【pkmn】灰銀の少年【旧作】 (夜鷹ケイ)
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第序章 旅の準備
彼らの学び舎


 カントー地方は、道路のほとんどが平坦で、他地方と比べると天候の変化も一切ない。

 その一方、洞窟や岩山などの大自然がありのままで幾つも存在しており、自然の中で削られたり埋もれたりしたおかげか内部構造はかなり複雑なものとなっている。その複雑さと言えば、守り人や住民でなければ遭難してしまうことだってあり得るほど、だ。

 大自然がありのままということは、人工物の通りにくいところがある。

 細道だったり、裏道だったり、崖っぷちだったり、水辺だったり、それは様々だ。オーキド博士も大きな荷物を運ぶためにトラックや遠方の街までの出張をするための小さな車を有するが、基本的に自転車や歩行、ポケモンに乗って移動する人の方が多い。

 

 西側にあるジョウト地方へは陸続きで接続しており、国境線を超えることに関しては『ポケモン図鑑を持ったポケモントレーナー』であれば黙認されるシステムなのだとオーキド博士は言った。

 理由としては―――ポケモン図鑑に埋め込まれたチップが位置情報を教えてくれるので、誰がどの国に滞在中であるかを確認出来るからであるだとかなんとか。

 

 

「へえ、じゃあジムバッジ集めきったら別んとこ行こーっつって地方に行けるんっすか?」

「それが『どこへでも』というわけに行かんでな。カントー地方からジョウト地方へ行くのは構わんのじゃが、飛行機や船などを使って移動する場合は手続きが必要なのだよ。無論、『ポケモン飛行術士検定一級』でなければ他国へ空を飛んでいくことも許されんから気を付けるのじゃぞ。」

「……わかった!」

 

 

 ぐっ、と真剣に頷く少年はきらきらとポケモントレーナーの憧れを目に浮かべながらノートを取った。

 学校で子どもたちが勉学を学び、友と心を通わせる時間に、少年はオーキド博士の研究所で勉強をしている。どうして学校におらず、オーキド博士の研究所で勉強をしているのかと言えば、少年の家庭環境に問題があった。

 

 少年の両親は生きているものの、少年の記憶にある限りでは名前も教えられたこともないし、顔を見たこともない。オーキド博士がよく面倒を見てくれるが、基本的に少年を育ててくれているのはエルレイドとサーナイトだ。子どもの口からそれを聞かされた教師は卒倒したし、何ならご両親に連絡した。音信不通で何の訴えかけも出来なかったが。

 よくよく見てみれば法的な手続きはしてくれてはいるし、銀行に生活費は自動的に振り込まれる仕組みにはなっているものの、また10つにもならぬ子どもがポケモンと一緒に暮らしていることになる。大人がおらず、ひとりぼっちで。

 家に居てもすることがないから勉強してる。ポケモン学校の勉強は面白い。

 そう言ってノートを広げてくれる子どもの笑顔は無邪気で、前半の言葉さえなければ模範生として認識できる。家に帰って勉強ばかりしている甲斐もあり、少年はすぐさま学校で一番の成績者となった。しかし、良いことばかりではない。プリスクール(小学校)で学ぶことをすべて詳細まで勉強した少年にとって、学校がつまらないものとなってしまったのだ。

 

 これには教師は戦慄いた。

 小学校に通っていても、そのずば抜けて優秀な頭脳を持つ少年にとっては詰まらない勉強ばかり。満点を連続で叩きだしてはつまらなさそうに窓の外で少年を見つめるポケモンたちに気づき、教師は思った。

 

 

 “もう少し専門的な勉強をさせてあげられたら、喜んでくれるのではないだろうか?”と。

 

 

 教師は憧れの『教師』となるべく、研修も兼ねての半年限りの初担任だった。

 その担当する教室での目標は、『楽しく学ぶ!』。みんな一緒でなくたって構わない。『人には、人のペースがあるのだから。』一時グレた教師のことを根気強く面倒見てくれたお爺ちゃん先生のようになりたいという憧れの目標である。目標を達成することも目的だったが、教師にとって『大事な生徒』を捨て置くことはしたくないことだった。

 

 教師は話し合った。

 

 職員会議にしゃしゃり出ることも躊躇わなかった。研修が終わったら卒業でしょう? と冷ややかな眼差しで見られることを覚悟の上で、教師は『才能ある子どもたちへの勉強環境について』と議題を切り出したのである。

 校長は大いに喜んでくれたし、他の教師たちも長年頭を悩ませてきた問題のようだった。特に今年は『天才』と呼べる児童が数人おり、その子どもたちの教育を如何にすべきかと悩んでいるところでもあったのだ。

 

 

 他の子どもたちと合わせるのではなく、もっと専門的なことを教えて才能を伸ばしてあげるべきではないか。

 孤立する子どもを見守る大人の存在も大事なはず。

 子どもたちにとっても有意義で、楽しい時間にすべきだ、と。

 

 

 教師の訴えかけに、マサラタウンのはずれにある学校の教師たちは総動員して解決策を考えた。専門的なこと、と言っても小学校はそもそも『ポケモントレーナーになるための常識や一般的な知識を教える場所』だ。充分に専門的だろう。

 最初はみな例外なくポケモントレーナーから始まが、そこから更に専門的と言えば、ブリーダー、レンジャー、博士、研究者。多岐に渡る職業がある。

 

 

 子どもたちの意見も取り入れましょう。

 

 

 校長の言葉に従って、教師は『天才』と称された少年たちに声をかけた。『ポケモントレーナー』になるべくして入学した学校で問われた声にきょとんとした少年は、ポケモンのこともっと詳しくなりたい、と純粋な声を返す。その隣で読書に夢中だった少年も、キャタピーと戯れる寡黙な少年も、同意見のようだった。

 

 

『じゃあ、先生がオーキド博士にお願いしてみるね。』

 

 

 精神的にはもう立派に成熟しているように見えた少年たちも、ポケモンと触れ合いながら専門的なことを学んでいくスタイルには心がくすぐられたのだろう。目をきらきらと輝かせ、教師にお礼を言った。

 

 そうして出来上がったのが、オーキド博士の研究所で勉強をするスタイルである。校内でのテストを連続で満点を取り尽くした生徒が任意で受けることの出来るスタイルを認定させたのだ。その結果が、実技以外の時間をポケモン研究所で勉強する子どもたちの姿が見られるようになったのである。

 決して、サボっているわけではない。

 特別講師として雇われたオーキド博士の研究所で勉強するのが、今の少年たちにとっての授業なのだ。現在、少年たちは『別地方への移動方法』について教わっていた。

 

 

「パスポートってやつが必要なんだろ? 爺さんの出張について行ったときに教わったぞ。」

「………。」

「え? 別地方のポケモンはどんなだったかって写真見せただろ………。あの後、耐え切れなくなってやっぱり直接会いに行くって言って止まらなかったお前を止めるの大変だったんだからな!?」

 

 

 ふいっ、と顔を背けた寡黙な少年の行動に褐色肌の少年は楽しそうに笑った。あの時なー、とけらけら笑って、お楽しみにするって言ってなかった?とフォローを入れる。それもそうだと頷く少年に肩を落としたのは、先ほど声を荒げた少年だ。明るい茶髪をツンツン尖らせた翡翠の瞳を持つ少年は、オーキド・グリーン。オーキド博士の実の孫である。

 

 パスポートって何?

 興味津々に身を乗り出した褐色肌の少年は、グライス・エトワール。カロス地方出身の母親とホウエン地方出身の父親を持つハーフである。褐色の肌は父親譲りらしく、灰銀の髪と雪のように美しい白銀の瞳は母方の先祖返りなのだとか。オーキド博士から聞かされたことではあるが、両親と似通ったところのある色合いをしているらしい、異国の雰囲気を漂わせる少年である。

 そして最後に、寡黙でありながら紅い目が雄弁に語る少年はレッド・マサラ。町と同じ姓を持つ少年だ。計3名は、学校に優秀と認められて特別授業の対象となった生徒である。『毛色の異なる美少年が揃った』とは、学年主任の女性教師の言葉だった。

 

 普段は兄貴肌だが、興味が湧くと無邪気な子どものような眼差しを向けてくるグライスのことがグリーンは好きで堪らなかった。また、他の子どもと違って、グリーンの知らないことをたくさん知っていて教えてくれる時の彼は、本当の兄のようで好ましい。

 恥ずかしくて口に出せやしないし、同い年相手にそんなことを思うなんて癪だから口にしはしないが。兄に質問されて喜ぶ弟のように、パスポートを取り出してグリーンは語った。

 

 

 スムーズに進む授業と、子どもたち同士で教え合う環境を見守る大人たちの視線は温かい。それは人口の少ない田舎町特有のコミュニティのおかげか、それとものどかな環境がなせる業なのかは分からなかったが、子どもたちがすくすくと健康的に育つには持って来いの環境だったと言えるだろう。

 

 7歳の彼らがこれからどのような大人になって行くのか楽しみじゃわい。

 お茶をすすりながらオーキド博士は、目の前で移動手段について語り合う少年たちの姿を見守った。



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第一章 初めてだらけの心沸き立つ冒険へ、さあ行こう!
―――【人物紹介】―――


【グライス・エトワール】

 性別  :男

 年齢  :10歳(春生まれ)

 イメージ:見た目はポチエナ(※性格→爽やかワンコ系男子)

 家族構成:父、母、グライス→シグマを弟のように可愛がっており、両親に対しては冷めてる。

 体質  :ポケモンたちにとって群れのボスのような安心感を与える存在。ポケモンにかなり好かれる。

 見た目 :褐色肌(父親譲り)で灰銀の髪に白銀の瞳(母方の先祖返り)を持つ異国風(エキゾチック)美少年。

 性格  :爽やかワンコ系。カロス(※フランス)の血が混ざっているおかげか、それとも前世の記憶のおかげか、老若男女問わずかなりのフェミニスト(紳士的)。圧倒的天然タラシ属性。

 

【マサラ・レッド】※苗字捏造

 性別  :男

 年齢  :10歳(8月8日生まれ)

 イメージ:pixivレッド様。バトルジャンキー。

 家族構成:母、レッド→気分的にグライスを兄のように慕ってる。

 体質  :ポケモンもビックリな強靭な肉体の持ち主。左利き。人間の悪意ある攻撃は利くが、それ以外ではわりと無傷。スーパーマサラ人。(※グライスにのちに、レッドパワーと命名された。)

 見た目 :色白な肌。黒髪に、紅い瞳を持つ。ぱっと見儚げだが、見た目に反してかなりパワータイプ。

 性格  :寡黙だが、かなり情熱的でバトルジャンキー。仲間想い。ポケモンバトルが大好きなので、何がなくてもポケモンバトルがしたい。グライスのおかげで、マサラ紳士となった。

 

【オーキド・グリーン】

 性別  :男

 年齢  :10歳(11月22日生まれ)

 イメージ:クール系のポケスペグリーン様属性+pixiv苦労リーン。

 家族構成:父、母、姉、祖父、グリーン。

 体質  :苦労人。ポケモン育成にたけている。

 見た目 :精神がやや成熟しているおかげか、都会に憧れるお洒落な衣服を纏う。髪形は御存じの通り。元祖マサラ紳士。

 性格  :ツッコミ気質の苦労人。前戦に立つよりも後方で指示だしする方が性に合う軍師タイプ。ポケモントレーナーとしてポケモンを育成するに辺り、かなり相性の良い性格をしている。努力することは、目標に追いつくことと考えるストイックな面もある。

 

【ハナノ・ブルー】※苗字捏造

 性別  :女

 年齢  :10歳(6月1日生まれ)

 イメージ:pixivブルーのようなお姉様タイプになるのは後。それまでは内気なほわほわメッソン。

 家族構成:父、母、ブルー。

 体質  :言葉で訴えかけると相手の気持ちを揺さぶれる。→歌が得意ということになった。

 見た目 :大人のお洒落も好きだけど圧倒的清楚系美少女。ゆるふわイーブイちゃん。アホ毛がある。

 性格  :かなり臆病で内気。あることが原因で自己主張が苦手。控えめすぎるメッソン女子。でも、守られっぱなしは嫌だから何かお手伝いすると言って頑張ろうとする努力の君。

 

【オーキド・ユキナリ】

 性別  :男

 年齢  :60代

 イメージ:アニメバージョンのオーキド博士

 家族構成:息子夫婦、孫(※グライスのことも実はこっそり孫だと思っているが、法的には違うのでしょんぼり。)

 体質  :元祖スーパーマサラ人。ゴローニャの突進を素手で受け止める猛者。破壊光線? こうじゃ。片手で跳ね返すとは何事か。

 見た目 :白髪で紫色のシャツに白衣を着た初老の博士。

 性格  :新人トレーナーに対しても気さくに声をかけ、助言を与えるなど基本的に親しみやすい性格。子どもやポケモンを宝だと思っており、雑な扱いを受けている彼らを見ると怒りが大爆発(バクフーン化)する。

 

【研修教師】

 解 説 :中学生時代にグレてた時期があり、その時に面倒を見てくれたお爺ちゃん先生の優しさにコロッと懐くオーダイル系の男性教師。モットーは「楽しく勉強」。生徒たちが楽しめるような勉強方法を編み出す天才。遊びながら勉強しようね、と素で行く教師。ホウエン出身だけど、就職先はのどかなマサラタウン付近の学校を強く望んだ。

 

 

【グライスのポケモン】

 -【全国図鑑No.263 ジグザグマ】

 レベル :1

 個別名 :シグマ

 意 味 :Σ(繰り返し足し算する)→愛情を繰り返し足し算するべき存在()

 性 格 :マッスグマの男の子。倒れられると滅茶苦茶心配する。わりと真面目。兄弟同然で育った相棒が怪我ばっかするから心配。面倒見の良い弟的な感じ。しかし、弟属性な上にグライスがたっぷり愛情を注ぐから甘えん坊でもある。

 

 分 類 :まめだぬきポケモン

 タイプ1:ノーマル(※ホウエンの姿)

 タイプ2:なし

 身 長 :30.0cm(基本0.4m)

 体 重 :14.1kg(基本17.5kg)

 特 性 :もの拾い



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001:旅立ちの朝は元気いっぱい!

―――灰銀の星は未知なる冒険に期待する。


 ポケモンとは。

 

 簡単に言ってしまえば、ポケットモンスターの略称である。

 たくさんの謎を秘めた不思議な生き物で、人間と仲良く暮らしているものも居れば、草むらや洞窟、海などの大自然に生息する野生のポケモンも居る。その数は千匹以上ともされており、また、新たなるポケモンが次々と見つかっているため、その総数は計り知れない。

 ポケモンの生態についてはまだ不明瞭な点が多い。かつては「動物」なんて存在が居たらしいけれど、絶滅した動物と似て非なる存在だとかなんとか語る研究者の論文を読み、少年はぼんやりと白み始めた空を見上げて「動物かぁ」と見知らぬ存在に思いをはせる。

 一体どんな姿をしていて、どんな鳴き声で、どんな生き方をしていたのだろうか。自分の知る姿と違った動物は居たのだろうか。なんだかとっても気になるけれど、確かめようもない。きっとおそらくあの大きな事故であちらの自分は―――そうして此の世界に「転生」したのだろう。流行りの小説にもあったが、いや、奇妙なことも起きるものだ。転生したことに対してさして思い入れはない。あまり前のことは覚えてなんかいやしないのだけど、本当の意味で後悔なき人生だったのだと思う。

 

 ので。

 

 それはさておき、自分の知る世界と同じように絶滅危惧種として保護されたこともあったようだけれど、環境の変化によって多くの「動物」たちが姿を消していったと書かれてあった。世界が一度滅び、新たに新生された時には、きっとかつての面影はなかったのだろう。

 少年の両親が引っ越すついでに建設した新たなる田舎の観光地。マサラタウンを一望できる展望台に設置されたベンチに腰かける少年は、パタンと古びた本を閉じた。

 

 

「オーキド研究所で見るものと書き方とか違って面白いんっすよねぇ」

 

 

 先ほど読んでいた書籍は、ガラル地方のどこぞの研究者が執筆した本だ。

 その研究者もオーキド・ユキナリの論文を参考に組み立てたものらしく、ほとんどの内容が何番煎じ。書き方が違うだけとメディアに叩かれることもあったようだけれど、オーキド博士とは違って、彼女は外来のエネルギーを用いたポケモンの進化をテーマにしているから、すぐさま批判の声は取り下げられた。

 キョダイなんとか、ってなんだろう。興味が今以上にそそられるようであれば、きっと幼馴染たちの制止を押し切ってでも冒険に出るだろうが今はまだ気にはなるけれど、ガラル地方に出向くつもりはない。

 

 テーマはとても興味深かったが、やはりポケモンのことに関する記述の好みで言えば、オーキド博士の論文の方がポケモンへの愛情がたっぷりぎゅっと詰まっており、好きだった。

 幼馴染が聞けば天狗の鼻になって、ふふんそうだろ?なんて嬉しそうに言いそうなことを心の中で思い、少年は学者の論文をポーチにしまう。この本を購入した際、幼馴染のひとりから悲痛の表情を受けたのだ。きっと祖父のことをどうだとか気になってしまったのだろうけれども、少年に深い意図はなかった。強いて言うなれば読書愛好家としては、如何なる文章であれ、読みたくなるものなのだ。

 とは言え、ずっと家に置いておくのも気が引ける。なにせ、幼馴染のおかげでオーキド研究所に入り浸れるし、何ならあの研究所で働く博士たちの厚意から発表済みの論文だって読ませてくれるのだ。

 俺のじいさん嫌いになったのか!?

 なァーんて騒ぎ立てる幼馴染も居たことだし。ただ本が読みたかっただけだと落ち着かせるのに数日かかったのは笑ったのだけれども。浮気現場を目撃してしまった妻のような発言をした幼馴染は、他の幼馴染から激しくドン引きされたことで重傷を負ったのは言うまでもない。あまり要らぬ心配を掛けさせるのもな、と思い少年はポーチに視線を落としてから当時のことを思い返して笑った。

 

 

「読み終えたら古本屋にでもおろそうか、あいぼ」

「ぐぁう!」

「ん-、元気!」

 

 

 足元でちょろりと動くタンポポの綿毛のような体毛をしたポケモンは、少年の相棒である。

 カントー地方と呼ばれる此処には生息していないはずの相棒の種族名は、ジグザグマ。とにかく走るのが大好きな個体であり、少年の生まれと一緒に誕生した弟のような存在。両親が多忙を極めており、あまり家に帰って来ることがなかったからジグザグマのことをより強く弟のように想うようになり、少年はキョウダイのことを想像しながら弟のように接し、名前をつけてあらゆることを教えた。

 甘やかな愛情をたっぷり注がれた育ったジグザグマは、甘えん坊に育った。俺が育てましたと自信満々な少年の姿に、研究所の博士たちもふたりの姿を見るとまるで兄弟のようでとても和むのだと高評価を受けて、なお鼻が高い。

 

 そりゃそうさ、だって俺たちキョウダイだもんな。

 

 両親の偉業を褒め称えられるより、何よりも嬉しかった言葉だ。

 なまじ放っておかれるばかりの家族より、身近な家族ほど愛おしいものはない。少年にとって両親とは、自らを世に産んだだけの存在だった。薄暗い部屋の中、ジグザグマをのぞけばひとりで過ごした記憶の方が強く残る身なのだ。無理もない。

 

 きっと都会だったならば、憂鬱にでもなったのだろう。

 

 だが、此処は カントー地方・南西部の半島だ。

 その南端に位置する小さな町―――名を、マサラタウンと言う。町のシンボルカラーは白で、名前の由来は『何色にも染まっていない汚れなき色』。始まりの町を意味するのだと大人たちは語り継ぐ。

 田畑が多く、階段のように段差になったそれらを一望できる展望台も小さいけれど、そよぐ風はとても澄んでいて美しい。大きな湖、季節の異なる山々、深い森林、熱気を感じる洞窟。様々な自然が折り重なって、更なる大自然が力強く生命を息吹かせる場所だ。

 マサラタウンには、のびやかに過ごすポケモンたちの日常で溢れている。ポケモンたちは思い思いの生活を送っており、その表情や在り方を見る限り、平穏そのものを表しているようで心穏やかだった。

 

 環境が良かったおかげか、ご近所さんと仲良くなれたおかげか、少年はグレずにすくすく健康的に育った。相も変わらず、放ったらかしにされるので、実の両親が相手ではあるのだが流石に見切りをつけた。

 10歳を迎えたばかりの此の秋に公式な手続きをもってして、ジグザグマのポケモントレーナーが正式に少年へ移すための手続きを博士たちが行ってくれている。両手を上げてようやくか、と大喜びされた記憶は真新しく、そんなにも心配をさせてたのだと思うと家族間の冷え切った仲を目の当たりにさせてしまって、ほんの少し申し訳なかった。

 

 しかし、その申し訳なさや両親への義務感も今日でおさらばだ。

 お前のポケモントレーナーを上書きする、と言ってもきっとジグザグマは分からないだろう。モンスターボールの登録が親の名前と言うだけで、実際にずっと一緒だったのは少年なのだ。一度も会ったことのないヒトを己の主とは思うまい、とオーキド博士も言っていた。

 それを聞くと、あの人たちは世の中の人のためになるものを発明するのは好きだけれど、生身の息子たちには興味がなかったのだろうと実感すら湧く。丈夫に作り込まれた手摺から身を乗り出して、朝いちばんの風を一身に受けると自然と笑みが零れてきた。

 

 

「はぁー、きもちー……。今日からしばらくお別れだな、この景色とも。」

「ぐぁう!」

「おう、頑張ろうな。」

 

 

 田舎ならではの大自然を感じられる景色から少し離れたところに、ぽつぽつ、と屋根が見える。遠方からでもよく見えるカーテンがちらほらと開けられ始めたから、きっと大人たちが起き始めたのだろう。

 マサラタウンには、都会のようなマンションやアパートはなく、一軒一軒別の家だ。好きな色で染め上げられた屋根瓦は、見回りをしてくれるドードリオたちのおかげで常に綺麗な状態で保たれている。ボロ屋も好きだけど、危険性がないのが一番だ。

 

 

「ポケモントレーナー……うん、今から凄くわくわくするなぁ」

「ぐう!」

「ふふ、お前も? うんうん、だよなぁ」

 

 

 両手を広げればすかさずジグザグマは少年の胸にゆっくりと飛び込み、ふわふわの体を寄せた。くすぐったい、と笑いながら少年は相棒と戯れ、ポケモントレーナーへの期待を膨らませる。

 ポケモントレーナーとは、簡単に言えばポケモンをゲット&バトルの繰り返し。詳しく言うと、ポケモンと人間の共存を証明し続ける生き証人であり、研究者たちには欠かせぬ証言者である。戦って生業とするのは下手をすれば、戦屋だ。そんなものが普通の職業として普及されるようになったのは、一歩間違えれば、命を簡単に奪えてしまうポケモンとの共存が可能であるか否かの問題を継続的に「可能である」証言をする先駆者であるが故だった。

 今はそんな深く考えられることは少なくなってきたが、最初はそうだったと言う。危険性を知らせ、共存が可能であることを告知し、共存を体現させる。

 かつては凄腕のポケモントレーナーだったと聞くし、なんなら幼馴染から「オーキド・ユキナリのポケモンリーグ5連覇記録」のビデオを何度も見せられたし、ポケモンたちとの共存の、その難しさを最も身近に感じてきたのは、きっとオーキド博士だろう。あの博士の言葉の節々には、ポケモンたちへの深き愛情と危険に対する警告がところどころ見え隠れしていたのだ。

 

 そんな時代の最先端を走るポケモントレーナーに今日、少年はなる。

 そのための手続きは数日前から行っており、今日はモンスターボールと何やら重要な仕事を頼みたいとかでオーキド研究所へ一旦向かうことになっていた。時間は朝の8時を過ぎた頃に行けばちょうどいいかな、ぐらいの待ち合わせだ。

 

 さて、ドードリオの町の巡回はそろそろ終わるはずだけれど、今日は誰の家の屋根で朝を告げるのだろう。わくわくと耳を澄ませ、少年は辺りを見渡した。

 

 

―――コケァァアーッ!

 

 

 噂をすればなんとやら。

 

 

「お、」

 

 

 少年は白銀の瞳をぱちくりとさせて手摺へのぼって腰かける。鶏のような鳴き声が耳に届いたので、声のした方へ視線を向けた。オーキド博士の研究所の屋根で伸びをするのは、十中八九ドードリオだろう。展望台からも見える小さな影には、首が三つ見えた。

 

 

「今日は良いことがありそうだ……っていうか、あるんだけどな!」

 

 

 はは、と朝露に似合う爽やかな笑みを浮かべた少年はそのまま手摺から身を乗り出した。

 普通の人が見ればぎょっと目をひん剥くような光景だが、周りに人の気配もなく驚く人もいない。太い木の枝を掴んで逆回転し、勢いを減少させる。そうして安定したなと感じた瞬間に手を離し、猫のように見事な着地をしてみせた。その隣に毛並みをふわふわさせながら着地した影がもう一つ。

 ドードリオからの旅立ちの祝福かもしれないと、その影―――相棒に満面の笑みを向けて一言。

 

 

「うっし、あいぼ。一足先にモンスターボール貰いに行こうぜ」

「ぐぁうっ!」

「はは、くすぐった。」

 

 

 しゃがみ込んで相棒と呼んだポケモンに手を差し伸べれば、ジグザグとした見た目に反してゆるふわっとしたタンポポの綿毛のような毛並みを押し付けてじゃれついた。

 ふわふわしていてくすぐったい。行くーっ!と声が聞こえてきそうな声色に目を細めて撫でる手を止めて立ち上がる。走り出す構えをとれば、ジグザグマも一緒になって態勢をかがめた。目を合わせ、タイミングをはかる。

 

 

「きっと俺たちが最初だぜ。早く到着して、みんなを驚かせてやろう」

「ぐう!」

「あっはは、楽しみだな! よーし、よーいどんっ!」

 

 

 掛け声と共にグライスとポケモンはオーキド博士の研究所へ一歩を踏み出す。

 遅れてジグザグマが一歩を踏み出せば、少年は続けて足を動かした。釣られるようにジグザグマもタタッと軽やかな足取りでジグザグと少年の足へじゃれつくようにしてギザギザ進んでいく。楽しむように足元の相棒に気を配りながら、ゆったりと少年は足を進める。

 

 

「さ、競争だぜ相棒!」

「ぐぁう!」

 

 

 競争だと言って、競争らしきことをしたことがないのに少年は言った。

 やる気を出すためだと分かるから、ジグザグマも気負わず爽やかな風を追いかけるように一生懸命、灰銀髪の少年を追う。どれだけジグザグマが遅れても、あの「兄」はずっと弟を待ってくれるけど、此れからの冒険ではそんなのじゃ足を引っ張るだけだから小さな足をいっぱい動かした。

 

 

 

―――きっともっと早くなってみせる。

 

 

―――(キミ)の役に立てるよう頑張るから、一緒に冒険をしよう(夢を叶えよう)



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002:初日から追いかけっこする

―――青き花は冒険のために華やかに彩りたい。


 時同じくして。

 マサラタウンの青い屋根の家で、一人の少女が慌ててベッドから飛び起きた。

 ドードリオの鳴き声で起きたのもあるが、じりじりと鳴り響く目覚まし時計を止めるためでもある。3つ並べられた目覚まし時計は、彼女の母親のものと父親のものと彼女自身のものだ。今日は大事な日だから、念には念を入れて両親から借りたのである。

 

 

「い、いけない、みんなを待たせちゃう!」

 

 

 起きられたことに安堵するが、準備に時間が掛かってしまう。

 幼馴染たちと約束した時間は、1時間後。余裕があるだろうと思う人もいるかもしれないが、女の子には女の子だけの特別な支度がある。時間はいくらあっても足りないし、何より少女は心配性だった。お気に入りの服と似た冒険しやすい服をハンガーにかけておいたが、可笑しなところはないだろうかと確認してパジャマから着替える。ポケモントレーナーへとなる記念に、母親が運動しやすいお洒落な服を買ってくれたのだ。

 姿見の前でくるりとまわって全身を確認してみると、回転に煽られてスカートがふわりと揺れた。スパッツを中に履いているとは言え、風に煽られてめくれるのは少し恥ずかしい。ぱっと手で押さえて、けれども楽しくなった少女は片手で口をおさえて、ふふふ、と可憐な笑みを零した。

 

 寝起きでゆくる跳ねてしまった毛先を櫛で梳かし、自慢の茶髪をストンと下ろす。髪留めは持ち歩く程度で、ストレートに髪を下ろした理由は幼馴染の一人にあった。

 

 

『ブルーの髪、風になびいて綺麗だな』

 

 

 クラスメイトに切り捨てられて髪を短くした日に、悔しくて悲しくて泣きくじゃる少女。ブルーへ向けられた言葉だった。残酷な、と騒ぎ立てるグリーンの声はブルーの耳に届かず、短くなってしまったにも関わらず宝物にでも触れるかのような手つきで毛先をさらりと掬い取られて言葉を失ったものだ。イジメられたことへの憐れみでも同情でもなく、短くなっても綺麗だと言われて嬉しくならないはずがない。

 

 あの日、再び髪を伸ばすと決め、自慢のロングヘアとなった。

 

 

 しかし、と鏡を見つめて唸る。

 

 

「うむむ。」

 

 

 頭頂部でぴょこんと跳ねるアホ毛は、櫛で梳かしても湿気に濡らしてもワックスで寝かせても、ぴょこんと存在を主張してくるのだ。せめて今日だけでも、と格闘してやっぱり失敗した。きっとアホ毛を見ても、彼は気にしたりなんかしないのだろうけれど。無駄な抵抗だと分かってはいても可愛くありたいと思うのは、ブルーの活力でもあるのだから仕方がない。

 

 

「今日もダメだったわ……」

 

 

 しょんぼりと肩を落とした少女は、水色の上着を羽織って白い手袋をはめる。椅子に掛けられた白いベルトは、モンスターボールを装着するためのトレーナーベルトだ。肩からぶら下げるタイプの鞄も身につけ、可笑しなところがないか再び確認する。紫外線や熱中症に気を付けるための帽子を鞄に引っ掛け、少女は時計を見た。

 

 

「急がなきゃ!」

 

 

 約束の時間まで、後25分しかない。

 慌ててぱたぱたとリビングへ降りると、朝食を用意する母親がゆったりと振り返って娘の姿を視界に映した。控えめと言うよりも、引っ込み思案で内気で臆病な娘だが、心優しく育ってくれた自慢の娘だ。旅立ちのために色々なものを見て回ったけれど、やっぱり目に狂いはなかった。黒をベースに、水色と白をアクセントに加えたファッションは、やっぱりブルーにぴったりだ。

 

 

「お母さん、お父さん、どうかな?」

「うふふ、可愛らしい。お父さん見てくださいな、娘の晴れ姿ですよ。」

「ふふ、僕たちの娘は可愛らしいね。」

 

 

 娘の愛らしさを夫に共有した母は、父へ期待の眼差しを向けてくるりと全身を見せる娘の姿をカメラにおさめた。記念です、と微笑む母親は、今度は家族が揃った写真を撮る。両親の好感的な反応に安心したように笑ったブルーは、ポッポーの鳴き声にハッとした。

 庭でよく集まる野生のポッポーが3度鳴くまでに外へ出なければ、幼馴染たちの約束に間に合わない。慌てる娘を落ち着けさせ、母親はおにぎりを包んだ袋を鞄に入れてドアの方へ連れて行く。

 

 

「レッドくんたちと一緒に食べてね。」

「うん、ありがとうお母さん! お父さん、お母さん、行ってきます!」

 

 

 少女が持つには大きすぎる包みだが、ブルーは驚いた様子もなく当たり前のように両手で抱えて母にお礼を言った。今までにも幼馴染と遊びに行く時は、子どもでありながら一人暮らしを強いられていたグライスのために何か持たせてくれていたからだ。

 旅立ちの日に相応しく、楽しみを隠さぬ笑顔に両親もつられて笑みが浮かぶ。

 

 

「行ってらっしゃい。」

「気をつけて行ってらっしゃい。ああ、そうだ。ブルー、ポケモンを貰ったら一旦帰ってきてね。お母さん昔使っていたタウンマップをあげますからね。」

「はーい!」

 

 

 青い屋根の可愛らしい雰囲気の家から、『ポケモントレーナー』になるという夢を実現するためにひとりの少女が飛び出した。



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003:わたしのおともだち。

―――少女は故郷の景色を胸に刻んだ。


 朝陽が惜しげもなく大地に降り注ぎ、新緑に満ちたマサラタウンをより一層輝かせる。

 旅立ちの朝だからかもしれないけれど、 慣れ親しんだ町も少女の眼には宝物のように映った。きっと此の日に抱える胸の高鳴りを忘れないだろう。普段通りの地元のはずなのに、内側から湧きあがるのは期待と希望に溢れたものだ。きれい、と意図せず零れ出た言葉はまぎれもなく彼女の本心で、その世界をもっと楽しみたくて、ほかの場所へも視線を動かしてみる。

 ポケモントレーナーとして旅立てば、しばらくは見られなくなる光景だ。

 

 

(わたしの故郷(ふるさと)…………帰って来るべき場所は此処にある……)

 

 

 ひとりで旅をするには、少女の心はあんまりにも内気でか弱すぎた。お人好しな上に押せば流されてしまう性格の彼女を案じてか、最初辺りは妹のように可愛がってくれる幼馴染たちと一緒に旅をすることを条件に、ようやくのことでポケモントレーナーになることの許しを両親から貰ったのだ。

 その苦労を加味すれば、なるほど、より一層、世界の輝きが増すだろう。日光に当たるため背伸びをするように伸びた草木が喜んだような景色は、まるで世界の全てが宝石のように輝きを帯びているような気がした。

 

 

「あ!」

 

 

 旅立ちの日の朝という特別な景色を記憶に焼き付けるため、自室の窓から辺りを見渡す少女だったが、ある一点を凝視する。少女の視線の先には、赤い帽子がトレードマークの幼馴染と、緑の上着が特徴の幼馴染が肩を並べて競争している姿がそこにはあった。

 

 マサラタウンからトキワシティの方への街道辺りを爆走する、見知った影を見つけてしまったのである。

 赤と緑の徒競走が開催されており、少女は驚きのあまり口に手を当てた。砂埃を立てながら方や大きな声で張り合うように、方やただひたすら無言の姿勢で、もうあんなところまで走り抜けている。あのまま行けば、きっと約束した時間よりも早くオーキド博士の研究所にたどり着くだろう。

 窓から少しばかり身を乗り出して、おーい、と声を掛けてみるけれど、案の定気づかれぬまま走り去られて行く。彼らの聴覚なら聞こえていても可笑しくはないのだけれど、男の子同士の競争の最中にはよくあることだった。

 

 しかし、と少女は首を左右に振る。

 あの二人の走行は、以前テレビで見たことのあった「特番ブースターvsサンダース」の追いかけっこと、まるでそっくりだった。競走中の幼馴染たちは、至ってブースターやサンダースのような可愛らしい表情なんて浮かべてはいないのだけれど「テレビでも見ていたっけ」と気すら抱かせられる。

 挨拶できるような雰囲気ではないと感じ取った少女は、ぎゅっと鞄の紐を握りしめて歩む速度を上げた。旅立ちの朝を楽しむ余裕など、とうに失せており、すっかり置いてけぼりを喰らった気分である。

 

 背中を追えば追うほど、追いつくどころか、彼らがオーキド研究所の手前で口論―――茶髪の幼馴染が一方的に喋っているように聞こえるものだが―――になるまで引き剝がされてしまっている。うそぉ、と息も絶え絶えにさせながら、少女もなんとか到着した。

 信じられなかったのはポケモン並みの爆走を実演してみせた幼馴染への驚きか。それとも、そんな彼らの脚力について行けてしまった己のポテンシャルの高さへの驚きか。

 自分でも何が何だか分からぬまま少女はひとまず挨拶だけでもしようと顔を上げ、口を閉じた。

 

 

「ふ、ふたりともおは…………」

「負けを認めろって、俺様は負けてねーっつーの!」

「……?」

「誰よりも素直だろうが!」

 

 

 わあわあと声が上がっていて、何が理由で揉めているのか分かりやすい。少女は追いつくことに必死で着順なんて気にも留める余裕がなかったけれど、二人はあんなにも余裕な態度である。

 やっぱり男の子なのだなぁとぼんやり思う。呼吸の乱れから回復していない少女は、ベンチに腰かけて額に滲んだ汗をハンカチで拭い、呼吸が整うのを待った。……現実逃避ともいう。

 

 そよぐ風が火照った身体に優しい。

 

 

「はあ!? 俺様の方がお前よりも先に着いただろうが!! 噴水に手をつくまでがルールですぅー!」

「……! …………!?」

「ずるくありませーん!」

 

 

 会話の内容からして、どうやら寡黙な幼馴染の方が先に到着したらしく、あの手この手とルールを後付けにしてなんとかして茶髪の幼馴染が勝とうとしているようだということはなんとなくわかった。

 到着したことも、挨拶のために声を掛けようとしたことも、気づいてもらえなかったのはわりといつものこと。競走中の男の子は周りが見えなくなるものだと母もよく言うし、よく妹のように可愛がってもらっていたから、意図的な無視ではないことは確か。

 呼吸が整った折を見て、意を決して、再び顔をあげると未だに勝敗を決する口論は続いていた。雲行きが怪しくなっており、少女も思わず首を捻るような発言を前に思わず口を挟む。

 

 

「おーし、ポケモンバトルで決着をつけてやらぁ!」

「……、…」

(わたしたち、まだポケモンを貰ってないからバトルできないんじゃ…?)

「―――なァにしてんだ?」

 

 

 小さな囁きは蚊の鳴く声のように小さく、ヒートアップしていく口論を前にもともと内気な少女は狼狽えるしかない。止める術のひとつやふたつでも、幼馴染の姉から伝授してもらうのだったとぐずりかけたとき、ひとりの影が新緑の葉っぱと一緒に舞い降りた。

 ざぁぁっとさざ波のような風音の中、鮮やかな葉っぱが風に遊ばれて踊るように揺れて視界を遮る。あ、と驚く間もなく、緑の中にきらきらと光を帯びて輝く雪原が口喧嘩を続ける二人の間に割って入った。

 彼の頭髪は光の影響を受けやすいらしく、日向の彼はとても眩しい。おわ、と驚いたように二人が後ずされば、間に入った少年は、悪戯っぽく笑った。風の抵抗を受けたおかげで煽られた灰銀の髪がばさりと降りて、それらが自然と右側へ流れる。太陽の光を吸収した髪は薄ぼんやりと光っているような気がした。

 

 

「おはよーさん。お前ら、研究所着くなり楽しそうにしてるけど」

「お、おお、おはよう…。競走、だけど―――」

「……」

 

 

 挨拶ひとつ。その後は先の質問に対する理由だろう。

 茶髪の幼馴染の姉が来たら、すぐさまマリルの「うたう」で眠らせて終わるが、幼馴染たちのやり取りに興味を示す辺り、少年らしい。

 うん? と笑ったままの表情は人懐こい犬型のポケモンのよう。言い淀んだ幼馴染のかわりに、少女があえて質問した。ふたりの幼馴染が納得し、文句のつけどころのないほどの完全勝利を手にした少年のことを引き出せば、この口喧嘩の最終決着を付けられるような気がしたのだ。

 

 

「いつから、待ってたの?」

「ん-、かれこれ30分前ぐらい? 俺の方はポケモントレーナーの登録異動の手続きだけだったから、ちょっと早めに来たんだ。お前らは楽しみ過ぎて走って来ちゃった感じ?」

「う、うぐっ」

「そ、そうなの!」

 

 

 一番最初に到着したかと思えば、まさかのまさか。

 幼馴染が同じ場所に揃えば自然と加わるようになっており、競争相手はお互いだけではなかったのだと二人は衝撃を受けたような顔をした。まさかのまさかで、ダークホースの登場である。30分も前の到着ともなれば、此れは負けを認めざる得ない。

 負けた、とか細く囁き、少年たちはガクリと肩を落とした。

 唐突に元気をなくした二人をどう思ったのか、なァなァどうしたんだよ、と興味津々に二人の周りをぐるりとまわってみせ、着地した場所と同じ位置で首を傾げる姿は、さながら「やんちゃなガーディ」だ。競争優勝者の姿に、ライバル心の強い二人も毒気を抜かれたのだろう。

 二人そろって、何でもない、と首を左右に振った。白銀の瞳をぱちくりと瞬かせて、グライスは笑う。じゃあ、行こうぜなんて軽快な足取りで二人の肩を抱きながらオーキド研究所へと入っていく。

 

 

「あ、」

 

 

 口喧嘩もなくなって、よかった、と胸を撫で下ろしている間に出遅れてしまった。

 また。またあのときのように、置いて行かれる。今度こそ、わたしが守るって決めたのに―――背中を見送ることしか出来なかった少女は慌ててベンチから立ち上がった。慌てて前方へ足を動かす彼女は不意に足を止める。開きっぱなしの扉は、中で幼馴染たちが待ってくれている証拠なのだろう。

 

 

(―――でも、)

 

 

 こわい、と思った。

 このまま先に進んだら、何処までも真っ白な空間が広がっているような気がして、恐ろしかった。真っ白な町なのだけれども、それとはまた意味の異なる意味で。虚無だとか、そんな感じのちょっとこわい雰囲気だ。

 何度も通っているから、中にはたくさんの装置があって、難しい資料が無造作に散らばっていて、お掃除も大変だったし、少女がプレゼントした植物たちが植木鉢に植わっていることだって「知っている」。分かっているのに、新しい世界へ一歩を踏み出す勇気が、今一つ絞り出せなかった。

 未知なる世界を想像して勝手に怖気づき、失敗した時のことばかり頭によぎってしまうから恐怖で脚が硬直し、喉が異様なまでにカラカラ乾く。行くべき場所が見当たらないような感覚に襲われて後ずさろうとした少女の視界に、褐色の肌が飛び込んだ。

 健康的にすらりと伸びたしなやかな腕は、どうやら倒れかけたらしい少女を支えるために腰に回されている。そのまま添えられる手のおかげでなんとか平衡感覚を取り戻した少女の様子に、腕の持ち主はキョトンとした眼で頸を傾げて言った。

 

 

「どうしたんだよ、ブルー? 具合悪いなら、今日はもう帰るか? 送ってくぜ」

「あっ…………!」

 

 

 ぐらつく足元に、ぐらぐらと揺られていれば、頭上から少女の身を案じる声が掛かる。勢いよく顔をあげれば、先ほど何処からともなく空から降り立った灰色の髪が特徴的な少年が手を差し伸べてくれていた。

 

 

「グライス、くん…………」

 

 

 はくはく、と言葉にならぬ声を紡げば、少年はゆうるりと白銀の瞳を細めて優しく笑う。何かに気づいたように目をぱちくりさせたのに、何も気づかなかったとフリをしたのだ。

 

 

「どした、ブルー。ポケモンと一緒に成長するんだって楽しみにしてたろ。」

「たの、しみ…………そう、そうだ、ね!」

 

 

 何てことのない日常のひとつとして数えられるような、あんまりにもいつも通りの雰囲気に、恐怖に震えるばかりだった少女もいつも通りの呼吸を取り戻す。恐怖がなくなったわけではなかったのだけれど、少年の言葉はまさしく少女の気持ちだ。

 

 

「ほら、行こう。」

 

 

 逆光で陰っていて見えづらくても、ブルーの目には少年の瞳が優しく温度を宿して輝いているように見えた。幾度となく怖がるブルーを導いてくれた手は温かいのは、知っている。あのときだって、彼は背中にブルーを庇って助けてくれたのだ。手のひらから分け与えられるその温もりにほうっと息をつき、強張った身体から少しずつ力を抜けば、扉の近くで心配げに眉を寄せた翡翠の瞳と、力強い紅い瞳が待ってくれていることに気づいた。

 

 

「レッド、グリーンも…………」

「ふたりも、待ってるぜ」

 

 

 背中を押すように「な」と柔らかな声に誘われるようにして、少女の白い手は、褐色の手と重なる。もう一度、行こうと誘ってくれた少年の言葉に、少女は今度こそ大きく肯定したのであった。

 やっぱり緊張はするけれど、すっかり未知への恐怖は上書きしてもらったので今は程よい緊張感を持てている。やわく少年の手を握りしめたままオーキド研究所へと足を踏み入れることが出来た少女は、ふわふわとした笑顔を浮かべて、待っていてくれた幼馴染たちへお礼を告げる。

 

 

 

―――待っていてくれて、ありがとう

 

 

―――一緒に行ってくれて、ありがとう

 

 

―――わたし、きっと成長してみせるから

 

 

―――だから、きっと見ていて。わたしの大事な幼馴染(おともだち)



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004:待ちわびたオーキド研究所で

―――少年少女は未来のパートナーと邂逅する。


 研究所に入った少年は、入室の動きから流れるようにぱっと輝く八重歯の煌めきを見せつけるようにして笑みを浮かべる。その表情から明らかに「楽しみだなぁ」と雰囲気を醸し出す少年の挨拶に続くように彼の相棒もまた大きな声で挨拶をした。

 

 

「おはよう! 博士、助手さんたち!」

「ぐあう!」

「ウッ、マブシイッ!」

 

 

 その破壊力は凄まじい。

 全身に破壊光線でも浴びたかのようだ。

 

 

「おはようございまーす」

「おは、おはようごじゃいます!あうっ…………お、お邪魔します…」

「……」

 

 

 挨拶一番乗りした子どもの輝きに目を焼かれたような気がした。

 続けて初々しい子どもたちの挨拶を受けて、研究者たちはそっと胸を押さえて込み上げてくる感情のままに、子どもたちのためにジュースとお茶菓子を用意した。徹夜明けに直射日光を浴びたような、イチゴのジュースだと思って飲んだら梅干の汁だった時のような酸っぱい顔だ。

 あまりの眩しさにぎゅぎゅっとしかめっ面になってしまった助手たちは、慌てて子どもたちへにこやかな挨拶を返す。若きエネルギーの活発さは、研究漬けで引き篭もりがちな大人たちには眩しすぎたのである。

 ちょろと辺りを見渡して、オーキド博士が不在であることを察したのだろう。少し間延びした声で、オーキド博士の孫たるグリーンが明るい茶髪を指先で遊びながら問う。

 

 

「なぁ、じいさんは何処に行ったんだ? また森のどっか?」

 

 

 オーキド博士の孫であるオーキド・グリーンもお洒落に気を使うようになり、今まではおろされていた茶髪もすっかりワックスでアップされている。それでもちゃんと整えられているのか心配になるらしく、時折、くしや手鏡で身だしなみを確認するあたり、本格的なお洒落さんに目覚めたことが分かった。

 彼らは今日、ポケモンを受け取りに来たのだ。どの市町村でも、最高権力者である人間から最初のポケモンを受け取ることが義務付けられているため、オーキド博士の不在は少年少女にとっては気落ちさせてしまう要素になってしまったかもしれない。

 

 

「いえいえ、今日はポケモンの観察ではなく、手続きのためにトキワシティまで出かけられたんです。ですが、もうすぐ戻って来られますよ。」

「ふーん、…………ありがと」

 

 

 今まで研究所で生徒として見てきた子どもたちがポケモントレーナーとして旅立てる年になったのだと思うと表現しがたい喜びが湧きあがった。

 研究者のひとりが答えれば、お礼を告げてから時間より少し早めに来たのに、と頬が膨れた。その姿は「天才」や「秀才」の称賛をシャワーのように浴び続ける人間とは言えども少年らしくて、実に可愛らしかった。

 

 せっかくの日なのに、がっかりさせてしまっただろうか。

 公的な手続きをしっかり行ったが、警察署がないマサラタウンでは、そう言った情報に対するセキュリティ面の契約書などの発行が出来ず、トキワシティの警察署まで出向く必要があったのだ。ポケモンを譲渡する場面を取り仕切ることの出来るオーキド博士が直接行く必要があったので、仕方のないことと言えば、仕方ないのだ。けれども、心配してちらっとグリーンの後方を見やれば、楽園が築き上げられていた。

 マサラタウン近隣では見られないポケモンも、此処はポケモンの研究所だからか、よその土地からポケモンを預かることも少なくはない。また、そんなポケモンたちもずっとモンスターボールの中に居させては不健康だろうと外で自由に過ごしているから、研究所では見慣れぬ姿をよく見かける。

 最たる例は、ジグザグマを相棒に求めた少年の足元にじゃれつくミミロルだろう。研究所へ預けられたポケモンのことを、人は総じて「研究所のポケモン」と呼ぶ。そんな子たちを含めて、彼の相棒であるジグザグマを筆頭に小さなポケモンたちがトレーナーたる少年の足元でちょろちょろ動いていた。

 

 遊んでくれるの?

