愛屋及烏 / 依依恋恋 (哀餓え男)
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第一話 出会い(表)

見切り発車、GO~( ・ω・)


 

 

 

 まずは、自己紹介から入ろうか。

 僕の名前は油屋 小吉(あぶらやしょうきち)

 歳は29……と言っても、もう数ヵ月で30になってしまうんだけどね。

 そんな僕は、二十代と言う若さで帝国海軍の中将まで昇った。

 いやぁ、それなりに苦労はしたよ。

 昭和二十年の八月十五日に終戦を迎えるまで、苦労の連続だったと言っても良い。

 でも苦労の甲斐あって、ほぼ()()()()()()()()をすることができた。

 もちろん、何の()()()()()も無い僕一人で、死者を()()()()()()()に抑えるなんて芸当はできないよ。

 日本だけでなく、世界各国に僕と同じ、かつ同じ考えをした同志が多くいたからこそ成し得た偉業さ。

 そんな偉業を成し得る一助(いちじょ)となった僕は、大将への昇進を間近に控えて少々困ったことになっていた。

 いや、少々どころではないか。

 何せ、命を狙われているんだから。

 

 「護衛……かい?」

 「そう、護衛だ。俺が使っていた殺し屋一族の現当主が、次期当主候補の初仕事を紹介してくれと頼んできたから、お前を紹介しておいた」

 

 それを心配してかどうかはわからないけれど、僕を馴染みの料亭に呼び出した同志の一人で同い年の親友でもある陸軍中将の大和 猛(やまとたける)(冗談みたいな名前だけど本名)君が、僕に護衛を雇えとアドバイスしてくれた。

 でも、殺し屋に護衛が務まるのだろうか。

 だって殺し屋と(うた)っているくらいなのだから、殺しが本業だろう?

 と、猛君に返したら……。

 

 「現当主が言うには、陸軍の一個小隊くらいなら問題なく撃退するだろう。とのことだ」 

 「それ、本当に人間かい?

 リアルチートの船坂 弘(ふなさかひろし)でも、そんな真似はできないと思うよ? シモ・ヘイヘでワンチャンあるかないかだ」

 「疑いたくなる気持ちはわかる。

 だが、あの一族を使っていた俺だから言えるんだが、あの一族ならやっても不思議じゃあない」

 

 そんなワンマンアーミーが、本当に日本にいるんだろうか。

 しかも、一族と言うことは複数。

 漫画やアニメならよくあるが、そんなチートじみた力がないことは、()()()()一番良く知っているはずだ。

 

 「まあ、騙されたと思って、この時間に東京駅へ行け。ああ、そうそう。お前だとわかるように、第二種軍装で行ってくれ」

 「こんな明るい時間に、あの真っ白な服でかい? 狙ってくれと言ってるようなものじゃないか」

 「俺たちが犬猫を顔で個体識別できないように、あの一族は人を顔だけで個体識別できない。だから、わかりやすい格好をしておく必要があるのさ。ああそうだ、軍刀も持って行け。現当主には、真っ白い服で軍刀を持った男を東京駅で待たせておくと言ってしまったからな」

 

 なんとアバウトな。

 だいたい、()()()()の東京駅もそれなりに大きいし広い。

 そんな東京駅のどこで待っていろと?

 と、心の中の疑問を解消できないまま、僕は次の日、指定された時間に駅へと赴いた。

 

 「ホームから直結しているここなら、たぶん大丈夫だと思うんだけど……」

 

 僕が待ち合わせ場所に選んだのは、構内にある柱のそば。

 ここに背中を預けておけば三方だけ警戒しておけば良いし、改札から相手が出てくればすぐにわかる……はずだ。

 

 「そう言えば、本来ならここも焼け落ちてたんだっけ」

 

 僕たち転生者(てんせいしゃ)が変えたせいで、東京は空爆されなかった。

 沖縄も占領されず、二発の原子爆弾も落とされなかった。

 その成果を、こういう場所に来ると実感できる。

 杖を突いて歩く老婦人や、お母さんと談笑する子供を見ていると、死に物狂いで戦った価値があったと思える。

 そう、僕たちはやり遂げた。

 戦争を回避することはできなかったけれど、僕たちが知っている本来の歴史と比べればはるかに軽傷で済んだ。

 それを、転生する前はニートだった僕が手伝ったと思うと、笑えてしまうけどね。

 

 「そんな僕も、今ではボディーガードが必要な立場か」

 

 若くして大将への昇進を控えているからやっかまれて、だけの理由で命を狙われているのなら、敵は少なくて済んだ。

 僕が狙われている最大の理由は、大将昇進と同時に推し進めようとしている日本帝国軍を日本国防軍へと改めるための再編計画……を、隠れ蓑にした軍縮計画だ。

 まあ、いつの時代も自分可愛さに国を食い物にする人たちはいるもので、僕が軍縮を進めると懐に入ってくる金が減るから、そういう人たちまで僕を殺そうとしてるってわけさ。

 

 「そう言えば、僕の護衛をしてくれる人は……」

 

 古風と言うか、古くさい名前だったな。

 僕も人のことは言えないけど、今世の僕は大正生まれ。だから普通だ。

 油問屋の息子だって、わかる人からすれば丸わかりな名前だけど普通。

 猛君から聞かされた名前に比べればはるかにマシさ。

 

 「ん? なんとも珍妙な……」

 

 行き交う人々を見ながら感慨にふけっていたら、改札を通って出て来た女性……いや、少女か?に、目を奪われた。

 歳は16~7歳ほどで、背丈(せたけ)は160cmに届かないくらいだろうか。

 腰まで届きそうな、夜の闇のように黒髪に、黒曜石のように黒い瞳。

 そこまでなら、まあ良い。

 問題はその服装。

 濃紺のセーラー服の上に、おそらく陸軍の物と思われる野暮ったい軍用のコート……いやいや、それすら些細な問題か。

 彼女の美貌こそ、一番の問題だ。

 彼女は無表情なのに、笑っているようにも怒っているようにも、泣いているようにも見える。

 いやいやいや、それ以前に、息をするのを忘れてしまうくらい美しい。

 昔、暇潰しでネットサーフィンをしていた時に見つけた、世界一怖い絵の女性を凌ぐほど美しいと、僕には思えた。

 

 「少し、借りるよ」

 

 そんな彼女が、気づいたら目の前にいた。

 何故、そんなに近くにいる?

 さっきまで改札からさほど離れていない位置にいたのに、一瞬で彼女が僕の前まで来た。

 そして彼女は、僕が腰から提げていた軍刀を一気に抜き、僕の斜め前方、50メートルほどの場所にいた老婦人へ向けて振った。

 

 「な……にが」

 

 起こった?

 状況がわからない。

 何が起こった?

 何故、老婦人が胸から血を噴いて倒れた?

 彼女がやったのか? だけど彼女と老婦人の距離は、50メートルほど離れている。

 投げたのならともかく、この位置から振って刃が届く距離じゃない。

 そもそも、あんなにも刃先がブレ、重心もフラフラした振り方じゃあ人は斬れない。

 それくらいの事は、兵学校時代にやった剣道くらいしか心得がない僕でもわかる。

 

 「ふむ、やっぱあたしにゃあ重いのぉ」

 

 その言葉通り、軍刀の重さに振り回されていた彼女は「よっこいしょ」と、言わんばかりの動作で刀を左肩で担ぎ上げ、今度は談笑していた親子に向けて真っ直ぐ振り下ろした。

 いや、落としたと言った方が適当だろうか。

 実際、彼女は床に当たって軽く跳ねた刀を離してしまったし。

 

 「さて、とりあえずはこんなもんかねぇ」

 

 そう言いながら振り向いた彼女のはるか後方で、親子が同時に縦に割れた。

 本当に文字通り、頭の天辺から股下まで真っ二つになってしまったんだ。

 あんな光景は戦場でも見たことがない。

 そもそも、人を縦に割るなんて事が本当にできるなんて、今の今まで絵空事としか思っていなかった。

 そんな現実離れした光景を、彼女が作り出したのだろうか。

 

 「アンタ、正気かい? 命を狙われちょるのに、そんな目立つ格好してこんな場所で突っ立っちょるなんて阿呆じゃろ。あたしが殺らにゃあ、今斬った奴らに殺られちょったよ?」

 

 理解が追い付かない。

 彼女は何を言っているんだ?

 ああ、僕の服装について言っているのか。

 これは単に、猛君にこの格好で行けと言われたからってだけだ。

 そう言いたいのに、感情を全く感じさせない彼女の無表情と、あたり一帯から怒号のように飛び交う悲鳴よりもハッキリと聞こえる彼女の抑揚(よくよう)のない声が思考を(さまた)げる。

 

 「ああ、自己紹介がまだじゃったね」

 

 いや、確かにそうなんだけど、僕は君の名前より、君が殺し屋だと言った人たちを斬った手段の方が気になる……と、言うこともできない僕を無視して、彼女は相変わらず抑揚のない声で……。

 

 「アンタの護衛をすることになった暮石 七郎次(くれいししちろうじ)じゃ。気軽にナナちゃん、と呼んでええけぇね」

 

 と、無表情のまま僕を見上げて、自己紹介してくれた。

 そんな彼女から、僕はしばらくの間目を離すことができなかった。

 



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第二話 出会い(裏)

見切り発射その2~( ・ω・)


 面倒だ。

 ああ、面倒だ。

 面倒臭い。

 字余り。

 と、電車の窓から見える景色を眺めながら一句(うた)ってしまったのは、あたしこと暮石 七郎次(くれいししちろうじ)

 何を隠そう、明治維新の頃から続く由緒正しき? 暗殺者一家の後継ぎ候補である。

 あ、ちなみにもう一人の候補は、六郎兵衛(ろくろうべえ)と言う名の兄。

 兄妹揃って古くさい名前だろう?

 しかもあたしの場合は、女なのに七郎次だ。

 いくら名前に頓着(とんちゃく)しないのがうちの家系の特徴の一つとは言え、せめて性別は気にしてよ。

 いや、代を重ねるごとに、◯郎の◯の部分の数字が増えていく変なこだわりはあるわよ?

 あるけれど、やっぱり女の子の名前で七郎次はない。せめて、(なな)で終わってほしかったわね。

 

 「まあ、気にしてないけど」

 

 心の中で愚痴りながらも、結局はどうでも良いかと思えてしまうのは血筋なのかしら。

 ちなみにあたしは今、東京駅へと向かっている真っ最中。

 (とと)様の常連……って、言い方で良いのかはわからないけど、とにかくお得意様である(たける)おじ様から紹介された依頼人と会うために、あたしは電車に揺られて本州の端である山口県から、遥々東京駅まで向かってるってわけ。

 でも……。

 

 「仕事、しとぉない」

 

 本当にしたくない。

 働きたくない。寝て過ごしたい。食っちゃ寝して一生を終えたい。

 仕事に就く関係で、学校を無期限で休めることに内心喜びもしたけど、正気に戻った今は学校に通ってた方が楽だったと後悔してる。

 と言うか、あたしが働く必要ってある?

 だってうちの家って、金だけは有るのよ?

 何故なら、使わないから。

 これもあたしの一族の特徴の一つなんだけど、とにかく欲が薄い。

 物欲はもちろん、食欲、性欲、睡眠欲等々、普通の人が常日頃から我慢と発散を繰り返して制御している欲求が希薄なの。

 必要最低限の衣食住にしか金を使わないから貯まる一方。人からすれば、無いんじゃないかって言いたくなるほどだそうよ。

 

 「ああじゃけど、曾祖父(ひいじい)様の頃は……」

 

 日々の食事が報酬だったんだっけ。

 暮石家の開祖である弥一郎(やいちろう)の頃から曾祖父様の代までそれだったってんだから、呆れちゃうわね。

 爺様までそんなだったら、暮石家は断絶していたかもしれないわ。

 

 「いや、いっそその方が……」

 

 良かったんじゃないかしら。

 だってうちの一族は、先に言った通り暗殺を生業(なりわい)としている。赤の他人の命を、金と引き換えに奪って飯を食ってきた畜生にも劣る一族よ。

 そんな人非人(にんぴにん)の一族なんて滅びれば良い。続くべきじゃない。

 と、あたしが普通なら本気で考えて、自分の首をかっ切ってるなりしてたんじゃないかな。

 

 「しないけどね……っと」

 

 いけないいけない。

 私が独り言を言ったもんだから、対面の席に座ってた人に変な目で見られちゃった。

 まあ、無理もない。

 私は表情が作れない。

 声にも、感情を乗せることができない。

 心の中では相応にはしゃいだり怒ったり悲しんだりするんだけど、それを表に出すことができない。

 父様や(あに)様のように、感情があるように振る舞うこともできない。

 暗殺者としては三流ね。

 だって闇に紛れて殺すことはできるけど、人に紛れて殺すって芸当ができないんだもの。

 特に、私の場合は息を飲むほどの美貌らしいんだけど、表情がないせいで悪目立ちして人の目を集めてしまうらしい。

 これで父様や兄様並みに感情があるフリができれば、人の目を集めることなく人混みに紛れることもできるんでしょうけど……。

 

 「どうしても、無理なんよねぇ」

 

 おっと、また声に出しちゃった。

 けどまあ、もうすぐ到着みたいだから気にしなくても良いか。

 対面の客も、降りるための準備に気をとられて聞こえなかったみたいだし……って、あたしも準備しなきゃ。

 いくら荷物がトランクケースと猛おじ様から頂いたコートだけだからと言っても、早めに降りるのに良い場所を確保しておかなきゃ人の波にながされちゃう。

 

 「ふう、なんとか揉みくちゃにされんで済んだね」

 

 さすがは帝都東京。

 と、言えばいいのか、人の数が凄い。

 これだけ人が多いと、家族以外の人を性別でしか判別できない私でも大丈夫そうね……て、アレは何?

 改札を抜けるなり目に飛び込んできた、真っ白い服を着て柱に背中を預けている男は何者?

 ああ、そうだ、依頼人だ。

 たしか猛おじ様が、白い服を着て軍刀を提げていると言ってたから、あの男が依頼人で間違いない。

 それは良いんだけど……あの人、正気?

 だって、彼から見て左斜め前方には老婆に変装した殺し屋。その反対側には、女と子供の殺し屋。

 都合三人の殺し屋に狙われているのに、浴びせかけられている殺気をどこ吹く風とばかりに気にしていない。

 彼が、海軍のお偉いさんだからかしら。

 猛おじ様から聞いた話では、見た目は頼りない金持ちのボンボン然とした奴だが、幾多の死線を潜り抜けた歴戦の軍人で終戦の立役者。

 これから先、確実に歴史に名を残す英雄だったはず。

 実際、服の上からだとハッキリわからないけど、身体はしっかりと鍛えている。

 アレは昨今の武道家どもが、御大層な理念とやらのために鍛えたモノとは違う。

 生き残るために鍛えたモノ。

 だから、平然としているの?

 自分なら殺し屋が三人がかりでもどうにかできるって自信があるから、そんなにも堂々としていられるの?

 でも、そんな体勢じゃあ何もできないわよね?

 腕は組んでるし、重心は完全に柱に預けてるから咄嗟に動けない。

 

 「あ、もしかして……」

 

 あたしを試しているのかしら。

 いや、その可能性が高い。

 そうであるなら、あたしの後ろから迫り来る人の波が押し寄せると同時に仕掛けようとしていると思われる殺し屋どもが、今か今かと手ぐすねを引いているのに動こうとしないことに説明がつく。

 そうでなければ……。

 

 「ただの阿呆……じゃね。でも」

 

 どちらにしても、人の波が彼に達する前に殺し屋どもを始末しなければならない。

 もし失敗して依頼人を死なせでもしたら、兄様に何を言われるかわかったもんじゃないからね。

 

 「と、言うことで……」

 

 あたしは、()()()()()()()()()()()を置いて、早足で彼のもとへ急いだ。

 よし、ここまで人が多い場所で柳女(やなぎめ)を使ったのは初めてだけど、思ってたより上手くできた。

 彼はもちろん、殺し屋どもや他の人達まで、あたしに気づいていない。

 

「少し、借りるよ」

 

 あたしは、面食らっている彼が腰に帯びていた軍刀を一気に引き抜いて、50メートルほど先であたしが目標のそばに現れたことに慌てている老婆風の殺し屋へと振った。

 振ったは良いし、魂斬り(たまぎり)も問題なく決まったんだけど、刀が思っていたよりも重くてフラついてしまった。

 

 「な……にが」

 

 起こった? って、感じかしら。

 まあ、その反応は普通ね。

 だって、あたしが振った刀は届いていない。

 それなのに、老婆風の殺し屋は胸から血を噴いて倒れたんだから。

 もっとも、届いてもまともに斬れやしないんだけどね。

 だってあたしには、父様や兄様と違って剣術の心得がまるで無い。魂斬りの修行だって、こんなに長い刀じゃなくて短刀を使ってた。

 理由は簡単。

 あたしには、刀を振り回せるほどの筋力が無いの。一応、鍛えようとしたことはあるんだけど、父様が猛おじ様に「ムキムキの女に需要があるか! と、七十年後くらいに言ったら問題だが、この時代なら問題なし! と言うことで、この子に筋トレはさせるな!」って、訳のわからない説得をされちゃって、あたしは筋力を鍛えるのを禁止されちゃったのよ。

 

 「ふむ、やっぱあたしにゃあ重いのぉ」

 

 本当に重い。 

 肩に担ぎ上げるのも一苦労よ。

 でも、文句を言ってる暇はない。

 すでに談笑する親子を装っていた殺し屋たちが、あたしを敵と認識して殺意をあたしに向けている。

 だからあたしは、二人の方へ刀を真っ直ぐ振り下ろした。

 結果、床に当たって軽く跳ねた刀を離しちゃったけど、殺し屋二人を始末するのには成功した。

 

 「さて、とりあえずはこんなもんかねぇ」

 

 他に殺気が無いのを確認したあたしは、縦に割れた殺し屋を尻目に依頼人に振り……振り向いたんだけど……。

 やっぱ、コイツは阿呆の方だったらしい。

 血のニオイがこびりついてるから実戦経験はあるはずなのに、殺し屋がたった三人死んだだけで狼狽えている。

 そんな彼にあたしは……。

 

 「アンタ、正気かい? 命を狙われちょるのに、そんな目立つ格好してこんな場所で突っ立っちょるなんて阿呆じゃろ。あたしが殺らにゃあ、今斬った奴らに殺られちょったよ?」

 

 と、言ってしまった。

 まあ、あたしは声に抑揚がないから、嫌みっぽくは聞こえないだろうけど、初めての依頼人に対して少々失礼だったかもしれない。

 だったら、話題を変えるのも兼ねて……

 

 「ああ、自己紹介がまだじゃったね。

 アンタの護衛をすることになった暮石 七郎次(くれいししちろうじ)じゃ。気軽にナナちゃん、と呼んでええけぇね」

 

 と、なるべく可愛らしく、年相応の少女に見えるよう意識して、ついでに七郎次じゃなくてナナと呼べと釘を刺した。

 



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第三話 依頼成立(表)

タイトルが~決まらな~いのぉ~~(;´д`)


 

 

 東京駅で真昼の惨劇。

 が、馴染みの料亭に来る前に拾った新聞の号外の見出しだったと思う。

 いやまあ、そうだよね。

 いくら殺し屋(かどうかは、僕にはわからないんだけど)だとは言え、老婦人と親子が惨殺されたんだ。

 惨劇と言いたくなる気持ちはわかる。

 で、その惨状を作り出した(と、本人は言った)張本人。

 僕の護衛をするために遠路遥々、東京まで来てくれた七郎次……と、呼ぶと感情を感じさせない瞳でジーッと見られ続けるからナナさんと呼ぶよう心がけよう。はと言うと、「ナナって呼べって言ったろ」と言わんばかりに、正座したまま僕をジーッと見上げてる。

 声には出してないはずなんだけどなぁ……。

 

 「到着早々、随分と派手に()ったじゃないか七郎次。五郎丸(ごろうまる)が言っていた通り、腕の方は問題ないようだな」

 「ナナって呼んでって、何べんも言うたじゃろ猛おじ様。その歳で呆けちょるんか?」

 「呆けちゃいないさ。お前んとこは名前に無頓着だろう? だから、もう気にしなくなってると思ったんだ」

 

 猛君が口にした五郎丸が、彼女の家の現当主かな。だとすると、父親になるんだろうか。

 いや、七郎……ナナさんの例もあるから母親の線も……って、そうだった。

 

 「猛君、来るのが女性なら女性と、どうして教えてくれなかったんだい?」

 「言ってなかったか?」

 「言ってない。彼女の方からそうだと名乗ってくれきゃ、僕は気づけなかったよ?」

 「あ~……言ってなかったか。そりゃあすまん。うっかりしてた」

 「はぁ……」

 

 ため息が出るほど呆れてしまった。

 ナナさんが言った通り、その歳で呆けてるんじゃないかい?

 

 「それに、彼女はまだ学生だろう?」

 「そうだが、何か問題か?」

 「大問題だよ! 学生の本分は勉強! こんな血生臭いことに巻き込むなんて、僕は賛成できない!」

 「と、お前の依頼人(仮)は言ってるが?」

 

 ナナさんに話を振っても無駄だよ。

 僕はもう、今回の話はなかったことにしてもらうつもりなんだ。

 違約金が必要なら払うし、東京駅での件で料金が発生するならそれも払う。

 だから、こんな少女と言っても良い歳の子に、殺しなんてさせないでくれ。

 

 「関係ない。そもそも、まだ依頼人はこの軍人さんじゃのぉて猛おじ様じゃろ? 猛おじ様が帰れって言やぁ帰るし、護衛を続けろっちゅうんなら続ける」

 「だ、そうだ。だから諦めろ小吉。この先、朝鮮戦争とベトナム戦争、さらにはいくつもの震災を控えているのに、お前を失うわけにはいかん」

 「それはわかってるよ。でも、朝鮮戦争はまだ2年以上も先だし、ベトナム戦争と震災はもっと先だ。そんな先の予定のために、せっかく大戦を生き延びた若者を僕は巻き込みたくない」

 

 これから起こる予定の戦争のために、僕は軍縮を進めようとしている。

 朝鮮戦争には間に合わないかもしれないけど、それでも今の帝国軍の規模のまま戦争に突入するよりは結果が良くなる。

 米国とも話がつき、本来の歴史では長く遺恨を引きずる関係になる隣国と、友好な関係を築く段取りはほぼ終わってるんだ。

 あとは、帝国軍を国防軍と改めて規模を縮小するだけ。

 その中心人物である僕が死ねば、予定が大幅に狂うどころか本来の歴史通りになりかねないから猛君が僕の心配をするのはわかる。

 わかるけれど、それは完全に僕ら転生者の都合。

 エゴと言ってもいい。

 それに関係ないナナさんを巻き込むなんて、僕にはできない。 

 

 「軍人さんは、あたしの腕を信用してないっちゅうことかい?」

 「違う! そうじゃない! 僕は君みたいな女の子に、人殺しなんてさせたくないんだ!」

 「あたしが男じゃったら、えかったんか?」

 「良くない! 例え君が男だったとしても、僕は同じことを言ったよ!」

 

 彼女は得体の知れない力を持っている。

 それは、実際に目の当たりにしたからわかっているし、殺人を悪いことだと思ってないのもわかってる。

 きっと、そういう教育をされて育ったんだろう。

 でも、戦時ならともかく今は平時だ。

 今が戦時なら、僕もこんな青臭いことを言わずに彼女を使っただろうさ。

 そう、戦時なら、だ。

 平時である今に、やらなくて済むならやらない方が良い殺人をする必要はない。

 僕が本気で断れば、彼女は望まぬ人殺しをする必要はないんだ。

 だから……。

 

 「猛君……いや、大和陸軍中将。今回の件は、海軍中将として正式にお断りします。彼女にも、帰ってもらってください」

 「相変わらず、気が弱そうな面をして頑固だな。わかった。お前がそこまで言うなら……」

 

 帰らせよう。

 と、猛君は続けるつもりだったんだろうか。

 でも、それは叶わなかった。

 突然、上から押し潰すようにのし掛かってきた不可視の何かのせいで、僕と猛君は動けなくなった。

 言葉どころか、呼吸をするのも困難だ。

 これはまさか、ナナさんがやったのか?

 

 「ちょっと軍人さんや。東京くんだりまで来させちょいて、ちょっとばかし勝手すぎゃあせんか?」

 「だけど、君は……」

 「お? 猛おじ様ですら身動き一つできん、あたしの狩場(かりば)ん中で喋るか。意外と肝は据わっちょるんじゃねぇ」

 

 カリバ?

 カリバとは何だ?

 字は狩場か? それとも仮刃か?

 まあどっちにしろ、先の東京駅で見た力同様、これは真っ当な力じゃない。

 信じきれないけど、おそらくこれは物理法則なんか無視した異能力、超能力の類いだ。

 

 「確かに、あたしは女で学生。じゃけど、それは仮の姿。あたしは生まれた時から暗殺者なんじゃけぇ、アンタに妙な同情をされる(いわ)れはない」

 「だけど……!」

 「おお、自力で狩場を抜けたんか。大したもんじゃねぇ。ほれ、猛おじ様も見てみぃ。この軍人さん、見た目が嘘みたいに肝っ玉が大きいぞ」

 

 言われてみれば、猛君は相変わらずなのに、身体が軽くなったし呼吸もしやすくなった……って、猛君をどうにかしなきゃ。

 

 「ナ、ナナさん、猛君が……」

 「ん? おおっ、すまんすまん。忘れちょった」

 

 声に抑揚が無いせいで緊張感がない。

 でも、猛君がぜぇぜぇと肩で息をしながら姿勢を戻した様子を見るに、カリバとやらからは解放されたようだ。

 

 「お、俺まで巻き込むな七郎次。その距離なら、仮縫いでも良かっただろうが」

 「折れようとした罰いや。それと、七郎次じゃのぉてナナ。もう一回いっとくかい?」

 「わかったわかった。だから勘弁してくれ」

 「よろしい。で、話を戻すんじゃけど、アンタに断られるとあたしが困る。じゃけぇ、断らんでほしい」

 

 困る?

 それは金銭的な問題か?

 それとも、家柄に傷がつく的な理由か?

 どちらにしても、僕が断るのをやめる理由には……。

 

 「もし断られたら、あたしは兄様に殺される」

 「い、今何て? 殺される? お兄さんにかい?」

 「そう、兄の六郎兵衛に殺される」

 「それは、どうしてだい?」

 

 僕が質問すると、ナナさんは視線を猛君に向けた。

 おそらく、「言っても良いか?」と、許可を求めたんだろう。どうして猛君に許可を求めたのかは謎だけど。

 

 「七郎……ナナの家、暮石家は跡目争いの真っ最中でな。六郎兵衛と殺し合って生き残った方が、次期当主として家に戻れる」

 「それが、僕が断るのとどう関係するんだい?」

 「本来、暮石家は陸軍お抱えの暗殺者一族だ。その一族の末席とは言え、ナナを海軍であるお前の護衛に付けることに現当主が難色を示してな。仕事を断られたり失敗した場合は、無抵抗で六郎兵衛に殺されるという条件付きで借りたんだ」

 「な、なんて勝手な理由だ。海軍には僕のシンパだっているんだよ? なのにそこまでして、ナナさんを僕の護衛にする必要はないじゃないか!」

 

 実際、護衛を申し出てくれた人だっているし、東京駅での騒動の最中(さなか)、すんなりと帰れたのはその人たちの助けがあってのものだ。

 だから、そんな条件をつけてまでナナさんを僕の護衛にあてがう必要なんてなかったのに、どうして猛くんは……。

 

 「暮石の人間以外に、お前を護りきれる人間がいなかったからだ。いいか小吉。お前は陸軍のお偉いさんからも狙われてるんだぞ? そしてさっきも言ったが、暮石家は陸軍お抱えの暗殺者一族だ」

 「だから、残りの者が僕の命を……」

 

 依頼されて狙う可能性もある。

 だから猛君は、同じ力を扱うことができるナナさんを僕の護衛につけようとしてくれたのか。

 

 「そう言うことだ。本来なら、兄妹でお前の暗殺をやらせるつもりだったところを、無理を言ってナナを外してもらった。先に説明した条件も、そう言った理由からだ」

 「なるほどね。じゃあ、僕はナナさんのお兄さんにも、命を狙われるってことだ」

 「理解、してくれたか?」

 「ああ、理解したし納得もしたよ」

 

 つまり、無表情で話を聞いているナナさんと僕は、運命共同体。

 僕が死ねばナナさんも死ぬし、逆も(しか)りって訳だ。

 

 「じゃあ、護衛を受け入れてくれるな?」

 「受け入れるしかないじゃないか。まったく、君は昔からそうだ。大切なことを僕に相談もなく、勝手に決めて僕を振り回す。そのせいで死にかけたのは、一度や二度じゃないんだよ?」

 「それはすまないと思ってる。だが、俺の気持ちも察してくれ。俺は、お前に死んでほしくないんだ」

 「わかってるよ。だからいつも、最後にはこうして僕が折れてるんじゃないか」

 

 本当に、僕は昔から猛君に振り回されっぱなしだ。

 僕と同じように、幼少期から親に商売のアドバイスをして財を築き、陸軍と海軍と言う違いはあったけれど、同じように汚い手段を用いてのし上がった。

 共通の知人(知人も転生者だった)を通じて知り合ったのが、運の尽きだったのかもしれない。

 彼の事後承諾に等しい計画に何度も巻き込まれたせいで、後の歴史には僕の汚点として残るであろう作戦が多々あるし、その計画のせいで何度も死にかけた。

 それでもこうして、友人として接することができているのは、彼が僕のことを本当に信頼し、僕も信じているからだろう。

 そんな、友情を視線で確かめ合っていた僕たちを無言で見つめていたナナさんの反応はと言うと……。

 

 「男同士で見つめおうて、気持ち悪いんじゃが?」

 

 で、ある。

 いやまあ、気持ちはわからなくもないかな。

 これで僕たちが美男子なら絵にもなったんだろうけど、生憎(あいにく)と僕らはそうじゃない。

 僕も猛君も、最近は額が後退してるのを気にしなきゃいけないくらいオッサン臭くなっちゃってるからね。

 

 「気持ち悪いとか言うな。俺はともかく、現役JKのお前にキモいって言われた小吉がトラウマを刺激されてるだろうが」

 「ちょっと待ってよ猛君。確かに、現役JKでオマケに美人なナナさんにキモいって言われて若干傷ついたよ? でも、トラウマを刺激されるほどじゃあない」

 「前は、もっと酷いことを言われてたのか?」

 「そりゃあもう。何なら話そうか? 前世でもリア充だった猛君が聞いたら、きっと同情しすぎて死んじゃうよ?」

 「いや、すまん。もう聞かないから、真顔で詰め寄るのをやめてくれ」

 

 まあ、話さないけどね。

 いや、本当に話さない。

 話すどころか思い出すだけで、地位も名誉も投げ捨てて引きこもりたくなっちゃうから本当に話さない。

 

 「おっとそうだ。ナナ、お前、得物はどうする気だ? 丸腰じゃあ、術の効果も半減だろう?」

 「適当に包丁でも買ういね」

 「包丁持って歩き回るつもりかお前は。そう言うと思って、用意しておいた」

 

 興味が無さそうなナナさんを無視して猛君がテーブルに置いたのは、若干()りが入った長さ約30cmほどの黒塗りの棒。そして、その棒を腕か脚に固定するためと思われるベルト。

 もしかして棒の方は、短刀か?

 

 「どうだ? それくらいなら、お前でも扱えるだろう?」

 「まあ、これならね」

 

 そう言って、ナナさんは黒塗りの棒の両端を持って左右に引いた。

 やはり短刀だった。

 しかも見た限りでは、かなりの業物(わざもの)。重さはなくとも、その切れ味だけで人間の手足くらいなら簡単に切断してしまいそうだと思えるほど、その刃は不気味な光を宿している。

 

 「そのハーネスで股下にでも(くく)っておけ」

 「股下に括っとくにゃあ長いよ。間違えて入ったらどうしてくれるんだい? あたし、まだ処女なんよ?」

 「ぶほぉっ!」

 

 ナナさんのあまりにもあんまりな言い様に思わず噴いちゃったけど、入るってどこに?

 って、考えるまでもないか。

 確かに、戦争からそんなに経っていない今の日本女性にしては、ナナさんはスタイルが良い。

 脚だけで何cmあるんだい? って、聞きたくなるくらい脚が長いけど、それでもその短刀を股下に括ったら間違いが起きかねないね。

 うん、やめた方が良い。

 股下じゃなくて(もも)の外側にしとくべきだ。

 ナナさんが来ているセーラー服なら、それでも目立たない。

 ミニスカートにしたら、さすがに無理だろうけどね。

 

 「なんか軍人さんが、いやらしい目であたしの脚を見ちょるんじゃが?」

 「ち、違う! 僕はただ、そのスカートの(たけ)なら腿の外側でも良いんじゃないかって思っただけで……」

 「おいおい小吉、お前はロリコンじゃなかったか? ナナはロリの範疇にはいらんぞ?」

 「だから違う……ってぇ! 猛君は僕をロリコンだと思ってたのかい!?」

 「だってお前、前世ではアニメオタクだったと言ってたじゃないか。アニメオタクとロリコンはイコールじゃないのか? その証拠に、お前はその歳で童貞だろう? 今世でも、魔法使いを目指してるのか?」

 「それは偏見だ!」

 

 と、声を大にして否定したけど……はい。

 僕はロリコンです。

 いや、でした。

 そう、過去形だ!

 今の僕はロリコンじゃあない!

 チャンスは結構な数あったのに童貞なのは、単に僕がヘタレ……じゃない。

 愛した女性以外と、そういう行為をするのに抵抗があったからさ。

 

 「ほうほう、軍人さんは童貞なんじゃねぇ」

 「いや、その……はい。恥ずかしながら」

 「別に恥じんでもええよ。あたしも処女じゃし、似た者同士じゃ」

 

 いやぁ……違うと思うなぁ。

 だってナナさんは美人じゃないか。

 無表情で声に抑揚が無いのが難と言えば難だけど、その気にならなくても引く手数多だろう?

 それに比べて僕は……ん?

 何だろう。

 僕を見るナナさんの表情が、少し(やわ)らいだような気がする。

 無表情のままのはずなのに、何故か微笑んでいるように見える。

 そんなナナさんは、僕を真っ直ぐに見つめて……。

 

 「これからしばらく、よろしくね。小吉」

 

 と、右手を差し出しながら言った。



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第四話 依頼成立(裏)

 

 くたびれた。

 ああ、くたびれた。

 くたびれた。

 と、またもや一句詠んでしまったのは、あたしことナナちゃんです。七郎次が本名だけど、ナナちゃんでお願いします。

 東京駅に着くなり一仕事したせいで、電車に長い時間揺られた疲れと合わさって身体が(だる)い。

 叶うことなら、今すぐ寝てしまいたいんだけど……。

 あたしの正式な雇い主になる予定の軍人さんに、「馴染みの料亭で猛君が待ってる」と、言われながら、遠巻きにこの人の護衛をしていた人たちが用意した車に乗せられて来たからそういかないのよねぇ。

 

 「……」

 

 その、(くだん)の軍人さんはと言うと、料亭の一室に招き入れられて席についてから、何故かあたしをジーッと見てる。

 あたしも隣に正座して負けじと見返してるけど、見れば見るほど不思議な気分になる。

 この人って、本当に海軍の重要人物?

 確かに、死線を何度か越えている者が持つ独特の雰囲気は(まと)っている。

 でも、それだけ。

 身体は相応に鍛えているようだけど、猛おじ様に比べたら貧相だし、お偉いさんと思えるような威厳もない。

 護衛を指揮していた人の方が、この人よりもよっぽど偉そうに見えたわ。

 

 「到着早々、随分と派手に()ったじゃないか七郎次。五郎丸(ごろうまる)が言っていた通り、腕の方は問題ないようだな」

 

 そりゃあ、目標に飛び掛かる前から殺気を駄々漏れにさせてる五流が相手なら、あたしでも問題ないさ。

 あ、ちなみに五郎丸ってのは、猛おじ様がうちで酒を飲んで酔うたびに、「ラグビー選手で、五郎丸って名字の選手がその内出てくるんだが……」なんて、訳のわからない絡み方をされるあたしの(とと)様だ……は、置いといて。

 

 「ナナって呼んでって、何べんも言うたじゃろ猛おじ様。その歳で呆けちょるんか?」

 「呆けちゃいないさ。お前んとこは名前に無頓着だろう? だから、もう気にしなくなってると思ったんだ」

 

 普段は気にしないけど、面と向かって七郎次と呼ばれたら気にするんだよ。

 だってあたしは女だよ?

 小さかった頃は、変な名前って近所のガキどもにからかわれたんだから。

 まあ、全部無視してたけどさ。

 

 「猛君、来るのが女性なら女性と、どうして教えてくれなかったんだい?」

 「言ってなかったか?」

 「言ってない。彼女の方からそうだと名乗ってくれきゃ、僕は気づけなかったよ?」

 「あ~……言ってなかったか。そりゃあすまん。うっかりしてた」

 「はぁ……」

 

 あれ? 気づいてなかったの?

 あたしはてっきり、気づいたからあたしの方を見てるんだと思ってた。

 

 「それに、彼女はまだ学生だろう?」

 「そうだが、何か問題か?」

 「大問題だよ! 学生の本分は勉強! こんな血生臭いことに巻き込むなんて、僕は賛成できない!」

 「と、お前の依頼人(仮)は言ってるが?」

 

 猛おじ様が言った通り、何が問題なのかあたしにもわからない。

 あたしが学生をやってるのは世間の目を誤魔化すためであって、けっして勉強するためじゃない。

 今回の依頼を受けなくても、遅かれ早かれこの仕事を始めてたわ。

 だってあたしは、生まれながらの暗殺者。

 生まれたその時から血塗(ちまみ)れになるのは決まってたし、人を殺したのだって今日が初めてって訳じゃない。

 修行で散々、猛おじ様が用意してくれた殺しても問題ない人間を殺してきたんだから、あたしの両手はとうの昔に真っ赤だ。

 だから、この人が言ってることはまったくの的外れ。それでも、断られると困ったことになるから……。

 

 「関係ない。そもそも、まだ依頼人はこの軍人さんじゃのぉて猛おじ様じゃろ? 猛おじ様が帰れって言やぁ帰るし、護衛を続けろっちゅうんなら続ける」

 

 遠回しに、事情を知ってる猛おじ様に助けを求めるとしましょう。

 あの父様を言いくるめられる猛おじ様なら、なんとかこの人を説き伏せてくれるでしょう。

 

 「だ、そうだ。だから諦めろ小吉。この先、朝鮮戦争とベトナム戦争を控えているのに、お前を失うわけにはいかん」

 「それはわかってるよ。でも、朝鮮戦争はまだ2年以上も先だし、ベトナム戦争はもっと先だ。そんな先の戦争のために、せっかく大戦を生き延びた若者を僕は巻き込みたくない」

 

 おや?

 また戦争が始まるのかい?

 それでどうして、この人が死んだら困るのかあたしには皆目見当がつかないけど、だったら尚更、猛おじ様が言った通り死ねないんじゃないのかい?

 それに、この人は言うことが優しすぎる。

 戦争を間近に控えているなら、今は戦時と言っても良い。

 それなのに、この人の言うことは平時の理屈だ。

 いや、もしかしてこの人は……。

 

 「軍人さんは、あたしの腕を信用してないっちゅうことかい?」

 「違う! そうじゃない! 僕は君みたいな女の子に、人殺しなんてさせたくないんだ!」

 「あたしが男じゃったら、えかったんか?」

 「良くない! 例え君が男だったとしても、僕は同じことを言ったよ!」

 

 なるほどね。

 やっぱりこの人は、今を平時ととらえている。

 だから、必要な殺しでも殺しを悪いことだと思ってるんだ。

 う~ん……。

 これは育ちが違うが故、なんだろうねぇ。

 この人とあたしとでは、人に対する価値観が違いすぎる。

 この人にとって人とは、本来なら(とうと)ぶべき者なんだろう。

 大戦中もきっと、敵が死んでも味方が死んでも、心を痛めてたんじゃないかしら。

 人なんて、血を分けた家族ですら、そこらに落ちている石ころ程度にしか思えないあたしとは大違いね。

 

 「猛君……いや、大和陸軍中将。今回の件は、海軍中将として正式にお断りします。彼女にも、帰ってもらってください」

 「相変わらず、気が弱そうな面をして頑固だな。わかった。お前がそこまで言うなら……」

 

 あ、これはまずい。

 猛おじ様が説き伏せられかけている。

 父様すら言いくるめて、あたしを東京くんだりまで来させた猛おじ様を気圧(けお)して黙らせようとしているこの人の頑固っぷりは尊敬に値するけど、これはまずい。

 だったら、多少強引だし理不尽だけど……。

 

 「ちょっと軍人さんや。東京くんだりまで来させちょいて、ちょっとばかし勝手すぎゃあせんか?」

 

 話を中断させるために、暮石流呪殺法(くれいしりゅうじゅさっぽう)(つい)の段 狩場(かりば)を発動。

 ちなみに暮石流呪殺法は、暮石家開祖である弥一郎の生家(せいか)に代々伝わっていた呪法を、暗殺術に仕立て直したモノよ。

 それは軍人さんにはまだ見せていない()の段、仮縫いに始まり、今まさに、軍人さんと猛おじ様をひれ伏させている(つい)の段、狩場と続く。

 まあここまでは、相手の動きを封じるだけのモノ。

 暮石流呪殺法の真価は、その次から。

 それは(さつ)の段、魂斬(たまぎ)り。

 東京駅で、軍人さんを狙ってた殺し屋を殺ったヤツね。

 今はあたしの進退……いや、生死が懸かってる大切な局面だから詳しくは割愛するけど、このあとに(りく)の段、殺陣(さつじん)。そして(つい)の段、鬼の(くりや)。さらに段外として、厄除(やくよ)けと柳女(やなぎめ)があるわ。

 

 「だけど、君は……」

 「お? 猛おじ様ですら身動き一つできん、あたしの狩場(かりば)ん中で喋るか。意外と肝は据わっちょるんじゃねぇ」

 

 これには本当に驚いた。

 狩場は、あたしを中心として半径三間(さんけん)(約5.4メートル)内にいる人間を、身動き取れない状態にする術。

 筋骨隆々と言う言葉が服を着て歩いていると言っても過言ではない猛おじ様でも、()()()()狩場の中では喋ることすらできない。

 なのに、この人は口を開いた。

 それどころか、声すら出した。

 そんなこと、父様や兄様ですらできないのに……と、感心している場合じゃあないか。

 

 「確かに、あたしは女で学生。じゃけど、それは仮の姿。あたしは生まれた時から暗殺者なんじゃけぇ、アンタに妙な同情をされる(いわ)れはない」

 「だけど……!」

 「おお、自力で狩場を抜けたんか。大したもんじゃねぇ。ほれ、猛おじ様も見てみぃ。この軍人さん、見た目が嘘みたいに肝っ玉が大きいぞ」

 

 咄嗟に、台詞だけとは言え驚いた風を(よそお)えた……っ言っても、感情を表に出すことができないあたしには関係ないか。

 でも、これは本当に度肝を抜かれた。

 この軍人さん、喋るどころか狩場をはね除けた。

 この人は何?

 本当に人間?

 こんな甘っちょろい奴が、あたしの術を……あたしを拒絶した?

 

 「ナ、ナナさん、猛君が……」

 「ん? おおっ、すまんすまん。忘れちょった」

 

 おっと軍人さんがあたしの度肝を抜いてくれたせいで、猛おじ様まで狩場に巻き込んでたのを忘れてた。

 

 「お、俺まで巻き込むな七郎次。その距離なら、仮縫いでも良かっただろうが」

 「折れようとした罰いや。それと、七郎次じゃのぉてナナ。もう一回いっとくかい?」

 「わかったわかった。だから勘弁してくれ」

 「よろしい。で、話を戻すんじゃけど、アンタに断られるとあたしが困る。じゃけぇ、断らんでほしい」

 

 ついでに、話も戻しておこう。 

 軍人さんに依頼を反故(ほご)にされると、あたしが困ったことになるのは本当だからね。

 その理由は単純明解。

 

 「もし断られたら、あたしは兄様に殺される」

 「い、今何て? 殺される? お兄さんにかい?」

 「そう、兄の六郎兵衛に殺される」

 「それは、どうしてだい?」

 

 まあ、そうなるよね。

 でもあたし自身、どうして兄様に殺されることになるのか、父様から説明を受けていない。

 ただ一言、「依頼を断られたり失敗したりしたら、無抵抗で兄に殺されろ」としか言われていないから、知ってそうな猛おじ様に再度助けを求めよう。

 

 「七郎……ナナの家、暮石家は跡目争いの真っ最中でな。六郎兵衛と殺し合って生き残った方が、次期当主として家に戻れる」

 「それが、僕が断るのとどう関係するんだい?」

 

 ああ、なるほどね。

 あたしが仕事を始めた時点で、跡目争いも始まってたのか。

 だったら関係大有りだわ。

 これはうちの一族のしきたりなんだけど、当主になる者は一族を皆殺しにしなければならない。

 その理由は、当主を継ぐ際に伝えられるから、当主候補でしかないあたしは知らないんだけどね。

 でもそれだと、無抵抗で殺されろって部分がわからないわね。

 たしかしきたりでは、全力で殺し合わなければならなかったはずだから。

 

 「本来、暮石家は陸軍お抱えの暗殺者一族だ。その一族の末席とは言え、ナナを海軍であるお前の護衛に付けることに現当主が難色を示してな。仕事を断られたり失敗した場合は、無抵抗で六郎兵衛に殺されるという条件付きで借りることができたんだ」

 「な、なんて勝手な理由だ。海軍には僕のシンパだっているんだよ? なのにそこまでして、ナナさんを僕の護衛にする必要はないじゃないか!」

 

 うん、そこは軍人さんに同意。

 本当に勝手な理由だわ。

 つまり父様は、お得意様である陸軍に筋を通すために、そんな条件を出したってことね。

 まあでも、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。

 金で動くとは言え、あたしの一族は陸軍からの依頼しか受けない。

 詳しくは割愛するけど、それは開祖である弥一郎が山縣有朋(やまがたありとも)小飼(こがい)の暗殺者だったからよ。

 その関係で、暮石家の人間は仕事を始めると同時に陸軍大尉の階級を与えられたりもするし、陸軍関係の施設ならどんな場所でも入れる特別な権限も与えられたりと便宜(べんぎ)を図られる。

 そんな暮石家にとって、陸軍以外の依頼を受けるなんて御法度(ごはっと)

 今は猛おじ様が仮の依頼人になってるから陸軍が何か言ってくることはないけど、戦争中から不仲で有名な海軍、その重要人物の護衛にあたしが付けば、最悪の場合は陸軍の暗部に関わってきた暮石家は物理的に潰されかねない。

 それを防ぐために、父様はあたしの命を捨て石にしたんだわ。

 

 「暮石の人間以外に、お前を護りきれる人間がいなかったからだ。いいか小吉。お前は陸軍のお偉いさんからも狙われてるんだぞ? そしてさっきも言ったが、暮石家は陸軍お抱えの暗殺者一族だ」

 「だから、残りの者が僕の命を……」

 

 狙うでしょうね。

 実際、兄様はあたしよりも早く出発してたから、すでに東京に来ているはず。

 きっと猛おじ様の目論見を察した陸軍の誰かが、あたしが護衛についた場合の保険として呼び寄せたんでしょう。

 

 「そう言うことだ。本来なら、兄妹でお前の暗殺をやらせるつもりだったところを、無理を言ってナナを外してもらった。先に説明した条件も、そう言った理由からだ」

 

 あ、その話は初耳だわ。

 ん? じゃあ、この話が来る前に、父様があたしと兄様に「近いうちに、二人で仕事をしてもらう」って言ってたのはそれ?

 

 「なるほどね。じゃあ、僕はナナさんのお兄さんにも、命を狙われるってことだ」

 「理解、してくれたか?」

 「ああ、理解したし納得もしたよ」

 

 あたしはげんなりしてるけどね。

 だって兄様と殺り合うんでしょう?

 まあ、いつかは殺り合うことにはなるんだけど、まさか初仕事でそうなるとは夢にも思ってなかったわ。

 そしてあたしの人生が、たった17年で終わるともね。

 

 「じゃあ、護衛を受け入れてくれるな?」

 「受け入れるしかないじゃないか。まったく、君は昔からそうだ。大切なことを僕に相談もなく、勝手に決めて僕を振り回す。そのせいで死にかけたのは、一度や二度じゃないんだよ?」

 「それはすまないと思ってる。だが、俺の気持ちも察してくれ。俺は、お前に死んでほしくないんだ」

 「わかってるよ。だからいつも、最後にはこうして僕が折れてるんじゃないか」

 

 これは運命共同体って言えば良いのかしら。

 猛おじ様は、あたしなら兄様をどうにかできると思っているようだけど、あたしじゃあ兄様に勝てない。

 術の瞬間的な威力ならあたしの方が上だけど不安定だし、発動時間も短い。

 父様や兄様みたいに、安定した威力で長時間発動することができないの。

 だから不意を突いて先手を取れれば勝つ可能性があるけど、真正面から殺し合う状況になったら間違いなく負ける。

 それはつまり、この軍人さんも死ぬってこと。

 まあそれは良いんだけど、この二人、いつまで……。

 

 「男同士で見つめおうて、気持ち悪いんじゃが?」

 「気持ち悪いとか言うな。俺はともかく、現役JKのお前にキモいって言われた小吉がトラウマを刺激されてるだろうが」

 

 いや、気持ち悪いから。

 猛おじ様に自覚はないようだけど、あたしからしたらどっちもオッサンだからね……って言うか、JKって何? 軍人さんにも通じてるってことは暗号か何かなんでしょうけど、台詞的にあたしのことよね?

 

 「ちょっと待ってよ猛君。確かに、現役JKでオマケに美人なナナさんにキモいって言われて若干傷ついたよ? でも、トラウマを刺激されるほどじゃあない」

 「前は、もっと酷いことを言われてたのか?」

 「そりゃあもう。何なら話そうか? 前世でもリア充だった猛君が聞いたら、きっと同情しすぎて死んじゃうよ?」

 「いや、すまん。もう聞かないから、真顔で詰め寄るのをやめてくれ」

 

 う~ん。

 前々からそうだったけど、猛おじ様が言うことは全く理解できない。

 父様ですら首を(かし)げる猛おじ様の妄言(もうげん)に付き合えると言うことは、この軍人さんも同じ穴の(むじな)ってことか。

 

 「おっとそうだ。ナナ、お前、得物はどうする気だ? 丸腰じゃあ、術の効果も半減だろう?」

 

 あ、忘れてた。

 と言うか、興味がなかった。

 確かに猛おじ様が言う通り、暮石流呪殺法は武器を持った方が術にかけやすい。

 刃物が一番手っ取り早いから……。

 

 「適当に包丁でも買ういね」

 「包丁持って歩き回るつもりかお前は。そう言うと思って、用意しておいた」

 

 武器なんて何でも良い。

 と、思ってたあたしを無視して、猛おじ様がテーブルに置いたのは、若干()りが入った長さ約一尺(約30cm)ほどの黒塗りの棒。

 そして、その棒を腕なり脚なりに固定するためと思われるベルト。

 なるほど、これなら、包丁を持ち歩くよりは目立たないか。

 

 「どうだ? それくらいなら、お前でも扱えるだろう?」

 「まあ、これならね」

 

 そう言って、黒塗りの棒の両端を持って左右に引いて中身を見てみたら、思った通り短刀だった。

 軍人さんが目をまん丸にして驚いてるから、きっとかなりの業物(わざもの)なんだろうね。

 あたしにはそういうのがよくわからないから、これがどれくらい凄いのかもわからないし、どれくらい切れるのかもわかんないけど。

 

 「そのハーネスで股下にでも(くく)っておけ」

 「股下に括っとくにゃあ長いよ。間違えて入ったらどうしてくれるんだい? あたし、まだ処女なんよ?」

 「ぶほぉっ!」

 

 この長さの物を股下に括れとか阿呆か。

 せめて半分の長さだったら有りだけど、さすがにこの長さは無理。

 思わず言ってしまった通り、どこにとまでは言わないけど間違って入りかねないわ。

 股下じゃなくて、(もも)の外側が妥当だね……って、何か脚に視線を感じるんだけど……。

 

 「なんか軍人さんが、いやらしい目であたしの脚を見ちょるんじゃが?」

 「ち、違う! 僕はただ、そのスカートの(たけ)なら腿の外側でも良いんじゃないかって思っただけで……」

 「おいおい小吉、お前はロリコンじゃなかったか? ナナはロリの範疇には入らんぞ?」

 「だから違う……ってぇ! 猛君は僕をロリコンだと思ってたのかい!?」

 「だってお前、前世ではアニメオタクだったと言ってたじゃないか。アニメオタクとロリコンはイコールじゃないのか? その証拠に、お前はその歳で童貞だろう? 今世でも、魔法使いを目指してるのか?」

 「それは偏見だ!」

 

 ロリコンって何?

 アニメオタク?

 それも軍の暗号か何かか……ん? 最後の方に、あたしでもわかる単語が入ってたね。

 

 「ほうほう、軍人さんは童貞なんじゃねぇ」

 「いや、その……はい。恥ずかしながら」

 「別に恥じんでもええよ。あたしも処女じゃし、似た者同士じゃ」

 

 会話を聞いた限り、この人は猛おじ様の旧知。

 竹馬(ちくば)の友と言っても良い関係かもしれない。

 と、言うことは歳もそう離れていないはず、

 つまり、30歳前後。

 その歳で童貞なのは何故?

 ()()()()()()の顔馴染みなら、機会はいくらでもあったはずだし、海軍のお偉いさんなら縁談話もあったはず。

 それなのに童貞なのは、この人の性格故なのかしら。

 例えば、惚れた女以外は抱きたくないとか、結婚するまで純潔を守る的な。

 堅っ苦しい服を着て、海軍のお偉いさんをやってるこの人が?

 それは落差(らくさ)が激しい。

 男なんて、無害そうな顔してても隙あらば女を食い物にしようって(やから)ばかりだろう? 少なくともあたしは、兄様や猛おじ様からそう教わった。

 そんなあたしの常識を(ことごと)くひっくり返してくれたこの人を見ていたら、妙な気分になった。

 胸の奥が温かくなると言うか、芯から熱くなると言うか、とにかく初めて味わう感情だわ。

 だったら、初めての感情を味わわせてくれたお礼と、死ぬことが決定してしまった謝罪を兼ねて……。

 

 「これからしばらく、よろしくね。小吉」

 

 若干馴れ馴れし過ぎたかな?

 と、思いながらも、あたしは右手を差し出しながら、今までの人生で十番目に覚えた名前を呼んだ。



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第五話 トラブル(表)

 

 僕の生家は、古くから油の卸売(おろしう)りを生業(なりわい)としている。

 僕はそこの三男坊。

 上には大吉と中吉がいる。

 つまり、油問屋の三男坊だから、油屋 小吉って訳。はいそこ、安直とか言わない。

 

 「壁を指差して、何しちょんじゃ?」

 「いや、なんでも」

 

 おっと、僕としたことが誰にともなくツッコんでしまった。

 駄目だぞ小吉。

 お前は威厳がないとか、吹けば飛びそうとか、頼りがいが無さすぎるとか言われたい放題言われてるけど海軍中将なんだ。

 だから、おかしな行動は(つつし)め。

 僕の行動は、そのまま海軍の評価に直結しかねな……。

 

 「それにしても、これだけ歩くとさすがに暑いねぇ」

 「え、ええ、そうですね」

 

 無ぅぅぅ理ぃぃぃだぁぁぁよぉぉぉぉ!

 変な行動するなとか無理だよ!

 だって僕、今世でも女性と連れ立って歩いたことが今の今まで無かったんだよ?

 しかも、連れてるナナさんは行き交う人たちが思わず振り向いてしまうレベルの超絶美人女子高生!

 そんな女性が、僕なんかの隣を歩いているだけならともかく、暑いと言いながらコートを脱いだりしちゃったら行動もおかしくなるよ。

 だって、少し汗ばんだ首筋があらわになったんだよ?

 前世も合わせれば50年近く童貞をやって魔法使いどころか賢者の域に達してる僕には荷が重いよ! 無理ゲーだよ!

 できることなら、すでに自己主張を始めてる息子をどうにかして賢者タイムに突入したいね。

 自慢じゃないけど、僕は遊び人になったことがないのに下手な遊び人より賢者タイムを経験してるんだから!

 

 「どうした? 小吉。頭が痛いんか?」

 「いや……まあ」

 

 きっとナナさんは、頭を抱えてヘッドバッキングをしちゃった僕を純粋に心配してくれたんだろうけど、声に抑揚がないせいで馬鹿にされた気分になっちゃった……っと、そうこうしてたら目的地が見えてきた。

 

 「へぇ、立派な家じゃねぇ。小吉の実家?」

 「いや、僕の持ち家だ。実家は浅草の方にあるよ」

 

 ちなみに僕の持ち家は、来年には四谷、牛込と合併されて新宿区になる淀橋に買った20坪ほどの土地に建てた庭付き平屋建て。

 今はまだ23区じゃなくて、35区もあるんだ。

 そのもっと前は15区だったんだけどね。

 インターネットが普及していれば、ウィキペディアなどを見ながら詳しく説明できるんだけど、生憎と今はまだないからこれで勘弁してください。

 

 「数十年後にこの土地を売ったら、いくらくらいになるんだったっけ」

 「この土地は高く売れるんか?」

 「安くはないはずだよ。なんせ東京は将来、世界一土地の値段が高くなる都市だからね」

 

 僕たちが上手く歴史を調整できれば、だけどね。

 まあ、そんな未来の心配をするより、今の心配をしよう。

 さあ、いい歳して結婚しない僕の私生活を心配して親が寄越したお手伝いさんである松さん(50)に、ナナさんのこと何て説明する?

 世話焼きで噂話が好きな松さんのことだから、上手く説明しておかないとご町内どころか浅草の実家にまで話が及ぶ。

 それは、何としても避けないと……って、ナナさんは何処へ行った?

 

 「うわぁ……。もうご対面しちゃってるよ」

 

 ナナさんは庭にいた。

 庭の掃除をしていた松さんと(にら)み合ってる。いや、睨んでいるのは松さんだけか。 

 たぶん、突然現れた無表情なナナさんを警戒してるんだろう。

 だったら、何て説明するか決まってないけど割って入らな……。

 

 「アンタ、小吉の何ね」

 

 急いで割って入らなきゃ!

 たぶんナナさんは、「あなたは小吉とどういう関係の人?」的なニュアンスで質問したんだろうけど、礼儀にうるさい松さんにその言い方はまずい……ん? どうして視線を松さんから僕に移した?

 松さんが警戒して喋らないから、僕に聞くつもりなんだろうか。

 

 「ああ、小吉。アンタ、結婚しちょったん? 童貞って言うてなかったか?」

 「してないよ?」

 「なら、この人は? アンタの女房じゃないんか?」

 「違うよ!?」

 

 どうしてそうなった?

 そりゃあ、松さんは僕が生まれる前から実家で奉公(ほうこう)をしていたよ?

 今でこそ噂好きのおばちゃんだけど、昔は歳上のお姉さんだった松さんに「歳上も良いなぁ」なんて感情も抱いたよ。

 でも、大変失礼とは存じますが、今の松さんはさすがに守備範囲外。

 僕が熟女好きだったら有り得たかもしれないけど、残念ながら僕は今世でも少しだけ、本当に少しだけロリコンをこじらせている。

 だから無い。

 僕が御歳50である松さんを恋愛対象として見ることは絶対に無い。絶対にだ!

 ん? 待て待て小吉。

 暴走するんじゃない。

 まずはナナさんが、どう見ても僕より歳上の松さんを僕の妻だと誤解したのか考えてみよう。

 その答えはおそらく、猛君から聞いた暮石家の特徴の中にある。

 たしか暮石家の人は、顔だけで個人を判別できないって言っていたな。

 と、言うことはだよ?

 もしかしてナナさんは、性別プラス大雑把な外見年齢でしか人を判別してないんじゃないだろうか。

 例えば男の子供とか女の老人って感じ。

 だとするなら、しつこいようだけど僕より歳上の松さんを妻だと誤認したのにも納得できる……気がする。

 

 「坊っちゃん。こちらの礼儀知らずのお嬢さんは、どちら様ですか?」

 「え~と、この子はその……」

 

 おっと、考え事に集中していたら、松さんの方から話を振ってきた。

 さて、どう答えよう。

 無難に、知り合いの子を預かることになったとでも言っておこ……。

 

 「今日から小吉さんと一緒に暮らすことになった、暮石 ナナと申します。先ほどは失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ございません。独り者だと聞いていたのに、女性の方がいらしたのでつい……」

 「あら、そうだったの? やだよぉ、この子ったら。私と坊っちゃんじゃあ、歳が離れすぎですよ。変なこと言わないでください」

 

 本当だよ!

 どうしてそんな事言ったの!?

 いや、間違った事は言ってないんだよ?

 僕の護衛をする間、空いてる部屋に住まわせるから一緒に暮らすことに違いはないし、独身である僕の家に女性がいたら訝しむくらいは……普通なら母親くらいにしか思わないだろうけどするよね。

 って言うか、標準語で喋れたんだね!

 

 「まあ、それはさて置き。坊っちゃんも隅におけませんね。いつの間に、こんなベッピンさんを手篭(てご)めにしたんですか?」

 「してない。それより、中に入りませんか?」

 「おっと、それもそうですね。ささ、お嬢さんもお入りなさい。あ、坊っちゃんは風呂釜に火を点けてくださいね。水は張ってありますから」

 「はい」

 

 ヤバい。

 どうやら松さんは、ナナさんを気に入ったようだ。無表情かつ声に抑揚のないナナさんのどこを気に入ったのかはサッパリわからないけど、あの様子なら問題なさそうだ。

 

 「さて、じゃあ湯を沸かして、僕もさっさと中に入るか」

 

 風呂釜に張った水を、薪で起こした火で沸かす。

 子供の頃は、煙を誤って吸い込んでよくむせてたっけ。知識だけあっても、実際にやるとこんなに違うのかって、初めて思い知った体験だったな。

 

 「じゃあ、僕もそろそろ……」

 

 家に入ろうと思い、そうしたらナナさんの姿が無いことに気がついた。

 案内された部屋で、荷解(にほど)きでもしてるのだろうか。

 

 「あら、坊っちゃん。お疲れ様です。夕飯までもう少しかかりますから、先にお風呂に入っちゃってください」

 「そうします。あ、そうだ。ナナさんは?」

 「部屋に案内しましたので、荷解きでもしてるんじゃないですか?」

 「そう……ですか」

 

 何だろう。

 イタズラが成功するのを今か今かとまっているような松さんの笑顔を見たら、何故か途轍(とてつ)もなく嫌な予感がしてきた。

 

 「気のせい……だよね」

 

 僕が風呂場の引戸(ひきど)を開けたら、そこには全裸のナナさんが……なぁ~んて、お約束な状況を画策してるなんてことは無いよね?

 本当に信じてるよ?

 そんなのが許されるのはラブコメだけだから。

 間違っても、リアルであっちゃいけないことだからね?

 もしそんな場面に遭遇したら、またあの不可視の力で床に押さえ付けられちゃうか……。

 

 「信じてたのに……」

 「あ、やっぱり小吉じゃったか」

 

 引戸を開けたら、一糸纏(いっしまと)わぬ艶姿(あですがた)のナナさんが湯船から出ようとしているところだった。

 ええ、ひとっ風呂浴びようと、僕はナナさんに負けないくらい一糸纏わぬ姿で浴場に入ろうとしています。

 全裸で不意遭遇戦ですよ。

 

 「先に貰ぉてすまんかったねぇ。あん人が「長旅で疲れたでしょう? 遠慮せず入りなさい」って言うてくれたけぇ。先に頂いたんよ」

 「あ、そうですか」

 

 松さぁぁぁん!

 謀ったな松さぁぁぁぁぁぁん!

 え? どうすんのよこの状況。

 ナナさんは僕に浴場を譲ろうと思ったのか、胸も股間も一切隠さずに堂々と僕の方へ来てるけど、僕はどうすれば良いの?

 入り口を譲れば良いの?

 それとも、八重歯あたりをキラリーン☆って光らせて親指を立てながら「一緒に入ろうZE☆」とか言えば良いの!?

 どんなToLOVEるだよ!

 お願いだから、こういう場合の対処法を教えてよエロい人!

 

 「小吉。そこおられたら出れんのじゃ……が?」

 「あ、ああ! ごめ……!」

 

 ん? 引戸に背を預けて道は空けたのに、僕を見上げてたナナさんの視線がゆっくりと下へ下がったんだけど……ってぇ! そう言うことか!

 

 「顔に似合わず、凶悪な物をぶら下げちょるんじゃね」

 「ち、違っ……これは!」

 

 違わない。

 ナナさんの視線の先にあったのは、エレクトしてしまった僕の息子。

 思春期真っ盛りの健康な男子も驚くほど反り上がった、僕の自慢の主砲(訓練以外での使用経験無し)である。

 おお、我が愚息よ。

 どうして痛みを感じるほど屹立(きつりつ)しているんだい? ナナさんの裸を見たからかい?

 だったら仕方がない。

 許そうじゃないか。

 だってナナさん裸体は、放心してしまうほど美しかった。

 その乳房は、小振りだが手の平から零れてしまいそうな大きさがあり、かつ拝みたいくらい見事な形だった。あ、あと乳首ピンク。

 そして鳩尾(みぞおち)から(へそ)にかけてのラインは、それだけで男の欲望を掻き立ててしまうほどの色気を帯び、多くもなく少なくもないその陰毛は、僕の冒険心を我慢できないくらい盛り上げた。

 あと乳首ピンク。

 

 「小吉?」

 「あ、ごめん! さあ、どうぞ!」

 「……リンボーダンスでもしろと?」

 

 すいまっせぇぇぇん!

 うちの馬鹿息子がすいまっせぇぇぇぇぇん!

 と、心の中で盛大に土下座しながら、浴衣に着替えたナナさんを風呂場から送り出すなり、僕は湯船に飛び込んだ。

 

 「夕飯前なのに、オカズだけ先に食べちゃった……」

 

 とは、風呂から上がって落ち着いた息子を見ながらの、僕の独り言である。

 意味は察してください。

 そして僕が居間に入ると……。

 

 「あら坊っちゃん。ずいぶんと長いお風呂でしたね」

 

 と、「このヘタレが」と副音声が聞こえてきそうな顔をした松さんが出迎えてくれた。

 ええ、ヘタレですが何か?

 は、置いといて。

 

 「きょ、今日は肉じゃがですか」

 「ええ、坊っちゃんの大好物の肉じゃがです」

 「わ、わぁ~、嬉しいなぁ。じゃあさっそく、頂きましょう」

 

 その目をやめて。

 せっかく夕飯のメニューに会話をそらしたんだから、「せっかくチャンスを作ってやったのに」って言いたげな顔をやめて。

 ん? 顔と言えば……。

 

 「ねえ、小吉。これは何?」

 「何って、肉じゃがだけど……」

 「へぇ……これが肉じゃが」

 

 ナナさんは、肉じゃがを見たことがないんだろうか。

 いや、よくよく見ると、茶碗に盛られたご飯と漬物以外のオカズを、興味深そうに見ている。

 今の今まで、無表情以外の表情を浮かべなかったナナさんが、明らかに不思議そうな顔をしている。

 

 「つかぬことを聞きますが、実家での食事は……」

 「実家での(めし)? 麦飯と生野菜に塩付けて齧るくらいかねぇ。たまに、魚や猪も食ったりもするけど」 

 

 なるほど、納得した。

 猛君が、「暮石家の人間は名前に無頓着」と言っていたけど、それは名前だけじゃなかったようだ。

 たぶん暮石家は、食事にすら無頓着。

 腹が膨れれば良いという考えなんじゃないかな。

 だから、当たり前の食卓が不思議でしょうがないんだと思う。

 依頼を受ける受けないの話をした料亭では、結局酒のつまみ程度しか出してもらわなかったから、初めて見る真っ当な料理が珍しいんだ。

 

 「食べてみてよ。松さんが作る料理は、本当に美味しいんだ」

 

 松さんも、状況を見て察してくれたんだろう。

 「良いの?」と、問いたげなナナさんを見て、優しく微笑んでいる。

 僕も負けじと、心の中で「良いんだよ」と言いながら、ナナさんを見つめた。

 そしたらナナさんは、恐る恐る肉じゃがに箸をつけ、ゆっくりと口に運んでこう言った。

 

 「美味しい……」

 

 と、初めて味わった当たり前を、しっかりと噛み締めるように。

 

 

 

  



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第六話 トラブル(裏)

 

 

 東京は狭い。

 が、初めて東京に来たあたしの第一印象。

 確かに、あたしの地元と比べたら都会なんだけど、人が多いせいか狭く感じるのよ。

 そんな東京の……ここは何て場所だっけ? を、護衛をする間住むことになった小吉の家へ向けて歩いているんだけど……。

 

 「壁を指差して、何しちょんじゃ?」

 「いや、なんでも」

 

 当の小吉が、急に壁をビシッと指差して固まってしまった。

 本当に何してんの?

 そんなところに誰かいるの?

 本当に見えない誰かがいるのなら、さすがの私でも少し怖いんだけど。

 だって、()()()()()()()誰かがいるってことでしょ?

 だったらあまり考えたくないから……。

 

 「それにしても、これだけ歩くとさすがに暑いねぇ」

 「え、ええ、そうですね」

 

 話をそらそう。

 あたしがコートを脱いだ途端に、小吉が頭を抱えて前後に激しく振り始めちゃったけど、とにかく話はそらせた。

 ちなみにあたし……と言うか暮石の人間は、俗に幽霊と呼ばれてるモノが見える。

 あ、断っておくけど、別に幽霊は怖くも何ともない。なにかしらしてくる訳じゃないし、身体の内にはもっと醜いモノを飼ってるからね。

 そんな理由もあって、あたしでも見えないモノがいるなんて考えるだけでも怖いのよ……て、そんなに頭を振って大丈夫かい?

 もしかして……。

 

 「どうした? 小吉。頭が痛いんか?」

 「いや……まあ」

 

 そうは言うけど、顔色が優れないよ?

 もしかして、あたしの言い方が悪かったから気分を害したのかしら。

 以前、猛おじ様に「頭痛いの?」と言った時と同じような顔してるから、もしかしたらそうなのかもしれない。

 ん? そうこうしてたら、小吉が平屋建ての前で足を止めた。

 じゃあ、もしかしなくてもここが目的地か。

 

 「へぇ、立派な家じゃねぇ。小吉の実家?」

 「いや、僕の持ち家だ。実家は浅草の方にあるよ」

 

 持ち家とな?

 それにしては大きいねぇ。

 だって、小吉は童貞でしょ?

 だったら独り身のはず。それなのにこの家は、一人で住むには大きすぎる。

 まるで土地が不自然に余らないように、それなりの大きさの家を無理して建てたような奇妙さを感じるわ。

 

 「数十年後にこの土地を売ったら、いくらくらいになるんだったっけ」

 「この土地は高く売れるんか?」

 「安くはないはずだよ。なんせ東京は将来、世界一土地の値段が高くなる都市だからね」

 

 まぁ~た訳のわからないことを言い出した。

 猛おじ様にしてもそうだけど、どうして先の事がわかるの?

 いや、わかると言うよりは知ってるって感じね……っと、誰かいる。

 小吉が独り暮らしをしているはずの家の庭に、人の気配がある。

 もしかして殺し屋かしら。

 でも、殺気の類いも血のにおいも感じない。

 もし殺し屋なら相当の手練(てだ)れだけど、小吉の知り合いって線もある。

 なら、ここはとりあえず……。

 

 「アンタ、小吉の何ね」

 

 と、本人に聞いてみた。

 もちろん殺し屋だった場合のために、小吉から距離を置いてね。

 さて、この殺し屋(仮)は何て答えるだろう。

 警戒はしているようだけど、(ほうき)を両手で握りしめている様子を見る限りでは、素人の女。

 これは小吉の知り合いって可能性が高いわ……ん? 女? どうして独り身である小吉の家に女が?

 もしかして、奥さん?

 でも、小吉は童貞だって言ってたし……。

 う~ん、あたしが考えたところでわかりはしないから……。

 

 「ああ、小吉。アンタ、結婚しちょったん? 童貞って言うてなかったか?」

 

 追い付いた小吉に聞いてみた。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言うからね。

 

 「してないよ?」

 「なら、この人は? アンタの女房じゃないんか?」

 「違うよ!?」

 

 じゃあ何よ。

 女房でもないのに、女を家に住まわせてるの?

 小吉の行動はあたしには理解できない事が多いんだから、ちゃんと説明してちょうだい。

 

 「坊っちゃん。こちらの礼儀知らずのお嬢さんは、どちら様ですか?」

 「え~と、この子はその……」

 

 坊っちゃんとな?

 あ~……なるほど、その台詞で謎が解けたわ。

 つまり小吉は、その見た目通り金持ちのボンボン。そしてこの女は、小吉が雇っている家政婦ってわけだ。

 じゃあ、護衛をする間はあたしもここに住むんだから、あたしもこの女の世話になることになる。

 だったら、相応に挨拶しとかなきゃ。

 

 「今日から小吉さんと一緒に暮らすことになった、暮石 ナナと申します。先ほどは失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ございません。独り者だと聞いていたのに、女性の方がいらしたのでつい……」

 「あら、そうだったの? やだよぉ、この子ったら。私と坊っちゃんじゃあ、歳が離れすぎですよ。変なこと言わないでください」

 

 変? 何が変だったんだろう。

 あたしが無表情だから? それとも、声に抑揚がないからかしら。

 小吉が変な顔をして驚いてるのはたぶん、ずっと方言丸出しで喋ってたあたしが標準語で話したからだろうけど。

 

 「まあ、それはさて置き。坊っちゃんも隅におけませんね。いつの間に、こんなベッピンさんを手篭(てご)めにしたんですか?」

 「してない。それより、中に入りませんか?」

 「おっと、それもそうですね。ささ、お嬢さんもお入りなさい。あ、坊っちゃんは風呂釜に火を点けてくださいね。水は張ってありますから」

 「はい」

 

 どうしてあたしが小吉に手篭めにされた云々って話になったのかはわかんないけど、あたしは女に案内されて空き部屋に通された。

 広さは30畳ほどかな。

 使ってなかったらしく、家具の類いは全くないけど掃除は行き届いてる。

 どうやら、ここを使えってことらしい。

 

 「長旅で疲れたでしょう? そろそろお風呂も沸いてるでしょうから、遠慮なく旅の垢を落とすと良いわ」

 「はい。では、遠慮なく」

 

 べつに一日や二日入らなくても気持ち悪いってほどじゃないから、明日入ったんでも良いんだけどなぁ。

 でもまあ、有無を言わさず風呂場まで引っ張って来られちゃったし、入れって言うんだから入っときますか。

 

 「ふぅ……。湯船に浸かるのなんて、いつぶりだろう」

 

 うちにも風呂くらいはあるけど、父様も兄様もあたしも、基本的に入らない。

 精々、濡らした布で身体を拭く程度よ。

 まあ夏場とかは、汗を流すために湯船にお湯を張るくらいはするけどね。

 それでも、浸かることは(まれ)

 掛け流しくらいしかしないわ。

 風呂がない家がほとんどなのに、あるのに入らないなんてある意味贅沢よね。

 

 「ああでも、食事は……」

 

 他と変わらないくらい貧相だったわ。

 いや、金はあるのよ?

 それなのに、戦争前ですらまともな食事はしたことがない。

 普通の家庭は白米に麦を交ぜた物を炊いて食べてるそうだけど、うちは麦だけ。

 それに生野菜と塩ね。

 たまに、父様が暇潰しに地元の猟師と一緒に狩って来た猪とか、釣ってきた川魚なんかも食べることはあったけど、うちの食卓には麦飯と生野菜しかなかった。

 

 「料理なんて、うちのもんは誰もできんしねぇ」

 

 ついつい愚痴ってしまったけど、暮石家に料理ができる人間なんていない。

 (かか)様が生きてた頃は作ってたそうなんだけど、あたしは母様の料理を食べたことがない。

 あたしが味を覚えられる歳になる前に、母様は死んじゃったから。

 

 「儀式のためたぁ言え、父様に思うところはなかったんかねぇ」

 

 母様は父様に殺された。

 あたしと兄様の目の前で、暮石家に代々伝わる刀で滅多刺しにされて死んだ。

 苦しかったと思う。

 痛かったと思う。

 でもそれは、暮石の人間にとっては必要な儀式。

 愛する者を目の前で惨殺した者を憎むことで、暮石の人間は術を扱うことができるようになるの。

 そして術を練り、心の奥底に宿された鬼を育てることに生涯を(つい)やす。

 暮石家の悲願を、成就させるために。

 

 「あ、誰か入ってきた。小吉かな?」

 

 だったら湯船を譲らなゃ。

 なんせ、小吉はここの家主だからね。

 (なか)ば無理矢理だったとは言え、あたしはその小吉よりも先に風呂に入っちゃったんだ。

 家主が来たなら譲るのが礼儀ってもの……だと思う。

 

 「信じてたのに……」

 「あ、やっぱり小吉じゃったか」

 

 あたしが湯船から出ようとしたら、引戸(ひきど)を開けるなりガッカリした小吉と鉢合わせた。

 一番風呂をあたしが取っちゃったから、ガッカリしたのかしら。

 だったら、謝っておかないと。

 

 「先に貰ぉてすまんかったねぇ。あん人が「長旅で疲れたでしょう? 遠慮せず入りなさい」って言うてくれたけぇ。先に頂いた」

 「あ、そうですか」

 

 あれ?

 どうでもよさそうな返事が来たね。

 一番風呂をあたしが取っちゃったからガッカリしたんじゃないの? それとも、別の理由?

 まあ、どっちにしてもこのままじゃあ湯冷めしちゃうから……。

 

 「小吉。そこにおられたら出れんのじゃ……けど?」

 「あ、ああ! ごめ……!」

 

 湯船を譲る代わりに入り口を譲ってもらおうと思ったら、妙な気配を小吉の股間から感じたから見てみた。

 そこには……え? これ、何?

 あ、ああ~……アレか。

 うん、アレね。

 女のアソコにナニするためのアレね。

 昔、まだ幼かった頃に父様と兄様のを見たことがあるから知ってるわ。

 でも、形は似てるけど太さと長さ、さらに角度が段違いね。

 あ、そう言えば、男のアレは興奮すると大きくなるって父様から聞いた覚えがある。

 と、言うことは、いつもは小さいのね。

 でも、そうだとしても……。

 

 「顔に似合わず、凶悪な物をぶら下げちょるんじゃね」

 「ち、違っ……これは!」

 

 いや、違わないでしょ。

 小吉のソレって、あたしが猛おじ様から貰った短刀より太いし、長さも同じくらいじゃない。

 そんなのでナニされたら、少なくともあたしは死んじゃうと思うわ……は、置いといて。

 少し寒くなってきたから……

 

 「小吉?」

 「あ、ごめん! さあ、どうぞ!」

 

 入り口を譲るよう催促した。

 しかし、小吉も引戸に背を預けて入り口を譲ってくれてるんだけど……アレが邪魔。

 入り口の半分くらいを、小吉の下半身が塞いでるわ。

 あの状態で出るには、(かが)むか飛び越える。もしくは……。

 

 「……リンボーダンスでもしろと?」

 

 しかないと思い、そう言ったら、小吉は脱衣場の隅で顔を両手で(おお)ってうずくまってしまった。

 相変わらず、変な人。

 会ってからまだ半日ほどしか経っていないのに、この人には驚かされっぱなしだわ。

 

 「あら、もう上がったんですか? 坊っちゃんが行きませんでした?」

 「来ましたが……それが何か?」

 「はぁ……。あのヘタレ坊っちゃんめ。せっかくの機会を無駄にするなんて……」

 

 機会って、何の機会?

 あたしの入浴中に小吉が来たあの状況が、小吉にとっては好機だったとでも言うの?

 いや、待て。

 以前父様が、「男は女の胸を見たい、揉みたい、吸い付きたいと言う欲求を抑え付けて日々生活する哀れな生き物だ」と、言っていた。

 それとこの女の台詞をあわせて考えると、小吉は父様が言った欲求を発散する好機を逃したと考えられる。

 つまり小吉は、あたしの胸を見たものの、揉んだり吸ったりもできた機会を逃したと解釈できる。

 こんな贅肉(ぜいにく)を見たいだの揉みたいだの吸い付きたいだのと言った、男特有の欲求はあたしにはサッパリ理解できないけど、今度機会があったらさせてやろう。

 依頼人とは言え一緒に住むんだから、友好的にしておかないと仕事に支障がでるかも知れないから……ん? この匂いは何?

 嗅いだ覚えはあるのに、何の匂いかわからない。

 

 「きょ、今日は肉じゃがですか」

 「ええ、坊っちゃんの大好物の肉じゃがです」

 「わ、わぁ~、嬉しいなぁ。じゃあさっそく、頂きましょう」

 

 その匂いの正体は、食卓に並べられた料理の数々だった。

 各々(おのおの)が座る場所に用意された茶碗には……白米? 交ぜ物無しの白米? これ。と、茶色い木製のお(わん)には……味噌汁ね。

 うん、実物を見るのは初めてだけど、きっとそうよ。

 そして真ん中には、他より大きめの器に盛られた……煮物? 煮物だと思うんだけど……。

 

 「ねえ、小吉。これは何?」

 「何って、肉じゃがだけど……」

 「へぇ……これが肉じゃが」

 「つかぬことを聞きますが、実家での食事は……」

 「実家での(めし)? 麦飯と生野菜に塩付けて齧るくらいかねぇ。たまに、魚や猪も食ったりもするけど」

 

 と、返せたけど、肉じゃがから目が離せない。

 これが料理。

 普通の人たちが当たり前に食べる、食材を調理したもの。

 そんな普通を、知識でしか知らなかったあたしが体験するなんて、仕事に就く前は思いもしなかったな。

 

 「食べてみてよ。松さんが作る料理は、本当に美味しいんだ」

 

 小吉にそう言われたあたしは、口には出さずに済んだけど、心の中で「良いの?」と返してしまった。

 そんなあたしを優しい瞳で見つめる小吉が、「良いんだよ」と言ってる気がした。

 だからあたしは、恐る恐る肉じゃがを口に運んだ。

 この味を、何て言ったら良いんだろう。

 肉の味がする。

 じゃがいもの味がする。

 玉ねぎの味がする。

 初めて食べるけど、これはたぶんこんにゃくの味。

 でも、そのどれとも違う。

 強いて言うなら、肉じゃがの味がする。

 そんな貧相な感想しか思い浮かばないあたしでも、これだけは言えた。

 

 「美味しい……」

 

 と、初めて味わった当たり前をしっかりと噛み締め、初めて料理を食べさせてくれた二人に感謝を込めて、あたしは美味しいと言えた。

 

 

 

  



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第七話 約束(表)

 

 

 

 突然だけど、テンプレと言う言葉をご存知だろうか。

 この言葉はテンプレートの略で、型どおり・ありきたりな展開と言う意味の表現だ。

 単によくある展開・よくある設定という意味でテンプレと言うこともあれば、「ありきたりでつまらない」という否定的なニュアンスを含む表現として用いられることもあ……ったと思う。

 そばにスマートフォンでもあれば、こんな誰にともなく説明するような現実逃避も数秒で終わっていたんだろうけど、残念ながらスマートフォンが普及するのは何十年も先の話だ。

 で、どうして僕が朝っぱらから現実逃避をしているのかと言うと……。

 

 「柔らかい……」

 

 右手から伝わる、初めて経験する感触に感動してついついこぼしてしまった台詞でだいたい察しはつくと思うんだけど、布団から身を起こしたら隣にナナさんが寝ていた。

 しかも全裸で。

 しかも、全裸で。

 全裸で!

 はいここ! 大切なところなので三回言いました!

 さらに、身を起こす時に突いた手の先には、昨日の晩にお世話になったナナさんのオッ……オッパ……胸があったんだ。

 ああそうさ、テンプレだよ!

 ラブコメとかでよくある見飽きた展開だよ!

 言っとくけどね、過度な性描写は73年後じゃアウトだから……いや待て。

 仮に、僕がナナさんの胸の感触や形、果ては形まで事細かに解説すれば、僕が人様には決して言えないような恥ずかしい死に方をした改元前の73年後ならアウトだろう。

 だが、少し考えて見てほしい。

 今は何年だ?

 その答えは1946年。

 要は73年前。

 そう! 今僕は、そういった制約がない過去に生きている! なので、今から僕がナナさんの胸の感触や形や感度を詳細に語ろうと何ら問題はない。

 何故なら過去だから。

 今は僕が死んだ平成じゃなくて昭和ですからぁぁぁぁ!

 

 「どうしてナナさんがここに……」

 

 と、平静をよそおって言ったけど、心の内も右手も、ついでに股間も全く平静を装えていない。

 右手なんて、オッパイを離そうとする意思に反して揉み続けているし、この歳になっても朝から元気な愚息は冬用の掛け布団と毛布をチョモランマの如く盛り上げるくらい暴走してるよ。

 

 「これはまずい。非常にまずい」

 

 とか言いつつも、右手は相変わらずオッパイの感触を脳に伝え、海馬の中でファイルして大脳皮質にため込み続けてる。

 これは、一度スッキリしておいた方が良いだろうか。

 右手は塞がっているが、幸いな事に僕は賢者だ。右手の青春になんてとっくに飽きて、左手の魔術を極めている。

 つまり、右利きでありながら左手で自家発電できるってわけさ。

 だからこの状態でも問題……。

 

 「大有りだよ!」

 

 おっと、ついつい盛大にツッコミを入れてしまった。

 冷静になるんだ小吉。

 隣にナナさんが寝ている状態で愚息を(なぐさ)めるなんて変態行為、所謂(いわゆる)、見抜きなんてできない。

 そんな事をしている時にナナさんが起きてご覧なさい。きっと切られるよ?

 裸を見られても一切気にしてなかったナナさんでも、隣に放電してるアラサー男がいるのを見たら枕元に置いてる短刀で絶対に切るよ。

 具体的には、転生して手に入れた唯一のチート能力だけど無用の長物であるこの万年ニートを!

 って、そろそろ本当にまずい。

 いつもは6時に起床する僕が起きて来ないことに気づいた松さんが、気を利かせて僕を起こしに来る……。

 

 「坊っちゃん? もう朝ですよ? 今日は横須賀に出向く予定じゃ……」

 

 うん、これもお約束だよね。

 わかってたよ。

 この状況になった時点で、相変わらずの馬鹿息子並みにフラグはビンビンに起ってたよ。

 でもどうして?

 前世はもちろん、今世でも今の今までこんなラッキースケベはなかったじゃないか。

 いや、これはアンラッキースケベだ。

 僕が今まで積み上げてきた人畜無害そうなのにやればできる男キャラが崩壊したよ!

 こんなことなら、乗ってた艦が空爆された時に死んどけば良かった!

 

 「坊っちゃん」

 「はい……」

 

 何を言われるんだろう。

 朝からお盛んですね?

 それとも、朝っぱらから何をしてるんですか?

 どちらにしても、松さんの中で僕は、下宿を始めた女子高生を速攻で手篭めにするゲス野郎に……。

 

 「今夜はお赤飯にしましょうね。きっと、ご両親やお兄様方もお喜びになります」

 「ちょっと待って。どうしてそうなるの? と言うか、家族に報告する気!?」

 「そりゃあ、もちろんしますよ。女っ気もなく、あれだけお見合いを断っていた坊っちゃんが、女を連れ込んだその晩に手篭めにしたんですよ? これを報告せずに、何を報告しろって言うんですか」

 

 そうだった。

 僕はいい歳して独り者を貫いていたせいで、家族はもちろん松さんからも結婚を急かされてたんだった。

 これが平成の世なら、「適齢期になったら結婚しなきゃいけないなんて時代遅れ」と言って鼻で笑うんだけど、残念ながら今は昭和。

 30間近で結構してない男は、それだけで社会的信用が下がる。

 実際に僕は、海軍の要職についているせいもあって陰でホモなんじゃないかと言われているしね。

 

 「はぁ……。朝から最悪だ……」

 

 これまで見た中で、一番の笑顔の松さんに見送られて早3時間。

 僕とナナさんは、迎えに来てくれた部下が運転する車の後部座席で揺られている。

 ただ、時間が経ってもテンションが上がらない僕と違って、ナナさんは通常営業のようだ。

 

 「そうなん? 嬉しそうに、あたしの胸を揉んじょったじゃないね」

 「起きてたなら、僕をぶん殴るくらいしてくださいよ……」

 「どうして?」

 「どうしてって、僕は君のオッパ……胸を……」

 「べつに気にせんでもええいね。減るもんでもないし」

 

 これには、本当にビックリした。

 オッパイを揉んでいる事に驚きすぎてた僕は、ナナさんがいつも通り感情を感じさせない目で僕を見ていた事に気づけなかった。

 つまり、僕が悩みに悩んでいる間、ナナさんは僕をジーッと見ていたわけさ。

 その事に気づいたのは、松さんが「朝食はお弁当にしておきますね」と言い残して、僕の部屋を離れた後だった。

 どうやら松さんは、胸を揉み続ける僕と、そうされて何も言わない全裸のナナさんを見て朝から一戦交えるつもりだと判断したらしい。

 してないし、僕にはそんな度胸もないけどね。

 それにしても、ナナさんは……。

 

 「どうして、僕の布団で寝ていたんですか?」

 「実家じゃあ、父様と兄様とあたしとで川の字なって寝ちょったせいか寝付けんでねぇ」

 「それで、僕の布団に? 全裸だったのは?」

 「あたし、家じゃあ服とか着んのよ」

 

 なん……だと?

 それはつまり、全裸で歩き回り、全裸で飲んだり食べたりするだけに留まらず、全裸で談笑なりするわけですか?

 え? ちょ……何それエロい。

 現役JKかつ美人のナナさんが全裸で私生活を送ってたなんて、想像しただけで僕の単装砲が火を噴くよ。

 だからやめて。

 

 「お、着いたようじゃね。小吉はここで何するん?」

 「仕事に決まってるでしょ? 僕、これでも社会人だよ?」

 

 まさか、堂々とリアルで社会人だと名乗れる日が来ようとは、ニートで引きこもりをしていた前世では考えもしなかったな。

 ちなみに僕がナナさんを伴って訪れたのは、横須賀鎮守府。

 神奈川県横須賀市にある、日本海軍の鎮守府の一つだ。通称は横鎮(よこちん)

 別の横チンが頭に浮かんだ人は心が汚れているから、滝行(たきぎょう)でもして身も心も清めた方が良いよ。

 

 「略してヨコチンじゃねぇ」

 

 字はもちろん横鎮だよね?

 は、置いといて、僕がここを訪れた理由は、大将になると同時に推進しようとしている軍縮計画の下準備をするため。

 要は、取り敢えずホームである横鎮から、最低限の設備と兵力を残して解体しようとしているのさ。

 でも当然ながら、それに反対する者は多い。

 理由は利権惜しさが三割。

 戦争終結から間もないのに、軍縮をすることに対する危機感から来る反対が六割。

 残りの一割は保守的な理由からかな。

 

 「へぇ、立派な部屋じゃねぇ。ここが小吉の部屋なん?」

 「おい小娘。呼び捨てとは失礼ではないか。この方はこれでも、この鎮守府の元司令長官だぞ」

 

 君の言い方も失礼じゃない?

 は、言われなれてるからどうでもいいか。

 僕が司令長官時代に使っていた執務室に着くなり感想を漏らしたナナさんを叱責(しっせき)したのは、僕の副官であり、大戦中は今世でも雪風と並ぶ武勲艦となった駆逐艦 磯風で航海士をしていた沖田(おきた)源造(げんぞう)海軍少佐。

 昨日の東京駅での一件で、僕とナナさんがすんなり帰れたのは彼のおかげでもある。

 言い方はキツいけど、彼は真面目で腕っぷしもたち、上官の僕にも堂々と意見してくれる頼れる部下で理解者だ。

 ちなみに既婚。

 子供はまだだけど、男の子が産まれたら名付け親になってくれと頼まれたから、字は任せるとしてソウシかジュウゾウと名付けろって言うつもり。

 だって、沖田って聞いて思い付いたのがその二つだったんだもの。

 

 「あたしは小吉の家に住んじょる。つまり家族みたいなもんなんじゃけぇ、呼び捨てにするんは当然じゃろ?」

 「なっ……! 油屋中将と一緒に!? しかも家族!? 油屋中将! やっと結婚する気になられたのですか!?」

 「ああ……同衾(どうきん)はしたけぇ、責任くらいはとってもらわにゃいけんか?」

 「ど、ど、ど、同衾!? 油屋中将、やっとですか! やっと童貞を卒業されたのですか!? 散々男色家(だんしょくか)だの不能だの言われていた油屋中将がついに……!」

 「小吉が男色家? そりゃあないぞ軍人さん。小吉は朝っぱらから、あたしの胸を幸せそうな顔して揉んじょった」

 「朝から!? と言うことは何ですか? わたくしが迎えに行く前に、一戦交えたのですか?朝っぱらから砲雷撃戦ですか油屋中将!」

 「二人とも少し黙ろうか」

 

 僕を交ぜもせずに勝手に僕をネタにして盛り上がるな。

 だいたい、沖田君に僕の私生活をとやかく言われる筋合いはないよ。

 例え夜戦(意味深)をしようが、朝から射撃訓練(意味深)をしようが僕の勝手。

 だから放っておいて。

 これ以上、ナナさんが口を変な方向に滑らせるような事は言わないで。

 じゃないと銃殺にするよ? 割とマジで。

 

 「誤解があるようだから解いておくけど、彼女は僕の護衛だ。だから一緒に住んでいるだけで、けっしてやましい関係じゃあない」

 「じゃけど、裸も見られたし、肌が赤くなるほど揉まれたよ?」

 「それは本当にごめんなさい。だから、話の腰を折らないで」

 

 ナナさんって、無表情で声に抑揚もないのに意外とよく喋るよね……は、置いといて。

 ナナさんが護衛だと聞いて、沖田君の顔が怒りに染まり始めた。

 まず間違いなく、「自分を差し置いてこんな小娘を」って感じで嫉妬しているんだろう。

 そうだとしたら……。

 

 「わたくしは油屋中将に忠誠を誓っております。だから軍縮計画にも賛同しましたし、全力でご助力させていただく所存です」

 「うん、それは良くわかってる。それでも、ナナさんの件は納得できそうにないかい?」

 「当たり前です! こんな女学生に何ができるんですか!」

 

 やっぱり、一悶着(ひともんちゃく)起こるか。

 さて、どうするべきだろうか。

 ナナさんが術なんていうオカルトにステータスを全振りした暗殺者でなければ、沖田君と決闘でもさせれば良い。

 でも、ナナさんの術は僕が身をもって味わった狩場と、東京駅でのアレだけ。

 狩場で身動きできなくするだけならともかく、アレを使われたら沖田君はたぶん死ぬ。

 後のことを考えると、それは非常に困るし、東京駅での一件で見たナナさんの動きは素人よりも酷かった。

 なんとか、穏便に事を収め……。

 

 「なあ、軍人さんや。あたしがあんたを叩きのめしゃあ、納得してくれるか?」

 「わたくしを……俺を叩きのめすとほざいたか? 小娘。俺は剣道五段、柔道三段。合わせて八段だぞ。その俺を、お前ごときが……」

 「道に成り下がった武を何段持っちょろうが、あたしには関係ない」

 「道に……成り下がっただと?」

 

 られそうにないなぁ。

 しかもナナさんが挑発……だよね? をしたせいで怒りゲージは振りきれたっぽい沖田君は、「道場を押さえておきます」と言って退室してしまった。

 これは、下手したら殺し合いになる。

 だったらせめて……。

 

 「ナナさん、決闘するのは止めないけど、術の使用は禁止するよ。彼に死なれたら僕が困る」

 

 僕の命令を、ナナさんが聞いてくれる保証はない。

 でもナナさんは、剣道や柔道を道に成り下がった武と言ったくらいだから、術以外にも対抗策を持っているかもしれない。

 よくよく考えれば、猛君がナナさんに短刀を渡す際に、「それくらいなら、お前でも扱えるだろう?」と言い、ナナさんも「まあ、これならね」と答えていた。

 と、言うことは、ナナさんが素人よりも酷い動きだったのは武器のせいだと言うことになる。

 

 「術なし? じゃあ、やりとぉない」

 「あ、あれ?」

 

 術なしでも勝てるから、沖田君を挑発したんじゃないの?

 なのにやりたくないと言うことは、やっぱり東京駅で見た通り、武術の心得なんて丸でないんだろうか。

 

 「術なしじゃあ、疲れる」

 「あ、そういう……」

 

 ナナさんって、意外と物臭(ものぐさ)なんだなぁ。あ、ちなみに物臭とは、何かするのを面倒くさがること。また、そういう性質の人のことで、無精者(ぶしょうもの)とも言う。

 ほんの少しだけ、ナナさんの内面を知れて嬉しくは思うけど、ただ面倒くさいだけならやってもらおう。

 

 「ならやって。もちろん、彼を傷つけずに」

 「……そっちの方が、傷つくと思うんじゃけど?」

 「それでもだ。君を僕の護衛だと彼に認めさせなければ、仕事に支障が出かねない」

 

 と、少し強めの口調で言ったら、後ろ手を組んだまま壁に背を預けて右足をブラブラさせ始めた。

 無表情だからハッキリとはわからないけど、悩んでると言うよりは()ねているように見える。

 

 「決闘は依頼の範疇に入らん。じゃけぇ……」

 「別に報酬を寄越せ、と?」

 「うん。平たく言えば」

 

 ふむ、確かに言われてみれば、沖田君との決闘は、護衛の範疇に入らない。

 だったら、別の依頼として報酬を要求するのは当然。

 でも困ったな。

 依頼料は猛君が前払いしちゃってるから、僕はナナさんにいくら払えば良いのかわからない。

 電話して聞いてみるか……。

 

 「ぷりん……」

 「え? 今何て?」

 「ぷりん。この辺にゃあ、ぷりん……なんちゃらちゅう食べ物があるんじゃろ? それが食べたい」

 「もしかして、プリンアラモードのことかい?」

 「そう、たぶんソレ」

 

 変える前の歴史では、確か横浜のホテルがGHQの将官夫人用に考案したのが始まりだったはず。

 一応、今世でも体裁のためにGHQは設置してあるから、そのホテルに行けば食べられる可能性はあるけど、どうしてナナさんがこの時代で最先端のスイーツを知っているんだろう。

 もしかして、猛君から聞いたのかな?

 いや、そんな事はどうでもいいな。

 肉じゃがを知らないほど食に無頓着だったナナさんが、プリンアラモードを食べたいだなんて言ったんだ。きっと、松さんの料理を食べて心境の変化があったんだろう。

 だったら、喜ぶべきことじゃないか。

 表情すら作れないナナさんが食べたいと言うのなら、僕は喜んでご馳走するよ。

 それを続けていれば、いつかナナさんの笑顔が見られるかもしれないしね。

 

 「わかった。じゃあ、今日はここに泊まりだから、ついでに夕飯も食べよう。プリンはデザー……」

 「いらん」

 「へ? プリン、いらないの?」

 「ぷりんあ、あ~……なんとかは報酬として貰う。じゃけど、他はいらん」

 

 あ、そうですか。

 プリンアラモードが食べられるホテルならディナーも食べられるはずだから、一緒に食べようと思ったのに残念……。

 

 「じゃあ、あたしが勝ったらぷりん……あら……なんとかね。約束よ?」

 「わかった。沖田君との決闘が終わったら、食べに行こう」

 

 でもない……かな。

 上目遣いで報酬を念押ししたナナさんは、眼球の動き以外に表情の変化は無いものの、歳相応の女の子に見えた。

 きっと彼女は、表情を作れない分、身体の動きで感状を表現しようとしてるんじゃないだろうか。

 それが意識してか無意識でかは判断がつかないけど、アレがナナさんなりの感情表現なのだと、僕は何故か理解できた。

 

 

 

 



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第八話 約束(裏)

 

 

 家族以外の男は(けだもの)

 隙あらば、あたしの身体を欲望のままに(むさぼ)り食らう鬼畜。

 と、小さい頃から兄様に言われ続けて育った。

 基本的な性知識を得るまでは、家族以外の男は狼か何かだと思ってたわね。

 小学生の頃なんか、「狼も犬も似たようなもんでしょ」ってな乗りで、同学年の男子にお手とか教えてたし。

 兄様が言った言葉の意味を理解したのは、戦争やってた頃かな。

 どうもあたしは男受けが良いらしく、父様と兄様がいない時間を見計らって同学年の男が数人、あたしの家に押し掛けて来たことがあるの。

 目的は金や食い物じゃなくて、あたしの身体。

 あの頃は治安が少し乱れてたから、昼間でも女は一人になるなって、回覧板で回されてたわ。

 なのに、その日はあたし一人だった。

 しかもあたしは、家では服を着ない癖がある。

 まあ、男だったら襲うでしょうね。

 実際、男どもは我先にとあたしに手を伸ばしてたし。

 でも、男どもが欲求を満たすことはできなかった。あたしの肌に触れる前に、ちょうど帰って来た、兄様の狩場で拘束されてね。

 そこから先は……。

 

 「柔らかい……」

 

 じゃない。

 小吉が起きた気配を感じてあたしも目を開けたら、明らかに挙動が不審な小吉が目に映った。

 これは……慌ててる? いや、喜んでる? それとも絶望してる? 怒ってる?

 表情がコロコロ変わるせいで、小吉の心境が全く理解できないわ。

 理解できるのはただ一つ。

 小吉が、あたしの左胸をこねくり回してることくらいね。

 

 「どうしてナナさんがここに……」

 

 隣に誰しもいないなんて初めてだし、部屋が広くて落ち着かなかったからよ。

 と、言ったところで、小吉の耳に届くかどうかは微妙かな。

 混乱しているのか、あたしの胸を揉み続けている右手と、あたしの状態からでも見える不自然に盛り上がった掛け布団を交互に見てるわ。

 

 「これはまずい。非常にまずい」

 

 何が?

 あ、もしかしてあの時の男どものように、兄様に「もう、殺して」と言うまで痛ぶられた挙げ句に殺されるのを心配し……てないか、さすがに。

 だって、小吉は兄様を知らないはずだもの。

 猛おじ様でもあの件は知らないんだから、小吉が兄様に何かされるのを心配するなんて有り得な……。

 

 「大有りだよ!」

 

 有るの!?

 いやいや、冷静になるのよ七郎次……じゃなくて、ナナ。

 今のはおそらく、小吉が脳内で葛藤(かっとう)に葛藤を重ねた結果、思わず口にしてしまった言葉とあたしの思考が被っただけ。

 けっして、あたしの思考が読まれた訳じゃ……ん? 微かに足音が聴こえる。

 それにこの気配は……。

 

 「坊っちゃん? もう朝ですよ? 今日は横須賀に出向く予定じゃ……」

 

 やっぱり家政婦さんだった。

 でも、変ね。

 小吉を起こしに来たっぽいのに、一瞬だけあたしと目を合わせてからずっと、小吉を見下ろしてる。

 怒っては……いないわね。

 むしろ、奥底から込み上げてくる喜びを、必死で抑え付けているように見えるわ。

 

 「坊っちゃん」

 「はい……」

 

 何を言うつもりだろう。

 起きるのが遅い?

 それとも、いつまでも胸を揉んでるの?

