呪術師としてパーティーに貢献してたのに、裏切られて殺されかけたので呪いで復讐してやる。美人で優しい幼馴染だけは見逃してやろうと思ったけど、今さら告白されたってもう遅い (木村直輝)
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プロローグ ~報復絶倒~

「……来たぞ!」

 勇者ルクスが叫び、閃光の如く腰の太刀(たち)を抜く。

「ニャオーン!」

 モンスターたちの咆哮がダンジョンに響き渡る。

 薄暗いダンジョンの内壁、その陰から姿を現した十数匹のモンスターはネコマタだった。

「はぁーァ!」

 ルクスが突き出した太刀の刀身は瞬く間に閃光そのものとなり、跳びかかって来る化け猫、ネコマタの逆立った毛におおわれた皮膚を焼き貫いて心臓を突き抜ける。

 ――我らの道に栄光のあらんことを(ライトニング・フォワード)――!

 辺りに獣の肉が焼ける焦げくさい臭いが漂うが、美しい容姿を勇姿で染め上げたルクスは構うことなく、行く手を阻むネコマタたちを一瞬で突き殺してゆく。

「ルクス! 後ろ!」

 後衛でその戦いを見守っていた美しい女性ルチアが叫ぶ。

「っ!」

 振り向いたルクスの目の前で、今にもその鋭い歯牙を勇者の綺麗な肌に突き立てようと宙に身を投じていたネコマタが、突然、痙攣し右になびく。胴体を横方向から燃える刃が打ち抜いたのだ。

 ――栄光はこの手の中に(ランプ・グラスプ)――!

「ふッ!」

 すかさずルクスは身をひるがえし、失速しながら降りかかってくるネコマタの死骸をかわして、背後に迫っていたネコマタへくれてやる。

「ありがとう、イグニス!」

「ふっ。例には及ばんさ」

 忍者のイグニスは燃えるクナイをふぅっと吹き紫煙をくゆらせると、横目で呪術師のアモールを睨んだ。

「それより、ネコマタたちの動きが早くないか? アモール、ちゃんとデバフとやらをやっているのか?」

「やっ、やってるよ!」

 オドオドと声を張り上げるアモールからもう視線をそらし、イグニスは言った。

「そうか。なら、いいが……」

 そんな二人の様子を、ルチアは不安そうな顔で見ていた。

「はぁーァ!」

 最後のネコマタをルクスの閃光が貫き、ダンジョンには束の間の静寂が戻ってくる。

 ルクスは太刀を鞘に戻し、後衛のパーティーメンバーの方へ駆けて来た。

「お疲れ様、ルクス。ここ、ちょっと血が出てる。待って……、んっ」

 ――“汝の身に栄光のあらんことを(サンシャイン・ラブ)”――!

 ルクスの傷口に手を添えてルチアが息を漏らすと、たちまちその傷は完治してしまった。

「ありがとう、ルチア。荷物、持つよ」

「……ごめんね、ルクス。ただでさえルクスには負担かけてるのに。あっ、これは大丈夫だってば。軽いから」

 そう言ってルチアは、小さな背負い袋まで持とうとするルクスに微笑んだ。

「せめて、もう一人男手があればいいんだがなぁ」

 絡繰り忍具の手入れをしていたイグニスはそう言うと、アモールを一瞥(いちべつ)してから皮肉を込めて笑った。

「ああ、アモールは雄々しい(・・・・)雄々しい(・・・・)男の子だったか。貧弱すぎて、女が二人いるんだと錯覚していたよ。すまないすまない」

「イグニス……」

 不安そうな面持ちで紅一点のルチアが呟く。

「ああ。悪かったなルチア。別に女を馬鹿にするつもりはないんだ。ただ、俺はコイツが」

「イグニス、今はやめてくれ。いつもごめんな、アモール。アモールもほら、なんだ? デバフ? 頑張ってくれてるよな?」

「……う、うん」

「うん。じゃあ、みんな。気を取り直して、行こうぜ!」

 ルクスが笑顔でそう言うと、パーティーメンバーは再び前を向いて歩き出した。

 それぞれの思惑を、胸に――。

 

 

 

 

 『ダンジョン』。

 百五十年前の大戦により、一つになっていた世界は再び分裂し、このヘリオス列島で“ダンジョン”という名称はもはや死にかけていた。

 

 しかし、世界ギルドが残したギルドのシステムはいまだに色濃く残っており、数多(あまた)の民が今なお徒党(パーティー)を組んで『黄泉蔵(ダンジョン)』に潜り生計を立てている。

 

 ルクスをリーダーとするこのパーティーも、そんなよろずのパーティーの一つであり、カチカチ国の中では指折りのつわもの集団として名を馳せていた。

 

 “勇者”や“閃光のルクス”と(うた)われるリーダーは、その太刀でどんな頑丈な『もののけ(モンスター)』もたちまち仕留めてしまう凄腕の武士であり、そのルックスと相まって多くの民に愛されている。

 

 そんなルクスの幼馴染であるルチアもまた、絶世の美女でありながらあらゆる傷や(やまい)をたちまちに癒してしまう陰陽術の使い手であり、“聖女”や“女神”と呼ばれ偶像(アイドル)の如く崇拝されている。

 

 さらに、たった一人で悪徳な権力者たちを相手取り戦っていた庶民の人気者、義賊イグニスを迎えてからは、実績も人気もとどまるところを知らず、カチカチに彼らを知らぬ者なしと民の間では評判だった。

 

 しかし、ルクスとルチアの幼馴染である呪術師のアモールだけは違っていた。冴えない見た目と呪術という陰険な戦法などから、パーティーの闇や面汚しだと囁かれ、様々な黒い噂が絶えなかったのだ――。

 

 

 

 

「アーハァー!」

 全身を叩き揺さぶらんばかりの咆哮を浴び、アモールは恐怖で硬直した。

「あれは……、ダイダラボッチ……!」

 巨大な人型のもののけが、不気味な真夜中の古戦場をそのまま黄泉蔵に落とし込んだような大広間に、だらりと突っ立っている。

「マズいぞ、ルクス! 流石にあのデカさのもののけじゃ、今の装備では太刀打ちできん!」

「でも、逃げる隙はなさそうだ……」

 険しい顔でそう言ったルクスの見据える先には、上空から疾風の如く飛来するノブスマの群れがあった。

「……」

 ルチアは何も言わず、不安げにアモールを見る。

「イグニス! 援護を頼む!」

 すでにパーティーのメンバーたちより前へ出ていたルクスは、すーっと流れるように麗しくその名刀を抜き、瞬く間に刀身を光へと変えて光速の刺突を放つ。頭上に迫っていたノブスマたちは、一瞬の内にボトボトと床に落ち骸になっていった。

「安心しろ、ルチア……」

 イグニスは不安そうなルチアと一瞬視線が合わさるとそう呟き、すかさず懐から取り出した奇怪な形のクナイ三本を、籠手(こて)に擦る。ぼうっと炎がともった次の瞬間、ノブスマの群れに向かってそれは投げられた。

 ドゴァーン! と間もなく盛大な爆音が響き渡り、かなりの数のノブスマだったものが床へと散っていく。

 そして、晴れていく爆煙。その奥に見えたのは――。

「なっ、イッタンモメン?!」

 数切れのイッタンモメンと無数のノブスマが、まるで赤い月が浮かぶ夜空のような黄泉蔵の天井、その暗闇の遥か彼方から飛んできていた。

「アァーハァァァァ~!」

 ダイダラボッチも爆音に興奮し、その巨体で辺りを揺らしながらパーティーの方へと向かって来る。

「おい、アモール! これをルクスに届けてくれ!」

 イグニスはそう言って三種類の火薬玉を手渡した。

「えっ? なんで、俺が……」

「俺は援護で忙しい! お前は暇だろ! 上空からの敵が多すぎる! ルクスにもいくつか必要だ! わかったらさっさと持っていけ!」

「えっ……、でも……。俺もデバフを」

「なんだ?! ルチアに行って来いとでも言うのか?! お前以外誰がいる!」

「……わ、わかった」

 アモールは震える手で火薬玉を受け取り、突っ張る足でルクスに向かって走り出した。

 そんなアモールを不安そうに見送るルチアに、イグニスがうなずいて見せる。

「大丈夫だ。きっと上手くいく」

「……うん」

 一方、何度も足をもつれさせ転びそうになりながら走っていたアモールは、ついにルクスのもとまで辿り着き、火薬玉を差し出す。

 ルクスはそれを待っていたかのように数歩下がると、アモールと並んで悲しそうに言った。

「すまない」

「……うぁっ!」

 突然、アモールの脚に激痛が走る。

 驚きのあまり火薬玉を落として地に伏したアモールは、視界の隅でルクスが二つの火薬玉を拾い、走り去るのを見た。

「ルク、ス……!」

 上空からの爆音を聞きながら、遠ざかっていくルクスの方を見ると、イグニスが燃えるクナイを手にこちらを睨んでいるのが目にとまった。

 アモールがまさか、と思ったのも束の間。投げられたクナイが、ルクスの目の前に残っていた火薬玉に突き刺さった。

 強烈な悪臭と共に煙が周囲に広がり、アモールは脚の激痛と猛烈な吐き気で涙を流す。目の前で炸裂した火薬玉は、もののけの忌避(きひ)効果が高いかわりに人体への害も大きい煙幕だったのだ。

「なんで……。なん、で……」

 アモールの(むな)しい声が、黄泉蔵の喧騒に紛れて消えた――。



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第1話「抱腹絶倒の目覚め」

「なんで……。なん、で……」

 俺は吐き気をもたらす煙の中、悲しみの言葉をこぼして涙をおとした。

 俺は、裏切られたんだ。あいつらはずっと、俺のことをお荷物だと思ってた。視線が、態度が、それを物語ってた……。

 痛い。痛い。脚が、胸が、心が、体中が痛い……。

 最初は、幼馴染のルチアとルクスに誘われて三人で組んで、ゆるーく黄泉蔵の探索をしてただけだったのに……。

 二人ともどんどん強くなって。ルチアは戦わないけど、一瞬でルクスの傷を治せるようになったし。ルクスも、急に落ちてくる頑丈なナベオロシだって、現れた次の瞬間には一刀両断できるようになって……。

 しかも、あのイグニスが来てから余計に俺たちは強くなって、周りからの期待もどんどん上がって。黄泉蔵探索は大変になったんだ……。

 だから、俺も頑張って呪術で支援してたのに……。もののけにデバフをかけたり、してたのに……!

 呪術なんて陰湿だとか、陰惨な顔にぴったりだとか、性格が陰気だから仕方がないとか、陰で悪口言われて、噂されて……。デバフ、とか言い方変えてみても、印象はよくならなくて……。逆に変なこだわりが気持ち悪いとか言われて……。

 みんなみたいに目に見えた結果がないから。敵を倒したり、傷を治したり、そういうんじゃないから。俺は何もしてないなんて言われて……。一人じゃ何もできないから。お荷物だって、陰口言われて……。

「うぅ……、うぐっ。ケホッ、ケホッ……」

 煙幕で喉が痛い。目が痛い。

 でも、俺を苦しめる煙も次第に晴れてきていた。しかし、それは同時に、俺を隠してくれていた目くらましがなくなることも意味していた。

「アーハァ~ア!」

 ダイラダボッチの咆哮が俺の身体を揺する。

 地面に突っ伏す俺の視界は、もう十分明瞭になっていた。

 そして、当然そこに仲間たちの姿はない。ルチアの、姿も……。

 赤く暗い黄泉蔵の空間が広がっているだけだ。

「アァーハァァァァァァァ!」

 地響きが俺の身体に響く。ダイダラボッチが近づいてきているのだろう。

 俺は振動を受けて気持ち悪さが頂点に達し、吐きそうになる。

「……くそぉ」

 俺の頭に、かろうじて仲間だった者たちの顔が浮かぶ。

 幼馴染だったのに、俺を裏切ったルチアと、ルクス!

 そして、俺にいつも強く当たったあのイグニス……!

「……せない」

 俺は、呟いた。

「許せない。許せない、許せない、許せない」

 許せない許せない許せない許せない!