 あそんでくれるの!?

 

 わくわくした眼差しは、トレーナーと似ている。

 オーキド博士の孫として知られる彼の後ろでは、白銀の瞳と褐色が目立つ少年がじゃれつくパートナーを相手していた。あそんで、とせっつかれてすっかり絆されてしまったようだ。まるで弟のじゃれつきに、兄が甘やかすような光景にほっこりする。

 ぐぁうぐぁうとじゃれつくジグザグマを前に、しょうがねぇなあと甘やかな瞳で背中やら顎やらを撫でつつ、腰にぶら下がるモンスターボールを庇うようにして「待て」を教えた。素直にぺたん、と伏せのポーズをとるものだから少年は愛おしさのあまりジグザグマを抱きしめて呻く。

 かわいい、という囁きをあとにしばらく硬直する少年だったが、復活したようだ。気がつけば空っぽのモンスターボールにじゃれつこうとするジグザグマを制止しながら、説得していた。

 

 

「待て待て。お前の紹介はあとでな。ライバルの相棒たちと一緒に紹介したいからさ、な?」

「ぐぁうっ!」

 

 

 見るからに新人ポケモントレーナー用にと用意されたモンスターボールの台座によじ登ろうとしたパートナーを押しとどめる手腕は、新人とは思えないほどスムーズだった。

 トレーナーの言葉に動きをぴたりと止めてその場にお尻をつける。所謂、お座りのポーズをとったポケモンはきらきらとトレーナーへと視線を向けた。かっわいいなァ、と今度は隠すことすらしなくなった満面の甘い表情を被弾した研究者たちは床に転げまわりたくなるようなむず痒さと甘さを前に小刻みに震えるほかない。

 甘えるような鳴き声が何度も喉から転がるので、ジグザグマはどうやらパートナーと遊んでほしいようだ。

 さっきまで足にじゃれつき回るほど元気な姿を見せたのに、今度はしおらしく甘えを見せつけてくるとは、流石は弟。少年(あに)のことを良く分かっている。

 

 

「お前、旅に出られる年になってもまだまだ甘えん坊だなぁ」

 

 

 仕方なさそうに柔らかく眉を下げた少年の声はどこまでも柔らかく甘やかだ。

 ずっとその声を聞いていたいとすら思ってしまうほど、愛情を包み込まれた声は聞く人の心の奥へゆっくりと降り積もる。よっと、しゃがみ込みながら少年は片手を薄く広げて言った。

 

 

「おいで」

 

 

 そんな風に甘い声で、蕩けた顔で。

 どうしようもなく愛おしいのだと訴えるような眼で。そんな風に呼ばれてしまえば、薄く広げられた腕の中に飛び込みたくなる衝動に駆られるのも無理はなく―――…なくはない。流石にマズかった。何がって、ジグザグマが飛び込んで甘えるのならばともかく。

 

 

(まてーい!!!)

(大人としてアウトーっ!!!)

(違うんです!!!!)

(そういう趣向の持ち主ではないんです!!!!)

(ジュンサーさんこっち!!!!)

 

 

 実際に飛び込んだのはジグザグマではあったのだけれども。

 一瞬でもそんな思考を横切った大人たちは、しきりに壁やロッカーに頭を打ち付けていた。そう言うことである。大人たちの奇行にも気づかず、少年少女たちはポケモンに甘えられるグライスのもとへ寄る。

 

 肩口から寝そべるような姿勢のポケモンを覗き込めば、見知った顔ではあるものの、それでも彼だけのポケモンという証が腰にぶら下げられていた。最近ずっと腰にぶら下げられたままのモンスターボールは、カントー地方では珍しいジグザグマを保護する意味でも付けられた装備である。

 ポケモンの仮宿となったモンスターボールの見分けがつく程度には観察眼を鍛えたので、今はまだ何も入っていないのは分かるが、足元のポケモンはもうすでに少年のポケモンなのだろう。

 今にも自分から入って行きそうな気配にやっぱり少年がストップを掛けている。待て待て、と甘えん坊を抱きしめてぐるーんと仰向けに寝転び、ダルマのように起き上がった。

 

 

「いーなぁ、お前はさきにポケモンもらえて。」

「まだだよ、証明書を貰わないと。でも、お前らだって今から博士に貰うじゃん。」

「そうだけどさー」

 

 

 ぶつぶつと長めの愚痴が始まりそうだったので、少年はあえてスパッと話題を切り替えた。

 

 

「俺はタマゴから育ててみたいっすねー。どんなふうに孵んだろ?」

「俺様は見たことあるぜ! ブルーと一緒にじいさんに見せてもらったんだ! なっ、ブルー!」

「う、うん」

「あは、うらやましーっ!」

 

 

 肩口に伸し掛かる茶髪の少年へと手を伸ばし、先ほどポケモンにもやったようにもみくちゃに撫でまわした。

 やめろよグライス、セットが乱れるだろと抗議の声が上がった。しかし、その声は決して棘がなく、本気で嫌がってはいないことが伺える。だからグライスと呼ばれた灰銀の少年も、グイグイと遠慮なしに騒ぐのだ。

 このこのー、とじゃれつくような少年たちの戯れは微笑ましく、学会の狸ジジイ呼ばわりしたくなるような腹黒連中を相手にする学者のタマゴたちの心がほっこりする。もうずっと研究所で遊んでくれていても一向に構わないのだけれども、せっかくの晴れ舞台の日だ。かつてポケモントレーナーに憧れて旅立った少年少女の過去がある研究者たちも心より祝福した。

 

 

「おお、何やら研究所が賑やかじゃのう。子どもたちが来ておるのかな?」

 

 

 少年少女が研究所の隅っこで大はしゃぎしていると、玄関の入り口が開かれた。

 ぱっと白銀の瞳を輝かせて扉へと向けられるので博士が帰ってきたことで、更に賑やかになるであろう研究所を想像して、と研究者たちはにこやかに迎え入れる。お疲れさまでした、と上司を労わる準備も始めた。

 

 

「オーキド博士、おかえり!それから、おはよう!」

「うむ帰ったぞ。あとで書類の説明するが、今はひとまず挨拶じゃの。ただいま、それから、おはよう」

 

 

 博士の言葉に、少年はにこりと笑った。満面の笑みである。

 ぱっと子どもたちの視線が玄関へと注がれ、望みの人物であることが分かると二人の少年は駆け寄った。おかえりなさい。ちゃんと挨拶をしてから、本日の本題に期待と高揚する気持ちを隠さず赤らんでゆく頬の素直さにオーキド博士も微笑ましいとうなずく。

 さてさて、既に勉強は幾度となくしてきたとは思うのだけれども、ポケモントレーナーになるということは、ある程度の知識を要するものだ。ポケットモンスターに関しての知識はどうだろうと軽めのテストを行う。

 口頭での実施テストは、やっぱり最高得点を何度も叩きだすだけあって簡単だった。口籠ることなくすらすら出てくる解答には、教授したオーキド博士も満面の笑顔である。

 流石は自慢の教え子たち。此の調子ならば、少し足腰が弱ってしまった自分のかわりを立派に務めてきてくれることだろう。今から冒険をするには、些か年齢が心配になるお年頃。身体の節々にガタがきており、日常生活や研究所付近の森などの散策ならまだしも、広大な世界を冒険するには心もとなかった。しかし、今まで積み重ねてきた努力の結晶を他の誰かに譲り渡すのは物凄く遺憾である。

 そこでオーキド博士が目をつけたのは、旅立ちの日を控えた己の孫。そして、彼の友人たちである。身元も人格も保証できており、かつオーキド博士の研究も興味のある子どもたちと条件を満たしていた。なれば新しく冒険に出るヒナたちに最初の「依頼」をすることを決意したのだ。

 

 旅立ちの日を控えた、と言うのはとても簡単な話で此の世界の法律で定められた義務教育の期間が10歳までだからである。学び舎で基本的なことを教わったが、ちょっと特殊な事情があって、男子組は実技時間以外のほとんどをオーキド研究所で学んできた。ゆえに、彼らはトレーナーとして必要な知識はある程度持っている。

 トレーナー生活開始前から、ポケモンの博士……専門家とも呼べる人物のもとでの勉学は、モチベーションは非常に高いと言えるだろう。オーキド博士はすでに決まったセリフをなぞるように、決意を胸に秘めたる少年少女たちへ10歳で成人となり、ポケモントレーナーとなるか、学びを続けるかの選択肢を与えた。

 

 マサラタウン出身の少年少女は言葉を返した。

 言うまでもなく、ポケモンを受け取ると選択肢を叩き出したことで意思確認は出来た。

 

 そう。

 彼らは今日トレーナーとして生まれ育った場所から旅立つために、パートナーとなるポケモンを1体、市町村の最高責任者から受け取るためにオーキド研究所へと訪れたのである。

 軽く説明を行ってから、さてポケモンを譲渡しようかの。と腰をあげたオーキド博士は、手で己のパートナーと遊ぶグライスへと声を掛けた。ポケモンを受け取る予定の新米トレーナーは、3人のみのはずである。聞き逃したなんてことはないだろうし、と疑問はすぐさま解決した。

 

 

「グライスくんは付き添いかね?」

「え? ああ、そうそう。やっぱ最初の相棒は紹介したいし、俺たちだってされたいから来たんす。それと、法的な手続きをしたって聞いて、その証書とモンスターボールを受け取りに。な、シグマ?」

「ぐぁうあうっ!」

 

 

 屈託のない笑顔でまっすぐな少年らしい言葉に、なるほどそうじゃったな、とオーキド博士もうなずく。幾ら身元保証がされているからとは言えども個人情報の扱いは重々注意が必要なもの。証書をデータ化し、ポケモン図鑑に登録するための手続きを少し離れた町にある警察署で行ってきたところだったのだ。

 此れがあるから冒険に出てはならぬと孫娘に怒られてしまったのだ。そもそもその用事で外出したのだったと思い出しすらして、うっかり具合にコメカミを指でぐりぐりと押しつぶす。そのうっかりがなければ、研究所をほっぽりだしてでも、もう一度旅に出ただろう。あちゃー、と気分で封筒を研究者に受け渡した。

 あれではまだ完璧な証書とは言えない。最後の一押しとばかりにマサラタウンの最高権力者であるオーキド博士の印鑑を押し、証明書の控えをとって終了するのである。

 

 

「証明書はあとでしっかり渡すからの。」

 

 

 発行者がオーキド・ユキナリであることの証明を押し、控えを取る。忘れぬ間にやってしまおうと研究者たちへ指示を出し、ひとまずは手続きを完了したモンスターボールを受け渡した。

 

 

「やった、ありがとう博士!」

「っうむ……、ボールの使い方は大丈夫かの?」

「もっちろん! 博士たちが教えてくれたからばっちりだぜ。でも、普段は一緒に歩きたいから、規制のある場所や緊急事態以外ではボールを使わないことにしたんだ。」

「そうか。立派になって…………」

 

 

 あれほど親から無関心を貫かれていることを事実だからと淡々と語る少年の顔を知るからか、あんなにも嬉しそうな顔をされるだけで胸にジーンと来る。多少の無茶をしてケンタロスを走らせてよかったと感涙するオーキド博士の後ろでは、涙腺が脆くなった研究者たちがド派手に嗚咽を漏らしながら死屍累々を築き上げていた。



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005:案の定パートナー選びは難航した。

―――ポケモン好きなお前らのことだからポケモンを前にしたらまた悩みだすだろうし先に考えておけと言ったのに、と灰銀の瞳を細めて愛おしさを滲ませながら笑った。


 どうにも感動が極まってしまって、本題を忘れるところだった。

 子どもたちが迎えたせっかくの晴れ舞台を忘れるわけにはいかない。それでもじんわりと胸に込み上げてくる感覚を抑えきれるほど、冷静にはなり切れなかった。自他共に認める感動屋の研究者は目頭をおさえながら男泣きして、母性溢れる女性研究者は微笑みながらカメラを回す。子どもの成長を一秒でも逃すのは大人のすることではありませんと、子ども好きの彼女らしい発言だ。

 オーキド博士もそんな研究者たちの中に紛れて「大きくなって………」と、特に心配した子どもの成長を目の当たりにして喜びに浸りたかったが、気合と根性でなんとか死屍累々の仲間入りを神回避し、少年少女の期待を背負ってくるりと身体を反対側へと向かせた。

 

 

「さて、お前さんたちはこっちじゃ。」

 

 

 輝かんばかりの眼を一身に受け、オーキド博士も自然と笑みになる。研究所手前の来客用エリアから、もっと奥の方へゆっくりと歩み出せば子どもたちもオーキド博士の後ろをひょこひょこと歩いてついてきた。

 普段は表面をなぞったような部屋しか入れてもらえなかったのだけれど、本当の意味で研究施設として認識されるような空間へ案内された子どもたちは、見知らぬ部屋を興味津々と言った雰囲気を隠せずに、見るからにそわそわしている。

 ぼこぼこと煮え立った音を立てさせるビーカーやフラスコ。理科の実験でもなかなか触ることのない器具が集まる部屋に案内された子どもたちは、びしりと身体を硬直させた。緊張のあまり身動きが取れなくなってしまっているなぁとのほほんと笑み、オーキド博士は決して何も触れぬようにと注意をしてから、新人トレーナーたちのために育成したポケモンたちが入ったケースを運び込む。

 トレーナー未登録の新米ポケモンたちのモンスターボールは、幾ら有名な研究所だったとしても、ポケモンセンターだったとしても、窃盗を目的とした犯罪に合うことは少なくはない。

 その為、最たるセキュリティに守られた部屋だったり、最も強いポケモントレーナーが在住する家に預けられたりすることが多い。むしろ、そう言った理由からマサラタウンではかつての栄光を欲しいがままにしたオーキド博士が新人トレーナーのサポーターとして選ばれたのである。

 

 

「ぉお……う、ぉ…! こ、腰が……!」

「……手伝おうか?」

 

 

 呻き声のあまり気になったのだろう。

 部屋への興味を、オーキド博士への心配へ塗り替えた白銀の瞳にオーキド博士は助手を呼んだ。旅行用のキャリーバッグのような大きさだから、まだまだひとりでも出来ると思ったのだが、少しばかり無理があったようだ。

 助手に手伝ってもらって、ようやくのことで運び出された大きなケースを長机の上に置く。たったそれだけのことで息が荒くなるが、なんとか蓋を開けると、そこには3つのモンスターボールが鎮座していた。

 

 

「此処に居るのは、君たちの最初のパートナーとなることを夢見るポケモンたちじゃ。苦楽を共にし、困難を、逆境を乗り越える。そんな友であり、仲間を君たちに、そしてポケモンたちに選んでもらう。」

 

 オーキド博士曰く、そのモンスターボールの中に居るのは、ポケモンのタマゴから生まれて少しばかり育った新人トレーナー用のポケモンたちである。

 生まれて少し経つぐらいのポケモンは、新人トレーナーのパートナーとして冒険を始めるには良い時期と言えるから他の市町村でも生まれて少し育ったぐらいのポケモンが最初のパートナーとして与えられる。あまり育ち過ぎては、今生の別れがつらくなるのもあるし、トレーナーの技量によってはポケモン側から見限られることだってあり得るからだ。

 

 

「ん? 生まれたばっかってことは、赤ん坊なのか?」

「いいや、それなりの教育は詰んでおるからの。グリーンたちと同じぐらいの子どもだと思って接するとええじゃろう。」

「そんぐらいってこと?」

「ポケモンの成長は早いからのう。」

 

 

 へえ、と興味津々に後ろからひょっこり顔を出したのはグライスだった。

 見るだけ見たい、と見学を希望されては「否」と言えない。見るからにそわそわしだしたレッドやブルー、そして歩き回るグリーンをよそに、比較的落ち着いた様子のグライスはオーキド博士に許可をもらってモンスターボールに触れて中におさまるポケモンたちに出てきてもらった。

 

 ぽーんっ!

 

 軽快な音とともに飛び出す小さな3つの影は、なるほど確かにグリーンたちと同じぐらいの年。もしくは、自分たちより幾分か下かもしれない雰囲気のポケモンたちだ。見慣れぬ顔に取り囲まれて、きょとんとした眼が無垢で愛らしい。

 

 

「きゅうあ?」

「ふっし」

「ぜにぜに!」

「ぐぁうっ!」

 

 

 純真無垢なつぶらな瞳が問いかける。

 きみはだぁれ? そうして無害であることを感知したらしく、そのまま腹に飛びつかれ、両腕にじゃれつかれ、自身のポケモンに頬を舐められて幸せそうに瞳を蕩けさせた。

 

 

「あまりの可愛さにおれしにそう」

「い、生きてっ!」

「しぬなよ!?」

 

 

 極上の甘美な笑みだ。ぞくりと背中に響く甘やかな色を宿したそれがどこかをぼんやりと見つめるので、慌てて彼の身体からブルーがフシギダネを、グリーンがゼニガメを引き剥がした。

 ポケモンが大好きなのはよく分かっていたことなのだけれども、流石に行き過ぎのような―――そうしてレッドを見やれば、念願のポケモンたちとの邂逅を嬉しそうに目をキラキラ輝かせるものだから、気のせいということにした。

 

 

「はっはっは、グライスくんは相変わらずの好かれっぷりだのう。」

「しふくです。おれのしあわせタイム……。」

「嬉しがるのはいいけどよ、シグマが不安がってるぞ。」

「ああ、心配かけて悪かったなシグマ。大丈夫、どこも痛くねえから。ちょっとお前らの可愛さにやられちゃっただけで、ポケモンの甘える攻撃は俺には効果は抜群なんっすよ。」

「何爽やかに言ってんだお前!?」

 

 

 甘える攻撃とは、相手に甘えて庇護欲を煽り、相手の敵意と勢いを殺させるためのポケモンの技である。

 決して、ダメージを与えるような威力を発揮する技ではない。一部のポケモン愛好家には効果抜群だろうけれども、それはそれ、これはこれなのだ。速攻でグリーンにツッコミを入れられたグライスだったが、それすらも楽しいらしくけらけらと笑っている。

 相棒が無事であることを確認したシグマは「なんだよ、もう妙な心配させるなよう」と抗議するようにテシテシと尻尾でグライスを突く。ふわっふわの体毛なので痛くはなくて、むしろその真逆でくすぐったいのだが、心配をかけたことに変わりはない。

 

 

「あっはは、悪かったって。ほら、おいで」

「ぐぅう、ぐうっ!」

 

 

 ワタワタと狼狽えるシグマを呼び、抱き上げて安否を確認させてやる。

 身体の上を歩かれるのは、あんまり耐久力的な問題で得意ではないのだけれども、変な心配を掛けさせてしまったので好きにさせるのだ。そうしてちょろちょろと身体を確認され続ける彼は、薄めがちに開かれて「ほら、相棒決めねぇんっすか?」と雄弁に眼で語っていた。

 

 

「うっ!」

「い、行ってきます………!」

「………。」

 

 

 そんな死地へ追いやられる戦士のような眼で行かなくても、とグライスは思わなくもなかったが、ポケモン好きとしては、幼馴染たちの気持ちの方がとても分かってしまうから、映画の見よう見真似で敬礼を送った。

 

 

「前日の夜も大盛り上がりだったしな」

「ぐう?」

「ああ、ポケギアでずうーっと誰がどの子を選ぶのかって言う相談をしてたって話さっき聞いたんだ。」

 

 

 10分後。ほぼ徹夜のようなことまでして、パートナー選びに悩み続けたことを暴露される。

20分、30分、1時間と。3体のポケモンたちへ視線を落とした幼馴染たちの背中を見守るグライスだったが、流石に1時間経過すると暇を持て余してしまったのだろう。

 

 

「き、決まらないよぉ…」

 

 

 弱ったような幼馴染たちの声を聞きながら、その場であぐらをかき自らの膝の上にパートナーを乗せた。何の抵抗もなく持ち上げられ移動させられたポケモンの様子からすると、かなり良好な関係を築けていることが伺える。

 グライスはポケモンの前足と重ねるように、左足に左手を、右足に右手を添え、ふわっと上下に振ってあそんでみたり、左右に振ってあそんでみたり、小さな身体を抱え込んでくすぐってみたり、すでに楽しそうにポケモンとコミュニケーションを交わしていた。

 その間、20分ずつ交代制でポケモンたちとコミュニケーションを図ったレッド、グリーン、ブルーの3人だったがパッとしないようだった。後ろで鈴でも転がすような軽やかな笑い声と、ポケモンの楽しそうな声が聞こえるからだろうか。

 

 

「あの、グライスくん」

「ははは! あ、うん、どうしたあ?」

 

 

 控えがちに呼びかけられた声に、楽しげに細めた双眸を幼馴染へと向けて間延びした声で起き上がった。

 両腕で天上の方へ持ち上げるようにして、遊んで構ってと夢中に頬を舐めるポケモンへと頬を寄せて「ちょっと大人しくしててな」と軽く口づけを落とす。甘えるように一度頬をすり寄せて納得した様子を見せたジグザグマを床へ降ろし、眉を下ろして困ったような表情を浮かべる幼馴染たちへ視線を向けて一声。分かり切ったことだが、あえて尋ねた。

 

 

「決まったか?」

「それがまだ決まんねーんだ。こう、何か、こう……。しっくりきすぎて。」

 

 

 なるほど、確かに。

 ポケモン自体に不満があるわけではなく、むしろ逆に将来のビジュアルを想像してしっくりきすぎて決めかねているのだろう。数年前から永遠と同じことの幼馴染会議を開催されたことを思えば、不思議はなかった。その幼馴染会議の延長戦上で、どのような育成をするだろうと思案も広げられて、誰もが良きパートナーとなれるであろうと結果を出したが故の弊害とも言える。

 お前らが育てれば、みんなすげー格好良く育つもんな。オーキド博士の研究所に在籍する研究者たちにも手伝ってもらって叩き出した結果は、かなり良好なもの。温かい眼差しでうんうんと頷けば、グリーンは唸った。

 

 

「その『幼馴染(俺たち)が手掛けたんだから最高品質になるのは普通に考えても当たり前だろ』みたいな顔、止めろよ!?」

 

 

 プレッシャーと言うよりも、無条件に褒められるとむず痒くなる。

 特にグライスから向けられる無条件の信頼やら何やらは、裏がない。だから褒め殺される気になるので止めてほしいのだ。思春期突入間近なもしくは突入した少年少女には、なかなかの難関だろう。いや、嬉しくないわけでも嫌なわけでもないのだけれど、ただただひたすらに恥ずかしくて羞恥が煽られる。お前、俺たちのこと好きすぎだろうと照れ隠しに突っぱねてみたら、とんだ爆弾を投下されるので、思わず目を逸らした。

 目を逸らされたことでグライスは真剣に課題と向き合う。さてさて、「しっくりきすぎて決まらない」となると、確かに選択肢は広くて困ってしまうだろう。しかし、ポケモントレーナー側の理想は、どの子が相手でも築き上げられるものだという証拠。

 強いて言うなれば、トレーナー側は全員が全員を欲しがってしまっているような気もしなくもなかったが。それぞれの要望を軽くなぞるように聞き、ふむ、とひとつ頷く。

 なんとなくそれぞれのやりたいことも、目指したいことも、分かったような気がする。あくまでも気がするだけだし、何ならグライスの主観なので、人差し指をピンと立てて提案した。

 

 

「……じゃあ、俺が決めてもいい?」

「お前が?」

 

 

 見る目を疑っているわけではないが。

 きょとんとしたグリーンの言葉に、ちょっと言いたかったことが違うなとグライスは慌てて両手を振って、数秒前の己の言葉を訂正する。“自分の冒険の中で”やりたいことに付き合わせるのではなくて―――。

 

 

「正確には俺がって言うよりも、コイツらが。」

 

 

 “自分と一緒に旅をする相棒としてやりたいことと目指すものを一緒に支え合ってくれる”子たちと行けばいいじゃん。というのがグライスの出した結論であった。

 手のひらで示された先には、同じくキョトンとした様子のポケモンたちの姿がある。何を話し合われているのか、さっぱり分からないのだろう。警戒心はさほどないように感じるのは、先ほどたくさんコミュニケーションをとったからかもしれない。

 

 

「ポケモンたちが……? う、うん、わたしはお願いしたいな」

「べつにお前が決めたって俺たち文句なんてなかったけど! でもポケモンたちに決めてもらうなら、しょうがねえなぁ。レッドもいいだろ?」

「………。」

 

 

 つんとそっぽを向きながらでもグライスへ信頼を寄せてくれるグリーンの言葉に「よっし、決まりな。」とニカリと眩いほどの笑顔を浮かべて、話はトントン拍子に進む。

 グライス曰く、相手に尋ねるのが一番なのだ。ポケモンたちと視線を合わせるためにしゃがみ込んだグライスは、おもむろにフシギダネへと手を伸ばした。

 

 

「ダネェ? ダネダネフッシィ~」

 

 

 遊んでもらえると認識したのか、構ってもらえて嬉しく思ったのか。フシギダネは伸ばされた手を前に、ツタをゆっくりと絡ませて握手をした。此処で突進してくるような性格であれば、パートナーはあの子が良さそうだったけれど、随分と人慣れしたフシギダネである。

 

 よいしょ。

 腹の間に腕を差し込まれて、そのままゆっくりと持ち上げられる。やっぱり滅多とないことなのだろう。抱えられた喜びから、フシギダネは小さな子どものように喜びを露わにしていた。

 

 

「うんうん、お前は穏やかさんなんっすねぇ」

 

 

 そのあんまりの懐きっぷりに嫉妬を通り越して、感心すら湧きあがった。

 甘えるようにツタをしゅるりしゅるりと緩やかに絡ませて来るフシギダネの頭をよしよしと撫でて、グライスはカーネーションのような鮮やかな瞳をじぃっと覗き込んだ。

 

 

「なるほど」

 

 

 瞳を覗き込むことで相手の気持ちが分かるとでも言うのだろうか。何かに納得したように笑ったグライスは、気持ちはよくわかったぜとフシギダネをゆっくりと床に降ろした。

 お互いに離れることを名残惜しそうにするけれどひと撫でして離れれば、フシギダネも従順にその場でぺたんと腰を下ろして待つ姿勢を取る。

 

 

「さーて、次はどの子か、っなァ!?」

 

 

 真っ白な思い出を最初から一緒に歩む。あるいは、最初の一歩を飾る相棒となるのであれば、やっぱり拘りは必要だろう。それ故に、一緒に旅をする仲間となり、友となり、相棒となるポケモンたちの意思確認をしようと視線を動かす前に、腹部に猛烈な痛みが走った。



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006:新人トレーナーの緊張度が分かる瞬間

―――衝撃に思わず口癖がまろび出た。


「ぴ゛え゛ん゛!!!?」

 

 

 どちらの子を先に聞こうかなとか、考える前に痛みで呻く。

 うそ。少しばかり虚勢を張った。呻くよりも先に呼吸がままならないので、ひとまず息を吸い込もうとして失敗したのである。しきりに噎せるグライスを庇うようにグリーンが弾丸のように飛び込んできたゼニガメ引っぺがし、人間相手のコミュニケーション法をコンコンと躾なおした。

 

 

「だ、大丈夫か……?」

「ッえふ、…だ、大丈夫。お前さんすっごく元気だな。でも、人間相手にそんな風に飛び込んだら怪我をさせることもあるから、気を付けてくれよ。」

 

 

 外でやったら厳重注意では済まなくなる。

 人間に危害を加える魔獣として、かつては討伐対象だったと聞く。その名残なのか、今も地方によってはポケモンを魔獣と呼び、人間と共存不可のレッテルを貼られたポケモンを討伐する地域もある。

 幾らカントー地方の法律が優先されるとは言えども、ポケモンが人間相手に怪我をさせた話題は、嫌な方面で話題を呼び、「処分宣告」を下される場合もあるのだ。もちろん、その法律はポケモンのみならず、悪事に手を染めた人間相手にも同じことは言えるのだけれども。

 グリーンも同じような説明をしていたのか。随分としょんぼりと丸まって申し訳なさそうにチラチラとグライスを見ていた。

 

 

「あっはは、大丈夫っすよ。ほら、怪我なんてしてないっしょ? ちょっとびっくりして噎せただけだから。」

 

 

 ほら。

 確認して安心させるために捲り上げられたシャツの裏側には、褐色が特徴的な少年のお腹があった。確かに怪我なんてしていなさそうで安心する。それなりに加減はしてくれていたのだろうけれど、如何せんポケモンと人間では身体の丈夫さ加減が違うので、ゼニガメは今後同じようなことがないようにと方々から口酸っぱく注意されたのだ。

 

 

「ぜにゅぅ……?」

「うんうん、お前は元気なのが一番だな。加減さえ忘れなきゃ、いつも通りでいいんだぜ。」

 

 

 グライスがシャツをしまってからゼニガメを抱えてやると、抱き上げられた嬉しさと許されたことが伝わったのだろう。ようやく嬉しそうな表情が戻り、両手両足をぱたつかせて全身で歓喜を表現した。尻尾もブンブン振り回す姿は、さながら犬のよう。亀だけども。

 フシギダネと同じようにゼニガメもゆっくりと床に降ろして、最期にヒトカゲの両脇にそっと手を差し込むと、無抵抗のままにヒョイと抱えられた。

 

 

「きゅあ……?」

「控えめで可愛いなぁお前。ヒトカゲって、テレビでも見たことあるけど、テレビで見た仔はかなりのワルだったぜ……。あれもワイルドでなかなか」

「って、お前のこと気に入り過ぎじゃねーか!!?」

 

 

 おそらくは幼馴染の代表の発言。

 グリーンから放たれた言葉が、今最も幼馴染たちが感じていることなのだろう。うんうんと同意するように頷く幼馴染たちからの視線を受けながら、グライスは満面の笑顔を浮かべた。

 最初の相棒となるポケモンたちと仲よくしようって気持ちが膨れ上がって嫉妬心に繋がる。良好な関係を結べること間違いなし。

 

 

「流石は俺の幼馴染!」

「は!?」

「褒め言葉だぜ。っと、おいで。そうそう、君、君」

 

 

 懐かれ過ぎなグライスに嫉妬の炎を燃やすグリーンは、すっかり不貞腐れてしまったようだ。むすりと口を一つに結んでふくれっ面を晒す幼馴染を励ます役目を、意思確認の中でなんとなしに発見した相性で仲間としての最初の一歩を歩ませる。

 満面の笑顔でゼニガメを抱えたグライスは、両手両足を広げて、と言ったまま従順に動作をしてくれるポケモンをぺたりと幼馴染の顔に張り付けた。

 

 

「むぐっ!?」

「あっはは! このゼニガメ、お前のことが好きになったんだって。自分が大はしゃぎして周りが見えなくなっても、グリーンみたいなタイプが相棒なら一緒に楽しく出来るかもって思ってるみたいだ。」

 

 

 なかなか言い出せなかったのは、グリーンたちが尻込みしてたからだな、となんてなしにあっけらかんと笑ってみせるものだから。

 そう言えば嫌われるのが嫌で臆病風を吹かせてしまったような気がする。心当たりがある面々は帽子を深くかぶったり、ポーチで顔を隠したり、手で顔を覆ったりした。

 

 

「落ち込むの早すぎるだろー。なー、みんな、励ましてやって?」

 

 

 グライスのそんな言葉を合図に、ヒトカゲとフシギダネもそれぞれ一緒に居たいなと思った子どもたちのもとへと歩みを寄せる。

 根っからの世話好きなのか。フシギダネはおどおどしてばかりのブルーが気がかりだったようで、グライスとコミュニケーションをとる間、しきりに彼女の方を見ていた。トレーナーが内気な分、世話好きなポケモンが相棒につくことで補える部分もある。相性も悪くはなさそうだし、面倒見の良いフシギダネと旅をすることで彼女自身もきっと自信がつくだろう。

 妹のように可愛がる彼女や眼で言葉を訴えることの多いレッドには、トレーナー同士のコミュニケーション場面ではちょっぴり甘めの判断で、二人を支えてくれる相棒を誘導したのだ。

 逆に、もとの面倒見の良さが開花しつつあるグリーンには、それを長所として育てられるような相棒を選出した―――つもりである。言わずもがな、その見立ては良かったらしく、お互いのパートナーが定まってからの彼らのコミュニケーションは円滑に進んだ。

 

 

(そりゃまァ初対面から怖がってりゃ世話ねぇよなァ……)

 

 

 自分の緊張は相手に伝わるのだ。―――つまりは、そう言うことだった。

 研究者たちは別のことで恐れ戦く。はー、やれやれと言った風に肩を竦める少年は、緊張しきった幼馴染たちの様子に呆れているように見える。それは構わない。ありふれた日常のひとつとして数えられる光景だ。

 しかし、新人トレーナーへの一歩を歩まんとし始めたばかりの子どものはずなのに緊張が伝達してしまって普段通りのコミュニケーションが取れなかったことを一発で見抜くとは、やはり物事の真実を見抜く力がグライスには備わっているようだ。ある意味では、成熟した新人とも言える。此れはきっと成長したときがとんでもなく恐ろしくなるだろう。

 

 

「控えめなブルーの相棒には、その不足を補ってくれる世フシギダネが。

逆に積極的なレッドの相棒にはちょっと控えめなヒトカゲがぴったりだと思うぜ。」

「そう、なの?」

「そうだよ。だって、控えめな子同士が組んでみろよ。つり橋の前に行ったとして、どうなる?」

 

 

 想像した。

 ブルーは心当たりがあったのか「あう」と呻き、グリーンは真っ青になって絶対にひとりで行くんじゃねーぞと忠告を零し、レッドはぼんやり頷く。安易に想像がついたのだろう。永遠とつり橋の前で右往左往するか、落っこちてしまう未来が。

 嫌な想像ではあったが、命には代えられない。わかるよな、と念押しするように言えば、少年少女はコクコクと頷いた。

 

 

「にしても、どんな特別なコミュニケーションとったらすぐ分かるんだ?」

「何か特別なことでもしてたの?」

 

 

 純粋な質問なのだろう。

 すぐさま懐いてもらえたことに関する質疑に、少年も同じ問いを掛ける。

 

 寡黙が特徴的な幼馴染は、まさしく目で語った。

 

 

―――『見つめ合っただけ。』

 

 

 ぷは、と小さく噴き出した。

 目は口程に物を言う。目は人の心の鏡だ。そんな言葉があるように、眼で見つめ合うことは何よりも個人がどのような人柄であるかを伝えやすい手段とも言えるだろう。なるほど、確かに理にかなっている。至極真面目な幼馴染の解答に、一番のコミュニケーションとも言えるだろうと同意した。

 本能で生きるポケモンたちを相手取るならば、適切とも言えるし、逆に目を合わせてはならぬ相手も居るのだけれども、それは追々覚えれば良しとしよう。

 目を合わせれば大抵のことは分かるようになる。ジグザグマとグライスの関係のように、アイコンタクトですべてが成立する世界だ。熟練夫婦の力量だとか言われることもあるようだが、その領域に至ったのならば夢に見た最高のポケモントレーナーへの道に近付けるだろう。

 

 グライスの思い描くポケモントレーナーは、強さのみならず弱きを守り、正道を歩む高潔さも備えた万能な。ありとあらゆる夢を凝縮したような、お前は騎士を目指しておるのか?と言いたくなるものだが、それである。

 いつかカロス地方へ行ったとき本物の騎士と貴族を見るのだと言うから、あながち間違いではないのかもしれない。騎士や武士への憧れは、いつだって少年たちが抱く夢のひとつなのだ。

 

 

「まァでも、しばらくヒトカゲくん苦労しそうっすねぇ。レッドはかなり無口だから何を言ってるのかさっぱりなとこあるだろうけど、根は凄く優しいから安心してな。」

 

 

 それに寡黙な理由は、何を話そうか悩み過ぎて言葉がこれっぽっちも出てこないと言うだけであって、数時間ほど根気強く粘ればなんとか喋ってくれる。ちなみに、グライスが根気強く付き合った結果、レッドが語った単語は「おはよう」である。

 未だかつて、レッドのおはようを聞いたことのある人物は限りある中で、グライスは断トツの回数を聞いた。当時の精神状態が危うく、レッドですら危惧するほどだったからかもしれなかったが。それでも嬉しかった。

 

 

「確かに言葉はあったほうが嬉しいかもしんないけど、レッドに関しては、側に居てくれるってだけでも安心感すっごいから。きっとお前自身にもいいと思うぜ」

「きゅ、きゅう」

 

 

 自信なさげに声を震わせたヒトカゲの頭をよしよしと撫でてやってから、グライスはその場に腰をおろした。

 せっかく相棒も決まったことだし、と前置きをひとつ。

 

 

「せっかく俺たち全員が相棒のポケモンを登録できたんだ。自己紹介タイムを所望するっす。ダブルバトルの機会とか、トリプルバトルの機会とか、あるかもしれないし」

 

 

 わくわくの隠しきれぬ顔でそう宣うグライスに感化されたように頬を上気させた少年少女も同意した。自己紹介を出したのは、きっとグライスのポケモンが全てネームドになるからだろう。

 ポケモントレーナーからあだ名(愛称)を貰ったポケモンは、ノーネームではなく、ネームド(名前持ち)となる。野生か、否かの判別を付ける為に普及した制度だったが、今となっては自由なものだ。名付けた方が愛着湧くからと理由で付けられたり、自分のポケモンとなったから判別するために名付けられたりする。

 ちなみに、ジグザグマの名付けは普通に「家族のことを種族名で呼ぶのはおかしい」という感性から。また、グライスとしては「仲間のことを種族名で呼ぶんすか? え、ってことはお前らのことも“人間”って呼ぶべき?」と至極真剣に困惑した末の名付けが確定した瞬間である。

 

 

「そう言えば、お前のポケモンはなんて種族名なんだ? シグマって名前であって、種族名は別にあったんだろ?」

「ああ、ジグザグマって言うノーマルタイプのポケモンで。ガラル地方のジグザグマがホウエン地方に馴染むためにリージョンフォームした姿、だったかな。」

「おお! よく勉強しておるのう。リージョンフォームのことは、まだ教えておらんかったと言うのに。」

 

 

 兄である俺が弟のことをちゃんと知らないと言うのはなんだか変な感じがすると思って猛烈に勉強したのだと満面の笑顔で宣うものだから、ほっこりとした。

 自分が話題に上がったことを感じ取ったのだろう。ぐあう、と元気に返事をしながら胡坐をかくグライスの膝に乗り込んでコロコロした。そんな弟の顎を撫でながらシグマと名付けたポケモンのことを詳しく紹介する。ホウエン地方のポケモンだから、治療の設備も整っているかどうか不安だった頃に大事な弟のことを少しでも守ろうと調べ尽くしたのだ。

 

 曰く、茶色をベースとした体毛の此のタイプはホウエン地方に多く生息するノーマルタイプのポケモンである。種族としての総称は「ジグザグマ」、進化系に「マッスグマ」を控えるおよそ40cmから50cm程度のわりと小型なポケモンだ。

 曰く、ジグザグマの本来の体毛は硬く、コンクリートすら簡単に削れるほどの強度を持つ。しかし、グライスの相棒である「シグマ」の体毛は、それはもう誰もがうっとりするほどの「ふわっふわなタンポポちゃん」である。

 

 

「お前らも知っての通り、あの家でキョウダイ同然に育ったんだ。ただ、俺と一緒に生まれてきたらしいから、タマゴから孵化した姿は見てない。」

 

 

 記念すべき弟の誕生した瞬間を見逃してしまったことを悔しがる姿に、幼馴染たちは笑った。ホウエン地方と別の地方の名が出てきたことで、ふと忘れていた事実がふわっと疑問として口から零れる。

 

 

「そう言えばグライスの両親って、外から来たんだ…………っけ?」

 

 

 ヤッベェ。

 血を分けた息子の特別な日にすら帰ってくる気配のない彼の両親やその都度血涙する研究所の大人たちの姿を見ればなんとなくマズイ発言だったことが分かったのだ。そんな顔を隠しきれぬグリーンに、今はなんとも思ってねーよと明るく笑ってグライスはさらっと答える。

 

 

「ああ、父がホウエン地方で、母がカロス地方の出身だって聞いてる。いつか一緒に行こうな、シグマ~?」

「ぐあう!」

 

 

 両親のことよりも、異なる地方に思いを馳せる様子に子どもたちながらに違和を覚えたようだった。首を傾げながらもパートナーとじゃれ合うグライスに追求する気は起きなかったのか、異なる地方の話題で盛り上がる。

 

 

「か、カロス地方ってすっごく都会なんだよね? どんなポケモンが居るんだろう~!?」

「……!!………! ………っ、……!!」

「俺より大興奮してんね、お前ら。」

「ぐぁうっ!」

 

 

 なんとなくお察し状態の表情を浮かべるグリーンには、ぱちりとウィンクを飛ばして元気アピールをした。溜息をつきながらも納得したらしく、ぎこちなくでも異国に思いをはせる少女に同意の声を上げる。

 その後ろではぎくりと表情を強張らせたオーキド博士が、およそ人様にお見せできる形相ではなくなっていた。グライスは呑気に「血筋かなぁ」とその見覚えのある形相を見なかったことにして、思わず直視してしまった助手として働く研究者たちが背中を震わせる。

 同じく怒りを言動にオラつきかけたのですけれども、オーキド博士のあの形相を前にして冷静さを取り戻した。

 

 

―――は、博士、顔が怖いです。顔!!

 

 

 自分の話題が理由ならことさらずっとその顔で居させるわけにもいかず、グライスはぽんと話題を変えた。あ、そうだ。思い出した風を装って、以前オーキド博士から教わったことを再度告げる。自慢なのだと嬉しさで満ちる表情は偽りなく、正しくグライスの心境であった。

 

 

「シグマって実は他のジグザグマと違って特殊個体なんだぜ。本当は体毛、木の表面を削れるぐらい強固なんだって。………コイツも気分で切り替えられるけど、普段は―――ほら、“ふわふわタンポポちゃん”だもんなーっ?」

「ぐぁぁ~う♡」

 

 

 褒められて嬉しそうに尻尾と身体がくねる。シグマのぐにゃんぐにゃんに蕩けた顔を前に、うりうりと頬を寄せればふわふわした感覚があった。

 

 ポケモンのことを語るときや幼馴染と一緒に居る時のグライスは、癒しのオーラでも出ているのかそこに居るだけで空気が和む。

 彼が笑えば、ポケモンが集まり、人も笑う。

 彼が楽しそうだったら、その場もポケモンたちも楽しくなる。

 なんだか甘えたくなるような雰囲気の持ち主なのだ。

 

 

「な、あいぼ」

「すごい!すごいね!」

「へえ、そんなガード硬いのか。野生のジグザグマに会えたら、コイツみたいにやっちまわねーように気を付けないとな。」

 

 

 よく抱えてきたからか、そのふわふわ加減はご存知な幼馴染たちはしげしげとシグマを見下ろして言った。

 

 そして、ブルーは内気で控えめな女の子。あることが原因で主張できなくなってしまったから幼馴染たちの勢いに引っ張ってもらったり、乗せてもらったりしなければ、前に進めないタイプだが、しっかりと自分を持っていることが分かる一面もある。

 レッドは幼少の頃から変わらず寡黙だ。見つめ合えば理解し合えるを素で行くものだから、グリーンが苦労した。

 オーキド博士の孫であるグリーンは、大人顔負けの知識を頭に蓄え込んでいるからか基本的には勝ち気で生意気な性格をしているものの、努力を続けるストイックな面もある。

 

 そんな大人びた顔を見せる3人も、グライスの前ではすっかり年齢相応の顔を見せるのだから、オーキド博士の毒気が抜かれても不思議はなかった。

 

 

―――あ、博士の表情が思いっきり緩んだ。

 

―――ナイスだよ、グライスくん!



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007:初めてのポケモンバトル!

