十番目になれなかった男、ゼロへ (deke)
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プロローグ

はじまりまじまり






'18/2/11  ちょっと書き足しました。内容にスピリッツの盛大なネタバレを含みますのでご注意ください。


 竜を操り、宇宙を渡り歩く3つの生命があった。

 

 1つは黄金の神。

 2つは白銀の従者。

 

 3柱は旅の果てに、大地と海に分かれたばかりの惑星へと降り立った。

 水辺から陸へと魚が這い上がり、巨大なトカゲの一族が地上を闊歩し滅んでいく様を彼らは悠然と眺めていた。

 そして3柱はほんの戯れに、森に潜み怯え隠れるだけの脆弱な生き物に知恵を与えた。

 選ばれたのは、サル。

 愛によってではなく、それは次なる旅への備え。竜に喰わせる糧として、その繁殖を促したにすぎない。結果的に、3柱は人類の祖となった。

 

 数十万年の時を経て、白銀の従者の片割れが反乱を起こした。

 時空を自在に切り結ぶ能力を持つ従者は、奇策によりもう一人の従者を粉砕すると、己の肉体の崩壊と引き換えに、黄金の神を無限の虚空「牢獄」へ封印した。

 

 「牢獄」とは現宇宙から切り離された絶界の空間のこと。それは神の力をもってしても破られることはなかった。

 

 また時が経った。

 人類は科学によって十分にその数を増やした。人種、言語、富、イデオロギーを口実に、他者を押しのけずにはいられないほどに。

 皮肉なことに、科学の発展は人間同士の争いが苛烈になるほど早まる。

 ヨーロッパ・アメリカ大陸を中心とした列強による「世界」の切り分けが進む中、奇しくも3柱が最初に降臨した極東の地には、大国を打ち破るほどの強大な海軍力を有する帝国が突如として歴史の表舞台に躍り出た。

 

 力と力の力場は真っ向から激突し、世界が戦火に覆われるまでにさほどの時間はかからなかった。

 

 だが、全ては黄金の神の掌の上のこと。

 肉体は牢獄に囚われようとも、現世への復活を願うその声は、耳を傾ける人間がいる限り聞き届けられる。そんな人間たちが寄り集まり、神を大首領に据えた組織を作った。

 

 組織の名は「SHOCKER」。狙うは世界征服。

 

 ヨーロッパにおいて、当初神の願いを実現しようとした組織は、連合国の圧倒的な軍事力を前に1度はその野望を打ち砕かれたかにみえた。しかし連合国が打ち破った集団は、ただそそのかされただけの哀れな道化に過ぎない。大戦終結後、組織は以前と変わらぬ秘密活動を続けていた。

 

 ショッカーが主力とする兵器は、人間と動植物を科学によって融合する「改造人間」。世界征服という目標を実現するにはあまりに非効率的な兵器であった。

 

 それでもなお、「改造人間」は組織の教義と矛盾しないのだ。

 

 死神と呼ばれた天才科学者が立案し、実行した「偉大なる計画」。

 「偉大なる計画」の終着点は、神の宿る器を現世に用意することにあった。目論んだのは、牢獄内部にある神の肉体と、同物質たる現世の肉体を共鳴させての人格交換である。神の肉体と、その精密さから歪みまでを再現するために、「改造人間」の製造は単に技術とノウハウの蓄積に重きを置いていた。

 

 時は西暦1971年。

 「偉大なる計画」の最初の実験の成功例が、ショッカー日本支部より伝えられた。

 その後、被験者の男は脳改造の寸前に改造手術責任者の手引きにより脱走し、かつて神に反逆した白銀の従者のように、協力者とともにショッカーの作戦及びテロ活動の妨害を開始した。

 

 男の名は「仮面ライダー」。

 

 男は迎撃に徹し、抗い続けた。

 それでも着実に犠牲者の数は増えてゆく。救えずに、その手から零れ落ちた多くの生命があった。

 やがて仲間を得、ショッカーを壊滅に追い込むまでに至るも、また別の組織が台頭する。その組織をやっと倒した途端に、再び別の組織が台頭する。まるで鼬ごっこだった。終わりの見えない、不毛な戦いに思われた。

 だが、地獄の道連れと理解してなお、また「仮面ライダー」を名乗らなくとも、新たな戦いが始まるそのたびに、男に賛同する者たちが現れては自分の意思で戦いに身を投じていったのも事実である。

 

 物語の主人公は、神に捧げられた数百数千万の生命のうちの1つ。身体を、そして名前を奪われ実験の被験者とされた男が、魔法文明の発達した異世界に飛ばされて、「仮面ライダー」と同じように組織に抵抗を始めたら? というそんなお話。

 

※この文章以下当初「プロローグ」の内容となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

補正計画立案書より抜粋

・以降この件に関する事案を最重要機密とする。

 

 補足事項

 ・機密保持Cに移行。

 

 

第1次中間報告より抜粋

・901支部にて「システム」の建造を開始。

・同支部にてプランNO.7「HOPPER」を実行。

 

 

第5次中間追加報告より抜粋

・先に完成したプランNo.01、プランNo.02、プランNo.04、プランNo.05、プランNo.06, までのシリーズの調整を終了。

・901支部へ移送の後、訓練室に配備。

 

 

第8次中間追加報告より抜粋

・767支部は本日付で「シュミレータ」試作機の開発に着手。世界中の優秀な科学者たちの脳を並列させたこの演算機には従来のスーパーコンピュータを超える演算能力が期待される。

 

 

第17次中間追加報告より抜粋

・「シュミレータ」試作機の欠陥を発見。実験の結果、全体の七割の壊死を確認。これでは使い物にならない。

・計画の補正案を提出。

 

 

第22次中間報告より抜粋

・新型機体、ネーム「HOPPER」の設計を完了。

 

 

第29次中間追加報告より抜粋

・「システム」の実験機が完成。試験を開始する。

 

 補足事項

 ・機密保持Dに移行。

 

 

第38次中間報告より抜粋

・新型機体「HOPPER」の製造を開始。データ採取を目的とする一試作機体の製造に着手。

 

 

第40次中間報告より抜粋

・製造完了。術後に拒絶反応は認められない。

・経過観察の後リハビリテーションを行う。

・プランNO.7の進行度に8%の遅延が発生。Dr.ローズの報告を待つ。

 

 

第42次中間報告より抜粋

・先に行った模擬戦闘で新型機体「HOPPER」は、戦闘員三体を五分以内に殲滅。

・さらに調整を加え、新開発装備の追加を提案する。

 

 補足事項

 ・対戦機体は「SKELETON」。製造番号はS-SHC-201からS-SCH-203。廃棄済。

 

 

 

第47次中間報告より抜粋

・「HOPPER」に不穏な思想傾向発生。再度脳手術を行う。

 

 補足事項

 ・記憶の消去に不備があったためと推測。手術責任者を粛清。

 

 

第48次中間報告より抜粋

・手術無事成功。新型機体「HOPPER」を訓練室に本格配備。

・訓練期間終了後、プランの完成となる。

 

 補足事項

 ・組織に栄光あれ。

 

 

第50次中間追加報告より抜粋

・「システム」の試験運用を行っていた901支部からの通信が途絶えた。定時連絡に応答なし。何らかの事故が疑われる。

・本部に調査を依頼。

 

 

事故調査報告より抜粋

・先日発生した901支部における爆発事故について。

・周囲の被害状況とエネルギー残留値の測定データより、事故原因は「システム」試作機の暴走と断定。

・新型機体とデータの回収を最優先事項に設定。本日調査開始。

 

 

事故調査最終報告より抜粋

・研究員、戦闘員、非戦闘員含めた全員の死亡を確認。

・捜索目標の新型機体「HOPPER」及び同支部に配備されていたプランNo.01~No.06ら計7機体は、事故の際に消滅したと思われる。

 

 補足事項

 プランNo.01~No.07の遺体は発見されていない。

 

 

最終報告より抜粋

・本部はプランに関わる全ての計画の凍結を決定。関連するデータ、文書についても同様に処分する。

・「システム」、「シュミレータ」に関する研究は責任者が事故死により不在のため、幹部会の決定により本部へと委任。開発に携わった研究員に本部召集の旨を通達。

・プラン「最後の者」の実行を提案。

・一切の報告を終了する。

 

 




何が始まるんでしょうね


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ep1 ルイズ

「お約束」なのでさらっと


 青い空、小鳥たちが雲の合間をわたり、優しいそよ風が若草を撫でてゆく。

 ここはトリスティン王立魔法学院。城壁の外の草原に少年少女が集まり、毎年恒例となっている行事「使い魔召喚」の儀式を執り行っていた。

 既に多くの生徒が召喚に成功し一生を共にするパートナーと対面を果たす中、ひとつ異質な爆発音が鳴り響く。

 

「早く召喚しろよ『ゼロのルイズ』―!!」

「やめとけってどうせ無理なんだから」

「なんせ成功率『ゼロ』、だもんな!」

 

 この「使い魔召喚」の儀式は2年生となる生徒たち全員に課される、いわば昇級試験のようなものだった。術式としてはそう難しい方ではないのだが、これができなければ一人前のメイジとして認められないとさえいわれている重要な儀式だった。

 この儀式に、これで何度目であろうか、爆発を引き起こした少女に野次が飛ぶ。緊張のあまり2、3回失敗する生徒は毎年いるが、20回以上も失敗した事例は学院史上、初のことである。

 ルイズと呼ばれた桃色髪の少女。悔しさに身を震わせ零れ落ちそうな涙を必死に抑えていた。泣き出さずにいたのは彼女のプライドの高さゆえだろうか。

 そんなルイズに、一人の教師が気まずそうに声をかけた。

「あー、ミス・ヴァリエール? 貴女はよく頑張りました。ですがこれ以上は……」

「お願いです!ミスタ・コルベール! あと一回、あと一回だけチャンスを下さい!」

 ルイズは、コルベールと呼ばれた禿げ頭の中年教師に詰め寄って嘆願する。

 コルベールはルイズの努力家な一面を知っていた。魔法の関係しない学問ならば彼女の成績はトップクラスであり、教師としてできるならこの努力家な生徒の願いをかなえてやりたい。彼女に後がないことも分かっている。

 だがいい加減精神力も魔力も限界だろう。教師として、これ以上生徒に無理をさせることはできない。

「わかりました。本当に最後ですぞ」

 少し思案した後、はぁとため息をついて最大限の譲歩をする。それを聞いてルイズは切羽詰まった表情からぱっと明るい表情になった。だがよくよく考えてみれば最後通牒に等しい宣告であるこいとに、すぐにルイズは気づいた。

 思わず杖をギュッと握りしめる。

  (今度こそ……)

 これで最後。もし失敗したらなんて考えたくもない。

  (絶対に成功してみせる。もう『ゼロ』だなんて呼ばせないんだから)

 目を閉じて、一旦深呼吸。

 そして杖を振り上げ呪文を唱える。

 

 

「宇宙の果てのどこかにいる私の僕よ!」

 

 杖の振り方なんて覚えていない。正しい詠唱も忘れてしまった。

 

「神聖で美しく、そして強力な使い魔よ!私は心より求め、訴える!」

 

 イヌでもネコでも構わない。だから。

 

「我が導きに応えよ!!」

 

 お願い、来てっ!!

 

 詠唱を終え、思いっきり杖を振り下ろす。

 

 

 轟音。最後に特大の爆発が起こり、辺りはもうもうとした土煙に覆われた。

 先に召喚されていた使い魔たちが轟音に驚き暴れ、生徒がそれを宥める始末。コルベールが「落ちついてください!」などど声をからして叫んでいるが、すぐには鎮まりそうもなかった。。

 

 爆発、それはルイズにとって失敗を意味する。

 おもわず膝の力が抜け、ルイズはへなへなとその場に座り込んだ。

 今度は本当に涙が溢れてきた。ぽたぽたと、ぎゅっと握りしめて皺が寄ったスカートに落ちて黒いしみをつくる。

(……結局ダメ。やっぱりなにやっても『ゼロ』なんだ……)

 自己嫌悪で憂鬱としかけた頃、やけに周りが静かなことに気付き、ふと顔を上げて辺りを見渡す。

 普段なら真っ先に野次を飛ばしてくる連中が何も言ってこない。中にはあんぐり口を開けて間抜け面している者すらいる。そして全員が全員、どこか一点を見ている。その目線の先には、どうやら爆発が起こった地点があるようだ。

 一体なんだと、ルイズもそちらに顔を向けた。

 

 未だはれぬ土煙の向こう。ちょうどその爆心地のど真ん中あたりに、何か、いる。

 

「成功した?」

「嘘だろ」

「まさか」

 どよどよと。

 その影は急にふらふらとした後、どさりと倒れてしまった。

「私の、使い魔……っ」

 涙を悟られぬようごしごしと、袖で目元を強引に拭い、ルイズは慌てて立ち上がり、駆け出す。駆け出しながら、考えた

 一体何が召喚されたんだろう。ひょっとするとひょっとしたらマンティコアみたいな幻獣だったりして。でも土煙の向こうに見えた影は幻獣の類にしては小さかった。この際本当に所管されたのがイヌでもネコであっても文句は言えないかもしれない。召喚されたのがなににせよ、期待に胸が弾む。

 爆心地の中心で最初に見えたのは、顔。整った顔立ちをした、血に汚れた男の顔。

「人?なんで平民なんかが……」急に黙るルイズ。

 呼吸を繰り返す分厚い胸板に、引き締まった腹筋。

 そして全身が――

「む、どうかしたのですかミス・ヴァリエール?何か問題でも……あ」

 

 

 この男、血塗れなうえ全裸であった。

 

 

 きゃあああああああ、と女子生徒の悲鳴が上がる。

「『ゼロのルイズ』が怪我人を召喚したぞぉおお!」

「しかも何も着てない!」

「どこから連れてきたんだ!?」

 悲鳴と、野次と、また悲鳴と。使い魔達も暴れ出してさっき以上に収拾がつかなくなっている。

「お落ち着くのです諸君!貴族たる者取り乱してはいけません!この方は重傷を負っています。誰か水メイジを呼んできて下さい。それと急いで担架を!!」

「私が行く」

 青髪の女子生徒が名乗り出る。

「ミス・タバサ!では彼を医務室までお願いします。水の使い手の生徒は一緒に風竜に乗って治療をしてください!」

 必死にコルベールは指示を出す。そしてルイズに話しかけ。

「いいですかミス・ヴァリエール。あなたはこの使い魔の主なのです。どんな結果になろうとも共にいるのが主の務めですよ」

「っ、はい!」

 コルベールに諭され、我に返るルイズ。

 召喚された男は、誰かが唱えたレビテーションによって、既に風竜の上に担ぎ込まれていた。

 ルイズが風竜の背に乗り込むのと同時に、ふわりと風竜は浮きあがり学院に向かって飛び立つ。

「ありがとう、タバサ」

「別にかまわない。当然のこと」

 手を貸してくれた風竜の主人に礼を述べる。タバサは感情に乏しい声でそれに答え、

「モンモランシーもありがとう」

「後で治療費、払ってもらうからね!」

 モンモランシーは、血に染まった男を水魔法で全力で治療しながら答えた。

 ルイズは学院に向かって飛んでいる風竜の背に乗りながら、血に染まった男を見つめていた。

 思うことはただ一つ。

(せっかく私が召喚したんだから………絶対に死ぬんじゃないわよっ!!)

 




流してよかったのかなあ


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ep2 使い魔は平民

いつの日か


………………………………………俺は……………………………………………………

…………………………誰だ………………………………………

俺は……!!

誰なんだ!?

………………………………………………………………………………………

なんだキサマらは!?

………………………………

なにを

一体なにをした!?

………………………

………………………………

俺の体……

俺の体に!!

 

 

 

 

 

 

……れが例の?

適合したのが………素体………

キヒヒヒ お前が■■■■か?

…………………………………………………………………………………………………………

や、止めてくれ 降参するっ だから

た助け………

…………………………………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………………………………………

……命令を無視…

やはり出来損ない≪ミスクリエーション≫か

……………………………………………………………………………

裏切るのか■■■■!!

≪メモリー≫の消去は……

……御不能、臨界!!

…………………………………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………………………………………

…………………………………………………………………………………………………………

我が導きに応えなさいっ!!

治療を…急いで……

せっかく私が召喚したんだから

 

誰だ……

俺を……呼ぶのは…………

 

…メイジを………早く…

ミス…………―ル無理は

 

………そうか

だったら

 

何でよ

死んじゃうなんて絶対に許さないんだから

一人に……………しないでっ

 

行かなきゃ

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ぱちり、と目を覚ます。

「ハァハァハァハァ」

 荒い呼吸のまま上体を起こす。ひどく喉が渇いていた。

 白い部屋。高い天井。石積みの壁。

 その部屋の窓際のベッドの上。顎に伝う汗を手の甲で拭う。ひどく魘されていたらしくシーツは皺だらけで、じっとりと湿っていた。

 悪夢。そう、悪夢だ。

 妙に現実味を帯び過ぎた、まるで実体験のような幻。自分が自分で無くなるような、自分の意志に関係なく未来を確定されていくような。夢の内容を思い出そうとするほど、詳細はあやふやに、内容は不鮮明になってゆく。

 そういえば夢にしてはやけに、はっきりときこえた声。あれはいったい……

 ふと何気なく、首だけ動かして窓の外を見る。外は暗く、濃い闇が景色を真っ黒に塗りつぶしていた。見上げれば、薄雲がかった夜空に浮かぶ二つの月。

 錠を外して窓を開けると、ひんやりとした夜気が室内に流れ込んできた。今一度、夜空を見上げる。

 ――月は……二つ、だったか?

 正常な判断も下せず呆然としていた男が、何かに反応したのは、それからしばらくしてからだった。

 それは音。

 二組の足音が、こちらに近づいてくる。

 

 

 

 灯火の小さな明かりでも、足元を照らすには充分な光量なので、コルベールは当直の晩にいつもそれを愛用していた。小さな灯であろうとも夜の闇においては、見る者を安心させ、ぬくもりを分け与えてくれる偉大な存在だ。破壊ばかりが炎の真価ではない。それがコルベールの信条だった。

 普段は一人で行う当直だが、今夜は連れがいた。

「ミス・ヴァリエール、あなたは無理をしなくてもよいのですよ?私は今夜当直なので仕方ありませんがあなたは………」

「いいえ平気です。無理なんかしていません」

 ルイズは前を向いたまま答える。

「しかし本当にいいのですか?彼が召喚されてからもう三日、まともに寝ていないのではないですかな」

「…………」

 ルイズはこれっきり黙ってしまう。

 コルベールは知っていた。ルイズが召喚された使い魔のために屋敷を買えるほど高価な水の秘薬を取り寄せたことを。昼夜問わず医務室に通い続け必死に看病したことを。何でもないように口では言うが疲労は確実に溜まっているはずだ。

「しかし目覚めているといいですな、彼。まだ契約を結んでいないのでしょう?」

 少々強引だが、話題を変える。医務室にはまだ遠い。

「気にすることはありませんよ。使い魔召喚≪サモンサーヴァント≫とはいわば魂と魂の契約、自分の中に眠る素質が使い魔を呼び寄せるのです。まあ人型をした使い魔が召喚されたというのは聞いたことがありませんが、この出会いにはきっと何か意味があるはずですぞ」

「ミスタ・コルベール。やっぱりもう一度儀式を――」

「召喚の儀式は神聖なものです。やり直すことは許可出来ませんよ。召喚に成功した以上、人間であろうと彼があなたの使い魔です。」

 冷たく、突き放す。しかし教え諭すように。

「私は先程、意味がある、と言いましたね。使い魔との出会いとは決して偶然ではないのです。始祖ブリミルによる神聖な召喚の儀式により億千の可能性の中から、偶然と思えてしまうような出会いをあなたはあの彼と果たした。またタイミングがずれれば、何かかが欠けていたとしたらそれさえもなかったはずです。

 こうなれば必然、いや『運命』ではないかと、私は思うのです。」

「ミスタ・コルベール……」

 コルベールは微笑みながら言葉を続ける。

「さあ、お顔をお上げなさい。もしあの彼が目を覚ましていたら、あなたは契約を結ぶのでしょう?ならば堂々としていないと。一生を共にするパートナーとの『出会い』というからには、最高の『出会い』にしなくては」

 気付けば、医務室の扉の前。

 

「いない……」

 入室し目にしたのは、空になったベッドと。

 全開になっている、窓。

「油断しました……まさか脱走するとは」

 ベッドを探り。

「まだ温かい……そう遠くへは行っていないはず」

「私ちょっと見てきますっ」

「見てきますって……あっ待ちなさい!!」

 ルイズは飛び出していった。窓から。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 走って、走って、走る。

 マントを翻し、夜露を蹴散らし、何かに足を取られそうになっても構わず走る。

 誰かが、今の私の様子を誰かが見ていたらなんというだろう。いつもからかってくる連中だったら、またバカにしてくる。家族だった場合には小言と説教だけで月と太陽が一回は確実に交代するに違いない。

 走って、走って、また走る。広場を、ダンスホールを、いまこの道を。

 残る場所はあと一つ。中央、中庭のみ。

 汗で額に髪がへばりついて気持ち悪い。

 急に走ったせいで脇腹が痛くなってきた。こんなことなら乗馬以外にもう少し運動を嗜んでおくべきだった。

 それでもかまわず、走る。

 学院内にいるとは限らない。ひょっとしたらもう学院の外にでてるかもしれない。向かう場所は、きっとあいつの故郷。

 その気になれば、あいつを見捨てて、もう一度儀式をやり直せばいい。もっと高等な幻獣を呼び寄せるかもしれない。たかが平民。この国にいくらでもいる。

 平民なんて、ひょっとしたら召喚されるかもしれない犬猫よりも価値が、ない。

 そう思ってた。

 

 でも、コルベール先生の言った、あの言葉を聞いてから。

 この『出会い』を、信じてみたい。

 必然だというのなら。『運命』だというのなら。

 諦めたくなかった。

 

 

 今、この曲り角を駆け抜けたその先に。

 

 そこに――いた。

 

 

 

 

 

 中庭の、その真ん中。

 たったひとつ、月を見上げて佇む影。

 息を整えながらルイズはゆっくりとその影に近づく。五歩ほどの距離を開けて立ち止まった。

「ようやく見つけたわ。ここにいたのね」

 影はゆっくりとこちらに振り返る。月明りの逆光で、相手の表情が見えない。

「どうして逃げ出したの?」

 まだ黙っている。こいつに答える気がないなら別にそれでいい。やるべきことは他にある。

「これから契約よ。そこに跪きなさい」

「……声」

「は?」

 ようやく喋ったと思ったら何言ってんの?こいつ。

「夢の中で俺を呼ぶ声が聞こえた。何となく、お前の声に似ている気がする。あれはお前だったのか?」

「……何よそれ」

「答えろ。俺を呼んだのは、お前なのか?」

 こいつは私より背が高いから、あくまでも私を見下ろす。でも違う、ご主人様になるのはこの私だ。

「ええそうよ。何のことを言っているのかわからないけどあんたは私が『喚んだ』。貴族である私が、わざわざあんたなんかを召喚してやったんだから感謝くらいしなさいよね」

「そう、か」

 それだけ言ってまた空を見上げる。

 いい加減イライラしてきた。平民が私をなんだと思ってるのかしら!と思って何か言ってやろうとしたら、向こうが先に喋った。

「空っぽなんだ。俺は」

「はあ?空っぽ、って何それ?」

「召喚された、というからには、きっと俺はどこからか呼び出されたのだろう。けれど何も思い出せない。自分の正確な名前すら、どこに住んでいたのか。誰と一緒にいたのかさえわからない。頭の中になにも、ない。

 記憶≪メモリー≫すらも。俺は……」

 ふと、私の方を向いて。

「『ゼロ』なんだ。」

 

 ぷっちーーーん

 

 こいつ最後になんて言った?ゼロって?さっきからくだらないことをごちゃごちゃと黙って聞いやってれば好き放題い、い、い、言ってくれるじゃない?

 わなわなと肩を震わせ。

 さんざん無視してくれてもう我慢できないっ!

 

「私はねあんたの過去なんて微塵の興味も無いの一人語りもいい加減にしなさいよメモリーでもなんでも私の使い魔になればくれてやるわよってゆうかさっきさりげなくゼロって言ったわねあんた私をバカにしてるの!?だいたいあんたは背ぇ高すぎるのよ私が届かないじゃないいいからさっさとそこに跪きなさい契約だって言ってるでしょう!!」

 

 男の顔が、ほんの、ほんの少しだけ驚きの色を混ぜる。

「本当に……くれるのか?」

 あれ?何をあげるって言ったんだっけ?勢いで怒鳴って何言ったか覚えてない……まあいっか。

「ええ確かに言ったわ。だからさっさと跪きなさい」

 言われた通り跪く男の前に、ルイズは立つ。そして杖を向けて契約の呪文を唱える。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 ルイズは男の頬に手を添え、顔を寄せる。

「……?」

「いいからじっとしてなさい」

 ゆっくりと唇を近づけ、唇をそっと重ねた。そしてすぐに離れる。

 なぜか男の顔を直視できずそっぽを向く。何か変だ。こいつはただの使い魔なのに。頬が心なしか熱いのは、気のせいだろう。

「これで契約は完了したわ。光栄に思いなさいあんたはたった今から私の使い魔よ」

 立ち上がりながら。それと同時に、彼の左手に契約のルーンが輝く。

「なんだって……やってやるさ。俺に記憶≪メモリー≫をくれるのならばな」

 

 

「あんたの名前聞いてないんだけど、本当にそれも忘れちゃった?」

「いやそれだけは覚えている。こう呼ばれていた」

 

 

 

「HOPPER、と」

 

 

 

 艶やかな月夜の下、後に最強と伝えられる使い魔が、今ここに誕生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

「ところであんたが今身に着けてるのって医務室にあったシーツよね?一応聞くけどその下にちゃんと服、着てるんでしょうね?」

「……これか?」

「シーツのことじゃ無くて!!って、あんたまさか」

もぞもぞ

「脱ぐなああああああああああ」

 




空を飛びたい


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ep3 名前の無い男

実はこんな大変なことが起きていたのです。


 下草を踏みつけるカサカサという音。

 何かが擦り合わさるようなズリズリという音。

 それが男の聞いた「二人組の足音」

 普通なら知覚できないほどの微小音を感じ取ったのは、超感覚ともいえる男の聴覚によるものだった。若しくは緊張で神経が高ぶっていたのも原因かもしれない。

 

 

 足音の一つは外から聞こえる。そしてゆっくりと確実にこちらに近づいてくる。

 いつのまにか月は雲に隠れ、全てを黒で覆い隠してしまう。目に頼れない以上男は全身で警戒しながら外を睨みつけた。

 最初に感じたのは、気配。

「見られている」というより「観察されている」という感覚を肌で感じる。

 外にいるモノがこちらを見つめているだけで何もしてこない、ただそれだけで嫌悪感を覚えた。

 

 そこで男は気付く。いつの間にかズリズリという音が止んでいることに。「外にいる何か」に警戒するあまり、もう一方への注意を疎かにしていたのだ。

 耳をすましても何も聞こえない。暗闇に息を潜め、完全に気配を絶たれてしまった。

 闇を見渡す。

 ふと、微細な振動が空気を伝う。

 ――上か!

 男はとっさにベッドから転がり落ちた。

 重いものが落ちてきたドサリという落下音。ベッドは軋みを上げる。

 回避したのも束の間、落ちてきた襲撃者は再び男に向かって飛びかかる。

 襲撃者は男を床から力ずくで引き剥がし、仰向けの状態にして組み伏せたのと同時に、男の首を締め上げる。男も体を振り子のように揺らして反動をつけ、ごろごろと床の上を転がり、必死に抵抗した。

 男と襲撃者、上と下が激しく入れ替わった。

 執念深く喉を締め上げてくる。ギリギリと。窒息を待つ気はないのだろう、喉を砕くつもりだ。その証拠に、力がだんだん強くなっていている。

「が、あああ」

 転がりながら、相手を引き離そうと死に物狂いで襲撃者の腕を掴む。そして男が下になった瞬間、互いの体の隙間に足を入れて、襲撃者をおもいきり蹴り飛ばした。

 ぐえっ、という短い悲鳴。

 次いで壁にぶちあたったらしい鈍い音。

 両者とも、荒い息遣いだけが残る。それもやがて静まり沈黙が訪れた。

 互いに相手の出方を見計らう。

 耳が痛いほどの静寂のなか、最初に動いたのは襲撃者の方だった。

 軽い助走の音を聞きつけ、男はいつでも動けるよう低く身構える。

 接触の瞬間、掴みかかろうとする男の手を払いのけ、襲撃者は男の脇を走り抜けた。そしてそのまま、開いていた窓から飛び出してゆく。

「待てっ」

 窓際まで駆け寄り、窓から身を乗り出す。

 いつの間にか、雲の隙間から月が顔を覗かせている。さっきより明るいのはそのためか。

 窓の下は草の生えている地面。向こうの方には巨大な石壁、というよりは城壁のようなものが建っている。

 辺りを見渡して――見つけた。

 城壁のすぐ下、月明かりに照らされて走り去ってゆく人影が二つある。

 ベッド上のシーツを引っ掴み、体に纏う。窓を乗り越え、駆け出した。

 通常このような場合、逃走した相手を追跡することはあまり得策でない。こちらの準備もない上に敵の装備も明らかでない場合は、追いた先で反撃してきたら対処できないのだ。

 そんなリスクを背負いながら男は走る。

 心のどこかで声がするのだ。確証のない、直感じみたものが頭の中で囁く。

 追いかけろ、その正体を確かめろ、と。

 素足が土の感触を覚える。昼間に雨でも降ったのだろうか、草が濡れている。

 人影が不意に姿を消す。どうやらあの角を曲がったらしい。

 男もそれに続いて角を曲がると、広場のような広い空間が現れる。ちょうど広場のようなスペースの、ちょうど反対側。そこに襲撃者は待ち構えていた。

 

 

 

 向こうにいるのは、二人。おそらく外にいた奴が指示を出していたのだろう。ところが室内に潜んでいた仲間がしくじったので逃走したが行き止まりにあった、と。

 まずは、問わねばならない。

「なぜ俺を殺そうとした! 理由は何だ!」

 二人組のうち、一人がのっそりと前に出る。

「目的だとお?恍けんじゃねえ、手前ぇが一番よおく分かってんじゃねえのかあ!?もう組織なんて関係ねぇ。裏切り者を抹殺すんのは当然だろうが!!」

 野太く、低い声音だった。広い肩幅に、盛り上がった胸筋。黒尽くめの衣装に身を包んだ大男である。

「……裏切り? 抹殺?」

「けっ、知らねえフリすれば見逃してもらえると思ったのかあ?訳が分かんねえのは手前ぇの方だぜえHOPPER」

「HOPPER……ホッパー?それは俺のことを言ってるのか?俺はホッパーなんて奴は知らない人違いだ! 俺は」

 そうだ。俺はホッパーなんて知らない。そう呼ばれていた人の事も俺は知らない。勘違いで殺されかけるなんて冗談じゃない。

「俺の名前は」

 名前。

「俺の――」

 ――名前。

 どうして言葉が出てこない?

 俺は。

「誰だ。俺は、誰なんだ。俺の、俺の名前っ」

 思い、出せない。変だ。おかしい。なんで。これじゃあの悪夢の通りじゃないか!!

「HOPPER、それが俺の名前なのか?お前は俺を知ってるのか?頼む、教えてくれ俺は、一体誰なんだ!!」

「教えてくれ……って、ぅおい」

 黒い男は急に黙る。頭をぼりぼり掻き、また口を開く。

「こいつあ驚いたあ、本当に記憶喪失ってか。あー、『CROW』の奴が何か言ってたが………めんどくせえ。おい前出ろ、リベンジさせてやるよお」

 黒い男は後ろを振り返り、もう一人に話しかける。男の後ろから、そのもう一人が出てくる。

(何だあれは……!?)

