この素晴らしい魔王に祝福を! (春野 曙)
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あぁ、魔王さま2068
この碌でもない世界に王様を!


「ここは……?」

 

 ふと気がつくと、常磐(ときわ)ソウゴは灰色の空間にいた。見慣れない空間に、向かい合って配置された二脚の木製の椅子と間に挟まれたテーブル。その片方に座る彼は、冷静に頭の中を整理する。

 

 数々の闘い、継承してきた歴史の重み、かけがえのない友たちの死、自身が開花させた“魔王”の力……。

 

「そうだ。俺はスウォルツを倒して、世界を再構築して――」

 

「――そして、俺がここに連れてきた」

 

 気がつくと目の前にはよく知った男が座っていた。黒のジャケットから覗く赤いシャツ。首から下げた二眼レフで目を開くソウゴをパシャリと写した男は、足を組み意地悪く微笑んだ。

 

門矢(かどや)(つかさ)……」

 

「よう、ソウゴ。世界から追い出された気分はどうだ?」

 

「ここ、どこ?」

 

「死者の世界って言ったら信じるか?」

 

「…………」

 

「安心しろ。お前は生きてる。まだな」

 

 押し黙るソウゴにおどけるような言葉を足した男――士は、簡素な椅子が玉座に錯覚してしまうほどの大層な頬杖をつき、余った左の手のひらをソウゴへと差し出す。するとその手のひらの上にバスケットボールほどの大きさの地球がぼんやりと浮かび上がった。

 

「結論を言えば、お前は役割を果たした。スウォルツを倒すことで全てのアナザーライダーの世界(偽りの歴史)を破壊し、アルピナ……いや、ツクヨミを軸とした世界の融合を解いたんだ。紛れもなく、お前が世界を救った」

 

 士は手のひらに乗せた地球をグッと握る。すると地球は簡単に砕け、その破片から無数の地球が生み出された。破壊と創造、その二つが無事済んだことを理解したソウゴは肩の力が抜けたのか安堵の息を漏らす。

 だが、と士は静かに話を聞くソウゴに続ける。

 

「お前の再構築した新しい〈仮面ライダージオウの世界〉にオーマジオウとして開花したお前がいては意味がない。時が経てばツクヨミも、あの世界のソウゴもライダーとしての力を取り戻すだろう。これは絶対だ。そうなれば同じことの繰り返し。だからお前が新しいソウゴと同化する前にここに連れてきた」

 

「つまり、その世界にはもう俺の居場所はないってことか」

 

「そういうことだな。お前はお前のいるべき世界を生贄に新たな世界を創造した。もっとも、あの世界の生命は全て滅んでいたから大事に残しておいても俺が破壊していたが」

 

 そんな風に嘯いた士は懐から三枚の真っ白なカードを取り出す。それをまるでババ抜きをするように握った士は何事か思案するように指を迷わせていた。

 

「かと言って、お前をこのまま放置するわけにもいかない。世界を救った英雄に隠居生活はまだ早いだろう」

 

 こういうのは本当は女神の役割なんだがな、と前置きをした士は、その中のカードの一枚を抜き取りテーブルの上に置く。

 

「本来、選択肢は三つだ。しかしお前にはやってもらいたいことがある」

 

 残りのカードを放り投げ、オープンされたその〈異世界への移住〉と書かれたカードをトントンと指で突いた士はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「この素晴らしい世界を良くするために、最高最善の魔王になる気はないか?」

 

 

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 

 

「へぇー! ここが異世界かー!」

 

 石畳とレンガの街並み。映画で見る昔の外国のような馬車に、日本人離れした人種と見たことのない文字に目をキラキラと輝かせるソウゴは異世界の地に降り立っていた。

 士の提案に疑問も持たず二つ返事で首を縦に振ったソウゴは、簡易的な説明を受けていた。

 この世界は現在、魔王軍によって人々の生活が脅かされているらしい。その脅威に人々は怯え、この世界で転生するはずの魂は皆それを拒否し人類は衰退の一途を辿っているのだとか。そして魂の均衡が崩れてしまったことと、歴史の再改変の影響で流入してしまったある物の回収の任。それが士の言う「やってもらいたいこと」だが、この件に関しては多少なりともソウゴは責任を感じていた。

 

「早いとこ見つけなきゃな、クォーツァーのライドウォッチ」

 

 一通り見て回り、すれ違う者人種を問わず挨拶と握手を繰り返したソウゴはある程度満喫したのか市役所のような大きな建物の前、噴水の段差に腰を掛けた。

 この剣と魔法のファンタジー世界でのソウゴの役割。それは魔王を打倒し人類の衰退を止めること。そして平行世界のソウゴが倒した歴史の管理者(クォーツァー)の使用していたライドウォッチの回収。異物のせいでもっと世界がごちゃついているかと思っていたが、見る限りではそうはなっていないようで少し安心した。

 のどかな雰囲気と穏やかな民衆。ソウゴの前を理解不能な言語で談笑しながら通っていくのは、絵本の中にいるようなローブを着込んだ魔女や大きな剣を背負う屈強な男たち。少し前にテレビで見た辺境でのスローライフとはこういう街のことなんだろうと思えるほどに、魔王の脅威もライドウォッチの影響も欠片も感じることはない。

 そんなことを考えているときだった。

 

 

「こぉんの駄女神がーーーーーっっ!!!!!」

 

 

 街に響き渡る怒声にビクリと肩が跳ねた。周りの人間はまたか、という呆れ顔を浮かべて日常に戻っていく。そんなことは露知らず、ソウゴが慌てて声の主を探していると、目の前の大きな建物から少女が飛び出してくるのが見えた。

 青い服に天女のような羽衣を纏う青髪の少女。彼女は頭を押さえながら涙目で一直線にこちらに駆けてくる。目が合うと、彼女は到底人に見せられないような涙や鼻水まみれの顔でこちらに救いを求めてきた。

 

「だしゅけでぇ〜〜!! カジュマさんに殺しゃれるぅ〜〜!!!」

 

 えらく物騒な物言いにギョッとするソウゴ。まさかこんな平和そのものの街のど真ん中でそんな物騒な単語を聞く羽目になるとは思わず慌てて立ち上がり身構える。魔王軍関係かと少女を後ろに庇うと、建物からおそらく件の“カジュマさん”と思われる短い緑のマントを羽織る少年が鬼のような形相で現れた。

 

「おいコラこのアル中穀潰し!! 人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇ!!」

 

「誰がアル中穀潰しよ、ヘタレ童貞ヒキニート!!」

 

「誰がヘタレヒキニートだ貧乏神!! 人の報酬から勝手にツケ分払うなって何度言えばわかるんだよ! デュラハンのせいで受けれるクエストだって限られてるのに生活できなくなるんだぞ!」

 

「私の取り分だけじゃ払えなかったんだから仕方ないじゃない! そんなに文句言うならカズマがもっと稼げるクエスト受注させてくれればいいのよ!!」

 

「余計なことするアークプリーストと、一発屋のアークウィザードと、硬いだけのクルセイダーでどうやって高難易度クエストこなせって言うんだよバカかお前!?」

 

「バカ!? この私に向かってバカって言った!? この高貴な水の女神アクア様に向かってバカって言ったの!? 謝って! バカって言ったこと謝って!」

 

「バカにバカって言っただけだろ誰が謝るかバカ!」

 

「またバカって言った! 何回も言った! 信じらんない! あんたが次に怪我してもヒールかけてあげないんだから!」

 

「上等だこの野郎! その辺のプリーストからヒール教えてもらって独立してやる!! よかったなアクア。これからは報酬は三等分だ。めぐみんやダクネスに迷惑かけずに魔王討伐頑張れよ!!」

 

「嘘です嘘です神様仏様カズマ様! お願いだから私のアイデンティティを奪わないで! サポートするからもっと優しくして! 崇めて! 甘やかして!」

 

「借金作ることだけが特技の飲んだくれのことを甘やかすやつなんていねぇよ!!」

 

 ギャイギャイと言い合いを繰り返す二人には、どうやら挟まれているソウゴは目に入ってないようだ。どんどんとヒートアップしていく口論の中、さっさと立ち去ってしまいたいが青髪のアクアと名乗った少女にガッチリと服を掴まれているため動くに動けない。先程から流暢に罵倒する少年、カズマもこの様子では自分のことなど眼中にないだろう。どうしたものかと悩んでいると、二人の出てきた建物から救いの手が差し伸べられた。

 

「おいカズマ、アクア。二人ともその辺りにしないか。罵倒なら後でいくらでも私に向けてくれて構わないから」

 

「怒ったところでアクアが支払ってしまったお金は帰ってきませんよカズマ。またコツコツ稼げばよいではありませんか」

 

 鎧に身を包む呆れ顔のポニーテールの仲裁に、大きな帽子に身の丈以上の杖を持つ眼帯魔女っ子が同意する。するとお互い怒りが頂点に達していたのか、二人は仲良く揃ってツバを飛ばした。

 

「だってこのクソビッチが!!」

「だってこのクソニートが!!」

 

「わかったわかった。とりあえず、その間に挟んだ彼を解放してやれ」

 

 鎧少女の言葉に、二人は顔を見合わせゆっくりと顔を上げる。二人と目があったソウゴは、にこやかな笑みを浮かべて会釈した。

 

 

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 

 

「いやー、さっきは巻き込んじまって悪かったな。お詫びと言っちゃなんだけど、何でも奢るよ。好きなの頼んでくれ」

 

「いやいや、見てて面白かったしいいよ。……この、ジャイアントトードって何?」

 

 我に返った二人から丁重な謝罪とともに食事に招待されたソウゴは、四人の出てきた建物・ギルドの酒場で先程のメンバーと席を囲みながら物珍しげにメニューを見つつそう答えた。何故か読めるようになった文字を理解すると見知った料理名ばかりなのだが、どうも見知らぬ食材ばかりのようで好奇心が止まらない。

 

「ジャイアントトードを知らないのか? この辺りでは見かけない顔と服装だったので、てっきり外から来たのかと思っていたんだが……」

 

「まあ、外っちゃ外かな」

 

「あー、自己紹介がまだだったナー」

 

 会話を断ち切るようにそう前置きをしたカズマは立ち上がり、緑のマントをたなびかせ仰々しく咳払いをした。腰に下げたショートソードがカチャリと音を立てる。

 

「俺は佐藤(さとう)和真(かずま)。この駆け出しの集まる街、アクセルで冒険者をしてる。一応このパーティーのリーダーだな。カズマって呼んでくれ」

 

 柔和な笑みを浮かべて握手を求めてくるカズマ。それをソウゴはよろしく、と返して握り返す。

 

「私はアクシズ教が崇める御神体その人、水の女神アクア「を、自称するイタいアークプリーストです」しばくわよカズマ」

 

 アークプリーストという聞き慣れない単語に、“余計なことをする”という枕詞を思い出す。さっきの金銭トラブルの様子を見るにアクアがトラブルメーカーであるのは間違いないだろうとひとりごちた。

 

「やめないか二人とも。……私はダクネス。役職はクルセイダーで、このパーティーの前衛をしている」

 

 ファンタジー世界だからか、重そうな鎧を難なく着込む“硬いだけの”と称されていたダクネスはそう言って微笑む。二人の喧嘩の仲裁を行っているところを見るに、見た目相応なのか少し大人びて見えた。

 そして、満を持してと言わんばかりに立ち上がった“一発屋”の魔女っ子は「フッフッフ……」とタメを作って杖を構える。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、人類最強の攻撃魔法・爆裂魔法を操る者……!」

 

 煌めく真紅の瞳を覗かせて決め顔でそう言い放っためぐみんに思わず拍手を送るソウゴ。その反応に満足気な彼女は晴れ晴れとした表情で気持ちよさげに着席した。四人の視線を集めるソウゴも楽しそうな笑顔で自己紹介のバトンを繋ぐ。

 

「俺は常磐ソウゴ。ソウゴでいいよ。当面の目標は、探し物を見つけてこの世界で最高最善の魔王になること。よろしくね」

 

「「「「最高最善の……魔王…………?」」」」

 

「うん。で、聞きたいこと色々あるんだけど「いやいやいやいやちょっと待て」

 

 早速魔王と探し物の情報集めを始めようとしたソウゴに、カズマが待ったをかける。キョトンとしたソウゴをよそに、複雑な表情の四人を代表してカズマが重い口を開く。

 

「最高最善の魔王って何?」

 

「俺、王様になるのが夢なんだけど、どう頑張っても魔王にしかなれないみたいなんだ。だから友達と約束したんだよね。世界を良くする魔王になるって」

 

 さも当たり前のように返すソウゴに、困惑を隠しきれない四人。閉口するダクネスとめぐみんを置いて、カズマはアクアと共に席を少し離れ肩を組む。

 

「(おいアクア)」

「(はい、なんでしょうカズマさん)」

「(もしかして、言語能力押し込んで頭がパーになったらああなるのか?)」

「(いいえ。頭がパーになったら言葉なんて話せないもの。廃人まっしぐら。モンスターの餌として投棄されるわよ)」

「(……今恐ろしいことを聞いたがまあいい。つまり、あれは素でああなわけだよな?)」

「(そうなるわね)」

 

 二人は揃って振り返る。中二病気質全開のめぐみんですら苦笑いなのに対し、あの空気の中で普通に魔王軍の話を尋ねているところを見ると、この反応に馴れているのかそれとも神経が図太いのか。あっけらかんとしたソウゴを見て、二人は再度小さく丸まった。

 

「(人格はこの際置いておこう。無害っぽいし)」

「(そうね。若くして死んだ悲運な人間にしか転生の話はしないし、少なくとも根っからの悪人ってわけじゃないと思うわ)」

「(ならあいつには、転生特典として何かしらの恩恵が与えられてるはずだよな?)」

「(ええ。私の後任は生真面目で有名な女神よ。間違いないわ)」

「(見たところ武器も持ってないが、魔王になりたいなんて言い出すようなやつだ。恐らく身体能力の強化とか、相手を圧倒する威光とか、そういうものだと俺は睨んだ)」

「(つまり、仲間に引き込めば戦力になる)」

「(戦力が増えれば強いモンスターを倒せるようになる)」

「(高難易度クエストの報酬でお酒がじゃんじゃん飲める!)」

「(いや、お前は魔王が倒せる可能性が上がったことを喜べよ?)」

 

 なにはともあれ、二人は鴨がネギを背負って来たことを確信してサムズアップを交わす。根っこの部分が揃ってアレなカズマとアクアは、困惑していたダクネスとめぐみんがドン引きするような爽やかな笑みを浮かべて席へと戻ってきた。

 

「どうだ、ソウゴ。駆け出しなら俺達とパーティーを組まないか?」

 

「こっちに来たばかりならわからないことが多いでしょ? まずはカズマさんから1000エリスを貰って冒険者登録をしてくるといいわ」

 

「なに、金なら気にしなくていい。袖触れ合うも他生の縁ってやつだ。これから仲良くしていく仲間なんだから尚更な」

 

「二人とも、顔が詐欺師のそれですよ」

 

 めぐみんのツッコミなどどこ吹く風と、ついさっきまで全力で罵り合っていた二人とは思えないコンビネーションで会話を進め、流れるようにアクアはカズマの財布から金貨を抜き取る。この世で最も醜い人間を見るような目をするダクネスも、この金が先行投資であることは察しがついた。この紅魔族よりもイタそうな少年を関わらせていいものかと思案していると、ソウゴは彼らの言葉の裏を疑うことなく純粋な感謝とともに金貨に手を伸ばした。

 

「わかった、ありがと! 必ず返すね」

 

 ソウゴの指が金貨に触れる。その瞬間だった。

 

『緊急! 緊急! 全冒険者は直ちに武装し、至急正門前に集まってください! 特に冒険者サトウカズマさんとその一行は大至急でお願いします!』

 

 

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 

 

「なぜ城に来ないッ!!! この人でなし共がッッ!!!!!」

 

 首のない漆黒の馬に跨った騎士が人だかりに向かって怒声を浴びせる。正門の前にいたその御仁はフルフェイスの甲冑越しでもわかるほど大変なご立腹の様子だった。

 

「どうして……!? もう爆裂魔法を打ちこんでもいないのに……!」

 

 呼び出され押し出され、群衆の先頭に立つことになったカズマが驚愕の表情を見せる。目線の先にいる、闇色の甲冑に身を包み禍々しい気を放つ彼にひどく困惑しているようだった。自身の頭を小脇に抱え、もう片方の手に人が振るうには幅が広すぎる板のような大剣を構える姿は、ファンタジーならではといったところだろう。

 しかし、どうしてピリピリとした戦場特有の緊張感が漂っているのか要領を得ないソウゴは、心の底から湧き上がった疑問を口にした。

 

「ねえ! あんた、なんで頭取れてるのに喋れるの?」

 

「はあ? デュラハンなんだからそういうものだろう」

 

「へー! デュラハン! 首なし騎士の!? 初めて見た……!」

 

 感動に打ち震えるソウゴに頭のおかしいやつを見る目でデュラハンは答えるが、当の本人はそんなこと気にしない。

 

「で、どうして怒ってるの?」

 

「今からその話をしようとしているところだろう! この街は話を聞かないやつしかいないのか!」

 

 カルシウムが足りていないのか自分の頭を地面に叩きつけ怒りをぶちまけるデュラハンは、冷静さを取り戻すために咳払いをする。喉もないのに器用だな、と素直な感想を胸にしまったソウゴは、彼の話を静かに拝聴することとした。

 

「冒険者よ。貴様先程“打ちこんでもいない”と言ったな? ……そこの頭のおかしい紅魔の娘が、あれからも懲りずに毎日毎日私の城に爆裂魔法を打ちこんでおるわ!」

 

 カズマの射抜くような視線に目を逸らすめぐみんとアクア。怒髪天を衝くとはこのことで、カズマの鉄拳制裁に言い訳を重ねる二人は事情のわからないソウゴから見ても見苦しいものがあった。しかし、どうやらデュラハンの怒りの矛先は爆裂魔法とやらの被害でもないようで。内輪揉めを起こす彼らに、肌を刺すような闘気が浴びせられる。

 

「俺が真に怒りを覚えているのはそこではない。……貴様らには、仲間を庇い呪いを受けた、あの騎士の鑑のようなクルセイダーの死に報いようという気概はないのかッ!!!!!」

 

 怒りに打ち震えるデュラハンから闘気が漏れ出す。その黒い靄のようなものは彼の足元の雑草を枯らし、あらゆる生命に平等に死を運んでいく。流石に状況がまずいことを察したカズマたちも、喧嘩を切り上げて武器に手をかけ交戦体制に入った。

 

「俺も生前は真っ当な騎士であったつもりだ。それ故に、仲間の死を無駄にするような貴様らに「あの、ちょっといい?」……なんだ」

 

「デュラハンって元人間なの?」

 

「それは今聞くことか!?」

 

 怒りのままに声を荒げ肩で息をするデュラハンは、兜越しにその朽ちた目でソウゴを睨みつける。隣のダクネスからデュラハンの成り立ちの説明を受けている姿が、彼の怒りに更なる油を注いでいく。デュラハンの怒りは生前死後全ての中で頂点に達しようとしていた。

 達しようとして、視界におかしなものを捉えその熱が急激に冷めていく。

 

「……………………いやちょっと待て。どうしてお前が平然としているんだ、クルセイダー」

 

「平然としているように見えるか? これでも、腕の立つ騎士と見受けたお前から騎士の鑑のようだと言われて恐縮しているんだぞ」

 

「そ、そうか。それはその、よかったな。……って違う! 何故生きている!? 確かにお前には〈死の宣告〉を与えたはずだ!」

 

「そんなの、あんたが帰ったあとすぐに私が解除したわよ。なになに? もしかしてそうとも知らずずーっとお城で待ってたの? ちょーウケるんですけどー! ぷーくすくす!」

 

「駆け出し風情が我が呪いを破れたくらいで生意気な……! 俺がその気になれば、お前らまとめてあの世に送ることもできるんだぞ!」

 

「アンデッドのくせに生意気ね! ならお望み通り成仏させてあげるわよ! 〈ターン・アンデッド〉!」

 

 アクアが唱えると同時に、彼女の手のひらから人一人ほどの大きさの光の球が射出される。ほのかに暖かい安らぎを感じるその光球は、ブレることなくまっすぐとデュラハンへと迫っていった。直撃は免れないだろうが、それでもデュラハンは余裕の態度で迎え撃つ。

 

「駆け出しのプリーストの魔法が通じrギィィヤァァァァァアアア!!!!!!!」

 

 それが間違いだった。

 直撃と同時に天に昇る光の柱。その流れに身を任せた首なしの馬は粒子となって溶けていく。雲間から差し込む一筋の光明のようなその光に当てられてデュラハンはもだえ苦しんでいた。

 一頻り悶絶し地を転がったデュラハンは、なんとなく白け始めた冒険者たちの前で立ち上がる。

 

「どうしようカズマ! 私の〈ターン・アンデッド〉が効いてない!」

 

「いや効いてると思うぞ。『ぎぃやぁぁあ!』って言ってたし。もう一回いっとくか?」

 

「き、貴様! 本当に駆け出しか……!?」

 

 愕然とするデュラハンは息を整えながら腕を振るう。すると、彼の周りの草木は死に絶え、代わりに地面より無数の影が伸び出てくる。それが人らしき形に造形された時、再び冒険者たちの間に緊張が走った。

 

「〈アンデッドナイト〉! あの冒険者共に地獄を見せてやれ!」

 

 デュラハンが剣を構えて配下に当たる影の軍勢(アンデッドナイト)に命令を下すと、彼の足元に神々しい紋章が浮かび上がった。魔法攻撃かと冒険者たちが防御陣形を整えるが遅い。彼らの準備より早く、光がデュラハンを包んだ。

 

「〈セイクリッド・ターン・アンデッド〉!」

 

「ヒィィヤァァァァァアアアアアアア!!!!!!!!!」

 

 〈ターン・アンデッド〉より眩い光が天を貫く。光が収束するとそこでデュラハンは、断末魔を平原に響かせ心配する配下たちの前でのたうち回る醜態を晒していた。

 

「どうしようカズマ! 私の浄化魔法が全然効いてない!」

 

「いやかなり効いてると思うぞ。『ひぃやぁぁあ!』って言ってたし」

 

「貴様らは不意打ち以外できんのか!?」

 

「うるせぇ! アクアの魔法にビビって援軍呼んだやつが偉そうにすんな!」

 

「なっ……! ち、違うわ! ボスが最初から相手するわけないだろう! 私と戦うのはこいつらを倒してからだ」

 

 RPGのフロアボスのようなことを言い始めたデュラハンが、今度こそ切っ先をこちらに向けてくる。その合図から“蹂躙せよ”という命令を理解したアンデッドナイトたちは、屍の軍勢とは思えぬ健脚で前進を始めた。

 

「この街の住人を、残らず血祭りにあげよ」

 

 亡者の進軍とともに砂埃が立ち込める。乾いた空気が今までのおちゃらけた雰囲気を消し飛ばす。

 戦場に慈悲などはない。あるのは生きるか死ぬかだけ。それを理解しているものほど顔は強張り、武器を持つ手に力が入る。あのアンデッドナイトはそれなりの強敵だろう。〈アンデッド〉と呼称される類のモノたちが元人間と聞いてどうしたものかとソウゴが悩んでいると、臨戦態勢の喧騒の中でカズマは自分の剣をソウゴへと押し付けに来た。

 

「ソウゴは隠れていてくれ! どんな〈転生特典(チート)〉貰ったか知らないけど、冒険者登録がまだだからカードもスキルもないだろ」

 

「ちーと? なにそれ。そんなにすごいの?」

 

「これが終わったら説明する。だから死ぬんじゃないぞ! 皆が聖水を持ってくるまでこっちの守りは頼んだぞダクネス! めぐみんは魔法唱えて待機! 行くぞアクア!」

 

「ああ、任せてくれ。肉壁になるのは得意だ!」

 

「わかりました!」

 

「え、行くってどこに!? ってなんでアンデッドどもはこっちに来るのー!?」

 

「お前、魔物寄せの魔法早すぎなんだよ!」

 

「待って! 私まだ何もしてない! 本当なの! 信じてよ! ねぇカズマさん!」

 

 そう言い残したカズマは涙目のアクアの手を引いて駆けていく。アンデッドナイトたちは餌に釣られる鯉のようにアクア目掛けて方向を転換した。それを見て各々は自分の役割をこなすため配置へと散らばり、後ろで浮足立っていた冒険者たちも街への入口を固めて防御の構えを取る。

 ソウゴの手元に残された剣は恐らく自衛のため。会って間もない自分のために、少ない装備の中自分に貸し与えてくれる善意に心がむず痒くなる。冒険者たちもみんなこの街を守るために陣を敷いているのだろう。背を預け合える“仲間”の存在を強く感じたソウゴは、自分の心にぽっかりと穴が空いていたことに今更気が付かされた。

 

「不謹慎かもだけどさ。俺、ちょっと羨ましくなっちゃった。やっぱり仲間っていいね」

 

「その気持ち、私にもわかるよ。だがソウゴ。そういう言い方は寂しいぞ。私達はもう仲間だろう」

 

「……うん、そうだったね。さっきからだけど、俺もこのパーティーのメンバーだった」

 

 失った友たちは、新しい世界でまっさらな自分と幸せに暮らせているだろうか。そんな自己満足と弔いにも似た気持ちを心に仕舞ったソウゴは、この新たな仲間と過ごす戦局を見届けることにした。

 先程からアクアが〈ターン・アンデッド〉を繰り返しているが、あのアンデッド軍団には通用していないらしい。何か特殊な加護でもあるのか、多少動きは鈍くなるものの首なしの馬とは違って消滅することはない。だがカズマたちもただ逃げ回っているだけではないようだった。それを察知したダクネスが一歩前に出ためぐみんに声をかける。

 

「めぐみん!」

 

「わかっています! この絶好のシチュエーション、逃すわけがありません! 今日のクエストで打たなくて本当によかった! ……我が名はめぐみん! この街随一の魔法の使い手にして、爆裂魔法を操りし者! 皆のもの、とくとその目に焼き付けよ!」

 

 魔力が杖に流れ込み、増幅された力のうねりが世界に顕現する。夜の星のごとく煌めく余剰魔力が、これから起きる現象の壮大さを魔法など知らないソウゴの本能に訴えかけてくる。

 カズマの狙いは恐らく、奴らをまとめて吹き飛ばすこと。引き寄せて逃げつつ、アクアの浄化魔法による地道な戦力の削ぎ落としから“一発屋”と称していた魔法攻撃への転換までをあの一瞬で考え指示を出していたのならかなりの知恵者だろう。敵に回したくないなと考えていると、デュラハンへと一直線に駆けて行ったカズマの声が響く。

 

「めぐみーーーんッ!! 今だーーーッッ!!!」

 

「穿て! 〈エクスプロージョン〉ッッ!!!」

 

 カズマとアクアが同時に横へと飛び退く。それと同時に力のうねりは収束し、人類、魔物、この場にいる全ての生き物が平等に危険を察知する。

 しかし、時既に遅し。

 強烈な爆音、開放される爆風、皮膚を焼く熱に、立ち上がる火炎の破壊力。人類最強の攻撃魔法と呼ばれるだけのことはある、そんな衝撃が地形を変えるような振動と共にこの地に落とされた。

 

「ふぅ……。最高に、気持ちよかった、デス……」

 

 そう言い残しためぐみんはぐにゃりと倒れ込み意識を手放しかけた。慌ててソウゴが抱えるも、彼女は疲労からかうつらうつらと船を漕いでいる。それでも必死に意識を留めている彼女は、ダクネスからのサムズアップを見て安らかに目を閉じた。

 

「うちのパーティーで一番の仲間思いだ。魔力を使い果たしてすぐにでも眠りたいのに、二人を巻き込んでいないか確かめるまで気力を持たせるなんていじらしいだろう?」

 

「なるほど、だから“一発屋”なわけか」

 

「爆裂魔法は魔力の消費が激しいらしくてな。日に一発しか打てないんだ」

 

 腕の中ですやすやと眠る彼女を見て、大役をこなした後とは思えない満ち足りた寝顔に安堵する。流石にこれほどの爆発であれば一溜まりもないだろうことは想像に難くない。しかしダクネスは、全速力でこちらに戻ってくる仲間二人に最悪の事態が脳裏をよぎる。

 そしてその予感は見事に的中してしまった。

 

「……まさか、配下を全滅させられ俺まで手傷を負わされることになるとはな。駆け出しの街だと侮っていたことをここに詫びよう、冒険者共よ」

 

 土煙を切り裂いたデュラハンは、満身創痍ながらまだ余裕があった。体の焦げ跡も徐々に修復され、あれだけの爆発を受けたとは思えない回復速度に一同に戦慄が走る。

 

「無事か、二人とも!」

 

「ああ、でもあいつ妙なんだ。爆裂魔法を受けるとき、剣を地面に突き刺してまるで防御しようっていう感じがしなかった」

 

「それに、アンデッドナイトに浄化魔法が効かなかったのも変よ! 何か手元で見たことあるおもちゃみたいなのカチャカチャしてたし」

 

「なに!? 戦場で爆裂魔法とセットのおもちゃ遊びだと!? そ、そそそれはどんなプレイだったのだ!?」

 

「落ち着けこのド変態! お前以外で戦場で欲求満たそうとするやつがいるわけないだろ! 時と場所を考えろ! どう考えても防御系のマジックアイテムだろうが!!」

 

「貴様のパーティーはふざけていないと死ぬのか!? 真面目な空気をぶち壊しやがって! お前たちと戦っていると頭がおかしくなってくる! ……まあ、それももうすぐ終わるがな」

 

 切実な悪態をつき、文字通り頭を抱えるデュラハンは大剣を肩に担いでこちらに歩みを進めてくる。切り札(爆裂魔法)を切ったせいか、カズマの額から汗が流れる。そんな絶望的な状況で一人策を練る冒険者の隣を、男たちは駆け抜けていった。

 

「お前らばかりに負担はかけさせねぇ!」

「囲めば必ず隙ができるはずだ!」

「そこに魔法を叩き込め!」

 

「無茶だお前たち!」

 

「戻れ! やつにはまだ正体不明のマジックアイテムがある! それを看破しない限り勝てない!」

 

 ダクネスとカズマの制止を振り切って突撃していく前衛職たち。背後ではウィザードたちが攻撃魔法を準備している。状況判断的にはこの一手が最善のように思えるが、あの爆裂魔法を耐えきった方法がわからない以上危険な賭けと言わざるを得ない。もちろんそんな自ら首を差し出す自殺志願者たちをデュラハンが見逃すわけもなく。

 

「愚かな」

 

 デュラハンは己の頭を空高く投げ上げた。そして上空で開眼した瞳は未来予知のように全ての攻撃を見切り、立ち向かう前衛全てを切り捨てていく。一人、また一人と鮮血を上げ、血しぶきが舞い、ガラクタのように打ち捨てられていく。デュラハンが自分の頭をキャッチするころには、やつの周りは死体の山と血の海が築き上げられていた。

 

「どうした? 魔法は打ってこないのか? 魔王様から授かった〈オーパーツ〉はもう使う必要もなさそうだな」

 

 勝てない。一流の太刀筋にダクネスは戦慄し、見切りと防御のスキルにカズマは息を呑む。後衛たちも絶望を感じ詠唱を止めてしまっていた。

 途方も無い格の差を見せつけられて、この場の誰もが戦意を失いかけた。

 

「……お前たちは逃げろ」

 

 そうダクネスは一言発すると、一人でデュラハンの前に立ち塞がる。カズマやアクアの呼び止めに答えることはなく、ただ皆の希望であろうとする聖騎士は堂々とした態度で剣を構えた。

 

「騎士は守るべきものを背に受けている時、決して逃げない。例えそれが、死に戦だとしてもだ」

 

「ふむ、見上げた胆力だ。……我が名はベルディア。魔王軍幹部が一人、デュラハンのベルディアだ。名乗れ、クルセイダーよ」

 