「うわぁー!」

 激情のままに叫んだ俺の周りが、急に一層暗くなった。それは、ダイダラボッチが俺に迫っていたからだ。

 そして、地面に倒れる俺の体にダイダラボッチの巨大な足が降ってくる。

 ズドォーン! と途轍もない音が辺りに鳴り響き、ダイダラボッチは黄泉蔵の床に倒れていた。

 そして、俺は、立っていた。(みなぎ)る力に突き動かされるように、俺はそこに立っていた。

「ああ、そうか……」

 俺は気づいた。

「俺は呪術師だから、憎んでいるほど強くなるのか。呪えば呪うほど、強くなるんだ……」

 振り返ると、哀れダイダラボッチが地べたに倒れ死んでいた。

「ふっ、ふふふ。ふふふふふ。ふははははははは!」

 俺は赤ぐらい黄泉蔵で真っ暗な天を仰いで抱腹絶倒の快感を味わうと――。

「はぁ……」

 憎いあいつらが消えていった黄泉蔵の帰り道に向かって(こうべ)を垂らした。

「やめよう」

 俺はやめた。

 やめたのだ。

「すぐに追って呪い殺してやってもいいが、それじゃあつまらいな。一人ずつ、最高の舞台を用意して殺してやろう……」

 俺はそう呟くと、黄泉蔵のさらに奥へと入っていった。



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第2話「目覚めたならクラース」

 ドタァーン! と大きな音を立ててオオダヌキが倒れた。

「ふははははははは! 気持ちがいいなぁ、誰も俺をはばめないというのは……」

 俺の通った後には、数多のもののけの死体が転がっていた。

 俺は今や、念じるだけでもののけを呪い殺すことができるのだ。

「はぁー。気持ちがいい気持ちがいい」

 という言葉とは裏腹に、俺の心は曇っていた。

「……ここは。ここはどこだー!」

 そう、俺は黄泉蔵で道に迷ってしまったのだ。この辺は入り組んでいて迷いやすい上に、いつも先頭を歩くルクスも、来た道を把握する役のルチアやイグニスもいないから、俺一人では迷ってしまうのも無理はない。

「はぁ。よっこらせっと」

 俺は、洞窟のような黄泉蔵の地面から突き出している手頃な石を見つけると、腰掛ける。硬くて座り心地はイマイチだが、地べたに座るよりは気分的にマシだ。

「腹が減った……。喉が渇いた……」

 しかし、なんの荷物も持っていなかった俺は、空腹を満たす物も喉の渇きを潤す物も持っていなかった。こんなことなら、非力とはいえ少しの食糧くらい持っておくんだった。このままでは復讐を果たす前に死んでしまう……。

「それは嫌だー!」

「嫌です!」

 俺の控えめな叫びとほとんど同時に聞こえた女の子の声に、俺は辺りを見回した。しかし、目に映るのは黄泉蔵のごつごつとした壁ばかり。

 俺は立ち上がると、ゆっくり声の主を探して歩き出す。

 そして、角を曲がれば角がある、入り組んだ黄泉蔵のその角を三回ほど曲がった先の岩陰に、いくつかの人の頭を発見した。

「お嬢ちゃん。約束したでしょぉ? おじさんたちの言うことちゃんと聞くって」

「そうだよぉ? 大丈夫。おじさんたち慣れてるから、痛くしないって」

「そういうことじゃないです! そういう意味だなんて、思わないじゃないですか……!」

「それはお嬢ちゃんが甘かったんだから、おじさんたちは知らないよ」

「これで一つ、大人になったね。もっと大人にしてあげるよ。ヘヘヘヘヘ」

 どうやら数人の男たちが、いかがわしいことをしようとしているようだった。

「おい、お前! 何の用だ!」

 突然、そう声がして、俺は背後から腕を掴まれる。

「わっ、あっ、いや。なんか騒がしいから、どうしたのかなって……」

「お前っ。いや、何でもない。あっちにいってろ」

 男は俺をじろじろ見ながら、腰に差している太刀の柄を手で撫でた。

「おい、どうしたぁ~?」

「何でもない! 部外者が近づいてきただけだ」

「あ~、仲間に入りたいんじゃねぇか~?」

 そう言って岩陰から男たちがこちらを見てきた。

「おぉ? お前、ルクスと組んでるアモールじゃねぇか!」

「ああ、ホントだ。どうしたー、こんなところに一人で。もしかして、ついに仲間に見限られて見捨てられたかぁ? ゲハハハハ、あっ!」

 俺は男の言葉に、いくらか落ち着いていた憎しみを逆なでされ、咄嗟に呪い殺した。

「おっ、おい! どうした、ファルス。うううっ、うぐっ!」

「おい、何してんだよぅ……、うっ!」

「おっ、お前ら? 何ふざけてっ……、ぇぇっ!」

 俺は全員を呪い殺すと、ヤツらに背を向けて歩き出した。

 くそっ! ムカつく……。くそがっ! ザコのクセしやがって!

「待ってください!」

 俺が怒りに身を震わせながら振り替えると、そこにはまだ幼さの残る少女がいた。

 ルチアほどではないが、とても可愛らしい。栗色の髪を肩くらいまで伸ばした彼女は、黄泉蔵夫(よみぐらふ) (*1)というより普通の村娘という感じの服装だった。

「あのっ! ありがとうございます!」

「……ああ。べっ、別にお前のためにやったんじゃないよ」

 はらわたが煮えくり返りそうだった俺は、なんとかそれだけ言うと、再び背を向けて歩き出そうとした。

「待ってください! あの人たち、どうなっちゃったんですか?」

「は?」

 振り返った俺は、ぎょっとした。少女は自分が助かったというのに、目に涙を浮かべて俺を見ていたのだ。

「死んで、ないですよね?」

「……ああ。ちょっと、気絶してるだけだよ」

 俺は、嘘をついた。

「よかったぁ……。あっ、私、クラースっていいます。あの人たちが、ちゃんといい子にして大人しく言うこと聞くなら黄泉蔵に連れてってくれるっていうから、連れてきて貰ったんですけど。あんなことになっちゃって……。お兄さん。助けてくれてありがとうございます」

「……はぁ」

 マシンガンみたいに喋る少女の言葉を浴びて、俺は思わず鳩が豆鉄砲でも食らったみたいな顔をしていたかもしれない。

「あっ、ごめんなさい。私、いきなりこんな自分のことばっか喋っちゃって。お兄さん、アモールさんに似てますよね? あの有名な、ルクスさんたちと組んでらっしゃる! 私アモールさんの大大大大贔屓筋 (*2)なんです! でも、まさか、ご本人なわけないですよね……? って、ごめんなさい! 助けていただいたのに、失礼ですよね。私ったら……、へ?」

 楽しそうに喋る少女に何度目か背を向けようとしていた俺は、彼女の言葉に驚いて振りかえる。

「俺の、贔屓筋?」

「……えっ。もしかして、本当に、本物?! そうです、はいです、その通りです! 私、アモールさんの贔屓筋なんです! あっ、待って。髪、崩れちゃってますよね。やだ、せっかくアモールさんに会えたのに……」

 少女は別に崩れてもいない髪を必死に直している。なんか、可愛い。

 俺はふと思い立って、()いてみることにした。

「俺さ、実はわけあってルクスたちと別行動しててさ。でも、あいつら俺に食料渡してくれなかったんだ。酷いよな。君、なにか食べる物持ってない? 後、飲み物もあれば……」

「わー……。おにぎりと緑茶なら持ってますよ! 私が握ったおにぎりなんです! あぁ、嬉しい。私が握ったおにぎりを、アモールさんに食べていただけるなんて……」

「そうか。そんなに言うなら、遠慮なく食わせて貰おうかな」

「はい! もちろんです! でも、アモールさん?」

「ん?」

 急に眉間にシワを寄せてズカズカと俺に寄ってきた少女が、そんなに背の高くはない俺よりも、もっと小さな体をぐっと伸ばして、力強い笑顔で俺の顔を見上げると言った。

「――私は君じゃなくて、ク、ラ、ー、ス、ですっ!」




*1)黄泉蔵を探索する者などの総称。「夫」とあるが、一般的には男女の別なく使われる。
  “小説家になろう”で馴染みのある言葉に置き換えるならダンジョンに潜る「冒険者」。

*2)ここでの「贔屓筋」とは単なる「ファン」のこと。
  本来、金銭的な援助をしている者を指す。




【地名のおはなし】カチカチってどういう意味?


 突然ですが、クイズです。
 アモールたちが暮らす国の名前はなんだったでしょうか?
 ……答えは「カチカチ国」です。この後も度度登場する名前なので、皆様の記憶の一ページに小さく記しておいて頂ければ幸いです。


 この「カチカチ」という地名、ちょっと変わった名前ですよね?
 実はこの地域はその昔、「マケマケ」と呼ばれていたんだそうです。

 しかし、それだと「負け負け」に通じて縁起が悪いということで、その逆の「カチカチ」と呼ぶようになったんだとか。

 とは言え。
 残念ながら、先の大戦を終わらせた魔法兵器によって、ヘリオス列島に限らず世界全体でかなりの地域が汚染されてしまいました。
 その影響で、古い資料はそのほとんどが失われてしまっており、確かなことはわかりません……。


 ちなみに、ヘリオス列島は南北に長い島で、大戦前はヘリオス皇国という一つの国家でした。
 ヘリオス皇国は今でもヘリオス列島最大の国として残っており、列島の再統一を目指しているようです。

 しかしそれは、八大国を始めとする多くの国の野心家たちも同じこと。
 ヘリオス列島に限ったことではありませんが、各地で一触即発の状態が続いています。

 また、元ヘリオス皇国は島国であると共に長らく鎖国をしていたため、統一を経た今でも独自の文化が根強く残っています。
 そのため、「黄泉蔵」や「もののけ」といった言葉をはじめとする独自の文化と、世界統一の名残によるギルド文化などが混在する特異な地域です。


 雑然とした文化に違和感を持たれる方もいらっしゃるかとは存じますが、アモールの復讐譚の行く末を、最後までご覧頂けるとうれしく思います。




【追伸】
 前回の「抱腹絶倒の目覚め」って、「絶倒(倒れてる)」なのに「目覚め(起きてる)」のめっちゃ面白くないですか(笑)?!
 あっ、別に面白くないですか……。
 失礼しました。


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第3話「アモールの優しさ」

「アモールさん、ごちそうさまは?」

「ああ、ごちそうさま……」

 ぼろぼろパサパサの握り飯を雑みのある緑茶で胃に流し込んで、俺は久しぶりにその挨拶を生き返らせた。

「どうですか? 美味しかったですか?」

「まぁ……」

「よかったー」

 クラースは満足そうにそう言うと、嬉しそうに微笑んだ。

「クラースは食べないのか?」

「はい! アモールさんにあげた分しかありませんから!」

「それは、わるかったな……」

「いえ! 私、お腹空いてないですし」

 そう言ってもう何度目か、お腹を鳴らしたクラースは、決して崩れないのではないかと言うほど頑丈そうな笑顔で言い切った。

「命を助けて貰ったんですから! アモールさんは気にしないでください!」

「はぁ……」

 いつの間にか彼女の中で、俺は命の恩人にまでなってしまったようだ。それとも彼女にとって、貞操は命と同義なのだろうか。

 何にせよ、気まずくなった俺は、適当に話題を変えようと疑問に思っていたことを聞いてみた。

「クラースは、なんで黄泉蔵夫でもないのに黄泉蔵に来たかったんだ?」

「それは……。あの、ちょっとだけ重い話してもいいですか?」

 なんだか少し悲しそうな笑顔でそう言ったクラースは、俺の返事を待たずに勝手に喋り出した。

「私のお姉ちゃん、って言っても実の姉じゃないんですけど。近所に住んでたとっても優しいお姉さんが、黄泉蔵夫なんです。でも、三カ月前から、黄泉蔵に行ったっきり行方不明で……。だから、私、お姉ちゃんを探したくて……」

「それはもう、死んでるだろ……」

 思わず言ってしまってはっとなった俺を見るクラースの目は、大きく開いてゆらゆら揺れた。でも、彼女の笑顔は揺るがなかった。

「そーんなはずはありませーん! お姉ちゃんはとーっても強いんだから! アモールさん、私のお姉ちゃんを知らないからそんなことが言えるんですよぉ~? お姉ちゃんはとーっても強いんですから! だから。だから、私は探しに来たんですから!」

「そうか……」

 俺はまた気まずくなって、今度は黙り込んだ。

「じゃあ、帰りましょうか?」

「えっ?」

 立ち上がったクラースを見あげる俺に、彼女はどこか寂し気な顔で笑った。

「おじさんたちには騙されちゃったし、流石に私一人では黄泉蔵を探せません。アモールさん、もう帰るんですよね? ごめんなさい。私も連れてってください」

「……ああ。まあ、それぐらいなら……。ついでだしな」

 俺はそう言って立ち上がると、歩き出した。

「なあ、ほんとにいいのか?」

「えっ?」

「だから、お姉ちゃん探さなくて本当にいいのかって()いてるんだよ」

「えっ。でも……」

「あー、もう、じれったいなぁ。帰るついでに軽くなら探すの手伝ってやるよ。なんか手掛かりないのか?」

「アモールさん……」

 クラースは目を潤ませながらも、嬉しそうに張りのある声で言う。

「ありがとうございます!」

「お礼はいいから、なんか手掛かりはないのか?」

「手掛かり、ってほどじゃないですけど……。あの日、お姉ちゃんは私の幼馴染と黄泉蔵に来てたんです。それで、彼は、黄泉蔵に入るのが初めてで……。だから、そんなに奥には来てないと思うんです」

「はあ? じゃあなんでこんな奥まで来たんだよ」

「それは、あのおじさんたちが、きっと調子にのって奥まで入ったから帰れなくなったに違いないとか言って、ぐんぐん進んで行くから……。私はついていくしかなくて……」

「はぁ……。まあ、そういうことなら完全に帰るついでだ。これでも俺は、あのルクスたちと組んでずっと活動して来た呪術師だからな。救助依頼も何件も受けてるし、初心者が(つまず)きそうな場所にもいくつか心当たりはある。そう言う場所を重点的に通りながら帰る、ってことでいいか?」

「はい!」

 満面の笑みで返事をしたクラースの顔は、あのルチアにも劣らないくらい、なかなかどうして可愛かった。




 

【陰陽師のおはなし】


 アモールのパーティーにいた美女ルチア。彼女の職業を覚えているでしょうか?
 ……答えは「陰陽師」です。

 「陰陽師」という職業は、王道ファンタジーではあまり見ない職業な気がしますが……。
 いったい、どんな職業なのでしょうか?