 ホッパー。と呼ばれた男は戦慄する。

 少なくとも、ヒトではない異形。現れたのは人型はしていても、人にはまらない異形だった。

 一対の巨大な複眼、それに連なり二個三個。鼻があるはずの箇所に鼻はなく、代わりにぽっかり空いた穴から呼吸音が漏れている。全身を光沢のある黒いスーツで覆い、男か女かの区別もつかない。

「さあて自己紹介だあ。こいつぁ『SPIDER』ってネームでなあ、命令通りに動くただの木偶だあ。さっき手前ぇの寝込みを襲わせたのもこいつよ。

 昔なら余裕で倒せんだろうが、記憶≪メモリー≫もねえってこたあ変わることもねえ。んな今なら」

 こきっ、と首の関節を鳴らして。

「ここで死んどけ」

 

 

 

 それが合図となった。

 

 

 

「コ、コロ、コロロオオオオオオオオ」

 

 奇声を発し、スパイダーは上体を仰け反らせた、次の瞬間。口(?)から白い『糸』が吐き出された。束になって吐き出された何百という細かな『糸』は、動揺から立ち直れずにいたホッパーに、瞬く間に絡みつく。続いて二度、三度とスパイダーは『糸』を吐きかけてゆく。

 二重三重に『糸』が絡みついてゆく様子は、蜘蛛が獲物を緊縛してゆく過程によく似ていた。獲物は『糸』に捉えられ、人型の白い繭玉が完成してゆく。

 振り解こうとホッパーと呼ばれた男は必死でもがく。が、なかなか断ち切ることができない。

 それどころか、この糸。

「!? 締まる!」

 ギリギリと。足掻けば足掻くほど、より強固に頑丈に。身体の各所から何かが軋む音が聞こえる。耳に届く鈍い破裂音は、骨が砕ける破壊音だ。

「グ……!!グアアアアアア!!」

「やれえ」

 黒い男の端的な指示を受け、スパイダーは一度口蓋から『糸』を断ち切る。何重にも織り掛けられた『糸』は、作業を繰り返すうちに『綱』と言うべき太さにまで完成していた。

 その『綱』をスパイダーは両腕で抱え込むと、さっと身を翻した。『綱』は肩に背負う形になっている。間を置かず、スパイダーは『綱』を満身の力を込めて、背負い投げのように振り回す。

『綱』の先に捉えられているホッパーは宙高く舞い上がり、弧を描いて。

 

 ッドオオオン

 

 城壁に叩きつけられた。

「まだだあ。休ませんな。」

 再び宙高く放り上げ、今度は反対側の城壁に叩きつける。何かが潰れる音がして、衝撃の毎に人型の繭から、赤い液体が飛び散った。

「コオッ、コアッ、ッカア!」

「おぅ。もう充分だろうぜ」

 叩きつけが幾度も繰り返された後、ようやく黒い男は処刑の終止を宣言した。残虐な処刑の様子を終止薄笑いを浮かべながら黒い男は眺めていた。頃合いを見図ったのではない。飽きたのだ。

 スパイダーの手から『綱』を受け取り、手繰り寄せる。手繰り寄せてから、『綱』の先に絡んでいたモノを見て、大男はほうとため息をもらした。

 幾多の衝撃を受けたために繭は破れ、その隙間からホッパーの血みどろの頭だけが飛び出ていた。頸から下は繭玉に隠れているために胴体がどうなっているのかは判別つかない。が、二度と立ち上がれないボディになったのは確かだ。その証拠に、繭全体が赤く染まっている。

 大男はホッパーの耳元に口を寄せ、囁く。

「さっきの質問に答えてやんよお。今の手前ぇは『HOPPER』なんて名前ですらねえ、ただのカスだあ……………なんか言えよぉ。あぁん」

 立ち上がり、ホッパーの頭を踏みつけ、踵で詰りながら唾を吐きかける。もう、うんともすんとも言わない。

「死んだか…………おおぅ、のこ様子じゃあボディは使いものにならねぇな。こいつの頭だけ回収しとけ。帰ってCROWに報告だあ。HOPPERなんてもんじゃなくて、いたのはただのカスでしたってなあ」

 ぺっ、とまた唾を吐く。胸に憤懣が溜まっていた。

 鬱屈とした気持ちで、ホッパーに背を向けた。スパイダーもそれに続く。

 黒い男は、ホッパーがスパイダーの糸につかまった時点でホッパーを見限っていた。昔の奴ならそんな隙を見せずに対峙した相手を瞬殺していただろう。やはり記憶≪メモリー≫を失くし、変わることの出来ない奴はただのゴミカスに等しいのだ。がっかりだ。

 スパイダーはスパイダーでさっきの殺しの感触を思い出していた。無抵抗をいいことに一方的に壊した命。いままで指令に従って実行してきた殺しでも、とりわけ新鮮な感覚を。

 そこにスパイダーにだけ聞こえた、殺したはずの男の声。

 

 

 

 

 

「まだ、だ」

 ありえない。さっきちゃんと殺した。

「まだ、終わってない」

 また聞こえた。スパイダーは瞠目する。

 そこで見た光景は、立ち上がろうとしているホッパーの姿。

 ぶちぶちと、縛めを引きちぎりながら。

 眼光だけは相手を睨みつけたまま、昔のままに変わらないまま、肩についた最後の拘束をふり払い、完全に立ち上がる。

 腹部に現れたベルトが、赤く発光していた。

 

 

 何人も何人も何人も、スパイダーは指令に従ってターゲットを完璧に始末してきた。拘束を破った者など誰一人としておらず、ましてあの叩きつけをくらって生き残った者などこれまでにいなかった。

 なぜ、生きている?

「どうしたぁSPIDER? 頭ぁ捥ぎとんのがそんなに手間かぁ?」

 立ち止まった部下の異変に気付き、黒い男は後ろを振り返る。そこでスパイダーの肩越しに、立ち上がったホッパーの姿を見つける。

 ホッパーとの対決を、心待ちにしていた黒い男ではあったが、期待を裏切られた今では、見苦しく無様なものにしか見えない。

「そのままくたばってりゃいいのによお、中途半端に起動しやがってこの死に損ないが。

 やれSPIDER。今度こそ確実に殺せ」

 

「コロロオオオオオオオオ」

 

 指令を受けてスパイダーは奇声を発し、再び糸を発射する。だがそれよりも早くホッパーは動いていた。

 

「二度も」

 横っ飛びに転がり、糸の直撃を避ける。

 

 回避されたことに驚愕するスパイダー。

 掠め飛んでいく拘束糸を捉え、両足に力を込めて、ホッパーは力任せに引っ張る。

「同じ手が通用するかぁぁあああ!!」

 一本釣りの要領で、急激に引き抜かれたスパイダー。『糸』を切り離す余裕も無く、うなりを上げて外壁に激突した。

「コオッ!!」

 弧を描かぬ直線軌道で全身を打ち付けられ、スパイダーの全身が麻痺する。幾多の敵を葬り去ってきた同じ方法で今度は自分が追い詰められていた。

 完全に腑抜けたスパイダー。

 その隙を見逃さず、ホッパーは距離を詰め、スパイダーの頭部を掴んでもう一度。

 

「ッらアッッッ!!」

 

 さっきのお返しとばかりに、壁に叩きつけた。

 頭部に衝撃がはしり、スパイダーの視界が揺れる。膝の力が抜け、倒れんとするところに。

 拳を振り上げたホッパーは。

 殴る。殴る。殴る。殴って、殴って、殴りつけた。

 ジャブ、ジャブ、ストレート。バッティング、ローブローフックパンチ、アッパーカット。

 反撃を許さない超連続の猛攻打。

 スパイダーの複眼は潰れ、顎(?)は裂け、顔のあちこちが変形し、どす黒い体液があふれ出す。猛攻を前にして、スパイダーの反撃の余地は皆無だった。

 ホッパー自身も、自分が何をしているのか理解が追いつかない。傷が回復したことや腰にベルトが出現したことにも気づかない。なぜこんな力があるのかと疑問を持つ思考など無く、凶暴性だけで拳を振るう。

 そして右拳を固めて振りかぶり、渾身の一撃を。

 総身の力を込め、撃ちだした。

 殴!!

 最後に振り上げた右ストレートはスパイダーの顔下半分を、派手な音を立てて粉砕した。

 

 

 そこでようやくホッパーは止まった。

 

「ハッハッハッハッハッ」

 

 ゆっくりと、相手の顔面にめり込んだ右拳引き抜く。支えを失い、ずるずるとスパイダーは崩れ落ちる。壁に寄りかかったまま動きを止めたスパイダーの正面に立ち尽くし、荒い呼吸を繰り返す。

 

 

「ハァハァハァハァハァ」

 

 

 

 そしてふと、自分の手を眺めた。敵の血に染まった、両の拳。

 

 それを見て、頭の中に沸き立つもの。

 

 赤黒く染まった己の手。

 

 その手で砕いてきたソレは飽き果てるまで狩り尽くした。

 

 何度も何度も。この脳に馴染むまで繰り返した感覚。

 

 

 

 

 立ち昇る黒煙。

 燃えさかる朱の炎。

 甘酸っぱい血の匂い。

 引き裂かれた肉の残骸。

 幾多の死骸を築き上げ、戦場を闊歩するその者の名は―――

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 

 

 

 これが俺の記憶≪メモリー≫なのか?

 この血まみれの手を、俺は知っている。いままでの戦闘も、その技術も全て理解している。

 記憶≪メモリー≫を失くす前、俺は何を……?

 

 

 

 

「止めさした相手の弔いのつもりかあ?にしても背中を晒すたあ余裕じゃあねえか、ああHOPPER?」

 後ろから浴びせられた嘲りによって、ふと我に返る。

 そうだ、まだ終わってない。敵はもう一人いる。

 振り返り、黒い男を睨みつけた。

「まさか半端な起動でSPIDERを倒すたあなあ。しかも短時間で、あれだけの速度で自己修復できりゃあたいしたもんよ……状況が変わったってCROWに報告だなあ」

 部下が倒されたにも関わらず、どこで嬉しんでいるのような口ぶりだった。

 次の瞬間、黒い男はぐっと身を屈め跳躍した。人間離れした脚力で城壁の高さを跳び越えて、黒い男はその向こうへ。

「待て、逃げるな!」

 追いかけようと駆け出すも。

「今夜はお開きだあHOPPER!!さっきも言ったろお状況が変わったってなあ。

 ああそうだあ、めんどくせえが手前ぇを殺すのはこの『BEAR』様だあ、首洗って待っとけえ!!」

 逃がすつもりはない。左右に眼を配る。が壁の向こうに通じるような出口は見当たらなかった。焦りが思考を追い立てるうちに、敵の気配もやがて消えた。

 

 

 

 

 

 

 易々と取り逃がしてしまった、その悔しさに思わず歯噛みする。ベアーと名乗った黒い男は、自分をホッパーと呼んだ。明らかに俺について何か知っていた。捕まえて吐かせれば何かしらの情報は得たはずなのに。

「……くそっ」

 スパイダーから情報を聞き出そうとしたが、ベアーの逃走に気を取られ、後ろを振り返った時には、大量の血痕だけを残してスパイダーはいなくなっていた。どうやら回復速度は大したものらしい。

 その血痕も、『糸』も自分の拳に付着した分も含めて、白い蒸気を吹きだして消えてなくなってゆく。ホッパーは気付いていないが、いつのまにかベルトも消えていた。

 改めて辺りを見回せば、思った以上に被害が少ないことに気付く。あれだけ大暴れしたというのに誰一人として駆けつけてこない。目撃されるより遥かにその方がありがたかったかもしれないが。

 結局、自分の過去についても敵の正体についても何もわからずじまいだった。思い出したことと無理やり定義づけるならば、「HOPPER」の名と血に染まった拳を目にした時のあの感覚。あれが俺の過去の記憶だとするなら俺は、一体何者であったのだろう。

 手がかりは、無い。

 だがベアーは言っていた、「待っていろ」と。あの言が真実ならば、そう遠くないうちに、また会うことになる。その時俺は、記憶≪メモリー≫を取り戻すことが出来るのだろうか。己が何者であるか、知ることが出来るだろうか。

 思考の海に沈むうち、何時と言うことも無く月が浮かぶ夜空を見上げていた。

 そうすること暫く。

「ようやく見つけたわ。ここにいたのね」

 月下に響く少女の声。

 

 

 

 

 ゆっくり、振り返る。この声、どこかで聞いた気がした。

 月明かりを浴びて、一人の少女がそこに立っていた。桃色髪に白い肌色。そして随分、背丈が小さい。必然的にこちらが見下ろす側になる。

「どうして逃げ出したの?」

 若干呼吸が乱れている。平然とした様子でいるが、額に汗が光っていることからまるで全力疾走でもしてきたかのように思われた。

 それにしても「逃げ出した」とは何のことだ?ベッドに寝かされていたあの部屋から断りも無く出て行くとは何事だ、と言ってるのだろうか。

「これから契約よ。そこに跪きなさい」

 契約?それもいきなり「跪け」とは一体なんのつもりだ?

 …………

 ………

 ……

 …

 ああ。

 思い出した。

 この少女。「一人にしないで」と夢で聞こえた、あの。

「……声」

「は?」

「夢の中で俺を呼ぶ声が聞こえた。何となく、お前に似ている気がする。あれは、お前だったのか?」

「……何よそれ」

「答えろ。俺を呼んだのは、お前なのか?」

 少女は少し黙り。

「ええそうよ。何のことを言っているのかわからないけどあなたは私が喚んだもの。貴族である私が、わざわざあんたなんかを召喚してやったんだから感謝くらいしなさいよね」

 召喚?呼んだではなく喚んだと。

 ならば。一人にしないで、と俺に告げたのはこの少女ではなかったのか。

「そう、か」

 ………俺は結局、何も求められなかったのか。

 …………

 ………

 ……

 …求められなくとも、この空っぽな心を埋める何かを問うことはできる。

「空っぽなんだ。俺は」

「はあ?空っぽ、って何それ?」

「召喚された、というからには、きっと俺はどこからか呼び出されたのだろう。けれど、何も思い出せない。俺の名前、どこに住んでいたのか、誰と一緒にいたのかさえわからない。記憶≪メモリー≫すらも。俺は……俺の”中身”は………『ゼロ』なんだ。」

 何やら視界の下で喚いているがいっこう構わない。問うたところで何も返ってこないと、この少女もさっきの連中とほとんど変わらないというのに、俺は一体何を期待していたのだ。分かっている結果なのになぜ、俺はこうも空しさを覚える?

 そんな中聞き流していた罵詈雑言の、ふと耳に届いた言の葉。

「記憶≪メモリー≫でもなんでも、私の使い魔になればくれてやるわよ!!」

 今なんと?使い魔になれば?

 思わず目を見開く。

 俺のこの空っぽの記憶≪メモリー≫を埋めるものを、俺を召喚したというこの少女は持っているというのか。

 向き直り、改めて観察した少女の容貌。

 矮躯に、桃色髪に、鳶色の瞳。その表情に、恐れの気色の一変も無し。

「本当に……くれるのか?」

「ええ確かに言ったわ、だからさっさと跪きなさい」

 使い魔。おそらくは僕の事。僕として仕えることが条件と言うのか……ならば迷わない。取るべき道は定まった。

 膝を折ったその姿勢は、主人に仕えることの意志表明。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。

 この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 呪文のようのものを唱えた後、両頬に手をあてがわれ、顔を上げさせられる。

 何をするつもりだ?

「いいからじっとしてなさい」

 顔と顔が近づき、息がかかるくらいの距離になり。

 ――唇が触れた。そしてすぐに離れる。

「これで契約は完了したわ。光栄に思いなさい。あんたはたった今から私の使い魔よ」

 使い魔、か。顔を背けながら言われても実感が湧かないが……それもいい。どうせ行く当てもない身だ。

 ここにいる意味があるならば俺はオマエの望みを叶えてやろう。この血肉、必要とあらば幾らでも捧げよう。

 

 

「なんだって……やってやるさ。俺に記憶≪メモリー≫をくれるのならばな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたの名前聞いてないんだけど、本当にそれも忘れちゃった?」

「いや覚えている。こう呼ばれていた。『HOPPER』、と」

 




いまさらですが彼はZXではないです。タイトルどおり十番目に「なれなかった男」ですので筆者オリジナルとなります。一応「仮面ライダーらしさ」を意識して作ってはおりますが、やはり無理やりな感じは否めません。dekeの力不足です。


さて、dekeが描く「HOPPER」の人物像を思索するにあたっては明確にこれといったモデルは存在しません。強いて挙げるとすればdekeが思う「苦悩する人間のイメージ」が元になっています。他は様々な資料や作品からパ……参考にさせていただきました。






4/23追記 明日19:00に「ep4 ワンダフル・モーニング」を投稿します。




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ep4 ワンダフル・モーニング

 ルイズが契約をしてすぐ、コルベールが中庭に姿を現した。

 額から頭頂部にかけてきらきらと。月の光を反射していることから、窓から飛び出していった生徒を探してあちこち駆け回ったらしい。だが不思議なことに、汗の量に反してまったく息切れを起こしていない。

 

「ようやく見つけましたよ。急に飛び出していったと思ったらこんなところに……まったくあなたという人は」

「すみませんコルベール先生」

 ルイズは謝罪の言葉を口にする。

 まあいい事にしておきましょう、とコルベール。

「こうして何事もなかったのですから……ところで後ろの彼とは契約≪コントラクト・サーヴァント≫を完了したのですか?もしまだだということなら」

「いえ、ちゃんと契約≪コントラクト・サーヴァント≫しました」

「ふーむ、本来は立ち合いが必要なのですが……いいことにしましょう。では使い魔のルーンを確認します。君、ちょっと見せてください」

 ルーン?といった顔を使い魔がしているのに気付いたルイズは説明した。

「さっき左手に何か光ってたでしょ。あれ見せて………言っとくけど脱がないでよ」

「……ム」

 心外だとばかりにホッパーは黙って左手を差し出す。

「ふむ、これは珍しいルーンだ……少しスケッチしてもよろしいですかな?」

 ホッパーは左手甲に浮かんだ文様をじっと見つめた後、ルイズの方を見る。彼が主人の許可を求めているのだとルイズは気づき。

「いいわよ。別に」

 とりあえずお許しが出たので、コルベールはホッパーの手の甲のルーンをなにやらふむふむ言いながら紙にスケッチする。

 それが終わると。

「このルーンについては後で私が調べておきましょう。あと……あっ、失礼ですがお名前を伺っておりませんでしたな」

「ホッパー、だ」

「ではホッパー君、あなたに新しい衣服を用意してありますから、持っていってください」

 次にルイズに向き直り。

「今回は私の同行という事で特別に許可しましたが次はありませんよ、ミス・ヴァリエール。就寝時間はとうに過ぎています。さ、部屋に戻って休みなさい」

 休息をとるように促した。

 コルベールがルイズに同行していたのは、深夜ルイズが夜中に学院内を、こっそり徘徊していたのをコルベールが発見したからであった。

 三日前に召喚してから、未だに目を覚まさない使い魔の容体をみようと、ルイズは就寝時間間際にこっそり寮を抜け出して医務室に向かおうとしていた。ところが当直で学院内を見回っていたコルベールに運悪く出くわしてしまったのだ。

 本来ならば罰則を与えられて然るべきだが、事情を汲んだコルベールが「当直が同行する」という条件付きで特別に許可したので(結果的に罰則をも免れることにも成功)、一緒に医務室までやってきた、という顛末である。

「そうします。コルベール先生、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 ルイズがぺこりと頭を下げ、この場は解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 幸いにも寮長に夜間外出を見つかること無く、ルイズは無事に部屋まで辿り着いた。途中で衣類を受け取るためホッパーがコルベールについて行った以外、別に何もない。

 燭台に灯りを灯してから、ルイズは椅子に腰かける。そしてテーブルに頬杖を突き先程自分の使い魔となった男を眺めた。

 しゃべることも無く静かに立っているこの平民改め使い魔。

 使い魔と言っても自分が召喚したのは幻獣の類ではなくただの「平民」であった。しかも召喚したときには血みどろで瀕死の状態だったときている。

 若い男だ。ぼさぼさの黒髪と、目鼻立ちの通った精悍な顔つき。すこし日に焼けているところが男ぶりを増している。それでいて野暮ったい印象が無いのは、農民ではなく町の出身だからだろうか。

 甲斐甲斐しく医務室に足を運び、看病したり高価な薬を取り寄せたりとなぜあそこまでの情けを掛けたのかと今更ながら疑問に思う。

 思わず溜め息がでた。

「疲れているのか?なら、眠った方がいい」

 何にも知らないような顔で、ルイズを気遣うそぶりをみせるこの使い魔。

 誰のせいだと思ってるの!!と声を上げそうにそうになるがそこはぐっ堪える。

 命を救ってやった事実をこの平民に伝えれば、教養のない平民にしても感謝の言葉一つくらい口にするだろう。だがルイズはそれをしない。主人は使い魔の忠誠に応え、使い魔は常に主人に感謝を奉げるのは当然のこと。当然のことを改めて感謝されるのは貴族の、いや主人としてのプライドが許さない。

 つまりこのまま威厳を保ち、かつ主従の関係をはっきりとさせる必要があるのだ。

「別に疲れてなんかないわ。ただあんたの扱いをどうしようか決めてただけよ」

「……そうか」

 返事は不愛想。まあいい、言う事をこっちが先に言ってしまえばいいのだ。

 

「じゃ、あんたについてこれからの事を話すからよく聞きなさい。まず食事。私に逆らわない限り、とりあえず朝昼晩の三食は補償するわ」

 

 罰として飯抜きも有りだという事を事前に示す。最初に食事の話をしたのはそれさえ保証しておけば大概の平民はいう事を聞くと思ったからだ。名誉と誇りよりも金か食、これがルイズの平民に対する認識だった。

 

「次に寝るところ。隣に部屋を用意したから、あんたはそこで寝起きすること」

 

 通常、使い魔は主人とおなじ部屋で生活を共にする。しかしこの場合、使い魔は人間であり性別は男である。成人男性と同居では、さすがに不味いと急きょ特例で、実家の都合で学院を退学した女子生徒が使っていた部屋を、ルイズの使い魔専用としてあてがったのである。

 

「これで最後。一生をかけて私に仕えなさい。私の下から離れるなんてことは絶対に許さない。いいわね」

 

 やっと出会った(平民とはいえ)使い魔なのだから。とは決して言わない。

「…………」

 使い魔は、主人が話している間一言も口を挟まなかった。確認をとることもしない。

 文句を付けられるだけ面倒なのだが、使い魔がもう少し何か言ってくると予想していたルイズは少々拍子抜けした。

 まあ、別に不満がないならそれでいい。ただ男の黒い瞳が、ルイズをじっと見据えて放さない。

 椅子から立ち上がり、話はこれで終わりだと一言。寝衣の用意をさせた後、ドアを開けて使い魔に部屋を出ていくように告げる。ただの召使いならまだしも、この使い魔(成人男)にレディの着替えを手伝わせるつもりはなかった。

 使い魔が回れ右して退出しようとしたときに、そこでようやく大事なことを言い忘れていたことに気付く。

「あぁ、あとそれから―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『―――明日の朝に洗濯物をメイドに預けること。その後に私を起こしに来ること。わかった?』か」

 前者は普通だ。だが後者については。なんともまあ。

 子供っぽいというか。

 二つの月は山の向こうに沈み、今は日の出を待つばかり。

 主の部屋の前に立ち、昨夜のことを思い出す。かなり尊大な口調で言われた条件其の三。

 

 

『私の下から離れるなんてことは絶対に許さない。いいわね』

 

 

 前にも似たようなことを言われた。正確には、一人にするな、とあの夢の中で。本人は否定していたがやはりあれはルイズではないだろうか。

 いやしかし。考えても仕方がない、か。ともあれ頼まれごとは実行せねばなるまい。

 ドアノブに手を掛けてゆっくりと回す。

 

 がちっ

 

 鍵が。

 

 がちゃがちゃ

 

 洗濯物を取りに来いと言いつけておきながらながらドアに鍵を掛けたな我が主人。そもそも昨夜の時点で自分に預けておいてもよかったのではないか?そもそも合鍵すら受け取っていなかった、と思わず手に力が入る。

 それがいけなかった。

 

 ぎりぎりぎりりりりり  バッキャン

 

 何かが破壊されたような音と同期して、右手が感じていた負荷が消える。しかし未だ右手にある金属の感触。何だと見てみると。

 若干変形したドアノブ、とそれにつながる施錠部分。

 ドアから外れてまるごと『ホッパー』が握っていた。

 そしてドアノブが収まっていたはずの箇所を視れば、木目にそって見事にささくれている元ドア。

「…………」

 普通の大人がちょっと力を入れたところで、ドアは壊れるものだったろうか。ふつうありえない。考えられることは、元から壊れやすかったという事。

 ということは。

 材木が腐っていたのだ、きっと。

 一人うんうんと頷いて納得するホッパー。ドア材木部腐食の件についてはルイズに報告すると決めて、とりあえず入室する。

 部屋に入りまず目につくのは、奥に設置されているベッドの上ですやすやと寝息をたてて、眠りについているルイズである。ドアが破壊された際かなり大きな音が出たはずなのだが、それに気づかず睡眠を続行するとは、主の眠りは相当に深いらしい。ドア材木部腐食による破損事故の報告は後になりそうだ。

 そして次にルイズが昨夜着ていたシャツやら下着やら入った洗濯物の入った籠を化粧台の前に見つけた。

 これをもっていけという事だろう。

 手に持っていたドアノブをテーブルの上にそっと置き、籠を手にする。

 とりあえず次の目標は、洗濯物を引き取ってくれるメイドを発見することだ。

 

 

 

 

 

 そっとドア(壊)を閉め、廊下を渡り、階段を下って寮棟から出る。そして建物内へ。

 朝特有のひんやりと湿った空気で廊下は満たされていた。その中を、一人彷徨う。

 昨夜、衣服を受け取るためコルベールという中年の男に同行した際にこの建物の構造については説明されていたが、実際に歩いてみるとやはり勝手が違う。ましてメイドが待機している場所なんて聞いていなかった。第一廊下と言っても石造りと相まって殺風景すぎる。装飾といってもたまに額縁に収まった絵画が壁に掛けてあるくらいだ。

 それに、さっきから歩き回っているというのに誰ともすれ違わない。朝のうちに洗濯物を届けておけという事は、洗濯が早朝のうちに行われるからだろう。という事はそもそもメイドが取りに来ても良いのではないのだろうか。などと云々。

 そうしているうちに廊下のむこうから、何やら白くてゆらゆらしたものが現れる。

 よく見れば、ゆらゆらしているものは籠にうずたかく積まれた洗濯物の山だった。さらに言えばその洗濯物が乗っかっている籠、の下から人間の足が二本覗いている。大量に詰め込んだ洗濯物が抱えている人の姿を隠してしまっている。

 なにやら「おっとっと」とか言いながら、声からして女性だろうか、右にふらふら左にふらふら。それに合わせて山も右に左にゆらゆら。見ていて相当危なっかしい。

 と、ホッパーが思っているうちに。

 ついにバランスを崩して、コケた。

 さらに運の悪いことに、崩れた洗濯物の山が、転倒した運搬者の上にどさどさ降り積もる。

 

 わーわー

 きゃーきゃー

 じたばたじたばた

 

「…………」

 さながら一人コントのような珍事を見せつけられたホッパーは暫し呆然とした。早朝廊下のど真ん中で人間が洗濯物に埋もれている。もし人に事情を聞かれたらどう回答したものだろうか。

 まさか見捨てて放置するわけにもいかないので、埋もれた人物を洗濯物のなかから救出するべく発掘に取り掛かる。

 かき分け。

 白いカチューシャ、黒髪。

 かき分けかき分け。

 そばかすのついた少女の顔。そしてエプロン。あつらえたようなメイド服――

 …………もしやこの少女は。

 

 確認のため、少女の腋に手を差し入れ、そっと高い高ーいの要領でそっと持ち上げてみる。

 

 確認して。

 確認したうえで、だ。この格好は間違いなく。

「メイド、だ」

 メイドを発見した。あとはこの洗濯物をこのメイドに託した後、ルイズを起こしに戻らなくてはならない。だがこのメイドは一人では抱えきれない量を抱えていた。現にさっき転んでいる。

 ルイズの言いつけを守らなくてはいけないとはいえ、ここはやはり運ぶのを手伝ったほうが良いだろうか。

 そう思う一方、記憶はなくしていても「メイド」がなんなのかは覚えているのだな、とホッパーは思う。自分の本当の名前も思い出せないくせにと、何だか滑稽な気がしてくる。

「あのう、そろそろ降ろして頂けませんか?」

「ム、すまん」

 そういえば抱え上げたままだった。すとん、と少女を床に降ろす。

「どうして私持ち上げられたんでしょう……あ、ええと、助けて頂いてありがとうございました。」

「いや、こっちも失礼なことをしてしまった。すまない」

「そんな、謝らないでください。全然気にしていませんから……あ、もしかしてあなた、四日前に召喚されたっていう、ミス・ヴァリエールの使い魔さんですか?」

 メイドはホッパーの顔をみて思い出したというように。

 瞳に好奇心を宿しているのが見て取れる。

「知っているのか。俺の事を?」

「それはもちろんですよ。使い魔召喚の儀に平民が召喚された、って使用人たちの間ですっかり噂になってるんですから」

 ――有名になったものだ。

 望んだことではないにしろ、だ。

「でも本当に人が召喚されるなんて…誰かがふざけて流した噂だってそう思ってたんですけど」

 そう聞かされて、疑問がわいた。

「俺一人だけ、なのか?他のみんなはどうなんだ?」

「えと、召喚の儀は毎年恒例の行事ですし、それに召喚されるのはたいていが動物か幻獣です。人が召喚されたっていうのは聞いたことありませんね。ひょっとしたらオールド・オスマンなら何か知っているかもしれませんが……」

「そう、か」

 一つ尋ねただけでここまで答えてくれる。おしゃべり好きというのは年相応の少女らしい。

 とりあえずこの会話で分かったこと。

 其の一。召喚によって人が召喚されることはめったにない。自分はその特殊な一例である。そしてこれ以上の情報はない。

 其の二。このメイドは人が善い。初対面の自分にも丁寧に接してくれている。少なくとも、初対面にもかかわらず跪けと命令してくる誰かさんよりは、だ。

 其の三。オールド・オスマンに訊ねれば何かが判る。

 

 さて。

 

「もう一つ聞いてもいいか?」

「はい。私が答えられる事でしたらなんでも!」

 再びメイドの好奇心の炎が燃え上がったようだ。分かったこと其の四、このメイドは世話好き。

「洗濯場を、知らないか? 洗濯物を持って行けといわれて、ずっと探して歩き廻ってたのだが」

 そこで、メイドの顔色が変わった。そう、だんだんと青ざめているような。

「……どうした?」

「いけない忘れてましたああああああ」

 

 わたわたあたふた

 

「洗濯! いそいで!! 持っていかないと!!!」

 急に慌てだした。

 しゃがみこんで、籠を引き寄せ、洗濯物をかき集め。しかしそのあまりの量に、乱雑に詰め込むせいもあって、籠に収まりそうにない。

 それを見たホッパーは、床に散乱している洗濯物に手をのばし軽く畳んで籠に放り込み始めた。

「……手伝おう」

「いいえそんな!仕事ですからこれは私が全部――」

「ルイズは、俺の主人は、洗濯物をメイドにあずけろ、と俺に言った。

 洗濯場まで持っていくなとも言われていない。だから君を手伝ったとしても、なんの問題ない」

 メイドの言葉を遮り、ホッパーは言う。

 誰かの手助けをする、誰かに喜ばれそうなことをする。それでいい。何となくだが、それが当たり前でとても自然な気がする。

 数十秒後。

 お互い黙って作業に従事したおかげで、あんなに散らかっていた洗濯物がきれいに二つの籠に収まっている。布というものは雑に詰めるから嵩張る。簡単にでも畳んでしまえばそうそう山になるものでもない。

 結局、洗濯場は近くにあった。メイドに連れられ、今通ってきた廊下を戻ったところにある角を左に、突き当りをまた左に行ったところに洗濯場はあった。

 どうやら目的地の周りをぐるぐる回っていただけらしい。どうりで辿り着かない訳だ。

 籠を他のメイドにあずけ、さてルイズのところに戻ろうとしたホッパーに、声を掛けるさっきのメイド。

「あのう、ええっと」

 そういえば、お互いに自己紹介を済ませていなかった。

「ホッパー、だ。そう呼んでくれて構わない」

 本名かどうか怪しいのでこういう言い方になる。そんなニュアンスを込めた言い回しに気付いたようでも無く、メイドは微笑んだ。

「えと、ホッパーさんですね。それじゃ改めまして、私はシエスタと言います。この学院でメイドとして働かせて頂いております。よろしければこれからも仲良くしてくださいね?」

「こちらこそ、よろしく、頼む」

 シエスタ、か。ここにきて誰かに対してまともに口をきいたのはこのメイドが初めてかもしれない。従うと決めたルイズ以外の誰かと関わりを持とうなど考えもしなかった。

 手伝いを申し出たのも、ただの気まぐれか。否、シエスタには人を引き付ける不思議な魅力があるように思われる。例えば、不愛想そうな初対面の相手にしても、だ。

 くすくすと。メイドは楽しそうに笑う。

「そんなにおかしいか?」

 何か言い方がまずかっただろうか。

「いえ、そうじゃなくって。今のホッパーさん、ちょっと照れてぎこちないように見えたものですから」

「……ムゥ」

 そこに、シエスタ早く来て―と水場の方から声がかかる。なかなか仕事に加わらないので、メイド仲間の一人が痺れを切らしたのだろう。

 シエスタは、はあいと返事をして。

「それじゃまだ仕事が残っていますので、私はこれで失礼します。手伝って頂いてありがとうございました」

 別れの挨拶も笑顔のまま。ぺこりとお辞儀、回れ右して、他のメイドと一緒に作業に加わるべく水場へ駆けてゆく。

 どうせおしゃべり好きな彼女の事だ、仕事をしながら同僚とのおしゃべりに花を咲かせるのだろう。きっと微笑みながら、だ。

 