「私の名はダクネスだ」

 

「勇敢なクルセイダー、ダクネスよ。その名、きちんと墓石に刻んでやろう」

 

 二人は己が剣を相まみえ、沈黙に支配された世界で出方を伺う。一歩でも動けば斬られる、そんな恐怖を乗り越えたダクネスは大きく剣を振りかぶった。

 そして、一閃。

 それはほんの一瞬。

 太刀筋など最弱職の動体視力で見切ることなどできず、気がつけばダグネスは剣を振り上げたまま倒れ伏した。

 負けた。

 防御力だけが自慢のダクネスが負けた。

 その事実だけが重くのしかかる。

 

「だ、ダクネスーーーーーーッッッッ!!!」

 

 仲間が、死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもこれは、()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何だ!?」

 

 一番最初に声を上げたのは正門前で防御を固める前衛職たちだった。自分たちの体のどこを触っても切り口などなく、気がつけば立ち向かう前まで戻されていたような感覚に気味が悪くなるのは当然だろう。

 ベルディアも、周りを探るが自分が切り捨てた死体の全てが無くなっていることに言葉を失う。

 

「わたし……は……、どうして…………?」

 

「ダクネス……! 生きてる……!」

 

「生"き"て"て"よ"か"っ"た"よ"ダ"ク"ネ"ス"ぅぅぅぅ!」

 

 安堵からか、わんわんと泣きながらへばりつくアクアをあしらえないほど困惑しているダクネスが斬られた腹を触るが、そこは全くの無傷。血の一滴も出ていない、しかしあの強烈な痛みを思い出して身を悶えさせるくらいには平常運転の彼女を見て、カズマは全身の力が抜ける感覚があった。

 

「な、何をした貴様ら!! あれは幻覚の類ではない……。あの肉を裂く感覚は紛れもなく本物の斬り合いだった! 何故だ!? まるで時間が戻ったように何事もなくなっているのは何故だ!?」

 

 その疑問に答えられるものは誰もいない。全員が死を覚悟し、人生の終わりを感じていたのだ。問題を引き起こした頭のおかしい紅魔の娘に恨み言を言う余裕すらなく絶望に身をやつしていた彼らには動揺することしかできない。

 しかし、カズマだけは心当たりがあった。

 こんなわけのわからない現象を引き起こせるのは、〈転生特典〉を貰った転生者しかいない。カズマは、めぐみんを自分に渡しゆっくりと前に一歩出たソウゴの、その言い表せない表情から目が離せなかった。

 

「俺だよ。俺が時間を戻したの」

 

「時間を、戻しただと……?」

 

「うん。ねえ、ベルディア。ライドウォッチって知ってる?」

 

「らいど……? 何だそれは」

 

「手のひらサイズの、こう、丸い時計みたいなやつなんだけど。蓋のところが回って顔みたいになるの。魔王軍の幹部なら何か知ってるかなって。俺、それを探してるんだよね」

 

「顔になる丸い時計……? もしかして、この〈オーパーツ〉のことか?」

 

 そう言って、ベルディアは懐からマジックアイテムを取り出す。それを、ソウゴは知っている。

 悲しみから生まれた力。悪を滅さんがため振るわれる権能が一つ。遠距離攻撃を得意とする精密さと圧倒的なパワーを兼ね備え、溶岩の中ですら耐えられる装甲を持つ攻守一体の力。

 幸先の良さに、ソウゴは自然と笑みを浮かべた。

 

「あ! あれよ! さっき爆裂魔法を受けたとき遊んでたおもちゃ!」

 

「……見つけた、一つ目。ロボライダーのウォッチ」

 

「ロボライダー? なんだそれは」

 

「あれ? その力を使ったのならライドウォッチがライダーの名前を読み上げるでしょ?」

 

「何!? あのよくわからない音声はロボライダーと言っていたのか!? 一体どこの言語だ!?」

 

「日本語だけど……。まあいいや。それ、返してくれない? 俺たちのなんだよね」

 

 ライドウォッチとソウゴを見比べるベルディア。しかしデュラハンはその人間の提案を鼻で笑った。

 

「フンッ! どこでこの〈オーパーツ〉の話を聞いたかは知らんが、これは私が幹部の証として魔王様より承った古代のマジックアイテムだ。大方、私の戦力を削るための嘘だろうが、吐くならもっとマシな嘘を吐け!」

 

「嘘じゃないんだけどな……。まあいいや。じゃあ交渉しようベルディア」

 

「交渉だと……? なんだ? この〈オーパーツ〉を渡すまで時間を戻し続けるというのか? それとも金でも積むつもりか?」

 

「ううん。もっと単純なこと。俺と勝負して、勝ったらそれ返して」

 

 そんなソウゴの提案に、全員が目を剥いた。静まり返る平原でなお平然としているソウゴに、一拍おいて一番初めに正気に戻ったカズマが掴みかかる。

 

「お前何考えてるんだよソウゴ! 確かにお前の時間を戻す力はすごいけど、そんなんでどうやってあいつを倒すんだよ! アクアの浄化魔法も、めぐみんの爆裂魔法も効かない相手だぞ!?」

 

「多分それはあのウォッチを持ってるからだと思うんだ。宿ってる力は神聖なものだし、あのウォッチの力を使えばあの爆発にも耐えきれると思う。俺が取り返したら倒せるんじゃない?」

 

「取り返すために戦おうとしてるんだろ!?」

 

「そうだけど?」

 

 堂々巡りに言葉が出てこなくなったカズマの肩を叩いて、へらへらと笑うソウゴ。底しれぬ何か“ヤバい”雰囲気を直感で感じたカズマは、会って間もないその少年の言葉を一生忘れることはできないだろう。へらへらとした笑いの底にある、見えない狂気と共に。

 

「クックックッ……! 面白い! なら力ずくで奪ってみせろ、愚かな冒険者よ!」

 

「奪う、か……。うん。なんか、そっちの方が俺らしくていいや。でも一個だけ訂正いい?」

 

 歩みを進めるソウゴを止める者はいない。

 その覇道を止められる者は誰一人として。

 

 ソウゴの意思に共鳴するかのように、彼の腰に黄金色のベルトが姿を現す。空気が変わるのがわかった。ベルディアでさえ息を呑む静寂で、彼は一人だけ笑っていた。

 ソウゴは、今この場にいる誰もが待ち焦がれた“英雄”でも、“救世主”でも、ましてや“勇者”でもない。最も似つかわしくない名乗りを上げた。

 

「俺は冒険者じゃないよ。……“魔王”だ」

 

 

 

           変身

 

 

 

 彼がベルトの前で手を交差させる。すると世界に異変が起こった。

 彼の足元に浮かび上がる謎の文字。身を包む因果の鎖が彼に時の王者の力を授ける。雷鳴が高らかに、地を這う炎が厳かに、纏う空気が盛大に、この素晴らしい世界に魔王が降臨したことを祝福する。

 

          «祝福ノ刻»

 

       «最高»

          «最善»

             «最大»

                «最強王»

 

         «オーマジオウ»

 

 そこに立っていたのはソウゴではなかった。漆黒の鎧、綺羅びやかな黄金の装飾。着飾るだけではなく、どこか孤高めいた力強さを見る者に与えるその姿は、正に彼が宣言した通りの魔王の姿だった。

 

「…………そうか、ウォズがいないから祝ってくれる人いないんだ」

 

「ふ、フンッ! そんな虚仮威しに惑わされるかッ!」

 

 最初に動いたのはベルディアだった。頭を天高く投げ上げ、先読みのスキルを使用する。この権能を使用してこれまで数多くの勇者の首を跳ねてきたベルディアは、渋ることなく目の前の敵に全力を傾ける。

 

「先読みか」

 

 しかし、その程度の未来予知が通じるわけもなく。

 

「それで? 俺を斬れる未来は視えた?」

 

 オーマジオウはベルディアの一振りを難なく片手で受け止めた。押すことも引くこともできず、微動だにしない愛剣にベルディアは一歩たじろいでしまう。

 

「降参してくれる? 俺もできれば、元人間とかとは戦いたくないんだよね」

 

「ふ、ふざけるなッ!!」

 

       «ロボライダー»

 

 剣を手放したベルディアはウォッチを押す。その拳は分厚い壁をも砕き、両拳なら戦車さえも静止させる威力を誇る。それを魔物が、それも幹部クラスの強靭な肉体で使用すればどうなるかは明白だ。それを知らずとも、爆裂魔法を耐えきる装甲が殴りかかればどれほどの力かはカズマたちでもわかる。

 

「ソウゴ!」

 

「大丈夫だよ」

 

 しかし、それを剣を放り投げたオーマジオウは難なく受け止める。足元は少しも動かず、ただ受け止めただけの衝撃波が砂を持ち上げカズマたちの頬を撫でる。

 

「ロボライダーは遠距離攻撃が基本だからさ。相性悪かったんだね、ベルディア。……そろそろ渡してくれる気になった?」

 

「人間に脅されて持ち物を渡す魔王軍幹部がいるものか……!」

 

「そっか。じゃあ仕方ないね」

 

 ここで初めてオーマジオウの足が動く。それは踏み込むためではなく、ただベルディアという敵を蹴りつけるために。ごく簡単な前蹴り。しかしその一撃はベルディアの鎧を砕くのには十分なものだった。

 

「ガハッ……!」

 

 蹴られたベルディアは地を滑り、アンデッドである身に深刻な打撃でのダメージを受ける。空から溢れ受け取ることが叶わなかった頭が目の前の脅威を認識する。理解不能とはこのことだった。何故自分がただの蹴りで地べたを這っているのか、何故自分の剣が受け止められるのか、その全てが理解不能だった。

 

「し、〈死の宣告〉! お前は三日後に死ぬ!」

 

 苦し紛れに放った〈死の宣告〉。黒い靄をその身に受けたオーマジオウは、自分の体を少し観察して右手を上げた。

 

「呪いとかは困るな。だから、時間を戻すね」

 

 そう言うと、世界は止まる。いや、オーマジオウが世界を止めた。自然の理に反して風は流れ、雲は後ろ歩きし、落ちた葉は枝に戻り、そして黒い靄はデュラハンへと帰っていく。

 

「なんなんだ……! なんなんだお前は!」

 

「言ったでしょ。俺は時の魔王。“仮面ライダー”オーマジオウ」

 

「オーマ……ジオウ……? 聞いたこともないモンスターが、これほどの強さだと…………?」

 

「さあ、終わりにしようか」

 

 オーマジオウがベルトに手を充てがうと、彼の体から満ち満ちた力が溢れ出す。ゆっくりと空に浮かび上がる魔王は、ベルディアに最期を悟らせるに相応しい覇気を放った。

 

 

          «終焉ノ刻»

 

         «逢魔時王必殺撃»

 

 

 何故、自分は初手から全力を出したのか。何故、この怪物は戦いたがらなかったのか。何故、死した自分がこれほどまで恐怖を感じているのか。何故が紐解かれた時、ベルディアは勝てないと確信した。

 空中で飛び蹴りの構えをしたオーマジオウは、ベルディアの回避不能な速度で迫りくる。背に背負う禍々しい時計の針はベルディアへの死の宣告か。神の鉄槌、いや、魔王の審判が下されたベルディアは、過剰なまでの爆炎に包まれ塵となってこの世から消滅した。

 

()()()()()()、確かに返してもらったよ」

 

 後にこの戦いを見た者はこう語る。

 

「……ここまで一方的に強いと流石に引くわ」



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このいわれなき罪に天啓を!

 ライドウォッチ。

 それは、数多ある平行世界に生きる人類の自由と平和のために戦う戦士“仮面ライダー”の歴史そのものを封じたもの。使用者には封じられたライダーにまつわる人智を超えた力と共に、彼らの運命に連なる忌まわしき業を背負わせる禁断のアイテムである。

 

「――で、俺を替え玉の王として擁立して仮面ライダーの歴史をまとめ上げ、平成をなかったことにしようとした歴史の管理者がいたんだ。そいつらは平行世界の俺と仲間たちが倒したんだけど、どうやらそのとき奴らが作った平成生まれだけを吸い込むワームホールが魂の均衡を崩してたこの世界の過去に繋がってたみたいで、奴らの使ってたウォッチがこっちの世界に流れて来ちゃってるみたいなんだよね。俺はそれを回収しに来たってわけ」

 

「なるほど、つまりあのオーマジオウという姿はソウゴが時の覇者として覚醒した姿なのですね! しかしとてもかっこよかったですよ! 古代文字や異国の言葉で変身を派手に演出するなんて最高にイカしてます。紅魔族の琴線にビシバシ反応してましたよ!」

 

「うん、二人とも中二病は早く卒業しなさい。じゃないと数年後、その妄想を思い出して毎晩枕を涙で濡らし身悶えすることになるぞ」

 

「あれー? 俺、説明下手なのかなぁ」

 

「どうしてわからないんですかカズマ! 世のため人のため、傷つきながらも人知れず戦うヒーローですよ! “時の魔王”……。んーっ、いい響きです……!」

 

 魔王軍幹部ベルディアをオーバーキルした翌日。馬小屋で肌寒いながらも気持ちのいい朝を迎えたソウゴはカズマたちと朝食を共にしながら戦利品とも言えるロボライダーのライドウォッチを片手に自分がここに来た理由を大雑把に説明していた。

 しかし、二、三度説明したところで突拍子もない話を信じるのは難しいのだろう。紅魔族特有の中二病感性に反応した無駄に高い知能と理解力を持つめぐみんや、平成などの年号の概念を理解している日本出身の転生者であるカズマならまだしも、日本のことなど何も知らないダクネスは早々に理解するのを諦めて思考を手放し、ただ静かに食事を口に運ぶだけの装置と化している。そんな彼らの様子に、先程からプルプルと震えていたアクアがテーブルにシュワシュワの入ったジョッキを叩きつけて怒りのままに口を開いた。

 

「とにかく! 仮面ライダーってやつらは最悪なのよ!!」

 

「何だアクア。こいつらのこと知ってるのか?」

 

「知ってるも何も、天界じゃ悪魔の次に忌み嫌われてる連中よ! 何が最悪って、人間のくせに世界を救うために世界をぶち壊したり、自分の世界の神と戦ったり、何度も時間をリセットしたり、何の許可もなく新しい世界作って年度末に人事異動ぶちこんできたり、死んだはずなのに天界の裁量もなく勝手に生き返ったり、生き返らせたり、人間やめて不老不死になったり、別の星で神様はじめたり、もうやることなすことめちゃくちゃのわけわかんない連中なんだから!! シュワシュワおかわり!」

 

「あー、その……、ごめん」

 

「何怒ってるんだよ。みんなのために戦ってるんだろ? それくらい寛容になってやれよ」

 

「そうよ! やってることは正しいしその辺の善人よりよっぽど徳の高いことしてるわ! たまに地獄行きの極悪なやつもいるけど、ほとんどが天国行きか地球で生まれ変わってるくらいにね。だからこそ、誰もこいつらを責められなくて担当の女神は泣き寝入りするしかないの! わかる!? 自分のせいじゃないのに勝手に生き返ったやつらのせいで何枚も何枚も始末書書かされる気持ち。思い出しただけでもムカついてくるわ! 謝って! これまでの全仮面ライダーを代表して謝って!」

 

「えっと……、ごめんなさい」

 

「誠意が足りないわよ! 一発殴らせなさい! それから今日の飲み代払いなさい!」

 

「仮にも女神を名乗ってるやつがカツアゲしてんじゃねぇよ!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 食事を終えたダクネスとめぐみんがクエストボードに向かうのを見送ったカズマは、パンを飲み下しながらソウゴを眺める。昨日の、あの圧倒的な魔王としての姿を見てもまだこのへらへらとした男と同一人物だと信じられない。ベルディアですら一方的に嫐られたあのオーマジオウの力は、それこそ神器持ちの転生者の比じゃない強さがあった。そこでふと生まれた疑問を、魔王から強奪したソーセージをつまみにシュワシュワを煽るアクアに投げかける。

 

「でもそんだけ凄い奴らがいるなら、わざわざ日本から打倒魔王のためにチートまで渡して人を集める必要なくないか? そいつらに頼めばいいのに」

 

「……仮面ライダーになるような善人は基本的に天寿を全うするから転生はできないわ。早死するのは力に溺れた悪人ばかりだから、そいつらは有無を言わさず地獄行きよ」

 

「ふーん。じゃあソウゴが来たのは不幸中の幸いってやつか。でもお前ぐらいのやつが死ぬなんて、その世界はよっぽどピンチなんだろうな。元の世界が心配じゃないのか?」

 

「え? 俺死んでないけど?」

 

「「え?」」

 

 話の流れ的なセオリーを根本から崩してくる発言に、カズマとアクアの動きが止まる。それを意に介する事はないソウゴは、平らげた食事に満足して手を合わせた。

 

「俺、門矢士っていう平行世界とか異世界に移動できるライダーに頼まれてこの世界に来たの。まあ元の世界は俺が壊して作り直したから帰れないんだけどね。……ごめんね、女神様」

 

「いや、いいわよ。私に迷惑かかってないし。すみませーん、シュワシュワおかわりー」

 

「さっきまで怒ってたのは何だったんだよ。情緒不安定かお前は。……じゃあなんで言葉とかわかるんだ? 文字も読めてたよな?」

 

「さあ? こっちに来てすぐは言葉も文字もわからなかったんだけど、カズマたちと会った頃にはなんでか理解できるようになってたんだよね」

 

「きっと、ソウゴには世界の移動と共にその世界にオートフィットするチートが元から備わってるのよ。時間を越えたり自力で異世界に行く力があるなら可能性はあるわね」

 

「……こいつら、何でもありの生まれながらのチート集団かよ。ホント、ゲームバランスがクソだな」

 

 頭がパーになるリスクもなく平然とそういうことをやってのける規格外な連中を目の当たりにして、こんな奴らに振り回される女神たちに同情を禁じえないカズマだった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「カズマ。この、モンスターの血を少し回収するだけの採取クエストはどうだ?」

 

「なあアクア。このハブトマングースってなんだ?」

 

「マングースの下半身からハブの上半身が生えてるミミズみたいな大型モンスターよ。生まれたときから体の所有権をかけてどちらかが死ぬまで戦い続ける習性があるわ。気性が荒くて普段は殺し合うくらいに仲が悪いのに、共通の敵には見事なコンビネーションを見せることで有名よ。勇者候補が何人も餌食になってるけど、その血から作られる血清は服用するとあらゆる毒への耐性が得られるから高額の懸賞金がかけられてるの」

 

「一撃熊並みの爪攻撃と即死級の毒が同時に味わえるお得なモンスターだ! 一体私はどうなってしまうんだ……!」

 

「よし却下」

 

「そうです! こちらのデッドリースコーピオンの討伐にするべきです! あの硬い甲羅を爆裂魔法で木っ端微塵にしてやりますよ!」

 

「なあアクア。このデッドリースコーピオンってなんだ? いや言わなくていいや名前でわかる却下」

 

「どうしてだ!?」

「どうしてですか!?」

 

「その紙に描いてる髑髏の数が見えないのかバカ共! お前らの目は節穴か? 節穴に綺麗なビー玉がはまってるだけか!? そのお人形みたいに綺麗な顔からほじくり出して質屋に入れてきてやるよ面貸しやがれ!」

 

 午前中だけでどっと疲労感が押し寄せる。周りを見渡せば、臨時収入を元手に冬籠りの支度を済ませた冒険者たちが談笑しながらシュワシュワを煽っている姿が散見していた。つくづくこの世の不公平さを呪いながら、カズマは大きくため息をつく。

 

「ったく……。そもそも、俺たちはソウゴのおかげでベルディア討伐の報奨金が上乗せされて大金持ちになれるんだぞ? なんでそんな危険なクエスト受けなきゃならんのだ」

 

「それとこれとは別だ。モンスターを倒し領民の不安を取り除くことは騎士の務めだからな」

 

「嘘つけ。自分の性癖のためだろ変態ドMクルセイダー」

 

「ん……っ! だ、断じてそんなことはにゃい!」

 

「私はお城よりも気持ちよく爆裂魔法を撃ちこめる相手が欲しいだけです! ソウゴに時間を戻してもらえば、毎日、何度でも、納得いくまで撃てますからね!」

 

「正直に言えば許されると思うなよ。ていうか、何発撃っても一発屋なことに変わりねぇじゃん」

 

「ほほう。それはこの私への挑戦ということですね? いいでしょう、売られた喧嘩は買うのが紅魔族の流儀。今ここでギルドごとお前を吹き飛ばしてやってもいいんですよ、カズマ? ……ところでソウゴは?」

 

 めぐみんが時間を戻せる安全装置を探していると、カズマはギルドの受付を指差す。ソウゴは言わずとしれたアクセルの名物受付嬢・ルナの前でステータスを測る水晶を挟み何やら取り込んでいる様子だった。その姿を見て、めぐみんもダクネスも昨日のゴタゴタですっかり忘れていたことを思い出す。

 

「しっかし、ギルドもケチだよな。冒険者登録もしていない、身元のわからない冒険者のいるパーティーにはクエストの報酬が渡せません、なんてよ」

 

「ほんとよね。いくら後で払えるってわかっててもツケを増やすのは心苦しいわ」

 

「心苦しいやつはツケてまで飲まねぇよ」

 

「仕方がないだろう。過去に人間に擬態したモンスターがクエストの討伐対象と手を組んで報酬をだまし取った事例があるからな。これはその対策の一環なんだ。冒険者カードは持ち主の魂と結び付いた偽造不可能な身元証明書だしな」

 

「なんでモンスターがそんなことしたんだ?」

 

「確か、報酬をせしめることでベルゼルグ王国の財政を攻撃するためだったはずです。学校でも習う有名な話ですよ」

 

「この世界の魔王ってなんかこう、小狡いというかなんというか……」

 

 そう溢したカズマは悪態をそこで切り上げる。そんな魔王も、オーマジオウの登場でさぞや震えているだろうことは想像に難くないからだ。ソウゴが単身で魔王城に乗り込んだとしても傷一つ付けられる姿が想像できない。心の底からお悔やみ申し上げる以外に、今のカズマができる心遣いはなかった。

 そんなことをぼんやりと考えていると、手ぶらでソウゴが帰ってくる。報奨金があまりにも高額過ぎて手に持てないのだろうか。流石にそんな大金を馬小屋で管理するわけにはいかないよなぁ、などとカズマが脱貧乏生活の皮算用をしていると、彼に気がついたパーティーメンバーが各々口を開く。

 

「どうだったソウゴ。ステータスは変身する前と今とでどう表記されるのだ?」

 

「あの時を巻き戻すスキル! 爆裂魔法から浮気するつもりはありませんが、どの役職のスキルに該当するのか興味はあります!」

 

「いい? この女神様より高ステータスだったりしたら許さないんだからね!?」

 

「いっぺんに話しかけたらわからなくなるだろ。まずは報酬の分配からだな……」

 

 賑やかになる卓で、へらへらとした態度のソウゴはまるでなんでもないように爆弾を落とした。

 

「俺、冒険者登録できないんだって」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ソウゴが冒険者登録できないってどういうことですか!?」

 

「すみません。何度も試してもらったんですが……」

 

 そう言ってルナは申し訳無さそうに頭を下げる。絶望に沈むカズマが何かを訴えかける目でソウゴを見ると、彼はバツが悪そうにはにかみながら水晶に手を添えた。

 光出す水晶、書き込まれていく冒険者カード。ここまではいい。これはカードを覗きこむ四人とも通過した行程だ。しかし、ここからが問題だった。

 

「これは! 古より代々伝わりし解読不可能な古代文字ではありませんか!」

 

「いや日本語だろこれ」

 

 そう。カードに書き込まれていくのはこの世界の文字ではない。もう見ることはないであろうと思っていた懐かしい日本語だったのである。完成した冒険者カードにはきちんと名前、年齢、種族から、運以外は自分より高い各種パラメーターまで問題なく記載されているようにカズマには思えた。オーマジオウとしてのパラメーターは記載されないんだなぁ、などと感想を抱いていると、ダクネスが腕を組み渋い顔をした。

 

「これでは読めないな。身分証として機能しないぞ」

 

「はい。水晶の故障かと思って他のもので試したのですが全滅で……」

 

「なるほど。それで登録不可というわけですか……」

 

「きっと冒険者カードが魂と結び付いているからね。ほら、ソウゴっていわゆる密入国みたいなものじゃない? いくらこの世界に順応できても、生まれ変わったわけじゃないし」

 

「えー、じゃあ俺、皆みたいに魔法使ったりできないの?」

 

「そうですね、この不備のあるカードをお渡しするわけにはいきませんので……。カードで可視化されているだけなので経験値は問題なく貯まりますしレベルも上がるでしょうが、スキルポイントの運用などは不可能かと」

 

「まあいいじゃないか。それ以上強くなったところでどうしようもないだろう」

 

「うーん。でも残念だなぁ」

 

「ソウゴはカズマより歳上なのに、やけに子どもっぽいところがありますね」

 

「そうかな? 俺のいた世界じゃ魔法ってみんなの憧れだったよ?」

 

 和やかな雰囲気が場を包み、申し訳無さそうに眉を垂らしていたルナもクスクスと笑う。「じゃあクエストの話でもしましょうか」というめぐみんの提案に全員がクエストボードへと移動しようとしたとき、ゆっくりと挙手したカズマが全員の歩みを止めた。

 

「アノ、ヒトツヨロシイデショウカ」

 

「どうしたの、カズマさん」

 

「コノ場合、コレカラノクエスト報酬ト今回ノ報奨金ハドウナルノデショウカ」

 

「申し訳ありませんが、ギルドとしてはトキワソウゴさんに報酬をお支払いすることができません。これからのクエスト報酬は参加人数で等分した一部、そして今回のサトウカズマさんパーティーに支払われるはずだったベルディア討伐報酬は全て国庫へと返還されることとなります」

 

「よしソウゴ。時間を巻き戻してベルディアを生き返らせよう」

 

「ちょっと何言い出すのよカズマ!? あんた正気!?」

 

「そうだぞカズマ。報奨金が貰えなかったからといって自棄になるな」

 

「お前らこそ冷静になれよ! ベルディアを倒したのがソウゴだったから良くなかったんだ。もう一回戦って、いい感じに弱らせてから俺たち冒険者カード持ってる奴らでとどめを刺せば大金持ちになれるんだぞ!?」

 

「大金に目が眩みましたか。アンデッドとはいえ死者を弄ぶなど発言がクズマですよ」

 

「お前だって納得できないだろソウゴ! せっかく世界の平和に一歩近づいたのに1エリスにもならないんだぞ!?」

 

「え? 別にいいけど」

 

「ダメよカズマ。仮面ライダーって連中は元々、自分たちの世界で無報酬無対価、なんなら守るべき民衆にボロカスに罵られながらも命を懸けて巨悪と戦うボランティア戦士なの。諦めなさい」

 

「命を懸けてボロボロになりながら戦って、更に領民からも罵られるとはどんなご褒美だ……! 私もそのレベルの高い国に行ってみたいぞ……!」

 

「黙ってろエロセイダー! ていうか、お前はもうちょっと食い下がれよアクア! さっきまでザルみたいに飲んでた分も、ツケ分だって払えないんだぞ!?」

 

「よしソウゴ。時間を巻き戻してベルディアを生き返らせましょう。女神の私が許すわ」

 

「「アクア!?」」

 

「そんなことしたら、例え倒せてもパーティーの皆さんまとめて指名手配犯ですよ!?」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「「お金が欲しい……」」

 

「ツケが払えなくて怯えることになるなんて……。私、女神なのに……」

「馬小屋生活で凍死なんていやだ……。せっかく転生したのに……」

 

「そう落ち込むな二人とも。冬場で高難易度クエストしかないからといって、仕事がないわけじゃないんだ」

 

「でも危ない仕事をソウゴ抜きでこなせるわけないじゃん……。せっかく即戦力の優秀なメンバーが入ったと思ったのに……」

 

「おい、誰が非戦力で優秀じゃないのか、その辺り話し合おうじゃないか」

 

 協議の結果、ギルド側も化け物じみた力を持つソウゴが魔王軍の手先として最前線ではなく駆け出しの街にいるのはおかしいと納得してくれていたようで、次回のクエスト以降はソウゴをクエストに参加させない約束でカズマたち四人には今まで通り報酬が支払われることで落ち着いた。取り決めは王国からのお達しで曲げられないのが末端の辛いところなのかもしれない。

 しかし、大金をあてにしていた二人の落ち込みようは凄まじいもので。カズマは到来する寒波に、アクアは迫りくる返済期限に震えていた。

 

「ねえ、どうして冬のクエストは高難易度のものしかないの?」

 

「冬場は弱いモンスターが軒並み冬眠してしまうからな。過酷な冬を動き回れるのは、強いモンスターしかいないんだ」

 

「だから基本的に冒険者は秋までにある程度の蓄えを作っておいて、冬は緊急クエスト以外で街の外には出ません。この時期に積極的にクエストを受けるのは、勇者や勇者候補と呼ばれる高レベルの冒険者くらいですよ」

 

「勇者かぁ。なんかかっこいいね」

 

 そう呟くと、ダクネスとめぐみんは揃って非常に複雑な顔をした。まるで何か嫌なものでも思い出すような、例えるなら街中でしつこくナンパしてきた男の顔を思い出すような顔にソウゴは首を傾げる。まあ女の子だし色々あるのだろうとひとりごちたソウゴは、背後に人が迫る気配に振り返った。

 

「貴方がトキワソウゴですね」

 

「そうだけど……。誰?」

 

「私は王国検察官のセナといいます。署までご同行願えますか?」

 

 憲兵を二人連れた黒髪ロングの眼鏡お姉さんは、釣り上がった目でソウゴを睨みそう言った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「へー! ここが取調室かぁ。俺、取調室って入るの初めてなんだよね」

 

「そうですか。まあ、普通の人は入る機会なんてありませんからね」

 

 筆記のために控えていた書記にあいさつをしてソウゴは粗末な椅子に着席した。石造りの床と分厚い壁が物々しい印象を与える。窓という窓に鉄格子がはめられているところなどを見ると、犯罪者のための部屋であると嫌でも認識させられる。

 

「ねえセナ、このベルって何? 押してみてもいい?」

 

「それは嘘に反応するマジックアイテムです。ここでは本当のことを言わないと心象を悪くしますよ。では、聴取の方始めさせていただきます」

 

 好奇心を事務的に返されたソウゴは、持て余した気持ちをそっと胸にしまう。何か悪いことしたかなぁと、彼女個人に対する態度と自身のこれまでについて思いを巡らせていると、セナは定型文らしき質問を繰り出してきた。

 

「貴方には現在、魔王軍の関係者ではないかという嫌疑がかけられています。突然現れた規格外の力の持ち主で、その上冒険者登録が正常に行われないバグなどのせいです。そのことを十分頭に置いて答えなさい。……それでは名前、年齢、出身地、職業を」

 

「常磐ソウゴ。歳は18。出身は日本。職業は……王様かな?」

 

「…………。では次に、アクセルに来る前は何を?」

 

「学生をしながら王様を目指してました」

 

「………………? 少し失礼します」

 

 立ち上がったセナは嘘発見ベルを片手に退室する。扉の外からチーンという、間抜けなベルの音が響いてくるが何をしているのかさっぱりわからない。不思議そうな顔で呆けていると、すぐにセナは帰ってきた。

 

「お待たせしました。ではもう一度お尋ねします。ここに来る前は何を?」

 

「だから、学生をしながら王様を目指してました」

 

「…………いいでしょう。では、王様を目指すとは具体的に何をされていたんですか?」

 

「うーん……。クラスメイトで目ぼしい人を家臣に任命したり、どうしたら王様になれるのかなーって考えたり」

 

「………………質問を変えます。あなたの力はどうやって手に入れたものですか?」

 