―――少年は言った。

―――ぴえん、ゲームと混同しちゃった。
       ほんとマジごめん、シグマーーー


 話し合いもほどほどにそれぞれのポケモンたちの紹介も終えたことだし、身だしなみチェックをしながらグリーンはひとつの提案しをした。

 

 

「せ、せっかくポケモンを貰ったんだしよ。研究所のバトルフィールドを借りてポケモンバトルしてみないか?」

 

 

 タイミングを見計らっていたこともあって、グライスは即座に肯定した。ぐっと親指を立てていい笑顔で頷いている。バトルジャンキーの片鱗を今も見せているレッドは言わずもがな。

 シミュレーションゲームでもポケモンバトルが大好きな彼が飛びつかぬはずもなく、グリーンの首根っこをひっつかんで今にも飛び出さんばかりの勢いだ。ブルーはポケモンを受け取ったことの嬉しさでほわほわ笑って、珍しくポケモンバトルという荒事に積極性を見せた。

 

 

「記念に、だよね?」

「ふは! レッドはもうさあやろう、ほらやろう、すぐやろうって言って、グリーンを引きずってるし。うん、いーな、やろうぜ!」

 

 

 シミュレーションの中でのコマンド式バトルじゃなくて、本当のポケモンバトルをしてみたかったんだ。

 すぐさまインターネットゲームのことを称しているのはすぐに分かった。少年たちの好戦的な笑みは、ライバルであることを戦う前から認める友好的なものだ。

 

 バトルフィールドは、グリーンが言ったように「オーキド博士の研究所前」にある小さなフィールドを利用させてもらう。

 通常のポケモンバトルなら、ポケモンセンターに設備された室内・室外どちらかのバトルフィールド使用申請を出し、受理された場合のみバトルフィールドで行う。しかし、ポケモンセンターという施設がないマサラタウンでは、オーキド研究所がポケモンセンターと似た扱いとなるのだ。

 怪我をしたり、病気をしたり、バトルや生活などで身体が疲弊したポケモンたちを回復するための設備もあるし、身体を動かさぬままでは停滞すると状況を危惧した研究者たちによってポケモントレーナーたちと一緒に大暴れできるバトルフィールドが設置されたわけである。

 

 宿は、流石に別で摂る必要があるのだけれども。

 研究所というだけあって、貴重な資料もたくさんある。それを閲覧できるのは限られた極少数の人間のみ。バトルフィールドを貸しても、ポケモンたちの治療を引き受けても、部屋を貸すわけにはいかなかった妥協策である。

 

 先ほど最初のポケモンを貰ったということで興奮した少年少女は、数年前に約束をした初めての『ポケモンバトル』をオーキド研究所のバトルフィールドを借りて幼馴染同士で行った。

 

 

―――ポケモンバトルの結果は、オーキド博士も驚きのものとなった。

 

 

 オーキド博士も、研究所の研究者たちも。みんなが揃ってグライスの勝利を信じて疑わなかった。それだけ彼の落ち着きようがプロフェッショナル顔負けのものだったからだ。

 

 まさか、“あの”グライスが全敗するだなんて。

 学校でも、首席を勝ち誇り続けてきたグリーンにだって負けず劣らずの頭脳の持ち主である彼は、その実力は事実であると証明するように指示出しも良かったし、何なら回避に関しては子どもたちの中でも断トツでテクニカルだった。

 ポケモンとのコンビネーションは言わずもがな。キョウダイ同然に育ったと誇らしげな言葉と違わぬほど抜きんでており、補助系統の技で相手を翻弄する姿はまさしく見事の一言にしか尽きない。しかし、攻守が一変した――攻撃に転じた瞬間に、そのバランスが崩れたのである。

 

 

 あ、やべ。やっちまった。

 そんな顔を、グライスがしたのは3度だ。

 

 そして、ポケモンバトルも3度した。

 結果はもはや口にしなくても分かるだろうが、全敗である。

 

 

 客観視出来たからこそオーキド博士たちは、グライスの敗北理由も激しく納得は出来るのだけれども。しかし、子どもたちにとっては、兄貴分。憧れの対象たる彼の敗北は、受け入れがたかったのだろう。形容しがたい表情が宿す眼は、ありありと「ありえない」とかいていた。

 負けたはずなのに、すっきり爽やかな表情のグライスはバトルを頑張ってくれた弟分のフォローをしている。戦ってくれてありがとうな。しっかし、見事に負けたけどそれって俺たちまだまだ伸びしろがあるってことだろう。なんて笑って。

 

 

「そんな呑気な!」

「ま、そんなもんだろー」

 

 

 グリーンの言葉にあっけらかんと言葉を返した。

 負けたことが悔しくなかったわけではないのだから、そんな怒られても。悔しいのは俺なのだが、と言いたいところだが、ぎりっと歯を食いしばった姿にグライスも無言になる。

 グライスの心情の通り、グリーンが負けたわけではない。むしろ、勝利を得た方だ。憧れの兄貴分を倒したと言うのならば、普通はもっとこう喜ぶかと思ったのに。歯を食いしばって悔し気に唸る姿は、それは兄貴分の敗北に不服を感じている証拠であり、本当に悔しさを覚えているようだ。兄貴分として慕ってくれる少年少女は目尻にじわじわと涙を蓄えて、とうとう耐え切れなくなったグリーンが噛みつくように吠えた。

 

 

「なんでだよ! お前なら勝てた試合だろ!?」

「え、ええ?」

 

 

 そんなことを言われたって過去を変えられるわけでもないし、そもそも、結果に対して不満はない。負けた事実を受け止めて、しっかりとその先を見据えることもポケモントレーナーとしては大事なことだと思うからだ。

 それでも、悔しいのは悔しいので。なんで俺を負かしたグリーンたちに、そこまで言われるんだよ、と拗ねたくなるのだけれども。

 

 

「お前が言うことを聞かなかったからか……?」

 

 

 困惑した姿をどう思ったのか。グリーンはじろりと足元のポケモンを見下ろして、睨みつけながら唸る。睨まれたポケモン―――シグマは、尻尾を丸めてキュゥと頼りなく切なげに鳴いた。

 

 静かな声過ぎて、一瞬思考が停止する。

 

 

(いま、なんて…………?)

 

 

 あんなに仲良くしてくれたのに、あんなに仲間だと認めてくれたのに、大事だと公言しているグライスの弟を戒めるような発言を。そんなまさかと数秒の硬直の後、確認するように静かにグリーンへと視線を向けた。

 お前の弟好きはもはや周知の事実だよなと笑ったグリーンが、そんな心を抉るようなことを言うはず。

 

 

「お前が指示とは違う行動をしたから、グライスは負けたのか!?」

「ぜにっ、ゼニガァッ!!」

 

 

 言い過ぎだと吠えるようにゼニガメが相棒へタックルをする。ロケットのように飛び出した頭突きが、グリーンの腹に突き刺さるのを目視してから、グライスは硬直から回復して素で驚愕する。

 

 

「は? え、は? おう? どーしてそうなった? “やっちまった”、“俺のミスだ”ってさっきも言ったろ。俺の話、聞こえてなかったのか?」

 

 

 俺だって人間だからミスのひとつやふたつや三つだってする。

 まさか完璧な存在なわけでもあるまいし、とあははと笑えば、どうしようと狼狽え始めたブルーもほっと息をつき、そうだよねと同意を返す。負かした相手に対して「ごめんね、あなたが負けたのが信じられなくて」と言うことすら侮辱なのだと思い直した彼女は、もじもじする他に術がなかった。

 足元でライバル同士認めあい、励まし合うポケモンたちの姿が見えていないのか。今まで負けなしだった兄貴分の敗北を認めきれなかったグリーンは激情のままに声を荒げる。その声は少しずつ熱が籠り始めた辺りでグライスの表情にも変化があらわれた。

 体当たりをかわしたり耐えてみせたり、ポケモンとしてバトル根性を見せ切ったジグザグマを認めていたライバルポケモンたちは主人の言葉に反論を返す。

 なんでだよ。吠えるようなグリーンの言葉に、柳眉を寄せてグライスはとうとう首を左右に振った。心底呆れているような、それでいて、大切な宝物を傷つけられた獣のような瞳で―――。

 

 

「お前、それをマジで言ってんなら俺はそろそろ怒んなきゃならなくなんだけど。」

 

 

 ピリッ、と肌がざわつくほどの威圧を纏ったグライスは白銀の瞳をキュゥッとすぼめて首を傾げる。ぐっと言葉に詰まったグリーンに、思わぬところで悔しさを感じているようだと察した。

 そこまで想われることを嬉しく思う反面、自分がライバルに負けたことを悔しがられる複雑な気持ちが綯い交ぜになる。負けたのは俺なのに、なんでお前らが悔しがるのかさっぱりだ。でも、確かにオーキド博士が誰かに負けたとなれば、グライスだって自分のことではないのに悔しくなるかも。そんな気持ちなのかな、と思い直し、呼吸すらも止まってしまいそうな威圧はぴたりと消した。

 怯えたように足元に集まったポケモンたちを一人は背中に、肩に、両脇に抱えてグライスは背中を向ける。方向からして、オーキド研究所へと足を運ぶようだ。

 

 

「もう一回だけ言うけど、今回の敗北は“完全に俺のミ・ス”! シグマは、生まれて今まで一度たりとも“本当のポケモンバトル”をしたことがねぇから、まっさらな状態なの。…………それは、わかる?」

 

 

 あ、と幼馴染たちは顔を合わせて心当たりを打ち上げたようだった。きっと考えていることがそのままだと思うけど、と前置きひとつ。グライスは己の敗因をしっかりと幼馴染たちへ伝える。間違ってもシグマのせいなんかしてくれるんじゃねえと念押しする姿は、なるほど確かに自他共に認める、弟のことが好きなお兄ちゃんである。

 普段、幼馴染たちとやっているシミュレーションゲームのまま指示を出してしまったことこそが、グライスの敗因であった。ゲームの中のシグマは、レベルは既にカンストしており、技だって豊富。何なら訓練も一緒に頑張ったから、バフてんこ盛り状態なのである。

 そんなゲームを引っ張り出してきてしまったから、シグマは覚えていないけれど聞き覚えのある技をぱぱっと指示されてシグマはビックリしたのだ。それでもなんとか俺の気持ちに応えようとして。

 シグマが今できる全力でぶつかりに行ってくれた。

 それはポケモン側が褒められるようなことがあっても、決して責められるようなことなどではない。

 

 

「あんまりなことばっか言ってると、兄ちゃんマジで怒っちゃうぞ。」

 

 

 茶目っ気たっぷりにウィンクまでをかましてみせたグライスに、ようやくのことで幼馴染たちは呼吸を取り戻す。ドッと脈打つ鼓動ははやく、先ほどのポケモンバトルよりも感じた緊張にぎゅっと拳を握りしめた。

 本当の意味でポケモンバトルを終えたと感じたグライスは、ポケモンたちを抱えたまま方向転換をする。それぞれ怪我や疲労があるポケモンたちの回復を研究所へ頼みに行ったのだ。

 

 

「はかせー! この子たちの手当してくださーい!」

「任せてときなさい」

 

 

 どうしてだか足を動かせず、子どもたちはぺたんとその場に座り込む。

 やや離れた研究所からは、シグマのことを褒めまわすグライスの声が聞こえてきた。泣きそうな声が少しずつ嬉しそうな色へ変化していくのを感じ取り、グリーンはハッとする。

 思い返せば、初めてのポケモンバトルで勝利をしたときも、敗北をしたときも、パートナーのポケモンを褒めてやらなかったかもしれない。グライスは、負けても何かに納得したように、それでいて全力で戦ったパートナーを大切そうに労わった。

 戦ってくれてありがとう、たくさん今のお前を見せてくれてありがとう、支えてくれてありがとう、と。

 そしたら、どうだ。負けて悲し気な声をあげたパートナーは、彼の声に嬉しそうに目をやわらげて敗北を受け入れながら、次へのステージを目指す姿勢を見せるではないか。

 

 熱くなるあまり大事なことを忘れていたのかもしれない。

 少年少女は俯くことしか出来なかった。



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008:その瞳は「真」を映し出す。

―――数年前に開花した才能である。


 普段は甘えん坊の姿を知る幼馴染たちの目からも、比較的好戦的な眼で「次は負けないぞ」と宣言されたような気がして。鳴き声をあげたシグマのことを、ポケモンたちは認めていた。

 それを、トレーナーである自分たちは兄貴分と慕う彼への憧れから目を曇らせて、ポケモンたちの気持ちを無視した発言をしてしまった。とても、傷つけてしまった。嫌われたかも、と涙を蓄えたブルーの言葉に慰めを入れる余裕が今のグリーンにはなかった。足場が崩れたような気がしてふらつくのは、グリーンも同じだからだ。

 

 

「まーだしょげてんだ。…………よし、行け、ヒトカゲ!」

「きゅあっ!?」

「大丈夫だって! 上着の裾を掴んで上目がちに甘える! 自分のポケモンにされたい行動ランキングトップ10だ、いける!」

 

 

 何が行けると言うのかさっぱり分からないんですが!? 大慌てで狼狽えるヒトカゲへ視線を合わせるようにして膝をつき、優しく白銀を細めてからグライスは再び背中を押す。

 

 

「大丈夫。お前ならきっと出来るよ。ほら、行っておいで」

 

 

 後ろをちらちらと覗き見しながら、ヒトカゲは一思いに飛び込んだ。赤い上着をめがけて小さな橙色の手を振り上げて、ぎゅうっと握りしめる。拒まれでもしたらどうしようとぷるぷる震えながら、きゅう、とトレーナーのことを呼んでみた。

 ぎゅうっと思いっきり抱きしめられたので、嬉しくなってヒトカゲはキュウキュウ鳴き声を上げた。

 

 

「おお、萌ゆる光景…………。ありがたや」パシャッ

 

 

 グライスはすかさずカメラを抱えた相棒をそちらへ向けて、シャッターボタンを押してもらった。彼がやってることと言えば、カメラを抱える相棒の方向転換をする足である。

 積極的なゼニガメも、先の小さな口喧嘩の影響か、少しばかりモジモジが目立つ。うん、とひとつ頷き、とびきりの笑顔で親指を立てて言った。

 

 

「お前はもうそのまんまが一番いいと思うよ、グリーンに向かって甘えタックルだ!」

「ゼニガーーーッ!!!」

 

 

 ゴーサインが出た瞬間、ゼニガメは普段通りのやんちゃ坊主の姿を見せた。全力でタックルをかましに行った為、グリーンは呻きながら後ろに倒れ込む。

 あの勢いのものを俺が喰らったら流石に内出血してたかも。はわ、と口元に手を当てて無言で戦慄く少年を守るように胸を張ったシグマの姿に、グライスもぱっと明るく笑う。え、そんなことにはさせないって? 俺の弟マジ天使かよ、可愛い。知ってたありがとう好きです。うりうりと頬を寄せてやれば、シグマは嬉しそうに声を上げる。

 

 最終的には、何が悪かったのかを理解した上で反省してくれれば、それで良し。幼馴染たちの根はほかの誰よりも理解しているつもりなので、先の暴走については行き過ぎた尊敬が形となって襲い掛かったということなのだろうと受け入れもした。

 だからこそ、いの一番に反省の姿勢を見せたブルーに対してはあまり怒ってなんかいやしなかったのだけれども、彼女はどうやら連帯責任だと思っているようだった。まァ確かに最初は彼女も、グライスの敗北に不満を持ち、ポケモンの方に問題があったのかもと思ってしまったようだったから、怒ったのだけれど。

 グライスの難点は、感情の動きが基本的に一定であり、起伏がさほどないこと。感情を動かせる唯一の場所が懐に入れ込んだ仲間や家族やらの存在ゆえ、そのような理由から、もう怒りの時間は終わったのだ。

 

 

「うーん…」

 

 

 あんなにも怖がらせるつもりはなかったし、あんなにも恐怖を抱かせるつもりもなかった。もともと気弱なところがあったのだけれど、どうにも怒りの感情を露にしたことがさしてないグライスの怒気に触れたことによって、ブルーは全てと関わることが恐ろしくなってしまったようだった。

 全くもって誤算である。

 

 どうしたものかな、と唸り、フシギダネを見下ろしてニンマリ笑う。企みと言うには邪気がなく、悪戯と呼ぶには和やかな瞳だ。その瞳を受けてフシギダネも似たような顔をして、にまりと笑った。

 

 

「ようし、頼んだぜフシギダネ! 得意な『甘やかす』だ!」

「ダネダネ!」

「え、 …………えっ、えっ!?」

 

 

 ぐずっと洟をすすったブルーへの突撃を指示すれば、フシギダネは同意するかのように颯爽と走り、ツタを伸ばして彼女を高く高く掲げて揺らした。まるで揺り篭のように揺らしながら、極自然と行われたフシギダネの「高い高い」は見事に決まったと言えるだろう。

 

 

「3人揃ってフェアリーゾーン! 此処が、楽園だった…………? なァ、アイツら可愛すぎない? 最高かよ。此処に高性能なカメラがあって本当に助かったよな、シグマ」パシャパシャッ

 

 

 まるでポケモンバトルで繰り出される技を指示するように、的確に謎の指示を出した声は何処までも爽やかで悪戯っぽくて。そこに怒りなんて感情はすっかり姿をなくしていた。突拍子もない指示に驚いたり、戸惑ったりしているポケモンたちの声にも、棘なんてものはない。

 ヒトカゲは困惑しながらもグライスの出した指示通りにレッドの側へ駆け寄って上着の裾を掴んでぺたんと膝の上に身体を預け、鳴き声をあげる。

 

 

(うん、参観日の親の気分で撮影したな。)

 

 

 ゼニガメは遠慮のえの字も知らず、落ち込んだ背中に頭から飛び込んだ。グリーンは悲鳴をあげた。その威力に顔面蒼白にしたけれど、グリーンなら耐えられる。気合どうこうではなく、ゴローニャ(約体重316kg)の転がるを受けてケロッとするタイプなので、大丈夫(物理)なのである。ちなみにグライスなら挽肉化だった。

 

 

(すかさずシャッターを押したから、我ながらベストショットが撮れたと思う。此れは……大人になって見返してみると、笑い話になるやつだ。)

 

 

 撮ったばかりの写真を確認するべく、グライスはもう1ページめくる。フシギダネに至っては、嫌われたと泣きくじゃるブルーを慰めるように蔓を出して揺り篭で揺らすように彼女をたかいたかいしていた。

 せっかくだし、とシグマからカメラを受け取って最後に自分たちも映るように若干斜めアングルで、3人とその相棒たちが映り込む形で撮影した。合言葉は、カメラ撮影は得意です。ヲタクですから!!である。きょとんとされて、ぴえんと鳴いた。まァ撮影しているのはグライスではないし。にこりと笑って相棒へ賛美称賛を浴びせる。

 

 

「……うん、ナイスショットだぜ。シグマ」

「ぐあう!」

 

 

 嬉しそうに笑ってくれるものだから、グライスもなんだか嬉しくなって、タンポポちゃんに頬ずりをした。頬ずりを返されて、ほわほわする。ふわふわな毛がくすぐったくて、気持ち良い。

 

 困惑する幼馴染たちの姿を一通りシャッターにおさめ終えて、グライスもゆったりと足を運んだ。けらけらと笑う声は、まさしくグライスの声だ。え、え、え、と困惑するうちにすっかり元気を取り戻した相棒を抱えて、幼馴染たちのもとへ。その相棒はカメラを抱えており、見事に使いこなしている―――ように見える。実際にさっきからパシャパシャとシャッター音が聞こえていたから、きっと撮影していたのは彼らなのだろう。

 

 

「俺の相棒は優秀なんです。」

「うぇ!?」

 

 

 唐突に、口が開かれた。

 一体なんの話をされているのかさっぱり分からなかったのだけれど、先の口論の件に関わりがあるのだろう。身構える幼馴染たちを前に、グライスは軽くふっと笑って、肩を竦める。

 

 

「生き物は失敗を繰り返して成長を繰り返してくんだって、オーキド博士も言ってたろ。で、歩み寄ってくれてる奴を前に、お前らはどうすんの?」

 

 

 弧を描く口元は先ほどの威圧を感じられず、逆にへにゃりとした雰囲気に涙も落ち込んだ気持ちも引っ込む。

 負けたことを悔しがっていないのか。そんな失礼極まりない質問にさえ、彼は柔らかい雰囲気のままゆるりと白銀の瞳を向ける。当たり前のことを聞いてくれるなとばかりに肩が竦められて、悔しいに決まってるだろう、と。

 

 

「だからこそ、再戦を申し込みに……いや、予約かな。しに来たんだ。」

「さいせん……」

 

 

 読み込みに時間が掛かっているのか反応は鈍かったが、ポケモンバトルが好きなレッドならすぐさま気づくだろう。

 

 

「そうそう。俺、今回のポケモンバトルで予想以上に自分が“本物のポケモンバトル”のことを分かってなかったんだって、実感した。」

 

 

 血が湧きたち、肉が躍る。

 そんな感覚を薄っすらと感じ取った。

 本当ならもっとずっと感じていても可笑しくはない感情の起伏。少しずつ回復したその感覚を、今この瞬間しっかり感じたのだ。その昂ぶりは今までに感じたことのないもので、“生きている”と実感を自覚出来たものだった。

 

 

「俺が本当の意味で、ポケモンバトルを知ったとき。または、本物のポケモンバトルに慣れた頃に、また一段と強くなったお前らバトルがしたい。」

 

 

 さも「俺が強くなるんだから、当然お前らだってもっと強くなってるだろう」と認めるどころか、確信を持っての発言は、兄貴分の敗北を悔しがった彼らにとっては正面から殴り込まれたような気分だったのだろう。摘ままれたような顔をして、お互いの顔を見つめ合った。

 

 そうだ。

 ポケモンバトルとは、勝手も負けてもお祭り騒ぎ。全力でぶつかり合うからこそ、言葉要らず交流できるコミュニケーションのひとつ。

 

 

「はは、お前らも甘えん坊さんだなあ。よーしよしよし………まあ、でも、申し込むのは申し込んだからな。お前ら、俺ら以外に負けるなよ」

 

 

 うん、と満足げに頷きをひとつ。激しく侮辱したのにもかかわらず、グライスはけろっとした様子で、ぽかんと口を開けたグリーンたちの顔を覗き込み、無邪気なポチエナスマイルを披露した。

 一度の敗北がなんだ、と言わんばかりの全く堪えた様子のない姿には、ポケモンバトルに勝っても何かに負けたような気がする。それが何かは分からなくて、グリーンはワァッと噛みつくように再戦の予約という名の挑戦状を真正面から受け取った。

 

 

「ふっふ、でもまァ俺としては凄くラッキーなバトルだったな。シグマ、あとでちゃーんと色々教えてやるから、アイツらの弱点突っついてビックリさせてやろうぜ。」

「え!?」

 

 

 驚く幼馴染たちを横目に、グライスは悪戯っ子の顔でにんまりと笑った。

 

 

「グリーンは頭脳明晰な面、レッドみたいな予測が立てられなくて地の利を活用した自由奔放な戦法が苦手みたいだし。」

「は、はあ!?」

 

「レッドはその真逆で、グリーンみたいな綿密に計算され尽くした対レッド用の研究者系のバトルが苦手っぽかったし。」

「……!」

 

「ブルーの指示を出すタイミングとか、アイコンタクトとか、俺たちならすぐ分かっちゃうようなやつだから合わせやすかったし。」

「え!?」

 

 

 負け惜しみと思えない辺り、彼の実力が伺える。

 グライスとシグマの姿をよく思い出してみれば、なるほど、確かにそのような戦術で合わせに来ていたかもしれない。加えて、よくよく思い返してみれば「攻撃を一度も受けていなかった」シグマは生まれてこの方バトルをしたことがないヒヨッコにしては、かなりの鬼才なのではなかろうか。

 

 

「次からはレベルに合わせたまともな指示が出せるから、安心してくれよ。ほんとレベル高い幼馴染が居ると勉強になるよな~。」

 

 

 他の奴らに負ける気なんてまったくしないぜ。と言って笑うグライスに、グリーンは戦慄く。そう言えばサプライズが大好きな類の人種で、とにかくひと段落終わったぜと一息つこうとした瞬間に爆弾を落として行くタイプの悪戯っ子だったなと思い出したのである。

 もっと小さな頃のやつは、オーキド博士や研究者たちにそう望まれたから悪戯について研究して行ってきたものだったが、今ではすっかり板についている。

 

 

「あっはは! とーぜんタダで負けるわけないだろ? ちゃんと収穫はしてくさ。」

 

 

 ただ単純に敗北したのではなかったらしく、試合に負けて勝負に勝ったと言った雰囲気のようだ。敗北をたっぷり味わった気分で肩をがくりと落としたグリーンと、流石だと目を輝かせる二人に、茶目っ気たっぷりに笑って見せた。

 

 ポケモンの動き方やポケモントレーナーの癖を一戦で見抜く。たとえば、と指摘した部分はまさしく幼馴染たちのポケモンが弱点とする場所で、ちょんと指先でつつかれただけでも動けなくなるなど。トレーナーの指示パターンだけではなく、相手のポケモンの動き方や弱点までもを見抜いた力はすさまじい。

 その観察眼や活用する算段をすでに練り上げるグライスを、オーキド博士は高くそれはもう高く評価した。転んでもただは起きぬか。そうかそうか。きっと立派なポケモントレーナーになるだろう。

 

 

「……、…………!!」

「うん? ヒトカゲをどんなふうに育てたらいいのかって? …………や、俺に聞くのん? それはお前が自分たちで考えた方がいいんじゃ……ああ、うん、わかった。分かったから!」

 

 

 ほくほく顔でバトルフィールドの設備の点検を頼むオーキド博士は、焦ったようなグライスの声にこちらも焦って振り返る。

 

 

「ズボンにしがみつくんじゃありません。ズ、レ、るっすよ!」

 

 

 そこにはズボンにしがみつきながら頼み込むレッドの姿と、ズレそうになるズボンをガッと掴んで待ったをかけるグライスの姿があった。思わずシグマに降りてもらって、少しずつ下へとずれていくズボンをがっしり両手でつかんだ。ズボンをずらしたいわけじゃないけど必死に頼み込みたいレッドと、何はともあれズボンから手を離してほしいグライスの間で、必死の攻防戦が開催されていた。

 はわわ、と両手で口元を隠すブルーとグリーンだが、ぺらっとズボンからはみ出たタンクトップの端切れに顔を真っ赤にして慌てて顔を逸らしたのをオーキド博士が微笑ましそうに見ている。

 

 

「あー、あー、お客様やめてください!それ以上は見えてはいけないものが見えてしまいますーっ!流石の俺でも公共の場で露出は嫌っなんすけど!」

 

 

 グライスの渾身の叫び声が決まって、臆病な性格をしているはずのヒトカゲによってレッドが剥がされる。だめでしょ、と吠えたような気がした。



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009:そんな兄貴分のオススメです。

―――参考のひとつであることを、主張した。


 あくまでもひとつの意見として聞けよ。じゃなきゃ俺、ぜってー喋んねぇっすから。そんな言葉を前置きに。ズボンの昇降をかけての攻防戦は、意外な結果にもレッドのヒトカゲが割って入ってくれたことによって終結を迎えた。

 臆病ながらも真面目な性格をしているらしく、懸命なヒトカゲの叱責にレッドはしょんもりと肩を落とす。さすがに公衆の面前でズボンに縋りつき、あまつ、大衆の前でずらしかけたことが駄目だったことは分かってくれたようだった。ズボンじゃなきゃいいという話でもないのだが、ともかく終わったら終わったことなのだ。

 それでもジィと見つめられる視線から逃れるようにグライスはおもむろに上着を脱ぎ、腰に巻く。ズボンにしがみつきがちなレッド対策を講じたところで、ひと安心したのだろう。

 

 

「さて、じゃまずヒトカゲの様子を確認させてもらうっすよ。」

「様子を?」

「今までに研究所に居たタイプなのかどうかとか、細ぇことはやっぱ実際に見たものじゃなきゃ分かんねぇっしょ。」

 

 

 ぷみぷみと、ざらつきながらモッチモチなほっぺたを揉む。

 ひんひんしながら揉まれるヒトカゲは大人しく、一体何を見るのだろうと不思議な様子だった。それならばと遠慮をなくして、あー、と口をあけさせて中を見たり、抱っこしてみたり、高い高いしたり、頬を寄せてみたり。触れる部分から伝わる熱気を思えば、思い当たることがひとつ。

 途中からはまるで遊んでいるようにしか見えなかったが、そんな声もなんのその。ぐりぐりと頬を寄せたグライスは、ぱちくりと白銀を瞬かせて納得したようにひとつ頷いて言った。

 

 

「なるほど、サンシャイン(サンパワー)

 

 

 いや、でも、と呻く。

 陽光の力を借り受けて、炎タイプの攻撃力が上がるだけならばまだしも。レッドの相方と言うだけで、なんとなしに別の恩恵をもうすでに授かっているような気がするのだ。

 

 

「……コイツすでに物理特攻(レッドパワー)を秘めているのかも?」

「どういうことだよ…………」

 

 

 造語した上に、納得しないでほしい。

 言葉を理解出来なかったグリーンは問う。サンシャインに、レッドパワーとは何ぞや、と。

 

 少年少女は、話し合うためにバトルフィールドから移動していた。自然に囲まれた広場の丸太に腰かけて、それぞれのパートナーを側に、得意・不得意の見分けをグライスに頼み込んだのである。

 レッドから受けた先ほどの「(要約)ヒトカゲをどう育てようか」の相談から、幼馴染たちのパートナーを最も活躍させられる状態は何かという相談へと変化した内容だ。

 

 最初に強請られたのがレッドだったからか、彼はずっとヒトカゲを構っていた。しかし、ようやくのことでグライス自身も納得する結論に至ったらしい。

 きらっきらと白銀の瞳がヒトカゲを抱っこしたままその場に座り込んで、前のめりに身体を動かしてみる。鎖骨辺りにゴリッと痛みを感じ、ぴくりと眉を動かしたがにっこり笑ってみせた。

 

 

「うん、やっぱりな。フシギダネ、ちょっと小枝を取って来てくれないか。地面に絵を書くためのものだからそこそこの長さがあると嬉しいな。」

 

 

 フシギダネへと小さな木の枝を頼んでいた。鉛筆に見立てられるほどの小さな枝で、軽く地面にヒトカゲの状態や特性、そして行動のくせが書き込まれていく。

 

 ジャリ、ジャリザリ。

 書き込まれたレッドの相方ヒトカゲの成長育成の方針のオススメに対する結論は、「スピードアタッカー」であった。

 レッドのヒトカゲは、背筋が他のヒトカゲたちよりも発展している。そこでグライスが着目したのは、ヒトカゲの最終進化系であるリザードンへ至った際の能力値である。

 背筋の発達が意味するのは、ヒトカゲの間からすでに飛行能力が高いことの証拠。リザードンへ進化した際、全体的な能力が上がるほか、確実に飛行術も加わって速度が段違いに上がる。次に確認するべきは、ヒトカゲが有する基礎能力だ。

 

 

「で、もとの攻撃力についてなんっすけど。それは、ヒトカゲの手を見てほしいんっすね。」

 

 

 ゼニガメの甲羅は、大の大人の力にハンマーを加えて全力で殴ってもひび割れることのない強固なもの。それをひっかき続ければ、如何なるポケモンだって爪が不揃いになったり、割れたりするものだ。しかし、レッドのヒトカゲの爪を確認すると、そんな様子は一切ない。

 純粋に「物理攻撃力」に優れている証拠だった。そして、何よりも注目したのがヒトカゲの物覚えの速さである。

 

 

「さっきだって覚えていないはずの『火の粉』を噴こうとしてたし、獣としての吠え方も結構出来上がってる方だと思うぜ。」

 

 

 グライスの見立てでは、力を溜め込んで放出する技が得意なんだろうけど、レッドの相方ってだけあってわりかし物理が得意になって来ると思う。そこはもう確実だ。レッドと一緒にトレーニングを毎日欠かさず行えば、特殊攻撃が得意だったポケモンが気づけば物理特化型に変貌した例もある。だからこそ、レッドはポケモンと一緒にトレーニングをさせてもらえなくなったのだ。

 

 

「うん、俺の視点では、そのバランス調整がトレーナーの腕の見せ所って感じっすかね。」

「なるほど、それで物理攻撃大好き人間(レッドパワー)なんて言ったのか。」

 

 

 話している間にも証明と言わんばかりにヒトカゲの背中を触ってみせたり、よく見てみたり、グライスが「これだ」と思う点を丁寧に教えてくれた。言われてみれば確かに図鑑で表示されるヒトカゲの全体図よりも背中の筋肉が発達しているように見える。他よりも丈夫と言うよりも、筋肉の使い方を理解していると言うべきか。臆病な性格だから、今まで多くの研究者たちとの関わりを避けるために隠れ忍び行動し続けた結果なのだろうとグライスは言った。

 

 研究者たちは肯定した。

 

 幼馴染たちの眼差しは輝き、兄貴分を尊敬する眼差しで見ている。たとえポケモンバトルで敗北しても、彼らにとってはやっぱり憧れの存在なのだ。

 せっかくだし、ひとつだけでも覚えさせてみるかと言えば、すぐさまレッドとヒトカゲが嬉しそうにするから、以前試したことのある方法を実演してみせる。ヒトカゲのお腹を揉んで火炎を蓄えさせてから「一緒にせーの、ふーっ!」と息を噴き出してみせると、ヒトカゲの口からポコンと小さな火の種が霧散した。

 

 

「きゅう!?」

「あっはは! 大丈夫、大丈夫! 火になり切らなかったエネルギーが口の中で暴発したんだな。炎タイプのお前なら、タイプ一致の技だからビックリするだけで済むはずだぜ。」

 

 

 驚いたように口をぱかりと開ければ、残った煙がもくもくと上がった。心配なら確認するか。研究者を呼ぼうとすれば、ヒトカゲはブンブン首を横に振った。吃驚はしたのだけれど、確かにグライスが言った通り、それだけだ。

 一通り口から煙が出て行ったことを確認したグライスは、口内を覗き込んで、怪我や進捗を見る。まだうまく吐き出せていないが、体内で火炎の生成はきちんと行えているようだ。

 けふり、と不発の火炎にむずむずしていた。

 ヒトカゲにとっては、くしゃみのようなものなのかな、と考えて、もう一度先ほどと同じように息を噴き出す練習を一緒にする。それを何度か繰り返すうちに、レッドの図鑑から通知音がピコンと鳴った。

 

 

「お?」

 

 

 最初のポケモンをもらうと一緒に、ポケモンの図鑑をオーキド博士から頂戴したのだ。カントー地方に生息するポケモンたちの生態などを研究し、より良い未来を作り出すという新たな夢のため、ポケモンをゲットして図鑑に情報を記録してほしいとオーキド博士からの願いを受けた。

 そんな夢がぎゅっしり詰まった図鑑へ最初に登録された情報は、言うまでもなく彼らの相方。そのポケモン図鑑が通知の音を鳴らしたということは、とレッドは慌ててポケモン図鑑を立ち上げて確認した。

 

********************

 

【LEVEL.6】

種 族 名:ヒトカゲ

特   性:サンパワー

 H P: 20

 ATK:  9

 DEF: 10

 INT: 13

 MND: 12

 AGI: 14

 

【NEW】

・『火の粉』を習得しました。

 公式バトルにおいて用いることの出来る技は4つまでとなります。

 公式バトルで使用する技は、ポケモン図鑑から登録可能です。

 

********************

 

 改めて確認すると、ポケモン図鑑というものはなんだかとんでもなく便利な機械である。

 

 今まではポケモンセンターへ赴き、ジョーイへ公式バトルにおける技の使用内容への変更を申し出て、申請書を受け取ってから提出。ポケモン協会へ一旦提出した内容は、約1ヶ月の審査を超えて承諾・不承諾の証明書が発行されて、ポケモンセンターから紙面でまた受け取るシステムだった。

 そのおかげで、旅中で書類に埋もれるポケモントレーナーが多発してしまってあんまりな冒険になってしまうから、次第に公式バトルを忌避し、非公式バトルが多かったのだとか。ジュンサーが非公認バトルへの注意喚起できる特権を持つのは、かつてそのような時代があったからだとオーキド博士から聞かされたことがある。

 話題として耳に挟んだ当時は大変だったな、としか思わなかったが、確かにあの書類の山を見ては冒険へ持ち歩くには不便にも程がある。手持ちの端末でなんとか出来やしないかと試行錯誤してくれた研究者たちには感謝を送るほかない。

 

 それはともかくとして。

 

 

「やったなあ、ヒトカゲ、レッド。戦法が広がったぞ!」

「きゅあ!」

「……!」

 

 

 嬉しそうに頬を揉んで顔を隠そうとするヒトカゲをレッドは隣で頭を撫でて微笑んだ。寡黙ながらの褒め方だが、自分が選んだパートナーに褒められて嬉しくないはずがない。

 さらに照れたように鳴き声をあげたヒトカゲを、グライスはそろっと抱き上げてレッドの膝の上に乗せてやった。

 

 拒まれることは万が一にもないから、甘えてごらん。

 にこりと微笑む白銀に従い、ひらけた赤いジャケットから見える黒いシャツに頬を寄せたヒトカゲはさらなるなでなでに満足げに声をあげる。

 

 

「よし、今だ! シグマ、シャッターチャンスだぜ!」

「ぐぁう」パシャパシャ

「流石キョウダイ、わかってるーっ!」

 

 

 その構図を作り上げたグライスは、すかさずシャッターチャンスを切った。和むと気持ちを隠さぬヌメラァな顔でレッドの頭を褒めるように撫でて、次はフシギダネを手招きする。

 

 

「さ、次はフシギダネの得意を探そうな。」

 

 

 初めてのことばかりなので、苦手を克服するよりも、まず先に得意を伸ばす方向で考えた方がやりやすいと思ったからだ。

 甘えるよりも甘やかすのが得意なフシギダネだが、グライスを前にそんな面倒見の良さも崩れる。そろっと顎を撫でられただけでもへにゃんと柔らかな笑顔を浮かべるフシギダネを抱っこした彼は、両足を揉んだり、お腹を撫でてみたり。

 額を撫でてみたり、と再び密着しながらの確認をしていた。実際に見て触った聞く方が分かると言うが、コミュニケーションの一環に見える。あながち間違いではないから訂正はしないが、おそらく他の人間がやろうとして出来るものでもないのだろう。

 今の行動で何が分かるのだろうかと不思議に思いながらブルーは質問をかけ、グライスが至った結論を受け取る。

 

 

「な、なにか分かったの?」

「めちゃくちゃ受け流すの上手になりそうな子だなーって思って。」

「うけながす……? でも、どうして受け流すのが上手になりそうとか分かるの?」

 

 

 きょとんとしたブルーの質問は、人にとっては当たり前だ。

 後ろで興味深そうに研究者たちが眼鏡を輝かせたり、レポートを片手に耳を澄ませたりするのがその証拠。

 研究者たちもあっと驚くような「瞬時に見分ける観察眼」の持ち主であるグライスだからこそ、その短時間できっと分かるものなのだろう。それはそうとして、何か秘訣があるなら知りたい。

 

 

「ん-、強いていうならなんとなくだけど…………」

 

 

 首を傾げながら抱っこしていたフシギダネをおろした彼は、おもむろに手のひらをパーにしてフシギダネの顔に近づけた。右から近づけた手のひらをフシギダネは少しばかり同じ方向へ動かして、その手を受け入れる。

 

 

「こんなかんじ。何も特別なことなんてしてないだろ? 生きる中で、相手がどう活動してるのかって言うのを見るだけだぜ。」

 

 

 さっぱり分からなかった。

 感覚と言えば感覚なのだろうが、どちらかと言えば野生的。本能で生活をする人間でなければ、きっと理解は難しかっただろう。此処はマサラタウンで、博士を筆頭に研究者たちも野生と隣接にあるから少しニュアンスとして伝わってきた。

 

 

「……いや、だからどういうことなんだよ?」

 

 

 だからといって、その全貌は理解出来なかったことをグリーンが代表して質問した。どうって言われても、と困惑した表情を浮かべたグライスだが、ピンとくるたとえを発見できたのだろう。

 

 

「あー、俺の手が……ポケモンの『体当たり』だとして。」

「おう」

「右から迫って来ると、フシギダネは同じ方向に顔を動かして衝撃を最小限にして受け流してるかんじ。今度はスピード早めに行くから、ちょっと付き合ってくれるか?」

「ダネ、ふっしゃぁ!」

「よーし、行くぞ」

 

 

 先ほどよりも素早く左から迫ってきた手のひらを、フシギダネはやっぱり迫ってくる手のひらと同じ方向へと顔を動かしてそれを受け入れた。威力としては、もにょんっといった具合である。

 手の感触にグライスは「フシギダネのもちもちほっぺの攻撃!俺には効果は抜群だ!」と叫び、胸をおさえながら崩れ落ちた。

 唐突に崩れ落ちた身体に、ポケモンたちが大慌てで様子を覗き込む姿にさらなるダメージを受けたらしく「ポケモンの上目遣い!涙目!俺元気!あああでもしぬ!可愛さの過剰摂取で胸が痛い!」と呻いていた。しかし、泣かせたくはないらしく、ひょこりと起き上がったときには普段通りの顔を浮かべているのだから切り替えが早い。

 

 

「なんとなくわかった?」

「あ、うん、なんとなく。ありがとう、グライスくん」

「んーん。じゃ、最後はグリーンのとこのぜにがメェェーッ」

 

 

 ヌメラのような悲鳴が上がった。

 その悲鳴が上がった理由は背中にまわりこんでヒシッと引っ付いたゼニガメだ。口から泡を吐き出して、彼をずぶ濡れにしたのである。甘え方がなんともダイナミック&悪戯っ子全開。先ほどだってグリーンへ頭突きをかまして甘えに行った。

 ゼニガメ本ポケは甘えに行っているだけなのだが、その勢いがもはやタックル。甘えタックルとは言い得て妙。ダイナミックな甘え方だったが、痛みはなかったらしく、本当にずぶ濡れなだけのようだ。

 ぶは、と顔の水気を落として笑った。やったなー? ゼニガー? 水を得たヌメラのように笑ってゼニガメをくすぐるグライスの姿にグリーンは壊れたラジオカセットのように謝り倒し、レッドはタオルを頭に被せる。

 

 

「まあまあ、気にしてねぇって。元気なのは良いことだろ?」

「そうなんだけどよ……。お前って濡れただけでも風邪引くだろ?」

「………俺が弱いんじゃなくてお前らが強すぎるんだよ。それはさておき!コイツは、甲羅の使い方さえ理解できればすごくなる。」

「すごくなる?」

「すごくなる! 防御面も攻撃面も、亀の甲羅でアレンジできるからいいとおもう」

 

 

 グライスは楽しそうな顔から一変し、心底真顔でコクリと頷いた。心の底からの言葉だ。

 

 

「それに、博識なグリーン相手にゃ余分な情報は必要ないだろ。自分でさらに分析重ねて“合う”って思ったバトルスタイルにしてくのがお前だ。」

「さらっと俺を分析してくるなよでもありがとうさん!!!!」

 

 

 わあっと顔を両手で覆ったグリーンは、耳まで真っ赤にしてお礼を口にした。そして、おずおずとぎこちなく俯きがちに「ごめん」と一言。

 続けてレッドからも頭を下げられ、ブルーからも謝罪を受け取る。その謝罪がなにを意味するかを知るグライスは、にんまりと笑った。しょうがねぇなあ。許す。普段通りの無邪気な笑みだった。



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010:灰銀の少年は、最初の一歩を踏み出した。

―――檻から解き放たれたkモnノ


 ゼニガメの甘えん坊タックルによって、ぐっしょりと濡れてしまった全身は、早速連携をとったレッドとヒトカゲの手によって全て乾かされた。くしゃみをひとつ零せば、流石に人間の脆さを感じ取ったのだろうゼニガメが縮こまって謝罪のようなポーズをとる。その可愛らしさに癒されながら、グライスは本当に気にしてないと言って頬をもにもにした。

 

 レッドのヒトカゲが全て乾かしてくれたおかげで、湿り気を吸って服が重たいということもなくなった頃。冷えた身体を温めるためにも、軽めの準備運動を通す。

 すでに身近な人たちとの挨拶回りも終えたし、何なら「シグマの親権を譲り受けた証明書」は、ポケモン図鑑の中にデータとして保管。「ふつう」ならば、両親にも挨拶するところだが、そもそも両親に挨拶って何をするのかさっぱり。マサラタウンの家に立ち寄ったことは一度たりともないのに、何ならグライス少年は血を分けた親の顔も知らない。

 ポケモントレーナーへの進路相談だって欠席し、何なら放任主義の親だって「好きにしろ」ぐらいは掛けてくれるだろうにそれすらもなく、体調不良を拗らせて入院した時だって病院から連絡を入れても両親からは音沙汰なし。そのような人たちに今更期待も何もしない。必要な生活費は銀行に振り込まれる程度だったが、10歳にも満たぬ子どもがそんなものを扱えるはずもなく、オーキド博士が代行してくれた。

 とりあえず、義を通すために「ポケモントレーナーとして、マサラタウンから今日、旅立ちます。」という連絡だけは入れたが。

 

 

(まァその程度の気持ちすら、どうでもいいんすけどね。)

 

 

 口に出せば泣かれてしまうようなことを平気で頭に浮かべ、なんとなく旅立ちの高揚感を思い出そうとシグマを見下ろす。いつも通り、そこでグライスの言葉を待ってコロコロしている。うん、俺の弟超可愛い。

 

 

「さ、シグマ。俺らはそろそろ行こうか。トキワシティへは、俺らが一番ノリになるんっすかねー?」

 

 

 にんまりと笑った顔に負けじとグリーンとレッドが駆け出そうとするのを、挑発した本人が首根っこを捕まえて制止した。お前らまだ家族に挨拶してないだろうが。呆れた顔はまさしく幼馴染として二人のことを理解しての行動力である。

 

 

「そうか、グライスくんはもう行くんじゃな。」

「うん、マサラタウンからトキワシティまでは、それぞれ別行動してみようって話だったからな。」

 

 

 ブルーの両親は、ひとり娘をとても大切に想っており、旅をすることをあまり良しとはしていない。最近、ロケット団なる犯罪組織が跋扈するから治安が悪くなってしまったことも、彼女の両親が抱える不安に拍車をかけていた。

 そんなこんなで、とりあえずトキワシティまでは一人旅をして、そこから考えようと提案したのである。

 彼女たちはまだ挨拶回りがあるようだし、と根回しを済ませる辺り、冒険に夢を見ているようだった。良い傾向だ。それに加えて、かつてオーキド博士の体験談のようなものだったが、教えたことを有言実行している。冒険の心得、挨拶はきちんとすること。

 

 

「旅立ったら寂しくなってしまうな……。マサラタウン近くに帰ってきたら、いつでも研究所へ寄りなさい。そのときは、おかえリングマ!と歓迎しようかのう。」

 

 

 ほろほろと笑って冗談を付け加えれば、孫から白らんだ眼を受けた。なんじゃいなんじゃい。うーん、と唸ったグライスの姿にはほんのわずかにショックが隠せない。リングマのように懐に入れた相手を守る力を持てる成長をすると意味で突っ込んだのに、あんまりウケなかった。

 普段は笑顔で何かしらの返事をくれると言うのに、今日は少し考え込むように唸っているのだ。つまらなかったかのう。しょぼくれるオーキド博士の背中を孫であるグリーンは呆れたように見つめた。相変わらずのオヤジギャグのセンス。そりゃあな、と肯定しかけた声を「閃いた!」と研究所へ向かって満面の笑顔を返すグライスに目を瞬かせる。

 

 

「ただいマサラタウン!…………なんてな」

 

 

 やんちゃなガーディの悪戯だ。

 にんまりと弧を描く口元にグリーンは空を仰ぎ見た。わあ、おそらきれい。時折、大人のオヤジギャグに合わせて返すのは知ってたが、もしかすると彼のその部分を鍛えたのは己の祖父が大半なのではなかろうか。

 ポケモンを前にしたグライスのようなポーズで流れるように崩れ落ちる。(ヲタクという)人(種)はそれを「てぇてぇ」と言った。

 

 ただいま、と、マサラタウンを掛けたようだった。

 閃いた瞬間の白銀が印象的だ。きんきらりん。これなら喜んでもらえるかも、と期待をありありと宿した白銀の瞳の愛らしさたるや。そこかしこで研究者たちが屍と化した姿を見れば、その威力はお分かりいただけるだろう。オヤジギャグのセンスやノリはさておき、思わず幼馴染たちは揃って一回りは大きい彼の頭を撫でまわした。

 

 ヌメェー? だめだったー?

