかったみたいで。ボクの場合は。
――主に心臓だ。
詳しい事は何一つ分からなかったけれど、循環器系に問題があったようで。ボクは、仕事を辞めざるを得なくなってしまった。
とは言え、手に職を失ってしまったことで。生活が出来なくなってしまうのも困りものだ。
だからこそ、ボクはこうして寒い空の下で、こうして仕事を探している。
傍から見れば小柄で背が低い(よく間違えられるが、ボクはれっきとした大人で、女性だ)、少し大きなスーツ姿が印象的だろう。
気温は、氷点下ではない程度だろうか。まあ、大体そのくらいだ。
ボクは、手元にある求人情報を見てから、不意に煙草に火を点ける。
屋外に居るのは、これが理由で、ボクはれっきとした喫煙者だった。最近、また税金が上がったらしいそれに火がつき、ちりちりと肺に煙がまわる。
早朝ということもあって、街はひどく静かだ。
もう少しすれば蜂の巣をつついたように、慌ただしくなるのだろうが。今だけは、ボクはその静かさを満喫していた。
事情を知る人が見れば、病人なのに何をやっているんだ、と思われるかも知れない。
病人は病人らしく寝て休んでいろ、と正論をぶちまけられるのかも知れない。
それはそうなのだけれども、良く言うだろう?日本人は働き過ぎだって。
それに漏れず、ボクもそうであり。手に職が無いと不安でしかない、ただの現代人だった。
そして偶然、本当に、なんとなくボクが目に留まったのは、とある企業のスタッフ募集だ。
Vtuberと言う、聞きなじみの無いそれの、グッズ企画、および制作進行。
生憎と歓迎されるような資格は持ち合わせていなかったが、それでも何かを仕事にしないといけない。と、嘘偽りなく言って病的にまで貪欲であったボクは、その企業へと向かう事にした。
もう少しで口元という所まで、灰になっていた煙草を携帯灰皿の中へと押し込んで。今は静かな街の中へと足を進めた。
乾いた風が頬をかすめる。もうすぐ春だというのに、風は冷たかった。
B
ボクは息が出来なかった。
もちろん、息は出来なかった。死んだのだから。
いや、死んだのならば、どうして息をしていないという事を意識出来るのだろう?
いいや、それを言うのなら、何故死んだのに何かを考える事が出来るのだろう?
数巡して、ボクはやはり生きているのだろうという結論に達する。
息を吐いた。腐ったような湿った空気。
呼吸が出来た、やはり。ボクは生きている。
では、生きている事を感激したのかと言えば、そんな事はない。むしろ、あるのは絶望だった。
目の前に立っているのは、いたってどこにでも居るような、中年の男性だった。
ボクの上司にあたる、その男性は、さて。先程何を言ったのか。咄嗟に聞き返そうとする。
「もう来なくても良いと言ったんだ。そんな調子の奴を置いておける余裕、ウチにはないんだよ」
男性は再度そう言い、ボクから目を背けた。
男性から見たボクは、さて、どのように見えたのだろう。
業務を休みがちで、頼りに出来ない後輩?薬を飲まなければ碌に仕事も出来ない役立たず?
ああ、考えたくもなかった。
そこから、ボクは今まで勤めていた会社を辞めた。なんだか良く分からないうちに、事務の言う事を聞いていたら、あっという間だった。
ボクは、心を病んだ訳ではなかったが。少しだけ、心に折り目というものが出来た。
挫折というものを味わった。とても悲しい気持ちになって、苦しい思いしか浮かばなかった。
やけになって、酒に溺れる事は無かった。酒は、たしなむくらいにしか好きではなかったから。幸いだった。
今でも思い返す度に思うのだ、もう少し、ボクが違っていれば、今でも続けられたのだろうか、と。
時間を巻き戻す術はないが、それでも「もしも」を考えてしまう。実に滑稽だった。
そんな事を考えながら、ボクは、手元のスマートフォンを弄りながら、募集された仕事のエントリーフォームを記入していた。
世の中はボクが知らない内に、思った以上に便利になっていたようで、紙の履歴書はさほど必要ではないらしい。
それでも一応の礼儀として、持って来てはいるが。だいたいはネット上でのやりとりで終わる。
職務経歴書をPDFで登録して、送信する。これだけだ。
なんともまあ、味気ないと言うか。面と向かって会ってもいないのに、何が分かるのだろうかと不安になってしまう。
もちろん、面接もあるにはあるが。それは一次審査を通ってからだ。
その間、暇になったボクは、スマートフォンを弄ってVtuberというものを勉強しておこうと思い至る。
もし仮に一次審査を通った後で、Vtuberというものを何も知りません、ではお話にならないからだ。
これは、何の職種でもそうなのだが、知識とは武器である。
何の知識も持たない、経歴だけが良いボクみたいなのと。知識と情熱に満ち溢れてはいるが、経歴が芳しくない方。どちらが良いのかと言えば、圧倒的に後者の方が歓迎される傾向にある。
それは、コミュニケーション能力にも大きく左右されるが、大抵の場合、気合で何とかなるからだ。(精神論はあまり好きではないが)
そう言った意味合いでは、ネット上でのやり取りで終わってしまう今の文化は、些かどうなのだろうか。とも思ってしまう。
いや。そう言ったやる気に満ちた方々は、自己PR能力にも長けているから、これはボクの杞憂でしかないか。
さて、Vtuberというものをある程度調べてみたところ。
可愛らしい見た目をしたアバターを用いて配信をするということは良く分かった。
ただ、ボクには絶対に出来ないだろうな、とも思った。明らかに陽だまりの中に居るであろう彼らの姿は、ボクには眩し過ぎた。
まあ、一次審査を通ってもいないうちからこうしているのも、いささか性急な気もしたが。
ボクにとってこの選択は、とても良い選択肢だったということを後々知ることになる。
C
一次審査を通って、続いて面接に移るという知らせがボクの下にやってきた。
それ自体は、さほど問題ではない。むしろ歓迎するべき事柄だ。
さて、それでは何故、ボクは今考えこんでしまっているのかと言えば。
「Vtuber、やってみませんか?」
カンタレラ、という企業の面接官のその一言だった。
丁寧に受け答えをしているうちに。その言葉が飛び出した事に、ボクは多少なりとも驚き、そして考え込んだ。
もしかしたら、動揺を誘ってどう受け答えをするかという判断力のテストなのかも知れない。
ボクはそう思い、咄嗟に。
「やります」
そう応えた。
半ば冗談だろう。と思っていた節がなかったとは言い切れない。
だってそうだろう?Vtuberのスタッフ募集なのに、Vtuberになるだなんて、そんな話があるはずがない。
ボクはそうタカをくくっていた。
だから、まあ、その。なんだ。こうなったのもボクが悪いのであって、誰が悪い訳でもない。
たまたまVtuberの採用枠が余っていて。面接官がティンと来たとか言ったとしたとしても。
事務に言われるがままに流されて、それに何も思わなかったとしても。
「ボクは、病弱系VTuber、
えと、これで合ってるかな?音量とか何か可笑しな所があったら教えて欲しい」
【大丈夫だよー】
【ボクっ子(゚∀゚)キタコレ!!】
【病弱なん?】
【あんまり無理しないで】
【思ったよりクール系の声だ!!】
こうなったのも、やはりボクが悪い。
目の前の画面を流れるコメント群。それらをざっくりと見通すと。
やはり、というかなんというか。病弱系Vtuberということをうたうこともあってか。
ボクの身体を労わるようなコメントが多かった。
ボクのアバターが煙草を口に咥えていて、目にクマが出来ているのも相俟ったのだろうか。
ダボダボの白いパーカーを身に纏って、顔色も白い事から、どこか儚げな雰囲気もある。
ボクは努めて元気そうな声を出して言うのだった。
「なに、大丈夫だよ。
ついこの前会社をクビになってね。心機一転、というやつさ。
薬もちゃんと服用しているから何の心配もないよ」
【何も大丈夫じゃないじゃないですかやだー!】
【生きて】
【おお、もう……】
【ワイ、むせび泣く】
余計に心配させてしまったようだ。ふむ。失敗したな。
配信画面に表示されたアバターを見れば、どこか目は虚ろで、うん。直球で言えば死んでいる。
鏡を見ればボクも同じ様な表情をしているのだろうか?
どうだろうか。あまり鏡を見て自分の表情を観察する習慣がないから分からない。
心配するコメントで加速するコメント欄の中で、ボクはふふっと笑ってしまった。
E
ひとつ、断っておく。
これは、そう大したことが起きるお話じゃあない。
何処にでもいる。そう。それこそボクのような現代人が、陽だまりのような人達と触れて絆される。
結局のところ、それだけのお話だ。
Vtuberとしてトップに立つだとか、何か大事が起こる訳ではない。
いや、違うな。
病弱系VTuber白梅雨桔梗としてデビューする事になったのは、ボクにとっては大事だったのだけど。
ボクが言いたいのは、この物語は端的に言えば世界平和だとか、そんな大きな事が起きる訳じゃないってこと。
それこそ世界中で起きている、本当に深刻な事と比べたら、そこまで深刻な事は起こらないってこと。そういうことだ。
ただ、一つだけ。付け加える事があるのだとしたら。
ボクにとっては、それは、とてもとても特別なことだったのだ。
本当に。
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ご飯を食べにいこう【掲示板形式あり】
A
【VTuber】病弱系、元気溌剌系、可愛い系の新人について語るスレ【カンタレラ:二期生】
1:名無しの花言葉
とりあえず立てたぞ
2:名無しの花言葉
| |そ~~・・・
| |∧_,,∧
|_|´・ω・`)
|桃|o乙o
| ̄|―u′
""""""""""
| |
| | ∧_,,∧
|_|(´・ω・`)
|桃|o ヾ
| ̄|―u′>>1乙 <コトッ
""""""""""""""""
| |
|_| ピャッ!
|桃|ミ
| ̄| >>1乙
""""""""""""""""
3:名無しの花言葉
>>1 二期生はどうだった?
4:名無しの花言葉
>>3 元気っ娘の子は元気可愛い
可愛い担当の子は素直可愛い
病弱系の子が不憫過ぎてワロエナイ
5:名無しの花言葉
元気っ娘の小日向 ひまわりちゃん可愛かったな
可愛い担当の梅原 菫子ちゃんなんか途中緊張し過ぎて噛み噛みだったのがよかった
病弱の子の白梅雨 桔梗ちゃんがクール系だったのは意外だったなぁ
6:名無しの花言葉
煙草吸ってるよね、あの子。あんまり体調良くないって言ってたのに矛盾してない?
7:名無しの花言葉
可愛いと可愛いと不憫、って感じか。三人目要る?
8:名無しの花言葉
不憫でも可愛いなら必要だろ
9:名無しの花言葉
>>7 なんだァ?てめェ……
10:名無しの花言葉
>>7 >>8 >>9 喧嘩するなよ
あと体調不良なのに煙草吸ってる人は居るぞ。何故かそっちの方が落ち着くんだと
ソースは俺
11:名無しの花言葉
矛盾脱衣みたいなもんか
12:名無しの花言葉
閃いた
13:名無しの花言葉
通報した
・
・
・
・
146:名無しの花言葉
それで結局誰が一番可愛いの?
147:名無しの花言葉
お前そりゃ菫子ちゃんだろ。可愛い担当だし
148:名無しの花言葉
そんな誰が一番強いみたいに言われても困る
皆可愛いで良いんじゃない
149:名無しの花言葉
俺はひまわりちゃんが好きだな。
元気一杯でこっちも元気になる。
150:名無しの花言葉
元気になる(意味深)
まあ冗談として、あの元気さは良いよな
151:名無しの花言葉
そのうちコラボとかしないかな、今から楽しみだ
B
ふむ。とボクはとある掲示板に目を通しながら、すぐ横にある錠剤を手に取った。
定期的に飲まなければいけないと言われたそれを飲み込み、同期の子達の名前を確認していた。
小日向 ひまわり。梅原 菫子。彼女たちがボクの同僚にあたる。
とは言え、Vtuberという特殊な職業上、同じデスクで仕事をする訳ではない。
顔は、一応事前に合わせて、簡単な挨拶を済ませた程度でしかない。
両者とも当然ながら女性で、ボクと同じか、少し年下に見えた。
連絡先は交換済みだし、いつでも連絡が取り合えるようにしてある。
LINEは当然ながら、ディスコードでも連絡が取れるようにした。
こう考えると、意外と身近に感じられるから意外だ。
とは言え、顔を合わせる頻度はとても少ない。
そのうちにでも一緒に食事をとっても良いかも知れない。
一緒に仕事をする仲として、仲が良いに越したことはないからだ。
そう言えば、ひまわりさんは元気っ子担当という事もあってか、リアルでもとても元気な人だったのが印象的だった。初対面時には急に抱き着いて来たのもとても印象に残っている。
すぐにマネージャーさんに怒られたが。
理屈云々で考えるよりも先に行動で動けるという事は、尊敬に値する。
少なくとも、ボクにはとても出来ない事だ。
とても自己PR能力に長けているのだと思った。それと個性的なのだとも思った。
まあ、そうでもなければ採用されないか。
ボクのように偶然スタッフ募集からVtuberという職業についた者からしてみれば、ひまわりさんや薫子さんは正門から真正面に、王道でやって来た方々だ。それ相応のスキルや個性があって当然か。
ボクがどうして白梅雨 桔梗というVtuberになれたのかは知らないが。少なくともボクよりかはこの職業に向いているように感じられた。
それは、モチベーションがどうこうのよりも先に、センスの問題だ。
薫子さんは、掲示板でも言われていたが、少しだけ緊張し過ぎる事を除き、おおよその男性が理想とする「可愛い」女性だった。
背丈は大体ボクと同じ程度であり、瞳は大きく、顔も整っている。
モデルなどでもやっていけるのではないだろうかと思う程度には身体もスラっとしていた。ただまあ、胸部はボクと同じか、それ以下の大きさだったから。そこが玉に瑕と言えばそうか。
などと偉そうにご高説を垂れ流したが、繰り返すとボクよりは遥かにこの仕事に向いているように感じられた。
何故ならば、少なくともボクと違ってVtuberという文化に両者ともに長けていたし、ゲームの実況というものもまた、両者は上手くやれていた。
ボク?
ホラーゲームをしても「おや」程度にしか驚かないのを見て、果たして誰に需要があるのか、ボクとしても分からない。
それでいて、コメント欄では毎回お祭り騒ぎのようにはしゃいでいるのだから、これがまた分からない。
冷静過ぎるのもまた、弊害がある、ということだ。
煙草を口に咥え、火を点ける。
配信中では喫煙しないこと。これがマネージャーから言われた、数少ない配信中での注意だった。
というのも、この世界には嫌煙家というものが少なからず居る。
そう言った方々への配慮なのだろうな、とボクは察した。
喫煙者の肩身はいつの時代でも狭いのだな、とボクはのんびりとしながら考えたりもした。
さて、煙草の灰を落としながら、ボクはキーボードを叩く。
会話に参加または作成する | # カンタレラ 検索 け き め ? |
フレンド Nitoro ひまわり》● 梅原薫子》 ●
●白梅雨桔梗 お せ #XXXX | ─────20XX年3月10日───── 23:01 白梅雨桔梗 こんばんわ 23:02 ひまわり こんばんわー!! 23:02 梅原薫子 こんばんは、です 23:03 白梅雨桔梗 こんな時間に申し訳ない。少し話があってね 23:06 ひまわり はい!どんな話でしょうか!? 23:08 白梅雨桔梗 なに、簡単な事だよ。一緒にご飯でも食べにいかないかな? と思ってね。 23:10 梅原薫子 お、オフコラボですか……!? 23:12 白梅雨桔梗 そこまで大事じゃないよ。せっかく一緒の仕事になったんだ。 交流を深めたい。それだけだよ。 ああ、ちなみにボクの奢りで良いからね。 23:18 ひまわり ヤッター!ご飯ゴチになります!! 23:20 梅原薫子 き、緊張します……!!
│#カンタレラへメッセージを送信 GIF へ |
とりあえずはこんな感じで良いかな?
あまり堅苦しくなく、交流を深められたら良いのだけれど。
日時、場所の指定を忘れずに。食べたい希望があれば言って欲しいと言えば。
ひまわりさんは即座に焼き肉を希望してきた。
うんうん。元気なのは良い事だけど、食べ過ぎないようにね。と釘を刺して。
ボクはそっとパソコンの電源を落としたのだった。
C
さて、約束の日付となり、ボクは約束の焼き肉屋さんまで足を運んでいた。
まず一番最初に現れたのは、小日向ひまわりさんだった。
黒色の長い髪の毛が特徴的で、元気一杯にこちらに手を振っている。
例えるならば、人懐っこい大型犬がそれにあたるだろうか。
大人の女性を犬に例えるだなんて、なんともまあ。他に無かったのかとも思いたくなるが、仕方ないだろう?
続いて、梅原薫子さんの姿を探したが、どこにも見当たらない。
携帯のLINEで連絡すると、どうやら近くまでは来ているとの事だった。
うん?近くまで来ているのに未だ姿が見えないのはどういう事なのだろうか?
ボクは気になって電話をする。
「もしもし?今どこに居るんだい?」
「は。はぃぃ……今その、近くの路地裏に……」
「……何故路地裏に?」
「そ、その……恥ずかし過ぎて……行く勇気が。湧かなくて……」
「あー……すまない。もしかしたらだけれど、会いたくなかったかな?」
「会いっ……たいです……でもその……Vtuberさん同士のオフ会とか……
むーっりーっ……」
そこまで気にしなくていいのに。なんて思ってしまうのは、ボクが鈍いからなのだろうか。
軽く会話をしながら、薫子さんの緊張をほぐして、ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かわさせる。
こういうのは、無理矢理にペースを乱してしまってはいけないのだ。
あくまでも、向こうのペースに合わせなければいけない。
ようやく薫子さんの姿を見つけることが出来たのは、そこから30分程後になってからだった。
顔面真っ赤で、耳まで赤い。
ぷるぷると震えているところは、どこか小型犬を思わせる。
……うん、女性を犬で例えるのは良くないな。
焼き肉屋さんの中に入店して、皆が望むように注文を頼んでいる間。
手暇になったボクは、改めて自己紹介をすることにする。
「改めて、今日は来てくれてありがとう。
ボクは白梅雨桔梗。桔梗と呼んでくれても良いし、なんなら親しみを込めて
梅雨ちゃんって呼んでもいいよ」
「梅雨ちゃん!!梅雨ちゃん!!」
「つ、梅雨……ちゃん!!」
「オーケー、オーケー。軽い冗談だよ。
だからそんな顔を真っ赤にしてこっちを恨みがましく睨むのは無しだ。
拳も下ろしてくれたまえよ薫子ちゃん」
当人からしたら相当な勇気が要る行為だったのは分かるが、そんな顔をされたらボクも困ってしまう。
軽いジョークも挟みながら、ボク達は簡単な自己紹介を終えて、話題は初配信の時の話になる。
「梅雨ちゃんは初配信の時は緊張しなかった?」
「!」
ひまわりさんの話題に、薫子さんは顔をこちらに勢い良く向ける。
ぐりん。と音が鳴りそうな勢いだったが、ボクは気付かないフリをする。
「あー。まあ緊張はしたよ。人並には」
「その割にはすごく平気そうだったね!
