少女達のいつかある日 (緋色鈴)
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-1- 灰色の受難
灰色の受難 前


やべー。

 

とてもやべーです。

とある国の一角で、一人の魔女が想定外の事態に恐れ戦いていました。

その魔女は街角の路地の隙間に身体を滑り込ませ、壁にぴたりと背をつけて曲がり角の先を窺いながら、冷や汗を流していました。

しかし彼女の淡い期待を裏切るように、その先に見える脅威は刻一刻とこちらへ近づいてきているのです。

 

嗚呼。やべーです。

 

そのような麗しい乙女にあるまじき心の声を叫び、そのせっかくの美貌が霞んでしまいそうなほど情けない姿を晒してしまっている・・・けれども、そんな中でもなお煌めいて見えるほど艶やかな灰色の、肩にぎりぎり届かない程度に切り揃えられたその髪型が超絶似合っている魔女とは、いったい誰でしょう。

 

そう、私です。

 

 

 

 

とある一件以来、少しは晴れ晴れとした気持ちで世界を巡ることができるようになった私が、あてのない旅を再開して早速の、この国、この町で。

私は早くも窮地に陥っていました。

「なぜ・・・なぜここにいるんですか」

私が戦慄の表情で見つめているのは、曲がり角の先、露店が立ち並ぶ人気の街道、賑わう人込みの向こうにちらちらと見える、黒い三角帽子です。

 

それは私の頭の上にあるものと全く同じものです。

かつて予備として所持し、これも何かの縁と思い譲り渡した帽子。

その帽子を被っているのは勿論、私がそれを渡した相手であり、既知の間柄とも言える一人の魔女です。

 

それはいくつもの露店に並ぶ食べ物に視線を奪われ、だらしない顔で品定めをしながら街道を練り歩いている、炭の魔女と名付けられた魔術統括協会所属の魔女の一人。

それは誰か、などと前置いてみても、そこまで絞ると最早候補は一人しかおらず。

サヤさんでした。

 

 

 

「くっ・・・やはり此方へ向かってきていますね・・・」

 

私は路地の隙間にぴたりと背中をくっつけ、焦りのあまり親指を口に当てながら呻いていました。

人込みの中で、黒い三角帽子の先端がひょこひょこと揺れながらこちらへ近づいてくるのが見えます。

私にとって、それは好ましからざる事態でした。

 

ここしばらくの私は、旅路の上で、そもそも人と関わることを避けてきました。

その理由については割愛させて頂こうかと思いますが、中でも、魔術統括協会にはなるべく特に関わるまいと注意を払っていた節があります。

果たしてそれは何故か。

理由は色々ありますが、中でも大きなものが一つ。

今だけは、いえ、今だからこそはっきりと申し上げましょう。

()()()()()()()()()()()()()のです。

 

・・・いえ、あえて弁明するならば、サヤさんが嫌い、とかそういう訳ではないのです。

むしろ彼女とは切っても切れぬというか、認めたくはないものの、不思議と奇妙な縁があるように思います。

まずもって、私の師匠の妹弟子の弟子ですから・・・言うなれば、従妹弟子とでもいうべき関係にあたるのでしょうか。

思えば意外なところで繋がっていたものです。

 

・・・しかし、それとこれとは別の話。

旅先でこうして出会いたくはない。そう思ってしまう理由が、今の私にはあるのです。

 

「へくちっ!」

 

などと考えていると、やたら特徴的なくしゃみが、意外なほど近いところから聞こえてきました。

それは紛れもなくサヤさんのもので、次いで、こんな声が。

 

「・・・ああっ、イレイナさんがボクのことを考えてくれている気がする!!」

 

ぞぞ。

思わず身震いをしてしまいました。

 

やべーやつがいます。

一刻も早くここから離れなくては。

 

私はより一層赤い危険信号を発し始めた己の直感に従って、迅速かつ静粛にその場を退却することに決めました。

心を無にし、空気の流れにさえ気を遣いながら踵を返して、私は極めて自然な動作で歩きだします。

土壇場で発揮した才覚といいますか、それほど完璧に気配を殺しながら動いてのける様は魔女というより、どこぞのスパイだとか暗殺者が如くだったと自負しておきましょう。

あとほんの数メートルで路地の角、そこを曲がってしまえば大丈夫。

そもそも賑わう大通りに対してこの薄暗い細道、この町の住人でもなければこの空間にも気づく方が難しいでしょう。

何か第六感的なものでも働かない限りは、あえて視線を向けることなどない筈です。

常人の感覚を超えた力でも発揮しない限りは、この瞬間に私に気づくことはない筈です。

なので。

 

「あっ・・・? あ、ああぁ・・・ああっ!!」

 

背後で、よく聞いたことのある声がしました。

信じられないものを見た、というような。

感動のあまり声が出ない、とでもいうような。

 

ぎくり、と私は凍りついたように足を止めます。

そして気まずい沈黙の後。

すぅ、と息を深く吸う音がしました。

音の出どころは真後ろ・・・察するに、大通りと路地を結ぶ地点。

・・・嗚呼、と私がその声の主を察して目を閉じたのは言うまでもありません。

次いで轟いた声は、道行く人が全員振り向いたであろう、大変迷惑な声量でした。

 

「イレイナさああああああんん!!」

 

・・・私はこの世の終わりのような顔をして、振り向くしかありませんでした。

 

 

 

 

「ああ!!やっぱり!!イレイナさん・・・イレイナさんだああああーーーっ!!」

そのサヤさんの喜びようといったら、それはもう。

泣き笑いに近い表情まで顔をくしゃくしゃにしたサヤさんは、感極まったという調子で駆け寄ってきました。

そこそこあったはずの私との距離を、あっという間に詰めてしまう軽やかな足取りでした。

そしてそのままの勢いで抱きつこうというのでしょう、サヤさんは両手を広げて私の方へダイブしてきました。

 

よけました。

「おっと」

「あっぶぁしゅっ!?」

私に衝突し損ねたサヤさんは宙へと身を投げ出して転び、奇声と共に地面に派手に衝突したのち、ずざざざと音を立てながら全身を石畳に磨り下ろされていきました。

うわあ痛そう。

 

