転生の戦車兵『銀鳩班』  (タンク)
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第壱話 密林の攻防戦

インド・ビルマ方面

 密林に日本軍の砲戦車が1輌、手堀の塹壕に車体を隠して車体の上半分を出す『ダッグイン』という方法で身を潜めていた。

 日本の中戦車よりも二周り程大柄な車体。その中心部に設けられた戦闘室。天板の右前に設置された車長用のキュウポラ。車体前面に設置された副兵装の37㎜砲。主砲は『試製十(センチ)戦車砲(長)』1門を装備している。これは55口径105㎜の対戦車砲である。

 枯れ木や木葉を使って擬装を施しているので、遠目ではただの茂みにしか見えない。

 この戦場に来て2週間。まだ日は浅いが、これまでの日本の戦車と比べて一歩先を、いや、数歩先を行っていると言っても過言ではない。

 その周りには乗員と思われる兵士が4人。『タコツボ』と呼んでいる塹壕の中に身を潜めて敵を警戒している。車内にはボサボサの短髪で少し痩せている兵士がいた。使い古して草臥れた日記帳に筆を走らせている。

 車長の引田(ひきた)(じん)。28歳。階級は准尉。戦車兵になって7年目。戦車兵の司令塔となる車長に任命されて3年。漸くコツを掴み始めたばかりだ。

 

【昭和20年4月19日。快晴。

 今日はとても心地いい風が吹いている。我が班はこうして敵陣のど真ん中で戦闘し、今日まで生き残ってきた。こうして日記を書けるだけでも、運が良い。

 昨日。我々と共に戦っていた最後の味方が撃破された。戦車兵5名、整備兵10名が戦死してしまった。側にいたにも関わらず、助けることが出来なかった。

 彼らの遺品は必ず本土へ持って帰らなければならない。それが、生き残った我々に・・・

 

「引田車長。また日記書いているんですか?」

 

 後少しで書き終わるというタイミングで、兵士が車内を覗き込むように話し掛けてきた。引田と同じ位痩せた身体。被っている鉄帽(てつぼう)(ヘルメット)が重いのか、下を向かないように目線を上げている。

 操縦手の大室(おおむろ)五郎(ごろう)。26歳。戦車兵となって5年目。階級は軍曹。厳しい訓練で培った操縦技術は目を見張るものがある。

 引田は最後の文章に『課せられた使命だ』、と書き加えて日記帳を閉じた。

 

「今書き終わったところだ。敵さんの様子はどうだ?」

 

「動きありません。何か企んでいるんでしょうかね」

 

 大室は苦笑する。引田は日記帳を自分の鞄にしまって立ち上がり、背を伸ばして深呼吸をした。

 

「そうか・・・敵さんも1日ぐらい休みたいんだろ。飯にしよう」

 

 引田は車内から出ると、他の乗員に声を掛けて塹壕の中に潜り、缶詰を開けた。

 

 乗員は5人。この編成となってまだ1年目だ。色んな事がありつつも、生き残ってきた。この編成となって初めての戦闘はビルマ作戦だった。

 配属となった部隊は『戦車第14連隊』。チハ車、チハ改、1式砲戦車『ホニⅠ』、鹵獲したアメリカのM3軽戦車スチュワートを保有しているビルマ方面で唯一の戦車部隊だ。

 初めての戦場で味方が次々と撃破されていく中、引田が指揮を取るチハ車は何とか生き残った。司令から「生き残るコツがあるのか」と問われた時に「我々は悪運が強い」と、引田は冗談を言った。

 

 1ヶ月後。連隊は『インパール作戦』を実行する事になった。

 目的は敵の援蔣(えんしょう)(補給)ルートの遮断。インパールの攻略であった。

 連隊は『テグノプール』という地点で敵を迎え撃つ事になり、実戦テストで配備されたホニⅠを主軸とし、ダッグインさせて防衛陣地を構築した。

 幸先の良い戦闘をして来たが、米軍はより強力な中戦車であるM4シャーマンを持ち込んだ。火力、装甲、機動力のバランスが取れている戦車を前に、日本軍は劣勢に立たされた。

 

 戦死者が増え、戦力が半分以下になってしまった時。

 連隊長は「これ以上戦力が減少するなら撤退せざるを得ない」と危機感を募らせていた。そんな時、新型砲戦車『ホリⅡ型』が実戦テストを兼ねて配備された。

 新型中戦車『チリ車』の車体を流用して作られたと聞いていたが、ホニⅠよりもを一回り大柄な車体を前に、誰もが目を丸くしていた。

 全面が装甲で覆われた戦闘室、強靭な装甲、米軍戦車の正面装甲を貫ける強力な火力。陸軍の兵士が求めていた性能を全てつぎ込んだ戦車だった。

 だが、新型が来たからと言って喜んだ兵士は少なかっただろう。戦車に限らず、新型は『予想外のトラブル』が起きやすいからだ。ベテランからすれば、「新型を使うのは極力避けたい」と言うのが本音だろう。

 この新型の使用を命じられたのが引田の班だった。配備される前日に乗っていたチハは故障してしまい、整備兵からは「補給が無いので修理はいつ終わるか分からない」と言われたので嫌々使うことになった。

 引田を含め、「トラブルだらけの厄介者だろう」と思っていたが、この戦線に来る前に入念な試験を重ねた上での実戦配備となったようで、これまでの戦闘でトラブルは起きていない。

 

 ホニⅠと同様にダッグインで迎撃する形を取り、迫り来る敵戦車群を迎撃した。先手で攻撃したホリⅡ型の主砲は想像以上の威力を発揮した。

 これまで歯が立たなかったM4シャーマンの正面装甲を貫き、1発で吹き飛ばした。その日の戦闘は僅か5分足らずで敵を撤退させた。他の乗員からは「俺の班にも欲しいな」と羨ましがられ、僅か1日で『厄介者』から『英雄』に変わった。

 

 現在。残されたのはこのホリⅡ型1輌と戦車兵5人だけになってしまった。そんな彼らは、この防衛陣地の防人となっている。

 連隊長は戦死する前日、「他の師団が応援に来るから持ち堪えろ」と言っていた。それから1週間経ったが、他の師団や連隊が来る気配はない。全滅したか、撤退したか・・・確認する術はない。

 もし前者なら、戦車を60輌以上も保有していた戦車第14連隊は壊滅状態と言って良い。次にあの世へ逝くのは自分たちか、そんな事を思っていた。

 

「引田准尉。質問しても良いでしょうか」

 

 話し掛けたのは通信手兼副砲手の中島(なかじま)三雄(みつお)。21歳。階級は1等兵。この戦線に配属になったばかりの新米だ。まだ機器類の扱いに慣れていないのか、手の甲と両腕の傷が目立つ。

 

「おう。どうした」

 

 引田が聞き返すと、中島はボソッと呟くように言った。

 

「我々は・・・この戦争に勝てるのでしょうか」

 

 中島に視線が集中する。この軍において、「この戦争に勝てるのか」という言葉はご法度だ。

 

「お前、なんて事を言うんだ!」

 

 大室が怒鳴り、掴みかかりそうになった所に引田が腕を出して止めた。

 

「すみません・・・昨日の襲撃を受けて、最後の砲戦車が撃破されてしまったので、不安になってしまって・・・」

 

 食事の手が止まり、目に涙を浮かべた。大室はそれ以上何も言わなかった。

 

 

 昨夜の22時。

 引田の班はホリⅡ型に乗り込んで警戒態勢を取っていた。この時残っていた他の車輌はホハⅠが1輌だけだった。

 ホハⅠは昼間の襲撃で損傷した主砲とエンジンの修理をしていた。後少しで完了する、と整備兵がほっと息を吐いた瞬間。突然足元から爆発が起き、空高く舞い上げられた。

 ホハⅠの車長が「敵襲!」と叫んだ直後、機銃弾が乗員たちの身体を貫き、その場に倒れ込んだ。

 騒ぎを聞き付けた引田たちが反撃し、安全を確認して駆け寄った時には既に生き絶えていた。ホハⅠは原型すら分からなくなる程に破壊され、側には兵士の亡骸が転がっていた。

 中島がその内の1人に駆け寄り、肩を抱いて揺すった。彼の同期だった。地元が同じ大分(おおいた)という事で意気投合し、「絶対に生きて帰ろう」と誓い合った仲だった。

「畜生!」そう叫びたい気持ちを抑え、歯を食い縛りながら同期の亡骸を抱いた。大声を上げれば敵に居場所を知らせることになる。

 中島以外の乗員たちは、こんな光景を何度も見てきた。戦場では生きるか死ぬか、この2択しかないのだ。

 引田たちは戦車兵6名と整備兵10名の遺体を埋葬し、壊れた小銃や木の棒を突き立ててヘルメットを被せた墓標を作った。最後に全員で敬礼をして、別れを惜しんだ。

 これが戦争。今自分たちは、戦争をしている。改めて実感した瞬間だった。

 

 

 

「謝る必要はない。私も同じ気持ちだ」

 

 引田は後ろを向いた。撃破された砲戦車の残骸。側には勇敢に戦った兵士たちの墓標がひっそりと建っている。

 

「本土は爆撃の脅威に晒され、どの戦闘でも負け続きだ。ベテランが次々と戦死し、残されたのは経験が浅い若い兵士ばかり。いくら強い兵器が出来たところで、使える奴が居なければ宝の持ち腐れ。分かっている奴は勝てるとは思っていないさ。だから、せめて生きて帰ろう。先に旅立ってしまった友軍のためにも」

 

 

【昭和20年4月20日。雨。

 私は雨が嫌いだ。濡れるのも嫌だし、ジメジメとした環境は気持ち悪くてしょうがない。何処へ行っても、湿気は天敵になりうる存在なのだろうか。

 ところで、この地で眠る兵士たちはどんな事を思っているのだろうか。死ぬと痛みも寒さも感じないというが、自分はそうなりたくない。『感覚』は生きている人間の特権なのだ】

 

 引田は日記を閉じて深呼吸をした。車長用に設けられているキュウポラの測距儀(そっきょぎ)を通して外を確認する。まだ暗く、雨水がレンズを濡らしている。月明かりの無い闇がホリⅡ型を覆っている。

 戦場では夜が一番恐怖を覚える。何処に敵が潜んでいるのか、何処から撃ってくるか予想出来ないからだ。最後の味方が撃破されたのも夜。同じ手を使って攻撃してくる可能性は十分あった。

 腕時計を見る。現地時間で夜中の2時を回った所だ。そろそろ見張りを交代しなければと思い、側で寝ている大室の肩を叩こうとした、その瞬間。暗闇を切り裂くような砲撃音が響き渡る。敵の攻撃だ!

 

「敵襲!!全員起床しろ!敵襲だ!!」

 

 引田の怒号で一気に目を覚まし、各自所定の配置に付く。

 ホリⅡ型砲手、芦沢(あしざわ)(たけし)。25歳。階級は大室と同じ軍曹。殆ど喋らない無口な男だ。照準器越しに敵の存在を確認している。

 側で砲弾を抱えているのは、主砲装填手の酒井(さかい)正吉(まさよし)。24歳。階級は伍長。おおらかな性格で、戦闘の時も緊張感がない。

 

「砲撃の音からして恐らくM4だろう。数はまだ不明。今は夜中で雨が降っている。空襲は無いだろう。だがその分地上に戦力を集中させる筈だ。中島。敵歩兵に注意。榴弾を使え。芦沢。お前は敵戦車を確認次第攻撃を始めろ。俺も敵を補足する」

 

 引田は再び測距儀を覗いて敵の位置を確認する。この砲戦車にライトは無い。月明かりがあれば探しやすいのだが、今はその月明かりも頼れない。

 

「敵戦車補足!射角、左9度。距離約50メートル。撃て!」

 

 芦沢が足元に付いている撃発ペダルを踏みこむと、強い衝撃と振動で車体が揺れる。砲弾は敵に命中したらしい。遠くで爆炎と、砲塔とおもわれる物体が空高く舞い上げられている。

 戦車から上がる炎のお陰で敵の位置が補足しやすくなった。敵は戦車を盾にし、その後ろに歩兵を随伴させている。

 

「芦沢は敵戦車を撃破!中島はその後ろに引っ付いている歩兵を叩け!」

 

 引田は先に戦車を減らす作戦に出た。歩兵も厄介だが、兎に角戦車を減らす事が先決だと判断したのだ。

 芦沢はその指示通りにM4に照準を合わせて撃発ペダルを踏み込む。中島は戦車が吹き飛ばされて慌てている歩兵を攻撃する。

 戦車がいなくなったのか、見えるのは歩兵だけになった。引田は酒井に榴弾の装填を指示した。徹甲弾よりも炸薬が多いので歩兵には有効な攻撃手段だ。

 

「引田准尉!前方60メートル!正体不明の戦車が現れました!」

 

 中島が何かを見つけたらしい。引田が測距儀で確認する。一目でM4とは違うと分かった。

 大柄の車体に、ドイツやソ連の戦車に取り入れられている傾斜装甲。ホリⅡ型並みの主砲がこちらを睨んでいる。

 

(あれは・・・敵の新型か。あの大きさからして恐らく重戦車。噂には聞いていたが、もう実戦配備にまで漕ぎ着けていたか)

 

 弾種を替えて攻撃指示を出そうと思っていたが、芦沢は既に徹甲弾に切り替えて攻撃していた。

 新型の重戦車は正面装甲を貫通されて動きを止めた。どうやらこの主砲でも撃破は可能のようだ。

 

「芦沢はそのまま新型の迎撃!大室はエンジンを始動して待機!撃破可能と言っても相手は重戦車だ。万が一に備え、撤退の」

 

 準備をしておけ、と言い終わる前に車内に凄まじい轟音が轟いた。敵の攻撃が命中したらしい。引田が顔を上げると、空が見えた。キュウポラを吹き飛ばされたのだ。

 

(しまった・・・相手は88㎜級の主砲を持っていたか。M4の主砲なら耐えられたが、大口径砲となると・・・やむを得ないか)

 

「大室!後退だ!敵との距離を広げて遠距離射撃(アウトレンジ)で応戦する!」

 

 大室が左手で変速レバーを動かし、アクセスペダルを踏み込むとエンジンが雄叫びを上げる。

 芦沢は攻撃の手を緩めなかったが、車体が揺れると同時に砲身もブレてしまうので上手く当てられない。

 だがそれは相手も同じ。攻撃してきているが、砲弾は掠めるか大きく反れて地面に着弾するかで、今のところ測距儀以外は命中していない。このまま後退を、そう思っていたが、敵の狙いは徐々に正確になってきた。大室が回避行動を取っていたが、遂に限界がきた。何かが切れるような金属音が響き、車体が大きく左に反れた。

 

「大室!どうした!」

 

「右の履帯を切られました!行動不能です!!」

 

 敵の攻撃がホリⅡ型に集中する。引田が恐れていた通り、流石の装甲も88㎜級の攻撃には距離が離れているだけでギリギリ耐えている感じだ。至近距離で撃たれれば、貫通する。

 

「引田准尉!非常事態です!装填装置がイカれました!!」

 

 酒井が叫ぶ。

 引田が見ると、鎖栓が開いたままの状態で砲身が元の位置に戻っている。閉まるか試したがダメだった。今までに無かった『想定外のトラブル』だ。

 

「やむを得ん。各自武器を携帯!脱出だ!」

 

 指示を受けた大室たちは命令通りに脱出しようとしたが、周りは敵に囲まれているので外に出られない。

 ホリⅡ型が反撃出来ないと察したのか、四方八方から攻撃をしてくる。側面、後方は装甲が薄い。機関銃の弾でも貫通してしまう。「伏せろ!」、引田が言おうとした瞬間、車内に砲弾の嵐が吹き荒れ、避けきれなかった芦沢と酒井が倒れた。生死を確認したが、即死だった。

 前部にいた大室と中島は無事だった。敵は中央部の戦闘室に乗員が集まっていると思っていたらしい。

 

「大室!中島!今の内に脱出しろ!急げ!」

 

 嵐が一時的に収まった。今の内に、後部のハッチを開けた。そこには武装した米軍の兵士たちが取り囲んでいた。手を腰に回したときには、先に倒れた2人の亡骸の上に身体を沈めていた。

 

「大室・・・中島・・・応答しろ。脱出、したか?」

 

 側に落ちていた咽頭マイクに声を吹き込む。ここで応答が無ければ、2人は既に脱出したことになる。

 

「・・・すみません。やられ・・・ました」スピーカーから聞こえてくる掠れた声は、中島だった。「大室・・・ぐん・・・そうも・・・」

 

 言葉の続きを聞き終わる前に通信が切れた。音を聞かなくても理解出来た。大室、芦沢、酒井、中島は、戦死したのだ。

 

(午前・・・2じ・・・全員、せん・・・)

 

 右手に持った腕時計を見ながら、引田もその後を追った。

 

現地時間

昭和20年4月20日・午前2時14分

戦車第14連隊『引田班』・全滅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2011年。12月11日。

 戦後66年を迎え、もうすぐ67年目を迎えようとしていた。南よりの九州でも、冬の寒さには堪える。

『別府市立・鶴ヶ原中学校』、3年1組の生徒たちは歴史の授業を受けていた。50代後半に近い歴史担当の教員が教科書を片手に黒板に文字を書いていく。

 

「えー、1941年。日本軍による奇襲攻撃により、太平洋戦争が始まった。そして・・・

 

 歴史の授業ほど退屈なものはない。戦争の歴史は特にそうだ。60年以上前ことを知ってどうなるのか。その後の生活に役立つことではない。ほぼ全員がそう思っている。

 教室で授業を受ける30人の生徒たちは教科書に目を落としているが、その内容の殆どは頭に入っていない。授業が終わったら何をしようか、そんなことばかり考えていた。

 40分程の退屈な授業が終わり、生徒たちはそれぞれのグループを作ってお喋りを始めた。ただ、1人を除いて。

 

「ねぇ。あの子またあんな本読んでるよ」

 

 女子グループの1人が指を指す。その先には男子生徒が1人だけで、表紙に『日本陸軍・戦車部隊の歴史』と書かれた本を読んでいる。それもかなり真剣な表情で。

 

「ほっといたら?今どきのオタクよ。オタク」

 

「ちょっと。聞こえちゃうよ」

 

 女子グループの会話は聞こえていたが、彼は一切無視した。そんなことよりも、知りたい事があった。戦車第14連隊が戦闘を行ったビルマ方面がその後どうなったのかを。

 名前は水田(みずた)(しゅん)。クラスメイトからは『軍事マニア』、『戦車オタク』と裏で囁かれていた。そんな彼には秘密がある。

 ビルマ方面で戦死した旧日本陸軍の戦車兵、『()()()()()()()()()()()()()()のだ。



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第二話 再会

前回のあらすじ

『インパール作戦』を遂行する戦車第14連隊。日本最後の砲戦車『ホリⅡ型』に搭乗する引田神准尉率いる『引田班』は、たった1班だけで作戦を遂行していた。
1945年4月20日。深夜に奇襲攻撃を受けて反撃を開始する。順調に撃破していったが、敵は新型重戦車を用いて攻撃を始める。流石のホリⅡ型でも防御力は足りず、徐々に追い詰められて最後には乗員全員が戦死した。現地時間午前2時14分の事だった。

月日は流れ、戦後66年の平成23年12月11日。
別府市立『鶴ヶ原中学校』に『戦車オタク』、『軍事マニア』と陰で囁かれている1人の男子生徒がいた。名前は『水田隼』。彼には前世で引田神として生きた記憶を受け継いでいる。


・・・・・ 平和だ

 

 戦場で死の世界に片足を突っ込んだ環境下と比べれば、今の日本は平和そのものだった。

 空襲の恐怖も無く、敵が攻めてくるという緊張感も無い。『水田隼』として転生してから15年、()()()()()()()()()()を除けば何の不自由もなく過ごしてきた。

 

 輪廻転生・・・まさかこの身をもって体験することになるとは、考えてみなかった。

 人は死ぬと天国に行くか、地獄に行くか、新しい命となってこの世に生まれ変わるかだと言われてきた。生まれ変わる時に前世の記憶は失われるのだが、ごく稀に前世の記憶が残ったまま転生する事もあるらしい。

 水田の場合、前世で『引田神』として生きた記憶が()()()()()()残っている。生まれた場所、初めて陸軍に入隊した時、インパール作戦の遂行中に戦死した時・・・

 

「自分には前世の記憶がある」と分かったのは10歳の時だった。

 母から「夜泣きが酷かったのよ」と良く言われていたのだが、その『夜泣き』には思い当たる節があった。

 今も時々戦場での記憶が夢に出てくることがある。インパール作戦遂行中・・・敵からの奇襲攻撃を受けてから、自分が戦死するまでの約10分間が、自分の身に起きているように感じるのだ。

 5、6歳の時はこの夢に魘されて不眠になることが多かったが、今はすっかり慣れてしまった。

 次ぐ次ぐ人間は不思議なものだと思う。どんなに辛い事でも、毎日同じ事を繰り返していればいずれ慣れる。この年になるまで夢の中で自分が死ぬ瞬間を何度見てきたことか。

 親に「俺には前世の記憶が残っているんだ」と説明したところで、信じて貰える訳がない。前世の記憶を持ったまま転生した以上、慣れるしかなかった。兄弟はいない。前世の時も一人っ子だった。

 

 中学校の入学式の最中。「戦車第14連隊は、その後どうなったのか」とふと思った。それが気になって仕方がなく、小遣いを全て軍事書籍に費やした。

 同級生と会話する事は殆ど無く、学校で過ごす休み時間の大半は書籍を読み漁っていた。それが原因で同級生から『軍事マニア』、『戦車オタク』と囁かれるようになったが、水田にはそんな渾名を気にする暇は無かった。インパールがどうなったのかを知りたい。その一心だった。

 

 

 

 鶴ヶ原中学校は45分間の昼休みに入っていた。グラウンドに出て遊ぶ生徒。教室で友人とお喋りをする生徒。図書室で読書をする生徒等、過ごし方は皆それぞれだ。

 水田は教室で例の本を精読していた。戦車第14連隊の歴史を一字一句、全て銘記するように。

 

(・・・『インパール作戦は陸軍将兵が16万人戦死した事から、『史上最悪の作戦』と呼ばれている。戦車第14連隊は20日分の食料しかなかった事から戦闘の続行は困難になり、密林の中を敗走・・・雨季の山岳路は、『白骨街道』と呼ばれた』・・・か)

 

 水田は本を閉じて席を立ち、窓辺に寄りかかった。冬らしい曇り空で、今にも雪が降りそうだった。

 

(俺が見てきた歴史とは違う。戦車第14連隊がインドのビルマ方面にいたこと。チハ車、チハ改、ホニⅠ、鹵獲したアメリカのM3軽戦車が配備されていたことは合っている。だが、俺が指揮を取っていたホリ車の情報が無いし、俺たちを撃破した新型重戦車がビルマ方面に配備されていたという情報も無い・・・何故だ?)

 

 水田は書籍だけでなく、インターネットを使って色々と調べていた。

 ホリ車の詳細については、『5式中戦車・チリ車』の車体を流用して製作されていたが終戦までに完成しておらず、配備もされていなかったという。調べて出てきた画像は『ホリⅠ型』の木製モックアップだった。

 ホリ車に対抗するために配備されたと思われる新型重戦車は『M26・パーシング』だと判明した。ドイツのティーガーに対抗すべく開発された戦車で主砲口径は90㎜。ホリⅡ型のキュウポラを吹っ飛ばす事など容易だろう。

 パーシングは制式化する前にロールアウト済みだった試作車の『T26E3』20輌が第3機甲師団に配備され、ヨーロッパ戦線に投入されたという話だったが、ビルマ方面に配備されていたという情報は無く、日本に上陸したが戦闘することは1度も無かった。

 水田はこの『記憶のズレ』が気になっていた。「ただの記憶違い」と言ってしまえばそれまでだが、本当にただの記憶違いなのか、歴史という時の流れに埋もれているのか。詳細は未だ不明のままだ。

 教室にチャイムの音色が流れる。グランドから大急ぎで帰って来た生徒を横目に、水田は自分の席に戻った。

 

 

【平成23年12月11日。曇り。

 歴史の授業で戦争の事を学んだ。昭和20年8月6日、広島に1発。同月9日、長崎に原爆が投下された。同月15日。日本はポツダム宣言を受託し、太平洋戦争は終わった。

 そして戦車第14連隊の歴史を見つけた。思っていた通り、連隊はほぼ壊滅していた。

 ビルマの攻略は失敗し、日本軍は密林の中を敗走していたという。補給も殆ど無かったのだから、無理もないだろう。将兵16万人が戦死し、我々もその一部だというのは何とも言えない不思議な気分だ】

 

 休み時間中に書いた日記を回想しながら、1階の隅にある教室に向かっていた。ドアの前に立って2回ノックし、「失礼します」と言って引戸を開けた。

 両側には天井に届きそうな程に背が高く、ガラスの引戸とスチールで作られた本棚。その先に机を挟んで椅子が1脚ずつ向かい合うように置かれている。その1脚に白髪混じりで顔の皺が少し目立つ女性が座っていた。担任の片崎だ。水田は椅子の右側に立ち、一礼をして座る。

 

「水田くん。何で呼ばれたのか、分かるよね?」

 

 片崎が問い掛け、水田は頷く。放課後に進路指導室に呼び出された理由は分かっている。まだ進路が決まっていないからだ。

 もうすぐ受験シーズンだというのに、水田はまだどの高校を受けるかを決めていなかった。目の前に置かれている志望用紙の第1、第2志望の欄は白紙のままだ。

 

「水田くん。そろそろ本気で進路を決めないと、この先大変な事になるわよ」

 

 始まった。長々と説教を受けるのは流石に堪える。体感的に数時間座らされている気分になるから苦手だ。座るより立っている方が気が楽だと感じている。

 片崎の話に対してただ相槌をしながら頷く。進路を決めなければならないのは分かっているが、やりたいことが見つからない。

 7年も戦車に乗ってきた。旧日本軍時代の戦車の知識に関しては人並み以上だろう。だがこの時代では全く役に立ちそうにない。今の自分に戦車以外に何が出来るのかと、頭の片隅で考えていた。

 

 

 

 話の最後に「冬休み前に志望用紙を提出すること」と指示され、漸く解放された。午後5時前だというのに、空は薄暗くなっていた。

 校門を抜けて横断歩道を渡り、別府市シンボルでもある別府公園を抜ける。

 

 戦前から公園として整備されていたが、戦後に公園の一部が進駐していた米軍のキャンプ地となり、南北戦争の戦場のように岩が多かった事から『キャンプ・チッカマウガ』と名付けられた。米軍が撤退したあとは陸上自衛隊の駐屯地になり、再び公園に戻った。

 中心点の近くには進駐していた米軍がクリスマスを祝うために植えたヒノキがあり、立派な大木に育っている。

 このヒノキはキャンプ地の名前から取って『チッカマウガ・ツリー』と名付けられている。

 

 公園を抜けて更に5分、別府駅の改札口の前に着いた。駅の中は電車通学をしている他校の学生やサラリーマンで溢れている。

 自販機で暖かい缶コーヒーを買ってベンチに腰を下ろし、プルタブを引こうと指に力を入れる。

 

「あの・・・すみません」

 

 突然声を掛けられて見上げると、同い年ぐらいの男子生徒が立っていた。学ランに付いているボタンには『中』と掘られているので、恐らく他校の生徒だろう。

 

「隣良いですか?他のベンチ、埋まってしまっていて」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる。この時間帯はかなりの人でごった返すので、ベンチはすぐに埋まる。「どうぞ」、そう言うと水田の左側に腰を下ろし、缶コーヒーを飲み始めた。

 水田も缶コーヒーを口に入れる。冷えきった身体に、暖かいコーヒーが染み渡る。軽く息を吐くと、隣に座った学生が「あの」、と囁くように話し掛けてきた。

 

「・・・何か?」

 

「自分の勘違いだったら申し訳無いんですが・・・前世の記憶とか残ってませんか?例えば陸軍の時とか」

 

 一瞬思考が止まった。

「こいつ何言ってんだ?」という呆れではなく、「何で知っているんだ?」という驚きだった。

 

「あ、あの。もしかして」

 

「い、いや。そんなわけ無いだろ」

 

 慌てて荷物を纏めて立ち上がる。

 

「中島一等兵です。引田准尉」

 

 後ろから聞き慣れた名前と階級が聞こえた。

 足が止まり、水田は顔だけを学生に向けた。その名前と階級を知っているのは『引田班』の班員と、本人と、自分だけだ。

 

「中島、一等兵・・・だと?」

 

「そうです。中島です。戦車第14連隊の『引田班』の新米で、ホリⅡ型の副砲砲手だった、中島三雄です」

 

 周りの喧騒が遠ざかっていくのが分かる。信じられない事だったが、この学生が言っている事は1つも間違っていない。水田は66年ぶりに再会した『中島一等兵』を見つめた。

 

 

 

 2人は近くのカフェに入り、入り口から1番離れている席に座った。これから他人には聞かせられない話をするのだ。人気があまりない席が望ましい。

 水田は目の前に座った学生をまじまじと見つめた。『前世の中島』と名乗っているが、疑いが完全に晴れたわけではない。

 

「あの・・・いくら自分の顔を見ても前世の時と違うのは仕方ないですよ」

 

「それは、そうか」

 

(名前だけじゃない。ホリ車のことも、俺のことも淡々と答えた。これ以上疑うこともないか)

 

 水田は頼んだホットコーヒーを口に運んだ。

 かつての部下だった中島は、『秋川(あきかわ)(みのる)』と名乗った。見た目はすっかり変わっているが、雰囲気や微笑んだ時の表情は前世の中島に似ている。

 

「・・・秋川、と言ったか?何で俺が『引田』だと分かった?」

 

 質問をすると、秋川は水田の鞄から少しだけ見えている日記帳を指差した。

 

「その日の始まりか終わりには必ず書いてましたから」

 

「日記帳だけで分かったのか?」

 

「ええまぁ。後はチラッと軍事書籍が見えたんで、もしかしたらと思いまして」

 

(そう言えばこいつは観察が得意だったな。あの夜にパーシングを見つけたのも中島・・・じゃなくて秋川だった)

 

 その観察眼で転生した水田を『引田』と見抜くとは、お見事以外に言葉が見付からない。

 

「お前も前世の記憶を持ったまま、転生したのか?」

 

「ええ。驚きましたよ。あの時の記憶がそのまま残っているんですから」

 

 秋川は苦笑した。その表情を見れば、どれだけ苦労してきたか大体理解出来る。

 秋川も10歳になった時に前世の記憶があると気付いたらしく、親にその事を話したが信じて貰えなかったそうだ。2つ上の姉がいるそうだが、ただ馬鹿にされて終わったという話だ。今はその記憶と向き合い、上手くやっているという。

 互いに生い立ちを話していると、いつの間にか受験の話になっていた。秋川もどの高校を受けるかは決まっていないと話した。

 

「お前も悩んでいるのか」

 

「ええ。やりたいことはあるんですけどね」

 

「やりたいこと?何だ?」

 

「えっと・・・戦車道です」

 

 少し照れ臭そうに答えた。

 水田は『戦車道』という言葉を頭の中から引っ張り出した。本屋の雑誌コーナーで見掛けた記憶がある。

 

「確か『女子の嗜みとして受け継がれた伝統ある武芸』だったな」

 

「ええ。初めて見た時は驚きました。戦時中の戦車が色々な戦術を駆使して戦うんですから。それも乗員が全員女子だという事に更に衝撃を受けました」

 

「参加したいのか」

 

「ええ。でも女子しか出れないって担任に言われた挙げ句、クラスメイトから笑い者にされましたよ。『男が参加出来るわけ無いだろう』って」

 

 秋川はカップに視線を向ける。水田からは俯いているように見えるので表情は分からないが、その様子からしてきっと悲しい顔をしているのだろう。

 

「ずっと憧れていました。あの時と・・・戦場にいた時と比べたらどんなに楽しいんだろうって」

 

 その言葉には水田も納得した。

 兵士にとって戦車は頼れる相棒であり、厄介な敵でもあった。戦場で見る戦車は、時に怪物にも見えたものだ。それが今は戦車同士で戦っても死傷者は出ないのだ。66年前と言っても戦場を経験した身からすれば驚くのも無理はない。

 水田自身『戦車道』という武芸があることを知り、興味を持った事はあった。だが『女子しか参加出来ない』と知ってからは距離を置いてしまっていた。

 

「男子が戦車道に参加するなんて、夢物語みたいな物何ですかね」

 

「そんな事はない。一昔前は柔道や弓道と言った武道も、どんなスポーツも大概は『男がやる』ものだった。それが今は男女関係無く、やりたいと思えばやれるんだ。戦車道だって、いつかは男子でも出来る時代が来るだろ」

 

 水田は残りのコーヒーを飲み干して大きく息を吐く。

 

「そうですね。もしかしたら男子でも戦車道が出来る学校があるかもしれませんし・・・諦めずに探してみます」

 

「女子高が男子を募集することは無いと思うぞ」、と言い掛けたがすぐに咳払いをして誤魔化した。

 

「あ。そろそろ行かないと」

 

 秋川が腕時計を見て慌てて荷物を纏め始めた。いつの間にか午後6時を回り、外は真っ暗になっている。水田が「ここは俺が」と言ったが、「いえ。自分が誘ったんでここは自分が払います」と言ったので、そのお言葉に甘えさせて貰うことにした。

 別れ際に秋川が、「携帯番号を交換しましょう」と言い出し、互いの携帯番号を交換しあった。ちゃんと交換出来ているか確認した後、秋川は一礼をして背を向けた。

 

「秋川」

 

 呼び止めるとすぐに目線を向けた。

 

「俺はもうお前の上官じゃないし、同い年の同期なんだ。わざわざ敬語を使わなくても良いぞ」

 

「いえ、ため口で話すのはおこがましいというか・・・癖みたいになってますので。じゃあこれで」

 

 秋川は再び背を向けて颯爽とその場を去り、水田はその姿を見送った。

 

(癖・・・か。俺が日記を書くのも癖みたいなものだな。さて、帰るか・・・)

 

 出口に視線を向けた時、1人の少女が水田をじっと見詰めていた。

 日本陸軍の軍服を着用し、日の丸が描かれた鉢巻きをヘルメットに巻いて被っている。顔は泥なのか煤なのか、頬の当たりが若干黒く汚れている。この現代では見掛けない格好だ。

 右側頭部と左足を怪我しているのか、巻いている包帯には血が滲んでいた。こんなに目立つ格好をしているにも関わらず、通り過ぎる人たちは見向きもしない。

 この少女は恐らく水田にしか見えていない。初めて見たのは10歳ぐらいの時。気がつけば目の前に立ち、無表情で水田を見詰めている。

 一度だけ話し掛けてみたが、少女は何も答えなかった。『空想の友人(イマジナリー・フレンド)』かと思った事もあったが、児童期の間に消えてしまうものだと最近知った。この年になれば消えてしまうものらしいが、15歳になった今も少女は時々現れる。その表情は無表情にも見えて悲しそうにも見える。

 初めはその格好と表情が不気味に見えていたので視線を反らしたりしていたが、今は目を合わせても何とも思わなくなった。暫く見詰めていると、向こうから離れていくからだ。

 暫く見詰めていると、少女は水田に背を向けて人混みの中へ消えていった。水田もその人混みに紛れて自分の家に向かった。

 

 

 

 

 1週間後。

 水田は秋川に呼び出されて別府公園の西口に来ていた。駅だと人が多いので互いに見つけるのに時間が掛かるからと言う秋川の提案だ。遠目で見つけると、秋川は何故か笑顔で手を降り振りめた。

 

「どうしたんだ?今日はやけに機嫌が良さそうだが」

 

「水田さん!ありました!男子でも戦車道が出来る女子高が!!」

 

 やけに高いテンションの秋川と、『男子でも戦車道が出来る女子高がある』と言う情報に、水田はどう反応すれば良いか分からなかった。



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第三話 自分で見つけたやりたいこと

前回のあらすじ
担任から「進路希望用紙を提出すること」と言われた帰り、水田は通学路の駅構内で「前世の中島一等兵」と名乗る男子学生に声を掛けられる。彼は『秋川』と名乗り、前世で戦車第14連隊の『引田班』の兵士として生きた事を話した。
話を聞いていく内に、秋川は「戦車道に出場したい」という思いを語った。『女子の嗜み』として親しまれている戦車道、男子が参加出来るのかと水田は思っていた。
再会から1週間後。水田は再び再会した時、秋川から「男子でも戦車道が出来る女子高があった」と告げられる。


 彼らは公園近くのファミレスに足を運び、水田は手渡された学校紹介のパンフレットを眺めながら呟いた。

 

「男子でも入れる女子高があるとは思ってなかったが・・・こんな近くにあったとはな」

 

 秋川が見つけてきたのは宮崎県にある『延岡(のべおか)女子高等学校』という女子高で、普通科、船舶科、水産科、農業科、工業科、戦車道科の計6つの科目がある。

 全校生徒数は現在500名程。その内戦車道科の生徒は45名。戦車は6輌と、分かっている情報はここまでだった。

 入学出来る男子の人数も気になるが、特に気になったのは男子の入学を許可している理由だった。

 

「ところで、何でこの女子高は男子の入学を許可したんだ?共学に変わった訳でも無さそうだが」

 

 水田が訪ねると、秋川がスマホの画面を見せながら説明する。

 映し出されているのは、延岡女子高等学校のホームページの一番下の部分だ。そこには【来年度に入学する新入生の男子のみ、戦車道の出場を許可します】、と小さく書かれていた。

 

「この学校、戦車道科を受ける生徒が少ないそうです。そこに少子高齢化の影響を受けて更に受験生は減少。今年の卒業生を除けば、来年度の戦車道科の履修生は30名程になってしまうとか」

 

 秋川が調べた限りでは、ここ数年は全国大会に出ても初戦敗退か良くて二回戦敗退と敗北率だけで見れば全国1位という状態だった。

 ネットの掲示板には『最弱の戦車道科』、『全国の弱小校第1位』と、屈辱的な烙印を押されているが、水田にとってそんな事は問題ではない。烙印よりも気になったのは、受け入れる男子の人数の少なさだった。

 

「人数確保のため・・・か。それにしても、『2名』とはえらい中途半端な人数だな。戦車の区分にもよると思うが、運用する上では5人。最低でも4人は必要になるだろ」

 

「私たちからすれば少なく感じますけど、向こう側からすればこれでも多いらしいですよ」

 

(共学になった訳じゃないし、男子が正式に戦車道に出場出来ると決まった訳じゃないからか)

 

 人数の少なさに対して納得出来る反面、微妙な心境だった。

 戦車1輌を運用出来る人数を確保しているならともかく、2名で運用出来る戦車は限られる。もし女子と混合させるとすれば、どんな事になるかは大体想像は出来る。

 

「この女子高の事情は大体分かったが、『戦車道協会』はこの事を承認しているんだろ?」

 

「えぇ。来年度に入学する男子2名のみですけど、『特例』として出場を認めているそうです」

 

「そうか。だったら気にする必要は無いが・・・問題は、チームとして成立するかどうかだが」

 

 秋川はその言葉に頷いた。

 協会側が許可しているにしても、突然男子と共に戦車道をやると言われて「はい。分かりました」とすぐに納得出来る訳がないだろう。

 やってみたいと思える事に挑戦出来るのは有難いが、向こうからすれば耳を疑いたくなるような話だ。互いの信頼を築けるか、水田にとって、それが『問題』だった。だがまず受からない事には何も始まらない。

 

「ところで、試験の内容は?」

 

「えーっと・・・あ、これです」

 

 秋川がパンフレットのページをめくり、試験項目が記されている箇所を指差した。

 

【試験日・平成24年1月29日】

 

【試験内容・筆記試験(国語・数学・英語)・面接】

 

【※尚、男子の受験生は戦車の操縦試験を実施します(使用戦車・M3軽戦車)。受験される生徒には資料と戦車の操縦シミュレーターを供与いたします。担任を通じてご連絡下さい】

 

「・・・何で男子の受験生は操縦試験を受けなければならないんだ?」

 

「適性検査ですかね。幼少期から戦車に乗る人もいるそうですけど」

 

「幼少期から乗るのか・・・凄い時代になったものだな。だが、シミュレーターを供与すると書いてあるし、今から練習すれば十分間に合うだろ」

 

「そうですね。明日担任に頼んでみます」

 

 2人はドリンクを飲み干して席を立ち、レジに向かって歩き始めた。

 

 

 

 

【平成23年。12月20日。

 昨日、親に例の女子高を受験したいと話したが、反対された。「よりによって女子高を受けるなんて」と母に呆れられたが、下心がある訳ではない。

 長時間に及ぶ説得の甲斐あってか、「落ちたら別の高校を受ける」という条件付きで認めて貰えた。秋川も説得に成功したそうで、受験勉強とシミュレーターを使っての操縦訓練に励むと言っていた】

 

 冷たい風が頬や耳に当たってピリピリしてきた。立ち漕ぎで自転車を漕いでも、身体は中々暖まらない。

 目的地は、海沿いに建っているデパートだ。

 

 

 昨日の22時頃。【説得に成功しました】という連絡を受けた後、今度は別件でメールが届いた。

 用件を聞くと、【引田班の班員を見つけたかもしれません】という文面が返ってきた。

 まさかと思ったが、引田だけでなく中島もこうして現世に転生している。元々オカルト系は信じない方だが、自分も同じ体験をしている身なので真っ向から否定する事は出来なかった。

 

 

 凍えそうになりながらデパートに入り、3階のゲームセンターに向かった。エスカレーターを駆け上がったからか、凍えた身体が漸く暖まった。ゲームセンターの入り口に近づくと、秋川が気付いて手を振った。早足で近付いて周りに聞こえない声で耳打ちをする。

 

「元班員がいると言うのは・・・ここか?」

 

「とにかく、入りましょう」

 

 秋田を先頭に、水田もその後を追った。

 耳を塞ぎたくなる程にけたたましく鳴り響く電子音を発する機械の間を通り抜けて、秋川はアーケード版のレーシングゲーム機の前で足を止めた。

 黒色のベースボールキャップを被り、少々荒っぽくハンドルを回している女児の姿があった。後ろ姿だけだが、年齢的には水田たちと同じように見える。

 

「恐らく、前世の『大室曹長』ではないかと」

 

「大室?あいつが?」

 

 見間違いではないのかと疑いたくなるのも無理は無い。今目の前にいるのは男児ではなく女児だ。

 

「自分もまさかと思いましたが、あの操縦技術は間違いなく大室曹長ですよ」

 

 そう言ってスクリーンを指差した。女児が操作しているレースカーは荒い挙動をしているが、CPUのレースカーを次々と追い抜き、あっという間に1位になって2位をどんどん引き離していく。レースゲームには詳しくないが、機械の見た目からして難易度は高そうだ。

 

「あの運転技術は確かに大室のようにも見えるが・・・それだけじゃないんだろ?」

 

「前世の大室曹長は操縦に集中したい時は必ず何か咥えていました。爪楊枝とか、火を付けていない煙草とか」

 

 秋川に言われ、記憶の中から前世の大室を思い出した。戦闘以外で戦車を操縦をするときは大体煙草を咥えていた。理由を訪ねると、「戦車を降りたらすぐ吸えるから」と言っていた。

 視線を戻すと、ガムを噛んでいるのか時々風船を作って膨らませている。

 レースが終わり、コンティニュー画面に変わる。結果に満足したのか、ゲーム機を離れてゲームセンターを出た。

 

「あ、あの。ちょっと良いですか」

 

 呼び止めると、女児睨むように秋川の顔を見た。

 

「何?私になんか用?」

 

「い、いえ・・・突然すみません。聞きたいことがありまして。前世の記憶とか無いかなって。例えば陸軍の時とか」

 

 水田にした同じ質問を投げ掛ける。女児の目が一瞬見開き、早足でその場を去ろうとした。

 

「中島一等兵です。大室曹長」

 

 秋川が名乗ると、女児は足を止めて秋川を見た。水田が初めて秋川に会った時と同じ反応をしている。

 

「・・・中島?あんたが?」

 

「そうです。それと、我々の班長もここに」

 

 秋川が視線を水田に向ける。

 

「久しぶり、というべきか。引田准尉だ。今は水田だがな」

 

 女児がキャップを取って水田と秋川を見る。信じられない、そう言っているようだった。

 

 

 場所をフードコートに変えて、人気(ひとけ)があまりない席に座った。

 秋川が大室と見抜いた女児は、『織田(おだ)正美(まさみ)』と名乗った。

 織田は秋川とすっかり打ち解けたのか、席に座ってからずっと喋りっぱなしだった。

 2人の会話を聞いている水田は、今目の前にいる織田が前世の大室とまだ信じられずにいた。雰囲気も喋り方も、前世の時と180°変わっている。唯一大室と分かる情報は、『ホリ車の操縦手であった』ことだけだ。

 

「そろそろ行かないと。この後用事あるから」

 

 織田が席を立って荷物を纏め始めたので、水田と秋川が電話番号を交換して別れた。

 

 

 

 

 翌日。水田と秋川の姿は図書館にあった。昨日、織田との別れ際に「図書館で芦沢曹長みたいな子を見かけた」と聞いてここに来たのだ。

 中に入って辺りを見渡すと、2人の視線が1人の女児に集中した。黒髪のストレートでセミロング。オーバル型のセミフレームの眼鏡を掛け、服装は他校の制服を着用している。

 昨日出会った織田と同様、何もかも変わっていたが、あの物静かな雰囲気は前世の芦沢に似ている。手元には半分ほど読み進めている小説がある。

 芦沢は小説を読むのが趣味だったのか、休憩中は読書しかしていなかった。互いに目を合わせて頷き合い、そっと近付いて目の前に座った。

 

「あの、ちょっと良いですか?」

 

 秋川が話し掛けたが彼女は何とも言わず、目線は小説から離れない。何度も呼び掛けたが応答が無かったので、水田が囁くように言った。

 

「今から話すのはただの独り言だと思ってくれ。俺たちはかつての仲間を探している。前世で戦車第14連隊のホリⅡ型に搭乗してビルマ方面で戦った、『引田班』の班員を」

 

 女児の肩が少し動いたが目線は小説から離れない。それでも構わず話を続ける。

 

「俺は引田で、隣にいるのは中島だ。昨日は大室にもあった。今は名前も見た目も変わっているが、前世の記憶は今も残っている。そこで質問なのだが、君は前世の芦沢曹長じゃないか?」

 

 水田の『独り言』に、彼女は何も答えない。やはり「思い違いか」と思い、2人は席を立った。その時、後ろから小さい声が2人を呼び止めた。

 

「・・・あの、本当に引田准尉ですか?」

 

 女児に視線を向けると、読み進めていた小説を閉じて眼鏡を直した。

神原(かんばら)小百合(さゆり)』、彼女はそう名乗った。元々無口だったが、今もその性格は今も変わっていないようだ。神原の生い立ちを聞いている内に、今もまだ存在が分かっていない『酒井』の話になった。

 

「酒井・・・ですか」

 

「ああ。今もまだ所在が分かっていない・・・というより分かる訳がないか。転生して、こうして再会出来ているだけでも奇跡と言って良いぐらいだからな」

 

「あの・・・その事なんですが」

 

 神原がその続きを言おうとした時、3人の場所に陰が出来た。見上げると、積み上げられた分厚い歴史書が蛍光灯の光を遮っていた。

 

「ねぇ神原さん。言ってた歴史書ってこれで合ってる・・・あら、どちら様?」

 

 セミロングの茶髪を緩くカールさせた女児が3人を見下ろしていた。服装は神原と同じ制服を着用しているので、同級生だろう。

 

「あー・・・神原の親友か。失礼、俺たちは・・・

 

「彼らは引田准尉と中島一等兵よ。前世のね」

 

 神原が水田の自己紹介を遮って2人を紹介した。急にその名前で紹介されたので水田と秋川は動揺してしまった。

 

「神原さん!?何で・・・」その名前で紹介するんですか、と良い掛けた秋川を水田が止めて、神原の目を見た。

 

「神原、まさかこの子は・・・酒井伍長か?」

 

 質問に対して神原はコクッと頷いて返答する。女児は目を丸くして2人を見つめた。

 

「ウソ・・・本当に引田さんと中島さん・・・ですか?また会えるなんてビックリしましたぁ」

 

 このおおらかな感じは間違いなく酒井だった。

 2人の目の前に座った女児は、『伊藤(いとう)(すず)』と名乗った。性別は変わっているが、それ以外で特に気になる所はない。前世の『酒井』がそのまま憑依したように見えた。

 2人は小さい頃から幼馴染として接していたが、小学校高学年になる時に伊藤から「前世の記憶がある」と告白された。

 話を聞いていく内に元引田班の酒田だと知り、神原は「自分は元引田班の芦沢だ」と告白した。同じ秘密を抱えるもの同士、今日まで一緒に過ごしてきたという話だった。

 神原から生い立ちを聞き終わった時にはすっかり遅くなってしまった。別れ際に携帯の番号を交換し、それぞれの家路についた。

 

 

 

 

 2日後。

 元『引田班』の5人は、秋川の誘いでファミレスに集まっていた。織田、伊藤、秋川は約66年振りの再会に話を弾ませ、神原は小説を開いている。水田はそんな4人を静かに見つめていた。

 水田として転生して15年。こうして元班員と再会することが出来ている。自分が前世の記憶を持って転生するだけでも不思議なのに、前世の記憶を持った班員全員と再会するなど奇跡と言って良い。何もかも変わっているが、水田は前世の班員たちの姿を重ねて見ていた。

 

「えっと、そろそろ話しますね。何で班員全員を、こうして集めたのかを」

 

 秋川が深呼吸をして、織田、神原、伊藤の顔を見ながら言った。

 

「一緒に、この元引田班で戦車道をやりませんか?」

 

 3人は目を丸くして秋川を見た。集められて何を言われるのかと思ったら、戦車道をやろう言われて驚いているのだろう。

 秋川が例の女子高のパンフレットを出して、戦車道科のページを開いて説明する。

 

「来年度に入学する男子2名だけを特例として参加を認めているそうなんです。私と水田さんはここを受けるつもりです。皆さんもまだ進路が決まってないって言ってたので、あくまで提案ですけど・・・

 

「私はやらないよ」

 

 秋川が言い終わる前に織田が口を挟んだ。他の2人も首を縦に振らない。織田は厳しい目で秋川を見つめる。

 

「あんた、私たちが前世で何をしてきたのか覚えてないの?いくら戦争だったからと言っても、してきたことは決して許されることじゃない。だから決めたの。もう二度と戦時中の戦車には乗らないって」

 

 織田の話が終わると、神原が小説を閉じて眼鏡を直す。

 

「私は・・・元々教師になりたかった。その夢を叶えるために必死に勉強してきた・・・でも戦争が始まったせいでその夢は叶えられなかった・・・今もその夢は変わらない。前世からの夢を叶えるためにも、戦車道に使う時間は無い」

 

 水田が伊藤を見る。「お前はどうなんだ?」と、目線で質問する。

 

「私は実家の旅館を継がないといけないから、高校は家から近いところにって決めているの。ごめんね」

 

 伊藤の話が終わると、織田が秋川に視線を向ける。

 

「て言うか、何であんたはまだ戦時中の戦車に乗ろうって思えるの?」

 

「それは・・・戦場にいた時に比べたら、どんなに楽しいんだろうって。だって、戦時中の戦車に乗って試合をするなんて面白そうじゃないですか」

 

「・・・戦歴が浅いからそんな事が言えるのよ。私たちは戦場で地獄を見てきた。もう・・・あんな事は経験したくないし、それを思い出しそうな物に乗ることも嫌なの。あんただって、私たちと同じ立場だったら同じ事を思う筈よ」

 

 秋川は何も言えなかった。織田が言うように、自分は経験が浅い。もし色んな戦場を経験した身だったら、「また戦車に乗りたい」と思わなかったかもしれない。そんな秋川の肩を水田がポンと叩く。

 

「みんなそれぞれの思いがある。やりたくないことを無理にやらせても辛いだけだ。今日は用事があるからこれで失礼する」

 

 自分で頼んだ分の代金をテーブルに置くと、荷物を纏めて出口に向かって歩きだそうとする。

 

「待ってください」織田が呼び止める。

 

「何だ?」

 

「あなたは・・・水田さんは戦車道をするつもりですか?」

 

「ああ。そのつもりだが」

 

「何故ですか?あなたは私たち以上に地獄を見てきた筈、それなのに・・・何でまだ戦車に乗ろうって思えるんですか!?」

 

 織田はまた戦車に乗ろうという水田の考えに疑問を持っていた。水田の戦歴はこの5人の中では一番長い。様々な戦場を経験し、生き地獄を何度も見てきた筈だ。それなのに、まだ戦車に乗ろうと思えるのは何故なのか。

 

「織田。確かに俺は戦歴が長い。色んな戦場に赴いて、この世の地獄を何度も見てきた。それでも、俺にはこれしかないと思ったんだ。今は他にやりたいこと何て無い。秋川と2人きりになったとしても、意志は変わらない」

 

 水田は再び背を向ける。

 

「それに・・・戦争は66年前に終わった。。決して許されることじゃないかもしれないが、もう過去の事だ。忘れる事が出来なくても、糧にして前に進むことは出来る。戦車兵として生きた7年の経験を生かすつもりだ」

 

 水田はそれ以上何も言わず、そのまま店を出た。外の風はとても冷たく、雪がちらつき始めていた。

 

 

 

 

 平成24年1月29日。

 時刻は朝の6時過ぎ。特急に乗って宮崎まで向かっているところだった。

 今日は延岡女子高等学校の入試の日だ。その隣では、秋川がうつらうつらしながら資料を開いている。内容は殆ど頭の中に入っていないだろう。

 

「秋川。着いたら起こすから少し寝ていろ」

 

「い・・・いえ。大丈夫・・・です」

 

「どう見ても大丈夫じゃないだろ。試験に影響しないためにも寝とけ」

 

「わ、分かりまし・・・た」

 

 目を瞑ると、そのまま寝入ってしまった。昨夜は全く寝れなかったのだろう。水田は背伸びをして窓の外を見た。まだ暗く、自分の顔が反射している。

 ボーッと見ていると、水田にしか見えない例の少女の顔が写った。「またか」と思いながらその顔を眺めた。

 

「私の名前は、『ミヨコ』です。引田車長」

 

 今まで何も話さなかった少女が喋った。驚いてバッと振り返ると、少女の姿は既に消えていた。『ミヨコ』、水田はその名前を記憶の中から引き出そうとしたが、思い出せなかった。何処かで聞いたような名前が、頭の中から離れなかった・・・



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第四話 これも試験の1つ

前回のあらすじ

秋川が見つけた男子でも受けられる女子高は、宮崎県にある『延岡女子高等学校』という。
男子の入学を許可しているのは、少子高齢化の影響を受けて人数確保のためにやむ無く、と言う理由らしい。
受験する高校を決めた次の日、秋川が元『引田班』の班員を見つける。男児では無く女児だったが、話し掛けてみたところ前世の『大室曹長』であることが分かった。
その後も前世の芦沢曹長、酒井伍長の記憶を持つ女児と再会。秋川は「この5人で戦車道をしないか」と提案するが、「もう戦車には乗らない」と拒否される。
それでも彼らの戦車道に対する思いは強く、宮崎へ受験に向かうが・・・


『私の名前は『ミヨコ』です。引田車長』

 

 水田は自分にしか見えない少女が名乗った名前を思い出そうと思考をフル回転させていた。

 前世での親友の名前、母の名前、親戚の名前・・・思い出せるものは全て思い出したが、『ミヨコ』という名前は出てこないし、『ミヨコ』の顔を見た記憶すらない。謎は深まるばかりだった。

 

(『ミヨコ』、か。あいつの声を初めて聞いたな。時々現れては何も言わずに消えていたのに・・・)

 

 特急が駅に停車したので外の看板を見ると、『佐伯(さいき)駅』と書かれていた。ここから目的地の延岡まで後1時間と言ったところだろう。秋川はまだ横で寝ている。

 

 

 目的地まで後少し。そろそろと思い、秋川の肩を揺する。少し揺すっただけなのに、飛び上がるように眠りから覚めた。

 

「あ!?も、もう着きました!?」

 

「落ち着け。そんなギリギリで起こしたりしない。それより、少しは寝れたか?」

 

「ええ。お陰ですっきりしました」

 

 出発の時に比べると顔色は良くなったように見えた。寝かせて正解だったようだ。

 10分後。特急は延岡駅に到着した。外に出ると、急に車内の暖房が恋しくなってしまった。改札口を通り抜けて、集合場所に指定されたターミナルの前に行くと、黒色のブレザー姿の女子生徒が2人に近寄ってきた。

 

「えーっと・・・君たち、今日延岡女子高等学校を受験する生徒さん?私は加藤。今日は受験生の案内役を任されてるの」

 

「ええ。自分達がそうです」水田が返事する。

 

「2人とも別府から来たんだよね?大変だったでしょ。さ、こちらへどうぞ」

 

 加藤についていくと、この現代ではあまり似つかわしくない旧式のボンネットトラックの前に案内された。2人はそのトラックを懐かしんだ。

 かつて旧日本軍で使用されていた『94式自動6輪貨車』という兵員輸送トラックで、陸軍で長らく使用されていた。彼らもこのトラックに乗って色んな所へ行った事がある。

 見た目は古いが、車体は錆び1つ見えない綺麗なオリーブドラブ色に塗装され、荷台には幌で屋根を付けてある。

 

「あなたたちはこの荷台に乗って。他の受験生もいるから、仲良くしてね」

 

 荷台を見ると、左右に簡易的な長椅子が備え付けられ、その左側に受験生と思われる学生が2名座っていた。

 1人は制服の胸元に『三原』と縫い付けられ、もう1人は『安藤』と縫われている。制服は同じなので、恐らく同級生だろう。2人も乗り込んで右側の椅子に腰を下ろした。

 

「えっと・・・受験生はこれで揃ったね。さぁ出発よ!」

 

 

 出発して30分。

 トラックは人里から離れ、人気が少ない道に入った。

 

「ちぇっ。どんな車で行くのかと思ったら、こんなオンボロに乗せられるなんて聞いてないぜ」

 

 安藤が愚痴を溢す。この時代にしてみれば、ボンネットトラックそのものが珍しい。『オンボロ』と呼ばれても仕方ないだろう。

 

「全くだな。まぁ仕方ないんじゃねぇの?だって『最弱の戦車道科』、だもんな!」

 

 三原が笑いながら言った。

 彼らはネットの掲示板でも見たのか、例の文面を何の躊躇いなく言った。秋川が言い返そうとするが、水田がそれを止める。喧嘩にでもなったら面倒な事になるからだ。

 

「おい。お前らも戦車道科受けんのか?ちゃんと乗れんのかよ?」

 

「無理じゃね?だって一度も乗ったこと無さそうじゃん」

 

 バカにする2人に対して、水田がボソッと呟く。

 

「それはこっちの台詞だ」

 

「あ?今なんつった?」

 

 安藤が突っ掛かってきたが、水田は無視した。相手してもしょうがない。

 

「おい。もう一度言ってみろよ」

 

「はいはい。喧嘩はそこまで。試験の内容を説明するから、ちゃんと聞いてよ」

 

 前から声がしたので視線を向けると、ポニーテール姿の女子生徒が助手席から顔を覗かせていた。

 

「着いたら、まず筆記試験。国語、数学、英語ね。それが終わったら、休憩の後戦車の操縦試験。そして最後に面接試験。終わるのは昼過ぎになるかなぁ」

 

 水田は戦車の操縦試験の内容が気になっていた。自動車の教習所のような形式なのか、それとも戦車の操縦を一通りやるのか。聞いてみようと思った時、トラックが停まり、加藤が呼びに来た。

 

「試験会場に着いたよ。さあ下りて下りて」

 

 荷台から下りて辺りを見渡す。側には誰もいない廃校となった校舎が佇み、枯れた草木が風に吹かれている。

 着いた場所が予想外の所だったので戸惑っていると、後ろから同じ制服を着用している女子生徒と、側にスーツ姿の女性が歩いてきた。女子生徒の方は今の気温に負けない程に冷たい目で水田たちを見ている。

 

「あのぉ、ここ何処なんですか?まさかここが学校じゃないですよね」

 

 三原が質問すると、女子生徒が鼻で笑いながら言った。

 

「今日は女子の受験生も受験している。あなたたちがいたら集中出来ないだろうと思ってね。会場はこちらで用意させて貰ったわ」

 

「はぁ!?何だよそれ!」

 

「文句を言う暇は無いわよ。5分後に筆記試験を始める。1階の教室にさっさと移動しなさい」

 

 女子生徒は4人に背を向けてその場を去り、スーツ姿の女性もその後に続いていった。加藤はその光景を見て溜め息を吐いた。

 

「はぁ・・・富永先輩めっちゃ機嫌悪いじゃん」

 

「仕方ないと思うよ・・・だってこの受験に一番反対してたし」

 

 冷たい目で水田たちを見ていた女子生徒は『富永』というらしい。あの雰囲気からして、指揮を取る立場の人間なのだろう。

 4人は加藤に連れられ、指示された教室に案内された。中には机が4つ並び、正方形を作っている。それぞれ席に着くと、問題用紙が配られた。

 

 

 2時間後。

 筆記試験が終わり、いよいよ戦車の操縦試験の時間が来た。案内されたその先には、寒空の下に佇む1輌のM3軽戦車が停まっていた。埃を被っているのか少し白っぽく見える。丸いフレームの眼鏡を掛けている女子生徒が声を張り上げる。

 

「試験内容を説明します。私は試験官補佐役の原田です。受験生4人で戦車の乗員の役割を担ってもらいます。車長兼装填、操縦、砲操作、通信。この4つの役割をローテーションで回します」

 

 原田は校舎の裏側の山を指差して説明を続ける。

 

「戦車はこの裏手の山に設けた3キロ弱のコースを走り、その途中で1キロ離れた位置で停まっている的に走行間射撃をしてもらいます。使用する砲弾は私たちが訓練用に使用している『カラー弾』と言うもので、当たっても色が付くだけなので安心して使用してください。砲弾は10発、なるべく標的に当たるように撃ってください」

 

 

 説明を受けた後、30分間休憩と言われたので、水田と秋川の2人はどのようなコースを走るのか確認がてら歩いていた。

 スタート時は木で囲まれ、空が見辛い道が続いたが、600メートル進むと視界が開けて、障害物が無い開豁地(かいかつち)に出た。丁度半分の地点で、さっき説明をしていた『的』が見えた。

 

「パンター・・・ですかね」

 

 秋川が細目で戦車を見る。1キロも離れていると『戦車』として認識出来る程度で、詳細までは分からない。

 2人はそのままコースを1周りして戻ると、三原と安藤はM3に寄り掛かってお喋りをしていた。

 水田たちはそんな2人を無視しながらM3に乗り込み、機器類を操作して使用感を確かめた。変速レバーを動かしたり、旋回ハンドルを回したりと、一通り操作して戦車から降りた。

 

 

 休憩の後、4人はM3の前に整列して「乗車」の合図を待った。

 水田が通信手。秋川が砲手。安藤が操縦手。三原が車長の役割に充てられた。加藤たちは校舎内に設けたモニタールームでM3の動向を確認する。

 

「乗車!」原田の合図を聞いて三原が声を上げる。

 

「よっしゃぁ!野郎共!さっさと乗り込んで準備を始めろぉ!!」

 

(乗車前の周囲の確認は?)

