ポケモン トレーナーズエピソード (やまもとやま)
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第一話 シロナ編

 シロナはシンオウ地方を代表するトレーナーであり、世界で最も強いトレーナーの一人として君臨している。

 シンオウリーグが主催する大会では、9年もの間、チャンピオンの座を守っている。

 ワタル、ダイゴ、カルネ、名だたるトレーナーを打ち倒し、シンオウリーグの絶対王者の地位に君臨している。

 

 10歳のころにポケモンと出会い、ポケモンと歩んできたシロナは誰よりもポケモンに向かい合ってきた。

 その気持ちはもしかしたら大きすぎたのかもしれない。

 気が付くと、シロナは孤高の存在になっていた。

 他者とは明らかに違う。

 性格も、趣向も、IQも庶民から大きくかけ離れた存在。

 それゆえ、彼女の周りには誰もいない。誰も彼女に近づけなかった。

 

 彼女の一日は、約5時間のポケモンバトルから始まる。

 午前5時過ぎから、シロナ専用の練習所に、幾人かのトレーナーが集まる。

 若手が20人ほど集まってくる。

 最近出世したトレーナーもいる。ナタネ、スズナあたりはシロナの養成所で成長した新時代のトレーナーだ。

 

 ポケモンバトルは無言で厳粛に行われる。

 緻密なデータ分析に裏打ちされた練習だ。

 シロナは0コンマ単位でポケモンと連携することを可能にした。

 相手トレーナーの癖を分析して、完璧に対処する。

 シロナが得意とするポケモンは多岐に渡る。

 ガブリアス、ミロカロス、ルカリオなどの得意分野から、バシャーモ、フーディン、イシヘンジンまで何でもほぼ完ぺきに使いこなす。

 こんなトレーナーは滅多にいない。

 シロナがこれまでに公式戦で使用したポケモンは約120種。

 これは世界で最も多い。

 最強のトレーナーと言われていたオーキドでも95種類だった。

 

 練習は午前10時ごろに終わる。

 練習が終わると、シロナはそのまま仕事場に向かう。

 シロナにはポケモントレーナー以外にももう1つの顔がある。

 

 考古学者

 

 それがシロナのもう1つの職業。

 しかし、多くの考古学者が大学に所属するのに対して、シロナは自分の仕事場にこもって仕事をする。

 大学を出た後、多くの研究所から誘われたが、シロナは一人研究室を選んだ。

 

 シロナが考古学に興味を持った理由はポケモンだ。

 彼女の基本はポケモン好きだ。

 それゆえ、シンオウ地方に言い伝えられている伝説のポケモンにも興味を持った。

 伝説のポケモンについて記された古文書はたくさんあるが、それらの多くが未解読状態だった。

 

 シンオウ地方に残る古文書は解読がかなり難しく、何百年もの間、解読されずにいる。

 その理由は、規則性が隠ぺいされているから。

 

 シンオウ地方に言い伝えられている伝説ポケモンはわかっているだけで5種。

 

 ディアルガ 空間に干渉する大いなる龍。

 パルキア  時間に干渉する大いなる龍。

 ギラティナ 世界に影を作り出した邪龍。

 ダークライ 世界に悪夢をもたらした鬼。

 アルセウス 世界の起源を想像した神。

 

 すでに解読されている古文書には、とある賢者がこれらを永遠の闇に封印したと書かれている。

 これらのポケモンは世界を崩壊させる力を持っているがゆえに、誰の目にもつかない場所に封印された。

 

 しかし、暗号を用いてこれらのポケモンの封印場所が残されていた。

 未解読文字というだけでも暗号と同じなのに、さらにそれが暗号化されている。

 それゆえ、量子コンピュータを使っても解読に至っていない。

 カントーのヤマブキシティにあるとある研究所が、これらの暗号に規則性はないと断定された。

 

 それでも、シロナはそれらのポケモンを追い求めて、大学を出てからずっと一人で解読に臨んできた。

 ヒントを得るために、色々な遺跡に出向くこともある。

 

 シロナはいま1つの遺跡に注目している。

 テンガン山頂上にある「槍の柱」だ。

 

 この遺跡はすでに多くの者が探索を終えている。かつては一般人の立ち入りが禁じられており、シンオウ地方が管理していた。

 ところが特に重要なオーパーツが発見されなかったことで、いまでは登山家がピクニックにやってくる程度になっている。

 

 もはや誰も注目しないテンガン山頂上に、シロナは頻繁に通った。

 シロナは今日もあることを確かめるために、槍の柱に向かった。

 いまはロープウェイがあるので、頂上近辺まで向かうのは容易なことだ。

 この日も、槍の柱に学者の姿はなく、子供たちが鬼ごっこで遊んでいるだけだった。

 子供の声を通り抜けて、シロナはある場所にやってきた。

 

 本来誰も来ない場所。なぜなら、そこには何もないから。

 唯一景色だけはいいかもしれない。

 しかし、他に景色のきれいなところはある。

 カップルが写真を撮る場所はほかにある。

 しかし、その日はそこに先駆者がいた。

 

 シロナは不思議に思いながら、その人の背中を見つめていた。

 視線に気が付いたのか、その者は後ろを振り返った。

 冷たい目をした中年の男だった。

 ちょうど、シロナと同じ、孤高の存在のように見えた。

 

 サインをねだりに来ることはなかった。

 その男はその場に立ち尽くして、しばらくシロナのほうに目を向けていたが、やがて後ろに向き直った。

 それから、その男はずっとそこに立ち尽くしていた。

 

 人と関わることがほとんどなかったシロナだったが、その男には興味をひかれた。

 自分が立とうと思っていた場所に立っていたから。

 

 その場所はシロナが目をつけていた場所でもあった。

 ある古文書からヒントを得た場所だった。

 だから、シロナはその男に近づいた。

 

「どうして、その場所に立っているのですか?」

 

 シロナは後ろからそのように質問した。

 男はしばらく無反応だったが、やがてつぶやくように言った。

 

「新しい世界が見える」

「……」

「お前も見えるのか?」

 

 男はそのように尋ねた。

 

「ええ、今日はそれを確かめに来たのです」

「そうか、見えるか……」

 

 男はそう言うと、シロナのほうに目を向けた。

 その目は非常に冷たかったが、シロナには温かく見えた。これまで、自分と同じ類の存在に出会ったことがなかったからだろうか。

 

「あんた、たしかシンオウチャンピオンだよな?」

 

 シロナはうなずいた。

 

「だが……富も名声も得た者が放つ雰囲気じゃないな」

「そうかもしれません」

「何を望んでいる? ほかに望むものがあるのか?」

 

 シロナはこう答えた。

 

「新世界が見たいのです」

 

 その答えを聞いた男は口元を緩めた。

 

「おれと同じだな」

 

 シロナにとって、初めての出会いだった。

 同じ夢を持つ存在はこれまでかつて一度もいなかった。

 だから、その男に強く惹かれた。

 

「だが、新世界を見るためには要素が足りない。他に何かが必要だ。おれにはそれがわからない」

 

 男はそう言って、もどかしい表情を作った。

 

「あんたなら、もしかしたら必要な何か見つけられるかもしれないな」

 

 男はそう言うと、シロナに一歩近づいた。

 

「おれの名はアカギ。新世界を見つけるために、おれに力を貸してくれないか? あんたの力がどうしても必要なんだ」

 

 アカギはそう言うと、シロナの手を握りしめた。少年が母親にすがるような、そんなはかなさが感じられた。

 シロナにとってこれまでに経験したことのないぬくもりだった。

 ずっと孤独の中を生きてきたから、誰しもが当たり前に知っている手の温もりを今この時まで知ることがなかった。

 

「力になります。必ずあなたを新世界に導きます」

 

 シロナはこのときはじめて、誰かのために生きるという喜びを知った。



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第2話 シロナ編

 アカギと出会ってから、シロナの優先事項も変化した。

 

「アカギ様……」

 

 これまで当たり前にやっていたことが手につかなくなった。

 アカギに会いたいという気持ち、何よりも認められたいという気持ちが大きくなった。

 古文書を解読する理由が、アカギのためというものに変化した。

 

 この歳になって恋煩いを経験することになるとは思ってもみなかった。

 けれど、それはとても心地よい感情だった。

 

 日課にしていた午前のポケモンバトルの練習にも影響が出るようになっていた。

 集中を欠くことが多くなった。

 

「シロナさん、何かありましたか? あまり調子が上がらないようですが」

 

 雇いのスコアラーが指摘した。

 シロナは緻密なデータに基づいた戦いを展開するために、技を繰り出す時間や距離など、細かくデータを取るようにしていた。

 アカギのことを考える時間が増えると、いつものように力を発揮することができなかった。

 

「この調子だと、来月から始まるイッシュリーグに向けて少し不安です」

「大丈夫です。その時までに調整します」

 

 シロナはポケモンバトルに精彩を欠くことを、そこまで気にしなかった。

 いまはポケモンバトルよりときめきを覚えることがある。それを優先しているだけに過ぎないのだから。

 

 ポケモンバトルに精彩を欠くようにはなったものの、人生に刺激的な一要素が加わったことには間違いなかった。

 シロナはこれまで恋愛を経験したことがなかったから、そのときめきはより素晴らしいものに感じられた。

 

 シロナとは裏腹にいまの若手トレーナーは普通に恋愛を楽しんでいた。

 シロナの練習場に集まってくるトレーナーは若手が中心で、当然恋愛の最中にある者も少なくなかった。

 若者たちは最新のロトムタブレットを使ってオープンに恋愛を楽しんでいる。

 しかし、シロナと若者たちには時代の隔たりがある。少し羨ましいと思いながらも、同じようにはできなかった。

 

 シロナの門下生には、ナタネやスズナなど青春を生きている、おそらくはシロナ以上に恋愛経験を持つ少女たちがたくさんいたが、さすがに彼女たちに恋愛の指南を受けるわけにはいかない。

 だから、シロナは自分なりの方法でアカギのことを思いつめた。

 

 アカギとは定期的に会った。

 恋愛経験のないシロナは積極的にアプローチする方法を知らなかった。

 アカギのほうも、新世界を見つけること以外に興味がない様子だった。ただ新世界を見つけるための人柱としてのみシロナを見ていた。

 

「アカギ様は普段、何をされているのですか?」

「ギンガ団を経営している」

「宇宙開発の有名な会社ですね。私、知っています」

「近く解散する予定だがな」

「どうしてですか?」

「経営はあまりうまくいっていない。もともとシルフカンパニーの赤字事業を買い叩いただけの幽霊企業に過ぎん」

 

 ギンガ団はシンオウ地方を代表する宇宙開発企業だが、経営の世界に精通する者たちの間では、上場廃止の落ち目企業と見られていた。

 

「私に何か力になれないでしょうか?」

 

 シロナはアカギにアプローチするためにそのように申し出た。

 

「いや、いいんだ。もうこの世界に熱心になるつもりはない。おれは新世界を見たい」

 

 アカギは完全にこの世界を見限っていた。アカギの冷たい目の奥には、この世界での苦労の数々が封印されているのかもしれない。

 

 シロナはアカギの手を握りしめた。自分のやるべきことが定まった。

 

「私が必ずアカギ様を新世界に導いてみせます」

「こんな私を助けてくれるのか?」

「必ず」

「すまないな。私の力になってくれ。シロナ、君だけが頼りだ」

 

 アカギはそのようにシロナを褒めたが、その目はシロナには向けられていなかった。

 

 来月から、イッシュリーグが主催する大会が始まる。

 夏場にかけて開かれる大きな大会であり、シロナも参加することになっている。

 

「3年ぶりの2冠に向けて頑張りましょう」

 

 周囲からも期待も大きい。

 シロナは8年間シンオウリーグのチャンピオンの座を守っているが、他のリーグは勝ったり負けたりの状況が続き、2冠以上を維持した年は3年前までさかのぼる。

 もっとも、複数のリーグでチャンピオンに居座り続けるのは簡単なことではない。

 現役のトレーナーでも、2冠以上を経験しているトレーナーは、シロナを除いてはワタル、ダイゴの二人しかいない。

 

 ファンのためにも、イッシュリーグを制覇したいという気持ちはあったが、今はただ一人の男性の期待に応えたいという気持ちのほうが強かった。

 

 イッシュリーグの大会が近づいてきても、シロナは古文書の解読に集中力を費やしていた。

 その熱意がある発見をもたらす。

 試行錯誤の末、シンオウ地方に存在する3つの湖が新世界を封印するために利用されたということが明らかになった。

 

 シンオウ地方にはエイチ湖、リッシ湖、シンジ湖という3つの湖があり、それぞれシンオウ地方によって保護されている。

 かねてから、考古学者の調査対象であり、現在解読されている古文書の内容の中にも、ポケモンたちにあらゆる感情や叡智をもたらすに貢献したポケモンたちが眠っているという記述がある。

 エムリット、ユクシー、アグノムは地元の人たちに崇拝されるポケモンとなっている。

 

 しかし、これらのポケモンは公式にはまだ発見されていない。

 いくつかの目撃情報がまことしやかに語られているために、それらを発見しようとするオカルトマニアも少なくないようだ。

 

 シロナはあることを確認するために、リッシ湖を訪れた。

 リッシ湖はシンオウ地方によって保護対象となっている場所で、地方を上げて観光地としてアピールされている。

 今日も人手が多かった。ボートを漕いで人々が歓声をあげていた。

 

 しかし、シロナに興味があったのは人目につかない湖のほとりの一角。

 いくつかの大地の亀裂をたどり、あることを確信した。

 アグノムの封印されている場所はリッシ湖において、東から650m、南から900mに位置する海底。

 

 もちろん、それが正しいかどうかは実際に確かめてみなければわからない。

 しかし、アカギへのプレゼントとしては十分すぎる情報だった。

 

 アカギとは定期的にテンガン山の山頂「槍の柱」で会うことができる。

 アカギと会うことはシロナにとって一番の楽しみだった。

 そして、アカギの期待に応えることは人生最大の優先事項だった。

 

「シロナ、何かわかったか?」

 

 アカギはシロナから受け取る情報に目を輝かせていた。

 アカギの目に映っているのは新世界への扉だけだった。シロナはその人柱でしかない。

 シロナも薄々そのことに気づいていたが、それでもこの恋心を捨てたくはなかった。

 

 シロナはアグノムの封印されている場所、正確な位置情報を解読した事実をアカギに伝えた。

 

「あの古文書を解読したというのか?」

「確かめてみるまではわかりません。しかし、自信はあります」

「すごいな、シロナ。やはり君は偉大な存在だ」

 

 アカギはそう言うと、自分の愛娘に愛情を注ぐようにしてシロナを抱きしめた。

 シロナを自分の都合のいいように操るためのポーズだったが、シロナにとってはそれでもよかった。

 ただこの瞬間におぼれていたかった。ただ利用されているだけだとしても、この世界から離れたくなかった。

 

「ありがとう、君のおかげで私の夢は叶うかもしれない」

「必ず、私があなたの夢を叶えてみせます」

 

 シロナにとってその思いがすべてだった。

 



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第3話 シロナ編

「シロナさん、今日もご指導ありがとうございました」

「帰り道に気を付けて」

 

 シロナは門下生のナタネを見送った。

 先日、イッシュリーグ大会の出場トレーナーを決める最終予選が開催された。

 シロナはシンオウリーグチャンピオンとここまで勝率ランキング3位という実績から予選が免除され、シード権も得ているが、他のトレーナーは予選を突破しなければ本戦に出場することができない。

 

 最終予選はイッシュ地方チャンピオンロードで行われた。

 本戦出場の枠は残り6人。

 約3500人のトレーナーたちで6人の枠を争った。

 その6人の中に、見事ナタネが選ばれた。

 ナタネは初日から14連勝で勢いに乗ると、最終成績32勝3敗の好成績で第2位につけた。

 今年度最注目のカトレアが順調に33勝2敗で予選一位通過したが、ナタネはそのカトレアにも勝利していた。

 

 門下生から好成績者が出るのは嬉しいことであり、シロナも笑みを浮かべた。

 しかし、シロナにとって最も嬉しいことは、アカギと会う約束ができたことだった。

 夕方に会う約束が取れたので、その時が待ち遠しかった。

 

 シロナはアカギと会う前に町に出た。

 シロナはこれまで身だしなみに気を付けたことがなかった。

 できるだけ目立たない服装に努めてきた。

 

 そこへ、アカギに好かれたいという新しい目標が加わった。

 しかし、一体どのような服装をすれば好かれるのかわからなかった。

 自分の考える魅力とアカギの考える魅力が一致しなければ目標を達成できない。

 かと言って、本人に直接聞くわけにもいかない。

 

 これまで自分の容姿に気を付けて来なかったから口紅の使い方もわからなかった。

 

 そんなこんなで苦労していると、シロナはふと誰かの視線に気が付いた。

 先ほどからずっと自分の後をつけている者がいた。

 その何者かはシロナのことをずっと尾行しているようだが、その腕前は拙劣で、バレバレだった。

 人気がなくなったところで、シロナは尾行している存在と向き合った。

 

「誰ですか? ずっと私の後をつけているようですが」

「ちっ、ばれたか」

 

 あからさまな尾行を指摘された何者かは逃げ出すことはせず、そのままシロナの前に出てきた。

 シロナを尾行していたのは目つきの悪い少女だった。

 探偵や興信所が何かを調査しているわけではないようだった。

 かと言って、シロナのファンというわけでもなさそうで、その少女は敵視の目をシロナに向けた。

 

「私に何か?」

「あんたでしょ、リーダーをたぶらかしている魔性の女は」

「何の話ですか?」

「わかってんのよ、あんた最近、アカギリーダーと会ってるでしょうが。しかもほとんど毎日」

 

 少女はそう言って、鋭い目つきを崩さなかった。

 最初はアカギの娘か何かかと思った。アカギの口からは、子供がいるという話は聞いていなかったが、15、16の娘がいてもおかしくない。

 もし、子供がいるのならショックだったが、そうではないような気がした。

 この少女の目つきは対等に女として張り合おうとするものだった。

 

「で、会って何やってんの? 答えようによっては許さないんだけどね」

「あなた、いったい誰ですか?」

「いいから答えなさいよ」

 

 少女は理知的ではなく勢い任せのところがあった。

 こんなおかしな少女に付き合っている暇はないので、シロナは立ち去ることにした。

 

「誰か知りませんが、もうつけてこないでください」

「あ、ちょっと待ちなさいよ」

 

 少女はシロナの前に出ると、とおせんぼうをした。

 ずいぶんと執拗な態度だった。

 

「あんまりしつこいと警察を呼びますよ」

「あいにくね。私、あんたと違ってまだ未成年だから罪にはならないのよ」

 

 少女はそう言って得意げに笑った。

 見た目どおり、少女は未成年であることを告白した。

 こんな少女に後をつけられる道理がわからなかった。

 

「あなた本当に誰なんですか?」

「いいわ、教えてあげる。ちゃんと名刺も持ってるんだから」

 

 少女はそう言うと、どこからか名刺を取り出した。

 

「どう、すごいでしょ。ちゃんと役職もあるのよ」

 

 少女は名刺を持っていることをすごいことだと思い込んでいるようであった。

 

「ほら」

 

 シロナは少女から名刺を受け取った。

 名刺の情報によると、少女の名前はマーズ。年齢は16歳。

 ギンガ団、諜報部取締役と書かれていた。

 

 16歳の少女が諜報部の取締なんて何かのいたずらだと思ったが、ギンガ団という名詞に引っかかった。

 ギンガ団はアカギの経営する公益法人だ。

 

「ギンガ団?」

「そうよ。宇宙開発で世界に貢献する素晴らしい企業なんだから。どう、すごいでしょ?」

 

 マーズはそう言ってずっと自慢げに笑みを浮かべていた。

 まだ社会人として右も左もわかっていない少女にしか見えなかった。

 

「そうですか、それはすごいですね」

「そうでしょ。あんたがチャンピオンだとしてもね、私のほうがずっと偉いのよ。わかった?」

「わかりました」

 

 シロナはマーズに合わせるように肯定した。

 

「だったらなんでアカギリーダーは私よりあんたが優先なのよ!」

 

 マーズは得意げな顔を崩して嫉妬の表情を作った。

 

「あんたが現れてから、リーダーの様子がおかしくなった。どこか嬉しそうにしているのに私にちっとも目を向けてくれなくなったし。あんたが何かやったからに違いないわ」

 

 マーズは非難げにそう言った。

 シロナはだいたいの事情を察した。

 

 おそらく、マーズは事情があってギンガ団に所属するようになった。そのときに、アカギが何かしら関与したために、マーズはアカギに恋心を抱くようになり、アカギのために働くことが生きがいになったのだろう。

 そこへ、自分が入り込んできたので、嫉妬の感情を抱いているのだ。

 

「で、あんた、リーダーになにしたの? 色仕掛け? あるいは賄賂?」

 

 マーズは思いつく限りのことをいぶかった。

 しかし、いずれも当てはまっていなかった。

 

「あなた、何か誤解しているみたいですけど、私たちは仕事で会っているだけですので」

「仕事? なんの仕事よ」

「あなたにはわからないことです」

「あー? ざけんな。私はこう見えても、数学も物理もできるのよ。伊達にギンガ団の幹部をやってるわけじゃないんだから」

 

 マーズはしつこく付きまとってきた。

 

「私にはわかるのよ。女の勘ってやつ。あんた、絶対リーダーを狙ってる。そうでしょ?」

 

 その指摘だけは鋭かった。しかし、シロナは一応首を横に振った。

 

「そんなことはありません」

「絶対、そう言えるの?」

 

 シロナはこの場から逃れるためにうなずいた。

 

「どうも怪しいわね。でも、覚えときなさい。リーダーに変なことしたら私が許さないから」

 

 マーズのその真剣な顔を見る限り、相当アカギに夢中になっている。

 ちょうど自分と同じだと思った。自分も16歳の少女と変わらない子供なのかもしれない。



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第4話 シロナ編

 マーズがいなくなったのを念入りに確認してから、シロナはアカギとの約束の場所に向かった。

 マーズは突然現れた恋のライバルだったが、いくつか会話を交わした感じからするとまだまだ子供だ。

 そこまで意識する必要はないかもしれない。

 しかし、子供ゆえに無駄に行動力を発揮するかもしれない。

 だから、シロナはテンガン山のロープウェイ乗り場にたどり着いても、周囲に目を配った。

 

 ロープウェイは夕方6時が最終便になる。

 午後4時を過ぎると、乗る客はほとんどいなくなっていた。

 カメラを持って景色を写す山男一人だけだった。

 

 マーズがいないことを確認すると、シロナはロープウェイに乗り込んだ。

 夕焼け空が濃くなるころ、テンガン山の山頂はその夕焼けより高い位置にある。

 ロープウェイの降り場につくと、すでにあたりは暗くなっていた。

 空には一番星が見えた。

 

 アカギはいつもの場所に立って空を見上げていた。

 シロナは約束の時間の15分前にここにやってくるが、いつもアカギが先着している。

 ずっとそこに立ち続けているのではないかと思うほど、いつも同じ場所に待っていた。

 

 シロナの足音に気づくと、アカギは後ろを振り返って嬉しそうな表情を浮かべた。

 

「シロナ、ありがとう。君のおかげでまた一歩夢に近づいた」

「……何かあったのでしょうか?」

「見つけたんだ」

 

 そう言うと、アカギは懐からモンスターボールを1つ取り出した。

 

「シロナ、君のおかげだ」

 

 アカギが繰り出したポケモンは、古文書の中でしかお目にかかることのできないポケモン――アグノムだった。

 アグノムはモンスターボールから解放されると、アカギの周りをグルグルと回るように漂った。

 

「アグノム?」

「ああ、シロナのおかげだ。君が教えてくれた場所に眠っていた。これで確信した。古文書の言い伝えは真実。間違いなく新世界は存在する」

 

 アカギは本当に嬉しそうだった。それは同時にこの世界には何の希望も持っていないということを意味していた。

 

「お力になれて良かったです」

「言い伝えが正しいならば、エムリットとユクシーも実在するはず。シロナ、君ならば見つけ出せると信じている」

「……」

 

 アカギの目に映っているのはシロナではなく、新世界のことだけだった。シロナにもそれは理解できた。

 それでも、シロナはこの道を進むことを選んだ。もう引き返す道は消えてなくなっていた。

 

「アカギ様、私が必ず残り2体の居場所を突き止めてみせます」

「頼む、君だけが頼りだ」

「アカギ様……」

 

 シロナはアカギの胸に飛び込んだ。アカギの力になれているうちはアカギを独占することができる。

 

「アカギ様、もし新世界にたどり着けたのなら、私はあなたのそばにいてもよろしいですか?」

「ああ、そのときは、おれたちが新世界のアダムとイヴになろう」

 

 その言葉を夢うつつにシロナは目を閉じた。

 

 イッシュリーグ主催の大会まで、あと1か月となった。

 しかし、シロナの調子はいまいち上がらず、定期の朝の練習では、若手のナタネやスズナに苦戦することもしばしばだった。

 いまいちポケモンバトルに集中できない状態はアカギと出会った日から継続していた。

 

 それもそのはずで、昨日も古文書の解読のために徹夜をしていて、ここのところ寝不足が顕著だった。

 

「シロナさん、大丈夫ですか? 少し疲れているように見えますけど」

 

 シロナの不調は他のトレーナーにも伝わっていたようで、練習が終わった後に、ナタネが心配そうに尋ねてきた。

 ナタネはイッシュリーグ本戦への出場を決め、いま注目の若手の一人だった。

 

 シンオウ勢はいま最も勢いがある。イッシュリーグ本戦に参加するトレーナーは、シロナ、ナタネ、ゴヨウ、クロツグ、ドラセナ、キクノ、デンジ、トウガン、オーバの9人であり、これは最多だ。

 地元のイッシュ地方から本戦出場を決めているのは、アデク、ギーマ、カトレア、レンブの4人だけであることを思うと、シンオウ勢は大会荒らしをする外来魚のようなものかもしれない。

 ナタネはシロナが輩出した第一号のエリートトレーナーでもある。

 

「少し疲れているかもしれませんね。お昼から少し休もうと思います」

「あの、ひょっとして私のせいでしょうか?」

「え?」

「このところ、私の指導に時間を取らせてしまっていましたから」

 

 ナタネは悪びれてそう言った。

 

「そんなことはありません。あなたのおかげでいい刺激になっていますよ」

 

 シロナは微笑んで答えた。

 

「それならいいんですけど」

「ナタネはたしか新人王戦以来の大きな大会でしたね」

「はい。ですから今から緊張しています。リーグ戦は初めてですし、アウェーだし」

 

 ナタネは大会一か月前からずいぶんと緊張している様子だった。

 リーグ主催の大会はポケモントレーナーにとって最も大きな舞台だ。初出場となると、緊張するのも仕方がないことだろう。

 弟子の不安をケアするのも師の役目だ。

 

「心配することはありません。心を無にすればいいのです」

「そ、そんなことどうすればできるのですか?」

「他に何かやりがいは? それに集中すればいいのです」

「そうですね……ガーデニングとかですけど、それも手につかない状況なんです」

「そうですか……それは大変ですね」

 

 ふと、アカギのことが思い浮かんだ。

 不安を取り去ってくれるのは、自分の愛するパートナーであることはシロナもよくわかるようになっていた。

 

「ナタネはボーイフレンドいないのですか?」

「え?」

 

 唐突な質問にナタネは目を丸くしていた。

 

「ごめんなさい。ぶしつけな質問でしたね。しかしパートナーの力を借りるのが一番かと思います」

「いないことはないかな……」

 

 ナタネはいくらか思案した後、笑みを浮かべて頭を下げた。

 

「アドバイス、ありがとうございました」

 

 ナタネは緊張を吹っ切ったように小走りで練習場を後にした。

 シロナはその後姿を羨ましそうに見つめた。自分にも少女だった時代があったはずだが、あまり魅力的な経験を思い出すことができなかった。



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第5話 シロナ編

 シロナはエムリットの手がかりをつかむために、シンジ湖にやってきた。

 シンジ湖はシンオウ地方が観光地として利用したいという思惑もあって、まずまず人でにぎわっている。

 当然だが、彼らは観光にやってきているのであって、シロナのように真剣に神話上のポケモンを追い求めてやってくる者はいない。

 

 それゆえに目の付け所を他の人と違う。

 湖から離れた岩場を1つ1つていねいに確かめるようにシンジ湖を見て回った。

 

 誰も人目につかないところを探しているがゆえに、人と遭遇するはずもないと思ったのだが、厄介な人物がシロナを発見した。

 

「あー、あんた! こんなところにまで現れるなんて!」

 

 シロナを発見した人物はマーズだった。

 マーズは数人の若い男性を後ろに従えて、シロナの前に立ちはだかった。

 こんな観光地とかけ離れた場所をウロウロしているのだから、おそらくマーズがここにいる目的はシロナと同じだろう。

 

「あんたもエムリットを探しに来たんでしょ?」

 

 マーズの質問から、マーズもまたエムリットを求めてここにやってきたらしい。

 おそらく、アカギからその知識を得たものと思われる。

 シロナは答える代わりにため息をついた。

 

「なにため息ついてんのよ。あんたもエムリット探しに来たんなら、私に協力しなさいよ」

「嫌です」

「なにはっきり言ってんのよ」

 

 シロナはもう一度ため息をついた。

 相手はまだ少女とはいえ、どこか意識しているところがあるのか、マーズを好意的に見ることはできなかった。

 

「まあでも、私のほうがきっと先にエムリットを見つけ出せると思うけどね。見なさい、私は幹部だから、部下が6人いるのよ」

 

 マーズは得意げに後ろの部下たちを紹介した。

 

「ギンガ団に所属する団員はみな優秀な者ばかりよ。例えば……あんたたしかシンオウ大学卒よね」

「はい」

 

 部下の一人が得意げに胸を張った。

 

「どう、見なさい。シンオウ大学卒よ。すごいでしょ。あんたはどこ大学出身よ?」

「ライモン大学考古学部」

「ぐ……」

 

 マーズは得意げな顔を崩した。ライモン大学は世界大学ランキング3位につけている超名門だった。シンオウ大学は89位だ。

 

「べ、別に学歴がいいから仕事ができるとかそういうの関係ないから。ね、あんたたちもそう思うでしょ?」

「は、はい」

 

 マーズはさっそく持論を変化させた。そのあたりは子供だと思った。

 

「もういいですか? 私は別の場所を探しますので、失礼します」

「待ちなさいよ」

 

 マーズはシロナの手を掴んで制止した。

 

「付きまとうのはやめていただきたいのですが」

「付きまといじゃないわよ。ビジネスライクな取引よ」

 

 マーズはそう言うと、懐からモンスターボールを取り出した。

 

「あんた、シロナでしょ。シンオウチャンピオンの」

「そうですが、何か?」

「そんなあんたにポケモンバトルを申し込むわ」

「……」

 

 シロナは目を細めた。マーズの狙いがさっぱりわからなかった。

 

「私がチャンピオンと知って勝負を申し込むのですか? あなた、負けず嫌いな女の子と認識しています。私に勝負を申し込む理由はなんですか?」

「馬鹿ね、あんた。私が負けず嫌いなわけないでしょうが。私は大人。ビジネスマン」

 

 マーズはそう言ったが、地の感情は明らかに負けず嫌いそのものだった。

 

「私もビジネスマンだから負けるとわかって勝負を申し込んだりしないわよ」

「では何が目的ですか?」

「ハンディキャップよ」

「……手加減をしろということですか?」

「手加減じゃなくてハンディ。あんた、チャンピオンなんだから当然でしょ」

「まあ、そうですね」

「私があんたを使うポケモンを指定するわ。いいわね?」

 

 マーズはそう言うとにやりと笑った。

 

「あんた、コイキング。私は相棒のブニャットよ。オッケーよね?」

 

 マーズはすでに勝利を確信したような顔をしていた。

 

「コイキングですか……」

「そうよ。当然のハンディでしょ」

「わかりました」

「オッケー。じゃあ、負けたほうは3日間勝ったほうの奴隷になる。オッケーよね?」

「そんな話聞いてませんが」

「馬鹿ね、条件は勝負が決まった後に出す。ビジネスの鉄則よ。あんた、学者馬鹿だから私のしたたかなビジネスパフォーマンスに翻弄されるのよ」

 

 マーズはそう言って誇らしげに笑った。

 

「わかりました。いいでしょう」

 

 シロナはマーズの陥穽にわざと踏み込んでいった。

 

「受けるのね。やるじゃない。なら、3日間奴隷になってもらうわよ」

「逆に私が勝ったら、あなたが私の奴隷になる。そちらも忘れないようにお願いしますよ」

「馬鹿ね、コイキングで勝てるわけないでしょ」

 

 シンジ湖の近くには、ポケモントレーナー施設がある。

 アマチュアの大会も数多く開かれるが、主にアマチュアトレーナーたちの練習場として利用されている。

 そこにシンオウチャンピオンのシロナがやってきたので、練習生たちはみなシロナの対戦に注目した。

 

 ポケモンバトルの公式戦は縦横8m、24mのフィールドの中で行われる。

 練習場には、その公式戦を模したスタジアムが2つあり、シロナとマーズは向かい合った。

 

「シロナだ」

「おおすげえ、本物だ」

「でもなんでシロナがこんな末端の練習場に?」

 

 シロナが対戦するということで、嫌でも人が集まった。

 気が付くと、50人単位の野次馬ができた。

 

「いいわね、こんなたくさんの観衆の前でチャンピオンに勝つんだから」

 

 マーズはすでに勝ったように微笑んでいる。

 実際に、この勝負はシロナが圧倒的に不利だ。

 コイキングは世界最弱ポケモンとして知られており、当然だが、公式戦でコイキングが使用された実績はない。

 みな1勝でも嘱望するトレーナーたちに、悪ふざけでコイキングを使う者はいなかった。

 シロナはそんなコイキングでマーズのブニャットと戦わなければならない。

 

 ブニャットは安定した強力な攻めに定評があり、悪ポケモンを好むカリンの代名詞の一つでもあり、コイキングに勝てる相手ではない。

 

 ところが……。

 この不利な勝負に、シロナは勝利した。

 観客からは拍手喝采。

 

 ポケモンの個体差をトレーナーの腕の差で乗り越えてみせた。

 マーズの攻撃を紙一重ではねてかわして、絶妙なタイミングでじたばた攻撃を決め、ブニャットを打ち倒した。

 さすがのマーズも想定外で目を丸くすることしかできなかった。

 

 シロナは固まっているマーズに子供っぽく笑みを浮かべて述べた。

 

「それでは約束通り、3日間私の奴隷になっていただきます。あなたは立派なビジネスマンなのでしょう? でしたら、約束は守ってくださいね」

「ぐ……わ、わかったわ」

 

 マーズはしぶしぶと言った感じで奴隷契約を認めた。

 

 とはいえ、マーズの使い道は何もない。

 いや、1つだけあるとすると、アカギが経営しているギンガ団の幹部だということ。

 シロナは何とかマーズを使えないかあれこれ思案した。



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第6話 シロナ編

 

 マーズとのポケモンバトルに勝利したシロナは3日間マーズを奴隷にできる権利を手に入れたのだが、結局行使することなくその権利を破棄した。

 これまで、シロナは助手を取ってこなかった。必要性を感じなかったという単純な理由だ。

 だから、マーズを連れていてもほとんど役に立たなかった。

 

 ところが、マーズはあれこれ難癖つけて、結局シロナについてくることになった。

 

「ここがあんたの家? うわ、なにこの殺風景な部屋」

 

 シロナの仕事場にまでついてきたマーズは遠慮の気持ちもなく上がり込み、あちこち詮索し始めた。

 

「勝手にあっちこっち触らないでいただけますか?」

「なに? 人に見られると困るもんがあるってわけ?」

「そういう意味ではなく……人としてのモラルの問題です」

「あいにく、私は人じゃなくて奴隷なので」

 

 マーズはそう言ってにやりと笑った。

 

「奴隷なら、働いてもらいますよ。手始めに、確定申告用の書類を作ってもらいます」

「はあ? 私、理系の人間なんだけど。適材適所で使いなさいよ。あんた、それでも学者?」

 

 シロナはため息をついた。結局、なんの役にも立たなかった。

 

「わかりました。じゃあ、静かにしておいてください」

「だからさ、もっと立派な仕事をよこしなさいって言ってんのよ」

「あなたにできる仕事はありません」

「なに、平然と馬鹿にしてんのよ。やってみないとわかんないでしょうが」

 

 シロナは何度目かのため息をついた。

 

「わかりました。では、こちらの解読をお願いします。2500年前、シンジ湖に住んでいた者が残した記録です。世界で誰も解読に成功していません」

「世界初? そうそう、そういう仕事を待ってたのよ。任せなさい、私が解読してあげるわ。そうしたら、リーダーもきっと認めてくれるに違いないわ」

 

 マーズは自信満々に言った。

 マーズの行動原理はシロナと同じだった。マーズもまたアカギのために熱心に仕事をしようとした。

 

 1時間が経過した。

 得意げに仕事にとりかかったマーズだったが、気が付くと難しい顔をしていた。

 

「なに言ってんのか、全然わかんないわ」

 

 マーズは資料を放り投げた。

 

「あんた、よくこんなもん何時間も見てられるわね」

「考古学者なら当たり前のことです」

「また遠まわしに馬鹿にした。ったく、あんたはいやらしい性格してるわね」

 

 仕事をあきらめたマーズは自分が奴隷であることも忘れてしまったのか、ロトムタブレットを取り出していじり始めた。

 いまや世界中の人が持っているロトムタブレットだが、シロナは持っていない。

 

「あなた、自分が奴隷だということを忘れたんですか?」

「ちょっと休憩してるだけよ」

 

 マーズはアカギに電話をかけようとした。

 

「うーん……リーダーは音信不通……最近、ちっとも出てくれないのよね」

 

 マーズは乙女のため息をついた。

 

「ねえ、あんたは?」

「なんですか?」

「あんたもリーダーと連絡取ってるんでしょ」

「……」

 

 シロナはいたずらっぽく笑った。

 

「ええ、昨日もお話しましたよ」

 

 シロナはマーズをからかうために嘘をついた。

 アカギの連絡はすべて一方通行であり、原則アカギは誰の連絡も受け付けない。

 しかし、どうしてもマーズに対してマウントを取りたかった。

 本来、そのような性格ではないはずなのだが、恋のライバルとして意識しているところがあったのかもしれない。

 

「く……なんであんたは出てくれるのに私は出てくれないのよ」

「私は仕事もできるし、あなたみたいに子供ではないですからね」

「私が子供だっていうの?」

「さあ、あなたがそうでないというなら、そうではないんでしょう」

「……」

 

 マーズの顔に怒りにこもるのがわかった。

 しかし、いつものように何か反論してくるのかと思ったらそうではなかった。

 マーズの熱気は徐々に薄れていって、沈鬱な表情になった。

 

「どうせ私は子供ですよ」

「……」

「でも……絶対、負けないんだから」

 

 マーズのアカギに対する思いだけは決して揺るがなかった。

 さすがに言い過ぎたと思ったシロナはマーズを慰めるように言った。

 

「申し訳ありません。言い過ぎました」

「……」

「もう時間も遅いですから、家まで送ります。家の場所はどこですか?」

「家なんてないわよ」

「え?」

「エムリットを見つけるまで、私の帰る場所はないのよ」

 

 最初はまた強がっているだけなのかと思ったが、マーズの様子がいつもと違っていた。

 

「今までどこに住んでいたのですか?」

「ギンガ団アジトが私の家。でも、結果が出せなきゃ私の居場所はない……」

「……」

 

 マーズには何か特別な事情があるのかもしれない。



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第7話 シロナ編

 シロナはひとまず、マーズを食事に連れて行った。

 元気づけるために高級料亭に連れて行ったところ、それが功を奏したようだ。

 先ほどまで元気をなくしていたが、あっさりと立ち直り、遠慮することなく高いものを注文しまくった。

 このあたりは子供だなとシロナは感じた。

 

「いいわね、お金持ちは好きなものが食べれて」

「あなたも幹部なのでしょう。給料はいただいていないのですか?」

「年収500万以上はあるわよ。でもこんなお店には行けないわよ。あんたは毎日来れんでしょ?」

「いや、私も毎日こんなお店には行きませんよ」

「あんた、年収いくら?」

「……」

 

 そんな質問には答えたくなかった。

 しかし、マーズはある程度の額を調べ上げた。

 ロトムタブレットでインターネットに接続すると、トレーナーの獲得賞金ランキングはすべて公開されていた。

 去年はワタルに次ぐ2位だったので、すぐに見つけることができた。

 

「14億4000万、マジ?」

「まあ、だいたいそれぐらいだったと思います」

「はー、トレーナーは儲かるのね……」

 

 マーズはランキングを見ながら感心した。

 しかし、トップポケモントレーナーは全世界3000万人以上の争いを潜り抜けたエリートであり、そこにたどり着く道のりは茨の道だ。

 リーグの主催する世界大会に参加できるトレーナーはシンオウリーグで103人。最も大きなカントー・ジョウト大会でも165人しか出場することができない。

 シロナはその熾烈な競争を勝ち抜いてここにたどり着いている。

 

「は、食った食った。お風呂借りるわよ」

 

 食事をおごってやると、マーズはあっさりと機嫌を取り戻して、まるで自分の家かのように、シロナの仕事場でくつろいだ。

 

「着替えも貸してよ。歯ブラシとタオル、あとドライヤーは?」

「……」

 

 シロナはマーズのために世話を焼くことになった。

 どちらが奴隷なのかわからなくなった。

 しかし、変に対立しているよりはいいのかもしれない。

 

 風呂から出てきたマーズはやはりシロナの許可を得ることなく勝手に冷蔵庫から飲み物を取り出してきた。

 

「聞きたいんだけどさ、あんた私と同じころ、バッジいくつ持ってた?」

「すべて」

「うわ、やっぱガチ勢は頭おかしいわ。私はまだ3つ目を取ったばかりなのに」

 

 マーズもトレーナーとしての心得があった。

 実際に対戦したシロナもマーズが一定の実力を持っていることはよくわかっていた。

 

「ねえ、なんかコツあんの? やっぱ才能?」

「どうでしょうか」

「私も才能があれば、トレーナーを目指したいけど、いまさらバッジ3つじゃあね」

「マーズは誰にポケモンを教わったのですか?」

「誰にも。一人でよ」

「一人ですか?」

「そうよ。仕事の都合でジムに通う暇なんてないし、その前は孤児院暮らしだから、そんなお金も自由もなかったしね」

 

 マーズはそう言うと、ドライヤーのスイッチを入れた。

 我流であそこまで強くなるのなら、マーズには大きな才能があるのかもしれないとシロナは思った。

 シロナは元名トレーナーのナナカマドのもとで修業を積み、同期のドラセナと世界中のジムを巡って実力をつけてきた。

 それがシロナの実力を支えていた。

 しかし、マーズは誰にも頼らずに3つのバッジを獲得していた。それはすごいことなのかもしれない。

 

 マーズと対戦したシロナはマーズの特徴を理解していた。

 セオリーに大きく外れた攻撃的なタイプだと分析したが、それは我流で練習したことが影響しているのかもしれない。

 セオリーを学べば、マーズは大成する可能性があった。

 

「孤児院ということは、親はいないのですか?」

「そうよ。院の先生の話だと、捨て子だったみたいね」

「そうですか」

「ま、どうでもいいけどね。子供を捨てる親なんて会いたいとも思わないし」

「……」

 

 シロナはマーズに同情した。

 自分と同じ境遇だったからだ。

 

 翌日、シロナはマーズを連れていつもの練習施設に向かった。

 二人は犬猿の仲だったが、一晩のうちに化学反応が起きて、傍からは親しい仲のように見えるようになっていた。

 

 シロナは門下生たちにマーズを

 

「こちら、マーズです。みんな、仲良くしてあげてください」

「どうも」

 

 マーズはにこやかに笑った。アカギを巡ってシロナには厳しい態度を取っていたが、そうでない者には女の子らしい態度だった。

 

「私はナタネ。よろしく」

「あー、あんた、どっかで見たことあるわ」

「私はスズナよ」

「あ、あんたも見たことあるわ。見たことあるのばっかり」

「この子たちはみんなバッジ8つ集め終わってますからね」

 

 公式バッジを8つ集めると、リーグが主催する世界大会への出場資格が与えられる。

 世界大会は予選からテレビ中継されるし、マスコミも取り上げるから、まだ若手のナタネやスズナも知名度は全国区と言ってよかった。

 

「とりあえず、確認したいことがあるわ。あんたたちの年収は?」

 

 いきなり何を聞くんだと誰しもが思ったが、マーズにはずれている自覚がなかった。

 

「私は全然。ナタネは予選突破したから今年はけっこうあるんじゃないかしら」

 

 スズナが説明した。

 ナタネはイッシュリーグ最終予選に出場して、32勝3敗という好成績を残して本戦出場を決めていたので、若手の中でも一歩リードする形になっていた。

 

「あんたの年収は?」

 

 マーズは無邪気な顔でそう尋ねた。

 

「一応、予選突破で300万かな」

「勝った!」

 

 マーズはにんまりと笑った。負けず嫌いの性格なので、何でも勝つと嬉しいようだった。

 

「私の去年の年収は656万円よ。どう、すごいでしょ?」

「えー、すごいな。アイドルか何かやってるの?」

 

 ナタネがそう尋ねると、マーズはまたにんまりと笑った。

 

「あ、そう見える? そう、私アイドルにも向いてるのかしら。ふふふ」

 

 マーズは若手トレーナーたちと瞬時になじんだ。

 長く共に練習しているシロナよりもなじんでいた。

 シロナは彼女らと自分との間で大きな隔たりを感じた。



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第8話 シロナ編

 突然のひらめきがシロナの心の中に降りてきた。

 シロナはハッとなって、もう一度古文書の文字列に目を通した。

 

 エムリットと長く親しんでいた老人が残したとされる古文書のすべてを理解することができた。

 

 シロナは隣にいる人物に目を向けた。

 

「なに? なんかわかった?」

 

 シロナの隣には、古文書ではなく漫画を読むマーズの姿があった。

 昨日から、シロナの仕事場に住み着いたマーズは現状好き勝手に暮らしている。

 マーズはアカギが経営するギンガ団の幹部ということになっているのだが、アカギからエムリットの捜索を依頼されており、結果を出すまでは戻れない状況なのだという。

 

 シロナはエムリットの封印されているであろう場所をおおよそ突き止めたが、マーズを連れていくと手柄を横取りされることになるだろう。

 シロナは逡巡した。

 手柄は取られるにしても、マーズに居候を続けられるわけにもいかない。

 

「なーによ? なんか企んでる顔してるわね」

 

 マーズは鋭かった。シロナのわずかなそぶりから何かを勘付いた。

 

「さてはなんかわかったんでしょ。私に黙って手柄を独り占めにする気ね」

 

 独り占めも何も、マーズは漫画を読むだけで何もしていない。

 しかし、こうなった以上はシロナも決心した。

 

「今からシンジ湖に行きます。準備してください」

「エムリットの居場所がわかったの?」

「それを確かめに行くんです」

 

 マーズは手柄を横取りする気満々で出かける支度をした。

 

 

 二人はシンジ湖にやってきた。

 

「どこ? エムリットどこにいるの?」

 

 先ほどからやんちゃに飛び跳ねているマーズをよそにシロナはシンジ湖の全景をカメラに捉えていった。

 

「なに写真撮影なんてしてんの?」

「静かに」

「はいはい」

 

 マーズは黙ってシロナの写真撮影の後をついていった。

 

 いくらか写真を撮影したシロナは写真を見比べながらある場所の前で立ち止まった。それから地面を調べてはまた移動を繰り返した。

 

「なんか遺跡発掘の映画のシーンみたいね。これまでになんか見つけたことあんの?」

「まあ、いくつかは」

 

 シロナは世界中の遺跡の調査権限を持っている。調査権限はお金で購入することもできるが、シロナは有名大学の考古学部を出ているので、おおむねの場所を調査することができる。

 ここシンジ湖近辺の調査権限も持っていた。

 

 歩き回ること一時間、シロナは目的の場所を突き止めた。

 

「シンジ湖中央を通る三角形の頂点……ここで間違いないですね」

「何があるの?」

「今からこの場所を掘ります」

「ここ? なんもない気がするけど」

 

 マーズはシロナが示した場所を足で蹴った。あたりさわりもない地面にしか見えなかった。

 

「どうやって掘るの?」

「発掘用のドリュウズを使います。あと自治体の許可を取りますのでちょっと待っていてください」

 