「オーマジオウの力? そうだなぁ。平成ライダーの歴史を全部継承したあと、友だちを殺された怒りから? あんまり欲しくなかったんだけどね」

 

「…………あの、すみません。もう一度失礼します」

 

 そう言ったセナはもう一度嘘発見ベルを手に、今度は書記も連れて外に出る。また廊下からチーン、チーンと間抜けなベルの音が響いてくると、書記はとても申し訳無さそうに、セナはとても沈んだ目で帰ってきた。

 

「……すみませんトキワさん。何か、嘘を言ってもらっていいですか?」

 

「嘘? いいけど……。『俺は王様になりたくない』」

 

 チーン。

 正常にベルが鳴ったことで、二人の表情はより悲壮感を増す。何がしたいのかわからないソウゴが首を傾げていると、二人は諦めたように自分たちの席に戻った。

 

「ふぅ……。お待たせしました、では続きを。この街にはどういった目的で来ましたか?」

 

「門矢士っていう人に探しものを頼まれて。ベルディアが魔王から貰ったって言ってたから、とりあえず魔王城に乗り込もうかなって思ってるんだけど……そうだ! こういうの見たことない? ライドウォッチ……ベルディアは〈オーパーツ〉って呼んでたんだけど」

 

 そう言ってソウゴはロボライダーのライドウォッチをセナと書記に見せる。セナも書記も不思議そうな目でウォッチを手に取るが、二人ともが顔を合わせて首を横に振った。

 

「そっか……。まあそう上手くはいかないよね」

 

「お力になれず申しわけありません。それはいったい何なんですか?」

 

「えっと、簡単に言うと俺たちの歴史の一部、かな。使うと凄い力が手に入るマジックアイテムって言った方がわかりやすいかも」

 

「つまり、現在魔王軍が所持している可能性が高い危険な代物なんですね。それを集めてどうするつもりですか?」

 

「どうするも何も、元の持ち主に返すんだよ。じゃないと歴史が失われたままになるし」

 

「悪用する意思はないと?」

 

「そんなことしないよ」

 

 セナは嘘発見ベルをチラリと確認する。全く堂々とした置物に慣れたのか嘆息した彼女は、諦めたように目尻を垂らした。

 

「では最後に伺います。あなたは魔王軍の関係者ですか?」

 

「違うよ。俺は魔王だけど、この世界の魔王軍のことは知らないな」

 

「そうですか。ベルも鳴らないし本当にかんけ……今なんと?」

 

「え? この世界の魔王軍のことは知らないよ?」

 

「いえ、その前です」

 

「俺は魔王だけど?」

 

「……魔王?」

 

「うん。時の魔王、オーマジオウ。正確には今からだいたい五十年後の俺がそう呼ばれるんだって。未来は変わったからもう消えちゃったけど、俺がその力を手にしているのは間違いないよ。それがどうかした?」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……どうしてこうなったのかな」

 

 冷たい留置所の中、ぽつんとひかれたゴザの上でソウゴは思いを馳せていた。

 あの後、流れるように拘束されたソウゴは弁解の暇もなくそのまま牢屋に押し込まれた。平行世界の自分が押し込まれた時にはベッドもあったが、どうやらこの世界の人権意識は中世並みらしい。オプションは掛け布団にも満たない薄い布と、丸めただけの枕が置いてあるだけだった。日が落ちて夜も更けてきたが、自分がいつここから出られるという話もされていない。そのくせ檻の鍵はダイヤルロック式という防犯意識なので、現代人感覚のソウゴにとってはなんともチグハグなものである。

 

「窓も高過ぎて外見えないし、暇だなぁ」

 

 ゴザの上にゴロ寝したソウゴは緊張感もなく天井のブロック数を数え始める。建築技術は見上げたもので、固められてるブロックは綺麗に形が整えてあるものばかりだった。天井端で半分に切れているブロックは一と数えるべきか二つで一つと数えるべきか悩んでいると、お腹の虫も自己主張を始める。

 

「……そういやお昼食べてないんだけど、まさか晩ご飯もなしとか言わないよね」

 

 朝食は難癖をつけてきた女神様にいくらか奪われてしまっている。冒険者登録の費用とご飯代まだ返してないなぁなどと考えていたとき、牢屋の奥が騒がしくなってきたのに気がついた。

 

「おいおい、主が帰ってきたのに茶も出ないのかよこの別荘はよー」

 

「黙れ。大人しくしていろ」

 

 憲兵に連れてこられた身軽そうな男は犯罪者とは思えない軽口でソウゴの向かいの牢に投げ込まれる。そんな扱いに文句も言わない彼は、満腹そうに歯の間に挟まった肉を爪でこそいでいた。

 

「あ、確か冒険者ギルドにいた人」

 

「あ? ……ってなんだ、カズマのパーティーのデュラハンスレイヤーじゃねぇか。たしか……ソウゴだったか? なるほどな。だからあいつら外で守衛と揉めてたのか」

 

「何の話?」

 

「いや、なんでもねぇ。ここ出たらカズマたちに礼言っとけよ。ところで、お前何やらかしたんだ?」

 

「さあ? 俺が魔王だって言ったらいきなりここに入れられたんだ」

 

「お前、自分が魔王だって言ったのか? ハハッ! こりゃ傑作だぜ! 王国が何と戦ってるのか知らねぇのかよ! 女神の次に魔王とは、流石はカズマのパーティーメンバーだな!」

 

 ケラケラと愉快そうに笑う彼に、馬鹿にするような邪気は感じない。一頻り笑い目尻に溜まった涙を拭った彼に、話し相手ができたソウゴは遠慮なく絡んでいく。

 

「そういう君こそどうしてここに?」

 

「牢屋仲間だしダストでいいぜ。……冬場の馬小屋は寒いだろ? だからちょっと無銭飲食をな。すると暖かい寝床をタダで用意してくれるんだから、この国は優しいよな」

 

「ダメじゃん」

 

「ハッハッハッ! 違いねぇ」

 

 チンピラのような彼、ダストはこれまた愉快に大口を開ける。酒を飲んでいる姿しか見たことはないが、治安の良いアクセルの冒険者らしく快活な性格のようで口の悪さにも不快感などは感じなかった。そんなダストは不思議そうに疑問を投げかけてくる。

 

「でもよ、お前くらいの力があればこんな壁くらい楽にぶっ壊して外に出れるだろ。とっとと魔王ぶちのめして首持って帰ってくりゃ、無罪放免で王族入りまでできるじゃねぇか」

 

「……この世界は魔王を倒したら王様になれるの?」

 

「王様っつーか、そうだな……。ベルゼルグ王家は強い勇者の血を引き入れて強くなってきた一族だからな。だから魔王を討伐すれば王族の仲間入りは確実だろうぜ」

 

 そうダストが言うと、「ふーん」と興味なさげにソウゴは返す。彼にとってあまり有益な情報じゃなかったのか、一瞬寂しそうな目をしたのをダストは見逃さなかった。少し思案したソウゴが口を開く。

 

「ダストは、王様って何だと思う?」

 

 ダストは返す言葉に詰まった。いつもなら鼻で笑って、おちゃらけて、適当に返していただろう。でもそうしてはならないと、ソウゴの顔を見た理性が語りかけてくる。その真剣な言葉が心をざわつかせる。だからなのか、彼は自分でもらしくないと思う言葉を吐いた。

 

「……見知らぬ誰かのために泣けるやつ、かな」

 

「……俺、ダストのこと結構好きかも」

 

「やめろよ気持ち悪いな。せめてかわいい女の子に生まれ直してから同じこと言ってくれ」

 

 話は終わりだと、ダストはぷらぷらと手を振って布に包まる。気分転換にはなったようで、ソウゴの瞼も重くなってきた。こんな立派な犯罪者となった姿を友が見たらなんと言うだろうか。今日はなんだかいい夢が見れそうな気がして、ソウゴは空腹を紛らわせるように眠りについた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「…………あれ? ここって……」

 

 ソウゴが目を開くと、そこには壁などなかった。石造りの固い床は白黒のタイル張りに、オプションはペラペラの寝具からアンティークな椅子に、目の前にあるはずの壁は純白の椅子とドレッサーに、そして何より場所が檻の中から――

 

「――死者の世界、だったっけ?」

 

「はじめまして、常磐ソウゴさん」

 

 気がつくと目の前の椅子には修道服に身を包む美女……いや、美少女が座っていた。透き通るような声が、名乗った覚えもないのに自分の名前を呼ぶ。どことなくアクアと同じ雰囲気を感じさせる彼女は、こちらをひどく警戒しているようだった。

 

「はじめまして。えっと、誰さん?」

 

「私はエリス。貴方の向かった世界で、死者の案内をしている女神です」

 

「あ。アクアと同じ女神様なんだ」

 

「はい。水の女神アクア様は私の先輩になります」

 

 ふむ、とソウゴは考える。あのアクアの後輩と言うにはあまりにも落ち着きすぎている。出会ってまだ二日だが、酒を飲みカズマに怒られカズマをおちょくる姿しか見ていないので判断に苦しむ。が、女神と聞いてある結論に達したソウゴのやることは一つと決まっていた。

 

「すみませんでした」

 

 綺麗な直角を維持して頭を下げる。誠意が足りないと言われたことを思い出して今度はきちんと礼を尽くしたつもりだが、当の女神は突然の謝罪にたいへん驚いた様子だった。

 

「ど、どうされたんですか!?」

 

「え? 全仮面ライダーを代表して謝らせるために神様パワーで俺を殺してここに連れてきたんじゃないの?」

 

「時の魔王にそんな恐れ多いことしませんよ!? あと貴方は死んでませんからね!?」

 

 どうやらこのエリスという女神様はアクアとはだいぶ違う性格をしているらしい。そう分析を終えたソウゴは、謝られて慌てふためく女神というアクアでは絶対に見られない光景を前にしてゆっくりと椅子に座り直した。

 落ち着きを取り戻し咳払いをしたエリスは、緊張が解れたのかじっとソウゴの目を見つめた。

 

「お休みのところお呼び立てして申し訳ありません。貴方の眠りが深くなったタイミングで、魂だけこちらに来ていただきました」

 

「それって大丈夫なの?」

 

「いえ、言わば貴方の体は仮死状態です。長引けば生命に関わりますので、手短にお話したいと思っています。よろしいでしょうか?」

 

 ずいぶんと丁寧な女神様だなと感心する。はあ、と相槌を打ったソウゴを見て安心したのか、少し肩の力を抜いた彼女はこちらを探るように言葉を選んでいた。

 

「まず初めに。門矢さんから概ねの事情は聞いています。過去に繋がっていたとはいえ、この世界への介入を許してしまったことは私の責任です。ご足労いただき、ありがとうございます」

 

「いや、別に大したことじゃ。俺も元の世界にはいられなかったし逆に良かったというか……」

 

「そう言っていただけると幸いです。それでは、本題に入りたいと思います」

 

 そう言うと、エリスは息を整える。軽く深呼吸しているが、あのわがままの化身のような女神の後輩がどうしてここまで緊張しているのかわからない。そんなソウゴを置いてけぼりにして、エリスは意を決したような、覚悟の宿る目にソウゴを映した。

 

「これは取引です。貴方にとっては不利かもしれません。ですがこの条件をのんでいただかなければ、この世界を預かる女神として今この場で貴方の魂を消滅させなければなりません」

 

 重い言葉に、ソウゴの表情も険しくなる。士に頼まれるがまま何も気にすることなく世界を移動してきたが、女神にここまで言わせるのだからよっぽどの不都合が生じているのだろう。最悪、変身不可ということもありえる。その場合、いくら時を操るソウゴ本来の力を使えたとしても、ライドウォッチを使う相手には不利だろう。条件次第では魂を消滅させると豪語する神様と交渉、なんていう無茶なこともしなければならない。

 時を戻しすぎたか、それともカズマの言うようにパワーバランスが崩壊したのか。緊張の面持ちで身構えていると、エリスもそれに合わせて一層険しい表情で口を開いた。 

 

「はい。貴方を牢屋から安全に出す代わりに、二つほど守っていただきたいことがあります」

 

「二つ……。それって?」

 

「一つめは、この世界にいる全生命の魂を弄ばないこと。二つめは、…………この世界を破壊しないこと」

 

「……へ?」

 

「貴方の事は門矢さんから聞いています。未来の地球に君臨する最低最悪の魔王、オーマジオウ。世界をその手にし、荒廃した世を生み出した悪の権化、暴力の化身、理不尽の擬人化。気まぐれで世界を作り直し、怒りに触れれば存在を歴史から抹消され、暇つぶしで殺戮を楽しむ狂気のエンターt「待って待ってちょっと待って!」

 

 どえらい風評被害が一人歩きをしていた。よくそんな話を鵜呑みにしたなと問い詰めたくなる気持ちを抑え、恐らく全ての元凶である士の顔を思い出してため息をつく。

 

「……門矢士から何を言われたのか知らないけど、それほとんど嘘だと思うよ」

 

「嘘!?」

 

「たぶん、何でも信じる女神様の反応が面白くてあれこれ吹き込んだだけだと思うから。それに俺、目指してるのは最高最善の魔王だし、この世界をどうこうしようなんて思ってないよ」

 

「そ、そんな……。世界の危機だと思って〈天啓〉の許可まで取ったのに……。お叱りと始末書覚悟で天界規定を破って貴方を呼んだのに……」

 

 わななく彼女を見て、人間くさい神様だなぁと思う。原因はあの破壊者の悪ノリのせいなのだが。そもそも、あの何を考えてるかわからない自由気ままな男にこんな一面があったことに笑いがこみ上げてくる。女神様の耳が羞恥で真っ赤に染まる頃、ソウゴは自分の手が透け始めてることに気がついた。

 

「あ、これってもうお別れってこと?」

 

「……はい。そろそろタイムリミットです。これ以上長くここに留まると肉体への負荷が許容範囲を超えてしまい、〈リザレクション〉をかけないと帰れなくなりますから」

 

「その……ごめんね?」

 

「いえ、元はと言えば全てを信じた私の責任です。門矢さんは天界でも自由人だと有名ですし、貴方が大人しく牢屋にいる時点で気づくべきでした……」

 

「あ、門矢士って有名なんだ」

 

「はい。あの人は消滅した魂が人々の記憶の力で復活した唯一の成功例ですし、その影響なのか天界の存在でもないのに勝手に仮面ライダーのいる世界以外の異世界のゲートを開けて通るので上も頭を悩ませています」

 

「その、知り合いがいっぱいごめんね? 俺はちゃんと女神様との約束守るから」

 

 女神様をなだめていると、とうとうソウゴの視界がぼやけてくる。体も意識ももう、あるのかないのかわからないところまで薄れてしまっていた。名残惜しいような気がしなくもないが、彼女の言葉を信じるなら自分は晴れて自由の身になれるはずだ。牢屋を出たら教会にでも行って感謝しようと考えていると、消える寸前のソウゴにエリスが慌てて声をかける。

 

「言い忘れていたことがありました! 貴方の探し物はアクセルの街のとうぞ――

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「とうぞってなに!?」

「うひゃぁぁあ!!?」

 

 飛び起きたソウゴの目の前には、昨日半日見ていた女性の顔があった。檻越しでも驚いたのかズレた眼鏡を直す彼女は、ソウゴの間の抜けた「おはようございます」に対して不服そうな顔を返した。

 

「出なさい。釈放です」

 

 曰く、今日の朝になってエリス教徒のプリーストたちが揃って同じ夢を見たと言ったそうだ。それは王都にいるプリーストもアクセルにいるプリーストも例外はなく、『女神エリスが夢に現れて、今留置されている魔王を名乗る青年を釈放せよと言う』という内容だったそう。この〈天啓〉を重く受け止めたベルゼルク王国はすぐさま通達を出し、今に至る。

 一日ぶりに外の空気を吸い、大きく伸びをする。意外と外も中も変わらないなと思いながらも、一度は言ってみたかったことを声にした。

 

「シャバの空気だ〜〜〜!」

 

「いったいどんな手を使ったかは知りませんが、これからは無闇矢鱈に魔王を名乗るのは控えてください。あと、これを」

 

「なにこれ」

 

 そう言ってセナからブレスレットを受け取る。見たところ何の変哲もない銀製のアクセサリーのようだが、ソウゴの手首にはかなり大きいように思える。説明を聞く前にとりあえず腕を通すと、ブレスレットは手首がきつくない程度に自動で縮んだ。魔法っぽさにソウゴが喜んでいると、何食わぬ顔のセナは話す。

 

「それは、このアクセルの街から離れるほどに貴方の手首を締め上げるマジックアイテムです。我々の許可無く街の外に出れば手首を締め付け、遠出をしようものなら容赦なく手首を切り落とすことでしょう」

 

「あの、そういう物騒なものを気軽に渡すのやめてくれない? もう嵌めちゃったんだけど。取れないし」

 

「説明する前に着けたのは貴方です。真意はさておき、魔王を名乗る者を野放しにはできませんし、〈天啓〉によって釈放されたとはいえ我々が貴方を魔王軍のスパイとして疑っていることをお忘れなく」

 

 そう捨て台詞を吐いて、セナは踵を返し戻っていく。当分は魔王城へ乗り込むことができなくなり、なおかつ街の外にライドウォッチを探しに行くことも困難となった。ソウゴがその気になればこのブレスレット程度なら破壊できるだろうが、これ以上騒ぎを大きくしてせっかく頑張ってくれた女神様の顔に泥を塗るのも、苦労をかけるのも、どちらも忍びない。

 これからどうしようか考えながら警察署の敷地を出ると、守衛のそばで塀を背にして寝むりこけている四人が視界に入った。ボロ布一枚を四人で仲良く分けてくっついているが、馬小屋の方がまだ暖が取れただろうに。とりあえずはダストに言われた通り、この世界でできた新しい仲間たちに感謝を伝えよう。この寒空の下、ソウゴが一番初めにやることは決まった。




拝啓、若き日の俺へ

新しい世界、新しい日常はいかがですか? 俺は新しくできた仲間たちと楽しくやっています。一年ほど前、ようするに今頃のあなただった俺は、まさか世界を作り直して異世界に行くとは思っていませんでした。こちらのご飯も美味しいですが、おじさんのご飯が一番だなと思います。ゲイツやツクヨミとは仲良くやっていますか? ウールやオーラは同学生、流石にスウォルツに学生服は無理があるので教師にしておきました。王位が関係なくなりツクヨミとは他人にしておいたので無害だと思います。たまにウォズの「祝え!」が恋しくなります。たまにでいいので代わりに祝ってもらってください。

追伸。なるべく神様のことを敬ってください。葛葉紘汰のことではありません。またお手紙書きます。

                       俺より


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この無職の魔王に労働を!

「働きたくはないが、そろそろ働かないとやばい」

 

 カズマの神妙な呟きは、酒場の喧騒の中でも十分に響いた。

 釈放された次の日に王国から名ばかりの見舞い金が送られてきて三日が経った。『魔王軍と戦う勇者候補に対しての無礼を心から謝罪する』という内容の長々しい建前がセナからの口頭で伝えられたが、セナがソウゴに付けたブレスレットを回収しなかったところを見るに実際はソウゴの危険性を鑑みて一応の謝罪をしておいた方が無難だろうという判断なのだろう。

 しかし下手に出てきた相手には容赦なくマウントを取り絞れるだけ絞るカズマにしては珍しく、そのことをやり玉に挙げてとやかく言うつもりはない。というのも

 

「やっぱりあのとき、もっとセナに吹っかけとくべきだったかぁ」

 

「面倒だし目をつけられるのも嫌だからこれで手打ちにしようって言ったのはカズマじゃない」

 

「仕方ないだろー。まさか冬がこんなにクエストのない季節だったなんて思わなかったんだよ」

 

「俺が街の外に出られたら、報酬減らされても数をこなしてそれなりに稼げたかもしれないけどね」

 

「まあまあ。本来、何の準備もなく冬を過ごそうというのが間違いなのだ。ここは諦めて高難易度クエストに行くしかあるまい」

 

「難易度が比較的低い群れの討伐より、高く設定された大型モンスター相手の方が我が爆裂魔法による勝利が狙えますよ」

 

「それ、リスクがデカ過ぎないか?」

 

「わ、私は構わないぞ! ベルディアに浴びせられた絶命の一太刀、悪くなかった……!」

 

「死にたてほやほやなら私が〈リザレクション〉で生き返らせてあげられるけど」

 

「全滅したら時間を巻き戻すよ」

 

「なんで誰か死ぬこと前提で話進めてるんだよ! 怖いよお前ら! それにそんなリスクの高い作戦却下に決まってるだろ。『いのちだいじに』って知らないのかよ」

 

「その代わりリターンも大きいですよ」

 

「全滅の可能性をちょっとハイリスクくらいの感覚で口にすんな。どんな倫理観だ。寒すぎて頭まで凍ってるのか」

 

「しかし、それでも挑む価値はあるのでは? 私も少し前から馬小屋生活ですし、拠点確保のためにも大金は必要でしょう」

 

「そうなんだよなー。目先の生活費も大事だが、その先も色々と物入りなんだよなー」

 

 悪態の刹那、カズマは思案を巡らせる。生活費を稼ぐなら街から出ることができなくなった事実上の戦力外通告のソウゴとともに全員でアルバイト生活が一番の安牌だが、そう悠長なことも言っていられない。押し寄せる寒波は貧乏冒険者たちに牙を向き、今朝などまつ毛が凍るほどの寒さが馬小屋に到来していた。洗濯物も乾くどころか霜が降りていて、その納涼っぷりが体感温度を引き下げるのに活躍していたぐらいだ。

 

「ダクネスの話じゃ、これから更に吹雪いたりするんだよな?」

 

「ああ。あと一、二週間もすれば雪が降り始めるだろう。去年は吹雪のときウチ……の馬小屋暮らしの冒険者たちは教会や貴族なんかが用意した家屋に避難して難を逃れていたぞ」

 

「緊急事態のときだけ避難できる場所があっても、毎日が非常事態みたいなもんだからな。あてにはできないか」

 

「屋根があるだけマシだけど、藁だけじゃもう暖も取れないもんね」

 

「ダクネスは去年、どうやって冬を過ごしたのですか? 確かクリスと二人パーティーでしたよね。やはり宿ですか?」

 

「いいや。クリスは教会に、私は実家が近いのでな」

 

「よし。じゃあ金もないしダクネスの実家にお世話になるか」

 

「は!? む、無理だ無理だ! それだけは絶対に無理なんだ!」

 

 冗談混じりにダメ元で提案してみたが、予想を大きく上回る慌てぶりで拒否されてしまった。流石にそこまで拒絶されると心に来るものがあったのか、少し泣きそうなカズマにアクアたちが助け船を出す。

 

「そりゃ、モンスターに襲われて紅潮してるダクネスをいやらしい目で見てるカズマさんに実家の敷居を跨がせるのは嫌だろうけどさ」

 

「そうです。鎧を脱いだときのダクネスの無防備な姿を食い入るように見つめるカズマに生理的な抵抗があるのはわかりますが……」

 

「お前ら、援護射撃と見せかけて仲間の背中を蜂の巣にするのやめない?」

 

「いや、私としては手を出す度胸もないくせに頭の中で私を辱めることにご執心なカズマの目には何の問題もないのだが……」

 

「今までのこと謝るし改めるからこの話題終わりにしてくれませんか……?」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 女性陣からの集中砲火に耐えきれず半ベソをかいたカズマの頭をアクアが子どもをあやすように優しく撫でている横で、やはり難色を示し続けるダクネスは今まで見たことのないような複雑な表情をしていた。ベルディアとの戦いの時、仲間だと言ってくれた彼女が意味もなく拒絶するわけもないとソウゴは考えをまとめる。

 

「理由を言いたくないならいいんじゃないかな? カズマが理由ってわけじゃないんでしょ」

 

「ああ、勿論だ。その……、皆にもいつか必ず話す。それに安心してくれ。今年は私も皆と同じく馬小屋に泊まろう。何なら今日から!」

 

「それ何の解決にもなってないような……」

 

「まあ何にせよ、クエストを受けなければその馬小屋生活すら危ういのです。カズマも自業自得なんですから、いつまでもアクアに甘えていないで仕事を探しに行きますよ」

 

 めぐみんの号令で各々がぞろぞろと席を立ちクエストボードに向かう。クエストには参加できないものの、今後の方針の打ち合せのためにもと後を追いかけるソウゴに、少し傷が癒えたカズマを連れたアクアが声をかける。

 

「ついでにソウゴのバイトも探さなきゃね。日本の高校生ならヒキニートだったカズマと違ってバイト経験くらいあるわよね?」

 

「え? 働いたことなんてないよ。王様目指してたし」

 

「じゃあ大学に向けて勉強してたのか? 知力も中々だったもんな」

 

「進学するつもりもなかったよ。王様になる予定だったから」

 

「……どうしよう。こいつ、仮面ライダーにならなかったらとんでもない自宅警備の王になってたんじゃないか?」

 

「そんな……。正義の味方がカズマさんを超えるキングニートだったなんて……!」

 

 二人が衝撃を受けている傍らでへらへらと笑うソウゴは、どうしてかギルドに入ってくる足跡が耳について振り返った。

 そこに立っていたのは銀髪の少女。顔の傷跡は名誉の勲章なのか、彼女はキョロキョロと愛嬌のある素振りでギルド内を見回していた。年の頃はめぐみんと同じだろうか。何故気になったのかもわからず眺めていると、同じく気づいたカズマが親しげに彼女の名を呼んだ。

 

「お、クリスじゃないか。どうかしたのか?」

 

「あ、いたいた! ちょっと皆に手伝って欲しいことがあるんだけど……って、もしかしてお取り込み中?」

 

 駆け寄って来た彼女に、ソウゴはどこか見覚えがあるような気がしてついじっと見てしまう。この季節に露出の多い軽装備。しかしカズマのような新人冒険者と違い自身に最適化された装いなのだろう、身軽さを重視しつつ無駄がない。そしてこの横顔、この声、この髪色……そこまで考えてソウゴは気がついた。

 俺はこの人を知っている。

 そう直感が答えを囁いたとき、彼女は初めて会うような顔でソウゴに微笑んだ。

 

「ソウゴはまだ会ったことがなかったっけ。こいつはクリス。ダクネスの友達で、俺のスキルの師匠だ」

 

 紹介された彼女は、愛らしい笑みを浮かべてソウゴに握手を申し入れた。

 

「はじめまして、クリスだよ。職業は盗賊。よろしくね、ソウゴ……くん?」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「教会の炊き出しにバザーの準備か。もうそんな時期だったんだな。冬の準備に気を取られすぎていた」

 

「私もアクセルに来た頃はお世話になったのでお安い御用ですよ」

 

「後輩の信者が中心とはいえ、女神が民衆に手を差し伸べない道理はないわ」

 

「そうだな。クリスには色々と世話になってるし、クエストは明日にするか」

 

「いいよいいよ、気にしないで。仕事も大事だし。こっちはまた次の機会でいいからさ」

 

「だが、わざわざエリス教徒でもないカズマたちの手も借りたいということは、よほどの人手不足なのだろう? すまないがみんな、私だけでも……」

 

「いいってダクネス。それに、唯一の前衛が抜けたらみんな困るでしょ?」

 

「いやしかし……」

 

「じゃあ俺が行こうか?」

 

 堂々巡りの話し合いを傍観していたソウゴが手を挙げる。クエストに参加できないソウゴは四人が出発したあとは手持無沙汰になるだけなので、牢屋から出してもらえた恩を返すことにもなり本人としても丁度よい。ダクネスが申し訳無さそうに、残りのメンバーは納得の顔をしていると、クリスは慌ててその提案を一蹴した。

 

「うぇ!? だ、駄目だよ! 君が一番駄目だよ!」

 

「え? どうして?」

 

「そ、それは……。ほら! デュラハンを一方的に倒した君が抜けたら戦力ガタ落ちじゃないか! 冬のクエストでそれは命取りだよ!」

 

 クリスの同意を求める表情に、女性陣は気まずそうに目を逸らす。特に事実を突き付けられて遠い目をするカズマなんて目も当てられない。自分の言葉に予想とは違う反応が返ってきたクリスは、目を丸くしながらダクネスの話に耳を傾けた。

 

「ソウゴはクエストに行けないんだ。冒険者登録ができなかったから、参加すれば報酬は国の取り決めでソウゴ分減額される。それに、街の外に出たら手首がもぎ取れる腕輪も付いてるしな」

 

「そうそう。だから気にしないで。俺もエリス様にお礼したいし」

 

「な!? まさかソウゴ、この私のパーティーにいながらエリス教に入信するつもり!?」

 

「今そんな話してないだろ。話が進まないから黙ってろ駄女神」

 

 ソウゴが見せるブレスレットを凝視して、クリスは顔を真っ青にして固まってしまう。わなわなと手を震わせ、釣り上がってしまった頬の筋肉は元に戻るのに時間がかかりそうだ。危険なマジックアイテムに怖れを抱いたのか、この世の終わりのようなその表情からポツリと言葉が漏れ出た。

 

「じゃ、じゃあ……お願いしよっかな〜……」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「その、ごめんね? エリス教徒でもないのにこんなこと頼んで……」

 

 手頃そうなクエストを見つけたらしく雪山に向かったカズマたちと別れ、炊き出しに必要な食材を買い込んだ二人は一路協会を目指していた。荷物はクリスが一手に引き受けようとしたが、自分よりも小さな女の子を荷物持ちにするわけにもいかずほとんどをソウゴが抱えている。この世界の野菜は動き回るらしく、新鮮ゆえかたまに袋の中でもぞもぞと動いているのが妙にソウゴの違和感を刺激していた。

 

「気にしなくていいよ。俺も聞きたいことあったから二人になれてちょうど良かったなって」

 

「聞きたいこと?」

 

「うん。前言ってた『とうぞ』って何? あれから色んな人に聞いたんだけど、地名でも人名でもなさそうだから行き詰まってて」

 

「ああ、やっぱり聞き取れてなかったんだ。あれは『盗賊に会えばわかるかも』と言ったんです」

 

「あ、盗賊! じゃあクリスを探して話を聞けばよかったのか」

 

「はい。こちらで接触できればなにかと助言やサポートを…………」

 

 そこまで言って、クリスの歩みが止まった。どうしたのかと振り返ると、呆然と立ち尽くすクリスは恐る恐る言葉を発する。

 

「……気づいていらしたんですか。私の正体」

 

「うん。途中からだけど。そういえばエリス教って国教なんだってね。凄いんだねエリス様って。お告げで俺を釈放できるわけだ」

 

 ソウゴはなんでもないように荷物を抱え直し歩き始める。その後ろに小走りで着いてきた彼女は、ソウゴの真意を問うように様子を伺っていた。嘘だったと教えられても流石に世界を作り直せる力を持つ存在に恐怖を抱いているのか、それとも元から謙虚なのか。ソウゴの知る酒飲みの女神とは違ってずいぶんと低姿勢な女神様は、しっかりと言葉を選んでいるようだった。

 

「怒っていますか?」

 

「どうして? 俺、怒るようなことされた?」

 

「確かに外へは出られましたが、ライドウォッチの回収という目的からは遠退きました。そのお役目も本来は私のものなのに肩代わりさせ、その上拘束具で不自由を強いています」

 

「元は俺の不始末だし、これに関しても不自由な感じはしないけど。それに結構楽しいよ、この生活」

 

 そんなソウゴの言葉に異を唱えるクリスは、彼の前に立ちはだかりその歩みを止める。彼女の真っ直ぐな瞳には同情や憐憫はなく、ただあったのは後悔の色だけだった。

 

「しかし他の転生者の方と違い貴方は見合う対価も、恩恵も、何も受け取られていません。本当であれば客人としてもてなすべき時の魔王にこのような扱いを……」

 

「真面目だなぁ。エリス様って本当にアクアの後輩なの?」

 

