全になるエンタングル (飯妃旅立)
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1.Stealamedoms

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 皇紀3231年11月──。

 しんしんと降りゆく雪々はしかし、地に落つる前に溶かされる。

 熱だ。

 遠方より眺むればまるで円状の硝子にでも囲われたかのようにぼやけて見えるその街は、賑わい、騒ぎ、活気や活気と満ちていた。

 

 これは、そんな鋼鉄都市の下層に生きる、ある少女の物語。

 

 

 

 

 

 カン、カン、カンと鐘が鳴った。音に驚き烏が飛び立ち、その羽ばたきから一枚の黒羽が落ちた。羽根はひらひら、ひらひらと揺れ踊り、舞い、太いパイプとパイプの間を通り抜け、噴き出る熱煙に押されて軌道を変えて、狭っ苦しいベランダに洗濯物を干す女達に目を向けられる事も無く落ちていく。

 ひら、ひら。

 ひら、ひら。

 ひら、ひら──ぱさ。

 

 落ちた。落ち着いた。着地した。

 そこは何もない、強いて言えばゴミ捨て場。纏められなかったゴミ達が、回収され忘れたゴミ達の拠り所足る集積場。

 

 そんな羽根がひょいと拾い上げられる。拾われる。抓まれて、持ち上げられる。

 

「……コレ、……がんばりゃ食えるかな?」

 

 鈴を転がすかのような声。波間を彩る貝殻のような声。

 少女だ。お世辞にも綺麗とは言えない、直接的な表現をするのならみすぼらしい襤褸布を纏った少女。未だ親元を離れてはならぬ程幼く、頼りなく、庇護欲を掻き立てられるその少女は、意を決したかのような相貌をして──羽根に、齧りついた。

 

 つけなかった。

 割って入った少女がそれを止めたからだ。

 

「ミネイ! 拾ったもの食べるのはダメって言ったでしょ!」

「ネコメ……でも、いけるかなって」

「明日には食料配給車が来る。チャンスは必ずあるわ」

 

 少女よりか幾分年上。大凡16か17を数えるくらいだろうか。これまたみすぼらしい襤褸布を纏っている少女は、ネコメと呼ばれている。

 

「泥棒は、善くないよ、ネコメ」

「生きていくためには仕方ないと教えたでしょう? 何も食べずに死ぬ方が私にとっては良くないし、平等を与えてくれないこの都市が、何よりも良くないわ」

「……」

 

 ミネイ、そしてネコメは、所謂ところの孤児である。

 親のいない子供。親に捨てられた子供。育てられずか、半ばまで育てられてか、とかく何らかの理由で親から話された子供たちが、こうして下層も下層で日夜飢えに喘いでいる。

 孤児。孤児だ。身寄りのない子供。孤児院なんて善意に模られた施設は存在せず、わざわざみすぼらしい子供を引き取るような者もいない。

 彼女らを気に掛けるのは、人身売買を生業とするような裏の人間達だけだろう。この地獄のような環境で暮らすくらいであれば売られた方がマシだと自ら捕まった子供もいたけれど、彼ら彼女らがどういう扱いを受けるのかなんてわかり切った事だ。

 

 そろそろ戻ろう、とネコメに手を引かれ、ゴミ捨て場の近くにある外れた用水路の蓋へ小さな体を潜り込ませた。

 階段を下りて行く。そうして辿り着くは、一般的に下層と呼ばれるところ……熱い暑い蒸気の通る配管が幾つも張り巡らされた地下道だ。それらを冷却するための水と下水、硫黄酸化物と窒素酸化物の混じった汚染水が通る危険なこの道は、しかし多少なりともパイプの熱を防ぎ、僅かばかりの飲み水の確保が出来る穴蔵となっている。

 

 孤児。食料にありつくためには盗みを行わなければならない子供たち。その善悪。

 

 ネコメとミネイが静かに歩み、戻ってきた場所。

 そこは少しだけ窪んだ通路の脇。かつてはメンテナンス用の通路と繋がっていたのだろうが、急激な開発により取り潰された開かずの扉のあるその場所に、数人の子供たちが纏まっていた。纏まって、肩を寄せ合って眠っていた。眠っている子と、呆けている子がいた。

 ネコメはその子供たちの内の一人に近寄って、顔を覗き込む。

 

「ミネイ、こっち」

「うん。……大丈夫そう?」

「……このままだと、長くは保たないかもしれない。栄養もそうだけど、脱水が……」

「硝子瓶まだある? とってくるよ」

「ごめん、お願い。でも十分に気を付けて」

 

 ネコメから渡されるは、ところどころに汚れと、水垢と、そして罅割れの目立つ瓶。元は酒瓶だったのだろう、深い緑色をしたそれが、ミネイの小さな手に渡る。少女の身体には些か大きいのだろうそれを大事に抱え、ミネイはネコメ達から離れていく。

 彼女が闇に消えて行くその姿を、ネコメはずっと眺めていた。

 

 

 

 

「さて」

 

 ある程度の所まで来て、ミネイは一息を吐いた。吐いて、酒瓶を持ち直す。抱え持ちから、酒瓶の首を握る持ち方に。

 そうして、配管へ指を付けた。

 

「こっちか」

 

 分岐する配管を確かな足取りで辿っていく。迷う事は無い。

 ミネイの小さな歩幅がそれなりの早足で進むけれど、距離があるのだろう、中々着く気配がない。

 否、違う。

 行こうと思えば使える近道を使っていないのだ。

 

 だって、尾行けて来ている奴がいるから。

 

「鬼ごっこは楽しめたかい?」

 

 先程までのあどけなさは鳴りを潜め、どこか挑発的に、あるいは威圧的にミネイは問いを投げかけた。

 返答は──網。そして縄。

 投げつけられたそれらは狭い地下道を制圧するに十分な面を有し、たちまちミネイは捕らえられてしまう。小さな体に纏わりつく網。それらは簡単に彼女の体躯を引き倒し、ずりずりと背後──網の射出された闇へと引き摺って行く。

 

「おいおい、これは大事な水を入れるための瓶なんだ。割りたくないのさ」

「!」

 

 その声は、地下道の横、配管の上から聞こえた。

 裸足でその上に乗り、闇の中の人物へ面白そうに文句を垂れる。

 

「なぁ、お上に伝えておくれよ。もうすぐそこに行くぜ、ってな」

 

 けらけら笑って、直後冷たい表情に切り替えて。

 

「だから──首ぁらって待ってろってな」

 

 絵紙。呟かれた言葉は音に結ばれない。

 そして、消える。消える。

 ミネイの姿がまず消えて、次に消えたのは地面だった。地面だ。当然、落ちる。

 

「な、」

 

 闇の中の人物が動揺の声を上げる。落ちる感覚。それは中層から上の層で生活していたのなら一度は想像する、高空からの落下という恐怖。それがまさか、地下道で。

 次に消えたのは、ソイツの四肢。焼けるような痛み。次に消えたのは、胴体。首。そして、頭。

 消えて行く。すべてが、すべてが消えて。

 

 消えて。

 

「最近、多いな。……早いとこ水持って帰らねえと」

 

 進む。最初から、一歩も動いていないミネイが。初めから、地下道になど入ってきてはいない人身売買組織の手の者から手を引いて。

 配管を辿り、酒瓶を片手にミネイはまたも歩き出した。

 

 

 

 

「来た。ミネイ、お願い」

「……」

「お願い、ミネイ。今日を逃せば、次に来るのは三日後。みんなもう限界なのよ」

「……わかった」

 

 シャリシャリと主連棒の回る音が聞こえてくる。ここから少し上の方にある大きな道に、食料配給を行う蒸気自動車がやってきた事を知らせる音だ。

 ミネイとネコメは急いで階段を駆け上がって、位置につく。配給員や配給にありつかんと並ぶ人々からは見えない建物の死角。どこに路地裏があるのかを知っていなければ、二人の姿に気付くことが出来る者はいないだろう。

 

 時を待つ。チャンスは、食料配給の終わったタイミング。最後の一人が受け取ったその直後。

 未だ人の列は長く、途切れる気配など一向に見えないけれど、それくらいの我慢は苦にならない。我慢をせずに逃し得る苦の方がいっそう辛いから。

 

 そうして、ずっとずっと、待って。

 とうとうその時が来た。

 

「……そろそろ、準備する」

「ええ、合わせるわ」

 

 言って、ミネイの手が仄かに光り始めた。温かい光だ。白色で、揺らめき、輝き、けれど周囲のパイプや油に濡れた壁には反射しない、不思議な光。

 それがゆらりゆらり、ゆっくりゆっくりと球形に収束していく。ミネイの小さな掌の上で、直径5cm程の光のボールが浮かび上がる。

 

「絵紙」

 

 呟かれた言葉はしかし音に結ばれない。けれど確と届けられたソレが、光球を動かした。

 ふよふよと浮き動くそれが配給車へ近づいていく。揺れる、揺れる。ゆらりと揺れる。揺れ動いては──強く、光る。

 ふと、食料配給員が光の球を見た。特に何気の無い視線だったのだろう。何かを感じ取ったとか、何かに勘付いたとか、そういう事でなく、なんでもない視線だったのだろう。

 

 食料配給員が驚いた顔で口を開く。

 

「ネコメ、行って」

 

 ──そんな配給員の横を通り抜けるネコメ。堂々と、あるいは周囲にいる誰の事も気にしていないのではないかと思える程、おおっぴらに。

 配給車に残った残飯──配給数の確認ミスや予備──を、根こそぎ奪う。多少零れようとも構わないとばかりに襤褸布を縫い合わせたバッグへそれを詰め込む。詰め込んで、即座にその場を離脱する。ミネイをも置き去りにして、下層へ帰る。

 

 それはミネイも織り込み済み。次第に彼女の放った光球が萎んでいくのを見て、彼女もまた身を翻した。

 

 せなかった。

 

「君か、大規模幻術を使っていたのは」

「──!」

 

 パシ、と、腕を掴まれたからだ。

 それほど強くない力で、けれど離す気はないとばかりに強固に。

 ミネイがその下手人を見上げる。

 見上げて──呆けた顔をした。

 

「あん? お前……竜司か?」

「……何?」

 

 そこにあったのは、額に深い皺の刻まれた男の顔。

 立原竜司──異能捜査課の刑事である。

 

 

 

 

 

 

 

 中層、ある繁華街……よりは少し裏手目の、居酒屋。

 そこの奥。奥の奥。個室となったその場所に、二人はいた。

 

 方や齢10を数えないだろう程の少女。

 方や30そこらの男性。

 

 こと、と置かれるジョッキには、並々とミルクが注がれている。

 

 対面に座る男の前には、水。酒ではない、水だ。

 

「真面目ちゃんめ」

「……そりゃ、仕事中ッスよ。飲めるわけないじゃないスか」

 

 頬杖を突き、胡乱な目で目の前の男を見る少女──ミネイ。彼女にそう眺められて、少し不服そうに返答をする彼は、未だに信じる事の出来ないといった様子で何かを問いかけようとした後、一息飲んで水に口をつけた。

 

「三船とはどうだ、仲良くやってるか?」

「どうせ俺が噴き出すのを期待したんでしょうけど、引っかかりませんよ」

「なんだ、学びやがって。つまらんやつめ」

 

 ケラケラと笑うミネイ。その様子、仕草、表情。どれをとっても少女のソレではない。

 それではないのだ。

 

「はぁ……。はぁ。本当に、本当にテツさんなんですか。君のお父さんがそうで、俺をからかってるとか、そういう事じゃなく……本当に」

「信じられねえか」

「まったく」

「そりゃそうだ、俺だって信じられねえもんよ。くく、アイツらが見たらなんて言うかね」

「……その悪そうな顔。本当にテツさんなんですね」

 

 溜息は二人の間に溶けていく。

 竜司の目の前に座る少女は、紛う方なき少女だ。どこからどうみても少女だ。なんなら幼女やもしれない。あまり差別というものを好まない竜司をしてみすぼらしいと表せる襤褸布を纏う、今じゃどこを見ても必ずひとりはいると言える浮浪児。

 その事実にこそ憤れど、片一方で常識として受け入れている……そんな子供。

 それが。

 

「テツさん。峰威鉄さん。俺は、アンタが()()()()()……ずっと」

「おうおう、ソイツはもう死んでんだよ、竜司。気安く名前を出すな、酒が不味くなる」

「ミルクで何いってんスか……」

「うるせぇなぁ、こんな上質な飲み物(のみもん)、久しぶりなんだよ。俺にとっちゃ生きる糧、酒に違いねぇ」

 

 峰威鉄。竜司の元上司で、数年前に死んだ──男だ。

 それが、こんなにも可愛らしい童女の姿で、まさか、まさか。

 

「なんで……なんでアンタが、盗みなんかやってんスか」

「……なんでだろうなぁ、おい」

 

 ──気が付くと食料が無くなっている。

 食料配給所に勤める職員が盗み食いをしているだとか横領をしているだとかで他の課が捜査に入った事件で、件の配給員曰く「本当に気が付いたら無くなっていた」の一点張り。様々に様々な検査や捜査が為された上で、医者より齎された「微かばかりの精神操作の痕跡アリ」の情報から、異能捜査課(こっち)に話が回ってきた。

 

 異能。

 文字通り、通常とは異なる能力を指す。離れた所の物を動かすだとか、誰かの記憶を読むだとか。とかく通常では考えられない異常を引き起こす能力を持った者が、少なくない数、この街に存在している。

 

「……テツさん。自首、してくださいや。アンタのせいで、食料配給員が一人職を追われてんですよ」

「そうもいかねぇのさ、竜司。知ってるか、この街にどんだけ孤児がいるか。蒸気の熱でうだるような暑さの下層で、どんだけの孤児が死と飢えに喘いでいるか。お前らが一向に捕まえられねえ、人身売買の奴らがどんだけ孤児を狙いに来ているのか。知ってるかよ、竜司」

「知ってます。……でも、犯罪は犯罪です」

「くく、真面目ちゃんめ。そうだなぁ、犯罪だ。誰かに迷惑もかけてるからな、生きていくための言い訳にゃならん。デケェ主語に、不確かな同情に惑わされんくらいの胆力はついたか」

「テツさん」

「だがよ、そうもいかねぇのさ竜司。俺だってわかってるよ、ドロボウはイケナイ事さ。子供らにも言ってる。だが聞かねえ。なんでかわかるか?」

「……」

「死ぬからさ。食わねえと死ぬんだ。飲まねえと死ぬんだぜ。知らねえだろ、お前。お前も、上の連中も、みんな」

「知ってますよ、それくらい」

「知らねえさ。知らねえから放っておくんだ。いいや、知ってるのかな。知ってるから──"放っておけば死ぬだろ"とでも思ってんのかね?」

 