 しょんもりとした口元の愛らしさに、揃って撫でるスピードが上がった。この兄貴分は、こういう天然なところがあるのだ。

 

 

「頭そんな回さないでくれ……。俺、ポケモン、遊びたい」

 

 

 本能とも言える。とにかくこの目の前の生き物をどうにかして尊まなければと謎の使命感に駆られるままに頭やら頬やらを撫でまわし続ければ、流石に抗議が上がった。

 困惑しきった表情に、研究者たちは別の意味で胸をおさえてそっと涙した。彼らの精神フォローやら教育やらのおかげで、それなりに自己否定の様子は見られなくなったがああして手放しで褒められたり、愛情表現を受けたりすると、どうしたら良いのか分からなくなってしまうのがグライス少年なのである。もっと自分を受け入れてあげて、と涙ぐみながら研究者たちはハンカチを濡らした。

 

 

「あっ、ひ、引き留めちゃってごめんね! またあとでね!」

「わり、つい。お前も俺ら以外に負けんじゃねーぞ!」

「…………、…………。」

 

 

 今生の別れでもなく、期限の分かる一時的な別れなので、幼馴染たちとの挨拶もあっさりとしたものだった。挑戦的な返しには、にぱっと笑って、沸き立つ感情のままに八重歯をちらつかせながら挑戦状の影をちらつかせる。

 

 

「それはもちろん! ポケモンと一緒にめちゃんこ強くなってお前ら負かしてやるよ。お前らも、餓えた獣に喉を噛み千切られないように必死こいて強くなってくれな?」

「ア゜ッ」

「ヒ゜ッ」

 

 

 今まではやんちゃなガーディだったり、びっくりヌメラだったりしたのに、唐突の挑戦的な野生の顔をのぞかせたのだ。心臓を鷲掴みにされたかと思った。……実際にされたことはないのだけれど、それほど衝撃を受けたという比喩である。胸の高鳴りが抑えられず、どきどきそわそわした様子でちらりと見れば、すっかり復活しかけた研究者たちは普段はぬめぇーんとのんびり幸せゆるりんとしたり、やんちゃに遊んだりむじゃきに笑ったり、普段通りの顔にギュンとした。

 唐突の獰猛に獲物を狙う獣のような眼差しと好戦的な笑みにコロリとハートをぶち抜かれ、再び研究所の床とお付き合いを始める。普段温厚な人間が好戦的に変貌したギャップを直射日光で受けたようなもの。甘えるからの破壊光線でもぶち抜かれたかと錯覚を起こした研究たちは、たちどころに内側から沸き立つ感情を咆哮する。

 

 

「ムリスキーーーッ!!!!」

 

 

 それが研究者たちの鳴き声であった。

 わかる。激しく同意をしながら、オーキド博士はポケモン図鑑の使用についての説明を軽く流す。説明書はないが、ヘルプ機能が似たようなもの。加えて、携帯電話の役割も果たすから困ったことがあればいつでも連絡する約束をした。

 

 特にグライスは念押しされた。

 不思議そうに目をぱちくりと瞬かせた彼は、おもむろに端末へと指を滑らせる。とりあえず連絡先のお気に入り登録をすれば、お気に入り(もといよく使う)の連絡先が先頭に表示されるという。

 起動したばかりの端末だが、なんとなくの直感で操作をしてオーキド博士や馴染みのある研究者たちの連絡先にロックをかけて、お気に入り登録した。

 

 

「先も説明したとは思うんじゃがポケモン図鑑を託したのは、カントー地方に生息するポケモンたちの生態についてもっと理解を深めたくてのう。」

 

 

 もう一度旅をするには、些か年を重ねすぎてしまった。山へ登ることも一苦労、川を超えるのにも膝に堪える。あらゆる理由が重なって冒険を断念せざる得なかったオーキド博士は、赴けなければデータを採取するほかないと決断したのだ。

 そんな理由のもと託されたポケモン図鑑への情報登録方法は至極簡単で、モンスターボールで捕まえたポケモンを図鑑が自動的にスキャンして、膨大なデータから情報を参照し、図鑑へ表示される仕組みとなる。なお、モンスターボールで捕まえたポケモンが同じでも能力値や性格またもともとの棲み処によっては、表示されるデータが異なるために4人に預けた。

 

 

「ポケモンのデータも閲覧出来るから、お前さんたちの旅の手助けにもなるじゃろう。無論、ゲットは強要せんよ」

 

 

 お互いの心を通わせてなんぼじゃからのう。

 朗らかに笑うオーキド博士へ「おっけー」を即刻繰り出し、むしろ特技かもしれんとあるはずのない尻尾をブンブン振り回すグライスにほわっとした。

 

 

「お、せっかくだし記念すべき一発目。シグマ、鑑定!」

「ぐあ~う!」

 

 

 元気な笑顔のまま端末をそろっと相棒へと向け、スキャンを開始すると本当にポケモンの説明文が流れてきた。生息が不明と出るのはジグザグマがホウエン地方に多く生息し、カントー地方には生息しないポケモンだからだろう。加えて、証書も出てきた。

 これで法的な手続きは完了したのだ。シグマの親の名前は、「グライス」で登録されている。何よりも嬉しくて堪らない。へにゃ、と嬉しそうに笑った彼は端末をポケットへなおして相棒を抱えた。

 

 

「じゃ、先にトキワシティに行っとくぜ。あとでまた合流! 博士たちには到着次第、連絡するから楽しみに待ってて!」

「うむ、行ってライチュウ!」

 

 

 オーキド博士のオヤジギャグに対して足を止める。再び、うんうん唸ってから納得する文章でも思いついたのか顔をあげて「マダツボミ ひかりあびても まだつぼみ。行ってきます」と言葉を返してから、一足先にマサラタウンの出入り口に設置されたゲートを通り過ぎた。

 

 

「…………ふむ、やはり賢いのう。」

 

 

 そうしてオーキド博士は、先ほどグライスが口にした川柳を思い浮かべながら言葉の意味を噛みしめた。

 なんとも癒される。なんとも愛らしい。

 先の言葉に秘められた言葉の意味を思えば、胸の奥がじんわりと暖かくなる。成人したとは言えども、彼の幼少から知る身としてはまさしく庇護を受けるべき子どもであり、庇護したくなる子どものような存在であることを脳内に再確認させられたようだった。

 

 

「………ふむ、マダツボミとは3回進化するポケモンじゃな。光浴びてもというのは草ポケモンにありがちな光合成のこと。光合成を重ねることによって、マダツボミは成長すると聞くことから考えると……」

「経験(光合成)を重ねてもまだまだ未熟だから、進化できるように頑張って来るな!ってことだろ。」

「流石はグリーンじゃの! あの子らしいまっすぐで正直なええ川柳じゃ。しっかし、数秒の返しとは。」

 

 

 行ってライチュウの後から数秒と立たぬうちに、さらりと口から紡ぐられたような気がする。幼少の頃から感じ取ってはいたのだけれども、やはりグライスには研究者としても川柳の読み手としても才能があるようだった。

 

 

「そりゃアイツは馬鹿じゃねーもん。なんたって、このオーキド・グリーン様のライバルだからな!」

 

 

 自信満々に威張るグリーンに祖父の顔で微笑む。

 さて、孫は孫娘のところへ行ってタウンマップを受け取るのではなかったかな。時計をちらと見てそう告げると、今すぐにでも飛び出しそうな幼馴染の腕を掴んで走って行った。慌ててブルーも彼らの行動力に感化されたように自身の家へと向かう。それでもちゃんと「行ってきます」と言うのだから、根がまっすぐな子たちだ。

 

 

 

―――博士たちは、若者たちへエールを送る。

 

―――旅立つ小さなつぼみが大輪を咲かせることを願って。

 

―――若き勇者たちよ、夢に向かって咲き誇れ。



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011:鶴ならぬポケモンの一声。

―――ほんと助かってます、と灰銀の少年は言った。


 最初の相棒を連れて、グライスは育った町から飛び出した。

 グライスたちがマサラタウンを飛び出し、真っ先に足を踏みしめたのは「1番道路」だ。カントー地方の西方にある「1番道路」は、北へ行けばトキワシティ、南に行けばマサラタウンに通じる道路である。

 道中に段差があって南下する際には飛び越えられるような斜面があるのだけれども、北上する際には脇道の草むらを何度も通らなければならないのだ。草むらと言っても、子どもたちの腰辺りまでは隠れてしまう高さはあるので、野生のポケモンが飛び出してくる危険性を伴う。

 だから大人たちは自然の恵みと脅威に囲まれたマサラタウンで、子どもたちを異様なほどに守る姿勢を見せたのか。好奇心旺盛な子どもはすぐ何処かへ行くから、知れず草むらで迷子になって捕食されるなんてことも、あり得てしまう。

 

 

「こうしてみると隔離された一部の世界しか知らなかったってことっすよねぇ……」

 

 

 転生者であるが故か、どこか客観的な視点を持ってみれば、しみじみとした感想が口から零れた。

 オーキド博士や研究者たちは好きだったし、幼馴染たちの家族も好ましく思う。そんな好きが詰まった小さな町にあるのは両親が立ち寄らぬ家。もの寂し気に佇む小さな町にそぐわぬ、大きな屋敷のようなそこではサーナイトとエルレイドがよく面倒を見てくれていた。だが、そんなポケモンたちも、高齢だったこともあってグライスが9歳の頃には他界。

 ただでさえ狭かったグライスの世界は、今際のときにまでグライスのことを案じてくれたポケモンたちへの情を芽吹かせ、また少し狭まった。

 

 感情に敏感なエスパータイプのポケモンたちは、グライスの心をよく案じてくれた。気持ちが回復してからというものの、実の両親とは、実は彼らだったのではと錯覚することもしばしばあるほどに仲は良かったのだ。流石にポケモンから人間が産まれてくるなんて事例はなく、すぐさま否定したが。

 だからこそ、「人」に心配されることも、愛されることも、夢の中の話だと薄ぼんやりと思うほどには人間性が希薄していて、あらゆる人に危機感を覚えさせたのだ。心に抱く虚無感を表現することだって出来なかったから、余計に、だろう。

 

 

「見失わないようにちゃんと俺の気配を感じ取れよ」

 

 

 それにしても、足元でちょろちょろと歩き回る可愛い弟の存在を感じ取りながらグライスは息をひとつ。

 

 

(シグマ視点だと草しか見えなさそう…………)

 

 

 草むらをかき分けることもせず、自然の恵みを頬に感じる。さわさわと草の先っぽが当たってくすぐったい。足元では視界の悪さにぐうぐう唸るシグマが居た。

 

 

「ぐうっ!」

 

 

 ベテランの、それはもう熟練のポケモントレーナーですら、気配を読むことを至難の業であると言うのに。気配を感じろ、だなんて無茶ぶりにも程がある。

 通りすがりの虫取り少年は、あんまりな無茶振りとその無茶振りに対して「へへっ楽勝だぜ!(アテレコ)」風に意気揚々と返すポケモンにドン引きした。何処の戦闘民族だよ。きっとマサラタウン産だと言えば、少年も納得したのだろうが、ただの通りすがりだったので普通にすれ違った。

 地図上では幾ら「1番道路」を北方に歩くだけとは言えど、紙面で感じたたかだか数センチの差は実際に大地で踏みしめるには遠い。

 マサラタウンから最寄りの街であるトキワシティへは、最短でも約20時間は掛かる。ド派手にデカイ田舎の道だからか、あのオーキド博士ですらケンタロスで爆走するほどの距離。慣れてしまえば歩ける距離だが、それなりに都会っ子だった記憶のあるグライスは距離感を計算して遠い目になる。

 数字で理解してしまえば、なんとなしに「うわぁ」と言いたくなるようなものだ。

 

 マサラタウン最寄りの小さな学び舎は、トキワシティ付近にあった。今までトラックやら車やらポケモンたちやらに送迎をしてもらってきたのだが、なるほど、確かに身体の出来上がっていない子どもたちだけでは移動が大変だ。

 

 

(そりゃブルーも心配されるわけっすよ。あんなに可愛い女の子がヘンな奴に狙われないはずがない。)

 

 

 うんうん、と頷く。可愛いうえに控えめな女の子は、不審者に狙われやすくて大変なのだ。何度も撃退したから分かるぞ、と変な確信を抱きながら、グライスは草むらからひょっこりと顔を出して左右を確認する。

 子どもたちの中でも群を抜いて大きな身長を持つ彼ならば、ほとんどノータイムで前進できてしまうのだけれど足元で視界の悪さに呻く弟の為ならば何時だって安全確認を万全にしていく所存だ。

 

 

「よし、大丈夫だぞ。出ておいで、シグマ」

「ぐう!」

 

 

 もしかしなくても田舎も田舎。のどかな景色と平和な恩恵を一身に浴びたようなマサラタウンから離れるほど、何処か現実味を帯びる景色がちらほら見られるようになってきた。

 そのひとつとして例をあげるなら、工事現場によく立てかけられている看板だろう。あの住民たちの距離が近く、お互いの顔と名前が分かるほど親身な人たちが居るマサラタウンではあんまり見られなかったもの。それでいて、グライスの前世ではよく見かけたような気がするものだ。

 

 不意に空が曇った―――と言うよりも、グライスを中心に、影が大きく広がった。まるで生き物であるかのような影が幾つも重なるものだから何気に空を見上げてみると。

 

 

「うわっ」

 

 

 大量の“目”とかち合った。

 何処を見ても、空は鳥で埋め尽くされており、目、目目目、目目目目目目目目目目目目、目ばかり。集団恐怖症の人間が居たらきっと発狂待ったなしの光景である、黒くてつぶらな目が、無音で羽ばたくと言う何ともハイクオリティな技術力を見せつけながらジィっと穴が空きそうなほどの凝視をしていた。

 

 

「いや、普通に怖ぇよ、ホラーかな?」

 

 

 グライスは一瞬鳥肌が立ったけど、ぐっと堪えて真顔で見つめ返した。今までの経験を語るならば、研究所のポケモンたちは人慣れしていたから寄ってたかって摺りつかれることはあっても、凝視されることはなかったのだ。

 あんなにジィっと見つめられるだけなのが恐怖に感じるなんて、きっとグリーン少年のストーカー撃退事件以来だろう。だからか、ちょっとぞわぞわした。新たな発見である。

 

―――ちょっと厭な発見だった。

 温厚な性格をしているはずのポッポたちに凝視されながら、グライスたちはとにかく沈黙を貫きぐんぐん進む。今はとにかく此のなんとも言えぬ集合体から逃げきることだけを考える。

 ポッポたちは日中に活動するタイプのポケモンなので、本当なら危険行為だからやらないつもりだったが、眠くてふにゃんふにゃんにふやけるシグマをモンスターボールで休ませてから夜に進むことにした。

 黒くてつるりとした眼に見つめられるのは、普段なら可愛くてワイワイするだろうが、冒険の中でああして普段通りにやられるのはなかなかに苦痛である。

 グライスは自然が好きだからさして気にはならなかったが、何ならグリーンですら発狂するホラー系もへっちゃらなので。今まで温室育ちだったシグマには、複数の目でじっと見つめられることが苦痛に感じるようだという意味だった。

 

 すっかり烏合の衆が苦手になってしまったシグマのかわり、グライスはひとりで草むらをぶっ続けて通り続ける。休憩を挟まず進む姿に何を思ったのか、1羽のポッポが側に降り立ち、烏合の衆を威嚇した。

 

 

「お、やるなあ。まさしくポッポの一声……」

 

 

 グライスが離れてほしい、という訴えをなかったことにして凝視を続ける烏合の衆は、ポッポの威嚇によって霧散した。複数の目から放たれる重圧はなくなり、ほっと息をつけば、ポッポはグライスの目の前にちょんと降り立つ。

 

 

「もしかして、俺たちのこと心配してくれてたのか?」

 

 

 遠目から「見る」と言うよりも、旋回していたポッポはきっとあの群れの中でも高い実力を持つのだろう。野生の生き物は自分より強い生き物には従順になるものだ。そんなポッポが近くに降り、飛び立つ気配もなく、近寄って来た。

 

 

「ありがとな、ポッポ」

「クルルゥ」

 

 

 褒められて嬉しそうにするポッポは、ちょこんとグライスの前をちょんちょんと跳ねるようにして歩く。

 流石にそんなことをされれば、何を要求されたのか察しが付くと言うもの。研究所のポケモンたちは、一度たりともグライス(の腕)に抱かれたことがないとは言えないほどにてろんてろんに懐き尽くし、ある研究者が吐露した心境こそがその場の誰もが思ったことだったのだろう。

 伊達に「オーキド博士のポケモン向け少年ホスト」と言われるだけあって、「野生の群れ長」と言われるだけあって、ポケモンたちから好かれている自覚はあったのだ。そして、今までに遭遇したポケモンは、ほとんど同じ“目”をしていた。当時はポケモントレーナーではないことを理由に断ってきたが、今はもうその一員なのだ。

 

 

「その子はな、さっきのポッポたちを遠ざけてくれたんだ。」

 

 

 指先でモンスターボールをノックして、烏合の衆が散り散りになったことを報告し、シグマに出てきてもらう。せっかく仲間に加わりたそうにこちらを見てくれているわけだし、大衆にも引けを取らず威嚇する“カレ”が仲間に加わってくれたのなら、きっと頼になる。

 仲間を加えるかどうかの判断は、先ほどまで鳥を怖がって引き篭もりになりかけた弟にさせようと思ったのだ。無理そうなら、それはそれで申し訳のないことだけれども、とても残念なのだけれども、仲間へ加えることを断念する。

 ともかく今は空から誘導できる要員であり、他の鳥ポケモンを牽制できる要員が欲しかった。グライスは可愛がったりするが、弟があんなにも怖がるとは思わなかったので。

 無理強いをしたいわけではないし、旅ならふたりだけでも出来るから、今はとにかく外と内側の違いを受け入れるための期間が欲しいとか、様子を見る、と言うのなら合わせようと思ったのだ。

 

 

「ぐぅ……?」

「それで仲間に加わってくれるって言ってくれててな、シグマ……お前はどうしたい?」

 

 

 前に進めなければ、シグマのことは庇護対象として永遠に守る姿勢を見せるだろう。だが、前に進む決意をしたのなら、ひとりの男として、その手伝いをする。そんな思いで尋ねれば、意外にもシグマは野生のポッポへ向かって空のモンスターボールを転がした。

 仲間に加わることになるのだけれど、先ほどまで怯えた鳥型ポケモンのことを。お前が怯えた相手と同じ形をする子だぞ、と確認するように見下ろせば、震えてなんか居なかった。ただの強がりではなさそうだと思って、先の一連を思い返してみれば……。

 

 

「もしかして、囲まれた状況が怖かった?」

「ぐぅ……。」

「あー、そっか。そうだよな。お前今まであんな風景に遭遇する率低かったし、耐性ないか」

 

 

 鳥型ポケモンが怖かったのではなく、大勢に囲まれた状況が好ましくなかったようだ。言われてみれば、研究所の人たちはほとんど少数だし、シグマの中での大勢と言えば幼馴染と博士を加えた4,5人程度の数。都会へ行くために、大数に囲まれる状況への慣らしをしたことがなかったかもしれない。

 グライスが野生のポケモンたちと戯れる際は、よく幼馴染や博士、研究者たちがシグマのことを保護してくれた。その為、シグマは野生のポケモンと関わることが少なかったのである。気づけば上級生に囲まれてリンチにされるような風景だ。それはさぞ怖かったろうに、よく逃げ出さずに居てくれた。

 

―――というのがグライスの認識だが、シグマ側の視点から言わせてもらうのならば「大事な人が野生に連れ去られる!あんな数相手じゃ叶わないよ!うわぁぁぁん、僕だけじゃ守れないかもしれない!どうしよう!?」という嘆きと恐怖である。

 

 グライスが考えるものとシグマが感じていた恐怖の方向と、度合いが違った。

 呑気に仲間に加えるかどうかを悩まず、とにかく戦える仲間を欲してよう。今はとにかく戦力が足らない。何よりも総合的な力を底上げするためにも、シグマは大事な人を守る為の即戦力が欲しかった。

 空が飛べるポケモンが相手なら、きっとシグマの届かぬ領分を補ってくれる。グライスの声には、空のモンスターボールを転がすことで応えた。

 

 あんなにぽやぽやだったのに積極的になって、と感動するグライスをさておき、シグマは新顔であるポッポへと注意事項というか懸念事項を語った。

 

 

『僕のお兄ちゃん、ポケモン相手だと凄く危機感なくて、だから陸と空で守りを固めてほしいの。僕は陸で頑張るから…!』

『なんですって!?』

『やっぱりそうなんですか?』

『『え……?』』

 

 

 まだモンスターボールに入っちゃ居なかったが、気分はもうゲットされたも同然。ひとまず話を聞くべく腹の下へ確保しようとしたモンスターボールを突如現れたポケモンにちゃっかり奪われたポッポは、二重の意味でクルゥッ!?と驚愕した。

 コロン、と叫ぶ少女のような声の主の姿が消えて転がるのはポッポへ転がされたはずの空のモンスターボール。それには、グライスも目を丸くした。

 

 

「鮮やかな手際だったな……。ああ、うん、お前には、ほら、こっちやるよ。シグマのお隣さんだ」

 

 

 此処でよければ、と提案された言葉にポッポは涙目ながらにすかさず突撃モンスターボールをかまし、正式に少年のポケモンとなった。己の住居になるはずだった場所を奪われて気分は良くなかったが、仲間となった相手に向ける感情ではなかろうと蓋をする。

 

 

「ちゅちゅう」

「ん、俺にくれんの? ありがとう、…ラッタちゃん」

 

 

 コラッタ相手にコラッタの進化系の名を付けるのは妙だとは思ったが、そもそも彼女は「ネズミ」であることに誇りがあるようだ。小さな身体を潜め、相手に忍び寄り、弱小動物だなんだのと油断を誘った隙に…と言った戦法を好むように見える。

 それ故の「ラッタ(ねずみ)」という名。彼女はそれを照れくさそうに、何処か嬉しそうに受け取って、ちゅうちゅう鳴きながら木の実をくれた。

 

 さて。マサラタウンを出たのは、朝9時を回った頃だったと言うのに、すっかり陽も暮れ始めている。

 朝から昼にかけての大移動の効果だろう。幼馴染たちはもう少し時間が掛かるかも、と思いながら予定を立てる。このまま進んでも夜は真っ暗になるから、夜中の進行は危険度が増す。今日は1番道路を少し抜けた先にある小さな洞窟付近で一晩を過ごすことになりそうだ。野宿するなら場所の確保と焚き火の用意をしなければ、と準備に取り掛かろうととした矢先のことだった。

 

 

「ち゛ゅ!」

 

 

 仲間に加わったばかりのコラッタが小さく何かを口ずさむ。

 ザッと草むらの中を激しく移動するコラッタたちの群れにびくつくシグマを抱えてやりながら、何かたくさんポケモンが来たなとグライスは呑気に見つめれば、彼ら彼女らは口に何かを咥えていた。

 無言で差し出されるそれを、同じく無言で受け取れば、小型のポケモンたちは小柄な身体を活かして来た時と同じようにザザァッと姿を消して行った。

 

 

「まさかとは思うけど、ラッタちゃんって此処らへんの元締めだったりしたん?」

「ちゅ?」

 

 

 可愛く小首を傾げられては、何も言えない。

 

 

「ん-ん、なんでもない!」

 

 

 乾燥した太めの枝を持ち寄って来てくれたのは大変な作業になるだろうと思っていたから、とても有り難い。姿が見えなくなった方へとお礼を告げてからグライスは腰に巻き付けたままにしていた上着を羽織った。

 

 

「さ、初めての旅で、野宿だぜ。 準備するぞー!」

「ぐうー!」

「ポッー!」

「ちゅっ!」

 

 

 場所を確保して野宿の準備に取り掛かった。



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012:そしてたどり着く常盤の魔王城

―――やっぱ魔王の城と謳われるだけあって、荘厳な雰囲気があった。


 簡易テントを張り、ラッタちゃんから貰った木の実をデザートに切り分けて。さあ、お楽しみのポケモン図鑑を見てみようと開けば、早速2匹のポケモンが登録されていた。

 

 協力的なポケモンたちのおかげで、初めての野宿では数多の先駆者たちと比較しても穏やかな夜を過ごした。ゆっくりと身体も休められたことだし朝陽を浴びて気持ち良く旅の続きを、と思った矢先のこと。

 

 

「はぁー………どこ行ってもここらで出てくるポケモンはコラッタばっかりじゃん。流石にコラッタ狩りも飽き飽きするんですけどぉ? 経験値もくそマズイし、いい加減レアドロ来いってんだックソ」

 

 

 あんまりにも不適切な発言。

 生き物をなんだと思っているんだ。怒りやら呆れやらがグッと心の内側に湧きあがるから、グライスの表情は強張ったし、何なら瞳は剣呑な雰囲気を宿した。

 小さな身体をさらに丸めて小さくなるラッタちゃんの姿を見れば、おそらく元締めだったろう彼女の震え振りに“事実”であるという嫌な確信をしてしまう。人間が本当にごめんな、と顔を寄せれば彼女の震えは小さくなり、ほっと息をつく。

 

 やはり、あの男の言葉に偽りはなかったのだ。

 小さく、今を懸命に生きる野生の生き物を、ゲットを目的としたバトルではなく一方的に蹂躙した、ともとれるその言葉はポケモンを好く人間には耐えがたいものである。

 

 そして、被害者の言動でそれは明らかな「真実」であると、グライスの中の激情が突き動かされる。立ち上がろうとした彼を止めたのは、他でもないコラッタのボスだったラッタちゃんだった。

 あんな生き物に関わるだけでも無駄なのよ。とツンケンしたところで、傷つけられた過去がなくなるわけでもなく、視界に入れるだけでもびくつく。本能で生きるポケモンたちはより一層感情に敏感で、コラッタがあの男の中では害獣であることを肌身に感じ取って木陰や小さな穴に身を隠したがった。

 

 

「今を逃せばきっと後悔する。俺は君たちを虐げる人を、赦しておけない性質なんだ。それとも、過激な俺は嫌いかな?」

 

 

 制止したのは、あくまでもグライスを思ってのこと。

 出会ったばかりで自分を想ってくれる行動を嬉しく思いながら、やんわりと拒む。とても嬉しく思う。でも、それとこれとはまた別の話だ。君が俺を想ってくれるように、俺も君の心をあげたい。こんなにも優しいポケモンたちのことを悪戯に蹂躙して、あまつさえ怪我の手当てもせずほったらかしにするという悪魔のような所業を為したのだ。

 人間だって喧嘩のあとで病院送りにするのだから、とちょっと見当はずれなことを考えながら立ち上がる。

 

 

「それに人間の法律でも、乱獲や乱闘は禁じられてるんっすよ。誰もが知ってる法律を反したおバカさんには―――」

 

 

 ちょっとお灸を添えたって誰も何も言やしない。

 ポケモントレーナーになったのならば、問題視される人間をとっちめたところでよくやったと褒められることがあっても、危険な真似をするなと怒られることはなくなる。忠告や叱りはあるかもだけど。加えて、あの人間がやったのはコラッタへの一方的な蹂躙。ともすれば、1番道路を荒らす要注意人物を捕獲または打ち負かしたことで褒められる可能性が高い。

 名声だの名誉だの、そんなのは死ぬほどどうでもよかった。少しでもラッタを安心させるために偽りを混ぜても良かったのに、真実のみを語るのは、グライスの誠実さの表れである。

 何なら自分の幼馴染たちに見つかったほうが地獄を歩まされることだろう。と言えば、ラッタちゃんはまだ見ぬグライスの幼馴染たちへ興味を持ったようだった。

 ポケモン大好き人間(オーキド博士)の孫はもれなくポケモン大好き人間だから社会的に生きられなくするし、ポケモン大好き物理特攻型人間(レッド)は普通に病院へ輸送案件だし、ブルーは警察を呼ぶのでやっぱり社会的に死ぬ。ポケモンバトルで白黒つけようとしている俺の方がまだマシだ、と言えば、ラッタちゃんも納得したように声を上げた。

 

 

「ちゅ」

 

 

 そのようなことを申しておるが、グライスも大概である。

 

 決してゴーサインだったわけではなかったのだけれど、数分後には、壊れたラジオカセット(人間)が完成していた。

 グライス・エトワール、有言実行、やるならとことん突き詰める男である。

 

 

「すみません…………すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません…………!」

「え、ええ。よく反省しているようだけど…………」

 

 

 事情を把握する義務のあるジュンサーは困惑した。

 ちょっとポケモンバトルをしただけだ、という内容を鵜吞みにするには、精神がポッキリ折られ過ぎていた。バトル内でのトレーナーへの攻撃は反則、またその他には親権が登録されているポケモンをゲットしようとする行為も違反で、トレーナー権限を剥奪することも視野に入れたのに、敗者の方に傷一つもない。何ならモンスターボールの不正アクセスもなかった。

 

 

「一体何が…………?」

 

 

 簡単に言ってしまえば、グライス・エトワールは己の体質をよくよく理解しており、今回はその体質を大いに活用した。

―――つまりは篭絡した、とも言えるような光景だったとラッタちゃんは遠目で語る。あんなふうに囁かれたら、どんなポケモンだってオチるわ。

 

 

「ゴホンッ! しかし、善良なるトレーナーくん、君の協力には感謝します。」

 

 

 事情聴取も終え、ジュンサーは敬礼をひとつして手錠をはめる。顔の判別がつかぬよう、上からコートを被せてパトカーへ男を乗せると思いつく限りの処罰の一部を伝えた。

 あくまでも、一部、である。

 

 

「さて、あなたの処罰についてだけれど、今まで野生のポケモンたちへ振るった暴力の数だけトレーナーカード没収。加えてトレーナーとしての活動禁止ですからね。」

 

 

 綿密な調査の後、余罪があるかどうかの確認をしてからまたしっかりとした処罰を与えられるだろう。公務執行妨害罪に、公共の器物損壊罪…………、訴えられてきた数は幾つもあるから指折り数えてジュンサーは呆れ顔を作った。

 

 異国風の美少年が剣吞な眼でジュンサーへ男を突き出せば、どうなるか。また、その前にポケモンバトルで負かしたなら、やっぱり社会的に死ぬ未来が待ち受けていた。

 にこり、とガーディのような無邪気さを伴った笑顔を浮かべて1番道路でとっ捕まえた男を見送ったグライスは、気持ちを切り替えるようにして近くのベンチに腰かけた。

 

 

「良かったっすねぇ」

 

 

 膝の上には、コラッタの姿がある。

 彼女は何が起こったのか分かっておらず、目を白黒させていた。大丈夫、シグマも何が起こったのかさっぱりである。何なら自慢のふわふわタンポポちゃんなボディをキープしつつ、迫りくる鬼のような形相の男を撃退し、野生のポケモンたちからの誘拐劇を撃退すること、数え切れぬほどやったような気がする。瞬きの瞬間にはもう進化すらしてたのだからもっと意味が分からなかった。

 

 なんで、ぼくいつ進化したの。

 

 しかし、グライスは嬉しそうだし、何なら進化した瞬間も、しっかりちゃっかりシャッターチャンスと叫びながら撮影された記憶があるので、まァいいかと思考になる辺り、キョウダイである。本当に血を分けていないのか。

 

 ジュンサーの出動があった通り、此処はもうすでに1番道路の北側にある、永遠の緑の街と呼ばれる場所だ。

 トキワシティ…………シティと言われるだけはあって、マサラタウンよりも幾らか時代の最先端技術を取り入れられてあった。カロス地方の町並みと比較すると小さな街ではあるのだけれども、決して弱くはない。

 

 トキワシティのジムは、カントー地方で最も古くから伝わる歴史ある場所。故に、トキワジムは、ポケモンリーグへ至る前の最後の砦。他のジムのバッジも同じことなのだが、バッジを持つだけで幾人もの猛者たちを御した覇者の証となる。

 トキワジムのバッジは、他のジムの比にならないほど、その効力を発揮するものだ。そう、すなわち、トキワジムを踏破せし者は、魔王の支配を退けしトキワの勇者、なぞと言葉が地元住民から零れるほどには、踏破することの出来ない難所として認識されている。

 

 今グライスの居る場所は、そんな魔王城の門前にあるベンチだった。

 凛とした厳格な空気を纏ってそびえたつ、素朴な素材で積み上げられた魔王の城は、意外にも「シンプル」という言葉がよく似合う。一見、博物館のようにも見えるのに、不思議なことに威圧すら感じる。

 ジムへ挑む順番は定まってはいない。だが、此処はやっぱりモチベーションを上げるためにも最後に挑戦しようと仲間たちに語ったところで、ぽつりと感想。

 

 

「魔王城とは言ったもん勝ちって雰囲気あるっすね……」

「……君は、挑戦者かな?」

 

 

 人の“好さそうな”雰囲気で声を掛けてきたのは、かっちりとした黒いスーツを身にまとう男だった。イケオジとやらの言葉が似合いそうな男は、帽子で顔が隠れていて良く見えない。

 

 

「まだっす。でも、挑戦する予定は立ててます!」

 

 

 強者の気配がするからなのか。それとも得体の知れない何かが這い上がってくる感触があるからなのか。情報不足のまま、危険の渦中に飛び込むべきではないと無意識のうちに判断してニコッ、と笑顔を“つくって”答えた。

 グライスの心の中は、それなりの警戒心を宿している。どちらかと言えば、本能的だったり、野生的だったりするから、男からわずかに滲み出る不穏な気配を。きっと他の人間であれば気づかなかっただろう其れを、人の感情に対して機微になったグライスだからこそ感じ取った。

 

 

「ああ、これは驚かせてしまったようだ。私はサカキ。そこのトキワジムで、ジムリーダーを務めている者だよ。」

「最近、物騒な噂ばっかりなんでびっくりしました。でも、ジムリーダーなんっすね! まだ新人トレーナーだからいつか、此処へ挑戦したいなって一緒に話してたところなんっすよ。」

 

 

 敵意なく、悪意なく。警戒する素振りすら見せず、グライスはただ笑って会話をした。

 物騒な噂ばかりで、とほんのり情報を零せば、男は“何の反応も示さなかった”。ふうん、なるほど。相手がどんな人間なのかをなんとなく理解する。

 

 

「そうか。……また会う日を楽しみにしておこう。」

 

 

 仕事があるから失礼、と言ってサカキと名乗った男は静かに立ち去って行った。

 悪意でも、憎悪でもなく、そこにあるのはただ純粋な心。だから警戒心も、敵対心もあまり沸き立たなかったのだろうけれど、トキワシティのジムリーダー・サカキとの邂逅一発目でグライスは「相容れない相手」だという認識をした。

 

 

「俺はポケモンのことを家族や仲間のように想うようにしてるけど、あの人はなんかちょっと…………違う感じがするから、ちょっと…………や、かもしんねえ」

 

 

 オトナの世界、って感じがする。

 家族や友人ではないけど、近くて。他人ではない味方のはずだけど、遠くて。暗雲立ち込める空の中、掴めるようで真相を靄の中に隠されたような感じがして、ちょっと厭だ

 本当に魔王じゃん、と呟きながらグライスは、エスプレッソコーヒーを苦めに頼んで飲み干した時のような顔をした。

 

 ブルーに淹れてもらった苦めのエスプレッソコーヒーは、もともと苦めの味がウリなのだけど。グライス曰く、背徳的なオトナな味(行き過ぎたカフェイン摂取)がしたのだ。



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013:一歩進めば、パレード開催!

―――否、冗談抜きで。


 トキワシティで待っている間の観光も終えてしまって暇だったし、ちょっと覗く程度という好奇心のままにグライスは2番道路へと顔を出した。ガサゴソと揺れる茂みの奥を覗き込めば、困ったことに遭遇する。

 どう困ったかと言うと、グライスの個人的な趣向で言えば、嬉しい限りの困り方。例えるなら、大好きな犬猫に囲まれて、じゃれつかれた飼い主のような感覚だ。……最も、グライスに向かって戯れに来る彼らは野生の生き物で、毒針を生やしたり岩を粉砕したり、とんでもパワーを秘めたる不思議な生き物なので、うまくは例えられてはいないのかもしれないが。

 動物もといポケモン大好き人間であるグライスにとっては、概ね「動物好き飼い主あるある」の認識で相違ない。

 

 

「…………今までの生活である程度は予想できてたけど、俺が歩くだけでポケモンパレード完成する感じ……っすね。」

 

 

 実際にイベントを開催する場合、タイプ別に分けてみたり、アクションを取ってみたり、サービスを考える必要があるだろうが。パレードもだんじり祭りも好きで、率先してひきに行ったことがある。

 とにかく、楽しそうな光景は頭に浮かべるだけでもイイものだ…。むしろ、ポケモンたちによるパレードは、なにそれ最高過ぎるのでは? とお祭り騒ぎを脳内に展開させた。

 

 

(それでも身動き取れなくなるのは困るけど…………)

 

 

 どうしたもんかな、と満面の笑顔でシグマに尋ねるものだから、弟分は呆れた顔を作って溜息を零した。

 目的地にたどり着けない状態が続くのは流石に困る。マサラタウンに居た時も、外に出れば似たようなことがあったから予想の範囲内ではあるのだけれど、こうも予想通りだと一歩も進めなくなるので困った問題だ。

 

 うーん、と唸っていると大きな影が近づいてきた。

 肉食獣のような唸りをひとつ、穏やかな性質なのだろう。声の主は、ぺたりと目の前に赤ん坊のように座り込んで黒くて鋭い眼でもってグライスを見つめている。

 

 

―――>ニドリーナ

―――>ニドラン・オス

 

 

 図鑑が教えてくれるのは、近寄って来たポケモンの情報だ。ニドランのオスとメスは番を小さな頃から見つけて愛情を育むという習性を持つ、非常に愛情深いポケモンである。ふたりの間を引き裂こうものならば、ニドランたちによる報復がとんでもないことになるのだと噂があるほどには……。

 もしかして、茂みの奥でのデート中だったかなとグライスは無言で見上げれば、ニドランがぽってぽってと近寄って来た。

 

 

(……あれ!? ニドランってオスの気性が荒かったんじゃ、―――めちゃくちゃ大人しそうなんっすけど…………)

 

 

 唐突だが、トレーナーに欠かせないものに特訓がある。理由としては動物離れした身体能力の持ち主であるポケモンたちの指揮官ポジションとして、トレーナーも心身を鍛え、彼らの動きについて行く必要があるからだ。とは言え、人間の肉体には生まれながらに耐久値が割り振られているようなもの。磨けば確かに成長するが、限界値は必ず存在する。

 レッドが生粋のパワータイプ(物理攻撃大好き人間)であるように、グリーンがディフェンスタイプであるように、ブルーが体力自慢であるように、グライスもまた、“器用さ”が抜きんでていた。

―――それ以外のことはお察しくださいと言いたいばかりにか弱いが。

 

 そんなことも、オーキド博士たちからしっかりと学んだグライスは己の弱点をよく理解している。

 

 

「シグマ」

 

 

 言葉少なに、名前だけを呼ばれた相棒は、それだけで全てを理解した。荒事があれば、グライスは全体的な状況把握の他に指示を出す。加えて、ポケモンからの攻撃を徹底して“回避”しなければならないので、シグマがまず出るのだ。

 時には盾に、時には受け流すための風になるために。無論、盾になるのは最終手段。最初からそんな手を選べばグライスが悲痛な表情をすると分かるものは、弟だって手を出さない。

 グライスは器用さに長けてはいるものの、降りかかって来る力を受け止め切れるだけのパワーも、ディフェンス力も、彼にはなかったから。どれだけ危険なのかをよく分かるからこその悲痛な感情を受け止めてしまうのだろう。

 

 ポッポの時にはなかった気合を感じながら、グライスは野生のポケモンたちにそっと尋ねる。

 あまり人に見つかるような場所に居ては、トレーナーたちの捕獲対象としてバトルを多く申し込まれることがあるという注意点の説明を交えながら、困ったことがあり、それは人間の手でなければ解決出来ないことなのかどうかをじっくりと聞き出した。

―――とは言っても、ポケモンの言葉が分かるわけではないので、あくまで身振り手振りのジェスチャーによる訴えかけに、持ち得る語彙を当てはめる想像でしかない。

 

 

「……うーん、と……。」

 

 

 言葉が通じないと分かっているからか、ニドリーナの身振り手振りも荒々しくはあったけれどかなり丁寧なものだった。グライスが首を傾げれば、彼女は表情やシチュエーションすら、身体で表現してみせたのだ。

 

 その何時間を費やして、ようやくのことで理解した。

 

 ニドリーナは、自信なさげで内気がちなニドラン・オスの自信をつけてあげるために自分と同じ領域―――「進化」まで、その実力を引っ張りあげたい。

 しかし、その期待に応えようと必死にバトルをしようと挑み続けていても、ニドラン・オスは、もともとバトルがあまり好きではない性格をしているから、なかなか思うように進まず、落ち込みがち。

 

 

「効率的に経験をどれだけ詰めるかってことに悩んでる?」

「ぐぉお……」

 

 

 なるほど、とひとつ頷いてグライスは納得する。

 ニドリーナ曰く、話が通じそうな相手には顔を出すけれど、乱獲するような輩や「ゲンセン」するトレーナーが現れたら、すぐさま顔を引っ込めて隠れ続けたのだとか。乱獲目的はポケモンを売買する話を小耳に挟んでおり、人間を警戒する要素となった。

 だから、2番道路のポケモンたちは様子を見ることに特化したポケモンだったり、逃げることが得意なポケモンだったり、そんな風に何があっても対応の出来るだろうポケモンしか姿を見せなくなっているということも、ニドリーナは語った。

 グライスに話しかけたのは、野生の危険性を理解しながらも何処か親身になってくれそうな雰囲気があり、獣としての本能が決して危険な相手ではないと判断したからだと言う。

 

 

「それは流石に警戒した方が良くねぇ? 俺がもし、悪いヤツで、ポケモンたちを乱獲する目的の凶悪な道具を持ってて、ポケモンの技が一切通用しなかったら、どうするつもりっすか」

 

 

 信じてくれるのはとても嬉しいのだけれど、やっぱりある程度の危機感は大事だと思うのだ。心配要素をシミュレートして語れば、シグマは「きみが言うの……」と顔をくしゃくしゃにしてから、ギュゥと黙った。

 言っていることは大変ブーメランではあるのだが、ポケモンの視点だけで言えば的は得ている。……野生で活動したことはないからよく分からないのだが、そう言った感覚が鋭いと方々から言われるグライスが語るのだから野生として生きていくのなら、きっと必要なことだろう。

 野生のポケモンなのに敵意も感じないし、シグマがぽふぇっとした表情で見上げれば、グライスはその可愛らしさが込み上げてきた。

 

 さて、ニドリーナの目的も分かったことだし、その解決策としてバトルを提供する。バトルと言っても、普通の野生戦ではなく、修行を積むという意味を為す、訓練だ。

 ポケモン図鑑には連絡し合える機能があるのだけれど、まだ到着したという連絡は入っていないし、連絡が入ったらと期間を設けて楽しく訓練に打ち込んだ。

 

 

――――――――――

―――――――

 

 

「いや、よくよく考えてみれば、2番道路には生態的にニドランもニドリーナも現れることはまずねぇよな?」

 

 

 スコーン、と頭の中から忘れ去られた生態マップを、成長具合を確認するためにスキャンした図鑑で確認したグライスは、どうやって移動してきたのか疑問を零した。何処かで拾ったらしく、「月の石」で進化したニドリーナ…………ニドクインは澄ました表情で「だからなんだ」と言わんばかりに踏ん反り、なるほど彼女が連れてきたのかと納得した。

 

 

「しっかし、2番道路で進化しちゃったら棲み処に帰り辛かろうに…………どうやって人目を憚って帰るつもりっすか?」

「ぐぉう?」

 

 

 かわゆい鳴き声だなオイ、とツッコミを入れてからニドクインへともう一度尋ねようとして、彼女は腰にぶら下がる空のモンスターボールをさした。

 もうお前のポケモンだろう、と威風堂々たる態度に、グライスは困惑した。そんなつもりはなかったのだ。とにかく手伝ったら帰るか、程度の認識で手を貸した。あくまでも治安の悪くなった人間社会から、彼女たちの生活領域を守るための行為。

 ええ、と眉を寄せればニドリーノはしゅんと眉を落として、きゅうきゅう鳴く。

 

 

「……いや、迷惑とかそういうんじゃないんだ。うん、でも、お前らがそのつもりだったら、いいぜ。そのかわりに、俺の夢を実現するの手伝ってくんねぇ?」

 

 

 予定にはなかったことだし、養うのにも、現実的な話をすると金銭が掛かる。

 そのような財力は今のグライスにはなく、だからこそ、ポケモン図鑑所持者に与えられた権限として博士にポケモンたちの世話を任せられるシステムを研究者たちから聞かされた。他のポケモントレーナーは、自分の財力と相談して、ポケモンとの共存をするものだ。

 前提条件を語れば、難しそうな表情で彼女たちはコクリと納得した。縄張り意識とでもいいのか。群れを養うのは群れのボスのツトメなので、と言えばすぐさま納得してもらえるような内容だったのだ。

 

 

「で、俺の夢って言うのは大自然でポケモンたちに囲まれながら過ごすこと!……なんっすけど、その為には、広大な土地の購入と、その土地を管理する番人が必要なんっすね。」

 

 

 仲間に加わるからには、夢を手伝ってもらうことになる。

 野生での生活と何ら変わりがないから、想像は容易い。少し前に加入したばかりのラッタちゃんやポッポも交え、その説明をすると、ポケモンたちは他種族が一緒になって生活する環境を想像した。

 人間社会にはちょっと触れただけだが、トレーナーのポケモンであるという前提を伏せれば、野生と変わらぬから生活はしやすいかもしれない。

 

 

「もちろん、俺が作る俺にとっての楽園のような場所だから、それなりのルールは設けるけど。」

 

 

 仲間を食べちゃ駄目だとか、仲間内での敵対行動は禁じるとか、グライス・エトワールのポケモンであることを前提とする内容に相反することは少なくとも無視してほしくないのだ。

 大まかな計画では、1にお金を貯める。

 2に土地を購入し、3でそれぞれのエリアを管理する代表のポケモンを設定し、土地の管理と運営を行う。大きく掲げる目標が「大自然」であるから、管理方法は自然をよく知るポケモンたちにやってもらうことになる。人間同士のああだこうだはグライスが引き受けるので、余計に、だ。

 

 なので、ポケモンたちにやってもらうことと言えば、『自然豊かな森を保つこと』『殺生は禁止であること』『人間のルールを覚えること』を守ったら普通に暮らしてくれて構わない。つっても、まだ土地を買えてるわけじゃないからオーキド研究所のルールに従うことが条件になる。

 

 

「で、見たところニドクインは鍛えれば鍛えるほどリーダー級の実力を秘めてるような気がするから、『縄張りの守衛部隊の第一期生』になってほしい。」

 

 

 土地のことをあっけらかんと縄張り呼びする辺り、視点がやや獣寄り。だからこそ、ポケモンたちには伝わりやすかった。

 

 

「どうする?」

 

 

 仲睦まじい恋人たちは、顔を見合わせてからすかさず飛びついた。

 

 

「ようし、ニードくん、ランちゃん、よろしくな。」

 

 

 ニードと呼ばれたニドリーノも、ランと呼ばれたニドクインも、揃ってこつん、と爪で開閉スイッチを押した。

 赤い光線を浴びながらその躰は吸い込まれて見えなくなる。両手でしっかりと握られたモンスターボールは、揺れることも一度で終わり、かちりと空の棲み処は主を確定した。

 

 

「さ、正式に俺のポケモンになった記念だ。バトルだな!」

「きゅう!」

「おーい、誰かー、バトルしようぜー?」

 

 

 タイミングを見計らったかのようにバサバサと羽ばたく音と共に、影が降り立った。

 

 

「ガァアアーーーーーっ!!!!」

「よしきた。オニスズメたち、よろしくな」

「ガァ!」

 

 

 嘘だろうこの人間。やることなすこと、噓過ぎやしないか。ポケモン相手なのに会話の吞み込み早すぎるし、仲間に加えろとの要求に対しての切り替えなんてあっという間だった。ワタシたちにあだ名までつけて。たった一声で野生のポケモンを集めやがった。しかも、凶暴な奴が大人しく従っていやがるなんて何者だ…!?