 しゅんと縮こまるクリスを見てクスクスと笑いを漏らすソウゴは、優しい目で街を見渡す。駆け回る子どもたち、談笑する大人、すれ違う冒険者。誰も彼もが平和を享受し、その中で笑い助け合い生きている。ここ数日でソウゴが感じたことは、そういうのどかな時間だった。

 

「それに俺、恩恵なら貰ってるよ」

 

「へ?」

 

 その返しに、間の抜けた声を出したクリスは心当たりを探る。オーマジオウの降臨に関わった天界の者はおらず、送り届けられたあと士が事後報告をしに来たことだけが記録に残っていたはずだ。持ち出された神器も、付与された才能も、増産された財宝も、なにもないことを何度も確認した。言葉の意味を測り兼ねていると、ソウゴはとても生き生きとした目でこう言った。

 

「“仲間”。この世界でできた、俺のことを仲間だって言ってくれる皆。だからもし俺にまだ悪いなと思ってるならさ、()()()も俺の恩恵になってよ」

 

 ね? そう笑いかける彼に、クリスは戸惑った。吹っ切れたような意志の力。無欲とはどこか違う。それどころか、今まで見届けたどの人間よりも欲深い彼の言葉に自分が思い違いをしていたことを思い知らされる。彼は誰に対しても、自分に対しても、嘘をつかないのだと。

 

「……それでいいんだね? ()()()()()

 

「よろしくね、クリス」

 

 歩幅を合わせ、二人は歩き始める。収まりのいい距離感を落とし所にできたクリスは少しだけ、この優しい魔王のことを理解できた気がした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ソウゴさん、すみませんが配給の方に回っていただけますか?」

「その次はこの荷物を向こうに。テーブルはバザーに出品しますので裏手へ」

「男性の手を借りたいのですが、ソウゴさんよろしいですか?」

「まおーのにーちゃん遊んでー!」

「アクシズ教徒にパンを袋ごと持ち逃げされた! 誰か捕まえてくれ!」

 

 

 

 

「つ、疲れた〜〜……」

 

 教会に到着するや否や、詳しい説明もほどほどに怒涛の勢いで東奔西走するソウゴが一息つけたのはもう日も暮れる頃だった。本当に人が足りていないようで、これならカズマたちにもお願いするべきだったかと少し後悔する。

 教会の前の階段に腰を掛け、貰ったパンとスープを遅めの昼食として頬張る。途中で「ごめん! ちょっと上に戻ってくるね!」と断りを入れてから姿を消したクリスの帰りを待ちながらバザーの様子を眺めていると、見知った顔がこちらに近づいてくることに気がついた。

 

「あれ、セナじゃん」

 

「教会の手伝いとは殊勝な心がけですね。まあ、無償で聖職者の手伝いをする魔王など聞いたことがありませんが。その看板、取り下げては?」

 

「それはできないよ。これは俺の大切な友人たちへの誓いだから。そういえば、セナはここで何してるの?」

 

「貴方の監視……と言いたいところですが、今日はバザーの視察と警備です。本来は私の管轄ではありませんが、下の者が出払っていて今は人員が不足していますから。朝からいましたが気づかなかったんですか?」

 

「ごめんね。周り見る余裕ないくらいこき使われてたから。……って、人手不足? そっちも?」

 

 警察も教会もイベント事だというのに計画性がなさ過ぎるのではと、ソウゴは疑問符を浮かべる。事前にわかっていたはずなのに応援を呼べないなんて、駆け出しの街とはいえ邪険に扱われていいものかと憤りを感じていると、セナは少し疲労の見える表情でため息をついた。

 

「仕方ありません。デストロイヤーの進路調査に向かってくれる冒険者がいないので、そちらに人員を割くのは当然ですから」

 

「デストロイヤー?」

 

「機動要塞デストロイヤーを知らないんですか? ニホンという国は随分と辺境の地にあるんですね」

 

 驚いているセナと対象的に、チープな名前のふざけた存在に心当たりのないソウゴはスープを飲み干す。そんなソウゴを世間知らずな人間を見るように、セナは胸元から一枚の写真を取り出した。

 

 古代兵器・機動要塞デストロイヤー。かつて栄えた大国で対魔王用の機動兵器として建造された蜘蛛型の大型要塞であり、完成と共に設計者が中に立て籠もり暴走した特急危険物。常に展開されている堅牢な魔法障壁と中には防衛用の生体ゴーレム多数、近づくモノを自動で撃ち落とすビームや、周辺を焼け野原にする全方位型熱線などを搭載。自国を滅ぼした後も止まることはなく、通ったあとはアクシズ教徒以外草も残らないと言われている。紅魔の里やあの魔王ですら放置している曰く付きの代物である。

 

「……とまあ、簡単に説明するとこういうものです」

 

「古代兵器か……。ちょっと見て来たいからこれ外してくれない?」

 

「オススメはしません。いわゆる天災というものですし、幾ら腕に覚えがあっても個人で撃破は不可能でしょう」

 

「もしかしたら、ライドウォッチの影響を受けてるかも」

 

「魔王軍が所持しているマジックアイテムが、遥か昔に作られたデストロイヤーに搭載されていると? 流石に考え過ぎでは?」

 

「そうだといいんだけど……」

 

 そんなことを話しているうちに、教会の中から声をかけられるソウゴ。待っているのは炊き出しの片付けやバザーの撤収。その後はエリス様にお祈りを捧げるらしく一段と忙しくなるらしいことは言われていたため、立ち上がって活力を入れるため大きな伸びをする。

 

「じゃあ俺、呼ばれたから行くね。……そうだ。何かいいバイト紹介してくれない? 監視もできるし人手不足なら丁度いいでしょ?」

 

「……観察対象が我々に仕事の斡旋を頼むなんて聞いたことありませんよ」

 

「そうなんだ。じゃあよろしくね!」

 

 返事も待たず要件を押し付けてさっさと教会に帰っていったソウゴを見送り、一人残されたセナは奇特な男の行動に息を漏らした。あくせく走り回る姿も子どもと戯れる姿も本心なのだろうかと思いを馳せる。明日から業務に加えて問題児の世話係までさせられるのかと頭痛の種ができたことに後悔しながらも、裏表のなさそうな彼に少し興味が湧いたセナだった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おかえりー……って、カズマ大丈夫?」

 

「クタクタだね。何のクエスト行ってたの?」

 

 一足先に撤収したソウゴとクリスが酒場にて四人を出迎える。アクアは嬉しそうに、ダクネスは堂々と、魔法を使ったのかめぐみんをおぶるカズマは疲労困憊の四者四様の有様だった。クリスの問いにカズマが答える。

 

「……雪精」

 

「あー、じゃあ冬将軍にやられたんだ。大丈夫だったの?」

 

「聞いてよ二人とも! 首チョンパされたカズマを私が生き返らせてあげたのに、目を覚ますなりチェンジとか言い出したのよこのクソニート!」

 

「あーあ! やっぱアクアよりエリス様の方が綺麗だし、心優しいし、女神って感じするよなー。俺が死んでも悲しんでくれたし」

 

「なんで後輩には様付けで私は呼び捨てなのよ! 私のことも敬って! もっと讃えてよ!」

 

「お前、日頃の自分の行いを考えろよパチモン女神が!」

 

「パチモンじゃないもん! 本物だもん! どうしてパッド入りのエリスが本物扱いなのよ!」

 

 一気に騒がしくなる酒場に、ソウゴは笑いを堪えきれずにいた。隣を見ると照れて恥ずかしそうに頬を赤らめているクリスがいて、それが余計に面白く感じる。ギャイギャイと掴み合いの喧嘩を始めた二人を置いてめぐみんを席に座らせたダクネスは、仲裁もせず二人に言葉を投げた。

 

「そっちはどうだった?」

 

「うん。ソウゴくんもしっかり働いてくれて大助かりだったよ。今夜はしっかり皆にお礼するね」

 

「向こうでセナに会ってさ。デストロイヤーってやつの調査で人がいないって言ってたから、バイトさせてくれって頼んできたんだ。明日から少しの間は正門で守衛さんだよ」

 

「ほほう、ちゃっかりしてますね。仕事を得るだけでなく善人アピールをして腕輪を外してもらう作戦ですか」

 

「まあね。給料は日払い、交代制で一日二万エリス」

 

「毎日二万貰えるなら、シュワシュワ飲み放題ね!」

 

「人の金で酒飲もうとするんじゃねぇよ! ソウゴの稼ぎは五等分して生活費、俺達はクエストで稼いで冬を越すための家を買うんだよ!」

 

「まあまあ。今日はあたしの奢りだから気にせず飲んでよ」

 

「そ、そうですか! では私も今夜はシュワシュワを「クリスはカズマと違って太っ腹ね! よーし! すみませーん! こっちにシュワシュワ五つと牛乳一つ! あと適当にご飯もー!」

 

「お前は少しは遠慮しろ!」

 

「めぐみん、諦めろ」

 

「私はいつになったらシュワシュワを飲めるのでしょうか……」

 

 賑やかな夜が更けていく。きっとどの神器を貰ってもこの光景だけは手に入れることができなかっただろう。そんなことを思いながら、クリスはソウゴの選んだ恩恵を噛み締めていた。

 

「はい! 花鳥風月〜」

 

(先輩の宴会芸で飲むお酒も、なかなか悪くないかも)




拝啓、親愛なるおじさんへ

突然のお手紙に驚かれていることと思います。今日はご報告があって連絡しました。なんとこの度、異世界でアルバイトをすることになりました。日給二万エリスという高待遇で、職場には私のことを牢屋に入れた上司がいるので職場環境は良好です。勿論、王様になる夢を諦めたわけではありません。おじさんの言葉は私の中で今も生きている教訓です。ですが、初任給でおじさんに美味しいものを食べさせたかったのでそこは後悔しています。そちらの私に食べさせてもらってください。

                     ソウゴより


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この凍えそうな季節に希望の光を!

 魔王の朝は早い。

 夜は寒さでなかなか寝付けないくせに、朝は睡魔が後ろ髪を引いてくるのだから冬は困りものだ。しかし幸いなことに、彼を捕まえて離してくれない布団もベッドもここにはいない。寝心地の悪さに少し感謝をしながら、目をこすって、大きく伸びをして、そうするとようやく目が闇に慣れてくる。

 息を吐いてもその白さがわからない暗所から、カズマたちを起こさないようにそっと抜け出す。暗闇での抜き足差し足も盗賊職と遜色はなく、寝ぼけていたとしてももうアクアの頭を踏むことも、めぐみんの杖を蹴り飛ばすこともないだろう。建て付けの悪い扉を、音を立てないよう慎重に開く。

 外の空気は当然、馬小屋の中より新鮮だった。大きく吸って、肺いっぱいに冷たい空気を取り込んでゆっくりと吐く。

 

「今日も寒いなぁ」

 

 着の身着のままでこの世界にやってきてまだ半月も経っていないが、そろそろ冬服の重要性が深刻だ。そんなことを考えながら顔を洗うために水場に行くと、そこには先客の姿があった。

 

「あ。おはようダクネス。今日も早いね」

 

「ソウゴか。おはよう。私が起こさなくても起きられるようになったな」

 

「まだ眠いけどね」

 

 走り込みを終えたあとなのか、汗を拭うダクネスの手には既に素振り用の剣が握られている。日々努力を積み、なおかつ素振りのフォームも変わったところはなかったが、歴代及び現役のパーティーメンバー曰く何故か敵に攻撃が当たらないらしい。不器用を超えた不思議の領域に片足を突っ込んでいる我らがクルセイダーは、今日もいい笑顔で頬を上気させていた。

 

「ダクネスは朝強いんだね」

 

「早朝の鍛錬は日課だから目覚めてしまうだけさ。それに、薄着でこの寒さを体感できるのはこの時期だけだしな。この汗を吸って冷たくなった服と、吹く度に感じる肌を刺すような風がたまらん……っ!」

 

「今日は白い狼退治だっけ。風邪引かないように気をつけてね」

 

 ダクネスの特殊な性癖にも慣れたもので、笑いながら流したソウゴはダクネスと別れ職場となる正門をのんびり目指す。空が白み始めるが、街はまだ寝息を立てていた。

 交代制の日勤。夜勤でない理由は、外からソウゴが外敵を招き入れないように監視するため。ソウゴとしてももう少し信用してくれていいと思うのだが、深夜割増などの概念がないこの世界で寝ぼけ眼を擦りながら働くのも御免被りたいため文句は言っていない。

 職場に近づくとようやく人の気配を感じる。見慣れた甲冑の集まりに、ソウゴは手を挙げて声をかけた。すると、中心にいたこの集団の取りまとめが眠気も吹き飛ばす笑顔で答えた。

 

「おはよー」

 

「おう、ソウゴ! 配給のパンはいつものところだぜ。昼からは一人で巡回だが、サボるなら見つからないようにサボれよ!」

 

「はーい」

 

「いい返事だ! なあ、もういっそここに就職しないか? 上には俺たちが口利いてやるからよ」

 

「え、やだよ。俺、王様になるから」

 

「ハッハッハッ! そうだったな! 悪い悪い! んじゃ、今日もよろしくな!」

 

 笑いながら背中をバシバシ叩かれたソウゴは、雑談もほどほどに詰め所に入って全員と同じ甲冑を身に着ける。最初は悪戦苦闘していたこれも、今では一人で着れるようにまでなった。前衛職向けの重量のため多少の重さは感じるが、走れないほどの窮屈さではない。これもレベルやパラメーターに左右されるこの世界ならではの感覚なんだろうなという感想を抱いていた。

 息苦しい兜のバイザーを上げ、テーブルに置かれた袋からパンを咥えて外へと出る。元の世界では行儀が悪いと叱られたものだが、この世界での冒険者にマナーなどの概念は欠片ほどしかない。まずは午前の自分の持ち場へと移動する。そこには今にも寝てしまいそうなほどに船を漕いでいる門番が一人立っていた。

 

「交代するね」

 

「ああ、もうそんな時間か。ありがとよ。今日はウィズさんとこの荷馬車が一台、踊り子とその荷物を乗せた馬車の二台、計三台だ。あとは定期便の予定だが、検閲はしっかりな。じゃあよろしく」

 

「はーい」

 

 槍と業務の引き継ぎを済ませた門番はまた一つ大きなあくびをして詰め所へと帰っていく。今から家に帰ってすぐさま夢の中だろう。哀愁漂うその背中に敬礼したソウゴの、いつもの一日が始まった。

 

「さて、今日も頑張ろ!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「起きろカズマ。今日は白狼の群れの討伐だっただろう」

 

「起きてくださいカズマ。暗くなってから森での戦闘は危険です。日の入りも早くなってきたのですから、のんびり寝ている時間はありませんよ」

 

 身支度を済ませたダクネスとめぐみんが、姿を見せた太陽を合図にカズマを揺らす。傍目から見れば綺麗どころにモーニングコールをしてもらっているダメ男にしか見えないし、普通の男ならこのような状況であれば飛び起きるのが自然だろう。しかし、そんな甘い時間でないことを知っているカズマは寝具とも呼べぬ布を頭まで被り拒絶の意を示した。

 

「……やだ」

 

「何を子どもみたいなことを言ってるんだ。金を貯めて家を買うんだろう? ソウゴはもうバイトに行ったぞ」

 

「……やだ」

 

「何が『やだ』ですか! 早く爆裂魔法を撃ちに行きましょう」

 

「そうだぞ。私だって早く獣共と戦いもみくちゃにされたいんだ」

 

「そういうとこが……やだって言ってるんだよォォォォォァアア!!!!」

 

 鬼神の如き表情で吠えたカズマは、最後の砦(掛ふとん)を丸めて地面に叩きつける。寝起きとは思えないアグレッシブな動きで息を切らすリーダーの姿を確認して、二人は見てくれだけは最高の笑顔で布袋と短剣を渡した。

 

「着替えが済んでるということは行く気はあったんだな。パンを貰ってきたからみんなで食べよう」

 

「昨日はクタクタで着替えずに寝ただけだ!」

 

「外でアクアが火を起こしてくれていますから、早く暖まりに行きましょう」

 

「お前ら笑顔で流すな! 話を聞けよ!」

 

 カズマの叫びに、呆れたように目尻を垂らした二人はため息をつく。

 

「準備は済んでる。食事もある。今日のクエストも報酬がいい。一体何が不満なんだ?」

 

「全部だよ! 確かに金はいる。いるよ? そのためにハイリスクでも報酬のいいクエストを受けようと決めたのは俺だ」

 

「そうですよ。わかってるじゃありませんか」

 

「で・も・だ! 毎日毎日クエストに行く度、俺たちは必ず一回は死にかけてるんだぞ!? アクアがやらかしてモンスターを集めたり、めぐみんが地形考えず爆裂魔法を撃って雪崩起こしたり、ダクネスがモンスターに突撃かまして戦線崩壊させるから!!」

 

「「それはその……」」

 

 カズマに捲し立てられた二人は先程までの強気が鳴りを潜めてしまう。思い当たる節が多いからか、どこか気まずそうな表情で目を逸らしカズマを見ようとしない。しかし真の男女平等主義者の口撃はその程度のしおらしさで止まることはなかった。

 

「おかげでいくら報酬が良くても装備の修理やら国への弁償やらで金が飛んでいく! 決起してかれこれ四、五日経つのに予定の半分以下の貯金だぞ!? 五人で住める家が買える頃には冬が終わっちまうわ!」

 

「だ、だが装備に金をかけるのは仕方なくないか?」

 

「そうだな。装備の新調や修理は仕方ない。命を守るものだからな。でも限度ってものがあるだろ!? 毎回鎧ダメにするやつがあるか! 今のままじゃ命がいくつあっても足りねぇわ!」

 

「「はい、すみません……」」

 

「だから今日は休む。クエストは明日に回す」

 

「しかしそれではお金が……」

 

「現状いくら頑張ったって、刃こぼれした斧じゃ木は切れない。賢い木こりは斧を研ぐんだよ。俺達は俺達の強みを考えてもっと賢い立ち回りを……ってあれ? 俺のジャージは?」

 

 休みモードに移行するため着替えようとカズマは辺りを見回すが、愛着ある自分の服が見当たらない。昨晩は枕代わりに丸めて使っていたので、どこか別のところへ放った覚えもない。不思議に思いながら藁をひっくり返していると、めぐみんが歯切れ悪そうに答えた。

 

「確かアクアに火を起こすのをお願いしたとき、寒いからと羽織っていったような……」

 

「アクアが? あいつ酒代のために自分でコート売っぱらっといてよく人の服着れるよな。ったく、しょうがねぇなぁ」

 

 何だかんだ文句を言いつつも一番長い付き合いの相棒だ。だらしないところも、日々イラッとくることも多々あるが、自分の思い出の品で暖まっているなら良しとしよう。

 そう納得してカズマは隙間から外を覗く。そこには露出した肩を寒そうに震わせながらも、縮こまって大きな火に手をあてがう幸せそうな彼女の姿があった。まるで言うことを聞かない大型犬を見ている気分で干渉に浸っていると、アクアの装いに違和感を抱く。

 

「なあ、めぐみん」

 

「なんでしょうカズマ」

 

「アクア、俺のジャージ着て行ったんだよな?」

 

「着ていきましたね」

 

「なあ、ダクネス」

 

「なんだカズマ」

 

「この辺りによく燃える薪なんてあったっけ?」

 

「明朝だし木も草も水を吸っているだろうからそんなに燃えないと思うぞ」

 

「そっかそっか。じゃあなんであの焚き火はあんなに燃えてるんだろうなぁ」

 

 灰とともに舞い上がる布切れの残骸を見たとき、カズマの怒りは頂点を超えた。

 

「テメェこのクソアマァ!! 俺の唯一の日本の思い出を何勝手に供養してくれてんだボケェェェ!!!!!」

 

 カズマは走る。誰よりも早く、何よりも早く。アクアを全裸にひん剥いたあと服を全部燃やしてやると、心に固く誓って。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おいソウゴ、交代だ。巡回ついでに飯食ってこい。夕方には上がれよ」

 

「はーい」

 

 時刻は昼時。踊り子三人組の馬車を通したあと、巡回という名の自由時間を得たソウゴは昼食を目指して街を歩く。散策してみるとわかるが、駆け出しの街とはいえ敷地面積は広大だ。貴族の住まう屋敷に娯楽の集まる区画、果ては墓地まであらゆるものがこの街には存在している。

 

「俺が王様になったら、やっぱり街を守るための警備兵も多く配置しなきゃいけないよね。参考になるなぁ」

 

 ガシャンガシャンと甲冑を鳴らしながら、未来のことを考える。日々目の前のことに追われて忘れかける、漠然としたこの世界での自分の役目。未だよくわかっていない、士の言葉の意味を。

 

「この世界をよくする最高最善の魔王、か」

 

 深く考えず受け入れた彼の勧誘文句を反芻する。持って回った言い回しだったと、今でも思う。ゴールのわからない自分の覇道はいつものことだが、この世界には既に国を統治する王がいて、倒すべき魔王も存在する。国を支える民も、打倒魔王を掲げる勇者も。この世界で与えられたソウゴの役目というものに、このどれもが当てはまらない気がした。

 ヒントもないのだから、考えても堂々巡りなだけだ。しかし指針がなくても進めばそれが王への道になると、ソウゴは知っている。

 

「とりあえずはライドウォッチの回収が優先なんだけど……。ま、なるようになるよね」

 

 そうぼやいて思考を放棄し、今日の昼食のことに切り替える。夜はどうせアクアがシュワシュワを頼むし、つられて皆飲むことになるだろう。あっさりめにしようかなと考えていた、そのときだった。

 

「……?」

 

 誰かが泣いている。声が聞こえたわけではないが、そう直感が囁いている。空腹を後回しにしたソウゴは、自身の勘に従って細い裏道へ足を踏み入れた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ど、どうしましょう……。私、回復魔法は使えなくて……」

 

「こんなときエイミーがいたら……」

 

 ソウゴが自分の勘に導かれるまま進むと、路地の真ん中でうずくまる子どもと、それを見てオロオロとしている二人を見つけた。うずくまる女の子は足を擦りむいてしまったのか、膝を抱えて泣き止む様子はない。ソウゴは二人のうち、一先ず見知った方に声をかけた。

 

「どうしたの? ウィズ」

 

「あ、ソウゴさん!」

 

 ウィズ魔道具店の店主、ウィズ。ウェーブのかかった長い髪に魔法使いのようなローブを纏う、色白の幸薄そうな彼女。荷降ろしを手伝った経緯で話すようになったが、いつでも誰に対しても気弱な態度は子ども相手でも変わらないようだった。店を始める前は名の通った魔法使いだったという噂だが、本人に確認しても曖昧な笑みではぐらかされることが多い。

 そんな彼女は紙袋を抱え、この辺りではあまり見かけない獣人の少女と共にいつも自信なさげに垂らしている目尻を更に垂らしていた。

 

「実は、この子が転んで怪我をしてしまったんですけど、私教会にはいけなくて……」

 

「ミーアも回復魔法使えないから困ってるんだ……」

 

「そっか。……ねえウィズ、ハンカチ持ってる?」

 

 兜を脱いだソウゴは困惑顔のウィズから真っ白なハンカチを受け取る。女の子の怪我はコケて擦りむいた程度のもので、頭を打ってないか確認するが問題はなさそうだった。

 縁にレースのあしらわれたいかにも女性っぽいハンカチを広げたソウゴは、それを大粒の涙を流す子どもの前でひらひらと振ってみせた。

 

「ねえ、君。ここに、そこの綺麗なお姉さんから貰った魔法のハンカチがあります。よく見てね〜。種も仕掛けも、ありませ〜ん」

 

 何が始まるのかと、ソウゴ以外の三人が彼の手元を覗き込む。ひらひらとハンカチを揺らすソウゴは、それを女の子の膝の上にかけた。次に獣人の少女にいたずらっぽい笑みを向ける。

 

「この獣人のお姉ちゃんが手を鳴らすと、君のケガはたちまち治って痛みもどこかへ飛んでいきます。成功したら笑って拍手! いくよー? さーん、にー、いち〜?」

 

 急かされた少女はわけもわからず慌ててぱちんっ! と手を合わせる。ぽかんと見ていた女の子は、自分の体の変化に気づいたようで不思議そうに目を丸くしていた。もう涙が出ていないことを目視したソウゴはもったいぶってハンカチをつまみ上げた。

 

「じゃん!」

 

「わぁ」

 

「なまらすげぇ!」

 

 綺麗サッパリ傷は消え、まるでコケたこと自体がなかったように赤みすらない。そんな自分の膝を見て、女の子はぽつりと呟いた。

 

「いたくない……」

 

「でしょ? じゃあ、この魔法のハンカチをくれたお姉さんと魔法のハンカチでケガを治してくれたお姉ちゃんにありがとうの拍手〜」

 

 甲冑越しでソウゴの拍手はカチャカチャと音がなる。ニコニコと笑みを浮かべるソウゴにつられて、女の子は満面の笑みで二人に拍手を贈った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「すごいですねソウゴさん。見たところ回復魔法のようではありませんでしたけど……」

 

「魔法じゃないよ。手品だよ」

 

 走り去る女の子と獣人の少女に手を振り、路地を歩く二人はウィズの店へと向かっていた。手放しで褒められてむず痒いソウゴは、自分の手をぼうっと見ながら考える。

 

(力が強くなってる……)

 

 今回行ったのは部分的な時間の巻き戻し。今までは世界そのものの時間を巻き戻し違う選択をしてきたが、これはその比ではない。この力の片鱗は平行世界の自分(オーマフォーム)にもあったが、オーマジオウとしての自分にも宿っていたとは考え辛い。

 心当たりならある。それは、ロボライダーのウォッチを手に入れたこと。そしてこの世界特有のレベルアップの概念。もし仮にこのまま魔王軍を蹴散らしウォッチを全て揃えたのなら、自分はいったいどれほどの力を手にするのだろうか。望まぬ暴力を、これ以上。

 

「どの職業のスキルですか? 初めてお話ししたときに王様だと名乗られてたから、ただならぬ方だとは思っていましたが……」

 

「手品はね、タネを教えちゃいけないんだよ」

 

 くすくすと笑い、悩みを隅に蹴り飛ばす。例えこの力の本質が危険なものであっても、それを御することができるのが王だ。それにあの士がただ力を増大させるために、ライドウォッチの回収(エリス曰く女神の役目)を自分に一任したとは思えない。ソウゴはこの先に“最高最善の魔王”への道があると思う他ないのだ。

 他愛もない会話をしているとウィズの店が見えてきた。そろそろお腹の虫も限界らしいので、ちょっとガッツリしたものが食べたいななどと思っていると、店の前で数名が待っていることに気がついた。

 

「ウィズ、今日は繁盛してるね」

 

「ちょうどよかったです。新しい紅茶を買ってきたところなので」

 

 ウィズが真っ白な顔に太陽のような笑みを咲かせる。あまり繁盛しておらず、貧乏店主として有名な彼女に降り注いだ幸運をソウゴも噛み締めた。

 しかしこの紅茶がこのあと、ほとんど小姑のような女神に催促され、あまつさえお湯に浄化されることを二人は知る由もなかった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「へぇ、新しいスキル集めか」

 

「そう。せっかくうちのパーティーには世界一硬いガチムチクルセイダーがいるのに、後衛で効果的な攻撃ができるメンバーがいないからな」

 

「うら若き乙女を捕まえてガチムチとはなんだカズマ。流石に心外だぞ」

 

「めぐみんが使い勝手のいい魔法を覚えてくれれば話は早いんだが」

 

「我は爆裂道の深淵に至る運命(さだめ)を背負いしアークウィザード……。軟弱な魔法に現を抜かすことなどありはしないのです」

 

「とまあ、この面倒くさい有様だ」

 

「面倒くさいとはなんですか!」

 

 新たに〈千里眼〉〈狙撃〉などのアーチャースキルを獲得し、武具屋で初心者向けの弓を手に入れたカズマから事のあらましを聞く。最弱職の冒険者は様々なスキルを覚えられる代わりに専門職と比べて器用貧乏なところがあるらしいが、彼なら小手先の技術と機転で上手く扱っていけるのだろう。実際戦闘でどれほど役に立つかは見たことがないのでわからないが、戦力増強のために休みを設けたカズマが愚かでないことをソウゴは知っている。

 

「それで、ウィズには魔法を教えてもらうの?」

 

「いや、ウィズにはリッチーのスキルを教えてもらおうかなと」

 

「アクアは大反対でしたけどね」

 

「説き伏せるのに苦労したな」

 

 そう言ってウィズへと視線を向ける。そこには先程までの笑顔が嘘のように、へこへこと頭を下げる給仕係に成り果てたこの店の主の姿があった。アクアに余程の弱みを握られているのか、端から見ればほとんど従者と主人だ。

 

「りっちー? お金持ちのこと? ウィズは貧乏だよ?」

 

「ソウゴお前、本当のことでも言っていいことと悪いことがあるんだぞ。……もしかして、リッチーを知らないのか?」

 

「うん。なにそれ」

 

 ゲームが得意でないソウゴにはわからなくても、カズマが訪ねてくるほどなのだからきっと有名な職業なのだろう。高名な魔法使いだったというのも真実味が帯びてくる。そんな受け取り方で適当に相槌を打っていると、カズマたちはやっちまったという顔をした。

 

「なにソウゴ、あんたリッチー知らないの!?」

 

「うん。そんなに有名な職業なの?」

 

「なるほどね。そうやって相手を騙して近づき傀儡にしようとしてたわけね」

 

「い、いえアクア様! 決してそのようなことは……!」

 

 横槍を入れるように、アクアたちが会話に混ざってくる。そんなに知ってて当然な役職なのかと身構えていると、アクアはにんまりと、例えるならいじめっ子が大義名分を得た時のような顔をした。一同は嫌な予感がしたがもう遅い。気まずそうにしていたウィズの手をとったアクアは、死者を見送る女神のように微笑んだ。

 

「ソウゴ。リッチーっていうのはね、暗くてジメジメしたところがだ〜い好きな、なめくじの親戚みたいな連中よ♪」

 

 その瞬間、店は神々しい光と店主の悲鳴に埋め尽くされた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「グーで殴った……。カズマがグーで……。私悪いことしてないのに……」

 

「説明のために浄化するやつがあるか! ウィズが物理的にスケスケじゃねぇか!」

 

 涙目で頭頂部を押さえるアクアに説教するカズマの傍らで横になったウィズは、今にも消えそうなほどぐったりと透けていた。試しにソウゴがウィズの髪に触れてみると、半透明なのに確かにそこに物体が存在する感触が返ってくる。ガラスでできた生き物を触っているみたいだなと感想を抱いていると、息も絶え絶えなウィズが微笑む。

 

「今まで黙っていて……すみません……。私……アンデッドの王……ノーライフキングなんて……やってます…………」

 

「へー、ウィズってアンデッドの王様なんだ。すごいね」

 

「いえ……大したものでは……」

 

「カズマがそのアンデッドの王様のスキルを教えてほしいんだって。いい?」

 

「はい……。構いませんよ……」

 

「一応守衛のバイトなのですが、ソウゴ的には見逃してオッケーなのでしょうか?」

 

「うん。だって、何も悪いことしてないでしょ?」

 

「その話し合いの前にウィズが今にも消えそうなのだが、大丈夫なのか?」

 

 ダクネスの心配にウィズは力なく微笑む。そして少し思案した後、彼女はある提案をした。

 

「お教えするリッチースキルですが……〈ドレインタッチ〉など……いかがでしょうか……? あとついでに……どなたか……生命力を分けていただけると…………」

 

「は!? ダメよ、〈ドレインタッチ〉なんて! 腐れヒルもどきの分際で女神の従者から生命力を吸い取るなんて許されないわ!」

 

「誰が従者だ! 話が進まねぇからお前はちょっと黙ってろ!」

 

 同じ箇所に的確にもう一撃お見舞いされたアクアはまた頭を抱えて蹲る。その目からはぽろぽろと涙が溢れており、見る者の同情を誘う。夕飯のときは優しくしてあげよう、とソウゴは思った。