 シロナは電話一本で許可を取ると、立ち入り禁止のマーカーで目的地を囲った。それから、モンスターボールからドリュウズを繰り出した。

 遺跡考古学者はたいていドリュウズを使う。ポケモントレーナーと兼業している者はそれが理由でドリュウズの名手であることも多いが、シロナはドリュウズを公式対戦では一度も使ったことがなかった。

 ドリュウズは一気に地面を掘り起こし始めた。

 

「頑張りなさいよ」

 

 マーズのささやかな応援を受けて、ドリュウズは数分で5メートルもの穴を掘った。

 

「もう少し東側へ穴を拡大してください」

 

 ドリュウズは疲れ知らずに穴を掘り続けた。

 そして、やがて目当てのものを掘り当てることになる。

 

「変な石、拾って来たわよ」

 

 地面から出てきたドリュウズは人が両手で持つほどの大きな石を持って出てきた。

 

「慎重にくだいてください」

 

 ドリュウズはそのあたりの手加減もものにしており、少しずつ岩をくだいていった。

 

 岩の中から姿を現したのは、1個のぼんぐりだった。

 ぼんぐりはモンスターボールの材料になっている。モンスターボールが発明されたのは今から約70年前であり、それまではぼんぐりをゆりかごにしてポケモンはトレーナーと共に過ごしていた。

 ぼんぐりは岩の中で時が止まっていたかのようで、劣化もほとんど見られない。

 

「マーズ、中を確かめていただけますか?」

「なんか毒蛇とか出てくるんじゃないでしょうね」

「それなら、私が見ましょう」

「やっぱ私が見る」

 

 もし、中にエムリットが入っていれば、シロナに手柄を取られてしまうと思ったマーズはぼんぐりの綿を引っ張って中に手を入れた。

 

 中から現れたのはピクリとも動かない妖精のような生き物……それは紛れもなくエムリットだった。

 

「エムリット?」

「間違いないですね」

「わ、私が第一発見者よね?」

「……まあ、そうなりますね」

 

 やはりマーズに手柄を横取りされることになってしまった。

 予想できていたことだけにシロナは納得するようにため息をついた。

 

「もらっていいわよね?」

「なんと言っても持っていく気なのでしょう?」

「ありがとう、シロナ。この恩、一生忘れないわ」

 

 マーズは無邪気に笑い、初めてシロナに対して感謝の言葉をつづった。

 それが演技にせよ、こうして感謝されるのは悪くなかった。

 

「エムリット、聞こえる? 私、マーズよ。今日からあんたのお母さんよ」

 

 マーズの問いかけに応えるように、エムリットはゆっくりと目を開いた。

 エムリットはマーズを親として認識したようにまっすぐと見つめた。



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第9話 シロナ編

 シロナのおかげでマーズはエムリットを手に入れた。

 マーズにとっては大きな手柄であり、エムリットを手土産にすれば、必ずアカギは評価してくれる。

 

 マーズは飛ぶような思いでギンガ団のアジトへ戻った。

 アカギからエムリットとユクシーの捜索を依頼されて以来、数日ぶりのアジトだった。

 

 ギンガ団のアジトは宇宙開発会社ということでロケットの打ち上げ場がある。

 もう何年もロケットは飛んでいない。

 数年前までは毎年のようにロケットが飛び、多くのスポンサーがついていた。

 しかし、そのころのギンガ団の輝きはなく、いまや金融ファンドと部品を作る一次工場で何とかやりくりしているレベルの団体にとどまっている。

 思えば、アカギが大きく変わってしまったのも、ギンガ団の業績の低迷が大きかったのかもしれない。

 新世界を望むアカギの心は、うまくいかない現実から逃避するために生まれたものなのかもしれない。

 

 しかし、アカギの狙いを良く知らないマーズはただただアカギの期待に応えるためだけに動いていた。

 ギンガ団のアジトに戻ると、ちょうどマーズと同じ幹部に所属するジュピターが経理の仕事をしていた。

 

 ジュピターはギンガ団の初期のころから科学者として働いている。

 無口でほとんど表情も変えないあたり、どこかアカギに似ているところがある。

 マーズがギンガ団にやってきたときは、マーズに仕事を教えるためにあれこれ世話を焼いてくれていたが、不愛想なその態度がマーズにはあまり良い印象に映らなかった。

 

「リーダーは?」

 

 マーズは弾ける笑顔でジュピターに尋ねた。

 

「さあ」

 

 ジュピターはそっけなく答えた。

 

「はあ、せっかく素晴らしい報告ができるってのに」

「……何かあったの?」

 

 ジュピターはマーズがいつも以上にはつらつなことに気が付いた。

 

「まあちょっとね」

「そう」

「……」

 

 マーズはジュピターが苦手だったので、すぐに部屋を後にした。

 

 アカギがアジトに戻ってきたのは夜遅くになってからだった。

 疲れた足取りで元気なさそうに社長室に向かった。

 社長室の前にはマーズが待ち構えていた。

 夕ご飯も忘れてアカギが戻ってくるのを待っていた。

 

「リーダー、待っておりました」

「マーズか。どうした?」

「大変良い報告があります。こちらをどうぞ」

 

 マーズは最高のモンスターボールをアカギにプレゼントした。

 

「なんだこれは?」

「リーダーの目でお確かめください」

「……」

 

 アカギは元気なくモンスターボールの中身を取り出した。

 そこから現れたのはエムリット。

 それはアカギに希望をもたらすポケモンだった。

 

 アカギはエムリットを見て目を大きく開いた。

 

「エムリット……」

「ええ、そうです。シンジ湖を捜索の末、ようやく発見したのです」

 

 すべてシロナのおかげなのだが、マーズは文字通り手柄を横取りにした。

 

「そうか。お前が新世界に導く光か」

 

 アカギはエムリットに輝かしい目を向けた。

 

「マーズ、よくやってくれた。お前のおかげで、ギンガ団は新たな世界に進んだ」

「ギンガ団に貢献できて光栄です」

「マーズ、君はギンガ団の光だ」

 

 アカギは人が変わったようにマーズを天使のようにあがめた。

 マーズにとってもそれは快感で、マーズが生きる意味はこの瞬間だけに依存していた。

 

「あとはユクシー。ユクシーが見つかれば、新世界の扉が開かれる」

「お任せください。必ずや、ユクシーも私が見つけ出してみせます」

「頼む、マーズ。おれを新世界に連れて行ってくれ。この世界はもう腐敗してしまった。おれたちの希望は新世界しかない」

「必ず、リーダーを新世界にお連れください。すべてこのマーズにお任せください」

 

 マーズはアカギの手前、力強くそう宣言した。

 しかし、いまのマーズにはあてがある。シロナという最強の武器がある。

 マーズはユクシー発見についても、シロナの力を借りるつもりだった。

 

 アカギの寵愛を受けたマーズはルンルン気分で自分の部屋に戻った。

 

「ふふふ、今日は最高の夜ね」

 

 マーズの気分は最高潮だったが、マーズの部屋の前に待ち構える存在があった。

 マーズの部屋の扉をとおせんぼうするように立っていたのはジュピターだった。

 

「なに?」

「何事かと思っていたらそういうことだったのね」

「だからなに?」

 

 マーズは迷惑だと言いたげに険しい顔をした。

 

「あなたにエムリットを見つけ出せるはずがない。誰の力を借りているの?」

「はあ?」

 

 ジュピターの話から察するに、どうやら、ジュピターはアカギとのやり取りを聞いていたようだった。

 さらに、ジュピターはマーズの能力を完璧に見極めていて、シロナの存在を疑っていた。

 

「なに言ってるかわかんないんだけど。どいてくれる?」

「嫌」

「だからなんで?」

「協力者を教えなさい」

「まったく何なのよ、あんたは。不愛想かと思ったらしつこく付きまとってきたり」

「警告する。ユクシーを見つけてはダメ」

「なんでよ?」

「いいから。もうそんなことはやめて真面目に働きなさい」

 

 ジュピターはアカギが計画している新世界への扉を開くプロジェクトに反対の立場を取っているようだった。

 

「なに言ってるの? リーダーが直々に私に仕事を命じてるのよ」

「だったら否定して。私の言葉はリーダーには届かないから、あなたが否定して」

「はあ、狙いがさっぱりわからないわ。はっきり言いなさいよ。私、馬鹿だからさっぱりわかんないんだけど」

「……」

 

 ジュピターはしばらく黙り込んだ後言った。

 

「来て。あなたに見せたいものがある」

「はあ……」

 

 マーズは仕方なくジュピターについていくことにした。



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第10話 シロナ編

 ジュピターはマーズを自分の部屋に連れてきた。

 ジュピターの部屋に入るのはこれが初めてだったが、本人の性質をそのまま反映するように殺風景だった。

 

「お茶いる?」

「いらない」

 

 マーズは早く自分の部屋に戻りたかった。

 

「あなたに最初に言いたいこと、アカギリーダーを放っておくとこの世界が消えてなくなってしまうということ」

「……」

 

 マーズはおかしなものを見るような目をした。

 

「アカギリーダーを止めなければならない」

「隕石でも落ちてくるって言いたいの?」

「それに近いこと」

「はー、そんなことあるわけないでしょ。あんたがそんなおかしなものを信じるやつとは思わなかったわ」

「これは真面目な話」

「じゃあ止めりゃいいじゃないの。私に言わなくったってリーダーに直接言えばいいでしょ。隕石が落ちてくるって」

「私の言葉は届かないから」

「なんでよ、あんた、第一幹部じゃないの」

 

 ジュピターはしばらく間を置いてから言った。

 

「私がアカギリーダーの心を壊してしまったから、私の声は届かない」

「は?」

 

 マーズには言っていることの意味がわからなかった。

 

「あなたがまだここに来る前の話を少しだけ聞いてほしい」

 

 □□□

 

 マーズがギンガ団にやってきたのは最近のことであり、ギンガ団はそれなりに長い歴史を持っている。

 ギンガ団設立の経緯には一波乱あった。

 

 アカギはもともとシルフカンパニーで働くエリートだった。

 アカギは宇宙開発を任されており、世界で初めて宇宙に飛び立ったコロンビア号の開発にも携わっていた。

 ところが、ロケット団が暗躍する中で、シルフカンパニーの中で内部分裂が起こるようになっていった。

 研究者の中からロケット団側に背信する者が数多く出た。

 

 アカギは正義心が強かったので、ロケット団には媚びなかった。

 当時ロケット団のボスであったサカキはアカギの才能を見抜いていて、アカギに悪魔の話を持ち掛けた。

 

「なあ、うちに来ないか? 宇宙利権を勝ち取るためには君の力がどうしても必要なんだ」

 

 サカキは殊勝な顔をしてアカギに話を持ち掛けた。当時のアカギはまだ29歳と若かった。

 

「やり方が気に入らないな。薄給研究者らに金を掴ませて買収するって手口には反吐が出る」

「若いな。我々がやっていることは正当な経済行為だ。薄給で苦しむ研究者に救いの手を差し伸べたんだ」

「ふん、その軍資金はポケモンの密売で手に入れたもんだろうが」

 

 アカギは徹底的にロケット団と対立した。

 

「聞け、うちの部下には指一本触れさせねえ」

「くくく、それはそれは。部下思いで素晴らしいですな。しかし、あんたの部下はあんたのことをどう思っているかな?」

「どういうことだ?」

「人の心なんてお金で買える。まあ、君もその現実を目の当たりにすることになるよ。そのときにまた会おう」

 

 サカキはそう言うと、会議室を後にした。

 

 このころのアカギは部下思いのまっすぐな上司だった。

 自分の部下のことを信頼しており、決して自分のことを裏切るはずがないと考えていた。

 

 その当時、新人としてシルフカンパニーにやってきたのがジュピターだった。

 ジュピターは名門大学を出たエリートで、そのままキャリアを活かして、アカギのもとで働くようになった。

 

「ジュピター、お前はなかなか優秀と聞いているぞ」

「まだ右も左もわからないふつつか者ですが、色々と勉強させてください」

 

 ジュピターはそう言ってにこりと微笑んだ。いまはもう失ってしまった笑顔をこのころのジュピターはまだ持っていた。

 

 ジュピターは優秀であり、当時研究していた新型観測機の開発において、重要なアイデアを次々ともたらした。

 新人にして、ビッグプロジェクトになくてはならない存在となった。

 

「このプロジェクトがうまくいけば、月の様子を鮮明に捉えることができるかもしれない」

 

 アカギはこのプロジェクトに誰よりも強い野心を抱いていた。

 

「おれは月の石がなぜピッピやニドランの力を増幅させるのかずっと疑問に持っていてな。月を観測することができればわかるかもしれない。おれの予想では月にピッピやニドランが住んでいる」

「月にですか?」

 

 ジュピターもまたアカギの野望を聞くのが好きだった。

 

「間違いない。それを確かめるのはおれの夢なんだ。ジュピター、お前のおかげでうまくいくかもしれん。もうひと頑張りだ。おれについてきてくれるか?」

「もちろん。私も見てみたい、月を飛び回るピッピの姿」

 

 だが、この野望は打ち砕かれる。

 アカギのチームが開発途中だった観測機が完成するか否かというとき、ロケット弾がクーデターを起こした。

 シルフカンパニーはロケット団に占拠され、アカギが管理していた工場もロケット団の配下に置かれることになった。

 

「アカギ、あんたのことはボスから聞いてるぜ。優秀な研究者なんだってな。ひっひっひ」

 

 アカギのチームを拉致したのは、ロケット団幹部のラムダ率いるチームだった。

 

「頼む、やめてくれ。このプロジェクトはおれの悲願なんだ」

「まあ聞け、おれは別に工場をぶっ壊すように命令されてるわけじゃねえ」

「何が狙いだ?」

「おれはな、金にしか興味ねえんだよ。わかるだろ。あんたは金になる。だからロケット団に来い」

 

 ロケット団の狙いはアカギの才能であった。

 しかし、正義心の強いアカギはそれに反抗した。

 

「馬鹿な。お前たちのような犯罪者に従うわけがないだろう」

「なんて純情なやつだ。それでもこれから30歳になろうって大人か?」

 

 ラムダはにやにやと笑った。

 

「素直になれよ。おれの部下になればいくらでも金はくれてやるぜ」

「断る。おれは貴様らのような犯罪者には屈しない」

「はー、こいつは重病な熱血野郎だな。まあいい、おい」

 

 ラムダは振り返って自分の部下に何かを示唆した。

 

「この熱血野郎に現実ってやつを教えてやれ」

「ははっ」

 

 部下は指示を受けて、ある人物を4人連れてきた。

 その4人とは、アカギと共にやってきた優秀な研究者たちだった。

 アカギが信頼する部下であり、当然このプロジェクトに欠かすことのできない人員である。

 

「お前ら……」

「悪いな、アカギ。ロケット団が3倍の金を出してくれるってよ。だから、ロケット団につくことにした。だからさ、アカギもロケット団に来い」

「お前ら……何を考えている。こいつらはマフィアだぞ」

「でもな、アカギ。シルフカンパニーからするとおれたちは不採算グループ。このままじゃジリ貧だ。だから、アカギ。おれたちでシルフカンパニーを裏切ろうぜ」

 

 部下はすでに正義の心を失っており、ロケット団の色に染まっていた。白衣を身にまとっていてもその色は黒く汚れているように見えた。

 

「アカギ、どうする? お前の部下はおれたちにつくってよ」

「お前ら……」

「結局、世の中金だ。てめえら薄給の研究者はみな5万ドルでビンタするだけですぐに願える。ひっひっひ」

「貴様!」

 

 アカギは大きな怒りを覚えた。アカギは手首を縛られているが、その縄がはちきれそうなほどに大きな力が加わった。

 

「無駄よ。あんたの立派な部下はプロジェクトの機密情報はすべて吐いてくれた。この工場もロケット団の名義になる。おれに従わないってんならあんたはクビだ。ひっひっひ」

 

 アカギは怒りに身を任せようとしたが身動きを取ることはできなかった。ラムダを殴り飛ばしたいが、いまは手も足も出なかった。

 

 しかし、そこへ状況を一変させる介入者が現れた。

 

「うわっ!」

 

 ラムダの部下が突然、ブニャットに襲われた。

 

「何事だ?」

 

 狼狽するラムダの前に現れたのはスリーパーだった。

 スリーパーはさいみんじゅつによってラムダを眠りに落とした。

 

「アカギリーダー!」

 

 工場にやってきたのはジュピターだった。

 ジュピターはこの日、タマムシシティに出かけており、ロケット団の襲撃から身を逃れていた。

 ロケット団のクーデターを聞きつけて駆けつけてくれたようだった。

 

「くっ……」

 

 先ほどまでアカギの部下であった研究者たちはそそくさと工場を後にした。

 

「アカギリーダー、大丈夫ですか? すぐに逃げましょう」

「……お前はおれを助けるのか?」

「え?」

「いや……」

 

 アカギは部下に猜疑心を覚えずにはいられなくなっていた。しかし、ジュピターは心からアカギを信頼していた。



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第11話 シロナ編

 ロケット団事件のあと、アカギはジュピターと共にシルフカンパニーを出た。

 それでも、アカギらの才能を評価するスポンサーがいくつかあって、資金援助を受けることができ、シルフカンパニーからシンオウ地方にある宇宙科学事業を買収することができた。

 アカギはギンガ団として再起することにした。

 古巣の優秀な研究者はいなくなってしまったが、ジュピターだけはついてきてくれた。

 

「いいのか、ジュピター。こんなベンチャー企業についてきて」

「ええ、私はアカギリーダーと共に夢を叶えたいのです」

「悪いな、またお前の力を借りることになる」

 

 多くのものが失われてしまったが、まだ夢は途絶えていなかった。

 アカギはジュピターと共にギンガ団で背一杯の努力をした。

 

 しかしなかなかうまくいかなかった。2度の打ち上げ失敗。打ち上げ失敗のたびに、アカギは大きなため息をついた。

 

「やはりダメか」

「顔を上げてください、アカギリーダー。まだチャンスはあります。少しずつですが成功に近づいています」

 

 ジュピターは優秀な科学者であると同時に、アカギの心の支えでもあった。

 アカギが顔を上げることができたのもジュピターのおかげだった。

 

 ジュピターの支えもあり、ギンガ団は有力な技術を数多く世に送り出した。

 ロケットの打ち上げは失敗しても、技術が評価されて、会社のほうは黒字が続き、経営状況も安定した。

 仲間も増え、スポンサーからの資金援助も十分。ロケット打ち上げ成功に向けて機運が高まっていた。

 

 しかしこの輝かしいギンガ団の背景には、ジュピターとアカギの強いきずながあった。

 そのきずなが二人を特別な関係にしていた。

 

 アカギにとって、ジュピターは優秀な部下としてでなく、心の大黒柱として欠かすことができなくなっていた。

 ある日、ジュピターはアカギに呼び出された。

 深夜を回っていたので、緊急事かと思い、ジュピターはアカギのもとに急いだ。

 

「アカギリーダー、こんな時間にどうかしたのですか?」

「すまない、ジュピター。恐ろしい夢を見たんだ」

「夢ですか?」

「まるでダークライの悪夢のようだ。あまりに恐ろしくて体が震えてしかたなかったんだ。しかし、君が来てくれると震えが治まったようだ」

「それは良かったです。大丈夫です、アカギリーダー、次の打ち上げはきっとうまくいきます」

「いや、うまくいかないかもしれない」

「どうしてですか?」

「夢に出て来たんだ。君が私を裏切る瞬間を。かつての仲間のように私から遠ざかっていくところを」

「……私がリーダーを裏切るなんてそんなことあるはずがないですよ」

「しかし、あの夢はリアルだった。ダメだ、私はどうしても明日を迎える勇気がない。私は孤独になってしまうんだ」

 

 アカギはかつて仲間に裏切られたことがトラウマになっていて、定期的に神経障害をこじらせた。医者にかかっていたこともあったが、精神安定剤では抑えられないほどに症状がひどくなることもあった。

 そんなとき、ジュピターが特効薬になった。

 ジュピターはアカギを優しく抱きしめた。

 

「わかりました。では、リーダーのもとにずっといます。あなたのそばにずっと」

「ジュピター……」

 

 二人は一夜を共にした。

 

 数日後、ジュピターの支えもあり、アカギは落ち着いた状態でロケットの打ち上げ日を迎えることができた。

 その日、多くのマスコミが打ち上げ場に集まっていた。

 今回、ギンガ団が打ち上げるロケットは世界的に注目されている。

 これまでにない構造で造られたものであり、世界中のメディアが報道した。

 

 メディアの取材に応えるため、ジュピ、ターはテレビカメラの前に立った。

 こんなに注目された経験はなかったが、ジュピターは懸命に質問に応えていった。

 

 マスコミのカメラが注目する中、打ち上げの時を迎えた。

 ギンガ団にとっては社運をかける打ち上げである。今回の新構造ロケットの打ち上げが成功すれば、ロケットの革命が起きる。

 ギンガ団はその先駆者として莫大な利益をあげることができる。

 

 カウントダウンと同時にロケットは打ち上げられた。

 

 結果は成功。

 

 ロケットが華々しく飛び立っていく姿はマスメディアを通じて世界中に届けられた。

 アカギの長年の夢もついに叶うことになった。

 打ち上げ成功の瞬間、アカギもガッツポーズをして喜んだ。ジュピターも涙を目に溜めて喜んだ。

 

「やりましたね、リーダー」

「ああ、すべては君がこれまで私を支えてくれたからだ。本当にありがとう」

 

 ギンガ団はこうして1つのハッピーエンドを迎えた。

 しかし、ここから二人のきずなに亀裂が走る事件が発生し、ギンガ団は転落に向かうことになる。

 

 ロケット打ち上げ成功後、ギンガ団には電話が殺到した。

 一緒に仕事がしたいという会社が世界中からギンガ団に集まり、嬉しい悲鳴状態が続く。

 そのことは良かったのだが、この知名度が、ジュピターに不穏な影を落とすことになる。

 

 ジュピターは忙しい仕事からようやく解放されると、夜遅くに借りているマンションに戻ってきた。

 

「疲れた……でも、ギンガ団にとってはいいことね」

 

 ジュピターは忙しい中でもそつなく仕事をこなし、ずっと夜遅くまで働き続けていた。

 今日、ジュピターの部屋の前に一人の男が立っていた。

 

「やっと帰ってきたか。久しぶりだな」

 

 雑にハンサムな男はにやにやと笑いながらジュピターに近づいた。

 

「あなたは……」

「覚えてくれていたか。そうだ、おれだ」

「……」

 

 ジュピターの表情が険しくなった。

 この男は、ジュピターの学生時代の元交際相手だった。

 1年以上交際していたが、男が浮気をしたことで仲がこじれ、それからジュピターは二度とこの男と関わらないようにと誓った。

 

「そんな顔するなよ、裸を知る仲だろ」

「すぐに帰ってください」

「なんて冷たいことを言うんだ。しばらく泊めてくれねえか、仕事がクビになって金がねえんだ」

「馬鹿じゃないの。早く帰って、警察呼ぶわよ」

「だから、わかってくれ。あれは誤解なんだ。おれは今までもずっとお前のことを愛している。な、よりを戻そうぜ」

 

 この男はジュピターがメディアに取り上げられたことで、ジュピターのひもになろうとやってきた。

 ジュピターにそんな気はない。だから、ジュピターはためらいなく警察に電話をしようとした。

 

「お前!」

 

 男は狼狽して、ジュピターにつっかかった。

 

「何するの、触らないで!」

「だからおれの話を聞けって」

「触らないで!」

 

 ジュピターは必死に抵抗したが、男の力は強く、やがて男はジュピターを押し倒して抑えつける形になった。

 その現場を見られてはいけない人物に見られることになる。

 

 アカギはジュピターに会うためにマンションを訪れていた。

 そのアカギはジュピターが男といるシーンを目の当たりにすることとなる。

 それは、かつてアカギが見た悪夢のそれと同じ光景だった。

 

 誤解である。

 しかし、大きなトラウマを抱えているアカギにはその光景は心を壊すに十分な衝撃となった。



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12話 シロナ編

 ジュピターが男に襲われているシーンを目撃したアカギはジュピターが自分のことを裏切ったのだと強く思い込むようになった。

 もちろん、ジュピターは何度も弁明した。

 

「リーダー、あれは誤解です。私が愛しているのはあなただけ。本当にあなただけを愛しているの」

 

 ジュピターは涙声でアカギの背中に訴えた。本心だった。ジュピターは真心をアカギに伝えた。

 しかし、その声はもうアカギには届かなかった。

 アカギはこうつぶやくように言った。

 

「すまない、ジュピター。私は君の心を独占しようとしてしまった。反省している。多くは望まない。ほんの少しでいい。力になってくれ」

「……」

「ありがとう、ジュピター。君は私にとっての天使だ」

 

 アカギはジュピターに一度も顔を合わせることがなくなった。それでも、まやかしの中にいるジュピターに語り掛け続けていた、

 

「君のおかげで私は生きていられる。ありがとう」

「アカギリーダー……お願い、戻ってきて。お願いだから……」

 

 しかし、アカギが闇の世界から戻ってくることはなかった。

 

 アカギが壊れると、ジュピターも壊れた。

 ジュピターの前に再度現れた例の男は執拗にジュピターに迫った。

 

「なあ、いい加減よりを戻そうぜ。本当はお前もおれを愛しているんだろ」

「……」

 

 ジュピターの目は悪魔にとりつかれていた。

 

「あなたさえいなければ……」

「あ?」

「死ね、死んでしまえ!」

「お、おい!」

 

 ジュピターが振るったものは刃物。繰り出したポケモンはブラッキー。いずれも殺意に満ちていた。

 

「や、やめろ! おれが悪かった」

 

 しかし、ジュピターの心はすでに壊れており、自制することはできなかった。

 ジュピターは殺人未遂で実刑1年。

 

 ギンガ団の要だったアカギとジュピターがいなくなると、ギンガ団は荒廃。

 シルフカンパニーがアローラ国際宇宙研究所とタッグを組んだ新しいロケットが打ちあがると、ギンガ団の技術は見捨てられ、スポンサーも離れていった。

 

 □□□

 

 翌日、マーズはシロナが利用しているポケモン練習場を訪れた。

 ジュピターは釘を刺されていたが、マーズは無視した。

 

 アカギに認められて上機嫌のマーズはにこにこ顔でシロナの前にやってきた。

 

「ありがと。おかげで人生が楽しくなったわ」

「それは何よりです」

「ちゃんと恩返しするわ。とりあえず、奴隷期間1週間延長してあげる」

 

 それはつまりさらに手柄を横取りするということなのだろう。

 しかし、マーズの笑顔に釘をさすのは気が引けたので、シロナは受け入れることにした。

 

「私、決めた。トレーナーになるわ」

 

 勢いづいたマーズはそう宣言すると、シロナの練習場で練習するようになった。

 もともと、シロナが良い練習環境を用意するために作ったのだが、あらゆるシロナの産物はマーズに浸食されていった。

 同時に、新世界の扉を開くために必要な最後のポケモン「ユクシー」を見つける解読についても、マーズはいいところを取ろうと虎視眈々と目を光らせた。

 

 シロナが解読にいそしむ中、マーズは漫画を読んでいるだけだった。

 さすがに、シロナはマーズに釘を刺すことにした。

 

「あなた、それで給料をもらっているんですか?」

「そうよ、結果出してるからね」

「……」

 

 マーズに悪びれるそぶりはなかった。

 

「安心しなさいよ。ちゃんと感謝はしてるから」

 

 感謝の気持ちですべてがまかり通るあたりまだまだ子供だと思った。

 

「で、なんかわかった? ユクシーの居場所」

「エイチ湖にいると思います」

「それは私もわかるわよ」

「エイチ湖の記録はほとんどありませんから現場に行って確かめるしかないでしょう」

「じゃあ、さっそく行くわよ」

 

 なぜか、マーズが仕切った。

 

 エイチ湖は寒冷地にあり、夏場を除いては雪が積もっていることが多い。

 夏場でも気温は上がりづらく、半そでだと肌寒さを覚えることがあった。年中冷たい風が吹き抜けてくる。

 観光地としての知名度は十分だが、考古学者にとってはエイチ湖にまつわる古文書がないこともあり、あまり知られていない。

 ユクシーが封印されたと言われているが、手掛かりはほとんどなかった。

 

 手掛かりがないときはほとんど手当たり次第に歩き回るしかない。

 しかし、何も見つかることもなく1時間が経過した。

 マーズも退屈し始めた。

 

「お弁当買ってくるわ。あんたの分も買ってきてあげるわ」

「お願いします」

 

 マーズはとぼとぼとエイチ湖のほとりにある弁当屋まで歩いて行った。

 マーズと交代するようにして現れる人物があった。

 タイミングとしては、マーズがシロナのもとから離れるのを見計らっていたとしか思えなかった。

 

 ジュピターはシロナの目の前にやってくると小さく会釈した。

 

「うちのマーズが世話になっているようですね」

「あなたは?」

 

 マーズのことを知っているということは、ギンガ団の者と見て間違いなさそうだが、シロナは警戒した。

 

「アカギリーダーの妻のジュピターです」

「……!」

 

 驚かずにはいられなかった。

 アカギのことを詳しく知っているわけではなかったが、配偶者がいるというのは想像もしていなかった。

 ジュピターとアカギは結婚しているわけではないが、ジュピターは嘘を匂わせないほど感情を表に出さなかった。

 

「あなたが何をしようとしているかはわかっています。アカギリーダーに近づくのはやめていただけますか? それとマーズとも縁を切ってください」

 

 ジュピターは淡々と言いたいことを言った。

 本来なら、「わかりました」と言って引き下がらなければならないが、素直に引き下がれなかった。

 

「お願いしますよ」

 

 ジュピターは多くはしゃべらず、それだけ言うとそのままそそくさと立ち去って行った。

 入れ替わるようにマーズが戻ってきた。

 

「なにぼーっとしてんの?」

「……」

「なによ、気が抜けたみたいに」

 

 シロナはしばらくエイチ湖の水面を見つめていた。



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第13話 シロナ編

 ジュピターから釘を刺されたシロナだったが、この道を引き返すことはすでにできなかった。

 たとえ、アカギに配偶者がいたとしても、それを理由に身を引くことは考えられなかった。

 

 シロナは禁断の道に足を踏み入れた。

 アカギのために、ユクシーを見つける。それ以外に考えられなかった。

 

 とはいえ、ユクシーの情報はほとんどなく、このままではエイチ湖をくまなく探すぐらいしか方法がない。

 

「わかったわ。じゃあ、私がくまなく探してあげるわ。こうなったら総力戦ね」

 

 策のないマーズはそう意気込んでエイチ湖を探し始めたようである。

 

 そんな矢先、シロナの練習場にゴヨウがやってきた。

 ゴヨウはシロナのライバルの一人でもあり、普段はあまり交流がないが、リーグ戦が近づいてくると出稽古にやってくることがあった。

 ゴヨウはエスパー専門家の中でもトップクラスの実力があり、シロナとは公式戦で38回の対戦があり、シロナの22勝16敗と拮抗している。

 

 ゴヨウはシロナと9戦、ナタネと9戦、マーズとも5戦を交えた。

 

「つよっ、全然歯が立たないわ」

 

 マーズは5戦とも完敗。シロナに6勝、ナタネに7勝とゴヨウはイッシュリーグ戦に向けて好調に仕上がっていた。

 シロナはこの時期になってもいまいち調子が上がってこなかった。

 対ゴヨウでも3勝しかできず、対ナタネでも五分五分の成績だった。

 

 対戦後、ゴヨウはシロナに1冊の本を紹介した。

 

「実はシロナさんに解読をお願いしたい本があるのです」

 

 ゴヨウは丁寧にそう言うと、1冊の古びた本を取り出した。

 

「汚い本で申し訳ないのですが」

「いえ」

「叔父から授かったものですが、古代文字が使用されていてまったく読むことができません。シロナさんならば読めるかもしれないと思いお持ちしたのです」

「この文字は……」

 

 シロナはその本を読むことができた。シロナが解読した古代文字の1つと同じものだった。

 

「しばらくお借りしてもよろしいですか?」

「お願いします」

 

 ゴヨウはシロナに古文書を預けた。

 

 ゴヨウから借りた古文書はシロナにとって目からウロコの内容が刻まれていた。

 それはほとんど記録に残っていなかったユクシーに対する内容が描かれていた。

 シロナは徹夜で古文書を解読し、ユクシーの居場所の目星をつけた。

 

 翌日、シロナはさっそくユクシーを求めてエイチ湖にやってきた。

 当然のごとく、助手がついてくる。

 マーズはユクシーの手柄を獲得するべくシロナについてきた。

 

「なんかわかったの?」

「それを確かめに行くのです」

 

 シロナはエイチ湖にやってくると、ジッと太陽を見つめた。

 

「なにやってんの?」

「太陽を見ています」

「いやだから、なんでそんなまぶしい思いをしてるのよ」

「目の保養です」

「はあ?」

 

 シロナは歩いては太陽を見上げを繰り返しながら、エイチ湖を一周した。

 マーズもそのたびに太陽を見上げたので、目がチカチカするようになった。

 やがて、シロナはある場所で足を止めた。

 

「14時29分……」

 

 時計を確認する。

 

「3時のおやつが近いわね」

「14時29分の位置がここ……」

 

 シロナはエイチ湖を見渡しながら、頭の中でいくつかの計算をした。

 

「16n+12……」

「はあ?」

「あそこですね」

 

 シロナはエイチ湖のある点を見つめた。

 

「さっぱりわからないけどあそこになにかあんの?」

「少し確かめてみましょう。潜る必要もあるかもしれません」

「どうすんのよ?」

 

 シロナはモンスターボールからラプラスを繰り出した。

 水辺を渡るうえで最も利便性が高いのがラプラスということで、シロナは水道移動に特化したラプラスを育てていた。

 シロナとマーズを乗せたラプラスはゆっくりとエイチ湖を進んだ。

 

「いいわね、私もラプラスがほしいわ」

「買えばいいでしょう。いまは安価で出回っていますよ」

「200万以上もするじゃないの。管理も大変だと聞くし」

「それをするのがポケモントレーナーの仕事です」

「はいはい、どーせ私は未熟なトレーナーよ」

 

 ラプラスは目的の場所に到達した。

 ここからは水底を調べる必要がある。

 シロナは水底を調べるためのポケモンもしっかり取り揃えていた。

 シロナはサクラビスを繰り出すと水底に潜らせた。小さな穴の中にも入って行ってくれる便利屋でもある。

 

「このあたりは昔青魚がよく獲れたそうです」

「へー」

「昔の漁師はポケモンと一緒にこのあたりに潜っていたようです」

「へー」

 

 マーズは退屈そうに待っていた。

 1時間ほどすると、海底に潜っていたサクラビスが浮上してきた。

 サクラビスは水生ぼんぐりを1つくわえて現れた。

 

「なんか持って来たわよ」

「水生ぼんぐりですね」

 

 水の中で繁殖する水生ぼんぐりは水生ポケモンがねぐらとして利用するが、陸上ポケモンを水生ぼんぐりに入れて水中に隠すために利用されることもある。

 かつて、このあたりで暗躍していた忍者は水生ぼんぐりに封印したリザードンを川に流して、ポケモンを敵地に送り込んでいたと言われている。

 

「まさかユクシーが?」

「確かめてみましょう」

「私が確かめる。私が。こういうのは奴隷の仕事でしょ」

 

 マーズは例によって手柄を横取りしようとした。

 

「どうぞ」

「オッケー。開けるわ」

 

 マーズは興味津々にぼんぐりを破って中身を取り出した。

 

 中から出てきたのは眠りについた一体の妖精。

 それはユクシーと見て間違いなかった。

 

「これ、ユクシーよね? ね?」

「そのはずですね」

「じゃあ、全部そろったわ。ねえ、これもらっていいわよね? ね?」

「どうぞ」

 

 取られることはわかっていたので、シロナは即答した。

 

「これで全部そろった。リーダーの夢が叶ったわ。やったやった」

 

 マーズはこれ以上ないほど喜んだ。

 

 伝説が正しければ、槍の柱にて新世界の扉が開くことになる。

 アカギと出会ってから盲目的に新世界を目指してきたが、この時、シロナは畏怖の念を抱いた。

 自分がやってきたことが間違っていたのではないか。その気持ちを拭い去ることができなくなった。



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第14話 シロナ編

 マーズは前回と同様アジトに戻ってくると、さっそくアカギに吉報を届けに行った。

 できるだけ早く報告したかったが、その前に壁が1つ立ちはだかった。

 

「待ちなさい」

「急ぎなんで」

 

 現れたのはジュピター。

 マーズは無視して横を通り抜けようとしたが、思いがけず強い力で手を引っ張られた。

 

「何すんの、離して」

「結局引き返さなかったんだ、あのチャンピオン。真性の泥棒猫ね」

「さっさと離してくんないかしら」

 

 ジュピターはひとまず手を離した。

 

「これが運命なら仕方がないのかもしれないわ。いいわ、行きなさい」

「ったく変なやつ」

 

 マーズはしばらくジュピターの背中を見送ってから、アカギのもとに向かった。

 

 マーズはアカギと面会するなり、さっそくユクシーを差し出した。

 

「アカギ様、最後の一体、ユクシーを見つけてまいりました」

 

 アカギは赤子を抱きしめるようにユクシーを抱きしめしばらく放心した。

 

「そうか……ついにそろったのか」

 

 アカギは喜びをああわにするのではなく、大きく息を吐くと天を仰いだ。

 

「ずっとこの時を待ち望んでいた。そうか。ようやくたどり着いたのか」

「おめでとうございます。お力になれてうれしく思います」

 

 マーズは喜んだが、アカギはマーズに感謝の気持ちを示すことなく憑りつかれたように、アグノム、エムリット、ユクシーを解放した。

 

「ようやく新世界に旅立つ日がやってきた。どれだけの時間、おれは悪夢を見ていたのだろうか。見えるもの、聞こえるものすべてが悪夢だった」

 

 アカギは宙を舞う妖精たちを見ながら回想した。

 

「そう、悪夢だ。しかしその悪夢も終わりを迎える。おれはようやく目覚めることができるんだ」

「リーダー、私を新世界にお連れしてくださるのですよね?」

 

 マーズは期待に目を輝かせた。

 しかしアカギはマーズに目もくれなかった。

 

「御苦労、もう寝ろ」

「……」

 

 アカギは一言そう言うと、アグノム、エムリット、ユクシーを連れて部屋を出ていった。

 3体を手に入れたアカギにはもうこの世界は見えていなかった。

 

 部屋に戻ったマーズはベッドに転がって憂鬱な表情を浮かべていた。

 

「これが私の追いかけていたものだったのかしら……」

 

 マーズは何度もため息をついた。

 アカギのために頑張ってきた。アカギに認められるのが一番の幸せだった。

 そのために日々を生きてきた。

 しかし、すべてが終わったとき、マーズは孤独だった。

 

「なに暗くなってんだか。行くわよ」

 

 マーズは自分にそう言い聞かせるとアカギを追いかけることを決めた。

 

 部下の話によると、アカギは一人で出かけて行ったそうである。

 向かった場所はおそらく槍の柱だろう。

 3体の妖精が槍の柱に集まると、新世界の扉が開くということはマーズも知っていた。

 マーズは槍の柱に向かうためアジトを出た。

 

「どこに行くの?」

 

 背後から声をかけたのはジュピター。

 ジュピターはゆっくりとマーズに歩み寄った。

 

「新しい世界に行くのよ」

「そう、どうしても行くのね」

「そうよ。私が生きる世界はそこにあるんだから」

「……」

 

 ジュピターは止めなかった。

 

 そのころ、シロナもアカギの動向が気になって槍の柱に向かっていた。

 時間的には、マーズがアカギにユクシーを送り届けた時分だ。

 いつもなら、嬉しそうな声で感謝の電話をくれるのだが一向に電話がない。シロナのほうからもマーズに電話を入れてみたが応答はなかった。

 

 もしかしたら、アカギはもう槍の柱に向かったのかもしれない。

 それはシロナにとってはつらい現実だった。

 

「私はもう用無しということですか……」

 

 シロナはそのようにつぶやいた。

 しかし、それでも……アカギを追いかけるしかなかなかった。

 

 □□□

 

 日が落ち、空には星が見えるようになった。

 その星空をアカギはテンガン山の頂「槍の柱」から見ていた。

 アカギの周囲にはアグノムとエムリットとユクシーが漂っていた。

 

「偽りだ」

 

 アカギは星空に向けてそう言った。

 

「これはすべて夢なのだ。新世界の扉が開かれれば、おれは目覚めることができる」

 

 アカギはそう言うと、にやりと笑った。

 

「ここは醜い世界だ。風は冷たく、闇は心を堕落させる。神はこのような世界をなぜ創ったのか、解せぬ」

 

 アカギはすっと前に手を伸ばした。アカギの掌にゆっくりとエムリットは着地した。

 

「おれが新世界の神になる」

 

 アカギがそう宣言すると、夜空に一筋の流れ星が流れた。

 

「さあ始めよう。お前たち、おれを目覚めさせてくれ。おれを新世界に連れて行ってくれ」

 

 アカギがそう言うと、アグノム、エムリット、ユクシーは呼応した。

 3体は何かに導かれるように、周囲を覆う柱に吸い寄せられた。

 

 アグノムは柱の上にたどり着くと赤い光を放った。

 エムリットは柱の上にたどり着くと、青い色の光を放った。

 ユクシーは柱の上にたどり着くと白い光を放った。

 

 光が槍の柱を覆いつくすと、あたりの空間がゆがみ始めた。どこか危険なオーラが漂い始めたが、アカギはすべてを歓迎した。

 

「そうだ。その調子だ」

 

 アカギはゆがんで消えていく空間に快感を覚えた。

 空間は光に満たされ、やがてアカギもろとも含め、消し去ろうとした。

 

「リーダー!」

 

 そのとき、マーズの声が轟いた。

 その声が儀式を一時期中断させた。

 マーズの声に反応した妖精たちが目を開けた。

 目を開けると、夢から覚めたようにねじ曲がった空間がもとの世界へと戻っていった。

 

「リーダー、私も連れて行ってください」

 

 マーズはそう言いながらアカギの近くにやってきた。息が上がっていた。どうやらここまで走ってやってきたらしい。

 

 アカギは邪魔者を見るような目でマーズを見下ろした。

 

「何をしている。さっさと寝ろと命じたはずだぞ」

「どうしても私もお供したかったのです」

「おれは新世界の神だ。新世界に不純物など不要だ。去れ」

「不純物?」

「新世界には何人も生きることは許されん。不完全な人間が足を踏み入れていい場所ではないのだ」

 

 アカギはすでに神の座についているような物言いだった。

 

「私は不純物ではありません。アカギリーダーを誰よりも愛しているのですから」

「愛だと?」

 

 アカギはそう言うと、表情にいら立ちを見せた。

 

「新世界にそんなものは必要ない。人間の生み出した愚かな思想などすべてが不純物」

「……」

 

 マーズはもどかしそうな表情を作った。

 

「邪魔をするというなら排除するしかあるまい」

 

 そう言ったアカギは懐からモンスターボールを取り出した。

 

 モンスターボールからはマニューラが繰り出された。

 マニューラはアカギの思いを引き継いでいるかのように、マーズに鋭い視線を向けた。

 

「リーダーは私を殺すのですか?」

「邪魔をする者はすべて消す」

 

 アカギの言葉にためらいはなかった。

 ずっとアカギに尽くしてきたマーズには、アカギのその態度はとても残酷なものだった。

 少しでもためらいの気持ちを知りたかったマーズはすべてを裏切られた。

 

 マーズの目に浮かんだものは涙。

 それは怒りの涙でもなく、悲しみの涙でもなく、喜びの涙でもなかった。

 マーズが初めて味わう失恋の涙だった。

 

 その涙がマーズに大人の決断を与えた。

 

「わかりました。リーダーがそう言うのなら、受け入れます」

 

 マーズはまっすぐアカギを見つめた。

 

「私は絶対にリーダーから離れません。私を引き離したいなら私を殺して」

「ならば死ね」

 

 マーズの強い思いに対して、アカギは容赦なく攻撃指令を出した。

 マニューラは鋭く大地を蹴ると、マーズの首元に鋭い爪を繰り出した。

 

 マーズに死の恐怖はなかった。

 アカギを愛してその結果死ぬなら本望だと心から受け入れることができた。

 だから、マーズは瞬き1つせず、マニューラの一撃を見つめた。



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第15話 シロナ編

 アカギは容赦なくマーズを攻撃した。

 マーズはアカギのために、エムリットとユクシーを見つけ出した立役者である。しかし、アカギはもうこの世界のすべてを捨てていた。

 

 アカギが繰り出したマニューラは鋭い爪を振るった。

 マーズはその一撃を瞬き一つせず受け止めようとした。

 

 しかし、マニューラの攻撃は何者かの介入によってはじかれた。

 何者かはマーズを守り、アカギの前に立ちはだかった。

 

「……何のつもりだ?」

 

 アカギはマーズの前に立ちはだかったエムリットをにらみつけた。

 

「新世界の神はこの私だ。その私に逆らうというのか?」

 

 エムリットはアカギに敵対したが、アグノムとユクシーはアカギの隣についた。

 

「ちっ」

 

 アカギはマニューラをモンスターボールに戻した。

 

「仕方ない。いいだろう。特別にお前だけは新世界に存在することを認めてやろう」

 

 アカギは態度を一変させた。

 それは新世界の扉を開くために仕方なく取った態度だったが、それでもマーズはその気持ちが嬉しかった。

 アカギがたとえ自分のことを邪魔だと思っていても、マーズはアカギのそばにいたかった。

 

「ありがとうございます、リーダー」

「では改めて始めるぞ」

 

 アグノム、エムリット、ユクシーは再び配置についた。

 

 そのころ、シロナもテンガン山にやってきていた。午後7時、すでに山頂へのロープウェイは止まっている時間だ。

 しかし、乗り場のあたりに明かりがついているのがわかった。

 

 シロナは乗り場のほうに近づいた。

 

「こんばんは」

 

 人気のない静かな空気の中にそっけない声が広がった。

 シロナは声のほうに目を向けた。

 視線の先にたたずんでいたのはジュピターだった。

 

 ジュピターはずっとシロナがやってくるのを待っていたようだった。

 

「やっぱり来たのね、泥棒猫」

「……」

 

 シロナは言葉を返す代わりに目をそらした。

 

「別にいいわ、この前言ったことは嘘だから」

 

 シロナはジュピターのほうに視線を戻した。

 

「別に結婚なんてしていない。私とリーダーは何の関係もない」

「……」

「リーダーは上ってったわ。たぶん、あの子も」

「マーズ?」

「ええ、あの子もあなたと同じ。見た目、あなたたちは対照的だけど、心はまったく同じ。子供」

 

 ジュピターはそう言うと、ロープウェイの主電源をオンにした。

 

「これ私が造ったものなのよ。勝手に触ったら違法だけど、あなた共犯者になる?」

 

 シロナはしばらく黙り込んでいたが、やがて小さくうなずいた。

 

 ロープウェイは二人を乗せて静かに闇の中を進んだ。

 ジュピターもシロナも何もしゃべらなかったので、まるで時が止まってしまったように静かだった。

 

「どうしてリーダーに目をつけたの?」

 

 突然ジュピターが質問した。

 

「あなた有名なポケモントレーナーだから、こんなところに来なくてもいいはず」

 

 シロナはシンオウリーグの絶対王者であり、トレーナーの世界で華々しく成功した身。

 普通に考えれば、半分傾いた状態のギンガ団に関わるのはおかしい。

 

「アカギ様は私と同じ世界を見ていたのです。私と同じ世界を見ていた初めての人でした」

「ふーん」

「でもあなたが言った通り、私は子供だったのです。頭ではわかっていたのに結局引き返せなかった……」

 

 シロナは独り言のように小さな声で言った。

 いまこの瞬間でもまだアカギと新しい世界に行くことを望んでいた。美しい夢の世界にとどまっていたかった。

 

「愚かな人たちばかりね」

 

 ジュピターはそう言ったが、その言葉は自分自身に向けられたものでもあった。

 

 

 アグノム、エムリット、ユクシーから解放された光が再び、新世界の扉を開こうとした。

 光は増幅され、あたりの空間を捻じ曲げた。

 

「なんだか怖い……」

 

 マーズは不安そうにあたりの様子をうかがった。まるで世界が崩壊していくように見えた。

 

「この世界が終わりを迎えるのだ。その先に広がる世界はおれの理想の世界」

「理想の世界」

 