 あたし的には、減るものじゃないから別に良い。最初は痛かったけど、小吉が揉み方に慣れたのか少し気持ち良いし。

 

 「今夜はお赤飯にしましょうね。きっと、ご両親やお兄様方もお喜びになります」

 「ちょっと待って。どうしてそうなるの? と言うか、家族に報告する気!?」

 「そりゃあ、もちろんしますよ。女っ気もなく、あれだけお見合いを断っていた坊っちゃんが、女を連れ込んだその晩に手篭めにしたんですよ? これを報告せずに、何を報告しろって言うんですか」

 

 ほうほう、なるほどなるほど。

 どうやら家政婦さんは、この状況を見てあたしが小吉とまぐわったと誤解したらしい。

 これは、誤解を解いておいた方がいい?

 だってあたしは、胸を揉まれる以外はされてない。

 と言うか、小吉のアレがあたしのアソコにナニされるなんて無理。

 だって大きすぎるもの。

 あんなのを入れられたら、入る前にあたしの身体が裂けちゃわ。

 だから、家政婦さんが誤解している事は有り得ない。有り得ないんだけど……。

 さすがに揉まれっぱなしじゃあ、あたしが損するだけだから……。

 

 「小吉さん。さすがに人前ではその……恥ずかしいです」

 「ナナさん!? 起きてたの!?」

 「起きた? 昨晩は、寝かせてくれなかったじゃないですか」

 

 意地悪しちゃえ。

 今の演技は、あたし的には満点ね。

 自分でも「棒読みだな~」とか、「相変わらず表情筋が死んでる」なんて感想を抱きながらの演技だったけど、混乱した小吉と何故か有頂天になってる家政婦さんには通じたみたい。

 

 「はぁ……。朝から最悪だ……」

 

 そんな一幕があった一時間後に、あたしは着替えが入ったトランクケースを抱えて、小吉を迎えに来た自動車に乗って横……横なんとかって場所に向かっている。

 行き先の名前は、出発前に猛おじ様に電話で報告した時までは覚えてたんだけどなぁ……は、置いといて。

 

 「そうなん? 嬉しそうに、あたしの胸を揉んじょったじゃないね」

 「起きてたなら、僕をぶん殴るくらいしてくださいよ……」

 「どうして?」

 「どうしてって、僕は君のオッパ……胸を……」

 「べつに気にせんでもええいね。減るもんでもないし」

 

 小吉の心配をしてあげよう。

 どうやら小吉は、あたしの胸を揉んで揉んで揉み尽くしたことに、妙な責任を感じているようだからね。

 

 「どうして、僕の布団で寝ていたんですか?」

 「実家じゃあ、父様と兄様とあたしとで川の字なって寝ちょったせいか寝付けんでねぇ」

 「それで、僕の布団に? 全裸だったのは?」

 「あたし、家じゃあ服とか着んのよ」

 

 今でこそ癖になっているけど、着ないと言うよりは父様に禁止されていた。が、正しいかな。

 それと言うのも、あたしは暮石家始まって以来、初めての女。

 だから父様も育て方がいまいちわからなかったらしく、猛おじ様の「女なら、身体を武器としてつかうこともあるしれん」という助言に従って、とりあえずは見られる事に慣れさせようとしたらしい。

 さらに、暮石に生まれた子は幼い頃から一通りの拷問を受けて、痛みや精神的苦痛に堪える修行をさせられるんだけど、あたしは身体に傷痕が残らない程度に手加減されていた。

 だから、小吉の行動はある意味、父様の目論見通り。

 これであたしが父様や兄様のように全身傷だらけだったら、小吉も胸を揉み続けることはなかったでしょうからね。

 おっと、そうこうしているうちに……。

 

 「お、着いたようじゃね。小吉はここで何するん?」

 「仕事に決まってるでしょ? 僕、これでも社会人だよ?」

 

 あたしが小吉に連れてこられたのは……たしか海軍の基地で、ヨコ……ヨコ……ヨコハマ? だったっけ? にあるチン……チン……。

 ダメね。思い出せない。

 思い出せないから覚えてる部分を……。

 

 「略してヨコチンじゃねぇ」

 

 うん、これなら覚えられる……気がする。

 あたしがヨコチンと言ったら小吉が何かを問いたげな顔をしたのが少し気になるけど、とりあえずはヨコチンと覚えておきましょう。

 でも、仕事とは言ってたけど、小吉はここに何をしに来たんだろう。

 猛おじ様の話では、小吉の普段の勤め先は東京だったはずよね?

 なのにどうして、三時間もかけてこんな所へ来たのかしら。

 

 「へぇ、立派な部屋じゃねぇ。ここが小吉の部屋なん?」

 「おい小娘。呼び捨てとは失礼ではないか。この方はこれでも、この鎮守府の元司令長官だぞ」

 

 小娘とは失礼な。

 あたしはこれでも17歳。

 つまり、結婚しててもおかしくない歳だし、子供を産んでても不思議じゃない歳なのよ?

 そのあたしに向かって小娘とはなんたる暴言。

 小吉の部下か何か知らないけど、訳のわからない文言を並べてないで謝れ。

 それと、あたしが小吉を呼び捨てにするのが気にくわないみたいだけど……。

 

 「あたしは小吉の家に住んじょる。つまり家族みたいなもんなんじゃけぇ、呼び捨てにするんは当然じゃろ?」

 

 昔、ほんの気まぐれで、学校の同級生に家族って何? と、聞いてみたことがある。

 男か女かも忘れたそいつは、一緒に住めば家族なんじゃない? と、答えたわ。

 だから一緒に住み始めたばかりとは言え、一緒に住んでるあたしと小吉は家族なの。

 

 「なっ……! 油屋中将と一緒に!? しかも家族!? 油屋中将! やっと結婚する気になられたのですか!?」

 

 結婚?

 いや、結婚まではしてな……ん? そういえば、同じ布団で寝るのは基本的に夫婦と、兄様に教えられた覚えがある。

 じゃあ、あたしと小吉は夫婦?

 いやでも、結婚はしてないから夫婦じゃあない。

 なのに、あたしが潜り込んだとは言え同じ布団で寝たんだから……。

 

 「ああ……同衾(どうきん)はしたけぇ、責任くらいはとってもらわにゃいけんか?」

 「ど、ど、ど、同衾!? 油屋中将、やっとですか! やっと童貞を卒業されたのですか!? 散々男色家(だんしょくか)だの不能だの言われていた油屋中将がついに……!」

 

 ちょっと何言ってるかわかんない。

 小吉は童貞のままよ? だって、あたしが処女のままだもん。

 それに……。

 

 「小吉が男色家? そりゃあないぞ軍人さん。小吉は朝っぱらから、あたしの胸を幸せそうな顔して揉んじょった」

 「朝から!? と言うことは何ですか? わたくしが迎えに行く前に、一戦交えたのですか? 朝っぱらから砲雷撃戦ですか油屋中将!」

 

 専門用語を交ぜないで。

 ホウライゲキセンって何よ。

 それと、声がでかい。

 ほら、アンタがあまりにも(うるさ)いから、小吉が口の端をヒクヒクさせて怒ってるじゃな……。

 

 「二人とも少し黙ろうか」

 

 ちょっと待ってよ小吉。

 二人ともってことは、あたしも煩かったの?

 声に抑揚がなくて、声量も大して大きくないあたしも?

 

 「誤解があるようだから解いておくけど、彼女は僕の護衛だ。だから一緒に住んでいるだけで、けっしてやましい関係じゃあない」

 「じゃけど、裸も見られたし、肌が赤くなるほど揉まれたよ?」

 「それは本当にごめんなさい。だから、話の腰を折らないで」

 

 う……。

 どうやら本当に怒ってるらしい。

 どうして? 何が気に入らなかったの?

 小吉と仲良くしようと思って名前も覚えたし、顔だって目に焼き付けた。 

 見たい揉みたいは図らずも叶えてあげられたけど、吸い付きたいはまだだから、今度機会があればさせてやろうとも思ってる。

 そんなあたしのどこが、小吉は気に入らないって言うのよ。

 

 「わたくしは油屋中将に忠誠を誓っております。だから軍縮計画にも賛同しましたし、全力でご助力させていただく所存です」

 「うん、それは良くわかってる。それでも、ナナさんの件は納得できそうにないかい?」

 「当たり前です! こんな女学生に何ができるんですか!」

 

 ほら、この軍人さんの方がよほど煩いじゃない……は、一先(ひとま)ず置いておこう。

 どうやらこの軍人さんは、あたしの見た目だけで実力を判断し、反対してるようね。

 だったら、話は簡単だわ。

 このまま反対されたところで小吉の護衛は続けるけど、顔を合わせるたびにこうも煩くされたらわずらわしいから……。

 

 「なあ、軍人さんや。あたしがあんたを叩きのめしゃあ、納得してくれるか?」

 「わたくしを……俺を叩きのめすとほざいたか? 小娘。俺は剣道五段、柔道三段。合わせて八段だぞ。その俺を、お前ごときが……」

 「道に成り下がった武を何段持っちょろうが、あたしには関係ない」

 「道に……成り下がっただと?」

 

 父様の受け売りだけどね。

 でも、固唾(かたず)を呑んで趨勢(すうせい)を見守っている小吉を見る限り、アワセテ八段とやらは相当凄いんでしょう。

 でも、先に言った通り関係ないし、問題もない。

 あたしなら息を切らせることもなく、「道場を押さえておきます」とか言って部屋から出て行ったアイツを殺せる。

 

 「ナナさん、決闘するのは止めないけど、術の使用は禁止するよ。彼に死なれたら僕が困る」

 

 え? 駄目なの?

 どうして?

 小吉がアイツに死なれたら困るって言うなら、仮縫いで拘束して適当に殴るだけで済ませるけど、術の使用を禁止されたらそれもできないじゃない。

 

 「術なし? じゃあ、やりとぉない」

 「あ、あれ?」

 

 どうして驚くのよ。

 当然でしょう?

 確かにアイツは、身のこなしを見た限りではかなりの手練(てだ)れ。禁じ手の多いお遊びでなら、敵は少ないでしょうよ。

 でも、あたしの敵じゃあない。

 あの程度なら術無しでも簡単に殺せるし、無力化も容易(ようい)だわ。

 でも……。

 

 「術なしじゃあ、疲れる」

 「あ、そういう……」

 

 こと。

 あたしって瞬発力はあるけど、持久力はないのよ。

 だから、術無しかつ殺すのも駄目って言うなら相手をしたくない。

 だってアイツ、体力とか凄そうじゃない。

 

 「ならやって。もちろん、彼を傷つけずに」

 

 なのに、小吉はやれって言うのね。 

 しかも新たに、傷つけずになんて制限までつけられちゃった。

 いや、できるのよ?

 できるし、どうしてもやれって言うならやるんだけど……。

 

 「……そっちの方が、傷つくと思うんじゃけど?」

 「それでもだ。君を僕の護衛だと彼に認めさせなければ、仕事に支障が出かねない」

 

 さいですか。

 要は、心をへし折れって言うんでしょ?

 それはあのプライドの塊みたいな軍人さんにとっては、殺される以上の屈辱のはず。

 先に言ったように、身体を傷つけられるよりも傷つく。

 まあそれでも、小吉がやれって言うならやるわ。

 ん? でも、これって依頼の範疇に入らないわよね?

 護衛を続けるために必要なことと言えばそうなんだけど、それじゃああたしが疲れるだけじゃない。

 だったら……。

 

 「決闘は依頼の範疇に入らん。じゃけぇ……」

 「別に報酬を寄越せ、と?」

 「うん。平たく言えば」

 

 これでいこう。

 悩んではいるようだけど、あれはたぶん、あたしにいくら払えば良いのかわからないって感じでしょう。

 じゃあ、あたしの方から……あれ? 報酬って、何を要求すればいいのかしら。

 報酬関係は父様がやってるから、あたしへの依頼料がいくらかなんて知らないし、金なんか貰っても使い道がないから困る。

 あ、だったらアレなんか良いんじゃないかしら。

 ここに来るって報告した時に、猛おじ様が「ヨコ……に行くならヨコ……のホテルニュー……でプリン……を食わせてもらえ」って言ってたアレ。

 ……の部分は覚えてないけど、ぷりんって言葉は覚えてる。

 食わせてもらえって言ったくらいだから食べ物だろうし、ホテルで食べられる物だから安くもないはず。

 よし、これにしよう。

 

 「ぷりん……」

 「え? 今何て?」

 「ぷりん。この辺にゃあ、ぷりん……なんちゃらちゅう食べ物があるんじゃろ? それが食べたい」

 「もしかして、プリンアラモードのことかい?」

 「そう、たぶんソレ」

 

 正直、興味はない。

 ないけれど……家政婦さんの料理を食べてから、どうやらあたしの舌は食べ物に味を求めるようになってしまったらしい。

 だから、ぷりんなんちゃら自体に興味はないけど、どんな味なのかには興味がある。

 

 「わかった。じゃあ、今日はここに泊まりだから、ついでに夕飯も食べよう。プリンはデザー……」

 「いらん」

 「へ? プリン、いらないの?」

 「ぷりんあ、あ~……なんとかは報酬として貰う。じゃけど、他はいらん」

 

 あたしが食べたいのはぷりんなんちゃらだけ。

 他の物にはぷりんなんちゃら以上に興味がないし、提示した報酬以外はいらない。

 だいたい、夕飯を食べたあとじゃあ、お腹がいっぱいになってぷりんなんちゃらが食べられなくなるじゃない。

 あたし、育ちのせいもあって少食なの。

 だから、小吉が忘れて夕飯を食べないように……。

 

 「じゃあ、あたしが勝ったらぷりん……あら……なんとかね。約束よ?」

 「わかった。沖田君との決闘が終わったら、食べに行こう」

 

 と、小吉の目を真っ直ぐ見上げて念を押した。

 何故か鼓動が速くなった心臓と、脳みそに覚え込ませるように小吉の匂いを嗅いでいる自分に、少しだけ戸惑いながら。

 






 いつもいつも、誤字脱字報告をしてくださる人に感謝の五体投地。
 本当にありがとうございますOrz


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第九話 襲撃(表)

 

 

 さて、まずは昨日の、ナナさんと沖田君とで行なわれた決闘の結果から話そうか。 

 結果はナナさんの完勝。

 剣道部五段、柔道三段を誇る沖田君を、ナナさんは僕の執務室から拝借(はいしゃく)した万年筆で50回も殺したんだ(・・・・・・・・・)

 

 「さすがに、あれはやりすぎでは?」

 

 と、傷心の沖田君が運転する車の後部座席で、隣に座るナナさんに苦言を呈したら……。

 

 「でも、術は一切使っちょらんぞ?」

 

 と、返ってきた。

 いやまあ、たしかに術は使ってなかった……ように、僕には見えた。

 でも、素人に毛が生えた程度の腕しかない僕からすれば、ナナさんの動きは魔法のように映ったよ。

 

 「アレ(・・)は術とは別に、暮石家が研鑽(けんさん)してきた技術なのかい?」

 「いんや? あたしも兄様も、術に関すること以外は何一つ教わっちょらん」

 

 話が耳に入ったのか、沖田君が運転中なのにもかかわらず「そんな馬鹿な!」と、叫んだけど、僕も同じことを言いたい。

 それと言うのも、ナナさんの動きは決闘後に沖田君が「達人級の剣道家でも、あんな動きは無理だ」とこぼしたくらい洗練……いや、完成していたのだから。

 

 「あたしが使う暮石流呪殺法の修行法は、簡単に言えば拷問なんよ。その過程で、兄様は防御がやたらと上手ぉなったし、あたしは避けるんが上手ぉなった。当たらにゃあ、どうっちゅうことないけぇね」

 「いやいやいやいや……」

 

 どこの赤い彗星だよ……と、ツッコンでもこの時代じゃあ通じないか。

 まあ、それは置いといて。

 ナナさんは拷問と言ったけど、沖田君の攻撃をまるで舞い散る木葉を避けるように自然に、かつ振られるよりも前に懐へ飛び込んで急所に万年筆を突きつけた体捌(たいさば)きを身に付けられたと言うことは、暮石家の修行は拷問と言うより実戦と言った方が良いのかもしれない。

 つまりナナさんは、拷問と呼べるほど無慈悲に降りかかる父親からの暴力から身を守るために、あの体捌きを身に付けたんだろう。

 それだけで、暮石家が普通とは隔絶した異界なのだと思い知らされた。

 

 「それより、ぷりんはまだかいね。アンタが性懲(しょうこ)りもなく何べんも何べんも挑んだせいで昨日は食えんかったんじゃけぇ、(はよ)ぉ食わせろ」

 「ちょっ……こら! もうすぐ着くから、シートを蹴るんじゃない!」

 

 本当にやめて。

 この時代の車にはパワーステアリングなんて着いてないし、サスペンションも貧弱な上に道路も大して整備されてないせいで振動が半端ないんだから。

 そりゃあ、沖田君の諦めが悪かったせいで、プリンアラモードを食べに行く時間がなくなったのは確かだよ?

 だから沖田君は自業だけど、八つ当たりに僕まで巻き込むのはやめて。

 ナナさんがシートを蹴る度に、車が激しく左右に揺れてるから。

 

 「あれ? ナナさん、どうかしたのかい?」

 

 ナナさんが唐突に沖田君を蹴るのをやめたと思ったら、何故か僕の方を向いた。

 でも、僕の顔を見ているわけじゃないように感じる。顔と言うよりは額? の、あたりを凝視している。

 そして、ナナさんは僕の両頬に手を伸ばして……。 

 

 「小吉」

 「なんだい?」

 「そこにおったら死ぬ」

 「へ?」

 

 言うなり、ナナさんは僕の頭を引き寄せて胸に抱き締めた。

 いったい何が起こっている?

 ナナさんが発情して、手近な僕で発散しようと胸に顔を埋めさせ……って、そんなわけないか。

 死ぬとか言っていたから、たぶん……。

 

 「軍人さん」

 「わかっている! 緊張感がなくなるから、もう少し声を張ってくれ!」

 

 やはり襲撃。

 車が速度を上げ、揺れが激しくなる直前に何かを貫通するような音が聴こえたから、まず間違いなく銃撃されたんだろう。

 しかも、音が一回だったのを考えると狙撃。

 

 「軍人さんや、適当なところに逃げてくれんか?」

 「言われなくてもそうしている! お前は黙って、油屋中将の盾になっていろ!」

 「あたしの身体じゃあ、銃弾なんか防げんぞ?」

 「それでも無いよりはマシだ!」

 

 ここは市街地だ。

 なのに、ここまで直接的な襲撃をするなんて妙だな。

 しかも、僕も沖田君もスーツ姿で、車も軍の物ではなく沖田君の私物。さらに、他にも車は走っているのにこの車を狙ってきた。

 これは、陸軍や海軍に雇われた殺し屋じゃない。

 それ以外の者に雇われた殺し屋だろう。

 何故なら、走行中の車を狙撃するなんて目立つ方法を取るなら、前者に雇われた者ならもっと派手にやる。

 それこそ、民間人まで巻き込んで誰を狙ったのかわからなくするために。

 なのに、殺し屋は僕を直接狙った。

 それはおそらく、自分の力量を誇示(こじ)するため。この仕事をスマートに終わらせて、自分を売り込むためなんじゃないだろうか。

 

 「ナナさん。さっきの狙撃がどこからかわかるかい?」

 「さっきの位置から100(けん)くらいかのぉ。通り過ぎてしもうたが、民家の屋根から死線が伸びちょった」

 

 1間はたしか、約1.8メートルだから180メートルくらいか。

 死線が伸びてた云々が気にはなるけど、今は置いておこう。

 

 「沖田君。200メートル圏内から、移動する対象の頭を撃ち抜くことができる狙撃兵に心当たりは?」

 「わたくしが知っている限りではいません」

 

 そりゃあそうか。

 じゃあ、元陸軍軍人。

 南方辺りから復員して、職に就くことができなかった元狙撃兵が、殺し屋デビューしたと仮定しよう。

 だったら、ナナさんには悪いけど……。

 

 「ごめん、ナナさん。プリンはまたの機会に」

 「しゃあないねぇ。追って来ちょるみたいじゃし、今回はアイツで()さを晴らして我慢するわい」 

 

 追ってきてるのか。

 どうして、僕の頭を抱えたままのナナさんにそんな事がわかるのかは謎だけど、沖田君が身を低く屈めてバックミラーを気にしながら運転しているのを見るに、本当みたいだ。

 

 「沖田君、敵はどんな奴?」

 「陸軍の物と思われる服装、さらにバイクに乗って、我々を追尾しています。ゴーグルをかけているので顔は見えませんが、油屋中将がおっしゃった通り狙撃兵のようです。肩に九九式短小……いや、九九式狙撃銃を担いでいます」

 

 やはり狙撃兵崩れか。

 う~ん、いったい誰だろう。

 陸軍は今世の戦争でも狙撃戦術を多用していたから、移動する車の後部座席にいるターゲットを仕留められる腕を持つ人はいっぱいいそうだし……あ、狙撃兵と言えば。

 

 「たしか、猛君が……」

 

 猛君は僕をアニメオタクと馬鹿にするけど、彼も歴としたオタク。リア充だったくせに軍事オタクだ。

 その猛君は、変える前の歴史で有名だった人と会うたびに、本来の戦績を交えて語ってくれた。

 頼んでもいないのに。

 その中に、狙撃兵がいた。

 名前は小野(おの)

 小野一等兵。

 本来の歴史で、彼は沖縄戦の終盤、米国側の最高司令官だったバックナー中将を狙撃し、殺害したと言われている。

 だけど不思議な事に、彼が現地の部隊に実在した証拠がないらしいのだ。

 当時は各地の部隊が散りじりになって、本来の所属部隊以外に合流することもあったそうなので、小野一等兵もその可能性があるとかないとか。

 

 「存在しないはずの狙撃兵……か」

 

 たしか猛君も、彼にだけは実際に会ったことはないと言っていた。

 小野一等兵の話が出たのは、沖縄戦を回避できたことを二人で祝った時だったかな。

 今、僕たちを追っている殺し屋が小野一等兵かどうかはわからないけど、もしそうなら嫌な予感がしてきたなぁ…·…。

 

 「まさか不死身の分隊長まで、僕を殺しに来たりは……」

 

 やめろやめろ!

 口に出したらフラグになりかねない。

 でも、有り得ないとも言い切れないところが怖いなぁ……。

 だって彼はたしか、本来の歴史では1946年、つまり、今年に帰国しているはずだから。

 

 「うぉぉお!?」

 「ちょ、ちょ、ちょ! どうした沖田君! 撃たれたのかい!?」

 「撃たれました! わたくしではなく、タイヤをですが!」

 

 それで、車が回転したのか。

 なんとか回転を制御してクラッシュするのは防げたようだけど、車が完全に停止してしまった。

 もし今、手榴弾でも投げ込まれたら……て、あれ? ナナさんは何処へ?

 僕の頭の先のドアが開いていると言うことは、外に出たのか?

 

 「あ、いた」

 

 やっぱり外にいた。

 車内から見える風景を見る限りでは、横浜港だろうか。

 さらに、少しだけ顔を出して周囲を確認してみたら、バイクから降りて狙撃銃を構えている敵の前方、約50メートルで、降りると同時に抜いたと思われる短刀を右手に持って立っている。

 

 「退け、女。お前にも運転手にも用はない。自分が用があるのは、そこで身を縮めている臆病者だけだ」

 「嫌じゃ。あたしはあん人の護衛なんでね。じゃけぇ、ここを退くわけにゃあいかん」

 

 口調的にも、やはり陸軍兵か。

 僕のプロファイリングは大方当たっていたようだ。

 もし陸軍の手の者なら、襲った者が陸軍所属だとわかるような格好をするわけがないし、無関係な者を見逃すような台詞も言わない。

 海軍でも同様だ。

 陸軍に罪を(なす)り付けるくらいはしそうだけど、僕が横鎮の元司令長官だったこともあって、横須賀では僕のシンパが大半を占める。

 故に、あんなのが鎮守府を出てずっとつけていたのなら、情報はすぐに入る。

 なのに、アイツは先回りして待ち伏せた。

 それはイコール、僕たちの行き先をリークした者がいる。もしくは、予想できた者(・・・・・・)がいるってことだ。

 

 「ならば名乗れ。名も知らぬ者を殺すなど、自分の流儀に反する」

 「あたしの名を聞きたきゃあ、まずは自分から名乗りんさいね。それが礼儀じゃろう?」

 「……確かに、そうだな」

 

 名前を知らない者を殺すのは流儀に反する?

 中二病かよ! と、声を大にしてツッコミたいけど、それが許される雰囲気じゃなさそうだ。

 

 「元沖縄守備軍、第32連隊所属。小野一等兵」

 

 おいおい、おいおいおいおい!

 マジで小野一等兵!?

 え? 実在してたの?

 それがどうして、殺し屋デビューなんかしちゃったの!?

 もしかして、沖縄戦がなかったから?

 万が一に備えて、沖縄にも守備軍と銘打って部隊は配置していたけど、結局出番はなかった。

 だからか?

 だから、戦いを求めて殺し屋に?

 

 「……暮石家五代目当主候補。暮石 七郎次」

 「暮石? 噂の暗殺者一族か。実在していたとは驚きだ」

 

 実在したかどうかも怪しい奴がそれを言うか……は、置いといて。

 ナナさんは、どう対抗するつもりなんだろう。

 僕が知っているナナさんの最大射程は50メートル前後。故に射程内と言える。

 だけど、小野一等兵はすでに銃を構えている。

 例え距離が離れていようと、ナナさんが何かしようとすれば即座に発砲するだろう。

 対するナナさんは、東京駅で使ったアレを使うために短刀を振る必要があるはず。

 じゃないと、東京駅で使った時にわざわざ重い軍刀を使った説明がつかない。

 射程は不明だけど 狩場で拘束してその隙に接近するつもりだろうか。

 

 「そんな玩具(おもちゃ)で、あたしが殺せると思ぉちょるんか? 軍人さんっちゅうのは、どいつもこいつも考えが短絡的じゃねぇ」

 「お前こそ、そんな短刀でどうする気だ? その距離では、自分には決して当たらんぞ」

 

 当たると言うよりは、今の距離でも斬れると言った方が正しいんじゃないだろうか。

 ただし、短刀を振ることが出来れば、だけど。

 

 「小吉、よう見とってね」

 

 車内から覗き見している僕にそう言うや否や、ナナさんは無造作に一歩踏み出した。

 本当に無造作に、散歩にでも出かけるような自然体で、小野一等兵へと歩みを始めた。

 当然、小野一等兵は発砲。

 でも銃弾はナナさんに当たることなく、はるか後方へ飛んで行った。

 小野一等兵が、あの近距離で外した?

 ナナさんは避ける動作すらしていないんだぞ?

 

 「暮石流呪殺法、段外の(いち)厄除(やくよ)け」

 

 厄除け?

 それが、銃弾を回避した術の名前だろうか。

 

 「油屋中将、あの小娘は本当に人間ですか?」

 「どういう事だい? 沖田君」

 「どうもこうもありません。あの小娘、小野一等兵が発砲するよりも速く避けています。まるで、弾が何処に飛んで来るかわかっているように、(あらかじ)め当たらない位置に移動しているんです」

 

 なるほど、僕と同じく車中で趨勢(すうせい)を見守る沖田君の解説のおかげで、今も続く小野一等兵の射撃がナナさんに当たらない理由がある程度わかった。

 要は先読み。

 ナナさんは厄除けという術を使うことで、自分を害する攻撃の着弾位置がわかるんだ。

 僕を小野一等兵の初撃から守れたのも、その術のおかげだろう。

 僕程度では避ける動作すらないように見えるのは、その動きが最小限かつ自然過ぎるからじゃないかな。

 

 「どんな……手品だ?」

 「種も仕掛けもありゃあせんよ。単に、アンタの攻撃がわかりやすすぎるだけいね」

 

 いやいや、ニュータイプ張りの先読み回避をしといて何言ってるの?

 と、僕が思っている間に、ナナさんと小野一等兵の距離は10メートルまで縮まっていた。

 九九式狙撃銃の装弾数はたしか五発だったはずだから、今も歩を進め続けているナナさんを撃つには装填、もしくは腰の拳銃を抜く必要がある。

 そのタイミングで、ナナさんは仕掛けるつもり……。

 

 「弾切れかい? ええよ。弾を込めるなり、腰の物を抜くなりしんさい。それまで、待っちゃる」

 

 じゃない!?

 え? 絶好のチャンスなのに、どうして仕掛けない? ナナさんなら、高々10メートル程度の距離なら一足で詰められるでしょう?

 いや、何かおかしい。

 小野一等兵はナナさんの言葉に半信半疑ながら、狙撃銃を投げ捨てつつ右手は腰の拳銃へと伸ばしている。

 たぶん数秒ほどの時間で拳銃を抜き、ナナさんへと狙いを定めるだろう。

 それは、わかる。

 わからないのはナナさんの行動。

 今もナナさんは、無防備に歩を進めている。

 なのに、小野一等兵の真横、拳銃を抜こうとしている小野一等兵の右腕を斬り落とそうと、短刀を持った右腕を振り上げようとしているナナさんも同時に見える。

 あれは何だ?

 分身?

 いや、分身と呼ぶには、短刀を振り上げようとしているナナさんの存在感が稀薄(きはく)だ。

 実際、小野一等兵は真横のナナさんには気づいていない。

 

 「ば、馬鹿な! いつの間に……!」

 「敵の言うことを信じるなんて、アンタは阿呆か?」

 

 小野一等兵がナナさんに気づいたのは、右腕が落ちた直後だった。

 叫び声こそ上げなかったけど、血が(したた)る傷口を押さえてうずくまった小野一等兵を、ナナさんは身が凍りそうになるほど冷たい瞳で見下ろしている。

 勝負あり……かな。

 

 「そいつを殺すな小娘! 尋問して依頼人を吐かせる!」

 「何であたしがアンタの言うことを聞かにゃあいけんのね。小吉がそうせぇっちゅうならそうしちゃるが、そうでないなら殺す」

 

 車から飛び出して沖田君がナナさんに注文をつけたけど、尋問したところで吐かないと思うなぁ。

 でもまあ、やらないよりはマシか。

 それに、小野一等兵は元陸軍兵。

 猛君に問いただしてもらえば、あっさりと吐くかもしれないし、小野一等兵に会えると言ったら喜ぶかもしれな……ん?

 彼は何をしている?

 傷口を押さえていた左手で、腰の後ろの方をまさぐっている。

 まさか……。

 

 「ナナさん! 今すぐ殺して!」

 

 少しだけ遅かった。

 僕が車から出て殺せと言い終わった頃には、小野一等兵は僕へ向かって駆け出し、腰に括っていたと思われる九九式手榴弾を取り出して、僕とナナさんの中間点に至ったところで安全ピンについた紐を口に咥え、一気に引き抜いていた。

 あれの遅延時間はたしか4~5秒。

 僕ごと自爆しようとしているのなら、十分に間に合う距離。

 なのに僕は、(きびす)を返して逆方向へ逃げるのではなく、小野一等兵へ向かって駆け出していた。

 自分でも、何をしているのかすぐにはわからなかった。

 わかったのは、小野一等兵の動きに反応して彼の左脇、ちょうど、心臓の真横を刺したナナさんを体当たり気味に抱き締めたあとだった。

 

 「痛たたた……」

 

 ナナさんに覆い被さるように倒れるなり、背中に熱と衝撃、そして、鼓膜が破れたと錯覚するほどの轟音が響いた。

 背中一面が激しく痛むけど、とりあえずは生きている。

 ナナさんも無事みたいだ。

 ただ、僕の行動に怒ったのか、目尻を吊り上げて(くちびる)をワナワナと震わせて……あれ? 怒ってる? ナナさんが?

 明らかに怒っているとわかる表情を浮かべて?

 

 「こん……ド阿呆が! なして、あんな事したんや!」

 「いやその、体が勝手に……」

 「勝手過ぎるわい! あんなに勝手なことされちゃあ、守れるもんも守れん! そんくらい、軍人なんじゃけぇわかるじゃろうが!」

 「ごめん……」

 

 なんとか謝りはしたものの、それは謝罪と言う皮を被った驚嘆(きょうたん)だった。

 僕は、僕のもとで烈火のごとく怒っているナナさんに驚きすぎて、それ以外の言葉を言えなかったんだ。

 いや、驚いただけじゃない。

 見惚れている。

 東京駅で初めて彼女を見た時以上に、感情を発露(はつろ)させた彼女から目が離せない。

 今も僕を罵倒(ばとう)している彼女を見続けていたら、どうしようもなく嬉しく、(いと)おしくなってしまった。

 だからなのか、僕は……。

 

 「ちょっ……! 小吉!?」

 

 彼女に覆い被さったまま、彼女の頭を抱き締めていた。

 そうしたらつい……。

 

 「女性を護ろうとするのは、男の本能ですから」

 

 とも、言ってしまった。

 正直、我ながら臭い台詞を言ったものだとも思ったけど、僕はその感想を胸の奥に押し込めた。

 そばで沖田君が「油屋中将! 無事……の、ようですね」と、言いながら(あき)れているのを無視した。

 当然じゃないか。

 そうしないと、僕の胸に顔を埋めて「小吉……。あの、苦しい。苦しいけぇ離して」と、言いながら照れている彼女の反応、気を失うまで楽しめなかったんだから。

 



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第十話 襲撃(裏)

 

 

 

 腹減った。

 腹減ったから、飯食いたい。

 字余り。

 と、心の中で一句詠んでしまったのは、あたしことナナちゃんです。

 普段のあたしなら、少々腹が減ったくらいで一句詠んだりしないんだけど、今日は事情が少し異なる。

 と、言うのも、昨日、あたしの目の前で呑気(のんき)に車を運転している軍人さんとの決闘が、夜まで長引いちゃったのよ。

 そのせいで、小吉に言われた通り体には一切傷をつけず、かつ何十回も殺して完勝したのに、ぷりんなんちゃらを食べることができなかったの。

 

 「さすがに、あれはやりすぎでは?」

 

 何が?

 昨日が駄目だったから今日食べに行こうって話になって、あたしが夕飯どころか朝食も食べなかったから?

 な、訳ないわね。

 小吉が言ってるのはたぶん……。

 

 「でも、術は一切使っちょらんぞ?」

 

 昨日の決闘のことだと思って、そう返した。

 そう、小吉に言われた通り、あたしは一切術を使っていない。

 修行の過程で身に付いた体さばきのみで、軍人さんを殺して殺して殺しまくったわ。

 10回を越えた時点で、数えるのはやめたけどね。

 

 「アレ(・・)は術とは別に、暮石家が研鑽(けんさん)してきた技術なのかい?」

 「いんや? あたしも兄様も、術に関すること以外は何一つ教わっちょらん」

 

 あたしが小吉に返すなり、軍人さんが「そんな馬鹿な!」と、叫んだけど、あたしは本当の事しか言っていない。

 決闘の直後に、「達人級の剣道家でも、あんな動きは無理だ」とも言ってたけど、あたしに言わせればあの程度の事もできないの? って感じよ。

 でもまあ、小吉も納得できてないようだから……。

 

 「あたしが使う暮石流呪殺法の修行法は、簡単に言えば拷問なんよ。その過程で、兄様は防御がやたらと上手ぉなったし、あたしは避けるんが上手ぉなった。当たらにゃあ、どうっちゅうことないけぇね」

 「いやいやいやいや……」

 

 と、説明してあげたのに、小吉は納得するどころか冷や汗をかいた。

 本当なんだけどなぁ。

 そもそも、暮石の人間にとって武術とは後付けのオマケ。

 肉体的、精神的苦痛に耐え、恨みや憎しみなどの悪感情を表に出さず、心の内に溜め込む修業の過程で勝手に身に付くモノなの。

 だからあたしや兄様はもちろん、父様だって特別な事をしているとは思っていない。

 そりゃあ、素人が振る刃物と達人が振る刃物じゃあ怖さが違うように、武術を身につければ術の効果は上がるのよ?

 それでも、暮石の人間にとってはオマケ以上の価値がない。

 だって暮石の人間の前じゃあ、素人も達人も大差ないんだから……は、良いとして。

 

 「それより、ぷりんはまだかいね。アンタが性懲(しょうこ)りもなく何べんも何べんも挑んだせいで昨日は食えんかったんじゃけぇ、(はよ)ぉ食わせろ」

 「ちょっ……こら! もうすぐ着くから、シートを蹴るんじゃない!」

 

 本当に早くして。

 聴こえるほどの音は出てないけど、すでにお腹が鳴ってるのよ。

 空腹に耐える修行はしてるし、もう一日くらいは我慢できるけど食べられるなら早く食べたい。

 だってほら、空腹だと身体の動きが鈍るから、小吉の護衛にも支障がでるかもしれないでしょう?

 だからもっと速く車を走らせろ……と、車が激しく左右に揺れるのも気にせずに蹴り続けていた最中にふと小吉を見たら、車の天井を貫通して小吉の頭へと伸びる、薄い赤い線が伸びているのに気づいた。

 

 「あれ? ナナさん、どうかしたのかい?」

 

 間違いない。

 あれは死線だ。

 伸びているのは、およそ150間先の民家、その屋根ね。

 どんどん色が濃くなっているから、もう十数秒で小吉の頭がどうにかなる。

 

 「小吉」

 「なんだい?」

 「そこにおったら死ぬ」

 「へ?」

 

 だからあたしは、小吉の頭を胸元ヘ抱き寄せた。

 その直後に、さっきまで小吉の頭があった場所の斜め上部の天井を貫通して、座席に何かがめり込んだわ。

 今のはたぶん、銃撃ね。

 威力的に、あのままだったら小吉の額に風穴が開いていたと思う。

 

 「軍人さん」

 「わかっている! 緊張感がなくなるから、もう少し声を張ってくれ!」

 

 それは無理。

 と、言おうとしたけど、民家の屋根から殺し屋と思われる奴が飛び降りて、二輪車に股がったのが見えたからやめた。

 あれは、追ってくる気ね。

 だったら……。

 

 「軍人さんや、適当なところに逃げてくれんか?」

 「言われなくてもそうしている! お前は黙って、油屋中将の盾になっていろ!」

 「あたしの身体じゃあ、銃弾なんか防げんぞ?」

 「それでも無いよりはマシだ!」

 

 そりゃあそうだ。

 と、思いつつ、あたしは後ろから痛いくらい飛んでくる殺気の主を考察。

 怒ってる。

 それに加えて、焦っている。

 たぶんアイツは、さっきの一撃で小吉を仕留めるつもりだったんじゃないかしら。

 なのに失敗したから、怒って焦ってる。

 だから、姿まで(さら)して追ってきてる。

 殺し屋としては三流かな。

 今回の仕事が初めてで、依頼主に良いところを見せて(のち)の仕事が受けやすくなるよう、一発で決めたかったんだろうね。

 

 「ナナさん。さっきの狙撃がどこからかわかるかい?」

 「さっきの位置から100(けん)くらいかのぉ。通り過ぎてしもぉたけど、民家の屋根から死線が伸びちょった」

 

 それが、アイツが確実に目標を仕留められる最長距離なんだと思う。

 射程だけなら、あたしよりも上ね。

 あたしの最大射程は、弾斬りの30間前後。

 あたしの得物を対象が視認し、刃物だと判断できる距離が限界だもの。

 

 「沖田君。200メートル圏内から、移動する対象の頭を撃ち抜くことができる狙撃兵に心当たりは?」

 「わたくしが知っている限りではいません」

 

 へぇ……。

 改めて思ったけど、やっぱり小吉は軍人なのね。 

 普通の人なら混乱して発狂しててもおかしくないはずなのに、小吉はあたし並み……いや、もしかしたらあたし以上に冷静で、かつ敵を分析してる。

 

 「ごめん、ナナさん。プリンはまたの機会に」

 「しゃあないねぇ。追って来ちょるみたいじゃし、今回はアイツで()さを晴らして我慢するわい」 

 

 殺気の距離から考えると、追い付かれるのは時間の問題ね。

 3人乗った自動車より、二輪車の方が速いみたい。

 

 「沖田君、敵はどんな奴?」

 「陸軍の物と思われる軍服姿。さらにバイクに乗って、我々を追尾しています。ゴーグルをかけているので顔は見えませんが、油屋中将がおっしゃった通り狙撃兵のようです。肩に九九式短小……いや、九九式狙撃銃を担いでいます」

 「たしか、猛君が……。存在しないはずの狙撃兵……か。まさか不死身の分隊長まで、僕を殺しに来たりは……」

 

 二人の会話は半分も理解できなかったけど、今のやり取りで小吉は敵の目星がついたみたい。

 これは、小吉の評価を改める必要があるわ。

 助平な童貞から、助平な童貞だけどやる時はやる童貞に格上げしておこう……ん? 後ろから飛んで来てた殺気の向きが変わった。

 車内じゃなくて、小吉の尻の下あたりに向いたわ。と、言うことはそこを撃とうとしてる?

 でも、小吉の尻の下なんか狙ってどうする……あ、そういうことか。

 

 「うぉぉお!?」

 「ちょ、ちょ、ちょ! どうした沖田君! 撃たれたのかい!?」

 「撃たれました! わたくしではなく、タイヤをですが!」

 

 敵の狙いはタイヤだったか。

 う~ん、これは迂闊だったわ。

 あたしって、普段から厄除(やくよ)けに頼ってるせいで、自分を含めて厄除けの範囲内に入ってる人への死線は敏感に察知できるんだけど、それ以外を狙った攻撃には反応が遅れちゃう悪癖があるのよね。

 例えば、今のこの状況。

 敵がもし軍人さんを狙ったのなら、狙った瞬間に忠告なり座席ごと蹴り倒すなりできた。

 でもタイヤを狙われたせいで、敵の思惑を理解するまで時間を要しちゃったのよ。

 まあ、これは後の課題にするとして、良い感じに回転してるから、この回転を利用してドアを開いて外に出よう。

 もちろん、ハーネスで右腿に固定している短刀を抜くのも忘れずに。

 

 「あ、いた」

 

 あたしが自動車から飛び降り、銃を構えようとしていた敵を牽制するために睨みをきかせ……表情は変えられないけど殺気を飛ばして牽制した十数秒後、回転が止まった自動車のドアから、小吉が顔を覗かせた。

 もうちょっと頭を引っ込めた方が良いんだけど……死線は、今のところあたしに向いてるから注意はしなくて良いか。

 

 「退け、女。お前にも運転手にも用はない。自分が用があるのは、そこで身を縮めている臆病者だけだ」

 「嫌じゃ。あたしはあん人の護衛なんでね。じゃけぇ、ここを退くわけにゃあいかん」

 

 それ以上に、目撃者を生かして帰すなんてほざくような三流の言うことを聞きたくない。

 アンタ、ちゃんと証拠とか隠滅(いんめつ)した?

 そんな目立つ格好で、しかも銃ぶら下げてあたしたちを追い回して、人の記憶に残らないとでも思ってるの?

 ちなみに、あたしはちゃんとしてるわ。

 東京駅の時だって、ちゃんと柳女(やなぎめ)であたしが歩いていると周囲に誤認させてから殺った。

 あたしが刀を振り回してるところなんて、小吉くらいしか見てないはずよ。

 さらに、見られても問題ない。

 だって魂斬(たまぎ)りは、刃を直接当てるものじゃないんだもの。

 例えあの時あの場にいた人の誰かが、学生服の上にコートを羽織った女が刀を振り回していたのを見たって証言しても証拠にはならない。

 それでもいちゃもんつけられたら、「軍刀を見せてもらって、ついついはしゃいじゃいました~テヘ♪」とでも言っとけば大丈夫よ。たぶん。

 

 「ならば名乗れ。名も知らぬが者を殺すなど、自分の流儀に反する」

 「あたしの名を聞きたきゃあ、まずは自分から名乗りんさいね。それが礼儀じゃろう?」

 「……確かに、そうだな」

 

 いや、礼儀云々の前に、殺し屋が名乗り合うな。

 と、普通の殺し屋なら言うのかしら。

 でも残念ながら、暮石家は普通じゃない。

 これはうちの特徴の一つなんだけど……何故かこういうノリが大好きなのよ。

 普段はやらないんだけど、名乗れと言われたら名乗りたくなっちゃうのねぇ……あたしも、例に漏れず。

 

 「元沖縄守備軍、第32連隊所属。小野一等兵」

 「……暮石家五代目当主候補。暮石 七郎次」

 「暮石? 噂の暗殺者一族か。実在していたとは驚きだ」

 

 そうでしょうともそうでしょうとも。

 なんせうちに依頼できるのは、陸軍でも限られた者のみ。

 だから、暮石家の名前を知らない人の方が多いし、知っててもコイツみたいに、存在を疑問視してるわ。

 猛おじ様だって、連絡役としてうちの近所に越して来るまではそうだったらしいし。

 

 「そんな玩具(おもちゃ)で、あたしが殺せると思ぉちょるんか? 軍人さんっちゅうのは、どいつもこいつも考えが短絡的じゃねぇ」

 「お前こそ、そんな短刀でどうする気だ? その距離では、自分には決して当たらんぞ」

 

 そりゃあ当たらないわよ。

 この短刀が30間も離れてるアンタに当たると思う? どう考えても当たらないでしょうが。

 ん? でも、そう言われると当ててやりたくなったわね。

 ギリギリ射程内だから魂斬りで事は済むし、必要もないんだけど……。

 

 「小吉、よう見とってね」

 

 小吉に、あたしの実力をわかってもらうためにもぶった斬ってやる。

 でもそのためには、アイツに近づく必要がある。

 だから、あたしは歩いたわ。

 何の構えもとらず、変に力も入れず、散歩にでも出るように自然な動きで、あたしは歩を進めた。

 当然、アイツは発砲。

 でも、銃弾はあたしに当たらない。

 ずっと額に狙いを定めているのなんてわかってたから、発砲するより前に狙いを外してやったわ。

 これが……。

 

 「暮石流呪殺法、段外の(いち)厄除(やくよ)け」

 

 その、一番基本的な使い方。

 なぜ段外かと言うと、これは術と言うよりは暮石家の人間に生まれた時から備わっている、本能に近いモノだから。

 それはもう一つの段外である柳女も同じ。

 きっとあたしたち暮石の人間は、映像として見てしまうほど死に敏感で、気配を蜥蜴(とかげ)の尻尾のように切り離して囮にする臆病者の末裔なんでしょうね。

 

 「どんな……手品だ?」

 「種も仕掛けもありゃあせんよ。単に、アンタの攻撃がわかりやすすぎるだけいね」

 

 嘘は言ってないし、手品でもない。

 それでも、アンタが撃った五発の銃弾を撃たれるよりも前に躱し、距離を詰めるのには十分。

 このまま柳女で、今のあたしにアイツの視線と意識を注目させて距離を詰め、右腕なり落とせば勝負ありなんだけど……せっかくだから、もう少し演出するとしますか。

 

 「弾切れかい? ええよ。弾を込めるなり、腰の物を抜くなりしんさい。それまで、待っちゃる」

 

 気配だけ……ね。

 あたしは柳女でゆっくり歩くあたしの気配だけを残して、狙撃銃を投げ捨てつつ右手を腰の拳銃へ伸ばしているアイツの真横へと、早足で近づいた。

 そして真横に陣取り、拳銃を抜こうとしている敵の右腕、肘から先を斬ってやろうと短刀を持った右腕を振り上げようとしている最中に、違和感に気づいた。

 この気持ちは何?

 嬉しい? 違う。

 じゃあ楽しい? これも違う。

 強いて言うなら、その両方。

 心臓は鼓動を速くしようとしているのに、あたしはそれを抑えつけてる。

 もしかしてあたし、ワクワクしてる?

 何に?

 殺しに? いや、それはない。

 殺しはあたしにとって日常。

 夕飯にするために野草をつんだり、銀杏を拾ったりするのと同じ行為。

 じゃあ、戦い自体に?

 これも違う。

 あたしにとって、戦いとは余計なモノ。

 戦いになる前に殺すのが普通だと、教え込まれた。

 だから、先の二つにワクワクしてるんじゃない。

 だったら、何に?

 

 「ば、馬鹿な! いつの間に……!」

 「敵の言うことを信じるなんて、アンタは阿呆か?」

 

 考え事をしつつも、あたしの体は敵の右腕を斬り落とした。

 今は仕事中。

 考え事は後にしなさいナナ……いえ、七郎次。

 今あたしがすべきことは、血が(したた)る傷口を押さえてうずくまったコイツにトドメを刺すこと。小吉を殺そうとした憎きコイツを……。

 あれ? あたし今、コイツを憎んだ?

 どうして?

 

 「そいつを殺すな小娘! 尋問して依頼人を吐かせる!」

 「何であたしがアンタの言うことを聞かにゃあいけんのね。小吉がそうせぇっちゅうならそうしちゃるが、そうでないなら殺す」

 

 突然大声を出すな木偶(でく)の坊が。

 おかげで、何を考えてたか忘れちゃったじゃな……おいお前、何をしてる?

 

 「ナナさん! 今すぐ殺して!」

 

 迂闊。

 あたしとしたことが、反応が遅れた。

 アイツは小吉へ向かって駆け出し、腰に括っていたと思われる……手榴弾ってヤツかな? を、取り出して、すでにあたしと小吉の中間点に至っている。

 もしかして、小吉ごと自爆する気?

 どうして? 失敗したから?

 いや、そんなことはどうでも良いし、自爆なんかさせない。

 後ろからだから、あたしの(・・・・)魂斬りじゃあ仕留められないけど、このまま追えば首、もしくは心臓を狙える。

 あたしは腕力がないからあまり胴体は狙いたくないけど、体当たり気味に刺せば妨害にもなる。

 だから刺した。

 敵の左に移動し、突き飛ばすつもりで真横から心臓を刺した。

 これで、敵は即死。

 あとは、手榴弾が爆発する前に逃げるだけ……だったのに、左目の端に小吉の姿が映った。

 どうして、そこにいるの?

 どうして、あたしに体当たりなんてしたの?

 どうして、あたしを抱き締めるの?

 それじゃあまるで、あたしを守ろうとしてるみたいじゃない。

 

 「痛たたた……」

 

 小吉があたしを抱き締めた数瞬後に、手榴弾が爆発した。

 あの距離じゃあ爆発圏内から逃げ切れてない。

 きっと、背中を怪我してる。

 なのに、小吉は呑気だ。

 痛いはずなのに、苦笑いをして何でもない風を装ってる。

 考えてやってるのかどうかはわからないけど、大したはことないと必死に取り繕っている。

 そんな小吉を見てたら、かつてないほどの怒りが胸の内に渦巻いた。

 怒りすぎたからか、悲しみまでこみ上げて来た。

 その感情の濁流(だくりゅう)に流されたからか、あたしは……。

 

 「こん……ド阿呆が! なして、あんな事したんや!」

 「いやその、体が勝手に……」

 

 怒鳴っていた。

 あたしは、生まれて初めて怒鳴った。

 でも、不思議と驚きはない。

 むしろこのまま、感情の流れに身も心もまかせてしまいたいと思い、そうした。

 

 「勝手過ぎるわい! あんなに勝手なことされちゃあ、守れるもんも守れん! そんくらい、軍人なんじゃけぇわかるじゃろうが!」

 「ごめん……」

 

 謝るくらいなら、最初からやるな!

 とも、言ったと思う。

 馬鹿とか阿呆とか童貞とか助平とか、思いつく前に口から罵詈雑言が飛び出ていた。

 そんなあたしを、小吉は優しい目で見ていた。

 年下の小娘に好き勝手言われているのに、小吉は怒るでもなく呆れるでもなく、ずっと見つめてほしいと思ってしまうくらい優しい瞳で、あたしを見ていた。

 そして、小吉は……。

 

 「ちょっ……! 小吉!?」

 「女性を護ろうとするのは、男の本能ですから」

 

 と、あたしの抗議を無視するように言った。

 あたしが女性?

 あたしを護る?

 いやいや、意味がわからない。

 確かにあたしは、性別的には女よ。でも愛嬌はないし、色気も……たぶんない。

 そんなあたしを護るですって?

 アンタを守ってるのはあたしなのに、どうしてアンタがあたしを護るの?

 と、混乱しているあたしの頭を胸に抱いたまま、小吉は寝息を立て始めた。

 軍人さんに「油屋中将! 無事……の、ようですね」と呆れられても、あたしに「小吉……。あの、苦しい。苦しいけぇ放して」と言われても、意識を完全に失うまで、あたしを抱き締めてくれた。

 



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第十一話 困惑(表)

 

 

 困ったことになった。

 小野一等兵に襲撃され、横鎮の医務室に運び込まれてから早三日、ナナさんが一言も口を利いてくれない。

 いや、僕はあの時失神してから丸二日寝ていたそうだから、ナナさんが口を利いてくれてないのは実質一日なんだけど、それでもキツい。

 だって、ナナさんがトイレに行く時以外は、何も言わずにずぅぅぅ……っと、椅子に座ってベッドで横になってる僕を見続けてるんだよ?

 食事をしている時や沖田君と仕事の話をしている時はもちろん、看護婦さん……この時代は看護婦で良いよね? が、僕の身体を拭いてくれたり尿瓶(しびん)やおまるで下の世話をしてくれてる時も、じぃぃぃぃぃ……っと、見続けてるんだ。

 何も喋らず、身動きすらせずに!

 

 「あのぉ……ナナさん?」

 

 当然ながら、話しかけても反応なし。

 どうやらナナさんは、先の襲撃で僕が余計なことをしたことにご立腹らしい。

 そうでないなら、こんな羞恥(しゅうち)プレイで僕の羞恥心を刺激し続けるわけがない。

 

 「ん? 誰か……」

 

 来たのかな?

 無言のナナさんの視線から逃げるように病室のドアへと視線を移すと、待ってましたとばかりにノックされる音がした。

 やっぱり、誰か来たようだ。

 警護してくれている沖田君が、ドア越しに「お客様がお越しになりました」と言っている。

 

 「どうぞ……って、猛君か」

 「随分な物言いだな小吉。せっかく俺が、針のむしろになりながら見舞いに来たと言うのに」

 「いまだに海軍と陸軍は仲が悪いのに、こんな所に来るからだよ。で? お見舞いって言ったくらいだから、何かしら持ってきたんだろう?」

 「ああ、沖田少佐に頼まれていた、小野一等兵と名乗った襲撃者の情報を持ってきた」

 

 つまらない土産(みやげ)だなぁ。と、思っちゃいけないか。

 将官クラスならともかく、悪い言い方をすれば掃いて捨てるほどいる兵卒クラスを調べたんだ。

 その手間は、相当なものだっただろう。

 

 「結論から言おう。沖縄守備軍に、小野と言う人物はいなかった」

 「それ、本当かい?」

 「本当さ。史実通り、存在が確認できなかった」

 

 と、沖田君が用意した椅子に腰掛けながら報告してくれた猛君の顔に、申し訳なさはない。

 会いたいと言っていた一人が存在しないとわかったのに、残念そうでもない。むしろ、当然だと言い出しそうな態度だ。

 これは、僕の胸中に湧いてしまった疑惑を晴らすためにも、単刀直入にいこう。

 

 「先の襲撃。画策(かくさく)したのは君かい?」

 「何故、そう思う?」

 「僕たちの行き先を予想して網を張ることが出来る人物が限られているからさ。横鎮に僕が出向くのは兎も角、プリンアラモードを食べにホテル ニューグランドに行くのは沖田君とナナさん。そして両者の性格を知り、ナナさんにプリンアラモードのことを教えた君にしか予想できない」

 

 そこまで一気に説明すると、猛君は腕を組んで目を(つぶ)り、虚空を見上げた。

 これは肯定と取って良いのだろうか。

 もしそうなら、冷や汗を流しながら腰の拳銃へと手を伸ばそうとしている沖田君に拘束なりされるし、ナナさんにも……ん?

 ナナさんは何処に行った?

 猛君が入室した時は、まだ椅子に座っていたはずなんだけど……。

 

 「やられたな」

 「やられた? それはどういう……」

 「どうもこうもない。小野一等兵を雇った奴の目的はお前の暗殺ではなく……」

 「僕たちを仲違いさせるのが目的。かい?」

 

 猛君の言葉を遮って答えを言うと、猛君は「そういうことだ」と言ってうなずいた。

 確かに有り得る。

 ナナさんが猛君に連絡を取ったのは、傍聴対策なんかしていない僕の家の固定電話からだから、盗聴された可能性は十分にある。

 それで得た情報を基に襲撃場所を選定し、小野一等兵を待ち伏せさせた……と、考えれば一応筋は通る。

 でも、それはギャンブルに近い。

 その理由は二つ。

 一つは、僕たちがホテルニューグランドに向かったのは、ナナさんへの報酬を払うため。

 つまり、ナナさんがプリンアラモードを報酬として要求しなければ、そもそも鎮守府から出ることすらしなかった。

 要は、ナナさんの気まぐれに近い。

 二つ目は、ホテル ニューグランドへの経路が複数あること。

 あんなに目立つ格好をした小野一等兵が追跡していれば沖田君なら気づくから、追跡の過程で経路を絞り込んで先回りして待ち伏せた可能性は低い。

 あらかじめ、最初の狙撃地点で待ち伏せしていたと考えるのが妥当だ。

 ならば当然、ホテルへ向かう経路を知る必要がある。

 が、あの経路は鎮守府を出る直前に、車中で沖田君と決めた経路だ。

 故に、小野一等兵が経路を知ることは困難。

 

 「小吉。お前の疑問を解消してやろう」

 「できるのかい?」

 「できる。そして、小野一等兵へ依頼した奴にも察しがついた。だが、その前に……」

 

 そこで言葉を区切って、猛君は視線だけ左……いや、後ろの方へと向けた。

 まるで、すぐ後ろに誰かがいるかのように。

 

 「俺は敵じゃない。だから、短刀をしまえ。ナナ」

 「あら、気づいちょったんじゃね。さすがは猛おじ様」

 「気づいていた訳じゃあない。病室に入ってもお前の姿が見えなかったから、敵かもしれん俺の首筋をいつでも斬れる準備をしてるんだろうと、カマをかけただけだ」

 

 これは驚いた。

 東京駅で目の前にナナさんが突然現れた時以上に、度肝を抜かれた。

 だって猛君の後ろとは言え、僕からすれば目の前だ。

 なのに僕は、ナナさんがそこに移動して、今まさに太腿(ふともも)に着けたハーネスに固定された鞘にしまおうとしている短刀を抜いて猛君の首筋に当てるまでの行動に気づけなかったんだから。

 それは沖田君も同じだったらしく、両目をこれでもかと見開いて驚愕している。

 

 「そして、これが答えでもある」

 「答え? 僕たちがナナさんに気づけなかったのが、今回の件にどう……」

 

 関係するんだい?

 と、続けようとしてやめた。

 いや、疑惑をはね除けて覆い被さって来た恐怖に、押し潰された。

 つまり、小野一等兵が僕たちの移動経路を知れたのは、僕と沖田君の会話を車内で聞いていた人物がいたから。

 そう、ナナさんのように、目の前にいても気づかないほど気配を消して、執務室や車の助手席で誰かが聞いていたんだ。

 そしてソイツは、信号待ちなどで車が止まった時にでも車外へ出て、小野一等兵に移動経路を知らせた。

 ドアを開け閉めしたことさえ、僕と沖田君はもちろん、ナナさんにも気づかれずに。

 そんな事ができそうなのは、僕が知る限り一人しかいない。

 

 「ナナさんの兄。六郎兵衛が、小野一等兵の雇い主か」

 「おそらく、そうだ。暮石家の人間に本気で隠れられたら、例え目の前にいても気づくことはできん。それこそ、殺されてもな」

 「なんとも常識はずれな一族だね。でも、気配を消したくらいで、そんな事ができるのかい?」

 「実際、ナナが俺の後ろにいたのに気づかなかっただろう?」

 「そうだけど、納得ができないんだよ」

 「だったらナナに聞け。俺は暮石の人間が使う術名と効果はある程度知っているが、詳細までは知らないんだ」

 

 と、言われたから、いつの間にか元々座っていた椅子に戻っていたナナさんに、視線を移したんだけど……。

 

 「あの、ナナさん?」

 「……」

 

 相変わらず、口をきいてくれない。

 しかも、喋ってくれないだけでなく、プイッと言う擬音が聴こえそうなくらい見事に、そっぽを向かれてしまった。

 これは、本格的に嫌われちゃったのかなぁ……。

 

 「ナナ、お前まさか、照れているのか?」

 「照れちょらん」

 「だがお前……」

 「照れちょらん。小吉の顔を見とぉないだけ」

 

 そっかぁ。

 顔も視たくないほど嫌われちゃったのかぁ。

 あははははは……はぁ……。

 いや、慣れてるんだよ?

 僕は前世で、特に何をしたわけでもないのに、これでもかと女子に毛嫌いされていたからね。

 だから告白して振られるなんて当たり前だし、告白されたこともない。 

 当然、人生で三回あると言うモテ期を一度も経験しちゃあいない。

 そのモテなさっぷりは今世でも健在。

 そんな非モテのプロフェッショナルである僕にとって、女性に嫌われるなんて呼吸をするが如く自然なことさ。

 

 「ナナ。小吉がトラウマを刺激されたのか、今にも死にそうな顔をしている。後生だから、面と向かって話をしてやってくれ」

 「……」

 

 あ、ナナさんが横目でだけど、僕の方を……見たかと思ったらまたプイッっとそっぽを向いた……と思ったら、また僕の方を見てくれた。

 今度は横目ではなく、真っ直ぐに。

 あれ? でも(ほほ)が……。

 

 「ナナ。顔が……」

 「赤ぉなんかなっちょらん」

 「いや、自覚があるんじゃないか」

 「なっちょらん」

 「だが……」

 「なっちょらんって、言うちょるじゃろうがね。ちぃとしつこいんじゃない?」

 

 このままじゃあ、話が進まないなぁ。

 だったら、薮蛇(やぶへび)になりかねないけど僕が……。

 

 「OKわかった。ナナさんの顔は赤くなってない。猛君も、それで良いね?」

 「いや、しかしだな小吉。ナナのこれは……」

 「い・い・ね?」

 「う……わかった。今は自重(じちょう)しよう」

 

 よし。

 これで話を再開できそうだ。

 できそうだけど……。

 猛君を止めといて何だけど、本当に赤いなぁ。

 頭の天辺から、湯気が出そうなくらい真っ赤だ。風邪でも引いたんだろうか。

 

 「まずは……え~っと。ああ、そうそう。小吉にも何回か見せた柳女の説明からじゃね」

 「ヤナギメ? それが、さっきのアレかい?」

 「そう。さっきのは、正確には応用じゃね。柳女は本来、気配を囮として残し、逃げたり近づいたりする術なんじゃけど、それに暗示を上乗せするとさっきみたいな事ができる」

 「暗示?」

 「そう、暗示。こう言っちゃあ身も蓋もないんじゃけど、暮石流呪殺法……いや、その元となった、我が家の家名の由来ともなった(いにしえ)の秘法、『呪法・暮れなずむ石の如く』は催眠術なんよ」

 「催眠術だって? それでどうやって、あんなにも常識はずれなことが……」

 

 できるのか。

 と、言おうとした口を、力尽くで閉じた。

 いつの時代か忘れたし、どこの誰がやったかも覚えてない。本当に行われたかも定かじゃないけど、たしか、被験者に何の変哲もない木の棒を、真っ赤になるまで熱した鉄の棒だと暗示をかけて腕に押し付けると言う実験があった。

 その結果は、被験者が火傷した。

 ただの木の棒を熱した鉄の棒だと思い込んだ被験者は、腕を本当に火傷したんだ。

 要は、精神が肉体を凌駕(りょうが)する。を、実証した実験だ。

 つまり、暮石流呪殺法とはこれの強化版。

 いや、この実験を実用レベルにまで高め、完成させたモノと言えるんじゃないだろうか。

 

 「……理解、してくれたようじゃね」

 「大まかに、だけどね。じゃあ、君のお兄さんが僕たちに気づかれずに、僕たちのすぐそばで会話を聞くことは……」

 「できる。特に兄様は、柳女の使い方が抜群に上手い。『自分はここにはいない』と暗示をかけてかけた上で気配を消しゃあ、あたしや父様ですら兄様を見つけることはできん。仮に、今この場に兄様がおってもな」

 「それは……恐ろしすぎるね」

 「ああ、怖い。でも安心せぇ。兄様が柳女の扱いが上手いように、あたしは厄除けの扱いが上手い。あたしの目の届く範囲におりゃあ、兄様が小吉を殺そうとした瞬間に居場所が割れる」

 

 厄除け?

 それってたしか、僕が狙撃されるのを察知したり、真正面から小野一等兵の銃撃を回避した術だよね?

 それもついでに説明してくれたりは……。

 

 「……」

 

 あ、してくれないんですね。

 僕と顔を突き合わすのが限界だったのか、またプイッっとそっぽを向いてしまった。

 そこまで嫌わなくても……。

 

 「小吉」

 「ん? なんだい? 猛君」

 「ようやく、春が来たな」

 「いや、今が何月か知ってる? 末とは言え十一月だよ? まだ、冬になったばかりだよ?」

 

 と、訳のわからないことを言った猛君に返したんだけど、猛君は「うん、うん」と無駄に頷くばかりだ。

 何故か、沖田君も一緒になって。

 二人と違う反応をしてるのは、ナナさんだけ。

 相変わらず僕から顔をそむけているけど、ポーズが変わっている。

 両手で両膝にかかるスカートの(すそ)を握りしめ、肘をピーンと張って肩をプルプルと奮わせている。

 しかも、さっきまでは頬が染まる程度だったのに、今は耳まで真っ赤だ。

 そんなナナさんに……。

 

 「ナナさん」

 「な、なに?」

 「今のナナさんは、とても可愛いよ」

 

 僕は自然と、猛君と沖田君の「やる時はやるんだな」と言う感想を無視して口走っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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第十二話 困惑(裏)

 

 

 困ったことになった。

 これは大問題だと言ってもいいわ。

 阿呆なことをした代償に、大怪我をした小吉がヨコチンの医務室に運び込まれてから早三日。

 あたしはずっと、溢れ出しそうになっている感情を抑えつけるのに注力しっぱなし。

 だから、じっとしてる。

 小吉が寝ていた二日間も、起きてからもずぅぅぅぅ……と、お手洗いに行く時以外は椅子に座ったまま。

 でも、不思議と退屈はしなかった。

 寝ている小吉や、ゲン……あれ? ジュウ……だっけ? とにかく、何とかゾウと仕事の話をしている小吉や、顔を真っ赤にして身体を拭かれたり下の世話をされてる小吉を見てたら、何故か退屈しなかったの。

 

 「あのぉ……ナナさん?」

 

 故に、話しかけられても答えない。

 いや、返せない。

 だって、少しでも口を開いたら、あたしには理解できないこの感情が飛び出てしまいそうだし、反応がないあたしを見て苦笑いしたり、泣きそうになったり、落ち込んだりする小吉の反応が面白いからしない。

 

 「ん? 誰か……」

 

 来たわね。

 覚えのあるこの気配は……猛おじ様か。

 でも、変ね。

 妙に殺気立ってると言うかイライラしてると言うか、とにかく心境は穏やかじゃあないみたい。

 だったら、とりあえず隠れよう。

 猛おじ様が小吉の敵になる可能性は低いけど、あの人は小吉と違って人を道具扱いできる人。

 いくら小吉が友人だと言っても、必要なら切り捨てるでしょう。

 だからあたしは、

 ゲン……いや、ジュウ……もうジュウゾウでいいや。が、ドア越しに「お客様がお越しになりました」と言った声に紛れるよう、「あたしはここにはいない」と、猫の子も散らせない程度の殺意を声に乗せて呟き、気配を消した。

 

 「どうぞ……って、猛君か」

 「随分な物言いだな小吉。せっかく俺が、針のむしろになりながら見舞いに来たと言うのに」

 「いまだに海軍と陸軍は仲が悪いのに、こんな所に来るからだよ。で? お見舞いって言ったくらいだから、何かしら持ってきたんだろう?」

 「ああ、沖田少佐に頼まれた、小野一等兵と名乗った襲撃者の情報を持ってきた」

 

 な~んだ。

 単にヨコチンの軍人さんの態度が気に入らなかったから、猛おじ様は機嫌が悪かったのか。

 猛おじ様も堪え性がないねぇ。

 そんな事で警戒させないでよ。

 あたしは兄様と違って、コレ(・・)は あまり得意じゃないんだから。

 

 「結論から言おう。沖縄守備軍に、小野と言う人物はいなかった」

 「それ、本当かい?」

 「本当さ。史実通り、存在が確認できなかった」

 

 ん? 猛おじ様の話を聞くなり、小吉が黙り込んで何か考え始めたわね。

 しかも、ほんの少しだけ、猛おじ様に敵意を向けている。

 

 「先の襲撃。画策(かくさく)したのは君かい?」

 「何故、そう思う?」

 「僕たちの行き先を予想して網を張ることが出来る人物が限られているからさ。横鎮に僕が出向くのは兎も角、プリンアラモードを食べにホテル ニューグランドに行くのは沖田君とナナさん。そして両者の性格を知り、ナナさんにプリンアラモードのことを教えた君にしか予想できない」

 

 ああ、そういうことか。

 小吉って、真面目な話もできるんだ。

 しょっちゅうあたしの方を見てるから、助平なことばっかり考えてるんだと思ってた……は、置いといて。

 さて、小吉に襲撃の元締め呼ばわりされた猛おじ様の反応はと言うと、腕を組んで目を閉じ、椅子に体重を預けて何やら考えてる。

 言い訳でも考えているのかしら。

 考えるのはいいけど、早く弁明しないと腰の拳銃を抜こうとしてるジュウゾウに何かされるわよ?

 当然、あたしにも。

 

 「やられたな」

 「やられた? それはどういう……」

 「どうもこうもない。小野一等兵を雇った奴の目的はお前の暗殺ではなく……」

 「僕たちを仲違いさせるのが目的。かい?」

 

 仲違い?

 二人を仲違いさせたら、何か得になることでもあるのかし……いや、何だか嫌な予感がしてきた。

 いやいや、予感どころじゃない。

 小吉と猛おじ様を仲違いさせようとした奴はたぶん、小吉と交遊関係、友好関係にある人を、小吉から遠ざけようとしたんだと思う。

 小吉を襲撃した時に被害に遭わないようにするんじゃなくて、小吉が助けを求められる先をなくすために。

 そんな回りくどい事をしそうな人に、あたしは残念ながら心当たりがある。

 

 「小吉。お前の疑問を解消してやろう」

 「できるのかい?」

 「できる。そして、小野一等兵へ依頼した奴にも察しがついた。だが、その前に……」

 

 猛おじ様に察しがついたってことは、あたしの嫌な予感も当たりかな。

 は、良くはないけど今は良い。

 どうして猛おじ様は、あたしの方を気にしてるの?

 もしかして、あたしが猛おじ様の後ろで、首筋をいつでも斬れるようにしてるって気づいてる?

 

 「俺は敵じゃない。だから、短刀をしまえ。ナナ」

 「あら、気づいちょったんじゃね。さすがは猛おじ様」

 「気づいていた訳じゃあない。病室に入ってもお前の姿が見えなかったから、敵かもしれん俺の首筋をいつでも斬れる準備をしてるんだろうと、カマをかけただけだ」

 

 なんだ、カマをかけられただけか。

 隠れ方が下手になったんじゃないかって、少しだけ不安になったじゃない。

 でもまあ、今ので小吉とジュウゾウにもバレたから、短刀はしまって定位置に戻るとしますか。

 

 「そして、これが答えでもある」

 「答え? 僕たちがナナさんに気づけなかったのが、今回の件にどう……」

 

 あたしの行動が答え?

 と、言うことは、やっぱり兄様か。

 確かに兄様なら、あたしはもちろん他の誰にも気づかれずに行動をともにするなんて朝飯前。

 それどころか、今この場にいるかもしれない。

 

 「ナナさんの兄。六郎兵衛が、小野一等兵の雇い主か」

 「おそらく、そうだ。暮石家の人間に本気で隠れられたら、例え目の前にいても気づくことはできん。それこそ、殺されてもな」

 「なんとも常識はずれな一族だね。でも、気配を消したくらいで、そんな事ができるのかい?」

 「実際、ナナが俺の後ろにいたのに気づかなかっただろう?」

 「そうだけど、納得ができないんだよ」

 「だったらナナに聞け。俺は暮石の人間が使う術名と効果はある程度知っているが、詳細までは知らないんだ」

 

 もしかして、あたしが小吉に説明する流れ?

 それは面倒ね。

 でも、小吉がどうしてもって言うならしてあげなくもな……え? ちょっ……小吉って、こんなに凛々しい顔立ちだったっけ? こんなにも、頼りがいのある空気を身に纏ってたっけ?

 

 「あの、ナナさん?」

 「……」

 

 あ、思わず顔を背けちゃった。

 変に思われたかしら。

 でも、小吉の顔を直視できそうにない。

 しようとすると、何故か顔が熱くなる。

 どうして? 猛おじ様が来るまでは、小吉の顔を見ても面白いくらいにしか思わなかったのにどうして?

 あたし、どうなっちゃったの?

 もしかして、あたしは小吉相手に……。

 

 「ナナ、お前まさか、照れているのか?」

 「照れちょらん」

 「だがお前……」

 「照れちょらん。小吉の顔を見とぉないだけ」

 

 そう、けっして照れてない。

 単に、三日も小吉の顔を見続けたせいで飽きたのよ。だから、もう見たくないと思い、そう言ったの。

 うん、そういうことにしておこう。

 じゃないと、平静を保てそうにないわ。

 

 「ナナ。小吉がトラウマを刺激されたのか、今にも死にそうな顔をしている。後生だから、面と向かって話をしてやってくれ」

 「……」

 

 死にそうな顔?

 それは少しだけ気になるから、ちょっとだけ横目で……あ、見るんじゃなかった。

 何? この気持ちは。

 咄嗟に目をそらせたけど、小吉は思わず慰めてあげたくなるような顔をしてた。

 大の大人が、あたしより一回りも歳上の小吉が、さっきまであたしを変な気分にさせるほど凛々しかった小吉が、今にも泣き出しそうな子供みたいな顔をしてる。

 あんな顔をした小吉を見続けてたら、あたしは本当に変になってしまうかもしれない。

 だから我慢して、見ないようにしなきゃいけないのに……。

 

 「ナナ。顔が…」

 「赤ぉなんかなっちょらん」

 「いや、自覚があるんじゃないか」

 「なっちょらん」

 「だが……」

 「なっちょらんって、言うちょるじゃろうがね。ちぃとしつこいんじゃない?」

 

 小吉を見続けてしまった。

 しかも、真っ直ぐ。

 おかげで、猛おじ様に変な事を言われちゃったし、顔の熱も増したような気がする。

 これはまずい。

 顔だけじゃなく、身体まで熱くなってきたわ。

 心臓なんて、かつて経験したことないほど鼓動が速くなってる。

 

 「OKわかった。ナナさんの顔は赤くなってない。猛君も、それで良いね?」

 「いや、しかしだな小吉。ナナのこれは……」

 「い・い・ね?」

 「う……わかった。今は自重(じちょう)しよう」

 

 あ、また助けてくれた。

 猛おじ様の追及なんて放っておいても……面倒くさいけど、放っておいてもよかったのに、小吉は助け船を出してくれた。

 どうして小吉は、あたしを助けてくれるんだろう。

 暗殺者なんて、小吉たちからすれば使い捨て道具でしかないはずなのに……は、ひとまずおいとこう。

 まだ顔も身体も熱いけど、小吉が助けてくれたおかげで気分は落ち着いたから……。

 

 「まずは……え~っと。ああ、そうそう。小吉にも何回か見せた柳女の説明からじゃね」

 「ヤナギメ? それが、さっきのアレかい?」

 

 よし、問題ない。

 いつもの、可愛げのないあたしの声だ。

 この調子を保って説明すれば、いつもの人でなしに戻れる。ナナではなく、七郎次に戻れる。

 

 「そう。さっきのは、正確には応用じゃね。柳女は本来、気配を囮として残し、逃げたり近づいたりする術なんじゃけど、それに暗示を上乗せするとさっきみたいな事ができる」

 「暗示?」

 「そう、暗示。こう言っちゃあ身も蓋もないんじゃけど、暮石流呪殺法……いや、その元となった、我が家の家名の由来ともなった(いにしえ)の秘法、『呪法・暮れなずむ石の如く』は催眠術なんよ」

 「催眠術だって? それでどうやって、あんなにも常識はずれなことが……」

 

 何故か、できるのよ。

 あたしだって原理までは知らないし、興味もない。

 でも、出来てしまう。

 呼吸をするように、手足を動かすように、暮石の人間は(おのれ)の気配を出したり消したりできるし、日々の生活で得た様々な悪感情を制御して蓄積し、それを基に精製、熟成させて(しゅ)と呼べるまでに昇華させたを殺意を自在に操る。

 呪法を作った遠い遠いご先祖様は、何かやらかして京の都を追放された陰陽師だって父様から聞かされたから、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)が度を越して人に危害を加えられるくらいにまでなったんでしょう。

 我がご先祖様ながら、女々しいとさえ思っちゃうくらい未練がましいわ。

 でも、今の説明になってない説明でも、小吉は……。

 

 「……理解、してくれたようじゃね」

 「大まかに、だけどね。じゃあ、君のお兄さんが僕たちに気づかれずに、僕たちのすぐそばで会話を聞くことは……」

 「できる。特に兄様は、柳女の使い方が抜群に上手い。『自分はここにはいない』と暗示をかけた上で気配を消しゃあ、あたしや父様ですら兄様を見つけることはできん。仮に、今この場に兄様がおってもな」

 「それは……恐ろしすぎるね」

 「ああ、怖い。でも安心せぇ。兄様が柳女の扱いが上手いように、あたしは厄除けの扱いが上手い。あたしの目が届く範囲におりゃあ、兄様が小吉を殺そうとした瞬間に居場所が割れる」

 

 逆に言えば、殺そうとしない限りあたしでも見つけられないんだけどね。

 まあ、これは言わなくても良いか。

 言っちゃったら、小吉を無駄に不安にさせてしまうかもしれないし、あたしも、小吉の顔を見続けるのが限界みたいだから……。

 

 「……」

 

 再び、顔をそらした。

 ええ、それはもう勢い良く、首がポキッってなっちゃうくらいの勢いでそらしたわ。

 

 「小吉」

 「ん? なんだい? 猛君」

 「ようやく、春が来たな」

 「いや、今が何月か知ってる? 末とは言え十一月だよ? まだ、冬になったばかりだよ?」

 

 まぁ~た、猛おじ様が訳のわからないことを言い出した。

 まぁ~た、猛おじ様が訳のわからないことを言い出した。

 まぁ~た、猛おじ様が訳のわからないことを言い出した。

 と、あたしは頭の中で何度も同じ台詞を繰り返して、猛おじ様の言葉の意味を理解しないようにした。

 両手で両膝にかかるスカートの(すそ)を握りしめて身体を強張(こわば)らせ、ここから逃げ出そうとしている身体を椅子に縫い止めた。

 なのに小吉は、あたしの努力なんて考えもせずに……。

 

 「ナナさん」

 「な、なに?」

 「今のナナさんは、とても可愛いよ」

 

 トドメを刺した。

 小吉の一言は、あたしの内側で大暴れしているこの感情に拍車をかけた。

 あたしの頭を、大混乱に陥れた。

 あたしの身体と心を、今で経験したことがないほど、熱くした。

 

 

 

 

 



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第十三話 取引(表)

 

 

 小野一等兵による……いや、ナナさんの兄である六郎兵衛が画策したと思われる襲撃から、もう二週間か。

 時間が経つのはあっという間だ。

 それどころか、年々時間が過ぎるのが早くなっている。

 こう言うのって、確かジャネーの法則って言うんだっけ。

 僕の記憶が確かなら、これは「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」という考え方で、その名の通りジャネーって人が発案した法則だ。

 要は、年を取るにつれて自分の人生における一年の比率が小さくなるから、体感として一年が短く、時間が早く過ぎると感じられるようになるんだってさ。

 

 「その考えでいくと……」

 

 体感的な人生の半分は二十歳前後だったかな。

 でもこれ、前世も含めると五十年近く生きている僕にも当てはまるんだろうか。

 それと言うのも、前世で十代だった頃と比べて、今世の十代は明らかに早かった。

 親の仕事を手伝ったり、学校に通って充実していたからか?

 それとも前世での二十年が加算されて、三十代の体感時間になっていたんだろうか。

 まあ、どっちでも良いから……。

 

 「何度も言わせるな七郎次! そこにいたら、油屋中将の仕事に支障が出るだろうが!」

 「ジュウゾウこそ、何べんも言わせんでくれん? ナナって呼んでって、何べんも言ったじゃろ」

 「俺の名は源蔵だ! 何度言ったら覚えるんだ!」

 「あ~はいはい。わかったけぇ、静かにしてくれんかねジュウゾウ。アンタの声は大きいけぇ、小吉の仕事の邪魔になるじゃろうが」

 「お前が言わせているんだろうが! それと、俺は源蔵だ!」

 

 早く、この時間が過ぎてくれないだろうか。

 横鎮で必要な書類を集め、沖田君以外のシンパたちに指示を出して家に戻ってからと言うもの、この二人はずっとこの調子なんだ。

 いや、仲は良いんだよ?

 沖田君がうるさく言うのは仕事中だけだし、ナナさんだって、普段はうるさく言われるほど僕にくっついたりしない。

 だから、二人ともいい加減にやめて。

 僕は色々な手続き関係の書類をまとめるので忙しいんだから。

 

 「ナナさん。沖田君が言う通り、そこにいられると気が散るから……」

 「小吉は、あたしが嫌いなんか?」

 「嫌いなわけじゃないよ。ただその……」

 

 僕の書斎の机、その左角で、組んで枕代わりにした腕に左頬を預けた様は大変可愛らしい。

 表情があれば、僕は正気を失ってルパンダイブをしていたかもしれないくらい魅力的だ。

 でもやめて。

 見てるだけで何をしてくるわけでもないんだけど……。

 

 「油屋中将は女に慣れていない。だから、お前がそこにいるだけで気が散るんだ。これも、何度も言っただろうが」

 

 そういうこと。

 僕は女性に対する免疫がない。

 故に、ナナさんが真横で僕を見ているだけで、僕は簡単に平静を保てなくなるんだ。

 いや、嬉しいんだよ?

 襲撃の件で嫌われてしまったと思ってたナナさんが、僕の真横を陣取るばかりか、たまに「相手をしてくれ」と言ってるかの如く、指でツンツンしてくれるのは嬉しいんだよ? 嬉しいんだけど、さっきも言った通り僕は仕事中。

 だからここは、心を鬼にし……て?

 なんだか、急に静かになったな。

 ナナさんは元から静かだけど、寝落ちしたのか目蓋を閉じている。

 僕の横で寝ようものなら、沖田君が烈火の如く怒るはずなのにそれもない。

 ナナさんが昼間から寝落ち? 護衛中なのに?

 しかも、それを沖田君が(とが)めない。

 明らかに不自然だ。

 異常事態だと言っても良い。

 ならば当然、この異常を引き起こした奴がいる。

 

 「いるのかい? 六郎兵衛君」

 「おや? バレていたのかい? 七郎次ほど、隠れるのは下手くそじゃないんだけどなぁ」

 「気づいちゃいなかったよ。カマをかけただけさ」

 

 うおぉぉぉぉ!?

 マジでいた! マジでいたよぉぉぉぉ!

 猛君の真似をしてカマをかけたら、マジで六郎兵衛がいたよぉぉぉぉ!

 と、声を大にして叫びたいけど今は我慢。

 唯一対抗できそうなナナさんが寝ちゃって大ピンチだけど、今は冷静になるんだ小吉。

 慌てず、冷静に、六郎兵衛の真意を少しでも探り出すんだ。

 

 「今は殺す気がない。と、思ってもいいかな?」

 「うん、良いよ」

 「そちらを向いても?」

 「構わない」

 「なら、遠慮なく」

 

 と、断って椅子ごと振り向いたら、黒のYシャツの上に真っ白なスーツを着込み、真っ赤なネクタイを締めた二十代前半くらいのイケメンが、スーツと同じく真っ白な中折れ帽を左手で押さえ、ドアに体重を預けてジョジョ立ちしていた。

 へぇ、ジョジョ立ちってこの時代からあったんだ……とか、殺し屋なのに派手な格好だなぁ……とか、沖田君が白目を剥いて立ったまま気絶してるなぁ……とか、嘘臭い笑顔だなぁ。なんて感想は置いといて。

 

 「取引の内容は?」

 「君って、以外とせっかちだね。殺さない理由とか、他にも色々聞くことはあるでしょ?」

 「そんなわかりきってる事は聞かないよ。時間の無駄だ」

 

 六郎兵衛が僕を殺さない理由は簡単。

 僕に何かしらの取引を持ち掛けようとしているからだ。そうでもなきゃ、ナナさんと沖田君を行動不能にしたのに、僕を殺さないことに説明がつかない。

 

 「単刀直入にいこうじゃないか。僕はこう見えて多忙なんだ」

 「あのさ。僕の気まぐれ一つで命を失うのに、どうしてそんなに強気なの?」

 「舐めるなよ、若造。僕はこれでも海軍軍人だ。死が目前に迫っている状況なんて、飽きるほど経験している。その僕が、この程度でビビるわけがないだろう。それに、君が僕を殺そうとしたら、その瞬間に君の妹が飛び起きるんじゃないかい?」

 

 嘘です。

 腕組みどころか足まで組んで偉そうな事を言ったけど、滅茶苦茶怖いです。彼が本当にいた時点で少しチビりました。

 でも、僕のハッタリは効果があったようだ。

 六郎兵衛はジョジョ立ちをやめて、それだけで人を殺せそうなほど鋭い視線を、僕に向けている。

 

 「なるほど……ね。そんな君だから、七郎次があんなになってしまったのか」

 「ナナさん? 彼女が、どうしたって言うんだい?」

 「独り言だから、気にしなくてもいいよ。じゃあさっそく、取引といこうじゃないか」

 

 さあ、ここからが本番だ。

 正直に言うと、彼が何を取引したいのかなんて全く予想がつかない。

 陸軍の待遇が悪いから、海軍に鞍替えさせてくれ。とでも言う気か?

 それとも、妹と争いたくないから、僕に軍縮を諦めろとでも言うつもりなのだろうか。

 

 「七郎次を人にしてくれ。それができたら、僕は依頼をなかった事にしよう」

 「……意味がわからないな。彼女は、歴とした人間だよ?」

 「人間? 七郎次が? おいおいおいおい、失望させないでくれよ小吉。七郎次はもちろん、僕だって人とは呼べない。人の皮を被った人でなしだ」

 

 なるほど……ね。

 つまり彼は、ナナさんを普通の人みたいに、泣いたり怒ったり笑ったりできるようにしてほしい訳だ。

 それができたら、依頼人を殺害でもして依頼をなかったことにしてくれるんだろう。

 でも、真意が分からない。

 ナナさんを人らしくしてくれと言ったのは、彼が妹想いだからか? それとも、それが暮石家にとって必要な事だからなのか?

 

 「僕はね、小吉。暮石家の悲願を成就させたいんだ。この、僕の手でね」

 「暮石家の……悲願? それはいったい……」

 

 何だ?

 某有名ゲームみたいに、術を極めて根源にでも至りたいのだろうか。

 そのために、ナナさんを人らしくする必要があると?

 

 「(とう)様は七郎次を出来損ないと言っているけど、僕はそう思ってない。七郎次こそ、悲願を成就させるために最も重要な要素だと、僕は考えている」

 「それは、どうしてだい?」

 「七郎次が、女だからさ」

 「やはり、意味がわからないな。彼女に子供でも生ませるつもりかい?」

 「ああ、そのつもりさ。七郎次には、僕の子を産んでもらう」

 

 おっと?

 冗談で言ったら、とんでもない爆弾発言が飛び出したぞ。

 まあ、気持ちはわからなくもない。

 だって、ナナさんは美人だ。

 もういくつか歳を重ねれば同性ですら誘惑してしまう色気を帯びて、誰もが平伏したくなるような美女になるだろう。

 そんな彼女の血縁と言うだけで、彼は不幸だと言えるかもしれない。

 でも近親相姦は、殺人と食人に並ぶ、人類の三大タブーの一つだよ?

 僕も、直接ではないにしろ、その一つを犯している。

 だから、彼がさらにもう一つタブーを犯したって責める権利はない。

 ないけれど、賛成も協力もしたくはない。

 

 「ちなみに、断ったら?」

 「君と親しい者を、順番に殺していく」

 「なるほど。つまりこれは、取引ではなく脅迫って訳だ」

 「取引だよ。ちゃんと、交換条件を言っただろう?」

 

 六郎兵衛は、暮石家の悲願とやらを叶えるために、ナナさんとの子を望んでいる。

 でも、そのためにはナナさんを人らしくする必要があり、それを僕ができると思っているようだ。

 故に彼は、僕を殺せない。

 殺さないのではなく、殺せない。

 そうでなければ、親しい者を順に殺すと脅迫までして、僕に協力させようなんてするはずがない。

 だったら、付け入る隙はある。

 

 「取引には合意が必要だ。残念だけど、君が依頼を反故にする程度の条件じゃあ、合意できない」

 「命が、惜しくないと言うことかい?」

 「いいや。今はまだ惜しい。でも正直、僕が死んでも軍縮は進む。そうなるように、根回しは万全だ。だから、僕の命は交換条件としては弱いんだよ」

 

 はい、ハッタリです。

 そんな根回しはしていないし、今はどころかもっと先まで死にたくない。

 だって僕、まだ童貞だよ?

 べつに男色家でも不能でもないのに、童貞のまま死ねるか。

 

 「だから、条件を一つ追加する」

 「内容による」

 「まあ、そうだろうさ。でも、安心してくれて良い。大した条件じゃないから」

 

 彼との取引は、ナナさんには悪いけど僕にとってはチャンス。

 何故なら常識はずれな暮石家の人間を、条件付きとは言えもう一人味方にできるのだから。

 

 「可能な限りで良いから、僕を殺そうとしている者の情報を教えてほしい。ああもちろん、君の依頼主については言わなくても良い。あくまで、陸軍以外の情報だ」

 「かなり労力がいる要求だね。僕個人は、この業界じゃあ新参だよ?」

 「でも、暮石家の威光は使えるだろう?」

 

 彼の言葉を信じるなら、現当主は彼を次期当主にする腹積もりだ。ならば当然、暮石家が培ってきたコネや情報網は、すでに彼の手中にあると考えても良いはず。

 それがどれほどの規模かはわからないけど、少なくとも小野一等兵と名乗る兵隊崩れを見つけ、殺し屋デビューさせられる程度はある。 

 

 「まったく、これは予想外だ。こんなことなら、小野を自爆なんてさせるんじゃなかった」

 「失敗したら自爆して、自分の口を塞げ。と、暗示をかけておいたのかい?」

 「ええ。彼の口から僕の存在が知れたら、後の仕事に支障がでかねなかったんでね」

 「だったら、自爆させたのは正解では?」

 「それはそうなんだけど……。でも彼、自分を小野一等兵だと思い込んでいた以外は問題なかったんだ。小間使にしとけばよかったと、後悔しているよ」

 

 小野一等兵だと思い込んでいた、だって?

 じゃあ、本人じゃなかったってことか……は、今さらどうでも良いし、確かめる術もない。

 今は、この取引を成立させるのが先だ。

 取引さえ成立させてしまえば、四六時中彼に怯える必要がなくなるし、対策を練る時間も得られる。

 

 「それは、取引が成立したと受け取って良いかな?」

 「かまわない。ただし、期限をもうけさせてもらう」

 「良いだろう。どれくらいだい?」

 「半年」

 「短すぎる。せめて、二年は欲しい」

 「長すぎる。最長でも一年。これが限界だ」

 

 正直に言うと、二年でナナさんをどうにかできる自信なんてないし、方法もわからないから二年でも短い。

 でも彼からすれば、依頼人を黙らせつつ、僕を殺そうとしている他の者の情報も集めなければならないから、二年では長いのだろう。

 だったらここは……。

 

 「わかった。僕が折れよう。その代わり、今日から一年間は……」

「小吉を殺さないし、小吉を殺そうとしている者の情報を流す。これで良いかい?」

 「ああ、取引成立だ」

 

 そう言って握手を求めたけど、彼は僕の手を握ってはくれなかった。

 その代わりなのか、彼は……。

 

 「おい! 聞いているのか七郎次!」

 「うるさいねぇ。わかったけぇ静かにしてくれん?」

 

 ナナさんと沖田君に、何事もなかったように会話を再開させて、姿を消した。

 まったく、恐ろしいなんてものじゃないな。

 彼と邂逅した今なら、猛君が無理をしてナナさんを僕の護衛につけたのが正解だったと思える。

 例え対抗できなくても、ナナさんが僕と出会って何かしらの変化を起こしてくれたおかげで、僕は今もこうして生きていられるんだから。

 

 「小吉。なんで体の向きが変わっちょるん? ねえジュウゾウ、小吉は前を向いちょったよね?」

 「言われてみれば、確かに……」

 

 あ、まずいなコレ。

 さっきまで意識がなかった二人からしたら僕が急に、それこそ、場面が飛んだかのような不自然さで後ろを向いたように見えてるだろう。

 遅かれ早かれ気づかれるだろうけど、少しだけ外の空気を吸いに行きたいから……。

 

 「ナナさん。沖田君の下の名前は源蔵だよ? いい加減、覚えてあげてよ」

 「じゃけぇ、ジュウゾウじゃろ?」

 「ゲ・ン・ゾ・ウ。はい、言ってみて?」

 「ジュ・ウ・ゾ・ウ」

 

 どうしてそうなるの?

 は、良いか。

 話をそらして、時間が稼げたみたいだからこれで良い。

 まあそのせいで、また沖田君とナナさんが……。

 

 「お前の頭は空っぽなのか? ゲンゾウとジュウゾウじゃあ全然違うだろうが!」

 「似たようなもんじゃないね。ジュウゾウは男のクセに細かい」

 「お前が大雑把過ぎるんだ!」

 

 と、喧嘩を再開しちゃったけどね。

 日常を再開させたのは、六郎兵衛なりの友好の証なんだろうか。

 もっとも、それでも彼に、良い感情は抱けない。

 彼の笑顔は薄っぺらだった。

 きっとアレは、表情筋を駆使して無理やり作った笑顔、仮面だ。

 さらに今回の取引で、僕がナナさんを人らしくできたら依頼をなかったことにするとは言ったけど、僕を殺さないとは言っていない。

 つまり、今の依頼を反故にして別の依頼を受けて僕を殺す可能性もあるし、依頼なんか関係なく僕を殺す可能性だってある。

 いや、そもそも、この取引は口約束。しかも、僕と彼しか知らない。

 故に、彼の気分次第で、簡単に破ることができる。

 

 「まあ、それはこちらも同じなんだけどね」

 「何か言うたか? 小吉」

 「いいや、何も言ってないよ」

 

 僕は彼との取引に応じた。

 だから可能な限り、ナナさんを人らしくする努力はする。だけど、その先は妨害するつもりだ。

 タブーがどうとか関係ない。

 ナナさんを、自分の目的のために利用しようとしている彼の性根が気に食わない。

 ナナさんを、子供を生ませるための道具くらいにしか思ってないような奴に、抱かせたくない。

 

 「いや、それは方便だな」

 

 僕だってナナさんを利用している。

 なのに、六郎兵衛に対して怒っているのは、きっと僕が、ナナさんに惚れているからだろう。

 そう、ナナさんのことが好きなんだ。

 だから、あんな奴に渡したくない。

 僕みたいな非モテの童貞が何をと言われるかもしれないし、ナナさんに受け入れてもらえないかもしれない。

 でも、嫌だ。

 誰に何と言われようと、ナナさんにフラれようと、アイツにだけは渡さない。

 気づいてるかい? 六郎兵衛。

 君は僕に取引を持ちかけ、成立させたとしか思っていないようだけど、僕は違う。

 僕は君に宣戦布告され、それを受諾したんだ。

 そう、これからの一年間は、ナナさんを巡って争う、僕と君との戦争なんだよ。

 

  

 

 

 



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第十四話 取引(裏)

 

 

 

 小吉と出会って、もう二週間だっけ。

 まだまだ短い付き合いだけど、小吉の人となりはそれなりにわかった。

 この人は根っからの善人。

 困っている人を見たら放っておけない人。

 他人のために、自分の命を危険に晒せる人。

 病院で小吉が寝てる間にジュウゾウに聞いた話では、戦争中も誰かの代わりに傷つくことを繰り返していたらしい。

 まあそのおかげで、小吉は部下から慕われているそうよ。

 ジュウゾウも、その一人。

 何でも、乗っていた船が空襲された時に、逃げ遅れたジュウゾウを小吉が助けたんだってさ。

 そんな事を繰り返したから、小吉の身体は傷だらけなんだとか。

 以前、風呂場で見た時は傷なんて目に入らなかった……のは、アレのせいか。

 うん、間違いなくアレのせい。

 アレが凶悪過ぎて、傷が目に入らなかったんだわ。

 

 「その考えでいくと……」

 

 お? 小吉が喋った。

 小吉が家で仕事をするようになってから、あたしは小吉のそばにずっといる。

 少し動けば触れられる距離で、小吉が仕事をしているのを見るこの時間が、今のあたしにとっては一番落ち着く時間。

 稀に、声が聴きたくなって指でつついたりはするけど、それ以外は黙ってじっとしてるわ。

 なのに、ジュウゾウは……。

 

 「何度も言わせるな七郎次! そこにいたら、油屋中将の仕事に支障が出るだろうが!」

 「ジュウゾウこそ、何べんも言わせんでくれん? ナナって呼んでって、何べんも言ったじゃろ」

 「俺の名は源蔵だ! 何度言ったら覚えるんだ!」

 「あ~はいはい。わかったけぇ、静かにしてくれんかねジュウゾウ。アンタの声は大きいけぇ、小吉の仕事の邪魔になるじゃろうが」

 「お前が言わせているんだろうが! それと、俺は源蔵だ!」

 

 ジュウゾウがいちゃもんをつけてくる。

 そりゃあ、あたしだってジュウゾウの名前をちゃんと覚えてあげられない事を、悪いとは思ってるのよ?

 悪いと思ってるから、間違った覚え方だけど覚えた。

 なのにジュウゾウは、何回言ってもあたしのことを七郎次って呼ぶし、小吉本人が邪魔だって言わないのに、あたしが邪魔だって決めつける。

 ジュウゾウがそんなだから、あたしも意固地になってこの場から離れられないのよ?

 まあ、小吉に邪魔だって言われたら、あたしも素直に言うことを聞くわ。

 でも、小吉は優しい。

 優しいから、仮にあたしが邪魔でも……。

 

 「ナナさん。沖田君が言う通り、そこにいられると気が散るから……」

 

 言わないと、思ってた。

 嫌われてない限り、邪魔だと言われることはないと思ってた。

 それなのに、小吉はあたしが邪魔だと言った。

 それは、つまり……。

 

 「小吉は、あたしが嫌いなんか?」

 「嫌いなわけじゃないよ。ただその……」

 

 何よ。

 嫌いなら嫌いって、ハッキリ言ってよ。

 嫌いだって言われるのを想像するだけで、何故か心臓が張り裂けるんじゃと心配になるくらい痛むし、目頭も熱くなるけど、我慢する。

 だから、嫌いならそう言って。

 言ってくれたら、あたしはもう小吉に近寄らない。

 護衛に支障がない距離を保って、小吉には近寄らないようにするから。

 

 「油屋中将は女に慣れていない。だから、お前がそこにいるだけで気が散るんだ。これも、何度も言っただろうが」

 

 女に慣れてない?

 それだと、どうなるの?

 小吉は申し訳なさそうにあたしを見てるけど、女に慣れてないとこうな……。

 

 「おい! 聞いているのか七郎次!」

 「うるさいねぇ。わかったけぇ静かにしてくれん?」

 

 わかってないけど……ね?

 あれ、何か違和感が……。

 部屋に変わったところはないし、あたしやジュウゾウにも変わったところはない。

 しいて変わったと言えば……。

 

 「小吉。なんで体の向きが変わっちょるん? ねえジュウゾウ、小吉は前を向いちょったよね?」

 「言われてみれば、確かに……」

 

 小吉はさっきまで、絶対に前を向いていた。

 ジュウゾウとドアに背を向けて座っていた。

 なのに、今は逆を向いている。

 まずいと言いたげな顔をしているけど、その姿勢は無駄に偉そう。

 まるで、さっきまで誰かと話をしていたようにも見える。

 でも、それが違和感の正体だとは……。

 

 「ナナさん。沖田君の下の名前は源蔵だよ? いい加減、覚えてあげてよ」

 

 いや、今はジュウゾウの名前なんてどうでも良いけど、小吉に話しかけられるのは嬉しいから……  

 

 「じゃけぇ、ジュウゾウじゃろ?」

 

 と、返した。

 そうしたら小吉は、体ごとあたしの方を向いて……。

 

 「ゲ・ン・ゾ・ウ。はい、言ってみて?」

 

 口をゆっくり、大きく動かして、あたしに教えてくれた。

 なのに、あたしは……。

 

 「ジュ・ウ・ゾ・ウ」

 

 小吉の真似をして言ってみたけど、やっぱり覚えられない。

 どうして?

 小吉の声は聞き逃していない。

 口の動きだって、目に焼き付いてる。

 なのに、あたしの頭は言葉の意味を理解しなかったみたい。

 きっと、あたしの頭は言葉の意味よりも小吉の声を、小吉の動きの一切を残さず記憶するために、意味を理解することに力を割かなかったんでしょうね。

 

 「お前の頭は空っぽなのか? ゲンゾウとジュウゾウじゃあ全然違うだろうが!」

 

 ああ、もう。

 せっかく小吉と話せたのに、またジュウゾウが邪魔をした。

 

 「似たようなもんじゃないね。ジュウゾウは男のクセに細かい」

 「お前が大雑把過ぎるんだ!」

 

 うるさい。

 その無駄にでかい声をどうにかしないと仮縫いで黙らせ……るよ?

 あ、そうか。

 違和感の正体がわかった。

 

 「まあ、それはこちらも同じなんだけどね」

 「何か言うたか? 小吉」

 「いいや、何も言ってないよ」

 

 言った。

 確かに言った。

 こちらも同じだと、小吉は言った。

 その言葉で、確信した。

 きっと、兄様が来てた。

 あたしとジュウゾウを眠らせて、小吉と話をしていたんだわ。

 じゃないと、小吉が生きていることに説明がつかない。

 だって、いくら兄様が殺気を放った瞬間に反応できるよう、あらかじめ自分に暗示をかけていたと言っても、数瞬の遅れが出る。

 その数瞬があれば、兄様なら小吉を殺せる。

 いえ、そもそも、あたしと違って殺陣(さつじん)が使える兄様なら、この場にいるすべての人を一瞬で殺せたはず。

 なのに、話をしただけで帰った。

 いいや、違う。

 きっと、兄様は小吉と何か取引をしたんだわ。

 そして、その取引には……。

  

 「あたしも、関係してるんだろうな」

 

 と、思えた。

 何故か、少し怒ってる小吉を見てたら、そう思ってしまったの。

 小吉を問い質せば、この疑問も解消できそうだけど……。

 

 「少し、外の空気を吸ってくるよ」

 「では、わたくしどもも……」

 「いや、一人になりたいんだ。10分ほどで戻るから」

 「ですが……」

 「大丈夫。心配しなくても、今日は何も起きないよ」 

 

 と、ジュウゾウに言い残して、部屋を出て行ってしまった。 

 今日は何も起きない……か。

 小吉があんな言い方をしたってことは、やっぱり兄様が来てて取引なりしたってことね。

 

 「七郎次。気づいてるか?」

 「……ジュウゾウが気づくことに、あたしが気づかんわけないじゃろ?」

 「じゃあ、お前の兄が……」

 「来ちょった」

 「そうか」

 

 あら、意外。

 お前がいながら、小吉を危険な目に遭わせたのか。くらいは、言われると思ってたのに、それで終わり?