 ニドクインのランは戦慄き、シグマはきょとんと当たり前のことを尋ねられて「キョウダイ」であると返した。あっけらかんとした様子で答えられて、ニドクインは言葉を失う。

 カズマと名付けられたポッポへと同じような質問をすれば、何故かラッタちゃんから飛んでくる称賛の声。素敵なオスよ。口が裂けても言ってやらないけどね。ふふんと自慢げな声に、ランちゃんはそっと納得した。

 

 口が裂けてもと言っているが、それ他のポケモンにバレバレな奴だぞ。もはや何も言うまいと思ったのだ。

 

 集団に囲まれた状況だったが、シグマの様子をちらと見ても今度は怖がってはいない。あらかじめ、複数呼ぶと分かっていればなんてことないようだった。



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014:訓練のち、気になる噂?

―――ポケモンの能力を利用して、悪さをする人が居るのだとか。


 オニスズメの大軍を相手にニドリーノは奮闘した。

 荒れ狂う暴風の中、しっかりとその足で前進し、相手の領域である空へと高く舞い上がり、獣としての猛りをそのままオニスズメの顎を強打したのだ。

 

 彼女を悲しませないために自分が強くなって、身体を大きくしようと誓ったから諦めることはしない。挫けそうなときも、もちろんあったけど、その度にポケモントレーナーが応援してくれた。

 彼女のために頑張るって決めたんだろ、俺も手伝うからもうちょっと踏ん張ろう、と。あくまでもニドリーノの気持ちに寄り添った応援に、初心に戻って頑張った甲斐があった。

 

 数分程度の乱闘でニドリーノは、少しばかり強くなることが出来た。ちょっとは大きくなれたような気がして、そのことを彼女へ報告しに行く。

 彼女は嬉しそうに瞳を潤ませて笑ってくれた。しかし、まだどこか寂しそうだ。どうしてだろう、とニドリーノは耳をぺたりと落ち込ませ、首を傾げる。すると、彼女の顔が遠ざかったような気がして慌てて背伸びをした。どうして自分の身体は進化をして大きくなったはずなのに、まだ彼女の顔はあんなに遠いのだろう。ニドリーノは真面目で、必死だった。

 

 

「ありがとう、ラッタちゃん。」

 

 

 その後ろ姿を眺めて、トレーナーとしての責務を果たす。

 その為のものを、先の戯れのような乱闘中にラッタちゃんへ探してもらっていたのだ。ぴょん、ぴょん、と跳ねるニドリーノこと、ニードくんを呼びよせたグライスは受け取ったばかりの“特別な石”を見せる。

 

 

「ニードくん、ラッタちゃんに取って来てもらった『月の石』があるんだけど、使うか?」

「ぎゃぁう?」

 

 

 不思議そうに首を傾げるニードくんに、身体をもっと大きくて、持て余すほどの強大な力を手に入れることになる。

 強くなれば身体も大きくなるけれど、比例して力も強くなってしまうことをランちゃんは身をもって体験していた。戦うことを苦手とする彼に、そんな力を与えたらどうなるのか。力を持て余し、周りを傷つけたことへ強く後悔するだろう。

 その配慮をしたが、やっぱり顔が遠いのは寂しいようだ。強くなることで暴走して周りに迷惑をかける要素を増やすのは、とニドリーノはやや躊躇ったが、彼女の表情をみて決意する。

 たとえ、どんなことがあっても、彼女と一緒なら困難だって乗り越えられるはず。グライスを連れて、ランちゃんの足元へ行った。

 

 

「ぎぎゃう!」

 

 

 身振り手振りで成長する姿を見ていてほしいことを伝えたニドリーノは、今度は躊躇いなく“月の石”の力を解放した。

 まばゆい光に包まれて、ニドリーノの身体も少しずつ大きくなっていく。

 

 

「ぎゃ、ぎゃぁおう?」

 

 

 爪も牙も角も、さらに鋭利なものとなった。岩なんて簡単に引き裂けるほどの破壊力を持ったそれを、ぎゅっと握りしめることでカバーしたニードくんは、ぺたりと座り込んだ。鳴き声は、進化する前と少ししか変わらなかったようだが相変わらず優しい色をした声だと、進化したニードくんの様子を見守る。

 立て続けに進化したからか大きな身体にやや違和感を覚えたようだが、それでも大きくなれたことを喜んでくれた。不安げにガールフレンドの方へ向き、こてん、と首を傾げる姿は可愛い。

 

 

「グ、グォォオオーンッ!」

 

 

 大きくなったニードくんを、ランちゃんは号泣しながら抱きしめた。性別逆じゃね? と思うところもあるのだけれど、幸せそうなポケモンの姿にグライスもほっこりとする。

 図鑑機能をフル活用し、進化記念の写真を撮影した。ちゃんと結婚式には呼んでくれよ。

 う、うっ、と嗚咽を漏らしながらハンカチで目元を拭った。前世では家族に恵まれていたおかげか、会ったばかりなのにもう親の顔である。

 せっかく進化出来たのだし、自然豊かな場所でハネムーンでもしておいでよ。のんびりとした提案を受け入れる間もなく、「幸せになぁ」と手を振る主人の手によって純愛カップルは転送された。

 

 

「純愛ップル最高……。」

 

 

 グライスの前世の趣味は、ゲーム&純愛カップル応援団でした。だって、見ていて可愛いんだ。

 相手をしてくれたオニスズメたちにもお礼を言って別れたグライスたちは、疲労感を覚える。流石に連戦は疲れたよな。マサラタウンから出発してまだ1日程度しか経っていないから、最短でも幼馴染たちもまだ1番道路の中だろう。

 2番道路に入って間もないし、時間的にも余裕があるのなら最初の目的であるトキワシティへ引き返すのも手だ。……実際には散歩コースに2番道路を選んだだけなのだが、それは置いておく。

 

 

「よっし、トキワシティへ引き返してポケモンセンターで休憩するか」

 

 

 2番道路トキワシティ出入り口だったからか、町へ戻るのはさほど時間が掛からなかった。

 グライスを中心にしてよく開催されるポケモンパレードは、人里にはやって来ない。そこだけはマサラタウンでの光景と変わらないようだ。ポケモンたちが行うパレードは好きだけれども、相手は野生のポケモンたちだし仕方がない。

 ポケモンセンターでひと呼吸を入れながら、売店で買った麦茶と昼食をつまみ、ラジオカセットから放送されるニュースを小耳に挟む。

 

 

 

―――《 こんにちは! こちら、タマムシシティのニュースチャンネル! タマムシニュースでお馴染みのモリタと~!?》

 

―――《こんにちは。同じくタマムシニュースのタオカです。本日のタマムシニュースは、我々ふたりで提供致します。》

 

―――《早速ですが、今日ハナダシティでは、ガス点検を装って家に押し入る事件が頻発しています。》

 

 

 

 ニュースキャスター曰く、春になる手前の話。ハナダシティの古民家に住む80代男性のお宅に「ガスの検針です」と業者を装った2人の男がやって来たのだとか。それを信じて室内に通すと、男らは高齢男性の手足を「ビードル」の粘着糸で縛り付け、金銭30万相当の品を抜き取ったという。

 前日にもトキワシティで似たような事件があったようだが、そちらはジムリーダー・サカキの手によって、華麗に撃退。しかし、今現在、犯人は捕まってはいない為、警戒が必要であるとニュースキャスターは言った。

 

 ふうん、と流すように耳に挟みながら、グライスは紙コップの中身を飲み干した。

 

 日を跨いでの犯罪の共通点は、3つある。

 ひとつは、ガス点検の業者を装った手段であること。

 ふたつは、どちらも高齢者のお宅を標的としていること。

 みっつは、町が異なるとは言っても、どちらかの地元である可能性が高いということだ。

 

 三つ目の理由に至ったのは、至極簡単な話。なぜ、その家が高齢者の家であり、ガスの点検をまだ終わらせていないのかと判断できたかの2点だ。

 ガスの点検は、ポケモンたちを同行させた大企業が行われるもの。エスパータイプと格闘タイプのポケモンたちの力を借りて、綿密な点検の後、爆破などの心配要素が低いと断定されてから、点検終了の印鑑を各家で管理する「点検手帳」に押印するシステムなのである。

 また、ポケモントレーナー以外にも「ポケモンと暮らす家」は多くある為、犯人は相手のポケモンを無力化する手段を計画せざる得ないという前提を無視して、相性有利なポケモンでの犯行を行った。つまりは、その犯罪を計画した日と実行した日の周到さから考えて、町全体の活動や習慣が分からぬ人間には犯行は不可能であるということなのだ。

 

 

 

―――《最近ではそう言った犯罪のことを「訪問盗」と呼ばれるようですね。》

 

―――《呼び名が浸透するほど起きてほしくはないものです。相手は、手持ちのお金を狙うのではなく、用意周到に金庫などのより価値が高価なものを狙って来るようですから……今よりもっと進化した点検窃盗には注意が必要になるでしょう。》

 

 

 

 進化した点検窃盗とは、中には事業の受付を装った電話をかけてわざわざ在宅時に訪問する予定を立てて来るような人の話であった。

 過疎化しつつある社会をどうにか復興させる必要があるだろうが、事業に携わったことなんてないからなんとも言えない。まずはそれ相応の実力を身に付けてからでないと、やっぱり専門家にも話は聞いてもらえないだろうし。

 頭に浮かんだ企画に蓋をして、空っぽになった紙コップをぐしゃりと握り潰したグライスは食器トレーの上にそっと乗せて返却窓口まで運ぶ。

 その時間もラジオが止まってはいないから、ずっとニュースキャスターの声が聞こえていた。

 

 

 

―――《どうして在宅時を狙うのでしょうか?》

 

―――《専門家の意見では、キャッシュカードなどを奪うことで、家にある現金よりも価値のあるものを取ろうとする為ですね。》

 

―――《……ああ~!なるほど、暗証番号が必要ですもんね》

 

 

 

 とあるポケモントレーナーが掴んだ情報によれば、実行犯は犯罪組織の上から指示されているから行っていると証言した。つまりは、組織的な犯罪であり、その組織が何処か特定できれば(精鋭多数で制圧する為)犯罪を減少させることが出来る、と。今はその組織が何処かを割り出すための調査で、警察などの機関は大忙しなのだとか。

 似たような事件を“前世”でも聞いたことがあるような、と眉を潜めてからパッと表情が変わる。

 

 

「お待たせしました。グライスさんのポケモンたちは、みんな元気に昼食も取っていましたし、健康的で問題ありません。」

「ありがとうございまーす!」

 

 

 健康面やメンタル面の良好さには、自信があったのでグライスも満面の笑顔でお礼を告げてからトレー上のモンスターボールを受け取る。

 次いで、フレンドリーショップへ立ち寄って、消費した分のモンスターボールを補充しつつ、傷薬や食材を多めに購入。野生のポケモンたちとバトル訓練を続けるのなら、特に傷薬は多めに買った方がいい。

 野生のポケモンたちもよく強さを競うためにバトルをするのだけれど、自分のポケモンを鍛えるために付き合ってもらったらお礼に傷の手当をするのが礼儀というもの。

 昔はそう言ったことを目的とした野生バトルを何度もしたのに、手当てもせず立ち去ったトレーナーがいて、報復を街中で受けたと聞く。以降、野生のポケモンにバトルを挑んでゲットしなかった場合は傷薬を置いておくか、手当てすることが義務付けられたのだ。

 また、モンスターボールの補充を行うのも、トレーナーの義務である。バトルで傷つけ過ぎたり、野生の中で保護を必要とするポケモンが居た場合、「仮の宿」としてモンスターボールを提供する為だ。

 

 

「坊や、新人トレーナーかい?」

「……あ、うん、そう。昨日なったばっかっす。」

「おやまァ随分しっかりとトレーナーとしてのマナーを守ってるから、もう少し経験豊富な子だと思ったよ。じゃあ、記念におじさんからサービスしてあげよう。」

 

 

 あとは会計だけだ、と思った際にフレンドリーショップの定員から話しかけられた。何事も買い過ぎてはいけないし、買い占めは御法度。

 最近ではプレミアボール入手を目的とした新人トレーナーが多く、サービスとして定められたモンスターボール10個ずつ購入を「数度に分けて」カウンターでする姿をよく見かけるのだとか。新人トレーナーの間でそのようなことをする何か変な流行りか、噂でもあるのだろうかと疑問が浮かんだ。

 もし、次に同じことをやったトレーナーへ声を掛けるつもりだったが、グライスが購入したのはモンスターボール2個と傷薬を数個である。

 

 

「……なるほど。」

 

 

 話しかけられた理由は、理解した。

 マサラタウンではそのような噂は聞かなかったし、何なら、先ほど顔を出したトキワシティのポケモンセンターに張り出されてあるトレーナーたちの情報交換用の掲示板にもそのような話はなかった。

 

 

「でも、俺もそんな変な買い方はちょっと聞かねぇっす。よそのまちでも同じようなことがあったら確認してみるよ。」

「それは助かる! よろしく頼むね」

 

 

 知る限りでは流行りではなかろうと否定すれば、ちょん、とサービスとして乗っけられたのはプレミアボールだ。そんな、話の渦中にあるものをサービスにするのか。

 

 

「ごめんごめん! 最近これを出すのが多くて、つい。………君にはこっちの“穴抜け紐”をサービスだ。」

 

 

 それはそれでかなり奮発したな、と思いながら“穴抜け紐”は有り難かったので素直に受け取った。



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015:ペアであり、ライバルなのです!

―――そうでなくても、お互いは大事なのです。

 照れくさくて、灰のように口になんて出せやしないのだけれど。


 結局グライスが心動かされるほどの愛情を注ぐ幼馴染たちと再会したのは、ニードくんとランちゃんを仲間に加えてから、1日が過ぎてからのことだった。

 お使いを頼まれて一旦マサラタウンへ引き返したレッドはともかく、グライスと同じく直進して来ただけであろう2人の時間が掛かった理由とはなんだろうか。サバイバル能力が皆無とはまったくもって思っておらず、何なら一緒にたくさんキャンプしたから彼らの逞しさやら、キャンパーとしての実力も、グライスはよくよく理解していた。だからこそ、不審者と遭遇したのかと眉を潜めて尋ねれば、二人は慌てて否定する。ちなみにグライスは故郷から旅立ってから3日目に当たるのだが、遭遇しまくった。

 曰く、ポケモンたちが南方の方へ逃げるように大移動した仲に巻き込まれて、気づけば思いっきりマサラタウンから南方へ連れて行かれたのだとか。

 髪の毛に木の枝やら葉っぱやらを引っ付け回した2人を労わるよう、自動販売機で購入したばかりのあったかい飲み物を差し出してやる。

 

 

「まァ……なんつーか、お疲れ様。」

「お、お前は……?」

 

 

 ぜえ、ぜえ、とグリーンにしては珍しく未だ整わぬ息のままグライスに旅の状況を尋ねる。にんまり笑ったグライスは、頭寒を広げて数を確認させてから、モンスターボールを軽く宙に投げて新顔を紹介した。

 

 

「ピジョンのカズマと、ラッタのラッタちゃんです。ちなみにシグマは、―――…………じゃじゃーん!」

 

 

 ぴょっこりとグライスの小脇から顔を出した小さな生き物はアーモンド形の空を眼に宿して「ぐぁう」と普段通りに声を上げた。あちこちにじぐざぐに生えていた体毛は、すっかりさらさらな直毛にストーンと降りている。

 グライスがキョウダイを猫可愛がりする兄の顔をしていなければ、下手をすれば分からなかったかもしれない。グリーンは小脇の生き物の正体を察し、思いっきり声を上げた。

 

 

「え? え!? お、おま、シグマか!?」

「え、進化したの!? すごい!すごいよ二人とも!」

「………!…!?」

 

 

 進化とは、多くのポケモンに起こり得る現象で、レベルアップや特定の道具の使用、天候、限られた土地で、等々の特定の条件を満たすと発生する特殊なもの。一度進化してしまうと、能力や姿が大きく変わってしまい、元に戻ることは出来なくなる。その為、成長した姿をイヤがって進化したくないと、所謂進化前の姿を保つポケモンも数多く存在するのだ。そんな理由もあって、進化とは「神秘そのもの」と言われており、現在もなお、追及される研究の一端である。

 偶然だとか、運が良かったとか、絆の力だとか。そんな風に考えるのが、この世界の常。そう思うと、やっぱり進化してくれたことへの感謝が堪えなくて、進化したことで背を伸ばせるようになったシグマの背中を撫でた。弟の成長を目にすると、兄は感涙極まるものである。

 

 ポケモンたちの大移動に連れられたので、二人ともポケモンとの出会いは―――出会いらしい出会いは出来なかった。

 その証拠に、幼馴染たちのポケモンの戦闘力はマサラタウンから旅立つ前と同じ戦闘力だ。現実を正しく頭に入れたグライスはそっと白銀の瞳を細めてから、ニコリと笑う。進化を1回突破出来たのってやっぱり俺たちが調子に乗って訓練しまくったからだな、と結論に至ったのである。

 

 

「あー、良かったら俺たちと訓練する?」

 

 

 きっと消化不良だろうと仲間たちに確認を取ってから、サンドバッグ役を申し出れば、幼馴染たちの表情がパッと華やぎ、すかさずグリーンから否定が入った。

 

 

「す、…………ねぇ!」

「すねぇってなんすかウケる。」

「真顔でウケんな! お前、俺様たちとのリベンジマッチは、まだ当分先だって言ってただろーが! リベンジが果たされるまで、お前の手の内はぜってー見ねぇって決めてんだ!」

 

 

 相手のことを分析するのも大事なことっすよ、とアドバイスを送ろうとしたが、そう言ってもグリーンの決めたことならばきっと覆そうとはしないだろう。それに、再挑戦と言うか、その予約のことを引っ張り出して来るなんて、近いようで遠い未来のグライスとの再戦を楽しみにしてくれている証拠だ。

 あんなに楽しみにされては、その期待には応えなければ、と使命感も湧くものでバトルの申し出を素直に引き下げた。せっかくだからド派手に驚かせてやろうな、と仲間たちに囁きながら、にんまり笑う。

 ああ、未来のことを考えるのってこんなにも楽しいことだったんだと胸の奥が熱くなる。昔の自分にはなかったものが、少しずつ構成されて来ているような気がして、心の奥深くがぽかぽかする。

 カイロでも胸元に突っ込んでたっけ、と首を傾げようとしてかつてオーキド博士から与えられた言葉を心の中で反復した。

 

 

(……これが、博士の言ってた幸せなときに感じる感覚って、…こと…………?)

 

 

 気分はまるで浮雲の中を散歩するかのよう。

 そんなところは実際に行ったことはないのだが、こうもふわつく感覚は幸せと呼ぶのだろうと漠然と思った。

 

 

「さーて、三人とも、せっかくトキワシティに来たんだ。ポケモンセンターでみんなの診断してから観光しようぜ?」

 

 

 すでに観光名所には目を付けており、パンフレットも購入済み。ちなみに資金源は、トキワシティのそこかしこに点在するグライスたちと同じ新人トレーナーであったり、中にはベテラントレーナーだったり、ポケモンレンジャーだったり、そんな面々とのバトルを乗り越えて獲得したものだ。

 

 

「合法的に遠慮なく貢がせて♡」

「違法な貢ぎ方なんてあんのかよ……。っつーか、貢ぐとか、言、う、な!」

「あっはは、悪い悪い! つい、思ってることが…………」

 

 

 あのカントー地方で最強と囁かれるレジェント・トリオの、幼少期の姿が目の前にあるとうっかり前世の記憶が顔を出すのだ。決してわざとではないのだけれど、グライスにとっても、そろそろ彼らは全世界的に知名度の高いアイドルの領域に片足を突っ込みそうな存在となっているために、彼の中でのストッパーがない。今後もきっと幼馴染のことでは、最大限に「まるでその為に役立てと言われてるかのようなポジショニング」を活かした暴走を繰り返してくれることだろう。

 男の子が憧れる大事な子を守ると言う道のりや、正道を歩み悪鬼を砕くという姿勢にピッタリ一致することもあって、グライスの抱える暴走列車は止まらない。

 

 

「ま、お前らとのデートですから奮発させて。な?」

「ででででっ」

 

 

 壊れたラジオカセットのようにガシャガシャとぎこちなく身体を前進させた二人を見送り、レッドと並びながらポケモンセンターへ直進した。

 なお、冷静沈着のように見えて、レッドも実はかなり硬直していた。奥ゆかしいカントー人あるあるだなあ、可愛いなあ、とニコニコ笑顔で見守る姿勢を見せるのが、それをさらに助長させていたことをグライスは知らない。

 

 良かったですね、元気なお子さんですよ! と言わんばかりの笑顔でポケモンたちを抱えて連れてきてくれた、ジョーイのポケモンたちへ口々にお礼を告げてからフレンドリーショップで必要物資を揃えさせる。

 グリーンはあまり消費しなかったこともあって、食材の補給や穴抜け紐と呼ばれる頑丈なロープなどの備えは必要かと胡乱気にグライスを見た。

 

 

「案外、役立つっすよ。不審者を撃退した時とか、拘束するのに使えるし」

 

 

 あっけらかんとした態度で、とんでもねぇことを暴露した。

 流石の爆弾投下にも、フレンドリーショップの店主も「あ、さっきの坊やがお友達を連れてきてくれたなあ」とのほほんと見守るだけでは済まされず、表情を険しくする。まだ年若く、未来のある子どもに不埒なことをしでかした不定な野郎は誰だと袖をめくり上げ、自慢のワンリキー(パートナー)を手招きで呼び出す。

 普段は店の裏手で荷運びを買って出てくれる相棒だが、実はバッジを3つ所有する実力者なのでバトルだって凄いんです。悪い大人はバイバイしちゃおうねぇ、と気分で聞き耳を立てられているとは知らず、グリーンは危機感をどっかへ吹き飛ばした幼馴染を揺さぶった。

 

 

「…………は? ってことは、お前使ったの!? 何処で!」

「と、トキワシティと1番道路で…………。コラッタの群れを殲滅したやべーポケモントレーナーが居たから、つい?」

 

 

 思ったよりまともだ、とほっとしたのもつかの間。

 

 

「その後、民家に泊まらせてもらったんだけど、そこに押し込んできた強盗っぽい人たちも捕まえたな。なんか……珍しいから高く売れるとか、初物は高価だとか…………」

「まさかっ…………」

 

 

 店員は、コメカミに青筋を浮かばせた。

 顔を青ざめさせるグリーンと同じことを想像したかは、年齢差が30ほどあるとだけ言っておこう。顔面を蒼白にした幼馴染たちの様子に、はて、何かマズイところでもあっただろうかと首を傾げようとしてグライスはキュッと口を噤む。

 大抵今のような雰囲気の中で喋ったら、ビリリダマもビックリするほどの大爆発を引き起こすので黙ってるのが一番だと、経験則上で学んだのだ。周りは話せやオラと思うから、あかん方の学びをした。

 

 

「シグマのことが狙われたんじゃ……! カントーじゃ珍しいし、初物っつったらあれだろ、技マシンとかでまだ技を覚えさせたりしてないから、育てやすいってこと……!!」

 

 

 技マシンを使えば、確かにたくさんの技を覚えさせられはするのだけれど、それはあくまでも理論上。覚えさせたばかりの技を使えと命じてポケモンたちの身体がついて来られるかと言えば、長年の経験で覚える技と比べると威力も精度も、大幅に変わる。

 しかし、レベルアップもまだそれほどしておらず、技マシンでの習得がなく、ほとんど真っ新な状態のポケモンたちは驚くほどに「技マシン」との相性がばっちり合う。

 覚えさせたばかりの技もすんなり打ち出せるのは、なぞれるほどの経験をつんでおらず、所謂「はつもの」と呼べる状態ゆえだ。

 

 

 盛大な勘違いが大人と子どもたちの間で生まれたが、そっちの方がむしろ警戒心が爆上がりするだろうと理由で指摘する者は誰もおらず、話は進んでいく。

 

 

「ただでさえ、お前狙われやすいのに……! 此処から先は、俺たちお互いに2人ずつで行動するぞ!」

 

 

 最初からその予定だったろうに、と爆弾を投下した本人が告げるものだからグリーンはハンカチを噛みしめたくなった。いざとなればグリ子になることも厭わないグリーンは、地団太を踏みかけて慌てて姿勢を正す。

 カロス地方の礼儀作法を何故かみっちり仕込まれたグライスは、常に紳士らしく在ろうとするからだ。幼馴染であり、ライバルである相手に恥にならぬことも、また「出来るトレーナーの努め」。

 だからこそ、グリーンは自分が恥ずかしいと思ったことを、表に出そうとはしなくなった。……それでもまだ10代の少年なので、若さ故に暴走してしまうことはあるのは御愛嬌。

 

 

「班分けは?」

「乗り気だなオイ!?」

 

 

 わくわくと身を乗り出して笑顔を浮かべるグライスに、思わずツッコミを入れずには居られなかった。

 ツッコミを入れられて尚、悪戯っぽく笑う顔を前にどっと疲れたグリーンは盛大に息を吐き出しながら、地面を見下ろした。メモを書くよりも早く、消しゴムや修正ペンを必要としない分、重宝される。

 さして重要なことを描くわけでもないし、と何やらグリーンの行動を理解したゼニガメは、すかさず挙手をした。自ら何かへと申し出たゼニガメを後ろから抱え、小さな手に自分の手を重ねてザリザリと地面に棒をたくさん書き始めた。

 コアラの親子かな、と思わなくもなかったがコアラと言って通じるかどうか。“世界”にとって辺り触りのない表現を浮かべながら、相変わらずシャッターチャンスを切るグライスはその光景を指摘する。

 

 

「おお、ずいぶん様になってるけど…………」

「迷ったときにこれで地図書いて此処まで来たんだ。棒がなくても描けるから助かってるけどな!」

 

 

 爪を使わせてもらった後は、きっちり爪やすりなどで綺麗に整えてやったり、爪と皮膚の間の砂を取り出してやったりと、アフターフォローまでしている。気持ちよさそうに尻尾をふるりと震わせるゼニガメは、きっとそのケアが気に入って、味を占めたのだろう。

 あー、と思わなくもなかったが、まァ問題なくコミュニケーションも取れているのだし、双方に害がなければ何でもいい。笑顔のままグライスは地面を見下ろし、形に気づく。確信を抱きながら、へえ、と口元を笑わせて尋ねる。

 

 

「もしかして、あみだ?」

 

 

 グリーンのやろうとしていることは、運も運の運任せだ。分かった上で尋ねたのは、きょとんとした顔をしているブルーやぼんやり雲を眺めるレッドの為である。

 

 

「そ。運任せなら不平不満、出ないだろ?」

「じゃあ、俺たちも線足した方が……おお、流石だシグマ! 言わなくても分かってるな!」

「……ああ、ひとりの線だと特徴あるから増やそうぜって?」

 

 

 グリーンも、長年の付き合いで幼馴染が相手ならば何を考えているのかが分かるので、茶番に付き合ってやれば、ブルーは楽しそうにフシギダネから枝を受け取り、レッドは縦横無尽に足で線を引き出した。

 みんなでやると特別感が増し増しだし、何ならとっても楽しくて、その勢いのままに最後に引いた一本の尾を自分の線と定めた。

 

 

「じゃ、いっせーのーで線の上を歩くってことで!」

「ポケモンたちが持ってくれてるマークが班同士になる、って本当にいいのかよ。」

「う、うん! 大丈夫だよ!」

「…………」

 

 

 確認を取ったグライスは、満面の笑顔で一歩を踏み出すための言葉を切り出した。

 

 

「っせぇーのーで!」

 

 

 歩くと言ったが、あれは興奮を持て余した少年少女を前には無力と化す。たたっと軽やかな足取りで線の上を走った彼らは相棒たちが持ってくれているポケモンのマークを確認し、紅と白銀が交差し、それから、それぞれが顔を見合わせて笑った。

 その反応で班のメンバーなんて分かり切ったようなものだったが、あえてグライスは確認した。事実確認を繰り返すのは、きっと大人になったら重要になって来るだろうから今のうちに教え込んでおこうという思いもある。

 

 

「最初は俺がレッドと一緒で、グリーンとブルーが一緒ってことでオッケー?」

「おっけー!」

「大丈夫だよ!」

 

 

 晴れ渡る常盤の街中で、少年少女の楽し気な声が響いた。



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016:一人旅は危険なので

―――ならば一緒に旅をしようと、故郷(マサラタウン)で子どもたちは約束したのです。

「早速その効力が発揮されるとは思わなかったけどな!!」

 緑の瞳を持った少年は、若干涙目ながらに語った。


 グライスが行く先々でポケモンだけではなく、人までもを惹き付けて止まない存在であることに驚いた幼馴染たちは、2人1組で行動することにした。なお、此処でグライスは自分の心配がされたからではなく、美少女美男子揃いの幼馴染たちの一人旅を心配してのことである。その心情をなんとなく察してしまったグリーンはしょっぱい顔をした。

 知らぬが花か。

 そんな事実はとんでもないが、ふわぽわ属性の他の幼馴染たちには伝えられぬ。信用・信頼の問題ではなく、ただ単純に、グライスが傷つくと思ったからだ。たまに「普通」の人間が持ち合わせる感情論を本で読み解き、己の行動と照らし合わせて傷つく姿をグリーンは見てきた。

 だからこそ、あえて何も言わずグライス命名「ピカチュウ班(レッド&グライス)」「イーブイ班(グリーン&ブルー)」班名をポケモン図鑑のメールで登録する。

 

 

「……ぶっちゃけ、迷子組と戦闘組?」

「言うんじゃねー!」

「せ、戦闘って…………!」

「対人戦も乗り越えられるって意味っすよ~」

 

 

 あっはは、と笑っているけれども、笑い事ではない。何せ、相手が野生の生き物ではなく、理性も知性も兼ね備えた人間である。レッドが人間相手でも容赦なく特攻をかませるのだと気づかされたのは、グリーン誘拐未遂事件があったからだろう。グライスは言うまでもなく、暗躍した。

 表立って目立つことはなかったのだけれど、警察が裏から調査をすれば細やかな活躍があったのだ。情報の収集だったり、敵地のあぶりだしなんかは率先してグライスが行った。

 人懐っこく見えて、とんでもねぇブラックホースだ。警察は彼の存在をヒーローのように称えようとしたが、それは少年の方から辞退された。

 

 

――― 俺の存在は内緒で。

 

――― その方が活動もしやすそうっすし!

 

 

 その年で表彰状などを受けたら、きっと天狗のようになって喜んでくれるだろうと思ったのにまさかのまさかの辞表。しかも栄誉ある表彰をお断りした少年は、人間慣れしたガーディのような顔で笑うものだから、警察が呆気にとられたうちに立ち去って行ってしまった。

 今ではポケモントレーナーとなった少年のことを一部の警察は全力で手招きして大歓迎する所存だが、善良なる一般人からの「内緒にしてほしい」と言葉を裏切るわけにはいかない。

 

 

 そんなこんなでグリーン誘拐未遂事件に関わった子どもたちは、それぞれの得意をかなり伸ばした。

 囚われのグリーン姫は自らの身体の自由を縛り付ける拘束を失くし、自らの盤上(フィールド)を手に入れた指揮官(グリーン)はものの見事に「軍師」の才能を開花させた。

 寡黙なレッドは怒りのままに暴れまわり、ポケモンたちとの乱闘の末に猛者として君臨する猛者としての才能を開花。ものの見事に、周りを巻き込むパワータイプに成長した。

 内気で人目を気にするブルーは、その時だけは火事場の馬鹿力とでも言うのか。誰もを魅了する美少女としての立ち居振る舞いを見せつけ、まさしく彼女に相応しい道を導き出していたような気がした。…………少し経てば、やっぱり普段通りの彼女に戻っていたのだけれど。

 

 閑話休題。

 

 戦闘組とは、文字通り人間相手でも戦えることを証明した二人(レッドとグライス)のこと。迷子組とは、当時の事件で屋敷の中を盛大に迷子になった経歴のあるグリーンとブルーのことだ。

 言い得て妙だと思ったことを胸に隠し、グリーンは吠えて、ブルーは当時の恐ろしさに華奢な肩を小さく震わせた。怖がらせるつもりはこれっぽっちもないので、さっと話題を切り上げてグライスは班名を語る。

 

 

「ピカチュウとイーブイって、可愛い名前だろ?」

 

 

 どちらかと言えばお前はガーディ。幼馴染たちの心の中の声が揃う。現在、話題のポケモンたちと見出しで飾られる雑誌を持ち上げた。

 

 まさかの今若者たちの間で注目されている可愛らしいポケモンたちの種族名を班名に持ってきたとは、流石は自他共に認めるポケモン好きだ。そう言った情報をすかさず集めては、他のポケモンの長所をアピールする活動力にはグリーンも笑うしかなかった。

 

 

「赤とか緑とか青とかの特徴を出しても良かったけど、レッドはピカチュウってイメージあるし、グリーンもブルーもイーブイってイメージが強かったからなァ」

 

 

 主に“前世”の記憶が作用してのことだろうが、それでも、オーキド博士の研究所で幼馴染たちはピチューやピカチュウに囲まれるレッドやイーブイの卵に引っ付きまわる茶髪組の姿が印象的だったのだ。何なら二人に関しては、「茶髪」で「かわいい」からと理由でイーブイと班名が浮かび上がったと言っても過言ではない。

 長話をする気分でもなくなり、さァて今すぐにでも飛び出しそうなレッドの首をひっつかんでグライスは二人へと視線を送る。

 

 

「博物館とか、図書館とか、俺は巡ってきたからいいんす。でもさ、レッド……お前はどうなん?」

 

 

 無言の煌めく眼を直視したグライスはそっと瞳を細め笑う。

 へえ、そう。お前がそれならいいよ。

 レッドの歩く速度に合わせることを考えれば、きっとひとつの場所に足を留めておくことは不可能だろう。今すぐにでも次の街へ行って、最強の門への挑戦権を獲得したいに決まっている。何せ、あの子はとんでもなく自覚ないバーサーカーなものなので。

 班行動を開始すればグリーンやブルーとは一旦のお別れとなる。まァ遠くない未来での再会を確信しているから、簡易的な挨拶もそこそこ。名残惜しいのなの字もない簡易的な挨拶だったが、バトルがしたくてうずうずするレッドに付き添って、グライスも続けて「常盤の街」を飛び出すことになった。

 

 ひとつ弁明するなら。

 彼が巻き込まれるのではなく、事件になりそうな要素が相手から喜び勇んで巻き込みに来るのである。のちに合流した幼馴染たちへ、「まるで、台風のような一撃だった」とその紅き瞳を虚ろわせたレッドは無言で語った。

 

 

「俺は別にポケモンを誘惑してるわけじゃねぇんっすよー!」

 

 

 好きなのだけれども!!

 ところかまわず喜び勇んでポケモンたちを誘惑しない。そんなことをしたら、何時ぞやのポケモンバトルで乾杯させた相手のようにトレーナーを廃人化させてしまう。懐き度を遠慮なく初邂逅からフルマックスにアゲアゲ♡してしまうのだ。そんなの自覚あるから、やろうと思えば出来たのにやらなかった。

 

 自覚はあるからこその叫びは、ずるずると遠ざかる。

 グリーンとブルーたちと別れてからすぐの出来事。今すぐ街を飛び出そうとしたレッドをとっ捕まえたグライスは、とにかく手持ちの道具を確認することを義務付けた。

 もし、不備があるようであれば今すぐマサラタウンへ戻って持ち歩くと便利な道具を暗記出来るようになるまで面倒見るけどと脅しに屈したレッドは、リュックの中身を見せた。傷薬、モンスターボール、タウンマップ、穴抜け紐、ポケモン図鑑、財布、キャンプセット……。必要最低限のものがあればサバイバル生活可能なので、それらを確認してからグライスはにっこり笑って頷く。

 

 

「問題なさそ。じゃあ出発しよ――――うっか、なん!?」

「グァァァウッ!!」

「…………!!!」

 

 

 確認も終えたし、出発しようと声を掛けようとしたグライスは何者かに足を引っ張られ、ベンチを通り越して水に引きずり込まれた。

 バッシャァァンと激しく水音を立てながら消えた兄貴分の姿に慌てたレッドは、己の相棒がヒトカゲのみであること頭に、相性の悪さに顔色を青ざめさせる。その間にも引きずり込まれた兄を救うべく、有言実行した“シグマ”が触手のようなものを叩き落してくれたので、湖の深部へ引きずり込まれることはなかった。

 それにしても、街中にある湖の割には深めなんだな。我が身に起きたことながら、客観的な視点で妙なことを考えるグライスのことを彼のポケモンはじとりと見つめた。咄嗟に投げ上げられたおかげでモンスターボールの外に出られたピジョンーーカズマは、陸に顔を上げた主人を確認して彼を守るように風を飛ばす。

 水が気管に入って、息苦しさを覚えた。詰まってしまった水を吐き出そうと、身体が勝手に噎せる。激しく咳き込みながら陸に上がったグライスは、改めて己が引きずり込まれた湖の中へと視線をやった。

 あちらさんは水中パレードを所望してか、再び伸ばされた触手にはカズマが抵抗してくれていた。ありがとう、どうか、そのままで頼む。言葉のない頼みごとを承知したとばかりに頷くカズマは、自慢の翼を広げて声を上げる。

 

 

「…ぇほ、ッふ、…………ぎゅっとされた………!」

 

 

 ポケモン図鑑を見なくても分かる。あれはオーキド研究所には居なかったタイプのポケモンだから、本で読んだのだ。

 確か水産ポケモンたちの生活環境と言った内容の本だった。グライスを引きずり込もうとするポケモンたちは、水鉄砲で牽制する。一度湖をじっと観察した際にメノクラゲが、わらわらと水面に増えたのだ。

 そう言えば、メノクラゲって団体行動をするのだったか。ひときわ大きなドククラゲも、飲んだくれのようにノリノリで身体を揺らしている。

 あれはまず間違いなく、引きずり込まれるな。何をぼうっとしてるんだ早く逃げて。弟だと可愛がる相棒から叱咤を受け、グライスも水辺から遠ざかろうとするが足を掴まれてしまう。

 

 

「やべ…………!」

 

 

 絶体絶命な状況下で身体を捻って抵抗してみたが、クラゲの方が身体は柔らかい。捻りを利かせてもすぐさま対応してきた。どうしようかな、傷つけるのは嫌なんだけどな。身を守るためだ。仕方なく牽制だけをしてくれていたポッポに攻撃の指示を出し、拘束が緩んだ隙に後方へ。

 逃がさぬぞ、と言わんばかりに足を締め付けられる。

 強い力で引っ張られ、バランスを崩したグライスは尻餅をつく。ずるり、ずるり。水に濡れた触手は、ゆっくりと少年の身体を水辺へと引きずり込む。身体を陸側へよじって逃げようとしても、なかなか手放してくれない。相手が団体でやってきていることもあってか、シグマもカズマも苦戦していた。

 

 ちゃぷ、と足先が水に浸かった感触に顔を強張らせる。

 

 助けようと駆けつけてくれた大人たちもメノクラゲの大軍には敵わないようだった。ジュンサーも出動し、何ならトキワシティのジョーイも医療チームとして待機してくれている。自分の体質のことだから、なんとなくの予想はついていたけれども、此処まで大事になるなんて思ってもいなかった。せいぜいパレード状態だろう、と思っていたぐらいで。

 

 

「…っや、ば!」

 

 

 ずる、ずるり。仲間においで。こっちへおいで。

 奥で目を怪しく光らせるドククラゲは、状況を楽しんでいるようだった。嫌われ者だからニンゲンに遊んでもらう感覚が少ないのだろう、とシグマ越しにコイキングは言った。遊んでもらっている感覚なのか、これは。グライスにとっては相手の縄張りへと引きずり込まれている状況なので、種族の違いを見せつけられたような気がした。

 

 

「コォオオオーーーッ!!」

「って、は!? コイキング!?」

 

 

 シグマとコイキングのやり取りを眺める程度には余裕が回復した頃に、グライスは己の身体を地面と縫い付けるようにして抱えて水落への阻止をしてくれているレッドの肩越しの光景にぎょっとした。

 レッドもぜひともその光景を見たかったが、振り返った瞬間に生まれる隙をつかれて、兄貴分が水の中に引きずり込まれるだろうと想像から、意地でもギュッとする。

 

 一体どこから? 誰のポケモン? いや、あれは野生だ。野生のコイキングだ。正義感の強い子なのだろうか。

 

 考える間もなく、足に絡みつくメノクラゲの大軍の真上で飛び跳ねるばかりのコイキングは体当たりをかまして衝撃を与えてくれたようだ。おかげで、衝撃に怯んだポケモンたちから力は緩んで行き、自由を取り戻した。

 

 逃げられる場所まで退避しよう。

 

 緊張感を持ったままグライスはゆっくりと水辺から遠ざかってみる。追いかけるようにメノクラゲたちは陸へ上がり、じりじりと距離を詰めてきた。

 

 

「うそぉ!? まだ諦めるつもりはないの!? きみ、はやくこっちへ! 今よ、ガーディ、『吠える』のよ!」

「ガァァァアッ!!」

 

 

 流石にジュンサーもそのようなメノクラゲたちを見るのは初めてだったようだ。

 まァ気持ちは分からんでもない。水辺のポケモンと戯れることもあったグライスだが、此処まで執念深く追われたのは今回が初めてだ。つまりは、今まで遊んできたマサラタウン周辺のポケモンたちの気性は穏やかなのだろう。

 オーキド博士が定期的に見回りをしているおかげで、今までレッドもグライスもポケモンに連れされることはなかった。それ故の、応用が出来なかった…………という話なのだと思うことにする。

 

 博士たちの庇護をなくした状態で出歩けば、現状のようなものになる、と。なるどほ。理解したくなかったような気がする現実を早々に突きつけられたような気がした。

 

 やけにきらきらと期待に満ちた眼で、どこか憧れを持った感覚にガーディも腹に力を込めて吠えてみせる。此処はお前たちの縄張りではないぞ、と。

 ジュンサーの背に庇われたグライスは、隣で低姿勢のまま吠えてみせた犬型の獣を見つめた。

 

 

「こんな状況じゃなかったらじっくり見せてもらってたかもしんねぇっす。だって、ジュンサーさんのガーディって、実はかなりの高レベルなんっすもん!」

 

 

 そんなことを言ってる場合か、と無言の訴えを受けて、グライスの額にも一筋の汗が浮かんだ。酒飲みのセリフが浮かんだのは、気のせいではないのだろう。

 まさしくこの状況は、気を紛らわせていなければやってらんねえのである。



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017:と言ったそばから、水辺の大乱闘

―――ぴえん、と鳴く時間すら惜しかった。


 おふざけもほどほどに、グライスは本格的に触手からの脱出劇を脳内に展開させた。ふざけているようで、その実かなりの作戦を脳内に練り上げていたのである。それが分かるから、芝生に肘をつき、上半身を軽く起こした兄貴分の口元へレッドも耳を寄せた。

 作戦らしい作戦は必要とはしておらず、ただ単純に生活環境から離れられない水タイプのポケモンたちの生態を考えれば、すぐさま思いつく単純な作戦。

 