 偽悪的な笑みは、竜司に何かを訴えかける。威鉄がするものであれば威圧的に見えようが、幼い童女の姿は心を締め付ける。

 竜司は、一度心を落ち着けるために話を逸らす事にした。

 指を指すのは──ミネイの、耳。 

 

「……それ」

「おう、乗ってやる」

「それは……さっきは隠してましたけど、作り物、じゃないんですよね」

「わざわざ扮するヤツがいるってのかい? そんな酔狂なヤツが」

「いいえ。いません。……何故なら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 エルフ。

 エルフだ。ミネイの耳は、鋭く尖っている。ネコメの耳もそうだった。下層にいる孤児の六割くらいは、エルフだ。

 親を連れていかれ、あるいは殺されたエルフの子供。人間の親に捨てられた、エルフの子供。

 

「人生、わからないもんだよ。昔は追っていた長耳の、その子供に……俺がなっちまうなんてな。……なってみて、わかったよ。なんら変わりゃしねぇ、普通の子供だ。親を求めて夜に泣く子供ばっかりだぜ」

「……」

 

 威鉄は強面の男だった。その彼が追っていたのが、エルフの犯罪者集団。異能を用いてこの街を破壊せんとするその集団は、そのほとんどが彼に検挙され、お縄となっている。

 異能はエルフの血が為す業だ。混血であれ純血であれ、ひとたびエルフの血が混じれば、その身に異能が宿る。けれど件のテロリスト達によってエルフのイメージは零落し、その身体的特徴も、異能も、迫害の対象となってしまった。

 身体的特徴の現れぬ者は異能をひた隠しにして生を全うし、エルフの血が色濃くでてしまった者はそれを隠し、日陰でひっそり死んでいく。

 

 今目の前でミルクを飲む童女も同じ。鋭く尖った耳と、紺碧に揺る瞳。紛う方なきエルフの特徴だ。

 

「俺が追ってたのは間違いなく犯罪者だ。あいつらを捕まえるために何度苦汁を飲んだことか。あいつらのせいで死んだ命がいくつあることか。……だがよ、何も俺ぁ、あいつらの家族に矛先を向けるつもりはなかったよ。あいつらの罪はあいつらの罪で、そいつの子供に、何も知らねえ、一人で生きていく事さえ難しい子供に咎を背負わせるつもりはなかったんだ」

「そりゃ……別に、テツさんのせいじゃないスよ」

「だろうよ。俺も別に背負っちゃいねえ。けどよ、そのせいで今、子供らは自ら食料を盗む選択を取ってる。俺が誘導したってワケじゃねえんだぜ。俺が物心つく前から、ずっと。アイツらは下層で飢えを凌いで、罪を犯し続けている。なぁ、生きるために盗むのが悪いっていうんなら、エルフの子供が生きていける……働ける場所を作ってくれよ。お前、今そこそこ偉いんだろ?」

 

 話を逸らしたのは竜司だ。だけど、論点をずらしに来ている、とも感じられた。

 

「テツさん。やっぱ、自首してください。そんで……罪を清算してから、上にかけあってください」

「お上が売買やってる、っつってもか?」

「──っ」

 

 反射的に周囲を見渡す竜司に、ミネイがケラケラと笑う。笑って彼を制止する。

 

「結界さ。音は漏れねえよ」

「……異能、スか。はは……アンタが異能を使うなんて、おかしな話だ」

「ごもっともでどうしようもねぃや。で?」

「……証拠が、無いッス。それに、俺が今追ってんのは食料消失事件で、そういうのは別課の仕事スから、手が出せないス」

「それもごもっともだ。ンな事がわからねえ俺じゃあねえやな」

「アンタが、子供たちを守る事は出来ないんスか? さっきみたいな大規模幻術がありゃ、目を欺く事くらい……」

「やってるやってる。だから最近はほとんど捕まってねえんじゃねえかな、俺の目の届く範囲は、だが。だがよ、お上が雇ってんだわ。じゃあどうしようもねぃやな」

「──()()()

「やめとけよ、探ったら一発で首飛ぶぜ」

「でも」

「無理さ。少なくとも今はな。奴さん、自分の周りを固めに固めてやがる。中には"買われた"エルフもいるみたいだぜ」

 

 ミネイの視線が、ふと壁を行く。壁だ。その先にあるのは家々で、家々の先にあるのは。

 竜司がこの街の最高権力者の顔を浮かべてぞっとしているのを見てか、ミネイがまたもケラケラ笑う。笑って、飲みほしたミルクのジョッキをことんと机に置いた。

 

「ご馳走さん、竜司。すまねえが、自首はしねえ。あいつらを殺すワケにゃいかねえんだ」

「逃がしませんよ」

ああ、でももう逃げてる

 

 消える。

 消えた。童女の姿が、眼前から。

 ミルクのジョッキさえも、そこには無い。誰かがいた痕跡も、微かたりと存在しない。まるで初めからいなかったかのように、竜司の前からミネイが消えた。

 幻術だ。

 

「……テツさん」

 

 かつての上司に、竜司は──。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ良かった、お帰り、ミネイ!」

「うん。ちょっと、警察に追われちゃって、時間かかった。けど、ほら、お土産」

「大丈夫? 怪我はない?」

「うん」

 

 下層──廃棄されたパイプの隙間。

 熱を運ばなくなったパイプが所狭しと立ち並ぶそこに、数人の少女がいた。襤褸布にくるまって、身を寄せ合って、そこで。

 

「これ……ミルク?」

「と、このジョッキもそこそこの値段で売れると思う。ミルクは栄養価高いから、みんなで飲んで」

「……ありがとう。でも、これはミネイが飲んで。今日の分でみんな少しはお腹が膨れたから……。だから、カラスの羽根なんて拾い食いしちゃダメよ?」

「う、はーい」

 

 ネコメはここでは一番のお姉さんで、まとめ役兼保護者のような役割を担っている。とはいえ彼女もまだまだ子供だし、ミネイから見て危なっかしい所も多く、更には愛に飢えて泣いている事も多い。

 ミネイもまた、ネコメに救われている。エルフの子供として生まれ、数年前に捨てられたミネイを拾い、共に育ち、育て上げてくれたネコメ。年の近い姉、あるいは妹のような存在だ。ミネイにとっては、だが。

 

 ミネイの帰還に安堵したのだろう、ネコメは子供たちの塊に寄り添って壁に寄りかかると、そのまますぅすぅと寝息を立て始めた。気を張っていたのだろう。ミネイを心配していたのだろう。その様子に申し訳なさが募ると同時、ミネイはあどけない子供の顔を消して、無い髭を撫でる。

 かつてはジョリジョリと無精ひげがそこにあって、思案に丁度いい刺激だったんだがな、なんて思いで掘り返すは先ほどまでの事。

 

「……わかってんだよ、俺だってな」

 

 竜司。立原竜司。

 峰威鉄が現役の頃に入ってきた新人で、正義感だけはいっちょ前で、時折見せる鋭い直感や演算能力に優れた……それでもその頃は、本当にただの捜査官だった。

 それがああも、精悍になろうとは。

 

 そして。

 

 子供たちの塊から離れた場所で取り出すのは、一本の鍵。

 無駄な装飾のないソレは、しかし複雑な形状をしている。

 

「脇が甘ぇのは変わってねぇなぁ、おい」

 

 先程、ミネイが竜司からくすねたもの。

 ある資料の入った机の引き出しを開けるための、大事な大事な鍵である。

 

 

 



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2.Futuremoverdose

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 鋼鉄と蒸気の都市。

 高度に発達した蒸気機関や蒸気技術は都市に熱と煙を齎し、代わりに灯りと平和を奪い去った。

 この国が、あるいは都市がここまでの発展を見せる事が出来たのは、ある切っ掛け──蒸気的特異点(SteamSingularity)を経たが故。

 ──蒸気的特異点(SteamSingularity)

 かつてはエネルギー効率として然程の上位にはいなかった蒸気技術が、都市の主要ラインとなったその転換点に、エルフの影があった。

 

 そも、エルフとは異種族……異世界の産物や妖怪・妖精などの類でなく、生物的にはほとんど人間と変わらないもの、つまり"エルフという名の人種"であるとされている。

 ただ、その特別な血が異能を帯び、更には身体的特徴に大きく影響を出すというだけ。ただそれだけの人間だ。

 故に他の人種と子供を作っても何ら障害は出ないし、かかる病やその症状も人間とほぼ同一。無論人間そのものが人種によって多少の差異があるから、全く同一というわけにはいかないが。

 だからエルフは、人間なのだ。

 人間、なのに。

 

 エルフは異能を使う。血が異能を帯び、それが形を成す。小さな子供でも、皺塗れの老人でも、エルフの血があれば異能を使い得る。

 ああ、けれど、異能は何を消費し、発動しているのだろうか。走るにも、叫ぶにも、見るにも食べるにも、体力を使う。何かをするには何かを消費する必要がある。なればエルフも、異能を使用するために何かを消費しているはずだ、と唱えた化学者がいた。

 (むかい)満三(みつみ)。蒸気技術の転換点を支えた偉大なる人物にして、エルフの大量殺害を行った最悪の殺人鬼。その殺害が何を理由にしたものであるかは言うまでもないだろう。

 

 かくしてエルフの異能の原理解明が行われた。エルフは異能使用時に大気中に含まれるマナと呼ばれる粒子を体内に取り込み、それを形と成していて、この粒子は人間の感覚器で知覚する事は出来ない。ただし、マナ粒子を確保・貯蔵する容器は人間にも作成可能であり、その使用法は様々な分野で研究された。

 その最たる益を掴み取ったのが、蒸気技術、というわけである。

 

 マナ粒子を含んだ蒸気は通常の蒸気機関では考えられない程の圧力を生み出した。無論暴走、爆発の危険性も跳ね上がったけれど、マナ粒子を自在に操り得るエルフがいるのならば問題は無い。

 耐久性能の技術はマナ粒子を含む蒸気機関にすべてが注ぎ込まれ、エルフはその過酷な労働環境に身を置かされる次第となった。

 

 マナ粒子の発見と取り込み。エルフにより齎された蒸気技術の転換点。

 それが蒸気的特異点(SteamSingularity)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍵穴に鍵を差して回し、それを引き抜く。すると自動扉が開く。微かに響く蒸気音はしかし、下層程煩くはない。

 そのまま左手にあるエスカレーターへ乗り、ふぅと溜息を吐いた。

 目に入るもの全てが清潔で、つるりとしたデザインに纏められた建物の内部は、先ほどまでいた下層とは全く別の世界に来てしまったかのような感慨を覚える。もう何年もここで働いているのに、未だに。

 

 そうして辿り着いた上階のある部屋へ、これまた鍵を差して自動扉を開けると、そこにはいくつものデスクが並ぶ空間があった。

 そのデスクへ座って忙しなく伝声管に口を当てている人、書類を纏めている人、資料を眺めて何かを思案している人と、様々。

 

 手前、自らに与えられた席に就いて、ドカっと座った。

 

 デスクに立て並べられた書類の隙間から、濃ゆくダンディな顔が覗く。

 

「あら、竜司チャン。どうしたの、思いつめた顔しちゃって」

「訪藤さん。……いや、ちょっと昔の知り合いに会ってね。随分と変わって……変わってしまっていて、驚いているだけさ」

「へぇ、もしかして昔の想い人? ダメよぉ、竜司チャンには三船チャンっていう可愛い可愛い奥さんがいるんだから」

「違うよ……訪藤さんは、そういう話に持っていきすぎ」

 

 同じ異能捜査課のメンバーであるものの、現場に赴くことは無い彼。趣味は周囲の人間の恋愛・痴話の収集。悪趣味にもほどがあるが、その趣味が高じてなのだろう、広く情報に通じている点や単純に処理能力がズバ抜けて高い点を買われてここに所属している。

 ……同時に、あまりに鋭すぎる部分もある、けど。

 

「警察、辞めたヒト、かしら?」

「流石。もう何年も前の事だけどね。……昔は、すごく尊敬してた人だったから。なんか、あんまりこういう表現はしたくないけど……」

「失望した、あるいは白けちゃったんだ? 思い出は美化されるものよねぇ」

「そこまでは……どうだろうね。ただ、俺にとってはすごく大きな恩のある人だったから、……うん、喪失感がすごいんだ。あの人が辞めた時と同じくらい」

「ふぅん。アタシの情報網もまだまだねぇ。過去に辞めた警察関係者で、アナタがそんなに入れ込んでいる人、三船ちゃんくらいしか思い当たらないケド」

「まぁ、すごく前の話だから」

 

 辞めた、という表現は果たして、という所でもある。

 殉職は果たして辞職なのだろうか。けれどまぁ、言っても仕方のない事は言わない方がいい。何も知らない彼であれば、更に。

 

「でも、まだ信じてる」

「……お見通しだな、訪藤さんは。そうだな……変わってしまったけど、変わってない部分があるって信じてる。……まだあの人は頑張ってるって事も」

 

 視線は下げない。

 ただ、そこを意識する。

 かつてここに座っていたヒトが使っていた引き出し。その鍵穴。

 

「訪藤さん」

「なぁに?」

「──アナタは、どこまで踏み込めますか」

 

 問う。

 周囲には人がいる。小声にも限界がある。その上で問う。

 

「……それが、信念のためならば」
「どこまででも」

 

 返答はあまりにも望ましいものだった。

 

「でも、アタシは高いわよ?」

「俺の月給で足りるかな」

「お返しはキスでいいわ。勿論、三船ちゃんへの、ね」

「死ぬなって事か。手厳しいな」

 

 信念。

 なるほど、それは、簡単な事だと思う。それに基づいてのみ行動するというのなら、悩む必要などどこにもない。

 

 ちょいと出てくるよ、と言って、紙きれを一つ目の前の書類に挟んだ。

 

 刑事は足だぜ、なんて幻聴が、聞こえた。

 

 

 

 

 この鋼鉄と蒸気の都市は、大きく分けて上中下の層に分かれている。

 外側に行けば行くほど、上層に行けば行くほど技術レベルは向上する。中層にある先ほどの警察ビルには自動扉やエスカレーター、エレベーター等の自動化技術が当然のように存在するし、上層の一部には異能を絡めた技術により重力を無視したり、耐久限界を突破するなどの常識では考えられない蒸気機械類が存在している。