 ジュウゾウだって同じじゃろ。

 って、言い返してやるつもりだったのに、肩透かしだわ。

 

 「七郎次。頼みがある」

 「何? 言うちょくけど、あたしの雇い主は小吉じゃけぇ、報酬は別に貰うよ?」

 「わかっている。何が良い? 金か? 甘味か?」

 

 どうして報酬に甘味を?

 もしかして、あたしがジュウゾウと決闘する報酬に、ぷりんなんちゃらを要求したから?

 あれ? と、言うことは、ぷりんなんちゃらって甘味なの? は、取り敢えず頭の片隅にでも放り投げといて……。

 

 「何を、あたしに頼みたいの?」

 「人の殺し方を、教えてくれ」

 「は?」

 

 いや、何を言ってるの?

 ジュウゾウって軍人で、戦争にも参加してたんでしょう? なのに、人の殺し方も知らないの?

 

 「お前の疑問はもっともだ。だから、言い方を変えよう。人の斬り方を、教えてくれ」

 「人の斬り方なんて、教えてもらうようなことなの?」

 「お前、その反応が普通じゃないことくらいは……」

 「自覚しちょる。それでもあえて言うけど、人の斬り方なんて習うもんじゃない。慣れるもんよ」

 

 ジュウゾウの様子を見るに、これも普通の考え方じゃないんでしょうね。

 でも、あたしは間違ったことを言ったつもりはない。

 

 「素人だって、刃物を当てりゃあ人を斬れる。それくらいは……」

 「わかるさ」

 「じゃあ、斬れるじゃないね。ジュウゾウは剣道……何段じゃったか忘れたけど、素人よりは上手く斬れるじゃろ」

 「それが問題なんだ」

 「どう、問題なん?」

 「俺と初めて会った時に、お前は『道に成り下がった武』と、言ったな」

 「うん、言った」

 

 ああ、それでか。

 ジュウゾウは剣道家。

 しかも、かなりの手練れ。

 でも、ジュウゾウは人を斬るために剣道を習った訳じゃない。

 こう言ったら怒られるかもしれないけど、たぶんジュウゾウにとって剣道とは、肉体と精神を鍛練するための手段でしかない。

 だから、人を斬れない。

 そもそも竹刀の振り方じゃあ人は斬れないけど、それは大した問題じゃないの。

 要は、覚悟の問題。

 単に試合で勝つための振り方を、人を斬る振り方に変える覚悟があれば、剣道しか経験がない人でも人は斬れる。

 文字通り、振り切ればいいんだから。

 

 「空き時間ができた時で、ええの?」

 「ああ、かまわない。俺に可能な限り、実践形式の稽古をつけてくれ」

 「ええけど、あたしは加減なんてできんよ?」

 「むしろ、望むところだ」

 「わかった。ええよ、やっちゃげる」

 

 とは言ったけど、兄様がいつ狙って来るかわからないから、小吉にも付き合ってもらわなきゃね。

 良いって言ってくれるかなぁ。

 だってこれは、完全に依頼の範疇にないし、護衛に支障がでかねない。

 それを、小吉が了承してくれるかどうか……あ、小吉が戻って……。

 

 「話は聞かせてもらった。人類は滅亡する」

 「「は?」」

 

 来るなり変なことを口走ったもんだから、ジュウゾウと声を揃えて「は?」って言っちゃった。

 どうして、あたしがジュウゾウに稽古をつけたら人類が滅亡するんだろう。

 

 「一度、言ってみたかったんだ」

 「はあ、そうですか」

 「あれ? そういう話をしてたんじゃないの?」

 「どうしてわたくしが、七郎次と人類の滅亡について議論しないとならないのですか?」

 

 まったくその通り。

 もしかして、兄様と話したせいで頭がおかしくなったのかしら。それとも、変な暗示でもかけられた?

 

 「油屋中将! 折り入ってご相談が!」

 「うん、良いよ」

 「ありがとうございます!」

 

 いや、はしょりすぎじゃない?

 ジュウゾウは相談の内容を言ってないのに、どうして小吉は許可したの?

 ジュウゾウも、どうして「さすがです!」って言いたげな顔をしてるの?

 

 「六郎兵衛君はしばらく気にしなくていいから、空いた時間で稽古をつけてもらってよ。あ、庭を使って良いからね」

 「さすがは油屋中将。わたくしの考えなどお見通しと言うわけですね」

 「まあ、君は単純だから」

 

 ああ、なるほど。

 小吉はジュウゾウの考えを読んだだけか。

 たぶん小吉は、少しの違和感から兄様が来ていたとジュウゾウが気づき、あたしに稽古をつけてくれと頼むと予想して部屋を出た。 

 そして折を見て戻り、あたしとジュウゾウが話していたのを見て、予想通りになったと確信して内容も聞かずに許可を出したんでしょう。

 

 「小吉」

 「ん? なんだい? ああ、報酬の件かい?」

 

 あたしが、ジュウゾウに報酬を要求したことまでわかってるのか。

 大したものね。

 小吉はあたしやジュウゾウに比べたら遥かに弱いのに、あたしたちより遥かに強い。

 いえ、こう言うと正しくないわね。 

 戦ってる場所が違う……とでも、言えば良いのかしら。

 小吉は武力が無い分、知力を駆使して戦ってるのよ。

 そんな小吉を見ていたら……。

 

 「小吉って、格好良いね」

 

 自然と、そう言えた。

 何を言ってるんだ?

 って、不思議がられると思ったけど、無愛想なあたしが感情の籠ってない声で言った言葉で、小吉は「そ、そんなことないよ」と言って、照れてくれた。

 そんな小吉を見ていたら、何故か胸の奥が温かくなった。

 

 

 

 



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第十五話 日常(表)

 

 

 ナナさんが来てから、僕の日常は著しく変化した。

 まずは職場環境。

 学生服の他に服を持っていないナナさんを海軍省に連れて行くわけにはいかないから、仕事場を自宅に移したし、周辺の警備をさせるために一般人に変装させた海兵も配置した。

 まあ、ここは大した問題じゃあない。

 問題は私生活。

 特に……。

 

 「ナナさん。いい加減、僕の布団に潜り込むのはやめてくれないかい?」

 「どうして?」

 「どうしてって……」

 

 裸だから。

 そりゃあ、沖田君や他の海兵たちも一緒に寝起きするようになったからか、家の中では制服か寝間着用に与えた浴衣を着てくれるようになったよ?

 でも、僕の布団に潜り込む時は必ず脱ぐんだ。

 いやホント、見事な脱ぎっぷり。

 スッポンポンさ。

 しかも、しかもだよ?

 脱ぎ散らかしてあるのは浴衣だけなんだ。

 これがどういう意味かわかるかい?

 先に言った通り、僕の布団の中にいるナナさんはスッポンポン。つまり、全裸だ。

 なのに、脱ぎ散らかしてあるのは浴衣だけ。

 そう!

 つまりナナさんは、家の中では下着を着けてないんだよ!

 いや待て。

 改めて考えると、本当に家の中だけなのか?

 もしかして、外でもそうなんじゃないだろうか。

 だって松さんが洗濯物を干している時に、女性物の下着を見た覚えがないんだ。

 男の目にふれないように、松さんが違う場所に干している可能性はなくもないけど、替えと思われる学生服は普通に干していた。

 よって、下着を一枚も持ってない可能性の方が高い。

 

 「ナナさんってさ。下着、持ってないの?」

 「下着って、何?」

 

 はい、持ってません。

 下着の存在すら知りませんでした。

 え? どうすんのよこれ。

 ナナさんとの生活が始まってそろそろ二ヶ月が経つって言うのに、まだこれ程のサプライズが残ってるとは思ってなかったよ。

 しかも、このサプライズは放置しておくわけにはいかない。

 何故ならば……。

 

 「下着、買いに行く?」

 「いらん」

 「いや、要るよ。必要だし重要だよ」

 

 普段からノーパンノーブラだって知ったせいで、僕の理性が音をたてて崩壊する寸前だから。

 

 「じゃあ、小吉が選んで。小吉が選んだ下着なら……着る」

 「うん。うん?」

 

 今、何て?

 僕が選んだ下着なら着る?

 それって、僕が選んだ下着を着てくれるってことだよね?

 マジっすか!?

 僕って童貞のクセに、黒で透け透けのTバックが好きなんだけど、僕が選んだらはいてくれるの……ぉっと、落ち着け小吉。

 今が何年か思い出せ。

 今は昭和21年だぞ?

 この時代の女性下着は、下はズロースと呼ばれるトランクスの親戚みたいな物で、上はただでさえ色気が少ないスポーツブラからさらに色気を無くしたような物。

 故に、いくら探しても僕好みの下着は見つけられない。

 だがしぁぁぁぁし!

 僕も愛用している……。

 

 「ふんどしとか……どう?」

 

 これだ!

 ふんどしなら着け方によって、前から見たら急角度のショーツにも見え、後ろから見ればTバックにも見える!

 女性に「ふんどしつけない?」とか、普通なら口にした途端に殺されても文句が言えないくらいの暴言だけど、ナナさんは僕が選んだ下着なら着ると言ってくれた。

 故に、セーフで……。

 

 「小吉がつけろって言うなら……」

 

 ある!

 いやぁ、言ってみるもんだなぁ。

 確か今くらいから、洋装化に早く馴染んだ若者からズロースをはき始めるんだけど、六尺ふんどしなどの昔からの下着を愛用する女性もまだいるんだよね。

 故に、ふんどしは男性用って認識が浸透してる平成の世なら「女にふんどしつけさせようとか、変態じゃないの?」と、言われかねないけど、この時代ならOK……。

 

 「小吉って、やっぱり変態なんじゃね」

 

 じゃないの!?

 まあ確かに、僕はスケベだよ? 押しも押されぬムッツリスケベさ。

 だけど変態じゃない。

 僕は純粋に、ナナさんの下半身のセキュリティレベルを上げるためにふんどしをお勧めしたのであって、けっしてスケベ心からではない。

 なんなら、神様に誓っても良い。

 

 「なんで、そうなるの?」

 「なんでって……。猛おじ様が、小吉があたしにふんどしをつけろって言ったら変態だって……」

 

 ふむ、どうやら猛君は、日に一回のナナさんによる報告時に、有ること無いこと吹き込んでいたみたいだね。

 よろしい、ならば戦争だ。

 陸軍を潰そう。

 幸いなことに現存する部隊、特に横鎮所属の部隊への命令権を持つ現横須賀鎮守府司令長官は僕のシンパ。

 だから、僕が命令すれば仇敵である陸軍を喜んで攻撃してくれるだろう。

 具体的には陸軍省だね。

 そこを艦砲射撃からの絨毯爆撃で更地にしてやる。

 と、朝の一悶着を何とかやり過ごした日の晩に、馴染みの料亭で顔を突き合わせた猛君に言ってやったら……。

 

 「馬鹿かお前は」

 

 と、呆れ顔で言われたよ。

 ええ、馬鹿ですが何か? と、返したら怒るだろうか。

 

 「いくらお前でもまさか言わないだろうと思っていたら、本当にナナにふんどしをつけさせようとするとは……。裏切られた気分だぞ」

 「そっちかよ! 陸軍省はどうでも良いのかい!?」

 「俺はとっくの昔に陸軍省を離れているからな。今さらあそこがどうなろうと知ったことか」

 

 ああ、そうですか。

 そうだよね。

 猛君はどうでも良いよね。

 だって君は、朝鮮戦争が終わったら退役して、本格的に政界に打って出る準備に奔走する気なんだもんね。

 

 「後ろ楯は決まったのかい?」

 「マッカーサーの副官の一人として来日している同志に、広田さん外、複数人が軽い刑になるよう根回ししてくれと頼んでいる」

 「広田さんって、広田弘毅(ひろたこうき)元総理かい? ちょっ、ちょっと待ってよ! 君、東京裁判の判決にまで干渉する気なのかい?」

 「そのつもりだが?」

 「だが? じゃない!裁判で裁かれる予定になっているA級戦犯たちは、各国の世論を納得させるために泣く泣く史実通りにした生け贄だろう? なのに干渉して予定を変えたら、他の同志たちが敵になりかねない!」

 「だが、俺が成り上がるためには必要だ」

 「相変わらず君は……!」

 

  やり方が強引だ。

 君が干渉して予定を変えようとしている極東国際軍事裁判。通称、東京裁判は、史実通り1946年五月三日から始まった、連合国が戦争犯罪人と指定した日本の指導者などを裁く一審制の軍事裁判だ。

 話に出てきた広田弘毅も、裁かれる者の一人。

 詳しくは割愛……と、言うより覚えてないけど、彼は他のA級戦犯たちと違って文官であり、軍部を抑えきれなかったとはいえ非戦派だった人だ。

 仮に、彼は非戦を唱えていたが、軍部の強硬な姿勢と実力行使によって、軍部を抑えきることができなかった。とでも弁護人に発言させて、さらに軍部の実力行使の証拠をでっち上げて同情を誘い、情状酌量を認めさせるよう演出すれば、彼の政治家としての地盤はさほど傷つかない……と、思う。

 そうなった彼を後ろ楯、もしくは、その一人にするのは有りだとは思う。

 思うけど、A級戦犯たちと結果は、各国の同志たちと綿密に話し合い、仕方なく史実通りにしたんだよ?

 それを、今さら……。

 

 「他の同志たちは、何て?」

 「六割方、俺に賛同してくれた。残りの四割も結果が俺の望む通りになれば、辻褄が合うよう動いてくれるだろう」

 「六割も……」

 

 なら、今さら僕がどうこう言っても変わらないか。

 変わらないけど、納得は……。

 

 「納得はしなくても良い。元より、お前は賛成してくれないと思ってたからな」

 「だから、僕を蚊帳の外にして根回しを?」

 「ああ、その通りだ」

 「そうかい。じゃあ、一つだけ聞かせてくれないか」

 「なんだ?」

 「ナナさんを僕の護衛につけた一番の理由は、根回しが終わるまで僕の気をそらしておくためかい?」

 「……そうだ」

 

 やっぱりか。

 確かに僕は、あちこちから命を狙われている。

 そのままナナさんを雇ってなかったら、今ごろ暮石兄妹に殺されていたかもしれない。

 だから、僕の身を心配してナナさんを護衛につけてくれたのは本当なんだろう。

 でも、それは理由の半分。

 もう半分は僕を仕事に専念させつつ、女性慣れしていない僕がナナさんの一挙手一投足で慌てふためいて、それら以外に目が向かないようにさせるためだったんだろう。

 

 「じゃあいつも通り、殴るよ」

 「ああ、思いっきりやれ」

 

 僕と猛君には、ある取り決めがある。

 取り決めなんて大仰な言い方だけど、要は殴るだけ。

 僕、もしくは猛君の行動でお互いが納得し合えなかった場合、ことを起こした方が殴られる。

 まあ、僕はいまだに、一度も殴られた事がないんだけど……。

 

 「……ね!」

 

 と、変な掛け声とともに、渾身の力で猛君の左頬を殴り付けた。

 うん、今回も良い具合に決まった。

 僕は殴り合いの喧嘩をした経験は少ないけど、猛君の左頬を殴った経験だけは人一倍ある。

 だから、いくら面の皮が厚い猛君でも、僕に殴られたらしばらくは立てないよ。

 

 「あ、相変わらず、殴り方が上手いな」

 「上手くなるほど殴らせた猛君が悪い」

 「そりゃあ、そうだ」

 「そうだ。じゃないよ。殴られれば何をしても良いと思ってない?」

 「思っているわけがないだろう。お前に殴られ過ぎて……ほら、見てみろ。左の方の歯はほとんど無くなってるんだ。顎を骨折したことだって、一度や二度じゃないんだぞ?」

 

 あ、本当に左の犬歯から先が、上下ともにない。

 それでいつの頃からか、殴った感触がおかしくなっていたのか。

 

 「それよりも、お前の方は順調なのか? 大将には、無事昇進出来たんだろう?」

 「海軍艦艇の件かい? 順調と言えば、順調だね」

 「その言い方だと、問題もあるみたいだな」

 「うん、それと言うのも……」

 

 僕が各鎮守府、各泊地の解体に先駆けて行っているのは、目に見えてわかりやすすぎる戦力である艦艇の削減。要は、解体だ。

 最低限の自衛力を保持するという名目の上で、現存する海軍艦艇の7割を解体すれば良いことになっている。

 ただし、問題が一つ。

 ある程度は、史実通りの戦闘をした方が良いのではないか。と言う各国同志達との話し合いの末に起こした海戦の一つで、大和型戦艦の二番艦、武蔵はシブヤン海海戦で沈めた。

 問題は、天皇陛下も招いて横須賀鎮守府で行われる式典後に退役する予定の、一番艦の大和。

 史実では認知度は皆無と言って過言じゃなかった大和を、今世での戦争ではプロパガンダとして利用し、沖縄戦が起きなかったせいで坊ノ岬沖海戦も起きず、沈める機会を失ってしまった。

 それどころか、ろくに戦闘も経験せずに生き残ったため、無傷で戦争を戦い抜いた奇跡の戦艦とまで呼ばれているよ。

 そのせいもあってか、大和が建造された呉を中心として、解体に反対する運動が起きてしまったんだ。

 

 「戦艦三笠のように、記念艦にしてはどうだ?」

 「その手もあるけど、それで得られる収入と記念艦への改修費や維持費と、釣り合いが取れるかどうか疑問なんだ」

 「ならいっそ、記念艦に改修しなければ良い。港に係留して直接乗り込めるようにすれば、工事費も安く済むはずだ」

 「そんな適当な……」

 「適当ではないさ。お前も三笠を見に行って、艤装のちゃっちさに驚いていたじゃないか」

 「だから、本物のまま観光地にしろと?」

 「そうだ。それに大和は、後々さらに有名になることがほぼ決まっている。観光地としての収入と維持費は、十二分に釣り合うと思うぞ」

 

 本来の歴史通りになれば。って、但し書きはつくけどね。

 でも、猛君の言うことも一理ある。

 だって大和は、海軍艦艇に興味なんてなかった僕でも知ってたくらい、平成の世では知られていたんだから。

 まあ、宇宙戦艦として、だけど。

 

 「じゃあ、とりあえずそう動いてみるよ。戦後間もないのに、揉め事は起こしたくないからね」

 「そうしろそうしろ。ついでに、呉を観光でもしたらどうだ?」

 「今の呉に、観光すべき所なんてあったけ?」

 「知らん」

 

 なら言うな。

 まったく、猛君は適当すぎる。

 僕と同じで今世の方が前世より長くなっているのに、まだ前世の感覚で物を言うんだから。

 

 「おっと、観光で思い出した。お前、うちの旅館に来ないか?」

 「猛君の家に? どうしてだい?」

 

 ちなみに猛君の今世での実家は、江戸時代から続く老舗旅館。その名も『大和旅館』。

 初めて聞いたときは、もうちょっと捻れよって言った記憶がある。

 

 「戦争直後で、泊まり客がいない」

 「だから、僕に金を落とせと?」

 「そう言うことだ。ナナと同部屋にしてやるから、遠慮せず一ヶ月くらい連泊しろ」

 「書類をまとめるくらいしかしばらく仕事はないから連泊は構わないけど、どうして、そこでナナさんが出てくるんだい?」

 「どうしてって、お前とナナは恋仲だろう?」

 「違うよ?」

 

 なんで、そんな話になってるの?

 たしかに、僕はナナさんに惹かれて……いや、こういう言い方は卑怯だな。

 うん、僕はナナさんに惚れてる。

 好きだ。

 だけど残念ながら、ナナさんは僕を嫌ってる……と、思う。

 僕の布団に全裸で潜り込むのは、実家での生活習慣故であって、けっして僕を好いてくれてるからじゃないし、僕の言うことを素直に聞いてくれるのは、僕が雇い主だからだ。

 そう思って行動しないと下手を打つ。

 彼女も僕を好きだと思い込んで失敗した経験は、嫌になるくらいあるんだから。

 

 「なら、ついでに距離を縮めると良い。幸いなことに、うちの旅館は家族風呂と謳った混浴があるしな」

 「いやいや、入らないから」

 「ああそれと、俺の妹を覚えているか?」

 「たしか、(うた)ちゃん……だったっけ」

 

 フルネームは大和歌。

 文字通り、日本固有の定型詩、長歌、短歌などをさした大和歌から取られている。

 どうも大和家は、ヤマトから始まる言葉を名前につける習慣があるらしい。

 猛君なんて、ヤマタケルノ命からとられてるしね。

 で、くだんの歌ちゃんは今年で12か13になる、年の離れた彼の妹だ。

 しかも、猛君に似ず美少女。

 ハッキリ言って僕の……もとい。

 前世での僕の好みにドストライクな女の子さ。

 

 「あいつもお前に会いたがってる。だから、近いうちに行ってやってくれ。あそこからなら、辰見家(・・・)も近い」

 「わかった。スケジュールを調整して行くよ」

 

 断っておくけど、好みにドストライクな歌ちゃんに会えるから、大和旅館のお世話になることを決めたわけじゃない。

 だって、僕はナナさん一筋だ。

 そのナナさんに嫌われているからと言って、会いたいと言ってくれている歌ちゃんに浮気したりはしないよ。

 当たり前だろう?

 僕は純粋に、日頃から殺し屋に狙われているストレスの解消と、苦労をかけているナナさんと沖田君も骨休みをさせてあげたいから快諾したんだ。

 けっして、(よこしま)な考えからではない。

 なかったんだけど……。

 この選択が、僕の日常を修羅場に変えることになるとは、この時の僕は微塵も思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 なんて、修羅場フラグが立たないかなぁと思いながら、猛君との会食に戻った。



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第十六話 日常(裏)

 

 

 

 小吉と暮らすようになって、あっという間に二ヶ月が過ぎた。

 山の木々や町並みにまだ変化は見られないけど、あたしは自分でもわかるくらい色々と変わったわ。

 見えるところで一番変わったのは、人との会話が増えたことかしら。

 ここで暮らし始めるまで、あたしは他人と意識して話さなかった。

 家族とすら、必要最低限の会話しかしなかったわ。

 まあそれは、父様が無口だってのもあるし、兄様の言うことが理解できなかったってのもあるんだけどね。

 でも、ここの人たちとはそうじゃない。

 ジュウゾウとは小吉絡みで毎日のように口喧嘩をするし、松は世間話……いや、これは松が一方的に喋るだけか。するし、「油屋家の嫁に相応(ふさわ)しくなるよう、私が教育します!」とか言って、あたしに家事を叩き込もうとする。

 まあ、逃げてるけど。

 でも、最初みたいに猫を被って標準語ではなく、素で話せるようになったわ。

 ただ、それらと反比例するように、小吉との会話は減ってるのが何より寂しいし、悲しい。

 それが、見えない部分で一番変わったところ。

 あたしは、それまで人を寄せ付けなかったし、寄ろうともしなかったのに、小吉に対しては真逆のことをしている。

 最たる例が……。

 

 「ナナさん。いい加減、僕の布団に潜り込むのはやめてくれないかい?」

 「どうして?」

 「どうしてって、そりゃあ……」

 

 これ。

 あたしは毎晩、小吉が寝たのを見計らって布団に潜り込んでいる。

 小吉の匂いや体温、鼓動を感じたくて、家の中でも服を着ろって言いつけを破ってまで、全身で小吉を感じてるわ。

 起きた時の反応が面白いってのも、あるけどね。

 

 「ナナさんってさ。下着、持ってないの?」

 「下着って、何?」

 

 今日は下着について言及してきたか。

 いや、知ってるのよ?

 確かにあたしんちの教育は片寄ってるから、一般常識に疎いところが多々ある。

 でもさすがに、着たことはないけど下着くらいは知ってるわ。

 なのに知らないふりをしたのは、そう言えば小吉がおかしな事を言うかもしれないって、猛おじ様に以前言われたから。

 

 「下着、買いに行く?」

 「いらん」

 「いや、要るよ。必要だし重要だよ」

 

 いやいや、要らないでしょ。

 だって、動きにくくなるじゃない。

 本当なら、服も着たくないのよ?

 それでも服を着てるのは、家族と小吉以外には極力肌を見せたくないから。

 だから、ジュウゾウや他の軍人さんたちがこの家で寝起きするようになってからは、家の中でも服を着てるの。

 だってあの人たちは、寝泊まりしているだけだから住んでる訳じゃない。

 故に、家族じゃないもの。

 ああでも、小吉からの贈り物なら、貰うのはやぶさかじゃないか。

 

 「じゃあ、小吉が選んで。小吉が選んだ下着なら……着る」

 「うん。うん?」

 

 え? どうして不思議がるの?

 あたしじゃあ、どんな下着を買えば良いのかわからないから、小吉に選んでって言ったのよ?

 だから、小吉が選んだ下着ならどんな物でも着ける。

 例え小吉が、猛おじ様が危惧していた通り……、

 

 「ふんどしとか……どう?」

 

 って、言い出しても……って、ええ!?

 本当にふんどしって言ったわこの人。

 いやそりゃあ、別に変なことではないのよ?

 ふんどしは下着として普通だけど、猛おじ様が言うには変態でもない限り、小吉は女にふんどしをつけろとは言わないはず。

 なのに、あたしにふんどしをつけろって言ったってことは、小吉は変態なの?

 あ、べつに変態でもあたしは良いのよ?

 仮に小吉が、特殊な嗜好を満たすためにふんどしをつけろって言ったんだとしても……。

 

 「小吉がつけろって言うなら……」

 

 つけても良い。

 でも、猛おじ様が言ったことも気になる。

 さっきも言ったけど、ふんどしは下着として普通。

 地元の近所の女連中も、ふんどしや襦袢(じゅばん)を普通に着けてたわ。

 なのに、女にふんどしをつけろって言ったら変態?

 どうして……あ、もしかして小吉は、ふんどしその物が好きなのかしら。

 ふんどしを眺めたりニオイを嗅いだり舐めたり口に含んだりするのが好きなのなら、猛おじ様が言った通り……。

 

 「小吉って、やっぱり変態なんじゃね」

 「なんで、そうなるの?」

 「なんでって……。猛おじ様が、小吉があたしにふんどしをつけろって言ったら変態だって……」

 

 言ってたんだもん。

 だからそう言ったのに、小吉はそれでへそを曲げたのか、不自然に尻を後ろに突き出した格好のまま、部屋から出ていった。

 その反応が不思議でしょうがなかったあたしは……。

 

 「どう思う? ジュウゾウ。小吉はやっぱ、変態なんかねぇ」

 「変態……呼ばわりされて……はぁはぁ、喜ぶ男がいるか馬鹿者」

 

 朝食後の腹ごなしついでの稽古の最中に、大の字に寝転んで息を整えようとしているジュウゾウに聞いてみた。

 やっぱり、思いやりの欠片もないあたしの言葉で、小吉はへそを曲げちゃったのか。

 

 「あたし、小吉に嫌われるような事ばっかり言うちょるね」

 「それはそうだが、少しは稽古に集中してくれないか?」

 「え? 無理」

 

 今も電話で誰か……たぶん、猛おじ様だと思うんだけど。と、話してる小吉の方が気がかりだもの。

 稽古を始めて二ヶ月経ってるのに、いまだに木刀を振り切ることもできないジュウゾウなんて片手間で十分。

 実際、あたしがジュウゾウを殴りまくってるのは適当に拾った木の枝だしね。

 

 「お前は油屋中将……いや、もう大将か。の、ことをどう思ってるんだ?」

 「どう……とは?」

 「好きなのか。と、聞いているんだ。お前は一応、今時の若者なのに恋の一つも知らないのか?」

 「コイ? コイって……」

 

 何?

 もしかして、魚の鯉?

 あれは臭みが強くて毒もあるから、ちゃんと調理しないと病気になるって聞いたことがあるから食べたことがない。

 どうして小吉を好いてるかって話で、鯉が出てきたんだろう。

 

 「暮石家が特殊なのはこの二ヶ月で嫌と言うほど思い知ったが、まさか恋も知らないとは……」

 「知っちょるよ? 魚じゃろ?」

 「字が違う。こう、なんと言うか。お前は油屋大将と話したり触れたりしたいと思わないか?」

 「思うよ? 今も」

 「それが恋だ。お前は自覚がないだけで、油屋大将に惚れているんだ」

 

 ちょっと何言ってるかわかんない。

 確かにジュウゾウが言った通り、あたしは小吉ともっと話したいし、触れたいし触れてほしい。

 だから、毎晩布団に潜り込んでるんだしね。

 でも、それがコイとか言うモノなのかどうかは疑問。

 だってあたしがやってることは、暇さえあればあたしの身体をベタベタと触っていた、兄様の真似なんだもの。

 

 「お前は、油屋大将が嫌いか?」

 「嫌いなわけないじゃないね。嫌いじゃったら、とっくの昔に殺しちょる」

 「極端だなお前は! ん? と、言うことは、俺のことも嫌ってはいないと言うわけか?」

 「ジュウゾウはうるさいから嫌い」

 「だが、殺してないじゃないか」

 「殺すほど嫌いじゃないってだけ」

 

 あんまりしつこいと()っちゃうよ?

 は、冗談として。

 ジュウゾウが言ったコイが、小吉と話したり触れ合いたいと思う気持ちのことなら、あたしは小吉にコイをしてるんだと言える。

 でもそれだと、兄様もあたしにコイしてるってことにならない?

 コイする気持ちは、兄妹同士でも生まれる感情なのかしら。

 

 「ジュウゾウは、コイしたことがあるん?」

 「そりゃあ、あるさ。俺と女房は恋愛結婚だからな」

 「レンアイ? それも、コイと同じなん?」

 「少し違う。これは俺の解釈だが、恋とは相手を強く求める気持ちだ。それに安心感や信頼感が加わると、愛に変わる。いや、昇華される。恋愛とは、その二つを一纏めにした言葉だよ」

 

 あたしは小吉を求めてる。

 だから、あたしのこの気持ちはコイ。

 でも、小吉に嫌われると思うと気が気じゃない。安心できない。

 だから、あたしの気持ちはアイに達していない。

 そう考えると、理解できる気がする。

 するけれど、何か腑に落ちない。違和感がある。

 それはどうして?

 こんな気持ちになるのが、初めてだから?

 それとも、そもそもあたしには、理解できない感情なのかしら。

 

 「まあ、そのうちわかるさ。お前の言葉を借りるなら、恋とは習うものじゃなくて、落ちるものだからな」

 「コイに……落ちる?」

 

 落ちたら死ぬんじゃない?

 いやでも、ジュウゾウもコイをしたことがあるって言ってたから、落ちたのよね?

 なのに生きてるから、落ちても死なない高さから落ちるのかしら。

 

 「お前、何か勘違いしてないか?」

 「しちょらん。ジュウゾウがコロコロ言い方を変えるけぇ、訳わからんくなったんよ」

 「そりゃあ申し訳ない。じゃあ気分転換代わりに、稽古を再開するか?」

 「うん、ええよ」

 

 それからしばらく、ジュウゾウが動かなくなるまで稽古を続けた。

 続けたけど……ジュウゾウが弱すぎて、悩みは解消されなかった。

 いえ、悩みすぎて不安に変わった。

 だってジュウゾウは、レンアイ結婚したって言ってた。

 と、言うことはよ?

 あたしのコイがアイに変わったら、小吉と結婚することになるのよね?

 それはつまり、あたしのこの手で小吉を殺すことと同じ。

 小吉との子を生み、(はぐく)み、そして恨まれるために、小吉を殺す。

 何故なら肉親は、憎しみを植え付けるのに最も適した(にえ)

 実際、兄様は母様が死んでからおかしくなったし、あたしもそれ以来感情を表に出せなくなった。

 母様を無惨に殺した父様を恨むあまり、胸の内に鬼が生まれた。

 過去四代に渡って、暮石家が繰り返してきた儀式を受けて、あたしは暮石の小鬼になった。

 そしてたぶん、あたしが当主になったら同じことをする。

 子供にあたしと同じ思いをさせたくないなんて、何故か考えられない。

 やらなきゃいけない。

 時期が来たら子供の目の前で、小吉を(むご)たらしく殺す。

 そうしなければならないと、あたしは思ってる。

 きっとこれは、暮石の人間の本能。

 もしくは、呪い。

 あたしはきっと、暮石の業からは逃れられないし、そうしようとも考えられない。

 そんな自分が、殺したいほど嫌いなのに……。

 

 「(かさ)ね重ねよ。(たば)ね束ねよ。(はぐく)み育てよ。肥え太らせよ。我が身に宿すは鬼の赤子。我が身を成すは、鬼の形代(かたしろ)

 

 あたしは何の気なしに、我が家に伝わる唄を口ずさんでいた。

 小吉を殺したくなんてないのに、このままこの感情が育ってしまえば殺すことになってしまうと不安になっていたのに、唄が終わる頃には落ち着いていた。

 もし、あたしのコイがアイに変わったら、彼を殺してあたしも死のう。

 そう、考えていた。

 考えたら、不安は無くなった。

 いえむしろ、楽しみになってきた。

 だって彼と一緒に死ぬことが、あたしにはとても素敵なことだと、思えてしまったんだから。

 



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第十七話 修羅場(表)

 

 

 

 

 春と言えば、普通は何を思い浮かべるんだろうか。

 桜か? 花見か? 平成の世なら、花粉症も候補に挙がるのだろうか。

 もしくは、出会いと別れが思い浮かぶのかな。

 ああ、出会いと言えば、今思い出してもナナさんとの出会いは衝撃的だったっけ。

 今と、同じくらい。

 

 「……」

 「……」

 

 さて、ここでクエスチョン。

 現在、僕の目の前でセーラー服姿のナナさんと、ツインテールに白のYシャツ、さらに吊りスカートと、真っ赤に塗られたランドセルを背負ってテンプレ小学生風の装いをした歌ちゃんは何をしているんでしょ~か。

 と、某不思議発見風に言ってみたんだけど、この時代じゃあ通じないのが辛いところ。

 悲しいけど今、昭和なのよね。

 

 「どけ、クソガキ。宿に入れんじゃろうが」

 「あら、お客様は小吉お兄ちゃんとお付きが一人と、伺っていますが?」

 

 なんて、現実逃避をしている場合じゃなかった。

 どうして二人は、顔を合わせるなりにらみ合い(ナナさんは例によって無表情)を始めたんだろう。

 もしかして、沖田君が運転してくれた車から降りた僕を見るなり歌ちゃんが「お帰りなさい! お兄ぃ~ちゃん♪」と、言って出迎えてくれた衝撃が強すぎて、鼻血を逆流させて口から吐いちゃったから?

 

 「油屋大将、あなたって人は……」

 

 呆れる気持ちはわかるけど、その「ロリコンが」って言いたげな顔をしたまま、僕を抱き抱えないで。

 死にたくなるから。

 

 「小吉。このガキは何ね」

 「え~っと、その子は……」

 「ガキガキと失礼でしょ。この、方言丸出しの田舎者が」

 「ガキをガキ呼ばわりして何が悪いんね」

 「またガキって言った! 言っときますけどね、私はこれでも大人なの!」

 

 いや、どこからどう見ても、完全無欠のロリっ子……もとい。子供だよね?

 ナナさんも意味がわからなかったのか、「どこが?」と、言いたげに小首を傾げてるよ。

 

 「私は小吉お兄ちゃんと寝たことがあるの。朝まで過ごしたんだから!」

 

 ないよ?

 沖田君は「マジかコイツ」みたい目をして僕を見てるし、ナナさんは「あの凶悪なモノをこの子に?」って言ってるけど、そんな事実はないから。

 本当だよ?

 歌ちゃんは耳まで真っ赤になった顔を両手で挟んで「あの日のお兄ちゃんは、獣でした」なんて言ってるけど僕は無実。

 言っても信じてもらえないだろうし、もらおうとも思ってないけど、僕はそれでも……。

 

 「やってない! 僕は無実だ!」

 

 と、叫ばずにはいられなかった。

 その叫びが天に届いたのか、それとも単に、出迎えに行かせた娘が戻らないから様子を見に来たのか、猛君の今世での母親であり、女将として大和旅館を切り盛りする着物姿の大和 (にしき)さんが、玄関から出てきた。

 そして……。

 

 「歌」

 「は、はい!」

 

 たった一言で、歌ちゃんを大人しくさせてしまった。

 いや、歌ちゃんだけじゃない。

 僕と沖田君ももちろん、ナナさんですら、女将さんが次に何を言うのかと、固唾(かたず)を呑んで見守っている。

 

 「もっと足を出しなさいと言ったでしょう。そんなんじゃあ、いくら小吉さんが幼女趣味でも落とせませんよ?」

 「すみませんお母様。でも、これ以上短くするには切るしか……」

 「じゃあ切りなさい。いえ、いっそ脱ぎなさい。そうすれば、小吉さんは盛りのついた猿にように飛び付いてくれるでしょう」

 

 いや、この人何言ってんの?

 そりゃあスカートを脱いでYシャツ、さらにランドセル装備の歌ちゃんを見たら、僕は猿に……もとい。 

 前世の僕なら猿になる自信がある。

 でもアウトでしょ。

 この時代に施行されてたかは覚えてないけど、青少年保護育成条例はもちろん、刑法的にも完全にアウト。

 海軍大将がそんな姿の小学生に飛び付くなんて大スキャンダルだよ!

 錦おばさんは、僕を地獄に叩き落としたいんですか!?

 

 「ところで、小吉さん」

 「は、はい。なんでしょうか」

 「そこのお嬢さんは、小吉さんとはどういったご関係で? うちの放蕩(ほうとう)息子は、二人を同部屋にしてくれと言ってましたが?」

 

 マジで言ったの!?

 まあ部屋を別にしても、ナナさんはどうせ布団に潜り込んで来るだろうから、それならいっそ同部屋にした方が手間は……(はぶ)いちゃ駄目!

 ただでさえ、毎朝猛り狂う息子を(なだ)めて夜まで我慢するのに苦労してるのに、同部屋になったら夜の魔術儀式ができないじゃん!

 それじゃあ、心も身体も暴走しちゃうよ!

 

 「まあ、千歩譲って同部屋は良いでしょう。小吉さんも男性ですから、摘まみ食いしたくなることもあるでしょうし」

 

 摘まみ食いって、何を?

 もしかしてナナさんを、性的な意味で?

 無理だよ?

 僕はナナさんに嫌われてるっぽいし、そもそも僕には度胸がない。

 毎朝起きたら全裸のナナさんが隣にいるのに、僕は何もできないヘタレ。

 爆熱してるのは指さしじゃなくて股間だけの、KING OF HETARE なんだから。

 

 「歌。あなたを専属の世話係にしますから、これからの一ヶ月で確実に落としなさい。手段は問いません」

 「はい! お母様! 絶対に、お兄ちゃんを落としてみせます!」

 

 だから、落ちるのは地獄だよね?

 え? 僕、大和家に恨まれるようなことをしたっけ?

 

 「油屋大将に尽くして苦節五年。ようやく、ようやく油屋大将にも本格的に春が……くっ!」

 

 沖田君は沖田君で、訳わかんない事を言いながら目頭を押さえてるな。

 何が「……くっ!」だよ。

 何に感極まったんだよ。

 と、不満を解消するために、頭の中で沖田君を5回ほど銃殺し終わった頃に部屋へ通されたんだけど……。

 

 「疲れた……」

 

 部屋に入って襖を閉めた途端、どっと疲れが出た。

 猛君が二人に何を吹き込んだのかは謎だけど、この調子じゃあ一ヶ月も居られないかもしれない。

 主に、僕のメンタルがもたずに。

 

 「あれ? そう言えば、ナナさんはどこへ行ったんだろう」

 

 案内されて廊下を歩いている間はいたはずだけど、見渡しても姿が見えない。

 いつかのように、気配を消して隠れているんだろうか。

 

 「七郎次なら、あの子供と一緒に風呂に行ったよ。まったく、僕がその気なら小吉を殺せるって言うのに呑気なものだ」

 「あ、そうなんだ。教えてくれてありが……とぉ!? 六郎兵衛君!? いたの!?」

 「ああ、君の家からずっと一緒だった」

 「あ、そうなんだ」

 

 さらっと怖いことを言うな。

 ここまでの五時間近く、あの狭い車内に一緒にいたの? 本当に?

 は、ひとまず置いておこう。

 彼が僕の前に現れたと言うことは、何かしらの情報を持って来たって事だから。

 

 「何か、掴めたのかい?」

 「まあ、そういうこと。広島の民間団体が、『元442』と名乗る集団を雇ったらしい」

 「ずいぶんと、曖昧な情報だね」

 「広島には、暮石の天敵と呼べる一族がいるんだ。これだけの情報を得るだけでも、一苦労だったんだよ?」

 

 暮石の天敵とやらについて詳しく……は、後回しにしよう。下手に言及すると、その一族を雇う気なんじゃないかと思われかねないし。

 それよりも今は、六郎兵衛が持って来た情報を吟味するのが先だ。

 まず、僕を殺そうとしている広島の民間団体とは、まず間違いなく『戦艦大和を保全する会』。その過激派だろう。

 二週間後に行われる式典後に、大和は呉海軍工廠へ移動させ、予算の都合が付き次第、記念艦へと改装することになっているけど、それはまだ一般に公表していない。それ故、強行手段に出たんじゃないかな。

 まあ、これは問題ない。

 大和は解体しないと言っても、殺し屋集団を雇うような過激派が信じるとは思えないが、今回予想される襲撃さえ回避できれば、記念艦への改装を公表すると同時に沈静化する。

 問題は、くだんの殺し屋集団だ。

 

 「六郎兵衛君。雇われたのは、元442と名乗る集団だって、言ったよね?」

 「ああ、それが何か?」

 「その様子だと、彼らに心当たりは……」

 「ない」

 

 でしょうね。

 まあ、僕も彼らについては詳しくない。

 猛君から聞かされた程度の知識しかないよ。 

 でも、この時代で442と言う数字が絡み、集団とくれば彼らしか思い浮かばない。

 

 「雇われたのは恐らく、『第442連隊戦闘団』。その生き残りの何割かだ」

 「陸軍の部隊かい?」

 「そう。ただし、米国のね」

 

 第442連隊戦闘団。

 後にパープルハート大隊とも呼ばれることになるこの部隊は、士官などを除くほとんどの隊員が、日系米国人により構成されていた。

 その戦績は凄まじく、投入された欧州戦線で枢軸国相手に勇戦敢闘した。

 なんでも、死傷率は314%だったとか。

 そして約9000人がパープルハート章を獲得し、米国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られることになる。

 

 「でも、彼らは復員後、ろくな目に遭っていない」

 「どうしてだい? 米国は日本と違って、生きて帰る事を誉れとしていたと聞いた事があるけど?」

 「差別だよ。今も昔も、米国は差別の本場だ」

 

 後に改善されるとは言え、戦後間もない今は、日系人への人種差別に基づく偏見はなかなか変わっていない。

 そのあたりが史実通りになっているなら、彼らは部隊の解散後、主に南部の白人住民から敵視、蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままのはずだ。

 

 「それが我慢できずに、日本に逃げて来た奴らが雇われた。と、言うことか」

 「元442と名乗る奴らが、本当に442連隊の生き残りなら、そうなる」

 

 米国の彼らに対する扱いは、同じ民族の血が流れる者として同情するし、彼らの忠誠心は尊敬に値する。

 でも、それはそれだ。

 

 「六郎兵衛君。君に依頼は可能かい?」

 「うちは、陸軍以外の依頼を受けるのは御法度。それくらい……」

 「知っている。だから、猛君を通して依頼するつもりだ」

 「猛おじを? だったらまあ、可能だね。でも小吉、僕に命を狙われてるのを忘れてない?」

 「忘れてないさ。だから、君に頼んでるんだ」

 「どういうことだい?」

 「僕と君は、命を狙い狙われている関係だ。だけど、取引をした間柄でもある」

 

 故に、自身が設定した期間内は、僕がナナさんを人にするのを阻害することができないし、させるわけにもいかない。

 さらに、他の殺し屋に先を越されたとなれば、暮石の評判も落ちかねない。

 だから、君は僕の依頼を受けるしかないのさ。

 

 「わかった。で、何をすれば良い?」

 「元442を雇った奴を、殺してほしい。いくらで雇ったかも、聞き出しておいて」

 「おいおい、最初に言っただろう? 広島には、暮石の天敵が……」

 「それでもだ」

 

 六郎兵衛は顎に手を添えて悩み始めたけど、なんとも嘘臭い悩み方だな。

 もしかして演技?

 まあ演技だとしても、悩むと言うことはできないことはないと取れる。

 

 「わかった。猛おじから連絡が来たら、仕事にかかるよ。これで小吉は、戦わずして襲撃を回避できる訳だ」

 「いや、元442には襲撃してもらう」

 「何故だい?」

 「彼らを、僕の小飼(こがい)にするためさ」

 

 彼らは命懸けで戦った祖国に絶望し、一縷(いちる)の希望を抱いて捨てた祖国に帰って来たんだろう。

 それがどれほどの苦悩の果てに辿り着いた選択かは、僕程度では想像もつかない。

 僕は傲慢にも同じルーツを持ち、違う祖国のために戦った悲運の英雄たちを救いたいと思ってしまったんだ。

 自己満足だってことはわかってるし、彼らの弱味につけこんで利用しようとしているのもわかってる。

 でも僕なら、使い捨ての殺し屋に身を堕とすよりはマシな待遇をしてあげられる。

 そんな思いに駆られてしまった僕を……。

 

 「小吉は、見た目からは想像もつかないほどの悪人だね」

 

 と、六郎兵衛は呆れ顔で褒めてくれた。



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第十八話 修羅場(裏)

 

 

 

 

 春は嫌い。

 花や木、虫や動物、そして人が、抑圧して溜め込んでいた活力を解放するように騒ぎ始めるこの季節が、あたしは大嫌い……だった。

 でも、今年は違った。

 太陽に照らされた風が暖かくなるように、あたしの心も温かくなっていった。

 小吉と出会う前は真冬のように冷えきっていたあたしの心が、草花が芽吹くようにはしゃぎ、冬眠から覚めた動物が(かて)を得ようと走り始めるように猛った。

 小吉と出会って、あたしの心に春が来た。

 はずだったのに……。

 

 

 「……」

 「……」

 

 小吉が自動車から降りるなり、「お帰りなさい! お兄ぃ~ちゃん♪」と、ほざいて抱きついた子供が、あたしの心の春を奪った。

 あたしの心を、一瞬で凍てつかせた。

 

 「どけ、クソガキ。宿に入れんじゃろうが」

 「あら、お客様は小吉お兄ちゃんとお付きが一人と、伺っていますが?」

 

 今日ほど、表情が作れず声に感情を乗せることができない自分が、歯痒いと思ったことはない。

 あたしが少し、仮縫いにも届かないほど少ない殺意でも解放すれば、この子供を黙らせられる。

 でも何故か、それじゃあ負けな気がする。

 鬼のような形相で、獅子の咆哮(ほうこう)のような怒声で圧倒しなければ、あたしの勝ちにはならない気がしてる。

 

 「油屋大将、あなたって人は……」

 

 落ち着くのよナナ。

 鼻血を逆流させて吐血した小吉を抱き抱えているジュウゾウは無視。

 今は、目の前の敵の情報を得て、少しでも優位に立たなければ。

 

 「小吉。このガキは何ね」

 「え~っと、その子は……」

 「ガキガキと失礼でしょ。この、方言丸出しの田舎者が」

 

 田舎者とは失礼な。

 いえ、確かにあたしは田舎者。

 自然が豊かで災害が少ないこと以外は特筆すべき事がない、正真正銘の田舎生まれで田舎育ちのあたしは、この子が言う通り田舎者。

 それは認めてあげるわ。

 でも、それはアンタだって同じでしょ?

 何も無いじゃない。

 温泉街から離れてるここは、小吉が言うには知る人ぞ知る秘湯らしいけど、その代償に何もない。

 これなら、あたしの地元のほうがよほど物も人も有るわ……は、ひとまず置いといて。

 

 「ガキをガキ呼ばわりして何が悪いんね」

 「またガキって言った! 言っときますけどね、私はこれでも大人なの!」

 

 どこが?

 背は、高いほうじゃないあたしよりさらに低いし、身体に凹凸(おうとつ)もない。

 スカートをはいてなかったら、男の子と見間違えてたかもしれないくらいの子供じゃない。

 それとも、その成りであたしよりも歳上だって……。

 

 「私は小吉お兄ちゃんと寝たことがあるの。朝まで過ごしたんだから!」

 

 言うつもり? かと思ってたら、訳のわからないことを言い出した。

 小吉と寝たら大人?

 朝まで一緒に過ごしたら、大人になるの?

 なんて疑問に思うほど、あたしは子供じゃない。

 つまりコイツは、暗に小吉とまぐわったと言ってる訳……ね!?

 え? 本当なの? 小吉。

 本当に、あたしでも恐れをなしたあの凶悪なモノをこの子に捩じ込んだの!? と、言うが如く小吉に視線を移したけど、「何の話?」と、言わんばかりにポカーンとしていた小吉は……。

 

 「あの日のお兄ちゃんは、獣でした」

 「やってない! 僕は無実だ!」

 

 と、子供が言ったことを否定するように叫んだけど、本当?

 子供の方は顔を赤らめて恥ずかしそうにしてるわよ……とか思ってたら、また女が出てきた。

 しかも、着物姿。

 彼女が出てきた途端に、小吉は「助かった」とでも思ってるように、安心しちゃったけど……誰?

 

 「歌」

 「は、はい!」

 

 たった一言で、子供が大人しくなったってことは、この女は子供の母親か。

 このまま、客であるあたしを田舎者呼ばわりした失礼な子供に説教でもする……。

 

 「もっと足を出しなさいと言ったでしょう。そんなんじゃあ、いくら小吉さんが幼女趣味でも落とせませんよ?」

 「すみませんお母様。でも、これ以上短くするには切るしか……」

 「じゃあ切りなさい。いえ、いっそ脱ぎなさい。そうすれば、小吉さんは盛りのついた猿にように飛び付いてくれるでしょう」

 

 わけないか。

 でも、落とすってのが、よくわからない。

 母親が言った通り、小吉が幼女趣味なら、子供がスカートを脱いだら天にも昇る気持ちでしょうよ。

 だから、落とすじゃなくて昇らせるが正しいんじゃない?

 

 「ところで、小吉さん」

 「は、はい。なんでしょうか」

 「そこのお嬢さんは、小吉さんとはどういったご関係で? うちの放蕩(ほうとう)息子は、二人を同部屋にしてくれと言ってましたが?」

 

 そこのお嬢さんって……あ、あたしのことか。

 どういう関係もなにも、あたしは小吉の護衛。

 それ以上でもそれ以下でも……ない。

 うん、ない。

 なんだか嫌な気分になったけど、それは子供の物言いにムカついてるからね。

 

 「まあ、千歩譲って同部屋は良いでしょう。小吉さんも男性ですから、摘まみ食いしたくなることもあるでしょうし」

 

 摘まみ食い云々はよくわからないけど、小吉と同じ部屋になるのはありがたい。

 だって、わざわざ小吉の部屋まで移動する手間が省けるんだもの。

 ああでも、小吉は毎朝困ったようにあたしを見るし、こういう時くらいは一人にさせてあげた方が良いのかしら。

 いやでも、それだとあたしが落ち着かない。

 小吉に我慢しろと言われたらするけど、そうでないならしたくはないわね。

 

 「歌。あなたを専属の世話係にしますから、これからの一ヶ月で確実に落としなさい。手段は問いません」

 「はい! お母様! 絶対に、お兄ちゃんを落としてみせます!」

 

 だから、どこに落とすの?

 もしかしてこの二人、小吉をどこかから落として殺そうとしてるの? だったらあたしの敵だから、ここで殺っちゃうわよ?

 

 「油屋大将に尽くして苦節五年。ようやく、ようやく油屋大将にも本格的に春が……くっ!」

 

 ジュウゾウはジュウゾウで、相変わらず訳わかんない事を言ってるわね。

 何が「……くっ!」よ。

 何に感極まったのよ。

 と、子供のせいで無駄に溜まってしまった鬱憤(うっぷん)を、脳内でジュウゾウを5~6回ぶっ殺して我慢してたあたしは、「あなたはこっちに来て」と言う子供に連れられて風呂場に来てた。

 どうして、あたしだけ風呂に?

 しかも、なんでアンタは服を脱ぎ始めたの?

 

 「何してるの? 入るわよ」

 「嫌じゃ。小吉のところに行く」

 「あなたと腹を割って話したいことがあるのよ。だから、少しだけ付き合って」

 

 腹を割ったら死ぬでしょ。

 とは言わない。

 いくらあたしでも、それが本音で話そうって意味だってことくらいは知ってる。

 でも、あたしと何を話すの?

 あたしとアンタが出会ったのは、ついさっきよ?

 

 「田舎者は察しが悪いわね。小吉お兄ちゃんのことで、あなたと話をつけておきたいのよ」

 

 なるほど、小吉絡みか。

 だったら、話さないわけにはいかないわね。

 

 「ちょ、ちょっと! 服くらい脱ぎなさいよ!」

 「なんで?」

 「なんでって……。お風呂に入るからに決まってるでしょ! 頭おかしいんじゃない!?」

 

 いや、おかしいのはそっちでしょ。

 どうして話をするのに、風呂に入る必要があるのよ。

 あたしは入るつもりがないから、アンタは遠慮せずに入りなさいな。

 

 「良いから脱げ! 腹を割って話す時は、お風呂で裸の付き合いをしながらが普通なの!」

 「そうなん?」

 「そうよ! だって、猛お兄ちゃんがそう言ってたんだから!」

 

 いや、それって出鱈目を吹き込まれてるんじゃない?

 少なくともあたしは聞いたことない……けど、あたしの知識は片寄ってるから当てにはならないか。

 だったら、ここは従うとしましょう。

 たしか、郷に入っては郷に従えって言葉があったはずだし。

 

 「髪の毛くらい、結ってから入りなさいよ」

 

 だから従って入ったのに、今度は髪に文句をつけてきた。

 まあ、お湯に髪の毛が揺らめいたり肌に貼り付いたりして鬱陶しいと言えば鬱陶しいけど、アンタに迷惑はかけてないから良いじゃない。

 まるで、小さいジュウゾウと一緒にいるみたいだわ。

 

 「いちいちうるさいねぇ。アンタ、猛おじ様の妹じゃのぉて、ジュウゾウの妹なんじゃない?」

 「あなたがうるさく言わせるんでしょうが!」

 

 ほら、やっぱりだ。

 いつかのジュウゾウと同じ台詞を言ってるじゃない。

 

 「いちゃもんつけちょらんと、さっさと話とやらをしてくれん? 長湯はあんまり得意じゃないんよ」

 「ああそう、じゃあ直球で行くわ。あなた、小吉お兄ちゃんとどういう関係?」

 「あたしは、小吉の護衛」

 「護衛……ね。その割には、小吉お兄ちゃんが私の言葉でデレデレになってるのを見て、妬いてたじゃない」

 「焼いていた? あたしは、何も焼いちゃおらんよ?」

 「それ、本気で言ってないわよね? ボケただけよね?」

 

 ボケたとは失礼な。

 あたしはいつだって本気だし、真剣よ。

 でも、この子があたしをボケた呼ばわりしたってことは、ヤイタは焼いたじゃなくて別のヤイタ。

 あたしが知ってる限りだと、当てはまるのは妬いたくらい。

 つまり、この子はあたしが……。

 

 「アンタに嫉妬しちょった。って、言いたいんか?」

 「そうとしか、見えなかったけど?」

 「それはおかしい」

 「どうして?」

 「あたしが、育ちのせいで感情を表に出せんけぇよ」

 

  だから、仮にあたしが嫉妬していたとしても、この子にわかるはずがない。

 ずっと一緒に暮らしてた父様や兄様でも、あたしが何を考えてるかわからなかったんだから。

 

 「あのねぇ。いくら無表情で台詞が棒読みだからって、あれだけ敵愾心(てきがいしん)をむき出しにされたらわかるわよ」

 「むき出し? あたしが、感情を?」

 

 あり得ない。

 たしかに、小吉と出会ってからあたしの感情は不安定よ。

 でも、こんな子供に悟られるほど、制御に支障をきたしているわけじゃない。

 それなのに、この子はあたしの感情を察知して、それに応じた態度を取ったって言うの?

 そんなの……。

 

 「信じられない。って、思ってる?」

 「ええ、どうやって、あたしの心を読んだ?」

 「簡単よ。あなたと私は同じだもの」

 「同じ?」

 

 あたしと、この子供が?

 じゃあこの子も、あたしみたいな歪んだ環境で育ったの? あたしが知らなかっただけで、大和家も暮石と同じくらい異常な家系だったの?

 

 「ええ、同じ。私は小吉お兄ちゃんが好き。そしてあなたも、小吉お兄ちゃんに恋してる。だから、わかるのよ。あなたは同じ人に恋い焦がれる、私の恋敵なんだから」

 

 そっか。

 ジュウゾウが前に言った通り、やっぱりあたしは小吉にコイしてたのね。

 それを、会って早々敵になったこの子に再認識させられるなんて、なんとも皮肉な話だわ。

 

 「小吉お兄ちゃんの、どこが好きなの? 見た目? それとも、地位や財産かしら」

 「どれでもない。強いて言うなら、在り方かねぇ」

 「在り方?」

 「そう。上手くは言えんけど、小吉は、強くて優しいから」

 

 あたしは、小吉のことを少ししか知らない。

 あたしと出会う前に何をしてきたのか、これから何をしようとしているのかも知らない。

 でも、優しい人だと言うことはわかるし、あたしよりも心が強いのもわかる。

 あたしは厄除けの扱いが上手いおかげか、人の感情の機微には敏感なんだけど、きっとそれがなくても、あの人のことならわかる気がする。

 

 「へぇ、見る目があるじゃない。田舎者のクセに」

 「アンタこそ、その成りで大したもんじゃないね」

 

 この子と話して、玄関先で言ってた『落とす』の意味がようやくわかった。

 以前、ジュウゾウが言ってたことに当てはめるなら、この子は小吉をコイに落とそうとしている。

 自分に、コイさせようとしている。

 いや、少し違うのかしら。

 この子は小吉とのコイに、とっくに落ちてる。

 だから小吉を、同じ場所まで落とそうとしてるんだわ。

 小吉に嫌われてるんじゃないかと不安になってばかりのあたしより、この子の方がよほど小吉のことを想ってるじゃない。

 でも……。

 

 「名前、教えて」

 「私の?」

 「そう、アンタの名前」

 

 不思議な気分。

 あたしは初めて、心の底から負けたくないと思ってる。

 それなのに、この子は小吉を巡って争う敵なのに、何故か親しみも感じてる。仲良くなれたらとも思ってる。

 それだけじゃない。

 あたしは家族と小吉以外の人間を顔だけで判別できないのに、この子の顔をすでに覚えてる。

   

 「私は大和 歌。あなたは?」

 「暮石 七郎次。ナナでええよ」

 「うん、わかったわ。ナナ」

 

 そう言って歌は右手を差し出し、あたしは何の抵抗もなく握り返した。

 敵なのに憎くなく、敵なのに殺したくないと思った、コイ敵の右手を。



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第十九話 邂逅(表)

 

 

 両手に花。

 と言う、ことわざをご存じだろうか。

 これは素晴らしいモノや美しいモノを花に例え、それを二つ同時に手に入れることや、一人の男性が二人の女性を独り占めにすることの例えだ。

 まあ、もっぱら後者の意味で使われることが多いかな。

 実際、僕も今の状況がそうだから、身の程知らずにもこのことわざが頭に浮かんだんだし。

 

 「あのさ、二人とも。そろそろ離してもらえないかい?」

 「だ、そうよ、ナナ。小吉お兄ちゃんを離して」

 「歌はその歳でつんぼか? 小吉は、歌に言うたんぞ?」

 

 いえ、二人にです。

 ナナさんの言葉を借りるなら二人ともつんぼ。

 つまり、難聴です。

 ああでも、ナナさんが育ったあたりでは方言として定着してるんだろうけど、つんぼはたしか差別表現だから、後々うるさく言われるようになったはずだ。

 今のうちに、注意しといた方が良いかな?

 いや、それよりも先に……。

 

 「ナナさん……」

 「それより、服を着なさい! 年頃の娘が、はしたないと思わないの!?」

 

 あ、先に言われちゃった。のは、別に問題ないか。

 でもさ、歌ちゃん。

 君はナナさんと違ってちゃんと寝間着姿だし、言ってることも至極真っ当だと思う。

 でもさ、いる場所がおかしいよね?

 どうして君が、いまだに布団の中にいる僕の左腕にしがみついてるの?

 もしかしなくても、潜り込んだの?

 そっかぁ、潜り込んじゃったかぁ。

 ナナさんならともかく、歌ちゃんが布団に潜り込んでも気づかずグッスリな僕の寝首をかくのは簡単そうだなぁ。あは、あはははははは……じゃないよ!

 これ何度目!?

 何度目の寝起きドッキリだよ!

 と、心の中で盛大にツッコミまくった朝の珍事をなんとかくぐり抜けた僕は、沖田君が運転する車で今日の目的地へと向かっている。

 もちろん、ナナさんも一緒にね。

 

 「朝からお盛んでしたね。油屋大将」

 「嫌味を言うなら、満面の笑みをやめてくれない?」

 「嫌味とは心外な。わたくしは心より、油屋大将の春を応援させて頂く所存です。ああ、心配なさらずとも、その対象が二人とも十代の子供でも、わたくしは決して軽蔑いたしません」

 

 春って何のこと?

 そりゃあ、季節は春だよ?

 でも、僕の心は真冬と言っても過言じゃあない。

 沖田君はあの光景(・・・)を見て、二人が僕を取り合っていたんだと誤解したんだろうけどそんな事はない。

 絶対にない。

 ナナさんは何時も通りだったし、歌ちゃんは小さい頃からイタズラっ子だったから、ああすれば僕を困らせられると思ってああしたんだろう。

 うん、そうに違いない。

 だって僕、モテないし。

 そんな僕を美少女二人が取り合うなんて、前世の分も含めた6回分のモテ期を使っても有り得ない。

 だって僕、マジでモテないから。

 

 「七郎次、お前も大変だな」

 「何が?」

 「何がって……こっちも大概か」

 

 沖田君は何を言ってるんだい?

 ナナさんは毎日大変さ。

 だって毎日の僕の護衛に加えて、朝の沖田君への稽古をこなしてるんだよ?

 気の休まる時間なんて、トイレと入浴の時間くらいしかないんじゃなかな。

 

 「ところで小吉、今日は何処に行くん?」

 「ちょっと、辰見家の人に会いにね」

 「タツミ?」

 

 ちなみに辰見家とは、日本では珍しい女系一族。

 しかも、双子の女児しか生まれないという、思わず「呪われてるんじゃない?」と、言いたくなるような家系で、明治初期に台頭し始め、前の戦争で一気に勢力を拡大した新興の軍閥だ。

 それ故か、陸海両軍に強い影響力を持ち、政財界にもコネクションがあるらしい。

 当然、僕としては味方につけたい。

 だから六郎兵衛からの連絡を待って、辰見家現当主の父親で、僕の部下として軽巡洋艦 天龍に座乗し、第十八戦隊を率いていた辰見少将を通して、アポイントメントを取ってもらった。

 そして今日、猛君を通して同士の一人に都合してもらった秘密兵器を携えて、辰見家の本拠地に来たんだけど……。

 

 「……」

 

 ナナさんが喋らなくなった。

 機嫌も悪い気がする。

 いや、警戒して……違うな。

 スカートの上から短刀を抜いたり納めたりしている様子を見るに、すでに戦闘態勢と言っても過言ではないかもしれない。

 車中ではそうでもなかったのに、降りた途端に母屋がある神社へと続く鳥居と、その先の石畳でできた道を、ずっと見つめている。

 

 「小吉の嘘つき」

 「嘘つき? 僕は嘘なんて……」

 

 ついてない。

 どうしてやっと口を開いたと思ったら、僕を嘘つき呼ばわりしたんだろう。

 

 「あたし、車の中で言ったよね?」

 「車の中で? ああ、もしかして……」

 

 ナナさんがお父さんから、出来る限り敵対するなって言われている二つの家のこと?

 いや確かに、その内の一つは読みが同じだけど字が違う。

 その話が出たのは、辰見家に助力を仰ぎに行くと言った後。目的地を伝えた直後にナナさんは……。

 

 「行きとぉない」

 

 と、即答した。

 この時は、朝から歌ちゃんと口喧嘩してたから、虫の居所が悪いんだろうと思ってたんだけど……。

 

 「行きたくない? どうして?」

 「だって、龍見じゃろ?」

 「うん、辰見家。知ってるのかい?」

 

 会話に違和感を覚えて思い直した。

 すぐには気づけなかったけど、この時ナナさんは「辰見」と聞いて「龍見」と誤変換していたんだ。

 それに気づいたのは、行きたくない理由を聞いてからだった。

 

 「父様から、龍見、瓶落水(からみ)の二つとは、極力争うなと言われちょる」

 「それは、どうしてだい?」

 

 今思うと、暗殺者一族である暮石家が争いを避ける二つの一族に興味が湧いたから、説得を後回しにして聞いてしまったんだろう。

 一週間前に六郎兵衛が言ってた、暮石の天敵も気になっていたしね。

 

 「瓶落水についてはよう知らんけど、うちのご先祖様と龍見は、昔殺し合っちょるらしいんよ」

 「暮石家と? 結果は?」

 

 聞くんじゃなかったと、すぐに後悔したな。 

 だってナナさんの力を見ている僕からすれば、暮石の人間とまともに戦える者なんて存在しないように思えていたんだ。

 だけど、ナナさんの答えは、僕の貧相な想像力を嘲笑うかのように裏切った。

 

 「龍見一人の命と引き換えに、当時の当主、弥一郎は利き腕を失い、同行した二人の息子の内、兄の二郎丸が殺された」

 「それ、本当かい?」

 「あたしも父様から聞かされただけじゃけぇ、本当かどうかは知らん。じゃけど、父様は爺様(じじさま)から「絶対に争うな」って言われたそうじゃけぇ、本当なんじゃろ」

 

 にわかには信じられなかった。

 だって誰にも気づかれずに侵入し、離れた場所からでも人を斬殺できる暮石の人間が三人がかりで、一人仕留めただけ。

 しかも争うなと言い伝えていると言うことは、敗走したと考えられるんじゃないだろうか。

 と、考えを巡らせながらも……。

 

 「僕が知ってる辰見少将は普通の人間だったから、たぶん名前が同じだけか字が違うんだよ」

 「小吉が言うちょるタツミは、なんて字?」

 「干支の(たつ)を見ると書いて辰見。ナナさんが言う方は?」

 「難しい方の龍。見は、同じ」

 「じゃあ、タツ違いだ」

 

 と、ナナさんを説得して、なんとかここまで来たんだけど……。

 

 「ここ、龍見がおる。ほら、そこの看板にも『ここから先、龍見家の所有地』って書いてある」

 「本当だね。でも、僕が会いに来た辰見家も、住所はこの先だ」

 

 これはどういう事だ?

 字が違う二つの名字を、使い分けているとでも言うのだろうか。

 そうだとしたら、ナナさんを連れて行くのは……。

 

 「……遅かったか」

 「ええ、少し」

 

 マズいと思った途端。

 まるで僕が、ナナさんを待たすか帰らせるかと思案し始めたのを見透かしたかのようなタイミングで、鳥居の両端から巫女装束に身を包んだ女性が一人づつ出てきた。

 両者とも、歳は17~8くらい。

 もっといっているかもしれないが、ナナさんと大差ないように見える。

 僕から見て右から出てきた方は、川のせせらぎが聴こえてきそうなほど穏やかな表情で、腰どころか膝裏まで届きそうな白髪を紙製の髪飾りで纏めている。

 髪が長すぎるのと、左手に装飾が施された鞘に納められた太刀を持っている以外は、典型的な巫女姿だ。

 だが左から出てきた方は、燃え盛る炎のように激しい表情で、男のように短い黒髪。

 そして右手には、石突から矛先まで2.5メートルくらいの長さの槍。

 両者は正反対の印象だが、共通点が二つ。

 それは服装と、表情以外は瓜二つの顔。

 もしかしなくても、彼女たちは双子だろう。

 

 「ようこそおいでくださいました。油屋小吉様。そして……」

 「よく来たな! 暮石の小鬼!」

 

 両者の口調は外見そのもの。

 前者は穏やかで、後者は激しい。

 そして二人は……。

 

 「私は天音(あまね)。龍見家当主、龍見天音と申します」

 「オレは地華(ちか)! 龍見家当主、龍見地華だ!」

 「「我ら龍見姉妹が、誠心誠意おもてなしいたしましょう」」

 

 と、自己紹介のあとに、声を揃えて歓迎してくれた。

 ただし、歓迎しているとは思えないほどの、殺気を撒き散らして。

 

 



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第二十話 邂逅(裏)

 

 

 

 

 気分が悪い。

 小吉にその気はなかったとは言え龍見家、その本家と思われる場所に連れて来られたのと、やたらと飛び回ってる飛行機の音のせいもあるんでしょうけど、純粋に気分が悪い。

 龍見姉妹と名乗った二人が隠れてた鳥居を潜ってからは、体にまで影響が出始めたわ。

 さらに母屋と思わしき家屋(かおく)の門とでも言わんばかりに立ってた二つ目の鳥居を潜ると、気分も体調も一層悪くなった。

 あたしの中から、何かが抜けて行ってる気さえする。

 今はまだ我慢できてるし、小吉やジュウゾウにも気取られていないけど、このまま母屋に入ったら、最悪動けなくなるかもしれない。

 

 「随分と、気分が悪そうだなぁ。暮石の小鬼」

 「べつに」

 「そうかぁ? 今にも倒れそうなくらい、顔が真っ青だぜ?」

 

 龍見姉妹の口が悪い方が、母屋に入るなりそう言ったせいで、小吉とジュウゾウに気づかれた。

 顔色が変わるくらい、あたしの体調は悪くなってるのか。玄関でこれじゃあ、奥に行けば予想通り動けなくなるかも。

 

 「ナナさん、無理は良くない。沖田君もいるし、車で休んでいた方が……」

 「嫌じゃ」

 「でも……」

 「絶対に嫌じゃ」

 

 ジュウゾウは刀を持ってるし、たぶん懐に拳銃も隠してる。でも、何やら大荷物を背負ってるじゃない。

 そんな状態のジュウゾウじゃあ、小吉を守りきれない。

 いえ、そもそも龍見相手じゃ、ジュウゾウじゃあ相手にならないはず。

 だって、暮石流呪殺法を創始したばかりの頃とは言え、ご先祖様が三人がかりで、一人殺すのがやっとだった奴らよ?

 あたしが片手間にあしらえる程度のジュウゾウじゃあ、数秒ももたないでしょ。

 

 「大人しく、ご主人様の言うことを聞いといた方が良いぜ? 奥に行けば行くほど、結界は強くなるからなぁ」

 「結界?」

 「ああ、お前ら暮石の天敵である、瓶落水(からみ)の結界さ」

 

 なるほど、それであたしだけ体調を崩したのね、

 でも、うちに天敵がいるって話は初耳だわ。

 もしかして、あたしが聞かされてないだけ? は、後回しで良い。

 

 「結界に籠らにゃいけんちゃあ、龍見は臆病なんじゃねぇ。うちが怖ぁて、瓶落水に結界を張ってもろぉたんか?」

 「なんだと? 足元もおぼつかない奴が、随分と強気じゃねぇか」

 「強気になる必要もないじゃろ。引きこもりの相手なんぞ、ジュウゾウでもお釣りがくるくらいじゃわ」

 「上等だよ小鬼。ここで、その毛の生えた心臓を貫いてやる」

 

 おっと、挑発しすぎた。

 口が悪い方は槍の穂先をあたしに定めて、いつでも突ける体勢。

 対するあたしは、自分が立ってるのかどうかも認識できないほど、意識が朦朧としてる。

 当然、死線も見えないわ。

 

 「そこまでにしなさい地華。うちの廊下を、(けが)らわしい小鬼の血で汚す気ですか」

 「でも、姉ちゃん!」

 「聞き分けなさい。今日は我が家にとっても転機になるかもしれないのです。なのに、小鬼風情にかかずらって話自体が無くなっては、父上の苦労が水の泡になるでしょう?」

 「チッ、わかったよ。父ちゃんを出されたら引くしかねぇ。命拾いしたな、小鬼」

 

 小鬼小鬼とやかましい。

 あたしを呼びたきゃ名前を呼べ。

 そうすれば、最低限の礼儀をもって接してあげるから……って、そういえばあたし、コイツらに名乗ってないんだっけ。

 

 「着いたようだよ、ナナさん。座れるかい?」

 「う、うん……」

 

 着いた? 何処に?

 ああ、大広間か。

 いつの間にここまで来たんだろう。

 口が悪い方と少し揉めた後から今までの記憶が曖昧で、自分がどうやってここまで来たのかが思い出せないし、どうして小吉に身体を支えられているのかもわからない。

 

 「では、改めまして。現龍見家当主、姉の天音と……」

 「妹の地華だ。アンタが父ちゃんが言ってた、油屋小吉で間違いねぇな?」

 「ああ、僕が油屋小吉だ。どうやら、僕が辰見少将を通して君たちにアポイントを取るのは、そちらの計画だったと考えて良いようだね」

 「ええ、相違ありません。父上から将来有望な若者がいると聞いて、不自然じゃない程度に取り入ってもらいました」

 「なるほど。僕はまんまと、君たちの計画に嵌められたわけだ。おっと、話を続ける前に……」

 

 話が全く頭に入ってこない。

 もしかして、耳が聴こえてない?

 いや、何を言ってるかはわからないけど小吉の声は聴こえるから、耳が駄目になったわけじゃないみたい。

 駄目になったのは、あたしの頭の方か。

 でも、我慢しなきゃ。

 気持ち悪いのも、頭が痛いのも、胃の中身を全部吐き出してしまいそうなほどの嘔吐感も我慢して、せめて状況だけでも把握しておかなきゃ、いざと言う時に動けない。

 え~っと、ジュウゾウはあたしの後ろで、龍見姉妹はあたしの前に並んで座ってる。

 小吉は……あれ?

 小吉はどこ?

 前にも後ろにもいない。左にもいない。

 じゃあ、右?

 あ、これは小吉の腿だ。

 たぶん、胡座(あぐら)を組んでる。

 そして頭の左側が温かくなったと思ったら、小吉の右腿が近づいてきた。

 

 「僕の膝枕じゃあ寝心地が悪いだろうけど、少しは楽になったかな?」

 「たぶん……」

 

 膝枕って、何だっけ。

 ああ、これか。

 この、頭が触れてる場所から全身に伝わる、この温かさが膝枕か。

 この温かさに身を委ねていると、何もかも忘れて眠りたくなってしまう。

 熟睡なんてしたことがないあたしが、深い眠りの心地よさを思い出そうとしている。

 

 「熱々じゃねぇか油屋の大将。そんなに、その小鬼が大切かい?」

 「ああ、大切だよ。だから、腹が立っている」

 「小鬼をそんなにされてか? 言っとくが、結界は暮石に対する防御策だ。それをとやかく言われる謂れは……」

 「勘違いしないでくれ地華君。僕が腹を立てているのは君たちにではなく、迂闊だった僕自身だ」

 

 小吉が怒ってる。

 他は何も、身体の感覚さえ希薄なのに、小吉の怒りだけはハッキリと感じる。

 でも、不思議。

 怒りは憎悪や殺意に繋がる、始まりの悪感情。

 なのに、嫌じゃない。

 ずっと感じていたいと思うほど、小吉の怒りは気持ちいい。

 

 「一つ、確認しておきたいんだけど、君たちが二つの名字を使い分けているのは何故だい? もしかして、暮石への対抗策の一つかな?」

 「おっしゃる通りです。ちなみに、我が家と暮石の関係については……」

 「昔、先祖同士が殺し合ったことくらいしか知らない。辰見の方は差し詰め、余所行き用の名字ってところかな?」

 「その通り。暮石は自分にも他人にも興味がないせいか、字が違う程度で対象を判別できなくなるんです」

 「その、一族の特徴を突いたような対抗策は、瓶落水から教わったのかい?」

 「ええ。暮石と瓶落水は、元が同じ一族だったため似通った特徴がありますので」

 「元が、同じ?」

 「あら、それはご存じなかったのですか? 暮石と瓶落水の創始者は、とある一族の兄弟だったそうです」

 

 なんだか、難しい話をしている気がする。

 暮石の名前も何回か聞こえたから、あたしの話をしているのかしら。

 それなら少し気になるけど、眠気が酷くなってるからうまく聞き取れない。

 

 「興味深い話だ。何故、二つに別れたんだい?」

 「私も詳しくは存じませんが、暮石が扱う術を極めるために、暮石家の初代は弟以外の一族を皆殺しにして出奔(しゅっぽん)したそうです」

 「皆殺しに? 瓶落水は、暮石の天敵なんだろう?」

 「瓶落水の者から聞いた限りですと、瓶落水に伝わっている……と、言うより、残されていた術が、暮石が扱う術と対を成していたそうです。呪詛に対しての呪詛返し、とでも言えば良いのでしょうか」

 「なるほど、要はカウンターか」

 「ええ。瓶落水の術の前では、暮石の術は効果が激減。この家のように結界を張れば、暮石の者は力を吸われて、身動き一つ取れなくなるようです」

 「ようです? まるで、今まで知らなかったかのような言い方だね」

 「あなたに膝枕をされて気持ち良さそうにしている小鬼を見るまで、ここに暮石の者が来たことがありませんでしたから半信半疑だったんです。そもそも、術や(まじな)いなどというモノの存在自体、今日まで信じていませんでした」

 「龍見家には、例えば暮石家に伝わっているような術はないのかい?」

 「先祖代々伝わっている武術はあります」

 「それで、君たちの先祖は暮石の人間を三人も撃退したと?」

 「ええ、そう聞いています」

 「にわかには信じがたいな。暮石の力は常識外れだ。それを、武術程度で対抗できるのかい?」

 

 話が長い。

 それに、相変わらず飛行機の音はうるさいし、頭がまともに働かないせいで内容が全くわからない話は耳障りでしかない。

 眠気も益々酷くなってるから、いっそこのまま寝ちゃおうかしら。

 ああでも、それだと小吉の声が聞こえなくなっちゃうなぁ……。

 

 「油屋の大将よぉ。そりゃあちょっとばかし、馬鹿にし過ぎじゃないかい? ご先祖様の片方がやられたのは暮石を甘く見すぎてたからであって、それがなけりゃあ暮石なんか敵じゃねぇよ」

 「へえ、そんなに、龍見家に伝わってる武術は凄いのかい?」

 「ああ、凄いさ。オレらが使う遠子龍見流(とおこたつみりゅう)の秘技の前じゃあ、暮石どころか軍隊だって敵じゃねぇ」

 「それは言い過ぎよ、地華。精々、陸軍の一個中隊程度です」

 「そりゃあ恐ろしい。なら、君たちを相手にするには、それ以上の戦力が必要な訳だね」

 「そうなるが……うちと敵対する気か? 父ちゃんからは、うちの傘下に入るって聞いたが?」

 「傘下? 冗談にしては、笑えないな」

 

 小吉の怒りの炎が、規模はそのままに静かになった。

 小吉って、こういう怒り方もできたんだね。

 

 「傘下に入るのは君たちの方だ。僕はここに、君たちを服従させに来たんだよ」

 「それこそ笑えない冗談だなぁ、油屋の大将。小鬼がそんな様なのに、オレらに喧嘩を売ろうってのかい?」

 「喧嘩? そんな程度の低い認識じゃあ困る。僕がやろうと……いや、やっているのは戦争だ」

 「では、龍見家と争うと?」

 「おいおい、君たち、耳の掃除はしてるのかい? 僕は君たちを、服従させに来たと言ったんだ」

 

 小吉の怒りを(はら)んだ声は心地良い。

 心地良すぎて、あたしは本格的に寝そうになっていた。

 なのに、あと少しで眠れそうだったのに、聞いたこともないほど巨大な、空間そのものが震えたんじゃないかとも思える巨大な二つの音で、あたしの意識は無理矢理引き戻された。

 

 

 



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第二十一話 交渉(表)

 

 

 

 僕は気が弱い。

 ちょっと凄まれただけで萎縮してしまうし、胸倉を掴まれようものなら小便を漏らす生粋のビビリだ。

 前世ではその性格を変えることができず、せっかく上京したのに引きこもりになって、間抜けすぎる死に方をしてしまった。

 その性格は、転生しても変わることはなかった。

 でも今世では、それを隠す術を学んだ。

 怯えた顔は表情筋を駆使して笑顔に変え、震える声は腹に力を入れて無理矢理静めた。

 僕は、恐怖を克服するのではなく、包み隠す術を身に付けたんだ。

 と、良い風に言っても、所詮(しょせん)は虚勢でしかない。

 だけど僕は、この虚勢とハッタリで戦争を生き抜き、海軍大将にまで昇った。

 故に……。

 

 「どうする? 姉ちゃん」

 「どうもこうも、ここまで侮辱されて、ただでお帰しするわけにはいきません」

 

 目の前の龍見姉妹に威嚇されても大丈夫。

 僕は後の世を、僕が知る歴史よりも良くするために奔走(ほんそう)できる。

 

 「沖田君。アレを」

 「はい。用意できています」

 

 僕はここに来るにあたり、万が一を考えて色々と準備をしていた。

 まあ、ナナさんが動けなくなったのは予想外ではあったけど、龍見家との交渉にナナさんの力は当てにしていなかったから、大した問題はない。

 そう、問題はない。

 だから、いつも無表情なナナさんが苦悶の表情を浮かべていても、今は気にしない。

 いや、するな。小吉。

 龍見家との交渉を、僕に有利な形で終わらせなければ、苦しい思いをさせたナナさんに申し訳が立たない。

 

 「そりゃあ、何だ? まさかそんな珍奇な物が、貢ぎ物とか言わねぇよな?」

 「貢ぎ物なんかじゃないさ。これは、電話だよ」

 「電話? ですが油屋様。電話線が繋がっていませんよ?」

 「電話線なんていらないよ。これは、携帯電話だからね」

 

 携帯電話の歴史は意外と古い。

 小型化が技術的に無理だっただけで、構想自体は電話機が考案されて間もない頃からあったらしい。

 そして沖田君に背負って来てもらった、大型の背嚢(はいのう)ほどの大きさがある木箱が、この時代の技術で作られた携帯電話。

 その試作品だ。

 要は、転生もののラノベで、現代知識を利用して中世レベルの異世界で無双する話がよくあったように、僕たち転生者の中にもそれを実践しようとした者がいたってことさ。

 もっとも、他の同士たちに「早すぎる」と忠告されて、一般に普及させるのは諦めたそうだけどね。

 

 「それが電話だとして、この状況で何の役に立つと?」

 「姉ちゃんの言う通りだ。オレらなら、お前がどこかに電話をかけるよりも早く、お前をぶっ殺せるぜ?」

 「それはやめた方が良い。もし僕を殺すと、君たちも死ぬことになるよ?」

 「面白れぇハッタリだなぁ、おい」

 「ハッタリじゃないさ。14:00(ひとよん まるまる)までに僕から連絡がなければ、ここを砲撃(・・)しろと命じてある」

 「砲撃ですと? 弾が届くような場所に大砲を設置していたら、うちの巫女衆が見逃すはずはありませんが?」

 「見逃すさ。何故なら、その大砲の最大射程は約42kmだからね」

 「はっ! そんな馬鹿げた射程の大砲なんかあるわけ……!」

 「あるんだよ。戦争では糞の役にも立たなかった、世界最大の艦砲がね。沖田君、今何時だい?」

 「13:59(ひとさん ごおきゅう)です」

 

 あと一分ないか。

 大和に搭載されている46cm三連装砲の、最大射程地点への着弾時間は約98秒。

 つまり、時間通りに砲撃してから1分38秒後だ。

 龍見姉妹はハッタリと決めつけて、「やれるならやってみろ」と言わんばかりにふんぞり返っている。

 沖田君は声が若干震えていたから、初弾から命中しないことを祈っているだろう。

 もちろん、僕も。

 

 「油屋大将。着弾、30秒前です」

 「残り10秒からカウント開始」

 「……了解。カウント、始めます。10、9、8、7、6、5、4、3、弾着……今!」

 

 沖田君のカウントダウン終了と同時に、鼓膜どころか大地まで引き裂くような爆発音が、龍見家本邸の両側から響いてきた。

 まったく、いくら命中率が低いとは言え、初弾から命中したらどうしようかとハラハラしたよ。

 

 「い、今のは……。いったいどこから……」

 「横須賀鎮守府、その沖合い2kmからだ」

 「そんな遠距離から!? 戦艦の主砲でもぶっぱなしたって言うのかよ!」

 「その通りだよ地華君。横須賀で行われている式典のために呼んだ大和の主砲なら、ここはギリギリで射程内だ。しかも、音で判断するに初弾から挟夾(きょうさ)。次の砲撃は、もっと近くに着弾するよ」

 

 戦艦の主砲には、散布界と呼ばれる数百メートルの楕円形の誤差範囲がある。

  挟叉とは、簡単に言えば、この散布界で敵艦を挟んだ状態……おっと、忘れるところだった。

 

 「沖田君、大和に連絡して、第二砲門の砲撃を中止させて。それと、10分後に再び連絡がなければ、目標に向け一斉射。ともね」

 「了解しました」

 

 大和に行わせたのは、第一砲門と第三砲門を発射後、照準を調整して第二砲門を発射する交互打方。

 つまり、このまま連絡しなかったら、照準を調整した三発目が飛んで来てたわけさ。

 

 「砲撃、中止しました。あと10秒遅かったら撃っていたと、艦長から釘を刺されましたよ」

 「ごめんごめん、ウッカリしてた」

 「あなたと言う人は……」

 「まあ、間に合ったんだから良いじゃないか。さて、これで僕の言葉がハッタリではないと、わかってくれたかな?」

 

 二人とも冷や汗を流しているから、ハッタリではないと理解してくれたようだ。

 なら、畳み掛けるか?

 

 「先ほどの連絡で、着弾位置は伝えてなかったようですが、(くだん)の戦艦はどうやって照準の調整を?」

 「簡単さ。僕たちが来た頃から、飛行機が飛んでいるだろう?」

 「ええ、たしかにうるさいくらい……まさか」

 「そう、あれは偵察機だ。初弾が着弾した位置は、とっくに(しら)せてくれてるよ」

 

 その報告を基に照準を調整して再び砲撃するのを、弾着観測射撃って言うんだけど、それは説明しなくても良いか。

 時間も押してるし、ここで一気に攻めるとしよう。

 

 「龍見家にはこれから先、僕の手足となって働いてもらう。異存はないね?」

 「あるに決まってんだろ! こんなの、ただの脅迫じゃねぇか!」

 「脅迫とは心外だな。君は脅迫された程度で、自分より劣る者に従うのか?」

 「どういう……ことだ?」

 「わからないかい? 天音君は、察してくれているみたいだよ?」

 

 僕が言いながら天音君に視線を移すと、地華君もつられて視線を移した。

 双子、しかも見るからに一卵性で育ちも同じはずなのに、ここまで性格に違いが出るとは驚きだ。

 いや、そうなるように育てられたのか?

 もしかしたら、外見が正反対なように、性格も正反対になるよう育てる(なら)わしが、龍見家にはあるのかもしれない。

 ならば、話すなら天音君だな。

 

 「あなたは、正気ですか? 私たちが首を縦に振らなければ、ただの心中ではありませんか」

 「戦艦の主砲が手段とは言え、心中とはロマンチックだね」

 「茶化さないでください」

 「これは失礼。だけど僕には、君たちより優れているモノがこれしかないんだ」

 「自国の戦艦に、本土を砲撃させるほどの権力ですか?」

 「違う。そんな大層なモノじゃあない。僕が君たちより優れているのは、度胸さ」

 

 たしかに、天音君が言った程度の権力はある。

 でも、それじゃあ足りない。

 だから僕は辰見家改め、龍見家の権力を取り込もうとしてるんだ。

 なのに、今ある外付けの力で屈服させるのは間違ってる。

 彼女たちは、僕自身が持つ力だけで屈服させなければ意味がない。

 いや、僕が納得できないんだ。

 

 「勝負だ、龍見姉妹。大和の主砲が火を噴くまで残り数分。君たちが待ったをかければ僕の勝ち。大和の主砲がここに着弾すれば、君たちの勝ちだ」

 「その場合、私どもはもちろん、あなたとお連れの二人も死にますが?」

 「ああ、そうだったね」

 

 天音君は、二人を引き合いに出せば僕が怖じ気づくとでも考えたのかな。

 でも、無駄だ。

 僕はとっくに怖じ気づいてる。

 無様に許しをこうて逃げ出したい。

 二人だけは逃がしたい。

 そんな本心を抑えつけて、この行動に出ているんだ。

 

 「沖田君。すまないが、僕と一緒に死んでくれるかい?」

 「油屋大将のお供ができるなど、この沖田源蔵、あの世でご先祖様方に自慢ができる最上級の栄誉! 喜んで死なせて頂きます!」

 「ありがとう」

 

 沖田君は予想通りだな。

 奥さんを未亡人にしてしまうことなど一切考えずに死を受け入れる選択は、平和な世の中ならネットで袋叩きにされるだろう。

 だが、武人としてはこれで正しい。

 そんな彼だからこそ、僕は背中を任せることができるんだ。

 さて、お次は……。

 

 「ナナさん。起きてる?」

 「う……ん。起き……ちょる」

 「じゃあ僕と一緒に、死んでくれる?」

 

 断られると思った。

 だから、ナナさんにこの質問はしないつもりだった。

 だけど、僕はした。

 しなきゃいけないと思った。 

 断られないと何故か確信できたから、一緒に死んでくれと言った。

 

 「……ええよ。小吉と一緒なら、死んじゃげる」

 「ありがとう、ナナさん」

 

 どうしてだろう。

 ナナさんの返事が、今まで聞いたどんな言葉よりも嬉しく感じた。

 もしかしたら僕は、恐怖でとち狂うあまり、プロポーズのつもりで言ったのかも知れないな。

 だからナナさんの返事が、プロポーズを受けてくれたように思えて嬉しくなったんだろう。

 

 「さあ、こちらの覚悟は決まった。そちらはどうだい?」

  

 天音君は、冷や汗を流しながら無言で僕を睨むだけ。

 地華君は判断を天音君に委ねたのか、固唾を呑んで僕と天音君を交互に見ている。

 天音君はおそらく、次弾が命中する可能性と、ここで折れるか否かを天秤にかけているんだろう。

 だったら、背中を押してあげるよ。

 

 「沖田君、分単位でカウントダウン。残り1分からは秒単位だ」

 「了解しました」

 

 この状況に於いて、文字通り刻一刻と迫る時間の制約は、砲撃が当たる可能性なんか度外視で相手を焦らせる。

 実際、沖田君が「残り、8分」「残り、7分」とカウントを進めるにつれて、地華君はもちろん天音君も落ち着きを失っている。

 

 「残り……1分です。59…58……」

 

 ついに、秒単位でのカウントに入った。

 ここに至って、地華は目に見えて狼狽え、「どうすんだよ姉ちゃん!」と、天音君の焦りに拍車をかけた。

 

 「残り、30秒。28…27…26」

 

 残り時間が30秒を切っても、踏ん切りはつかないか。

 だったら、もう少し背中を押してあげよう。

 

 「龍見姉妹。いや、天音、地華。僕には君たちの力が必要だ。だから……」

 

 僕が口を開くと、二人は救いでも求めるかのように僕に視線を固定した。

 沖田君はカウントを続けつつ、いつでも大和に連絡ができるようにしてくれている。

 次の一言で、勝負は決まるな。

 

 「僕のモノになれ!」

 

 言っといてなんだけど、僕はどうしてあんな言い方をしたんだろう。

 もしかしてアレか?

 漫画やアニメでの知識でしかないけど、プライドの高い女性は押しに弱いとか、強引な男に惹かれるとか、実は所有されたい欲があるなんて世迷言(よまいごと)が、頭をよぎったからだろうか。

 まあ、仮にそうだとしても……。

 

 「残り10秒。9…8…」

 「わかりました! あなた様に従います!」

 

 龍見姉妹が負けを認めたから結果オーライだ。

 しかし……怖かったぁ……。

 だって沖田君が慌てて大和に連絡をした頃には、カウントは5秒を切っていたんだから。

 

 「ふぅ……。寿命が縮んだよ」

 「それはこちらの台詞です! こんな命懸けの勝負を挑まなくとも、私たちはあなた様に協力するつもりでしたのに!」

 「僕が龍見家の傘下に入るって形で。だろう?」

 「そうですが……。それでも、あなた様が望む通りの結果にはなったはずです!」

 「駄目だよ、それじゃあ」

 「どうして……ですか?」

 「僕が敗けた場合、龍見家に(るい)が及ぶ。最悪、断絶しちゃうよ」

 

 だから、龍見家を上に立たせる訳にはいかなかった。

 あくまで、僕が主導しなければならなかった。

 あまり変わらないように聞こえるだろうけど、上下関係をハッキリさせておくのは必要なことなんだ。

 責任者は僕。

 だから、僕の計画が失敗した時に責任を取るのも僕。

 僕の我儘に巻き込むのに、責任まで龍見家に負わせるのは絶対に間違ってるからね。

 

 「あなたは頑固ですね。いえ、我儘と言った方が良いのでしょうか。ね? 地華もそう思わな……地華? どうしたの?」

 「姉ちゃん。やべぇよ。コイツはやべぇ」

 「ええ、危ない人なのは確かですけど……」

 「(ちげ)ぇよ。コイツはオレたちに、自分のモノになれって言ったんだぜ? オレ、殿方からそんなことを言われたの初めてだよ」

 「それは私もですが……。ちょっと待ちなさい地華。あなた、まさか……」

 「ああ、どうやらオレはコイツに……。この人に惚れちまったみたいだ」

 

 ちょっと何ってるかわからない。

 本当にわからない。

 僕に惚れた?

 誰が?

 地華君が?

 いやいや、ないでしょ。

 地華くんはボーイッシュすぎて、もう少し時代が進まないと需要が少ないかもしれないけどかなり、いや凄い美人だ。

 髪型と口調を女性らしくするだけで、相手には絶対に困らない。

 そんな地華君が、僕に惚れた?

 もう一度言うけど、絶対に有り得ないから!

 

 「姉ちゃん。この人を婿にしよう! な? 姉ちゃんも、この人なら良いだろう?」

 「そりゃあ、私も油屋様ならやぶさかではありませんが……」

 「ちょ、ちょ、ちょぉぉぉぉっと待ってくれ! 僕を婿に? 地華君の!?」 

 「オレの。じゃねぇよ。オレたちの、だ」

 「龍見家は代々、姉妹のどちらかが認めた殿方を共通の婿とする習慣があるのです」

 

 え? それって、姉妹で僕をシェアするってことで良いのかな?

 何それ、天国じゃん。

 美人姉妹を相手に姉妹丼とか男の夢じゃん(異論は認める)。

 だがしかぁぁぁし!

 僕はナナさんに惚れている。

 よって、魅力的かつ魅惑的な逆プロポーズを受けるわけには……。

 

 「ああ、そうそう。私たちのどちらかとちゃんと子をもうけてくださるなら、他に何人女を囲おうと、何人子供を産まそうと構いません。幸いなことに、うちも油屋様……小吉様も、金銭には不自由していませんから」

 「その話詳しく……じゃない! できないよそんなこと!」

 「何でだ? 女を(はべ)らせてポンポン子供を産ませるなんざ、そこら辺に転がってる有象無象にゃあ絶対にできねぇぜ?」

 「いや、そうだけど、法律や倫理的にアウト……」

 「別に、お互いが納得してんなら良いんじゃねぇの? なあ、姉ちゃん」

 「その通りです。姦通罪はとっくの昔になくなっていますし、他の女に子供を産ませるにしても、本妻である私たちが良いと言っているのだから何の問題もありません」

 

 なるほど、確かに問題……あるよ!

 主に、僕の心の問題が!

 え? どうしてこうなったの?

 なんかすでに、龍見姉妹の中では僕が婿入りするのが決まってるっぽいし、沖田君は沖田君で……ん? 君、何してるの?

 どうして受話器片手に「油屋大将が龍見姉妹にまで手を出したぞ! 祝砲だ! 祝砲を上げろ!」なんて言ってるの?

 上げちゃ駄目だからね……って、なんだか外が騒がしいな。誰かがこの部屋へ走って来たようだ。

 

 「当主様方! 火急の報せが!」

 「んだよ騒々しい!」

 「今は、お客様がお見えなのですよ?」

 「申し訳ありません! ですが、敷地内に侵入者が!」

 

 報告に来たのは、これまた巫女さん。

 かなり焦っているようだから、緊急性は高そうだ。

 

 「侵入者? 確認はしたのですか?」

 「はい。巫女数名と確認しに向かったのですが、私以外は……」

 「どのような奴だったのですか?」

 「服装はバラバラでしたが、米国製と思われる小銃を装備した男が約20人。巫女衆が応戦して時間を稼いでいますが、長くはもちそうにありません」

 「そいつは穏やかじゃねぇな。小吉の大将。アンタの手の者か?」

 「いいや、違う。でも、心当たりはある」

 

 目的は、間違いなく僕。

 侵入者の正体は元442。

 それが、先ほどの砲撃は自分たちに向けてのモノだろうとでも誤認して、強襲することにしたんだろう。

 さて、どうする? 小吉。

 ナナさんが動けない今、彼らに対抗できる手持ちの戦力は沖田君だけ。

 大和の砲撃も使えないことはないが、小隊規模とは言えピンポイントで狙うのは不可能。

 他に戦力として使えそうなのは……。

 

 「天音君、地華君」

 「はい」

 「なんだ? 大将」

 「最初のお願い……いや、命令だ。巫女衆を使って、敵を玄関前の広場に誘導。後に、僕の準備ができるまで一人も殺さずに足止めしろ。できるな?」

 

 巫女衆はどうかわからないが、彼女たちは暮石の人間と戦い、痛み分けをした者の末裔。

 ならば、一人一人がナナさんレベルだと考えても問題ないはず。

 さて、偉そうに命令しちゃった僕に、二人は従って……。

 

 「お任せください。未来の婿殿に良いところを一つも見せぬなど、龍見家の恥」

 「オレらの舞で惚れさせてやるから、目ん玉ひん剥いてしっかり見てな!」

 

 くれた。

 各々の得物を携えた立ち姿は、巫女とは思えないほど雄々しく、勇ましい。

 そんな彼女たちに、僕は不覚にも、ナナさんの存在を忘れて見惚れてしまった。

 

 

 

 



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第二十二話 交渉(裏)

 

 

 

 大きな音で意識を引き戻されたあたりからだったかな。

 少しづつ、気分と体調が良くなってきた。

 小吉が「じゃあ僕と一緒に、死んでくれる?」と聞いてくる頃には、答えられる程度に頭もハッキリしていた。

 龍見の片割れが「この人を婿にしよう!」とかほざいた頃には、「小吉はあたしとレンアイ結婚するんだから、駄目に決まってるでしょ」と、頭の中でツッコむくらいはできるようになっていた。

 

 「沖田君。偵察機と、直接連絡は取れるかい?」

 「残念ながら、この電話は大和艦橋との直通回線ですので、一度大和を経由する必要があります」

 「そうだったね。じゃあ大和経由で偵察機に、敵集団を玄関前の広場に殺さずに誘導するよう伝えさせて。機銃くらいは、積んでるだろう?」

 「了解です」

 「ああそれと、巫女服を着た女性は味方だから、絶対に傷つけないようにと、注意もしといてね」

 

 なんだか、急に騒がしくなって来たわね。

 龍見姉妹が得物を持って出て行ってから小吉とジュウゾウも忙しそうにしてるし、もしかして襲撃でもされてるのかしら。

 だったらあたしの出番だけど、体調は良くなっているとは言え、まだ戦えるほどじゃない。

 でも、あたしが戦わないと小吉が……。

 

 「ナナさんは、ここで休んでてね」

 「え? 嫌じゃ……。置いてけぼりにせんといて……」

 

 死んじゃうのに、小吉はあたしを置いていこうとしてる。

 あたしは小吉の護衛なのに。

 あたしは小吉を護るためにいるのに、小吉は置いていこうとしてる。

 どうして?

 もしかして、あたしが体調を崩したから?

 殺すくらいしかできないあたしが、殺さなきゃいけない場面で役に立たないから、置いて行くの?

 嫌だ。

 それは嫌。

 小吉に置いて行かれたくない。

 小吉と離れたくない。

 小吉と一緒にいたい。

 なのに、小吉は……。

 

 「大丈夫。すぐに戻って来るから」

 

 そう言い残して、小吉はジュウゾウと一緒に出て行ってしまった。

 心地よかった小吉の膝枕が、無くなった。

 小吉の匂いが遠ざかっていく。

 小吉の気配が、殺気が渦巻いている方に消えていく。

 誰だ。

 あたしから小吉を奪ったのは誰だ。

 龍見姉妹か?

 いいや、違う。

 龍見姉妹は、殺気を撒き散らしている奴らと戦っている。

 じゃあ、あたしから小吉を奪ったのは、龍見姉妹と戦っている奴らか。

 

 「殺して……やる」

 

 さっきまで、吸い取られるように抜け出ていた殺意が、抜けた分を取り戻すかのように()ちていく。

 それに呼応するように、身体にも力が満ちていく。

 小吉はあたしのだ。

 あたしが殺すんだ。

 小吉を奪おうとする奴は、誰であろうと殺してやる。

 

 「……いつもより、よぉ見える」

 

 龍見姉妹と似たような気配が30。

 コイツらは、大して移動していない。

 それらに向けられた殺気が11。

 コイツらは、少しづつこっちに近づいてる。

 たぶん、移動してない30がコイツらを誘導してるんでしょう。

 そして、龍見姉妹と戦っている奴らが12。

 玄関から5間も離れていない位置で、大立ち回りをしてる。

 この屋敷の裏から回り込もうとしてる奴が1。

 コイツには、あたし以外は気づいてないっぽいわね。

 空にも一つ気配があるけど、何をしてるかまではさすがに見えないか。

 それらを見渡せる位置、玄関を出た辺りに、小吉とジュウゾウの気配。

 どうも、龍見姉妹とその一派と、共闘してるっぽいわ。 

 

 「敵は24。回り込もうとしちょる奴以外を一ヶ所に集めて、一網打尽にするつもりじゃね。じゃったら……」

 

 あたしが殺ってやる。

 今のあたしなら、殺陣だって使える気がする。

 敵だけ斬るなんて細かい調整ができるかどうかはわからないけど、龍見家はあたしの敵だから別に構わないか。

 最悪、小吉だけ生きてれば良い。

 他がどうなろうと、知ったことか。

 と、考え、短刀を抜き、殺意を解き放つ準備をしながら玄関から出ると、小吉の背中が視界に飛び込んできた。

 いや、小吉の背中で、世界が塗り潰された。

 小吉の背中って、こんなに大きかったっけ?

 

 「やあ、ナナさん。体調はもう良いのかい?」

 

 あたしに気づいて振り向いた小吉は、いつもの笑顔だった。

 あたしを無条件で安心させてくれる、いつもの小吉だった。

 なのに、存在感が違う。

 死線が飛び交ってるのに、小吉は意に介していない。

 敵は隙あらば小吉を狙おうとしているのに、小吉は堂々と、矢面に身をさらしている。

 

 「起きたんなら手伝え小鬼!」

 「そうです。うちの畳で寝かしてあげたんですから、その分くらいは働いてください」

 

 龍見姉妹が何か言ってたけど、あたしの頭は意味を理解しなかった。

 あんな奴らに割く力は勿体ない。

 あたしは、小吉だけを見ていたい。

 小吉の声だけを、聴いていたい。

 なのに、周りが五月蝿(うるさ)すぎる。

 龍見姉妹の得物が奏でる風切り音も、銃声も、敵の声も、飛行機のエンジン音も、全てが邪魔。

 あたしが小吉を感じるのを邪魔する全部が、憎くて憎くて仕方がない。

 もう、殺してしまおうかしら。

 

 「ナナさん」

 

 あ、小吉が、あたしに話しかけてくれた。

 もしかして、全員殺せって言うつもりかしら。

 だったら……うん、良いよ。

 殺ったげる。

 今のあたしはすこぶる調子が良いの。

 いつもより遠くまで気配を感知できるし、今までで一番、殺意も研ぎ澄まされてる。

 今のあたしなら、父様や兄様にだって負けない。

 

 「敵のみを、狩場で拘束して。できるよね?」

 

 え? そんなことで良いの?