 

「トキワシティの旅は一旦切り上げて、2番道路から森へ行くぞ。したら水辺がなくなるから、メノクラゲたちも諦めてくれるはずだからな。」

 

 

 はっきりとしたことを言えば、「生きる領域の線引き」を行う。陸地では生きていくことの出来ない者たちと、また、水の中では生きていくことの出来ない人との差を、少しでも覚えてもらうためにも、ちょっとばかり強硬手段を取ろうと言った。それには多くの人間が賛同し、作戦の要となる少年たちを2番道路へ誘導するよう道をあけてくれる。

 その間、ガーディはずっと吠え続けてくれていた。おかげで水辺から飛び出してくるのは、触手だけで、それもグライスの足に絡みつく数本だけ。

 ガーディの渾身の牽制をもろともしなかったのは、作戦開始を合図するかのように動き出そうとしたグライスを視界に認めたメスのメノクラゲだった。

 

 絵に描いたようなハートを眼に宿したメノクラゲは、少年めがけて飛びあがる。その瞬間、赤い瞳のような部分から、閃光のようなビームが飛び出した。

 

 

「ゲェァアアッ!」

「マズッ…」

 

 

 サイケ光線の矛先を演算するよりも早く、その最終地点を脳内で弾き出したグライスは顔色を変えた。

 そもそもグライスをめがけて打たれたものだ。彼を守るよう芝生に縫い付けるレッドの身体は、まさしくメノクラゲへ背を向けていて無防備そのもの。―――幾ら強靭な肉体を有するとは言え、グライスにとっては大事な幼馴染なのだ。

 

 

「レッド!」

 

 

 言わずもがな。

 幼馴染を庇うように身体を強張らせたレッドと迷わず位置を逆転させてメノクラゲへ背を向ける。支えを無くしメノクラゲに足が引っ張られて崩れかけた態勢を、押し倒される形となったレッドが慌てて腹にしがみつく形で制止した。

 お互いに、心臓の音が激しく鳴り響いている。世界が全てそこに凝縮されたかのような恐怖と緊張に包まれた中、カズマが動きを見せる。

 

 一介の警察がそこまでポケモンバトルに力を入れているはずもなく、勇敢にも立ち向かったガーディの声は光線にかき消され、今まさに彼の身体に痛みを与えようとしていたのである。

 

 

「しまった……ッ!」

 

 

 やらせるものか、と気合ばっちりに翼を大きく広げた。バサリ、バサリ、と翼を羽ばたかせれば、そよぐ風。一度、二度、少しずつ強めて行けば、カズマが作り上げる風はもはや眠りから起こされた風神の吐息。

 そもそも『吠える』は基本的に牽制用に使われる技であり、パワーを蓄えて放たれた光線を撃ち返せる技ではなかった。さしたる期待も出来なかったか、と舌打ちを零せば、ガーディも目を吊り上げて『火の粉』を飛ばした。メノクラゲの行動は、民間人を守ることに誇りを持つ警察ポケモンたちの矜持に火を付けたようだ。

 グライスが言った通り、警察のポケモンは数多の犯罪者や違反者を取り締まってきたから、ジムリーダー級(極めし者)の実力を有する警察は少なくはない。だからと言って、『威嚇』などの所謂、補助技と言われるような技で、相手にダメージを与えることは不可である。そもポケモンバトルを専門とするジムリーダーやチャンピオン格ともなれば話は異なるが。

 

 まァ警察の強みはポケモンバトルにあるわけではないので、気にする必要はないことだ。

 しかし、現状から察するに、あの警察とパートナーにポケモンバトルへの火を付けてしまったかもと汗を流した。優秀な警察は数少なく、ジュンサーと呼ばれる彼女は各地方にほとんど同じ顔で実在する警察官のマドンナ。

 そんな彼女がポケモントレーナーを目指したりなんてしてみろ。原因となった自分はおそらく上層から目をつけられることになるだろう。

 

 冷静なようで、かなり焦りのあるグライスは身に迫る危機を回避すべく、肌身に感じた「風」を起こした張本人へと指示を出した。

 

 

「お前の『風起こし』で壁を張ってくれ! シグマはその間に俺の足から触手を剥がせ! レッド、ぼうっとするなよ、今から走り抜けるっすから!」

 

 

 焦りを見せることなく、押し出すような形で放たれる強風は光線とぶつかり合って光が弾けて消える。思いのほか強い風を吹かせることに成功したのか、カズマは他のメノクラゲたちも後方へと弾き飛ばして行った。

 激しく爆音を立てながら、サイケ光線と風の衝突によって小爆発が発生した。立ち上がる煙幕は視界のすべてを遮るけど、グライスたちにとってはさしたる問題に非ず。

 

 

「予想以上だ! マーベラス! 二人とも、一旦戻れ!」

 

 

 強風に押し負けたことが悔しかったのか、メスのメノクラゲは次の行動に移った。水中でしか生活が出来ないポケモンが、わざわざ水辺から飛び出してくるなんて誰が思おうか。

 

 

「ッげるぞ……!」

 

 

 ひゅ、と息を呑んだグライスは保護者を失った今、遺憾なく発揮される己の体質の恐ろしさを一部だけ体感した。

 ニューフェイス・カズマの実力不足と計算したが、しかし、予想をはるかに上回る結果を叩き出してくれた。最高だぜ、と手元に戻って来たカズマへと口づけを落としながらグライスはレッドの腕を引っ張って2番道路へ駆け込む。

 

 2番道路を逃げ続ける間もメノクラゲは執念にグライスを追い続けた。触手を強く伸ばし、飛びついてきたのだ。メノクラゲが視界から消えたことに目をぱちくりさせた。

 

 

「…………え、どこ行った? 影分身? テレポート!?」

 

 

 ぞわぞわと体中を駆け巡る悪寒で冷静さがブレる。再び迫りくる触手は、コォォ、と水辺からの妨害を受けて別の場所へと飛んで行った。

 

 

「え、は!? コイキング!?」

「トサキ~ン」

「トサキントも!? え、誰のポケモーーー待って……。待って!? 俺のポケモンなのか!?」

 

 

 2番道路を突き進む中で川辺のポケモンたちと遭遇し、メノクラゲを一緒に遠ざけてくれたような。よくよく腰元を確認してみると、モンスターボールが丁度2個ほどなくなっていた。角でバランスをとって遊んでいるのがトサキントで、自慢の王冠の中に乗せているのがコイキングだ。

 

 

「モンスターボールどっか行ってんすけど…………」

「ココォッ!」

「んん―――っ!! 元気なお返事どーもっす! 森の中なのに水タイプのポケモンが元気に跳ねるって、マジで一体何が…どう起こったんだ……?」

 

 

 宇宙に打ち上げられた猫のような顔をしたグライスは、同じく無言のまま首を左右に振って現状への不理解を示したレッドと顔を見合わせた。

 もれなく住民を巻き込んで、大混乱した。切実に説明を求めたいグライスは、未だに続く大乱闘に眩暈を感じた。俺の身体が弱いんじゃないし。

 ただ受け入れがたいことが立て続けに起こって疲れてしまっただけである。それでも不甲斐なさを感じたので、明日から体力作りのための基礎訓練メニューが追加されることだろう。

 コイキングが答えてくれたのだけれども、此処はどこで、あの乱闘中に何があって現状に繋がるのか。ひとまず完全に分かっていることと言えば、ポケモンを数体ゲットして、メノクラゲの大軍を一掃したことにより進化を遂げた仲間がいることぐらい。

 

 

「……あ、此処ってトキワの森か。」

「…………!」

「きゅー?」

「んんっ! キャタピーに癒されるぅ……。」

 

 

 乱闘中の大騒ぎの最中にグライスの頭の上に降ってきた野生のキャタピーは、気づけばモンスターボールを巣にしていた。ずいぶんと恥ずかしがりやさんな性格なのか、ゲットされたポケモンの中でも大人しくて可愛らしいタイプなので抱っこをして頬を寄せるだけでも癒される。恥じらうような鳴き声だけでもエンジェルハート。ありがとう、キャタピー。

 トキワシティの水辺から離れればどうにかなると思っていた時期があった。しかし、現実(?)はかなりシビアなもので、メノクラゲから進化したドククラゲはなかなかに強力だった。接着力がさらに強まったような気がしてならない。森だから地の利はまだこちら側にあるが、水辺だったら速攻で沈められただろう。

 主にグライスが。

 そしたらシグマがガチギレして街中と言う年齢制限の規せられた場所で、倫理も含むありとあらゆる要素を無視した行為に走っちゃったかもしれんが。

 リングマに襲われた時の彼はすさまじかった。到底レベル1とは思えない動きでオラオラしていたのだ。……それでも倒してはいないので、レベルアップはしなかったけれど。

 

 レッドやグリーンのように力自慢でも耐久自慢でもないからこうして絡みつかれると、そろそろ本気で潰れそうだ。顔色が青ざめるばかりのグライスをどう思ったのか、木から落っこちてポチエナスマイルに飛びあがって転げ落ちるようにしてモンスターボール・キャッチ☆をしたドジっ子キャタピーちゃんは糸を吐き出した。

 あんまりにも可愛すぎる光景に真顔になったグライスは、モンスターボール入りまで綺麗に撮影したのは言うまでもない。ちなみに、フルボッコだドン!されたメノクラゲもとい、ドククラゲは穴抜け紐をばっちり活用する場面に遭遇したレッドによって縛り付けられている。

 

 グライスのことを守るようにびちっびちっと跳ねまわすコイキングについては、水辺から遠く離れてまで守ろうとしてくれるポケモンのことを思って正式にゲットした。ゲットされたことでやる気が燃え上がったのか、やってやるぜぇと言わんばかりに跳ねる勢いが加速したコイキングは、トキワの森を抜ける頃には巨体を有する水辺の竜と化していた。きょとんとした顔が可愛かったので撮影した。

 

 最終的に、レッドが縛り上げるに至るには、そのギャラドスの尽力があってこそ。大きく育ったギャラドスが、ぺいっと尻尾でドククラゲを退かしてくれたのである。力仕事の出来るポケモンが居なかったので、大変有り難かった。

 あとは守るようにとぐろを巻き、その際にちゃっかりモンスターボールをとってったドククラゲは、抜け目ない。

 

 

「ぐぁうっ!?」

「いや、なんで……?」

 

 

 本気で困惑した。

 レッドは激しく抗議した。拘束してたはずなのに、と。

 絡むだけ絡んで満足したようにモンスターボールへと姿を消したドククラゲに、思わず言葉が漏れたのも仕方ないことだろう。本気で困惑したし、びしょ濡れでちょっと冷えるし、服も髪も乱れっぱなしだし、絞められたところは後になってるしで、大混乱である。

 それでも手持ちのポケモンは、2番道路を半日で突っ切り、トキワの森を駆け抜けたことでかなり増えており、メンバー構成を考えねばならなくなっていた。

 

 

「…………。」

「チャァ?」

 

 

 グライスはある種の現実逃避を行って、心を落ち着ける。その間にレッドは、ピカチュウと感動的な出会いを果たしたようだったが、祝福はすれど、彼らの邂逅を気にするほどの余裕がグライスにはない。

 

 さて、手持ちに入れて歩けるのは6体まで。

 しかし、水辺の大乱闘中に勝手に入り込んできたポケモンを手持ちに加えるのは身の危険を感じる。また、やたらぼけーっとしたニョロモもモンスターボールに飛び込んできたが、野生へ帰そうとしたら嫌がられたのでグライスのポケモンとなった。しかし、基本的に一緒に旅をするには不向きなようで、ぼやっとした子も含めてどうしようかと頭を悩ませる。

 しょうがないわね。ラッタちゃんが図鑑の転送機能をさし、自分と他の暴走ポケモンをさした。面倒見てあげるわよ。声なき言葉を聞けたような気がした。

 

 

「マジでいいの?」

「ちゅ」

「ありがとう、ラッタちゃん……!頼んだぜ」

「ちゅう」

 

 

 図鑑の転移機能で送ったのは、姉御肌のラッタちゃん、水辺の乱闘で進化したドククラゲのくらげん、何故かゲットした上に進化していたアズマオウのあずまちゃん、何故か体当たりしたらそこはモンスターボールだった系のニョロモのぐるりんの以上5匹である。……いや、個性強すぎんか?

 

 

「好いてくれるのは嬉しいんだが、加減ってのを覚えてほしいなぁ…………。」

「ぐぁう」

 

 

 足首をぐるりと一周する青痣は、くっきりと浮かび上がっている。シグマも同意するように頷いた。

 ニビシティにたどり着けても、正直もうポケモンセンターへ歩いて行く気力もない。手当てをまず先に、と鞄からタオルと湿布を取り出して腕や足に張り付けていると、息を荒げたお姉さんやおじさんがやってきた。

 

 

「ぼ、ぼく、どこから来たの?」

「そこらへん。」

「ガァアアッ!」

 

「あら、坊やお姉さんを誘ってるのかしら?」

「休憩中だぜ」

「ギャォオオッ!!」

 

「ハァ……ンハァッ……ぱ、パンツ何色かなぁっ……!?」

「ああ、おう……? 寒いから服着た方がいいぞ「ピッジョォオォ!!」って、どうしたカズマ?」

 

 

 何の状況なんだコレ……?

 自分のことでありながら謎の状況に追われ続け、現実逃避をはかるグライスは困惑がおさまらなかった。



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018:とにもかくにも現実逃避がしたかった。

―――それはともかく、ポケモンリーグって知ってるか?
*水辺の大乱闘=それ


 木陰で休憩を挟みつつ、現実逃避すること数分。

 幼馴染たちもニビシティに到着した。同じ騒動を潜り抜けたレッドも、今はぼんやりと何処かを見ている。そりゃそうだ、と思いながら新しくポケモンを仲間に出来たグリーンと自分の相棒と一緒にポケモンバトルが出来たとホクホク顔のブルーを力無く出迎え、パパっと軽く身だしなみを整えた。

 

 

「ぐ、グライスくんどうしたの!? レッドが一緒に居たはずだけど、追いはぎにでもあったの!?」

 

 

 レッドに対する信頼の仕方が妙な気もしたが、にこりと笑って半分ほどブルーの言葉に肯定する。ある意味では似たようなものだ。実際に、モンスターボールを追いはぎされた。

 かつては―――3日ほど前になるのだけれども、マサラタウンでもポケモンたちに囲まれてもみくちゃにされる光景はよくあった。髪も服もぐちゃぐちゃな姿に幼馴染たちはよく慌てていたっけ。追いはぎをした犯人たちを尋ねられたので、相手はポケモンだったことを告げれば、彼女たちは納得したようだ。グリーンが苦虫を嚙み潰したような顔をしているのは見なかったことにした。

 

 

「トキワの森でドククラゲに襲われた少年たちって、やっぱりお前たちのことだったんだな……」

「うんうん、心配かけちゃったな」

「べ、べっつにィ!?」

 

 

 ツンデレ具合が炸裂した。

 無表情ながら何処か楽しそうな雰囲気を持ってレッドは顔をそっぽ向けたグリーンを突っつきまわし、反対に思春期の心を突かれて羞恥が爆発しかけているグリーンは顔を全力で隠す。

 

 

「怪我は大丈夫?」

「ああ、」

 

 

 その横では、心配げに柳眉を寄せたブルーがちょんっとグライスの袖を引っ張っては傷の具合を確認している。素人目だけれども、青痣が酷かったとレッドが言うのだから相当だ。泣きそうに潤んだ瞳に、グライスはからっと蒼天のような爽やかな笑みを返した。

 

 

「慣れた!」

「―――いや、慣れるな危ぇ険ンン!!」

「そんなの笑顔で言っちゃ駄目だよぉっ!」

 

 

 うわぁぁん、と大きく泣きくじゃるブルーたちの反応に何か対応を間違えたかとグライスはぎょっとした。痛みに慣れたら非常時にも動けて便利なのに、という考えに至っている。だから、彼女たちが悲しむのは何故だろうと疑問を抱く。

 悲しきすれ違いは誰も気づいてはいなかった。誰も気づかないということはつまり、指摘もない。指摘がなければ何も気づくことはないので、誰かが早いうちに気づいてやらねば、グライスの中の認識が正されることはないだろう。

 

 

「じゃ、じゃあ、手当ては!?」

「ポケモンセンターに行く元気がなくて、さっきぱぱーっと済ませたんっす。流石に休憩したくてさ」

 

 

 それは流石にする。

 常日頃から仲間やら友達やらの怪我を心配する身だから、せめて得意でも増やそうとの思いではあったのだけれども、応急手当の技術を身に付けていて良かったと思った瞬間だった。

 至る所に締め付けられた痕や、マサラタウンでもよくオーキド博士が世話を焼いている野生のポケモンたちと遭遇してえげつないくらいに甘えられる姿を一度でも見ていなければ、信じられなかったかもしれない。しかし、それがグライスという少年である。

 

 

「ニビシティに来るまでめっちゃ大変だった……」

「…………」

 

 

 ぽちぽち、と操作するポケモン図鑑には今までの状況を大雑把に説明する内容が書き込まれている。

 送信先は警察署とポケモンセンター。町を離れることになったジュンサーも先ほどトキワシティへ帰り、報告書をまとめていることだろう。木陰で涼みながら、一息ついたグライスは感想をぽつりと零し、レッドはそれに激しく同意した。

 幼馴染たちは、グライスが受けたであろう状況を察し、激しく理解を示した。だろうね、と。大変だったな、そうやって労わってやる以外の言葉を失くしたともいう。

 

 

「あと目を離したうちにコイキングとトサキントをゲットしたかと思えば進化して、ギャラドスとアズマオウになってた。」

「なんでそうなったんだよ!?」

「お散歩中のニョロモもゲットしてて、ちょっとうっかり気味なところが可哀相で、可愛かった。」

 

 

 かわいい、と普段は垂れがちな眉をきりりと吊り上げて心底真面目な顔をして言うものだから、幼馴染たちは噴き出した。もう心配してたのにぃ、とブルーがちょっとばかり恨みがましく言えば爽やかな笑みが返って来るから、ほっとする。

 ポケモンに襲われたばかりだと言うのに、恐怖心はあんまり感じなかったようだ。ヤバかった、と笑って報告できる程度には、グライスの中で危険度は低かった―――つまりは、ひとりでも対処できたことにあたるのだろう。きっと。兄貴分なので弟妹たちを悲しませるようなことだけは避けてくれるはず、と期待があるので、彼女たちもさして深掘りしなかった。

 

 

「お前みたいに強くなるにはどうしたらいいんだよ…………」

「クラゲと仲良くパレード開催すりゃ経験豊富になれるぜ!」

「………やだぁ」

 

 

 そんな方法は嫌だと泣き言を零せば、グライスは腹を抱えて笑った。大事な幼馴染をあんな目に合わせるはずもなく、ただの冗談だと言う。一緒にやってくれるんじゃないかとちょっぴりの期待と、そして何を通り抜けてきたのかを思い返して小さな怖さを胸に、グリーンは肩をがくりと落とした。

 メンタルに「メガトンパンチ」をぶち込んでも平然としてられるようなレッドでもなければ、きっと発狂して号泣して、もうおうちかえるう~!などと叫んでしまったことだろう。やってみるか? と魅力的なお誘いにはお生憎様だが、グリーンは―――残念なことにそのタイプにあたるので視線を逸らした。

 

 

「そう言えば、変質者との遭遇率がえげつねぇことになってるからお前らも気を付けろよ。」

 

 

 思い出したかのように注意される言葉には、思わずレッドの方へ視線を向けて確認を取った。静かに頷かれるので、グリーンは無言になる。

 かの天然とポケモン馬鹿を組み合わせてはならぬと心の中で断言した。天然も、ポケモン馬鹿も、常人の心が分からぬ。故に常識人と自負しているグリーンは何時だって、あの人間振り回しコンビニは手を焼かされるのだ。

 彼が手を焼かされてきた相手とは言うまでもなく、レッドの方である。

 

 野生のポケモン対策は、グライスのパートナーたちがどうこうしてくれるだろう。しかし、もしも変質者に捕まりでもしたら? そう思うだけで安心して冒険が出来ない。幼馴染たちの心はシンクロした。

 

 

「「最後の方はひとり旅って決めてたけど、やっぱりマサラタウンへ帰るまではグリーンかブルーかレッドと一緒に行こう。じゃなきゃずっとレッドの側にいてもらう」」

「お?」

 

 

 結論から言うと、マサラタウンという平穏な街で過ごした彼の危機管理能力を心配した幼馴染たちによって、そのような条件を叩き出された。

 ぱちくりと目を瞬かせたのは、なぜか罰扱いにされた無言のレッドと、謎の条件を叩きつけられたグライスである。息ピッタリだったぜと見当はずれな称賛を浴びせてから、変質者の出現情報を教えただけなのに大袈裟なと目をぱちぱち瞬かせた。しかし、ハッとしたような表情で親指を立てた頃には、順番に幼馴染の顔を見渡している。

 ぱっちり二重の清楚系な雰囲気を纏った美少女は、頼りなさげな佇まいから守ってあげたくなるような庇護欲を掻き立ててくる。守ってやらねば、と夢女子ならぬ夢男子が製造されては確かに彼女ひとりでは対応しきれぬだろう。

 また、涼し気なシャープの眼差しの寡黙な美少年。文字通り寡黙なので、グイグイお喋りに来られでもしたらレッドも対応に困る。あの子は決して意味もなく「無視」をする子ではないから、余計に寡黙と無口の差異が分かってフォローの出来る人間が必要になるだろう。

 最後には、ツンデレというヲタクに対する特攻がつく兵器を搭載した強気ながらも紳士的な美少年。見事なツンデレが発動されたあかつきには、多くのヲタクという屍を生産するに違いない。

 

 

「なるほど!」

 

 

 そりゃァもう激しく納得した。

 自分であんだけ襲われるようであれば、美少女美少年の幼馴染たちは一体どうなると言うのか。ポケモンが撃退してくれなければ、きっと気づかぬまま人間不信を拗らせたことだろう。つまりは、そうなると。

 けろっとした様子で、条件を早々に受け入れつつも幼馴染たちを巻き込んだ。

 巻き込まれた幼馴染たちは、相手を案じての善意であると知るがゆえにキュと口を閉じて受け入れる。そして、その美少女美少年の中に自身をカウントしなかった理由はなんだと問いだしたくなる褐色美少年は、にかりと爽やかな笑みを浮かべた。

 

 

「まァ途中で別れちゃうより、楽しそうだよな」

「せっかくなら最後は4人でリーグ挑戦、とか?」

「出来るかな……?」

「…………」

 

 

 流石にリーグの挑戦を4人同時には無理だろう、とやんわり取り下げる。

 もしも同時に足を踏み入れたのだとして、それでもリーグを順当にやるならきっと計画的に進むグリーン、行き当たりばったりなレッド、迷った末に一直線に駆け抜けるブルー、授業参観の気分で幼馴染たちの勇士を撮影したグライスとなるはず。何が何でも、グライスは撮影の具合で最後尾になる。

 

 

「そう言えばリーグについては、ブルー。勉強して来たか?」

「えぅっ!?」

 

 

 ひっくり返った声に、くつくつと喉を震わせて笑う。その反応では勉強しては来なかった証拠を提示したようなものだ。笑われてぷうっと頬を膨らませた彼女に、グライスは説明をしてやることにした。

 ポケモンリーグとは、各地方を代表する謂わば「伝説」そのものであり、「王」の概念である。現在のカントー地方と、大きな滝を隔てた先の大陸にあるジョウト地方のチャンピオンはドラゴン使いのワタルだ。

 

 

「それは、ニュースにもなってるから知ってるよ!」

「だろうなァ」

 

 

 上辺をさらっとなぞっただけなのだけれども、自慢げに笑顔を浮かべるブルーが可愛らしかったのでグライスが笑顔で肯定してやる。

 

 地方のジムバッジをコンプリートし、チャンピオンロードを無事突破した者だけが挑む事が出来る最後の砦。最強のポケモントレーナーを目指す者たちは「ポケモンリーグ」への挑戦権を狙って、各ジムを巡る。

 また、カントー及びジョウト地方に在る、あの大きな遺跡のような施設が「ポケモンリーグ本部」。それ以外の地方にあるポケモンリーグは全て支部にあたる。各地方のリーグ設立には本部の承認が必要であり、リーグ招致(設立の準備)を主導する人物はジムリーダーとバトルするなどの試験があるという。なお、バトルなどの試験が必要な理由は簡単で「ポケモンへの理解やポケモンバトルへの理解がどれほどあるか」の度合いでリーグ本部から与えられる権限の裁量が変わるのだとか。

 

 

「ふへぇ…………」

 

 

 カントー地方のリーグでは、奥への一本道を進む。ひと部屋突破したら奥へ進んでまたひと部屋。そんな風に四天王とのバトルを繰り広げたら、チャンピオンが控える部屋に通される。

 何処かぽえっとした表情をするブルーは、きっとポケモンバトルを積極的にやりたいとは思っていないのだろう。何かを少しでも変えたいのだと思った彼女は、まだ自分のやりたいことが靄の中に在るのかもしれない。可愛い妹分の成長を、長く見守るとしよう。

 

 

「まァ困ったことがあれば、グリーンが教えてくれるはずだ。しばらくは一緒に行動すんだから、遠慮なく聞けよ?」

「う、うん! よろしくね、グリーン」

「おう、任せとけ!」

 

 

 下手をすれば自分よりも知識量のあるグライスや、妹分であるブルーに得意な分野で頼られて嬉しくなったグリーンは胸を張って自信満々にそう答えた。



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第二章 最初の関門を乗り越えて、山を越える。
019:まずは、鈍色の街を観光した。


―――ニビシティと言えば~?


 ポケモンリーグについて語ったグライスは、リーグ挑戦権を有するバッジを持つ岩々が積み重なる灰色の街を見上げる。見事な岩山に囲まれた、山岳地帯の中にある小さなようでマサラタウンと比較すれば大きく見える町並だ。

異国の、がつくのだけれど、同じ名前だからなんとなく親近感が湧くというもの。

 せっかく危なげなく(?)ニビシティに到着できたことなのだし、観光でもしてみるか。と発言したグライスの言葉に賛同した幼馴染たちは、故郷(マサラタウン)でお馴染みの四色団子と化した。

 ぎゅうぎゅうにくっつかれて、わははと笑える程度には余裕がある。それなりに痛みはあるのだけれど、楽しさが勝って、まったく気にならない。

 

 

「ニビシティと言えば~?」

「夕焼けに照らされる綺麗な灰色の都市、でしょ!」

「化石! 男の(ロマン)だろ!」

……(ニビジム)

 

 

 ぶは、と噴き出す。

 お洒落に目覚めたブルーの発言は実に女の子らしくて、夕焼けに照らされて最も綺麗だと噂のスポットを探し出そうかなんて考えも頭に浮かぶ。観光の計画を立てるなら、バトルジャンキーの気質を強く見せるレッドが堪えてくれている今の内だろう。

 

 化石がロマンだと言ったグリーンにつられるようにして、ニビシティ自慢の「化石博物館」へ予約を申し込む。早くジムに挑戦したいと顔にありありと描くレッドの額を軽く指先で突き、町を知ることはジムリーダーを知ることに繋がるっすよと参考までに助言をひとつ。

 それに、せっかくマサラタウン以外の街へ来たのだから、此処でちゃんと観光を堪能しなくては面白みに欠ける。納得したのか、お土産もたくさん持って帰ろうと提案したら、意外にも全員がコクリと頷く。

 なんとなく遠足じみた感覚がある中で、ちょろっと博物館の外にあるお土産屋さんに顔を出した。

 

 

「へえ、イワーク人形かぁ……いや、」

「ああ、お前も? 人形っつーか椅子だよなコレ。」

「そうだね、おっきいねぇ」

 

 

 家にある「ソファークッション・イワーク人形」と名付けられた商品は、ブルーが言ったようにサイズがかなり大きめで、ひとり部屋に飾るには椅子の任務を与えられそうな形だ。少し大きめに設計されたリビングや客室にも大きめと感じるほどのものなので、ただの人形にはしておけなかったのだろう。ソファーなどの家具としての有能性を働かせることによって、商品化に成功したサイズだと思われる。

 しかし、「本物サイズ」にした拘りとは―――企画者はよっぽどイワークに思い入れがあると見た。

 

 例えば、手持ちのポケモンが最初はイワークだったとか、イワークに助けられただとか。…………もしくは。

 

 

「ジムリーダーのポケモンがイワークであるとか?」

「ええ、よく分かりましたね!」

 

 

 そこかしこにイワークのグッツやら、イシツブテのグッツがあれば、流石に分かる。棚に並べられたクリアフォルダーにはニビジムのジムリーダー・タケシとツーショットのゴローニャの姿がある。

 岩タイプの専門家であることは、バッジなしの状態で開示される公式の情報からも見受けられるし、街中でも見かけるグッツのおかげで重々承知だ。タケシにとって最高のパートナーが、イワークであることをお土産屋さんで確信できたのは、幸いだったと言えるだろう。

 新人ポケモントレーナー相手にジムリーダーの本気を出されることはないが、それはそれで遺憾である。実力不足は承知の上で、全力で叩き潰すと言うのが礼儀だろうと思わなくもなかったが、気力を削ぎ落とされる人間が多くてはやってられんのが正直な話だろう。根性を叩き折るほどの実力差があってはポケモントレーナーの人口密度は減るばかりだ。

 なんとなく運営側への理解をしたので、イワークとイワークの進化系であるハガネールの対策は、今からでも練っておいた方がいいだろうと助言をポンと投げかけた。

 

 

「お、俺様も今から考えるところだったしい!?」

「思いっきりお土産屋さんを満喫しているようで何よりっす。みんな楽しそうに見てるし、案内した甲斐あったぜ」

「なんだよその微笑ましいって顔すんなバカ!」

「はは、バカって言った方がバカなんだぜ!」

「う、うううるせー!」

 

 

 年齢相応の姿を見て微笑ましいという顔をしながらグライスは全力で親指を立てて笑顔を浮かべた。観光案内ガイドの雑誌を読んだり、トキワシティでニビシティからやって来たというトレーナーとバトルしたりしていて良かったーという気分だった。

 敵情視察の名目なのに、うっかり満喫したことへの羞恥からか顔を真っ赤に染め上げグリーンは涙目で吠えた。可愛らしさからきゃっきゃと喜べば、見事なツンデレが返ってくる。

 まるで見本のようなツンデレっぷりは大きくなったらどうなるのだろう。クーデレ? それとも進化して、クーツンデレと合体するのか。興味津々の眼でグリーンを見つめれば、何かを察したらしくブンブン首を左右に振って「違ぇから!」と否定された。

 

 待ち時間が暇だったからお土産屋さんに直行したが、中に入ると案外時間の経過が早く感じるものだ。ひとつひとつ丁寧な説明書きと、煌びやかな宝石とは異なる価値を感じさせる古びた化石の数々が入ったケースが廊下、広間、階段、ありとあらゆるところに立ち並ぶ。

 

 うわあ、と感嘆の声を上げて古の世界に魅入られてしまう。化石の他には、ブルーが好きそうな宝石もあった。――厳密に言えば、宝石ではなく、「進化の石」と呼ばれる特殊な石だ。主な採掘源は地図の通り、「オツキミ山」。

 珍しい鉱物が採掘できることで知られており、その土地の管理はニビシティとハナダシティのジムリーダーたちに預けられている。基本的にはニビシティでの採掘権利、ハナダシティでの漁業権利―――と得意の権利で分担しているようだが、進化の石はニビシティで採掘し、ハナダシティで出荷とちょっと面倒な運びになっているようだ。

 

 とにかく、そのような条件から、ニビシティは石関係の資材が豊富であり、採掘して得た石をそのまま、もしくは加工して住宅や彫刻に利用している。加工と言っても、子どもたちが住むに危なそうな尖った場所をちょっと削って丸めるだけ。ほぼ石そのものなので、家にするときは不揃いな資材ばかりで積み上げるのも一苦労だ。

 刻を重ねて、石と石を積み上げて、ようやくのことで組み合わせた石造住宅は、まさしく鈍色。灰色が一面に広がる街並みには、「灰色の都市」の名がよく似合う。

 

 

「…なんかすっごく親近感わくっすねぇ」

「ああ、お前の名前もたしか灰色なんだっけ?」

「そうそう。」

 

 

 髪も灰色のような、銀色のような。

 そんな色合いだからか、名前が同じであることも踏まえて、余計にニビシティへの思い入れが強くなりそうだ。岩タイプのポケモンも、もちろん、それ以外のタイプのポケモンだって、好きだから街を移動すれば移動したほどの出会いと別れを喜んで受け入れる。

 

 

マサラタウン(俺たちの故郷)は……?」

「…………―――もちろん殿堂入りっすよ!」

 

 

 あんまりな可愛さに呼吸が止まったかと思った。

 その賢さ故にあらゆることをちょっとの情報で察することが出来るグリーンは、まさしく「おんなじ名前!」と喜ぶグライスの単純な気持ちも理解して、おずおずと尋ねてきたのだ。そんなに嬉しそうにするのならば、故郷はどうなのだろうと好奇心半分、嫉妬半分と言ったところだろうか。首をとっ捕まえてうりうりと頭を撫ぜてやれば、グリーンは髪がぐしゃぐしゃになると嫌がりながら嬉しそうに緑の瞳を細めて笑う。

 

 

「特別も特別に決まってんじゃねぇか、可愛いこと言ってくれんじゃん。」

「えへへ、一緒だね」

 

 

 殿堂入りするほど好きだと言われて、ブルーやレッドもふわふわ嬉しそうな表情をして笑い合った。

 名前の意味が同じであるだけでこんなにも可愛らしい嫉妬心を燃やしてくれる幼馴染は、愛おしさが限界突破している。存在そのものがマイナスイオン。癒し波が剥き出しだ。

 

 博物館の人たちにも微笑ましい眼で見守られながら、片っ端から見学を続ける。

 墨の濃淡と絶妙な筆コントロールの滲みによって表現された古びた掛け軸に描かれるのは、「特別な石を使った進化」のことだ。文字がまだ普及されて居なかった頃の作品なのか、とにかく絵で表現される作品が多かった。

 大昔から、ニビシティではなかった頃の此の地域では、発掘作業と密接した関係性を築き上げていたようだ。力作業や精密な石工作業などを仕事が伝統ある家業であり、岩タイプやら、格闘タイプやら、そう言った力仕事が得意なポケモンを代々譲り受けてきた様子も見受けられた。

 

 

「ぷくぴくりん…………?」

「ぷんぴくりんってなんだ?」

「シンオウ地方のポケモンっしょ? テレビでやってたぜ」

 

 

 それを言うなら「ピンプク」だろうが面白かったけれども、誤った覚え方をしていてはお互いが可哀相だからそっと耳打ちをした。イーブイ班は顔を俯かせて耳を真っ赤に染め上げたので、間違えたことを素直に聞き入れたようだ。

 疑ったりしねえの? と尋ねれば、ポケモンのことに関しては疑う余地はありませんとなぜか敬語で戻って来る。

 ふうん、と軽く聞き流すようにして、そこまで信用を寄せてくれているのならしっかり勉強しなければと熱意を宿した。研究者になるつもりはからっきしだが、何かしらワンポイントでもアドバイスを出来る人間になりたいなと思う。

 

 

「……サワムラーだ」

「え、どこどこ!?」

「ほら、あそこ。館長さんの隣……」

 

 

 ひそひそ話で、サワムラーの目撃情報のやり取りをしていれば、おそらく聞こえたのだろう。博物館館長の隣にボディガードさながらの姿で佇むサワムラーが凛と伸ばした姿勢のまま、ひとつ会釈をしてくれた。

 

 

「うおぉ、寡黙で真摯で真面目でファンサービスを忘れないとかやっべー! あのサワムラーイケメン代表だっ!」

「きゃーっ! すてきー!」

 

 

 近頃は館長の隣に控えるサワムラーを前に「雑魚リーダーんとこでサワムラーポップするとかラッキー」とか不躾なことを仕出かす新人トレーナーも多く、警戒心をばりっばりに上げての来客対応だったのに。蓋を開けて割ってみれば、礼儀正しく歴史をちゃんと学ぼうとする姿の子どもたち。新人らしく無邪気で無垢で、けれども、礼儀作法をちゃんと守る子どもだ。

 無邪気な声で、館内であることをちゃんと配慮したのか。それでも興奮が堪え切れず、サワムラーから受け取った会釈もといファンサービスにきゃいきゃい小声で喜ぶ子どもたちの姿に、館長もほっこりした。

 

 

「それにしても本当に格闘タイプと岩タイプ多いな。ニビって言うから岩タイプを基盤に一緒に生活してのかなって想像をしてたんすけど、ぱっと見格闘タイプの割合が多そ?」

「言われてみれば…………」

「確かに。岩タイプのジムリーダーに憧れて岩タイプのポケモンを、って求める人も多かったって聞くけどよ。」

 

 

 住民のほとんどが連れ歩くポケモンを数えでもしたのだろう。ふと辺りを見渡してぽつんと零された言葉は、なかなか核心に近いような気がした。

 目視する中で格闘タイプが多くなるのは、当たり前だ。何せニビシティは、少年たちの言うように「岩タイプのポケモン」を基盤とした街なのだから。岩タイプのポケモンのポケモンが多く姿を現す。

 

 

「私は昔、○○博物館で学芸員として働いていたんですが、私からすれば、あなたがこのお客さんたちをさばけないのは、きちんと仕事が出来ていない証拠です。」

 

 

 その博物館で働く名誉を賜った人間は、超絶エリートなんだとか。なら、今宙ぶらりんな状態なのは、そこを辞職したから? それとも、辞めさせられたから? どっちにせよ、宙ぶらりんの人間にはそのようなことを言ったところでどうしようもないだろうに。

 

 

「 私なら、こういう風にしてお客さんを誘導してさばきますよ。あなた、そんなこともできていないじゃないですか。……あなたがやる資格があるんですか?」

 

 

 中には、クレーマーの如き暴走状態のポケモンたちだって。

 知識量で武装したつもりのようだが、こっちには元祖知識袋もとい人間図書館(褒め言葉)であるグリーンが居る。ギャラリーに対する解説をわくわく顔でしてくれるから、こっちも楽しく聞ける。

 クレーマー対応をじっと見つめたグライスは、男が拘束されて追い出される瞬間までもを観察していた。そして、正解を弾き出したのだろう。ぱっと顔を上げて納得した答えを幼馴染たちへと告げた。

 

 

「なるほど弱点!」

「格闘タイプが……? ああ、そう言えばそうだっけ。」

 

 

 度量が大きく些細なことに拘ってはおらず、かなり大胆な雰囲気を感じたのだ。開放的な博物館のセキュリティーがそれを物が立っているとも言うし、何ならクレーマー対応がまさしくその通りだったような気もする。

 

 まったりと化石博物館を堪能したグライスたちは、さて、次はどうしようかと首を捻ろうとした欠伸をぽわぁと零した二人組の顔を覗き込む。

 流石はカントー地方にある最大の森と言うべきか。スーパーマサラ人である幼馴染たちでも1日で踏破すると、かなりの体力を消耗してしまったようだった。レッドは疲労のひの字も見当たらなかったが、彼はそもそも論外認定を受けている。グライスも同じ条件ではあるけど、十分な休憩はさせてもらったし、道中カズマの背中に乗せてもらって逃亡した甲斐もあり、イーブイ班ほど体力の消耗はなかった。

 

 

「んー」

 

 

 ピ、ッピと指先で予約画面を表示させる。

 ニビシティにあるポケモンセンターのホームページからアクセスし、トレーナーズホテルの宿泊を予約したのである。三食、バスルーム付きを1人ずつ。料金は割引価格となるよう、きちんと図鑑のスキャンを忘れず行う声掛けをした。

 

 

「お疲れさん。とりあえず予約したから、図鑑をスキャンするだけで身分証明になるはずだぜ。今日はもう泥のように寝ちまえ、寝ちまえ」

 

 

 よーしよし、頑張ったなぁと労わってやれば博物館の外だと言うのに、すっかりオヤスミモードへ突入した。しゃあねえ、と背中にグリーンを背負えば、レッドはブルーを抱き上げる。ポケモンセンター付近にあるトレーナーズホテルへのご案内とふざけたような声色でひっそりと告げれば、静かなレッドは意図を理解してくれたらしくコクリと頷く。最終的には、部屋まで幼馴染たちを送り届けた二人は、任務達成とばかりにホテル前でハイタッチを交わした。

 ポケモントレーナーの旅はポケモンとの共存を受け入れるための宣伝柱である為、当然のことながら、ただ歩くだけじゃない。野生のポケモンと戦い、ときには目と目が合ったポケモントレーナーと戦い、数多の洞窟や森やらたくさんの場所へと冒険し、行く先々に波乱万丈の展開が待ち受けている。

 

 ある意味では冒険家のような生活なので、新人トレーナーの大半は予想以上の過酷な旅に肉体的にも精神的にも疲れ果て、家に帰ることもしばしば。もちろん彼らはレッドの体力に合わせて自身を鍛える苦行を重ねてきた猛者なので、同年代の子どもたちと比較すれば平均値を大きく上回っている。

 それでも心身ともに摺り削る旅の疲れは、通常の身体能力を行使した疲労とは、また別に辛いものがある。こればっかりは経験を積んで、身体に馴染ませていくしかないものだ。

 あの幼馴染たちに限って家に帰るなんてことはなかろうが、と笑ってホテルを見上げてからレッドを見つめる。

 

 

「ニビジム、行くか?」

「…………!!」

 

 

 今日一番のイイ笑顔だった。



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020:そして少年たちは鈍色の門を叩く。

―――赤は挑み、灰は観戦する。


 グリーンとブルーを詰め込んだ宿屋は、一般客お断り。

 ポケモントレーナーまたは関係者のみが利用できるホテルである。危険が多い最前線に身を置く故にトレーナーズホテルと囁かれるジャンルの施設は、国民たちの厚意によって設立された。つまりは、運営を税金で賄っている。

 新人であってもトレーナーはトレーナーなので、予約は歓迎された。ただし、実際にフロントへ行くと肌がひりつく緊張感は拒絶されているような気がして。

 

 

『あのー、俺たち新人なんっすけど予約とかってしちゃ駄目、だった感じっすかね………?』

 

 

 何処にもそのようなことは書かれていなかったが、何処にでも暗黙の了解というものがある。もしかしたら、ちゃんと情報を収集しきれて居なかった可能性も否めず、おずおずと尋ねれば受付のスタッフは快く迎え入れてくれた。

 

 

『いえいえ! そんなことはありませんよ! ご不安を抱かせてしまって、大変申し訳のないことでございます。さ、ご予約は2名様と伺っておりますが……、そちらの2名様でしょうか?』

『はい! 観光途中で疲れて寝ちゃったんで、俺たちおぶってきたんっす!』

 

 

 背負われた子どもたちの顔を見れば、ホテルのスタッフも眉を和ませる。次はあっちのお土産さんを見に行きたいと寝言で零すほどにはニビシティの店を気に入ってくれたようだ。首に顔を埋められてぐりぐりとされた灰銀の瞳は、くすぐったさでからから笑う。

 最近では新人トレーナー同士が狩りを始めてしまって、ホテルの一室で永遠とポケモンバトルを強要し、賞金を根こそぎ搾り取る輩が増えてきた。そんなあくどいことに利用されるのも遺憾なので、もしもそんな雰囲気があるようであればお断りする心積もりで予約を受け入れたのだ。

 しかし、ホテルの従業員たちの覚悟とは裏腹に、やって来た予約のお客は背負われた側の信用しきった姿に、仕方ねぇなァと親しみを込めて笑う少年たちの姿。気絶させて運び込む輩も増えたと聞くから警戒したのに、あんなにも安心しきって無防備な姿を晒すのなら、きっと近しい人物なのだろうと安心したスタッフは、すかさず対応したのだ。

 それを聞かされた時、グライスは既視感を覚えた。トキワシティのフレンドリーショップでも、似たようなことを聞かされたような気がする。と言うよりも、新人トレーナーたち問題を起こしすぎだ。計画でもしたのかと言わんばかりの集団問題児ともなれば、なるほど確かに新人トレーナーと聞くだけで民間人の警戒心は爆上がりだろう。

 

 

(うーん、本格的に調べるべき………?)