 とはいえ基本的に自身含む一般人が上層に行く事など無いし、それら技術を見る機会も存在しない。

 身近にある蒸気機械で代表的なもの、と問われたら、やはり扉や階段の類になってしまうのだろう。

 

「でも、少し贅沢、とも思う」

「贅沢?」

「必要な労働はするべき、が精確かな。自分で出来る事は自分でやらないと……使えなくなった時に困る」

「文化の水準を上げるためには必要な慣れ、とは思えないかな?」

「人は暗闇という恐怖を取り除くために世界を灯りで照らすようになった。その結果、少なくともこの都市は一日に置いて灯りの付いていない時間はない。けれど、だからこそ、人々はより暗闇を恐れるようになった」

「機械が使えなくなったら、恐怖に慄いてしまう、といいたいのかな」

「使えない事が当たり前のヒト達の方が強くなる」

 

 勤務時間中ではあるものの、必要であると思っての帰宅。無論サボるためではない。

 かつては彼女も警察関係者の一人だった。

 三船千春。自らの妻。周囲に隠してはいるが、かつて威鉄と共に保護したエルフの混血の少女であり、竜司にとっての心の支えとなる女性。

 

「下層の事、で、合ってるかな」

「うん。この都市は空を覆い隠してしまった。星を見えなくしてしまった。ずっとずっと導いてくれていた星々を、空を。だから迷ってる。だから、目の前にある巨壁に気が付かない」

「それは、勘? それとも、異能?」

「……竜司。貴方が今やろうとしている事は、すごく危ない事。昨日、貴方に転機となる事があった。けれどその前からずっと、ずっとずっと、貴方はやろうとしていた事があった」

「ごめん。君が引き留めても……俺は」

「わかってる。そういう所が好きだから」

 

 照れもなく、淀みもなく。

 彼女は笑顔で好意を口にする。

 

「もし……今、貴方が何か最後のピースを一つ、求めているのなら」

「行くよ。何も言わずについてきて、って言うんだろ?」

「真似?」

「うん。もう長らく君と一緒にいるからね。発言の先読みは、君だけのものじゃない」

「じゃあ、次私が何を言うか」

「愛してるよ、千春」

 

 返答は、笑顔とキスだった。

 身体的特徴こそ現れなかったが、千春は紛う方なきエルフの混血。

 故に、子供は儲けない。その災禍を背負わせることが、どれほど苦痛かわかっている。

 

 だから、たくさんキスをしよう。

 そう、二人で決めたのだ。

 

「絵札」

 

 呟かれる言葉は、しかし音には結ばれない。

 抱き合った自身らから……彼女から漏れ出でる光。まさしく異能のそれが、視界いっぱいに広がった。

 

 広がって。

 

 ──そこは、暗い暗い、どこかの地下道だった。

 

 

 

 

 さて。

 一つ、彼──訪藤は溜息を吐いた。

 

「……あんな真面目な顔の竜司チャン。応援したくなっちゃうわよねぇ」

 

 頬杖を突いて、窓の外を見る。

 灰煙に覆われた空は太陽光を反射し、複雑怪奇な模様を作り上げている。この灰空の下、あの子は何かを為そうとしているのだろう。そう考え、ふふっと笑う彼の表情に、不安や心配は存在しない。

 対等な関係を築いているとはいえ上司であり、そこには明確な信頼が存在する。配属されたから、ではない。この人にならば任せられるし、頼られても良い、という覚悟だ。

 立原竜司。異能捜査課のリーダー。訪藤は知らないが、かつてはここに()()()()()()()()()()刑事がいた、らしい。その刑事は殉職し、その後釜へ竜司が座った。

 

 無駄な素振りを見せずに目の前のファイルにはさまれた紙きれを引き抜くも、そこにはただの白があるばかり。

 けれど動揺する事なく引き抜いたそれをポケットに突っ込んで、もう一度溜息を吐く。

 

 訪藤にとって、この"居場所"は捨てがたいものである。本来訪藤がいていい場所ではないとわかっているし──その経歴を考えれば、あるいは捕縛の対象にすらなりかねない。

 恐らく。

 異能捜査課のメンバーは、少なくはない人間がその事に気付いている。気付いていて無視している──あるいは、()()()()()()()()から、何も言わないでいる。

 

「ちょっと、出てくるわ」

「おう、バイクは?」

「使ってもいいの?」

「折角無理言って上から取ってきたってのに竜司の奴ぁ"刑事はカチすよ"とか言って乗りやしねえ。もったいねえだろ」

「じゃ、ありがたく」

 

 壁に掛けられたヘルメットを一つ取る。

 遠出。確かに遠出だ。

 これから行くのは上層──基本中層以下の民が寄り付く場所ではなく、そもそも行き方の知らされていない場所なのだから。

 

 

 

 

 白煙をたなびかせ、スチームバイクが進んでいく。

 通常の蒸気機関とマナ粒子の入ったボトルを四つ取り付けただけの、警察仕様に取り繕った見た目とは裏腹に単純な構造をしているこのバイクだが、大柄な訪藤が乗ってもそこそこの速度が出る。大きく股を開かねば乗る事の出来なず、防護はしているものの、どうしても臀部が湿ってしまうスチームバイクは女性に余りに不人気。

 竜司含む男性警官は何故か──何故か、はわかりきっているが──機械よりも自分の足を信仰しがちで、これを使用する者がいない。

 結構便利なのにねぇ、と、訪藤は苦笑する。アタシだけは、幻想を知らないからかしら、と。

 

 ふと視界に影が差した。

 ゴーグル越しに天を見上げれば、そこには赤銅色のベール。中層の外側であれば灰空の見える場所もあるが、ここまで中心部に近づくと、空を覆うのは上層の床ばかりとなる。

 

「……嫌ねぇ、この辺。ホント、じめじめしてて、鬱々としてて……ま、それはどこも一緒だケド」

 

 ここ蒸気と鋼鉄の都市は、外から見ると卵のような形をしている。その中心は巨大な蒸気機関が貫くようにして聳え立っていて、そこへ近づけば近づく程気温は高くなるし、最低限それを冷やすための冷却管が湿度を高めるため、正直人間生物が住まうに適した環境とは言い難くなっている。

 故に金持ちや権力者、重要人物は上層へ住まいを移し、一般人は中層の外側へ外側へと逃げ出した。

 

「……」

 

 そうなれば当然、中層の中心街に人の気はなくなる。稀に犯罪者の類が移り住んでいる事もあるが、その熱さにやられたか、あるいは()()()()()、結局ここは無人の街となる。

 無人の街。当然、物を隠すにはうってつけの場所だ。

 

 それなりに大きな音を立てるスチームバイクをとある民家へ寄せる。訪藤の所有する隠れ家の一つであり、たとえここに何者かが侵入したとしても、このバイクが発見される事は無いだろう。そういう仕掛けを、施してある。

 ヘルメットを脱いで、一息。

 

「いる?」

「いるよーん」

 

 訪藤の背後からその声は聞こえた。

 ふざけた調子の男の声。短い言葉にも関わらず、その人間性の愚昧さが窺い知れる。

 

「上への道……今、どこが開いてるかしら」

「東のが三つ、潰されちゃったねぇ。西のは前から無理だとして、北のやばいのが一個と、南の小道が二つ」

「駄賃はいくらがいいのかしら」

「へへっ、あのバイクのボトル、一個くれよ。それだけでいい」

「……失くした、なんて言えない備品なのだけど……ま、それでいいわ」

 

 互いに互いを認識していない。けれどそれで、取引は成ったらしかった。

 男の気配が薄れていく。訪藤にとっては旧知の仲であるものの、例えば竜司の前に引き出せば、一発でお縄となるだろう言い逃れの出来ないレベルの犯罪者。エルフの異能犯罪者だ。でも、だからこそ知っている事があるし、出来る事がある。

 "協力者"として──あるいは、"共犯者"として。

 

「西ね」

 

 小さく呟いて、訪藤は前傾姿勢を取る。

 直後。

 彼の姿は、民家のどこにもなかった。

 

 

 

/

 

 

 

 上層──。

 高く高く聳え立つビルは、僅かばかりに揺らめく白光に包まれている。さらに上空へ目を凝らせば、同じ色をした薄いドームのようなものがこの都市全体を包み込んでいる事に気が付けるだろう。

 それは灰空から降る強酸を弾き、ドーム内部に溜まる毒性の雲をも分解する。エルフの異能が為す奇跡──けれどそれの維持に、どれほどの犠牲が払われているかを訪藤は知っている。

 

 ビルの麓では忙しなく動く人の波。中層よりは良い生活をしているのだとしても、働かなければ食っていけないのはここも同じ。それが汗水垂らしてであるのか、創意を擦り減らしてであるのか、という違いがあるだけ。

 夢の無い話ねぇ、と訪藤は独り言ちる。

 

 地面は特殊な石材を溶かして作られた舗装道路。仄かに感じ取れる熱はしかし中層以下にある熱さではなく、表現するのなら"暖かみ"とされるだろう程度の温度。

 事実街行く人間が熱そうにしている様子はなく、ここが適切な温度管理によって運営されている事実を知れるだろう。

 

 久しぶりに来た"異世界"に溜息を吐きつつ、訪藤は目的の場所へ向かう。レンタルショップで二束三文を払って借りるのは、個人使用の乗り物。蒸気自動車のような大きな音も、スチームバイクのような白煙も出さない蒸気機械。

 スチームソーサー、と呼ばれるものに、足を乗せた。

 ハンドルを握れば、足を乗せている円盤が宙に浮く。中層以下の技術ではあり得ない程に小型化した蒸気機関がこのソーサーには内蔵されていて、マナ粒子によって高められた出力が噴出口を辿り、それが円盤を、搭乗者ごと浮かす推進力となる。

 バランス感覚のいる乗り物ではあるが、慣れてしまえばこれほど楽なものもない。

 

「……一台でも配備出来れば、とか思うケド。あぁでも、地面がガタガタだとダメなんだっけ?」

 

 中層や下層にはこれほど舗装された道路は存在しない。だからスチームソーサーは本来の力を発揮できない、みたいな論文を見た覚えがあった。

 どちらにせよ、訪藤がどうこうできる話ではない。配備の決定も上がすること。スチームバイクと同じで無用の長物になる未来も見えている。

 

 訪藤は今日何度目かもわからない溜息を吐いて、目的地へソーサーを進める。

 次なる目的地は外側……上層外縁部に位置する施設。

 通称を──"教会"という。

 

 

 

 

 

 

「ここは、どこだい? 表記は……この都市のものではないように見えるけど」

「……」

 

 二人は地下道にいた。

 煤けた地下道だ。長らく人が歩いていないのか、二人の足跡がくっきりと残る。

 配管や区切りに表記される記号は鋼鉄と蒸気の都市では使われていないもので、何より脇を通る配管から熱を感じられない。

 

 死んでいる。正しく表現するなら、眠っている、が近いだろうか。そんな印象を竜司は覚えていた。

 

「先ほどの異能は、長距離を移動するもの、だよね。マナ粒子の結合と他を排他する現象を用いて作られた、いわばマナ粒子のトンネル。本来はその光が伸びる方向に出口が出来て、だからそこを調査しに行くんだけど、あの時光は俺達を包んでいた」

「……ん」

「単純な距離の移動じゃない。でも、それより先は俺にはわからない。教えてくれはしない、と見たけど、どうかな」

「もう、着くから」

 

 竜司は肩を竦める。

 話さないと決めた千春は梃子でも動かない。くすぐっても話さない。好物で釣っても決して口を割らない。

 だから、説得で聞き出そうとするのは無駄である。

 

「昔」

 

 けれど、珍しく。

 千春の方から口を開いた。

 

蒸気的特異点(SteamSyngularity)よりもずっと前に、ここは作られた」

「それは……でも、マナ粒子を含まない蒸気機関の出力なんて」

「ここを作った人は、迎満三よりも早く、マナ粒子に気付いていた」

「その人の名は?」

「冬馬。それが苗字なのか名前なのかはわからない」

「千春は、その人の面識があるのかい?」

 

 その問いには答えず、千春は歩いていく。

 向かう先。暗いはずの地下道に、しかし灯りがある。長らく使われていないはずのここに、灯りが見えた。

 

 灯り。ガス灯のそれとは、違う。どこか冷たい光。その前に、二つの影がある。

 

「子供……?」

「話しかけちゃ、ダメ。今、幸せを夢で見ている。戻すのは可哀想」

「あ、あぁ」

 

 二人の横を通り過ぎる。

 みすぼらしい襤褸布を纏った二人の子供。二人は立っているが、瞼は開いていない。立ちながら、眠っている。

 けれどその顔に苦痛はなく、千春の言う通り、どこか幸せそうな表情で。

 

 そんな子供の様子に多少の後ろ髪を引かれながら、竜司は歩を早める千春についていく。

 

「ぅ……」

 

 そして、辿り着く。

 

 

 

 

 

 暦として見れば、蒸気機関というものが開発された皇紀2372年より始まって、859年という途方もない時間が現代にまで横たわっている。その間に死に行った者も生まれ出でた者も数多くあり、故にこそ死は尊く、生は儚いものだった。

 そしてそれは、モノも同じ。

 あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()もまた、そうならなかった現代において、死んでいる、と表現出来るだろう。

 

「こ、れは」

「電気、というもので動いている。こっちは液晶。こっちはテレビ。何も放映されてないから何も映らないけど」

 

 そこは、異質な空間だった。

 竜司が一度だけ赴いたことのある上層とも違う様式の部屋。あるいは、施設。先ほどまでの地下道と、ここから先の空間は、何から何まで違う。蒸気の熱も、あの肌を撫でる水気も、当然の如く地を揺るがす機関の振動も存在しない。

 静かで、寂しい光に包まれた場所。

 

「異能、なのかい?」

「本来蒸気技術の代わりに発達するはずだったモノ。マナ粒子を含まずとも、蒸気機関以上の出力を吐き出せる」

「……そんなものが」

「ある。……ある、はずだった。けれど、これらはすべて死に、眠りに就いてしまった」

「眠りに……」

 

 視界に広がる光景はあまりに馴染みがない。()()()()()

 竜司にだけでなく、世界に。この世界に存在しないものだと、はっきりとわかる。

 

「まさか、さっきの子供たちは」

「死んでいる。ここは死者の来る世界。私達のように非正規の手段で入った者を除き、ここではすべてのものが眠りに就く。自らの幸せを夢見て、苦痛を忘れて、眠っていく」

 