 マーズはアカギの隣に並んだ。

 

「どんなところでも、リーダーと一緒にいられるなら」

 

 マーズはアカギに寄り添って目を閉じた。

 もう引き返す気持ちはなかった。

 

 妖精たちの放った光はやがて周囲を暗黒に包み込んでしまった。

 あたりは真っ暗になり、何も見えなくなった。

 

「ここどこ? 真っ暗だわ」

「これこそが理想だ」

 

 アカギはそう言うと、暗闇の中を歩き始めた。

 

「でも、何も見えません」

「見る必要はない。このおれが創り上げるのだ」

 

 アカギは何かを予感して立ち止まった。

 

「感じるぞ……なんて力だ。そう、時間を司る者パルキア、空間を司る者ディアルガ。その大いなる力を使えば、おれは望む世界を想像することができる。さあ、降臨せよ、ディアルガ、そしてパルキアよ」

 

 アカギは伝説の一説にある大いなる力に呼びかけた。

 アカギの声が届いたのか、暗闇の中に白い光と青い光が浮かび上がった。

 

 伝説の一説によると、「パルキアの咆哮が時間を生み出し、ディアルガの咆哮が空間を生み出した。この世界は最も理想的な時間の流れ、空間の広さによって調和した」とある。

 しかし、アカギはその一説を否定した。

 

「理想ではない。時間は止まった。空間は失われた。灰色に包まれた世界だ。いまその世界をつくりかえなければならぬ。そのために、おれはここに来た。さあ、おれにその力を授けるのだ」

 

 アカギの声に呼応して、白い光と青い光が徐々に近づいてきた。

 マーズはそれに大きな恐怖を覚えた。呼び出してはいけないような気がしてならなかった。

 

「アカギリーダー……」

「さあ、早く姿を現すのだ」

 

 アカギがそう言うと、大きな地響きが発生した。

 立っていられないほどの揺れだったので、マーズは転倒した。

 アカギはかろうじてバランスを取って前方を見つめた。

 

「いいぞ、さあその姿を神の前へ」

 

 地響きと共にパルキア、ディアルガは姿を現した。

 その神々しい姿はすべての者を注目させた。

 

 マーズはパルキアとディアルガを見て大きく目を見開いた。

 

「あれが伝説のパルキアとディアルガ?」

 

 伝説は本当だった。本当にこの世界に封印されていた。

 パルキア、ディアルガの眠りを決して妨げてはいけないという言い伝えもあるが、アカギは2体を目覚めさせてしまった。

 

 すべては世界をつくりかえるために。

 

「聞け、ディアルガ、パルキア。おれがこの新世界の神だ。おれに従うのだ」

 

 アカギは2体のポケモンにそう言った。

 しかし……ディアルガ、パルキアの答えはノーだった。

 

 ディアルガとパルキアはアカギを見下ろすと、それに向けて攻撃的な咆哮を上げた。

 

「アカギリーダー……なんだか怒ってるように見えます」

「馬鹿な、神に逆らうというのか?」

 

 ディアルガとパルキアはアカギになびき従う態度を取らなかった。

 

 パルキアの攻撃。

 パルキアは念力によってアカギを大地にたたきつけた。

 その力を徐々に高めてアカギを叩きつぶそうとした。

 

「リーダー!」

 

 マーズはとっさに最大の相棒であるブニャットを繰り出した。

 通用するか不明だが、ブニャットはパルキアに向けて飛びかかっていた。



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第16話 シロナ編

 シロナとジュピターが槍の柱にたどり着いたころには、周辺は静けさに包まれていた。

 力を使い果たしたのか、アグノム、ユクシー、エムリットは地面に落ちてウトウトと眠っていた。

 

 シロナは槍の柱にたたずむエムリットを抱え上げてあたりを見渡した。

 アカギとマーズの姿は見当たらない。

 

「何があったのでしょうか?」

 

 シロナはエムリットの頭なでた。

 

「あなた、何か知っていますか?」

 

 シロナはエムリットに問いかけた。

 目を覚ましたエムリットはゆらゆらと空中を漂い、ユクシーとアグノムを起こして回った。

 

「二人は別の世界に向かったと見て間違いないわ、この子たちの仕業ね」

 

 ジュピターはエムリットに質問した。

 

「あなた、二人をどこに連れて行ったの?」

 

 エムリットは人間には理解できない言語で話した。

 ジュピターはわかったように2度うなずいた。

 

「二人のもとに連れて行ってくれるかしら?」

「……」

「私の声は届かないかもしれない。けれど、私にはリーダーを助け出す使命がある。だから連れて行って」

 

 ジュピターの思いに感化されたのか、エムリットはゆっくりとジュピターの肩の上に移動した。

 

「ありがとう、連れて行ってくれるのね?」

 

 エムリットはうなずくと、今一度力を集中させた。

 アカギとマーズを新世界に導いたときと同じ光があたりを包み込んだ。

 

 シロナはその光を見渡した。長い間追い求めた伝説の光景が目の前に広がっていると思うと感慨深かった。

 

「チャンピオン、1つお願いがあるの。聞いてくれる?」

「何でしょうか?」

「すべてが終わったら、これまでのことはなかったことに。すべてを忘れてくれる?」

「……」

 

 シロナはまっすぐジュピターの瞳を見つめた。

 ジュピターの願い、それはアカギのことを忘れてくれというものだった。

 

 アカギとはこの場所で出会った。自分が目指している場所と同じ場所を見ていたアカギに好意を覚え、それを原動力に3体の妖精を見つけ出した。

 シロナにとってアカギは特別な存在だった。その特別におぼれる形でここまでやってきた。

 

 しかし、いま思うと、夢見る少女の恋心と同じだった。

 周りのことが見えなくなって、盲目的にアカギのことを見つめ続けていた。

 その背景に、何があるのか見えていなかった。

 ジュピターがいて、マーズがいて、アカギの人生は成り立っているが、シロナは何も見ていなかった。

 シロナは愚かな恋だったと悟ることができた。いまは冷静に世界を見つめることができた。

 

 シロナはうなずいて答えた。

 

「約束します」

「ありがとう」

「あなたがあの人を助けてあげてください」

 

 シロナはそう言うと、これまで見ていた夢のすべてを振り切った。

 同時に、まばゆい光がシロナとジュピターを新世界へといざなった。

 

 □□□

 

 アカギを守るために、マーズはパルキアとディアルガと対峙したが、二体の圧倒的なパワーの前にはマーズのポケモンは歯が立たなかった。

 マーズのブニャットを念力でたたきつけると、身動き一つさせなかった。

 このままでは、この2体に殺されてしまうかもしれない。

 

 マーズはアカギのほうに振り返って言った。

 

「リーダー、逃げましょう。こいつら、私たちを追い出そうとしているみたいです」

「どけっ!」

 

 アカギはマーズを振り払うと、パルキア、ディアルガの前に出た。

 

「聞け、おれが神だ。この世界はおれが支配するのだ。おれに従うのだ」

 

 アカギはそのように命令したが、パルキアとディアルガがアカギを新世界の神とは認めなかった。

 ディアルガが咆哮を上げると、アカギは何メートルも後ろに吹き飛ばされた。

 

「ぐ……」

「リーダー!」

 

 マーズはアカギのもとに駆け寄った。

 

「逃げましょう。このままじゃ、私たち殺されちゃう」

「そこをどけ……この世界の神はおれだ……」

 

 アカギはあくまでもこの世界にこだわった。もうかつての世界に引き返す意思は持ち合わせていなかった。

 

「おれが神ということを分からせねばならぬようだ」

 

 アカギはパルキアとディアルガを従わせるために、相棒のマニューラを繰り出した。

 アカギもポケモントレーナーの心得がある。マニューラの扱いには自信があった。

 

 しかし、マニューラの攻撃はパルキアとディアルガには通じなかった。

 マニューラが2体の懐に潜り込むや否や、パルキアは高エネルギーの波動を発生させて、マニューラをたたきつけた。

 

「これがパルキアとディアルガの力か……神をも脅かす力か……」

 

 アカギはその力に慄きつつも、その力に惹かれるように歩き出した。

 

「リーダー、ダメです」

 

 マーズの声はもはやアカギには届かなかった。

 アカギはパルキアとディアルガに向けてゆらゆらと歩を進めた。

 

 ディアルガはそのアカギに狙いをつけて、エネルギーを溜めた。

 しかし、アカギは自らの力に近づいて行った。

 

 ディアルガの攻撃。

 すさまじいエネルギーがアカギに向かった。

 

 アカギはそのエネルギーを無防備に迎え入れた。

 

「アカギリーダー!」

 

 マーズの叫びもむなしく、ディアルガの放ったエネルギーが炸裂した。

 エネルギーの余波がマーズのもとにも吹きかけてきた。

 

「……」

 

 アカギの安否を確認しようとするマーズの視線には大きなたくましいポケモンの背中が見えた。

 そのポケモンはアカギのを守るように立っていた。

 

「ガブリアス……ということは?」

 

 マーズが振り返ると、そこにはシロナの姿があった。

 シロナはポケモンバトルに集中しているときと同じ鋭い視線を前方に向けていた。

 

「シロナ」

「驚きました。あれがパルキアとディアルガ」

 

 シロナは目の前に現れた伝説をしっかりと見据えた。

 ずっとこの伝説を追い求めてシロナは考古学の研究を続けてきた。

 それを目の当たりにした感動はあったが、パルキアもディアルガも敵対の態度を明確に示していた。

 

 ここは人間の入り込む世界ではない。

 パルキアとディアルガはそのように警告していた。

 

「私が何とか食い止めます。その間に二人を助けてあげてください」

「わかったわ」

 

 ジュピターはうなずいた。

 とはいえ、この世界、入り込んだはいいもののあたりは闇に包まれていて、どこからもとの世界に戻れるかは皆目わからない。

 何より、パルキアとディアルガは不純物を排除するために、攻撃行動を続けてきた。

 

 パルキアが咆哮をあげると大きなエネルギー波動が生み出された。

 シロナはシンオウチャンピオンを長く防衛しているが、このような攻撃を見るのは初めてだった。

 

 シロナは瞬時に波動の速度と方向を見抜いた。

 モンスターボールはトレーナーの心の内をポケモンに伝える力がある。

 シロナの考えを受け取ったガブリアスは紙一重にパルキアの攻撃をかわすと、鋭いステップでパルキアに接近した。

 

 ガブリアスの一撃がパルキアを襲った。

 マーズのブニャットもアカギのマニューラもパルキアには何のダメージも与えることができなかったが、ガブリアスの一撃はパルキアを後退させた。

 

「早くいまのうちに逃げてください」

 

 シロナはそう言ったが、アカギはその言葉を無視してこの世界にとどまろうとした。

 アカギはディアルガの方向に一歩足を踏み出した。

 シロナはそんなアカギの手を取った。

 

「あなたは神にはなれません。人が神になることは不可能です」

「……」

「でも、あなたは誰かの未来を創造する力があります、私もあなたから未来を授かった身。私はあなたと出会ったことに感謝しています」

 

 シロナは最後にアカギに真心を伝えた。アカギがシロナにもたらしたものが夢か現実だったのかはわからない。

 しかし、二人は間違いなく出会った。

 シロナはその出会いに感謝の言葉を示した。

 しかし、その言葉は別れの言葉でもあった。

 

「この夢が覚めたら、きっとあなたはもっと素敵な世界に目覚めることができます。私が請け負います」

 

 シロナはそう言うと、アカギから手を離した。それはアカギにとって目覚めの一歩だった。

 おそらく二人はもう二度とめぐり合うことはないだろう。しかし、お互いに新世界に目覚める。

 今よりずっと素敵な世界に目覚めることができる。

 

 シロナはアカギの前に出ると、パルキアとディアルガにだけ集中した。

 

「私がお相手します」

 

 パルキアとディアルガは新たな標的としてシロナにターゲッティングした。

 



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17話 シロナ編

PC買い換えました。
無事更新できていると幸いです。


 新世界はどこまでも深い闇に満たされていた。

 歩けど歩けど、光が見えることはなく、むしろより深い闇に沈んでいくようだった。

 

 しばらくして、アカギは地面に膝をついた。

 

「アカギ様、大丈夫ですか?」

 

 ジュピターはアカギの背中に手を置いた。アカギの背中が小さく震えているのがわかった。

 

「おれは新世界でもなお、拒絶されるというのか……この世界でもおれは悪夢の中をさまようことになるというのか」

 

 アカギは頭を抱えて震える声で言った。

 現実という悪夢を抜け出しようやく新世界に降り立ったアカギだったが、そこで待っていたのは拒絶だった。

 ディアルガ、そしてパルキアは明確にアカギを否定した。この世界で生きることを許してくれなかった。

 

「……」

 

 マーズは少し離れたところからアカギの崩れ去った後ろ姿を見つめていた。

 ちょうど、アカギの姿がマーズのかつての光景と重なった。

 

「もうダメだ」

 

 そう言って崩れ落ちた父親の姿。

 父親はその翌日に、死によってこの世界を旅立った。

 アカギの姿はちょうどマーズの父親が死にゆく前に見せた姿と一緒だった。

 

 マーズはその姿から目をそらし、後ろを振り返った。

 

 その先には何も見えない。

 振り向くと、そこには崩れ去ったアカギの姿。

 

 新世界は悪夢そのものだった。

 心が締め付けられる鬱屈とした世界。

 マーズは歯ぎしりをした。

 

「戻る」

 

 マーズはそう言うと、ここまで歩いてきた道の先を見つめた。

 

「マーズ、何をする気?」

「ディアルガとかパルキアとか言うやつをぶっ倒す」

 

 マーズはジュピターの質問にそう答えた。

 それがアカギを助けることになると思った。もし、それに失敗すれば、アカギは父親の二の舞になってしまうかもしれない。

 

「それは無茶。やめなさい」

「やめない」

 

 マーズは来た道を引き返すために歩を進めた。

 

「……」

 

 ジュピターはマーズが闇の先に消えていったのを確認すると、アカギのほうに目を向けた。

 

「あなたはどうして気づいてくれないの? 私がここにいること」

 

 ジュピターは小さくそのように言ったが、アカギに反応はなかった。

 

「あなたの目にはやはり私は映っていないのね……私の声も決して届かないのね」

 

 アカギは地面にひれ伏したまま、ぶつぶつと何かをつぶやくばかりだった。

 そのとき、ジュピターは背後に何かの気配を感じた。

 

 ジュピターはその気配に背中を向けたまま立ち上がった。

 

「教えて、私はどうすればいい?」

 

 ジュピターがそうつぶやくと、背後の気配がより強大になり、やがて、その気配はジュピターと対峙するように現れた。

 

 闇から現れたのは影だった。

 その不気味な影は闇が持つ影のように、闇よりもずっと深い闇のように思えた。

 ジュピターはその影を見つめた。

 

「どうすれば私の声は聞こえるかしら?」

 

 ジュピターがそう問いかけると、影は迫力のある大きな咆哮を上げた。

 ところが、その咆哮にアカギは少しも反応しなかった。

 目の前の影は、ジュピターにしか見えないものなのかもしれない。

 

 ジュピターはその咆哮から何かを理解することができた。

 

「ギラティナ。あなたはギラティナなのね」

 

 ジュピターは目の前の影に問いかけた。

 闇はやがてその姿を解放した。

 

 ギラティナ。

 

 それはシンオウ神話に伝わる世界の影。

 その影は同じ影にしか認識されないと言い伝えられている。

 

 ジュピターはいまはっきりとギラティナの姿を捉えていた。

 

「あなたも影なのね」

「……」

「誰にも見てもらえない、聞いてもらえない。ずっと独りぼっち。あなたは寂しくないの?」

 

 ジュピターの問いかけに、ギラティナは咆哮で応えた。

 

「影は存在の証明……そうね、そのとおりだわ」

 

 ジュピターは視線を落とした。

 アカギの姿の先には、赤い影が漂っていた。ギラティナの力なのか、その影は強く強調されていた。

 しかし、マーズの姿の先には影は見えなかった。

 

「私はあなたの存在を証明する影……それが私の使命」

 

 ジュピターは自分が明確に影であることを悟った。

 しかし、それは最も重要な存在であることも理解した。

 

 影は光を、万物を証明する。

 

 ジュピターは自分が何をすればいいか理解した。

 

「ギラティナ、お願い力を貸して。アカギリーダーに光を授けたいの」

 

 ギラティナはジュピターの思いに応えた。

 ギラティナは再びその姿を闇に消し去り、そのままジュピターを抱擁した。

 

 ギラティナをまとったジュピターはうなずくと、アカギの背中に両手を置いた。

 

「大丈夫。あなたは光を得ることができる。前を向いて」

 

 ジュピターの手が輝きだした。

 アカギは顔を上げた。

 

 闇に包まれていた新世界の先に光が輝いた。

 

「あの光は……」

「あの光はあなたの進む道」

「おれの進む道……」

 

 アカギはその光に引き寄せられるように、フラフラと立ち上がった。

 

「懐かしい光だ……まぎれもなくおれが追い求めていたもの……」

 

 アカギはフラフラと歩き、輝く光に手を伸ばした。

 アカギの手が光と重なると、世界の誕生のようなまばゆい光が闇全体に広がった。



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18話 シロナ編

 ガブリアスの一撃がディアルガを転倒させた。

 シンオウリーグの絶対王者が放つ一撃は強大だった。

 

 しかし、ディアルガはすぐに起き上がり、反撃を繰り出した。

 ディアルガに、ポケモンバトルのルールなどない。

 ディアルガの生み出した波動は明確にトレーナーであるシロナに向けて撃ち込まれた。

 

 トレーナーの安全が約束された競技対戦と違い、ディアルガの一撃には明確な殺意がにじんでいる。

 ガブリアスはその攻撃を受け止めきれず、余波がシロナを吹き飛ばした。

 

 競技対戦では決して経験することのない激痛が走った。

 

「……」

 

 視界がゆがんで立ち上がることもままならない。

 そんな中、シロナは手探りにモンスターボールを取り出し、ミロカロスを繰り出した。

 

 ディアルガとパルキアはシロナのポケモンに怖気づくことなく、それぞれガブリアスとミロカロスをターゲッティングした。

 トレーナーに支配されていないディアルガとパルキアの攻撃は力ずくで単調だったが、その破壊力は高く、ガブリアスもミロカロスも受け止めきれない。

 

 シロナの扱うミロカロスは特に守りが堅く、敵の攻撃をうまくいなすことができるが、パルキアが放つ空間をゆがませるほどの力を阻止することができなかった。

 シロナの主力ポケモンであるガブリアスとミロカロスが防戦一方になる中、戦場に介入する存在があった。

 

「ちょっと待ちなさい、卑怯よ!」

 

 マーズはディアルガ、パルキアが仁王立ちする間に割って入った。

 

「どっちがどっちだっけ? あんたがパルキア? あんたの相手は私よ」

 

 マーズはパルキアのほうを指さした。

 

 シロナは戻ってきたマーズのほうに目を向けた。

 ちょうど、マーズが振り返ったので目が合った。

 

「あんたにはずいぶん借りがあったものね。まとめて返すわ」

「……」

 

 マーズは奮い立っているが、相手はマーズに何とかできる相手ではない。

 シロナは無理に立ち上がった。足首がひどく痛んだ。

 

「あの二人は?」

「さあね、闇の中でさまよってんじゃないの?」

 

 マーズは他人事のように言った。これまでのマーズとは違い、大人びた表情をしているように見えた。

 

「バカみたいよね。さんざん苦労してようやく夢の世界にたどり着いたと思ったら、こんな真っ暗な場所に閉じ込められるんだから」

 

 マーズはそう言って微笑した。

 

「つくづくわかったわ。こんなことで夢の世界にたどり着けるわけない。私はおかしな夢を見てたんだわ」

 

 マーズはこれまでの自分の行いを回想した。

 

 思えばずいぶんと長い間、闇の中にいた。

 何もない世界。マーズの幼年期はちょうどこの暗闇の世界に似ていた。

 アカギがその暗闇の世界から抜け出せてくれた。

 だから、マーズは迷うことなくアカギを追いかけ続けた。

 

 しかし、それも暗闇の世界の続きだった。

 それに気づいたマーズはパルキアをまっすぐと見据えた。

 その神々しいドラゴンは真の意味でマーズが暗闇の世界から抜け出すために通り抜けなければならない登竜門だった。

 

 マーズの真剣な姿を見て、シロナも今一度闘争心を取り戻した。

 思えば、アカギと出会ったときから夢を見ていた気がする。厳密に言えば、その前から、あるいはずっと何十年も夢を見ていたのかもしれない。

 シロナもまた夢から覚めるための道筋を見つけ出していた。

 

「私がパルキアをやるわ」

「わかりました」

 

 シロナはディアルガをまっすぐ見据えた。

 

「マーズ、うまくいくかはわかりませんが、あなたにこれを授けます」

 

 シロナはマーズの右手首を掴んで、1つのモンスターボールを握らせた。

 

「これって?」

「あなた次第です」

 

 マーズは手に入れたモンスターボールを見つめた。

 それはマスターボールだった。

 マスターボールはポケモンにとって、最も快適なボールと言われている。

 高価なので一般には出回らないが、一流のトレーナーは自分が育てるポケモンの頭数分だけそろえている。

 

 パルキアを捕獲できるかはわからないが、マーズはマスターボールを握り締めた。

 

 ディアルガとパルキアは容赦なく、マーズとシロナに向けて攻撃を繰り出してきた。

 対して、シロナはルカリオを繰り出した。

 

 ルカリオは飛び出すなり、ディアルガの懐に飛び込み、攻撃態勢に入ろうとしたディアルガをめくるように拳を突き上げた。

 ディアルガが後ろに後退する。すかさず、ルカリオは追撃を繰り出した。

 だが、ディアルガの強固な体にはダメージが認められない。

 やはり、打ち倒すことはできそうもない。ディアルガを止めることができるとすれば、トレーナーに従わせること。シロナはディアルガを捕獲するために、無謀にもディアルガのもとに走った。

 

「黙って従ってくれればいいのですが」

 

 シロナは学生時代、ポケモンレインジャーのアルバイトをしていたことがあった。ハブネークやフライゴンを捕獲する仕事をしたこともあったが、ディアルガの捕獲は未知の領域になる。

 ルカリオは飛び跳ねて、ディアルガの頭を強く叩きつけた。

 その機を見て、シロナはマスターボールを投げた。

 絶妙なタイミングだったが、特殊な波動がディアルガから放たれ、マスターボールが弾き飛ばされた。

 

 そして、ディアルガの目に炎が灯る。

 獰猛なオーラを放つようになったディアルガはより強力な波動を撃ちだした。

 ルカリオの防御を弾き飛ばし、シロナを容赦なく襲った。シロナは頭に強い衝撃を受けた。

 目の前が真っ黒になり、やがて意識が完全に消滅した。

 



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19話 シロナ編

 なぜここに来た?

 

 謎の声が問いかけてきた。

 

 どこへ行こうとしている?

 

 シロナはその問いかけのほうに目を向けた。

 

「ここは……?」

 

 シロナは体を起こして頭を押さえた。頭を強く打ったはずだったが、痛みは感じなかった。

 そのとき、背後で愛嬌のある声がした。

 振り向くと、そこにはユクシーが漂っていた。

 ユクシーは眠そうな目をしたままシロナの肩に上に留まった。

 

 シロナはユクシーを両手で優しく抱きしめた。

 

「ここはどこでしょう? あなた、何か知っていますか?」

 

 ユクシーは問いかけに答えることなく眠りについた。

 シロナはあたりを見渡した。例によって、あたりは闇に包まれている。

 

「何も見えませんね。マーズもどこに行ってしまったのでしょう」

 

 シロナがそう言うと、闇の先から声が聞こえた。

 

 この闇はお前の心だ。

 

「え?」

 

 お前の心が作り出した闇だ。

 

「……」

 

 シロナはもう一度闇を見渡した。

 自分の心。その表現はとても適切なような気がした。

 

 お前の行く道はどこだ?

 

「私の道……」

 

 シロナは立ち上がって声と向かい合った。

 

「私の道は……」

 

 言葉はつながらなかった。

 自分がここにいる理由。目指すべき未来。何も思い浮かばなかった。

 

 物心ついたときからポケモンが好きだった。

 ポケモントレーナーになりたいと思い、順調にトレーナー道を進み、おそらくはその道のゴールであるチャンピオンにもなった。

 だからもう歩むべき道はない。

 

 いや違う。

 

 シロナは前を見た。

 チャンピオンになったから、自分の人生が終わったわけではない。

 

 まだ見ぬポケモンを知りたいと思った。だから考古学を学んできた。

 そして、パルキアとディアルガに出会った。

 未知の伝説のポケモンと巡り合うためにここにやってきた。

 

 それも違う。

 

 シロナは首を横に振った。

 もっと違うものを求めていた気がする。

 それは人によっては当たり前に享受しているものかもしれない。

 

 シロナはアカギと出会い、おそらくはそれを求めた。

 それは「愛」というもの。

 

 シロナは「愛」を知りたくてアカギを追いかけた。

 そしてここにたどり着いた。

 

 しかし、それは愛ではなかった。

 では、愛とは何か?

 

 シロナは声のほうに向けて言った。

 

「私は愛を知りたかった」

 

 愛だと?

 愛とはなんだ?

 

「わかりません。でも私が見つけ出したいもの」

 

 シロナは素直に自分の願望を紡いだ。

 それがシロナがここに来た理由。そして、向かうべき道。

 

 お前のその道。険しき道。覚悟はあるのか?

 

「あります」

 

 シロナは強い目で前を見た。

 シロナの視線を受けて、闇の先に光が灯った。それははるか未来の光。文字通り、険しい道が光まで続いているように見えた。

 

 見せてもらおう、お前の歩み。

 

 謎の声がそう言うと、シロナの頭上に光が灯った。

 そして、何かがシロナの頭を打った。それはやがて地面に落ち、シロナの足元に転がった。

 シロナは足元に転がったマスターボールを取り上げた。ボールからは強い力が感じられた。

 

「歩んでみせます、それが私の生きる道」

 

 シロナは目の前の光に向けて歩み出した。

 

 

 ◇◇◇

 

 マーズは騒がしい声に起こされる形で目を覚ました。

 ポコポコと誰かが頭を叩いている。

 

「誰?」

 

 マーズは何者かを両手でわしづかみにした。

 マーズの手の中でじたばたしたのはエムリットだった。

 

「あんた、たしか……アグノムじゃないわ、エムリットだわ」

 

 マーズはエムリットを手のひらに乗せて頭を撫でた。

 

「私、どうなったんだっけ?」

 

 たしかマスターボールを投げたが弾き飛ばされた。そのあと、パルキアが起こした津波に呑み込まれた。

 息ができなくなり、そのまま意識を失っていた。

 

「ひょっとして私、死んじゃった?」

 

 マーズはあたりを見渡した。

 

「なんだか冴えない人生だったわ……」

 

 ならば、お前は何を望む?

 

 マーズに謎の声が降り注いだ。

 マーズは頭上を見上げた。

 

 どんな人生を望んだ?

 

「どんな……と言われてもね」

 

 ギンガ団に入り、盲目的にアカギに尽くしてきた。

 目的などなかった。アカギに尽くすことだけがすべてだった。

 改めて人生の目的を聞かれても答えられなかった。

 

「私、何をしたかったのかしら。アカギ様に認められるのがうれしかったからそのためだけに生きていたけど……」

 

 お前にとってポケモンとはなんだ?

 

「ポケモン……ポケモンとは……」

 

 マーズはエムリットを自分の頭に乗せた。

 

「ポケモンは私の友達。お母さんもお父さんもいないし、誰ともうまく関われなかったから」

 

 アカギと出会うその日まで、マーズが心を開ける存在はポケモンだけだった。ニャルマーは母親がマーズのために残してくれた形見だった。

 しかし、今のマーズにはポケモンをそれ以上のものとして認識することができた。

 

 シロナと出会ったことがきっかけだった。

 ポケモントレーナーになりたいという気持ちが強くなっていた。

 

 シロナのコイキングに一方的に倒された悔しい気持ちがその気持ちを呼び起こしていた。

 

 負けず嫌い。

 

 それがマーズの本当の性質だった。

 

「シロナに負けたのがくやしかった。あいつにだけはリベンジしたかったわね」

 

 勝ちたいのか?

 

「勝ちたい。でもあいつチャンピオンだから、私にはかないっこないわよ……いや、それでも勝ちたい」

 

 マーズはそう言うと力強くうなずいた。

 

 その志、強き光だ。

 

 謎の声がそう言うと、マーズの頭に何かが落ちてきた。

 

「いたっ」

 

 マーズの頭に落ちたマスターボールは地面に転がった。

 

 勝利への道。険しき道。歩む覚悟はあるか?

 

 マーズは答える代わりにマスターボールを握り締めた。

 

 見届けよう、お前の歩み。

 

 マーズはうなずいた。

 

「歩むわ。どんな道だって」

 

 マーズは立ち上がり、目の前に現れた光を見据えた。

 

「聞かせて、あなたは一体誰?」

 

 アルセウス。

 

「アルセウス?」

 

 それから、二度と謎の声が聞こえてくることはなかった。

 



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20話 シロナ編

 闇の中に輝く一筋の光だけを頼りに前に進んだ。

 その光が救いか絶望かはわからない。それがただ1つの道しるべだった。

 

 目指すべきはあの光しかない。

 それはわかっていたが、アカギはその光を信じ切れなかった。

 

 アカギは足を止めた。

 

「ダメだ……」

「アカギリーダー」

 

 ジュピターは足を止めたアカギの背中に手を置いた。

 

「あと少しです、リーダー」

「怖いんだ」

 

 アカギは目の前の光を見つめた。

 

「あの光もまたおれを拒絶するに違いない。おれはどこへ行ってもこの呪縛から解放されることがないんだ」

 

 アカギはそう言って体を震わせた。

 

「すべての者が私のもとから去っていった。そう、すべてだ」

「……気づいて、リーダー、私の存在に。私はあなたのもとから決していなくならない」

「なぜ、そう言い切れる?」

「私はあなたの影だから。どこまでもあなたについていく」

 

 ジュピターがそう言うと、前方の光がより強くなった。

 その光がアカギの目をくらませた。同時に、その光が自らの影に存在感をもたらした。

 

 アカギは振り返り、そしてそのとき、自らの影の存在に気が付いた。

 

「君は……ジュピター……」

 

 アカギはおそるおそる手を伸ばし、ジュピターの肩に手を置いた。

 

「君は……ずっと私のそばにいてくれたのか?」

 

 ジュピターはうなずいた。

 

「そうか……どうして今まで気づかなかったのか、そうだ……君はずっと私のもとにいてくれたんだ」

 

 アカギはそう言うと、ジュピターの体をゆっくりと抱きしめた。

 アカギの心に灯った光が自分の影の存在を教えてくれたのかもしれない。

 

「さあ、行きましょう、リーダー。新世界に」

「新世界……」

 

 アカギは振り返り、強い光を見つめた。

 そこはかつては見限ったもとの世界。しかし、その世界は新しい輝きに満たされていた。

 

「ジュピター、おれについてきてくれるのか?」

「私はあなたの影だから、必ず」

 

 アカギは力強く右足を前に出した。

 そのとき、アグノムが現れ、アカギを誘導するように遊泳した。

 

 アカギはアグノムを追いかけるように進んだ。

 もう迷いはなかった。

 

 やがて、アカギは光にたどり着いた。

 すると、すべての闇がかき消され、まばゆい光の先に、もとの世界の光景が浮かび上がってきた。

 光がすべて放出されると、夜空だけが輝く静かなテンガン山頂の景色が広がった。

 

 アカギはしばらくその場から夜空を見上げていた。

 その間にいくつかの流れ星が空を横切って行った。

 かつて、自分が夢見た月は満月として空の中でひときわ輝いていた。

 月を見ていると、もう一度その場所を目指したいという気持ちがしだいに強くなってきた。

 

「ギンガ団はこれで解散だ」

 

 アカギは月を見つめたままそう言った。

 

「0から新しい世界を創造したい」

 

 ジュピターはアカギに寄りそうようにもたれかかった。

 

「それがいいと思います。私がお手伝いします」

「本当に何もない無からのスタートだ。本当にそれでいいのか? ジュピター、お前には才能がある。もっと大きな世界に行くことだってできるのだぞ」

「私はあなたの影だから。それに、あなたの創造する世界が一番魅力的」

「ありがとう」

 

 アカギはジュピターの肩を抱き寄せた。

 

 それからしばらくして、マーズも暗闇の世界からこの世界へと戻ってきた。

 何日も歩き続けたような強い疲労感が全身を駆け巡った。

 

「疲れた……長かった」

 

 マーズは戻ってくるなり、しりもちをついた。

 暗闇の中、櫃筋の光だけを目指して歩き続けた。疲労感と同時に達成感もあった。

 もとの世界に戻ってきたという気分ではなかった。新しい世界に足を踏み入れたような新鮮な空気を感じることができた。

 

 アカギはマーズのもとに歩み寄った。

 

「マーズ」

「アカギリーダー! リーダーも無事に戻ってこれたのですね」

 

 マーズは笑みを浮かべて立ち上がった。マーズの表情にはどこか大人びたものが見えた。

 

「すまなかったな、マーズ。おれのエゴでお前にも迷惑をかけてしまった」

「迷惑だなんてまさか」

 

 マーズはアカギのほうにたくましい表情を向けた。

 

「リーダーのおかげでとても大切なことを勉強できました。ありがとうございます」

 

 マーズはそう言うと、ていねいにお辞儀をした。

 

「本来、お前は学生の身。そうだ、大学を紹介しよう。せめてもの償い、おれに世話をさせてくれ」

 

 アカギの提案にマーズは首を横に振った。

 

「リーダー、私、ギンガ団をやめます」

「マーズ」

 

 マーズは懐からモンスターボールを1つ取り出すと、大いなる力を解放した。

 

 現れたのはかつて新世界で敵対したパルキアだった。

 パルキアは圧倒的な存在感ですべての者の視線を集めた。

 

 パルキアはマーズをパートナーとして認めていた。

 

「リーダー、私、ポケモントレーナーになるために旅に出ることにしました。目標はもちろん世界一のトレーナーになること」

「……そうか」

 

 アカギは大人になったマーズの姿を見て、口元を緩めた。

 マーズはパルキアをモンスターボールに収めると、もう一度アカギにおじぎをした。

 そして、最後にもう一度だけアカギを見つめた。おそらくはこれがアカギの最後の姿になるだろう。

 マーズはそのことをわかったうえで、アカギに背中を向けた。

 アカギが視界から消えると、マーズの目には涙が浮かんだ。その涙は恋する少女の弱き思いが混ざっていた。しかし、マーズは強い気持ちでその涙をぬぐった。

 

「私はいつだって誰よりも輝く星でいるわ。だから……」

 

 マーズはその後の言葉を紡ぎ終わる前に駆け出した。

 やがて、マーズの姿はアカギの視界から消えてなくなった。しかし、マーズの輝きが決して消えることはなかった。



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シロナ編 ラスト

 マーズはテンガン山を下る道中で、夜空を見上げているトレーナーの姿を見つけた。

 そのトレーナーはマーズの目標、いまは手を伸ばしても届かない遥か高みの星だった。

 

「シロナ」

 

 声をかけると、シロナはマーズのほうに顔を向けた。シロナは何も言わず、マーズの次の言葉を待っていた。

 

「ポケモントレーナーとしてあんたに勝負を仕掛けるわ」

「……」

「と言いたいところだけど、私はまだ地面に這いつくばる駆け出しだからその資格はないわね」

 

 それでも、マーズはシロナにライバルとしての視線を送った。

 

「でも絶対倒す!」

「……」

「だからさ、私が挑戦するまで絶対にチャンピオンでいなさいよね」

「……」

「絶対よ!」

 

 シロナはうなずいた。

 

「わかりました。チャンピオンの座にて、あなたの挑戦を待っています」

「オッケー。これでやる気が出たわ」

 

 マーズはそう言うと、旅の第一歩を踏み出した。

 駆け足で走り抜けていくマーズの姿は光り輝いていた。

 シロナはその姿を見て、原点の自分と出会ったような気がした。

 自分の進むべき道が明確に見えた。

 

 シロナは手持ちのポケモンをすべて解放した。

 ガブリアス、ミロカロス、ルカリオ、キリキザン、キュウコン、ミミッキュ。

 多様なポケモンが並んだが、その中で最も存在感を放っていたのは第6のポケモン――ディアルガだった。

 

 ディアルガは夜空に映るように神々しい姿を解放した。

 

「険しい道になると思います。ついてきてくれますか?」

 

 シロナの問いかけに、ポケモンたちは迷うことなく肯定の意思表示をした。

 

「私も覚悟を決めましょう」

 

 シロナはキリキザンに攻撃指令を出した。

 対象は自分自身。

 キリキザンはシロナめがけて刃を振り下ろした。

 

 闇夜の中にシロナの髪が舞った。

 

 シロナはすべてを振り払うように風に身を任せた。

 過去との決別、未来に立ち向かう覚悟。シロナはその覚悟のために夢の中にいた自分を切り捨てた。

 

 目を見開いたシロナは10年前に戻ったかのように笑みを浮かべた。幼さの残るその表情にはたくましさが感じられた。

 

「行きましょう」

 

 シロナは未来に向けて足を踏み出した。

 

 ◇◇◇

 

 シロナはイッシュリーグ戦を前にナナカマドのもとを訪れた。

 ナナカマドはシンオウ地方を代表するポケモン博士であり、ポケモンの進化研究の第一人者でもある。

 

 ナナカマドはシロナの原点でもある。ナナカマドからフカマルを授かったところから、トレーナーとしての道が始まった。

 新たなるスタートを前に、シロナはどうしてもスタート地点に立ちたかった。

 

 シロナは研究所の中庭で、ナナカマドにこれまでのことを話した。

 ディアルガのパートナーとして認められるまでにあったこと。人に話しにくいことだったが、シロナはすべてを話した。

 ナナカマドはうなずきながらシロナの話を聞いた。

 

「そうして、私は伝説と出会いました」

 

 シロナは話し終えると、シロナのパートナーとなったディアルガを解放した。

 ナナカマドはディアルガを見上げて、メガネを整えた。

 

「ディアルガ……なるほど、伝説の通りだ」

「ナナカマド博士、私の夢を聞いていただけますか?」

 

 シロナはディアルガの荘厳な瞳を見つめながら言った。

 

「私の夢、世界で最も強いトレーナーになること」

 

 シロナは夢を語る少女の趣で夢を語った。

 それはトレーナーを目指す誰しもが語る夢と同じシンプルなものだったが、それにはとても深い意味が込められていた。

 

「私についてきてくれたポケモンたちには強くなってほしいのです。誰よりも強く」

 

 それは険しい道。シロナはその道の険しさをよくわかっていた。

 強くなること、それが簡単ではないことをよくわかっていた。

 力、それはあらゆる要素の集大成であり、単なる戦闘力とは一線を画す。

 しかし、シロナはその力を手に入れる道を歩むことを決断した。

 

「世界で最も強いトレーナーか。たしかに険しき道。しかし、君ならたどり着くことができるだろう」

 

 ナナカマドは優しくそう言った。

 

「見ていてください、私の戦いを」

 

 シロナはちょうどポケモントレーナーを目指し旅を出たときと同じ表情で言った。

 

 風は追い風。

 シロナはその風を受けて最初の一歩を踏み出した。

 

 

 シロナ編終わり

 

 次回、ワタル編です。

 ワタル編開始までしばらくお待ちください。



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おまけ 初代の対戦は運ゲー

 初代で活躍したポケモンたちをちょっと紹介。

 

 1、ミュウツー

 

 技構成

 

 みがわり

 かげぶんしん

 どくどく

 サイコキネシス

 

 かげぶんしんとみがわりで盤石の姿勢を築いた後は、どくどくで相手が落ちるのを待つ。

 さいみんじゅつを使ってくるゲンガーをサイコキネシス一撃で落とせるのが強み。

 

 天敵はルージュラとフリーザーで、あくまのキッスやふぶきが当たると厳しい。

 フリーザーはだいもんじにも耐えるので、対策が難しい。

 

 2、フリーザー

 

 技構成

 

 みがわり

 かげぶんしん

 ふぶき

 れいとうビーム

 

 ふぶきが当たればミュウツーにも勝ちうる。

 初代のこおりづけは一撃必殺よりも強い。

 一撃必殺だと、相手はそのまま後続のポケモンを出せるが、氷漬けだと交代に1ターンかかり、その間にかげぶんしんを積める。

 とくしゅも高いので、PPがなくなる前に相手を倒しやすい。

 

 3、フーディン

 

 技構成

 

 みがわり

 かげぶんしん

 サイコキネシス

 サイケこうせん

 

 第2のミュウツー。高いすばやさからかげぶんしんで運ゲーに持ち込むと一生落ちない。

 あとはエスパー技で削り切る。

 サイケこうせんは混乱にできるので、場合によってはサイコキネシスより強い。

 

 4、ゲンガー

 

 技構成

 

 みがわり

 かげぶんしん

 さいみんじゅつ

 ゆめくい

 

 さいみんじゅつが決まると勝てる。眠っている間にかげぶんしんとみがわりを入れて、あとはゆめくい連打。

 

 5、ケンタロス

 

 技構成

 

 みがわり

 かげぶんしん

 はかいこうせん

 じしん

 

 タイプ一致にはかいこうせんはきゅうしょだとミュウツーも一撃で落とせる。

 たいていのポケモンを落とせるうえ、じしんでゲンガーもにらめるので、恐るべき伏兵の一匹。

 

 6、スターミー

 

 技構成

 

 みがわり

 かげぶんしん

 サイコキネシス

 ふぶき

 

 すばやさが高く、ふぶきが使えるので、頭数としては計算できる。

 

 7、ルージュラ

 

 みがわり

 かげぶんしん

 あくまのキッス

 れいとうビーム

 

 ふぶき型でもいいが、基本的には眠らせて倒しに行くのがいい。

 

 8、カビゴン

 

 みがわり

 かげぶんしん

 はかいこうせん

 じしん

 

 ケンタロスの2枚目。

 

 9、パラセクト

 

 みがわり

 かげぶんしん

 きのこのほうし

 きりさく

 

 1回耐えれれば、きのこのほうしで勝てるかも。

 ゲンガーを撃つ手がないのが弱点か。

 

 基本的にはかげぶんしんで運ゲーになります。

 みがわりと合わさると一生当たらないので、PPが枯渇しがち。そういう場合はどくどくで削るのが基本。

 あとはさいみんじゅつなど眠りで戦うことになります。

 

 先頭はミュウツーかフーディンがおすすめ。

 どちらもゲンガーより速いのでさいみんじゅつではめられることがない。

 先頭ゲンガーは決まれば最強だが、たいていミュウツーが出てくるので、ミュウツーに強いフリーザー先頭もあり。

 

 金銀以降はかげぶんしんがかわしにくくなり、このような戦法はやや厳しくなりました。

 初代のかげぶんしんは一回入れるだけで、4連続で回避してくれることもザラでした。

 こうした運ゲーはつまらないということで、私の界隈では、かげぶんしんとみがわりを禁止してました。

 

 何でもありの対戦だと、マルマインにきのこのほうしをつけるのが最強です。

 マルマインほうし戦法は、バグ技とか改造コードとか知らない、いたいけなプレイヤーを泣かせる最悪の戦法でした。

 青では種族値の高いバグポケモンが発見され、けつばんが最強になりました。

 

 初代は伝説からその他ポケモンと幅広いポケモンが活躍しており、バランスがとれてなかった時代にしては奇跡的な環境でした。

 ポケモンは伝説ばかりが強いわけじゃない。

 

 え、ファイヤー?

 誰だっけ?