 ヘリオス列島にはその昔、「万物は“五種類の元素”と“(いん)”と“(よう)”の性質によって成っている」という考え方がありました。

 そして、この思想に通じる博識な人たちは、その知識を活かして様々なことを予想したり、病を治したり、もののけを退治したりして活躍していました。
 そんな彼らのことを、人々は「陰陽師」と呼んだのです。

 特に彼らが使う不思議な術は印象が強く、陰陽師といえば“陰陽術”という不思議な術を使うというイメージが一般に定着しました。
 そして、次第に「不思議な術を使う者=陰陽師」というイメージが広まっていきました。


 そんなこんなで、すごいことができる陰陽師はとても地位のある職業でした。
 しかし、世は無常。その栄光も、永遠には続きませんでした。

 ヘリオス皇国の開国によって、西洋から「魔法」が入って来たのです。
 西洋の魔法は、一般化され体系化されたものが多く、広い分野の知識やセンスを必要とする陰陽術に比べれば格段に扱いやすいものでした。
 それ故に陰陽術は廃れていき、その地位を魔法にとって変わられたのです。

 しかし、不思議な術を使う者のことをとりあえず「陰陽師」と呼ぶ人も多かったため、その名称だけは廃れることなく残りました。
 その後も、“陰陽術”は細々と受け継がれていましたが、大戦によって完全に廃れてしまったといわれています。

 とは言え。
 前回のコラムにもあった通り、先の大戦で使われた兵器の呪いでほとんどの記録が失われてしまい、確かなことはわかっていません。
 もしかすると、乱立する多くの国家に紛れて、純粋な陰陽術を使う陰陽師がまだどこかにいるかも――。
 なんて思うのは、夢見すぎでしょうか。


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第4話「子鳥は巣にかえる」

「クラース、幼馴染のことは心配じゃないのか?」

「え?」

 ぐねぐねと切り立った黄土(おうど)の道を歩きながら、ふと疑問に思った俺は訪ねてみた。

「いや、お姉ちゃんお姉ちゃんって。クラース、お姉ちゃんのことばっかりだからさ。幼馴染のことは心配じゃないのかなって」

「ああ、ソールィエンスのことですね」

 クラースは頬を膨らまさんばかりにぐちぐちと喋り始める。

「いいんですよ、ソールィエンスは……。だって、ソールィエンスったら。アウローラ姉ちゃんアウローラ姉ちゃんって、口を開けばそればっかりで。あの日だって、やっとアウローラ姉ちゃんと一緒に黄泉蔵探索が出来るって。いいとこ見せるんだって、猿みたいに鼻の下なんか伸ばしちゃって。初心者のクセに、あのアウローラ姉ちゃんにいいとこなんて見せられるわけないじゃない。馬鹿みたい。ほんと、男の子って嫌ですよね……」

「……クラース。もしかして、お姉ちゃんがとられそうで嫉妬してたのか?」

「え? ……、そんなんじゃ、ないですよ」

「ふぅん」

 素っ気なくそっぽを向くクラースを見て、素直じゃないところもあるんだなと俺は思った。

「……! あれ」

 突然、クラースが走り出す。

「おい! 危ないぞ!」

 俺は急いでクラースを追う。

 クラースは壁のない道を終わりまで駆け抜け、黄土が続くちょっとした広間の壁際まで走っていくと、大きな岩の前でしゃがみ込んだ。

「これ、お姉ちゃんに……」

 クラースは拾い上げた布切れのようなものをじっと見たと思ったら、お姉ちゃんの形見を失いたくなかったのだろう、隠すように急いでそれを懐にしまった。

「いきなり走り出すなよ。ほんとにそれ、お姉ちゃんの物なのか?」

「……はい。間違いありません」

 そう言って振り向いたクラースの後ろ、大きな岩の陰から出てきたものに、俺はぎょっとした。

「クラース! 早くこっちに来い!」

「え?」

 きょとんとするクラースの背後で岩の陰から姿を現したのは、かろうじて人型をしてはいるが、本能的な恐怖をかき立てる異形のもののけだった。

「ウバワ、ナイデ……。ウバワ、ナイデヨ。オネエ、チャン……」

 もののけの声に向き直ったクラースが、しゃがみ込んだまま硬直している。ヤバい!

 咄嗟に走り出していた俺はクラースを突き飛ばし、もののけの禍々(まがまが)しい手で顔面を切り裂かれる。

「うぅっ! ぁぁっ……」

「……いったぁ。っ! アモールさん?!」

「大丈夫だ。下がってろ」

 俺は呪術ですぐに傷をもののけに移す。しかし、もののけの顔に移った酷い傷はぐちゅぐちゅと音を立てて瞬く間に塞がった。こいつ、強い……。

「アア、ウウ……。ウバワ、ナイデ。ウバワ、ナイデ」

 このもののけは“カエリオニ”だろう。

 “カエリオニ”は呪いによって生まれるもののけだ。

 元々呪術を極めていた俺は、裏切られて殺されかけた強い憎悪の念を(もっ)て、今や一瞬で人を呪い殺すことが出来る。

 しかし、普通、人に対する呪いはその効果が大きければ大きいほど、そんなにすぐに効果が現れるものじゃない。もちろん、それが非常に困難だからというのは間違いない。だが、対人の場合、暗殺や戒めなどに使われることの多い呪いはそもそも、条件を満たした時に発動するものや、じわじわと相手を苦しめるタイプの呪いの方が需要があり、発展してきたという側面もある。

 だから、対象が呪いを受けるまでに時間がかかる場合が少なくないため、呪われ切る前に、呪いとは関係のない病気や事故などで死んでしまうということも起こりうる。そうなると、呪いは行き場を失ってしまい、その多くは呪った術者にかえっていく。

 普通なら単なる呪いとしてかえるだけなのだが、強力な一部の呪術や欠陥のある呪術を使った時などに、その呪いがもののけという形になって術者にかえることがある。そういったもののけ全般を“カエリオニ”と呼ぶのだ。

「オネエ、チャン……。モッテ、モッテ、モッテルジャナイ!」

 カエリオニは目の前の俺を無視して、クラースに襲いかかろうとする。

「動くな!」

 俺は右手を前に構えてカエリオニの動きを封じようとデバフをかけたが、完全に止め切れず、その気色の悪い体の突撃を受けてしまう。

「くそっ! クラース! 離れてろ!」

「ごっ、ごめんなさい。足に、力が、入りません……」

 俺の真後ろで、クラースが震える声で言った。

「くそぉ!」

 俺は呪いを右腕に込めてカエリオニを突き飛ばした。ヤツは大岩に体を打ちつけて、もぞもぞと気味悪く悶える。

 本来なら、こんな風に呪いを直接攻撃に使うのは効率が悪すぎるが、どうやら強い怨念を持つ俺は、もののけを突き飛ばせるほどの威力が出せるみたいだ。

「ウバワ、ナイデヨ……。ウバ、ウバ、ウババ」

 それにしてもこのカエリオニ、クラースを狙っているのか? それとも、クラースの持つ布切れが欲しいのか……。

 本来カエリオニは、あくまで術者にかえる呪いなので、積極的にそれ以外の対象を襲うものではないし、強い呪いから生まれたものはコイツみたいに人の言葉を喋るが、知能があるわけではないから物に執着したりもしないはずだ。

 とはいえ、有能な呪術師ならカエリオニ対策を行い、自分にかえらないようにしておくことはもちろん、特別な性質を付加することができるはずだし、そもそもこいつらは完全に人間の道理が通じるような存在ではないから、いくらでも例外は起こりうる。

「ぐだぐだ考えるだけ無駄か……」

「モッテル、モッテルデショ? オネエチャン。イッパイ、イッパイ」

 カエリオニがこちらに向かって来る。

 俺は右手で手刀を作り、イグニスたちのことを思い出す。

 あいつら、俺を裏切りやがって……。俺を、この俺を……。俺はもともと才能があったのに……。努力だってしたし、ルクスたちと共に戦うだけの実力だってあったのに、馬鹿にしやがって……。お荷物扱いしやがって……。許せない。許せない……。殺してやる。殺してやる……。

「オネエチャン。ネェ、オネエ」

「うああああああああああ!」

 俺は手刀に怨念を込めて、目の前まで迫ってきていたカエリオニの胸に突き出す。

「オ、ネエ……。エエエエエ……」

 カエリオニはぽっかり胸に穴を空けられ倒れるが、まだ消滅しない。

 俺はしゃがみ込むとヤツの頭を鷲掴みにし、握り潰した。

「はぁっ、はぁっ。どんな呪いだか知らないが、俺のこの呪いに叶うものか……」

 立ち上がって俺はクラースを振り返る。その背後で、カエリオニが消滅していく気配がする。

「大丈夫か、クラース」

「……はっ、……はい」

 おびえた顔で俺から視線を落としたクラースは、消えていくカエリオニをただただ茫然と見つめた。



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第5話「乙女は月の満ち欠けに護られて」

「あっ、あんまりじろじろ見ないでくださいね」

 まだ少し湿った髪で、クラースは言った。

「ああ」

 ここはクラースの家。

 黄泉蔵を出た俺たちは、風呂屋で軽く汗と汚れを流し、そのままクラースの家にやってきていた。

「今、お茶淹れますね」

「ああ、湯冷めしそうだったからちょうどいいな」

 勝手 (*1)に消えるクラースを見送ってから、俺はぼーっと部屋を見回した。裕福ではない、普通の村人の民家って感じだ。

 クラースの両親はちょうどしばらく家を空けているらしくて、俺は今晩この家に泊まることになった。とりあえず、依頼に関することだから詳しくは言えないが、秘密裏に単独行動をしているということにしてある。でも、そんな嘘、そう長くは持たないだろう。

 きっとルクスたちは、俺が事故か何かで死んだことにするはずだ。死んだことになっていた方が、復讐のために暗躍するには好都合だが、俺の顔は有名すぎるから日常生活を送るのは難しくなってしまうだろう。

 俺は今後の身の振り方について頭を悩ませる。

「お待たせしました。熱いですから、気をつけてくださいね」

 悩んでも答えの出ない俺の前に、唐突に戻って来たクラースがお茶を置く。白い湯気が立ち(のぼ)湯呑(ゆのみ)には、よく見ると小さなヒビがいくつも入っている。

 俺は湯呑から視線をそらした。

「……あれ? あれって、俺の本か?」

「あっ!」

 クラースが俺の視線の先に走っていき、隠すように本を片す。

「そんな本、素人が読んでどうするんだよ」

 クラースが片付けた本は、俺が以前に出していた呪術師向けの専門的な本だった。とてもじゃないが、素人が読んで理解できるようなものじゃない。

「……言ったじゃないですか。私、アモールさんの、贔屓筋だって……」

 クラースがこちらを見ずにそう言う。

 表情は見えないが、照れているのか? なかなか可愛い……。

「もう少ししたら、夕餉(ゆうげ)の支度しますね。納豆汁と……、そうだ! ちょっといい梅干しがあるんです! それで大丈夫ですか? 好き嫌いとか、ありますか?」

「う~ん……」

 昼間もクラースがくれたぱさぱさの握り飯だけだったから、流石にそれじゃ持たないなと思った俺は、懐に手を入れて金を確認する。これからのことを考えるとあまり贅沢は出来ないが、背に腹は代えられない……。

「いいよ。一息ついたら何か買ってきてくれないか? 金は俺が出すからさ」

「えっ、そういうわけには」

「いいっていいって。黄泉蔵帰りで腹減ってるから、何かガッツリ食いたいんだ。ついでだからクラースの分も俺が出してやるよ。う~ん、そうだなぁ。うな重でも食いたいな。ちょっと色付ければ、どの店でも器貸してくれんだろ」

 俺は懐から、うな重を三杯は食えるだろう金を出すと、俺の前に腰を落ちつけていたクラースに渡した。クラースのやわらかい指が俺の指に触れて、俺はドキッとした。今のは、わざと……?

「……やっぱり、有名な黄泉蔵夫さんはすごいですね。こんな大金を、一晩で……」

「大した額じゃないよ」

 と強がってはみたものの、今の俺にとっては結構な出費だった。金のことも考えないといけないと思うと、ますます頭が痛い。

「ありがとうございます。急いで買って来ますから、待っててくださいね!」

 クラースはそう言うと、金を大切そうに握りしめて立ち上がった。

「わっ!」

 突然、クラースが小さな悲鳴を上げて倒れてきた。微塵も予期していなかった俺は、畳の上に押し倒される形でクラースの下敷きになる。

「いたっ……。ごめん、なさい……」

 クラースのやわらかなふくらみが俺の腹に当たっていて、胸元を湿らせるクラースの言葉が頭に入ってこない。幼い顔立ちだが、意外と胸はあるようだ。

 クラースががばっと起き上がり、俺から離れる。あっという間に大きくなってしまった俺のちんこが、まだクラースの温かな重み覚えていて、しばらく収まる気がしない。

「あっ……、いや。これは、生理現象で……」

「ごめんなさい。あんなに歩いたの、私、初めてで……。足、痛めちゃったみたいで……」

 クラースは俺の弁明には触れず、視線を泳がせて言い訳をする。その表情に、俺はぐっと来てしまった。

 まだかすかに湿っている髪が、とても艶っぽい。俺の心臓が高鳴る。高鳴りが、抑えられない。

「なぁ、クラース……」

「はい……?」

 か細い声で、遠慮がちな目で、クラースが俺を見る。

「……クラースは、さあ。俺の贔屓筋って、言ってたけど……」

 俺はそうクラースに近づく。クラースが恥ずかしそうに肩をすぼめる。

「俺は、クラースが俺の贔屓筋だって、言ってくれて。俺のこと、好きだって言ってくれて。すごい、嬉しかった」

「……」

「クラースはさ。俺と……」

 艶のある黒髪。伏せられた大きな瞳。桜色の唇。やわらかそうな白い頬。

 距離がどんどん縮まっていく。

「……ごっ、ごめんなさい!」

「えっ?」

 クラースの予想外の反応に、俺は面食らって硬直する。

「あのっ! そのっ……、私……。今日、血ぃ出ちゃうから。その。そういうことは、出来ないんです。ごめんなさい。その、助けて頂いたのに……」

 早まったかとさーっと血の気が引きかけていた俺は、そういうことかと一安心してクラースに尋ねる。

「血が出るって、怪我でもしたのか?」

 俺はカエリオニとの戦闘の時、クラースのことをやむを得ず突き飛ばしてかばってやったことを思い出す。

 さっきは、あんなに歩いたのが初めてだったから足を痛めたと言っていたが、もしかするとあの時に怪我でもしていたのかもしれない。それは、仕方なかったとはいえ馬鹿なことをしたなと思った。