暫し沈黙がありましたが、そのうち地に伏したサヤさんの顔の辺りから、ややくぐもった声が聞こえてきました。

「ひどいですイレイナさん・・・」

「いえ、受け止める自信がなかったもので」

仮に避けずにあんな勢いで抱きつかれていたら、私の方が転んで後頭部を強打していたことでしょう。

故にこれは起こるべくして起きた事故です、と私は自身の行いを正当化しました。

顔痛い、腕痛い、膝痛いーと散々呻きながらも、なんだかんだサヤさんも立ち上がってみせたので、多分大丈夫でしょう。

 

そして服の汚れを払っていたサヤさんは、私と目が合うや、気を取り直したようにぱっと笑顔を浮かべました。

タフだなあ、と私は他人事のように思いました。

「イレイナさん!お久しぶりです!!」

「・・・お久しぶりです。といってもそこまで経ってはいないように思いますが」

「何を言ってるんですか!ボクがどれだけイレイナさんに会いたいと思っていたかっ・・・分かりますか?!」

「いえ分かりませんけども」

凄まじい温度差ではありましたが、私とサヤさんの会話としてはおおよそいつも通りだったようにも思います。

ともあれ、出会ってしまったのなら仕方がない、と私は半ば諦めの境地に入っていました。

・・・もう間もなくその時が来るだろうとは思っていましたが。

 

「というか、イレイナさん・・・!」

と、サヤさんが私の肩あたりに向けて指を差しながらそう言いかけたので、ああやっぱり気づきますよね、と嘆息。

サヤさんは驚愕の表情で、その事実を口にしました。

「そっ、その髪型!!ボクと一緒じゃないですか!!」

 

嗚呼。

だからイヤだったんです。

 

つい癖で前髪をつまみながら、私は視線を泳がせていました。

そう、サヤさんと再会することそのものが嫌だったわけではありません。

問題は以前に顔を合わせた時から、私の外見の一部に大きな変化があったことでした。

 

とある騒動の被害を受けて、肩の辺りでばっさりと切られてしまった私の髪。

それは終ぞ戻ることなく、諸々の心境の変化もあって敢えてこのままにしていたわけですが、しかし。

思えばそれは、サヤさんのそれとよく似た髪型、と言われても否定できない長さに落ち着いていたのです。

勿論偶然の一致で、細かいことを言えば細部に違いもあるはずですが、私の元の髪の長さと比べれば誤差程度。

サヤさんがこういう反応をすることは容易く予想できましたし、その事でなんやかんやと事情を聞かれるのは面倒極まりない、と思っていました。

故に私は、そう、少なくとも元の長さに伸びるまでは顔を合わせるまい、と心に決めていたのです。

 

しかしその決意も空しく私はサヤさんと再会してしまいました。

まあ、見つかってしまった以上は致し方ない、と私は溜息をつきつつも現状を受け入れることにします。

・・・ただ天を仰ぐ私は、これからの事を想像し、こう思わずにはいられませんでした。

 

あー。疲れる一日になりそうですねー。

 



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灰色の受難 後

 

「か、かっわいいいですねイレイナさん!!お揃い、お揃いですよ!!」

「・・・」

 

狂喜乱舞とはこのことでしょうか。

何がそこまで嬉しいのか分かりませんが、サヤさんは私の周りをぐるぐる回りはじめ、あらゆる方向から私を見てそんな歓声を上げていました。

その間、私は見世物か何かのように棒立ちのまま、虚無の心でそれに甘んじていたと思います。

 

「あっ、いえ!これまでの長い髪のイレイナさんも素敵でしたけど!」

「はあ、ありがとうございます」

何のフォローだかも分かりませんが、言われて悪い気はしないのでそれにはお礼にて応じておきます。

 

そしてひとしきり私を眺め終え、堪能したらしいサヤさんはひょいと最初の立ち位置に戻って言いました。

「いやあ今日は嬉しいことだらけですー、イレイナさん!有難う御座います!」

「良かったですね・・・」

他人事のように私はそう呟いていました。

 

そこまで喜ばれるのもなんだかこそばゆい感覚でしたが、のらりくらりと受け答えしている間に気がつけば、懸念していた山場は越えたのかもしれません。

調子に乗って理由を詮索したりしないのならば、あるいはこの髪もそのままで良いか。

とも思いかけた次第でしたが。

 

「どうしたんですかイレイナさん。もしかしてボクが恋しくて髪型だけでも揃えようと~・・・」

えへへどぅへへと奇天烈な笑みを浮かべながらサヤさんはくねくねしつつにじり寄ってきました。

ああこれは調子に乗ってやがりますね。

私は冷徹に対応を切り替えました。

「そんなわけないじゃないですか」

「またまた~」

やだこの人めんどくさい。

 

サヤさんの奇行は相変わらずというか、久しぶりに再会した反動でしょうか、いくらか悪化しているようにも見えました。

しかし私としては、このままサヤさんの流れにいつまでも乗っているわけにはいきません。

というより今の私は、以前と比べれば外面だけでなく、いくらか内面も変化しているのです。

 

「寄らないでください性癖が感染ります」

「性癖が感染る?!」

 

突如飛んできた言葉の暴力、そのあまりのショックに打ちのめされたような表情でふらふらと後退していくサヤさん。

・・・「私たち」はひょっとしたら私よりも、もっとサヤさんを受け入れていたのでしょうか。・

すげなく彼女を拒絶しつつ、私はふとそんなことを考えていました。

しかし()()()()()()()()()()()()()()が既にあることを知っている私は、断固としてサヤさんからの接近を拒む所存でした。

 

そして言っておきながらほんの少し心配したものの、それも杞憂に終わる様子でした。

サヤさんはふらふらしながら案外効いていなさそうな、というかむしろ喜んでいるような顔をしていましたので。

「ああでも・・・いつもの二割増しぐらい冷たいイレイナさんも、良いかも・・・」

 

二割だけ?