 オカルトが過ぎる、と竜司は眩暈を覚えた。

 しかし同時に思い出すは、威鉄の存在。彼は確実に死んだ。けれど幼い少女となって新しく生を受けていた。生死には、竜司の知らない法則がある。

 

「ここに、どんな用があったのかな」

「基本、ここは死を迎えるまでの待合所。ここに長居をする事は出来ない。けれどそれをしている人物がいる」

「さっき言ってた、冬馬ってヒトかい?」

「違う。冬馬はとっくに出ていった。ここにいるのは」

 

 その言葉が続く前に、奥の扉が音もなく開く。蒸気圧の音は欠片も無い。スムーズに開いたその扉の奥から、それが現れる。

 立派な髭を貯えた白衣の男性。しきりに自身の髭を撫でては腰をくねくねと動かし、細めでこちらを……恐らく千春を見るなり、物凄い勢いでツカツカと歩み寄ってきた。

 思わず千春を守らんと前に出る竜司。

 

「ふむ、ああ、何も言わなくていい。ボクの天才的観点からすると、君は立原竜司クン。君の後ろにいる三船クンの夫で、異能捜査課の刑事だね?」

「……」

「君は今凄く警戒している。当然だ、見るからに怪しくて胡散臭くてあんまり近寄りたいとは思えない見た目の老人が愛する妻の方へ歩み寄ってきたのだから……失礼だな君は!!」

 

 一言もしゃべっていない竜司を前に、男性はぺらぺらと饒舌に話す。

 変人、なのだろう。苦手なタイプだ。こういうのを目の当たりにすると、訪藤がどれほど話しやすい存在かを思い知らされる。

 

「三船クン、もしかして何も話していない……ようだね。それなら仕方がない! 自己紹介をしよう、ボクは」

「竜司。コレが、ここに長居するヒト。迎満三……蒸気的特異点(SteamSyngularity)を起こし、その後にエルフらの大量殺害を行った張本人」

「ンンンンンいつもそうだ! そうやって、ボクの一番大好きな自己紹介の機会を奪う! 三船クン、君ダウナーぶってるしクールぶってるけどかなりの芸人だろうボクは知ってるんだぞ!」

 

 男性の名を聞き、いっそう警戒を強める竜司。

 ここが死者の世界、という話の真偽はまだ定かではないが、身内にエルフを持つ者として、迎博士と名乗る者を警戒しないはずがない。

 

「竜司、大丈夫。死者は生者に干渉できない。逆に生者が死者に干渉する事は可能。こういう風に」

「痛っったぁ!? こ、このガキ、ボクの崇高な足を踏みやがって! ギャッ、ちょちょ、立原竜司クン!? 君初対面だろう、脛を蹴るな、脛を蹴るな!」

 

 その言は本当であるようだった。

 男性の手はこちらをすり抜けるというのに、こちらの蹴りは男性に届く。けれど、絶対の法則であるかどうかまではわからない。何か抜け穴を突いてくる可能性がある。

 

「ふぅ……まったく。老人いじめも大概にしたまえ。それで、何をしに来たんだ。一応、一応死者の観点から言わせてもらうがね、ここはそう気安く来る場所ではないよ?」

「竜司。この人は、そこまで多くを知っているわけじゃない。けど、竜司が知りたい事を知っている」

「俺の、知りたい事」

 

 何か、ピースを求めるのなら。

 そう言われ、連れられてきた。竜司の求める最後のピース。

 それは。

 

「──アンタ、ニコルって名前の女性について、何か知りませんか」

 

 男性の口元に、下弦の月が描かれる──。

 

 

 



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3.Sorrowfullying

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 教会。

 蒸気的特異点(SteamSyngularity)以降、宗教というものは、この鋼鉄と蒸気の都市においては廃れつつあるものとなっている。あるいは神の僕ともなれたやもしれないエルフらが、あまりにも変動の立ち位置にあった事も理由の一つだろう。迎満三に殺害された特異な異能を持っていたエルフ達。その後人間を遠ざけて生き、いつしか異能を用いて犯罪を行うテロリストどもを排出し、現在は迫害の対象。

 人々の信仰対象は"超常の力を使う異物"ではなく"目に見えた力や技術を齎す蒸気"へと移り変わった。謂わば科学信仰だ。その背景にエルフの姿があろうとも、マナ粒子の存在があろうとも、人々にとって関係のある事ではない。

 彼らの心にはもう、神など存在しないのだから。

 

 なればこの教会は何を祀る場であるのか。

 

「ヤスメ。ここにはもう、戻ってきてはならぬと言ったはずです」

「いいじゃない、シスター。ここはアタシの家なのだから」

 

 そこだけは、異質な空間であると言えた。

 中層下層と赤錆に包まれていたし、上層は上層で銀色のビルが立ち並ぶ場であったはずだ。

 けれどどうだろう。ここ──教会の周囲は、これほどまでに明るい。明るいのだ。色彩豊かな花畑には蝶が飛び、白色を基調とした建物に汚れは一切無い。

 教会。その名に足る。

 

「教えて、シスター。……アタシ達を、商品として外に売っているのは……誰なの?」

「ヤスメ。貴方は教会の手を逃れ、中層の住まう民となりました。それはとても素晴らしい事で、奇跡であると言えます」

「わかってるわ、それくらい」

 

 今、訪藤と会話をしている女性。

 シスターと呼ばれている、赤い毛先の特徴的な女性。目を伏せ──その手に拳銃を持つ、恐ろしい雰囲気を纏う彼女に、訪藤は臆することなく言う。

 

「シスター・ヨセフィン。いつかアナタは言ったわ。ここにはもう、戻ってきてはならない。けれどもし、ここに戻ってくる事があったのなら、相応の覚悟を持ってくることです、ってね」

「相応の覚悟があると?」

「だって、妻がいて、その妻を心より愛している男が、その妻を裏切る結果になってしまうかもしれないというのに、自身の目的を果たそうとしているのよ? そんな覚悟を目の当たりにして、アタシが黙っていられると思う?」

 

 だから、と。

 訪藤は指を二本立てた。

 そこに挟まれているのは針だ。長い針。情報処理能力を買われ、護身術の欠片も習っていない訪藤。彼に戦闘能力は存在しない。しないことになっている。

 なっているだけ。

 

「教えて、シスター。さもなければ、実力行使に出るわ」

「神の家を、血で汚しますか?」

「じゃあ、教えて。ここで子供たちを使えるように育てては、外に売っている人が誰なのかを。アナタが、ここが、信仰する神が誰であるのかを」

 

 口は堅く、結ばれたまま。

 だからそれが合図となった。ぶれる訪藤の右腕。それはシスターも同じで。

 

 響いた音は、乾いた銃声。

 弾けたのは──訪藤だった。

 

 

 

「は?」

「……」

 

 眼前。文字通り目と鼻の先で、自身の頭が弾け飛ぶ。

 自身の──靄で作られた、自身のカタチをした人形の頭が。

 

 咄嗟に飛び退き、追加の針を取り出せたのは褒められるべきだろう。

 引き金を引いた姿勢のまま動かないシスターは、けれど意識を失っている様子はない。どちらかというと、知っていたから対応しなかった、とでもいうような落ち着きを払っている。

 

 そんなシスターの横に、少女が一人、立っていた。

 

「……誰、かしら、それ」

「お膳立てはここまでです。ミネイ、後で話があります。帰らない様に」

「はいはい」

「はい、は一度で十分です」

 

 シスターが踵を返す。訪藤が制止をかける間もなく、彼女は靄の向こうへ消えて行く。

 靄。

 靄だ。先ほど弾けた自分の人形、だけじゃない。

 教会の全体が、高く高く、深い深い靄に覆われている。

 

「大規模幻術……!」

「うん。こんにちは、初めまして、訪藤ヤスメさん。私はミネイって言います」

「これをやったの、貴女が? あぁ、ホントだ。その耳も、目も……エルフの特徴だものね」

「そう。それで、ヤスメさんにお願いがあって」

「……まずはその、気持ちの悪い喋り方をやめてもらえるかしら? 女の喋り方には一日の長があるのよ、アタシには」

 

 言えば、ミネイと呼ばれた少女は素っ頓狂な表情を見せる。

 その後くつくつと笑って──悪い相貌を見せた。

 

「うへぇうへぇ、アイツの周りにいる女ってなドイツもコイツも鋭い奴ばっかでヤになるね」

「あら、女扱いしてくれるの? 優しいコね。でもアタシは、女性の喋り方が好きなだけの男よ。それと、そういうアナタは真逆なのかしら? 蓋を開けてみれば随分と男らしい喋り方……声は可愛らしい女の子なのにねぇ」

「生憎と"女の子らしい"生き方ってのを学んでこなかったんでな。なんせ孤児だ、好きに生きてたらこうなるさ」

「それだけでそうなるとは思えないけれどね。それで? 孤児のミネイちゃんが、アタシに何の用?」

 

 警戒を強める。これほどの幻術を扱える子供。シスター・ヨセフィンの知り合い。そんなの、警戒しないはずがない。

 

 ふと、背後に気配を感じた。

 

「へぇ、投げねえのかい、ソレ」

「どうせ幻術だもの。攻撃手段は無駄遣いしないのが鉄則よ、お嬢ちゃん?」

「違いねえ。にしても暗器か。しかもそのマナ……エルフだぁな、お前さん」

 

 固唾を飲む。

 そうだ。訪藤はエルフだ。身体的特徴が現れなかった、人間とエルフの混血。異能を感じ取れるが故に配属された異能捜査課。けれど、そもそも、彼が異能を感じ取り得るのは、他のメンバーのように鼻が利くからではなく、彼自身が異能を使用できるからだ。

 彼自身が、異能を用いて──犯罪を犯したことがあるからだ。

 

「他言無用でお願いしたいところだけど、大人との約束は守れるかしら?」

「くく、守れたんならこんなとこにいねぇやな」

 

 容姿も声も、まだ10を数えない程の幼女だ。

 けれどその存在感は、圧倒的で。

 

「聞きたい事、何なのかしら。早く話してくれない?」

「聞きたい事じゃねえよ。アンタにお願い事があるんだ」

「それを早く言えと言っているのだけど?」

「あぁ、簡単さ。ポッケのそれ、俺にくれよ。アイツが残した紙切れ。俺ぁソイツが必要でな」

 

 回避行動。その先に、少女がいた。

 素早く針を少女に突き刺すも、暖簾に腕押し、靄となって散る少女に刺突は効果を為さない。

 

「二つ、質問があるわ!」

「聞いてやる」

「アナタが何者なのかはどうでもいい──アナタは、竜司チャンの敵!?」

「違う。竜司は俺にとっても……まぁ、身内だよ。アイツを害すつもりはない」

「じゃあもう一つ──アナタは、()()()()の、敵?」

「ああ、そうだよ」

 

 その言葉に、ピタりと訪藤が止まる。

 そして大きな大きなため息を吐いて、ポケットから紙切れを取り出した。

 

「先に言ってくれたらよかったのに……シスター・ヨセフィンと仲がよさそうだったから、勘違いしちゃったわ」

「良い信念だ。んじゃ報酬ってワケじゃあねぇが、アンタの知りたい奴の名を教えてやる」

「知っているの?」

「ああ。ソイツの名は佐島だ。車椅子にのったご老人。それだけわかりゃ、あとはアンタで調べられるだろう?」

「……助かるわ」

 

 おう。そう、返答があって。

 風に吹き飛ばされるように靄が晴れていく。ミネイもまた靄となって──教会も、庭園も、上層さえも吹き飛ばされて。

 

 気が付けば訪藤は、机の上で突っ伏していて。

 気が付けばそこは、異能捜査課のオフィス──自らの席だった。

 

「──は」

 

 幻術にも程、というものがあると思うのだけどねぇ、と。

 訪藤は苦笑する。苦笑して、伝声管に手を伸ばした。自分の出来る事をするために。

 

 

 

 

 

 

「ん? なんだ、竜司か」

「……テツさん。何やってんスか」

「何って……ブランコだよ。知らねえか、真面目ちゃんは」

 

 夕暮れ時。

 煤けた地下道を出て、久しぶりに吸った空気に気持ちよくなって散歩をしていた竜司が、何の用もないのに、ふと、近所の公園へと立ち寄った時の事である。

 キィキィと錆びた鎖の軋む音に目を向けてやれば、そこには一人の少女の姿。

 襤褸布の幼子。オレンジ色の夕日。ノスタルジーか、郷愁か、あるいは寂しさか。とかく物悲しい光景を叩きつけてくる印象を捩じ伏せてそこへ近づけば、やはりそれは見知った少女であった。

 

「流石にそれくらい知ってるスよ。で、なんで結界なんか張ってたんスか。今の、人除けの奴ですよね」

「そりゃ、お前みたいな大人に入ってこれんように、且つブランコで楽しく遊ぶためさ。それ以外になにか理由があるか?」

「それが一番無いから言ってんスよ」

 

 鬼、悪魔とまで呼ばれた威鉄が、ブランコで遊ぶ。

 彼のかつてを知る職場の同僚に言って聞かせたのなら、半年ほどの休暇を言い渡される可能性さえある。

 

「ふん、子供なんだ、ブランコで遊びもするさ」

「……なんか、あったスか。アンタがそういう顔するのは……誰かが死んだ時だ」

 

 キィ、キィ。静かに揺れるブランコに乗るミネイ。

 ブランコを囲う鉄柵に座り、竜司は煙草を取り出し、けれどまた、懐へしまった。

 

「お前、前は吸ってなかっただろ。街中で吸ってるとあぶねえから」

「ストレス溜まんスよ、色々。でも子供の前で吸う程落ちちゃいねぇス」

「真面目ちゃんめ。で、俺の顔だって? あの頃と随分変わったってのに、よくわかるもんだな」

「女になったって、子供になったって、エルフになったって、アンタは変わんねえスよ。一度抱き込んだものに対しての責任感が強すぎる。……死んだんスか。その、孤児の、子らが」

「ああ」

 

 即答。溜めも余韻も無い、ただただ事実の肯定。

 けれどその表情は筆舌に尽くしがたいもので。

 

 ミネイはキィ、とブランコを止め、天を見上げる。

 

「二人、逝っちまったよ。朝起きたら、起きなかった。そんだけさ。子供だ、自身の不調を訴えられねぇのが子供さ。大人とは違う」

「栄養失調スか」

「それだけじゃあねぇだろうな。ビョーキか、怪我からバイキンでも入り込んだか。普段飲んでる水だって蒸気くぐってる。普段吸ってる空気だって浄化されたもんじゃねえ。汚水排水下水汚染水。下層にゃいくらでも流れてくるからな、原因特定なんかできねぇさ」