 

 ふと空を見上げる。

 雲一つ無い晴れた空だった。夜が終わったのだ。東の空を白光で染めながら、日はまた昇る。

 




今回の投稿でストック切れです。次回の更新は遅くなりそうですが、また読んでいもらえると嬉しいです。



5/5、19:00に「ep5 ふりむけばアクユウ」を投稿します


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ep5 ふりむけばアクユウ

 建物から出、寮棟に入り、階段を上がる。一度通った道筋なので特に迷うこともせずルイズの自室前に至る。

 さて、一度声をかけてみる。ひょっとしたら目を覚ましているかもしれない。

「ルイズ、起きているか。朝だ、起こしに来た」

 しかして返事は無し。

 ドア(破)を開け、入室する。

 ベッドに近づけば睡眠休養中の主の姿。毛布にしっかり包まっている。くっくべりいがどうとか寝言をむにゃむにゃ。

「…………」

 人を眠りから覚醒させる効果的な方法は何か。答えは簡単、日光を当ててやればよい。

 ベッドの反対側に回り、カーテンを開ける。途端に薄暗かった部屋がぱっと明るくなる。次いで窓を全開にすれば、新鮮な朝の空気が夜のうちに溜まった不快な熱を排出してくれる。

 ここまでやればどんなに目覚めが悪くても――

「すうすう」

 ……あまり使いたくなかったが。

 人を眠りから覚醒させるもっとも効果的な方法。

 実に明解。

 安眠を保障する毛布を取っ払え、それに続くアクションがあれば猶良し。

 つかつかと、ホッパーはベッドに歩み寄る。そして無言のまま、毛布に手を掛け思いっきり引っ張った。毛布にくるまっていたルイズは、さながら独楽のようにきりきり空中で舞ったのち、ベッド上に落下する。うにゃーなんて悲鳴が聞こえたが気にしない。

「おこしに来た。起きろ。朝だ」

 むくっと起き上がって、寝惚け眼で辺りを見渡すルイズ(軽度涙目)。

「ほえ?なに?何事? あんた誰?」

「おこしに来た。起きろ。朝だ」カタコトになるホッパー。

 傍らに立つホッパーを見、ルイズはうーともあーともつかない生返事をした。睡眠から強制的に覚醒させられたのが原因か、目つきが相当凶悪なことになっている。目線こそホッパーに向けているが、焦点がまるで定まっていない。機嫌が悪いのではなく、ただ目覚めが悪いだけなのだとホッパーは気づいた。

「もう一回、グルグルするか?」

 手にした毛布を、闘牛士の如く掲げるホッパー。それを見て、ルイズの顔が引きつった。どうやら危険を予測する程度には、意識が覚醒したようだ。

「いい。もういい、やめて」

「ム、そうか」

「次からは普通に起こしなさいよ」

「…………」

「主の寝所へ入ることを、あんたは許されているのよ。もう少し私を敬いなさいな……服、とって」

 ホッパーに着替えを手伝わせながら、ルイズは言った。

「次、下着………こっち見ないで」

「…………」

「スカート……ブラウスは、そう、その引き出しに入ってるから」

 脱いだ寝具をベッドの上に放り、クローゼットからブラウスを取り出させ、袖を通す。パリッとのりのきいた服は、着ていて心地よかった。

「マントも」

「…………」

 まただんまりか、とルイズは思った。

 ホッパーは騒いだり、逆らったりしないだけこちらも楽なので、つい色々言いつけてしまうが、主の呼びかけに返事をしないのとではわけが違う。この使い魔は、言われたことはきちんとこなすが、本当にただそれだけなのだ。

 洗濯物を出しおけ、朝起こしに来いという命令は確実にこなしている。気になるのはその後の報告や、承認を求めるような行動が一切ないことである。それがことのほか不気味だった。

 ただの平民にしては、愚につきすぎているのではないだろうか。それとも無口なのは元来の性格で、貴族の命令に唯唯諾諾としたがうのは平民として育った愚直さが為せることなのか。

「そうね。次なにか私に無礼を働いたら…」

 着替えを終えてからルイズは言った。思案する振りをして、少々わざとらしく腕を組んでみせる。その時ちらりとホッパーの顔色を窺ったが、ホッパーは相変わらずの無表情だった。

 と同時に、心のどこかで嗜虐心のような感覚が沸き起こる。脅かしてみればこの使い魔の、なにか感情を見せるかもしれないといった、半ば稚気じみた嗜虐心がそうさせた。

「食事抜きの罰を与えるわ。胆に銘じておきなさい」

「…………」

「返事は?」

「……ムウ」

「『ムウ』じゃないでしょう。返事は『はい』、もしくは『わかりました』よ」

「………『はい』。『わかりました』」

「本当にわかってるんでしょうね…」

 返事が妙にカタコトのように聞こえたが、気にしないことにした。

 どうやらこれではっきりした。平民は平民、結局は自分の頭で考えることをしない。この使い魔もそれに当てはまるのだという予測は、この後、過ちであったことをルイズは知ることになる。

 

「で、このドアは何?」

「ああ…………………開けたら壊れた」

「ふぅん。他に言うことがあるんじゃないかしら」

「木材が腐っている。取り替えるか、早く修理したほうがいい」

「もういいわ。ドアを壊したご褒美よ………罰として食事抜き!」

「いや待て。褒美と罰では意味が違」

「うっさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようルイズ。朝から賑やかね。廊下にまで響いてたわ」

 ホッパーがルイズと連れだって廊下に出たところに、後ろから声をかけられた。女の声である。途端にルイズが露骨に顔をしかめたのを、ホッパーは見逃さなかった。

 そのままルイズは歩き出す。やや早足だった。一刻も早くこの場を立去りたいという意図が見て取れる。

「ちょっと、無視しないでよ」

 と、声をかけてきた人物はそう言った。同時に駆け足の音がしたとホッパーが思った時には、その人物はホッパーを追い越し、素早い動きでルイズの前に割り込んでいた。

 赤髪に、褐色の肌をもつ少女だった。やや目元を細め、口元に笑みをうかべている。大胆にシャツの前を肌蹴させ、豊満な胸を惜しげも無く晒している。

 その少女が今、ルイズの正面に腕を組んで立ちはだかっていた。

「お、は、よ、う。ルイズ?」

「わざわざ言い直さなくてもきこえてるわよ、キュルケ」

「そう?ならよかった」

 そう言うと、笑みを浮かべた唇の端がぴくりと動いた。してやったり、といった満足の笑みだとホッパーは思った。ルイズがキュルケと呼んだこの少女は、こうして時々ルイズを冷かしているのだろうか。

 そんなキュルケをルイズは、付き合ってられないといったふうに押しのける。そしてまた歩き出す。

「つれないわね。私といるのがそんなに嫌?」

 邪険な対応をされても、キュルケは余裕の態度を崩さなかった。やれやれと肩を竦めた後、ルイズの隣に並ぶ。ホッパーはその後ろについた。

「ついてこないでよ」

「行先が一緒なだけ。ついでに暇つぶしを兼ねて連れが欲しかっただけ。恨むのなら、私をおいて朝食に出かけたタバサを恨みなさい……で、今度はなにをやらかしたの?」

「別に何も」

 憮然とした口調でルイズは答える。

「嘘。壊したとか罰とか、ちゃんと聞こえてたんだから」

「……私の部屋のドアが壊れただけよ」

「やっぱり、またなにか壊したんだ。魔法の練習をするにしても場所を選びなさいな」

「私じゃないわ」

 身体は前を向いたまま、ルイズは肩越しに後ろを見遣った。

「こいつよ」

 キュルケも振り返りホッパーを見上げたが、すぐに視線をルイズに向けた。

「こいつ、って…彼、あなたの召使いだっけ」

「使い魔よ。召使いじゃないわ」

「まさか」

「その“まさか“。板が腐ってたみたい」

「ふーん」

 なんだつまらないといった表情が顔を覆ったが、それも寸の間、また唇がにやりと横に広がる。

「てっきり“ゼロのルイズ”が魔法で吹っ飛ばしたのかと思った」

「アンタもその減らず口ごとふっ飛ばしてあげましょうか」

「おちびちゃんも言うようになったわね…」

 その後も、主とその友人の会話は続いた。ただし、一方的にルイズをキュルケが冷かしている点においては、仲の良い友人同士の和やかな会話というよりは、悪友が交わす悪態混じりの冗句といった感である。それでも険悪な空気にならないのは、それなりにルイズが応戦しているせいか、はたまたキュルケが一線超えないよう気を遣っているのか。

「それで、あなたの召使いのことなんだけど」

 キュルケがそう話を切り出したのは、寮を出てからしばらくのころだった。さっきルイズが訂正したにも関わらず、キュルケはホッパーを召使いと呼んだ。

 三人の行く手には、背の高い大きな塔が見え、そこの大扉にルイズと似た格好をした少女や少年らが出入りしているのが見える。主とその友人は、あそこで朝食をとるのだろう、とホッパーは思った。会話の内容には興味がなかった。ただし主の動向にのみ心を配る。

「その“使い魔”っていうのは本当?」

「それどういう意味よ」

 ルイズは険のこもった目でキュルケを見る。キュルケは前を向いたままだ。

「『魔法の使えない“ゼロのルイズ”は考えました。そうだ。そこらへんを歩いていた平民を捕まえて使い魔に仕立てよう』『当日上手く爆発で誤魔化したルイズは、見事平民の使い魔を手に入れたのでした。めでたしめでたし』」

 芝居がかった軽い口調でキュルケは言った。

「っていう噂よ。結局のところはどうなの?」

 ルイズは足を止め、キュルケの顔を見た。キュルケは笑っていなかった。改めてみると、むしろ真剣な表情をしている。

「私はちゃんと召喚したわ。なのに、こいつが来ちゃったのよ」

「ふーん」

「何よ……言いたいことがあるなら言いなさいよ」

 ルイズが低い声を出した。

 いつの間にか、三人の周囲に人だかりが出来ていた。人通りの多い中で急に立ち止まれば単に邪魔扱いされて終わるだろうが、今のルイズの発言により、二人の間の空気が一触即発の気を帯びた。それに気がついて足を止めた者が一人また一人と数を増やし、結果大勢の野次馬が集まってきたのである。なぜか男子ばかりだか。

 険悪な雰囲気のなか、睨み合いから視線を外したのは、何を思ったのかキュルケが先だった。

 無粋な聴衆をちらと一瞥した後、やれやれといった感で肩を竦める。

「変に目立つのはご勘弁願いたいところね。この話は、また今度にしましょう………はーい、解散解散!!」

 キュルケが手を叩いて野次馬を散らしにかかる。群衆の扱いには慣れた感があり、周りに人がいなくなるまでそう長くはかからなかった。

 そしてまたルイズの方に向き直り。

「さっきの話、しっかり覚えておきなさいな。その時になってからの逃亡は許可しないわ」

「誰も逃げたりしないわよ! 何様のつもり!?」

 ルイズが噛みついてくるのも織り込み済みだったらしく、キュルケは唇の端をわずかに歪めただけだった。

 




キュルケは何がしたかったんでしょうね。




投稿のお知らせ  5/12(月) 19:00「ep6 アルヴィーズで朝食を」を投稿します


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ep6 アルヴィーズで朝食を

今回すこし短めです


 タバサを見つけたからここで失礼、と言ってキュルケは先に食堂に入って行った。その後ろ姿が人の群のなかに消えたのを見届けてから、ルイズは大扉をくぐった。

「なによ…なんなのよあの女」

 建物の中は大広間になっており、縦に長い大テーブルが三つ並んで配置されている。ルイズと同世代らしき少年少女らで席の大半は埋まっていた。テーブルごとに、纏うマントの色だけが違う。それぞれのおしゃべりで大広間は賑やかだった。

 どこに座るかは決まってあるらしく、中央の長テーブルの真ん中あたりにルイズは向かおうとしている。

「キュルケ、といったか」

 それまで沈黙をつらぬいていたホッパーが口を開いた。

「仲が悪い……のか」

「別に仲が悪いとか、嫌いってわけじゃないわ。会うといつもあんな感じになるのよ………どうかした?」

「いや…」

 それだけ言って、ホッパーは黙り込んでしまった。主従互いに目線を合わせることの無い、短い会話だった。

 言いたいことはそれだけか、とルイズは呆れてしまう。人だかりの中にいても、いまこうしてルイズが気分を損ねていても、なんの関心も示さない。寡黙をとおりこして不愛想ともいえるホッパーが、何を考えているのかいよいよ分からなくなってくる。

 そんなルイズの思惑など知る由もないホッパーは、周囲の観察を続けていた。空間の広さ、物の配置、壁際の群像。テーブルの上の料理、人の数、しぐさ、服装、会話。次々と観察の対象を変えてながら、周囲を見渡してゆく。知らず知らずのうちにホッパーは記憶≪メモリー≫の手掛かりを群集の中に求めていたようである。そうするうちテーブルのむこうの反対側に坐っているキュルケと目があった。手を振ってよこしたが、ホッパーは無視した。

 この群衆の中に心惹かれるものは無かったのだ。

「トリスティン魔法学院で教えるのは、魔法だけじゃないわ」

 まるで挙動不審なホッパーの様子を、食堂の豪華さに驚いているのだと勘違いしたルイズが得意げに言った。

「メイジのほとんどが貴族なの――『貴族は魔法をもってしてその精神となす』。そのモットーのもと、貴族たるべき教育を受けるのよ。だから食卓も、貴族に相応しい食卓でなければならないのよ」

「…………」

 貴族に相応しいマナーを教育されるのか、それとも身分に合わせた豪奢な支度のことなのか。

 どころで。メイジとはなんだろうか? ルイズの話から察するに“メイジ”とは貴族と同義に扱われているようである。社会的な位階を現す単語なのだろうか。

 そのうち主から、椅子を引いてとの声がかかる。ホッパーは言われた通りにした。今朝起こしたドア破壊の前科があるので動作は慎重である。傍からみれば、もったいぶったしぐさに見えた。

「邪魔よ。ぼけっと突っ立ってないで坐りなさい」

 言われて、腰かけようと椅子に手をかけたところで物凄い目つきで主に睨まれた。主の右手が、下方を指し示す。成程、床に坐れということらしい。

「ほんとは使い魔は外。あんたは特別に、床」

 ならば俺は外でいいではないのかと。

 ルイズが席についてからしばらくして、大広間のあちこちでお祈りの声が唱和された。ルイズもそれに加わった。そしてわずかな静寂の後、賑やかに食事が始まる。

 どれもこれもが食欲をそそるもののようで、食事を摂る彼らの手が休まることは無い。こんがりと焼き目のついた分厚い肉。グラスに満たされた食前酒の芳醇な香り。甘酸っぱい香りの果実ののった菓子。琥珀色に澄み切ったスープに溶け込んだ肉脂、野菜、香辛料の香り―――

 ――こんなに香るものなんだな。

 と、すこし驚いた。

 ルイズはルイズで食事を続けながら、傍らに坐る使い魔の、テーブルの上の料理に注がれている視線に気がついていた。

 無口で無表情で不愛想という“三無主義”の使い魔でも、流石に食事抜きは堪えるとみえて、テーブルの上の食べ物に熱烈な視線を送っている。少し可哀そうな気もしたが、食事抜きは物を壊した当然の罰なのだ、と自分に言い聞かせたところで、気づいた。

 ――あれ?

 心に何かが引っかかる。

 ちょっと待て。食事?

 よく考えみると、あの使い魔が最後に食事を摂ったのは何時だっけ?

 

 というか、こいつは、何時から食べていない?

 

 ステーキに切り込みを入れようとしていた手を休めて、暫し思考。

 昨日は深夜を過ぎたくらいに部屋に戻った。私はそのあと寝たしあのときこいつは医務室を抜け出して中庭にいた。いやでもそれまでは医務室のベッドの上で三日三晩眠り続けていたんだからそうなるともちろんその状態で意識不明の人間がものを食べるなんて無理なことのはず。

「ねえ」

「なんだ。ルイズ」

 主人をさらりと呼び捨てたホッパー。本来なら呼び捨てにしないでと怒るところだが、そうすると話が脱線しかねないのでぐっとこらえて我慢した。

「夕べ何か食べた? たとえばパンの欠片スープの一滴でもいいから、ちゃんと食べた?」

「いや。何も口にしていないが」

「ほんとに」

「本当だ」

 ということは。

 え。じゃあひょっとして召喚したあの時からずっと――

「…………」

「…………」

「手が、止まっているぞ。どうした、気分が、悪いのか?」

 ルイズはそれには答えず、バケットからパンを手に取ると、香ばしい香りを放つそれをホッパーの鼻先に突きつけた。

「なんだこれは」

「パンよ」

「それは……見ればわかる。俺が言」

「お腹を空かせたあんたがあまりにも可哀そうだから、あなたの主人であるこの私が、始祖ブリミルの恵みを特別に分けてあげるわ。感謝しなさい」

「…何か無理をしていないか? それに俺は、腹は減っ」

「食べなさい」

「…………」

「た、べ、な、さ、い」

「………ムウ」

 この主人はときどき話を聞かない。おそらく無駄と知りつつもホッパーは口を塞いで一応抵抗したが、結局、口にパンを捻じ込まれる結果と相成った。

「四日も飲まず食わずで平然としてるなんて信じられない! あんた、鈍いにもほどがあるでしょう!?」

「…………」

「あんまり普通にしてるものだから、あんたが病人だった、ってことすっかり忘れてたわ。あんたが倒れて、その原因が空腹だって誰かに知られでもしたらわたしが困ることになるの。わかる!?」

「…………」

「もしそんなことになったら、わたしは使い魔の管理もろくにできない、ってことになるでしょうが。そのくらい自己管理しなさいよね」

「…………」

 大分理不尽なことを言われている気もしたが、ホッパーは黙って聞いていた。なんてことはない。口いっぱいに突っ込まれたパンの咀嚼を続けていたからだ。まるでスポンジの食感のようなそれを、ようやく嚥下する。

「ルイズ」

「何よ」

「スマンな。心配をかけた」

 ルイズと出会ってから、わずか一晩。一昼夜も経っていない。共有した時間はとても短いけれど、主に関して分かったことが一つ。たった今、確信した。

「これからは、気をつける」

 なんだかんだいってこの少女は、どうしようもなく優しいのだ。少なくとも、身近な誰かの体調を気遣う程度には。

 

 

 

 さて。

 

 

 

『自己管理』を実現すべくホッパーがテーブルの上に手を伸ばした。

 しかしその手がバケットまで届くことは無かった。主によって無情にも撃墜されたのである。叩かれたのだ。

 手を引っ込めて、ホッパーはルイズを見上げた。

「何故……」

「言ったでしょ“特別”だって。それに食事抜きの罰を解いたつもりはないわ」

 いつもは見上げているホッパーを座上から見おろしながら、ルイズは言った。

「それにくせになるからダメ」

 それだけ言って、ルイズは食事に戻った。ホッパーの間の前で、皿の上の料理を美味そうに頬張る。

「…………」

 テーブルに身をもたせ掛ける姿勢でホッパーは思った。

 よほど事でなければ主の決心は揺るがないのだと。そしてホッパーの絶食に関しては主の基準により「よほどの事」に分類されないのだと。

 主の面目をつぶさないためにも次回から自分で食糧を調達しよう。と、ホッパーはそう思ったのだった。

 




お預けをくった子犬の心境でしょうねきっと。なんとなく切なくなります。



5/19  更新少し遅れそうです。

5/31  6/2(月)19:00に『ep7 ロールモデル・ジャッジメント』を投稿します。


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ep7 ロールモデル・ジャッジメント

お詫び   予約投稿時間の設定ミスにより定時に投稿できませんでした。申し訳ありません。


 貴族の子弟といえど学生であるかぎりその本分は学業にある。朝食を終えてから一旦自室へ戻り羊皮紙やペンをまとめると、ルイズはすぐに自室をあとにした。ルイズの後ろを、長身のホッパーはまるで影のように寄り添って歩いている。

 気になることがあった。

 今朝ホッパーが『腐っていた』と報告した、自室の扉。割れてささくれた断面からは芳しい木の香りが立ち昇っていた。腐った木材にそんな匂いはしないはずである。ためしにつついてみた感触は固い木材のそれであったし、虫くいの痕跡も見受けられなかった。

 取れてしまった扉の取っ手はテーブルの上に放置されていた。今朝部屋を出るときは気も留めなかったが、筆記用具をまとめるときに何気なく手に取って見てみたところ、握りの部分が若干歪んでいるのを発見した。その変形の具合をみたルイズは、幼いころにやった雪遊びをおもいだした。雪玉を作ろうとして手にすくった雪をギュッと握りしめると、手の形に従って、節くれて圧縮された雪が出来る。取っ手の変形はちょうどそれに酷似していた。

 まさかとは思うけど、ホッパーは力任せに引きちぎったのか? しかも金属が変形するほどの握力を込めて? そんなまさか。

 ――ありえないわ。

 素手で金属を変形させるなんて普通の人間には到底無理な芸当だ。筋骨隆々の大男ならまだしも、あの使い魔にそんな怪力があるとは思えない。なによりもホッパーは大怪我が原因で昨日まで寝込んでいた病人だったのだ。となれば原因は、自室のドアにありそうだ。それなりに年期の入った代物だったし、乾燥してヒビでも出来ていたのだろう。

 だが仮にホッパーが触った拍子に壊れたと考えるのが妥当だとしても、今度はドアの握りのほうが説明つかなくなるし………

 なんて考えながら、教室に入る。

 トリスティン魔法学院の教室はこれまた石造りの段々の造りになっており、半円を描くようにそれぞれの段に机が配置されている。教師は一番下の段で講義する。

 入室した途端、先に教室にいた生徒のほぼ全員の視線が一斉にルイズに向けられた。それまで交わされていた会話の中に、わずかだが嘲笑が混じる。

 

 

 ―…――の前――……儀式―

 …平民……―――召………

 ――金で………―――

 ――…っぱり――ゼロ…――

 

 

 ―――ゼロってなんだ?

 囁き交わされる会話を一言一句聞き取りながら、ホッパーは思った。ルイズと行動を共にしているなかで、ルイズが“ゼロ”と呼ばれているのを何度も耳にした。面と向かって口にした者は今朝初めて見たが、多くはこっそり陰口のように――食堂で朝食をとっていた最中もだが――声をひそめる。かといって隠す気は無いらしく、あえてルイズに聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量でいうのだ。すくなくとも、通り名ではあっても褒め言葉とは意味的に程遠い領域にある言葉らしい。

 当のルイズは特に気にした素振りは見せず、そのままてくてく歩いてゆき、教室の一番後ろの席に座った。ホッパーは、坐ろうとしたところ主に睨まれた食堂での一件を反省して、その傍らに立った。別に何か言われても、無視すればそれでよかったのだが。

 それにしても、入室してからの教室内のざわめきが未だ止まない。なにか面白いものでもあるのかと、ホッパーは教室をぐるりと見回した。

 騒音の原因は、キュルケだった。正確にはキュルケを取り巻く男子生徒らの発する、歯の浮くような口説き文句だった。取り巻きが一人なら特にうるさくも無いだろうが、それが十人強ともなれは話は別だ。かなり煩いはずなのに周りは平然としていることからして、ひょっとしてこれは日常のことなのだろうか。

 キュルケはまるで女王のようだった。動作の一つ一つが男心を惑わす色香を放っている。群衆(主に男)を操る術はここからきているのかとホッパーは納得した。

 ホッパーが見ているのに気づいたのか、教室の中段にいるキュルケはこちらに手を振ってよこした。

 その時ホッパーは自分に向けられた目線に気づいた。てっきりルイズだけが注目されているのだと思っていたが、好奇の目は――なぜか主に女子生徒からの――ホッパーにも向けられていたようである。

 平民の、というよりは人間の使い魔というのはやはり珍しいらしい。あのメイドに聞いたとおりだ。

 カラスやら大蛇やら猫やらフクロウやら。ここは動物園かと錯覚してしまうほど、視界に入るだけでもこの教室内には様々な動物がいた。あの動物たちが“使い魔”なのだろう。

 他にも半人半蛸に浮遊する目玉にキュルケの足元で眠る火トカゲ――――

 

 

 

「…………」

 

 

 

「あの浮かぶ目玉は?」

「バグベアー」

「あの半人半蛸は?」

「スキュア」

「じゃああの赤いトカゲは?」

「それはキュルケの…………なに? 使い魔がそんなに珍しいの?」

 ルイズは前を向いたまま、矢継早に繰り出されるホッパーの質問に、不機嫌そうな声で答えた。それでも異変を感じとったのか、ホッパーを見上げた。

「まあ、幻獣といっても種によってはそうそう見れるものでもないわね。平民のあんたが驚くのもあたりまえか」

 いや珍しいとか以前にそもそも記憶に関して何も覚えてないし。俺の記憶≪メモリー≫は空っぽの『ゼロ』なのですが。

「にしてもあんた、本当に驚いてるの?」

 ルイズはホッパーの、なんの変化も窺えない表情を見た。

「………これでも。充分驚いてるんだが」

 案の定『使い魔』が動物であることに。もっと言えばファンタジーや空想の産物である幻獣なんてものが目の前にいることに。

「…………」

 ファンタジー?

 幻獣が空想の産物だと、この思考はいったいどこから湧いて出たのだ? いまの無意識は、この思考は記憶≪メモリー≫の片鱗なのだろうか?

 考えに耽るホッパーの隣で、あんたどんだけ鉄面皮なのよとルイズがぼやいた。

 扉が開くと、教室のざわめきは治まった。入ってきたのは紫色のローブにこれまた紫色のとんがり帽子をかぶった中年の女性だった。

 その女性は教室正面中央に立つと、

「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですね。このシュブルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 と前置きしてから教室をゆっくり見渡した。ふくよかな顔に浮かぶ微笑みが、優しそうな雰囲気を漂わせている。

 ルイズは俯いた。おそらく起こりうるであろう今度の展開を予想すると気が滅入る。大抵は気が滅入るよりも先に、自前のプライドと反抗心でもって対抗するのだが。

「おやミス・ヴァリエール。あなたは一風変わった使い魔を召喚したようですね」

 ほらきた。教室中が笑いに沸く。

「“ゼロのルイズ”! 召喚できないからって、そのへん歩いていた平民連れてくるなよ!」

 今朝といい今といい日に二度も同じことを聞かされた。よりにもよってヴァリエール家の怨敵に告げられたことを、今ここで再び聞かされたのだ。怒りの沸点を一瞬で超過するには充分な理由だった。

 ルイズは椅子を蹴って立ち上がった。そして怒声を張る。

「だ、か、ら! 私はちゃんと召喚した! なのにこいつが来ちゃったのよ!」

 嘘つくな、と誰かから声がして、さらに言い返そうと口を開きかけて。

 はたと気づいた。

 何時の間に移動したのか、視界に映る、となりにいたはずの長身の男の背中。

 最初にルイズを小馬鹿にした男子生徒の正面に、ホッパーが立っていた。

 教室を包んでいた笑いは治まり、好奇に満ちた囁き声に変わる。囁きの内容はこうだ。この平民はいったいなにをやらかしてくれるのか、と。

 そんなざわめきなど意にも介さず、ホッパーは眼下の生徒を見おろしていた。

「…………」

 本当になにをやらかすのだと別な意味でルイズが心配するなか、ホッパーはようやく口を開き。

「――『貴族は魔法をもってしてその精神となす』。この言葉を……オマエは、知っているか?」

 今度はホッパーの代わりに皆が押し黙った。地獄のような沈黙が教室に漂う。脈絡のへったくれもない発言のおかげで、ある意味ホッパーはやらかしてしまった。教室の後ろの席ではルイズが頭を抱えていた。

 唖然とする男子生徒が頷くのを認めてから、ホッパーは左手を掲げて。

「契約の、ルーンだ。主が俺を喚び、魔法とやらを使ったなによりの証拠だ。疑いの余地など、どこにも、ない」

 今度は男子生徒の反応を待たず、教室中にそのルーンを翳してみせる。

「それでも、嘘だというのなら。『貴族の精神』を持つ、我が主を笑うのなら。これだけは………覚えておけ」

 

 

 この教室の意識のすべてが、ホッパー唯一人に向けられている。

 正念場だ。次に何を述べるかで、この勝負は決する。

 さあ、これで終わらせよう。道化はこれにて退場だ。

 一度言葉を切ってから、たっぷり数秒の後。

 

 

「その行為はオマエたちの名誉を、誇りを、地に落とす。いつか相当の対価を支払うと、覚悟することだ」

 

 

 反駁も抗議も無かった。抑揚の乏しい淡々とした口調と一切の表情を見せぬ鉄面皮により、今のホッパーは酷薄ともとれる奇妙な凄味を漂わせていた。それに気圧されて、誰も何も言えなくなっていたのである。

「と、そこのところは、どうだろうか。シュブルーズ『先生』」

 やや不意討ち気味に水を向けられて、シュブルーズは、はっと我に返った。

 コホン、と咳払いをして。

「そこの『使い魔』さんのおっしゃるとおりですよ、みなさん。たとえ学友の仲であっても、相手の名誉を汚すなど言語道断です。貴族は貴族に対して礼節をもって接するもの。それを忘れてはいけません」

 若干声が上ずっていたが、やや厳しい目で教室を見回した。あえてホッパーを平民と呼ばなかったシュブルーズの意図を察したのはこの教室でわずか数人程度だろう。それでも上々といえる成果だ。

 役割を完了したと判断したホッパーがルイズのところへ戻るのと同時に、教室を支配していた重い空気が消え去る。一斉に、誰ともなくため息をついた。

 ホッパーが戻ってくるなり、ルイズは小声で言った。

「あんた、何考えてんの?」

「………さあ」

「さあ……って、あれだけのことをして無事にすんだものだわ。ミセス・シュブルーズが味方してくれたのはただ運が良かっただけじゃないの」

「…………」

「あんたね」

 黙ってればそれで済むと思ってるのかと言いかけたところで、ホッパーは言った。

「二つ、理由(わけ)がある」

 教室の前段では、シュブルーズが授業を始めていた。土がどうとか前置きしてから、太っちょの男子生徒を指名して、何やら質問している。

「“魔法”が使える、使えない…その真偽を、はっきりさせたかった。もう、一つは」

 …………。

「気に、入らなかった………そう判断しただけだ」

「気に入らなかったですって? そんな理由で…」

「充分だ」

 ホッパーはルイズに視線を合わせた。

「‘ゼロ’だかなんだか知らないが。ルイズ、お前が、そう呼ばれるを嫌っているのは、傍にいればわかる。だから、空っぽの俺がなにかをするには、『そんな理由』で………俺にはそれで充分なんだ」

 記憶≪メモリー≫の対価を得るためには何でもやる。そういう意味でホッパーは言った。

 しばらくホッパーの顔を見つめたのち、ルイズはぷいと視線を外した。

 腕を組み、胸を反らせて、座っていても威厳を感じさせるようなポーズをとってから、少し早口で言った。

「ま、まあ、使い魔がご主人様に忠誠を慕うのはあたりまえのことよね。次も励みなさいな」

 ルイズはそれを、使い魔による主人への忠義立てと受け取った。ただ、自分のためにしてくれた――とルイズは思っている――については、ちょっと嬉しく思ったのは事実だ。

「言われなくとも、やるさ」俺は記憶≪メモリー≫のために。

「ふ、ふん。ちょっと褒めたくらいで調子にのらないでよ」不愛想でも実は良い奴じゃないかしら。

 なんてそれぞれ思っていたら。

「ミス・ヴァリエール!!」

 シュブルーズに見つかった。飛んできた叱責に虚を突かれ、ルイズは危うく椅子から転げ落ちそうになる。

「私語は慎みなさい。授業中ですよ」

「ぁ……す、すみません」

「おしゃべりをする暇があるのなら、丁度いいでしょう。この錬金をあなたにやってもらうことにします」

 教室がどよめいた。

「え、でも…」

「『でも』ではありません。何か問題でも?」

「大有りです。先生」

 シュブルーズに異を唱えたのは、キュルケだった。

「ミス・ツェルプストー、なぜ問題なのですか?」

「危険です」

「危険? いったい何が?」

 シュブルーズは怪訝な表情をした。キュルケは困った顔をしている。

 ホッパーはルイズを見た。先の戸惑いはどこへやら、”錬金”を実演する決心を固めたらしく、ルイズは少し緊張した表情をしていた。

 ルイズは立ち上がった。「私、やります」

 再び教室がどよめく。各々が動揺しているようで、不穏だった。

「ヴァリエール、頼む、思い直せ!」

「これか! これが対価なのか!?」

 皆がルイズの”錬金”を中止するよう懇願している。なにかをひどく恐れているようだった。

「ルイズ。やめて」

 段を降りるルイズに、キュルケが言った。だがルイズの決心は固い。「いや。私、やる」歩調を緩めず、ルイズはついに教卓へとたどり着いた。

 そんな一部始終を観察しながら、ホッパーは事態を把握できずにいたが、素早い動きで椅子の下に隠れようとする他生徒の様子を見て察した。これから起こる出来事は、おそらくロクでもない事に違いない、と。