 

 

 ありがとうございました。

 




ワタル編開始まで今しばらくお待ちください。


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1、ワタル編 敗北

 現チャンピオンワタルへの挑戦者を決定するイッシュリーグ戦が開かれて、あるトレーナーが驚異的な強さで勝ち進み挑戦者となった。

 その勢いのまま、そのトレーナーはワタルとのチャンピオン決定戦の舞台に立ち、その強さを見せつけた。

 

 現在最強のトレーナーと言われているワタルはドラゴン使いのエリートである。

 フスベシティの伝統である「竜の試練」を史上最年少で突破し、カントーリーグとイッシュリーグの2冠に君臨している。

 さらにワタルは今なお実力を高めており、評論家たちから「すべてのリーグで王者になる可能性が高い」と言われていた。

 

 そんなワタルに注目が集まっていたのだが、その注目をすべてかっさらっていったのがシロナだった。

 シロナは新たにパートナーに迎え入れたディアルガを筆頭にリーグ戦を全勝で通過し、ワタルへの挑戦を決めた。

 

 伝説のディアルガがポケモンバトルの舞台に現れたことから、マスコミが注目。

 イッシュリーグのチャンピオン決定戦はかつてない高い注目度の中で行われた。

 

 結果はシロナの勝利に終わった。

 シロナはワタルのドラゴン軍団の猛攻を完全に抑え込んで、最強と目されていたワタルをねじ伏せ、自分こそが最強のトレーナーであることを全世界に見せつけた。

 

 一方で、圧倒的なパワーに抑え込まれたワタルはしばらく目の前が真っ暗になっていた。

 マスコミのインタビューに一言も答えることもなく、控室で一人たたずんだ。

 

 かれこれ1時間その場にたたずんでいた。1時間が経って、ようやくワタルは自分が敗北した事実を冷静に見ることができるようになった。

 

「ディアルガの力に負けたのか……いや、違う。己の修業が足りなかったのか……」

 

 ワタルはそう言って頭を押さえた。

 そのとき、ようやくワタルはポケベルが鳴っていることに気が付いた。

 

 関係者が電話をかけまくっていたようで、着信履歴にはたくさんの人の名前であふれていた。

 

 ドラセナ。

 ククイ。

 シャガ。

 ゲンジ。

 イブキ。

 タケシ。

 

 誰の電話にも出たくなかったが、たまたまいまククイからかかっていたので、ワタルは仕方なく出た。

 

「何だよ?」

 

 ワタルは気落ちした声で電話に出た。

 

「お前の無様な敗北姿。現地からしっかりと見させてもらったぜ。おれからすれば、ザマーミロとしか言いようがない結果だな」

「ちっ、クソ野郎が」

「待て、切るなよ。せっかく慰めてやろうと電話をしてやったんだぜ」

 

 ククイはそう言ったが、ワタルには冷やかしだとわかっていたので、電話を切った。

 ククイはワタルと同期のトレーナーで、ワタルのライバルとして注目されていた逸材だった。アローラ地方出身である。当時、アローラ出身のトレーナーは他の地方出身者に比べ劣るとされていたが、ククイはその常識を覆していた。

 しかし、二人の実力差は徐々に開き、ワタルがククイを圧倒するようになると、ククイはポケモントレーナーを引退してしまった。

 ワタルにこそ勝てなかったが、トレーナーとしてやっていけるだけの実力はあっただけに、ククイの引退はトレーナー界を騒がせた。

 

 その後、ククイはしばらく休学していた大学に復学して、そのままポケモン学者の道に入った。

 それなりに学者として頑張っているようで、ククイはワタルの練習相手としてたびたびカントーを訪れていた。

 

 ワタルは電話を切ると、再び頭を抱えた。

 しかし、すぐにまたポケベルが鳴った。

 

「ちっ、しつこいやつだ」

 

 と思ったが、電話主はククイではなくドラセナだった。

 

「……」

 

 ワタルは仕方なく電話に出た。

 

「何だよ?」

「はー、やっとつながった。いまどこにいるの? ずっと心配してたのよ」

「別にどこだっていいだろ」

「ワタル、落ち込んで、じ、自殺とか考えちゃダメだからね」

「んなことしねえよ」

 

 ワタルは電話を切った。

 ドラセナはワタルの母親のようなものである。

 血はつながっていなかったが、ワタルが幼いころから保護者としてワタルを育てて来た。

 

 ワタルは捨て子である。

 捨てられているところを、フスベシティの龍の祠を管理する師匠によって拾われた。

 

 ドラゴン使いは世界的なネットワークを持っている。

 身寄りのなかったワタルはドラゴン使いらのもとで育てられた。その中で、母親の役割を請け負ったドラセナはワタルにとってみると育ての親そのものだった。

 

 しかし、ワタルはドラセナには弱いところを見せたくなかったので、電話を切った。

 ワタルは勝ち続けることだけを生きがいに生きて来た。

 

 ワタルが強さを求めるのには理由があった。

 

 捨て子ゆえに、ワタルには親がいない。いくら、ドラセナが母親として愛情を注いでくれてもあくまでも血はつながっていない。

 だから、ワタルはドラセナには甘えられなかった。弱い自分を晒したくなかった。

 

 結果、ワタルは勝つことに執着するようになった。

 ポケモンバトルに対する考え方は人一倍シビアだった。

 

 負けたときも、ワタルはそのくやしさをバネに勝利の糧にした。

 一度も母親に甘えることができなかったがゆえに、いまのワタルの強さを生み出した。

 

 しかし、その力がシロナには通じなかった。

 勝つことがすべてというワタルの思想は、シロナの卓越した力の前に粉砕された。

 

 さすがのワタルもいまはナイーブな気分だった。しかし、甘えるわけにはいかない。甘えを見せてはいけない。ワタルはそう言い聞かせて、自分を奮え立たせた。

 

「修行だ。今すぐ修業が必要だ。もっと強くならなければ……」

 

 ワタルは落ち込んだ心を無理やり奮え立たせた。しかし、心の動揺は隠せなかった。

 

 ◇◇◇

 

 敗戦から1日が開けた。

 新聞の一面には、勇ましいディアルガの雄姿が映っていた。

 

「シンオウの女帝がイッシュの冠を奪還」

「ワタル撃沈」

「あのワタルが通じず」

 

 それぞれ、新聞社は好き勝手なことを書いていた。

 ワタルは新聞の一面を見るなり、それを丸めてゴミ箱に突っ込んだ。

 

「くそ、面白がりやがって」

 

 シロナとのイッシュリーグ戦の視聴率は45%を超えていたらしい。

 自分の情けない敗北姿が全国に流れたかと思うと、ワタルの自尊心は大いに傷つけられた。

 

 ワタルはプライベートジェットでさっさとライモンシティからフスベシティに戻ることにした。

 しかし、マスコミをかいくぐることはできても、プライベートジェットには色んな人がついてきた。

 

「ワタル!」

 

 どこでかぎつけたのか、空港にはドラセナの姿があった。ドラセナはイブキを連れて、ワタルがやってくるのを待っていた。

 イブキはワタルと同じフスベシティの門下生で、いまは龍の試練に挑んでいる最中である。

 イブキもドラセナとワタルのもとで修業を積む身なので、いつもどこでもついてきた。

 

「なんでおれがここに来るとわかった?」

「伊達にあなたの母親を20年近くもしていないわ」

「……」

 

 ワタルがそそくさと帰ろうとすることも、ドラセナにはお見通しだった。

 

「でも、昨日は衝撃的だったわ。正直、私はワタルが勝つと思ってたのよね。シロナさんも強いけどさ、絶対ワタルだと思ってたもの」

 

 イブキが昨日の戦いのことを言及した。ワタルは昨日の敗戦をさっさと忘れてしまいたかったので、あまりその話題に付き合いたくなかった。

 

「でも、ディアルガが出てくるのは想定外よね。師匠から聞いたことあるけど、本当にいたなんて。この調子だと、次のホウエンリーグでもシロナさんが台風の目になってきそうよね。ワタル、何か対策思いついてるの?」

「いま考えているところだ」

「あまり無理しちゃだめよ。しばらくはゆっくり休んだ方がいいわ」

「そうはいかん。このまま負け続けるわけにはいかない」

 

 ワタルはドラセナのいたわりを拒否した。帰宅と同時に厳しい稽古に参加するつもりだった。

 

 ワタルはさっさとフライトの手続きをした。

 3人を乗せたジェットはイッシュ地方を後にした。

 

 ワタルにインタビューしようとしたマスコミをうまく出し抜いてフスベシティに戻ることができた。



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2、裏試練

 フスベシティに戻ってきたワタルはひとまず、師匠のもとに敗北を伝えに言った。

 ワタルはフスベシティの龍の祠で修業を積み、竜の試練を突破して、現在世界最強のトレーナーとして君臨するようになった。

 

 ワタルはすでにすべての教えを理解したと思っていたが、今回の敗北を受けて、自分にはまだ力が足りないということを悟った。

 龍の祠には立派な橋がかかっていて、水中からはミニリュウが顔を出していた。

 

 ワタルは1つ深呼吸をすると、師匠のいる間の扉を開いた。

 

 師匠は間の中央で座禅を組んで座っていた。目を閉じ、気を集中させていた。

 齢90を超える老齢だが、何人もこの老人には勝てないと思わせるようなオーラが漂っていた。

 ワタルはしばらくその姿を見ていた。

 

「ワタルか」

 

 師匠は目を閉じたまま言った。

 

「師匠、私は敗れました。それを報告に上がりました」

 

 ワタルは元気のない声でそう言うと、師匠のもとまで歩いて行って、師匠と向かい合う形で腰を下ろした。ワタルもまた座禅を組んだ。

 

「敗北……そうか、やはりお前は敗れたか」

 

 師匠は「やはり」という言葉を使った。もしかしたら、ワタルの敗北を予言していたのかもしれない。

 

「力及ばず、門下に泥を塗ってしまい申し訳ありません」

 

 ワタルはそう言って頭を地面につけた。

 

「……」

「私にはまだ修業が足りませんでした。もっと……もっと大きな力を手に入れなければならないことを悟りました」

「……力か」

 

 師匠はようやく目を見開いて、ワタルを見つめた。ワタルは顔を上げて、師匠の視線を受けた。

 

「ワタル、敗北の理由……己の力不足にあると考えているのか?」

「違うと言うのでしょうか? ポケモンの世界は力の世界。力のある者が勝ちあがる世界です。現に私は師匠のもとで力をつけ、イッシュの頂きの座をつかんだのです」

「ふむ……間違いではない。己の力を高めること。それが修行の基本。力無き者に栄光無き。それはまぎれもない事実じゃ」

 

 師匠の言ったことに、ワタルもうなずいた。力こそが正義。ポケモンの世界では力こそがすべて。師匠も同じ考えでワタルは安心した。

 

「ワタルよ、お前の身に着けたその力には輝きが足りんのう」

「輝き……ですか?」

「ふむ、お前は誰よりも力を望み、文字通り、誰よりも力を身に着けた。輝き無き力、むなしき力」

 

 師匠は難しい物言いをした。ワタルは師匠の言葉の真理を掴み切れなかった。

 

「ワタル、そのむなしき力でホウエンリーグにも挑むつもりか?」

「いいえ……さらに力を磨くつもりです」

「お前のその未熟な心ではどれだけ磨いても輝きは生まれんよ」

「師匠はいったい何をおっしゃいたいのですか? 私にはわかりかねます」

「ワシが100の言葉で説明したところで、その意味がわかることはないよ。お前自身の目で真理を見つけ出さなければな」

 

 師匠はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ワタル、お前にチャンスを与えよう。ワシは初めて新たなる試練を紡ぐ。「裏試練」じゃ」

「裏試練?」

「お前は龍の試練を突破した身。じゃが、それだけでが龍の教えのすべてではない。裏試練を加えて、真のフスベの地の教えとなる」

「……」

 

 ワタルは裏試練なるものが存在する事実をこのときはじめて知った。

 

「ワタル、夕方6時の刻にもう一度ここへ来い。そのとき、ワシがお前に裏試練を与える。その試練はこれまでの試練で最も険しいものになるじゃろう。しかし、その試練突破した暁にはお前のその渇いた力に潤いと輝きが満ちるだろう。誰にも負けない真の力がな」

 

 師匠は霞がかかったような言葉を残した。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルは師匠の言葉の真理がわからないまま、間を後にした。

 

「輝きのない力……師匠はいったいおれに何を伝えようとしたのだろう」

 

 ワタルは橋を渡りながら、師匠の言葉を何度か反芻して考えてみた。しかし、何もわからなかった。

 力に輝きという概念があるのだろうか。力は力でしかない。

 

 力あるものが勝つ。シンプルなことだ。事実、ワタルは力によってここまで勝ってきた。

 力に輝きなるものがあるはずがない。

 ワタルはわからないまま龍の祠を後にした。

 

 祠の外にはドラセナが待っていた。

 ドラセナは今でもワタルの母親代わりとしていつも世話を焼いてくれた。最近のワタルはそのおせっかいを煙たく感じるようになっていた。

 いつまでも母親がついてくるのは恥ずかしいという気持ちが強かった。

 

「ご師匠様、なんて?」

「また6時に来いってさ」

 

 ワタルは言いながら、意識的にドラセナの前に出た。並んで歩いているところを周囲の人に見られるのには羞恥心があった。

 ドラセナもわかってか、ワタルの3歩後ろをついていった。

 

「なあ、ドラセナ。力に輝きという概念があると思うか?」

「んー? 輝きねえ……」

「師匠はいまのおれを見て輝きのない力、むなしい力だと言ったんだ」

「うーん……」

 

 ドラセナは師匠が言った輝きのない力というものを薄々どこかで感じ取っていた。しかし、それをワタルに説明するのは難しいことだった。

 

「おれの修業に対する姿勢がまだまだ甘いということなのだろうか。もっと厳しく自分を見つめなければならないということなのかもしれん」

 

 ワタルはそのように答えを出した。しかし、ドラセナはそれが誤った答えだということを確信を持って断言できた。

 

「ワタルに足りないのは力じゃないと思うけどな」

 

 ドラセナはそのように言った。

 

「力ではない? どういうこと?」

「私にもわからないよ。でも何となく思うの。力じゃないって。もっと別のものが足りないから輝いてないんじゃないかって」

「……」

 

 ドラセナの予想通り、ワタルは狐につままれたような顔をしていた。

 

 ◇◇◇

 

 フスベジムは現在2つある。

 もともと、ジムは国営であり、国の承認を受けたものが公認ジムとして税金で営まれる。

 しかし、ポケモントレーナーを目指す者がどんどん増えている中で、カントー政府は民営のジムを認めた。

 カントー政府には、四天王と呼ばれるポケモン業界の政治を担う組織がある。

 

 この組織には、たいてい著名なポケモントレーナーに選ばれる。

 ワタルも選ばれていたが、トレーナーに集中するため、その座を同門で友人でもあるイツキに譲っていた。

 

 現在四天王には、キョウ、カンナ、イツキ、キクコが在籍している。

 キョウは6度のチャンピオンに輝いた実績のあるトレーナーで、現役でまだ活躍している。

 カンナも2度のチャンピオンの経験があり、イツキはまだチャンピオンの経験はないが、ワタル世代と呼ばれる強力トレーナーの一角として有名だ。

 キクコは過去に16度のチャンピオンに輝いた実績がある。キクコはオーキド世代と呼ばれるトレーナー黎明期を支えたベテランである。60歳を過ぎたいまでも現役である。

 四天王は民営のジム経営を認め、用件さえ満たせば補助金を出すことも決めていた。

 

 これにより、フスベジムは2つになった。ワタルは普段はその1つで修業を積んでいる。

 ワタルの後援会が経営してくれている。

 

 ワタルはまもなく開催されるホウエンリーグ大会に向けて練習するため、ドラセナと共にジムにやってきた。

 

「坊ちゃん、いらっしゃい。ドラセナさんも」

「ああ」

「お世話になります」

 

 ワタルは自分の家に上がるがごとくジムに足を踏み入れた。

 

「しかし坊ちゃん、惜しかったですな。あと少しタイミングが早ければ、最後のところ、ディアルガをなぎ倒せていましたよ。負けはしましたが紙一重でした」

 

 後援会会長の小父はそのようにワタルを励ました。

 

「いや、大差。いまのおれでも再戦しても勝てない」

「坊ちゃん、あんまり根を詰めない方がいいのでは?」

「そうはいかん。ホウエンリーグは来月だ。1秒も無駄にはできん。すぐに修行だ。スコアラーは来ているか?」

「いま電話で呼びます」

「練習相手、呼べるだけ呼んでくれ」

「わかりました」

 

 ワタルは懐からモンスターボールを取り出した。

 

「ドラセナ、すぐに修行だ。相手してくれ」

「はいはい。相変わらず熱心ね。でも、もう少しぐらいは肩の力を抜いたほうがいいかもしれないわよ」

 

 ドラセナはそう言ったが、ワタルが聞くはずなかった。子供のころから勝つために命がけで努力してきたワタルに肩の力を抜けと言っても無駄なことは、母親を務めて来たドラセナが一番よくわかっていた。

 



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3、チームワタル

 ワタルとドラセナは対戦のためにステージ上で向かい合った。

 

 フスベジムには、公式戦で使用するものと同じステージがある。

 公式戦は、縦8m、横24mのステージ内にお互いにポケモンを1体ずつ繰り出して戦う。高さも16mと決められている。

 トレーナーはそのステージの外にあるトレーナーエリアからポケモンにモンスターボールを介して命令を出すことになっている。

 

 勝敗は、ポケモンが指定されたフィールドの外に出てしまうこと、ポケモンボールに累積したダメージ点数が一定値を超えた場合に決する。

 プロ同士の戦いでは、フィールドアウトで勝敗がつくことは珍しく、高火力の攻撃で相手のきゅうしょを狙い、速やかにダメージ点数を増やすことが基本戦術になる。

 

 トレーナーになって最初に覚えることが、各ポケモンのきゅうしょの位置だ。

 きゅうしょを狙うと、通常の約2倍のダメージが累積するので、効率よく攻めることができる。

 うまいトレーナーはこのきゅうしょを撃たせないような試合展開に持っていく。

 

 きゅうしょはポケモン距離が縮まるほど狙われやすいが、言い方を変えると、距離が縮まるほど相手のきゅうしょを狙いやすい。

 ワタルは徹底した接近戦術を取るインファイターとして知られる。

 

 ドラゴンダイブで相手を圧倒して、ゼロ距離からきゅうしょをはかいこうせんを狙うアグレッシブな試合を目指すことが多い。

 

 ワタルにこの戦術を授けたのがドラセナだった。

 ドラセナは過去にカロスチャンピオンに4度輝いた実績がある。

 

 ドラセナはもともとカロスの地で四天王をしていたが、捨て子であったワタルを引き取ってからはフスベシティに渡ってきた。ワタルが自立してからは、再びカロスの地で四天王として復帰した。

 しかし、ワタルが史上最年少の15歳でカントーリーグを制覇すると、再びワタルの練習相手を務めるためフスベシティに戻ってきた。

 

 各地を忙しく転々とするようになったドラセナだが、ドラセナは幼少期からシンオウ地方、アローラ地方、カロス地方、カントー地方、ジョウト地方と渡り歩いていて、むしろ定住するほうが不慣れだった。

 

 ワタルはドラセナと向かい合うと、モンスターボールを取り出して、ワタル最大の相棒であるカイリューを繰り出した。

 ワタルにとって、カイリューは魂の相棒だった。

 

 ワタルはフスベの北方にある氷の抜け穴で凍死寸前の状態で発見された。そのとき、ワタルを守るように寄り添っていたのがミニリュウだった。

 そのミニリュウがいなければ、ワタルの命がなかったとも言われており、まさにミニリュウはワタルの命の恩人だった。

 

 ミニリュウはワタルにとても懐いており、ドラセナのもとワタルと共にすくすくと育ち、現在世界最高のカイリューと言われるようになった。

 

 ワタルはそのカイリューと共に竜の試練を突破し、その後トレーナーデビュー。

 デビューから連勝を続け、33連勝はポケモントレーナーの世界では世界記録となっている。

 

 ワタルは現在、勝率7割8分台を維持しており、これは全トレーナーの中で最高の数字だ。

 15歳でチャンピオンに輝いてから7年。ワタルはカントーリーグ5回、ホウエンリーグ3回、イッシュリーグ3回、カロスリーグ2回、アローラリーグ2回など、世界中のリーグを次々と制覇。

 史上初の同一チャンピオン5つという空前絶後ともいえる記録を打ち立て、世界最強のトレーナーと称されるまでになった。

 

 それだけに、ワタルの実力は圧倒的。

 ドラセナも6割を超える勝率を超える実力者だったが、ワタルはドラセナを圧倒した。

 ドラセナが繰り出したジャラランガは接近戦でめっぽう強く、一般論としては、カイリューは接近戦ではジャラランガには後れを取るということになっている。

 

 しかし、ワタルのカイリューはドラセナのジャラランガを力でねじ伏せてしまった。

 ワタルは公式戦でこれまで11度対戦しているが、1度も負けたことがなかった。

 

 今回の手合いでも、ワタルはドラセナを圧倒した。

 

「ほんとに強くなったわね、ワタル。私の教えることは何もないわ」

 

 ドラセナは完敗を認めた。

 

「だが、この攻撃がシロナには通じなかった。何かが足りないのだ」

 

 ワタルは圧倒的な力で勝利したものの、まだ手ごたえを掴めなかった。

 

 ワタルは勝率7割8分を超える最強のトレーナーだが、もともとシロナには苦戦しており、これまで28度の対戦で11勝17敗と大きく負け越している。

 ワタルに勝ち越しているトレーナーは俗に「ワタルキラー」と呼ばれるが、シロナはワタルキラーの筆頭だった。

 

 世界各地でチャンピオンに輝き続けるワタルだが、これまでにシンオウリーグだけは制覇の経験がない。

 その背景には、シロナが壁として立ちはだかってきた経緯がある。シロナはワタルがデビューする前からシンオウリーグのチャンピオンだったが、現時点までその座を守り続けている。

 シロナはシンオウリーグではめっぽう強く、これまでワタルの3度の挑戦をすべて退けている。

 そのうえで、シロナがディアルガを手に入れてさらに強くなったため、ワタルの天下に乱れが生じるようになった。

 

「ドラセナ、お前はシロナキラーなのだろう。おれに足りないものが何かわからないのか? 師匠が言ったおれにない輝きとはいったいなんだ?」

「そう言われてもねぇ……」

 

 ドラセナはワタルに足りないものを薄々と感じ取っていたが、それを言葉で説明する方法がわからなかった。

 ワタルはシロナに苦戦しているが、ドラセナはそのシロナにはめっぽう強く、過去41度の対戦で26勝15敗とかなり大きく勝ち越している。

 

 ドラセナはカロスリーグでシロナと3度対戦しているが、その大舞台ですべて勝利している。

 

 それだけに、ワタルはドラセナに期待していたが、ドラセナにもワタルに足りない要素はわからなかった。

 ホウエンリーグ戦が始まるまで時間がない。ワタルは焦っていた。

 

「ドラセナ、まさかだとは思うが、おれの前でだけ手加減していないだろうな?」

「まさか、私はそんなことしないよ。いつも全力が私のモットーよ」

「ならば、なぜおれはシロナに勝てないのか」

 

 ドラセナはシロナには強く、シロナはワタルに強く、ワタルはドラセナに強い。三すくみの関係があった。

 ドラセナに強いなら、ドラセナに弱いシロナにも強いのではないかと思えるところだが、結果はまったくそうはならなかった。

 

「そうねえ。精神的な問題かもしれないわね。苦手意識があるからいつもの力が発揮できないのよ。私もそういうことよくあるわ」

「そんな精神論程度のことか?」

 

 ワタルは自分の過去の対戦を振り返った。

 たしかに、対シロナ戦で負けが続くと、いつもより力んでしまっているところがあったかもしれない。

 しかし、ワタルはそういう点以上にシロナから差を感じていた。

 

 この差を埋めなければ、ホウエンリーグでもイッシュリーグの二の舞。ワタルはあと1か月でこの差を埋めなければならなかった。

 

「坊ちゃん、チームメンバーを連れてきましたよ」

 

 そのとき、後援会の会長がチームのメンバーを連れて来た。

 

 チームワタルはワタルが15歳でカントーチャンピオンになったときに結成された。

 

 もともとドラゴン使いは親交が広く、世界中のトレーナーとネットワークを持っている。

 例えば、イッシュ地方にはシャガが会長を務める「ドラゴンライダーズ」があり、ワタルは何度もドラゴンライダーズの中で、シャガの教えを受けた。

 ホウエン地方には、ゲンジが会長を務める「ドラゴン連合」があり、ワタルはそこでも揉まれて実力をつけてきた。

 

 このように、ドラゴン使いはチームを好み、そこで交流を通して実力者を育てていく。

 ドラゴン使いが会派を好むのには理由がある。

 

 一昔前、まだ戦争が繰り広げられていた時代、最も多く戦争に利用されたのが、ドラゴンポケモンだった。

 ドラゴンポケモンは攻撃力と飛行能力ともに優れており、エスパーポケモンと並んで、戦争の主力兵器として利用された。

 戦争が終わり、ポケモンの軍事利用が全面禁止となってからも、ドラゴンポケモンはクーデターなどに利用された。

 

 そこで、ドラゴン使いを相互監視によって管理していこうという風潮が生まれた。

 ドラゴンポケモンを使う者は清い心が必要ということで、会派の多くが人格形成に力を入れた。

 

 ワタルもこうした会派の中で厳しくしつけられた。

 

 そして、ワタルもチームワタルという自分のチームを持つようになった。

 ただ、チームワタルを作ったのはワタルではなくドラセナである。

 

 ドラセナはワタルがトレーナー業に専念できるようにと、ワタルの専用チームを作り、後援会がそれを支援した。

 現在、チームワタルには、スコアラーが5人いて、世界中を飛び回り、対戦相手となるトレーナーの視察を行っている。

 そして、チームワタルには色々なトレーナーが参加している。

 

 現時点でのメンバーは以下。

 

 ワタル

 ドラセナ

 タケシ

 ナツメ

 ヒガナ

 その他8人のドラゴン使い。

 

 ワタルとドラセナの2人から始まったが、ワタルの後輩にあたるタケシや幼馴染のナツメなどが参加して、メンバーもかなり充実した。

 

「ちーっす、ワタル先輩」

 

 独特の笑顔でやてきたタケシはワタルに馴れ馴れしく挨拶した。

 

「いやー、まさか先輩が負けるとは思ってなかったっすよ。でも、シロナさん強かったっすよね。このまま、先輩のチームを脱退して、シロナさんのチームに混ぜてもらおうかななんてね」

「貴様、おれの恩を忘れたのか?」

「冗談っすよ、冗談」

 

 タケシはそう言って陽気に笑った。

 タケシは強くなりたいという理由でチームワタルに弟子入りしてきた少年だった。

 

 当初はドラゴンポケモンを使いたがったが、どうしてもうまく使いこなせない。そこで、ワタルが「岩ポケを使え。そのほうがお前らしい」と助言して、ドラゴンから岩ポケに転向。

 すると、タケシは水を得た魚のように順調に活躍し始め、現在は7つのバッジを獲得。来年にはプロになれそうな勢いだった。

 

「ところでお前だけか?」

「ナツメさんは明日来るって言ってましたよ。ヒガナさん家に遊びに行ってるみたいで」

「ったく、肝心な時に気まぐれなやつめ」

 

 ワタルは拳を握り締めた。

 ナツメはワタルの幼馴染で、イッシュリーグを制覇するほどの実力者である。

 ナツメもまたワタルキラーとして知られ、ナツメがイッシュリーグを制覇したときは、ワタルからその冠を奪取していた。対戦成績は9勝9敗と5分だった。

 ナツメは幼馴染であり、ライバルでもあった。総合的には、ワタルのほうが出世したが、ナツメはワタルにも強いほか、シロナにも互角の成績を上げており、なくてはならない練習相手だった。

 

「坊ちゃん。シロナの分析を担当していたスコアラーのゴトウさんを連れてきましたよ。ともかくこれから対策を立てましょう。対ディアルガが最大の命題でしょうからね」

 

 ひとまず、集まったメンバーでシロナ対策を練ることになった。

 



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4、力と技

 チームワタルには優秀なスコアラーが幾人かついていて、彼らは世界中を駆け巡って、ライバルらのデータを取っていた。

 ゴトウは主にシンオウ地方を拠点に、シンオウ地方のトレーナーの分析を行っていた。

 

「いやはや、なかなか濃密なデータ分析ができましたよ。シロナはリーグ戦後、マスコミの対応に追われていてあまり練習できてない様子でしたが、ホウエンリーグの制覇に向けて秘密裏に練習を始めたようです」

「秘密裏?」

 

 後援会の会長が尋ねた。

 

「そうです。シロナはマスコミの前で公開練習しないんで、データの取りようがなかったんです」

「ならばどうやってデータを取ってきたんだ? さっきデータ分析ができたと言っていただろ?」

 

 ワタルが尋ねた。

 

「そこはこのゴトウをなめてもらっては困ります。私はシロナ陣営の関係者に頭を下げ、土下座をし、接待を繰り返し、特別に練習場に入れてもらえたのです。で、じっくりとデータ分析することに成功したわけです」

 

 ゴトウは得意げにそう言った。

 

「シロナの練習場には、若手がけっこう集まっているみたいですね。イッシュリーグに初めて参加したナタネ、ほかスズナやコゴミなど前途有望な若手を集めて練習しているみたいです」

 

 ゴトウは持ってきていたノートパソコンで練習の一部始終を公開した。

 

「ディアルガの戦いぶり、このカメラにじっくり収めて来ましたよ。ご覧ください」

 

 チームワタルのメンバー各々は寄り集まってノートパソコンの中を覗き込んだ。

 

「ロトム仕様のスーパーカメラで60分の1フレーム感覚で静止画を取りました。敵の攻撃パターン、速度、モーションすべて筒抜けです。丸裸にしてやりましょう」

 

 

 ゴトウはチームワタルをけん引するスコアラーだけあってかゆいところに手が届くようにデータを取っていた。

 高いレベルの戦いでは0コンマの判断が求められるが、360分の1秒間隔で敵のモーションをカメラに収めていた。

 

 素人の目にはわかりにくい細かい映像解析だったが、トレーナー経験の長いワタルやドラセナ、タケシはその映像からシロナの実力を推し量っていた。

 

「いやさすがっすね。反応が早すぎですよ。このシーン、相手のラフレシアがわずかにかがんだだけで、次の行動を完ぺきに予測してディアルガが反応してますよ。うーん、チャンピオンになる日とは芸が細かい」

 

 タケシはそのように解説して腕を組んだ。それからワタルに顔を向けた。

 

「それに比べてワタル先輩は雑っすね。そりゃ、シロナさんに勝てないのは当然っすよ」

「ちょっと黙ってろ」

 

 ワタルは頭を押さえつけた。

 

「このように、シロナは昔から緻密な作戦で戦ってきます。ワタルさんのようなパワーで攻めるタイプにとって、緻密なシロナは天敵だと思うのです」

 

 ゴトウがそのように解説をまとめた。

 ワタルは目を細めて、パソコン画面に映るディアルガを凝視した。

 昔から言われていることだが、パワー型は技巧型に不利である。ワタルはそのハンディを克服して、これまでに技巧型のトレーナーを倒してきたが、シロナはその中でも別格に細かかった。

 相手の攻めの急所を咎めて、確実性の高い方法で反撃する。これがシロナの基本戦術だが、それがディアルガの加入により洗練されていた。

 ワタルにとって、最大の容易ならざる相手と言えた。

 

「このディアルガに弱点があるとすれば、攻撃のモーションが大きいことです。ここのフレームをご覧ください」

 

 ゴトウは別にまとめていた動画をスローモーションで再生した。

 

「これがワタルさんのカイリューを叩き伏せた亜空切断による攻撃です。この攻撃には140フレーム以上のモーションを擁しています。つまり2秒以上も攻撃にかかっているのです。もっとも、そこから繰り出される波動は軌道が読みにくく、4メートルを1フレームで駆け抜けているわけですが」

「すごい攻撃ね。どう対処するのがいいのかしら」

 

 ドラセナは亜空切断の攻撃を見ながら、対処法を思い浮かべた。

 

「やっぱ接近してガツンと頭を叩くしかないっすね。ワタルさんに緻密な芸当なんてできないでしょ?」

 

 タケシは他人事のように言った。タケシはこう見えても、ワタルの性質をよくわかっていた。 

 ワタルは図星だったので反論しなかった。

 

「しかし、亜空切断が高フレーム技だとしても接近のリスクはかなり高いです。隣接で放たれると一撃必殺級の威力があります」

「ならばどうするというのだ?」

 

 ワタルには解決策がわからなかった。

 

「実際にシミュレーションして確かめるしかないのですが、問題はどこからディアルガを持って来ればいいのでしょうか?」

 

 ゴトウの言った問題はまさに最大の課題だった。

 シロナが良く使用するポケモンは、ガブリアス、ミロカロス、ルカリオあたりだが、これらは調達することができる。特にガブリアスに関しては、ドラセナもガブリアスの名手だから、練習することができる。

 だが、ディアルガはシロナ以外の誰もが持っていない。ゆえに、練習しようにも、シロナ本人をここに連れてくるほかない。

 

「誰かシロナさんを連れてきます? シロナさんの美しく華麗な技をぜひ僕に教えてくださいなんつって」

 

 タケシはワタルよりシロナのほうが尊敬しているようだった。

 

「シロナは絶対よそのチームには参加しませんね。かたくなに自分の土俵にとどまる傾向があります」

 

 ゴトウが言った。シロナはデビュー当時から、他のトレーナーとの交流を避ける傾向が強く、実績が上がっても、自前のチーム内でしか練習はしなかった。

 

「ならばどうするんだ?」

「一応、ディアルガの亜空切断に近い挙動として、フライゴンの竜の波動があります。フレームレベルと弾道が酷似しています。ひとまず、フライゴンで練習してみては?」

「それなら私が相手してあげられるわ」

 

 ドラセナはドラゴンタイプならたいていのポケモンをトップレベルで使いこなすことができる。ただ、ドラセナがフライゴンを使う機会はほとんどない。

 

「わかった。ともかくフライゴンで対策だ。ドラセナ、手ごろなフライゴンは持っているか?」

「ゴン太君がいるよ。連れてくるからちょっと待っててね」

 

 そう言うと、ドラセナはポケモンセンターに出かけて行った。ゴン太君。ワタルはドラセナのニックネームの流れをいまだに理解しきれないでいた。

 

 ◇◇◇

 

 ひとまず、ドラセナが連れて来たゴン太君がしばらくの練習相手だった。

 ワタルはさっそく練習に参加したが、あくまでもディアルガの妥協点であるから、何度練習してもいまいち手ごたえがなかった。それがそのままディアルガに通用するような気があまりしなかった。

 

 そんなこんなでワタルの厳しい練習は夕方まで続いた。

 ゴン太君は疲れ果て、その後タケシもイワークやサイドンでワタルの相手を務めたが、みな疲れ果ててしまった。

 

「いやー、ワタル先輩のポケモンはパワーがダンチだからみんな疲れ果ててしまいますよ」

 

 ワタルのポケモンを相手にするポケモンは大変である。ポケモン界最強ともいえるパワーアタッカーが揃っているワタルのドラゴンポケモンはその一撃が圧倒的に重たい。強固なサイドンも3度の攻撃で根を上げていた。

 

「そんなことだから、お前は未熟なんだ」

 

 ワタルはそう言ってタケシに喝を入れた。

 

「おれのパワーに耐え凌げなければ、お前がチャンピオンになる日は永久に来ない」

「相変わらずキビシー」

 

 タケシはそう言いながらもヘラヘラと笑っていた。常に真剣で笑顔など一度も見せないワタルとは正反対だった。

 

「ワタルのポケモンも疲れてると思うよ。ちゃんと休ませてやらないとだめよ」

「この程度で根を上げていてディアルガに勝てるものか」

 

 ワタルはドラセナの忠告を話半分にしか聞かなかった。常にオーバーワーク気味に戦い続ける。それがワタルの力の源だった。

 

 ◇◇◇

 

 本来なら、もう少し遅くまで練習するところだが、ワタルが早めに練習を切り上げたのには理由がある。

 今日夕方、師匠から「裏試練」を受けることになっていた。

 ワタルはその足で師匠のもとに向かった。

 

「それじゃあ、私は夕飯の支度して待ってるから。あまり根を詰めちゃ駄目よ」

「ああ」

 

 途中ドラセナと別れて、ワタルは師匠のもとに向かった。



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5、お姫様

「時間だ。行くか」

 

 ワタルは時間を確認してから、師匠のいる間に足を踏み入れた。

 いつもは静かな場所だったが、今日は甲高い声がとどろいた。

 

「わー、本物のワタルさんだ!」

 

 その声のほうに顔を向けると、少女が一人駆け足でワタルのもとに向かってきて、無邪気な笑顔で見上げてください。

 

「サイン下さい」

 

 少女はそう言って両手で持った色紙を差し出した。

 

「……?」

 

 ワタルは一応サインをした。すると、少女は色紙を受け取ると、嬉しそうにその場でグルグルと回った。

 

「おう、小僧。来たな」

「シャガ、どういうことだ? この子は誰だ?」

 

 ワタルは目の前にいたたくましい老齢の男に尋ねた。

 

 シャガはイッシュ地方を代表するドラゴン使いとして知られ、かつて最強のトレーナーと言われていたオーキドのライバルとして活躍した。

 16度のチャンピオンに輝く名トレーナーであり、老齢になった今は第一線からは退いているが、まだ現役で活躍している。

 

 シャガはワタルにとって恩師でもあり、ワタルがトレーナーとして大成するのに重要な役割を果たしてきた。

 

「アイリスだ。分け合って面倒を見ることになってな。まあ、事情はお前と似たようなもんだ」

「アイリスです。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 

 アイリスはそう言うと、ていねいに頭を下げた。どこか抜けたところがあったが、礼儀正しい少女だった。

 

「ワタル、ここに座りなさい」

 

 奥でたたずんでいた師匠がワタルを呼んだ。

 ワタルは師匠に向かい合うように座った。

 

「さっそくお前に裏試練を言い渡す」

「お願いします」

 

 ワタルは力強い目で師匠を見つめた。どんな厳しい試練でも耐え抜く覚悟だった。

 しかし、師匠から言い渡された試練の内容は意外なものだった。

 

「ここにいる子、アイリスはお前と同じようにあて知らぬ身じゃ」

 

 ワタルは隣に座ってニコニコとほほ笑んでいたアイリスのほうに顔を向けた。

 アイリスはワタルの真似をして正座をしていた。見る限り、あてがないことをコンプレックスに抱えているようには見えなかった。とても明るい少女だった。

 

「いまシャガと相談してな、裏試練の内容にふさわしいと考えた」

「……どういうことですか?」

「ズバリ、裏試練とはアイリスの面倒を見てあげなさいということだ」

 

 ワタルは師匠の言ったことの意味を理解することができなかった。アイリスの面倒を見ることのどこが試練なのかという気分だった。

 

「師匠、話が見えません。それが試練だというのですか?」

「そのとおり。アイリスはワタルに足りない最後の要素を教えてくれる先生になるだろう。裏試練を突破した暁には、ワタルよ、お前は本当の強さを手にすることになる」

 

 師匠はそう言ったが、ワタルにはどうしても理解できなかった。

 ワタルにとって、試練とは厳しいものであり、過酷なものである。アイリスの世話をするというのは、まったく試練らしくなかった。

 

「師匠、私にはわかりません。それが何の試練だというのですか?」

「見えぬか? 見えぬなら、お前はまだ未熟ということ。見つけ出してみなさい。この試練の意味」

「……」

 

 ワタルはうつむいた。どうしても意味を理解することができなかった。

 

「決まりだな、小僧」

 

 シャガはいまも昔もワタルのことを小僧と呼んだ。ワタルはそれを嫌っていたが、シャガはそう呼び続けた。

 

「おれはしばらくヤマブキシティの仕事が入っていて、アイリスの面倒を見てやれない。小僧、頼んだぞ」

「待てよ、なぜおれなんだ。ドラセナに任せろよ、そういうことは」

「ご師匠様が先ほど言われただろう。これが試練だ」

 

 シャガはこの試練の意味を少しばかり理解していたようだが、核心をワタルに話すことはなかった。

 

「アイリスはお前に憧れてポケモンの道を進み始めた。だから、小僧、てめえがアイリスの師匠だ。責任重大だぞ」

「……本気で言ってるのか?」

「2週間後に、ヤマブキシティでジュニアポケモンリーグの世界大会が開かれる。アイリスはイッシュ代表の一人に選ばれていてな、小僧、それまでにアイリスに優勝できるだけの実力を授けてやってくれ。それが試練だ」

 

 シャガはそう言ったが、ワタルは動揺した。

 己の実力を高めることに夢中になってきたワタルにとって、誰かに教え諭す経験は皆無だった。

 

 物心ついたときから、師匠が、ドラセナが、シャガが師匠であり、彼らと戦うことでワタルは実力をつけていった。それは今も現在進行形で続いていた。

 

「わかったな、ワタル。この裏試練、突破してみせよ。さすれば、もはやワシからお前に授けることはなくなる。免許皆伝じゃ」

「……」

 

 ワタルはまだアイリスの世話が自分の実力を高めることにつながる気がしなかった。

 難しい顔をしているワタルを裏腹に、アイリスは笑顔でワタルにあいさつした。

 

「ワタルさん、ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします」

「……」

 

 ワタルの裏試練はこうして始まった。

 

 ◇◇◇

 

 シャガはアイリスをワタルに預けると、仕事のためにヤマブキシティに向かった。

 ワタルはアイリスを連れてしばらく行動することになった。

 

 子供の扱いには慣れていない。だから、アイリスとどう接していいかよくわからなかった。

 幸いなことがあるとすれば、アイリスは礼儀正しい性格だったということだ。わがままですぐ泣きだすような扱いにくい子供とは違い、幼くしてすでに人間ができていた。

 

「ワタルさん、ミニリュウがこのあたりにいると聞きました。どこにいるのですか?」

「ミニリュウ? ああ、明るくなったらそのあたりから顔を出す」

「それは楽しみです。私、ミニリュウを捕まえるのがすごく楽しみだったんです」

 

 そう言うと、アイリスは川を覗き込んだ。

 覗き込むのに夢中になってしまったのか、アイリスは転落しそうになった。

 

「おい、危ないぞ」

 

 ワタルがとっさにアイリスの体を支えたので、転落をまぬがれた。

 

「はふー、落ちるかと思いました」

 

 アイリスはそっと胸をなでおろした。

 

「申し訳ありません。私、おっちょこちょいなところがありまして。ご迷惑をおかけしないように気をつけます」

 

 アイリスはそう言って笑った。扱いにくいのか扱いやすいのかよくわからない少女だった。

 

 ひとまず、ワタルはドラセナの家に向かった。

 ドラセナの家がワタルの実家である。ワタルの別荘は各地にいくつかあり、最近は実家で寝泊まりする機会は減っていた。

 ワタルにとって、ドラセナは母親のようなものであり、いつまでも実家の世話になっているのが恥ずかしいという気持ちがあった。

 

 しかし、ドラセナはワタルの別荘にたびたびやって来て世話を焼くので、ワタルはいまだに母親離れできない子供のような気分になることがあった。

 

 実家にアイリスを連れて行って、ドラセナに事情を話した。

 

「まあ、かわいい子ね。アイリスちゃんと言うの?」

「はい、アイリスと言います。しばらくワタルさんのお世話になることになりました。ドラセナさんにもお世話になります。よろしくお願いいたします」

「すごく礼儀のいい子ね」

 

 アイリスは子供とは思えないほど礼儀正しいところがあった。

 

「まあそういうわけで、なぜか試練がアイリスの面倒を見ろということに決まった」

「そうなんだ。不思議な試練ね」

「はっきり言って、おれはいまそれどころじゃない。ホウエンリーグが近くまで迫ってるんだ。ガキの面倒なんて見ている余裕がない。ドラセナ、悪いがアイリスを頼めるか?」

 

 ワタルはまだ試練の意味を理解していなかったから、アイリスの面倒をドラセナに任せようとした。

 

「ワタル、だめよそれは。あなたがアイリスちゃんの面倒を見るのが試練なんだったら、あなたが見なきゃ」

「だが……」

「ご師匠様の試練を途中で投げ出すなんてそれでいいの?」

「……」

 

 ワタルは踏みとどまった。しかし、アイリスの面倒を見ることが自分の実力を高めることとどう関係しているのかどうしてもわからなかった。

 

「アイリスちゃん、夕飯はまだ?」

「はい、おなかすきました」

「それじゃあ、みんなで食べましょう。お口に合うかわからないけれど、どうぞ」

「わはー、ありがとうございます」

 

 ドラセナは子供の扱いに慣れていたから、アイリスとのやり取りも自然だった。ワタルはその光景を見て首を傾げた。

 



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6、竜星の民

 ワタルが師匠から受けた試練は、アイリスをしばらく預かること。

 それはこれまでにない不可解な試練だった。

 

 ワタルはこの試練にどのような心構えで望めば良いのかわからなかった。

 名だたるトレーナーと対戦をするような試練であれば、集中力と闘争心を持って臨めばいい。ワタルもその心構えは慣れ親しんだものだった。

 しかし、アイリスの面倒を見るというのは、これまでにワタルが身に着けたものとは対極にある要素を必要とした。

 

 翌朝、目覚めたアイリスは顔を洗い歯磨きを始めた。アイリスは言い聞かせなくても良くしつけられた少女だった。

 それだけに、ワタルがあれこれ世話を焼く必要もなかった。世話を焼く必要がないということは、試練の意味を見つけ出す糸口もまたないということだった。

 

 その後、ドラセナと3人で朝食。

 ワタルはいつものとおり黙々と食事に専念したが、アイリスとドラセナは出会って間もないにも関わらず、会話が弾むようであった。

 ワタルは昔から世間話が苦手で、無駄口を叩かない性格だった。

 ワタルはもしかしたら、そういうところなのかもしれないと思った。例えば、幼い子供とコミュニケーションを取る能力を問うた試練なのかもしれない。

 

 しかし、ドラセナの真似はできそうもなかった。

 

「ワタル、今日もジムで練習するの?」

「当然だ。ホウエンリーグまで時間がないのだからな」

「でもせっかくアイリスちゃんを預かったんだから、観光に連れて行ってあげたら?」

「そんな時間はない。少しでも多く修行を積まなければならんのだ」

 

 ワタルはドラセナの提案を否定した。

 

「あんまり根を詰めても良くないと思うけどな。アイリスちゃんもどこかに出かけたいよね?」

「いえ、ワタルさんの戦いが見れるなんて光栄ですから」

 

 気を利かせたのか、アイリスは笑顔でそう答えた。

 

「私もポケモントレーナーになるのが夢なのです。おじいちゃんに将来はイッシュリーグのチャンピオンになると約束しました。ワタルさんの戦いから色々と勉強させていただこうと思います」

「そう、アイリスちゃんは勉強熱心なのね」

 

 ドラセナはそう言いながら、幼いころのワタルと面影が似ていることを感じ取っていた。

 

 ◇◇◇

 

 フスベジムには、いつものようにチームワタルのメンバーがそろっていた。

 昨日はいなかったナツメとヒガナも今日はやってきたということで、ベストメンバーで練習できる環境が整った。

 

 ナツメはフスベジムにやってくると、ワタルがアイリスを連れていたので、次のように尋ねた。

 

「ワタル、あなたいつからロリコンになったの? マザコンだったはずでしょ?」

「誰がマザコンだ。ロリコンでもねえ」

「じゃあ、その子は?」

「シャガが仕事だから世話を頼まれただけだよ」

 

 ワタルは答えた。

 

「アイリスです。ナツメさんは何度もテレビで見たことあります。ちょー、感動です」

「よろしく」

 

 ナツメとアイリスもすぐに打ち解けた様子だった。ナツメはワタルの幼馴染であり、昔から社交性が高かった。

 

「ナツメさんはエスパー少女だと聞いたことがあります。何か超能力を見たいです」

「そうね……じゃあ、このスプーンを曲げてみせるわね」

 

 ナツメはそう言うと、どこからともなくスプーンを取り出した。

 すると、それを指先1つで曲げてみせた。

 

「このようにいとも簡単にスプーンが曲がってしまいました」

「わー、すごーい。それがサイキックパワーなのですね」

 

 アイリスは感動していた。

 

「ただの素の力じゃねえのか?」

 

 ワタルが独り言のようにつぶやいたが、ナツメの地獄耳には届いたようだった。

 

「ん、何か言った?」

 

 ナツメはそう言うと、持っていたスプーンを握り締めてぺしゃんこにした。

 

「いや、何も……」

 

 ワタルは目をそらした。ナツメとは昔からの付き合いだが、ワタルは昔からナツメには力負けしていた。

 

 ナツメもポケモントレーナーとしての実力者であり、ヤマブキジムのリーダーを務めながら、世界的に活躍している。世界最強と評されるワタルには強く、ワタルからイッシュリーグのタイトルを奪取した実績がある。

 そんなナツメは気が付いたように自分の後ろに隠れていたヒガナのほうを振り返った。

 

「なに照れてるの。ほら」

 

 ナツメはそう言うと、ヒガナの背中を押してワタルと向かい合わせた。

 しかし、ヒガナは恥ずかしそうに顔を背けて、再びナツメの背中に隠れてしまった。

 

「そちらの方は?」

 

 アイリスが尋ねた。

 

「ヒガナ。恋する乙女よ」

「……?」

 

 アイリスはいまいちよくわからない様子だった。

 ヒガナはかつてホウエン地方の少数民族であった竜星の民の末裔であり、昔からとてもおとなしい性格だった。

 

 竜星の民は昔、強い迫害と共に魔女狩りの対象にもなっていて、今でも偏見の目で見られる。

 竜星の民は「竜の災いをもたらす悪しき血の持ち主」とされてきた。

 神話によると、竜星の民は「レックウザの怒り」をもたらし、それがホウエン地方に災いをもたらすとされ、その影響で強い迫害を受けていた。

 村は焼き討ちされ、過酷な環境を生き残れたのは少ししかいなかった。ヒガナはその数少ない生き残りである。

 

 いまは表立って差別されることはないが、かつての忌々しい記憶がDNAに刻まれているのか、ヒガナは常に何かにおびえるように生きていた。

 そんなヒガナだけに人を避けて生きる傾向にあったが、ナツメとは親友になり、ワタルには恋心を抱くようになったようである。

 しかし、ワタルはもともと恋愛とは無縁の力だけを追い求める日々を送ってきたうえに、ヒガナも奥手だったので、その思いがワタルに伝わったことはなかった。

 ナツメが二人の仲を仲介することがあったが、それはうまくいっていなかった。

 

「よろしくお願いします。私はアイリスです」

 

 アイリスはヒガナに挨拶したが、こんな幼い少女に対してもヒガナは恐怖心を喚起させてナツメの背中に隠れた。

 そんなヒガナだが、ポケモントレーナーとしての実力は高く、まだチャンピオンになったことはないが、その実力はワタルも認めるほどだった。

 

「しかしヒガナが来てくれて助かった。フライゴンを使わせたらやはりヒガナが一番だからな」

 

 ワタルはヒガナが来たことを感謝したが、あくまでも練習台としてヒガナを見るだけだった。

 ナツメやドラセナに言わせると、もっと乙女心に気を遣えということになるが、鈍感なワタルにはそういうことは理解できない様子だった。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルはシロナのディアルガと戦うために、フライゴンを仮想敵として対策を立てている。

 ドラセナもフライゴンの名手の一人だが、最強のフライゴンの使い手と言えば、ヒガナの右に出る者はいない。

 

 というわけで、ワタルはヒガナと対峙した。

 ヒガナは臆病な性格だが、ポケモンバトルとなると人が変わったように、その目は竜の眼光を放ち、とても野生的になるところがあった。

 ワタルと向かい合ったヒガナは先ほどまでの恋する乙女の表情から、戦闘民族の表情に変わった。

 二人の目はどことなく似ているところがあった。ワタルも集中力を高めたとき、竜星の民が持つ独特の眼光を放つようになる。

 

「な、なんだかすごい熱気を感じます」

 

 アイリスは二人を見ていて、独特の熱気を感じ取っていた。

 

「あの二人はポケモンオタクだから。対戦になると人が変わるのよ」

 

 ナツメがそう説明した。ワタルもヒガナも対戦になると、対戦の世界に没頭した。

 

「それが一流の目なのですね。私もやってみます。むむむ、むっ。どうですか?」

 

 アイリスは二人の真似をしたが、二人の持つ眼光とは違うものだった。

 

 ワタルとヒガナの対戦が始まった。

 

 ワタルは最高の相棒であるカイリューを繰り出し、ヒガナは最高の相棒であるフライゴンを繰り出した。

 ワタルのカイリューは普通のカイリューよりも力強く、その眼光も研ぎ澄まされているが、ヒガナのフライゴンもそういうところがあった。

 

 フライゴンはスピードの権化とされ、カイリューはパワーの権化とされているが、まさに最高峰のスピードと最高のパワーのぶつかり合いになった。

 その迫力は見る者を魅了した。

 

 パワーがわずかに勝ればカイリューが押し込み、スピードがわずかに勝れば、フライゴンがカイリューを叩きつけた。

 紙一重の戦いだが、たいてい最後には、ワタルがパワーでスピードを叩きつけることになった。

 