「……」

 

 慰められているわけではない。ただ事実を述べているだけ。

 けれど、少なくとも中層で健康的な生活を送る事の出来ている竜司にとっては、心に刺さる事実でもあった。

 そして、あの地下道のことも。

 

「一つ、問うていいか」

「鍵の事スか」

「そうさ。脇が甘いと思ったが、違うな。盗らせてくれたんだろ。じゃねえと、今の今まで探しに来すらしねぇのはおかしい」

「別に、盗まれたとは思っちゃいねッスよ。それは元々アンタのもんだ」

「そうかい。で、もう一つ質問だ」

「見つけてねえからスよ。犯人は」

「……先読みで会話すんのやめねぇか、三船を思い出す」

「まるで死んだみたいに言わんでくれませんか。……死んだのはアンタなんスから」

 

 どうして犯人がミネイと言う名の少女だと報告しなかったのか。

 そんなの簡単だ。ミネイが実は死んだ威鉄で、その威鉄が子供たちへの同情から悪事に手を染めている、など。そんな事言えるわけがない。

 けど、それは、建前で。

 

「面白い、と……思ったからス」

「はん?」

「アンタの下にいた時は、確かに、アンタに揶揄われる通りの真面目人間だったスよ、俺は。……でも」

 

 色々あって。色々なことを経験して、まぁ、いってしまえば、スレたのだ。

 竜司は、ただの正義感だけの真面目ちゃん、ではなくなってしまった。

 

「表面上の平和の崩壊を望むか、刑事が」

「だってアンタ、これからなんかするつもりなんでしょう。悪事を裁くのか、無知を叩くのかまでは知らねぇスけど、何かするのは確実だ。そうじゃなけりゃ、過去の異能犯罪者リストの資料が入ってる引き出しの鍵なんて盗まねえ」

「ンなもんを持ち歩いてたお前もオカシイんだけどな?」

「……」

「まぁ、その辺を詮索する気はないよ。素直にありがとうと言っておく」

 

 ミネイがよいしょ、とブランコを降りる。未だ鎖はキィキィ揺れているけれど、それも次第に収まるのだろう。収まって、大人しくなる。

 

 ふと、懐が軽くなって、竜司は口を尖らせた。

 

「ダメすよ。子供が吸っちゃ」

「吸わねえよ。他の子供の肺に悪いだろうが」

「じゃあ売る気スか。こないだのジョッキ、上手く足隠したッスね。売人が誰から買ったかわかんねぇって、これまた今回のヤマみてぇな事言い出して俺が大変だったんスけど」

「ああ、お前の姿は隠してなかったからなぁ、仕方ねえや。しかし、便利なもんだろ、異能ってな。悲しい事に、便利な技術さ」

 

 ポウ、と白い光を手に纏わせるミネイ。光は烏の姿を模り、空へと飛び立って、散った。

 

「俺からも、一つ聞いていいスか」

「なんだ」

「テツさんが、死んだ時の事ス」

「……お前、デリカシーって知ってるか?」

「テツさんがデリカシーなんて言葉使うと思ってませんした」

「そりゃ重畳。で、なんだ」

「俺達はテツさんの遺体も見ました。解剖まで立ち会いました。けど、おかしなことに、テツさんからは弾痕も、刺傷痕も、圧迫痕も、何もかも見つからなかったんス。体内から薬物が出たわけでも、栄養失調だったわけでもない。死因が一切、特定できなかった」

「おう」

「だから、異能であると判断されました。故にエルフの犯行とされました。……違いますよね」

「本当ですか、じゃないのか、お前」

「確信してるんスよ。エルフの犯行じゃないって。……再度聞きますよ。()()()

 

 沈黙。

 そのまま、バツの悪そうな顔をして、ミネイは。

 

「どうしてそう思ったか、から聞かせろ」

「調べる手段が無いからス。今のアンタは、人身売買組織の親玉が誰か、なんて調べるツテもコネもない。孤児らを守るのに忙しくて、自分が生きるのにも一苦労で。そんなアンタが、お上と組織に繋がりがある、ってのを知ってるためには、ただ一つ……()()()()()しか手段が無いんスよ」

「成程」

「加えて言うんなら、アンタ言ったスよね。探ったら一発で首が飛ぶって。今の俺は、昔のアンタと同じ立場だ。その俺の首が飛ぶってんなら、アンタも飛んだんだろう。ソイツの事にやけに詳しかったのは対峙したからスか。自分の周りを固めてて、エルフも囲ってる」

「……甘くなったのは、俺の方か」

「テツさん。俺はずっと追ってるヤマがあるんスよ。俺の大事な、一番尊敬してた上司が殺された事件。異能のせいにされた不可解な事件。……アンタを殺して、エルフ使って悪ぃ事してる奴は、誰だ。テツさん、答えてくれ」

 

 キィ、と。

 鎖が軋んだ。竜司は未だ、ブランコの方を向いている。

 そんな彼の焦点が結ぶ先に、ブランコに乗ったままの姿勢のミネイが現れた。ブランコを降り、白い烏を飛ばして遊んでいたミネイが靄のように掻き消える。

 

「迎博士だ」

「……死んだッスよ、その人は。蒸気的特異点(SteamSingularity)のすぐ後に。俺は勿論、テツさんも生まれてねぇ時に。処刑されたス。大量殺人犯として」

「ああ。だから、死んでなかったんだろう。あるいは俺みてぇな転生(てんしょう)か。とかく、あっこにいるのは迎博士さ。迎満三。マナ粒子を組み込んだ蒸気機関の開発者であり、エルフからは最悪の存在として憎まれている人間。それが何の冗談か、未だにエルフ使って悪ィ事してやがんだ」

「それ、俺達の上は知ってんスか」

「さぁな。そこまで探れる程俺にゃツテもコネもねぇさ」

「俺には、あるス」

「自殺志願者か、お前」

「異能捜査官、ス」

 

 あるいは、転生さえも異能だというのなら。

 それは十分に捜査する価値もあろう。

 

「テツさん。俺は多分、一緒には行けねえ。アンタはアンタのやり方があるんだろう。だから俺も、俺のやり方でやらせてもらう」

「死ぬなよ、竜司」

「アンタからは色々なことを学んだスけど、道半ばで死ぬのだけは強制されても学ぶつもりはないスよ」

「うるせ」

 

 キィ、という音。けれどそれは、鎖の軋む音ではない。

 キィ、キィ、と。鎖ではなく──金属板の軋む音が、響く。

 

「結局ここ、どこなんスか。人除けの結界張ってた理由と関係があるんでしょ」

「ん、ああ。ここは──」

 

 瞬間、すべての景色が靄になっていく。

 そうだ。近所の公園にブランコなどないし、この街で夕暮れの光などというものを見るのは難しい。深く濃い煙が、空を覆ってしまっているから。

 晴れていく。

 そこは。

 

 

「拘置所……捕まったエルフ達のいる所だよ」

 

 

 

 

 

 

 エルフという人種がいつからこの地にいたのか、という議論は未だにはっきりした決着がついていない。

 突然変異説が有力ではあるものの、何か特別な証拠があるわけでもなく、一説にはエルフこそが初めにいて、異能の才能が無かった者達を人間と呼び、それが増えた結果が現代であるとするものさえある。

 強いはずなのだ。

 様々な事象を引き起こす事の出来るエルフの方が、何もできない人間なんかより。

 

 けれど彼ら彼女らは少数であり続ける。()()()()()()()()()()、と言った方が正しいかもしれない。

 それは何故か。

 

「有用だから、だ」

 

 老いたエルフが口を開く。もう長耳以外、人間の老人と区別の付かぬほどに老い細り、萎びた老人が言う。

 

蒸気的特異点(SteamSingularity)だけではない……。エルフは古来より、人間に利用されてきた。その度に身を隠し、その度に人間に混じってきたが……それでも、我々を見つけ出し、残虐な研究に用い、エルフを道具として扱う者は減らなかった」

 

 手に嵌められた枷が落ちる。足に嵌められた枷が落ちる。

 それでも誰も、逃げだしたりしない。騒いだりしない。

 

「蒸気の熱に肺を、飛び散る油に肌を、人間の幸福のために自己の幸福を焼かれてきた」

 

 誰も、だ。

 もう誰もが、下を向いて。

 

「ミネイ、と言ったか。見るに、純粋な……もう今となっては珍しい、一切の混じり血のないエルフの子よ。お前の掲げる理想は聞かせてもらった。だが、あいわかった、とはならんのだ。我らは知っている。知っているのだ。我らエルフを道具として見る奴の目を。奴らが変わらぬ事実を」

「……そう」

「逃がしてくれる事には感謝しよう。もう我らはこの街を破壊せぬ事も約束しよう。我らの抗議活動は無駄な犠牲を呼び、無駄な不幸を生み出した。反省している。故にもう、逆らう気は起きんのだ」

 

 老人は萎びた腕に、光を纏わせる。その手で、ミネイの頭をぽん、と撫でた。

 そして驚いた顔をする。

 

「不躾な爺さんだな」

「……お主」

「ああ、覗かれたんならもう取り繕う必要も無ぇや。なんだなんだ、揃いも揃ってよ。そうさ、お前らのやったことは誰にも、何の影響も与えちゃいねぇ。エルフの立場を悪くしただけさ。わかってんなら話が早えや」

「峰威鉄……。なんと、懐かしい名か」

「知ってるか、お前らの刑罰。表向きは懲役刑さ。だがな、俺は知ってるぜ。迎博士の部屋にいたエルフ達を。……そして、最下層に流れてくる、エルフ達の死骸を、知っている」

「……」

「逃げるって? どこに。外は酸の雨でどろどろ、海は有害物質で汚染され、山肌は茶け、雨宿りも飲み水の確保も出来やしねぇ。この街が無事なのは異能のおかげ。ンなこと、アンタなら知ってるんだろ」

「我らが防護程度を扱えぬとでも?」

「無いだろ、マナが。外には」

 

 エルフの異能はマナ粒子を消費する。

 なればマナ粒子は、一体どこから生成されるのか。

 簡単だ。何故エルフが完全に身を隠してしまわないのかを考えたら、すぐにわかる。

 

 マナ粒子を生成しているのが、人間だから、だ。

 

「外には人間がいねぇ。酸に弱いのは人間も同じだからな。だから外にはマナが無ぇ。マナが無けりゃ異能は使えねえ。その状態で外に出てみろ、死ぬだけさ」

「随分と、詳しいものだ。まだエルフになってから10年と経っていないのだろう。学者に会うたわけでもなく、資料を読み漁ったわけでもなく、独力でそこまで辿り着いたというのか」

「子供ってすげぇんだわ。嗅覚に関しちゃ大人なんかじゃ敵わねえ。特に自身の安全に対しての嗅覚はな。危険に対しちゃ、ちと危なっかしすぎるが」

「……では、なんとする。我らが逃げ得ぬと知っているのなら、お前は我らに何を指し示す」

「最初に言った通りさ。この都市で、ふんぞり返ってやがる奴さんを──()()

 

 殺す、と。声に出した。

 ミネイが。峰威鉄が。本来善なるものであるはずの彼が、そう、声にした。

 

「迎満三。……本当に奴が、まだ生きているというのか。我らを散々かどわかし、痛めつけ、殺し尽くした奴が」

「ああ、この目で見たんだ。会話もしたぜ。奴さん、ペラペラと色々喋ってくれたよ。そりゃそうだわな、こっちが死に際なんだ。誰だって自慢はしたいだろうさ。隠し事なら特に」

「協力しろ、と言ったな。何を要求する。異能か?」

「ああ」

「お前が追い続け、嫌い続けた異能を求むか」

「嫌ってねぇよ。人の役に立つ異能なら大歓迎さ。今回も同じだ。アンタらに頼みたいのは、街の……人間達の防護だ。潤沢にマナがありゃ使えるだろう」

 

 言う。ミネイが言葉を編む。

 峰威鉄の頃だって、追っていたのはそのエルフが犯罪を犯していたからだ。自身の細やかな便利のために、あるいは大切な人の命のためにと使う異能等を咎めたりはしない。出来るのだ。異能と言っている。走れるのだから走る。食べられるのだから食べる。話す事が出来たら誰だって喋る。

 異能も同じだ。他者の迷惑にならぬのなら、それは単なる身体能力に過ぎない。

 

「頼んだぜ、爺さん」

「……わかった」

「それじゃあ俺は先に、」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

 そう去ろうとする彼を、呼び止める声があった。

 エルフの青年……。丁度、威鉄の所に新人としてやってきた頃の竜司くらいの若者。

 

「……結界張ってるとはいえ、叫ぶなよ。バレるだろ」

「あ、ああ、すまない。ええと、ミネイと言ったな。俺は」

「要件を手短に言ってくれ」

「ぬ、う、うむ。……聞きたい事があるんだ」

「ああ」

 

 神妙な顔で、けれどどこかもじもじして。

 青年は問う。

 

「その……君が見た、迎満三の周囲にいたエルフの中に、髪の長い……あぁ、ええと、黒髪で、毛先の赤いエルフはいたか? みっ、耳はあんまり長くない。あ、女だ。女のエルフ」

「……あー、多分、いた。すまんな、当時の俺は死に際だったもんで、あまりよくは覚えていないが」

「そ、そうか! 生きていたんだな?」

「当時はな」

「うっ、……けど、でも、ありがとう。それだけ聞けば十分だ」

 

 ふむ。と思案するミネイ。

 一瞬老人の方を見れば、老人は首を振った。

 

「恋人か?」

「ち、違う。……母親なんだ。に、ニコリアっていうんだけど」

「ん……あぁ、そうか。年齢的にそうだな」

 

 反応があまりにもそれだったために勘違いしたが、そうだ。恋人になるには、彼が幼すぎるだろう。あるいは生まれていないか。

 ミネイとしても死の際の記憶はあいまいだ。忘れてなるものかと記憶に刻み込んだ事実こそ覚えているが、迎博士以外の情報を克明に覚えているわけではない。ただ、幾人かの人間と、エルフがいたな、という記憶だけ。

 もしかしたら夢だけ見せて、現実はそうでないのかもしれない。けれどわざわざ希望を潰す事もないだろう。

 

「それじゃ、俺はそろそろ行くよ」

「ああ」

 

 もう言葉を繰る必要はない。

 退路は無く、進路もあるとはいえない。ただもうミネイは──。

 