「錬金したい金属を強く心に思い浮かべるのです。さ、やってごらんなさい」

 ルイズは目を瞑り、なにかを呟く。そして杖を振りおろした次の瞬間―――

 

 その現象が爆発だとホッパーが理解したのは、爆風に煽られて体制を崩し、後ろの石壁に後頭部をしたたかに打ちつけた後だった。

 










6/28 投稿のおしらせ  6/30 19:00に「ep8 閑話」を投稿します


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ep8 閑話


今回グダグダです







 ホッパーは酒を飲んでいた。

 と、言っても食前に添えられたぶどう酒のカップ一杯ごときでは、酔いはこれっぽっちも回ってこない。酔うのが目的ではなく、ホッパーは食事をしていた。

 奥の竈では、コック長のマルトーをはじめ数人の料理人が大きなスープ鍋を掻きまわしている。ちょうど昼も過ぎ、時刻は二時をまわっているころにはじまる晩餐の仕込みは、いつも少人数で行っている。

 ―――今日も、忙しそうだな。

 ホッパーは、忙しそうに働く料理人たちをじっと見つめた。厨房では暗黙のうちに序列が決まっているらしく、調理にかかる担当は決まっている。例えば前菜の串焼きなどは年若いコックが務めることが多いし、主菜やスープの仕込みなどは年長の者がやっていた。料理の腕や経験によりする仕事が決まっているのだろう、とホッパーは思った。

 食事をしているのはホッパー一人だった。目の前にことり、と湯気の立つ皿が置かれる。

「今日の賄いです。私もお相伴しますから」

 と、シエスタは言った。そのままホッパーの正面に腰を落ち着ける構えらしく、自分の分の皿も手にしていた。

「……いつも。スマンな」

 ホッパーが厨房に来るようになってから、今日でちょうど七日経った。

 ルイズがおこした爆発で教室がめちゃくちゃになったあと、授業どころではなくなり、その日の午後は休講になった。爆心地にいて、気絶していたシュブルーズは程なくして息を吹き返したが、ルイズの“錬金”が心象に深刻なダメージを及ぼしたらしく、シュブルーズは一日の講義そのものを放棄したのだった。

 当然のことながらルイズは罰をくらい、教室のあと片付けを任された。そしてルイズの言うところによれば、使い魔は主人の受けた重責を肩代わりする義務があるとのことで、率先してホッパーにやらせようとした。要は壊れた机を外に出し新しい机を搬入するという簡単で単調で肉体的に負荷のかかる労働を強いたのだが、ホッパーはなんなくやってのけた。人は見た目によらないとよく言われるが、長身の細見に似合わず、ホッパーは怪力だったのだ。疲れた素振りも見せず黙々と物資を運搬するホッパーを目の当たりにして、ルイズは瞠目するのと同時に、ドア破壊の件についてある程度納得がいった。

 作業が見込みよりも早く終わったことに機嫌をよくしたルイズは、意外な才能を発揮して主人に奉仕した使い魔に褒美をやることにした。ちゃんとした食事がとれる場所はないか、とたまたま近くを通りかかったそばかすが印象的なメイドに尋ねたところ、この厨房の存在を知らされた。結果として、ホッパーは一日の三食を得ることに成功したのだった。

 以来、ルイズの食事に付き添った後に厨房に足を運ぶのが、ホッパーの数少ない日課となっている。

「今日はシチューです………あ、熱いので気をつけてくださいね」

「…………」

「熱くないんですか?」

「……ああ」

 ホッパーはシチューを口に運んだ。相変わらず空腹を覚えないが、まずは喰わねば。

「ホッパーさんて…その、いろいろすごいですよね」

 会話の糸口に迷ったらしいシエスタは言った。いろいろ色物の間違いだろう、とホッパーは思った。

 つい昨日の夜のことだ。コック長のマルトーと数人のコックがホッパーをささやかな酒席へ招待した。新入りの歓迎が名目だったが、ホッパーにコックの仲間入りをした覚えはない。酒好きの彼らにとって、飲む口実はなんでもよかったのだろう。

 だか、いくら飲もうともホッパーはけろっとしていた。それどころか、頬に赤味すら差さなかったのである。

 杯を重ねようとも顔色一つ変えないホッパーを前にして、酒豪を自負するコックたちにある悪戯心が起き上った。酔い潰してからかおうとしたのである。一向に酔いを迎えないホッパーに業を煮やしたコックたちは、葡萄酒だけでなくブランデーだのなんだのと持ち出してホッパーに飲ませたが、結局ホッパーの調子は変わらなかった。同席した誰かが、底の抜けた桶に注いでいるようだと言ったのを覚えている。

 シエスタの話によると、料理人の多くが二日酔いで苦しんでいるらしい。厨房に日頃の活気がないのはそのせいか。湯気のむこうに見え隠れるマルトーの顔色が青いのも頷ける。

「もう……大酒は、飲まん」

 無論、酒精の香を漂わせて帰宅した使い魔に、主人の怒りが爆発したのは言うまでもない。昨夜は乗馬用の鞭を振りかざすルイズと小一時間ほど追いかけっこするはめになった。酒席に記憶≪メモリー≫を求めるのは過ちだった。

「ルイズに…ひどく、怒られた。もう、懲りた」

 シエスタは口に手を当ててくすくす笑った。

「ホッパーさんは少し変わりましたね。前はこう、少し暗い感じでしたけど、みんなとだんだん打ち解けてきたみたいで。物静かなのは相変わらずですけど、それでもちゃんとお話してくれますし」

「………そうか?」

「いいことですよ」

「……ムウ」

 記憶喪失の件はごく少数の人物以外にはまだ話してはいない。昔のことを聞かれても答えようがないので会話は長く続かないが、最低受け答えはきちんとするようにしていた。

「しかし。わからないことがある」

「はい?」

「シエスタ、君の考えていることだ」

 とホッパーが言った。

 ホッパーたちがいるテーブルは、厨房の入り口あたりに置かれている。厨房に出入りする人数はそれなりに多いが、大概は奥の調理場に用があるので、そのままテーブルの脇を通り過ぎてゆく。昼の忙しい時間帯を過ぎているので静かなものだ。テーブルに腰を落ち着けているのはシエスタとホッパーの二人だけだった。

「どうしたんですか?」

 ホッパーに丸パンを勧めてから、シエスタは言った。

「私、なにかしたのかしら」

「その、『してくれていること』が。疑問……なんだ」

 きょとんとした表情のシエスタを見て、ホッパーは続きを話した。

「第一に、シエスタは親切だ。誰に対しても……表裏無く、接している」

「そんな、普通ですよ」

「そんな君が、だ。昨日までに三分の二以上の確率で……俺の食事に同席している。他にも、ルイズの身のまわりの世話をする俺を手伝ってもいる。結果、本来の業務に一定の遅滞が生じていると、推測した。それは、学院に『メイドとして働かせて頂いて』いるシエスタにとって、避けるべき事態の、はず」

「…………」

「“誰に対しても”“表裏無く”“親切”にしては………少々、らしくない。そう思った」

「………ホッパーさん」

「ム」

「そんなに長く喋れたんですね」

「……ムウ」

 シエスタはくすりと笑った。

「冗談ですよ。冗談……でも、ホッパーさんの仰るとおり、私は、私らしくなかったかもしれませんね」

「………それは。どういう」

「似ていたからだと思います」

「似ていた?」

「黒髪とか…瞳の色とか。いえ、それだけじゃありませんね」

 はにかんだ表情から一転して、シエスタはさっと顔をそむけた。

「……きっと、この学院に奉公にきてまだ右も左もわからなかった頃の自分と、ホッパーさんの今の境遇を重ねていたのかもしれません。だから放っておけなくて、お世話したくなって………不審に思われるのも当然ですわ」

「いや」

 ホッパーは首を横にふった。

「そんな、ことは、ない」

 相変わらず抑揚に乏しい声音ではあるが、ホッパーにしては珍しくきっぱりと言った。シエスタに、日頃世話になっている義理を感じないでもないのだ。俺は、助けられてばかりいる。

「不審もなにも。不思議に思った程度で………その、あまり落ち込まれると…………こまる」

 言われて、シエスタは顔を上げた。ひどく悲しそうな笑みを浮かべていた。

 




ちなみに扉の破壊云々は仮面ライダーV3第49話「銃弾一発!風見志郎倒る!!」が元ネタだったりします。


うっかり物を壊すなんてのは、いまの仮面ライダーには見られなくなった描写ですね


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ep9 犬

 その後、二人の間に会話らしい会話はなかった。ホッパーはひたすら無口なうえに、社会的に必須とされる場を盛り上げるための話術と相手をもてなすだけの社交的なスキルが決定的に欠如していた。話しかければ返事はする。が、この男はただそれだけなので、一度会話が切れてしまうとそれっきり話題の提供すら行わないのである。この場合、メイドのほうも口をつぐんでしまっているのでこの気まずい沈黙はもうどうしようもなかった。

 一度だけチャンスがあった。

 沈黙に任せるまま匙を口に運ぶうちに皿の中身が空になる。そのときメイドは「おかわりはいかがですか」とホッパーに尋ねた。

 食事は摂った。空腹も感じない。ホッパーはこの二つの事実を判断材料として、

「……いや。結構だ」

 と、ぼそりと返事をした。実に不愛想な態度である。

 ホッパーの行動基準に“他人”は選択されなかった。もっとも優先されるのは“ルイズ”と“記憶≪メモリー≫”。ルイズに対し従順であるという至上目的を除いてはこの男の行動規範を縛るものは何もなかった。

 シエスタが食器を下げた。ホッパーはテーブルに肘をつきどこか一点を見つめている。シエスタが去り際に挨拶にきてもうむともムウともつかない生返事で返す。結局、メイドが食器の片づけを終えて仕事に戻るまでの間、ホッパーは何の行動も起こさなかった。

 それからしばらくホッパーは石像のように身動ぎひとつせず、同じ体勢を維持したままだった。

 目線は中空をさまよい、一点をとらえてはまた漂う。持ちうる限りの集中力を駆使し、ホッパーの意識は思考の海に潜っていた。

 シエスタが見せたあの“表情”を思い出す。あの“表情”を見た途端、胸の奥が激しくざわついた。

 それを見せられて、俺はシエスタにそんな“表情”はしてほしくないと、そう思った。

 この動揺が俺の失った記憶≪メモリー≫に由来するものだとしたら。

 その原因を突き止めることが記憶≪メモリー≫を呼び覚ます手掛かりになるとしたら―――

 仮定と思索を繰り返し、やがてひとつの結論に至る。

 ホッパーは席を立つと調理場へ足をむけた。

 湯気たつ寸胴のそばにマルト―はいた。一列に並んだ寸胴の端から端まで行ったり来たりしながらかまどに薪をつぎ足しし、スープの味見をしては年若い料理人になにやらささやいていた。

「料理長。話がある」

 マルト―はホッパーをちらりと一瞥して、少し待て、と言った。マルト―はかまどの火勢について傍らにいた年若い料理人に指示をしてから、ホッパーの目の前のスープ鍋をかき回しはじめた。

「なんだ」

 とマルト―。このまま話せということだろうか。

「…シエスタのことだ」

「シエスタがどうかしたか」

「元気がない。というより、落ち込んでいる。何か知らないか?」

「…さあな。それだけじゃあ俺からはなんとも言えん」

 マルト―は下を向いたまま答えた。寸胴をみつめる視線が揺れたのを、ホッパーは見逃さなかった。

「厨房担当の野郎どものことならよく知ってるが、メイドのことはさっぱりだ。なあおまえら!」

 マルト―が大きな声を出すと厨房全体からへーいと返事が返ってきた。女の子の同僚とお話ししたことあったか。ないない。お前女の子とキスしたことある? ヤギとならある。という声がぽつぽつと聞こえた。

「…そうか」

 あてが外れたと思うのが半分、この場に居座っても仕方が無いとおもうのが半分。どちらにしても事情を説明する気が料理長に無いのなら問い詰めようとするだけ時間の無駄だ。

 仕事の邪魔をしてすまなかった、と言ってホッパーは踵を返した。

「なあ、ホッパー」

 振り向くと、マルト―がこちらに顔を向けていた。

「平民は貴族に逆らっちゃいけねえ。何をいわれようが平民は貴族様の言いなりになるしかないのさ」

「…………」

「わかってるだろう? それがこの世の中の原理原則なんだ。他人の問題に首を突っ込むと自分が命を落とすことになる」

「…………」

「まあナニだ。己可愛さで、ってのは誰しも覚えがあって、むしろ責められるもんじゃあないってことさ……おいおいそんな怖い顔しないでくれよ」

 貴族と平民。魔法が使える者と魔法が使えない者の間に横たわる溝は深いようだ。

 …………。

 いやいやいやいや。その返答は問いの答えになっていない。

「料理長。それが、シエスタと何の関係が?」

「察しが悪いなおめえさんは」

「なにか、言ったか?」

 当然聞こえている。聞き返したのはわざとだ。相手に面倒に思われたとしても、目的のためなら嫌がらせに等しい行為もやってやる。

「ああ、うん。なんでもねえよ……だからそんな睨むなよ。どうしようもないことだから、な」

 マルト―は、はあ、とため息をついて、

「シエスタだって年頃の娘だ。他人の俺たちからしたら傍観していられることでも、当の本人にとってはこの世の終わりのように思われて悩むこともあるだろ。そっとしといてやんな」

 最後はホッパーに語りかけるというよりは自分に言い聞かせているような口調だった。

 

 

 

 階段を下りながらホッパーは考えた。

 だれかにいじめられたとか、年頃だとかで一々気落ちしてメイドは勤まるはずがない。それで挫折するならシエスタはとうに職を辞しているはずだ。マルト―の奥歯に物が挟まったようなものの言いようからしてなにか事情があるとみるべきか。あの態度は普段豪快に振る舞う人物らしくない。二人ともなにか隠している。しかし、嘘を嘘としておくにしてはあまりに隙だらけな態度だ。あれでは関わってくれ、なんとかしてくれと主張するようなものではないか。

 そのくせかかわるななときた。

 

 知ったことか。

 

 俺は記憶≪メモリー≫がほしい。目前に記憶≪メモリー≫を得るチャンスがあるならば、ルイズ以外の人物の都合を顧みる必要もない。

 首を突っ込むなと言われたくらいで引き下がるなら使い魔なぞになっちゃいない。俺は俺の動機で動く。

 さて事情を探るならばシエスタの同僚のメイドに尋ねるのが一番いいだろう。問題は誰が誰の同僚なのか分からないことだが、使用人宿舎に行けば手掛かりはあるだろう。数をこなしているうち当たりを引くはずだ。

 今後の方針を決定したところで広場に出た。

 正面に正門が見えた。宿舎はたしか水の塔と風の塔の間にあるはずだ、と向きを変えて歩き出そうとしたその瞬間、何かにぶつかった。わっ、と短い悲鳴をあげて尻もちをついた人物をホッパーが見下ろすと――――

 特徴ある桃色髪がそこにいた。

 いたたと尻をなでさするのもつかの間、鳶色の瞳がホッパーを睨めつける。

「手」

「手、とは」

「私は、ホッパー、あんたのせいで今まさに転んだの。起こして」

 うっかり力加減を間違えたホッパーがルイズの手をぐしゃりと握りつぶしてしまう事態が懸念されるにもかかわらず、若干頭に血が上ったルイズはそこまで思い至らないようだった。自分に非があることは明らかだったので反論することもできず、ホッパーは半ば戦々恐々としながら、慎重にルイズを助け起こした。長々と我が主の純白の下着を衆目に晒すわけにもいかぬ。

「ホッパー」

 さあ仕切り直しと言わんばかりにホッパーの目の前に立ちはだかり、ルイズは噛みつくように怒鳴った。

「いったい、いままでどこに行ってたのよ」

「どうした。ルイズ」

 声にも表情にも動揺が現れないホッパーが答えた。この様子では使用人宿舎を訪ねるのはあきらめたほうがよさそうだ。

「厨房で賄いをもらってくるってそういったわよね…………」

「ああ。確かに言った」

「今何時か分かってる? 3時よ。3時。使用人と同じものを食べてきたってのにどうしてこんなに遅いわけ?」

「食う前にまき割りをしていた。それで遅くなった………なにかあったのか」

「それで私の身に何かあったら、ただじゃ済まさないわ。一生ごはん抜きよ」

 死ねと仰る。

「ああ、もうどっかいっちゃわないように首輪つけよっか。紐をつけて私のベッドの脚につないでおくの。どう、ホッパー?」

「どうもこうも」

 それは是非とも避けたい。

「犬扱いは嫌だ」

「そうでしょうそうでしょう。なら、これに懲りて身を改めることね」

 ふふん、とつつましい胸をそらす。お説教はそこで終わったようだった。

 その後暴言を吐くでもなく、ホッパーが口を挟まなかったのがよかったか、やたら満足げな表情をしているところをみると、言いたいことを言ったせいかもしれなかった。

 ご機嫌なルイズが寮塔へむかって歩き出すと、ホッパーはその後ろについて歩く。てっきり機嫌がいいと思っていたルイズだが、聞こえてきたのは愚痴だった。

「そもそもご主人様が使い魔の視界も見れないってどういうことかしら。相手が人だと見れないってこと? こっちが探しようが無いじゃないの」

 魔法のことはホッパーに分からないので黙っていたが、どうやら使い魔に備わるはずの能力がホッパーには欠如しているようだ。ルイズはそれを嘆いている。

 どうやらホッパーの見ているものから居場所を突き止めようと試みたが無駄に終わったらしい。

 そのうちむなしくなったのか愚痴をやめて、ホッパーのとなりに歩を合わせた。

「故郷のこと少しは思い出した?」

「いや。まったく」

「私としても紹介するとき困るのよねえ………いままでどうしてたの」

「当然、生まれはどこだとは聞かれた。村や町の名を挙げられても俺にはわからん。だが、みんな最後にはロバールカリーとかいう名をだすから、そこの出身ということにしていた」

「ロバールカリー? ああ、ロバ・アル・カリイエのことね」

「それだ。どういう場所なんだ。そこは」

「ゲルマニアの東の砂漠のずーーっとむこうにある地よ。どういう土地なのか誰も知らないけど」

「あることは知ってるのに、知らないだと」

「行けないのよ。同じようにそこから来た人もいない。だから誰も知らないってわけ」

 時代が下るうちに交通が途絶えたということか。砂漠というのはかなり厳しい環境にあるらしい、とホッパーは思った。

「あんたがいいって言うならいいんじゃない」

「ロバ・アル・カリイエか…………ひょっとすると、存外その地が俺の故郷かもしれんな」

「だったらどうするの」

 ルイズはやや早足になった。

「そんなに故郷に帰りたいの? 家族や友達のことが心配?」

「俺の故郷と信じることのできる証拠があるのなら、すぐにでも」

「あっそう。大好きなご主人様がいようとご褒美が目の前にあれば他所に行っちゃうんだ…………やっぱりあんたには首輪が必要だわ」

 首輪はあまりに理不尽だとホッパーが抗議しようとしたとき、前方から1組の男女がやってくるのが見えた。少年のほうが少女のほうにしきりに話しかけている。すれ違いざまに少年のポケットからなにかが落ちた。

「ギーシュ。あなたなにか落としたわよ」

 ルイズは今しがたすれ違った少年に声をかけた。と同時に薫香と呼ぶにはあまりに強烈な異臭が鼻をついた。

 ルイズが匂いのもとをだとると、その異臭はホッパーの右手から発生していた。てのひらの上には割れた小瓶と芳香を放つ液体が滴っている。ホッパーはやってしまったと小さくつぶやいた。

 とても面倒な事態にまきこまれてしまったとルイズは確信した。



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ep10 変身

3月の投降の折、新たにお気に入り登録してくださった方々へまずはお礼を。

ひたすら駄文が続きますので、お暇つぶしにどうぞ





'18/2/11 ちょっとだけ「プロローグ」に書き足しました。


 三人の男女が言い争っている。金髪で背の高い優男と、これまた金髪に大きなリボンをつけた女生徒に、紺色のマントの女生徒の三人である。

 優男とリボン付きは見かけたことがあったが、紺色マントは見たことが無い。ただ女生徒二人が凄まじい怒気を放つのが分かる。つめよる二人を、優男は必死になだめている。

 隣のルイズは目の前ですすむ騒ぎをあっけにとられた表情で見ている。

 まずいことをした、とホッパーは思った。

 何の気なしに小瓶を拾ったまではいい。ただ力加減がいけなかった。そっと持ち替えようとしたときに無残に小瓶は割れたのである。

 たちまち周囲に香気が立ち込めた。通りかかった男子生徒が、それはモンモランシーの香水だと騒いだ。ギーシュ、お前モンモランシーと付き合ってるのか。

 色違いのマントの女生徒を連れていた優男、ギーシュはそれは僕の持ち物でないとか嫉妬しないでおくれケティなどと言って余裕の態度をとった。ところがリボン付きがこの場に姿を現すと、たちまち表情が青ざめ、当初の余裕はどこへやら、たちまち狼狽し必死に抗弁を始めたのである。

 騒ぎが大きくなるにつれ、律儀なことに野次馬が増えていく。数は二十人ほどか。ことの成り行きを好奇の目で見つめている。

 そのうち手がでるなとホッパーが見ていると、ギーシュがリボン付きに頬をはられた。紺色マントはバスケットから瓶を一本とりだすと、中身を逆さにギーシュに振りかけた。リボン付きは肩をいからせ、紺色マントはよよと泣きながらそれぞれその場を去った。

 無責任な野次馬はどっと笑い声をあげた。むろんホッパーはにこりともしない。なにが面白いのかさっぱり分からなかった。とはいえ香水入りの小瓶を割ったことがこの騒ぎの発端である事実を十分に自覚するところなので、余計なトラブルに巻き込まれないようさっさと退散する算段でいる。

 頃合いとみてルイズの袖をそっと引き野次馬の輪から抜け出そうとしたとき、うしろから声をかけられた。

「待ちたまえ」

 振り向くと、はられた頬の手形も鮮やかなギーシュがこちらを見ていた。近づいてきて、取り出したハンカチで顔を拭いながら言った。

「君たちのおかげで初心な女性が二人も傷ついた。いったいどう責任をとってくれるのかね」

「…………」

「なんとか言いたまえよ、ルイズ。それからそこの使用人、君が一番罪が重い」

「…そうか。確かに小瓶を割ったのは俺だ。すまなかった」

「謝る必要なんてないわ」

 ルイズが声をあげた。

「悪いのはギーシュあなたよ。二股なんてするから、ふられちゃったんじゃないの」

「ちょっとまて、ルイズ」

 ホッパーがルイズに向き直る。

「俺が大切な香水の瓶を割ったから、ギークは怒っているのではないのか?」

 僕はギークじゃない。ギーシュだという声が聞こえたがホッパーは無視した。

「それは違うわ。あの男は恋人がいながら一年生に手をだしたの。要は浮気をしたのよ、浮気を。それが恋人であるモンモランシーにばれたってわけ」

「ならば俺の罪が一番重いというのは?」

「ただの八つ当たり。浮気がばれたのは私たちのせいってことにしておきたいだけよ」

「…浮気は、悪いことなのか?」

「そうね。道徳的に批判されるべき事柄かもしれないわね」

 ホッパーとしては非常にまずいことをしたと自覚はあるにはあるが、ものを壊すとルイズに怒られる、というのがもっとも大きな比重を占めていた。ただし、ルイズのお怒りが及ばないとなれば話は別である。

 ホッパーはギーシュを指して言い放った。

「ならば、間抜けはあいつ一人だけではないか」

 あたりはしんと静まり返った。

 ギーシュはこちらに近づいてきた。唇の端を釣り上げている。

「君、貴族を侮辱するのかね? 心を込めて謝罪すれば聞き逃してもいいんだが」

 ギーシュの主張に負けじと言い返したはいいが、なりゆきで使い魔と一緒になって喧嘩を売ってしまったことにルイズは思い至った。ギーシュの態度が変わったのを見て、幾分冷静さをとりもどす。悪いのは二股したギーシュでこちらに文句を言われる筋合いはないが、こちらとしても大事になるのは避けたい。何とか穏便に済ますようにしなくては。

 相手を刺激しないよう、ルイズはなるべく穏やかな口調で話しかける。

「ねえギーシュ、そのことなんだけどやっぱり私たちも少しは言いすぎ――――」

「侮辱も何も、身の丈に合わぬことは、やめたほうがよいと、そう言ったまで」

 忘れていた。この使い魔は空気が読めない。

 ギーシュの顔が、怒りで紅く染まった。派手にマントを翻し、ホッパーの鼻先に造花のバラを指し向けると、決闘だと怒鳴った。

「君に決闘を申しこむ!」

「断る」

「なっ…」

「それと、これとでは、話が違う。俺が戦う理由など、ない」

 一瞬たじろいだギーシュだったが、何かひらめいた顔で、すぐさま嘲るようなの笑みを浮かべた。

「君は確かゼロのルイズが召喚した平民だったね。なら仕方が無い。行きたまえ」

「仕方ない? …どういう、意味だ」

「そのままの意味さ。サモン・サーヴァントで召喚する使い魔はメイジの属性に似通うものが多い。平民君は非力でおまけに無礼者ときた。ならご主人さまも――――」

「よせ。言うな」

 語気鋭くギーシュの言葉を遮る。垂れ流しの暴言なんて聞きたくもない。

「お前の望む決闘、うける」

「な、何言ってるのよ!? ホッパー、決闘なんてやめなさい!」

 ルイズがそういって詰め寄るのを、ホッパーは制した。

「いつ、どこで?」

「よし、すぐに始めようじゃないか。場所はヴェストリの広場だ。君らは後から来たまえ」

 ギーシュは背を向けた。男子学生が数人、人だかりから抜け出してギーシュの後を追う。

 左腕に重みを感じたホッパーが視線をおくると、ルイズが袖にすがっていた。

「あんた何やってんのよ! わざわざ怒らせるような言い方しなくてもいいじゃない」

「…すまん」

「バカ!!」

 叫んで、袖を引いてホッパーを連れて行こうとする。

「どこへ行く?」

「ギーシュのところ。今なら謝れば許してくれるかもしれない」

 それはないと思ったが口には出さなかった。

「何故」

「何にもわかってないのね。メイジは腕力だけで勝てる相手とはちがう。怪我で済めばいいほうなんだから」

「そうか」

「そうかって、あんた」

 そっとルイズを引きはがすと、広場へむけてホッパーは歩き出す。

「そう心配するな。以外と、俺に都合がいいかもしれん」

 だめだ。ついに使い魔がおかしくなった。そう思ったルイズは頭を抱えた。

 

 

 

 平民は貴族に勝てないらしい。

 魔法が使えるから強い、なんて信じちゃいない。魔法が使えるかどうかなんて、足が速いか遅いか程度の差でしかないはずだ。

 魔法を武力として行使した集団が魔法を使えない人々を統治した、というのがことの始まりだろう。時代を経て創設の根拠は希薄になり、現在に至っては特権だけが根強く残る世の中で醸成された見解が「平民は貴族に勝てない」。そんな世の理が貴族の驕りとともに平民の態度を卑屈にさせた。

 傲慢な連中の考えることも卑屈な態度の人々の怯えも、俺には理解できない。マルト―の言っていた通りだ。他人に構うとろくなことにならない。面倒事は避けるに限る。

 記憶≪メモリー≫を渇望する俺は、あと何度、他者とかかわればいいのだろう。先のことを考えると、少しうんざりする。

 うんざりして仕様がないから、当面は、あの優男をぶっとばすついでに記憶≪メモリー≫の手掛かりを得るとしようか。

 

 

 

 ギーシュは後から来いと言ったくせに遅れてやってきた。汚れたシャツをフリル付きの新しいものに着替えてきたようだ。未だ頬に赤みが残っている。

 ヴェストリの広場は火の塔と風の塔、本塔に囲まれた広場である。西側に位置するせいか空は晴れているにもかかわらず広場全体が夕暮れ時のように薄暗い。人の寄り付かなそうな陰気な場所だった。

 自分を遠巻きに囲む野次馬を、ホッパーはぐるりと見まわした。マントの色がバラバラなことと野次馬が作る円の外側に使用人の姿が見える。わずか十数分の間に決闘の噂は多くの学園関係者の耳に入ったようだ。教師らの姿が無いところをみると、退屈を吹き飛ばすような珍事に関しては、生徒の結束と連帯は自律的に作用するらしい。

 ギーシュへ向けた声援にまじり、暴力的で荒っぽい言葉が聞こえる。学友の勝利を願うのもではなく、小生意気な平民を不具にしてしまえというような言葉だ。声援を浴びるギーシュは機嫌がよさそうだった。

「よく逃げなかったね。褒めてあげよう」

「まだそんなことを言っているのか」

 ホッパーはやや投げやりな口調で言った。すると待って、と隣にいたルイズが言った。

「ギーシュ! 悪ふざけも大概にして。決闘は禁止されているはずよ」

「禁止されているのは貴族同士の決闘だろ。これは貴族である僕と平民君の決闘だ。何の問題もない」

 馬鹿馬鹿しい。

 一度そう思うと身体から力が抜け出るような気分になった。決闘だなんだと言いつつルールの抜け穴をついている。どうやら八つ当たりというのは事実で私刑を加える気でいるのを今更隠すつもりもないらしい。

「だからって…」

「ルイズ、ひょっとして君はあの平民にご執心なのかい?」

「誰がよ!」

 ルイズは叫んだ。

「ヘンなこと言わないで! 自分の使い魔がボロクソにやられるのを黙って見過ごせるはずないじゃない!」

 …………。

 うん。

 まあアレだ。

 随分と心配されたものだ。

「ルイズ。下がるんだ」

「あんた本当にこれでいいの?」

「…いいんだ」

「話は終わったかい? なら始めよう。僕はメイジだ。だから魔法を使って戦う。異論はあるまいね?」

 言うが早いか造花のバラを一振り。一片の花びらがはらりと宙を舞う。地面に落ちた花弁は、鎧を着こんだ人形に姿を変えた。

「僕の二つ名は『青銅』。よって青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手する」

 ワルキューレ。戦乙女。背丈はおおよそ俺と同じかそれ以下。あの口ぶりからすると、頭からつま先まで青銅でできているということか。

「…好きにしろ。その前に、一つ聞いておきたい。」

「何かね?」

「この決闘、俺が勝てばどうなる?」

 ギーシュは何を言っているのか分からないといった表情をした。表情はすぐに消え、やれやれと肩をすくめてみせる。

「勝者が得るのは名誉さ。全く、これだから平民は。まあいい。ご褒美がほしいというなら一つだけ願いをかなえてあげようじゃないか」

「願い、だと」

「一つだけだよ。僕ができる限りのことをしよう。土下座しろと言うならするし、小遣いがほしいというならいくらか恵んであげよう」

「…………」

「やる気になったかね?」

「……ムウ」

 ギーシュがにっと笑った。

 それと同時に青銅のゴーレムが突貫してきた。

 ゴーレムの右拳がホッパーの腹にめり込む。決闘を見守る誰しもが、腹を抑えてのたうち回る哀れな平民の姿を想像した。

 しかし観衆の耳に届いたのは、うめき声ではなく、まるで金属と金属がぶつかる様な硬質な衝突音である。

 ホッパーは先と変わらぬ姿勢で立っている。虚勢だ、とギーシュは思った。腹に鉄板でも仕込んでいたのだろう。

「…この、程度か」

「なんだとっ」

「火球で焼き尽くす。水流で溺れさせる。風で切り刻む。土塊で圧殺する。だが、俺が危ぶんでいたいずれの攻撃も、お前は出さなかった。いや、出せないんだろう」

「挑発のつもりかい? たかが平民に本気を出してはグラモン家の名が廃る!」

 ホッパーの顔めがけてゴーレムの右拳が飛ぶ。連続して足払いをしかけ、大の字に倒れたホッパーの鳩尾に拳を落とした。

「…足りんな」

「減らず口を!」

 立ち上がろうとしたところをまた殴られ、蹴られする。その都度異質な打撃音が響いた。

 奇妙な光景だった。容赦なく痛めつけるのはメイジの繰るゴーレムだ。長身の平民は一方的に殴られ蹴られしている。唇の端が切れて、青黒いあざが浮かんでいた。殴られても悲鳴すら上げず、直後には何事もなかったように立ち上がる。