 

 秋川は呆れた目で三原を見た。

 戦車は車と違って死角が多い。乗車前に周囲の確認をするのは基本中の基本だ。

 水田を見ると「指示に従え」と目で合図を送って来たので言うとおりにすることにした。それぞれの持ち場に付き、機器類の状態を三原に報告する。

 

「よーし。エンジン始動!!」

 

 秋川がエンジンを掛ける。エンジンの振動が車内にまで伝わってきた。

 

「よぉーし。前し・・

 

「待て。エンジントラブルだ」水田が三原を止める。

 

「あぁ?エンジントラブル?ちゃんと回ってるだろ!」

 

『M3!何やってるの!準備が出来たならさっさと出発しなさい!』富永の声だ。

 

「あー、すんません!通信手がふざけたこと言ってまして。もう出発し・・

 

「こちら通信手水田。エンジントラブルです。原因を調べるので試験は一旦止めて下さい」

 

 モニタールームでM3の動向を確認している加藤たちは困惑していた。事前に調べた時には問題無かった筈だ。

 

「その戦車は古いのよ。大きな振動ぐらいするわ!」

 

『この振動の大きさは異常です。とにかく調べます』

 

 水田は席を離れ、機関室の上に乗って蓋を開ける。そこに加藤たちが集まってきた。

 

「この振動の何処が異常だって言うの?良いからさっさと持ち場に戻りなさい!」

 

「・・・そうですか。じゃあこれは、どう説明するつもりです?」

 

 水田は1本の配線を抜いて見せた。エンジンの振動は変わらず、そのまま回り続けている。

 水田が抜いた配線は、点火装置の『ディストリビューター』と点火プラグを繋いでいる配線で、プラグに電気が通わないと点火が出来なくなり、そのシリンダーだけ空回りしているような状態になる。

 水田がやって見せたのはどの気筒のプラグに問題があるのかを確認するための動作で、1本ずつ抜いて振動が変わるか変わらないかを見ている。

 振動が変わればその気筒のプラグは正常。変わらなければ問題ありということになる。水田はエンジンを止めて、プラグを外した。

 

「見てください」

 

 手渡されたプラグは煤で真っ黒に汚れ、火花を飛ばす箇所である電極は焼け落ちている。

 

「別の戦車を用意するか、修理してください。これではまともな試験は出来ません」

 

「何言ってるの。プラグの交換だけで済む話でしょ?」

 

「通信機本体とアンテナの接合が悪いのか電波を上手く拾わない。砲塔を回したらギシギシと音がする。変速レバーは動きが固い。ペリスコープは汚れで外が見辛い。そして最後にプラグの焼損・・・自分が確認しただけでも、これだけの問題がありますが」

 

 その場にいた加藤たちは何も言えなかった。ただの憶測・・・そう言いたかったが、エンジンの振動だけでプラグの焼損を見抜いた水田の意見を否定することは出来なかった。だが、富永は違った。

 

「素人が偉そうな口を聞くんじゃない!この戦車のトラブルはプラグの交換だけで済む!それが終わったらこのM3で試験を続行する!」

 

「いつ壊れてもおかしくない戦車に乗れというんですか?もしこれが実戦なら、取り返しのつかないことになる事ぐらいあなたでも分かるでしょう!」

 

 水田の声が辺りに響き、静まり返る。数秒間の沈黙の後、加藤が囁くように言った。

 

「富永先輩。念のためにこの戦車、もう一度再チェックしませんか?彼の言うとおり、ここは万全な態勢で受けさせた方が言いかと・・・」

 

 加藤の提案に、富永はこう言った。「予備のM3を出して。再チェックしてたら後のスケジュールが詰まるわ」

 

「了解です」加藤は原田を連れてその場を離れた。今、富永の怒りは頂点に達している。直感でそう感じた。

 

 

 予備のM3はトレーラーの上にある。鎖を外して転輪の間に挟んだ輪止めを外す。そして加藤が操縦席に座り、原田は砲手席に座った。

 

「ねぇ。あの子名前何て言ったっけ」加藤が話し掛ける。

 

「あー、水田くんじゃなかった?」

 

「水田くんかぁ・・・ちょっと面白いかも」

 

 加藤はクスッと笑うと、エンジンキーを捻って戦車を移動させた。

 

(富永先輩は『素人』って言うけど、あの子は私たち並みに・・・いや、それ以上に戦車に慣れているように感じた。あんな子が1人いるだけでも、心強いと思うけどなぁ)

 

 

 予備のM3に乗り換えた水田一行は、走行間射撃をするポイントに差し掛かろうとしていた。水田がモニタールームから通信を受ける。

 

「車長。指令部から報告。偵察隊がこの辺りで敵戦車を見掛けたと言っています」

 

「はぁ?この辺りってどの辺りだよ。ちゃんと詳細まではっきり言えよなぁ」

 

 指令部と言えど、常に正確な情報が得られる訳ではない。最終的には前線の判断に委ねることになる。

 

「あ!いたいた!おい!攻撃開始だ!」

 

 秋川が指示を聞いて砲撃を始めた。撃ち出された砲弾は的に対して大きく反れて着弾していく。

 水田と秋川にはこうなる事は分かっていた。M3の主砲は()()()()()()()()()()()()()()と。

 この主砲は銃で例えるなら9ミリの拳銃。弾の飛距離が伸びれば伸びる程威力は下がり、弾道はずれていく。小口径の砲弾は空気抵抗や重力の影響を受けやすいからだ。

 車体が常にブレる走行間射撃となれば、難易度は更に上がっていく。元々通信手としての経験しかな秋川にとってはこれで精一杯だった。全弾発射して命中弾はゼロ。一番近くに着弾したのは的に対して100メートル弱離れた地点だった。

 

 

 試験は何事もなく順調に進み、車長の役が水田に回ってきた。戦車操縦試験はこれで最後だ。

 

「乗車!」原田からの合図だ。

 

「乗車!乗車前の周囲確認後、持ち場に付け!」

 

 水田の指示を聞いて真っ先に動いたのは秋川だ。他の2人は確認の動作をすることをせず、持ち場に付いてしまった。役割は水田が車長。秋川が通信手。三原が砲手。安藤が操縦手だ。

 

 

 M3は順調に進み、コースの半分に差し掛かった。これまでの流れからすると、そろそろ「敵を見掛けた」と報告が入る筈だ。

 

「車長!偵察隊から、この辺りで敵を見掛けたと報告が入りました!」

 

「速度落とせ。エンジンを出来るだけ絞りながら前進」

 

 ハッチを開けて、双眼鏡を通して周囲の確認を始める。的の位置は常に変化している。早急に敵を見つけて攻撃の合図を出さなければならない。

 

 

 加藤は双眼鏡を通してM3の動向を見ていた。彼女は的として停車させているパンターの中にいた。砲手席には原田もいる。

 

「ねぇ・・・こんなことして良いの?M3に対して攻撃するなんて」

 

「良いの。ちゃんと許可は貰ってるし、当てなければ問題ないよ。至近弾でね」

 

「はいはい・・・」

 

 原田は照準機のレンズを覗いて位置を確認し、狙いを定めた。

 

 

(見つけたぞ。距離約1キロ、風速、南より微風・・・今俺たちは北の方角に進んでいるから、また風に流されるな)

 

「敵を補足した。砲塔を10時の方向に。距離約1キロ。砲身を目標に対して少し左に傾けろ。撃ち方用い・・・

 

 ドンッ。砲撃音が水田の耳に入る。その数秒後。M3から500メートル手前で着弾した!安藤が驚いてブレーキを掛る。

 

「おい、止まるな!狙い撃ちにされるぞ!」

 

「で、でも!撃ってくるなんて聞いてねぇよ!!」

 

 再び砲撃音が聞こえたと思っていたら、今度は後ろに着弾した。着弾点には青色のペンキらしい液体が飛び散っている。

 

「おいやべぇよ!マジでやべぇって!!」

 

「逃げるぞ!こんなの聞いてねぇし!!」

 

 三原と安藤は砲撃に恐怖を覚えたのか、勝手に持ち場を離れて逃げ出してしまった。

 

「おい!勝手に持ち場を離れるな!!試験中だぞ!!」

 

「うるせー!!文句なら試験官に言え!!」

 

 三原はそう言い残し、安藤と共に森の中へ消えていった。

 

 

 2発目の攻撃の後、加藤はその後の動向を見ていた。

 M3から2人出てきたと思ったら、慌てた様子で森の中へ走っていった。

 

「あらら。逃げちゃったね」

 

「もう・・・言われた通りにしたけど、一体何が目的なのよ」

 

「『()()()()()()()()()()()』、どんな対応をするか気になってさ。どの場面でもそうだけど、臨機応変に対応する能力は必要だからねぇ」

 

 加藤は双眼鏡越しにM3を見る。水田が砲塔のハッチから逃げてしまった二人を見ていた。

 

 

 三原と安藤が逃げてしまい、M3は一番重要な役割を担う人間がいない状態に陥っていた。まさか逃げると思っていなかったので、水田は唖然としている。

 

「ど、どうします?」

 

「どうするもこうするも、試験はまだ続いているんだ。このまま続行するしかないだろ」

 

 水田はそう言うと、砲手席に座って照準機越しに敵の位置を再確認した。まだ敵は動いていない。

 

「秋川。お前は操縦をしろ。俺は敵に攻撃をする」

 

「えっ良いんですか?自分、下手ですよ?」

 

「今はお前に任せるしかない。操縦席に一番近いのはお前なんだ。さっさと場所を交代しないと、また撃たれるぞ」

 

「分かりました」秋川は操縦席に移り、エンジンを再始動した。

 

「2速以上ギアを上げるな。速度は出ないが、エンストして止まるよりは良い」

 

 水田のアドバイスに、秋川は気持ちが少し楽になった。ギアを入れて、アクセルを吹かす。車体が少し揺れたが、少しずつ前進していく。

 水田は砲弾を装填し、攻撃してきたパンターに照準を合わせた。風速は枯れ草が教えてくれる。多少修正を加え、トリガーを引く。

 砲弾は山なりの弾道を描き、的に向かって飛んでいく。当たったか分からないので、履帯を狙うつもりでもう1発撃った。砲弾は1発目と同じ弾道で目標に飛んでいった。

 

「水田さん!当たりましたか!?」

 

「昔の感覚を頼りに撃ってみたが・・・どうだろうな」

 

 当たっていないかもしれない、そう思ったが口には出さなかった。これはあくまで試験。当たっても『得点』として加算されるだけだ。

 

 

 加藤が外に出てパンターの状態を見た。

 M3が再び動き出したかと思っていたら、反撃が2発飛んできた。1発目はキュウポラを掠めて後方50メートルの辺りに着弾し、2発は車体の左前に着弾したのだ。

 

「うそっ。こんなことって・・・」

 

 加藤は命中した場所を見て愕然とした。起動輪にカラー弾が命中し、全体を青く染めていた。原田も見たが、彼女は平然としている。

 

「驚くこと無いでしょ。ただのまぐれよ」

 

「1発目はキュウポラを掠めて、2発目は起動輪(ここ)よ?まぐれで当たるわけ無いじゃん」

 

 M3で狙撃はほぼ不可能という事は加藤も分かっていた。走行間射撃では近くに着弾させるだけでも難しいはずだ。原田は相変わらずただのまぐれだと言っている。

 

 

 M3はそのままコースを走り、予定より10分遅れで到着した。戦車を下りると、何処からか怒鳴り声が響いてきた。

 

「ふざけんなよ!!撃ってくるなんて聞いてねぇぞ!!」

 

「そうだ!事前に説明するべきだろ!!」

 

 三原と安藤だ。スーツ姿の女性に試験の抗議をしているらしい。秋川は呆然とその光景を見た。

 

「怖くなって逃げ出したくせに文句なんて・・・一言言ってやりましょう・・・あれ?」

 

 水田は抗議している2人の側に近寄っていた。視線が合うと、また三原が突っ掛かってきた。

 

「・・・何だよ。今俺たちは抗議してんだよ!」

 

「やめとけ。ただカッコ悪いだけだぞ」

 

「ああ!?テメェ!!」安藤が胸蔵を掴む。

 

「わざわざ『撃つぞ』と言う敵がいると思っているのか!?実戦はお前たちが思っているより生易しいものじゃないんだぞ!実戦ともなれば、見えない位置から何十発と砲弾が飛んでくる事もある!この射撃も()()()1()()だ!」

 

 水田の一喝に、三原と安藤は何も言い返せなかった。正論を言われてぐうの音も出ないのだろう。

 

「えーっと。そろそろ良いかな?」加藤が3人の間に入るように立っていた。

 

「これで戦車の操縦試験は終わり。トイレ休憩を済ませたら、面接を始めましょうか」

 

 

 

 1週間後。

 鶴ヶ原中学校は『女子高を受験した男子』の噂が飛び交っていた。所詮ただの噂、そう言う生徒もいる。

 その日の放課後。水田は進路指導室に呼び出されていた。ドアをノックして中に入ると、担任の片崎が封筒を片手に立っている。

 

「水田くん。あなたが受験した高校から合否の結果が届いたわ」

 

 そう言って封筒を差し出した。水田はその場で封を切り、中身を確認した。

 

 

 

 

【平成24年4月2日。

 この時期になると、風のいたずらで桜はほとんど散ってしまうものと思っていたが、今年はまだ満開の木が多い。桜は好きなので、嬉しい限りだ。

 今日は入学式。俺は男子でも入学出来る女子高、延岡女子高等学校に合格した。それも、目標にしていた戦車道科だ。秋川も合格し、「また戦車に乗れる」とはしゃいでいる。初の試みとなる、男子が参加する戦車道・・・一体どんな景色が待っているのだろうか】



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第五話 銀鳩の砲戦車

前回のあらすじ

宮崎の延岡女子高等学校へ入学試験を受けに向かった水田と秋川。
他の受験生の三原と安藤と険悪な空気になりつつも試験を受ける2人。M3軽戦車を使用しての操縦試験を受けている最中、『的』として停車しているパンターから攻撃を食らう。
この事に三原と安藤は抗議したが、水田は「これも試験の1つだ」と一喝する。
少しトラブルがありつつも、無事に試験を終えて1週間後。水田は担任の片崎から封筒を手渡される。その中身は、延岡女子高等学校からの合格通知だった。


 午前6時。

 セットしておいた目覚まし時計が鳴り出す。側で寝ていた水田はベルの音が聞こえるとすぐに目を覚まし、ベットから下りる。部屋の扉を開けると、隣の部屋から秋川が出てきた。

 

「あ、おはようございます。水田さん」

 

「ああ。おはよう」

 

 挨拶を交わしながら台所に向かう。水田はトースターに食パンを2枚入れて、秋川はヤカンに水を入れてお湯を沸かす。

 15分後。コーヒーを入れたマグカップと、バターを塗った暖かいトースターが用意された。

 彼らは学校近くにあるアパートで暮している。間取りは3DKで、玄関から入るとすぐリビングがあり、奥に部屋が1つずつ分かれている。

 入寮を希望したが空きが無いと言われ、2人でシェア出来るアパートを探してここに住んでいる。今日は学校生活の1日目だ。

 

「・・・ここって、本当に艦の上なんですよね」

 

 秋川がマグカップを片手に外を見る。どこの町にもありそうな住宅街が広がっているが、ここは艦の上に造られている。

 戦車道科がある高校は、『学園艦』と呼ばれる艦を保有している。見た目は第二次世界大戦期に使用された空母に似ているが、飛行甲板に当たる部分には街が造られている。

 住んでいる人数は規模によってバラバラだが、この学園艦には生徒を含めて約2万人が暮らしている。

 学校や住宅だけでなく、コンビニ、ホームセンターと言った商業施設もあり、水道、ガス、電気と言ったライフラインも整っている。

 この艦が就役している目的は、『人材の育成、生徒の自主独立心を養うため』だそうだ。

 

 朝食を済ませると、クローゼットから制服を取り出す。黒色のブレザーに緑色のネクタイだ。着替え終わると、戦車の起動輪をモチーフにしているのか、歯車の真ん中に戦車の『戦』が書かれているバッチを取り出した。『戦車道科の証』として渡されたものだ。

 肩掛けの鞄を持って、2人は学園に足を向ける。景色だけを見れば、都会で言うところの下町のような印象だった。

 

 

 10分後。

 学園の校門に着いた。他の生徒も登校しているので、視線が集まってくる。

 

「何か、視線が痛いですね」秋川が苦笑いを浮かべる。

 

「気にすることはない。俺たちはちゃんと試験に通ってここにいるんだ。それに、ほぼ毎日この光景を見ていたら向こうもいずれ慣れるさ」

 

 下駄箱でスリッパに履き替えて、3階にある戦車道科の教室に向かう。この階には普通科の教室が2つあり、戦車道科の教室は一番奥だ。

 水田が引戸を引いて中に入る。中には机が9つあり、4つ埋まっている。今年の新入生は9人らしい。2人は後ろ側の席に座り、荷物を机の中に入れていく。

 

「ふーん。あんたたちが噂の男子の履修生ってわけ?」

 

 ショートヘアで茶髪の女子生徒が腕組みをしながら2人を見ている。

 

「特例として出場認められているらしいけど、大丈夫なの?戦車道の経験無いんでしょ?」

 

「まあ、そうだな」水田が返答する。

 

「そんな状態で良く受かったわね。これから苦労するわよ。戦車の乗り方を零から学ばないといけないんだから」

 

 その直後、引戸が開いて生徒が3人入ってきた。その3人を見て、水田と秋川は自分の目を疑った。そこにいたのは織田、神原、伊藤だったのだ。

 

「ええ!?ちょっ、何で!?」

 

 秋川が驚きのあまり声を上げる。その声に反応して、3人が近づいてきた。

 

「どういう風の吹き回しだ?戦車道はやらないと聞いていたが」

 

 水田が質問すると織田が照れ臭そうに返答した。

 

「ええ。最初はそのつもりだったんですけど、水田さんの思いを聞いて調べたら興味沸いちゃって・・・やってみようって思ったんですよ。神原も伊藤も、同じ気持ちです」

 

 秋川の勧誘は無駄にならなかった。またこうして5人揃うことが出来たのだから。水田は席を立ち、織田の前に立った。

 

「そうか。それなら、改めて宜しく頼む」

 

 水田が手を差し出すと、織田は笑みを浮かべながらその手を握り返した。

 

 

 昼休みが終わり、戦車道科の新入生9人は、戦車道の実技をするために格納庫の前に集合していた。

 戦車道の実技は学年別ではなく、履修生全員が同じ授業を受ける。授業と言っても、その内の半分は実戦訓練のような物と聞いている。

 2年生、3年生も来る筈なのだが、昼休みが終わっても姿を見せない。

 

「集合する場所、間違えましたかね?」秋川が言う。

 

「まさか。確かに言われたでしょ?『戦車道科第一格納庫に集合しろ』って。ここってその第一格納庫でしょ?」

 

 織田が上を見上げながら指を指す。壁面には掠れた文字で、『戦車道・第一』と書かれている。水田はその文字を見ると、格納庫の扉に手を掛けた。

 

「・・・何してるんですか」神原が声を掛ける。

 

「『入るな』とは言われてないからな。どんな戦車があるのか確認しておきたいんだ」

 

 重量感のある重い扉を引いて、中を見渡した。中は薄暗く、少しひんやりとしている。側にあった照明のスイッチを入れる。

 様々な形をした戦車が6輌並び、側にドラム缶や一斗缶が転がっている。戦車の砲口にはカバーが掛けられ、砲塔には校章と漢数字が書かれている。3輌が灰色で塗装され、残りの3輌はオリーブドラブで塗装されている。

 

「あらら。先に見ちゃったか。まあ良いけどね」

 

 声がする方に振り向くと、女子生徒が10人程こちらを見ている。その内の2人は水田と秋川が合ったことのある人物だった。

 入試の際に案内役を任されていたという加藤と、戦車の操縦試験の時に説明していた原田だ。

 

「あなたたちが今年の新入生だよね。私はこの戦車道科の隊長を任された3年の加藤(かとう)ミサ。こっちは同じ3年で副隊長の原田(はらだ)美優(みゆ)よ」

 

「勝手に紹介しないで」原田は不満そうに腕組みをする。

 

「私たちの戦車はどう?私の聞いたところでは安物取り揃えただけみたいだけど」

 

 加藤の自虐ネタに笑う生徒はいない。むしろどう反応すれば良いか分からない。

 

「ここにある戦車って安い物なんですか?」水田が質問する。

 

「殆ど試作で終わったやつなんだよねぇ。見ての通りだけど、見たことない形してる戦車多いでしょ?後は単純に人気の無いやつ。この学園の戦車道科の経費、削減に削減されてるから」

 

 淡々と自虐を語る加藤に、水田は「こんな人が隊長で大丈夫なのか」と内心不安になった。

 

「お!というか君たちはあの時の受験生じゃん!確か水田くんと秋川くんだよね!受かったんだ!」

 

 加藤は水田と秋川に気付くと目を輝かせた。2人が戸惑っていると近寄って肩を叩き、「君たちには期待してるよ」とボソッと耳打ちした。

 

「さてと、じゃあ早速どの戦車に乗るか決めて貰おうかな。原田。今空いてる戦車は?」

 

「今空いてるって言ったら『カヴェナンター』しかないわよ」

 

 原田が1輌の戦車に視線を向けた。オリーブドラブの塗装に、細かい傷が目立っている。

 イギリスの巡航戦車『Mk.Ⅴ カヴェナンター』。巡航戦車とはイギリス独自の戦車区分で、装甲が薄い変わりに高い機動力を持ち、敵陣を突破する目的で造られた。

 水冷式のエンジンが後方にあり、ラジエーターが前にあるという特異なレイアウトで、冷却水の通り道が車内にあった。

 それが原因で稼働中の車内温度は常に40℃を越えていたことから、『エンジンより先に乗員がオーバーヒートする悪魔のメカニズム』と酷評される始末だった。

 

「あっちゃあ、戦車1輌足りないか・・・どうしよう」

 

「その戦車は譲りますよ。もし取り寄せることが出来るなら、日本の戦車が良いんですが」

 

 水田の一言を聞いて、周りの生徒視線が集中した。元引田班以外の生徒たちが愕然とした表情をしている。

 

「・・・何か変なこと言ったか?」

 

「あんな弱い戦車に乗りたいなんて、よっぽどの物好きかバカね」

 

 教室で水田に話し掛けた女子生徒が呟く。

 

「ちょっと。弱いってどういうこと?」織田が突っ掛かる。

 

「そのままの意味よ。火力も機動力も防御力も無い。こんな三拍子揃った戦車で試合に出たら即効で返り討ちよ」

 

「はいはい。喧嘩はそこまで」加藤が2人の間に割って入る。

 

「日本の戦車ねぇ。探して見るけど、出回って無いかもしれないわ。こう言っちゃなんだけど、人気無い戦車第一位だから・・・この子の言う三拍子にドンピシャだし」

 

 旧日本軍の戦車は弱い。分かりきっていた事だった。

 島国だったからか、軍事予算を海と空に集中して振り分けていたので、陸に関しては二の次になっていた。

 元々『対戦車戦』は考慮されておらず、『歩兵支援』と言った立ち位置だったことや、進駐していたアジア諸国のインフラ整備が整っていなかったことが戦車開発に影響を及ぼしていた。

 本格的に対戦車能力を考慮した戦車の開発が始まったのは1942年。75㎜砲を搭載した『4式中戦車 チト』、『5式中戦車 チリ』の開発が始まったが、新機軸の搭載を考えていたので開発は難航した。

 この2輌が開発出来るまでの繋ぎとして『3式中戦車 チヌ』が開発されたものの、前線に輸送するための手段が無く、内地で訓練中に終戦を迎えた。

 空は零戦。海は大和・・・陸に関してはこれと言って目立つものはない。

 この現代でも旧日本軍の戦車は弱いと言われているようだ。間違っていないが、例え弱くても『戦車』として戦ってきたことは紛れもない事実だ。

 

「分かりました。探して無ければ、他の国の戦車に乗ります」

 

「了解。ちょっと時間掛かるかもしれないけど、それまでは訓練用で使ってるM3に乗って貰おうかな」

 

 

 水田たちはM3に乗って、訓練用のコースを走っていた。加藤から「訓練で使用するコースを走って来るように」と言われた。慣熟訓練というやつだろう。生い茂る森林、道という道はない。

 

「はあ・・・せめて、『ホリ車』があればなぁ」秋川が呟く。

 試作車は1~4輌程度しか作られない。記憶が正しければあのホリ車は試作第1号車だった。そんな戦車を手に入れることなど、雲を掴むような話だろう。

 

「引田准尉」突然呼ばれた水田はビクッと肩を揺らした。あの声は『ミヨコ』だ。

 辺りを見渡すと、左側に立ってこちらを見ている。視線を合わせると、背を向けて歩き始めた。誘導しているように見える。

 

「織田、ちょっと止まれ」

 

「え?どうかしました?」

 

 織田の返答を待たず、水田はM3を下りて後を追った。背の高い草を掻き分けながら追い掛けて行ったが、途中で見失ってしまった。

 

(ついてこいって言っているような気がしたんだが・・・見当違いか)

 

 秋川たちの声が聞こえてくる。かなり遠くまで来たらしい。元来た道を引き換えそうと振り返った時、一瞬何かが横切った。

 その方向に視線を向けると、草木に囲まれた1輌の戦車がひっそりと佇んでいる。

 

「水田さーん!何処ですかぁ!」

 

 秋川の声だ。水田は手を振って呼び寄せる。その周りに集まった秋川たちは息を飲んだ。目の前に佇んでいる戦車は、前世で乗っていたホリ車だった。

 

「水田さん!これ!」

 

 織田が戦闘室の側面を指差した。そこには白いペンキで絵が描かれている。水田たちはその絵に見覚えがあった。

 

 

 戦死する前日。中島が唐突に「絵を描いても良いですか」と頼んできた。引田はそれを許可し、中島はくちばしの先に木の実を咥えて羽ばたく鳥を描いた。

 理由と聞かれた時、「戦争が終わって、平和な日常が来ることを願ってオリーブを咥えた『銀鳩』を描いた」と答えた。風の噂で、「銀鳩は平和の象徴」と聞いたことがあったそうだ。

 大室は「虎が良かった」と不満を口にしたが、戦場で描かれた銀鳩はとても輝いて見えた。

 それを見た引田は、「今日から『引田班』改め、『銀鳩班』と名乗ろうか」、そう言って笑いあった。

 

 

 水田たちはこのホリ車が何故ここにあるのか不思議でならなかった。あの戦場で撃破されて、敵に鹵獲されたものだとばかり思っていた。

 

「・・・中に入ってみる。まだあの時のホリ車かどうか分からないからな」

 

 水田はそう言って車内に入った。

 中はあの時のままだ。敵の攻撃で飛ばされたキュウポラ。戦闘中に故障してしまった主砲の鎖栓。蜂の巣にされた戦闘室の側面・・・あの時受けた戦傷が残っている。

 全員車内で戦死したので人骨が残っているのではと思っていたが、そう言った跡は全く残っていない。

 一歩踏み出そうとすると、何かが足に当たった。そこには革製の手提げの鞄が落ちていた。開いて中を見ると、何冊かノートのような物が入っていたので、その内の1冊を取り出して中身を見た。

 

【昭和13年3月19日

 今日から陸軍での生活が始まる。戦車の操縦訓練は、自分が思っている以上に過酷だろう・・・

 

 その文字を見てすぐに理解した。前世の引田が書いた日記帳だ。もう疑いようがない。これはあの時、戦場で乗っていたホリ車だ。

 

「秋川。加藤隊長にクレーンを寄越して欲しいと連絡してくれ」

 

 

 

 午後7時。

 原田が回収されたホリ車を見ていた。バインダーを片手に車体を見渡している。

 

「美優。まだ見てんの?」

 

 加藤が缶コーヒーを2本持って近寄ってきた。

 

「もう終わるから。それより・・・この戦車どこから来たんだろ」

 

()()()()()()()()()ってどういうこと?」

 

 原田はバインダーに挟んだ資料を手渡した。この学園の戦車道科で使用された戦車を記録したものだ。発足当時からの古い資料も含まれている。

 

「この戦車に関する情報が無いの。いつ来て、誰が乗って、どの試合に出たのか。その情報がね」

 

 加藤は言われるがままに資料を見る。原田が言う通りホリ車の情報は全く無い。

 

「うっそぉ・・・記入ミス?」

 

「そうかも。雰囲気的にそんなに古くなさそうだし、この数年間の間に学園に来たって感じね。それに、この弾痕や傷が妙に生々しいって言うか・・・いかにも『戦地帰り』って感じがするのよ」

 

「『戦地帰り』ねぇ・・・話変わるけど、これ何処の国の戦車?ヤークトティーガーっぽいからドイツとか?」

 

「日本よ」

 

「え!?日本!?これが!?」

 

 加藤が驚愕するのも無理はない。これまで見てきた日本の戦車の中で、大口径砲を搭載した戦車は見たことがなかったのだ。

 

「そんなに驚かないでよ。これは『試製5式砲戦車 ホリ』。架空とかじゃなくて、ちゃんと計画されたものだから。整備班からは凄い戦車だって言われたけど」

 

「へぇ。早く修理終わんないかな」

 

「どうだろ。試作車で新機構だらけって言われたから時間掛かると思うよ」

 

 

 同時刻。

 水田は自分の部屋で日記帳を読み返していた。昭和19年の3月に入った所だ。

 

【昭和19年3月8日 曇り

 今日、インパール作戦が発令された。目的はインパールの奪還・・・これだけの兵力で、どこまで敵と戦えるのか。こんなことを言えるのはこの日記帳の中だけだ。口に出せば大目玉を食らうことになる。

 もう少し兵力を増強するべき、そんな事を進言したところで、このまま作戦を遂行することになるのだろう。陸の兵力は、元々多くないのだ】

 

(インパール作戦が発令された日か。確かこの数週間後にあの戦場に留まることになったはず・・・ん?)

 

 水田は次のページを開いて目を見開いた。何も書かれていない。白紙だ。次のページも、その次のページも白紙だ。

 文字が書かれたページが出てきたのは数十ページ後、昭和20年の4月19日と4月20日だ。

 

(何でこの日付だけなんだ?見落としたか?)

 

 何度も他のページを開いたが白紙のままだ。

 ホリ車との再会。作戦遂行中の間が抜けている日記帳。これが一体何を意味するのか、水田の中で謎は深まっていった。

 



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第六話 ホリ車、吼える!

前回のあらすじ

新しい学園生活が始まった。
水田と秋川は、戦車道科の教室で、織田、神原、伊藤の3人に再開した。「戦車道はやらない」と言っていた3人だったが、調べてみて興味を持ったらしい。
こうして再開を果たした5人は、搭乗する戦車が無いという問題に直面する。日本の戦車は人気が無く、あまり出回っていないという話だった。
やむ無く訓練用のM3でコースを走っていた所、水田は『ミヨコ』の姿を目撃し、その後を追った。その先で彼ら5人は、戦闘室の側面に白い鳥が描かれた砲戦車を発見する。それは、水田たちが前世で搭乗していたあの『ホリ車』だった。



【平成24年4月9日 晴れ

 ホリ車を見つけて1週間が経った。我々はM3軽戦車を使って訓練に励んでいるが、他のメンバーはホリ車の修理が早く終わらないかと首を長くしている。

 この学園で整備を担当しているのは別の科目である『工業科』が担当していると聞いている。加藤隊長の話では、「見たこと無い機構を搭載しているからか修理に手こずっている」という話だ。試作車で情報も散財している戦車だ。時間が掛かるのはやむを得ないと理解している】

 

 その日の午後8時。

 アパートで水田と秋川はテレビを見ながら食事をしていた。テレビから流れる音声を聞き流しながら、ホリ車が何故あの場所にいたのかを話している。

 

「どう思います?」

 

「どう、とは?」

 

「ホリ車の事です。我々が最後に戦闘をしたのはインドですよ?それなのに、あの戦車は日本に戻っていた・・・あの傷の状態からしても、67年前の物とは思えません」

 

 水田は湯呑みを手に取って秋川の目を見た。

 

「何が言いたいんだ?」

 

「まさかと思っているんですが・・・あのホリ車も、我々と同じように()()()()のでは無いかと」

 

 水田は一瞬むせた。『人』ならともかく、『戦車』が転生するなど聞いたことがない。普通なら「誰かが放置した」と考えるものだ。 

 しかし、長い間放置されていた割には状態が良く、多少の錆や汚れはあったが前世でも見慣れた箇所だけでそれ以外は全く変わりなかった。戦闘室の側面に付いていた弾痕や傷もまだ新しく見えた。

 秋川が言うように、あのホリ車も『()()()()』のだろうかと考える自分がいた。

 あり得ないと分かっているが、旧日本陸軍の戦車兵が5人も転生しているというあり得ない事態に遭遇しているからか、その意見を否定することは出来なかった。

 

 

 

 1週間後。

 整備班から「ホリ車の修理が終わった」と連絡を聞いて、戦車道の授業の前に水田たちは『戦車道科・第二格納庫』の前に集まった。格納庫の前に、頬に作動油が付いている生徒が立っていた。

 

「お。あなたたちがレストアを頼んだ生徒だね。私は整備班長を任されている3年の三吉(みつよし)華織(かおり)。宜しく」

 

 自己紹介を済ませると、格納庫の扉に付いているパネルのボタンを押した。重厚感ある扉がゆっくりと開いていき、修理されて新品同様になったホリ車が姿を見せた。塗り直された車体が光に反射して輝いている。

 戦闘室の側面に回ると、秋川が前世で描いた白いペンキの銀鳩が描かれていた。三吉は「大事そうに見ていたから描いた」と答えた。

 

「水田くん。ちょっと良いかな」振り返ると加藤と原田が立っていた。何か大事な用でもあるのかと思い、水田は2人に続いた。

 

 

 2人に連れられ、第一格納庫の中に案内された。戦車の前に4人集められている。水田は車長に任命されている生徒だと理解した。

 

「よし。これで車長は全員揃ったね」加藤が話を始める。

 

「ホリ車の修理が終わったから、テストを兼ねて今から戦闘訓練を実施するよ。ルールは最後まで生き残った班の勝ちということで」

 

 唐突に戦闘訓練を実施すると言われ、戸惑いの声が上がる。

 

「あー、みんなの言いたいことは分かる。でも大会まで後1ヶ月切ってるし、新入生の実力も確かめたいからさ」

 

「私たちは問題ないですけど、水田の班は大丈夫なんですか?これまで何度かあった戦闘訓練に参加してないし、急に言われても困ると思いますけど」

 

 口を挟んだのはカヴェナンターの車長に任命された1年の『酉沢(とりざわ)沙樹(さき)』。水田に対して色々と突っ掛かってくる女子学生だ。

 他の生徒たちも酉沢の意見に同意するように頷いているが、水田は平然とした表情で言った。

 

「加藤隊長の言うとおり、今は時間が無い。俺たちも()()ホリ車の性能を確かめないといけないからな」

 

「よし。決まりね。じゃあ各自、この地図に記した座標に向かって着いたら合図して。そしたら試合開始よ」

 

 

 水田の班はホリ車に乗って予定のポイントに着いた。この学園の戦車道科の訓練用エリアは大きく3つに分かれている。

 市街地をモチーフにした『エリア・α(アルファ)』、障害物が少なく、開けた場所が多い『エリア・β(ベータ)』、山のように高低差が大きく、森林がある『エリア・Δ(デルタ)』となっている。

 水田は確認が済むと、無線で「到着した」と報告する。数分後、加藤から新たに指示が出された。

 

「全員配置に着いたみたいね。じゃあ改めてルールを説明するわよ。この試合は、最後まで生き残った班の勝ち。生き残った班の車長は、試合が終わったら報告すること。じゃあ出場する戦車を言うわね」

 

 加藤が戦車の名前を言っていく。

 出場する戦車は5輌。日本の砲戦車『ホリⅡ型』。イギリスの巡航戦車『カヴェナンター』。アメリカの試作中戦車『T25E1』。ドイツの試作中戦車『VK30.01(P)』。ドイツの試作重戦車『VK45.02(P) タイプ180』だ。

 加藤と原田はこの試合には参加せず、各エリアに設置したカメラを通して様子を見るという。

 

「試合時間は一応2時間を予定してるけど、状況次第では延長するかも知れないから宜しくね。何か質問は?」

 

「1つだけあります」水田の声だ。

 

「この砲弾は本物ですか?もしそうなら、乗員を死傷させる恐れがありますが」

 

「そこは心配しないで。戦車の装甲はカーボンコーティングが施されるから概ね安全は保証されてる。砲弾も実弾とは少し構造が違う『安全弾』って言うものだから、当たっても乗員は無事よ。他に質問は?」

 

「ありません」

 

「よし!じゃあ始めようか!」

 

 加藤が空に向けて信号拳銃を構えてトリガーを引く。放たれた信号弾は空高く打ち上がり、花火のように散った。

 各エリアに散った戦車が一斉に動き始める。しかし、ホリ車はまだその場に留まっていた。

 

「水田さん?合図来ましたよ?」側にいる伊藤が囁くように言った。

 

「ちょっと待て。今確認している」

 

 水田は開いた地図にペンを立てて道を辿っている。どの場所にこの戦車を待機させるのが適正かと精査しているのだ。

 

「あのー。そろそろ動かないとまずいと思いますけどー」

 

 織田が少し苛立っている。待たされるのは嫌いらしい。

 

「・・・よし。取り敢えずこれで行くか。エリアΔー3に迎え。そこで敵を叩く」

 

 前進の合図を貰った織田は生き生きとした表情になった。側で見ている秋川は苦笑いを浮かべた。

 

 

 エリアΔー3。

 ここは小高い山があり、エリアβの中間地点まで見渡すことが出来る。ここを選んだのは砲戦車としての性能を最大限活かすためだ。

 前世ではダッグインで敵を迎え撃っていたが、機動力のある戦車が来ると対応が難しくなる。そこでこの場所を砲撃陣地として利用し、狙撃で撃破していく作戦に出たのだ。

 

「あーあ。暇になるなぁ。もう」織田はこの場所に着くなり愚痴を溢し始めた。

 

「織田さん。気持ちは分かりますけど、仕方ないですよ」秋川が宥める。

 

「分かってるけど・・・私じっとするの苦手なの知ってるでしょ!早く操縦したいのよ!!」

 

 織田の愚痴をよそに、水田と神原は周囲の確認をしていた。下は森林のエリアが続いているが、その間を縫うように1本道が見える。

 

「水田さん。見えました」神原が報告する。水田が言われた方向に測距儀を向けると、2輌の戦車が接近戦をしているところが見えた。

 

「あれは、何だ?外国の戦車はよく分からん・・・」

 

「ドイツの『VK30.01(P)』と『VK45.02(P)』ですよ」

 

 ドイツ陸軍で造られた試作中戦車『VK30.01(P)』、重戦車『VK45.02(P)』。この2輌は見た目は違えど同じ会社で造られ、機動面に関しては同じ機構を持っている。

 この戦車の設計者であるポルシェ博士は、エンジンで発電した電気でモーターを駆動させる『ガス・エレクトリック方式』を持つ戦車の開発を始めた。

 まず最初に開発したのが『VK30.01(P)』。空冷式のガソリンエンジンを2基搭載し、火力は強力な88㎜砲の搭載が計画されていた。砲塔が未搭載のまま開発は中止となり、後に『ポルシェティーガー』と呼ばれる『VK45.01(P)』の開発に受け継がれることになる。

 

 ポルシェティーガーの発展型として計画されたのが『VK45.02(P) タイプ180』である。基本形状はよりリファインされ、足回りを強化し、火力は71口径88㎜戦車砲を搭載していた。

 VK45.02(P)はこのタイプ180とは別に、流体変速機を搭載した『タイプ181』の開発も平行して進められていたが、戦況悪化に伴い未完成のまま開発は中止となった。

 どちらも電動駆動というだけあって、機動力は高めのようだ。今見ている位置からでも、両者ともきびきびとした走りをしている。

 

「どっちから撃破します?」神原が質問する。

 

「そうだな・・・逃がしたら厄介な中戦車の方からいくか。あの道に飛び出した所を狙え。タイミングは任せる」

 

 神原が撃発ペダルに足を置く。ホリ車は手元にトリガーの類いはなく、撃発は足元にあるペダルを踏み込んで行う。

 照準を道に合わせて敵が飛び出すタイミングを計る。目標が飛び出すと、神原はすかさずペダルを思いっきり踏み込んで砲弾を撃ち出す。砲弾は見事に目標の機関部に命中し、砲塔の天板に白旗を掲げた。

 

「命中確認!次の目標を捕捉!距離約70メートル。射角右3度。撃て!!」

 

 水田の号令に合わせて照準を変えて、再びペダルを踏み込む。車内に凄まじい轟音と衝撃が走る。

 ホリ車には半自動装填装置が付いている。砲弾を『装填架』にセットすると、砲撃で砲身が下がって戻る時に砲弾を再装填するという仕組みになっている。この全ての動作は砲身が下がって戻る約1秒~2秒で完了する。

 この時に砲身の後ろに付いている鎖栓が自動で開閉するため、装填手は砲弾を装填架にセットするだけで済む。

 水田がVK45.02(P)の動向を確認する。砲弾は最初の目標と同じように機関部に命中したようだ。天板から白旗を掲げている。

 

「流石だ。腕は落ちていないようだな」水田が褒めると、神原は一言だけ「どうも」と返した。

 

「織田、エンジン始動。エリアΔー5に移動だ」

 

 他の戦車と違って砲塔の無い戦車は戦闘に支障を来す場面が多いが、同じ場所で撃ち続ければ居場所が知られる。多少のリスクはやむを得ない。

 移動の指示が出されて織田は明るい顔になった。エンジンを始動し、ギアを入れたその瞬間!真後ろで爆発が起こった!水田が外を見ると、カヴェナンターがこちらに主砲を向けていた!

 

「敵に後ろを取られた!織田飛ばせ!!」

 

「飛ばせって何処へ!?」

 

「何処でも良い!敵を振り切らないと!」行き先を任された織田はニヤッと笑った。

 

「了解・・・飛ばしますよ!!」

 

 織田は張り切ってアクセルを踏み込む。エンジンの唸り声が響き渡り、車体が大きく揺れる。

 

「前世の時とまるで違いますよ!アクセル踏み込んだら一気にエンジンの回転が上がる!」

 

 ホリ車はその図体に対して軽快に走り出した。エンジンは水冷式のV12気筒ガソリンエンジンで、変速機はオートマチック車とほぼ同じ自動変速機を搭載している。重量があるので加速はやや悪いが、速度が乗れば約40kmで走行することが出来る。

 

「何よあの戦車!あんな図体で日本の戦車のくせに40km以上で走るなんて!」

 

 酉沢は目の前で機敏に動くホリ車に驚愕していた。

 図体の大きさだけならドイツのティーガーⅠ並みだが、機動力はそれ以上にある。

 

「あいつを逃がさないで!さっさと仕留めて、残りを探すのよ!」

 

 2輌の戦車は山を降りて森林に入った。木々を避けながら高速で走っている。

 

「水田さん!攻撃はどうするんですか!?」秋川が揺られながら質問する。

 

「落ち着け。織田、そのまま逃走を続けろ。あいつをエリアβに誘い出す!」

 

 ホリ車がそのまま逃走を続けていると、真横から攻撃が入った。水田が確認すると、M26に似たシルエットの戦車が砲口を向けている。

 

「あー・・・神原。M26に似た戦車がいるが分かるか?」

 

「恐らく『T25E1』かと。M26の前に造られた試作車ですよ」

 

 アメリカの試作中戦車『T25E1』。M4シャーマンの後継機として計画された試作車だ。対戦車能力向上のために90㎜砲を搭載し、砲塔と車体の装甲を強化している。

 機動面ではエンジンと変速機が一体化した『パワー・パック方式』を採用していたので、機動輪が後ろに付いていた。

 30輌ほど生産されたが「M4の主砲でも対抗出来る」という持論が推し進められていたこともあり、採用されることは無かった。

 水田は測距儀を横に向けてT25E1を確認する。続けて撃ってくるかと警戒したが、その場から動き始めた。どうするのかと動向を見ていると、ホリ車の側面を目掛けて突っ込んでくる!

 

「突進攻撃するつもりだ!織田!合図したらブレーキだ!」

 

 T25E1がホリ車を捉えたらしい。更に速度を上げて突っ込んでくる!

 

「今だ!!」織田が号令と同時に目一杯ブレーキを掛ける!車体が前のめりになりながら減速し、T25E1は前をギリギリを通過した。

 カヴェナンターも急ブレーキを掛けたようで、車体を横に向けて停車している。

 

「逃げるぞ!早く出せ!!」エンジンが再び唸り、重い車体を動かす。

 後ろを見ると、カヴェナンターが体勢を立て直して再び接近し始めた。T25E1は突進攻撃に失敗したと同時に体勢を立て直し、カヴェナンターの後ろについて攻撃してきた。漁夫の利でも狙うつもりなのだろうか。

 

 3輌はそのまま森を抜けてエリアβに入った。

 後ろについた2輌の戦車は攻撃をホリ車に集中していた。ホリ車を厄介な相手と認識したのだろう。

 

「織田。合図したら思いっきりブレーキを掛けろ。神原、秋川。合図したら攻撃しろ。外すなよ」

 

 水田は頭を出して2輌の距離を見た。カヴェナンターが約20メートル、T25E1が約25メートル後方にいる。この作戦はタイミングが重要だ。

 2輌の狙いが徐々に正確になり、近付いてくる。水田は後ろについた2輌をギリギリまで引き付けようとしていた。戦闘機が後ろにつかれた時に回避する技術の応用だ。距離が更に縮まる。「今だ!」と心の中で叫ぶ!

 

「ブレーキ!!」織田は怒号を聞いてブレーキペダルを踏み込み、サイドブレーキのレバーを限界まで引いた。急ブレーキに驚いた2輌はホリ車を避けて前に飛び出す!

 

「主砲!副砲!一斉射!!」神原はT25E1に、秋川はカヴェナンターに照準を合わせてトリガーを引く!

 エンジンを撃ち抜かれた2輌は速度を落としていき、遂にエンストで止まった。

 水田はハッチを開けて2輌の戦車を見る。砲塔の天板に白旗を掲げ、機関部からは黒い煙を上げている。撃破を確認すると、ヘルメットに付いているインカムのスイッチを入れる。

 

「こちら水田。戦況報告です。重戦車1。中戦車2。巡航戦車1の撃破を確認。戦闘終了。これより帰還します」

 

 通信して数秒後。加藤からの返信が来た。

 

『お!水田くんの班が勝ったのね!えっと・・・砲戦車だっけ?それで勝っちゃうなんてびっくりしたわ』

 

「ところで、撃破した戦車はどうするんです?」

 

「ああ。それは心配しないで。整備班が回収に回ってるから、あなたたちは先に格納庫に戻って良いわよ」

 

「了解しました」水田は通信を切ると、織田に帰投命令を出した。

 

 

【平成24年4月11日。晴れ

 ホリ車の修理が終わり、初めての・・・いや、67年ぶりの実戦に参加した。現代の技術の恩恵か、元より多少性能が向上しているようだ。

 他の乗員たちの腕は落ちていない。これなら試合に出ても、支障はないだろう。だが学校指定の制服で指揮を取るのはやりずらいように感じた。明日、加藤隊長に戦闘服の着用を申請してみようと思う】

 

 その日の日記を書き終わった水田は、ベットに寝転がって背を伸ばした。その視線の先には、棚に置かれている前世で書いた日記帳があった。

 起き上がって日記帳を手に取り、パラパラとページを捲っていく。いくら見直しても、白紙のページには何も書かれていない。

 どのくらい書いていなかったのか確かめたところ、1年近くの空白があることが分かった。どんなに忙しくても時間を見つけて書いていたし、その日に書けなかった時は次の日に持ち越して2日分書いたりしていた。日記に空白の期間があるということに、水田は納得出来ずにいた。

 

(日記を書き忘れる何てあり得ない。この『空白の期間』は何なんだ?)

 

「確かに。あなたは毎日、日記を書く人でした」

 

 入り口から聞き慣れた声が聞こえた。『ミヨコ』だ。暗いからか、頭と足の傷が痛々しく見えた。

 

「・・・答えないだろうが、お前に聞きたい。何で俺の過去を知っている?それと、お前は何者なんだ?」

 

 物心ついた時から、現れる度にこの質問をしてきた。これまでも聞いてきたが、『ミヨコ』が答えた事は1度もない。暫くは「どうせ聞いても答えないだろう」と思っていたのでこの質問もしなくなっていた。こうしてまた聞いたのは、日記帳にある『空白の期間』に関して何か知っているのではと思ったからだ。

 

「・・・何も、覚えていないんですね」

 

 その一言だけ言い残し、『ミヨコ』は煙のように消えていった。気のせいか、いつもより悲しそうな顔をしているように見えた。



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第七話 大会の幕開け

前回のあらすじ

ホリ車の修理が終わり、急遽戦車道の練習試合をすることになった水田班。
ルールは相手を攻撃し、最後に生き残った班が勝利するというものだった。
水田はホリ車を山のようなに高低差があるエリア・Δに向かわせた。ダッグインで敵を待ち伏せするのではなく、高台を陣取って狙撃する作戦に出た。
VK30.01(P)、VK45.02(P)を狙撃で撃破。続いて後ろを取ったカヴェナンターとT25E1を撃破し、水田班の勝利となった。
その日の夜。水田は自室で再び現れた『ミヨコ』に、「何故自分の過去を知っているんだ」と尋ねる。彼女は「何も覚えていないんですね」と言って姿を消した・・・


【平成24年4月19日 晴れ

 今日は戦車道全国大会の開会式だ。全国各地の女子高が会場に集まり、対戦相手を決めると聞いている。男子が行くのはお門違いと思われそうだが、気にする事ではない】

 

 

「今日から戦車第14連隊に配属となりました、中島一等兵です!宜しくお願いします!」

 

 昭和17年12月。

 本土から新兵が異動してきた。一通りの操縦訓練をしたと言っているが、よりにもよって実戦経験の無い新兵を配属させるとは、いよいよこの国も追い詰められているのだろう。

 ベテランは貴重だ。貴重ゆえに前線で戦い、この世から去っていく。実戦経験が浅く、若い兵士が来るような所ではない。

 引田は自分より7つ下の若い兵士を見た。彼は戦場の恐ろしさを知らない。これから自分が死ぬかもしれない瞬間を、その身で体感する事になるのだろう。それも故郷から遠く離れた、異国の地で・・・

 

 昭和19年3月7日。

 戦車第14連隊に新たな命令が下された。『インパール作戦』だ。作戦実行は明日。目的はインパールの奪還、敵の補給ルートの遮断というものだ。

 このビルマ方面では唯一の戦車部隊が本格的に動く時が来たらしい。米軍のM4を相手に、チハ車のような小口径の主砲で何処まで立ち向かえるのか。今は補給もままならない状況だ。戦う前から勝敗は決まっているようなものだ。

 だが、この作戦に反対する者はいない。命令は絶対と言うこともあるが、今戦えるのは我々しかいないのだ。我々が戦わなくて、誰が戦うのかと、引田はそう思っていた。

 この頃になると新兵だった中島も、今は立派な戦車兵に成長していた。初めは戦車砲の砲撃に毎度毎度ビビり、敵を撃つことも躊躇っていた。

 兵士にあるまじき失態とも言えるが、人間なら当然の反応だろう。兵士同士でも、自分の国に帰れば普通の人間だ。中島の成長は、上官としては誇らしくもあり、複雑でもあった。

 

「引田准尉。ちょっと良いですか?」中島が煙草を燻らす引田の側に近寄ってきた。「どうした?」

 

「このチハ車なんですけど、車体番号いくつでしたっけ」

 

 中島の視線の先には引田班が搭乗するチハ車が停車している。先日の戦闘で受けた砲塔側面の傷が目立っていた。

 

「そんなの聞いてどうする」

 

「いえ。親近感を上げようかと思ってまして・・・

 

 

「水田さん。水田さん」秋川が隣で寝ている水田の肩を揺する。

 彼らは学園艦を降り、連絡艇に乗って会場に向かっているところだった。

 会場がある場所は近くに港があり、他校の学園艦もこの港に集まっている。強豪校が先に港に入り、その横に並ぶように他校の学園艦が停泊している。

 延岡女子高の学園艦は港からかなり離れた場所に停泊している。加藤が言うには「弱小校は港に入らないのが暗黙の了解」、だそうだ。

 

「・・・ん?寝てたか」背伸びをして周りを見る。

 学園艦が停泊している様子は、まるで軍港にでも来たような雰囲気だ。見慣れない景色を眺めながら、水田が秋川に言った。

 

「秋川。前世で『ミヨコ』という言葉に覚えはないか?」

 

 水田は1週間前に『ミヨコ』に言われた一言が気になっていた。「何も覚えていない」、そう言われる理由が分からないのだ。

 記憶がほぼそのまま残っていると言っても、何もかも覚えている訳ではない。人間なら忘れることもある。

 秋川に尋ねたのは、自分が忘れてしまっている事を覚えているかもしれないと思ったのだ。

 

「『ミヨコ』?何かの名前ですか?」時々現れる少女の幻影の名前、とは言えない。

 

「あー・・・時々思い出すんだが、俺には覚えがなくてな」秋川は手に顎を乗せて考え込んだ。

 

「何かをそう呼んでいたような気がしますけど・・・確か、前世の水田さんがそう呼ぼうって言ってましたよね」

 

「俺が?」水田は目を丸くした。そんな女のような名前で呼ぼうと言った覚えがない。

 

「言ってましたよ。何だったかは、覚えてませんけど」

 

 曖昧な言い回しのせいか腑に落ちなかったが、新たに分かったこともある。いつなのか定かではないが、前世の引田が『何か』を『ミヨコ』と名付けたと言うことだ。

 あの少女に名付けた覚えはない。それは確かだ。その何かが分かれば、あの一言の謎も解明出来るかもしれない。

 

「何ひそひそと話してるんです?もう着きますよ」織田が船の進行方向に指を指す。気付けば船着き場は目の前にあった。

 

 

 会場の前は様々な出店があり、他校の生徒や見学者で溢れていた。水田が辺りを見渡す。分かっていた事だが、男性は殆どいない。出店の店員には見られるが、それ以外は女性ばかりだ。

 

「ねぇ。あれってまさか噂の」

 

「マジだったんだ」

 

 女子生徒たちの視線やひそひそ話が聞こえてくる。水田は全く気にする素振りを見せないが、秋川は肩身が狭いように感じていた。

 会場に入ろうとした時。後ろから女子たちの歓声が聞こえてきた。人が集まっている中に、2人の女子生徒の姿が見える。

 

 1人は黒色のセミロング姿で、前髪を揃えてカットしている。もう1人は黒髪のベリーショートで、毛先を少しカールさせている。

 いつだったか、テレビで見掛けた覚えがある。栃木県にある『宇都宮女学園』の生徒で、その腕は一流だという話を聞いている。

 秋川が調べたところ、戦車道科の規模は全国1位で、主にドイツとアメリカの重戦車、中戦車を主軸にしている。今年の大会で優勝すれば、全国初の10連勝となる。

 セミロングの生徒は『西沢(にしざわ)花蓮(かれん)』。3年生で隊長を勤め、高い指揮能力と冷静な判断力を兼ね備えている。

 ベリーショートの生徒はその妹の『西沢(にしざわ)麻美(あさみ)』。彼女は同じ高校の2年生だ。

 姉の花蓮と違って指揮を執るのは苦手らしいが、高い操縦技術を持っている。試作車のテストドライバーに抜擢されるなど、その技術は侮れないと聞いている。

 彼女たちは戦車道の流派『西沢流』の後継者だという。戦車道が発足した当初からある流派で、彼女たちの祖父に当たる元師範は、日本陸軍の戦車兵だったらしい。彼女らの高い指揮能力や操縦技術は、その師範の指導があってこそなのだろう。

 

「全国で有名な、戦車道姉妹か」水田が呟く。

 

「かなり強いって言われてますからね。手強いと思いますよ」

 

「どうだろうな。戦車の操縦経験だけなら、俺たちが上だ」

 

 水田は鼻を鳴らして会場へ向かい、秋川もその後に続いた。その彼らを花蓮が見ていることに気付かなかった。

 

 

『それでは、試合の抽選を行います。各校の代表は、前に集まってください』

 

 会場の中央に設けられているステージに女子生徒たちが集まる。その中には代表として送り出された原田もいる。

 ステージの端にはトーナメント表が置かれ、番号が振られている。抽選はくじ引きで行われ、その引いたくじの番号で対戦相手が決まる仕組みだ。

 原田の番が回ってきた。彼女は他の生徒と違って時間を掛けず、パッと引いた。数字は『7』。対戦相手はまだ分からない。

 他の生徒はくじ引きで盛り上がっているが、水田は奥のステージに視線を向けている。

 年配の男性が1人、中央のステージを眺めている。年を取っているが、ステージを見つめる眼光は鋭い。あの目は、戦場で生き延びてきた兵士の目だ。

 協会長の西沢(にしざわ)友幸(ともゆき)。西沢流の元師範であり、その役目を娘に継いでからは戦車道の協会長に就任。今年で4年目になる。

 そんな彼は、前世の引田たちと同じ元旧日本軍の戦車兵だ。戦歴は6年。優秀な戦車兵だったようだ。水田は何処かの戦線で見掛けた事があるかもしれないと思っていたが、前世では覚えのない顔だった。

 

「お!対戦相手が決まったみたい」

 

 加藤がステージのトーナメント表に指を指す。『7・延岡女子高等学校』の横に、『8・九十九里女子学園』と書かれている。

 

「あっちゃぁ・・・九十九里かぁ。去年1回戦で戦って負けたんだよねぇ。しかも3位に入賞した実力持ってるから、油断出来ないなぁ」

 

 横で聞いていた秋川がスマホを開いて検索してみた。

九十九里(くじゅうくり)女子学園』。全校生徒は約750人。戦車道の履修生は100人弱。その内の半分以上は整備員となっているらしい。主に軽戦車を主軸とし、高い機動力を生かした走行間射撃が得意だと書かれている。

 加藤が言った通り、去年は1回戦目で延岡女子高等学校と試合をして勝利し、その後も快進撃を続けて3位入賞という輝かしい結果を残したそうだ。

 

『それでは、西沢協会長からお言葉を頂戴致します』

 

 周りの生徒たちが一斉に姿勢を正す。水田たちもそれにならって姿勢を正すと、話が始まった。

 

『今年もこうして、無事に戦車道が開催できる事は協会長として嬉しい限りだ。スポーツマンシップに乗っ取って、正々堂々とした試合をしてもらいたい。さて、既に知っている生徒もいると思うが、今年は男子の生徒が参加することになっている』

 

 周りがざわつき始めた。まだこの事実を知っている生徒はそれほど多く無いのだろうか。今はSNSでどんな情報でも拡散できる。知っている方が多いとばかり思っていた。

 

『彼らについては特例として出場を認めている。報告によれば、熟練者のような動きをするという話だ。私は、彼らがどんな戦いを見せてくれるのか少し期待している。無論、君たちの戦いにも期待している。改めて、君たちの奮闘に期待する。以上だ』

 

 話を終えると、杖をつきながらその場を後にした。姿が見えなくなると、アナウンスが開会式の終わりを告げた。

 

 