 ウィズの提案、というより切実な願いを聞いた面々は各々複雑な表情をする。

 

「俺はスキルを使うところ見てなきゃいけないからダメだな。誰か頼めるか?」

 

「私は分け与えると一日一爆裂が行えないので……」

 

「私はこれでも聖騎士だ。消えかけのウィズには毒ではないのか?」

 

「じゃあ、俺だね」

 

 消去法で決定したソウゴは篭手を外し、どうぞ、と手を差し出す。死地に光を見たように目に希望を宿したウィズは、その手を取って感謝の意を述べた。

 

「ありがとうございます……。これでやり残したことができます……」

 

 発動された、ソウゴ初体験の〈ドレインタッチ〉。ソウゴの手からウィズの手へと移動する緩やかな力の流れ。ぼんやりと光る可視化された生命力の動きは、まるで穏やかな川の流れのようだった。

 

「……あれ?」

 

「? どうかしましたか、ソウゴ?」

 

「うん。この感覚、どこかで覚えがあるんだけど……」

 

 首を傾げるソウゴは、手から生命力を吸われる感覚に何故か覚えがあった。この力が抜けるようで、それでいて全く倦怠感などを感じない不思議な感覚。ついこの前受けたような気がして新しい記憶から探っていくと、労を要さずすぐに思い至った。

 地球最後の記憶。世界創造の前。そうこれは……

 

「あ、スウォルツに力を吸われたときだ」

 

 そう呟くのと、ウィズの全身に電撃のような痛みが走るのは同時だった。

 

「あばばばばばばばばばばば」

 

「「「ウィ、ウィズーーー!!!」」」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「昔のパーティーメンバーが……川の向こうで手を振っていました……」

 

「な、なあカズマ。〈ドレインタッチ〉でソウゴの力を私に流してくれないか……?」

 

「お前、さっきの俺の腕を見てなかったの? 嫌だよ?」

 

「リッチーが〈ドレインタッチ〉で返り討ちにあう姿を初めて見ました……」

 

 慌てて習得した〈ドレインタッチ〉をカズマが使い事なきを得たウィズは、さっきよりもぐったりと倒れ伏していた。透明感が何割か増しているように思えるが、外からの浄化魔法と内側からの生命力の逆襲にあえば仕方ないだろう。

 ウィズから生命力を吸い返し、腕がズタズタになったカズマの腕を元に戻したソウゴは、虫の息のウィズに問いかける。

 

「大丈夫、ウィズ?」

 

「は、はい……。二日ほど安静にしていれば……何とかなると思います……」

 

 良かれと思ったことで二日もダウンさせてしまうのは流石に忍びない。そう思ったソウゴはなんとかできないかと知恵を振り絞る。事情が事情なので街の人間には助けを求められず、今この場にいる者だけでできる解決策。唸るソウゴを横目に、スキルを教えてもらって後は放置というわけにもいかないカズマがウィズに手を差し出した。

 

「ウィズ、俺の生命力吸うか?」

 

「ここまでダメージを受けてたら、カズマが干からびるくらい吸ったところで焼け石に水よ。自然な回復力に任せるか、生命そのものを吸うかね。……いっそ、このまま天に「それだ!」

 

 アクアの一言で閃いたソウゴが顔を上げる。何事かと全員の目が向く中で、ソウゴは得意げな笑みを見せた。

 

「ウィズがダメージを受けたのは、俺が仮面ライダーの力を集約した存在だからなんだよ」

 

「ああ、そんなことを前にも言っていたな。歴史の継承がどうとか」

 

「そ。だから―――」

 

 そう言ってソウゴは何もない空間に右手を伸ばした。するとその手には黒い力の奔流が暴れ狂い出す。その手のひらに意識を集約させ、放つ。

 手から放たれた黒い靄のような力の濁流は、空中で青いスペードマークを取り込むと人の形へと変化していく。

 

「―――これならどうかな?」

 

 そこに佇むのは群青の騎士。ソウゴの着込んでいる鎧が見劣りするほど洗練された武具に身を包む、赤い目をした(いかめ)しい存在。腰には長い剣を携え、鎧の端々にスペードの意匠が取り込まれた戦士の突然の登場に、一同は言葉を失った。

 

「彼は“仮面ライダー(ブレイド)”。俺に歴史を託してくれた一人で、生物の祖たる不死生物・〈アンデッド〉が封じられたカードの力を使って戦う仮面ライダーだよ。……お願いできる?」

 

 ソウゴにブレイドと呼称された戦士は、ウィズの傍に跪いて手を差し出す。力を吸えということなのか、ウィズがその行動に困惑していると、彼は膝を崩して座り彼女の手を取った。冷たい、しかし暖かな温もりをその手から感じる。表情はわからないが、ウィズにはその仮面の下が優しく笑っているような気がしていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……すごいです。前より力が漲っている気がします」

 

「オーマジオウの力は負担が大きいからライダー一人分ならどうかなと思ったんだけど、上手くいってよかったよ」

 

「最早なんでもあり過ぎてツッコむ気にもなれんな」

 

 ウィズの体調が回復すると、ブレイドは何事もなかったかのように力の塊に戻りソウゴの中へと戻っていった。未来の自分が召喚していたのを思い出して見様見真似だったが、使役ではなく彼の意思を尊重できたようでホッとする。そうしていると、カズマは悪い顔をしてソウゴにお伺いを立てた。

 

「なあソウゴ。ものは相談なんだが、今の人に俺たちがクエストに行くときのお供をお願いできないか?」

 

「駄目だよ。……俺はもう皆には戦ってほしくないんだ。歴史の中で、十分戦ったからさ」

 

「……悪い。今のは忘れてくれ」

 

 カズマも、仮面ライダーが無償で戦う善人たちだという話を思い出して自分の欲を取り下げる。何にせよ珍しいスキルを手に入れることができたのだから良しとしようと考えていると、元気になったウィズがこちらに笑いかけた。

 

「凄いですね、ソウゴさん。流石はベルディアさんを一方的に倒しただけはあります。あの方は、剣の腕に関しては幹部の中でも相当なものだったはずなので」

 

「なんだか、あのデュラハンのことを知っているような口ぶりですね」

 

「ええ。だって私、魔王軍の八人の幹部の一人ですから「確保ーーーー!」

 

 言うや否や、アクアがウィズを押し倒し拳に浄化の力を込める。大義名分を得て馬乗りになったアクアは、普段の浄化魔法のような神聖な輝きとは違い、密度の濃い白い炎のような揺らぎを灯した〈ゴッドブロー〉の構えをとった。

 

「ただのリッチーなら寛大な御心で見逃してあげてたわ。でも、魔王軍幹部なら話は別よね?」

 

「ま、待ってください! 幹部といっても結界の維持を頼まれただけのなんちゃって幹部なんです! 人に危害を加えたこともありません!」

 

「アンデッドの言うことなんて信用できないわね。地獄で神の理に反したことを懺悔なさい! 〈ゴッd「待て待てアクア! ストップ!」

 

 アンデッドにとっての一撃必殺の拳を抑え、カズマはアクアを羽交い締めにして無理矢理引き剥がした。バタバタと暴れるが今はこうするより他はないので、行き場を失ったフラストレーションが容赦なくカズマを襲う。具体的には暴れるアクアの肘や拳がボカボカとカズマの脇腹や顔を殴りつけていた。

 

「なんで邪魔するのよカズマ! この背信者!」

 

「俺は無宗教だって何回言えばわかるんだ内職の女神! 話を最後まで聞きやがれ!」

 

「しかし、魔王軍の幹部となると冒険者という立場の手前、どんな理由があれ放っておくわけにもいかないだろう」

 

「それを言い出すと、リッチーを黙認している時点でかなりマズい気がしますが」

 

「本当なんです! 魔王さんから『人里でお店を出してのんびり暮らすのはいいから、結界の維持だけ頼めないか』って言われて協力してるだけなんです! 信じてください!」

 

 鬼気迫る表情に、アクア以外の三人は難しい顔をする。この気弱な店主が、自分たち駆け出しの冒険者を騙してまでこの街で何かを仕掛けるというのも考え辛い。仮に幹部としての破壊工作だったとしても、この街に馴染むほど生活する理由もなければ、素直にリッチースキルを教える理由もないのだ。信じたいが決定打に欠ける、そんな空気を打破するようにソウゴは口を開いた。

 

「俺は信じてもいいと思うよ」

 

「ソウゴさん……!」

 

「ブレイドが力を貸してくれたんだ。きっとウィズは悪い人じゃないよ」

 

 そう宣ったソウゴは、そうだ、と思い出したような表情でウィズの前に踏み出す。懐からベルディアからの戦利品を取り出すと、それをウィズに見せる。

 

「ねぇウィズ。魔王軍の幹部ならこれと似たもの持ってない?」

 

「それ、ベルディアさんが魔王さんに貰っていた〈オーパーツ〉ですよね。ありますよ。使ったことはないので、動くかどうかわかりませんけど」

 

 そう言ったウィズはカウンターへと戻り、在庫棚の中をごそごそと探し始める。たしかこの辺りに、などと言いながら散らかしているのを見て、ここにいる全員が彼女は無害なんだろうと結論づけた。こんな間抜けな極悪人がいてたまるかという気持ちが強いが。

 

「あ、ありました! これですよね?」

 

 そう言って彼女は緑のライドウォッチをソウゴに見せる。実験台として改造させられ、心を持ったままネオ生命体のプロトタイプとしてこの世に誕生した戦士。自然の力を取り込み力を蓄えて、愛に飢えた不死身の怪物を倒した英雄の歴史。

 

ZO(ゼットオー)のライドウォッチ……!」

 

「……これ、ソウゴさん()()のものなんですよね。どことなく、さっきの方と似ている気がして」

 

「うん。それは俺たち仮面ライダーの歴史が込められた大切なものなんだ。……返してもらえないかな?」

 

「そんなに大事なものだったんですか!? すみません! 雑に扱ってしまって!」

 

 ぺこぺこと謝るウィズからライドウォッチを受け取ったソウゴは、二つ目の回収が無事済んだことに安堵する。また一つ、重みある歴史を継承した瞬間を噛み締めていると、アクアは大仰なため息をついた。

 

「ソウゴにはお礼をするくせに、この女神アクア様への貢物は無いなんてどういう了見かしら」

 

「元はと言えばお前がウィズを浄化したからややこしくなったんだろうが! お前が面倒事増やさなかったら、とっくに昼飯食えてるし今頃弓の試し打ちができてたんだよ!」

 

「何よ! 今日は休みなんだからいいでしょ! そんなに怒らないでよもう! 今から帰ってシュワシュワにしましょ!」

 

「今日はクエスト行ってないんだから飲めるわけねぇだろ! 金貯めるための休みで散財するとかバカかお前!? そんなんだからいつまで経っても家買えるだけの金が貯まらないんだよ!」

 

「あの、皆さんはお家の購入を検討されてるんですか? 今は無理だと思いますよ?」

 

「「「「「え?」」」」」

 

 ウィズの何気ない一言に、全員の顔が固まった。この世界での不動産の相場を調査していたカズマも、酒の醸造を計画していたアクアも、近場で爆裂散歩を企画していためぐみんも、男女比二対三のルームシェアに心躍らせていたダクネスも、王城を構えることを夢見ていたソウゴも、例外なくウィズを捉えて離さない。

 そんな視線には負けず、ウィズは眉を垂らして申し訳無さそうに話した。

 

「最近、空き家に霊が住み着く案件が頻発しているらしいんです。祓っても祓ってもすぐに他の霊が集まってくるそうで、今はどの物件も販売できないと不動産屋さんが仰っていましたよ」

 

「「「「「え?」」」」」

 

 この瞬間、五人の顔は真冬の馬小屋の朝のように凍りついた。




拝啓、ウォズ様へ

吐く息の白さに異世界でも冬を感じる今日この頃、どうお過ごしでしょうか。私は元気です。最近はアルバイトも慣れてきて、こっちに来る前にある程度服とか持ってくるんだったなと後悔しております。郵送が可能なら送ってください。住所は不定ですので、門矢士かエリスという女神様にお願いしてください。
さて話は変わりますが、そちらの私は順調に王への道を進めているでしょうか。助言などはなるべく控えてください。その本の通りに進むのは、私が最後です。未来は何が起きるかわからないのが面白い。そちらの私の歩む道の果てを、どうか楽しみにしていてください。

                     ソウゴより


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異世界でもARMOR ZONE! 2016
このお屋敷に恐怖の夜を!


「ここが幽霊屋敷かぁ」

 

「悪くない。悪くないわね……。この私が住むのに相応しいんじゃないかしら!」

 

「元は貴族の別荘だったそうですね……」

 

「除霊の報酬がこの屋敷とはな。本当にいいのか? 私達が住んでも」

 

「ああ。ウィズと一緒に大家さんに話を通したから大丈夫だよ」

 

 レンガ造りの外観は、カズマの思い描く中世の邸宅そのもの。三階建ての豪奢な面構えは、郊外であることと築年数を差し引いても申し分ない立派さだと言えるだろう。空き家であるのに管理がいき届いているのか、芝も雑草も丁寧に整えられている。夕焼けを反射する窓が、宝石のようにキラキラと輝いていた。

 明らかに駆け出しの冒険者五人で住むには不釣り合いな新居を前に、一同はこのチャンスと巡り合わせてくれたウィズにしみじみと感謝をしていた。

 

 

 

 五人がそれぞれの理由で絶望に打ちひしがれていると、ウィズが見逃してくれるお礼にと自分の元に舞い込んできたある相談の話をしてくれた。

 それは除霊と、物件の宣伝。街の空き家で頻発している幽霊騒ぎを治め、最も悪霊の集まるこの屋敷に住んで「もう幽霊は大丈夫だ」とアピールしてほしいというもの。ギルドに特別クエストとして申請していたらしいが、どのパーティーも終わらない幽霊退治に根負けしてリタイアした曰く付きの一件である。

 

「明日はお休み貰ったし、今日は夜更しして幽霊退治しちゃうよ!」

 

「頼むぞソウゴ。大家のおっちゃんも嘆いてたんだよ。クエストリタイアが続出したせいで余計に悪評が広まったって」

 

「なるほどな。つまり、同じ冒険者が尻拭いをすれば噂も落ち着くだろうということか」

 

「しかしそんな大役、リッチーのウィズならともかく我々で務まるのでしょうか?」

 

「何言ってるのめぐみん! ここにいるのは水の女神にしてアークプリースト、つまり対アンデッドのエキスパートよ! 見てなさい……」

 

 めぐみんの一言にやる気スイッチが入ったのか、屋敷に両手を翳したアクアは目を閉じて意識を集中させる。仄かに両手に宿る灯りが、実にアークプリーストっぽい雰囲気を出していて皆一様に感嘆の声を漏らした。

 

「……見える。見えるわ。この屋敷には貴族が遊び半分で手を出したメイドとの間にできた子ども。その隠し子が幽閉されていたようね。元々体の弱かった貴族の男は病死、母親であるメイドも行方知れず。後にその子も貴族と同じ病で――

 

 と思ったら、胡散臭い霊能力者の語りが始まった。

 延々と語られる長々とした幽霊の設定に、カズマは霊と話せる系霊感女が心霊スポットで共感性の涙を流す安っぽい心霊番組を思い出す。こういうところがパチモン臭いんだよなぁ、などと不届きなことを思っていると、めぐみんとダクネスも同じような考えに至ったのか、三人は目を合わせ何も言わずに敷地へと踏み行った。

 

「……ソウゴはよかったのか」

 

「……結構楽しそうに聴いてたしいいだろ」

 

「……まずは屋敷の全体を把握。そのあと共用部分から掃除に取り掛かりましょう」

 

「「おー」」

 

 キラキラとした目で話を聴き入るソウゴを置いて、三人は方針を決定する。掃除の戦力が約半分削れてしまったが、三人いればある程度片付くだろう。本番に向けての仕方ないコストだったと諦めて、カズマは屋敷の扉に手をかけた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ふぅ……。案外綺麗で助かりました。家具などもそのまま使えそうですね」

 

「部屋割りも決めたし、あとは悪霊が出るのを待つだけだな」

 

 最後に残していた、妙に生活感のある物見塔の掃除を終えて一息つく面々。アクアとソウゴがまだ中に入ってきていないようだが、三人は先着順で自分の部屋を決めてしまっていた。際立って広い元の持ち主の寝室は流石に遠慮し、使用人のものと思しき部屋を自室に充てがっている。別荘の管理のためかかなりの人間が雇われていたらしく、部屋の数も使い道に迷うほどだった。

 

「んじゃ、もう日も落ちたけど風通しするか。寒いけどカビ臭いよりはマシだろ」

 

 そう言ってカズマは物見塔の窓を開く。

 すると、視界にはアクセルの街が飛び込んできた。街を一望できるこの場所は、ぽつぽつときらめく人の灯火と満点の星空が独り占めできる。だからだろうか、吹き込んでくる寒風は昨日までとは違って感じられた。命を奪いに来る死神の吐息だったものが、今は肌を撫でる長夜の便りだ。

 

「いい眺めだな」

 

「今日からこの景色は我々のものです。存分に満喫しましょう」

 

 同じ窓から夜空を見上げる二人も、珍しく感傷に浸っているのかいつもより静かだった。

 凍死回避のための金を稼ぐ、生死を反復横飛びするような生活からの解放。そして、既に手に入れたようなものの自分たちの屋敷。この異世界に来て、今日が一番幸福な日だろうとカズマは感じていた。

 そんなカズマたちの耳に声が届く。何やらボソボソと話しているような声にどこから聞こえてくるのかと見回すと、すぐに発生源は見つかった。

 

「名前はアンナ・フィランテ・エステロイド。好きなものはぬいぐるみや人形、冒険者たちの冒険話。……でも安心して! この子は悪い霊じゃないわ。子どもながらにちょっぴり大人びたことが好きみたいね。たまに甘いお酒を――

 

 集中しているのか時間も忘れて設定を読み取り続けているアクアの姿がそこにはあった。夜に紛れて一人ぼんやりと光を放っており、現代日本ならびっくり人間として見世物になっていただろう。玄関灯としてはよく働いていると思うが、正直関わりたくないというのが本音だった。

 

「…………あれ、ソウゴは?」

 

「おい、カズマ」

 

 よく見ると別れる前までアクアの話を傍らで聴いていたソウゴの姿がない。流石に飽きてもう屋敷に入っていたのかと思っていると、ダクネスがカズマの袖を引いて庭の方へと指を向ける。

 

「へぇ、ケーキ好きなんだ。……ここに置いたら食べれるの? いいなぁ。俺は食べられなかったからさ。…………へぇ、角のところの? しゅーあら? ……ああ、シュークリーム。わかった、今度買ってくるね」

 

 その示す先には、木を背にして座り込み誰かと話している様子のソウゴがいた。隣にはお墓のように見える石碑が鎮座しており、楽しそうに談笑する魔王様のお姿は門の前にいる女神様といい勝負をしている。

 そっと窓を閉めた三人は、話し合うまでもなく何も見なかったことにした。

 

「……じゃあ、今からは自由行動ということで。悪霊が出たら知らせること。解散!」

 

「「おー」」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「やっぱり自分の部屋があるっていいなー、素晴らしいなー!」

 

 ソウゴに直してもらったジャージを着るカズマは、この世界に来てようやく手に入れたプライベートというものを堪能していた。最近は前世で引きこもりをしていたことすら忘れて騒がしい日々を過ごしていたからか、自室という聖域に懐かしさを覚える。

 とは言え、どこからどこまでも日本の実家とは規格が違う。銭湯のようなお風呂に金持ちっぽい広い食堂、優雅なティータイムができそうなバルコニーや、カズマたちには使われることがないであろう書斎、エトセトラ、エトセトラ。

 しかし、探索すればするほど貴族の屋敷というより子供部屋のような印象を受けたのを思い出す。あちらこちらに飾られた西洋人形やぬいぐるみが、貴族というお堅そうな身分とは乖離して感じられたのだ。

 

「……まさか本当に隠し子を育てるためだけの別荘だったりしないよな」

 

 アクアが語っていた設定を振り返る。幽閉され病死した少女。ジャパニーズホラーなら、子どもの霊が侵入者をおもちゃ代わりに追い詰め殺してしまう定番中の定番だ。しかしここは異世界。幽霊だって魔法で倒せる世界だ。こちらには、普段は穀潰しながらリッチーすら臆さず浄化しようとする最終兵器もいる。何も心配はないだろう。

 

「ま、朝までには悪霊もアクアが全部なんとかしてくれるだろ。自分の家に住み着いた悪霊を放置しとくようなやつじゃないし、何かあればソウゴもいるし……」

 

 そう独り言を呟いて、物見塔で見て以来ソウゴを見ていないことに気づく。モンスターの群れに囲まれてもへらへらしながら無傷で帰ってきそうな、戦闘の面ではパーティーの中で一番心配のない男。ソウゴの身を心配する事態なら、この世の終わりを心配した方がいいだろうとカズマは本気で思っている。

 しかし、大人しく警察に捕まったり馬小屋での生活に愚痴を漏らさなかったりと、妙にズレたところのあるおおらかな自称魔王。自分たちの生活を一番支えてくれた功労者の顔がどうもチラついて仕方がない。

 

「……ホラー映画って、こうやって油断するのがフラグなんだよなぁ」

 

 何か一人では解決できないトラブルに巻き込まれているのかもしれない。そうでなくとも、安全を確認することは大事だ。そう考え立ち上がり、ランプに手を伸ばしたときだった。

 

 

「ふぁぁぁぁ!? ああぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

 

 

 館内に響き渡る悲鳴。恐らくアクアのものだろう。ソウゴの不在に続き女神であるアクアの悲鳴となれば、もしかすると自分が考えている以上にマズい状況なのかもしれない。逸る気持ちに急かされて、大急ぎでアクアの部屋に飛び込んだカズマが見たのは、床に崩れるアクアの後ろ姿だった。

 

「どうしたアクア! 何があった!? 大丈夫か!?」

 

 肩を震わせ嗚咽を漏らすアクア。見たところ外傷はなく、〈敵感知〉スキルでもこの部屋から敵意は観測できない。あのアクアを泣かせ逃げ遂せる悪霊がいることに驚きと危機感を募らせたカズマだったが、彼女が振り返るとその熱も急激に冷めていく。

 

「かじゅまぁ…………!」

 

 彼女が泣きながら抱えていたのは、空の酒瓶だった。

 

「これは大事に取っておいた凄く高いお酒なの! 引越し祝いとしてお風呂からあがったら、ちびちび、ゆっくり飲もうと思ってたのに……! 私が部屋に帰ってきたら、見ての通り、か"ら"に"な"っ"て"た"の"ぉ"ぉ"……!」

 

「俺の心配を返せ。今すぐ」

 

 そう言ってまたおいおいと泣き始める。もう二度とアクアの心配はしないと心に硬く誓ったカズマが蔑んだ目で駄女神を見下ろしていると、騒ぎを聞きつけたのか嬉しそうなダクネスと少し怯えた様子のめぐみんも、寝間着のまま部屋へと駆け込んできた。

 

「い、今の悲鳴はなんですか!?」

 

「悪霊が出たのか!」

 

「いや、お供えものが消費されてただけだよ」

 

「お供えものじゃないわよ! こうなったら、屋敷にいる霊を片っ端からしばきまわしてやるわ! 女神の供物に手を出したことを後悔させてやるんだから! お酒の仇ーー!!!」

 

 空の酒瓶を放り投げて廊下を走り去るアクア。どう考えても危険人物なその後ろ姿は、彼女の信者が見れば信仰心が消し飛んでしまうこと請け合いだろう。まあ、八つ当たりで除霊を始めてくれたのだから結果オーライと考えることにしたカズマは、事情を察しなんとも言えない顔をする二人に尋ねた。

 

「なあ、ソウゴ知らないか? 掃除のとき見て以来姿を見てないんだが」

 

「ソウゴなら少し前に『ちょっと出てくる』と言ってでかけたぞ」

 

「こんな時間に?」

 

「ああ、何でも急ぎだとかで」

 

「ふーん。そっか」

 

 やはりソウゴの心配など取り越し苦労だったようで、動向がわかるや否や安心からか眠気が襲ってくる。フラグなんてへし折って進む非凡人の二人が自由に動いているのだから、この件に関しては問題ないだろう。そう判断し、屋敷の悪霊はアクアに丸投げしようと考えたカズマは、女神の〈ターン・アンデッド〉の合唱を子守唄に明日を迎えることとした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ごめんね、こんな時間に。アクアは屋敷にいてもらった方がいいからさ」

 

「いえいえ、元は私の受けた相談ですし気になさらないでください。それに、リッチーなので夜の方が元気なくらいです」

 

 アクアが一人騒いでいる頃、ソウゴは街で有名な美人店主と夜のお散歩に興じていた。デートの行き先が墓地で無ければもう少し浮いた話になっていたのだろうが、そんなことを毛ほどにも考えていない二人は目的地を前に和やかに談笑していた。

 

「あのお屋敷に行ったら、ウィズがすぐに相談を解決しなかった理由がわかったよ。丁度いいって思った?」

 

「ソウゴさんにはお見通しですね。私はこれで良かったと思っています。怒っていますか?」

 

「全然。幽霊であれなんであれ、寂しがってる民を放ってはおけないからね」

 

「それならよかったです。無理に魂を天に返してもかわいそうなだけだったので。……できれば、悔いなく自分から成仏してほしいと思っているんです」

 

 別荘に隠された子ども・アンナを尊んでいるのか、遠い目をするウィズ。そんな横顔を見てソウゴも、少し話した可愛らしい女の子のことを憂う。

 屋敷の中の世界しか知らず、その中で全てが完結していた幼子。物見塔から見る遠い街並みも外壁の外のことも知らず、使用人から愛されて育った代償に自由を知らぬままこの世を去った少女。そして、死した後にこの世の広さを知り、遅すぎた憧れのせいでこの世に縛り付けられてしまった彼女のことを。

 

「大丈夫。俺の仲間に、彼女を邪険に扱うような人はいないよ」

 

「……そうですね。皆さんならきっと、あの子も幸せに暮らせるでしょう。では、私達には私達のやるべきことをしましょうか」

 

 そう言ったウィズは、現実と向き合う。カズマたちと初めて会った、アクセルの街唯一の共同墓地。そこに何故か張られた、自分も長時間その中にいれば浄化されかねない神聖な結界、これの対処という現実と。

 

「そうだね。どう考えてもアクアのせいだけど」

 

「これほどの結界を張れるのは、この街ではアクア様だけでしょう。近くにいるだけで体がピリピリします」

 

「なんでこんなところに張ったんだろ」

 

「私にもどうしてだか……。これだけ強力だと、かなり凶悪な霊も弾き返している可能性があります」

 

「そうなんだ。まあ、アクアがいるし平気だろうけど。これは解除しちゃっても問題なさそう?」

 

「はい。私でも手に負えそうもありませんし、お願いします」

 

「うん。任せて」

 

 そう言って、ソウゴはこういうことの専門家の力を借りることにする。先だってウィズの前で披露した、先人の力の具現化である。自身による力技ではなく、墓地に眠る遺体に配慮した知識と技術を選択した彼が呼び出すのは、もちろん“幽霊”の力だ。

 手から放たれた黒い靄は目のような紋章を取り込み、人の形を生成する。死してなお立ち上がり、心を繋ぎ蘇る不滅の戦士。偉人の魂と想いを通わせ、無限の未来を手にした若者の力。ソウゴに歴史を託した一人の勇姿がその場に顕現する。

 

 はずだった。

 

「……あれ?」

 

 靄が意思に反して人の形を崩す。まるで氷が蒸発するように霧散した人型に対してソウゴが不思議そうに首を傾げていると、その光景を観察していたウィズは難しい顔でソウゴに問いかけた。

 

「ソウゴさん、もしかして前のブレイドさんのようにどなたかをお呼びになろうとされましたか?」

 

「うん。こういう不可思議な領域の専門なんだけど、俺の力が阻害されてるみたいで」

 

「……恐らくですが、結界の力が強過ぎるせいではないでしょうか。力や魂の再現という点から、分類するならば反魂術に近いスキルのようですし」

 

「はんごんじゅつ?」

 

「〈クリエイト・ライフ〉を代表とするネクロマンサーのスキルです。基本的には死体を集めて下級のゾンビなんかを作る程度なんですけど」

 

「え、じゃあ呼んだライダーって〈ターン・アンデッド〉とかで成仏しちゃうんだ」

 

「純粋な反魂術ではないので消滅させることはできないと思いますが、アクア様ほどの力であれば強制的に力の解除は可能かと」

 

「やっぱり女神なんだなぁ。全然見えないけど」

 

 さらりと悪態を吐いたソウゴは、次の手を考える。と言っても安全策が使えない以上、手早く済ませられることと言えば力技だ。やはりウィズに声をかける判断は間違ってなかったなと心の中で呟いたソウゴは、確認のために彼女に問いかける。

 

「この結界って無理矢理壊しても大丈夫そう?」

 

「はい。見たところ迎撃の罠は張られていませんし、壊れても周りに影響はないと思います。……壊せるんですか?」

 

「うん。俺は“破壊者”の力も受け継いでるからね」

 

「仮面ライダーという方は、物騒な方が多いんですね……」

 

 ウィズのしみじみとした呟きを聞き流し拳を握る。権能の一部開放ならばオーマジオウの姿になる必要もないだろう。確かに力が宿る感覚を得たソウゴは、その力を存分に振るう。魔王による女神への、リベンジマッチが開幕した。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……トイレ行こう」

 

 〈ターン・アンデッド〉のコーラスも聞こえなくなった丑三つ時。尿意を感じて目の覚めたカズマは、明かりのない部屋を〈千里眼〉スキルで把握する。こういった日常生活でも便利なスキルを自由に取得できるのが最弱職の特権だ。高難易度クエストでレベルが上がっていたことも要因だろう。あの短くも一番恨みの濃い日々に僅かながら感謝をしたカズマは、起き上がるために寝返りをうつ。

 

「…………?」

 

 すると、目線の先には見覚えのない西洋人形が鎮座していた。テーブルの上に腰を掛けこちらを凝視する人形など寝る前にはなかったはずだ。屋敷を回ったときに見たものに似ている気がするが、持って帰ってきた記憶もない。そんな風にぼんやりとした頭で考えていると、その人形の、生きているわけがない人形の首が、こちらに気づいたように不自然に傾き()()()()()

 そこで、アクアの言っていたことを思い出す。

 

『好きなものはぬいぐるみや人形』

 

(こっっっっっぅわ!!! 何あれ何あれ待て待て待て怖すぎだろ何だあの人形!!!)

 

 一気に目が覚めたカズマは人形に背を向けて布団を頭まで被る。あの無機質な目が今も自分を捉えているのかと思うと背筋の寒気が止まらない。いくら心構えがあったとはいえ寝起きの人形がこれほど怖いとは、カズマは思いもしなかったのだ。

 

(トイレは大丈夫だ。俺の膀胱はそんなにやわじゃない。一晩くらい耐えられる!!)

 

 そう念じれば念じるほど、己の括約筋が限界を囁いてくる。焦りからかむしろ起きたときよりトイレに行きたいという気持ちが強くなってくるほどだ。もしかすると大人しくしていれば霊も飽きてどこかへ行ってくれるかもしれない。そんな淡い期待で瞼をギュッと閉じていると、ベッドにドサッと何かが落ちる重みを感じた。

 

(これやばいやつだ。絶対やばいやつだ! 目を開けたら目の前にさっきの人形がいるパターンじゃん! B級映画で散々見たやつ!!)