かつての私は以前からそんなにサヤさんに冷たく接していたでしょうか。

・・・そんな気もしますね。

まあいいか。

 

ともかく肉体的にも精神的にもタフなのでしょうか、サヤさんにはさほどダメージは入っていないようでした。

「ふう。まったく、どこでそんな言葉覚えてきたんですかイレイナさん。思わずショックで寝込むところでしたよ!」

「そんな風には見えないのですけど・・・」

「乙女は傷つきやすいんです!見えないとこで心はズタボロ・・・という事にするので、もし寝込んだら看病して下さい」

「・・・いや嫌ですけど」

「ひどい、ほんとに寝込みそう・・・」

しくしく、と口で言っていなければ信じたかもしれないですが、是非もなし。

案の定、サヤさんはひょいと姿勢を戻して反転、表情もころりと変わってこんなことを言ってきました。

「ところでイレイナさん。ここで会ったのも何かの縁ですし、良かったら一緒にこの国を見て回りませんか!?」

「拒否権ありますか」

「やむにやまれぬ事情がない限りは、ないです!!」

 

言い切りますか、と私は半目でサヤさんを見下ろしたものの、その笑顔が崩れることはなさそうでした。

とはいえ・・・残念ながらというべきなのか、どうなのか。

その誘いに対して嘘をついてまで断るほど、私は意地悪ではありませんでした。

 

そうして私はなし崩し的にサヤさんに同行することに相成りました。

路地を抜け、露店立ち並ぶ賑やかな街道に戻って早々、サヤさんはあれやこれやと露店の品々を指さしては、私にその感想をせがんできます。

私はそれを右から左へ受け流しつつ・・・美味しそうなパンが並んでいた時だけ食いついたりしながら、商業豊からしいこの街を巡ります。

 

「それにしても・・・私、あてもない旅をしているはずなんですけど、なんでこんなに出会う頻度が高いんですか?」

「運命じゃないですか?」

「当たり前みたいに言わないでください・・・まさか、尾けてたりしてないですよね?」

「・・・・・・・・・・・・してないですよ!」

「なんですか今の間」

「いえ、そういう手もあったかと思いまして」

「ないですそんな手。皆無です」

 

サヤさんの上機嫌ぶりに、本日何度目の嘆息をついたことでしょうか。

まあ楽しそうなので良しとしましょう、と私は肩をすくめます。

 

「で、サヤさんはどうしてこの国に?」

「へ、ああ、まあお察しの通りというか、魔法統括協会のお仕事なんですけど」

「お疲れ様です」

 

こうも様々なところへ派遣されるのは本当に大変でしょう。

と、私は心からの労いの言葉をかけたつもりでしたが、それに対するサヤさんの返答は、まあ半分旅人のような生活を送れる上にイレイナさんにも会えますし、とこれまた反応し辛いやつでした。

それには苦笑を返し、はいはい、と適当に相槌を打って正面を向きます。

てっきり私は、そこでその話題は終わったものと思っていました。

ところが、今回のお仕事はといえば、とサヤさんがその先を口にしました。

 

「イレイナさんは知らないですか?最近この辺りに詐欺師が現れるって話なんですけど」

 

・・・。

 

「・・・・・・・・・はあ、そうなんですか」

「なんでも道行く人に占いと称して適当なことを吹き込んでは、ちょっとした魔法がかかっただけの小道具を高値で売りつけるだけでなく、後になってから占い料の方まで請求するっていう、非っ常に悪質な手口らしいんですよ!」

「・・・・・・それはひどいですねえ」

「そんな極悪人がいるなんて許せません!必ずボクがとっ捕まえてやります!」

「・・・・・・頑張って下さいねー」

「なんでずっとそっぽ向いてるんですか?」

「いえ別に」

 

きょとんとして此方を向くサヤさんの視線を避け続ける私でした。

ここでの商売はもうやめた方がよさそうですね・・・。

 

「とにかく、イレイナさんも気を付けてくださいね」

「ご心配なく、私はサヤさんほど騙され易くないですから」

「ひどくないですか?」

おっと、と口に手を当てて私も己の失言を反省します。

ついついノリのままに好き放題言ってしまいがちですが、何事も節度というものは重要です。

適切な距離感を取るべくの言動ではありますが、いくら許されるからといって過剰に刺々しくしていては、逆にサヤさんへの甘えになってしまいます。

これはいけませんね。

あまりに行き過ぎて『口の悪い私』とか改名されるのは御免です。

 

「でもそんなイレイナさんも好きなので、もっと甘えてくれてもいいですよー!」

そんなことを言いながらサヤさんは隙ありとばかりに擦り寄ってきました。

・・・当たり前みたいに地の文に反応してきましたがこの人、心が読めるのでしょうか。

怖いです。

そして私はそれを拒否。

「・・・だーかーら、近づかないで下さいー」

 

サヤさんを両手で押し止め、必死に抵抗する私。

しかしサヤさんもそんな態度にすぐ順応してしまったのか、まったくめげずに尚も顔を寄せてきます。

・・・その様は例えるなら、愛情表現の過ぎる人間と、両前脚をぐっと伸ばして徹底抗戦する猫が如くでした。

押し合いへし合い、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら、私達はそんな調子で、街道を抜けるまで相も変らぬやり取りを続けていました。

 

その光景は周りから見れば、仲の良い友人同士か、はたまた姉妹か何かにも見えたかもしれません。

 

「いいじゃないですかぁ今日一緒の部屋に泊まりましょうよ」

「絶対イヤです御免です」

 

・・・子供っぽいサヤさんの方が、きっと年下に見えるに違いありません。

でもサヤさんって妹いるんでしたよね、と私は思い至り、世の中分からないなと首を捻るのでした。

 

 




「粗暴な私」は他のイレイナさんたちとは一応和解したわけですが、一方で「こうはなりたくない」とか思っていそうだなと。全員ぶちのめそうとしたぐらいですし。
なのでサヤさんサヤさん言っていたイレイナを反面教師に、以後は若干きつい当たりになってしまう感じで。
まあサヤさんならそれもご褒美でしょう多分。ご褒美だった。


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-2- お留守番のほうきさん
お留守番のほうきさん 前


 

絶句です。

 

わたくしは一人、ベッドの上でぽつんと座り込んでおりました。

 

わたくしは本来、魔女が空を飛ぶのに用いるほうきであり、普段はそうした物として扱われております。

しかしわたくしの持ち主たる魔女イレイナ様は「物に命を吹き込む魔法」というものを会得されており、どうしても自分以外に人の手が必要になってしまったときなど、緊急時にはこうしてわたくしにその魔法を用いることがあります。

そのこと自体に関しては、まったく異論は御座いません。

むしろ過去にそのような事があった時には、いずれもイレイナ様の身に関わる大切な役割を任されていたこともありまして、僭越ながら、此度もその類かと多少なり意気込んでおりました。

 

しかし今回のその用途、一時的に人の姿となったわたくしの役目は・・・あまりにも、あまりだったのです。

 