「……? ちっ、違います!」

 ぽかんと俺を見ていたクラースはしかし、そう言って慌てて否定する。

「そうじゃなくて。あの……。毎月の……、ことなので……。大丈夫です。でも、そういうことはできないんです。ごめんなさい」

「ああ」

 ――月経か。

 クラースの言葉で俺はすぐに理解した。月経は呪術にも関係してくることだから、俺は詳しいんだ。

 月経中だって別にできないことはないんだけど、かなり血で汚れるから、クラースも恥ずかしいだろうしやめておくかと俺は思った。処女ならどうせ血が出るし、俺は気にしないんだけどな。まあ、今日はそういう気分じゃないんだろう。

 クラースに迫っていた俺は体を起こし、床に座り込んだ。

「……」

「……」

 沈黙が流れる。気まずい……。

「あっ、あのさ!」

「はっ、はい! なんでしょう?!」

 俺はこの際だしと思って、気まずい沈黙を破るついでに、ずっと気になっていたことを()いておこうと思った。

「これは、友達の話なんだけどさぁ」

「はぁ……」

「あの。俺と知り合った、仲いい、友達の話なんだけどさぁ。そいつ、何か実はまだ童貞らしくてさぁ。はは。それ、気にしててさ。いや、女の子ってやっぱ男には経験豊富であって欲しいのかな、っていうかさ。色々手ほどきして欲しいのかなって気にしてたからさ。どうなのかなと思って。女の子的に……。いや、あくまで友達の話なんだけど、ほら。女の子はどう思ってるのかなって、訊いといてやりたくてさ。ほら。俺は、先輩として……」

 俺はきょろきょろしながらそこまで言うと、やけに静かなクラースを見ようとした。でも、クラースの顔を直視できない

「……私は、好きな人が私が初めてだったら、嬉しいです」

「へ?」

 予想外の言葉に、俺はクラースの顔を見る。

 その顔はとても優しくて、切なげにどこかを見つめていた。畳の上に視線を落としているようで、それでいて、どこか遠くを見ているようだった。

「こんなこと思うのは、はしたないのかもしれないけど……。私は、好きな人の全部が欲しいなって。私のものになればいいのに、って思っちゃうから。彼の初めてが私だったら。そういうのは、私とだけだったら。うれしいなって、思っちゃいます……」

「……」

 予想外の言葉に俺は驚いてクラースを見つめる。

「なっ、何言ってるんでしょうね私。うな重でしたよね? 待っててください! 今急いで買って来ますから!」

 クラースはそう言うとそそくさと立ち上がり、風のような速さで家を出て言った。

「……そういう、もんか」

 俺は童貞でよかったと思った。




*1)この場合の「勝手」はキッチンや台所のこと。




【童貞のおはなし】月経中も性交できるの?!


 「月経は呪術にも関係してくることだから、俺は詳しいんだ」と語るアモール君いわく「月経中だって別にできないことはない」のだそうですが、実際のところどうなのでしょうか?


 結論から言うと、月経中は女性器が塞がるとかそういうわけではないので、可能か不可能かで言えば可能ではあります。

 ただし、精子の残存期間や寿命、排卵のタイミングなどにより月経中の性行為でも妊娠の可能性は十分にあるので、その点を誤解しないことは重要でしょう。

 また、男性は直接女性の血液に晒されることになり、女性側もデリケートな状態になっているので、感染症のリスクが高まります。
 コンドームを用いての行為が望ましいでしょう。


 そして、何より――。
 月経中の女性は心身ともにデリケートな状態になっていますので、肉体的にも精神的にも性行為が苦痛や病気に繋がる可能性が大いにあります。
 それは、生まれ持った体質やその日の体調などの要因が複雑に絡み合ってのものなので、人によってもその時によっても違います。

 女性によっては性行為で生理痛が軽くなる場合があったり、そもそも生理痛が軽い人もいたり、生理中に性的興奮が高まることもあるようですが。
 人それぞれでその時々によっても異なるものなので、一つの知識や過去の経験で決めつけないことが大切でしょう。傾向はあくまでも傾向です。

 また、多くの人は大量の血液を見たり嗅いだりすることは日常生活でもそうないと思うので、女性だけでなく男性側の苦痛に繋がる可能性もあります。

 月経中の性行そのものは可能ですが、そもそも月経は出血を伴うものです。
 その最中の性行には、様々な苦痛の可能性があることはとても重要なポイントだと思うので、頭に入れておいた方がよいでしょう。


 月経中の性行為に限らず、人と人との関係は双方が相手を思いやりながらしっかりと向き合うことが大切だと思います。

 ……まあ。私は二十六にもなって、誰とも交際したことのない童貞なので、正直よく知りませんが(笑)!

 あくまでもアモール君の発言は彼一個人の見解ですよということを明示しておきたく思い、このコラムを添えさせて頂きました。
 彼の発言もとい、こんなところで得られる知識を鵜呑みにせず、気になる方は納得のいくまで調べて頂けたらと思います。ご自身や大切なお相手のためにも。

 みなさまの営みが、幸せなものであることを祈っています――。


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第6話「口にできない人参の桂剥き」

 
【警告】
 この文章には非常にグロテスクな描写があります

 


 俺はクラースが眠っているのを確認すると、そーっと音をたてないように家を出た。ぼろい戸はどうしても音が鳴ってしょうがない。

 クラースの家に泊まってから、なんだかんだで七日が経った。

 世間では予想通り、俺は黄泉蔵を探索中に事故で死んだことになっている。

 クラースには、カチカチの存続に関わる重要な任務のため、俺は死んだことにして隠密活動をしていると言ってある。両親もまだ帰らないらしいし、もうしばらくはなんとかなるだろう。

 それよりもだ。ルクスのヤツ、俺のことを殺しておいて――実際には生きているのだが――不幸な事故だったなどと言っているのも許せないが、揚げ句あいつは目を疑うような報告をしたのだ。

 なんと、ルクスとルチアが結婚するというのだ。その報せを読んだ時、俺は目の前が見えなくなって気を失うかと思った。

 俺の事故死がある前から結婚する予定だったから、とても悩んで話し合ったけれど、悲しい出来事に沈み切ってしまわないよう、延期せずに結婚を決めたなどともっともらしいことが書いてあった。

 クラースの話では、国民たちも大多数は理解を示して二人を祝福しているというのだから、余計に腹が立つ。許せない。許してはならない。

 そもそも、ルチアは俺のことが好きだったんだ。直接言われてはないけど、長年一緒にいた幼馴染だ。なんとなく態度でわかった。ルチアだけは昔からずっと、俺に優しかったんだ。

 もしかするとルクスは、ルチアをものにするために俺を殺すことにしたのかもしれない。そう思うと、余計に許せなかった。

 ルクスめ……。ルクスめ……! 許せない……。許してなるものか!

「はぁっ、はぁっ……」

 荒くなる息を抑えて、俺は暗い夜道を星明かりだけを頼りに歩いた。

 この七日、俺は何もせずにただあいつらを憎んでいたのではない。

 今日、ついに俺は復讐の幕を、この憎しみの炎で焼き尽くし、開幕させるのだ。そのための準備は万端だ。

「ふっ、ふふふっ、ふっ。はっ」

 俺はあふれる笑いを噛み殺し、ルクスたちの眠る西洋館へと向かった。

 

     *

 

「……」

 小高く切り立った草原(くさはら)から、灯りの消えた西洋館を見下ろしていた俺は振り返る。

「まさか生きていたとはなぁ」

「……」

 そこには、黒装束に身を包んだイグニスが立っていた。

「散々俺たちのことを嗅ぎまわっていたんだ。知っているだろう。ルクスとルチアは邪魔者のお前がいなくなって、やっと幸せになれたんだ。邪魔はさせん」

 イグニスが白々しい真っ黒な建前を吐いてクナイを構える。

「やはり、直接とどめをさしておけばよかったよ。……そうだ。遺言くらいは聞いてやろうか」

「……」

「フッ。何も言うことはないか。いいだろう。死ね!」

 イグニスが投げた三本のクナイは、俺の首、胸、腹に深々と突き刺さった。

「呆気な……?」

 クナイがぼとり、ぼとりと地面に落ちる。

 俺の体には傷一つない。

「やめた方がいいぞ、イグニス……」

 俺はそう言うと、近くに一本だけ生えていた木の根元、その裏に隠しておいた鉄のカゴを持ち上げ、イグニスに向かって放った。

「……」

 イグニスは無言でカゴに近づき、クナイを籠手に擦って火を灯す。

「ノブスマ? 一匹は、死んでいる、のか?」

「もっとよく見てみろよ。お前の目は節穴か?」

 俺に言われた通り、ノブスマをよく確認したイグニスは鼻で笑った。いちいち(しゃく)に障る奴だ。

「これがどうした? あらかたお前の悪趣味な呪い、じゃなくてデバフだったか? ハンッ。それでお前の傷をこのノブスマに移したのだろう? もう一匹いるな。他にもいるのか? 構わないさ。もののけが尽きるまでお前を殺すだけだ。もののけ退治といこうじゃないか」

 そう言ってクナイの火を消したかと思うと、一瞬で両手に三本ずつクナイを出しイグニスが構える。はっ。その曲芸だけは褒めてやるよイグニスゥ!

「本当にいいのかな?」

 イグニスが眉をひそめるのがわかる。暗くてよく見えなくとも、お前の憎い顔は俺の脳裏にこびりついているから、手にとるように想像できるぞイグニスぅ。

「俺がこの数日、何もせずにいたと思うか」

 そう言って俺は足元のクナイを拾い上げ、呪いを込めて粉々に握りつぶした。

「っ……?!」

「いい顔だぁ、イグニスぅ。なぁ。俺はこれでも感謝してるんだぜ。お前たちが俺を殺そうとしてくれたお陰で、その憎しみで、恨みで、怒りで、俺はこんなに強くなれたんだからなぁ、イグニスぅ」

 俺はさらにもう一本、クナイを拾い上げて俺の力を見せてやる。思い出すぜ。お前が俺を、雄々しい雄々しい男の子だなんて馬鹿にしやがった日々をなァ!

「ほらぁ、見てみろよイグニスぅ。お前が馬鹿にした非力な俺はもういない。呪いの力だけでこんなことまで出来るようになったんだ」

「……だから、なんだ」

「そんなこともわからないのかぁ、イグニスはぁ。馬鹿だなぁ。お前の頭は空っぽかぁ、イグニスぅ。義賊だぁ? 弱い者の味方だぁ? そんなこと言われたって、所詮は盗人(ぬすっと)だもんなぁ? 人のものを盗るしか脳のない空っぽの泥棒がぁ! 少しはそのない頭を使って自分で考えてみたらどうだ? え? これだけの力を手に入れて、俺が傷を移せるのが近くにいるもののけだけだと思うか? なぁ」

 そう言って俺はイグニスに背を向け、夜闇で塗りつぶされたここからのいい眺めを手で示した。

「カチカチには、お前と(おんな)じように俺を侮辱したムカつく奴らがたくさんいたなぁ……」

 そう言ってから、俺はイグニスを振り返って思わず笑いをこぼす。

「はぁ~」

「アモール……、貴様……」

「やってみろよぉ、イグニスぅ。ほらぁ。ほらぁ!」

 俺はそう叫ぶと足元に残る最後のクナイを拾い上げ、俺のノドをかき切った。

「っ!」

「はぁ……、いい顔だぁ。でも安心しろ。まだ違う。今死んだのは、もう一匹のノブスマさ。でもなぁ、そのノブスマには呪いをかけてたんだ。俺が攻撃を受けることで発動する呪いがなぁ」

「っ?!」

 イグニスが素早く飛び退く。その次の瞬間、巨大な拳が、一瞬前までイグニスがいた大地に打ち下ろされる。

「……ドッ、ドッ、ドコ? カク、レン、ボ?」

「もののけ……?」

 ――カエリオニだ。

 わざと稚拙かつ強力な呪術を組んで、その呪いを死んでしまったノブスマに向け、カエリオニを生み出したんだ。もちろん、俺にかえってこないように対策もしてある。あのカエリオニは、呪うべき相手を見つけるまで無差別に目の前の生物を襲う。

「お前の相手はそいつで十分だ」

「……コイツは殺していいんだな?」

「ぁあ?」

 刹那、イグニスが素早く何本かのクナイを投げた。それらはカエリオニの周囲を囲うように投げられたかと思うと、あっという間に火柱を噴射させ、たちまち炎がカエリオニを呑み込んだ。

「で、次は――?!」

 イグニスが跳ぶ。その脚を掴もうと、大地に伸びた腕が右往左往する。

「俺を馬鹿にしすぎじゃないかぁ、イグニスぅ?」

 燃え盛る炎の中で倒れていたカエリオニが、体のあちらこちらに炎を灯して立ち上がる。

「ドッ、ドッ、ドコ? ドッ、ドッ、ドコォ?」

 うなるような剛腕の追撃をすんででかわしたイグニスは、クナイをカエリオニの心臓めがけて突き出す。パキッと虚しく音を立ててクナイが折れ、イグニスは素早く飛び退き次の一撃をかわした。

「ははは。頑張るねぇ、イグニスぅ」

「チッ……」

「ぁあ?!」

 俺はイグニスの舌打ちに怒りが爆発しかけ、危うく一瞬で呪い殺してしまいそうになった。いけない、いけない。もっと楽しまなくちゃぁなぁ、俺……。

 俺は懐から五本の五寸人参を出し、イグニスがクナイを持つみたいに持ってみた。意外と難しい、くそっ! 練習ではもっと上手く出来たのに。くそっ!