アタシ、結構緊張しちゃってあの時の事あんまり覚えてないや!」
「そ、その後のホラーゲーム実況でも、全然平気そうでしたし……羨ましいです」
「まあ、伊達に君たちより人生の先輩をしてないって事だよ」
ボクはその場は簡単に締めくくり。次の話題へと話題を変えた。
さて、本当に実際の事を言ってしまえば、初配信の時。ボクは全くと言って良い程に緊張はしていなかった。
それは、場慣れしているからでも、人生経験から来るものでもなく。
単に「どうでも良くなった」からだ。
今まで続けて来た仕事を辞めたあの時、ボクは確かに自分が死んでしまう感覚があった。
二度目の人生なんて、一度死んだ経験がある以上、さして緊張するものはない。
というのは言い過ぎで、ボクはあの時から、どこか壊れてしまったのかも知れない。
現に、こうして初対面にも関わらず、彼女達の人格像を観察する事は出来ても、共感することは出来なかった。
人は、どこかで自分と相手と共感を得て、そこから理解して、仲良くなっていくものだとボクは勝手に思っている。
そういう人も居るんだなぁ、程度にしか思えなくなってしまったのは、少し悲しいけれども、悲しい止まりで、それ以上何をするとは思わなかった。
ただ。
ボクは壊れてしまったけれど、彼女達にはそうなって欲しくないなあ、なんて思ったりもした。
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それでもボクは意地を張る
のんびりと、ボクは三五缶のビールをあおる。
しゅわしゅわと喉ごしを楽しみながら、じわじわと来る酔いを楽しむボク。
次第にぽわぽわと暖かい感覚が身体中に宿ってくる。
嗜む程度にしか、ボクは酒を飲まないが、今日は飲まなければいけない日だった。
というのも。
今日は同期の薫子さんとのコラボ雑談の日だからだ。
なんでも、マネージャーさん曰く、ただの雑談じゃつまらないから出来れば飲酒して欲しいとのこと。
そこで数字を取ってくれ。と言うのが本音だろうか。
どうでも良いことだけれど、事故とか起こしてしまいそうで不安になってしまうのは、ボクがあまりこの業界に詳しくないからか。
炎上商法は結構なのだが、それでは長続きしないだろうに。
一抹の不安を抱えながら、僕は三五缶を飲み干した。
本当にどうでも良いのだが、これでもボクはあまりお酒は強い方ではない。
顔に出づらいというだけで、酔う時は酔ってしまうのだ。
さて、マイクを準備して。アバターの動作の確認をチェックする。
いつも通り、穏便に済めば良いのだけれど。
「やあ、皆こんばんわ。病弱系Vtuber白梅雨桔梗だよ」
[こんききょー]
[こんききょー]
[ウィスパーボイス……!オイオイオイ成仏するわ俺]
[奇遇ですね、私も成仏したところです]
[そのまま昇天してクレメンス]
[お酒飲んでるー!?]
[お酒って飲んでも大丈夫?調子悪くなったら無理しないで]
[この前の配信の冗談で心臓止まりかけた]
[なにそれ]
[ホラー配信の時だね]
[心臓止まりそう、いや、本当に止まる時は一瞬だけどねって奴か]
[ヒェッ]
[ブラック過ぎて草生えない]
[ホラー配信なのにリスナーが一番震えてた]
「この前のホラー配信では悪かったよ。
ボクも冗談が過ぎたと反省しているんだよ」
まあ、心臓が悪いとは言え、本当に止まったことは未だないのだけれど。
それでも、苦しくなる時は時々ある。胸に嫌な汗が流れるようなあの感覚は、あまり味わいたいものではない。
[ただの飲酒雑談配信なのに、ホラー配信じみた緊張感ある]
[本当に大丈夫?無理しないでね]
[今北産業]
[まだ 始まった ばかり]
[間に合ったか!!]
[雑談前の軽いジャブでこの心配感……!ドキドキするわ!]
[期待と心配で胸が痛い]
[おい馬鹿、またブラックジョークが飛んで来たらどうするんだ心臓に悪い]
[コラボと聞いて飛んできますた]
「うん。この話はここまでにしようか。
今日は折角のコラボだ。存分に楽しもうじゃあないか」
「おおお、遅れて申しわけごじゃいません!!!!」
「うんうん。落ち着いて。まだ始まってもいないから」
「こ、この度は、コラボのお誘い……ありがとうございます……」
「こちらこそ。受けてくれてありがとう。
さて、今回の雑談企画についてざっくりと説明しようと思う。
事前に送って貰ったマシュマロ。要は質問だね。
これに答えながら、気軽にお酒を飲んで。その後適当に雑談していくという流れだ」
「は、はい」
「それでは早速一個目のマシュマロだね」
桔梗ちゃん、薫子ちゃん初めまして いきなりで恐縮なのですが 桔梗ちゃんの病弱っぷりはどんなものなのでしょうか? 薫子ちゃんの可愛さっぷりには私、鼻血が止まらないのですが 桔梗ちゃんに関してはあまり知りません 是非教えて頂ければ幸いです
マシュマロ め |
「とのことだね」
「あ、あの。鼻血を止めてください……」
「期待している所申し訳ないのだけど。言うほどボクは病弱という訳ではないよ。
ただ、どうやら循環系と心臓が悪いみたいでね。
毎日六錠ほどの薬が無ければ、正直生きていけない程度だよ」
「重い!!重すぎます!!」
「あとは最近仕事を辞めたばかりでね。
カウンセリングも勧められたんだけど、面倒だから辞めたよ。
それにカウンセリングは保険適用外のが多くてね。お金も結構かかるから辞めた」
「お願いですから行ってください!!心配で私の心臓が持ちません!!」
「あはは、じゃあ次に行ってみようかな」
「流さないで!!?」
[身体を大事にしてクレメンス]
[ツッコミに回る薫子ちゃんきゃわわ]
[カウンセリングって高い所多いよな]
[日本社会の闇]
[大丈夫?病院行って?]
[毎日六錠……お揃いですねやったー!!]
[病人兄貴は身体大事にして]
[酔いが覚めそう]
[ヒェッ]
[大丈夫か?この程度軽いジャブだぞ]
[モノホンの病人じゃったか]
コメント欄でもボクの事を心配する内容のが多い。
なんてことはないというのに。心配するべきなのはボクではなく薫子ちゃんだ。
何だか知らないがいつもよりかは、どこかアグレッシブさが目立つ。
お酒に酔うといつもよりも距離感が近くなるタイプなのかな?
それはボクにとっては都合が良いけれど、後々後悔して心を痛めそうなタイプだ。
ちゃんと後で通話しておいてケアしてあげないといけない。
「さて、次のお便りは――」
寸でのところで、ミュート出来たのは僥倖と言ってよかった。
急に、胸が苦しくなった。
急に、ざわざわと逆毛立つような不快感があった。
胸に手を置いて。発作が収まるのを待つ。
耳から何やら雑音がうるさい。
目がチカチカとして、立っていられない。
頭がガンガンと痛くて、苦しくてつらい。
どうにか、復帰できたのは。それから少し時間が経ってからだった。
いや、どうなのだろう。ボクが意識していなかっただけで。本当は数時間経っていたのかも知れない。
それ程に、ボクの時間間隔は狂っていた。
「――あ、ごめん。ミュートしてたよ」
「大丈夫ですか!!」
「大丈夫。はぁ大丈夫だよ。
ちょっとはぁ――黒いアレが居てね。ビックリしただけだ」
咄嗟に出た嘘。
コメント欄を流し見すると、とんでもない勢いで流れていた。
やれ病院だ。なんだと好き勝手なことを書いていた。
大丈夫、大丈夫だよ。と自分に言い聞かせるように。繰り返していた。
この程度で、病院に行く訳にはいかなかった。
折角のコラボだというのに、相手に、薫子ちゃんに迷惑をかける訳にはいかなかった。
もうボクは駄目なのだろうけれど、それでも、誰かに迷惑をこれ以上かけたくなかった。
欠陥だらけのボクにも、その程度のプライドというものが、あった。
「もう、大丈夫だよ」
「……本当、ですか?」
嘘だ。
ボクはきっともう駄目なのだろう。
「大丈夫だって言っているだろう?
黒いアレは無事に撃退出来たよ」
「……そう、ですか。なら……良いんですけれど」
「証拠写真でも送ろうか?未だにピクピクしてるよ?」
「やめっ!?本当に止めてください!!?」ピローン
「もう送ったよ」
「見ませんから!!!!もう!!!!」
もう駄目なのだろうけど。
意地くらいは張らせておくれよ。
ボクにはもう、それくらいしか出来ないだろうから。
[嘘だぞ絶対無理してるゾ]
[Gの写真を送るとか言うテロ行為、これは許されない]
[六錠飲んでるワイ、これには119をポチー]
[六錠兄貴!!生きて!!]
[無理しないで]
[大丈夫?]
[大丈夫な訳ないだろ!!]
[病院だよおッッ!!]
[なんだ冗談か]
[冗談か……?]
[声は絶対無理してる]
[生きて]
[生きて]
[心配過ぎて心臓止まりそう]
不意に、ボクの携帯が震えた。
お相手は……ひまわりちゃんか。
配信中なのにかけて来たというのは、どういう意図があってか、ボクには分からなかったが。とりあえず。
「ひまわりちゃんから電話だ。ちょっと出てくるね?」
そう言ってボクは配信をミュートにする。
電話に出るや否や、ひまわりちゃんは。
「大丈夫!!??」
耳元でのいきなりの大音量に、ボクは思わず顔をしかめた。
「大丈夫だよ。さっきも言ったけど。黒いアレが出てね?」
「証拠!証拠を見せて!!」
「――いや、流石にそう何度もアレの写真を送る訳には」「見せて!!」
ボクの言葉を遮るように、ひまわりちゃんの言葉には強い意志があった。
まるで、ボクの嘘なんてお見通しだとでも言わんばかりに。
あーあ……。見抜かれちゃってたか。
「……オーケー。ボクの負けだ。
ちょっと眩暈がしてね。一旦ミュートにさせて貰った」
「……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。少なからず、病院に行く程じゃあない」
「……そっか。ごめんね。急に電話かけて」
「良いさ。ボクこそ嘘をついてごめんね」
「うん、凄く心配した」
「そうか」
この後、ひまわりちゃんの電話の後で。
ダミーの写真を送った事に気付いた薫子ちゃんにも同じような事を言われて。
気が動転していたのか。配信上でそれをつらつらと説教されて。
ボクはちょっぴり恥ずかしい思いをしたのだけれど。
それは、まあ。今は良いだろう。
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天地の差
A
それから、少し時間が経った。
そう言えばとても簡単で、簡素に終わるのだけれど。
実際は色々な事があった。事あるごとに調子が悪くなり、配信をミュートにするボク。
心配でコメントをする彼ら。電話をかけてくれるひまわりちゃんと薫子ちゃん。
色々な人に迷惑をかけながら、ボクは病弱系Vtuberというものを続けていた。
ただ、独りよがりで自己中心的なのだろうけど。
ボクが、何より心配だったのは、上の人間がボクをクビにしないかどうかだった。
偶然と言って良い程、たまたまVtuberとして拾われたボクを。
ここまで人々に迷惑をかけ続けるボクを。見捨てないと考えられる程に、ボクは楽観的ではなかった。
心配で心配で。布団にくるまって、眠れない夜だってあった。
自己嫌悪のあまり、悲しい事ばかりを考えてしまう事だって一度や二度ではなかった。
なんて、言い重ねたけれど。結局のところボクは、クビになる事を何よりも恐れていた。
こう言ってはなんだけれど。普段の配信でも、コラボ配信でも。ボクは緊張することはなかった。だけど、配信が終わった後、いつも不安になるのだ。「果たしてボクは上手くやれただろうか」と。
物事は結局のところ、数字や結果でしか語れない。
それまでの過程や努力は、社会では通用しないんだ。
悲しい事にそれが現実で、冷たい世界でしかなかったんだ。
少し、時間を空けて。ボク達二期生にも後輩が出来る事になった。
つまりは、三期生の募集が始まった。
前述の通り、この頃になってもボクは何も変わる事はなかった。
ひまわりちゃんは、最初は言動よりも行動の方が先に出る事があったけれど、それが少し落ち着きを見せ始めた。
薫子ちゃんは、何事にも緊張し過ぎる節があったけど、慣れて来たのか、自然に人と絡めるようになった。
同僚の二人は成長を見せたというのに、ボクは何も変わる事はなかった。
焦りこそなかったけれど。クビになる事だけが、ボクの専らの心配事だった。
やっぱり、前職をクビになった影響は大きかったのだと言わざるを得ない。
ボクは壊れて、トラウマというものを抱えてしまったのだと思う。
三期生は、ボク達二期生よりも幾段か個性的な面子だった。
大丈夫なのだろうか。いや、面接を通った以上、人格的に問題の無い方々なのだろうけれど。
対面した時、ボクは彼女達の元気さっぷりに少々、いや。大分押されてしまう事になった。
B
「おはようございまーす!花蓮でーす!」
「ごじゃいマース!!エヴァでシュ!!」
「おはようございます、エマと申します」
顔を合わせる為に、カンタレラの一室に足を踏み入れたボク。
そこで待っていたのは、ボク達の後輩の姿だった――のだけれども。
でけえ。何がデカいって……もれなく全部が全部デカい。
花蓮ちゃんはもう、胸部がアレなくらいデカかった。
エヴァちゃんは、ボクが子供か何かと思うくらいに身長が大きかった。
エマちゃんは……なんだろう。オーラがデカかった。
あまりに個性的な面々に、ボクは少々面食らってしまい。ちょっとだけ思考がフリーズした。
けれど、挨拶は重要だろう?初対面の相手にいつまでも固まっているのは失礼だと思い、ボクは言葉を口にする。
「やあ、おはよう。ボクは白梅雨 桔梗だよ」
と、自分の名前を言ったまでは良かった。
問題はその先だ。エヴァちゃんはその大きな身長差を持ってして、ボクにハグしてきた。要は抱き着いて来たのだ。
「ワォ!!キキョーパイセンですね!!
よろしくお願いしまシュ!!」
いとも簡単に持ち上げられてしまうボクの身体。なるほど、パワーが違う。
ボクの身体は宙に浮いたままエヴァちゃんに抱きしめられた。
しなやかに思われたエヴァちゃんのその腕には、相当な筋肉が宿っているのだろう。
やはり、物事は筋肉。筋肉で解決するのが正義なのだ。
さて、冗談はさておき。これにはボクも苦笑いを浮かべざるを得ない。
日本と海外の方とではスキンシップの差が大きいと聞くが、これはいくらなんでも過剰だろう。
薫子ちゃん辺りが居たら、たどたどしくも「めっ」してくれるのだろうか。
なんてどうでも良い事を考えていると。
「あー!!ずるいよエヴァさん!!私も抱きしめるー!!」
花蓮ちゃんまで参戦してきた。いや、別にボクは構わないのだが。胸部装甲に押しつぶされる未来しか見えない。
助けを求めてエマちゃんに目線を向けるが、そっとエマちゃんはボクから目を逸らした。
オーマイゴッド。神は死んだのか。
なんて思いながら、ボクは死んだ目で彼女達のされるがままにされていた。
ボクが解放されたのは、それから数分後。
彼女達のマネージャーさん達が入室するまでだった。
案の定とでも言うべきか。エヴァちゃんと花蓮ちゃんは大目玉を喰らっていた。
エマちゃんだけはそそくさとボクの隣に座ってのんびりしていた。
マネージャーさん達の説教が終わった頃だろうか。ひまわりちゃんと薫子ちゃんも入室してきて。ようやく二期生と三期生との顔合わせになった。
そう言えば、と。ボクはボクのマネージャーさんに向けて口を開く。
その内容は、かいつまんで言えば一期生という存在がこの場に居ないのはどうしてだろうか。というもの。
不思議と気にはしなかったが、ボク達二期生が居る以上、一期生は居るはずだ。
だというのに、ボクは一期生の方々と顔合わせをした覚えがない。
そう聞けば、どうやら一期生の方々は多忙なスケジュールが組まれていて、中々顔を出す事が出来ないのだと言う。
どうやら海外展開も考えているらしく、あちこちで活躍しているのだとか。
そうなのか。とボクは素直に頷き、マネージャーさんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「キキョーパイセンは、病弱なのデスか?
病院に行かなくてもダイジョウブなのデス?」
ふとした一言。エヴァちゃんがボクに向けて口を開いていた。
その顔はどこか心配そうで、ボクを抱きしめてブンブンと振り回した張本人とは思えない。いや?別に根に持ってなんていないけどね?
「梅雨ちゃんは、そうだね。あんまり身体が丈夫ではないんだ」
「配信もあんまり調子良い時がなくて、時々ミュートになっちゃう時もあるんだけど」
うん?ボクが答えようとした所、なんだか良く分からないけれども、ひまわりちゃんと薫子ちゃんとが先に口を開いた。
互いに、表情は暗い。なんだい?そんなにボクが心配かい。
「でも、梅雨ちゃんはとっても人の事を気にかけられる、凄く良い人だよ」
「でも、私なんかの配信もいつも見に来てくれて。凄く、優しい人だよ」
ボクの同期の二人は、そこで言葉を締めくくる。
やめなよ。当の本人が目の前に居るって言うのに褒めるのは。ボクでも照れるぜ。
照れ隠しに、ボクは口を開いた。
「良い同期を持って、ボクは誇らしいよ。
でも、勘違いはしないで欲しい。
ボクは、病弱で。いつも薬を服用してなければ生きていけなくて。どこかで体調を崩してしまう。そんなに大した人間じゃあない。
キミ達が思う程、人間出来てないし、いつも迷惑ばかりをかけてしまっている」
花蓮ちゃんは、ボクを心配そうな目で見つめている。
エヴァちゃんは、ボクの言葉の一言一言を噛みしめるように聞いている。
エマちゃんは、目を閉じてボクの言葉だけを聞いてくれている。
ああ、この子達は良い後輩だ。
ボクの言葉なんて信用しちゃいけない所を信用してくれている。
ボクは嘘吐きだ。
ボクは虚弱だ。
ボクは折り目が付いた人間だ。
先輩風を吹かせる事は出来ないだろう。ひまわりさんと薫子さんがそうであるように、迷惑をかけてしまう事だろう。
「頼りがいの無い先輩でごめんね。
でも、聞いていて欲しい。ボクは、どうしようもないくらい人間が出来てない。
ボクは、キミ達の先輩としてあまり相応しくないのかも知れない」
ボクは、しなやかに指を立てて。宣言する。
「それでも良いなら、ボク達に付いてきな。
ボク達と一緒にやっていこう。
ここがキミ達の居る場所で、ここがボク達の職場だ」
格好つけてなんとなく言った言葉に、後輩の彼女達は感銘を受けたのかも知れない。
花蓮ちゃんとエヴァちゃんと、エマちゃんまで。
僕の手を握って笑顔でそれに応えてくれた。
C
さて、ボク達にも後輩が出来た。
これ自体はとても喜ばしい事だし、実際ボクもちょっぴり嬉しくなったりもした。
「という訳で、ボクにも後輩というものが出来たよ。
これが素直で良い子ばかりでね。気になったら見に行って欲しい。
そして出来れば応援してあげて欲しい。最初の応援程嬉しいものはないからね」
[桔梗ちゃんは誰推し?]