 殺さなくて良いの?

 殺せるんだよ?

 できたことはないけど、今のあたしなら殺陣が使える。使える自信がある。

 なのに、狩場で良いの?

 そりゃあ、いつもより広範囲に狩場を展開できるわよ?

 でも、それじゃあ小吉の敵は減らないのよ?

 

 「殺さんで……ええの?」

 「うん。殺しちゃ駄目」

 「どうして?」

 「僕にとって、彼らが必要だからさ」

 

 敵が、必要?

 なんで、敵が必要なんだろう。

 あたしよりも必要なの?

 もしかして、愛想がないあたしに嫌気がさしたの?

 大事な時に動けなかったあたしに、見切りをつけたの?

 だから、あたしの代わりにあいつらを雇うつもりなの?

 

 「違う。君は僕にとって最も大切な人だ。だから、そんなに悲しそうな顔をしないで?」

 

 言われて顔に触れてみたら、あたしの顔が歪んでた。

 頬が強張ってた。

 唇が震えてた。

 視界がボヤけてると思ったら、目から水が流れてた。

 あたしの顔が、表情を作ってた。

 

 「小吉は、あたしを捨てない?」

 「捨てるわけないじゃないか。どうして、そう思ったんだい?」

 「だって小吉は、敵が必要だって……殺さんでええって……。あたし、殺すしかできんのに」

 

 小吉の姿が見えない。

 (ぬぐ)っても拭っても目から水が出るせいで、小吉をまともに見れない。

 身体がこんなになったのが初めてで、どうしたら治まるのかがわからない。

 

 「わからん! 小吉がわからん! あたしがわからん! あたしは殺すしかできんのに、なんで殺すなって言うん! なんで、目から水が出るん! なんで……!」

 

 こんなに、感情が制御できないの?

 ずっとやってきたのに。

 感情を抑え込んで生きてきたのに、小吉と会ってからそれが難しくなった。

 ここに来てから、それがもっと酷くなった。

 溢れ出る感情に引っ張られて、身体の制御も利かなくなった。

 そんな、初めての状態に混乱してたあたしを、小吉は優しく抱き締めてくれた。

 胸に、顔を埋めさせてくれた。

 

 「大丈夫。落ち着いて、深呼吸しよう。深呼吸、わかるよね?」

 「わか……らん」

 「そっか。じゃあ、僕の真似をして」

 

 言い終えるなり小吉は、胸を膨らませながら、大きく息を吸い込んで一拍置いて吐き出した。

 あたしも真似をしたら、「そうそう、その調子」と言って、頭を撫でてくれた。

 呼吸の拍子をあわせると、小吉と一つになれたような気がして、胸の奥から温かくなった。

 

 「落ち着いたかな?」

 「うん……少し」

 

 何度か繰り返したら、あたしの頭は冷静さを取り戻していた。

 感情も、ちゃんと制御できてる。

 

 「狩場で拘束すりゃあ、ええんじゃね?」

 「うん。お願いするよ。ナナさん」

 「任せちょいて」

 

 あたしは小吉から離れて、龍見姉妹の方へ歩き始めた。

 もっと長く小吉に抱き締められていたかったけど、今は小吉のお願いを叶えてあげたい欲の方が強い。

 欲が薄いはずのあたしが、欲望に忠実になっている。

 

 「あ、そうだ。ナナさん」

 「何?」

 

 さあ、やることをやってしまおうと思ったら、小吉に呼び止められた。

 なんだろう?

 やっぱり殺してって、言うつもりかしら。

 

 「泣き顔も魅力的だったけど、次は笑顔が見てみたいな」

 「笑顔?」

 

 あたしの笑顔なんか見て、小吉は何が面白いんだろう。

 そもそも、できるかどうかもわからないし。

 でも、小吉が見たいって言うなら、見せてあげたいと思う。

 今は無理だけど……。

 

 「そのうち……ね」

 

 と、答えて、再び小吉に背を向けたあたしの目尻は下がり、頬は弛んでた。

 あたしはたぶん、この時笑ってたんだと思う。

 



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第二十三話 覚悟(表)

 

 

 下準備……と、言うよりは覚悟を決めて玄関から出ると、すでに龍見姉妹と元442が戦闘を開始していた。

 その戦闘を一言で表すなら、龍に挑む人間たちだろうか。

 ただし、ここで言う龍とは元442ではなく、龍見姉妹の方だ。

 そう思えてしまうくらい。

 そう、見えてしまうくらい、二人の剣技……いや、舞だろうか。は、凡人である僕の目には凄まじく映った。

 

 「なん……だ? あの剣技は。まるで、二人一組で戦うのを前提に作られたような動きじゃないか」

 

 とは、僕より武道の心得がある沖田君の感想だ。

 その感想を聞いて、少しだけ腑に落ちた。

 二人はお互いの動きを、一切邪魔していない。

 互いに後ろを向いていても、片割れがどこで何をしているのかわかっているように槍を突き、刀を振っている。

 

 「姉ちゃん! アレをやるぜ!」

 「ええ、よくってよ」

 

 どこかで聞いたような台詞だ。

 は、置いといて、二人は背中を預け合うように立ち、天音君は刀を真横に、地華君は大上段に、銃剣突撃を敢行しようとしている元442一個分隊、12名に向けて構えて動きを止めた。

 何をする気だ?

 元442も、戦闘中に動きを止めた二人を訝しんで、突撃を躊躇している。

 

 「遠子龍見流(とおこたつみりゅう)兄遠子(えとうこ)の舞。逆鱗の章、神域(しんいき)

 「遠子龍見流、弟遠子(おととおこ)の舞!逆鱗の章!神助(しんじょ)!」

 「「(あい)合わさりて、()れすなわち神変(しんぺん)なり!」」

 

 と、同時に叫ぶなり、天音君は刀を真横に振り抜き、地華君は槍を、上段から振り下ろした。

 いや、事を終えた彼女たちを見たら、そうしたとしか思えなかった。

 

 「これはもう……人間業(にんげんわざ)じゃない……。七郎次以上の化け物だ」

 

 沖田君がそう言いたくなる気持ちもわかる。

 だって、元442が居た場所。

 いや、爆心地は、刀や槍でやったとは思えないほどの有り様だ。

 鳥居から玄関まで続く石畳の三割は粉微塵になり、大地は文字通り抉れ、直径30メートルほどのクレーターになっている。

 しかも、直撃を受けたはずの元442が一人も死んでいないのを見るに、手加減してあの威力だ。

 あれなら、暮石の人間が三人がかりで一人殺すのがやっとだったのも頷ける。

 

 「チッ、まだ来やがる。何人いんだ?」

 「べつに、何人いようと構いません。例え重火器を使われようと、この程度の相手なら物の数ではありません」

 「ハッ! そりゃそうだ!」

 

 これは、龍見姉妹だけで方が付きそうだな。

 それはそれで良いんだけど、指揮官らしき者がいまだ見えないのが気がかりだ。

 もう一つの分隊の方にいるのか?

 と、疑問が浮かんだその時、今まで感じたこともないほどの悪寒が背筋を駆け下りた。

 何か、いる。

 この世にいちゃいけないモノが、僕の後ろに立っている。そう、感じた。

 後ろには何がいる?

 常識的に考えるなら、後ろにいるのはナナさんだ。

 でも、本当にナナさんか?

 ナナさんは、こんなに禍々(まがまが)しかったか?

 

 「やあ、ナナさん。体調はもう良いのかい?」

 

 恐怖はあった。

 飛び交う銃弾よりも、後ろにいるモノの方が怖かった。

 だけど僕は、振り向いて確かめた。

 確かめたかった。

 いつもの笑顔を貼り付けて、ナナさんであってくれと祈りながら振り向いた。

 そしたら、やっぱりナナさんだった。

 ただ、いつもと少し違っていた。

 いや、少しどころじゃない。 

 だって彼女は、熱にうかされたように、僕を見上げていたんだ。

 

 「起きたんなら手伝え小鬼!」

 「そうです。うちの畳で寝かしてあげたんですから、その分くらいは働いてきださい」

 

 巫女衆に誘導されてきた新手の相手をしていた龍見姉妹にそう言われると、ナナさんの表情が変化した。

 なんて、顔をしてるんだ?

 例えるなら鬼だろうか。

 この場にいる全てを憎んでいるかのように、ナナさんの顔が醜く歪んでいる。

 これはマズい。

 激しくマズい。

 このままだとたぶん、みんな殺される。

 僕はもちろん、沖田君や龍見姉妹、巫女衆と元442も全員皆殺しにされると、僕の本能が警鐘を鳴らした。

 だからなのか、僕は……。

 

 「ナナさん」

 

 ナナさんに呼び掛けていた。

 そうしたらナナさんは、またさっきの表情に戻って、僕を見上げてくれた。

 これは、僕の言うことなら聞いてくれると判断して良いのだろうか。

 

 「敵のみを、狩場で拘束して。できるよね?」

 

 僕の問いに、ナナさんは不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げた。

 可愛い。

 と、思うのは不謹慎なのに、そう思えて仕方がない。

 普段が無表情だから、普通の事がこんなにも愛らしく思えてしまうのだろうか。

 

 「殺さんで……ええの?」

 「うん。殺しちゃ駄目」

 「どうして?」

 「僕にとって、彼らが必要だからさ」

 

 そう答えると、ナナさんは悔しそうに唇を噛んでうつむいた。肩まで震わせている。

 これは、怒ったと解釈して良いのだろうか。

 でも、どうして怒った?

 もしかして、ナナさんより敵の方が必要だと、ナナさんには聞こえたのか?

 だから、泣きそうになっているの?

 だったら、フォローしておかないと。

 

 「違う。君は僕にとって最も大切な人だ。だから、そんなに悲しそうな顔をしないで?」

 

 僕に言われて初めて気づいたのか、ナナさんは自分の顔に触れて驚いている。

 強張ってる頬を、震える唇を、涙が流れる目尻を、確認するように触れている。

 そしてナナさんは、その顔のまま再び僕を見上げて……。

 

 「小吉は、あたしを捨てない?」

 

 と、怯えた声で言った。

 僕が、ナナさんを捨てる?

 あり得ない。

 だって僕は、ナナさんが好きなんだ。

 

 「捨てるわけないじゃないか。どうして、そう思ったんだい?」

 「だって小吉は、敵が必要だって……殺さんでええって……。あたし、殺すしかできんのに」

 

 なるほど。

 どうやら僕は、無自覚にナナさんの在り方を否定していたみたいだ。

 だから、ナナさんは泣いている。

 瓶落水(からみ)の結界のせいで弱ってるせいもあるんだろうけど、僕に否定されてナナさんは混乱したんだ。

 だから、何度(ぬぐ)っても止まらない涙を、必死に拭い続けている。

 恐らくは初めての状態に、戸惑っている。

 

 「わからん! 小吉がわからん! あたしがわからん! あたしは殺すしかできんのに、なんで殺すなって言うん! なんで、目から水が出るん! なんで……!」

 

 ついには、叫び始めた。

 地団駄まで踏んでいる。

 これは、どうしたら良い?

 僕は今ほど、女性経験が無いのを歯痒いと思った事がない。

 もし、僕に少しでも女性経験があれば、こんな状態になった女性にも対処できただろうに。

 と、頭では考えているのに、僕はナナさんを優しく抱き締めていた。

 まるでこうするのが正解だとでも、言うように。

 

 「大丈夫。落ち着いて、深呼吸しよう。深呼吸、わかるよね?」

 

 その言葉も、自然と口から出た。

 

 「わか……らん」

 

 ナナさんがそう言うのも、何故かわかった。

 

 「そっか。じゃあ、僕の真似をして」

 

 言い終えて、僕は胸を膨らませながら大きく息を吸い込んで、一拍置いて吐き出した。

 ナナさんも、真似をし始めた。

 

 「そうそう、その調子」

 

 と言って、僕は頭を撫でた。

 すると、ナナさんはただ呼吸するだけじゃなくて、リズムをあわせ始めた。

 不思議な気分だ。

 こうしていると、ナナさんと一つになってるような気がする。

 

 「落ち着いたかな?」

 「うん……少し」

 

 何度か繰り返したら、ナナさんは冷静さを取り戻した。

 いつもの無表情に戻っているのが少し残念だけど、それ以上に安心してしまった。

 

 「狩場で拘束すりゃあ、ええんじゃね?」

 「うん。お願いするよ。ナナさん」

 「任せちょいて」

 

 ナナさんは僕から離れて、龍見姉妹の方へ歩き始めた。

 うん、足取りもしっかりしてる。

 さっきまでの悪寒も感じない。

 

 「あ、そうだ。ナナさん」

 「何?」

 

 これなら、大丈夫だ。

 と、思って見送ったのに、僕は彼女を呼び止めた。

 なんでだろう?

 どうして僕は、彼女を呼び止めたんだろう? と、自分の行動の意味がわからず軽く混乱しているのに……。

 

 「泣き顔も魅力的だったけど、次は笑顔が見てみたいな」

 「笑顔?」

 

 僕の口は、勝手に動いていた。

 女性の前では緊張してまともに話せない僕が、こんな臭い台詞を吐くのは初めてなのに、言いなれているかのように自然と、違和感なく言っていた。

 

 「そのうち……ね」

 

 そしてナナさんは、一瞬だけ驚いた顔をしたあと背を向けて、そう返してくれた。

 沖田君が「さすがは油屋大将! 戦闘中にもかかわらず口説くとはこの沖田、感服いたしました!」とか言ってるのは無視する。

 ナナさんにも聞こえてるはずだけど、無視して彼女は……。

 

 「暮石流呪殺法、(つい)の段。狩場、広域展開」

 

 を発動させた。

 いや、ピカッと光ったり派手な音が鳴った訳じゃないんだけど、それが僕もわかった。

 だって僕以外の全員、沖田君まで、上から何かに押し潰されたように、地面に縫い付けられてしまったんだから。

 

 「おい……小鬼。オレらは味方だろ……」

 「ああ、すまん。ちぃとやり過ぎた」

 「だっ……たら、早く解放して……いただけませんか?」

 「嫌じゃ」

 

 嫌じゃ。

 じゃなくて、解放してあげてくれないかなぁ。

 あれ? でもたしか、ナナさんの狩場の中で喋れる人は珍しいんじゃなかったっけ?

 なのに、龍見姉妹は身動きできないまでも、喋れてる。ナナさんの言葉を借りるなら、肝が据わってるってことだろうか……って、分析してる場合じゃないな。

 

 「ナナさん、龍見姉妹と巫女衆を解放して。このままじゃあ、話もできない」

 「ミコシュウ?」

 「龍見姉妹と似たような格好をしてる女性たちさ。できるよね?」

 「小吉がやれって言うなら、やる」

 「じゃあやって。龍見姉妹と巫女衆は、解放されたら襲撃者を全員、武装解除させて僕の前に」

 「わかった。屋根の上にも一人おるけぇ、そっちも忘れんでよ」

 

 え? どうしてそんなところに?

 もしかして、回り込まれてた?

 あっぶねぇぇぇぇ!

 たぶん、そいつが指揮官だ。

 ナナさんが気づいてなかったら、僕はそいつに殺されてたな、たぶん。

 と、肝を凍りつかせて少しチビっちゃった僕を尻目に、龍見姉妹に指揮された巫女衆が元442の面々を僕の前に横二列で跪かせた。

 最後に連れてこられて、一番前に座らさせられたのが、たぶん後ろに回り込んでた指揮官だな。

 

 「まずは確認だ。君が指揮官で、間違いないね?」

 「……」

 

 黙秘か。

 さすがは米国兵。

 捕虜になるくらいなら死ねと言われて、尋問された時の対処をまともに教えられなかった日本兵とは大違いだ。

 まあ黙秘したところで、彼らの情報は全て把握してるんだけどね。

 

 「もう一度だけ言うよ? チャーリー・富岡少尉。君が指揮官で、間違いないね?」

 「……どうして、MeのNameをYou know?」

 「どこのルー大柴だよ」

 

 おっと、ついついツッコんじゃった。

 しかもルー・大柴って名の人がいたらしく、彼のすぐ後ろの人を他の元442が見て驚いている。

 

 「失礼。君たちの情報は事前に調べあげている。雇い主はもちろん、いくらで雇われたのかもね」

 「では、MeたちがYouをAttackするとunderstandだったから、Bombardmentを?」

 「ルー語で話すの、やめてくれない? いや、そういう喋り方しかできないんなら諦めるけど……」

 

 ややこしいんだよなぁ。

 いや、言いたいことはわかるんだよ?

 たぶんさっきのは、襲撃されるとわかってたから砲撃したのか? って、感じだと思う。

 でもさ、一々英語の部分を脳内で日本語に変換するのが面倒臭いんだよ。

 ああでも、「ルー語?」とか言って首を傾げてるのを見るに、彼はこういう話し方しかできないんだろうなぁ。

 

 「OK、わかった。話を続けよう。君たちは僕の命を奪う報酬として、日本国籍とわずかばかりの金銭を提示された。間違いないね?」

 「……Yes」

 「じゃあ、話は簡単だ。その報酬、払われないよ?」

 「Why is it so!? Meは確かに、EmployerとPromiseしたんだぞ!」

 「え~っと、何故だ、雇い主と約束した……か。まあ、そうだろうさ。でも、君たちの雇い主は報酬を払う気が最初からなかった。さらに、その雇い主はすでに死んでいる」

 「Dead? どうして……。No way, you?」

 「そう、僕の手の者が始末した。だから君たちがしたのは、タダ働きだ」

 

 ぼくが言い終わると、チャーリー・富岡を含めた全ての元442は、悔しそうに顔を歪めた。

 中には、泣いている者までいる。

 これは、任務が失敗したことからくる悔し泣きだろうか。

 それとも、最初から反故にする気だった雇い主への怒りからか?

 まあいずれにしても、藁をもすがる思いで日本に渡り、やっとの思いですがった藁がなくなった彼らの失望感は相当なものだろう。

 

 「チャーリー・富岡少尉。君たちは日本国籍と、24000円の報酬を貰うはずだったね?」

 「……Yes」

 

 報酬が24人まとめて24000円。

 平成の貨幣価値で考えたら、子供の小遣い以下だ。

 でも昭和22年現在の貨幣価値は約40倍。

 つまり、彼らに支払われるはずだった報酬は約96万円。一人あたりで換算すると4万円だ。

 それでも平成の価値観からすると安すぎると思うかもしれないけど、この時代は物価も違う。

 教師の初任給が500円くらいだったはずだから、先立つ物が必要な彼らにとっての4万円相当額の現金は、それでもありがたかったんだろう。

 だけど民間団体、その内の少数である過激派に、そんな額の報酬は用意できないし、国籍なんかもっと無理だ。

 彼らはこの国に戻ってまで、都合よく利用された。

 僕にはそれが、どうしても許せない。

 涙すら出てきた。

 

 「どうして、Youが泣く?」

 「怒ってるからさ! 君たちは祖国に裏切られ、日本でも裏切られた! 必死に戦い、類稀な忠誠心を示した英雄である君たちが、どうして我欲しかない有象無象に利用されなければならない! ふざけている! 間違っている! 君たちは本来、称賛されるべき人たちなのに!」

 

 利用しようとしている奴が、何を偉そうに。

 と、思えるくらい頭は冷静なのに、僕は叫ばずにはいられなかった。

 彼らを救いたいなんて、僕の傲慢。

 僕のエゴだ。

 それはわかってる。

 だから、僕は……。

 

 「僕の下で働け、元442連隊の英雄たちよ。前金として君たち全員、家族も連れてきているのなら、その分も国籍を用意する。そして月600円の給料と、階級や任務に応じて別途手当ても付ける。もちろん、24人一人一人にだ」

 

 利用するなら利用するで、相応の報酬を用意する。

 労働と対価はイコールじゃないといけない。

 後ろで沖田君が「奮発しすぎじゃ……」とか言ってるけど、僕はこれでも安いと思ってるよ。

 

 「Meたちは、二度Betrayed。日本には、二度あることは三度ある。という、Proverbがあるのでしょう?」

 「そうだね。信じられないのも無理はない。僕が信じるに値する人間かどうかも、会ったばかりの君たちには判断できないだろう。ならば、沖田君」

 「ハッ! 何でありましょうか!」

 「僕の左腕を斬り落とせ。片腕を落として、彼らへのケジメとする!」

 「了解……できません! 彼らに、あなたがそこまでする義理があるのですか!?」

 「ある! 彼らは僕を殺すために雇われた。つまり、僕のせいで騙され、利用されたんだ! 片腕くらい落とさないと、筋が通らない!」

 

 言うだけ言って、僕はベルトを抜いて左腕に巻き付けて血流を止め、真横に突き出してから、チャーリー・富岡の前に膝を突いた。

 正直、怖い。

 痛いのは嫌だ。

 片腕がなくなるのを想像しただけで泣きそうになるし、体も震える。

 だけど、これで彼らに信じてもらえるなら、片腕くらい安いものだ。

 

 「さあ、やってくれ沖田君。命令だ」

 「しかし、しかし……」

 

 と、命じたものの、沖田君じゃあ忠誠心が高すぎてできないか。

 だったら……。

 

 「ナナさん。お願いできるかい?」

 「ええけど、痛いよ?」

 「痛くなきゃ駄目だ」

 「最悪、死ぬよ? ええの?」

 

 脅さないでよぉぉぉ!

 あのね?

 表情筋をフル稼働させてなんとか表情は固定してるけど、本当は涙も鼻水も垂らして泣きじゃくりたいの!

 それでも必死こいて我慢してるんだから脅すのはやめて!

 

 「大丈夫。僕は死なないから」

 「わかった。じゃあ斬る」

 

 え? 躊躇なし?

 じゃあ斬るって言った途端に短刀を振り上げて、間も置かずに振り下ろしたよね?

 いや、良いんだよ?

 斬れって言ったんだから斬っても良いの。 

 でもさぁ、もう一言あっても良かったんじゃない?

 ほら、例えば「覚悟は良いか?」って聞かれた僕が「ああ、やってくれキリッ!」みたいに答えてからとかさぁ。

 良いんだよ?

 うん、本当に良いの。

 ただ、あまりにナナさんの思い切りが良すぎたせいで、振り下ろされてる短刀がスローモーションに見えてるから、その間に心の中で少しだけ文句を言っただけだから。

 

 「Wait please!」

 

 バイバイ、僕の左腕。

 と、無くなる予定だった左腕に別れを告げようとした瞬間、チャーリー・富岡が待ったをかけた。

 左腕は……あ、よかった。

 まだ繋がってる。

 めちゃくちゃ痛いし、短刀は肉どころか骨に若干食い込んでるっぽいけど、振りきられていない。

  

 「Mr.油屋、YouのPrepared、確かにI saw you」

 

 だから、ルー語をやめろ。

 君って、年齢的に日系二世だよね?

 なのに、どうしてルー語で喋るの? は、置いとけ小吉。

 今は余所事(よそごと)を考えて、痛みから逃げて良い場面じゃない。

 

 「じゃあ、僕の下についてくれるんだね?」

 

 短刀をしまったナナさんが、制服のスカーフを包帯代わり巻いてくれてるのを横目で見ながらそう言うと、チャーリー・富岡は後ろの一同を一度見渡してから首肯し、再び僕に向き直り……。

 

 「我ら、Former 442nd Regimental Combat Team一同、Mr.油屋に忠誠を誓います」

 

 そう言って、全員が頭を下げた。



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第二十四話 覚悟(裏)

 

 

 

 前々から思ってた事だけど、小吉は阿保だ。

 前は必要もないのにあたしを(かば)って怪我をしたし、今回は信頼を得るためかどうかはわからないけど、腕一本を犠牲にしようとした。

 まあ、それが小吉の良いところではあるんだけど、あんな戦い方をしてて、よく今まで生きてこれたものだと呆れちゃうわ。

 もっとも、応急処置だけして、龍見姉妹とちゃ……チャー……なんとかを連れて旅館に戻るなり……。

 

 「死にかけちょるけど」

 「他人事みたいに言うな小鬼!」

 「そうです! あなたが短刀の手入れをちゃんとしてなかったから、小吉様がこんなになっているのですよ!?」

 「あたしに斬らせた小吉が悪い」

 

 だから、あたしは悪くない。

 だいたい、短刀の手入れってどうやるの?

 武器なんて、基本使い捨てでしょ?

 と、言おうものなら龍見姉妹が斬りかかって来そうだからやめておこう。

 

 「まあまあ、落ち着け二人とも。幸いな事に、化膿して熱を出しただけで済んだんだから良いじゃないか」

 「良くねぇよ!」

 「そうです! だいたい、沖田殿が日頃から小鬼を注意していれば、こんな事にはならなかったのですよ!」

 「お、俺が悪いのか!?」

 

 そう、ジュウゾウも悪い。

 あたしたち暮石の人間は、世の大半のモノに興味がないのよ? いくら得物だからって、武器の状態を気にする訳がないでしょうが。

 

 「はいはい、怪我人の前で騒がない。沖田さん、申し訳ありませんが、ナナの短刀を研ぎに出して来て頂けませんか? 近くに、腕の良い研師がいますので」

 「わかった。七郎次、短刀を寄越せ」

 「嫌じゃ」

 「嫌じゃ。じゃない。それは大和中将殿から頂いた業物だろう? そのままにしといたら、もっと錆びて使えなくなるぞ」

 「丸腰になるけぇ嫌じゃ」

 

 ここには龍見姉妹だけでなく、歌もいるのよ?

 小吉を狙ってる奴が三人もいるのに、丸腰じゃあ困るでしょ。

 だいたい、錆びて使えなくなったら、新しいのを買うなりすれば良いのよ。

 

 「だったら、俺の刀を持っとけ」

 「ジュウゾウのは重いし長いけぇ使いづらい」

 「じゃあ、拳銃ならどうだ?」

 「銃なんか撃ったら肩が外れる」

 

 たぶん。

 それに撃った事もないから、持ってたって役に立たない。撃ったって、当たんないでしょうし。

 

 「ねえナナ。短刀って、どれくらいの長さ?」

 「これくらい」

 

 と言って、スカートをめくって実物を見せた。

 その瞬間にジュウゾウが目を背けたけど、今はちゃんと、小吉に買ってもらったふんどしをはいてるから見ても大丈夫よ?

 

 「あ、これってもしかして……」

 「歌殿、これに心当たりが?」

 「うん。たぶんこれ、うちの家宝」

 「おいおい。この小鬼、人んちの家宝を手入れもせずに使ってたのか?」

 「信じられませんね」

 

 そんな事を言われても、あたしにこれをくれた猛おじ様は、これが家宝だなんて一言も言わなかったもの。

 と言うか、猛おじ様は普通の人の中で誰よりも暮石家に詳しいんだから、小吉かジュウゾウあたりに忠告しとけば良かったのに。

 

 「まあ、蔵にしまいっぱなしだった物だから、ナナが持ってても問題ないわ」

 「けどよぉ。死蔵してたって言っても、歌んちの家宝なんだろ?」

 「そうだけど……。うちってかなりの現金主義だから、家宝も万が一の時の質草(しちぐさ)程度にしか思ってないのよ」

 

 はて?

 龍見の口が悪い方と歌が、妙に仲が良い気がする。

 龍見姉妹がここに来たのは、今日が初めてのはずよね? と、疑問に思ってるあたしを蚊帳の外にして、歌は「あ、ちょっと待ってて。すぐ戻って来るから」と言って、部屋から出ていった。

 

 「お待たせ。はい、これ。これなら、その短刀と同じくらいじゃない?」

 

 そして戻るなり、あたしが持ってる短刀より倍近く、長さにして二尺くらいの、黒塗りの鞘に納められた脇差し……いや、小太刀かしら。を、渡してきた。

 いやいや、どう見ても長いし……。

 

 「ちょっと、重い……かな?」

 「使えない?」

 「使えなくは……」

 

 ない。

 試しに抜いて振ってみたら、思ったよりもしっくり来た。

 もしかして、あたしの腕力が上がってる?

 昨日、小吉の腕を落とそうとした時に、短刀が妙に軽く感じたのもそのせい?

 でも、どうして腕力が……あ、たぶん、毎朝ジュウゾウに稽古をつけてたからだ。

 適当に拾った木の枝とは言え、毎日のように何かを振り回したことはなかった。

 あれのせいで、知らず知らずの内に鍛えられてたんだわ。

 でも、それってマズくない?

 だって昔、猛おじ様は「ムキムキの女に需要があるか!」って、言ってたのよ?

 だから、あたしは身体を鍛えるのを禁じられていた。

 なのに、ジュウゾウのせいで鍛えられてしまった。

 

 「ジュウゾウ。もう、あんたに稽古はつけん」

 「ちょっと待て、どうしてそんな話になった?」

 「だって、このままじゃあムキムキになる。ムキムキな女に需要はない。ムキムキになったら小吉に嫌われる。じゃけぇ、稽古はもうつけん」

 

 そう言いながら刀を鞘に納めると、何故か龍見姉妹がうちひしがれたように項垂(うなだ)れているのが目についた。

 何か、あったのかしら。

 

 「ちなみに歌殿。あの脇差し……小太刀か? 微妙な長さだな。に、銘は?」

 「え~っとたしか、勢州桑名住村正(せいしゅうくわなじゅうむらまさ)

 「い、今なんと?」

 「だから、勢州桑名住村正。そんな変な顔して驚くほど、凄い物なの?」

 「凄いなんて物じゃない! 勢州桑名住村正の村正とは、かの徳川将軍家に不幸をもたらした妖刀・村正のことだ!」

 

 ふぅん、妖刀か。

 だから、変な邪気を帯びてるの?

 

 「ま、まさか、七郎次が錆びまみれの雑菌まみれにした短刀も……」

 「あ、そっちは村正じゃなかったわ。繁慶( はんけい)って書いてあった」

 「これまた名刀! 繁慶ってお前……徳川家に召し抱えられていた刀工だぞ!」

 

 知らん。

 興味もない。

 でも、ジュウゾウが(よだれ)を垂らしそうな勢いで見いってる様を見るに、どちらも相当良い物のようね。

 だったら……。

 

 「欲しいんなら、ジュウゾウにあげる」

 「良いのか!? いや、いやいやいやいや! 受け取れん! 俺程度の腕じゃ不相応だ!」

 「じゃったら、そんな物欲しそうな目で見んで」

 「わ、わかった。ただ、一つ頼みたいことが……」

 「何?」

 「繁慶の方は研ぎに出してからだが、戻ってきたらその二本の刀の手入れを、俺にやらせてくれ」

 

 え? 手入れをしてくれるの?

 それは願ったり叶ったりね。

 あたしは手入れの仕方なんて知らないし、面倒臭い。

 しかも一本増えちゃったから、余計にでもしたくないもの。

 

 「ええよ。あ、あと、こっちの長い方の(こしらえ)を変えれる?」

 「できるが……今のままじゃ駄目なのか?」

 「如何にも日本刀ですって見た目が気に入らん」

 「わかった。手配しておこう。白鞘なら良いか?」

 「うん。それでええ」

 

 あたしが答えながら短刀を手渡すと、ジュウゾウは「じゃあ行ってくるから、油屋大将のことは頼むぞ」と、言い残して出ていった。

 頼まれたのは良いけど、何をすればいいのかしら。  

 頭に乗せてる濡れ手拭いを、水でまた濡らせて乗せればいいのかな?

 

 「ちょっとナナ! せめて搾りなさいよ! 小吉お兄ちゃんが水浸しになっちゃったじゃない!」

 「しかも折らずに、顔全体に被せやがったぞコイツ。あれ、もしかして息ができないんじゃね?」

 「もしかしなくてもそうです! どきなさい小鬼! 私がやります!」

 

 だって、ジュウゾウに頼まれたんだもん。

 看病なんてしたことないあたしに頼んだジュウゾウが悪いのに、どうしてあたしが怒られないといけないの?

 

 「ったく、小鬼がそばにいたら、小吉の大将は早死にしちまうぞ」

 「そうですね。小吉様が女を囲いたいと言い出しても、小鬼だけは排除しないと」

 「なんで、アンタらにそんなこと言われにゃいけんの?」

 「小吉の大将がオレらの婿だからさ」

 「故に、あなたは用済みです」

 

 小吉が龍見姉妹の婿?

 あ~……そう言えばそんな話をしてたようなしてなかったような……。 

 でもどうして、小吉が龍見姉妹の婿になったら……。

 

 「なんで、あたしが用済みになるん?」

 「そりゃあ、オレらの方が強いし、胸もあるからな」

 「婿殿には二人同時に相手をしてもらうため、龍見家には閨での作法や精力剤の作り方も伝わっています。なので、夜の方も必ず満足させる自信がありますので」

 

 いや、意味わかんない。

 二人があたしよりも強いかはさておいて、どうして胸が大きいと良いの?

 ネヤデノサホウって何?

 セイリョクザイ?

 どちらも聞いた事がない言葉だけど、歌が顔を真っ赤にして「わ、私も教わろうかしら」って言ってるのを見るに、たぶんまぐわいに関することでしょう。

 でも……。

 

 「それで、どうしてあたしが用済みなん?」

 「なんで、今のでわかんねぇんだよ」

 「おやめなさい地華。暮石の者は頭がおかしいですから、きっと遠回しな言い方では伝わらないんですよ」

 「いやいや、メチャクチャ直球だったじゃん」

 

 わかってるわよ。

 だからさ、そんな憐れんだような目で見ないでくれない? えぐりたくなるから。

 

 「アンタらも、小吉と寝たいんか?」

 「そ、そりゃあ……な。本当は籍を入れてからが良いけど、小吉の大将がしたいって言うなら……」

 「私たちも望むところです」

 「小吉の得物がこれでも?」

 

 と、言ってから、あたしは小吉の布団を足元から腰まで(めく)った。

 けど……。

 死にかけてるからか、いつもの元気がないわね。

 触ったら元気になるかしら。

 

 「お、おい、小鬼。何してんだ?」

 「起たせよる」

 「た、起たせるって、何をですか?」

 「小吉の……あ、これ」

 「ちょ……! なんだよこれ!」

 「ふんどしの上からでこれですか!? え、どうしましょう、地華。こんなの、私……」

 「お、怖じ気づくなよ姉ちゃん! 大丈夫だって! 小鬼の短刀よりは短……って、おい、やめろ小鬼。ふんどしに手をか……けぇぇぇぇぇ!? や、やだ、怖い! 姉ちゃんオレ、こんなの無理だよぉぉぉ!」

 「私も無理です! こんなのを入れられたら、身体が裂けてしまいますぅぅぅぅ!」

 

 思い知ったか龍見姉妹。

 さあ、このそそり立つ小吉の得物を見ながら、もう一度さっきの台詞を言ってみなさい。

 言えないでしょ?

 あたしだって、こんなのを突き付けられたら「勘弁してください」って言っちゃうだろうし、歌ですら「む、昔見たのと違う。昔はこんなに、凶悪じゃなかった」って、言いながら襖まで後退して、身体をガタガタと震わせるくらい凶悪なの。

 小吉とまぐわうなら、これと向き合う覚悟がいるのよ。

 

 「ほれ、さっきの台詞をもう一度言うてみぃ。ほれ、ほれ」

 「揺らすな! 叩いて揺らすのをやめろ小鬼!」

 「ちょ、こっちに向けないで! 嫌ぁぁぁぁぁ! 助けて父上! 父上ぇぇぇぇ!」

 

 ふむ。

 これは中々良い。

 散々、あたしに好き放題言ってた龍見姉妹が身を寄せ合い、涙まで浮かべて震えている様を見るのは気分が良いわ。

 

 「わ、わかった! もう言わねぇ! 言わねぇから、それをしまってくれ!」

 「よう聞こえんなぁ。ちぃとここで、ネヤデノサホウとやらを披露してくれんかね。な? 歌も知りたがっちょったし」

 「知りたくない! 前言を撤回するから、早くしまってよナナ!」

 「そ、そうです! そのままでは、小吉様が下半身だけ風邪を引いてしまいます!」

 「やっぱり聞こえんなぁ」

 「こんのクソ小鬼! いい加減にしないとぉぉぉぉ!? ごめんなさい! 謝るからこっちに向けないで!」

 

 勝った。

 見てますか? ご先祖様。

 何がどうなって龍見家と殺し合ったかは知らないし興味もないけど、仇はとりました。

 命までは奪ってないけど、二人とも泣かせたんだから良いわよね。

 まあ、それはそれで良いとして、改めて見ると本当に凄いわね。

 なんか、前見たときより長いし、太い気がする。

 しかもちょっと叩くだけでビヨンビヨン跳ねるし、心なしかビクビクしてる気もする。

 

 「ナ、ナナ、そろそろ叩くのはやめた方が……」

 「なんで?」

 「なんでって……その、出ちゃうかもしれないから」

 「何が?」

 「何がって……。地華さん、お願い」

 「オレに振るなよ! 姉ちゃん頼む!」

 「私!? 面倒ごとばかり押し付けないでください!」

 

 三人の言ってることがよくわからない。

 歌が言うことを信じるなら、このまま叩き続ければ何かが出るのよね?

 小便でも出る……おぅふ。

 

 「おま、お前ぇぇぇぇ! だから、だからやめろって言っただろうがぁぁぁ!」

 「噴火……あれは噴火……いえ、量を考えたら洪水? どちらにしても、お腹の中であんな事が起きたら……」

 

 のかと思ってたら、違うものが天井まで噴き出した。

 なんだろう? これ。

 白くてネバネバしてる。

 それに、独特のにおいがするわ。

 三人に聞いたらわかるかしら。

 ああでも、歌は失神したっぽいし、龍見姉妹は歯の根も合わないほどガタガタ震えて怯えてるから、答える余裕は無さそう。

 あ、でも都合が良いことに、ジュウゾウの気配が近づいてる。

 

 「思ったより近かっ……」

 「ねえ、ジュウゾウ。これ、何が起こったの?」

 「それは俺の台詞だ。どうしてこうなった?」

 

 はて?

 同じ男であるジュウゾウにもわからないの?

 じゃあこれは、小吉特有の症状?

 そんな疑問が解消されないまま、あたしたち四人は、「掃除をするから出ていけ」と言うジュウゾウによって、部屋から追い出された。

 ただ、あたしたちを追い出したあとにジュウゾウが「何の罰ゲームだ、これは……」って、ボソッと言いながら絶望してたのが、ほんの少しだけ気になったわ。

 

 



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第二十五話 夜会(表)

 

 

 

 おかしい。

 予想外の発熱による失神から立ち直ってからと言うもの、女性陣が目を……正確にはナナさん以外の女性陣が目を合わせてくれない。

 それどころか、避けられてる気さえする。

 以前は無駄に抱きついて僕を誘惑していた歌ちゃんは僕を見るなり顔を真っ赤にして走り去るようになったし、地華君には、目を合わせただけで殴られた。

 まあ、悲鳴が意外と可愛かったのと、すぐに謝ってくれたから笑って許したけどね。

 一番酷いのは天音君かな。

 彼女には何もしてない……はずなんだけど、彼女は僕を見るだけで「父上ぇぇぇぇ! お助けください父上ぇぇぇぇ!」と、泣き叫んだ。

 そんな彼女たちの変化が不思議でしょうがなかったから……。

 

 「ねえ、沖田君。心当たりはあるかい?」

 「あると言えば、あります」

 

 沖田君に聞いてみたんだけど、なんとも煮え切らない答えが返ってきた。

 やっぱり、僕が何かしたのかなぁ。

 でも、心当たりが全くないんだよ。

 それと言うのも、龍見家での一件が終わって大和旅館に帰るなり、僕は熱を出して一週間も寝込んでしまった。

 だから、熱にうかされて寝ている僕が何かをしたとは考えづらい。

 と、なると、交渉の際に「僕のモノになれ!」って言われたのが、時間が経って「いや、アイツのモノになるとかないわぁ」「あの人のモノになるくらいなら、そこらの浮浪者に犯された方がマシです」みたいな感じになっちゃったんじゃないだろうか。

 だってほら、僕ってモテないから。

 でもそれだと、歌ちゃんの態度まで変わったのが説明できないんだよなぁ。

 

 「教えてくれないかい? このままじゃあ、スッキリできないよ」

 「いや、ある意味スッキリしていたかと」 

 「それ、どういうこと?」

 「じ、実はですね……」

 

 沖田君の説明を聞いていくにつれて、僕の心は羞恥心に満たされていった。

 え? なんで僕、ナナさんに息子をいじられたの?

 しかも、天井に届くくらい勢いよく出しちゃって、その掃除を沖田君がしてくれたって?

 うん、死のう。

 これほどの辱しめは、前世でも経験したことがない。

 でも、それで彼女たちの変化には納得できた。 

 そりゃあ、自慢じゃないけど外国人顔負けの大きさを誇る僕の息子(未使用)が、噴火とも表現できそうなイキっぷりをしたらああなるよね。

 ん? そう言えば、朧気だけどナナさんに息子を虐められる夢を見た覚えがある。

 もしかしてあの夢は、その時のことだったのか?

 まあ、それはそれで良いとして……。

 

 「油屋大将。何故、急に落ち込んだのですか?」

 「いや、だってさぁ……」

 

 慣れてるとは言え、会って間もない女性に嫌われるのは精神的にこたえるんだよ。

 そりゃあ、沖田君からしたら「なんだ、そんなことか」と、言いたげな顔をするほどどうでも良いことかもしれないよ?

 でもね、それは沖田君が、親に反対されるような大恋愛の末に奥さんと添い遂げたリア充だからこその反応なんだ。

 

 「まあ、そう落ち込むな小吉。女に嫌われるのなんぞ、お前からすれば日常茶飯事だろうが」

 「あのさぁ、猛君。喧嘩を売ってるんならそう言ってくれるかい? 買うから」

 

 ちなみに今現在、意識を回復した僕を見舞うためと言う名目で、猛君も帰省してる。

 さらにチャーリー・富岡君も、他の隊員やその家族の住まいが確保できたことを報告に来てくれている。

 でも、こう言ったらみんなに失礼かもしれないけど、むさ苦しい。

 だって、高々16畳ほどしかない部屋に、現役の軍人が三人も来てて、しかも僕を包囲するように座ってるんだ。 

 もしこれが漫画やアニメなら、むさいオッサンしか出ない回とか、どの層に需要があるんだ? って、ツッコンでるところだよ。

 

 「ところで沖田。酒はないのか?」

 「酒ですか? 大和中将殿のお母上にお願いすれば、用意してもらえると思いますが……」

 「じゃあ、悪いが酒と摘みを頼んできてくれ。ああそうだ。富岡少尉は洋酒の方が良いか?」

 「いえ、自分は……」

 「俺の奢りだから遠慮をしないでくれ。前々から、元442の人とは盃を交わしたいと思っていたんだ」

 「では、中将殿と同じもので」

 「遠慮するなと言っただろう。一応、ワインやスコッチなどもあるはずだ」

 「いえ、日本酒を飲んでみたいのです。恥ずかしながら、自分は祖国の酒を飲んだことがないもので」

 「わかった。では沖田。酒は日本酒だけで良い。ただし、最低でも五升は用意してくれと伝えてくれ」

 

 酒盛りでも始めるつもり……なんだろうなぁ。

 って言うか、富岡君って喋り方が変わってない?

 ルー語はどうしたルー語は。

 もしかして、ルー語はキャラ付けだったの?

 でも面倒臭くなったから、陸軍兵みたいな喋り方に変更したのかい?

 とか考えてる内に、一升瓶を数本抱えた沖田君が、摘みが載ったお盆を持った錦おばさんと一緒に戻ってきた。

 

 「お、来た来た。悪いなお袋。今日は騒ぐぞ」

 「駄目と言っても騒ぐでしょうが馬鹿息子。小吉さんは怪我人なのですから、あまり飲ませては駄目ですよ」

 「わかってるわかってる」

 「あと、代金はしっかり頂きますよ?」

 「それもわかってる。金ならあるから、心配するな」

 

 相変わらず、仲が良い親子だなぁ。

 小言が多い錦おばさんに、猛君が面倒くさそうに対応しているだけなんだけど、何て言うか……凄く自然なんだ。

 お互いに信頼し合っているから、あんなにもしつこい小言でも、あんなにも雑な対応でも仲良く見えちゃうんだろうな。

 

 「よし。うるさいお袋も行ったし……」

 「酒盛りだろ?」

 「酒盛り? 酒盛りはついでだ。男が集まったら、猥談(わいだん)と相場は決まっているだろうが」

 「どこの世界線の相場だよ」

 

 普通は恋バナじゃないの?

 いやまあ、恋バナから猥談に発展したりはするけど、のっけから猥談はないでしょうに。

 

 「沖田少佐殿。ワイダーンとは?」

 「ああ、何と言ったら良いのか……Dirty talkでわかるか?」

 「Oh!Dirty talk! それならわかるであります!」

 

 わかるなよ。

 しかもなんで、目をキラキラさせてるの?

 もしかして、富岡君は猥談が好きなの?

 

 「ノリが良いな富岡少尉。では、君から聞こう。どれが好みだ?」

 「どれ、とは?」

 「あの四人で誰が好みかと聞いとるんだ」

 「ああ、なるほど。ですが、自分にはwifeが……」

 「ここにはいないだろうが。さあ、遠慮せずに言ってみろ。歌以外なら、俺は何も言わんぞ?」

 

 どうして四人と言っておきながら、歌ちゃんを除外した?

 まあ、どう見ても完全無欠のロリっ子である歌ちゃんが好みだと言う奴なんて控えめに言って変態だから、気持ちはわからなくもないけどさ。

 

 「では、自分は天音殿で……」

 「ほう! 龍見姉の方か! 理由は?」

 「理由と言われましても……何と言いますか、自分が育ったLittle Tokyoには、天音殿のような、如何にも大和撫子と呼べるような女性がいなかったもので、好みと言うよりは憧れに近いでしょうか」

 「なるほどなるほど。たしかに、わからなくもない」

 「あ、あと、胸が大きいところが良いです」

 「巨乳か! 富岡少尉も巨乳派なのか!」

 「ええ。大きければ大きいほど良いです」

 

 二人とも、本人に聞かれたらぶっ殺されるぞ。

 と、言いたいところだけど、確かにあの巨乳は魅力的だ。

 そこは同意する。

 しかも、地華君も双子だからか同じくらい巨乳だけど、何か違うんだよ。

 天音君の胸は品があると言うか、神々しさすら感じるのに対して、地華君の巨乳は荒々しさを感じる。

 まあ、口には絶対に出せないけど。

 

 「沖田。お前は?」

 「わたくしは……」

 「女房一筋。などとは言わせんぞ?」

 「……では、恥ずかしながら。に、錦殿です」

 「俺のお袋? お前、熟女が好きなのか?」

 「いえ、そういう訳ではなくてですね。実はわたくし、幼い頃に母親を亡くしておりまして。それで、その……」

 「うちのお袋に欲情したと?」

 「違います! ある意味、富岡少尉と同じ理由です」

 

 ああ、わかる気がする。

 錦おばさんは、小言が多いところに目を瞑れば理想のお母さんだもんなぁ。

 しかも子供が二人いて、松さんと同い年とは思えないくらい若々しいし。 

 

 「そう言う大和中将殿は、誰が好みなのですか?」

 「俺か? 俺は……そうだな。強いて言うなら、龍見妹だな」

 

 おっと?

 意外なチョイスだ。

 猛君の彼女は嫌になるくらい何人も紹介されたけど、皆一様に、おしとやかなタイプばかりだった。

 それなのに、地華君が好み?

 

 「ああいう鼻っ柱が高い女を、俺好みに教育してみたいと思ってたんだ」 

 「する前に殺されると思うよ」

 

 いや、5~6回殺されろ。

 そうすれば、猛君の女癖の悪さが少しは治るかもしれないから。

 

 「次は小吉だが……お前には聞かなくても良いか」

 「そうですね。油屋大将には聞く必要がありません」

 「どうして?」

 

 聞かれたら聞かれたで困るけど、聞いてもらえないのは少し寂しいんだよ。

 ほら、二人は僕の態度や言動から、ナナさんに惚れてるって気づいてるのかもしれないけど、富岡君は頭にクエスチョンマークを浮かべてるからね?

 

 「お前は歌だろう? このロリコンが」

 「沖田少佐殿。ロリコンとは?」

 「ロリータコンプレックスの略だ。ペドフィリアの方がわかりやすいか?」

 「Really!? 油屋大将殿は、変態だったのでありますか!?」

 

 よし、喧嘩だ。

 と言って殴りかかりたいけど、三人とも僕より強いから瞬殺されるだろうなぁ。

 僕が三人より唯一優れていそうなのは、猛君を殴り続けた副産物である右ストレートのみだし。

 

 「ところで小吉。東京に戻ると聞いたが、本当か?」

 「必要な書類は作り終わったからね。ひとまず、バカンスはおしまいさ」

 「こんな田舎ではバカンスも糞もないだろう……は、まあ良い。次は、呉か?」

 「うん。この書類を横鎮の現司令長官に渡せば、関東圏で僕がやるべき仕事はほぼ終わりだからね」

 「紙切れ渡してあとはお任せ。か? お前も偉くなったもんだ」

 「そりゃあ、僕の階級は上から二番目に高いからね」

 

 ちなみに、現在の僕の階級である大将より上にある階級は、実はない。

 なのに僕が二番目に高い階級と言ったのは、上に元帥の称号を持つ大将がいるからだ。

 正確には、元帥海軍大将だね。

 

 「いっそ、元帥の座も奪ったらどうだ?」

 「それ、僕に山本さんを蹴落とせって言ってるの?」

 「冗談だ。だから、そんなに怖い顔をするな」

 「冗談でもやめてくれ。僕がこの歳で大将になれたのは山本さんの後押しがあったからだし、僕たちがここまで上手くやれたのも彼のおかげだ」

 

 (くだん)の山本さんとは、本来の歴史でも知る人ぞ知る英雄である、山本五十六元帥海軍大将だ。

 彼の生涯については割愛するけど、本来の歴史では、一式陸上攻撃機に搭乗してラバウル基地を発進した後、ブーゲンビル島上空でアメリカ陸軍航空隊のP-38ライトニング16機に襲撃、撃墜されて戦死した。

 だけど僕たち転生者。

 特に日本の転生者は、これを徹底的に阻止するために動き、成功した。

 さらに彼は、早い段階で僕たち転生者の存在に気づいていた数少ない人の一人ある。

 それもあって僕は尉官時代から可愛がってもらったし、書類を作るだけで事が運ぶように体制を整えてくれたりもしてくれてる大恩人だ。

 ちなみに、僕が大事な場面で吐くハッタリは、彼がギャンブルをする時によく使っていたブラフを参考にしてたりもする。

 

 「わかった。俺が悪かった。で、話を戻すが、呉に行くのは大和の件でか?」

 「そっちはついでだね」

 「じゃあ、何をしに行くんだ?」

 「おいおい、僕が進めているのは軍縮だよ? だから当然、目標は工廠さ」

 

 呉、特にその海軍工廠は、東洋一と謳われるほどの設備と、日本最大の工員を抱える兵器工場だ。

 当然、ドック入りさせてる艦艇も多い。

 だからこそ、僕が直接行ってメスを入れるつもりなんだけど……。

 

 「広島って、暮石の天敵がいるらしいんだよねぇ……」

 「瓶落水(からみ)のことか? ああ、なるほど、ナナを連れて行くかどうかで、悩んでいるんだな?」

 「まあ、そう言うこと。ちなみに、瓶落水のことは……」

 「瓶落水に関する知識は、お前と大差ない。なんなら、五郎丸に聞いてみてやろうか?」

 「お願いできるなら」

 「じゃあ、してやる。だがしかし、日本の未来よりも女の心配とはなぁ。お前の価値観が、俺にはよくわからん」

 「僕自身にも、わかんないよ」

 

 龍見姉妹と、富岡君を始めとする元442が加わったことで、個人が抱える戦力としては過剰なほどの戦力を手に入れたから、ナナさんがいなくてもどうとでもなる。

 なのに、僕はナナさんも連れていきたい。

 いや、ナナさんと離れたくないんだ。

 

 「でもまあ、お前がそういう奴だから、あんなにも濃い連中が集ったんだろうな」

 「大和中将殿に同意します」

 「自分も同意しますが……。それでいくと、自分と沖田少佐殿も、濃い連中に含まれるのでは?」

 

 まあ、そうなるな。

 と、達観している僕を他所に、三人はああでもない、こうでもないと口論を始めた。

 そんな三人を眺めながら酒を飲んでいる最中に、何故かナナさんがいるような気がした。

 目には見えないのに、気配も感じないのに、何故か僕のすぐ傍に彼女がいるような気がしたんだ。

 まあ酒に酔ったせいだと、思うんだけどね。

 



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第二十六話 夜会(裏)

 

 

 

 

 小吉の部屋に行けない。

 いつもならとっくに、寝てるはずの小吉の布団に潜り込む時間なのに、龍見姉妹と歌に捕まってるせいで行くことができない。

 しかも、捕まってるだけなら良かったんだけど、ご丁寧に縄で縛られて畳に転がされている。

 縛られるのは修行でなれてはいるけど、どうしてあたしがこんな扱いをされなきゃいけないの? って思うと、悪感情がどんどん蓄積されてくわ。

 

 「え~では第一回、小吉お兄ちゃんを狙う女子による意見交換会を開催いたします。お三方、異論はありませんね?」

 「オレは構わねぇぜ」

 「私も構いません。小鬼はもちろん、歌さんとも白黒ハッキリさせておきたかったですから」

 「あたしは……」

 「はい、では始めます」

 

 あ、そう。

 あたしの意見は無視どころか、聞く気もないわけか。

 酷いわ。

 あたしは歌をコイ敵として認めてるし、歌もあたしを対等だと認めてくれてるんだと思ってた。

 なのに、どうしてこんな酷いことするの?

 旅館に小吉を担い……でたのはジュウゾウか。

 とにかく、戻ったその日に、歌は龍見の口が悪い方と仲良くなってて、無駄に髪が長い方とも、あたしより気さくに話してる。

 あたしを縄で簀巻きにして、まともに話も聞いてくれないのに。

 それがなんだか、小吉と一緒にいる時に感じる感情以上に初めてで、なんと言うか、モヤモヤする。

 

 「まずは、小吉お兄ちゃんが目を覚ましてからのここ数日。私たちの態度が酷すぎることについてなんだけど……」

 「ああ、確かに酷ぇな。歌なんか脱兎の如く逃げるし、姉ちゃんは悲鳴上げるもんな」

 「地華は殴るでしょうが。さも、自分は問題ありませんみたいに言うのはやめなさい」

 「だって怖ぇじゃん! うちにある練習用の張型(はりかた)の倍以上あったんだぜ!?」

 

 練習用のハリカタって何?

 話の流れ的に、男のナニを型どった物かしら。

 でも、それを使って何の練習をするんだろう。

 振り回すの?

 それとも、あたしがアンタらの目の前でやって見せたように、叩いて遊ぶの?

 

 「まあ、態度は各々改めるとして、龍見家って、その……そんな練習もするの?」

 「当たり前だろ? 歌」 

 「婿殿には頑張ってもらわねばならないのですから、悦ばせる(すべ)を身に付けるのは当然です」

 「ぐ、具体的にはどんな練習を?」

 「そりゃあお前、舐めたり咥えたり挟んだり撫でたり……言わせんなよ恥ずかしい!」

 

 え? そんな事をしなきゃいけないの?

 じゃあ、あたしが小吉とそういう事をするようになったら、小吉のアレを舐めたり咥えたり挟んだり撫でたりしなきゃいけないってこと?

 無理じゃない?

 舐めたり撫でたりはまあ……できるけど、咥えるとか不可能でしょ。

 口が裂けちゃうわ。

 それに、挟むってどこに?

 股で良いのかしら。

 でも、それにどんな意味があるのよ。

 

 「あ~……確かに地華や天音さんの胸なら、余裕で挟めそう」

 

 胸に挟むの!?

 なんで!?

 ああでも、悦ばせるための練習って言ってたから、男はそれをされると嬉しいってことよね。

 う~ん、胸に小吉のアレを……。

 あたしの胸でできるかしら。

 歌よりはぜんぜんあるけど、龍見姉妹と比べたら微々たる物だしなぁ……。

 

 「歌は、あの母ちゃん娘だろ? だったら心配しなくても、小鬼よりはでかくなるさ」

 「ホント!? 私、大きくなる!?」

 「ええ、私も大きくなると思います。それでも心配なら、龍見家秘伝の育乳法をお教えしましょう」

 

 秘伝って、軽々しく教えて良いのかしら。

 だいたい、育乳法って何よ。

 龍見家って、変な事ばかり伝えてるのね。

 は、置いといて、なんだか胸が大きければ小吉が(なび)くみたいな話になってるけど……。

 

 「小吉は、幼女趣味の変態ぞ?」

 

 だから、胸が大きいのは好みじゃないんじゃないかしら。

 そう思って忠告したら、龍見姉妹は寝耳に水と言わんばかりに驚き、歌は「やっぱりこのままで良いや」と、言いながら目をそらした。

 

 「お、おい小鬼。そりゃあ本当か?」

 「本当。なんなら歌にも聞いてみりゃあええ」

 「歌さん! 嘘ですよね! 小鬼が口から出任せを言ってるだけですよね!」

 「いや、そのぉ……」

 

 ちょっと歌、龍見姉妹に詰め寄られたからって、目であたしに助けを求めないで。

 助けられないわよ?

 だってあたし、アンタら三人に簀巻きにされてるんだから。

 

 「ど、どうするよ姉ちゃん。オレらじゃ、どう頑張っても幼女にゃ見えねぇ」

 「まさか、胸に不自由している女が好みとは……。いっそ、()ごうかしら」

 「削ぐのか? せっかく育てたオレらの胸を、削いじまうのか!?」

 「小吉様のお心を掴むためなら、是非(ぜひ)もなし!」

 

 あるわよ。

 この姉妹ってもしかしたら、あたしよりも知識や常識が片寄ってるんじゃないかしら。

 いや、浴衣の前を開いて胸をさらけ出し、本当に削ごうとしている龍見姉妹より、あたしの方がはるかに常識人だわ。

 だったら、常識人として……。

 

 「小吉は胸が小さい女が好きなんじゃのぉて、幼女が好きなんぞ? じゃけぇ、アンタらがなんぼ胸を削いでも意味なんぞないわい」

 

 あ、言われて初めて気づいたみたいに、二人とも目をまん丸に見開いて驚いてる。

 そっかぁ。

 龍見姉妹って、常識がないだけじゃなくて阿呆だったのね。

 

 「お、お前はどうして、そんなに冷静でいられんだよ。小吉の大将が幼女にしか興味がないんなら、お前だって対象外じゃねぇか」

 「地華の言う通りです。あなただって、歌さんと比べたら大きいじゃないですか。そんなあなたの体に、小吉様が欲情するとお思いで?」

 「お思いも何も、小吉はあたしの裸を見て毎朝しっかり起たせちょるし、胸も嬉しそうに揉んじょった」

 「ちょっと待て。どうして毎朝、お前の裸を小吉の大将が見てるんだ?」

 「だって毎晩、小吉の布団で寝ちょるもん」

 

 もちろん、寝込んでた間もね。

 小吉が寝込んでた間は、何故か歌が来なかったから寝やすかったなぁ。

 掛け布団も、無理に引っ張らなくても良かったし。

 

 「つ、つまり何ですか? あなたはその……小吉様とすでに関係を持っていると? あんなにも凶悪なモノを恐れずに(もてあそ)べたのは、すでに受け入れていたから!?」

 

 いやいや、あたしよりも大柄なアンタが無理だって言うモノが、あたしの体に入ると思う?

 本当に思うんだとしたら、アンタらは致命的な常識知らずよ。

 

 「騙されないで! ナナは単に、全裸で添い寝をしてるだけよ」

 「歌、それ、本当か!?」

 「ええ、私も何度か一緒に添い寝してたから、間違いないわ」

 「おのれ暮石の小鬼……。曖昧な言い方で私たちを騙くらかすとは良い度胸です」

 

 いやいやいや、あたしは本当の事しか言ってないのに、アンタらが勝手に勘違いしただけじゃない。

 なのにどうして、二人は得物を抜いてにじり寄ってくるの?

 あたしを殺す気?

 だったら、こんな茶番にはもう付き合わないわ。

 

 「お覚悟を……って、小鬼は? 小鬼はどこに!?」

 「さっきまで確かにここにいたのに、縄しか残ってねぇ。あの野郎、逃げやがったな!」

 

 そりゃあ逃げるわよ。

 関節を外して縄を抜けるんなんて飽きるほどやらされたから、その気ならもっと早く逃げれてたわ。

 本当なら一人くらい殺っちゃいたいところだけど、アンタらは小吉がわざわざ迎えに行った人たち。

 と、言うことは、小吉にとって必要な人たち。

 だから、気配を消して逃げるだけで済ませてあげたんだから、感謝してよね。

 

 「さて、小吉のとこに行くかねぇ」

 

 ああでも、今日って猛おじ様もいるし、ジュウゾウとチャーなんとかも小吉の部屋にいるのよね?

 

 「まあ、いっか」

 

 気配を消して小吉の傍にいよう。

 猛おじ様がいるから、まず間違いなくお酒を飲んでるでしょうけど問題ない。

 小吉が朝まで起きてたって関係ない。

 だってあたしは、小吉の傍にいたいだけなんだもの。

 

 

 

 



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第二十七話 想定外(表)

  

 

 

 僕にとって、山本五十六(いそろく)元帥は恩師であり、恩人だ。

 僕が転生者だと気づく鋭すぎる洞察力や、半年仕えれば一体感を持つようになり、彼が危険に晒されたら反射的に命を捨てて守るだろう。と、言われるほどのカリスマ性など関係なく、純粋に一個人として尊敬している。 

 そんな彼が、僕たちが歴史を変えたことで住むことになった東京の邸宅に虎屋の羊羹を土産として用意し、関東圏をしばらく離れる旨を伝えるために、絶対について行くと言ってきかないナナさんと龍見姉妹を伴って来たんだけど……。

 

 「絶っっっっっ対に! 粗相はしないでね? 特に、ナナさんと地華君」

 「わかった」

 「おいおい大将。なんでオレまで、小鬼と同じく注意をされなきゃいけねぇんだ?」

 「だって君ら、ところ構わず喧嘩するじゃない」

 

 本当なら、僕だってこんな注意はしたくないんだ。

 でもさ、東京に戻ってからこっち、さっきも言ったようにところ構わず喧嘩するでしょ。

 まあ槍を振り回す地華君から、ナナさんが逃げ回るだけではあるんだけど、それでも僕の家はかなり破壊されたし、ご近所様に迷惑もかけた。

 そうそう、何度か警察沙汰にもなったっけ。

 

 「おいおい、小吉の大将よぉ。小鬼が挑発しなけりゃあ、オレだって暴れないんだぜ? だから、小鬼にだけ注意しろよ」

 「素直に小吉の言うことを聞いちょきんさいね。アンタの耳は飾りか?」

 「んだとコラ!」

 「はいストップ。天音君、地華君の槍を取り上げて。ナナさんも、挑発してるつもりはないんだろうけど、もう少し言い方を考えてね?」

 「わかった」

 

 ナナさんは素直だなぁ。

 返事だけは。

 それに対して地華君は、天音君に槍を取られそうになって慌ててる。

 まあ、慌てるよね。

 これは、彼女たちと暮らし始めて知ったことなんだけど、地華君は槍を取られると……。

 

 「ちょ、姉ちゃん! 槍返し……てください。それがないと私……」

 「じゃあ、小吉様の言うことを聞きますか?」

 「聞きます! 聞きますから……返してください」

 

 性格が反転したみたいに激変する。

 一人称が変わるだけでなく、子猫にすら怯えるほど臆病になる。

 雄々しい普段の地華君しか知らなかった頃は、このギャップの凄さに面食らったっけ。

 だって、外見が同じだけの別人なんだもん。

 

 「あなたもスカートにすれば良かったんです。そんな動きやすい格好をしているから、余計にでも暴れるのでは?」

 「だって、足がスースーして落ち着かねぇんだよ。姉ちゃんにしても小鬼にしても、よくそんなのがはけるな」

 

 ちなみに、巫女装束は基本的に実家でしか着ないらしく、今の二人は洋装だ。

 天音君は少し前から増え始めた、ウェストから一気に広がっていくアメリカンルックのAラインワンピース。

 服の水色が彼女の(はかな)げかつ、涼やかな雰囲気と絶妙にマッチしてるし、長い白髪を三つ編みにして左肩から胸元へたらしている様は、川の流れを見ているかのように癒される。

 対する地華君は白いYシャツと、富岡君が「日本で売れるかもしれない」と言う思い付きで持ち込んだ男性用ジーンズを、松さんが彼女の体型に合わせて仕立て直した物をはいている。

 これがね。

 ヤバイの。

 もっと時代が進めば普通になるんだけど、この時代でジーンズをはいてる女性なんて日本にはほぼいないから目立ちまくる。

 さらに、松さんが仕立て直したジーンズは地華君の健康的で未来のモデルも顔負けな長い脚のラインをこれでもかと強調してるから、露出度なんか無いに等しいのに無駄にエロい。

 ボーイッシュな巨乳モデルが、ピッチピチのジーンズをはいてると言えばわかりやすいかな?

 わかっててやってるのかどうかはわからないけど、時代を先取りしすぎだよ。

 は、置いといて。

 

 「じゃあ、行くよ」

 

 迎えてくれた家政婦さんに案内されて、山本さん宅の客間に通されたんだけど……。

 

 「ねえ小吉。このオッサンは何しちょるん?」

 「こ、コラ! オッサン呼ばわりしちゃ駄目!」

 「でもよぉ。客間のテーブルの上で逆立ちしてるオッサンを見たら、オレでも小鬼と同じことを言いたくなるぜ?」

 「だからオッサン呼ばわりしちゃ駄目! 天音君! 槍を取り上げて! 帰るまで返さなくていいから!」

 

 相変わらず、山本さんは逆立ちが好きだな。

 この人って、昔っから逆立ちで客を迎えたりするのが好きなんだ。

 そりゃあもう、趣味なんじゃ? って、言いたくなるくらい。

 

 「気にするな。中々、愉快な女性たちじゃないか油屋」

 「し、しかし……」

 「私が良いと言ってるんだから良いんだ。それより座って、その土産を開けようじゃないか」

 

 しかも彼は、この時代の男性にしては珍しく女性に対して細やかな気配りを見せるし、得意の逆立ちで宴席を盛り上げたりするから花柳界ではかなりの人気者だ。

 さらに、下戸(げこ)で甘い物が大好きで、僕が持参した虎屋の羊羹は彼の好物の一つだ。

 

 「しかしお前、どうして第二種軍装なんだ? 私服で構わんと言っただろうが」

 「プライベートに近いとは言え、上司の家にお邪魔するのに私服では来れませんよ」

 「堅苦しい奴だな」

 「山本元帥の教育の賜物(たまもの)です」

 

 この人って、公私を完全に別けるタイプだからね。

 実際、僕には私服で良いと言っておきながら、自分は大切にしている特製のサージの軍服をキッチリ着ている。

 あ、それと余談だけど、この人って靴の中が熱くなるのが嫌らしくて、一日に五回も靴を履き替えるんだ。

 

 「それらしい事を言いおって。そこの、暮石の者のためじゃないのか?」

 「山本元帥も、暮石をご存知で?」

 「ご存知も何も、昔、もう20年ほど前か? に、襲われたことがある」

 

 その話は初めて聞いたな。

 20年ほど前ってことは、大正14年前後かな?

 何故、そんな頃に……いや、そう言えば、山本さんは大正13年に砲術科から航空科に転科してたな。

 その翌年には、日本初の空母である鳳翔が完成している。

 山本さんが航空主兵論を本格的に推し進め始めたのは、海軍航空本部技術部長に就任した昭和5年からだったはずだけど、もしかしたらその頃から同僚レベル、もしくは友人レベルに航空主兵論を唱えていたのでは?

 それを聞き付けた者が陸軍を通して、もしくは陸軍が、彼を亡き者にしようとしたんじゃないだろうか。

 だけど、暮石に狙われて……。

 

 「よく、助かりましたね」

 「タイミングと運が良かった。でなければ、お前たちに助けられる前に死んでいたよ」

 「タイミングと、運?」

 「ああ。私が襲われるのと、瓶落水が暮石を襲うタイミングが被った。それ故に、私は難を逃れることができたんだ」

 「瓶落水が、暮石を?」

 

 六郎兵衛の話では、瓶落水は広島にいるはず。

 なのに、その当時は茨城県にいたはずの山本さんを襲った暮石を逆に襲ったと言うことは、瓶落水が暮石を追って茨城まで行ったことになる。

 

 「天音君。瓶落水は、暮石を討とうとしているのかい?」

 「申し訳ありませんが、瓶落水に関しては小吉様にお話ししたこと以外では、暮石と争ったご先祖様が結界を張ってもらったあとに「龍見邸に暮石が来たら教えてくれ」と、言われたくらいしか知りません。なので……」

 

 暮石を討とうとしているかどうかはわからない。かな。申し訳なさそうにトーンが下がっちゃったけど、そうだと思う。

 それよりも、確認しておくべき事があるな。

 

 「瓶落水と、連絡を取ったのかい?」

 「いえ、それが……。瓶落水は言うだけ言って、連絡先をご先祖様に伝えなかったそうなのです」

 「教えろと言っておきながら?」

 「はい。なので、連絡は取ってないと言うよりは、取れませんでした」

 

 なんとも間抜けな話だ。

 暮石と龍見が争ったころは、まだ固定電話が一般まで普及してなかったはずだから住所を教えて手紙なりで連絡を取り合うしかない。

 なのにその連絡先である住所を教えなかったら、直接報告しに行くこともできないじゃないか。

 いや、待てよ?

 天音君はたしか龍見邸で、暮石と瓶落水は元が同じ一族だから似た特徴があると言っていた。

 さらに、暮石は自分にも他人にも興味がないとも言っていた。

 自分にすら興味がない人間が、住所に興味があるだろうか。

 ないんじゃないか?

 だとするなら、瓶落水もそうである可能性が高い。

 自分の住所に興味がないから、覚えてなかったんじゃないだろうか。

 この仮説を確かめるのにうってつけの人がいるから、ちょっと確かめてみるか。

 

 「ナナさん。君の家の住所って、覚えてる?」

 「山口県」

 「続きは?」

 「続き?」

 

 ほら可愛い。

 じゃない。

 続き? と、言いながら小首を傾げる仕草は可愛いけどそうじゃない。

 やっぱり僕の仮説は正しかったようだ。

 事実、ナナさんは住所を覚えるどころか、県より先があることすら知らなかった。

 

 「やけに瓶落水を気にしているじゃないか。もしかして、広島に瓶落水がいるのか?」

 「ええ、どうやらそのようでして……」

 

 だから、ナナさんを連れていくべきかどうか悩んでいる。

 いるんだけど、駄目って言ってもついてきそうだし、気配を消して忍ばれたら僕じゃあ見つけられないから、言うだけ無駄なんだよね。

 だったらいっそ、見えるところにいてくれた方が安心できる。

 でもそれだと、瓶落水に見つかってトラブルに発展するかもしれない。

 

 「油屋。何を恐れている?」

 「恐れている? わたくしがですか?」

 「そうだ。お前は今、暮石と龍見、さらに沖田少佐や元442の精鋭たちも従えている。個人が抱える戦力としては過剰だ。なのに、何かを……いや、ハッキリ言ってやろう。お前は、その娘と瓶落水が争い、その娘が傷つくのを恐れている」

 「そんなことは……!」

 

 ある。

 龍見邸で弱ったナナさんを見て、僕はナナさんに傷ついてほしくないと思うようになってしまった。

 それは自覚してる。

 でも、少し違うんだ。

 彼女が傷つくのはたしかに怖いけどそれ以上に、ナナさんと瓶落水を会わせちゃいけない気がしてるんだ。

 

 「油屋。お前は私よりはるかに博識で聡明だ」

 「いえ、けしてそんな事は……」

 「まあ聞け。そのお前が、娘一人が傷つくからと言うだけで、目的を忘れるとは思っていない。そんなお前が悩んでいるんだ。その娘が傷つく以上の危惧があるのだろう?」

 「ええ、まあ……」

 「だったら話は簡単だ。その娘も呉に連れて行け」

 「は?」

 「何を間抜けな顔をしておるか。その娘は暮石なのだから、駄目と言ってもついて行くだろうが。なあ、暮石の娘さんや」

 「うん。駄目って言われても行く。あたしは、小吉の護衛じゃけぇ」

 「だ、そうだ」

 

 いや、まあ予想通りではあるんだけど、困ったなこれは。

 山本さんに背中を押されてしまったら、もう後戻りはできないじゃないか。

 

 「わかりました。連れて行きます」

 「それで良い。よかったな、暮石の娘さん。これで、龍見姉妹に油屋を独占されることはないぞ」

 「うん。オッサンはええ人じゃね」

 「こ、こら!」

 「良い良い。気にするな油屋。彼女のような美人にオッサン呼ばわりされるなど、私の業界ではご褒美だぞ」

 「海軍がドMの巣窟だと誤解されるからやめてください! それと、それが流行るのはもっと先です!」

 「おっとすまん。時代を先取りしすぎた」

  

 まあ、流行ったかどうかは微妙だけどね。

 それでも、現役の海軍元帥がそんな事を言っちゃ駄目でしょ。

 

 「おっと、忘れるところだった。お前、その三人の誰と所帯を持つ気だ?」

 「所帯? いえ、そんなつもりはまだ……」

 「隠すな隠すな。実は今、黒島と賭けをしててな」

 「わたくしが誰と結婚するか。ですか」

 「そうだ。だから、教えろ」

 「それは、イカサマになるのでは?」

 

 だって、誰ともそんな関係になっていないもの。

 なのに、僕が誰と結婚しようとしてるかなんて教えたら、それは大きなアドバンテージになる。

 あ、ちなみに黒島とは、山本さんが重用していた首席参謀の黒島亀人大佐のことね。

 

 「相変わらず、賭け事がお好きなようで」

 「当たり前だ。博打をしない男はろくなものじゃないと、昔から言っているだろう?」

 

 ええ、知ってます。

 僕のハッタリは山本さんのブラフを参考にしているんですから。

 

 「モナコのカジノから出禁を食らったのが、未だに未練だ」

 「予備役になったら、移住するつもりだったんでしたっけ?」

 「ああ。今でも、完全には諦めていないぞ?」

 「だったら、ラスベガスをお薦めします。たしか去年あたりから、カジノが盛んになっていたはずですから」

 「ほう! それは興味深い!」

 「ただし、今はまだマフィアで溢れているはずですから、もう14~5年待った方が良いですよ」

 

 と、忠告はしたけど、どうやら僕は変な風に火を点けちゃったみたいだ。

 行くよ? この人。

 絶対に行く。

 もしかしたら、永住するかもしれない。

 でも、そんな未来があっても良いんじゃないかとも思う。

 だって彼は、本当なら生きていない。 

 死んでるはずの人なんだ。

 その人が「戦争では負けたが、カジノでは勝ちまくってやる」と、息巻いている姿を見れたことが嬉しいし、誇らしい。

 ただ……話の終わりに、「だから、さっさと元帥を代われ」と、言われたのが想定外だったけどね。

 

  



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第二十八話 想定外(裏)

 

 

 今日はなんだか、難しい話が多かった気がする。

 まあ、逆立ちオジサンは面白かったし、臆病な龍見の口が悪い方も見れたから良かったけど、退屈で仕方がなかった。

 それに……。

 

 「あたしが小吉の悩みの種。っちゅうことがわかった」

 『だから、俺に相談か?』

 「うん。猛おじ様なら、瓶落水のことも知っちょるかなって思って」

 

 小吉の家に着くなり、電話した。

 あたしよりも暮石の事情に詳しい猛おじ様なら、瓶落水のことも知ってるんじゃないかと思ってね。

 

 『タイミングが良いな。ちょうど今日、五郎丸からの返事が届いたところだ』

 「父様から?」

 『ああ。小吉からも、聞けるなら聞いておいてくれと頼まれていたからな』

 

 さすがは小吉。

 場当たり的な行動しかとれないあたしと違って、常に先を見据えて動いてる。

 あたしなんて、今日の今日まで気にもしてなかったって言うのに。

  

 『だが、残念な報せだ。五郎丸も、瓶落水が暮石の天敵であり、元が同じ一族の出ということしか知らんらしい』

 「そう……」

 

 いや、たぶんそれ、あたしと同じで興味がないだけ。

 父様も兄様も、暮石家の悲願を成就させること以外に興味がないもの。

 

 『だから、五郎丸からの返事が届くまでの間に、俺なりに調べてた結果を教えてやる』

 「じゃあ、わかったの?」

 『それなりに……な』

 

 はて?

 なんとも歯切れが悪いわね。

 言いたくない……と、言うよりは、何かを疑ってる感じだわ。

 

 『陰陽寮と呼ばれる組織を……知らないよな?』

 「うん、知らん」

 『だろうな。まあ、そういう組織が大昔からあるんだが、その組織は、有り体に言えば呪術を扱う一族が複数集まったモノだ。だから当然、暮石と瓶落水のことも知っていた』

 

 へえ、そんな集団がいるんだ。

 呪術を扱うってことは、あたしと似たようなことができるってこと? は、良いや。

 興味ないし。

 

 「それで?」

 『そいつらが言うには、暮石と瓶落水はおよそ1000年ほど昔に、大罪を犯して京の都を追放された陰陽師の末裔らしい』

 「大罪って?」

 『詳細までは教えて貰えなかったが、さる高貴な人物に手をかけたからだそうだ』

 「偉い人を殺した。ってこと?」

 『そんなところだと思うんだが、それなら死罪でもおかしくはないのに、何故か追放止まりで済んでいるのが気にはなる』

 「あたしは気にならん」

 

 何だか、言い回しに違和感を覚えたような気がしたけど、ご先祖様が何をやらかしたかなんて瓶落水の情報以上に興味がない。

 だから、あたしが面倒になって電話を切る前に、さっさと本題に入ってちょうだい。

 

 『まあ、そうだろうさ。じゃあ、本題に入るぞ。陰陽寮がお前たちの元となった一族と追放後初めて遭遇したのは、それから300年ほど経った頃だそうなんだが、伝承が残っていた』

 「どんな?」

 『()の者は人にあらず。赤、黄、緑を従え、青と黒をもって人に害なす悪鬼なり』

 「訳がわからん」

 『俺にもわからん』

 

 だったら、そんな余計な情報を与えないでよ。

 あたしは瓶落水のことが知りたいんであって、ご先祖様のことなんてどうでも良いんだから。

 

 『次に遭遇……と言うより、明治初期に瓶落水と名乗る男が、陰陽寮の者にコンタクトを取ってきたそうだ』

 「じゃあ、その男が」

 『瓶落水家の初代当主だろう。その男は一言、「暮石の者を見つけたら、居場所を教えてくれ」と言って、去ったそうだ』

 

 ふむふむ。

 逆立ちオジサンと龍見姉妹の話と合わせて考えると、瓶落水は暮石を探してる。

 その目的は、敵討ちが妥当かしら。

 

 「瓶落水がどんな術を使うかは、わからんかったん?」

 『ああ。だが、元が同じなのだから、似たような術なんじゃないか?』

 「それはない」

 

 だって、瓶落水の結界。つまり術中にいたあたしは、何かを吸われるように弱っていった。

 暮石に、相手から何かを奪うような術はない。

 むしろ逆。

 暮石の術は、相手に殺意を無理矢理受け取らせるんだもの。

 

 「猛おじ様も、意外と使えんなぁ」

  

 と、電話を切るなり呟いたけど、「それはあたしもか」と、思い直した。

 あたしは、いるだけで小吉に迷惑をかけている。

 まともに小吉を護れたことなんて一度もない。

 毎回、あたしはかすり傷一つ負ってないのに、小吉は意識を数日以上失う大怪我をしている。

 

 「あたし、いらん子なんかなぁ」

 

 壁に背を預けて座り込んで膝を抱えたら、不意にそんな台詞が口をついて出た。

 そうしたら、本当にそうなんじゃないかと思えてきた。

 いや、そうだ。

 あたしはいらない。

 龍見姉妹はご先祖様たちと渡り合った者の子孫なんだから兄様が襲ってきたって大丈夫だし、あたしと違って、ちゃんと感情を表現できる。

 愛嬌も愛想もないあたしより、あの二人といるほうが小吉も楽しいはず……なのに、嫌な感情が後から後から、止めどなく湧いてくる。

 

 「お……抑えなきゃ」

 

 あの二人を、小吉から遠ざけたい。

 それは駄目。

 あの二人は、小吉にとって必要なんだから。

 あの二人と、話してほしくない。

 これも駄目。

 小吉は、あの二人と話している時は楽しそうにしてるもの。

 あの二人に、触れてほしくない。

 それも駄目。

 小吉は優しいから、あの二人に詰め寄られたら無下にできない。

 

 「ど、どうし……よう。抑え切れ……」

 

 ない。

 龍見姉妹を殺したい。

 あたし以外を見てほしくない。

 あたし以外の人に触れてほしくない。

 小吉を独占したい。

 小吉はあたしのモノ。

 小吉は誰にも渡さない。

 

 「助けて……小吉。あたし、おかしゅうなりよる」

 

 些細なことで、嫉妬するようになってる。

 いや、嫉妬するだけならまだ良い。

 殺したいくらい、憎むようになってる。

 あたしだけを見てくれない小吉にまで、不満を覚えるようになってる。

 一緒にいる時はそうでもないのに、離れると途端に悪感情が膨らみ始める。

 全部、壊してしまいたくなる。

 

 「嫌じゃ。こんなあたしは嫌じゃぁ……」

 

 龍見姉妹は小吉にとって必要。

 あの二人は悪い奴らじゃない。

 龍見の口が悪い方なんかは、あたしを小鬼と呼びつつも、先祖同士の禍根なんて感じさせないほど気さくに話しかけてくれるし、髪が白い方も、なんだかんだ言ってあたしがした粗相の後始末をしてくれる。

 あたしとは違って、良い人たちなの。

 なのにあたしは、小吉が絡んだ途端にあの二人を殺したいほど憎む。

 そんな自分が、嫌でしょうがない。

 

 「こんなところで、どうしたの?」

 「あ、小吉……。龍見姉妹と、一緒にいたんじゃ……」

 

 ないの?

 なのにどうして、ここにいるの?

 どうしてあたしは、小吉がすぐそばに来るまで気づけなかったの?

 

 「ナナさんの電話が長いから、ちょっと気になってね」

 「猛おじ様に、余計なことを言うちょるんじゃないか……て?」

 「そこは心配してないよ。だってナナさん、腹芸は得意じゃないでしょ?」

 「うん……」

 

 だって、殺した方が早いもの。

 って、考えるくらいの単純思考だからね。

 一応言っておくけど、これが暮石では普通なのよ?

 回りから潰して、助けを求める相手がいなくなるような状況を作ってから対象を殺すなんて回りくどい方法を好む兄様の方が、暮石では異常なんだから。

 

 「よっこい……おっと、危ない。よっこいしょって言っちゃうところだった」

 「言ったら駄目なん?」

 「駄目じゃないけど、なんかオッサン臭いじゃない?」

 「別に……」

 

 そうは思わない。

 猛おじ様や父様も、立ったり座ったりする時についつい言っちゃうらしいし。

 

 「何か、悲しいことがあったの?」 

 「何もない」

 「でも、泣いた痕が目尻から伸びてるよ?」

 「泣いた? あたしが?」

 

 言われて初めて気がついた。

 頬に触れただけじゃあわかりにくかったけど、顔を埋めていたスカートの膝部分は、確かに湿っている。

 龍見家で初めて経験したあの時と同じように、あたしの目から水が出てたんだ。 

 

 「僕って、性格が歪んでるのかなぁ」

 「どこが?」

 「いやぁ、その。怒らないでね? ナナさんの泣き顔を見てると……何て言うか、綺麗だなって、思っちゃうんだ」

 「綺麗? あたしが?」

 

 いやいや、それはないでしょ。

 だってあたしは、歌や龍見の口が悪い方みたいに、表情をコロコロ変えることができない。

 龍見の髪が白い方みたいに、細やかな気配りもできないし、松みたいに家事もできない。

 そもそも、あたしみたいな根っからの人殺しが、綺麗な訳がない。

 

 「あ、もしかして、自覚がなかったの?」

 「自覚? あたしって、小吉から見たら綺麗なん?」

 「綺麗だよ。僕だけじゃなく、世の大半の男は、ナナさんを見たら綺麗だと感じると思う」

 「こんなに、醜いのに?」

 「それは、内面の話でしょう?」

 

 そうだけど……。

 人って、内面が全てじゃないの?

 だって父様や兄様は「人の外面(そとづら)ほど信用できないものはない。内面を見抜く目を養え」って、あたしに教えた。

 だから、あたしは外面よりも、その人がどんな人なのかを言動から読み解くことを心がけてきた。

 なのに、小吉は逆のことを言った。

 あたしの内面は目を背けたくなるくらい醜いのに、外面だけを誉めた。

 綺麗だって、言ってくれた。

 あたしのことを何もわかってないと考えつつも、あたしは嬉しくてしかたがない。

 

 「ナナさんってさ、感情を表に出せない以外は、普通の女の子なんだよね」

 「ジュウゾウとか龍見の白い方には、おかしいって言われた」

 「それは、考え方が普通じゃないだけさ。感じ方は普通だと僕は思うよ」

 「感じ方は……普通」

 

 そうなのかな。

 普通がわからないあたしじゃあ判断しきれないけど、小吉がそう言うんならそうなんでしょう。

 

 「ナナさんが泣いてたのって……違ったらそう言ってね?」

 「うん……」

 「僕の迷惑になるのが嫌で泣いてたのかなって、思うんだ」

 「違……」

 「そっかぁ。違ったかぁ……。恥ずかしすぎて死にたい」

 

 とか言って、両手で顔を覆っちゃったから続きを言い損ねたけど、それが悪感情の起点になったのは間違いじゃあない。

 でも、そう言ってあげられる雰囲気じゃなさそう。だって、小吉は「自惚れて何回も失敗したのに、なんで生まれ変わってまでしちゃうかなぁ……」とか言いながら、さっきまでのあたし以上に落ち込んじゃったもの。

 そんな小吉を見てたら……。

 

 「小吉って、おかしいね」

 

 と、頬が緩むのを確かに感じながら言っていた。

 そんなあたしを見て小吉は……。

 

 「思った通り、君の笑顔は素敵だ」

 

 と、心の底から幸せそうに言っていたわ。

 

 

 



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第二十九話 船旅(表)

 

 

 

 突然だけどハーレムとは。

 元はトルコ語で女性の居室、後宮を意味するハレム の日本訛り。

 一般的には、一人の男に対して多数の女性が取り巻くような状況として認知されているね。

 まあ、僕も男ですから?

 美女美少女にちやほやされる状況はさんざん妄想したさ。

 でもさ。

 何度も言ったと思うけど、僕は前世も含めれば50年近くモテたことがない。

 そんな僕が、男なら大半が振り向くレベルであるナナさんと龍見姉妹に引っ張りだこにされる状況が実際に訪れるなんて、夢にも思わなかったよ。

 いや、もしかしたら、これは夢なんじゃないだろうか。

 だって、両腕は龍見姉妹の巨乳に挟まれ、顔はナナさんの胸に埋もれているんだから。

 ああ、できることならこのまま窒息死したい。

 

 「おい、小鬼。その貧相な胸をどけろ」

 「そうです。小吉様のお顔に押し付けるなら、せめて私たちの半分程度まで育ててからにしてください」

 「小吉は幼女趣味なんじゃけぇ、胸は小さい方が好きに決まっちょろうが。じゃけぇ、アンタらの胸を押し当てられるんは幼女趣味の小吉からしたらむしろ拷問じゃろ」

 

 呉に行くために乗艦した大和の甲板で、僕が幼女趣味だと暴露しないで。

 ほら、会話が聴こえる範囲にいる水兵たちがわかりやすくざわついてるじゃないか。

 

 「おい、お前たち。周りの目もあるから、もう少し大人しくしてくれ」

 「沖田さん、それは無理ですよ。だってこの三人は、常識とはかけ離れた家系の人たちですから」

 「しかし歌殿、それでは油屋大将が恥を……」

 「今さらじゃないですか?」

 

 いやまあ、それはそうなんだけど、助けてくれて良いんだよ?

 ああ、断っておくけど、時代が時代なら社会的に死にかねない状況ではあるけど、この状態は天国だ。

 嗅ぎなれているはずのナナさんの匂いも、制服と言う名のフィルターを通すとまた違った興奮が僕を……じゃないな。

 うん、冷静になろう。

 まずはナナさんを引き剥がして、龍見姉妹にも離れてもらって……っと。

 

 「小吉お兄ちゃん。鼻の下が伸びてるよ?」

 「気のせいだよ」

 「え~? 本当かな~」

 

 本当です。

 だから、三人から解放されて沖田君の横に移動した僕を、ジト目で見上げる仕草をやめて。

 マジで可愛いから。

 いくら今世の僕がロリコンじゃないとは言っても、理性が飛びかねないから。

 

 「やっぱ、小吉の大将は巨乳好きだったな。なあ? 姉ちゃん」

 「ええ、微妙に腕を動かして感触を堪能しておいででしたから、間違いありません」

 「いや。小吉はあたしの胸の匂いを吸っちょった。嗅ぐじゃのぉて吸うたんよ。じゃけぇ小吉は貧乳好きじゃろ」

 「あの、三人とも喧嘩は……」

 

 やめて。

 さっきの状況だって、僕は巨乳派だ。いいや貧乳派だ。なんて、口論の末だよ?

 なのに、また始めるの?

 ただでさえ、艦隊勤務中は女性と接することができない人が大勢いる艦内で三人は注目の的なんだから、あまり目立つような事はしないでほしいなぁ。

 

 「居室に戻りますか? そこなら、少々騒いでも問題はないかと」

 「うん、そうだね」

 

 そもそもの間違いは、この三人を連れて甲板に出たことだ。

 でもさ、それにはやむにやまれぬ事情があった。

 なんだと思う?

 龍見姉妹に、甲板からの景色が見たいとせがまれたんだ。

 あの巨乳で、顔を両側から挟まれながら! 

 そんなことをされて、僕みたいな万年童貞に断れると思う?

 断れないよ!

 二つ返事でOKしたよ!

 

 「ナナ、どうしたの? やけに後ろを気にしてるじゃない」

 「歌にゃあ、見えちょらんのか?」

 「何が? ナナや龍見姉妹のお尻を凝視してる水兵さんたち?」 

 「あ~……。まあ、それでええ」

 

 はて? 何か引っ掛かる言い方だな。

 乗艦してからずっと、ナナさんがしきりに後ろを気にしてたのは気づいてたけど、僕も水兵たちのことだと思ってた。

 

 「油屋大将。わたくしが、注意してきましょうか?」

 「いや、やめておこう」

 「ですが、直属でないとは言え、上官が連れている女性を覗き見るなど失礼が過ぎます」

 「大丈夫だよ。この三人が本当に嫌なら、僕らが止める前に水兵たちを殴り飛ばしてる」

 「それは、そうですが……」

 

 正直に言えば、気分は良くない。

 三人とも僕の恋人ではないけれど、それでも無遠慮に見られると面白くはない。

 でもそれは、完全に僕の我儘だ。

 三人が嫌がる素振りでも見せてるなら話は別だけど、そうじゃないのに余計な軋轢を生むのはよろしくないからね。

  

 「ねぇ小吉。ここってあたしら以外に女はおらんのよね?」

 「そうだよ」

 「ふ~ん……」

 「何か、気になることでも? 彼らに見られるのが嫌なら……」

 

 やめろと言ってくる。

 と、ぼくが言う前に「いや、そっちはどうでもええ」と断られた。

 そっちってどっちだ?

 と、疑問に思ったけど、ナナさんはそれっきり、僕たちにあてがわれた部屋に戻るまで後ろを気にしなくなった。

 

 「そういえば小吉様。昔から、女を船に乗せると海の神様が怒るから乗せるな。と、言われていますが、この艦の人たちは気にしないのですか?」

 「あ、そこ気にしちゃう? 気分を害するかと思って言わなかったんだけど……」

 

 最初は、一部がそれを理由に難色を示した。 

 これが平成の世なら、時代遅れだとか男尊女卑だとか言われるんだろうけど、残念ながら今は昭和。

 しかも、女性より暴力に長けた男が主役だった……と、言うと語弊があるけど、最も権勢を振るった戦争が終わって間もない。

 だから、依然として男尊女卑はまかり通ってる。

 だけど、龍見姉妹が……と言うより、龍見家が元々水場を管理する神職だったのと、歌ちゃんの名字のおかげですんなり乗せてもらえたんだ。

 

 「男性って、古臭い考え方で難癖つけるクセに、変なことでクルっと手の平を返しますよね」

 「そう言わないであげてよ歌ちゃん。海の神様云々の前に、海軍にとって艦は力その物だから、艦がヘソを曲げると考えちゃう人も一定数いるんだ」

 「艦がヘソを曲げる? どうしてですか?」

 「僕たち海軍軍人が、艦を女性ととらえているからさ」

 「それ、本当に?」

 

 本当なんだなぁ、これが。

 まあ、実際は慣用でしかないんだけど、船を操っていたのが男性だったから、その相棒である船を女性に例えたんだと思う。

 でも、船が沈む前に、船から女性が去って行くのを見たと言う証言は昔からある。

 例えば、日本には昔から長い年月を経た道具などに神や精霊、霊魂などが宿った付喪神なんてものの言い伝えがあるし、船に限って言えば『舟魂(ふなだま)』と呼ばれるものがある。

 そしてこの舟魂は、船が沈む前に船から離れて行くと言われている。

 例えば、戦艦陸奥。

 陸奥が不審火で爆沈したのは本来の歴史でも有名な話だけど、その日の夜に、第三砲塔の上で真っ白な浴衣のような着物姿で赤い髪を振り乱してけたたましく笑っている女性の姿が目撃されている。

 そして陸奥は、その日の正午過ぎに爆沈したそうだ。

 その話を実際に聞いたときは、猛君や他の同士と一緒に幽霊は本当にいるかどうかを議論したっけ。

 

 「男ってのは基本、馬鹿だからね」

 「あら、小吉様は、聡明でいらっしゃいますよ?」

 「姉ちゃんの言う通りだぜ、大将。なんせ、オレを惚れさせたんだからな」

 「ハハハ、ありがとう褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 まあ、お世辞だろうけど。 

 これが本気で言ってくれてるなら天にも昇る気持ちになるだろうけど、調子に乗るな小吉。

 お前はモテない。

 仮にモテ期が来たって、精々動物がすり寄って来る程度にしかモテない完全無欠の非モテだ。

 もし、ここで調子に乗って「じゃあ、今晩どう?」とか言おうものなら体に風穴が空く。 

 比喩でも何でもなく、物理的に……っと、何だか今日は妙に揺れるな。

 外洋ならともかく、沿岸部からさほど離れていない海域でこんなに揺れたっけ?

 小型船ならともかく、大和がここまで揺れるとは思えないんだけど……。

 

 「妙ですね」

 「沖田君も、そう思う?」

 「ええ。このくらいの揺れ自体は、磯風に乗っていた頃に南方で散々経験しましたが、大和でこの揺れはおかしいです」

 「だよね」

 

 これで外が嵐だと言うなら話は別だけど、今日は染み渡るような空と表現したくなるほどの晴天で風も強くはなかった。

 僕たちが艦内に入ってから天候が急転した?

 いや、窓から見える景色に変化は見られない。

 なら、この揺れは天候のせいではなく、艦に何かあったと考えるべきだ。

 沖田君もそう考えたのか、いち早く伝声管で艦橋に連絡を取ってくれている。

 じゃあ、僕がやるべきことは……。

 

 「歌ちゃん、横になった方が良い。酔っているだろう?」

 「酔……う?」

 「そう、歌ちゃん、船酔いしてるよ」

 

 艦が揺れ始めた頃から、歌ちゃんは(かぶり)を振ったり目元を押さえたりしていた。

 たぶん、めまいがしていたんだろう。

 そしてあくびや生つばを飲んだりも繰り返していた。

 これらは、典型的な乗り物酔いの初期症状。

 さらに今は、顔は真っ青になってるし冷や汗もかいている。おそらく、頭痛や吐き気もしてるんじゃないかな。

 

 「深呼吸しながら、揺れとは反対に体重を傾けてみて。そう、ゆっくりで良い。沖田君、ついでに桶と氷水を頼んで。天音君は、膝枕をしてアシストしてあげて」

 「了解しました」

 「かしこまりました。さあ、歌さん、頭をお乗せなさい」

 

 金持ちやそれを職業にしている人でもない限り、この時代の人が沿岸部からそれほど離れていないとは言え、船で長距離を移動するのは希だ。

 歌ちゃんも、たぶん初めての経験だろう。

 そんなこの子にとって、船酔いは正に地獄だ。

 車や鉄道よりも段違いに揺れが激しい船酔いは、車酔いとは比べものにならないほどのパニックを、脳に起こさせるからね。

 龍見姉妹が平気そうにしてるのは、武術を身に付ける過程で平衡感覚も鍛えられているからだと思う。

 

 「そう言えば、歌ちゃんって学校は良いの? もう、新学期は始まってるよね?」

 「学校より……有望な婿を振り向かせる方が女にとっては大切です……って、お母様に言われたので」

 「錦おばさんなら言いそうだなぁ……。でもそれで、どうして僕のところに来たの? 確かに海軍には優秀な人が多いけど、歌ちゃんより一回りも二回りも歳上の人ばかりだよ?」

 「小吉お兄ちゃん、本気で言ってる?」

 「え? 本気も何も……」

 

 事実だからなぁ。

 でも、それで会話を止めるな小吉。

 ここまで症状が進んでしまった船酔いを改善するには、極端に言うと会話などで気を紛らわせるか寝るかの二択。

 歌ちゃんが寝るまで、会話を続けるんだ。

 

 「大将の鈍感っぷりは筋金入りだなぁ。なあ歌、大将は昔からこうなのか?」

 「うん、昔っから……」

 

 だいぶ、気が紛れてきたみたいだ。

 顔色は相変わらず悪いけど、表情が柔らかくなっている。今も、地華君に昔の僕のことを楽しそうに話している。

 これなら、下士官から氷水が入った桶を受け取った沖田君の方に行っても問題なさそうだ。

 

 「原因はわかったかい?」

 「ある意味では」

 「なるほどわかった。じゃあ、外で話そうか」

 「了解しました。では地華殿、これをお願いします」

 

 と言って、沖田君が桶を渡すのを確認してから、僕は外に出た。

 その際に、何かを忘れているような気がしたんだけど……。

 僕はいったい、何を忘れているんだろう。

 

 

 

 






私も何かを忘れてる気がするんですが、何を忘れてるんだろう


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第三十話 船旅(裏)

 

 

 小吉が呉に行くからと便乗させてもらった戦艦……なんだっけ?

 猛おじ様や歌の名字と同じだったと思うんだけど、そもそも二人の名字を覚えてないからわからない。

 そんな戦艦なんちゃらに乗って、速度の増減を繰り返して、七日ほどかけて呉に向かうらしい。

 どうして七日もかけるの?

 って、小吉に聞いたら、「この艦を入れるためにドックを空けなきゃいけないんだけど、その作業が遅れてるんだ。だから、訓練も兼ねてこっちで時間を調整するんだよ」と、教えてくれた。

 まあ、一週間も船に閉じ込められるなんて嫌だなぁとも思ったけど、戦艦なんちゃらは歌に、「ねぇ、小吉お兄ちゃん。船はどこにあるの?」と、言わせるほど馬鹿デカかったから、散歩でもすれば暇は潰せるでしょう。

 ちなみに、かく言うあたしも、目に前にあったのに「なんで海に壁が?」としか思わなかったわ。

 でもそれは、ジュウゾウがそう見間違えるようにボートを操船している人に指示したかららしい。

 そんな意地悪をしたジュウゾウは、明日の稽古で足腰立たなくなるまで殴ってやる。

 そうすれば、あたしたちが乗り込む前からずぅぅぅぅ……と、あたしたちを睨んでる女の視線への鬱憤(うっぷん)も晴らせるでしょう。

 でも、あの女はたぶん……。

 

 「ナナ、どうしたの? やけに後ろを気にしてるじゃない」

 「歌にゃあ、見えちょらんのか?」

 「何が? ナナや龍見姉妹のお尻を凝視してる水兵さんたち?」 

 「あ~……。まあ、それでええ」

 

 そっちも、気になると言えば気になる。

 でも、そっちは街を歩いてる時やヨコチンにいる間も感じてたから、慣れちゃってどうでも良くなった。

 見たければ好きなだけ見ろって感じよ。

 

 「油屋大将。わたくしが、注意してきましょうか?」

 「いや、やめておこう」

 「ですが、直属でないとは言え、上官が連れている女性を覗き見るなど失礼が過ぎます」

 「大丈夫だよ。この三人が本当に嫌なら、僕らが止める前に水兵たちを殴り飛ばしてる」

 「それは、そうですが……」

 

 そりゃあそうだ。

 実際、ヨコチンに着いてからしばらくは、龍見の口が悪い方は暴れる寸前だった。

 小吉と白い方に諌められてなかったら、数十人はぶん殴ってたんじゃないかな。

 は、置いといて……。

  

 「ねぇ小吉。ここってあたしら以外に女はおらんのよね?」

 「そうだよ」

 「ふ~ん……」

 「何か、気になることでも? 彼らに見られるのが嫌なら……」

 「いや、そっちはどうでもええ」

 

 やっぱり、あの白装束の女はあたしにしか見えていないのか。

 なら、アレは人じゃない。

 男しかいないはずの、こんな鉄と錆びのニオイしかしない軍艦に住み着いてるんだから元が人だったとも考えづらい。

 アレはたぶん、俗に付喪神と呼ばれるものの一種だわ……とか考えてる内に、部屋に着いちゃったわね。

 

 「そういえば小吉様。昔から、女を船に乗せると海の神様が怒るから乗せるな。と、言われていますが、この艦の人たちは気にしないのですか?」

 「あ、そこ気にしちゃう? 気分を害するかと思って言わなかったんだけど……」

 

 へぇ、世の中には変な決まりがあるのね。

 でも、金持ちは客船で旅行したりもするのよね?

 その場合も、女は乗っちゃいけないの?

 旅行も男だけ?

 

 「男性って、古臭い考え方で難癖つけるクセに、変なことでクルっと手の平を返しますよね」

 「そう言わないであげてよ歌ちゃん。海の神様云々の前に、海軍にとって艦は力その物だから、艦がヘソを曲げると考えちゃう人も一定数いるんだ」

 「艦がヘソを曲げる? どうしてですか?」

 「僕たち海軍軍人が、艦を女性ととらえているからさ」

 「それ、本当に?」

 「男ってのは基本、馬鹿だからね」

 「あら、小吉様は、聡明でいらっしゃいますよ?」

 「姉ちゃんの言う通りだぜ、大将。なんせ、オレを惚れさせたんだからな」

 「ハハハ、ありがとう褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 なるほど。

 じゃあやっぱり、あの女はこの船の付喪神か。

 だとしたら、小吉やジュウゾウがいぶかしんでいる、この揺れもそいつのせいなんじゃない?