「なぁ、イグニスぅ。見えるかほらぁ。人参だぁ」

「くっ! ……それがどうした!」

 カエリオニの猛攻をかわしながら、イグニスが答える。

「俺も鬼じゃない。だからイグニス。お前にも可能性をくれてやろうと思ってなぁ」

 そう言うと、俺は四本の五寸人参を懐に戻し、換わりに一本の包丁を取り出した。

 そして、包丁を使って人参の皮を剥き始めた。

「ぐっ?! っ……、ぁっ! っっ……!」

 イグニスの表情が突然、苦痛に歪む。

「なぁ、イグニス。俺はこれからこの五本の人参を順に桂剥きしていく。全部剥き切るまでお前が一度も叫び声を上げなければ、俺はお前たちを今日のところは見逃してやろう」

 俺はそう言いながら、まずは一本目の五寸人参の皮をうすーく剥いていく。料理なんてしたことなかったが、元から手先は器用な方だし、ここ数日毎日練習したので、なかなか綺麗に剥けている。

「っぅぅ……! はぁはぁ、ぁぁぁっ……!」

 イグニスが苦しそうだ。

 それもそうだろう。この五本の五寸人参はそれぞれ、イグニスの四肢、そしてちんこと連動している。

 俺がこの五寸人参を桂剥きしていくと、イグニスの腕、そして脚、最後にはちんこがそれぞれの人参そっくりに桂剥きされていくのだ。

 黒装束で肉が剥けていく様が見えないのが残念だが、まあいい。あの表情だけで十分だ。

「どうしたー、イグニスー? ずいぶん辛そうじゃないかぁー。もう、降参するかぁ? 叫んだら、楽に死なせてやるぞぉー?」

「……っ! ……っ、……っ! ……っ!」

「無視すんじゃねぇよぉ!」

 俺は五寸人参を切らないように気をつけて、()を立て傷つける。

「っぁ……!」

「ふっ、ふふふ……」

 俺はゆっくりじっくり五寸人参を桂剥きしていく。

 まだまだ夜は長い。

「せいぜい楽しませてくれよ。雄々しい雄々しいイグニス君」

 俺は草の上に座り込むと、いつの間にか集まってきた漆黒の鳥たちを観客に、楽しい楽しいお料理を楽しんだ。

 

     *

 

 ――翌日。

 カチカチの外れにある丘の上で、一人の男の死体が発見された。

 男は有名な元義賊であり、現在はルクスらと組んでいる黄泉蔵夫のイグニス。

 その死体はむごたらしく、到底口にすることも出来ない有様だった。



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第7話「しん中の毒」

 
【警告】
 この文章には非常にグロテスクな描写、汚い描写があります。

 


「ごちそうさま……」

 朝餉(あさげ)をほとんど残して俺は立ち上がる。

「アモールさん、どうしたんですか? ほとんど食べてないじゃないですか」

「ああ。ちょっと食欲なくてな……」

 吐き気をこらえて外の空気を吸いに行こうとする俺を、クラースが引き止めるように喋り続ける。

「大丈夫ですか?! もしかして何かご病気では?! どうしま」

「大丈夫だ!」

 思わず俺は声を荒げてしまった。

「……ごめん、なさい」

 立ち上がりかけていたのだろうか。衣擦(きぬず)れの音と共にクラースが大人しくなる。

「ちょっと外の空気を吸って来る」

「はい。お気をつけて」

 何事もなかったかのようなクラースの明るい声に見送られて、俺は家を出た。

 俺は人目を避けるように、すぐそばの木々の中へと入っていく。大丈夫、ここまでどこにも人気(ひとけ)はなかった。

「はぁ……」

 俺は倒木の上に腰掛けて、遠く木々の隙間に視線を放る。

 昨日、結局イグニスは一度も悲鳴を上げることなく、両腕を失う前にはカエリオニさえも倒してしまったので、俺は用意していった五寸人参をすべて綺麗に桂剥きすることができた。

 俺は、四肢の肉とちんこを失って何もできなくなったイグニスを約束通り見逃してやったが、あの状態ではもうとっくに死んでいるだろう。

 最初の復讐が終わった――。

 イグニスとは、カチカチのある権力者共と対立した時に出会った。

 そいつらはある時、俺たちの名声を利用して民からの威光を得ようと目論み、俺たちに手を組まないかと持ちかけてきた。だが、ヤツらの悪名を聞いていた俺たちは当然断り、それに腹を立てたヤツらと対立することになったのだ。

 そんな戦いの中で俺たちはたまたまイグニスと共闘することになり、最終的に俺たちは悪名高いヤツらを失脚させることに成功した。

 しかし、その時に素性が晒されてしまったイグニスは、それまでに多くの権力者たちから恨みを買っていたため、カチカチを去ることを余儀なくされたのである。

 そんなイグニスの実力を認めた俺たちは、俺たちの威光で保護する形でイグニスを仲間に迎え入れようとした。

 最初は頑なに拒んでいたイグニスだったが、ルクスとルチアの熱心な勧誘に折れ、最終的には俺たちの仲間になった。

 だというのに……。

 だというのに!

 その恩を忘れて、イグニスは次第に増長していったんだ。俺を露骨に見下すようになった!

 特に近頃は、何かにつけてひ弱な俺のことを「雄々しい(・・・・)雄々しい(・・・・)男の子」などと馬鹿にしやがって!

 だからァ!

 だから、そんなイグニスをいたぶって殺してやったあの時は最っ高な気分だった。

 あいつのことだ。どんな痛みにも耐え抜いて、最後まで悲鳴を上げずに俺の復讐を受けきってくれるだろうと信じていた。

 そして予想通り、イグニスは最後まで悲鳴を上げず、痛みで死ぬことも気を失うこともなく耐え抜いてくれた。

 苦痛に耐えるあいつの表情に俺は胸がすく思いで、あんなに可笑しくて可笑しくて、俺は抱腹絶倒の快感に身をよじりながら、練習に練習を重ねた桂剥きを披露してやった。

 でも。でも……。

 その帰り道、急に興奮が冷めた俺は、突然耐え難い吐き気に襲われたんだ。

 血でぐっしょりと濡れた黒装束に包まれて見えなかったはずの、イグニスの桂剥きにされた四肢とちんこが俺の脳裏に浮かんで、俺は耐えがたい吐き気に襲われた。

 そんなものは。無残に殺された人間の死体なんて、黄泉蔵では日常的に見てきたはずなのに。むごたらしいもののけたちの死体だって、何も感じなくなるほどに見てきたはずなのに。

 俺はなぜだか、イグニスの、その死体を想像すると、言いようのない吐き気に襲われて、途轍もない何か言葉に出来ないものに全身を(さいな)まれるのだ。

「はぁっ! はぁっ!」

 俺は息荒く地面を見下ろし息を吐いた。

 吐き気が止まらない。止まれ。止まれ。

「はぁっ! はぁっ! はあっ!」

 止まれ。止まれ。止まれ。止まれ!

「止まってくれ……。止まってくれぇ……」

 俺は声にならない息のような声を吐き出し、地面に目を走らせた。

「イグニス……。イグニスぅ……!」

 死んでまであいつは俺を苦しめるのか……!

 おのれ。イグニス。イグニスぅ!

「っ!」

 俺は怨念を込めて地面を殴りつける。

 大地は嘘みたいに脆く、まるで豆腐のように砕け散った。

「はぁ……、はぁ……」

 俺は荒い呼吸を落ち着かせる。

「……待っていろぉ、ルクス。次はお前だ。ルクス……。ルクスぅ……!」

 呟きで叫び、俺は立ち上がった。

 俺の胸に渦巻く怨念が、俺の吐き気を嘘のように晴らしてくれる。

 ルクスを殺せば、俺はもう苦しむこともなくなるだろう。

「ふっ……」

 俺は笑いを漏らし立ち上がる。

「ふふっ、ふっ……。ふふふふふふふふ……。ふははははははは」

 

 家に戻るとクラースがお湯を沸かしていた。

「アモールさん、大丈夫ですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」

「よかったです。朝餉はどうしましょう?」

「食うよ」

「はい!」

 元気よく返事をすると、クラースは蠅帳(はえちょう) (*1)から俺が残した食事を出してきた。

「気分がよくなったら、急に腹が減ってきたよ」

「それはよかったです! もう、安心ですね。そうだ! ちょっと待っててくださいね」

 嬉しそうにそう言ったクラースは勝手に戻ると、しばらくして湯気の立ち(のぼ)る湯呑を持って戻って来た。

「おっ、なんだ?」

「これ、私がお腹を壊した時とか、よく(かあ)さまが()れてくれたんです。よかったら」

 そう言ってクラースが俺の前にごとりと置いた湯呑の底を見て、俺は目を丸くした。

「……」

「アモールさん?」

 白い湯気の奥、湯呑の中、ゆらゆらと揺れる赤く崩れたびらびらの皮と舞い散る果肉片。俺は見たこともない光景を瞬く間に想起させられ、思わずその場で胸に蘇ったムカつきをぶちまけた。




*1)蠅除けと通気性を有した食品を補完するための器具。
  恐らく、現代日本では冷蔵庫やサランラップなどが普及しているので廃れたのだろう。


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第8話「胸に残る温度」

「……」

 夜の(とばり)もすっかり下りた夜更け。

 俺は、窓から入ってくる月明りで照らされたクラースの寝顔を見ていた。

「……」

 静かに眠るクラースの目じりは濡れていた。

 いつも笑顔のクラースだが、まだほんの少女だし、両親も留守で本当は寂しいのだろう。大好きなお姉さんも、死んでしまったばかりだし……。

「クラース……」

 俺は彼女の枕元に、摘んできた花を添える。

 昼間は流石に悪いことをしてしまったので、せめてものお詫びにと花を摘んできたのだ。今の俺にはあまり金の余裕がないし、クラースの喜びそうな物がイマイチわからない。

「……」

 俺は急に、クラースが愛おしくて仕方がなくなった。

 もう月経は終わってるんじゃないだろうか?

 まだだったとしても、そもそも接吻(せっぷん)くらいならしても平気だったじゃないか。

「……んん」

「っ!」

 急に寝返りをうったクラースから、俺は離れて様子をうかがう。

 ……よかった。起きてはいないようだ。

 接吻は帰ってからに取っておこう。クラースの照れる表情も見たいし、初めての接吻が寝ている間だなんて、流石に味気ない。

 全部終わらせて、ルチアとの関係も決着をつけてからにしようと俺は決めた。一つ、楽しみが出来た。

「いってくるからな、クラース……」

 俺は起こしてしまわないように優しく囁くと、家を出た。

 今晩で全ての決着がつく。

 そうしたら、その後、俺はどうしようか――。

 

     *

 

 ルクスとルチアと過ごした幼少時代を振り返っていたら、二人の住む西洋館にはすぐに着いた。

「ルクス……。ルチア……!」

 思えば俺はずっと一人だった。幼い頃から体が弱くて顔もかっこよくはないから、みんなに馬鹿にされて相手にして貰えなかった。

 そんな俺と遊んでくれたのは、あの二人だけだった。

 大きくなってからも、俺を黄泉蔵夫に誘ってくれて……。

 最初は、褒めてくれてたじゃないか。そんな二人に並ぶため、俺はあんなに頑張って。呪術なんて趣味が悪いとか陰口たたかれたって、二人が褒めてくれるから。何のとりえもなかった俺の初めてのとりえだったから。嬉しくて、嬉しくて。それで。それで……。

「なぁ――」

 いつから。いつから変わっちまったんだ?

 俺たちはいつから……。

「ふっ」

 なんて、何を感傷的になっているんだろうな、俺は。

 これからルクスを殺すのに。

 俺を事故に見せかけて殺そうとしたばかりか、ルチアまで奪いやがって。

 絶対に、絶対に許さない。

 表じゃいい顔していたが、あいつの俺に対する態度はとっくに冷え切っていた。もう、ずっとだ。

 許さない。許さないぞルクス。許さない。殺してやる。殺してやる。殺してやる。

 ルチアもルチアだ。

 あんなヤツと結婚だなんて。

 なんで。なんでだルチア。

 ルチアが優しいのは、愛情深いのは、知ってるけど……。

 だからって!

 ……思えばあの日、ルチアは俺のことをずっと心配そうに見てたよな。

 優しいから、遠慮しちゃうから、言い出せなかったんだよな? 男二人に、力じゃ勝てないルチアじゃ従うしかなかったんだよな? 怖かったんだよな?

 それはわかるよ。わかるけど。でも。でも……!