[よーしおじちゃん応援しちゃうぞー]
[エヴァちゃん良い子過ぎて涙出て来た]
[今日こそ倒れないで、ってか身体大事にして]
[それでもワイは桔梗ちゃん推し]
[そう言えば梅雨ちゃんって呼ぶの二期生だけなんだね]
[親しみを込めてそう呼ぶからな、特別扱いよ]
[エモい]
[最初の頃の応援って良いよね……五臓六腑に染み渡る]
[今日は倒れないの?]
[そう毎回倒れられたらリスナーの心臓持たない]
[いつか梅雨ちゃんって呼んでみたい]
[俺達にはまだその席は早い]
「あはは、タイトルにもあるけど。今日は倒れたりなんかしないよ。
なにせ今日は三期生の初配信日だからね。いわゆる記念みたいなものだよ。
さて、キミ達はどの子の事が気に入るだろうね。本当にどの子も良い子だから目移りするかも知れないね」
[お前じゃい!!]
[桔梗ちゃん以外ないんだよなあ……]
[念だけでコメント出来た記念]
[これからも応援します。でも身体大事にして]
[それでもワイは桔梗ちゃん推し(ストーム2)]
[梅雨ちゃんって呼びてぇなぁワイもなぁ]
[時間を巻き戻して二期生になってもろて]
[桔梗ちゃん本当に可愛いよ]
[ウィスパーボイス本当に良いよね……]
[良い……]
[でも桔梗ちゃんの言う通り、ちょっと気になる]
[これからも応援してます]
「うん。改めてそう言われると照れるね。
でも、本当にボクなんかよりも彼女達の方がビッグになるだろうから。
もしかしたら先輩風吹かせていられるのも今だけかも知れないね」
そう言ってボクは、ゆっくりと言葉を重ねる。
実のところ、彼女達はボクなんて欠陥品よりも大きく名を残す事だろう。
ボクが先輩足りえる点なんて、それこそ数える程度にしかない。
ちょっと早くVtuberというものになっただけで、彼女達はボクなんかよりも才能というものがあるだろうから。
そして、彼女達はボクよりも遥かに努力と言うものをするだろうから。
才能で負けて努力でも負けるのならば、その差を埋める手立てはない。
ボクにはそれをどうすることもできないのだから。
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世界とものさし
前作などで感想に逐一返答・返信を送っていたのですが
ちょっと大変だったので今回は返答は見送らせてください。
ですが、感想は全て目を通させて頂いております。
応援いただき、恐悦至極でございます。
A
世界はどこからどこまでが世界なのだろう。
なんて格好つけてボクは思う。煙草に火をつけて。紫煙が宙を舞った。
ちりちりと煙が肺の中を巡り、思わずボクはケホケホと咳き込んでしまった。
ここで言う世界というのは、宇宙とか地球とかそんなスケールの大きな話じゃなくて。
家族だとか、同僚だとか。ボク達のものさしの話だ。
通りすがりの人の人生まで気にかけている人は、きっと多くないように。
ボクにはボクの、キミにはキミの世界というものがある。
ふと、ボクは立ち止まって、ボクの世界というものさしを再認識した。
家族が居て、同僚が居て、後輩が居て、後はリスナーという不特定多数の人々が居て。ボクの世界は彼ら彼女らによって支えられている。
人と言う文字は支え合って出来ているとはよく言ったもので、ボク達は誰かを支え、あるいは巻き込みながら生きている。
何が言いたいかと言えば、ボクの世界は広いようでその実とても狭いという事。
元々人と深く関わる事が苦手だったボクは、仕事を辞めて以降、人と深く関わるという事が極端に少なくなった。
それでよくVtuberというものを続けていけるなと言われてしまえばそれまでなのだけれど。
実のところ、Vtuberというものは表面上のやりとりだけで済んでしまうのだから、ボクにとっては喜ばしかったりする。
さて、今ボクが何をしているのかと言えば、三期生のエヴァちゃんにリアルの方で誘われてそれの待ち合わせ中で、ボクはそれの時間潰し中と言う所だ。
勿論、ボクは喫煙所に居る。
ボクの隣に居るサラリーマンは、口の端から紫煙を吐き出してゆっくりと煙草を捨てて、また仕事に戻っていく。
少し疲れ果てたような見た目は、昔のボクを彷彿とさせる。
あの頃はボクもあのような疲れ果てた姿をしていた。
それでも毎日がやりがいと仕事に満ち溢れていたのだけれども。
「おはようごじゃいマス!!キキョーパイセン!!」
そんな事を考えていたら、思わず聞こえて来た明るい声音に、ボクは顔をあげる。
見れば、そこには大きな巨体、ああいや、ごめん。これは語弊があるね。ボクを見下ろす程度に大きな身長をしたエヴァちゃんがそこに居た。
外国人じみた身長差は、周りの人をも圧巻させる。
スラリと長くて健康的な足は、実に魅力的だ。
ボクとエヴァちゃんの周りは、ドーナツ状に綺麗に輪が出来ている。
ちょっとした注目がボク達に集まって、視線が少し煩わしい。
というか、わざわざ喫煙所まで探しに来てくれたのか。なんともまあ、健気な事だ。
ボクは吸いかけの煙草を捨てると、エヴァちゃんに近寄る。
「やあ、エヴァちゃん。今日はボクなんかを誘ってくれてありがとう」
「ソンナ謙遜を!パイセンが来てくれて、ワタシとてもとても嬉しいデース!」
謙遜なんかではないのだけれど。
いずれはボクなんか木端程度でしかなくなるVtuberが、いずれ大型新人になるであろうエヴァちゃんに誘われるだなんて。
それこそボクは萎縮しそうになる。いやまあ、萎縮なんてしないからまるきり嘘だけど。
エヴァちゃんは、ボクの手を取ると喫煙所から連れ出した。
その姿はまるで親と子供の様で、ボクはその歩調に合わせるのが大変だった。
そうして連れられたのは、お洒落じみたカフェ。
朝の日差しが優しく差し込むそこは、ボクのような陰のものには入りづらい場所だけれど、エヴァちゃんは、不思議とそこに居るのが自然みたいに感じられた。
「パイセンは何にしマス?」
「クリームソーダが良いな」
「じゃワタシもソレで!!スミマセーン!!」
自然と注文を進めるエヴァちゃん。
大きな体躯と共に特徴的な、長い金髪をした彼女。
淡い青色をした目をした彼女は、ボクと違ってどこまでも陽のものの雰囲気があった。
不意に思う、彼女にとって、世界はどこからどこまでが世界なのだろう、と。
最初に言ったように、これは、ものさしの話だ。
ボクと違ってエヴァちゃんは優しい子だから、きっと世界はどこまでも広いのだろう。
ボクの世界は、実のところ酷く狭い。
ボクと、周りに居る人々と、そしてリスナー。これで完結している。
注文したクリームソーダを待っている間。ボクはエヴァちゃんに聞いてみることにした。
「エヴァちゃん、キミにとっての世界はどれだけ広い?」
「?」
ボクの言葉に、可愛く首を傾げてみせるエヴァちゃん。
あまりに端折り過ぎたその言葉に、ボクも苦笑交じりになってしまう。
「ああ、いや。ごめんね。からかった訳じゃないんだ。
要は、ものさしだ。例えば。ボクのものさしは、酷く小さい。
ボクと、同期と、そしてリスナー。これだけがボクの世界で。
これだけでボクの世界は既に完結してしまっている」
つらつらと、ボクは言葉を重ねる。
自分語りで本当に申し訳ないのだけれど。きっとつまらないだろうけれど。エヴァちゃんには生贄になってもらおう。
「ボクはね、つまらない人間なんだ。
拡張性が無くて、欠陥品で、病弱で、壊れていて。
キミ達みたいに人々に希望を与える事は出来ない」
しなやかに、指を立てて。
ボクはいつの間にか来たクリームソーダのグラスのふちに指を添えた。
良く冷えたグラスは冷たくて、つぅっと。指先に水が溜まる。
ぱちぱちと炭酸が、耳に伝わって聞こえる。
徐々に溶けていくアイスクリームが、まるでボクみたいで。思わず苦笑してしまった。
いずれ溶けきってしまった時、ソーダと混ざってしまった時。ボクは一体どうなってしまうのか。
ああ、考えたくもないな。
「パイセン!!」
不意に、エヴァちゃんが立ち上がった。
自然とボクは目線を上げて、彼女の顔を見た。ああ、希望に満ちた顔だ。眩しいな。
「ワタシには、良く分からないデスけど!!
でもこれだけは分かりマス!!パイセンはつまらない人間なんかじゃありまセン!!」
ボクを見返すエヴァちゃんも、ボクの目を見ていることだろう。
果たして、どんな目をボクはしているのだろう?
戸惑ったような顔をしているような、気がする。
彼女の表情は、真剣そのもので、ボクは、思わず気圧された。
「パイセンの初配信を見まシタ!!
パイセンはとてもクールでシタが、それでも護りたいッテいう感覚がワタシはパイセンから貰いまシタ!!
パイセンのブラックジョークを聞いテ。心臓が止まりそうになりまシタ!!
とっても心配デ、いつかワタシがパイセンを護りたい衝動に駆られまシタ!!
パイセンは、ワタシにVtuberになりたいって気持ちをくれまシタ!!」
手が、震えた。
ふちに置いていた指先も震えて、ボクは。
「キキョーパイセン、お願いデスから、そんな悲しい事言わないでくだサイ……」
ああ、ボクは。
「そう、だね。うん。ごめんね」
悪い先輩だ。
B
「という訳で、ボクは後輩に論破された訳なのさ。
いや、諭されたと言った方が良いかな?」
[優しい論破だった]
[エヴァちゃん良い子過ぎひん?]
[エヴァちゃん良い子過ぎて涙出て来たゾ……]
[外出して来たのか、身体は大丈夫だった?]
[ワイ、むせび泣く]
[エヴァちゃんマジで桔梗ちゃんの心癒してあげて]
[俺らには桔梗ちゃんの心を癒してあげられそうにない]
[とても荷が重いゾ……]
[その後二人はどうしたの?]
[そりゃお前、この後滅茶苦茶(ry]
[センシティブな]
[密会かな?]
「うん?その後かい?普通にご飯食べて帰ったよ。
あ、いや。その後ちょっとした事があったね」
ボクの一言に、コメント欄ではある事ない事沢山書き連ねられた。
やれホテルに行っただの。やれ滅茶苦茶ご飯食べただけだの。
ホラー映画見に行っただけだの。あ、最後のはちょっと惜しいかも。
「ホラーゲームのコラボ配信をしようって事になってね。
ボクとしては可愛い後輩のお願いだったから、断る理由がないよね」
どうやらエヴァちゃんはホラーゲームが苦手だそうで。
平気にプレイをするボクに、プレイを代行して欲しいそうだ。
実況はエヴァちゃんがやってくれるらしい。頼もしい事でなによりだ。
コメント欄では、ボクの突然の告知に沸いている。
いつやるのか。時間は何時なのか。私も同行するとか。いや、最後は誰だよ花京院かい。
ボクはくつくつと笑いながら、会話の矛先が逸れた事に安堵していた。
あの後のボクの不甲斐なさは、一生墓場まで持って行くつもりだ。
なにせ、あの後後輩の前で泣いてしまったのだから。
全くもって情けないったらありゃしない。
C
ボクは、泣いていた。
と言っても、赤子のようにぎゃあぎゃあと泣き喚いた訳ではない。
ぽたぽたと、涙があふれて来たんだ。
まるで、盃から水が溢れてきたように。ダムが少しずつ決壊したように。
「パイセン」
「ごめんね。少し待ってね」
さて、エヴァちゃんには申し訳ないけれど。ボクはボクの事で精一杯だった。
何故、ボクは今涙を流しているのだろう。
ボクはふと考える。今、少なくともボクは悲しいから泣いている訳ではない。断言できる。
考えてもみれば、クビになってからというもの、ボクは泣いた覚えがない。
どれだけ悲しい事を考えたとしても、どれだけ苦しくても、ボクは泣いた事はなかった。
じゃあ、ボクは何故今泣いているのだろう。
苦しいから?いいや。違う。エヴァちゃんとの会話にはどこも苦しいと思う点はなかった。
辛いから?これも違う。彼女は優しいから。ボクはそれに甘えている。
もしかしたら、訳も分からずボクは泣いているのかも知れない。
笑うことに理由が要らないように、泣く事にも理由は要らないのかも知れない。
はて。ととりあえずの答えが見つかったのだけれども。ボクはそれでもこの涙に意味を感じる事は出来ない。
まるで映画の中の映像を見ているだけのように。ボクは呆然としながらボクを見ていた。
うん、やっぱりボクは壊れているのだろう。
そうボクはボクに結論付けた。
「エヴァちゃん」
「ハイ。パイセン」
「ボクは、きっとこれからキミ達に迷惑をかけると思う」
「ハイ。覚悟の上デス」
「ボクは、どうしようもなく病弱だ」
「分かってマス」
口は勝手に開いて、ボクの意思とは関係なく動く。
はて、これは一体どういう事だろう。
ボクは目の前の映像を見ながらそう思う。
ボクがボクの身体を動かしていないのならば、今、ボクの身体を動かしているのは誰だ?
知らない内に洗脳でもされてしまったのだろうか?
そんな経験は一切ないのだけれど。
「だから、ボクは――」
と、口を開いた所で。身体の自由がボクに戻って来た。
エヴァちゃんは真摯な表情でボクに対面している。
はて、ボクにどうしろと言うのだろうか。
先程までボクに身体を動かさせていた奴は、何を言わせようとしていたのだろう。
続く言葉を知らない以上、ボクにはどうしようない。
静寂の時間が続き、ボクは口を閉じた。
「パイセン?」
エヴァちゃんは首を傾げて。ボクの顔を覗き込んでくる。
涙は既に止まっていた。
まあ、そこから先は先も言った通り、ご飯を食べて。コラボの話をして。
そして別れた。
なんだかエヴァちゃんは寂しい顔をしていたけれど、なんだったんだろうね。
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ホラーゲーム配信【エヴァちゃんを添えて】
A
友人、隣人を傷つけられて許せる人は、実のところ少数派だ。
ボクもそれに漏れず多数派の人間でしかない。
さておき、ボクにもアンチというものが存在する。
それ自体はなんて事は無い。そういった人も居るんだろう、なんて玉虫色の考え方しか出来ないのだけれども。
だけど、それが他人にまで及んだ時、キミは冷静にいられるのだろうかと問われた時。きっとボクはなんとも言えないような表情を浮かべてしまう。
幸いながらもそんな存在はボクの周りやリスナーには居ないから、この話はまるきり無駄でしかないのだけれども。それでもボクは思ってしまうのだ。
「さて、始めていこう。ボクは白梅雨桔梗で」
「嘉手苅エヴァでシュ!!皆さんヨロシクお願いしまシュ!!」
[コラボ配信でoutcast配信とかマ?]
[エヴァちゃん可愛いヤッター!!]
[ホラーゲームの中でもこれを選ぶとは……]
[桔梗ちゃんの怖がるシーンはありますか?]
[エヴァちゃんの泣き叫ぶ姿が見える見える]
[難易度は何で行くのかな?]
[ホラーゲームで桔梗さんの鉄仮面が剥がれるのか(棒)]
「予め断っておこうか。今回は操作はボクが担当する事になっていて。
実況はエヴァちゃんが担当する事になっている。理由は簡単だよ。
ボクだとリアクションに乏しいからね。リスナーさん達が楽しめるように。
という訳だ」
「パイセンの背中はワタシが預かりまシタ!!」
[あっ]
[あっ]
[あっふーん(察し)]
[背中が涙で濡れそう(小並感)]
[オイオイオイ、難易度クレイジーかよ]
[クレイジーですね]
[RTAじみた手つき、俺でなきゃ見逃しちゃうね]
[早々にエヴァちゃんが無言になっておられる]
[雰囲気がもうホラーだからね、仕方ないね]
[見逃しちゃう兄貴は早々に〇されそう]
[あっ]
[あっ]
[エヴァちゃん泣きそう]
[桔梗ちゃんフォローしてもろて]
「おいおい、エヴァちゃん。
まだ始まったばかりだぜ。具体的に言えば精神病棟に入る前だ」
「もう既に怖いんデスが!?なんですかこの建物!?
明日改めて朝に来まショウよ!!?なんでまた夜に来るんデス!?」
「そうだね。概ねボクも同意するよ。
でもお約束というものだから、我慢して欲しい」
そう言いながらもボクの操作の手は止まらない。
予め言っておくけど、ボクはこのゲーム、初見じゃない。
初見のゲームだと、長くてダレがちだろう?それは上手くないって事で選んだのが既知のゲームになった訳だ。
まあ、難易度は一番上のクレイジーだから。ボクもそこそこの緊張感を持って進める事が出来るから、良いことだ。
操作していく内に、ボクは途中途中にあるビックリポイントを難なくスイスイと進めていく。
耳を叩くエヴァちゃんの悲鳴が心地いい。プレイしながら、ボクも初見の頃はこのくらいビックリしただろうか?と思いを馳せる。が、よくよく考えてみたらそんなにビックリした覚えがない。我ながらビックリする程ビックリしなかったくらいだ。
「おや、追って来たね」
「ぴゃああ!!パイセン!!急いで!!」
「まあまあ、落ち着きなよ。ここは敢えてのんびり行こう」
「パイセンは鬼ですカ!!?ああ!すぐ後ろまで来てマス!!?」
後輩の悲鳴を聞きながら、ボクはギリギリを攻めてプレイをする。
別にそういう性癖があるとかじゃないから安心して欲しい。
ボクはただ、エヴァちゃんにはゲームを楽しんでほしいだけだ。
こういったリアクションがあってこそ、ホラーゲームは楽しめるものだ。
作者の方々にもこれなら喜んでくれる事だろうから。
そうして中盤に差し掛かると、カメラの暗視を多用しながら進むステージが多くなる。
こういったステージは、プレイをする技術、いわゆるプレイングの見せ所だ。
ボクも張り切ってプレイするのだけれど。
「あ。ミス」
「え?どこがミスなんデスか?」
「いや、ちょっとしたミスだから分からないかも」
ちょっとした時間短縮をしようとしたのだけど。失敗してしまった。
コメント欄では反応しているリスナーも居るね。ちょっと恥ずかしいな。
[珍しくガバった]
[これを専門用語でガバと言います]
[冷静になって見ると相当早いけど]
[もしかしてこれって……RTAじゃない!?]