 やがて日は傾き、城壁から延びる群青色の影がヴェストリの広場を満たすようになった。

 ここへきてギーシュには、ゴーレムを長時間操る経験が無かった。ギーシュは、メイジとして最低ランクの土のドットメイジである。もともと少ない精神力が今や枯れかけていた。みっともないほどぜいぜいと喘いで、額に汗を浮かべている。

 埒が開かぬと、ギーシュは今一度造花のバラを振るい、新たなゴーレムを繰りだした。

「何なんだ君は! いい加減負けを認める気はないのか!」

 2体に増えたゴーレムは同時にタックルを仕掛ける。ホッパーは吹っ飛ばされた。

 ――――そろそろか。

 地面を転がって、止まった。

 見上げた空は茜色に染まっていた。

 夕焼け空を背景にこちらを覗きこむルイズが見えた。

 もう、やめて。とルイズは言った。うっすら涙を浮かべている。

 何故泣く、と言いかけて、ホッパーは自分の身なりを改めた。借り物の服は片袖が取れかけていた。あちこち穴も開いている。口元をぬぐうと手に赤黒いものがこびりついたのを見て、自分の見た目が相当ひどいことになっていると気づいた。

「泣いて、いるのか」

「泣いてない! 勝手な真似するからこんなことになるのよ。あんたは正真正銘の大馬鹿者だわ」

「…………」

「あんたは十分やった。でももう懲りたでしょ。降参しちゃいなさい」

「平気だ。……痛くないからな」

「えっ」

「それに、目当てのものがやっと来た」

 強烈な赤い光が目を射る。

 ルイズは思わず目をつぶった。薄暗がりの広場が、突如として赤色の輝きに照らされた。

 すぐに輝きは止み、ルイズは恐る恐る目を開く。辺りを見回すが、特に変わった様子はない。

 たった一点、何気なく見やったホッパーの腹に、大きなバックルのついたベルトが巻かれていたことを除いては。

「なに……それ」

「『力』だ」

 ゴーレムに好きなだけ殴らせたのは、これを待ち望んでいたからだ。あの夜と同じようにこの身体に致命的な負荷が掛かれば、必ず現れると信じていた。まさかここまで時間がかかるとは想定外だったが、察するにスパイダーの縛糸のほうが強烈で、ゴーレムの攻撃が弱すぎたためだろう。ともあれ期待通りになった。

「俺は、自分が何者か知らない。家族も友のことも。元いた場所にすら戻れない」

「痛みを感じない肉体。生活に破綻をきたすほどの怪力。他人につけられた『HOPPER』という名。これが俺のすべてだ」

「だから。だからこそ…このままじゃ」

 両の拳を握りしめ、ホッパーは立ち上がる。

「空っぽのままじゃ、死ねないんだ」

 記憶≪メモリー≫の在処を求めるように、左手でバックルを握りしめたそのとき。

 左手のルーンが青白く輝いた。

 そして…………。

 一瞬で変身が完了した。

 

 

 

 甲冑。

 その姿を見た全員がそう思った。

 黒い装甲。随所を覆う灰白色の分厚いプロテクター。それと同じ色のグローブ。体側にはしる赤いライン。

 兜。というより仮面だ。

 赤い複眼。二本の触覚。

 外の変化はそれで終わった。

 内の変化はバックルに触れた瞬間から始まった。

 熱。

 体内の小型核融合炉が電力の供給を開始する。莫大な熱量をかかえたエネルギーが体中をかけめぐる。注入された電力により体内の生体機械が活性化し、ホッパーの身体をより戦闘へ適したものへ作り替えた。

 熱が消える。

 ――これは。

 五感を越えるその感覚に戸惑った。

 見える。見えすぎる。

 二体のゴーレムの顔。ルイズのきょとんとした表情。造花のバラの花びらの数。野次馬のそれぞれの顔。噴水象のひび。草の間を這う虫。

 自分の心臓の音。青銅の鎧の摩擦。観衆のささやき。噴水の水の流れ。せきばらい。ルイズの喉がひくっと鳴った。

 前後上下左右。あらゆる方向から収集した情報を同時に知覚していた。

 たまらずホッパーは膝をつく。怒濤の勢いで流れ込む情報に圧倒され、ホッパーの脳はパンクしかけていた。

 立たなくては。そう思いながらも、自分の意志では指一本動かすこともできない。音の大小に関係なく聴覚は音を拾う。視覚にとらえた映像は、時間を引き延ばしたなようにすべてがゆっくりと動いている。

 隠し持っていたマジックアイテムを使われたと警戒したギーシュは、新たなゴーレムを慌てて錬金した。全部で七体。しかしアイテムを使った本人ははふらふらとよろめいたかと思うと、その場に蹲ったままでいる。相手をしとめる絶好の機会を逃すまいとギーシュは杖を振った。

 無数の映像の一つにルイズの姿が映った。小さな唇が何か言っている。「気をつけて!」

 術者の命令を受けたワルキューレが一体、槍を構えて近づいてくる。そして、石突をホッパーの頭に振り下ろした。

 考えるよりもさきに身体が勝手に動いていた。槍の動きに合わせ腕をのばす。貫手の形を作る右手は石突を砕き、ワルキューレの左ひじから先を粉砕した。バランスを崩して倒れこんだワルキューレを抱きとめる。腕に力をこめると、たちまち青銅の胴はぐしゃりとつぶれ、分断された上半身が草の上に転がった。

 ヒト型が、人間に見えた。断面から零れ落ちる臓物を幻視した。あの夜と同じように、この腕が噴き出た血液で赤黒く濡れてゆく。

「あああああああああああっっ!!!」

 青銅の残骸を抱いて、ホッパーは咆えた。

 嘘だ。幻に決まってる。こんな、こんなものが俺の・・・

「あああああああああああっっ!!!」

 ホッパーの叫びに呼応するかのように、仮面の複眼が赤く発光する。同じくして額のランプが点灯した。

 バラバラになっていた感覚が一つになった。

 身体が、自由に動く。

 地を蹴り、手近にいた一体のワルキューレの頭部に拳を叩き込んだ。頭部を破壊されたワルキューレが倒れるのを待つまでもなく、離れたところにいる二体のワルキューレに向かって跳躍した。首を掴み、力任せに頭と頭を叩き付けた。計四体撃破。

 残りのワルキューレは三体。主人から命令がないのか、先ほどから同じ場所に立ち尽くしている。

 三体が集まる中にホッパーは飛び込んだ。

 袈裟切りに繰り出した手刀がワルキューレの肩口からあばらまでを切断する。計五体撃破。

 身体をひねり、左足を跳ね上げたまわし蹴りで、一体を本塔二階の石壁まで蹴り飛ばした。計六体撃破。

 残り一体。右手でワルキューレの顔面を押さえる。指に力を込め、顎から股下まで一気に引き裂いた。

 七体撃破。

 戦闘時間十一秒。

「……俺は…何を」

 はっと我に返ったホッパーは辺りを見まわした。熱源。無し。呼吸、脈拍。無し。グローブには汚れ一つついていなかった。

 ギーシュは周囲に散らばる青銅の残骸を呆然とした表情で眺めていた。ホッパーが近づくと、腰を抜かしたようにへなへなと坐りこんだ。目の前まで詰め寄ると、さっと身体をかばうしぐさをした。心臓の心拍数が跳ね上がったのをホッパーの聴覚はとらえた。

「……まだ、続けるか?」

 ギーシュはホッパーを見上げ、降参だと言った。疲れ切って、年相応の幼さをさらけだした少年の顔だった。

 

 

 

 意外なほど簡単な幕切れだった。ギーシュの敗北宣言により決闘はあっけなく終わったのである。

 勝利の感慨など無かった。もう闘わなくていい。そう思った。

 複眼の輝きが消える。

 『変身』よりもゆっくりとした変化だった。仮面の造詣が崩れ、ホッパーの素顔に戻る。複眼は縮小し、元の大きさの眼になった。蒸気を噴き上げて形をなくした装甲のあとにはボロボロの衣装だけが残ると、それまで静かだった野次馬がざわついた。

「あんた、その…平気なの?」

 たたずむ背中にルイズは声をかけた。聞きたいことは山ほどあったが、それ以外に言葉が見つからなかった。平気だ、と言って振り返ったホッパーの顔からは痣だけでなく擦り傷まで痕を残さず無くなっている。痛みを感じないから、怪我がないから平気だと使い魔は答えることができたのだろう。使い魔の瞳からは何の感情も読み取ることができなかった。ルイズの心の奥に割りきれないモヤモヤとした塊りが残った。

「持久戦に持ち込んで魔力切れをさそうなんて…大したやつだよ、君は」

 立ち上がったギーシュが言った。実際ゴーレムを七体錬金した時点で残された精神力はごくわずかだった。たった一体を動かすのが精一杯の状態まで追い込まれたいたのである。花びらの全て散った杖をポケットにしまい、ため息をついてみせた。

「何よりあのマジックアイテムさ。一瞬で甲冑を身に着けるなんて、一体どんな魔法をつかったんだい?」

「…………」

「噂じゃ東方の出身だそうだね。マジックアイテムはそこから持ち込んだとか」

「……出自は知らん。だが、大方そのあたりだろう」

 ホッパーの物言いに不信を抱くほどギーシュは疑り深くなかったようで、それで納得したような表情をした。

「そういえば、決闘の前に約束をしたな。願いをかなえると」

 ギーシュは頬に冷や汗をかきながぎこちなく頷いた。貴族である手前一度口にしたことは撤回できないし、しらを切るほどひねくれてもいない。武門グラモン家の子息といっても彼は四男坊である。家の中ではやや肩身の狭い思いをする身上なので、頭の中では、小遣いは小遣いでも少額で済めばいいなとかタダなら土下座でもいやプライドが傷つくからいやだなーなどと考えていた。

 かつてないほど脳をフル回転させていると、意外なことをホッパーは言った。

「謝ってくれ」

「土下座しろと!?」

 否とホッパーは首を振る。

「俺にじゃない。二股かけたあの金髪のリボン付きと一年生に、だ。俺からも、香水入りの小瓶を割ってすまなかったと、騒ぎを起こしたことを詫びると、二人に伝えてくれ」

「あ、ああ。君がそうしてくれというなら、そうしよう」

「今すぐに、だ」

「わ、分かったよ」

 回れ右して駈け出そうとするギーシュの背にホッパーは待ってくれと声をかけた。

「まだ何かあるかね?」

「もし、もしだ。仮に小瓶を拾ったのが俺でなくルイズだったら…ギーシュ、お前はルイズに決闘を挑んだか?」

 ギーシュはうつむいた。しかしすぐに顔をあげてきっぱりと言った。 

「僕も男だ。女性に手を上げるなんてことはしない」

「…そうか。引きとめて悪かった。もう行ってくれ」

 ギーシュは背を向けると、足早にこの場を去った。

 野次馬はその数を減らし、使用人たちの姿も見えなくなっていた。薄暗い、静かな広場にはホッパーとルイズだけが立っていた。

「『謝っておいてくれ』なんて、何を考えてるの?」

 ルイズが言った。

「…………」

「ダンマリ禁止!!」

 叫んで、ホッパーのすねを蹴る。が、ホッパーはなんの反応も見せなかった。つま先に走る痛みにを我慢して目の前の使い魔を見上げる。

「アレはきっと、優柔不断な男だ。それともただの女好きかもしれないが」

「それで?」

「きっかけを用意しただけだ。いっそこの際、二股なんかやめてどちらが本命か決断するのがギー……ギーシュのためだろう。後で恨まれでもしたら面倒だからな」

 ホッパーはあの少年が去り際に見せた、こちらを見据える視線になにか譲れぬものを感じた。いけ好かないことは確かだが、彼の女性に関する矜持はどうやら本物らしい。

「案外、決闘を口実にして、リボン付きからの贈り物を壊した俺を叩きのめすのが本心だったかもしれん」

 ルイズはちょっと考えてから、半目になって、鼻でふっと笑った。

「あの色恋にだらしない残念な男が? どうみても考えすぎ。ないない。絶対ないわ」

「…そうだろうか」

「そうよ」

「…………」

「あとリボン付きじゃなくてモンモランシーよ。人の名前はきちんと憶えなさい。でないと主人である私が笑われちゃうじゃないの」

 ルイズは歩き出しながら、とりだした懐中時計を確認する。暗いせいで文字盤が良く見えない。手元を覗きこんだホッパーが「もうすぐ夕食の時間だ」と言った。

 ホッパーが言ったことは本当だった。ルイズが食堂についてみるとちょうど食事の始まる時間だったのである。

 長身の使い魔は賄いをもらってくると言い残してルイズと別れた。




誤字脱字等ありましたらご指摘願います。


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ep11 ああ、有情

どうも。dekeです。生きています。











「まあ、ホッパーさん!」

 厨房にホッパーが顔を出したところ、偶然通りかかったシエスタは銀のトレイをとり落とした。よっぽど驚いたらしい。

「なんてこと……そんな姿…」

「ああ、これはさっき」

「知っています! と、とにかく座ってください」

 椅子を運び、奥に向かって料理長、ホッパーさんがいらっしゃいましたとあわただしく声をかけると、どこからか包帯と薬壜を持ちだしてきた。ホッパーが椅子に腰をおろすと、すかさず腕をとって傷をしらべはじめた。

「ひどい…さあ、手当てしてさしあげますから、上着を脱いで…ああでも切ったほうがいいかしら……」

「いや、その必要はなさそうだ」

 ホッパーは、シャツをまくり上げて、筋肉たくましい上半身を出すと、シエスタはきゃっと言って両手で顔を覆った。

「…………」

「…ひどいものでもない」

「そんな…あんなに殴られていたのに、あざ一つないなんて」

 シエスタはそう言い、顔を赤らめたまま、こわごわとした手つきでホッパーの腹を触った。

「どうやら、俺は、傷の治りが早い体質のようだな」

 他人事のように言ってはみたが、回復が異常に早いことはホッパーも自覚している。ベルトの出現が原因なのかそれとも姿が変わったことに関連しているのか。どちらにせよ、負傷はすべて回復している。

 厨房にやってくるほんの少し前、ホッパーはヴェストリの広場にいた。日はとうに落ちている。双月と窓からこぼれる蝋燭の灯が、広場を照らしていた。光源はそれだけだったが、ホッパーの視界は真昼のように明るかった。暗さに目が慣れることの比ではなく、まるで日中のようにヴェストリの広場の端から端までを見通していた。ベルトの出現は身体の変化だけでなく、平常時の感覚強化を促したらしい。ルイズがとりだした懐中時計の針の位置を読むことなど簡単だった。

 同時にホッパーの耳は、大勢の人間の発する『音』――心音、呼吸、衣擦れ、会話――をとらえていた。意識を集中することで、音を詳細に聞き分けることができた。分厚い石壁の向こう、本塔上階にある食堂から無数に聞こえてくる無数の音が、大人数が集まって歓談するという漠然としたイメージを脳内に再現する。

 強化された視覚と聴覚の働きはこの厨房に来てさえ、その効果を発揮していた。料理人たちの時折こちらにおくる視線。マルト―が後ろから近づいてくることすらホッパーには見えていた。

「よう、ホッパー。聞いたぞ。貴族の小僧っ子に、だいぶ痛めつけられたようだな」

 シエスタとの会話が耳に入っていたらしいマルト―が声をかけてくる。ホッパーは首を回して後ろをむいた。

「シエスタ、手が止まってるぞ。はやく手当てしてやれ」

「でも……見てください。治ってるんです」

「はあ?」

 間抜けな声を出したマルトーは、ホッパーを立たせると、身体のあちこちを押したりつまんだりして痛むか? と訪ねた。どこも痛まない、とホッパーは答えた。それが済むと、肩を回せ、屈伸しろ等々指示する。ホッパーは素直に応じた。

 ありえない、とつぶやきが漏れる。ホッパーの顔、腹、足にさえ、打ち身はおろか骨折さえないことを、マルトーは証明したのであった。

「おまえ、実はメイジだったのか? 水系統の」

「…俺は、杖なんかもっていない」

「それじゃどうして?」

「…そういう体質なんだ」

 ホッパーにそう言い切られて、マルトーは曖昧に頷いた。

「いや、怪我が無いならいいけどよ…………しかし、よくもまあ貴族と決闘なんてやろうと思ったな」

「…なりゆきで、しかたなくだ。できれば、決闘は避けたかった」

「謙遜するなよ。勝ったんだから、自慢したっていいんだぜ」

「…自慢することでは、ない」

 まぎれもない本心だ。面倒事は避けるのが一番いい。俺と同じことを、昼間料理長は言ったじゃないか。

 一瞬何を言っているのか分からないといった表情の後、マルト―はブフッと噴き出した。太った腹を抱えて笑うついでにホッパーの背中をバシバシ叩く。ホッパーは椅子から転げ落ちそうになった。

「くくっ。そういえばそうだった。お前さんはそういう奴だったな。ぶふっ」

「…何故笑う」

「いや、悪い悪い……けどよ、聞いた話じゃ魔法の鎧でもってゴーレムを倒したそうじゃないか。そんなものがあるなら、なぜ最初から使わなかったんだ?」

「…料理長。それこそ、他人の都合というやつだ」

 ベルトの出し方が分からなかった、とは言わないでおく。

「ははっ、言うじゃねえか。あとマルト―でいいぜ。今更他人行儀にする仲でもないだろ」

「…そうか。なら、そう呼ばせてもらう」

 そこに、あのー、と声がかかる。振り向くと、年若い料理人が立っていた。

「早く仕事に戻ってくださいよ、料理長。鍋が焦げちまいます」

 今行く、とマルトー返事を返すと、年若い料理人は姿を消した。そしてホッパーたちのほうを向くと言った。

「やれやれ戻らにゃならんか。勝利記念ってことでもてなしてやりたいが、まず飯はいいとして……ああ、そうだ。シエスタ、お前さん今日はもう上がりだろう? 薬と包帯片づけたらフロランスの古いのを振る舞ってやれ」

 はいと返事をしたシエスタがてきぱきと片づけをして厨房の奥に消える。マルトーは肩を寄せてきた。

「あいつ、だいぶ慌てていたようだな。薬は薬でもありゃ食中りの水薬だ」

「…………」

「しかしおまえさんひどい格好だな。着替えはもってるのか? 古着でいいなら俺らのをやってもいいぜ」

 他愛ない世間話をするような口調で言うわりに、声は低く抑えている。マルトーは言った。

「シエスタに元気がないっていう、アレのことなんだがな……お前には伝えておこうと思う」

「…………」

 ホッパーはマルトーの顔を見た。マルト―の赤ら顔に、わずかだが憤慨したような表情が浮かんでいる。

「つい三日前だ。宮廷からの勅使にしつこく絡まれてな。かなり嫌な思いをしたはずだ」

「…絡まれた、だと?」

「そのときは俺が割って入ってうまくごまかしたんだが……よりによって今日の昼に、またちょっかいかけられたようだ」

「…………」

「その場に居合わせた連中は、関わりを恐れてみんな見てみぬふりさ。たまたま通りかかったオールド・オスマンがとりなさなかったら、明日にでも奉公先が変わっていたかもしれん」

 ひそめた声とは裏腹に、眉間に怒気を含んだしわが寄っている。憤りを隠せぬ様子でマルトーは続けた。

「なにより仲間が助けてくれなかった、ってのに一番ショックを受けたようでな……仲間の気持ちも分かるだけに、余計納得がいかない。だから、少々時間をかけて、自分の中で折り合いをつけていくしかないんだ」

「勅使というのは?」

「モット伯爵という。宮廷の権威を笠に着て威張り散らす貴族の典型みたいな野郎さ……そいつは公務を終えるまでこの学園に滞在している」

「メイドたちは普段仲良くしているのではないのか?」

 ホッパーはシエスタの顔を脳裏に思い浮かべた。ホッパーが見る限り、メイドらと働いているときの彼女に同僚との隔たりを感じさせる様子は無かったのだが。

「何も無いときはみんな仲がいいさ。けど”普段仲のいい間柄”が、いざ何か起こったときの”頼れる関係”にはならない。根っこは気のいいやつらなんだがな」

「…なるほど。そういう事情が、あったのか」

「勅使がいなくなるまで、シエスタは不安を抱えて過すことになるんだ……何かあったら、ホッパー、おまえシエスタを助けてやっちゃくれないか」

「…ああ。俺に、出来ることがあれば」

「頼んだぜ」

 言うだけ言うとマルト―は踵を返して調理場に戻っていった。固太りの背中が料理人でごった返す空間へ消えてゆく。

 昼にシエスタが見せた思わせぶりな表情に、ようやく合点がいった。親しくしていたはずの人物が助けてくれなかった――きっとシエスタは、裏切られたような気がしただろう。

 ルイズがそんな目にあっていたら、きっと俺はルイズを庇うだろう。そうする自信はある。しかし、対象がルイズではなくシエスタだったら。いやシエスタでなく、顔も名前も知らない誰かが窮地に立たされているとしたら、俺はその誰かを助けるだろうか?

 忙しそうに働く料理人たちの様子をホッパーはぼんやりと眺めた。メイドたちの姿もちらほら見える。配膳のワゴンがガチャガチャとやかましい音を立てて、ホッパーの脇を通り過ぎて行った。

 煮炊きの煙が漂う調理場は、薄青い煙に包まれて咽っぽく、おまけに騒々しい。それぞれの会話が耳に飛び込んでくる。

 煮込み料理は完成したか? 皿が足りないわどうなってるの? 配膳がいつもより遅れてるぞ ハーブ取ってくれ このド阿呆!てきぱき働きやがれ!!

 『変身』したときほどではないにしろ、厨房にいる人間が発する『音』を同時に知覚する。乱雑に。無闇に。俺の意志に関係もなく。

 ああもうだから言ったのに! 今日のまかないは? こっちだって精一杯やってんだからさあ 決闘見た? あのクラスの成績のことなんじゃが 

 視界がぼやける。意識すればするほどに『音』が聞こえる範囲が広がっていく。厨房。大広間。そして外。頭の中でそれらがおぼろげなイメージを形成し、崩れ、再び別のイメージを作りだす。目の前の景色と脳内のイメージの境界が溶解し、『変身』したときのような多重視界を再現していた。

 薪がまるで足りないぞ スープの配膳が終わりました お待たせしました今夜の賄いととっておきのワインを――――

 ああ。もう。

「…うるさいな」

「え、あ、あの、私何か…………」

 

 視界が回復した。

 

 眼前に、おろおろしているばかりのメイドが一人。木杯と酒瓶を抱えたシエスタが、困った顔をしてそこにいた。

 そうだ。ここは厨房。煙で咽っぽく喧騒で満ちている空間に、俺はいる。 

「いや。その…つまりだ」

 ふと漏らした独り言が原因だ、ということは容易に想像がつくので、

「今のはシエスタ、君に対してではなく、いわば無意識の内に発した言葉であって」

 気づけば身振り手振りまで。必死になって弁解していた。

「…………」

「俺が厨房に来るのは昼過ぎか夜遅い時間で。皆が忙しく働いていることろを見るのは、初めて、なんだ。単に賑やかだなと、思っただけで。ただの……独り言なんだ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 弁解した効果があったのか、シエスタに困惑した様子は無くなった。が、今度はあっけにとられたような表情をしている。その変化の意味を図りかねたホッパーが対応に窮していると、

「プッ」

 笑われた。

 

 

 

 シエスタが盛りつけてくれたシチューを、ホッパーは黙々と食べた。裏ごしした豆に野菜と塩漬け肉を炊きこんだシチューである。添えた香草がほどよく香る。

「これは、うまいな」

 顔を上げてホッパーは言い、椀を上げてかきこんだ。

 シエスタが気を利かせてくれたのか、いつもより具が多く、舌触りが滑らかなのはバターをたっぷり使っているからに違いない。いつもは薄味に感じてしまうが、このシチューは格別だ。

「美味しいのは当然ですわ。貴族の皆様にお出しするものと同じものですから」

「なんだって?」

「他の人には内緒ですよ。ほらこれも」

 手に取った小ぶりなパンを、シエスタは割って中身を見せた。

「…白いな」

「小麦だけを使用した、高級品です」

「…………」

「ホッパーさんの勝利記念ですよ。今夜は特別です」

 シエスタはそう言うと、木杯にワインを注いだ。

 よく見ればシエスタの前に並んでいる料理は、ホッパーが食べているものと同じである。自分の食事も確保するあたりちゃっかりしているようだ。

「フロランス産のヴィンテージワインだそうです。さあどうぞ」

 琥珀色の液体をホッパーは一息に飲み干した。酒の善し悪しを判ずる知識はないが、舌に感じる刺激と鼻に抜ける香りが素晴らしい。少なくとも先日の酒盛りで振る舞われたものより上質な酒である。

 シエスタは空になった杯に再びワインを注いだ。

「おかわりはいかがですか? この鴨のパイ包みは絶品ですよ。このブリーを見てください。切り口がつやつやしています。デザートにはクックベリーパイを用意しています」

「わかった。わかった」

 ホッパーは手を振って、勢い込むシエスタをなだめた。

「…全部食べるさ。しかし、いいのか? ”貴族の食事”なんだろう」

「胃袋にしまえば問題ありません」

 おいおい。

「と、いうのは冗談でして」

「…………」

「威張り散らしている貴族を、平民が倒したんだって。苦戦するふりをして、最後は余裕綽々で負かしたって、厨房のみんなが大喜びしたんです」

 つまり、俺のやったことは、平民からすれば英雄的行為に受け取られたようだ。いや、英雄というのはいきすぎで、強力な助っ人が現れたような気分ということか? うまく言い表せないけれど。

 飯を食いに厨房に出入りするようになってからは、タダ飯をあずかるばかりでは図々しいような気がして、簡単な仕事であれば自分から申し出て手伝うようにしていた。人一倍体力と腕力に優れたので、水汲みから荷運び、そしてまき割りまで、貴重な労働力としてたいへん歓迎された。その甲斐あってか、厨房のみんなからは、すでに同僚や”仲間”として認知されたのかもしれない。

 それでも、だ。俺のやったことは、降りかかる火の粉をはらったようなもので、貴族に対し敵対する意図はなかった。言ってみれば男と男の意地の張り合いだった。今回はギーシュと対立したものの、あのとき蔑みの言葉を投げかけたのが平民だったとしても、俺のとる行動はギーシュにむけたそれと変わらないのだ。そこの違いを、厨房のみんなは理解しているだろうか?

「…そうおだてられても、な」

「まあ、みんなちょっとうかれているだけですから。1週間もすれば熱も醒めますよ…………まあ、それはそれとして」

 好奇心を抑えかねたというふうに、シエスタは言った。

「いろんな憶測が飛び交っているのは確かです。素性の知れない使い魔は…私が言ったんじゃありませんよ? 元々は貴族だったとか、大商人の総領だとか。今のところ、現役の傭兵というのが有力なうわさです」

「…なぜ」

「なぜもなにも、あの鎧を見た人はそう思いますよ。鎧を一瞬で身に着けるマジックアイテムなんて、誰も見たことも聞いたことありません。おまけに着た人を力持ちにする魔法が鎧にかかっているんですから。『東方の出身』というのが噂に拍車をかけています」

 シエスタは俺が記憶を失っていることを知っている。教えたというより、質問攻めに耐えきれなかったホッパーが、ボロをだしたというのが正しい。

「そもそも全身を覆う鎧は、大貴族かお金持ちの騎士さまの持ち物ですし…」

 誤解だ、といいかけて、ホッパーははたと口をつぐんだ。

 鎧だって? だとすれば鎧は俺の身体そのものだ。そんな生易しい代物なんかじゃあない。左手がベルトに触れたとき、脳がパンクするほどの情報量のなかには、この身体の機能に関するものも含まれていた。その機能が、この身体が、ある目的のために特化していることも――――

 ホッパーは左手に刻まれた奇妙な文字列を眺めた。案外傭兵という指摘もあたっているかもしれない。もう一度腹に触れれば、あの姿に変われるだろうか。間近で変わる瞬間を見せつけたら、シエスタはどんな反応を示すだろう。

 韜晦する心持で、腹部に手を当てがった。…が、なにも起こらなかった。

「…………」

「ホッパーさん?」

「…………」

「怖い顔してますよ? …やっぱりどこか痛むんですか!?」

「…いや、なんでもない。噂する連中に会ったら伝えてくれ。俺は貴族でもなければ傭兵でもないと…………食事を続けよう。おかわりをくれ」

 親切な彼女はすぐにおかわりを用意してくれたが、さっきまでうまいと思っていた食事も、なぜか一段と味が落ちた気がした。

 早々に食事を終えて、食器を片づけていると、シエスタがさっと近づいてきた。

「ホッパーさん。私、ちょっと気になることがありまして…」

 シエスタは、若干歯切れ悪く言った。

「着替えのことなんですが…」

「…ああ」

 ホッパーは、シエスタの言わんとすることを察した。

「…あるにはある。が、予備は一着だけだ。どうにもならん」

「失礼ですが、暮らしお金は?」

「…召喚されたとき、俺の持ち物は、何も無かったそうだ」

 シエスタはホッパーの顔をちらっと見た。

「ミス・ヴァリエールの身の周りのお世話もなさっているとか、お聞きしましたが」

「…厨房に来れば三食つきで、たまに酒も出る。ルイズが授業に出ている間は暇だから、昼間は風呂にだって入れる」

「あの、ホッパーさん?」

「…要するに、だ」

 ホッパーは天井を仰いだ。

「…簡単なことだ。ルイズによると、俺は使い魔であって、使用人ではないらしい。身の周りの世話をかってでてたところで、ルイズは俺を雇い入れたわけではないから、つまりはご主人様へのご奉仕ということになる」

「…………」

「…いやなに、大丈夫だ。必要なものがあれば購入する…と、一応言っていた…はず」

「…………」

 シエスタはだいたい事情は飲み込めたようだ。その証拠にホッパーを気の毒そうな顔で見つめている。シエスタはホッパーの手を取ると、両手で力強く包み込んだ。

「つらいことも多いけど、私たち頑張って生きていきましょうね」

「…あ、ああ」

 だがすぐに、はっと気づいた顔をしたシエスタは、ぱっと手を離した。はしたないことをしたという自覚があったらしい。こほん、と咳払いすると、

「私でよければ、いえ、私だけじゃありません。マルトーさんや厨房のみんなだってきっとホッパーさんの力になります。だからくじけちゃダメですよ。いつだって頼ってください」

「…すまん。世話になる」

「こういうときは助け合いです。でも、ここは、『ありがとう』というところですわ」

「…………」

「…………」

「…ありがとう」

 黒い眼にじーーーっと見つめられたホッパーは、ついに根負けして言った。ルイズ以外の他人に関わるまいと心に決めていたにも関わらず、なぜシエスタの身上にこだわったのか、その理由が今分かった気がした。この少女だけだったのだ。その素朴な優しさゆえに、召喚されて以来ルイズ以外で心を許したのは。

 使った食器を片付け終えると、ホッパーはシエスタと別れた。手伝うことはあるかと聞いたところ、マルトーは、怪我人はさっさと休めと言って笑った。

 おやすみなさい、と挨拶をしたシエスタの姿がみえなくなってから、ホッパーは厨房を辞して寮塔へむかった。

 記憶≪メモリー≫を得る以外目的を持たなかったこの俺が、いまではすっかり使用人たちと馴染んでいる。ましてあのそばかすが印象的なメイドの身上まで気にかけるとはどういう心境の変化だろうか、と心の中で苦笑いした。

 気がゆるんでいる、とは思う。実際今の生活に居心地のよさを感じている。

 ――記憶≪メモリー≫を、あきらめたつもりはない。

 とホッパーは思った。厨房にはマルト―のような気のいい連中もいる。この学院にいては孤立無援というわけでもない。ルイズとの契約にこだわらずとも、道は開けるのではないだろうか。

 ――『鎧』について調べてみる必要がありそうだ。

 とはいえ、調べ物をしようにもホッパーに伝手もなければ、文字も読めない。やはりルイズにいろいろと頼むことになるだろう。

 自然と気が急いて、寮に足を踏み入れると小走りになった。そしてルイズの部屋の前に立ったとき、鍵がかかっていることに気付いた。

 迂闊だった。『鎧』を気にかけるあまり、ルイズの所在を失念していたのだ。食堂前で別れるときにどこで落ち合うか約束するべきだった。

 ホッパーに当初あてがわれた部屋は、編入生がくるとかでつい昨日追い出されたばかりだ。ゆえに自室で待つという選択肢はない。

 ホッパーがドアノブを破壊した扉はとうに新しいものと交換されていた。そのため廊下に並ぶ扉のなかで1個だけ妙に浮いた存在感を放っている。まさか扉を蹴破って押し入るわけにもいかぬ。しばし思案する。

 …………。

 ――探しに行くか。

 まだ食堂にいるだろうか。すれ違いにならなければいいけれど。

 階段へ足を向けると、ちょうど上がってくる足音を聞きつけた。

 ルイズかと思ったが、歩幅が広いので別人だろう。踊り場から姿を現したのは、

「あら、あなた…」

 燃えるような赤毛に褐色の肌。キュルケだった。

「ホッパー、だっけ? そんなところでなにしてるの?」

「…ルイズを、探しに」

「なんで?」

「…部屋に、入れなくてな。鍵は、ルイズが持っている」

 ふーん、とキュルケ。

「合鍵は?」

「…持たせるには、信用が足りないとか」

 お困りのようね、とキュルケ。彼女は言った。

「なら、私の部屋で待てばいいじゃない」

「…………」

「殿方を自室に招くなんて本当はいけないことだわ。あなたははしたないと思うかしら?」

「…いや」

「優しい人」

 キュルケはすっと寄ってくると、ホッパーの手をさぐって握った。

「ヴァリエールを待ってる間お話ししましょう? 学園に突然現れた謎の騎士さま。ああ、あなたはどこからやってきたの?」

 ホッパーは黙って話を聞いていた。騎士だのなんだのと、他人が何を思い何を言うかは他人の勝手である。内心では話の齟齬を訂正するのがただ面倒だった。

 とはいえ、話の内容自体は悪いものではない。一か所で待つことができるなら、それに越したことはないのだ。が、「お話ししましょう」とはどういうことだ? 男を自室に引き入れるにしては、少々無防備すぎやしないだろうか? なにか裏がありそうだ。

「…少し聞いていいか?」

「どうぞ」

「…あなたはルイズと……仲が良くない、と記憶している。俺は、ルイズの使い魔だ。そんな俺に、なぜ……声をかけたんだ?」

 キュルケは手を振りほどくと、周囲に人の目がないことを知ってか、大胆にもホッパーの腕に自分の腕を絡ませてきた。

「なぜって、そんな野暮なことおっしゃらないで」

 身体が密着しているので、何がとは言わないが、むにゅんと柔らかいものが押し当たる。キュルケは顔を寄せて、そっと囁いた。

「あたし、恋をしているの。あなたに」

 何を言いだすかと思えば。恋。

 …恋?