 しかし、二人の戦い方は同じ方向性を持ったものだった。



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7、ポンコツ先生

 世界中のトレーナーで争うホウエンリーグは来月8日から開催される。

 イッシュリーグの戦いが終わって、約40日後には次の戦いが始まるので、トレーナーにとってはゆっくり休む時間はない。

 

 しかし、プロリーグの影に隠れているが、アマチュアのポケモンバトルリーグにも花形となる大きな大会が3つある。

 

 1つは「ホドモエアマチュアワールドカップ」

 毎年冬にイッシュ地方で開催されるアマチュア大会では最大規模のもので、この大会で成果を出してプロリーグに上がってくる若手は少なくない。

 もう1つは「カントージュニアワールドリーグ」

 アイリスが参加するこの大会は、ホドモエワールドカップと異なり、実績のあるアマチュアトレーナーが選抜されて開催される。

 各地のアマチュアトレーナーの戦績を考慮して、運営側が16人のトレーナーを選抜するトーナメントとなっている。

 最後の1つが「アローラワールドカップ」

 世界最大規模のアマチュア大会で、アローラの各島でリーグ戦が行われ、決勝戦はアローラ最大の高山であるラナキラマウンテンで行われる。

 ククイやカヒリなど名トレーナーを多く世に送り出した伝統的な大会となっている。

 

 ワタルはホウエンリーグを前に調整を進めていたが、アイリスの参加するヤマブキの大会はもうまもなくだ。

 アイリスの面倒を任されているワタルは自分のことばかりに目を向けるわけにはいかなかった。

 

「あの、お疲れのところ申し訳ないのですが、ぜひワタルさんに私のポケモンを見ていただきたいのです」

 

 朝から続いたワタルの過酷な特訓がひと段落したところで、アイリスはワタルにお願いをした。

 

「そうか、アイリスも大会が近いのだったな」

 

 ワタルは自分のことに夢中で、アイリスの大会のことは忘れてしまっていた。

 

「どんなポケモンを育てている? 見せてみろ」

「私のおじいちゃんがくれたハボちゃんが大きくなりました」

「ハボちゃんだぁ?」

 

 ハボちゃんとはオノノクスのことだった。

 シャガが面倒を見ているということもあって、シャガが得意とするオノノクスをアイリスも継承していたようだった。

 

「わかった。相手してやるから全力で来い」

「わーい。ワタルさんと対戦ができるなんて夢のようです」

 

 アイリスは嬉しそうにした。

 ワタルにとっては、ほとんど経験のないアマチュアトレーナーとの対戦だった。

 

 ワタルは小さいころから、ドラセナやシャガなど、一流のトレーナーとばかり戦ってきた。

 強いトレーナーから教わり強くなってきた。

 

 強くなるばかりに夢中だったので、自分以外の誰かに戦いを教える経験はなかった。

 それを心配して、ドラセナが声をかけた。

 

「ワタル、わかってると思うけど、相手はアイリスちゃんってこと忘れちゃ駄目よ」

「わかってるよ。手加減しろってことだろ?」

「ちょっと違う。あのね、アイリスちゃんが戦う前より強くなれるように相手をしてあげるのよ。わかる?」

「……」

 

 ワタルにはわからなかった。強くなれるかどうかは己の心がけしだいだと考えているワタルには、そんな柔軟な発想はなかった。

 

「ともかく見ててあげるから、ちゃんと先生らしい戦い方をするのよ」

「どうもやりづらいな」

 

 ワタルは先生なんてしたことがなかったから、いつもとどのように戦い方を変えればいいのかわからなかった。

 そんな中で、ワタルとアイリスの戦いが始まった。

 

「ワタルに先生なんてできるとは思えないけどね」

 

 ナツメはワタルのことをよくわかっていた。ワタルの鈍感さは、特に女性陣がよく気づいていた。

 

 そんな中で、アイリスは自慢のハボちゃんことオノノクスを繰り出し、ワタルはあまり使い慣れていなかったウオノラゴンを繰り出した。

 

 アイリスのオノノクスは十分にたくましく育っていた。そのポテンシャルはすでにプロのトレーナーのそれと大きな違いがないように見えた。

 しかし、いざ対戦をしてみると、未熟さは手に取るようにわかった。

 

 ワタルはアイリスの戦いの問題点にすぐに気づいた。それは口にすればきりがないが、技のモーションが大きすぎて相手にバレバレ、テンポが同じで対処しやすい、とにかく次の動きが手に取るように予測できてしまった。

 なので、ワタルのウオノラゴンはオノノクスの攻撃をすべて阻止して、隙をついてオノノクスを叩き伏せた。

 プロとアマチュアであれば、当然の差だった。

 しかし、これは当然のことである。ワタルはプロの中でも世界最強と呼ばれている。そんな相手に勝てないのは当然。

 問題は、ワタルに先生の素質があるかどうかだった。

 

 ワタルはアイリスと5戦ほど対戦した後、このようにアドバイスした。

 

「もっと速くもっと力強くだ」

「もっと速くもっと力強くですか。わかりました」

 

 アイリスは尊敬するワタルからのアドバイスなので熱心に聞いていたが、はたで聞いていたドラセナとナツメは案の定という形で顔を見合わせた。

 

「具体性なさ過ぎてまるで役に立たないわね」

「そうね……」

 

 わかっていたことだったが、ワタルに先生としての素質は世界最低レベルだった。実力は頂点だが、指導者としてはポンコツという両極端な性質が如実に出た。

 

「強くなるという強い思いを闘志に変えるんだ」

「はい、わかりました」

「ちょっと、ワタル、こっちに来て」

 

 ナツメはワタルの手を引っ張った。

 

「あんた、それで教えているつもり?」

「なんだよ、ちゃんと教えただろうが」

「素人に教えてんじゃないのよ。アイリスちゃんはヤマブキ大会の代表よ。もっと具体的なアドバイスをしてあげなさいよ」

「ならどうしろと言うんだ。文句があるなら、お前がやってみろよ」

「わかったわ。なら、ちゃんと見学してなさいよ」

 

 ナツメはそう言うと、アイリスと向かい合った。

 

「アイリスちゃん、今度は私が教えてあげるね」

「ナツメさんとも対戦できるのですか? 私、超ハッピーです」

 

 アイリスは名トレーナーたちと戦えることを毎回のように喜んだ。

 

 アイリスとナツメの対戦は、オノノクスとキリンリキの対戦になった。

 

 ナツメはフーディン、ドータクン、バリヤードの名手として知られるが、最近はよくキリンリキも使用していた。

 プロの高いレベルでは、相手も研究をしてくるから、常に新しい戦い方を模索しないと生き残れない。その工夫の中で、ナツメはキリンリキに力を入れていた。

 

 アイリスのオノノクスは力に任せて大きな攻撃を繰り出すが、キリンリキはその攻撃を小さな技ですべていなし、完全に翻弄した。

 

「わぐぅー、全然勝てません。みなさんやっぱり超強すぎです」

 

 アイリスの戦いはまったく通じなかった。まだアマチュアレベルとはいえ、とてもくやしそうだった。

 ナツメはアイリスに色々とアドバイスした。

 

「アイリスちゃん、聞いてね」

「はい」

「アイリスちゃんのオノノクスは十分に力強いわ。だから、そんなに力まなくても十分強力な攻撃ができるから、もっと力を抜いてみて。いつも全力で攻撃したいのはわかるけど、そうすると隙ができてしまうわ」

「なるほど」

「それから、コンビネーションね。毎回、インファイトからドラゴンテールばかりだと相手に予測されてしまうわ。そうね……例えば、インファイトの後、身をかがめてずつきとか、そういうコンビネーションも織り交ぜたら、相手も予想しにくくなると思うわ」

「おー、ずつき。やってみます」

 

 ナツメは色々とアドバイスをした。結果、その後のアイリスの戦い方が劇的に変化した。

 いつもの強力だが、強引な攻撃が改善され、隙の小さい攻撃で距離を縮めると、さっそくアドバイスされたずつきで敵を吹き飛ばす新しい戦術が有効に機能した。

 

 アドバイスを聞いただけで、実際に応用するのは難しいことだが、アイリスのセンスはかなりのもので、少しのアドバイスで劇的に戦いの精度が増した。

 それは見ている者にもすぐわかった。

 ワタルはナツメのアドバイスで確実にアイリスが強くなったことを、対戦を見ていて理解した。自分のアドバイスでは何も変わらなかったアイリスがわずかな時間でみるみる成長していた。

 

 ワタルは自分が指導者としては不適切であることを悟った。

 もしかしたら、師匠はそのことを言っていたのかもしれない。ワタルは薄々今回の試練の意味を理解し始めていた。



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8、竜星群

 その夜、ワタルは一人で家を出た。

 

「ワタル、こんな時間にどこ行くの?」

「ちょっと散歩だよ」

「あんまり遅くなる前に帰ってくるのよ」

 

 いくつになってもお節介なドラセナを煩わしく思いながら、ワタルは夜道を進んだ。

 

 フスベシティはジョウト地方の中でも、かなりの田舎に位置する。

 山に囲まれていて、ジョウト鉄道も、市役所前までしか通じておらず、山奥のほうで暮らしている者の生活は不便だった。

 文明的な生活をしたいなら、車は必須。

 

 しかし、フスベシティでは、ドンファンの引き車が使用されることがある。

 ドンファンの引き車は、4年前にて「国道での運搬の全面禁止」が発表されて、その数をかなり減らしたが、山の深いところで住む者の間でまだ利用されている。

 

 ワタルの隣を額にライトをつけたドンファンがどんどんと大きな音を立てて横切って行った。

 ワタルには懐かしい光景だったので、しばらくそのドンファンを見ていた。

 

 ワタルが幼いころ、よくドンファンの引き車に乗って、山のふもとの市場を訪れたものだった。

 ドラセナが仕事に出ている間、おつかいを任されていて、ワタルは毎日のように引き車に乗って山を下りたものだった。

 

 科学の力はすごい。あれから4年で、ロトムエンジンやロトムブースターが開発され、ドンファンの引き車から、普通乗用車にとって代わった。

 ただ、ワタルは文明の利器が苦手だったので、車の免許をついには取らなかった。

 

 ワタルは時間をかけて山を降りて来た。フスベシティの5割は農地であり、この季節は田植えが済んだばかりの田が広がっていた。夏の終わりを予感させた。

 そんな道を歩いていると、草原で音がした。

 

「ウパーか?」

 

 ワタルは草むらのほうに携帯していた電灯を当てた。

 夏の終わりになると、このあたりはウパーが大量発生して、田で繁殖した蛙を食べて回る。

 

 しかし、ライトに映ったのはウパーだけではなく、ウパーを抱えたヒガナだった。

 ヒガナも目の前にワタルがいたので、しごく驚いた表情を使った。

 

「ヒガナか? 何やってるんだ、こんなところで」

「ウパーを捕まえてたの」

 

 ヒガナは少し照れ臭そうにそう答えて、腕に抱えたウパーを示した。

 昔から、ヒガナはよくわからない性格だった。ワタルは今でもヒガナのことがよくわからなかった。

 

「ワタルこそ、こんなとこで何してるのよ、びっくりしたよ」

 

 ヒガナはそう問いかけて来た。闇夜がお互いを隔てていたので、ヒガナは昼間の時よりは、きちんとしゃべることができた。

 

「おれはただの散歩だ。あてはない」

「……」

 

 ヒガナは少しうつむいて考え込んでから、 

 

「私もついていっていい?」

「別に構わんが」

「あ、ありがとう」

 

 ヒガナはそう言うと、ワタルの後ろをついて来るようになった。

 ヒガナは草むらが揺れるたび、蛇のように反応してウパーを見つけると、次々とモンスターボールで捉えていった。

 

「やった。6人目」

「そんなに捕まえてどうするんだ?」

「村に戻ったときの新しい友達だよ」

「……戻る気なのか? あの場所に」

 

 ワタルは真剣な表情で尋ねた。

 

「私の故郷だから」

「妹が殺されたのにか? 裁判の判決も明らかに差別的だった。戻らなくてもいいだろう、もうあんなところに」

 

 ワタルは昔のことを思い出して、口調に怒気を込めた。

 あれはワタルが龍の試練を突破して、プロのトレーナーとしてデビューしたころのことだった。

 

 ワタルの吉報に混ざって、悲報も紛れ込んできた。

 ヒガナにはシガナという妹がいて、共に竜星の一族の末裔だった。

 そのことで差別されてきたが、それでも二人は負けずに生きてきた。

 

 しかし、ある日、シガナは交通事故で亡くなった。

 その事故は不可解な点でいっぱいだった。シガナを轢いた犯人は犯行後、「マグマ団に脅されてやった。他殺だった」という供述をした。

 しかし、結局あれは過失致死だったということで処理された。

 

 ワタルは子供心に納得いかなかった。ドラセナらの協力を経て、裁判で、故意の他殺だったということを訴えた。

 シガナが竜星の民の末裔だったというのがおそらくは理由だ。

 

 竜星の民はレックウザの怒りを招くと異教徒の者から悪く言われており、その当時、「竜星の民はホウエン地方に隕石を招く」ということが本気で信じ込まれていた。

 

 しかし、裁判は結局、過失致死に終わり、事件の真相は闇に包まれた。

 ワタルはいつまでも憤慨して、もう一度裁判を起こすように言ったが、ヒガナは事故を受け入れるという意思表示をした。

 

「なぜ、あきらめるんだ? シガナは絶対マフィアに殺されたんだ。やつらの悪を暴かないと、このままじゃやられ損じゃないか」

「そんなことしたって、シガナは生き返らないよ」

 

 ワタルはヒガナのその言葉を受けて、闘争心を収めた。

 あれから長い年月が経過したが、ワタルは今でもあの事件は忌々しいものに考えていた。しかし、ヒガナはあれから一度もシガナのことを思い出して悲しい顔をすることはなかった。

 あんな事件があったということで、ヒガナも竜星の村に戻らず、ナツメやイブキの家を転々として暮らしていた。

 

 しかし、ヒガナは竜星の村に戻ろうとしていた。

 

「シガナの声が心に響いたんだよ。レックウザが呼んでいるって。だから戻らなくちゃ」

 

 ヒガナはそう言った。

 本当に聞こえたのか、夢でも見ていたのかはわからなかった。しかし、ワタルは真剣に尋ねた。

 

「シガナはなんと言ったんだ?」

「レックウザが呼んでるって。災いの星が近づいているからって」

「……」

 

 災いの星が何を示しているのかはわからなかったが、竜星の民に言い伝えられている伝説のことなのかもしれない。

 竜星の民の言い伝えにこうある。

 

 災いの星が大地に荒廃をもたらさん。

 続き、カイオーガが海をもたらさん。

 続き、グラードンが大地をもたらさん。

 ただし、もう1つの定めあり。

 竜星が2つ輝いたとき。

 ラティオスの導きが天を貫く。

 ラティアスの舞いが降臨を招く。

 レックウザ、竜星の輝きに大いなる力をもたらさん。

 災いの星、大地を越え、人の子の繁栄は永遠となる。

 

 この伝説に書かれているもう1つの定めをこの世から消すために、マグマ団がシガナを殺したのだとする見方もあった。

 

「そうか……それならば、戻ってやらないといけないな」

「うん……」

「いつ戻るんだ?」

「ワタルと一緒の時に。私、応援してるから、必ずチャンピオンになれるように」

「……」

 

 ワタルはホウエンリーグのチャンピオンになれる自信がなかった。いま自分の力はチャンピオンの頂に届くほど大きくないことを悟っていた。

 こんな気持ちはこれまでになかった。いつもなら、前を向き、堂々とチャンピオンの座に挑戦できたのに、いまは勝てる気がしなかった。

 シロナに敗北したときから、ワタルは生まれて初めて、そんな気分になっていた。

 

「もう遅い。イブキのところまで送ってやるよ」

 

 ワタルはそう言うと、歩きだした。ヒガナはワタルのそんな背中を不思議そうに見ながらついていった。

 



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9、心の声

 それから数日後、アイリスの参加するヤマブキアマチュア大会の組み合わせが発表された。

 シードを合わせて全世界から14人のトップアマチュアトレーナーが集まった。

 

 以下はトーナメントの組み合わせ。

 

 アンズ 第一シード

 

 ジロウ

 ゴロウ

 

 タロウ

 サブロウ

 

 アイリス

 イチロー

 

 コブロウ

 ネブロウ

 

 テンゾウ

 アセロラ

 

 ジジロウ

 ババロウ

 

 コゴミ 第二シード

 

 ワタルはインターネットでアイリスの対戦相手を確かめた。

 

「どう、アイリスちゃん、うまくいきそう?」

 

 後ろからドラセナが顔を出した。

 

「アンズ……たしかキョウの娘で、ホドモエのアマチュア大会でも優勝していたな」

 

 ワタルはこれまでに何度もキョウとは対戦して、キョウの実力をよく知っていた。その娘となるとかなり手ごわいと見た。

 

「ほかは知らないやつばかりだが。ドラセナ、第二シードをもらっているコゴミというやつを知っているか?」

「コゴミちゃん、有名な子だよ。ホウエン地方のアマチュア一番手よ」

「そうだったか、知らなかったな」

 

 ワタルはトレーナーとしては一流だが、その界隈の事情にはあまり詳しくなかった。アイリスはアマチュアでずっと活躍していたが、ワタルはシャガに紹介されるまでは存在を知らなかった。

 ワタルのトレーナー界の知識は一般人とあまり変わらなかった。

 

「このアセロラというやつは?」

「この子は私も知らない。アイリスちゃん、アセロラって子知ってる?」

「アセロラは苦手です。においが」

「いや、食べ物じゃなくて」

「知らないですが、名前が苦手です」

 

 アイリスも知らないようだったが、ワタルには警戒すべき相手に見えた。

 

「シードの連中は別格として、ベスト4には残してやりたいが」

 

 ワタルはそう言ったが、ドラセナはもっと高い目標を掲げていた。

 

「そんなこと言わず、優勝させてあげて。それがワタルの仕事でしょ」

「戦うのはおれじゃない。おれにどうしろと言うんだ?」

「アイリスちゃんはワタルのお弟子さんよ。弟子の負けは師匠の負け同然よ」

「そんなものか?」

「そうよ」

 

 ワタルはあまりそういう自覚がなかったようであった。

 ドラセナはワタルの師匠のようなものであったから、ドラセナには師匠の気持ちをよくわかっていた。

 弟子の勝利は自分の勝利以上に嬉しいこと。ドラセナはずっとそう認識していたから、ワタルの師匠としての姿勢は不十分に見えた。

 

「せっかくワタルさんに指導してもらったのです。優勝で恩返ししたいと思います。そうでなければ、ワタルさんの顔に泥を塗ってしまいますから。私、絶対に優勝します」

「そんなに気負わなくてもいいと思うがな」

 

 ワタルにとってはたかがアマチュアの大会、他人の大会という認識でしかなかった。

 

 ◇◇◇

 

 ヤマブキ大会が近づくと、マスコミの間でも、大会を盛り上げるための演出が盛んになった。

 ワタルのところにマスコミが頻繁にやってくるようになった。

 

「ワタルさん、弟子を持たれたとお聞きしました。ヤマブキ大会に参加するアイリス選手がワタルさんの弟子なのですか?」

 

 どこで聞きつけたのか、マスコミはすでにアイリスを「ワタルの一番弟子」として報道することで注目を勝ち取ろうとしていた。

 マスコミ嫌いのワタルは取材拒否した。しかし、マスコミは大々的にアイリスを大会のアイドルに仕立て上げた。

 

「あのワタルが注目! 美しい龍のお姫様がヤマブキに降臨する」

 

 週刊誌は大げさに、アイリスを紹介した。

 その反響は大きく、インターネットでも、さっそくアイリスがブームになっていた。

 一度火がつくと、瞬く間にアイリスの知名度は世界的になった。

 

「アイリスちゃん、あっという間にお姫様になっちゃったね」

 

 ドラセナはそのことを前向きにとらえていたが、ワタルにはいい迷惑でしかなかった。

 外に出るたびにマスコミに付きまとわれては、普段の修業に集中できない。ワタルもホウエンリーグの戦いが近づいている身。そっちに集中したかったが、マスコミは本当に執拗だった。

 

 そんな矢先、ワタルはシャガから電話を受けた。

 

「おう、小僧。ちゃんとアイリスの面倒を見てるか?」

「いつまでおれのことを小僧と呼ぶ気だ?」

「小僧は小僧だ。ちっとポケモンができるようになったとて、まだまだ小僧よ」

「ったく、こっちは大変だぞ。マスコミが毎日のようにやってきてうんざりだ」

「景気のいい話じゃねえか。出版社に頭を下げて正解だったな。お前の弟子として売り出せばうまくいくと思ったが、思ったとおりの結果だ」

「お前の仕業だったのか。こっちはいい迷惑だ」

「アホ、マスコミが来たぐらいで切らす集中力なんて小僧も小僧、未熟者の証拠だ」

 

 シャガはそう言った。一理あると思ったので、ワタルは反論しなかった。

 

「ここまで注目されてたいしたことなかったなんてなると世間は興ざめ。いいな、きっちりアイリスを優勝に導いてやってくれよ」

「戦うのはおれじゃないぞ」

「師匠ってのは一緒に戦うもんだ。そんなことでご師匠様の試練を突破できると思ってるのか?」

「……」

 

 ワタルはいま、アイリスの面倒を見ることが師匠から受けた試練であることを思い出した。ずっとそのことを忘れていた。

 

「いいな、小僧。この試練、突破できなければ、てめえはこのまま前に進めねえぜ」

 

 シャガからの電話はある意味で、ワタルにとって重要なものだったが、同時にどうすれば試練を突破できるのかという迷路に迷い込むことでもあった。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルはできる限りの方法でアイリスを指導した。

 だが、その指導は相変わらず、いまいちなものだった。

 

「力強く相手を攻撃するんだ」

 

 ワタルのアドバイスは具体性がなく、アイリスも困惑していた。しかし、尊敬するワタルの言葉なので、アイリスは懸命に呑み込もうとした。

 だが、それでアイリスは自分の戦いのスタイルを崩してしまい、戦い方が以前よりもぎこちないものになってしまった。

 

 大会目前なのに、アイリスはうまく戦うことができず、焦りといら立ちの中に迷い込んでしまった。

 その結果、アイリスは大会数日前だと言うのに、不眠症になってしまった。

 

 ある夜、ワタルが起きだしてくると、アイリスがリビングの暗闇でたたずんでいるのを見かけた。

 

「アイリス、どうした?」

「あ、ワタルさん。いえ、何でもないのです」

 

 アイリスはワタルに迷惑をかけまいと眠れないことを言わなかった。

 

「そうか、早く寝ろよ」

「はい」

 

 ワタルはそれだけ言うと、自分の部屋に戻ろうとした。

 しかしそのとき、ワタルは昔のことを思い出して足を止めた。

 

 ワタルが6歳のころ。

 ワタルは昔、いじめられっ子で、学校ではずっと浮いた存在だった。

 その結果、学校に行くのが嫌になって、学校に行かずに、フスベの山中にある川の前で一人たたずんでいた。

 

 どこでどう聞きつけて来たのか、そこにドラセナがやってきた。

 

「ワタル……良かった。ここにいたのね」

 

 ドラセナは息を切らせながら、ワタルを発見した。

 

「心配したよ。学校から電話があって、学校に来てないって聞いたから」

「うるせー、ほっとけよ。おれの勝手だろ」

 

 ワタルはそう言ってそっぽを向いた。

 ワタルはドラセナには弱みを見せたくなかった。だから、いじめられているということもドラセナには言わなかった。

 

「なんだよ、学校に行けっていうのか?」

「言わない」

 

 ドラセナはそう答えた。

 

「じゃあ、ほっとけよ」

「ほっとかないよ」

 

 ドラセナはそう言うと、モンスターボールを取り出した。

 

「ワタルもポケモントレーナーなんだから、勝負は断れないのよ。さあ」

 

 いま振り返れば、ドラセナはワタルの心のすべてを理解していた。すべてを理解して、誰よりもワタルの力になろうとしてくれていた。

 

 それはどうして?

 

 ワタルの母親だから。同時にワタルの師匠でもあったから。

 

 ワタルはそのとき、師匠として、アイリスのためにしなければならないことを理解した。

 ワタルはきびすを返した。

 

「アイリス、勝負だ」

「え?」

 

 戸惑うアイリスに、ワタルはモンスターボールを示した。

 

「お前はポケモントレーナーだ。ならば、勝負は断れない」

「……はい」

 

 アイリスはきょとんとしながら、自分のモンスターボールを取り出した。

 いまはどこもジムは閉まっている。

 二人は広い庭に退治した。

 

「アイリス。自分の心の声を聞け」

「自分の心の声ですか?」

「そうだ。おれのアドバイスなんかに耳を傾けなくていい。おれの戦いを見て、自分で理解するんだ。それがトレーナーの鉄則」

 

 ワタルもこのとき、あれこれ考えず、心の声に浮かび上がった言葉をアイリスに与えた。

 

 ワタルは自慢のカイリューを繰り出し、アイリスのオノノクスに強烈な一撃を繰り出した。

 アイリスは手加減のないトレーナー界最強の攻撃を目の前で体感することになった。

 

 オノノクスはその一撃でノックアウトになった。

 

「何を感じた?」

「す、すごく速くて強くて……」

「他には?」

「なんというか……ワタルさんとカイリューの一体感を感じました。ワタルさんがカイリューで、カイリューがワタルさんで」

「そうか。自分の感じたその言葉を信じるんだ。そして、どうすればおれを超えられるか、考えるんだ」

 

 ワタルはもう一度カイリューを繰り出した。

 

「踏み込んで来い」

「はい!」

 

 アイリスはもう一度オノノクスを繰り出した。

 

「いきます!」

 

 アイリスはこれまで以上に力強い目になった。それはワタルの戦うときの目に似ていた。

 

 オノノクスの強力な一撃がカイリューを地面に叩きつけた。その一撃は、本気のワタルでも捌くことができないものだった。

 

「いい攻撃だぞ、アイリス。未来のチャンピオンにふさわしい攻撃だ」

「一体感……私、さっきハボちゃんと一緒になれたような気がしました」

「その感覚を忘れるな。そして、その感覚を信じろ。お前はドラゴンだ」

「ドラゴン……」

 

 アイリスは自分の手のひらを見つめた。たしかに先ほど、自分がオノノクスと重なっていたような感覚だった。その研ぎ澄まされた感覚はこれまでにない、紛れもなくワタルが教えた大切な心得だった。

 



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10、かつての思い出

 いよいよ、ヤマブキシティ主催のアマチュア大会の日を迎えた。

 アマチュアの大会ということで、世間的な知名度はそれほどでもないのだが、ワタルの一番弟子としてマスコミがアイリスを取り上げたことで、史上最も注目される大会になった。

 

 アイリスは朝から興奮していた。

 昨夜から緊張で眠れなかったということで、目にクマができていたが、気合は入っていた。

 

 ドラセナも早起きしてアイリスのお弁当を作っていた。サポートは万全だった。

 

「アイリスちゃん、昨日あまり眠れなかったって言ってたけど、大丈夫?」

「き、緊張しています」

 

 アイリスは朝からそわそわしていた。

 

「そうよね、緊張するよね、大きな大会だもの」

 

 ドラセナはアイリスの姿を昔のワタルの姿に重ねて見ていた。

 ワタルも大きな大会に参加することが決まったとき、アイリスと同じようにそわそわしていた。

 

「そんなに緊張すると力が入らなくなるんじゃない?」

「緊張なんてしてねえよ」

 

 ワタルはそう言ったが、その言葉とは裏腹にワタルの緊張感ははたから見ていてわかった。

 ドラセナはそんなワタルのために、自分の名のもととなった観葉植物のドラセナの葉を渡した。

 

「なんだよこれ?」

「お守り。どんな時でもワタルの力になってくれる神様が宿っているの」

「こんな葉っぱにそんな力があるかよ」

 

 ワタルはそう言いながら、ドラセナの葉を手に握り締めた。不思議と体に戦う勇気が湧き上がってくるようだった。

 

 ドラセナは同じようにアイリスにドラセナの葉を渡した。

 

「アイリスちゃん、手を出して」

「手ですか?」

 

 ドラセナはアイリスの手のひらにドラセナの葉を置いた。

 

「ワタルをチャンピオンに導いた魔法の力が込められているから、きっとアイリスちゃんもチャンプオンに導いてくれるわ」

「魔法の力ですか……」

 

 アイリスはその葉を握り締めて、しみじみとその力を感じた。

 

「なんだか、体の底から力が湧き上がってくるようです。ありがとうございます、ドラセナさん」

 

 アイリスの顔に笑顔が宿った。

 

 ◇◇◇

 

 そのころ、ワタルは自室で電話の応答をしていた。

 今朝、ヤマブキシティに到着したというククイからの電話だった。

 

「お前に隠し子がいるとは思わなかったよ。現地から応援させてもらうぜ」

「隠し子じゃねえよ。で、何しに来たんだ?」

 

 ワタルはベッドに寝転がった。ククイとは古くからのライバルであり、友人でもあった。

 ククイはポケモントレーナーへの道を閉ざしてしまったが、いまはポケモンの研究者になるべく大学院への進学を決めていた。

 

「大学院への進学やめようと思ってな」

「なに?」

 

 ワタルは表情を変えた。ククイはポケモントレーナーの道をあきらめてでも研究者の道を選んでいた。そのために、大学院の進学は大きなポイントになる。

 

「何があった?」

「別にたいした問題じゃない。少し先を急ぎたくなっただけだよ」

「……」

 

 ワタルにはククイの言葉の真意がわからなかったが、ククイのその言葉には迷いがあるように思えた。

 

「なあ、ワタル。今から会えるか?」

「今から? おれはいまフスベだぞ」

「なら来てくれよ。おれはヤマブキのホテルにいるからよ」

「……」

 

 何か事情がありそうだったので、ワタルはアイリスらより一足先にヤマブキに向かうことにした。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルはフスベシティのライディング場にやってきた。

 そこは山の中腹にあり、ポケモンライディングの発着ができるようになっている。

 

 ポケモンライディングはライセンス制であり、ワタルは「タイプ7」の一番上のライセンスまで所得していた。

 ポケモンライディングとは、ポケモンに乗って空を飛ぶことであり、ドラゴン使いはみなそのライセンスを取るのが風習になっている。

 ワタルは4年前にすべてのライセンスを所得し、「リザードン、カイリュー、ボーマンダ、ウォーグル、ピジョット、チルタリス、エアームド」の現在ライディングが許可されている7種類のポケモンすべてのライディングができる。

 タイプで分類され、タイプ7は7種すべての飛行が許可される。

 

 ワタルのライディング技術は天下一品であり、ライディングはその技術を競う大会もあるが、ワタルは何度か優勝している。最近は出場しなくなったが、代わりにシガナがワタルの後を引き継いで、大会を制覇していた。

 

「坊ちゃん、飛ばれるんですか?」

 

 腹の出た中年のオヤジが尋ねた。彼はこの施設に昔からいて、こう見えてもポケモンライディングの達人で、ワタルにライディングを教えていたこともある。

 いまは経営者になって、腹もたるんできていた。

 

「ああ、風は?」

「165度、風速8m.なかなかの飛行日和ですぞ」

「なら、チェックを頼む」

 

 ワタルはオヤジにモンスターボールを渡した。

 飛行前には、ポケモンの体調をチェックする必要があった。今は機械で精密にチェックされる。

 チェックの結果、オッケーサインが出た。

 

「坊ちゃん、オッケーでしたよ」

「よし」

 

 

 ワタルは風舞う発着場に立つと、相棒のカイリューを繰り出した。

 目の前には、高台からのいい景色が広がっていた。これから、カイリューと共に目の前に広がる山を越えていくことになる。

 ワタルはゴーグルを身に着けると、カイリューに搭乗して、いつものスタイルを取った。

 ワタルは体を大きく前に倒した「アンダースタイル」である。これはライダーによって型が異なる。

 

「ではお気をつけて」

 

 オヤジに見送られる中、カイリューは翼を広げて、大空へと浮上した。

 

 ワタルは高度計で高さを確かめながら、高度780mまで上昇したところで、高さを固定させた。

 安定した気候だから、飛行は難しくない。

 飛行は強風ほど難しい。風速が30mを超えると飛行が禁止される。

 雨が降ったり、雷が鳴ったり、その場合でもすぐに飛行を中断しなければならないが、降り立てる場所にも制約があり、飛行中に天候が悪化すると危険な飛行になることもある。

 

 今日は天気の変わることのない安定した飛行だった。

 

 ◇◇◇

 

 2時間強の飛行の末、ワタルはヤマブキシティのライディング施設に降り立った。

 時刻は9時20分。大会は11時に始まるので、おそらく今頃ドラセナとアイリスも現地に向かっているところだろう。

 

 ワタルはバスでククイのいるホテルに向かった。時刻は10時前になっていた。

 ククイからメールがあって、ラウンジにいることを告げていたので、ワタルはラウンジに向かった。

 

 ククイがサングラス越しに笑みを浮かべて手を振った。

 

「悪いな、突然」

 

 ワタルはククイと向かい合う形で椅子に座った。

 

「飛んできたんだろ? 何か飲むか?」

「水で構わん」

 

 ワタルはそこに置いてあった水を手に取った。

 

「で、話はなんだ?」

「実はな……」

 

 ククイはコーヒーを一口飲んだ。

 

「自分の研究所を持つことにしたんだ」

「そうか」

 

 ワタルにはそれがどれぐらい大変なことなのかということはわからなかった。

 

「研究所の建設に1億。機材に5000万。学会に加入するのにもざっと5000万はかかるだろうな」

「まさか、その金を貸せというのではないだろうな?」

「バカ、お前にだけは金を借りるわけにはいかねえよ。一応、オーキド博士が援助してくれると話してくれているが、いまはスポンサーを探して右往左往の毎日だよ」

 

 ククイは大変なことを笑顔で話した。

 

「なぜそこまで急ぐんだ? 大学院を出て大手の研究所に入れば、そんなことをしなくてもいいのだろう?」

「まあな、それが無難だから、愛しのガールフレンドもそうしたほうがいいと心配してくれた」

「ならばなぜだ?」

「単刀直入に言うと、輝かしく活躍するお前がうらやましくて仕方ないから」

「……」

 

 ワタルは目を細めた。ククイはおよそ他人に嫉妬するような性格には見えなかったし、そういう性格とは対極にあると思っていた。

 

「今でも夢に出てくる。お前に敗北したあの日のこと」

 

 ククイがそう言った戦いが、新人王戦の決勝戦であることはワタルには理解できた。

 

「いや、別にワタルを責めるわけじゃねえよ。これはおれが作り出した悪夢なんだ。だが、いつまでも離れてくれねえ。おれの中ではトレーナーの道にはけじめをつけられたと思ってたんだが、どうしても克服しきれなかった」

 

 ククイはいつもの調子とは違って、悲壮感を漂わせた。

 ずっと明るく振舞っていたが、その後ろには大きな苦悩があった。ククイはその苦悩をワタルに打ち明けた。ライバルであり友人であったからこその告白だったのかもしれない。

 

「そのことはガールフレンドにも言ってないが、このままじゃその悪夢に殺される気がした。だから、その悪夢を断ち切るためには、夢を叶えるしかないと思ったんだ。悠長に進学している暇はないんだよ」

 

 ククイは進学をやめた理由をそのように話した。

 ワタルにはどうしても解せないことが1つだけあった。

 

「ククイ。なぜ、トレーナーの道を去った? お前はかつておれに言っただろう。世界一のトレーナーになると」

「……」

 

 ククイは口元を緩めた。ずいぶん昔のことだった。まだ二人とも13歳になったばかりのころのころだった。

 ククイがジョウト地方を旅していたときに、二人は出会った。ククイはアローラの島めぐりを終えて、より広い世界を知るためにジョウト地方を訪れたのだが、そこでワタルという最大のライバルと出会うことになった。

 



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11、カントーへ

 ククイはアローラ地方の貧しい地域であるメレメレ島に生まれた。

 アローラ地方は発展途上地方であり、カントー地方から多額の援助を受けて、現在急成長している地方である。

 

 アローラ地方の発展が遅れた経緯には、戦争があった。

 かつて、世界大戦では非常に多くのポケモンが軍事的に利用されてきた。

 当時、海洋戦力が重視され、豊富な水ポケが生息していたアローラ地方は、カントー地方に軍事的に利用された。

 

 アローラ住民は生活が厳しく制限された。

 

1、住民のポケモンの単純所持を禁じる。違反者は死刑。

2、住民はカントー政府の定める労働に従事しなければならない。違反者は死刑。

 

 こうした厳しい制限の中で、管理されてきた。

 そのため、あらゆる産業は発展が止まってしまった。特にポケモンを奪われたことで、アローラ住民の生活は大きく変わってしまった。

 アローラの住民はポケモンと共に暮らしてきたため、ポケモンを奪われての生活は誰よりも過酷だった。

 

 戦争が終わると、あらゆる制約が解除され、今では急成長地方となったが、それでも人々の心は「反カントー」でまとまってしまった。

 アローラ地方はカントー地方と同盟を結びながらも、住民の過半数が反カントーの思想を持っていて、カントー系移民には厳しい目が向けられることもあった。

 

 ククイも物心ついたときから、反カントーの空気を受けて閉鎖的に暮らしてきたので、「反カントー」が自然に身についていた。

 

 ククイの夢は少しいびつだった。

 

「世界一のトレーナーになる」

 

 これは多くの少年少女が語る夢だが、ククイはそれに一言付け加える要素があった。

 

「カントー・ジョウトのトレーナーをコテンパンにやっつけて、アローラの偉大さを証明する」

 

 ククイは反カントーの閉鎖的なコミュニティの中で暮らしてきたからこそ、誰よりもその意識が強かった。

 それはある意味で、ククイに強い向上心を植え付けたが、ある意味で、強いトラウマをも作ることになった。

 

 ククイはトレーナーとしてすぐに頭角を現した。

 アローラ伝統の島巡りを史上最年少で踏破すると、弱冠14歳にしてアローラ最強のトレーナーとまで言われるようになった。

 

 そんなククイの次なる目標はただ1つ。

 

「カントーに進出して、アローラの偉大さを連中に見せつける」

 

 ククイはアローラのプライドを背負い、その実力をカントー・ジョウトの連中に見せつけるためということで、カントー地方への旅を決意した。

 

 ククイは友人だったマーレインにカントー進出の意思を告げた。

 

「カントー地方に?」

 

 マーレインは島巡りの途中で出会った少年だった。

 どこか抜けたようなおっとりした少年で、ポケモントレーナーとしての実力は高いが、生まれつき頭が良かったということもあり、ポケモンのITサービスのエンジニアになるための勉強を始めていた。

 

「マーレインも来いよ。おれたちの実力を都会のやつらに見せてやろうぜ」

「おれにはそんな闘争心はないよ。トレーナーよりもいまは受験勉強さ」

「なんだよ、せっかく島巡りを踏破したってのに、トレーナーの道をあきらめるのか?」

「まあね。おれの分まで頑張ってくれよ。応援してるぜ」

 

 マーレインはグローバルな人間だったので、カントー地方へのライバル心もなければ、トレーナーを志す意欲もなかった。ぼちぼちと勉強する普通の少年になっていた。

 

 ククイはカントーに向かうため、世話になった師匠でもあるハラに挨拶に向かった。

 ハラはアローラを代表するトレーナーであり、オーキド世代の一人でもある。

 戦後まもなくの混沌期に活躍したトレーナーであり、アローラ地方の中で五指に入る実力者である。

 

 だが、アローラ地方は全体的に後進国。

 アローラで五指に入るハラでも、オーキド、キクコ、ヤナギ、カツラ、アデクなどの一流には後れを取っていた。

 アローラ地方はまだチャンピオンを一人も輩出していなかった。

 ククイはその師匠の仇を取るためにも、カントー・ジョウトのすべての名トレーナーを倒してチャンピオンになりたいと思っていた。

 

「じっちゃん」

 

 ククイがやってくると、ハラは家の中庭で武術の一人稽古をしているところだった。老齢になったが、まだたくましい体つきをしていた。

 

「おれ、カントーに行くことにしたよ」

「そうか」

 

 ハラはそう言って、力強く拳を突き出した。

 

「ククイも広き世界を知る時か」

「おれ、負けねえぜ。どんなやつもなぎ倒してアローラの偉大さを見せつけてやるからよ」

 

 ククイもハラを真似て拳を突き出した。

 

「威勢がいいな。ワシからは何も言うことはない。その目で世界の広さを確かめてくるがいい」

「うん、一旗揚げるまでは帰って来ないよ」

 

 ククイには自信があった。自分の実力ならば、誰にでも勝てると考えていた。

 

 ◇◇◇

 

 ククイはハラの知り合いのオーキドの助けを借りて、カントーのマサラタウンにやってきた。

 オーキドはかつて最強のトレーナーとして活躍した名トレーナーである。今は引退して、田舎でポケモンの研究所を営んでいた。

 カントー地方の世話になるのは気が引けたが、ククイはまだ子供だったので、オーキドの世話になることにした。

 

 船でマサラの港に到着したククイは検疫を受けて、マサラの野道に立った。

 マサラタウンはのどかな港町で、どこかアローラ地方の面影があって、ククイにはなじんだ。

 

「えーっと、オーキド博士の家は……」

 

 ククイは地図を開いたが、マサラの地図はいい加減でわかりにくかった。

 なので、ククイは通りすがりの少年に道を尋ねることにした。

 

「あのー、すみません」

「ああん?」

 

 青年は上から目線に返してきた。

 

「ひなびた格好してやがんな。お前、地元の人間じゃねえな?」

「アローラから来たんだよ。それが何か?」

 

 ククイは一瞬で嫌悪感を覚えたので、少年をにらみかえした。

 

「はははは、アローラからか。さては出世して一旗揚げようと思って上京してきやがった留学組だな。ったく、お前みてえなやつのせいで、マサラが余計さび付いちまうんだ。まあ、おれには関係ないけどな」

「お前、何様だ?」

「だいたい、おれを知らないとは、とんだ田舎もんだな、お前は。これが目に入らねえのか?」

 

 少年はカントーリーグのチャンピオンメダルを取り出して見せた。

 

「それは」

「そうだ、おれが今年チャンピオンになったグリーン様だ。ダイゴもシロナもなぎ倒して天下を取ったのさ」

「グリー?」

「グリーンだよ! おいおい、チャンピオンも知らねえとはお前んとこはどうなってんだ?」

「あいにく、おれん家にはテレビも新聞もねえよ。ポケベルは買ってもらったけどな」

 

 ククイがガラパゴスポケベルを見せると、グリーンは高笑いした。

 

「お前、おもしれえやつだな。逆に気に入ったぜ。で、どこに行く気だ?」

「オーキド博士の研究所。いーよ、おれ一人で探すからよ」

「なんだよ、じいさんとこかよ。ちょうど、おれもじいさんとこにチャンピオンメダルを見せつけに行くとこだったんだ。ついて来な」

 

 グリーンはオーキドの孫だった。

 グリーンはオーキドのDNAを引き継ぎ、そのDNAの威光のままに実力をつけ、史上最年少のカントーチャンピオンになっていた。

 その実力から、最強のトレーナーとして注目されていた。

 翌年には、ワタルに負けてチャンピオンの座から退くことになるが、このときから8年後にあたる現在でも活躍する名トレーナーの一人でもある。

 

 グリーンはククイを研究所に連れて行った。

 

「おい、じいさん、田舎もんが尋ねてきてるぜ」

「田舎もん言うな!」

 

 ククイはチャンピオンのグリーンをあまり尊敬することができなかった。

 

「おー、君がククイか?」

 

 オーキドは笑みを浮かべながらやってきた。その姿からは、かつて最強のトレーナーだった事実が創造できなかった。

 

「はい、今日からお世話になります」

「世話にってここに住むのか?」

「ハラ君からお願いされてね、しばらく面倒を見ることになったんだ。うんうん、聞いていたとおりトレーナーとしての素質を感じさせる目をしておる」

 

 オーキドは一目でククイの可能性を感じ取った。

 

「こんな田舎もんがトレーナーになれるわけねえよ。せいぜいバッジを2つ取ったところでホームシックになって帰るのがオチだよ」

 

 グリーンはバカにするようにそう言って、ククイの頭を押さえた。

 

「誰が。おれはチャンピオンになるんだ。お前だって絶対に倒してやるからな」

「無理だな」

「いや、可能だ」

 

 オーキドが口を挟んだ。その後、グリーンのほうを見た。

 

「グリーン、お前は最近調子に乗りすぎておる。それにポケモンへの信頼と愛情を忘れているのではないか?」

「信頼、愛情だぁ? じいさんぼけたのか。勝負の世界で、そんなもん役に立つもんか」

「信頼と愛情を忘れた者はどんなに頑張ってもトップには立てん。お前がそれに気づかないなら、その天下もほんの一瞬の夢で終わるだろう」

 

 オーキドのその言葉が当たることになる。

 

「ククイ、君はここのポンコツチャンピオンと違って、ポケモンへの信頼と愛情を知っているようだな。君ならこのポンコツチャンピオンにもきっと勝つことができるだろう」

「おい、じいさん。孫をポンコツ呼ばわりするなよ」

「なにを言うか。いつもポンコツじいさん扱いしておるお前に言えたことか。ワシの金をどんだけ浪費したと思っておる」

「こうしてチャンピオンになれたんだからいいだろ」

 

 ククイは二人を見て、前途多難を予感した。

 



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12、ワタル

 カントーにやってきたククイはオーキド博士の支援を受けながら、カントーとジョウトにある合計16個のジムを巡る旅を始めた。

 ククイはアローラを出てカントーにやってきたが、アローラにいるころは「アローラ最強のトレーナー」としてたたえられていた。

 それがカントーではお山の大将になるかという不安もあったが、そういうことはなかった。

 

 ククイは圧倒的な実力で次々とバッジを獲得し、わずか4か月で11個のメダルを獲得するまでになった。

 ポケモン先進国であるカントー地方のトレーナーに対しても、ククイの力は十分に通用した。

 

 それを見たグリーンもククイの実力を認めざるを得なかった。

 

「ほーう、アローラの田舎もんにしてはたいしたもんじゃねえか」

 

 グリーンはククイの頭を押さえつけて、一応そのように褒めた。

 

「ふん、カントーにはすげえトレーナーがたくさんいるって聞いてたけど、たいしたことないな」

「調子に乗ってやがんな。バッジを集めたぐらいでポケモンリーグに通用すると思ってんのか?」

「いずれ、王座を取りに行くから楽しみに待っててくれよ、グリーン先輩よ」

 

 ククイは自信満々に言った。

 

「そのうち、おれがお前に洗礼を浴びせてやるから、せいぜいその時まで、天狗になってるがいい」

 

 グリーンも自分の実力に絶対の自信を持っていたから、ククイ以上に堂々とした態度で返した。

 

「おや、ククイ、帰っていたのか」

 

 オーキドが研究所から家に戻ってきた。

 オーキドは研究熱心で、なかなか実家に戻って来ることがないが、今日は家でじっくりと論文を仕上げるために仕事を持ち帰ってきていた。

 

「調子はどうじゃ?」

 

 ククイはちょうどグリーンとリビングでやり取りをしていたところだった。オーキド博士はククイに朗らかな笑顔を向けた。

 

「11個目のバッジを獲得したんです。ほら」

「ほー、たいしたもんじゃ。やはりワシの見立て通り、ククイ君には才能があるな」

 

「じいさん、おれも帰って来てんだが」

 

 グリーンが間に入った。

 

「はて……誰じゃったかな?」

「孫のことを忘れんなよ! グリーンだよ、グリーン!」

「ほほ、冗談じゃ。グリーン、お前は残念じゃったな。お前のカロスリーグの戦いはテレビでじっくり見させてもらっていたよ。予選リーグで敗退するとはお前もまだまだじゃな」

「ふん、初戦で凡ミスして調子に乗れなかっただけだよ」

 

 グリーンは言い訳した。

 グリーンはククイがバッジ集めに出ている間、カロスリーグの戦いに参加していた。

 いま、カロスリーグは名女優でもあるカルネが王者に君臨している。

 カルネはトレーナー業と女優を兼業することで有名であるが、昔から実力者として知られていた。

 カルネはシロナと同世代で、通算で10度以上チャンピオンに輝いており、その実力はトップクラス。

 