 水田と秋川は会場を抜けて、少し離れた場所に建っていたカフェに足を運んだ。学園艦の出港まで時間を潰すためだ。

 物資の積込や燃料補給をしなければならず、全ての作業が完了するまで4時間近くもあるため、その間は自由時間となった。

 織田たちは近くにデパートがあると聞いてそっちに行っている。2人も誘われたのだが、『荷物持ち』を任されそうな気がしたので丁重にお断りした。

 水田はブラックコーヒーを、秋川はカフェ・オレを口にしながらどういう戦術を駆使して戦うか話し合っていた。テーブルには第1回戦の試合会場を示す地図が広げられている。

 何処へ進軍するのか、どのルートで逃げるかと、地図には目印や進軍ルートの線が引かれている。

 

「取り敢えずはこんなところで良いだろう。後は織田たちと詳しく話し合って決めよう」水田はコーヒーを飲み干して椅子にもたれ掛かる。

 

「1回戦目の相手は、軽戦車を主軸としているんだったな」

 

「ええ。高い機動力を生かして攻撃してくるそうですよ。乗員同士の団結力が高いみたいで、どの女子高もこの連携攻撃には勝てないらしいです」

 

「油断出来ないな。ホリ車は特にそうだ。砲塔がないから、後ろを取られたらこっちはなす術がない」

 

「あんたたちが油断しようとしまいと、勝てる術は無いんじゃないの?」

 

 声がする方を向くと、西沢姉妹が立っていた。声を掛けてきたのは妹の麻美だ。

 

「延岡女子高等学校・・・最弱の戦車道科のある女子高ねぇ。まぁでも、私たちの敵じゃないわね。今年の大会も、私たちが絶対勝つわ」

 

 ただ嫌みが言いたかったのか、姉の花蓮を連れてその場を去ろうとした。

 

「待て」水田が呼び止める。

 

「何よ。文句でもあるの?」

 

「1つ良いことを教えてやる。この世に『絶対』という言葉は存在しないものと思った方がいい。その慢心が命取りになるぞ」

 

 水田のアドバイスに対して、麻美は鼻で笑った。

 

「あんたに何が分かるの?戦車道のいろはも分からない素人のくせに」

 

「そっちこそ。他校の実力をこれまでの経歴や見かけで判断するようじゃ、足をすくわれるぞ」

 

 麻美が険しい顔つきで水田に近付こうとした時、花蓮が肩を引っ張って引き戻した。

「何で止めるの」と言いたそうな麻美に目で訴えると、花蓮は目線を周りに向けた。「今ここで問題を起こせば、後々面倒な事になる」と諭している。

 麻美はその手を振りほどき、出口に向かって早足で歩き始め、花蓮がその後に続く。2人が出ていくと、秋川がむすっとした顔で言った。

 

「何なんですかあの態度。いくらなんでも失礼ですよ」

 

「ああいう奴ほど、実力や権力を振りかざそうとするものさ。ほっとくのが良い」

 

 水田は広げた地図を畳み始め、店員にコーヒーのおかわりを頼んだ。

 

 

「何なのよあいつ!マジでムカつくんだけど!!」麻美は店を出た瞬間に地面を思いっきり蹴った。「お姉ちゃんが会ってみたい何て言うから付いてきたけど、あんなやつ私たちの敵じゃないわ」

 

「あの人はただの初心者じゃない。お祖父様が期待するのも納得だわ」

 

「はぁ?何処が」

 

「あの広げてた地図をちらっと見たけど、素人とは思えないルートの詮索をしてたわ。敵が何処から攻めてくるか、その予想も完璧だった」

 

「冗談でしょ。あいつらは所詮素人よ。それにあの学校の戦車はポンコツばっかりじゃない。何度か試合見たことあるけど、あんなんでよく試合に出れるなぁって思うわよ」

 

 水田に言い返されたことに腹を立てているらしい。花蓮はそんな麻美をただ眺めていた。

 

「西沢隊長」呼び掛けてきたのは西沢姉妹と同じ高校に通う1つしたの後輩だ。

 

「会場内を探し回りましたけど、見つかりませんでした」

 

「そう。ご苦労様」花蓮はそう言うと、何処か遠くを見つめた。

 

 

 学園艦に戻った水田は、第一格納庫の中で停まっているホリ車の前にいた。

 整備班が綺麗に掃除してくれたようで、車体や履帯には泥汚れは無い。砲身の内部も掃除され、塵1つ見られない。水田はホリ車の車体を撫でた。

 

(綺麗だ。いや・・・綺麗すぎる。戦場で走り回る車両が綺麗すぎると、違和感を感じてしまうな)

 

 戦場では戦車を磨く暇などなかった。車体は泥や傷だらけで、車内は作動油や火薬の匂いで充満していた。

 今のホリ車はまるで製造工場から出てきたばかりの新車のようだった。

 綺麗にした方が見映えが良いというが、水田は多少汚れがあった方がいいと思っている。落とせない汚れがあったり、傷だらけなのは、実戦を幾度と無く経験している証拠のようなものだからだ。

 

「これから厳しい戦いになるだろう。67年前とは多少異なる戦場だが、決して油断はしない。自分で選んだ場所だ。あんな風に言われて、黙っていられるわけがないだろ」

 

 水田がホリ車に話し掛けている後ろで、『ミヨコ』がその様子を見ていた。相変わらずの無表情だが、彼女はこの光景を懐かしんでいるようにも見えた。

 

(あなたはいずれ知ることになるでしょう。私の正体も、()()()()()()()()()()()()()()()・・・)



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第八話 通信(ネットワーク)トラブル

前回のあらすじ

戦車道の開会式に向かう水田は、その道中で秋川に「前世でミヨコという言葉に覚えはないか」と尋ねる。
秋川は「前世の引田がそう呼ぼうと言った」と話す。水田には覚えのない話だった。
開会式にて対戦相手を決めるくじ引きで、初戦の対戦相手は『九十九里女子学園』となった。加藤は「去年も初戦で当たり、敗北した」と語る。
開会式が終わった後、水田と秋川は学園艦の出港まで時間を潰すために近くのカフェに立ち寄った。そこで全国的に有名な『西沢姉妹』と対峙する。
妹の西沢麻美から「私たちの敵じゃない。今年も私たちが絶対勝つ」と言われ、水田は「この世に『絶対』という言葉は存在しないものと思った方がいい」と言い返した。

学園艦に戻った水田は、格納庫で休んでいるホリ車の前に立ち寄った。その様子を見ていた『ミヨコ』は、その光景を懐かしみながら、「自分が忘れた過去をいずれ思い出す事になる」と心の中で呟いた・・・


 初戦まであと1週間。

 水田たちは朝から戦車道の訓練に励んでいた。彼らは各車両に乗り込んで射撃訓練を行っている。目標は500メートル離れた標的だ。ホリ車と戦った4輌の戦車とホリ車は、横1列に並んで演習弾を撃っている。

 

「目標中戦車!距離500メートル!撃て!」

 

 水田の指示に合わせて神原が撃発ペダルを踏み込む。砲弾は円弧を描いて飛翔していく。水田は測距儀を通して弾道を確認している。

 

「命中!次は秋川だ!」

 

 副砲から砲弾が撃ち出され、的に向かって飛翔していく。

 副砲は46口径37㎜砲で、歩兵の排除や主砲装填中の隙間を埋めるために付けられている。元々口径は小さいので、操作は1人で担当している。

 副砲から撃ち出された砲弾は、的に対して300メートル手前に着弾してしまった。水田は「もう少し仰角を上げろ」とアドバイスした。

 

 

「良いね良いね。みんな結構当ててるじゃない」

 

 加藤は戦車のハッチを開けて、射撃訓練をしている様子を眺めていた。

 

「私たちは参加しなくて良いの?あなた一応隊長でしょ?」

 

「射撃訓練はどうしようもないよ。この戦車の主砲じゃ500メートル先の戦車に当てられても撃破出来ないし」

 

 加藤たちが搭乗しているのはフランスの戦車『ルノーNC型』。この学園の物は1930年(昭和5年)に旧日本陸軍が輸入したもので、『ルノー乙型』と呼称されている。

 非武装の状態で約10輌(12輌説もある)が輸入され、日本で改造が出来るようにと砲塔に改修が施されていた。主武装は37㎜改造狙撃砲、6.5㎜改造3年式機銃、もしくは11年式機銃に換装された。このルノー乙型は3年式機銃搭載型である。

 

 戦車の生産能力が不足していたという理由で輸入された戦車だが、前年に仮制式化されていた89式中戦車と比べて、その性能は期待を大きく下回るものだった。

 転輪軸が折れたり、車内が加熱しやすく常にエンジンの冷却水を補充し続けなければならなかったり、速度が18㎞弱しか出せない等の問題があった。

 フランスから技師を呼んで見てもらったが、「湿気の多い気候や連続運転等、日本側の運用に問題がある」と突き放されてしまった。他国への売却を考えたが実現には至らず、最終的に技術本部で改修を施すことになった。

 満州で戦闘を行う部隊へ配備されたが、すぐに89式中戦車に取って変わられたという。満州から引き上げた後は各自戦車学校にて訓練に使用され、展示車両となった。

 

 この学園の中では特に扱いづらいと酷評されている。

 現代技術の恩恵で多少が性能は向上しているものの、最高速度は18㎞から24㎞と僅かに増加しただけで、火力の面では歩兵にしか通用しない6.5㎜の機関銃のみ。装甲は最大で20㎜しかなく、他校との試合で使用するには癖のある戦車だった。

 

「もうっ。整備班から37㎜砲に換えた方がいいって言われてるのに。機関銃じゃ満足に戦えないってこと、分かってるでしょ?」

 

「分かってるよ。でも37㎜に換装したら即応性に欠けるから避けたいんだよねぇ」

 

 ルノー乙型は2人乗りだ。他の戦車と比べて、乗員が兼任しなければならない作業が多い。特に車長は砲手、装填手、通信手の計4役を兼任しなければならない。

 通信手の役割を操縦手が兼任したとしても、車長に掛かる負担は大きいのだ。

 

「だったらもう少し性能が高い戦車に乗り換えるとかすれば良いじゃない。同じ2人乗りでも、これよりマシな戦車は探せばあると思うけど」

 

「うんまぁ・・・その内にね」

 

 

 

 訓練を終えて格納庫前に戦車を整列させると、加藤が乗員を呼び出した。

 

「よーし。全員揃ったね。みんな分かってるとは思うけど、試合まで後1週間を切ったわ。みんなの訓練を見させてもらってるけど、良い動きしてる。これなら初戦突破は・・

 

 加藤の演説を他所に、水田は一番端に停まっている1輌の戦車を見ていた。

 先程の訓練で『的』として使用していた中戦車だ。秋川は「パンターですね」と言っていたが、その見た目は普通のパンターとは違って見える。

 傾斜している正面装甲は山形に折れている部分の角が丸く、砲塔の装甲は僅かに増設されていた。

 加藤か整備班の三吉が動かしているが、一緒に訓練に参加したことは無く、訓練の度に射撃の的として使用されている。

 戦車を選ぶ時も「空いているのはカヴェナンターだけ」と言っていた。乗員はいるようだが、それらしい生徒は見たことがない。

 

・・と言うわけだから、みんな気合い入れて試合に挑んでね!」

 

「「「「「はい!!!」」」」」周りの返事でハッと我に返った。

 

 

 

 1週間後。

 延岡女子高等学校の学園艦は、朝早くに九十九里の港に入港した。

 水田たちは戦車を下ろすために左舷に設けられているエレベーターの前に戦車を集合させている。水田が辺りを見渡すが、パンターはいなかった。

 

「水田さん。前進命令です」秋川が水田に報告する。

 

「あ、ああ。分かった。織田、誘導員の指示に従い微速前進。エレベーターに載せろ」

 

「了解」織田は誘導員の手旗信号の合図を見ながら前進させてエレベーターの籠に載せた。

 

「戦車をエレベーターで降ろせるなんて、すごい時代になりましたねぇ」

 

 伊藤が下がっていく景色を眺めながら言った。

 当時は戦車の積み降ろしと言えばワイヤーを繋いでクレーンで降ろすか、輸送船を使って海岸に接岸させて降ろすしかなかった。時代の流れは本当に早いと実感させられる。

 

 籠が下がるにつれて歓声が大きくなり、下から見上げている観客たちの視線がホリ車に集中していく。到着するとゲートが開き、織田がゆっくりと前進させる。

 ホリ車が前進していくと、歓声が少し小さくなっていった。水田がキュウポラから上半身を出して外を見る。周りの人たちはヒソヒソと何か話している。

 

「ここも戦車道に男子が参加するという情報は、曖昧な物だったようだな」

 

「信じられないのも無理ないと思いますよ。それに、そんな格好してたら余計目立ちますし」

 

 織田がクスッと笑った。

 水田は加藤に頼んで戦闘服を用意してもらっていたのだが、その戦闘服と言うのが旧日本陸軍が着用していた軍服に似ていたのだ。

 着用している服は上下カーキ色で、ブーツを履いている。頭には戦車兵が被る『戦車帽』を被り、『戦車眼鏡』と呼ばれるゴーグルを付けている。この格好では誰がどう見ても旧日本陸軍の戦車兵にしか見えない。

 更にどういうわけか、秋川も同じものを着用すると言い出し、旧日本軍の格好をした生徒が2人いるという奇妙な形になった。秋川も制服では作業がやりづらいと感じたのだろう。

 

 

 九十九里女子学園の生徒たちは各車両の車長を集め、試合前の打ち合わせを行っていた。

 机の上に地図が広げられ、あちこちに印が付いている。打ち合わせも終盤に入った時、歓声が聞こえなくなっていった。何があったのかと外を見ると、戦闘室の側面に何らかの絵を描いている戦車が通りすぎていった。

 

「あれが例の・・・砲戦車、だったかしら。あの女子高もやけになったのかしら。砲塔がない戦車を追加するなんてね」

 

 九十九里女子学園の隊長を勤めている『黒川(くろかわ)ミカサ』は、ホリ車を見るなり鼻で笑った。

 3年生に上がり、隊長を任された。生徒同士の団結力を第一とし、戦闘スタイルも味方同士の連携を優先に考えている。

 

「この試合は余興と捉えても良い。でも良い?次の試合からは気合い入れて挑むわよ!」

 

 

 試合開始30分前。

 加藤が打ち合わせをするために車長たちを集めていた。この打ち合わせが終わったら、スタート地点に移動しなければならない。あまり時間がないので手短に話していった。

 

 試合形式は『フラッグ戦』。『フラッグ車』と言う旗を掲げる車両を最初に撃破した方が勝利となる。今回そのフラッグ車を任されたのは加藤が搭乗するルノー乙型である。

 

 まず進行するのは森林があるエリア223。カヴェナンターを先行で偵察に出して、状況を確認させる。もし会敵しても攻撃はしない。

 カヴェナンターからの情報を確認した後、加藤たちがこのエリアに侵入。互いに視認出来る範囲で広がり、敵を発見次第攻撃に移る。向こう側の方が機動力があるので深追いはせず、常に木と車体が重なるように行動する。木で攻撃を防ぐ作戦だ。

 敵の数がある程度減らせたところで機動力のあるカヴェナンターとVK30.01(P)で追い込みに掛かり、最終的には互いに協力してフラッグを叩く。

 

・・・と言うのが私の作戦だけど、水田くんは別に立てたんだったよね?聞かせてくれる?」

 

 加藤に質問された水田は、机の上に自分で立てた作戦を記した地図を広げた。

 

「今回の敵は、ホリ車にとって厄介な相手です。加藤隊長達と共に行動すれば、集中砲火を浴びることになります。そこで試合開始と同時に、小山のようになっているエリア224に移動します。ここは高台のような場所があり、エリア223を見渡すのに適しています。ここから偵察班から受け取った情報を元に敵の位置を捕捉、狙撃します」

 

「うーん。それだと私たち巻き込まれたりしないかな?木が邪魔して敵か味方か判別しにくくなると思うけど」

 

「その通りです。そこで加藤隊長達にも協力を願いたいのです。敵が何処から来たのか、何処へ逃げたのか、その情報を教えて欲しいのです。より正確なの情報が得られれば、敵の捕捉もしやすくなりますし、味方を巻き込む心配もありません」

 

「成る程。私たちから見て、敵がどんな動きをしているか教えて欲しいと言うわけね。概要は分かったけど、あなたたちだけで行動して大丈夫なの?エリア224はかなり離れるし、援護を要請されてもこっちは何も出来ないよ?」

 

「敵の出方を自分なりに推理しました。敵の火力は遠距離に適してませんし、狙撃をするメリットがありません。裏を取るにしてもわざわざ山越えをするルートを選ぶ可能性は低いと言えます。自分なら、確実に戦闘を遂行するためにエリア223の小路等を使う最短ルートを選びます。敵も同じ考えの筈です」

 

(味方とどう連携を取るかだけじゃなくて、敵がどう出るかまでちゃんと予測してる。やっぱり、この子凄いわ)

 

 加藤が感心している中、酉沢は見えないように拳を握りしめていた。素人の癖に、自分以上にちゃんとした作戦を立てていることに悔しさを感じていた。

 

「よし!その作戦で行こうか!」

 

 加藤の快諾が得られ、ホッと胸を撫で下ろした。この学園の中で一番火力が高いのはホリ車だ。その火力を生かして前線で戦えと言われたらどうしようもなかった。

 

「じゃあ各車両に戻って、スタート地点に移動。その間に作戦伝えておいてね」

 

 

 スタート地点に到着すると、水田は上半身を出して双眼鏡で遠くを見た。砲撃陣地とした高台が見える。そこから下に向けて視線を持っていくと、エリア223が視認出来る。

 

「そう言えば、加藤隊長が通信機器を入念にチェックしろと言ってましたよね。何かあったんですか」

 

 秋川が無線のスイッチを入れて周波数を合わせる。無線機は問題なく作動している。

 

「去年の試合で無線が一時使えなくなるトラブルが起こったらしい。大丈夫だと思うが、確認は怠るな」

 

『それでは、延岡女子高等学校と九十九里女子学園の試合を開始します』ファンファーレと共にアナウンスが流れる。ファンファーレが終わると、信号弾が空高く打ち上げられる。

 

『試合、開始!』

 

 両者一斉にスタート地点から走り出す。

 予定通りにカヴェナンターは先行して偵察に出発し、ホリ車は本隊を離れて高台へ向かった。

 

 

 エリア223。

 カヴェナンターはエリア内を走りながら偵察していた。エンジンをなるべく絞り、敵が通りそうな道をなるべく避けながら走っていた。

 このカヴェナンターも現代技術や整備班の改造のお陰で車内温度の上昇は抑えられているが、それでも車内温度は30℃前後になる。常に暖房を付けながら走っているような状態だ。

 

「・・・あっつい。もう最悪。これなら日本の戦車の方がまだマシかも」周囲を見張りながら愚痴を溢す。

 

「車長。何か無線機から雑音が聞こえ始めたけど・・・これって故障かな?」通信手が無線機を弄りながら言った。

 

「はぁ?何をやったら故障すんのよ」そう言いながらヘッドホンの片方を耳に押し当てた。確かにスピーカーからは雑音が聞こえてくるが、故障ではないだろうと判断した。

 

「無線は問題ないわ。古い型何だからそれぐらい・・・」

 

 視線を前に戻すと、敵戦車が3輌ほど通りすぎていくところが見えた。停車するように指示し、その場で敵の動きを見た。

 先に通りすぎていった3輌の次に、敵が次々と進軍していくところが確認出来る。すぐ報告しなければと、喉元に付けている咽頭マイクのスイッチを入れる。

 

「こちら酉沢。本隊応答してください」ヘッドホンのスピーカーを押し当てたが、聞こえてくるのは雑音だけだ。

 

「こちら酉沢。本隊、応答してください!何で?何がどうなってんのよ。通信手!ちゃんと無線の周波数合わせてるんでしょうね!」

 

「合わせてるわよ!でもどの周波数に調整しても無線が通じないの!」

 

 無線機を叩きながら調整しているが、どの周波数も拾わない。

 

「・・・一旦戻るしか無さそうね。敵に見つかっても構わないわ。最短ルートで本隊に戻るわよ!」

 

 

 エリア224。

 ホリ車は山道を登っていた。平地を走るより遅いが、これでも昔と比べたらまだ良い方だ。

 代表的なチハ車やチハ改は、エンジンは頑丈だったが出力不足が目立つ事が多く、戦車第14連隊にて鹵獲されていたM3に牽引されながら坂道を登ったという逸話が残されている程だ。

 

「あーぁ・・・高台に着いたら、私は暇になるなぁ」

 

 織田がボソッと言う。「だったら、副砲の装填手でもやります?」

 

「嫌よ」秋川の提案をあっさり断った。その時、一瞬だけ車体がガクンと揺れた。水田はその微妙な変化を逃さなかった。

 

「織田。一瞬ガクンと来たぞ。アクセルワークをミスったか?」

 

「いえ。そんなことは・・・」無いと思いますけど、そう言い掛けた時。車体が揺れ始め、エンジンが停まってしまった。

 

「えっ!?ちょっ。何で!?」慌ててキーを捻って再始動を試みたが、クランキングするだけで掛かる素振りを見せない。

 

「落ち着け。加藤隊長に連絡する。秋川、周波数を合わせろ」

 

 インカムのスイッチを入れて呼び掛ける。しかし、加藤から応答が無い。

 

「こちら水田。加藤隊長、応答してください。加藤隊長、応答してください。・・・ダメか」

 

 ヘッドホンのスピーカーから聞こえてくるのは雑音だけ。無線も通じない状態に違和感を感じた。

 

「織田、秋川。ちゃんと点検していたよな?」

 

「ええ。しっかり点検しました」

 

「私も。スタート直前までエンジンを確認してました」

 

 確認を取ると、水田は車外に出て車体後部に回った。マフラーを外して点検口を開け、エンジンを引っ張り出す。ペンライトを当てながら部品を見ていくが、特に変わった所はない。

 車内に戻って無線機を弄ってみたが、こちらも問題なく作動している。

 

「まさかと思いますが・・・敵が何か細工したのでは?」

 

 神原が囁くように言う。

 秋川たちはそんな事はあり得ないという表情だが、水田もその可能性を考えていた。

 無線が通じないのは強力な妨害電波が出されているからで、このエンジントラブルはこちらの隙をついて何かしら細工を施したからではないかと。しかし、どちらにしても考えにくい仮説だった。

 妨害電波を発信したとすれば、敵も味方も連携が取れない状態になるのでメリットがない。

 エンジントラブルを起こす細工を施したとしても、狙うとしたらフラッグ車のルノー乙型だろう。ホリ車を狙う理由がない。

 思考を巡らせて仮説を立てていたが、重要なことを思い出して腕時計を見た。予定の狙撃ポイントに到着する時間が迫っている。到着したら加藤に連絡する手筈となっていた。

 

(マズいな。無線は通じないし、ホリ車はエンジントラブルで動けない・・・今はとにかく、ポイントに移動して状況を確認しなくては)

 

「全員聞け。これからの動きを説明する」

 

 水田に視線が集まる。

 

「秋川。無線機を担いで俺と一緒に来い。我々だけでも先に移動して状況を確認する。織田、神原、伊藤の3人はエンジントラブルの原因を探れ。修理が完了次第、予定していた狙撃ポイントに来い」

 

 ホリ車には万が一、車内用の無線が故障した場合に備えて持ち出しが出来る『マンパック型無線機』を載せている。バッテリーや無線機本体が大型なので、背負って持ち運ぶ。

 秋川は無線機を探し始め、織田たち3人はエンジンのチェックに入った。水田も個人用装備を整えて出発準備を済ませた。

 

 

 エリア223。

 加藤たちはエリアの境界線で待機していた。そろそろカヴェナンターから連絡があってもいい頃合いなのだが、無線機は味方からの電波を受信しない。

 

「ねぇ。そろそろ移動した方がいいんじゃない?」原田が痺れを切らし始めた。他の乗員も同じ意見だ。

 

「うーん・・・何かトラブルに巻き込まれたのかな。仕方ない。エリアに侵入するわ。慎重にね」

 

 重戦車のVK45.02(P)を先に前進させ、他の車両もその後に続いてエリア内に侵入した。

 本隊はVK45.02(P)を戦闘に楔型陣形を取って進軍していく。加藤はカヴェナンターからの通信をすぐ受け取れるように無線機の前に張り付いている。エリア223はとても静かだった。この静けさが緊張感を高めていく。

 

「ねぇ。あれって・・・」原田が加藤を呼ぶ。ハッチを開けて進行方向を見ると、カヴェナンターが全速力で迫っていた。加藤は本隊を停止させ、カヴェナンターはルノー乙型の横についた。

 

「どうしたのよ!?無線で連絡する手筈だったでしょ?」

 

「それが、無線機が故障したのか通じなくて。直接報告すべきだと思って戻ったんです」

 

「敵襲!真正面よ!!」

 

 原田が叫ぶ。加藤と酉沢が反応したが、敵戦車郡が一斉攻撃を仕掛けて来た。

 

「各自応戦!深追いはしないで!」

 

 加藤の命令で味方が反撃に出る。加藤は片手で機関銃をのトリガーを引き、片手で無線機を手に取った。

 

「こちら加藤!水田くん応答して!」ヘッドホンから聞こえてくるのは雑音だけだ。「水田くん!?ホリ車、応答して!!」

 

「無線は通じてない!」原田が回避行動を取りながら叫ぶ。「車内無線も通じてないし、他の戦車からも連絡が来てない!去年と同じ状況よ!」

 

 加藤は一瞬愕然としたが、すぐに切り替えて反撃に転じた。他の戦車の乗員たちも無線が通じないが、他の味方の状況を確認しながら反撃していた。

 

 

 エリア224。

 水田と秋川は到着ポイントの中間点で無線機の電源を入れて加藤に連絡を取っていた。

 

「こちら水田!加藤隊長、応答してください!本隊どうぞ!誰か聞こえないか!?」

 

 周波数を変えて見るが、応答は一切ない。秋川が不安そうな目で水田と見る。

 

「完全に孤立しましたね・・・まさか無線が通じないなんて」

 

「しっかりしろ。とにかく予定のポイントまで急ぐぞ。あそこならエリア223が見渡せるから、本隊がどういう状況に置かれているのか確認できる。行くぞ!」



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第九話 通信(ネットワーク)トラブル 後編

前回のあらすじ

ついに始まった第1回戦。
木が生い茂るエリア223にて偵察をするカヴェナンターは、進軍していく敵戦車郡を発見する。報告するために無線機で連絡を取ろうとしたが、謎の電波障害で無線が通じないトラブルが発生した。
一方。別行動をしているホリ車は、小山のようになっているエリア224で進軍していたが、途中でエンジントラブルを起こして停車してしまう。
加藤隊長に連絡を取ろうとしたが、こちらも電波障害の影響で無線が通じない。
水田は状況確認のため、秋川と共に先行して予定のポイントに向かっていった。


 エリア224。

 ホリ車を降りて移動する水田と秋川は、漸く目的地のポイントにたどり着いたところだった。秋川が息を切らしながら膝をついた。

 

「はぁ・・・やっと・・・着きましたね」

 

「ああ・・・こんなに全力で走ったのは・・・久し振りだな。無線機・・・寄越してくれ」

 

 秋川は背負っていた無線機を下ろして電源を入れた。水田が周波数を調整し、息を整えてマイクに声を吹き込む。

 

「こちら水田。本隊どうぞ。こちら水田。本隊、応答してください」

 

 何度も呼び掛けるがやはり応答がない。周波数を変えて試みてみたが結果は変わらなかった。

 通信は諦め、2人は双眼鏡を取り出してエリア223を見渡した。本隊を探していると、遠くから砲撃音が聞こえてきた。聞こえてくる方角に視線を向けて倍率を上げると、軽戦車が横切っていった。

 

「秋川。今の戦車、種別は分かるか?」

 

「ドイツのⅡ号戦車だと思います。20㎜機関砲を搭載して、約40㎞という快速で走る軽戦車ですよ」

 

 ドイツ陸軍の軽戦車『Ⅱ号戦車』。

 Ⅰ号戦車では扱えない砲を扱う為の訓練用、及び戦車生産技術習得のために開発された。

 主力戦車である『Ⅲ号戦車』、『Ⅳ号戦車』が揃うまでの繋ぎとして、Ⅰ号戦車に代わって実戦でも戦えるよう強化していた。試作型から量産型、別設計の車両等数多く生産された。

 水田たちが確認したのはⅡ号戦車の中で一番多く生産されたF型で、標準型の装甲を強化された型だ。

 敵が見えたと言うことは、あの場所に本隊がいる筈。更に倍率を上げると、本隊が抗戦しているところが確認できた。

 

「いたぞ。偵察に出たはずのカヴェナンターも一緒にいる」

 

「無線が通じないから戻ったんでしょうか。それにしても・・・敵ながら見事な連携攻撃ですね」

 

 敵は2輌で1班を作り、1輌の戦車に攻撃を仕掛けていた。初めは横並びで走っていたが、目標を捉えると同時に離れて1輌が囮に、もう1輌が攻撃という役割を担っているようだ。

 

「お前が言うとおり、見事な連携だが・・・あいつらはどうやってその連携を取っているんだ?」

 

 妨害電波を出しているのなら無線は通じない。味方もそうだが、敵にも同じことが言える。無線機が全く電波を拾わないにもかかわらず、敵は連携が取れている。乗員同士で手旗信号を送っている訳ではなさそうだ。

 

「このような状態に陥ることを想定して、訓練に訓練を重ねている・・・と言うことですかね」

 

「その可能性もあるが、()()()()()()()()()()()()()()()()をすると思うか?本物の戦場とは訳が違うんだぞ」

 

 水田が本隊を見ている間、秋川は周囲の確認をしていた。現在確認出来ている戦車の数は8輌。相手が出場させている戦車は10輌と聞いている。まだ見つかっていない2輌を探しているのだ。

 

 

 エリア223。

 延岡側の陣営は敵からの猛攻撃を受けながら対抗していた。無線は通じていないが、それぞれで応戦しているからか今のところやられた味方はいない。

 相手は機関銃しか持っていないが、装甲が薄い部分を叩かれたらやられてしまう可能性は否定できない。

 

「一旦退却するしかない!原田!そのまま後退して!」

 

 加藤はハッチを開けて赤い旗を大きく振り、「退却せよ」と信号を送った。信号を確認した各車両の車長は同様に赤い旗を振り、撤退しようと下がり始めた。

 追撃されると覚悟したが、敵は追撃を一切する素振りを見せず、攻撃を中止して下がっていった。

 

「・・・あれ?向こうも退却しちゃった」

 

 想定外の行動に加藤は唖然とした。向こうが優勢だったのだから、普通は畳み掛ける場面のはず。しかし、敵は下がっていってしまった。

 

「助かったってことかな・・・原田。エンジンを止めて。みんなの状況を確認するから」

 

 加藤は車外に出て、各車両の車長を集合させた。被害状況を確認するためだ。幸い敵の攻撃で致命傷を負った車両は無かった。

 

「みんな無事で良かったよ。ホリ車も無事だと良いけど」

 

「て言うか、水田はこっちに支援攻撃をするために別行動を取っているんですよね?全然支援しなかったじゃないですか」

 

 酉沢は不満気味に加藤に突っ掛かった。

 

「まぁまぁ。水田くんの方も無線が通じてないだろうし、支援しようにも私たち巻き込んだらまずいと思ったんじゃないかな。それより・・・これからどうしようか」

 

 現在の加藤たちは「このまま前進する」とは言いにくい状況に置かれている。味方と連携を取るための無線がまだ回復しないのだ。敵を追尾しようにも迂闊には動けない。

 加藤は水田たちが待機していると思われる場所を見上げた。今は別行動をしているホリ車が最後の切り札だ。

 

 

 エリア224。

 山道の中腹部で残された織田、神原、伊藤の3人はホリ車のエンジントラブルの原因を探っていた。

 

「はぁー・・・ぜんっぜん分かんない!!!て言うか分かるわけないじゃん!!」

 

 織田は持っていたスパナを地面に叩き落す。

 ここで停車してしまってから既に10分が経過しているが、原因は不明のままだった。

 

「まぁまぁ落ち着きましょうよ」伊藤が宥める。「あんたは呑気すぎなのよ!!神原はさっきから黙ってエンジン見詰めてるし、こんなんじゃ日が暮れるわ!!」

 

「織田。クランキングしてみて」ずっと黙っていた神原が漸く口を開いた。

 

「・・・何で」

 

「いいからやって」織田は深い溜め息を吐いて操縦席に座り、キーを捻った。クランキングはするが、エンジンは掛からない。

 

「やったわよ。これで何か分かった?」

 

 腕組みをして神原を見つめる。無駄な作業をしたようにしか思えない。

 神原は1つの部品に注目していた。点火装置の『ディストリビューター』だ。

 

「さっきからディストリビューターのカバーが動いているような気がしたんだけど・・・」

 

 そう言ってディストリビューターに手を掛けた。すると、固定されているはずのカバーが簡単に取れてしまった。

 

「やっぱりね・・・燃料系統は問題無かったから、点火系統に問題あるんじゃないかって思ってたんだけど・・・まさかカバーが取れるなんてね」

 

 ディストリビューターのカバーの表には、エンジンの気筒数と同じ数の突起あり、どの気筒に点火指示を出すか、点火時期を早めたり遅めにするなどの役割がある。

 エンジンが振動を起こして停車してしまったのは、このカバーが外れ掛かっていたから上手く点火指示が出せなかったからだろうと神原は推測した。

 

「原因は分かったけど・・・何でさっきまでは動いていたのよ」

 

「カバーの接合部に接着剤をつけた跡があるわ・・・こんなに簡単に外れたんだから、多分弱めのやつ・・・でも爪はちゃんとあるのに、何で接着剤使ったのかしら」

 

「まぁ原因が分かったんだから良いわ。さっさと付け直して出発しましょ」

 

 織田がディストリビューターのカバーを付け直している間、神原はふとあることを思っていた。

 

(・・・何で私、エンジントラブルの原因が分かったのかしら?エンジンの構造なんて、いつ知ったのかしら)

 

 そんな神原の疑問を他所に、織田はエンジンを再始動して見せた。少し長めのクランキングの後、エンジンは再び息を吹き替えした。

 

「やったぁー!!動いたわ!さぁ乗って!出発よ!!」

 

 はしゃぐ織田に軽く溜め息を吐いて車内に戻った。すると伊藤が副砲手の席に座り、無線機を弄り始めた。織田は「通じないから意味がない」と言ったが、伊藤は「もしかしたら復旧してるかもしれない」と言って周波数を合わせて呼び掛ける。

 

 

 水田と秋川は残りの戦車を探すことに躍起になっていた。

 指揮を取るはずの隊長車が別のエリアにいる可能性はゼロに等しい。指揮を取る立場の人間が自分の目で状況を確認せずに指示だけするなどあり得ないからだ。

 

『こちら・・・伊藤・・・聞こえたら返事してくださーい』

 

 無線機が電波を捉えた。秋川が無線機に飛び付いてヘッドホンを耳に押し当てた。

 

「伊藤さんですか!?水田さん!ホリ車から通信です!こちら秋川!応答してください!」

 

 無線が通じたと聞いて水田も駆け寄った。

 

『ほら・・・言った・・・でしょ。ホリ・・・シュウリハ・・・』

 

「伊藤さん?ホリ車の修理がどうしたんですか!?伊藤さん!」

 

 肝心な事を聞き終わる前に再び無線が切れてしまった。水田はそのやり取りを見た後、周波数を変えて加藤に連絡を取った。ホリ車からの通信は拾ったのに、加藤への通信は繋がらなかった。

 

「・・・この電波障害は()()()2()2()3()()()に起きている可能性があるな。ホリ車の通信が一瞬通じたのは、その範囲外だったからだ。まだ分からないのは、敵が何故連携を取れているかだが」

 

 手に顎を載せて考え込んだ。その時、軍人時代の思い出が一瞬脳裏を過った。そうだ。こんな状況下でも、連絡できる手段があった。

 

「分かったぞ。『モールス信号』だ」

 

 モールス信号とは、『(トン)』と『(ツー)』の信号を組み合わせて作る文字コードだ。

 現在は使われる事は殆ど無くなったが、陸上自衛隊や海上自衛隊では現在でも使われている。

 

「ライトの明かりを点滅させて送っているんだ。キュウポラの覗き窓から明かりを見せれば、敵に感づかれずに送ることは出来る」

 

「じゃあ。敵は何故、攻めた方が良い場面で撤退を始めたんです?連携が取れているなら、攻め続けた方が得策だったはずです」

 

「味方が撤退を始めたと感づいたからだ。このエリアから出さないためにな。さっきも言ったが、この電波障害はこのエリアでしか起きていない。このエリアから脱出されれば、電波妨害の存在を協会に知られることになる。だからこのエリアに釘付けにする必要があったんだ」

 

「だとすれば、何処かに無線機の類いがあるということになりますね。探しましょう!」

 

 2人は双眼鏡を手に取り、敵が撤退していった方向を重点的に探した。敵に見つからないように擬装を施している可能性もある。何か不自然なものが無いかを探していると、秋川が何かを見つけた。

 

「水田さん。あれ・・・」

 

 秋川が指を指す方を見ると、1輌の戦車が止まっていた。擬装を施しているが、この位置からは丸見えだった。秋川が「ドイツのⅢ号戦車ですね」と呟く。

 

 ドイツ陸軍の中戦車『Ⅲ号戦車』。

 完成当時はドイツ陸軍の中核を担う主力戦車として造られた。乗員を5名とし、かつそれぞれを専業制にした世界初の戦車だった。

 更に本車から無線機の搭載を標準化し、味方との連携を容易にした。これも世界初の事で、それまでは無線機を搭載するのは指揮戦車だけだった。

 時代が進むに連れて満足な戦果を上げるのは難しくなっていたが、それでも味方と容易に連携が取れる点を最大限に活かし、旧式ながらも前線で戦っていた。

 

「妙だな。何で基本性能が高い中戦車が後方にいる?それにあのアンテナ・・・普通の戦車が使うものにしては大型だな。軽戦車が主軸でも、一緒に前線を張ることぐらい出来る筈だ」

 

「確かⅢ号戦車には指揮戦車型があって、初期の物は砲塔をダミーにして大型の無線機を搭載したと本で呼んだことがあります!」

 

 それを聞いて確信した。あの中戦車から妨害電波が発信され、このエリア全体に影響を及ぼしている。

 

「だとしたら、全ての行動に説明がつくな。あとはホリ車が来れば狙撃出来るんだが・・・ん?」

 

 水田が視線を変えると、本隊が前進していた。敵を追っているのだろうか。そのまま前に視線を変えると、敵が茂みの中に潜んで待ち構えている。

 

「マズいな。このまま前進したら、敵の待ち伏せを食らう」

 

「ど、どうしましょう。連絡しようにも通信手段が」

 

「いや、あるぞ。こっちもモールス信号を送れば良い」

 

「でも、どうやって送るんです?」

 

「双眼鏡のレンズの反射を使えばいい。後は向こうが解読してくれれば良いんだがな」

 

 最も心配なところはそこだった。信号を送れたとしても、解読できなければ意味がない。戦車道でモールス信号を使ったやり取りをするとは聞いたことがない。

 通じない可能性の方が高いが、今はこれしか手段がない。秋川が双眼鏡を本隊に向ける。

 

「何て送ります?」

 

「取り敢えず、『気付いた合図を』と送ってくれ」

 

 

 エリア223。

 本隊は敵を追尾するため、人が歩く程度の速さで前進していた。無線がまだ復旧しないので分散はせずに纏まって行動するようにしていた。

 各車の車長は上半身を出して手信号を頼りに進んでいる。加藤が上を見上げると、何かが反射していることに気付いた。停車の合図を出して本隊を止めて、双眼鏡を手に取った。

 

「あれ何だろ。規則的な感じがするけど」

 

「モールス信号ですよ」そう言ったのは酉沢だった。

 

「分かるの?」

 

「まぁ・・・ちょっとなら」

 

「じゃあ悪いけど、解読してくれる?」

 

 酉沢も双眼鏡を手に取り、信号の解読を始めた。

 

「水田と秋川?何やってんのよ・・・・・『気付いたら合図を』と言ってます」

 

「合図ね。分かった」加藤は手を振って気付いた事を知らせた。

 

「・・・加藤隊長が手を振ってる。信号に気付いたらしい。よし次は、『電波障害の原因が分かった』。『排除するので待機を』だ」

 

 秋川は言われた通りに信号を送り、確認した酉沢が解読する。

 

「・・・・・『電波障害の原因が分かった』、『排除するので待機を』?何言ってのあいつ」

 

「何か分かったってことだよね・・・他に手はないし、『任せる』って送れる?」

 

 酉沢は頷いて、手鏡を使って返答する。水田は酉沢から送られた信号を確認し、手を振って『確認した』と返答した。その直後、ホリ車が2人の前に現れた。

 

「お待たせしました!乗ってください!」

 

 織田が満面の笑みで2人を呼ぶ。2人は急いでホリ車に戻り、水田は測距儀を通してⅢ号戦車の位置を再確認する。

 

「織田。もう少し左に傾けて前に出してくれ。神原。距離400メートルの位置に擬装している中戦車がいる。確認出来るか?」

 

「・・・確認しました」

 

「恐らくあの中戦車が無線を妨害している元凶だ。あいつを撃破すれば、無線が回復する。撃ち方用意!目標、Ⅲ号戦車!距離400メートル!風速、南東より2ノット!」

 

 砲口がⅢ号戦車に向けられ、水田の指示に合わせて微調整をしていく。照準器の目盛りがⅢ号戦車のエンジンを捉える。

 

「撃てっ!!」撃発ペダルが踏み込まれ、105㎜の砲弾が轟音と振動と共に撃ち出される。

 砲弾は重力に従って落下するように勢いを増していき、Ⅲ号戦車のエンジンを撃ち抜いた。エンジンから高い火柱と黒煙上がり、砲塔の天板に白旗が上がった。『撃破された』という合図だ。

 

「水田さん!無線回復しました!」

 

 水田はすぐヘッドセットを頭に付けて、マイクに声を吹き込む。

 

「こちら水田。本隊どうぞ!」

 

『・・・・・お!回復した!こちら加藤!水田くん!それにホリ車のみんなも良くやってくれたね!で、原因は何だったの?』

 

「それよりも、敵が待ち伏せしています。加藤隊長達から見て距離約50メートルの辺りの茂みに敵が潜んでいます。こちらから撃って敵をそこから叩き出します」

 

 

 

「何があったの?受信灯が消えたわ」

 

 黒川は異変に無線機を叩いた。

 各車両の無線機にはⅢ号から妨害電波を受信している間、『受信灯』という電球が点灯する仕組みになっている。その受信灯が突然消えてしまったのだ。

 その時。真後ろで凄まじい轟音と共に1発の砲弾が着弾した。黒川が確認すると、会場で見掛けた砲戦車がこちらを狙っている!

 

「敵に居場所がバレたわ!移動するわよ!まだ妨害電波は発信されているは・・・」

 

 黒川は言葉を失った。

 目の前で味方が1輌撃破された。今度は後ろを走っていた1輌、その次は真横を走っていた1輌がやられた。

 

「何で!?妨害電波はどうしたのよ!!」

 

「隊長!Ⅲ号戦車が撃破されたと連絡が!!」

 

 無線手からの報告を聞いた黒川は、サーっと血の気が引いていった。まさか、バレたのか。無線に関する規約は厳しく統括されていないが、この事が協会に知れたら・・・

 

 

 水田が測距儀で状況を見ていると、旗を掲げて走るⅡ号戦車見えた。

 

「神原。敵の隊長車だ。狙えるか?」

 

「・・・撃って良いんですか?ここは加藤隊長たちに譲るべきだと思うんですけど」

 

「構わないさ。我々の戦果が後方で待機していた中戦車だけというのは味気ないだろ」

 

 神原は何も返さず、フラッグ車に照準を合わせて撃発ペダルを踏み込んだ。砲弾は真っ直ぐ飛翔し、走行していたフラッグ車のエンジンを撃ち抜いた。

 撃ち抜かれたフラッグ車は惰性で数メートル進んだところで停車し、天板に白旗を掲げた。

 

『九十九里女子学園フラッグ車、走行不能!よって、延岡女子高等学校の勝利!!』

 

 アナウンスが勝敗を知らせる。まさかのどんでん返しに会場は歓声に包まれた。

 

「こちら水田。敵フラッグ車を撃破。戦闘終了です」

 

『水田くーん。やってくれたねぇ。横で酉沢さんが拗ねてるよ』

 

 酉沢の悔しそうな顔を思い浮かべると、思わず吹き出しそうになってしまった。

 

 

 試合は終わったのだが、加藤たちは黒川が乗っているⅡ号戦車の前に集まっていた。Ⅱ号戦車の前には黒川が呆然と突っ立っている。そこにホリ車が到着し、水田たち5人が近寄ってきた。

 

「何か知ってるんでしょ!?白状しなさいよ!」原田が凄い剣幕で黒川に迫る。そんな原田を加藤が宥める。

 

「まぁまぁ落ち着いて。お、水田くんの班が着いたね。無線が通じなくなった原因を突き止めたんだよね。聞かせてくれる?」

 

 黒川が水田たちを見る。まさか、戦車道初参加の素人が突き止めたのかと拍子抜けしてしまった。ああ。もう全てバラされる・・・そう覚悟した。

 

「あー・・・そんな事言いましたか?」水田は今初めて聞かされたように頭を掻いた。

 

「はあ!?モールス信号で原因が分かったって言ってたじゃない!秋川もその場にいたでしょ!?」酉沢が水田と秋川に迫る。

 

「モールス信号?秋川、そんなの送ったか?」

 

「えっえっと・・・双眼鏡のレンズの反射で、そう見えただけじゃないですかね?」

 

 加藤は2人がとぼけているとすぐ分かったが、何か訳があると感じた。

 

「あ!そうだ思い出した!ここのステージ、電波障害が起こりやすいって注意喚起されてたんだっけ。みんなごめーん。説明するの忘れてたわ」

 

 加藤が水田に「これで良い?」と聞くようにウインクし、水田は軽く頷いた。

 

「さ!そろそろ帰らないと。学園艦が出港しちゃうよ!」

 

 手を叩いて解散を促すと、生徒たちはやれやれと言った雰囲気で各車両に戻っていった。酉沢は訝しがっていたが、追求が面倒になったので自分の戦車に戻った。

 

 

 会場に戻ると、すぐ港に移動して学園艦に戦車を積み込む作業が始まった。重量が軽い戦車から順番に上げられていく。ホリ車の番になった。水田が前進と合図する。

 

「待って!そこの砲戦車!」水田が横に視線をずらすと、息を切らしている黒川の姿があった。水田は「先に上がっておけ」と言い残してホリ車を下りた。

 

 

 水田は黒川に連れられ、積み込み用エレベーターから少し離れた場所に案内された。

 

「今さら何のようだ。早く戻らないと出港してしまう」

 

「・・・電波障害の原因、分かってるんでしょ?それなのに何で言わなかったの?私を脅す気?」

 

 水田は溜め息を吐いて黒川の目を見た。

 

「そんな事をするように見えるか?原因は分かっていたが、敢えて言わなかったんだ。何故か分かるか?」

 

「何故って・・・脅す気以外に何があるのよ」

 

「あんたのチームは負けた。これで()()()()()()()()()()()()()()と分かった筈だ。その行為をネタにして脅すなんていう汚い真似はしない」

 

 黒川は水田の目を見て、彼が言うことに嘘はないと感じた。

 

「最後に1つ聞きたい。俺が搭乗するホリ車がエンジントラブルを起こしたんだが、何か細工をするような行為をしたか?」

 

「エンジントラブル?私は何も指示してないわ」

 

「・・・そうか」水田はそれ以上追求すること無く、学園艦に向かって歩き始めた。

 

 

【平成24年4月30日 晴れ、時々曇り

 初戦は無事勝利を納めることが出来た。敵は電波妨害で我々を混乱に陥れて来たが、原因を突き止めて復旧させることが出来た。

 今回の不祥事は敢えて伏せることにした。戦術だけで見れば最も有効的な手段だったからだ。恐らく去年の試合もこの戦術で勝ったのだろう。

 普通ならしかるべき処罰を受けるべきなのだろうが、相手は去年と同じ戦術で挑んで試合に負けた。これだけでも十分な処罰に思える。また同じ手を使うような真似をするならば、協会からの処罰を受けてもらおう】




水田たちの会話をモールス信号に変えると、以下の通りになる。

気付いたら合図を
ー・ー・・(キ)、・ー・・・(ヅ)、・ー(イ)、ー・(タ)、・・・(ラ)、ーー・ーー(ア)、・ー(イ)、ーーー・ー・・(ズ)、・ーーー(ヲ)

電波障害の原因が分かった
・ー・ーー・・(デ)、・ー・ー・(ン)、ー・・・・・ーー・(パ)、ーー・ー(シ)、ーー(ヨ)、・・ー(ウ)、・ー・・・・(ガ)、・ー(イ)、・・ーー(ノ)、ー・ーー・・(ゲ)、・ー・ー・(ン)、・ー(イ)、・ー・ー・(ン)、・ー・・・・(ガ)、ー・ー(ワ)、・ー・・(カ)、・ーー・(ツ)、ー・(タ)

排除するので待機を
ー・・・(ハ)、・ー(イ)、ー・ー・・・(ジ)、ーー(ヨ)、ーーー・ー(ス)、ー・ーー・(ル)、・・ーー(ノ)、・ー・ーー・・(デ)、ー・(タ)、・ー(イ)、ー・ー・・(キ)、・ーーー(ヲ)

任せる
ー・・ー(マ)、・ー・・(カ)、・ーーー・(セ)、ー・ーー・(ル)

濁点が付く言葉の場合(ガ、ザ等)、『・・』が付き、半濁点の場合は『・・ーー・』が付く。


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第十話 市街地戦の切り札

前回のあらすじ

無線が通じない中で戦う延岡校。別行動で動いていたホリ車はエンジントラブルを起こして前線を離脱していた。こんな状況下にも関わらず、敵は見事な連携攻撃で加藤たちを攻撃していた。
電波障害の原因は、敵が大型の無線機を使用してエリア全体に妨害電波を発信していたのだ。こんな状況下で連携が取れるのは、互いにモールス信号を使用して情報を共有しているからだった。

水田と秋川は妨害電波を発していると思われる戦車を発見し、修理が終わったホリ車と合流して撃破に成功する。その後は無線が無事に回復したことで攻勢に転じ、初戦は逆転勝利で終わった。

2回戦が近付く中、水田の中でとある問題が発生していた。



【平成24年5月7日 曇り

 大型連休が終わり、今日からまた学校生活が始まる。今はとにかく、ホリ車の様子が気になっている。

 次の相手も軽戦車を主軸としていると言うが、Ⅱ号戦車とは比較にならない性能を持っていると秋川から聞いている。かつて陸上自衛隊で運用された経歴があると聞く。どんな戦車なのだろう】

 

 

 学園の食堂にて、水田は頭を悩ませていた。目の前に置かれた唐揚げ定食にはまだ箸をつけていない。秋川が肩を揺する。

 

「水田さん・・・大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ」

 

「もしかして、2回戦目のこと考えてました?」

 

 水田は軽く頷いた。

 悩みの種は2回戦目のステージだった。今までの山岳地帯とはうって変わり、住宅街が広がる市街地で戦うのだ。

 前世でも市街地で戦闘を行ったことは全く無い。戦場は広い開豁地や山岳地帯ばかりで、住宅街のある市街地で戦闘をするのは今回が始めてだ。

 

 戦車乗りにとって、隠れられる場所が多い戦場は『諸刃の剣』と言って良い。

 歩兵が随伴している場合、建物の中に隠れて対戦車兵器を使用されてやられかねない。

 歩兵に限った話ではなく、戦車も建物を上手く利用すれば敵を待ち伏せして敵を撃破することも容易だ。また、住宅街と言えば狭い路地もある。

 今回の相手も軽戦車を主軸としていると聞く。裏路地を使用されて裏をかかれるような事になれば、なす統べなくあっという間に撃破される。砲塔がない戦車にとって一番戦いづらい戦場なのだ。

 

 これまでの訓練で何度か市街地戦をやったが、角で待ち伏せにあったり、一本道の通路で挟み撃ちにされたりと散々な結果に終わっている。

 水田も慣れない市街地戦で様々な戦術を組んで挑んだが、どの戦術もことごとく破られていた。次の試合をどう運ぶか、悩みは尽きない。

 

 

 昼休みが終わり、各戦車の車長たちが格納庫内に集められた。加藤からは重大な発表があると言われている。新しい戦車でも入ったのだろうか。

 

「全員集まったね。早速だけど、朝言っていた重大発表するわよ。今回の試合のフラッグ車は・・・水田くんのホリ車に決定しました!」

 

 加藤が拍手して盛り上げようとするが、誰も拍手しなかった。あまりに驚愕したので拍手するどころの話ではなかったのだ。

 

「ちょっ、本気ですか!?何でこいつ何です!」酉沢は詰め寄り、水田に指を指す。

 

「いくらなんでも、戦車道のド素人に任せられるわけないでしょう!?先輩たちはどうなんです!?」

 

「確かに新入生には荷が重いと思うけど、良いんじゃない?」

 

 VK45.02(P)車長、3年生の『井深(いぶか)(まい)』。電気系統に詳しく、自分の戦車の電気系の修理や改造をしている。

 

「良いわけないだろ!男子がフラッグ車を務めるなんて前代未聞だ!」

 

 VK30.01(P)車長、3年生の『盛田(もりた)三代(みよ)』。同じ機構を搭載している戦車に乗っているからか、井深をライバル視している。

 

「初戦で勝利に導いたの彼なんでしょ?だったら良いんじゃないんスか?」

 

 T25E1の車長、2年生の『村橋(むらはし)アンナ』。水田と秋川が受験した時にトラックの中で説明をしていたポニーテール姿の女子生徒だ。

 

「賛成と反対が半々かぁ。水田くんはどう思う?」

 

「・・・・・」どう思うと言われても、どうとも言えなかった。

 

「まず質問させてください。何故自分のホリ車にフラッグ車を任せるんですか?」

 

「今回のステージは固定式の戦闘室を持つ戦車で前線張るのはきついかなって思ってさ。フラッグにすれば後方支援に回れるかなって思ったんだけど、だめかな?」

 

「・・・少し考えさせてください。こんな重要なこと、急には決められないので」

 

「分かった。出来れば明日には答え聞かせて」

 

 

 

 午後8時。

 水田は湯船に浸かりながら、フラッグ車の件を考えていた。フラッグ車の車長・・・軍人時代で例えれば、中隊長に当たる。自分にそんな大役が担えるのか・・・

 だが、前線に出たところで満足な活躍が出来ないことは目に見えている。相手は軽戦車。機動力では圧倒的に負けている。となれば、加藤が言うように、後方から支援攻撃をする以外に方法はない。

 湯船を出て体を拭き、寝巻きに着替えて自室に戻ってベッドに寝転ぶ。こんなに悩んだのは、連隊長から戦車長に任命された時以来だ。

 戦車長は乗員全員の命を背負う。指示1つで生きるか死ぬかが決まる。自分に務まるのか、自分が搭乗していたチハ車の中で一晩中悩んだ。ひたすら悩んだが、拒否することは出来ないと感じて車長になることを承認した。

 それが今度は中隊長とほぼ同等の任務を任されようとしている。今度ばかりは断るべきだろうか。

 

(・・・俺が下りたら、加藤隊長のルノー乙がフラッグ車になるんだろうか。製造された年は昭和5年・・・80年以上前だ。そんな戦車で市街地戦か・・・)

 

 水田は目を瞑り、頭の中で色々と考え始めた。30分間の黙考の末、ホリ車に何か増設できる装備がないかと考えた。

 前世の記憶は曖昧だったので、ネットで検索してみた。情報サイトを開き、装備関係のページを開いた。

 主装備は105㎜の戦車砲が1門。ホリⅡ型のみに搭載された37㎜の戦車砲が1門・・・と見ていくと、まだ搭載したことがない装備品の名前があった。

 

「戦車の撃破は難しいかもしれないが、無いよりは良いか」

 

 

 5日後。

 延岡校の学園艦は、岩手県の大船渡市の港に到着した。ここから陸路で会場に移動するのだ。

 移動している間、水田はホリ車の後方に目を向けた。そこにはフラッグ車を示す青い旗が掲げられている。

 色々と悩んだ末、フラッグ車を任せて貰うことに決めたのだ。反対派からは散々な言われようだったが、任された以上、最後までやりきるつもりでいた。

 

 会場まであと5分。

 水田は秋川から聞いた、対戦相手の情報を整理することにした。

 対戦相手は『盛岡高校』。全校生徒数670名。内、戦車道科の履修生は約80名。今回は使用している戦車の情報もある。

 主力戦車はアメリカの『M24 チャーフィー』。1944年にM3/M5軽戦車の更新用として開発された軽戦車だ。

 アルデンヌ高地にて勃発したドイツ軍とアメリカ軍の戦闘、『バルジの戦い』で初陣を飾り、Ⅳ号戦車、ティーガーを撃破した記録が残っている。

 

 第二次世界大戦後は日本の警察予備隊に『重装備』という名目で供与されていた。この時は政治的な事情から『特車』と呼び変えて運用された。

 同時に供与されたM4A3E8と比べて小柄だったので、日本人でも運用しやすいと評価された。その後は『61式戦車』の制式化に伴って装備更新が始まり、1974年に全車退役した。

 

 盛岡校の勝率は全国3位か4位を行ったり来たりしているようで、去年は九十九里に負けて4位だった。

 そんな中、こんな噂が流れている。隊長の妹がフラッグ車の車長を任されるというのだ。中学生を対象にした戦車道の全国大会でフラッグ車を任されて優勝した経歴があるらしい。

 1回戦はこの姉妹が車長を務める2輌のM24が前線に立ち、あっという間にフラッグ車を撃破したという。元々市街地戦が得意のようで、ありとあらゆる裏道を知っているらしい。

 

 会場に到着すると、加藤が連絡事項を伝えるために車長たちを呼び出した。

 連絡事項は2つ。試合開始10分前まで自由時間とする。作戦は前日に立てた内容で実行する。最終の打ち合わせは試合開始10分前にするとのことだった。

 水田の横に立つ酉沢は相変わらず不満そうな顔をしている。水田がフラッグ車を任された事が余程嫌らしい。

 

 水田は連絡事項を秋川たちに伝えた後、会場を自由に散策してくるようにいった。その間、水田はホリ車に残って見張りをしながら点検を始めた。

 点検をしている時、携帯が鳴った。画面を開くと、『三吉』と表示されている。

 

「もしもし」

 

『もしもし?頼まれてたもの出来たから今から運ぶけど・・・間に合うかな?』

 

「なるべく急いでください。取り付けを含めるとあまり時間がないので」

 

『了解・・・急いで持ってくわ!』

 

 

 試合開始10分前。

 水田は腕時計の文字盤を見ながらそわそわしていた。三吉に()()()()()がまだ来ない。あれが無ければ作戦遂行は困難になる。

 

「お待たせー!!」三吉がの声と共に、トラックがスタート地点に現れた。加藤たちはこの事を知らない。

 

「三吉!?何しに来たのよ!もうすぐ試合始まるよ!」

 

「ごめんごめん。水田くんに頼まれたものがあって。5分あれば大丈夫だから」

 

 三吉はトラックに装備されたクレーンで頼まれたものを引き上げ、ホリ車のエンジン部に下ろした。

 

 

 盛岡校陣営。

 設置されたテントの中に車長が10人集められていた。盛岡校戦車道科隊長、3年生の『(はら)琴音(ことね)』は地図を広げて作戦の最終打ち合わせをしていた。

 

「良い?スタートと同時に8号車と9号車はこの裏道を通って敵の背後に回って。1回戦目の動きからして、敵は恐らく纏まって行動すると思うわ」

 

 原は敵の戦闘データに基づいて作戦を立案する。彼女の観察力と直感は敵の迎撃に大きく役立っていたので、乗員からの信頼は厚かった。

 

「あの・・・敵は纏まって動きはしないと思うよ。偵察班を編成して、動きを見た上で判断した方が・・・」

 

 原の作戦に意見を申し出たのは妹の『(はら)琴葉(ことは)』。1年生でフラッグ車の車長を任されている。それが原因か、周りからはあまり良い目はされていない。

 

「何?隊長の作戦に問題があるとでも?」2年生の車長が威圧的に琴葉に迫る。

 

「い・・・いえ。そんなつもりじゃ」

 

「じゃあ黙って従いなさいよ。どうせ姉の七光りでフラッグ車を任されただけのくせに」

 

「・・・分かりました」

 

 姉の琴音と違い、人と関わるのは苦手だ。それでも戦車道の道を進んだのは、憧れていた姉の背中を追いかけたかったからだ。

 

「とにかく、この作戦で行くから。それと琴葉。フラッグ車を任された以上、余計なへましないでね」

 

 琴葉は黙って頷いた。

 

 

 試合開始1分前。

 延岡校の陣営はスタート地点に到着し、試合開始の合図を待っていた。加藤はホリ車に増設された装備を訝しい目で見ている。

 

「・・・あのさ水田くん。念のために聞くけど、その装備って架空じゃないんだよね?」

 

「ええ、ちゃんと史実にも載ってます。これで多少は敵に対抗出来ます」

 

 信号弾が空高く打ち上げられた。同時に「試合開始!」とアナウンスが流れ、両者一斉に市街地に向かって走り出す。

 水田はスタートと同時に車外に出て、エンジン部に設けられた装備についた。

 

「水田さん。大丈夫ですか?」伊藤が心配そうに水田を見る。

 

「問題ない。織田、良いか?今回はお前の操縦技術がメインだ。止まらず走り続けろ。射撃の方は出来るだけ当てるよう努力してくれ。敵は後ろを取りたがりそうだがな」

 

 水田は停車して敵を待つのではなく、敢えて走り続けることで敵の目を反らそうと考えた。森林と違って敵を振切ることは難しくなさそうに感じたからだ。

 訓練では敵に動きを悟られないように慎重な行動をメインにしていたが、それだとどう動いても追い付かれていた。この方法なら敵に見つかっても振り切れる可能性があったのだ。

 

 

 盛岡校の陣営は、作戦通りに8号車と9号車が裏取りに動いていた。琴音はホリ車が2番目に遅いと考えていた。ティーガーⅠ並みの図体で高速で走るのは不可能と想定していた。

 

「ねぇ。あの日本版駆逐戦車、何㎞出せると思う?」8号車の車長が9号車の車長に話し掛ける。

 

「良くて20㎞ってとこじゃない?だって日本の戦車よ」

 

 この2人もそこまで速く走れるとは思っていないようだ。日本の戦車は軽戦車クラスの大きさで40㎞弱しか出せないものが大半だ。それにあの図体となれば、高速で走るのはより一層難しくなる。

 2輌のM24は裏道を抜けて、敵が進軍していると思われる通りに出た。琴音の予想では、ここでホリ車がまだ走っていると考えていた。

 しかし、そこに戦車は1輌も走っていなかった。想定外の事態に、8号車の車長が琴音に連絡を取る。

 

「こちら8号車。敵はいません。既にこの通りを抜けているみたいです」

 

『そんなわけないでしょ!どこかに隠れてるかもしれないから、ちゃんと探して!』

 

 言われた通り、辺りを警戒しながら進んでいく。だが、地図を見返しても戦車が潜めそうな場所は無い。

 その時、何かが近付いてくる音が聞こえてきた。音からして味方の戦車ではない。角を曲がって見ると、ホリ車が高速で走ってくるではないか!