「はぁっ! はぁっ!」

 俺は荒くなる息を抑えて、見慣れた、だけど懐かしい西洋館の戸を見据えた。

「待っていろ、ルチア。ルクス……。殺してやる。殺してやるからなルクスゥ!」

 俺は激しく沸騰する囁きで宣誓し、煮えくり返るはらわたを抑えるようにゆっくりと歩き出した。

 

     *

 

 西洋館はしんと静まりかえっていて、警護の者一人いなかった。

 イグニスが惨殺された直後だ。もう少し警戒されていることを予想していた俺は、なんだか拍子抜けだった。

「……」

 あっという間にルクスの部屋の前に着いた俺は、意を決して洋式の戸を開けた。

「ぬぁっ?!」

 突然、暗い部屋の灯りがついて俺は声を上げる。

「待っていたよ、アモール」

 ルクスが部屋の奥、正面にある机の前に立っていた。帯刀している。

「ルクスぅ……」

「まさか君が生きていたとはね。昨晩、イグニスを殺したのは君だね」

 刀に手をかけたルクスが言う。

「ああ、そうだ……。ルクス。次はお前の番だ」

「……そうか。なぁ、アモール。すまなかった」

「は?」

「今さらこんなことを言っても遅いのはわかってる。でも、言わせてくれ。すまなかった……」

 ルクスは本当にすまなさそうにそう言った。刀に手を掛けたまま。その声も表情も名演技だが、白々しいにもほどがある。二枚目の大根役者が!

「何を今さら。そんなこと言われたってもう遅いんだよォ! お前らは俺を殺そうとした! その事実は変わらない! 俺はお前たちを許さない! 絶対に絶対に殺してやる! 今更命乞いをしたって」

「そんなつもりはないよ、アモール」

「ァア?!」

 俺は言葉を遮られ、思わず一念で殺してしまうところだった。危ない危ない。ルクスもイグニスと同じように、苦しませて苦しませて殺してやるのだ。

 俺は気持ちを落ち着ける。だが、ルクスはそれを逆なでする。

「命乞いなんてするつもりはない。ただ、もう少しちゃんと君と向き合っていれば、こんなことにはならなかったのかなって。そう思ってるんだ」

「だからなんだ……?!」

「ほんとうにすまなかった、アモール。これは当然の報いだと思っている。でも! これ以上君の手を罪に染めるわけにはいかない」

 そう言ってルクスは刀を抜いた。

「僕には守るべきものもある! 罪を負ってでも……! だからアモール。君は、ここで僕が()る! 責任をもって。その罪も負って……!」

「はっ、はっ、はっ……。かっこいいなぁ、ルクスくんはぁ。何を言ってもかっこよく見えるよ。流石は勇者、閃光のルクスゥ!」

 皮肉で讃えてやった俺と、ルクスは瞬く間に距離を詰め、その刀を振り下ろした。

 俺はそれを右手で掴み、受け止める。もちろんルクスの刀は俺の手を深く切り裂いたが、傷は次の瞬間、次の瞬間――。

「あああーっ!」

 俺は叫んで手首を抑えた。何故だ! 傷が! 移らない!

 綺麗に裂けた手の平から、どくどくと血があふれ出す。

「イグニスが教えてくれたんだ」

「ァアー?!」

「君の手の内をね」

「なっ、何を言って! イグニスはっ。イグニスは死んだはずじゃ!」

「ああ、君に殺されたよ。でもね。イグニスは犠牲になってまで、僕たちに教えてくれたんだ」

「どっ、どういうことだ!」

 俺は懐から出した包丁で自分の袖を裂き、それで右手を止血する。どう呪っても、傷が移らないのだ。どうなっている!

「鳥だよ」

「鳥ぃ?! ……っ?!」

 俺は気づく。夕べ、桂剥きをしていた時、鳥が集まってきていたことを。

 あれはイグニスの死の臭いを嗅ぎつけ、死肉を狙って寄って来ていたのだとばかり思っていたが。そういえば、あいつは諜報活動に動物を使っていた。特に、鳥!

 俺たちは人を相手に戦うことなんてほぼないから忘れていたが。イグニスは義賊時代から育てていた、いくつかの言葉を覚えて使いこなせる鳥を可愛がっていた。まさかそれで?!

 いや、そこまで鳥に出来るのか? 単にあの戦いの中、なんらかの言伝(ことづて)を作って、鳥に回収させ運ばせたのか? なんにせよ――。

「気づいたみたいだね。そう、鳥を使って君がイグニスをどうやって殺したのか、その手の内を教えてくれたんだ。だから、僕とルチアの部屋にはあらかじめ、呪術を封じる仕掛けが施してある。内々(ないない)に、カチカチ中から腕利きの呪術師たちに集まって貰ったんだ。急だったにもかかわらず、今日の日暮れには間に合わせてくれたよ……」

「イグニスぅ……、ルクスゥ! 貴様らァ!」

 叫ぶ俺の左肩辺りをルクスが斬る。

「うあぁーっ!」

 二の腕から血が溢れる。

「痛いだろ、アモール。イグニスは……、イグニスはもっと痛かったはずだ」

「ルクス。ルクスゥ!」

 俺は壁際を後ずさりルクスから離れようとするが、そんなことではろくに距離が取れない。

 なんでだ? なんでだ? なんで俺がこんな。こんな……。

「アモール。君は少し、他人(ひと)の痛みを知るべきだった……」

「なっ……!」

 何を言ってるんだルクスは。

 ……それは。それは。それは!

「それは俺の言葉(せりふ)だァ!」

 恨みの限り叫んだ瞬間、部屋の灯りが消えた。

「なっ! うぁっ!」

 暗闇の中にルクスの(うめ)きが響く。

「ふっ、ふふふ……」

 俺の手の平から痛みは消え、俺の二の腕から痛みは消え、俺の胸は()いていた。

「鬼才の呪術師、アモール。そう(うた)われたこの俺が。もののけだ鬼だとまで揶揄されたこの俺がぁ。カチカチ最強の呪術師だったこの俺がぁ! お前たちへの憎しみで無敵となったこの俺がァ! 凡才の呪術師共をいくら集めてきたところで、止められるはずないだろぉ? アアー?!」

「アモー……ル……」

 暗闇で見えないルクスを俺は睨み、手をかざした。

「もういい、ルクス。死ね。……うわっ!」

 俺の体に何かが覆いかぶさってきた。

 足元に刀の落ちる音がした。

 ルクスだ。ルクスは暗闇の中、最後の足掻きで俺を殺そうとしていたのだ。

「馬鹿だなぁ。切ったところで自分に返るだけなのに」

 ずるっと床に落ちたルクスの死体を、呪いを込めた足で蹴り飛ばし、俺はルクスが触れた胸を払った。強く、こびりついた汚れを払い落とすように払った。

 でも、ほんの少し触れただけのルクスの体温が消えない。あたたかな、死んだばかりのルクスの体温が、払っても払ってもとれなかった。

「くそっ!」

 俺は足元のルクスを蹴飛ばそうとしたが、そこにはもうルクスの死体はなかった。

 呪いを込めた脚力で蹴り飛ばしたルクスは、もっと遠くへ飛んでいったのだろう。暗くて何も見えない。

 俺が最後に、ルチアに会いに行こうと出口を求めたその時、急に扉が開いて、小さな西洋風行燈(あんどん)の灯りが見えた――。



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第9話「ほうふくぜっとうのこくはく」

 俺が最後に、ルチアに会いに行こうと出口を求めたその時、急に扉が開いて、小さな西洋風行燈の灯りが見えた――。

「ルクス……?」

 ルチアだ!

「ルチア!」

 叫ぶ俺には目もくれず、ルチアは机の前のルクスのもとへ駆け寄った。俺が入ってきた時もそこにいたルクスは、だけどもう息をしていなかった。

「ルクス! ねえ、ルクス!」

 行燈を床に置き、ルチアはルクスの顔に触れた。

「ルチア。ルクスはもう死んでるよ」

「……。お願い、ルクス! 死なないで、ルクス!」

 ルチアが陰陽術とは名ばかりの、西洋から入ってきた(まが)い物の術でルクスを生き返らせようと懸命に祈る。

 でも、無駄だ。確かにルチアなら、止まったばかりの心臓の動きだって蘇生させられる。でも、問答無用の俺の呪いで絶命したルクスはもう、そんなものでは助からない。どうしたって助からないよ、ルチア。優しいルチア。優しすぎるルチア。

「なあ、もう無理だよルチア」

「貴方は黙ってて! ルクス! ルクス! お願い! お願いだから」

「ルチアァ!」

 びくっとルチアが肩を震わせ、俺を見る。

「もういいだろ、ルチア。そんな奴。なあ、ルチア。俺はわかってるよ、ルチア。お前が本当は俺のことを殺したくなかったのを。ルクスとイグニスには逆らえなかったんだろ? だから、安心しろルチア。優しいルチア。ルクスに守ってなんか貰わなくたって、ルチアのことを俺は殺さない」

「アモール……」

 俺の頬がゆるむ。

「ああ、ルチア」

 強張った表情(かお)でルチアが呟く。

「貴方……」

「ああ、ルチア。大丈夫。怖かったよなぁ? でも大丈夫だ。ルチアのことももちろん許せない。一言相談してくれればよかったのにと思う。でも、殺しはしないよ。大丈夫。ルチアの気持ちはちゃんとわかってるから……」

「私の、気持ち……?」

「ああ。ルチア、俺のことが好きだっただろう?」

「……」

 ルチアは何も答えず、ゆっくりと立ち上がった。

 暗い部屋で、灯りを背に足元にして立っているルチアの表情はよく見えない。どんな表情をしているのだろう。

 こんな状況だ。照れていたりはしないかもしれない。でも、それでいいんだ。

 俺を好きなルチアへの復讐は、俺に殺されることじゃない。俺に思いを受け入れて貰えないことだ。

 さあ、ルチア。俺に告白しておくれ。かわいそうなルチア!

「……アモール。……貴方は、やっぱりそう思っていたのね」

「……」

 ルチアが勢いよく息を吐き出すみたいに言った。

「……私は貴方のことが、こわかったの」

「?」

「私は貴方のことがこわかったのよ。気持ちが悪かったの。好きじゃないわ、貴方のこと。もちろん、友達としては愛していたわ。昔はね。ずっと一緒だったから、今だって、好きとか嫌いとか、そんな単純なものじゃない。貴方を、心の底から憎いだなんて割り切れない。でも、それでも、それ以上に、貴方のことが無理なの。駄目なのよ。貴方が」

「……」

 俺はルチアが何を言っているのかよくわからなかった。

 この期に及んで照れてるのか? なあ、ルチア。そんな、そんな、何を言ってるんだルチア。

「貴方が勘違いしているのはわかってた。私も、もっと早くにちゃんと言うべきだったわね。いつしか貴方は私の体にベタベタ触るようになって……。やんわり拒否しても、貴方は私に触れてきたわよね。いつもいつも。本当に気持ちが悪かった」

「……なぁ、ルチア。何を言って。なぁ、そんな嘘は。なぁ、ルチア」

「嘘じゃないわ。やめて。もう、私の名前を呼ばないで。鳥肌が立つのよ。貴方、私だけじゃないわよね。特に、自分より立場の弱い女の子には。ねえ、貴方が思うほど人の好意って単純じゃないのよ? 貴方に微笑みかけるからって、貴方に優しくするからって、貴方に触れられたいと思うわけじゃないの。私は貴方が本当に無理だったのよ。好きとか嫌いとかじゃなくて、もう、生理的に駄目だったの……」

「そんな……。だって……、ルチア……。だって、お前は俺に優しく」

「だからそういうことじゃないって言ってるじゃない! なんでわからないの? ……でもね、そうね。ずっと貴方と一緒にいたのに、そんな私が言えなかったのが、よくなかったのかもしれないわね。

 でも、怖かったのよ。みんなの関係に亀裂が入るのが、怖かったの。黄泉蔵夫として評価されて、これからって時に、そんなことで亀裂が入って、私たちがバラバラになってしまうのが怖かったのよ。悪い評判が立ってしまうことが、怖かったのよ。だから、私一人が我慢すればいい。そう思ってた。

 それに、貴方のことも怖かったの。貴方はすごいわ。カチカチで一番の呪術師だと思う。才能もあって、努力もしていて。一度火がつけばひたすらに頑張るところ、そういうところは尊敬してたのよ? ずっと……。

 でもね。だからこそ。だからこそ、怖かったのよ。貴方のことが。貴方を拒絶したら、何をされるかって。貴方に逆恨みされたら、どうなっちゃうんだろうって。私だけじゃなくて、みんなが。ルクスが、何をされるかと思ったら……。

 ルクスもイグニスも気づいてたわ。でも、私がわがままを言ってこのままにさせてたの。怖かったから。今ある大事な物がみんな貴方に壊されてしまうんじゃないかって、怖かったから。私一人が我慢すれば丸く収まるから。だから、私は大丈夫だからって、頼んだのよ。二人には何もしないでって、頼んでたの。

 イグニスは納得してなかった。雄々しい(・・・・)雄々しい(・・・・)男の子だなんて言って、いつか貴方が気づくんじゃないかと思って怖かったけど。そんな察しの良さがあれば、そもそもこんなことにはなってなかったわね。

 でもね、もう限界だったの。ルクスも、私と同じで、ずっと一緒に育った貴方を、ただ憎むことは出来なかったけど。それでも、貴方を憎んでた。私たち、ずっと関係があったのよ? 気づいてた? 気づくわけないわよね?」

「……ああ。あああ。ルっ、ルチア。ルチア。あっ、あああ。ああ! やめ、やめてくれ。もう……、もう!」

「やめないわ! 知るべきなのよ。もう遅いかもしれないけど、知るべきなのよ。貴方は。そして私も、言うべきだったの。言うべきなのよ。

 ねえ、私とルクスはそういう仲だったの。それで、黄泉蔵夫としても軌道に乗っているし、支えてくれるイグニスもいる。だから、そろそろ結婚したかったのよ。

 でも、そんなことをしたら貴方が逆恨みすることは明白だった。貴方に一度火がついたら、やり切るまで止まらないのはわかってたわ。私たちがみんな殺されるか、貴方を殺すまで、貴方は止まらない。そうなったら、貴方一人の犠牲ではきっと済まなかった。貴方が生きている限り、私たちは幸せを望めなかった。