 グリーンはカントーチャンピオンになる際に、その予選リーグでカルネにも勝利していたから、自信満々勢いのままにリーグ戦に参加したが、予選で負けが込み、3勝6敗のかんばしくない成績で、カロスリーグの戦いを終えることになってしまった。

 

「ミスをするのは凡人の証。それに、そこから調子を崩すのも典型的な凡人の性質じゃよ」

 

 オーキドはグリーンに対しては非常に厳しかった。

 

「ポケモンへの信頼と愛情を忘れておるから、一度崩れると立ち直れないんじゃよ。自分を見失った時こそ、自分のポケモンを信じる気持ちが問われる。お前はいつまでも自分の実力を過信し、ポケモンに命令するばかり。それではトップには立てん」

「へいへい、じいさんの説教は聞き飽きたよ」

 

 グリーンはオーキドの教えに疎く、今でもオーキドの教えをただのお節介としか考えていなかった。

 しかし、ククイにはオーキドの言葉は心に響いた。グリーンに対する説教だったが、ククイは自分のことのように聞いていた。

 

「自分を見失った時こそ、ポケモンを信じるか……」

 

 ククイはオーキドの言葉から非常に多くのことを学んだ。それがククイの快進撃につながっていた。

 

 しかし、そんなククイにも大きな壁が立ちはだかることになる。

 

 ◇◇◇

 

 ククイは快進撃を続け、カントーに渡ってきて1年でジョウト・カントーのバッジを15個獲得した。残るバッジはただ1つ。

 そのバッジを獲得したら、ククイもポケモンリーグの参加権を得ることができる。プロのトレーナーという到達点までもうまもなくだった。

 

 しかし、その最後の1つにククイは壁を覚えることになる。

 

「ここがフスベシティか。田舎だな。なんとなくアローラに似てる」

 

 最後のバッジを獲得するため、ククイはフスベシティにやってきていた。

 このあたりは交通が不便であり、たどり着くのに難儀した。

 まだ人間の足が踏み入れていない原生的な山々に囲まれており、盆地ということもあり、秋風が寒く感じられた。

「龍の都」の異名を持つフスベシティはドラゴンポケモンのメッカでもあり、このフスベシティから多くのドラゴン使いを輩出していた。

 

「ドラゴン使いのメッカか。いまさらドラゴンポケモンに苦戦するおれじゃない。待ってろ、フスベジムも圧倒的実力で制覇してやるから」

 

 ククイは意気揚々にフスベシティへと降り立った。

 さっそくジムに向かったのだが、あいにくジムリーダーが不在だった。

 

「困るなぁ。ジョウトリーグから公式に認められたジムが勝手に休み取られちゃ」

「ごめんね、ぼうやの言う通りよね。ほんとにワタルったら、ジムリーダーとしての自覚が全然ないんだから、困ったものだわ」

 

 ククイに対応したドラセナは困った顔をした。

 ドラセナはシンオウ地方を代表するトレーナーであり、色々な事情で世界を転々としてきたが、いまはフスベシティに渡ってきていて、ワタルの面倒を見る保護者の立場だった。

 

 ワタルは最近最も注目されているトレーナーであり、ちょうどククイが「アローラ最強」と呼ばれているように、ワタルも「フスベが産んだ怪物」として注目されていた。

 弱冠15歳にして、ドラゴン使いの登竜門「竜の試練」を突破し、少し前にプロのトレーナーとしてデビューした。

 カントーリーグが主催する新人王戦の前哨戦である「ホドモエシティが主催する新人王戦」に参加して、さっそく優勝し、その実力を世界に知らしめていた。

 同時に、ワタルはフスベジムのリーダーも任されていた。

 

 しかし、ワタルはジムリーダーの仕事をさぼりがちだった。

 

「ろくなトレーナーがいない。練習にならない」

 

 ワタルはその理由でジムにはあまり姿を出さず、ヤマブキシティのゴールドジムなどの大きなジムに出稽古に出ることが多かった。

 

「ワタル、いまどこにいるの? 挑戦者が来ているのよ。早く戻ってきなさい」

 

 ドラセナはワタルに電話を入れた。

 

「いま忙しいんだ。いまゴールドジムにシャガが来ててな。稽古をつけてもらってるところなんだ」

 

 ワタルは自分の都合を話した。

 

「あのね、だからってジムリーダーの仕事を放り出していいわけじゃないでしょ。ジムリーダーはれっきとした公務員よ。ちゃんと仕事しないと懲戒処分になるわよ」

「いいよ、それで。ジムリーダーなんて面倒くさいだけだからな。もうおれには必要ない肩書きだ」

「いいから戻ってきなさい」

 

 ドラセナが言い聞かせたので、渋々、ワタルは夕方には戻って来ると言って電話を切った。

 

「ごめんね、ジムリーダー、夕方には戻って来るって。挑戦受付は3時50分までだから、明日になっちゃうかもしれないけどいいかな?」

「明日? こっちにはこっちの予定があるってのに」

「ほんとにごめんなさいね」

 

 ドラセナはていねいに謝った。いまはワタルがジムリーダーなので、ワタルが挑戦者の書類に捺印しなければ、挑戦は認められない。

 リーグは国営なので、そのあたりの手続きは厳格で、ジム側が柔軟に対応することはできなかった。

 

「まあしょうがないな。でも宿代が余計にかかっちまうな」

「ひょっとして旅をしている子かな? どこから来たの?」

「アローラからです」

「まあ、そんなに遠くから」

 

 最近は世界中から、カントー・ジョウトバッジ巡りの旅に参加する者が集まっている。

 カントー地方も優秀なトレーナーを発掘するために公式に彼らを支援している。

 しかし、このバッジ巡りで、16個のバッジをすべて獲得できる者は1500人に1人ほどと言われており、狭き門だった。

 ククイはその一人になれる寸前まで来ていた。

 

「名前を聞いてもいい?」

「ククイです」

「歳は?」

「15歳です」

「まあ、それならワタルと同い年なのね。そっか」

 

 ワタルも15歳になったばかりであり、ククイはワタルと同期の少年だった。

 

「そうだ、うちに寄って行ったら? フスベジムのジムリーダーは私の一人息子なの。あなたと同い年でトレーナーを目指しているからきっといい友達になれると思うわ」

 

 ククイはドラセナの好意に甘えることにした。

 こうして、ククイはワタルと出会うことになった。

 

 ◇◇◇

 

 夕方になってワタルはようやくフスベシティに戻ってきた。

 ワタルはドラゴン使いであり、ドラゴンライディングの達人でもあった。なので、相棒のカイリューと共に空をゆうゆうと飛び、フスベの山々を越えて戻ってきた。

 

 ワタルは夕方には戻ると言っていたが、家に戻ってきたときには午後6時を過ぎていた。

 

「戻ったぜ」

 

 ワタルが戻って来ると、ドラセナが玄関口まで出迎えにきた。ドラセナの隣には見慣れない少年がいた。

 

「ん、誰だ、お前?」

「ククイだ。邪魔してるぜ」

 

 ククイは戻ってきたワタルに対して、好敵手を見るような力強い目を向けた。

 その目に反応して、ワタルも同じ視線を送った。

 出会ってさっそく、二人の視線は力強くぶつかった。

 

「おかえり、ワタル。ククイ君よ。ジムに挑戦しに来たんだけど、ワタルが戻って来ないから色々話を聞いてたの」

「ふーん」

 

 ワタルはもう一度ククイのほうに目を向けた。一目でククイの実力を感じ取った。

 

「ククイ君、すごいのよ。14歳でアローラの島巡りを終えたんですって。ワタルのいいライバルになれるんじゃないかしら」

 

 ワタルには、島巡りの経験はないから、そのすごさはわからなかったが、ククイの目を見る限り、只者ではないことは間違いなかった。

 ワタルの中の闘争心に火が付いた。

 

「それは面白いな。だったら、さっそく挑戦を受け付けてやるよ」

 

 ワタルはそう言うと、臨戦態勢に入った。

 

「望むところだ。あんたの話はドラセナさんから聞かせてもらった。すげえトレーナーなんだってな」

 

「二人とも、もう遅いからまた明日にして……」

「関係ねえ、勝負だ」

「望むところだ!」

 

 ドラセナの制止は効かず、二人の戦いは問答無用で成立した。

 ジムの挑戦者は3時50分までしか受け付けていないが、そのルールを取っ払って、二人は対戦することになった。

 



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13、天敵

 ククイは初めてワタルと対戦した。

 これまでも、ククイはアローラの数多くの実力者たちにもまれてきたから、強いトレーナーとの対戦は珍しいことではなかった。

 ククイを長らく指導してきたハラは本気でククイと対戦することもあった。しかし、ハラは長く世界中のリーグで活躍してきた実力者だから、負けたとしてもそれは当然のことという前提がある。

 ククイもハラに負けたからと言って、特別意識することはなかった。むしろ、負けることで、いつかハラに勝てるようになりたいという気持ちが強くなり、気力が沸き上がった。

 

 しかし、ワタルはククイと同い年のトレーナーだったから、ハラと対戦する時とは心境が違っていた。

 ハラと対戦するときは、負けてもともとという気持ちがあった。しかし、ワタルは同い年だから勝たなければならないという気持ちが強かった。

 おまけに、ワタルはジョウト・カントーのトレーナー。反ジョウト・カントーの空気の中で育ってきたククイには余計に負けられない相手だった。

 

 それに、ククイには自信があった。ハラのような現役で活躍するトップトレーナーには勝てなくても、同じ世代のトレーナーであればだれにも負けないと考えていた。

 ワタルがどれだけの実力者でも自分の力が通じると思っていた。

 

 だから、ワタルと対峙して、自慢のガオガエンを繰り出した時、ククイの顔には自信がみなぎっていた。負ける気がしないという余裕さえ見られた。

 ククイのガオガエンに対して、ワタルも自慢のカイリューを繰り出した。ワタルはククイと違って終始落ち着いた様子だった。自信ありげな顔をすることもなく、無表情で対戦に集中していた。

 

 少し技術的な話をすると、ククイはアローラ地方にいるころ、あまりドラゴンポケモンを扱うトレーナーとは対峙してこなかった。

 ドラゴンポケモンは扱いが非常に難しく、それをマスターするには組織立った修練が必要だ。だからこそ、ドラゴン使いのネットワークは世界的に大きい。

 しかし、アローラ地方にはそうしたドラゴンタイプを修練する組織がなく、結果的にドラゴンタイプを扱うトレーナーが少なかった。ドラゴンタイプのスペシャリストを志すアローラ地方のトレーナーもその多くが海外に留学していた。

 

 ククイはカイリューとの対戦経験が1度もなかった。何度かビデオ映像でカイリューの戦っているところを見た程度だった。

 

 両者の勝負が始まると、ククイのほうから積極果敢に攻撃を仕掛けていった。対戦経験のない相手だけに、先に主導権を取った方がいいと考えた。

 

 ククイのガオガエンは優れた運動性を活かして接近戦を得意とする。飛行ポケモンに対しても、得意のスープレックス攻撃で十分対応できる自信があった。

 しかし、ワタルのカイリューはこれまでククイが対戦したどのポケモンよりも力強かった。

 

 ガオガエンの鋭い一撃を力ずくで押さえつけ、その怪力で掴まれると振りほどくこともできない。

 そのまま、カイリューはパワーでガオガエンをねじ伏せてしまった。

 

 これまでに経験したことのない異次元のパワーにククイは驚かずにはいられなかった。

 

「なんだよ、今のは……」

 

 ククイは相手に捕まってしまっても、それを振りほどく練習も積み重ねて来た。劣勢になることも想定して実力を高めてきたが、ワタルのカイリューにはこれまで培ったあらゆるディフェンスが通じなかった。

 そんな経験は初めてだったから、ククイは叫んだ。

 

「もう一度だ」

 

 ククイがそう言うと、ワタルは何事もなかったように冷静に言った。

 

「手加減でもしたのか? まるで手ごたえがなかったが」

「……」

 

 ククイは熱くなった。再び、ガオガエンを繰り出して積極果敢に攻め立てたが、ワタルのカイリューには通じなかった。

 他の自慢のポケモンも繰り出して万策尽くしたが、ククイは一度もカイリューの牙城を崩すことはできなかった。

 

 ドラセナは二人の対戦を見守っていたが、ククイがムキになってくると、なかなか介入しにくい雰囲気になったので、ワタルの一方的なバトルをただ見ていた。

 トップトレーナーのドラセナから見ても、実力はワタルが突出していて、ククイを圧倒していた。今のククイの実力では何度やってもワタルには勝てないのは明白だった。

 

 繰り返し敗北したことで、ククイは床に膝をついた。

 

「おれの実力はこんなものか? しょせん、田舎の島の大将でしかなかったのか?」

 

 ククイはこれまでの自信をすべて打ち砕かれた思いだった。

 これまでに感じたことのない挫折感。それはククイの心に容赦なく突き刺さってきた。

 

 一方、ワタルは涼しい顔でトレーナーボックスを出ると、息を吐いた。

 それから、ドラセナに確かめた。

 

「ドラセナ、挑戦者のバッジ認定は7戦中4勝以上だったよな?」

 

 ドラセナはうなずいた。

 

「なら、バッジは与えられないな。ククイと言ったか、出直して来な」

 

 ワタルはそれだけ言うと、帰り支度を始めた。

 しかし、ククイの目の前は真っ暗になっていた。

 

 ◇◇◇

 

 その日以来、ククイの心境は大きく変化した。

 これまでのような熱い目はなくなり、うつろな目でさまようようにホウエンリーグやイッシュリーグに出かけた。

 しかし、ククイの実力は高く、ワタルに手痛い敗北を喫した以外は、大きな敗北をすることなく、順調にバッジを集めることができた。

 しかし、どれだけバッジを手に入れても、ククイの器が満たされることがなかった。

 

 ある日、ククイがオーキドの研究所に戻ってきたとき、グリーンはククイの表情に変化があるのに気が付いた。

 

「よう、ククイ。ホウエンの旅から凱旋か。あれだな、初めて会ったときから雰囲気が変わったな」

 

 グリーンは初めて会った時から変わらないお調子者の態度でククイに声をかけた。 

 しかし、ククイは反応することなく沈んだ顔で研究所の中に姿を消した。

 

「マジで変わっちまったな。ちっとは大人になったってことか」

 

 グリーンはそのようにククイを見ていた。

 ククイの変化には、オーキドも気が付いた。

 夕食のとき、口数の少なかったククイに尋ねた。

 

「ククイ、何か大きな壁にぶつかったか?」

「……」

 

 ククイはぼんやりとした顔をわずかに上げた。

 

「大きな壁。乗り越えられる気がしない壁。人生の中で幾度となく立ちはだかってくる。場合によっては一生超えることができない壁じゃな」

 

 オーキドは遠まわしに何かを伝えるように優しく言った。

 

「ぶつかってみたり、跳んでみたり、うつむいてみたり。今が正念場じゃ」

 

 オーキドがそう言うと、隣にいたグリーンが軽い口調で言った。

 

「じいさんの話は相変わらずちんぷんかんだぜ。だいたい、壁を感じるってことは才能がないってことさ。おれは壁なんて感じたことないからな」

 

 グリーンはそう言って鼻を高くした。

 

「ほっほ、人生に一度も壁を見いだせなかったやつの器なんて知れておる。グリーン、お前の天下もすぐ終わりじゃな」

「あいにくだな、じいさん。おれは完ぺきなポケモン理論を見つけ出したんだ。じいさんの予想に反してどこまでも高みに上り詰められると思うぜ」

 

 グリーンはそう言うが、オーキドの指摘が的中することになる。この後、グリーンも大きな壁にぶち当たることになる。

 ククイはグリーンより先に、大きな壁に立ちはだかっていた。

 

「ククイ。人生に答えなどない。壁を乗り越えるのも正解。壁に背中を向けて逃げ出すのも正解。ワシもこれまでいくつの壁に背中を向けてきたじゃろうか。多くのことをあきらめてはここまで来たが、この歳になって思う。人生とは実に複雑。歳を重ねるほどに迷子になるようじゃ」

 

 オーキドがそう言うと、グリーンはけらけらと笑った。

 

「じいさんもボケが始まってるからな。本当に迷子になっちまうかもな」

「グリーン、そのときはお前に介護を頼むよ」

「やだね。そんなことはおふくろか姉ちゃんに頼みな。おれはさすらいのトレーナーだからな」

「まったく、可愛げのない孫を持ったものじゃ」

「人のことを言えたことかよ。じいさんもろくなもんじゃねえよ」

「ワシがお前にポケモンを授けてやったんじゃ。ありがたく思ってほしいもんじゃ」

「ゼニガメだけだろ。もっとろくなポケモンをくれてりゃ感謝の1つもできるがな」

 

 オーキドとグリーンはいつも口喧嘩をしていた。それを見ていると、二人の仲の良さがうかがえた。しかし、いまのククイにはそうした家族のきずなをほほえましく見れる状態になかった。

 

 夕食後、ククイはマサラの坂道に出て来た。このあたりは海に面しており、見下ろせば大海原が見えた。夜になると、港も閉鎖されて、海は真っ黒によどんで見えた。

 ちょうどククイの気持ちを示しているかのようだった。

 

「ぶつかってみたり、跳んでみたり、うつむいてみたりか……」

 

 ククイはオーキドの言葉を思い出してつぶやいた。

 

「でも勝てる気がしない……」

 

 ククイは弱音をこぼした。しかし、同時に、ワタルの顔を思い浮かべると、このまま逃げ出すわけにはいかないという気持ちも強くなった。

 

「カントーリーグの予選……勝ち進めばもう一度ワタルに当たるな」

 

 ククイは少しずつ闘争心が湧き上がってくるのを感じていた。ワタルと戦うのは怖かった。ワタルとの一戦がククイの脳裏にトラウマとしてこべりついていた。初めてポケモンバトルで恐怖した瞬間だった。

 開き直って忘れようとしても、決して忘れることのできないククイにとっての呪縛だった。

 それを解呪する方法は1つしかなかった。

 

 ワタルに勝つこと。

 

「勝つしかないんだ。勝たなきゃいけないんだ」

 

 ククイはそう自分に言い聞かせると、目の前の闇をにらみつけた。



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14、力の差

 今年も一大イベントのジョウトカントー・ポケモンリーグ世界大会が開催される時期を迎えた。

 ポケモンリーグはすべてのトレーナーのあこがれであり、このリーグに参加できるのは、世界トップのトレーナーたちだけである。

 

 このポケモンリーグに参加するためには、公認バッジが16個以上必要である。

 ククイはすでに27個のバッジを獲得していた。バッジを40個以上所持していると、予選でシードされるが、バッジが16個あれば、ポケモンリーグの予選であるチャンピオンロードトーナメントに参加できる。

 

 ククイはついに夢の舞台に立つ日を迎えた。

 ただ、夢の舞台に向かおうとするククイの顔に、喜びの表情はなかった。今日この日まで、ワタルに勝てなかったあの1シーンが離れることがなかった。

 ワタルを倒さなければこの先はないという強い自覚のもとこの日まで修行してきた。

 

「絶対に勝つ。勝たなきゃトレーナーとしてやっていけないんだ」

 

 ククイは強い上昇志向をたぎらせて、トキワシティのターミナルにやってきた。ここからポケモンリーグまで列車が直通している。

 この日、ククイを応援するために、アローラからささやかな応援団もやってきていた。

 

 ククイが先にターミナルについて怖い顔で集中していると、ククイの間反対の抜けた顔をしたマーレインが顔をのぞかせた。

 

「ククイ君、ずっと電話してたんだよ。なんで出てくれないのさ」

「え? ああ、悪い、電源切ったままだった」

「まあいいけど、一応応援団をできるだけ連れて来たよ。師匠のハラさんは解説に呼ばれてるみたいだし、アウェーと言ってもそれなりにやりやすいんじゃないかな」

「……」

 

 ククイの口数は少なかった。緊張しているというより、気負いすぎているところがあった。

 

「おーい、ククイ」

 

 マーレインの後ろから快活な少女が手を振った。

 

「ククイ、バーネットさんも来てくれたよ」

「バーネット?」

 

 ククイはちらりと手を振っていた少女のほうに目を向けた。

 バーネット。彼女はククイがアローラの島巡りをしているときに出会ったポケモンブリーダーである。

 ポケモントレーナーの実力もそこそこで、ククイの島巡りをサポートしてくれた恩があった。

 

「久しぶり。ずっとカントーだったんだろ。電話もつながらねえもんな」

 

 バーネットはククイの隣に座って明るく話しかけたが、ククイは真顔を崩さなかった。

 

「そんなに気負うなよ。新人なんだから気楽にやりゃいいじゃん。負けてもともとだろ」

「負けられねえよ。特にワタルにはな」

 

 ククイはつぶやくように言った。

 

「ワタルって?」

 

 バーネットはマーレインに尋ねた。

 

「今大会再注目の新人のドラゴン使い。すでに世界トップの実力があるって言われてる天才だよ」

「ふーん、そんなのがいるのか。やっぱカントーはすげーな」

 

 バーネットは軽いノリで笑った。

 

「まあ、頑張んな。そんな天才に勝ったら、あんた有名人だよ」

 

 バーネットの励ましも、ククイの表情は変わらなかった。

 

「ところでバーネットさん、トキワのポケモン保護施設からポケモンを預かったって聞いたけど、何を預かったの?」

「ああ、ゴンべだよ。ほれ」

 

 バーネットはモンスターボールからゴンべを取り出した。ゴンべは居眠りポケモンで知られるので、ずっと眠ったままだった。バーネットはゴンべを優しく抱きしめた。

 

「ロケット団ってのが、カビゴンの密輸を繰り返してて、母親を失ったゴンべがたくさん保護されてるんだって」

「そういえばアローラでもニュースが流れてたね、ロケット団」

「ポケモンを粗末に扱うやつは許せない。とんでもないやつらだよ、ロケット団ってやつは」

 

 バーネットは珍しく険しい顔で憤慨した。バーネットのポケモンを愛する気持ちは誰よりも強かった。

 

「アローラではエーテル財団が立ち上がったけど、カントーじゃ慈善団体が動いてる程度で、ポケモンの保護が追いついてないんだ。それで、大学の卒論が終わったら、カントーでこいつらを保護する活動に参加しようと思ってな」

 

 バーネットはそう計画を語った。ククイがポケモントレーナーを志すように、バーネットは身寄りのないポケモンを助けるブリーダーを志していた。

 

「あんたは卒業後どうすんだい?」

「とりあえず普通に就職かな。けど、同級のマサキ君がポケモン転送システムを開発してるのを聞いて、共同開発を誘われてて迷ってるとこ」

 

 マーレインは大きな夢を語ることはなかったが、小さな野心を燃やしていた。

 みなそれぞれの道を歩もうとしていたが、その中で、ククイだけが、とてつもないプレッシャーの中で苦しんでいた。

 

 ◇◇◇

 

 ククイはチャンピオンロード予選を破竹の勢いで勝ち上がった。

 今年も実力者がチャンピオンロードに集まっていた。

 ジョウトから、ワタルのほかにマツリというゴーストポケモンのスペシャリストが参加していて、彼も注目を集めていたが、ククイはマツリにも勝利して、アローラの力を見せつけていた。

 準決勝では、ワタルと並んで高い注目を浴びていたシンオウのアイドルトレーナーのリョウを倒して、決勝戦に駒を進めた。リョウは「クリスタルビートル」と呼ばれて各方面から人気があって、完全アウェーの中だったが、ククイが勝利を収めた。

 

「あと1つだ」

 

 決勝戦を勝てば、ついにトップトレーナーが集うポケモンリーグの舞台に手が届く。

 しかし、あと1つがあまりにも遠い。

 決勝は、首尾よくワタルが勝ち上がって来ていた。ワタルもここまで危なげなく勝ち進んでおり、やはりククイの前に最強の壁として立ちはだかってきた。

 もっとも、ククイもワタルが勝ち上がってくることを想定していた。

 ワタルに勝つために今日まで修行を積んできたと言っていい。

 

 ワタルとククイの決勝は大きな注目の中で行われた。

 

 フスベジムでの対戦時とは比べ物にならないほどの観客の前での対戦。

 

 ククイは手持ち最強のガオガエン、ワタルも手持ち最強のカイリューで勝負が始まった。

 

 結果は……。

 

 ワタルの勝ち。

 白熱した試合ではなかった。ワタルが一方的に危なげなくククイを打ち破った。

 熱戦を期待していた観客もため息をつくほど一方的な勝負になった。

 

 そのとき、ククイは目の前が真っ暗になった。

 

 ◇◇◇

 

 その後、ワタルはオーキドの孫であり、当時最強のトレーナーと目されていたグリーンを倒し、新人にしてカントーリーグのチャンピオンになった。

 多くの者がワタルを祝福したが、ククイはそそくさとワタル祝福ムードの中を出て行った。

 

 その後、ククイの消息がわからなくなった。

 マーレインは何度かククイに電話を入れたが、例によってつながらない。

 マーレインは心配してバーネットに電話を入れた。

 

「バーネットさん、ククイ君から何か連絡あった?」

「あいつが自分から連絡してくるわけないよ」

「そっか。なんか心配だな。ハラさんのところにも戻ってないらしいし」

「なんかあったのか?」

「ククイ君の消息がわからなくなっちゃってさ。リーグ戦に賭けてたから、ショックで良からぬことを考えてるんじゃないかとか思っちゃって」

「ははは、ショックで首を吊るやつとは思えないけどな」

「だよね。でも一応、ククイ君見かけたら連絡してよ」

「了解」

 

 バーネットはいまトキワシティのポケモン保護施設でボランティア活動をしていた。今週いっぱいまでカントーに滞在するので、その間、ポケモンたちと一緒にいようと考えていた。

 

「お前、元気になったな。良かったな」

 

 バーネットは元気よく飛び跳ねるコイキングを抱きしめた。

 

「自然に戻ったら立派な主になるんだぞ」

「ドロンドロン」

 

 このコイキングもロケット団の犠牲になったポケモンの一匹だった。

 ロケット団はジョウト地方のイカリ湖に強力な磁場を流して、ギャラドスを興奮させ、現れたギャラドスを根こそぎ捕まえて密輸するという犯罪行為を繰り返していた。

 その影響でぐったりしてしまったコイキングが実に400匹余り保護された。

 そのうちの一部がトキワシティまでやってきた。

 

 バーネットの働きもあって、コイキングも元気になった。これでもとの湖に戻ることができる。

 

「バーネットちゃんが頑張ってくれたおかげで、ポケモンたちはみんな元気になった。ほうれ、ビードルも元気にはねてるよ」

「びょーたんびょーたん」

 

 保護施設の従業員が連れて来たビードルも元気になっていた。ポケモンたちはバーネットによく懐いていて、バーネットにはポケモンに愛される才能があるようだった。

 

「おばさん、ビードルってトキワの森で保護されたものですか?」

「ああ、山火事でな。もうすぐコクーンになって立派なスピアーになるところだったのに、焼けてしまって可哀想だったよ」

 

 バーネットはビードルを見つめた。ビードルは山火事で焼け出されたということもあり、火を必要以上におびえるようになっていた。これでは、厳しい野生の世界では生きていけない。

 このビードルを自然に返すにはそうしたトラウマにも打ち勝たなければならない。バーネットは保護には優しさだけでなく厳しさも必要ということをわかっていた。

 

「明日、森に行こう。な?」

「びびびび」

 

 ビードルはおびえるように首を横に振った。まだ森でのトラウマが抜けないようだった。

 

「いつまでもここにいるわけにはいかないんぜ。それに、お前だっていずれ立派なトレーナーに巡り合う日が来るかもしれない。そうなりゃ、こーんな大きなカイリューとも戦うことになるんだ。こーんな大きなヒヒダルマがぶつかってきても、負けちゃいけない。それが生きるってことだ」

 

 バーネットはポケモンを保護するために必要なことをよくわかっていた。保護のゴールは自立。自立につながらない世話は保護ではない。だから、バーネットは時にポケモンと厳しく向かい合った。

 



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15、トレーナーの使命

 バーネットは保護していたビードルを野生に返すために、保護団体のスタッフらとトキワの森を訪れていた。

 保護中にビードルもそれなりにたくましくなった。野生に還っても、一人で生きていくだけの力は十分に備わっている。

 しかし、いざトキワの森の焼けた地に戻って来ると、ビードルは逃げるようにモンスターボールに閉じこもってしまった。

 

「ダメだねえ。やっぱり山火事がよっぽど怖かったんだろうね。うちのダルマッカの前では全然怖がらなくなったんだけどねぇ」

 

 保護団体のスタッフらはため息をついた。

 保護されるポケモンたちにはそれぞれ特別な事情がある。

 ビードルのように山火事に焼け出されたポケモンなどは、それぞれトラウマを抱えていた。

 

 山火事に焼け出されたポケモンたちはまだマシかもしれない。

 中には、主であるトレーナーを亡くして、保護されるポケモンもいる。主が亡くなったことをいつまでも自覚できず、主の帰還を待ち続けるポケモンも少なくない。

 

 バーネットは怖がるビードルをもう一度山火事の跡地に解き放った。

 しかし、やはりビードルは逃げるように跡地に背中を向けてバーネットのもとに戻ってきた。

 

 バーネットは戻ってきたビードルを優しく迎え入れるのではなく、険しい顔つきで厳しく言い放った。

 

「逃げるな!」

 

 バーネットの言葉を受けたビードルはその場で立ち止まった。

 

「これから先、もっとずっと険しい道が待ってる。こんなことで怖気づいてどうするんだ」

 

 バーネットの言葉は厳しかったが、同時にとても大きな愛情が込められていた。

 ビードルはしばらく戸惑っていたが、やがて勇気を振り絞って、山火事の跡地のほうに顔を向けた。

 

「そうだ、それでいい。そこがお前の向かう世界だよ。いずれ、立派なトレーナーと共にずっと大きな世界を旅するんだ」

 

 ビードルはバーネットの言葉を受けて、目つきを変えた。

 最後にちらりとバーネットのほうを振り返ると、それからは前を向き、そのまま地面を這って、森の中へと消えて行った。

 

 それを見て、保護団体のスタッフらは拍手をした。無事、ビードルが野生へと戻ることができた。それは彼らの目的の達成。もっとも喜ばしいことだった。

 しかし、バーネットはただ一人、涙を流した。ポケモンが野生へ還るということは、同時に別れでもあった。しかし、それが自分の選んだ道。ポケモンに勇気を与える仕事であるが、同時に悲しみを作る仕事でもあった。

 

 ◇◇◇

 

 ビードルが還った後、バーネットはしばらくトキワの森の中をうろついていた。

 午後からは、大学の講義に出る予定だったが、ビードルとの別れの余韻もあってその気にはなれなかった。

 

 トキワの森には多様なポケモンが生息している。虫ポケのほか、稀にピカチュウを見ることもできた。

 森を進むと、見晴らしの良い高地に出た。

 

 今日は午前中から天気が良かったが、昼になると空は曇り始めていた。遠くでは、遠雷の音が響いていた。にわか雨が来るかもしれない。

 しかし、バーネットはすぐには戻らず、しばらく遠くの雷雲を眺めていた。

 

 自分が選んだ道を後悔しているわけではない。しかし、思っていたよりずっと心に悲しみをもたらす仕事だった。

 ポケモンを思う気持ちの強さに比例して悲しみは大きかった。

 

 しばらくして、バーネットはようやく複雑な思いを断ち切って立ち上がった。

 

「よし、戻ろう」

 

 自分の選んだ道を貫き通す決心がついたので、その場を立ち去ろうとした。

 そのとき、近くで物音がした。

 

 そのほうに顔を向けると、そこに見知った顔の人物がいた。

 

「……」

 

 そこにいたのはククイだった。

 ククイとは同じアローラ出身で、見知った存在だ。

 マーレインから行方不明になっていると聞いていたが、偶然にもそこにククイはいた。

 

 バーネットはすぐに声をかけなかった。そこにいたククイは少なくともバーネットの知っているククイの顔ではなかった。

 ククイは気が抜けたようにそこに立ち尽くしていた。

 

 比較的大きな雷音が響いた。

 しかし、ククイはその音にも無反応だった。

 

 バーネットは表情を作り直して、穏やかな顔でククイのもとに向かった。

 

「おーい、ククイ」

 

 バーネットはいつもの明るい様子で声をかけた。

 しかし、ククイは反応しなかった。

 

「マーレインが心配してたぜ。こんなとこで何してんだ?」

 

 バーネットはククイに近づいた。ある程度の距離まで来ると、ククイは突き刺すような声で言った。

 

「来るな!」

「……?」

 

 バーネットは立ち止まって、明るい表情を消した。

 ククイはそう言うと、一歩前に出た。

 

 その先は切り立った崖になっている。見ると、その高さは10メートル以上はあった。足がすくむほどの高さであり、落ちたら、死んでもおかしくない。

 しかし、ククイは恐れることなく、ギリギリのところまで歩み出た。

 

 バーネットはその場に立ち止まったまま、沈んだ声で尋ねた。

 

「飛び降りるのか?」

 

 バーネットが尋ねてしばらくしてからククイは答えた。

 

「お前には関係ないことだろ」

 

 バーネットもしばらく間を置いてから答えた。

 

「そうだな。関係ないことだな」

「ならどっか行けよ」

「嫌だ」

 

 バーネットは即答した。

 

「何が嫌だよ。お前には関係ないことだろ」

「ああ、お前がどうなっても私は知らん。でも、お前が懐に入れてるモンスターボールは回収しないといけないだろ?」

 

 バーネットは真顔で淡々と言った。

 

 ククイは言われて右手で懐に触れた。そこには、長い間を共にしたポケモンを入れたモンスターボールが入っていた。初めてポケモンを手に入れてからかれこれ10年になる。十分に長い付き合いだった。

 

「可哀想なもんだよ。バカが勝手に死んだら、残されたやつが尻拭いしなきゃならないんだから」

「……」

「でも良かったよ。前回のポケモンリーグでお前が負けてくれて」

 

 バーネットはそう言って朗らかに笑った。

 

「なに?」

「お前みたいなポケモントレーナーの風上にも置けないやつが勝っていたら、この世はおしまいだろ。お前みたいなクズに憧れてトレーナーを目指す子供たちがいなくなったんだから、世界は実に救われた。本当に良かった」

「……」

 

 ククイは先ほどまでここから飛び降りる気でいたが、バーネットの言葉を聞いて突然死に対する恐怖を覚えた。

 突然、足がすくんで、ククイはバランスを崩した。

 追い打ちをかけるように、大きな雷が近くに落下した。

 

 ククイの体は崖の外に投げ出された。

 

 ククイがそのときに感じたことは、自分が死んでしまうことに対する恐怖ではなく、自分がいなくなって取り残されてしまうポケモンたちのことだった。

 

 ワタルをライバル視して、誰よりも強くなろうとポケモントレーナー道を歩んできたが、ククイはいつしか忘れていた。

 ポケモントレーナーとしての責任。ポケモンに対して責任を持つこと。

 たとえ、栄光を掴めなくても、共に戦ってくれたポケモンたちへの愛情と感謝を忘れてはならないこと。

 

 オーキドが言ったポケモンへの信頼と愛情。大切にしていたつもりでも本当のことは何もわかっていなかった。

 

「すまない」

 

 ククイは最期のこの瞬間になって、ようやくポケモントレーナーの意義を悟った。

 やり直せることなら、その意義を決して忘れないトレーナーになりたいと思った。

 

「びょーたん!」

 

 雷音よりも力強いビードルの声が鳴り響いた。

 その瞬間、ククイはビードルのとっしんを受けて崖の上へと押し戻された。ビードルとは思えないほど力強いとっしんだった。

 

 ククイは崖の上に転倒した。強い衝撃だったので、立ち上がることができなかった。

 

「うぅ……」

 

 体に受けた衝撃よりも、心に受けた衝撃で、ククイは嗚咽をもらした。涙がとめどなく流れた。

 瞬間、降り始めた雨がその涙をかき消した。

 

 ククイを突き飛ばしたのは、バーネットが保護を担当していて、つい先ほど野生に還したばかりのビードルだった。

 ビードルには怯える顔はなく、力強い表情をしていた。普通のビードルでは繰り出せない強さはバーネットと共に戦ってきた歴戦のたまものだった。

 

「びょーたん!」

「お前」

 

 バーネットは戻ってきたビードルを抱きしめた。

 ビードルは自らの意思でバーネットのもとで戦う決意を固めていた。

 

 バーネットはうなずいてビードルを迎え入れた。

 

「いいのか? 私は厳しい女だぞ」

「びょーたん!」 

 

 ビードルは力強くうなずいた。

 それから、バーネットはビードルを肩に乗せて、うずくまったククイのもとにやってきた。

 

「ククイ、立てよ。ポケモンバトルだ」

「……」

 

 ククイはゆっくりと顔を上げた。

 

「ポケモントレーナーなんだろ? だったら、勝負は断れないぜ?」

 

 ククイはバーネットの顔をしばらく見ていた。そこには、本物のポケモントレーナーがいた。本物のポケモントレーナーはとても愛おしい顔をしていた。強さと優しさを兼ねそろえた世界一美しい顔立ちだった。

 ククイはゆっくりと立ち上がった。

 

「バカ野郎……お前がおれに勝てるわけないだろ」

「言うじゃないか。それはこっちのセリフだよ」

 

 二人は雨の中、一戦交えた。

 ビードルはククイのガオガエンに積極果敢に立ち向かっていった。もう火を恐れるところはなかった。

 

 もっとも、ククイは手加減をしたが、ビードルの無我夢中に向かってくる姿には、ワタルと戦うときに負けないぐらいのプレッシャーを感じた。

 ククイはビードルとの戦い、バーネットの戦いからポケモントレーナーとして一番大切なことを学んだ。

 

 その学びが正しいかどうか、ククイにとっての審判の時は間近に迫っていた。

 

 ◇◇◇

 

 少しの間、ククイは過去の思い出を振り返っていた。

 いや、それはずいぶんと長い間に感じられた。そうした思い出が今のククイを作り上げていた。

 

 ククイは目の前のワタルに尋ねた。

 

「ワタル、ホウエンリーグの戦いが終わったら、おれと戦ってくれないか?」

「なに?」

「お前のさっきの質問の答えだ。おれの見つけ出した理想のポケモントレーナーに近づけたかどうか、その戦いですべてがはっきりする」

「……」

 

 ワタルは目を細めた。

 ワタルがカントーリーグの頂点に立ったとき、ククイはポケモントレーナーの道を去った。

 その間、ククイは理想のポケモントレーナーを目指していたという。

 ククイの実力はワタルも良く知っている。ポケモントレーナーの道を去ったとはいえ、今でもプロのトレーナーの中堅ぐらいの力は持っているはずだ。

 

「わかったよ」

「ありがとう。楽しみにしてるぜ」

 

 ククイは席を立った。

 

「さて、お前が育てたアイリスという子、どれぐらいの実力か見物させてもらうぜ」

「……」

 

 気が付けば、まもなくアイリスの大会が始まろうとしていた。

 ワタルが育てたというと語弊はあるが、アイリスはしばらくワタルのもとで指導を受けていた身。

 マスコミもそのうたい文句でアイリスに注目していた。



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16、見えざるもの

 アマチュアの若手トレーナーが集う世界最高峰の戦いがヤマブキシティがまもなく始まる。

 会場には、トレーナーそれぞれに個別の控室が用意されていて、アイリスは自分の出番が来るのをそわそわと落ち着きのない様子で待っていた。

 

 関係者は控室への入室が認められているので、アイリスの控室には、ドラセナ、イブキ、ナツメに加えて、ワタルの講演会の関係者も応援に訪れていた。

 

 

「まあまあ、アイリスちゃん。あんまりそわそわしてると本番前に力尽きてしまうわよ」

「そうですね。ですが、いてもたってもいられないのです」

 

 アイリスはドラセナが用意した椅子に座った後も、体が勝手にそわそわした。

 本来なら、最も心強い師匠がここにいなければならないのだが、その師匠は現在姿が見えなかった。

 

 ドラセナは師匠を呼び出すために電話を入れたが出なかった。

 

「ワタル、つながらないの?」

 

 イブキが尋ねた。

 

「まあ、いつものことだけど、困ったものね」

 

 ワタルは先にカイリューに乗ってヤマブキシティに入っているはずであるから、どこかで寄り道でもしなければ、とっくに会場にたどり着いているはずだった。

 

「ワタルもそわそわ落ち着きのない子だったから。でも、アイリスちゃんはそんなところまで真似しちゃダメよ」

 

 ドラセナはアイリスの両肩をポンと叩いた。ちょうど、ワタルがアイリスと同じころと同じ感覚だった。

 ワタルも今でこそ180センチまで背丈が伸びたが、当時はアイリスと同じぐらいの背丈で、肩幅も今のアイリスとあまり変わらなかった。

 そして、ワタルも同じ大会に参加した。

 あのときも、ワタルはアイリスと同じようにそわそわしていた。

 

「ドラセナ師匠、いま気が付いたんだけど、ヒガナも姿が見えないわ」

 

 イブキはいまになって控室にヒガナがいなくなっていることに気が付いた。

 ヒガナはイブキと同じドラゴン使いの同門で、普段はフスベジムやゴールドジムを気まぐれに行き来している。フスベにいるころはイブキかドラセナの家に泊ることが多く、ヤマブキにいるころはナツメの家に泊ることがほとんどだった。

 ヒガナもワタルに似て落ち着きがなかった。気が付けば、いなくなっているということが多かった。

 その共通点だけを考えれば、アイリスもワタルもヒガナもルーツは同じなのかもしれない。

 

「ナツメ先輩、サイキックパワーでヒガナの居場所を突き止めてよ」

 

 イブキはナツメに協力を依頼した。

 ドラゴン使いのネットワークは主にフスベシティの最長老とその一番弟子のワタルを中心にネットワークは大きく、ワタルの後援会として結成されたチームワタルには、ナツメも含まれていた。

 イブキにとって、ナツメは3つ上の先輩にあたる。

 

「無理。ヒガナは不確実性の塊のような子でしょう」

 

 ナツメは落ち着いていた。ワタルとヒガナはナツメが言ったように不確実性そのものだった。しかし同時に、必ずやって来るべき場所にやって来るのも二人の特徴だった。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルはククイと別れた後、ようやく大会の会場にたどり着いた。

 

「ワタルさん、こちらがアイリス選手の控室です」

 

 会場にやってくると、記者が場所を案内してくれた。

 ポケモン事情に詳しい有名なベテラン記者であった。

 

「期待していますよ。新たなスターが誕生したとなると、私もドラポケの端くれとして嬉しいですからね。それに、クイーンの誕生となると、私も出世のチャンスですからね」

「くだらん。人を出汁に金儲けをするマスコミなど愚か者の象徴だ」

「まあまあ。だいたい、僕が記事を書いたから、ワタルさんは世界的スターになったんですよ。お互い様ですよ、お互い様」

「おれは一度も頼んじゃねえぞ」

「まあまあ、力を合わせてポケモン界を盛り上げていきましょうや」

 

 記者はニコニコ顔でワタルの背中を押した。

 

 長い通路を進むと、各トレーナーの控室が並ぶエリアに出た。アイリスの部屋は右に最奥だった。

 

 その通路の前に、少女が一人たたずんでいた。

 ワタルは近づいてその少女を見下ろした。

 

「おい、ヒガナ。何をやってるんだ?」

 

 ワタルが声をかけると、ヒガナは顔を上げてほほ笑んだ。

 

「大地の声を聞いてたんだよ」

「わけのわからんやつだな」

 

 ヒガナの行動はワタルにも理解できないことが多かった。

 

「それと道に迷ったから、ここで待ってたら誰かが迎えに来てくれると思って」

 

 ヒガナは迎えに来た人物がワタルだったことをいささか嬉しそうにした。

 

「この先だろ。ついて来いよ」

「うん」

 

 ヒガナはワタルの隣に並んだ。

 しばらく歩いたところで、ヒガナはワタルに尋ねた。

 

「ワタルって、ロリコン?」

 

 唐突な質問に、ワタルは思わず、壁に頭をぶつけた。

 

「突然、何を言う?」

「アイリスさんを弟子にしたんでしょ。私は弟子にしなかったのに」

「あれは師匠から使命を受けて仕方なくだよ」

 

 ワタルは再び歩き出した。

 

「仕方なくなの?」

「何が言いたいんだよ」

 

 ワタルはそう言いながら、アイリスを弟子にした理由の答えを探した。

 たしかに事の成り行きは、師匠から受けた予想外の試練だった。その試練がなければ、アイリスを弟子にすることはなかっただろう。

 

 だから、仕方なく弟子にしたのだろうか。

 

 ワタルは思わず足を止めた。

 合わせてヒガナも足を止めた。

 

「仕方なくなんてかわいそうだよ。ちゃんと見てあげなきゃ」

「……」

 

 ヒガナは唐突に物事の核心をついた言い回しをすることがある。

 それはちょうど、ワタルが臨んでいる試練の回答の最大のヒント、ついてはワタルが目指す「ポケモントレーナーの頂点」にたどり着くために欠かすことのできない要素そのものだった。

 

「そうじゃないとロリコン失格だよ」

「ロリコンじゃねえよ」

 

 ワタルはそれだけは否定した。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルはヒガナを連れて、アイリスの控室にやってきた。

 控室には毎度おなじみの顔ぶれが並んでいた。

 ワタルにとっては見慣れたメンツばかりで当たり前の光景になっている。

 

 しかし、先ほどのヒガナの言葉が心に残っていた。

 当たり前の光景。しかし、きちんとその光景を見ることができていただろうか。

 

「やっと来た。どこで寄り道してたのよ」

 

 ドラセナが開口一番、母親の立場からの質問をした。

 ドラセナはワタルの保護者である。ワタルが物心つく前から、ワタルの世話をしていた。

 ワタルにとっては母親同然であった。

 

「ちょっとな」

「あやしい。カケオチに違いないわ」

 

 その後ろでイブキがワタルとヒガナの様子を見てつぶやいた。

 

「アホなこと言ってんな」

 

 ワタルはイブキの頭を押さえてベンチの上に座らせた。イブキは一応、師匠の二番弟子に当たる。かれこれ15年以上の付き合いになる。

 昔からよく面倒を見ていたこともあって、ワタルにとっては妹のような存在だった。

 

 その後ろにはナツメがいて、無言で二人を見ていた。顔が少しにやついているのがわかった。

 ナツメとは同級生であり、幼馴染でもある。

 

 小さい頃はナツメのほうが強く、ワタルは何度もナツメにポケモンバトルでも普段の喧嘩でも負かされる一方で、ナツメに泣かされた回数はこと数えきれなかった。

 その時のこともあり、ワタルにとって、ナツメは頭の上がらない存在でもあった。

 

 ワタルはそのとき、身近にいる者たちを本当にちゃんと見れていただろうかと少し不安になった。

 当たり前すぎて、本当に大切なものを見失っていたような気がした。

 

「なに固まってるの?」

「いや……」

 

 ナツメに声をかけられ、ワタルは覚醒した。それからアイリスのほうに目を移した。

 アイリスはワタルの視線に気づくと笑顔で手を振った。

 

 アイリスは最近新しくワタルの一味に入ってきた存在だ。

 ワタルの一番弟子ということになる。

 

 この中では最も関りの浅い存在でもある。

 そして、振り返った先にヒガナがいた。

 

 ヒガナはとりとめもない存在であり、ワタル自身もヒガナのことはよくわからなかった。

 しかし、どこか自分と同じ流れを持っている存在であり、ワタルにとって謎めいた重要人物でもあった。

 

 ワタルという世界的スターは多くの者の支えのもとにあった。

 しかし、ワタル自身、その多くの支えの本当のところが見えていなかったのかもしれない。

 

 ワタルは今回師匠から受けた試練の本当の意味のようなものを垣間見た気がした。



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17、以心

 アイリスの出番がやってきた。

 このヤマブキシティで開かれるトーナメント大会は15歳未満の中で最も強いトレーナーたちが集う。

 

 アイリスの対戦相手はすべからく、同世代の中では最高峰のトレーナーたちだった。

 観客も多く、世界40以上の地域でテレビ中継されるので、出場者は嫌でも緊張した。

 

 アイリスはイッシュ地方のドラゴン使いの間で伝わる伝統の衣装に身を包むと、「ふん」とうなって、自分に喝を入れた。

 

「頑張ってね、アイリスちゃん」

「必ず勝ってきます。見ていてください」

 

 アイリスはワタル一行にそう宣言すると、対戦の舞台へと歩み出した。

 その背中は小さかったが、大きな可能性に包まれていた。

 ワタルもかつて、アイリスと同じ舞台に上がった。この舞台から、「ワタル」というネームブランドは作られていった。

 今回は師匠という立場でこの舞台に戻ってきた。

 