 

「うそっ!あの駆逐戦車、あんなに速く走れるの!?」

 

「でもチャンスよ!ここで後ろを取れば一気に潰せる!」

 

 8号車と9号車は角から飛び出し、ホリ車に向かって高速で接近する!主砲の攻撃があったがかわしてやり過ごし、クイックターンで車体前部をホリ車に向ける。

 一気に加速して距離を詰めて、後は撃破するだけ・・・のはずだった。

 

 

 琴音が指揮を執る1号車に9号車から連絡が入る。8号車がホリ車にやられたと言うのだ。

 

「はぁ!?何で後ろを取ってやられるのよ!」

 

『それが・・・あいつ、エンジン部に2()()()()()()()()()()()()()んです!8号車の履帯がその機関砲で破壊されて、車体のバランスが崩れたところに掃射されて撃破されました』

 

「機関砲!?裏取り警戒して史実に無い装備搭載したのね!すぐ本部に連絡を」

 

『待ってお姉ちゃん。それはちゃんと史実に基づいた装備だよ』妹の琴葉の声だ。

 

「試合中に『お姉ちゃん』って呼ばないで!それで、史実に基づいてるって?そんなバカなことあるわけ無いでしょ!」

 

『その・・・ちゃんと史実に基づいてるって・・・』

 

「あーもう分かったわ!全車、ホリⅡ型?を集中的に狙って!他は全部無視して良いわ!今回はそのホリⅡ型がフラッグよ!」

 

 

「敵は振り切った!そのまま南進して、加藤隊長と合流する!」

 

 水田はエンジン部の上で揺られながら指示を出している。新装備は思っていた通りの働きをしてくれた。

 エンジン部に増設したのは『2式20㎜高射機関砲』を2連装にした『双連20㎜高射機関砲』と言うもので、旧日本陸軍で開発された対空戦車『ソキ車』に搭載されたものを流用している。

 エンジングリルの上に回転する台座と一緒に取り付けただけだが、これは当たりだった。2輌のM24に後ろを取られたが、20㎜の機関砲が予想以上の効果を発揮した。箱形の弾倉で装弾数が少なくなければ扱いやすいのだが、今のところ不自由はない。

 史実でも対空迎撃用としてこの機関砲を搭載する計画があったので、戦車の撃破には向かないが威嚇用に使えるだろうと考え、三吉に頼んで準備してもらったのだ。

 

「水田さん!正面に敵影!」

 

 秋川からの報告だ。前を見るとM24が束になって接近していた。後ろからエンジン音がしたので振り返ると、別動隊と思われるM24が接近している!

 

「前が4輌、後ろも4輌・・・マズい!敵が集中してるぞ!」

 

 今走っている場所は一本道だ。周りはブロック塀で仕切られ、逃げ場がない。

 

「どうします?敵吹っ飛ばしますか?」

 

「いや待て。神原!合図と同時に左側のブロック塀を撃て!織田!ブロック塀の破壊を確認したら飛び込め!」

 

「飛び込むって、ここ住宅街ですよ!?」

 

「構わん!戦車道で破壊された場合は協会が修理費を補償することになっている!飛び込む場所は使われてない倉庫だ。壊されても問題ないだろ!」

 

 逃れる手段は他に無い。神原が砲身を左に傾けてスタンバイする。その間にも敵は挟み撃ちするように距離を詰めてくる。

 水田は肉眼で例の倉庫を確認した。タイミングを逃すと計画は破綻する。距離が10メートル前後に迫る!

 

「撃てぇ!!」

 

 105㎜砲がブロック塀を豪快に吹き飛ばす。ブロック塀の破片と埃が舞う中、前から来ていたM24をギリギリのところで掠めた。

 破壊されたブロック塀を通過して木製の壁を突っ切り、倉庫内に侵入する。木片が倉庫内に飛び散り、ホリ車のエンジン音が響き渡る。

 流石に振り切れただろうと後ろを振り返る。しかし、まだ3輌が後ろからついてきている。倉庫を飛び出して道に出ると水田はヘッドセットのマイクを手に取る。

 

「こちらホリ車水田!敵が集中攻撃してきています!至急増援を要請!場所はエリア661!繰り返す!場所はエリア661!」

 

『こちら井深。近くにいるからすぐ着けるよ。もうちょっとだけ踏ん張ってねぇ』

 

「なるべく急いでください!機関砲だけでは対応しきれません!」

 

 銃身が車体の揺れでブレるので精度があまり良くない。弾倉1つの弾数は20発で、持ってきた弾倉はあと4つ。無駄撃ちは出来ない。

 後ろについたM24は全く離れそうにない。機関砲で履帯を狙っているが、上手く攻撃を避けて接近してくる。距離が縮まれば敵も味方も攻撃の精度が上がっていく。

 敵の攻撃が徐々に正確になっていった。敵の攻撃が一発車体を掠め、水田は身の危険を察知して車内に戻った。

 

「織田!回避行動を取れ!命中するぞ!」

 

『お待たせー。今着いたよー』

 

 前から砲弾が飛翔し、追手の1輌に命中した。弾道を追うと、砲身から煙を出しているVK45.02(P)が停車していた。

 

「井深先輩ですか?助かりました」

 

『井深だけじゃなくて私もいるぞ!!』

 

 今度はVK30.01(P)が真横を通りすぎ、道を塞ぐように停車した。井深は「私たちが対処するから」と言ったので、水田は任せて先を急ぐことにした。

 

「次はどうします?」織田が次の指示を求める。

 

「ちょっと待て、大分進路がそれたな。えー・・・その角を左に曲がって、暫く道のりで進め。突き当たりで用水路に突き当たるから、そこを右に曲がれ」

 

 水田は指示を出した後、再び銃座に戻って辺りを見渡した。敵は見当たらない。井深と盛田が進軍を止めてくれたお陰だ。

 その時。嫌な音が空から轟いてきた。見上げてみると分厚い雨雲が空を覆い、今にも雨が降りそうだった。

 

「ああ・・・嫌な天気だな。こういう時に限ってろくなことにならない」

 

 雨嫌いな性格は前世の引田から引き継がれているらしい。更に言えば、現世で生きる水田にとって、雨が降りそうな天気はろくなことが起きない前触れのようなものだった。

 

『もしもーし。こちら井深。敵の進軍食い止めたと思ったんだけど、すぐ撤退して裏通りに逃げちゃった。もしかしたらそっちに行っちゃったかもしれないわ』

 

「・・・了解です」

 

 水田は軽く溜め息を吐いた。

 何となく予想はしていたが、まだ諦めていないらしい。この試合はフラッグ車を先に撃破した方が勝ちだ。周りの敵を全て倒さなくても問題はない。

 

「周囲の警戒を怠るな。倉庫で振り切った連中も俺たちを探しているだろう。味方との合流ポイントに急ぐぞ。雨も降りそうだしな」

 

 そう言った直後。

 雨雲からポツポツと雨水が降ってきた。始めは小雨程度だったが徐々に勢いを増し、急に大雨となった。

 

「くそっ。弾薬が濡れないように注意しないと・・・ん?」

 

 雨のせいで視界が悪くなり、何かが接近していることに気付くまで時間が掛かった。目を凝らすと、砲弾が目の前で着弾した!

 

「敵だ!さっきの連中が来たかもしれないぞ!」

 

 怒号に車内の緊張感が一気に高まる。

 水田は機関砲を掃射しながら、敵の現在位置を探ろうと目を凝らしていた。しかし、予想以上の悪天候に敵の場所を探るのは困難を極めた。

 敵が発砲した位置から特定しようにも撃つ場所を変えて特定しづらくしていた。厄介な敵が来たと水田は確信した。

 

「織田。ブレーキだ!一気に距離を縮めて敵を見つける!」

 

 指示を受けた織田はすぐに足を置き換えてブレーキペダルを目一杯踏み込む。雨水の影響で車体が滑り、すぐペダルを離した。

 再び前進し始めたと同時に、追ってきた敵の姿が確認できた。車体後部に赤い旗を掲げているM24だった。

 

 

「あーもう!敵に居場所がバレた!」

 

 砲手から報告を受けた琴葉は、「距離を維持しつつ機関砲を叩くように」と指示した。後部に付けられている武器を排除すれば、後々迎撃がやりやすくなるからだ。

 

「何言ってんのよ!今ここでエンジンを叩けばそれで良いじゃない!」

 

 砲手は琴葉の言ったことをあっさり聞き流してしまった。琴葉は「それじゃだめ」と言おうとしたが、既に手遅れだった。

 機関砲が自車を狙って攻撃を始めた。居場所が分かったのだから当然の判断だろう。

 

(何でみんな言うことを聞いてくれないんだろう・・・私って、そんなに信用出来ない存在なのかな・・・)

 

 フラッグ車の車長に任命されてから、周りの態度が冷たくなった。いや、琴音の妹だとクラスメイトに知られた時から周りは冷たかった。

 姉の琴音は西沢姉妹程ではないが『優秀な指揮者』として有名だった。そんな琴音の背中を追いかけてきただけなのに、琴音は戦車道を始めた琴葉を何故か毛嫌いしていた。

 同じ高校に進学すると言った時に見せられた冷血な目は、今も脳裏にしっかり刻まれている。

 

 

 水田は最後の弾倉を機関砲にセットした。これで残弾は40発となる。水田は再び車内に怒号を上げた。

 

「こっちの弾薬は残り僅かだ!これ以上は持ち堪えられないぞ!」

 

 抵抗と攻撃が繰り返される一本道。

 その先で、用水路の水位が徐々に上がり始めていた・・・



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第十一話 水田の違和感

前回のあらすじ

第2回戦を控える延岡校。
そんな中。水田は市街地戦という、初めて戦う戦場でどう立ち回るべきかで悩まされていた。そんな時に加藤からフラッグ車の車長に任命される。色々と悩んだ末。水田はホリ車にまだ搭載出来る装備品の存在に気付く。

試合当日。開始直前に新装備の『双連20㎜高射機関砲』を搭載して試合に挑む水田。高射機関砲の威力は想像以上の威力を発揮した。
敵はフラッグ車であるホリ車に集中し、一度振り切ったと思われたが、今度は敵のフラッグ車がホリ車の追撃を開始。機関砲の弾が徐々に減っていく中、別の脅威が迫っていた・・・


「うわぁ・・・結構降ってきたね」

 

 加藤が空を見上げながら呟いた。

 ルノー乙型の現在位置は用水路の上流側。ここでホリ車と合流する手筈となっていた。

 用水路は徐々に水位が上がり、穏やかだった流れが濁流となってその姿を変えていた。

 

「合流場所、変えた方が良いんじゃない?」

 

「そうね・・・ここじゃマズいかもしれないし」加藤はいつになく真剣な表情でヘッドセットを手に取った。

 

 

 会場の観客たちはどしゃ降りの中、傘を差して観戦していた。大型のモニターにはフラッグ車同士のカーチェイスが映し出されている。

 こんな状況でも観戦しているのは、ホリ車の機関砲で戦う水田とそれを追い掛けるM24という、これまでの戦車道の試合では見ることが無かった光景に盛り上がっていたからだ。

 

「あのM24。何で機関砲潰さないのかしら」

 

「生身の人間がいるからでしょ。下手したら大怪我だけじゃ済まないわ」

 

 周りが盛り上がっている中、冷静に試合の分析をしている女子生徒がいた。西沢姉妹だ。宇都宮校は既に2回戦を突破し、準決勝に駒を進めている段階だった。

 試合まで暫く期間が空くので、花蓮が延岡校の試合を見たいと言って現在に至る。麻美は興味無かったそうだが、暇だからという理由で付き添いとして付いてきていた。

 

「後部に機関砲を載せるとはね。中々斬新なアイデアじゃない?」

 

「どうでも良いわ。あの戦車がフラッグ車になっている時点で負け確定みたいなもんじゃない」

 

 興味なさげにモニターを見る麻美に対して、花蓮はホリ車の動きを見逃さないように目を据えた。

 

 

「織田ぁ!もっと飛ばせないのか!追い付かれるぞ!」

 

「この雨の中でこれ以上飛ばしたらスリップしますよ!なるべく応戦してください!」

 

「残弾が無いって言ってるだろ!」

 

 どしゃ降りの中で機関砲を撃つ水田の怒号が市街地に木霊する。着ている戦闘服と履いているブーツは雨水でぐしょぐしょになっているので動きづらくなっている。そんな中で機関砲を撃ちまくっていたが、遂に弾が切れてしまった。

 

 もうこれ以上応戦することが出来ないので車内に駆け込み、濡れた手で地図を広げて現在位置を再確認する。

 このまま進めば用水路に行き当たるが、そこまで逃げ切れる状態ではなくなった。指で現在走っている場所を辿っていくと、50メートル先に左に反れるルートがあった。

 左に反れて進んでいくと、丁度市街地の中心点に突き当たる。そこから右に曲がって進んでいけば再び用水路に行き着くことが出来る。

 

「織田!ルート変更だ!50メートル先に左に曲がる道があるからそこに飛び込め!」

 

「50メートル先を左ですね?了解、掴まって!」

 

 アクセルを目一杯踏み込んで限界ギリギリまで加速する。車内で立っている水田はよろけてこけそうになった。

 

「おい!これ以上加速したらスリップするんじゃなかったのか!」

 

「そのスリップを利用するんですよ!ほら来ましたよ!」

 

 水田が指示した左折するところまであと10メートルを切った。後ろで追っているM24は後数メートルの距離まで迫っている!

 ここで急ブレーキを掛けて左側の操縦レバーを限界まで倒す。車体は左に傾いて横滑りし、車内は悲鳴が響き渡る。そんな中でも織田はニヤッと不適な笑みを浮かべている。

 横滑りの影響で履帯が今にも切れそうになる。織田は道を捉えるとすぐアクセルペダルを踏み切って加速し、車体は前へ前へ進もうとする。

 履帯は地面を捉えきれず滑っている。ここでアクセルを一旦緩めて速度を落とし、操縦レバーから伝わってくる感覚で履帯が地面を捉えたと確信すると、再び目一杯アクセルを踏み込む。すると徐々に前進し始め、角を曲がって抜け道に飛び込めた!

 

「よっしゃぁ!どうですか!私の操縦技術!」

 

 誇らしげにガッツポーズを決める織田に対して、水田はふらふらになりながらこう言った。

 

「織田ぁ!二度と人が乗っている時にするな!!」

 

 

 ホリ車に逃げられた琴葉は、すぐ地図を見返して敵がどう逃げるのか詮索した。

 敵の動き方からして、あの左折は予定外の行動だと推測した。さっき曲がった場所以外でも曲がれた場所は幾つもあった。つまり、元々曲がる予定は無かったということだ。このまま直進した場合、行き着く場所は用水路だ。

 理由は分からないが、ホリ車は用水路を目指していたということになる。琴葉は無線機を手にとって、姉の琴音に連絡した。

 

『・・・で?逃がしたと言うわけ?』

 

「いや、その・・・車体を横に滑らせながら曲がって行っちゃったから追い掛けようがなくて・・・」

 

『寝ぼけた事言ってんじゃないわよ!見つけたらすぐ連絡しなさいよ!!』

 

「で、でも・・・」

 

『でもじゃない!通信切るわよ!』

 

 スピーカーから乱暴にマイクを叩きつけるような音がしたと同時に無線が切れた。琴葉は車内無線でこう告げた。

 

「・・・次の角を左に曲がって直進して。そうすれば、ホリ車に追い付ける」

 

 誰が見ても分かる程の放心状態だった。取っ手は掴んでいるが、車体の揺れに合わせるように体が揺れている。

 しかし、他の乗員はそんな琴葉に目もくれず、自分の作業を全うしていた。

 

 

 M24を振り切ったホリ車はそのまま直進し、市街地の中心点に向かっていた。

 水田はその間にタオルで手と頭に付いた雨水をガシガシと擦りながら拭き取っていた。着ている戦闘服は水辺で泳いできたように雨水が滴り、足元に小さな水溜まりが出来ている。

 

「大分進路が逸れた・・・加藤隊長に連絡しないとな」ヘッドセットを取ってマイクを口元に近付ける。

 

「こちら、ホリ車水田。加藤隊長、どうぞ」応答を求めたがスピーカーからは雑音しか聞こえてこない。

 まさかと思い、キュウポラから頭を出して後ろを見た。そのまさかは当たっていた。通信用のアンテナが折れていたのだ。恐らく倉庫を突っ切った時に折れたのだろう。

 

「全員、そのままで良いから聞け。無線用のアンテナが折れた」

 

「えっ!?じゃあ味方と交信出来ないってことですか!?」

 

「落ち着け秋川。アンテナが折れたとなると、交信出来る範囲も狭まる。取り敢えず、加藤隊長との合流ポイントに移動するぞ」

 

 今出来ることはこれしかない。近くに味方がいないかとも考えたが、この状況ではその望みも薄いだろう。

 暫く直進していたホリ車は、敵の目を警戒して何度かルートを変更し、用水路へ向かうルートに戻ったのはそれから10分近く経ってからだった。

 近くに味方がいないかと思い、交信を試みたが返答は返ってこなかった。水田は予定通りの作戦で行動すると告げた。

 雨は更に勢い増している。測距儀を通して外を見ると、雨水でレンズが濡れていた。少し違うが、あの時と状況が似ている。67年前の、あの時と・・・

 

「まるで、67年前に戻ったような気分だな」水田の一言に伊藤は目を丸くした。

 

「67年前、ですか?」

 

「あの時の夜の事だ。こんな感じで雨が降ってただろ?」

 

「・・・そんなことありましたか?」

 

「戦死する直前だ。こんな感じだっただろ?」

 

「水田さん・・・何言ってるんです?」伊藤はきょとんとした目で水田を見た。流石の水田も、これは冗談ではないと察した。

 

「お前、覚えてないのか?インパール作戦遂行中に・・・

 

 その時だ。

 ドンッと強い衝撃が車内に伝わってきた。至近弾が爆発したのだ。外を見て後ろを確認すると、さっき振り切った筈のフラッグ車のM24が追い付いてきたのだ。

 

「敵が来たぞ。さっきのM24だ。振り切れるか?」

 

「ドリフトしても良いならいけると思いますよ?」

 

 織田が再び不適な笑みを浮かべる。水田は「またか」と思わせるように深い溜め息を吐く。

 ドリフトには懲りたばかりだが、もっと重大な問題がある。履帯に掛かる負荷が大きいのだ。横に力が掛かるので次にやったら切れる恐れがある。

 

「そのやり方だと履帯が切れるんじゃないのか?」

 

「大丈夫ですよ。雨で路面が濡れてるんで、スケートでもする感覚でいけますって」

 

 事の重大性を理解しているのか、淡々とした口調でドリフトを薦めてくる。しかし、この状況では最も有利な方法とも言える。

 角を曲がるときに減速すれば、その間に距離を詰められてしまう。ドリフトで車体を滑らせれば、減速すること無く曲がれる・・・追手は更に距離を詰めてくる。これ以上迷っている余裕は無い。

 

「・・・お前の操縦に任せる」

 

 水田は一言だけそう告げた。

 織田は頷くと、アクセルペダルを一気に踏み込んだ。エンジンが猛獣のように唸り声を上げて、速度計の針が徐々に上がっていく。

 用水路のガードレールが見えた。距離は後50メートル弱と言った所だろうか。織田の目が険しくなり、操縦レバーを握る手に汗が滲んだ。

 後10メートル!ここで右のレバーを一気に引く!金属が擦れる音が車内に響いた。車体は右に傾き、氷の上でも走っているように車体が滑っていく!

 タイミングを合わせて右のレバーを前に倒す!履帯は雨水のせいで空回りを起こしたが、地面を捉えて車体を前に押し出そうとする。一瞬マフラーがガードレールを掠めたが、織田は態勢を立て直して前進させた!

 

 

 雨音をかき消すような金属音が響き渡り、呆然と突っ立っていた琴葉がハッと我を取り戻した。

 外を見るとホリ車が先程見せたドリフトで角を曲がっていた。この場面を見た琴葉の脳裏に、嫌な予感を感じた。このまま行けば、ガードレールを飛び越えて用水路に落ちてしまう!

 

「操縦手!ブレーキ!早く!!」

 

 操縦手はブレーキペダルを思いっきり踏みつけて減速を試みた。車体は水面を走るように滑り、ガードレールに突っ込んでいく!

 

「衝撃に備え!!」琴葉の叫び声が響く。車体は勢いが付いたままガードレールに突進したが、突き破ることはなくビリヤード玉のように弾き出された。

 車体はブロック塀に衝突して更に弾かれ、車体後部がガードレールを突き破って漸く停車した。車体は用水路側に傾いている。

 

 

 凄まじい音がしたので後ろを見ると、M24の車体後部がガードレールを突き破って用水路側に傾いていた。その様子を見ていた水田は停車するように指示し、ホリ車を降りた。

 

「水田さん?何してるんです?」

 

「決まってるだろ!救助するんだ!伊藤!ワイヤーを用意しろ!織田はそのまま後退!神原は休戦旗を出せ!青い旗だ!秋川は俺と一緒に来い!」

 

 指示を出し終わると早足で駆け寄った。ガードレールとブロック塀に衝突したせいで車体は前が軽く凹み、転輪は1つが欠けていた。まだ白旗が上がっていないのは、辛うじてエンジンが動いているからだろう。

 

「おーい!聞こえるかぁ!引っ張るから動くなよぉ!」

 

 M24の乗員たちは朦朧とする意識の中で誰かの声を聞いた。乗員の保護を第一に設計されているお陰か、衝撃で気絶しているだけで怪我人はいなかった。

 ホリ車を前に付けると、水田と秋川がワイヤーで2輌を繋ぐ。シャックルが掛かった事を確認すると、秋川が前進の合図を送る。

 ワイヤーが張り、ゆっくりとM24を引いていく。履帯がスリップするが、アクセルワークで切り抜ける。

 

「水田さん!敵です!真正面!!」

 

 伊藤が叫ぶ。言われた方角を見ると、4輌組のM24が迫っていた。水田は「交戦はするな」と諭し、「救助に専念するように」と指示した。交戦する意志が無いと示せば攻撃してこないだろうと思ったのだ。

 しかし。その思いを叩き壊すように敵は攻撃を仕掛けてきた!まさかの事態に水田と秋川は急いで車内に戻る。

 

「くそっ!秋川!あのM24に通信を繋げろ!休戦旗が見えてないんだ!」

 

 秋川はヘッドセットを付けると無線機に手を掛け、周波数を変えながら交信を試みた。

 

「ダメです!繋がりません!」

 

「なら加藤隊長に繋がるか試してくれ!この用水路の上流側で待機してる筈・・・

 

 バキンッ!

 鈍い金属音が車内に響き渡った。その直後、車体が後ろに引っ張られ始めた。織田が青ざめた顔で操縦レバーを動かしている。

 

「履帯が切れました!!多分・・・両方です!!」

 

「脱出だ!!急げ!!」織田は脱出までの時間を稼ぐためにサイドブレーキを限界まで引いた。その間にも徐々に用水路に落ちていく。

 先に織田と秋川が飛び降り、次に神原と伊藤が飛び降りた。その直後、2輌の戦車は高い水柱を上げながら濁流の中に落下した。

 

「あれ?水田さんは!?」秋川が周囲を見渡す。水田の姿がない!

4人は用水路に近付いてホリ車を見る。

そこにはキュウポラから上半身を出し、濁流を凌いでいる水田の姿があった。

 今のところホリ車は車体の下半分が、M24は砲塔の下半分が水に使っている状況だった。

 

「水田さん!?何やってるんですか!!」

 

 秋川が呼び掛けるが、水田は応答しない。体にロープを巻き付けた後、ヘルメットに端を結んで叫んだ。

 

「お前ら!このロープを受け取れ!!」ヘルメットを勢い良く投げると、ロープも一緒に飛んでいく。4人がロープを掴むと、ホリ車の天板に立って再び叫ぶ。

 

「良いか!?今からM24に飛び移る!そのロープを離さないようにしっかり握っとけよ!」

 

 濁流の勢いで車体が揺れる。水田は天板の上で加速し、右足で思いっきり蹴って飛び出す!ギリギリで足がM24の天板を捉えた!滑らせて転びそうになるが、何とか立て直してキュウポラに駆け寄り、蓋を開けた。

 

「おい!大丈夫か!!」車内には虚ろな目で水田を見る車長らしき人と、砲手席に1人、装填手と思われる女子生徒が気絶していた。

 

「・・・あ、あなた・・・ホリ車の機関砲を撃ってた・・・ここで何を・・・?」

 

「良く聞け!俺は水田隼!ホリ車の車長だ!俺たちは用水路に落ちた!雨のせいか水流が早い!乗員は何人居る!?」

 

「・・・5人。操縦手と前方機銃手が前に・・・」

 

「分かった!悪いが、乗員たちを起こしてくれ!俺が入ったら動けなくなるからな!それとあんたの名前は!?」

 

「・・・はら・・・原、琴葉・・・車長」

 

 水田が呼び掛けている時。秋川たち4人はロープを掴んで様子を見ていた。すると撃ってきたM24が近づき、乗員達が降りてきた。

 

「あんたたちバカじゃないの!?お陰であんたらの仲間が彼処に落ちたのよ!!」

 

 織田がホリ車とM24を指差しながら怒鳴る。その直後、ルノー乙型が到着し、加藤が慌ただしく降りてきた。

 

「ちょっ何があったの!?」秋川が事情を説明する。

 

「フラッグ車のM24が落ちそうになって救助していたんですけど、ホリ車の履帯が切れて一緒に落ちたんです!今水田さんが向こうに!」

 

「嘘でしょ!?救助隊は呼んだの!?」

 

「まだです!」

 

 事情を理解した加藤はルノー乙型に戻って本部に救助隊の要請と、他の味方に集合するように言った。救助隊は既に出動したというが、到着まで時間が掛かるという。加藤はガードレールに手を付いて水田に向かって叫んだ。

 

「水田くん!救助隊が来るまで持ち堪えられそう!?」

 

「そんなの待ってたら流されます!!今から救助します!お前ら!今から救助者をロープで結ぶ!合図を確認したら思いっきり引け!」

 

 車内で気絶していた乗員は琴葉が起こし、事情を説明してくれた。乗員全員が砲塔内に集まると、水田が「1人ずつ救助する」と言い、自分を繋いでいたロープをほどき、救助者に巻き付けてきつく縛った。

 

「絶対ロープから手を離すなよ。良いぞ!引けぇ!!」

 

 水田の合図を聞いて4人が一気に引いて繰り寄せていく。引き寄せるとすぐに秋川と伊藤がロープをほどき、織田と神原が救助者の介護をする。

 ほどいたロープはすぐに水田の元に投げ返され、受け取った水田は次の救助者にロープを巻き付ける。確認したら合図を送って引っ張って貰う。これを繰り返し、何とか4人を救助した。

 最後の1人は車長の琴音だ。水田はロープを受け取り、琴葉と一緒に巻き付けて縛り始めた。2人同時に脱出する算段だ。

 

「よし・・・行くか」そう呟き、引いて貰うように合図を送ろうとした・・・が、何か違和感を感じた。あれだけ荒れていた水流が少し穏やかになっている。雨はまだかなりの量で降っているに、これはおかしい。

 

「水田さん!!急いでください!!鉄砲水です!!」

 

 秋川が上流側を指差しながら叫ぶ。津波が迫ってくるような威圧感だ。今から引いて貰っても間に合わない。

 

「ロープから手を離せ!巻き込まれるぞ!!」

 

「何言ってるんですか!そのまま置いていけませんよ!!」

 

 秋川たちが引こうとした瞬間。水田はロープをほどいて琴音と共にホリ車に移った。

 その直後。濁流がホリ車とM24を飲み込み、一瞬だけ姿を消した。水が引き、2輌の戦車が姿を見せたが水田と琴葉の姿は見えない。

 この時。秋川たちに過ったのは考えたくもない最悪の結果だ。水に流され、消えた。漸く到着した延岡校の生徒たちは、何が起こったのか理解するまでに時間が掛かった。

 盛岡校の生徒たちも、何も言わず用水路を眺めている。井深が加藤に近寄って声を掛ける。

 

「何が・・・あったの?」

 

「・・・水田くんがあのM24の乗員を救助してたの。後1人ってところで・・・水が・・・」

 

「あ・・・ああ・・・あああああああ!!!」

 

 突然1人の女子生徒が絶望の淵に立たされたように泣き出した。と思ったら、用水路に向かって駆け出して飛び込もうとした。そこを秋川が両脇を抱えて止めに入った。

 

「ちょっ!何やってんですか!!」

 

「離してぇ!!あのフラッグには・・・琴葉が・・・妹がぁ!!」

 

「妹!?まさか、水田さんと一緒にいた人ですか!?」泣き叫んでいたのは盛岡校の琴音だった。琴音はこくこくと頷き、ヘナヘナと座り込んでしまった。

 

「妹って。だったら何で私たちを攻撃したのよ!!あんたのせいで水田さんが・・・私たちの隊長が!!!」

 

 織田が琴音の胸ぐらを掴んで殴り掛かりそうになったので、秋川たちが止めに入り無理やり引き剥がした。何とか宥めようとするが全く聞き入れようとしない。

 

「おい!ホリ車のハッチが動いてるぞ!」

 

 盛田がホリ車を指差した。すると、ハッチが開いて水田が顔を出した!軽く咳き込みながら手を振っている。

 

「誰か・・・ロープ投げてくれ!原車長も一緒だ!早く!!」

 

 

 

 30分後。

 水田たちは会場に戻っていた。気付けば雨は止んでいたが、まだ空は雲で覆われている。

 本部の方はどちらかの勝利とするか、引き分けとして後日もう一度再試合とするかで審議している。

 両者のフラッグ車が水に浸かったせいで白旗を上げる『判定機』が故障してしまい、正確な判断が出来ないというのが理由だ。

 

 状況的に見て、あの時点で盛岡校のフラッグ車は戦闘不能に近い状態だった。対して延岡校のフラッグはまだ戦闘可能な状態だったという意見が1つ。

 あの時点でまだ両者とも戦闘可能な状態だった。両者ともほぼ同じタイミングで用水路に落下し、どちらが先に戦闘不能となったか正確に判断が出来ないので、ここは後日再試合とすべきという意見が対立している。

 

 そんな中。水田は三吉と一緒に回収されたホリ車のエンジンを見ていた。水田はまだ水が滴る戦闘服を着用したままだった。

 ホリ車は水田が救助された後で引き揚げられたのだが、エンジンを含めた重要な箇所が水に浸かってしまった。

 履帯には流された石や泥が詰まり、枝まで引っ掻けていた。砲身にも水が入ってしまい、内部はゴミだらけになっている。

 点検口を開けてエンジンを引っ張り出したところ、泥や木葉が混じった水が出てきた。これを見た三吉は一目見て顔をしかめた。

 

「あー・・・確実にエンジンに水入ってるわ。エンジンだけじゃなくて電気系統も全部やられてるだろうし、全部修理するなら1週間、いや10日・・・かな」

 

「・・・そうですか」

 

「ところで。加藤から聞いたんだけど、水に飲み込まれる直前にホリ車に戻ったんだってね。何で?」

 

「普通の戦車と違って水の侵入箇所が少ないと思ったんです。砲塔が無いんで、M24に戻るよりは安全かと。ホリ車の後部に空薬莢を捨てるためのハッチがあって助かりました」

 

「水田さん。ちょっと・・・」秋川がそっと近付いて話し掛けてきた。「加藤隊長が呼んでます。話があるって」

 

 

 秋川に連れられ、作戦会議用のテントの前まで来た。中に入ると、加藤と盛岡校の制服を着用している女子生徒が2人立っていた。その内の1人は、先程水田が助けた琴葉だった。

 

「お。来たね。こちら盛岡校隊長の原琴音さん。私と水田くんに話があるって」水田は2人を見て軽く会釈する。

 

「・・・それで、話とは?」質問すると、琴音が一歩前に出て頭を下げた。

 

「あなたたちには本当に申し訳ないことをしたわ。味方を救助していたのに攻撃してしまった・・・休戦旗の存在に気付けなかった私のミスよ。それと、あんな危険な状況だったのに・・・妹たちを助けてくれて、本当にありがとう」

 

 琴音の顔から1粒の涙が溢れ落ちた。それを見た水田は少し焦りながら言った。

 

「いや、その・・・顔を上げてください。もう終わった事ですから」そう言うと琴音は顔を上げて、加藤の方を向いてこう言った。

 

「本部が私たちの再試合を審議してるのは知ってるわよね?」

 

「ええ。それが何か?」

 

「その事何だけど、私たち盛岡校は今回の試合を辞退することにしたわ」

 

「ええ!?辞退って、そこまでしなくても」

 

「いいえ。私はそれだけのミスを犯した。こんな状況で準決勝に挑めない・・・これが罪滅ぼしになるとは思ってないわ。次の試合、頑張って」

 

 琴音はまた頭を下げ、琴葉を連れてテントを出ようとした。

 

「あまり自分を責めないでくださいよ」水田が呼び止めるように話し掛ける。

 

「自分は責める気無いですけど、あなたがその調子だと今回の一件を気にしすぎるんじゃないかと心配になります。余計なお世話でしょうけど、あなたは隊長だ。その調子でいたら他の生徒たちの士気に影響しますよ」

 

「・・・分かったわ・・・ありがとう」

 

 水田は手を差し出した。琴葉はその手を握り返し、涙を流しながらも笑顔を見せた。

 

 

【平成24年5月12日 雨

 久々に命の危険を感じた。戦場で感じる危険とはまた違う物があると初めて知った。戦場だとまだ生き残れる可能性があるが、自然が相手だとその可能性が低くなるからかもしれない。

 対戦相手の盛岡校は試合を辞退した。隊長の原琴音は、今回の事を特に気にしていた。妹を危険な目に遭わせてしまった事をかなり悔やんでいるのかもしれない。あまり気に病まないことを祈るばかりだ。

 そして今日、妙な事に気づいた。装填手の伊藤がインパール作戦の事を忘れていた。いや、覚えがないと言った方が正しいかもしれない。そんな事など無かったと言っているような素振りだった。

 そこまで気にする事では無いかもしれないが、どうも引っ掛かるので書き留めて置こうと思う。あの時の記憶は、そう簡単に忘れられるものでは無いからだ・・・】



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第十二話 スケバンの戦車乗り

前回のあらすじ

大雨が降る中で続く試合。ホリ車は敵のフラッグ車、M24に追われていた。
振り切ったと思ったらまた追い付かれを繰り返していく最中、M24が操縦ミスでガードレールを突き抜けて用水路に落下寸前の状態に陥った。

それを見た水田は試合を中断し、救助すると指示した。ワイヤーで互いを繋ぎ、引き寄せようとしたが、度重なるトラブルが原因で2輌は用水路に落下。
水田は車内に留まり、M24に残された乗員の救助に当たった。ロープを使って1人ずつ救助し、何とか全員救助することに成功する。

盛岡校の隊長、原琴音は水田と加藤に対し、「こうなったのも全て自分のミス。だから今回の試合は辞退する」と告げた。延岡校は約数年振りに準決勝へ駒を進めることが出来たのだが・・・


【5月14日 晴れ

 昨日、ホリ車の修復作業が始まった。始まったといっても、まだ部品が届いていないので手を付けられる所から手を付けている段階だと言っていた。

 整備班からは、「珍しい戦車なので部品の調達が難しいが、こう言った戦車の部品を扱っているアテがあるから」と言われたので、またすぐ乗ることが出来るだろう。

 折角なので、今日は乗ってみたかった戦車に乗ってみようと思う。例のパンターだ】

 

 今日は朝から戦車道の訓練をすることになっている。

 生徒たちが準備を進めていく中、格納庫の前で水田が加藤に頼み事をしていた。ホリ車が修理中の今だからこそ、やりたいことだったのだ。

 

「『Ersatz(エラザイツ)M10』に乗りたい?あれの事?」

 

 加藤が視線で示す先に、その戦車は停車している。訓練で射撃用の的として使用されているが、訓練そのものに参加したことはない。

 

「乗るのは良いけど・・・水田くん戦車の操縦出来るの?」

 

「操縦訓練はシミュレーションを終えてますし、これまでも何度か操縦に携わった事があります」(前世での事だが)

 

「うーん・・・グランド1周するぐらいなら良いよ」

 

 加藤から鍵を受け取り、早速パンターに向かった。いざ目の前にすると、これが第二次世界大戦時に使用された戦車なのかと思わず愕然としてしまう。

 自分で調べてみた所、このパンターは違う顔を持っている事が分かった。

 

 ドイツ陸軍にて使用された中戦車『ErsatzM10』。またの名を『M10偽装パンター』と呼ぶ。この戦車が誕生した経緯には、とある作戦を遂行するために必要とされたからだった。

 

 バルジの戦いの最中。米英軍に変装して潜入を図る『グライフ作戦』という偽旗(ぎさき)作戦が立案された。

 目標はミューズ川に掛かる橋を破壊。更に戦線後方に侵入、間違った命令を流し、連合軍に混乱を引き起こす事だった。

 

 この作戦を遂行すべく、様々な奇襲作戦や極秘作戦に従事し、『ヨーロッパで最も危険な男』と呼ばれた『オットースコルチェニー中佐』率いる『第150装甲旅団』が編成され、作戦を遂行することになった。

 

 旅団はアメリカ英語が話せる兵士を選抜。更に米軍の戦車15輌。装甲車、自走砲20輌。ジープ100台。オートバイ40台。トラック120台。個人装備の鹵獲品を集めていた。

 しかし調達数は必要数を大きく下回り、戦車は状態が悪いM4シャーマンが2輌だった。

 

 そこでスコルチェニーは、5輌~10輌のパンターG型に追加装甲板を付けて、米軍の駆逐戦車『M10』に偽装させて調達数を稼ごうとした。

 砲塔、車体前面、側面に18㎜~19㎜の軟鉄製の偽装車体を取り付け、キュウポラを撤去。塗装は米軍同様のオリーブドラブ、白星の国籍マーク。第5機甲師団第10連隊風の車体ナンバーを書き込んだ。

 遠目で見ればM10と見間違えてしまう程で、これには米軍の情報局も、そのリアルさに驚かされた。

 この偽装を見抜くのは味方でも容易ではなかったため、識別しやすくするため、車体後部に黄色い三角のマークを付けて、砲身を9時の方向に向けることとされた。

 

 装備品以外にも問題があった。慣用句やスラングを使いこなして喋れる兵士が少なかったのだ。他の兵士は話すことは出来るものの、慣用句やスラングを使いこなして喋れるまででは無かった。

 そこでスコルチェニーは旅団の規模を縮小し、英会話に秀でた兵士を150人選出して『シュティーロウ部隊(EinhitStilau)』という特務部隊を再編成。ErsatzM10もこの部隊に配備された。

 

 作戦決行となったが、旅団は従軍の大渋滞に巻き込まれ先行することが出来ず、ErsatzM10はマルメディー市街地の強襲用として使用される事になったが、米軍の守備隊の待ち伏せ攻撃に遭い、地雷やバズーカ砲によって4輌が失われた。

 

 この作戦に関しては連合軍も察知しており、「ドイツ軍が英語を話せる兵士を集めている」という情報が耳に入っていた。

 この情報に対して、米軍憲兵隊は『偽のアメリカ兵』を見つけ出すために急遽検問所を多数設置し、この影響で供給が大きく滞った。

 更にドイツ兵の個人装備を身に付けていた味方が敵と間違われて射殺されたり、英軍の元帥や米軍の将軍が敵の変装と間違われて勾留されるなど、米軍の間で混乱を招くことになった。

 結果的に見れば部隊が活躍することが無かったが、米軍はこの作戦に踊らされてしまったのであった。

 

 水田は改めて間近でErsatzM10を眺めた。車体は鮮やかなオリーブドラブで塗装され、砲塔の側面には国籍マークの白星が描かれている。

 そして車体側面には、何故かワインレッドのドクロマークが描かれている。この戦車に乗っていた生徒が描いた物だろうか。

 

「水田さん?何やってるんです?」戦闘服に着替えた秋川が話し掛けた。

 

「今からこの戦車に乗ろうと思ってたところだ。丁度良い。お前、車長やれ」

 

「ええ!?い、いや、そんな急に言われても」

 

「外の状況を教えてくれればいい。操縦席の位置からじゃ周りを把握出来ないからな」

 

 戸惑う秋川を置いて、水田はさっさと操縦席に座った。操向レバーを触って感触を確かめ、通信機のスイッチを入れる。

 

「秋川。配置に就いたか?」

 

「就きましたけど・・・本当にやるんですか?」

 

「構わない。このまま戦闘訓練に参加する訳じゃないんだから、そう身構えるな。行くぞ」

 

 イグニッションキーを捻ると、格納庫内でエンジンの力強い音が轟いた。アクセルを数回吹かし、ギアを入れてゆっくり前進する。

 

「水田さん・・・ドイツの戦車なんて操縦出来たんですね」

 

「戦車の構造はどの国でも大体同じさ。M3軽戦車も乗り回していた事があったからな」

 

 格納庫から出ると、水田はギアを上げてどんどん加速していった。ホリ車同様、重量があるからか加速は重い。アクセル全開でもエンジンの唸り声に対して中々加速しない。

 

「そんなに吹かして良いんですか?凄い音してますけど」

 

「重量があるからな。これぐらい吹かさないと加速しないんだ」

 

 スピードメーターの針がが30㎞を指す。ここでギアを3速に上げて更に加速させる。スピードに乗り始めたのか、徐々に加速していく。ギアを4速に上げて更に加速させる。スピードメーターが50㎞を指した。

 

「水田さん!前!前!カーブ!!カーブが!!」

 

 秋川が危険を知らせたが、水田は減速どころか更に加速させ、カーブに向かって突っ込んでいく。

秋川が悲鳴を上げるが気にしない。カーブに差し掛かるとギアを3速に落として減速させ、左のレバーを引いて車体を横に滑らせた!

 車内に横Gとエンジンが唸る音が響き渡る中、水田はギアを上げてアクセルを再び全開で吹かす。遠目で見ていた生徒たちは戦車のドリフト走行に圧巻されていた。

 

 その様子をスマホで撮影している生徒がいた。ErsatzM10が格納庫へ戻っていく様子を睨み付けるように見ている。撮影を終えると走り出して校舎裏にある部活棟に向かっていった。

 長屋のような造りで、体育会系の部活で使用している部屋が幾つかある中。一番端にある部屋に駆け込んだ。数年前に廃部となった部屋で、今は誰も使わない物置部屋と化してた。

 

「リーダー!これ見てくださいよ!」

 

 スマホの画面には、水田が操縦するErsatzM10がドリフト走行している様子が映し出されていた。

 

「こいつら、今年入ったばかりの新入生です。特例で戦車道の出場を認められた例の男子2人組ですよ!」

 

「・・・ふーん。良い度胸じゃないか。しかもこんなドリフトまで決めちゃって。あんたたち、分かってるよな?」

 

 

 昼休みになり、水田と秋川が早めに昼食を済ませて第二格納庫に向かっていた。ホリ車の修理状況を確認するためだ。

 

「水田さん・・・いくらなんでもパンターでドリフトしないでくださいよ。ただでさえ車高が高いんですから、下手したら横倒しですよ。おまけに原田副隊長から説教されましたし・・・」

 

 格納庫にErsatzM10を戻した後。「あんな危険走行をするんじゃない!」と原田からこっぴどく叱られた。

秋川は全く関係無かったのだが、連帯責任を問われて一緒に説教されたのだ。

 

「まぁそれに関しては悪かったと思ってるさ。あんな図体で早く走れる戦車が他にあるとは知らなかったから、ついな」

 

「初めて乗る戦車でドリフトするのはついやるレベルじゃないですよ。というか、水田さんも織田さんに負けず劣らずの技術を持っていたんですね」

 

「暇さえあればシミュレーションをこなしていたからな。それで自然と・・・

 

 バサッ!

 突然後ろから麻袋を頭に被せられた!すぐ袋を取ろうと手を伸ばそうとしたが、手を後ろで縛られてしまった!

 

「何だ!?秋川!いるか!?」

 

「自分も縛られました!」

 

「くそっ!誰だ!こんな馬鹿げたまねをするやつは!!」

 

「うるさいね。黙って付いてきな」

 

 後ろから声がした。女の声だ。2人は視界を奪われ、何処かへ連れていかれた。

 

 

 昼休みが終わり、午後の授業が始まろうとしていた。格納庫前で加藤が点呼を取っていた。ホリ車の番になり、水田の名前を呼ぶ。

 

「えーっと。ホリ車。水田くん。・・・うん?来てないの?」

 

「まだ来てないみたいです。秋川もいません」織田が報告する。

 

「あら、珍しいわね。いつもみんな集まる前から来てるのに。何か聞いてる?」

 

「ホリ車の修理状況を見るからって言ってたんで、格納庫へ行ったと思うんですけど」

 

「そう。じゃあ第二格納庫に行ってんのかな。呼んでくるわ」

 

 加藤は原田を連れて三吉のもとへ向かった。

 

 

 一方。

 誰かに拘束された水田と秋川は、何処を歩いているのか分からないまま連れられていた。

 水田は麻袋越しに何か見えないかと目を凝らしていたが、入ってくるのは日の光だけで景色は全く見えない。そこで日の光の方向を頼りに、今いる方角を整理することにした。

 進んでいたのは西側に建っている格納庫だ。そこから推察し、今何処に進んでいるのか、大体の位置を特定することにした。

 

(日の向きからして、恐らく南に進んでいるな。確かその方角には体育会系の部活が使用している部室棟があった筈だが・・・そこに一体何があるんだ?)

 

 そこから更に歩き、止められた。扉を開ける音が聞こえ、2人は押し込められるように何処かへ入った。無理やり座らされ、漸く麻袋を取られた。

 周囲を見渡すと、廃棄された机や椅子が重ねられ、その上に教科書やゴミが散乱していた。「酷い部屋だな」と言い掛けた時、声を掛けられた。

 

「あんたらかい?ErsatzM10に乗ったのは」

 

 視線を上げると、1人の女子生徒がこちらを見下ろしている。胸元を広げ、ちょっと足を上げたら下着が見えそうになるまで短くしたスカートを履いて、肩まで伸ばした髪を茶髪に染めている。

 側には他に3人いて、みんな同じような格好で2人を見下ろしていた。真ん中で座っているのがリーダーだろう。

 

「何者だ?俺たちをこんな所に押し込めて、どういうつもりだ」

 

「質問してるのはあたしだよ!ErsatzM10に乗ったのかって聞いてんだ!!」

 

 ここは素直に答えた方が良さそうだ。見た目からして、俗に言う『スケバン』という不良女子だろう。こんな連中との面倒事は極力避けたい。

 

「ああ。乗ったが、それが何だ?」

 

「それが何だって?許可無く勝手に乗ったくせに、良い度胸じゃないか」

 

「どうします?やっちまいますか?」

 

「待ちな。痛め付けたところで意味ないさ。そうだねぇ。パシリにするのが一番かもねぇ」

 

「ふざけるな!そもそもお前たちは何者なんだ!ErsatzM10に乗ったのは確かだが、何故お前らの戦車だと断言出来る!?戦車道科に一度も顔を見せたことがないだろう!」

 

「そんなことはどうでもいいんだよ!うちらの戦車に勝手に乗った!それが許せないんだよ!!」

 

 

 第二格納庫に向かった加藤と原田は、三吉から水田たちが来ていないか訪ねていた。三吉は目を丸くしながら言った。

 

「水田くんと秋川くん?見てないけど」

 

「見てない?織田さんからこっちに向かったって聞いたんだけどなぁ・・・」

 

「あのー・・・」整備員の2年生が話し掛けてきた。

 

「多分ですけど・・・『レッド・ドクロ』が関係してるかもしれません。あの不良グループの1人が、朝にErsatzM10が走っている様子を撮影してましたから」

 

 それを聞いた加藤は顔をしかめた。

『レッド・ドクロ』。3年生と2年生3人がつるんでいる、延岡校ではある意味で有名な不良グループだ。

 授業をサボるのは当たり前。気に入らない生徒がいればパシリに使い、恐喝やカツアゲをしているという噂もある。

 

「もしそれが本当ならマズいかもしれないわね・・・でも何でなんだろ。気に触るようなことしてないと思うんだけどなぁ。ねぇ・・・あれ?」

 

 原田に視線を向けたつもりだったが、既にその場に居なかった。原田は部室棟に向かって走っていたのだ。

 

 

 部室棟では、水田と不良グループのリーダーとの言い合いが続いていた。何故こんな目に遭わなければならないのか、その理由が分からないからだ。

 

「勝手に乗ったとは言うが、それを言えば加藤隊長も、整備班の三吉班長も同じだろう?俺たちをこうして縛り上げる理由は何なんだ!!」

 

「あーうるさいね!じゃあ教えてやるよ!!」リーダーが水田の胸ぐらを掴み、険しい目付きで言った。

 

「男子が乗ったからさ。あたしたちは男が大っ嫌いなんだよ!」その時。後ろのドアが開いて原田が飛び込んできた。

 

鬼嶽(おにたけ)!何やってるのよ!」『鬼嶽』と呼ばれたリーダーは、原田の顔をじっと見ながら鼻を鳴らした。

 

「ハッ。誰かと思えば、あんたかい」

 

「あなた・・・何をしたか分かってるの!?」

 

「知るか!!あんただって分かってるだろ?うちらが大の男嫌いだって。だから説教してやろうと思ったのさ。それに・・・今更何のようだい?()()()()()()()、副隊長になったやつが」

 

 会話の内容からして、原田と面識があるらしい。唖然としながら会話を聞いていると、鬼嶽が立ち上がって背を伸ばした。

 

「あーぁ。何か冷めたなぁ。ゲーセンでも行くか」そう言って3人を引き連れて部屋を出ていく。「あ。お前ら2人は今日からパシリだからな。うちらが呼んだらすぐ来いよ」

 

 そう言い残すとドアを乱暴に閉めて行ってしまった。原田が溜め息を吐くと、水田たちに掛けよって言った。

 

「大丈夫だった?すぐにほどくから。それと・・・ごめんなさい。後で言っておくから」

 

「あなたが謝る理由はありませんよ。それより、彼女たちは何者何ですか」水田の質問に原田は言葉を詰まらせた。

 

「・・・あなたが知る必要はないわ。今日の事は忘れなさい」

 

「でも、こうなったのは自分達に原因があるからです。その原因を知るためにも・・・

 

「良いから!・・・忘れなさい」

 

 縄をほどいて貰った2人は、原田の態度に何か裏があるような気がした。2人は目を合わせ、手を使って無言の会話を交わす。

 

(分かってるな?)