 

 

 確かに「トレーナーズホテル」のジャンルは浸透した。

 ポケモントレーナー以外の利用も可能とする一般宿泊施設だってトレーナーを優先的に対応してくれる場合には、トレーナーズホテルの看板を立てかけることを許されるようになった時代なのだ。

 利用する宿泊コースによっては無料で宿泊出来たり、ほんのちょっとの金額でお金持ちのブルジョアしか体験できないようなマッサージコースを利用できたり、本当にポケモントレーナーにとっては至れり尽くせりの宿泊体験を可能にしてくれるものだから、「勘違い」してしまっても無理はない。

 宿泊施設の中でも、とびきりの接待や部屋をスイートルームと呼び、その最上級の部屋への宿泊権利は、運営側(ポケモンリーグ協会と提携を組んだ施設側)が出した条件を見事達成したあかつきに受け取れるもの。

 つまりは、「町の英雄」だったり、ジムリーダーだったり、宿泊施設のある市町村に多く貢献したトレーナーへ与えられる。

 そんな特典だって、ポケモントレーナーにはわんさかあるから、市町村で起きた問題にはポケモントレーナーたちが我先にと申し出る。空回りすることも多く、その条件を取り下げられようとした矢先に、とんでもねぇ勘違い野郎が現れたので継続することにしたとかなんとか。

 警察には、協力的なポケモントレーナーたちは助かるから、出来れば継続をと依頼されているらしいのだが。いつだって迷惑を被るのは、宿泊施設なのでそちらの方も検討中。

 

 で、「勘違い」を強く引き起こしたポケモントレーナーは、そのスイートルームに宿泊した経験のある若者である、と。

 

 完全なる勘違い野郎ではないか、とグライスは遠目をした。一度とんでもなく優良な接待を受けてしまうと、中毒性を見出してしまったら最後、普通の接待では満足出来なくなる。あのときの至福のひとときをもう一度、と願望でも強く持っているのだろう。

 告知なくそのような優良接待されたら、まァポケモントレーナーだって勘違いしちゃう。

 

 ので。

 

 

『スイートルームの利用条件を張り出すとかした方が、ポケモントレーナー側もやる気が出て、いいんじゃねぇっすかね』

 

 

 何の告知もなく、殿様接待をされた人間がどうなるか。簡単に言えば、トレーナーズネットワークもとい、トレーナーたちの交流会で落とされる情報量に宿泊施設側の情報料が負けた証拠である。

 宿泊施設側はよくよく身に染みたことだろうから、二度は同じ藪を踏まないはず。まァ告知さえしてしまえば、言ったモン勝ちなので何もお知らせしなかったなんて罪悪感は生まないだろう。

 それでも強要してくるようであれば、レットカード。すなわち、退場の切符を切ることもやぶさかではないことを警告し、何なら各宿泊施設への連携を取って指名手配するとかの対応である程度は殿様願望のクレーマーたちを撃退できるはず。

 

 幼馴染たちが宿泊する施設なのだから、徹底して運営内容を思いつく限り参考までに利用感想として提出した。おそらくはホテルのマスターっぽい人間が大喜びしていたので、何かしらの解決策が思い浮かんだのだろう。良かった良かった。

 

 

「レッドレッド、挑戦する前におさらいしよーか。」

 

 

 今すぐにでもニビジムの扉を叩くどころか突撃をかまそうとしたレッドをとっ捕まえ、人差し指を立てて約束事を復唱させる。ひとつ、行動する時は一緒。ふたつ、危険な場面に遭遇したらまず報告・連絡・相談。みっつ、器物破損をしない。

 最後の方には思い当たることがあるのか、レッドはきゅっと唇を窄めて頷いた。そりゃそうだ、あのまま突撃をかましたらまず扉がぶっ壊れていた。

 

 

「興奮するのも分かるし、お預け状態だったのも分かるけど、公共のものを破壊し尽くさないように…………な?」

「…………。」

 

 

 今は4月なので、1ヶ月に1個のペースでジムバッジを集めて行けばリーグへの挑戦権は余裕で間に合う。それにジムだって足があるわけでもないし、逃げられることはないのだから、焦らずゆっくり行こうと言えば、レッドは静かにコクリと頷いた。

 

 

「よっし、じゃあ、行くか!」

「…………!」

 

 

 イワークが積み重なったような外観と言えば語弊がある。

 崖を切り崩し、洞窟を深く掘り進めたような岩山のような施設こそが、まさしくニビシティが自慢する、町の生を背負って立つ岩タイプのプロフェッショナルに相応しき居城。

―――いや、住宅はまた別にあるらしいのだけれども、通常はそこで寝泊まりするらしいから居城と表現したのであって。

 

 

「ジムリーダーがジムを家にしてるってのはないからな?」

 

 

 インターホンを鳴らせばバトルできる?

 という無言の質問には、やんわりと否定した。ただの比喩であそこまで釣られるなんて、やっぱりバトルが好きなのだなぁと瞳を細める。迫りくる人間の気配を察知し、まだポケモンバトルが出来るお家と諦めきれぬ願望があるのかジィっと凝視したままの幼馴染の腕をとり、自分の方へと引っ張った。

 

 

「うわぁぁん、僕のオコリザルぅぅぅぅううーーっ!」

 

 

 ばびゅーんと通り過ぎる人影は、なるほど、ジムチャレンジして負けたポケモントレーナーかと納得した。

 

 

「あたしのエビワラぁぁぁああっーーーっ!」

 

 

 ん?

 オコリザルを筆頭に、ぞろぞろとポケモントレーナーたちが飛び出してくるのでぎょっとした。その数なんと、うん十人。ケンタロスの大行進のように地響きを立てて通り過ぎるそれに合わせてレッドを庇う。

 やっと地響きが鳴り止んだ頃には、砂埃が舞っていた。からん、と物悲しい音を立ててニビジムの近所に設立されたカフェ看板が落っこちたのを認識し、グライスは再起動する。

 

 

「大丈夫か? 怪我は?」

「…………」

「そっか、良かったー。」

 

 

 飛び出してきたおそらく敗者であろうポケモントレーナーたちの言葉を拾えば、挑戦者側のメンバーがおのずと明らかになる。おおよそ岩タイプのポケモンの専門家と評判なタケシ対策として、有利なタイプだけで構成してきたのだろう。

 そんなもの、岩タイプのポケモンのエキスパート故に、相性不利対策も万全だろうに。

 楽勝だと言って挑戦したはずのジムには、一戦目からジムで修行を積むトレーナー通称ジムトレーナーと呼ばれる彼らに敗退し、ポケモンセンターへ駆け込むハメになった、とな。

 なめ切った態度だったからコテンパンにやっつけてやったわい。とは、逃げ帰るポケモントレーナーたちを見送りに来た山のような男の言葉であった。

 ジムリーダーは、専門家と呼ばれるだけあって、たとえ相性が最悪の相手だろうと、関係ない。ひたすらに自分が焦がれるほどのタイプのポケモンを愛し、そこに全身全霊の魂を掛けてきた最高にクレイジーなトレーナーだ。俗に言う、限界ヲタクとやらが該当するような気もするレベルの熱の篭もった愛情表現。彼らなりの愛情表現とは、己の育てたポケモンが最強である証を立てることである。

 そこにジムリーダーやらジムトレーナーやらの肩書きは、さしては意味を為さず。ポケモントレーナー全員に言えることだろうと、ちらっと門前で仁王立ちをする男を覗き見る。

 

 筋骨隆々な男だ。

 岩山のように盛り上がった筋肉を作り上げるには、一体どれほどの時間が掛かったのだろうか。仁王立ちした姿は、まるで断崖絶壁そのもの。その壁を越えられるか否かを試されているような気もして、身体がちょっとそわそわしてしまう。

 

 

「もしかして、今日はもう営業終了?」

「ん? お前たち、もしかしてチャレンジャーか?」

 

 

 動く気配がなかったから話しかけてみると、厳格な雰囲気から一変し、意外にも気さくな印象を受けた。パッと表情を明るくしたグライスは、寡黙なレッドに変わって肯定する。挑戦をしに来たのだけれども、先ほど大量のポケモントレーナーがジムから出て行ったからまだ調整中かも、と思って足を止めたことを話せば、男は「そうかそうか」と糸目を和ませた。

 

 

「大丈夫だ。バトルフィールドは数個に渡ってあるから、そこを順番に回して使っているんだ。」

「へえ~! じゃあ、俺たち2人挑戦したいって言ったら、登録した順番に?」

「ああ。まずはジムトレーナーたちとのバトルで色々と試験を受けてもらって、それから、だな。何処のジムも同じシステムだろうから、今のうちに慣れておくといい。」

 

 

 数個ある部屋をローテーションして使っている。

 2人の挑戦者が来たら2部屋を使用し、終わってから部屋の修繕や調整を行う。その間に別の2部屋を使用して、終わったら修繕や調整をまた繰り返す。そのように回転率を考慮し、如何に効率良く、また真摯に、ポケモントレーナーたちとバトルを繰り広げられるかがジムに与えられた今後の課題だ。

 挑戦できるなら、と少年たちは顔を見合わせてお決まりの文句を宣った。

 

 

「たのもー!」

 

 

 石造りの扉はその見た目を裏切らぬ重みで、岩を引きずるような音を立てて奥の方へとゆったりと動く。ひょっこり部屋の中を覗き見れば、カウンターには不愛想な男がそこには待ち受けていた。

 

 

「2人、挑戦したいんっすけど…………え、本当に空いてるんすか?」

 

 

 今にも閉まりそうな雰囲気があるのだけれども。排他的と言うか、バリッバリの拒絶っぷりには、一緒に覗き見る男も苦笑気味だった。

 

 

「最近、態度の悪いトレーナーが多かったからな。だが、俺が側に居るからにはちゃんとした対応をさせてもらうさ。」

 

 

 俺が側に居るからには? させてもらうさ?

 スタッフのひとりだと思っていたグライスは、糸目の男を見上げてハッとする。どうして気づかなかったのだろうか。ニビシティのジムリーダーの特徴は、糸目で、筋骨隆々で、とにかく岩のような男なのだとさんざ観光内で聞かされていたのに。

 

 

「ジムリーダー……?」

 

 

 影武者の線もあるだろう、なんて薄っすらと希望を尋ねれば笑顔で一刀両断された。ジムリーダーが自ら見送りに出るほどヤッベェ連中が居た証拠である。やだなぁ、と思ってしまうのは守るべき幼馴染が居るからだろうか。ホテルの方もしくは、あの子たちの方へもヤッベェ連中に気を付けてねという連絡するべきか悩んでいる間にレッドが2人分の登録をしてくれていた。

 

 

……(あの二人なら)……(大丈夫だよ)。」

「それもそーだな」

 

 

 立派にポケモントレーナーとしてデビューしたのだ。あんまり心配をし続けるのも失礼にあたるというもの。グライスを打ち負かしたその実力を信じ、今は最初の関門と名高き鈍色の門を潜る。

 

 

「よーし、気合ばっちり。ルール説明お願いします!」

 

 

 洞窟の奥に一陣の風が吹き込んだ。



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021:赤へ贈る灰の応援。

―――過剰なファンサービスは要注意?


 最初の関門。

 鈍色の門を叩き、最初に挑戦したのはレッドだ。ポケモンバトルをしたすぎてウズウズする姿を見かねたジムトレーナーが誘ってくれたこともあるが、純粋に登録の順番である。

 レッドの現在の手持ちは電気タイプのピカチュウと炎タイプのヒトカゲ、それにトキワの森で実はゲットしていたキャタピー。…が進化した姿であるトランセルの3体だ。エースポケモンは、比較的ニューフェイスにあたるピカチュウ。岩タイプのポケモンを専門とするニビジムが相手では、幾らレッドでもなかなか重荷だろう。

 

 

(―――…さて、どう切り抜けるのかな。)

 

 

 相性不利をもろともせぬのは、ジムリーダークラスの人間であれば対策のひとつや二つや三つ四つを練るものだからだ。挑戦者へ簡単にジムバッジを渡すようなジムリーダーなんぞ噂すら、ありえない。相性なんざへでもねぇとばかりに鍛え上げて、自慢のパーティ編成で王までの道を誘う守護者たちこそ、カントー地方が伝統的に誇り続けるジムリーダーという存在なのだ。

 そんなジムリーダーの中でも、防御に最も優れたポケモントレーナーと噂のタケシは、ジムリーダークラスのリーグで8位以内に収まる器の持ち主。この順位は開催されたリーダー・リーグによって変動するので、もちろんタケシが1位に君臨した時代もあった。……此処まで言えば分かるだろうが、チャンピオンへの挑戦権を掛けて接戦を繰り広げるジムリーダーたちの8位以内に食い込む実力者であるために、油断なんてものを少しでもすれば地面を舐めることになること間違いなし。

 彼が最も優れているのは、その忍耐強さを活かした戦術だ。迫りくる攻撃を耐えて、失望する人々の声を耐えて、逆境の中をひたすら耐えて、相手が見せる隙を叩く。

 

 その手腕は新人トレーナーが相手であろうとも、遺憾なく発揮される。もちろん、実力差なんて天と地ほどあるので、新人を大人げなく倒すわけではなく、ジムリーダーたちは新人ポケモントレーナーの実力やら素質やら人柄やらを推し量る為の審判役も担う。ポケモントレーナーとしての立ち居振る舞いをジャッジし、善良であれば「審判」を、悪逆であれば「制裁」を、と言った風にバトルスタイルを変更する。

 ポケモントレーナーの間では「ジムバトル」と呼ばれるそれが「審判」、「ジムの非公式バトル」と呼ばれるものが「制裁」に当たるものだ。

 

 

「此れより、マサラタウンのレッドとトキワシティのコウダによるジムバトルを開始します!」

 

 

 当然のことながら、レッドは「善良」なポケモントレーナーとして認識され、ジムバトルの判定を受けた。ちょっぴり得意な気分になって、誇らしくて、笑顔で応援する。

 

 

「がんばれー! レッドー!」

「…………」

 

 

 紅き瞳に静寂を宿した幼馴染は、無言のまま頷く。ポケモンバトルへ集中しだすと、周りが見えなくなるのがレッドだ。

 将来有望なポケモントレーナーを取材するメディア関係のあれこれがあり、観客ありきのジムバトルか、それとも観客なしのジムバトルかを選べるのだけれども、レッドは「好きにして」のスタイルを一貫し、外の世界には興味無しだ。強いていうなら、ポケモンバトルをしてくれて、(きみが)勝ったら、(負けを認めて)答えてあげるよと言った副音声が隠れているのだけれども。

 そんなこんなで、寡黙な彼なりに行われた遠回しの拒絶は幼馴染以外に通用するはずもなく、仕方なしにグライスが割って入ってメディアの取材をお断りする形となったのは言うまでもない。

 

 レッドがメディアを苦手とするようになったのは、幼馴染であるオーキド・グリーンの御家柄が関係する。ポケモン博士を祖父に持つグリーンの家に遊びに行けば、多くのメディア関係者でごった返しになっていた頃の話だ。

 遊びに行くたびにグリーンの表情が陰って行き、将来の夢を大人たちが勝手に決めつけて行く。それに操られるようにして傀儡のように笑顔という名の仮面を顔に貼り付けたグリーンを幾度となく、子ども同士で励まし、時に引っ叩き、家に持ち帰った。

 子どもだけで森に駆け込んだこともある。大人たちが必死で探すから、グライスだけちょっと顔を出して「無事っすよ」と安否を証言してから再び子どもだけの秘密基地に隠れることなんてザラだった。

 それほどまでに、グリーンへの接し方が……なんて言うか、決めつけばかりで悪意なき押し付けは酷かったのだ。

 

 俺のことなら売っていいから、グリーンだけでも守って。と懇願した記憶は懐かしく、それを境にオーキド博士もメディアを研究所に入れなくなったのでひとまず関りがなくなって安心した。しかし、気づいた頃には時遅く、グリーンを含めてほとんどの人間がメディアを嫌煙するようになったのだ。

 

 

(俺もなんだけど……)

 

 

 カメラを向けられるのも億劫だと肩を落としたグリーンのために、目の前のことに集中するためにメディアへの露出を控えようと考えております発言をさせたのは正解だった。ちらりと見えていたカメラマンも、その一声によって影法師のように姿を消したのだ。出来るなら最初からそうやってくれよお、と震える声で呟くグリーンには苦笑し、その日はグライスの家でみんな過ごした記憶もある。

 グライスが気づかなかっただけで、散々な目に合わされてきたかもしれない。そう思うと、もう少しばかり痛い思いをしてもらっても良かったのかも。そう浮かんだが、流石に過激すぎるかなと取り下げた。

 

 

 閑話休題。

 

 

 さて、話を戻そう。

 

 マサラタウンからニビシティの道路で生息しているポケモンは、ノーマル飛行タイプのポッポ、オニスズメ、リージョンフォームしていないからノーマルタイプのコラッタ、毒タイプのニドランの4種類。加えて、間に挟まるトキワの森では、虫タイプのキャタピー、ビードル、トランセル、コクーン、電気タイプのピカチュウの5種類。―――……数を総合してタイプだけを見て行くと以下の通りになる。

 

 

【マサラタウンからニビシティまでの生息分布(確認済)】

ノーマル:3(ポッポ、オニスズメ、ラッタ)

飛行:2(ポッポ、オニスズメ)

電気:1(ピカチュウ)

毒:1(ニドラン・オス、ニドラン・メス)

虫:4(キャタピー、ビードル、トランセル、コクーン)

 

 

 タイプだけでも不利なものが多すぎて、思わず遠目になる。よくよく考えなくても、岩タイプとは、言葉の意味そのものを強調するならば世界が語った通りのものになるはずだ。

 水で削り取られて(弱点)、植物に根を張られて(弱点)、地震で割かつ(弱点)。しかし、近年では水の他には、素人はともかく(今一つ)格闘家が叩き壊したり(弱点)、アームハンマー(=金属類。弱点)で砕かれたりもする。

 

 レッドの手持ちは先も言った通り、虫、電気、炎になる為、弱点ばっかりなのである。鳥は石やら岩やらで打ち落とされ、虫も押しつぶされ、炎の消火を岩で行う地域もある。

 

 此処まで言えば分かるだろうが、本当にレッドは不利な状況で開戦を切ることになった。考えれば考えるほど相性が気になるのは、ゲーマーとしての悲しき性だろう。膝の上にコロリと乗って来たシグマの背中を撫でてやり、カメラを構える。

 

 

(それはさておき、レッドの晴れ姿! ちゃーんとビデオで記録しとかなきゃっすよねぇ!!)

 

 

 テンション爆上がりの参観日のお兄さん気分である。

 

 

「それでは、ルールを説明します!」

 

 

 3対3のシングルバトル。

 ポケモンの入れ替えはチャレンジャーのみ可能。

 道具の使用は禁止。

 また、ポケモントレーナーがバトルフィールドへ立ち入ることを禁じ、ポケモンの技が迫ってきたら回避に専念すること。

等々の説明事項を受けて、レッドは帽子のつばを下げて了承を合図した。流石にそれでは俺たち以外には分からんだろうに、とグライスは眉を落としながら苦笑し、かわりに声を上げて了解をアピールする。

 

 

「はーい、俺()了解っす!」

 

 

 困惑したようだけれども、同意を得たことを確認した審判は赤色の旗をばさりと大きく振り上げた。

 

 

「此れより、ニビジムのジムトレーナー・イワナと、チャレンジャー・レッドのジムバトルーーー……始め!」

「行っけぇ! アタシのイシツブテちゃん!!」

 

 

 光のヴェールをゆるく解きながら現れたのは、ニビジム名物のイシツブテだ。不利な状況下でもあの子は出てきたポケモンが予想通りだったことに不敵に笑い、ボールを構える。まさしく絶対的な王者の貫禄をもって投げられた匙は、小さな緑色の虫から始まった。

 

 

「う、うそ!? トランセル……!?」

 

 

 固くなる以外を覚えていないでしょ、と顔を真っ赤に染め上げてトランセルを案じるようで侮辱した態度をもろともせず、レッドはただ静かに帽子のつばを少し上げた。

 

 

「ッセェル」

 

 

 ばしゅーんと吐き出されるのは、粘着力のある糸。

 グライスは察した。相性が不利ならば、地形を有利に買えてしまえばいいじゃないってか。なるほどね。まずは自分のやりやすいようにバトルフィールドを作り変えようって魂胆だな。よく考え込まれた戦法だが……。

 相手はジムトレーナー。きっと対策はしてくることだろう、と手汗を滲ませてカメラを回してビデオを撮る。

 

 

「させないわ! 戻って、イシツブテちゃん! そんで『転がって』きて、ゴローンちゃん!」

 

 

 あ。

 そう思った瞬間には、あんまりにもあっけなく『レッドの仕掛けた罠』に引っかかてしまったゴローンの姿があった。モンスターボールから飛び出して、そのまま転がろうとしたのだろう。

 けれども、レッドが一歩上手だった。着地するだろう足場を予測し、粘着糸を貼り付けてトランセルに遠心力を利用させて思いっきり引っ張らせたのである。

 

 

「っろーぉおおおーーーっ!?」

「ゴローンちゃん!?」

 

 

 あーあ、そうなるだろうなァ。

 そして己の重みに耐えきれず後ろに転がる、と。

 壁へ身体がめり込むほどの強度で衝突したゴローンは、ほとんど自滅したようなものだ。憐れみひとつ持つ間も与えず、すかさずトランセルは「固くなる」からの「体当たりもどき」をぶつけ、ゴローンを戦闘不能に追いやった。

 

 

「さっすがレッド! 俺の自慢の子っすよーー!!」

 

 

 子どもと言うわけではないけれど。

 自慢であると言ってもらえたことで、レッドも高揚感を覚えたようだ。言うまでもなく、幼馴染たちを溺愛するグライスの発言が猛烈に大暴走しただけである。通常運転、通常運転。集中を切らせる様子もなく、さも当然だとばかりに帽子のつばを軽く上げて不敵に笑みを浮かべるレッドや、それを受けて満面の笑顔で応援するグライスの姿には思うことがあったようだ。

 

 

「どんな関係性よ!?」

 

 

 ニビジムのトレーナーから物凄くツッコミを入れられた。

 揺さぶるつもりはなかったが、思わぬところで功を為したようだ。ポケモンバトルをそっちのけで、関係性が気になるのか騒ぎ立てて、それを見た審判はひそかに眉を潜め、ジムトレーナーを窘めた。相手のプライバシーに関わることを聞くものではなく、また、同時にチャレンジャーと真摯に向き合う姿勢を忘れてはならないものであると。

 無言のまま笑みで対応するグライスの気配は少しずつ深まり、まるでレッドならばすぐさまカタを付けられるだろうと純然たる事実を伝えるかのような挑発をひとつ。お前なら出来るだろう、なんて副音声をしっかりと受け取り、レッドはトランセルを下げた。

 

 

「そ、そう、トランセルを下げるのね。もう一回頼むわよ、イシツブテ!」

「…………」

 

 

 光のヴェールをぶら下げて、凸凹した岩場の盤上に降り立つ―――かと思いきや、盤の空に舞い上がる鳥の影。

 なるほど、なるほど。タイミングがあれば積極的に経験を積ませていくスタイル。とても向上心が高くて強くなることに貪欲。全てのポケモンを入れ替えに、ジムバトルを経験させるつもりなのだろう。ジャングルの猛者ターザンもとい、初見殺しのトランセルを引っ込めて、同じくニューフェイスであるポッポの活躍の場を設けたようだ。ばさりと力強く羽ばたくポッポは、期待に応えようと宙をまわった。カズマが群れていたところの長だったのか、モンスターボールがカタカタ揺れる。尊敬に溢れたオーラを感じ取り、グライスはモンスターボールからカズマを出してやる。

 進化前でもやっぱ兄貴はカッコイイです! と純粋無垢な眼をあのポッポへ憧れビーム光線をぶつけるあたり、やっぱり群れの長だったのだろう。よく捕まえられたものだ。勧誘したって跳ねのけそうなのに、と見つめれば、クイっとモンスターボールを転がすピカチュウの姿がある。

 アッ、ハイ。理由が物凄く分かった。新参者とは思えぬほどのピカチュウ様のおなーりーだったんっすね。野生の世界は上下関係―――縦社会がしっかりとした環境だったことが伺える。一緒に応援しような、とのほのほ笑って興奮を堪え切れず、翼をばたつかせるカズマを小脇に抱えた。

 

 

「イシツブテちゃん、『丸くなる』からの『体当たり』よ!」

 

 

 優雅に飛行するポッポは何の指示が与えられなくても、イシツブテから繰り出される「体当たり」を軽々と避ける。避ける、避ける、避ける、さけ……。

 

 

「ああぁぁぁあもうっ! なっんで当たんないのよ!! イシツブテちゃん、『体当たり』よ!!」

 

 

 たとえ、相性が不利であろとも。

 冷静さが欠如したモノを相手に負ける気はしない。それはレッドも同じことだろう。せっかくの気分の高揚をひんやりとしたものに変え、すかさずポッポへと「翼で打つ」を指示して。

 

 

「ッシャアイ!?」

 

 

 岩と同じほどの固さを持ったイシツブテの身体に、おおよそ岩に押し負ける鳥の身体とは思えぬほどの強打が放たれる。その衝撃をもろに吸収したイシツブテは、普段ならばさして痛みも入らなかったはずだ。的確に急所を抉る一撃を受け、イシツブテは苦悶に満ちた表情で岩のような身体を地に伏せた。

 

 

「イシツブテ、戦闘不能! よって、マサラタウンのレッドの勝ちとします!」

 

 

 ジムトレーナーとのバトルは全部で4回行われ、その誰もが岩タイプを中心としたメンバー構成である。最初にバトルしたジムトレーナーのおかげで手持ちの2体の情報を引き出されたことになるレッドだが、さしたる重要性を感じてはいないらしい。相も変わらず涼し気な無表情が、勝利したことを報告するように帽子のつばをグイと引っ張られ隠れるのを見て、グライスは満面の笑顔で声援を送った。

 

 

「Fais de ton mieux, mais n’oublie pas de prendre soin de toi.」

 

 

 ちゅ、と軽いリップとウィンクも付けて。

 いっぱい頑張れ。でも無理はすんなよ、と。

―――って、あ。頬をぼわっと赤く染め上げて、帽子のつばを引っ張り降ろし完全に顔を隠される。

 

 

「…………っ…っ」

 

 

 連戦になるから無理せず引き続き頑張ってと応援したつもりだったが、ニビジム(館内)の人みんな照れちゃった。



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022:何気ない囁きだったとしても。

―――その一つですら、彼の言葉は勝機となり得る。


 カロス風味を漂わせる応援を受け取ったレッドは照れくささを帽子で隠しながら、ジムトレーナーたちを連続で叩きのめしていく。さして苦戦もせずに、と言いたいところだが、初見殺しを担っていたトランセルが進化しバタフリーとなったまでは良かった。進化したことによって羽が生え、飛行する手段に戸惑う彼は、3戦目でとうとう地に伏すことになってしまったのである。

 これでレッドの手持ちのポケモンは、満身創痍のヒトカゲ、飛行する気力を失ったポッポとそこそこ体力の消耗が激しい様子を見せるピカチュウのみ。ゲットしたばかりということもあって、やはりバトルの連戦はキツかったようだ。

 

 

「……一度、ポケモンセンターへ戻る手もあるが」

 

 

 ニビジムへの挑戦歴に「敗北」を記録することを意味する。その誘いに乗ったポケモントレーナーの数は、片手で数えられる程度。自分のポケモンの状況を分析することもトレーナーに必要な要素だから、リーダーとのバトルへ突入する前にタケシは「君はどうするつもりだ?」と問うたのだろう。

 ジムトレーナー曰く、ジムリーダー・タケシが面倒見の良い兄貴分のような雰囲気があると話題になってからは新人ポケモントレーナーの道場のようになりつつある為、1日のチャレンジャー平均は3桁もあり、様々な新人たちを見送ってきた。今からの計算だと4月から3月末の計算になるから、4月4日時点ではチャレンジャー489人ものチャレンジャーが居たことになる。その履歴を見せてもらったグライスは、数の多さには驚き、突破者の少なさには表情を引きつらせた。一体何がどうなってそうなったのか。

 

 

「……この記録によると約500人のうち9人しか、まだニビジムを突破出来ていないんすよね?」

 

 

 敬語も微妙な空気で吹き抜けたが、誰も気にしなかった。

 当然だ。ニビシティの新人ポケモントレーナーやベテランポケモントレーナーの突破者イコール、岩のような硬さを誇るジムリーダー・タケシの実力なのだ。恐れ戦かないはずもない、とジムトレーナーは自分たちの誇りであるタケシへの尊敬を強める。それにね、と続けられた言葉には家族関係に疎いグライスでも分かる苦労があった。

 大家族の長男ともなればあらゆる方面からの重圧があっただろうに、それに負けず、よくジムリーダーとしての責務を全うしてくれている。他にやりたいこともあるかもしれなかったが、家業を継ぐことに否やを唱えず、今の今まで岩タイプのポケモンを極めてきた。その若さで登り詰めた崖の上からの景色は、彼の目には、一体どのように映っているのだろう。家族のためにジムリーダーを引き受けた健気な男と認識を抱く。年上相手に、どこぞの目線で分析を始めたグライスは、すっかりタケシの人間性への興味に移っていた。

 レッドのように初見殺しをしてしまっても良かっただろうに、あえてポケモンセンターをすすめた理由は、万全な状態でのバトルをしたかったからなのだろう。そう考えるのはポケモンバトルが好きな人間の思考回路だ。しかし、タケシは心配を表情に宿してポケモンを見た。もしかすると、彼はジムリーダーではなく、もっと別の何かになりたかったのかもしれない。観察を続けていると、モンスターボールに戻す前に傷薬で負傷を回復させるレッドの姿にほっと安心しているのが分かった。

 万全なバトルよりも、ポケモンの健康状態が気になる。そう言った職業の人間のことをグライスは記憶しており、予想が的中してしまったことへの確信を抱く。だが、彼も成人した男なのだ。

 自分の道は自分で切り開くだろう。タケシの様子を気にする素振りもなく、レッドはポッポの宿であるモンスターボールを構える。レッドが有するポケモンバトルの才能は常人のそれを凌駕するものなので、万全じゃなかったとしても期待には応えられるものだと言えば語弊がある。如何なる状況であれ、たとえ追いつめられた鼠の状態だったとしても、レッドにとっては全てが万全。

 

 敗北寸前? そんなもの、一体いつ、だれが、言ったのか。

 レッドも、レッドのポケモンたちも、尽きぬ闘志を燃やし続けてそこに在る。立ちはだかる壁を悉く吹き飛ばす猛獣の気配を漂わせ、彼はバトルフィールドに君臨するのだ。

 

 

「はは、やっぱりな」

 

 

 分かり切っていたと言わんばかりにグライスが笑みを零せば、寡黙な幼馴染の答えに困惑したタケシからのジェスチャーを受ける。このままバトルを開始してもいいのか確認を取りあぐねているのだろうと予測して、グライスはただ笑顔を向けてそれに答えた。

 

 

「そうか。…いや、分かった。では、硬い石の男タケシ! 此れより、ジムトレーナーを見事5連覇したチャレンジャーレッドからの挑戦を受けよう!!」

 

 

 ニビシティに在る鈍色の関門は、正しく楽な道ではない。

 4日間で挑戦した約500名の勇者たちを硬き岩が拒み続け、お前は頂きへ挑むに値うる勇者なのかと母なる大地が振るいを掛ける。降り注ぐ岩々を潜り抜け、断崖絶壁を駆け上がることが出来た勇者の数は、わずか数名。鬼畜のようにも思える突破率だが、それがリーグ挑戦権を1つ預かるジムなのだ。簡単に貰えるようでは肉が躍り、血が湧きたつようなバトルは出来ないだろう。

 そんなジムでも、挑戦者は必ず現れる。

 ポケモントレーナーに憧れる人間が居る限り。ポケモンとの共存を望む限り。それを証明し続ける必要があるからだ。敗北を糧に彼らは数多の魔王城という試練を潜り抜け、王への挑戦権を頂戴する。それこそが、まさしくポケモンリーグ。

 しかし、鬼畜な設定ばかりではなく、ジムの中でも一定の取り決めがある。バッジ0個の新人トレーナー相手には学びを主体としたバトルを提供し、バッジを複数有するトレーナーには相応しき対応をするなど。新人への優遇については学びのある敗北を経験させ、学びのある勝利を掴ませて、そうしてようやく一人前への道を歩ませるために行われる。もちろん、新人トレーナーが相手だったとしても、あんまりにも態度が悪ければ天狗の鼻をへし折る為に最初からバッジ5~8個程度の実力を発揮することもあると言った。

 

 

「あなたたちは、ダーテングのように鼻が長いわけではないから―――期待の新人ってところかな!」

「へえ、俺たちって期待されてんのか。レッド、なおさら気合入れてけよ!」

 

 

 ジムリーダー・タケシとのジムバトルは、2対6で行われる。

 言わずと知れた内容だろうが、2がジムリーダーの出撃させるポケモンの数であり、6がチャレンジャーの出撃させられるポケモンの数である。学びを主体としたポケモンバトルって、なるほど、確かに此れでは気持ちに余裕が出来るから観察も出来るし、何なら天狗になりがちな新人の鼻を一緒にへし折れるだろう。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるを実戦経験させて、敗北を味わったのなら……? そこまで理解出来たなら、あとはもう簡単な答えを記憶から引っ張り出すだけだ。

 

 

(ジムから逃げ帰った人たちの二の舞ってわけなー)

 

 

 ニビシティへの挑戦を宣言する少し前のこと。

 ポケモンジムという施設は、ポケモンマスターと呼ばれるポケモントレーナーの頂点を目指しても、たとえ目指さなかったとしても、経験を積むという意味では人生の中で一度は必ず関わるものだ。専門家の意見を、間近で伺える機会なのだからと言えばコーディネーターやレンジャーだって、必ずジムに顔を出す。そもそも研究者たちは、ポケモンのことを調べるためにあらゆることへ挑戦する。最たる例は、オーキド・ユキナリ。彼はポケモントレーナーとしてカントー地方やジョウト、シンオウ、その他の数多の地方を旅して、ポケモンたちと触れ合う中で、もっとポケモンのことを知りたいという意識欲から「ポケモン博士」を目指して今に至る。それ以前には、ポケモンリーグで5連覇を飾る猛者であったと経歴の持ち主であった為に、ポケモン博士としても、百戦錬磨のカントーの王者としても有名だ。

 そんなオーキド博士だって一度は通った「ポケモンジム」と一般的に称されるその施設は、実際にはポケモンを鍛えるためのトレーニング施設ではなく、ポケモントレーナーを鍛えるために設立されたものだった。今では町の治安向上や野生のポケモンたちへの救助活動など、村長的な役割を果たすそれだし、リーグへの挑戦権ばかりに目が向けられがちなのだけれども、ポケモンスクールで学べないことをジムで学ぶトレーナーたちは少なくはない。つまりは、机に向かってノートとペンを大量に消費するよりも、感情と経験を積み重ねて成長させるのが「ジム」の真骨頂といっても過言ではない。

 だからこそ、バッジに応じて実力制限を設けた上で、新人トレーナー限定で設定された新たなるハンデとして、ジムリーダーは「自分のポケモンを使用しない」といった内容の制約をポケモンリーグ協会から受ける。あんまりなレベル差に絶望し、ポケモントレーナー人生を断つトレーナーが増えてしまったことが原因だ。しかし、かような制約を受けようが、属性を極めし彼らにはその程度のハンデを受けたところで、新人を伸すことなぞ赤子の手をひねるほど容易いもの。ジムリーダーの直下で修行を積む、ばりばりの現役ポケモンリーグ経験を持つジムトレーナーたちも然り。新人相手のために生まれたばかりの雛ポケモンを使用しても簡単に敗北を舐めるなんてことがあるはずもなく、それ故に、ジムトレーナーを1人倒すだけでも称賛の声を浴びせられるのだ。

 ジムリーダーに敗北しながらもジムトレーナーで勝てば勝つほど、新人トレーナーにありがちな調子乗りと言うか、天狗の鼻。慣れ始めが恐ろしいと言うが、まさしくその通り。どうにかしてチャンピオン気取りの新人たちに注意喚起する必要があるのだけれども、そう言った新人に限ってベテラントレーナーが躍起になってバトルを挑んでは空振りするという謎の「強運」の持ち主たちなので、苦渋の床舐めが遠ざかれば遠ざかるほど酷くなる。

 そう言った意味では、新人対応と言いながらもきっちり鼻をへし折って、完全なる敗北を体験させるとは、よくよく考え込まれたシステムだ。じゃあ、ほかのジムはどんなシステムなんだ? 此処での対応を味わってしまったのなら、よそで対応されたときに物足りなさを感じてしまったらどうしよう。

 よそのポケモンジムに対して、失礼千万なことをうっかり口から零せば、すっかりニビジムを気に入ったと認識したジムトレーナーたちは誇らしげにポロポロと情報を零した。ニビジムには長く続いていてほしいから変な人には気をつけてくれよ、おにーさん、おねーさん。噓偽りのないグライスの気持ちでもあったが、此処まで簡単に初歩的な話術へ引っかかってくれると逆に心配になる。

 

 

「そうそう、他のジムもね。今年からニビジムと似たようなバトルシステムを採用しているのよ。きっと突破出来たトレーナーたちは豊作でしょうね。」

 

 

 あの子のように、とジムトレーナーの視線をたどればグライスが愛して止まない幼馴染の姿がある。帽子のつばを引き下げたかと思えば、不敵な笑みを携えてモンスターボールを投げ出した。

 現役野球選手さながらのフォームから曲線を描き空へ踊るモンスターボールは眩い光に抱かれて、ポケモンを顕現させる。ある意味では召喚とも言えるそれは、タケシのイシツブテによる先制攻撃を見事にかわし、自由気ままに空を飛行した。

 

 

「なるほど、先読みしたジムリーダーの手を更に読んで、あえて引っ込めてからまた出したのか。ありっちゃありな戦法だけど、スポーツとしてのジム戦ではあんまり好まれないやつ……。」

 

 

 トランセルからバタフリーに進化した彼はとうの昔に力尽き、残すは飛行技術で相手を翻弄するポッポか、持ち前の危機管理能力で回避を徹底するヒトカゲか、期待のニューピーとは思えない貫禄を醸し出すピカチュウの3体を残すところ。先ほどまでヒトカゲでの応戦を繰り広げていて、体力の回復をも期待しての戻しと、その間の時間稼ぎを期待しての飛行。

 猪突猛進な面を強く出すレッドにしては考え込まれた戦法だと言いたかったが、それをアドバイスしたのはよりにもよってグライスであった。教えるタイミングがマズかったと言おうか……。グライスがそれを伝授したのは、ほんの数秒前のクールタイム。応援のキスと共に、そう言えば、と思い出して囁いた言葉を思いっきりレッドが回収して行ったことが原因だろう。

 

 

―――混乱した時に戻せるんなら、ピンチの時に引っ込めるのもトレーナーの腕の見せ所だよなァ

 

 

 なんて。

 モンスターボール回収連撃が出てしまったらどうしようと頭を抱えそうになったが、そもそも策士であるグリーンならともかく、猪突猛進のレッドが正面突破をしに行かないわけがない。無用な心配であったとすぐさま持ち直し、赤の次にお鉢が回って来るのは自分であると理解がある分、分析へと思考を回すのも忘れずに、ニコニコ笑顔で応援した。



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023:固く硬く立ちはだかる岩壁

―――対抗するは、燃え滾る焔と迸る雷電。


 連戦で疲弊したヒトカゲの体力回復のために投入されたポッポがニビジムのフィールド上を飛行して、一体どれほどの時間が経っただろう。タケシから次々と繰り出される鳥ポケモンを撃ち落とすための数々の技を、旋回して避けては、緩やかに飛び続ける。

 それに反して空を自在に羽ばたく術を持たぬイシツブテは、歯がゆい思いをし続けて、一点を狙い続けた。幸いにも耐えることには慣れているし、得意である。耐えて、耐えて、ただひたすら耐えて。

 

 

「クルゥゥ……」

 

 

 疲労困憊とばかりに小さく鳴いたポッポの様子に、タケシは食らいついた。レッドが指示を出すよりもずっと早く、彼はイシツブテに的確な指示を出す。

 

 

「しめた! 今だ、イシツブテ! 『撃ち落とす』!」

「ラッシャァイッ!!」

 

 

 

 小さな石の礫が飛行するポッポへ迫り、旋回して交わそうにも行き先を読まれていて、逃げれば逃げるほどに攻撃にあたってしまう。痛みから墜落した鳥を待ち構えるのは、ただひたすら一方的な飛行や攻撃から耐え抜き、反撃の隙を待ち続けた岩のような身体。

 

 

「『体当たり』だ!」

 

 

 柔らかな鳥の身体に、岩石が突き刺さる。

 

 

「ッシャアイッ!!!」

「――――ッ!!」

 

 

 

 反動を殺しきれず、ポッポはフィールドの壁に衝突して戦闘不能となった。モンスターボールへ戻して、仲間に加わったばかりのポッポを労わりながらレッドは口角を上げる。彼はとにかく、この燃えるようなバトルを待っていた。

 相手の先を読みながら、相手に先を読まれながら、未知なる世界へと挑み続けるようなバトルがしたかった。興奮を隠しきれぬ燃ゆる焔のような瞳をみて、そっと笑む。

 不完全燃焼なのはお互い様。幼馴染同士のバトルに、やっぱり未練を引きずる様子を見せるのは、近くで腕前を磨くグライスの実力を知ったからこその挑発。目の前の高みへ挑みながら、レッドは「強者」への挑発を放ったのだ。まったくなんて無茶なことをする子だろうか。呆れながらもその挑発を軽く受け流し、グライスは脚立を組む。ニビジムの良さを語らうジムトレーナーたちと意気投合し、貸し出しを許してもらったのだ。

 正直、レッドほどの実力者であれば、ジムトレーナーが相手でもほんの少しの物足りなさがあったのかもしれないと思いを抱く。気の良い彼らだが、何せ、ちょっとした挑発にもすぐに乗ってくれるのだ。傍から応援しているだけのグライスにも「やりやすそう」と感じさせるほどには、単純で、純粋な人たちなのである。

 もちろん、トレーナーとしての腕前では彼ら彼女たちが先駆者なので、長けている。レベル差だけで殴り合えば、確実にジムトレーナーが勝ち、挑戦者たる自分たちが蒔けるのは明白。それでも、思わずにはいられなかった。

 

 

(レッドってば、読み合いがしたかったんだな……?)

 

 

 よく出来る小さな策士グリーンレベルを求めるから、物足りなさを感じていたはずだ。それまでくすぶっていた赤き炎がようやく、面白いとバトルスイッチが入った。

 トレーナー同士、お互いがバトルを楽しめるように戦場を動かし動き続けることが出来たのなら、もう立派なポケモントレーナーと言えるだろう。また、それを強く求めるようになっても、才能ある若者としての認識を置ける。無意識に、無自覚に、ただ「バトルを楽しみたい」だけのレッドは、それを呼吸と等しく行う。彼の強さたる所以だろう、とグライスは笑み、カメラをまわした。

 リアルタイムでレッドの母親にLive放送をしてあげることが出来たのなら、それがきっと一番だろうが、今はとにかく記録だ、記録。1秒たりともレッドの成長記録は逃せない。参観日のお兄ちゃんかな? そんな感想を受け取りながら、しっかり組んだ脚立にビデオカメラを設置したグライスは、レッドとタケシのバトルをカメラで追った。

 

 

「……ガァァァッ!!」

 

 

 次にレッドが繰り出したのは、最初の相棒であるヒトカゲだった。

 遠目から見れば柔らかそうに見える全体的な表皮はその実、夕焼けのような美しい橙色の鱗に覆われており、腹から尾の裏にかけては山吹のような色を滑らせている。レッドと同じ紅蓮の業火のような赤き瞳を携えたその子は、グライスと顔を合わせた時に見せるふにゃりほにゃりと柔らかな雰囲気から一変し、仲間を倒されたことへの怒りを全面に、尻尾の炎をぶわりと一回りも、二回りも膨張させていた。

 臆病な性格だったとしても、正義感に溢れる一面を見せるあの子はやっぱり仲間想いのリーダー格の性質だ。リーダーとはまた別に、エースポケモンを決める必要が出てくるだろうが、レッドのパーティーは既に決定しつつあるから、その心配はないだろう。

 

 現に、レッドはまだあの子を出してはいない。

 ジムトレーナーたちを一掃するために顕現させたが、それ以降はずっと休息を取らせたままだ。相性不利なんて関係ない。きっと最高のフィナーレを魅せてくれると期待に心を震わせて、グライスは図鑑をぱちんと広げる。

 それはさておき、此処でヒトカゲの使える技を確認しよう。

 とにかく攻撃力に特化したレッドのヒトカゲだが、補助系や妨害系の技を覚えないというわけではない。なまじ火力が高めな分、その妨害系統の技は威圧感を増すこと間違いなしと太鼓判を押せるほどには迫力があるはずだ。しかし、真っ向勝負を好むレッドがあまり使うイメージも湧かず、あえてそこを突かれる可能性をすみにやして、図鑑に表示された技を見る。

 盗み見防止フィルターを貼り付けたおかげで閲覧許可を頂戴したグライスにしか見えてはおらず、もちろん、誰かに見せるようなアンフェアな真似もするはずがない。独り言で暴露するのも御法度なので、細心の注意を払ってのスキャニング。

 そこから得た情報によればレッドのヒトカゲが覚えている技は、以下の通りである。鋭利な爪で相手を「ひっかく」攻撃、獣の「鳴き声」で相手の気持ちを揺さぶり、小さな「火の粉」を口や尻尾から飛ばして火傷を負わせたり、「煙幕」で目くらましをしたりするのが主たる技だろうか。最近で言えば、トレーナーバトルの最中で竜の息吹を覚えたようだけれども、使いこなすには至っていなかったはずだ。

 ドラゴンタイプの技は扱いが難しいと聞くし、レッドもまずは確実な勝利を求めに掛かる―――わけねぇな? 新しく得た技へのチャレンジを、ジムでやっていても可笑しくはない。

 

 

 そんなことを考えていれば、ヒトカゲは小さな身体に炎のエネルギーを蓄え始めた。グライスが最初に教えた時のように、大きく息を吸って腹を膨らませる。所謂、腹式呼吸というそれを習得したあの子はさしたるエネルギーを溜めるラグもなく、イシツブテの接近を許さぬ息吹を吐き出した。

 

 

「おお!」

 

 

 思わず席から身を乗り出し、ヒトカゲが放った「竜の息吹」を観察する。

 ドラゴンの大きな吐息が渦を巻くようにして放たれ、それを直撃したイシツブテが苦痛に顔を歪めた。息吹き程度なのでダメージはさして入るものではないはずだが、伊達に最強と謳われるタイプの技なだけはある。「火の粉」よりも大きなダメージを与えることに成功したようだ。

 せっかく作った隙だ。逃す手はない。石のように転がされるイシツブテへと追撃を加えるべく、炎竜の素質を宿した雛はその小さな手を大きく振りかぶった勢いのまま、その手を岩へと突き立てた。

 吸い込まれるようにしてヒトカゲの爪は岩をも切り裂き、イシツブテの身体は地に落ちた。浮かび上がってくる様子もなかったことから、審判が持つフラッグがばさりと大きく振り上げられる。

 

 

「―――イシツブテ、戦闘不能! ヒトカゲの勝利!」

 

 

 続けてジムリーダーのポケモンを、と審判が口にする。此れはジムリーダーが2体使用、チャレンジャーが6体使用の、2:6の学びのポケモンバトル。その為、ニビジムのリーダーはその手に持つモンスターボールが此のジムバトルで使用できる最後の1体となるのだが、表情に翳りはない。勝利を確信した笑みのようにも見えるし、骨のある奴を見つけて喜ぶトレーナーのようにも見えた。

 きっと今までのチャレンジャーたちは、こうは言ってもなんだが、ジムリーダー・タケシの膝元までたどり着けても、同じタイプであるレッドが相手では分かりにくかったが素早さに特化したイシツブテに倒される相手ばかりだったのだろう。あの表情こそ、ジムリーダーも、ジムトレーナーたちも、物足りなさを感じていた証拠だ。ちゃ、とモンスターボールを投げる前に、タケシは腕を突き出しながら宣言した。

 

 

「俺こそが、強くてかたい石の男ッ!!! 勇敢なる勇者よ、先ほどよりも強固な岩を突破できるかなッ!?」

 

 

 あれは所謂、ジムリーダーとしての決まり台詞のようなもので、テレビで言うならばレンジャー隊で見かける口上。ほかの誰かが言えば笑い話にもなったろう。しかし、それを声高に発言したのはニビシティの顔であるジムリーダー。一瞬にしてレッドが掴みかけた流れを再び緊迫した空気に塗り替えるほどの雰囲気には、流石は歴戦のポケモンバトルを潜り抜けてきた猛者と言うほかなかった。

 竜の息吹による猛攻に興奮して立ち上がっていたグライスも、すとん、と思わず席に座り直して手に汗握る。

 

 

「行けッ、イワーク!!」

「グォッォオオオオオーーッ!!」

 

 

 岩々の中に顕現したのは、大小異なる岩が連なるような身体をしならせた巨大なポケモンだった。おおよそ1階建ての民家が3,4件は連なったであろう大きさには、圧巻としか言いようがない。その前にちょこんと佇むヒトカゲが可愛らしく見える。実際、相手の大きさに圧倒されて可愛らしく尻尾を丸めながら、立ち向かおうと涙目でイワークを見上げているので可愛くはあった。

 

 がんばれ、がんばれ、最後まで諦めるな。

 応援を送り、双方の出方を伺っていればレッドが仕掛けた。

 

 静寂が満ちたフィールドでヒトカゲが小さな尻尾を大きく振り回し、そこから火の弾を連続で放ったのだ。口から吐き出されるのがセオリーだが、尻尾から放たせることによって「火の粉」を応用したか。ビュンビュン飛び交う火の弾丸を、イワークは平然とした様子で受け止める。―――否、受け止める素振りすらしなかった。痛がる様子もないことから、イワークのレベルが相当高いことが伺える。

 

 

「イワーク、『締め付ける』攻撃だ!」

「びゃうっ!!?」

 

 

 ヒトカゲってそんな声も出せたのか。思うべきタイミングは違ったが、イワークの巧みな尻尾さばきを受けて拘束されたヒトカゲの姿にレッドは静かに指示を出した。竜の息吹での脱出を試みながら、確実に「麻痺」を与えようと言うのだ。麻痺の状態にすれば、少しでもヒトカゲが動きやすかろうと判断して、もし負けても次に繋ぐなんてことは考えずに、ただヒトカゲが勝つことを信じての指示だった。

 

 

「おっと、それ以上はやらせないぞ。イワーク!」

 

 

 ただ一言、名を呼ぶだけでタケシの意図を察したイワークは巻き付ける尻尾の位置を少しずらして、ヒトカゲの口を塞ぐ。息苦しさに身悶えながら、口内に蓄えたエネルギーを不発させようとしたあの子に、レッドは静かに天井を見上げた。倣うようにヒトカゲも尻尾から抜け出すことへの混乱から脱し、自然の流れに身を任せて天井を見上げながら「口を開く」。

 

 

「なにッ!?」

 

 

 大柄なイワークでは、小柄なヒトカゲの口を完全に塞ぐことは出来ない。何かしらの動作をすれば、凹凸の多いイワークが相手ならば自然に抜け出せる隙が出来るものだ。レッドは瞬時にそれを見抜き、自分の行動を真似させることによって、危機を脱した。すかさず放たれるヒトカゲの竜の息吹きを至近距離で直撃したイワークは痺れるような感覚に呻く。麻痺とは疎遠だったはずなのに、岩タイプですら麻痺状態に陥らせるドラゴンタイプの威力は侮れない。

 それと同時に―――

 

 

「ヒトカゲ、戦闘不能! イワークの勝利!」

 

 

 連戦を勝ち抜き、相性不利なイワークを前によくぞ此処まで戦った。称賛の声を浴びせながら、ヒトカゲの健闘を称えて拍手を送る。あんなにも臆病な性格をしているのにバトルへ積極的に参加し続けたおかげか、それともレッドの接し方が良かったのか、巨体相手に怯みながらも負けじと接戦を見せてくれた。あとでおやつ用のポケモンフーズを好みの味で作ってやろう、と材料を脳内に浮かばせながらレッドの応援を続けた。

 

 

「さて、最後に出てくるのは―――」

 

 

 互いに残すは1体ずつ。ジムトレーナーへの勝ち抜きバトルでほんの数回しか姿を見せなかったから、ここぞというときに投入されるだろうと予想はしていた。

 

 

「ピッカァ!」

「やはりそうか。……相性不利を前に立ち向かうヒトカゲのこともある。きっとそのピカチュウにも相性を跳ねのけるような何か策があるんだろう?」

 

 

 黄色いボディに赤い頬袋そして極めつけには雷のような尻尾を有するネズミポケモンの登場に、タケシも気を引き締め直す。あんなに可愛らしい見た目をしているが、蒼雷が迸る頬袋はまったくもって可愛くない。場合によっては、地面タイプの技を解禁するかもしれないと興奮に胸を躍らせながらタケシはレッドの猛攻に対応するのであった。



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024:それでも、厳格なるそれを登ってみせた。

―――堅実剛健という言葉が似合う街。


 最初の関門たるニビジムへと挑戦したレッドだが、劣勢を強いられていた。ジムトレーナーの連戦で疲労、倒されたバタフリーを筆頭に、ジムリーダーとのバトルで接戦を見せてくれたポッポ、ヒトカゲも倒されたのだ。残すところはピカチュウのみ。しかし、レッドの手持ちの中でもひときわ目立って臆病な性格をしたヒトカゲは、最強と謳われるドラゴンタイプの技を習得し、それを駆使して幾倍も大きな身体を有するイワーク相手に善戦したのだ。あと一歩のところで体力の差が出てしまったが、それでもエースポケモンに引け目を感じさせなかった。トレーナーの腕前と言うべきか。レッドの情熱につられてヒトカゲにも良い影響を与え始めていると言うべきなのか。

 ダメージを受けることは前提ではあったが、脱出目的とした「竜の息吹き」でダウンしてしまったのは大変惜しく、また自分の技で倒れるなんて自覚のあるヒトカゲには相当悔しかろう。体力不足だったことを加味したとしても真面目な面があるから、きっと気にする。今後のヒトカゲの訓練メニューに体力増強が加わったのが目に見えたところで、グライスは激戦を繰り広げるフィールドへと視線を落とした。

 

 本当にトキワの森で加わったばかりのニューピー?