 



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4.Absorbitterminated

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「ミネイ、遅いね」

「……ええ」

 

 ミネイがこの地下道を出て行ってから、半日が過ぎた。

 ミネイが良く眠っている場所には、まるで、もう帰ってこないと言わんばかりに"餞別"が置かれていた。水の入った硝子瓶と、どこで調達したのかわからない食料が少し。

 そして、紺碧の色をした、綺麗なガラス玉が一つ。

 

 不思議な子であったのは事実だ。異様な規模の幻術を扱う事の出来る、ネコメよりも幼い少女。ネコメが彼女を拾った時、彼女は酷く楽しそうな顔で笑っていた事を覚えている。見上げるは空──中層、あるいは上層のどこか。

 笑み、顎を撫でる様をそれ以降見せることは無かったけれど、その時の大人びた顔はネコメの奥底に強くこびりついている。

 だというのにミネイは手のかかる子だった。なんせ、なんでもかんでも食べようとする。「このくらいならいけるだろう」なんて言いながら、明らかに汚染された鳥の死骸に口をつけようとするのだから大変だ。確かに食料にありつき難いネコメ達はなんでもかんでも食べなければ生きていけないけれど、明らかに死に直結しそうな……食べたら絶対に病気になるようなものは避ける。流石に、避ける。

 それを、ミネイはしなかった。危機を感じる本能の部分が壊れているんじゃないかと思うくらいに、危なっかしかった。

 

「ミネイは、死なないよね」

「えっ?」

「わかってるよ。あの子達がねむってしまったんじゃなくて、死んじゃったんだってこと」

 

 ネコメがその身体を温める幼子。ミネイから託された食料で久しぶりに腹にものを入れる事が出来たけれど、限界は近いと言えるだろう。青いを通り越して白んできているその肌に、生気は存在しない。

 そして幼子が言うあの子達とは、今朝、永久の眠りに就いてしまった二人の事だ。幼子では死を理解できないだろういうネコメの配慮は、しかし存外に知識をつけていた幼子によって看破されてしまった。

 

「ミネイは、」

「それで、死なないのはネコメもいっしょ」

「……」

 

 今度こそ息を呑む。

 弱弱しくネコメへと微笑みかける幼子は、けれど気丈にも言葉を緩めない。

 

「だってネコメは、ずっと、ずーっと、何も食べてないもんね」

「……知ってた、のね」

「みんなしってるよ。知らないのは多分、ミネイだけ」

 

 だからネコメは子供たちの守護に尽力した。年長であるから、ではない。

 自らを疎かにしても何も問題がないからだ。

 

「ネコメはさ」

「……何、かしら」

「ずっと生きていける。ここにいるみんなと違って、幸せになれる」

「そんなことは」

「わたしたちは──もう、むり」

 

 微笑み。

 弱く、儚く。幼子はネコメに笑って──事切れた。

 続け様に、ゴトゴトと鳴る鈍音。それは地に倒れる肌の音。

 残り少ない孤児たちが、示し合わせたかのように、死んでいく。

 

「これは、何が、起こって……」

 

 ぐぅ、と音が鳴る。

 発生源は、ネコメの腹。

 途端とてつもない疲労感がネコメを襲い始めた。生まれてからただの一度も、疲れた事などなかったネコメの身体が。

 

 空腹だ。お腹が空いている。

 あまりの口喝と空腹に、ネコメはソレを探す。ソレ──食料。ミネイの残した食料と水。この世に生まれ出でてから、初めて覚える飢え。

 先程までの困惑さえも無視して、一心不乱に食料を食べ尽くす。

 

 そして、最後に。

 ミネイの残したガラス玉さえも食らって。

 

 ようやくネコメに平穏が訪れた。

 同時、上層で巨大な音が響き渡る──。

 

 

 

 

 この都市において、夜空が見えるという事はない。

 霞んだ空は熱と煙のドームに覆われ、あるべき姿を見失ってしまっている。都市全体が巨大な蒸気機関を為していると言って過言でなく、故にこそ周囲に対する環境汚染も単なる蒸気機関の比ではない。

 マナ粒子によって圧力の高まった蒸気はエネルギー効率を爆増したが、増えたエネルギーを節制でなく開発に用いたため、排ガスも汚染も留まる事は無かった。むしろ一つ一つの蒸気機関の稼働時間は増え、消費する石炭の量も増え、それら問題は深刻な状況となっている。

 

 下層は勿論──上層も。

 

 都市全体に張り巡らされた配管は季節を問わず熱気を人々に齎したが、故にこそ地は熱く、暑い。なればと人は高所を求めた。都市全体が蒸気機関であるがためだ。下層も、地上も、暑いから、出来得る限り配管から離れた所に住まうようになった。

 高さを、そして広さを。

 

 その最たるものが、都市に乱立する高層ビルだろう。無論天を突くほどの高さと称されることは有っても熱と煙のドームには届かず、これらに纏わりつく有害な雲に窓を開ける事さえ叶わない。ただただ涼を求めて、人々は高さを求めた。

 

 唯一の救いは、異能──エルフの力によりこの都市に酸の雨が降り注がない事か。

 そんな、システムのように扱われるエルフ達がどこから来たのかまでは、一般に知らされている事ではない。

 

機構(システム)ではなく、仕事だよ。人間がするもの。君ら警察機構が犯罪者を捕らえ、事件を調べ、真実を解き明かす事が仕事であるように。まさか趣味ではないだろう? まさか強制されているわけでなないだろう? 仕事さ。何、給料も発生している。特に非人道的な事はしていないさ」

「では、そのエルフの出自と、その意識がはっきりしているかどうかを調べさせていただけますか?」

「勿論、構わないよ。異能捜査官、立原竜司クン」

 

 高層ビルの最上階。分厚いガラスの外は白い靄に覆われ、それがぐるぐると蠢いているのがわかる。時折エレベーターを稼働するための蒸気圧らしき振動が床を揺らすも、その音までが入ってくる事は無い。

 下層は無論だが、地上でもあまり考えられない遮音性は、知識と技術の独占が故か。

 好々爺然とした笑みを浮かべる老人。名を佐島。車椅子に乗ったその体は、しかし衰えや老いというものを全く感じさせない。

 

「佐島さん」

「なんだね」

「あなたは、エルフですよね」

「どうしてそう思うのかな。ボクの耳は丸く、瞳に紺碧は無い。それでも君が問いではなく断定をした理由は何かな」

「あなたは、異能を使用できる」

 

 エルフの血液は異能を帯びる。身体的特徴が現れずとも、エルフの血さえ混じっていれば、異能を用いる事が出来る。

 ただそれだけの理由に、竜司の目の前にいる老人は軽快な笑い声をあげた。

 

「はっはっは、おかしなことを言う。君はボクが異能を使用しているところを見た事があるのかな。今日が初対面だというのに……」

「異能捜査課に入る奴は、鼻がいいんですよ。異能そのものは使えませんが、使用された異能と、その発生源は感知できます」

「それが真実である証拠は? まさか君、その程度の理由だけで、今まで異能犯罪者を捕らえてきたのかい?」

()()

 

 頷いた。たったそれだけだと、たったその程度だと認めた。

 それだけで、老人に疑いをかけていると。

 

「ふふ、あぁなんだ、とんだ笑い話だ。うん、もう飽きたよ。帰ってくれたまえ。君に話す事はもうない」

()()()

「……今のは、ボクに呼びかけたのかい? 酷いな、ボクとあんな極悪人を重ねるなんて」

「いいえ、あなたは迎博士です。迎博士の息子なのですから、迎でしょう」

「言っている意味がわからないな。ボクの両親を調べでもしたのかい? けれどちゃんと調べたのならわかるはずだよ、母親も父親も、迎なんて苗字ではない」

「いいえ、違います。その二人は書類上の両親で、実在しない人物だ。あなたの父親は迎──迎満三。そして母にエルフの女性を持っている。あなたはエルフと人間の混血であり──その魂は、父親の迎満三その人です」

 

 流れたのは一瞬の沈黙。佐島老人はきょとんとした顔をして、直後にぷっと噴き出した。そのまま、ははは! と高らかに笑い声を上げる。

 笑って、笑って、笑う。

 一切表情を変えない竜司とは酷く対照的だ。破顔し、多少の涙を零しながら、笑う。

 

「はは、ははは! っはぁ、っはぁ……くく、あまり笑わせないでくれたまえ。ボクだって見ての通り歳なんだ。そんな冗談を言われたら、笑い死んでしまうよ」

「事実です」

「言い切るじゃないか、立原竜司クン。しかし大胆な仮説だ。エルフの大量殺人犯として知られる迎博士がエルフと結婚している、だなんて」

「ええ、ですから殺さなかった、適当な女性を母体に選んだのでしょう。ただそれだけのために」

 

「──馬鹿にするなよ」

 

 佐島老人は、その表情から一切の喜色を消す。仮面を被ったように……否、今までが、好々爺の仮面を被っていたかのように。

 まるで人形を思わせるような冷たい雰囲気を帯びて、佐島老人は口を開いた。

 

「彼女はボクが愛したエルフだ。それこそただ仕事を熟すためだけに生きる、命令されてしか生を全うできない他のエルフとは違う。……いいよ、挑発を受け取るよ、立原竜司クン。それで君は、ボクに何をしてほしいのかな」

「自首を」

「……もしかして君は芸人なのかな? それとも真面目に言っていてそれなのか……。あのね、立原竜司クン。ボクの罪はもう裁かれている。あの日、ボクは死んだのだからね」

「今現在、下層に生きる子らを攫い、それを都市内外に売りつけている事業について、です」

「さっきも言っただろう。エルフ達の出自ははっきりしている。そんな事業に手を付けてなどいないよ。技術の発展に明け暮れ、狂った老後の末に処刑されたボクの静かな余生だ、君の言いがかりに潰されたくはない。存分に調べてくれていいよ」

「──そして、峰威鉄の殺害について」

 

 今度こそ、佐島老人の目から光が消える。

 そうして、ようやく。ようやくだ。

 ようやく、はじめて……その顔に憎しみのような色が宿った。

 

「懐かしい名を出すものだ。なるほど、そうか、君は彼の部下なんだな。そうか、そういう繋がりか」

「心当たりはある、という事ですね」

「ああ、あるとも。数年前、君と全く同じ語り口でボクに突っかかってきた刑事さ。彼のせいで一部の計画は永久に頓挫したし、見ての通り、ボクは車椅子で生活しなくてはいけなくなった」

「あの人を殺したのは、あなたですね」

「そうだとも。ボクにとって彼は邪魔でしかなく、彼にそう大きな声をあげてもらうわけにはいかなかった。だから、殺した」

「……そうですか」

「ああ、孤児の売買だっけ? あれもやっているよ。当たり前だろう。エルフの血液というのは有限なんだ。限りある資源を最大限に使う必要がある。人間の孤児もまた同じだ。幼少から教え込めば、疑う事を知らぬ便利な道具が出来上がる。この街を支える労働者のようにね」

 

 突然ぺらぺらと口を回し始める佐島老人。その様子に、竜司は飛び退くようにしてソファを脱した。

 そしてガクンと膝を折り、倒れる。

 

「遅いよ、気付くのが」

「ぅ──」

「あの男から何も学ばなかったらしい。死人に口なしとはまさにこの事だね。大丈夫、君の死は彼のような不可解なものでなく、ちゃんとした殉職として、栄誉ある死に仕立てあげる。そうなれば、ようやくこの禍根も断ち切る事が出来るだろう。君の死を精査する者が現れなければ、ボクに目を向ける者もいなくなるはずだからね」

 

 唐突な眠気。異能捜査官の鼻はこれが精神操作系のそれであると気付いていたが、抗う事は難しい。

 ミネイの言っていた事……相手が死に際であれば饒舌に喋る、という迎博士の精神性がこれでもかと現れていたのに、気が付くのに遅れた。失態だった。

 

 視界に靄が充満していく。あぁ、けれど。

 竜司は、その靄の中に──鈍い鉄の光を見たような、気が。

 

 

 

 

 

 

「あぁ──やっぱり、そうなんだね」

「知ってるんですね」

 

 彼の目が細められる。

 昔懐かしむように、どこか力熱を燃やすように。

 

「彼女が今、どんな名を名乗っているのかは、知らない。だが、君の問いたい存在の事は知っている」

「俺は昔、その女性と出会った事があります。毛先の赤いエルフの女性。彼女は、強酸の降り注ぐ都市外縁部に立っていました。傘も差さず、防護服も無いままに」

「その時君は新人警官で、しかもポカをやらかし、上司に叱られた直後だった。違うかな?」

「……そうです。外を眺めていたのは俺だけだった。だから気が付けた。……彼女は俺に気付くと、一つ、会釈をして……気が付けば俺は、不思議な空間にいた。鋼鉄も配管も無い白い空間。今思えば空間移動に類する異能光に包まれた空間に、俺は誘引された」

 

 千春は黙って話を聞いている。

 彼女とも出会う前の出来事だ。威鉄さんが現役で、けれど俺がヘマをして、少しだけ危ないコトが起きた。

 威鉄さんはちゃんと俺を叱ってくれて、けれど俺は途方に暮れて。その時にした選択は、今でも褒められない事だけど、気持ちに嘘は吐けなかったから。

 そうして、その人と邂逅する。

 

「ニコル。己の名をそう告げた彼女は、自らをハイエルフであると言いました。エルフよりも格上の存在であるハイエルフは、時間をも(あやつ)り、魂さえも()ると。……そして、こうも言ったんです」

「貴方には二つの選択肢がある──その選択肢は必ず、世界の命運を握るものとなる、かな?」

「……もしかして、貴方も言われたんですか?」

 

 ああ、と。男性は、迎博士は目を瞑る。

 正直信じる事なんて出来なかったし、異能捜査課の新人としてこの規模の異能使用は取り締まる必要があると奮い立ち──けれど、身体は動かなかった。恐らくは精神操作で、精神……だけをどこかに連れ出していたのだろう。異能で模られた空間に。

 ニコルは、その両手に二つの()()()()()()()

 

「片方は、全てが吹き飛んだ更地。大きな爆発により、あらゆるものが消えた。老若男女問わず、この都市の全てが無くなった爆心地の光景」

「ボクの時は、あらゆるものが溶け、腐り、生物の全てが生きていけなくなった死地の光景だったね」

「もう片方は、この都市が壊れ、人々が路頭に迷う光景。けれどこちらは爆心地ではなかったし、人はしっかり、地に足を付けていた」

「反対の手にあったのは、このボクが重要な役割を持つエルフらを殺し、最後の最期にボクが処刑される光景だったよ」

 