 

(聞けそうな相手に聞いてみます)

 

(俺は加藤隊長に聞いてみる。織田たちには悪いが、今回の事は話すな)

 

(了解しました)

 

 

 その日の午後7時。

 秋川がむすっとした顔でアパートに戻ってきた。水田は先に汗を流してリビングでの椅子に座っている。

 

「お。何か聞けたか?」

 

「ええ。井深車長に尋ねたら、パフェの奢りを条件に話してくれましたよ」

 

「そうか。先に汗を流してこい。それから話をしよう」

 

 30分後。

 シャワーを浴びた秋川が風呂場から出てきたところで、互いに聞いた事を話し合った。まずは水田が加藤から聞いた話だ。

 

「俺たちを拘束したのは、延岡校じゃ有名な不良グループだということだ。グループ名は『レッド・ドクロ』。いつもあんな風につるんでいるらしい。これ以上の事は教えてくれなかった」

 

「そうですか。まぁ1年前にあんなことがあったんじゃ話すのは躊躇いますよ」

 

「あんなこと?一体何があったんだ?」水田が質問すると、秋川は井深から聞いた全容を話し始めた。

 

 

 1年前。

 延岡校が一回戦で敗退した後の事だ。この時に隊長を勤めていたのが、水田と秋川が受験した時に来ていた富永だった。

 富永はErsatzM10に搭乗していたグループに対して、「無謀な戦闘で敗北に導く結果になった」と厳しい意見を突き付けていた。そのグループが、『レッド・ドクロ』だった。

 

 鬼嶽率いるこのグループも戦車道科のメンバーで、通常の授業には全く顔を見せなかったが、戦車道の授業だけはサボらず参加していた。「普通の授業を受けているより退屈しないから」と鬼嶽は言っていたらしい。

 レッド・ドクロの戦闘スタイルは単独行動を主体としており、他の味方と連携を取ることは全く無かった。

 常に一匹狼のようなスタイルで戦うので、当時の3年生からはよく見られていなかった。富永が「無謀な戦闘」と言うのは、この単独行動を指していた。

 この指摘に対し、鬼嶽は「うちらは他の味方と馴れ合いはしない。これがうちらの戦闘スタイルなんだ」と言い返した。

 

 それから1週間後の事。

 戦車道の訓練中。ErsatzM10と3年生が搭乗しているT25E1が衝突する事故が起きた。

 ErsatzM10の左側面にT25E1が前から突っ込む形となり、ErsatzM10は足周りが損傷して2週間戦闘不能となってしまった。

 3年生側の主張は、「ErsatzM10が突然車線変更してきて、避けきれず衝突した」という。

 鬼嶽の主張は、「あれだけ見通しが良い状態で真横から突っ込むなんてあり得ない。こっちはちゃんと周囲の確認をしていた」という。

 

 事故が起きた場所は見通しが良い開豁地(かいかつち)のエリアで、鬼嶽が主張するように真横から突っ込むのはあり得ないことだった。

 一触即発の状態だったが、鬼嶽は耐えていた。しかし、当時の戦車道科の担任がろくな調査もせず、いきなり「鬼嶽の方に問題がある」と言い出し、3年生側の肩を持ったのだ。

 男性の教員で生活指導担当だったと言うこともあり、鬼嶽たちの事は良く知っていた。なので今回の一件も、向こうが悪いと勝手に決めつけたのだ。

 

 そう言われた鬼嶽はとうとう我慢出来なくなり、男性の教員に殴り掛かった。メンバーの3人も3年生たちに殴り掛かり、修羅場と化した。

 周りにいた生徒たちが止めに入ったが彼女たちは一切聞き入れず、他の教員たちが集まるほどの大事になってしまった。

 その後、レッド・ドクロの4人は2週間の謹慎処分を受け、3年生側はお咎めなしとなった。

 2週間が過ぎて謹慎が解けた筈なのだが、レッド・ドクロが姿を見せる事はなかった。

 

 そこから1週間後。延岡校で事故が起きたと報告を受けた戦車道協会が『戦車道・事故調査隊』という組織を派遣した。

 この組織は戦車道の試合中や、各校での訓練中に起きた事故、問題を調査、解決するために発足した組織で、報告を受けるとすぐ駆け付けてくれる。この時は「延岡校から匿名で連絡を受けて来た」と言っていたという。

 

 調査隊は事故が起きたエリア、衝突したErsatzM10とT25E1を調査し、「残された履帯跡からして、ErsatzM10が急な車線変更をした様子は見られない。また、互いに残された損傷具合を確認したところ、T25E1が故意に衝突した可能性がある」と結論を出した。

 そこからより詳しい調査の結果。T25E1が故意による衝突事故を起こし、その乗員が罪を擦り付けようとしたことが発覚。

 生徒の見掛けだけで判断した教員にも問題があるとして、延岡校戦車道科は厳重注意を受けた。

 

 この一件が原因なのか、男性の教員は延岡校を辞めてしまい、問題を起こした3年生たちは戦車道科から普通科に移ったという。

 このように結果が出たものの、レッド・ドクロは戦車道科に戻ることは無く、修理されたErsatzM10が再び戦場に赴くことは無かった・・・

 

 

「・・・と言うのが、自分が聞いた話です」秋川が話を終えた時には、既に午後9時を回っていた。水田は椅子の背もたれに寄りかかり、大きく息を吐いた。

 

「成る程な・・・あいつらが男が嫌いだと言うのには、そんな理由があったのか。あの戦車が自分達の物だと主張したのも、納得がいくな」

 

 水田は台所に立ってインスタントコーヒーを注ぎ、マグカップを秋川の前に置いた。

 

「レッド・ドクロは戦車道科を辞めたのか?」

 

「辞めていないらしいです。4人の成績は常に上位で留年もしていないそうですけど、戻る気は無いんじゃないですか?戦車道科に留まっているのも、他の科目に移るのが面倒なだけだと思いますけど」

 

「・・・俺はそう思わない」そう言うとマグカップを口に運び、コーヒーを一口飲んで話を続けた。

 

「分からないのは、原田副隊長に対して『うちらを捨てて、副隊長になったやつが』と言い残した事だ。こればっかりは本人に聞いてみるしかないが、答えてはくれないだろうな。あくまで個人的な見解だが、あの4人組と原田副隊長には、何か深い関わりがあるんだろう」

 

 

 翌日。

 今日も朝から戦車道の訓練が始ろうとしていた。加藤と原田が格納庫に姿を見せた瞬間を見計らい、秋川が原田を呼んで格納庫の裏へ誘った。そこには水田が待っていた。

 原田は昨日の一件がどうなったのかを知りたいから呼び出したのだろうと思った。

 

「わざわざ呼び出してすみません」

 

「ううん。気にしないで。それより、昨日の事がどうなったのか知りたいから呼んだんでしょ?」

 

「いいえ。あなたとレッド・ドクロの関係です」原田の目付きが険しくなった。

 

「あなた・・・その事は忘れなさいって言ったでしょ!」

 

「自分はただの興味本意で詮索しているわけではありません。このままだと互いに試合の士気に影響すると思ったので調べていたんです。あのグループとの関係を調べてどうこうするつもりなんてありません」

 

 水田の言い分に、原田は再び言葉を詰まらせた。この反応を見た水田は、これ以上聞かない方が良いかもしれないと感じた。

 ここまでで何故自分たちが不良グループに絡まれないとならなかったのか、その理由が分かっただけでもよしとすべきだろう。

 

「・・・すみませんでした。もうこれ以上聞いたりしませんので。行こう。秋川」

 

「待って」原田が呼び止めた。水田と秋川が原田を見る。

 

「あなたの言うとおり、このままだと試合に影響するかもしれないわ・・・それに、私が話さなくても他の誰かに聞くでしょ?」

 

「じゃあ、話してくれるんですか?」

 

「ええ。話して上げるわ。私と、彼女たちの関係をね」




シュティーロウ部隊のその後

1947年。
スコルツェニーを含めた将校は裁判を受けた。米軍の装備を身に付けて不当な作戦に従事したとして裁判に掛けられたが、彼らががどのような命令が元で動いていたのか証明出来なかったので全員に無罪判決が下った。

弁護側に立ったイギリスの特殊作戦執行部(SOE)のエージェントも、ドイツ兵の格好をして戦線後方に潜入し、工作活動をした事があると証言した。


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第十三話 銀鳩VS紅いドクロ

前回のあらすじ

ホリ車が修理中のため、水田は今しか出来ないことをやろうと思い、加藤に頼んでErsatzM10、通称『M10偽装パンター』を操縦することになった。

翌日。
水田と秋川が格納庫に向かっているとき、突然誰かに拘束されて部室棟に連れていかれ、そこで不良(スケバン)と退治する事になる。
彼女は『レッド・ドクロ』という不良グループのリーダーで、「ErsatzM10に勝手に乗ったな」と水田たちを責め立てた挙げ句、パシリにすると言い出した。
何故こうなったのか、水田と秋川はその理由を突き止めるために情報を集め、副隊長である原田と何か関係があるという結論に至る。

翌日。
2人は原田を呼び出し、どういう関係なのかと聞き出そうとするが、原田はそれを拒否した。
そこで水田は、「ただの興味本意ではなく、互いの士気に影響しかねないから聞いている」と説明した。
それを聞いた原田は、「確かに、このままだと士気に影響するかもしれないし、どうせ他の誰かに聞くでしょ」と言い、「話して上げる。私と彼女たちの関係を」と続けた。


 水田、秋川、原田の3人は、校舎内に入って一階の奥に進んでいた。原田から「人気がない場所が良いから」と言われ、2人は言われるがままに付いていっていた。

 加藤には『遅れる』と連絡を入れたと言うので、時間をそこまで気にする必要は無い。

 

「・・・ここなら、誰にも聞かれないわ」

 

 原田に案内された場所は、校舎の1階の奥にある教室だった。覚えている限りでは、レッド・ドクロが勝手に使っている部室同様、ここも使われていない教室だ。

 日が当たりにくい場所だからか昼間なのに少し薄暗く、後ろ側には埃を被った机や椅子が乱雑に置かれている。

 黒板に目をやると、何かを書いていた跡が幾つかあった。誰も使っていない筈なのに。2人はそう思いながら目を合わせた。

 

「あの・・・ここは一体?」秋川が埃を手で払いはがら質問する。

 

「私とレッド・ドクロが作った場所・・・鬼嶽は『作戦基地』って呼んでたわ」

 

 原田は椅子を元に戻し、埃を払って座った。2人も同じように側にあった椅子を持ち、埃を払って座る。座ったことを確認すると、原田は軽く溜め息を吐いて話始めた。

 

「鬼嶽とは、親友だった。でも、私は・・・」原田が話し始めた。あの時、鬼嶽との間に何があったのか・・・

 

 

 2年前。原田が入学して間もない頃。

 延岡校に、誰からも恐れらている生徒がいた。名前は『鬼嶽(おにたけ)千春(ちはる)』。

 誰が見ても一目で不良(スケバン)だと分かる容姿で、裏ではその見た目と名字を文字って『地獄の鬼』というあだ名で呼ばれていた事もあり、誰も近付こうとしなかった。

 そんな彼女は戦車道科の生徒なのだが、入学式から一度も顔を見せたことがなかった。

 当時2年生だった富永が参加するように言い聞かせていたのだが、鬼嶽はそれに応じなかった。そんな態度に呆れ、いつの間にか鬼嶽は存在自体消えていた。

 そんな中、鬼嶽に話し掛け続けていた生徒がいた。それが原田だったのだ。

 

 原田は鬼嶽が物置部屋と化していた部室でサボっていることを突き止め、その部屋に乗り込んだ。

 

「ねぇ。なんで授業に出ないの?戦車道、楽しいわよ?」

 

 そう言われた鬼嶽は原田を睨み、「すぐ出ていけ」と無言で威嚇した。

 

「他の人には通じるかもしれないけど、私には関係ないわ。だって、あなたがそんな人じゃないってことは分かってるから」

 

「・・・何でそんなことわかんだよ。エスパーか?」

 

 鬼嶽は鼻で笑ったが、原田は引き下がらずに話続ける。

 

「中学の時に似たような生徒がいたから。その子は親に対しての反抗心からそんな態度を取ってたって聞いたけど。あなたもそうなの?」

 

「てめぇに話す義理なんてねぇだろ!!さっさと消えろ!!」

 

 鬼嶽は原田を突き飛ばして部屋を出ていった。こんな仕打ちをされても、原田は諦めなかった。話し合えば、きっと分かりあえる。そう信じていたからだ。

 

 それからも時間の空きを見つけては鬼嶽の元へ行き、話し掛け続けた。一度は本気の目付きで「殺すぞ」と脅されたりもした。それでも諦めなかった。

 そんな原田の根気に負けたのか、鬼嶽は徐々に心を開きつつあった。それから半年が過ぎ、鬼嶽が何でこんな容姿をしているのかを話した。

 

「あたしさ。中学の時、先輩に苛められてたんだよ。だから、誰にもナメられないようにしようって思って、この学校に入るときに容姿を変えたんだ」

 

「じゃあ、富永先輩が呼びに行った時に無視してたのはそういう理由なの?」

 

「正直、先輩って信用出来ないし。トラウマみたいになっててさ。この戦車道科に入ったのも、あたしのことを覚えている奴がいない学校に行きたかったってだけで、別に戦車に乗りたかったって訳じゃないし」

 

「じゃあ乗ろうよ。絶対楽しいって」原田に誘われた鬼嶽は渋々戦車道の授業に参加するようになっていった。

 この時は試合に出場する戦車に空きがなかったので、2人は訓練用のM3に乗って訓練コースを走り回っていた。鬼嶽が車長を務め、原田が操縦手という役割だった。

 

 それから1年が過ぎ、ErsatzM10に空きが出来たので2人はその戦車に搭乗する事になった。この時に新入生が何人か入ったのだが、素行が悪そうな生徒が3人いた。

 鬼嶽はその新入生を引っ張って乗員に充てようと言い出し、原田はそれに賛成して新入生3人を加えて5人のチームを作った。

 その後、鬼嶽は「今日からこのチームはレッド・ドクロだ!」とチーム名を決めた。何故この名前にしたのか理由は無いらしい。

 

 新入生の3人も鬼嶽と似た境遇で、「苛めにあっていたから、見た目を変えれば苛められなくて済むだろうと思ったから」と言っていた。

 2人はそんな3人を白い目で見るようなことはせず、大切なチームメイトとして接していた。

 

 3人は中学時代から戦車道を経験していた事もあり、ErsatzM10の操縦、操作にはすぐ慣れ、訓練でも中々の好成績を残していたが、危険な行為や単独行動と言った外れた事ばかりしていたので、結果的にはマイナスに働くことが多かった。

 試合の時も単独で動いていたので、フラッグ車が撃破されたと知ったのは試合終了から5分経ってからだった。余計な指示が入ったら鬱陶しいからと無線を切っていたのだ。

 

 そんな中、あの事故が起きた。

 その時の原田は加藤に誘われ、ルノー乙型に搭乗していたので事故に巻き込まれる事はなかったが、鬼嶽たちに弁護することが出来なかった。

 事故の瞬間をはっきり見ていなかったので、先輩と鬼嶽の言い争いを黙って見届けることしか出来なかった。

 鬼嶽たちが乱闘騒ぎを起こし、謹慎処分が下った時。「今の自分に出来るのは、これしかない」と思い立ち、戦車道・事故調査隊に匿名で事情を説明し、調査を依頼した。あの時何も出来なかったので、これで白黒はっきりさせようと思ったのだ。

 

 調査隊の結果が出た後。原田は鬼嶽たちの無実が証明されたと教えるために、あの部室へ向かった。部室にはメンバー全員が居て、原田に視線を集中させた。

 

「鬼嶽。みんな。あなたたちの無実だったって証明されたわ。これでまた、戦車道が出来るよ!」

 

 原田は明るい声でそう言ったが、鬼嶽たちは喜ばなかった。鬼嶽が近づき、冷たい声で言った。

 

「・・・最初からそうだって言ってただろ?なのにお前は弁護しなかった。うちらがこんな見掛けだからって、疑ってたんだろ?」

 

「そ、そんな訳ないじゃない」

 

「じゃあ何で弁護しなかったんだよ!あの場で味方してくれた奴は一人も居なかった!お前も含めてな!!うちらはもう戦車道科に戻らないって決めたんだ!もう近寄るな!!」

 

 怒鳴られた後、部室を追い出された。原田は「味方したかったけど、見た訳じゃなかったから弁護しようがなかった」と言ったが、鬼嶽たちは一切聞き入れなかった。

 その時。原田の中で何かが崩れた。互いの信頼関係と言うものだろうか。その一件以降。原田と鬼嶽の間に大きな壁が出来てしまった。

 信頼と言うものは築いていくのは難しいが、崩すのは簡単であり、一瞬で消え去ってしまう。原田は身を持って体験し、感じた瞬間だった・・・

 

 

「鬼嶽たちとの関係はそれ以降さっぱりになったわ。学校で見掛けることも無くなったし、会うことも無くなった・・・鬼嶽は本気だったのよ。私のせいで・・・戦車道から離れた」

 

「そんなことはないと思いますよ」水田が口を挟んだ。

 

「何でそんなこと言えるの?」

 

「あの時、出ていく時に部屋を見渡したんですが、現代文や数学と言った教科書が捨てられるように放置されていたのに、戦車道に関する教本は一冊もありませんでした。咽頭マイクにゴーグル、グローブは綺麗に手入れされてましたよ。そこまでしているのに戻る気が無いとは思えません」

 

「じゃあ何であんな事を言うの?鬼嶽ははっきり戻る気は無いって」

 

「誰もうちらを信用しないからさ」入り口から声が聞こえたので視線を向けると、鬼嶽が立っていた。

 

「見た目で悪者だって判断するようなところに戻る気はない。まぁ別に?元々戦車道なんて鼻っから興味なかったしね」

 

「じゃあ何故。俺と秋川がErsatzM10に乗った時、あんなに怒ったんです?男子が乗ったからというだけではないような気がしますが」

 

「うるせぇ!!あんたに何が分かるんだよ!!」

 

「分かりませんよ。原田副隊長から聞く話だけではね」

 

 水田は席を立ち、鬼嶽に向かってこう告げた。

 

「昨日言いましたね。お前らは今日からパシリだって。正直、ただ戦車に乗っただけでパシリにされるのは納得できません。なので、戦車道で勝負しませんか?こっちが負けたら俺がパシリになってやります。そっちが負けたら、戦車道科に復帰する、これでどうです?」

 

 側で聞いていた秋川と原田は自分の耳を疑った。ホリ車とErsatzM10では勝負にならない事は目に見えている。砲塔を持たないホリ車がまともに戦える相手ではない。

 

「・・・良いよ。その勝負。受けてやろうじゃないか。でも、結果は目に見えてるけどね」鬼嶽はニヤッと笑い、その場から去っていった。

 

「ちょっと水田さん!?勝負するって、勝ち目無いですよ!?」

 

 秋川が詰め寄ってきたが、水田は冷静だった。何か勝てる算段でもあるのだろうか。

 

「行くぞ。三吉班長に、後どれぐらいで修理が終わるか聞きに行かないとな」

 

 

 1週間後。

 三吉からホリ車の修理が完了したと連絡を受けた水田たちは、試験運転に出た。

 

 走行試験。射撃試験。登坂試験等、様々な試験をクリアし、ホリ車は再び戦線復帰可能であると証明されたが、秋川たちは浮かない顔だった。

 鬼嶽には、勝負はホリ車の修理が終わってからと言っているので、明日はあのErsatzM10と勝負しなければならない。

 水田は作戦を立てているというが、機動力がある戦車に対してどう立ち回るつもりなのか。

 今回は一対一のタイマン勝負。他に味方はいない。今は車体後部に2連装の対空砲を取り付けているので、後ろを取られても何とかなりそうだが、横に回られたら手の打ちようがない。

 

 そんなことを思いながら格納庫にホリ車を戻した後、水田が秋川たちを呼び寄せた。「明日の試合の作戦を立てたから打ち合わせをする」という。

 水田がホリ車の後ろに机を用意し、地図を広げて指揮棒を使って印を付けた箇所に当てた。

 

「明日のスタートは、我々がエリアΔー12からとなる。ここは茂みが多く、隠れられる場所も沢山ある。ここで待ち伏せをし、姿を見せたら攻撃を開始する。敵はエリアβー12から来る。向こうも俺たちが何処からスタートするのか知っているから、エリアΔに来る可能性があるからな。もし来なかった場合は・・・

 

 と、地図を指しながら説明していくが、誰一人として意見を申し出ない。水田が説明を終えて、「何か質問は?」と聞くと、織田が不機嫌そうな目で言った。

 

「何で対決する必要があるんですか?それもホリ車にとって、一番苦手とする相手ですよ?」

 

「ああ。だからなんだ」

 

「だからなんだって、もし負けたら不良グループにこき使われるんですよ?良いんですか?」

 

 水田は今回の一件を織田たちにも話していた。

 監禁されたとは言わずに絡まれたと言い方を変えて、一対一の勝負をすること、条件を全て話している。

 

「・・・良いか?最初から諦めるようなことはするな。実際にやってみないと分からないこともあるんだ」

 

 水田は勝つ気でいるようだが、周りは微妙な心境だった。もし負けたら水田はどうなるか分からない。何故そんなに余裕でいられるのか、不思議でならなかった。

 

 

 午前8時55分。

 ホリ車がエリアΔー12に着いた。空は快晴。各系統は問題なく作動している。

 水田はキュウポラのハッチを開けて、外の風に当たる。心地良い風が体を通りすぎていく。

 

「ErsatzM10から通信。スタート地点に着いた。午前9時より試合を開始する。だそうです」

 

 秋川が受信した内容を伝える。水田が腕時計に目をやる。時刻は8時58分。試合開始まで後少しだ。この試合でアナウンスは流れない。自分で時間を見て動かなければならない。

 車体後部に周り、機関砲の最終点検に入る。今回は弾薬を多めに持ってきたので、弾切れを気にする必要はない。一通りの作動確認を終えて車内に戻る。腕時計の秒針が最後の一周を始めた。

 

「総員、戦闘態勢。始まるぞ」秒針が半周し、開始時刻に迫っていく。心の中でカウントダウンをしていく。5、4、3、2、1。

 

「前進!」指示を受けて、数回アクセルを吹かし、変速レバーを引き、『前進』の位置に持っていく。アクセルを踏み込むと、エンジンが唸り、ゆっくりと前へ進んでいく。

 まずは待ち伏せに最適な場所を探す。このエリア一体は木や茂みがと言った、偽装に使えるものが多い。前世でも待ち伏せする時は自然の物を使って偽装を施していた。

 

 スタートから10分。

 待ち伏せをするポイントが決まった。今回は敵がどう出るか分からないので待ち伏せすることになった。ホリ車を茂みに見せ掛けるため、枝や木の葉を車体前面に張り付けて偽装を施すのだ。

 5人がかりで偽装を施し、多少不格好ではあるが遠くから見れば茂みにしか見えない筈だ。作業が済むと急いで車内に戻り、戦闘態勢に入る。

 

 エリアΔー11。

 鬼嶽が指揮するErsatzM10がホリ車のスタート地点に侵入したところだ。鬼嶽は頭を外に出して周囲の確認をしている。

 

「リーダー。頭出して大丈夫なんスか?頭吹っ飛びますよ?」砲手が冗談っぽく笑う。

 

「バカだね。あいつらはこのスポットにはいない。待ち伏せする作戦に出ている筈さ。あの戦車じゃ、正面からやりあっても勝ち目がないからね。今はΔー11、ここよりも12の方が隠れられる場所も多い。居るとすれば、そこしかない」

 

 そんな事を話していると、気付けばΔー12に侵入していた。鬼嶽は操縦手に「慎重に前進しろ」と指示した。何処かにホリ車がいると警戒しているのだ。

 鬼嶽はヘッドホンを取り、目と耳で敵を探し始めた。すると「停車しろ」と指示し、双眼鏡で前方をゆっくり見渡していく。そして、ニヤッと笑みを浮かべた。

 

「居たよ。射撃用意。目標、2時の方向。距離1200メートル。撃て!!」

 

 ErsatzM10の主砲が火を吹き、砲弾が茂みを目掛けて飛翔していく。1㎞先で着弾し、土埃が宙を待った。

 

 

 

「・・・くっ、全員無事か?損害は?」

 

 水田が頭を抱えながら状況報告を求める。

 ホリ車の右前で着弾したが、幸いな事に損害はない。水田は測距儀を通して外を見る。

 約1㎞先にErsatzM10が停車し、こちらに砲を向けていた。砲身から発砲煙が出ているので、撃ってきたのは間違いないだろう。

 

「どうします?撃ち返しますか?」神原が撃発ペダルに足を掛ける。

 

「いや待て。下手すればこっちの居場所をバラすだけだ。少し様子を・・・」

 

「水田さん・・・居場所がバレてるみたいです・・・」

 

 秋川が照準器を覗きながら言った。ErsatzM10がこちらに接近している!

 

「何!?主砲、副砲、一斉射!!」

 

 主砲と副砲が同時に火を吹き、ErsatzM10に向けて砲弾を撃ち出す!2発の砲弾は真っ直ぐ飛翔していく。避ける事は出来ないだろうと思っていたが、ErsatzM10は避けるのではなく、正面装甲で砲弾を弾いた!

 

「砲弾、弾かれました!!」秋川が報告する。この報告に神原は珍しく動揺していたが、水田は何故弾かれたのか理解していた。

 当たる寸前に車体を傾け、正面装甲に更に傾斜を付けて弾かせたのだ。鬼嶽は思っていた以上に手強い相手だと、今更ながら実感した。

 

「エンジン始動!!離脱する!!」

 

 エンジンが再び唸り始め、大きい振動と同時に前に前進していく。茂みから飛び出し、ErsatzM10の真横を掠めて逃走を図る。同時に水田は後部銃座に就き、弾薬をリロードして敵の迎撃に備えた。

 ErsatzM10はすぐ車体を立て直し、急速でこちらに向かって突進してくる!

 

「そのまま前進!Δー5に迎え!!」

 

 

 格納庫内に設けられた観戦席では、加藤たちがホリ車とErsatzM10の動向を見ていた。

 1年生たちは初めて戦闘に参加するErsatzM10に釘付けになり、2年生、3年生は静かに見守っていた。

 

「・・・偽装は完璧だった筈、なのに鬼嶽はその偽装を見破った?何で?」

 

 何故見破ったのか、加藤にはその理由が分からず案じていると、原田が答えを教えるように呟く。

 

「鬼嶽は試合前に必ず会場を見渡すようにしていた。どこに戦車が隠れられるか、茂みや木の配置を覚えるためにね。そうしておけば実戦となった時に待ち伏せに逢わなくて済むからって」

 

「じゃあ、水田くんたちはもっと不利じゃない・・・」

 

 加藤と原田は画面に視線を向けた。そこに映る映像は、ErsatzM10がホリ車に急速で接近している所だった。

 

 

 ホリ車とErsatzM10は森林の中を高速で走っていた。戦車2輌の一進一退の攻防が続いている。

 対空砲を撃ちまくる水田は、ErsatzM10の距離を目測で図って見た。距離は約500メートル離れている。

 急ブレーキのフェイントを掛けて前に飛び出させようかと考えていたが、これだけの距離を開けられては意味がない。

 ErsatzM10の砲撃は距離が開いていても正確だった。戦車の弱点とも言えるエンジンと履帯を狙って砲弾を飛ばしてくる。

 対空砲の有効射程距離が分かっているのか攻撃を受けても避けようとせず、真っ向から向かってきていた。

 

「水田さん!!Δー5に迎えって言いましたよね!?」織田が攻撃を避けながら怒鳴る。

 

「それがどうした!!」

 

「そこはエリアβとΔの境目で、障害物が殆ど無いんですよ!?どうやって攻撃を防ぐつもりですか!!」

 

「良いからそこに迎え!!そこでしか出来ないことをするんだ!!」

 

 

 鬼嶽は訝しげにホリ車の動向を追っていた。

 車体後部には水田が就き、対空砲を撃って反撃していた。何ら不思議なことではないのだが、気になっているのはホリ車の動向だった。

 このまま進んでいくとエリアβとΔの境目に出る。そこには木や岩と言った障害物が殆ど無い所だ。追手を振り切るつもりなら、そんな所には行かない筈・・・

 鬼嶽は乗員全員に「何か企んでいるかも知れない。警戒しろ」と注意を促した。

 

「何言ってんスか!今うちらが有利っスよ?今が攻め時ってやつっスよ!!」

 

 砲手の高揚感に便乗するように、他の乗員たちも舞い上がっていた。

 

「バカ!油断するんじゃないよ!良いからちゃんと警戒しな!」

 

 鬼嶽の一喝に、車内は緊張感が漂い始めた。こんな風にきつく言うという事は、鬼嶽は本気で警戒している時なのだ。

 

「リーダー。もうすぐΔー5です」操縦手が報告する。キュウポラを覗くと、木の間から日の光が差し込んでいる。ここで勝負を付ける、そう決めた。

 

 

 織田から「もうすぐΔー5に着く」と報告を受けた水田は、掃射を止めて前を見た。

 もうすぐ拓けた場所に出る。ここで決着を付ける、最初からそう決めていた。ErsatzM10は留目を刺そうとしているのか、距離を詰めてきている。

 

「織田!!合図したらサイドブレーキを引いて車体を回せ!!」

 

「え!?何でですか!?」

 

「良いからやるんだ!!」2輌は勢いそのままにΔー5に侵入すると、ホリ車のエンジン部を狙って砲弾を飛ばしてきた。「今だぁ!!」

 

 水田の怒号が車内に響く。サイドブレーキを思いっきり引いて車体を右に回し、ErsatzM10が前に出ようとする!水田はErsatzM10の側面を捉え、対空砲のトリガーを引く!

 弾丸がエンジン部を貫通して黒い煙を上げ始める!ホリ車はそのまま一回転し、砲口がエンジン部を捉える!!

 

「主砲!副砲!一斉射!!絶対に外すなぁ!!」水田の怒号が車内にいる秋川たちに届く!

 ErsatzM10はまだまだ前進している。仕留めるなら今しかない!神原と秋川が同時に撃発し、砲弾を撃ち出す!主砲弾はエンジンに直撃し、副砲弾は左の履帯を掠めて着弾した。

 織田が停車させると、ErsatzM10の天板から白旗が揚がっている。車内にいる秋川たちは、何があったのか状況が掴めずに呆然としていた。

 

「・・・秋川。加藤隊長に試合が終わったと連絡しろ・・・ちょっと休憩してから戻ると言っておいてくれ・・・」

 

 水田は溜め息を吐いて車体に寄り掛かった。今まで戦車に乗っていて、こんなに疲れたのは久しぶりだった。

 

 

 格納庫前に戻った水田たちは、ErsatzM10の乗員たちと向かい合っていた。

 この状態になって、既に2分弱が経過しようとしていた。ここにいる誰もが一言も発さないので、周りの喧騒が聞こえてくるほどだった。

 

「・・・あー、分かってる。分かってるよ。約束は守る。戦車道科に復帰すれば良いんだろ?」鬼嶽が口を開いた。

 

「だけど、『試合に参加する』とは言ってないからな。うちらは馴れ合いが嫌いだし、そんな面倒事はやんないからな」

 

 そう言うと顎でしゃくり、仲間を連れてその場を去ろうと歩きだした。

 

「待って。本当にそれで良いの?」加藤が呼び止めた。鬼嶽は足を止め、目だけをこちらに向ける。

 

「あ?良いに決まってんだろ。戻る気は無かったしな」

 

「あなたの言い分は良く分かるわ。あの時、私たちは味方してあげられなかった。戻りたくなくなるのも当然よね・・・でも今回の試合を観て、()()()()()()()()()()()が分かった。こう言うのは何だけど、『優秀な戦車乗り』を二度も見捨てたくない。だから、もう一度考え直してくれないかな?」

 

 鬼嶽は視線を反らし、そのまま立ち尽くしてしまった。戻ってきてほしい、そう言われて迷いが生じたのだろう。立ち尽くす鬼嶽に、原田が近寄って前に立った。

 

「加藤が言うように、あなたたちは優秀な戦車乗りよ。お世辞とかじゃないわ。本心よ」

 

「そんなの・・・信じられるか!うちらを裏切ったやつの言葉なんて!」

 

「じゃあこの目を見て!あなたには分かる筈よ。本心なのか、そうじゃないか!!」

 

 鬼嶽は言われるがままに原田の目を見た。真っ直ぐで、透き通った綺麗な目だ。涙を溜めているのは、今までの後悔から来るものだろう。

 鬼嶽は数秒間その目を見詰めた後、原田に背を向けて歩き出した。原田は溜めていた涙をポロポロと流し、歯を食い縛った。分かって貰えなかったか・・・と誰もがそう感じた。

 

「・・・うちらの戦車、ちゃんと整備しとけよ。本番で故障するような事になったら面倒だからな」

 

 原田は振り替えって鬼嶽を見た。鬼嶽は原田に向かって、ニッと笑ってその場を去っていった。

 その様子を見ていた加藤が水田に近づき、耳打ちするように話し掛けた。

 

「全て計算通りってやつかしら?」

 

「何の事です?」

 

「彼女たちに戻るきっかけを与えたかったんじゃないの?私たちに本当の実力を見せれば、戻るきっかけになる。それと、原田と鬼嶽の仲を元通りにしたかった。違うかな?」

 

「・・・まさか。ちゃんとした理由も無しに、パシりにされることが納得出来なかっただけです。それに、例えどんな相手でも、負ける気はありません」



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第十四話 勝率99.9%

前回のあらすじ

水田と秋川は、鬼嶽と原田はかつて親友だったと聞かされる。その話の直後、鬼嶽が話に割り込み、「元々戦車道をする気は無かった」と話す。
その話を聞いた水田は鬼嶽に対し、「パシリにされるのは納得出来ない。戦車道で勝負をしよう」と、宣戦布告を突き付けた。
ホリ車とErsatzM10。どう見ても相性が悪い戦車同士での試合に、ホリ車の乗員たちは浮かない顔をしていた。

そんな中で2輌のタイマン勝負は幕を開けた。ホリ車は隠蔽を見破られ、ErsatzM10に後ろを取られてしまう。
もうこれまでかと思われたが、水田の策略でErsatzM10は返り討ちに遭い、ホリ車の勝利で勝負はカタが付いた。

鬼嶽らErsatzM10の乗員4名は、最初に水田が提示した条件に従い戦車道科に戻ることになり、準決勝に参加することになる。


 準決勝選戦まで1週間を切った。延岡校の戦車道科は何年ぶりかの進出となるので、訓練にも気合いが入っている。

 3年生、2年生側の車長たちは、この高校に入って一度も準決勝に進んだことが無かったので、どう戦術を組むかで難色を示していた。

 準決勝は使用可能な戦車の数量が10輌から15輌に増やす事が出来る。しかし、この延岡校は元々人員、戦車共に少ないので戦力の増強は不可能だ。加藤たちが難色を示すのにはこう言った事情があったからだった。

 

 今日も訓練が終わった後の放課後。加藤と原田は各戦車の車長を呼び出し、戦術の会議を開いていた。いつもは能天気そうな加藤も、今回ばかりはいつも以上に真剣に会議に挑んでいた。

 

「準決勝の相手は北海道の『帯広女子学園』。何度か決勝まで上り詰めた事がある高校だけど、どういうわけか新入生が隊長を務めてるの。それとこれは関係ないかもしれないけど、その学園と対戦した高校からは、()()()()()()()()()()()って言ってるみたい。嘘みたいな話だけど」

 

「はっ。戦術を全て読むだぁ?ただの偶然だろ。あり得ねぇよ」

 

 ErsatzM10の車長、鬼嶽は鼻で笑っている。彼女が言うように、戦術を全て読み取るのは難しい。

 無線傍受でもすれば話は別だが、この戦車道に置いてそのような行為は禁止されている。初戦で無線妨害をされたが、あれも本来は違反行為である。

 他の戦車長も同様の反応をしているが、VK45.02(P)の車長の井深がこう言った。

 

「・・・でも、油断は出来ないよねぇ。その噂が本当かどうかは別にして、新入生が隊長を務めるなんて聞いたことがないし。もしかしたら、その新入生が私たち以上に優秀なのかもしれないよ」

 

 井深のこの言葉に鬼嶽は大笑いしていたが、水田はその可能性もあり得ると内心納得していた。戦車道の経験だけでは言い切れない何かがあるのだろう、そう言い掛けたがすぐその言葉を飲み込んだ。

 

 

 会議が終わり、アパートに戻った時には午後7時を回っていた。扉を開けて部屋に入ると、秋川が料理を作ってリビングのテーブルに運んでいた。

 

「あ、お帰りなさい。どうでした?会議の方は」

 

「うーん・・・加藤隊長は作戦立案にかなり苦戦しているようだ。何年ぶりかの準決勝で、しかも今回は夜戦と来てる。今までと大きく違う点があるから、無理もないと思うが」

 

 夜間は視界が効きづらく、ライトを照射しようものなら「ここにいる」と敵にアピールすることになる。まして、今回は森林のエリアが極端に少なく、約半分が開豁地という特異なステージとなっていた。

 市街地のように建物がある場所もあるが、開豁地のエリアと比べたら差ほど対したことがない広さだ。

 隠れられる場所が無さすぎるというのは、戦車にとっては致命的と言って良い。下手な動きをすれば場所を特定され、一方的に撃たれて終わる。

 

「・・・そう言えば、例の対戦相手の情報は?」

 

「調べておきました」秋川は部屋からA4サイズの紙を持って水田に差し出した。そこには、対戦相手の帯広校が使用する戦車の数量、人数が記されていた。

 

『帯広女子学園

 

 全校生徒700名。内、戦車道科履修生 約250名

 

 使用戦車

 A27M Mk.Ⅷ巡航戦車『クロムウェル』(指揮戦車型)

 A30 Mk.Ⅷ巡航戦車『チャレンジャー』

 A30SP2 対戦車自走砲『アヴェンジャー』

 

 出場数

 クロムウェル1輌

 チャレンジャー7輌

 アヴェンジャー7輌 』

 

「この戦車は、全部イギリスのものか?」

 

「そうです。知ってたんですか?」

 

「この学園にもあるだろう。イギリスの戦車が。そもそも『巡航戦車』というのはイギリスにしか無かった区分だからな」

 

 巡航戦車A27Mこと、『Mk.Ⅷ クロムウェル(30t級)』。同じ巡航戦車『クルセイダー』の後継車両として開発された。

 試作の段階でA23、A24、A27の三種類が提案され、最も有力視されたのがA27だった。

 計画の段階で航空機用の液冷V12気筒ガソリンエンジン、『ミーティア・エンジン』を搭載することになっていたが、時期的に戦闘機の生産が優先されていたので開発が遅れ、エンジンの搭載に苦労し、量産化は更に遅延。

 エンジン周りを改修して漸くミーティアエンジンの搭載が可能となり、A27M『Mk.Ⅷ クロムウェル』として制式化されたものの量産開始は1943年にまでずれ込んだ。

 機動力の面では最高で51~64㎞という快速を発揮し、『第二次世界大戦中、最速の戦車』と呼ばれることになる。

 帯広校が使用しているのは低出力の無線機を2つ搭載しているもので、本部との連絡用として開発された派生型の指揮戦車である。

 

 そんなクロムウェルが開発中の最中。強力な主砲を持つ巡航戦車の開発が進められていた。

 クロムウェルをベースとし、高貫通の17ポンド砲を搭載した戦車として計画された。それが、A30『Mk.Ⅷ チャレンジャー(35t級)』である。広大な北アフリカの大地での遠距離射撃を目的として計画された。

 1942年に試作車『パイロットA』が完成したが、試験の時点で酷評をされることになる。

 17ポンド砲の砲身が重く、傾斜地での旋回が難しい。シルエットが目立つ割に装甲が薄い。ベースとしたクロムウェルより図体が大きいにも関わらず、エンジンがそのままなので機動力の低下が懸念された等の理由で、存在そのものにも疑問が呈されることになった。

 

 このように酷評されたものの、開発中にティーガーⅠやパンターの出現を受け、貫通力がある主砲を持つ戦車が必要となった。試験を終えた後で参謀本部から制式採用となり、A30『Mk.Ⅷ チャレンジャー』として量産されることになった。

 しかし、生産工場では同じ17ポンド砲を持つ『シャーマンファイヤフライ』が優先で生産されていたので、量産開始は1944年の3月にまでずれ込んだ。様々な問題で配備は同年の8月となり、西部戦線に投入された。

 量産型は機動力が求められる『機甲偵察連隊』という部隊に配備された。試験時で機動力の低下が懸念されていたが、部隊側の評判は悪くなかったという。

 終戦後は全車退役し、チェコスロバキア軍では1950年代の始めまで、訓練用の標的として使用された。

 

 そんなチャレンジャーと同時期に開発されていたのが、対戦車自走砲、A30SP『アヴェンジャー(30t級)』である。

 チャレンジャーと違って開発が急務ではなかったので、チャレンジャーの設計を徹底的に見直した上で改良し、重量軽減を狙って開発した戦車である。

 チャレンジャーと同じ17ポンド砲を搭載していたが、砲塔がオープン・トップだった。後に空からの驚異に不安が残るとして、屋根型の装甲板、『スペース・ド・ヘッドカバー』が追加された。

 製造元が巡航戦車『コメット』の開発に手こずっていた影響で、量産開始は1945年にまでずれてしまい、配備が始まった頃にはドイツが降伏したので、第二次世界大戦には間に合っていない。作戦に投入されることが無いまま1949年に全車退役した。

 

 

 水田は秋川に手渡されたメモを見ながら言った。

 

「・・・確か、巡航戦車は機動力が高いんだったな。この3輌、どのくらいの速度が出せるんだ?」

 

「クロムウェルが約51~64㎞。チャレンジャーが約51㎞。アヴェンジャーが約51㎞なんで、平均で50㎞以上ですね」

 

「50㎞か・・・高い機動力に、高い火力を持つ戦車が多いから、チャーフィー以上に厄介だな。今回は市街地じゃないから、後方から支援砲撃という形にした方が無難かもしれないな」

 

 

 1週間後の午後7時。

 延岡校の学園艦は北海道の十勝港に入港した。すっかり日も落ち、辺りは薄暗くなり始めている。空は少し曇っているが、雨が降りそうな雰囲気ではない。

 

 会場に着くと、いつも通り加藤が各車両の車長を呼び出してテントに集合させた。作戦の最終打ち合わせだ。

 今回はステージが広いので纏まった行動は避け、2輌で1班、もしくは単独で行動し、各個撃破して数を減らしていき、最終的にフラッグ車を叩く、という作戦だ。

 機動力がある戦車でフラッグ車を捜索し、撃破するという案も出されたが、返り討ちに遭う可能性を考慮して作戦からは外している。が、鬼嶽は「うちらはうちらなりの戦い方で行く」と今回の作戦を一切聞き入れなかった。

 一方の水田は、「ホリ車で前線に出るのは危険と判断し、後方より援護することにした。前線からの情報を頼りに、遠距離(ロングレンジ)で応戦する」と説明し、作戦会議は終了した。

 

 

 帯広校の陣営では、各車両の最終点検が進められていた。もうすぐ試合が始まるというのに、作戦会議用に設けられたテントには誰も入らない。

 クロムウェルの車内では、車長の席でノートパソコンを開いてキーボードを叩いている女学生がいた。黒髪のショートヘアで、丸いフレームのメガネを掛けている。

 帯広校の隊長、1年生の『清水(きよみず)深雪(みゆき)』。新入生でありながら隊長を務めている。

 無線機が置かれている場所には少し大きめのコンピューターらしき箱があり、清水がキーボードを叩いているノートパソコンに繋がっている。

 戦車道の規則上、コンピューターの持ち込みは特に規制はされていないが、戦時中の戦車にコンピューターを載せていると言うのは何とも言えない違和感がある。清水はパソコンの画面に表示されている時計をチラッと見て、口元に無線機のマイクを近付けた。

 

「全車、出撃準備に入ってください。試合が始まります」

 

 そう言うと、会場に試合開始を伝えるアナウンスが流れた。

 

『それでは、延岡女子高等学校と、帯広女子学園の準決勝戦を始めます。視界が効きづらいので、両者、気を付けて試合に挑むように!』

 

 信号弾が花火のように撃ち上がり、上空30メートルの辺りで弾けた。『試合、開始!!』

 

 

 試合が始まって10分。ホリ車は予定の砲撃地点に到着した。この位置から攻撃し、前線が怪しくなってきたら少しずつ前に出る作戦だ。

 神原は砲身の仰角を最大に上げ、照準器越しに外を確認する。晴れていれば月明かりを頼りにすることが出来るのにと溜め息を吐いている。

 車内は普段以上に暗い。まるで洞窟の中に潜んでいるように感じられる。敵が何処から奇襲を仕掛けてくるかと、周囲への警戒心と緊張感には未だに慣れない。

 水田は周囲警戒のため、機関砲に就いていた。虫が鳴いている声があちこちから聞こえてくる。

 

(・・・あれ?前にもこんなこと無かったか・・・?確か、前世で・・・)

 

 水田の脳内に、前世の記憶が甦った。あれは、インパール作戦決行前日・・・いつもの5人で『作戦前の晩餐』と称して、搭乗していたチハ車の側で酒を呑み交わしていた。

 

(そうだ。その時に確か襲撃があって、誰かを庇って・・・襲撃?庇う?そんなこと・・・あったか?)

 

 何故か、その時の記憶が曖昧だった。いつもの5人で酒を呑み交わしていたのは確かだ。その後何が起こったのか、その先が思い出せない。

 何とか思い出そうとするが、覚えているのは作戦決行の前日と戦死する前日だった。今まで気付かなかったが、あの日記と同様、記憶にも奇妙な間があった。

 

「水田さん。井深車長から連絡です。開豁地エリアのスポット887で・・・水田さん?」秋川の声にハッと我に帰った。今は試合中だ。集中しなければ・・・

 

「あ、ああ・・・すまない。何でもない。えーっと、スポット887に何かあったのか?」

 

「2輌分の履帯の跡を見つけたそうです。念のために報告したとの事ですけど、ここから大分離れてますし、そこまで心配する程では無いかと」

 

 念のためと言われたが、気掛かりだったので地図を広げて敵のスタート地点から辿ってみると、予想以上の速さでそのスポットを通過していた。

 更にそこから南下すると、ホリ車が構えている位置に到達する事になる。

 

(予想より進軍が速いな。もし我々を狙っているとすると・・・ここも安全じゃないかもしれないな。別の砲撃陣地に移動した方が良さそうだ)

 

「織田。予備陣地に移動するぞ。視界が効かないから、30㎞以上出すな」

 

「了解です。でも30㎞って遅すぎません?原付と一緒ですよ」愚痴を吐きつつも指示通りにホリ車を走らせた。

 

 

「・・・嘘でしょ?気付かれた?」

 

 ホリ車が走り出した時。その場所から600メートル離れた地点にチャレンジャーが2輌、ホリ車が砲を向けて待機していた。

 このチャレンジャー3号車と5号車は、清水の指示でこの場所に来ていた。

「この戦車は固定式戦闘室で前線で戦うのは不利だから、後方に留まる。奇襲にも直前まで気付かれない」と言われたのだ。

 清水の言うとおり、確かに後方で待機していた。攻撃しようとした直前。突然動き始めたのだ。気付かれないと言われていたので、これは想定外だった。

 

「通信手。隊長に回線を繋いで」2号車の車長がそう指示し、通信手が神田と回線を繋いだ。

 

「こちらチャレンジャー2。例の砲戦車が動き出しました。奇襲を仕掛ける直前にです。追尾しますか?」

 

『・・・恐らく前線から指示があったんでしょう。後方をしっかり押さえれば、99.9%撃破出来ます。他の車両は気付かれていません。あなたたちも尾行を開始してください』

 

 そう言われると、一方的に無線が切られた。「時間は有限。どんな事でも、効率良く済ます」、それが清水の言いぐさだ。連絡を単調に済ますのも、効率重視のせいだろうか。

 言い回しや態度が癪に触るが、言うとおりに動けば確実に勝利出来る。()()()()()()9()9().()9()()()()()()のだ。

 2輌のチャレンジャーはホリ車より500メートル後方に陣取り、エンジンを出来るだけ絞りながらその後を追っていった。

 

 一方。水田に連絡を終えた井深は地図を見直していた。ここから北西よりに進むと、市街地のように小さな建物が並んでいるエリアに出る。

 ここまで敵を見ていないし、もしかしたらそこに潜んでいるかもしれない。

 乗員に北西に向かうよう指示し、上半身を出して周囲を見た。VK45.02(P)が発する独特なモーター駆動音が周囲の暗闇に吸い込まれていく。

 

『こちら盛田!!救援を求む!!場所はスポット888!繰り返す!場所はスポット888!!誰か応答してくれ!!』

 

 盛田からの救援要請だ!井深は体を引っ込めて、インカムを手に取って応答する。

 

「こちら井深。現在の状況を教えて」

 

『敵に待ち伏せされた!!警戒して進んでいたつもりだったんだが、いつの間にか背後を取られてた!!後ろに2輌くっついていて振り切れない!!』

 

「分かった。こっちに引き寄せて、一緒に対処しよう。落ち着いて・・・」

 

 その時!砲弾が右前で着弾し、操縦手が慌ててブレーキを掛けた。弾痕からして恐らく17ポンド砲。上半身を車外に出して後ろを見る。姿は確認出来ないが、別の戦車のエンジン音が聞こえてくる。

 

「逃げるよ!全速力で!!」

 

 

 水田は再び機関砲に就いて警戒態勢に入り、じっと暗闇を見詰めていた。視線の先は暗闇が視界を奪ってるが、その中に何かがいる。そんな気がしてならなかった。

 

「水田さん!加藤隊長、井深車長、盛田車長、村橋車長、酉沢車長から緊急連絡!敵に後ろを取られ、現在交戦中!至急、援護射撃を求めると言ってます!!」

 

「後ろを取られた?まさかそんな・・・

 

(・・・待てよ?どうやって後ろを取った?加藤隊長と酉沢は一緒に行動しているからまだ納得出来るが、他の3輌は別々に行動している。同じタイミングで報告が入り、同じ状況に置かれている・・・だとすると)

 

 水田は再び視線をホリ車後方の暗闇に向けた。あくまで推測に過ぎないが、可能性としては零ではない。

 

「織田!全速前進!最高速度で現区域を突破する!!」

 

「え!?ちょっ、何ですか急に!」

 

「敵に後ろを取られている!隠密を意識するな!逃げることだけに集中しろ!!伊藤!照明弾、発射用意!合図と同時に打ち上げろ!」

 

「照明弾ですか!?それを打ち上げたら敵に居場所をバラすことになりますよ!?」

 

「井深車長が履帯の跡を見つけた辺りからとっくに居場所はバレている!良いから構えとけ!」

 

 伊藤は戦闘室の壁に掛けてあった照明弾を打ち上げる拳銃を手に取り、側面のハッチを開けて銃口を空に向けた。同時に水田は機関砲に戻り、弾薬を装填して銃口を水平に調整する。

 

「今だ!打て!!」合図と同時に照明弾が打ち上げられた。弾は上空40メートルの辺りでパッと弾けて、淡い黄色の光を放ちながら辺りを照らした。

 すると、ホリ車から後方500メートルの辺りに2輌の戦車が確認出来た。車体を黒く塗装したチャレンジャーだ!

 

「居たぞ!!後方500メートル!砲口をこっちに向けている!回避行動!!」

 

 秋川たちは一瞬動揺したが、すぐ水田の指示通りに動いた。織田がアクセルを目一杯踏み込んで敵からの離脱を計ろうとする!

 

 

「は?嘘でしょ!?何で!?」チャレンジャーの乗員たちは想定外の事態に驚愕していた。

 エンジン音が聞かれないよう、出来るだけ絞りながら尾行していた。すると突然加速したと思ったら、照明弾を打ち上げてこちらの正確な位置を突き止めたのだ。さっきと言い、今と言い、何故こうなったのか全く理解出来ない。

 

「・・・兎に角追うわよ!!こうなった以上、四の五の言ってもしょうがないわ!こっちの方が機動力は上なんだから!!」

 

 2輌のチャレンジャーが急加速し、ホリ車に迫る!巡航戦車とだけあって、速度が乗ればホリ車に接近するのは容易だ。

 

 

 チャーフィーに追われていた時もだが、改めて機動力の差に愕然とさせられる。いち早く気付き、先手を打ったつもりだったが、あっという間に距離を詰められてしまった。

 砲口がエンジンを捉えた。ここまでか・・・と諦め掛けていたその時!追ってきていた1輌のチャレンジャーのエンジンから突然火の手が上がり、白旗を上げて停車してしまった。

 

『大丈夫!?助けにきたわよー!!』右から別の戦車が接近してきた。T25E1だ!

 

「村橋車長ですか!?助かりましたが、何故ここに!?」

 

「あのエリア巡回してた時に見つかっちゃってさ。振り切ろうとしてた所に信号弾が撃ち上がったのが見えて、もしやと思って来たわけ!こっちも2輌くらい引っ付いてるけど、一緒なら大丈夫っしょ!」

 

『こちら加藤!全車に緊急伝令!カヴェナンターが損傷!こっちも軽微だけど損傷したから、一旦市街地エリアの教会っぽい建物に逃げ込むわ!みんなもそこに集合して!!』

 

 加藤からの緊急伝を受け取ると、水田は地図を広げて現在位置と目的地を照らし合わせた。機関砲を撃つことだけに集中していたので気付かなかったが、市街地まではそう遠くない位置にいる。何とかなるかもしれない・・・

 希望が見えたと思ったら、横を走っていたT25E1から轟音が響いた!エンジンから煙を上げている。敵の攻撃が当たったのだ!

 

「村橋車長!大丈夫ですか!?」

 

「あー!!大丈夫じゃないかも!消火装置作動させたけど、出力が上がらない!先に行って!盾になるわ!!」

 

「置いていけませんよ!!織田!T25E1の後ろに付けろ!」

 

 織田はすぐT25E1の後ろにホリ車を回し、車体を接触させてアクセルペダルを深く踏み込む。前方の視界確保はT25E1の操縦手に任せ、水田は再び機関砲の斉射に戻った。当たりはするが、貫通力が足りないのか弾かれてしまう。

 

 

 一方。教会に模した建物に到着した加藤は、直ぐ様エンジンルームを開けた。直撃は免れたたものの、砲弾が掠ったせいか吹かしても回転数が上がらず、アイドリングが安定しない。カヴェナンターも同じ状態だった。

 その直後、VK45.02(P)とVK30.01(P)が到着し、入り口を固めて反撃の用意に入った。すると、遠くから砲撃音とエンジン音が聞こえてきた。

 井深と盛田が目を凝らしてじっと見ていると、T25E1とホリ車が全速力で突っ込んでくるではないか!

 

「どいてぇー!!そのまま突っ込むからぁー!!」村橋が怒鳴ると2人はすぐ戦車を退かすように指示し、入り口を開けた。

 2輌の戦車は減速すること無く教会に突っ込み、フルブレーキで何とか停車させた。ホリ車はすぐ方向転換して砲口を入り口に向け、神原が取り敢えずで一発撃った。

 当たら無かったが牽制にはなったようで、追手は追跡を諦めて姿を消した。ホリ車の乗員は深い溜め息を吐いた。もう少しで追い付かれる所だった。

 

 

 取り敢えず一息付いたところで、損傷した戦車の応急措置を開始した。損傷したルノー乙型、カヴェナンター、T25E1の3輌の内、2輌は直撃を免れたものの、T25E1はエンジンに直撃を食らってしまった。

 直撃を免れた2輌の損傷具合も決して軽微とは言えず、燃料系統や電気系統がやられてしまっているらしい。

 損傷を免れた3輌は入り口の警備に周り、水田もその任務に就いた。本当は応急措置を手伝いたい所なのだが。

 すると、暗闇から戦車が走ってくる音が聞こえてきた。かと思えば、音が止まった。ErsatzM10が来たのかと思ったが、だとしたらわざわざ停まる必要はない筈・・・暗闇から何かが見えた。青い旗、休戦旗だ。その旗と一緒に、3人の女子生徒が姿を現した。その内、眼鏡を掛けている生徒が名乗りを上げた。

 

「・・・私は帯広女子学園戦車道科の隊長、清水と申します。あなたたちにお話があって来ました」

 

 水田は秋川たちに攻撃を待つように言い聞かせ、ホリ車を降りて彼女たちの前に立ちはだかった。

 

「用件はなんだ?」

 

「気にならないんですか?何故、あなたたちの居場所が割れたのか。それを話に来ました」

 

「手の内を明かすと言うのか?そんな事をしたら、不利になるんじゃないか?」

 

「いいえ。そんな事はあり得ません。例え私たちの戦略を知った所で、99.9%負けます。決して、覆ることはないでしょう」



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第十五話 現代の戦略/過去の戦略

前回のあらすじ

準決勝に挑む延岡校は、今まで経験したことがない夜戦に参戦することとなった。
加藤から「相手は動きを読む」という妙な情報を伝えられるが、殆どはそんなわけ無いだろうと思って取り合おうとしなかった。

それから1週間後。
準決勝の幕が上がり、水田は支援砲撃という体勢を取るために後方に待機していた。
他の戦車は前線に向かっていたが、そこで予想だにしない出来事に遭遇する羽目になる。敵がいつの間にか後ろに回り込んでいたのだ。

一方のホリ車も気付けば後ろを取られていたが、水田の勘で接近を察知したお陰で撃破を免れる事が出来た。
逃走中の最中。加藤から「損傷したから市街地に逃げる」と連絡を受け、水田も本隊と合流するために市街地へ急行した。

追手を振り切り、加藤に指定された合流地点に到着した水田たちは、先ほどの戦闘で3輌故障していることを知らされる。

応急措置をしていると、暗闇から帯広校隊長の清水が姿を現し、「あなたたちは99.9%負けます。決して、覆ることは無いでしょう」と告げた。


「今、9()9().()9()()()()()と言ったな。何故そう言い切れる?」

 

「簡単に言えば、あなたたちの戦略は古いと言うこと。言い方を変えれば、『過去の物』と言う事です」

 

 水田と清水の間に、言葉では言い表せない程重い空気が流れていた。十秒程沈黙があった後、加藤が2人の間に割って入る。

 

「あなた。私たちが『戦略を知った所で負けはしない』って言ったわね。どういう事なのかしら?」

 

 この質問に対し、清水は黙ったまま手に持っていたノートパソコンを開いて加藤たちに画面を見せた。そこにはアルファベットで『TSS』と書かれている。

 

「・・・これは?」

 

「必要なデータを入力すれば自動で最適な戦略を考案、提示してくれるプログラムです。試合中であっても新たなデータを追加入力するだけで、戦略を再検討してくれます。人が考案するよりも早く、確実です」

 

 これは清水が作ったもので、その名を『Tank(タンク)Strategy(ステラジー)(戦略)Simulation(シミュレーション)』、頭文字を取って、『TSS』と呼ぶ。

 対戦相手の戦車の情報。形式。試合会場の地形データを入力すれば、敵の動きや出方を自動でシミュレーションし、最適な戦略を提示してくれる。

 試合中であっても、互いの戦車の損傷具合。敵がどのエリアから出現したかと地形データに加えて入力するだけで、新しい戦略を考案してくれる。

 聞いていた水田たちには信じられない事だったが、相手はこちらの動きを全て読んでいた。加藤が最初に言っていた事は嘘ではなかった。

 

「戦車道に置ける戦略は時代遅れと言えます。いくら時間を掛けて検討や協議を重ねた所で、その戦略は不確実と言えます。戦車道とは言えど、戦略の考案や検討は現代技術の恩恵を受けるべき、と私は思います。あなたたちが勝てないという理由は、そう言うことです」

 

 自論の語り終わると、水田に視線を向けて「そう言えば」、と話し始めた。

 

「あなたに聞きたいことがあります。味方から報告では、唯一あなたが指揮する戦車だけ奇襲に失敗したと聞きました。何故、近付いてると気付けたのですか?」

 

 何故そんな事を聞くのかと一瞬疑問に思ったが、彼女が持っているノートパソコンを見てピンと来た。

 人が考えるより確実と豪語しているプログラムが外した。何故外れたのか、納得出来ないのだろう。答える義理は無いが、答えても特に問題は無い。

 

「味方からスポット887で履帯の跡を見つけたと報告を受けたんだ。発見場所と俺たちの現在位置を地図で照らし合わせると、予想より早くそのエリアを通過している事が分かった。更にそこから辿ると、俺たちが構えていた場所にたどり着いた、という事さ」

 

「はぁ・・・理解出来ません。味方からの報告と地図を照らし合わせただけで、敵の接近を悟るなんて」

 

「俺にはプログラムに戦略の全てを任せている事が理解出来ないがね。だが・・・そのTSSというプログラムを用いるのがあんたの戦略なら、こっちには『経験』という戦略がある。どっちが正確な物か、すぐ分かるだろう」

 

 しん、と再び辺りが静まり返った。そのまま数秒の沈黙があり、修理をしていた乗員がスパナを落とした音で沈黙は去った。

 

「・・・1時間待ちます。時間が来たら容赦なく攻撃しますので、そのつもりで」

 

 そう言い残すと、闇の中へ消えていった。どうやらフェアな戦いをしたいらしい。水田は清水たちを見送ると、奥で応急措置中の3輌の戦車を見た。

 

(こちらの戦力は向こうも把握している。フラッグ車であるルノー乙型。カヴェナンター。T25E1。この3輌は損傷し、満足に走れない。さて、どうするかだが・・・)

 

 そんな事を考えながら、3輌の応急措置の手伝いに回った。相手の隊長は「1時間待つ」と言ったのだ。そこまで警戒しなくても大丈夫だろう。

 

 

 一方。

 会場の観客席では、先程映し出されていた両者のやり取りについて、様々な憶測が飛び交っていた。そんな会話を横目に、再び会場に足を運んでいる西沢姉妹はじっと画面に視線を向けていた。

 

「はぁーあ。暫く退屈になりそうね。延岡校は7輌の内3輌が損傷。内1輌は自由奔放に走り回ってるし、勝負は付いたようなもんじゃない。帰ろうよ」

 

 麻美は背を伸ばして欠伸をしている。麻美の言うとおり、勝負はもう決まったようなものだ。周りに座っていた観客の中には、ぼちぼちと帰り始めている。だが、花蓮は帰ろうとしない。

 

「麻美。そんなに暇なら飲み物を買ってきて貰っても良いかしら?屋台も出てたし、これで好きなもの買ってきて良いわよ」

 

 花蓮は財布から千円札を取り出して麻美に渡した。麻美はむすっとした顔で席を立ち、屋台がある方へ向かって行った。

 

「これで勝負が付いたとは・・・思っていないようだな」

 

 横で座っている老人が花蓮に話し掛けた。周りは気付いていないが、この老人は戦車道の協会長である友幸だった。

 花蓮と麻美に同行し、この準決勝戦の観戦に来ていた。友幸もこの試合が気になっているらしい。

 

「麻美の言うとおり、現時点に置いては延岡校側の方が不利でしょう。ですが、これまでの戦いを見て来てこの状況を打開出来ない策が無いとは思えません」

 

「ふむ。確かに・・・私も試合を見てきたが、誰が見ても不利であろう状況に置かれても上手く切り抜けてきた。今回はより厳しい状況に置かれているようだが、どう切り抜けるか見物だな」

 

 

 40分後。何とか応急措置の目処が立ちそうな所まで来た。

 エンジンに直撃弾を食らったT25E1だが、エンジン本体の損傷は思っていたより軽微で、変速機と点火系統の損傷が深刻だった。

 変速機は2速以上ギアが上がらず、点火系統の部品であるディストリビューターが故障し、8つあるシリンダーの内、4つにしか点火出来ない状態にあった。

 損傷箇所は応急措置ではどうにも出来ず、自走するのは難しい状態だった。

 

 カヴェナンターは攻撃を食らった時に冷却系統をやられたらしく、エンジンとラジエーターを繋ぐホースの繋ぎ目に亀裂が入り、冷却水が漏れていた。取り敢えずの処置でビニールテープを何重にも巻き付け、紐で思いっきり縛り付けるという形を取った。

 

 そしてフラッグ車のルノー乙型は、思っていた以上に深刻な問題を抱えていた。燃料タンクに穴が空いているのだ。

 砲弾の破片が運悪くタンクを掠めたらしく、1センチ程度の穴が空いていた。燃料が漏れていたにも関わらず、着火しなかったのは不幸中の幸いだった。

 ルノー乙型はガソリンエンジンだ。ガソリンは気温がマイナスでも蒸発してしまうので、小さな火花1つですぐ火の手が回る。

 あまり好ましいやり方ではないが、穴を塞ぐようにビニールテープを貼って急場を凌ぐ事にした。

 

 応急措置を済ませた後。車長全員が呼び出され、緊急会議が開かれる事になった。

 地図を開き、その上に戦車と同じ数の石を置いて現在位置を再確認したが、集まっている車長たちは頭を悩ませた。

 現状はこちら側が不利。相手はこちらの動きを把握していると来た。この状況をどう打開すれば良いのか。不安の思いが車長たちの間で漂っていた。その空気は他の乗員たちにも伝わっているようで、徐々に空気が重くなっていく。

 

「何か、策がある人・・・いる?」加藤が質問を投げ掛ける。誰も答えない。全員広げた地図に視線を落としている。

 すると水田が離れ、入り口を固めている3輌と故障した3輌を眺めた。「何してんの?」と酉沢が溜め息混じりに聞くと、水田は秋川を呼び出してこう聞いた。

 

「秋川。ルノー乙型。カヴェナンター。T25E1の『全備重量』は分かるか?」

 

 呼び出された秋川は、聞き間違えたかと耳を疑った。何故戦車の全備重量を聞かれるのか、理由が分からない。『全備重量』とは、人員、弾薬、燃料等を規定数載せた時の総重量を意味する。

 

「は・・・?全備重量、ですか?」

 

「そうだ。それぞれ何トンなのかを大体で良いから教えてくれ」

 

「え、えっと・・・ルノー乙型は約7.8t。カヴェナンターは約18t。T25E1が約38tです」

 

「じゃあ次に、VK30.01(P)。VK45.02(P)の全備重量は?」

 

「VK30.01(P)は約30t。VK45.02(P)は約64tです」

 

「ホリ車は約40tだったな・・・分かった。ありがとう。持ち場に戻れ」

 

 秋川は全備重量を聞かれた理由が分からないままホリ車に戻った。水田は各車に設置されたワイヤーを見ると、加藤たちのもとへ戻った。

 

「何とかなるかもしれません」

 

 この一言に車長たちはざわついた。今の会話の中で、この危機的状況を改善出来る手立ては無いように思える。そんな中でも、水田は淡々と話を進める。

 

「故障車を横一列に並べてください。それからワイヤーを・・・

 

 

 クロムウェル率いる帯広校の戦車隊は市街地から約2㎞程離れた木の陰に潜み、敵の出方を伺っていた。

 クロムウェルの車内はパソコンのブルーライトで照され、清水が一心不乱と言わんばかりにキーボードを叩いている。データの入力が一通り済み、車内の壁に寄り掛かった。長時間パソコンの画面を見続けるのは、流石に目に堪える。

 

(あの戦車・・・『ホリ車』、だったかしら。旧日本軍最後の中戦車をベースに造った『砲戦車』。あんな戦車で前線を張るのは不可能・・・これはTSSを用いなくても分かる事・・・だけど)

 

 清水の中で、不安が渦巻いていた。

 これまでの試合で、このTSSが外した事は無かった。このプログラムに不備は無い筈・・・そう言いかせていた。

 

 人付き合いが苦手で、人との会話はあまりしてこなかった。それが原因で苛められたりと散々な目に遭ってきた。

 そんな彼女は中学2年生の時。戦車道という武道に出会った。母が元戦車道の履修生で、薦められたのがきっかけだ。

 戦車そのものに興味は無かったが、戦略がどういうものなのかと気になり、その武道を始めること承諾した。

 入ってすぐ、その内容を知って愕然とした。てっきりパソコンのソフトでも使っているのかと思ったが、そんなものは一切使用せず、作戦の立案は車長同士の会議で行っていた。

 

 まだそんな不確実なものに頼っているのかと内心がっかりしたが、同時にここでなら自分の特技を活かせるという期待が高まった。

 父親がシステムエンジニアで、小さい頃から父と2人でパソコンに触れるのが好きだった。

 小学生になった頃にはプログラミングを始めるようになり、いつの間にかそれが唯一の特技となっていた。「戦略を立案出来るプログラムがあれば、無敵のチームが作れる」と思い、早速プログラム作成に取り掛かった。

 

 制作開始から10ヶ月。

 必要なデータを入力するだけで、短時間で最適な戦略を考案するプログラム、『TSS』が完成した。周りからは「たかがプログラムで」と嘲笑されたが、その実力は予想以上だった。

 清水率いるTSSを使用するAチームと、これまで通りの戦略で挑むBチームで分かれて対戦したところ、なんとAチームが圧勝。Bチームは成す術が無いまま敗北という結果となった。

 清水には戦略を考案するという経験はない。全ては自分が作ったTSSの活躍によってもたらされた結果だった。

 

 清水の目論み通り、戦略を考案するプログラムを使って無敵のチームを作る事に成功した。周りからは「卑怯だ」と罵られたが、戦車道の規則に『プログラムを用いて戦略を考案するのは禁止』という項目は無いので、周りがどう言おうと気にしなかった。

 

 帯広校に入学した清水は、「正確さをそのままに、より早く考案するようにするには処理能力が早い機材を用いる必要がある」と思うようなった。

 今までノートパソコンでTSSを使用していたが処理能力に限界があり、時々フリーズしてしまうという欠点があった。

 その欠点を克服するには、パソコンとは別にコンピューターを用いる必要があり、戦車に載せる計画を練っていたがそんな戦車は無かった。

 帯広校に進学し、思いもよらない出会いをすることになる。それが、現在搭乗しているクロムウェル指揮戦車だった。低出力の無線機を2つ搭載しているので、1つを退かせばコンピューターを置くスペースが確保出来ることを知った。

 早速その改造を施した所、これがドンピシャだった。フリーズという欠点を克服し、TSS本体の処理能力は格段に上がった。

 帯広校の生徒たちは「高度な戦略の考案が簡単に素早く出来るなら」と、新入生であった清水を隊長に任命した。

 帯広校もここ数年は勝率に伸び悩み、勝つためには手段を選ばない風潮になりつつあった。

 

 TSSを駆使して戦う帯広校は一回戦、二回戦を順調に突破し、準決勝にまで上り詰めた。

 そして今、対戦相手の延岡校を危機的状況に追いやった。こうして時間的猶予を与えたのは故障車を一方的に攻撃するという野暮な手はしたくなかったからだ。

 TSSがシミュレーションを終えて、ノートパソコンの画面に結果を表示した。「対戦相手が現状を変えるのはほぼ不可能である。残り時間も少ないので、焦って飛び出してくる。そこと落ち着いて迎撃すれば良い」と結論を出した。

 

(・・・心配することは無いわ。TSSは私が作ってきた中での最高傑作。絶対負けはしない)

 

『そのTSSというプログラムを用いるのがあんたの戦略なら、こっちには『経験』という戦略がある。どっちが正確な物か、すぐ分かるだろう』

 

 水田の言葉が頭を過った。TSSと経験・・・どちらが正確か?そんなものは、分かりきった事。

 

「隊長。そろそろ1時間経ちますけど、どうします?」

 

 操縦手が腕時計を見ながら報告する。清水は軽く背を伸ばし、こう告げた。

 

「前進用意。戦略は追って指示を・・・

 

 言い終わる直前。遠くからエンジン音が響いてきた。アヴェンジャー5号車の車長が外を確認すると、相手の戦車が横一列に並んで走っていた。

 

『こちらアヴェンジャー5。対戦相手が市街地から出ました。見えるのはVKシリーズの2輌と、砲戦車1輌だけです』

 

「残りの3輌は?」

 

『・・・確認出来ません。満足に動けないんで、後方で待機でもしてるんじゃないですか?』

 

 報告を受けた清水はすぐプログラムに追加の入力をし、新しい戦略を導き出した。

 

「・・・クロムウェルより全車へ。アヴェンジャー6輌とチャレンジャー3と4の半々で編隊を組み、後方に回り込んで攻撃を開始してください。チャレンジャーは1、2は私たちの護衛に付いてください。ホリ車に機関砲が付いていますが、十分に距離を取れば貫通することはありません」

 

 指示された戦車たちが仕留めに掛かる。この奇襲に成功すれば、延岡校の陣営は総崩れ、後は全力を出せない戦車を一掃すれば良い。その中にはフラッグ車も含まれている。そう難しくない戦いだ。

 

 アヴェンジャー3輌とチャレンジャー1輌のA、B班を2つ編成し、A班は右舷から、B班は左舷から回り込むように前進していく。相手の編成を確認したところ、相手の進行方向から見て右舷にVK30.01(P)、左舷にVK45.02(P)、中心にホリ車だった。

 編成を確認し、相手の後方500メートルの所を陣取った。そこからA、B班のアヴェンジャーが2輌ずつ進軍し、側面を取った。照準を合わせ、攻撃に移ろうとした、その時だ!