 否やを唱えて、エースポケモンであることを主張させてもらいたくなる。最初のポケモンであるヒトカゲの性格を考慮してなのか、彼をバトル上でのエースと呼ぶことはなかったとしても、コレは……。

 

 

「ピィカピカピカ!!」

 

 

 ノーマルタイプの技「電光石火」でバトルフィールドを縦横無尽に駆け回り、イワークを錯乱させる作戦に出た。まァ新人だろうと熟練だろうと、よくやる手のひとつ。タケシも極めて冷静に対処すべく、神経を鋭く張り巡らせてピカチュウの動きを観察している。おそらく、ピカチュウの行動の先読みをしようと言うのだろうが、レッド相手にそれは悪手。

 よくやる手のひとつであるイコール、セオリー通り。型に当てはめることが出来るほど熟知された戦術を、まさかのまさか、そのまま使うはずもない。新人だからと考えがある限り、タケシは「アレンジ」された戦術で掛かって来るとも考えないことを想定した上で、レッドは「10万ボルト」を指示した。

 

 

「………チュピィッ!」

 

 

 岩タイプ相手に電気技を指示されて思うところがなかったはずもないだろうに、疑った様子を露ほども見せずピカチュウは「電光石火」しながらの「10万ボルト」を炸裂させた。走り回ったことによって高められる興奮とエネルギーは大きく、フィールド上に降り注ぐ雷電は、まるで嘘のような光景を作り出す。磁力現象を引き起こして小さな岩々を持ち上げたのだ。

 驚愕一色に彩られた岩のフィールドで、自由な発想の持ち主はただひたすら強者を前にして笑う。純粋に、愉悦に、楽しいバトルを彩る為の一手。また何か思いつきでもしたのだろう、と今度は何をしてくれるのかとわくわく顔でグライスはバトルフィールドを見つめる。

 すでに磁力で小さな石を操る模擬的サイコパワーを見せてくれたので、その高揚のまま。―――岩を足場にジャンプしたピカチュウが落下を利用して身体を捻る。思いっきり大回転をつけながら、小さな電気ネズミはイワークに突っ込んで行った。

 

 

「正面突破か!! いいだろう!! イワーク、トドメの『体当たり』だ!」

 

 

 落下と回転を利用した「電光石火」を真っ向から受けると宣言したタケシは、イワークへと「体当たり」を指示した。大きな蛇のように身体をくねらせて、イワークは竜巻のような迫力を纏ったピカチュウへと接近。頭で受けるにはイワークの体当たりは硬すぎると判断したのか、レッドは別の指示を加えた。

 

 

「ビガァヂュッ!!!」

「グァァァアア………!!!」

 

 

 愛嬌のある可愛らしい顔を勇ましき戦士の表情に染めたピカチュウが身体と同じ稲妻を纏って突撃した。岩タイプであるイワーク相手に「10万ボルト」を重ねた「電光石火」はイマヒトツ。さしたるダメージを与えられるはずもなかったのだが、回転と落下を利用したのが功を為したのだろう。

 とてもではないが、典型的なスピードアタッカーの名を冠するポケモンとは思えないほどの激しい衝撃波を放ち、砂埃を立たせていた。

 

―――彼らの勝敗が分からぬままひとつ、またひとつ秒針が刻まれる。

 倒れたのはどちらなのか。手のひらを伝う雫を握りしめながら、グライスはただ真っ直ぐと見つめた。少しずつ晴れていく視界は、けれども常人にはまだまだ視界が悪く何も見えない。それでも、何も見えない中で、確信をもってグライスは子犬のような笑みを浮かべた。

 

 

「ああ、やっぱり………!」

 

 

 歓喜に染まる声。

 大事な約束に限って破ったことのないレッドのことを、その実、あまり心配はしていなかった。再戦までに一度も自分たち以外に負けるなとはなんとも傲慢極まりない約束事ではあったのだけれども、勝敗を賭けたのには単純なれど理由がある。幾度となく立ちはだかる壁を、越えなければならない山を、暗く沈んだ荒波を、それらすべての逆境に「天賦の才」と言う見えぬ力に愛された子どもたちが押し潰されてしまわぬよう、グライスなりの「側に居る」ことのアピールだ。天才や神童なんて呼ばれる類の人は普通や常識から逸脱しているからこそ、そのように呼ばれる。故に、普通を普通と感じず、常識を非常識と捉えることもあり、思わぬところで人と人との間に見えざる壁を感じることが多いはずだ。

 ただでさえ、故郷であるマサラタウンでも才能を嫉妬した周囲の人間たちによって傷つけられてきた子どもたちに、理解者やついて行けるだけの実力者がひとり、またひとりとでも減って行けばどうなるか。孤独は人間が感じる恐怖のひとつ。優しさを利用されて付けられた小さな傷口から流し込まれる孤独なる猛毒を、あんなに優しい子どもたちに与えていいはずがない。負けることの出来ない束縛だったとしても、きっとすぐに解けるそれを約束としたのは、いつか自分が居なくなってもあの子たちが生きて行けるようにと願ってのこと。彼らは決して孤独ではないことを伝える手段として、グライスは自分が側に居ることを主張する必要があったである。

 

 煙が晴れたバトルフィールドでは、巨体を地に伏して目を回すイワークの姿と、そんなイワークの上にぺたりと寝そべるようにして息を切らせるピカチュウの姿があった。すっかり戦闘不能に出来上がったイワークを審判が確認すると、赤色のフラッグが大きく振り上げられ。

 

 

「勝者! チャレンジャー・レッド!」

 

 

 数ヶ月ぶりにジムリーダー・タケシを降したポケモントレーナーの誕生に、ニビジムの職員たちはこぞって沸き立った。興奮が冷めきらぬまま、レッドはヒトカゲとピカチュウで、相性の悪い地面・岩タイプと衝突して、誰もを圧倒させるような驚くスタイルで勝利をおさめた事実を自慢するかのように大きくグライスへと振り返り、満面の笑顔を向けてくれる。

 受け取って、受け取って。

 苦笑気味に、唐突にレッドの意識がジムリーダーから幼馴染の方へ切り替わったことへの困惑を表情に浮かべるタケシの方を示せば、気づく。レッドの母親から買ってもらったばかりなのだろうバッジケースを、背を覆う程度の山吹色のリュックから取り出して、ニビジムを突破した証としてタケシから、「グレーバッジ」を受け取った。

 

 

「それと、こっちも贈ろう。」

 

 

 レッドは技マシン「がまん」も受け取って、初ジム突破に目をきらきらと輝かせている。赤い瞳は相も変わらず多くを語りはしなかったけれども、ニビジムのバッジをゲット出来たことへの喜びをキラキラと満たさせていた。

 鋭利にも見える眼をゆんわりと丸めて喜ぶ姿は年齢相応で、なるほど、確かにレッドの母親が我が子の純粋さと単純さを危惧するわけだとひそかに笑みを噛み殺してグライスは大きく手を振る。

 そうして次は己が挑戦をする番であると主張にジムトレーナーたちも先のざわめきや高揚をしっかりと抑え込んで、新たな挑戦者とのフィールド上での邂逅を果たした。本人たちの自己申告もあり、挑戦者レッドのポケモンバトルの見学を許されたグライス・エトワールは久しいニビジム突破者と親しい仲なのだろう。

 観客席でポップコーンと飲み物にチマチマと手を付ける幼馴染の姿に何を思うこともなかったのか、グライスは流れるようにモンスターボールを投げて、光のヴェールを解く。

 

★☆★☆★☆

 それはまるで、歴戦の戦士との戦闘で傷つき擦り減った心を労わるように、子犬と戯れるようなポケモンバトル。記憶の中にあって不自然ない日常のように、幕をあげられたのかすら分からぬままふっと幕を閉じた。

 

 

「……お、おめでとう」

「ありがとう!」

 

 

 観客であるジムトレーナーも、相対したはずのジムリーダーも、一挙一動を見逃すものかと目を凝らしてくれた幼馴染ですら丸っと呑み込んで、手に入れたばかりのバッジをケースに嵌め込んだ。

 敗因があるとするならば、レッドの幼馴染だからと期待値をあげすぎて食って掛かったことだろうか。圧倒的な力の差を、初心者の頃から片鱗を見せるレッドとは異なり、グライスの強みは「転生者」である知識だ。

 ポケモンバトルに関しては二次元であると思い込みがちな分あらゆる方面でのアドバンテージがからっきしのように見えて、此処は現実世界であると認識を念頭に置くことによって、受けたはずのハンデは大きな利となった。

 大人としての考え方が備わっており、けれども肉体に引っ張られて精神状態が年相応のものになる。加えてポケモンバトルの基礎攻撃やバフ、デバフなんかの役割、ロールポジションと呼ばれる耳馴染みのないようで聞き覚えのある単語への理解度を再び基礎から学び、応用するのだ。

 タケシへ仕掛けたのは大人であれば誰もが知る日常風景の中の出来事のひとつ。「大人って子どもの遊びに振り回されて疲れ切って寝ちゃうことってあるよな!」を再現したまでに過ぎない。何一つとして特別なことはしてなんかいやしないのだけれど、何も知らぬ人から見ればそれすら異才に見えるらしかった。

 

 

「それを説明できたとして、実行出来るかと言えば否を唱えざるを得ないだろう。新人トレーナーが、たったの3日間でパートナーとそれだけの絆を育めるとは思えない。」

 

 

 間違いなく、収穫祭を開催できるレベルの豊作だ。

 タケシは線のような瞳をさらに細めて、満開の笑みを浮かべた。すごい、すごい。純粋な眼で褒め称えてくれる幼馴染の頭を帽子越しに撫でてやりながら、わかりやすいなあ、と笑ってグライスもバッジケースをポーチへと収納する。

 ポケモンバトルに慣れたか、自分のバトルスタイルは作り出せたか。

 サンドバッグのような訓練の的役割を担おうとした先で、グリーンに拒まれた時の記憶を掘り起こしながら、まだまだ満足できるようなバトルは編み出せていないと心の中で否定した。

 

 

「君たちは此れからどうするつもりだ?」

 

 

 バトルを終えて覚めぬ興奮をレッドへ向ける彼らの昂ぶりを子どものような対応で静めてみせたグライスの実力をしかと目の当たりにしたタケシは、末恐ろしい新人たちの行く先を尋ねた。

 

 

「最終的にはチャンピオンへ挑む予定っすから、他のジムに挑戦したいかなーって思ってるところなんす。」

「それなら此処からオツキミ山へ向かって進むといい。3番道路から4番道路へ行き、そこで一度オツキミ山を通過して、また4番道路に出るんだ。その先に水タイプを専門とするハナダシティがある。」

「へえ、……色々ありがとうございました! 俺たちハナダシティ目指してみるよ。」

 

 

 ポケモンジムのホールでは、観光や新人トレーナーのほかにジムチャレンジャーのためのパンフレットを設置する。受付カウンターまで二人を見送るべく足を運び、並び立つ本棚からその1枚を引き抜きながらタケシはひとつの街を示した。

 ニビシティから近くて、リーグ挑戦権を有するバッジの褒賞があるジムのある街と言えば、ハナダシティ以外に名をあげられない。美人4姉妹が水族館を営み、時には水中・水上イリュージョンが行われるそこには、その名の通り「水タイプ」専門のジムがあったはずだ。

 ただの新人相手だったのならば気にかけもしただろうが、ニビジムを突破した彼らは相性不利も関係なしに挑んで勝利をおさめた幼き猛者である。草タイプや電気タイプが友好的だろう、とさらりとした助言ひとつで見送ることにした。

 

 そんなタケシから送られる短なエールと案内を受け取って、少年たちは軽い挨拶を済ませてからニビジムの門をゆっくりと潜り抜けた。

 一度、なんとなしに足を止めて振り返ってみる。

 仁王立ちで見送ってくれるタケシの姿や、彼の小さな兄弟たちの姿が見えた。新たなる旅の門出を祝福すべく、彼らの表情には笑みが乗っている。手を振ってみれば、彼らは笑顔のまま手を振り返してくれた。

 

 ジムへ入るときに受けた厳格な威圧感は、やっぱり勝利を手にした今でもそこに在る。雨降って地固まり、楽あれば苦あり、禍を転じて福と為す。そんな風に堅実剛健に、着実に歴史を紡いできたからこその存在感。歴史感じるそれは、きっと多くの人たちに安心感を与えてきたことだろう。

 だからこそ立ちはだかる岩山を、曇りなき蒼天が色鮮やかな陽で彩られるまで登り続けて、至ったその高みには満足行く結果を得られたと言える。小さなバッジケースに嵌め込まれたニビジムのバッジこそが、岩極めし七天王を御した証なのだ。

 

 七天王なぞと勝手に脳内で呼びながら次に挑む第二の七天王を選別するために空いている方の左手でタウンマップを広げて、今後の予定を頭の中でパズルのように組み合わせていく。すっかり陽も暮れようとしているが、此処からハナダシティまでであればすぐさま移動が出来るだろう。

 洞窟の中を通るのであれば、日が差し込まぬオツキミ山の中で夜を明かすのも悪くはない。月光が彩る自然を、身に体感するのはキャンプ好きなので計画的な旅を推奨するグライスにしては珍しくノリ気だった。



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025:お山を登る為の下準備

―――登山中の6つの危険は覚えたか?


 ニビジムでゲットしたばかりの「グレーバッジ」を眺める時間も惜しむように突っ走ろうとするレッドを、シャツの首根っこをひっつかむことによって制止させた。

 どう、どう、落ち着け。その姿はさながら馬ポケモンであるポニータやギャロップに向けるようなものではあったけれど、長年の付き合いのおかげで功を為したのか。赤き暴走列車はその足の動きを一瞬にして鎮火してくれた。グライスとしてもオツキミ山で一晩明かすことに対して乗り気なので、今更明日にしようかと予定変更をかける野暮なことはしない。

 なだめるために、また一言で止まってくれたレッドを褒めるように、グライスは幼馴染の頭を撫でる。頭を撫でるという行為は、昔から変わらないグライスの習慣のようなものだ。

 よーしよし何か悲しいことがあったのか言ってみ? ぽんぽん。なんだなんだ、なんか楽しいことでもあったのか? そりゃ良かったなァ。ぽんぽん。呼吸するかのように相手の感情に寄り添って。さして言うほど昔ではない時間にしろ、良いことがあったり、悲しいことがあったり、大人でも子どもでも関係なく当たり前のように頭を撫でていた。

 レッドは無口で何を考えているか分からない子どもとして有名だったから、大人も子どももあまり近寄って来なかった。その自覚はある。むしろ、目の前でそのようなことを投げかけられ続けたのだから嫌でも自覚はするというもの。あのグリーンですら無口で考えていることが分かんねぇと匙を投げかけたことのある無口っぷりだったが、それでも母や越してきたというグライスはめげずにレッドに付き合ってくれた。

 それゆえ、頭を撫でられたのはグライス以外だと母親ぐらい。普通の少年のように甘やかしてくれて、逆を返せば、母親以外でレッドという人物を見てくれたのはグライスだけだったのである。

 そこから友好関係は一気に広がって、今では対等のライバルであるグリーンやブルーもいるのだが、それまでは“本当に”一人きりだった。あの頃もグリーンから言わせてみれば、無言でずっと見られるのは恐怖以外の何物でもなく、考えていることが分からず疎遠であることが当然。置物のように思った頃もあったけれど、今ではすっかり打ち解けて目を見るだけで大抵のことが分かってしまうようになったのも恐怖だが。マァその恐怖は嬉しく受け入れようと言ってくれた時の喜びたるや。レッドが思わず喜びのあまり粉砕した公園のベンチは、今でも伝説となっていた。

 

 レッドのほかにも、マサラタウンには「第一世代」と呼ばれる対象の少年少女たちは他にも居た。第一世代の子どもたちは同じ日に旅立ったので、今はマサラタウンに行っても会えないが。

 お察しかもしれないが、その第一世代と呼ばれる少年少女は全員で「4人」である。そこに己が含まれることに「背景である自分が何故!」とグライスはやや不服だったが、幼馴染たちのお揃いだね発言にコロッと手のひらクルリしたのは余談。

 ポケモンたちとの種族の垣根を越えて強くなることへの執着ぶりをポケモントレーナーとなったことで、更に開花させたレッドの才能は「戦う者」だ。喧嘩、演武、乱闘。ともかく、ありとあらゆる武においてレッドは最強の座に君臨することの出来る可能性を秘めたる存在であるというものである。

 その才能が影響してか、レッドは他者を傷つけないようにするために「他人との距離をとる」方法を選ぶ。わずか一桁の齢で、その選択肢しか選び取れなかったのは彼の母親の入院事件と関係があったのだろう。最初に傷つけてしまったのが、己の異常性に気づきながらも普通に接してくれた母親であったことや変わらぬ愛情を注ぎ続けてくれる姿勢に、きっと彼は耐え切れなかったのだ。

 

 同じようにグリーンはオーキド博士の孫という役を与えられて持ち得る知識の限りをエンターテインメントのように披露することを強要され続け、その頭脳に宿した知識量が異常であることが分かると、外の人々は簡単にグリーンのことを「化け物」と呼び、恐れを為した。上っ面を取り繕って、ただただ賢いだけの少年を、人間たちの社会から疎外しようとしたのだ。

 当然ながら人間不信を拗らせたグリーンは、それでも祖父の仕事には尊敬の念を抱くから図書館や研究所に引き篭もっては外界との関わりを断ってきた。学校へ足を通わせようとも、彼が本当の意味で交流をとった人間はおらず、少しずつ子どもの純粋な部分は黒く歪み始める。悪戯小僧と化したグリーンは生来の賢さを惜しげもなく駆使し、人の嫌がると言うか、弱点を的確に突き始めた。グリーンが嫌がっても今まで誰も何も聞いてくれやしなかったから、幼いながらに味方が居ないのであれば敵を排除するしかないと思ったのだ。

 

 そして、ブルーは人よりも慎重で臆病な性格の壁を利用されて女の子たちの標的となった。彼女たちは口を揃えて「誰でも良かった」なぞと宣ったが、その根性も理論も、欠片ほども理解が出来ない。出来るはずも、なかった。縮こまるばかりの彼女へよく声をかけたのは単なる気まぐれなんかではなく、「同じ人の輪」の中にありながら「何処か違う雰囲気」があると察したからである。

 そう言った子どもたちは総じて話しやすかった。―――そう、多くの大人たちへ不安を抱かせるグライス・エトワールへ与えられたリハビリテーションの一環とも言える。単純に、与えられた命令を遂行する人形のように、自分の為だったのだ。

 ある日、ブルーにはその旨を伝えたことがある。

 それでも救われたことに変わりがなく、側に在ろうとしたグライス・エトワールの心も真実だった。過去の己を、人形のような存在だったと自負する心を隠したが、彼女は聡い。きっと、グライスの本音も見破って、未だ殻へ引き篭もる深層心理をそうっとしておいてくれている。

 

 異なる境遇ではあったけれど、同じ人物に救われた仲間であり、心の底からの友であり、対等のライバルとなれたのは、グライス・エトワールのおかげだ。だからこそ、兄貴分と慕うのだけれども本人たるグライスはそれらの好意を受け取る立場に非ずと己を律する。転生者であることも踏まえて、自分の存在がなくても彼ら彼女らは前に進めた未来があることを知る者だからだ。

 それでもまァ、だからこそ。

 

 

―――『特技:甘やかす! なんで!』

 

 

 グライスは「普通の少年」を演じた。きらきらと輝く白銀のどや顔を披露してみせたのだ。かつての己の人格が、ネガティブまっしぐらに突き進むグライス・エトワール少年の心をじんわりと溶かした。ポジティブシンキングというか、ひたすら前向きであることが、かつての己の長所であったことを此れほど有り難く感じたことはない。

 まさしくお兄ちゃん気質を持ったやんちゃなガーディの顔を、オーキド博士たちが望む無垢な少年の記憶を掘り起こすことが出来たのだ。微睡みに揺蕩うような少年の心を揺さぶり起こし、転生者の顔を強く強く招き入れた。そのおかげで、ただの少年だった心は砕けて生まれ変わり、今のグライス・エトワールが完成したとも言えるだろう。

 あっけらかんとした様子は、何も考えていない証拠だ。本能のままに生き、理性を投げ捨てでも己に素直に生きる。計算しての行動ではないことは明らかだったので、子どもたちも心を開くのは早かった。たった一つのつながりから、輪を広げていくことが出来て今があると言おう。

 

 

「……にしても、流石はレッドだったな。攻撃をさせたら絶品じゃねぇっすか。」

 

 

 昔を思えばかなり成長したもんだ。

 自他共に成長ぶりを認めながらグライスはジム戦の感想を言った。

 

 グライスのジム戦は本人が言うほど危なげなくなく、むしろその逆で精密に計算された戦い方だった。というのが、多くのトレーナーたちの見解である。しかし、本人が訂正するように「遊びのようなものだ」とは、言われてみれば納得出来る節はとても多く、確かにそうだと思った。

 そのバトルスタイルは、とりわけレッドたちの知る彼のバトルスタイル。何度も繰り返したシミュレーションゲーム越しに、故郷でよく遊んだもの。そうして、遊びの中で培ってきたものを、そのまま活かしながら、大人と子どもの構図を作り上げたのである。

 

 レッドが4体で戦ったところを、マッスグマ1体で切り抜けたのであればもう立派なものだろう。なにせ、ポケモンの交代すらさせなかったのだ。

 その腕前から「もうバトルに慣れたのだろう」とジム戦が終わってから再戦があるのだと信じて疑わなかったレッドに、雰囲気から何を望まれるのか感じ取ったグライスは「お前らとはもうちょっとあと」と笑った。ぐぬぬと唇を結んだレッドをなだめるように肩を抱き寄せて、よしよしぽんぽんとする。ほ、ほだ、絆されてなるものか! と抵抗するレッドだったが、ポン3回目にはもう抵抗がなくなって、もっと撫でれ、撫でれと頭を押し付けられたことにはニッコリ笑顔しかなかった。

 

 ちら、とレッドは帽子のつば越しにグライスの横顔を覗き見る。褐色肌が視界の合間に微笑みをかたどるから、帽子のつばをぐっと引き下ろしてその手を甘受した。

 オツキミ山でのキャンプに賛同したものの、心配性なグライスは予定をよく変更することがある。それは、天候のくずれ具合や同行者たちの体調だったり、荷物や食糧の具合だったり、そう言ったものに気をかけながら進もうとするからだ。どうしてだか冒険慣れしているとも言える姿勢には幼馴染たちもついていく。

 タウンマップを開き、道順を確認する。ニビシティのジムリーダー・タケシの言葉を頼って、進むべき方向からその先を見据えて考えるのだ。

 

 ぼそぼそと小声でつぶやかれる独り言は、頭の中を整理するための行動だった。

 本人からそう聞かされてからは不思議に思うことはない。グライスの言葉は大抵正しいから、幼馴染たちは次第に自分たちで準備したもの以外では、彼の言葉の中で自分が大事だと思ったものを用意すればよいのだと思うようになっていた。

 たとえば、手持ちに技マシン・フラッシュがなかった場合の想定。もしも、手持ちのポケモンたちの誰かにフラシュを覚えさせることが出来なかった・覚えられなかった等の状況下にある場合には、懐中電灯や電池などを購入する必要がある。また、フラッシュを覚えたとして、ポケモンたちへの負担を軽減するためにも、電気タイプの電気エンジンのような食事や休息場のような役割を果たす道具の準備が必要であるだとか。故に、此れは普段のそれの延長線上のものだ。

 グライスは必要な荷物やおそらく途中で立ち寄るであろう場所への対策として、自分のポケモンたちの状態を確認してからレッドへ懐中電灯や技マシン「フラッシュ」の有無を問うた。「それなら」と先ほどのおつかいで顔を合わせたオーキド博士の助手から受け取った技マシンを見せると、ピカチュウに覚えさせるように、と提案する。

 

 疑うべくもなかろうが、しかし、疑問はある。

 どうして? と首を傾げれば、グライスは同じように首を傾げながら己の考えを答えた。

 

 

「ん? オツキミ山の中では光が差し込まない場所もあるんだ。その場合、人工的な灯かりよりも、ポケモンの技の方がそこで暮らしてるポケモンたちを驚かせずに済むからな。」

 

 

 にぱっと笑ってタウンマップを数度指で叩く。

 タケシの言うようにまずはオツキミ山を目指すつもりでの道順を組み立て終わったようだ。理由が理由なだけに野生のポケモンたちが生息する通路を通り抜ける予定なのだろう。それならば、とレッドは迷わずリュックから技マシン・フラッシュを取り出して、おもむろにピカチュウの頬へと押し付ける。ぶにゅうっと赤くて丸いほっぺたが技マシンに押し潰されるのに、ピカチュウは吃驚した表情で尻尾を逆立てた。

 

 

「ぴかっちゅっ!?」

 

 

 技マシンの使い方が分からずピカチュウの赤いほっぺたに押し付けたレッドの格闘は子どもの行動そのものでほわっと和んだ。しかし、ぶにぶにと柔く押し込められるディスクの感覚に膝の上で抱っこされていたポケモンは鳴く。嫌がるピカチュウの頬から電撃が弾けるものだから、同じことをされたらどうなるかを考えて、慌ててそんなことをしたら痛いだろ、と止めた。

 オーキド博士から教わった図鑑のディスク差し込み口を示し、そちらへとディスクを入れてみるとポケモンにしか聞こえない周波数の音が発せられると説明文があらわれる。ピカチュウがどこかぼんやりした様子で耳をピンと立てる仕草に、確かにそのようだと少年たちは顔を見合わせた。

 しばらくすると、ピカチュウが動き回るようになったのでレッドは図鑑からディスクを抜き取ってカバンの中へしまった。図鑑は新しく覚えた技をお知らせすべく、ピコンと高めの音を鳴っている。

 

 

「え、今ので覚えたん?」

 

 

 ポケモン図鑑には新しく覚えた技としてアップロードされたようだが、覚えたかどうかなんて分からなかったのでレッドも首を傾げた。そんな二人の様子に、ピカチュウだけは元気に手をあげて尻尾をブンブン振って主張をしている。

 

 

(……まァ当の本ポケがそう言うのだから、信じるか。)

 

 

 レッドのピカチュウの言動は、信ずるに値するものだ。

 

 オツキミ山などの自然洞窟以外では、道路と言うだけあって人の手が加わった自然なので、そこらへんでは懐中電灯を使った方がいいだろうし、どの道、補充はするつもりではあった。しかし、フラッシュを覚えてくれているポケモンを連れ歩くだけで、そう言ったものの補充の数がやや少なめで済むのは有り難いのである。そうしてグライスは登山中の6つの危険をレッドに確認しながら山登りの準備を進めた。



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026:さて、登山の準備は出来たか。

―――念入りにしとくか。


 さて、登山の注意事項をしっかりおさらいするとしよう。

 そんな口上をあっさりとした口調で宣ったグライスに続きてレッドはメモ帳を広げた。経験したこと、得た知識。どれもこれもを役立てるには、自分で聞いて、感じて、考えて、納得することが必要になる。あらゆる経験を通して自分が覚えておくべきことだと認識したのなら、忘れない間に、また忘れないようにメモを取る心がけをしろと兄貴分からプスプスせっつかれたからだ。

 登山には、人間やポケモン程度の力でどうこう出来ない自然の厳しさがコンコンと積もっている。それはジムリーダー・タケシとのバトルを通して、トレーナーたちへ無言に教えられる厳しさと似通ったそれだ。

 ポケモン図鑑を通して送られてきた情報は、近年、山や洞窟などで多発する遭難事故や崩落事故などの話。登山するならば計画を綿密に組み立てて、咄嗟の出来事に対応できるようにして行こう。どちらかが事故に、または遭難した場合の対処法もしっかりと脳やメモに記憶しておくことで、慌てず冷静に居られるようにと保険を掛けられるだろうという考えがあるようだった。

 

 

「遭難や事故に遭っていないかどうかの確認をしやすくするために、登山をするときにはポケモンセンターへの事前申請が必要だってことは覚えてるか?」

「!」

 

 

 図星を突かれたレッドは猫のように目を丸くするなり身体をビクゥッと跳ねさせた。やっぱり忘れてたか。グライスはカラカラ楽しそうな笑顔を浮かべる。それは猪突猛進な幼馴染の性格をよく知ったなんたるか、と言いたくなるような全てを悟っている爽やかな笑顔だ。「うんうん、それでこそ俺たちの知ってるレッドだよなァ」とそこで納得してしまって良いのかと思うような発言をした。

 それでいいのか、兄貴分。いや、和んだ様子を見せているから自分がフォローをすればいいとでも思っているのだろう。加えて勉強をしろとせっつくからには、知識を付けさせることにも積極的だ。その見ようによっては過保護っぷりからして、決して無責任に大自然へ放逐するようなことはしないだろうと見守るばかりの登山家は上げかけた腰をベンチにそっと戻した。

 先ほどグライスが言ったように、山や洞窟など、人の管理が行き届かないような場所へ行く際には、ポケモンセンターもしくは警察署に「そこへ行くのだ」という届け出を出す必要がある。

 ひとえに、どれだけの人間が山や洞窟へ行き帰ってきたかを確認する為であり、現在の大自然たちは人が通れる場所なのかと聞き込み調査を含めてのものであったのだ。

 

 

「だから面倒でもちゃんと申請は―――ちょっと待て。こら、行くな。申請はしてけ?」

 

 

 そう。じゃあ、僕たちなら問題ないよね。行こう。

 ド田舎の山育ちを此処で主張した。どころか山々に囲まれて、大自然の中で成長を見守られてきたものだからそう言った「自分たちなら生きていけるよ」という謎の自信がレッドの中にはあるようだった。勉強も終えたと言わんばかりにメモ帳をぱたりと閉じて、意気揚々と一歩を踏み出そうとした幼馴染の襟をつまむようにしてグライスはしっかりと行く手を阻んだ。

 お山育ちの野生児あるある。人間社会を生きるなら、ポケモントレーナーとして生きるなら、せめてもの礼儀作法・社会的常識を覚えるべきだ。

 リーグ挑戦するなら尚の事。

 法律違反者というか、犯罪をおかしてしまって前科のつく人間が相手ではさしものポケモンリーグ協会とて挑戦権の剥奪やポケモントレーナーとしての素質の見直しなどを厳しく執り行わねばならない。なにせ、彼らポケモンリーグ協会が取り締まる相手の大半は、ポケモンという未知の生き物と人間が共存できるのだと最前線で訴える勇者なのだから。

 

 

「むう、じゃない。拗ねんな拗ねんな。時代の最先端を生きる俺たちが、法律違反者になるわけにはいかないだろ。今後、“自由に冒険”するためにも必要なことなんだから覚えとけ?」

 

 

 冴えた刃物のように切れ長の紅い瞳をじとりとねめつけるようにさせたレッドは、幼馴染の言葉に好物を目の前に用意された猫のように目を丸くしてビクリと反応した。

 レッドの肩にちょんと乗るピカチュウも主が抱えるあらゆる事象への煩わしさを感じ取って牙を剝き出しに仕掛けたが、コンコンと説明する声に敵意はまるでなく、逆に導く親のような兄姉のような。ともかく、そう言った雰囲気を感じ取って、チュゥと鳴く。そもそも、相手はグライスである。煩わしさを感じるのは説教のようなそれだろう。長く垂れるそれは確かに面倒ではあるのだけれど、今後の冒険の為であり、ひいてはレッドの為であると言われては、おざなりにするわけにもいかない。

 つらつらとグライスが語る情報は全て初耳だろうに、それでも解説やら説明やらを聞くのはてんで苦手な少年である。「聞き飽きました」と言わんばかりの顔をするレッドを見かねてか、灰銀の瞳をやんわりと細めて悪戯でも囁くよう、それにさ、と続ける。

 ようやっと興味を惹くことに成功したグライスは、気まずそうな色を宿す紅としっかり目を合わせて、ぱちんと片目を閉じて笑った。ウィンクが様になる少年である。なるほど此れが、噂の、伊達男か。妙なところで感動しながら紡がれた言葉にレッドは興奮を隠しきらぬまま幼馴染の肩をぺしぺし柔く叩いた。

 

 

「一度申請をしたら、ポケモン図鑑からも出来るようになるから紙面での申請は最初だけだぞ。」

「!……!?」

「ぴえん。食いつきやっばぁ……。ハイハイ、手続きのやり方教えてやるから、ちゃんと話を聞くように! おっけー?」

 

 

 おざなりにしてしまったのはレッドなのだから、その件に関して怒られても文句は言えなかったのだが、基本的に穏やかな此の幼馴染はそう言った感情の起伏を露にしたことがない。此れがグリーンのように「今度こそオレ様の説明をよぉおおく聞けよ」とは言わなかったことにちょっぴり安堵したのだけれども、せっかくの情報をおざなりに聞き流した件を責められなかったことが少し。そう、ほんの少しささくれが刺さったかのように気になってしまった。

 それを知ってか知らんでかで言えば、グライスとしては「レッドは責められなかった時ほど動揺する」ので幼馴染の性格を把握したうえでの対応である。同じことを繰り返すレッドだからこそ、ときのたまに、こうしてチクリと釘を刺すのだ。

 本当にちっちゃな釘なので、ささくれのように気になるように仕向けて。分析能力が長けており、それを実践に持ち込めるだけの度量や技量があるグライスだからこそ為せる彼なりの「お説教」であった。

 曰く、怒っているわけではない。

 彼らには彼らの生き方があるのだから、それは否定したくはないのだ。それはそれとして、生きる為に必要なことを叩きつけるのは、獣でもやっていることだぜ。まァ不要だと思ったらそれを確信した時点でアイツら聞かないだろ。

 あっけらかんとした幼馴染たちの性格への受け入れと理解と深い愛情が当たり前のように注がれる一言に、第一反抗期を迎えようとしていた少年少女は「オ゛ウ゛ン゛ッ」と奇妙な咳払いとともに反抗期を祓った。確信を持って壊されることも壊れることもないと断言出来る信頼関係があるからこその、見事な人間の柔い部分とライオンの厳しさを併せ持った方法である。

 

 

(それにしてもさっきからひとりで喋ってるように見えるけど、あの坊やの言動をよく理解出来るなぁ…。)

 

 

 無表情、無口、目を逸らす。その3点セットを繰り返されでもしたら、さしもの登山家とてお手上げ状態である。にも関わらず、グライスは幼馴染の考えていることなぞお見通しとばかりに正解をぶち当てて、その回答をしっかりと持ち合わせ、幼馴染にも分かるように噛み砕きながら解説をしていた。

 少年たちのほとんど静かに行われる戯れを見守るばかりの大人たちは、荒れ果てた新人ポケモントレーナーたちを相手に見てきたからか、繰り広げられる和やかな光景に久方ぶりにホンワカとした気持ちを抱く。

 

 

「これを……待て、どうしてそこに名前を書いたんだ。そこは現在の手持ちのポケモンの……あ、ちょ、に、二重線で修正かけられるから破るなよ。でも先に下書きだな、下書きしよう!」

 

 

 ポーチから手帳ほどのバインダーを取り出したグライスは幼馴染へと差し出そうとしたが、受け取った登山申請書を己の膝に乗っけてペンを動かし始めたので、そっと見守ってみた。

 ぐにゃ、ん、と歪んだ文字は―――ぴえん、読めない。読めない文字では機械を通して保存するから、受理をするにはその文字では控えめに言っても無理がある。バインダーを使え、バインダーを。本当は机などの固めの台が欲しかったところだが、ポケモンセンターまで戻るつもりはさらさらないのだろう。飛び出しがちなレッドにしては、よくぞ道路の出入り口で留まってくれているものだが。……膝の間に差し込むよりも早く、イシツブテが目の前で丸くなるを使う方が早かった。

 

 

「っえ、何だ?」

「……?」

「ラッシャイッ!」

「……よ、びこまれてる?」

 

 

 お店の売り子にピッタリな鳴き声だな、とは常々考えてはいたが、実際にそのように接して来られると少し戸惑いが勝つ。なに、なに。困惑する少年たちの前でイシツブテは群れとなり、山となる。お願い待って。状況の整理を、とも思ったが、それよりも早くイシツブテ性の机が出来上がってしまった。

 どういうことだよ…。

 呆然とした気持ちを抱きながら、イシツブテを観察してみる。すっかり丸くなって動くつもりは毛ほどもないらしい。のわりには、ラッシャイラッシャイと店員やら売り子ばりの呼び込みをしてくるので、意味のある行動なのだろう。

 野生ではないことからトレーナーが居るのだろうけれども、ベンチ前でたむろする少年たちの前で組体操をするような指示を受けたのだろうか。ちろ、と辺りを見渡してみると登山家のおじさんやポケモントレーナーの先駆者たちの片手には、宿主が先ほどまで居たであろうモンスターボールが握られていた。

 

 あ、俺たちの為か。

 嬉しいと笑顔を浮かべて「ありがとー!」と大きな声で一言。

 

 

「レッド、せっかくだから背中を借りよう。お腹かもしれんけど。ぱぱーっと記入を終わらせて申請したら、明るいうちに山に入って、夜の洞窟キャンプしよう! きっと楽しい!」

 

 

 此れイシツブテのどこの部分なんだろうか。頭は流石に台にするのは申し訳なく感じるので、せめて背中でお願いしたいところだ。わがままで大変お手数をかけるのだけれども。そんなグライスの感情を受け取ってか否かは知らんが、イシツブテたちは目をぱちくりと開けて八百屋顔負けのニカッと爽やかな笑みを浮かべてくれた。

 あ、背中だ。

 悩みは解消した。ついでに真剣に悩みだすよりも早くグライスの言葉に興奮が堪え切れなくなったレッドにせっつかれて申請書の書き方を教え込む。

 

 此処は現在の手持ちで、その横にトレーナーの名前を記入するんだ。指示された通りにボールペンを動かすレッドの手元を見守りながら、グライスは何故申請書が必要なのかをやんわりとした表現へと噛み砕きながら教えた。

 山のポケモンをゲットしたら生態を確認するためにもニビシティかハナダシティのポケモンセンターへ報告する必要がある。そのふたつに絞られる理由はとても単純明快で、オツキミ山の管轄は、そのどちらかの街にあるからだ。

 トレーナーたちから情報を収集し山の生態を調べて何をするかと言えば、環境への適性確認やら、ポイ捨てなどの影響確認。無論、一介のポケモントレーナーたちに任せきりにするのではなく、ジムリーダーのどちらかが仕事の合間に見回りに行くこともあるのだけれども、入り浸れるわけではない。何なら仕事熱心な彼らはお山の状況を見過ぎてゲシュタルト崩壊をしてしまうから、第三者の冷静な視点を加えることによって、環境の保護を実施するのだ。

 

 

「任意ではあるけど、まァ行方不明者とかの遺族の懇願もあって申請は義務化したって話だぜ。お前だって、おふくろさんに嫌な心配をかけたいってわけじゃないんだろ?」

 

 

 無言のままコクリと頷く。

 寡黙で、無表情で、人からは何を考えているのかさっぱり分からないと称される幼馴染ではあるけれども、その鉄仮面の下では冷めた風貌からは見て取れぬ燃え滾るマグマのような血を宿しているのだ。家族や仲間・友人たちへの深い愛情は、その熱血漢をもろに露わにしてくれる。

 表情どころか動悸やら感情やらをすっかり誤魔化せてしまうグライスを比較例にすると、案外、分かりやすい性質なのだ。此の、幼馴染たちは。

 

―――何?

 

 

 グライスの視線に気づき、涼し気な目元がゆるりと首を傾げて前髪がぱさりと揺れ落ちる。もっと前は眉毛よりも上だったような気もするが髪伸びたなぁ、と流れる射干玉のような前髪をひとふさなぞるように触れれば、その紅目に違わぬ色を頬にさっと落としておずおずと俯く。振り払われないことを良いことに、申請書の作成を終えたグライスはそのまま幼馴染の頭を撫ぜた。

 

 

(……照れちゃったか。)

 

 

 俯きっぱなしの顔が浮かび上がってこないし、嫌がっていないことだけは分かるのだけれど。…嫌だったら幼馴染だろうと何だろうと、手を振り払うのが此のレッドである。

 図鑑への登録は、一度行われた申請書にポケモン図鑑のIDを記入することによって追加されるものだ。幼馴染の申請書には記載がなく、抜けてるぞと指で叩き教えてやると、照れた顔を隠すように帽子のつばを引き下げながらレッドは追記した。

 うきうきわくわくした気持ちが堪え切れず「楽しみだなぁ」と囁くように言えば、同意するように静かな幼馴染はコクリとひとつ頷く。完成した書類を提出したら、次はもう本題であるお山に行くのだ。



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