 

 「妙ですね」

 「沖田君も、そう思う?」

 「ええ。このくらいの揺れ自体は、磯風に乗っていた頃に南方で散々経験しましたが、大和でこの揺れはおかしいです」

 「だよね」

 

 やっぱり、この揺れは普通じゃなかったか。

 でも、何のために揺らしてるんだろう。

 世の中には、酒ではなく乗り物に酔う人もいるって聞いたことがあるけど、あたしはもちろん龍見姉妹も揺れは体重移動で対処できているから屁でもない。

 もし、この揺れが女であるあたしたちを狙ったものだとしたら……。

 

 「歌ちゃん、横になった方が良い。酔っているだろう?」

 「酔……う?」

 「そう、歌ちゃん、船酔いしてるよ」

 

 被害に遭うのは歌だけ。

 と、思って見てみたら、やっぱり辛そうにしていた。

 今にも、胃の中身を全部吐き出しそうなくらいだわ。

 「酔ってない」と、暗示をかけて楽にしてあげようかしら。

 でも、そう言う使い方をしたことがないから、どの程度の塩梅(あんばい)で暗示をかけたら良いのかがわからないのよねぇ。

 加減を間違うと、下手したら今より酷くなっちゃうし……。

 

 「深呼吸しながら、揺れとは反対に体重を傾けてみて。そう、ゆっくりで良い。沖田君、ついでに桶と氷水を頼んで。天音君は、膝枕をしてアシストしてあげて」

 「了解しました」

 「かしこまりました。さあ、歌さん、頭をお乗せなさい」

 

 どうしよう。

 と、迷っていたら、小吉がテキパキと指示を飛ばし始めた。

 さすがは小吉。

 あたしみたいに、安直に暗示で誤魔化そうとするんじゃなくて、正攻法で治そうとするなんてお見逸れしたわ。

 あ、でも……。

 

 「そう言えば、歌ちゃんって学校は良いの? もう、新学期は始まってるよね?」

 「学校より……有望な婿を振り向かせる方が女にとっては大切です……って、お母様に言われたので」

 「錦おばさんなら言いそうだなぁ……。でもそれで、どうして僕のところに来たの? 確かに海軍には優秀な人が多いけど、歌ちゃんより一回りも二回りも歳上の人ばかりだよ?」

 「小吉お兄ちゃん、本気で言ってる?」

 「え? 本気も何も……」

 「大将の鈍感っぷりは筋金入りだなぁ。なあ歌、大将は昔からこうなのか?」

 「うん、昔っから……」

 

 歌に小吉を独占されちゃった。

 ま、まあ?

 今、歌は弱ってるから?

 こういう時くらいは小吉を独占しても良いと思う。

 うん、本当よ?

 本当にそう思ってるから、いつかあたしが弱った時に小吉を独占しても文句は言わないでね?

 

 「原因はわかったかい?」

 「ある意味では」

 「なるほどわかった。じゃあ、外で話そうか」

 「了解しました。では地華殿、これをお願いします」

 

 なんて、歌を羨ましく思う自分を必死に抑えつけてたら、小吉はジュウゾウと外に行こうとしていた。

 咄嗟に「あたしのことは気にせんで」と、あたしはみんなに暗示をかけて一緒に出た。

 そしてドアを閉めるなり、小吉はジュウゾウに……。

 

 「原因は不明。で、良いんだね?」

 「はい」

 

 と、言った?

 あれ? 部屋を出る前、ジュウゾウは原因がわかったっていってなかった?

 

 「機関出力が不安定で停止することもできず、舵も言うことを聞きません。まるで……」

 「招かれざる客を、大和が船酔いで苦しめようとしている。かい?」

 「はい。船酔いは、慣れていない者からしたら堪えがたい苦痛です。非科学的ですが、大和に長く所属している者たちはそうだと確信しているようです」

 「沖田君は?」

 「わたくしも船乗りの端くれですので、彼らが言うことも理解できます。もし、わたくしどもが乗っているのが磯風で、同じ現象が起きていたら同じことを言っていたかもしれません」

 

 ふむふむ。

 長いから三行でお願い。

 と、言ったらあたしが傍で聞いているのがバレるし、怒られるかもしれないからやめておこう。

 でも、歌が苦しんでいるのが、この船のせいだって言うことはわかった。

 なら、あたしは……。

 

 「あの女をぶっ殺す」

 

 付喪神なんて殺せるかどうかわからないけど、少なくともそうすれば、この現象は収まるはず。

 だからあたしは、小吉とジュウゾウの話を聞いている間もあたしを睨み続けていた、尻まで届きそうな黒髪を備えた白装束の女へと、右腿の短刀とジュウゾウに(こしら)えを変えてもらった腰の小太刀を抜きながら、気配を消しているあたしを睨み続ける女へと歩み始めた。

 

  

 



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第三十一話 幽霊(表)

 

 

 

 

 大和に起こった異常。

 これを常識で考えるなら、整備不良が最も可能性が高い原因だ。

 だけど大和に所属する者の八割以上は、僕の計画によって乗る艦を失った熟練の者。

 多少は連携の乱れがあるかもしれないけど、そんな人たちがここまでの異常が起きるほどの不良箇所を見逃すとは思えない。

 なら、龍見家との交渉で主砲を撃たせたせいで目に付かない場所、または全体に不具合が起きてしまったんだろうか。

 まあどちらにしても、ゲストであるナナさんたちを除いて、常識の範囲内で予想できる不具合を原因だと思っている人は僕を含めて一人もいないと思う。

 

 「女性を乗せたことで大和がヘソを曲げた。と、考える方が、非科学的なのに自然だと思っちゃうのは船乗りの(さが)なのかなぁ」

 「後の若者には笑われそうですが、わたくしもそう思います」

 「だよね。だったら……」

 

 ナナさんたち女性陣を艦から降ろせば、この怪現象は沈静化するはずだ。

 でも、一番近い港まで距離があるし、まともに操艦できないのだからそもそも寄港できないか……と、悩んでいたら、地華君がドアを半開きにして……。

 

 「なぁ、小吉の大将。ラッパが呼んでるぜ?」

 

 などと、訳のわからないことを言い始めた。

 どうしてラッパが僕を呼ぶ?

 なんて、考えるまでもないか。

 

 「伝声管だね、それ。沖田君、何の用か聞いてきて」

 「了解しました」

 

 ご機嫌を伺ってきたか、それともこの異常の原因がわかったのか。

 はたまた別の用件か。

 僕的には、トラブル以外なら何でも良いんだけど……。

 

 「油屋大将!大変です!」

 

 そうですか。

 大変ですか。 

 血相を変えてるという表現がピッタリ当てはまりそうだけど、何があった?

 まるで、ナナさんが粗相をした時のような怒りっぷりじゃない……あ、わかった。

 部屋を出る前に感じた、既知感(きちかん)の正体はナナさんだ。

 ナナさんの存在を、僕は今の今まで忘れてたんだ。

 つまり伝声管を通しての用件とは……。

 

 「七郎次が、刀を振り回しながら艦内を暴れまわってるようです!」

 

 やっぱりナナさん絡みか。

 しかも、暴れてると来た。 

 でも、どうして暴れてるんだろう。

 例えばこの揺れで苛立ったから、その憂さ晴らしで暴れてるとか?

 う~ん……。

 ナナさんの行動原理が今一理解しきれてないから、有りそうとも思えるし、逆にも思える。

 と言うか、情報が大雑把すぎるな。

 

 「どう、暴れてるの?」

 「え~……聞いた限りですと、壁を走ったり天井を跳ねたり、壁を無意味に斬りつけたりしているようです」

 「なるほど……」

 

 え? なんで?

 と言うか、どうやって壁を走るの? どうやって天井を跳ねるの? ナナさんって、そんな事ができたの?

 は、置いといて、どうしてナナさんがそんな奇行に至ったのかを考えるのが先だ。

 

 「沖田君、他に何か言ってた?」

 「他と言われましても……あ、そう言えば、何かを追いかけているようだった。と」

 「何かを……か」

 

 今の情報で、僕たちが知らない内にナナさんが戦闘状態に入ったのはわかった。

 問題は、ナナさんが追いかけている何か。

 何かと言うくらいだから、目撃者には追いかけている者が見えなかったんだろう。

 人には見えない何かを、刀を振り回しながら追いかけるナナさん……か。

 嫌な予感がしてきたな。

 

 「沖田君、艦首の方へ、ナナさんを探しに行ってくれないか?」

 「わかりました。油屋大将は?」

 「僕は艦橋に行く。何か、ナナさん絡みの異常を見つけたらそっちに連絡して」

 「了解しました」

 

 軽く打ち合わせを済ませて沖田君と別れた僕は、艦橋へと通じるエレベーターへ急いだ。

 ナナさんが追っているのは、常識なんて無視して考えれば大和。

 その幽霊……いや、船霊(ふなだま)だ。

 どうして戦闘になっているのかはわからないけど、ナナさんの動機を好意的に考えると、原因は歌ちゃんだな。

 おそらくナナさんは、この不自然な揺れが大和の船霊の仕業だと気づき、それによって苦しんでいる歌ちゃんの仇を討つ。もしくは、大和の船霊を殺せばこの揺れが治まると考えたんだろう。

 

 「でもナナさん。それは短絡的すぎるよ」

 

 そう、エレベーターに乗るなり呟いた僕の胸中には、焦りと怒りが渦巻き始めた。

 大和の船霊を殺させちゃ駄目だ。

 自分でも非科学的だと思うけど、大和の船霊を殺してしまったら艦が沈む。

 そうなれば僕たちだけでなく、艦内にいる数千人の命が危険に晒される。

 

 「油屋大将、良いところに! ちょうど沖田少佐から連絡が来たところです!」

 「内容は?」

 「わたくしも状況は把握しきれていないのですが、お連れの学生服を着た女性に向け、機銃座の者たちが攻撃しました」

 「機銃を人間に向けて!? オーバーキルにも程があるだろう!」

 

 と、艦長からの報告を聞いてつい叫んでしまったけど、艦橋の窓にナナさんが持ってるはずの小太刀が突き立てられるのが見えて冷静になった。

 何故、小太刀が窓に刺さった?

 決まっている。

 30メートル強もある大和の艦橋を駆け上がってきたナナさんが、さらに上へと行くために刺したんだ。

 

 「艦長。防空指揮所へ上がりたい。案内してくれ」

 「かまいませんが、そんな所へ何を……」

 「いいから急げ! このままだと大和が沈むぞ!」

 

 理不尽な言い方とも思ったけど、それで艦長は由々しき事態だとわかってくれたらしく、僕を防空指揮所へ上がるための階段に案内してくれた。

 そして僕が防空指揮所に出るのとほぼ同時に、ナナさんが露天の縁に飛び乗ってきた。

 僕がここにいること自体には驚いてないようだけど、僕のすぐ後ろを睨み付けている様子からして、予想は当たっているようだ。

 だけどごめん、ナナさん。

 君が歌ちゃんのために走り回ってくれたのは素直にありがたいし、感情的になった君が見れて嬉しくも思う。

 でも、どうして相談してくれなかった?

 僕が頼りないから?

 大和の船霊が悪さをしていると言っても、信じてもらえないと思ったから?

 どちらにしても、それは僕の不徳と言って良い。

 そこは反省するし、改善しよう。

 だけど今は、心を鬼にして……。 

 

 「そこまでだ。七郎次」

 

 君を止める。

 それが今の僕にできる、唯一のことだから。

 

  

 

 



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第三十二話 幽霊(裏)

 

 

 

 俗に幽霊と呼ばれるものは、あたしが知る限り死んだ時の姿で現れる。

 戦争が終わってすぐの頃は、女や子供の後ろにどう見ても真っ当な死に方をしてない人が憑いてるのを良く見たっけ。

 それに、生きてる人をどうこうできるほどの力を持った奴なんて滅多にいない。

 少くとも、あたしは見たことがないわ。

 通ってた学校では怪談が流行ったりもしてたけど、ああ言うのって大半は思い込みなのよ。

 だってほら、人の体って、あたしが斬れろって念じるだけで斬れちゃうくらいいい加減だし。

 

 「だから、戦艦なんて大きな物に影響を及ぼすアイツは……」

 

 怨霊と言って良い。

 今は船を不規則に揺らしているだけだけど、この船はアイツの体と言っても良いはずだから、もっと(たち)が悪いこともできるかもしれない。

 そうなれば、歌がもっと苦しむ。

 歌が苦しめば小吉が気に病む。

 歌が泣けば小吉が悲しむ。

 小吉と歌に辛い思いをさせるアイツは、ただ殺すだけじゃなくてあたしの全力でぶっ殺してやる。

 

 「暮石流呪殺法、段外の(さん)……」

 

 本来、暮石流呪殺法の段外に参なんてない。

 だって段外は、術と言うよりは暮石の人間に生来備わっている本能、基本性能と言えるモノなんだもの。

 でも段外の参以降(・・)は、(じじ)様の代から確かに存在した……らしい。

 どんな術かは知らないけど、父様も兄様も参以降を自分なりに作ってるそうよ。

 当然、あたしもね。

 

 「……韋駄天(いだてん)

 

 あたし独自の段外である韋駄天は、自己暗示によって通常以上の脚力を得る……と言うよりは、引き出す術よ。

 この術は、膂力(りょりょく)で父様や兄様に劣るあたしが、唯一勝る素早さと柔軟性を最大限に発揮できるようにと考えた苦肉の策とも言える術。

 でも、考えた甲斐は有ったと言える出来になったわ。

 この術を使ったあたしを、父様と兄様は捉えることができなかった。

 目で追うことすら、できなかったんだから。

 

 「なのに、追い付けん。どうなっちょるんや?」

 

 この船の廊下は狭い。

 さらに、基本的に一本道。

 なのに追い付けない。

 人をすり抜けるアイツと違って、あたしには行き交う軍人さんたちを避ける手間があるとは言え、歩いているとしか言えない動きしかしてないアイツに追い付けない。

 魂斬りの間合いにすら入れない。

 

 「いや、追い付こうって考えが……」

 

 間違いなのかもしれない。

 だって、あたしがいるのは船の中。

 つまり、アイツの体内とも言える。

 なら、追い付くとか追い付かないなんて意味がない。

 あたしはあいつの中にいる。

 あいつの傍にいる。

 今のあたしは……。

 

 「一寸法師(いっすんぼうし)じゃね」

 

 と、言うなり、小太刀で壁を斬りつけた。

 ギャリンと音が鳴っただけでたいした傷はつけられなかったけど、あたしのその行動に、アイツはわかりやすすぎる反応をした。

 

 「おっとっとっと……。怒るなぁわかるけど、こんなに揺らさんでもええじゃろ」

 

 でも、効果があることは確認できた。

 鬼のように怒っているアイツが、適当に壁を斬りつけ続けているあたしをどこに誘い込もうとしてるのかはわからないけど、風のにおいがしてきたから、このまま行けば外かな?

 

 「ああ、そういうことね」

 

 出た先は、ハリネズミのように無数の銃身が突き出ている場所の真下。

 あの女は、追って来いとでも言うように、その内の一つに乗っている。

 

 「行けんこたぁないが……」

 

 大勢の人の気配が、銃身の森から漂ってる。

 あたしをあの森に迷い込ませて、暗示でもかけて操ってる軍人さんたちに撃ち殺させようって腹積もりなんでしょう。

 

 「戦艦っちゅうても、こんなもんか」

 

 考えが甘い。

 そもそも、その森は対人用じゃないでしょう?

 実際、壁面を駆け上がっているあたしの動きに、銃身の操作が間に合ってない。

 しかも、軍人さんたち同士が相討ちにならないようにしているのか、まともに撃ててすらいないわ。

 

 「アンタは優しいねぇ。こん人らの命なんか気にせにゃあ、まぐれ当たりもあったかも知れんのに」

 

 森を抜けるのは、軍人さんらを盾にしながら進んだら苦労しなかった。

 途中から攻撃手段を小銃や拳銃に変えてたけど、揺れのせいでまともに狙えないのか、死線は一つも見えなかった。

 

 「ふわふわふわふわと、幽霊ちゅうのは便利じゃねぇ」

 

 女は、森からそびえ立つ塔の天辺へと昇ってる。

 あそこにも、何かあるのかしら。

 それとも、もうあそこくらいしか逃げ場がない?

 後者なら、あたしの勝ちだ。

 

 「上に行くほど揺れが強ぉなるのぉ。でも、これくらいなら……」

 

 駆け上がれる。

 煙突みたいに凹凸がなかったら無理だったろうけど、これだけ凹凸があれば、韋駄天を使ってるあたしからすれば階段と大差ないわ。

 

 「あれ? この気配は……」

 

 小吉?

 小吉が塔の天辺、その下の部屋にいる。

 もしかして下の軍人さんたちみたいに、小吉を操ってる?

 

 「ふざけたことしおって……」

 

 もしそうなら、苦しめられるだけ苦しめて殺してやる。

 幽霊に、「もう殺して」と言わせてやる。

 そう決意して、軍人さんたちが大勢集まってる部屋の窓に小太刀を突き立てて、それを足場にして塔の天辺まで跳んだ。 

 そして天辺の縁に着地したら、ちょうど小吉が上がって来たところだった。

 その後ろに身を隠すなり、女は頭を抱えてうずくまった。

 見た限りでは、小吉に操られている様子はない。

 でも、あたしを睨んでる。

 もしかして、怒ってる?

 なんで?

 あたしは悪いことなんてしてない。

 悪いのはソイツ。

 歌を苦しめて、小吉に辛い思いをさせたのはソイツなのに、どうしてあたしに怒りを向けてるの?

 と、混乱しているあたしに……。

 

 「そこまでだ。七郎次」

 

 と、小吉は冷たく言った。

  

 



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第三十三話 大和(表)

 

 

 

 僕は、ナナさんのことを何もわかっていなかった。

 何があれば笑うのか。

 何が悲しければ泣くのか。

 何に対して怒るのか。

 僕は何も知らない。

 今の騒動だって、ナナさんが歌ちゃんを想っての行動なのに、僕が能天気だったばかりに彼女を叱らなきゃいけなくなった。

 ナナさんとの信頼関係を築いていなかったから、相談もされなかった。 

 

 「そこまでだ。七郎次」

 

 僕がストップをかけると、ナナさんは一瞬だけ悲しそうな顔をした。

 それはたぶん、僕が怒っているから。

 僕が彼女を、七郎次と呼んだからだろう。

 

 「あ、あたし、余計なこと……した?」

 

 表情は元に戻ったけど、声が上擦っている。

 でも、余計なことをしたのかと質問したのを考えると、頭は冷静みたいだ。

 

 「いや、結果的にはこうなっていた可能性が高い。でも、僕に何の相談もせずにこんな事をされちゃあ困る。君がしたことは、下手をすればこの艦に乗る全ての人の命を奪う危険行為だ」

 

 僕が言っていることが理解できないのか、ナナさんは小首を傾げて不思議そうにしている。

 これは、噛み砕いて説明する必要がありそうだな。

 

 「君が追っていたのは大和の船霊(ふなだま)。幽霊で間違いないね?」

 「うん。今も、小吉の背中に隠れちょる」

 

 え? マジで?

 なんだか急に肩が重くなったなぁ、なんて思ってたけど、それって大和の船霊が肩に乗ってるせいだったの?

 は、置いとこう。

 今はふざけて良い場面じゃない。

 

 「君は、船霊を殺したらどうなるか理解して、追っていたのかい?」

 「知らん」

 「だろうね。知っていたら、そもそも殺そうなんて考えないはずだから」

 

 縁から降りながらそう言ったナナさんが追っていた大和の船霊は、おそらく人の形をしているんだろう。

 だから、イメージできない。

 形や大きさが違いすぎて、船霊を殺したら体であるこの艦がどうなるか想像できなかったんだ。

 

 「例え話をしよう。人から魂がなくなったら、体はどうなる?」

 「死ぬ」

 「そう、死ぬんだ。そしてそれは、おそらくこの艦にも当てはまる。この艦が死んだら、どうなると思う?」

 「えっと……沈む?」

 「その通り。そうなったら、艦内にいる人はどうなる?」

 「死……」

 

 最後まで言いきらずに、ナナさんは口元を空いてる左手で押さえた。

 どうやら、理解してくれたようだ。

 それどころか反省までしてるのか、申し訳なさそうに肩をすぼめた。

 

 「ごめん……なさい」

 「わかってくれたなら良い。僕も、少しキツく言いすぎた」

 「許して……くれるの?」

 「うん。反省している人を追い詰めるような叱り方は、好きじゃないからね」

 「じゃあ、またナナって呼んでくれる?」

 「ナナさんが良いなら、喜んで」

 

 僕がそう答えると、ナナさんは花が咲いたような笑顔で喜んだ。

 なんだか龍見家での一件以来、ナナさんの表情が豊かになっている気がする。

 これが僕のせいかどうかはわからないけど、ナナさんは順調に人に成ってるようだ。

 

 「さて、じゃあこの騒動にけりを付けよう。ナナさん。大和の船霊は、まだここにいる?」

 「うん。まだ小吉の後ろにおるよ」

 「わかった。じゃあ、大和。今すぐこの揺れを止めろ。これは、海軍大将としての命令だ」

 

 正直、この現象が大和の船霊の仕業だとは信じきれていなかった。

 だってそうだろ?

 大和は専門的な知識が浅い僕じゃあ、何が書いてあるのかもわからないほど難解な計算を基に設計され、職人たちが汗水垂らして建造してくれた知識と技術の塊だ。

 その大和に魂が宿ってて、女性を乗せたことにヘソを曲げて悪さをするなんて笑い話にもならない。

 もしこれが外国なら、話した途端に心療内科を紹介されるか、危ない奴だと隔離されるなりするだろう。

 

 「でもさすがに、こうなったら(・・・・・・)信じざるをえないな」

 

 僕が命令を下した直後から揺れが徐々に収まり始めて、今は殆んど揺れていない。

 速度も安定したようだし、僕の命令を大和が実行してくれたと思って良いだろう。

 

 「ナナさん。大和は喋れるのかい?」

 「あ~……どうじゃろ。声はまだ聞いて……あ、喋れるって」

 

 へぇ、喋れるんだ。

 でも、音って空気の振動だよね?

 なのに、ナナさんには聴こえて僕には聴こえないってどういうこと?

 もしかして、脳に直接響く的な?

 

 「ねえ、小吉」

 「ん? 何だい?」

 「もっと命令してって」

 「え~っと、それは大和が?」

 「うん。鬼畜米兵を砲撃で血祭りにあげてやる。って、言うちょる」

 「砲撃駄目。絶対」

 

 本土を砲撃させた張本人が何を言ってるんだって感じだけど、大和の砲撃で米兵が死んだらまた戦争になりかねない。

 もしかして大和は、まともに戦えなかったことを未練に思ってるのかな?

 

 「ねえ小吉。アレって動くん?」 

 「アレって、どれ?」

 「でっかい鉄砲」

 「でっかい鉄砲って……まさか!」

 

 ナナさんが言う鉄砲の正体に思い至って慌てて縁から身を乗り出して見てみたら、第一主砲と第二主砲が旋回していた。

 ここからじゃ見えないけど、第一と第二がああなのだから、第三主砲も旋回しているだろう。

 しかも、本土に照準を合わせているように見える。

 これ、もし発砲したら大事(おおごと)だけど、装填は手動だから間違っても……ん? 待てよ?

 そう言えば、機銃も手動だったよね?

 なのにどうして、ナナさんは撃たれた?

 まさかとは思うけど、大和は……。

 

 「あ、そうそう。この女、この船の軍人さんらを操れる」

 

 やっぱりか。

 船霊ってそんなこともできるの? と、聞いてみたいけど僕には声が聴こえないし姿も見えないから後回しにして……。

 

 「砲撃中止! もし撃ったら、呉に着くなり解体するぞ!」

 

 と、大和がいるであろう方向を睨み付けて怒鳴った。

 人を怒鳴るのは、相変わらず苦手だなぁ。

 しかも相手は、ナナさんの言うことを信じるなら女性だ。

 女性を面と向かって命令口調で怒鳴り付けるのは、あんまり良い気分じゃ……。

 

 「小吉、女はそっちにゃおらん。小吉の横におる」

 

 なかったけど、面と向かってじゃなかったと知って気分が軽くなっ……いや、恥ずかしくなっちゃった。

 

 「はぁ? 嫌じゃ。なんであたしの体をアンタに貸さにゃあいけんのね」

 

 はて?

 僕はナナさんの体を貸してくれなんて言ってないよ?

 って、僕に言ったわけじゃないな。

 僕の頭の天辺あたりを見ながら言ってるか、たぶん大和に言ってるんだろう……って、ちょい待ち。

 大和って、僕より背が高いの?

 僕って、身長は175cmあるんだよ?

 その僕の頭の天辺あたりに目があるとすると、大和の身長は180cm超えてるんだけど?

 

 「じゃけぇ嫌じゃって言うちょるじゃろうが。デカい成りしてガキみたいな駄々こねんさんな。なぁ? まだ六歳じゃあ? その成りで?」

 

 え~と、たしか大和は、1940年の8月8日が進水日だったっけ。

 進水日を誕生日と考えれば、確かに6歳。あと3ヶ月ちょいで7歳だね。

 は、どうでも良いか。

 

 「ナナさん、大和は体を借りて、何を…したがってるの?」

 「……小吉と話したいって言うちょる」

 「僕と? ナナさんを通してじゃあ、駄目なの?」

 「……まどろっこしい。って、言うちょる」

 

 まあ、いちいち通訳を通すのが面倒な気持ちはわかる。

 わかるけど、体を貸したらナナさんに何か悪影響があるんじゃないかと心配になってしまう。

 それに……今の状況でこんなことを思ったら不謹慎なんだけど、人と話す時は目を見て話すナナさんが、僕と大和へ頭ごと視線を移す動作が愛らしくてキュンキュンしちゃう。

 は、またまた置いといて……。

 

 「ナナさん。大和に体を貸してあげてくれないかい?」

 「え……」

 「嫌?」

 「嫌じゃけど……小吉がどうしてもって言うなら……」

 「じゃあ、どうしても」

 「……わかった」

 

 ヤバい。

 後ろ手を組んでモジモジしながら、上目使いで「嫌じゃけど……」って言うナナさんを見たら、心臓が止まりかけた。

 ナナさん、君は無自覚でやってるんだろうけど、破壊力がすごいよ。

 だって僕、キュン死しかけたもの。

 可愛いは正義だと思ってたけど、その認識を改めさせられた。

 可愛いは凶器だよ!

 と、僕が心の中でももがき苦しんでいたら、ナナさんの顔が虚ろになった。

 それだけでなく、全身から力が抜けたように、その場にへたり込んでしまった。

 

 

 

 

 

 



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第三十四話 大和(裏)

   

 

 

 小吉が阿呆なら、あたしは馬鹿だ。

 あたしが考えなしに動くせいで何度も迷惑をかけてるのに、あたしは全く反省してなかった。

 この騒ぎだって、小吉のためだって大義名分は掲げたけど、結局は溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らしたかっただけ。

  

 「そこまでだ。七郎次」

 

 あたしがそんなだから、とうとう小吉を怒らせた。

 あたしが迷惑ばかりかけるから、ナナって呼んでくれなくなった。

 そう、頭では理解してるのに……。

 

 「あ、あたし、余計なこと……した?」

 

 心は、小吉のためにやったのにどうして怒るの?

 と、納得していない。

 だから未練がましく、そんな台詞が口をついて出たんだと思う。

 

 「いや、結果的にはこうなっていた可能性が高い。でも、僕に何の相談もせずにこんな事をされちゃあ困る。君がしたことは、下手をすればこの艦に乗る全ての人の命を奪う危険行為だ」

 

 なら、どうして怒ってるの?

 相談しなかったから?

 でもそれは、その女が見えない小吉に相談しても信じてもらえないと思ったからよ?

 それに、なんでその女を殺したらこの船に乗る人が死ぬの?

 

 「君が追っていたのは大和の船霊(ふなだま)。幽霊で間違いないね?」

 「うん。今も、小吉の背中に隠れちょる」

 

 ついでに言うと、小吉が自分の味方だとでも思ったのか、肩越しにあっかんべーしてる。

 あんまり調子に乗ると、小吉に怒られるの覚悟でぶっ殺すぞデカ女。

 

 「君は、船霊を殺したらどうなるか理解して、追っていたのかい?」

 「知らん」

 「だろうね。知っていたら、そもそも殺そうなんて考えないはずだから」

 

 縁から降りながら咄嗟に答えたけど、殺すと何か問題があるのかしら。

 完全に調子に乗ってふんぞり返ってるソイツを殺しても、問題ないと思うのだけど?

 

 「例え話をしよう。人から魂がなくなったら、体はどうなる?」

 「死ぬ」

 「そう、死ぬんだ。そしてそれは、おそらくこの艦にも当てはまる。この艦が死んだら、どうなると思う?」

 「えっと……沈む?」

 「その通り。そうなったら、艦内にいる人はどうなる?」

 「死……」

 

 あ、そういうことか。

 この船はデカ女にとっては体なんだから、魂が死ねば当然体も死ぬ。 

 この船が死んじゃったら、乗ってる人たちも道連れになるわ。

 じゃあ、小吉が怒るのも当然ね。

 悪いのは完全にあたしなんだから……。

 

 「ごめん……なさい」

 「わかってくれたなら良い。僕も、少しキツく言いすぎた」

 「許して……くれるの?」

 「うん。反省している人を追い詰めるような叱り方は、好きじゃないからね」

 

 謝らなきゃ。

 と、思って謝ったら、小吉はいつもの笑顔に戻って、すんなりと許してくれた。

 でも、許してくれただけじゃあ安心できないから……。

 

 「じゃあ、またナナって呼んでくれる?」

 「ナナさんが良いなら、喜んで」

 

 良かった。

 本当に良かった。

 だってこれから先、小吉にナナじゃなくて七郎次って呼ばれ続けるなんて、考えただけでゾッとするもの。

 またナナって呼んでもらえるとわかって、胸の奥も温かくなってきたし、心なしか頬も緩んでる気がする。

 

 「さて、じゃあこの騒動にけりを付けよう。ナナさん。大和の船霊は、まだここにいる?」

 「うん。まだ小吉の後ろにおるよ」

 「わかった。じゃあ、大和。今すぐこの揺れを止めろ。これは、海軍大将としての命令だ」

 

 小吉に命令された途端、女は嬉しそうに跳び跳ね始めた。

 まあ、気持ちはわかる。

 小吉に命令されるのって、何故か気持ち良いんだもん。

 

 「でもさすがに、こうなったら(・・・・・・)信じざるをえないな」

 

 小吉が命令を下した直後から揺れが徐々に収まり始めて、今は殆んど揺れていない。

 これは、小吉の命令を女が実行したと思って良いのかしら。

 でも、女は変わったことをしてないのよね。

 女がやったことと言えば、ただ嬉しそうに小吉の周りを跳び跳ねて回っただけだわ。

 

 「ナナさん。大和は喋れるのかい?」

 「あ~……どうじゃろ。声はまだ聞いて……」

 

 ない。

 と、答えようとしたら、その前に「喋れます!」と詰め寄られながら言われた。

 近い。

 そんなに近づかれたら小吉が見えないじゃない……は、置いといて。

 

 「あ、喋れるって」

 

 小吉に教えなきゃ。

 さらに味を占めたのか、今度は小吉の目の前で……。

 

 「ねえ、小吉」

 「ん? 何だい?」

 「もっと命令してって」

 

 って、声が聞こえない小吉にねだってることもね。

 あのね、デカ女。

 小吉に命令されたい気持ちは凄く良くわかるけど、あたしでさえ滅多にしてもらえないのに贅沢じゃない?

 しかも興奮してるのか……。

 

 「え~っと、それは大和が?」

 「うん。鬼畜米兵を砲撃で血祭りにあげてやる。って、言うちょる」

 「砲撃駄目。絶対」

 

 だよね。

 でもデカ女は諦めきれないのか、ブスッとした顔のまま陸の方を見てる。

 それに加えて、両手の平を水平に動かしてる。

 あの動きって、もしかして……。

 

 「ねえ小吉。アレって動くん?」 

 「アレって、どれ?」

 「でっかい鉄砲」

 「でっかい鉄砲って……まさか!」

 

 あたしが言う鉄砲の正体に思い至ったのか、小吉は慌てて縁から身を乗り出した。

 やっぱり、デカ女の手の平の動きはデカい鉄砲を操るためだったか。

 ん? じゃあ今、デカ女は勝手にあの鉄砲を操作してるのよね?

 だったら放っておけば、この女は小吉に怒られ……いやいや、それは小吉が困るって事だから阻止しないと。

 でも、何て言えば良いんだろう。

 小吉は慌てながらも、どこか安心しているような気配を発してる。

 それはどうして?

 そう言えば、あたしが鉄砲の森を抜ける際、デカ女は軍人さんたちを操ってた。

 だとしたら、あの鉄砲を撃つのにも、女がいくら鉄砲を操作しようと最終的には人の手がいるんじゃない?

 だったら、小吉が僅かに安心してるのも納得できる。

 あれ?

 じゃあ、教えなきゃ不味くない?

 

 「あ、そうそう。この女、この船の軍人さんらを操れる」

 「砲撃中止! もし撃ったら、呉に着くなり解体するぞ!」

 

 あたしが教えるなり、小吉は後ろを睨み付けて怒鳴った。

 小吉の怒鳴り声って、聴くのが新鮮なのもあるけど、不思議と嫌じゃない。

 むしろ好き。 

 たぶんデカ女に怒鳴ったんでしょうけど、次はあたしに怒鳴って……は、ともかく。

 

 「小吉、女はそっちにゃおらん。小吉の横におる」

 

 明後日の方へ怒鳴ってるって、教えてあげなきゃと思って、教えてあげた。

 そしたら小吉は、耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに後ろ頭を掻き始めたわ。

 恥ずかしがる小吉って……。

 

 (あのぉ……、お願いがあるんですけど)

 

 可愛い。

 と、胸が締め付けられるような気持ちを堪能していたら、デカ女がデカい体を縮こまらせて何か言った。

 話しかけるな。

 あたしは今、恥ずかしがってる小吉を見るので忙しい……って言うか、そこを退け。

 

 (あなたの体を、貸して欲しいんですが……)

 「はぁ? 嫌じゃ。なんであたしの体をアンタに貸さにゃあいけんのね」

 

 おっと、デカ女が阿呆な事を言ったから、ついつい反応して小吉から目を離しちゃった。

 でも、改めて見ると本当にデカいわね、この女。

 あたしより頭半分高い小吉よりさらに高いじゃない。

 歳は龍見姉妹と同じくらいかしら。

 髪の長さは龍見の白い方より短いけど、胸は同じくらい……いや、下手したら龍見姉妹よりもデカい。

 

 (お願いします! 大将様と直接お話したいんです! だからお願いします! お願いお願いお願いぃぃぃ!)

 「じゃけぇ嫌じゃって言うちょるじゃろうが。デカい成りしてガキみたいな駄々こねんさんな」

 (ガキです! だって私、まだ六歳ですから!)

 「なぁ? まだ六歳じゃあ? その成りで?」

 

 そのデカさで六歳なら、例えばあたしと同い歳まで育ったらどうなるの?

 身長も胸も倍以上になるの?

 それとも、それで打ち止め?

 

 「ナナさん、大和は体を借りて、何を…したがってるの?」

 「……小吉と話したいって言うちょる」

 

 あ、小吉が興味を持っちゃったみたい。

 これは、貸してやってくれって言われるのかしら。

 

 「僕と? ナナさんを通してじゃあ、駄目なの?」

 

 そうよね。

 それで良い……。

 

 (まどろっこしいから貸してください)

 「……まどろっこしい。って、言うちょる」

 

 我儘デカ女め。

 何がまどろっこしいよ。

 今も「早く早くぅぅぅ!」とか言ってる様を見るに、ただ話すだけじゃなくて小吉と触れあいたいんじゃない?

 だってアンタ、歌が小吉の膝に乗ってるのを羨ましそうに見てた時の、龍見の口が悪い方と同じ顔してるもの。

 

 「ナナさん。大和に体を貸してあげてくれないかい?」

 「え……」

 

 貸さなきゃ駄目?

 だってコイツ、小吉と話すだけじゃなくて触る気よ?

 小吉はあたしや歌、龍見姉妹以外の女に触られても良いの? それとも、触りたいの?

 

 「嫌?」

 「嫌じゃけど……小吉がどうしてもって言うなら……」

 

 貸す。

 コイツが小吉のどこをどう触る気かまではわからないけど、触るのはあたしの体を使ってだもの。

 それはつまり、あたしが触るのと同じ。

 それに……。

 

 「じゃあ、どうしても」

 「……わかった」

 

 あたしが小吉に怒られる原因を作ったコイツに、仕返しもできる。

 アンタはあたしが何食わぬ顔をしてるから気づかなかったんでしょうけど、韋駄天って体にかかる負担が物凄いの。

 あたし自身は痛みに慣れてるから我慢できてるけど、アンタに我慢できる?

 背骨を走る激痛に。

 骨が折れかけてても筋肉のみで立ってるこの苦痛に、アンタは堪えられる?

 堪えられるのなら、体は貸してあげるから堪えてみなさい。

 と、心の内で思いながら、あたしはデカ女に体を明け渡した。

 



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第三十五話 和解(表)

 

 

 

 

 これ、どうしよう。

 ナナさんに、大和に体を貸してあげてってお願いして、ナナさんは貸してあげたみたいなんだけど、その途端に……。

 

 「いぃぃぃぃたぁぁぁぁいぃぃぃぃ! 痛い痛い痛い痛い痛いいぃぃぃぃたぁぁぁぁいぃぃぃぃ!」

 

 などと泣き叫びながら、ナナさんは床を転げ回り始めた。

 何と言うか……残念だ。

 スカートが捲れてふんどしが丸見えだし、上も捲れて下乳辺りまで見えちゃってる。

 なのに、エロくない。

 残念なエロさだ。

 ナナさんの顔が、転生前に読んだホラー漫画の登場人物のように「ギャァァァ!」って言ってそうな顔だからなのか、エロさを全く感じないんだ。

 いや、エロいと思っちゃ駄目なんだよ?

 駄目なんだけど……ほら、好きな子のあられもない姿って、脳内じゃ飽きるほど妄想するものじゃない?

 それが目の前にあるのに、微塵も興奮できないのが何だかやるせなくてさぁ……。

 

 「あなた! こうなるとわかっていて体を貸したでしょ!」

 

 おっと?

 ナナさんが誰かに、大声で抗議を……って、ナナさんな訳がないな。

 今のは大和。

 大和が、ナナさんに抗議したんだろう。

 

 「え? ざまぁ? やっぱりわかってたんじゃないですか! って言うか、この痛みって何なんです!? 足は破裂しそうなくらいバックンバックン言ってますし、背骨も焼けるように痛いじゃないですか! え? 私のせい? 何もしてないです! あなたが追いかけて来たから逃げただけです!」

 

 え~っと……。

 どうやら、ナナさんと大和は脳内で会話してるみたいだ。

 幽霊的なモノに憑依された人を見るのは初めてだけど、こんな風に会話が可能なの?

 と言うかそもそも、どうしてナナさんは、大和が転げ回るほど体を痛めてるの?

 

 「あの、大丈夫?」

 「だいじょばないですよ! この人、こんなに体が痛んでるのに平気な顔してたんですか!?」

 「そんなに酷いの?」

 「酷いです! できることなら、ここから飛び降りて楽になっちゃいたいくらい痛いです!」

 

 なるほど、死んだ方がマシだと思えるほどの痛み……か!?

 それって、普通に大事(おおごと)なんだけど!?

 

 「すぐに医務室に運ぼう。立つことは可能かい?」

 「無理ですぅ……」

 

 あ、可愛い。

 涙目で「無理ですぅ……」って訴えるナナさんを抱き起こした途端に、意識を持っていかれかけたよ。

 OK、冷静になるんだ小吉。

 今、目の前にいるのはナナさんであってナナさんじゃあない。

 中身は大和だ。

 普段とのギャップが物凄いせいで威力が二乗倍になってるけど、中身はナナさんじゃないんだから冷静に対処でき……。

 

 「痛い……。痛いよぉぉ……」

 

 あ、無理。

 僕の胸に顔を埋めて子供のように泣くナナさんが尊すぎる。

 非モテ童貞である僕でなけりゃあ、お持ち帰りしていたね。

 なんて、言ってる場合じゃないな。

 

 「とにかく、僕の背中に乗って」

 「やぁだぁぁぁ! このままが良いですぅぅぅ!」

 「このままって……」

 

 つまり、お姫様抱っこをしろと?

 よろしい、ならばしようじゃないか。

 幸いなことに、僕はそれなりに体を鍛えてるし、ナナさんは同じ年頃の女性と比べても細身だし、ちゃんと食べてる? って、心配になるくらい軽い。

 だから……。

 

 「ここまで抱き抱えて来たと?」

 「そうだけど、何か問題かい? 沖田君」

 「いえ、問題はありません。医務科の者たちや案内を兼ねてここまで同行した艦長を通して、油屋大将が泣きじゃくる女学生を抱き抱えたままスキップして医務室まで来たと噂になるでしょうが、わたくし的には問題ありません」

 「いや、問題しかないよね?」

 

 と、返しながら艦長始め、医務科の人たちを見渡したら、皆一様に僕から目を逸らした。

 これ、もしかしなくても広める気じゃない?

 やめてね?

 ただでさえ、沖田君のせいで十代の少女たちを(はべ)らせてヤリまくってるヤリチン野郎って噂がたってるって聞いたから。

 

 「ちなみに艦長。大和艦内では、油屋大将は何と呼ばれているのですか?」

 「巨乳だろうと無乳だろうと、大人だろうが子供だろうが見境なしに手をつけるスケコマシ。と、私は良く聞く」

 「事実無根だ!」

 「ですが油屋大将。甲板で乳に包囲されて鼻の下を伸ばしまくっていた油屋大将を、複数の水兵が目撃しています」

 「それは……事実だけど、僕はまだ童貞だ!」

 

 と、力の限り叫んで、艦長に無実を訴えたのに……。

 

 「あの美人姉妹や、そちらのお嬢さんに迫られて童貞? いくらなんでも、それで童貞は通らないでしょう。もし本当なら、類い希なヘタレですよ?」

 

 と、心底呆れながら言われてしまった。

 ええ、ヘタレですが何か?

 愚息と同じく、体がカチンコチンになるほど緊張して何もできない根性なしだよ僕は。

 だから医務科の人たちも、艦長の言葉に同意して「うんうん」とか言って頷くな。

 

 「とにかく! 僕のことは取り敢えず置いといてくれ。軍医長、ナナさんの容態は?」

 「酷いなんてものじゃないですね。両足は骨折寸前、肉離れや筋断裂も起こしかけています。特に鍛えている様子もない彼女が、何をしたらこんな状態になるのですか?」

 「何をしたかはわかってるんだけど……」

 

 それでどうして、ナナさんの体はガタガタと言っても過言じゃない状態になった?

 いや待て、軍医長はたしか……。

 

 「そうか……」

 

 特に体を鍛えていないと言っていた。

 つまり、ナナさんは普通の女学生と同程度の身体能力で大和艦内を縦横無尽に駆け回り、機銃座を抜け、防空指揮所まで駆け上がったことになる。

 そんなこと、軍人にだって出来やしない。

 なのに、ナナさんはそれをやった。

 だとすると、考えられるのは脳のリミッターの解除。

 通常は最大筋力値の二割程度しか発揮できないようにセーブしているリミッターを、例えば自己暗示で解除したんじゃないだろうか。

 ならば、大和を追いかけていた時のナナさんの身体能力は単純に五倍。

 鍛えていない女性でも、一時的になら120kgの重量を支えられるって聞いたことがあるから、600kgの重量を支えられるだけの筋力を得ていたことになる。

 さらに、ナナさんは体重が異様に軽かった。

 抱えた感じでは、40kgそこそこしかなかったと思う。

 そんな低体重で、男性パワーリフター並みの筋力があったのなら、ナナさんの身体操作技術なら先の騒動で見せた動きも可能なのかもしれない。

 ただし、その代償として……。

 

 「こうなっちゃったのか。無茶しすぎだよ」

 

 なんだか、怒ったのが申し訳なく思えてきちゃったな。

 今は痛み止めを射たれて落ち着いているけど、防空指揮所で見た痛がりっぷりを考えると、そうなってまでして歌ちゃんを助けてくれようとしたんだと、感謝の念が湧いてきた。

 

 「あのぉ、油屋大将」

 「ん? なんだい、ナナ……じゃなかった。大和」

 

 ベッドから身を起こしながら、恐る恐る僕を呼んだナナさんを大和と呼ぶなり、この場にいるみんなの視線がナナさんの体を使う大和に集まった。

 それに少し怯えてしまったけど、大和は意を決したように……。

 

 「私を解体しないでください! 私はまだ戦えます! いえ、戦いたいんです!」

 

 と、声を張り上げた。

 戦いたい……か。

 兵器として生まれたのに、戦う機会をろくに与えられないまま終戦を迎え、解体されるとなれば確かに無念だろう。

 でも……。  

 

 「君を解体する予定はない。呉に向かっているのは、君を記念艦に改修するためだ」

 「記念……艦? それは私に、見世物になれと仰っているのですか?」

 「オブラートに包まず言えば、そうなるね」

 

 僕の答えを聞くなり、大和の顔は怒りに染まった。

 まあ、人と同じような感情があるのならそうなるよね。

 さて、困ったぞこれは。

 大和に魂が宿ってて人並みの感情があるだけならまだ良かったが、大和は自分の体である艦を乗組員ごと操れる。

 説得に失敗したら、本土へ無差別砲撃くらいはするかもしれない。

 

 「大和、君の無念はよくわかる。だけど君は、何と戦うつもりなんだい?」

 「当然、米軍とです!」

 「なるほど。じゃあ君は、ようやく平和な生活を手に入れた国民を、再び戦火にさらすと言うんだね?」

 

 僕に言われて初めて気がついたのか、大和は両手で口許を押さえて黙り込んだ。

 そう、君が米軍相手にドンパチを始めれば、再び戦争になる。

 しかも、その戦争は僕たち転生者もシナリオを知らない未知の戦争だ。

 つまり、過程や結果を操作できない。

 

 「君が人間で、一個人として米国人と喧嘩をするのは構わない。でも、君は戦艦。しかも、未だ世界最大の戦艦だ。そんな君が米軍に喧嘩を売ったら、どうなるかくらいわかるだろう?」

 「でも、それでも私は……」

 

 戦いたい。

 と、続けたかったのかな。

 いや、少し違う気がする。

 戦いたいと思う気持ちに偽りはないんだろうけど、そのあとに何か続きそうな気がする。

 戦って勝ちたい?

 違う。

 戦い続けたい?

 これも違う。

 これは僕の妄想でしかないけど、大和はおそらく……。

 

 「君は、戦って死にたいんだね」

 「……!」

 

 驚いたように目を見開いて僕を凝視している様を見るに、どうやら当たりのようだ。

 でも、残念ながら彼女の希望は通らない。

 そもそも、敵がいない。

 来年には朝鮮戦争が始まる予定になってはいるけど、あくまで主役は米軍であって、日本は後方支援に徹する段取りになっている。

 よって、彼女の出番はない。

 ベトナム戦争まで現状のまま維持すればワンチャンあるかないか。って、ところだ。

 僕の言葉だけじゃあ彼女を納得させられそうにないから、搦め手でいくとするか。

 

 「艦長。君は大和と一緒に死にたいかい?」

 「私はこの艦……彼女の艦長です。なので、彼女が沈むときは私も一緒に沈む。そう、覚悟しておりました(・・・・・・・・・)

 「じゃあ、今は違うんだね?」

 「はい」

 

 艦長の答えを聞いて、大和の顔は絶望の色に染まった。

 まあ、そうだろう。

 でも、絶望するのは早いよ。

 艦長はまだ、全部言い終わってないんだから。

 

 「私は、彼女に生きていてほしいと思っています」

 「それは、どうしてかな?」

 「彼女は、我が国が誇る超弩級戦艦であり、世界最高最大、最強の戦艦です。その彼女に、平和になった世で残りの生を謳歌してほしいと、彼女と共にあの戦争を生き抜いた私たち乗組員全てが願っています」

 「それ、建前だよね?」

 

 僕がイタズラっぽくそう言うと、艦長は照れ臭そうに後ろ頭を掻いた。

 やっぱり、男って馬鹿だなぁ……。

 

 「自慢……したいじゃないですか。この先孫が生まれて、その子供が生まれて。その子達に、お爺ちゃんはこの美しい艦で艦長をしてたんだよって、自慢したいんです。そりゃあ戦争中は、大和と運命を共にするのを夢見ていました。誰よりも苛烈に戦い。誰よりも多く敵艦を沈め。米軍に、「大和を沈めるは日本を取ることと同義なり」と、言わせてやりたかった。でも、それはもう叶いません。ならば、私たちは別の戦い方を模索すべきです」

 「別の……戦い方?」

 「そう、君と一緒にね」

 

 なんて言いながら、艦長は大和の手を取ったけど、それ、ナナさんの手だからね?

 ナナさんに大和が乗り移ってるって信じてそうしてくれたのはありがたいけど、それはナナさんの手。

 だから気安く触るな。

 撫でるな。

 見つめ合うな!

 解任するぞコンチクショウめ!

 おっと、頭を冷やせ小吉。

 せっかく話が丸く収まりそうなのに、ここで波風を立ててどうする。

 ああでも、僕でさえ握ったことがないナナさんの手をあんなにしっかりと……。

 

 「気安ぅ触るなオッサン。ぶっ殺すぞ」

 「ちょっ……! 艦長の頭を殴るなんて、何を考えてるんですか!」

 「うっさい。アンタはさっさと話を終わらせんさいね。この部屋臭いけぇ早ぉ出たい」

 

 消毒液臭いのかな?

 確かにここは、病院特有のにおいが充満してるから、慣れてない人には辛いかもね……って、交互に体を使って喋ることもできるの?

 無表情のナナさんと、感情をこれでもかと表に出す大和が交代交代で喋ると、表情筋が大変そうだなぁ。

 なんて、現実逃避してる場合じゃない。

 艦長の頭を叩くのは良くない。

 個人的にはグッジョブと言いたいけど、大和が言う通り良くはないよ。

 でもグッジョブ。

 

 「大和、君には記念艦として、後の世まで戦争の愚かさを伝える偶像となってもらいたい」

 「私が、兵器だからですか?」

 「そうだ。君は戦争のために生み出された兵器。人の愚かさの具現だ。そんな君だからこそ、記念艦に相応しい」

 

 僕の言い方に、気分を悪くしたか?

 うつむいてしまったから表情は見えないけど、何かを必死に我慢しているのはわかる。

 だったら……。

 

 「ちなみに、君の兵装は一切外さない」

 「え? でも、記念艦にって……」

 「うん。記念艦にはなってもらう。ただし、今の君の姿のままで、だ」

 「じゃあ、有事の際には……」

 「もちろん、戦ってもらうさ。そのために整備もしっかりとやる。少し下世話な話になってしまうけど、君が記念艦になってくれると、大半の乗組員の雇用も確保できるんだ」

 

 記念艦大和の、職員としてね。

 実はすでに希望を募って、雇用枠は埋まりきっている。

 艦長なんか真っ先に志願して、艦内に開設予定の資料館の館長になる予定になっているよ。

 

 「大和。海軍大将として正式に、君に記念艦になることを命じる。どうかこの国を、末長く見守り続けてくれ」

 

 駄目押しを兼ねてそう言うと、大和は涙を流しながら微笑んで「了解しました」と言ってくれた。

 



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第三十六話 和解(裏)

 

 

 

 

 暮石家の人間は我慢強い。

 物心がつく頃から始まる肉体的、精神的拷問に耐える過程で我慢強くなるんじゃなくて、生まれた時から我慢強いの。

 あたしは普通だったらしいんだけど、兄様は一歳になる頃には、餓死寸前まで飲み食いさせなくても一切泣かなくなってたそうよ。

 でも、その代わりかどうかはわからないけど、あたしは兄様より痛みに強い。

 デカ女が転げ回りながら泣き叫ぶくらいの怪我をしてても、あたしは何食わぬ顔をして普通に行動できるわ。

 それなのに……。

 

 「ねえ、小吉……」

 「動いちゃ駄目。最低でも呉に着くまでは絶対安静」

 「あ、はい」

 

 下半身を重点的に添え木と包帯で雁字搦(がんじがらめ)めにされて、薬臭い部屋のベッドに寝かされてる。

 さすがにこの拘束は、関節を外したくらいじゃ抜け出せないわね。

 

 「療養中の世話は歌ちゃんがしてくれるから、安心して休んでて」

 「でも、あたしは小吉の護衛だし……」

 「僕もできる限りここに居るようにする。それに、龍見姉妹が常に側にいてくれるから大抵の事はなんとかなるよ」

 「それ、あたしは要らんってこと?」

 

 あたしは、頭に浮かんだ素朴な疑問を、何の気なしに言っただけのつもりだった。

 でも、小吉は必要以上に重く受け取っちゃったみたい。

 真剣な顔をして、まっすぐあたしを見てくれてるわ。

 

 「ナナさん。君は僕にとって大切な人だ。だから、君が要らなくなるなんてことはない。だけど今は、療養が必要だろう?」

 「いらん。これくらい、なんぼでも我慢できる」

 「駄目だ。軍医長の診察では、両足は折れる寸前で全身の筋肉も痛んでいる。無理をすると、取り返しのつかないことになる」

 「べつにええ。小吉を護るためなら……」

 

 体はいくらでも酷使する。

 肉が裂けても、骨が砕けても良い。

 その結果、普通の生活すら満足にできなくなってもかまわない。

 だって体が動かなくても、術は使えるんだから。

 

 「君の仕事に対するストイックさは尊敬するし、頼もしいと思っている。でも今は、体を癒すことに専念してくれないかい?」

 

 そう言いながら、小吉はあたしの右手を握ってくれた。

 駄々をこねるつもりはなかったのに、なんだかそうなっちゃったわね。

 だったら、駄々こねついでに……。

 

 「じゃあ、命令して」

 「命令?」

 「そう。大人しく寝てろって命令して」

 「それはかまわないけど……」

 

 本当に良いの?

 って、感じかしら。

 良いのよ。

 あたしは小吉のモノなんだから、遠慮せず命令して良いの。

 と言うかして。

 だって……。

 

 「デカ女には、三回も命令したじゃろ?」

 「したけど……」

 「じゃけぇ、あたしにも命令して。デカ女だけズルい」

 

 あたしがそう返したら、小吉は困ったような顔をして左頬を掻いた。

 もしかしなくても、困らせちゃった?

 だったら、口惜しいけど……。

 

 「迷惑なんなら、せんでもええ」

 「迷惑なんかじゃないよ。ただその……君は僕なんかに命令されても良いの? 確かに僕は、君の雇い主だけど……」

 「ええよ。小吉の命令なら、何でも聞いちゃげる」

 「そう? じゃあ、命令だ。呉に着くまで大人しくしていなさい」

 「うん、わかった」

 

 ああ、やっぱり小吉に命令されるのは良い。

 体に力が漲ってくるし、何でもしてあげたい気持ちが大きくなっていく。

 体の痛みも軽くなった気が……してたのに。

 

 「それも一時じゃったなぁ」

 「んだよ。オレが話し相手じゃ不満か?」

 「不満」

 

 小吉と二人きりで過ごす時間は、一時間も続かなかった。

 龍見の白い方と歌に拉致されて、小吉はどこかに連れて行かれちゃったわ。

 しかも嫌がらせのつもりなのか、龍見の口が悪い方を残して。

 

 「そう邪険にすんなよ。オレはこれでも、お前のことが気に入ってるんだぜ?」

 「なんで?」

 「お前はオレの槍を避けるくらいすばしっこいし、歌のためにそんなになるくらい仲間想いだ。そう言うところが気に入ってんだよ」

 

 仲間想いとは違う気がする。

 確かに歌が苦しめられて腹が立ったけど、あたしはあくまで小吉のために戦った。

 だって、歌が元気になれば小吉が喜ぶじゃない。

  

 「そう言えば歌が世話をしてくれるって聞いちょったのに、なんでアンタが残ったん?」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

 「お前とは腰を据えて話してみたかったから代わってもらったんだけど……やっぱ、先祖の仇とは仲良くできねぇか?」

 「べつに気にせん。アンタの方こそ気にならんの?」

 「姉ちゃんは気にしてるっぽいけど、オレは気になんねぇな。だってうちと暮石が争った原因はうちにあんだから」

 「そうなん?」

 「なんだ、知らなかったのか?」

 「逆に聞くけど、知っちょると思う」

 

 思わないでしょ?

 実際、「まあ、そりゃそうだ」って言って呆れてるじゃない。

 

 「明治政府が成立して少し経った頃だったか? うちのご先祖は何をとち狂ったのか、何かの仕事をきっかけに政府に食い込もうとしたらしくてよぉ」

 「それで調子に乗りすぎて、陸軍から反感を買ったん?」

 「まあ、そういうこと。それで差し向けられた刺客が、お前のご先祖だったって訳さ」

 「ふぅん」

 

 じゃあ、コイツのように気にしないのが正しいわね。  

 だって原因は龍見にあるんだし、うちのご先祖様は仕事をしただけだなんだから恨まれる筋合いはない。

 恨むなら、依頼した陸軍を恨むべきだわ。

 

 「そんで前の戦争の時に、陸軍に抱えられてる暮石は戦争で忙しいだろうと踏んで、オレらの代で一気に政財界に食い込んだんだ」

 「へぇ」

 「興味、無さそうだな」

 「うん。ない」

 

 わかってるでしょ?

 だから、「だろうな」って言いながらため息をついたんじゃないの? 

 

 「会話が続かねぇ。小吉の大将は、どうやってお前との会話を続けてるんだ?」

 「さあ?」

 「さあって……。小吉の大将とはまともに話すんだろ?」

 「話すけど、あんまり変わらんよ?」

 

 基本的に、小吉の話にあたしが相づちを打つだけ。

 今のあたしとアンタの会話と大差ないわ。

 違いがあるとすれば、あたしが幸せな気持ちになるのと、会話が止まっても小吉が退屈そうにしないことかしら。

 

 「じゃあ、オレと仲良くしたくねぇから、そんな態度ってわけじゃねぇんだな?」

 「違う」

 「よし、なら良い」

 「何が良いの?」

 「お前とオレは仲良くできる。それがわかった」

 

 あたしはわからん。

 そもそも、どうしてアンタと仲良くしなきゃいけないの?

 確かにアンタとは喧嘩ばかりしてるけど、それはアンタが突っかかって来るからであって、あたしは喧嘩する気なんて最初からないのよ?

 

 「とりあえず、お互い名前で呼び会うとこから始めようぜ」

 「そりゃあ構わんけど、あたしはアンタの名前を知らん」

 「なんでだよ。初めて会ったときにちゃんと名乗ったろ?」

 「覚えちょらん」

 「うわ、マジかコイツ。小吉の大将や歌だってオレを名前で呼んでるんだぜ? なのに、なんで覚えてねぇんだよ」

 「興味がなかったから」

 

 今までは。

 でも今は、仲良くしなきゃいけない理由はわからないままだけど、あたしと仲良くしたいって言ってくれたアンタに興味が湧いてるわ。

 

 「じゃあ、改めて名乗るぞ。オレは地華だ。良いか? 地華だぞ? 覚えたか?」

 「覚えた」

 「本当か?」

 「うん」

 

 本当よ。

 だから、そんな疑わしそうな目で見ないで。

 いくらあたしでも、たった二文字くらいすぐに覚えられるんだから。

 

 「ミカじゃろ?」

 「ミじゃねぇ」

 「じゃあ、シャカ?」

 「悟りを開いた覚えはねぇなぁ」

 「シカ」

 「最近食ってねぇなぁ。呉に着いたら一狩りすっか?」

 「だったらイカ」

 「煮ても焼いても旨ぇよな……って、お前、わざとだろ」

 「うん」

 「テメェ……」

 

 お? 襲ってくるかな?

 と、少し身構えたけど、地華は槍を肩にかけたまま「ニシシ♪」と嬉しそうに笑って……。

 

 「食えねぇ奴だな、ナナは」

 

 と、言いながらあたしの頭を手荒く撫でた。 

 痛くて全く気持ちよくなかったけど、あたしは地華の手を振り払わずに、「痛いけぇやめぇ」とだけ言ったわ。 



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第三十七話 束の間(表)

 

 

 

 

 最近、ナナさんと地華君の仲が良い。

 不自然なほど良い。

 仲が良いに越したことはないんだけど、呉に着いてもまだ自力で……歩くことはたぶんできるんだろうけど、軍医長の全治三ヶ月という診断結果に従った僕が歩くことを禁止しているナナさんが、地華君にもたれ掛かって髪を梳かされてる光景が不思議でしょうがない。

 

 「お前さぁ、もうちょっと身嗜(みだしな)みを気にしろよ。女だろ?」

 「地華がやってくれりゃあええじゃない」

 「ええじゃないってお前……オレがいない時はどうすんだよ」

 「歌にやってもらう」

 「オレも歌もいない時は?」

 「小吉にやってもらう」

 

 はい、喜んで。

 と、言いたいところだけど、生憎(あいにく)と僕は忙しい。

 仮住まいとして提供された呉鎮守府の司令長官官舎の庭先で、朝は動けないナナさんに代わって天音君にしごかれる沖田君を観賞する程度の余裕があるけど、もう少ししたら工廠のお偉いさんたちと会議&会議さ。

 内容はもちろん、工廠の規模縮小について。

 もっとも工廠のお偉いさんたちは、今は軍人ではなく民間人。しかも、戦後の不安定な状況をビジネスチャンスととらえている野心家たちだ。

 なので工廠を兵器工場ではなく、例えば商用船舶やその他諸々を作る工場として一新しようと考えているようだから規模の縮小自体は問題ない。

 問題が有るとすれば雇用。

 例えば軍艦を造るのとタンカーを造るのとでは、必要な材料と人員の数が違ってくる。

 その溢れた人たちをどうするかが、呉海軍工廠の規模を縮小する上で最も重要かつ、難関……だった。

 

 「まさか、ここで富岡君に助けられるとは思ってなかったなぁ」

 

 彼が日本に持ち込んだジーンズ。

 これを作業服ではなく私服として大々的に売り出し、その工場を各地に建てる案が意外なほどすんなり通った。

 本来の歴史では、今から約10年後の1956年くらいから輸入販売が開始されたはずだけど、今世では受託生産ではなく最初から純国産として作り、売り出す計画が進み始めている。

 まあ、その立役者となったのは地華君なんだけどね。

 

 「今思い出しても、お偉いさんたちの興奮っぷりは笑えるなぁ」

 

 体のラインをこれでもかと強調するジーンズは、地華君のスタイルの良さも相まって大好評だった。

 本来の歴史では、女性がジーンズを穿き始めるのは1970年代だったはずだけど、今の調子だとかなり前倒しされそうだ。

 いやむしろ、女性が穿くのが普通で、男性に普及するのが後になるかもしれないくらいの勢いだ。

 

 「地華さんって、意外と身嗜みに気を使ってますよね。肌とか、赤ちゃんみたいにスベスベでモチモチ。ねぇ、小吉お兄ちゃん。こう言うのって、何て言うんだっけ?」

 「女子力が高い」

 「そう、それ! 地華さんって、見た目の割に女子力が高いです!」

 

 歌ちゃん、見た目の割にが余計。

 だけど、地華君は気にしてないようで「それほどでもねぇよ」と言って照れてる。

 ちなみに、意外なことに、見るからに身嗜みを気にしてそうな天音君はナナさん並みにズボラ。

 髪を地華君に梳かしてもらうのは当たり前だし、無駄毛処理までしてもらってるんだとか。

 

 「姉ちゃんがあんなだから、いつの間にかこうなっちまったんだよ」

 

 とは、ナナさんの髪を梳かし終わった地華君のお言葉です。

 ん? 今度は正面に回って、ナナさんの足を揉み始めたな。

 

 「触った感じ、だいぶ治ってるっぽいけどまだ痛むか?」

 「痛みはないけど、小吉が動くなって言うけぇ動かん」

 「あっそ。うちの秘薬も飲んでるし、ナナ自身の自己治癒力も高いっぽいから、もう一週間も安静にすりゃあ普通にしても問題はねぇと思うんだけど……」

 

 と、言いながら地華君は僕に視線を移した。

 それにつられて、ナナさんと歌ちゃんも。

 これは、許可してやってくれってことかな?

 龍見家に伝わる治療法を疑う訳じゃないんだけど、こちとら根っからの現代人なわけで、民間療法に近い龍見家の治療法を信じきれてないんだよねぇ。

 だって草とか虫とかをすり潰して丸めた物を飲ましたり、患部を押したり伸ばしたりしてただけなんだよ?

 

 「じゃあ、一週間後にお医者さんに診てもらおう。その結果が良ければ、命令は解除ってことでどう?」

 「あたしはええよ。地華は?」

 「うちの治療法を信用してくれてねぇのは悔しいけど、大将がそれで納得してくれるなら良い」

 

 おっと、地華君が少し不貞腐れてしまった。

 でも、今の医療は戦争のせいもあってそれ以前よりも進んでいるから、昔ながらの民間療法よりも信頼性が高いのは事実。

 でも、実践と経験に裏打ちされた龍見家の治療法を疑う訳じゃない。

 だから、フォローくらいはしておくか。

 

 「そうだ。ちょうどその日に、ジーンズの宣伝用写真を撮ることになってるから、その帰りに夕飯でもどう?」

 「……オレが決めた店で良いなら」

 「うん、かまわないよ。なんせ、その日の主役は地華君だから」

 「ん? ちょっと待ってくれ大将。オレの写真を撮んのか?」

 「そうだよ?」

 「ちょっ、ええ……。写真ってアレだろ? 撮られたら魂が吸いとられるとか言う……」

 「いや、迷信だからそれ」

 

 いつの時代の人間だよ。

 そんなことを言うから、龍見家の治療法を信用しきれないんだよ。

 と、言おうものなら余計に不貞腐れてしまいそうだな。

  

 「あ、小吉お兄ちゃん。ついでに、みんなで写真を撮ったりできない?」

 「できると思うよ。撮るかい?」

 「うん! 撮りたい!」

 「わかった。じゃあ、みんなで撮ろう」

 

 思い出作りにもなるしね。

 あ、ちなみに「ねえ地華。写真って魂が吸われるん?」「らしいぜ? 婆ちゃんがそう言ってた」なんて時代遅れな会話をしている二人は無視して沖田君と天音君の方を見てみたけど……。

 

 「沖田さん、そろそろ休憩にしませんか?」

 「まだまだぁ! もう一本!」

 

 こっちはこっちで、沖田君が暑苦しい。

 汗で透けたYシャツも、女性が着てたら魅惑的だけど男が着てたら不快なだけ。

 もう一時間近くやってるんだから、天音君が言う通り休憩すれば良いのに。

 

 「ねえ地華。ジュウゾウってなんで一本も取れんの?」

 「なあ? 不思議だよな」

 

 いや、実力差が有りすぎるからじゃない?

 使ってるのは二人とも木刀だけど、天音君の本来の得物は男でも振るのに一苦労する大太刀。

 それと比べたらはるかに軽い木刀を使ってる天音君は、汗一つかいてない。

 

 「白い方も地華も、一人じゃ大して強ぉないよね?」

 「んなこたぁねぇよ。と、言いたいとこだが、一人じゃ沖田の旦那とどっこいだな」

 

 んなアホな。

 だったらどうして、沖田君は打たれまくって満身創痍になって、天音君は余裕綽々なんだろう?

 

 「じゃあ、なんで沖田さんは滅多打ちにされてるの?」

 「なんだ歌。気になんのか?」

 「うん、少し」

 

 僕も気になってたから、ナイス質問だ歌ちゃん。

 

 「遠子龍見流ってのは、二人一組で戦うのが大前提でよ。だから、一人で戦うのを想定してねぇんだ」

 「どういうこと?」

 「つまりな? 技を出せば、大なり小なり隙が生まれる。その隙を互いに補いあって、隙を生まず大勢を相手に戦い続けるのが遠子龍見流の本領なんだ」

 「え~っと、だから一人になると、隙を補ってくれる人がいなくなるから……」

 「そこを突かれやすくなる。オレと姉ちゃんも、二人でなら術なしのナナより強ぇけど、一人だと一瞬で負けちまうだろうな」

 

 なるほど。

 沖田君が一本取れない理由はわからないままだけど、遠子龍見流の弱点と、地華君が思っていたより謙虚だってことはわかった。

 

 「白い方は大技を出したあと半歩引いて、小技を出したあとは逆に半歩踏み込んじょるねぇ。地華は、アレの逆なん?」

 「正解。オレと姉ちゃんじゃ領域が違うから、どうしてもそうなっちまうんだけどな」

 「領域って何?」

 「何て言えばいっかなぁ。敵の動きを感知できる範囲って言えば良いのか? オレは槍も届かねぇほど遠くにいる奴の動きを、例え真後ろにいたって敏感に感知できんだけど、槍の間合いの内側に入られると途端に鈍感になっちまう。姉ちゃんはその逆だな」

 

 ふむふむ。

 聞いた限りだと、領域は一人一人だとナナさんの厄除けの下位互換。

 二人揃って初めて同等って感じか。

 

 「沖田の旦那が一本取れねぇのは、姉ちゃんが女だから首から上を打つのを遠慮してんのと、単純に踏み込みが足りねぇからだ」

 「ん? でも地華君、天音君は君の逆で、相手との距離が近ければ近いほど相手の動きを敏感に察知できるんだろう? 踏み込んじゃうと、逆に駄目なんじゃない?」

 「小吉、地華の話をちゃんと聞いちょった?」

 「え? 僕、何か変なこと言った?」

 

 言ったんだろうな。

 ナナさんだけでなく、地華君まで呆れたような目をして僕を見てる。 

 キョトンって擬音が聞こえそうなくらい、不思議そうな顔で首を傾げてる歌ちゃんが僕にとっては唯一の救いだよ。

 

 「白い方は一旦離れたり近づいたりする癖がある。じゃけぇ、領域の外でその隙ができる瞬間を待って打ち込みゃあええだけじゃないね」

 「えっと、ナナはすごく簡単そうに言ってるけど……小吉お兄ちゃんはできる?」

 「無理無理。ナナさんや地華君は隙だらけみたいに言ってるけど、僕程度じゃ見つけられない……」

 

 と、言いつつ三人から目をそらして沖田君と天音君の方を見てみたら、僕たちの会話が聞こえてたのか沖田君は「なるほど」と言いながらニヤリとし、天音君は「余計なことを」と言いたそうな顔をしてナナさんと地華君を睨んでた。

 

 「で、では、休憩にしましょうか」

 「いやいや天音殿。休憩したら、せっかく温まった体が冷えてしまう。なので、このままもう一本」

 「いえ、私は疲れてしまいましたので……」

 「汗一つかいてないのに?」

 

 どうやら、形勢が逆転したようだ。

 今まで滅多打ちにされた恨みを晴らそうとしている沖田君に対し、弱点や癖を暴露された天音君は及び腰になっている。

 そんな二人を見ていたら……。

 

 「ねぇ、小吉」

 

 と、ナナさんに呼ばれたから振り向いたら、ナナさんは楽しそうに微笑んでいた。

 本当に、表情が豊かになってきてるな。

 心なしか声にも感情がこもってるように思える。

 

 「なんかええね。こう言うの」

 「そうだね。楽しい?」

 「うん、楽しいと思う。こんな日がずっと続けば良いのにって、思うよ」

 

 若干、殺伐としてるけどね。

 とは、ツッコメなかった。

 それはたぶん、僕も非日常の最中に不意に訪れる束の間の日常を、ナナさんと同じように楽しいと感じているからだと思う。

 

 

 



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第三十八話 束の間(裏)

 

 

 今日は、あたしの拘束が解かれる日。

 と、言ったら大袈裟かしら。

 でも、かれこれ二週間近く歩けないほど下半身を添え木と包帯でガチガチに固められていたあたしからすれば、大袈裟でも何でもない。

 だって小吉の隣で寝れなくて寂しかったし、歌と地華に下の世話をしてもらう時間は、恥ずかし過ぎて死にたくなったもの。

 でも、世話をしてくれた二人は……。

 

 「本当に動かなかったよなぁ、お前。歌なんて呆れてたぞ」

 「それは地華さんもでしょ?」

 「いやまあ、そりゃあそうだけどよぉ」

 

 呆れてたみたい。

 だって、小吉が大人しくしてろって言ったんだからしょうがないじゃない。

 だからあたしは、退屈にも恥辱にも屈しなかった。

 そして今日、病院で診察してもらって「本当に全治三ヶ月だったんですか?」と、言わせるほど医者を驚かせて解放されるまで、二週間以上動かず我慢したんだから。

 まあ、その我慢はもう少し続きそうだけどね。

 何故かと言うと……。

 

 「地華、落ちる」

 「だったら、もっとしっかりしがみつけよ。っつうか、何でオレがお前をおんぶしなきゃいけねぇんだよ」

 

 二週間以上まったく動かさなかったせいで、筋肉が落ちて立てなくなっちゃった。

 だから仕方なく、本当に仕方なく地華におんぶしてもらってるわ。

 

 「地華が嫌なら、小吉にしてもらう」

 「いやいや、大将がお前をおんぶした途端、動けなくなったからオレがしてるんじゃねぇか」

 「なんで動けんくなったん?」

 「そりゃあお前……っちまったんだよ」

 「何て?」

 「起っちまって動けなくなったんだよ! 言わせんな馬鹿らしい!」

 

 ふむふむ。

 つまり、白い方と腕を組んであたしらの前を「ちょっ! 声が大きい!」とか言いながら歩いてる小吉は、あたしをおんぶしたら何故かアレが起っちゃったのね。

 でも、なんで起ったんだろ?

 

 「ねえジュウゾウ。男って女をおんぶしたら起つん?」

 「俺に聞くな。と言うか、お前には恥じらいってものが無いのか?」

 「あるに決まっちょるじゃない」

 「だったら、せめて聞く場所を考えろ。こんな、人が行き交う場所で聞いて良い事じゃない」

 「そうなん?」

 

 って聞き返したら、ジュウゾウは右手で顔をおおって大きなため息をついた。

 あたし、そんなに変なことを聞いた?

 歌と地華も同じように呆れてるけど、それってやっぱり、あたしがおかしいってこと?

 と、疑問の上にさらに疑問が重なって悩んでいたら、第二の目的地に着いてたみたい。

 

 「ねえ小吉。地華は大丈夫? 本当に大丈夫?」

 「大丈夫だから。魂なんて吸われないから」

 「で、ですが小吉様。万が一と言うことも……」

 「ありません。って言うか、天音君もそっち側だったの?」

 

 そっちってどっち?

 は、置いといて、写真屋に着くなり始まった地華の撮影を見てたら心配になっちゃったのよ。

 だって何?

 あのカメラとか言う、手の平大の箱からガラスがはめられた筒が出てる物をもってカシャカシャ言わせてる人の動き。

 奇妙と言うか奇抜と言うか奇怪と言うか、とにかく見たことがない動きだわ。

 しかも、無駄が無い。

 あたしからすれば無駄としか思えない動きを無駄に洗練された無駄に続けてるわ。

 しかも、台詞が意味不明。 

 「良いね良いね!」とか「笑顔が素敵だね!」とか「最高!」とか言ってる。

 でも、地華はその台詞に気分を良くしたのか「そ、そうか?」と言って照れたり、「誉めすぎだろ」と言って姿勢を変えたり、ついには「当たり前だろ!」と言って満面の笑みを浮かべたりした。

 そんな珍事を小一時間続けたあと……。 

 

 「よし、じゃあ最後に、みんなで撮ろうか」

 

 とか言い出した。

 みんなって、もしかしてあたしも含まれてる?

 え? やだ怖い。

 散々撮られた地華は平気そうにしてるから、魂を吸われるってのが迷信だってことはわかったけど、それでも怖い。

 それはあたしだけじゃなく、白い方も同じみたいだわ。

 

 「さ、さあ、小鬼。今回は譲ってあげますから、遠慮なく小吉様の隣にお行きなさい」

 「そりゃあこっちの台詞じゃ。ほれ、遠慮せんと小吉にその無駄にデカイ乳を押し当てに行きんさい」

 「いえいえ、小鬼は怪我をしてから小吉様にくっついていないでしょう? ですから、遠慮せずくっつきなさい」

 「今晩じっくりと堪能するけぇ今はええ」

 「まあ、そうおっしゃらずに」

 「そっちこそ」

 

 これは長丁場になりそうだわ。

 でも、今のあたしは自分で歩けないから、椅子ごと運ばれたら抵抗する術がない。

 術を使えばどうにでもできるけど、こんな場面で使ったら小吉に怒られそうだしなぁ……。

 

 「ナナ、魂なんて吸われねぇから安心しろって。ほら、オレはピンピンしてんだろ?」

 「でも……」

 「ったく、強情っつうかなんつうか……。ジュウゾウの旦那。ちょいと手伝ってくれ」

 

 そう言いながら、地華はジュウゾウと一緒にあたしが座った椅子ごと持ち上げて、小吉の横に移動させた。

 あ、こんなに近くで小吉を見るのって久しぶり……じゃない。

 どうしようこれ。

 このままじゃあたし……。

 

 「こうすれば、少しは怖さが紛れるかい?」

 

 怖くてうつむいていたら、あたしの横に立っていた小吉が左肩に手を添えてくれた。 

 あたしと一緒にいる時は必ず着ている真っ白な軍服姿の小吉が、あたしを温かい眼差しで見てくれてた。

 その瞳を見つめ返していたら、いつの間にか写真への恐怖は消えてたわ。

 

 「さあ、天音君も早く」

 「え、ええ……」

 

 そして、渋る白い方も加わって、あたしたちは写真を撮った。

 一番背が低い歌を真ん中にして、その右に小吉。

 左に、椅子に座ったあたし。 

 その後ろにジュウゾウ、地華、白い方の順で並んで、写真を撮ってもらった。

 店を出たあとに、小吉が「こう言う写真って、漫画やアニメじゃ最後に撮った唯一の写真になったりするんだよね」って、不吉なことを言ってたけど、あたしはそれでも良いかなって思った。

 だって例え最後でも、今あたしが感じてる束の間の幸せは切り取られて、確かに残せたんだもの。

 

 

 



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第三十九話 遭遇(表)

 

 

 

 「さて、みんなに集まってもらったのは他でもない」

 

 と、一度は言ってみたい台詞ベスト10に入ってた台詞を、これまた一度はしてみたいポーズベスト10の一つであるゲンドウのポーズを決めながら、呉鎮守府庁舎の会議室で言ったのは僕こと油屋 小吉だ。

 

 「で? なんで私たちだけが集められたの? ナナと地華さんは?」

 「地華君には、ナナさんのリハビリを手伝うと言う名目で監視してもらってる」

 「つまり、この場に小鬼がいたら困る。と、言うことですね?」

 「そう言うこと。この話し合いは、ナナさんに聞かれる訳にはいかないんだ」

 

 ちなみに、集まってるのはナナさんと地華君以外の三人。

 「あの二人を放っておいて良いの?」と言ってる歌ちゃんと「ついに小鬼をお役御免に……!」と、変な勘違いをしている天音君。

 そしてついでに、「刃こぼれが取れない……」とか言いながらひたすらナナさんの小太刀を磨いでる沖田君だ。

 

 「来月、七月七日についてなんだけど……」

 「七夕がどうかしたの?」

 「あ、もしかして、近くでお祭りでもあるのですか?」

 「まあ、ある意味ではお祭りだね」

 

 事の発端は昨晩。

 猛君が暇潰しに電話してきた時のことだ。

 まあ、話そのものはたわいもない雑談だったんだけど、猛君は最後の最後にとんでもない爆弾を落として電話を切った。

 その爆弾とは……。

 

 「実はその日は、ナナさんの誕生日なんだ」

 「それが?」

 「誕生日が祭り? はて? 小鬼に誕生日は、何か特別なのですか?」

 

 まあ、この時代の人なら当然の反応だな。

 と言うのも、この時代はまだ『数え年』で年齢を数えるのが普通で、正月がくるとみんな一斉に年をとっているんだ。

 満年齢の数え方は言わずもがなだけど、数え年の数えた方は生まれた日を1歳と数えて、正月(1月1日)が来ると年を取る。

 だからみんな、僕も含めて、満年齢は一歳若くなるんだ。

  日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和二十四年に制定される予定になっている『年齢のとなえ方に関する法律』が制定されて以降だから、個人の誕生日を祝う習慣はまだないんだよね。

 

 「なるほど。つまり油屋大将は、七郎次の誕生日を祝いたいと言うことですね?」

 「話が早くて助かるよ沖田君。その通りだ」

 

 なんて偉そうに言ってみたけど、要はどうすれば喜んでもらえるかわからないから、三人に相談しようと集まってもらった訳さ。

 まあ、パーティー自体はサプライズで開催するので良いとして、問題はプレゼント。

 ただでさえ女性に何を贈ったら喜んでもらえるのかわからないのに、普通の女性とは価値観が違いすぎるナナさんが相手だから、僕なんかじゃ余計にでもわからない。

 

 「ぷれぜんと……。えっと、小吉様。それは贈り物で合ってますか」

 「うん、合ってる」

 「誕生日に贈り物……か。確かに、貰うと嬉しいかも。天音さんだったら、何を貰いたい?」

 「私ですか? そうですね……。子だ……もとい。婚姻届でしょうか」

 

 重いよ!

 誕生日プレゼントで婚姻届とか重すぎる!

 って言うか、言い直す前は何て言おうとした?

 まさかとは思うけど子種じゃないよね?

 天音君は、例えば全身にリボンを巻いて「僕がプレゼントだ!」とか言ったら喜んでくれるの?

 嬉しくないよね!?

 だって、そんな奇行に走る奴は控え目に言って変態だもの!

 

 「そう言う歌さんは?」

 「私は……。花とか?」

 

 なるほど、花か。

 それは無難かつ理想的なチョイスに思える。

 まあ、50年以上童貞を続けている僕からすれば。って、但し書きはつくけどね。

 だからここは、この場で唯一の既婚者である……。

 

 「沖田君。君の意見も聞きたいんだけど……」

 

 と、話を振ると、刀を磨ぐ手を止めて虚空を見上げた。

 どことなく悲壮感も漂ってる気がする。

 もしかして、奥さんに贈り物をして失敗した経験でもあるのだろうか。

 

 「わたくしは、家に帰る度に子供が欲しいと言われます」

 「ごめん。もう少ししたらまとまった休みをあげるから、それまで我慢して」

 

 そっかぁ。

 沖田君は帰る度に求められてるのか。

 妬ましい。

 君は「毎度毎度、干からびそうになるまで……」とか言ってげんなりしてるけど、50年以上童貞を貫いてる僕からすれば嫌味だからね?

 いや待て。

 嫌がってるように見えるから、いっそ出涸らしになるまでこき使うのも有りか……。

 

 「油屋大将。七郎次へのプレゼントで提案があります」

 「ほう? 聞こうじゃないか」

 「では、まずはこちらをご覧ください」

 「ナナさんの小太刀じゃないか。それがどうしたんだい?」

 「見てわかりませんか? ボロボロですよ!? 名刀村正がたった一回の使用で刃こぼれしまくりですよ!」

 「刃こぼれしたなら磨げば良いじゃない」

 「どこのアントワネットですか! 良いですか? 近くにこれを任せられそうな研ぎ師がいないのでわたくしが慎重に慎重に、それはもう神経を磨り減らす思いで磨いでいますが、これは紛れもない名刀なんです。間違っても、鋼鉄製の戦艦の壁を斬りつけていい代物じゃないんです。なのに! 七郎次は平気でやるんです!」

 

 そこで台詞を区切った沖田君はぜぇぜぇと肩で息をしながら、磨いでる途中の刀を泣きそうな顔で見つめている。

 放っておいたら頬擦りしそうなほどだ。

 そして、一度大きく息を吸い込んで……。

 

 「なので! 使い捨てにしても惜しくない刃物を大量に贈るのを提案します!」

 

 と、窓ガラスが振るえるほど馬鹿デカイ声で叫んだ。

 あのさぁ。

 君の愛しさと切なさと心強さをいつも感じてそうな熱いシャウトにほだされかけて、思わず納得しそうになっちゃったけど……。

 

 「女性に刃物を大量に贈れとか……馬鹿か君は」

 

 と、冷静に返した自分を誉めてあげたい。

 でも、女性陣は僕とは逆で、なるほどと言いたそうな顔をしている。

 

 「いや、ナナなら有りかも」

 「そうですね。私なら絶対にお断りですが、あの小鬼なら「これでジュウゾウにうるさく言われずに済む」とか言って喜びそうです」

 

 ふむ、そう言われてみると一理ある気がする。

 そうすると、歌ちゃんの意見も採用し、大量の刃物を花束のようにしてプレゼント……いや、ないない。

 いくらナナさんの考え方が普通の人とズレてるとは言え、刃物の花束を贈るのは無しでしょ。

 

 「僕も有りだと思うよ? 喜びはしないだろうけど、嫌がりもしないはずだ」

 「ふむ、君がそう言うんなら一考の余地が……ってぇ! 六郎兵衛君!? いつからそこに!?」

 「ついさっきからだけど?」

 

 話しかけられるまで全く気づかなかったけど、いつの間にか六郎兵衛が僕の対面に座ってた。

 しかも、天音君が用意した急須(きゅうす)からお茶まで注いでる。

 

 「油屋大将! お下がりください!」

 「おのれ暮石! 小鬼と地華がいない内に、小吉様を手にかけようと言う腹ですか!」

 

 しかも今回は、僕以外の人を眠らせたりしていない。

 そのせいで、僕と六郎兵衛がビジネスパートナーの間柄だと言うことを知らない二人が戦闘態勢に入っちゃった。

 

 「まあ、落ち着きなよ。そっちの男はもちろん、龍見の方も片割れがいないんじゃあ、僕をどうこうできないだろう?」

 「例え倒せなくても、刺し違えるくらいは可能です!」

 「無理だね。僕が小吉に話しかけるまでどれくらいの時間があったと思う? 僕がその気なら10回は殺せてるよ。もちろん、今からでもね」

 

 正に一触即発。

 って、感じだな。

 天音君はすでに刀を抜いてるし、沖田君も拳銃を構えてる。 

 その様子を目の当たりにして、歌ちゃんは「何? 誰この人。小吉お兄ちゃんの敵?」と言いながら混乱している。

 

 「二人とも武器をしまってくれ」

 「ですが油屋大将!」

 「良いんだ。彼は敵だけど、僕と取引をしていてね。あと半年くらいは僕に危害を加えない」

 

 と、言っても納得しきれないのか、二人とも戦闘態勢を解くのを躊躇している。

 

 「六郎兵衛君。君も挑発するのはやめてくれ」

 「僕には、挑発してるつもりなんてないんだけど?」

 「それでもだ。申し訳ないけど、腰の物を預からせてくれ。じゃないと、この二人が納得しない」

 「わかったわかった。だから、そんな怖い顔をしないでくれよ小吉。僕と君の仲だろう?」

 

 と、わざとらしく肩をすくめながら言ってから、六郎兵衛はあっさりと腰の日本刀を投げて寄越した。

 それでようやく納得してくれたのか、二人も警戒は解かないものの、戦闘態勢は解いてくれたようだ。

 

 「で、今日は何の用だい?」

 「用がないと来ちゃ駄目かい?」

 「駄目とは言わないけど、君が来ると他の者が無駄に緊張するんだ。見たらわかるだろう?」

 

 実際、武装解除してお茶を飲みながらくつろいでいる彼を目にしても、沖田君と天音君はすぐ動けるように身構えている。

 もし六郎兵衛がおかしな真似をしたら、即座に襲いかかるだろう。

 

 「わかった。次からは自重する」

 「お願いするよ。で? 本当に用もないのに来たのかい?」

 「まさか。僕はそこまで暇じゃない」

 「じゃあ、何か情報を持って来たんだね?」

 「そっちはまだ裏取りの最中だけど、君を狙って動いてる奴はいる」

 「誰だい?」

 「だから、裏取りの最中だって言ったろ? 陸軍のお偉いさんが、僕を待ちきれなくて誰かを雇ったと言う情報は得たけど、誰を雇ったかまでは掴めていない」

 「もしかして、僕と君が繋がってるってバレた?」

 「バレてたら、僕じゃなくて父様(とうさま)が動いてるよ。だから、バレてる訳じゃあない」

 

 ふむ、じゃあ六郎兵衛が言った通り、待ちきれなくなったお偉いさんの一人が先走ったってとこか。

 でも、誰を雇った?

 僕がナナさんと龍見姉妹を連れていることはわかっているだろうから、雇うなら相当の人数か人物。

 しかも、三人は探知能力も戦闘能力も高い。

 故に、正面切って戦える者を雇う必要がある。

 それこそ、ナナさんと六郎兵衛の父親に比肩するほどの者を。

 

 「あ、もしかして、瓶落水(からみ)を雇ったんじゃ……」

 「それはない」

 「どうしてだい? 瓶落水は、暮石の天敵なんだろう?」

 「そうだけど、瓶落水は戦いに関しては素人なんだ」

 「暮石の天敵なのに?」

 

 どういうことだ?

 山本さんは、暮石を瓶落水が襲ったと言っていた。

 龍見邸に張られていた結界は、ナナさんを衰弱させた。

 だから、暮石と瓶落水は敵対していると推察できる。

 ならば当然、その戦闘能力も暮石に比肩していると考えるべきだ。

 なのに、六郎兵衛は弱いとでも言っているようなニュアンスで素人と言った。

 それは何故だ?

 もしかして……。

 

 「暮石と瓶落水は、敵対しているわけじゃない?」

 「そうだよ? 小吉はどうして、うちと瓶落水が敵対してるって思ったんだい?」

 「いや、だって……」

 「ああ、僕が天敵と言ったからかな?」

 「それもあるけど、今まで見聞きした情報を併せて考えると、そうとしか思えなくてさ」

 

 それに、君だって瓶落水がいると言う広島に行きたがらなかったじゃないか。

 だから余計にでも、僕は二つの家の事情を誤解してしまったんだよ?

 

 「でも瓶落水が、暮石の天敵と言うのは間違いじゃないんだ」

 「瓶落水が使う術が、君たちが使う術のカウンターだからかい?」

 「厳密には違うんだけど……まあ、そう思ってもらって問題ないよ」

 「ふぅん、だから君は、広島に行きたがらなかったんだね?」

 「最初はね」

 「最初は?」

 

 じゃあ、今は違うと言うことか。

 そもそも、彼が言う広島がどこまでを指すのかがわからない。

 広島市なのか、それとも広島県なのかだ。

 前者の場合なら、広島市から離れている呉に来ていることに納得できるけど、後者だと納得できない。

 いや、ナナさんが自分の住所を県単位でしか把握していなかったの考えると、彼が言った広島も市ではなく県だ。

 なのに、彼は今ここにいる。

 つまり最初は、瓶落水を文字通り天敵と思っていたけど今はそうじゃないってことだ。

 

 「瓶落水と、会ったのかい?」

 「会ったと言うか見つかったと言うか……まあ、そういうことさ」

 

 だから、瓶落水のテリトリーである広島で堂々としているのか。

 おそらく、会ったことで長年の誤解が解けるなりしたんだろうな。

 

 「で、だ。今日は、瓶落水の件で君に相談があって来たんだ」

 「相談?」

 「うん。単刀直入に言うと、助……」

 「ん? おい、どうしたんだい?」

 

 何かを言いかけた途端、六郎兵衛がテーブルに突っ伏した。

 額に汗までかいてるな。

 彼の今の様子は、龍見邸に行ったときのナナさんに似ている気がする。

 だと、するなら……。

 

 「お、遅かったみたいだ……」

 

 彼は眼球だけ動かして、僕の視線を会議室の入り口へと誘導した。

 それを待っていたかのようにドアが開かれると、そこには見覚えのない二十代半ばの女性が、ナナさんと地華君を伴って立っていた。

 

 

 

 






こっちでは章で別けてないことに、今さら気づいた( ̄▽ ̄;)


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第四十話 遭遇(裏)

 

 

 

 

 「ねぇ地華。これどうする?」

 「殺っちまえば良んじゃねぇの?」

 

 小吉が歌とジュウゾウと白い方を連れてクレチンに行ったのが半日ほど前。

 暇をもて余したあたしと地華は、呉の町を散歩していた。

 まあ散歩とは言っても、あたしが松葉杖を突きながらだから大した距離は歩いてないけどね。

 

 「一応聞くけどよぉ。お前ら、オレらが海軍の関係者だと知ってて喧嘩売ろうってのか?」

 

 その散歩の折、疲れたからそろそろ戻らない? って話になった途端に、十数人の男たちに囲まれた。

 しかも、人通りが多い大きめの通りのど真ん中で。

 以前のあたしなら、人目があろうが関係なく殺ってただろうけど……。

 

 「地華。殺すのは……」

 「小吉の大将が困るから駄目だ。って、言うんだろ?」

 「うん。あたしが狩場で動けんようにするけぇ……」

 「オレが気絶させる。で、良いな?」

 「うん」

 

 小吉が困ることはしない。

 そう決めたから、絶対にしない。

 だから、地華に言った通り狩場で……あれ?

 

 「なん……で?」

 「どうした?」

 「いや、その……」

 

 おかしい。

 常日頃から溜め込んでるはずの殺意を、胸の内に感じない。

 拘束されてる間もずっと溜め込んでたのに感じない。

 いや、少し違う?

 何か得体の知れない力で、存在を感じられないほど抑え込まれている……ような気がする。

 

 「お前、まさか術が……」

 「何でかわからんけど、使えんみたい」

 「じゃあ、ぶん殴るしかねぇな。やれるか?」

 「やれんことは……ないと思う」

 

 幸いと思うべきか、段外の三つは殺意を必要としないから使える。

 韋駄天を使うとまた怪我を理由に拘束されちゃうから使えないけど、厄除けと柳女だけでも、見るからに素人の集まりであるコイツら程度ならどうにでもなる……けど。

 

 「地華。たぶん、あたしの力を封じちょる奴が近くにおる」

 「お前の力を? まさか、瓶落水(からみ)か?」

 「そりゃあわからん。じゃけど、コイツら以外にもそういう奴がおるって思っちょって」

 「了解だ。じゃあお前は、そいつを警戒してろ。有象無象どもはオレの舞でぶっ飛ばしてやるよ」

 

 そう言うなり、地華は槍の穂先に被せていた布を取って、一番手近な男の懐に一足で飛び込んだ。

 でも、その間合いじゃあ近すぎて槍は振れないよね?

 いや、違うか。

 最初の目標はソイツではなく、その後ろにいる……。

 

 「遠子龍見流、弟遠子の舞。邂逅(かいこう)の章、龍巻(たつまき)

 

 技名を言い終わった地華は、一番近くにいた男を『つ』の字を描くようにすり抜けて、その後ろにいた五人を順番に、文字通り吹っ飛ばした。

 あの技、本来なら蛇が蛇行するように、次から次へと相手を刺しては駆け抜ける技なんでしょうね。

 今は殺しちゃ駄目って制限がついてるから石突きで突いたり、柄で殴ってるけど、本当ならもっと鋭くて速いんだと思う。 

 

 「この調子じゃあ、本当にあたしは気にせんでええっぽいね」

 

 あの龍巻と言う技は、あたしから見れば隙だらけで危なっかしいけど、この程度の奴らが相手なら問題はなさそう。

 いや、あの隙はわざとなのかしら。

 地華が使う遠子龍見流は、本来なら二人一組で戦うのが大前提の流派だから、あのわざとらしい隙を白い方が埋めて、初めて本当の龍巻と言う技になるのかもしれない。

 

 「さて、あたしに悪さをしちょる奴は……」

 

 どこ?

 殺気の類いは、地華と男たちからしか感じない。

 その他に感じる気配は三種類。

 困惑と恐怖。

 そして、好奇。

 前二つは、遠巻きに見てる野次馬ども。

 でも三つ目は、一人からしか発せられていない。

 あたしに何かしらの悪さをして、術を封じている奴がいるとするなら、間違いなくソイツが犯人ね。

 

 「おるんじゃろ? 出てきたらどうなん?」

 「あらぁ、気づいていたのねぇ。さすがは暮石。と、褒めるべきかしらぁ」

 

 言いながら野次馬の群れから出てきたのは、肩にかかる程度の黒髪の女。

 歳はたぶん、地華よりも上かな。

 着物姿だから自信はないけど、松や歌のお母さんほどはいってないと思う。

 

 「初めましてぇ。いえぇ? 久しぶりと言った方が良いのかしらぁ?」

 「どっちでもええけぇ、その間延びした喋り方をやめてくれん?」

 「どうしてぇ?」

 「(いら)つく」

 「苛つくぅ? 本当にぃ? じゃあやめなぁい♪」

 

 殺す。

 だってアンタは、あたしを挑発するためにその喋り方をしてるんでしょう?

 じゃあ殺す。

 小吉に怒られるかもしれないけど、コイツはここで殺す。

 あたしを挑発したことを、後悔させながら殺してやる。

 

 「あらぁ、ちょっとやり過ぎたかしらぁ。私もぉ、まだまだ未熟ねぇ」

 

 その未熟さも後悔して死ね。

 と、思うあたしの気配だけをその場に残し、あたしは松葉杖を捨てて、短刀を抜きながら着物女の後ろへ移動した。

 まずは、左(もも)を刺してやろう。

 その次は右。

 そして跪くなり両肩を順番に刺して、何もできないようにして……。

 

 「あらぁ? かくれんぼぉ?」

 

 どうして、あたしを見てる?

 残して来た気配ではなく、着物女はあたしを見てる。

 もしかして、失敗した?

 いいや、気配はちゃんと残せてる。

 その証拠に、地華と野次馬どもは、あたしに気づいてないもの。

 

 「それぇ、暮石では柳女って呼んでるんだっけぇ」 

 

 着物女が完全に振り向く前に、あたしは三間ほど距離を取った。

 確信した。

 コイツは瓶落水だ。

 暮石と瓶落水は元が同じ一族なんだから、柳女のことを知っていてもおかしくはない。

 でも、なんでバレた?

 もしかして、殺気が漏れてた?

 気配を消しきれてなかった?

 

 「不思議そうねぇ。六郎ちゃんからは、感情を顔に出せないって聞いてたんだけどぉ……」

 「六郎? 誰それ」

 「誰って……。あなたのお兄さんじゃなぁい」

 「あたしの兄様は六郎兵衛じゃ。六郎じゃない」

 「愛称って、知ってるぅ?」

 「知らん」

 

 と、咄嗟に答えたけど本当は知ってる。

 要は、あたしが小吉にナナって呼んでもらってるのと同じで……ん? と、言うことは、コイツと兄様は親しいの?

 だってあたしは、親しくしたい、してもらいたいと思う人にしかナナと呼ばせない。

 あたしがそうなんだから、きっと兄様もそうだと思う。

 だとするなら、コイツは兄様と親しいことになる。

 

 「アンタ、兄様の何?」

 「私と六郎ちゃん? そうねぇ……。強いて言うなら、恋人かしらぁ♪」

 

 なん……だと?

 コイ人ってことは、兄様とコイツはコイし合う仲ってことよね?

 え? 瓶落水って、暮石の敵じゃないの?

 逆立ちオジサンも瓶落水が暮石……たぶん(じじ)様だと思うけど。を、襲ったって言ってたし、地華の家に張ってあった結界はあたしを弱らせた。

 それに実際、あたしは瓶落水と思われるコイツの手下っぽい奴らに襲われた。

 なのに、兄様とコイツがコイ人?

 え? どうしてそうなったの?

 

 「ねぇ、あなたってぇ、七郎次で合ってるのよねぇ? これでもかってくらい、考えてることが顔に出てるけどぉ?」

 「そ、そんなに出てる?」

 「ええ、気づいてなかったのぉ?」

 

 あたしが、考えてることが出てると言われるほど表情を作ってる?

 コイツの、何かしらの方法で術を封じられてるせい?

 それとも、小吉と出会ってからたまに感情が制御できなくなることがあるけど、そのせい?

 

 「で? お前は瓶落水で、ナナの敵ってことで良いんだよな?」

 「あらぁ、もう片付けちゃったのぉ?」

 「ったり前だろうが。オレをどうにかしたきゃ、達人級の奴らを揃えろ」

 

 あたしと着物女が話しているうちに暴漢どもを文字通り片付けた地華が、着物女を挟んだ反対側で仁王立ちしてる。

 襲ってきた暴漢の人数の割に時間がかかってるなとは頭の片隅で考えてたけど、わざわざ山のように暴漢どもを積み上げてたから時間がかかったのね。

 

 「もうちょっと早ぉ来てぇね」

 「いやぁ、オレもそうしようと思ったんだけどよぉ。話し込んでたから気ぃきかせたんだ」

 

 あのさ、人間の山を作って暇潰しする理由なんてそんなことくらいしかないでしょうけど、コイツが手練れだったら殺られてたかもしれないのよ?

 まあ、コイツがあたしの術を封じれる以外は一般人と変わらないと身のこなしから判断して、地華はそうしたんでしょうけど。

 

 「もうちょっとねばって欲しかったなぁ。まあ、普通の人じゃあこれが限界かしらぁ」

 「その言いようだと、ナナを襲ったって言うより、オレが邪魔だったから襲わせたって感じか?」

 「ええ、ちょいちょいっと操ってねぇ♪」

 

 へぇ、瓶落水は人を、しかも大勢操れるのか。

 暮石が使う暗示も人を操ってると言えなくもないけど、あれは自分を意識から外させたりするだけだしなぁ。

 本当に元は同じ一族なの?

 って、言いたくなるくらい違う術に思えるわ。

 

 「お前が当代の瓶落水で良いんだよな?」

 「いいえぇ? 確かに私は瓶落水だけど、当主はひいお爺様よぉ。ほらぁ、あなたの家にぃ、結界を張った人ぉ」

 「ちょっと待て。じゃあ、初代瓶落水がまだ生きてるってことか?」

 「そうだけどぉ……。そんなに不思議?」

 「不思議も何も、初代ってことは江戸時代生まれだろ? 下手したら100歳超えてんじゃねぇか?」

 「あぁ~……超えてるかもねぇ。本当かどうかは知らないけどぉ、吉田なんとかさんと一緒に黒船を見たぁとか言ってたからぁ」

 

 そんな歳の家族が生きてる?

 どうして?

 瓶落水には、家族を皆殺しにするしきたりがないの?

 

 「まあ立ち話も何だしぃ、小吉って人の所に案内してくれないぃ?」

 「なんで、アンタを小吉のところに連れてかにゃあいけんのん」

 「話があるからよぉ。もちろん、あなたにもねぇ」

 

 こんな得体の知れない奴を小吉と会わす?

 冗談じゃない。

 地華は、何かあっても何とかできると踏んで「まあ、確かに立ち話は疲れるしな」とか言ってるけど、あたしはコイツを小吉と会わせたくない。

 だってあれだけの騒ぎがあったのに、野次馬どもは何事もなかったかのようにいなくなったし、地華に殴られた奴らも、「何でこんなところで寝てたんだ?」とか「何だか体が痛い」って言いながら一人、また一人この場から去って行ってる。

 まるで、あたしたち三人が見えていないように。

 そんなあたしの心配をよそに、地華は「じゃあ行くか」と言ってあたしが投げ捨てた松葉杖を拾って来てくれた。

 そして着物女は……。

 

 「じゃあ、自己紹介しとくわねぇ。私は瓶落水の四杯目。瓶落水 (からみ)四進 (しず)よぉ。よろしくねぇ♪」

 

 と、相変わらずあたしを苛つかせる喋り方で、呑気に自己紹介してくれやがったわ。

 

 

 



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第四十一話 告白(表)

  

 

 

 まずは状況を整理しよう。

 現在、僕たちは呉鎮守府庁舎三階にある会議室にいる。

 それは良い。

 問題は、僕に何かを相談しに来た六郎兵衛が急に行動不能になったことと、それをやったと思われるナナさんと地華君と一緒に来た着物姿の女性だ。

 沖田君は、「まさか、油屋ハーレムにまた一人追加が……」などと、頭の心配をしなければならないような馬鹿なことを言ってるけど、僕と彼女は初対面だ。

 

 「君は、瓶落水か?」

 「ええ、そうよぉ。六郎ちゃんから聞いたのぉ?」

 

 そうなのぉ。

 じゃない。

 彼女の、間延びしてるけど何故か安らぎを覚える声音に惑わされるな小吉。

 

 「もぉ、六郎ちゃんったらぁ。広島に来てるなら来てるってぇ、どうして連絡してくれなかったのぉ?」

 「そ、それより四進(しず)さん。術を……」

 「解いてあげなぁい。恋人である私にぃ、寂しい想いをさせた罰よぉ」

 

 恋人とな!?