[我々はRTAを見せられていた可能性が……?]
[この後ノーミスだったら取り返せるので続行します(ウンチー理論)]
[実況プレイであってRTAではないんだよなぁ……]
「今度機会があったらRTAでもやってみようか?希望するゲームがあったら言って欲しいな」
[や じ ゅ う べ え く え す と]
[控えめに言って硫酸に漬けた方が面白いゲームを勧めるのはNG]
[メガトンコインレギュなら面白そう]
[目が余計に死にそう]
[面白くなさ過ぎて途中で体調崩しそうなのでNG]
[草]
[まっさきにやじゅうべえくえすとなの草]
「やじゅうべえくえすと?良く分からないけど何だか面白そうなのだけれど。
昔のゲームなのかな?あまり聞いたことがないね。
エヴァちゃんは知ってるかな?」
「あっ、エーと……動画では知ってマス」
[!?]
[!?]
[ウッソだろお前www]
[!?]
[兄貴リスペクトは海外にも受け継がれていたのか……(困惑)]
[草]
[草]
なんだか凄い勢いでコメントが流れていくけど。
とりあえずボクはプレイを続行する。
エヴァちゃんは慌てながらなんだか言葉を重ねるけど。墓穴を掘っているように見えて仕方ないのはボクだけだろうか。
それにしても、RTAか。知らないゲームに一生懸命になる姿勢というのは、ボクからしてみたら尊敬でしかない。
一所懸命に頑張った努力が報われるにせよ、報われない無駄な努力だったにせよ。ボクからしてみたらどれも平等に尊いものだ。
まあ、ボクみたいな破綻者から褒められてもなんとも嬉しくないだろうけどね。
さて、頃合いかな。
ボクは、あわあわと言葉を濁すエヴァちゃんに助け舟を出すことにした。
「やじゅうべえくえすと。エヴァちゃんも知ってるなら遊んでみても面白いかもね」
「あっ、あの……オススメは出来ませんヨ……?」
「構わないよ。例えそれがどんなに面白くなくても。
可愛らしい後輩と一緒だったら、良い思い出になるさ」
「パ、パイセン……!!」
[これって……勲章ですよ]
[ヒューッ!!見ろよあのクールなイケメンを]
[クール系な女の子なんだよなぁ]
[素面で口説くのすこ]
[あれは紛れもなく奴さ]
[眩し過ぎて目潰れた]
[奴って誰だよ]
なんだか照れているのか口数少なくなってしまったエヴァちゃんを他所に。
ボクはOUTCASTの最後を迎えた。タイムは……1時間とちょっとくらいか。
いや、別にタイムアタックではないのだから気にする程ではないのだけれども。
最後はなんともあっけなく終わってしまったけれど。
途中途中で、エヴァちゃんがビックリするから飽きずに終われた。
リアクションとは大事なもので、ボク一人だけではこうはいかなかっただろう。
ボクは感謝を込めてエヴァちゃんに声をかける。
「今回はコラボしてくれてありがとう。エヴァちゃん。
今度も機会があったら是非誘われて欲しい」
「こちらこそありがとうごじゃいマス!!
パイセンのプレイは見ていて爽快でシタ!!」
「さて、最後にマシュマロでも見ながら軽く雑談でもしようか」
「ハイ!!」
桔梗ちゃん、エヴァちゃん初めまして 今回はコラボ配信という事で、それにまつわる話でも 桔梗ちゃんとエヴァちゃんは同期・先輩・後輩に関わらず 一番仲のいい方はどなたなのでしょうか? それと桔梗ちゃんはすぐカウンセリングに行ってください! お願いいたします。何でもしますから!!
マシュマロ め |
「という事だね。カウンセリングはやだ」
「何故そんなにカウンセリングが嫌なのデスか?」
「うーん、お金は良いんだよ。高いけど。まあね。
ただ、カウンセリングは、場所によって良い悪いが顕著に出る分野だとボクは思っている。
下手な所に行って、意味のない事はしたくはないんだよ」
「ウーン……そういうものデスか……」
エヴァちゃんは納得のいってないような感じだったが。ボクは構わず次へと話題を逸らした。
「と、仲の良い人は誰か、だったね。
ボクは、そうだね。誰でも平等に良く思っているから。
特段誰が一番、と言われると難しいと言わざるを得ない、かな。
エヴァちゃんは?」
「もちろん!!パイセンです!!」
「うんうん、良い後輩を持ってなによりだよ」
「エヘヘ……」
画面越しに、ピョンピョンと胸躍らせているエヴァちゃんの幻が見える。
アバターもどこか嬉しそうに動いているから、ボクの考えもあながち間違ってはいないだろう。
こういう素直な後輩が居ると、ボクとしても嬉しい限りだ。
そして、心のどこかで思う。
やっぱりエヴァちゃんはボクなんかよりもビッグになる人間なのだろう。
素直で、可愛らしくて。ボクにはとても出来そうにない事を実行してみせるのだろう。
そう思いながら、ボクはのんびりとその後の雑談と、マシュマロを見ながら他愛のない会話を楽しむのだった。
B
あ、そう言えば。変わったマシュマロもあったな。
桔梗ちゃん、エヴァちゃん。初めまして やじゅうべえくえすとについてアドバイスです。 偉大な先達からの言い伝えですが 実際にプレイして遊ぶより、ぶん投げて遊んだり ホットプレートで焼いたりして処理を遅くして遊んだ方が 楽しいと思います。心を病んでしまう前に 私から出来るささいなアドバイスです。
マシュマロ め |
「うん?どういう事だろう?分かるかな?エヴァちゃん」
「えっと、ハイ……。相当、アノ。アレなゲームなので。ハイ」
「そうなんだね。耐久配信をしても面白いかな」
「エ゛ッ……あまりオススメしないデス……」
「そっか、だったら耐久配信は止めておいた方が良いね。
途中で倒れたりしたら迷惑だろうし……ジョークだよ?」
「ジョークに聞こえまセン!!」
その後、件のゲームをして遊んだりもしたんだけれど。
まあ、それは良いか。
かいつまんで話す事があるとすれば、レベルを上げればそこそこ遊べた。というだけ。
ぶん投げて遊んだ方が面白かったというのも、まあ良く分かったよ。
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常識外れで英雄的
A
宇宙人という言葉を聞いて、君は何を思い浮かべることだろう。
多くは卵型の輪郭と大きな黒い目をした顔を思い浮かべることだろう。
世間一般的に言ってグレイと呼ばれるこの宇宙人は、海外の映画や事件の影響が大きい。
とは言え、ボクもあまり詳しくはないのだけれども。
UFOや宇宙人の存在を頭から信じる事が出来るほど、ボクは純粋無垢じゃない。
所詮はフィクションの存在であって、だからこそロマンがあるのだし、だからこそ楽しめる。
一例を挙げるのならば、UMAがそれに当たるのかも知れない。
ツチノコは存在しているのか否かが分からないからこそロマンがある。
存在していると分かってしまえば、それは絶滅危惧種的な存在止まりになってしまう。
だからこそ、ボクは宇宙人という存在を信じていないのだけれども。
設定がどれほど練り込まれているのかは不明だけれど、色んな事を聞いてみたい。
それでいて、仲良く遊べるのならば遊んでみたいというのが本音である。
そこでまず、ボクは宇宙人とのファーストコンタクトとして、コラボ配信をする前に軽くオフで遊んでみようと思った訳だ。
ああいや、顔合わせの時に会ってはいるからセカンドコンタクトか。まあどうでも良いか。
そこで、連絡を取ってみた訳なのだけれど。
『桔梗先輩とのオフ!?やりますやりたいですやらせてください!!』
食い気味に反応を返してくれた後輩に、ボクは思わず気圧されてしまう。
何を思ってボクに対する興味があるのか知らないけれど。ボクは至って普通の一般人だ。少し病弱で、少し折り目の付いただけの。
ボクは少なくともキミ達みたいに陽だまりの中に居る存在じゃないし。それに他人を並以上に思いやれる訳でもない。
だからこそ、ボクは照れ隠しにちょっとしたジョークでそれに応対してしまう。
「でも母星からやって来るには些か遠いんじゃないかな?」
『大丈夫です!!駅まで5分のところにありますから!!』
意外と駅に近い所に母星はあるらしい。凄いな。
ボクの知らないだけで、宇宙は狭いのかも知れない。
その後、軽く待ち合わせの場所と日時を決めた後で、ボクは電話を切る。
それと同時に、煙草に火をつけた。
紫煙を口の端から吐いて。ボクは宇宙人とのセカンドコンタクトまでの日を楽しみに待つのだった。
B
さて、待ち合わせ当日にボクはと言えば、いつもの通り喫煙所で煙草を吸っていた。
時刻は――待ち合わせの時間から軽く1時間は過ぎている。
寝坊か、それとも。のっぴきならない事故でも起きたのか。
後者でない事を祈りながら、ボクは何本目か分からなくなった煙草を捨てる。
医者からは、喫煙は控えるように言われたのだけれども。最早生活の一部となってしまったこれを切り捨てるには、些か時間が経ち過ぎてしまった。
辞めろと言われて辞められたら、どれだけ楽だろうか。ボクは、誰に見せるでもなく僅かに笑う。
かつての仕事は辞めろと言われてストンと辞められたのに。不思議なものだ。
喫煙所から待ち合わせの場所に戻るまで、ボクはのらりくらりと通り過ぎる人々を観察する。
人間観察と言えば人聞きが悪いかもしれないけれど。仕方ないだろう?暇なんだから。観察される人々には生贄になって貰おう。
例えば、ボクの目の前を通り過ぎたサラリーマン。
例えば、あたふたと慌てる女子高生。
例えば、横断歩道をゆっくりと渡るご老人。
様々な人が居て。その数だけその人の人生がある。
たった1人、と軽く考えがちだけれども、命の価値は皆等しく平等だ。
その価値がどれだけ軽いのか、重いのかは。想像にお任せするけどね。
なんて、恰好付けたところだった。
横断歩道が赤になったのに気付かず、ご老人はゆっくりと横断歩道の真ん中を渡っているのに気付いたのは。トラックが動きかけた事に気付いたのは。
危ない。そう思った。
――そう、思っただけだった。誰よりも先に気付いたであろうボクは、何をするでもなく、それを見ていただけだった。
瞳は、ご老人を見ている。トラックは、丁度死角に入ってしまったのか。ご老人に気付く様子もない。轢かれてしまうのかも知れない。
ボクは、冷たい思考でそう思った。だけだった。待ち合わせの場所から動こうともしなかった。
「危ない!!」
不意に、交差点に響き渡った声に。ボクは耳を疑った。
声の主は、女性だった。
身を挺してご老人とトラックの間に、
身体を割り込ませて。
辺りからは、悲鳴があちこちから聞こえた。
耳を叩くその音に、きっと起こるだろう悲劇に。
ボクは。
じっとそれを見つめていただけだった。
結論から言えば。悲劇は起きなかった。
辺りから響いた悲鳴に、いち早く気付いたトラックの運転手がブレーキを踏んで。
女性もご老人も、そしてトラックの運転手も、誰も悪くはならなかった。
辺りにはパトカーがやってきて。慌ただしくなった。
野次馬もあちらこちらから湧いて出てきて。ボクはそれをゆっくりと見ていた。
さて、どうでも良くない事がふたつある。
先程、交差点から響き渡った声の主。どうにもあの声の女性に、ボクは覚えがあった。なんだかこの前も聞いたような声色だった。
もう一つは、その件の女性がこちらに向けて歩いているという事。
豊満なバストを揺らしながら、少し乱れてしまった服装を直しながらこちらに歩いているという事。
その姿に、ボクは見覚えがあった。
もしやと思い、手を振ると。あちらも反応して手を振った。
間違いない、あれは小河 花蓮ちゃんその人だ。
「やあ、こんにちは。花蓮ちゃん」
「遅れて、本っ当に、申し訳ありません!!桔梗先輩!!
え、えっとその。色々ありまして……!」
あわあわと申し訳なさそうな顔をしながら、言葉を選ぶ花蓮ちゃん。
知っているよ。だってあわや事故になりかけたのは、目の前の交差点で。ボクはそれを見ていただけだったから。キミは悪くない。悪いのは見ていただけのボクであって、キミが謝る事は何一つ無い。
「まあ、色々あったんだね」
「はい、色々ありまして……!」
何をボクは偉そうに彼女を許す側に立っているのだろうか。
ボクにそんな権利は存在しないというのに。
「まあ、ボクもついさっき来たばかりだから。気にしないでね」
咄嗟に吐いた嘘に。ボクはボク自身を冷たい瞳で見つめてしまう。
どうしようもなく、ボクはボクの事が嫌いになってしまいそうだった。
いいや、違うな。ボクは自分の事なんて昔から大嫌いだった。
その昔、ボクは勉強と言うものが酷く苦手だった。
他人から向けられる、冷たい目が酷く苦手だった。
仕事が他人よりも出来るようになったのは、そんな自分を直したかったからで。
けれども、仕事を辞めて。やっぱり駄目なものは駄目なのだなと思ってしまう。
無駄な努力をしたものだな。とボクはため息を吐いた。
「あの、桔梗先輩?」
「ああ、うん」
不意に、花蓮ちゃんに声をかけられて。ボクは自己嫌悪から現実に引き戻される。
ボクの顔を心配そうな瞳で見つめる花蓮ちゃんは、心からボクの事を心配してくれている。
ボクはそう立派な人間ではないというのに。
あるいは、立派な人間ではないことを見破って心配そうにしてくれているのか。
いや、後輩を疑うのは良くない事だね。これ以上考える事は止めよう。
「とりあえず、服でも買いに行こうか」
そう言うボクの視線は、花蓮ちゃんのやや乱れた服装に注がれていた。
花蓮ちゃんも、それに気付いたのか。やや恥ずかしそうな顔をして頷いてくれた。
C
ボクは、世の中の女性と比べて、服装の流行というものにあまり明るくない。
まあ、年がら年中ジャージ姿ではないけど。
今日は寒そうだからこの服を。今日は暖かそうだからこの服を、という風にサイクルを組んでいるだけだ。
服の種類も、そう多くはない。世の中の男性からしてみれば、実につまらない女性と思われても仕方ないと思う。
だからからか。花蓮ちゃんの服への拘りは、ボクにとっては凄まじいように見えた。
「桔梗先輩!こっちの服はどうですか?あ、でもこっちの服の方が良いかな?」
今ボクが立たされている状況を端的に言うのならば、着せ替え人形にされている。というのが最も相応しいのではないだろうか。
花蓮ちゃんの服は早々に決まったのは良いのだけれど。流れでボクの服も買おうという事になった。
大量の服の山の中から、数々の服を探し当ててくる花蓮ちゃん。
……ボクからしてみたらどっちでも良いのだけれど。花蓮ちゃんからしてみたらそうではないようで。
服の一着一着をボクに手渡ししては、また服の山の中へと分け入っていく。
と、言うのも。ボクの一言が原因だったように思われる。
「花蓮ちゃん。服代はボクが持つから。好きな服を選んでくれ」
「本当ですか!!?」
ボクからしてみたら、彼女の服を買うだけで大した事は無いと思っていたから出た一言だったのだけれど。
この服の量を見るに、どうやら多大な出費は避けられそうになさそうだ。
ボクはやや困ったような表情を浮かべて、笑ってしまう。
「花蓮ちゃんは、こういうお買い物は好きかい?」
「え、えっと。人並には……?」
凄いな。これが人並だったら世の中の服屋さんは儲かって仕方がないだろうに。
ボクはそんな事を思いながら、彼女から手渡された服を見る。
黒を基調としたそのデザインは、ボクの事を思ってなのか。とても個性に満ち溢れている。
「試しに着てみても良いかな?」
「勿論!!です!!ああでもサイズを考えるんだったら、そっちよりこっちの服の方が良いじゃないでしょうか!!」
そう言って今度手渡された服は桃色の服で、どこか暖かそうな服だった。
ふむふむ。参ったぞ。ボクにはどっちでも良いように思えてならない。
「ならこっちにしようか」
「あ!!!!待ってください!!こっちの服のが良いかもです!!」
次々と手渡される服の数々に。ボクは若干押されてしまう。
とりあえずこれにしてみようか。と決める事が出来たのは、そこから暫くしてからで。
ボクはちょっとだけ疲れてしまったのだけれど、これは秘密だ。
試着室の中に入ったボクは、既に来ている服を脱いで着替え始める。
その間、何を思ったのだろうか。花蓮ちゃんはつらつらと言葉を投げ始めた。
「今日は本当にごめんなさい。遅れちゃって……」
「いいや、ボクは気にしてないよ」
それがボクに向けて投げかけられた言葉だという事に気付くまで、そう時間はかからなかった。
ボクは、簡単に彼女に向けて返答するが。彼女はそれでは済まなかったようで。
「……途中で、お婆ちゃんがトラックに轢かれそうになってたんです」
その一言で、ボクの動きは止まってしまう。その言葉に縫い付けられたかのように動けなくなった。
「……それで、助けなきゃって思ったら身体が勝手に動いていて」
知っている。だってそれをボクは見ていたから。
「それで、私。お婆ちゃんを助けようとしたんです。
結果は、事故が起こらなくって、何よりでした」
それも知っている。ボクは見ていたから。
「どうして、花蓮ちゃんはお婆ちゃんを助けようと思ったんだい?」
不意に、ボクの口からそんな言葉が漏れていた。
とても平坦な声で、これが自分の声だと分かるのに少しばかり時間がかかった。
「だって、誰かを助けようと思うのは当然じゃないですか」
「それで、キミは大怪我をして。Vtuberを続けられなくなってしまったかも知れないんだよ?」
「う、それは……」
「大事な後輩を失ってしまうのは、悲しい事だ。
ボクは、悲しい事は嫌いなんだ」
諭すように、ボクは試着室のカーテン越しに花蓮ちゃんに言葉を投げていた。
ボクは、彼女の
一体、何様のつもりなんだろうね。なんて思いながら。
「……助けては、いけなかったでしょうか」
ふるふると震えて、言葉を重ねる彼女の姿が目に浮かぶ。
ボクは、彼女の言葉を否定する事は出来ない。だってボクは見ている事しかできない
ボクには、彼女を非難する権利はない。
彼女を歓迎する権利もない。だってボクは
だけど。キミは
だからキミの行動を正当化出来るのはキミだけなのであって、ボクではない。
「それを決めるのは、キミだけだよ」
ボクは服を着替え終えると試着室のカーテンを開け放つ。
目の前にはキョトンとした表情をした花蓮ちゃんの姿があった。
目の前に立つ花蓮ちゃんは、ボクの姿だけを見ている。
「キミは、
結局のところ、それだけの話だったんだよ」
「先輩……」
なんて、格好つけてはみたけれど。
要はボクには分からないから丸投げしただけだ。
それを彼女がどう受け取ったのかは知らないけど。彼女はボクの言葉にいたく感動している様子だった。
そこからかな。彼女は
配信上で明言するようになったのは。
ボクの言葉に意味があったのかは知らないけど。少なくとも彼女はそこから変わった。
いわゆる、ターニングポイントという奴だったのかもね。
ボクは知らないけど。
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他人から見た白梅雨桔梗【梅原 菫子の場合】
A
儚い人。
白梅雨桔梗さんを初めてこの目で見た時。一番最初に抱いた感想です。
失礼に思われるかも知れないけれど。言い換えれば長生きし無さそうだとも思いました。
白すぎる肌。不健康そうな顔色と、抱いたら折れそうなくらい細い四肢。
瞳は暗くて、何のために生きているのか。見つめ続けていると分からなくなりそう。
黒い髪は、整えられているけれど。それはお洒落の為ではないことは明白で。
じゃあ何の為にそうしているのかと聞かれたら、義務感でそうしているだけ。
何となくそう思わせる感覚が、桔梗さんにはありました。
病弱系Vtuberとして、彼女が採用されたのも納得でした。
まるで、病弱系というジャンルをこれでもかと詰め込んだ様な人。
桔梗さんを見た後では、他の候補の方が霞んで見える。
こう言ってはなんですが、採用官の方も同じように思われたのではないでしょうか。
「やあ。ボクの名前は白梅雨 桔梗。
病弱系Vtuberというものをやらせてもらっている。
キミは……菫子ちゃんだね。同じ同僚として、これからよろしくね」
初めての顔合わせの時、桔梗さんは緊張のあまり固まる私を優しい口調でほぐしてくれました。
優しい人、だとはその時不思議と思えませんでした。何故でしょうか。
今思えば、原因はその瞳にあったのかもしれません。
どこまでも暗くて、どこまでも深い黒。不快だと思ってしまうくらいには。
一番最初は怖い人だとも思いました。オフコラボの焼き肉会でそうではない事は良く分かりましたが。
だとしても。どうしたらあんな瞳をする人になってしまうのでしょう。
深くは聞けませんでしたが、尋ねた事があります。
これまで、どのような人生を歩んできたのか、オブラートに包んで。
「そうだね。ボクの人生は、意味がなかった。価値もなく。無駄だったんだ。
あまり詳しい事は言いたくないけど。いいや、詳しく言える程ボクの人生は複雑でもないのだけれど。
それでも言いたくは無い」
桔梗さんは、私の聞きたい事がまるで分かっているかのように答えてくれました。
私の包んだオブラートはあえなく簡単に破られてしまったようです。
あまりにも簡素で、予想とは乖離した言葉に暫く私は返答に困ってしまったのを覚えています。
一体、彼女に何があったのでしょうか。何があればあのような瞳になるのでしょうか。
またある時、桔梗さんが調子が悪くなって配信の途中でミュートをした時。
私は心配のあまり桔梗さんに連絡をしました。
「……大丈夫。キミは何も心配する事はないよ。
ボクは元気で、やっていける」
からからと笑って。彼女はそう言いました。
悪く言えば突き放したような言葉だったのかも知れません。深く考えすぎなのかも知れませんが。
それでも私は思ってしまうのです。
もっと私達に頼ってくれてもいいのに、と。
一緒にカンタレラでVtuberをやっている同期なのだから。
他の誰でもない彼女は、どうしたら素直に頼ってくれるのでしょうか。
B
「とゆー訳で、リスナーさん達に相談したいのですが。
どうしたら桔梗さんの鉄仮面を剥がせますか?作戦会議です」
[難題吹っ掛けられた件]
[これには匙をぶん投げざるを得ない]
[お酒に酔うと薫子ちゃん積極的になるよね。可愛い]
[お酒の力は偉大]
[酒が飲める飲めるぞ]
[カワイイヤッター!!]