 どちらを選びますか、と。

 どちらかにしか、なりません、と。

 

「貴方にとって最も大切な鍵を、常に、肌身離さず持ち続けてください。それを手放すかどうかによって、世界は変わります。と、言われました」

「貴方の栄光を手放すかどうかによって、世界は変わります。と、言われた。ふふん、ボクはなんて返したと思う?」

「……なんですか」

「そんなことどうでもいいから結婚してくれ、って言ったんだよ。最初は一目惚れだったけど、育んだ愛は本物だった。ボクにとって世界よりも、そしてボクの死よりも、彼女に惚れた心の方が大事だったんだ。ふふん、ボクってばアツイ男だろう?」

「初対面で求婚してくる男ははっきり言って気持ちが悪い」

「ギャアッ」

 

 大きく仰け反る迎博士に、俺はどこか安堵の気分だった。

 アレは夢ではなく……そして、意味のある事だった。あるいは掴まされていたかもしれない破滅の未来を、自分はしっかり。

 

「ま、殺人は殺人だ。今後の人類にとって有用な異能を持っているエルフを片っ端から殺したからね、ボクの処刑も当然。ボクはこの死を受け入れているよ」

「そう、ですか」

「彼女が何者なのか、という問いについては、申し訳ないが答えられない。ふふん、自慢じゃないが死んだ時に幾ばくかの記憶を失っていてね。まぁ首を斬られたのだから当然だが……あぁ、これじゃ本当に自慢じゃないじゃないか」

「記憶を?」

「先ほどから気になっていたんじゃないか? ボクは自身を老人だとかたる割に、中年くらいの姿である事に」

 

 それは、確かに気になっていた。

 その姿は歴史の教科書に綴られるような老人でなく、あるいは研究者であった頃ならばこういう姿だったのだろう、というような風貌の中年男性。

 けれどここは死者の世界とやらで、なればなりたい姿になれる、とかなんじゃないかと勝手に折り合いを付けていたが。

 

「この姿は、謂わば最盛期さ。ボクが迎満三として、蒸気的特異点(SteamSyngularity)に到達し得た時の姿。無論エルフを殺して回った事も、彼らを集めて色々な実験をしたことも覚えているが、肝心の死の瞬間を覚えていない。あまりのショックに脳が忘れてしまったのかとも考えたが、今脳、無いしね?」

「まさか、その瞬間に彼女が介入を?」

「無いとは言い切れない、というか、大いにあり得る。もしかしたらその時に愛を囁いてくれたのかもしれない。ボクへのお礼だ。世界を救ったボクへの、もしくは毎日毎日愛を注ぎ続けたボクへの!」

「……彼女とは、どこで出会ったんですか?」

「ふふん! それも、覚えていないんだ! けど彼女への愛は本物だぞう!」

 

 ニコル。そう名乗った女性。

 ハイエルフであると告げた。未来を見せた。世界の分岐を知っていた。

 

「竜司、そろそろ戻らないといけないかもしれない」

「ん? あぁ、そうだね。そろそろ戻らないと、永遠にこの世界に住まうことになってしまう」

「な──」

「それは嘘。単純に、竜司は勤務中だった。戻らないと心配される」

「あ、ああ、そういうことか」

 

 絵札、と千春が呟く。

 光が二人を包む。迎博士は一歩下がり、腰に手を当てて、手を振った。

 

「さようなら、お二人とも。当分の間ボクはここを出ていくつもりはないから、次に会うときは、君たちが死ぬときになるかもしれないな! 縁起でもないことを考えるもんじゃないぞ!」

「そりゃアンタだよ」

「ふふん! これはボクなりの達者でな、なんだけどね?」

 

 そしてすべてが、光になった──。

 

 

 



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5.Entangleanedge

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Ф

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「まぁ、殺すのはよしとけよ。俺と違ってソイツぁ臆病が過ぎる。栄誉ある殉職なんざ、誰も信じねえぞ」

「……誰かな、君は。エルフの子供? おかしいな、逃げだしたのかな?」

「あぁ、今、逃がしてきた。総勢百余名……この建モンにいたのはそれで全員だと思うんだがな、合ってるかい?」

 

 ピタリ。佐島老人の動きが止まる。

 車椅子に座る彼の背後。いつからいたのか、蒸気暖房の筒へ寄りかかるようにして、少女がいた。少女だ。童女とも幼女とも言い表せるくらいの少女が、不敵な笑みを浮かべている。

 挑発的な笑みから放たれた言葉は到底容認できるものではなく、佐島老人は少しだけ目を閉じ、溜息を吐いた。

 

「ふむ。……なんてことをしてくれたんだ、と言っておくよ。確かに、逃げている。ボクの感知範囲内にいない……これは、一大事だ」

「おうさ。そんでもって、そこに転がってるソイツ。もういないぜ」

 

 靄のように掻き消える竜司の身体が水蒸気となって部屋に散っていく。

 そんなわけがない、と佐島老人は思う。何故なら、今の今まで会話が出来ていた。背後にいるのがエルフである時点でなんらかの異能を扱えるのだろう。推測するに分身や造形、そして幻術の類。

 だが、ああも受け答えが出来て、明確な人格を感じ取り得る幻術など。そんなの、あまりにも強力すぎる。

 

「……あぁ、君は、ハイエルフなんだね。いた、いたよ。過去にも一人だけ。マナを操るに飽き足らず、マナの生成までやってのけるエルフの純血種。人間の血が混じっていないというのは、そんなにも隔絶した能力を齎してくれるのかい?」

「さぁ、どうだろうな。なぁ迎博士。アンタのが、エルフについては詳しいだろう。夥しい数を殺して、人間との違いを探して、エルフにならんとしたアンタのが」

「先ほどの立原竜司クンの言葉は、そのまま君の言葉だと思っていいのかな」

「まさか。ついさっきまではアイツの言葉だよ。俺ならアンタに、自首しろ、なんて言わないさ」

 

 背後を向いたまま、佐島老人は少女と問答をする。

 その表情に先ほどまでの余裕はない。ただ、疑問と──狡猾な光が。

 

「では問おう。ボクがどうして迎博士足り得るのか。処刑されたはずの迎満三は、どのようにしてボクとなったのか」

「そりゃ俺がミネイになった理由と同一だ。異能だよ。魂を、次なる肉体へ移し替える異能。自らが生成したマナであればあらゆる異能に届き得る自在さを魅せるハイエルフの異能。再度言おう。アンタのが詳しいだろう、迎博士。エルフについても、ハイエルフについても」

「それでは再度問うよ。誰かな、君は。エルフの少女、ミネイではなく──誰だ、君は」

「峰威鉄」

 

 うん、と。佐島老人は頷く。

 だと思ったよ。そう呟いて、車椅子ごと振り返った。

 

「では、三度目の問いだ。君はここに何をしに来たのかな。己を殺したボクに対し、何をしに来たのか、教えてくれるかい?」

「アンタを殺しに来たんだ。嬉しいだろう、復讐だ」

 

 佐島老人の手にあるものは、拳銃。

 ミネイの手にあるものも同じだった。

 

「あの時と同じ方法で、殺してやる」

 

 

 

 

 さて──ようやく、そもそもの話をしよう。

 

 迎満三。峰威鉄。

 この二人が出会った事件について。

 

 かつて、峰威鉄は現在の立原竜司と同じく異能犯罪を追う刑事であった。異能を扱うエルフの犯罪者たち。それらを追っている内に、犯罪者の家族らから失踪者が出る、という事件に行き当たる。

 片親を失い、子を置いて働かざるを得なくなった家族から、子供が消える──。

 当然警察が動く事態になる。異能捜査課が出来る事の方が少ない。失踪事件、あるいは誘拐事件として調べ尽くされていく。

 けれど、結果は得られなかった。

 忽然と、この鋼鉄と蒸気の都市からその姿を消してしまっている。その間も増えていく失踪者に、異能が絡んでいる可能性を考え、異能捜査課に声がかかった。その時点で失踪者は30人。あまりにも、ようやく、である。

 

 さて、この奇怪な事件に、けれど峰威鉄の鼻はすぐにその芳香を捉える事となる。

 

 それは何か、大規模な異能の行使の気配。異能捜査課に配属される者は、決まってそういうものに鼻が利く。自身は扱えずとも、どこかおかしいと気が付ける。

 その奇妙さが、その建物にはあった。

 見た目はただの小ビル。けれど、一度足を踏み入れたのなら、そこは異界に等しい気配に満ち、どこぞから子供のすすり泣く声の聞こえる"施設"に一変した。

 一体幾つの異能がこの施設を隠すために使われているのか、定かではない。一体幾人のエルフがこの施設の維持のために使われているのか、定かではない。

 ただ、確かなのは。

 ここがこそ、巨悪の住まう居城であるのだという事だろう。

 

 威鉄とて、単身攻め入るのは危険と断ず事が出来ていた。ベテランだ。一歩引く、という選択を取り得る刑事である。

 しかし、出来なかった。

 振り返れど、そこに扉は無く。周囲の景色までもがぐにゃりと曲がり、靄のように消えて行く。

 幻術だ。けれど、幾層にも重なったそれは、あまりにも強力で。

 まるで導かれるようにして、威鉄は歩を進めるしか出来なかった。それしか道が残されていなかったのである。

 

 その最奥にて辿り着くは、幾人かのエルフと、幾人かの人間を従えた佐島老人。

 ああ、けれど、佐島老人に名を問うた威鉄に、破顔して答えた名は「迎満三」であった。

 驚く威鉄に、何の躊躇も、何の問答も無く、拳銃を向ける佐島老人。パーカッション式リボルバー。その引き金は、双方が何を言う前に引かれた。

 弾丸は正確に威鉄の胸を貫く。同時、威鉄より放たれた弾丸が、佐島老人の腰を貫く。"そうなるだろう"と踏んでいた直感は、良くも悪くも当たってしまった。

 どちらが致命傷であるかなど一目瞭然だろう。零れ落ちる命の赤に倒れ伏す威鉄を前に、佐島は余裕を崩して追い打ちをかける。威鉄の身体を踏みにじり、何度も何度も銃弾を入れた。その間、自身が何者であるかを高らかに語り、そしてその計画を、自慢でもするかのように話すのだ。

 今は次なる肉体を探している段階だ、と。

 

 次第に冷たくなっていく威鉄の身体。

 それを前に、佐島老人はある命令をエルフ達に下す。

 

 ──"治療してあげるんだ。生き返らない程度にね。"

 

 ……威鉄の身体から死因が発見できなかったのは、ただこれだけの理由である。

 彼の死因は異能ではない。胸や腹などを貫かれ、全身を打撲し、心臓と脳が活動を停止した事。それが死因。けれど死体となった彼を、エルフ達が異能によって治療した。

 元通りの身体となった威鉄の死体は、その施設と全く関係の無い所に放り出される事となる。隠蔽のされていない彼の死体はすぐに見つかり、その死は異能……エルフの手によるものとされた。

 

 たったこれだけの事実は、けれど語られる事のない真実。

 

 でも、あるいは。

 全てを知っていて、全てを見ていて、たった一つの希望を、もっとも的確なタイミングで放った者がいたとしたのなら──それは。

 

 

 

 

 発砲は同時だった。老人とも、幼子とも見えぬ素早い動きの鏡合わせは、僅かばかりに老人が勝る。あらかじめ老人が握っていたのか、幼子が重さに負けたのか。あるいは、人を殺す、という点における躊躇の有無か。

 弾丸が正鵠無比に幼女の薄い胸を貫く。ミネイより放たれた弾丸を軽々と避けた佐島老人は、それに飽き足らず、幼子の周囲の空間に向けて銃を連射する。当然背後の壁や蒸気配管に弾痕が開いていくが、佐島老人に気にした素振りは見受けられない。修理にかかる資金も、あるいはこの建物自体も、佐島老人にとっては然して意味のあるものではないのだろう。

 

 対し、ミネイ。

 佐島老人の放つ弾丸、これまでに無数と放たれたそれに、すべて当たり、すべてが靄となって消えて行く。幻術だ。同じくエルフの血液のあるらしき佐島老人に対しても、絶対の優位性を以て展開された幻術が彼を欺く。

 穴の開いた壁や配管から噴き出してくる蒸気が更に佐島老人の視界を奪い、ミネイの姿を覆い隠す。しかし、どうしてだろう。初めの発砲以外、ミネイから佐島老人へ弾丸が放たれる事は無い。ミネイは飛来するそれを躱すばかりで、反撃をしない。

 違和を覚えたのは佐島老人だ。けれど佐島老人はそれを無視した。

 無視して、ある命令を下す。

 

「殺せ」

 

 ただ一言。

 それだけで──部屋が、爆炎に飲み込まれた。

 

 異能だ。異能の炎だ。

 佐島老人だけを避ける異能の炎が、部屋全体を灼いていく。美麗な絵画も、重厚な調度品も、部屋に張り巡らされた配管の全ても。

 当然大規模な誘爆と衝撃が部屋全体を襲う。襲う、が……無傷。それもまた異能による防護だ。佐島老人の使うモノではなく、彼に付き従う、彼に付き従わせられているエルフ達によるもの。逃がされ、しかし逃げなかったエルフによる、人間では到底成し得ない埒外の事象が、たった一人の幼子を殺すためだけに使用される。

 

 あぁ、けれど。

 けれど、そんな爆炎の中に──佐島老人は見た事だろう。

 ゆっくり、歩き、近づいてくる童女の姿を。

 

「やれやれ……流石はハイエルフだ。ここまでの事をして、死なないか。ふふ、今この一瞬で、一体どれほどの損失が起こったと思っているんだい?」

「知らねえなぁ。アンタの持ち物なんだ、価値はゼロになるんじゃあねぇのかい?」

「なるほど、確かに大犯罪者の所有物は曰くの方が付きそうだ」

「自分で"大"なんて付けちゃぁ世話ねぇな」

 

 拳銃が構えられる。あの時と同じ。先ほどと同じ。

 けれど一つだけ、違う所があった。

 

「……煙草?」

「おうさ。ちょいと若僧刑事からくすねてな。流石にこの姿じゃあサマにはならんが」

「ふむ、今更な上、どの口が、とは言われると思うけれどね。身体に悪いよ、煙草は」

「違いねえや」

 

 だから、と。

 ミネイは、いつの間にか咥えていた煙草を、ポロっと落とす。

 それはクルクルと回転し、床に落ちた。それだけ。床に焦げ目がつくことさえない。当然だ、今も尚爆炎の燃え盛る室内において、火のついた煙草にどれほどの意味があろうか。

 