 

 しかし確認しないわけにもいかない。なんなら、脅かしてくれた分ワンパンくらいかましてやってもいいんじゃないかとすら思う。拳を握り、そっと布団から顔を出す。案の定、人形()()は目の前にいた。

 眠るカズマを取り囲むように、何体も。

 

「ほぁぁぁぁぁああ!!????」

 

 十体ほどの人形たちの寝起きドッキリに、悲鳴にもならない声を上げたカズマはベッドから飛び出し一目散にアクアの部屋を目指す。振り返ると、人形たちは宙を漂いながらカズマの後を追いかけてきていた。

 

「アクアーーー! アクア様ーーー!!」

 

 情けない声を出しながら唯一の頼みの綱に縋り付く。寝る前に不用意なことを考えていたせいもあるが、それとは別に命の危険とか関係なく普通に怖い。これまで異世界で感じてきた『恐怖』は『恐』の方であったが、これは飛び抜けて『怖』の方である。泣きながら逃げ惑うカズマの姿を見て、人形たちはクスクスと笑う。それが更に超怖い。

 

「アクア! 助けて! アクアー!」

 

 ようやくアクアの部屋に辿り着いたカズマは、ノックもせず飛び込んで即座に扉を閉める。そして振り返るとそこには助けになってくれる女神の姿はなかった。

 代わりに爛々と光る、赤い目玉が二つ。

 

「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「わぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」

 

 恐怖の夜は、まだまだ続く。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ただいまー。ねー、アクアまだ起きてるー?」

 

 一仕事追えて帰宅したソウゴが玄関に入ると、深夜だというのに屋敷は随分と賑やかになっていた。あの結界の意図と帰り道で見たことを報告しようと声を便りに進んでいくと、廊下に点々と人形が落ちていることに気がついた。

 

「もー、何してるのさ。これはアンナの大事なものなんだよー?」

 

 文句を言いつつ、ヘンゼルとグレーテルの気分で先へ進む。廊下の角を曲がった所でソウゴの目に飛び込んできたのは、異様としか表現のしようがない光景だった。

 

「武器も防具もない状態で悪霊から仲間たちを守る聖騎士とか……! なかなか滾るシチュエーションじゃないか!」

 

 寝間着と言うには流石に薄すぎるネグリジェ姿で、はたきを片手に恍惚な表情をするダクネス。

 

「……………………」

 

 デコにコブを作り、白目を剥き倒れるアクア。

 

「お前は半分出せたんだから譲れよ! 紅魔族はトイレ行かないんだろ!」

 

「何言ってるんですか! 中には私の下があるんですよ! 優先権は私にあります!」

 

「ロリ枠の下半身にもパンツにも興味ねぇよ! 入ったらすぐに外に放り出してやるからちょっと待ってろ!」

 

「誰がロリですか! あと二年もすればダクネスもびっくりのボンキュッボンに……ってやめ、下っ腹を押すのはだめで、やめろぉぉぉ!!」

 

 下を履いてないめぐみんとトイレの前で争うカズマ。

 

「あの、本当に何してるの?」

 

 少し席を外しているだけで予想外の方向に荒れている仲間たちの姿に目が点になる。そんな呆然とするソウゴにようやく気がついたカズマは、トイレに入ろうとするめぐみんの腰を締め上げながら声を荒げた。

 

「こっちが人形に追いかけられて怖い目に合ってたってのにどこ行ってたんだよバカ!」

 

「そうです! ソウゴがいればライダーパワーで幽霊もちょちょいだったのに!」

 

「俺、一応働いてたんだけど……」

 

 理不尽に怒られ納得はいかないものの、真意を問う前に気絶している人間一人が責められる状態を作るのは良くないだろう。明日にでも話せばいいか、と切り替えたソウゴは、今日はもうお風呂に入って全てを忘れることにした。

 

「……アクアは運んどいてね」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「引き続きここに住んでいいことになってよかったね」

 

「ええ。賠償金とか請求されると思ってたので本当に良かったです」

 

「除霊したことに変わりはないしね!」

 

「お前は海の底より深く反省しろ」

 

 全てアクアの横着が原因であると判明した次の日。パーティーメンバー全員で不動産屋に謝りに行くと、全員がどういうわけか快く許してもらえた。クエスト報酬として屋敷に住む正式な許可が得られたことも、条件付きとはいえこうしてめぐみんお手製の昼食を食堂で囲めるのも、大家さんの好意に依るところが大きいだろう。

 ふと気になったのか、綺麗な所作でナイフとフォークを扱うダクネスがソウゴに問いかけた。

 

「しかし、ソウゴはよく共同墓地に結界が張ってあると気づいたな」

 

「それによく私が張ったってわかったわよね。そんなに高貴な力を放っていたかしら?」

 

「アンナが、霊が墓地に集まれなくなってるって言ってたから原因はそこかなって。行ってみたらウィズも手出しできない結界があるし、あんな迷惑なの張れるの俺たちはアクアくらいしか思いつかなくて」

 

「迷惑とは何よ!」

 

「事実だろ。墓穴掘るだけだから黙ってろお前」

 

「アンナがいい子だというのはわかりましたが、私達にイタズラを仕掛けるのはやめてほしいです……。聞こえていたらやめてくださいね?」

 

「ほんと、心臓止まるかと思ったよな。言ってくれれば遊び相手になるのに」

 

「だから言ったじゃない。悪い霊じゃないって」

 

「お前のイタコ芸で語られた設定なんて誰が鵜呑みにするんだよ」

 

「芸じゃないわよ! ていうか、さっきからなんで私だけ当たりキツイのよ! 誰よりも除霊頑張ったじゃない私!」

 

「お前が変な気を起こさず定期的に除霊してれば、俺の息子とめぐみんの尊厳は無事だったんだよ!」

 

「先に私のダムを決壊させようとしたのはカズマでしょう!? 〈窃盗〉で真っ裸にすることなかったじゃないですか!」

 

「お前が俺の大事なところを蹴ったからだろ! 危うく新居の廊下がアンモニアの川になるところだったんだぞ! あと二年経ってその幼児体型が奇跡的にナイスバティになったら、泣いて謝るくらいのそりゃあもうすんごいことしてやるからな!」

 

「お前達、アンナの悪影響になるような話はやめないか……」

 

「うるさいぞド変態。歩く猥褻物が偉そうなことを言うな。お前の寝間着の方がよっぽど悪影響だからな」

 

「あるく……わいせつぶつ、だと…………? くぅっ!」

 

「うーん、昨日はああ言ったけど、なんか人選ミスだった気がする」

 

 ここに住み続ける条件、というより大家の本当の依頼。それは幼くして憧憬に縛られた少女を交え、楽しい日々を共に過ごすこと。たまに遊び相手になって、冒険の話をして、そんな幸せを教えてあげてほしいという想い。万人が興奮する英雄譚でも、夢膨らむお伽噺でもなく、自分たちの過ごす普通の日々に加えてほしいという切実なお願いだった。

 なんだかんだアンナの境遇に心を痛めていた大家さんに、悪霊祓いや遊び相手にと上手いこと使われてしまったような形だが、誰一人として悪い気はしていなかった。この騒がしい連中に今更幽霊が一人増えたところで、何も変わりはしないのだから。

 

「あ、そうそう。報告することがあったの忘れてたよ」

 

 料理のことなど忘れギャーギャーと口喧嘩をしていた仲間たちにそう切り出した。彼らも改まった語り口に一旦矛を収め、ソウゴへと視線を向ける。

 

「報告? 幽霊騒ぎとは別のか?」

 

「うん。昨日の帰り道、気になるもの見たんだよね」

 

「気になるもの? 何、まさかモンスターの群れでも飛んでたの?」

 

「ううん。空飛んでたのはサキュバスだったみたいなんだ。それもたくさん」

 

「「「「サキュバス?」」」」

 

 ソウゴの発言に、全員が疑問符で答えた。




拝啓、天国のお父さん、お母さんへ

初めて手紙を書きます、ソウゴです。今更どういう報告をすればいいのかわかりませんが、気晴らしというか、どうしても踏ん切りがつかなかったので先にお送りします。あれからたくさんのことがあって、王様になって、もしかしたら天国で見てくれているのかなと思うこともありましたが、天国にはそういうシステムはないそうですね。クリスから聞きました。年代別で転生した魂を調べることができるそうですが、辞めておきます。天国にいたとしても、どちらの世界に転生していたとしても、いつかどこかで、また巡り会える気がするので寂しくありません。この寂しさはおじさんと、仲間たちが埋めてくれたので。

声も顔も朧げで思い出せないのに、なんだか勇気が湧いてきました。ありがとう。ちゃんと書こうと思います。

                     ソウゴより


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この素晴らしい理想に約束を!

(頼んだぞソウゴ……!)

 

 穏やかな昼前。いつもはパーティーや仲のいい間柄で酒を酌み交わす賑わいの場が、今だけは男性と女性の冒険者に別れ向かい合う討論の場となっていた。数では圧倒的な男性側が理由もわからず畏まり、困惑する女性側はアクアたちを先頭にとりあえず座っているという状況。不安そうに眉をひそめるギルドの関係者たちとウィズを後ろに控えたソウゴが取り仕切る中で、カズマは正座をしながら仲間に全てを託していた。

 

「それじゃ、今から話し合いを始めるよ。意見のある人はどんどん発言してね」

 

「ねえ。この集まりは一体何なのかな、ソウゴくん?」

 

 群衆に紛れていたクリスが手を上げて発言する。これはこの場にいるほとんどの人間の疑問だろう。興味のある人間も、ない人間も、ひそひそと憶測を語り合っているのだから間違いない。そのざわめきを静まり返らせたのは、もちろんソウゴだった。

 

「サキュバスの認知とこれからの関係性について、協定を設ける話し合いだよ」

 

 サキュバスという単語に冒険者達の間に衝撃が走る。寝耳に水な女性冒険者たちは勿論、心当たりが大いにある男性冒険者一同は冷や汗がたらりと流れた。

 瞳の奥にギラリと輝く理想を掲げるソウゴを信じ、カズマは事の発端となった昨日の昼のことを思い出していた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「それらしいクエストは出ていませんでしたね……。ルナさんも知らないようですし、見間違えということは?」

 

「飛んでたのは一人だけじゃなかったし、索敵魔法を使ったウィズがサキュバスだって言ってたから間違いないと思うんだけど……」

 

「基本的に守衛の兜には犯罪対策として、盗賊の〈潜伏〉スキルやモンスターの使う隠匿魔法を無効化して視認できる〈ブレイク・スキル〉の魔法が掛けられている。その目を掻い潜って大勢で街に乗り込むというのは少々現実みに欠けるな」

 

「それはウィズも言ってたんだよね。俺は新しいウォッチを受け取ったからか、魔力そのものが見えるようになってたから気づけたんだけど」

 

「魔力が見えるようになったとかさらっと言われても、もう誰も驚かなくなったな」

 

「やっぱりサキュバスの群れなんてありえないわよ。本当にそんなのが押し寄せてきたら、一晩でこの街の男連中は残らず干物になってるわ。ナメクジの言うことなんて当てにならないってことね」

 

「ウィズを悪く言うわけではありませんが、私もアクアと同意見です。というのも、淫魔は基本的に群れを作りません。情報共有のためにコミュニティを持つことはありますが、基本的には他の全員が糧を奪い合う競争相手ですから」

 

「可能性があるとすれば、ベルディアの報復だろうか。倒した相手を人海戦術で探しているとか?」

 

「姿を消す魔法まで使ってこそこそとですか? 魔王軍の力を示すなら、違う幹部に隊を率いらせて攻め込むはずです」

 

「なんにせよ、悪魔が空を飛び回るってどう考えてもやばい案件だろ。絶対に関わりたくない」

 

 クエストボードとにらめっこしながら、ソウゴの証言と照らし合わせてそれらしい依頼がないかを探すが空振り。しかし街をうろつく悪魔を放っておくわけにも行かず、ギルドにも問い合わせてみたのだが有益な情報は得られなかった。全員で膝を突き合わし意見を出し合うが、どの説も今ひとつ決定打にかける。

 席に着いた五人が難しい顔で唸っていると、ジョッキを片手にふらふらと歩み寄ってくる男がいた。見知った彼はカズマの肩に腕をかけると、気持ちよさそうにゲラゲラと笑い始めた。

 

「おいおいどーしたんだよー、暗い顔してよー!」

 

「なんだよダスト……って、お前酒臭いな!」

 

「悩み事なら俺に言えよー? なんたって俺様はこの街を牛耳ってる男だからな! へっへっへっ」

 

 完全に出来上がったダストは酔っ払いのテンプレートのような絡み方でジョッキをカズマの頬に押し付ける。チンピラの言動に迷惑そうな顔をするカズマだったが、何かを思いついたのか悪友へとジョッキを押し返した。

 

「そうだダスト。お前に聞きたいことがあるんだ」

 

「聞きたいことー? なんだよ言ってみろ! 定食屋のねーちゃんはガード固いぞ〜?」

 

「それは後でゆっくり詳しく聞くが、今は別のことだ。昨日の夜、サキュバスがこの街に来てたみたいなんだよ。何か知らないか?」

 

「サキュバスぅー? …………し、知らねぇなぁ。ジャイアントバットとでも勘違いしたんじゃねーか? じゃ、俺は向こうで飲み直してくるわー」

 

 そう答えたダストはさっさとその場を立ち去る。うざ絡みが嘘のように解けたことにカズマは不思議そうな顔をするが、女性陣はダストのことなど気にせずソウゴとあらゆる可能性を議論している。そこで、カズマは周囲から妙な視線を受けていることに気がついた。

 

「……なあ、ここで話してても埒が明かないだろ。手分けして聞き込みに行ってみないか?」

 

「どうしたんだカズマ。急にやる気を出して」

 

「解決しないことにはズルズル引きずるんだろ。さっさと終わらせて、俺は屋敷でのんびり過ごしたいんだ」

 

「カズマにしては正論ね。憶測だけじゃ答えは出ないし」

 

「じゃあ決まりだな。ソウゴとアクアは守衛たちを、ダクネスとめぐみんは街の聞き込み、俺は冒険者連中を当たってみるよ」

 

「一人だからといってサボらないでくださいよ」

 

「わかってるよ。じゃあ各自終わったら自由帰宅、情報整理は全員帰ってからってことでよろしく!」

 

 リーダーの采配通り、四人は行動を開始する。仲間たちと別れたカズマは、一つの推測を確認するため酒盛りをする男たちの元へと足を向けた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おい、本当にいいのかよダスト。カズマに教えちまっても」

 

「ああ大丈夫だ。コイツは俺たちと同じ、いや、それ以上に溜まってるはずだ」

 

「パーティーがあれだけ美人揃いなのにか?」

 

「見てくれだけはな。大丈夫だ、俺を信用してくれよキース。初心者殺しといっしょに戦った仲じゃないか」

 

 ダストとダストのパーティーメンバー、キースに連れられてやってきたのは細い路地だった。たまに通る程度で、奥に何があるなんて気にすらしなかった路地の先。そこに、男にとっての理想郷が存在している。そんな話をされて食いつかない男がいるだろうか、いや、いない。

 

「いいかカズマ。ここから先で見たことは他言無用だ。この街の男の冒険者は、代々この秘密を守り通してきたんだからな」

 

「わかってるよダスト。墓まで持っていく覚悟だ」

 

 そう言って拳を突き合わせ、ニヤリと笑う。

 カズマは、周りの反応にいち早く気づいたのが自分で良かったと思った。これが同じ男でもソウゴなら、その知力で答えを導き出し全てを白日の下に晒していたかもしれない。魔王を名乗るくせに、そういうところは清廉潔白なヒーロー然としているのだ。

 

「この路地にはサキュバスたちが人払いと隠匿の魔法を掛けてる。だから知ってるやつじゃないとこの路地には入ろうとすら思わない」

 

 少し進むと、年季の入った看板の掛かった一軒の店があった。この道に迷い込んでしまったとしても絶対に入ろうとは思わない、そもそもやってるのかどうかすら怪しい古めかしい佇まいに、カズマは期待と緊張でつばを飲み込む。扉を開いたダストは、それはもう緩みきった顔をしていた。

 

「ようこそ。今日からお前も俺たちの同志だ」

 

 その部屋は、空気が桃色だった。可視化されたエロさというか、そういうものがその空間に充満しているように思うのはカズマの気のせいではないだろう。店の中にいる男たちは、そんな空気の中でも真剣な表情で机に向かい、一心不乱に何かを書いているようだった。

 

 しかし、そんなことはどうでもいいとカズマは断ずる。

 

 注目するべきは野郎の動向ではなく、この寒い季節に肌色面積九割という数字を叩き出す店員の方だ。接客するサキュバスたちの格好は、そりゃあもう表現のしようがないくらいエロかった。どこがとは言わないが、たわわな部分が歩くだけで揺れる。その淫靡な歩き方につい腰つきを見てしまう。サキュバスたちは、自分たちの体を舐め回すような下卑た視線を送る男たちに向けて妖艶な笑みとウインクを返す。男の性を刺激する立ち振舞いに、来店して早々三人とも鼻の下を伸ばしてしまうのは仕方ないことだった。

 

「いらっしゃいませ、お客様。こちらへどうぞ」

 

 カズマたちの前に現れたのは三人のサキュバス。入口だけで今日の目的を達成してしまいそうだった三人の手を引いて、それぞれを別々に空いてる席へと案内する。手を繋いだだけで催淫されそうになったカズマは、なけなしのプライドでなんとか自分を保ち席へと座った。

 

「お客様はこのお店は初めてですか?」

 

「は、ハイ!」

 

「うふふっ。では、簡単にご説明いたしますね」

 

 そわそわと落ち着かず声が上擦ってしまうカズマを見てクスクスと笑うが、嫌な気はしない。経験豊富なお姉さんがチェリーの可愛さについ浮かべてしまうような笑みは逆にカズマの心をときめかせる。そんな童貞の純情を知ってか知らずか、サキュバスのお姉さんはこの店のシステムを話してくれた。

 

 サキュバスの淫夢サービス。それはアクセルの街の男性冒険者たちと長年共存共栄の関係を築いてきたサキュバスとの等価交換の契約である。

 馬小屋暮らしが多い男性冒険者は周りの目があるためナニすることもできず、かと言って近くで寝ている女性冒険者を襲おうものなら袋叩き、もしくは自衛用のダガーで切り落とされてしまう危険性がある。そこで、サキュバスに希望通りの夢を見させてもらい溜まっているものをスッキリ解消しよう、というものだ。

 

「対価として少し精気を分けていただくことになりますが、もちろん普段の生活や冒険に支障が出ないレベルに加減します。ここまででご質問等はありますか?」

 

「ありません。お世話になります。よろしくお願いします」

 

 自分にできる最高のキメ顔で綺麗に腰を九〇度に折り礼を尽くすカズマは、心の中でこのシステムを考えた先代冒険者たちに感涙と追悼の意を捧げた。

 

(素晴らしすぎるぞ、サキュバスとの共存! 誰もが常に賢者タイムでいられたら、争いなんて起こらない!)

 

 前はアクアに隠れてこっそりしていたが、気づかれていると知ってからは全くできていない。それどころか冬支度のあれこれや馬小屋での共同生活と、忙しさと女性の目が増えるばかり。自室を獲得したが、磯の香りがすれば白い目で見られることは請け合いだ。健康的で模範的な性春真っ盛りの十代としては死活問題と言ってよかっただろう。それが寝ている間に、しかも誰の目も気にすることなく済ませられるならこんなにありがたい話はない。

 

「では、こちらのアンケート用紙にお客様の情報と、ご希望の夢の詳細をお書きください」

 

「はい」

 

 迷いなど微塵もなく、歓喜に打ち震えながら一枚の紙を受け取るとすぐさま名前と、ギルドカードに記載されたレベルや体力などを書き込んでいく。この辺りの情報から吸っても問題ない生気の量を算出するのだろうか。

 書き進めていくと、遂に夢の内容についての記述に辿り着いた。

 

「あの、この『夢の中での自分の状態、性別、外見』っていうのは……?」

 

「王様や英雄になってみたい、などですね。女性になってみたいという方もいらっしゃいましたし、年端も行かない少年になって強気な女冒険者に押し倒されたい、などという方もいらっしゃいました」

 

(大丈夫なのだろうか、この街の男共は)

 

 共存しているとはいえ、他者に対してそこまで赤裸々に性癖をカミングアウトできる精神状態に不安が増す。願わくば自分の知り合いではありませんようにと願いながら残りの項目に目を通すと、また気になる箇所が現れた。

 

「この、『相手の設定』ってどういうところまで設定できるんですか?」

 

「性格や口癖、外見やあなたへの好感度までなんでも自由です。実在しない人物でも構いませんよ」

 

「マジですか!?」

 

「マジです」

 

 つまり、高嶺の花だろうと片思いの幼馴染だろうと、誰でもなんでも思いのままにできてしまうということだ。発想次第で無限に広がる可能性に夢が膨らむ。とここで、コンプライアンスやら基本的人権にうるさい現代日本人として気になることができてしまう。カズマはサキュバスのお姉さんにそっと耳打ちをした。

 

「……その、大丈夫なんですか? 肖像権とかタグ付けとかいろいろ」

 

「大丈夫です。だって、夢ですから」

 

「ですよねー! じゃ、じゃあ年齢とかの設定も上限下限なんかないんですか? あ、別にそういうのを指名するわけじゃないんですよ? でも一応確認のためにね?」

 

「ありませんよ。だって、夢ですから」

 

「……その、大丈夫なんですか? 都の条例とか利用者規約とかいろいろ」

 

「大丈夫です。だって、夢ですから♡」

 

「ですよねー♡」

 

 だって、夢ですから

 

 これほどまでに甘美な響きの言葉があったことをカズマは知らなかった。最高最善最大最強の夢のサービスの前に、女性に対する淡い期待や憧れなどは塵芥だと悟る。外面だけのチンピラ駄女神にも、迷惑を考えない爆裂狂にも、特殊性癖に忠実な変態クルセイダーにももう惑わされない。魂の救済と未来への希望はこの店にあった。カズマはそう確信して一心不乱に筆を踊らせる。

 

「今夜はお酒を飲み過ぎないようにしてくださいね。熟睡されると、夢を見せることができませんから」

 

「はい! 今日は飲みません!」

 

 欲望のままに、つらつらと自分の理想を書き込んでいく。ただのエロい夢ではなく、自分の思う通りのエロい夢を見られるのだから、誰に構うこともなく性癖を書き連ねられる。今日はさっさと寝てしまおう。体調不良とでも言えばおとなしく寝かせてくれるだろう。このチャンスと巡り合わせてくれたソウゴに感謝をしながら、カズマは天使によってもたらされる今夜のお楽しみに心を踊らせていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 これは、試練だ。

 

「ん〜〜〜! やっぱり霜降り赤ガニは最高です! こんな超高級食材を食べれる日が来るとは……」

 

「ほんと、こんな美味しい蟹食べたことないよ! ダクネスの親御さんにちゃんとお礼言わなきゃね」

 

 人には三大欲求がある。睡眠欲、食欲、性欲、飲酒欲、堕落欲、その他諸々欲。三つでは数え切れない欲のせめぎ合いが、ここまで苛烈なものだとは思いもしなかった。

 

「カズマ、火を頂戴」

 

「……〈ティンダー〉」

 

「うふふふふ。味噌がつまった甲羅にこの上物のお酒を入れて、炙って一気に……。ぷはぁ~〜〜! さいっっっこうッッ!」

 

「遠慮せずにどんどん食べてくれ。おかわりは沢山あるからな」

 

「わ、私もそのお酒を……」

 

「駄目だよめぐみん。お酒は大人になってから」

 

「私だって大人ですよ!」

 

 腹いっぱい目の前の蟹を食べたい。この仲間たちと酒を分かち合いたい。一時の衝動に任せて甲羅酒を煽り、馬鹿をしてそのままベッドで爆睡したい。

 

「気分が乗ってきたわね……。見なさい! 私の新作宴会芸を!」

 

「よっ! 芸の神様!」

 

「煽ったんですから、水浸しになったらソウゴがなんとかしてくださいよ」

 

「めぐみん、なんかちょっと怒ってる?」

 

「スキルは〈花鳥風月〉のままなんだな」

 

「私の芸を昨日と同じだと思ったら大間違いよ。私の芸は何者も追いつけない速さで常に進化し続けるの。これはそう、言うなれば〈新・花鳥風月〉!」

 

 見事なアクアの芸を肴に浴びるほど酒を飲みたい。なんなら今から貯金を崩して酒屋の酒を買い占めたいほどに、目の前の誘惑は魅力的だった。しかし、ここで負けては夜のお楽しみを無駄にすることになる。なんとか自制心を効かせ、蟹をそっと取皿に戻す。

 

「……どうした、カズマ。もしかして蟹は苦手だったか?」

 

「い、いや? めちゃくちゃ好きだぞ!? 好き過ぎて故郷に伝わる蟹への礼拝作法を実践してただけだが!?」

 

 しかしこちらを気遣い眉を垂らすダクネスの顔を見て、カズマの決心は揺さぶられる。普段は自分の心の赴くままに発情している顔が、人並みになるだけでギャップ萌えが発生するのだから詐欺もいいところだ。だが、自分の欲のために仲間の顔を曇らせるわけにはいかないと、僅かに残った良心がカズマの食欲を突き動かした。

 

「こ、これは……!」

 

 蟹の足を折り、引き抜く。中から現れたのは、それはもう見事な霜降りだった。海の生物とは思えない脂とつや、香りが五感に訴えてくる。間違いなく美味いと。

 ダクネスに見守られながら蟹の身を頬張ると、もう後には引けなかった。

 

(アカーン! これはアカン! 止まらんやつ!)

 

 一口食べて本能が理解した。これはカズマの記憶の中に存在するどの食べ物の味をも凌駕していると。美味しいという概念を食らっているような、食べ始めると止まらない禁欲の大敵だった。がっつくカズマの姿に安心したのか、ダクネスの表情も柔らかくなる。

 

「じゃあ、そろそろ明日の打ち合わせでもしよっか」

 

「うひあはへ?」

 

 頃合いを見計らったソウゴの言葉に、口いっぱいに蟹の身を頬張るカズマが首を傾げる。明日クエストに行くだとか、そういう話は一切なかったはずだ。いくら記憶を探ってみても、予定らしい予定は思い出せない。

 

「そう言えば、カズマにはまだ話してないんじゃない?」

 

「うん。だけど、カズマは自力で辿り着いたでしょ?」

 

「待ってくれよ。何の話だ?」

 

「サキュバスのお店の話」

 

 カズマの手から取皿へと蟹が零れ落ちる。誤魔化すべきかと一瞬悩むが、ソウゴは『自力で辿り着いた』と言ったのだ。これが意味することとはつまりーーー

 

「……知ってたのか、お前ら」

 

「カズマと酒場で別れた後、ソウゴからな」

 

「変だとは思ったんです。〈ドレインタッチ〉を迎撃するソウゴがサキュバスに遅れを取るわけがありませんから、見かけた時点でどうして声をかけなかったのかと」

 

「騙すような感じになってごめんね。でも、どれくらいの人がサキュバスの存在を知ってるか調べたかったんだ」

 

「ま、待ってくれ! お前らがサキュバスの存在を知ったってことは、その打ち合わせって……」

 

「うん」

 

 今日の酒場での調査がサキュバスに寝返った裏切り者を炙り出すためのものだったとしたら、非常によろしくない。今まで共存のため秘密を守り通してきた男たちのこと、そしてサキュバスたちのことを思うとこの打ち合わせだけは断固として阻止しなければならない。

 全ての命運を背負っているという使命感から、カズマの体は自然と動いていた。

 

「今回だけは見逃し「仲良くできたらなって」……え?」

 

「ま、そうなるわよね」

 

 討ち入り計画の話をするのだと土下座に移行したら、とんだ勘違いだった。変わった奴だとは思っていたが、サキュバスと仲良くしようなどと平然と言ってのける程とは思ってもみなかったのだ。困惑で固まるカズマに、ソウゴはいつものようなへらへらとした笑いではなく、真剣な目を見せた。

 

「俺、最初に言ったでしょ? この世界で最高最善の魔王になるって。この街とか、ウィズとかを見て思ったんだ。わかり合えるなら、人も悪魔もモンスターも女神も、俺の民が皆で支え合って仲良く過ごせるのが一番いいかなって」

 

「そのためにサキュバスたちをこの街の冒険者とギルドに認知させたいそうです」

 

「俺の夢の第一歩に、力を貸してくれないかな?」

 

 ソウゴに差し出された手を見つめる。正解はもちろん握り返す、だ。自分のメリットを考えればそれ以外の選択肢はない。

 しかし、ソウゴの本気の眼差しに打算以外の迷いが生まれる。自分のことだけを考えてこの手を取ってはいけないと、カズマの心が囁いてくるのだ。一人でこの世界の未来を見つめる、この変わり者の隣にこれからも立つのなら。

 

「アクアはいいのかよ。仮の仮とはいえお前も女神の端くれだろ」

 

「余計な装飾語が多いわよ。……私は反対したいわ。なんなら、皆が寝静まったあと一人で浄化しに行ってもいいくらい、女神は生理的に悪魔を嫌悪してるの。でも、話を聞いてから考えることにしたのよ」

 

「珍しいな、お前が理性的なんて」

 

「アンタ本当にぶっ飛ばすわよ」

 

「まあまあ。アクアもソウゴの夢のために少し譲歩してくれているんだ。そう言ってやるな」

 

「そう言うダクネスや、めぐみんもいいのか?」

 

「私は異論ありません。命のやり取りしかしてこなかった相手との和平という無茶な夢、実に尖っていてカッコイイではありませんか!」

 

「私もだ。悪魔に与するようでエリス様には申し訳ないが、無益な争いが起きないに越したことはない。エリス様もきっとわかってくださるだろう」

 

「……わかったよ。じゃあ俺も、お前の夢の実現に向けて協力するよ」

 

 ソウゴの手を、改めて握り返す。この男の言う“魔王”というものが、カズマは少しだけわかった気がした。誰も成し得ない、自分の思う最高最善を信じて道なき道を突き進む者。悪魔さえ“民”と呼ぶ大物は、随分と笑顔の似合う男だった。

 

「でも、本当にエリスに見つかったらマズイかもね。あの子、悪魔となると私以上に見境なくなるから」

 

「嘘つくなよ。あれだけお淑やかなエリス様がそんなバーサーカーなわけないだろ」

 

「俺もあんまりイメージないな。腰も低いし」

 

「アンタたちはエリスに理想を持ちすぎよ。エリスは悪魔に対してだけはヤクザみたいな女神なの。引き込むのが話のわかる私で良かったと感謝しなさい」

 

「私の前であまりエリス様を悪く言わないでくれ!」

 

「そうだぞ! 謝って。自分とは違ってお淑やかで心優しい女神様を僻みから侮辱したこと謝って!」

 

「言ってくれるじゃない……! アンタがサキュバスのサービス受けられないように、触れただけで悪魔が浄化される超すごい結界を張ってやるんだから……!」

 

「嘘です嘘です水の女神にして麗しいアークプリーストのアクア様! お慈悲を! どうかこの私めにお慈悲を!」

 

「何やってるんですかまったく……。さあ、明日の打ち合わせをしてしまいましょう。早くしないと霜降り赤ガニの鮮度が落ちてしまいます」

 

 そういうとめぐみんは赤ガニタイムを再開する。アクアも酒を飲み直し始めたのを確認したソウゴは、いつものへらへらとした笑いを浮かべた。

 

「じゃあ聞いてくれるかな。皆にお願いしたいこと」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 そして冒頭に戻る。

 打ち合わせ通りの配置に付き、自陣の意見を取りまとめて好意的な意見で誘導するのが、このイカサマ討論会で自分たちが託された役割。それを悟られず、結論をコントロールするのがソウゴの使命。深く考えず思ったことを言ってほしいと言われているが、緊張するのは誰しもが仕方ないことだろう。

 まず初めに口火を切ったのはソウゴだった。

 

「この街には古くから男性冒険者と共存するサキュバスたちが住んでいて、少しの精気とお金を支払うことでスッキリする夢を見せてくれるお店を営んでるんだ」

 