「素敵だったわ…ゴーレムをあっという間に倒したあなたの姿。武器を持たずに、素手でやっつけちゃうだなんて! 粗野という人もいたけど、あなたからはそんな言葉では言い表せない野性を感じたわ…あたし痺れたのよ!」

 頬は上気し、熱っぽい口調でキュルケは言う。

 対してホッパーは冷静だった。

 ホッパーは、キュルケの取り巻きたちを思い出した。彼女に取り入ろうと、歌劇もかくやと、クサいセリフを吐いていたあの男たち。彼らがどのような人物かは知らないが、今思えば、キュルケの手連手管の駆け引きにのせられた連中ではなかったのか…。

 嫌な予感がした。

 誘いにのったところで俺がどうにかなるわけでもない。己の性分は充分自覚している。俺を口説こうとしても、彼女はそのうち飽きるに違いない。しかしキュルケと顔を合わすたび口喧嘩を起こす我が主は、それを見てどう動くだろう。確実に、誰も得しない方向に行動するのは目に見えている。

「…いや。やめておこう。話がしたいなら別の機会に」

「そんなことおっしゃらないで。私といるのがお嫌なの?」

 キュルケは悲しそうに言った。

「…いや。そうじゃないんだ……」

 一人、階段を上がってくる。その人物は、ちょうど下の踊り場にいて、さきほどから聞き耳をたてていたのだ。その足音に、ホッパーは覚えがあった。

 …………。

 ――来た。

 と思ったとき、ルイズは現れた。

「ツェルプストー…!!」

 矮躯から、魔界堕ちした羅将の如き黒々としたオーラを漂わせている。ホッパーの嫌な予感は的中した。

 ギン、と怒りに炯々と光る眼をホッパーへむけて、

「ホッパー」

「…なんだ」

「その女から離れなさい」

「…ああ」

 キュルケが抱きついている腕を器用に外して、ホッパーはキュルケから離れた。だがルイズはそれで満足しなかったらしく、ホッパーの手をとると、キュルケを追い越して、自室の前まで引っ張っていった。

 黙ってられないとばかりにキュルケは、

「待ちなさいヴァリエール。人の恋路を邪魔するなんて、なってないわね」

「説教されるいわれはないわ、ツェルプストー。あんたに相手してほしい男どもが他にも沢山いるでしょう」

「今はホッパーに恋してるの。好きになったの。どうしろっていうのよ」

「人の使い魔に手ぇ出すほうがどうかしてるわ!!」

 ルイズは叫ぶと、鍵を開ける手ももどかしく、ホッパを自室に引っ張りこんだ。バタンと乱暴な音をたてて扉が閉まる。

 騒々しかった廊下に静寂が戻った。

 静かになった廊下に、きゅるきゅると鳴き声が響く。

「あら、フレイム。いたの?」

 主人の帰りを待ちわびたサラマンダーが、部屋から顔をだしていた。縦に裂けた瞳がじっと主人を見つめる。

「なんでもないわ。もう寝ましょ」

 何でもないふうを装って、キュルケは自分の使い魔に話しかける。それを聞いて安心したのか、使い魔は頭を引っ込めた。

「諦めないわよ…フォン・ツェルプストーの女は皆、恋の狩人なんだから」

 ルイズの部屋を横目にキュルケはつぶやいた。

 

 

 

 申し出を断ったときは、合理的な判断を下したと思った。

 思われたのだ。

 なのにどうだろう。あれから五分と経っていないのに、ルイズの自室にて、ホッパーは床に正座させられ、肝心の主人はベッドに腰かけて乗馬用の鞭を片手にペチペチ鳴らしている。

 ホッパーはルイズの顔色を窺った。眉間に皺をよせ、唇の端を釣り上げている。どうやら怒りレベルは中程度のようだ。だがルイズは興奮するとさらに頭に血が上るタイプ。受け答えは慎重にせねば。

「この盛りのついた野良犬~~~~~~ッッッ!!!!」

 訂正。怒りレベル大。つまりは最初からクライマックスだ。

「犬ッ!! 犬ッ!! 犬ッ!! 犬ッ!!」

 叫んで、ルイズは鞭を次々に振り下ろした。ホッパーはそれを、上半身を器用にくねらせて回避する。ルイズが疲れて動きを止めるまで、鞭はかすりもしなかった。

「ぜぇはぁ」

「…やましいことは、なかったんだ」

「…………」

「…弁解しても、いいだろうか?」

 こくり、と肩で息するルイズが頷く。どうやら一時休戦のようだ。

「…そもそも。キュルケに」

「キュルケに誘われてホイホイついていこうとしたんでしょう」

 即座に息を整えたルイズが言葉厳しく切り返す。

 半分当たっているといえば当たっているのでホッパーは言葉に詰った。いや、まだ活路はある。考える時間をあたえず、とにかく会話を続けるのだ。ルイズがこちらの出方を、それに対する対応を練らないうちに。

「…実は探」

「探しに行くべきよね、私を。労を惜しまずに」

「…他人の好」

「好意にみせかけた罠よ。色ボケ一族のいつもの手だわ」

「…断じて、色香に惑わされたのではなく。あくまでルイズ、お前のために」

「へぇ、私のため? ご主人様を置き去りにする使い魔なんて聞いたこともないわ」

「…………」

 だめだ。手詰まりだ。

 機先を制すつもりが、出た先すべてつぶすカウンターをくったホッパーはたじたじとなった。

 …いや待て。

「…いつから会話を聞いていたんだ」

「キュルケが世迷言を言いだしたあたりから」

 口説き文句を世迷言とばっさり切り捨てるルイズである。

「…ならば、俺が断りを入れたことについては」

「もちろん、聞いていたわ」

 どうだまいったか、とでも言いたげな表情だ。

「…ならば、疑いは、晴れるはず」

 今度はルイズが言葉に詰まる番だった。怒りが先行するあまり、ことの成り行きをよく考えていなかったらしい。しまった、とでもいうような顔をした後、ぷいと顔をそらした。

「べ、別に疑ってなんかいないわよ。あの色魔にたぶらかされてないかちょっと試しただけなんだから」

「…事実誤認とは、このことだな」

「と、とにかくっ」

 キュルケが二人きりになったのをいいことに、ホッパーを凋落したのだと思っていけれど……ホッパーにうしろめたさを隠すような態度は見受けられない。どうやらホッパーは、誘惑をきっぱり断ったようだ。

 ルイズは咳払いして、

「誘いにのらなかったのは立派よ、ホッパー。でも一つだけ忠告しておくわ。あの女に関わっちゃダメ。絶ッ対、ダメ」

「…なぜ。そこまでキュルケを……その、嫌うんだ?」

「なぜもなにも敵よ、敵。先祖代々のね」

「…穏やかじゃないな」

 またもや黒いオーラが立ち昇る。

「フォン・ツェルプストー家はね、私の実家ヴァリエール家と国境を挟んだ隣りにあるの」

 まず国境がどこだと問いたかったが、話の腰を折ることになるのでやめておいた。

「戦争になれば……いえ、戦争だけじゃない。森、水源、狩場…争いが起こるたびに真っ先に杖を交えてきたのよ」

「…国境、ということは。キュルケは、この国の生まれでは、ないと」

「ん、ああ、キュルケはトリステイン王国の隣の国、ゲルマニアの留学生。言ってなかったっけ?」

 先祖代々血で血を洗う争い代々繰り返してきたと。両家の遺恨を重ねた結果が、今のルイズとキュルケの関係の基盤を形成しているというわけか。

 恨みは深そうだ。

 とは言うものの、キュルケの場合憎んでいるというよりは、ルイズをからかって遊んでいるだけにも見えるが。ルイズにしても「嫌い」よりは「苦手」にしているというのが事実のような気がする。

 …………。

「…ちょっと。待ってくれ」

「なによ」

「…二つの家は、戦争をしてきたと。そういうなら、なぜ悪口が『色魔』や、男がどうとかになるんだ?」

 両家の因縁に因るならば、人殺し、と言うほうがまだしっくりくる。そもそも、周囲に男を侍らせる様子を皮肉るなら、キュルケへの個人攻撃に終始するはずではないか。

「ああ、それはね」

「…………」

「ゲルマニアは、新しくできた成り上がりの国なのよ。戦争に戦争を重ねて、一番強い都市国家が覇権を握った経緯があるわ。あの国では、お金さえあれば土地も身分も買える………野蛮だわ」

「…ある意味では、自由だ」

「そうね。でも限度があるわ。少なくともここトリステインでは、男女の交際は慎み深くあるべき……なのに、なのにあの国は」

 …………。

 ああ。

 なるほど。

「……積極的に仕掛けるのが普通、と」

「その通り! そしてなにより許せないのは!!」

 声高らかにルイズは咆えた。

「私の家は、あのフォン・ツェルプストー家に何度も辱めを受けたわ! 婚約者をとられたり、奥さんをとられたり……例えば200年前のヴァリエール家の当主は、その当時のツェルプストーの男に恋人を奪われたのよ! それから――」

 なんとまあ業の深い。

 しばらく寝取った奪った騙されたと話が続いたので、ホッパーは適当に相槌を打って聞き流した。相当恨み?は深いようだ。

 ところで。ルイズがまくしたてる間に、窓の外で何かが燃える音と誰かの悲鳴が聞こえたが……ここは三階だ。多分聞き間違いだろう。

「――ということがあったの。これで分かった?」

「…だいたい、分かった。実家は、隣り同士。寮でも、隣り同士、と」

「話聞いてた? …まあ、その通りよ。隣部屋だって知ったときは、私は運命を呪ったわ」

 話し続けて喉が渇いたのか、ルイズは水差しからカップに水を注ぐと、一息に呷った。

「…ふう。しかし厄介なことになったわ。まさかキュルケに目をつけられるなんて…」

「…?」

「あんたの身が危ないって言ってるの。取り巻きの男どもを見たでしょう? キュルケに気にいられたことが知れたら、まず間違いなく袋叩きにされるわ」

「…まさか。ここは、学院だ。そんなことは……」

「…………」

「…あったのか。過去に」

 こくり、と頷くルイズ。

「小競り合いがあったってだけ。でもまあ、昼間の決闘騒ぎを見た人なら、あんたにちょっかいかけようって気は起こさないかもね」

「…そうでもない」

「なんで?」

「…ゴーレムだから、勝てた。風や、火球には……対処しようが無い」

「あんた騎士でしょ。杖、持ってないの? 他には…剣とか」

 また騎士ときた。

「…持っていないと、何度言えば」

「『鎧』は持ってるのに? ……そう言えばあのベルトは何? あんなマジックアイテムどこで手に入れたわけ?」

「…答えようが、ない。俺だって……分からないんだ」

 言ううちに、ちょっと悲しくなってきた。ベルトや『鎧』にしても、元から確信があったわけではないのだ。記憶≪メモリー≫の手掛かりには違いないが、むしろ謎が深まるばかりだ。

「面倒ね…記憶が無いっていうのは」

「…マジックアイテム、といったか。ルイズは何か知らないか?」

 ちょっと考えた後、ルイズは言った。

「…聞いたことないわね。土の魔法で『鎧』を生成してるのかしら。怪我の回復はおそらく水系統…にしては回復が早すぎるし……あとは身体強化? これは…ううん、だめね。予想がつかないわ」

「…そうか」

 落胆するでもなく、以外と冷静な声が出た。得体の知れないモノが、秘密がこの身体に『鎧』として隠されている。理解不能なことは理解不能として、頭の中に留め、次の手を打つまで。BAREとの決着が、まだついていないのだから。

「…では、専門家など……伝手はないだろうか」

「んー、あるにはあるけど…アカデミーっていう、一年中魔法を研究しているようなところ」

「ならば」

「あまり…頼りたくないのよね」

 強張った表情で、ルイズは言った。

「尊敬しているけれど、ちょっと苦手な人だから…」

「…ムウ」

 ならば無理強いはすまい。

 ……あれ? ひょっとして詰んだ?

 その後、数十秒の沈黙。

 ルイズの「苦手な人」発言の後、空気が若干重くなっている。

 ひょっとして聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうかと、ホッパーは自戒していた。

 ルイズは指先に自分の長い髪を指に巻き付けてクルクルしている。

 再度会話の糸口を探すべく、ホッパーが頭をフル回転させていると、

「本題を忘れていたわ」

 ぽつり、と一言。

「明日街に行くわよ」

 なにをいきなり。

「…授業は?」

「明日は虚無の曜日。休日よ」

「…確かに、気晴らしは必要だが。出かけることが、本題なのか?」

「必要なものを買いに行くだけよ。キュルケのせいですっかり忘れていたわ」

 物憂げな様子で、ルイズはため息をついた

「夕食の最中に連絡があったの。来週行われる使い魔の品評会に、姫様がいらっしゃるわ」

 使い魔の品評会とは、名前からして内容を予測できるが、姫様とはどういうことか。いまいち会話のイメージが掴めない。

「姫様というのは、この国の?」

「そ、アンリエッタ王女殿下。品評会は毎年開かれる行事だけど……まさか姫様が来られるなんて…なんでも急に決まったことだそうよ」

「…………」

 姫様。アンリエッタ。王女殿下。今は亡き先王の一人娘。民衆の人気者だとか何とかと一応シエスタから聞いている。王族を目にする機会は、貴族であっても滅多にないことなのだろう。それでルイズは緊張しているに違いない。

「そのボロボロの服を取り換えなきゃね。あんたも着替え欲しいでしょう? だから明日は、トリスタニアに行くわ」

「……。分かった」

 衣服について自分でもどうにかしなければと思っていたところだ。ルイズの提案にのるとしよう。

 とそこまで考えて、思い当たった。食はともかく、衣住はルイズの世話に与かる身だ。お礼ぐらい言ってもいいのではないだろうか。

「…………」

「……」

「…………」

「…なに? 人の顔をじっと見たりして」

「…いや。その。手間をかける。…ありがとう」

「あんた勘違いしてない?」

 まるで常識を疑うようなルイズの声。

「必要なものはそろえるわ。そもそも下僕は、主人に対して感謝の気持ちを常に持っているものよ。口に出すことじゃないの。わかったら早く寝なさい。明日は早いんだから」

「…………」

 使い魔から下僕に降格(昇進?)したことにそれなりにショックを受けたホッパーは、黙って寝る支度をした。

 そして体を横たえたものの、今日はいろいろなことがありすぎて、なかなか眠れなかった。




あとがきというより、言い訳を。


 もう1話くらいこの春にとうこうできたらいーなーと思っております。


 昨年は「ギーシュボコったしもういっか」ぐらいに思っていたのです。ゼロ魔二次創作のテンプレを消化したことに満足していたのです。
 ですが重大なことに気がつきました。
 ゼロ魔のテンプレは消化しましたが、仮面ライダーのテンプレはまだ消化しきれていないことに気付きました。そうです。あの技です。あの技を出さない限り、ただでさえ薄いライダー要素が無くなってしまうではありませんか。dekeは愕然としております。
 ということで。出します。「ライダーキック」。


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ep12 明るい日曜日





それとメイドのピンチ




 ホッパーは少し離れた物陰から、洗濯場を見ていた。まだ日は昇る前で、乳色のもやが地面を這っている。人通りは少なく、使用人がせいぜいである。籠を抱えて通路の端に立っているホッパーも、さして目立たないほどだった。

 先ほど、いつものように洗濯物を預けようとしたことろ、メイドに逃げられていた。ホッパーからすれば、何気なく声をかけただけである。だが先方はきゃっと悲鳴を上げるとさっさと立ち去ってしまったのだった。早朝の薄暗がりから、大男が出てきたのでびっくりしたらしかった。

 さしあたり、シエスタにでも声をかけようと思って来たものの、胸の内に別な思いが惹起している。使い魔の名目はどうあれ、傍からすれば俺は正体不明の、さもなくば傭兵だと思ったのだ。

 己の素性を知るものは誰もいない。強いて挙げれば主人のルイズにメイドのシエスタだけである。

 そのほかの人間から見れば、ホッパーはただの乱暴者にすぎないのだ。流布する評判と、昨日の決闘騒ぎを目にした者ならば、なおさらそう認識するに違いない。

 ――早く、シエスタが通りかからないか。

 行き来する人々を眺めながらホッパーはそう思った。学園に、知り合いらしい人物といえば料理長のマルト―とシエスタぐらいなもので、その他は顔を知っていても、名前が出てこない。だんだん待つのにも飽きてきて、そこら辺の使用人に洗濯籠を預けてしまおうという気になっている。

 そう思っているとき、本塔からメイドが二人、出てきた。一人はシエスタだった。もう一人はホッパーが逃げられたメイドである。

 声をかけようか迷っていると、偶然にも、メイドと目が合った。口が「あ」と開いて、こちらを指さしている。それでシエスタはこちらに気づいたようだった。

 二人は足早に近づいてきて、ホッパーの前に立った。

「あの、さっきはすみませんでした」

 とメイドが言った。そしてぴょこんと頭を下げた。たっぷりの金髪が額にかかって、さらさらと揺れている。

「…いや。こちらこそ、驚かせてすまなかった」

 ホッパーも頭を下げた。

「ほら、言ったとおりでしょう。見た目は怖いけど、ホッパーさんはいい人なんだから」

 シエスタは何故かニコニコしている。メイドのほうに向けていた顔を、今度はホッパーに向けた。

「おはようございますホッパーさん。洗濯物ですね。どうぞ、お預かりします」

「…頼む」

 メイドはようやく顔を上げた。シエスタより背が高いぶん大人びて見えた。くりっと大きめの目をした、利発そうな娘である。

 メイドは短い時間で、再度顔を合わせるとは思ってもみなかったのだろう。ホッパーの視線を浴びたメイドは、途端に間が悪そうな顔になって、

「私、先に行くね」

 と言って半ばひったくるように洗濯籠をシエスタから受け取ると、洗濯場のほうに駆けていった。

「…悪いことを、したな」

 ホッパーは、メイドを送った目をシエスタに戻した。

「…最初に、あの娘に声をかけた。が、驚かせてしまったようで、な。聞いていないか?」

「ええ、ローラは私と同室なんです。逃げたのはあんまりだったって、本人も反省してました……ですので、その、あんまり怒らないであげてくださいね?」

 おずおずといった感でシエスタは言った。自分がしでかしたことでもないのに、我事のような口ぶりだった。

「…別に、怒ってなどはいないが」

「本当ですか?」

「…そうか。怒っているように、見えるのか。俺は」

「…………」

「…………」

「ひょっとして今落ち込んでます?」

「…そんなことは、ない」

 シエスタは、ホッパーの顔を下から覗き込んだ。己を見つめる黒い瞳を、ホッパーは見返す。

 数秒、にらめっこのような状態になる。

 参った、とホッパーは思った。シエスタはのんびりしているように見えて、妙に勘が鋭いところがある。まるで内面まで見透かされるようで、この娘の視線はどうも苦手だ。

 分が悪いと判断して、少々強引だが話題を変えることにした。

「…そういえば、今日、買い物に行くことになった。行先は、トリスタニアという街だ」

 昨晩のルイズとの会話の内容を、かいつまんでシエスタに話してきかせた。

「まあ、それで今日は街まで?」

「…うん。まあ、そういう運びになった」

 とホッパーは言った。

「…品評会が開かれるとかで。俺に、まともな恰好をさせねばならんと、そう考えたようだ」

「品評会は品評会でも、『使い魔』の品評会ですわ。ということは…」

「…当然、俺も出る」

「人と幻獣を比べられるはずありません。ヴァリエールお嬢様も、あまり無理なことはおっしゃらないと思いますが…」

「…空を飛べるでもなし、炎の息を吐けるでもなし……皆の前に出て、お辞儀して、引っ込む。それくらいのものだ」

「まあ、それが無難ですよね」

 見世物にされるようで、それを考えるとあまり愉快な気分にはなれないが、致し方のないことだ。これも契約の範疇と思ってホッパーは自分を慰めている。

「でもちょっとだけ、ホッパーさんがうらやましいです」

「…何が、だ?」

「あ、いえ、服のことです。購入するときは、お金に余裕のある人でない限り、普通の人は古着屋で購入しますので。卸したての新品なんてとても手が出せません」

「…『普通の人』が、衣服を新調する場合は、どのように?」

「古着屋に行かないのであれば、自前で布と糸を用意するしかありませんわ。あとは自分で縫うか、知り合いに頼むかですが……きっとお嬢様は、仕立屋に行くと思います…古着屋なんかじゃなくて」

「…一応、着替えを用意するようなことは、言っていたが……」

 ホッパーは己の主人を思い浮かべた。器量良しだが、その性格は短気、わがまま、高飛車の三拍子。口の端々に「貴族の~」が出るあたり、シエスタの言う『普通の人』とは程遠い生活を送ってきたことは容易に想像できる。おそらくは欲しい物をねだれば、何でも買い与えられてきたに違いない。

「…………」

「…ムウ」

「どうなさいました?」

「…まさかとは思うが……普段使いを度外視して、見映えのするような派手な服だけ、購入するようなことにはならないかと」

「そんな贅沢なお悩みは、私初めて聞きましたわ」

「…贅沢? 贅沢、だろうか? ルイズならば、やりかねんと、思わないか? ん?」

「名家のお嬢様ですもの。私たちとは、ものの見方が違いますわ。そんな時は、それとなく一言申し上げればよいのです」

「…そういう、ものだろうか」

「そういうものですよ。ホッパーさんがしっかりしないと。貴族が相手だとお店の人は高い値段で買わせようとしますから。トリスタニアはどちらかといえば治安の良い街ですが、それでも、裏通りに入ると危ないことも多いんですからね」

「…生憎、不調法者だ。シエスタがいてくれれば、助かるのだがな」

 不意に、シエスタが笑い声をたてた。ころころと響く屈託のない笑い声だった。

「ホッパーさんさえご迷惑でなければ、是非ともヴァリエール家にお仕えしてみたいものですわ」

「…ルイズに話してみようか? 勅使殿なぞに奉公するより、ずっといい」

「はい」

 と返事はしたが、シエスタは下をむいた。暗い声で言った。

「お聞きになったようですね」

「…ああ」

「私、兄弟多いんです。とても家族が食べていけなくて……知り合いの伝手を頼ってこの学院へご奉公に上がりました」

「…………」

「学院より給金を弾むと言われたけれど、きっぱり断りました。そうしたら急に怒り出して……あの人、私に何て言ったと思います?」

 シエスタは伏せていた顔をあげた。目に強い光が宿っていた。

「平民風情が頭に乗るなって、小娘のくせに生意気だって言ったんですよ」

「…それは、ひどいな」

 言葉だけでなく、ホッパーは事実そう思った。マルトーは、周りから見捨てられたことが原因のように言っていたがそうではなかった。あちらは貴族で男、ましてこちらは平民の少女。力の差が歴然とした相手に、正面からくさされたことにシエスタは強い衝撃を受けたのだ。うまくその場を逃れたとはいえ気落ちするのも当然である。

 だが今、抑えつけていた憤懣の念がその眼に表れていた。

「…シエスタが、悲しく……いや、怒って当然のことだ」

 とホッパーは言った。

「…仲間には…同僚には話したのか?」

「皆、慰めてくれました。それから、しばらくの間、仕事の当番を変わってくれたんです。『あのエロ親父と鉢合わせにならないように』って」

 この様子なら大丈夫そうだ、とホッパーは思った。この考えは、シエスタが見せた気丈さが裏付けしていたが、なにより使用人らの結束を垣間見た気がしたからである。

 だが、シエスタは蓮っ葉な口をきいたとき、彼女の名を呼ぶ声がした。洗濯場のほうでローラが手招きしている。洗濯になかなか参加しない同僚に痺れを切らしたのだ。

「あら、ちょっと話し込んじゃったかしら」

 シエスタは呟いて、くすりと笑った。17歳の娘らしい明るい表情を取り戻している。

 

 

 

 昼前にキュルケは目を覚ました。平日であれば大寝坊だが、今日は虚無の曜日、休日である。起きあがって、うーんと伸びをした。

 ちらと見やった窓に、ガラスが入っていないことに気付く。一部炭化した桟が残るばかりであった。はて? と首を傾げて昨夜のことを思い出す。

 ホッパーにすげなくふられた後、キュルケが部屋に戻ると、窓の外に恋人が大勢ふよふよ浮いているのが見えた。

 複数の男子生徒とデートの約束をしていたのだが、その時キュルケはホッパーに興味津々だったのですっかり忘れていたのだ。約束を反故にされてはたまらぬと部屋に押し入ろうとした彼らを、得意の火系統の魔法で窓ごと吹き飛ばしたのだった。

「そういえば、そんなこともあったわね」

 只の一言で憐れな男子学生らの存在を忘却の彼方へ押しやる。顔を洗ってから化粧台の前に座って化粧を始めた。デートをすっぽかされて、今頃は気落ちしているであろう連中などどうでもよくなっている。

 今日はどうやってホッパーを口説こうか、などと化粧をしながらキュルケは考える。そもそもの印象からして、ただ普通に色気で落とすだけは効果が薄いことは分かっていた。現に昨夜は、身体を寄せ手まで握ったというのに、彼ときたら脈アリな素振りを全く見せなかったのだ。となれば、純粋に大人の魅力でアプローチしてみよう。まずはお友達から始めて、徐々に私に夢中にさせるのだ。うん、それがいい。鏡の中の自分の顔が、恋の狩人の笑みを浮かべる。男の気性に合わせて男を悦ばせることなど、己の美貌も色気も十分に心得ているキュルケにとって造作もないことだった。

 化粧を終え、ルンルンとした気分で部屋を出た。ちょうどお昼だから、まずはランチにでも誘ってみよう。

 ふと視線を前に向けると、男子生徒が一人、意中の殿方のいる部屋の様子を窺っているのが目に入った。ギーシュ・ド・グラモンだった。いざ訪いを入れようとしてまた躊躇し、何か悩む様子で扉の前をうろうろとしている。誰がどう見ても不審者だった。

 このギーシュという少年は、女子寮に正面から堂々と出入りしているのにも関わらず、不思議なことに一切お咎めを受けないのだった。ギーシュの場合、目当てはモンモランシーの部屋と決まっている。彼の浮気癖で、寮内の他の女生徒が迷惑するよりかはさっさと恋人のところへ行かせてしまえ、と女生徒全員が示し合わせている空気がある。当の本人はそれを知ってか知らずかその特権を大いに行使しているのだった。

 キュルケは正直に無視を決め込みたい気分になったが、そこにギーシュに居座られると目的を達せないので、やむなく声をかけた。

「何してるの?」

 びくりと肩を震わせて、ギーシュがこちらを見た。

「なんだ、君か。驚かせないでくれたまえよ」

「あなたが勝手に驚いただけでしょ……モンモランシーのところへは行かないわけ?」

「ああ、それなら心配いらないよ。なにせ夕べ振られたばかりでね……それでも、勇気を出して朝食に誘ったら『話しかけないで』って言われたよ」

 ギーシュはどこか遠い目をして、はは、と乾いた笑い声を立てた。恋人からきっぱりと拒絶されるのは、浮気性な彼にとってもそれなりにショックだったようだ。

「自業自得ね」

「…君には気遣いってものがないのか」

「自業自得」

「二度も言わないでくれ! いくら僕でも傷つくんだぞ!」

「大事な人がいるのに浮気するからでしょ。その人が一番って思えるなら余所見しないことね」

 ギーシュは無言でキュルケの顔を見返した。キュルケは顔に薄笑いを浮かべているが、口調に嘲りの響きが無いのをギーシュは感じ取っている。学生同士の色恋を、普段の態度からして遊びと割りきるキュルケだけあって、こういった話題を口にしてもなぜか嫌味に聞こえないのだった。

「まさか君に、愛について説教されるとは思わなかったよ……」

「自業自得」

 三回目でギーシュはついにその場にくずおれた。視線は空中を彷徨い、ぶつぶつ呟いている。もはや完全に危ない人である。

「ま、傷心なのはわかったわ。で、ヴァリエールの部屋の前で何してたわけ? 用が無いならどいて頂戴」

「ぶつぶつ」

「ねえ、ちょっと」

「ぶつぶつぶつぶつ」

「あら、あそこにいるのモンモランシーじゃない?」

 恋人の名前を聞きつけたことで急に生気を取り戻したギーシュは顔を上げ、辺りをきょろきょろと見渡した。

「何だって! ああ、モンモランシー、なんだかんだ言って君はやっぱり僕のこ」

「ごめん、人違いだったみたい。マントの色が違うわ」

 希望をあっさりと打ち砕かれたギーシュは、はあとため息をついた。

「…いいさ。僕が悪かったんだ」

 と、はつぶやくように言った。そして、まあどうにかするさと付け加えた。

「ここに来たのは、ルイズに謝罪しようと思ったからでね」

 ギーシュは真面目な顔をして言った。

「あのルイズの使い魔の平民……いやホッパーは、ケティとモンモランシーに謝罪しろとは言ったけど、ルイズに謝れとは言わなかったんだ」

「そういえば……そうね。でも決闘には彼が勝ったんだから、それでチャラってことにしたんじゃないの?」

「多分、そうだと思う。でも僕だって筋は通したい」

「その割には踏ん切りがつかない様子だったけど?」

 途端にギーシュはバツの悪そうな顔をした。

「いや、まあ、いざ顔を合わせるとなるとだね? 昨日の今日で色々と心の準備が……」

「どっちかって言うと、気まずいのはホッパーに対してでしょう? ヴァリエールの方じゃなくて」

「うっ……」

「冗談よ。あなた、正直すぎるわ」

 そう言って、キュルケはふっふと笑った。グラモンは軍人を多く輩出する家である。そんな家柄だけあって、思い切りのいいところがあるギーシュに清々しさを感じたのだった。少しはこの少年を見直す気分になっている。

「さてギーシュ。あなた良いところに来たわね」

「良いところ? どういうことだね?」

「私はダーリンと二人きりでお話がしたいの。邪魔っ気なヴァリエールから、彼を引き離すのを手伝って頂戴」

 ギーシュは微妙な顔をした。

「一応確認されてくれ……ダーリンとはホッパーのことかい?」

「御名答。でも悪い話じゃないでしょ」

「まあ、ね。けど、ラ・ヴァリエールとフォン・ツェルプストーの不仲を僕が知らないとでも? 君と示し合わせたことがルイズにバレたら、僕は酷い目に合わされるよ、きっと」