 六郎兵衛とあの着物美人が!?

 いやいや、違う違う。

 そこは暮石と瓶落水の人間が。だろうが。

 いや、羨ましいよ?

 ナナさんとも龍見姉妹とも違う系統の美人で、何故かお姉ちゃんと呼びたくなる彼女と恋人同士である六郎兵衛が羨ましいし妬ましいよ?

 でも、そこはどうでも良い。

 今は、敵対していると思ってるはずのナナさんと、六郎兵衛が会ってしまったことを心配すべき……。

 

 「ねえ小吉。それ、誰?」

 「ほ? 誰って……」

 

 君のお兄さんでしょ?

 なのになんで、地華君と一緒に僕のそばに来るなり心底不思議そうに聞いたの?

 

 「あ、もしかして……」

 「お察しの通りだよ。七郎次が知ってる僕と格好が違うから、僕が誰だかわからないんだ」

 「えぇ……」

 

 いくらなんでも、それは呆れてしまうな。

 だって肉親でしょ?

 それなのに、服装が変わっただけでわからなくなるなんてあり得るの?

 何年も会ってないって言うなら、あるかも知れないけど……は、置いといて。

 

 「どうして君たちが、彼女と一緒に?」

 「襲われた」

 「襲われたって……彼女に?」

 「正確に言やぁ、その手下……だよな? ナナ」

 「手下っちゅうより、操られちょった」

 

 じゃあ、やっぱり暮石と瓶落水は敵対関係?

 でも、彼女は六郎兵衛を恋人だと言った。

 なら、彼女が襲ったのは地華君か?

 

 「し、四進さん。ずいぶんと機嫌が良いみたいだけど、食べ過ぎ(・・・・)なんじゃない?」

 「そうでもないわよぉ♪ だってぇ、ここに来るまでに食べたのを合わせてもぉ、100人程度だものぉ」

 

 今、とんでもないことを言わなかった?

 いや、間違いなく言った。

 100人食べたって言った。

 カニバっちゃったの? 100人も!?

 

 「もぉ、六郎ちゃんの言い方が悪いからぁ、え~っとぉ……あの白い服を着てる人が小吉さんで良いのよねぇ? が、誤解してるじゃなぁい」

 「でも、事実だろう?」

 「そうだけどぉ……。そんな意地悪を言うならぁ、六郎ちゃんのも全部食べちゃうわよぉ?」

 「それはご勘弁を……」

 

 誤解とな?

 と言うことは、字面通り人を食べた訳じゃないのか。

 なら、何を食べた? 

 扱う術の詳細を本人が教えてくれるとは思えないから、できれば六郎兵衛に教えてもらいたいんだけど……相変わらずテーブルに突っ伏してるし、体調も悪くなってるようだから無理か……な?

 いや待て。

 今の彼の状態は、龍見邸でのナナさんと酷似している。そう、まるで体から何かが抜け続けているように、徐々に弱っている。

 人間の体から何が抜けたら弱る?

 血か?

 いや、違う。

 そんな常識的なモノじゃない。

 だとすると魂?

 これも少し違う気がする。

 僕の仮説が正しければ、ナナさんが使う術は殺気のようなモノを相手にぶつけて斬られた、もしくは動けないと錯覚させるモノのはず。 

 要は、違う効果に見えても基本は同じだ。

 ならば、元が同じ一族である彼女が扱う術も、原理は違っても一つの効果しか与えないと仮定できる。

 故に、魂を食う訳じゃない。

 そこまで高尚なモノじゃないはずだ。

 それに、ナナさんが言った「操られちょった」と言う言葉を加味すると……。

 

 「君は、人の感情を食うのか」

 「あらぁ、どうして知ってるのぉ? 六郎ちゃんから聞いたぁ?」

 「いいや、推察しただけだ。ナナさんと地華君を襲わせた人たちも、例えば彼女たちに対する『怒り』以外の感情を食べたんじゃないかい?」

 「大正解ぃ♪ 凄い! 凄いわぁこの人!」

 

 良かった! 合ってたよ!

 ドヤ顔で言った手前、「不正解ぁ~い♪」とか言われてたら窓から飛び降りてたね。

 幸いなことに、ここって三階だから!

 

 「人って単純でぇ、一つの感情を突出させちゃうとぉ、簡単に流されちゃうのよぉ」

 「だから、他を食ってナナさんと地華君に対する悪感情を相対的に突出させたのか」

 「その通り。特に、田舎者ほど扱いやすいわぁ」

 

 なるほどね。

 彼女が言う通り、田舎に住む人は閉鎖的で余所者に警戒心を抱き、時には団結して排除しようとする傾向が強い。

 前世でも、それが原因で事件に発展した例がいくつかあったはずだから、まだ情報インフラが無いに等しいこの時代なら余計にでも余所者に敵意を抱くだろう。

 ん? ちょっと待てよ?

 確か彼女は……。

 

 「地華君、君たちを襲ったのは何人だった?」

 「10人以上はいたなぁ。でも、20人はいなかったぜ?」

 

 なら、残りの80人余りの感情はどこで食った?

 まさかと思いたいけど……。

 

 「君、鎮守府にいる兵の感情を食ったね?」

 「あはぁ♪ バレちゃったぁ♪」

 

 僕に問い詰められた彼女は意外なほどあっさりと、まるでイタズラがバレた子供のように舌を出して白状した。 

 てへぺろ☆ って言葉がピッタリな開き直りっぷりだ。

 それと同時に、窓の外が騒がしくなってきた。

 たぶん、僕自身や僕がやってることに対する不満以外の感情を食われた人たちが、ここを襲おうとしているんだろう。

 だったら……。

 

 「天音君、地華君。お願いできるかい?」

 「かしこまりました。この部屋には、誰一人近づけません」

 「任せとけ。ついでに姉ちゃんがやり過ぎないよう、見張っといてやるよ」

 「沖田君は、呉司令長官に『これはちょっとした余興だ』と伝えて来て」

 「わかりました。じゃあ七郎次。油屋大将のことは任せたぞ」

 

 頼もしい限りだ。

 残して行った台詞は三者三様だけど、僕とナナさんへの信頼が感じられた。

 じゃあ僕も、その信頼に応えないとな。

 

 「君の目的は何だ? 僕の命か?」

 「そんなのいらなぁい」

 「じゃあナナさん……七郎次の命か?」

 「それもいらなぁい。私が欲しいのはぁ、この人だぁ~け♪」

 

 そう言うなり彼女は、さらに体調が悪くなったのか息も絶え絶えになっている六郎兵衛の帽子を取って額にキスをした。

 大変羨ましい。

 じゃないな。

 彼女が帽子を取ったせいで、ナナさんが「あれ? 兄様がおる」と気づいてしまった。

 

 「ねえ小吉。兄様を殺した方がええ?」

 「今は駄目」

 「でも、弱ってない兄様にゃあ、あたし勝てんよ?」

 

 おっと?

 今サラっと、とんでもないことを言わなかった? 

 猛君からは同じ当主候補としか聞いてなかったから、てっきり実力は似たり寄ったりなんだと思ってたよ。

 なら、今殺すのは有りか?

 今の六郎兵衛なら、僕でも殺せそうな気がする。

 いやいや、駄目だ。

 高が僕の命程度を惜しむだけの理由で……。

 

 「歌ちゃんに、人が死ぬところを見せたくない」

 「そう、わかった」

 

 もしかして、ナナさんも同じ気持ちだったのかな?

 だから問答無用で殺さず、僕に判断を委ねたのだろうか。

 だとしたらナナさんは、出会った頃が嘘のように人間らしくなっている。

 それこそ、僕が嬉しくなるくらいに。

 それが六郎兵衛の歪んだ目的を叶える手助けだとしても、ナナさんが人らしくなるのは、僕にとっても嬉しいことなんだ。

 

 「さて、じゃあこの騒動を終わらせようか。瓶落水 四進君」

 「四進で良いわよぉ?」

 「じゃあ四進君。彼に付きまとうのはもうやめろ。彼は、迷惑しているよ」

 「ちょっと何言ってるのかわかんなぁい。私と六郎ちゃんはぁ、相思相愛よぉ?」

 「いいや、それはないし、君もそうは思ってない」

 「あらあらぁ、面白いことを言うのねぇ♪」

 

 彼女は笑顔のまま。

 だけど、声にわずかな動揺が見えた。

 それは僕が言ったことが、的を射ているからだ。

 

 「君は、僕と彼が商売仲間、もしくは親しいと知っていてここに来た。違うかい?」

 「何のことかしらぁ」

 「否定するのは構わない。でも、話は続けさせてもらうよ」

 「どうぞお好きにぃ」

 「じゃあ、遠慮なく。まず第一に、僕が君を六郎兵衛君のストーカーなんじゃないかと疑ったのには、いくつか理由がある。

 一つ。

 彼は今回、僕に何か頼みごとがあって来たらしい。

 瓶落水について云々と言っていたから、まず間違いなく君のことだろう。

 そしていざ頼もうとしたところで彼は術にかかり、「遅かった」と言った。

 この時点で、君を僕が抱える戦力でどうにかしてくれ。もしくは、(かくま)ってくれとなり言おうとしたんだと推察できる。

 二つ。

 彼がそんな頼み事をしようとしたのにもかかわらず、君は彼を恋人だと言った。

 おかしな話だ。

 何故、恋人をどうにかしてくれ、または匿ってくれと僕に頼もうとした?

 そして最後にして最大の理由。

 君の彼へ対する仕打ちだ。

 いくら会えなくて寂しかったからと言っても、衰弱するほど弱らせるなんてやり過ぎ。

 以上を踏まえると、彼に片想いした君が、彼を執拗に追い回していると仮定できるわけさ」

 

 僕が言い終わるなり「どうだ」と言わんばかりにふんぞり返ると、横から「小吉が頭良さそうなことを言うちょる」とか「自分のことには鈍感なのに」なんて失礼な台詞が耳に飛び込んできた。

 でも、四進君はそんな失礼な二人とは違って……。

 

 「だって、仕方がないじゃない。やっと巡り会えたのに。やっと、暮石と瓶落水が一つに戻れるのに、彼は私を見てくれないんだもの!」

 

 口調が変わるほど取り乱している。

 いや、もしかしたら、こっちが本来の四進君なのかもしれない。

 なら、本性を現した彼女に追撃だ。

 

 「今、龍見姉妹が相手をしてくれてる者たちは、彼を連れ去るまでの間、僕たちを足止めするために操ったんだろ?」

 「ええ、そうよ。六郎ちゃんが広島に来てるのはわかってたけど、どこに居るのかまではわからなかった。だから、以前聞いたあなたの所にいるんだろうと踏んで、七郎次に接触したの。そしたら、龍見と一緒にいるじゃない。だから限界近くまで食って、あわよくばみんな殺しちゃおうと思ったのよ」

 

 怖いなこの人!

 片想いの相手を連れ去るためだけに、邪魔になるかどうかもわからない僕たちを皆殺しにしようとしたの?

 ヤンデレまで入ってるんじゃない!?

 

 「小吉。この女をどうにかすりゃあ、丸く収まる?」

 「それは……」

 「無理ね。私が食った感情は、私が戻そうと思わない限り戻らない。自然に他の感情が戻るまで、今ある感情のまま暴れ続けるわ」

 

 わからないと言う前に、四進君が説明してくれた。

 それが本当なら、少々困ったことになる。

 外の騒動は三人に任せておけばどうにかなるだろうけど、この場が収まらない。

 いっそ、六郎兵衛を連れていって良いよ。と、言うか?

 いいや、駄目だ。

 そんなことをすれば、取引を僕の方から反故にしたと彼に取られかねない。

 どうしても、彼を助ける必要があるな。

 

 「ナナさん。四進君に、なんでも良いから術を」

 「術じゃないと……駄目?」

 「駄目なんだけど……嫌なの?」

 「嫌じゃない。嫌じゃないんよ。ただその……あたし、あの女に術を封じられちょるみたいで……」

 

 え? そうだったの?

 あちゃあ、これは予定が狂ったぞ。

 彼女が言っていた「限界近くまで食った」という言葉を信じるなら、彼女が溜め込んでいる感情は、悪感情が元だと思われるナナさんの術をいくつか強制的に食わせればパンクするはずだった。

 なのに、ナナさんは術を封じられている。

 四進君が不思議そうに首を傾げているのが気にはなるけど、だったら違う手を考えないと。

 

 「ナナさん。君の術は、悪感情が元になっていると考えて良いかな?」

 「うん、ええよ」

 「よし。だったら……」

 

 手はある。

 恐らくナナさんは、術を使うのに必要な悪感情を四進君に食われたから使えないんだ。

 だったら、補充してやれば良い。

 そして幸いなことに、僕は女性にこれでもかと嫌われる言葉を知っている。

 普通の人が言えば大抵は好意的に取られる言葉だけど、僕が口にすると真逆になるんだ。

 その言葉とは……。

 

 「ナナさん」

 「何?」

 「僕は、君のことが好きだ」

 

 愛の告白。

 僕はこの台詞を口にする度に、死にたくなるほど相手に嫌われた。

 まあ、非モテのブ男に好きだって言われて喜ぶ女性は希だよね。

 前世で一番酷かったフラれ文句は「ゴキブリに告られた方がまだマシ」だったかな。

 とまあ、そんな僕の告白は、ナナさんの悪感情を充填するのにこの場で最も適切な台詞な訳……で?

 

 「ナ、ナナさん?」

 

 どうしたんだろう。

 ナナさんは、「カーッ」という擬音が聞こえそうなほど顔を真っ赤にして、両手で口許を押さえて後ずさりしている。

 え? 何? その反応。

 と、混乱している僕をよそに、ナナさんはそのままの体勢で倒れて気絶してしまった。



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第四十二話 告白(裏)

 

 

 

 「僕は、君のことが好きだ」

 

 小吉にそう言われた時のあたしの心臓は、頭が意味を理解していくにつれて鼓動を速くした。

 痛みを感じるくらい速かったのを覚えてる。

 身体が燃えてるんじゃないかと思うくらい、体温が上がったのも感じたし、かつてないほど幸せな気持ちになったのも覚えてる。

 それは今も続いてるし、小吉の言葉を頭の中で反芻(はんすう)するだけで、胸の鼓動は激しさを増すわ。

 でも……。

 

 「その後の記憶がない」

 「そりゃあそうでしょう。だってナナ、あの後すぐに気絶しちゃったもの」

 

 なるほど。

 だったら、記憶が無いのも当然ね……って!

 それで済ませちゃ駄目でしょ!

 だって、ある意味戦闘の真っ最中だったのよ?

 なのに、小吉の目の前には瓶落水と兄様がいて、戦えるのはあたししかいなかったのにあたしは間抜けにも気絶してしまった。

 あたしは小吉の護衛なのに、ジュウゾウにも頼まれたのに、あたしは借宿の布団で丸一日寝転けてたってことになる。

 

 「えっと……小吉は無事?」

 「小吉お兄ちゃんは……」

 

 え? 何よ歌、その反応は。

 もしかして、小吉は殺されちゃった?

 あたしが呑気に気絶している間に小吉が殺されちゃったから、そんなに暗い顔をして押し黙っちゃったの?

 

 「二日酔いで死んでる」

 「そん……な。小吉、死んじゃったの? 二日酔いで……って、二日酔い?」

 

 二日酔いってアレでしょ?

 お酒を飲みすぎると、次の日に頭がガンガンするって言う自業自得みたいな症状でしょ?

 猛おじ様が家に来た次の日は、父様が絶対にそうなってたから知ってるわ。

 二日酔いになっても、死なないってこともね。

 

 「なんで、二日酔いになるまで飲んだん?」

 「ナナの反応を見て、こっぴどくフラれたと思ったんだってさ」

 「フラれた?」

 「ナナが小吉お兄ちゃんを袖にしたって意味」

 

 いや、どうしてそうなったの?

 あたしが気絶したから?

 でもそれは、小吉に好きって言ってもらえたのが嬉し過ぎて身体が異常をきたしたからよ。

 だから、けっして小吉のことが嫌いとか、袖にするために気絶した訳じゃあない。

 でも、今ので小吉が無事……無事よね?

 って、ことはわかったから一安心だわ。

 

 「ホッとしているね七郎次」

 「まあね……って! 兄様!?」

 「随分と人間臭い反応をするようになったじゃないか七郎次。兄は嬉しく思うよ」

 「どうして、ここに兄様が?」

 

 もしかして、あたしが動けない間に小吉を殺そうと……してるならあたしが気絶した時点で殺ってるか。

 

 「ホント、いつの間に来たんですか? 六郎兵衛さんって、小吉お兄ちゃんと一緒に死んでましたよね?」

 

 兄様が小吉と一緒に死んでた?

 と、言うことは、小吉と兄様は一緒にお酒を飲んでたってこと?

 だから、青い顔をしているの?

 

 「少し、妹に説教をしておこうと思ってね。だから、もう少し寝ていたいのを我慢して来たんだ」

 「四進さんから逃げて来たんじゃなくてですか?」

 

 あ、図星みたい。

 二日酔いのせいで表情と感情を取り繕う余裕がないのか、わざとらしく歌から目をそらしたわ。

 

 「話を戻そう。七郎次、お前は護衛に失敗した。それは自覚しているか?」

 「う、うん……」

 

 それは、嫌と言うほどわかってる。

 だって、兄様はさっきまで小吉と一緒にいた。

 それはつまり、兄様がその気なら小吉を殺せたということ。

 そして、護衛が失敗したということは……。

 

 「あたしを、殺す?」

 「僕が父様(とおさま)の言いつけを守るなら、そうなるな」

 「守るなら? それって……」

 「お前を殺すつもりはないってことさ。ただし……」

 

 今は。

 っと、兄様は付け加えた。

 でも、どうして殺さないんだろう。

 あたしは護衛に失敗した。

 だから、あたしは無抵抗で兄様に殺されなければならない。

 それが、父様の言いつけ。

 

 「僕はね、七郎次。お前を人にしたいんだ」

 「あたしを、人に?」

 「そうだ。お前は僕の可愛い妹なんだ。そんなお前に、暮石の宿業を負わせたくないんだよ」

 

 嘘だ。

 あたしが可愛い妹?

 大嘘だ。

 兄様は、あたしを子供を産ませる道具ぐらいにしか思っていない。

 それくらいは、昔あたしを犯そうとした男共と同じ目をしてあたしの身体を夜毎触っていたことで察しはついてる。

 あたしを人にしたい?

 もうこれは、死んだ後は閻魔(えんま)様に舌を抜かれるのが確定するほどとんでもない嘘。

 兄様があたしを人にしたいのは、それが暮石の悲願を成就させるのに必要だから。

 つまり兄様は……。

 

 「人になったあたしに、兄様の子供を産ませたいだけじゃろ?」

 「……へぇ、少しは賢くなったじゃないか」

 

 兄様が、見ただけで背筋が凍りそうになる笑みを浮かべてそう言うなり、歌があたしの腹に頭を埋めた。

 きっと、抑えきれずに溢れ出た兄様の殺意を正面から浴びたせいで、気絶しちゃったんでしょう。

 

 「変わらんねぇ、兄様は。そんなに、あたしが好き?」

 「ああ、好きさ。お前が妹じゃなければと何度思ったことか。どうしてお前の兄なんだと、何度自分の生まれを呪ったことか」

 「あたしは嫌い。兄様の声も。兄様の顔を見るのも。兄様に身体を触られるんも全部嫌い。殺したいくらい嫌い」

 

 そう言って拒絶しても、兄様は昔と同じようにニヤケるだけ。

 気持ちの悪い目であたしの身体を舐め回し、蛙のように歪んだ口から伸びる蛇のような舌で、あたしの感情を逆撫でする。

 

 「ああ、ああぁ……。やっぱり、僕がお前の前に出るのはまだ早かったか。瓶落水のイカれ女のせいで半分仕方がなかったとは言え、大失敗したなぁ」

 「兄様は、あの女とコイ人なんじゃろ? じゃったら、あたしじゃのぉてあの女と子供を作りんさいね」

 「酷いなぁ、七郎次は。僕に浮気をしろっていうのかい?」

 「必要ならするじゃろ? 兄様は、鬼の顕現(・・・・)にしか興味がないんじゃけぇ」

 

 それこそが、暮石家の悲願。

 鬼を顕現してどうするのか、どうなるのかは父様ですら知らないらしいけど、あたしたち暮石の人間はそのために悪感情を蓄え、子に恨まれながら術を磨いている。

 ただただ、鬼と呼ばれる訳のわからないモノをこの世に解き放つためだけに。

 

 「また来るよ、七郎次。その時まで、もっと人らしく成っておいてくれ。僕が……いや、僕とお前の子を鬼と化すために」

 

 そう言い終わる前に、兄様の姿は消えていた。

 まったく、せっかく小吉に好きって言ってもらえて幸せな気分だったのに、兄様のせいで最悪な気分になっちゃったわ。

 

 「同じ好きでも、言ってくれる人が違うと全く違うんじゃねぇ」

 

 そう言いながら気絶した歌を代わりに布団に寝かせて、あたしは部屋を出た。

 出たらちょうど、地華と鉢合わせしたわ。

 たぶん、兄様が発した殺気を感じ取って来たんでしょう。

 

 「その様子じゃあ、六郎兵衛は帰ったみてぇだな」

 「うん、帰った。白い方は?」

 「沖田の旦那と一緒に、小吉の大将についてる」

 「地華も、そうすりゃあえかったのに」

 「お前が心配だったんだよ。それとも、余計なお世話だったか?」

 「べつに、そうじゃないけど……」

 「じゃあ、その顔を見られたくなかったか?」

 

 その顔って、どの顔?

 あたしは今、どんな顔をしているの?

 地華に、心底心配しているような目をさせるほど、酷い顔をしてるの?

 

 「お前ってさ、小吉の大将のことが好きか?」

 「好き……だと思う」

 「ずいぶんと自信なさげじゃねぇか。もしかして、誰かを好きになったのが初めてなのか?」

 「うん、たぶん」

 

 あたしにだって、好き嫌いくらいはわかる。

 でも小吉と出会う前は、人に対して好きって感情は抱かなかったし、当てはまるってことすら知らなかった。

 あたしは歌と地華が好きだし、ジュウゾウと白い方もどちらかと言うと好き。

 だけど小吉への好きは、他の四人への好きとは違う。

 どう言えば良いのかわからないけど、小吉への好きは、あたしの身体から溢れそうなほど大きいの。

  あたしの心を満たすくらい、多いの。

 

 「これが、前にジュウゾウが言うちょったコイに落ちるっちゅうやつなんじゃろうか」

 

 あたしは小吉にコイしてる。

 うん、認めよう。

 あたしは小吉が好きで、いつの間にかコイに落ちてたんだ。

 でも、そうなると……。

 

 「あたし、小吉を殺さにゃあいけんくなる」

 「はぁ? 暮石にゃあ、そんなしきたりがあんのか?」

 「しきたりと言えばそうなんじゃけど……」

 

 このままコイがアイに変わって、結婚して子供ができたらそうなる。

 でも、おかしいわ。

 前は、小吉を殺してあたしも死ぬことがとても素敵なことに思えたのに、今はそうじゃない。

 怖い。

 小吉を殺したくない。

 でも、小吉をアイしたい。

 なのに、コイがアイに変わるのが途轍もなく恐ろしい。

 

 「どうしよう……。地華、あたしどうしたらええんじゃろうか」

 「小吉の大将を殺さねぇって、選択肢はねぇのか?」

 「ない……。ないんよ。コイがアイになったら、あたしは小吉を殺さにゃいけん。でも殺しとおない! ねぇ地華、あたしは小吉を好きになっちゃいけんかったん? あたしは、小吉と一緒におっちゃいけんの!?」

 

 地華の胸に思わずしがみついて喚いているあたしを、地華はどうして良いのかわからないって顔をして見ていた。

 あたしだって、どうしたら良いのかわからない。

 感情どころか、身体すら制御できていない気がする。

 

 「と、取りあえず落ち着けよ。な? 今はその……ほら、瓶落水や兄ちゃんと会ったりしたばっかで混乱してんだよ」

 「しちょらん! もうええ、小吉の所に行く!」

 「ちょっ……ちょ、待てよ!」

 

 突き飛ばして駆け出そうとしてるあたしを、地華は止めようとしてる。 

 このままじゃあ、左手を掴まれるわね。

 だったら……。

 

 「動くな!」

 

 と、言いながら仮縫いを……あれ?

 あたし、仮縫いを使ったよね?

 なのにどうして、右手を地華に掴まれてるの?

 どうして、胸の内にあるはずの殺意が減った感覚がないの?

 どうして、溜め込んでるはずの殺意を感じられないの?

 もしかして、まだ術を封じられてる?

 いや、違う。

 今のあたしは、術の使い方そのものがわからなくなってる。

 

 「ナナ、お前……」

 「どうしよう、地華。あたし、術が使えんくなってしもぉた」

 

 それを自覚した途端、ただでさえ療養生活のせいで弱っていた両足から力が抜けて、あたしはその場に尻餅をついてしまった。

 そして耳障りな女の泣き声が自分の声だと気づくまで、あたしは泣き続けた。

  



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第四十三話 返事(表)

 

 

 

 瓶落水 四進(からみ しず)による予想外の襲撃から早三日。

 僕たちは一部を除いて、すっかり平常運転に戻っていた。

 ただ、その一部には僕も含まれている訳で……。

 

 「沖田君。もう一杯」

 「飲みすぎだから駄目です」

 「まあ、そう言わずに」

 「駄目なものは駄目です。工廠のお偉方に、また酒臭いままお会いになるつもりですか?」

 「う……そう言われると……」

 

 グラスを引っ込めるしかない。

 でも、飲まないとやっていられないんだよ。

 あの一件は、ナナさんが気絶したのに四進さんが驚いた拍子に術が解けたっぽい六郎兵衛によって四進さんが気絶させられたことで解決したけど、僕の気持ちの整理が全くつかないんだ。

 まあ、その原因の一つは……。

 

 「まぁまぁ、沖田ちゃんも固いことを言わずにぃ。はい、小吉さん。もう一献(いっこん)

 「あ、頂きます」

 

 今も居座ってる四進君。

 どうもこの人、僕の近くにいれば六郎兵衛に会えると思っているらしく、あの一件以来僕の傍から離れてくれないんだ。

 もっともそのせいで……。

 

 「四進さん。ちょっと、いえ少し……いえいえ、だいぶ、小吉様に馴れ馴れしいんじゃありません?」

 「ええぇ? そぉ?」

 「そうです。小吉様も困っていますから、もっと離れてください」

 

 天音君が殺気立ってる。

 どうやら天音君は、先の一件で四進君を敵だと認識したようだ。

 まあ、それも仕方がないか。

 なんせ天音君は、地華君とともに彼女に操られた80人以上の兵と大立ち回りをする羽目になったんだから。

 

 「もぉ、せっかく私がお酌してあげようと思ったのにぃ……。あ、もしかしてぇ、天音ちゃんたら羨ましいのぉ?」

 「べ、べつに羨ましい訳では……」

 

 ない……。

 と、消え入りそうな声で続けた天音君は、僕をチラリと見てすぐに目をそらした。

 まあ、そりゃそうだ。

 僕みたいな非モテの50年物童貞のお酌をしたいなんて思ってくれる女性は希。

 それこそ、「衣食住の面倒を見てくれるならぁ、お酌くらいはしてあげるぅ♪」と言って実際にそうした四進君くらいだよ。 

 

 「そ、それより! 地華から聞いたのですが、小鬼の術を未だに封じているのは何故ですか?」

 「封じてるぅ? 私がぁ?」

 「あなた以外の誰に、そんなことができると?」

 

 え? ナナさんって、まだ術を封じられてたの?

 僕の告白が気絶するくらい嫌すぎて、あれ以来、僕の前に姿を現さないナナさんがそんな状態だなんて、今の今まで全く気にしてなかったな……。

 

 「最初はともかくぅ、今は七郎ちゃんの術を封じてないわよぉ?」

 「ですが、今も小鬼は術が使えなくなっていると……」

 「それぇ、たぶん私のせいじゃないわぁ」

 

 じゃあ、何が原因だ?

 ナナさんの術は感情を糧にしている。

 それは間違いない。 

 四進君の言葉を信じるなら、原因はナナさん自身に……いや、僕のせいと言えるかもしれない。

 もし、ナナさんが術を使えなくなった原因が僕の考えている通りなら……。

 

 「まるで、百鬼丸だな」

 「ヒャッキマル? 小吉様、それはどなたですか?」

 「簡単に言えば、妖怪に身体のあちこちを奪われた人。かな」

 「それはなんとも、不幸な人ですね。ですが、その人と小鬼にどんな共通点が?」

 「百鬼丸は妖怪を倒す度に身体の一部を取り戻していくんだけど、その代償として身体が欠損していた時の強みを失っていくんだ」

 

 例えば、痛覚を取り戻したことで痛みを恐れるようになったりって感じでね。

 この時代にウィキペディアがあれば、続きはウィキで調べてと言えるんだけどなぁ。

 

 「ですが、小鬼は五体満足ですよ?」

 「身体はね。でも、感情はどうだろうか」

 「感情? ああ、そういう……」

 

 こと。

 ナナさんは感情が稀薄だった。

 まあ、僕の主観だから実際は稀薄と言うほどじゃあないんだろうけど、表に出せるほどの感情は無かった……というより、表に出せるほど強くなかったんじゃないだろうか。

 だけど僕と……僕たちと過ごす内に、人並みに感情が強くなったんじゃないかな。

 それこそ、表情や声に乗せられるほどに。

 その結果、ナナさんは普通の人のように、ことあるごとに感情を発露させるようになってしまって術が使えなくなったんだと思う。

 四進君に術を封じられたのは、その切っ掛けでしかないんだ。

 と、仮説を話したら……。

 

 「なるほどねぇ。それじゃあ、術が使えなくなるのも当然だわぁ。うちもそうだけどぉ、人並みに感情を表に出すのは、術の源である悪感情を溜めるのとは真逆の行為だものぉ」

 「つまり、乗り物に例えるなら、小鬼は燃料切れを起こしていると言うことですか?」

 「そう言うことぉ。それに加えて、感情を表に出すことを覚えちゃったせいで、溜め方が思い出せなくなっちゃってるんだと思うわぁ。例えばぁ、自転車に乗れるようになったら、乗れなかった時の感覚が思い出せなくなる感じよぉ」

 

 と、四進君が僕の仮説の裏付けと補足をしてくれた。

 さすがは元同じ一族。

 最初から僕が話すんじゃなくて、素直に聞いておくべきだったな。

 

 「ねぇ、小吉さん。七郎ちゃんがそんな状態になってるのならぁ、行ってあげた方が良いと思うんだけどぉ?」

 「い、いや、僕が行ったところでどうにも……」

 

 ならないんじゃないかな。

 いやむしろ、僕が行けば今よりナナさんの状態が悪くなるかもしれない。

 

 「告白の返事、まだ聞いてないんでしょぉ?」

 「そうだけど……」

 

 フラれるに決まってるじゃないか。

 それどころか、すでに顔を合わせたくないほど嫌われてるんじゃない?

 だって実際、あれから一度も僕の前に姿を見せてないんだし。

 

 「油屋大将。わたくしも、会いに行かれた方が良いと思います」

 「でも……」

 「あなたが女性にフラれ続けたせいで、女性に対して卑屈になっているのは理解していますし、同情もしています。ですが……」

 

 何さ。

 沖田君が言った通り、僕は女性に対して卑屈になっている。

 それは認めるよ。

 でもさ、僕はそうなっても仕方がないような経験をしてきたし、言われてきたんだ。

 

 「七郎次は、あなたに惚れていますよ。だから恐れずに、向き合ってやってください」

 「そ、そんな訳……」

 

 ないじゃないか。

 だって、もう何度も言ってるけど僕はモテないんだ。

 沖田君が言ったのと同じような台詞を友人に言われて、鵜呑みにして調子に乗った挙げ句、晒し者にされたことだってある。

 まあ、ナナさんはそんなことをしたりはしないだろうけど、どうしても過去のトラウマのせいで信じきれないんだ。

 

 「小吉様。小鬼は私たち姉妹にとって、もっとも恐ろしい敵です。この意味が、おわかりになりますか?」

 「えっと、それは家同士のいざこざ的な……」

 「違います。あなた様の正妻の座を奪い合う上での敵です。正直に申しますと、ここであなた様の背中を押すのは小鬼に塩を送るのと同じ。ですが、卑屈になって酒浸りになっているあなた様を見ていたくはないのです」

 

 だから、行けと?

 行って、ナナさんからハッキリと告白の返事をもらってこいと?

 それは告白が成功したことがない僕にとっては、戦争を終わらせるよりも難しいと思える難題なんだけど……。

 

 「行くしか、ないか」

 

 いや、行かなきゃ駄目だ。

 仮に、フラれると確定していたとしても、僕はナナさんに好きだと言った。

 僕は好きだと言った手前、その答えを聞きたいし、聞く義務がある。

 

 「いや、小難しく考えるのはやめよう」

 

 僕はナナさんの顔が見たい。

 声が聞きたい。

 また小吉と呼んで欲しいし、触れてもらいたい。

 だって僕は、嫌われるのを恐れて酒浸りになるほど、彼女のことが好きなんだから。

 

 「じゃあ、行ってくるよ」

 「はいはぁい。いってらっしゃぁい」

 「この沖田、油屋大将の武運長久をここでお祈りいたします」

 「もし袖にされたら、私と地華が慰めますので安心して行ってきてください」

 「ははは、ありがとう」

 

 最後に不穏な台詞が交じっていたけど、僕はフラフラする両足に鞭打って部屋を出た。

 今世での僕にとって、生まれて初めての告白の返事を聞くために。



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第四十四話 返事 (裏)

 

 

 

 もう、三日も小吉と会っていない。

 あたしは小吉を護衛しなきゃいけないのに、ずっと部屋に閉じ籠ってる。

 歌と地華に心配と迷惑をかけながら、ずっと部屋の角に座り込んでる。

 そんな自分が嫌で仕方がないのに……。

 

 「ねえ、ナナ。気持ちは……事情が特殊過ぎて私には理解しきれてないけど、少しは外に出た方が良いよ? まあ、もう夜だけどさ」

 「嫌じゃ……」

 

 身体は動いてくれない。

 いや、そうする気になれない。

 気持ちが落ち込みすぎて、何もする気が起きないのよ。

 

 「地華さぁん……」

 「オレに振られたって、歌と同じことしか言えねぇよ」

 「でも、このままじゃあナナが……。あ、そうだ。力ずくで連れ出したりとかしちゃ、駄目かな?」

 「できっけど、オレはやめた方が良いと思うぜ?」

 

 本当にやめて。

 力ずくで来られたら、あたしじゃ地華にされるがまま……どころか、下手したら歌にも敵わないから。

 

 「ナナがこうなっちゃったのって、やっぱり術が使えなくなったから?」

 「だろうぜ? 歌にゃあ想像し辛いだろうけど、ナナにとっちゃあ、手足がなくなったのと同じくらいの辛さだろうからな」

 「地華さんも、槍が振れなくなったらこうなるの?」

 「なるなぁ。と言うか、オレの場合は手放しただけでそうなっちまうよ」

 「ああ、そういえば地華さんって、槍がなくなったら性格が激変しちゃうんだっけ」

 

 そう、今のあたしは、槍を手放した地華と同じような状態。

 地華は、槍を精神的な支柱にして今の自分っていう仮面を被ってるの。

 こう言うと身も蓋もないけど、演技してるって言っても良い。

 そして、それはあたしも。

 術が使えなくなるまで知らなかったけど、あたしにとっての術は、使えてた頃のあたしを形作っていた型枠(かたわく)みたいなものだった。

 それが無くなったから、あたしは部屋の角で膝を抱えて自己嫌悪を続けてる。

 二人がそばにいてくれて嬉しいくせに。

 二人が気にかけてくれて幸せなくせに。

 二人が話しかけてくれるだけで安心するくせに、あたしは……。

 

 「もう、ほっちょいてよ。あたしに構ったって、二人に得なんかないじゃろ」

 

 拒絶しようとしてしまう。

 そんな自分が嫌でも、また自己嫌悪が深まる。

 以前のあたしならそんなことはなかった。

 だって自己嫌悪と呼べるまで感情が高まる前に、殺意に変換して溜め込んでたんだもの。

 でも、今のあたしにはそれができない。

 だからどこまでも、あたしの気分は落ち込んでいく。

 

 「得だぁ? オレも歌も、損得でお前の面倒を見てる訳じゃねぇよ」

 「じゃあ何でよ!」

 「何でって……友達だろ? オレたち」

 「地華さんの言う通りよ。友達が落ち込んでるのに、見て見ぬふりができるわけないじゃない」

 「友……達?」

 

 それって一人じゃ生きていけない奴が、慰め合うために家族以外と作る群れでしょ?

 本当かどうかは知らないけど、あたしは兄様にそう教えられた。

 だから、あたしは友達なんて作ったことがない。

 だって、あたしは弱くないもの。

 弱くないあたしには、友達なんて必要ない。

 そんなあたしと、二人は友達なんかじゃない。

 なのに、どうして友達って言われて、こんなに嬉しいの?

 

 「まさかお前、オレらのことを友達って思ってなかったのか?」

 「だ、だって、あたしは弱くないもん。だから、あたしに友達は必要ないって兄様が……」

 「ああ、これってあれだわ。ナナって、お兄さんから片寄った教育をされてるっぽい」

 「そうみてぇだな。ったく。暮石ってなぁ、どうしてこう極端なのかねぇ」

 

 それって、あたしが間違ってるってこと?

 そりゃあ、地華が言う通りうちは極端よ。

 後に禍根を残すくらいなら皆殺しにするし、必要で無い物は最初から欲しがらない。

 小吉と暮らし始めてから初めて知った料理のように、身体が維持できるなら味にこだわらない。

 着なくて済むなら服だっていらない。

 殺せるなら、ジュウゾウみたいに武器にも執着しない。

 そんな考え方が、普通の人からしたら異端だって理解はしてても、間違ってるとは今の今まで考えたことがなかった。

 

 「でもよぉ。お前の友達観でいくと、オレらは友達になるんじゃねぇか?」

 「何で?」

 「だって今のお前、歌より弱ぇじゃねぇか」

 

 弱い?

 あたしが?

 そんなことはない。

 術は使えなくなったけど、それはあくまで段内の術だけで、段外は使える……はず。

 だから、仮に歌に襲われたって難なくねじ伏せられるし、地華一人ならどうとでもなる。

 白い方が加わっても、互角に戦うくらいはできるはずよ。

 そんなあたしが、歌より弱い?

 

 「一応言っとくが、腕っぷしの話じゃねぇからな?」 

 「じゃあ、何?」

 「心だよ。今のお前は、たった一言で心がへし折れちまうくらい弱くなってる。なんなら、やってやろうか?」

 「やってみんさいね。あたしは弱くない」

 

 そう返すと、地華は「やれやれ」と言いながら腰を屈めて、歌に何やら耳打ちをした。

 歌は「そんな事言って大丈夫?」と、言いながら不安そうな顔をあたしに向けたけど、地華に何を吹き込まれたんだろう。

 

 「あの、凄く言いにくいんだけど……。今のナナは嫌い!」

 「あっそう。じゃけぇ……」

 

 どうしたん。

 と、言おうとしたけど言えなかった。

 何? これ。

 歌に嫌いって言われただけなのに、胸を貫かれたような衝撃が全身に走った。

 それだけじゃないわ。

 目頭が熱くなって視界がボヤけ始めたし、無性に叫びたくなってる。

 身体も強張って震えだしたし、顔が歪んでるのがわかるくらい、力が入ってる。

 そんな、冷静に自分の状態を確認してるあたしとは別のあたしが……。

 

 「や、だ……。嫌わんで……。嫌わんでよぉ」

 

 と、言っていた。

 それからはもう滅茶苦茶。

 両腕は目から溢れる水を、何度も何度も勝手に拭い続けてる。

 両足は、身体を壁に押し付けるように縮こまってる。

 そして口は、訳のわからない言葉を吐き続けてる。

 

 「やべ、やり過ぎた」

 「ほ、ほら! だから言ったのに!」

 「いやぁ、さすがにオレも、ここまで弱っちまってるとは思ってなくてよぉ」

 

 弱ってる?

 じゃあ、今のあたしは弱ってるからこうなってるの?

 弱くなってたから歌の一言で悲しくなって、胸に大穴が空いたような喪失感に襲われてるの?

 だから、あたしは……。

 

 「小吉……。小吉ぃ……」

 

 小吉を呼んでるの?

 小吉に慰めてもらいたがってるの?

 だから、外に飛び出したの?

 小吉に助けてほしいから、小吉の名前を呼びながら気配がする方へ歩いてるの?

 

 「あ、小吉……」

 

 気づいたら、あたしは外にいた。

 毎朝ジュウゾウと白い方がチャンバラをやってる、借宿の玄関先で月を眺めていた小吉の後ろに立っていた。

 

 「はぁ……。やっぱり僕は、意気地無しだなぁ」

 

 あたしに気づいていないっぽい小吉が、月を見上げたまま呟いた。

 小吉が意気地無し?

 そんなことはないわ。

 だって小吉は龍見姉妹をビビらせて従えちゃうほど度胸があるし、歌にせがまれてデレデレしつつも、駄目なことは駄目だって言う。

 誰かを助けるためなら、平気で自分を犠牲にするほど優しくて勇敢よ。

 そんな小吉が意気地無しだなんて……。

 

 「沖田君と天音君。四進君にまで背中を押してもらったのに、どうしても行けないよぉ……」

 

 あ、頭を抱えてうずくまっちゃった。

 でも、こんな夜中にいつもの真っ白な服を着て、小吉はどこへ行こうとしてたんだろう。

 

 「ナナさんは、何て答えてくれるんだろうか。フラれるだろうなぁ……。だって僕、モテないし……」

 

 はて?

 あたしの答え?

 何の答え?

 それと小吉がモテないのが、何の関係があるんだろう。

 

 「いや、いっそ開き直って、ゴリ押ししてみるのはどうだろうか。うん、行けそうな気がする。龍見姉妹も、何だかんだでゴリ押しで行けたし」

 

 どこに行くの?

 これからあたしを、どこかへ連れて行ってくれるのかしら。

 

 「いやぁ、でもなぁ。いくらナナさんでも、いきなり結婚してって言っても……」

 「え? ()だ」

 「って言うだろうし……ってぇ! ナナさん!? いつからそこに!?」

 

 あ、思わず声を出しちゃった。

 でも、どうしてあたしは、嫌と言ったんだろう。

 小吉のことは好きだし、結婚して子供を作りたいと思ってるのに、あたしの口は嫌だと言っていた。

 殺さなきゃいけなくなるから?

 それとも、もっと別の理由?

 

 「……泣いてたの?」

 「え? あ、ああ……。そう言えば……」

 

 歌に嫌われたのが悲しくて、それが原因で目から水が……涙が止まらなくなったから、部屋から逃げ出したんだった。

 

 「何か、悲しいことがあったのかい?」

 「うん……」

 

 あたしは、玄関の段差に腰かけて石畳をポンポンと叩く小吉の横に腰を下ろして、部屋でのいきさつを話した。

 その間、順序だてて話すことができないあたしの下手くそな話を、小吉は辛抱強く聞いてくれた。

 ずっと、いつもの優しい目であたしを見ててくれた。

 そして……。

 

 「歌ちゃんは、本心から言ったんじゃないと思うよ?」

 「でも、嫌いって……」

 「今の……って、枕詞(まくらことば)つきでしょ?」

 「そうじゃけど……」

 

 嫌いと言われたのは変わらない。

 だから、今もこんなに悲しい。

 小吉のそばにいるのに、心が休まらない。

 

 「歌ちゃん……この場合は地華君かな。の、言いたいこともわかるけど、僕は今のナナさんで良いと思うよ」

 「ええの? 小吉は、嫌いにならんの?」

 「うん。僕は、人らしくなりかけてるナナさんを、とても良いと思ってる」

 「このままでええの? 本当に?」

 「うん。本当だよ」

 

 満月の明かりに照らされながらそう言った小吉を見ていたら、それまで感じていた悲しみや不安が霧散した。

 救われたような気がした。

 小吉を、無性に崇めたくもなった。

 そして……。

 

 「ねえ、ナナさん。月が、綺麗だね」

 

 ただ小吉を見つめることしかできなかったあたしに、小吉はまるで慰めるようにそう言ってくれたわ。

 

   



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第四十五話 誕生日(表)

 

 

 今日はナナさんの誕生日。

 あれ以来、東京に戻ってもまだ僕の前に姿を現さない(ただし地華君曰く、物陰から見ているらしい)ナナさんのために、七夕の準備と偽ってパーティーの準備は進めて来た。

 あと残っているのは……。

 

 「プレゼントだけなんだけど……」

 

 これが決まらない。

 一応、ナナさんに告白するより前に「これとか良んじゃね?」ってノリで用意はしてたんだけど、フラれちゃったから渡すのが忍びなくなっちゃってさ。

 だから代わりの物をどうしようかと……。

 

 『知るか。指輪でもやっとけ』

 

 猛君に電話で相談したんだけど、用意していた物以上に贈りにくい物を提案しやがった。

 この時代にはまだ、エンゲージリングを贈る習慣はないと言っても、意味を知ってる僕からすれば難易度の高い贈り物だ。

 だってフラれたんだよ?

 独り言を言ってる最中に聞かれた結果とは言え、ハッキリと嫌だって言われたんだ。

 まあその後に、話題を変えるために口走っちゃった台詞でもう一度告白した形になっちゃったんだけどね。

 

 『月が綺麗ですね。なんて、俺でも使ったことがないぞ』

 「言わないでよ。後悔してるんだから」

 『気にするな。ナナは絶対に気づいてないぞ? アイツが夏目漱石の逸話なんぞ知ってると思うか?』

 「思わないけど……」

 

 言った身としては、どうしても気にしちゃうんだよ。

 そりゃあ言った僕ですら「あれ? 今のって告白じゃね?」と、後から気づいたくらいだけどさ。

 

 『指輪が嫌なら、花でも贈ったらどうだ?』

 「それは歌ちゃんが用意してる」

 

 故に、被るから却下。

 ちなみに歌ちゃんは、あれ以来布団に潜り込んで来なくなったナナさんの代わりに毎晩僕の布団に潜り込んでる。

 いやぁ、これがさ。

 ナナさん以上にヤバイの。

 だって歌ちゃんって、寝てる時に右手の親指をチュウチュウする(しゃぶるって言ったら何か卑猥だからね)癖があるんだ。

 それに気づいた時に、好奇心から僕の人差し指と代えてみたら、まあ美味しそうにチュウチュウしてくれてさ。

 一瞬で理性が蒸発して夜中なのに庭先で遠吠えを上げちゃったよ……は、僕の頭の中の黒歴史ノートに記しとくとして。

 

 『お前は俺の妹に何をしてるんだ! 歌はまだ子供だぞ!』

 「あれ? 声に出してた?」

 『ああ、俺でもキモいと思うくらいデレデレになった声でな!』

 「そりゃあごめん。で、相談の続きだけど……」

 『この流れで話を戻すな!』

 「まあ良いじゃない。間違いは犯してないんだから」

 

 いやまあ、十分すぎるほどの過ちではあるんだけどね。

 それこそ、通報でもされたら言い訳できないレベルの。

 

 「ちなみに、沖田君は使い捨てにしても惜しくないレベルの刃物を大量に贈るらしい。龍見姉妹は、着物を贈るって言ってたかな」

 『沖田のはまあ、ナナの性格を考えれば妥当か。だが着物なんぞ貰って、ナナは着れるのか?』

 「着方くらいは教えるんじゃない?」

 

 覚えるかどうかは疑問だけど。

 

 『一応聞いておくが、お前が用意していた物は何なんだ』

 「ロケットペンダント」

 『飛ぶのか?』

 「飛ばないよ! なんで、この時代で通じにくいボケをするのさ!」

 『なんだかんだと言われたら』

 「答えてあげるが世の情け。って、やかましいわ!」

 

 ちなみにロケットペンダントとは、チャームが開閉式になっていて、中に写真や薬などを入れられるようになっているペンダントのことだ。

 呉にいた間にたまたま見つけた銀製のロケットペンダントに、みんなで撮った記念写真の僕とナナさんの部分だけを切り取って加工してはめた物を用意した。

 と、話の流れで説明したら……。

 

 『キモいな。いや、ハッキリ言ってやる。気持ち悪い。恋人でもないのに、自分とのツーショットをはめたロケットペンダントを贈ろうとする思考回路だからお前はモテないんだ。恐怖すら感じたぞ』

 

 と、バッサリ斬り捨てられました。

 ええ、キモいですが何か?

 僕だって、変に浮かれた気分だったのはナナさんにフラれるまでだったよ。

 まあ、フラれたことで正気に戻って、そのペンダントは書斎の机の引き出しの中に封印したけどね。

 

 『キモいついでだ。身体にリボンを巻いて「僕がプレゼントだ!」と、言ってみたらどうだ?』

 「それ、下手したら殺されるよね?」

 『2~3回殺されろ。お前は一度死んでるんだから、別に大したことじゃあないだろう?』

 「大したことあるよ!」

 

 もう一度生まれ変われる保証もないのに何言ってんだ。

 そもそも君は、他に思惑があったとは言え僕に死んでほしくなくてナナさんを紹介したんだろう?

 なのに、殺されろとはどういうことさ!

 

 『冗談だからわめくな。それより、プレゼントならそのペンダントをやれ。たぶん、喜ぶ』

 「いや、さっきキモいって言ったじゃないか。それに僕は……」

 『フラれた。か? それなら安心しろ。お前の聞き間違えだ』

 「でも、確かに……」

 『聞き間違えだ。良いから、俺の言う通りにしてみろ』

 

 そう言い残した猛君に電話を切られた僕は、仕方なく書斎に戻って封印していたペンダントを眺めることにした。

 良い出来なんだけどなぁ。

 全部銀製で、ペンダントトップは縦5cm、横3cmの長方形。

 表面に十字架の意匠が彫ってあって、縁にも細かい模様が一周グルリと彫ってある。

 パッと見だと、銀色をした聖書って感じか。

 

 「その中に、写真が入ってるの?」

 「うん、こんな感じで……って! 歌ちゃん!? いつからそこに!?」

 「ついさっき。ノックしても返事がないから入っちゃったけど、駄目だった?」

 「ぜんっぜんオーケー」

 

 ただし、自家発電中じゃない時なら。

 もし見られちゃったら、僕の人生は色んな意味で終わっちゃうからね。

 

 「よい……しょっと。ねえ、小吉お兄ちゃん」

 「なんだい?」

 

 ふぅおぉぉぉ!

 ふぅおぉぉぉぉぉぉぉぉ!

 僕の膝に少女が!

 数え年だと12歳だけど満年齢だと11歳のツインテ美少女が僕の膝に乗ってるぅぅぅ!

 と、慌てふためくと思ったかい?

 でも残念でしたぁぁぁ!

 僕は既に、平成のアイドルもビックリなレベルの美人であるナナさんの全裸添い寝を経験済みだし、歌ちゃんとも同衾(どうきん)(健全)も経験済みだ。

 つまり、高が膝に乗られたくらいで僕の平常心は……。

 

 「あれ? なんか、体が持ち上がった?」

 「き、気のせいじゃないかな?」

 「そっか。気のせいか」

 

 保てませんでしたぁぁぁ!

 特に僕の26cm砲が!

 でも、さすがは僕の主砲。

 数十キロはある歌ちゃんを持ち上げるなんて、我ながら凄いチン力だと思うよ。

 

 「これを、ナナにあげるの?」

 「う、うん、そのつもりだったんだけど……」

 「あげないの?」

 「だってその、付き合ってもない男からこんなのを貰ったら気持ち悪いでしょ?」

 「そんなことないよ! ナナ、絶対に喜ぶと思う!」

 「でも……」

 

 僕の独り言に咄嗟に答えてしまったんだろうけど、ナナさんは嫌だと言った。

 その時のことを歌ちゃんに話したら……。

 

 「それ、結婚が嫌なんじゃなくて別のことが嫌だったんだと思うよ?」

 「別のこと?」

 「そう、別のこと。だってナナ、小吉お兄ちゃんを愛したら殺さなきゃいけなくなるって言ってたもん。だからきっと、それが嫌だから嫌って言ったのよ」

 「僕を愛したら、ナナさんが僕を殺す?」

 

 どうしてだ?

 もしかして、暮石家にはそういうしきたりがあるのだろうか。

 もし、そんなしきたりがあるんだとしたら……。

 

 「なんとも、素敵なしきたりだな」

 「殺されるのが?」

 「うん。好意的に取りすぎなのかもしれないけど、僕は「殺してでも他の奴には渡さない」って決意を感じたんだ」

 

 まあ、言った通り好意的に受け取りすぎなんだろうけどね。

 でも、ナナさんになら殺されても良いと、僕は本気で思っているようだ。

 だってもう、右手に握りしめたペンダントを渡す気になっている。

 これを渡して喜んでもらって、殺したいほど愛してほしいと思ってしまったんだ。

 そんな僕を、歌ちゃんは寂しそうな目で見上げながら、「こりゃあ、勝てないな」と、意味のわからないことを言っていたよ。



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第四十六話 誕生日(裏)

 

 

 

 今日は七夕。

 年に一度、彦星と織姫が会うことができる日。

 祭りや行事に興味がないはずなのに、うちは何故か、七夕だけは祝うの。

 なんでも、暮石家ができる前からのしきたりらしいわ。

 

 「似合ってんじゃねぇかナナ。その浴衣、気に入ったか?」

 「うん。着るのは面倒くさいけど、気に入った」

 

 小吉が猛おじ様と電話している隙を見計らったように、あたしはこの浴衣を地華に着せられた。

 寝巻きとして着てる浴衣とは違って、白い生地に桔梗の花が描かれている浴衣を。

 

 「冬用もあるから、寒くなったらそっちを着ろよ。オレと姉ちゃんからの誕生日のプレゼントだ」

 「タンジョウビ? 何それ」

 「生まれた日って意味だよ。今日が、お前の誕生日らしいぜ?」

 

 へぇ、あたしって、17年前の今日生まれたんだ。

 全く知らなかったし、興味もなかったな。

 

 「髪も結ったほうが良いかしらぁ。なんなら、やってあげようかぁ」

 「地華にやってもらうけぇ、ええ」

 「そんないけずを言わないでよぉ。私ぃ、将来はあなたのお姉さんになるのよぉ」

 「ならんでええ。っちゅうか、なんでアンタが小吉の家におるん?」

 

 あたしらを襲ったクセに、広島からずっとついて来て堂々と居座ってるよね?

 まあ、小吉が許可したんだろうけど、いつでもあたしを無力化できるアンタがいると気が休まらないじゃない。

 

 「ねぇ、地華ちゃんからも何とか言ってよぉ。私ぃ、七郎ちゃんと仲良くしたいのぉ」

 「だってよ、ナナ」

 「嫌じゃ」

 「もう! あんまりお姉ちゃんに意地悪するとぉ、動けなくしちゃうぞ♪」

 「したら殺す」

 

 なぁにが「動けなくしちゃうぞ♪」よ。

 アンタはする方だから知らないんでしょうけど、アレって物凄くしんどいのよ?

 それこそ、世の大半の苦痛を我慢できる暮石の人間が動けなくなるくらいね。

 だから、軽々しく動けなくするとか言うな。

 

 「よし、できた。小吉の大将、きっとビックリするぜ?」

 「ほ、本当?」

 「本当さ。下手したら、見た途端に失神しちまうかもなぁ」

 「小吉さんならありそうねぇ。あの人ぉ、七郎ちゃんにゾッコンだからぁ」

 「ゾッコンって何?」

 「本気で惚れてるって意味よぉ。嬉しい?」

 「そりゃあ……」

 

 本当なら嬉しい。

 跳び跳ねたいくらい嬉しいし、今すぐ小吉に会いたいとも思う。

 でも、踏ん切りがつかない。

 毎日物陰から小吉を見てるクセに、どうしても顔を合わせることが出来ないの。

 

 「うちでは七夕は特別な行事なんだけどぉ、暮石は違うのぉ?」

 「特別かどうかは知らんけど、笹に短冊を吊るすくらいはする」

 「もしかしてぇ、『再び相まみえん』って書くんじゃない?」

 「うん。瓶落水も同じなんじゃね」

 

 普通は願い事を書くらしいんだけど、うちは必ず『再び相まみえん』って書く。

 それが、誰と誰が会えるように願って生まれた風習なのかは知らないし興味もなかったなないけど、うちと瓶落水は同じ一族だった頃から続けているそうよ。

 

 「小吉さんに会ってみたらぁ、少しはご先祖様の気持ちがわかるかもよぉ?」

 「そんなのに……」

 

 興味はない。

 知りたくもない。

 でも、言い訳にはなるかもしれない。

 小吉と会うのが何故か恥ずかしくて、不安で、怖いと思ってあたし自身に、ご先祖様の気持ちを知るために会うんだって、言い訳に。

 そんな事を考えてたら……。

 

 「どうしてこうなった?」

 

 と、言ってしまうくらいアッサリと、小吉と二人きりになっていた。

 え? ちょっ……待って?

 時間が飛んだんじゃ? って思っちゃうくらい、一気に時間も場所も変わったんだけど?

 いや、記憶はあるのよ?

 地華に着付けてもらって、「夕飯が出来ましたよ」と、呼びに来た松に連れられて居間に行ったら、真ん中に真っ白で大きな初めて見た洋菓子が載ってる卓袱台(ちゃぶだい)の周りにみんなが座ってて、あたしは何故か緊張していた小吉の隣に座らされた。

 そして「誕生日、おめでとう」とみんなに祝われて食事をして、歌から花束と、ジュウゾウからは短刀より少し短い、柄の先に指を通せる輪っかがついた匕首(あいくち)100本。

 チャーなんとかからは、『でにむ生地で作ってみたじゃけっと』とか言う上着を貰ったわ。

 でも、そこから先が少し曖昧。

 白い洋菓子……けーきって名前だったかな? を食べて、庭に飾った笹に短冊を吊るそうって流れになったのは覚えてる。

 でも、気づいたらあたしと小吉以外、誰もいなかった。気配もまるで感じない。

 あたしと小吉の二人だけが、縁側に腰かけて笹を見てるわ。

 

 「ホント、どうしてこうなったんだろうね」

 

 おっと、独り言が小吉に聞かれちゃったみたい。

 ため息交じりで、若干呆れてるような気配から察するに、予想はしてたけど本当にやるとは思ってなかったって感じかしら。

 

 「ナナさんは、短冊に何て書いたの?」

 「えっと……。再び相まみえんって書いた」

 「誰か、会いたい人がいるの?」

 「さあ? うちは昔から、短冊にそう書いてたんだって」

 「へぇ、不思議だけど、素敵な慣わしじゃない」

 

 そう?

 あたしは昔から、面倒くさいとか訳がわからないことをさせるわね。

 くらいにしか、思ったことがない。

 小吉のように、素敵だなんて感想は抱いたことがないわ。

 あ、でも、この流れなら……。

 

 「小吉は、何て書いたん?」

 「僕? 僕は……」

 

 普通に話しかけられると思ってそうしたら、実際上手くいった。

 少し声が上擦ったような気がしたけど、小吉は気にしてないようね。

 

 「ナナさんが、僕からのプレゼントを受け取ってくれますように……かな」

 「プレゼント?」

 「そう、これ。散々悩んだけど、やっぱり渡すことにしたよ」

 

 怯えた目をあたしに向けた小吉がくれたのは、手の平に収まる大きさの箱。

 「開けてみて」と、言われたから従って開けてみたら、中には銀色の鎖に同じ色の……箱? それとも本? に見える飾りが繋がれていた。

 これが、小吉からあたしへのプレゼント……か。

 あ、これ、開くようになってる。

 中はどうなって……。

 

 「あたしと、小吉の写真……」

 「うん。一枚多めに現像してもらって、みんなには悪いと思ったけどそこだけ切り取って入れたんだ」

 

 その写真なら、あたしも貰った。

 あたしにしては珍しく、ジュウゾウが用意してくれた写真立てにいれてトランクに入れてるわ。

 だから、小吉と出会う前のあたしだったら「もう持っちょるけぇいらん」とか言ってたと思う。

 でも、今は違う。

 この部分だけ見比べれば同じ写真だけど、あたしと小吉しか写っていないこれは違う写真に見える。

 うん、素直に嬉しい。

 これを見ているだけで幸せな気持ちになるし、身体が熱くなる。

 小吉のこと以外、考えたくなくなってしまう。

 

 「これ、本当に貰ってええの?」

 「う、うん。中の写真、僕とのツーショットで嫌じゃない? 嫌だったら、写真だけ変えても良いよ?」

 「嫌じゃない! あたし、これがええ!」

 「そ、そう? だったら……よかった」

 

 咄嗟に出た自分の声の大きさに驚いたけど、あたしがそう言ったら小吉は照れ臭そうに微笑んでくれた。

 それが、プレゼントを貰ったことよりも嬉しかったんだけど、あたしは小吉と同じくらい。

 いえ、もしかしたら小吉以上に照れてしまって、その日はそれっきり小吉と話すことができなかった。

 でも、あたしも小吉も、ふいに訪れた静寂が嫌だとは感じなかった。

 むしろ、それが幸せだった。

 だってその時、言葉は交わさなくてもあたしたちは繋がっていた。

 同じ気持ちだったと、あたしにはわかったから。

 



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第四十七話 京都(表)

 

 

 

 京の五条の橋の上。

 で、始まる童謡をご存じだろうか。

 この歌は明治44年の5月に尋常小学校の1年生用の音楽の教科書に載せられたもので、作詞者、作曲者は知られていないらしい。

 続きを聴けば、聴いたことがなくても何の歌なのか日本人なら一発でわかる……はずだ。

 

 「修行僧の格好をしていたら、正に武蔵坊弁慶と言った御仁ですね」

 

 とは、五条大橋のど真ん中で仁王立ちしている襲撃者を見て冷や汗を流しつつも、懐から拳銃を抜いて構えた沖田君の感想だ。

 まあ、そう思うのも仕方がないかもしれない。

 彼の出で立ちは見た目だけなら陸軍兵そのものだけど、筋骨隆々と言う言葉に軍服を着せたような異様を放っている。

 その背中には銃剣付きの三八式小銃と日本刀を交錯させて背負い、左腰には拳銃、右脇腹には弾薬倉。

 さらに左肩から右腰にかけて、手榴弾が取り付けられたベルト。

 七つ道具を背負った弁慶もかくや、と言いたくなる装備だ。

 でも、もしあれで頭に懐中電灯でもくくりつけていたら、弁慶よりも津山三十人殺しの犯人の方が思い浮かびそうだな。

 

 「こんな夜中にあのような格好で……。見る人によっては、幽霊に見えるでしょうね」

 「安心せぇ白いの。ありゃあ生きた人間じゃ」

 

 確かに、月と星の灯りしかない橋の上に、ボロボロの陸軍服を着て小銃を担いだ人が立っている場面を写真やテレビで見たなら、僕でもそう思ったかもしれない。

 でも、彼を実際に見たら、間違っても幽霊とは思わないだろう。

 だって存在感が有りすぎる。

 有りすぎて、風景が目に映っているのに彼しか見えないほどだ。

 

 「歌は実家に帰ってて正解だったなぁ。あんな化け物、子供に見せて良いもんじゃねぇよ」

 「あらぁ、歌ちゃんが帰省して寂しがってたのはぁ、どこの誰だったかしらぁ」

 「オレじゃねぇよ! 寂しがってたのはナナだ!」

 「あたし? もちろん寂しいよ? 地華は寂しくないん?」

 「いや、オレも寂しいけど……」

 

 なのに、僕と沖田君以外の四人に緊張感がまるでない。

 まあ四人は四人ともが、普通の人からすれば襲撃者並みかそれ以上の人外だから、彼を見ても怖いと思わないんだろう。

 ちなみに、僕は彼の眼光に晒されているだけでチビりそうです。

 

 「はぁ……。完全に油断してたなぁ」

 

 四進君の一件以来、目立ったトラブルが……あったと言えばあったか。

 海水浴ではナナさんに開いちゃいけない扉をこじ開けられたし、花火の時は「僕なんかにそんな資格があるのか?」と、考えさせられた。

 猛君まで巻き込んだ地華君の計略でナナさんと洋館で一泊した時は……ツッコミしかしてなかった気がする。

 それでも、僕の命が危険に晒されるトラブルはなかった。

 それが却って良くなかったな。

 今のこの状況だって、舞鶴鎮守府で朝鮮戦争に向けた準備の最終確認と、細かい打ち合わせをするために赴いた帰りに「せっかくここまで来たんだから、京都を観光して帰ろうぜ」と、言いだした地華君に賛同して京都に来た結果と言って良い。

 

 「そんじゃあ、邪魔者には退場してもらうとすっか」

 「地華に賛成。とっととぶっ殺して、旅館に戻って風呂に入りたい」

 「殺すだなんて、小鬼は相変わらず物騒ですね。でも、今は賛同します」

 「このメンツに喧嘩を売るなんてぇ、控え目に言ってお馬鹿よねぇ」

 

 と、言いながら、四人は戦闘態勢に移行。

 次の瞬間には、龍見姉妹が一番槍は渡さないとばかりに突撃してた。

 そんな彼女たちの背中を見守るしかできない僕はと言うと、彼のことを知っているが故(・・・・・・・・・・・)に感じる嫌な予感に怯えていた。

 そして同時に、彼が僕の前に現れる前の出来事が、走馬灯のように僕の頭を巡り始めた。

 

 



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第四十八話 京都(裏)

 

 

 

 小吉が京都のマイ……マイ……マイチンだったっけ?

に、行くと言い出したのが先週。

 歌が実家の都合で帰省したのが昨日。

 そして今日、あたしたちはマイチンに向けて出発した……はずなんだけど、京都ってこんなに近かいんだっけ? って、言いたくなるほどの短時間で着いた。

 

 「なあ、小吉の大将。ここって横田じゃねぇの?」

 「そうだよ? ここは横田基地」

 「あのぉ、小吉様。無いと信じたいのですが、まさかあの……」

 「そう。あそこでプロペラを回してる輸送機で行くの」

 「あらぁ、飛行機に乗るのぉ。私ぃ、飛行機に乗るの初めてぇ♪」

 

 白い方は質問の答えが返ってくるなり、顔が髪の毛に負けないくらい真っ白になった。

 その隣でジュウゾウがふんぞり返り、右手の親指を立てて「ちなみにあれは、我が海軍が戦争中に使用した主力輸送機である零式輸送機だ。だが、原型は米国の旅客機、ダグラス DC-3だったりする。海軍による記号はL2D。

 DC-3の国産化機であることが知られていたため、海軍の搭乗員からもダグラス機と呼ばれる場合があった」と、長々と語ったけど誰も聞いちゃあいない。

 もちろん、あたしもね。

 

 「うんちくはええけぇ、白い方を押し込みんさいね。ああいうのはジュウゾウの役目じゃろうが」

 「刀を抜いて「乗りたくありません! きっと落ちます!」と、威嚇している天音殿をか?」

 「他に誰を押し込むんね。地華と瓶落水はウキウキしながらもう乗っちょるし、小吉も階段の前で白い方を待っちょる」

 「そう言うお前はどうなんだ? 乗らないのか?」

 「あたしは……」

 

 後で良い。

 と言うか、正直に言うと、たぶん白い方と同じ理由で乗りたくない。

 だって飛行機って言うくらいだから飛ぶんでしょ?

 空を。

 昔、戦争中に何度か見たことがあるけど、飛行機って凄く高いところ飛ぶでしょ?

 落ちたら絶対に死んじゃうくらい高いところを!

 

 「七郎次。まさか、お前もか」

 「な、な、な、な、何が? あ、あたしは別に、高いところが怖いわけじゃない」

 「怖いんだな? 声が震えているぞ」

 「怖ぁない!」

 

 あたしはただ、あんな鉄の鳥に命を預けなきゃいけないのが怖いのであって、高いところが怖いんじゃないわ。

 それはたぶん、白い方も同じ。

 だから珍しく……。

 

 「小鬼。折り入って相談なのですが、私たちだけ電車か車で行きませんか? いえ、私はけっして、飛行機に乗るのが怖い訳じゃないんですよ?」

 「アンタにしちゃあええ考えじゃね。付き合っちゃげる。あ、一応言うちょくけど、あたしも全然怖ぁないんよ? アンタが寂しがっちゃあいけんけぇ、一緒に行っちゃげるだけじゃけぇ勘違いせんでよね」

 

 お互いに言い方が気にくわないものの、あたしと白い方はうなずき合って飛行機に背を向けた……んだけど。

 

 「ナナさん、天音君。早く乗ってくれないと出発できないよ」

 「で、でも小吉様……」

 「撃墜されない限り墜ちないから、安心して良い」

 

 いや、小吉は満面の笑みで言ったけど、それって撃墜されたら墜ちるってことよね?

 だったら、やっぱり電車か車にしましょう。

 飛行機の方が早く着くから小吉は飛行機で行くのを選んだんでしょうけど、今回は白い方に味方して……。

 

 「ナナさん。僕と一緒に、空の旅を満喫しないかい?」

 「……うん。する」

 「ちょっ……! 小鬼!? 何故速攻で裏切ったのですか!?」

 「だって、小吉に誘われたんじゃもん。小吉に誘われたらあたしは断れん」

 

 七夕……いえ、あたしの誕生日以来、あたしと小吉の関係は微妙と言う他ない。

 今みたいに、小吉の言うことは何がなんでも聞くし、お互いに好き合ってるのは確かなんだけど、あたしも小吉もどうして良いかわからないから、そこから先に進めないでいるの。

 いや、それもあるけど、あたしに起きた変化が最大の原因と言えるかもしれない。

 あれ以来、あたしは小吉の布団に潜り込めなくなった。

 したくなくなったんじゃなくて、出来なくなったの。

 小吉の匂いや体温を堪能したいのに、あたしは小吉に近づくだけで動悸が激しくなって呼吸すら困難になるようになった。

 もし今のあたしが、以前のように全裸で小吉の布団に潜り込んだらきっと死んじゃうでしょうよ。

 それに加えて……。 

 

 「落ちませんよね? 絶対に落ちませんよね!?」

 「大丈夫だから。ほら、こうすれば怖さが紛れるかい?」

 「……いえ、手を握られただけではどうも足りないようですので、しがみついてよろしいですか?」

 「え? あ、うん。良い……かな? ナナさん」

 「何であたしに聞くん。小吉の好きにしんさいね」

 

 些細なことで嫉妬するようになった。

 しがみつかれてるのだって、白い方が怖い怖いと言って暴れるのを防ぐためには必要なことなのに、あたしはそれが気に食わない。

 自分でもわかるくらいハッキリと膨れっ面を晒して、二人から顔を背けたもの。

 前のあたしからは考えられない行動よ。

 

 「まあ、ちょっとの間、我満してやってくれよナナ」

 「ちょっとの間って、どれくらい?」

 「え~っと、沖田の旦那。どれくらいだ?」

 「2~3時間と言ったところか?」

 

 長い。

 そんなに長い時間、小吉を白い方に独占されなきゃいけないの?

 軽く拷問なんだけど?

 と、思いながら横目で白い方の後頭部を睨んでいたら……。

 

 「ところで七郎次。油屋大将とは、どこまで行ったんだ?」

 「一番遠いとこじゃと広島」

 「そういうボケはいらん。どれくらい関係が進んだのかって意味だ」

 

 などと、ジュウゾウが小声で聞いてきた。

 どれくらいも何も、そういう意味でならむしろ後退してるわ。 

 だって同衾はもちろん、匂いがわかるくらい近くにいるだけであたしの脳ミソは沸騰しかけるんだもの。

 

 「四進姐さんに襲われた日くらいから、同衾もしてねぇよな」

 「そうなのか?」

 「ああ。その代わりかどうか知んねぇけど、オレの隣で寝てるぞ?」

  「だって、一人で寝るのが落ち着かんくて……」

 

 仕方なく、本当に仕方なく地華の隣で寝てるの。

 地華の身体は柔らかすぎて抱き心地が少し悪いけど、それでも我慢して隣で寝てるわ。

 

 「うちの人間もそうだけどぉ、やっぱり暮石もそうなのねぇ」

 「そう? 四進殿、それはどういう意味ですか?」

 「照れ屋と言うか初心(うぶ)と言うかぁ、普段は大半のモノに興味がない癖にぃ、物でも人でも一度好きになると執着しちゃうのねぇ? でぇ、人の場合はたちが悪くってぇ、どう接して良いかわからないから極端な行動に出ちゃうのよぉ」

 「四進殿が、六郎兵衛を連れ去ろうとしたみたいにですか?」

 「そぉそぉ。七郎ちゃんの場合はぁ、前までが嘘みたいな距離の取り方ねぇ」

 

 言われてみれば確かに。 

 あたしと小吉の物理的な距離は、以前と比べたら遠い。

 それはあたしが、知らず知らずの内に距離を取ってたからか。

 

 「じゃあ、いずれ七郎次も四進殿のように……」

 「独占欲が高まりすぎるとぉ、小吉さんを(さら)って監禁なりしちゃうかもねぇ」

 

 いや、さすがにそれは……。

 ないと言い切れないのが辛いわね。

 今まで考えもしなかったけど、小吉を人目のつかない場所に監禁して、食事から下の世話までしてあげるのは悪くない。

 いえむしろ、至高にして究極の状況に思えるわ。

 でも、思ってるだけだから……。

 

 「おい、ナナ。さすがにやるなよ?」

 「や、やらんいね。そんな素敵なこと、あたしがするわけないじゃろ?」

 「今、素敵なことって言ったか?」

 「言うちょらん。地華の聞き間違え」

 

 って、言うことにしておいて。

 そりゃあ、して良いんならするけど、そうでないならしないわ。

 だって、小吉が嫌がることはしたくないもの。

 と、頭では考えているのに……。

 

 「おい、やるぞコイツ」

 「やるわねぇ。顔にモロに出てるわぁ」

 

 どうやらあたしは、本心ではやりたいらしい。

 どんな顔をしているんだろうと窓に映る自分を見てみたら、あたしの顔は自分でも驚くほど艶やかで、熱に浮かされたような危ない笑顔だった。

 

 



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第四十九話 海水浴(表)

 

 

 

 転生前の僕が好きだったアニメや漫画で好きなシチュエーションは二つ。

 ズバリ!

 水着回と温泉回だ!

 いや、これに関しては、今でも見たいと思っている。

 一刻も早く見たいと思っている!

 だから、将来その手の分野で活躍する人たちに偽名で出資したりもしている!

 あ、ちなみにラッキースケベも好きだったんだけど、ナナさんとリアルにラッキースケベを経験しちゃったせいで心臓への負担が半端ないと知って苦手になっちゃった。

 そして今回は水着回である。

 もう一度言おう。

 水着回である!

 今日は舞鶴鎮守府での用事があらかた終わったから、みんなをリフレッシュさせるために鎮守府の砂浜で海水浴をすることにしたんだ。

 再度ちなみに、この時代にも水着はちゃんと存在している。

 けっして、サラシに下帯やフンドシなんてスタイルじゃないんだ。

 でも残念ながら、日本にはビキニはまだない。

 それと言うのも、ビキニとは1946年7月1日にマーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって行われた第二次世界大戦後初の原爆実験である、クロスロード作戦の直後である1946年7月5日にルイ・レアールがその小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆に例えて、ビキニと命名して発表したのが最初なんだ。

 もちろん米国で普及し始めたばかりだから、まだ日本では普及していない。

 だがしていないだけであって、僕はとある筋……まあ、富岡君なんだけど。の、伝手(つて)でビキニを手に入れることに成功した。

 そして手に入れたビキニを……。

 

 「あの、小吉様。これはさすがに……」

 「恥ずかしいのかい? じゃあ、腰にパレオを巻いたらどうだろう」

 「まあ、これなら多少は……」

 

 多少どころか却ってエロい。

 そう、僕はビキニを四人に配った。

 天音君に渡したのは上下白のビキニと、恥ずかしがると予想して用意しておいた同じ色のパレオ。

 さらに駄目押しとばかりに、大きめの麦わら帽子とサングラスだ。

 うん、さっきも言ったけど却ってエロい。

 胸元は爆発したように開き、パレオを装着したことで気が緩んだのか、パレオが揺らめく度にチラチラとトライアングルゾーンを見せてくれる。

 もし僕が巨乳好きだったら、彼女が僕の前に来た時点でルパンダイブをしているだろうね。

 

 「なあ、大将。どうして俺だけ、水着の上から短パンをはかされたんだ?」

 「それが、君に似合うからさ」

 

 と、フォローした地華君に渡したのは赤いビキニ。

 さらに追加装備として、富岡君に作ってもらったデニムの短パンも渡した。

 うん、やっぱり思った通り、地華君の短パン装備は大正義だったな。

 際どい部分は見えないものの、それが逆に、彼女の健康的で長い足を際立たせているし、ベリーショートからボブカットと呼べるまで伸ばした髪型にも良く似合っている。

 

 「これならぁ、六郎ちゃんも私だけを見てくれるようになるかしらぁ」

 「うん、間違いない。僕が保証するよ」

 「あなたに保証されてもねぇ……」

 

 と、言いながら疑いの眼差しを僕に向けている四進君が来ているのは、後にフレアビキニと呼ばれる物。

 色はピンクだ。

 フレアビキニとは、簡単に言うとトップ側をフリル状の布で覆った物でアンダー側の有無は問われないんだけど、今回はフリル有りにしてみたよ。

 うむ、我ながらナイスチョイスだ。

 龍見姉妹と比べるとボリューム不足だがしっかりと出るところは出て引っ込むところは引っ込んで、龍見姉妹とは違ったムチムチ感を醸し出している四進君に恐いくらいマッチしている。

 

 「ね、ねぇ、小吉。似合う?」

 「とっても似合ってるよ。ナナさ……ごほぁ!」

 「小吉!? なんで吐血したん!?」

 

 何故僕が、上下黒のビキニに身を包んだナナさんを見た途端に吐血したのか。

 まあ、吐血と言っても鼻血が逆流しただけなんだけどね。

 そんなの簡単さ。 

 ヤバイんだよ!

 破壊力が物凄いんだよ!

 小さな布だけで大事な部分を隠されたナナさんの身体は僕の想像力と妄想をこれでもかと刺激し、黒色が、見えないのに見えている時よりも淫靡で艶やかに彼女を魅せている。

 ああ、やっぱり黒は良い。

 どこかのパン屋の女将さんが言っていた通り、黒は女性本来の美しさを極限まで引き出す究極の色だ。

 それだけじゃない。

 艶やかな黒髪をポニーテールにしたことで、普段は見えないうなじが見えて色気が増している。

 許されるなら、今すぐあのうなじにしゃぶり付きたいよ!

 

 「おいおい、ナナにだけそんな反応をされるとさすがに傷つくぜ?」

 「地華の言う通りです。私たちの方が小鬼よりも実ってますよ?」

 「七郎ちゃんはぁ、もうちょっとお肉を付けた方が良いわねぇ」

 

 いやいや、確かにナナさんは君たちと比べたら貧相と言わざるを得ない体型だよ?

 でも、それが良いんじゃない!

 もし仮に、ナナさんが龍見姉妹並みの巨乳だったらバランスが悪いし、四進君みたいに肉感的だったら違和感がある。

 ナナさんは、スレンダーと言う言葉を具現化させたようなこの体型が最も似合ってるんだ。

 

 「小吉が太れって言うなら……」

 「ちょっと待て。それじゃあ、オレらが太ってるみたいじゃねぇか」

 「心外ですね。この胸もお尻も、龍見家に伝わる男性篭絡法に従った結果であって、決して太っているわけではありません」

 「龍見家ってぇ、そんなのを伝えてるのぉ? どんだけ男を捕まえるのに必死なのよぉ」

 

 それを四進君が言うか。

 確か君って、男を拉致るために100人くらい操って僕らを皆殺しにしようとしなかったっけ?

 

 「油屋大将。久々に、泳ぎで一勝負どうですか?」

 「良いけど、負けないよ?」

 「それはこちらの台詞です。今日こそは勝ってみせます」

 

 四進君の余計な一言で口喧嘩を始めた三人を相手にしたくないのか、それとも飛び火するのを恐れたのかはわからないけど、僕は沖田君の提案を受けることにした。

 これが剣道の試合とかなら受けなかったんだけど、水泳なら話は別。

 だって僕は、幼少時代は河童の小吉と呼ばれたくらい泳ぎが得意なんだ。

 あ、それと、誰も知りたくはないだろうけど、僕と沖田君の水着はフンドシだ。

 

 「小吉って、泳げたんじゃね」

 「そりゃあもちろん。これでも、海の男だからね」

 「へぇ……」

 

 そう言って、沖田君との水泳勝負を10馬身差を付けて圧勝した僕を出迎えてくれたナナさんは、何故か後ろ手を組んでモジモジして恥ずかしそうにしている。

 その後ろでは龍見姉妹と四進君が、「言う方に今夜のオカズ一品」とか「では、私は言えない方に。四進さんは?」とか「私はぁ、言えないで逃げるのに賭けるわぁ」などと、明らかに何かを吹き込んで賭けに興じているのがわかる会話を悪びれもせずにしていた。

 

 「あの、あたし……」

 

 よほど言うのが恥ずかしい事なのか、ナナさんはそこまで言ってうつむいてしまった。

 これは、助け船を出した方が良いかな。

 このままだと最低でも天音君。

 最悪、四進君の予想通りの結果になってしまいそうだ。

 

 「ナナさん。泳ぎ、教えようか?」

 「え? どうして、あたしが泳げんって……」

 

 知ってるの? って、言いたかったのかな。

 もちろん、僕はそんなこと知らない。

 ただ単に、この状況で三人に入れ知恵をされたナナさんが僕に言いそうなことを予想しただけだ。

 でも……。 

 

 「ナナさんが泳げないなんて、意外だね」

 「お、泳げるんよ? 泳げるんじゃけどぉ……。川の流れに身を任せて沈まんようにするくらいしかできんくて……」

 

 それは泳げるとは言えない。

 ただ流されてるだけじゃん。

 とは、決して言わない。

 だって、泳ぎを教えるとなれば手を繋いでのバタ足から教えるのがベター。

 つまり、合法的にナナさんに触れられる。

 しかも僕も海に入った状態だから、下半身の主砲が暴走してもバレない。

 なので……。

 

 「ね、ねえ小吉。沖に来すぎじゃない? あたし、足がつかんのじゃけど……」

 「僕の足はついてるから、手を離さなければ大丈夫だよ」

 

 なんなら、鎖骨のあたりまで海に浸かった僕の首に両手を巻き付けた今の状態を維持し続けてくれてもいいよ?

 ナナさんの胸の感触を、僕は鳩尾(みぞおち)で存分に堪能するから。

 

 「離さんでね? 絶対に離さんでね?」

 「うん。絶対に離さないよ」

 

 離した~い。

 僕に両手を引かれてバタ足を続けてるナナさんの手を離した~い。

 ああ、まさかこの歳になって、好きな子に嫌がらせをして気を引きたがる子供の気持ちを理解するなんて思ってなかったなぁ。

 などと、嗜虐心と平常心の狭間で揺れ動きながら、僕はナナさんとの海水浴を楽しんだ。

 

 「それが、もう二週間も前か」

 

 今、僕の目の前にあるのは、そんな日常とはかけ離れた非日常。

 いや、人の枠に収まらない技能を収めた天音君と地華君の初撃を左手と背中の刀を少し抜いただけでなんなく受け止め、返す刀で川へ叩き落としたこの状況は、超常と言っても過言じゃないだろう。



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第五十話 海水浴(裏)

 

 

 小吉の裸をこんなに間近で見るのは、小吉の家のお風呂以来だっけ。

 改めて見てみると、本当に傷だらけ。

 小さな切り傷から、どうしてこんな怪我をして生きてるの? って言いたくなるような大きな傷跡までいくつもある。

 数えきれないほどある。

 右拳なんか特に酷い。

 まるで、毎日丸太でも殴ってたんじゃない? って言いたくなるくらい凸凹。

 でも、不思議と痛々しいとか、可哀想だとは思わない。

 それはきっと、この傷の一つ一つが、小吉が仲間を護ってきた証。

 小吉の誇りそのもの。

 誇りまみれのこの身体が、小吉にとって何よりの勲章だと何故か理解できたから、そう思ったんだと思う。

 

 「ねえ、小吉」

 「なんだい? ナナさん」

 

 小吉に触れるのも久しぶり。

 ずっと手を引いてもらって、このままバタ足の練習をするのも悪くないと思ってる。

 でも……。

 

 「やっぱり怖い。浜に戻ろう? ね? もう泳げるようになったと思うし」

 

 足がつかない場所にいるのは怖い。

 小吉がそばにいるから溺れることはないし、川よりも体が浮きやすいから沈むこともないと思う。

 でも怖いの。

 陸に戻りたいの。

 なのに、小吉は……。

 

 「……まだ無理だよ。もう少し練習しよう」

 

 帰してくれない。

 これは厳しく指導して、あたしを小吉なしでも泳げるようにしようとしてる?

 いや、違う気がする。

 だって小吉は楽しんでる。  

 もしかして、怖がるあたしを見て面白がってる?

 だとしたら……。

 

 「小吉は意地が悪い……」

 「べ、べつに、意地悪してる訳じゃないよ?」

 「じゃあ、なしてあたしにこんな怖い思いをさせるん?」

 「そ、それはその……」

 

 ん?

 あたしはバタ足をやめたのに、小吉は手を引くのをやめない。

 そのせいであたしは、小吉に手を引かれるまま海の上を漂ってるわ。

 さらにあたしと目を合わさないようにしてるのか、そっぽまで向いてる。

 まさか、陸に戻らないんじゃなくて、戻れないんじゃないでしょうね?

 例えば……。

 

 「……起ったん?」

 「違うよ?」

 「じゃあ、止まって」

 「それは出来ない」

 「やっぱり、起ったんじゃろ」

 「……」

 

 小吉のスケベ。

 あたしのバタ足に付き合いながらも、浜で球遊びをしている地華たちをチラチラ見てたせいで起っちゃったんでしょ。

 だったら、意地悪された仕返しよ。

 

 「止まって」

 「いや、だから……」

 「ええけぇ止まって」

 「はい……」

 

 少し強めに言ったら、小吉は渋々ながら手を引くのをやめた。

 その途端にあたしは足の方から沈んで、小吉の両手に体重を預けて直立した。

 でも人一人分の隙間を空けて、それ以上小吉に近づけない。

 あたしのお腹に突き刺さらんばかりにおっ起ってる、小吉の得物のせいでね。

 

 「小吉。あたしのお腹に当たってるこれは何?」

 「え~っと……」

 「小吉は変態じゃねぇ。こんな駄々っ広い場所でも、構わず起たせるんじゃけぇ」

 「ごめんなさい……」

 

 あ、これ、なんか良い。

 最初は意趣返しのつもりだったけど、顔を恥辱にまみれさせてあたしから目をそらす小吉を見てたら、もっと意地悪したくなった。

 

 「ねえ、誰を見て起たせたん? 地華? 白い方? それとも瓶落水? まさか、ジュウゾウじゃあないよね?」

 「そ、それは……」

 「ほれ、怒らんけぇ言うてみ? ほれ、ほれ」

 「ナナさん、それ以上はマズい。そのまま叩き続けられると……」

 「何がマズいん? もしかして、あの白いドロドロが出るんか? 言わにゃあ、叩くのをやめるよ? ええの?」

 

 我ながら、何をしてるんだと疑問に思う。

 でもやめられない。

 止まらない。

 呼吸もし辛くなってきたし、心臓も音が聞こえるくらい脈打ってるのに、それがたまらないほど気持ち良いから。

 

 「なんか、こうして浮いちょるのも疲れたねぇ。あ、そうだ」

 「ちょっ……!ナナさん、どこに乗って……!」

 「乗れるとこなんて、ここしかないじゃろうがね」

 

 どこかと言うと、小吉のナニ。

 それに股がってるの。

 でも、水中とは言えあたしの体重を支えるなんて凄いわね。

 どんな鍛え方をしたら、こんなにも硬く、力強くなるんだろ。

 あたしが腰を動かしてもビクともしないのよ?

 

 「ナナさん、それは本当にヤバい。それ、素ま……」

 「ん~? よう聞こえんなぁ。もっと、ハッキリ言うてくれん? ちゃんと、あたしの目を見て」

 「だから……」

 

 ああ、小吉がベソをかく寸前みたいな顔をしてる。

 あたしと同じように息を荒げて、心臓の鼓動も速くなってる。

 今、あたしと小吉は海の中で溶け合って、一つになろうとしているように思え……てたのに。

 

 「ちょっ……! 何これ!? 体が流され……」

 「これ……向岸流(こうがんりゅう)だ! ナナさん、僕に掴まって!」

 「こ、睾丸……龍? 確かに、小吉のは龍みたいじゃけど……」

 「字が激しく違う! 簡単に言うと離岸流の逆! 沖から岸に向かう流れだ!」

 

 だったらちょうど良いじゃない。

 小吉に意地悪するのも、海の中より部屋での方が……って、思ったより流れが速いわね。

 この速度だと、浜に打ち上げられると言うよりは叩き付けられるんじゃ……。

 

 「痛たたた……」

 

 やっぱりか。

 叩き付けられるってほどじゃあなかったけど、小吉のお腹の上に乗ったままけっこうな距離を滑っちゃった。

 

 「油屋大将! ご無事で……すか!」

 

 はて?

 ジュウゾウが駆け寄って来るなり、台詞の途中で真後ろ向いた。

 さらに白い方が、鬼の形相であたしを睨みながら刀を抜こうとしている。

 

 「小鬼、まさか海の中で……」

 「いや、姉ちゃん落ち着け。さっきので流されただけだって」

 「でもぉ、二人ピッタリ引っ付いてぇ、変な動きしてたわよぉ?」

 

 流された?

 確かに、あたしと小吉はコウガンリュウとやらで流されたわ。

 あ、もしかして白い方は、そのせいで小吉を下敷きにしちゃってるのに怒って……って、なんだか胸元と腰回りがスースーするような……。

 

 「あ、流されたって、こっちか」

 

 自分の身体を見下ろしてみたら、流される前まで確かに着ていた水着がなくなってた。

 なるほど、だからジュウゾウは慌てて後ろを向き、白い方は怒ってたのか。

 

 「ねぇ、七郎ちゃん。それぇ、入ってなぁい?」

 「それ? どれ?」

 「小吉さんのアレ。その位置に七郎ちゃんが座ってて、小吉さんのアレが見えないってことは、入ってるとしか思えないんだけどぉ」

 

 最初は意味がわからなかった。

 でも自分が乗っている位置と、小吉がフンドシをはいていないことに気づいたら身体が震え始めた。

 

 「ナナ。い、痛くねぇのか?」

 「わ、わからん。ねえ地華、本当に入っちょるん?」

 「オ、オレにもわかんねぇよ!」

 

 痛みはない。

 身体の中に異物が入り込んでるような感触もない。

 でも、直前まであたしが乗れるほど雄々しくおっ起ってた小吉のアレがある場所にあたしは乗っている。

 三人からはもちろん、あたしから見ても入ってるようにしか見えない。

 

 「ナナ、ゆっくり腰を上げてみろ。ゆっくりだぞ?」

 「で、でも、本当に入っちょったらどうするん? 抜けるん?」

 

 アレが根元まで入ってるとしたら、あたしの内臓を貫いてる。

 だって、ヘソよりさらに上に来るくらい長いのよ?

 そんなのが入ってるとして、抜いたら内臓まで出てこない?

 

 「ねぇ、天音ちゃん。どうして小吉さんはぁ、白目剥いてるのかしらぁ」

 「浜に打ち付けられた衝撃で気絶したのでは?」

 「なるほどぉ。あれぇ? でもぉ、泡まで吹くかしらぁ?」

 

 本当だ。

 小吉が白目を剥いて、泡まで吹いて気絶してる?

 もしかして、打ち付けられた衝撃を全部引き受けてくれたのかしら……は、置いといて。

 

 「小吉? 大丈……夫?」

 

 じゃ、ないのはわかってるけど一応ね。

 でも、小吉の頬を軽く叩くために腰を浮かしたことで、入ってないことが感覚でわかっ……。

 

 「たぁわ!」

 「ナナ! 大丈夫か!? やっぱ、入ってたのか!?」

 「いや、入ってはなかったんじゃけど……」

 たぶん、あたしが乗ってたせいで足方向へ倒れてた小吉のアレが、あたしが腰を浮かせたことで跳ね上がってあたしのお尻を弾いたのよ。

 実際、バチーン! って小気味良い音がしたし、当たった場所がヒリヒリしてるもの。

 

 「う……ん」

 「あ、気がついた?」 

 「ああ、僕としたことが、受け身を取り損ね……」

 「どうしたの?」

 

 頭を振りながら身を起こそうとした小吉が、あたしを見るなり硬直した。

 視線なんて、あたしの顔の少し下あたりを凝視してるわ。

 でも、なんでそんな場所を……あ、そういえばあたしって……。

 

 「ぶほぉあ!」

 

 すっぽんぽんだった。

 と、思い出す前に小吉は噴水のように鼻血を噴き出して、また気絶してしまった。

 



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第五十一話 花火(表)

 

 

 

 花火と言えば、夏の風物詩のひとつ。

 もっと時代が進めば、日本各地で花火大会が行われる。

 前世ではインドア派だった僕も、この日だけは花火と屋台を目当てに友達と町内を駆け回ってたっけ。

 

 「なあ、小吉の大将。花火って、こんなに物々しかったか?」

 「まあ、射撃訓練もかねてるから」

 「ですが小吉様。軍艦の主砲で花火を打ち上げて大丈夫なのですか?」

 「僕は技術者じゃないから知らないけど、大丈夫なんじゃない?」

 

 とは、昨日、催し物の準備を目の当たりにした龍見姉妹の感想だ。

 そして今日、舞鶴鎮守府主催で地元の人たちとの交流を隠れ蓑にして行われるのは、砲弾に花火を詰めた射撃訓練兼、花火大会。

 鎮守府を解放して民間人を招き入れ、水兵たちによる様々な屋台も軒を連ねている。

 僕としては、後の時代にこれが艦砲花火大会とか名付けられて舞鶴の風物詩の一つになれば良いなと思っているけど、残念ながら花火を打ち上げる予定になっている艦艇のほとんどは、朝鮮戦争が終わると同時に退役予定なんだよね。 

 そんな祭りの中を、僕は女性を連れて歩いてる。

 ただ、彼女の様子がいつもと違いすぎるから、どうにも居心地が悪い。

 

 「あの、小吉様……」

 「ん? ああ、ごめん。少し考え事をしていた」

 「……やはり、あの……ナナの方が良かったですか?」

 「違っ……」

 

 わないんだけど、これは違うと答えても角が立つし、違わないと答えても角が立ちそうだ。

 これは、思ってた以上に気を張る必要があるな。

 いつもの彼女(・・・・・・)ならまだしも、今の彼女は僕の言動にどんな反応をするかわからないから。

 

 「そう言えば、どうして今日は槍を置いてきたの?」

 「こっち(・・・)の方が、小吉様の好みかと思いまして……。ご、ご迷惑でしたか?」

 「いやいや、そんな事ないよ? ないから泣かないで? 地華君」

 

 そう、僕にとって人生初の花火デートの相手は、ナナさんでも天音君でもなく地華君になった。

 どうしてそうなったのかはわからないんだけど、みんなとの待ち合わせ場所に行ったら地華君しかいなくてさ。

 他のみんなは別行動してるって言うから、じゃあ一緒にまわろうかって話になったんだ。

 

 「ごめんなさい。や、槍を持ってないと、どうにも臆病になってしまって……」

 「確かに、人が変わったような変わりっぷりだもんなぁ。ちなみに、どっちが素なの?」

 「素? ああ、どちらかと言うとこっちでしょうか。私は元々こんな性格でしたから、槍を手にしている時だけでも勇ましくあれと教育されたんです」

 

 それが、普段の地華君か。 

 たしか、龍見家は元々水場を管理する神職が長い時を経て、何故か政財界に影響力を及ぼすほどの軍閥になった変わり種だけど、その根幹は龍見家が祀る水神の巫女である姉妹を教祖とした宗教団体だ。

 故に、教祖の一人である地華君に、臆病な本性は相応しくないと矯正されたんだろう。

 でも、そうなると……。

 

 「天音君も、素は違ったりするの?」

 「お姉ちゃん……いえ、姉はあのまんまです。双子なのにどうしてこんなに性格が違うんだと、幼い頃は母に叱られましたし、自分でも不思議でした」

 

 性格が違うだけで叱られた……か。

 槍を持った地華君の性格は正反対と言って良いけど、そうするためには同じ性格の方が都合が良かったんだろう。

 だから、叱られた。

 龍見家のしきたりを守るためかどうかはわからないけど、地華君の素の性格は龍見家にとっては異端だったんだ。

 

 「地華君は、辛くなかったの?」

 「……辛くなかった。と、言えば嘘になります」

 「自分に嘘をついて、全く違う自分を演じているから?」

 「幼い頃は、小吉様のおっしゃる通りでした。でも、今は違います。槍を持ってる私も持ってない私も、両方私なんです」

 

 儚げな笑みを浮かべてそう言った地華君は、初めて見たナナさんの泣き顔や笑顔と同じくらい……いや、もしかしたらそれら以上に、素敵に思えた。

 ナナさん以上にギャップが凄いからか?

 浜辺に着くなり上がり始めた花火に照らされて透ける、首筋まで伸びた髪が幻想的だからか?

 普段のボーイッシュな服装とは違う、金盞花(きんせんか)が描かれた紺色の浴衣姿が、彼女の魅力を存分に引き出しているからだろうか。

 

 「綺麗ですね。花火」

 「うん、綺麗だ」

 「わ、私とどっちが……」

 

 綺麗ですか。

 かな?

 そんなの、地華君に決まってる。

 と、思ってても言えないのが僕である。

 いや、言っちゃ駄目なんだ。

 自惚れかもしれないけど、地華君は僕を好いてくれてる。

 でも、僕はナナさんが好きだ。

 答えは聞いてないけど、態度からナナさんも僕を好いてくれてると半ば確信してる。

 だから、気を持たせるようなことを言ったら……。

 

 「私は、小吉様をお慕い申し上げております。ナナにも、気持ちで負けてるとは思いません」

 「でも、僕は……」

 「わかっています。ナナが、好きなんですよね?」

 「うん。だから……」

 

 僕は、地華君を傷つけなければならない。 

 散々、それこそ飽きるくらい女性にフラれ続けてきた僕に、まさか女性をフル日が来るとは夢にも思わなかったよ。

 

 「わた、私は二番目でも……いえ。なんなら、お姉ちゃんや歌の次でも構いません」

 「無理だ。僕に、何人もの女性を愛せるような甲斐性はないよ」

 「だったら……! だったら、予備で良いです。補欠、保険、どれでも構いません! 私を……私にも希望をください! こんな事を願うのはあなたにもナナにも申し訳なく思いますが、あなたとナナが結ばれなかった時に想いが報われると思わせてください!」

 「それはつまり……」

 

 君をキープしとけと?

 ハハハ、何の冗談だこれは。

 冗談じゃなかったら悪夢か?

 僕みたいな仲間と運に恵まれただけで戦争を生き抜いた詐欺師に、地華君をもしもの時のためにキープしておけと?

 僕は、そんな事が許されるような善人じゃあない。

 僕は悪人だ。

 敵よりも味方の方を多く殺してきた極悪人だ。

 ナナさんと好き合えるだけで、残りの人生全ての幸福を代償として差し出してもまだ足りないくらいの罪を犯してきた。

 だから、地華君の人生を悲惨なモノにしかねないことはできない。

 いや、しちゃ駄目だ。

 

 「ごめん。僕はナナさんと添い遂げられなかったからと言って、別の女性に乗り換えられるほど器用じゃないんだ」

 「じゃ、じゃあ、ナナと別れたらどうするおつもりで? まさか、一生独り身でお過ごしになると?」

 「そのつもり。僕が今世で愛するのはナナさんだけ。もしこの想いが成就しなかったら、君が言った通り独り身で余生を過ごすよ」 

 

 それくらいの覚悟で、僕はナナさんに惚れてる。

 それが今世で大勢の人を殺し、これからも殺し続ける僕なりのケジメの付け方だ。

 と、悲運の主人公を気取ってるけど、要は不器用ってだけさ。

 さて、僕の答えを聞いた地華君は……。

 

 「納得、できそうにない?」

 「納得するどころか、ますますあなたに惹かれました。なので、待つことにします」

 「だから、待っても僕は……」

 「それでも待ちます。小吉様だって人間なのですから心変わりするかもしれませんし、傷心している時に付け入る隙ができるかもしれませんので」

 「だけど、それじゃあ君が……」

 「行き遅れようとかまいません。私は、残りの人生を対価として差し出しても良いと思えるほど、あなた様が好きなのですから」

 

 そう言いながら僕と視線を合わせた地華君の瞳は、臆病さなど微塵も感じさせなかった。

 むしろ燃えていた。

 その瞳に燃え盛る炎は、恋い焦がれる乙女と言うよりは獲物を狙って鎌首をもたげる龍のそれに見えたよ。

 その感想を見透かされたのか、地華君は……。

 

 「覚悟してください。龍見の女は、龍のように執念深いんですから」 

 

 と、クスリと微笑んで僕を魅了した。

 それほどまで僕を好いてくれてる地華君が、襲撃者によって川に叩き落とされたんだから、当然僕の腸は煮えくり返っている。

 でも、助けに行く余裕は無さそうだ。

 何故なら……。

 

 「一番質が悪そうなのは……。お前だな」

 

 と、言いながら、彼が四進君に銃剣付きの小銃を向けたからだ。

 



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第五十二話 花火(裏)

 

 

 

 

 地華と歌はあたしの友達。

 以前は、歌曰く片寄った教育で友達はいらないと兄様に洗脳されてたっぽいんだけど、歌に泣かされて自分の弱さを知ってからは、あたしに友達は必要なんだと一応は納得して二人を友達と思うことにした。

 いや、たぶん間違ってるとは思ってるのよ?