「ま、待ってくれよ、デュラハン殺しの兄ちゃん。俺たちはそんな話「もう秘密は守らなくていいよ」

 

 男性冒険者の一人の言葉を遮ったソウゴは柔和な笑みを向ける。次の句をとっさに思いつかなかった彼が押し黙っていると、ソウゴは話を続けた。

 

「持ちつ持たれつ。サキュバスたちは比較的安全に生きる糧を、男性冒険者たちは人には相談できず解消できないあれこれを。それぞれ解決し合う良きビジネスパートナーとして、この街の治安維持に努めて来たんだ」

 

「治安維持……?」

 

「そう。駆け出しの集まる入れ替わりの激しい街なのに、統率が取れている上に冒険者による犯罪は高が知れてると思わない? それは男性冒険者が、ストレスを解消する手段を求めてこの街に留まり続けているからなんだ」

 

「つまり、サキュバスに性欲を解消してもらえるからレベルが上がってもこの街に残り、それが抑止力としてこの街の平和に貢献してるってこと?」

 

「そういうこと。ここまでで何か意見のある人はいる?」

 

 ソウゴが問いかけると、女性陣はざわざわと色めき立つ。それぞれ信用するというより、荒唐無稽な話に半信半疑という印象が強い。それならと、ソウゴは次の一手を打つ。

 

「ま、いきなりこんなこと言われても信じられないよね。ということで、今日はそのサキュバスさんたちをお呼びしています」

 

 どうぞ、というソウゴの一言に男性たちの顔色が変わる。今まではどうやって誤魔化すかを考えていた面々の表情が、明らかに驚きと困惑の色に塗りつぶされた。予想していなかったカズマたち仕掛け人も驚きの表情を見せる。

 ギルドのカウンターの奥から、数人が連なってぞろぞろと姿を表した。ローブで体を隠し、顔以外は見えないが皆美人揃いだ。カズマが知るだけでも、店で応対してくれたサキュバスや、昨夜お世話になった幼げなサキュバスも混ざっている。多くの男性陣は言い逃れのできない人的証拠の登場に、観念したのか目を伏せた。

 

 そのとき、何かが爆ぜた。

 

「…………邪魔しないでくれるかな、ソウゴくん」

 

「話し合いって言ったじゃん。いきなり一撃必殺は酷いんじゃない?」

 

 ギルドの石壁に刺さったものがトランプであることにカズマが気づいた頃には、もう決着がついていた。瞬きする一瞬のうちにローブの集団へと距離を詰めたクリスは、ダガーが空を斬ったことに少しの苛立ちを見せる。確認するまでもなく一人目を仕留める間合いで振られた刃は根本からへし折られており、遅れて床を転がる金属音が静かな酒場に響いた。

 

「目の前に悪魔がいるんだよ? 見逃す道理がないよ」

 

「その道理を通すための場だよ」

 

「通らないよ。絶対に」

 

「それを決めるのはクリスでも、エリス教でもないよ」

 

 親の仇のような目でクリスはソウゴを睨みつけるが、まるで意に介した様子のない彼はダクネスに目配せをする。親友のあまりの豹変ぶりに目を丸くしていたダクネスだが、その視線の意味を理解したのかクリスへと駆け寄った。

 

「落ち着けクリス。らしくないぞ」

 

「……なるほどね、そういうこと。わかったよ。じゃあ話し合って決めよう」

 

「ありがと、クリス」

 

 ダクネスの一言で自分が悪手を打ったことを理解したクリスは、カズマやアクアたちを一瞥すると大人しく親友の隣に陣取った。

 

(クリスのやつ、これ気づいてるよなぁ)

 

 ダクネスの話通り悪魔嫌いのようだが、ここまでとはカズマは思っていなかったため仲間に引き込まなくてよかったと安堵した。普段とのギャップのせいで未だに背筋がぞわぞわする。

 クリスが殺気を抑えたことを見届けたソウゴは、ローブの集団に頷きかけた。静まり返るギルドの中で彼女たちがフードを取ると、そこから人離れした長い耳やコウモリの羽のような装飾が顔を覗かせる。

 

「彼女たちが、この街でお店を営むサキュバスさんたちだよ」

 

「……はじめまして、女性冒険者の皆さん」

 

 緊張の面持ちのサキュバスたちが女性冒険者に向けて頭を下げる。悪魔との対話という馴染みのない経験に戸惑っているのか、不服そうに眉間にシワを寄せるアクアとクリス以外のほとんどの者が釣られて会釈を返した。

 

「俺の説明で、補足するところとか訂正するところはある?」

 

「いえ、ありません」

 

「男の人は?」

 

「…………」

 

 雄弁に語る沈黙だった。女性たちの視線が、驚きから訝しむようなものに変わっていくのが肌でわかる。動揺から不信へと変化する感情を好機と捉えたクリスは、反撃へと転じるため挑発するような口調で捲し立てる。

 

「それで? サキュバスがお店をしてるのはわかったけどそれをどうしろっていうの? まさか、みんな仲良くしてね、なんて言うんじゃないよね?」

 

「え? そうだけど」

 

 さも当然のような答えに場が凍りつく。同じ経験をした仲間たちは、何の捻りもないド直球な答えに呆気にとられるクリスに親近感が湧いた。

 

「だってさ、利害が一致してる男性冒険者じゃなくて、女性冒険者に見つかったら問答無用で討伐されちゃうんだよ。ちょっと酷い話だと思わない?」

 

「だから男性冒険者との共存じゃなくて、この街での共存に変えたいってこと?」

 

「うん、そういうこと。皆仲良く幸せに、が俺の理想だからさ」

 

 ソウゴがそう締め括ると、クリスは噛み殺すように笑い始めた。喉の奥をクツクツと鳴らし愉快そうに肩を震わせる彼女は、一通り笑い終えると顔を上げる。

 

「無理だよそんなの。サキュバスには人間を操る力があるって知らないの? 君や男性冒険者が操られていないって保証はどこにあるのさ」

 

「アクアなら今すぐ全員確かめられるでしょ」

 

「ソウゴの魔法抵抗力は私を超えてるんだから確かめるまでもないわ。男共も漏れなく正気よ」

 

「今は大丈夫でもこの先どうなるかはわからないよね。この話し合いが終わったら裏切るかもしれない」

 

「我々も悪魔の端くれです。契約を違えるようなことはしません」

 

「どうだか。ソウゴくんの弁を借りるなら、サキュバスたちの影響で高レベルの冒険者がこの街に留まってるんでしょ? それを操って手駒にすればこの街は簡単に落とせる。野放しにしてもメリットなんてないよ」

 

「メリットならあるよ。女性にも、この街にも。ちょっと男性側には飲んでもらう条件があるけどね」

 

 そう言ってソウゴは、この場にいる全員に見せつけるように大げさに指を立てていく。

 

「一つ目はこれまで以上の身の安全。二つ目は情報提供。三つ目は人手不足の解消」

 

「サキュバスを見逃すことでその三つにどう繋がるんだ?」

 

「ダクネスは、男性が見せてもらってる夢ってどういうものか知ってる?」

 

「詳しくは知らないが、いかがわしいものじゃないのか?」

 

「夢の内容は顧客の希望通り、誰に何をする夢でも見せてくれるんだ。大富豪にもなれるし、子どもにもなれるし、性別だって変えられる。実在しない人間を相手にすることも」

 

「待ってください。ということはつまり……」

 

「めぐみんを登場させてあれこれすることもできる、ってこと」

 

「サイテーですねカズマ」

 

「唐突に俺に火矢を打ち込んでくるな。登場させてねぇよ。まだ」

 

「とまあ、望まない相手に夢で好き勝手されてる可能性もあるわけ。本人としては知らぬこととはいえ気分のいいものじゃないよね。これを原則禁止としてもらいます。これが一つ目」

 

 女性たちがほっと胸を撫で下ろす対面で、少し悔しそうにする男性冒険者たち。その様子に手応えを感じたソウゴは演説を続ける。

 

「二つ目は悪魔からの情報を得られるようになること。魔王軍の攻勢だとか、地獄での動きだとか、そういう情報は貴重じゃない?」

 

「普通は知る術がないもんね」

「魔王討伐とかは考えてなくても、知ってて損をすることはないかも」

「この間デュラハンが来たばっかりだし、そういう情報は欲しい」

 

 二つ目のメリットはリスクマネジメントの観点から見て冒険者にとってかなりいい条件だったようだ。思いの外好感触だったことで、クリスの表情も険しくなる。

 

「そして最後が人手不足の解消。デストロイヤー、だっけ。あれの調査で警察署の人と教会のプリーストが駆り出されてるのは、みんな知ってる?」

 

 そう問われ、ほとんどの冒険者たちはざわつくだけで明確な答えを返しあぐねていた。当然のその反応に少し寂しそうに眉を垂らしたソウゴは、自分の気持ちを振り払うように咳払いをする。

 

「ああいう緊急のクエストが出たとき、ギルドからそれに適した職の男性冒険者に斡旋してもらう。受けてくれた人には通常通りの報酬に加えてお店の割引券とか、そういうおまけを設けてもらえるようお願いしてるよ」

 

 自分たち男性側が現状からかなり譲歩するような内容ばかりだが、ソウゴの協力者という視点を除いてもどれも悪い話ではないとカズマは思う。この街の男たちのモチベーションはサキュバスのお店に重きがあると言っていい。夢の内容の原則にも穴はあるし、仕掛けるならここだとカズマは判断する。

 

「俺はいいんじゃないかと思う。俺はまだ一回しかお世話になってないけど、良くしてくれたサキュバスさんたちがこれから落ち着いて生活できるようになるんだからさ。そう思わないか、お前ら」

 

 カズマの問いかけに、男たちはぼそぼそとざわつく。女性冒険者がパーティーメンバーにいる連中はその辺りを気にして声を大きく出せないようだが、そんな空気をここまで静かに聴いていた悪友がぶち壊す。

 

「俺もいいと思うぜ。店以外でもいろいろと世話にはなってたし、実を言うと、討伐されてるって聞いて何とかしてやりたいなとは思ってたんだ」

 

 良心に訴えるようなダストの助け船に、カズマはサムズアップを返す。こういう賛同のされ方をしては反論できる者などいるわけも無く、反対意見などは上がろうはずもない。

 

「というわけで、俺たち男性冒険者は全員、満場一致でソウゴの言うサキュバスとの協定に賛成したい。もし何かそっちから要求があるなら、それもここで検討しないか?」

 

「そうだね。ギルドにはこの条件で国にはナイショでってお願いしてるから、あとは女性側との摺り合わせかな」

 

「ちょっと待ってよ」

 

 まとめようとしたソウゴに、クリスが待ったをかけた。振り返った彼女は、認めるわけにはいかないこの共存を覆そうと立ち上がる。

 

「いつの間にか、サキュバスの存在を認めることが前提になってない? みんなはいいの? 悪魔をこの街に住み着かせて」

 

 傾きかけた天秤が、またグラグラと揺れ始める。このまま流れで話を押し進めたかったカズマとしては、痛手とも言うべき一言だった。

 これで振り出しに戻ったとクリスは逆転の計略を巡らせるが、それは向かい風によって水泡に帰してしまう。

 

「私は今まで通り共存でも構わないと思います」

 

「め、めぐみん!? 本気!?」

 

「はい。これは私の故郷の話ですが、近隣に生息する理性を持つモンスターとはお互い不可侵としています。理由は、問題があればいつでも討伐できるから。サキュバスの戦闘力自体は大したことありませんし、魅了されないソウゴが間に立つなら大丈夫でしょう」

 

「ねぇ、その夢って性別関係なく見せられるの? 私が女神として扱われて豪邸でシュワシュワ飲み放題みたいなのも?」

 

「アクアさんも!? 女神を名乗ってるのにいいんですか!?」

 

「いいじゃない。今まで悪いことせずこっそりやってきたんでしょ? 何かあれば私がスパーっと全員まとめて浄化してあげるわ。で、どうなの?」

 

「は、はい。可能です。ご希望であれば地獄からインキュバスを呼ぶこともできます」

 

「ふーん。じゃあ私も賛成。ダクネスは?」

 

「わ、私か!? そうだな……。悪魔との共存に不安はあるが、私が知らなかっただけでこれまで成立していたんだろう。ならば異論はない。男たちに夢の中でどんなプレイを要求されているのか気になるが」

 

「……よろしければ、匿名でお教えしましょうか?」

 

「んなっ!? か、可能なのか……!?」

 

「ダクネスまで……!」

 

 共存に意欲的な意見が出たことで、この場の空気が賛成に移っていくのがわかる。ソウゴやアクアという魔王軍幹部と渡り合える力を持つ絶対の防波堤を得て、全員の気が緩んでいるのだ。どれだけ煽ろうと、きっともうサキュバスを脅威と認識させることはできない。それは仕掛け人も、クリスも同じ考えだろう。

 諦めたのかクリスは、大きくため息をついた。

 

「……わかった。アタシは悪魔が嫌いだし、きっとすれ違う度に舌打ちをする。何か事件があれば疑ってかかるし、一人でもアタシたちに牙を剥けば全員残らず討伐する。それでもいいなら認めてあげるよ。でも、最後に一ついいかな?」

 

 安堵するダクネスとカズマを横目にそう付け加えたクリスは、ソウゴに一段低い声で問いかけた。

 

「責任はどうやって取るの? これから先、人もサキュバスも入れ替わりがあるよね。その時サキュバスが人を殺めたり、ギルドが国に報告したり、女性冒険者が徒党を組んでサキュバスを殲滅したり、男性冒険者が要項を踏み倒したりした、協定を反故にした責任は」

 

 視線がソウゴに集まる。カズマたちもそんなことは微塵も考えていなかったので、ソウゴがどんな言葉を返すのか静かに答えを待っていた。その問いを聞き届けたソウゴは、一切の迷いのない目で即答した。

 

「俺が理想を捨てるよ」

 

「具体的には?」

 

「サキュバスが裏切るのなら、俺が全てのサキュバスを皆殺しにする。ギルドが密告するのなら、俺は職員を残らず血祭りにあげて攻めてくる国と戦う。冒険者が蔑ろにするのなら、俺はサキュバスの味方について人類を滅ぼす側に回る」

 

「……そっか。じゃあ、その理想が叶うことを願ってるよ」

 

 しばし訪れた沈黙は、決してソウゴの言葉を笑い飛ばせるような空気ではなかった。本気で言っていると、“魔王”の言葉を疑う者など誰もいない。息を呑む全員に、いつも通りソウゴは笑いかける。

 

「だから、皆も賛同してくれるならその覚悟をしてね。無理だと思うなら、できるところまでちゃんと話がしたいから」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「みんなひどいよねー。アタシにイカサマを黙ってるなんてさ」

 

「すまないなクリス。ソウゴが仕掛け人は少ない方がいいと」

 

「まさかあそこまで悪魔嫌いだとは思いませんでした」

 

「いやー、昔ちょっとね」

 

 協定の話を詰めるためソウゴと別れた面々は、拗ねるような素振りのクリスを宥めるために弁明の機会を設けていただいていた。しかしもうクリスは気にしていないのか、あっけらかんとした態度で笑う。

 

「それにしても、アクアさんまでそっち側だとは思わなかったよ。どういう風の吹き回し?」

 

「悪魔っていう偏見を取り除いて見てあげて、って言われたのよ。確かに、悪魔ってところを除けば悪感情を食べるために好き勝手したり、危害を加えてるわけでもないしいいかなって」

 

「そっか。……アクアさんも変わったんだね」

 

「でも認めちまって良かったのかよクリス。俺としてはありがたいけど」

 

「いいのいいの。今回は時の魔王に貸し一つってことで。そろそろデストロイヤーの調査隊も帰ってくるはずだし、男の人には頑張ってもらわなきゃね」

 

「そう言えば、調査隊が出てもう一週間ほど経つな」

 

「近くを通り過ぎてくれるだけならいいんだけどね。ま、こっちに来たらソウゴくんに何とかしてもらうとするよ」

 

「そんなフラグみたいなこと言うなよな」

 

 それじゃあね、と手を振るクリスは駆け足で雑踏に溶け込んでいく。あっと言う間に見えなくなった背中を見送った四人は、束の間の平穏へと戻っていった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「〈パワード〉! 〈パワード〉! 〈パワード〉! 〈パワード〉!」

 

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 

 逃げることしかできないプリーストは、怪物たちに貪られた死体の山を背に無我夢中で走っていた。自分一人を逃がすために多くの同僚や衛兵たちが身を挺してくれたが、もうあの顔を思い出すことができないほどの恐怖が記憶に刻み込まれている。それでも犠牲者を無駄死ににしないため、プリーストはただ走っていた。

 

「早く……! 早く帰って知らせないと……!」

 

 デストロイヤーにあんな人型の怪物が搭載されているなんて聞いたことがなかった。自分たちの一団を遥か遠くから観測した自律要塞は、進路を変えて自分たちを強襲し、餌を求める自身の子をこの地に撒き散らしたのだ。

 そこはもう、地獄だった。

 

「あっ……!」

 

 木の根に足を取られて、プリーストは地に伏せる。支援魔法で体を強化していても、体力と魔力は有限だ。底上げした体も悲鳴を上げている。もう、心さえも限界を迎えていた。

 

「グルルル…………」

「キシャシャシャシャシャ……」

「フーッ、フーッ」

 

 怪物がひたひたと歩み寄る。自分という餌を求めて。もう駄目だと、プリーストは十字架を握る。

 

「お、お助けくださいエリス様……!」

 

 怪物は、無慈悲にもプリーストへと牙を突き立てた。




拝啓、ツクヨミへ

悩みましたが、やっぱり書こうと思います。
いかがお過ごしでしょうか。私は貴方が危惧していた魔王になりました。この選択が正しかったのか今でもわかりませんが、後悔はありません。それ以外にも、伝えたいことがあるのでお手紙書きました。
ゲイツを助けられなくてゴメン。死なせてしまってゴメン。俺のワガママでその世界に縛り付けてゴメン。世界を、救えなくてゴメン。
謝りたいことが多すぎて全部は書けないや。全部ゴメン。許してほしいとは思ってないよ。ただ、謝りたかっただけだから。

それから、俺の仲間に、友達になってくれてありがとう。皆と過ごした日々は、俺のかけがえのない宝物だよ。
新しい世界で、新しい俺とまた友達になってくれると嬉しいな。じゃあ、お元気で。

                     ソウゴより


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この理不尽な要塞に最後ノ審判を!

「ルナさん、もう一回言ってくれないか……?」

 

 カズマは聞き違いであってほしいという願いを込めて声を絞り出した。

 緊急招集がかけられ、アクセルの街にいる全ての冒険者たちが集まった冒険者ギルド。そこに付き添いも連れず一人立ち尽くすセナも、彼女の言葉が誤りであってほしいと祈りながら二度目の報告を待つ。しかし再度突きつけられた現実は、やはりというか、あまりにも残酷だった。

 

「……デストロイヤー偵察隊、十二名の帰還を確認。死者十一名、軽症者一名。生き残ったプリーストの方ですが、彼女もかなり精神的に衰弱しています」

 

 警察署から送り出した部下たち九名、教会に支援を要請して編成に組み込んだ三名、生き残りを除いた合計十一名の犠牲を以って『機動要塞デストロイヤーの進路調査』という任務は完遂された。

 目の前が真っ暗になるとはこのことだろう。それでもなんとか自分を保ち、セナは口を動かす。

 

「…………遺体を、拝見しても?」

 

「ご遺体は全体的に()()が酷く、ほとんど人の姿を保っていません。こういう言い方は亡くなった方に失礼でしょうが……」

 

 あまりお薦めはしません。

 彼女の言葉が空っぽの頭の中で反響する。

 

「構いません。お願いします」

 

「あの、無理はなさらない方が……。顔色も「大丈夫です! だから……お願いします」

 

 難しい任務ではなかったはずだった。派遣したのは確かに盗賊職のような身のこなしができる者たちではないが、遠くから観察できるよう遠見のマジックアイテムも支給していたし、近辺で目撃されているモンスターに遅れを取るような人選でもなかった。熟練者のように冴え渡った勘を持っていたわけではないが、基礎訓練も隊列編成も十分な練度と言っていい。

 自分にとっては一週間ほど人手不足になるだけの、久々に下っ端の仕事をして改善点を見つけられる機会を得ただけの期間。そして、彼らにとっては臨時収入を得られるちょっとした遠出の仕事のはずだった。そのはずだったのだ。

 

「セナ、大丈夫?」

 

「ト、キワ、さん……」

 

 気がつけば、自分の体は誰かに支えてもらっていなければ立てないほどに震えていた。力が入らない。考えもまとまらない。別れ際の顔が瞼の裏をちらつき、彼らと交わした最後の会話がノイズのように思考を邪魔する。頭も心も自問自答でぐちゃぐちゃだった。

 仕事中はキツい性格を演じているため深い交友があったわけではないが、それでも身の上話くらいなら知っている。家族を王都に置いてきた者、恋人がいた者、これからの未来で幸せになるはずだった、そんな者たちがもう帰ってこない。そう思うと、いつも仕事で見せるような気丈な振る舞いなどできはしなかった。

 

「今は休んだ方がいいよ」

 

 かけられた言葉に、肩を掴む力強さに、ようやく感情が追いついてくる。自制心だけでは止めようのない慟哭が、ギルドに響き渡った。

 上司に胸を貸すソウゴは、痛ましげにセナを見つめるルナに問う。

 

「ねえ。何があったのか、そのプリーストの人に話を聞けないかな?」

 

「いえ、それは……」

 

「やめておけ。トラウマを掘り返してやるな」

 

 誰も不用意な発言ができないギルドで、一人の男がルナの言葉を遮った。二階からかけられた声に全員がそちらを向く。そこには、ワインレッドの差し色が上品さと怪しさを醸し出す、貴族階級の者が着るような上等な黒のスーツを着こなした男が手すりに腰を掛けていた。首から下げた二眼レフをいじりつつ、彼は続ける。

 

「お前らは、目の前で仲間が化け物に生きたまま食い殺されるシーンを思い出したいか?」

 

「門矢士……!」

 

「あーーー!! アンタ、ディケイドじゃない!!」

 

「よう、久しぶりだな堕天女神。ついにクビか」

 

「堕天なんてしてないわよ! アンタこそ何しに来たのよアルバム人間」

 

「いつも通り、ただの通りすがりだ」

 

 戯けるような軽口を叩く士は、怒りを孕んだアクアの視線をどこ吹く風と受け流していた。元日本担当だし面識あるのかな、などと考えながらカズマはソウゴに耳打ちする。

 

「士って確かあれだよな。お前をこの世界に行くようお願いしたって」

 

「うん。門矢士。“仮面ライダーディケイド”。平行世界を渡って全ての仮面ライダーを記録し、崩壊した世界を破壊してリセットする役目を持った仮面ライダーだよ」

 

「そのとんでもない設定は初耳なんだが……。本当に味方なんだよな?」

 

「この破壊者が味方なわけないじゃない! こいつのせいで担当世界が破壊されて泣きを見た女神が何人いると思ってるのよ! 悪魔よ悪魔!」

 

「そういうことだ。俺がお前らの味方かどうかはその都度変わる。あまり安心しすぎるなよ」

 

 からかうようにそう言った士は、不敵な笑みを浮かべて冒険者たちを見下ろす。尊大な物言いに好意的な反応はなく、殆どの者が警戒心を顕にする。その様が楽しいのか、士は口角を釣り上げた。

 

「アンタがプリーストさんを助けてくれたの?」

 

「まあな。冒険者共はデストロイヤーの話をそこの受付嬢にしてもらえ。ソウゴ、お前はちょっと来い」

 

 そう言うや否や、士は灰色の波打つ壁を出現させる。ソウゴにとっては見覚えのあるオーロラカーテンだが、初めて見る冒険者たちには詠唱もなく魔法を行使する人間に映るのだろう。その先が別の世界か、場所か、それとも時間かはわからないが、ここではできない話らしい。士は手を振るとオーロラカーテンの中に消えていく。

 

「ごめんダクネス、セナをお願い。カズマ、俺ちょっと行ってくるね」

 

「ああ。こっちのことは任せとけ」

 

 今にも崩れ落ちそうなセナを託したソウゴは、迷うことなく灰色の向こうへと駆け込んだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「状況は、最悪の一歩手前と言っていいでしょう」

 

 オーロラカーテンの向こう、死者の世界で出迎えたエリスから告げられたのは、にべもない一言だった。

 

「どういうこと?」

 

「まあ立ち話も何だ。座れ」

 

「……ここ、門矢士の部屋じゃないよね」

 

 我が物顔で女神の椅子にふんぞり返る士に呆れたようなため息をつく。その女神様はというと、簡素な木製の椅子をせっせと二人分並べてくれていた。なんというか、アクアほどまでとは言わないがもう少し態度を大きくした方がいいのではと老婆心が囁く。

 エリスが不満の色一つ見せずその椅子に座るのを見たソウゴは、何も言わず女神に用意してもらった席に腰を下ろした。

 

「偵察隊を襲ったのはただのモンスターじゃない。アマゾンだ」

 

「アマゾンって、仮面ライダーアマゾンズの世界にいる?」

 

 アマゾン。それは仮面ライダーアマゾンズの歴史に存在する怪物。とある製薬会社で作られ培養された、人肉を好むアマゾン細胞を人の姿にまで成長させた人工生命体であり、それぞれが多様な生物の能力を発現させている人類の捕食者である。

 しかしここで、ソウゴの記憶に引っかかる。

 

「でも、今は存在しない歴史だよね」

 

「ああ。アマゾンズの歴史は、三つのライドウォッチに封じられこの世界にある」

 

「その歴史を封じたライドウォッチの一つが、デストロイヤーの中で使用されていると見て間違いないでしょう」

 

「……魔王軍幹部が乗ってるかもしれないってこと?」

 

「それはわからん。そもそも、魔王軍が全てのライドウォッチを持っているとは限らんしな」

 

「でも、可能性は高いんだよね」

 

「はい。そしてそのライドウォッチの力でアマゾンという怪物をこの世界に解き放っています」

 

「このままでは歴史に存在した四千体のアマゾンがこの世界を覆い尽くすことになる。そうなる前に、さっさとウォッチを回収しろ」

 

「ちょっと待って。まだ聞きたいことあるんだけど」

 

 ここまでの話を統括すると、アマゾンズの力が込められた三つのライドウォッチのうち一つがデストロイヤー内部で使用され、アマゾンが生み出されている、ということだ。だがライドウォッチ本来の力は、封じられたライダーの力のはず。

 

「ウォッチを使ってどうやってアマゾンを生み出してるの? 普通に使うだけなら、ベルディアみたいに自分の強化になるはずだよね」

 

「普通に使えばな。だが、アナザーライダーになっていれば話は別だ」

 

「モンスターがライダーの力を取り込んだせいで、正統な力がアナザー化したってこと?」

 

「前例がないわけじゃない。俺も他の世界で、怪物がライダーの力を使うことで怪人化したのを見たことがある」

 

「どちらにせよ人の手に負える相手でありません。……それに、デストロイヤーの進路も厄介です」

 

「ここからの話は向こうでも受付嬢がしているはずだ。エリス」

 

 士に名を呼ばれたエリスが手をかざすと、三人の間に地図が浮かび上がる。それでいいのかなぁ、などとソウゴが顎で使われる女神に不安そうな目を向けていると、さも当然のような面で士は立ち上がった。

 

「初めはこの平原を紅魔の里に向かって直進していたが、偵察隊が遠見のマジックアイテムを使用してしばらくすると停止。偵察隊へと進路を変更している。まるで何かを探すようにな」

 

「探す……。アマゾンの()を? じゃあ紅魔の里を目指していたのはなんでだろう」

 

「それは我々にもわかりません。最近は魔王軍幹部が里を襲っていますが撃退されてばかりですので、デストロイヤーに幹部が乗っていた場合は増援という可能性もあります」

 

「続けるぞ。偵察隊を強襲したデストロイヤーからアマゾンが八体放たれ、十一名を捕食。最後の一人を襲った三体は俺がその場で倒したが、五体は行方知れずだ。デストロイヤーはそこから紅魔の里へと向かっていった」

 

「門矢さんがご遺体を持ち帰ってくださった地点から紅魔の里までの直線上には、アクセルの街があります。予想通り紅魔の里を目指すのなら、デストロイヤーの最接近は恐らく明日の日の出頃でしょう」

 

「というわけだ。そっちは頼めるな?」

 

「? 二人とも手伝ってくれないの?」

 

 ソウゴの問いかけに、エリスは申し訳なさそうに眉を垂らす。

 

「すみませんソウゴさん。我々は、行方知れずとなっている残りのアマゾンの駆除に向かわなければなりません」

 

「そういうことだ。知らないだけで、どこかで生み落としているかもしれんしな。もし不安なら、前の世界からあのやかましいお付きを連れてきてやるぞ?」

 

 そう言われて、一人の仲間の顔が思い浮かぶ。きっと再会を祝ってくれるであろう彼のことを思い出したソウゴは、くすりと笑みを溢しながら首を横に振った。

 口ではヒールぶったことを言っても、この世界の動向を見守っていたり、自分を気にかけたりと甘い部分を見せる破壊者。そんな彼に向けて、ソウゴは挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「大丈夫。こっちにだって頼りになる仲間がいるんだよ」

 

「……そうか。ウォッチをお前が継承すれば放たれたアマゾンも消滅する。取り零すなよ」

 

「それでは、貴方方にご武運があらんことをお祈りしています」

 

 足早なエリスの言葉を合図に、士がオーロラカーテンを出現させる。なんか息ぴったりだなぁという感想を抱いたソウゴは、その感想を口に出すことなく灰色へと足を進める。が、一つ気になったことを聞くために振り返った。

 

「ねぇ、エリス様。十一人の魂ってどうなったの?」

 

「……皆さん、天国へと行かれました。きっと穏やかな余生を過ごされることと思います」

 

「そっか。ありがと」

 

 今度こそオーロラカーテンへとソウゴは飛び込む。悲しむ人を一人でも減らすために。天国の魂が羨むような世界を作るために。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 翌日。まだ世界が夢を見ている時間。この街にいる全ての冒険者たちは、デストロイヤー撃滅作戦の指揮を執るカズマ立案の作戦の下、各々がいつもの明日を夢見て来たるべき厄災に備えていた。

 

 作戦は単純だ。

 アクアの浄化魔法で結界を破ったのち、めぐみんとウィズの二人による人類最大の攻撃魔法(爆裂魔法)でデストロイヤーを破壊。その後ダクネスを筆頭とした冒険者たちが、降りてきたアマゾンから街を防衛しつつ、ソウゴが中に乗り込みライドウォッチの使用者を撃破、ウォッチを回収し事態を収集する。以上だ。

 今回は以前ソウゴが見せたように他のライダーに頼ることはできない。仮にライダーが溶原性細胞に感染しアマゾン化してしまえば手に負えないためである。警戒のため、もちろん水や氷系の魔法は禁止。約一名がずっと文句を垂れていたが、カズマが力尽くで黙らせている状態だ。

 

「自分で言っといてなんだが、この一つでも歯車が狂ったら全員あの世行きの無茶な作戦がよく通ったよな」

 

「俺は無茶だとは思わないけど。なんてったって、カズマが立てた作戦だしね」

 

 迎え撃つ側防塔の天辺で夜明けを待つカズマは、ソウゴと共にまだ境界も虚ろな地平線を眺めていた。

 アクア、ウィズ、めぐみんも同じく上で待機、ダクネスは他の前衛職たちとフォーマンセルを組み、一夜漬けで建てられた即席のバリケードの中で後方支援組と綿密な打ち合わせをしている。そわそわと落ち着かないのはカズマだけではないとわかっているが、それでも何か話していなければならない不安に彼は迫られていた。

 

「この作戦の指揮、本当に俺で良かったのか? 人を使うならお前の方が適任だろ」

 