「もしかして、燃やすつもりだったのかい?」

「ああそうさ。盛大にな」

「それは残念だったね。この爆炎は幻術でもなんでもない、本物の炎だ。防護の術がかかっていなければ、この部屋もボクらも吹き飛んでしまう程の火力。知っているかい? マナの混じっていない蒸気の力なんか、素のままの火薬や爆薬に十歩も百歩も劣るという事を。熱を出すための石炭も、液体燃料も、蒸気のためなんかに使うよりよっぽど良い使い方があるって事を。ふふ、君らはボクを迎博士と言うけれどね、今現在ボクがそう名乗らないのは、アレがボクにとっての汚点であるからだ。蒸気的特異点(SteamSingularity)。マナ粒子なんてものを発見してしまったせいで、科学の発展は何百年も遅れたんだよ。本当はもっと、効率的で、安全で、何よりも自由な技術が存在する。君程度が知っているような火薬の威力なんて目じゃないんだ。だから──」

 

 饒舌に語って、いつかいた教え子に説くように酔って、けれど、ふと気が付いた。

 佐島老人は、ミネイの足元に目を向ける。そこには"靄"があった。

 

「……靄?」

「あぁ、もうすぐそこまで来ている。よぉく見えているようで何よりだ」

 

 靄、否、蒸気だ。部屋中を踊り狂う爆炎を全く意に介さずに、床へ満ちていく。

 その白煙はミネイの足元を浸し、尚も増え続ける。

 

「まさか、()()()()()()()()!?」

「そりゃあ簡単だ。ここは最下層さ。この都市の最下層。この、巨大で、膨大な蒸気機関であるこの都市の、一番下の、根底の、最も大事で、最も危ない部分」

 

 ボイラー、さ。

 

 

/

 

 

 この都市は巨大な蒸気機関だ。

 根底部、根幹部にある燃料庫とその直上にある超巨大ボイラー。それを取り囲うようにして人々が住み着き、それぞれの機構の隙間を縫うようにして道や家々が立ち並ぶ。都市を配管が通っているのではなく、配管に都市がくっついている。それが鋼鉄と蒸気の都市の正体だ。

 人々は避暑を求めて高さを選んだが、この構造であるが故に蒸気から逃げ得る事は無い。どこへ行っても、どこまで逃げても、必ず傍に蒸気がある。配管がある。それは効率ゆえに、それは限界故に。

 

 この都市は巨大な蒸気機関なのだ。

 巨大な、一つの、蒸気機関と見做し得るのだ。複合ではなく、一つと。

 

「……いったいどんだけ死ぬのか。いったいどんだけ路頭に迷うのか。……いったいどんだけ、持ってた幸せを手放さなけりゃならんのか。想像だにしないが……」

 

 燃えていく。煙草一本だ。火のついた煙草一本が、火気厳禁であるここに落とされた。

 濡れていく。水の広がる速度は高い。水の出所は巨大な鉄壁。この都市がここにあるべきための巨大ボイラー。その壁に、小さな穴があけられている。

 満ちていく。蒸気だ。ミネイの小さな掌に、マナ粒子の含まれた蒸気がぐるぐると集まっていく。その小さな手を灼き、制御を外れた蒸気が周囲に満ちる。

 なれば、その、元々蒸気のあった場所。

 ボイラーの中からは、蒸気が急激に減っていく。急激に、急激に減って──水位が低下していく。

 

「そういうワケだ。エルフの異能だってな、部屋丸々潰されて平気、ってワケにゃいかねえさ。そんなの使われてみろ、捕まえられないだろうよ。初めからそこにいなかったってだけさ」

 ──"正気か、君は。お前は。この都市が全て吹き飛ぶぞ"

「あぁ、そのためのエルフ達だ。ある程度は奴らが守ろうさ。それが大災害に対する英雄的行動になるかどうかまでは知らないがね」

 ──"警察が、民を傷つける事を良しとするのかい"

「俺ぁ辞めたんだよ、刑事。なんせ殺されちまった。殉職って奴さ。そんで、起きてみりゃあエルフのチビと来た。恨みは溜まってるぜ、アンタにも、人間にも。復讐って奴さ、さっき言ったろ?」

 ──"ボクが言えた義理じゃないけど、言っておこう。この狂人め"

「死人だ、そりゃ狂いもする」

 

 めらめらと、なんて遅さではない。

 じわじわと、なんて億劫さもない。

 

 一瞬だった。

 ミネイが何を思うとか、走馬灯がどうとか、そういう事の一切合切を脳裏に浮かべる暇なく、それは起きる。

 

 爆発だ。爆発だ。爆発だ。

 そう、ボイラー爆発──。

 

 

/

 

 

 被害は甚大だった。

 異能犯罪者たるエルフ達の異能とて、決して万能ではない。むしろ程遠く、合図はされていたとはいえ、これほど巨大な爆発を受け止めるには無理があった。

 死傷者多数。突然の事態に一切の理解の追いつかぬ人間たちが、多く、多く傷付いた。傷付き、死んだ。それを少ないと表す事が出来たのは、万能に程遠きエルフ達の尽力故ではあるのだろう。

 

 エルフ達の英雄的行動は確と人間達の目に映った。けれど、返ってきた反応は恐怖と嫌悪。彼らが犯罪者としてのレッテルを剥がされるには、あまりに時が経っていない。たった数年前なのだ、彼らがテロリストであったのは。

 誰かが歩み寄る、などという感動的な譲歩は起こり得ない。誰もが自分の事に必死で、誰もが隣人の事に必死だ。

 

 そんな、淀み、血臭漂う地上に降り立つは、車椅子に乗った一人の老人。

 佐島老人、その人だ。

 彼は言う。"この爆発はエルフの仕業で"、"そこにいるエルフ達も、仲間である"と。

 

 今まで自身の事にのみ注力していた人間達が一斉にエルフらを睨む。その現象に、エルフらは理解しただろう。この佐島老人もまたエルフであり、同時に、エルフにとっての仇敵……迎満三であるのだと。

 けれどもう、どうしようもなかった。

 もとより立場の弱いエルフが人間を説得できるわけもない。何より彼の老人の()()()()は強力で、物理的事象に長けた異能を多く有すテロリストたちには何も術が残されていなかった。

 

 逃げる。

 逃げ場などないと分かっているが、逃げる。逃走だ。エルフ達が取った選択は、結局、この都市からの逃亡であった。

 ミネイの言葉など何の意味もなく、ミネイの行動など何の意味もなく、ミネイの齎した被害だけが、全てを抉った。

 

 彼女は、大量殺人犯として名を歴史に残す事となったのだ。

 

 

/

 

 

 ──"……月並み以下な幻術だね。酷く稚拙だ。立原竜司クンや確保していたエルフらを逃がした君が行う所業にしてはあまりにも杜撰な展開と評価せざるを得ないよ"

「そうかい? これでも一晩考えた茶番なんだがね」

 ──"なら、脚本家になる夢は諦めたほうがいい。これに満足する客はいないよ"

「でもまぁ、十分な成果は上げたさ」

 ──"何?"

 

 ボイラー室に火をつけた煙草を落としたのも、ボイラーに穴を開けたのも、その中の蒸気が抜けだし、水位が低下したのも、すべて幻術だ。

 けれど今、ミネイがボイラー室にいる事は幻術ではないし──。

 

「見えるかぃ、これは。幻術通しても見えるかどうかはわからねぇが」

 ──"それは、なんだ"

「お、良かった良かった。見えてるか」

 

 ミネイの小さな小さな手。その、先ほどまでは蒸気の渦巻いていた所に、それはあった。

 

 紺碧に揺る水晶。林檎二つ分くらいの大きさの水晶が、くるくると童女の手に浮いている。

 それは未だ、少しずつ大きく成り続けているようで。

 

 ──"マナ粒子……? いや、しかし"

「流石だ迎博士。そう、これはマナ粒子さ。人間の身体より発され、エルフが異能を扱うにあたって使用するマナ粒子。それを極一点に集めた結晶体。なぁよ、このマナ粒子、いったいどこから集まってきたと思う?」

 ──"都市全体、か"

「そうさ。アンタがコレを発見する以前の蒸気技術は、不安定さの塊。出力もそこそこな未成熟の技術だった。マナ粒子あってこそこの鋼鉄と蒸気の都市は機能するが、これが無ければ動かなくなるモンが一体いくつあることか」

 ──"先ほども言ったけどね。ボクはマナ粒子の発見を、自身の最大の汚点だと考えている。……君が今しようとしている事を当ててみせよう"

「ああ」

 ──"この都市からマナ粒子を完全に排除し、都市機能を殺す"

「それだけじゃない」

 ──"……マナ粒子は人間から発せられる。人間がいる限りマナ粒子が消えることは無い。まさか、人間を全て殺すつもりかい?"

「それこそまさかだ。それをするくらいなら、さっきのを幻術じゃなく本気でやってるよ」

 

 回転し、膨張する水晶は光を帯び始める。淡い、波打つような光だ。それはあるいは、生き物の脈動のようにさえ見える。

 鼓動を一つ経るたび、大きくなって。鼓動を一つ経るたび、光も強くなる。

 

 ──"なれば、エルフから、異能を奪うか"

「正解」

 ──"……ハイエルフ。確かにその名の通りであれば、エルフらを統治するのも頷ける。けれどそんなことが、本当に可能なのか?"

「さぁな。俺も教えられた身だ、真実は定かじゃねえさ。だがよ、あのテロリスト共は自業自得として、人間がエルフを迫害する歴史……そして、アンタみてぇなのがエルフを有用と思うのは、思ってしまうのは、確実に異能を帯びる血のせいだ。んじゃ、それを無くすのが手っ取り早いだろ」

 ──"能力が同じになれば、迫害は消えると?"

「迫害は知らねえが、異能に目が眩む奴は居なくなるだろ。異能がなくなんだからよ」

 ──"どうだろうね。見た目の違いというのは、埋められぬ穴だよ"

「そこまで世話するつもりはねぇや。でもま、これでお前も死ぬだろう?」

 

 佐島の額には大きな脂汗。緊張だとか、図星を突かれて、ではない。

 単純明快。

 

 ──"なんだ、知っていたのかい? これは参ったね、それを知った上で、か"

「教えてくれたよ。アンタの傍にいる奴が。アンタの身体が死病に冒されてて、だから次なる身体を探してて、今は異能による延命治療でなんとか保ってる、ってな」

 ──"彼女か"

 

 水晶が一際大きく脈動する。

 その大きさはミネイの顔くらいにはなっていて、放つ光もあまりに眩い。

 

 ──"先ほどの幻術にあった異能犯罪者たちを都市の防護に当たらせたのは、空気中のマナ粒子までもを集めやすくするためか"

「おうさ。流石に蒸気機関に繋がってねぇマナ粒子まで拾うのは無理だからな。出来るならこんな大層な事せずにとっととやってる。あいつらがボイラーの爆発の幻術と共に防護術……つまり、繋がった膜状の異能を使ってくれんだ、集めるにゃもってこいだろう」

 ──"異能を扱うのは、異能犯罪者たちだけでは、ないだろう?"

「ああ、だからちゃんと奪ってきた。あらかじめな。街に隠れてた奴らからも──子供たちからも」

 ──"なるほど……わざわざ街で、使う必要のない規模の幻術を使っていたのは、そういう事か"

「最初からンなこと考えてたわけじゃねえけどな。ま、お前の疑問に答えてやるつもりはねぇさ」

 ──"……そろそろ、話すのも、キツくなってきたよ。君、人を殺した経験は?"

「アンタが初めてさ。俺を殺したんだ、その借りを返すだけだがね」

 ──"そうか。なんとも、不本意な、幕引きだけど"

「とっとと死んでくれ、迎満三。感慨も影響も心残りさえ明かせずに、無念のまま」

 ──"ああ……──"

 

 幻像が乱れる。音声もだ。双方を繋いでいたミネイの幻術。それが消費していたマナ粒子までもが、この水晶へ吸収された証。

 

 水晶は更に成長を続ける──。

 

 

 

 

 

 

 

「……君だね。彼に、僕の事を教えたのは」

「はい」

 

 ミネイの幻像が途切れた、佐島老人の部屋。

 車椅子に座り、けれど力なく身体を崩したその身に、近づく影があった。

 毛先の赤い、エルフの女性。紺碧に揺る瞳が静かに佐島老人を見つめる。

 

「娘です」

「……そうかい。成程、確かに……ボクが見つけた、ハイエルフは、君しかいなかった。正確には、君の、お母さんになるのかな。君もまた、ボクと同じように……我が子へと転生した、のだから」

「彼の身体を、治した時に」

「唯一の隙は、そこか……。まったく参ったね、余計な事を、したか」

「延命も、転生も、消えます」

「ハイエルフとて、耐えられないかい。君の子の行うアレには」

「全てを託しました」

「成程……それは、無理そうだ。ボクが見つけた、ボクの見つけた、最も美しく、最も強い力を持つエルフ……その全てを、持っていかれているのなら、あぁ、無理だね。ボクにも……わかるよ」

 

 佐島老人の、その洞のような瞳が閉じられていく。

 女性は、そんな佐島老人へ──ソレを向けた。

 

「復讐、かい」

「子に業は継がせません」

「彼は背負うよ」

「魂は存在します」

「自責と事実は、別だって? それは、なんとも、酷い話だね……」

「さようなら」

「あぁ……おやすみ」

 

 渇いた音が響く。

 誰もいない部屋に、老人が一人──倒れた。

 

 もう、ここには何もない。

 ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 さて──ミネイ。

 最下層、ボイラー室にその姿はない。燃料庫にも、そこへ続く廊下や階段にも、その姿は見当たらない。

 

 突然マナ粒子が消え、今まで動いていた蒸気機械の類の一切が動かなくなった、あるいは出力の低下した混迷の都市。そのどこにも、やはり彼女の姿は見えない。佐島老人の住んでいたビルの階下に取り残された竜司のそばにも、突然独りにされ、突然変わってしまった全てに困惑するネコメのそばにも、いない。

 

 彼女は──。

 

「痛っ、アチチッ、ぅ、ふぅ、酸ってなこんなに熱いモンか……」

「直に、慣れます」

 

 結晶化した強酸降り注ぐ都市の外。

 荒れ果てた土地に、いた。

 

 その傍らに、毛先の赤い女性の影を携えて。

 

 

 

第一部 / 完



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