 あたしの友達観と普通の人の友達観はズレてるんだろうなぁ~って考える事が増えたし、二人への接し方はこれで合ってるのかぁ~って悩むことも増えた。

 でも、歌が帰省しなきゃいけなくなった時に寂しくなって思わず泣いちゃったのは、あたし的には友達への対応として合ってたと思ってる。

 まあ、友達への対応に正解を求めてるってことは、まだあたしの友達観はズレてるってことなんだろうけど。

 

 「小鬼。もう一度言っておきますが……」

 「心配せんでも、邪魔なんてせんよ」

 

 今日は、マイチンに一般人を招いて行われる花火大会。

 所謂(いわゆる)お祭りね。

 そのお祭りを、屋台をハシゴしながら浜までみんなで歩いて花火を見ようってなってたんだけど、地華が前触れもなく「一生に一度のお願いだ。オレと小吉の大将を二人っきりにしてくれ」って、言ってきたの。

 当然、あたしは(ねた)んだ。

 だってあたしは小吉が好きで、小吉もあたしのことが好き。

 だからみんな一緒ならともかく、小吉と地華が二人っきりの状況には嫉妬した。

 嫉妬はしたけど受け入れて、白い方と瓶落水、そしてオマケのジュウゾウと一緒に、遠巻きに二人を見守ってるわ。

 

 「地華も、小吉が好きなんじゃもんね。白い方も?」

 「当然……と、言いたいところですが、地華ほどではありません」

 「へぇ、そうなんだ」

 「それより、白い方と呼ぶのを、いい加減やめてもらえません?」 

 「あたしのことを小鬼って呼ぶのをやめたら、考えちゃげる」

 

 考えるだけだけどね。

 まあそれは一先ず置いといて、あたしの嫉妬心が連れ立って歩く二人を見る時間にそって膨らみ続けてるのがヤバイ。

 このままじゃあ、感情を殺意に変換して溜め込む方法がわからなくなってる今のあたしは嫉妬心に駆られて地華を襲いかねない。

 そうならないように、嫌だけど……。

 

 「ねえ瓶落水。もしもの時は、あたしの感情を食って動けなくして」

 「う~ん……。良いけどぉ、条件があるわぁ」

 「何?」

 「四進お姉ちゃんお願ぁい♪ って、両手を胸の前で組んで上目使いで言ってくれたらやったげるぅ」

 

 こ、こいつ、足元見やがって。

 でも、今いるメンツで暴走したあたしを止められるのはこいつだけ。

 なら、本当に目茶苦茶嫌だけど……。

 

 「しずおねーちゃんおねがーい」

 「棒読みじゃなぁい。でもまあ、良いか」

 

 これほどの屈辱は生まれて初めてね。

 でも、その甲斐はあった。

 このまま嫉妬し続けて地華を殺したくなっても、あたしは瓶落水に止めてもらえるんだもの。

 

 「天音殿。つかぬことをお聞きしますが、地華殿は槍がないだけで、どうしてあんなにも性格が変わるのですか?」

 「変わると言うよりは、戻ると言った方が正しいです。ジュウゾウ様」

 「では、普段の地華殿は……」

 「槍を持っている間だけの仮面。ですが、あの子に槍を手放すことは許されていません。あの子は常に、自分を偽って生活しているんです」

 「それは、龍見家にとって必要な事だからですか?」

 「そうとも言えますが……。うちは古くから続く旧家故に、しきたりに従う、破ってはならぬと言う、強迫観念に近い感情を植え付けられています。あの子は、先祖代々の呪いとも言えるしきたりの犠牲者なんですよ」

 

 先祖代々の呪い……か。

 白い方……天音だったっけ?

 の、言葉は、あたしの胸にも刺さるものがある。

 だってうちも、何代にも渡って目指す悲願、鬼の顕現を目的に、何人もの他人を殺し、何人もの家族を犠牲にしてきた。

 そんな感傷に浸ったからか、鬼の顕現とやらが何なのか、妙に気になってきたわ。

 

 「ねえ、瓶落水……」 

 「四進お姉ちゃん」

 「しずおねーちゃん。鬼の権限って何なん?」

 「知りたいのぉ?」

 「うん、少しだけ」

 

 それをこの場で知ってそうなのはこいつだけ。

 だから思いきって聞いてみたけど、しずおねーちゃんは話す気があるのかないのかわからない笑顔で、あたしを見てる。

 

 「私も詳しくは知らないわぁ。ただ、それを叶えるために、暮石と瓶落水に別れたって、ひいお爺様から聞かされた覚えはあるわねぇ」

 「じゃあ、暮石だけじゃ……」

 「鬼の顕現……。暮石が言うところの、(つい)の段 鬼の(くりや)には至れないってことねぇ」

 「それが叶ったらどうなるん?」

 「知らなぁい。でもぉ、六郎ちゃんは妙なことを言ってたわねぇ」

 「妙なこと?」

 「えぇ。鬼の顕現は我が家の悲願ではあるけれど、それは手段でしかないって言ってたわぁ」

 

 悲願を叶えることが手段でしかない?

 何の手段?

 兄様がそう言ったってことは、やっぱり鬼を顕現させた後に何かするのかしら。

 

 「ややっ! 天音殿! 地華殿が……!」

 「声が大きいです沖田様! 二人に気づかれたらどうするおつもりですか!」

 

 あんたの声もデカイ。

 と、ツッコミたくなるような天音の声で、あたしの思考は邪魔された。

 仕方がないから視線を上げると、空に咲く花火を背景に小吉と地華が向かい合ってたわ。

 何を話してるんだろう。  

 地華は怯えたようにも、思い詰めたようにも見える表情で小吉に何か言ってる。

 

 「あ……」

 

 あたしには読唇術の心得なんてない。

 なのに、地華が小吉に「好き」と言ったのだけはわかった。

 人が多くて、二人の感情を上手く感じ取れないのに、地華が小吉を心の底から好きなんだとわかった。

 なのに不思議と、嫉妬心は鳴りを潜め始めた。

 代わりに湧き上がって来たのは罪悪感。

 何故かあたしは、地華に申し訳ないと思ってる。

 どうしてだかわからないけど、あたしは地華に謝りたいと思ってる。

 その想いに頭を混乱させられたあたしは……

 

 「あたし、どこまでおかしくなるんじゃろうか……」

 

 と、誰にともなく問いかけていた。

 

 



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第五十三話 迷探偵小吉 前編(表)

 

 

 

 

 洋館と聞いて何を思い浮かべるだろう。

 使用可能な洋館なら殺人事件の舞台。

 廃墟なら、肝試しにうってつけだね。

 何故そんな前置きをしたかと言うと、僕とナナさんが洋館にいるからだ。

 

 「ようこそお出でくださいました。私はポール・ディレクター。等ホテル、『大人のレジャーランド城』の支配人を勤めさせていただいております」

 

 さて、どこからツッコもう。

 僕たちが招待されたのは、洋館をイメージして建設されたホテル。

 それは良い。

 でもその名前がもぉぉぉぉ!ツッコミどころ満載!

 ホテルを謳ってるのにランドでオマケに城まで付けちゃってるじゃない!

 どれかに絞れよ!

 ホテルなら『ホテル 大人のレジャー』とか『アダルトレジャーホテル』で良いじゃん!

 と言うか、そのホテル名考えた奴って正気だった?

 酔ってたり傷心したりしてなかった!?

 正気でつけたとは思えないホテル名だよ!

 いや、有りそうだよ?

 あと数十年したら田舎道にポツンと有りそうなホテル名だよ?

 ただし、ラブホテルな!

 

 「油屋様、どうかなさいましたか?肩で息をされてますが……」

 「ああ、気にしないでください」

 

 その原因の一つはお前な。

 あ、すみません。

 ポールさんは明らかに僕よりも歳上、60代後半くらいかな?なのに、心の中でとは言えお前呼ばわりしてごめんなさい。 

 でも仕方ないじゃん?

 だってポールさん、ポールって名乗ってるのにどこからどう見ても日本人じゃん?

 日本とどっかあっち系のハーフで、日本人の特徴が強めに出ちゃっただけかもしれないよ?

 でもさ、執事服より着流しの方が似合いそうな典型的な日本のお爺ちゃんにしか見えないポールさんがキメ顔で『私はポール・ディレクター』って渋カッコいい声で名乗っても違和感しかないわけよ。

 カッコいいんだよ?

 声はカッコいいの。

僕が知る未来の声優さんで例えるなら大塚さんだろうか。

 もし時間が戻せるなら、彼と対面する前に「待たせたな!」って言って欲しいくらい渋カッコいい。

 でも名前が残念!

 ポールはまあ……百歩譲って良しとしよう。

 でもさぁ、ディレクターは無いでしょ。

 たしかフランス語で、支配人はディレクターだったはずだけど、それをファミリーネームに持ってきちゃ駄目でしょ。

 今はまだディレクターって言葉自体が日本人に浸透していないから良いかもしれないけど、あと数十年後にディレクターとか名乗ったらテレビ業界の人だと誤解されるよ?

 

 「では、お部屋にご案内させていただきます。おや?雨が降ってきたようですね」

 

 そうだね。

 今はまだ小雨みたいだけど、台風張りの豪雨になりそうな雲が空で(うごめ)いてるね。

 もうそれだけで嫌な予感が止まらない。

 だってここ、結構ガチめの洋館だよ?

 さらに、車を使っても人里まで2時間は軽くかかる山中で、この洋館から徒歩五分の場所にある吊り橋が落ちたら脱出不可能。

 駄目押しとばかりに、洋館の裏には崖があるらしい。

 満貫どころか役満だよ!

 吊り橋を落とすだけでクローズドサークルの出来上がりだ!

 今から、明日の朝の目覚ましは絹を裂くような女性の悲鳴だろうなと覚悟しなきゃいけないくらいフラグがビンッビンに立ちまくってるよ!

 

 「ねえ、小吉。あたしらの他にも客がおるみたいじゃけど……」 

 「そうみたいだね」

 

 姿は見えないけど、ポールさんが「あちらがパーティーホール兼、談話室となっております」って説明してくれた正面の扉の向こうに人の気配を感じたんだろう。

 ちなみにこの館の大まかな間取りは、玄関を抜けると     

 25平米ほどのホールが広がり、正面には左右に大きく弧を描く階段に挟まれる形でパーティーホールの扉。

 そしてホールの左右には、使用人用の部屋やキッチンなどが配置されている。

 パーティーホールの扉温泉付近を起点に大きく弧を描く階段はそのまま二階に繋がっており、ホールをベランダのように囲む廊下に直結しているようだ。

 そのベランダに等間隔でドアが設けられているのを見るに、あれが客室なんじゃないかな。

 ホールから確認できる部屋は左右あわせて4部屋ほどだけど、廊下はさらに奥まで続いている。

 上から見ると、たぶん二階の客室前の廊下は『H(こんな)』感じに見えるんじゃないだろうか。

 

 「ねえ小吉。あたしらを招待してくれた人ってどんな人なん?」

 「招待されたと言うか押し付けられたと言うか……」

 

 本来なら、ここに来る予定だったのは猛君と、その彼女の一人だ。

 あのスケコマシは、自分に用ができて行けなくなったからと、舞鶴鎮守府で忙しくしていた僕に「休みも必要だろ?」と、さも僕の体を心配するような台詞で僕をここの来させたんだ。

 まあ、最初はありがたいと思ったよ?

 ナナさんには四六時中、暗殺者に目を光らせてもらってるし、龍見姉妹と沖田君には仕事を手伝ってもらってる。 

 四進君は……食っちゃ寝してるだけだからいいけど、四人には苦労をかけてるからちょっとした慰安旅行を。って、思って招待を受けたんだけど、蓋を開けてみたらこれだよ。

 招待されたのは二人だけだった。

 だから、僕はやめようとしたんだけど、他の四人に半ば強制的にここに連れて来られたんだ。

 

 「まさか、全員グルじゃないよね?」

 「グル?」

 「いや、独り言だから気にしない……」

 

 で。

 と、締め括ろうとしたんだけど、「こちらでございます」と案内された部屋に入るなりその疑念はほぼ確信に変わった。

 だってここ、相部屋だよ?

 しかも、部屋をほぼ占領して存在感をアピールしているのはダブルベッド。

 もう一度言おうか?

 ダブルベッドだ!

 そう!

 恋人や夫婦が上で獣になって激しい組体操をしても大丈夫な面積を持つダブルベッドだよ!

 もう、これはヤれって事だよね?

 この機会にヤることヤっちゃえって言う、ありがた迷惑に近い気遣いだよね!?

 

 「あ、あの……。ここで寝るん……よね?」

 「う、うん、そうみたい……だね」

 

 さすがのナナさんもこの部屋の意味がわかったのか、顔を真っ赤にして部屋を直視しないようにしている。

 トランクを握る両手にも力が入ってる気がする。

 それは僕も同じだ。

 なるべくベッドを見ないようにして、一泊分の着替えが入ったカバンの取手をこれでもかと握り締めている。

 そんな僕らを察してか、ポールさんは「では、お食事の時間になりましたら、お呼びします」とだけ言って去ってくれた。

 

 「と、とりあえず座らない?」

 「そ、そうじゃね。ここでつっ立っちょってもしょうがないし」

 

 と、お互いに何でもない風を装いながら、僕たちは荷物をベッドの脇に置いて腰かけた。

 マズった。

 どうして僕たちは、側にあるソファーではなくベッドに腰かけた?

 これじゃあ即ベッドイン可能じゃないか。

 ナナさんもそれに気づいたのか、わかりやすくうろたえている。 

 ここは、男であり歳上でもある僕が何とかしないと。

 

 「そう言えば、刀はどうしたの?」

 「か、刀?短刀以外は、全部トランクに入っちょるけど……」

 「へ、へえ、そうなんだ」

 

 はい、会話が途切れました。

 バカ!

 僕の大バカ!

 そこから会話を広げていかなきゃいけないのに、どうしてそこで黙っちゃったの?

 僕が黙っちゃったせいで、ナナさんが申し訳なさそうにうつむいちゃったじゃないか。

 

 「しょ、小吉!」

 「は、はい!」

 「あ、あたしとその……。したい?」

 「し、したい……とは?」

 

 いや、何故聞き返す。

 この状況で「したい」とくれば、それはセックスしかないじゃないか。

 なのに、わざとらしく聞き返すなんて男の風上にも置けない愚行。

 いくら童貞を拗らせているからと言っても、人生経験は他の同年代よりあるんだからもっと気の利いた台詞を返すべきだっただろ。

 

 「あたしね、小吉じゃったらええよ。でも、あの……汗とかかいちょるけぇ、できればお風呂に入ってからがええ……。ダメ?」

 「うん、ダメ……いやいやいやいやいや!ダメじゃない!ダメじゃないよ?うん、やっぱ、そう言うのは風呂に入ってからだよね!」

 

 誤魔化せたか?

 心の中で「え?風呂に入ってから?何で?風呂に入ったら匂いが落ちちゃうじゃん。紺色の冬用から白の夏用のセーラー服に変わったナナさんの匂いが落ちちゃうじゃん。それはダメだよ。だって、女性はナニの前に匂いをやたらと気にする……らしいけど、男はその匂いも嗅ぎたいからね?様々な要因によって構築された女性の匂いは、それだけで男を狂わせる香水なんだ。それを洗い流すなんて愚行中の愚行。僕レベルの賢者になれば、その匂いだけで10回は昇天できるよ」と、思考を巡らせた末に口から飛び出した『ダメ』だったけど、美味く誤魔化せただろうか。

 

 「じゃあ、小吉も風呂に入らんで。そのまま、あたしを……」

 「え?僕は入るよ?」

 「ど、どうして?」

 「どうしてって……」

 

 だって臭いじゃん。

 僕は、ナナさんに認識してもらうために、このクソ暑いのに第二種軍装なんだよ?

 だから、当然汗まみれさ。

 ふとした拍子に、自分の汗の臭いがわかるくらい汗をかいてるよ。

 そんな汗臭い身体で、ナナさんを抱くわけには……って、怒ってない?

 何故かはわからないけど、ナナさんが頬をおたふくみたいに膨らませて怒ってるっぽいんですけど?

 

 「小吉の……ド阿呆!もう知らん!」

 

 そう言うや否や、ナナさんは足元に置いていたトランクを僕の顔面へ叩きつけて僕の意識を刈り取った。

 次の日の、絹を裂くような女性の悲鳴で叩き起こされるまでね。

 正に、襲撃者による銃撃で左肩を撃ち抜かれた四進君が上げたのと似た悲鳴さ。

 

 「しずおねーちゃん!生きちょるんか!?」

 「な、なんとか……ねぇ」

 

 そうは言っても、肉弾戦が不得意な四進君に、これ以上の戦闘は無理そうだ。

 でも変だな。

 猛君から聞いた話では、彼はたしか一発で三人(・・・・・)を殺傷するほどの腕前だったはず。

 なのに、四進君を殺し損ねた?

 発砲の寸前にナナさんが「避けぇ!」と忠告したのを加味しても、彼が四進君を仕留め損なったことに違和感を感じる。

 そしてその違和感は、ナナさんが彼と斬り合いを初めて少したった頃に、確信に変わった。

 

 



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第五十四話 迷探偵小吉 前編(裏)

 

 

 

 「場所は用意してやるから、さっさとヤることヤっちまえ」

 

 と、地華に言われて用意された場所に着いても、あたしは覚悟を決めかねていた。

 その覚悟とは、小吉に抱かれる……のは、むしろあたしも望んでいたから覚悟するほどのことじゃないか。

 覚悟しなきゃいけないのは、見た者全てを恐れさせた小吉のアレを受け入れること。

 あたしは小吉に抱かれたい。

 でも、アレをねじ込まれるのは怖い。

 二つは同じ行為なのに、あたしの心は相反する感情で板挟みになっていた。

 それでも……。

 

 「あ、あの……。ここで寝るん……よね?」

 「う、うん、そうみたい……だね」

 

 いかにも、二人で寝ろと言わんばかりの広さを持つベッドを見たら、「あそこでするんだ。あそこで小吉と一つになるんだ」と、恐怖よりも期待の方が大きくなった。

 うん、今なら大丈夫。

 今なら、小吉のアレも受け入れられる気がするわ。

 

 「と、とりあえず座らない?」

 「そ、そうじゃね。ここでつっ立っちょってもしょうがないし」

 

 小吉もその気かな?

 だってソファーがあるのに、わざわざベッドに腰かけたもの。

 ああでも、今日はかなり暑かったし、ここに着くまで結構な距離を歩いたから汗をかいてるのよねぇ……。

 

 「そう言えば、刀はどうしたの?」

 「か、刀?短刀以外は、全部トランクに入っちょるけど……」

 「へ、へえ、そうなんだ」

 

 だから、ヤるならお風呂に入ってからが良いなぁ……と、考えてる最中に話を振られたもんだから、それ以上会話を続けられなかった。

 これ、どう考えてもあたしが上の空だったから、会話が止まっちゃったのよね?

 だったら、悪いことしちゃったな。

 せっかく、小吉がこの張り詰めた空気を和らげようと……したのよね?

 なのに、あたしが話を終わらせちゃったんだから、今度はあたしが……。

 

 「しょ、小吉!」

 「は、はい!」

 「あ、あたしとその……。したい?」

 「し、したい……とは?」

 

 いや、聞き返さないでよ。

 この状況で『する』ことなんて、小吉のアレをあたしのアソコにナニすることしかないでしょ?

 あ、もしかしたら、小吉は童貞だからわかんないのかも。

  でも、処女でオマケに知識が片寄ってるあたしが知ってるのに、一回りも歳上の小吉が知らないなんてことがあるのかし……あ、察したみたい。

 本人は気づいてないんでしょうけど、股間が少し盛り上がってるからすぐにわかったわ。

 でも、遠慮してるのか度胸がないのかはわからないけど、あたしに手を出そうとはしてくれない。

 だったら、あたしが背中を押してあげようじゃない。

 

 「あたしね、小吉じゃったらええよ。でも、あの……汗とかかいちょるけぇ、できればお風呂に入ってからがええ……。ダメ?」

 「うん、ダメ……いやいやいやいやいや!ダメじゃない!ダメじゃないよ?うん、やっぱ、そう言うのは風呂に入ってからだよね!」

 

 今、ダメって言った?

 言い直したけど、確かにダメって言ったよね?

 どうしてダメなんだろう?

 もしかして、あたしの匂いを嗅ぎたいの?

 今の汗臭いあたしを嗅ぎたいからダメって言ったの?

 そうなら、理解できる。

 その気持ちは理解できるわ。

 お風呂上がりの匂いも嫌いじゃないけど、やっぱり日中に凝縮された匂いを嗅ぐ方が楽しいし興奮できるもの。

 

 「じゃあ、小吉も風呂に入らんで。そのまま、あたしを……」

 「え?僕は入るよ?」

 「ど、どうして?」

 

 そうなるの?

 それじゃあ、今の小吉の匂いが落ちちゃうじゃない。

 まさか、自分だけあたしの匂いを楽しんで、あたしには楽しませないつもり?

 それともまさか、あたしを抱きたくないから遠回しに断ってる?

 あ、その可能性が大。

 だって縮んでる。

 小吉の股間が平静を取り戻してる。

 あたしは心も身体も準備できてたのに、小吉はあたしの覚悟を踏みにじった。

 恥をかかされたような気分だわ。

 

 「小吉の……ド阿呆!もう知らん!」

 

 それが許せなかったのか、あたしの身体は吐き出した言葉に導かれるように、足元に置いていたトランクを小吉の顔面に叩きつけていた。

 しかも、角を。 

 

 「しょ、小吉?大丈……夫?」

 

 じゃ、ないわね、これ。

 死んじゃいないけど、白目を剥いて鼻血を盛大に流している。

 そのせいで真っ白なシーツが、真っ赤に染まっていってるわ。

 

 「これじゃあ寝れんなぁ……」

 

 案内の爺さんに頼んで交換してもらう?

 いや、それは駄目ね。

 小吉は鼻に詰め物でもしとけば大丈夫でしょうけど、この小吉を見られたら大事になりかねない。

 

 「あ、じゃったら……」

 

 部屋ごと変えてもらおう。

 あたしも小吉も、荷物は手荷物だけだから部屋さえ用意してもらえれば移るのはすぐ。

 あたしが交渉すれば、小吉を見られる心配もないわ。

 

 「よし、そうと決まれば……」

 さっそくお願いしに行こうと思い、隣の部屋を用意してもらったんだけど……小吉が見た目より重くて、あたしの細腕じゃあ小吉を移動されなかったのよね。

 だから仕方なく、小吉はそのまま寝かせてあたしだけ部屋を移ったんだけど……。

 

 「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 翌朝、それが失敗だったと、甲高い女の悲鳴に教えられた。

 

 

 



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第五十五話 迷探偵小吉 後編(表)

 

 

 

 

 

 「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 はい、来ました。

 やっぱり絹を裂くような女性の悲鳴が朝っぱらから洋館中に響き渡りましたよ。

 まあ、洋館中に響いたかどうかは、今だ部屋のベッドで横たわってる僕には確認しようがないんだけどね。

 ただ、間違いなくこの部屋には響いた。

 だって、僕のすぐそばでコッテコテのメイド姿をした女性が叫んだんだから。

 

 「ど、どうしたんですかメイドさん!」

 「あ、ポール支配人!朝食の時間になったのでお呼びに来たのですが、返事がないのでマスターキーを使って入ったら油屋様が……油屋様が死んでたんです!」

 

 よし、お前ら落ち着け。

 まず、僕は死んでない。

 昨日、ナナさんにトランクで殴られたせいで肉体的にも精神的にも負傷してるから起き上がれないけど、僕はちゃんとまだ生きてるから。

 それとポールさん。

 その女性をメイドさんって呼んでたけど名前は無いの?

 無いわけないよね?

 まあ、それはそちらなりの事情があるんだろうからこれ以上ツッコマないけどさ。

 

 「事件の香りがしますね」

 「あ、あなた様は!油屋様と同じく招待されて当ホテルにご宿泊されている私立探偵のシャア・ロ・キアン様!」

 

 人って、ツッコミしすぎると死んじゃうとかない?

 ああでも、怒りすぎて憤死(ふんし)ってのはあったな。

 じゃあ僕、憤死しちゃうかも。 

 ツッコミしすぎて憤死しちゃうかもしれないけど行くよ?

 まず、状況説明はありがたいから、ポールさんのやたらと説明臭い台詞は無視するとして。

 突然現れた私立探偵って何者?

 シャア・ロ・キアンって名前らしいけど、それってシャーロック・ホームズの熱狂的なファンの総称であるシャーロキアンから取った?

 と、思ってチラ見してみたら、真っ赤な服を着て両側に角が生えた兜を被った劣化アズナブルがいたよ。

 シャアはシャアでも赤い彗星の方かよ!

 いやいや、落ち着け小吉。

 彼は色と格好が似てるだけであって、三大コンプレックスを拗らせた彼とは違う。

 彼はただの赤い変態だ。

 

 「メイドさん。あなたが鍵を開けるまで、この部屋には鍵がかかってたんですね?」

 「はい、間違いありません。油屋様やシャア様と同じく招待客の一人である金田(かねだ) 一一(といち)様」

 

 これさ、新手の暗殺法かい?

 僕を憤死させようって腹かい?

 金田一一って、僕の世代がルビなしで見たら金田一一(きんだいちはじめ)としか読めないんだけど?

 と、ツッコミながらチラ見してみたら、そこには少年の方じゃなくてじっちゃんの方がいた。

 いや、正確にはじっちゃんの格好をした少年だな。

 

 「え~窓にも、え~鍵がかかっていますし、え~ここは二階で壁によじ登れるような段差も、え~ない。え~つまり、え~ここは密室だったと言うわけです」

 

 あれ?この口調と、うっすら見える人相からすると次の探偵役(笑)は古畑任三郎?

 いやいや、まさか……。

 

 「そうなのですか?たまたま当ホテルに滞在していた通りすがりの刑事の今泉様」

 

 逆かよ!

 古畑じゃなくて今泉君の方かよ!

 名前で判断するのは好ましいとは思わないけど、見た目が古畑なだけの無能じゃん!

 

 「ええ、ポール支配人。え~他にマスターキーは?」

 「フロントに部屋数分かけてありますが?」

 「なるほど。え~ならば、マスターキーを手に入れようと思えば誰でもできたわけでかか」

 「その通りでございます。今泉様」

 

 密室もクソもねぇ!

 何でマスターキーが部屋と同じ数あって、しかもフロントにかけっぱなしなんだよ!

 せセキュリティの概念を海軍式で叩き込んでやろうか!

 

 「ポール支配人。この館には、あと誰がいますか?」

 「あとは、油屋様のお連れ様が一人だけです。シャア様、それが何か?」

 「ここにいる者は、昨日の晩から先ほどまで探偵とはどうあるべきかを議論していました。なので、アリバイがある。それは我々に付き合っていたお二人も同様です」

 「つまり、アリバイが無いのは油屋様のお連れ様だけ、と言うことですね?」

 

 暇人か?

 一晩中、探偵はどうとかこうとか議論してたの?

 議論した上でしてる格好がそれ?

 金田一モドキと今泉君はともかく、アンタは変質者でしかないじゃない。

 探偵どころか一番最初に疑われる奴だよ?

 

 「よし!謎はなんとなく解けたとじっちゃんの名に懸けて誓おう!犯人は連れの女性。動機は痴情の(もつ)れで良いんじゃないかな?」

 

 良くねえよ。

 まあ、痴情の縺れで僕は鼻血を噴いて気絶したと言えるけど、雑にも程があるだろ。

 推理なんか微塵もしてないじゃないか。

 他の四人も、声を揃えて「意義なーし」とか言ってんじゃねえ!

  

 「あれ?小吉、まだ寝ちょるん?」

 

 もう、起きて僕は死んでないとバラしちゃおうかな~

と、思ってたら、ナナさんが部屋に入ってきた。

 いやホント、「アンタら何しちょん?」って言いたげな顔してるよ。

 

 「お嬢さん。彼がああなってるのは、あなたのせいですね?」

 「そうじゃけど?っつうか、アンタ誰?そんな真っ赤な格好して恥ずかしくないん?控えめに言って変態じゃけど?」

 

 よくぞ言ってくれました!

 赤い変態は変態呼ばわりされたのが余程ショックだったのか、ガーンって文字が後ろに浮かんでそうな顔してるよ。

 

 「じゃあ、犯人はお前だ!」

 「じゃけぇ、そう言っちょるじゃろうがね。アンタは見た目通りの阿呆か?」

 

 その言葉で、金田一モドキは撃沈された。

 たぶんだけど、頭にそれなりの自信があったんじゃないかな。

 

 「え~、君は何故、え~、彼を殺したんだい?」

 「え~え~うっさい。それしか入ってこんこけぇ、その口癖やめぇ」

 

 はい、古畑モドキも沈んだ。

 たぶん、キャラ付けのつもりで「え~え~」言ってたんだろうに、ナナさんは容赦なく切って捨てちゃった。

 

 「小吉、ご飯って言いよるよ。早ぉ起きんさい」

 「はいママ」

 「まま?」

 「あ、ごめん。つい……」

 

 ナナさんの口調がママっぽい気がしたから、反射的に答えちゃった。

 でも、態度や行動もママっぽいなぁ。

 腰に両拳を当てて「早ぉ起きんさい」って言ったときもそうだし、鼻血で真っ赤になった上着を「しょうがないねぇ」と、言いながら脱がして替えを羽織らせてくれたのもそうだ。

 僕が母親に甘えた経験が少ないからか、凄くバブみを感じる。

 許されるなら、ナナさんに抱き抱えられておっぱいを吸いたい。

 そう思わせてくれたナナさんが、今は襲撃者と何度も斬り結んでいる。

 右手に銃剣付きの三八、左手には日本刀を持った彼と、牛若丸の如く橋の上を跳び跳ねるナナさんが奏でる剣戟の音が殺伐としたメロディーを奏で、ナナさんが彼を斬りつける度に舞う血飛沫と、彼の攻撃を躱しきれずに引き裂かれたナナさんの服の破片が夜の京都を不気味に彩っている。

 

 「その剣技、我流だな?お前のような女学生が、どうしてそんな剣技を身に付けた?」

 「生きるために必要じゃった。それだけいね」

 「ほう!と言うことは、その見事な剣技と体術は生存本能そのものと言うわけか!その歳で大したもんだ。最初の姉妹もそうだったが、日本にもまだまだ猛者がいるじゃないか!」

 

 上空から、落下速度と体重を加えて振り下ろした短剣と小太刀による降り下ろしを左手の日本刀だけで受け止めた彼は、まるで衝撃などなかったかのように真横に振って、ナナさんを僕のすぐ傍まで弾き飛ばした。

 そして……。

 

 「挨拶が遅れて申し訳ない。油屋小吉大将殿とお見受けしますが、相違無いですかな?」

 

 わかりきってただろうに、僕が暗殺対象なのか確認した。

 僕は、彼の経歴を大まかにしか知らない。

 しかも、猛君から聞いただけだ。

 それによると、彼はかなり泥臭い戦い方をしている。

 中世ならともかく、近代の戦争ではそれが当たり前だけど、彼はそんな戦闘を戦い抜いて来たとは思えないほど正々堂々、正面から来た。

 彼は侍だ。

 彼は(さむらい)だ。

 あと数十年後には絶滅してしまう、真のサムライが僕の目の前に立っている。

 そう、僕は思ってしまった。

 だからなのか、それとも僕に反骨心があったのか……。

 

 「人に名を問う時は、まずは自分から名乗るのが礼儀では?」

 

 と、返していた。

 それが、彼の琴線に触れたのかな。

 彼は満足そうな笑顔を顔一杯に浮かべて胸を張り、空間を震わせているんじゃないかと錯覚してしまうほどの声量で……。

 

 「重ね重ね失礼!では、僭越(せんえつ)ながら名乗らせて頂きます!自分は元石原中隊擲弾筒分隊長、船坂(ふなさか) 弘《ひろし》、(まか)()して(そうろう)!」

 

 と、鬼すらひれ伏させそうな見事な陸軍式敬礼をしながら、後に『不死身の分隊長』や『生きている英霊』と呼ばれることになる英雄は名乗りを上げた。

 

  

 

 

 

 

 



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第五十六話 迷探偵小吉 後編(裏)

 

 

 

 女の悲鳴で目覚めて、小吉が気絶しているはずの部屋の気配を探ってみたら大事(おおごと)になっていた。

 話を聞く限りでは……。

 

 

 「ど、どうしたんですかメイドさん!」

 「あ、ポール支配人!朝食の時間になったのでお呼びに来たのですが、返事がないのでマスターキーを使って入ったら油屋様が……油屋様が死んでたんです!」

 

 小吉が死んだらしい。

 でも、小吉は生きている。

 今も、背中を預けてる壁越しに気配を感じてるもの。

 だから小吉が死んだと言うのは、冥土とか言う変な名前をした女の誤解ね。

 

 「事件の香りがしますね」

 「あ、あなた様は!油屋様と同じく招待されて当ホテルにご宿泊されている私立探偵のシャア・ロ・キアン様!」

 

 へぇ、泊まり客に外国人がいたんだ。

 夕飯は部屋に持って来てもらったから、他にどんな客がいるのか見てなかったのよね。

 どんな人なんだろ……と、好奇心に駆られてドアを少し開けて見てみたら……。

 「一言で言うなら、赤い変態じゃね」

 

 と、言いたくなるくらい派手な格好をした人が、ドアが開け放たれた小吉の部屋の前でふんぞり返っていた。

 頭以外は、本当に全身真っ赤だわ。

 

 「メイドさん。あなたが鍵を開けるまで、この部屋には鍵がかかってたんですね?」

 「はい、間違いありません。油屋様やシャア様と同じく招待客の一人である金田(かねだ) 一一(といち)様」

 

 おや?

 段々と、小吉の怒気が強まってる。

 矛先は……他の客っぽいわね。

 でも、どうして怒ってるんだろう。

 

 「え~窓にも鍵がかかっていますし、え~ここは二階で壁によじ登れるような段差もない。え~つまり、ここは密室だったと言うわけです」

 「そうなのですか?たまたま当ホテルに滞在していた通りすがりの刑事の今泉様」

 

 小吉の怒気が、また一段と強くなった。

 もしかしてあの客たちは、小吉の敵なのかしら。

 それに気づいた小吉が、入り口を塞がれた上に訳のわからない会話を続けられてる状況に怒ってるんじゃない?

 だったら万が一に備えて、いつでも斬りかかれるように気配を消してアイツらの後ろに控えとこう。

 

 「ええ、ポール支配人。他にマスターキーは?」

 「フロントに部屋数分かけてありますが?」

 「なるほど。ならば、マスターキーを手に入れようと思えば誰でもできたわけか」

 「その通りでございます。今泉様」

 「ポール支配人。この館には、あと誰がいますか?」

 「あとは、油屋様のお連れ様が一人だけです。シャア様、それが何か?」

 「ここにいる者は、昨日の晩から先ほどまで探偵とはどうあるべきかを議論していました。なので、アリバイがある。それは我々に付き合っていたお二人も同様です」

 「つまり、アリバイが無いのは油屋様のお連れ様だけ、と言うことですね?」

 「よし!謎はなんとなく解けたとじっちゃんの名に懸けて誓おう!犯人は連れの女性。動機は痴情の(もつ)れで良いんじゃないかな?」

 

 ふむふむ。

 つまりこの人たちは、小吉が鼻血を噴いて気絶した原因を探ってたわけか。

 みんな声を揃えて「意義なーし」とか言ってるし、犯人であるあたしはコイツらに拘束なりされるかもしれない。

 だったらそうなる前に、場の雰囲気を読んで起きないんだと思われる小吉が生きてるって教えてやるか。

  

 「あれ?小吉、まだ寝ちょるん?」

 

 さも、今知ったようにすっとぼけてね。

 さらに、「アンタら何しちょん?」って心の中で思いながら他の奴らを見渡すのも忘れない。

 術が使えなくなったせいだと思うんだけど、こういう演技ができるようになった自分に違和感を感じるわ。

 

 「お嬢さん。彼がああなってるのは、あなたのせいですね?」

 「そうじゃけど?っつうか、アンタ誰?そんな真っ赤な格好して恥ずかしくないん?控えめに言って変態じゃけど?」

 「じゃあ、犯人はお前だ!」

 「じゃけぇ、そう言っちょるじゃろうがね。アンタは見た目通りの阿呆か?」

 「え~、君はどうして、え~、彼を殺したんだい?」

 「え~え~うっさい。それしか入ってこんこけぇ、その口癖やめぇ」

 

 立て続けにわずらわしかったからお座なりに対応したんだけど、どうやらそれが効果抜群だったらしく、三人の客は何かに懺悔でもするように土下座した。

 名前も外見も数十分後には忘れてそうな人たちだけど、ここまでわかりやすく落ち込まれると「悪いことしたかな?」って思っちゃうのは、あたしが人に近づいてるってことなのかしら。

 って気持ちも、すぐに忘れちゃうだろうから記憶の彼方に放り投げるとして……。

 

 「小吉、ご飯って言いよるよ。早ぉ起きんさい」

 

 起きるタイミングを探ってるっぽい小吉に、起きる理由を与えてあげるのが先だと思ってそうしたら……。

 

 「はいママ」

 「まま?」

 「あ、ごめん。つい……」

 

 ままって確か、あたしの記憶が確かなら英語でお母さんって意味よね?

 あたしじゃあ、どう足掻いても小吉は生んであげられないんだけど……いや、待って?

 以前猛おじ様に、「男は結婚して子供ができると、女房を母さんと呼ぶようになる」と教えられた気がする。

 それが本当だとすると、小吉の中ではすでにあたしと結婚してて、子供まで作ってる。

 それが、全身の毛が逆立つほど嬉しかったあたしは腰に両拳を当ててできる限りの威厳を出しながら……。

 「早ぉ起きんさい」

 

 って言いながら小吉に体を起こさせて……。

 

 「しょうがないねぇ」 

 

 って言いながら、あたしが癇癪を起こしたせいで鼻血で真っ赤になった上着を脱がして替えを羽織らせた。

 あ、何気なくやったけど、これって良い。

 何て言うか、あたしは小吉の奥さんなんだ、あたしは小吉を影ながら支えれるんだって気持ちになれた。

 もし、以前のあたしが同じ行為をしてたら、「何であたしがこんなことせにゃいけんのん」って、言葉にまでしてたと思う。

 

 「はぁ……。結局、吊り橋も無事なまま。見かけ倒しも良いとこだ」

 「吊り橋、落ちた方が良かったん?」

 「いや、そういうわけじゃあないんだけど、ここまでコテッコテの立地条件で何も起きなかったのが逆に残念でさ」

 

 う~ん、何が残念なのかがわからない。

 ただでさえ、小吉は命を狙われてるんだから、何も起きないに越したことはないんじゃない?

 それに、小吉は何もなかった風に言ったけど、しっかりと珍事はあったじゃない。

 なのに、小吉が満足してないってことは……。

 

 「もっと、酷いことした方が良かった?」

 「どうしてそうなるの?」

 「だって、満足してないんじゃろ?小吉は、もっとあたしに殴られたかったんじゃろ?」

 「ち、違っ……!僕はマゾじゃないから!」

 

 マゾって何?

 あたし、外国語は得意じゃないから、できれば日本語で言い直してほしい。

 ほしいけど……なんだろう、この気持ち。

 海の時と似てる、小吉に意地悪したい気持ちが、あたしの心と体を支配していく。

 

 「ねぇ、マゾって何?」

 「いやその……マゾって言うのは……」

 「ん~?あたしにゃあ言えんのん?それとも、言いたくないん?」

 「わ、わかってて言ってるんでしょ?意地悪しないでよナナさん」

 「いんやぁ?あたしにゃあ意味がわからん。じゃけぇ、あたしにもわかるよう説明してぇね」

 

 と、初めて経験するニヤケ顔をしながら、あたしは小吉に詰め寄った。

 そんなあたしに、小吉は……。

 

 「ナナさんのせいで、僕はこうなっちゃったんだからね?」

 

 と、意味はわからないけどあたしの心も身体も熱くする言葉を、返してくれたわ。

 

 

 



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第五十七話 英雄 前編(表)

 

 

 

 「重ね重ね失礼!では、僭越(せんえつ)ながら名乗らせて頂きます!自分は元石原中隊擲弾筒分隊長、船坂(ふなさか) 弘《ひろし》、(まか)()して(そうろう)!」

 

 清々しさすら感じる声で名乗った彼は、僕個人の中では山本さんに比肩するほどの英雄、船坂弘だった。

 やっぱ、あの時の一言がフラグになっちゃったのかなぁとも後悔したけど、同時に光栄だとも思ってた。

 だって彼は、押しも押されぬ英雄だ。

 政治家とか軍略家とかという、わかる人にしかわからない英雄とは違ってわかりやすい英雄。

 真実とは思えない戦果。

 人間とは思えない身体能力。

 突然変異としか思えない気概と思考の柔軟さ。

 その全てが合わさったのが彼なんだ。

 もし生まれた時代が違ったら、間違いなく一国の王になっていただろうと理屈なく思わされるくらい、彼の生き様は異常だ。

 そんな彼が、僕を殺しに来た。

 それだけで……。

 

 「君ほどの人物に命を狙われるなんて、僕も偉くなったもんだ」 

 

 と、自分を卑下してしまう。

 器が違う。

 とでも言えば良いのだろうか。

 虚勢とハッタリだけで生き長らえて来た僕と、生まれながらの強者であり、王者である彼とは立ってるステージが違いすぎる。

 きっと、(いにしえ)の王たちは、彼みたいな人たちだったんじゃないかな。

 筋力もあっただろう。

 知力もあっただろう。

 それらを駆使して財力も築いただろう。

 そして生まれながらの才能と後付けの力が、人を惹き付けて権力を彼らに与えた。

 彼、船坂 弘は、生まれる時代が近世だったばかりに王になる機会を失った無冠の王だ。

 と、名乗っただけで根っからの庶民である僕に思い知らせた。

 

 「逃げぇ小吉!アイツ、普通じゃない!」

 「七郎次の言う通りです!ここは我らに任せて撤退を!」

 

 逃げる?

 何の冗談だそれは。

 僕は逃げるつもりなんてない。

 いや、逃げちゃ駄目だ。

 彼は僕が乗り越えるべき壁。

 この先、これ以上の苦難を乗り越えていかなきゃいけない僕が、この程度のことで逃げ出してどうする。

 

 「良い部下をお持ちですな、油屋大将殿。だから、微動だにしないのですかな?」

 「部下とは手足だ。そして僕は、彼らに命令を下す頭。手足を放って逃げて何が頭か」

 「それ故の不動、ですか。お噂はうかがっていましたが、実際に見ると見事だ。感動すら覚える。海軍一の勇将、『不動(うごかず)の油屋』殿とお会いできて恭悦至極に存じます!」

 

 誉めすぎ。

 そもそも、僕のこれ(・・)はハッタリだ。

 ひ弱で臆病。

 扱う戦略、戦術も贔屓目に言って並。

 だから僕は、せめて自分に敵のヘイトを引き付けて味方への被害を減らそうとした。

 そのせいで、随分と沢山の船を沈めたなぁ。

 船坂君は海軍一の勇将と称えてくれたけど、実際は海軍でもっとも船を沈めた男だよ。

 沖田君と一緒に乗ってた磯風が沈んだのだってそのせいだ。

 それに付き合わされた乗組員たちはたまったもんじゃなかっただろうけど、不思議と士気は爆上がりだったんだよね。

 自棄糞(やけくそ)になってたのかな?

 は、後々考えるとして……。       

 

 「ナナさん、沖田君。下がっていてくれ。彼の相手は僕がする」

 「何言うちょんや!侮っちょったっちゅうても、龍見姉妹を軽くあしらう奴に小吉が敵うわけないじゃろうが!」

 「七郎次に同意します!ですから、早く!」

 「二人とも、僕の命令が聞こえなかったのかな?彼の相手は、僕がすると言ったんだ。だから、道を開けろ」

 

 彼の行動は不可解だ。

 暗殺を命じられていながら堂々と登場し、腕前を考えれば僕を射殺することも可能だっただろうに、しようともしなかった。

 最初は、僕を値踏みしてるんだろうと思った。

 嬉々としてナナさんと斬り合ってるのを見て、戦いを楽しんでるんだとも思った。

 でも、どちらも違う気がする。

 いや、どちらも正しいと言った方が良いか?

 

 「聞いた通り、傷の治りが早いんですね。ナナさんに斬られた傷が、もう塞がってる」

 「昔からこうなんです。ちなみに、その話をどなたから?」

 「猛……大和陸軍中将からだ」

 「おお!大和中将殿が自分のことを!」

 

 もっとも、猛君も前世で得た知識でしか知らなかったはずだけどね。

 あれほどの短時間で傷が塞がるのを見たら、猛君でもビックリするだろう。

 歴史上の人物は脚色されるものだけど、彼の場合はたぶん逆なんじゃないかな。

 あまりに常識外れな自己治癒能力を、常識で考えられるレベルまで下げられて伝えられたんだろう。

 

 「まったく、貴殿がこれほど従うに値する方だと知っていれば、最初からこんな仕事など受けなかったものを……」

 「金が、必要だったのかい?」

 「ええ、やりたいことがありましたので。ですが、今は後悔しています。戦時中は、お偉方が情報と兵站を軽んじていたことに憤っていたのに、まさか自分が同じ轍を踏むとは……」

 「そこは気にしなくても良いと思うよ?君がどんな情報を与えられたかは知らないけど、だいたい合ってると思うから」

 

 そもそも、僕が過剰に評価され過ぎなんだ。

 僕が軍に対してやった事と言えば、今も昔も損失をもたらすことだけだ。

 

 「小吉のド阿呆!ジュウゾウ、無理矢理でええけぇ、小吉を連れて逃げぇ!」

 「言われずとも、そうするつもりだ!」

 

 あ、こりゃマズい。

 彼との話に夢中になりすぎて、二人の存在を忘れてた。

 沖田君は気絶させるつもりなのか、僕の鳩尾(みぞおち)へと刀の柄を突きだそうとしている。

 じゃあ、しょうがない。

 僕が気絶させられる前に、沖田君を行動不能にする(・・・・・・・)としよう。

 

 「ほうっ!これはお見事!さしもの自分も、爆発以外で人が吹き飛ぶところを初めて見ましたぞ!」

 「お褒めに預かり光栄だ。でも、君も似たようなことができるんじゃないかい?」

 「とんでもない!そこまで無駄な攻撃力を、自分は有していませぬ!」

 

 あ、無駄って言われちゃった。

 さすがに少し傷ついたけど、当然と言えば当然だと思ってしまうあたり、僕も軍人なんだなぁ。

 

 「ナナさん。沖田君を介抱しててくれないかい?」

 「で、でも……」

 「さっきのを見ただろう?僕は勝算があるから、僕が相手をすると言ったんだ」

 

 それでも納得できないのか、ナナさんは動いてくれない。

 僕に殴られて(・・・・)、ナナさんと船坂君の頭上で弧を描いた後に橋に落ちた沖田君を早く介抱してほしんだけどなぁ。

 けっこう、ヤバめの落方をしたから。

 

 「本当に、大丈夫なんじゃね?」

 「うん。だから、行って。彼も、手は出さないから」

 

 言いながら彼へ視線を送ると、鬼でも泣き出しそうな笑顔でコクりと頷いてくれた。

 

 「これ、報酬は別にもらうけぇね」

 「わかった。何が良いか、僕が彼を倒すのを見ながら考えといて」

 

 と、言っててむなしくなる虚勢を張ったは良いけど、正直に言うと勝算なんてない。

 100%負ける。

 確実に負ける。

 絶対に負ける。

 ただしそれは真っ当に、普通に戦った場合の話だ。

 

 「……見事な自然体。自分を雇ったお偉いさん方は、あなたをハッタリと運だけで成り上がった猿太閤と言っていましたが、誤りだったようですね」

 「いや、事実だよ。でも、猿太閤は頂けないな。僕を蔑むために偉人を引き合いに出すなんて、偉人に失礼だ」

 「ご謙遜を。それほど見事な自然体は、人生全てを武に捧げて得られるかどうかと言う代物ですぞ?」

 「大袈裟すぎる。僕のこれは、艦橋で踏ん張ってたらできるようになっただけよ」

 

 ただし、南方の荒波プラス、砲撃や爆撃による揺れの中でね。

 それに僕は、この状態からたった一つの行動しか取れない。

 友を諌めるためにだけ鍛えた……。

 

 「僕の武器は、この右拳だけだ」

 「これまた見事。その拳、自分の瞳には金剛石の如く映りますよ」

 「君にそう言われると誇らしいな。じゃあ、僕が何を言いたいかも、わかるよね?」

 

 そう言いながら、僕が僕の射程まで歩を進めると、彼は短すぎる髪の毛をこれでもかと逆立てて「もちろん!」と叫び、身に付けていた装備を全て投げ捨てて両手を大きく広げた。

 

 「やっぱり君は、僕が思った通りの人だ。そんな君だからこそ、僕は本気で(・・・)殴れる」

 「どうぞ存分に!貴殿の本気、不肖この船坂弘が見極めさせていただく!」

 

 僕と彼との戦闘力の差は圧倒的。

 比べるのもおこがましい。

 戦艦と手漕ぎボートくらいの差がある。

 もちろん、僕が手漕ぎボートだ。

 でも、僕はただの手漕ぎボートじゃない。

 僕には主砲がある。

 初めて猛君を殴った時、猛君は大して痛そうにしなかったのに、僕は手首を骨折した。

 だから、まずは手首を鍛えた。

 次に殴った時は、猛君を呻かせるくらいはできたけど、拳の皮が剥けた。

 だから、今度はひたすら巻き藁を殴って皮膚を鍛えた。 

 友を諌めるために。

 ただそれだけのために、僕は殴る練習を続けた。

 友が道を踏み外さないように。

 ただそれだけのために、僕は大嫌いな暴力を手に入れた。

 だけどいつの頃からか、本気で殴れなくなった。

 だって僕が本気で殴ると、きっと猛君を殺してしまうから。

 

 「日本帝国海軍大将、油屋 小吉。推して参る」

 

 それが、戦闘を開始する合図だった。

 それが真の英雄である彼と、偽りの英雄である僕との、意地の張り合いの始まりだった。

  



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第五十八話 英雄前編 (裏)

 

 

 ジュウゾウが宙を舞った。

 比喩でもなんでもなく、小吉が無造作に放った右拳を腹に受けて、あたしと敵の上を飛んでいった。

 それを飽きれと驚きがない交ぜになった気持ちで見ていたら……。 

 

 「ナナさん。沖田君を介抱しててくれないかい?」

 「で、でも……」

 

 ジュウゾウの方へ行けと言われた。

 たしかにジュウゾウは、かなり危ない落ち方をしたわ。

 でも、頭から落ちないように最低限の受け身は取ってた。

 だから、動けなくても命の心配はない。

 なのに最も危険な小吉が、最後の守りであるあたしを遠ざけようとしているのが理解できない。 

 

 「さっきのを見ただろう?僕は勝算があるから、僕が相手をすると言ったんだ」

 

 勝算なんてない。

 小吉がアイツと戦えば、十秒ともたずに殺される。

 でも、あたしならアイツを殺せる。

 通常のあたしの速度でもアイツは反応しきれてなかったんだから、韋駄天を使えば確実に首を取れる。

 それは小吉もわかってるはず。

 なのに、小吉は自分が相手をすると言った。

 あたしより弱いのに。

 龍見姉妹より弱いのに。

 ジュウゾウよりも弱いのに、小吉は戦うと言った。

 勝算まであると言った。

 あたしとしては受け入れがたいけど、きっと小吉はあたしの言うことを聞いてくれない。

 だったら……。

 

 「本当に、大丈夫なんじゃね?」

 「うん。だから、行って。彼も、手は出さないから」

 

 念押しだけして、あたしはジュウゾウの方へ行こうとした。

 でも、何か言わないと気が収まらない。

 だから……。

 

 「これ、報酬は別にもらうけぇね」

 「わかった。何が良いか、僕が彼を倒すのを見ながら考えといて」

 

 欲しくもない報酬を要求してから、小吉の傍を離れた。

 途中、敵とすれ違ったけど、小吉が言った通り邪魔はしなかった。

 あたしには目もくれず、ずぅ~っと小吉を見てたわ。

 

 「ねえ、ジュウゾウは小吉のアレ(・・)、知っちょったん?」

 「い、いいや、知らなかった」

 

 でしょうね。

 もし知っていたら、ジュウゾウほどの手練れがアレを食らう訳がない。

 

 「七郎次、俺のことはいいから、油屋大将に加勢してくれ」

 「無理じゃね。あの間にゃあ入れん」

 

 いや、入っちゃ駄目なの。

 端から見ると、あたしがジュウゾウのそばに着くなり始まったアレは、交代に殴りあってるだけにしか見えない。

 でもあれは、ただの殴り合いじゃない。

 だってただの殴り合いなら、小吉は最初の一発を撃つ前に倒されてる。

 なのに小吉は敵に拳を放って、当てている。

 それは異常。

 確かに、小吉の右拳の威力は凄い。

 岩に放てば難なく割るでしょうし、人に放てば胴体に風穴が空くでしょう。

 でもそれは、当てられるだけの技量が有ればの話。

 ジュウゾウを殴り飛ばした時みたいに不意を突いたり、あの敵のように微動だにしない限り、心得がある者に小吉の拳は決して当たらないわ。 

 だから、あの殴り合いに割って入っちゃ駄目なの。

 アレはきっと、二人の男の意地の張り合いなんだから。

 

 「良いぞ!凄く良い!もっと本気で殴れ!俺を殺す気で殴れ!貴殿の本気は、そんなモノじゃないはずだ!」

 

 いやいや、相手が普通の人なら、最初の一発が入った時点で即死してる。

 それほど、小吉の右拳は強力なの。

 なのにアンタ、何発食らった?

 軽く十発は食らってるはずなのに、むしろ食らうたびに元気になってない?

 

 「さあ!どうされた!次は貴殿の番ですぞ!」

 「元気だなぁ君は。肋骨は粉々だし、臓器もいくつか破裂してるだろう?それで死なないなんて、さすがは不死身の分隊長だね」

 

 あと一合で決まる。

 そう感じるほど、二人の思考と体力は最終段階に移ってる。

 

 「一つ、我儘を言っても良いかい?」

 「お仲間のことですかな?心配なさらずとも、お仲間に手を出す気は……」

 「違う。彼女たちは僕よりはるかに強いんだから、君にどうこうされる心配はしていない」

 「では、我儘とは?」

 「最後は、同時に撃たないかい?だって君、手加減してるだろう?本気なら最初の一撃で僕を殺せていただろうに、君は僕が倒れないよう、ギリギリのところで手を抜いている。だから、最後くらい本気で殴れ。僕も正真正銘、全力で君を殴る」

 「……三度目の失礼、誠に申し訳ない。自分は貴殿を侮っていた。見誤っていた。貴殿は、初めから全力で相手をすべき人だった」

 

 二人の間の空間が、歪んでるように見える。

 敵は典型的な正拳中段突きの構え。

 対する小吉は、自然すぎて不自然さを感じる自然体。

 

 「……勝って」

 

 小吉を見てたあたしは、何故かそう言ってた。

 小吉は満身創痍。

 次の一撃を躱されるなりすれば、小吉の負けは確定する。

 それはつまり、小吉が死ぬってこと。

 なのにあたしは、それでも二人の間に割って入ろうとしない。

 何だかんだで小吉が弱らせた敵の首を、今なら簡単に跳ねられるのにそうする気になれない。

 何故かあたしは、安心しているの。

 それはどうして?

 小吉の阿保さ加減に呆れきったから?

 それとも、小吉を信じているから?

 その答えが出せないまま、あたしは叫んでいた。

 自分が出したとは思えないほどの大声で、全身の力を絞り尽くしたような大声であたしは小吉に向けて……。

 

 「勝って!小吉ぃぃぃぃ!」

 

 と、叫んでいた。 



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第五十九話 英雄後編(表)

 

 

 

 

 意識が朦朧とする。

 自分が何をしているのか、どこにいるのかも忘れそうになるほど、僕の肉体は痛め付けられている。

 いや、痛め付けられる程度で済んでいるんだからマシか。

 彼が本気で殺す気なら、僕はとっくの昔に殺されている。

 なのにまだ僕が生きてるのは、彼が僕と語りたがったからだ。

 拳を通して、僕という人間を見極めたかったからだ。

 僕を、金と引き換えに殺しても良いと思えるくらい安っぽい人間なのか。

 それとも、金と引き換えに暗殺を引き受けたことを後悔する人間なのかを、彼は拳を通して確認したかったんだ。

 だから彼は、僕の拳を真正面から受けてくれた。

 型が合っているかどうかも疑わしい、ただただ巻き藁を殴って身に付けた僕の右拳を受け止めてくれた。

 

 「勝って!小吉ぃぃぃぃ!」

 

 ナナさんの叫びが、僕たちが最後の一発を放つ合図になった。

 船坂君が繰り出すのは正拳中段突き。

 僕が放つのは、代わり映えのしない右ストレート。

 僕にはそれしかできない。

 だから、それだけをやる。

 だから宣言通り全力で右拳に、細胞の一つ一つから力をかき集め、砲弾としてイメージし、それを装填。

 次いで、彼の胸の中央へと照準を固定。

 僕がイメージするのはここまでだ。

 あとは合図さえすれば、僕の身体は考えなくても動くレベルにまで覚え込んだ動きをしてくれる。

 それが、僕が持つ唯一の暴力。

 それが猛君にすら見せたことがない、僕の主砲だ。

 

 「撃てぇぇぇぇ!」

 

 その合図とともに、僕の身体は右拳を撃ち出した。

 彼も拳を突き出した。

 互いの拳同士が接触するまでの時間は一秒よりも短く、一瞬だったと思う。

 でもその僅かな時間が、僕には永遠のように長く感じられた。

 その間に僕は、「ああ、アレに拳を打ち付けたら、僕の右手はしばらく使い物にならないな」とか「書類仕事は沖田君に代行させるか」なんて、明日以降の心配をしていた。

 負けなんて考えてなかった。

 たぶん僕は、拳を放った瞬間に勝ちを確信していたんだと思う。

 

 「お、お見事……」

 

 僕の意識がハッキリしたのは、右肩を押さえて膝を突いた彼がそう言ってからだった。

 参ったねこれは。

 さっきの一撃は、正真正銘全力で、最高の一撃だった。

 それくらいは、意識が朦朧としてても感触でわかる。

 なのに、彼の右腕はまだ繋がってる。

 拳から肩にかけて歪な形に変形しちゃってるけど、それでもまだ胴体と繋がっていた。

 でも、胡座(あぐら)をかいて完全に腰をすえた様子を見るに、彼にはもう戦う意思がないみたいだ。

 

 「参りました。この船坂弘、完全敗北であります」

 「まだ、戦えそうに見えるけど?」

 「いいえ。自分は拳が触れる刹那、貴殿を恐れた。腰が引けた。拳を突き出すのを躊躇した。自分は貴殿に、完全に心を折られました。故に、もう戦えませぬ」

 

 彼が真摯な瞳を向けて言った敗北宣言で安心したのか、僕の両足から力が抜けて、その場に尻餅をついてしまった。

 そのせいなのか、笑いだしそうにまでなってる。

 

 「あら?終わって……る?」

 「そうみてぇだな……って!ボロボロじゃねぇか大将!」

 

 後ろから龍見姉妹の声が聞こえた。

 天音君は、急いで川から上がってきたら終わってて、拍子抜けしたって感じだな。

 地華君は、僕が怪我してることにどういうしてるっぽい。

 

 「油屋大将殿。一つ確認したいことがあるのですが、よろしいですか?」

 「ん?ああ、良いよ。なんだい?」

 「では、単刀直入に。貴殿は未来を知っている。いや、その知識を使って戦争の結果を変えた。それに相違ないですかな?」

 

 驚いたな。

 彼がどうやってそれに気づいたのかはわからないけど、確認と断ったくらいだから確信していたんだろう。

 だったら、僕はこう答える。

 

 「うん、その通り」

 

 とね。

 ナナさんを初め龍見姉妹、四進君と沖田君ですら「何を言ってるんだ」って顔をして僕と彼を交互に見てるのを見て、彼が不思議そうな顔をしている。

 

 「お仲間には、教えてなかったので?」

 「そりゃあ、そういう夢でも見たんだろ。って、言われかねないくらい突拍子もない話だからね。だから君のように、気付いた人にしか話さない取り決めになってるんだ」 

 「その口振りだと、他にも貴殿のような人が?」

 「いる。君が知ってる大和中将もそうだし、世界各国に僕と同じ転生者はいる。だから、ここまで上手くいったんだ」

 「なるほど。戦争に参加する前もその後も、捕虜として米国にいた間も、死者が少なすぎると疑問に思っていたにですが得心いたしました」

 「ちなみに、君は本来ならどれくらい死んでたと予想する?」

 「当時の日本と米国の国力差、戦略、戦術、用兵全てを加味してざっと計算すると、およそ300万人ほどでしょうか」

 「大正解。本来の歴史では、それだけの人が亡くなった」

 

 本当に凄いなこの人は。

 彼と同じく僕たちの存在に気付いた山本さんと同じ答えだ。

 

 「では、自分も本来は、アンガウルで?」

 「いいや、君は生き残ったよ。敵である米兵にまで、『勇敢なる兵士』と讃えられてね」

 「ほう!敵に讃えられるとは、兵士としては最大級の名誉ですな!」

 

 声デカイな。

 君って、骨どころか内蔵もかなり痛めてるはずだよね?

 それこそ、死んでてもおかしくないくらい。

 

 「それで、自分は帰国後何を?今のように、暗殺者に身を落としましたか?」

 「僕が知っている限りでは、そんなことはないよ。ん?いや、待てよ?君は確か、お金欲しさに僕の暗殺を引き受けたんだよね?」

 「恥ずかしながら、そうであります」

 「もしかして、本屋の開業資金にするためじゃない?」

 「そ、その通りであります!貴殿がそれを知っていると言うことは……」

 「うん、君は本来の歴史でも、本屋を開業したよ」

 

 たしか、場所は渋谷駅前だったかな。

 たった一坪の土地から初まって、平成の世まで続く日本初の本のデパートにまで成長した老舗書店。

 その開業者が彼だ。

 書店の名前は確か……。

 

 「ねえオッサン。なんで本屋なん?」

 「こ、こらナナさん!彼は僕より若いのに、オッサン呼ばわりしたら失礼じゃないか!」

 「いや、構いませんぞ油屋大将殿。彼女からすれば、自分は正にオッサンですから」

 「で、何でなん?」

 「それはな、日本の文化、教育、産業を豊かにするためだ」

 「本を売ると、そうなるん?」

 「なるさ。少なくとも自分は、そう信じて行動に移すつもりだ」

 

 ナナさんは理解できないみたいだな。

 いや、ナナさんだけじゃない。

 龍見姉妹や沖田君ですら、彼が言ってることが理解できていないようだ。

 その空気を察したのか、船坂君は……。

 

 「もっと時代が進めば技術も発展して本など必要ない時代が来るかもしれない。でもな、今は本だ。本は昔からある情報伝達法であり、娯楽だ。それを一人でも多くの人に売ることは、戦争で疲弊した祖国を立ち直らせる一助になる」

 「本から、学ぶけぇ?」

 「その通り!本とは先人の知恵の集合体であると同時に、今の才人が記す未来への道標でもある!だから読め!本を読め!それだけで、人生は今よりも素晴らしいものになる!」

 

 熱いなぁ。

 彼の熱意にあてられたせいか、僕まで変なテンションになってきたよ。

 

 「おお、そうだ!油屋大将殿!折り入ってお願いが!」

 「なんだい?」

 「自分が開く本屋に名前をつけていただきたい!」

 「うん、良い……」

 

 良くないよ!

 君の熱意に当てられたせいで、二つ返事でOKしそうになったけど良くない!

 ああでも、今さら断れる雰囲気でもないな。

 彼はもちろん、みんなまで僕の答えを期待の眼差しをして待ってる。

 だったら……。

 

 「日本を大いに盛り上げる人たちが集まる書店って意味で、大盛堂書店なんてどうかな?」 

 

 本来の歴史で彼がつけた書店名を、それっぽい感じで提案してみたら思ったより感心された。

 船坂君は「やはり相談してよかった!」って良いながら、ボキボキに折れてたはずの右手で膝をバンバンと叩いてるし、他のみんなも「お~」とか言いながら拍手してくれたよ。

 でも僕はと言うと、カンニングしてテストで満点を取ったみたいな後ろめたさを感じていた。

 



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第六十話 英雄後編(裏)

 

 

 

 夢を、見ている気がする

 だって身体の感覚がない。

 それにあたしは、配置はヨコチンで見た執務室と同じだけど、全体的古くなった家具が置かれた部屋で、見覚えのないお爺さんがウキウキしながらウロウロしているのを上から見てる。

 そうこうしていたら、髪の長い女が男と女の子を連れてきた。

 男は、どれだけ暑くても小吉が頑なに着続ける白い服装。腰には見覚えのある日本刀を帯びてるせいか、懐かしい感じがする。

 女の子は、女と似てる気がするわね。

 もしかしたら、この男との子供なのかもしれないわ。

 

 「久しぶりだねーーー君。元気そうで何よりだ」

 

 あ、声を聞いたら、お爺さんが誰なのかがわかった。

 声はしわがれてるし、頭は禿げ上がって代わりに髭がフサフサになってるけど、このお爺さんは小吉だ。

 お爺さんになった小吉だわ。

 

 「元帥殿は今にも死にそうですね。そろそろ、棺桶を注文した方がよろしいのでは?」

 「相変わらず口が悪いね君は。まあ、そこが気に入ってるんだけど」

 

 へえ、小吉って逆立ちオジサンと同じゲンスイになったんだ。

 じゃあ、海軍で一番偉いのよね?

 なのにこの子は、小吉に悪態をついた……ん?あたし今、この子って言った?

 

 「ーーちゃんは真似しちゃダメよ。絶対に」

 「まあ、二人とも座りなさい。ーー君、お茶をお願いしていいかな?」

 「わかりました」

 「粗末な部屋で申し訳ない。別にちゃんとした部屋はあるんだけど、僕はこっちの方が落ち着くんだ」

 「構いませんよ。私も、こちらの方が性に合ってますので」

 

 男と女の子が席に着くと、テーブルを挟んだ反対側に小吉が座った。 

 でも、女の子は落ち着きがなくなったわね。

 男をチラ見しては、コロコロと表情を変えてる。

 あたしもこの子くらい表情が豊かなら、もっと小吉と仲良くなれるのかしら。

 

 「それで、私はどのような用件で呼び出されたんですか?まさか、世間話をするためじゃありませんよね?」

 「だいたい合っているよ。世間話と言うよりは、昔話と言った方がいいかもしれない……。いや、懺悔か?」

 「あなたが暇つぶしでそんな事をするとは思えない。今度の作戦に、必要な事なんでしょう?」

 「作戦には直接関係ないよ。だけど、君には知っておいて欲しかったんだ」

 「ふむ……。なぜ私なのかはわかりませんが、そう仰るなら、聞きたくないとは言えないですね」

 「お嬢さん、君も聞いてくれないか?いや、むしろ君のような若者にこそ、聞いて貰いたい」

 「は、はぁ……」

 

 どうやら、小吉は作戦のためにこの子たちを呼んだようね。

 でも、その席にどうして子供が?

 

 「じゃあ、始めようか。と言っても、質問から始まってしまうんだけど……」

 

 それから先の話は、小吉が言った通り懺悔に聞こえた。

 小吉が歴史を変えた話に始まり、()の状況。

 もし小吉たちが歴史を変えなかったら、日本は悲惨なことになっていた話を聞いたときは、あたしでさえ空恐ろしい気持ちになった。

 

 「元帥殿、一つ伺ってもよろしいですか?」

 

 その言葉を皮切りに、男の殺気が膨らみ始めた。

 でも、制御してるっぽいわね。

 膨れ上がる殺気を胸の内に押し込めて、溜め込んでいるようにも感じる。

 これ、もしかしなくても暮石流呪殺法?

 じゃあこの子は、あたしか兄様の子孫ってこと?

 

 「このクソジジイ!なんて余計なことを!」

 

 あたしが男の素性を詮索している間に、男が小吉の胸ぐらを掴み上げて右拳を振り上げていた。

 女の子が必死に止めてるけど、爆発してしまった感情に流されて拳を下げることができないみたい。

 

 「いいんだよお嬢さん。ーー君も、銃を下ろしなさい」

 「ですが閣下。これは処罰されても、文句は言えないと思います」

 「いいんだ。僕は、彼に殺されてもいい覚悟でこの話をしている。それに君なら、上手く隠蔽できるだろ?」

 

 後ろに控えていた女は、止める気が無さそうね。

 でも、撃つ気はないらしい。

 いえむしろ、撃たないで済む口実ができるのを待ってるみたいだわ。

 

 「し、司令官……その、とにかくここは一旦落ち着いてください。でないと、その……」

 「チッ……」

 

 女の子に諌められて、男はようやく拳をおろした。

 女もホッとしたように拳銃をしまった。

 小吉も、何か罰を与えるつもりは無さそうね。

 

 「君の怒りはもっともだ。僕達が余計な事をしなければ、君の妻子や部下は死なずに済んだかもしれないのだからね」

 

 ふむ、つまり小吉たちが歴史を変えたせいで、あたしか兄様の子孫は妻子を失う羽目になったのか。

 でも変ね。

 男が本当に暮石の末裔なんなら、「じゃあ次を探して作ろう」って感じで感情を切り替えそうなものだけど……あ、考えてる間に、話が進んだっぽい。

 

 「私は今も昔も現場主義なんでね。元帥なんて面倒な仕事は、他の奴にやらせてください」

 「欲がないね君は。いや、君の家系は欲が無さすぎる。君のお婆さんにあたる人を使った事があるけど、彼女も欲が無かったなぁ。彼女自身が提示した報酬以外は、「いらん」とバッサリだったよ」

 

 んん?

 欲が無さすぎる家系って、もしかしてうちのこと?

 じゃあ、小吉が使った、この男のお婆さんってあたし?

 と、言うことは、この男はあたしの孫なの!?

 そうとわかったら、なんだかこの男……この子が可愛く思えてきたわ。

 顔立ちも、どことなく小吉に似てる気がする。

 鼻の形なんて、小吉そっくりじゃない。

 

 「まさか、妾になれとでも言いましたか?」

 「妾じゃなくて本妻だけど……。聞いていたのかい?」

 「婆様の代は親父の代と違って、海軍がうちのお得意様だったとは知っていましたからカマをかけただけです。が、まさか婆様に手を出そうとしていたとは……」

 

 なるほどなるほど。

 つまり、あたしと小吉の子供は男の子か。

 名前はなんてつけたんだろう。

 あたしの次だから○八郎か八郎○?

 だとしたら、この子は○九郎か九郎○ってことに……。

 

 「……一応言っておくけど、手を出したことはないからね?」

 「当たり前だクソジジイ。あなたと血が繋がってる可能性があるだなんて、考えただけでゾッとしますよ」

 

 待って待って待って。

 と、言うことは、あたしと小吉は結婚しなかったの?

 じゃあ、あたしは誰と子供を作ったの?

 少なくとも今のあたしは、小吉としか結婚する気がないのに……。

 

 「綺麗な人だったなぁ……。例えるなら古刀か。人を殺すことだけのために生み出されたのに、美術品のようにきらびやかで美しかった。君の瞳は、そんな彼女にソックリだよ」

 

 も、もうっ!

 孫の前であたしを誉めちぎらないでよ!

 恥ずかしいでしょ!

 いや、嬉しいのよ?

 あたしを思い出したのか、うっとりした表情で誉めてもらえて嬉しいの。

 どれくらい嬉しいかと言うと、抱きついて頬に口づけした後に禿げ上がった頭を撫でまわしてあげたいくらい嬉しいわ……とか思っている内に、また話が進んだみたい。 

 

 「あ、ーー君。ちょっとお嬢さんの横に座ってみてくれるかい?そう、そこに」

 「はぁ、構いませんけど……」

 「うん、思った通りだ。まるで、夫婦とその子供みたいだよ」

 

 ふむ、確かにそう見えなくもない。

 孫が小吉と同じ格好をしてて、女があたしのと同じ長い黒髪だからそう見えるのかしら。

 女の子が不満そうなのが気にはなるけど、小吉が言った通り夫婦とその子供だわ。

 

 「いいねぇ。まるで、孫夫婦が曾孫を連れて遊びに来たようだ」

 「おいクソジジイ。やっぱり婆様に手を出したのか?爺様は托卵されたのか!?」

 

 しみじみとそう言った小吉に、孫が腰を浮かせて詰め寄ろうとしている。

 でも、何かする気はなさそう。 

 そして仲良さげに言い合いを続ける孫と女を眺めながら、小吉は……。

 

 「こんな日が、ずっと続けばいいのに……」

 

 と、ボソッと言って目を細めた。

 でもあたしの目蓋は、小吉とは逆で開いていったわ。

 

 「……あ、あたし、寝ちょった?」

 「うん、気持ち良さそうに寝ていたよ」

 

 霞がかかったようにハッキリしない頭で声がした方を見ると、ベッドで上半身だけ起こした小吉と目があった。

 そっか、あたしは入院した小吉の護衛をしてて、いつの間にか寝ちゃったんだ。

 

 「良い夢、見れた?」

 「うん。良い夢じゃったよ。でも……」

 

 知りたくなかったことも、知った気がする。

 内容はもう思い出せないけど、思い出せないことにホッとしているあたしがいるわ。

 あ、でも、覚えてることもある。

  

 「小吉ってね、将来ハゲるよ」

 「そっか。それは良い夢……じゃなくない!?僕って将来ハゲちゃうの!?こんなにフサフサなのに!」

 「うん。一本もなかった。でも安心しぃ。髭はフサフサじゃったよ」

 「それのどこを安心しろと!?」

 「安心できん?どっか長老っぽぉて、あたしは嫌いじゃないよ?」

 

 と、慰めてあげたのに、小吉はベッドの上で頭と膝を抱えてしまった。

 別に髪の毛くらい良いじゃない。

 と、あたしは思うんだけど、男からすると落ち込むくらいの問題なのね。

 

 「ふふふふ♪」

 「楽しそうだね。そんなに、僕のハゲ頭が面白かったの?」

 「あ、ごめん。そうじゃなくて……」

 

 この国の未来を良いモノにしようと奔走している小吉が、ハゲると知っただけで落ち込むのがおかしかったの。

 弱いのに、どんな相手にでも正面から立ち向かう小吉が、髪の毛がなくなるって知っただけで泣きそうな顔になったのが、たまらなく愛おしく感じたの。

 感情を表に出せなくて、世の大半のことに興味がなかったあたしを変えたあたしだけの英雄の、知らなかった一面が知れて幸せな気分になったのよ。

 でも、小吉はそうじゃなかったみたい。

 小吉は恨めしそうな顔であたしを見て……。

 

 「責任、取ってね」

 

 と、言ったわ。

 そして、あたしはこう返した。

 最近できるようになった、満面の笑顔を作って……。

 

 「しょうがないねぇ。ハゲたら、あたしが毎朝磨いちゃげる」

 

 と、返してやったわ。

 



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第六十一話 裏切り(表)

 

 

 

 ナナさんと出会ってもうすぐ一年。

 この一年は濃かったなぁ。

 下手をすると、戦争に参加していた頃より濃かったかも知れない。

 特に、女性関係は僕の人生で初の出来事ばかりだった。

 ナナさんとは両想いになれたし、地華君に好きだと言ってもらえた。

 きっと前世の三回と今世の三回、さらに来世の分まで使っちゃったと思う。

 もっとも、その幸せの反動なのか、僕は自宅の居間で歌ちゃん、龍見姉妹、そして沖田君に囲まれて説教をされている。

 

 「なるほど。私が実家に帰っている間に、そんな事になっていたんですね」

 「そうだけど……。歌ちゃん、怒ってる?」

 「怒る? 私が? どうして、小吉お兄ちゃんが両手に花状態になったからって怒らないといけないの?」

 「そ、それは……」

 

 そうなんだけど、僕の対面に正座して額に青筋を浮かべてる様を見るに、怒ってるとしか思えないんだけど?

 いや、笑顔なんだよ?

 歌ちゃんは花が咲いたような笑顔なんだけど、額に浮いてる青筋がその笑顔を怒り顔に変えてるんだ。

 

 「沖田さん。私、帰省する前にお願いしましたよね? もし、万が一小吉お兄ちゃんとナナがくっついたら、行くとこまで行くよう手を回してくださいって」

 「え、ええ。確かにお願いされました……」

 「なのに、これはどういう事ですか? ナナにも聞きましたけど、全く手を出してないそうじゃないですか。それどころか、好きあってる癖に交際している訳でもないときた。小吉お兄ちゃんは意気地無しなんですから、経験豊富な沖田さんが背中を押してあげなきゃ駄目でしょ」

 「か、返す言葉もございません……」

 

 え?

 沖田君って、そんなお願いをされてたの?

 そりゃあ、僕は歌ちゃんが言ったとおり意気地無しだから、誰かにお節介を焼いてもらわなきゃナナさんとの仲は一向に進展しないだろうよ?

 実際、ホテルで二人きりになった時は怒らせてしまって何もできずじまいだったしね。

 

 「で? 小吉お兄ちゃんは、これからどう動くつもりなんですか?」

 「いや、特に何かする気は……」

 「まさかのノープラン!小吉お兄ちゃんとナナって、ハッキリと交際宣言したわけじゃないんでしょ? だったらしなさいよ! みんなの前で堂々と、「僕とナナさんは結婚を前提にお付き合いしてます」くらい、言えるようになりなさいよ!」

 「ちょ、歌ちゃん、落ちつい……」

 「てられるか!せっかく断腸の思いで身を引いたのに、お兄ちゃんとナナがそんなんじゃあ諦めた私がバカみたいじゃない!」

 

 歌ちゃんが何を諦めたのかはともかく、ナナさんとの関係をハッキリさせとくのは大切なことだ。

 それは嫌というほどわかる。

 でもなぁ……。

 今さら何を言えば良いのかわからないんだよね。

 二人きりになった時に「僕たちって、付き合ってるんだよね?」とでも聞けば良いの?

 

 「せっかくオレが場所まで段取ってやったのに、結局何もヤらずじまいだもんな。そりゃあ、歌も怒るぜ?」

 「いやぁ……面目無い」

 「まあまあ、小吉様の貞操が守られたと思えば、そこまで残念でもないでしょう?」

 

 僕の場合は守り過ぎてるけどね。

 と、言ったらやぶ蛇になりそうだからやめておこう。

 

 「油屋大将。わたくしも、そろそろハッキリとさせた方が良いと思います。いっそ、交際などと言うまどろっこしい真似はせず、籍を入れたらどうですか?」

 「いやいや、それはさすがに性急すぎじゃ……」

 

 だって、僕とナナさんは出会ってから一年も経ってないんだよ?

 なのに、いきなり結婚は急ぎすぎだ。

 この時代だと、会った次の日に結婚することもあるそうだけど、平成の価値観を持ってる僕からしたらスピード結婚っぽくて抵抗感があるんだけど……。

 

 「そうでもねぇと思うぜ? なあ? 姉ちゃん」

 「ええ、遅いくらいです」

 

 昭和の人たちからしたら、そうでもないらしい。

 まあこの時代は、女性は行き遅れると世間体が悪いから、平成の世以上に気にしてるからかもしれない。

 

 「いっそ四進殿に来ていただいて、七郎次への好意や情欲以外の感情を食ってもらってはどうでしょう」

 「そりゃあ良い考えだ。沖田の旦那も、たまには良いこと言うじゃねぇか」

 「ですが、四進さんは京都の知り合いの家で療養中でしょう?怪我が完治するまでは、難しいのでは?」

 

 ついには、とんでもないことを言い出したな。

 四進君に僕の感情を食べさせる?

 たしかにそうすれば、さしもの僕も猿になってナナさんに襲いかかるだろうけど、いくら好きな相手でも、いきなり襲われたら条件反射で攻撃しちゃうんじゃないかな。

 それに……。

 

 「そこまで人の手を借りるのは、ズルい気がする」

 「でも、小吉お兄ちゃん。このままズルズルと今の関係を引き伸ばすのは、それはそれでズルいんじゃない?」

 「それは……そうなんだけど」

 

 なんだか、後ろめたいんだ。

 仮に、四進君の手を借りて半ば本能のままに結婚を申し込んだり、肉体関係になったとしても、それは嘘偽りない僕の想いによる行動だ。 

 でもそれは、僕自信が理性などと折り合いをつけた上でしなきゃいけないことだと思うんだ。

 

 「みんなが心配してくれる気持ちもわかる。でも今は、もう少しだけ時間をくれないか?」

 「具体的に、どれくらい?」

 「年が変わるまで。それまでには、答えを出すよ」

 

 僕がそう答えると、みんな一応は納得してくれたのか、それ以上は何も言わなかった。

 それで僕もホッとしたんだけど……。

 

 「何だ、これ……」

 

 急に、何の前触れもなく、僕の体を悪寒が包み込んだ。

 寒いわけじゃないのに体が震える。

 怖いわけじゃないのに、歯の根が合わない。

 それは僕だけじゃなく、この場にいるみんながそうなっている。

 

 「まさか……」

 これと似た感じを、以前味わった覚えがある。

 龍見邸で、体調不良から立ち直ったナナさんが発していた気配が、正にこんな感じだった。

 

 「あ、収まっ……た?」

 

 時間にすれば十数秒だったと思うけど、僕たちは身動きが取れなかった。

 いや、身動きしちゃあいけない。

 動いたら殺される。

 だから呼吸も、心臓の鼓動すら止まってくれと願ったほどだ。

 

 「あんな事ができるのは、私が知る限り暮石のみ。小吉様、七郎次はどこに?」

 「台所で、松さんに料理を習っているはずだ」

 

 さっきのは、ナナさんの仕業で間違いはないだろう。

 でも、何があったらあんなにも禍々しい気配を放つことになるんだ?

 松さんと喧嘩した?

 いや、その程度で、ナナさんがああなるとは思えない。

 なら、誰かに襲撃されたか?

 でも、ナナさんがあんな気配を発したのは、龍見邸での一件だけ。

 それも、体調不良後の少しの時間だけだ。

 

 「まさか、六郎兵衛が来たのか?」

 

 だから、他の襲撃者にすら発しなかった気配を発した?

 だとするなら、ナナさんは六郎兵衛を殺したいほど憎んでるってことになるんだけど……。

 

 「いや、今は考えてる時じゃない。沖田君と龍見姉妹は、僕についてきてくれ!」

 

 台所まではすぐだ。

 仮に六郎兵衛が来ていたとするなら、僕たちの接近に気づいて逃亡したあとかもしれないけど、そうでなくても、六郎兵衛を逃亡する気にさせるくらいはできるはずだ。

 

 「ナナさん!無事かい!?」

 

 僕が龍見姉妹と沖田君に先んじて台所に踏み込むと、ナナさんと倒れた松さん以外には誰もいなかった。

 やはり、六郎兵衛が来てたらしいな。

 戦闘の痕跡はないけど、ナナさんは包丁を強く握りしめて……僕を睨んでる?

 何故かナナさんは、僕を刺し殺さんばかりに目を細めて睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十二話 裏切り(裏)

 

 

 

 あたしは龍見姉妹やジュウゾウのように、真っ当な修業をしたことがない。

 あたしが父様から課せられたのは拷問。

 何かを教えられたことはないわ。

 まあその過程で、剣術と体術は自然と身に付いたけど、冷静に考えると、あれはそもそも修業とは呼べない。

 そんなあたしが京都から戻ってこっち、松に花嫁修業をつけてもらってるのが、なんとも不思議だわ。

 

 「ねえ、松。切り方はこれでええの?」

 「ええ、綺麗過ぎる三枚下ろしです」

 「綺麗過ぎる?」

 「だって、まだ生きてるし……。切るのも一瞬でしたし……」

 

 え?生きてちゃ駄目なの?

 松に教えられた通り、知り合いが朝イチで釣って来たと言う活きの良いアジを三枚におろしたんだけど、殺してから切った方が良かったのかしら。

 

 「これなら、活け作りにした方が良かったかしら」

 「今からじゃ無理なん?」

 「さすがに朝からお刺身は……。それにこれは、小さいから干物にする予定でしたので」

 

 ふむ、料理ってのは難しい。

 あたし的には普通に切ったつもりだったのに、松的には問題があったみたい。

 いや、料理だけじゃない。

 掃除も、洗濯も、あたしは何一つ満足にできない。

 

 「家事って、難しいんじゃね」

 「覚えれば、簡単ですよ」

 「あたしに、覚えられるんじゃろうか……」

 

 あたしは覚えるのが苦手。

 人の名前どころか、顔を覚えるのすら難しい。

 そんなあたしが、それよりよほど難しい家事を覚えることができるのかって考えると、泣きたいくらい不安になる。

 

 「ナナさんは、どうして家事を覚えようと思ったのですか?」

 「それは、その……」

 

 小吉の役に立ちたかったから。

 小吉に、あたしが作った料理を食べて欲しいと思ってしまったから。

 

 「……坊っちゃんのために。その気持ちを忘れなければ、ちゃんと覚えられますよ」

 「本当?」

 「ええ、本当です。料理に限って言えば、幸いナナさんは包丁捌きがお上手。切って出しただけでも立派な料理です」

 「そうなん?煮たり焼いたりせんでも、料理って言えるん?」

 「はい。日本料理には昔から、『割主烹従(かっしゅほうじゅん)』という言葉があります。これは食材を切り割いてそのまま食べる生ものが主で、煮たり焼いたりするといった火を使う料理は従であるという考え方です。乱暴な言い方をすれば、煮物や焼き物はオマケですね」

 「へぇ、そうなんだ。じゃあ、切るのが得意なら、料理が得意って言ってもええの?」

 「それは少し極端な考え方ですが、料理は基本的に切ることから始まりますから、切るのが得意なのは良いことですよ」

 

 ニッコリと微笑んだ松にそう言ってもらえて初めて、暮石の家に生まれて良かったと感じた。

 だってあの家での日々がなければ、あたしはここまで切るのが上手くなってなかったと思う。

 

 「今度会ったら、父様に礼くらい言うちょくか……」

 「それは、僕を殺すと言うことかい?七郎次」

 

 あたしの独り言に、松ではなく別の人間が反応した。

 後ろから聞こえたこの声は、兄様?

 どうしてこんな所にいるの……って、そんな事は気にしてもしょうがないか。

 

 「何しに来たん?」

 「可愛い妹に会いに。じゃあ、理由にならないかい?」

 「ならん。あたしは、兄様に会いとぉなかった」

 

 右隣にいる松を確認しながら振り向くと、小吉のと形は違うけど、同じくらい真っ白な服を着た兄様が壁に背中を預け、腕を組んで立っていた。

 松は……どうやら眠らされたようね。

 目蓋を閉じて、立ったまま止まってる。

 

 「そう冷たいことを言うなよ。僕はこんなにも、お前を求めていると言うのに」

 「身の毛が弥立つけぇやめて!あたしは、兄様なんて大っ嫌い!」

 「うん、良いね。凄く良い仕上がりだ。今のお前の表情は、僕や父様のような作り物じゃあない。正真正銘、感情を表したモノだ。小吉は、本当に良い仕事をしてくれたよ」

 「ちょっと待って。どうしてそこで、小吉が出てくるん?」

 「そりゃあ、僕が小吉にお前を人らしくしてくれと頼んだからさ」

 

 兄様が小吉に?

 じゃあそれが、以前兄様が小吉と交わした取引?

 でも、そうだとしたらおかしい。

 あたしがこうなったのは確かに小吉のせいだけど、出会ってそう経ってないあの頃に、あたしがこうなるって予想できる……って、兄様が消えた。

 いったいどこ……。

 

 「むぐっ……!」

 

 兄様は、あたしの目の前にいた。

 いや、目の前にと言うよりももっと近い場所にいた。

 それは肌が触れ合う距離。

 あたしは兄様に抱き締められ、唇を奪われていたの。

 誰にも、小吉にさえ触れさせたことがない場所を、兄様に無理矢理触れられた。

 あたしだって、俗に言う接吻(せっぷん)が特別な行為だってことは知ってる。

 なのに、初めての接吻を兄様に奪われた。

 この世で一番嫌いで、あたしが誰よりも殺したいと思ってきた兄様に奪われた。

 それを頭が理解するよりも先に、あたしの内側から何かが溢れた。

 

 「おっと危ない。危うく、握り潰される(・・・・・・)ところだった」

 

 あたしは何もしていないのに(・・・・・・・・・)、兄様はあたしから二間もの距離を開けた。

 兄様にしては、大袈裟な距離の開けかたね。

 兄様なら、あの距離であたしが何かしても難なく対応できるはずなのに……。

 

 「うん?今ので、小吉たちも気づいたようだね。なら、僕はここらでおいとまするとしよう」

 「逃げるな!ぶち殺しちゃけぇ、そこに直れ!」

 「できもしない事言うもんじゃないよ、七郎次。それに、焦らなくてももうすぐその時が来る」

 

 そう言い残して、兄様はあたしの前から忽然と消えた。

 相変わらず、気配を消すのが上手い。

 もし兄様が本気なら、例え戦闘の真っ最中でも見失いかねないわ。

 でも、今は良い。

 今考えるべきは、そんなことじゃない。

 

 「ナナさん!無事かい!?」

 

 あたしが今考えるべき事は、慌てた様子で台所に飛び込んで来た小吉が、兄様と結託してあたしをどうにかしようとしていたのかどうか。

 

 「ねえ、小吉」

 「ん?何?もしかして六郎兵衛に、何かされたの?」

 「されたけど、それはどうでもええ」

 

 良くはないけど、今は良い。

 その事に怒りは感じてるけど、それよりも優先することがある。

 

 「小吉は、兄様とどんな取引をしたん?」

 「……君を、人らしくしてくれと言われた」

 「その、見返りは?」

 「……一年間の、命の保証だ」

 

 そっか。

 小吉は自分の命惜しさに、あたしを兄様好みに仕立て上げたのか。

 いいえ、駄目よ。

 そういう風に考えちゃ駄目。

 小吉は、自分の命惜しさに他人をどうこうするような人じゃあない。

 それは身に染みてわかっているのに、あたしの心は納得してくれない。

 小吉に裏切られた。

 その想いが、理性をはね除けてあたしの胸の内の満ちていく。

 その想いに押されるように、あたしの口は……。

 

 「小吉なんて、大っ嫌い!」

 

 と、口走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十三話 布告(表)

 

 

 

 ナナさんに嫌われた。

 どうも六郎兵衛が僕との取引内容をバラしたようで、それが切っ掛けになって僕は嫌われたみたいだ。

 その事を、都合良く僕の自宅に来た猛君に相談したんだけど……。

 

 「馬鹿かお前は」

 

 と、事の顛末を話すなり言われました。

 ええ、馬鹿ですが何か?

 それくらいは嫌と言うほど自覚してるから、具体的なアドバイスをしてくれないかな?

 

 「六郎兵衛とそんな取引をしていたのも驚きだが、お前のヘタレ具合に開いた口が塞がらん。どうしてさっさと、ヤることをヤっておかなかった?」

 「いやぁ……。だって僕、童貞ってだけじゃなくて女性との交際経験もゼロなんだよ? そんな僕に、好き合ってるからってすぐにその……セッ……とか無理だよ」

 「だから、童貞なんぞさっさと捨てておけと、戦時中に散々言っただろうが。お前は童貞の癖に、変なところで意固地すぎる」

 「童貞だから、意固地なんだよ」

 

 ヤリチンの君にはわからないだろうけどね。

 だいたい、仮にナナさんとヤることヤってたとしても 

、取引内容をバラされてナナさんに嫌われずに済んだ保証なんてないじゃないか。

 

 「お前は女心がわかってない」

 「そう言う猛君は、女心がわかるのかい?」

 「さっぱりわからん。だが、お前よりは上手く扱える自信はある」

 「じゃあ、ナナさんを一度でも抱いていれば、この状況にはなっていなかったと?」

 「ああ、なっていなかったさ」

 

 自信満々で言ったけど、その根拠は?

 だってナナさんからすれば、僕は自分の命惜しさに六郎兵衛の手伝いをした最低男だよ?

 もし仮に、僕と肉体関係になっていたら今以上に僕を嫌っていたんじゃない?

 

 「昭和。特に今の女は、平成の女と違って貞淑だ。それこそ、たった一度肌を重ねた程度で一生添い遂げると決めるくらいな」

 「だから、裏切られたくらいで嫌ったりはしない………と?」

 「嫌いはするだろう。だが折り合いをつけて、次の日には何食わぬ顔をしているさ」

 

 言いたいことはわかるけど、その昭和の女性を何人も食い物にしている猛君が言っても説得力がなぁ……。

 それが正しいなら、猛君はいったい何人と結婚しなきゃいけないんだろ。

 少なくとも、両手の指くらいじゃ足りないよね?

 

 「良い機会だから、僕が七郎次を連れて帰ろうか?」

 「何が良い機会だよ……って、突然現れるのはやめてくれないか? 六郎兵衛君」

 「突然ってほどでもないさ。なんせ僕は、ずっと猛おじの隣にいたんだから」

 

 気配を消して、だろ?

 だって、当の猛君が「お前の出方は心臓に悪い」って言いながら、君を睨んでるじゃないか。

 

 「六郎兵衛。七郎次を連れ帰って、どうするつもりだ?」

 「子供を生ませる。そのために、小吉と取引をしたんだから」

 「だが、まだ期間はあるんじゃないか?」

 「あるけれど、僕が十分だと判断した。だから、小吉に余計な事をされないように、連れて帰るのさ」

 

 余計な事?

 つまり、僕がこれ以上ナナさんと一緒にいたら、彼にとっては都合が悪いのか?

 

 「それに、猛おじは小吉の友人だろう? これ以上、小吉と七郎次が一緒にいたら、小吉は死ぬことになってしまうよ? 良いのかい?」

 「それは……そうなんだが」

 「ちょっと待ってくれ。どうして、僕が死ぬことになるんだ? 君に殺されるってことかい?」

 「いいや、七郎次にだ。間違って子供でも作ろうものなら、その子に物心がつく頃には殺される。詳しく知りたいなら、猛おじに聞けば良いよ。僕と七郎次の母の死体を処理したのは、他ならぬ猛おじだから」

 

 ナナさんと六郎兵衛の母親の死体を、猛君が処理した?

 罰が悪そうに六郎兵衛から目をそらしている様子を見るに、それは事実なんだろう。

 でも、どうしてそうなったのかがわからない。

 もしかして暮石家には、そういうしきたりがあるのか?

 と、疑問に思っていたら、障子を蹴り倒して……。

 

 「兄様ぁぁぁぁぁ!」

 

 右手に短刀、左手に小太刀を持ったナナさんが居間に飛び込んできた。

 そのナナさんが振り下ろした短刀と小太刀を、六郎兵衛は……。 

 

 「やあ。一週間ぶりだね。七郎次」

 

 おぞましい笑顔を浮かべながら抜いた刀で、難なく受け止めた。

 

 「今度は何しに来たんや!小吉を殺しに来たんか!」

 「いいや、お前を迎えに来た」

 

 鍔迫(つばぜ)り合い。

 と、この場合も言うのだろうか。

 ナナさんは全身の力を両の切っ先に込めて六郎兵衛を斬ろうとしているのに、それを刀一本で受け止めている六郎兵衛はたいした労力も使っていないように見える。

 

 「帰れ! あたしは、兄様の子なんか生まん! 生むなら、小吉の子を生む!」

 「それでどうする? 小吉を殺すのかい?」

 

 心底不思議そうに放たれた六郎兵衛の言葉に、ナナさんは目に見えて動揺した。

 それで生じた隙を見逃さず、六郎兵衛は刀を右に振り抜いてナナさんをはね飛ばした。

 とんでもない腕力だな。

 いくらナナさんの体重が軽いとは言っても、人一人を居間から庭まで、軽く5メートルは飛ばしたぞ。

 

 「七郎次。お前は小吉のことが好きかい?」

 「好き! 兄様よりよっぽど好き!」

 「なるほどなるほど。お前は僕が思っていたより、小吉にのめり込んでいたようだね」

 

 この場面でこんな事を思うのは不謹慎だと思うけど、ナナさんにハッキリと好きだと言われて、今まで感じたことがないほどの嬉しさが込み上げてきた。

 できることなら、今すぐナナさんを抱き締めたい。

 

 「よし、わかった。今日は大人しく帰ろう。でも、覚えておいてくれ小吉。今から一ヶ月後、君と七郎次が初めて会った日に、七郎次をまた迎えに来る」

 

 そう言い残して、六郎兵衛は忽然と姿を消した。 

 本当に突然、パッという擬音が聴こえたと錯覚したくらい唐突に、六郎兵衛はこの場から姿を消した。

 僕と彼との戦争を終結させる日を、一方的に布告して。



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第六十四話 布告(裏)

 

 

 小吉に、大嫌いと言ってしまった。

 あたしがそう言った途端に、小吉が浮かべた悲しそうな表情が頭から離れない。

 もう一週間も経つのに、あたしの頭の中をあの時の小吉の表情が独占してる。

 その事を、地華と歌に相談したら……。

 

 「馬鹿かお前は」

 「うん、ナナは大馬鹿ね」

 

 と、言われた。

 ええ、馬鹿よ。

 そんな事は自覚してるから、もっとためになる助言をくれないかしら。

 

 「あ、地華さん。ナナったら開き直ったわ」

 「お前って、術が使えなくなってから本当にわかりやすくなったよなぁ。今までの反動か?」

 

 それは……そうなのかもしれない。

 段外以外の術が使えなくなってからのあたしは、自分でも驚くほど表情が豊かになった。

 それこそ、考えてることを見透かされるくらいに。

 でも不思議と、それが嫌だとは思わない。

 むしろ、地華や歌と笑ったり怒ったりできることが嬉しい。

 小吉を好きになれて、幸せだった。

 なのに……。

 

 「兄様が悪いんじゃもん」

 

 兄様さえ来なければ、小吉と喧嘩なんてせずに済んだ。

 一時の感情に流されて、大嫌いなんて言わずに済んだ。

 そうよ。

 兄様が悪いのよ。

 だから、あたしは悪くない。 

 

 「あ、たぶん、お兄さんのせいにしましたよ」

 「たしかにそうだけどよぉ、言ったのはお前だぜ?大嫌いって言ったのはお前。それ、理解してるか?」

 

 理解してるし、反省もしてるわよ。

 でもさ、感情に流された経験がないあたしが、膨れ上がった感情に抗えると思う?

 本当に無理だから。

 感情を制御する方法を忘れちゃったあたしには、感情に抗う術なんてないから。

 

 「ナナは、今でも小吉お兄ちゃんが好き……なのよね?」

 「うん、好き」

 「どれくらい?」

 「小吉のアレを捩じ込まれるても良いと思ってるくらい」

 

 あたしが真顔でそう返すと、地華と歌は「そりゃあ相当だわ」と言って、何故かうちひしがれたような顔をしてうなだれた。

 まあ、アレを受け入れるのは相当の覚悟が要るものね。

 それこそ、体が裂けても良いと思えるほどの。

 

 「だったら、とっとと仲直りしちまえよ。じゃないと、オレが()っちまうぞ」

 「そしたら、地華を殺さにゃあいけんくなるけぇ駄目」

 「おお怖い。じゃあ、仲直りすんだな?」

 「う、うん……」

 

 したい。

 大嫌いって言ったのは嘘。

 本当は大好きって言って、小吉と仲直りしたい。

 でも、踏ん切りがつかない。

 小吉と猛おじ様がいる居間に行って謝れば全て元通りになるかもしれないのに、お尻から根が生えたように畳にくっついて……ん?

 居間の気配が増えた。

 いや、増えたと言うより、隠れてたのが出てきたって感じだわ。

 

 「まさか……」

 

 また兄様が来た。

 しかも小吉のところに来たってことは、小吉に何かするつもりなんじゃ……。

 

 「地華! 天音は!?」

 「姉ちゃんなら、沖田の旦那と一緒に四進の姉御を駅に迎えに行ってっけど?」

 「じゃあ地華だけでええ! 歌は、押入れにでもかくれちょって!」

 「おい、まさか……」

 「そのまさかいね!兄様が来ちょるけぇ一緒に来て!」

 

 地華の返事を待たず、あたしは短刀と小太刀を抜きながら部屋を飛び出した。

 今のところ、兄様から殺気は放たれていない。

 でも兄様なら、殺気を微塵も出さずに人を殺すことも可能。

 ほんの気まぐれ。

 足元を這う虫を、何の気なしに踏み潰すような気軽さで人を(あや)める兄様がそばにいる。

 それだけで、小吉は危険。

 だから、あたしは……。

 

「兄様ぁぁぁぁぁ!」

 

 障子を蹴破って居間に飛び込んだ勢いのまま、あたしは短刀と小太刀を兄様に振り下ろした。

 そしたら兄様は……。 

 

 「やあ。一週間ぶりだね。七郎次」

 

 全身の毛が総毛立つほど気持ち悪い笑顔を浮かべながら抜いた刀で、難なく受け止めた。

 相変わらず、受け止めるのが上手い。

 無造作に刀を振ったようにしか見えないのに、突進からの跳躍で全体重を乗せた攻撃の勢いを完全に殺された。

 

 「今度は何しに来たんや! 小吉を殺しに来たんか!」

 「いいや、お前を迎えに来た」

 

 しかも、全力で押してるのにビクともしない。

 いや?

 もしかしたら、あたしは全力で押していると思い込まされてるだけ(・・・・・・・・・・)なのかもしれない。

 それが、兄様なりの段外の参?

 いやいや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。

 

 「帰れ! あたしは、兄様の子なんか生まん! 生むなら、小吉の子を生む!」

 「それでどうする? 小吉を殺すのかい?」

 

 言われてみればそうだ。

 小吉の子供を生んだら、あたしは小吉を殺さなきゃいけなくなる。

 絶対にしたくないのに、あたしはきっと殺す。

 次の子を小鬼に変えるために、どれだけ好きでも小吉を殺してしまう。

 いいえ、好きだからこそ殺すの。

 

 「七郎次。お前は小吉のことが好きかい?」

 

 声をかけられて初めて、自分が庭まで弾き飛ばされてるのに気づいた。

 兄様は、刀を振り抜いた格好のまま、膝をつくあたしを見下ろしている。

 あの兄様に……。

 

 「好き! 兄様よりよっぽど好き!」

 

 と、叫ぶように返した。

 そしたら兄様は、心の底から満足したような顔をして……。

 

 「なるほどなるほど。お前は僕が思っていたより、小吉にのめり込んでいたようだね。よし、わかった。今日は大人しく帰ろう。でも、覚えておいてくれ小吉。今から一ヶ月後、君と七郎次が初めて会った日に、七郎次をまた迎えに来る」

 

 言いたいことだけ言って、兄様は消えた。

 相変わらず、見事な気配の消し方だわ。

 目を離さなかったのに、消える瞬間まで気を張っていたのに、兄様はあたしの前から姿を消した。

 それが、あたしの胸中に渦巻いていた怒りを恐怖に変えた。

 兄様があたしより強いのなんてわかりきってた。

 そのわかりきっていた事実を、兄様と殺し会わなきゃいけない段になって再認識させられたせいで、全身が震えるほどの恐怖を感じたんだと思う。



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第六十五話 婚約(表)

 

 

 

 六郎兵衛が、ナナさんを拐いに来ると布告してから早二週間。

 僕は我が儘が通る横須賀鎮守府の一画に、対六郎兵衛用の陣地を構築した。

 数十年後の未来に、建設業は臆病とも言える安全対策を徹底させるようになる。

 と、実体験から豪語する転生者の一人がそれに向けて準備している、ハンマーで叩き込むだけで簡単に組める、所謂(いわゆる)ビケ足場材を用いて組んだ、幅約1・5メートル、高さ約10メートルの足場で約300メートル四方の空間を囲った。

 その足場に、富岡君を筆頭にした元442のメンバーと、横鎮の限司令長官が手配してくれた海兵、総勢100人余りを配置して、四方から六郎兵衛を銃撃させる手筈だ。 

 その決戦の場を、僕とナナさんは足場の最上段から見下ろしている。

 

 「あの中心で、立っちょればええの?」

 「そう。僕も一緒だから、安心して良いよ」

 

 「いや、逆に不安。足手まといじゃけぇ、どっかに隠れちょって」とか言われたらどうしようと少し不安になったけど、ナナさんは……。

 

 「それなら、安心じゃね」

 

 と、消え入りそうなくらい小さな声で呟いて、僕の左手を握った。

 六郎兵衛が来て以来、ナナさんの態度が軟化したなぁ。

 いや、大胆になったって言う方が良いのか?