 突如、ホリ車から照明弾が打ち上げられた!照明弾が弾け、強い光が辺りを覆う。側面を陣取ったアヴェンジャーの乗員たちはその光景に目を疑った。VK30.01(P)、VK45.02(P)、そしてその後方には繋がれた残りの3輌の戦車が砲口を向けている!

 攻撃指示を出そうとしたが、相手が一方早かった。4門の主砲と機関銃が一斉に火を吹き、アヴェンジャー4輌を撃破した!

 

 後方に繋がれた3輌はすぐ砲塔を後ろに向けてきた。A、B班はその場を離脱し、急いで距離を取った。

 

「こちらチャレンジャー3!側面を取ったアヴェンジャー4輌が撃破されました!!相手は故障した3輌の戦車を背中合わせに繋いで進軍しています!!」

 

 延岡校は、VK30.01(P)にルノー乙型。VK45.02(P)にカヴェナンター。ホリ車にT25E1を背中合わせに繋ぎ、互いにエンジンを守るという作戦に出た。

 水田が秋川から各車の全備重量を確認したのは動ける3輌の牽引力を知るためであり、故障した戦車の重量と照らし合わせて牽引可能な戦車を選定するためだった。

 敵の接近には気付いていたが、ギリギリまで粘ったのは相手を油断させるためだ。ほぼゼロ距離まで接近させれば、相手は気付いていないと思わせる事が出来るからだ。

 

 

 観客席ではこの反攻を見て歓声が上がっていた。これを見ていた花蓮は目を見開いた。

 

「攻撃力を高めると同時に、一番の弱点であるエンジンを守る・・・故障して満足に動けないという問題を上手く相殺したようですね。ですが、何故ホリ車がT25E1を牽引しているんでしょうか。故障車の中では一番重量があるのに」

 

 花蓮が疑問に思ったのは、一番重量がある故障車であるT25E1をホリ車が牽引していると言うことだった。

 牽引力を決める要因の1つとして、牽引する側の重量が関係してくる。ホリ車は約40tに対し、VK45.02(P)は約64t。

 牽引力があるのは後者と言うことになるので、T25E1はVK45.02(P)が牽引した方が良いように思えたのだ。すると友幸が口を挟んだ。

 

「確かに。()()()()VK45.02(P)の方が牽引力はあるだろうな。だがこの両者には、決定的に違う所がある」

 

「違う所ですか?」

 

「駆動方式だ。VK45.02(P)は電動モーターで走っている。モーターはエンジンと違って回転力はあるが駆動トルクは小さい。ポルシェ・ティーガーが地面に埋もれてしまった原因だ」

 

『駆動トルク』は人で例えると『蹴る力』を指す。いくら足を早く動かしても、この蹴る力が小さいと前に進めないのだ。

 

「にしても・・・ホリ車を中心にして左右を固め、背中合わせにすることで弱点を隠し、更に前と後ろの攻撃範囲を専業化することで、互いの負担を軽減している。誰が考案したかは分からんが、よく考えているな」

 

 そう言うと席を立ち、出口の方へ向かって歩き始めた。

 

「お祖父様?見ないんですか?」

 

「お前も分かっているだろう。もう勝敗は決まった様なものだ。それに、長時間座っているのは老骨に堪えるんでな」

 

 友幸は杖を突きながらその場を後にしようとする。

 

「お祖父様。1つ宜しいでしょうか?」

 

「何だね」

 

()()()()()()()()()()ことを知っていたんですね?」

 

「・・・連れ戻す気か?お前の説得に応じるとは思えんが」

 

「あの子も西沢流の継承者の1人です。何としても、連れ戻します」

 

「無駄だと思うぞ。あの子はお前と違って頑固な所があるからな」

 

 歓声が大きくなった。

 花蓮が一瞬画面の方を向き、視線を戻した時には友幸の姿は無かった。

 

 

 帯広校の弾幕を張り続け、編隊は迫るアヴェンジャー郡を寄せ付けないようにしていたが、流石にこの作戦にもそろそろ限界が近付いてきた。加藤が上半身を出してホリ車に向かって叫ぶ。

 

「水田くん!そろそろフラッグ車を探した方が良いんじゃないかな!?」

 

「検討は付いてます!全車2時の方角へ砲火を集中!!このステージで市街地以外に隠れられる場所は他に無い!」

 

 水田の指示に合わせ、砲口がクロムウェルたちが隠れている森林の方に向いた。砲弾を装填し、トリガーを引こうとしたその時だった。

 狙いを定めた方角から火の手が上がった。何かが爆発したようなだ。突然の出来事に両者がその場で止まると、アナウンスが流れてきた。

 

『帯広女子学園フラッグ車、戦闘不能!よって、延岡女子高等学校の勝利!!』

 

 アナウンスを聞いた水田たちは、何が起こったのか理解出来なかった。まだ撃っていないのに相手が負けたと言うのだ。ここにいる誰かが攻撃したのかと思ったが、まだ発砲はしていなかった。

 

『おいおい!うちらの事忘れたんじゃねぇだろうな!』

 

 通信機から声が聞こえてきた。ずっと別行動をしていた鬼嶽の声だ。

 

『連中の隊列を見つけてはいたんだが狙いが定められなくてよ!フラッグ車側が手薄になるのを待ってたんだ!』

 

 鬼嶽の話を聞いた水田は、ふっと苦笑いしながらこう返信した。

 

「・・・いえ。逆に助かりました。と言うより、あなたたちの事を完全に忘れてましたよ」

 

 延岡校の生徒たちは水田と同様ほっとしていた。砲口を向けた時点で残り時間は10分を切っていた。これ以上長引けば引き分けになるところだった。

 

 

 時刻は午前5時。ゆっくりと朝日が顔を見せ始めている。

 ステージから引き上げた水田たちは、学園艦に戻る前に休息を取っていた。午後9時から始まり、終わったのは午前2時。普段の倍以上の疲労感を感じていた。

 延岡校の乗員たちは一旦仮眠を取り、日の出と同時に出発する手筈となっていた。

 他の乗員たちはテントで仮眠を取っていたが、水田はホリ車の中で少しだけ仮眠を取った。疲れていたが、試合に勝ったと言う興奮からか眠れなかった。

 

「皆ぁ起きてぇー。出発するわよぉー・・・」加藤が寝ぼけた状態で乗員たちを起こし始める。

 ぼちぼちと出発準備が始まる中、秋川が「誰か来ますよ?」と指を指した。薄暗い中から、意気消沈を具現化したような雰囲気の清水が姿を見せた。

 

「・・・で?何で私が!最高のプログラムを作って、無敵のチームを作り上げたと思ったのに!!なのに何で!何であなたたちが勝ったんですかぁ!!」

 

 叫んだと思ったらその場に泣き崩れてしまった。延岡校の乗員たちはどう言葉を掛けるべきかと右往左往していると、水田が清水に近付き、しゃがんでこう話し掛けた。

 

「あんたのプログラムは、優秀だった」水田が話し掛けると、清水は涙でグショグショになった顔を上げる。

 

「・・・ゆ、優秀?負けた・・・のに?」

 

「『戦略の考案と検討には現代技術の恩恵を受けるべき』、これを聞いた時は成る程と納得したよ。確かに戦略を考えるのには時間が掛かる。俺たちだって、この戦いに挑むための戦略を決めるまでに2週間も掛かったからな」

 

「・・・じゃあ、何故?」

 

「あんたのチームはプログラムに()()()()()()()。それが導き出したのは理論的には正確なものかもしれないが、本当に信頼出来る物は『経験』や『実体験』だ。理論が全てじゃない。正確な理論をそのTSSで導き出すと同時に、経験に基づいた裏付けが出来れば良かったのにな」

 

 そう言われた清水は、これまでの出来事を思い返した。今までの戦いで得られた経験を活かした事は無かった。

 戦車道を始めて現在に至るまで、TSSを作ってからの初陣で勝利したので、「これが正しいんだ」と思って頼りきっていた。

 

「あんたは負けたが、落ち込むことはない。『勝つ』経験より『負けた』経験の方が活かせる。何が間違っていたのか。どうすれば勝てるかを改めて考え直すことが出来るからな。どうすれば良いかは、もう分かっているだろう」

 

 朝日が上り、水田と清水を照らす。加藤が目で「そろそろ出発するよ」と伝える。水田は別れ際に、「頑張れよ」と言ってホリ車に戻った。

 

 

 準決勝を終えて2日。

 延岡校はいよいよ最後の決戦を控えることになった。決勝までの猶予は1ヶ月。今日も朝から訓練をすることになっていた。水田たちは朝のHR(ホームルーム)を終えて、格納庫に向かって歩いていた。

 格納庫に近付くにつれ、ざわつきが聞こえてくるようになった。一体何事かと思い早足で向かうと、そこには予想だにしない人物が立っていた。

 そこに居たのは宇都宮校の隊長と副隊長の、西沢花蓮と麻美だった。何故ここにと思いながら唖然としていると、花蓮が口を開いた。

 

「・・・やっと見つけたわ。沙樹・・・ああ、ここでは『酉沢』と呼んだ方が良いかしら?」

 

 全ての視線が酉沢に集中する。当の本人は呆然としていた。花蓮の言っている事が嘘か真か、理解するのに時間は掛からなかった。

 一難去って、また一難。決勝を控えた水田たちに待っていたのは、修羅場だった・・・



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第拾六話 それぞれの思い 消えた記憶

前回のあらすじ

味方が3輌故障し、戦力が半減した延岡校。
対戦相手の盛岡校は戦略シミュレーションプログラム、『TSS』を用いて、動きを全て予測しているという。
戦力は半減し、こちらが立てる戦略は全て読まれるという、今までに無い絶望的な状況に加藤たちは悲観する。

しかし。水田はその絶望的状況を逆手に利用することを思い付く。
戦車を背中合わせで繋ぎ、全方位をカバーしながら反撃するという戦略で、接近してくるチャレンジャー、アヴェンジャーを撃退する事に成功する。
最後は別行動を取っていたEratzM10が敵の死角から攻撃した事でフラッグ車の撃破に成功し、延岡校の勝利となった。

準決勝から2日。
残すは決勝戦のみとなった延岡校に、招かざる客が足を運んできた。
宇都宮女学院の隊長と副隊長、西沢花蓮と麻美だった。すると花蓮が酉沢の方を見て、「やっと見つけたわ。沙樹・・・いや、ここでは『酉沢』と呼んだ方が良いかしら?」と、酉沢の名前を呼んだ。『酉沢』は西沢流の後継者だったのだ。


 花蓮と麻美はじっと酉沢を見ていた。

 いや、正確に言えば『酉沢』では無く『西沢』という事になる。水田たちには何が何だか分からず唖然としていた。

 

「酉沢さん・・・?どういう事?」加藤が質問するが、当の本人は今の状況が理解出来ないのか言葉を詰まらせている。すると、麻美が溜め息を吐いてこう言った。

 

「『酉沢』ねぇ・・・全校に配られる出場名簿に似たような名前があるなとは思ってたけど、そんなんで誤魔化せると思ったの?わざわざ髪まで染めちゃって。お姉ちゃんの言うとおりにしてればこんな面倒な事にならなくて済んだのに」

 

「麻美。余計なことを言わないの」

 

「だってそうでしょ?宇都宮女学院の入学1週間前に私たちの前から消えた。電話しても繋がらないし・・・良い迷惑よ・・・ったく」

 

「良いじゃない。こうして再会出来たんだし・・・決勝前に会えて良かったわ。さぁ、帰りましょう」

 

 花蓮はそう言って手を差し伸べた。黙って見届けていた加藤だが、流石にこれは流せない。「ちょ、ちょっと待って!」と慌てて2人の間に割って入って止めた。

 

「帰りましょうって、勝手に連れて帰られても困るんだけど!?」

 

「別に困ることなんて無いでしょ?そもそもの話、こいつもあたしたちと同じ『西沢流』の血を受け付いてんのよ。こんな弱小校で真価が発揮出来る訳ないじゃん。まぁでも、こいつは出来損ないだし。何処に行っても同じだろうけど」

 

 花蓮が鋭い目付きで睨む。流石に言い過ぎたかとすごすごと引っ込んだ。

 

「あの子の言うことは気にしなくて良いわ。さぁ、行きましょう」

 

 花蓮が沙樹の手を握る。しかし、沙樹はその手を振り切った。

 

「嫌・・・私は戻らない!私は堅苦しいのは合わないの!だから出ていったのよ!!お姉ちゃんに何を言われても、戻る気はないの!!」

 

 花蓮はその頬をひっぱたいた。パシン!という音が喧騒を奪っていった。

 沙樹も唐突な出来事に処理が追い付いていない。

 

「我が儘言うんじゃないの!私たちがどんなに心配したか分かってるの!?あなたも私たちと同じ、西沢流の後継者!勝手な行動は慎まなければならないのよ!!」

 

 花蓮の怒号が格納庫内に響き渡っていく。「さぁ、行くわよ」。そう言って沙樹の手を取り、連れていこうとする。

 

「待て。勝手に連れてかれるのは困るんだが」

 

 花蓮と麻美が水田を見る。麻美は軽く嘲笑すると、威圧的な態度で近づいた。

 

「あのね。こいつも『西沢流』の後継者なのよ。これはあたしたち()()()()()、部外者が突っ込んで来るんじゃないわよ」

 

「流派の後継者だとかはどうでも良い。何があったのかは知らないが、そいつが自分の意思でここに来ている以上、勝手に連れていこうとするのはお門違いだろう」

 

 両者一歩も譲らない姿勢を見せたが、水田はすぐ麻美から離れて花蓮の方に近寄っていく。

 

「重要なポジションの人間が欠けるのがどれだけ困るか、分かっているだろう。そいつは立派に、車長としての責務を果たしているんだ」

 

「・・・あり得ないわ。この子は隊列から離れて、勝手に行動する癖があった。だから操縦手の籍に置いていたのに」

 

「お姉ちゃんは・・・いつもそうじゃない!」再び手を振りほどき、涙目で訴える。「私が何かしようとすれば『危険だ』とか何とか言って、私を縛り付けていた!だから離れたのよ!」

 

 感極まったのか泣き出してしまったので、伊藤が近付いて宥めた。花蓮が近付こうとしたが、水田がその前に立ちはだかった。

 

「代々受け継いできた物を守る事がどんなに大事かは良く分かる。だがな。それ以前に『個人の意見』を尊重しようと言う気は無いのか?今はこうして離れているが、いずれは戻る気でいるかもしれないだろう?」

 

 そう聞いた沙樹は顔を上げて水田を見た。(何言ってんの!?戻る気は無いのよ!!)そう心の中で叫んだが、声に出す前に花蓮は納得したように「良いでしょう」と言った。

 

「決勝戦で私たちに勝ったら、この身勝手な振る舞いを水に流すわ。どうするかはあなたの自由にすれば良い。もし負けたら、どんな理由があろうと戻って来ること。それで良いわね」

 

 沙樹が答え終わる前に花蓮は背を向けて歩き出していた。麻美が慌てて後を追ったが、足を止めて視線だけをこちらに向けた。

 

「先に言っておくけど・・・負ける気は無いわ。今回はいつも以上に真剣に挑ませて貰うわよ」

 

 冷酷かつ鋭い視線に加藤たちはたじろいだ。しかし、水田はフッと鼻で笑った。

 

「それは助かる。本気で挑んで貰わないと、こっちとしてもやりがいが無いからな」

 

 皮肉な返しをしたからか、目付きがより一層厳しくなった。それでも水田は動じなかった。2人は無言のままその場を去っていった。

 姿が見えなくなると同時に、沙樹が水田の胸ぐらを掴んで怒鳴り始めた。

 

「どういうつもり!?私は戻る気なんて無いのよ!!勝手に約束を取り付けて、お姉ちゃんを本気にさせた!あんたお姉ちゃんが本気出したらどんなにヤバイか分かってんの!?」

 

「落ち着けよ。さっき言ってたろ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

 

 そう言われた沙樹は、ゆっくりとその手を離した。水田は乱れた服装を直し、話続けた。

 

「規則さえちゃんと守るなら、相手が強豪だろうと本気で挑んでこようと知った事じゃない。真っ向勝負で来るならこっちもその勝負を受ければ良い。そうだろ?お前ら」

 

 視線を秋川たちに向けた。皆、「その通りです」と言っているように頷いている。

 それを見た加藤は、「よし!」と気合いを入れるように声を張り上げて言った。

 

「さて、と。訓練を始める前に、山積みになっている問題を片付けないとね」

 

 山積みの問題・・・決勝戦に向けての戦略もあるが、もっと重大な問題がある。準決勝で故障した戦車の損傷状況だ。

 

 乗員たちは第二格納庫で整備をしている三吉を尋ねた。

 準決勝から2日。整備班は故障車の修理に明け暮れている。三吉は訪ねて来た水田たちを見て、神妙な顔で現在の修理状況を伝えた。

 

 まずT25E1だが、パワーパックの予備に取り替えることで解決した。変速機とエンジンが一体化しているので、取り替えに時間は掛からなかった。

 

 そして燃料タンクに穴が空いたルノー乙型と冷却系統が損傷したカヴェナンターだが、整備班がいざエンジンルームを開けてみると、予想以上の損傷具合に驚かされたと言う。

 

 ルノー乙型はタンクに燃料ポンプ、そしてエンジンの重要な要となるシリンダーブロックに傷が入っていた。運悪く砲弾の破片が掠めてしまったらしい。

 造られたのは昭和一桁台で、現在戦車道で使われている中では一番古い戦車だ。三吉が部品屋を回って探したが、「型が古すぎる」という理由で見つからなかった。

 整備班は分解整備(オーバーホール)で何とかしようと尽力していたが、こればっかりはどうにもならなかった。

 

 カヴェナンターは試合中の段階ではエンジンとラジエーターを繋ぐホースの繋ぎ目が損傷していた。ガムテープで何重にも巻いていたので気付かなかったが、繋ぎ目に入った亀裂が大きく、「冷却水漏れでオーバーヒートしなかったのが信じられない」と言う程だった。

 更に調べた所。エンジンのバルブ関係が付いているシリンダーヘッドにも損傷箇所があり、マフラーに繋がっている部品のエキゾースト・マニホールドに傷が付いていた。

 こちらも部品を交換すれば済む話だが、「生産数が少ない」という理由で部品が出回っていなかった。

 何か別の方法でと試行錯誤していたが、やはり部品を交換する以外に手は無かった。

 以上の理由を踏まえ、三吉が出した結論は、「別の戦車に置き換える」、それしか無いと言う。それを聞いた織田が首を傾げた。

 

「置き換えるって、調達出来るんですか?こう言うのは何ですけど、戦車道科の予算ってかなり少ないんじゃ」

 

「あぁ、その件なんだけどね。皆がこうして決勝まで勝ち上がってくれたから、学校側も予算増やしてくれたのよ。高いのは無理だけど、それなりの物なら調達出来るわ」

 

 そう言うと、奥の作業台からカタログを引っ張り出してきた。世界各国の重・中・軽戦車だけでなく、試作車から量産型まで様々なタイプが載っている。

 加藤と西沢がカタログに目をやっていると、周りがカタログ見たさに集まり始めた。それを横目に、水田が三吉に近付いた。

 

「三吉整備班長。ちょっと頼みたい事があるんですが」そう言うと、点検のためにジャッキで上げられているホリ車を指差した。

 

「ホリ車の車体を改造してくれませんか?」

 

 突拍子もない申し出に、三吉は戸惑いを見せた。車体を改造するとは、一体どういうつもりなのか。

 

「改造って、どうするつもり?」

 

「戦闘室を後部に移して、エンジンを中心部に移してください。それと、車体前面の装甲を傾斜させてください」

 

 水田が要求した車体の形状は、過去にネットで見たホリⅠ型そのものだった。

 三吉は内容を聞いてすぐ理解したが、ある懸念を口にした。

 

「出来なくは無いけど、そんな改造したら貴重な火力を大幅に減らすことになるわよ?」

 

 現在。水田たちが搭乗しているホリⅡ型の主な装備は、105㎜の主砲。37㎜の副砲。そして車体後部に取り付けた2連装の機関砲が1基となっている。

 車体形状をホリⅠ型として、車体前面の装甲を傾斜させた場合。まず前面に取り付けてある副砲が無くなる。そして戦闘室を後方に移す際に機関砲も退かす事になる。

 残るのは105㎜の戦車砲1門のみ。固定式戦闘室を持つホリ車にとっては、この大幅な火力削減は致命的とも言える。

 

「分かってます。ですが、ホリ車そのものの性能を活かすにはそれが良いんです」

 

 水田は三吉に、火力を減らしてまで改造する理由を説明した。

 ホリⅡ型の車体形状は多砲塔型である。

 副砲があることで攻撃手段が多いこと、主砲の装填中でも攻撃出来ることが利点であった。

 しかし。副砲は『対歩兵用火器』としては充分な能力を発揮するが、『対戦車用火器』としては火力不足が顕著に目立ち始めていた。

 更に主砲弾の搭載スペースを圧迫し、主砲弾の携行弾数が少ないという問題もあった。

 勝ち上がって行く度に満足に活躍出来る場面が減っていき、いつの間にか『無用の長物』と化していた。

 もう1つの狙いとして、副砲を撤去すれば秋川が通信手として専業化出来るという目論みもあった。

 

 そしてこの現世では、2回戦からエンジン部の上に機関砲を2連装で増設している。

 始めの内は後方からの驚異に対抗出来る手段が出来たと安心していたが、いざ運用してみると重量が増えた事による加速性能、最高速度の低下し、機動面に難が出てきていた。

 水田が射撃を担当していたのだが、運用している最中に車長としての責務を満足に果たせないと言うことも気掛かりだった。指揮に遅れが出れば、戦況が不利になりかねない。

 載せた後に気付かされる事もあるんだと、改めて痛感させられた。

 

 車体前面を傾斜させる理由については、装甲前面が垂直になっているので、前面が貫通されやすい傾向にあったからだ。傾斜を付ければ、防御力の向上が望める。

 相手は大口径砲を持つ戦車ばかりだ。傾斜装甲がどれ程の効果を発揮するかは、過去の大戦が証明している。

 火力を減らすのは痛いが、主砲弾の携行数を増やすこと、乗員の負担軽減。防御力の向上、エンジンを最大限活かすためにはやむを得ないと考えていた。

 これは秋川たちとしっかり話し合って決めた事。始めは多少の反発もあったが、それでも最終的には全員が了承した。

 

「成る程ねぇ。乗員の専業化と防御力の向上か・・・改造するのは良いけど、時間掛かると思うよ?」

 

「構いません。だって旧日本軍の戦車は人気が無い、ですもんね」

 

 

 その日の放課後。時刻は午後6時を回った。

 誰も居なくなった格納庫に、加藤の姿があった。その目線の先には、エンジン部のハッチが全開で開けられているルノー乙型の悲しき姿があった。

 側に置かれているエンジンスタンドには、下ろされて分解してある壊れたエンジンが置かれている。

 昭和5年から現在に至るまでの82年間。約7.8tの車体を動かし続けた4気筒水冷式の心臓部は分解され、最早自力で回る事は叶わない。

 

「何してるんです?」後ろから声を掛けられ、驚いて振り返ると水田の姿があった。「帰ろうと思ったら格納庫に入っていく所が見えたんで」

 

 そう言うとルノー乙型に近付き、サッと敬礼した。その光景を見て首を傾げている加藤に、水田はフッと笑った。

 

「戦車に向かって敬礼するのは、変ですかね。今まで一緒だった仲間に対しては、こうするのが1番かと思いまして。じゃあ、これで」

 

 加藤に一礼すると、出口に向かって歩き出した。「・・・何でだと思う?」足を止めて、再び加藤の方を向く。

 

「何で・・・とは?」

 

「私がこの戦車に乗り続けていたこと。武装も貧弱で、装甲も対して無いのに、何で乗り換えなかったのか」

 

 言われてみれば、加藤は原田や他のメンバーからも「乗り換えた方がいい」と警告されていた。にも関わらず、乗り換えることなく準決勝まで進んだ。

 特に気にしていなかったが、何か理由があったのは気になる。

 

「予算の都合上で、と思っていましたけど・・・違うんですか?」

 

「アハハッ やっぱそう思ってたかぁ・・・まぁ無理もないよね」

 

 加藤は感慨深そうにルノー乙型を見てこう言った。

 

「この戦車と同じやつにね・・・私のひいお祖父ちゃんが乗ってたの。お祖父ちゃんにお父さんも戦車乗りでさ。私もお父さんたちみたいな戦車乗りになりたいって思って戦車道始めたんだ」

 

「戦車乗りの家系だった・・・という事ですか?」

 

「そう。ひいお祖父ちゃんが兵士だった時にこの戦車に乗ってたって聞いてたから、この学校に進学して初めて実物を見た時は驚いたわ。周りがどういう言おうと、この戦車に乗りたい。その一心だったわ」

 

 そう言われた水田は、改めてルノー乙型を見た。

 加藤にとって特別な存在だったと言うことが伝わって来るような気がした。

 いつの間にか加藤は目に涙を溜めて、落とさないように上を向いている。

 

「これに乗っているとさ、ひいお祖父ちゃんが側にいるような気がして・・・何か、どんなにヤバい状況でも、すごく冷静で居られたんだよね」

 

 軽く鼻をすすり、一筋の涙を落とした。「ああ・・・この戦車で、勝ちたかったなぁ」

 

 その様子を見た水田は、ルノー乙型のエンジンの部品が置いてある所から、ピストンを一本取って加藤に見せた。

 

「パーツが見つからない以上、この戦車が息を吹き返す事は無いでしょう。もしかしたら一生このままかもしれません。でも、例え動けなくても、この戦車の思いを携えて戦う事は出来る筈です」

 

 涙を溜める加藤に対し、水田は軽く微笑んでピストンを渡した。

 

「まぁ・・・これを戦車と思って、は無理がありますよね」照れ臭そうに頭を掻く水田に、加藤は涙を拭いてニコッと笑顔を見せた。

 

「ありがとう!水田くんに言われた通りにしてみるね!」その笑顔を見た水田は内心ホッとした。と同時に、何かふと思い返す事があった。

 戦車を前にして、何かを語り合ったような・・・そんな気がした。インパール作戦の当日に・・・当日・・・とうじつ・・・?

 

 

 同時刻。栃木。西沢邸。

 居間では西沢の2人が向かい合って座っていた。友幸とテーブルを挟んで、花蓮が座っている。

 

「全寮制で後1時間で門限だというのに、こうして訪ねてきたと言うことは、沙樹の事だな?」友幸が口を開くと、花蓮が軽い溜め息を吐いた。

 

「『戻る気は無い』と怒鳴られ、男子の戦車道履修生の水田に邪魔されました。『個人の意見を尊重する気は無いのか』と諭されて、何も言えませんでした」

 

「個人の意見・・・か」

 

 

 去年の12月。

 友幸と沙樹は互いに意見をぶつけ合っていた。

 花蓮と麻美がいる宇都宮校に行かせようとする友幸と、行きたくないと拒否する沙樹。どちらも譲る気は無く、延々と言い合っていた。

 友幸はそれが我が孫のためになる事だと思っていたので、何としてでも3姉妹同じ高校に行かせようと説得したが、沙樹はそれを受け入れなかった。

「姉の言いなりになって動くのは性に合わない。だから別の高校に行く」、沙樹はそう言い放った。

 それを聞いた友幸は物凄い剣幕で怒鳴り、反対した。それでも沙樹の思いは変わらなかったようだ。

 

 沙樹は言われるがままに宇都宮校を受験し、今年の1月に合格通知を貰った。その2週間後。いつ受けたのか、延岡校の合格通知が届いた。

 それを見た友幸は、他校を受験したのは事後なので敢えてそこには触れず、「宇都宮に行くように」と言い聞かせたが沙樹は後者を選んだ。

 宇都宮校の入学1週間前に、居間に延岡校の入寮届けと『私は私の戦車道をやる』という書き置きだけを残して姿を消した。

 その時の友幸に怒りという感情は無く、沙樹が本気で出ていったんだと、自分でも恐ろしい程冷静になっていた。

 今更連れ戻そうとしても無駄に終わる。そうまでしてやりたい事なら、そう考えて入寮届けにサインした。

 

 その後は沙樹に仕送りをしたり、寮費を支払ったりと自由にさせた。勝手な事をしたとは言え、勘当することは出来なかった。

 開会式の会場で見掛けた時は声を掛けようか迷ったが、既に別の戦車道を歩んでいる沙樹にどう言えば良いか分からず、何も言えず仕舞いとなっていた。

 この事を花蓮と麻美は知らない。聞かれても「元気にやっている」と曖昧な返事をして誤魔化していた。

 麻美はともかく、花蓮なら絶対に連れ戻すと言い出すだろうと思っていたからだ。

 思っていた通り、花蓮は沙樹を連れ戻すために延岡校に行った。後は聞いた通りである。

 

「お祖父様。何故、沙樹を自由にさせているんですか。他校への入学をあれだけ反対されていたのに」

 

 花蓮の冷たい目が友幸に刺さる。尋問でもされているような気分だ。

 

「3人の孫が同じ高校に行けば安心だと思っていた。だが・・・そんな私の我が儘で、沙樹を苦しめた」

 

「お祖父様。決して、それは我が儘なんかではありません。私たち3姉妹は、離れ離れになってはいけないのです。沙樹には私たちが勝ったらどんな理由があろうと戻って来るように言ってあります。もう、心配される事はありません」

 

 軽く一礼すると、足早に居間を出ていった。

 足音が遠退いていくのを感じながら、友幸は後ろに振り返った。そこには仏壇があり、2枚の遺影が置かれている。花蓮たちの両親だ。

 仏壇の前に正座し、線香を立てて語り掛けた。

 

「お前たちが居なくなってしまった分、しっかりさせなければと厳しく育ててしまった・・・私は、罪深い人間だ・・・」

 

 項垂れる友幸の体をさするように、線香の細い煙が流れていく。あの日と同じ匂いが鼻についた。

 

 

【平成24年 6月29日 晴れのち曇り

 今日は色々あった。酉沢が実はあの西沢姉妹の末っ子で、訳アリでこの学校に来ていたと言うことには驚かされた。

 考えすぎかもしれないが、西沢花蓮の立ち振舞い。ただ妹の身を案じていたというだけでは無いように思える。『過保護』、というのか。何となくそんな気がしてならない。

 さて。話は変わるが、2輌の戦車が引退する事になった。準決勝で受けた損傷が深刻で、部品を交換しなければ直らないという。

 その部品は手に入りにくいようで、修理がいつ終わるのか分からない。短い付き合いとは言え、今まで一緒に戦ってきた仲間が引退するのは、何とも言えない物悲しさを感じる】

 

 自室でいつも通りに日記帳を書いていた水田は、ペンを置いて軽く背伸びをした。

 時計に目をやると、長針が午後11時を指そうとしている。そろそろ寝るかと思い、ベットに視線を向けた。が、また日記帳に視線を戻し、再びペンを手に取ってこう書き加えた。

 

【追伸

 最近、前世の記憶が妙に曖昧になっている。インパール作戦実行の前日辺りから、その先の記憶が抜けているような・・・正確に言えば、『前世で書いた日記と同じ事』が起きている。

 まさかそんな事が・・・と言いたい所だが、現実に起きている事だ。信じたくなくても、信じるしかなさそうだ】

 

 書き終わると、例の日記帳を手に取ってパラパラと捲っていく。昭和19年3月8日の日付が書かれたページの後は、見慣れてしまった白紙のページが続く。

 そろそろ昭和20年4月20日の日付が見える筈。そう思いながら捲っていくが、いつの間にか最後まで捲り終わっていた。

 

(あれ?見落としたか?)そう思い、もう一度パラパラとページを捲っていった。

 何度捲り返しても、昭和20年4月19日と20日に書いたページは出てこない。

 

(何でだ?今度はページが消えた?いや・・・記憶ははっきりしている。確か・・・ホリ車に乗っていて、車外に出た所を・・・いや違う。外に出ていたら爆撃が・・・いや違う。確か敵のコマンド部隊の襲撃が・・・

 

 記憶が、消えた。

 何度思い返しても、あったか分からない断片的な記憶しか出てこない。

 思い出せない。あの時の記憶が無い。前世の自分は死んだ。だからこうして現世に転生している。記憶もほぼそのまま受け継いでだ。記憶が消える等、あり得ないこと・・・



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第十七話 新戦力と共に

前回のあらすじ

決勝戦を控えた延岡校に、西沢姉妹の花蓮と麻美が訪ねてきた。花蓮は酉沢を見て、「沙樹」と名前を呼んだ。酉沢は西沢流の跡取りの1人だったのだ。
花蓮は沙樹を連れ戻そうと説得するが、沙樹はそれを拒否した。水田は「今抜けられては困る」花蓮を説得し、沙樹を庇った。
説得された花蓮は、「勝てばその身勝手な振る舞いを水に流す」と言い残してその場を去った。

問題はまだ山積みであり、故障したルノー乙型とカヴェナンターは部品が見つからず、三吉からは「修理不能だから、別の戦車に置き換えるしかない」と通告される。それに合わせ、水田もホリ車の改造を頼み、戦力の半分が改められる事となった。
これで何も気にせず、決勝に挑める。そう思ったのだが・・・

その日の夜。
日記を書いていた水田は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに気付いた。
そう。前世で書いた日記と同じ事が起きているのだ。前世の日記を開き、戦死する直前に書いたページを探した。しかし。そのぺージは消えていた。
同時に水田自身。戦死した時の記憶が曖昧になり・・・


・・・名前を付けようと思ってるんですよ』

 

『名前?こいつにか?』

 

『共に戦う仲間だからこそ、名前があっても良いんじゃないかと思ったんですけど・・・変ですか?』

 

『それは構わないが、何で車体番号なんだ?もう『チハ』という名前が付いてるだろ』

 

『そうですけど。その『チハ』って言う呼び名って、日本の戦車の区分を指してるだけじゃないですか。しかも同じ名前の車輌は数多くありますし、車体番号なら個性が出せるじゃないですか』

 

『ああー、成る程な・・・

 

 

 

『ピピピッピピピッピピピ・・・

 

 朝の6時半。

 セットしていた時刻に、目覚まし時計のの電子ベルが鳴り出す。同時に、机に突っ伏していた水田が跳ねるように飛び起きた。

 辺りを見渡す。窓に目をやると、カーテン越しに朝日が差し込んでいた。

 前世の記憶を辿っているうちに寝てしまったらしい。机には白紙で広げられた日記が置かれている。

 その上で寝たからか、見開いているページはシワだらけになっていた。

 

(・・・夢?いや、あの会話には覚えがある。確か、秋川が・・・いや、中島が話し掛けて来たんだ)

 

 昭和19年3月7日。

 インパール作戦決行の前日。

 乗機であるチハ車の側で煙草を吸っていた引田の元に、中島が近寄って来て「この戦車の車体番号はいくつですか?」と尋ねて来た。

 その理由を聞くと、「これから一緒に戦う仲間だし、親近感を上げたいから名前を付けたい」と言ってきたのだ。

 既に『チハ』という名前が付いていたのだが、『チ』は『中戦車』を指し、『ハ』は作られた順番を指しているだけだし、同じ名前の車両でも車体番号ならバラバラで個性が出しやすいから言う理由だった。

 

(車体番号の語呂合わせで名前を作ろうとしたんだっけ。車体番号は確か・・・)

 

 忘れてしまった。元々数字の羅列を覚えるのはそこまで得意じゃない。

 色んな数字を思い浮かべ、語呂合わせをしてみたが思い当たる名前は出てこない。そうこうしていると登校の時間が迫って来たので、慌ててリビングに向かった。

 

 リビングには先に起きていた秋川が朝食を作り、食べ始めている所だった。

 水田も席についてトーストを口に頬張った。秋川がその様子を見て不思議そうに首を傾げた。

 

「珍しいですね。いつもはほぼ同じタイミングで起きるのに」

 

「ああ。昨日ちょっと寝るのが遅くなってな」

 

 トーストを口に突っ込み、コーヒーで流し込もうとした時。水田はふと思った。

 秋川なら、何か覚えているかもしれない。あの時に名前を付けようと言い出した本人なのだ。何かしら覚えているだろう。

 トーストをコーヒーで流し込み、秋川にこう言った。

 

「秋川。前世でチハ車に名前を付けようと言い出したのを覚えているか?」

 

「チハ車に名前?ああ!覚えてます!確かインパール作戦決行の前日の時ですよね?」

 

 目を輝かせながら声を上げた。それを聞いて少しホッとした。

 2回戦の時。伊藤に戦死する前日の事を話したが、全く覚えていないような素振りだった。秋川は覚えているようで安心した。

 

「そうだ。お前ならその時の名前を覚えているんじゃないかと思ったんだが」

 

「名前ですか。えーっと・・・」顎を手に乗せて考え込んだ。「『56』で『ゴロウ』、いや違うな。『26』で『ジロウ』・・・だったっけ?」

 

 数字を色々と思い浮かべて見るものの、互いに一致する数字は出てこなかった。

 時計に目をやると登校時間が迫っていたので、2人は慌てて身支度を整えて学校へ走っていった。

 

 

【平成24年7月1日 晴れ

 今日は朝からやけに暑い。夏本番に近づいているとはいえ、『晴れ』という天気をここまで呪ったのは久しぶりだ。

 あれから色んな名前を語呂合わせで考えてみたが、思い当たる名前、数字は一向に思い付かなかった。

 今になって思ってみれば、チハ車の総生産数はチハ改を含めると2000輌以上ある。

 そんな中から語呂が良い車体番号を持つ戦車と出会うなど、奇跡と言っても過言ではないように思えてきた。

 だが、その時の記憶ははっきりているし、秋川も覚えているので間違い無いだろう。

 その内思い出すかもしれないし、今は記憶の隅に置いておく事にしよう】

 

 HRを終えた1年生たちは、いつも通りに格納庫に足を運んだ。今日は新しい戦車が来ると聞いているので自然と早足になっている。

 格納庫前に来ると、そこには灰色に塗装された軽戦車と、オリーブドラブに塗装された戦車が止まっていた。

 

「お!みんな来たね!どうよ!この新しい戦車!格好いいでしょ!」

 

 加藤が明るい声で水田たちを迎え入れた。

 側にいた三吉の話では昨日の夜7時に届いたそうで、朝早くから点検をして待っていたそうだ。

 届いた戦車はドイツの軽戦車『VK16.92 レオパルト』、イギリスの重巡航戦車『センチュリオン Mk.Ⅰ』という。

 

 ドイツの軽戦車。『VK16.02 レオパルト』。

 第二次世界大戦時に試作された偵察用軽戦車である。

 1941年。Ⅱ号戦車系列の16t級偵察用軽戦車として開発が始まった。その車体形状はⅡ号戦車と比べて大きく異なる形をしている。

 車体前面を傾斜させて避弾経始を重視した構造で、その見掛けや足周りはパンターに似ている。

 重量は約21.9t。軽戦車なのにⅢ号戦車並みの重量だが、550馬力のエンジンと幅広の履帯により、整地であれば約60㎞で走行できると期待されていた。

 武装は60口径5㎝Kwk39/1を1門と、同軸機関銃に7.92㎜のMG42を搭載していた。この主砲はⅢ号戦車と同じ物である。

 1943年4月より量産が予定されていたが中止となり、その後。8輪重装甲車『プーマ』が生産される事になり、レオパルトの砲塔はプーマに流用される事になった。

 加藤はこのレオパルトとカヴェナンターの代役として選び、決勝戦では偵察任務に回るという。

 

 そしてもう1輌。

 イギリスのA41『センチュリオン Mk.Ⅰ』。イギリス独自の区分で『重巡航戦車』と呼ぶ。

 この戦車の区分は、高い機動力を持つ『巡航戦車』と、厚い装甲に高火力を持つ『歩兵戦車』の長所を兼ね備えた戦車で、ドイツの中戦車、重戦車に対抗すべく開発された。

 イギリスは主に巡航戦車と歩兵戦車として区分けしていたが、どちらも一長一短の性能が否め無かった。

 巡航戦車は高い機動力を持つ変わりに装甲と火力が貧弱で、歩兵戦車は厚い装甲と高火力を持つ変わりに機動力が劣悪だった。

 ドイツや旧ソ連は装甲、火力、機動力をバランスよく備えた戦車が多かったにも関わらず、イギリスはどちらかの長所に性能が偏りがちだった。

 

 当時、イギリスでティーガーに対抗出来たのは58.3口径17ポンド砲だったが、小さい巡航戦車に乗せることは不可能だった。

 そんな中で17ポンド砲を搭載した巡航戦車、『チャレンジャー』が開発されたが、装甲が薄い割にシルエットが目立つという欠点があり、前線で戦うには不安が拭いきれなかった。

 

 そこで、両者の長所を兼ね備えた『重巡航戦車』の開発が始まったのだ。

 開発開始は1943年10月。国内における鉄道輸送や、工兵架橋での渡河(とか)を考慮した上で、最大限の車幅を確保して設計。これにより砲塔を支えるターレット・リングが大直径となったため17ポンド砲の搭載が可能になり、1945年に試作車6輌が完成した。

 重量は約52t。ティーガーⅠに並ぶ程の重量であった。

 車体前面の装甲は76㎜(カヴェナンターは40㎜)に強化され、機動力は約34㎞となった(歩兵戦車『チャーチル』は整地で約20㎞・不整地で約13㎞だった)。

 同年4月に正式に『センチュリオン』と命名されて軍に引き渡されたが、ベルギーへ輸送中にドイツが降伏。本格的な戦闘を経験することは無く終戦を迎えた。

 その後もこのセンチュリオンは改良されながら生産が続けられ、戦後第二世代主力戦車『チーフテン』が作られるまでの20年。Mk.13まで改修が重ねられた。

 世界各国でもセンチュリオンは改修され、中には『オリファント』という、最早センチュリオンとは別格となった車両も出る程であった。

 

 これを選んだ沙樹は、「宇都宮校に対抗するにはこの戦車しかない」と言っている。

 宇都宮校の戦車に対抗するため、強靭な装甲と高い火力を持つ戦車を選んだのだという。

 生徒たちが新しい戦車に関心が向けていると、加藤が声を上げた。

 

「えー、車長は格納庫の奥に集まって。作戦会議を始めるわよ」

 

 そう言われ、各車輌の車長たちが加藤の周りに集まった。机の上に決勝戦のステージを示した地図を広げ、延岡校のスタート地点にミニカーを7台並べた。

 

「今回のステージは今までの倍の広さがあるわ。主なエリアはこの2つ。森林エリアと市街地エリアよ。2回戦で市街地エリアは経験したと思うけど、今回は広さが桁違い。だからバラけた行動はしない方が無難かも・・・

 

 加藤が説明している間。

 水田の頭の中には2日前の事が過っていた。前世の記憶を辿ろうと色々と思考を巡らせていたが、インパール作戦遂行中の記憶は全く出てこなかった。

 それどころか、戦死する前日と当日の記憶が突然消えた。

 前世の記憶を覚えている事は稀なケースだと言うが、今まではっきり覚えていたものが突然消える等、あり得る話なのだろうか?

 

「あり得ます。と言うより、それが普通だと思いますよ」

 

 耳元で声がした。一瞬ビクッと肩を揺らし、視線だけを動かして声の主を探す。

 右を向いたとき。そこには『ミヨコ』が立っていた。こうして近くで見ると意外に小柄だった。顔も幼く見え、小学生のように思えた。

 

「随分と姿を見せなかったな・・・今まで何してたんだ?」周りに聞こえない程度の声量で話し掛ける。

 

「そんな事より、思い出せましたか?」

 

「思い出す?何をだ?」

 

「あなたが()()()()()ですよ」

 

「忘れた記憶・・・だと?」水田は眉間に皺を寄せて『ミヨコ』を見た。

 

「俺が忘れた記憶とはなんだ?インパール作戦遂行中の時か?」

 

「いいえ」

 

「じゃあ戦死した時の記憶か?」

 

「いいえ・・・ああ、それに関しては否定しかねます」

 

「何?どういう事だ?」

 

「あなたはまだ()()()()()()()()()()()()からです」

 

 耳を疑った。

 死んでいない?死んでいないのなら、こうして転生しているのは何故だ?

 

「何を言っているんだ?俺はあの時死んだ。だからこうして現世にいるんじゃないのか?」

 

 そう聞き返すと、『ミヨコ』は水田を見上げてこう言った。

 

「あなたが死んでいるかどうかは分かりません」とだけ答え、こう続けた。

 

「最後に・・・信じられないでしょうけど。私が生まれて戦線に出始めた時から2、3年程あなたと一緒でした。あなたに思い出して欲しいのは、その時の記憶です」

 

「お前と一緒になったことなど無いが?」

 

「いいえ。確かです。ただ・・・()()()()姿()()()()()()()()から、分からないかもしれません」

 

 そう言い残すと、『ミヨコ』はスーッと姿を消した。水田は数十秒の間、呆然と『ミヨコ』が立っていた場所を見ていた。

 

(会っている?俺と・・・あいつが?)

 

 

 昼休みに入り、水田たちは同じ席で集まって昼食を取っていた。

 初めの内は男子がいるという異様な光景に、その場にいた誰もが視線を向けてきていたが、もうすっかり慣れてしまったのだろう。興味本位で視線を向けてくる者は誰もいない。

 秋川たちは次の試合に関する話をしていたが、水田は上の空だった。『ミヨコ』に言われたことが忘れられない。

 自分が死んだという()()に対し、曖昧な返事をしたこと。そして、戦場で会っているということ。それも約3年は行動を共にしているらしい。

 

 記憶にない。今のところ、それが答えだ。

 戦死した時の記憶が消え、忘れてしまったのであろう記憶も出てこない。色々な事が起こりすぎて、頭が回らないのかもしれない。 

 だが、『ミヨコ』の言葉には納得できないところがある。 

 あんなに傷付いた少女と戦場で3年を共にする?

 兵士でも無い一般人を、それもまだ幼い少女を『この世の地獄』と言っても過言ではない場所に連れていく?あり得ない。

 もし会っていたとしても、そんな事はしない。着いていくと言われても、「来るな」と言い聞かせたはずだ。

 だが・・・『ミヨコ』は、「それは確かな事」と言った。雰囲気的に見ても、冗談を言っているようには思えなかった。

 

・・・田さん。水田さん」

 

 ハッと我に帰ると、秋川たちが視線を向けていた。「どうかしました?」秋川が質問する。

 

「い、いや・・・ちょっと昔の事を思い出しててな。それより、どうかしたか?」

 

「え、えっと・・・ホリ車の改造ってどれくらいで済むのかと思いまして」

 

「ああ、三吉班長に頼んだ件か。時間が掛かると言ってたから・・・まだ途中の段階なんじゃないか?後で行ってみるか」

 

 

 昼食を済ませた5人は第二格納庫に足を運んだ。

 中では三吉を中心に慌ただしく作業が進められていた。

 その奥に、ジャッキで上げられているホリ車がいた。車体中央部にあった戦闘室は取り払われ、左右の隅にマフラーが1本ずつ取り付けられていた。

 車体前面は装甲と副砲が取り払われ、操縦席と通信手が就く席、そして変速機本体が丸見えだった。

 

「お?ホリ車の様子が気になって来たのかな?」三吉が5人に気付いて近づいてきた。顔は油や汗で真っ黒に汚れている。

 

「何とかここまで出来たけど、こっから先は部品が届かないとどうにも出来ないわ・・・」

 

 三吉はホリ車の改造工程を説明してくれた。

 まずは中央部に置かれていた戦闘室と後部に設置された対空砲を取り払い、エンジンを中央に動かした。

 その際にエンジンと変速機を繋ぐドライブ・シャフトの長さを縮め、マフラーを中央部の左右に取り付けた。

 エンジンが中央に来るので、操縦手と通信手がエンジンから発せられた熱に晒される懸念があったが、断熱材を取り入れたり熱を上手く外に逃がすよう設計し直したという。

 残るは後部に設置する戦闘室と車体前面に設置する125㎜の傾斜装甲だが、これが中々見つからないらしい。

 普通の戦車を駆逐戦車に簡単に改造出来るキットがあるというが、その工場に問い合わせても返事が無いという。

 

「あなたたちも訓練しないといけないでしょ?だから早く返事が欲しいんだけど・・・後2週間待って返事が無かったら元に戻すしか無いかな、と思ってるんだけど」

 

 それを聞いた水田は、それはそれでやむを得ないかと感じていた。試合に間に合わなければ無意味に終わってしまう。今はそのキットが見つかることを祈るしか出来ない。

 

「お。いたいた。水田くん。来て貰える?」加藤が呼びに来た。気付けば昼休みは終わっていたので、5人は急いで第二格納庫を後にした。

 

 

 加藤に呼ばれた水田は、再び車長たちの会議に参加すべく第一格納庫の奥に走った。

 広げられている地図には、各車の動きを色ペンで記してある。ホリ車は深緑の線で記され、狙撃に適した場所。発見された際の退避ルート等が記されている。

 

「・・・さて。午前中の会議の続きなんだけど、フラッグをどの車両に任せるか、なんだけど。どの車両が良いと思う?」加藤が真剣な面持ちで車長たちの顔を見る。

 

 水田は色々と考え事をしていたので、会議の内容を殆ど覚えていなかった。この内容にはちゃんと参加しなければと意識を改めた。

 この質問に、車長たちは互いに顔を合わせたり地図に視線を向けたりしている。

 一番機動力があり偵察に適しているのは新たに加わったレオパルトで、加藤はカヴェナンターの変わりに偵察任務を担う事としていた。

 無論。偵察というのだから敵に見つからないよう行動するつもりでいる。

 しかし。万が一発見された場合、即座に狙われ、撃破される可能性は高い。フラッグ車であれば尚更である。

 

「またホリ車にすれば良いのでは」という意見もあったが、今回は2回戦の時とステージが違う。

 また。決勝の相手もこれまでの試合を見てきたなら、どの車両がどういう動きをするかは大体予想しているはず。となると、「ホリ車が主に後方支援に徹するために前線より後方に陣取る」と読んでいる可能性は否定できない。

 水田自身。安全に後方支援に徹するためにもフラッグ車は別の車両に任せたいと思っていた。

 周りが悩んでいる中、水田は誰に任せるべきか決めていた。

 

「加藤隊長。ここはセンチュリオンMk.Ⅰの西沢車長に任せてはどうですか?」

 

 その一言に周りの視線が一斉に水田に集中した。特に沙樹の視線は鋭かった。加藤が首を傾げながら言った。

 

「西沢さんに?また何で?」

 

「何となくではありますが・・・この中で戦車道の歴が長いのは彼女でしょう。試合本番になって予想外の事態に陥ったとしても、より良い答えをすぐ導き出せるのは彼女しかいないと思ったので」

 

 沙樹に視線を向ける。

 睨んできているが、「そんな事は無い」と否定してこないところを見ると図星のようだ。

 最近知った事だが、戦車道履修生の大半は中学生に上がった時から始めると聞く。

 中には小学生の時から始める事もあるというが、その年から戦車道を始めるのは非常に稀なことだそう。

 実際の戦闘より安全と言うが、絶対ではない。子供から「やりたい」とせがまれたとしても親は「危険だから、中学生になってから」と言い聞かせるという。

 

 スポーツの習い事とは訳が違うので、危険な事はやらせたくないと言うのは無理もない。

 だが、沙樹の場合は違う。将来は『西沢流』を継ぐ跡取りの1人。『戦車道における経験』はこの中で一番長いだろうと水田は考えていた。

 時と場合によっては、技術より経験が活きることがある。

 実際。水田たちホリ車の乗員が戦車道で初出場にも関わらず、加藤たちと共に前線で戦えているのも『戦車に乗っていた経験があったから』で、素人であれば共に前線に出るのは出来なかっただろう。

 

 水田の提案に対し、車長たちの意見は分かれた。

 1年生には荷が重い。西沢流の後継者なら出来なくはないのでは?と様々な意見が出たが、加藤は沙樹を見た。

 

「あの・・・勝手に色々言っちゃってるけど。西沢さんはそれで良いかな?」

 

「・・・考えさせてください」この会議で沙樹が発言したのはその一言だけだった。

 

 

 午後6時半。

 水田は1人教室に残って地図を見返していた。ホリ車の動きを改めて再確認するためだ。

 

「えーっと・・・?γ(ガンマ)ー172を砲撃拠点として、そこから見えるガンマー157から161に現れた戦車を狙撃・・・

 

 今回のステージの区分けは、『α(アルファ)』、『β(ベータ)』、『γ(ガンマ)』となっている。

 ステージの区分けは市街地がα、開豁地がβ、森林エリアがγとなっている。

 この3つのステージの中で、一番広いのはαで、βが一番狭い。γの場合は森林と呼べるほどの規模ではなく、どちらかと言えばβに近い。

 森林エリアがあるのはステージの約1/3程度で、残りはホリ車が陣取る高台や障害物が少ない場所ばかりである。

 スタート地点は延岡校がγの南側。宇都宮校がγの北側となっている。距離は離れているが、真っ直ぐ進軍した場合。約40分でγの中心部に到達する計算となる。

 ホリ車が陣地を構える172なら、中心部に来た敵を迎撃する事が出来る。

 1人。シンとした教室でぶつぶつ呟きながら地図に線を引いていく。

 

「ねぇ」声を掛けられてバッと見上げると、そこには腕組みをして立っている沙樹の姿があった。集中していたので入ってくる気配を全く感じなかった。

 

「会議の時の()()。どういうつもりなの?」

 

()()、って何の事だ?」

 

「惚けないで!」バンッ!と勢いに任せて机を叩く。「私にフラッグを任せるって言ったのはあんたでしょ!!」

 

「あぁ。アレか」

 

「『アレか』じゃないわよ!何で私がフラッグ車の車長を担わなければならないのよ!!」

 

「何でと言われてもな・・・俺はお前が一番良いだろうと思って言っただけだが?」

 

「私が西沢流の後継者の1人だからでしょ?言っとくけど、私には指揮を取る力は無いのよ!!私は西沢姉妹の中で、一番・・・一番・・・」

 

「出来損ない、か?」水田が言うと、沙樹は黙って拳を握り締めた。目に涙を溜めて、ポトリと落ちた。

 

「そうよ・・・私は一番成長が遅かった。お姉ちゃんたちの足元にも及ばない・・・私は!お姉ちゃんたちみたいに優秀じゃないし、あんたみたいに強くないのよ!!」

 

 悔し涙を流す沙樹に対し、水田は黙って地図を畳始めた。畳終わると席を立ち、こう告げた。

 

「自分で出来損ないだと思っているようだが、それは間違いだろう」

 

「・・・は?」

 

「あの2人はお前がここでどれだけ成長したか分かっていない。あいつらが知っているのは『今』のお前じゃなくて『過去』のお前だ。それなのに、出来損ない呼ばわりされる理由が何処にある」

 

「・・・・・」

 

「優秀な指揮を取り、敵を多く撃破することだけが強さじゃない。生き残ることも立派な強さだ。お前は、ここに来るまでやられたりしたか?」沙樹は首を横に振った。

 

「じゃあそれで良いじゃないか。お前は弱くないし、出来損ないでもない。苦手な事があるなら、互いにカバーし合えば良い。この試合で一番大事なのは、流派の肩書きよりも『戦って生き残る事』。俺はそう思っている」

 

 地図を片手に席を離れ、出口に向かって歩き出す。「それと言っておくが、俺は強い人間じゃない。ずっと昔の事だが・・・守るべきものを守れなかった」

 

 そう言い残すと、教室を後にした。

 

 

 翌日。

 1年生たちは朝のHRを終えて、いつも通りに格納庫へ向かう。

 水田たちは今日もM3に乗って訓練をするんだろう。そう思いながら向かっていると「水田くーん!!みんなぁー!!」と格納庫から三吉が叫びながら走ってきた。

 

「遂に来たよ!!例のキットが!!」

 

 それを聞いた水田たちは顔を見合せ、第二格納庫へ走り出した。

 中を覗くと、そこには見慣れない部品がクレーンで吊り下げられていた。

 それは、ホリⅠ型の車体をそのまま型どったような見た目をしている。念願の改造キットが届いたのだ。

 

「びっくりしたでしょ?昨日見つかったって連絡くれてたらしいんだけど、バタバタしてて気付かなくて。でもこれで、漸く作業に取りかかれるわ!」

 

 三吉はそう言うとホリ車の方へ向かい、改造キットの取り付け作業を始めた。

 

 その後。原田に呼ばれて第一格納庫前に集合し、訓練内容の伝達が行われた。一通りの伝達が済むと、加藤は間を置いてこう告げた。

 

「えー。みんなも分かってると思うけど、フラッグ車だったルノー乙型は再起不能となってしまったので、フラッグ車を新しく任命することにしたわ。そして、そのフラッグ車は・・・」

 

 少し間を置いて、沙樹の方に視線を向けた。「西沢車長が指揮を執るセンチュリオンMk.Ⅰに任命しました!」

 

 ザワッと空気が慌ただしくなった。

 まさか、と思ったのだろう。だがそんな空気もほんの一瞬。すぐ拍手の音が辺りを包んでいった。

 決勝戦まで、残り14日。



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第十八話 読まれた作戦

前回のあらすじ

消えた記憶を辿る水田は、前世であったとある記憶を思い出す。
インパール作戦決行の前日。乗機であったチハ車に名前を付けたのだ。
秋川に聞いたところ、「名前を付けたことは覚えているが、何て名付けたかは覚えてない」とのことだった。
車体番号の語呂合わせで名付けた事までは覚えている。だが、どんな名前を付けたかは思い出せないままだった。

それから数日経った時。
決勝戦に向けての作戦会議中に突然現れた『ミヨコ』は、水田に対し「無くした記憶は思い出せたか」と訪ねてきた。
水田は「インパール作戦中の時か」、「戦死した時か」と聞き返すと、「あなたは死んでいない()()()()()()」と言った。更に「あなたと2、3年程行動を共にした」と続け、再び姿を消した。
水田には記憶に無いことなのだが・・・


【平成24年7月7日 晴れのち曇り

 今日。待ちに待ったホリ車の改造が終了した。担当してくれた三吉班長たちには頭が上がらない。

 訓練は明日から。色々と仕様が変わっているので、慣れるまでが大変だ。特に織田と秋川はエンジンの熱に晒されないか心配である。

 さて、あれから5日。

 消えた記憶と、忘れてしまった記憶は一向に戻らない。そしてミヨコに言われた言葉がいまだに信じられずにいる。

 あいつは、「あなたは死んでいない可能性がある」と言った。一体どういう事なのだろうか?