「大丈夫よ。部屋に入ったら、『ルイズと話がしたいから、君は席を外してくれ』って一言うだけ。何も心配することはないわ」

 乗り気にはなったが、何となく二の足を踏むと言った様子のギーシュに、キュルケは背を押すようなことを言った。

「うん、決めた。その話乗るよ」

「分かりがよくて助かるわ。じゃ、早速お願い」

 ようやく決心したギーシュが、訪いをいれる。が、部屋の中からは何の反応もなかった。もう一度試してみたが、やはり返事はない。扉には鍵がかかっていた。

「なんだ。留守か」

 ギーシュが鼻白んだように肩をすくめるのを見て、キュルケは杖をとりだした。

「仕方ない。出直すとするよ……ん? 何をする気だい?」

「『アンロック』」

「んなあ!?」

 がちゃり、と鍵が開く音がする。キュルケはそそくさと入室した。ギーシュの言ったとおり、ルイズは不在であった。案の定ホッパーもいない。

「ふん、居留守使ったんじゃないんだ」

「君、いくら何でも無断で部屋に入るなんて無礼な……第一校則違反と知ってやってるだろう」

 廊下からギーシュが言った。

「『恋の情熱はすべてに優越する』……それが我が家の家訓なの」

「とんだトンチキ家訓だな!」

「あなたも他人のこと言えないでしょ。聞いたんだから。半年前にモンモランシーの部屋に押し入ったんですって?」

「あれは最初の一回だけさ! つい気持ちが高ぶってしまってね。普段紳士な僕らしからぬ軽率さだったことは認めよう。けど今は君の」

「んー、カバンが無いわね……出かけた? じゃ、行先は…」

「おーい、無視かね」

「こうしちゃいられないわ……私、急用ができたから、またねギーシュ」

「…もう好きにしたまえよ」

 何事か呟いた後、 意気揚々と引き上げるキュルケを見てギーシュは力なく言った。大したことはしていないのに、何故か疲労感を覚えたギーシュだった。

 

 

 

 馬に乗って三時間。魔法学院よりトリステイン王国の城下町、トリスタニアまで歩けば二日かかるという。

 ホッパーが学院を出るのは今回が初めてである。歩いていくのかと尋ねたら、日が暮れるどころかエオーの曜日になっちゃうわ、とルイズに笑われた。

 二人は朝食をとった後に学院を出発し、城下町に到着したのは昼前だった。二人乗りする手前、馬の疲労を加味して速度を落としたのだ。

 厩にて、ホッパーが近づくだけで、人に慣らしたはずの馬が怯えだしたのである。馬丁が、ゲルマニアで従軍したことがある牝馬を貸そう、と気のきいた申し出をするまでの間厩は大変な騒ぎだった。どうやらホッパーは動物に嫌われる性質ようで、気の短いルイズが気を揉んだのは言うまでもない。

 とはいえ、なにかにつけて使い魔に厳しいルイズが、馬に乗れる自信がないと申告したホッパーを貶すどころか、自分の後ろに乗せ、さらには馬上での注意点を細々と説明したのだから破格の待遇というべきだろう。ホッパーは内心感激した。だが、馬上で身体が密着することを鑑みてのことか、最後に付け加えた、

「いやらしいこと考えたら、お仕置きするわ」

 との一言が余計だった。

 駅舎に馬を預けるなり、最初に服ね、と言ってルイズはすたすたと歩きだした。空は晴れ上がって、あたたかい日射しが建物と道行く人を照らしている。初夏の陽気が城下町を包みこんでいるようだった。

「財布、しっかり持ってなさい。スリが多いんだから、盗まれないようにね」

 とルイズは繰り返し念を押した。

「…この重さでは、なかなか盗まれないように……思うのだが」

 財布は出立の際渡されたものだ。手に持てばずしりとした重みを感じる。貴族は財布を持たず、従者が持つのが一般的らしい。

 ルイズ曰く、魔法を使ったスリがいるのだという。没落した貴族、様々な理由で勘当されたり、家を捨てたりした次男三男坊が身をやつして盗賊になることが多いのだそうだ。犯罪には賛成できないが、糊口を凌ぐためとはいえ、なんとも身につまされるような話だった。

 さて、ホッパーを驚かせたのは、仕立屋での待遇だった。

 狭い間口をくぐると、年取った用人が店の奥からとんできて、いらっしゃいませお嬢様大奥様にはいつもご贔屓になどと歯切れよく世辞を述べ立てた。すると用人の口上を聞きつけたのか、主人らしき中年の女が出てきて、二人を店の奥へと案内した。どうやら馴染みの店のようである。馴染みの店ならばぼったくられる心配もあるまい、とホッパーは思った。

 人前に出して恥ずかしくないよう仕立てほしい、というようなことをルイズが言うと、女主人は流行りの品を収めたカタログを持ち出してきた。だが、ホッパーのことと分かると万事飲み込んだ顔をして、先ほどの用人に採寸を言いつけると、また別のカタログを持ってきた。

 採寸の間、ルイズは肘掛椅子にゆったりと腰掛け、出された茶と茶菓子をつまみつつカタログを眺めている。生地の色はこれがいいだの、袖の飾りが気に入らないだのと注文をつけると、その注文内容を女主人が細々とスケッチにしていた。採寸を終えたホッパーがそれを覗き見ると、黒を基調にした落ち着いた印象に仕上がっている。使い魔が思う以上に、使い魔の主人はまともな感性の持ち主だったようである。

 それならばとダメもとで、できれば普段用のシャツにズボン、替えの下着も数枚欲しいと言うとルイズは、

「いいわ」

 と意外にもあっさり承諾した。

 必要なものは揃える、という昨夜の言葉に嘘はなかったのである。

 最終的に、ルイズも一着購入することで話がまとまった。ただし品評会に間に合うよう期日は一週間あまりである。そのことをルイズが告げると、

「よろしゅうございます」

 と心得た様子で女主人は言った。さて勘定かとホッパーが思っていると、ルイズは退店の構えを見せている。さすがにそれはないだろうと、ルイズにそっと耳打ちした。

「…勘定は?」

「ここ、ツケがきくの」

 とルイズは言った。金額を確かめもせずにツケか、とホッパーは呆れた。

 かかるものはかかるという思考なのか、ルイズをいいとこ育ちのお嬢様と見当をつけてはいたが、店の者の対応ぶりからして、彼女の実家は単に金持ちの上客というだけではないようである。ツケなどと、客に信用がなければできないはずである。

 次に行った店では羊皮紙とインクを購入した。こちらは現金払いである。ホッパーが購入した物を受け取ろうとするとルイズに制止された。品物は、後日学院まで郵送されるよう手続きしたので荷物持ち不要とのことである。その後向かった雑貨店でも同じような対応だった。

 買い物を終えて、雑貨店の者に見送られて外へ出ると、通りは人でごった返していた。さして広くもない道の脇に商人らが露店を構え、さらに老若男女入り乱れて歩くのでなおのこと狭苦しい。うっかりすると昨晩のような多重視界を形成してしまいそうなほど賑やかだ。

「…狭いな」

「ブルドンネ街。王都でも一番広い通りなんだけどね。ここをまっすぐ行った先に王宮があるわ」

 と言うと、行先を告げずにルイズは歩きだした。駅舎とは別の方向である。

「…どこへ?」

 とホッパーが尋ねると、

「武具屋」

 素っ気なくルイズは答えた。

「さっき思いついたの。品評会であんたに剣を持たせたら、少しは立派に見えるかもしれないじゃない?」

 その妙な気配に気づいたのは、まだブルドンネ街にいるうちだった。二人は、ブルドンネ街から裏路地に踏み込んでは行ったり来たりを繰り返している。ホッパーが感じたのは、この二人と同じ方向に歩いている何者かの気配だった。

 ――まさか。

 ホッパーは緊張が漲るのを感じた。出かけると聞いて、いつかの夜のようにBARE、そしてSPIDERの襲撃を警戒しなかったわけではない。しかし連中も昼日中には仕掛けてはこないだろうという油断がホッパーの頭にあった。

 角を曲がるときにそれとなく左右に目を配る。

 視界の端に、物陰に慌てて頭を引っ込める赤毛が映った。なんとキュルケである。

 ホッパーは緊張を解いた。つけてくる理由は不明だが、何か意図があるにしては、ぎこちない追跡のやりようである。せいぜいいたずらが目的であろう、とホッパーは思った。とりあえずは杞憂で済んだ。

 ところで。さっきからうろうろするだけでいっこうに目的地にたどり着かないのはどういうわけか。時たま路地を覗いては、ルイズはしきりに首を捻っていた。

「…ルイズ」

「…………」

「…まさかとは、思うが……道に迷ったのか?」

 指摘を受けて、ルイズはぴたりと足を止めた。このままでは往来の邪魔になるので、ホッパーはルイズを通りの脇に寄せた。

「迷ってなんかないもん」

「…………」

「ちょっとど忘れしただけだもん」

 ルイズはそっぽを向いて言った。口調が幼稚になっていることからして、図星を突かれ気まずくなっているのに相違ない。道行きなどは、出くわした知り合いか、そこらに出張っている商人にでも尋ねればいいだろうに、とホッパーは思う。だが、それができないのもルイズの不器用さたる所以であった。

 ここは俺が動かねば、とホッパーが思ったとき、脇腹に尖ったものをあてられた。

「兄ちゃん、ちょっと顔貸してくんねえかな。そこのお嬢さんと一緒によ」

 いつの間に目をつけられたのか、人相のよくない男たちにとり囲まれていた。先ほど感じた妙な気配はキュルケではなく、この強盗たちのものであったようだ。人数は五人。そのうちの二人は、周りには見えぬよう袖の下に忍ばせた杖をちらと覗かせた。

「おっと、妙な真似しなさんな」

 強盗の一人がドスを聞かせた声で言った。杖を抜こうとしたルイズの手が止まる。

「ホッパー…!」

 焦った声でルイズが言った。

「…まあ、言うことを聞くしか、ないだろうな」

 ホッパーは淡々と言うと、さりげなく周りを見渡した。視線を送った物陰からは、キュルケの姿は無くなっている。どうやら救援は当てにできそうもない。

 どやどやと男たちに連れ込まれた裏路地には、熟れた果物が酸敗したような匂いが漂っていた。足元には汚水が溜まっており、端にゴミが積みあがっている。

 ルイズを背に庇うようにしてホッパーは立っている。

「とりあえず、財布だしな。あと服脱げ、服」

 リーダー格のメイジが言うと、男たちから忍び笑いがもれた。

 ふう、とホッパーはため息をついた。

「食うに食われず。泥棒稼ぎ、か」

「あん?」

「…明日は我が身。と、思ったのでな」

「うるせえ、うだうだ言ってねえでさっさと金出しやがれ!」

 いきり立った強盗の一人が、ホッパーに掴みかかった。

 次の瞬間。

 人間が宙を舞った。

 ルイズの目には、胸ぐらをつかまれた使い魔が、振りほどこうと身をよじったように見えた。たったそれだけの動作で、大の男が吹っ飛ばされたのである。リーダー格のメイジを巻き込んで、積んであったゴミ山に頭から突っ込むと、ゴミに埋もれてそれきりのびてしまった。

 仲間二人を、たちまちのされて、残りの強盗たちはそれぞれの得物を抜き放ったが、ホッパーはずいと踏み込むと、健在な方のメイジの胸に掌を当てがって、ぐいと押しこんだ。

 再び人間が宙を舞う。今度は表のブルドンネ街まで吹っ飛ばされて、石壁にびたーんとぶち当たると、ずるずるとくずおれて、地面に転がった。

 残る強盗は二人。カモと見た相手に逆襲され、完全に気勢を殺がれたようだった。震えていた。震えが腕に伝わって、握るナイフの刃先が小刻みに上下している。

 強盗の意識はホッパーに向けられている。一方のルイズも杖を抜き放つと、短くルーンを唱えた。とっさ選んだのは『ファイアボール』のルーンである。

 だが、何も起こらない。杖先からは蝋燭ほどの炎すら現れなかった。。

 ――失敗した。

 自分の魔法的欠陥に絶望しかけたその時、対峙する彼らの足元が、派手な音を立てて爆発した。もうもうとした煙がはれると、そこには黒コゲになった強盗が、二人仲良く目を回して気絶していた。

 裏路地が、静寂に包まれる。誰一人、動く者は無かった。

「ルイズ……怪我は、ないか?」

 地面に横になったホッパーが言った。爆発の巻き添えを食って、ルイズの足元まで吹き飛ばされた恰好である。

「私は大丈夫よ」

「…………」

 ホッパーは黙ってルイズの顔を見ている。ルイズはホッパーの顔をじっと見たが、不意に間の悪い顔をした。

「…悪かったわね、あんたまで吹き飛ばしちゃうなんて」

「…ムウ」

 表通りが賑やかになっていた。数人の人影が裏路地を覗いている。騒ぎを聞きつけた誰かが衛士に通報したようで、遠くから呼笛が聞こえた。

 

 

 

 駆けつけた衛士たちは現場を見て胡乱な顔をした。ごろつき同士の喧嘩だと思ったのだろう。初めぞんざいな口をきいた。だが、大勢目撃者がいたことと、ルイズの胸元に五芒星を認めたことで、態度を変えてきぱきと事後処理にかかった。

 あの強盗たちと自分を分けたものはなんだろう、とホッパーは思った。記憶を失う以前も、おそらくはまともな人生を生きてはいないだろう、と頭の中で別の声がする。己への警句だ。

 飢えず、寒さに震えずに済んでいるのは、一重に貴族のルイズに召喚されたからだ。シエスタをはじめ学院の使用人らに親切にしてもらったからだ。俺とて身の置き所を無くせば、食う口を養うために犯罪に手を染めたかもしれない。彼らとの間に大した差はないのだ。

 縛り上げた強盗らを街の衛士が引っ立てていったころには、日射しが黄色くなっていた。西の空は茜色にそまり、おだやかに日は沈もうとしている。

「ほら、立てる?」

「…ああ。大分、回復した」

 ホッパーは衣服についた埃を払って立ち上がった。

 衛士隊が駆けつけてからこれまで、ホッパーは石壁に背を預けて座り込んでいた。乱闘で消耗したのでなく、ルイズの爆発に巻き込まれると、だるいといった感じに倦怠感を覚える。身体の調子が悪くなって、動くのが億劫になるほどだ。

「行くわよ、ホッパー」

 とルイズに言われ、その場を立ち去ろうとしたとき、

「おめえら! ちょいと待ってくれ!!」

 背後から声をかけられた。

 さては強盗の仲間かとホッパーはルイズを庇うようにして立ったが、どうやら声自体は下から聞こえたようである。

「おおい! ここだよ、ここ! ゴミん中だ!」

 試しにゴミをかき分けると、下から鞘と一緒に長剣がでてきた。柄まで含めればルイズの身長ほどの長さの、ところどころ錆の浮いて古ぼけた様子の片刃である。たしか、ホッパーによって真っ先に気絶させられた強盗が持っていたものだ。杖など武器になりそうな物の一切を衛士は取り上げたが、こちらはゴミに紛れていたためさすがに見落としたようである。

「おお、助かったぜ。ありがとさん」

 鞘ごと手に取って確かめてみると、なんと剣が鍔のあたりをがちゃがちゃ鳴らしてしゃべっていた。

 それを見たルイズの目が驚きで丸くなる。

「珍しい……インテリジェンスソードじゃない」

「…インテリ…何?」

「インテリジェンスソード、魔法で知性を与えた剣のこと。それなりに高価なはずなのに、なんで強盗なんかが…」

 すると剣が勝手にしゃべりだした。

「俺、この先の武器屋で売られてたんだよ。でも、おめえさんたちがのした連中に盗まれたんだ」

「…盗まれた。というのは、何時のことだろうか?」

 とホッパーが尋ねると、

「夕べだ」

 と剣が答えた。

「手向かわなきゃよかったんだ。あの親父ときたら、まだ縛られてんじゃねえかな」

 そんな話を聞かされては見て見ぬふりはできない。とルイズが言ったので、ホッパーは衛士を呼び戻しに行った。ぞろぞろと連れ立って剣の指図の通りに行くと、強盗に遭った場所から離れていないところに、確かに武器屋があった。

 正面扉に鍵はかかっておらず、店内を窺うと店内は真っ暗だった。手燭を掲げた衛士隊長が踏み込むと、手足を縛られた店主が床に転がっていた。強盗らはさんざん物色したようで、刀剣や槍、甲冑が床に散乱していた。店の奥も大分荒らされているようだった。

「やれ、とんだ災難に遭った。お有難うごぜえます、隊長殿。お陰で助かりました」

 手向かったというのは事実のようで、店主は顔に青痣を作っていた。助け出された後ぐったりとしていたが、言う事ははっきりしている。

「礼ならこちらの方に言え。貴様のことだけではない。強盗の逮捕にまで協力して下さったんだ」

 衛士隊長は店の外にいる二人を指した。

「本当でごぜえますか? いやいやいや、こいつは目出度い……で、盗まれた品なんですがね」

 店主はニコニコと笑顔になった。だが不思議なもので人間笑顔になっても全ての人間が福相に見えるとは限らない。青痣と相まって店主もなかなか悪相である。

 店主と衛士隊長が話し込んでいるので、店の外にいる二人は手持無沙汰であった。すると、長剣がホッパーの腕の中でカタカタと振動した。何か言いたいことでもあるのだろうと思い、ちょっとだけ鞘から出してやる。

 この時初めてホッパーは直に剣に触れた。

 瞬間、左手のルーンが僅かに輝きを帯びる。人気のない薄暗い路地が薄青く照らし出された。衛士はみな店内にいるので、それを目撃したのは隣にいるルイズだけである。

「え、何? 何の光?」

「…左手の文字が光っている」

「あんた何したの!? まさか呪いをかけられたんじゃ!?」

 剣から手を離す。輝きが消える。もう一度触れると、また光る。少し面白くなって何度か繰り返すと、遊ぶな! とルイズに脛のあたりを蹴られた。

「この剣が…何か話したいことが、あるのかと、思い……つい」

「ああ、もう、あんたこれに触るの禁止! 没収!」

 ルイズへ剣を引き渡そうとすると、鍔のあたりが鳴った。

「よせやい。別に、呪いなんかかけちゃいねえよ」

 と剣が神妙な声で言った。

「おでれーた。おめえさん、使い手だったのか。あっという間に三人ぶちのめしたから、タダ者じゃねえとは思ったんだ」

「…使い手?」

「おうよ。んで、物は相談なんだが、おまえらのどっちかが俺を使ってくれよ。さっきそれを言おうとしたんだ」

「…そういえば剣が、欲しいと」

 ホッパーはルイズを見た。ルイズは困った顔をした。

「確かに言ったけど……もっと他のにしましょう? こんなボロ剣じゃなくて」

「誰がボロ剣だ貴族の娘っ子! 俺にはデルフリンガーって名前があるんだぜ」

「失礼ねー。ホッパー、こんな剣返してきなさい」

「あ、待った。今の無し。謝る。とにかく、あの店に戻されるのは御免なんだ、頼むよ」

 ルイズがびしっと店を指さしたのをうけて、長剣改めデルフリンガーは弱った口調で懇願する。

 ルイズは見た目が悪いのでいらないと言う。ホッパーとて、剣など格別欲しい品物ではない。そもそもが、使えと言われたところで実際に使う場面があるとは思えないのだ。

 ただし、『使い手』と言われたことだけが気にかかる。失った記憶と関係があるような、そんな直感が働いたのだ。

「…ルイズ。この剣でも、いいのではないだろうか」

「えぇ、あんなこんなのがいいの? ただしゃべるだけのボロ剣じゃない」

「品評会で、『持つだけ』であれば…鞘さえ、立派なら……問題ないのでは?」

「おお、おめえさん話がわかるな。やっぱりタダ者じゃねえぜ」

 デルフリンガーが嬉しそうに言った。一方でルイズは不服そうだった。

 そんな時、扉からぬっと店主の顔が出てきた。暗闇から青痣作った不気味な顔面が出てきたので、ルイズが悲鳴を上げた。

「失礼、旦那方。そんなボロ剣でよけりゃ貰っちゃくれませんかね」

 と店主が言った。どうやら先ほどからのやり取りを聞いていたらしい。

「錆が浮いちゃおりますがね、なに拵えはしっかりしてまさあ。研げばそれなりに使えますぜ」

「よう、クソ親父。生きてたな。干からびて死んだかと思ったぜ」

 デルフリンガーが楽しそうに言った。前々から思っていたがこの剣、かなり雑言を吐く。

「こきやがれ、デル公。盗人もさっさと鋳溶かして鍋釜にすりゃいいものを」

 店主が舌打ちした。剣が剣なら店主も大概だった。

「もうお判りでしょうが、このデル公ときたらおしゃべりで口が悪い。何度も商談を台無しにされやしてね。おまけにしゃべる剣なんて、客が気味悪がって買い手がつかないんでさあ」

「…………」

「…………」

「こいつをお気に入りでしたら、お代は結構です。鞘をお求めでしたら、いいのがありますぜ。新金貨五枚でご用意しますよ」

 ホッパーはルイズの顔をじっと見た。

「…………」

「…何よ」

「…………」

「買わないからね」

「強盗を…撃退し、挙句爆破され、この始末」

「分かったわよ。買えばいいんでしょ、買えば。そんな捨てられた子犬みたいな目でみないで!」

 半ばやけくそ気味にルイズが叫んだ。

 とりあえず主人の許可が下りたので、ホッパーは財布から金貨を五枚抜いて店主に手渡した。店主が鞘を取りに店内に引っ込むと、ホッパーはデルフリンガーにそっと囁いた。

「デルフリンガー」

「デルフでいいぜ」

 剣がカタカタと鳴る。

「…デルフ。『使い手』とは、一体どういう?」

「あん? 細かいことは忘れちゃったもんね」

「…………」

「そんなおっかねえ顔するない。要は『担い手』の使い魔が『使い手』だ。それ以上でもそれ以下でもない。ま、そのうち思い出すから、気長に待ってな」

「この剣すごく適当な事言ってないかしら? あんたが欲しいって言ったんだからね」

 胡乱な声でルイズが言う。この買い物は失敗だったかもしれないとホッパーが思ったとき、衛士隊長と一緒に店主が戻ってきた。

 店主が言うには、

「どうしても煩いなら、鞘に納めれば静かになりますぜ」

 という事らしい。

「では我々はこれで失礼します」

 真面目そうな顔をした衛士隊長は敬礼すると、衛士らを連れてその場を去ろうとした。

 ホッパーが鞘を受け取る直前、鍔のあたりをがちゃがちゃと鳴らしてデルフリンガーが言った。

「クソ親父の顔もこれで見納めか」

「黙れデル公」

「最後だからな、いいこと教えといてやる。下町の川向こうの四辻に『髭と黒猫亭』っちゅう酒場がある。この店のだけじゃない、盗んだ物ぜーんぶそこに保管されてる」

「何、それは本当か?」

 衛士隊長が言った。

「ホントだよ。丸一日連れまわされたからな。表に堂々と看板掲げといて、裏じゃ盗人宿やってんだ。仲間が捕まったことに気づいたら、奴らきっとトンズラするぜ」

 こうしてはおれぬ、と隊長は衛士を引き連れてあわただしく駆け出して行った。その盗人宿とやらに向かうのだろう。

 一方の店主は店に引っ込む際、二人の方を向くと深々と頭を下げた。ホッパーは店主を悪相だと判じたが、見かけによらず義理堅い面があるようだ。ホッパーも礼を返し、その場を後にした。

「おうデル公。粗相して旦那方の機嫌損ねるんじゃねえぞ」

「心配すんなクソ親父。風邪ひくなよ!」

 店主も剣も最後まで口が悪かった。ここまでくると、いっそ仲が良いのかもしれない、とホッパーは思った。

 手形を返却して駅舎を出るころには日はとっぷりと暮れて、頭上に薄墨の空が広がっていた。日中暖められた空気も、油断すると下から思わぬ冷えとなって這い上がってくる。二人と一本が馬に揺られて行く道を、それぞれが半分に欠けた双月が青く照らしていた。

 駅舎の役人によると、街道筋の盗賊や危険な生物は根こそぎ討伐されているとのことで、女子供が夜でも安全に行き来できるほどらしい。王都の近くは警邏隊も出張っているので何かあれば申し出よと役人は言った。

 デルフリンガーはホッパーの背中に背負われていた。この長剣は腰に佩くには長すぎるため、このような運搬法に落ち着いたのだった。

「いやーこうして外に出れるなんて嬉しいね。おめえさん、名は何て言うんだ? 聞いてなかったな」

「…『HOPPER』、だ」

「おうおう、ホッパーってのか。これからよろしくな!」

「…ああ。よろしく、頼む」

「全く、いい日だぜ。空気がうまいったらないね! 深呼吸しちゃお」

 どこに肺があるのかと。

 武器屋を離れたのがよほど嬉しいらしく、二人に買われてからというものの、デルフリンガーはしゃべりっぱなしだった。あたりかまわず話しかけ、挙句の果てに駅舎の役人にまで声をかける始末である。おかげで街行く人には変な目で見られた。

 だがせいぜい品評会までの短い付き合いである。今のうちに楽しませておこうとホッパーは思った。上機嫌に浮かれているところへ水を差す必要もあるまい。

「ホッパー、その剣を静かにさせて」

 と、低い声でルイズが言った。せっかくの気遣いが不意になったことをホッパーは悟った。

「私ね、賑やかなのは好きなの。でも煩いのはダメ、イライラしちゃうから」

「…すまん。デルフ」

「ん、なんだ? んおおっ?」

 柄を押し込んで、剣を鞘にすっぽり納める。鞘の中では金具を動かせないので、武器屋の店主の言ったとおり、デルフリンガーは静かになった。ただし、突然の強制執行に抗議するかように、剣全体が細かく振動しているのがホッパーの背中に伝わってくる。すまん、と心の中で手を合わせた。

 ホッパーは眼前の主人を見下ろした。身体が密着しているので、つむじしか見えないが、機嫌を悪くしている気配が伝わってくる。

「品評会は姫様がいらっしゃるのよ…もし、もし姫様の御前で下品な冗談でも言ってみなさい。その時は……」

「…その時は?」

「爆破してやるわ…………欠片も残さず、徹底的に。その時あんたがデル何とかを背負っていても構わないと思ってる私がいるの」

 物騒なことを言った後、ルイズはふ、ふ、ふと暗い忍び笑いをした。相当頭にきているらしい。

 理不尽すぎる、とホッパーは思った。デルフリンガーを購入するよう薦めたのは確かだが、ルイズがこのような反応を示すことは予想出来なかった。夕べといい、アンリエッタ姫が絡むとルイズは神経質になるようである。さすがに彼女の怒気を察したのか、デルフリンガーもおとなしく背負われていた。

 それから暫くの事だった。

 正面から、二頭立ての馬車が一台ぐんぐん近づいてくる。かなりの速度を出しているようだ。ルイズは手綱を操って街道の端に馬を寄せた。

 思わぬことに、その馬車がルイズらのいる手前で減速し、止まったのだった。街道は二者がすれ違うには十分な幅がある。単に道を譲っただけのルイズは困惑した。

 すると勢いよく車室の扉が開いて、人が飛び出してきた。続いて男が二人、その後を追う。街道をそれて草原へ向かっている。追われているのは女である。しかも若い女だった。

 ――シエスタだ。

 ホッパーは馬から飛び降りると草原を疾駆した。背後でルイズが何か言ったが、構わず走った。

 月光の下、あたりは薄暗い。それでも強化されたホッパーの視力は、彼らをしっかり捉えていた。その眼に、シエスタを抑え込もうとする男たちの姿が映った。

 引き倒されてなお、シエスタは手向かっていた。悲鳴が聞こえないのは猿轡でも噛まされているらしい。

「待て、貴様ら!」

 健脚を発揮し、たちまち彼らに追いすがると、十メイルほど手前でホッパーは叫んだ。

 男たちはちらと振り向いた。すると猛然と襲い掛かってきた。

 手前にいた男は、勢いよく拳を突き出してきた。ホッパーは身を低く沈めると、相手の膝を掬って肩越しに後ろへ投げた。どすんと落下音が聞こえる。

 二人目の男はわめきながら掴みかかってきた。組ませておいて、相手の腰を支え、脇に腕を差し入れて投げ飛ばした。二メイルほど先に男は背中から落ちた。カエルが潰されたような悲鳴を上げると、くたりとなって動かなくなった。

 ホッパーは急いでシエスタへ駆け寄った。案の定、布で口を縛られている。抱き起して、布を外してやる。シエスタは無言だった。無言のまま、しがみついてきた。悪寒でもするように、ぶるぶると身体を激しく震わせている。

「…大丈夫。もう、大丈夫だ」

「…………」

「歩けるか? さ、行こう」

 手を引くと、シエスタはゆっくりとだが歩けた。

 草原から街道に戻ると、ルイズは馬から降りて待っていた。

「あの馬車、様子が変なのよ」

 馬車は先ほどから同じ場所に止まっている。御者はいない。おそらく、ホッパーが豪快に投げたうちの片割れがそうだろう。操る者がいなければ動かないのは当然だ。

「家の紋章も、公務の旗も立ててないんだもの。駅馬車にしては豪華だし……その子、学院のメイドでしょう? どうなってるの?」

 とルイズは言った。口調から困惑した色がうかがえた。

 その時、シエスタの唇が僅かに開いた。かすれた小さな声が漏れた。

 ――伯爵。

「何? 今何て言ったの?」

「…手癖の悪い、貴族様が、しでかしたことだ。人を馬鹿にするのも、大概にしろ」

 そう言うのと同時に、胸の内に冷えた怒りが渦巻くのをホッパーは感じた。

「何が、何が貴族だ。シエスタを、攫おうとしたんだ」

「まさか。いくらなんでもそんなこと……」

「猿轡を噛ませていた。助けを呼べないように、だ」

「何てこと」

 ルイズは茫然とホッパーを見た。だがすぐに激しい口調で言った。

「その不届き者は、どこの誰なの」

「モット伯。…勅使殿だ」

 ルイズはきっと馬車をにらんだ。そして固い口調で言った。

「なるほど、家紋も旗も掲げない理由があったのね……呆れた。正体を隠して、悪事を働くようなそんな人を、私は貴族と認めない」

「…………」

「だからね、ホッパー。そこの馬車の中にいるのは、勅使様ではないわ……ただの恥知らずよ。恥知らずなんかに、与える罰はないわ。意味がないもの」

「…………」

「もう行きましょう。そこのメイドを連れて、学院へ帰るわ」

「……ああ」

 ルイズはさっそうと馬にまたがった。ホッパーに肩を抱かれるようにして、シエスタは歩きだした。その指はホッパーの袖をしっかりと掴んでいる。

 すれ違いざまに、開け放たれた車室内を横目でちらと見た。明かりは消えて、中は真っ暗だった。ホッパーの耳に、じっと闇に潜む男の息遣いが伝わってくる。

「…たかが平民と、侮られますな」

 ぼそり、とホッパーは漏らした。

「この件、胸に納めよう。だが、今後、シエスタの身に不審なことが起こった場合は」

 一呼吸置いて、底冷えする声でホッパーは言った。

「全てを暴いてやる。これを企てた人間が、この世に身の置き所をなくすまで追いつめる。覚えておけ」

 きっと聞こえているだろうに、車室からは何の反駁も無かった。先を行くルイズも黙っている。

 皆、長いこと無言で歩き通しだった。

 その変事に遭ったのは、遠目に魔法学院が見えてきたころだった。時刻は真夜中近くになっている。

 ホッパーの眼には、それは人型に見て取れた。その背丈はゆうに人間を超えている。

 街道筋から逸れた草原の向こうへと闊歩する、デッサンと縮尺がアンバランスを極めた人型。方向的に、学院の方から来たようでもある。それが一歩踏み出す度にずずん、と地響きがした。

 魔法で礫と土で練り混ぜた巨大な土人形、ゴーレムである。怯えた馬が小さく嘶いた。

 シエスタはぽかんと口を開けている。ホッパーは思わずぎょっとして言った。

「…何だ、あれは?」

「すごい……あれを動かすなんて…トライアングルクラス以上の魔法じゃないと無理よ」

「…………」

「いけない、急ぎましょう。どんな人が操っているのか知らないけど、ちょっとアレは面倒そうだわ」

 確かに、夜中に魔法の練習でもあるまい。気づかれる前にさっさと退散するのが利口な選択だ。

 足を速めて、やっと学園にたどり着いたころには日付が変わっていた。ただ、夜中だというのに庭内がやけに騒々しい。先のゴーレムと関りがあるのか、何かが起こったに違いなかった。

 部屋で落ち合うことにして、ルイズは厩に向った。ホッパーはシエスタを連れて使用人の宿舎へ足を向けた。

 松明を持った衛兵が広場を走り回っている。教師の姿も見えた。皆、上を向いているので、ホッパーもそちらに顔を向けると、なんと本塔の上階に大穴が開いていて、そこからも人が顔を出して下を覗いていた。騒ぎの原因はこれらしい。

 宿舎の扉をとんとんと叩くと、すぐ鍵を開ける音がして、扉が開いた。入ってすぐの空間はちょっとしたホールになっているようで、夜中だというのに人が大勢いた。皆、一斉にこちらに顔を向けた。