「サヤさんが来たら引き留めといてください」

その言葉だけを残して、イレイナ様は宿屋を出て行かれました。

あろうことかイレイナ様は、わたくしを身代わりにして一人買い物へ出かけてしまわれたのです。

 

・・・ええ、それに関しても異論は御座いません。

異論があるわけでは無いのですが、ただ、その時のわたくしの反応は然り。

絶句、で御座いました。

 

「イーレーイーナーさーん!」

 

遊び盛りの子供が近所の仲間を誘う時のような、弾んだ声が部屋の外から聞こえてまいりました。

イレイナ様の予測通り、サヤ様が朝一番にこの部屋へやってきたので御座います。

昨日の続きで国の観光か、それとも共にお買い物へでも出掛けましょうと、何かしらの誘いに来られたのでしょう。

鍵はかかっておりませんでしたので、あれっ、という声とともにその主は部屋の中へと転び出て来られます。

そしてサヤ様はわたくしへと視線を合わせ、ぱぁっと明るい笑顔を浮かべかけました。

 

「イレイナさっ・・・・ん・・・じゃ、ない・・・」

 

流石というべきなのでしょうか。

髪の色以外がとても似通っていて、初めて目にした方はまず誤認してしまう容姿のイレイナ様とわたくし。

サヤ様はそれを一目で別人、もとい別物だと見分けたようでした。

 

やや苦笑いの表情でその反応を受けたわたくしを、サヤ様は上から下まで眺め直します。

そして眉根を寄せて首を傾けたサヤ様は、たくさんの疑問符を頭に浮かべておいででした。

「えーっと・・・あの、あなたどなたですか?イレイナさんのお知り合いですか?めちゃめちゃイレイナさんにそっくりですけど、なんでこの部屋に居るんですか?イレイナさんの追っかけとかですか?」

そしてその疑問符を全て語尾にくっつけて、わたくしに興味津々のご様子でした。

 

・・・イレイナ様の追っかけは貴方では?

と一瞬返しそうになった言葉をもごもごと口の中で訂正し、わたくしは自らの素性を明かします。

 

「わたくし、イレイナ様のほうきで御座います。イレイナ様の魔法により、一時的に人の姿にされております」

お辞儀をし、顔を上げたときには、サヤ様は大層感動した様子でその目をきらきらと輝かせておりました。

「はあーっ、そんなことが出来るんですか!!そして、ほうきさんですか!!はじめまして!!」

「はい、お初にお目にかかります」

 

厳密に言えばわたくしとサヤ様は初対面ではなく、それこそイレイナ様と同じ程度にサヤ様のことは存じ上げているのですが、この姿でお会いしたのは確かに初めてのことです。

「すごいですねー!ほんと!ホントに似てます!」

今度はたくさんの感嘆符を混ぜながら、サヤ様はわたくしの周りをぐるぐると回り、容姿がいかにイレイナ様そっくりであるかを語って下さいました。

少々こそばゆい感覚もありましたが、わたくしはされるがままに座ってその評価に甘んじておりました。

 

そしてひとしきりわたくしを眺め終え、堪能したらしいサヤさんはひょいと最初の立ち位置に戻って言いました。

「あのう・・・イレイナさんは何処に行ったのか知ってますか?」

「・・・」

当然の疑問を投げかけてきたサヤ様に対し、わたくしには表情を動かさないようにする努力が必要でした。

イレイナ様の厳命を思い出してしまい、多少口元が苦笑いの形になりつつあったわたくしは、頭を下げてそれを誤魔化すことに致しました。

「申し訳御座いません。わたくしは留守を預かっただけで、詳しい行先などは伺っておりません」

「あっ、そうなんですか」

ほうきさんが謝ることじゃないですよ、とサヤ様には笑顔で仰って頂きましたが、違うのです。

イレイナ様の行方を知らないのは本当ですが、たとえ知っていてもお教え出来ないのが、今のわたくしの立場なのです。

 

「う~ん・・・この国も結構広いですよねー、イレイナさん見つかるかな・・・」

と、探しに行こうか悩むような素振りをみせるサヤ様に、わたくしは内心で焦ります。

サヤ様ならおそらくは見つけてしまうでしょう、という根拠のない確信がありましたので、わたくしはそれとなく言葉を挟んでみることに致しました。

 

「それでしたら、こちらで少し待ってみては如何でしょうか?」

「はぇ・・・いいんですか?」

サヤ様はきょとんと首を傾げます。

「はい。イレイナ様もわたくしをここに残したということは、そこまで遠くへ向かうつもりはないということでしょうから」

「なるほどぉ」

魔女が飛ぶための物、それ自身の意見ということもあり、中々に説得力があったことでしょう。

サヤ様は「それじゃあ、お言葉に甘えて」と言って、すとんとわたくしの向かいの椅子に腰を下ろしておりました。

 

そうして同じ部屋にて向かい合い、一人の魔女を待つわたくしたちは、しばしの歓談の時間を過ごすこととなりました。

 

「いやあ・・・ホントにイレイナさんにそっくりですねぇ。どうしたらそんなに似られるんですか?」

「いえその、わたくしからは何とも・・・物は持ち主に似る、ということかと存じますが」

ははあ、とサヤ様は感嘆の声を上げておりました。

そしてふと何かに気づいたように口を開けると、確認するように言葉を一つ。

「ほうきさんって、イレイナさんとずっと一緒に旅をしてるわけですよね。当たり前かもですけど」

「そうなりますね」

「うぅ、いいなぁ・・・羨ましい・・・」

指を噛んで本当に悔しそうにしておられるサヤ様には、わたくしもつい乾いた笑いを返してしまいます。

 

しかしサヤ様の反応には、思わぬ続きが御座いました。

「でも、よかったです」

・・・よかったとは、いったい何のことで御座いましょう。

わたくしが首を傾げると、サヤ様は朗らかな笑顔でこう仰いました。

「一人旅をしてるイレイナさんも、いつでも友達には会えるんだーって思って」

 

わたくしはその言葉にどのような表情を浮かべ、どう返事をお返しするべきか、暫く迷うこととなりました。

 

確かに、旅路の上で暫し誰かと道筋を同じくすることはあっても、基本的にはイレイナ様は一人旅。

旧知の間柄にある人とは、会おうと思ってもすぐには会えない日々を過ごしておられます。

 