 あのときのことはよく覚えていた。

 体が震えるほどに緊張していた。

 自分の腕に自信があったからこそ、余計に緊張が高まった。自分は強いはずだと思いながらも、本当に自分の力が通じるのだろうかという不安もからまってきた。

 

 アイリスもおそらく自分の経験した緊張感を覚えているだろうと推測した。

 ワタルが見つめる先には、堂々と歩くアイリスの姿があったが、その背中の先に強い緊張感が隠されているのを感じ取ることができた。

 

 ワタルは遠い日の自分を見ているような気分になった。

 あのとき、舞台に出て、観客の声援が弾けた瞬間、目の前が真っ黒になる思いだった。

 とても戦える気がしなかった。

 

 あのとき、ワタルは一度だけ後ろを振り返った。その振り返りは弱気がもたらしたものだった。ワタルはあのとき、戦う勇気を持つことができず、振り返った。

 

 振り返った先には、ドラセナがいた。

 ドラセナは笑顔で手を振っていた。

 ワタルはそれを見て、体に再び闘志が宿るのを覚えた。ワタルはうなずくと、舞台のほうに目を向けた。一切の緊張感を振り払って歩き出すことができた。

 

 そうか。それが師匠の力か。

 ワタルはそのときのことを思い出して、目に力を込めた。

 

 すると、ワタルの視線を感じたのかアイリスは一度立ち止まり、振り返った。ちょうど、ワタルが振り返ったのと同じ場所、同じタイミングだった。

 ワタルは前に出ると、胸で拳を握り締めた。

 言葉には出さなかったが、ワタルは心に自分の言葉を刻んだ。

 

「己と己の相棒を信じろ」

 

 アイリスはワタルの思いをしっかりと受け取ったのか、不安に震えた瞳を振り払って、笑顔を作った。

 その笑顔はアイリスの独創性だった。ワタルはあのとき笑わなかったが、アイリスは安らぎのこもった笑顔を見せた。

 

 その笑顔はワタルとは方向性は異なるが、同じほどの大いなる力を象徴していた。

 

 師匠と弟子の心が通じ合った瞬間だった。その心の通いはアイリスに大きな力を与えた。

 

 ドラセナは後ろからその様子を見ていた。師匠と弟子の融和。それはどちらかと言うと、ワタルにこそ大きな成長をもたらしたのだということを、ドラセナはよくわかっていた。

 

 アイリスを送り出したら、あとは見守るだけ。

 だが、ワタルはすでにアイリスの勝利を確信していた。

 

 アイリスの1回戦の相手はイチロー。地元のエリートトレーナーで「振り子ナッシー」という奇抜な戦術を用いるということですでに有名だった。

 得意ポケモンはナッシー、ランクルス、メレシーとエスパータイプに寄っている。

 

「なっちゃんの教え子でしょ、対戦相手の子」

 

 ナツメをなっちゃんと呼ぶのはドラセナだけだった。

 

「うーん、だから複雑。私はどっちを応援すればいいのかしら」

 

 ナツメはゴールドジムのジムリーダーであり、イチローはその門下生の一人だったので、いわばナツメはイチローの師匠ということになる。

 

「お願い、なっちゃん。アイリスちゃんを応援してあげて」

「そうします」

 

 ナツメはアイリスに寝返った。

 

 ◇◇◇

 

 アイリスの一回戦。

 心配することはなかった。

 

 勝負はアイリスの一方的なゲームになった。

 アイリスの繰り出したオノノクスに対して、イチローはランクルスを繰り出していった。

 

 対ランクルスは、ナツメと一緒に何度か練習しており、それが実戦に活きた。

 ランクルスのサイコキネシスはリーチが長い。交代すると、ロングレンジの攻撃を多く持っているので、リーチの長い攻撃に対しても徹底して距離を詰める練習をしていたが、そのとおりにオノノクスは間合いを詰めた。

 ベストポジションまで接近すると、アイリスは目を閉じて、ワタルから受け取った言葉を心に刻んだ。

 

「己を信じろ」

 

 その言葉と同化したオノノクスの一撃。

 

 ランクルスのガードを打ち砕いて大きなダメージとなった。その後も反撃のサイコキネシスに捕まることなく、力でねじ伏せていった。

 子供とは思えない力強い攻めはワタルを彷彿とされるものがあった。

 

 ワタルはアイリスの戦いを見て手ごたえを感じた。アイリスに迷いはなかった。心に迷いが生じると自分の戦いができない。ワタルもこれまでポケモントレーナーとしてやってきて、心に迷いが生じると負けにつながるということをわかっていた。

 いまのアイリスはよほどのことがなければ負けないだろうと確信できた。

 

 勝負は2本先取。

 イチローは切り札のナッシーで勝負に出た。

 

 振り子ナッシーの異名を持つこのナッシーは独特のタイミングでたまを投げてくる。しかも、そのたまを見ていると催眠術がかかり、ポケモンが眠ってしまう。

 たまを回避するには、たまをしっかり見ておかなければならない。しかし、たまをしっかりと見ると催眠術がかかってしまうというという二段構えになっている。

 

 しかし、アイリスは初顔の変則戦術にも動じなかった。

 

 見るのではなく感じる。

 

 アイリスの研ぎ澄まされた集中力は、見なくとも相手の攻撃を感じることができた。

 オノノクスはナッシーのたまなげをすべて正確に弾き落すと、接近してドラゴンテールを振り回した。

 

 からめば、てこでも外れないアイリスの得意戦法だった。

 無駄にじたばたすると、オノノクスのペースになる一方だった。

 集中していたアイリスは慌てた相手につけ込むように攻めることができた。オノノクスはナッシーのじたばたの勢いをうまく利用して叩きつけて、確実な追撃で仕留めた。

 

 2本目もアイリスが取って勝負あり。

 イチローはくやしそうに頭を抱えた。

 

 アイリスの勝利を見届けて、ワタルはこれまでに感じたことのない勝利感を覚えた。

 自分が勝利したとき、チャンピオンの座についたとき、そのいずれとも違う勝利感だった。

 

 

 ◇◇◇

 

 勝利して戻ってきたアイリスには祝福が待っていた。

 ドラセナをはじめとして、祝福のセンスあふれる者が数多く揃っていた。

 ドラセナ、ナツメ、イブキとハイテンションにハイタッチして祝福を受けていた。アイリスも笑顔でその祝福を受けた。

 

 ワタルは彼女らとは違う。笑顔で祝福の言葉を贈るような気質ではなかった。

 ワタルにはワタルの祝福の仕方があった。

 ワタルは腕を組んで、険しい表情をして、アイリスに言った。

 

「戦いはまだ始まったばかりだ。気を抜くな。気を抜いたときが敗北への一歩となる」

 

 ワタルはそう言って、アイリスの心を引き締め直した。

 アイリスはワタル流の祝福の意味をよく理解していた。だから、アイリスは言われたように気を引き締めた。

 

「はい、ワタル師匠。次の勝負に集中します」

 

 このトーナメントにはシードを受けているつわものが2名いる。

 真の敵はシードを受けている2名のトレーナーだった。

 

 第一シードのアンズと第二シードのコゴミ。

 

 アンズはセキチクジムリーダーでもあり、数多くのチャンピオン経験のあるキョウの娘であり、現時点ではこの年代における最強のトレーナーと言われている。

 キョウと同じく、毒ポケモンを使い、クロバット、アリアドスなどの「イガ忍法」と呼ばれる戦術を得意とする。通称「キョウ・スタイル」として知られ、世界トップクラスのトレーナーであるアデクはこの戦法についてこう語っている。

 

「風のように華麗で、岩のように忍耐強い。あれが忍者か」

 

 アンズはイガ忍法を正当に引き継いだ実力者であり、アイリスにとって最大の宿敵だった。

 

 コゴミは遠い地方からやってきたトレーナーであり、アンズほど詳細はわかっていない。

 何か特殊な武術の使い手であるそうで、チャーレム、ハハコモリ、ドドゼルガなど基本的に何でも使いこなすという。

 オーソドックスなトレーナーと見えるが、王道に忠実なトレーナーが最も手強いことをワタルは良く知っていた。

 

 トレーナー数多しとはいえ、その半分はオーソドックスな基本に忠実なトレーナーだ。

 ワタルも含め、ダイゴ、シロナ、アデク、ミクリなど実力者はみなオーソドックスだった。

 

 どちらも下馬評では、アイリスより格上ということになっている。

 アイリスの戦いはまだ始まったばかりだった。



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18、信心

 ヤマブキシティで行われているU14の世界大会も、一回戦がすべて終了した。

 シードされている注目のアンズとコゴミを除くすべてのトレーナーがその戦いを披露した。

 

 アイリスは無事一回戦を突破して、午後3時から始まる2回戦に駒を進めた。

 トーナメント表はベスト8が出そろった。

 

 アンズ

 ジロウ

 

 サブロウ

 アイリス

 

 コブロウ

 アセロラ

 

 ジジロウ

 コゴミ

 

 一回戦で大きな存在感を示したのはアイリスだった。

 ワタルの弟子として紹介されたこともあり、すでに注目が集まっていたが、一回戦の力強さが多くの観客に印象付けられたようだった。

 しかし、アイリス以外に、ひときわ注目を集めるトレーナーがいた。

 

 アイリスの対極のブロックに所属するアセロラも、アイリスに負けない力を見せていた。

 

 アセロラはアローラ地方出身のアイリスと同い年のトレーナーということ以外はわからない。

 それほど注目されていたわけでもなく、完全なダークホースだった。

 

 しかし、一回戦のデンゾウとの対戦にて、その力をいかんなく発揮した。

 デンゾウはシンオウ地方出身のトレーナーで、トップクラスのトレーナーの一人であるデンジの傘下で力をつけた。

 親が電気屋ということで、電気ポケモンを得意とする。

 当初はレアコイルを使っていたが、師匠のデンジのアドバイスなどもあって、ランターンを使うようになったところ、安定感が比較的に増し、本大会に参加するほどの実力をつけた。

 

 マスコミは当初、「デンゾウ君も十分優勝候補だ」と報じていた。

 ポケモントレーナー大国であるシンオウ地方出身ということもあり、影の優勝候補としてささやかに注目されていた。

 しかし、影の優勝候補の称号を奪い取るかのように、アセロラは圧倒的実力を見せつけて、デンゾウを打ち破った。

 

 アセロラはミミッキュを繰り出して戦った。

 ゴーストタイプの使い手であると予想できた。プロの間でも最も扱うのが難しいと言われるミミッキュをフィーチャーしてきたところに器の大きさがうかがわれた。

 見事に難しいミミッキュをコントロールして、デンゾウの得意とする「電磁波乗りランターンシステム」をうち破ってみせた。

 抜群の回避センスで、ミミッキュの化けの皮がはがれる前にデンゾウのランターンとレアコイルをうち破り、ダークホースの力を見せつけた。

 

 ワタルもアセロラの対戦を見ていた。

 ワタルの目から見ても、アセロラの実力はアイリスと同等ほどあった。

 

 とはいえ、アセロラはアイリスの反対の山なので、シードされているコゴミが倒す可能性もある。

 アイリスにとって、最大の関門は同じ山のシードであるアンズだった。

 

 ◇◇◇

 

 2回戦が始まり、シードトレーナーがようやく顔を出してきた。

 2回戦第一試合はアンズとジロウの対戦となった。

 

 ジロウはノーマルポケモンの使い手として知られる。カロス地方のノーマルポケモン限定のアマチュア大会で優勝実績があるなど、容易ならざるトレーナーだった。

 使用ポケモンはムーランドとべロベルト。

 基本はオーソドックスな戦い方だが、距離が開くと、「アクセルとっしんころがーるからのベロベロ」と自称する独自戦法で破壊力抜群の攻めを展開して、一回戦は観客を沸かせていた。

 

 そんなジロウに対するのが優勝候補のアンズ。

 アンズはシードされているだけあって、戦い慣れ、大会慣れしており、観客の前でも落ち着いた様子で開戦の時を待っていた。

 説明不要の超強力「イガ忍法」を展開する。これはプロの世界でも、キョウの得意戦法として有名だ。

 ワタルもキョウとは15回の対戦経験があるが、7度も不覚を取っていた。

 アンズはそれを正当に引き継いでいるので、弱いはずがなかった。

 

 アイリス陣営は控室のモニターから、アンズの対戦を見ていた。

 

「むむ、むむむむ」

 

 アイリスは宿敵であるアンズに対して、ライバル意識むき出しの視線を送っていた。

 ワタルはそんなアイリスの隣から真顔で対戦を見た。

 ドラセナは先ほどまでドリンクの買い出しに行っていて、今しがた戻ってきた。

 ナツメとイブキはワタルの後ろでおしゃべりをしていた。

 ヒガナは、モニター電源のコンセントを珍しいものを見るように観察していた。

 

 対戦が始まった。

 先手必勝と言わんばかりに、ジロウはべロベルトを繰り出した。「アクセルとっしんころがーるからのベロベロ」という戦法で一回戦を沸かせた立役者だ。

 アンズは遅れて、クロバットを繰り出した。クロバットは出てくるなり、残像をあちこちに残す高速移動で所定の位置についた。クロバットの機動性を相当鍛えているようだった。

 

「むむむ、あれが忍者ですか」

 

 アイリスはこの先対戦するかもしれない忍者の戦いに集中して、目をとがらせた。

 

「アイリスちゃん、あんまり根を詰めると、疲れてしまうわよ」

「いいえ、この目にしっかりと焼き付けておく必要があると思うのです」

 

 ドラセナの忠告は無視して、アイリスはモニターの先のクロバットをにらみつけていた。

 

 対戦は一瞬でついた。

 ジロウのべロベルトはフェイントを交えながら、隙をついてとっしん。

 そのとっしんが高速で動くクロバットを捉えた。

 

 クロバットをがっちりと捕まえたべロベルトは丸まってローリングアタックでクロバットをたたきつけ、ベロベロ攻撃でマウントを取りに行った。

 一瞬の仕掛けが功を奏し、最初の対戦はあっさりとジロウが勝利したかのように見えた。

 

「ダメだな」

 

 しかし、トップトレーナーのワタルやドラセナには見えていた。ワタルは一言つぶやいた。

 

 次の瞬間、クロバットはなぜかべロベルトの背後にいた。

 べロベルトが捉えたクロバットはそれが作り出した分身だった。

 べロベルトはその分身を一方的に叩きつけていただけであり、本物は背後から攻めの態勢を取っていた。

 

 そのまま襲い掛かる。用意周到の確実に急所を狙ったクロバットの攻めがさく裂した。

 逆にべロベルトが倒されてしまった。

 

 ジロウもキツネにつままれたように首を傾げた。

 アイリスも目を回していた。

 

「何が起こったのですか? 全然見えませんでした。どういうことですか?」

 

 アイリスは初めて見る忍者の戦いを理解できなかった。

 そんなアイリスに、ワタルは冷静に説明した。

 

「影分身だ」

「分身?」

「それも実体のほうの気配を完全に殺し、分身のほうに実体の気配を与えるレベルの高い影分身。おれも幾度となくやられた戦法だ」

 

 ワタルは過去のキョウとの対戦のいくつかを思い出していた。

 意識を集中して臨んでも見破ることができない分身戦術に、ワタルも苦しめられた。

 

 アンズが仕掛けた影分身は、キョウほどの精度ではないものの、アマチュアレベルならば誰にでも通用するハイレベルなものだった。

 

「こ、これが忍者の戦いなのですか?」

「そうだ。それを打ち破らなければ、あいつに勝つことはできない」

 

 おそらく、アンズ相手に単調な攻めは通用しない。アイリスも工夫を凝らして立ち向かう必要があった。

 しかし、アイリスは今の影分身を見て、対処法などまったく思いつくことができなかった。

 

「どうすればいいのでしょう……」

 

 アイリスはかつて見たこともない高等戦術に、気分を弱気に傾けた。

 

「あいつと当たるのは3回戦だ。いまは目の前の戦いに集中しろ」

「はい……」

 

 アイリスはそう言ったが、意識はアンズ戦に引きずられていた。

 この大会はレベルの高いトレーナーが集まってきている。目の前の相手に集中せずに勝てるほど甘くない。

 アイリスの次の相手はサブロウだ。しかし、アイリスの意識はアンズにばかり寄ってしまった。

 

 アンズとジロウの戦いは、アンズがイガ忍法で相手を翻弄して完封。前評判通り、アンズが3回戦に駒を進めた。

 

 アンズ戦が終わると、次はアイリスの出番。

 アイリスとサブロウの対戦が行われるのだが、アイリスは先ほどのアンズのことばかり考えていた。

 

「うぅ、忍者が出てくるなんて、どうすれば」

 

 控室を出て、花道に向かう際も、アイリスはアンズのことを口にした。

 

「おい、アイリス。言っただろ。目の前の相手に集中しろ。迷いの心で勝てるほどこの世界は甘くない」

「はい、すみません。集中。集中します」

 

 アイリスはワタルに言われて、気を取り直したが、アイリスのその背中を見る限り、まだアンズのことを気にかけていた。

 アンズと戦う前から、アンズの術中にはまってしまっていた。それも含めて、イガ忍術の作用なのかもしれない。

 

 とはいえ、師匠にできることは何もない。ワタルはアイリスの戦いを見守るしかなかった。

 1回戦のときとは、アイリスの後ろ姿のオーラが違っていた。いまのアイリスの心の火は消えかかっていた。

 

「……」

 

 ワタルはその後ろ姿を見て心配になったが、今更どんな言葉をかけても、いまのアイリスには通じないだろうから、そのまま黙ってアイリスを見送った。

 ドラセナも心配そうにアイリスの後ろ姿を見ていた。

 

「アイリスちゃん、大丈夫かしら」

「さあな。あいつ次第だ。おれたちに関与できることじゃないだろ」

「冷たい、ワタル」

「他に何ができるというんだ? おれが代わって戦ってやるわけにもいかんだろ」

「まあ、そう言われるとそうだけど」

 

 ドラセナも師匠としてこのとき何ができるかを心得ていなかった。

 見守る以外になかった。

 

 アイリスとサブロウの対戦が始まった。

 サブロウはカントー地方出身だが、父親がガラル地方出身のハーフだった。

 世界を旅して、さまざまなポケモンを手に入れ、現在は色々なポケモンを使いこなすエリートトレーナーだった。

 1回戦では、フシギバナを使い、技巧派の戦いを展開した。地味だが、底堅い戦いをする。

 

 アイリスにとってはやりにくい相手かもしれない。

 アイリスはワタルと同じパワー型だ。攻撃力を前面に打ち出して短期決戦を挑む。

 技巧派はそういったパワー型にめっぽう強い構えだった。

 

 それでも、アイリスがこの戦いに集中していたならば、アイリスのほうが有利に戦えるだろう。

 しかし、今のアイリスの心は乱れていた。

 

 アイリスは1回戦と同じく、オノノクスを繰り出した。

 対するサブロウは技巧派らしく、1回戦の分析からアイリスがオノノクスを出して来ることを想定して、ツンベアーを繰り出してきた。対オノノクスに有利を取れると言う分析に基づく選択だった。

 

 アイリスは見た目は1回戦と同じ流れの攻めを展開した。

 アイリスのオノノクスにおける戦い方は、敵のロングレンジの攻撃をはじいて距離を詰めて、接近からドラゴンテールで締め上げるか、ドラゴンクロ―で殴り合うか、ドラゴンホーンで突き上げるか、あるいはそれらの組み合わせで戦うというものだ。

 サブロウはそれを分析して、徹底的にオノノクスを接近させないように、つらら攻撃を連発してきた。

 

 ツンベアーの剛腕から投げ出されるつららは重たい。

 オノノクスにとって、この攻撃ははじきにくく、何度も被弾してしまい、1回戦のように接近できなかった。

 

 アイリスも熱くなり、強引に接近させようとしたが、その隙をついて、カウンターがさく裂。したたかにぶつけられたつららでオノノクスがダウンしてしまった。

 

 アイリスの戦いを見守っていた者たちも思わず声を上げた。

 

 ワタルは黙ったまま目を細めた。

 

 1回戦で存在感を見せたアイリスだったが、ここで不覚を取り、一本目を落としてしまった。

 サブロウの作戦勝ちというのもあったが、アイリスの心が精彩を欠いていたのが敗因だった。

 

 本来のオノノクスならば、苦手な攻撃もうまくさばいて見事に距離を縮めるが、心の乱れがわずかな隙と判断の後れを導いてしまっていた。

 

 一本目を落としたアイリスは開き直るように、迷いを断ち切って2体目のポケモンであるサザンドラを繰り出した。

 

 一番得意のオノノクスを落としたので、アイリスの劣勢は明確だった。

 アイリスは開き直ったように見えるが、まだ完全ではなかった。一本目を落としたという焦りもあって、サザンドラとツンベアーの対戦も、ツンベアーが優勢を取った。

 

 先ほどと同じ展開になりそうな中、ワタルは目を閉じた。

 いまもし、アイリスのそばにいるならば、どういう言葉をかけるべきかということを考えた。

 真っ暗な中、ワタルはいくつかの言葉を探した。

 

 遠い記憶の1つがワタルの脳裏にひっかかった。

 

 あれは、ワタルがジムリーダーになって間もないころ。

 ワタルはヒガナを連れて、イッシュ地方に修行に赴いていた時期があった。

 

 その修業にはシャガが同行していたが、あのころ、まだシャガはアイリスを連れていなかった。

 シャガはワタルとヒガナにイッシュの伝説について話した。

 

「キュレム?」

「そうだ、かつてイッシュ地方に氷河期をもたらした伝説のドラゴンだ。この塔に伝説として石像が祀られてるんだ」

「なんだよ、石像かよ」

 

 ワタルは残念がった。

 

「くくくく、小僧はたしか寒いのが苦手だったな」

「小僧って呼ぶなと何万回も言ってんだろ」

 

 ワタルは小僧という呼ばれ方を嫌ったが、シャガはあくまでも小僧と呼び続けた。

 

「小娘は? 寒いのは好きか?」

 

 ワタルの隣にいたヒガナは無言で首を横に振った。

 

「ふむ、お前らにキュレムの信心はなしか」

「おれは何の神様も信じてねえよ」

「神様なんていない。そう言いたそうだな」

「いたら見せてもらいたいもんだ」

「神は己の信心が創り上げるものだ。神を望むなど、小僧には10000光年早い」

「だから、小僧って呼ぶなつってんだろ」

 

 ワタルが怒りをあらわにしている隣でヒガナは首を傾げた。

 

「10000光年後っていつごろ?」

 

 ワタルらはその後、塔の中でキュレムを信仰する宗教家に会った。

 そこには、怪しい衣装を着た人たちが低い言葉で怪しい呪文を唱えて、ドラゴンの石像を取り囲んでいた。

 

「こいつらなに?」

「キュレム教徒の信者たちよ。この時期になると毎日ここにやってくる。この冬を無事乗り切れるようにとな」

「大の大人が神頼みかよ。頼りにならねえな」

 

 ワタルはそのように彼らを見た。

 その後、信者の一人がシャガに気づいてやってきた。

 

「シャガ老子、いらしておられたのですか?」

「おう、未熟な小僧らにキュレム様の威光を見せてやろうと思ってな」

「何が未熟な小僧だよ。今のおれはシャガにも負けねえぞ」

 

 ワタルは不満げにそうつぶやいた。

 

「ほう、優秀そうなお弟子さんたちですね」

 

 信者はそう言ってワタルとヒガナを順に見やった。

 

「なるほど。あなた方にはいずれ龍の導きがあるかもしれませんな。龍の聖なる風が確かに感じられます」

「そんなもの感じたことないですけどね」

 

 ワタルがそう言うと、信者はにこりと笑った。

 

「そうですか? では、目を閉じてみてください」

「なんで?」

「邪念を捨てて、己の心と向き合うのです。龍の聖なる風の声が聞こえるかもしれませんよ」

 

 信者がそう言うので、ワタルは目を閉じた。

 しかし、そのときは何も聞こえなかった。

 ヒガナも目を閉じていたが、しばらく後、目を開いて首をかしげるだけだった。

 

「そのうち聞こえる日が来るでしょう。急ぐ必要はありません。運命がいずれあなた方をその日に誘うでしょう」

 

 信者が言ったその言葉が、ワタルにはとても印象に残っていた。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルはそのときのことを思い出していた。

 ワタルはそのときのことを思ってつぶやいた。

 

「信心か……」

 

 いまのワタルには、あのときわからなかったものが少しずつわかるようになってきていた。

 まだ不完全だが、数多くの強いトレーナーと対戦し、チャンピオンになり、さらなる強敵に打ち倒され、そして、アイリスと出会い、これまで見えなかったものが見えるようになってきた。

 

 ワタルは心が動揺したとき、常に「己を信じる」ということをモットーにやってきた。

 それも一種の信心だった。

 ワタルはその信心を心に強く思った。

 

「己を信じろ」

 

 その思いがアイリスに伝わったのか、アイリスは攻めあぐねる中で、唐突にその言葉が脳裏をかすめるのを覚えた。

 それはワタルの言葉だった。ワタルがアイリスに教えた、おそらくは「ワタル最大の教え」である。

 

「己を……」

 

 アイリスはその言葉を聞いて、これまでの邪念が突然消えるのを感じた。

 突然、目の前の世界が変わって見えた。心が透明になったようだった。

 

 そのとき、ツンベアーが後退して、力を溜めた。

 アイリスがカッカして我を見失っているのに感づいたサブロウは今がチャンスと、次の強烈な攻撃のために大きな溜めを作ったのだ。

 

 いまのアイリスには相手の心が見えた。

 アイリスの研ぎ澄まされた精神力が、とっさに敵の思惑に反応していた。

 

 サザンドラはツンベアーをしっかりと見つめた。

 ツンベアーの攻撃モーションよりほんのわずか早く、遅れてもダメ、早すぎてもダメ。遅れると攻めきれない。早すぎると、相手に悟られる。

 逆転には、最も絶妙なタイミングが求められた。

 

 心を取り戻したアイリスには、そのタイミングを見つける自信があった。

 アイリスは目を閉じて、ワタルの教えをそらんじた。

 

「己を信じろ。私はやれる。サザンドラ、いくよ」

 

 アイリスはポケモンと一心同体になると、竜の波動の最大攻撃を繰り出した。

 

 それ以外の角度ではうまくいかない。それ以外のパワーではうまくいかない。それ以外のタイミングではうまくいかない。

 

 すべてが一致したサザンドラの攻撃がツンベアーを一気に襲った。

 すさまじい攻撃にツンベアーが吹き飛ばされた。

 サブロウは態勢を立て直そうとしたが、アイリスがこれまでとは別人になったように、正確な対応でそれを許さなかった。

 

 追い詰められたところで、アイリスが逆転で取り返すと、3戦目のサザンドラとムーランドの試合もサザンドラが制し、アイリスは2回戦を突破した。

 

 ワタルはアイリスの逆転を見て、改めて感じるところがあった。

 高みに達したトレーナーたちにとって、最後に差をつけるのは心であると。

 アイリスは誇り高き龍の心を取り戻し、それが逆転につながった。

 

 アイリスが手に入れた龍の心は、ちょうどワタルがいま手に入れようとしているものだったのかもしれない。

 



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19、決戦の前の静けさ

 アイリスは2回戦も突破して、ベスト4への進出を決めた。

 すでに、同じ山のアンズがベスト4進出を決めていたので、準決勝の相手はアンズで決定している。

 アイリスにとっては、ここからが正念場だった。

 

 反対の山でもベスト4進出を決める準々決勝の戦いが進んでいた。

 1回戦で鮮烈な印象を与えたアセロラが準々決勝でもその力を発揮した。

 アセロラの対戦相手となったコブロウはポケモンコスプレで知られる怪獣マニアの少年だ。

 ヤドキングのコスプレで登場すると、その姿の通り、ヤドキングを繰り出した。

 

 コブロウもヤマブキジム出身であり、本大会は地元ということで、会場を沸かせた。

 しかし、対戦のほうは完全なアウェイだったアセロラが一方的な展開で勝利する結果となった。

 

 アセロラは1回戦と同じくミミッキュで勝負した。ヤドキングの遅いところにつけ込んで懐に飛び込むと、一方的になぎ倒してしまった。

 続くコブロウの切り札ブーピッグも簡単に倒されてしまった。

 

 この1、2回戦ともに危なげなく勝ち進んだため、下馬評を覆して、アセロラが台風の目になった。

 

「あの子、強いわねぇ」

 

 対戦を見ていたナツメもアセロラの実力の高さを見抜いていた。

 ワタルもアセロラの戦いを見て、アイリスの最大の天敵になる可能性があると感じていた。

 

 続く準々決勝最後の試合はシード権を持つコゴミが登場した。

 アンズと並んで優勝候補として注目されている逸材で、事前予想通り、圧倒的な力を発揮した。

 

 コゴミの対戦相手となったジジロウはカロス地方からはるばるやってきたエリートトレーナーで、アマチュア大会では毎回上位に残る定番メンバーの一人になっていた。

 シード権こそ逃したが、実力者であることは間違いない。

 1回戦は、ゲッコウガを使いこなし、卓越した技術を見せつけて勝ち上がっていた。水ポケモンのスペシャリストと見えるが、ヌメルゴンのスペシャリストとしても知られている。

 

 1回戦動揺、ジジロウはゲッコウガを繰り出した。コゴミはチャーレムで応戦した。

 お互いに技巧派としてリサーチされていて、序盤は小競り合いが続いたが、中盤からコゴミは相手の動きを見切ったのか、攻勢に出て、「テレポートヘッド戦法」で相手を一気に叩きのめした。

 テレポートヘッドは、2年前にトップトレーナーの一人であるカルネが使い始めて、今ではチャーレムの定番の攻め筋の1つになった。

 

 距離を取って、敵の前に出る初速に合わせて、テレポートで相手の懐に潜り込んで攻撃するという戦法で、相手が前に出ようとしている間隙をつくため、対処が非常に難しいとされていた。

 しかし、使いこなすのは難しい戦法でもあった。

 テレポートは離脱して再び現れる位置を、トレーナー側が予測できない仕様となっている。

 カルネはテレポート時間を可能な限り短くして、位置のずれ幅を最小限度にして、この戦法を完成させた。

 最もテレポート時間を最小にできるチャーレムのみ、安定することから、この技はチャーレムの専売特許になった。

 

 コゴミもその戦法を身に着け、実戦の舞台でも決めてみせた。

 テレポート時間が最小なので、相手の動きに合わせなければならない。相手の動きに合わせなければ、テレポートの距離が足りない。

 中途半端な位置で姿を現してしまうと、敵の的になる。テレポートは出現時に隙ができるという弱点がある。

 この弱点を克服するには、敵の動きに合わせて、その隙をつかれないようにしなければならなかった。間合いとタイミングを正確に測る技術が問われたが、コゴミは完ぺきに決めた。

 

 ジジロウは続いてヌメルゴンで応戦したが、コゴミはそれに対しても技術で上回り圧倒した。

 

 ベスト4進出者が決定した。

 

 アンズ

 アイリス

 

 アセロラ

 コゴミ

 

 残ったメンバーはいずれもここまでの戦いで圧倒的な力を見せており、誰が勝つのか皆目見当がつかなかった。

 事前予想で、「アンズの圧勝」とか「コゴミが頭1つ抜けている」とか書き立てていたマスコミも「誰が勝ってもおかしくない状況」と態度を一変させた。

 

 準決勝は午後6時から開催される予定なので、ここで約3時間のインターバルが差しはさまれることになる。

 

 6時からはカントーのローカルチャンネルだけでなく、大手の放送局も放映する予定にしているので、事実上、ここからが大会の始まりだった。

 

 ◇◇◇

 

 ベスト4まで来たからには、みな優勝したいという気持ちが強くなっている。

 アイリスも優勝したいという気持ちを高めていた。

 

 インターバル時間は3時間以上もあるが、アイリスは今のうちからそわそわしていた。

 

「アイリスちゃん、何か食べる?」

 

 ドラセナが自作の弁当やヤマブキシティの名物を広げていたが、アイリスは食欲を感じていなかった。いまはアドレナリンに支配されていて、ゆっくり食事という感覚ではなかった。

 

「申し訳ありません、ドラセナさん。いまは何も食べられる気がしません。ポケモンたちも同じようです」

「そうよね」

 

 アイリスにとっては初めての大きな高いで、ベスト4まで来ているのだ。その緊張感は相当なものだった。

 ワタルもアイリスと同じころにこの大会に出て優勝しているが、ベスト4が決まったときはアイリスと同じようにそわそわしていた。

 

 ワタルの時代は、ベスト4に以下の顔ぶれが残っていた。

 

 カヒリ

 ミクリ

 

 ワタル

 リョウ

 

 いまはいずれもチャンピオン経験があり、トップトレーナーとして活躍している。

 ワタルのころは過去最高のハイレベルな大会と言われていたが、ワタルは今回の残ったトレーナーたちの戦いを見て、あのときよりさらにレベルが上がっていると感じていた。

 

 あのとき、ワタルは決勝でミクリと対戦して優勝したが、その道中のトレーナーはいずれも一筋縄にはいかなかった。

 しかし、それゆえに優勝の喜びが大きかったのもたしかだった。

 ワタルは師匠として、アイリスにもその時の喜びを授けてやりたいと思った。

 

 思えば、誰かの勝利を願ったことはこれまでに一度も経験したことがなかった。

 

 勝利とは己が掴む者であり、己以外の者が掴んだところで、己には「敗北」が刻まれるだけ。

 

 ワタルはずっとそう考えていた。

 しかし、アイリスという弟子を持って、心の底からアイリスの勝利を願うようになった。

 己以外の勝利。その喜びをワタルは感じていた。

 

 ワタルは無意識のうちに、その感覚こそが今回師匠から与えられた試練の本質だということを理解し始めていた。 

 

「これ食べていい?」

「うん、食べて。誰も食べないから余っちゃうわ」

 

 気まぐれにあちこちをうろついていたヒガナが控室に戻って来ると、食べ物に引き寄せられるようにやってきた。

 ヒガナはいつも気まぐれだったので、突然いなくなったり、突然現れたりする。

 

「なっちゃんも食べる?」

「少しだけいただきます」

「イブちゃんは?」

「私はダイエット中だから遠慮します」

 

 チームワタルのメンバーは少食だったので、たいてい用意された食糧は余る傾向があった。

 ワタルも何かに集中すると、他のことを忘れる性格だったので、食事のことは忘れていた。

 

 しかし、ヒガナは底なしに食べ続ける性質があったため、食糧が余ることはなかった。

 

 ◇◇◇

 

 インターバル時間が長いので、チームワタルのスコアラーが録音してくれたビデオ映像で対戦相手のアンズの対策を練ることになった。

 

「とりあえず、さまざまな観点から相手の傾向をまとめておきました」

 

 チームワタルのスコアラーは優秀であり、短い時間で、アンズの傾向をしっかりと把握していた。

 

「使用ポケモンはクロバットとアリアドス。先ほどの対戦ではクロバットのデータしか取れませんでしたが、7フィートポジションからのダウンアクロバットのモーション速度が約0.2218秒です。かなり速いですね。世界記録保持者のお父様の0.2166秒に追随するものがあります」

 

 科学の力はすごい。いまは極小フレームで相手の動きを分析することができた。

 

「かげぶんしん戦法の評価ですが、残像に韻を残すパターンはまだムラがありますね。お父様の精度に比べると見劣りします。この映像はわかりやすいと思いますが、分身が明らかに残像からはみ出ています。それを見落とさなければ、実像を失うことはないでしょう」

 

 スコアラーはそう説明したが、アイリスは対応できる自信がなかった。

 

「私の目には全然留まりません。ワタル師匠の目には留まるのですか?」

「目に留まるなら、誰も苦労しない。目で見ているうちは、この戦法を突破できんぞ」

 

 ワタルはアイリスにそうアドバイスした。高いレベルの対戦では、完ぺき主義が最も愚かであると言われる。

 完ぺきに相手をコントロールすることはできない。ワタルはそういうとき、決断が大事だと考えていた。正しいかわからない決断を信じ切れるかどうかが、ポケモンバトルの神髄と考えた。

 

「忍術に小手先のテクニックは通じない。唯一通じるものは、己を信じた強い決断だけだ」

「強い決断。ありがとうございます。肝に銘じて戦いたいと思います」

 

 アイリスはワタルの教えを素直に受け取った。

 このとき、ワタルは先ほどのアドバイスが最善という自信がなかった。

 ワタルもまた師匠としては、アイリスと同じく「挑戦者」の立場でしかなかった。

 

 しかし、いまこの時点で、ワタルにできる精いっぱいのアドバイスだった。

 それが正しいかどうかを決めるのは、アイリスである。アイリスの戦いがその真偽を決める審判者だった。

 

 ワタルは当時、シンオウの超新星として注目されていたリョウと準決勝を戦った。

 あのとき、戦いの場に臨むに際し、ドラセナから受け取った言葉を今でも覚えていた。

 

「勝ち負けなんてどうでもいいわ。楽しんでおいで」

 

 ドラセナは抜けた笑顔で一言そう言った。

 ドラセナはワタルの保護者でもあり、師匠でもあった。その言葉はどちらかというと、保護者としての立場から投げかけられたものだったのだろう。

 しかし、あのときワタルはその言葉から大きな力を受け取っていた。

 

 ワタルはドラセナの真似をしようとは思わなかった。いや、真似したくなかった。

 結果、ワタルはドラセナとは真逆の性質のトレーナーになった。

 長距離戦を得意とするドラセナに対して、ワタルは接近戦。技巧派のドラセナに対して、パワー派のワタル。

 

 真似したくない。

 それは師への最大の尊敬だったのかもしれない。

 

 それには師に近づきたいではなく、師を越えたいという意味が含まれている。

 いずれ、親元を離れる子のように、弟もまた師を越えていく。

 

 言葉は違えど、意味するところは同じ。

 ワタルはワタルなりにその本質をアイリスに伝えた。

 

 最後にワタルはアイリスに伝えた。

 

「アイリス、敵と戦うのはおれじゃない。おれを越えたお前だ」

 

 ワタルはドラセナから教わった教えを自分らしい言葉でアイリスに伝えた。

 アイリスはしばらくその言葉の意味をきょとんとして考えていた。

 

 ワタルは尊敬する師。越えるなんておこがましい。

 

 おそらくはアイリスにはそういう気持ちがあった。それを越えろというのがワタルの教えだった。

 アイリスはその言葉に何か納得したのか、やがて力強くうなずいた。

 



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20、弱きもの

 午後6時、ちょうどヤマブキシティネット・ラジオの生放送が始まった。

 今回のゲスト出演者はアイリスの保護者であるシャガであった。

 

 シャガは今大会の解説を任されており、そのために、アイリスの戦いを現地で目撃することができなかった。

 しかし、アイリスがベスト4に残ったということで、アイリスの戦いを解説する権利を得た。

 

「皆様、こんばんは。今日もヤマブキシティ・ネットのお時間です。司会を務めさせていただきますのは、みんな大好き、永遠のアイドル、くるみちゃんでーす」

 

 ヤマブキシティネット・ラジオは大手テレビ局のヤマブキテレビ傘下の人気ラジオ番組である。

 インターネット動画サイトとラジオの同時放送で毎日午後6時に放送される。

 毎回、130万回の動画が再生される人気番組でもある。

 

「今日のゲストの紹介でーす。イッシュリーグ4連覇、通算18回のチャンピオン経験者、ドラゴン使いのシャガさんです。シャガさん、今日はよろしくお願いします」

「うむ、よろしく」

「シャガさんとはこれで7度目の共演です。リスナーたちも、もう板についてきたでしょーか?」

「毎回くるみちゃんの勢いに圧倒されているからな。今日はそうならないようにせんとな。あと、老婆心が過ぎぬよう若返ったように行こうと思う。気合入れてくぞー」

「おー!」

 

 くるみとシャガは息を合わせた。

 シャガも長くラジオに出ているので、DJのペースに合わせてペラペラとしゃべった。

 

「本日はみんなもご存知、U14ヤマブキ世界大会の日です。というわけで、本日はポケモン実況をシャガさんと共にお伝えしていきたいと思います」

 

 そんなこんなで、ラジオ番組は始まった。

 

「くるみちゃんはポケモンのほうはどうなの?」

「いやー、若いころはトレーナー志望でしたが、いまは……って今も若いわー」

「わははははは、永遠の18歳だものな。ワシも18歳でいけんじゃね?」

「さすがに無理じゃねー? シャガさんを弟として紹介したら、おばあさん、そろそろ米寿のお祝いを考えんとなとか言われそうだよ」

「もちはやめといてな。喉に詰めたらあの世逝きやさかい。ってアホウ、ワシはまだ61じゃ!」

 

 明るい雰囲気で番組は進行した。

 

「本日は、シャガさんのお孫さんも出場なさっております。そして、なんとベスト4進出の吉報が届いてます。シャガさん、お孫さんが見事ベスト4ですよ」

「ふむ、正直まさかここまでやれるとは思ってなかったんで、驚いてるよ」

「え、意外だったんですか? シャガさんのお孫さんだったら余裕って思ってましたけど」

「アイリスは気が弱い性格でな。戦いには向かんと思っていたが、ワシの節穴だったかもしれんな」

「今回、あのワタルさんに弟子入りされたということですが、何かきっかけがあったのですか?」

「あの小僧、イッシュでこっぴどい負け方したんで、喝を入れてやろうと思ってな」

「イッシュと言えば、タイトルマッチでのシロナさんとの激戦。そういえば、もうあれから1か月も経つんですね」

「そういうわけでな、あの小僧に喝を入れる目的もあって、アイリスを任せたんだが、ベスト4まで導いてくれて、正直意外に思ってるところだよ」

 

 ラジオ番組がある程度進行すると、準決勝第1試合の様子が映像に出て来た。

 

「そろそろ始まるみたいですね。今回のベスト4の顔ぶれを簡単に見ておきましょう」

 

 アンズ

 アイリス

 

 アセロラ

 コゴミ

 

 くるみが簡単にトレーナーを紹介している間に、アイリスが準決勝の舞台に姿を現した。

 シャガはそのアイリスの姿を見て、目を細めた。

 以前より、アイリスの目の光が強くなったように見えた。これまでは感じなかった力強さまで感じられた。

 それでいて、深みがあった。力ある者の多くが単調な光を持っているものだが、アイリスにはきちんと深みがあった。

 

「小僧……アイリスに何を教えたんだ?」

 

 シャガはマイクに入らないような声でそう囁いた。

 

「さあ、シャガさんのお孫さんのアイリスさんが登場いたしました。なんだか立派なドラゴン使いの風格を感じさせてくれますね。いかがですか、シャガさん」

「うむ、しばらく見ない間に成長を感じさせてくれる」

「アイリス選手、今回の登録ポケモンはオノノクスとサザンドラ。シャガさん、アイリスさんのポケモンには何かエピソードがあるんですか?」

「小さいころに迷子になって1週間帰って来ないことがあってな。あのときは町をあげて大慌て捜索だよ」

「まあ、一週間もですか?」

「で、一週間後にひょっこり帰って来てな」

「それはよかった。よく一週間もご無事でしたね」

「どこでどう知り合ったのか、キバゴを連れていたんだ。すっかり懐いていてな。アイリスが言うには、キバゴが魚や木の実をとってくれたって話だ。そりゃあ、命の恩人じゃないかってな」

「それはすごい絆ですね」

 

 アイリスに続いて、アンズも準決勝の舞台にやってきた。

 アンズは準決勝の舞台でも、落ち着き払っていた。大会慣れしているのがうかがえた。

 

「こちら、アンズ選手。登録ポケモンはクロバット、アリアドスとなっています。アンズ選手といえば、あの名トレーナーキョウ選手の娘さんです。お父さんの名戦術「イガ忍法」を引き継いで、ここまで勝ち上がってまいりました。シャガさんはアンズ選手をどう見てますか?」

「第一印象は14歳とは思えない貫禄ある戦いをするなという感じだな。キョウ君には、ワシも何度も負かされてきたが、この歳でこの実力だと、この子にも、ワシは何度も負かされそうで今から怖い」

 

 シャガは冗談交じりで話したが、アンズの実力が子供離れしているのは核心をついていた。

 

「シャガさんとしては、お孫さんのアイリス選手を応援したいところだと思いますが、この対戦の注目ポイントはどの辺になるのでしょうか?」

「クロバットは速いんでね。間合いが開くと、アイリスが不利になるだろうね。距離をどう詰めるか、その辺が見どころじゃないかな」

 

 アイリスとアンズが対峙すると、さっそく準決勝第一試合のゴングが鳴った。

 アイリスはオノノクス、アンズはクロバットを繰り出した。

 

 アイリスは緊張しているのがうかがえる表情だった。緊張しているが、闘志はメラメラと燃えていた。

 アンズも強い目でアイリスをにらみつけていたが、全体的に落ち着いた様子だった。

 

 対戦はシャガの予想通りになった。

 オノノクスは、クロバットを自由に動かせたくないので、距離を詰める意識でとっしんした。

 クロバットは十分な距離を取って、自由なスペースを確保したいので、超音波でけん制して、縦横に鋭い動きを見せて翻弄した。

 

 クロバットは速い。集中していても、残像が目に留まるほどである。この残像に翻弄されて、本体を見失ってしまうと、クロバットのペースになる。

 アイリスは残像は追わずに、クロバットの地点を予測しながら、オノノクスを進撃させた。

 

 動きの予測はできる。いくらクロバットでも右に動いて、その速度のまま左には動けない。右に動いて、真逆に移動するには、一度停止する必要がある。

 なので、速いポケモンでも動きは旋回的になる。旋回のベクトルを見失わなければ、位置は把握できた。しかし、集中力を欠いたら一瞬で見失う。

 

 対高速ポケモンのもう1つの原則は、愚直に追いかけてはいけないということ。

 追いかけても相手のほうが速いから捕まらない。

 相手が動く位置を見越して捕まえにいかなければならない。

 アイリスはそういう基礎は十分に習得しているから、緊張しながらも、落ち着いてクロバットの動きを把握し続けた。

 

 しかし、クロバットはハエではない。飛び回って逃げ回っているだけではなく、強烈な一撃で攻撃をしてくる。

 だから、逃げ回るハエを追いかけるのではなく、敵の攻撃に備えておく必要もある。

 高い精度が問われる間合いの取り合いだった。

 

 アンズのクロバットは旋回のパターンをあえて、アイリスに把握させるように、わかりやすい旋回運動を繰り返した。

 アイリスはそれに騙されて、パターン的にクロバットを捉えるようになってしまった。

 そこへ変化球のように不規則性を混ぜられ、ついにはクロバットの位置を見失ってしまった。

 

「見えなくなった」

 

 アイリスは思わず、顔に出してしまった。

 すでにベテラン並みの実力を持つアンズは一瞬のアイリスの表情変化を見逃さなかった。

 

 クロバットの鋭いアクロバットがオノノクスに炸裂した。

 オノノクスが吹き飛び転倒した。

 

 ポケモンバトルは「ダメージ」をモンスターボールが関知すると、それが蓄積される仕組みになっている。

 ポケモンのダメージが2割以上蓄積した時点で、負けとなるそういう安全なシステムになっていた。

 体力ゲージが半分以上減ったのがわかった。

 見失ったところに、正確にきゅうしょを狙う一撃が撃ち込まれたようであった。

 

 続けて、クロバットの追撃。

 クロバットはドリルアクロバットのコンビネーションで攻め込んできた。

 

 アクロバット攻撃は100年以上の歴史を持つ伝統伎だが、長く研究され、さまざまなタイプが登場した。

 最近、飛行タイプの名手カヒリが「ドリル・コンボ」を編み出して公式戦で披露した。

 カヒリはイッシュリーグの戦いで、シロナに負けてワタルへの挑戦はならなかったが、このドリル・コンボの新手で高勝率を上げていた。

 

 鮮烈な技が出ると、すぐにそれが真似され、アンズがさっそくそれを採用して、この舞台で披露した。

 カヒリの披露したドリル・コンボの回転数は異次元だったが、アンズのタイプも十分に高い回転数で高威力、高スピードを実現していた。

 

 アイリスは不意打ちでうろたえたが、簡単には引き下がらず、得意のドラゴンテールを絡ませた。

 クロバットのドリル・コンボを弾き飛ばした。

 

 お互いの距離が再び離れた。

 アイリスは息が上がっていた。素直にアンズに対して次の感想を持った。

 

「強い……」

 