[さて、本題に移ろう。泣き落としはどうだろうか]
[相手はあの桔梗だぞ]
[桔梗だしなぁ……]
[鉄仮面がデフォみたいな所はある]
[これは難題ですね……]
[こんうめー。何の話?]
「ぐぬぬ、私では力が足りないとでも言うのですか。もっと力が欲しい……」
[力が欲しいか……?]
[薫子ちゃん、今貴女の脳内に直接話しかけています……時には諦めるのも肝心ですよ]
[お前らは何なんだよ]
[我々はリスナー、全にして一の存在……]
[パワーを薫子ちゃんに!!]
[いいですとも!!]
[いいですとも!!]
[いいですとも]
[このネタって今の子に通じるのかな……]
[やめなよ。我々にダメージが来る]
[可愛いパワーで落とすという手もある]
「ふぉぉ!!パワーがみなぎってきます!!
……まあ桔梗さんに通じるかは別ですが」
今はリスナーの皆さんと桔梗さんの牙城を崩す為の作戦会議をしています。
勿論、桔梗さんには内緒です。リスナーの皆さんにもそれは伝えてあります。
お酒の力って偉大ですね。内気な私でも感情を容易に感情を表に出すことが出来ます。
私は、低アルコールのほろ酔い缶を傍らに。リスナーの皆さん達と話し合います。
中には参考にならない意見もありますが、そこは配信上致し方ないというものです。
私はいたって真剣なのですが、それが通じてくれないというのは配信の悪い所ですね。
それにしても、泣き落としですか。
何となくですが、桔梗さんには通じない気がします。
同期である以上、ある程度は話は聞いてくれそうですが。一番要である彼女の心には響いてくれそうにないのです。
タイミングさえ良ければ、少しは通じるでしょうか。
うんうん悩んでいても、良い考えは思いつきません。
この際です。桔梗さんに直接聞いてみるのはどうでしょう。
「ちょっと通話してみましょうか」
[作戦はもう決まったの?]
[泣き落としでいく?]
[個人的にはウソ泣きは良くないかも]
[私に良い考えがある!!]
[どうせろくでもない考え]
[我々リスナーはあてにならないからね]
[ウィスパーボイスが聞けると聞いて]
[ろくでもない考えだろうな]
[待って待って違うんだよ。ちゃんと考えたんだ]
[言ってみよう]
「……言ってみてください。参考にします」
半信半疑でしたが、あるリスナーさんの考えというものを聞いてみることにしました。
[まず、相手は桔梗さんだから、並の作戦じゃ駄目だと思う。
泣き落としは絶対にNG、余計に距離を取られる。
信用する人間だったら内心は話してくれるんだけど、
多分今の桔梗は疑心暗鬼になってると思う。だから]
[ごめん、文字数制限引っかかるから簡単に
・距離を一気に詰める行動はNG
・段々と仲良くなれば自然と心が解けてくる
・今行動を取るのは駄目。焦らないこと。
・階段みたいにステップアップしていくのを待つ]
要は、今のままで良い。という意見でした。
そのうちに彼女から距離を詰めてくれるのを待つ、というもの。
聞けば、どうやらそのリスナーさんも心を病んだ経験があるらしく、彼女の気持ちは一部分かるということ。
そう言う事でしたら、私も言う事を聞かざるを得ません。
「……分かりました。そういう事でしたら。
突飛な行動は控えましょう」
そう言いながら、私はほろよい缶をあおります。
しゅわしゅわぱちぱちと喉ごしが心地良くて。どこか気分が高揚します。
とてもどうでも良い事ですが、私は桃の味が好きです。どこか甘く、鼻を抜ける匂いが好きなのです。
さて、今すぐの行動は控えるとしても、今まで以上に桔梗さんに接する機会は多くした方が良いかも知れません。
そうすることで、仲良くなっていけば。桔梗さんの心の氷も溶けてくれる事を願って。
だけれど。
「それはそうと、桔梗さんと通話しましょうか。
せっかく配信をしているのですし、皆さんもそっちの方が良いでしょうから」
少しでも早く。彼女の心の傷が癒える方が良いです。
いずれ、心の内を吐き出してもらって、本当の意味で仲良くなりたいですから。
私ももっと頑張らないと。
C
「うん?薫子ちゃんか。元気かい。ボクは元気だよ。
……本当だよ。嘘じゃないって」
さて、ボクはと言えば。がっちり薫子ちゃんの配信を見ていた訳だ。
いや、違うんだよ。同じ同期の配信は気になるじゃないか。
そうして気付けばボクの話題になっていて。何だか知らないけど心配しているのが良く分かったから、ボクとしてはなんとも言えない状態でその場でROMっていた訳だ。
決して盗み聞きしようと思った訳じゃないんだ。
うん、結果はどうあれね。
さて、どうやら彼女はボクの事を心配していたようだけれど。
ボクはいたって健康だし、正気だ。
泣き落としで来られたら、酷く反応に困っただろうから、とあるリスナーさんの助言は助かった。としか言いようがない。
それに、気付けば薫子ちゃんのチャンネルはボクのチャンネルよりも登録者が多くなった。
勿論、これは当然の事で、ボクなんかよりも才能のある彼女が注目されるのは当たり前の事なんだけれど。
それでも、心のどこかでボクは思ってしまうのだ。やっぱりボクは駄目なんだな、と。
そう考えるボクが実に惨めな存在で、卑しい者だという事を再確認した所で。
気付けば薫子ちゃんとの通話はお開きになった。
なんだか色々と積極的になった薫子ちゃんは、成長を感じられてボクも誇らしい。
いや、何様のつもりだと言われたらそこまでなのだけれど。
一番最初期の頃の緊張でガチガチになっていた薫子ちゃんと今の彼女とでは、見違える事だろう。
そのうちに、一番最初の配信を見返すコラボ配信をしても面白いだろうな。
とも思いながら、赤面する彼女を幻視して。パソコンの電源を切ったのだった。
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Undertail実況【花蓮ちゃんを添えて】
本当に今更ですね。誤字ではないのですが、このままで行こうと思います。
今回はちょっとだけネタバレ注意。もうアンテを知り尽くしてるって人は問題ありません。
A
地下世界の話をしよう。
なんて、ロマン溢れる話を期待しているかも知れないけれど。
残念ながら今回する話はゲームの話だ。
大人気で一世を風靡したゲーム。『undertail』今回はこのゲームで遊んで行こう。
ただ、毎度の事ながらボクじゃリアクションに薄いということで。コラボ配信をすることになった。
このゲーム。要約すれば地下世界に落ちた人間がモンスター達と手を取り合って、あるいは退治しながら進む物語だ。知らない人はあまり居ないかも知れないけどね。
エンディングも何種類かあって。どれも個性に満ち溢れている。
さて、ここまで言ったならお分かりの人も多いかも知れない。
ボクはこのゲーム。既にプレイ済みだ。
初のエンディング?Nルートだったよ。そう別段特別な事は無い。
ああでも、今回は敢えてGルートを目指そうと思う。
モンスターを狩って狩って狩りつくす。ジェノサイドルートだね。実に分かりやすい。
今回コラボする花蓮ちゃんには、Gルートを進むという事は伝えていない。
リスナーの方々にも、事前にネタバレはしないように。とも伝えている。
その方がリスナーの皆も楽しめるだろう?
「初めましての人は初めまして。
ボクは白梅雨桔梗。今回は『undertail』をプレイして行こうと思う」
「私は花蓮です!皆さん、よろしくお願いしますね~!」
「さて、軽い自己紹介も済んだ事だ。
花蓮ちゃんはこのゲーム。どれだけ知ってる?」
「完全に初めてですね!どんなゲームなのか。今からワクワクです!」
「そっか。それなら丁度いいね」
「?」
「ああいや。こっちの話」
「リスナーの皆、今回はGルートで行こうと思う。
ネタバレは止めておくれよ?ああ、でも予想だけはしておいても良いよ。
ボクがどこまでプレイ出来るか。心折れないか、を」
[分かったゾ]
[Gルートとかウッソだろお前www分かったゾ(漆黒の意思)]
[*ただのEXPだ]
[パピーで心折れたワイ、今回の配信を最後まで見れるか不安になる]
[冷静に冷徹に最後まで機械作業のように進みそう]
[*ただのリスナーだ]
「花蓮ちゃんはこのゲーム。初めてだったね。
簡単に説明するよ。地下世界に落ちた人間が、元居た地上を目指す話だ。
そこにモンスターが邪魔しに来るんだけど。それを退治して、経験値にする。
まあ、よくあるRPGゲームだとでも思って欲しい」
「??
リスナーさん達が妙にざわざわしてるんですが。
聞いてる限りでは面白そうですね!!
それにモンスター狩りって、如何にも
「そっかそっか」
そうして、ボクはプレイを進めていく。
一番最初のLV、つまりLOVEの説明から入って。ボクはフラウィーから弱肉強食というものを学んだ。
隣から激昂している花蓮ちゃんの声が聞こえてくる。
そうだね。キミは騙し討ちというものがあまり好きそうではないから。
そういった反応になるのも、致し方ないのだろうね。
そこからトリエルに助けられて。花蓮ちゃんはいたく彼女の事を気に入ったようだった。
経験値をあつめて、LOVEを上げていった。
だけど。
「さて、と」
「桔梗先輩?」
*トリエルに ゆくて をふさがれた!
♥たたかう
「駄目です。桔梗先輩。
トリエルは何も悪い事はしてません。戦う必要なんてありません」
「そうかな。今までもモンスターもトリエルも、同じだと思うけど」
「話し合う事で、きっとトリエルとは仲良く出来るはずです」
「いいや、話し合っても同じさ。
ボク達は人間で、彼女らはモンスターだ。元より分かり合えっこない。
――そして、ボクらは今まで、同じようにモンスターを狩って来た。
これは今までの延長線で、延長戦だ」
「桔梗先輩!!」
「……さようなら、トリエル」
悲しい犠牲もあった。花蓮ちゃんはとても苦々しい声を出していた。
彼女は
例えゲームでも、例え本当に生き死にが起こった訳ではないのだと知っていたのだとしても。
ボクは、何となく悲しいんだろうな程度で。あまり良く分からないけれど。
そういう人も居るんだろう。感受性豊かで、本当に羨ましい。
それから。
「このパピルスって子、面白いね!」
「そうだね。とても良い子だと思うよ」
「ニャハハハ!!……なんか反応して欲しいな?」
「とても可愛いと思うよ」
後輩の変わった一面を見たり。
「ひっぐ、うぐ……どうして、パピルスを殺したの……?」
「彼がモンスターだったから」
また悲しい犠牲があったりして。
花蓮ちゃんに泣きが入ったので一時中断した。
ボクは、ボクを恨めしそうな目で見る花蓮ちゃんを幻視する。
どうして彼女はゲームの登場人物程度にそこまで感情移入する事が出来るのだろう?
ボクが思うに、登場人物が生きようが死のうが、ゲームをやり直せば元通りになるというのに。
やり直せない人生というクソゲーほど、感情移入するべきなのだろうけど。その結果が今のボクなのだから、ボクは人生のリセットボタンを押したくなってしまう。
まあ、リセットボタンは存在せず電源を引っこ抜く他ないのだからこのクソゲーは本当にどうしようもない。
「さて、どうしようか」
ボクはコントローラ片手にマイクに語りかける。
ひいては花蓮ちゃんに向けて。これ以上続けるかい?と。
「ひっぐ……ごめんなさい……ギブアップです……」
涙声で、そう言った彼女。
彼女を誰が責める事が出来るだろう。
続ける事が難しいゲームを、無理矢理続けさせるのは苦でしかない。
そうしろと言えば簡単なのだろうけど。それをさせる程ボクは鬼ではない。
まあ、この先に控えているのは
これ以上彼女の精神を責めるのはあまりよろしくないしね。
ボクは、リスナーさん達に謝ってから、配信を閉じた。
B
【VTuber】可愛いあの子を語るスレ【カンタレラ:三期生】
1:名無しの花言葉
なんだか無性に語り合いたくなった
さあ、語り合おうじゃないか
2:名無しの花言葉
エヴァちゃん良いよね……
3:名無しの花言葉
>>1 この時間にスレ立てとは、さては例の配信を見たな?
4:名無しの花言葉
>>3 うん。Undertailの配信を見て
その、なんだ。かわいそうはかわいいって気持ちになった
5:名無しの花言葉
でも途中でギブアップ宣言聞いた時はちょっとビックリした
6:名無しの花言葉
仕方なくない?初見でGルートは荷が重いよ
7:名無しの花言葉
>>4 性癖捻じ曲がってますよ
8:名無しの花言葉
>>7 そんなネクタイ曲がってますよって感じで言われても……
9:名無しの花言葉
>>7 この程度一般性癖だゾ
10:名無しの花言葉
それにしても桔梗がマジで鉄の精神
11:名無しの花言葉
血も涙もないからな
12:名無しの花言葉
血もあるし涙もあるよ
ちょっと心が壊れているだけだよ
13:名無しの花言葉
>>12 致命的なんだよなぁ……
・
・
・
・
254:名無しの花言葉
そう言えばあの噂聞いた?
255:名無しの花言葉
どの噂なのか分からん
258:名無しの花言葉
桔梗が倒れたっての
265:名無しの花言葉
また倒れたのか?
270:名無しの花言葉
いや、今回は救急車で病院に行ったんだって
275:名無しの花言葉
は?ソースは?
283:名無しの花言葉
分からんがひまわりちゃんが言ってたみたい
300:名無しの花言葉
マジで?