そんな中で、イレイナ様と最も古い付き合いにあり、いつでも最も近い場所にいるのは・・・サヤ様の言葉通り、わたくしということになるのでしょう。

ただ、それがイレイナ様にとって良きことだと言われたのは初めてで、わたくしは動揺してしまったのです。

わたくしが、それを肯定しても良いものなのかは分かりかねます。

・・・しかしここで、わたくしは物ですから、などと返すのは無粋であるようにも思いました。

そしてその台詞は何より、サヤ様がイレイナ様のことを想ってくれているからこそ出た言葉なのだと思えば。

一先ずわたくしが口にするべきは、ただ一つのように思われました。

 

「有難う御座います」

「・・・へ?なんかお礼言われるようなことしましたっけ・・・?」

柔らかく微笑み頭を下げた、そんなわたくしの胸中を知らないサヤ様は、きょとんとした顔を浮かべておりました。

 

 



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お留守番のほうきさん 後

それからというもの、サヤ様はイレイナ様が黙して語らないその旅路のお話を、わたくしから聞き出そうと躍起になっておりました。

今までどんな出会いと別れを繰り返してきたのか。

もちろんイレイナ様が敢えて話したがらないはずの話題は除いてではありましたが、その中でもサヤ様が面白がるであろう類のものを、わたくしは語ってみることに致しました。

ただ、わたくしもそのようなお話をするのは初めてのことでしたので、果たしてうまく語れたのかどうかは微妙なところです。

しかしそうしてわたしが言葉を選んでいると、サヤ様の方がそういえばこんなことがありましてと似た境遇を話し始めることで話題は自然と移ろい、その場に沈黙が訪れることはありませんでした。

 

・・・ふと気づけば、いつの間にか随分と長い時間が過ぎておりました。

そしてそれを意識した頃になって丁度、その時間に一区切りを告げる機会が訪れました。

「はっ・・・イレイナさんの足音です!」

足音だけでイレイナ様を判別できるサヤ様は一体。

え、とわたくしが呆気にとられる一方で、主人が帰ってきたのを察知した犬か猫の如く、サヤ様はドアの方に顔を向けておりました。

そしてその足音はわたくしたちのいる部屋の前で止まったので、どうやら本当にイレイナ様のようでした。

 

ところが、暫くそのドアノブが回る音は聞こえてきません。

待ちきれなかったご様子で、サヤ様がドアの向こう側に向かってよく通る声で呼びかけておりました。

「おかえりなさい、イレイナさん!」

と、再びの沈黙の後、いやにゆっくりとドアが動いて、そこから灰色の髪が覗きます。

・・・そのぎこちなさに、なんとなくイレイナ様が考えていることを察しましたので、わたくしも挨拶を一つ。

「おかえりなさい、イレイナ様」

「・・・ただいま戻りました」

ドアの隙間から顔を覗かせ、わたくしの表情を恐る恐る窺うようなイレイナ様の素振りが少々可笑しかったことを、ここに記しておきましょう。

 

サヤ様が探していたという件の詐欺師は、買い物帰りにイレイナ様が出くわしたので説得し、すっぱりと改心させたので一件落着・・・と、いうことになっておりました。

・・・どう言ったものか迷うところでは御座いますが、ここは黙して語らずというのが正解かと存じます。

 

 

結局、サヤ様はその日のうちにこの国を発ち、魔法統括協会に報告に戻らなくてはならないとのことでした。

かつても何度か繰り返されたやり取りのように、いやです一緒にいたいですー、と駄々をこねるサヤ様。

そしてイレイナ様は最早慣れてしまった風にその合切を受け流して、彼女を帰路へとつかせておりました。

 

またそのうち会えますから、という口約束。

しかしそこには、多分自然とそうなるでしょう、というある種の信頼が滲んでいるように、わたくしには感じられました。

 

そして、わたくしはもう一泊ここに滞在する予定だったイレイナ様と共にサヤ様を見送って、再び宿屋へと続く道を歩いております。

 

「・・・怒ってますか?」

 

と、なんだか気まずそうに尋ねてこられたのが、黙々と街道を辿り始めてから数分後のイレイナ様で御座います。

 

「いいえ、怒ってはおりません」

「ホントですか」

「ホントで御座います」

 

絶句はしましたが、という小言を添えてみたい気持ちを抑え、わたくしは淡々と頷いてみせることに致しました。

イレイナ様がわたくしへこの魔法を使うことに対して、複雑な気持ちを抱えていることは存じております。

わたくしとしては何れにせよ、そのようなことに配慮する必要はないと、かつてイレイナ様に告げた通りのままで御座います。

 

ちょっと安心したように、イレイナ様が微笑みを浮かべておりました。

 

「どうでしたかサヤさんは」

「どうとは」

「貴方は私そっくりですから、ほうきさあああああん、とか可愛がられませんでしたか?」

悪戯っぽく笑ってそんなことを言うものですから、そこまで見越した確信犯だったのでしょう。

しかしわたくしの回答は残念ながら、現実がイレイナ様の目論見からは外れていたことを示すものです。

 

「いえいえ、それは。サヤ様はやはり、イレイナ様一筋のようでしたよ」

「・・・・・・・・・あー、そですかー」

目が死んでおられました。

 

口元に手をあてて表情を誤魔化しつつ、わたくしはそこに補足を一つ。

「ですが、思いのほか会話は弾んでいたかと」

物であるわたくしにもサヤ様は分け隔てなく接して下さいました。

そして恐らくは、イレイナ様と過ごした時間が御家族の次には長いと思われるわたくしに、サヤ様はあれこれと話をせがみ、わたくしもそれに応じる形で、思いがけず楽しい時間を過ごさせて頂きました。

・・・とりわけイレイナ様の話に特に花を咲かせたことは、イレイナ様には黙っておきましょう。

 

「ふむ・・・」

それなら良かったですが、とイレイナ様は少し腑に落ちない様子でわたくしを見つめておりました。

なにか、と訊くより先にイレイナ様は一言。

「それにしては随分疲れているように見えますが」

虚を突かれ、わたくしは、つい苦笑を浮かべてしまいました。

「・・・・・・ええと、まあ・・・そうですね。否定は致しません」

 

イレイナ様のほうきである以上、その矜持として、決して不平や不満を持たず物らしく使われようとわたくしは心に決めているのですが、この時ばかりは不覚にも、ほんの少し弱音が漏れてしまいました。

そもそも物たるわたくしは本質的に『疲れる』という症状からも無縁であるはずですが、それでも、気疲れ、というものが肩のあたりに圧し掛かっているような気分ではありました。