 もう、どうしようもなかったのよ。ここまで貴方を増長させてしまったのは私たちだわ。もっと早くに向き合っていれば、少なくともこんなことにはならなかった。だから、私たちに。ううん、私に罪がなかったなんて言わない。

 でも、もうそれ以外になかったのよ」

「……」

 俺は、俺は、俺は、俺は、俺は、

「だからあの日、私たちは貴方を事故に見せかけて殺すことにしたの。わざと少ない装備で奥まで入って。――貴方、何も不審に思わなかった? そうよね? 最近の貴方は非力なのを言い訳にして、荷物の一つも持たないし、状況把握だって心配になるくらい人任せで……。――それで、緊迫した状況に乗じて貴方を前線まで走らせたの。

 直接手は、下せなかった。イグニスはやると言ったけど、私たちが止めたの。イグニスなら、もし貴方の死体が発見されても事故に見せかけられるようにとどめをさせたでしょうけど、そうじゃなかった。そういうことじゃなかった。それは、それだけは嫌だったの。

 どうせ罪は変わらないのに。ううん、そんな風に直接手にかけることから逃れようとする方が、もっと罪深いのに。それでも私たちは、嫌だったのよ。それが間違いだったわね。これは、報い、なのかもしれないわ。

 ねえ、知ってる? 呪いって、小さな子供が家に帰るように、呪った人のもとへかえるんですって。本当に、その通りだわ」

「……」

 何も言えない俺のもとにルチアはやってくると、足元に落ちていたルクスの刀を拾った。

「……ルチ、ア?」

「安心して。貴方を殺す気はないから。殺したいくらい、殺したいくらいだけどっ……! 私に貴方を殺すことが出来ないのは、わかってるから……」

 そう言うと、ルチアは俺に背を向けてルクスのもとに戻った。

「待って、くれよ。ルチ、ア……」

「さようなら」

 ルチアはそう言うと、床に寝ているルクスの横に膝をついた。

「ルクス、愛してるわ」

 そう言ってルチアはルクスを抱きしめ、その唇に唇を重ねた後、刀で自分のノドを突いた。

「……ルチアぁ!」

 しばらく呆然としていた俺は、叫びと共に再び動き出してルチアに駆け寄る。

「ルチア! ルチアぁ!」

 その肩を掴み、振り向かせ、激しく揺さぶる。

 まだあたたかいルチアの頭が力なく、激しく揺れる。

「ルチアぁ! ルチアぁ! 死なないでくれ! ルチア! ルチアぁ! なぁ、死なないでくれよぉ! ルチアぁ! ルチアぁ!」

 俺は泣きじゃくりながらルチアを揺さぶったが、ルチアは起きなかった。

 俺は、はっとなって呪いでルチアの傷をルクスに移そうとしたが、その傷は移動しない。

「なんでだ! なんでだよぉ!」

 叫んだ俺は、はっと気づく。ルチアが何か呪いを無効にする物を身に着けているのかもしれない。衣服を脱がそうかと思ったが、そんな間も惜しいので俺は強く呪った。ルチアをこんな目に合わせた全てを、ルチアへの呪術を阻む全てを強く呪った。

 ルチアの首の傷が、ルクスに移る。

「ルチアっ!」

 それでも、ルチアの止まった息は吹き返さなかった。

「ルチアぁ! なんでだよぉ! ルチアぁ!」

 ――どれほど泣き叫んだだろうか。

 俺はふと、我に返った。

 薄暗い部屋で、俺は座り込んだまま、静かに声をならべていった。

「ルチアも、俺を殺そうとした……。だから、俺はルチアも殺した。自分から死ぬように、追い詰めたんだ。そうだ、これは復讐だ。ははっ……はっ……はっ……」

 俺の淡々とした声が聞こえる。

 俺は、笑っている。

 そうだ、笑っている。

 笑っている、は、可笑しいんだ。

 俺は、可笑しい。

「ははっ、はっ、はっ。ははっ、ははははっ。はははははっ。はははははははは! ははははははははは! ははははははははは!」

 おれはなにがおかしいのかよくわからないけれど、わらいころげてゆかをころげまわってわらっていた。

「ははははははははは! ははははははははは! ははははははははは!」

 ほうふくぜっとう、おれはおかしかった!



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第10話「    」

 家に帰ると、まだ日は昇っていないというのにクラースが起きていた。

「アモールさん。なんだか眠れな……」

 振り向いたクラースが、血相を変えて駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか! その血!」

「ああ、呪いで移したから、俺にもう怪我はないよ」

 それに、後から西洋館に攻め込んできた奴らも、道中で会った奴らも全員呪い殺した。ここに追手が来ることはないだろう。いや、なんだったら見つかったって、呪い殺せるし傷も相手に移る。俺は無敵だから大丈夫だ。

「そう、ですか……」

「ああ。それより」

「あの!」

 俺の言葉を遮って、クラースが言う。本当に、クラースは人の話を聞かないところがある。まあ、そういうところも可愛いんだけど。

「なんだ、クラース」

「あの……。変なこと、言ってもいいですか? 違ったら、笑ってくださって構わないので。趣味の悪い、つまらない冗談だなって」

 俺の返事を待たずに、クラースは続きを言う。

「昨日、イグニスさんが、殺されましたよね……。あれ、アモールさんがやったんじゃないんですか? 昨日も、夜遅くにどこかへ行ってらっしゃったし……。それに昨日、あれ? 昨日? どっちも昨日? まあいいや。とにかく、昨日のアモールさん、なんだか様子が変でしたし……」

「クラース……」

 クラースは俺の目を見て、悲しそうに、だけど笑った。

「言いましたよね? 私は、アモールさんの贔屓筋だって。だから、私はアモールさんの味方です。たとえ、何があっても、私はアモールさんの味方ですから。だから、本当のことを教えてください。私にだけは、本当のことを……」

 クラースは無理に笑顔を作ってるけど、もう泣き出しそうだった。

 だから俺は、言ってやった。

「ああ、そうだ。クラース。俺は昨晩、イグニスを殺した。そして今日も、ルクスとルチアに復讐したんだ。ルチアはもういない。昔の女はもう死んだ。俺が殺したんだ。あいつら、俺を裏切って殺そうとしたから。事故に見せかけて、黄泉蔵で殺されかけたんだ俺は。だから、俺は三人を殺した。俺は復讐のために、あいつらを殺したんだ……。俺は、俺は……」

 俺は膝をついた。

「はぁっ! はぁっ!」

「アモールさん?!」

 嫌だ、嫌だ。何か思い出したくないものが。

 いや、わかってるんだ。俺は、俺は!

 俺は、嫌だ、俺は、俺は、違う、俺は、俺は、俺は、

「アモールさん!」

 俺の前にしゃがみこんだクラースの声が、俺を呼び戻す。

 顔を上げた俺に、クラースは優しく、力強く言った。

「アモールさん。やり直せますよ、アモールさんなら。アモールさんはすごい人だし、カチカチではもう暮らせないかもしれないけど。どこか遠くへ行けば。誰もアモールさんを知らない、どこか遠くの国へ行けば、そこで暮らしていけますよ」

「でも。いや、俺は」

 言葉が上手く出てこない俺に、クラースは優しく切なげに微笑んだ。

「アモールさん。私も、なんです」

「?」

「私も、人を殺したんです」

「……」

 クラース?

「覚えてますか? 私がアモールさんと初めて会った時のこと。アモールさんに助けて貰った時、私を騙してたおじさんたちが死んでないかなんて聞いたのを。アモールさんは、私がいい子だって、思ってくれました? でも、ごめんなさい。違うんです。私、悪い子なんです。私、お姉ちゃんも。ソールィエンスも。ソールィエンスのことも、殺しちゃったから……」

 ぽつり、ぽつりと、クラースは涙をこぼし始めた。

「だから。だから、もう嫌だったんです。私のせいで、誰かが死ぬのは。もう、嫌だったんです。だから、あんなこと聞いたんですよ?」

「クラース……」

 クラースの瞳が、涙でゆらゆらと揺れているようだった。

「アモールさんは、覚えてますか? お姉ちゃんの話。私、あの日。お姉ちゃんが黄泉蔵に行ったっきり帰ってこなかったあの日。お姉ちゃんに渡した手ぬぐいに、呪いをかけてたんです」

「……」

 俺は予想外の言葉に、あっけに取られてクラースから目をそらせない。

「お姉ちゃんは、なんでも持ってました。頭もよくて、男の子にだって喧嘩で負けないくらい強くって、そんな才能があるのに努力家で、なのにそれを鼻にかけないし、誰にでも優しくて、いつも笑顔で、おまけにとっても美人。黄泉蔵夫としてもすっごく強くって。朝焼けのアウローラって、アモールさんも聞いたことありませんか?」

「朝焼けの、アウローラ……」

 確かに、聞いたことがある。まさかそのアウローラだとは思わなかったが、そういえばしばらく前に行方不明になっていたと思う。黄泉蔵夫は危険な仕事だから、有名な者でも比較的にすぐ死ぬ。だから、そんなによく覚えていなかったが……。

「だから、私。お姉ちゃんに嫉妬してたんです。もちろん、本当に大好きでしたよ?! でも、お姉ちゃんのことは本当に大好きだったけど、だけど、嫉妬してたんです。

 だからですかね? 私がアモールさんに憧れてたのは。人気はルクスさんとかルチアさんたちには劣るけど。それでも、心無い人たちに陰口を言われても、ひたすらに自分の道を突き進むアモールさんが。努力家で、前線に立ち続けるアモールさんが、私の希望だったのかもしれません。

 みんなからすごいすごいって言われるお姉ちゃんのすぐ側で、何をやってもお姉ちゃんと比べられて、あまり褒めて貰えないことの多かった、そんな私と重ね合わせてたのかもしれませんね」

「クラース……」

「なんて、失礼ですね! ごめんなさい! アモールさんは本当にすごい人です! 私なんかと違って、本当にすごい人……。

 でも。そう、だから。アモールさんのご本にあった呪いを、試してみたんです。ほんのいじわるのつもりだったんです。ちょっと、いじわるするつもりで。殺してしまうつもりなんて、殺してしまうつもりなんてなかったんです……」

 俺は、クラースを襲っていたカエリオニの言葉を思い出す。

――モッテルデショ? オネエチャン。イッパイ、イッパイ――

 あれは、クラースの思いだったんだ。クラースの呪いだったんだ。

 でも、じゃあ違う。

 確かにあんな強力なカエリオニになったってことは、元になる呪いも強かったはずだ。素人のクラースのことだ。よくわからずに俺の本にある呪いを試して、運悪くあんなことになってしまったんだろう。呪いが成就していれば、お姉ちゃんが死んでいた可能性はあったと思う。

 でも、呪いがカエリオニになっていたってことは、呪いは成就していないのだ。つまり、恐らくクラースはお姉ちゃんを殺していない。

「なあ、クラース」

 お前はお姉ちゃんを殺してなんかいない。そう言おうとした俺の言葉を、だけどクラースは聞いてくれなかった。

 涙をこぼしながら、クラースは言ったんだ。

「でも、だってお姉ちゃん。なんでも持ってるのに。それなのに。ソールィエンスまで。ソールィエンスまで、お姉ちゃんのものになっちゃいそうだったから……」

「えっ?」

「私、ソールィエンスのことが好きだったんです。幼馴染のソールィエンスのことが、ずっとずっと好きだったんです。そのソールィエンスまでお姉ちゃんのものになっちゃいそうだったから。かっこ悪いとこ見られちゃえって。ちょっと、いじわるのつもりで。ほんのいたずらのつもりで。だから、だから、あんなことを……」

――ウバワ、ナイデヨ。オネエ、チャン――

 俺の頭に、カエリオニの言葉が蘇る。

「ク、クラース?」

「そんなこと言ったって、もう、私がしたことは変わりませんね。私の罪は、変わらない……」

 クラースはそう言って鼻をすすりながら、手で涙を拭った。

「私も、罪を負っています。私のこの手は汚れています。私は、人殺しです。大事な人の命を奪った、人殺しなんです。でも、私はこの罪を背負って生きていくから。だから、アモールさんも。アモールさんも、やり直せますよ。きっと、どこかで」

「クラース……。クラースは……?」

「私は、誰にも言いませんよ。アモールさんのこと。聞かれても、知らないって言います。夜が明け切らない内に、逃げてください。どこか遠くに行けば、アモールさんならきっと上手くやっていけるはずです。父さまも母さまも、明日か明後日くらいには帰って来てしまうと思うので……。私は、ここで、祈ってますね」

「そうじゃなくて。なあ、クラース。クラース」

 俺は勢いよくクラースの肩を掴んだ。

「ひゃっ!」

「なあ、クラース。そんな顔しないでくれよ。なあ、クラース! なんで顔を背けるんだよ!」

「ごめんなさい、アモールさん……。私は、アモールさんのことが大好きです。今までも、これからも贔屓筋です。ずっと、ずっと。それは、変わりません。ずっと応援してます。アモールさんの味方です。でも、でも違うんですアモールさん。私が男の人として好きなのは、ソールィエンスだけなんです!」

「クラース……」

 ずるっと、俺の手がクラースの肩から落ちる。

「アモールさん……。ごめんなさい……。でも、アモールさんなら。アモールさんなら、きっとどこかで私よりも、ルチアさんよりももっと素敵な方と、巡り合えますよ」

「……」

「アモールさんなら、アモールさんならきっとやり直せます。だから、ね? アモールさん」

 ――俺は、泣いていた。

「ごめんな、クラース」

 俺は泣きながらクラースを見た。

「ごめんなぁクラースぅ」

 返事をしないクラースを見つめて、俺は泣きじゃくった。

「でも。でも俺、許せなかったんだ」

 床で返事をしなくなったクラースに、俺は泣きながら謝った。

「許せなかったんだよぉ、クラースぅ。もう、許せなかったんだよぉ。俺、俺、もう許せなかったんだよぉ。ごめんなぁ。ごめんなぁ。なあ、許してくれよ。許してくれよクラースぅ」

 俺は呪い殺してしまった床のクラースに泣きながら謝り続けた。目を開いたままのクラースに泣きながら許しを()い続けた。

「でも、でも、だって、お前まで、お前まで俺のこと好きじゃないって言うから。好きだって言ったのに、笑いかけてくれたのに、優しくしてくれたのに、なのに、なのにぃ! 俺のこと、違うって。好きじゃないって言うからぁ! だからぁ! ああー!」

 もう、もう嫌なんだよ。怖いんだよ。許せなかったんだよ。そんなの、そんなの。

 ルチアだけじゃなくて、お前もだなんて! クラースもだなんて!