 死んでいないのなら、自分がこうして現世に転生しているのは何故か?まさか、この現世で自分が見てきたもの、経験してきたものが、『幻』とでも言うのだろうか】

 

 

 午後10時半。

 いつも通り日記を付け終わった水田は、三吉が渡してくれたホリⅠ型の仕様書を開いた。

 ホリⅠ型の前面。左右側面。背面。上面が描かれ、右側面の部分は断面図となっていて、各装備品の名称が記されている。

 前から操縦手、通信手席。機関室。戦闘室となり、更に主砲の可動域や砲弾の搭載位置が細かく銘記されている。

 

(えーっと・・・『操縦手と無線手とのやり取りは車内無線を用いること。インカムのチャンネルを切り替えると車内と外部交信に切り替えることが可能』・・・か)

 

 ホリⅡ型だと戦闘室が中央にあったので車内無線を使わなくても声が通っていが、ホリⅠ型は戦闘室が離れているので、車内無線を使わないと指示の受け取りや発信が出来ない。

 その為、ホリⅠ型からは車内無線を駆使しなければ前部2名の乗員と連絡が取れないのだ。

 

(『砲手席の照準器は、Ⅱ型より倍率が高い物を搭載』・・・戦闘室が後方に来たからか)

 

 改造に際して行った作業は、戦闘室と機関室の位置をずらしただけではない。

 照準器も戦闘室の位置変更に合わせて倍率が高い物に換え、調整し直している。戦闘室の位置が後部にズレたので、その分の距離に誤差が生じてしまうからだ。

 照準器の倍率は三吉が選び、射撃試験での誤差がほぼゼロとお墨付きを貰っている。

 実際に撃ってみなければ分からないが、腕が良い三吉が言うのだから間違い無いだろう。

 

(主兵装は105㎜砲が1門のみ、改めてみると少ないな・・・その変わりと言うのは何だが、『発煙筒』の携行が出来るから、それで何とかするしかないか)

 

 決勝戦からは発煙筒の携行が許されている。1輌に付き5本までだが、敵の目眩ましには一役買ってくれるはずだ。

 

(・・・こんなものか)

 

 仕様書を閉じてベットに寝転ぶ。

 戦術や作戦、色々と思い浮かべていたが、体を起こして本棚に手を伸ばした。

 前世で書いていた日記帳・・・ページをパラパラと捲っていく。

 1944年3月7日を最後に、白紙のページが続いていく。そのまま最後まで白紙のまま。

 それだけを確認すると、日記帳を閉じて本棚に戻し、再び寝転んだ。

 何度見ても同じだ。戦死する前日と直前に書いたページは消えている。それに合わせるように、その時の記憶が消えた。

 思い出そうとしても、曖昧な記憶しか出てこない。

 その時。ふとさっき書いた日記の内容が過った。『自分が見ているものは、幻とでも言うのだろうか』・・・と。

 インパール作戦より前の戦闘の記憶はしっかりと残っていた。車長になって間もなかった頃に参加したビルマ作戦も覚えている。

 

(『幻』、か。そんなものがこの世にあるとは思えないが・・・もしあるというのなら、戦争そのものが幻であって欲しかったな)

 

 

 翌日。

 水田たちはホリⅠ型の性能試験を行っていた。

 走行試験から始まり、次々と試験をクリアしていった。

 戦闘室の位置がずれたので射撃時に影響が出ないか心配していたが、神原は何の問題も無さそうに的に命中させていった。

 インカムも問題なく作動し、織田と秋川との連絡も問題なく行えた。懸念していた2人が熱に晒されないかと言う問題は起きなかった。三吉の改造は、お見事の一言に尽きる。

 

 

 一通り試験を終えて格納庫に戻ると、加藤が戦車道科の履修生たちに集合の合図を出した。第一格納庫前に集合すると、加藤が壇上に上がった。

 

「決勝まで1週間を切るところまで来たわ。ここまで来たからには、みんなで優勝を目指すわよ!」

 

 

 7月14日。決勝戦前日。午後6時。

 シンとした格納庫に水田と加藤の姿があった。

 2人はホリ車の前に立ち、加藤がホリ車に視線を向けたまま口を開く。

 

「明日はいよいよ決勝だね。ホリ車の調子はどう?」

 

「問題ありません。武装を減らしたのは痛いですけど」

 

「そう。それは良かった」

 

「・・・・・」水田はその顔を見て、何処か不安そうに感じているように見えた。

 笑顔だが、ひきつっているような・・・無理やり作っているように見えるのだ。

 

「緊張してます?」探るように聞くと、加藤は手を震わせた。

 

「分かる、よね。西沢さんに『お姉ちゃんを本気にさせた』って言われた時から、ずっとね」

 

「それは・・・申し訳ありません」

 

「謝ること無いよ。私が勝手に怖がってるだけだし・・・」それを聞いて、水田はこう言った。

 

「相手も同じだと思いますよ」

 

「・・・え?」

 

「ほぼ無名とも言って良い弱小校が決勝まで勝ち上がってくるのは想定外だった筈です。()()()()()()と言うより、()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う焦りでしょう」

 

 そう言うと、フッと笑っていった。「もし、自分の推測通りなら勝てます。いや、勝ちますよ」

 

 

 翌日。早朝6時。

 延岡校の学園艦は茨城の港に入港した。会場までの戦車の移動は、トレーラーを使って輸送される事になっている。

 その移動中。水田は日記帳を開いて簡潔に文章を書いていた。

 

【平成24年7月15日 晴れ

 いよいよ決勝だ。織田たちはホリⅠ型の扱いに慣れたようだし、問題なく試合を行えるだろう。我々に、二度目の敗北は無い】

 

 

 午前7時。

 会場に到着するとトレーラーから戦車を降ろし、各自準備に取り掛かった。

 ホリ車も準備に入り、水田はヘルメットを被ってインカムのスイッチを入れる。

 

「あー。あー。マイクテスト。マイクテスト。織田、秋川。聞こえたら応答しろ」

 

・・・こちら織田。異常なし』

 

『こちら秋川。無線機は正常に作動。異常ありません』

 

 インカムの接続を確認すると、各機器類に異常が無いか、報告を待つ。その間にエンジンが始動し、主砲が上下左右に振れる。

 

『こちら織田。エンジン始動。アイドリング異常なし。変速機、可動問題なし。各計器類、異常無し。水温、油圧、バッテリー電圧、正常値へ。エンジン吹かします』

 

 織田が合図すると、エンジンが力強く回り出す。良い音だ。今度は神原が操作ハンドルを操作しながら言った。

 

「主砲、可動に支障無し。照準器、操作ハンドル、異常なし」

 

 弾薬の積込作業をしていた伊藤が乗り込んでくる。「主砲弾。積込完了しました」

 

「ご苦労。織田。スタート地点に移動。着いたら試合開始の合図を待て」

 

 

 スタート地点に着くと、腕時計の文字盤に視線を向ける。文字盤は午前7時45分を指している。試合開始は15分後だ。

 その間。水田は織田たちに「休め」と指示し、地図を広げた。

 初動は加藤が乗るレオパルトが偵察のために先行し、味方がその後を追うように北の方角へ進む。

 鬼嶽が指揮を執るErzatsM10は例によって単独行動を取るつもりでいるらしい。

 ホリ車は後方支援のために本隊とはぐれ、γー172に先行して陣地を構える。前線で戦闘を行う味方の報告を受けて攻撃するという手筈となっている。

 

 移動ルートの再確認をしていると、いつの間にか開始5分前になっていた。

 地図を畳み、ぺリスコープ越しに外を見る。車長用のキュウポラと比べて、視認範囲が狭まったような感じだ。

 

『水田さん。加藤隊長から全車に向けて通信です』秋川から報告を受けると、インカムのチャンネルを車内から外部交信に切り替えた。

 

『みんな・・・頑張ろう!』通信はそれだけだった。加藤なり、精一杯の激励だったのだろう。

 今度は会場に向けて、アナウンスが流れ始める。

 

『これより。延岡女子高等学校と、宇都宮女学院の決勝戦を行います!』ファンファーレが終わると、信号弾が空高く打ち上げられた。

 

『試合、開始!!』合図を受けて、全車が一斉に動き出す。

 レオパルトが先行し、本隊がその後に続いていく。ホリ車は隊列を離れ、γー172に向かっていった。

 

 

 合図を受けて動き出した宇都宮校は、地響きを轟かせながら進軍していく。

 戦車はアメリカとドイツの中、重戦車がメインだ。まず、偵察班として1輌の中戦車が先行し、本隊はその後を追うように続いていく。

 

『隊長。我々は隊列を離れます』花蓮のインカムに報告が入る。今回は中戦車と重戦車ではない区分の戦車を導入している。

 元々入れる気は無かったのだが、やむ無く導入したと言った具合だ。

 

『はぁ・・・役に立つの?あの戦車』麻美が溜め息を吐く。彼女は花蓮が搭乗している戦車の操縦手を務めている。

 

「役に立つかは分からないわ。でも、『対ホリ車』には充分役立ちそうだけどね」

 

 花蓮は地図を広げ、1つのエリアを見た。γー172だ。

 

 

 試合開始から50分。

 ホリ車は予定通り、γー172に陣地を構えていた。構えた場所は切り立つ崖の上。その崖に出っ張った所があり、ホリ車はそこに構えていた。

 水田が双眼鏡を持ってホリ車から降りて見下す。連絡が取れるようにインカムの配線を伸ばしている。

 

「神原、聞こえるか?砲身を-2°下げて待機だ」

 

『了解・・・待機します』静かに言った。

 

 水田は双眼鏡を通してエリアを見渡した。下に広がるのは小さな森と開けた土地。隠れられる場所は少ない。

 

(さて、織田が機嫌を損ねる前に、早いとこ敵を見つけたい所だが・・・)

 

 視線をずらしていくと、東から別の戦車隊が回り込んでいる所が見えた。進行方向は味方の本隊が進んでいる方向だ。

 数は4輌。この角度から見て分かるのは、黒く塗装された車体。車体前面は傾斜装甲。足周りが挟み込み式転輪。車体側面にスカートが付いているという事だ。

 

(・・・パンターか?ErzatsM10の元になったという)

 

 Ⅴ号戦車。通称『パンター』。

 ドイツにてⅢ号戦車、Ⅳ号戦車に変わって中核を担った45t級の中戦車である。

 1941年。独ソ戦が勃発した時。ドイツ軍はⅢ号、Ⅳ号に代わる戦車の開発を進めていたが、旧ソ連軍が投入したTー34に衝撃を受けた。

 Tー34を調査した所、これまでの設計の戦車では太刀打ちできない事が判明した。

 この点を踏まえ、開発陣は傾斜装甲を取り入れた戦車の開発を開始。『VK30.02』と呼称された。

 1942年に30~35t級の戦車として設計がほぼ完了していたが、後に装甲厚が引き上げらて45t級となり、当時で言う重戦車クラスの中戦車となった。

 

 1943年7月。パンターは『クルクスの戦い(ドイツ軍は城塞(ツィタデレ)作戦と呼んだ)』が初戦となったが、重量過多による問題が災いした。

 変速機と言ったギア関係の故障が頻発し、自動消火装置が上手く作動せずに2輌が焼損するなど問題は多く、稼働率は低かった。

 しかし一方でTー34の主砲弾を弾いたり、遠距離で一方的に攻撃出来るなど旧ソ連軍を驚愕させた。

 旧ソ連軍はクルクスの戦いで損傷して放置された31輌のパンターを調査した。

 自走砲の砲撃で撃破されたのは22輌だったが、正面装甲を貫通された車両は無く、Tー34の攻撃で撃破されたのは1輌のみだったという報告がある。

 

 

 水田はパンターの同行を追った。

 4輌のパンターは最も多く生産された『G型』だと判明。D型、A型の問題を改修した完成形と言っても良い。

 パンターは味方の後ろを取るよう背後に回り込み、慎重に後を追っている。

 このままだとまずいと察した水田は、神原に一番後方を走っているパンターを狙うように言った。

 先頭を狙った方が良いようにも思えるが、先頭を撃破した場合、敵に逃げる時間を与えてしまうことになる。先に敵の退路を潰し、その後に先頭を撃破するのが確実なのだ

 

 水田が味方と連絡にするためにスイッチを切り替え、神原が照準を合わせる。その直後!

 ホリ車の真後ろで轟音が轟き、土煙が舞い上がった!東の方向だ!

 

「狙われてるぞ!!織田!下がれ・・・あ!?」インカムの配線が切れてしまっていた。さっきの衝撃の影響だろうか。

 急いでホリ車に戻ると、操縦席のハッチを開けて怒鳴った。

 

「後退だ!急げ!!」

 

「言われなくても!!」バックギアに入れてホリ車を全速力で後退させる。

 今度は目の前に着弾したが、何とか避けてそのまま安全圏まで下がった。

 一段落付いた所で、水田は秋川のインカムを取った。味方にこの事を知らせなければならない!

 

「こちらホリ車!本隊応答せよ!本隊応答せよ!後方よりパンターが接近中!パンターが接近中!!」

 

 

 スタートと同時に偵察のために先行していたレオパルトは、敵の進行方向と思われる場所にあった茂みに身を潜め、加藤が双眼鏡を持って上半身を出す。

 作戦立案時に敵が鉢合わせになると予想した地点だ。

 その近くに丁度林のように木が軽く密集している場所があり、隠れるには最適だった。

 

「よーし・・・見つけるわよぉ~」加藤は張り切っている。偵察という任務は初めてだが、ちょっとだけ楽しみだった。

 敵の場所を報告し、味方に知らせる。昔見たスパイものの映画を体験しているように感じていた。

 

「戦車の数、見間違わないでよ」

 

「大丈夫だって。ちゃんと・・・お?」戦車が走っている音だ。北の方角からだ。

 視線を向けると、何輌か戦車が走ってきている所が見えた。オリーブドラブに塗装された戦車が7輌。内1輌は他の6輌と形状が異なっている。その後ろを重戦車らしき陰が3輌程、後に続いて進軍していた。

 

「おうおう・・・来たねぇ・・・戦車道において一番恐れられている戦車群が」

 

最も恐れられている戦車群』。この異名は全校共通の認識と言って良い。

 先頭に立たせているのはアメリカが作った重戦車、M26『パーシング』だ。このパーシングを上から見て楔型に配置し、その後ろに重戦車を3輌配置している。

 他校の戦車道科の生徒はこの陣形を『戦車の槍(タンク・アロー)』と呼んでいる。

 どんな防御陣形を取っても容易に突破されるので、この名前が付いたのだ。

 

「タンク・アローかぁ・・・中々の威圧感ね。しかも・・・あの先頭の中心にいるやつ、初めて見るやつね。何か・・・パーシングの改良型みたいな?」

 

「・・・あれはスーパー・パーシングよ。試作車を現地で改良したやつね」

 

 アメリカの重戦車、M26『パーシング』。

 ドイツのティーガーに対抗するために開発された戦車で、延岡校で運用しているT25E1と機構は殆ど変わらない。

 M4シャーマンの後継機として設計されていたが、「M4でも対抗出来る」という理由で開発は送れていた。

 しかし。当時アメリカで主流だった76.2㎜砲ではパンターの正面装甲すら貫通出来ない事が判明。

 これを受けてアメリカの兵器局は、90㎜砲を搭載した戦車の開発を進めることを決定した。

 

 前線の連合軍の兵士たちの間ではストレスに晒され続けたことによる『タイガー恐怖症』が蔓延していた。

 更に「ドイツの戦車に歯が立たない」という情報が全土に渡ってしまった。

 兵士の士気に影響しかねない状況を無視出来なくなった兵器局は先行量産型である『T26E3』20輌をヨーロッパ戦線に派遣することを決定。

 このT26E3が後にM26『パーシング』として制式に採用されることとなった。

 

 ティーガーやⅣ号戦車を撃破するなど戦果を上げたが、ティーガーⅡ相手では勝てないという問題が出てきたため、T26E1の試作1号車に長砲身90㎜砲T15に換装したパーシングが1輌だけ作られた。

 これがT26E1ー1『スーパー・パーシング』となる。この戦車もヨーロッパ戦線に送られ、ティーガー(形式不明)を撃破すると言った戦果を上げた。

 この際、車体前面と砲塔の防盾にボイラー鋼板とパンターから切り出した装甲を車体前面と防盾に取り付けられるといった現地改造が施された。今加藤たちが見ているのが、その現地改造型だ。

 

「増加装甲かぁ・・・VK45.02で貫通出来ないかなぁ」

 

「どうかしら。正面から撃てば・・・って、早く報告しないと」原田に突っ込まれ、「忘れる所だった」と言いながらインカムを手に取った。

 

「こちら加藤。γー176にて敵の戦車群を発見。パーシングが6。スーパー・パーシングが1。後は形式が分かんないけど、重戦車が3輌くっついてるわ。気を付けてね」

 

 味方への報告が済むと、原田が戦車群の同行を目で追いながら言った。

 

「・・・ねぇ。今通りすぎて行った戦車何輌?」

 

「丁度10輌だけど?何か変?」

 

「忘れたの?決勝戦では最大で20輌出場出来る。あたしたちはこれ以上増やせないから7輌のままだけど、相手はフルで出場させてる。今通りすぎて行った戦車群、半分しかいなかったじゃない」

 

「そ、そう言えばそうね・・・後のやつ何処に行ったんだろ?」

 

『こちら水田!本隊応答せよ!!繰り返す!!本隊応答せよ!!』水田の声だ。声に混ざって何かが落ちているような音がする。加藤がインカムを取り、スピーカーを耳に押し当てた。

 

「こちら加藤。何かあったの?」

 

『γー172でパンターG型4輌を発見!!本隊の後ろを付けるように進軍しています!!』

 

「分かった!すぐ知らせるわ。ところで、そっちは大丈夫なの?」

 

『大丈夫じゃ無いですよ!!何処からか狙い撃ちにされてます!!』

 

 

『狙い撃ち!?反撃出来てるの!?』

 

「出来てませんよ!!崖下に居ることは確かですが、弾幕が厚くて位置が特定出来ません!!」

 

 水田はぺリスコープ越しに外を見る。

 目の前で土埃が舞い上がり、視界を遮る。構えていた位置から下がったものの、大まかな位置を把握しているのか際どい所に着弾する。

 

「水田さーん!1発でも撃ち返しましょうよ!」伊藤が肩を掴んで揺すってくる。

 

「バカ!只でさえ際どい所に着弾してるんだぞ!!今撃ち返したら完全に位置を特定される!!落ち着け!!」

 

 何とか宥めるものの、水田も内心ヒヤヒヤだ。何とかして反撃する手段を見付けなくては・・・

 

 

 本隊は加藤から受け取った情報を頼りに、慎重に北上していた。

 本隊の指揮を執る井深は、ハッチから上半身を出して進行方向を見ていた。

 VK45.02(P)を先頭に、センチュリオンがその左側。その後ろにVK30.01(P)とT25E1が付いてきている。井深がインカムのスイッチを入れてセンチュリオンを繋ぐ。

 

「西沢さん・・・で良いんだよね?えっと、前に出て大丈夫なの?」

 

「センチュリオンはティーガーを相手にするために生まれた戦車です。正面を向けていれば問題ありません」

 

「そう。なら良いんだけど・・・」井深が気にしていたのはそこでは無い。

 戦車の性能云々よりも、「姉妹同士で戦うことになって大丈夫なのか」と聞くつもりだった。でも、言えなかった。

 

 

『こちら狩人(ヤークト)1(ワン)。ホリ車をγー172にて発見。崖下からではありますが、攻撃を続けています。内1輌はホリ車の後ろを取るために回り込んでいます。後10分程で撃破出来ると思います』

 

「分かったわ。引き続き攻撃を続行。攻撃を緩めたらだめよ」

 

 報告を受けた花蓮は地図に目を落とした。

 この大会に出場したホリ車を撃破するために編成した専門チーム、『狩人(ヤークト)』はホリ車を見付けたらしい。

 このまま撃破してくれれば、敵は後方支援を得られなくなる。敵の遠距離狙撃が無ければ、残りを殲滅するのに時間は掛からない。

 

『こちら黒豹(ブラックパンサー)1(ワン)。敵の本隊と思われる戦車群発見。先頭にVK45.02とセンチュリオンMk.Ⅰ。その後ろにT25E1とVK30.01がくっついてます。残りの4輌が後を追ってますが、今のところ気付かれていないようです。10分程で鉢合わせになるかと』

 

 偵察に出たパンターからの報告だ。宇都宮校の中戦車班は『黒豹(ブラック・パンサー)』と呼んでいる。

 パンターを黒く塗装していることからそう名付けられ、偵察や接近戦、追撃を主目的としている。

 

「分かった。合流して後を追いなさい。狙撃は警戒しなくても良いわ」

 

『了解』

 

 

・・・パンター4輌が!?」

 

『水田くんが見つけて報告してくれたんだけど、援護出来ないって言ってるの!私たち下手に出られないし・・・鬼嶽に援護出来ないか頼んでみるから!!』

 

 通信を受け取った井深はその場で停車するよう指示した。

 敵が狙っているのは挟み撃ち。このまま進めば相手の思う壺になってしまう。

 パンターの方が機動力は高い。つまり、先に到着するのは後ろから迫っているパンターの可能性が高いと読んだ。

 

「加藤隊長からのパンターが後方より接近していると報告を受けたわ。敵は私たちを挟み撃ちにするつもりだと思うから、先にパンターを叩くわ。私たちに一番最初に到達するのは機動力のある方だからね」

 

 こう指示をしたものの、最適かは分からない。だが、今は迷っている場合ではない。

 その場で反転し、パンターと鉢合わせるために来た道を引き返そうとする。が、センチュリオンだけはその場に留まっている。

 

「西沢さん?戻るわよ?」井深が呼び掛ける。

 

『戻らない方が良いかもしれません』そう言うと、冷静にこう続けた。『敵が来てますよ。真正面から』

 

 井深は双眼鏡を取り出して言われた方向に視線を向けた。報告にあったパーシングとスーパー・パーシングが目と鼻の先にいるではないか!

 

『姉はパンターとの挟み撃ちタイミングを合わせるために近道を使うんです。パンターもそのタイミングを合わせるために、速度を落として接近するんですよ』

 

「近道って・・・そんなの何処にも・・・っ!」

 

 思い出した。このエリアに最短で着けるルートが。

 北側には大きな川がある。その川が敵が進軍する予想ルートと被っていた。

 作戦立案の段階で、「流れが速いから敵は迂回してくる」と読んでいたのだ。

 

『重量のある戦車を上流側に配置して流れを塞き止める。すると下流側の流れは穏やかになるから、軽い戦車でも流されずに川を渡れる、と言う事ですよ』

 

「あなた、こう来ると分かっていたの!?」

 

『いいえ・・・想定外でした。だって・・・自分で考えて却下された方法ですよ』

 

 声が震えている。自分で考えた物を取り上げらたような気分なのだろう。

 

『井深!パンターだ!!』盛田の声だ。後ろを振り返ると黒い物体が猛スピードで突っ込んでくる!

 

「みんな!近くの森に逃げるわよ!」今はこれしか出来ない。

 期待していた後方支援を得られない以上、今は逃げるが勝ちだ。4輌は西にの方角に進路を変更し、全速力でその場から離れていった。

 

 

 その様子を見た花蓮は目でその動向を追いながらこう告げた。

 

「全車一斉攻撃。敵を殲滅しなさい」



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第十九話 反撃せよ!

前回のあらすじ

遂に迎えた延岡校と宇都宮校の決勝。
予定通り崖上の砲撃陣地に到着した水田は、偵察がてら敵を探していると敵のパンター群を発見する。
進行方向的に味方の裏を取ると読んだ水田は、本隊の指示役である井深に警戒するよう連絡を入れようとした時、何処からか敵の襲撃を受ける。
幸い無傷で済んだものの、援護射撃が出来ない状況に追い込まれてしまった。

敵の進行方向と予想した地点で待ち伏せをしていた加藤は、敵の重戦車10輌が進軍している所を発見する。
その最中。水田からパンターを発見したと報告を受け、井深に警戒するよう連絡を入れた。

パンターが裏を取っていると報告を受けた井深は、挟撃を避けるためにパンターを先に処理すると考案する。機動力から見て、パンターの方が先に到達すると読んだのだ。
しかし。両軍ほぼ同時に到達し、本隊はやむ無く森林エリアに逃げ込む。

その様子を見ていた花蓮は「敵を殲滅せよ」と指示を出し、一斉攻撃で敵を追い込んでいった。
追い詰められていく延岡校。果たして、活路を見出だせるか否か・・・


 γー172。

 そこでは宇都宮校の対ホリ車専門の狩人(ヤークト)が攻撃を加え続けていた。

 攻勢を掛けているのは3輌の駆逐戦車。残りの1輌は背後から回り込むため離れている。

 

「大丈夫なんですかね。私たちロクに訓練していないのに」

 

「良いのよ。ここでホリ車を撃破すれば、後が楽になるんだから」

 

 不安そうにしている砲手に喝を入れるつもりで言ったものの、狩人(ヤークト)班長も心の奥底で渦巻く不安な思いが拭いきれずにいた。

 このチームは編成されてまだ間もなく、訓練期間は僅か1ヶ月。

 操縦訓練や砲撃訓練といった基礎的な事しか出来ておらず、副隊長の麻美も、「こんな状態で役に立つのか」と訝しがる程だった。

 隊長の花蓮は「ホリ車1輌相手にするだけなら十分すぎる。目標を撃破した後は後方支援に回って貰えれば良い」と押しきった。

 こう言った新部隊を結成し、運用する時はかなり慎重になるのだが、時間がないと言う理由からか今回はほぼ即決だった。

 狩人(ヤークト)に選ばれた乗員たちは、過去に『Ⅳ号駆逐戦車』や『ヤークト・パンター』と言った固定式戦闘室の戦車に乗っていた経験者ではあるが、ほぼ全員1、2回しか乗ったことがなく、唯一経験が長いのは班長ただ1人だった。

 

 駆逐戦車は殆どが強力な火力を持ち、調達コストや運用コストも安いのでそこそこ人気がある戦車だ。

 一方で敵に照準を合わせるときは車体ごと旋回しなければならないという取り回しの悪さがあり、コスト面での人気とは裏腹に試合で使っている学校は殆ど無い。

 宇都宮校も駆逐戦車を保有していなかったのだが、花蓮が何を思ったのか「決勝戦に向けて駆逐戦車だけの班を編成する」と言い出して現在に至る。

 狩人(ヤークト)の班長が崖を見上げる。ホリ車の反撃は無い。何もないと言うのが余計に不安感を煽っていた。

 

 

・・・ヤークト・ティーガーですね。ティーガーⅡを駆逐戦車にした派生型ですよ」

 

 秋川の報告を受けて、水田は下から撃ってきている戦車を見下ろした。

 ここから見てもかなりの大きさであることが伺える。

 前面傾斜装甲。車体中央部に設けられた固定式戦闘室。こちらを狙っている主砲・・・『ティーガーⅡ』の派生型と言うことも納得出来る。

 

 ドイツの『ヤークト・ティーガー』。ティーガーⅡの車体を流用して造られた重駆逐戦車である。

 1943年。前線から「3㎞の距離で敵を撃破出来る自走砲」の開発を求められ、要望に答えるために「128㎜砲付きの重突撃砲」というコンセプトで開発が始まった。

 翌年の1944年2月に量産が開始され、『ヤークト・ティーガー』という制式名称が与えられた。

 主砲である55口径128㎜砲Pak44/L55は連合軍の全ての戦車が撃破可能であり、連合軍においてヤークト・ティーガーを正面から撃破出来る戦車は存在しなかった。

 戦闘室の前面が250㎜(傾斜75°)、車体前面が150㎜(傾斜40°)という重装甲で重量が75tもあった。その代償として機動力は劣悪で、燃費が非常に悪かった。

 エンジン、変速機、ブレーキの故障が頻発し、敵と遭遇する前に行動不能となって自爆処理する事も少なくなかった。

 列車輸送を考慮した設計もされていたが、戦況悪化の影響でそれも叶わず、自走で戦場に向かう事が多かったという。

 そのため、燃料切れや故障で動けなくなる車両が多く、回収出来る車両も無かったので放棄するしかなかったのだ。

 また。乗員の殆どが新兵で、戦闘には参加したものの重装甲・高火力を満足に活かすことは出来なかった。

 ヤークト・ティーガーの部隊を指揮した中尉はこの戦闘を見て、『一番良い兵器が出来ても、訓練された兵が扱わねば何の役にも立たない』と記録している。

 

 

 敵からの砲撃を受けたホリ車は陣地から離れ、砲弾が届かない場所まで下がっていた。

 水田は攻撃してきた戦車を見るため、秋川を連れて陣地まで戻って見下ろしていた。

 初めはかなり際どい位置に着弾していたが、着弾地点から離れていくに連れて、見当違いの場所に弾が落ちるようになっていった。

 こちらの位置を完全に把握しているものだと思っていたが、最初にホリ車を見つけた場所に適当に砲弾を落としているだけのようだ。

 

「どうやって反撃します?」

 

「そうだな・・・まずは何処かに行った4()()()を探すとこから始めるべきだろうな」

 

「4輌目?」

 

「気付かなかったか?初弾は4発だったが、今は3発ずつしか飛んで来ない。つまり、4輌目が何処かにいる、と言うことだ」

 

 双眼鏡越しにヤークト・ティーガーの付近を探ってみると、別に履帯跡があった。そのまま視線をずらしていくと、高台に向かう道に続いている。

 

「俺たちの裏を取るつもりでいるな。戻るぞ!」2人は走ってホリ車に戻り、水田が織田と神原に指示を飛ばした。

 

「ヤークト・ティーガーがこっちに向かっている可能性が出てきた。織田。現在の位置よりもう少し下がれ。神原は取り敢えず前方に照準を構えろ。伊藤は装填架に砲弾をセットしろ。すぐ次弾が撃てるようにしておけ」

 

 

『無理だな。今忙しい』

 

「忙しいって、井深たちがピンチなのよ!?」

 

『ピンチつったって何とかなんだろ?忙しいから切るぞ』

 

「あ!ちょっと・・・もう!!」

 

 加藤がインカムを床に叩きつける。

 ErsatzM10の鬼嶽に支援を求めてたが、「忙しい」の一言であしらわれてしまった。

 

「何なのよあいつ!!味方がピンチだって言ってんのに!!」

 

「落ち着きなさいって。鬼嶽はああいう性格なのよ。それより、井深は何て?」

 

「側にあった森林のエリアに逃げ込んで、そこから反撃応戦してるそうみたいだけど、状況は悪くなる一方だって・・・ホリ車の援護射撃があれば何とかなりそうだけど」

 

「支援って言っても、向こうも手一杯でしょ?レオパルトじゃどうにも出来ないし・・・どうすんのよ」

 

 原田は前に視線を向けた。

 ここからは敵が森に向かって砲弾を撃ち続けている所が見えていたが、レオパルトの武装と装甲では返り討ちに遇うことが目に見えている。

 見守ることしか出来ないというもどかしさを感じつつ、ホリ車の支援を待った。

 

 

 γー176の森林エリア。

 ここに逃げ込んだ本隊は木を盾にして反撃していた。

 ここまでで戦果はパーシングが1輌だけ。今のところ味方に損害は無いが、この状況を覆すには戦力が足りない。

 目の前に敵のフラッグ車が見えるが、ここからでは撃破出来ない戦車だった。

 沙樹がその戦車をじっと、睨み付けるように凝視した。その戦車は宇都宮校のフラッグ車であり、『キング・ティーガー』の異名を持つドイツの重戦車『ティーガーⅡ』。

 その後ろにはアメリカの重戦車『T29』と『T30』がいる。

 その3輌は他校の生徒から『三銃士』と呼ばれる程、厄介な存在なのだ。

 

 ドイツの重戦車『ティーガーⅡ』。

 ティーガーⅠの基本設計を踏襲(ちょうしゅう)した戦車で、ティーガーⅠよりも重装甲で強力な武装が施された。

 車体前面はパンターと同様に傾斜装甲を用いていた。旧ソ連軍ではその見た目から『新型パンター』と呼ばれていた。

 火力は71口径88㎜Kwk43L/71が搭載され、敵の射程外から攻撃可能であった。障害物の無い平原であれば、その威力を存分に発揮出来たとされる。

 当時の連合軍には正面装甲を貫通出来る戦車は存在しておらず、152㎜の榴弾砲を持つ旧ソ連軍の駆逐戦車、SUー152『ズベロボーイ』は装甲を叩き割ったという記録があるが、貫通はされていない。

 この重装甲で重量は69t。機動面は劣悪で、ギア関係の故障、航続距離の短さに悩まされた。

 パンターと同じエンジンをそのまま流用していたので慢性的な馬力不足が燃費の悪さに拍車を掛けていた。

 ヤークト・ティーガーも同じエンジンを載せていたので、より深刻な問題となったのである。

 戦闘には参加したものの、故障の多さに燃費の悪さが仇となり、稼働率は非常に低かった。

 

 

 そしてアメリカの試作重戦車『T29』と『T30』。

 この2輌はM26『パーシング』をベースとして開発が始まり、車体を延長して重装甲を施し、砲塔は新設計で105㎜T5E2を搭載していた。車体前面の装甲厚は102㎜(傾斜54°)となり、ティーガーⅡと正面から戦える戦車となった。

 T30は設計そのものはT29と同じだが、155㎜砲T7を搭載出来るようにした派生型である。T29よりエンジンの出力を上げ、装填手を追加されていた。

 この2輌は1945年に完成したが、この時には既にドイツが降伏していたので『日本本土侵攻』に投入しようと考えていた。

しかし、軍令部がこの重量級の戦車をどう使おうか決めかねている内に終戦を迎えたので実戦には投入されず、制式化されることもなかった。

 

 どの戦車も重装甲で高火力・・・三銃士と呼ばれるのにも納得出来る。

 フラッグ車は目の前にいる。でもこの距離で、しかも正面を向けられては攻撃しても弾かれてしまう。

 敵は森林に入れば不利な状況に陥ることを察しているようで、森林の入り口付近に陣取り、ある程度距離を離している。

 このままでは消耗戦になるだけ。何とか打開したい所ではあるが、現状は不利だ。ホリ車の援護があればと、誰もがそれだけを頼みの綱としていた。

 

 

「まだ殲滅出来ないの!?」

 

「すみません。上手く木に隠れられて当てられなくて・・・」

 

「ちゃんと狙いなさいよ!向こうは当ててんのよ!!」

 

 麻美は現在の状況に苛立っている。敵が森の中に逃げたせいで戦線は膠着状態だった。

 攻め込もうにも敵は弾幕を張って近付けないようにし、木を盾にしているので攻撃が通しづらいのだ。

 

「ったく・・・厄介な所に逃げ込んだわね。お姉ちゃん、どうすんの?」

 

「気にする事ないわ。こう言うことわざがあるでしょ?『果報は寝て待て』って」

 

 

 γー172。

 ホリ車が見えた高台に進むヤークト・ティーガー3号車は、斜面を低速で上っている。登り始めて10分程経ったが、漸く中腹を越えたばかりだった。

 アクセル全開で踏み込んでもせいぜい10㎞程しか速度が出ない。降りて歩いて行った方が早いと感じる鈍足ぶりだ。

 

「全然速度出ませんね・・・もう目標(ホリ車)は逃げたんじゃないですか?」装填手が不満を漏らす。

 

「もし下るとしたらこの道しかないわ。今のところすれ違ってもないし、まだあの位置にいるはずよ」

 

 車長は真剣な面持ちでぺリスコープを覗いた。

 辺りは木が密集し、車体が大きい戦車が通り抜けるには狭い。今登っているこの一本道が唯一の逃げ道。リスクを犯して逃げてくるとは思えない。

 

 低速で登り続け、漸く頂上が見えた。下にいる味方に砲撃中止を促し、頂上に到着した。

 車長が体を出して周囲を見渡す。敵の気配は無い。出っ張りに履帯の跡が残っているが、それ以外は消されている。

 何処かにいるはずだと辺りを見渡す。しかし。そこには何もなかった。

 

(何処に消えた?まさか・・・森林の方に逃げた?)

 

 下の方向に視線を向けるが、履帯の跡どころか消した痕跡すらない。何度も見渡していると、班長から連絡が入った。

 

狩人3(ヤークトスリー)。敵はどうしたの?』

 

「こちら狩人3(ヤークトスリー)・・・敵の姿がありません。履帯跡を消した痕跡もありません」

 

『は!?そんなわけないでしょ!?良く探しなさい!』

 

「そんなこと言われて、もっ!?」

 

 

「ん?狩人3(ヤークトスリー)?応答しなさい。狩人3(ヤークトスリー)?どうしたの?」

 

通信が切れた。何度か呼び掛けても応答がない。(まさか・・・撃破された?)

 

「班長!上です!」狩人2(ヤークトツー)の車長が怒鳴る。それに連れて見上げると同時に、上から砲撃音が聞こえた。

 

 

(・・・支えきれない!!)

 

 井深はこの状況を見て、直感的にそう感じた。

 敵はじりじりと距離を詰めてくる。防戦では限界が来ているのだ。

 突っ込むか、それともこのまま維持するか・・・どちらにしても、早期に決断しなければ全滅は免れない。

 敵が迫ってくる。このまま負けるのではという諦めの空気が漂い始めていた時。

『ドンッ』、と遠くで音がした。その数秒後、目の前でM26が1輌エンジンから炎が上がった!

 突然の出来事に、敵味方共に何が起こったのか一瞬混乱したが、理由はすぐ分かった。ホリ車の狙撃だ!

 

 

「・・・命中。敵戦車、機関炎上」

 

 神原が戦況を報告し、水田は双眼鏡を通して撃破した戦車を確認する。

 直撃弾を受けたパーシングがエンジンから火を吹いている。消火しているようだが、火の手に対して消火が間に合っていない。

 

(ガソリンは一度火を吹けば消火するのに時間が掛かる・・・日本陸軍がガソリンエンジンを嫌っていた事にも納得出来るな)

 

 旧日本陸軍の車両は大多数がディーゼルエンジンだった。

 高オクタンのガソリンが手に入りづらかったという資源面での問題もあったが、陸軍の人間がガソリンエンジンを嫌っていたという話がある。

 その理由として、ガソリンは引火点が非常に低く、被弾して漏洩することがあればあっという間に火の手が上がり、手が付けられなくなってしまう。

 対して軽油は引火点が高く、爆発的な引火が少ないので被弾時の安全面では有利だったのだ。

 エンジン本体の機械的信頼性に劣る部分も否めなかったが、耐久性は非常に高かったという。

 ホリ車がガソリンエンジンなのは、元のチリ車の開発時に強力なディーゼルエンジンの設計が出来ず、航空機用に用いられていたエンジンを流用していたからだった。

 

「それにしても、待ち伏せが上手く決まりましたね」伊藤が少しはしゃぎながら言った。

 

「ああ。前世での経験が役に立ったな」

 

 敵が登ってくると読んだ水田は、履帯跡を上手い具合に消し、ホリ車を茂みに擬装させたのだ。登ってきたヤークト・ティーガーの車長はこの作戦に引っ掛かってしまったのだ。

 登ってきた敵を撃破した後は崖下から撃ってきていた敵を攻撃して全滅させた。

 邪魔が無くなったので、ホリ車は気兼ね無く支援に徹する事が出来る。漸く作戦通りに事が進みだした。

 

 

 後ろで爆発音が響いたと思ったら「撃破された」と報告を受け、麻美がインカムのマイクに向かって怒鳴り付けた。

 

狩人(ヤークト)!!ホリ車を攻撃していたんじゃなかったの!?」

 

『も、申し訳ありません』返信してきたのは狩人(ヤークト)の班長だ。『狩人3(ヤークトスリー)が目標に迫ったんですが、気付けばやられていたと・・・その後は次々と狙撃されて・・・』

 

「まさか、全滅したっていうの!?たった1輌相手に!?」

 

「麻美。それくらいにしときなさい」花蓮が宥める。専門チームが全滅し、ホリ車の攻撃で1輌やられたというのに全く動揺していない。

 

「もう!だから言ったでしょ!?役に立たないって!!」

 

「いいえ。彼女たちは十分役に立ったわ。ホリ車の攻撃を遅らせた事で、こっちの戦力も状況も有利・・・このまま前進して、敵を殲滅するのよ」

 

 それを聞いた麻美は、何故あんなチームを急遽編成したのか理解出来た。

 対ホリ車の専門チームと言っておきながら、最初からホリ車を撃破出来るとは思っていなかったのだ。

 その目的はホリ車の遠距離狙撃を出来るだけ遅らせるためで、ホリ車の撃破は二の次だったと言うことだ。

 ヤークト・ティーガーの主砲なら下から撃ち上げて高台に着弾させることなど容易に出来る。それが4門もあればホリ車は逃げることしか出来ない。

 ホリ車の迎撃に回って止めなかったのは、その時点で既に勝負が付いたも同然の状態だったからだ。

 敵の攻勢が少しずつ弱くなっている。このまま押せば、敵の陣営は総崩れ。後はフラッグ車を撃破し、こちらの勝利で幕切れ。ホリ車が正確に狙撃しようとこの流れを止めることは出来ないはずだ。

 

『隊長!!黒豹(ブラックパンサー)が2輌撃破されました!!あ!また!!』 黒豹(ブラックパンサー)の隊長の叫び声がスピーカーから聞こえてきた。

 

『我々に紛れて同行していたやつがいました!!ErsatzM10です!!』

 

 

 パンターから火の手が上がっている。敵の隊列の中から、全速で走るErsatzM10の姿があった。

 敵は唐突な襲撃に敵は混乱しているようで、陣営が崩れ始めていた。

 

 鬼嶽は敵を撹乱するために敵のパンター群に紛れ、攻撃のチャンスを伺っていたのだ。

 見た目は違えど中身は同じパンター。エンジンも同じなので紛れてもそう簡単には気付けなかっただろう。

 単独行動中に偶然発見し、紛れていけば敵の本隊と合流出来ると踏んだのだ。

 

『おい加藤!ボケーっとしてねぇで、次の指示出せよ!!』鬼嶽に怒鳴られ、ハッと我に帰る。そうだ。今ここで言うべき言葉は・・・

 

「全車、反撃開始!!」

 

 その言葉を聞いて、各車の車長も同じ言葉を放つ。操縦手がアクセルペダルを全開で踏み込み、一斉に加速していく。

 

 

 水田はその通信を聞いてニッと口角を上げた。

 

「神原!パーシングを集中的に狙え!後の戦車は前線にいる本隊に任せる!敵の数が半分を切ったら本隊と合流する!」

 

 

「敵が反撃してきました!接近戦に持ち込まれます!!」

 

 花蓮の横で砲手が焦っている。接近されれば反撃しづらくなり、敵の攻撃が貫通されやすくなる。後ろを取られたら一貫の終わりだ。

 

「落ち着きなさい。私たちには、まだ()()が残ってるわ」

 

 花蓮が不適な笑みを浮かべる。それを聞いた麻美も思わず笑みが溢れた。

 そうだ。まだアレがある。こう言った時のために残していた最終兵器が・・・

 

 

「パーシング撃破。残り7輌です」神原が照準器を見ながら言った。

 残るはティーガーⅡ。T29。T30。スーパー・パーシング。パンター2輌。パーシング3輌だ。

 

「移動する。織田。180°旋回」指示を受けてホリ車が旋回を開始する。

 

「待ってください・・・何か別の戦車が見えます。灰色の塗装で、大口径の主砲を持っているように見えます」

 

 神原の報告を受けて、水田も双眼鏡を手に取った。

 ここから見るだけでもかなり大型であることが伺える。

 車体前面は傾斜装甲。車体の8割程を占めている角ばった砲塔。車体側面に付けらているスカート。味方を睨んでいる主砲。ここからでは良く見えないが、100㎜以上はあるように思えた。

 

「・・・秋川。本隊に通信。『別の重戦車が迫っている。警戒せよ』とな」

 

「重戦車?どんなやつですか?」

 

「ドイツ特有の足周りで、角ばった砲塔を載せている。車体前面は傾斜装甲。主砲の口径は多分100㎜以上ありそうだ。主砲の先に独特なマズルブレーキを付けていて、スカートを付けているな」

 

「・・・待ってください。まさか!?」水田からの特徴を聞いて、何故か慌て始めた。

 

「まだ何とも言えないんですが、もしかしたらドイツの試作超重戦車かもしれないです!」

 

 

 延岡校の陣営は少しずつ押し返していた。

 本隊は森林エリアの入り口まで進み、敵に対して接近戦を仕掛けようと試みている。

 加藤は位置を変えず偵察を続行し、本隊に敵の位置と状況を知らせてた。敵の攻勢が少しずつ衰え始めていた。

 

「このままならいけるかも」

 

「油断しないで。そういう時に限ってロクなことが・・・待って、あれ何?」

 

 原田が何かを見つけたらしい。少し動揺しているようだ。加藤は原田が示す方向に双眼鏡を向けた。

 同時に轟音が轟き、森林エリアで爆発が起きた!爆発したと思われる場所には土埃が舞い上がっていた。

 

「な、何今の!?みんな大丈夫!?応答して!!」

 

『・・・こちら盛田。マズいことになった!井深のVK45.02がやられた!その後ろにいたT25E1も履帯を切られて動けない!!』

 

 

 その一部始終を見ていた水田は何が起こったのか分からず、爆発した箇所を見ている事しか出来なかった。

 先程見つけた戦車に視線を向ける。砲口から煙が出ていた。あの戦車が発砲したらしい。

 

「秋川・・・さっき『試作超重戦車』かもしれないと言ったな。もしかしたらそうかもしれないぞ・・・」



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第二十話 激戦の果てに・・・

前回のあらすじ

γー172にて砲撃陣地を構えていたホリ車は、敵戦車のヤークト・ティーガーに邪魔をされて砲撃できない状況に陥っていた。
崖上から見ていた水田は、残された履帯跡から1輌こっちに登ってきていると察し、ホリ車を茂みに擬装させて待ち伏せた。登ってきたところを撃破し、その後は崖下の残りを殲滅した。

γー176で戦闘していた本隊は森林エリアに逃げ込み、木を盾にして反撃していたが、ジリジリと迫る敵チームに苦戦を強いられていた。
ホリ車の援護無しに戦線を維持することが難しくなり始めていた。敵が森林エリアの一歩手前まで来た時、ホリ車の狙撃でパーシングを撃破。
更に、敵のパンター群に紛れていたErsatzM10の奇襲攻撃により、敵の戦線は崩壊を見せ始めた。

このまま行ければ、敵を追い詰めることが出来る。本隊が前進を始めた時、強力な一撃が森林エリアに轟いた。
この一撃でVK45.02(P)が撃破。T25E1が履帯を切られ、自走不能に追い込まれた。その一撃を加えたのは、ドイツの試作超重戦車だった!


 突如現れた灰色の重戦車は、主砲の砲口を味方本隊に向けている。味方の攻撃を受けても掠り傷にしかならない。

 その戦車は全国にある戦車道科の戦車の中で、『無敵』と呼ばれる存在である。

 ドイツ。試作超重戦車『Eー100』。名前に付けられた『E』は、『Eシリーズ』を指す。

 Eシリーズとは『Entnicklungstypen(エントヴィックルングストゥーペ)=開発タイプ』の略語であり、戦車を重量ごとに標準化し、部品を共通化させることで生産性を高めるという狙いがあった。

 駆逐戦車。中戦車。重戦車。超重戦車の区分がEシリーズとして計画され、『Eー100』はその中の超重戦車だった。

 

 超重戦車という区分故に、現在でも破格と言える武装・装甲で計画された。

128㎜kwk44L/55(128㎜戦車砲)が搭載が初期案として計画されたが、最終案では150㎜kwk44L/38(150㎜戦車砲)か170㎜kwkL44(170㎜戦車砲)が主砲として選定された。170㎜戦車砲の搭載した場合、駆逐戦車のように固定式戦闘室にする予定だったという。

 防御面では以降の数値で計画されていた。

 車体前面200㎜。車体側面120㎜。後面155㎜。車体側面にスカートが付けられ、避弾経始を考慮した曲面で55㎜。砲塔前面220㎜。側面と後面が210㎜となっている。

 

 機動面では試作車両にV12型ガソリンエンジン『HL230P30(700馬力)』を搭載する予定だったが、量産型にはHL230P30を改良した『HL234エンジン(800馬力)』か、過給器付きの新型エンジンを搭載する予定だったとされる。

 あくまで計画段階の数値ではあるが、HL234エンジンを搭載した場合、約40㎞で走行出来ると言われていた。

 同時期に開発が進められていたⅧ号戦車『マウス』は整地で約20㎞だったので、単純計算で約2倍の速度で走れたと言うことになる。

 重量はマウスが約188tに対し、Eー100は約140t。超重戦車という区分ではあるが、マウスよりも重量を抑えた造りとなっていた。

 

 1943年よりアドラー製作所に開発指令が下され、製作が進められていたが、1944年に開発中止と命令が下された。

 戦況悪化の影響で、超重戦車を造れる資源が無かったのだ。その後はアドラー製作所の工員3名がヘンシェル社の工場で細々と製作を続け、車体が完成した辺りでドイツが降伏した。

 Eシリーズの中で製作が進められていたのはEー100だけで、この他に『Eー10(駆逐戦車)』、『Eー25(駆逐戦車)』、『Eー50(中戦車)』、『Eー75(重戦車)』の設計が進められていたが、どの車両も製作の段階までは行かなかった。

 その後は連合軍が接収したという情報を最後に行方は分からず、スクラップにされたという説が有力視されている。

 

 これもまた、花蓮の作戦であった。

 40㎞で走れると言っても、坂道や不整地で追従出来る程の機動力は無いので、遅れても良いから敵を発見した場所に来るよう言っておいたのだ。

 タイミングが合えば、敵が油断した所に強力な一撃をお見舞いすることが出来る。この状況がまさに絶好のタイミングだった。

 

「Eー100。良くやったわ。そのまま前進し、敵を一掃しなさい」

 

 花蓮の指示を受け、灰色の巨体が本隊の前衛に進んでいく。敵からの攻撃を弾きながら進む様は、まさに無敵と言えよう。

 

 

「撃つって何言ってんの!?相手は200㎜以上の装甲を持つ怪物よ!?」

 

『今はこれしか方法がありません。タイミングを外さないためにも、こちらの指示に従ってください』

 

 加藤は水田からの意図が読めずにいた。Eー100が現れ、VK45.02(P)が撃破。T25E1は履帯を切られ行動不能となってしまった。

 更にEー100はこちらの攻撃を全て弾き返してしまう。絶望の縁に立たされた本隊に、水田から連絡が入った。「こちらから一発撃つ。指示を受けたら退避せよ」、と。

 

「囮になる気!?距離があるにしても凄まじい威力よ!?」

 

『兎に角、指示に従ってください』

 

 その通信を最後に切れてしまった。何度か呼び掛けたが応答することは無かった。

 

 

「神原、射撃用意。目標はEー100の車体前面だ。俺の合図で撃発しろ」

 

 水田の指示に誰も反応しない。「ん?どうした?」

 

「何を考えているんですか?105㎜砲と言っても、この距離じゃ貫通力が下がります。それに・・・この角度だと貫通どころか弾かれますよ」

 

 神原が睨むように水田を見た。

 目標は約2~3㎞先。105㎜砲と言えど、この距離では砲弾の勢いが落ちてしまう。狙っている車体前面は装甲が一番厚い部位だ。当たったとしても弾かれるのは明白だ。

 

「良い。最初からそれが狙いだ」

 

「ですが・・・」

 

「味方の撤退を援護するためにやるんだ!急いで射撃準備に掛かれ!!」

 

 水田の怒号に神原はたじろいだ。援護するためにしても、車体前面を狙ってどうするつもりなのだろうか。

 水田は無駄なことはしない。何かしら意図があるのは分かるのだが、その意図が読めない事に不安を感じていた。一体、何を狙っているのだろうか・・・

 照準器を覗いて狙いを付けようとしていると、横から水田の指示が飛んできた。

 

「射撃用意!目標、Eー100車体前面!砲身、俯角-3°!射角、右に4°!」

 

 言われるがままに照準を調整する。

 ホリ車の主砲は左右10°ずつ振れる仕組みとなっているので、車体ごと旋回させる必要はない。

 ハンドルの操作が終わると、撃発ペダルに足を置く。準備は整った。

 

「撃てぇ!!」

 

 撃発ペダルを踏み込む。衝撃と轟音が車内に響き、砲弾が撃ち出されて飛んで行く。

 砲弾はEー100の車体に当たり、弾かれた。その様子を見ていた水田は、何故かニッと口角を上げた。

 

 

(今のは・・・ホリ車の射撃?。何処を狙ったのか知らないけど、弾かれたみたいね)

 

 花蓮は車長用キューポラに付けられたぺリスコープ越しに外を見ていた。

 金属が当たって弾かれる独特な音が聞こえてきたので、砲弾が戦車に当たって跳弾したのだろう。

 

「た、隊長!木が!!木が倒れてきます!!」砲手が叫ぶ。花蓮もぺリスコープを覗いた時には既に、木が倒れてきていた!

 

「麻美!全速後退!!」

 

「間に合わないわよ!!」

 

 麻美の言うとおりだった。側にいた宇都宮校の戦車は退避行動を取ろうとしたものの、成す統べなく倒木に巻き込まれてしまった。

 

 

「今です!!退避行動を!!」

 

 水田の指示に合わせ、延岡校の戦車5輌がその場から撤退していった。敵は倒木から抜け出すために車体を揺らしているが、あの様子だと時間が掛かりそうだ。

 T25E1はそのまま置いていくしか無かった。履帯修理を手伝いたかったが、今は退避を優先するしか無い。

 車長の村橋は「こっちは大丈夫。目の前に敵がいるから動向を随時報告する」と言った。味方の撤退を確認すると、織田に指示を出した。

 

「よし。本隊と合流するぞ。織田。180°旋回」

 

 ホリ車の車体がゆっくりを動き出す。神原は、水田が狙っていたものが何だったのか、漸く理解出来た。

 狙っていたのはEー100ではなく、その先にあった木だ。跳弾で幹に傷を入れ、倒れてくるのを待てば敵は巻き込まれるという寸法だ。

 敵が隊列を組んで突っ込もうとしていたので、上手い具合に巻き込めることが出来たが、もしタイミングが合わなければただ無駄撃ちしただけになっていた。

 水田を見ると、ホッとした顔をしていた。賭けに勝った。そんな心境なのだろう。

 

 

 30分後。

 本隊とホリ車はβー016で合流し、そのまま北上していた。このまま進むと、市街地エリアに着く。

 

 それから10分後。

 本隊が小高い丘を登り切って停車すると、その下に市街地が見えた。集合住宅らしい建物が5棟。その他は一軒家がポツポツと建っている。

 本隊はその場で停車し、各車の車長がハッチから上半身を出して見下ろす。γで決着を付けられると思ったが、相手の抵抗は予想以上だった。今更ながら、手強い相手だと改めて実感していた。

 

『こちら村橋。敵が動き出しました』村橋からの通信を受け、車長たちはインカムを手に取ってスピーカーを耳に押し当てる。

 

『こっちには見向きをしないでそっちに向かいました。目標は市街地エリアだと思います。こっちは心配しないでください。後15分くらいで自走出来そうなので、修理が終わったら急いで合流します』

 

 村橋の連絡が終わると、加藤は大きく息を吐いて言った。

 

「10分くらい休憩しようか。市街地に入ったら、休む暇なんて無いだろうし」

 

 その提案に反対する者は居なかった。

 逃走を開始して既に40分が経過している。今動き出したとなると、追い付くにはかなりの時間を要する筈だ。

 とは言え、油断は出来ない。加藤が周囲の警戒をし、戦車も目立たない場所に停めた。

 休憩とは言ったものの、とてもリラックス出来る心境ではなかった。休まなければとは思うが、延岡校の中で貴重な戦力だった重戦車がやられてしまった。

 残された戦力を減らさないようにしなければならない。その事が気掛かりで仕方なかった。

 

 休憩を始めて5分。

 水田は車外に出てホリ車に寄り掛かっていた。こう言う時は車内にいた方が安全なのだが、外の空気を吸っていないと落ち着かなかった。

 

「ねぇ。ちょっと話ししない?」話し掛けてきたのは沙樹だった。思わぬ誘いに、水田は目を丸くした。

 

「話?俺とか?」

 

「あんたと話しでもすれば、気が紛れるかもって思っただけよ」

 

 沙樹はそのまま水田の横に回ると、水筒に口を付けた。

 

「・・・あんた。昔『守れるものを守れなかった』って言ってたよね。それって何なの?」

 

 守れなかったもの・・・そう聞かれ、色々な事を思い浮かべた。進駐していたビルマ方面や、日本という故郷・・・そんな中で、特に守れなかったと実感しているのは・・・

 

「『仲間』だ」

 

「仲間?どういうこと?」

 

「もうかなり昔の事だ。一緒だった仲間とバラバラになってしまったんだ。大勢居たんだが・・・みんな()()()しまった」

 

「・・・()()()ってどういうこと?喧嘩して離れ離れになったって事?」

 

「喧嘩か・・・まぁ、そんなとこだ。今思い返してみると、非常に馬鹿げた喧嘩だった・・・あの一件で、大勢の仲間が散っていったからな」

 

「ふーん・・・良く分かんないけど、あんたも色々あったのね」

 

「ところで、お前の方は姉と何があったんだ?あの時の様子からして、かなり揉めていたようだが」

 

 沙樹は少し俯き、唇を噛み締めた。それを見て、聞くべきではなかったような気がしたので「いや、何でもない」と誤魔化し、ホリ車に戻ろうと足を動かした。

 

()()()()()だったのよ」ピタッと足が止まる。その言葉の意味を考えながら、ゆっくりと振り返った。

 

「母親代わり?」

 

「そう。だって、私たち姉妹に両親なんていない・・・昔事故にあって、2人とも・・・ね」

 

 

 γー102。

 倒木に巻き込まれた後。どうにか脱出した宇都宮校は、敵を追って北上していた。

 予想だにしなかった事態に大分時間を取られてしまった。その遅れを取り戻すため、アクセル全開で進軍している。残ったのは鈍重な戦車ばかり。遅れを取り戻すのは容易ではない。

 花蓮は地図に視線を落とし、敵が市街地に侵入した場合の行動を予想していた。待ち伏せするか、それとも真正面から突っ込んでくるか。予想はいくらでも立てられる。

 車体が揺れ、ペンを落としてしまった。拾おうとした時、一緒に小さな紙がヒラヒラと落ちた。その紙を拾い、じっと見つめた。

 ずっと大事にしてきた写真だ。軽く色褪せ、細かい皺がいくつも付いている。いつ撮ったか覚えていないが、西沢家の家族写真だ。

 幼かった頃の西沢3姉妹。その横に立つ両親。そして祖父の友幸と祖母の7人を写している。

 

 

 花蓮が8歳の時だった。

 雨が降りだしそうな薄暗い天気の日だった。その日は戦車道の訓練が長引き、家に帰った時には午後6時を回っていた。

 玄関で靴を脱いでいると、祖母が血相を変えて駆け寄り、「お父さんとお母さんが事故に遭って、病院に運ばれた」と言われた。

 両親で買い物に出ていた帰りに、対向車と正面衝突。相手はトラックで、花蓮たちの両親が乗った車は弾き出されて田んぼに突っ込んだという。

 祖母と麻美、沙樹の4人で病院に駆け込んだ時には既に亡くなっていた。2人の遺体の側で、必死に涙を堪える友幸の背中は今も鮮明に覚えている。

 その後の事は良く覚えていない。麻美と沙樹が泣く声。友幸と医師が話している声がぼんやりと記憶の片隅にあるだけだ。

 葬式を終えた後。花蓮はある決心をした。麻美と沙樹を立派な戦車乗りに育てる。そして3姉妹揃って、戦車道をやっていく。いまだにどのチームも成し遂げられていない10連勝を達成すると。

 友幸は花蓮の決心に同意し、『姉』として、跡取りとして、厳しく育て上げた。その甲斐あってか、花蓮は全国トップチームの隊長になって勝利を重ねていった。

 このまま行けば、10連勝という快挙を成し遂げられる。そう思っていた矢先、沙樹が消えた。

 延岡にいると聞いたとき、すぐ迎えに行かなければと思った。だが、沙樹は拒み、水田に邪魔をされた・・・

 ペンを握る力が強くなっていく。

 勝って、沙樹を連れ戻さなくては・・・その思いが募っていくのを感じた。

 

 

 沙樹から姉である花蓮の事を聞いた水田は、複雑な心境と同時に何処か納得していた。

 冷静そうな花蓮が、感情を露にしてまで沙樹を連れ戻そうとしたこと。過保護のように感じたのは、そう言うことなのだろう。

 

「私・・・お姉ちゃんを尊敬していた。お姉ちゃんみたいな戦車乗りになりたいって思ってたのよ。でもある時思ったの。自分の実力が何処まで通用するのかって。お姉ちゃんの側にいたら分からないと思ったから出ていったの」

 

「・・・そう言うことだったか。てっきり姉妹同士でいざこざがあったからと思っていたが」

 

「まさか・・・そんなわけないじゃん」

 

 フッと鼻で笑うその横顔は、何処と無く悲しそうに思えた。後悔から来るものでは無い。姉妹同士、心が通じ合えないもどかしさだろう。

 

「みんな。そろそろ移動するわよ。一旦市街地に入って、落ち着けそうな所で作戦を立て直しましょ」

 

 加藤の指示に、水田と沙樹は急いで自分の乗機に足を運んだ。

 

 

 

 本隊は市街地に侵入し、南よりのαー098で停車し、車長だけがレオパルトの前に集合した。

 ここは市街地エリアの出入口と言える場所で、敵が侵入してくるなら恐らくここからだろう。

 問題はここからだ。敵には強力なEー100がいる。本隊の前衛に構えて突っ込んでくるのは確実だろう。フラッグ車は中間か、後方から攻め上がる形を取るだろう。

 そしてこの市街地は、2車線以上の大通りが非常に少ない。殆どが1車線。狭い通りばかりなのだ。

 地図上ではどのルートも殆どが戦車1輌通れる程度の幅しかない。囲まれたら終わりだ。

 鬼嶽も「今回ばかりは単独行動を控える立ち回りをする」と言っている。囲まれた時のリスクを考えての事だろう。

 どういう作戦で立ち回るか頭を悩ませていると、水田がボソッと呟いた。

 

「加藤隊長。要点だけに絞れば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということになりますよね?」

 

「簡単に言えばそう言うことになるけど、それがどうかしたの?」

 

「・・・個人的にはあまり好ましいやり方では無いんですが、やむを得ない状況です。聞いてくれますか?」

 

 

 γー176を出発して1時間後。

 花蓮たちは漸く市街地エリアに到着した。Eー100を先頭に、フラッグ車のティーガーⅡを中央、スーパー・パーシングとパーシング、パンター郡を後方に構えさせた。こうすれば、後ろを取られてもフラッグ車を守りきることが出来る。

 

「このまま市街地に突入しなさい。連中の攻撃力じゃ、Eー100の正面を貫く事は出来ない。反撃されても怖じ気づかずに突っ込むのよ」

 

 花蓮の指示に合わせ、戦車郡が一気に突っ込んでいく。少しずつ市街地に近づいていくと、敵からと思われる砲撃が隊列に牙を向けてきた。市街地に入れないためだろう。

 Eー100を先頭にしていたことが功を奏し、後方にいる戦車に攻撃は全く当たらなかった。

 市街地に近づくに連れ、反撃が薄れていった。諦めて奥に逃げ込んだようで、手前まで来ると反撃は無くなった。減速することなく、そのままの勢いで市街地に侵入していく。

 すると、突然視界が真っ白になった!発煙筒を投げ入られたのだ!