 

「その・・・使っておいてなんですが、貴方が不調だと心配です。何かあったのなら手入れしますから・・・」

イレイナ様が申し訳なさそうに眉根を下げてそんなことを言うので、わたくしは一瞬嬉しく思ってしまったことを慌てて反省しつつ、首を振ってみせます。

「いえ、ご心配には及びません。原因は分かっております」

「原因?」

 

と、訊かれてしまえば答えざるを得ないことに気がつきました。

・・・この際、話してしまっても良いのかもしれません。

良い機会なので、わたくしは打ち明ける事に致しました。

 

「わたくし、物ですから、物の声が聞こえるというのは御存知ですよね」

「はい」

「では、サヤ様がイレイナ様へ熱烈な好意を向けておられるのも御存知ですよね」

「・・・はあ、はい?」

頷いたのか傾げたのか微妙な角度で、イレイナ様が首を捻ります。

反応し辛かったのかもしれません。また一見してつながりのないその二つに、なんのことやらというお顔でもあります。

わたくしはそこへ、もう一つの事実を付け加えます。

「ところでもちろん御存知かとは思いますが、サヤ様もご自身のほうきをお持ちなんですよ」

「・・・それはどういう・・・・・・あっ」

 

イレイナ様が口元を引きつらせました。

わたくしはしかつめらしく頷いて、それを肯定することに致します。

 

「マジですか」

「マジで御座います」

 

イレイナ様のように物を人間にでもしない限りは、明らかにはならない事実ではあります。

しかしわたくしからすれば、物が思い、考え、話すというのは当たり前のことで、日常でもあります。

そんな中でわたくしは、イレイナ様を前にした時のサヤ様にも似た、そんな言動をされる方を前にすると、たじたじとなってしまうのです。

そんな方・・・そういった物が、サヤ様の傍にはいらっしゃいます。

 

早い話。

物とは、持ち主に似るので御座います。

 

「・・・えっと、何と言いますか・・・知りたくはない事実でしたね」

「知ってしまったからには恐縮ですが、どうか今後ご配慮をお願い致します」

「そうですよね・・・とりあえず、今日はお疲れ様でした」

深く共感して頂けたらしく、とても神妙なお顔で頷くのが少し可愛らしいイレイナ様で御座いました。

 

そんなことを話しながら、わたくしたちは宿屋へと通じる帰路を辿ります。

イレイナ様とこうして話すのは、少し久しぶりのことでした。

敢えてその理由に触れるようなことは致しません。

 

・・・ただ、わたくしにかかった魔法の効力が自然と切れるまで、イレイナ様は飛ぼうと提案することはありませんでした。

 

買い物から戻るまでで良かったはずのイレイナ様の魔法が未だ続いているのは、もしかすると、イレイナ様もこのような時間が欲しかったのかもしれません・・・などと思うのは、少々不遜に過ぎるでしょうか。

そうして髪の色以外はそっくりな二人の少女は、夕日に照らされて長い影を伸ばし、並んで道を歩いていました。

 

その光景は周りから見れば、仲の良い友人同士か、はたまた姉妹か何かにも見えたかもしれません。

 

「今度サヤさんのほうきに魔法かけてみていいですか」

「絶対ダメで御座います」

 

・・・悪戯好きなイレイナ様は、きっと年下に見えることでしょうね。

失礼ながら、わたくしはそんなことを密かに思い、つい微笑んでしまうのでした。

 




このネタはそのうち被ってしまうんじゃないかな、と震えながらの想像で御座いました。ほうきさん書式って難しい・・・。
サヤさんのほうきさん、というキャラクターに想像は膨らむのですが、性格を匂わせる程度にしておきました。
元々あるものの擬人化となると解釈違いが凄そうなので・・・個人的には「お姉様―」とか言ってほうきさんに擦り寄って行く感じ。初対面に激突してますし。
イレイナとサヤが出会い触れ合うそのたびに、実はその隣でほうきさんたち物同士にも会話があったかも、とか思うと楽しいですね。 ほうきさん視点の物たちの会話はとても好きで・・・などと言っていたら、丁度供給があったり。


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-3- 赤く染まるアネモネ
赤く染まるアネモネ 前


「はぁあ・・・」

 

市街ローレントに住む人々の生活と安全を支える国の機関、治安維持局。

その職員たちが毎日詰めている役所の片隅に、一人の少女が座っていた。

青い髪の毛を後ろでまとめ、その治安維持局の一員として服装を整えている彼女はしかし、

仕事中、と言うにはやや崩れた姿勢で、誰が見ても分かるほどに気怠げな雰囲気を纏っている。

 

「はふぅ・・・」

そして本日何度目かの深く重たい溜息が、その口から吐き出されたところだった。

 

「アネモネさん、おはよう!」

「っとと・・・おはようございますー」

 

新たにやってきた職員の声に慌てて居住まいを正し、彼女は笑顔で挨拶を返していた。

アネモネ。

それが役所の隅っこでどことなく所在なげに座っている、瑠璃色の髪と瞳をした少女の名前だった。

 

 

 

「今日のアネモネさん、どうしたのかな」

そしてそれを横目に窺いながら、小声で話し合っている人たちがいた。

同じ庁舎、しかし少し離れた場所で各々の仕事をしている、他の治安維持局員である。

「なんかこう、そわそわしてるというか・・・落ち着きがないよね」

「・・・あんなアネモネさん見るの、初めてよね?」

 

仕事場でひそひそと他職員の噂話などしていると、ともすれば眉をひそめる類のものかと思われるかもしれない。

しかし彼ら彼女たちのそんな行動は、ただただ純粋に、いつもと違う様子のアネモネを心配してのことだった。

 

アネモネは局員の中では新人にあたるが、彼女を知らない人間はここにはいない。

それどころか彼女はこの町、いやこの国で一番の有名人とさえ言える。

かつてはあまり馴染みのなかった局員たちからしても、今となっては幾度となく顔を合わせる仲であり、仕事仲間だ。

そして彼女が今日に限って何やら思い悩んでいるような、やたらとアンニュイな雰囲気を漂わせているとあっては、彼らにとってもまた、決して他人事ではないのだ。

 