 シンプルに強い。高い壁であると感じ、勝てる気がしなくなった。

 自分がまだ弱きものであると感じずにはいられなかった。



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21 竜の目覚め

 アイリスは終始、アンズの動きに翻弄され、自分の得意な攻撃を繰り出すことができなかった。

 自分の自慢の攻撃は当たらず、攻撃のモーションを跳ね返すような巧みなカウンターを受け、アイリスは初めて同世代のライバルが放つプレッシャーを覚えた。

 

 アイリスは今日まで、ワタルやドラセナの稽古を受けてきたが、それはあくまでも格上を相手にするもの。

 今回は自分と同じ年ごろの相手との対戦。

 緊張感はまるで違っていた。

 

 ワタルと対峙するときは負けて当然。ワタルも手加減をしてくれた。

 しかし、アンズは本気で向かって来ている。ワタルと違い、負けて当然の相手ではなく、勝つべき相手。

 その実戦の緊張感の中で、アイリスは今までに感じたことのなかった気持ちになっていた。

 

 オノノクスがやられ、続くサザンドラもアンズのクロバットには通じなかった。

 結果は完敗。

 会場も特に盛り上がることなく、アンズがアイリスを捌き切って勝利をつかんだ。

 

 控室で応援していたドラセナは残念がった。

 ワタルは特に表情を変えずに、終始アイリスの戦いを見守っていた。

 実力差を感じさせる展開だった。やはり、シード権を持つトレーナーの壁は厚かった。

 

 しかし、ワタルは敗北を喫したアイリスの様子を見てうなずいた。

 この敗北は意味のある敗北だった。

 ワタルもアイリス自身もそれはよくわかっていた。

 

 敗北が決まった後、アイリスは大きく礼をすると、大きく息を吐いて、会場を後にした。

 その表情は悲しみでも悔しさでもなく、晴れやかだった。

 

 アイリスが控室の通路に出てくると、目の前にワタルの姿を捉えた。

 ワタルは無言でアイリスの帰りを待っていた。

 

 アイリスはワタルの手前までやってくると、大きく礼をした。

 

「力及ばずでした」

 

 アイリスは力のこもった声でそう言った。

 

「強かったか?」

 

 ワタルが尋ねると、アイリスは顔を上げた。その顔はとても前向きだった。

 

「とても。こんな強いトレーナーが同い年にいるなんて驚きました」

「この戦いから何か学んだことはあるか?」

「学びました。だから、私いま、とてもワクワクしています」

 

 アイリスはその言葉の通り、晴れやかな表情だった。

 

「私にはまだたくさんたくさん足りないことがあると気づきました。もっと強くなれるとわかりました。何よりも、もっと強くなりたいと思いました。いま私はポケモントレーナーとして本気になりました。見えますか、私のメラメラと燃える闘志が」

 

 ワタルはうなずいた。アイリスの闘志は力強く燃え上がっていた。

 アイリスはこれまでも、ポケモントレーナーを目指して頑張ってはいた。しかし、それはまだ本気ではなかった。アイリスの心に眠る龍はまだ目覚めていなかった。

 しかし、今回の対戦で、アイリスの心の龍は目覚めた。

 アイリスはそれを象徴する言葉を紡いだ。

 

「ワタルさん、私、ワタルさんを超えます!」

 

 アイリスはこれまでは紡ぐことができなかったであろう言葉をはっきりと宣言した。

 ワタルが目標であり、それが自分の目指すべき到達点だと認識していたから、アイリスはワタルの先を見ていなかった。

 しかし、アイリスは龍の目覚めと同時に、龍の願望を見出していた。

 

「そして、私が世界で一番のトレーナーになります。必ずです」

 

 アイリスは力強く宣言した。

 ワタルはその言葉を聞いて、口元を緩めた。

 

「その道、甘くないぞ」

「はい、ですが覚悟はあります」

 

 ワタルはうなずくと、アイリスに背中を向けた。

 

「楽しみに待っている。お前が挑戦者として現れる日まで、王者でいると約束する」

 

 ワタルはそう言うと、歩き出した。

 アイリスは屈託のない笑顔を浮かべると、ワタルの後を追いかけた。

 いつかはその背中を超える日を求めて。

 

 ◇◇◇

 

 アイリスとアンズの山からは、アンズが決勝戦に進出した。

 

 もう1つの山も注目の試合となっている。

 ホウエン地方出身の実力者コゴミとアローラのダークホースアセロラの対戦である。

 決勝の枠を争って両者が対戦した。

 

 アイリスは同世代のライバルたちから学ぼうと、控室に帰ってくるとモニターに集中した。

 敗北によって落ち込む様子はなく、ドラセナはホッとしていた。

 もしかしたら、ワタルが気の利いた言葉をかけたのかもしれない。

 

「アイリスちゃんになんて声をかけたの?」

「別に」

 

 ワタルは詳細は語らなかったが、ドラセナはワタルの横顔を見て、師匠としての風格を感じ取っていた。

 幼く弱いワタル、最強を夢見るワタル、懸命に努力するワタル、チャンピオンの座についたワタル、先のイッシュリーグで敗北したワタル。ドラセナは長い間、ワタルの成長を見守ってきた。

 ドラセナは色々なワタルを見てきたが、今日のワタルは確かにもう1つ先に成長していた。

 それは保護者として、少し寂しいことでもあった。

 

 コゴミとアセロラの対戦は激戦になった。

 ここまで、アセロラのミミッキュはパーフェクトな戦いをしてきたが、コゴミのチャーレムと対戦して初めて、化けの皮がはがされ、クシャクシャに叩きつけられた。

 緩急自在のインファイトと紙一重のスウェイバックで優勢を取ると、初めてミミッキュに土をつけた。

 続くシロデスナで巻き返しを狙うアセロラは、ユニークなカウンター戦術を取ってきた。

 チャーレムの蹴り足を取ると、引きずり込むのではなく叩きつけてのしかかるという、シロデスナの定跡を覆す戦い方だった。

 

 長期戦になったが、対戦時間が長くなると、コゴミのチャーレムが対応してきて、間合いを完全に見切るようになった。

 やや長い激戦をコゴミが制した。

 

 アイリスやアセロラなどの新しい力が台頭した見所のある大会だったが、決勝に残ったのは、シード権を持つ実力者のアンズとコゴミだった。

 順当な結果が、ポケモントレーナーの世界の厳しさを表していた。

 

 才能だけでは勝てない。勢いだけでは制することができない。真に実力がある者だけが栄光を掴むのがポケモンの世界だった。

 心技力、すべてが高みに到達しなければ、その世界で勝ち上がることはできなかった。

 

 アイリスは二人の対戦を見ていて、そのことを痛感した。アイリスは自分もその高みに挑戦したいという強い気持ちになっていた。

 

 決勝戦は、もつれにもつれた。

 アンズのクロバット、コゴミのチャーレム。両者は共にここまで一度も負けずに戦ってきたが、クロバットのドリルスピン・アクロバットが決まると、返すように、チャーレムがサイキック攻撃でクロバットを捉えた。

 サイキックパンチは、実際に相手に拳が触れなくても、念力が触れると、その時点で炸裂する。距離感を見切るのが難しいうえに、コゴミのチャーレムはワンインチパンチでも、威力の高い打撃につなげることができた。

 最後はもつれながら、0コンマ2秒早く、クロバットに瀕死判定が出た。ほぼ相打ちだったので、ビデオ判定になった。

 2戦目、続けてコゴミは判定で勝利したチャーレムを出し、アンズはアリアドスを繰り出した。

 

 アリアドスの「分身・蜘蛛の糸戦法」は父親のキョウも得意とする戦い方で、蜘蛛の糸で相手の動きを封じ込めて戦う。

 分身すると、本物の糸の見分けがつかなくなる。チャーレムは突然、蜘蛛の糸に足を取られた。

 分身で翻弄して背後に回っていたアリアドスが蜘蛛の糸を鞭のようにしたたかに操って、チャーレムを制した。

 

 最終戦、コゴミは何でも使いこなせるという特性から、2戦目にはドドゼルガを繰り出した。

 ドドゼルガとアリアドスの対戦。

 ドドゼルガは守りを固めて、絶対零度を狙う戦法を取り、アリアドスは同様の戦法で対応した。

 ドドゼルガは重く、アリアドスの戦法には優勢を取れたようで、ドドゼルガのプレッシャーがリードした。

 

 最後は絶対零度の空打ちを狙って、アリアドスが影分身を作り出したところに、ドドゼルガが攻撃モーションを取らず、接近を選択。これが功を奏して、至近距離でアリアドスの3体の分身が窮屈になったところで、それらをまとめて押しつぶした。

 分身が解けたところに速い絶対零度が決まり、決勝戦はコゴミが制することとなった。

 

 コゴミは終始、対応力の高さを発揮して、力より巧みさを前面に出して、強敵を次々と倒した。

 時代を象徴する戦いだった。

 ポケモンの世界も流行り廃れがあり、ひと昔前は、高い火力でごり押しするパワータイプが時代を席巻していた。

 その時代はオーキド、キクコ、シャガ、アデクなどパワー型が活躍していた。

 

 現代になると、シロナ、ミクリ、カルネ、ダイゴなど技巧派が時代を席巻した。ワタルやカヒリなどパワー型のトップトレーナーもいるが、時代の中心は対応力で支配的に持ち込む型だった。

 コゴミもその流れで世界最高峰のアマチュア大会を制した。

 

 しかし、アイリスは自分の戦い方を信じてその道を進むと決心した。アイリスはパワー型なので、ワタルと同じ道を歩むことになる。

 

 ◇◇◇

 

 大会後、アイリスはドラセナらとヤマブキのホテルに向かった。

 ワタルはドラセナらとは別行動を取って、ヤマブキのテレビ局の前にやってきていた。

 

 ヤマブキの中心地は夜でも活気づいている。あちこちから人々の喧騒が聞こえて来た。

 ワタルはある人物と面会するために、テレビ局の前で待ち続けた。

 

 ある人物――シャガは仕事を終えて、関係者らとテレビ局の外に出て来た。

 シャガは目の前にワタルがいるのを発見した。

 

「シャガさん、タクシーはまもなく来ます。乗り場は西口のほうです」

「私は歩いて行きます。みなさんは先に向かってください。老体だから、余計にしっかり歩かんとな」

「そうですか。それではまた後で」

 

 シャガは予定を変更して、関係者らと別れると、ワタルのもとに向かった。

 シャガはすぐに声をかけず、無言のまま、長い階段を降りて行った。

 ワタルはシャガに気づくと、片手を腰に当てた。

 

「どうした、ジジイの迎えとは性に合わんだろ」

「謝罪に来たんだ」

「謝罪だと?」

 

 余計ワタルに合わないことだったので、シャガは首をかしげるしかなかった。

 

「アイリスを優勝に導くことができなかった」

「……」

「師匠がおれに課した試練はうまくいかなかった……申し訳ない」

 

 ワタルは師匠として未熟であったことを認め、頭を下げた。

 それを見たシャガは髭に手を振れた。

 

「うまくいかなかった……それがお前の答えか?」

「優勝に導けなかったのだからな」

「ふむ、結果は準決勝だったな」

「優勝に導くという約束だったが、果たせなかった」

「なるほど……」

 

 シャガは目を閉じると、しばらくそのままでいた。周囲の喧騒がざわざわと聞こえてきた。

 しばらくの間合いの後、シャガは目を開いた。

 

「ワタル、お前は試練を越えた」

 

 シャガはワタルのことをたしかに「ワタル」と呼んで、そう告げた。

 ワタルはしっかりとシャガの目を見据えた。

 

「アイリスは目覚めた。お前の龍の気に触発されたのだろう。ワシは初めてアイリスの力強い目を見たな。画面越しでも、その気の強さが伝わってきた」

「だが……」

「納得はできんだろう。納得するには、お前自身が結果を出して証明するしかない。甘えるな、答えは誰も教えてはくれん」

「……」

 

 ワタルは息を吐いた。

 たしかに、シャガはこれまで一度も答えは教えてくれなかった。しかし、ワタルはたしかにこれまでシャガから多くの教えを受け、それに対して答えを出して強くなってきた。

 

「ワタル、いまのお前なら勝てる。おれがそう言うのだから絶対だ。信じな」

「……」

「行くぜ。アイリスの祝賀会だ。ベスト4は立派な結果だろう」

 

 シャガは孫を思いやる優しい表情を見せた。

 

「仕事はいいのか?」

「どうせ酒を飲むだけだ。どこで飲んだって同じだ。お前も飲むだろ」

「おれは飲まねえよ」

「だから、お前は小僧なんだ」

「関係ねえだろ」

 

 二人はホテルの方向に向けて歩き出した。

 ヤマブキ大会が終わると、次の大きなイベントはホウエンリーグ大会だ。チャンピオンミクリへの挑戦者を決める厳しい戦いが幕を明けることになる。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 ワタル編 前半終わり。

 長いので、レックウザが出てくる後編の前に小休止。

 

 後編開始までしばらくお待ちください。



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おまけ ポケモンの女の子たち

 ポケモン初代にはいくつかの七不思議があります。いくつか見ていきましょう。

 

 1、ナツメはエスパー少女ではない?

 

 ゴールドジムのジムリーダーであるナツメは自分のことをエスパー少女と言っているが、実は違う可能性が指摘されています。

 

 違和感1 エスパー少女となったきっかけ

 

 ナツメはこう言います。

 

「スプーンを投げて曲がって以来、私はエスパー少女」

 

 スプーンを投げるということはどういうことなのでしょう?

 さじを投げたという言葉もあるように、物事がうまくいかないときに、スプーンを投げてしまうというのが一般的な表現です。

 問題はそこです。

 

 投げたスプーンが曲がるということは、何もサイキックパワーだけが原因ではありません。

 怪力によって150キロを超える剛速球レベルで投げた場合でも、スプーンが曲がる可能性があります。

 

 違和感2 ジムの名前がゴールドジム

 

 ゴールドジムは言わずと知れた日本を代表するトレーニングジムです。

 そこは、たくさんのマッチョが通っています。

 つまり、怪力を彷彿とさせているのです。ナツメは怪力でスプーンを曲げただけでサイキックパワーではない可能性があります。

 

 違和感3 ジム統一戦

 

 ゴールドジムは2つあって、1つは格闘タイプのもの、もう1つがエスパータイプのものです。

 そして、2つのジムは統一戦をしました。

 その結果、エスパータイプのものが勝ち、エスパータイプのものがゴールドジムになりました。

 これはポケモンバトルで決められたのでしょうか?

 私は、ジムリーダーによるカラテの試合で決められたのだと考えています。

 ナツメはカラテでカラテ王を倒したのです。

 ナツメはサイキックパワーのおかげで勝てたと言っていますが、スプーンを投げて曲げる怪力ならば素の力でも勝てます。

 試し割りをしたのかもしれません。

 30段の瓦を前に、ナツメはこう言ったでしょう。

 

「こんなせんべいみたいな瓦、サイキックパワーでイチコロよ」

 

 結果、ナツメは30段の瓦を破壊してカラテ王の度肝を抜きました。

 これがサイキックパワーではなく、ナツメ自身の怪力である可能性はまだ否定されていません。

 

 違和感4 金銀では未来予知できるとか言ってるが……。

 

 金銀、つまり3年後にジムに行くとナツメはこう言います。

 

「あなたがここに来ることは3年前から予感していた」

 

 しかし、こんなのは後出しじゃんけん。本当に未来予知したかどうかなんて証拠はどこにもありません。

 つまり、ナツメはずっと自分がエスパー少女だと錯覚している怪力の持ち主である可能性は否定できないのです。

 

 2、エリカの謎の性癖

 

 エリカはお花が好きなきれい好きな女の子だと多くの人から認識されています。

 しかし、それは本当でしょうか?

 

 違和感1 エリカの対戦後の発言

 

 エリカ戦を終えた後、エリカに話しかけると、エリカはこう言います。

 

「ポケモン図鑑をやっているなんて立派ですね。私はきれいなポケモンしかほしくありませんもの」

 

 これだけ見ると、エリカはお花が好きなきれい好きに見えるのですが……。

 

 違和感2 エリカの使用ポケモン

 

 エリカの使用ポケモンは、

 

 ウツボット… 汚い

 モンジャラ… 汚い

 ラフレシア… 臭い

 

 きれい好きな人が使うにしてはあまりに汚いポケモンばかりです。

 汚いけど、強いから使っている?

 それはあり得ません。エリカはしっかりと「きれいなポケモンしかほしくない」と言っているのです。

 

 違和感3 金銀では、キレイハナを使っている

 

 ウツボット、モンジャラ、ラフレシアを使っていたエリカですが、金銀ではなぜかキレイハナを使っています。

 私は世間体のために仕方なくキレイハナを使っているのだと思っています。

 本当は、モンジャラやウツボットやラフレシアのようなポケモンが好きなのですが、世間体のためにキレイハナが好きとごまかしているのです。

 

 つまり、エリカは特殊性癖の持ち主で、モンジャラのような汚くて怪しい人が好きなのです。

 リアルモンジャラの髭モジャの汚いおっさんでも、エリカとならうまくいくかもしれません。

 エリカはそんなおじさんたちに希望をもたせた少女だったのです。

 

 3、サカキがガルーラをパーティーから外した理由

 

 ロケット団のボスであり、グリーンジムのリーダーでもあるサカキとは3回に分けて対戦します。

 

 1回目はサイホーン、イワーク、ガルーラ。

 2回目はニドリーノ、サイホーン、ガルーラ、ニドクイン。

 3回目はダグトリオ、サイホーン、ニドキング、ニドクイン、サイドン。

 

 地面タイプを中心に使うサカキですが、2回目まではガルーラを使っています。

 しかし、最終戦ではガルーラがいません。

 なぜでしょうか?

 地面タイプのスペシャリストとして洗練したからでしょうか?

 私はもっと深い理由があると思います。

 

 違和感1 最初はガルーラを切り札にしていた。

 

 最初の対戦では、ガルーラLV29を繰り出してきます。サカキにとって最も頼りになるポケモンでした。

 つまり、サカキにとって、ガルーラは最大の相棒と考えて間違いありません。

 

 違和感2 ガルーラは希少ポケモン

 

 ガルーラはサファリパークでたまにしか出て来ない希少ポケモンです。

 おそらく、裏取引されるならば、高値が付くポケモンです。

 

 違和感3 シルフカンパニー占領作戦失敗後

 

 サカキがガルーラをパーティーから抜くのはシルフカンパニーの作戦が失敗した後です。

 この作戦の後、おそらく警察沙汰になり、ロケット団は追い詰められたはずです。

 ボスであるサカキは団員を守らなければなりません。

 暴力団は基本的に金目で動いています。彼らを守るにはたくさんのお金が必要だった。

 すると、警察に目をつけられている中、サカキに急遽大金を集める方法があるとすれば、ガルーラを売るしかなかったと推測されます。

 おそらく売り先はアローラのポケモン保護団体であるエーテル財団だと思います。

 

 違和感4 最終戦後、サカキはロケット団を解散する

 

 グリーンジムの対戦後、サカキに話しかけると、ロケット団を解散すると宣言してその場からいなくなります。

 このイベントはあえて強制ではなく、プレイヤーの任意のものになっています。

 なぜ、このイベントが強制ではなかったのでしょうか?

 おそらく、サカキは解散するかどうか迷っていたのだと思います。

 しかし、主人公が話しかけることで、主人公を幼いころの自分と重ねたのだと思います。

 

 違和感5 サカキがシルフカンパニーを狙った理由

 

 サカキはなぜシルフカンパニーを狙ったのでしょうか?

 私の推測はこうです。

 サカキは昔ポケモントレーナーを目指すまっすぐな少年だった。

 相棒のガルーラと共にポケモントレーナーを目指していた。

 しかし、ある日父親のモンスターボール事業が失敗。ライバルのシルフカンパニーが飛躍したことが原因と推測できる。

 父親が自殺。サカキは強いショックを受けトレーナーの道をあきらめる。

 父親の仇を取るためにロケット団を作り、シルフカンパニーへの復讐作戦を虎視眈々と狙っていた。

 

 サカキは主人公と戦う中で、幼いときの自分の心を取り戻していった。

 結果、サカキはロケット団を解散して、ガルーラを取り戻す旅に出たのだと推測しました。

 

 というわけで、その真実を紐解くために、次回はサカキ編になります。この謎を紐解くまでは、ポケモン初代を攻略したとは言えません。

 私は何十年間もサカキがガルーラを失った理由を理解できないまま、夜も眠れずに過ごしています。私はこの理由を明確にして、数十年ぶりに眠りにつきたいと思います。

 

 

 

 ワタル後編開始までしばらくお待ちください。



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22、新たなる舞台

 ヤマブキシティで開かれたアマチュア最高峰の戦いが終わると、休む間もなく、ポケモントレーナーたちの次の戦いが始まる。

 年に1度のビッグイベントである「ホウエン地方チャンピオンリーグ決定戦」が開幕する。

 

 世界中で行われるポケモンバトル大会の中でもビッグタイトルと認定されているのが、各地方で開催されるチャンピオンリーグ決定戦だ。

 優勝賞金は数千万円になる。ホウエン地方の場合は4400万円である。

 現在のホウエンチャンピオンはミクリ。

 彼は非常に人気の高いトレーナーであると同時に、ワタルと同世代のライバルでもある。

 

 リーグ制覇してチャンピオンになることは世界中のトレーナーの見果てぬ夢である。

 このリーグ戦の場合、参加するだけでも難しいことになっている。

 

 リーグ戦は2段構成となっている。

 

 まずは認定ジムのメダルを8つ以上持っている者たちだけが参加できる「チャンピオンロード」が開催される。

 このチャンピオンロードを免除される条件がある。

 

 1、認定ジムのバッジを40個以上所持している

 2、公式大会における成績優秀者

 

 ワタルは1、2共に満たしているため、チャンピオンロードを免除されてさっそくリーグ戦を戦うことができる。

 

 今日、ホウエン地方のチャンピオンを決める今期の戦いの割り当てが発表された。

 

 ワタルはさっそく組み合わせに目を通した。

 ワタルはブロックDに配属された。

 

 ブロックD

 

 ワタル

 キョウ

 アデク

 センリ

 オーバ

 チャンピオンロード勝者D

 

「うわ、えぐいっすね、Dブロック」

 

 ワタルのところを訪れていたタケシがブロックDのメンツを見て声を上げた。

 

「ワタル先輩の日ごろの行いが悪いからっすよ」

 

 タケシは冗談半分にそう言った。ワタルは冷静にメンツを見ていた。

 タケシは一応チームワタルのメンバーということになっているが、日ごろの練習にはあまり顔を出さない幽霊部員だったが、今日は早朝からワタルのもとを訪れていた。

 

「先輩でもこのメンツじゃ、勝ち抜けるのは大変そうっすね」

「……」

 

 ワタルは無言で立ち上がった。

 今回、ワタルと同じブロックになったメンバーはいずれも強者だった。ワタルもそのことはわかっていた。最後のチャンピオンロードから勝ち上がってくる枠も勢いのある若手が来るから簡単な相手ではない。

 ネット上では、早くも魔のブロックDとして注目されていた。

 しかし、組み合わせをどうこう言っても仕方ない。

 こういうときは鍛錬あるのみ。それがワタルのスタイルだった。

 

「行くぞ」

「えー、これからドラセナさんの朝食をごちそうになる予定だったのに」

「いいから早く来い」

「まったくせっかちなチャンピオンで困っちゃいますよ。もっとどっしり構えたらどうですか?」

「つべこべ言うな」

 

 ワタルは世界最高のトレーナーと称されているが、まだ若手に入る。はたから見ていると、まだ精神的に未熟なところが感じられた。

 

 ワタルが降りてくると、ドラセナがゆっくりと朝食の準備をしていた。テーブルには少し前から預かっているアイリスの姿もあった。

 アイリスの保護者であるシャガからしばらく面倒を頼まれていたが、その後も引き続き、ワタルが面倒を見ることになっていた。

 シャガ曰く、「しばらく勝利の女神を貸してやる」ということで、ワタルは勝利の女神を手に入れていたが、ワタルはそういうことを信じるタイプではなかった。

 強い者が勝つ。それが原則であり、その他の要素などポケモンの世界にはないと思っていた。

 

「ドラセナ、ジムに行くぞ。早く支度しろ」

「えー、いまできたばかりよ。ワタルも久しぶりに食べてったら?」

 

 ワタルは基本的に朝食を食べる習慣がなかった。

 ドラセナはだいたいワタルに合わせていたが、いまはアイリスを預かっているので、ここしばらく朝食の支度が日課になっていた。

 

 ワタルだけジムに行っても、練習相手がいなければ練習にならない。チームワタルの最大の練習相手がドラセナである以上、ワタルも待つしかなかった。

 ワタルはそわそわした様子で、団欒の朝食が終わるのを待った。

 

「とってもおいしいです」

 

 アイリスは毎日のようにドラセナの料理をおいしそうに食べた。

 

「ありがとう、アイリスちゃん」

「先輩は1日1食っすからね。まったく、こんなおいしい朝食を食べないなんて、人生半分損してますよ」

 

 タケシも団欒に混ざって朝食を食べていた。タケシもワタルのもとで修業をするようになってかなり長かった、

 ワタルはただ待つのみだった。

 

 ワタルは誰かと楽しく食事をするという概念がなかった。

 ワタルにとって、食事も修行の一環。強くなるための食事だった。

 ワタルは師匠のもとに弟子入りしてから、厳しい断食指導なども受け、精神統一の理念を授かった。

 

 怠惰な食事は雑念を呼ぶということで、ワタルは厳しく戒めていた。

 アイリスはワタルとは対極的に、ポケモンも交えてみんなで食事を取る風習を持っていた。

 

 アイリスはいま育てているハクリューにも食事を与えながら、ポケモンと共に食事を取った。

 アイリスのポケモンは強くアイリスに懐いているが、そうした蓄積からもたらされたものでもあった。

 

 どちらが正解というものではないが、風習はそれぞれに独自の性質を生み出す。

 トレーナーの風習はそのままポケモンにも引き継がれた。

 

 ポケモン研究の中には、「トレーナーによって、ポケモンの内面のほとんどが決定され、ポケモンの力の7割以上が内面の影響である」というものもある。

 そのため、同じポケモンでも、どのトレーナーとどのように暮らしてきたかによって、その力は大きく異なった。

 

 ワタルのポケモンはよりストイックに、アイリスのポケモンはより絆深く育っていった。

 そんなワタルとアイリスが邂逅したことで、お互いの性質が対立することもあれば、調和することもあった。

 

 ワタルはアイリスがポケモンと共に食事を取る光景を見て、感化されるところがあった。

 ワタルも今現在ハクリューを3体育てている。アイリスのハクリューと自分のハクリューでは目つきが明らかに違っていた。

 ワタルはポケモンにもストイックを命じていたが、アイリスの示した心も必要なのかもしれないと思った。

 

 ◇◇◇

 

 朝食が終わると、一行はフスベジムに向かった。

 これからは、ホウエンリーグを目標にここで修業が繰り広げられていくことになる。

 とはいえ、来週にはホウエン地方に入るので、ここで練習するのもほんの1週間だけである。

 

 ナツメ、イブキ、ヒガナとチームワタルのいつものメンバーもそろって、練習環境は悪くなかった。

 ナツメはドラセナに会うなりため息をついた。

 

「まさかドラセナさんと同じブロックになるなんて」

「むふふ、今回ばかりはライバル同士ね。若い子にはまだまだ負ける気ないからね」

 

 ドラセナは笑みを浮かべたが、その背景には並々ならない闘争心があった。

 ドラセナはもともと負けず嫌いで、勝負事には熱くなるタイプだった。表にあまり表さないのでわからないが、これまでにいくつもチャンピオンに輝いた実績を持っている。

 

「イブキちゃんもロード勝ち上がったら同じブロックね。そのときは全力でねじ伏せてあげるから楽しみにね」

「お、お手柔らかに」

 

 ドラセナは静かに闘争心を燃やした。イブキも気の強いトレーナーだったが、ドラセナの静かな闘争心に圧倒されていた。

 

「ヒガナ、お前は出ないのか?」

「出ない」

 

 ワタルがヒガナに尋ねると、ヒガナははっきりと答えた。

 

「バッジないもん」

「ホドモエカップ優勝の実績で出られるんだろ」

「いまはまだそのときじゃないから」

 

 ヒガナはホウエンリーグのチャンピオンロードに出る資格を持っていたが、自ら事態していた。

 ヒガナの行動は昔からまったく予測できなかったが、今回も意図がよくわからなかった。

 トレーナーを目指しているのなら、チャンスが1つでもあればそれを活かすべきだというのが常識だが、ヒガナにはあてはまらなかった。

 

 ワタルはヒガナの実力を高く評価しており、もしヒガナが参加すれば、十分チャンピオンになれる可能性があると考えていただけに実にもったいないことだった。

 

 チームワタルにはスコアラーもついており、スコアラーの分析に基づいて対策を立てていくことになる。

 スコアラーのゴトウはさっそくデータを開示した。

 

「さて、今回のワタルさんの相手、魔のブロックDのメンツは蒼々たるものです。チャンピオン27期のアデク、ワタルさんの苦手なキョウ、ケッキングマスターのセンリ、最近勢いのあるオーバ、そしてブロックDのチャンピオンロード組には、ナタネ、スズナなどシロナ一門の若手も入ってます。かなり手ごわそうです」

 

 今回、ワタルの相手となるブロックDは手ごわく、決勝トーナメント進出のためには、リーグ1位になる必要がある。

 

「ワタルさんの対戦成績は、対アデクが27勝9敗。アデクに27勝はさすがワタルさんですが、油断は禁物です。オーバも最近かなり勝ってますね。イッシュリーグでも勝率7割でしたね。苦手のはずのミクリにも勝ってますしね。炎一筋をやめてミミロップを使い始めたようですね。この辺の対策も必要です。センリもポリゴン2の選出が増えてますし、今までの通りにはいかないかも」

 

 トレーナーも日々進化する。いつも同じ手でやってくるわけではない。

 それに対して、ワタルはあまり自分の手を変えなかった。

 一般に、勝ってるときは変えない、負けが込むと変えていくのが良いと言われている。

 

 手を変えないメリットはいつも同じ調子で戦えること。しかしデメリットとして、対策されやすいということがある。

 

「相手もワタルさんの対策をしてくるでしょうからね、こっちも新手を用意しておいたほうがいいでしょう」

「そうだな」

 

 ワタルはうなずいた。

 ワタルもいくつか新しい手は開発しており、最近はドラパルトを熱心に使っている。ドラパルトはドラセナから教えを受けて育てて来たものだった。

 

「では、まずアデクの対策を。予想できる選出メンバーは、ウルガモス、デンチュラ、モルフォン、ハッサムあたりでしょうか」

 

 かくしてホウエン地方制覇に向けての戦いが始まった。

 



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23、前触れ

 チームワタルはホウエンリーグに向けての特訓を初めてが、初日はアクシデントがあって早々と切り上げることになった。

 

「ナツメさん、大丈夫ですか?」

 

 アイリスが心配そうに尋ねた。

 特訓を初めてしばらくは元気にしていたナツメだったが、しばらくして強い頭痛を訴えるようになった。

 それでも、しばらく無理をしていると、ほどなく意識を失うほどに重症化してしまった。

 

「ワタルのせいだわ」

 

 イブキが非難した。

 

「なんでおれのせいなんだよ」

「ワタルがドカドカ破壊光線撃つから。私の目もまだチカチカしてるし」

「いつものことだろ」

 

 医者の診察によると、脳震盪。

 ナツメはワタルと立ち会って、繰り返しワタルの誇るカイリューの攻撃を受けていたので、強い光の影響ではないかと推測された。

 

 ワタルは複数種類のカイリューを持っていて、今回は破壊光線の威力に特化して育てたタイプを使用していた。

 ナツメは光の壁を器用に使うタイプのバリヤードで応戦しており、いつも以上に光が多く放出される対戦が続いたため、その影響だったのかもしれない。

 

 しかし、ワタルは以前から破壊光線に特化したカイリューは使用しており、ナツメのバリヤードとは過去に200戦以上は立ち会っている。

 今回に限って、特別なマッチアップになったわけではなかった。

 

「私もチカチカしてる」

 

 ヒガナも目をぱちぱちした。

 

「私もしてます」

 

 アイリスも同じように目をぱちぱちした。

 試合を見学していた者全員が強い閃光を経験していた。

 

「救急車来たみたいです」

 

 ジムの外に待っていた後援会の者が呼びに来た。

 

「ワタル、手伝って」

「ああ」

 

 ドラセナに言われて、ワタルは腰をかがめた。

 

 ワタルは首を傾げた。

 医学のことはわからないが、ナツメがこういう症状を訴えることは以前にも何度かあった。

 そのときはたいてい何かが起こるときだった。

 

 1度目の前兆はワタルが7歳のとき。

 ナツメとは幼馴染だったから、学校の通学を共にすることが多かった。ワタルはよく学校を休んでいたが、通学したときはたいていナツメと一緒に学校に向かっていた。

 

 横断歩道で信号を待っていたころ、ナツメは強い頭痛に襲われた。

 

「おい、大丈夫か?」

「それより逃げて……」

 

 ナツメは頭痛に苦しみながら、何かを訴えた。

 

「は?」

「いいからあっちへ早く」

「……」

 

 

 ワタルはよくわからず、ナツメを連れて、歩道を離れた。

 その直後。

 

 大きな音がした。

 見ると、ワタルが立っていた場所にタンカーが突っ込んで、大きく炎上した。

 

「……」

 

 もし、ナツメが訴えなければ、そのままワタルに直撃していた可能性があった。

 

 2度目の前兆はワタルが初めてバッジを獲得したとき。

 ドラセナと3人でささやかなパーティーに参加していた。そのときにナツメが頭痛を訴えた。

 

「目の前が揺れてる……地震だわ」

 

 ナツメは頭を押さえながらそんなことを言った。

 

「しっかりして、なっちゃん。地震なんて来てないわよ」

 

 ドラセナの看病の末、ナツメの頭痛は治まったが、その後、テレビではグレンタウン北東の海で震度7の地震が発生したことを伝えていた。

 このように、ナツメは昔から突発的な予知能力を発揮することがあった。

 

 今回もそれらのときと同じだった。

 ワタルは何か大きな事件が起きるのではないかと不安になった。

 

 ◇◇◇

 

 ナツメは病院に運ばれた。

 幸い、1時間後には頭痛もなくなり、意識も正常に戻った。

 

 その後の検査でも特に異常は見当たらなかった。

 大事を取って一日入院することになったが、命に別状はないようだった。

 

「良かったわ、一時はどうなるかと思ったけど」

「すみません、ドラセナさん。ご迷惑おかけして」

「お父さんが夕方には来てくれるって。今日はゆっくり休んだほうがいいわね」

「ナツメさん」

 

 ドラセナの隣からアイリスが顔を出した。

 

「あの、これ受け取ってください」

 

 アイリスは折紙で織ったたくさんのスワンナが入ったかごを差し出した。

 

「スワンナ1000匹で百人力です。ですが、時間の都合上85匹しか織れませんでした。それでもきっと85人力ですから」

「ありがとう」

 

 ナツメは笑顔で受け取った。すでにナツメはいつもの調子に戻っていたが、アイリスはひどく心配していた。

 

「し、死んでしまわないでくださいね!」

「大げさね。全然大丈夫よ。もう元気いっぱいになったから」

 

 ナツメはアイリスを心配させた。

 

「ところでワタルは?」

「検査の時まで一緒にいたけど、どこに行ったのかしら。あの子はジッとしない子だから困ったものね」

 

 ドラセナはあたりを見渡したが、いつの間にか、ワタルとヒガナの姿が見えなくなっていた。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルは病院の外にいた。

 駐車場を離れて、人気のないところでただ時間が経つのに身を任せていた。

 時折、空を見上げた。

 

 空は快晴。大雨が来そうもない、台風が発生したという話もない。何もなかった。

 

「考えすぎか……」

 

 ワタルは息を吐いた。

 たしかに、ナツメが頭痛を訴えたときには何かが発生していたが、偶然ということで片付けることのできることではあった。

 

 ナツメは物心ついたときから不思議な力を発揮することがあった。

 ちまたでは、そういう人たちをサイキッカーと呼んでいるようである。

 

 ナツメもサイキッカーの兆候があったため、サイキッカーの集いによく参加していた。

 ワタルもナツメのサイキックパワーの片鱗を何度も感じ取っていた。

 

「ワタル、見て、サイキックパワーでこの岩を砕いてみせるから」

 

 ナツメはそう言うと、ワタルの目の前で、空手チョップによって岩を砕いてみせた。

 

「ね、すごいでしょ、私のサイキックパワー」

「……ただの怪力じゃないのか?」

「なんか言った?」

「いや、何でもねえ」

「私、スプーンを投げて曲がって以来エスパー少女になったのよ」

「エスパー少女ねえ……」

 

 ワタルはずっと半信半疑だったが、その後に見せた予知能力のいくつかで、ワタルもそうした力を信じるようになった。

 今回もナツメが何かを予知したのではないかと思っていたが、特に地震が起こるというようなこともなかった。

 

「さて、戻るか」

 

 そろそろ検査も終わったころだろう。ワタルはナツメの病室に戻ることにした。

 

「……」

 

 駐車場に差し掛かったところで、ワタルは足を止めて、地面にいる怪しい物体に目を向けた。

 

「ヒガナ、何してるんだ?」

 

 ワタルが声をかけると、ヒガナは地面に耳を見せたまま、上目にした。

 

「聞こえた?」

「何がだ?」

「地面から……ううん、空からだ」

 

 ヒガナはずっと地面に耳を張り付けていたが、とっさに立ち上がって空を見上げた。ワタルも同じように空を見上げた。

 

「ほら、聞こえるよ」

「だから何が聞こえるんだよ」

「わからないけど」

「さっぱりわからんやつだな」

 

 ナツメの予知能力とヒガナの謎行動はワタルにとっての二大オカルトだった。

 

「あのね、先輩も聞こえたんだと思う」

「……」

 

 ワタルはもう一度空を見上げた。ナツメが頭痛を訴え、ヒガナも何か聞こえると言っている。ワタルも二大オカルトが共鳴していることを無視できなかった。

 

「大雨か、それとも台風か?」

「それとも違う気がする」

「他に何がある?」

「お星様の声とかかな」

 

 ヒガナはそう言って首を傾げた。

 

「星……」

 

 ワタルは嫌なことを連想した。

 

 ◇◇◇

 

 その夜、国際宇宙観測センターが世界各国にある警告を出していた。

 

 ホウエン地方のトクサネ天体観測所にもその警告が届いた。

 

 警告内容は以下のようであった。

 

 直径1キロに及ぶ隕石が接近中。

 落下確率が低く見積もっても15%以上であること。

 落下予測地点はホウエン地方西の海上。

 

「所長、我々もいま隕石を捉えました」

「この赤い部分か?」

「はい」

 

 所長はモニターのレーダーで隕石を確認した。

 

「うー、狙いすましたような位置だな。これは落下する可能性のほうが高いぞ」

「我々のシミュレーションプログラムでは落下確率21パーセントです。このままそれてくれればいいのですがね」

「最悪の事態を想定しておく必要がある。官邸には知らせたか?」

「はい、これから総理官邸で緊急会合が開かれるようです。こちらからも専門家を派遣してほしいとのことですが、山田先生と西山先生に準備してもらっています」

「わかった。しばらく隕石の動きに注視してくれ」

「わかりました」

 

 所長は部下にそう伝えると、ある者に電話を入れた。

 

「もしもし」

「おー、ダイゴ君か。申し訳ない、もうすぐホウエンリーグの戦いが始まるというのに」

「いえ、そうも言っていられないでしょう」

「隕石の件はもう聞いているのかね?」

「はい、父から。今からそちらに向かいます」

「ありがとう。ところで、1つ気になることがあるのです。このことは我々科学者よりダイゴ君のほうが詳しいと思うので確かめたいのじゃが」

 

 所長は壁に取りつけてあった絵画に目を通した。その絵画には、とある伝説のポケモンが描かれていた。

 

「レックウザの伝説の件なのじゃが」

 

 所長はとあるホウエン地方に伝わる伝説についてダイゴに尋ねた。



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24、強き者

 ワタルはおかしな世界に立ち尽くしていた。

 虚無という言葉がよく似合う世界。

 

 建物もある。

 空には月も浮かんでいる。

 近くを人が歩いている。

 

 ところが、無よりもずっと無を感じさせる世界に見えた。

 ワタルは人々が道を行き交うのをただ見ていた。

 

 ワタルは思った。

 もし、達観した存在があれば、その存在はこのように世界を見ているのかもしれないと。

 

 愚かであり、無能であり、ちっぽけであるからこそ、すべてを有色の概念として見ることができるのかもしれないと。

 ワタルは自分がいま疑似的に達観した立場にあることを理解した。

 

 最強のポケモントレーナーを目指してひたむきにここまで生きてきたが、真の王座についた身は世界をこのように無色の概念として見ることになるだろうか。

 自分が目指した高みがこの世界なのだとしたら、ワタルはそれを望みたいと思わなくなった。

 

 ふと、ワタルは別のほうに目を向けた。

 

 視線の先には幼いころの自分がいた。

 幼いころのワタルは少し大きな上級生たちにいじめられていた。

 4人の少年たちに踏みにじられ、頭を抱えて涙しているだけだった。

 

 弱くて情けない姿だった。

 

 そこへ一人の少女が割って入った。幼馴染のナツメだった。

 ナツメは上級生の少年を吹き飛ばしていた。エスパー少女の力なのかはわからないが、ナツメは上級生たちを圧倒し、追い返してしまった。

 

 ワタルはナツメに介抱されるのを嫌がり、ナツメの手を払いのけ言った。

 

「あんなやつら、おれ一人で倒せたのに余計なことをしやがって」

 

 幼いワタルは強がってそう言うと、走り去っていった。

 

 やがて、ワタルは森の中をさまよい始めた。

 傍観者のワタルは幼いワタルが迷い込むさまをどこからともなく見ている立場だった。

 ただ見ているだけで、干渉はできないそういう不思議な立場だった。

 

 ワタルはしばらく強がっていたが、やがて途方に暮れてその場に崩れ落ちて、静かに泣き始めた。

 昔の自分はいつも泣いてばかりの弱虫だった。

 

 今でも覚えている。あのとき、涙しながら願ったことがある。

 

 強くなりたいと。

 

 やがて、ワタルのもとに一人の女性がやってきた。ドラセナだった。

 ドラセナはワタルに優しく手を差し伸べた。

 

 ワタルはその手を振り払って立ち上がった。そして、ドラセナに背を向けて歩き始めた。子供とはいえ、傍観者として見ていると、昔の自分がどこまでも大人気ない態度を取るのに腹が立った。

 

 しかし、ドラセナはワタルが歩むのを背中からいつまでも見守っていた。

 やがて、ワタルは疲れ果て、その場で座り込んで眠ってしまった。

 ドラセナはそんなワタルを優しく背中に負ぶると、そのまま森の外に向けて歩き出した。

 

 傍観者のワタルはそんなドラセナの背中を見ていてあることを直感的に感じた。

 

 ドラセナの背中はかつて自分の目指した「最強」を超越した「真の最強」だったと。

 

「これが本当の強さか……」

 

 ワタルがそう言うと、虚無に満ちた世界は徐々に消えて行き、遠くへ消えてしまった。

 

 ◇◇◇

 

 ワタルは目を覚ました。

 部屋が必要以上に明るかった。いつもより長い間眠っていたようだった。

 

「ワタル、早く起きてよ。間に合わなくなるわよ」

 

 声のほうを見ると、ドラセナが荷物をまとめていた。

 今日はホウエン地方のサイユウシティに渡る日である。早朝から出発する予定だったが、寝過ごしてしまったようだった。

 

「寝坊するなよって言ったのワタルなのに本人が寝坊してどうするのよ」

「いま何時だ……?」

「もう7時過ぎてるよ」

「そんなに寝ていたか、どうかしてるな」

 

 ワタルは頭を押さえた。

 ホウエンリーグの開幕が近づくに連れ、戦いのボルテージが上がっていたのは事実だったが、基本的に朝早いワタルがここまで寝過ごしてしまうのはとても珍しいことだった。

 

 ワタルは起きると、速やかに準備を整えた。

 部屋を降りてくると、とっくに準備を整えていたアイリスが出迎えた。

 

「おはようございます、ワタルさん」

「おう」

 

 アイリスはホウエンリーグが終わるまでの間預かることに決まっていた。

 長く同居しているので、アイリスがいる光景も慣れたものになっていた。

 

 アイリスは少し引っ込み気味に両手を差し出した。

 その手にはドラセナの葉で作られたお守りのようなものがあった。

 おそらく、ドラセナの入れ知恵だろう。ワタルは大きな大会の前にはいつもドラセナからこの手のお守りを受け取っていた。アイリスもその真似事をしたのだろう。

 最近は、この手のお守りを邪魔に感じていたところだった。

 

「私の応援が届くようにとお守りを作ったのですが、余計なおせっかいだったでしょうか?」

「……」

 

 ワタルはこの手のお守りに依存することもなくなっていたが、受け取るのを拒絶するのも悪いと思ったので、受け取ることにした。

 

「きっと百人力になると思います。頑張ってください」

 

 ワタルは受け取ったお守りを見つめた。気のせいか、不思議な力が込められているように感じた。

 

 ◇◇◇

 

 フスベシティのはずれの空港に、ワタルの後援会が用意してくれたプライベートジェットが配備されていた。

 

 ワタルを応援するためと地元の人がたくさん集まっていた。

 ワタルの人気は世界的であったが、地元の応援の熱量も相当強かった。

 

 ワタルはこういう応援をあまりうれしく思うタイプではなかった。

 旗を掲げて熱烈に応援する者も少なくなかったので、どちらかというと恥ずかしい思いがした。

 

「ワタル、頑張れよ」

「ミクリなんてぶっ飛ばして、世界一のイケメンはおれだと見せつけてやれ」

「カイリューオブザゴッドを見せろ!」

 

 ワタルがやって来ると、野次馬が大きな声で騒ぎ始めた。

 ワタルは手を振るようなこともせず、さっさと飛行機に乗り込んだ。代わりにドラセナがその声援を受けた。

 ドラセナの応援をする者も少なくなかったので、声援はさらに大きくなった。

 

「ワタル、すごい人気ねー。うらやましいわ」

 

 すでに飛行機に乗り込んでいたイブキは窓から野次馬を見ていた。

 イブキも将来は一流のトレーナーになりたいと夢見ていた。

 

 イブキのほか、ナツメとヒガナも乗り込んでいた。

 タケシは3日前から先にホウエン地方入りして、まぼろし島のツアーを満喫していたようであった。昨日はまぼろし島が見えたとワタルに何度もメールを送っていた。

 ほか、ワタルのスコアラーや関係者9人が乗り込んでいた。チームワタルは大きく力によって支えられていた。

 

「アイリスちゃん、どこ座る?」

「私はわき役ですから空いているところでいいですよ」

「何言ってんの。チームのお姫様なんだからファーストクラスじゃないと。はい、ここ」

 

 ドラセナはアイリスを特等席に案内した。

 

「ワタルはどこ座る?」

「一番後ろでいいよ」

 

 ワタルは一人で集中していたかったから、後ろに向かった。

 誰もいない席に座ろうとしたが、一番後ろには先客があった。

 

「なんだよ、なんでこんなとこに座ってんだよ」

 

 一番後ろの席は荷物が雑然と置かれていたが、その隣にナツメが一人で座っていた。

 

「荷物番してあげてるのよ」

「具合は大丈夫なのか?」

「絶好調。油断してると主役を奪うわよ」

 

 ナツメは元気そうだった。

 少し前の練習中に倒れてしばらく入院していたが、いまは調子がいいようだった。

 

「何ぼさっと立ってんのよ。座ったら」

「あ、ああ」

 

 ワタルはナツメの隣に座るのをためらっていたが、言われたらそこに座るしかなくなった。

 

 ワタルはもともと群れるタイプではなかったし、異性との関わりも得意ではなかった。

 異性に対して初心であるという以上に、ワタルはずっと母子家庭で育ち、物心ついたときから、女が強い環境だった。

 

 ワタルが物心ついたときに見たドラセナはカロスリーグのチャンピオンだったし、同級生のナツメも長らくずっと自分より優秀だった。

 ワタルにとって異性へのイメージは「守ってあげたいかよわい子」ではなく「肝の据わった王座の存在」だった。

 だから、ワタルにとって、異性との関わりとは常に自分より高みの存在との関わりと同じだった。



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