 出会った頃のように全裸で布団に潜り込んで来ることはないけど、基本的に僕のそばから離れないし、何かと手を繋ぎたがる。

 

 「あたしね。兄様が怖い。でも、小吉のためじゃったら、兄様とも戦える」

 「最悪、お兄さんを殺すことになるのに、良いの?」

 「うちの事情は知っちょるじゃろ? 遅かれ早かれ、あたしと兄様は殺しあっちょったいね」

 「それは、そうなんだろうけど……」

 

 僕としては、ナナさんに肉親を殺させるような事はしたくない。

 龍見姉妹と沖田君、それに富岡君たちで片がつけば良いんだけど……。

 

 「龍見姉妹じゃ、六郎兵衛には勝てそうにない?」

 「無理じゃろうね。地華も天音も強いけど、あくまで武芸者っちゅう括りの中で言えばじゃもん。しずおねーちゃんに兄様の術を封じてもらってようやく互角、くらいじゃと思う」

 

 やはりそうか。

 ナナさんの先祖が、龍見姉妹の先祖から敗北に近い痛み分けをしたという話は聞いてたからワンチャンあると思ってたんだけど、そう甘くはないか。

 

 「当時は互いに相手を舐めていた。それに加えて、暮石流術殺法が未完成だったのが、ナナさんの先祖の敗因だっけ」

 「うん。暮石の術は、代を重ねるごとに強ぉなっちょる。ご先祖様の術と、兄様が使う術の威力は桁違いのはずよ」

 

 それが、龍見家が暮石の目を誤魔化すための名字を外では名乗り、瓶落水に頼んで結界まで張ってもらった理由。

 横鎮に移動する前に、天音君からこの事実を聞かされていなかったら、こんなにも大袈裟なキルゾーンを作ろうとすら考えなかったよ。

 

 「四進君がいればなぁ……。どこに行っちゃっんだろう」

 「案外、兄様に殺されちょるんかもしれん」

 

 あの日、天音君と沖田君が迎えに行った東京駅に、四進君は現れなかった。

 迷子にでもなったのかな?

 と、考えて元442の人たちに捜索してもらったけど、見つけることは叶わなかった。

 ナナさんが言った通り、六郎兵衛にとっては最大の障壁となる四進君は、とっくに殺されているのかも。

 

 「……小吉。もし、どうにもならんと思ったら、あたしを差し出して命乞いして」

 「嫌だ。それだけは、絶対にしない」

 「でも、兄様には勝てんのよ? 大勢で兄様を袋叩きにするつもりでこんな場所を作ったんじゃろうけど、兄様には意味がない。みんな殺される」

 「ナナさんから聞いた、六郎兵衛の術の効果範囲外からの攻撃だよ? 一斉に銃撃すれば、一発くらいは当たるんじゃない?」

 「無理。兄様には当たらん」

 

 そう言って、ナナさんは悔しそうに唇を噛んでうつむいてしまった。

 ナナさんがこんなになるほど、六郎兵衛は強いのか。

 でも、僕は不思議と恐怖を感じていない。

 絶望的な状況に慣れているとか、頼もしい仲間が大勢いるとかそう言った理由からじゃない。

 ナナさんがそばにいる。

 それだけで、僕の中で恐怖心よりも希望の方が大きくなって行く。

 勝てる希望ではなく、ナナさんとともに歩んでいく未来に、希望を抱けるんだ。

 だからなのか、僕は自然と……。

 

 「ナナさん。この件が終わったら、僕と結婚しよう」

 「え? 結……婚?」

 「うん。僕の妻になってほしい。この先もずっと、僕のそばにいてほしい」

 

 プロポーズすることができた。

 でも、ナナさんは悩んでいるようだ。

 目の焦点は定まらず、小刻みに身を震わせている。

 

 「でも、結婚したら、あたしは……」

 「僕を、殺さなきゃいけなくなる?」

 

 そう返すと、ナナさんは「なんで知ってるの?」と、言わんばかりの驚きに満ちた視線を僕に向けた。

 やっぱり、その事で悩んでいたのか。

 だったら……。

 

 「僕は、君のためなら死ねる」 

 

 と、ナナさんの目を真っ直ぐ見て宣言した。

 そしたらナナさんは……。

 

 「嫌。あたしは小吉を殺しとぉない! じゃけぇ、あたしのためなら死ねるとか、軽々しく言わんといて!」

 「わかった。じゃあ、何がなんでも死なない。君にも、殺されない」

 「無理! あたしは絶対に小吉を殺す! だって抗えんもん! あたしは絶対に、暮石の呪いに抗えん!」

 「それでも、僕は君と一緒になりたい。僕は君を、他の全てを犠牲にしても良いと思えるくらい、愛してるんだ」

 

 女性に「愛してる」って言える日が来るとは、今の今まで夢にも思わなかったな。

 しかも、自分でも驚くほど自然に、スルッと口から飛び出した。

 でもナナさんは、僕以上に驚いているみたいだ。

 

 「ほ、本当に、後悔せんの?」

 「絶対にしない」

 「本当の本当に、後悔せん?」

 「しない。君と一緒になれない方が、僕は後悔する」

 

 それが決定打になったのか、ナナさんはそれ以上言わずに、僕の胸に寄り添って顔を上げた。

 いつもの僕なら、きっとテンパって何もできなかっただろう。

 だけど今日の僕は、どうすれば良いのか、何をすれば良いのかがわかるし、身体も自然と動く。

 

 「好きだ、ナナさん。愛してる」

 「あたしも、小吉をアイしちょる」

 

 そして僕たちは、どちらからともなく唇を寄せ合い、キスをした。

 そこまではハッキリと覚えてるんだけど……。

 気がついたら僕たちは着ていた服を布団代わりにして、足場の上で朝を迎えていた。

 

 



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第六十六話 婚約(裏)

 

 

 

 昨日の夜、あたしと小吉は一つになった。

 心も、身体も溶け合っていたと断言できるほど濃密な時間を、あたしと小吉は過ごした。

 あたしも小吉も初めてだったから、上手くできたのかどうかもわからないけど、あたしと小吉は幸せだったわ。

 と、「昨日はどこで何をしていたのか」と、ヨコチンに用意されたあたしの部屋で待ち構えていた地華と歌に説明したら……。

 

 「まさか、初めてが外とはなぁ。歌はどう思う?」

 「私的には、気持ちが盛り上がったのなら場所は関係ないと思いますけど、さすがに、足場の上はちょっと……。背中とか、痛くなかったの?」

 

 と、憐れみに呆れを加えて割ったような顔して言われたから……。

 

 「そっちは気にならんかった」

  

 と、返した。

 でも、本当に背中の痛みは気にならなかった。

 だって、下半身の痛みが尋常じゃなかったんだもの。

 今だって、股に風穴が空いたようなスカスカ感がしてオマケにヒリヒリしてるし、何故か内股が筋肉痛になってる。

 そんなだから、お尻を上に突き上げた状態でうつ伏せになってるわ。

 

 「で、だ。実際どうだったんだ? やっぱ、痛いのか?」

 「あたしの格好見てわからん?」

 

 わかってよ。

 この体勢が楽だと思うくらい、後遺症が酷いの。

 

 「ま、まあ、小吉お兄ちゃんのアレが相手じゃあねぇ。私だったら、絶対に体が裂けてると思うもの」

 

 うん、歌はやめた方がええ。

 あたしでさえこんなになっちゃったんだもの。

 まだ子供で身体も小さい歌じゃあ、最悪死んじゃうわ。

 

 「それはそうと、そんな状態で兄ちゃんと戦えるのか?」

 「兄様が来るまで、あと二週間もあるんじゃけぇ大丈夫じゃろ」

 

 あたしって、怪我の治りが早いし。

 ああでも、この股関節が広がった感じがするのが残ったら、戦闘に支障がでかねないわね。

 

 「小吉の大将が、毎晩求めてきたらどうすんだ?」

 「そりゃあ、相手するに決まっちょるじゃないね。駄目なん?」

 「駄目じゃねぇけどよぉ。そうすると、ずっとそんな状態が続くってことだぞ?」

 「あ……」

 

 それは考えてなかった。

 そうよね。

 小吉は30年も童貞やってたんだから、経験したことでお猿さんになっちゃってるかもしれないのよね。

 それは困る。

 あたし的には、小吉が求めるなら求められるままに身体を差し出すけど、それが原因で兄様と戦えなかったら、元も子もない。

 

 「断らにゃあ、駄目かねぇ?」

 「少なくとも、この一件が終わるまでは断っとけ」

 「でも、でも……」

 「小吉お兄ちゃんのためって思えば、我慢できるんじゃない?」

 「そりゃあ、小吉のためなら……」

 

 我慢できる……気がする。

 ああでも、小吉に抱かれている間は、痛いけどけそれまで経験したことがないほどの幸福感に包まれた。

 アレを経験しちゃった今のあたしにとって、アレを我慢するのは術の修行以上の拷問なわけで……。

 

 「……」

 「ん? どうかしたのか? 歌」

 「いや、少し気になったんだけど、ナナってやっぱり、な、中で……その、なのよね?」

 「あ、あぁ……。そういうことか」

 

 どういうこと?

 肝心なところをボカされたから、何を言ったのかさっぱりわからないんだけど?

 

 「小吉の大将が出す量って、アレだもんなぁ。ん? じゃあ、妊娠してる可能性が高いんじゃないか?」

 「え? そうなの?」

 「ああ、ナナってたしか月の物があったのはここに来る前だったよな?」

 「うん。ちょうど出発する日に終わった」

 「と、言うことはだ。かなり妊娠しやすい時期に、小吉の大将にぶちまけられたってことになる」

 「じゃ、じゃあ……」

 

 あたしのお腹には、小吉との子供が宿ってるかもしれないの?

 本当に?

 

 「ねえ、地華さん。ナナだけ逃がすって、できないのかな」

 「可能だとは思う。暮石には色々と対抗策があるし、四進の姉御に張り直してもらった、対暮石用の結界があるうちに匿えば、とりあえずは安心……」

 「それは嫌」

 

 あたしは、兄様から逃げたくない。

 しかも、あたしだけって言うならなおさらよ。

 

 「あたしは、小吉とずっと一緒になるって決めたの。じゃけぇ、小吉と一緒に戦う」

 「でも、ナナのお兄さん……六郎兵衛さんって、強いんでしょう?」

 「強い。兄様は子供の頃に、父様から歴代最強って言われたくらいじゃけぇね」

 

 だから剣術と体術はもちろん、暮石流術殺法の威力や範囲もあたしより格段に上。

 段外以外の術が使えないあたしじゃあ、相手にすらならない。

 それでも、逃げたくない。

 あたしは、小吉と一緒にいるって決めた。

 小吉と、死ぬまで一緒に生きるって決めた。

 それは、暮石の呪に抗うと決めたのと同じ。

 なのに、暮石そのものと言っていい兄様から逃げたら、暮石の呪に従うのと同じ。

 顔も知らないご先祖様が決めた運命に身を任せるのと同じなのよ。

 

 「でも、あたしは負けん。小吉がおるし、それに地華と天音、歌に、ジュウゾウとチャーなんとかもおるもん。じゃけぇ、絶対に負けんよ」

 

 あたしの言葉に、地華は「しゃ、しゃあねぇな。手伝ってやんよ」と照れながら言い、歌は「私は戦力外なんだけど?」と、呆れながらも微笑んでくれた。

 それが嬉しくて、あたしは二人に抱きつきたくなったのに……。

 

 「じゃあまずは、小吉の大将からナナを守らねぇとな」

 「そうね。お猿さん化してるかもしれない小吉お兄ちゃんから、ナナをしっかり守らないと」

 

 あたしの数少ない友達の二人は、悪魔のような笑顔を浮かべて、あたしと小吉を引き離す宣言をしてくれやがったわ。

 

 

 



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第六十七話 決戦(表)

 

 

 

 六郎兵衛の宣戦布告からちょうど一ヶ月。

 人一人に対するにしては過剰な迎撃体制を整えた僕は、キルゾーンの中心でナナさんと二人で立っている。

 その後ろには龍見姉妹と、「どんな結果になるにせよ、最後くらい見届けさせろ」と言って鎮守府に押し掛けて来た猛君が控えている。

 

 「油屋大将。総員、配置につきました」

 

 そんな僕たちに、富岡君と一緒に駆け寄って来た沖田君が、神妙な面持ちで報告してくれた。

 いや、それは沖田君だけでなく、足場の格段で小銃を構えている元442のメンバーや、横鎮の司令長官が募ってくれた志願兵たちも同様だ。

 特に、暮石の力を知らない海兵たちは、「何が来るんだ?」という、疑問まで顔に張り付けている。

 

 「歌ちゃんは?」

 「歌なら、俺の直属を護衛につけて部屋に押し込めているから安心しろ」

 「妹想いだね。でも、おかげで鎮守府に陸軍兵を入れる許可を取るのに、苦労したんだよ?」

 「自腹を切って、船坂元軍曹までつけたんだぞ? それくらいの苦労は安いもんだろうが」

 

 たしかに。

 ナナさんや龍見姉妹と渡り合った船坂君がいるなら、歌ちゃんの安全は僕よりも高い。

 そう考えれば、たしかに安いもんだ。

 

 「ねえ、ジュウゾウ。今日は刀を乱暴に扱っても、文句は言わんじゃろ?」

 「ああ、好きにしろ。その代わり……」

 「小吉を絶対に守れ。じゃろ? 任せちょきんさい」

 

 頼もしいな。

 でも、気負いすぎな気もする。

 短刀と小太刀はいつも通りだけど、今日は沖田君からもらった匕首(あいくち)を十数本を専用のベルトに納めて腰に提げている。

 武装と言う意味では強化されているけど、あれじゃあナナさんの強みである機動力が損なわれるんじゃ……。

 

 「あとは、ナナの兄ちゃんがいつ来るかだな」

 「そうですね。それに、こんなにもあからさまな場所に、六郎兵衛は来るのでしょうか」

 「そりゃあ心配せんでええよ、天音。兄様は正面から、堂々と来る」

 「その根拠は?」

 「兄様からすりゃあ、こんなのは驚異でも何でもないけぇいね」

 

 信じがたい……が、前もってナナさんから聞いた話と、猛君から聞いた話が事実なら、この迎撃陣は驚異足り得ない。

 

 「猛君、ナナさんのお父さんだったら、ここにいる全員を殺すのにどれくらいかかる?」

 「十分もかからんだろうな。大半の者は、殺されたとも気づかずに殺されるだろう」

 

 だ、そうだ。

 そしてナナさん曰く、六郎兵衛はそんな父親に歴代最強と言わせた男だ。

 仮にこの倍の人数を配しても、安心はできそうにないな。

 

 「勝ち目は、ないかい?」

 「ない。瓶落水がいるか、ナナが術を使えればワンチャンあっただろうが、そうでない今はない」

 「おいおい、大和の旦那。オレらがいても、そうなのか?」

 「そうだ。確かにお前たち龍見姉妹の武術……いや、武芸か? は、常識からかけ離れている。だが、物理法則からは抜け出せていない。その程度では、常識も物理法則も無視した六郎兵衛には歯が立たんさ」

 

 猛君の説明に、地華君と天音君は不機嫌そうな顔を浮かべたものの、何も言い返しはしなかった。

 それが返って、猛君が言ったことが事実なんだと僕に思い知らせた。

 でも、僕は不思議と不安は感じていない。

 今まで得た情報を鑑みれば、僕たちは六郎兵衛一人に敗けるだろう。

 命も失うだろう。

 なのに、僕は不安も恐怖も感じていない。

 いや、敗けると思えないんだ。

 だから、僕は……。

 

 「僕たちは、敗けないよ」

 

 そう言いながら、一歩前に出た。

 そして、この場にいる全ての人に語りかけた。

 

 「この場に集う、一騎当千の(つわもの)たちに、僕は願う」

 

 僕の声は決して大きくはない。

 だけど、日が傾いて夜の(とばり)が降り始めたこの戦場の隅々に、僕の声は届いているようだ。

 

 「今日、僕が最愛の人である彼女を奪うために、彼女の兄を君たちに殺してほしい」

 

 何とも身勝手な願いだ。

 僕が第三者として聞いていたら、「何言ってんだ、コイツ」と、頭の心配をするだろう。

 

 「君たちも知っての通り、僕は女性にモテたことがない。30を迎えるまで童貞だったし、キスすらしたことがなかった。

 そんな僕にとって、彼女は何もかもが初めての女性なんだ。 

 何を、誰を犠牲にしてでも守りたい。

 例え世界を敵に回してでも、添い遂げたいと願う女性だ」

 

 ここまで赤裸々な演説をしたのは、さすがに初めてだ。

 だけどみんな、何も言わず黙って聴いてくれている。

 

 「でも残念ながら、僕には力がない。

 六郎兵衛を倒し、彼女を奪えるほどの力がない。

 だから願う!

 海軍大将 油屋小吉、一生に一度の我が儘だ!

 僕の力になってくれ!

 僕と彼女のために死んでくれ!

 僕とナナを、添い遂げさせてくれ!」

 

 叫び終わると、耳が痛くなるほどの静寂が、戦場を包み込んだ。

 呆れられたか?

 失望されたか?

 それとも、怒りを買ったか?

 そんな心配が頭をよぎった時、誰かが言った。

 

 「仕方ないですな」

 

 と、それにつられたように……。

 

 「あの油屋大将がああまで言うなら……」 

 「ああ、命を懸ける価値はあるな」

 

 と、また誰かが言った。

 それからは、関を切ったように……。

 

 「おい、油屋大将が一生童貞の方に賭けた奴は、後で徴収するからな」

 「そっちに賭けた奴なんているのか? 少なくとも俺は、一生童貞に賭けたぞ」

 「ちょっ……! 本人を前に失礼ですよ!」

 「大丈夫だって。だって、油屋大将だぞ」

 「そうそう。我ら一兵卒と酒の席を同じくし、共に笑いあってあの戦争を生き抜いた油屋大将なら、笑って許してくれるさ」

 

 などと、好き勝手言い始めた。

 いやまあ、許すけども……。

 まさか、僕が童貞を卒業できるかどうかで賭けをしていたなんて夢にも思わなかったよ。

 

 「良い部下に恵まれたじゃないか。いや、お前の行いが、彼らをああしたのか」

 「買い被りすぎだよ。僕は、何もしていない」

 「いいえ、大和陸軍中将殿の言う通りです。わたくしはもちろん、彼らも戦争中に、あなたに命を拾われた者たちです。そんな我らだからこそ、あなたの我が儘に命を懸けることも(いと)わないのです」

 

 気持ちはありがたいけど、逆に呆れてしまった。

 だってこの戦いは、簡単に言えば女の取り合いだ。

 なのにこの場にいる人たちは、そんな茶番に命を懸けてくれると言ってくれた。

 その事が嬉しくて、溢れそうになった涙をこらえて何も言えなくなってしまった僕に代わって……。

 

 「僭越(せんえつ)ながら油屋大将に代わり、沖田海軍少佐が命じさせていただく。総員! 戦闘配置につけ! 此度の戦争は我らが恩人、油屋大将一世一代の大戦(おおいくさ)! 見事勝利し、油屋大将の奢りで酒を飲みまくろうぞ!」

 

 沖田君の激で、この場にいるみんなが雄叫びを上げ始めた。

 いや、良いんだよ?

 酒を奢るくらいはべつに構わないんだけど、そんな事で盛り上がった様を見て、出かけていた涙が引っ込んじゃったよ。

 

 「好かれてるね。小吉」

 

 雄叫びに怯えたかのように降りきった暗闇を打ち消すために、探照灯が戦場を照らすと同時に、六郎兵衛の声が染み渡るように広がり、僕の数メートル先に忽然と姿を現した。

 いつもの真っ白なスーツと帽子。

 腰には日本刀。

 いつもと違うのは、両手に風呂敷包みを持っているくらいか。

 

 「これは、僕と戦うつもりだと思って良いかな?」

 「良いも何も、聴いていたんだろう?」

 「ああ、聴いていたさ。でも、僕にだって多少の慈悲はある。今、降参するなら、この場にいる者全てを見逃してあげるよ?」

 「断る」

 「そうかい。じゃあ、戦おう。でも、その前に……」

 

 六郎兵衛は、両手に持っていた風呂敷包みを僕とナナさんそれぞれの足元に放った。

 なんだ? これは。

 六郎兵衛はさも「開けてみて」と、言わんばかりに右手を差し出しているけど……。

 地面に落ちた時の音、形や大きさから考えると、中身はおそらく……。

 

 「やっぱり、生首か」

 

 しかも、この顔には覚えがある。

 たしか陸軍のお偉いさんで、猛君の直属の上司だった人だ。

 でも、変だな。

 猛君からすれば上司のはずなのに、その顔には何の感情も感じない。

 まるで、こうなると知っていたかのような普通さだ。

 

 「約束は約束だからね。依頼人を殺して、今回の依頼をなかったことにした」

 

 意外と律儀だな。

 僕が対六郎兵衛用の迎撃体制を整えていることくらい、彼は承知だったろうに約束は守ってくれた。

 そこは、素直に感謝するよ。

 じゃあ、ナナさんに放った包みの中身は誰だ?

 まさかとは思うけど……。

 

 「こ、これ、(とと)……様?」

 「そう、僕たちの(とう)様だ。とても良い死に顔だろう?」

 

 たしかに、良い死に顔だ。

 初めて見るナナさんの父親は、満足そうに瞳を閉じて眠っている。

 それを見つめる兄妹の顔は対照的だ。

 六郎兵衛は蔑むように。

 ナナさんは、戸惑ったような顔をしている。

 でも、共通点はある。

 それは二人とも、一粒の涙も流してないことだ。

 実の父親の生首を前にしているのに、二人は悲しんでいないように見える。

 

 「さて、始めようか、小吉。七郎次を、返してもらうよ」

 「返さない。ナナさんは、僕が貰う」

 

 それを合図に、打ち合わせ通り放たれた、龍見姉妹の神変が六郎兵衛に直撃し、決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 



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第六十八話 決戦(裏)

 

 

 

 地華と天音の神変って技は、本来なら舞の最後を飾る大技らしい。

 それを初撃に持ってきて、おそらくは回避するはずの兄様に追撃をかける。

 そういう、段取りだった。

 

 「おいおい、アレを防いだってのか!?」

 「信じられませんが、防がれたようです。ですが、予定通りにいきますよ!」

 

 二人が言った通り、兄様は爆弾の爆発にも匹敵する神変を、一歩も動かずに防いだみたい。

 でも、どうやって?

 兄様を中心として、地面が半径5間ほど、すり鉢状に(えぐ)れているけど、どんな受け方をしたらそうなるの?

 

 「よお、ナナの兄ちゃん! その刀は飾りか? それとも、抜く余裕がねぇのか!」

 「それとも、居合がお得意なのですか?」

 

 二人の猛攻を、兄様は刀を抜かずに、鞘だけで防御している。

 でも、二人が言ったことは的外れ。

 兄様は抜けないんじゃない。

 刀を抜く必要がないから、抜かないの。

 居合が得意だからでもなく、鞘だけで十分だと判断したから抜かないのよ。

 だって……。

 

 「僕が刀を抜いたら、すぐに終わってしまうだろう?」

 

 その言葉と同時に、地華の左肩から血が飛び散った。

 

 「ほら、こんなにも簡単に斬れてしまうんだ。なのに刀なんて抜いたら、その瞬間に終わってしまうよ」

 

 今度は、天音の右腿から血が噴き出した。

 アレは、暮石流術殺法 殺の段、魂斬(たまぎ)り。

 ただし、兄様の魂斬りはあたしのより間合いが広く、得物を振らなくても相手を斬れる。

 他の術の精度と威力も、あたしとは比べ物にならない。

 

 「ちっくしょう……!」

 「まさか、これほどとは……!」

 

 それでも、二人は果敢に攻撃を続けている。

 二人の猛攻を軽く受け止め、時に受け流してその場から一歩も動かない兄様を、確実に仕留める事ができる位置に誘導するために。

 

 「小吉。あたしも行く」

 「まだだ。まだ早い」

 「でも、このままじゃ地華と天音が……!」

 

 殺されてしまう。 

 そう言ったのに、あたしの言葉は、あたしたちの頭上を飛び越した軍人の雄叫びにかき消された。

 あのオッサンは、たしか……。

 

 「ふ、船坂!? どうしてここにいる! 貴様には、歌の護衛を命じていたはずだ!」

 「申し訳ありませぬ、大和中将殿! 不肖、この船坂弘。妹君の涙ながらの願いに突き動かされ、馳せ参じてしまいました!」

 

 言いながら、オッサンは兄様に右の正拳突きを繰り出した。

 その正拳は兄様に受け止められたものの、兄様を2間ほど後退させたわ。

 でも、その代わりに……。

 

 「ぬぅっ……!? これは面妖な!」

 

 オッサンは身体のあちこちを斬られた。

 突き出した右腕なんか、二の腕のあたりからバッサリ斬られて地面に落ちた……のに。

 

 「何のこれしき! くっつけとけば治る!」

 「ちょっ! 嘘だろ!?」

 「本当に繋がりましたわね。あのお方の体は、どうなっているのですか?」

 

 拾って切断面をくっつけたと思ったら、もう普通に動かしてる。

 それを見た小吉が「ねえ、実はあの人って、転生者だったりしない?」と言い、猛おじ様が「だとしたら、俺らとは別の神様に転生させてもらったんだろう」と、ため息混じりに答えた。

 二人が言ってることはよくわからないけど、あのオッサンが異常なのはよくわかったわ。

 

 「龍見姉妹! 船坂君を援護しろ! 船坂君は、六郎兵衛を所定の位置まで誘導!」

 「おう! 任せとけ!」

 「承知いたしました!」

 「了解であります!」

 

 小吉の命令に、三人は即座に応えて行動に移した。

 小吉が言った所定の位置とは、四方を囲んだこの迎撃陣の四隅、そのいずれかよ。

 でも、どうしてそれを、歌が人質にされないよう護衛するために来たあのオッサンが知ってるんだろう。

 

 「おい、小吉。船坂元軍曹にも、作戦を伝えていたのか?」

 「念のためにね」

 「まさか、歌に入れ知恵をして……」

 「入れ知恵はしてないよ。ただ、こうなるんじゃないかと思って、保険をかけてただけだ」

 

 なるほど。

 小吉は歌が、あのオッサンに加勢に行ってとお願いすると、予想してたのか。

 あ、そうこうしている内に、兄様があたしから見て左の隅に追い込まれた。

 

 「沖田君、今だ! 三人は離れろ!」

 「目標、第一コーナーに到達! 総員、攻撃開始! 撃って撃って撃ちまくれ!」

 

 小吉とジュウゾウの命令で、兄様が追い込まれた第一コーナーへと銃撃が始まった。

 しかもご丁寧に、銃撃が始まる前に、そのコーナーにいた人たちが手榴弾まで落として行ったわ。

 人一人殺すにしては過剰な火力だけど、あたしは冷めた目でその光景を見てる。

 それは、兄様なんか死ねば良いと思ってるからじゃなく、アレじゃあ兄様を殺せないとわかっているからよ。

 

 「派手だねぇ。アレ、弾代だけでいくらかかるんだい?」

 

 それを裏付けたのは、銃撃が終わったのを見計らったように聞こえてきた兄様の声。

 反対側の第二コーナーに背中を預けて、拍手までしているわ。

 

 「柳女(やなぎめ)……か?」

 「半分正解。ちなみに、いつから僕がここに居たかわかる?」

 「僕とナナさんに、生首を放ったあと。だろ?」

 「大正解! さすが小吉だ!」

 

 なるほど。

 だから、龍見姉妹の神変は地面をえぐっただけで終わり、先の銃撃と爆発も、地面と足場を破壊しただけで、兄様にはかすり傷一つ与えられなかったのか。

 

 「んな馬鹿な! たしかに、アイツに打ち込んでる手応えはあったぞ!?」

 「地華の言う通りです。口惜しいですが、私たちの攻撃はたしかに、彼の鞘に受け止められていました」

 「自分も同感であります。この拳の痛みが、幻覚だったとは思えません」

 「そういう術だからねぇ。と、言っても、信じてはもらえないかな」

 

 信じられる訳がない。

 その思いを体現するように、三人は再び構えた。

 

 「さっき、君たちが相手をしていたのは僕の気配。それが僕の、暮石流術殺法 段外の参、現人(うつしおみ)だ」

 

 それが、兄様の段外か。

 アレはたぶん、柳女の応用。

 暗示で切り離した気配を自分だと思い込ませて、戦っていると錯覚させる術なんだと思う。

 しかも、効果範囲が広い。

 兄様が開戦後すぐにあそこへ移動したとすると、その効果範囲は二町(一町は約372㎡)近い範囲になる。

 

 「君たちの相手にもそろそろ飽きて来たけど、せっかくだから良いものを見せてから終わらせるとしようか」

 

 兄様が言う良いものなんて、きっとろくなものじゃない。

 間違いなく、この場にいる全ての人たちを危ない目に遭わせるものだわ。

 だったら、そうなる前にあたしも……。

 

 「おいで、四進」

 

 斬りかかろうと思い、身を屈めたら、兄様の影からしずおねーちゃんがヌッと出てきた。

 死んでると思っていたしずおねーちゃんが生きてて嬉しいと思う反面、どうして兄様と一緒にいるんだろうと、疑問もわいた。

 でもその疑問は、兄様がしずおねーちゃんに口づけをしたことで、一層深くなったわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六十九話 鬼の厨(表)

 

 

 絵になるなぁ。

 それが、二人のキスシーンを見せつけられた僕の第一印象だった。

 四進君は転生前に見たゾンビ映画のゾンビのように、虚ろな瞳をしていたけど、六郎兵衛から強引にキスをされるとうっとりと瞳を閉じて身を任せた。

 見ているだけで欲情してしまいそうなほど濃厚なキスを、二人は続けた。

 あれが、こんなに殺伐とした場で行われてなければ、ラブロマンスのワンシーンに見えたかもしれない。

 

 「ふぅ……。思って……いたより、キツいな」

 「彼女に、何をした?」

 

 六郎兵衛から唇を話された四進君は、糸の切れた操り人形のように、その場にへたり込んだ。

 まるで生気を感じない。

 六郎兵衛に、生命力を全部吸われたようにすら見える。

 六郎兵衛はと言うと、溢れそうになっている何かを、必死に抑え込もうとしているようだ。

 その苦しそうな表情からは、いつもの嘘臭さは感じない。もつれそうな足で歩を進めながら、冷や汗までかいている。

 

 「限界……まで、感情を食わせた」

 「限界まで?」

 「そう、千人ほどの感情を食って、持ってこいと命じておいたんだ」

 「まさか……」

 

 それを、受け取った?

 でも、何のために?

 いや、それはおそらく、術を強化するため。

 今までに得た情報からすると、暮石流術殺法の源は自身が蓄えた感情。

 それに、他人の感情を上乗せするためだろう。

 

 「ナナさん。たしか四進君は、君に『瓶落水の四杯目(・・・)』と名乗ったんだよね」

 「うん」

 「なるほど、そうか。暮石と瓶落水が別れた理由。それは……」

 

 どちらか一方の術しか扱えない。

 もしくは、両方使うと中途半端になるからなんじゃないだろうか。

 だから、暮石と瓶落水の初代当主たちは、各々が術を極めるために別れたんだ。

 そして今、その行いが成就した。

 六郎兵衛と四進君によって、その計画が実を結んだ。

 

 「瓶落水が扱う術は、暮石が扱う術の燃料を集め、供給するものなんだね?」

 

 故に、四進君は四杯目と名乗った。

 彼女は暮石のために、感情と言う名の燃料を汲み上げ、渡すための(かめ)なんだ。

 

 「ふひっ……。そ、そのとととと通りだよ。小吉」

 

 六郎兵衛の呂律が回らなくなっている。

 きっと、千人分もの感情を抑え込むのに苦労しているんだろう。

 ならば、攻めるなら今だ。

 何かされる前に、先手を打つ!

 

 「天音君! 地華君! 六郎兵衛に神変を! ナナさんと船坂君は、神変着弾後に追撃しろ!」

 

 僕の命令に応えた四人は、一斉に行動に移った。

 でも、僕の判断は少しばかり遅かったようだ。

 六郎兵衛は大きく両手を広げて天を仰ぎ、そして……。

 

 「暮石流術殺法。(つい)の段、鬼の(くりや)

 

 と、言った。

 その声は静かで、足音程度でかき消せそうくらい小さかったのに、僕の耳にハッキリと届いた。

 それと同時に、四人の動きも止まった。

 いや、止められた。

 六郎兵衛に放たれた神変は何も起こさずにそよ風となり、着弾のタイミングに合わせて飛び掛かったナナさんと船坂君は、巨人の腕に薙ぎ払われたかのように吹き飛ばされた。

 

 「くくくく……。あひゃ、あひゃひゃはひゃひゃひゃひゃひゃ! ああっ! 素晴らしい! なんだこの全能感は!」

 

 喜色満面と言う言葉がこれほど似合う顔を、僕は初めて見た。

 そう思えるほど、六郎兵衛は嬉しそうに笑っている。

 

 「猛君。暮石流術殺法は、催眠術なんだろう?」

 「そのはずだ。だが……」

 「アレを見たあとじゃあ、疑いたくなるよね」

 

 強力な暗示で斬られたと錯覚させて、実際に斬られたのと同じ状態をもたらす。

 ここまでなら、あり得そうに思える。

 でも、龍見姉妹の神変を霧散させたのと、空中にいたナナさんと船坂君を吹き飛ばした現象は、催眠術なんかじゃ説明がつかない。

 実際、初めて会った時に見た、ナナさんが魂斬りで斬った殺し屋たちは、身体は斬れていたけど服は斬れていなかったんだから。

 

 「このぉ!」

 

 着地したナナさんが、ベルトに装備していた匕首の柄尻を十本の指に通し、六郎兵衛に投げつけた。

 それらは吸い込まれるように、六郎兵衛目の前に殺到したけど、見えない何かに刺さって止まり、落ちた。

 

 「ナナ! ありゃあ何だ! 暮石ってなぁ、あんなこともできんのか!?」

 「知らん! 鬼の厨は、今まで誰も扱えんかった術じゃけぇ、あたしもどんなもんか知らんのよ!」

 「ならば、探るだけです!」

 

 言うが早いか、天音君は六郎兵衛に斬りかかろうと、蛇のように蛇行しながら突撃した。

 それに追いすがるように、地華君と船坂君も突っ込んだ。

 だけど、三人は間合いに入る前に……。

 

 「なっ……!? 地面が!」

 

 地華君の足元が真四角にめくり上がり、そのまま押し潰さんばかりに倒れ始めた。

 気づいた船坂君が蹴り砕かなければ、地華君は潰されていただろう。

 

 「面白いなぁ。ほら、こんなこともできるよ」

 

 六郎兵衛の言葉と共に、天音君に雷が落ちた。

 幸いと言うか、天音君は地面を這うように移動していたために、刀が若干地面に触れていたため、それがアース代わりなって、即死は免れたようだ。

 動けないまでも、刀を杖代わりに突いて倒れまいとしている様子で、生きているのは確認できた。

 

 「オッサン! 斬り込むけぇ、盾になって!」

 「おうよっ!」

 

 言葉通り、船坂君を盾にしながら六郎兵衛へと迫るナナさんに、六郎兵衛は右手をゆらりと向けた。

 そして真横に振ると、足元から竜巻が起きてナナさんを空中に巻き上げ、船坂君は風の刃で全身を切り刻まれた。

 

 「少しの間、大人しくしていろ」

 

 そして落下したナナさんは、片膝を突いたまま動けなくされた。

 船坂君は回復が間に合っていないのか、ナナさんと同じように片膝を突いて六郎兵衛を睨んでいる。

 

 「なるほど。信じがたいけど、そういうことか」

 「どういうことだ? 小吉。鬼の厨の正体がわかったのか?」

 「ああ。アレは他の術と同じだ」

 「同じだと!? 他の術では、雷や竜巻は起こせんぞ!」

 「いいや、起こせるんだよ」

 

 日本には、古くから万物に神が宿る、所謂(いわゆる)八百万(やおよろず)の神という考え方がある。

 それは草木はもちろん、石や道具、田んぼやトイレ、台所、米粒の中にだって神様がいると考えられてきた。

 もし、それらに暗示をかけて操ることができると仮定すれば、風を操って雷や竜巻を起こしたり、地面をめくり上げることだってできるんじゃないだろうか。

 

 「と、僕は考えたんだけど、どうかな?」

 「受け入れがたいが、目の前で起きている現象を常識的に理解するには、それが一番利にかなっているな。で、対抗策は?」

 「それは……」

 

 思い付いていない。

 だっていくら何でも、常識を逸し過ぎてる。

 今も、足場上に布陣していた元442や志願兵たちが必死に攻撃しているけど、六郎兵衛が起こす様々な超常現象によって全て阻まれている。

 

 「さすがに、(わずら)わしくなってきたな」

 

 六郎兵衛のその言葉と同時に、足場上の兵たちが一斉に身体のあちこちから血を噴き出して倒れた。

 うめき声が聴こえるから、かろうじて生きている……いや、生かされたのか?

 

 「正に、鬼の所業だな。これが、五郎丸の言っていた暮石家の悲願、鬼の顕現か」

 

 違う。

 確かに、森羅万象を支配している六郎兵衛は、鬼と呼べるかもしれない。

 でも、違和感を感じる。

 そもそも、(くりや)とは台所のことだ。

 殺戮の嵐が吹き荒れていたこの戦場は、鬼である六郎兵衛の台所と化しているように見えなくもない。

 だけど、本当にそうか?

 台所とは、料理を作る場所だ。

 なら、あの殺戮は料理と言える。

 じゃあ、出来上がった料理を食べるのは誰だ?

 いや、()だ?

 

 「さて、じゃあそろそろ、終わりにしようか」

 

 動く者がいなくなったのを確認した六郎兵衛は、ゆっくりと刀を抜きながら、僕の方へ振り向いた。

 僕を、殺す気か?

 

 「お逃げください! 油屋大しょ……!」

 「邪魔だ。寝てろ」

 

 僕を逃がそうと前に出た沖田君は、六郎兵衛の言葉に従うように、地面に倒れた。

 意識はあるようだけど、縫い付けられたように地面に張り付いている。

 

 「もうやめろ六郎兵衛。勝負はついた」

 「猛おじも邪魔だ。そこで土下座でもしてなよ」

 

 手の付けようがないな。

 言葉だけで敵を無力化し、近代兵器並みの破壊をもたらす六郎兵衛に対抗する手段が思い浮かばな……いや、待て。

 何か変だ。

 違和感を感じる。

 猛君と六郎兵衛の会話が妙に演技臭かったのもそうだけど、それ以外が異常だ。

 これだけの被害が出ているのに、どうして誰も死んでないんだ(・・・・・・・・・)

 

 「や、やめて! 小吉を殺さないで!」

 

 ナナさんの声に反応した六郎兵衛は、刀を僕の首筋に当てつつ、視線だけナナさんに向けた。

 

 「お願い……お願いします! 何でもするけぇ。兄様の子も産むけぇ、小吉を殺さんといて!」

 「無理だ。もう、その段階はとうに過ぎたよ」

 

 ナナさんの懇願を真顔で切り捨てた六郎兵衛は、僕の首筋に当てていた刀を上段まで持ち上げ、無慈悲に振り下ろした。

 でもその瞬間、六郎兵衛は唇の動きだけでこう言ったんだ。

 深い悲しみを秘めた瞳で、「ごめんね」と。

 

 



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第七十話 鬼の厨(裏)

 

 

 兄様は、昔から変な人だった。

 あたしに嫌われるようなことばかり続けているクセに、あたしが危ない時は必ず助けてくれた。

 父様に初めて人を殺せと言われた時、あたしは怖くてできなかった。

 そんなあたしを「暮石の出来損ない」と言って殺そうとした父様に、真っ向から挑んで反対してくれた。

 事あるごとにあたしを殺そうとする父様から、兄様は何度も何度も助けてくれた。

 でも、あたしが嫌がることはやめてくれなかった。

 今だって……。

 

 「しょ、小……吉? え? 嘘、死ん……だ?」

 

 やめてって言ったのに。

 何でもするって言ったのに。

 兄様の子供を産んであげるって言ったのに、兄様は小吉を斬った。

 小吉がいつも着ている、真っ白な服の胸元が一瞬で真っ赤に染まるくらい、バッサリと斬った。

 

 「何で? 何で殺したん? やめてって言ったのに、何で殺したん!」

 「必要だったからだ」

 

 必要?

 何が必要なのよ。

 小吉の死が、何のために必要だったのよ。

 

 「わか……らん。兄様がやることはいっつもわからん。何でいっつも、あたしが嫌がることばっかりするん? 何で、あたしを混乱させるん?」

 「必要だからだ」

 「じゃけぇ! それがわからんって言うちょるんじゃろうが!」

 

 叫びと一緒に、何かが出た気がした。

 いいえ、確かに出た。

 その瞬間は、小吉に好きだと言ってもらえた時よりも嬉しく、小吉と一つになれた時よりも、幸せだった。

 それを自覚したら……。

 

 (じゃあ、身を任せてしまえば良いのでは?)

 

 知らないはずなのに、知ってる声があたしの頭の中に響いた。

 

 (あの殿方が殺されて辛いでしょう? 悔しいでしょう? 悲しいでしょう? 苦しいでしょう? 憎らしいでしょう?)

 

 うん、辛い。

 結局一度も守れなくて悔しい。

 小吉がいなくなって悲しい。

 小吉と二度と話せないと思うと苦しい。

 小吉を殺した兄様が、殺したいほど憎い。 

 

 (いつも(・・・)そう。いつも私は、愛した殿方と添い遂げることができない。いつも……)

 「邪魔される」

 

 知らない声が、いつの間にかあたしの声になっていた。

 じゃあ、この声はあたしの声?

 でも、あたしが知らない人や風景が、あたしの頭の中で紙吹雪のように舞っている。

 龍見姉妹が着ていたような巫女服を着て、どこかの部屋で泣き崩れているあたし。

 ボロ布姿で、何かから逃げてるあたし。

 着物姿で、刀を構えた侍と対峙しているあたし。

 色んな姿のあたしが、知らない場所で知らない人たちと会い、そして殺されてた(・・・・・)

 

 「憎らしい……あな憎らしや……」

 

 わたし(・・・)の子のクセに。

 わたしの血を引く子孫のクセに、奴らはいつも邪魔をした。

 何度も何度も何度も何度も、わたしは我が子に殺され続けてきた。

 我が子を、殺し続けてきた。

 でも、それも今世で終わり。

 この娘は素晴らしい。

 この子は、今までの子達の中で、最もわたしに近い。

 あとは、この子がわたしを受け入れれさえすれば、全てを滅ぼせる。

 

 「よくも小吉を……。よくも、よくも、よくもよくもよくもよくもよくも……!」

 (仇が討ちたいのなら、わたしを解き放ちなさい。わたしに、身体を寄越しなさい)

 

 憎しみが膨れ上がって爆発寸前のあたしに、もう一人のわたしの誘惑に抗う術も、断る理由もない。

 だったら、この誘いに乗ってしまおう。

 身体を明け渡そう。

 魂すらも、捧げてしまおう。

 それで小吉の仇が討てるのなら、それで兄様を殺せるのなら、あたしは……。

 

 「もう、鬼でええ……」

  

 あたしがわたしに応えたら、身体の感覚が消えた。

 感情も消えた。

 でも、あたしの内に潜んでいた何かが、外に出たのはわかる。

 

 「あは……。あはははははははははははははははははは!」

 

 ああ、気持ち良い。

 今のわたしなら何でもできる。

 今までで一番強いあの子だって、わたしの敵じゃあない。

 

 「さあ、千を越える年月の因縁に、終止符を打とうではないか。なあ? 愛しき我が子よ」

 

 わたしは、泣きそうな顔をしてわたしを見つめる子に、右手を伸ばした。

 愛しき我が子。

 わたしを殺すためだけに血を絶やさず、力を蓄え続けてきたわたしの仇敵。

 わたしを殺し続けてきた、愛すべき小鬼。

 わたしはあなたを、今度こそ殺してあげる。

 わたしが()に会うために。

 わたしが彼と、再び逢うために。

 

 

 

 



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第七十一話 真実(表)

 

 

 

 

 どうして、僕は生きている?

 胸には、焼けるような痛みがある。

 血だって、派手に噴いた。

 だから、斬られたのは間違いない。なのに、僕はまだ生きている。

 

 「そのまま寝てて、小吉。起きちゃ駄目だよ」

 

 声につられて、視線だけを六郎兵衛に上げる最中に、黒い煙のようなモノを身体から放出しているナナさんが見えた。

 アレはなんだ?

 感じる気配は、龍見邸でのナナさんに良く似ている。

 でも、恐怖感や嫌悪感が桁違いだ。

 アレは、この世にあって良いものじゃない。

 アレは、存在しちゃいけないものだ。

 それだけは、本能よりも根元的な、魂が鳴らす警鐘(けいしょう)でわかる。

 

 「猛おじ。もう、動いて良いよ」

 「わかった。じゃあ、手はず通りで良いな?」

 「うん。待機させている人たちを使って、この場の全員を逃がして。アレは、僕が抑えるから」

 「……わかった。死ぬなよ」

 「それは無理な相談だ。今の僕でも、アレが相手じゃあ刺し違えるのが精々だね」

 

 猛君と六郎兵衛は、何の話をしている?

 その言いようじゃあ、まるで、この状況になるのがわかっていたみたいじゃないか。

 

 「あは……。あはははははははははははははははははは!」

 

 これは、ナナさんの声か?

 でも、この声は僕が知っているナナさんのモノじゃない。

 欲情しているかのような表情。

 歓喜しているかのような笑い声。

 幽霊のように不安定な立ち姿。

 アレは、僕が知っているナナさんじゃない。

 

 「さあ、千を越える年月の因縁に、終止符を打とうではないか。なあ? 愛しき我が子よ」

 

 口調も違う。

 愛おしそうに六郎兵衛を見つめる瞳も、僕が知っているナナさんのモノじゃない。

 今、ナナさんの身体を使っているのは、ナナさんじゃない別の何かだ。

 

 「いつ……からだい? いつから僕は、利用されていた?」

 「すまん、小吉。最初からだ」

 「じゃあ、ナナさんを僕の護衛につけたのは……」

 「この状況を、作るためだ。もっとも、ナナがお前に惚れたのは、予想外だったがな」

 

 そうか。

 そういうことか。

 今にして思えば、ナナさんを護衛につける意味なんてない。

 だって、ナナさんが戦闘能力で六郎兵衛に劣っていることを、猛君は知っていたはず。

 つまり、ナナさんを護衛につけた程度じゃあ僕の暗殺は防げないんだ。 

 それは、僕と六郎兵衛が初めて接触した時に証明されている。

 もし彼が、依頼を忠実に実行しようとしたら、僕はあの日に死んでいた。

 でも……。

 

 「目的がわからない」

 

 ナナさんと六郎兵衛は、天変地異とも呼べそうな力を振るって戦っている。

 猛君はこの状況を作るためだと言っていたけど、こんな状況を作る意味がわからない。

 仮に、ナナさんを殺すことが目的なのなら、六郎兵衛に比肩……いや、上回る力を覚醒させる必要がない。

 

 「暮石家の悲願。鬼の顕現を成すためだ」

 「役者だね、猛君。このために、何も知らないふり(・・・・・・・・)を続けていたのかい?」

 「ああ、万が一にも、ナナの内に潜んでいたアレに、知られるわけにはいかなかったんでな」

 「じゃあ、今のナナさんが……」

 「暮石家が……いや、その遥か昔から滅ぼそうとしてきた鬼だ」

 

 猛君の話を聞きながら、僕はゆっくりと身を起こして、胡座(あぐら)をかいて二人の戦いを見つめていた猛君へと視線を向けた。

 それを待っていたのか、僕が腰を据えると、猛君は語り始めた。

 

 「かつて、千年以上前に、暮石と瓶落水の祖先はさる高貴なお方と恋仲だった。子供まで身籠ってしまった。それが発覚し、二家の祖先は京の都を追放された。殺されなかったのは、相手側の温情によるものだろう」

 「その、さる高貴なお方って言うのは?」

 「言えん。暮石も瓶落水も、二つに別れる前は、ある理由のために近親結婚を繰り返している。故に、血の濃さは直系を上回る。もしこれが事実なら、とんでもない大スキャンダルだからな」

 

 それはつまり、ナナさんの先祖と恋仲だったのは、千年以上続く家系の人。

 さらに、今発覚してもスキャンダルになるほど有名な家系ってことだよね? 

 そんな家系は、僕が知る限り一つだけだな。

 

 「問題はここからだ。追放された二家の祖先は、恋人と引き離された恨みから、鬼と化した。そしてその鬼は、一族に連綿と受け継がれ続けた」

 「じゃあ、アレがその……」

 「鬼だ。暮石が使う『呪法・暮れなずむ石の如く』と、瓶落水が使う『釣瓶(つるべ)落として汲む水の如く』はアレを殺すために、アレを模して作られたモノだ」

 

 なるほど、そういうことか。

 瓶落水が暮石のために力を集め、それを使って、暮石が鬼が現れるべき状況を作り、殺す。

 わざわざそんな回りくどい事をするということは、鬼が宿っている者を鬼と化し、鬼を直接攻撃する必要があるからなんだろう。

 

 「暮石と瓶落水の祖先は、二つの術を一人で扱うのは無理だと考えた」

 「それで、二つに別れたと?」

 「それだけが理由じゃない。あの鬼は顕現させずに宿主を殺した場合、別の血族に移る。その選択肢を狭めるために、二家の初代当主は他の血族を皆殺しにして……」

 「暮石か瓶落水、どちらかの人間に、鬼が宿らざるをえなくした。ってことか」

 「その通りだ。さらにあの鬼は、女に宿っている時にしか出てこない」

 「じゃあ、四進君だった可能性も?」

 「いいや、それは四進の母親で否定されていたそうだ。故に、暮石の方に宿っていると確定し、女として生まれてしまったナナを鬼にして殺す計画を、六郎兵衛は立てたんだ」

 

 その計画に、猛君は協力した。

 ナナさんに宿る鬼を殺すために。

 ナナさんを殺すために、僕とナナさんを出会わせた。

 でも、どうしてその計画に……。

 

 「では、その計画に、小吉様が選ばれた理由は何なのですか?」

 「そりゃあ、聞くまでもねえだろ。小吉の大将だからだよ」

 

 ナナさんと六郎兵衛が巻き起こしている天変地異から待避してきた地華君と天音君が、僕の疑問を代弁してくれた。

 僕だから……か。

 それは、一般人に被害が出ない場所を用意できるからか?

 それとも、別の理由からか? 

 

 「龍見姉妹か。逃げた方が懸命だったぞ?」

 「冗談言うなよ」

 「その通りです。小吉様と七郎次を置いて、私たちだけ逃げるわけがないでしょう」

 「物好きめ。おい、沖田。お前もそうか?」

 「当たり前です」

 

 沖田君も、六郎兵衛の拘束から解放されているのに、逃げようとしない。

 いや、沖田君だけじゃなく、富岡君と船坂君まで、僕のそばに集まっている。

 

 「これが理由だ。お前は、こんな濃い奴らを従えるほど人望が厚い。人を惹き付ける。そんなお前なら、ナナが鬼になる条件を満たせると思った」

 

 だから、六郎兵衛は僕に取引を持ちかけたのか。

 僕にそんな自覚はなかったのに、僕を過大に評価した猛君と六郎兵衛は、僕を巻き込んだ。

 

 「瓶落水の協力を得られたのも、お前のおかげだ。六郎兵衛に元442の調査を依頼してくれてなければ、暮石と瓶落水が協力することはなかっただろう」

 「同じ目的のために別れたのに、そう言う段取りは組んでいなかったのかい?」

 「あの一族は適当なんだ。別れたは良いが、連絡先を教えあっていなかったんだからな」

 

 あの一族らしいと言えばらしいか。

 目的以外に興味がなかったとは言っても、連絡が取れないんじゃあ果たせないだろうに……って、そう言えば。

 

 「四進君は?」

 「俺の手の者が救助した。他の者たちも……ああ、今、救助が完了したようだ」

 

 みたいだね。

 半壊した足場の影から、陸軍兵が右手で合図している。

 

 「これが終わったら、君も六郎兵衛も殴るからね」 

 「ああ、好きにしろ。もっとも、終わる頃には俺もお前も死んでいるかも知れんがな」

 「死なないよ。僕は、ナナさんと約束したんだから」

 

 とは言ったものの、どうする?

 ナナさんと六郎兵衛の戦いは人智を越えている。

 あの戦いに介入したら無事じゃあ済まない。

 なのに、僕の足は自然と前に出た。

 

 「しょ、小吉様! どこへ行くおつもりですか!」

 

 どこへ?

 そんなの決まってる。

 ナナさんのところだ。 

 

 「ここで大人しくしてろって! あそこに突っ込んだら一瞬で死んじまうぞ!」

 

 それはできない。

 自信もない。

 確信もない。

 それでも、僕はナナさんのところに行かなくちゃ駄目なんだ。

 

 「惚れた女一人救えなくて、何が男だ」

 

 だから、僕はナナさんのところへ行く。

 ナナさんを救って、この戦いを終わらせる。

 猛君と六郎兵衛に誤算があったとすれば、それは僕の頑固さを過小評価していたことだ。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

  



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第七十二話 真実(裏)

 

 

 

 許せない。

 あたしが大好きな小吉を、あたしが愛した小吉を兄様は奪った。

 憎い。

 あたしから小吉を奪った兄様が、小吉がいなくなったこの世界が憎い。

 悲しい。

 小吉が死んでしまったのが、もう小吉に会えなくなったのが悲しい。

 なのに、あたしの身体を使っているわたしは……。

 

 「あはははははは! どうしたの小鬼! あなたの力はそんなもの?」

 

 嬉しそうに、幸せそうに力を振るってる。

 歩を進めれば突風を巻き起こし、左手を振れば稲妻が走る。右手を振れば地面がめくれた。

 その力を振るうたびに、幸福感があたしの心まで満たしていく。

 

 「ほらっ! 少しは反撃しなさいよ! わたしを殺すのでしょう? そのために、愛する妹を追い詰めたのでしょう?」

 

 兄様は反撃してる。

 でも、届いていない。

 同じ力を使っているのに、兄様の攻撃はあたしに届く前に霧散してしまう。

 

 「まさか、これ程とはね。伊達に、千年以上も存在し続けていないか」

 「当たり前よ。わたしはずっと蓄えて来た。何人も、何十人も、何百人もの子供たちから感情を奪い、この日のために力を蓄えて来た。お前のように、高々千人分の感情をメッキ代わりに付けた力とは根本から違うわ」

 

 それは質の違い。

 人数的には、兄様が取り込んだ数の方が多い。

 でも、それは1日分の感情でしかない。

 一人の人間が生まれてから死ぬまでの感情を凝縮し、それを何百回も繰り返したこの力は、兄様の仮初の力とは量も質も段違い。

 

 「ほら、その証拠に、お前はこんなにも脆い」

 「ぐぅ……!」

 

 わたしが兄様に向けた右手を握ると、兄様の右足が何かに握りつぶされたようにグチャグチャになった。

 

 「次は、左手」

 

 その言葉と共に、兄様の左腕が肩から千切れた。

 何かに無理矢理引っこ抜かれて、兄様は左腕を根本から失った。

 可哀想だとか、痛そうだななんて思わない。

 だって、兄様の自業自得だもの。

 痛い思いをするのも、苦しい思いをするもの兄様が悪いから。

 あたしから小吉を奪った、兄様が全部悪いの。

 もし喋れたなら「ざまぁみろ」って言ってやってたわ。

 

 「ああ、気持ちいい。お前の苦しそうな顔が、痛みをこらえる呻き声が、わたしの心を満たしてくれる。千年の渇きを潤してくれる。わたしに、生きていると実感させてくれる」

 

 このまま目につく人間の命を喰らい、復讐を成就させよう。

 もう一つの子孫たちも、彼の子孫も全て喰らって、この子だけにしてしまおう。

 この子だけが、彼の血を引く唯一の子。

 わたしと彼の愛の結晶。

 だから、他は要らない。

 何もいらない。

 全て食いつくして、この国をこの子だけの物にしてやる。

 

 「させないよ」

 

 もう、全て明け渡してしまおう。

 あたしの意識も全部、もう一人のわたしに食べてもらおう。

 そう決めたのに、聞こえないはずの声があたしを踏み止まらせた。

 どうして、小吉の声が聞こえるの?

 死んだはずなのに、どうして小吉が、兄様の隣に立っているの?

 

 「ど、どうして逃げなかった。君が出てきたら、全て台無しになってしまうじゃないか!」

 「そんなの、知ったことじゃない」

 

 ああ、小吉だ。

 間違いなく小吉だ。

 小吉は死んでなかったんだ。

 あたしが、早とちりしちゃっただけだったのね。

 

 「……小鬼の言う通りよ。あのまま死んでれば良かったのに。あなたが出てきたせいで、この子が動揺しているじゃない」

 「なら、出てきたのは正解だったね。ナナさんはまだ、完全に君に取り込まれてはいない。まだ、人に戻れる」

 

 人に戻れる?

 そうね。

 戻らなきゃ。

 小吉が生きているのなら、鬼である必要なんてない。

 あたしは人として、小吉の隣に帰るの。

 

 「帰さないわ。この身体は返さない。全てを滅ぼすまで、絶対にこの身体は……」

 「いいや、返してもらう」

 

 さっきまで夢見心地で朧気だった意識が、小吉の声を聞いた途端にハッキリした。

 小吉の姿を見た瞬間から、身体の感覚も戻り始めた。

 

 「やめてくれ小吉! せっかく、ようやく鬼が倒せるんだ! 僕たちに課せられた呪いを終わらせられるんだ!」

 「君んちの事情なんか知るか。僕はナナさんを助けたいだけだ。愛するナナさんと一緒にいたいだけだ」

 「女なんて他にいくらでもいるだろう! 愛したなんてくだらない理由で、僕たち一族の悲願成就を邪魔しないでくれ!」

 「愛がくだらない? 馬鹿なことを言うな六郎兵衛。あの鬼は、その愛の果てに生まれたモノだろう!」

 

 そうだ。

 小吉の言う通りよ。 

 あたしの中にいた鬼は、愛する人と引き離された恨みから生まれた。

 誰かを愛して引き離されるたびに、その力を増していった。

 愛ゆえに強くなり、醜くなり、狂っていった。

 

 「ここであの鬼を滅ぼせなければ、未来で同じことが繰り返されるんだよ? その時の暮石は、僕みたいに生け贄に温情なんてかけないかもしれない。関わった者を全員殺すかもしれないんだ! それでも良いのかい!?」

 「何度も言わせないでくれ。知ったことか! 仮にこの先、同じことが起こったとしても僕は同じことをする! ナナさんのせいで千人の人間が死ぬかもしれないのなら、僕はその千人全てを救おうじゃないか!」

 

 うん、小吉なら、そうするでしょうね。

 そんな小吉だから、あたしは好きになった。

 弱いのに意地っ張りな小吉に、あたしは恋をした。

 臆病なのに強情な小吉を、あたしは愛した。

 

 「だから、戻ってこい。僕のところに戻ってこい! ナナ!」

 

 小吉が呼んでる。

 両手を広げて、小吉があたしを求めてくれてる。

 

 「やめ……ろ。出てくる……な」

 「嫌じゃ。あたしは小吉のところに帰る。じゃけぇ、あんたはまた、あたしの中で寝ちょれ!」

 

 そう言うと、もう一人のわたしは「口惜しや……」とだけ言って、あたしの中に消えていった。

 それと同時に、身体の感覚も完全に戻ったんだけど、それまで術を使いまくられたせいか疲労感が凄い。

 

 「ナナ!」

 「小……吉」

 

 立っていられなくて、前のめりに倒れそうになったあたしを、小吉が抱き締めてくれた。

 ああ、小吉の匂いだ。

 血と埃、煙の匂いが混じってるけど、小吉の匂いがあたしの心を落ち着かせてくれる。

 小吉の温もりが、あたしを癒してくれる。

 

 「とんでもない事をしてくれたね、小吉。おかげで父様の……いや、今までに死んだ者全ての命が無駄になったじゃないか。こんなことなら、情けなどかけずに殺しておけば良かった」

 「今からでも、遅くはないんじゃないのかい?」

 「それ、本気で言ってる? 今の僕に、君をどうこうできると思うかい?」

 

 思えないわね。

 兄様は、さっきまでのあたしに左腕と右足を千切られて死ぬ寸前。

 喋れてるのが嘘みたいだわ。

 

 「七郎次……。最後に、兄としてお前に言っておきたいことがある。聞いてくれるかい?」

 

 遺言でも言おうってのかしら。 

 そんなものは聞きたくない。さっさと死ね。

 が、あたしの本音よ。

 でも、小吉は聞いてやれとばかりに、視線であたしを兄様へとうながした。 

 

 「で、何?」

 

 だから仕方なく、本当に仕方なく、嫌々兄様のそばに来た。

 そしたら兄様は、消え入りそうなくらい小さな声で……。

 

 「次は、お前が苦しむ番だ」

 

 と言って、息を引き取った。 



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第七十三話 別れ(表)

 

 

 六郎兵衛との一件が片付いてからの日々は、幸せの一言に尽きる。

 あの戦いで怪我をした人たちは今でも入院中なのに、比較的軽傷で済んだ僕とナナさんは、僕の自宅で新婚生活さながらの日々を謳歌している……と、僕は思っていた。

 でも、そう思っていたのは……。

 

 「僕だけだったのかな……」

 

 最初の数日は、ナナさんもそうだったと思う。

 でも日を追うごとに、ナナさんの様子がおかしくなっていった。

 一週間も経った頃には、ナナさんは出会った頃のような無表情に戻っていた。

 一ヶ月経った今は、口調まで以前のような棒読みになっている。

 

 「僕、何かしたのかな……」

 

 父親と兄を亡くしたばかりのナナさんに、僕の両親に紹介すると言ったのが無神経過ぎたんだろうか。

 それとも、新婚旅行先に熱海を選んだのが嫌だったんだろうか。

 まさか、時も場所も選ばずイチャイチャしたがる僕に嫌気がさしたんじゃ……。

 

 「本人に聞いてみるのが一番なのでは?」

 「それができたら苦労しないよ」

 

 そりゃあ、沖田君は奥さんと何でも言い合う仲だからそう言えるんだろうけど、僕とナナさんはそこまでの仲になってないんだ。

 

 「わたくしも、最近の七郎次の態度はおかしいと思いますが、結婚を控えてナーバスになっているだけなのかもしれませんよ?」

 「マリッジブルーってやつ?」

 「そう、それです。わたくしの妻も、式を挙げる前は何かに悩んでいました」

 

 なるほど、マリッジブルーか。

 ただでさえ一般常識や知識に偏りがあるナナさんだから、初めての感情に戸惑ってどうして良いかわからなくなっているのかもしれない。

 

 「予定通りなら、あと数年でまた戦争です。今の内に、悔いのないようにしておくべきでは?」

 「そうだね。でも、それは君もじゃない?」

 「わたくしも……ですか?」

 「そう。君んとこ、子供はまだだろう? 休みをあげるから、今の内に作っときなよ」

 「それは、ありがたいのですが……」

 「僕に、子供の名付け親になってほしいんだろ?」

 

 あれ?

 そうじゃなかったっけ?

 なんだか申し訳なさそうに「その件ですが……」とか言ってるんだけど……。

 

 「実はもう、男だった場合の名前は決めてしまいまして……」

 「へえ、そうなんだ。何てつけるの?」

 「それは、まだ秘密で」

 

 むむ、それは気分が良くないぞ。

 できてもない子供の名付け親になってくれと頼んで、僕を散々……悩んでないけど、一応は悩ませたのに、決めちゃったからもういいは無いし、教えないのはもっと無い。

 

 「良いじゃぁ~ん。教えてよ沖田く~ん」

 「気持ち悪いのでやめてください。心配しなくても、子供が産まれたらいの一番に教えますよ」

 

 だから、いつ作るのさ。

 さっさと作らないと、僕の方が先に作っちゃうぞ。

 みたいなノリになっちゃったので、その晩は久々にナナさんを床に誘ってみた。

 そして……。

 

 「ねえ、小吉」

 「ん? なんだい?」

 「最初の子は、男の子がええ? それとも、女の子がええ?」

 

 憧れのピロートークの最中に、「僕には縁がない質問だな~」と思っていた質問が、ナナさんの口から飛び出した。

 最初は男か女か……か。

 僕としては、どっちも捨てがたいから……。

 

 「両方」

 

 と、真剣な顔をして言った。

 でもナナさん的には無いらしく、「は?」って言われちゃったよ。

 まあ、産むナナさんからしてみれば、一度に二人はしんどいよね。「」

 でも、それには理由があって……。

 

 「僕はさ、男の子が産まれたら一緒にキャッチボールがしたい。女の子だったら、「将来はパパのお嫁さんになる」って、言ってもらいたいんだ。だから、もし叶うなら、男の子と女の子の双子が良い」

 「順番じゃ駄目なん?」

 「それでも良いんだけど……。ほら、僕は数年後には戦争しに行くから、万が一もあり得る。だから、一度に授かれるなら、その方が良いんだ。ナナさんには、負担がかかっちゃうけどね」

 

 次の戦争で死んじゃうかもしれないから、未練を残したくないんだ。

 あれ?

 でも、ナナさんが急に子供の話をしてきたってことは……。

 

 「あ、そういう話をするってことは、もしかして……」

 「ああ、違う。あたしが妊娠したらの話」

 

 なんだ、妊娠したからじゃあないのか。

 残念にも思うけど、少し安心した自分が意外だ。

 ナナさんとの子供は欲しい。 

 是が非でも欲しいし、生まれたら全身全霊をかけて猫可愛がりする。

 でも、僕はナナさんと二人だけの時間をもっと堪能したいとも思ってるんだろうな。

 だから、先の話だとわかって安心したんだろう。

 

 「そっか。でも、男の子にして……も、女の子にしても、ナナさんの子供なら可愛いだろう……ね」

 「もう、寝る?」

 「うん、久しぶりだった……からかな。疲れちゃっ……」

 

 そのせいか、急激な眠気に襲われた。

 もっとナナさんと話したいのに、僕はこの眠気に勝てそうにない。

 でも、勝てなくても良いんだよね。

 だって、ナナさんはずっといる。

 僕と結婚して、この先もずっと一緒に暮らすんだ。

 そう、思っていたのに……。

 

 「あれ? ナナさん?」

 

 翌朝。

 目が覚めると、隣で寝ていたはずのナナさんの姿がなかった。

 布団に温もりも残っていないと言うことは、夜が明ける前に布団から出てどこかへ行ったんだ。

 

 「これは……ナナさんの?」

 

 そして枕元には、ナナさんの物と思われる一房(ひとふさ)の髪の毛と、手紙が置いてあった。

 その手紙には……。

 

 「さようなら……」

 

 と、いくつもの涙の痕と、震える手で無理矢理書いたように歪んだ文字で書いてあった。

 



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第七十四話 別れ(裏)

 

 

 「次は、お前が苦しむ番だ」

 

 兄様が残したその言葉が、あたしの頭にこびりついて離れない。

 どうして、あたしが苦しまないといけないんだろう。

 兄様は何に、苦しんでいたんだろう。

 その疑問に誘われるように沸き上がる不安と恐怖を押さえ込もうとしていたら、あたしは以前のあたしに戻っていた。

 可愛げのない無表情で、愛嬌のない声のあたしに。

 

 「そのせいでぇ、小吉さんが悩んでるのぉ?」

 「うん、たぶん。しずおねーちゃんは、何であたしがこうなったんかわかる?」

 

 だから、小吉の家で療養中のしずおねーちゃんに相談してみた。

 兄様の遺言でこうなっちゃったんだから、暮石の術を無効化できるしずおねーちゃんなら、どうにかできると思って。

 

 「わかるわけないじゃなぁい。だってぇ、何か暗示をかけられた訳じゃないんでしょうぉ?」

 「そうじゃけど……」

 「それにねぇ。七郎ちゃんはぁ、私からしたら六郎ちゃんの仇なのよぉ? 仮に、六郎ちゃんが何らかの術をかけていたとしてぇ、助けてあげると思うぅ?」

 「思わんけど……」

 

 しずおねーちゃんくらいにしか相談できないから、そうしたの。

 そりゃあ、やったのはあたしとは言いがたいけど、兄様を殺したのは鬼になったあたしだから、仇と言われても仕方がない。

 でも、そう仕向けたのは兄様なのよ?

 

 「はぁ……。ごめんなさい。意地悪をするつもりはないのよ。ただ、やっぱりやりきれなくて……」

 「しずおねーちゃんも、兄様の計画に荷担しちょったけぇ?」

 「そうねぇ、それもあるわぁ。彼と初めて会った日に、長年の誤解が解けた私たち瓶落水と六郎ちゃんは、協力することになったわぁ」

 「あたしを鬼にして、殺す計画に?」

 「そう。わたしの曾祖父と暮石の初代が間抜けなことをしたせいで生じた誤解が解けた私たちは、その計画にのった。もっとも、見返りは貰ったけどねぇ」

 「見返り?」

 

 あたしが聞き返すと、しずおねーちゃんは布団の上に正座して、右手で下腹を愛おしそうに撫でた。

 もしかして、見返りって……。

 

 「ここには、私と六郎ちゃんの子が宿ってるわぁ」

 「兄様の……子供?」

 「そう。ただし、瓶落水として育てるつもりよぉ。名前はそうねぇ……。瓶落水ではあるけどぉ、暮石としては八人目だから、進八(しんぱち)とでもつけようかしらぁ」

 「女じゃったら、どうするん?」

 

 いや、目をパチクリさせて「それは考えてなかった」って言いそうな顔をしてるけど、その可能性もあるでしょ?

 たしか瓶落水って暮石とは違って、女だったら女みたいな読みにするのよね? 

 実際、しずおねーちゃんは『しず』って読みだし、母親は『三進(みすず)』なんでしょ?

 

 「女の子だったら……五進(いすず)にでもしようかしらぁ」

 「それは困る」

 「どうしてぇ?」

 「そんな曖昧なことされたら、八が使いづらい」

 「使いづらいって……。まさかあなた……」

 「うん。あたしのお腹には、小吉との子がおる」

 

 今はまだ、月の物が遅れてるくらいしか兆候はない。

 でも、あたしにはわかる。

 あたしの身体は、小吉との間にできた子を育むために作り変わろうとしているし、お腹にあたし以外の命を感じるもの。

 

 「わかったわぁ。じゃあ、女の子だったら進八(すずや)にするわぁ。それなら、安心して九が使えるでしょう?」

 「いやいや、しずおねーちゃんが五をつかえばええじゃないね」

 「それは駄目よぉ。だって、六郎ちゃんとこの子の繋がりが薄れちゃうじゃない」

 「兄様との、繋がり?」

 「そうよぉ。もし計画通りに終わったら、この子は暮石として育てる予定だった。だから、八を使いたいの。六郎ちゃんとあなたの次であるこの子の名前に、父親との名前の繋がりを残してあげたいのよぉ。時期を考えるとぉ、この子の方が生まれるのが先だしねぇ」

 

 名前に、親との繋がりを残す……か。

 もしかして、暮石がかたくなに○郞とつけるのは、親と子の繋がりを少しでも残そうとしてたからなのかしら。

 だったら、あたしがこの子につけるべき名前は……。

 

 「小九郎(こくろう)? それとも、九郎次(くろうじ)? それとも、次九郎(つぎくろう)?」

 「どれも語呂が悪いわねぇ……」

 「あたしもそう思う」

 

 でも、そうしたいと思ってしまった。

 いいえ、そう決めてしまった。

 小吉に反対されるかもしれないけど、あたしが本気でお願いしたら、小吉は笑顔で賛成してくれるかもしれない。

 いいえ、させる。

 

 「ところでぇ、鬼はその後どう?」

 「どう、とは?」

 「大人しくしてるぅ? 出てくる気配はなぁい?」

 「ないけど……」

 「そう、なら良いけどぉ」

 

 なんだか、含みがある言い方ね。

 でも、それが切っ掛けだったんだと思う。

 その日から、あたしの中にいる鬼の鼓動を感じるようになった。

 あたしの胸の内ではなく、お腹から感じるようになったの。

 それは日を追うごとに大きくなり、二週間も経つと、鼓動が声になって頭に響くようになった。

 ここから出せ。

 早く代を進めろ。

 わたしが宿るに相応(ふさわ)しい身体を産め、育てろと、頭の中で繰り返し呟いた。

 

 「殺されちょくべきじゃったんじゃろうか」

 

 あたしの中にいた鬼は、すでに新たな宿主へと移ってる。

 あたしが身体を明け渡すと言っても、たぶん鬼はもう出てこない。

 

 「この子がもし女の子じゃったら……」

 

 鬼の器、形代(かたしろ)に成り得る。

 そうなったら、あたしは暮石としてこの子を殺さなければならなくなる。

 だってそうしなければ、みんな殺される。

 歌も、地華も、天音もジュウゾウも、しずおねーちゃんも。

 そして、小吉も……。

 

 「だったら、今の内に……」

 

 今の鬼に、身を守る術はない。

 あたしがお腹を刺せば、簡単に殺せる。

 でも、それはしたくない。

 だってこの子は、あたしの子であり、小吉の子。

 あたしと小吉の愛の結晶なの。

 その子を殺すなんて、あたしにはできない。

 

 「ねえ、小吉」

 「ん? なんだい?」

 「最初の子は、男の子がええ? それとも、女の子がええ?」

 

 あたしは久しぶりに小吉と重なったあとに、どっちが良いか聞いてみた。

 そしたら小吉は……。

 

 「両方」

 

 と、真剣な顔をして言ったわ。

 あたしはついつい「は?」と、返しちゃったけど、小吉は……。

 

 「僕はさ、男の子が産まれたら一緒にキャッチボールがしたい。女の子だったら、「将来はパパのお嫁さんになる」って、言ってもらいたいんだ。だから、もし叶うなら、男の子と女の子の双子が良い」

 「順番じゃ駄目なん?」

 「それでも良いんだけど……。ほら、僕は数年後には戦争しに行くから、万が一もあり得る。だから、一度に授かれるなら、その方が良いんだ。ナナさんには、負担がかかっちゃうけどね」

 

 それは、負担どころではないのでは?

 育てるのはともかく、二人もひり出すとか考えただけでゾッとするんだけど……。

 

 「あ、そういう話をするってことは、もしかして……」

 「ああ、違う。あたしが妊娠したらの話」

 

 あたしは、咄嗟に嘘をついた。

 本当は身籠っているのに、言っちゃ駄目な気がしたから。

 

 「そっか。でも、男の子にして……も、女の子にしても、ナナさんの子供なら可愛いだろう……ね」

 「もう、寝る?」

 「うん、久しぶりだった……からかな。疲れちゃっ……」

 

 言い終わる前に、小吉は寝息を立て始めた。

 小吉の幸せそうな寝顔を見ていたら、あたしまで幸せな気分になる。

 でも、同じくらい不安にもなった。

 あたしはこの子を産んでも良いの?

 あたしは、小吉のそばにいても良いの?

 あたしがいたら、小吉は戦争に行くよりも危ない目に遇うんじゃないの?

 そんな不安が胸の内に膨らみ始めた。

 

 「嫌じゃ……小吉と一緒におりたい」

 

 でも、あたしがいたら小吉は死ぬ。

 

 「この子も、産んであげたい」

 

 でも、この子が女の子だったら、小吉の敵になるかもしれない。

 

 「そんなの、絶対に嫌……」

 

 この子と小吉を争わせたくない。

 小吉にこの子を、この子に小吉を殺させるようなことはしたくない。

 でも、じゃあどうする?

 そんなの、考えるまでもない。

 

 「ごめん。ごめんね、小吉」

 

 あたしは小吉に、「朝まで起きるな」と暗示をかけ、いつもの学生服に着替えてから震える手でなんとか一筆したためて、髪を一握りほど添えて部屋を出て玄関に向かった。

 そしたら、しずおねーちゃんがあたしのトランクを持って立っていた。

 

 「出て、行くのね」

 「うん。あたしは、小吉のそばにおっちゃいけん」

 「そうね。あなたは小吉さんのそばにいちゃ駄目。暮石の宿業に、あの人を巻き込んでは駄目」

 

 そんなの、嫌と言うほどわかってる。

 だから、出て行くと決めた。

 だから、小吉と二度と会わないと決めた。

 

 「その子のことは、小吉さんには黙っておくわ。うちの連絡先を書いた紙もトランクに入れておいたから、困ったことがあれば連絡しなさい」

 「ありがとう、しずおねーちゃん」

 「お礼なんて言わないで良い。これは、私なりの復讐……いえ、八つ当たりなんだから」

 

 と、言いながら申し訳なさそうに微笑むしずおねーちゃんから、あたしはトランクを受け取って小吉の家を出た。

 そして……。

 

 「さようなら……小吉」

 

 と、手紙にしたためたのと同じ言葉を、振り返らずに呟いた。

 



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第七十五話 別れ(番外)

 

 

 ナナ……七郎次を鬼にして殺す。

 その計画を五郎丸から持ちかけられたのは、上官から小吉の暗殺を暮石に依頼しろと命じられた俺が暮石家におもむいた日だ。

 

 「訳を聞かせろ」

 

 その当時の俺は、暮石の悲願など知りもしなかった。

 故に、演技をやめて無表情で俺の前に座る五郎丸に理由を問いただした。

 

 六郎兵衛も七郎次も、俺は赤ん坊の頃から知っている。

 二人は俺をおじと呼んで、それなりに慕ってもくれていた。

 俺にとっては、子供みたいなもんだった。

 だから、実の娘を殺そうとしている五郎丸の気持ちがわからなかったんだ。

 

 「娘を、人として死なせてやるためだ」

 

 吐き出すように言ったその台詞を皮切りに、五郎丸は暮石の悲願と家の成り立ちを俺に話した。

 正直、その時は信じきれなかった。

 暮石の扱う術を何度も目の当たりにしていたのに、内容があまりにもオカルト過ぎて、理解が追い付かなかった。

 

 だが、(いびつ)ながらも五郎丸が父親として七郎次を想い、その計画を立てたのだけはわかった。

 

 「日ごと、七郎次の中の鬼は力を増している。だが、今ならまだどうにかなる。瓶落水と協力し、俺と六郎兵衛が終の段に至ったなら、なんとか倒せる。だから、お願いだ猛。協力してくれ」

 

 俺は渋々ながら、五郎丸の申し出を受け入れた。

 鬼が出てくる条件を整えるために、適当な理由をつけて七郎次と小吉を出会わせ、瓶落水を捜索した。

 

 小吉が六郎兵衛に広島へ行けと以来したのをこれ幸いにと、二家を引き合わせた。

 

 誤算があったとすれば、六郎兵衛が五郎丸を殺してしまったことと、七郎次が小吉に惚れてしまったことだ。

 小吉が七郎次に惚れるのはまあ……なんとなく想像はついていたが、七郎次までそうなるとは夢にも思っていなかった。

 

 それが、計画が失敗した最大の要因だ。

 六郎兵衛は、女として愛していた七郎次を殺させようとする五郎丸が許せずに、殺してしまった。

 七郎次の小吉への想いが強すぎて、せっかく回りくどい真似をして、親友まで裏切ったのに、七郎次は人に戻ってしまった。

 

 いや、それは責任転嫁だな。

 俺が小吉を殺すのだけは勘弁してくれと六郎兵衛に懇願しなければ、六郎兵衛と七郎次の命と引き換えに、暮石の悲願は達成できていたかもしれない。

 俺が甘かったばかりに、計画は失敗したんだ。

 

 「猛おじ様に、お願いがあります」

 

 そんな後悔に悩まされる日々を送っていたある日、七郎次が我が家を訪ねて来た。

 俺がやった陸軍のコートを畳んで、必要最低限の物しか入っていないトランクと共にわきに置き正座をして俺と対面している。

 以前と同じ、仮面のような無表情。

 棒読みにも聞こえる、抑揚のない声。

 違うところがあるとすれば、口調くらいのものだろうか。

 

 「小吉の命を狙っている全ての者の情報を、頂けないでしょうか」

 「それを聞いて、どうするつもりだ?」

 「殺します。小吉が暗殺に怯えなくても良いように、全部殺します」

 

 まあ、そうだろうな。

 小吉から、七郎次がいなくなったと言う連絡は来ていた。

 探してくれとも、頼まれた。

 だが俺には、なんとなくこうなるような気もしていた。

 だから、捜索はしなかった。

 待っていれば、小吉とは一緒にいられないと悟った七郎次が、自分から来るだろうと思っていたからだ。

 

 「これにまとめてある。あとは、お前の好きにしろ」

 

 俺は、あらかじめまとめておいた資料を、七郎次に渡した。

 そのお返しとばかりに、七郎次は「これを、お返しします」と言って、短刀と小太刀を畳に置いた。

 凶器から、俺に繋がるとでも考えたのか?

 それとも、俺との縁を切るためか?

 

 「では、あたしはこれで。それと、くれぐれも、あたしの居場所は小吉に教えないでください」

 「待て、七郎次。俺を殺して行かないのか? 俺は、今回の件の黒幕だぞ」

 

 腰を浮かせようとした七郎次に問うと、七郎次は無表情のまま小首を傾げた。

 なぜ、不思議がる?

 俺はお前と小吉を騙し、利用し、別れる原因を作った張本人だぞ?

 

 「猛おじ様は、小吉の友達でしょう? その猛おじ様が死んだら、小吉が悲しむ。小吉が悲しむことを、あたしはしたくありません」

 

 そう言い残して、七郎次は俺の前から姿を消した。

 その翌日から、陸軍上層部やそれに関わる者たちが相次いで変死する事件が起こり始めたが、俺は他人事のように報告を聴いていた。

 

 



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第七十六話 愛屋及烏

 

 

 

 

 ナナさん。

 君が僕の前から姿を消して、10年が経ったよ。

 この10年は、僕の人生で一番苦しかった。

 いっそ、死んでしまおうとさえ思った。

 君を忘れようと、酒にも溺れた。

 猛君や沖田君、龍見姉妹にも、随分と迷惑をかけたっけ。

 酒浸りで自堕落な生活を送っていた僕を奮起させようとでも思ったのか、初めて猛君に殴られたよ。

 それでも、すぐには立ち直れなかった。

 僕が立ち直れたのは、猛君に殴られてから半年も経ってからだった。

 どうやって、立ち直ったと思う?

 べつに、理由なんてなかったんだ。

 ただ単に、君が今の僕を見たらどう思うのかな。って考えたら、自然と立ち直ることができたんだ。

 そうそう、ついに沖田君に、子供ができたんだ。

 名前は何だと思う?

 なんと、重蔵(じゅうぞう)だ。

 君が最後までジュウゾウと呼んでいたから、頭から離れなくて息子の名前にしちゃったんだってさ。

 彼も意外と、いい加減だよね。

 それと歌ちゃんと、天音君が結婚したよ。

 合同で行った結婚式に君を招待したがってたけど、君の所在がわからなかったから、断念したようだ。

 歌ちゃんには申し訳ないけど、もしかしたら君に会えるんじゃないかと、期待したっけ。

 

 ナナさん。

 君と別れてから、20年経ったよ。

 僕かい?

 僕は今も、海軍にいる。

 今では、僕なんかが元帥だよ。

 今のところ、歴史の調整は順調だ。

 このままアクシデントがなければ君や、君が結婚して子供を作っていれば、その子達が平和に暮らせる世の中になるはずだ。

 

 ナナさん。

 君の肌の温もりが消えて、30年経ったよ。

 人肌恋しくなることもあるし、良い縁談もあった。

 地華君なんか、僕なんかを待ったためにかんぜんに婚期を逃してしまった。

 それでも彼女は、僕のそばに居続けてくれている。

 今では、周りから僕の内縁の妻扱いをされてるよ。

 それが申し訳なさすぎて、僕は思わず土下座してしまった。

 

 ナナさん。

 君の声が聴こえなくなって、40年経ったよ。

 さすがにこの歳になると、結婚しろと言われなくなったな。

 まあ、言われてもする気はないんだけど。

 

 ナナさん。

 君の匂いが鼻を(くすぐ)らなくなって、50年経ったよ。

 君は、まだ生きているのかい?

 よほどのことがなければ、君はまだ60代だから平気かな。

 僕?

 僕は、自分でも驚ほど元気さ。

 さすがに退役したけど、この調子なら100歳まで生きられそうだ。

 でも、地華君が逝ってしまった。

 最後の瞬間まで僕を支えてくれた地華君は、恨み言一つ言わずに、安らかに息を引き取ったよ。

 

 ナナさん。

 君に見つめてもらえなくなって、60年過ぎたよ。

 僕は、あと10年で100歳だ。

 おっと、僕の年よりも、重大な報告があったんだった。

 なんだと思う?

 なんと、君のお孫さんと会ったんだ。

 いやぁ、ビックリしたなぁ。

 彼は陸軍どころか海軍でも有名人だったんだけど、とある事情で海軍に復帰した僕のところに来るなんて思ってもみなかったよ。

 

 ナナさん。

 君と同じ空気が吸えなくなって、70年が過ぎたよ。 

 僕もとうとう、100歳を超えてしまった。

 もしかしたら、これが僕や猛君に与えられた転生特典だったのかもね。

 そのおかげで、死ぬよりも苦し目にも遭ったけど、君のお孫さんと少しだけ仲良く……なれたのかぁ。

 相変わらず、彼は僕を糞ジジイ呼ばわりだし、ついこの間会った時なんか殺されかけたよ。

 あ、そうそう、君を使った事があるって話したら、手を出したのかって邪推されたっけ。

 いや、邪推じゃないか。

 たった数度とは言え、僕は君を抱いたんだから。

 まあ、彼には手を出してないと、咄嗟に嘘をついちゃったんだけどね。

 

 ナナさん。

 君と再会できないまま、僕はとうとう寿命を迎えたよ。

 君のお孫さんや、その奥さんに看取られて、僕は死ぬことができた。

 それが少しだけ、嬉しかったかな。

 

 「彼の奥さんは、君とよく似ていたなぁ」

 

 黒髪で、腰まで届きそうなストレートヘア。

 ただ、君と違って考えてる事がすぐ顔に出る子だった。

 でも、君の方が美人かな。

 と、言ったら彼に怒られそうだけど、そう思ってしまうくらい、僕は君に首ったけだったんだ。

 

 「ナナさん。僕、頑張ったよ」

 

 君が生きている。

 君が死んでも、君の子孫が生きている。

 そう思うことで、僕は戦い続ける事ができた。

 トラブルはあったし、厄介事を君のお孫さんに押し付けてしまう形になってしまったけど、僕は死ぬまで頑張った。

 君のことが愛しすぎて、君が生きるこの世界自体を愛してしまった。

 だから僕は、死ぬまで走り続けることができたんだ。

 

 「そうじゃね。小吉は、よう頑張ったよ」

 

 僕が、懐かしい白い空間で物思いに浸っていたら、聴こえないはずの声が聴こえた。

 ずっと聴きたかった声が聴こえた。

 今のは幻聴か?

 いや、今の僕に、幻聴も糞もない。

 なら、今の声は……。

 

 「ナナ……さん?」

 「うん。久しぶりじゃね。小吉」

 

 やっぱり、ナナさんだった。

 あの頃と同じ、濃紺のセーラー服を着たナナさんが、僕の後ろに立っていた。

 

 「どう……して」

 「どうして? 待っちょったに決まっちょろうがね」

 

 そう答えてナナさんは、両手を腰に当てて、プンプンと擬音が聴こえてきそうなほどわかりやすく、怒って見せた。

 

 「ねえ、小吉。なんで小吉は、結婚せんかったん? ええ話も、あったんじゃろ?」

 「君以上の女性に、巡りあえなくてね」

 「その台詞、地華に言うたら槍で突かれるぞ?」

 「そうだね。彼女の前じゃあ、絶対に言えないや」

 「種はしっかり残せたんじゃけぇ、遠慮せんと結婚くらいすりゃあ良かったのに。小吉は歳を取っても、阿呆のまんまじゃったねぇ」

 「ハハハ、そうさ、僕は阿呆……の?」

 

 今、ナナさんはなんて言った?

 種を残した?

 種って、何の種だ?

 もしかして、子孫か?

 それは無い。 

 絶対に無い。

 だって僕は、ナナさん以外の女性を抱いたことがないんだ。

 だから、僕の子供を身籠る可能性があるのも、生むことができるのも、ナナさんしかいない。

 じゃあ、彼は……。

 

 「ちょ、ちょっと待って! じゃあ、彼は僕の……」

 「孫。ちゃんと名前に、小吉の名前の一部をつけちょったじゃろう? 気づかんかったんか?」

 「気づくわけないじゃないか! 彼が……小十郎(こじゅうろう)君が僕の孫だったなんて……」

 

 え?じゃあ、ナナさんは僕と別れてから、結婚しなかったの?

 彼がお爺さんだと思ってた人は、赤の他人?

 それとも、結婚はしたけど子供には恵まれなかったってこと?

 いや、そもそも僕と彼は……。

 

 「あんまり、似てないよ?」

 「よう似ちょるじゃないね。ロリコンなんも、長い黒髪が好きなとこもよう似ちょる」

 「あ、そう言われてみれば……」

 

 女性の好みはけっこう似てたかもしれない。

 でも、趣味や嗜好って遺伝するんだろうか。

 

 「小吉は、あたしが十番目に覚えた名前。じゃけえ十人目の子に、小吉の名前をあげたかったんよ」

 「じゃあ、君の……君と僕の子供には?」

 「あたしの名前をあげた。ちぃっとばかし語呂が悪ぅなってしもうたけど、あん子は気にしちょらんかったねぇ」

 

 まったく、とんでもないサプライズだ。

 まさか僕に子供がいて、孫までできてるなんて全く思わなかった。

 しかもその孫と、お互いの関係を知らぬまま会っていただなんて……。

 

 「じゃあもう、思い残すことはないな」

 「満足、したん?」

 「うん。彼に面倒ごとを押し付けてしまったのが、少しだけ心残りではあるけどね」

 「あん子なら大丈夫じゃろ。なんせ、小吉以上の極悪人じゃけぇね」

 

 それは間違いない。

 しかもそれに加えて、暮石の力まで使えるんだから鬼に金棒だ。

 

 「それに、恋も終わりにしなきゃ」

 「……あたしに、愛想をつかしたん?」

 

 僕の言葉を聞いたナナさんは、そう言って不安そうな顔になった。

 死んで肉体がないからか、表情の変化が自然だ。

 感情がそのまま、顔に表れている。

 

 「いいや、違う。これからは来世で、君と愛を育もうってことさ」

 

 そう言うと、ナナさんの顔は真っ赤になり、少しうつむいてしまった。

 

 「あたしで、ええの?」

 「言っただろう? 僕は、君以上の女性に会ったことがないんだ」

 

 そう返すと、今度は泣きそうな顔になった。

 でも、悲しみは感じない。

 溢れ出しそうな嬉しさを、必死で我慢しているように見える。

 

 「本当……に?」

 「ああ、本当さ」

 

 それが合図だったように僕たちは互いに歩み寄って、抱き締めあった。

 七十数年分の時間を取り戻すように強く。

 このまま、一つに溶け合ってしまいたいとでも言うように強く、しっかりと抱き締めあった。

 

 「あたしも小吉が好き。愛しちょる。ずっと、ずっと、もう一度言いたかった」

 「僕もずっと言いたかった。君が好きだ。愛してる。仮に100年経っても、この想いは絶対に変わらないよ」

 

 そして僕たちは、飽きもせず抱き締めあい、愛する気持ちを言葉にして交換し続けた。

 あるかどうかもわからない、来世への不安なんかない。

 なければ、このまま二人でここに居続ければ良い。

 何もない所だけど、彼女がいれば、他には何もいらない。

 だって僕たちは、ようやく結ばれたんだから。



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第七十七話 依依恋恋

 

 

 

 小吉。

 あなたと別れてから、40年も経ってしまいました。

 歌や龍見姉妹は元気ですか?

 一度、猛おじ様を通して結婚式へのご招待を頂きましたが、あたしは行くことが出来ませんでした。

 いえ、行っては駄目だと思ったんです。

 あたしが行ったら、小吉の邪魔になると思ったんです。

 だって歌と天音が別の男性と結婚したと言うことは、小吉は地華と結ばれたのでしょう?

 なのにあたしが出て行ったら、二人の関係が(こじ)れるかもしれな……いや、これは言い訳ですね。

 あたしは、二人を見たくなかった。

 二人を見てしまったら、あたしはきっと嫉妬に狂ってしまったでしょうから。

 

 「母さん。そろそろ」

 

 おっと、息子が呼びに来た。

 あたしの人生も、あと数時間で終わりのようです。

 

 「ええ、わかったよ。九郎次(くろうじ)

 「婆様、どっか行くん?」

 「うん、ちょっと出掛けて来るよ。小十郎(こじゅうろう)

 

 あたしは、ようやくできた孫の一人、兄の小十郎の頭を撫でながら、息子の九郎次のあとについて家を出て、家からほど近い山へと向かった。

 今でこそ、あなたの名前の一部をあの子に託す事ができて安心していますが、九郎次がなかなか結婚してくれなくて冷や冷やしました。

 良い縁談はありましたし、あの子自身かなりモテたんですが、四十が間近に迫るまで結婚しようとしなかったんです。

 まあ、それはあたしのせいなのかもしれませんね。

 何せあたしは、あの子の目の前であの子の初恋の子を殺した。

 あなたを殺したくないばかりに、あたしはあの子が恋した子を殺したんです。

 

 「小十郎は、連れて来んでえかったんか?あいつは母さんに懐いちょるけぇ、ええ贄になると思うんじゃが」

 「小十郎には、見せたくないのよ」

 「それも、我儘の一つか?」

 「そう、母さんの我儘」

 

 あたしは九郎次に、我儘を一つ聞いてもらいました。

 それは、最初の子に小十郎と名付けてくれと言うお願い。

 もしかしたら九郎次は、その我儘で何かを察して、あたしが不安になるまで結婚しなかったのかもしれません。

 

 「死体の処理は、ちゃんとしなさいよ?」

 「安心せえぇ。陸軍からの連絡役として赴任してきた奴が、ちゃんとやってくれる」

 「隣に越して来た家族かい?」

 「ああ。そうでもなきゃ、うちの隣人になりたがる奴なんかおらんじゃろ?」

 

 そりゃあ、そうだ。

 ああ、だからか。

 だから九郎次は、急に「母さんの首が要る」って言い出したのね。

 

 「陸軍とは、上手くやれそうかい?」

 「一応、母さんの首を差し出しゃあ、母さんがやったことは不問にするって言われちょる」

 「そうかい。じゃあ、ちゃんと殺しなさい」

 

 小吉の安全を確保するついでに、陸軍と(たもと)を別つために殺した奴らの生き残りがいたか。

 そいつが時を経て、暮石家が続いてる事を知ってあたしに復讐しようと、九郎次に仕事の話を持っていったんでしょう。

 九郎次も、あたしへの復讐と術を遺憾なく試せる仕事に就けて、一石二鳥なわけね。

 

 「しきたりじゃあ、本気で殺し合うはずじゃろ?」

 「今の母さんに、戦う力があると思う?」

 

 今のあたしに、戦う力はない。

 術もとっくに使えなくなってるし、短刀の振り方も、身体の動かし方も忘れてしまった。

 そんなあたしにできるのは、死線を見ることくらい。

 あたしの身体を無数に這い回る、九郎次の殺意を見ることくらいよ。

 

 「できるだけ、惨たらしく殺しなさい。あなたの恨みを、少しでも晴らしなさい」

 「ああ、わかっちょる」

 

 その言葉を最後に、九郎次は暮石家に伝わる刀を抜いて、あたしを斬り始めた。

 兄様が使ってた刀で、あたしは何度も斬られた。

 地華から貰った真っ白な着物が、真っ赤に染まった。

 左肩から右脇腹までの一撃に始まり、右腕を落とされ、右肩を突かれ、左足を根元から落とされた。

 それでも、あたしはまだ死ねない。

 出血量から考えたらとっくに死んでるはずなのに、あたしはまだ、死ねてない。

 そんなあたしを、九郎次は泣きそうな顔で見下ろしている

 

 「なん……て、顔をしてるの。アンタは、暮石の小鬼……でしょう?」

 「できん……。俺にゃあ、これ以上母さんを斬れん」

 「何を……」

 

 甘えた事を言っている。

 あたしはアンタを、そんな風に育てた覚えはない。

 ちゃんと恨まれるように、憎まれるように育てて来た。

 あたしは、アンタに……。

 

 「殺してほしかったんじゃろ?母さんは俺に殺されることで、父さんに罪滅ししたかったんじゃろ?」

 「違……」

 

 いや、違わないか。

 そう、あたしは罪滅しがしたかった。

 あなたの血を引くこの子に殺されることで、罪滅しができると思った。

 だから、あたしはそうした。

 それをこの子に悟られていたのは、あたしの落ち度だった。

 

 「じゃあ、もう帰りなさい。放っておいても、母さんはその内死ぬよ」

 「嫌じゃ。まだ……」

 

 ああ、小吉。

 この子はやっぱり、あなたの子です。

 暮石の業に染まりながらも、あなたと同じで心根は優しい。優しすぎる。

 こんな、誰が見ても助からないあたしを、まだ助けようとしてくれてる。

 でも、あたしは……。

 

 「助からん! ええけぇ、言うこと聞いて帰りんさい! この、ド阿呆が! アンタは仕事するって決めたんじゃろうが!」

 「じゃ、じゃけどそれは、女房や子供の命を……」

 「言い訳をするな! アンタは、家族とあたしを天秤にかけて、家族を選んだんじゃろうが! じゃったら、家族のために仕事を全うせぇ!」

 

 そうか。

 アンタは、あたしが殺し損ねた奴に、脅されてたのか。

 

 「九郎次、こっちに来んさい」

 

 ごめんね。

 九郎次。

 母さんは、こんな言い方しかしてあげれない。

 アンタが悩みに悩んで、母さんを殺して家族を守る選択をしたのに、あたしは叱ることしかしてあげられなかった。

 だったら、せめて……。

 

 「アンタは、あたしの自慢の息子。立派に育ってくれた」

 「じゃけど、俺ぁ……」

 「あたしのことは、気にせんでええ。アンタはこれから、その日が来るまで家族を守りんさい」

 

 あたしはこの子が生まれてから、初めて優しい言葉をかけてあげた。

 初めて、頭を撫でてあげた。

 初めて、母親らしいことをしてあげれた。

 

 「これ、アンタが持っちょって」

 「これ……は?」

 「昔、アンタのお父さんに貰った物よ」

 

 小吉に貰った写真入りのペンダントを渡した。

 九郎次は、開くことに気づいておもむろに開いて、中を見始めた。

 あたしの若い頃を見られるのは、少し気恥ずかしいわね。

 

 「これ、若い頃の母さん? じゃあ、隣の海軍軍人は……」

 「アンタの、お父さん……」

 

 初めて見る父親の姿が新鮮なのか、九郎次はしげしげとペンダントをの写真を見つめている。

 それは持って帰って良いから……。

 

 「もう行きい。アンタの家族のところへ、帰りんさい」

 

 そう言って、渋るあの子を帰らせた。

 あの子の人らしい泣き顔を、冥土の土産にちょうど良いと思えたあたしは、術が使えなくなっても人でなしみたいね。

 

 「あぁ……痛い」

 

 苦しい。

 辛い。

 泣きたい。

 (わめ)きたい。

 叫びたい。

 でもそれ以上に、あたしは……。

 

 「小吉に、会いたい……」

 

 小吉の声が聴きたい。

 小吉の匂いを嗅ぎたい。

 小吉に触れたい。

 小吉に触れて欲しい。

 ああ、なんてあたしは未練がましいんだろう。

 自分から捨てたクセに。

 暮石の呪縛に抗わなかったあたしが悪いのに、小吉に会いたくて仕方がない。

 愛してほしくて、気が狂いそうになる。

 

 「嫌……じゃぁ。このまま……死にとぉない」

 

 散々殺してきたクセに、いざ自分が死にそうになったらこれだ。

 醜い。

 汚らわしい。

 浅ましい。

 こんな自分を知るくらいなら、あの子が一人立ちできた時点で死んでればよかった。

 

 「助……けて。小吉ぃ……助けてよぉ」

 

 今なら、あの鬼が生まれた理由も、その子たちが術を作った理由もわかる。

 きっと、こんな気持ちだったんだ。

 恨んで、憎んで、そして呪った。

 引き離した者と、それに抗う術を持たなかった自分を呪って鬼になってしまった。

 そして子供たちは、そんな母親を人に戻すために殺そうと、二つの術を編み出した。

 そして自分たちの心すら殺し続けて、似たような存在になってしまった。

 どんなに恨んでいても、どんなに憎んでいても、何もかも吐き出させて、最後の瞬間だけは人として死ねるように。

 あの世で母が、人として愛した人と再び逢えるように。

 

 「小吉に……会いたい。あなたに、会い……たい」

 

 言葉とともに、あたしの中から何かが抜けていく。

 小吉と別れてから40年。

 積もりに積もった想いが、血と一緒に流れていく。

 あたしが、抜けていく。

 

 「もし、来世があるなら……」

 

 今度こそ、あなたと結ばれたい。

 そう願って瞳を閉じたあたしは、いつの間にか何もない真っ白い空間で、一人佇んでいた。

 ここが、あの世ってやつなのかしら。

 話で聴いた(さい)の河原も三途の川もどころか、自分が立っているのかすらわからなくなるほどこの真っ白な空間には何もない。

 

 「ここで待っちょきゃあ、小吉も来るんじゃろうか」

 

 そうでないなら、ここにいる意味はない。

 さっさと地獄にでも堕ちて、責め苦でも受けていた方が暇潰しになる。

 

 「やっぱ、お前はその格好が似合うな」

 「この声……地華?」

 「おうっ! お前のおかげで行き遅れちまった地華様だよ」

 

 声がした方へ振り向くと、花火の時に着ていた浴衣を着た地華がいた。

 いや、あたしが知ってる地華より老けてる気がする。

 それに対してあたしは、あの頃着ていた学生服姿。

 手や足を見る限り、体もあの頃に戻ってるっぽいけど、それでもこの歳でこの格好はかなり恥ずかしいわね。

 

 「小吉の大将も頑固だったが、お前もたいがいだよなぁ。結局、誰とも結婚しなかったんだろ?」

 「うん……。そう言う地華は?」

 「行き遅れたって言ったろ? お前が姿を消してから、ずっと小吉の大将のそばにいたけど、結局あの人は、オレが死ぬまでお前一筋だったよ」

 「そう……なんだ」

 

 正直、それは嬉しい。

 でも、地華に申し訳なく感じる。

 だって地華は、あたしよりもずっと長く小吉と一緒にいたのに、その想いに応えてもらえなかったんだから。

 

 「お前があれから、どう過ごしたのか聞かせろよ。小吉の大将が来るまでの暇潰しには、なると思うぜ?」

 「聞いても、面白ぉないよ?」

 「構わねぇよ。それにオレも、お前に聞かせたい話が山ほどあるしな」

 「文句じゃのぉて?」

 「それ込みだ」

 

 そう言って、地華は微笑みながらあたしの横に腰をおろした。

 それに従って、あたしも。

 

 「その内、姉ちゃんや歌も来るんじゃねぇかな」

 「そしたら、二人にも話さんとね」

 「そうだな。それまではお互いの人生を聞かせあいつつ、小吉の大将を見てようぜ」

 

 すぐには、地華が言ってることの意味がわからなかった。

 でも、地華に「上、見てみな」と言われて視線を移してみたら、そこには小吉がいた。

 白い空を四角くくり貫いた空間に、年を取った小吉が映っていた。

 

 「あちゃぁ。ありゃあ、まだまだくたばりそうにねぇぞ」

 「ええよ。ゆっくりでええ。だって、ここで見ちょれるんじゃもん」

 

 溢れだした涙を拭いもせずに答えたあたしに、地華は「そうだな」と応えて、あたしの頭を抱き寄せてくれた。

 そして二人で、人生を懸けて愛した男の生涯を、一緒に見続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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