「具合でも悪いのかしら」

「うーん・・・というよりはなんか、悩み事でもあるような?」

ふむ、と女性職員の一人がそれを聞いてアネモネの方を見やる。

確かに、心ここにあらずといった感じのアネモネの様子は、体調不良というよりかは精神的なものが原因のようにも見える。

そうであるなら、悩み事はなにか、協力できることなら、と一先ず声をかけてみよう・・・と、普通なら彼女はそう提案するタイプだ。

しかし彼女には一つ、引っ掛かることがあった。

 

「でもアネモネさんって・・・どんなことなら悩むのかしら?」

聞きようによっては失礼な気もするそれはしかし、彼女に限らず、この国に住む人々にとっては尤も疑問だった。

 

なぜならアネモネは、未来のことが何でも視えてしまうのだから。

 

 

 

「ふぇえ」

 

アネモネはまた一つ、バリエーション豊かな溜息をついていた。

 

「今日・・・今日かも・・・いや、間違いなく今日・・・はぁ、憂鬱かも・・・」

 

何度思い返しても、確かめても、未来の光景は変わらない。

今日いったい何が起こるのか、アネモネはそれを随分前から知っていた。

アネモネには魔法とも異なる類稀な力がある。

それは遥か遠い先に至るまで、自分やその周りの人々の未来が景色として見えてしまうというもの。

故にアネモネには、今日これから先起こることを知っており、それを知ってはいても割り切れない自分が、朝からこうして滅茶苦茶憂鬱な気分で溜息を連発してしまうことも、前から分かっていたことだった。

 

当然、役所の隅で、職員たちが自分のことで囁き合っていることも知っている。

幸か不幸か、あくまで未来は見えるだけで聞こえることはないため、何を話しているのかまでは分からない。

アネモネが未来を知っていることを、この国に住む人々なら皆が知っている。

故に何があってもアネモネさんなら動じまい、と思われているようなので、今日の私は殊更奇異に見えることだろう。

・・・少し前なら、何か悪い噂をされているかも、と思ったかもしれない。

しかし今となっては、ただ心配してくれているのだな、と自然と思える。

 

ここに勤めるようになって、私も少しは変わったかも、とその日、初めて口端が上がったのを自覚する。

あるいは、後ろ向きに考えがちな大馬鹿だ、と誰かさんに言われたせいだろうか。

 

ともあれ彼ら彼女たちについては、後日に心配ないと告げ、お礼代わりにちょっとした菓子折を持ち寄っている自分の姿が見えているので問題ない。

問題は、これから現れる人達にもこの調子で応対するわけにはいかない、ということだった。

 

待合室のような間取りで机と椅子が置かれたそこは、彼女だけの仕事場だった。

アネモネは治安維持局の中でもちょっと特殊な役職に就いており、此処はそのためだけに設えられたスペースだ。

昼を過ぎた頃になったら、悩みを抱えた町の人々が入れ替わり立ち代わりこの場所へやってくる。

 

そこは言うなれば、占い師がひらくお悩み相談所のようなところだった。

 

アネモネはかつて己の力を限定的に使い、この国の人々に、あえて不幸な未来を告げていた。

それを知ることでそれ以上の不幸に見舞われぬよう、彼らが次善の策を立てられるようにしつつ、あえて不吉を担い、嫌われ者を買っているつもりだった。

ところが、ある日を境にその役目は終わってしまった。

この街を統治している領主様や、未来を告げられた当事者たちはアネモネの真意にとっくに気がついていたらしく、あえて正体を伏せる必要はどこにもなかったのだという。

 

恐る恐る名を明かしたその時に、領主様から直々に贈られた感謝状は今でも家に飾ってある。

そしてこの国に本当の意味で受け入れられた時、アネモネが選んだのは、自らも治安維持局で働くことだった。

その頃から、予言者としてのアネモネの行いは少し形を変えることとなった。

 

アネモネは正確すぎるその予言によって、神か何かのように祀り上げられることを好まない。

しかしその内容が不吉なものばかりであるというのも、実際のところ本意ではない。

その折衷案として生まれたのが、お悩み相談所という体裁でごくごく近況の未来を告げる、占い師の真似事のような役だった。

 

ここにはアネモネを頼って、老若男女、あらゆる人々がやってくる。

彼らはみな一様に、抱えている悩みを打ち明けたり、単に愚痴ったりする。

それに対してアネモネは相槌を打ったり、聞き流したりしつつ、最後に一つの予言を聞かせる。

ただし、その内容はアネモネ次第。

 

「貴方は今日のうちに包帯と消毒液を買って、自宅の机の上に置いておくといいかも」

「貴方は今すぐここから走って、本屋さんに行くといいかも」

「今、貴方に言えることは何もないかも」

 

それはある程度は具体的だったり、逆にひどく曖昧だったりとまちまちな上に、その時に聞いた悩みと全く関係なかったりもする。

だが、何故そんなことを言うのか、と問うのは禁止だ。

これまでと違い、確定している未来ではない・・・少なくとも、それを直接知るわけではない相談者たちには、アネモネの言葉を自分なりに解釈して行動することを推奨している。

その全てはアネモネの知るところではあるが、それを本人が知るべきかどうかは、その内容によるのだ。

 

予言者としては少々いい加減にも思えるその口ぶりがどう捉えられるか、はじめは心配だった。

結果を知っていることと、いざその瞬間に口にすることは別種の緊張が伴うものだ。

しかしここを訪れる彼らは皆、風変わりなアネモネの相談所に何の不満もないようだった。

 

それはあえて真実を伏せて告げられる予言についても然り。

わざわざ決まりを定めずとも、住人たちはみな「そうか」と頷いてお礼を言い、そのままその場を去ってくれる。

たとえその助言によって、必ずしも事が上手く運ばずとも・・・むしろその場では不幸に陥ってしまうとしても。

それがいつか何らかの形で功を奏するよう、あえて言葉を選んでくれたのだろうと、彼らは察してくれていた。

 

アネモネが不吉を告げる謎の予言者として活動していた頃からすでに町の人々は理解を示してくれていたのだから、そこに関して何か問題が起きることはほとんどなかったというのは、予想できたし、知ってもいた。

そうなることを知っていたからこそ引き受けた、ということも勿論あるが、それでもアネモネは嬉しかった。

 

それもまたアネモネに対する、一つの信頼の形と言えるのだから。

 

 

 

・・・そして、この未来もまた、そうした関係の上に成り立ったものなのかもしれない。

 



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赤く染まるアネモネ 後

「やあ」

「!!」

 