 だって、だって、だって、だって! もう! もう! もう! もおぉ!

 俺は、いつからだったんだよ。いつからお前たちは、俺のこと。俺のこと。

「ああ、あああああああああー!」

 幼馴染だった。なぁ。

 優しくしてくれたじゃないか。ルチアもルクスも。

 いつからだよ。いつからだよ。

 俺のこと。俺のこと、いつからそんな風に……!

 なあ。だって、誘ってくれたじゃないか。一緒に黄泉蔵夫をやろうって。

 なあ、褒めてくれたよな? 嬉しくて、嬉しくて……。

 誰も褒めてくれないから。でも、俺は、呪術は才能あるってわかってた。

 だから、頑張ったら、二人だけは。なあ?!

 いつから、いつからそんな風に思ってたんだよ? なあ!

 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、いつからだよぉ!!!!!

 俺は、俺は!

「ああー!!!!!!!!!!」

 俺は叫んだ。叫んで、後はもうよく覚えていない。

 森の中で、人目を避けるためだろう。

 森の中で涙を枯らして、ぼーっと倒木の上に座り込んでいた。

「なぁ……」

 俺が悪いのかよ?

 なぁ? 俺が悪いって言うのかよ?

 なぁ?! そうだろうなぁ! 俺が、俺が悪いんだよなぁ?!

 勝手に勘違いして、思い上がって、なぁ? なぁ?! 俺が悪いんだよなぁ?!

 そう言いたいんだろ?! 俺が、俺が俺が悪いんだって! そう言いたいんだろお前たちは! お前たちはそう言いたいんだろ! なぁ! なぁァァ!

 でも! でもじゃあ、じゃあ! 俺はどうしたらよかったんだよぉ!

 俺は、いつから……。なぁ、いつから! いつから、どうしたらよかったんだよぉ……。

 なぁ……。なぁ? なぁ?! なァ?!

「……はっ」

 俺は立ち上がると、うっすら白み始めた空の下、黄泉蔵に向かって歩き出した。

 黄泉蔵の奥深くに潜ろう。誰にも合わないで済むような、黄泉蔵の奥深くに。もう、誰も殺さなくて済むように。黄泉蔵の奥深くに。

 もう、いいさ。どうしたらよかったなんて、もういいさ。

 だってそんなこと。今さら聞いたって、

もう遅い。




 



















 読んで下さった方、ありがとうございます。
 不快にしてしまった方、申し訳ございません。

 誰もが誰かを傷つけて生きているように見えるこの絶望的な世界で、本当の本当に「もう遅い」人の方がきっと少ないんじゃないかという根拠のない理想を胸に、この物語を形にし、世界の片隅で公開させて頂きました。

 改めまして――。
 読んで下さった方、ありがとうございます。
 不快にしてしまった方、申し訳ございません。
 全ての皆様の人生が、幸せなものでありますように。





二〇二一年 一月一六日  着想
二〇二一年 三月一三日  脱稿
二〇二一年 三月二一日  最終加筆修正


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サブタイトルの解説
「報復絶倒」と「クラース」の解説


 

【ネタバレ】

 

※【結末】に関する【重大なネタバレ】が含まれています。

 私としましては、興味を持って頂けたのであれば、先に本編をお読み頂けると甚だうれしく思います。

 

 

 プロローグのサブタイトル「報復絶倒」。

 これが第一話のサブタイトルにも見られる四字熟語「抱腹絶倒」をもじったものであるということは、きっとおわかり頂けているのではないかと思います。

 

 しかし、このサブタイトル。

 あのプロローグの内容とは、少しズレているように感じなかったでしょうか?

 

 

 タイトルやあらすじから考えれば、「報復絶倒」はアモールの「“報復”して“絶”対に“倒”す」という決意を示していると考えるのが自然でしょう。

 しかし、あのプロローグはアモールが仲間から攻撃を受け倒れるところで終わってしまいます。

 復讐を誓うのは続く第1話「抱腹絶倒の目覚め」の最後。

 そう考えると、プロローグの内容とはズレているように思えませんか?

 

 もちろん、物語全体の内容や結末を暗示したサブタイトルをプロローグに冠するというのはありだと思いますし、実際にそういう意味を込めたという部分もあります。

 しかし、プロローグ自体の内容とズレてしまっているサブタイトルは、ちょっとサブタイトルとして残念だとは思いませんか。

 実はこの「報復絶倒」には、もう一つの意味があるのです。

 

 

 それは、第9話「ほうふくぜっとうのこくはく」まで読んで下さった方ならおわかり頂けるのではないでしょうか。

 

 プロローグまでしか読んでいないと、冒頭は“不当な評価の果てにアモールが殺されかけた”という「追放もののテンプレ」展開のように見えますが。

 第9話まで読むと、実はあのプロローグは“アモールによって苦しめられた仲間たちによる報復”のシーンだったことがわかります。

 

 プロローグのサブタイトルである「報復絶倒」は、仲間たちによって「“報復”を受け“絶”対絶命の状態で“倒”れた」アモールを示していたのです。

 

 そう考えると、アモールが倒れたところで終わるプロローグの内容を直接的に表したサブタイトルになるのではないでしょうか?

 

 あのサブタイトルは、真実を知ることでその真の意味が明らかになるサブタイトルだったのです。

 

 

 さらに、もう一つ解説を――。

 

 第1話の後で私が、「抱腹絶倒の目覚め」って「絶倒(倒れてる)」なのに「目覚め(起きてる)」なのめっちゃ面白くないですか(笑)?! などと言っていましたが。

 

 続く第2話「目覚めたならクラース」でアモールが出会う少女、クラース。

 彼女の名前の由来はラテン語で「明日」を意味する「cras」です。

 

 目覚めたなら明日――。

 というわけで、復讐心で目覚め起き上がり歩み出したアモールはクラースと出会い、彼女に希望を抱き、絶望し、最後にはクラースを自らの手で終わらせて、夜明けを目前にして黄泉蔵の奥深くに潜っていきます。

 なんとも暗示的ではないでしょうか……。

 

 単に『Tomorrow』という曲をイメージして「クラース」が登場する物語を選んだだけだったのに、まさかそんなことになるとは……。

 書いた自分でもびっくりです。

 

 執筆後、久しぶりに聴いてみた『Tomorrow』は、英語版も日本語版も、作中のクラースと重なる歌詞で、明るい曲の雰囲気が、より本作の悲しさを強めました。

 おすすめの曲なので、よかったら聴いてみて下さい。

 

 有名な曲ですが、本作と重ねて聴くと、また違った味わいがあるはずです。

 

 

 

 

【YouTubeより】

 

映画『ANNIE/アニー』楽曲クリップ“Tomorrow”

https://www.youtube.com/watch?v=qNl6fYHqDpw

 



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「子鳥は巣にかえる」の解説

 

【ネタバレ】

 

※【結末】に関する【重大なネタバレ】が含まれています。

 私としましては、興味を持って頂けたのであれば、先に本編をお読み頂けると甚だうれしく思います。

 

 

 

 第4話のサブタイトル「子鳥は巣にかえる」は、「Curses, like chickens, come home to roost.」という海外のことわざが元ネタです。

 

 これは「呪いはひな鳥のように巣にかえる」という意味で、日本の「人を呪わば穴二つ」に相当することわざだそうです。

 

 つまり、直接的には「呪いは自分にかえってくるよ」という意味であり、もっと言うならば「人を傷つけたら自分も痛い目にあうよ」というような意味のことわざですね。

 

 

 第4話は少女クラースが主人公と共に黄泉蔵(ダンジョン)から帰る道中のエピソードなので、まずは単純に、まだ幼さの残る少女クラースを子どもの鳥(小い鳥を指す一般的な言葉の小鳥ではなく「子鳥」)に例えたものになっています。

 これが前述のことわざの「ひな鳥が巣にかえる」に対応しています。

 ――「chicken」にはもともと「小娘」や「未熟な者」という意味もある。

 

 ここで質問です。

 「クラース」はラテン語で「明日」を意味する「cras」が由来なのですが、この単語と前述のことわざに出てくる「curses(呪い、単数形はcurse)」という単語は似ていると思いませんか?

 単数形の発音は「カーズ」ですが、綴りも響きも近いので、実はこのサブタイトル「crasがかえる」と「curseがかえる」を掛けた、ちょっとした言葉遊びにもなっているんです。

 

 また、このエピソードのメインは、術者にかえる呪いがもののけとなった“カエリオニ”との戦闘シーンです。この“カエリオニ”という存在は、まさに前述のことわざの具現ですね。

 かえる呪いがカエリオニになる原因の一つは、呪いが「未熟」であることですし。

 これらを暗に示したサブタイトルにもなっています。

 

 

 そして、ここからは【物語の結末にかかわるネタバレ】ですが――。

 

 いくつかの伏線を経て、第10話「もう遅い」ではクラースが近所のお姉ちゃんを呪っていたことが発覚しますね。これにより、第4話で彼女を襲ったカエリオニは彼女自身の呪いによって生じたものであることが示唆されます。

 

 そう解釈するとこれは、「子鳥が家にかえるように、家にかえる少女クラース(cras)自信に呪い(curse)がかえる」というエピソードを示したサブタイトルになるわけです。

 

 

 色色と詰め込んでみたサブタイトルだったのですが、いかがだったでしょうか?

 私自身も楽しみながら決めたサブタイトルを、みなさんにも楽しんで頂けていたなら幸いです。



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「しん中の毒」の解説

 

【警告】

 

※第7話で申し訳程度の配慮によりあえてぼかしたものについて明言しますのでご注意下さい

 

 

 

 第7話のサブタイトル「しん中の毒」は、最初の「しん」が平仮名になっていますね。

 実はこの「しん」。変換の誤りではなく、ちょっと苦しい掛詞でした。

 

 

 まずこのサブタイトル、普通に読もうとすれば「心中」と読んで頂けるんじゃないかと思います。

 「心中の毒」、すなわち復讐に染まったアモールの心中の毒を現しています。

 これは、復讐心そのものもそうですが、復讐に生きるアモールに嘔気を起こさせていた感情もまた、復讐に毒された彼を苦しめる毒に他ならないでしょう。

 この「心の中の毒」を直接的に表したのが第7話のサブタイトルでした。

 

 次の読み方に触れる前に、第7話の最後にアモールの嘔気を呼び戻した食品について触れたいと思います。

 ※一応、本編では申し訳程度の配慮もあってぼかしたのですが、ここでは明言しますのでご注意下さい。

 ずばりそれは、第5話でも名前の出てくる、日本では古くから馴染みのあるあの食べ物。梅干しです。

 その種の中身である「(じん)」には、青酸という人体に有害な成分が含まれているそうです。

 ――成熟すると減少し、一般的な加工の過程で分解されるので、流通している梅干しなどの場合は致死量どころか中毒症状が出るほどにすら含まれていないらしいですが。

 

 というわけで、二つ目の読み方は「仁中」。

 「仁中の毒」というサブタイトルで、本文ではぼかした食べ物を暗に示していたのです。

 実際、その食べ物が、アモールにとって有害なもの「毒」になるわけですし。

 

 さらに、「仁」は儒教などの思想において美徳の一つとされています。

 「仁義」という言葉なら、聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。

 この「仁」とは簡単にいうと、「真心」や「慈愛」、すなわち「思いやり」を示します。

 

 第5話の冒頭でクラースは、アモールを心配して声を掛けますが、嘔気をこらえて外の空気を吸いたかったアモールにはありがた迷惑でした。

 そして、最後にアモールを思いやって出した梅干し湯もまた、アモールの嘔気を呼び戻しこらえられなくさせてしまいました。

 つまり、「仁中の毒」とは、「思いやり」すなわち「仁」が、「迷惑」すなわち「毒」になっているという第7話のクラースの行いを表しているのです。

 

 さらには、アモールを苦しめていた「心中の毒」。

 あれも、彼の中に残る「仁」だったのかもしれません……。

 

 ――というわけで、「しん(じん)」には二つの読みがあったのです。

 

 

 ちょっと苦しい掛詞でしたね……。

 まあ、第5話はアモールが苦しむ回でしたし、クラースも思いやりが裏目に出て苦しかったでしょうから。

 そこも引っ掛けているということで、ここは一つ……(笑)。

 

 書いて公開しておいてこんなことを申し上げるのもなんですが……。

 苦しい掛詞を身代わりにして、陰惨な物語を読んで下さった読者様の苦しみが少しでも軽くなりますようにと、自分ごと呪っておこうと思います。

 

 皆様が幸せでありますように――。



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