312:名無しの花言葉
マジみたい。今桔梗専スレ見て来たけど
凄い勢いで伸びてた
333:名無しの花言葉
マジか。マジだ
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病院から【ちょっと閲覧注意】
A
目覚めると知らない天井があった。
まあ、嘘だけれど。
改めて言えば、目覚めるとそこは病院で。ボクは直前まで何があったのかを思い出すのに数瞬の時間を要した。
その間に、ボクの口の中に流し込まれる液体に、顔をしかめる。
どこかしょっぱいそれは、塩水の様なものだった。
「気が付いた?」
ボクの顔を覗き込む女性。
白衣を着ていて、マスクをしている彼女はいわゆる看護婦なのだろう。
となると、ボクは患者なのだろう。
はて、ボクは何があったのか思考を巡らせる。
気を失ったであろう前に、ボクは何をしていたのかを。
その間、看護婦さんがボクの前にポリ袋のようなものを用意して。
「気持ち悪くなったら吐いてね、大丈夫だから」
誰が吐くか。とも強がろうとしたけれど、ボクは胸元からこみ上げてくる気持ち悪さに、顔を歪めた。
そうして、吐いた液体は、どこか毒々しい赤色をしていて。
ブツブツとした固形物が多く混じっていた。
そして、ボクはその前に何をしていたのかを思い出す。
「ああ、そっか」
ボクは。薬の過剰摂取で。
死のうとしたのだっけか。
瞬間、ボクは腑に落ちた。ボクは常備していたカフェインの錠剤を沢山飲んだ。
何故か死なないといけないという焦燥感に焦ったボクは、手っ取り早い自殺手段として、薬物の過剰摂取を選んだ。
実際はとても苦しくて苦しくて。たまらず携帯で119を押してしまったのだけど。
自殺なんてするものじゃないな、とボクは朦朧としてきた意識の中でそう思った。
けれど、意識が途切れる事は無い。
再び口の中に流されたしょっぱい液体に胸元が気持ち悪くなって。また吐いて。
その繰り返しを何度もやった頃に、ボクはようやく意識を手放す事が出来た。
B
苦しかった。
辛かった。
悲しかった。
どうしようもなく自分が不必要な人間に思えて。
どうすることも出来ないくらいの絶望感がボクを襲った。
どうしてそう思ってしまったのかは覚えていないけれど。
どうしようもなくそう思ってしまったからしょうがない。
「はぁはぁはぁはぁ」
呼吸が出来ないくらいに苦しい。
心臓がうるさいくらいに早鐘を打っている。
どうしてボクがこんな目に合わなければいけないのだろう。
世界中に居る人たちはきっと今ものんびりと生きているというのに。
だというのにどうしてボクがこんなに苦しまなければいけないのだろう。
頭の中をぐるぐると悪い考えだけが巡っていく。
苦しい。辛くて。悲しい。
ボクは思わず、机の中にあったカフェイン錠剤を開ける。
いざという時、自殺する為だけに集めた錠剤。本当は目覚ましの為に集めたんだっけ?もうよく分からない。
例えるならば、必死に川を泳ごうとしてただただ溺れるだけのような。
それに加えて。このままでは、いつか滝に落ちてしまうという漠然とした不安感がボクを襲っている。
ああ、楽になりたい。早く楽になりたい。
誰か、ボクを助けて欲しい。
そう言えればどれだけ楽になれるのだろう。
いや、ボクは。
もう駄目だ。
意識を手放す前に。ボクはスマートフォンを手に取る。
連絡先は、ああ。誰でも良い。それでも最後の言葉を託したい。
ボクは連絡先の一番上を押して、耳に当てる。
カフェイン錠剤は、もう飲み終わった。
胸元が、ぐるぐると不快感に溢れてくると同時に、これでようやく終われるという漠然とした安心感に包まれる。
「あれ?梅雨ちゃん。どったの~?」
「……ひまわりちゃん」
不幸にも、電話に出たのはボクの同僚だった。
気楽そうな声がボクの鼓膜を叩く。本来ならば人を幸福にさせる声も、今は不快でしかない。
彼女には不運かも知れない。不幸かも知れない。けれどボクの最後に残すであろう言葉を残そう。
「ボクは――」
「梅雨ちゃん?」
ボクはもう駄目です。
その言葉が出なかった。
その代わりに出たのは吐しゃ物。
気持ちの悪い音は向こうに聞こえてしまっただろうか。
ああ、ごめんなさい。最後に碌な言葉も残せなくて。
こんな事なら、遺書でも残しておけばよかったか。けれど、今はもう遅い。
「梅雨ちゃん!!?」
彼女の声が、どこか遠くに聞こえる。
ボクは、手に力が入らなくなってきて。スマートフォンを落としてしまった。
吐しゃ物で汚れたそれを、ふらつく指で。通話をオフにする。
何故そうしたのかは分からないけど。これ以上心配をかけるのは申し訳なかったのかも知れない。
そして、背を壁に預けて。ボクは窓の外を見る。
外は幸いにも月が出ていて。
雲がかかっていない。とても綺麗な光景だった。
半分だけ欠けた月は、とても綺麗だった。ボクみたいな欠陥品が最後に見る光景としては、申し分もない程に。
だけれど。
ボクは、思わず落としたスマートフォンに手を伸ばしてしまう。
何をしようとしているのか。ボクにも理解出来なかった。
今更何をしても遅いというのに、ボクは一体何をしているのだろう?
いつだったか。結構前にあった事のように。
ボクは目の前の光景が、まるで映画のような光景に見えた。
ボクは観客でしかなくて。目の前で起きているそれがまるで他人事にしか見えなくなる現象。
そうとしか言えない現象は、果たしてなんと言語化していいものか、分からない。
ふるふると震える腕は、やがてスマートフォンに届くと。
119と。打ち込んだ。
ボクは一体何をやっているのだろう?
死にたいのに。助けを求めるだなんて。
いいや。苦しいのを助けて欲しいのは本心だ。
だけれど、死にたいのも本心なのであって。
ああ、もう。ボクは何を思っているのか。自分でもよく分からないや。
「たすけて」
最後に言った言葉も、本心なのか。もう分からない。
C
病院で再び目覚めたボクは、天井を見上げることしか出来なかった。
というのも、身体中が麻痺していて動けないからだ。
いや、これは語弊があるな。
正座をしていると、足がびりびりして言う事を聞かなくなるだろう?
あれと同じで、ボクの身体は今。ボクの意思を聞こうともしない。
腕には点滴の針が刺さっていて。視線を向けて見れば、そこには透明の色をした液体のパックが繋がれていた。
うーん、困ったな。
今ボクは猛烈に喉が渇いて仕方がないというのに。
肢体が動かないのではどうしようもない。試しに声を出してみようか。
「……ぁ」
うーん。声も出ないか。
これは困ったぞ。喉が渇いたのに。これじゃいずれ干乾びてしまうのも時間の問題だ。
オレンジジュースが望ましいけれど、この際だから水でも良い。
誰でも良いから誰かボクに気付いてくれないだろうか。
そんなボクの願いが聞き届けられたのか。分からないけれど。
ボクの寝ている病院のベッドに向けて、誰かが歩いてくる音がした。
「目が覚めましたか?」
見れば、それは先程ボクの吐しゃ物を処理してくれた看護婦さんで。
ボクは見知った顔にホッと一息ついた。
そして、手に持つそれを見て、ボクは思わず顔をしかめた。
それは灰色をした液体で。どうにも美味しそうな液体ではない。
ボクの嫌そうな視線を感じたのか、彼女は口を開いた。
「これですか?水に炭を混ぜたものですよ。
胃の中に毒素が多い患者さんには、これを飲ませて吐いて貰ってるんです」
毒素、という言葉に。ボクの脳裏に浮かんだのは大量のカフェイン錠剤。
これで胃の中を洗浄していたんだね。そっか。知らなかったそんなの。
まあ、ボクも自殺未遂なんて初めての経験だから、仕方ないよね。
何事も経験があってのことなんだから。
不意に、看護婦さんはボクの口元に炭液(たった今ボクが命名した)を飲ませようとしてきた。
おいおい、いくら喉が渇いたからってそれを飲ませようとするだなんて、なんて奴だ。
いや、ボクが全面的に悪いのだからどうしようもないのだけれど。
身体が麻痺したように動けないボクでは抵抗のしようがないので、大人しくそれに従って炭液を嚥下する。
うーん、不味い。
「吐きそうになったら教えてくださいね。
ああ、無理せずこのまま吐いても大丈夫ですよ」
そう言うと、看護婦さんはボクの視線から消えてしまう。
ジャーッという音を聞くに、ボクの寝ているベッドの周りにはカーテンが隔たっているようだ。
うん、さっそくだけど気持ち悪くなってきたね。
どうしようか。そのまま吐いても良いとの言だったが。いやはや参った。
それ以降。時たまやって来る看護婦さんにお世話になったのは言うまでもない事で。
ボクは若干ながらも悪い事をしているような気分になってしまった。
D
それからひまわりちゃん達に会えたのは、一昼夜ぐらい経ってからだった。
ボクは相変わらず手足が言う事の効かなかったから。首や目線でそれに応える他なかったのだけど。
とりあえず一言だけ言う事があるのならば、心配させ過ぎてしまったらしい。
何も今生の別れだった訳でもないのだから、そこまで泣かれる覚えは……ああ、いやごめん。そう言えば死ぬつもり満々だったね。ボク。覚えがあったよ。
ひまわりちゃんは凄く凄く怒っていて。薫子ちゃんは終始泣いていた。
後輩の皆は姿が見えなかったけれど、病院には来ているらしい。
なんともまあ、ボクの為に色々と迷惑をかけたものだ。
そう言えば、と。
ボクは不意に気になった事を聞いてみることにした。
この頃になると、ボクは呂律が上手く回るようになっていて。軽くであれば起き上がる事も出来るようになっていた。……とても気分が悪くなるけどね?
「そう言えば、ボクはクビになるのかな?」
ボクの言葉に、ひまわりちゃんも薫子ちゃんも目を丸くしていた。
何を言っているのか良く分かっていない様子だったから。ボクも目を丸くしていたに違いない。
自殺未遂をした職員を、同じ環境にまた入れるだなんて。そんな事をする企業とは思えなかったからこその言葉だったのだけれど。
……どうやら、ボクが自殺未遂をしたという事は伝わっていなかったらしい。
ふむ。となると。
――ボクは、ひまわりちゃん達にとても、とっても怒られた。あと、泣かれた。
そうとだけ。ここには書いておこう。
それを見て聞くボクには終始他人事のようで。
まるで現実味がない事だったから。
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逃避
A
楽しい事や嬉しい事があれば、自然と人は笑うだろう。
悲しい事や辛い事があれば、きっと人は泣くだろう。
ならば自殺未遂という大きな過ちをしたボクは、きっと泣くべきなのだろう。
それでもボクが泣く事が出来ないのは、きっとボクが折り目が付いただけの人間で。自分の心というものに正直になれなくて。「誰か助けてくれ」と叫ぶ事が出来ない程に小さな存在だからだろう。
いや、だけれども勘違いしないで欲しい。
ボクはいざとなれば自分の力で立つことも出来る。とても辛いかも知れないけどね。
誰かの力が無ければ立ち上がる事も出来ないくらいに弱ってなんかいない。
ただの折り目が付いただけの人間は、そこまで弱ったりなんかしない。
……これはボクの経験談だから。決して鵜吞みにして欲しくはないけれどもね。
それでもボクは、今のボクの境遇に異を唱えたい気分だった。それこそ、叫びたいくらいに。
うん。そうだね。端的に言おうか。
ボクは今。同僚との同居を強制されている。
ここで大切なのは「強制されている」という事で。そこにボクの意思は無いということで。ボクは他ならぬ自身の事だというのに、何だか話に入れて貰えなかったということだ。
どうしてこうなったのだろうね。
「ひまわりちゃん?」
「ん?どったの。梅雨ちゃん?」
ちなみに、今ボクは小日向 ひまわりちゃんの家に居る。
というか、同じ一室に居る。
どうでも良い事だけれど、ひまわりちゃん。良いマンションに住んでいるんだね。
都内で40階くらいのマンションで、2LDKの綺麗なマンションだ。
家賃も結構するんじゃないかな、具体的には25万くらい。いや、知らないけどね。
部屋の中も女の子らしく、所々が可愛らしい家具で飾られている。
ハハッ、ボクらしくない可愛い部屋だ。
ちょっと前だったらこんな素敵な部屋で同居なんて。いやあ信じられないね。
しかも可愛い女の子付きだ。ボクも女性だから何の問題もないんだろうけれど。
「そろそろご飯出来るから、ちょっと待っててね~?」
……うん。そろそろ現実を見ようか。
自殺未遂をして。ボクはひまわりちゃんと菫子ちゃんに自ら暴露した後。
彼女達に酷く怒られ、泣かれた。
彼女達にこの事を秘密にするようにと約束された。
うん。まあ、ここまでは分かるよ。
自分が何をしたのかは、ボクが一番知っているからね。
その後、ボクは一週間毎に彼女達の家に同居をするように約束された。
具体的に言えば、最初の一週間はひまわりちゃんと同居して。次の一週間は菫子ちゃん。その次はまたひまわりちゃん。と言った形だ。
これが分からない。
ボクを子供か何かだと思っているのだろうか?
いや、何をしでかすか分からないという一点においては、ボクはそのものなのだけれども。
ああ、あと。安心して欲しいのだけれども、別にボクはベッドに縛り付けられてはいないし、部屋の中に軟禁されている訳でもない。
あくまでもボクは同居人ということで。彼女達に飼われている訳ではない事を、ここに断っておく。
彼女達曰く、心配で心配でしょうがない、らしい。
……そうだね。企業にいつの間にか話が通っていた事には驚愕でしかないけれど。
それでOKを出した企業も企業だ。どうなってるんだ。
いつの間にか、ボクが今ひまわりちゃんと同居している事はどうやらリスナーさん達には筒抜けらしく。この前はひまわりちゃんの配信にお邪魔させて貰ったりもした。
とは言え、原因はボクで、戦犯はひまわりちゃんだ。
お風呂から上がった時にひまわりちゃんが配信してるもんだから、ビックリしたよね。
一人でホコホコしてひまわりちゃんに声掛けたら配信してるんだもん。ビックリだよ。
それで「あ!梅雨ちゃん!今配信してる~!」なんて返してくるんだから。軽く目が点になったよね。
そこからは、あれよあれよと言う間に軽いオフコラボ配信だ。
ボクなんかがお邪魔しても大丈夫なのかな?とは思ったけれど。
ひまわりちゃんの素振りからすると、問題ないらしい。
いや、大丈夫なのかな……?
……どうやらボクが病院に運ばれた事もリスナーさん達は知っているらしく。物凄く心配された。
なんだかデジャヴだなぁ、なんて思いながらも勿論。自殺未遂をやらかしました。だなんて事は言わなかった。
ひまわりちゃんもそれは同じで、ボクらは話題を選びながら軽い雑談をしたりもした。
……ギクシャクとした会話に思われなかっただろうか。
なんて、心配は杞憂に終わった。
ひまわりちゃんが言うには。リスナーさん達はとても楽しんでくれたらしい。
それはなによりだ。
だけどさ、最近いくらなんでもボクがひまわりちゃんのチャンネルにお邪魔し過ぎじゃない?