ぎくっ、と私は固まって、慌てて背筋をぴんと伸ばしていた。

物思いに耽っていたせいか、来訪者のタイミングを忘れていたのだ。

やってきたのは、一人の青年。

 

「わ・・・わ・・・」

 

こんにちは、御用件は、と言えばいいだけのその口がまったく動かず、私はあたふたしていた。

 

「お邪魔します。あなたが噂のアネモネさんだよね?」

「え、あ、えと・・・はい、そうかも・・・」

「かも?」

「あう・・・そう・・・いや、そうですアネモネです。よ、宜しくお願いします」

「はじめまして」

「はじめまして、かも」

 

この人とは初対面だ。

けれど私はこの人を知っている。

その奇妙な感覚にはもう慣れっこだったはずなのに、その経験全てが吹っ飛んでしまったかのように私は狼狽えていた。

 

「知り合いに勧められて来たんだけど・・・相談に乗ってくれるって聞いて」

「あ、うん・・・悩みがあれば、そこに座って・・・話して欲しいかも」

 

ぎこちないながらも、私はどうにかようやく職員としての振る舞いに成功する。

しかし私以外に職員が必要ないスペースなので、そこは小さい机を挟んで座るだけの空間しかない。

反対側に座った彼に視線を合わせていられず、私は机を凝視してしまっていた。

 

私を取り巻くこの世界には、予想外の出来事、というものが存在しない。

あらゆる物事の未来が見えてしまう私には、部分的にそれを知るこの町の人達よりもよほど、未来に対しての心構えというものが出来ている。

・・・つもりだった。

 

何事にも例外というものがある。

たとえ変わる余地のない、決まりきった事象であっても、それに対して達観しきることのできない未来が、私にもある。

それは私自身に関する、私の感情が左右してしまう未来だ。

私がそれに想いを馳せ、揺れ、惑うことでこそ発生する未来というものがあって。

それは本人ではどうすることも出来ないので、逆説的に、私は自分自身が見たその情景に翻弄されてしまうのだ。

 

かつて、一人の旅する魔女さんに気づかされたように。

 

だから私には結果を知っていても、否、知っているからこそ平常心では対処できない事もある。

今日のように。

この人のように。

 

彼は机の反対側で、やや気恥ずかしそうに自己紹介をして、私の素性についてなど多少の世間話をした後、自身の悩みを打ち明けていたようだった。

・・・が、正直申し訳ないことに、私は半分以上それを聞いていなかった。

この先のことで頭がいっぱいいっぱいだったのだ。

ふと時計を見て、思っていた以上に時が経っていたことに私は驚いた。

 

「それで・・・ああごめん、長々と話しすぎちゃって」

「あっ、いや・・・そんなこともないかも」

「それで、アネモネさんは僕の未来も見えるんだよね・・・何か、一言貰えれば嬉しいな」

「・・・」

 

私の今日の溜息の原因は、この人だった。

そして仕事上告げねばならない、この先の予言のせいだった。

 

「えと・・・ちょっと待って・・・心の準備をさせてほしいかも」

「え、君の方が?いや、もちろん構わないけど・・・?」

きょとんとした後に、彼は可笑しそうな顔をした。

そんなに妙な態度をとってしまっているだろうか。

視線を泳がせながら、私は深呼吸をして、どうにか心を落ち着けようとする。

しかし傍から見れば盛大に一人相撲をとっているだけの私のその様は、どうしたっておかしく見えるだろう。

そんなことに気がついてしまい、やっぱり顔を真っ赤にして混乱の渦中に陥ってしまう。

そしてやがてその沈黙にも耐えかねたので、私はひねり出した言葉を一つ。

 

「・・・あなたはまた明日ここに来る、かも」

どうにか言えたのは、そんなことだけだった。

 

「・・・・・・えっと、それだけ・・・?」

言いかけてから彼は、ああ、訊き返すのは禁止だったねと頭を掻いている。

私は机を凝視しながら、意に反して口から出てしまった言葉を悔やんでいた。

そう、彼が明日もここへ来ることも嘘ではない。

が、本題ではない。

何故それを口にできなかったのかと言えば・・・まだ踏ん切りがつかなかったのだ。

 

だって、これはずるい。

言った通りになるのなら、この台詞は私が吐いてはいけないのでは、という言い訳が頭を駆け巡る。

・・・けれども、今までそんな予言を何度も告げてきた。

いまさら自分の番になったからといって例外にするのはそれこそ狡いし、己の主義に反する。

いい加減覚悟を決めるべきだと、未来の私が言っていた。

 

「まあ、それならまた来るよ・・・って君は知ってるのか」

なんだか面白いね、と笑いながら彼は席を立ち、その場を立ち去ろうとしていた。

「・・・やっぱり待ってほしいかも」

くい、とその裾をつまんで、私はその人を引き留めていた。

 

数秒後のこの人が、ものすごく驚いている。

そして明日また出会う、この人の顔が物語っている。

多分・・・これを今、私が言わなければならないことを。

 

ごくり、と喉が鳴った。

 

嗚呼。

結末が見えているのに、何故こんなに恥ずかしい想いをしなければならないのだろう。

決められた筋書き通りに行動することが、どうしてこんなに難しいのだろう。

 

でもきっと、私は言う・・・いや、あと数秒後に私は言える。

 

これがきっと最初で最後の、自分のために口にする予言だ。

そんな日が本当に来てしまったことに奇妙な感慨を抱きながら、私は意を決して口を開く。

そして不思議そうに首をかしげているその人に向けて、顔を真っ赤にして、視線を逸らし、所々つっかえながら、小さな声で。

 

 

 

「あ、あなたは、私と、けっ・・・・・・・・・結婚、する・・・かも」

 

 

 

 

 




繰り返される前置きがまだるっこしくて申し訳ないです。どーしてもこうなるアネモネさん文法。

自己完結型の未来予知、といえば未来をどうにかこうにか変えようとした結果として収束するオチが定番なわけですが、劇中に仕組みを理解し、達観してしまうキャラというのは珍しい気がします。それも沢山。
しかし自分の未来という台本を渡されたとして、ぶっつけ本番で素面のままその役を演じきり、一言一句をすらすら言えるかと言えば、そうでもないですよね。
そしてアネモネさんも一人の女の子と思えば、多分、いつかこういう日が来るのでしょう。

赤いアネモネの花言葉は「君を愛す」だそうです。
妬けますね。


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