 途端、わっと歓声が上がる。

 人混みをかき分けして、ローラが出てくると、二人に駆け寄ってきた。

「シエスタ」

 その声を聞くと、シエスタはホッパーから離れて、ローラに抱きついた。ローラがよろめくほどの勢いだったので、マルトーが手を伸ばして彼女たちを支えていた。

「私の可愛い妹、良かった、本当に良かった」

「ローラ……!」

 泣き声を出したのはシエスタだった。そんな彼女を、ローラはしっかりと抱きしめている。安堵が胸中に広がるのをホッパーは感じた。

 




一年前ライダーキック出すとか放言かましたdekeです。生きてました。
いっそモット伯にでもぶちあててやろうかとも思いましたが思いとどまった次第です。


伯爵を登場させると、話の都合上シエスタをひどい目に遭わせてしまうのでちょっと心苦しかったりします。
ところで縛るだとか猿轡を噛ませるだとかやってることは同じなはずなのに、美少女(シエスタ)と中年のおっさん(武器屋の店主)とでは、どうしても美少女の方に熱を入れて書いてしまいます なぜでしょう。不思議ですね。



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ep13 Catch Me If You A Nobility

 衛士たちが駆けつけてきたのを見届けてから、キュルケが屋根から降りてくると、タバサが下で待ちうけていた。

「無茶が過ぎる」

 と小柄な彼女が言った。

「そう?」

「衛士を呼べばそれで済んだこと」

「それじゃあつまらないもの。彼にいいとこ見せたかったし」

「それが無茶」

 唇を尖らせたキュルケを、タバサは言葉少なにやり込めた。

「助けにいくのは、別に構わない。でも屋根に登る必要性は皆無」

 通りには日暮れの日差しがまぶしいほど照り、その光は二人の正面から差し込んでいる。この道をまっすぐ行った先の三叉路は、商家が多く集まるところで、品物を買い求める人で道は混んでいた。二人は人をかき分けるようにして歩いている。

 キュルケが尾行していたルイズとホッパーが、風体の悪い五人組に路地裏に連れ込まれたのがつい先ほどのこと。危機に陥った意中の殿方のもとへ颯爽と駆けようと画策したものの、手早くホッパーが片をつけてしまったので、飛び出すタイミングを完全に失ってしまったのだった。

「上手くいくと思ったんだけどなあ」

 と言ったが、キュルケはすぐに、でも無事だったからいいかなとひとりごちた。

「…………」

「…………」

「通報したの、貴女でしょう? でなきゃあんなに早く来るはずない」

「…………」

「ありがとね。心配してくれて」

「……別に」

 前を向いたままタバサが応じた。無愛想ともいえる友人の態度にもキュルケは慣れたものである。言葉が少ないにしろ、無駄なことは言わないので、真意は十分に伝わるのだ。

「ちょっと早いけど、食事にしない? この先に美味しいリストランテがあるの」

「行く」

「そうこなくっちゃ。デザートの砂糖菓子が有名なお店で……」

 連れだって目当てのリストランテ、『月の女神亭』の前まで来ると、そこには黒山の人だかりができていた。行列とも違うようである。子供の泣き声が異様だって響いていた。

 何事かと、キュルケが様子を見ていると、なんと店の前にむさいなりの男が陣取っていて、胴間声を張り上げていた。

 驚くべきはその男が、五つか六つと思われる女の子を捕まえ、『ブレイド』をまとった杖を振り回し、店の者に脅しをかけているのだった。店の者は地面に手をついて謝っているが、男は勘弁ならん詫料は金貨百、二百ではすまさぬと滅茶苦茶なことをわめきたてている。おそらく女の子は店の者の子で、何か男に対して粗相を働いたと思われた。

 隣国アルビオンの情勢が悪化するにつれ、戦火を逃れてきた者や、一稼ぎする目的の傭兵などがトリステイン王都に流れ込むようになっている。そういう時勢のためか、王都のような大きな町にも殺伐とした空気が持ち込まれていた。都に集まってくるのは職を求めてであるが、運悪く職を得られなかった場合は、胸中の不満が殺伐とした気配となってその身から漂う。そういう輩の行きつく先はだいたいが物乞いで、次第によっては殺人や強盗を犯す兇徒となり果てるのだった。

 キュルケの形のいい唇から舌打ちが漏れた。自分たちは楽しく食事をしに来たのであって、ならず者の無体を見物しに来たのではない。さてどう手を打とうかと思案したとき、ふと隣を見やると、そこにいたはずのタバサがいなくなっている。あちこち目を配ると、いつの間に移動したのか、見物人の一番前に立っているのが見えた。

 タバサはその間、黙って女の子の方をじっと見つめていた。

 人質にされた女の子は、小さな人形をまるでお守りであるかのように抱きしめている。男につかまっても手放さなかったようだ。あちこち傷んでいるのは、よほど気に入って遊び相手にしているためと思われた。

 女の子も、いつの間にか泣くのをやめてタバサを見つめていた。しげしげと眺められたので、人質にされていることよりも、つい気がそちらに向いた様子である。利発そうな、可愛らしい女の子だった。

「いい子」

 タバサは小さくつぶやいた。

「泣くのは、終わったあとでいい」

 この時、女の子の母親と思われる女性が、私が身代わりになりますからというようなことを言って、男の衣服の裾に縋りついた。すると男は、俺に触れるな平民と怒鳴り、女性を蹴転がした。あまりに惨い振る舞いに、見物人から悲鳴が上がった。

 お母さん、と女の子が叫ぶ。その手から人形が落ちた。

 すっとタバサが前に出た。

「ラナ・デル・ウィンデ」

 唱えられたルーンに従い、力場としての方向性を持った魔力が、杖先に不可視の風槌を形成する。

 ようやく男がこちらに気づき、タバサの方を見た。節くれた大杖と小柄な少女の組み合わせを目の当たりにして、男はあっけにとられた顔をしたが、タバサは委細構わず杖を指し向けた。決して人質を傷つけぬよう出力を絞った――接触面を減じ、且つ威力は保持した状態の――『エア・ハンマー』を無警告で繰り出したのである。

 脳天を一撃された男はうめき声を発して、女の子の手を放した。だが次の瞬間、悪魔の形相でタバサに斬りかかっていった。

 タバサは身を転じながら、つむじ風のような身のこなしで相手の刃をかい潜ると、大杖で男の脛をがつんと打ち払った。男の体が宙で一回転し、地面に落ちた。ぎゃっと悲鳴を上げて動かなくなった。石畳に頭をいやというほどぶつけて、気絶したらしい。

 

 

 

「なかなかいいお店じゃない?」

 キュルケはそう言って、タバサの空いたグラスに酒瓶を傾けた。

 タバサがならず者を懲らしめたことで、すっかり感激した月の女神亭の主人は是非とも礼がしたいと申し出た。要は店へ招いてもてなしたいとのことだった。タバサの目が、きゅぴんと輝いたのは言うまでもない。

 通された個室では、明りに蜜蝋を燃しているらしく、ほのかに甘い香りがした。お忍びの貴族が利用することもあるとかで、調度品の類もなかなか品の良いしつらえである。

「美味しかった」

 と、サシバミ草のサラダを嚥下したタバサは言った。

「でも量が少ない」

 それを聞いて、キュルケは思わず苦笑した。

 小柄な見た目に反して、タバサは健啖家である。テーブルの端に空いた皿を山のように積み上げておいて、量が少ないなど平然とのたまうのだ。彼女の矮躯に、一体どれほどの圧縮率で食物が収まっているのかは、全くの謎である。

「お酒も悪くなかったわね」

 キュルケは適当に飲み、酔いも顔に表れているが、タバサは酒はそんなには飲んでいないようである。酒瓶もほとんど自分が空けたようなものだ。……さすがに飲みすぎたろうか?

 グラスを呷って、そしてふと、ならず者を伸したときのことを思い出した。

「そういえば、さ」

「…………」

「さっきのこと、貴女らしくないじゃない?」

 学園内にいてさえ、無口無表情無愛想の三無主義を貫くタバサは、その非社交性ゆえに浮いいた存在だった。近辺で騒ぎが起こったとしても、その場を離れるだけで一切干渉しない。そのタバサが体を張って女の子を救出したのだから、何か思惑あってのことに違いなかった。

「無茶はしないんじゃなかったかしら」

 なにより、風槌を繰り出したあの瞬間、ほんの一瞬であるが、彼女の魔力が膨れ上がったのをキュルケは感じている。魔力と、メイジの強い感情は連動するのだ。タバサらしくないことこの上ない。

「別に。ただの気まぐれ」

 タバサはそっけなく言った。言葉の裏に、拒絶の意を感じたキュルケは、

「そう」

 とだけ答えた。これ以上問いただすのは野暮というものだ。この話題はもう終わりである。

 そろそろデザートにして仕舞にしよう、とキュルケは思った。

 小さな呼び鈴を鳴らすと、すぐに給仕が出てきた。デザートとドリンクを注文すると、かしこまりました、と返事をして給仕は引っ込んだが、その顔にどことなくほっとした表情が浮かんでいたのをキュルケは目撃している。並以上の大食らいを招いたと知って肝を冷やしたのだろう。

 注文したものはすぐに出てきた。が、テーブルに並べられたものを見て、キュルケは眉を上げた。

 カップが置かれ、コーヒーが湯気と香りを漂わせている。

 それはいい。

 問題はデザートだ。

 てっきり砂糖菓子が出てくると思っていたのに、クリームを添えたこのこげ茶色の物体は何だろうか。

 キュルケの困惑を察してか、タバサが言った。

「チョコレート」

「チョコ、レ……ショコラ?」

「ショコラ」

「…………」

「…………」

「なにこれ」

「多分、フォン・ヴァーデンのショコラ・オ・レ」

「食べ物、なの?」

「新大陸由来の、カカオから作った、新しいお菓子。とても苦いから、ミルクと砂糖をたくさん入れる」

「…………」

「きっと、すごく、甘い」

 この会話の間、タバサの視線はデザートに向けられている。それはもう、瞬きせず凝視している。

「……これ貴女にあげるわ。あたしコーヒーだけでいい」

 コーヒーなら、飲み慣れたものだ。東方交易でしか手に入らない、希少な『エルフの黒い妙薬』。故国ゲルマニアだけでなく、ハルケギニアの上流階級で流行りの飲み物だ。

 だがしかし、この茶色い物体は頂けない。

 どうしても食べ物とは思えないのだ。

 押しやった皿の上のものを、タバサは躊躇なく口に運ぶ。栗鼠よろしく、もっもっもっ、と咀嚼して飲み込んでみせた。

「甘い」

「はいはい、良うございましたわねー。ちなみにクリームが口の端についてるから……こらっ! 舐めないの! 拭いたげるから動かないで」

 クリームをめぐる攻防を経て後、二人は店を出た。残さずきれいに完食する主義のタバサと、食事のマナーと意地汚さの境界を区別するキュルケの戦いである。軍配はキュルケに上がったのだった。

 料金について店の主人は固辞したが、押し問答の末チップということにして、キュルケが小切手を書いて渡した。流石にあれだけ飲み食いしてタダというのは、他人の親切に付け込むようで心持が悪くなる。デザートのアレはともかく、店自体は気に入ったので、また来ようとも思ったのだ。

 夜、である。

 学院の門限はとうに過ぎている。外出許可証は未申請だが、それをチェックする立場の教師が詰所にいるのは稀なことだ。詰所にいるのはおそらく衛士だけのはずなので、言いくるめるのは簡単である。

 もっとも、二人が出入りするのは学院の門ではなく、自室の窓なので、詰所云々は関係ないのだが。

「すっかり遅くなっちゃったわねぇ」

 昼に都へ来た時と同じように、キュルケは風竜の背びれに身をあずけて、ほうと息を漏らした。酒精で火照った頬に、夜気が心地よい。

 自分は、今、酔っている。

 空の上で、友人と二人きり。

 だから、ちょっとだけ口が軽くなるのは、仕方のないことだ。

「リストランテのご主人ってば大喜びしてたわ。一人娘って言ってたっけ。うんと可愛がってるんでしょうねー」

「…………」

「美味しい料理に美味しいお酒。でもまさかデザートが新大陸産とわね。あんなところで新大陸の名前を耳にするなんて思わなかった」

「……不快に思ったのなら、謝る」

「違うわ。そうじゃない」

「…………」

「『トリステイン西海商館』……あれにフォン・ツェルプストーも出資してるのよ。専売権欲しさにね。ポテト。コーン。トウガラシ。トマト。何種類かのナッツに、さっきのココアに、タバコ。知ってる? すっごい値段で売れるんだから。

 ほら、ド・モンモランシとラ・ヴァリエールが王家と共同で造ってる運河、あるでしょ? あれの関連事業に入り込もうとして失敗したものだから、必死になって新大陸の交易に投資してるってわけ」

「…………」

「前に一度お父様に、事業に拘る理由を訊ねたことがあった。そしたら何て言ったと思う?

 『杖の時代は終わった。

  これからは金を稼ぎ力をつける。

  一族が栄えるために』

 杖の代わりにカネ、カネ、カネ……でもまさか、実の父が金の亡者に変貌するなんてね」

「派閥闘争」

「御名答。帝政に移行してからそれが激化した。

 でね、ヴィンドボナを退学になったとき、お父様から結婚しろって言われたの。一族を強くするためだって……イケメン侯爵だったら諦めもついたのかな? でも確かめたら明日死ぬようなジジイよジジイ。政略結婚以前に、こっちが金目当てだってバレバレだし……って言うか、足元見られて身売りするくらいなら死んだほうがましだっつーの!!」

 吐き捨てるように、キュルケは言った。

「後のことは、貴女も知っての通り。適当に理由付けて、留学して、こっちに来たってわけ。まあ、隣部屋の住人がルイズ・フランソワーズだったってオチがついてるけど。

 どう、笑える?」

「……笑わない」

 笑わない? 笑えないではなく?

 と聞き返そうとしたところで、タバサがまた何か言った。

 シルフィードが高く啼く。

 いきなり、背中への圧力を感じた。血が足先に集まる感覚と同時に、双月が垂直に起き上がってきて、大地と激しく入れ替わる。

 ――落ちる。

 突然の浮遊感に悲鳴をあげた次の瞬間には、キュルケは再びシルフィードの背に戻っていた。

「……酔い覚まし」

 首を回し、僅かな声量でタバサが言う。先程は、とんぼ返りの、円の頂点から後半に捻りこみを加えた曲芸飛行をわずか二,三の言葉でシルフィードに指示したのだ。

 なにするのよ! と喉元までこみ上げた怒声をキュルケは飲み込んだ。

 澄んだ青い目が自分を見つめている。そのまなざしの強さに一瞬気圧されたのだ。

「らしくないのは、貴女のほう」

 また僅かな声量でタバサが言う。

 乱れた髪を手櫛で整えつつ、キュルケは答えた。

「……そう、かな」

「…………」

「ん、そうね。確かにあたしらしくなかったわ」

 リストランテの主人とその娘御。

 暴漢から解放されて、泣きじゃくる我が子を抱きしめるあの姿は、人としてあるべき父親の姿だった。その光景を、見せつけられた。つい自分の境遇と重ね合わせてしまったのだ。

 結果、自棄酒を呷り、酔いに任せて不満を垂れるなんて、まして終わったことをグチグチ言っている自分は、自分らしくない。

 キュルケは一人で苦笑いした。陰鬱な気分になっていたのを、タバサに見抜かれていたと、ふと思ったからだ。差し向かいで酒を呷っていた間に、それが外に現れていたのだろう。

 しかしそのことをあけすけに口に出すようなことはせず、かといってこちらの気持ちに入り込むような言い方もしないで、ただ気を使っているようなことを不器用に告げたのだ。

 彼女の言う通りだ。

 だから。

 この場のことは全て、お酒のせいにしてしまおう。

「ねえタバサ、あたし達友達よね?」

 にっと笑顔を作ってキュルケはタバサに言った。

 胡散臭いものを見る目をしてタバサはキュルケを見返した。

「お、と、も、だ、ちよね?」

 言いながら、くなくなと目の前にいるタバサにしなだれかかる。ついでに彼女の陶器のように白い頬を、両手でムニムニと引っ張る。

「今の話内緒にしててくれる? 特にヴァリエールには。あたしからの一生のお願い」

「顔が近い。お酒臭い。それと一生のお願いは四回聞いた」

「大した事じゃでしょお。ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえってばぁ」

「…………」

「ダメ?」

 相手がなかなか承知しないので、キュルケは殺し文句を囁くことにした。

「内緒にしてくれたら今度御馳走してあげる」

「約束する」

 即答だった。「…」の間を置かない即断である。

「ただし、学院の食事は該当しない」

 今度はキュルケが沈黙した。学院の食事をいかばかりか多めに取り寄せて「御馳走」する目論見を彼女は看破したのだ。流石は学年主席、二度同じ手は通用しないか、とキュルケは内心舌を巻く。

「どこのお店?」

 更なる言質を取ろうと迫るタバサ。

 逃げ道を探そうと目を逸らすキュルケ。

 たっぷり十数秒の沈黙の後。

 白旗を上げたのはキュルケだった。

「……適当に探しておくわ」

「わかった。楽しみにしておく」

 そう言ってタバサが前を向く。

 タバサはいい子だ。彼女に友人として選ばれ、また選びもした自分の目に間違いはなかったとキュルケは思った。初対面ではお互い最悪な印象を持ち、決闘騒ぎまで起こしたあのころを思い出していると、シルフィードが鋭い鳴き声を発した。

 下に何かいる、とタバサは言った。ちょうどその直下で、歩みを止めた不格好なゴーレムが、形をなくして小山となったところだった。

 

 

 

 明朝。

 トリステイン魔法学院では、大騒ぎが続いていた。

 盗賊が侵入した宝物庫には、野次馬が集まっている。

 ある者は壁の大穴(応急修理が施されたとはいえ)を見て呆然としている。

「衛士が殺された」

「学院に放火された」

「すでに盗賊は捕縛されている」

 推測を話す者。

 推測に私見を加える者。

 嬉々としてゴシップネタに変えて話す者。

 にもかかわらず、皆、壁に残された犯行声明を根拠に、「義賊フーケが単身侵入し、宝物を強奪した」という点においては、見解の一致を得ていた。そして、その見解の根拠を疑う意見は、悉く攻撃され、袋叩きにあったのだった。もっとも、この事件が解決した後には、巷間に上ることなく忘れ去られる程度の『事実』でもあった。

 一方、そのころの学院長室――――

「衛士は何をしていたのだ」

「所詮は平民。あてにならん」

 教師たちが集められた学院長室で、銘々が勝手に騒いでいる。偏狭で不寛容な雰囲気で満たされていた。

 そして、決定的な一言が出た。

「そもそも、当直は誰だったんだ?」

 この一言で、盗難事件の解決策を講じるはずの会議が、責任を押し付ける弾劾裁判へと変質したのである。

 ミセス・シュヴルーズの肩がビクリと跳ねた。昨晩の当直は自分であった。が、いつも通り当直をサボり、自室でぐっすり寝ていたのだ。

 ねちっこい口調で、教員の一人、ミスタ・ギトーが言った。

「ミセス・シュヴルーズ? 吾輩の記憶が正しければ……昨日の当直は貴女では?」

 ミセス・シュヴルーズは泣き始めてしまった。

「も、申し訳ありません……」

「泣いても、宝物は戻ってこないのですぞ。それとも貴女が全てを弁済するのですかな?」

 馬鹿馬鹿しい、とホッパーはいつぞやと同じ感想を持った。職務怠慢な(恩を感じたこともあるが)教師と、その一方で非難する大人たち。義務だ、責任だと責め立てているが、そういう四角ばった物言いの根拠は一体どこから湧いて出てくるのかをホッパーは理解できない。会議の空気がなせる業とすればそれまでだが、没意義に終始するのがせいぜいであろう。

 右にそれとなく目をやると、ルイズもまた大人たちのやり取りを不快な表情で見ていた。

 そのまた右に、眠そうな目をしたキュルケが立っている。呼気に酒精が混じっているのは昨晩深酒したためだろうか。

 さらに隣には、青髪のちっこいのが並んでいた。いつもキュルケと一緒にいる、確か名前は……タなんとか。こちらはただぼんやりと目の前の光景を眺めている。

 視線を前に戻すと、謗言に耐えかねたミセス・シュヴルーズがよよよと床に崩れ落ちるところだった。

 そこに、オスマン氏が現れた。

「これこれ、女性をそういじめるのはよしなさい。あー、えー、ミスタ・ピトー?」

「ギトーです! いや、しかしですな! ミセス・シュヴルーズは当直をサボって自室で寝ていたのですよ! 責任は彼女にある!」

「馬鹿者!!」

 オスマン氏は一喝した。

「皆を招集したのは一刻も早く対策を講じるためじゃ! ここは責任追及の場ではないわ!」

 普段の様子からは信じられない、するどい覇気にみちた声に圧されて、ミスタ・ギトーはたじろいだ。好き勝手騒いでいた他の教師たちも、ぴたりと口を噤んだのだった。

 そこでようやく、普段の飄々とした感じに戻ると、辺りを見回し、言葉を続ける。

「そもそも、ミスタ・コルベール以外でまともに当直を務めた教師は、何人おるのかな? ん?」

 教師たちは互いに顔を見合わせると、気まずそうに下を向く。誰も発言しない。

 オスマン氏は溜め息をつきながら言った。

「これが現実じゃ。メイジが大勢詰めとるこの学院に、わざわざ侵入する泥棒がおるとは普通思わんからの。故に、儂も含めた全員が、油断しとった。責任は、この儂を含め全員にある」

 ミセス・シュヴルーズはすっかり感激した様子で言った。

「感謝いたしますオールド・オスマン! わたくしはあなたをこれから父と呼ぶことにいたします!」

 オスマン氏はそんなシュヴルーズの尻を撫でた。

「よいよい、よいのじゃ、ミセス」

「わたくしのお尻でよかったら!そりゃもう!いくらでも!はい!」

 …………。

 ……。

 …。

「…ルイズ。あのスケベな老人が、この学院で、一番偉い、学院長の、オールド・オスマンなのか?」

「…………」

 ホッパーの耳打ちに、ルイズは応じなかった。代わりに、右のつま先に圧力を感じたので足下を見ると、ルイズの左足の踵(ローファー)が、ホッパーの右足の小指を、靴の上から正確に踏んづけている。

 ムウ、成程。学院長をフォローしてやりたいが、言葉が見つからないということか。それとも、もっと直接的に、余計なことを言うなという意味でのストンピングだろうか。

 スケベなオスマン氏はこほんと咳をした。突っ込みを期待し、場を和ませるつもりで尻を撫でたのである。

「で、目撃者というのは?」

「こちらの三人です」

 コルベールが壁際に控えさせていた三人を示した。ルイズ、キュルケ、タなんとかの三人が前に出る。

 ルイズはゴーレムが草原を横切るところを見た、と証言した。

 キュルケはゴーレムが崩れるところを見たが、付近に人影はなかった、と証言した。

 タなんとかは黙ったままだった。

「ふむ。犯人を見たものはおらんのか」

 オスマン氏は髭を扱いた。

「手掛かりナシじゃの」

 ミスタ・コルベールが控えめな口調で言う。

「王室に協力を願ってはいかがですか。王都の警吏と騎士隊を差し向けてもらうのです」

「その間に逃げられてしまうわい。賊の侵入を許した挙句取り逃がしたとあれば、恥の上塗り。じゃが、厄介なのはそれよりも……」

 苦々しげにオスマン氏は言った。

「週末の使い魔品評会じゃ。王女殿下直々の御所望により、ゲルマニアより帰国途上の御一行がお立ち寄りになる。これは決定事項、変更はない。

 この件、早々に片をつけねば身の破滅につながるぞい。なにせ、我々は『貴族』じゃからの。職を辞するだけでは済まぬ」

 オスマン氏の言葉で室内に重苦しい空気が充満する。

 ――面倒だ。

 と、すぐにホッパーは思った。単なる泥棒騒ぎのはずが、にわかに緊迫したものに変わったのを感じたのである。オスマン氏は単刀直入に破滅という言葉を使ったが、ただ騒々しいだけの雰囲気を一変させるには十分な効果を発揮した。コルベールはみるからにうろたえている。ミスタ・ギトーに至っては顔を土気色にしていた。

 しかし、ホッパーにとって教師陣の反応は認識外である。面倒だと思ったのは、『貴族』という単語に過敏な反応を示すルイズだ。会議の行方によっては無茶なことを言い出しかねないと危惧している。

「では、情報を整理しようかの。ミス・ロングビル、報告を」

 とオスマン氏は言った。

「賊は『土くれのフーケ』。壁にサインが残されていました。

 盗まれた品は『破壊の杖』、『魔笛』、『聖血』。ミスタ・コルベールと共同で目録を確認しましたので間違いありません」

 キビキビとした口調でミス・ロングビルが言う。

「フーケはゴーレムを囮に反対の方向へ逃走したようです。先生方の御助力を得て使い魔に追跡させたところ、足跡は森まで続いていましたが、途中で見失いました。……それから、足跡は複数確認されました。単独で行動すると思われていたフーケですが、此度は仲間を使ったようです」

「ありがとう。ミス・ロングビル」

 とオスマン氏は言った。

「さて諸君。この問題は我らで解決すべきことじゃ。その上、身に降りかかる火の粉を己で払えんで何が貴族か」

 オスマン氏は再び空咳すると、有志を募った。

「では、フーケ捜索隊を編成する。意志ある者は杖を掲げよ」

 沈黙。

 誰も杖を掲げない。困ったように互いの顔を見合わすだけだ。

「おやおや。誰もおらんのか、盗賊を捕まえて名を上げようと思う『貴族』は?」

「志願します」

 案の定というべきか、簡潔に宣言して後、ルイズは杖を掲げたのである。

 まずい、とホッパーは思った。

 つい昨日、白昼堂々強盗に遭ったのを忘れたのかこの逆噴射娘は。しかし、逆噴射娘……ではなく、ルイズを制止できなかったのはホッパーの失策である。

 聞き及ぶ限りホッパーが思ったのは、フーケは無計画な強盗とは違うということである。派手な方法で宝物庫を破りこそしたが、追跡を撒くために囮を使い、さらには森に入ってからは足跡まで消す周到さを見せている。

 次に考えたのは、追手がかかることをフーケが予想していたかどうかだ。時間稼ぎの仕掛けは施している。追手の進行を遅らせるために罠を張っているかをも知れない。いよいよ追い詰められたとなれば、死に物狂いで反撃してくるだろう。

 そこまで考えたとき、ホッパーの頭に浮かんできたのは、ゴーレムとは反対の方向に残っていたという足跡である。囮を用意しておきながら、痕跡を残すというのはどうも片手落ちのような気がする。フーケのブラフだろうか。ホッパーの考えはここで行き詰った。

 ミセス・シュヴルーズが、驚いた声を上げた。

「ミス・ヴァリエール! あなたは生徒ではありませんか。ここは我々教師に任せて……」

「誰も掲げないじゃないですか!」

 真剣な目をしてルイズは言う。

 それを見て、キュルケも渋々杖を掲げる。

「ツェルプストー! 君も生徒だろう!」 

「ふん。ヴァリエールに負けられませんわ」

 そしてキュルケが杖を掲げたのを見て、タなんとかまでもが杖を掲げた。

「タバサ、貴女は関係ないのよ。あたしがやりたいだけなんだから」

「心配」

 タバサはちらりとキュルケを見上げて、短く答えた。

「……ありがとう。タバサ」

 ルイズもお礼を言った。

「オールド・オスマン! 生徒に盗賊退治をやらせるなんて私は反対です! そんな危険なことを彼女らにさせるわけにいきません!」

 

「如何にも。その通り」

 

 ミセス・シュヴルーズが言うと、オスマン氏は大きく頷いた。

「儂のつたない言い方で誤解させたが、生徒を巻き込むわけにはいかん。

 ありがとう。ミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ。

 気持ちだけ頂いておくよ」

 ルイズは語気を強めて言った。

「気持ちだけだなんてそんな……私だって貴族です! 捜索隊に入れてください!」

「二度同じことは言わぬよ。ミス・ヴァリエール」

 さらに食い下がろうとしたルイズの細い肩を、ホッパーが抑えた。何か言いかけたが、ホッパーが首を横に振ると、下を向いてしまった。捜索隊から外されたことがよほど悔しかったのだろう。肩が震えている。ホッパーは如何にして捜索隊からルイズを離脱させるべきか思案していたが、オスマン氏の素っ気ない一言によって難なく解決したのである。

「され、諸君。事の重大さが、まーだ伝わっておらんようじゃの。『破壊の杖』並びに『魔笛』…この二つははっきり言ってガラクタじゃ。懸念には及ばぬ。じゃが……」

 と言って、オスマン氏は一瞬鋭い目を室内に向けた。

「『聖血』となれば話は別。『聖血』は宗教庁の奇跡認定こそ受けておらぬが、これは聖人の血という逸話がついておる。盗難の事実が明るみに出れば、我々は厳しい追及を受けるじゃろう。辞職で済まぬと言ったのはこのためじゃ。

 先程は誰ぞが責任云々と連呼しとったが、生徒に責任を取らせるつもりかの? 君ら、それでも『貴族』かね?

 ではもう一度、有志を募ろう。意志ある者は杖を掲げよ」

 今度は教師全員が杖を上げた。

 オスマン氏は鷹揚に頷いた。今度こそ、不毛な議論に及ぶ者はいなくなったのだ。

 ホッパーは感心した。損得だけでない、相手の自尊心をも駆け引きに乗せて、会議を取りまとめた手腕は見事なものだ。一見して好々爺だが、実はかなりのやり手なのかもしれない。ともあれ、ルイズの暴走にお墨付きを与えることは防止できたので、ホッパーとしては充分な結果である。

「よし、よし。既に街道筋や近隣の村には人を遣って情報を集めておる。主に先生方には森の探索に当たってもらいたい。空を飛べる使い魔には連絡役をしてもらおうかの。危険が生じた場合はファイア・ボールを空に三度打ち上げること。

 おおう、ミスタ・コルベールとミス・ロングビルは残るように。儂の補佐をしておくれ。

 さて、具体的な編成についてじゃが――」

 淡々と、オスマン氏は指示を出した。誰にどの役を負わせるか、またペアを組ませるかをすでに頭の中で算段をつけていたのだろう。よどみなくすらすらと方策を話していく。

「――説明は以上じゃ。出発は一時間後。質問はあるかね? ……では一度解散とする」

 オスマン氏の言葉で、会議はお開きとなった。三々五々、深刻な顔をした教師たちが退出していく。

 キュルケは不服そうな顔をしていたが、小さくため息をつくと部屋を出て行った。タバサもそれに続いた。

 これ以上、居残っても仕方あるまい。ホッパーは改めてルイズを見た。

「…ルイズ」

「…………」

「…行こう」

「私だって」

 小さな声でルイズは言った。

「私だって、『貴族』だもん」

「…この件は、ルイズ、俺たちの手を離れた。先生方に、まかせるのが……最善だ」

「いいえ。出来ることがまだあるはず」

「…引き際を、間違えてはいけない」

「引き際ですって? 馬鹿言わないで」

 低く、抑えた声でルイズは言った。

「敵に背中を見せるのは『貴族』のすることじゃないわ」

 ルイズはそう言い残すと、すばやく踵を返して部屋を出て行った。目に剣呑な光を宿していたのをホッパーは認めている。

 ――いよいよ、面倒だ。

 なだめるつもりが、かえって意固地させてしまったようである。やはり自分は口下手だ。

 ――しかし……。

 ルイズは冷静さを失ってはいない。本気でキレていたら声が震えるからだ。いましばらく軽率な行動は控えるとみてよい。差し当たってはフォローに回るとしよう。ホッパーもルイズのあとから歩き出した。

 廊下に出て階段を下ろうとしたとき、ホッパーは妙な動きをする男を見た。階下にいたのは、恰好からして学院の生徒である。その妙な動きというのが、見ようによってはホッパーを見かけて、鉢合わすのを避けたように見えたからである。

 というか、その背格好に見覚えがあった。先だって決闘で白黒つけた仲である。ギーシュだ。

 ホッパーはルイズから離れ、足音を忍ばせて追いつくと、後ろから肩をたたいた。

「…久しいな。色男」

「な、な」

「…逃げただろう、ルイズを見て……それとも、俺か?」

「に、逃げたわけじゃないよ」

 ギーシュは気の毒なほどうろたえていた。ホッパーは鎌をかけた。

「…モンなんとかの次は、ルイズがお目当てか」

「違うよ!」

「…そうか。……会議を、盗み聞きしたな」

「い、いやあ、偶然にだね」

「…聞いていたんだな」

「っ! 人聞きが悪いことを言わないでくれ。誤解されるじゃないか」

 ギーシュはホッパーを、廊下の隅までに引っ張った。ギーシュはまだうろたえていた。

 

 

 

 




ミスター・チュートリアルは済ませたのでどうにかフーケイベントを消化したい今日この頃。


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