 

「っ!?発煙筒!?このタイミングで!?」麻美が動揺していたが、花蓮は全く動じていない。

 

「気にしなくて良いわ。このまま前進して・・」ゴンッと車体が何かに当たった。後方の味方がぶつかってきたのだろう。

 

「下手くそ!!もっと慎重に進みなさいよ!!」

 

 麻美が悪態を付きながらアクセルを目一杯踏み込んだ。この区画から早く抜け出したかったのだ。

 敵は手持ちの発煙筒を全て投げ入れたようで、中々抜け出せない。暫く走っていると、漸く視界が開けた。が、その景色に花蓮たちは愕然とした。

 前にいたはずのEー100がいない。後ろから来ていたはずのパーシングとパンターもだ。

 

『こちらパーシング2!煙を抜けた辺りで敵が攻撃してきました!!隊長たちは今何処にいますか!?』

 

 別車両の車長から通信が来た。敵なんていない。目の前にある景色は、何もない普通の道だけ。狐に包まれたような気分だ。

 

(どういうこと?何処かで別れた・・・と言うこと?・・・まさか、あの時!?)

 

 そう。発煙筒の煙に覆われていた時、何かにぶつけられた。その時に進路が変わってしまったのだ。

 ぶつかってきたのは敵の戦車だろう。あのエリアで大量に発煙筒をばら蒔いたのは、視界を完全に消すため。

 1メートル先も見れないほど視界が狭まっていたのだ。何処を進んでいたのかも、進路が変わってしまった事にも気付けなかった。まだ味方は近くにいるはず。急いで戻らなければ。

 

「隊長!正面に敵のフラッグ車です!!」

 

 砲手が照準器を見ながら報告してきた。センチュリオンは車体後部を晒し、逃げるように前進していった。

 

「弱小校のくせにあんなのに乗って!!行くわよ!!」麻美がアクセル全開で突っ込んでいく。

 

「待って!これは罠よ!!」

 

 花蓮が制止を促したが、麻美は聞き入れない。他の乗員も目の前しか見ていなかった。

 センチュリオンはどんどん奥に逃げていく。すると、今度は後ろから攻撃が飛んできた。真後ろに着弾し、破片が飛び散る。花蓮が確認すると、ホリ車が後を追ってきている!狙いは挟み撃ちか!?

 

「砲塔180°旋回!!ホリ車が追撃してくるわよ!」

 

「だ、駄目です!道が狭いので旋回させたら主砲が壁に接触します!!」

 

 花蓮の中に、絶望感がふつふつと沸き上がっていた。ここで負けるのか・・・と思っていると、道が開けてきた。希望が見えてきたと思ったが、その希望は儚く散っていった。

 行き止まりだ。正方形の空間で、周りは背の高い建物で覆われている。ホリ車は逃げられないように出入口で止まり、主砲を向けていた。

 

「・・・どういうつもり?何であいつは攻撃してこないのよ」

 

 麻美が不気味がるのも無理はない。敵にとって有利な状況にも関わらず、攻撃されない。どちらもただ構えているだけで、攻撃の意志が見られない。

 この狭い空間の中に、不気味な程静かな空気が流れていった。

 

 

 沙樹は停車しているティーガーⅡを見た。

 近くで見ると、その迫力は段違い。主砲の威圧感が伝わってきていた。

 

 作戦会議中。水田がとある提案をしてきた。「フラッグ車以外の戦車を釘付けにするために、加藤隊長たちに囮になって貰いたい」と。そして「敵フラッグ車を引き付けるために、センチュリオンを囮に使う」と続けた。

 この試合形式は『フラッグ戦』。敵の数が残っていても、フラッグ車を先に撃破すれば勝利というルールだ。わざわざ周りの敵を殲滅した後にフラッグ車を狙う様なことをする必要はない。

 流石に無謀とも言える作戦だったが、誰も反対しなかった。勝ちに行くならこの方法しかないと思ったのだろう。

 水田たちも加藤たちと一緒に行動するつもりだったが、沙樹が「万が一の時に援護してほしい」と誘って現在に至る。

 

 

 沙樹と組むと聞いた水田は、極力手を出さないと沙樹に言っていた。花蓮に沙樹の実力を分からせるために、邪魔をしないようにと思ったのだ。

 

『水田くん!!こちら加藤!これ以上敵の進軍を食い止められない!!早く決着を付けて!!』

 

 加藤の切羽詰まった声を聞き、水田は「了解」と一言だけ返答した。この戦いは、絶対に邪魔出来ない。

 センチュリオンとティーガーⅡの間に、言葉では言い表せない空気が漂っている。

 

 麻美はこの状況にただ不気味がっているが、花蓮は理解していた。あのセンチュリオンに乗っているのは沙樹。自分が指揮を執る戦車で、立ち向かってこようという魂胆だ。

 確かに、沙樹はあの頃に比べて成長している。だがその周りにいる乗員はまだ慣れていない。なら、仕留めるのは簡単だ。

 

 沙樹は大きく息を吐いた。大丈夫。焦らなければ、勝機はある。落ち着いて指示を出せば良い。

 

「前進!!」指示を受けて、センチュリオンが一気に加速する。「機動面ではこっちが有利よ!攻撃を受け流して、一気に後ろを・・・

 

 バキンッ!と鈍い音が響いた。同時に車体が大きく左に反れてしまった。

 

「左の履帯が切られました!!」

 

「右旋回!同時に砲塔も回して!!」砲手が目一杯ハンドルを回したが、旋回が終わる直前で右の履帯が切られ、砲塔に一発砲弾を受けてしまった!

 

「ターレット・リング破損!旋回不能です!」

 

「右の履帯も切られました!!」

 

 センチュリオンは完全に手詰まりの状態になってしまった。左右の履帯を切られ、ターレット・リングは破損。敵を狙うことも、自走も出来ない。

 

 

「敵戦車、完全に止まりました。留目を刺します」砲手がエンジンに砲口を向ける。

 

「待ちなさい。先にホリ車を撃破しなさい。センチュリオンはあの態勢から動けない。ほっといても問題ないわ。ここまで来てホリ車の一撃で逆転なんてあり得ないからね」

 

 花蓮の指示に従い、ティーガーⅡの車体がゆっくりと旋回する。それを見た神原が撃発ペダルに足を掛けたが、水田はそれを止めた。

 

「神原。センチュリオンの車体を掠れるか?」

 

 そう言われて位置を確認する。

 ここからだとティーガーⅡの車体が邪魔をしているが、前をこっちに向ければ右の側面が狙える。

 

「出来ますけど・・・どうするんですか?」

 

「出来るなら良い。狙えるタイミングで撃て」指示を出し終わるとインカムを取って先に繋ぐ。

 

「西沢車長!車体を旋回させるから、砲手に構えておくよう言っておいてくれ!」

 

『は!?ちょっと急にそんなこと言われても・・・』

 

「水田さん!ティーガーⅡの主砲がこっちを向いてます!!」

 

 織田が叫ぶと同時に、ティーガーⅡの砲口が火を吹く。それを見た神原が撃発ペダルを踏み込み、砲弾がセンチュリオンに向かって飛んで行く。

 砲弾はセンチュリオンの右車体後部に当たって跳弾し、車体が少し傾いた!砲口はティーガーⅡのエンジンを捉える!!

 

「撃てぇー!!」

 

 沙樹の叫び声とセンチュリオンの射撃音。跳弾の音、爆発音が響いた。それから数秒の間があり、沙樹はハッチを開けて外を見る。

 そこには、機関室から黒い煙を上げて白旗を掲げるティーガーⅡと、車体前面の傾斜装甲に傷が入っているホリ車の姿があった。

 

『宇都宮女子学園フラッグ車、戦闘不能!延岡女子高等学校の勝利!!』

 

 アナウンスが勝敗を報告する。それを聞いた水田が外に出て、沙樹の方を見て、軽く頷いた。「やったな」、そう言っているように。

 

 

 午後5時。

 戦車の回収が終わり、観客席もまばらになっていった。

 ほぼ無名と言っても過言では無かった延岡校の逆転勝利に、観客はどよめき、加藤たちは何年ぶりかの全国大会優勝に泣いて喜んだ。

 一方、沙樹は宇都宮校の陣営にいた。花蓮と麻美に向き合うように立つ沙樹。誰も喋らなかったが、沙樹の方から話し始めた。

 

「その、私は・・・私はただ自分の実力が知りたかっただけなの。身勝手な行為を許してとは言わない・・・勝手に出ていってごめんなさい」

 

 深々と頭を下げる沙樹に対して、花蓮はこう言った。

 

「沙樹はいつもそうよね・・・自分でやりたいことや知りたい事が出来たら、それを突き詰めようとする。誰に止められても、絶対にやめようとしない・・・それが、あなたなんだもんね」

 

 そう言うと、すっと手を差し出して続けた。

 

「あなたの実力。私も知りたくなったわ。次の試合、絶対に負けないから」

 

 そう言いながら麻美に視線を送る。麻美は溜め息を吐き、むすっとした顔で手を差し出す。

 

「私だって!今度は絶対に負けない!あいつにも、絶対に!!」

 

 

 延岡校の陣営で、水田はホリ車を眺めていた。()()からずっと一緒に戦ってくれた戦友に労いの言葉を掛ける。

 

「ご苦労だったな・・・ここまで、本当に良く頑張ってくれた。ゆっくり休んでくれ」

 

「水田さん。表彰式やるそうですよ」秋川が呼びに来た。「分かった。今行く」

 

 そう言って駆け寄り、表彰台に向かって歩き始めた。

 

「織田たちはどうした?」

 

「先に行ってます。後は水田さんだけですよ」

 

「そうか・・・ん?」足が止まった。目の前に『ミヨコ』が立ち塞ぐように立っているのだ。

 

「水田さん。この子、知り合いですか?」

 

「は?お前、この子が見えるのか?」

 

「見えるのかって、どういうことです?て言うか傷だらけじゃないですか!手当てしてあげないと」

 

 訳が分からない。今まで自分にしか見えていなかった『ミヨコ』が、秋川にも見えている。

 どう説明するか迷っていると、『ミヨコ』が何かを取り出した。それは、機関銃だった!

 

「逃げろ!!」秋川を連れて逃げると、銃声と共に弾丸が飛んで来る!

 2人は側にあった建物の裏に隠れ、彼女の動向を確認する。機関銃を構えながら近付いていた。何か反撃出来るものを探さなければ・・・

 

「水田さん・・・それ!」秋川が水田の右手を指差す。水田が手を上げると、いつの間にか拳銃を持っていた。

 旧日本軍が使用していた『南部14年式拳銃』。奇しくも前世で持っていた物と同じだった。

 弾倉を引き抜いて覗く。残弾は8発。これなら何とか出来そうだ。

 

「秋川、お前は逃げろ!」

 

「そんな!置いていけませんよ!」

 

「良いから行け!!早く!!」水田の覇気に押され、秋川は逃げていった。それを見送ると、拳銃のボルトを引いて初弾を装填し、拳銃を構えて物陰から飛び出した!

 ・・・いない。追っていた筈なのに、姿が見えない。

 

「すみません。でも、こうするしか無いんです」

 

 銃声が後ろから聞こえ、身体が倒れていくのを感じた。意識が遠退いていく。前世で敵に撃たれた時と・・・おな・・・じ?

 

 

 

 

 

「う・・・あ?」

 

 目を開くと、真っ白な世界が視界に入ってきた。ここが・・・死の世界というものなのだろうか。

 ゆっくりと身体を起こす。何処までも続く、終わりの見えない真っ白な世界。土も無ければ空もない。真っ白な世界だからか、目がチカチカする。

 

「・・・漸く起きましたね」

 

 声がする方に振り返る。誰かが立っている。その後ろ姿は、『ミヨコ』だった。

 

「お前・・・どういうつもりだ!何故俺を殺した!何故、何故お前もここにいる!?お前は・・・一体何者なんだ!!」

 

「・・・本当は思い出して貰いたかったんですが・・・仕方ありませんね。あの時の衝撃で、思い出せないんでしょうね」

 

 彼女は振り返ると、水田を見てこう言った。

 

「私の名前は、チハ、345号車。車体番号の語呂合わせで『345(ミヨコ)』という名前は、あなたから貰ったんですよ?」

 

「チハ・・・345号車・・・?」

 

 その時。脳裏の片隅で、ずっと閉ざされていた記憶の引き出しが開いた。前世のあの時。何があったのか、その全てを思い出した・・・



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第弐拾壱話 ミヨコの正体 転生の真実

前回のあらすじ

延岡校の前に立ちはだかるEー100を前に、水田の機転で離脱することに成功する。
敵味方共に市街地に向かい、そこで決着を付けることになった。
水田たちの策略で敵フラッグ車を孤立させ、センチュリオンとホリ車が最後の戦いに挑み、チームワークでティーガーⅡを撃破。延岡校の勝利で幕切れとなった。

試合が終わり、水田は最後まで共に戦ったホリ車に労いの言葉を掛け、秋川と共に表彰台に向かった。
その最中。ミヨコが立ち塞がるように立っていた。すると秋川が「知り合いですか?」と尋ねてきた。
今まで水田以外に見えていなかったのに、秋川にも見えるようになっていた。何故こうなったのか考えていると、突然ミヨコが2人に向かって機関銃を乱射してきた。

物陰に隠れていると、いつの間にか水田の手には護身用の拳銃が握られていた。これで対抗することを決断し、秋川を逃がした。
水田は銃を構えて物陰から飛び出した。しかし、背後に回られ、ミヨコに撃たれ、そのまま意識を失った・・・

気付いた時。真っ白な世界に居た。
側にはミヨコが立っていた。水田はミヨコに質問をぶつけると、彼女はこう答えた。

「私の名前は、チハ、345号車だ」と・・・


 1944年(昭和19年)3月8日。

 あの日。いつも通り日記を付けた後、作戦決行前の出撃準備を進めていた。乗機であるチハ345号車に燃料、弾薬を搭載し、後のことは整備班長の芦沢軍曹に任せていた。

 乗員は車長の引田准尉。操縦手の大室軍曹。砲手兼装填手の酒井伍長。前方機銃手兼通信手の中島一等兵の4人。

 芦沢軍曹は整備兵の一員だったが、乗機のチハ車を整備してくれていた事もあり、引田班と親交が厚かった。整備兵でありながら射撃が得意で、狙撃兵としても十分活躍出来る腕を持っていた。

 準備が整い、出撃の命令が下されようとした時。遠くで爆発が起きた。弾薬集積所の側だった。

「敵コマンドの襲撃だ!」と言う司令官の叫び声を聞き、引田は「各自武器を携行して警戒しろ!」と指示した。

 戦車兵には護身用として拳銃を携行していた。大体は『94式拳銃』だったが、引田は「使い慣れているから」という理由で『南部14年式拳銃』を携行していた。

 敵の狙いは恐らく兵器の破壊。そう考えて戦車兵たちは乗機の側から離れないよう固まっていた。

 その時。中島の足元に手榴弾が転がってきた。引田は咄嗟に中島を突き飛ばし、手榴弾から遠ざけた。

 その直後。手榴弾が爆発した。爆風で飛ばされ、何処かに頭を打って・・・その先の記憶が無い。

 インパール作戦遂行中の記憶、そしてあの日記帳に1年近くの空白があったのは、()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「漸く思い出したんですね。あなたが無くした記憶。全てを」

 

「・・・ああ」

 

 モヤモヤしていた頭の中がスッキリしたような気分だが、同時に幾つか疑問が出てきた。

 何故、試作砲戦車『ホリ車』に乗っていたのか。ミヨコに撃たれる直前、自身の護身用拳銃を持っていたのか。そして、()()()()()()()()()()()()のは何故なのか。

 

「あの時も言ったはずです。あなたはまだ、()()()()()()()()()()()()と」

 

 ミヨコが考えている事を見透かしたように言った。

 

「確かに、そう言ってたな。だが、()()()()()()()()()()()()()()。違うか?」

 

 そう尋ねると、ミヨコはすっと手鏡を出して言った。「これを見てください」

 

 言われるがままに手鏡を受け取り、自分の顔を見た。その顔を見て、息を飲んだ。

 そこに写るのは()()()()()()()()。身体に触れる。

 軍服を着用し、戦車帽を被っている。軍靴を履き、脚絆(きゃはん)(ゲートル・足に巻いてブーツ代わりにするための細長い布)を巻き付けてある。

 肩に掛けているのは革製の拳銃嚢(けんじゅうのう)(ホルスター)・・・戦車兵となり、部隊に配属された時からずっと持っている物だ。

 

「なっ!?俺は・・・引田神としての俺は死んだんじゃ無かったのか!?」

 

「私もそう思っていました。ですが、あなたは()()()()()()()()()姿()でいる。何故か分かりますか?」

 

「・・・いや。何故だ?」

 

「今のあなたは・・・いえ、正確に言えばあなたの魂は、生と死の狭間にいるんです。この世界が、その生と死の狭間なんです」

 

「生と死の・・・狭間?」

 

「つまり、あなたは()()()()()()()()ということです」

 

 死んでいない?どういうことだ?頭の中でぐるぐると色んな考えが浮かび、混乱してきた。それを見ていたミヨコはこう続けた。

 

「あなたが『水田隼』として生きてきた15年は()()()だったと言うことです。魂がこの世界で彷徨っている間、あなたは未来の日本を生きた夢を見たのではないかと」

 

 ミヨコの言葉が信じられなかったが、、現にこうして起きている。『引田神として生きた記憶』をそのまま受け継いでいた事、護身用の拳銃を握っていた事。

 この全ての出来事を、()()()()()()と考えれば納得出来た。

 

「俺がホリ車に乗っていたのは?」

 

「こうぼやいていたじゃないですか。『米軍を相手にするには、野砲を載せた砲戦車を配備しないと勝てない』、と。恐らく、そのぼやきが夢に反映されたんじゃないでしょうか」

 

 色々な事が起こりすぎて理解が追い付かない。確かに、そうぼやいたのは覚えている。それまでも夢に反映されていたとは・・・

 だが。彼女は。あのチハ車が人の姿で目の前にいるのは何故なのか。もしかしたら、ただそう名乗っているだけかもしれない。

『物にも心はある』と聞いたことがあるが、こうして人の姿で喋ったりするなど聞いたことがない。

 

「お前・・・自分を『チハ車』だと名乗っているが、何故そう言いきれる?お前の姿は、普通の人間・・・日本軍の格好をした少女にしか見えないぞ」

 

 この指摘に対し、ミヨコは鉄帽を脱いで見せた。頭には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。

 

「これを見て、思い出せませんか?」

 

「思い出す?何を・・・」

 

 ふと、ある記憶が甦ってきた。1943年(昭和18年)の事だ。

 英印軍がアキャブ(現シットウェー・ミャンマー、ラカイン州の町)を目指していた事で起きた『第一次アキャブ戦』に参加していた時、引田班が搭乗していたチハ車の砲塔に被弾した。

 砲塔の右側面に傷が入ったが、貫通されなかったので戦闘は続行可能と判断。そのままアキャブ戦を乗りきった。

 後にインパール作戦が発令されると聞き、芦沢に修理を頼めないか尋ねたが、「補給がままならないので難しい」と返答を貰った。

 傷の具合から見て貫通されていなかったので、このまま作戦に参加する事にしたのだ。

 

 改めてミヨコの頭を見る。傷が入っている箇所は、右側頭部。チハ345号車と同じ箇所に付いている。

 それだけではない。ミヨコが被っていた鉄帽には鉢巻きが巻かれている。

 チハ車の砲塔の天板には、手すりのように通信アンテナが付けられ、『鉢巻きアンテナ』と呼称されていた。鉄帽に鉢巻きを巻いているのは、恐らくその名残。

 そして撃った時に使用していたのは機関銃。チハ車の車載機関銃の名残と考えれば合点がいく。

 その姿からチハ車らしさは無いが、良く見るとチハ車と同じ部分が幾つかあることに気付いた。だとすると、彼女は本当にチハ345号車ということになる。これ以上疑いようが無かった。

 

「初めて自分の名前を貰った時、とても嬉しかった。中島一等兵の提案で、あなたが『ミヨコ』という名前を付けてくれた。その時決めたんです。この身を犠牲にしても、あなたを守ると」

 

「・・・その姿は、何なんだ?人間で言う魂みたいなものか?」

 

「私にも分からないんです。引田准尉が倒れた時。何とかして助けなければと思って・・・気付けばこの姿になり、あなたの夢の中にいた。初めは言葉の発し方が分からなくて、何も話せなかったんです。漸く喋れるようになったのが、あなたが特急に乗って宮崎に向かっている時でした」

 

(・・・延岡校に入学試験を受けに行った、あの時か)

 

「もっと早く気付かせるべきだったんですが、あなたには記憶が無かった。私が真実を話したところで、信じる事は出来ないでしょう?それに、あなたを元の世界に戻す方法も分からなかった・・・だから時々会って、記憶を思い出せたか聞く事しか出来なかったんです」

 

「俺を撃ったのは・・・夢の中から覚ますためと言うことか?」

 

「そう・・・あなたは実体の無い魂・・・夢の中のあなたを撃てば、目覚めると思ったんです。事故に遇う夢を見てると、ハッと目覚める事があるでしょう?」

 

「確かにあるな・・・じゃあ、目覚めてもこの狭間に居ると言うことは、()()()()()()()()()と言うことか?」

 

「そう言うことになります」

 

「もし、このまま元の世界に帰らなかったら?」

 

「戦死と言うことになります」

 

 ミヨコの言葉が重くのし掛かった。『戦死』・・・いずれその時が来るであろうと思っていたが、まさか爆風で飛ばされてこうなるとは思ってもみなかった。

 幸か不幸か、戦車の外でこんな事になるとは・・・その時、ハッと重要な事を思い出した。

 部下たちは・・・大室。酒井。芦沢。中島はどうなったのか。

 

「あいつらはどうなったんだ?大室たちは無事なのか?」

 

「分かりません。あの時、気付いた時にはあなたの夢の中に居ましたから、連隊がどうなったのかも・・・」

 

「じゃあ、全員戦死している可能性もある・・・と言うことか」

 

 驚きはしない。最前線で戦死する事は、決して珍しい事ではないのだ。

 あの奇襲攻撃を受けて生き残れたとしても、インパール作戦では生き残れるか分からない。

 夢の中で見た歴史の通りなら、将兵16万人が戦死した史上最悪の作戦と語り継がれている。もしその通りなら、全滅していてもおかしくない。

 

 引田は改めて、自分の状況を整理した。

 今、自分の魂は生と死の狭間にある。このまま元の世界に戻れば生き返れると言うことだろう。

 自分の身体がどうなっているかは分からない。手や足が無くなっている可能性だってある。

 戦況は悪化している。戻ったところで、自分に何が出来るのか・・・

 人が人を撃ち、殺めていく世界で生きてきた。もうあんな思いをしなくて済むなら、このまま逝ってしまった方が楽な気もする。その考えを見透かしているのか、ミヨコはこう言った。

 

「お辛い気持ちは察します。ですが、私はあなたを元の世界に連れて帰るために来たんです。私にとって、あなたは戦友であり、名付け親。そんな大切な人を、このまま死なせたくないんです。考え直してください」

 

 ミヨコが説得すると、引田はこう話し掛けた。

 

「俺は、夢の中で『未来の日本』を生きた。日本は戦争に負けた。だが国民はそこから立ち上がり、復興していった。いつから始まったのか分からないが、戦中の戦車を使う武芸、『戦車道』が流行していた。乗っているのは女学生だけ・・・俺の中では考えられない歴史の流れがあった。元の世界だと、俺が見てきたように歴史は進むと思うか?」

 

「それは、何とも言えません」

 

「そうだよな。たとえ神でも、歴史を作ることは出来ないだろう。歴史を作るのは、現世で生きる人間。神はその流れを見ることしか出来ない・・・現世で生きる人間も、寿命を全うするまではその歴史の流れを見ることが出来る」

 

 そう言うと、上に視線を向けて続けた。「俺は・・・日本がどうなっていくのか、この目で見てみたい。これは、夢の中で未来の日本を見た俺にしか出来ないことだ。お前も、そう思わないか?」

 

 ミヨコに視線を向ける。彼女は微笑み、こう言った。

 

「そうですね。私も気になります」

 

 ミヨコはすっと目の前を指差した。光が強い場所が見える。

 

「あの中に入れば、元の世界に帰れます。ただ、どの時間軸に戻れるかは分かりません。もしかしたら、戦闘の真っ最中の可能性もあります」

 

「構わない。もしそうなったとしたら、最後まで生き延びてやる」

 

 引田はミヨコに連れられ、光の中に入って行った。これで、元の世界へ・・・

 

 

 

・・・・・・喧騒が聞こえてくる・・・医薬品の臭いが鼻をつく。

 ゆっくりを目を開くと、天井が見えた。ここは、何処かの建物の中か?

 

「せ、先生!引田准尉殿が目覚めました!!」

 

 女性の声?先生?ここは・・・病院か?頭を動かす。白衣を着た年配の男性が近寄ってくる。

 

「引田准尉殿。具合はどうですか?」

 

「ここは・・・どこです?ラングーンの病院ですか?」

 

「いいえ。福岡です。あなたはラングーンから運ばれて、1年以上眠っていたんですよ」

 

 看護婦が説明する。福岡?本土に戻っていたのか・・・

 ゆっくりと身体を起こして周りを見る。ベットが並び、包帯を巻いている怪我人が横たわっている。

 自分の身体を見る。手や足は失っていない。あんな襲撃があったのに、運が良かった。

 突然ハッとする。1年以上眠っていた?今は・・・今日は何月何日だ?

 

「今は・・・今日の日付は?」

 

「昭和20年8月14日です」看護婦がカレンダーを見ながら言った。

 

「自分が眠っている間・・・日本はどうなったんですか!?」

 

「8月6日と9日に、新型爆弾が投下されたと聞きました。広島と長崎に投下されて・・・焼け野原にされたと・・・」

 

 それを聞いて、夢の中の記憶を探る。8月6日と9日・・・広島と長崎・・・原爆が投下された日だ。

 今のところ、夢の中で見た通りに歴史が進んでいるらしい。このまま歴史通りに進めば、明日は・・・

 

「あの。これ」

 

 看護婦が何かを差し出した。革製の図嚢(ずのう)(肩掛けの鞄)・・・受け取って開くと、中に日記帳が入っていた。表紙の隅に、『引田神』と自分の名前が記されていた。

 

「あなたの名前が書かれていたので預かってました。では」

 

 看護婦は軽く頭を下げ、別の患者の元へ向かった。日記帳を開くと、『昭和19年3月8日』を最後に、白紙のページが続いていた。

 日記帳に挟まっていた鉛筆を手に取り、最後に書いた次のページの上に走らせた。

 

『昭和20年8月14日 曇り

 俺は今日。永い眠りから覚めた。どういうわけか、夢の中で経験したことははっきりと覚えている。

 このまま歴史通りに進めば、明日はラジオから玉音放送が流れ、終戦を迎えるはずだ』

 

(・・・そうだ。ミヨコは?あいつは何処に行った?)

 

 周囲を見渡したが、ミヨコの姿は無かった。

 そうだ。あいつは今、インパールにいる・・・もう二度と、会うことは出来ないのだ。

 

 

・・・堪え難きを、堪え。忍び難きを、忍び。以て万世の為に、太平を開かんと欲す(堪え難く、また忍び難い思いを堪え、永遠に続く未来の為に平和な世を切り開こうと思う)・・・

 

 1945年(昭和20年)8月15日。正午。ラジオから玉音放送が流れた。

 呆然とその場に立ち尽くす者。泣き崩れる者。涙を堪える者・・・

 引田は冷静にその光景を見ていた。夢の中で見た歴史の教科書に載っていた写真と同じ光景だった。

 日本は負けた。戦況は既にひっくり返せないほど悪化していたのだ。こうなることは目に見えていた。だが、それでも戦わなければならなかった。

 この国を守るために命を捨てる覚悟で戦わなければならなかった。

 例えこちらから仕掛け無かったとしても、この国が戦火に巻き込まれるのは時間の問題だったのだ・・・

 

『昭和20年8月15日 晴れ

 今日。夢の中で見た見た通り、終戦を迎えた。

 今となって改めて感じることは、『戦争に綺麗も汚いも無い』と言うことだ。

 戦争は武芸とは違う。どんな兵器を使おうが関係無い。結果が全てなのだ。戦争に規則や法律は通用しない。最初から存在しないのと同じなのだ。

 勝った方が全てを掌握し、負けた方はそれに従うしかない。これが戦争と言うものなのだ。

 変な話だが。このタイミングで戦争が始まり、終わったことにほっとしている。

 この時代は日本に限らず、世界は色んな分野で未発達な技術が多い。俺が夢の中で見た未来の世界だったら、この頃とは比べ物にならない程に技術は発達していた。

 そんな中で戦争が起こったら、この国どころか世界が終わっている。

 もう二度と世界が戦わなくて済むように、このまま平和な世界が続いてくれることを、心から願うばかりである』

 

 

 1945年(昭和20年)8月18日。

 引田は除隊した。

 所属していた部隊は無くなり、残務処理も無かったのですぐ家に帰れた。

 幸いな事に、別府は空襲の被害をあまり受けていなかった。家に帰り着いた時。母が大泣きしながら引田を抱き、父はその後ろで涙を堪えていた。引田は両親に向かって、「ただいま帰還しました」と告げた。

 

 港には復員船が入港し、世界中で戦った兵士たちが故郷に帰ってきた。

 ビルマからも帰還してきたと聞いた引田は港に足を運び、引田班の班員や知り合いがいないか探していたが、見つからなかった。

 気付けば復員船も来なくなり、引田班の生き残りは引田だけとなった。

 大切な部下を守らなければならない立場だったのに、自分だけ生き残った・・・罪悪感だけが引田の心の中に残った。

 

 

 

『昭和27年6月15日。

 終戦から6年半が経とうとしている。

 別府市民にとって憩いの場だった別府公園は、占領軍のキャンプ地となっている。名前は『キャンプ・チッカマウガ』。夢の中で見た通りだった。

 最近の新聞は朝鮮戦争の事ばかりを記事にしている。この戦争に駐留していた占領軍が全て派遣されたと記事に書いてあった。つまり、今の日本は無防備の状態と言うことだ。

 終戦直後。武装解除となった日本は所有していた兵器を全て処分し、占領軍は兵器を作るための機械を全て破壊したと聞いている。

 今の日本には、自国の力で自分を守ることはおろか、その身を守るための武器すら作れない状況だ。

 日本に近い国でに戦争が起こっていると言うのに、この国が巻き込まれないのは、余程運が良いのだろう。その運も、どれだけ続くのか』

 

 引田は実家の農業を手伝い、何とか生計を立てていた。終戦となった今、再び戦車に乗ることは無い。

 今年で34歳。未だに独身である。何とか落ち着いてきたので、両親からはお見合いを勧めれている所だった。

 そろそろ家庭を持たなければと思っていたが、それよりも悩んでいることがあった。

 

 自分が本当にやりたいことは何なのか、と言うことだ。

 今は両親の農業を手伝っている。だが、それは()()()()()()()()()()()からだ。

 このまま農業を手伝うのも良い。ただ、心の底からやりたいと思えることではない。この6年半。それが悩みの種だった。

 その日。引田は港に来ていた。遠い異国の地で眠っている連隊の仲間や、ミヨコの事を考えていた。元引田班も、一緒に・・・

 

「引田准尉!?」聞き慣れた声がした。声がする方に顔を向けると、そこにはかつての部下が立っていた。目を見開き、口をぽっかりと開けて引田を見ている。

 

「中島・・・?お前、まさか中島か!?」

 

 引田は目の前に立つ男性を指差した。あの頃と体型や格好が少し変わっていたが、中島に違いなかった。

 2人は駆け寄り、手を取り合った。

 

「お前、生きていたのか!」

 

「引田准尉も!ご存命で何よりです!!」

 

「そうだ、あいつらは?大室と酒井、芦沢は?」引田の質問に、中島は少し言葉を詰まらせた。この反応を見て、聞かなくても理解出来た。

 

「あの時・・・引田准尉が気を失ってから色々ありまして。話すと長くなりますけど、大丈夫ですか?」

 

 引田はコクッと頷き、中島は話し始めた。あの時、何があったのかを。

 

 

 中島は引田に助けられた後、少し気を失っていた。目覚めた時には、戦闘は終わっていた。

 幸いにも主要兵器の破壊は免れ、襲撃してきたコマンド部隊を撃退することに成功した。

 しかし。その際に乗機だったチハ車は損傷。引田班の大室と酒井、整備兵の芦沢は襲撃の時に流れ弾に当たって戦死してしまった。

 中島は何とか生き残れたが、乗機は損傷。引田班は全滅状態。作戦には参加出来ないと思っていたが、司令官から「別の車両の通信手をやれ」と指示された。

 乗機だったチハ345号車は修理する余裕は無かったので、敵に鹵獲されないよう偽装を施して放置していった。

 引田は衛生兵に連れられ、大室たちの遺体と共にラングーンまで下がっていった。

 同年4月20日。

 連隊がテグノパールの目前まで進行していた時、伝令が届いた。その内容は、中島の転属命令だった。

 何故このタイミングなのかと思いながら、中島は本土にある戦車連隊に異動となった。

 配置転換となった部隊は、宮崎に駐屯していた『戦車第十八連隊』。『独立戦車第五旅団』の隷下にあった連隊で、地元に近い場所だった。

 

 1945年(昭和20年)2月。

 本土決戦に備えることになったと聞き、第十八連隊もその決戦に備えることになった。沖縄にアメリカ軍が上陸されると、本土に上陸される恐れがあったからだ。

 同年4月。アメリカ軍が沖縄に上陸し、現地に駐留していた戦車部隊が防衛戦に参加したが、同年6月には壊滅状態となった。

 アメリカ軍は九州方面から進軍してくると言われていたので、いよいよ年貢の納め時だと思っていたのだが、同年8月15日に終戦を迎えた。

 その後は武装解除や残務処理に追われ、同年8月29日に除隊。故郷の大分に戻ったという。

 

 

「あの時、引田准尉が助けてくれなければ。自分はあそこで死んでいました。本当に、感謝しかありません」

 

「感謝されるようなことはしていない。気を失ってしまったとは言え、1年以上も眠っていた・・・戦死した仲間たちに申し訳が立たん」

 

「そんなに落ち込まないでください。大室曹長たちも、引田准尉が生きていたことを喜んでいると思いますよ」

 

「・・・ところで、お前は今何をしてるんだ?」

 

「『警察予備隊』に入隊しています。福岡で訓練していたんですけど、休暇中で大分に戻ってたんです」

 

「警察予備隊?」

 

 それを聞いて、夢の中の記憶の中を探る。うっすらと記憶の片隅にあったが、そんな組織があった事を思い出した。

 最近の新聞でも、小さくではあったが記事に載っていたはず。確か、2年前ぐらい前に隊員を募集していた。

 

警察予備隊』。

 1950年(昭和25年)8月10日に設置された組織である。

 1950年(昭和25年)6月25日に勃発した朝鮮戦争において、アメリカ軍は日本駐留部隊の派遣を開始した。

 同年7月には全部隊が移動したことで、日本に防衛兵力、治安維持兵力が存在しない状態となった。

 同年7月8日。GHQの元帥は当時の首相に対し、日本警察力の増強に関する書簡を提示した。

 書簡には『事変、暴動等に備える治安警察隊』として、隊員数75000名の規模での創設が要望された。

 名称の最初に『警察』とあるように、警察力を補うためとして設けられ、国家地方警察(国警)が隊員募集や駐屯地の設営。部隊編成と言った、立ち上げ業務の殆どを担当した。

 活動内容は『警察の任務範囲内に限られるもの』とされたが、実質的には対反乱作戦(ゲリラやテロリストを鎮圧する事)を遂行するための準軍事組織であり、警察とは独立した組織だった。

 装備品はアメリカ軍のもので、ジープと言った非装甲の車両。カービン銃や機関銃、バズーカ砲と言った火器類を供与して貰い、1950年(昭和25)8月25日~1952年(昭和27年)9月30日まで、各管区の警察学校にて訓練を実施していた。

 

 中島は2年前の8月13日から開始された警察予備隊の隊員募集を見て応募し、今は福岡管区警察学校(現・九州管区警察学校)で訓練を行っているという。

 今年の6月23日から戦車や榴弾砲と言った重装備での訓練を開始するという事だった。その訓練の前に、親に顔を見せようと思って戻ってきたという。

 そんな話をしていると、中島がこう言ってきた。

 

「引田准尉。久し振りに会って、こんなことを言うのは何ですけど・・・警察予備隊で、教官をやりませんか?」

 

「教官?何故だ?」

 

「戦車の操縦訓練をするのに教官が足りないという話を聞いたんです。引田准尉は戦車兵としての歴が一番長いですし、適職だと思いますよ」

 

「・・・教官、か」

 

 思ってもみない話だった。また戦車に乗れる。だが、今度は何を目的に戦車に乗るのか・・・

 もう一度、戦車に乗りたいを思うことはあった。今の自分にはそれしか出来ることがないとさえ思った。だが、戦争は終わった。もう、戦う理由は何処にもない。

 

「中島。軍人としての俺は死んだ。例え教官だとしても、その誘いは断る」

 

 引田は背を向け、その場を後にしようと足を動かした。

 

「待ってください。何か、勘違いしてませんか?」

 

 足を止め、顔だけを中島に向ける。「勘違い?」

 

「警察予備隊は、軍とは違います。武器を持っているのは事実ですが、それは他国の武力行使からこの国を守るためです。今までは他国に進駐したりしましたが、この国はもうそんな事はしません。する理由が無いんですよ」

 

 中島は引田に近寄って話を続ける。

 

「世間ではまた戦争を起こす気だと思って、反対意見が9割・・・いえ、ほぼ10割を占めています。ですが、今この国は無防備な状態です。占領しようと思えば、簡単に占領されてしまうんですよ。戦火に巻き込まれない保証は何処にも無い。そうでしょう?」

 

 中島の言うとおりだ。

 今は戦火に巻き込まれていない。だが、この先の未来。巻き込まれないという保証は何処にもないのだ。

 

「・・・少し待ってくれないか?」

 

 その場で決められることではなかった。

 この国を守るための組織・・・中島の言う通り、この国が他国に進駐する理由は何処にもない。

 だが、自分にこの国を守るという責務を背負う資格があるのか、そこに迷いがあったのだ。

 

「分かりました。じゃあ、これを。実家の住所です」

 

 中島から住所が書かれた紙切れを貰い、引田は再び歩きだした。

 

「引田准尉!」振り返ると、中島は敬礼してこちらを見ていた。「待ってます」引田は軽く頭を下げてその場を後にした。

 

 

 午後8時。

 引田は家族と夕食を食べていた。

 かつての部下に会ったという話をしていた時、「警察予備隊に入隊しないかと誘われた」と話した。

 両親は警察予備隊という言葉を知っていたのか、互いに黙って目を合わせた。

 

「・・・いや。何でもない。忘れて」引田はそう言って話を終わらせようとしたが、父が口を開いてこう言ってきた。

 

「お前はどう思っているんだ?」

 

 この言葉に、少し戸惑いを見せた。どう思っているのか・・・沈黙の後、出した答えは、

 

「迷ってる。今はそれしか言えない」

 

「じゃあ、やれ」父の思いがけない言葉に「は?」とすっとんきょうな声を出してしまった。

 

「な、何で?」

 

「分からないか?これは、お前にとって人生の転機だ。お前が農業を手伝ってくれるのは助かっている。だが、それは他にやりたいことがないからだろう?」

 

 コクッと頷く。すると父は、肩を持って話続けた。

 

「お前は、お前がやりたいことをやれ。悪いこと以外なら、俺たちは何も言わん。その警察予備隊というのは、この国を守るための組織だろう?だったらやれ。この国を戦火から守るためにやるんだ。今は理解されないだろうが、それは名誉な事だ。そして、お前にしか出来ない事だろう?」

 

 母に視線を向ける。何も言わず、ただ微笑んでくれた。なら、後は・・・

 

 翌日。

 引田は紙切れの情報を頼りに、中島の実家を訪ねた。居間に通してもらい、引田は中島にこう話した。

 

「昨日の件の事なんだが・・・



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最終話 歴史を知る者の生涯

前回のあらすじ

 ミヨコに撃たれ、気付いた時には真っ白な空間にいた。
その場にいたミヨコは、「あなたはまだ死んでいない可能性がある」と言い、「これを」と言って手鏡を差し出した。
 そこに映るのは、引田神の顔だった。身体に触れる。身に付けていたのは、戦車兵の時の装備一式。
 混乱する引田に、ミヨコは「あなたの魂は生と死の狭間にある。このまま元の世界に帰らなければ、『戦死』と言うことになる」と告げた。
 それを聞いた引田は、「俺は夢の中で未来の日本を生きた。元の世界がどのような歴史を歩むのか、この目で見たい」と、元の世界に帰る決意を固めた。

 元の世界に戻ると、福岡にある病院にいた。日付は『昭和20年8月14日』。看護婦の話では、1年以上眠っていたという。翌日。玉音放送と共に、終戦を迎えた。

 終戦から6年半。引田は思いがけない人物と再開する。元引田班通信手の中島だった。
彼の話では、大室。芦沢。酒井は戦死し、インパール作戦遂行中に日本に戻っていたという。
 今は警察予備隊に入隊して訓練を受けている最中で、もうすぐ戦車の操縦訓練が始まるという。すると中島から、「警察予備隊で教官にならないか」と誘われる。
 引田の答えは・・・


『昭和27年6月19日 曇り

 中島と共に、警察予備隊が訓練を行っている警察学校へ足を運んだ。

 面接に対応したのは、恐らくこの警察学校に勤めている警察官。片言だが日本語を話せるアメリカ軍の兵士だった。

 中島が言っていた通り、戦車の操縦訓練を行うに当たって教官が足りていないというのは事実だったようだが、アメリカ軍の兵士は俺の経歴を見て顔をしかめた。

 それを見た俺は、「この組織に入ろうと思ったのは、この国を守るため。決して、あなたたちに報復するためではない」と言った。

 そうは言ったが、アメリカ軍の兵士はずっと顔をしかめたままだった。最後に、「結果は明日伝える」と言われ、俺はその場を後にした』

 

『昭和27年6月20日 晴れ

 今朝早く、中島が泊まっている旅館に駆け込んできた。彼が言うには、俺は正式に教官として認められたとの事だった。

 23日までに入隊手続きを済ませなければならないので、日記はここまでで区切ろうと思う。これから忙しくなりそうだ』

 

『昭和27年6月23日 曇り

 本日。正式に戦車操縦訓練の教官として入隊することになり、『2等警察士』という階が与えられた。

 訓練で使用する戦車は、M24・チャーフィー。アメリカでは軽戦車の部類で運用されているという。

 戦車第14連隊に居た時に乗っていたM3も軽戦車だった。不思議な巡り合わせだ』

 

『昭和27年10月15日 曇りのち晴れ

 警察予備隊が改編され、本日より保安隊となった。俺と中島は福岡に駐屯している『第64連隊』に配置転換となった。

 この部隊は榴弾砲を扱う特科(とっか)なのだが、機甲科(戦車部隊)の編成に時間が掛かっているらしいので、ここで訓練をせよとの事だ。

 部隊が改編され、警察予備隊令に明記されていた『警察力を補う』という文言が無くなったという。つまり、警察とは別の独立機関となったと言うこと。

 本格的に国防に携わる事になる。気を引き締めなければならない』

 

『昭和27年10月30日 晴れ

 今日は結婚式。俺は家庭を持つことになった。

 妻の『三夜(みよ)』は、俺の仕事の事を理解してくれている。ありがたい限りだ。俺は三夜を、家族を守りきると誓った』

 

『昭和28年8月29日 晴れ

 今日、男の子が産まれた。名前は『(みのる)』。両親に報告したら、泣いて喜んでくれた。これからは三夜と実を守って行かなければならない。それが俺に課せられた使命だ』

 

『昭和29年10月5日 曇り

 今年の3月から再び部隊は改編され、『陸上自衛隊』と名称が変わった。

 7月1日からは新たに『海上自衛隊』、『航空自衛隊』が編成された。以前に比べ、この国の国防は目まぐるしい進化を遂げた。

 俺と中島は、熊本に設置された『第4特車大隊』に異動となった。『特車』は戦車のことだが、敢えてそう言い換えているという。

 この部隊にはM24・チャーフィーに加え、新たにM4A3E8(イージーエイト)が配備された。アメリカでは活躍した戦車だと聞く。その実力は、如何なものか』

 

『昭和29年11月5日 曇りのち雨

 秋が終わり、冬が始まろうとしているのか、朝と夜は特に寒くなった気がする。

 異動となって1ヶ月。隊員たちはM4E3A8の取り扱いに苦労している。

 操縦手になった中島曰く、体格に合わないらしい。俺も乗ってみたが、車内が広すぎるように感じた。

 この他に、整備業務の効率化が上手く出来ず、車両の故障が相次いでいた。

 慣れない戦車で苦労を掛けることになるが、今はこれしかない。隊員たちには申し訳ないが、慣れて貰らうしかなさそうだ』

 

『昭和35年6月1日 晴れ

 今日の新聞に、驚く内容が記事に載っていた。

『戦車道、第11回全国大会始まる』という内容だった。あまり新聞は読まないので気付かなかった。1948年から戦車道は始まり、1949年には全国大会が開かれていたらしい。

 読み進めていくと、『使用する戦車は第一次世界大戦で活躍したものに限定されている』と言うことだった。

 今のところ、イギリスの戦車『Mk.Ⅰ』や、ドイツの『A7V突撃戦車』が主戦力だという。ここから戦車も発展していくのだろうか』

 

『昭和35年8月12日 晴れ

 今は実家に帰省している。散歩ついでに、『キャンプ・チッカマウガ』がどうなったのか見に行ったところ、アメリカ軍から返還されて『別府駐屯地』となっていた。

 母の話では「3年前ぐらいに名称が変わっていた」という話だった。ここから再び、別府公園に戻るのだろうか』

 

『昭和38年7月18日 晴れのち曇り

 この部隊に、新戦力が配備された。名前は『61式特車』。他の部隊には去年あたりから配備は始まっていたので待ちわびていた。

 戦後初の第一世代主力戦車。チハ車と比べるとかなり大きくなった気がする。この戦車で訓練するのが楽しみだ』

 

『昭和38年7月25日 晴れ

 61式特車が配備されて1週間が経った。

 この新型を使って訓練しているのだが、操縦手から「操作しづらい」と評価を貰った。

 どうも変速機の歯車が上手く噛み合わないとレバーが弾かれるようで、俺も乗ってみたが何回か弾かれてしまった。

 操縦系統以外は特に問題無いようだが、戦車を運用する上でメインと言っても良い操縦が難しいのは流石に困る。何とか改善の余地があれば良いのだが』

 

『昭和40年9月13日 晴れ

 中島が昇進して『陸曹長』となった。同時に戦車長に任命され、明日から61式戦車の車長として勤めてもらうことになった。

 中島は「すぐに准陸尉に昇進して見せます」と意気込んでいる。部下が成長していく姿を見れるのは、教官の特権だ』

 

『昭和45年4月3日 晴れ

 戦車道に進展があった。今まで第一次世界大戦までの戦車しか使用出来なかったが、今年から第二次世界大戦まで使用されていた戦車が使用出来るようになったと言う。

 戦車道の履修がある高校には『学園艦』の保有が義務付けられ、随時竣工する予定だそうだ。

 昭和20年8月15日までの戦車が対象で、試作されていた物も含まれるという。夢で見た通りの戦車道が幕を開ける。

 ミヨコがこの場に居たら、「夢で見た通りだ!」とはしゃいでいただろう。彼女は今、どうしているのだろうか・・・』

 

『昭和46年12月15日 曇りのち雪

 三夜から実の進路相談をしたと聞いた。何でも、実は公務員になりたいそうだ。市役所に入職し、地域の役に立ちたいという。

 立派な心掛けだと関心する一方で、実も自立する時が来たと思うと、感慨深くなった』

 

『昭和50年4月2日 晴れ

 22年間に渡る自衛隊生活が終わった。教官として入隊し、最後の最後まで勤めきった。

 中島は『陸准尉』に昇進し、小隊長を任されている。少し緊張気味だったが、彼なら大丈夫だろう。俺以上に良い隊長になれるはずだ』

 

『昭和52年5月11日 晴れ

 別府駐屯地が移転し、駐屯地跡は別府公園として整備し直されることになった。昭和天皇陛下御即位50周年記念公園として選定されたとの事だ。

 石碑に沿革が書いてあった筈だが、しっかり見たことが無かったので忘れていた。

 あの公園は俺と同じで、変わった運命を辿っているようだ』

 

『昭和56年4月5日 晴れ

 中島から久し振りに手紙を貰った。

 その内容は、定年を迎えたとのことだった。『自衛官として28年間、しっかり勤め上げました』と書かれていた。

 定年後は戦車道の教官として活動するそうだ。古い戦車を扱える人間は貴重なのだろうか』

 

『昭和58年7月16日 晴れ

 俺のもとに、『知波単(ちはたん)学園』という学校から手紙が届いた。

 その内容は、戦車道の教官になってほしいと言うものだった。俺にもこんな誘いが来るとは思ってもみなかったが、少し考えさせて貰おう。

 中島も教官を勤めているが、女学生を相手にするのは苦労しているそうだ。

 もしこの教官としてやってくなら、この学園の学園艦にある街に移住しなければならない・・・ここは三夜に相談してみよう。反対されるかもしれないが、独断で決められる事ではない』

 

『昭和58年7月17日 曇りのち晴れ

 昨晩。三夜に例のことを話したところ、あっさりと賛成してくれた。

 三夜と共に移住するのは色々と大変なので、俺だけ学園艦に移住することにした。早速、返事の手紙を送ろう』

 

『昭和59年4月13日 晴れ

 今日から知波単学園にて、戦車道の教官として勤めていく事になった。任期は2年。使用しているのは日本の中戦車だった。

 チハ車が何輌かあったので、製造番号を確認してみたが『345号車』は無かった。また会えると思っていたが、そう上手くはいかないようだ』

 

『昭和59年7月12日 晴れ

 今日、実が結婚した。1ヶ月前、突然結婚すると連絡を貰い、一旦帰省して話を聞いたところ、去年の12月から交際を始めていたという。相手の両親はこの結婚に賛成し、円満に進んでいたという。

 息子も家庭を持った。夫婦仲良くしてくれることを祈ろう』

 

『昭和59年9月22日 曇り

 知波単学園の教官となって5ヶ月。中島の言うとおり、ここで教官として勤めるのはかなり苦労する。

 気苦労もあるが、上級生の訓練で困った事になった。「突貫するのが伝統だ」と言い、隙あらば突貫する癖があった。

 個人的な意見としてはあまり好ましい戦法とは言えないのだが、この学園の伝統としているというので反対することは出来ずにいる。どうにか改善したいところだが、どう言い聞かせようか・・・』

 

『昭和61年4月15日 晴れ

 2日前。知波単学園での教官が任期を迎えた。業務の引き継ぎや引っ越しの準備、学園の生徒たちがお別れ会をしてくれたりと忙しかったので、日記を付ける余裕が無かった。

 突貫する戦法は結局直せなかったが、これで良かったのかもしれない。

 後任の教官に全ての業務を引き継いで地元に戻った。こちらの桜は満開だ。向こうも、そろそろ花開く頃だろう。

 中島に連絡を取ってみると、俺と同じ時期に教官の任期を迎えたという。何処で教官をしていたか聞いてみると、茨城の大洗にいたそうだ』

 

『昭和61年6月18日 晴れ

 実が孫を連れて来てくれた。名前は『隼(しゅん)』。男の子だ。去年産まれたと聞いていたのだが、互いに忙しかったので今日になった。遅くなってしまったが、孫の顔が見られるのは本当に嬉しかった』

 

『昭和63年10月28日 曇り

 今日。中島と13年ぶりに会った。俺が退官してからは手紙でのやり取りだけで、こうして顔を合わせるのは久し振りだった。

 戦時中から今までの事で話は盛り上がった。俺は69歳。中島は61歳・・・互いに歳を取った』

 

『平成元年1月8日 雪

 昭和時代が終わり、新たな時代が幕を開けた。平成。どんな時代になるのだろうか』

 

『平成9年11月26日 曇り

 2人目の孫が産まれた。名前は『桜(さくら)』。女の子だ。2人目の孫の顔を見られるとは、俺は幸せだ』

 

『平成19年11月26日 晴れ

 桜が10歳の誕生日を迎えた。桜は「戦車道をやりたい」と言ってきた。

 実は「危ない」と言っていたが、俺は反対しなかった。折角やりたいと言っているのだ。やりたいことをやらせても、損はない』

 

『平成22年5月19日 晴れ

 中島が冥界へ旅立った。去年にも会ったのだが、その後から体調を崩してしまったそうだ。

 また会おうと約束していたのだが、このような形で再開することになるとは・・・享年83歳。遺影の中島は、穏やかな笑みを浮かべていた』

 

『平成24年4月1日 晴れ

 明日は孫娘、桜が知波単学園に入学する日。

 この学園を選んだ理由は、「日本の戦車を使っているから」だという。入学式に遅れないようにしなければ』

 

 

 杖を付きながら知波単学園の校門を潜る。

 懐かしい風景だ。校舎や格納庫はあまり変わっていなかったが、制服は一新されていた。

 今年で93歳。この年になるまで、この国がどのような歴史を歩んできたのかをこの目で見てきた。夢の中で見た通り、この国は平和だ。

 

 

 式が終わり、グラウンドに出た。

 そこには戦車が整列し、側に生徒が立っていた。戦車道科の履修生だろう。記念撮影の手伝いをしたりしているようだ。

 チハ車。チハ改。94式軽戦車が並んでいる。一時期、教官として勤めていたが、ミヨコとの再開は叶わなかった。

 すると、目の前に鳥が下りてきた。白い鳩・・・銀鳩?近付くと飛び立っていった。目線で追っていくと、チハ車のアンテナの上に止まった。そのチハ車の側で、こちらを優しい目で見る女性の姿が目に入った。

 旧日本軍の軍服を着用し、鉢巻きを巻いた鉄棒を被っている。足には脚絆を巻き、軍靴を履いていた。年齢的に20代近くに見える。目線を合わせると、彼女はにっこりを笑った。

 

「・・・ミヨコ、か?」そう言うと、彼女はコクッと頷いた。周りにいる生徒は見向きもしない。

 声も、姿も、引田にしか見えていないようだ。するとミヨコはゆっくりと近付き、話し掛けた。

 

「お久し振りです。引田准尉」

 

「お前、今まで何処に・・・?」

 

「インパールで放置されて、どれ程時間が経ったか覚えていませんが、アメリカ軍に見つかって鹵獲されたんです。その後は世界を回って、5年前にこの学園に来ました。今は、この学園の戦車道科に所属しています。毎日がとても楽しいです」

 

 ミヨコは桜に視線を向ける。「あの子が、引田准尉のお孫さんですね」

 

「良く分かったな」

 

「目元がそっくりですから」

 

 ミヨコは微笑み、こう続けた。「こうして出会えたのも何かの縁。今度は、あなたのお孫さんをお守りします。あなたを守ったように。約束します」

 

「ああ。宜しく頼むよ。お前は・・・俺にとって・・・

 

「お爺ちゃん!」桜の呼ぶ声を聞いて、ぱっと視線を変えた。桜は手を取り、ミヨコがいるチハ車の側に連れていった。

 

「父さんが写真撮ってくれるって!一緒に写ろ!ほらあっち!」

 

 桜が指を指す先に、実がカメラを構えていた。カメラに視線を向けると、シャッターを切る音がした。

 

 

『平成24年4月2日 晴れ

 今日は桜の入学式だった。俺はそこで、67年ぶりに戦友と再開した。あの時に比べてかなり成長していた。俺はかなり年を取ったが、彼女は思っていたより若かった。人よりも年を取りにくいのだろうか。

 彼女は言った。「今度は桜を守る」と。彼女なら、その約束を果たしてくれる。俺にとって、中島たちと同じように、最高の戦友だからだ』

 

『平成24年4月5日 晴れ

 実から入学式の写真が届いた。

 笑顔でピース姿で写る桜。そしてその横に立つ俺。そして、その背景に写るチハ車。実や桜にはそう見えているだろうが、俺には見える。

 俺と共に戦場を駆け巡った、元引田班の戦友たち。そして夢の中で見た、俺たち元引田班が転生した姿が・・・』

 

転生の戦車兵『銀鳩班』




 次回。あとがきを投稿します。


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あとがき

 転生の戦車兵『銀鳩班』を最後までご愛読頂きまして、有難うございました。

 私自身の中で2作目となる『銀鳩班』。このあとがきでは、この作品を書こうと思った経緯や作風を執筆しています。最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

この作品を書こうと思ったきっかけ

 

 前作の投稿を終えて、次に何を書こうかと考えていました。当初は『艦これ』の二次創作を考えていたのですが、知識不足だったので書けずにいました。

「じゃあ、またガルパンの二次創作を書こう!」と思い、どういう作品にしようか模索していました。

『転生』というワードが人気だと聞いて、当初は「主人公がガルパンの世界に転生した!」という作風を思い描いていましたが、「何か、ありきたりだなぁ・・・書き続けるのは厳しいかもしれない・・・」と考え、別のアイデアを考えることにしました。

 そこにふと、『輪廻転生』というテーマが思い浮かびました。「元日本軍の戦車兵が現世の日本に転生して、戦車道に参加するのは面白いかもしれない」と思い、タイトルを考えました。

 平和の象徴と言われる『銀鳩』の名前を持つ『銀鳩班』という名前を思いつき、タイトルを転生の戦車兵『銀鳩班』としました。

 

登場人物・車両・学校等

 

 登場人物

 主人公枠である『銀鳩班』こと、引田神。大室五郎。芦沢毅。酒井正吉。中島三雄の5人の名字は、九州地方にあった旧日本軍の基地司令部の歴代の司令長官から取りました。(その部隊名は忘れてしまいました・・・)

 この他の登場人物は自分で思い付いたものや、過去の大戦で活躍した人物の名前など様々です。

 

 登場車両

 主人公たちが登場する車両『5式砲戦車・ホリⅡ型(終盤はⅠ型)』については、当初は別の車両にするつもりでいました。

 初期案では『4式中戦車・チト』がベースの砲戦車、『ホチ車』を登場させる予定でしたが、計画案だけで画像や正確なデータが無く、性能や主砲口径と言った詳しい数値が曖昧だったので、同じ砲戦車の『ホリ車』にすることにしました。

 試作車なので知っている人は少ないだろうなと思いましたが、「こういう戦車もあった」と言うことを知って貰いたかったので採用しました。

 

 登場した学校

 登場した学校は、過去の大戦で旧日本軍が本土決戦に備えて配備された戦車部隊の場所や名前を使いました。

 

 延岡校・『独立戦車第5旅団』(宮崎県に配備)

 

 九十九里校・『独立戦車第7師団』(千葉県に配備)

 

 盛岡校・『戦車第44連隊』(岩手県に配備)

 

 帯広校・『戦車第22連隊』(北海道に配備)

 

 宇都宮校・『戦車第1師団』(栃木県に配備)

 

引田、中島が転生しても性別がそのままだった理由

 

全ての物語を読んで察している読者もいると思いますが、引田と中島が転生しても性別がそのままだったという事にも理由があります。(注・ネタバレを含んでいるので、先に全ての物語を読んでから見ることを勧めます)

この2人は正確に言えばまだ()()()()()()()()()ので、性別はそのままという設定にしました。

 

 

最後に

 

 改めて、転生の戦車兵『銀鳩班』を最後までご愛読頂きまして、ありがとうございました。

 次回作の執筆は未定ですが、これからアイデアを形にしていきたいと思っています。

 今までありがとうございました!そして、これからも宜しくお願い致します!



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