毎日がオフコラボ配信だよ?エブリデイだぜ?なんで英語で改めて言ったのか知らないけど。
今だってお昼オフコラボとか言って、ひまわりちゃんが料理してる間にボクが場を繋ぐという流れ。
ちなみに、お昼ご飯はミートソーススパゲティだ。
美味しいよね。ボクは大好きだ。
「うん。ひまわりちゃんはお料理上手だよね」
「そう言えば梅雨ちゃんって、いつもは何食べてるの?」
「いつもはコンビニ弁当とか、あとは……」
「……」
「……コンビニの、えっと」
「……」
「……パンとか」
ううん。参ったな。ここからじゃひまわりちゃんの顔は見えないけど、これは多分怒っている。
「栄養が偏っちゃうよ!」とかなんとか言われる事間違いなしだ。
今度からサプリとかで栄養を補おうか。……あ、いや。余計に怒られそうだから辞めておこう。
「――はあ、全く梅雨ちゃんは。
料理も楽しいからやってみた方が良いよ?」
「分かったよ。でもまずはお米を研ぐ所からにしよう。
自慢じゃないけど、ボクは飽き性なんだ。いきなり料理を作ろうとしても大変で飽きそうだよ。
……ところでお米を研ぐのって、どの洗剤からが良いんだい?」
「……」
「……OK、軽い冗談だからね?」
沈黙に耐え切れずに、降参したボクは、きっと呆れ顔になっているだろうひまわりちゃんに向けて声を掛けた。
B
あの日の後。具体的に言えば自殺未遂をしでかした日から。
ボクの中の何かが変わった。……なんて事はなく、ボクは今まで通りに生きている。
幸いな事に、ボクはクビにはならなかった。
幸いな事に、ボクは更に絶望する事は無かった。
生きている事に無気力にならなかったのは、良かった事に入れて良いのか迷うけれど。
ボクは、今までと同じように。生きている。死んでいない。
心は折れて、曲がって、折り目が付いているけれども。
ボクは何も変わらない。
変わった事と言えば、同僚と同居する事が半ば強制されたということと。
病院から定期的に通院する事を提言されたということ、くらいか。
前々から薬を貰いに通院していたボクからしてみれば、その頻度が多くなったという事は少しだけ煩わしい。
そして、精神科に通うように紹介状を書かれた時は、正直に言って面倒事が増えたようにしか思えなかった。
カウンセリングも勧められたが、断った。
なんで、と思われるかも知れないが。
ボクはどうにも、彼らカウンセリングをする人間が好きじゃない。
失敗しているボク達欠陥品の悩みを、彼らが聞くのだろうけれど。
初対面の彼らにボクが馬鹿正直に心を開く未来が見えない。というのが本音でもある。
ボク達欠陥品は、真っ直ぐじゃない。捻じれて、折れて曲がって、ひねくれている。
今までそうだったように、ボクは平気な自分を作り上げて、それを演じる事だろう。
それが目に見えているからこそ、ボクはカウンセリングなんてものに行きたくない。
駄々をこねるボク(勘違いしないで欲しいけれど。その事を素直に話すわけがない。だってボクは”ひねくれもの”なのだから)に、お医者さんはやや困ったような笑みを浮かべて、ボクの意志を尊重してくれた。
……年長のお医者さんにありがちな、精神論をぶつけてくる様な人じゃなかっただけ、強制してくる人じゃなかっただけ。ボクは恵まれている方なのだろう。
詳しくは言いたくないが。ボクはまだ幸せな方なのだと思う。
世の中には、自殺未遂をした人間に精神論をぶつけて直そうとする医者も居るかも知れないのだから。
ボクは知らないけどね。
さておき。クビにならなかった事は喜ばしい事だ。
また仕事を探すところからやり直しというものは、些か面倒なのだ。
それに、待っていてくれているリスナーさん達に、突然辞めるという事を伝えずに辞めるという事は、とてもとても失礼な事だ。
……そう、なんでか知らないけれども、ボクなんかを待ってくれている人がいる。
自殺未遂をしたボクを。支えてくれる同僚がいる。
ボクは幸せ者である。それは間違いないだろう。
――ただ。客観的に見た時、ボクはきっと不適合品である事は疑いようもない。
これで引きこもりになったら完全に終わっていたのかも知れないけれど。
まあ、有り得たかも知れない話は嫌いじゃあないが。好きでもないのだ。
半端者なのだ。ボクは。
どうしようもないくらいに。
C
「ねえ。梅雨ちゃん」
夜も更けた暗い室内で。ひまわりちゃんはボクを呼んだ。
時刻はもう0時を過ぎていて。ボクはひまわりちゃんの寝室で一緒に寝る支度をしていた。
布団を敷いて電気を消して、そろそろ横になろうかという頃の事だった。
「なんだい。ひまわりちゃん」
ボクは返事をする。
どうでも良い事だけれど、彼女は頑なに一緒の部屋で寝る事を譲らなかった。
いくら同僚とは言え、知り合いだとは言え、プライベートの空間にボクが入る事はやや遠慮があったのだが。
先も言った通りに、彼女は一緒の部屋で寝ようと言って譲らなかったのだ。
ボクに下心があったらどうするつもりなのだろう。いや、ないけどさ。
ちなみに言っておくと、パジャマはボクの物だ。
ボクの配信用機材を色々と持ち込む際に、どうせならと半ばヤケクソで服を持ってきて良かったと思う。
そうでなければ、ボクは今頃きっとひまわりちゃんのパジャマに身を包んでいただろうから。
真っ暗な部屋の中。ボクの目は彼女の姿を映す事なく。いそいそとボクは布団に身を滑り込ませようとして。
「どうしてあんな事したの?」
ピタリ、その身を止めた。
あんな事、と言うのは、自殺未遂をした事だろう。それは疑うまでもない。
いままで、彼女はその話題を避けてきていた。それは、いくら鈍感なボクにだって分かる。
どうして今更、それをボクに聞こうと思ったのだろう。彼女の中で、心境の変化でもあったのだろうか。
さて、そう聞かれたボクには、彼女を満足させる事の出来る理由がない。
理由がない、というのには語弊があるのかも知れない。
なにせ、死のうと思っていたボクは、きっと何か使命感に駆られていたのだから。
とは言え、ボクはその感情を上手く言語化する事が出来ない。
感情というものは難しいもので。気持ちにすれば上手く伝える事が出来るのだが、言葉にしようとすると上手くいかない。
あの日のボクと今のボクはまるで別物のような気持ちなのだから、無理もない。
敢えて、言葉にするのならば「死なないといけないと思ったから」だろうか。
なんとも荒唐無稽な言葉だ。でたらめだ。
暫くボクが考えている間、無言だったからだろう。
ひまわりちゃんはボクに向けて。
「……言いたくないなら大丈夫だよ。
でも――約束して。もうあんな事しない。って」
それは、もしかしなくてもきっと。言葉にするのには勇気が必要だった事だろう。
自殺願望を持つかも知れないボクに、その言葉を掛ける事は。
実際に、彼女の声は震えている。日頃の彼女からは思えない程に、か弱い声だ。
こんな彼女に、ボクは果たして、何と答えたら良いのか。暫く言葉に迷った。
約束をする事は簡単だ。所詮は口約束なのだから。
でも、彼女が言いたいのはそういう事じゃないだろう。
反省して欲しいという訳じゃない。悲しませないで欲しいという訳じゃない。
それはきっと、心底ボクの身を案じての事だったのだろう。
かちり、かちり。と部屋の時計の音がやけに五月蠅い。
そのくらい、ボクと彼女の間には静寂が流れていた。
「そうだね――ひまわりちゃん。ボクはね。
綱渡りをしていたんだと思う」
ポツリと、ボクは呟いた。
けれども。出て来た言葉は、ボクの意に反したものだった。
エヴァちゃんと会話していた時だったか。ボクは自分の身体が自分の身体じゃないように感じられた時があった。
まるで目の前の光景が映画で流れているような感覚に陥った事があった。
それが、再度ボクの身体の自由を奪う。
いったい何がどうしてこうなるのか分からないけれど。それでもボクはボクの言葉を待つ。
「ボクはいつもね。『大丈夫、まだいつも通り振舞える』と思っていた。
ボクの心はもう既に壊れてしまっているのに。原因も分かりきっているのに、それから逃げる事が出来なかったんだ。
きっとまだ、大丈夫だって、綱渡りをしていた」
「……」
「あんな事をした事は、それから明確に逃避。逃げようとした結果なんだと思う。
頭では、良く分かっていなかったけれどもね。逃げる事を実行するのは、それはそれで勇気が要るものだった」
「……そんな勇気、ダメだよ」
「そうだね。それはボクもそう思う。
けれどもね、どうか否定しないで欲しい。あれはあれでボクなりに考えた結果なんだ。
どうしてもボクは、それしか逃げる手段を考える事が出来なかったんだ」
「……」
「――ボクは、多分、また。逃げると思う。
苦しくなって、悲しくなって、限界になったら。きっとまた逃げようと思ってしまう。
それはもう、防ぎようがない。だからさ、ひまわりちゃん。
どうか一緒に、他の逃げる手段を考えて欲しい。
ボクは、とても弱い人間なんだ。困難に立ち向かうことなんか、出来ないんだ」
ふむ、と。ボクは内心で舌を巻いた。感心したと言っても良い。
このボク。今現時点でボクの身体を動かしている存在は、ボクの事をよく知っている。
ボクの感情も、ボクの身体も。本当によく知っていると思う。
この存在は、ボクの感情から出て来た第二人格のようなものなのだろうか。知らないけれど。
だとすれば、色々と説明は付く。
一時の感情をここまで言語化するとはなんともまあ便利な人格だと思わざるを得ないが。
随分とまあ、人の秘密をベラベラと喋る事だと、憤りも感じてしまうが。
それでも、ボクはこの第二人格(仮)に感謝していた。
ボク自身、ボクはボクの事を知らないから。
「……」
そして、第二人格(仮)は言うだけ言ってボクに身体を返してきた。
ボクにどうしろって言うのさ。この空気どうすれば良いんだい。
暗くて見えないけれど、ひまわりちゃんはきっとボクの方を見ているだろう。
ボクは、黙って彼女の言葉を待っていた。
「……梅雨ちゃん」
「なんだい?」
「……それでも、私は。
梅雨ちゃんに立ち向かう事を諦めて欲しくない。
逃げるだけが、人生だなんて、思わないで欲しい」
「……それは」
「私も、支えるから。菫子ちゃんも。
後輩の皆も、一緒に。……だから」
彼女はきっと、ずっとボクの方を見ていたんだとおもう。
電気が消える前から。ずっと。
不意に、身体を強い力で抱きしめられて。ギュッとされた。
「逃げないで」
言葉だけ抜き出せば立派な病み病み。ヤンデレとか新しい属性の追加かな?
うん、ここで茶化す事は出来ないね、だからこそボクは流されるがままに、頷いて答えるのだった。
見れば、カーテンの間から月が見えた。
綺麗な三日月で。雲に隠れていないその姿はとても綺麗だった。
感想欄で指摘頂きました。
菫子(すみれこ)ちゃんと薫子(かおるこ)ちゃん。
正しくは菫子(すみれこ)ちゃんが正しいです。
ご指摘ありがとうございました。体調が戻ったら直します。
皆様も体調不良には気をつけてくださいませ。
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立ち向かう勇気
A
久しぶりに、ボクは配信用機器を用意して。のんびりと配信の準備をしていた。
だけれども配信予定の時間まで、まだ些かの時間の余裕がある。
具体的に言えば1時間半くらい。ちょっと気が早かったかな。
そう思って、ボクはこれまた久しぶりに。煙草を吸おうとして、不意に。
「桔梗さん」
袖を引っ張られてそれを中止されられた。
ああ、そうか。自分の家じゃないんだから、煙草は駄目だよね。
ボクは苦笑いをしながら、菫子ちゃんの方を向く。
「ごめんごめん、菫子ちゃん。
これは癖と言うものでね。ついうっかりと言う奴さ」
「もう、煙草は身体に良くないですよ!」
「そうは言っても、さっきも言ったけどボクのこれはもう習慣じみてる訳だからね。今更直そうとしても中々直らないんだよ。
身体に悪いのは分かってるさ」
だからこそ、ボクは吸っている節があるのかも知れないのだから。と心の中で呟いて。誤魔化すようにボクは、今居る場所。菫子ちゃんの家を見渡した。
その家は、外見は綺麗な真っ白の外壁に囲まれていて。
所々がどこか昔ながらの日本を感じられる和風な雰囲気があった。
内装もどこか、ホッとするような感覚になるような部分があって。
模範的な一般的な家。と言ってなんら問題はなかった。
……どうでも良い事なのだけれど、都会の一軒家に一人暮らしって凄いな。
土地とか値段的に考えたらとんでもない事になりそうだ。
などと、どうでも良い事を考えていたボク。
今週は菫子ちゃんの家にお邪魔しているのだけれども。
ひまわりちゃんが可愛い感じの飾り付けをしていたのに対して、菫子ちゃんの家の部屋は、綺麗で整然としている感じだ。うん。良く分からないよね。
簡単に言えば、余計な物を置かずにいるモデルルームのような印象だ。
勿論、生活感はあるのだから、この例も適当ではないのだけれども。
さておき。そんな家の主である彼女は。
ボクに顔を向けたまま、ぷんすこ。と擬音が出るくらいに怒っていそうだ。
煙草を吸う事を辞めようともしないボクに、彼女はいたく不機嫌だ。
「えいっ」
「ひにゃ!?」
ついつい悪戯心がくすぐられたボクは、彼女の二の腕の柔らかい所を掴んだ。
おお、凄いな。柔らかいぞこれは。いつまでも揉んでいたくなるような感触だ。
ふにふに。と擬音が出るくらい揉みしだく。
「ひゃあああ……」
菫子ちゃんの口からはくすぐったいのか、悲鳴に近い声が漏れているけれども。ボクは気にせずにひたすらに揉み続ける。だって仕方がないじゃないか。こんなに良い感触の部位をすぐに手放すだなんて、人生の経験の損失と言っても良い。赤く染まった真っ赤な顔を眺めながらも、ボクは揉む。
しかしながら、ふむ。これは。
「えっちだね」
「ふぇぇ!?」
「ごめん、言い間違えた。とても魅力的な二の腕だね」
「言い間違え……?えっ、本当ですか?」
「勿論だよ、ボクは嘘は吐かないからね」
「それは嘘ですよね?」
「バレたか」
「あはは」「ふふふ」
「……」
「……」
「あの、そろそろ私の二の腕から手を放して欲しいんですが……」
「嫌だね」
「そうですか……」
そう言って、ボクは引き続き彼女の柔らかさを堪能する。
時折、彼女はくすぐったいのか。小さく声をあげるので、ボクも飽きずにただひたすらに揉み続けた。
菫子ちゃんはと言えば、ボクを咎めることを諦めたのか、終始されるがままだった。
相変わらず顔と耳は真っ赤なままだったから、恥ずかしかったのかも知れない。
ちょっと悪いことをしたかな。なんて思ったりもした。でも止めなかったけどね。
B
生きている事自体が間違いだった。などと言うつもりはないけれど。
ボクの人生は失敗の連続だったように思う。
何をいきなり、と思われるかも知れないが、時折、ボクはそう思ってしまう。
生きている事は非常に困難で、生きていれば必ずと言って良い程に失敗と出会う。
生き続ける。となれば尚更、それはとてもとても苦しい事で、辛いことだ。
だからって、死んでいい理由にはならないのだろうけれど。
それでも、ボクは時折思ってしまうのだ。
そう言えば、以前あった。ボクの第二人格の事。
幻聴や幻覚などではない、実際にそうなってしまう、途中で入れ替わるように。目の前の光景が映画のワンシーンにしか見えなくなってしまう現象。
この現象は、ボクにとっては数少ない悩みの一つだ。
悩んではいるけれど、特に実害はないから誰にも相談はしていないのだけれど。
配信の途中で、もしそうなってしまえば大変だから、ボクはボクなりに悩んでいたりもした。
結論から言ってしまえば、悩むだけ無駄だったのだけれども。
配信をする際には、第二人格のボク(一応、そうボクは呼んでいる)は一切顔を出すことは無かった。
酔っぱらってもボクの素が出るだけで、あのボクが出てくる事は無かった。
何が引き金となって、あのボクは呼び出されるのだろう?
その条件を考えても一向に解決しないボクは、諦めてまたボクの人生を生き続ける事になった。
時折、とても辛くなった時。何かを失敗して、誰かの視線が気になってしょうがない時。
ボクは不意に、生きている事を諦めてしまおうか、などと考えてしまうのだけれども。
その際にフラッシュバックするのは、同僚の彼女達の悲しみ、怒る姿で。
それをまた再び見ることは、とても嫌だった。
勘違いして欲しくないのは、また苦しい思いをしたくないから自殺をしたくない、という訳ではないということだ。
苦しい事は、良く分かったから。むしろ今度はもっと上手く出来るという、謎の自信があった。
生きている事の方が、もっと。もっと苦しいのだから。
しかし、それもさることながら。
ボクは、自殺未遂をしたあの時、確かに自分の身体が勝手に動いた事を経験した。
恐らくは、ボクの第二人格のボクが、勝手に手を伸ばして119に連絡したのだろう。
全くもって、ボクはあの時何をしていたのか。理解出来そうにない。
ボクではないボクなのだから、それは当然なのかも知れないけれど。
ともかく、人生を、生きる事を諦める事。つまりは自殺するという事は、今のボクには出来そうにもなかった。
まあ、つまりは。自殺は無駄でしかないのだ。どうしようもないくらいに。
「どうかしました?」
不意に、菫子ちゃんから声を掛けられて。ボクはそっちに顔を向けた。
茶色の肩まで伸びた髪をさらさらと揺らしながら、大きな瞳をこちらに向けて。
彼女は首を傾げて、心配そうにボクを見る。
「いやなに。そう言えば菫子ちゃんとのオフコラボ配信は初めてだったな。って思ってさ。
初めの頃は緊張しっぱなしだったキミが、こうも自然体でいられるのは、成長を感じられて、嬉しく思っているだけだよ」
「……はっ」
「……まさかとは思うけど。今まで気付いてなかったのかい?」
「うぅ……意識すると緊張しちゃいます……!
あ、あの。上手くいかない時はフォローをお願いします……!」
急に様子が怪しくなった彼女を見ながら。
ボクは。さっきまで考えていた事を。
「気が向いたらね」
ごまかした。
C
さて、菫子ちゃんとの初のオフコラボ配信はつつがなく上手くいった。
最初こそ緊張していた彼女だったけれど、持前のアドリブ力で(たまにボクのフォローもあったが)乗り切って見せた。
ひまわりちゃんもそうだったのだけれども、彼女達の自力というか実力には目を見張るものがある。
流石は、ボクとは違ってVtuberを自分から志願しただけのことはある。
彼女達は、ボクとは違って意識が高いと言うのか、プロ意識というものがあった。
ミスした時も、フォローするまでもなく切り返して見せるだけの自力があったし。
リスナーさん達を魅了するだけのカリスマ性も申し分ないだけある。
いずれも、ボクには無いものだ。
羨ましい、という気持ちが無いと言えば嘘になる。
けれど、欠陥品のボクにはそれを持つだけの器という物がなかった。
結局の所、今のボクは一般人の延長線上でしかない。
魅力がない、と言えば。今ボクを応援してくれるリスナーさん達に失礼だから言わないけれど。
それでも、彼女達には遠く及ばないのだろう。所詮ボクは凡人でしかないのだから。
「お疲れ様、菫子ちゃん」
「あ、はい!お疲れ様でした、桔梗さん!」
ボクは、労わるように彼女に声を掛けると、彼女はニコニコとした笑顔でボクを見た。
ああ、眩しいな。今のボクはこんな表情が出来るだろうか。いや、そもそもの話、今ボクはちゃんと笑えているだろうか。
彼女は間違いなく、陽だまりの中にいるべき人間だ。
ボクのように、日陰の中にいるような人間と関わるのが、そもそも奇跡と言っても間違いではないだろう。
「そう言えば、桔梗さん。
今回みたいなオフコラボ配信……またやってもいいでしょうか?」
「ボクは構わないよ。菫子ちゃんさえ良ければだけれども」
「わあ!本当ですか!
嬉しいです!是非またやりましょう!」
それでいて、向上心の塊のような精神を持っているのだから恐れ入る。
ボクには真似出来ないな。敵わないや。
その言葉を飲みこんで、ボクは二回頷いてみせた。
どうでも良い事なのだけれど、ひまわりちゃんの時も思った事なのだが、オフコラボ配信自体の頻度が増えてしまうのは良いのだろうか。
いや、実際彼女達の家にお邪魔させて貰っている身では何も言えないのだけれど。
リスナーさん達の中には、ひまわりちゃんや菫子ちゃんだけの配信が見たい、という人も少なくはないだろう。
異分子であるボクが紛れ込んで嬉しいという人は、きっと少数派であるような気がするが。
まあ、そこはマネージャーさんに注意されたら考えるとしようか。
そこまで考えて、ボクは。菫子ちゃんの顔色が少しだけ曇っている事に気付いた。
「どうしたんだい?」
「……いえ、何も」
「何もない、という事はないだろう。
キミがそんな顔をするって時はいつだって、あまり良くない事を考えている時だ。
何か悩みがあるなら聞くよ」
「……えへへ。桔梗さんには敵いませんね」
ボクの言葉に、彼女は重い口を開いた。
けれども、それはボクにとってはあまり良くない事で。
聞きたくないと思っていた事でもあった。
「桔梗さん、無理、してませんか?」
ドクン、と。ボクの心臓が鳴った。
それを誤魔化すように、ボクはにこやかに笑みを浮かべたつもりだ。
声が震えてしまわないように、言葉を選んだつもりだ。
「……無理なんかしてないさ」
「それなら、良いんです。でも。あの時。
桔梗さんが病院に運ばれた時、私は頭の中が真っ白になりました。
あの、あんな事をしようとしたなんて知った時。私は思わず泣いてしまいました。
そんなに追い詰められていたなんて、気付かなかった私が、悲しくて。やりきれなくて。
……もし、また本当に辛くなったら。
桔梗さん。その、Vtuberを――」
彼女が言っているのは。間違いなく自殺未遂をしたあの日の事を言っているのだろう。
病院に運ばれて、吐いて。暴露したあの日の事を指しているのだろう。
彼女の顔は、歪んでしまっていて。せっかくの可愛い顔がみるみるうちに暗くなってしまっていた。
それから、顔を伏せて、ボクからではその表情を読み取る事は出来なくなった。
ボクは、早鐘を打つ心臓の音を気付かないフリをして、彼女の言葉の続きを待つ。
けれど、一向に。彼女の言葉の続きは訪れない。
見れば、彼女の肩は震えていた。
嗚咽を漏らして――彼女は、泣いてしまっていた。
ぽたぽたと、涙をこぼして。
両手で顔を塞いで、身体全体が震えている。
言葉にならない声が漏れているけれど、ボクには届かない。
……恐らくはだけれども、彼女はきっと「Vtuberを辞めてしまっても良い」と言いたかったんだと思う。
ひまわりちゃんが困難に立ち向かう事をボクに示したのとは別に、彼女は逃げてしまっても良いんだ、とボクに伝えたかったのだと思う。
ボクは彼女じゃないから、正確には分からないのだけれども。
それから、ようやく言葉として聞き取れるものがボクの鼓膜を叩いた。
「だ、駄目、です、ね、え。
わた、しって、いっつも、こう、なんで、す。
たいせ、つな、ひとに。なにも、でき、ない!
出、来ても。その、人を。傷、つけ、ちゃう……!」
嗚咽に紛れてしまっていたけれど。聞き取れたのはこれだけだった。
支離滅裂な言葉だったけれども、それが逆にボクの心に響く。
「……ごめん」
こんな良い子に。ここまでさせるだなんて、ボクはなんて奴なんだろう。
ボクに出来ることは、彼女に謝ることしか出来ない。
「だ、けど……!!
わたし、は。やっぱり……桔、梗さんと。
一緒、に居、たいって、気持ちが、強くて……!!」
そしてまた、彼女は。嗚咽で何も言えなくなる。
ボクはそっと彼女の肩に手を回して。泣いている彼女をそっと抱きしめた。
ボクに出来るのは、きっとそのくらいしかないのだから。
彼女の身体は柔らかく、触ると崩れてしまいそうに儚かった。
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心の中身
A
ボクは困っていた。
とは言え人生の選択肢で迷っているだとか。
人類の行く末を左右する場所で右往左往している。なんて訳じゃない。
まあ、かと言って誰でもよくある事で悩んでいるという訳でもないのだけれど。
「桔梗パイセンを独り占めするだなんてズルいデス!!」
「そうだそうだー!」
「……」
と言うのも、ボク達二期生の間でボクが菫子ちゃんとひまわりちゃんの家を行き来している事が三期生である彼女ら、花蓮ちゃん、エヴァちゃん、エマちゃんにバレてしまったのだ。
いや、別に秘密にしていた訳じゃないから、この表現は正しくないか。
一週間ごとに二期生の彼女達の家を行き来していたのは、この会社ことカンタレラでは周知の事実だったし。事あるごとに三期生の彼女達からも連絡だったり、コラボ配信もしたりもしていた。
だと言うのに、彼女達の堪忍袋の緒が切れたのには、原因がある。
第一の原因として。ボクが何故、彼女達の家を行き来していたのか。それの原因ことボクの自殺未遂が絶対の秘密であったことがある。
企業側も恐らく、一部の人間しかこの秘密は知らないはずだ。
これは当然のことだと思うし、むしろ良くしてくれていると思ってさえいる。
自殺未遂なんてマイナスのイメージが付くなんて事は、きっと誰にとっても利益にはならない。
第二の原因として。
三期生の間では、ひまわりちゃんと菫子ちゃんがボクを独占して、キキョニウムを独占かつ支配しているという噂が流れたということ。
毎日のように配信されるボクとのオフコラボ配信。何気ない日常の中にボクが居るだけのオフ配信。料理をパクパク食べるだけの配信。
いや、特に羨ましい事は無いとは思うのだけれども。
つまるところ、三期生は我慢の限界だったのだ。あとキキョニウムってなにさ。
「キキョニウムは麻薬デス……定期的に摂取しないト、禁断症状ガガガ!」
「桔梗先輩に会えないだけで、もうどうしようもないくらいに我慢が出来ません!」
「……」
麻薬なのか。危ないな。
とりあえず騒いでいる二人には軽いハグをしてあげると、幾分かマシにはなった。
残ったエマちゃんからも圧を感じたので軽く髪を撫でてあげたら、雰囲気がなんかポワポワしてた。と思いきやまたも二人から圧が飛んできたので。いやはやどうしたものかと。ボクは困ってしまっていた。
「うん、とりあえず落ち着こうか」
――さて、今更ながらもボク達は街中の喫茶店のテーブルを囲んでいる。
三期生を代表して、花蓮ちゃんから「大事な話があります。来てください(要約)」と連絡があった時は、ついに秘密がバレたかと肝を冷やしたものだが。
結果は当たらずとも遠からずと言った所だろうか。
季節は夏ももうすぐ終わる頃で、そろそろ秋の足音が聞こえてくる頃。
冷たい飲み物ではやや身体が冷えてしまい。かと言え温かい飲み物では汗を流してしまいそうな微妙な季節。
田舎の山々はもうすぐ赤く化粧をし始める頃だろうか。などと行ったこともない山の景色に思いを馳せていた。
もうすぐ芋が美味しい時期がやって来る。
唐突だけど、芋は好きかな?ああ、ボクが言う芋というのは、いわゆるさつま芋の事で、それを蒸したり焼いたりしたお芋の事だ。
ボクはね、お芋が好きだ。
そのまま蒸したり焼いたりしてもいいけれど。オススメはさつま芋と鶏肉のクリームグラタンだ。
鶏肉の腿肉を一口大サイズに切り落として、さつま芋は皮を残していちょう切りにする。
フライパンに油をしいて。具材を入れる。ああ、きのこを入れても美味しいかも知れないね。更にホワイトソースを作って。混ぜ合わせ、バターとチーズを散らして。オーブンに入れる。
今はまだ早いけれど。もうすぐ寒くなって来たらもっと美味しく食べられるだろう。
外はパリパリに出来上がり、中はフワフワ甘い具材が迎え入れてくれる。
主食は丸いパンにしよう。作りたての、フワッフワのやつ。それをグラタンに付けながら食べるのだ。これはもう幸せと言う他ないね。
勿論、甘いさつま芋を焼いたものも好きだ。
皮を剝いて食べるのもいいし、そのまま頬張ってもたまらない。
カリカリになった皮の食感が良いのだ。ただ甘いだけじゃなくて。皮特有のあの味が時折顔を出すのもいい。
そして、さつま芋と言えばこれを抜いて語れないのが。そう、大学芋である。
ボクはね、主に食べる人だからかく言うつもりはないけれども、焦がすのだけは駄目だ。あの黄金色を損なってしまうのは憚られる。
ある程度揚げたら、あのソースを作るんだ。あのソースを発明した人は天才だと思う。本当に。
口の中で、甘いさつま芋がほろほろと崩れ落ちて、もっと甘いソースがそこを包み込む。
これはもう、発明だ。考え付いた人は神と言ってもいいだろう。
――さて、そろそろいい加減現実逃避は止めるとしよう。
ボクは、注文した温かいコーヒーを手の中に包み込みながら。思案する。
どうしたら、三期生の彼女達を説得することが出来るのだろうか。
秘密を暴露するのは、駄目だ。本当にどうしようもない最終手段だ。
これを暴露する時はすなわち、彼女達との間に溝を作る事に他ならず、それはとても致命的なように思える。
例えば君に、親密な友人が居たとしよう。その人は病弱ながらも同じ仕事に就いていて。ある程度頑張っているように見えたとする。
そんな彼か彼女が、唐突に「この前死のうと思って自殺未遂をしました」なんて言った日には、ボクはこれからどう接して良いものか。とても困惑してしまう事だろう。
うん。ごめん、嘘だ。"ひねくれもの"のボクは、きっとその親密な友人を羨ましいと思ってしまう。
今のボクには、そんな事は出来ない。いいや、出来るのだけれども。あの苦しみの中でもそれを言い出すことが出来るその勇気が、とても眩しく見えてしまうことだろう。
ボクが自殺未遂をしたという事を言い出すには、相当な勇気が必要だった。
ひまわりちゃんと菫子ちゃんに言ったのは、そもそももうバレているのだろうと思ったからであり、会社側、すなわちカンタレラにそれを言い出す時には、とてもとても冷や汗をかいたものである。
なにせ、そこで自分の仕事が無くなってしまうのかも知れないのである。
それはとてもとても辛い事で、今から思い出す記憶もまた、苦いものである。
B
今からそう遠くない昔の事だ。
具体的に言えば、自殺未遂を犯したその数日後のことだ。
ボクは、自らカンタレラに出社して。ボクのマネージャーの上の人。と言ってもその上の上の人かも知れない人に自殺未遂を犯したその日の一部始終を話す事にした。
話す事にした、と言っても。ひまわりちゃんと菫子ちゃんが提案してくれた事だから。これは自分の意思ではないのだけれども。それでも、ボクはその一歩を踏み出した。
勿論、葛藤はあった。前述の通り、それで自分の首を絞めてしまう事になってしまうのかも知れないのだから。やっと見つけた仕事を、辞めなければいけない事になってしまうのかも知れないのだから。
前日、前々日は寝れない日が続いた。目を閉じるといつだったかボクをクビにした上司の顔がちらつくのがとてもとても不快だった。
「そんな状態の奴を置いておける程、ウチに余裕なんか無いんだよ」
その一言を言われる事が、何よりの恐怖だった。
枕に顔を埋めて、何度も何度も浅い眠りに就いては起きて、を繰り返す。
そんな状態だったから、ボクはきっと酷い顔をしていた事だろう。
今思えば、ボクのマネージャーさんも、ただ事ではないといった顔をしていた気がする。
ふらつくボクは、仕事場の椅子に座り込み。ただただその時を待つ。
そうして、呼び出されたのは、社長室。だったように思う。
思う、というのは、ボクもその当時はあまりハッキリと思い出せない。いや、思い出したくないからだ。
顔もぼんやりとした、少なくともボクなんかより偉い人は。先ずはボクを椅子(豪華な、というよりも高そうで機能的な椅子)に座らせた。
ボクは、話し出すのに数分の時間を要したように思う。
いや、もしかしたらもっと時間が経っていたのかも知れない。
ボクが黙っている間、その人は何も話してこなかった。ただ、大きな窓の外を眺めていた。
「ボクは、クビになるんでしょうか?」
その最初に出た言葉に、ボクは自分の言葉を引っ込めようとしたが。間に合わなかった。
なにも結論から急ぐ必要はなかったはずだった。適当な挨拶からでも始めればまだ良かったはずだった。
心臓が、跳ねるように鼓動を早めて、苦しさに胸を手で押さえて。
息が出来なくなりそうになった。
ああ。また失敗した。失敗した。どうしてボクはいつもこうなのだろう。
頭の中が真っ白になり、ネガティブな、そんな思考がぐるぐると回る。
何故、ボクだけがこんなにも苦しまなければならないのだろう。
いつもそうだ。ボクはそもそも、生きていることが間違っているんだ。
「それはない」
帰って来た言葉に。反応出来なかった。頭は上手く動かなかった。
「それはない」
今度は、先程よりも強い言葉だった。断言した。と言っても良いくらいには。
「君がこの企業に来てくれて。本当に感謝している。
いくつもの笑顔を、希望を、君はこの企業に貢献してくれた。
そんな君を、何故捨てるんだ?」
そこから先は、その人はまた黙り込んだ。
まるで、ボクの言葉を待ってくれているようで。ボクは、ポツリ、ポツリと自殺未遂をした一部始終を全て吐き出した。
とは言え、ボクはその記憶があまりある訳ではない。
期待してくれている所申し訳ないけれど。その頃の自分は不運で言う所の最高潮だったから。あまり、思い出せないんだ。ごめんね。
ただ、一言。顔を初めて正面から見せたその人の一言だけはハッキリと覚えている。
「君をクビには絶対にしないよ」
どういった会話の前後だったのか。
どういう雰囲気だったのか。思い出せないけれども。
それだけは、覚えている。
C
思考が脱線してしまった。
ボクの悪い癖だ。ふるふると頭を振れば。三期生の彼女達は、不思議そうな顔をしてボクの顔を覗き込んでいる。
手の中に包み込んでいた温かいコーヒーは、少しだけぬるくなってしまっていた。
それを口の中に流し込んで、温かい苦みを堪能する。
さて、どうしたものだろうか。
三期生の彼女達(どうやら代表者は花蓮ちゃんらしい)を納得させるだけの理由が全く思いつかない。
彼女達から見れば、物憂げな表情をしているのだろうが、その実白旗を上げたいというのが内心である。
原因は思いつくが言えないし。他の理由(こと言い訳)は全く思いつかないのだ。
こうなると、もうどうしようもないな。
苦笑してしまいそうになる口を抑え込んでいた。
「……桔梗せんぱい」
ふと、口を挟んだのはエマちゃんだった。
これまで沈黙を続けていた彼女は、ここに来て初めて口を開いた。
それは他の彼女達も想定外だったようで、固唾を飲んでその先を見守っている。
「――さつま芋って美味しいですよね?」
思わぬ言葉に、他の彼女達はずっこけて。エマちゃんの言葉を流していたが。
中々。どうして、彼女の言葉はボクにとって聞き逃せない一言だった。
……へえ。
「例えば?」
「鶏肉とのグラタン、焼き芋、大学芋」
つらつらと並べていくエマちゃんの言葉。
彼女の同期である他の彼女達にとっては、どうでも良い話。
だけど、ボクにとっては重要な言葉たち。
面白い子だね。読唇術ならぬ読心術でも持っているのだろうか。
そう言えば、エマちゃんのキャラ設定は神様かなんかだっただろうか。
ならば、これはどうだろうか。
「偉い人」
「……わからない?」
これが分かってしまえば、もうボクの心の中は見抜かれているも同然だったけれど。どうやらそれはないらしい。
だけれども、なるほど。仮定として、エマちゃんは読心術とやらを使えるとしても。
ぼんやりとした記憶は読み取れないようだ。
何の話かサッパリ理解出来ない他の彼女達をさておいて。
ボクはエマちゃんに言葉を投げかけて髪を撫でた。
「凄いね、エマちゃん」
「……桔梗せんぱい、程じゃない」
「あー!エマー!!ズルいですヨ!!桔梗パイセンに褒められるなんテ!
独占禁止!禁止デスヨ!!」
どうやら勝手に褒めるのは禁止らしいのでエマちゃんの髪から手を放す。
するとなんだかしょんぼりとした雰囲気が伝わってくるので、なんだか申し訳ないなぁ。だなんて思ったりもした。
手の中にあったコーヒーは既に冷え切ってしまっていた。
秋もそろそろの頃の事である。
それで、どうなったかと言えば。なに、簡単な事だった。
ひまわりちゃんと菫子ちゃんとの同居は良いにしても、一週間はいくら何でも長過ぎると言うエヴァちゃんと花蓮ちゃんの独特な理屈で、それぞれ3日ずつ。空いた1日は後輩である三期生の彼女達にも構ってあげる事。という事で丸く収まったようだった。
ところで、3日、3日、1日ってなるとボクは相当忙しい事になるな。
これはひまわりちゃんと菫子ちゃんにも相談しないといけないと言う事で、その場はお開きになった。
いやはや、ノープランだったボクからしてみたら、これは上々の結果と言っても良いのではないだろうか。
そう思った、帰り際。不意にエマちゃんが袖をくいっと引っ張って来た。
なんだろうか、と思って彼女の口に耳を傾ければ。
「……秘密は、秘密のまま?」
彼女の言葉に、ボクの心は思わずお手上げになってしまった。
なるほど。そこはもうバレていたってことか。
それでも敢えて秘密のままにしてくれたエマちゃんには、感謝の他ない。
「そうだね。秘密のままが良いな」
ボクはそう流して。エマちゃんも頷いて。その場で解散となった。
D
今週はひまわりちゃんと菫子ちゃんのローテーションの内、ひまわりちゃんのマンションにお世話になっている。
そこで、今日あった出来事を話す(エマちゃんとの不可思議な現象は除く)と、ひまわりちゃんの様子が、あわあわと焦った様な調子になった。
なんだろうか、と目を向ければ。頭を抱えて。
「そ、そんなー、貴重なキキョニウムがー!」
などと冗談じみたノリでボクに抱き着いて来た。
いや、別に良いんだけどね。なんだろうキキョニウムって。
麻薬らしいから気を付けた方が良いなんて冗談で返すべきだろうか?
などと考えている間にボクの平凡な胸元に顔を埋めて来たので平手でぺいっとひまわりちゃんの顔を離した。
「うわーん!梅雨ちゃんが冷たいよー!」
「女性間でもそれ以上はセクハラだからね?」
泣き真似をする彼女の胸元を見れば、とてもとても、立派であった。
それがどうしたって事はないのだけれども、なんだか癪に障ったのである。
うん、なんとなく癪に障ったのだから仕方がない。良いね?
そうして夜ご飯も食べ終わって、ひまわりちゃんがベッドに座り込んだ時の事である。
「それで」
「うん?」
「三期生の皆は元気そうだった?」
ひまわりちゃんは、お気に入りのクマのぬいぐるみを抱きしめながら。そう言った。
ボクはと言えば、布団を敷いてそのまま寝る直前だったからタイミングで言えば良いのか悪いのか。
ガールズトークとか言うものらしいが、ボクには縁遠かった為、必要性が良く分からない。
「うん。エヴァちゃんは変わらず元気そうだったし。花蓮ちゃんも元気一杯だったよ。エマちゃんもそうだね。ご機嫌だったんじゃないかな?」
「そっかそっか。梅雨ちゃんが言うなら問題は無いね」
「どういう事だい?」
「だって梅雨ちゃん。周りの人の事良く見てるもん。
私も元気がない時はいっつも声掛けて貰ってるし」
さり気ない一言に、ボクはそうなのか。と流した。
周りの人を見ているのは、ただ単に他の人が自分を害さないか、の人間観察をしていた結果の副産物だし。ボクはいつだって他人の事ばかりを考えている。
まあ、とは言えあまり役に立った事はないのだけれども。
「梅雨ちゃん」
「なんだい?」
「これからもよろしくね」
クマのぬいぐるみを抱きしめて。ひまわりちゃんは誰もを幸せにするであろう笑顔をボクに向ける。
きっと、彼女達は大きく、そして希望を与える存在になるだろう。
あの偉い人が言う様な、笑顔を、そして希望を与えるような存在に。
ボクもそれに含まれていた様だけれども。それに応える事が出来るだろうか。
なんてことを考えて。ボクは部屋の窓から見える月を見上げた。
月は綺麗な半月で。ボクは笑みを浮かべながら彼女に応えた。
「うん。よろしくね」
半分だけ欠けた月は、まるで今のボクを映し出しているようで、実に愉快だった。
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