「作戦の要となる人たちの長所と短所を理解してるのはカズマだけでしょ? 俺はクエストに行ったことないから、二人の実力はベルディア戦で止まったままだし」

 

「まあ、そうだけど……」

 

「失敗したら、とか考えてる?」

 

「…………まあ、ちょっとは」

 

「大丈夫だよ。なんか、いける気がする」

 

「なんだよそれ」

 

「俺はカズマや皆を信じてるから。だから、デストロイヤーも力を合わせて倒せる気がする」

 

「……なんでそこまで、俺たちを信用できるんだ? お前の仲間にしては頼りなさ過ぎるだろ、俺たち」

 

 カズマはこのタイミングで言ってしまったことを、少し後悔した。パーティーの連携や、作戦の要への精神的な負担にもなりかねない軽率な発言だったという自覚はある。きっとこれが、自分が襲われている不安の正体だろうということも、なんとなく察しがついているほどに。

 

「なんで、か……」

 

 考えるまでもなく、ソウゴにパーティーは必要ない。どういう人生を送ってきたのかは知らないが、ソロで十分生きていける力と強かさ、地頭の良さも、先見の明まで持っている。であれば、自分たちのようなお荷物の寄せ集めパーティーより魔王討伐に近い勇者たちと組めば自身の目的を果たすこともできるし、冒険者として生きて行けずとも高額の傭兵として貴族に名を売れば一夜で大金持ちになれるだろう。だが、実際には馬小屋生活にも貧困生活にも甘んじ、その上ここまでの信頼を置いてくれている。志す王への道も遠退いているのではないかと邪推してしまうほどに。それが、カズマにとってずっと気掛かりだった。

 そんな心の内を知ってか知らずか、難しいことなど何も考えていないような、いつも通りへらへらとした笑みを見せるソウゴは何でもないように答えた。

 

「ベルディアのとき、カズマが剣を貸してくれたからだよ」

 

「…………そんなことで?」

 

「そんなことで」

 

 カズマは返答に困った。あれは、転生して来たばかりでいきなり魔王軍幹部との戦闘に巻き込まれた初心者に当たり前のことをしただけだ。ソウゴが先にオーマジオウの力を明かしていれば、全てを押し付けて逃げ出していただろう。

 言葉を失うカズマに、ソウゴは微笑む。

 

「最初は、この世界の基本的なことがわかるまでは利用させてあげてもいいかなって思ってたんだ」

 

「……気づいてたんだな、俺が打算でパーティーに引き込んだこと」

 

「そりゃね。でもあの時、剣を渡されて気が変わったんだ。もしこの世界で仲間を作ることになったら、それは君みたいな人がいいって」

 

 遠くを見つめるその瞳は、何を想っているのか寂しげな、悲しい色を宿していた。前の世界でソウゴが“最高最善の魔王”を約束をしたという、友達のことを考えているのかもしれない。

 笑うことでその色を振り切ったソウゴは、優しい口調でカズマに告げた。

 

「力だけが強さじゃないんだよ。カズマにはその強さがあると俺は思ってる。だから信じられる」

 

「……なんだよそれ」

 

「カズマって口ではなんだかんだ言うけど、自業自得でも困ってる人は見捨てられないし、はぐれ者の手は振り払えないし。そういう甘いところが信用できるポイントってこと」

 

「それ褒めてないよな」

 

「あれ? カズマの褒め方ってこんな感じでしょ?」

 

「……つか、その腕輪いつ外すんだよ。ちょっと食い込んでるだろ」

 

「あ、話反らした」

 

「そそそ反らしてねぇし! で、どうするんだよ。〈窃盗〉してやろうか?」

 

「いいよ壊すし。セナが来たら外してもらおうと思ってたんだけど、やっぱり来れないよね」

 

「サキュバスさんと協定結んどいてよかったよな。おかげでプリーストさんも、あのおっぱい美人も夢でカウンセリングしてもらえるわけだし……って、壊せるの?」

 

「うん。これくらいなら素手で。全部終わったらまた付け直すよ」

 

「あ、素手で壊せるの……。にしても律儀だな。支配からの卒業なんてデストロイヤー撃退の前払いみたいなもんだろ」

 

「それを決めるのは、俺じゃダメでしょ」

 

「ほんと、真面目っていうか変わってるっていうか……。なあ、ソウゴ」

 

「何、カズマ」

 

「これが終わったら、お前のこと色々教えてくれよ。なんで“魔王”なのか、とか。その……仲間なのにお前のこと全然知らないからさ」

 

「珍しいね、カズマがお約束みたいなこと言うの」

 

「やめろよ。本当にフラグになったらどうするつもりだ」

 

「ごめんごめん。じゃあ、みんなで暴露大会でもしよっか」

 

「そこまでしろとは言ってないんだが」

 

「……どう? 気持ちの方は」

 

「……ああ。なんか俺も、いける気がしてきた」

 

「しょうがないなぁ、まったく」

 

 頭をわしわしとかかれ、緊張がほぐれるのがわかる。柄にもなく張り詰めていた気持ちが少し和らいでくる。いつも通り、やれるだけのことをやるだけだと気持ちに喝を入れたカズマの表情は、随分と晴れやかなものに変わっていた。

 

「やってやるよ。せっかく手に入れた家も、サキュバスさんのお店も、潰されちゃたまんないからな!」

 

「そこは嘘でも街のためとか言っとこうよ」

 

「なんだよ。帰ったら暴露大会するのに取り繕ったって仕方ないだろ」

 

 呆れたように肩を落とすソウゴに、笑みを返すカズマ。決戦前に友情を育んでいるような冒険者っぽいやり取りに、二人の男の子の心は少なからず高揚していた。

 

「カズマさーん! なんか、めぐみんが緊張でカチコチなんですけどー!」

 

「ほら、行くよカズマ。女神様が呼んでる」

 

「ったく、しょうがねぇなぁ。おい、めぐみん! トチったらお前の下着だけ玄関先で干してやるからな」

 

 今度は自分が仲間の緊張をほぐすため、カズマは駆けていく。その背中を追い歩いていくソウゴが見上げた空は、薄っすらと白ばみ始めていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「デストロイヤーが見えてきました。皆さんがこの街の最後の砦です。必ず生きて帰りましょう!」

 

「聴いたかお前らー! 今夜はギルドの奢りだー! あの世から帰ってこれないから不参加なんて言うんじゃねーぞー!!」

 

「ちょ、サトウさん!? そんなこと言ってませんからね!?」

 

「ギルドの奢りか! うまい酒が飲めそうだ!」

「一番高い酒から空にしていくぞ!」

「私、メニューの端から端まで頼んでみたかったんだよね」

「今日は夜通し飲むぞ! サキュバスさんにお酌してもらうんだ!」

 

 側防塔からのカズマの一言で、冗談交じりに士気が上がっていく。眉を垂らすルナも、その姿を見守るギルドの職員たちも、いつも通りの冒険者たちに少なからず安心してくれているのだろう。

 そんな彼らを待ちわびていたかのように、開戦を知らせる太陽が登り始める。

 

「来たぞ!」

 

 誰かがそう言うと、全員がデストロイヤーを迎え討たんと武器を握りしめた。街を更地にする要塞だろうと、人食いの怪物だろうと、今なら何とだって戦える。そう思えるくらい冒険者たちの気分は高揚していた。

 だが、この場にいる殆どの者が姿を現した()()にその認識を改めさせられる。

 

「うわぁ、本当におっきいね」

 

 カズマの隣で、ソウゴは呟いた。

 山を砂の城のように蹴散らし、彼方より満を持して現れた黒き巨体、機動要塞デストロイヤー。八本脚の蜘蛛のような見た目をしているが、カズマの常識の中ではおよそ自力で動けるような大きさではなかった。機動要塞より機動戦士の方がまだ作るのに現実味のあるサイズ感を前に、戦うなんて言葉が馬鹿らしいような気さえする。加えて山を崩しておきながら何のダメージもなさそうな装甲。常に展開しているのか全面に張り巡らされた魔法障壁。近づくものを撃ち落とす砲台に地面の罠を感知する赤外線センサー。そして何かを探すように蠢いていた白く発光する八つの目全てが、アクセルの街と冒険者たちを捉える。

 

 そこからの動きは速かった。

 巨体からは想像もつかないような速さでこちらを目指し直進してくる。あの勢いなら一分と経たないうちにアクセルの街は平らに均されてしまうだろう。戦うための備えをしていなかった偵察隊が、この恐怖に突然襲われたのだと考えるだけでそのトラウマが伺い知れる。

 その恐れを打ち倒すため、犠牲となった者たちへの弔いのために、カズマは叫ぶ。

 

「アクア!」

 

「神の力、思い知れ!」

 

 アクアを中心に神聖な魔力が集約していく。暁を神々しく照らす輝きは、人ならぬ天界の者にのみ許された力。下界にて権能を封じられようとも、神の力を衰えさせることなどできはしない。この世に現存するありとあらゆる呪いを、神の名の下に解き壊す解呪魔法。水を司る女神の渾身の一撃が、人の子に迫る脅威に向けて放たれた。

 

「〈セイクリッド・ブレイクスペル〉!!!」

 

 神の威光が厄災の纏うベールを剥ぎ取る。デストロイヤーがいくら抵抗しようとも、女神の前では動く鉄くず同然。展開されていた障壁は、虚しくも粉々に砕け散った。その反動で勢いの殺されたデストロイヤーに勝機を見たウィズは、隣で杖を抱える魔法使いに視線を送る。

 

「めぐみんさん! 同時にいきま「くくくくくくろよりくろくややみやみより」

 

「ウィズが合わせ辛いだろ! 落ち着けめぐみん!」

 

「わ、私より落ち着いている人間はこの場にはいないと言っても過言ではないが!?」

 

「今までお前から聞いた言葉の中で一番の過言だわ! 落ち着いてる人間はそんなキレ方しねぇよ!」

 

 これまで世界を蹂躙してきたデストロイヤーの破壊という大役のせいか、それとも実物のあまりの大きさに慄いているのか、完全にあがってしまっているめぐみんには誰の声も届いていないらしい。腰はひけてしまい口も視線も震えて対象が定まっていない。

 だが、カズマはここで優しい言葉をかけるようなできた人間ではない。

 

「そうかそうか。そんなにウィズに負けるのがこわいのか」

 

「……は?」

 

 かかった。慰めなんてこの紅魔族には必要ない。大事なのは、闘志に火を付け頭を切り替えさせること。いけると確信したカズマは、矢継ぎ早にめぐみんを煽っていく。

 

「ウィズは昔、凄腕のアークウィザードだったんだもんなぁ。なのに、スキルポイント全振りしてるお前が負けたら恥ずかしいもんなぁ」

 

「……私は、負けませんが?」

 

「違ったか? ならあの虫けら一匹潰す自信がないのか。紅魔族随一の魔法の使い手、爆裂魔法を操るって名乗りは変えたほうがいいんじゃないか?」

 

「……いいでしょう。私を怒りで冷静にさせるためとはいえ、虎の子を起こしたことをじっくり後悔させてあげましょう……! 見せてあげますよ。紅魔族随一のアークウィザード、その本物の爆裂魔法を! ウィズ!」

 

「ふふっ……。はい!」

 

 

          黒より黒く

 

    闇より暗き漆黒に

 

          我が真紅の金光を望みたもう

 

        覚醒のとき来たれり

 

            無謬の境界に落ちし理

 

    無業の歪みとなりて現出せよ

 

 

   「「〈エクスプロージョン〉!!!」」

 

 

 二人の放った力の軌跡は、うねりとなって世界を分かつ。最強を以て最凶を凌駕する二つの魔法は、無防備な害虫を土塊(つちくれ)に返すためその暴威を遺憾なく振るった。爛々と輝く真紅の瞳が、この世ならざる漆黒の(まなこ)が、災害という玉座に胡座をかく暴君をその座から引き摺り降ろす。

 爆炎、爆風を撒き散らし、この世に破壊の二文字を知らしめる究極の攻撃魔法は、デストロイヤーの脚を左右一本ずつ引きちぎりその歩みを止めることに成功した。地を滑る巨体は、その進撃を封じられると力なく機能を停止させる。

 

「くっ……! 流石リッチー、私のものとは、威力が桁違い、デス……」

 

「よくやったよめぐみん。お疲れさん」

 

「フフフ、カズマ。今日の爆裂魔法は、何点ですか……?」

 

「百点に決まってるだろ。流石は最強のアークウィザードだな」

 

「私達の仕事はこれでお終いね。魔王軍幹部にデストロイヤーまで倒したってなったら、前のケチくさいお祝い金じゃなくて、今度はたっぷり報奨金が貰えそうね!」

 

「お前な、そういうフラグっぽい発言は全部終わってからにしろ。また前みたいに雀の涙みたいなオチになるだろうが」

 

「そのことなんですが、気になることがありまして……」

 

「ごめんウィズ。その話は後で。アマゾン、来るよ!」

 

 ソウゴの言葉に、全員が戦場へと意識を戻す。地には巣を壊され、わらわらと湧き出てきた化物の子が溢れかえっていた。くすんだ灰色をベースに、それぞれが持つ生物の特性が色濃く現れた体躯。衣服のような意匠。しかし本能に従う獣。遠くからでもわかる。あれは人を凌駕する怪物だと。

 本能に支配された、人の血肉を喰らう生ける屍たちの行進に、冒険者たちは己を奮い立たせる。

 

「我が領民を手に掛けた罪、その身で償ってもらう。手筈通り行くぞ! 絶対に四人一組を崩すな! 敵討ちだ!」

 

 いつにも増して真剣な表情のダクネスの号令を合図に、冒険者たちはアマゾンへと向かっていく。切りつけても痛みを感じないのか食欲を優先し、腕を落とされても怯む様子のない生物らしからぬ行動に、まともな人間から順番に嫌悪感を抱く。それでも幸いなことに知性は欠片もないようで、徒党を組んだ前衛職に軍勢は切り伏せられていく。

 

「よし、全員下がれーッ!!」

 

「〈パラライズ〉!」

「〈ライトニング〉!」

「〈サンダーアロー〉!」

 

 ダクネスの号令ののち、後退する前衛職と代わって雷魔法がアマゾンを襲う。一撃一撃に必殺ほどの力はないが、雨の様にとめどなく降り注ぐ雷撃は的確に弱点を突いていった。

 全身を撃ち抜かれたアマゾンたちは、その動きを止めドロドロと液状に溶けていく。その光景は、やはり人の感性に耐えきれるものではなかった。

 

「酷い臭いだ。ソウゴから聞いてはいたが、今日は肉が食えなくなりそうだな……」

 

「ダクネスさん! あの化け物ども、また出てきています!」

 

「よし、敵の親玉を仕留めるまでの辛抱だ。二の太刀、行くぞ!」

 

 空を飛ぶアマゾンはアーチャーが撃ち落とし、地を這うアマゾンは前衛職が押し返す。そして魔法使いがとどめを刺し、その間に怪我をした者をプリーストたちが癒やす。地道だがリスクの少ない確実に敵の数を削れるヒットアンドアウェイ。順調に進む攻略に、カズマには勝利の道筋が見えてき始めた。

 

「じゃあ、あとは俺の役目かな」

 

 様子見をやめたソウゴの意思に呼応して、腰に金の装飾が出現する。久しぶりというか、カズマたちにとっては二回目のお目見えとなるそれだが、ウィズには初めての邂逅となる。めぐみんにねだられたカズマが彼女をおぶさり、状況の飲み込めないウィズはアクアが手を引き距離を取る。それを確認したソウゴは、黄金のベルト・オーマジオウドライバーの前で手を交差させた。

 

「変身」

 

 

        « 祝 福 ノ 刻 »

 

           «最高»

 

         «最大»  «最強王»

 

           «最善»

 

      « オ ー マ ジ オ ウ »

 

 

 降臨するのはこの世の王。世界に安寧をもたらし、覇道の前に立ち塞がる全てを踏みつけ進む、神をも恐れぬ業の化身。過去、現在、未来、全ての時を知ろしめす究極にして絶対の王者。生きとし生けるもの全てに祝福されし時の魔王が、再びこの地に現界した。

 

「す、凄い力です……! これがベルディアさんを葬った、ソウゴさんの本当の姿……!」

 

 これで勝った。目を輝かせるめぐみんを背にしたカズマはそう思ってしまって、気がついてしまった。

 

(……なんか、今日フラグ多くね?)

 

「カズマ見て! 空が!」

 

 アクアに言われ、カズマたちは空を見上げた。さっきまで明け方らしく輝いていた世界から、少しずつ色鮮やかさが失われていく。太陽に影などないのに、まるでアマゾンたちの体色の様にくすんだ世界へと変貌していく現象に、オーマジオウは一つの結論を出す。

 

「ウィズ。気になることって、まさか魔王軍幹部が乗ってないんじゃって話?」

 

「あ、は、はい。でも、どうしてわかったんですか……?」

 

「いや、俺もアナザーゼロワンのこと忘れて選択肢から外してたからさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って可能性を」

 

「アナザーライダー……?」

 

 

        «アマゾンアルファ»

 

 

 その疑問符に答えるように、ライドウォッチが起動する。デストロイヤーの目が明滅し再び八つ全てが白く発光すると、その巨体を中心に陽炎が世界の理と受け継がれし歴史を歪めていく。

 

「まずいな」

 

 ソウゴがそう呟くのと、カズマたちの目の前から消えるのはほぼ同時だった。一瞬で前衛職たちが戦う最前線まで移動したオーマジオウは、来たるべき衝撃に備えて腰を落とす。

 

        «カブトノ刻»

 

「ダクネーース!! 全員を引き上げさせろーーッ!! 何かやばいのが来る!! 後衛は前衛が帰ってこれるようアマゾンの足止めだ!!」

 

「全員退避だ! 下がることだけ考えろ!」

 

 カズマとダクネスの声に、全員が武器を放り投げてバリケードを目指しひた走る。何が起こるかわからなくても、カズマたちまで届くこの熱は人間の生存本能が警鐘を鳴らすのに十分だった。

 

「ライダー、キック」

 

 瞬間、デストロイヤーから自爆かと思われるほどの熱が放たれる。周囲の木々を焼き尽くす死の風と、オーマジオウのカウンターで放たれる蹴りが衝突し、世界を光が包み込む。カズマはとっさにめぐみんの頭を抱えてその光に背を向けた。

 世界が真っ白になるとはこのことだった。光が、音が、その全てが彩度の落ちた世界を真っ白に戻してしまう。だがそれも一瞬だった。光がやみ、耳が硝煙の音を拾うくらいには回復したとき、初めに感じたのは焦げたような臭い。ゆっくりと、誰も丸焦げになっていませんようにと祈りながら開いた目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。

 

「……おいおい、嘘だろ」

 

 誰も死んではいない。殿を努めたダクネスが立ち込める土煙の境界で伏せているのだから間違いない。街も無事だ。破片一つ飛んではいない。

 だが、それ以外の全てが周りからは失われていた。

 

「森が、無くなっています……」

 

「森どころか、山も消し飛んでるじゃない……!」

 

 初めからそこには何もなかったように、町の外に広がっていたのは焼け野原だけだった。先程まで広がっていた森林は、今や焚き火の後の如き灰の山。燻る火種こそあれど、アマゾンの群れすら蒸発し肉片一つ残してはいない。ソウゴが最前で攻撃をいなしていなければ、アクセルの街も焦土と化していたことだろう。その事実に寒気がする。

 

『グオオオォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!』

 

 土煙の向こうから轟く咆哮。それに写る特大の影が人の手に余ることは見なくてもわかる。あの機動要塞が脱皮して本来のモンスターの姿に戻りました、ならどれほど良かったかとカズマは思った。

 荒廃した世界を作り出したのは、デストロイヤーの方がよっぽど可愛げのある歴史に歪められた存在。全身は熱の影響か赤く変色しており、浮かび上がる傷はこれまでの戦いの歴史を物語っている。白から緑に変わった眼光が妙に生々しい生物感を強調していて、本体に刻まれた«2016»の数字が痛々しくもその存在を過去の栄華に縛り付ける。機械にあるまじき鉄を割いてできた口に、爆裂魔法で破損した自分の脚を放り込み咀嚼する様は、本当に生きているように見えてしまうから質が悪い。

 

「アナザーライダーっていうのは、歪んだ歴史をその身に宿して生まれる偽物の仮面ライダーだよ」

 

『アァァァアアァァアアアァッ!!!』

 

 オーマジオウの言葉を否定するように、デストロイヤー、いや、アナザーアマゾンアルファは残った脚を駆使し小さな魔王を踏み潰す。その巨体からすれば人間一人程度、トマトを踏み潰すのと変わらない。

 

 だが、何人であれ王を踏むことなど許されはしないのだ。

 

 アナザーアマゾンアルファの一撃を難なく受け止めたオーマジオウは、その脚を掴んで街とは反対の方向に投げ飛ばす。地を滑る巨体は、情けなくも王に頭を垂れる反逆者そのものだった。

 

「ねぇ」

 

「うおびっくりしたな急に出てくんなよソウゴ!」

 

 背後から突然声をかけられたカズマたちは驚きで振り返る。そこにはついさっきデストロイヤーを投げ飛ばしたばかりのオーマジオウが平然と仁王立ちしていた。カズマの抗議に悪びれもせず、彼はいつもの口調で問いかける。

 

「カズマとウィズでさ、あの中に人がいるかどうかってわかる?」

 

「〈エネミーサーチ〉でしたら、生物であるなら感知できると思いますけど……」

 

「最初の爆発で従者のモンスターを全部消し飛ばしてるのに、中で人間が生きていられるとは思えないわよ」

 

「それもそっか。まあ念の為にお願いしていい? 俺はあいつ抑えてるから」

 

 そう告げるとオーマジオウは動き始めたアナザーアマゾンアルファの前に瞬間移動で躍り出る。普通なら一撃を食らうだけで必殺に該当する打撃を、難なく片手で掴み、引き寄せ、拳を打ち付け地面に叩きつける。遠目から見てもわかる。あれだけのピンチを演出した怪物であっても、オーマジオウと相対すればじゃれ合いにすらならないということが。

 すると搭乗員に対する警告のためだろうか。オーマジオウは伏したアナザーアマゾンアルファの脚を掴み、本体から躊躇いもなく引き抜いた。科学とは無縁な世界で生み出された古代兵器だが、もがれた部分から電気的な火花が散る。

 

「抑えるって、脚千切って動けなくするってことなんですね……」

 

「相変わらず敵には容赦ねぇな……。ホント引くわ……」

 

 この前食べた蟹に既視感を覚えつつ、カズマとウィズは〈敵感知〉、〈エネミーサーチ〉、〈トラップサーチ〉を使用した。可能な限り神経を研ぎ澄まし、カズマは〈千里眼〉も使ってアナザーアマゾンアルファの表面も隈なく探査する。

 

「ウィズ、どうだ?」

 

「やはり生き物はいないようです」

 

「よし。ソウゴー! 人は乗ってないぞー! ぶっ壊せー!」

 

 カズマの声を超常識的な機能で聞き取ったオーマジオウは、軽く手を上げて了解の意を示す。もう流石に安心だろうと肩の力を抜いたカズマは、めぐみんに魔力を分け与えつつ下にいる冒険者たちに撤収の指示をする。九回表を大差で迎えた後攻チームのような安心感に、今度エリスに会ったら亡くなった人たちに勝利報告をしてもらおうと考える。

 

「……ですが、活動不能まで機体が損傷すると動力源を核に自爆する機能が付いているようです」

 

「うわぁ、いかにも日本のロボットっぽいな……。おいアクア。これ作ったの転生者じゃないだろうな」

 

「はぁ? 知らないわよそんなの。転生した人間がこの世界で何してたかなんて見てなかったし」

 

「お前、職務怠慢にも限度があるだろ。もっと犠牲者に対して責任を感じろよ」

 

 アクアの面の皮の厚さに苛立ちを見せるカズマは、転生特典の代わりに胸の前で十字を切る。きっとエリスなら良いように取り計らってくれているだろう。そんなことを考えつつ、デストロイヤーの機能停止を待つ。

 そんなカズマに、更に一本脚がへし折られたアナザーアマゾンアルファを眺めるめぐみんが真剣な表情で声をかけた。

 

「カズマ、確認したいことがあるのですが」

 

「なんだよめぐみん」

 

「デストロイヤーが大破すると自爆するんですよね?」

 

「? ウィズがそう言ってたろ」

 

「爆裂魔法を二発受けても脚を二本しか折れなかった装甲を内側から粉々にして周囲の敵を殲滅できるだけのエネルギーが、あのデストロイヤーには積まれているんですよね?」

 

「そうじゃなきゃ自爆なんてできないでしょ。何が言いたいのよ、めぐみん」

 

「……ベルディアのときの爆発がそのエネルギーに引火したら、この辺りはどうなってしまうのでしょうか」

 

 めぐみんのそんな問いかけと同時に、オーマジオウは三本目の脚を引き千切る。半分以上の脚を奪われ機動力などないに等しくなったアナザーアマゾンアルファは、登場時の勢いなど忘れてしまったのか静かに八つの目を緑と赤で交互に明滅させる。それはまるでこの世の終わりを知らせるカウントダウン。

 

『修復不可能なダメージを確認。これより自爆プログラムを作動します。搭乗員は速やかに退避してください』

 

「「「「やばいやばいやばいやばい!!!」」」です!!!」

 

 ベルディアですら、明らかなオーバーキルの爆炎が立ち昇ったのだ。もしあれと同じ爆発がデストロイヤーサイズで、しかも燃料がプラスされて起これば、森や山を焦土に変えたあの熱波とは比較にならない被害になるだろう。地形が変わる程度では済まされない爆発により、地図からこの辺り一帯が消し去ることは優に想像がつく。

 

「ソウゴー!! そこで倒したらやばいから! 頼むからもっと遠くで爆発させてくれー!」

 

「どうしましょうカズマ! 私たち死んじゃいます! 本気の本気で死んじゃいます!」

 

「仮面ライダーなんて嫌いよー! 死んだらあいつら全員呪い殺してやるんだからー!」

 

「死んだら皆で仲良く土に還りましょう……」

 

 諦めムードのウィズを放って、三人は必死に声を上げる。その慌てようは、もちろんオーマジオウの耳にも届いていた。しかし何の憂いもなく落ち着いた様子の魔王は、引き千切った脚を脇へ放り投げて呑気に独り言を呟く。

 

「自爆か。同じロボットでも、ヒューマギアみたいに心がないから諦めるのも早いね」

 

 抵抗しなくなった鉄の塊は、全てを無に帰すためのエネルギーを蓄えることでその答えとした。赤くなった機体はより熱を持ち、導火線がほんの僅かしか残されていないことを悟らせるのに十分な役割を果たす。

 しかし、爆弾が目の前で破裂するという瀬戸際でも、王は見苦しく焦ることなどしなかった。

 

「それじゃあ、そろそろ返してもらおうか。俺たちの歴史を」

 

 

        «終焉ノ刻»

 

 

 オーマジオウは手も触れず、因果律を操作しその巨体を持ち上げる。如何なる理にも支配されることのない魔王は、この世界の常識すらも軽々と覆す。無法者が己の罪の重さに地へと落ちてくるならば、その罪を裁くのも王の務め。

 

 

       «逢魔時王必殺撃»

 

 

 王国の黙示録が、終わりという刻をこの世に刻み込む。

 いかにこの世界を蹂躙してきた機動要塞と言えど、王の御前では静かだった。一度下された王の審判には、誰であれ異議を挟み込むことなどできはしない。落下してきた大罪人に、王は断罪の一撃を叩き込む。

 星さえも砕く蹴りが、装甲に“キック”の三文字を烙印として刻む。サイドキックで再び天高く蹴り上げられた簒奪者は、雲の底に触れたときその身を業火で包んだ。

 轟音がガベルの如く厳かに、太陽を超えるほどの光が王を称える祝砲のように高らかに大地を揺らす。雲の一片すら吹き飛ばしてしまう暴風が色を取り戻した世界を荒々しく撫でたとき、時の魔王の手には確かに受け継がれた正しい歴史が握られていた。

 

「確かに返してもらったよ。アマゾンアルファの歴史」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 森の中で自分たちを囲んでいたアマゾンたちの体にノイズが走る。決着が着いたことを理解したディケイドは変身を解除し、クリスはダガーに付いた液を振り払う。

 

「終わったようだな」

 

「そのようですね。助かりました、門矢さん」

 

「そう思うなら、何か礼でも寄越すことだ」

 

「……では、温泉街の一日フリーパスなどどうでしょう。アクア先輩のお膝元ですよ」

 

「あの堕天女神のか? それ大丈夫なのか?」

 

「温泉は、保証しますよ」

 

「なるほどな。だいたいわかった。気が向いたら貰いに行ってやる」

 

 戦闘後の余韻を楽しんでいるのか、冗談を交えて話すクリスに士は一冊の本を投げ渡す。それを受け止めたクリスは、不思議そうにペラペラとページを捲った。

 

「これって……デストロイヤーの開発者の日記、ですか!? どうしたんですかこれ!」

 

「最初にデストロイヤーと戦った時に取ってきたんだ。交換だ」

 

「交換って……」

 

「……俺はあのシリアスな空気でそれを出す勇気はなかった」

 

「?」

 

「じゃあな。読み終わったらソウゴにでも渡せ」

 

 一方的に告げた士は、オーロラカーテンを出現せてそそくさと帰っていく。一人残されたクリスは、眉をひそめて首を傾げた。

 轟音がクリスの耳に届いたのは、その後だった。




拝啓、ゲイツへ

皆に書く手紙も、これで最後になりました。ゲイツはどんな高校生になっているんでしょうか。俺は、君が託してくれた未来へと進むために魔王になりました。この選択は正しかった。そう胸を張って言えるように、この世界で頑張っていこうと思います。
仲間ができました。初対面で襲ってこない仲間が。きっと彼らといれば、俺の道は明るい。そう思える仲間が、できました。
だから安心してください。安心して、そっちの俺の道を照らしてください。ゲイツと、ツクヨミと、おじさんと、それからウォズと。皆がいてくれれば、どんな俺だって正しい王の道を歩ける。そんな気がする。俺がそうだったように。

俺たちの針はもう交わらないけど、止まったわけじゃない。例え地球の裏側だって、同じ時間を刻んでいなくたって、針は動き続けてるから。俺はそう信じてる。じゃあ、さようなら。

                    ソウゴより


   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱


「トキワさん。この鍵のかかった箱は何でしょうか」

「それ? それは俺の故郷への未練、かな?」

「どうして疑問形なのでしょうか」

「色々と複雑なんだ。できれば、それは見逃してほしいかなって」

「……わかりました。では、他の人間に見つからないようにしてくださいね」

「うん。ありがと、セナ」

 部屋から出ていくセナを見送り、ソウゴは箱を手に取る。明日の薪にでも使ってもらおうかと考えて、ソウゴは箱を服の中に隠した。


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この小休止に祝杯を!

「それでは! デストロイヤー撃破を祝して〜〜!」

 

『『『かんぱーーーーい!!!!』』』

 

 湧き上がる熱は、一夜だけでは冷めそうにない。酒場に集まる全ての人間が、憎き機動要塞との因縁が決着した今日という日を喜び、ジョッキを打ちつける。これまで辛酸を舐め続けてきた人類の勝利に夜は賑わい、真昼のような明るさと騒がしさを街に届ける。カズマの吹聴通りギルド持ちとなった今宵の宴は、この街の冒険者達が誰一人欠けることなく盛大に開かれた。

 

「いやぁ、誰かの奢りで飲めるお酒ってどうしてこんなに美味しいのかしらねぇ! 朝まで飲むわよー!」

 

「タダ酒だからって飛ばして潰れるなよアクア。介抱するのはダクネスなんだぞ」

 

「カズマ貴様、当然のように私に押し付けたな」

 

「諦めてくださいダクネス。私や貧弱なカズマでは意識のなくなった人間を運ぶのは不可能です」

 

「誰が貧弱だロリっ子。適材適所と言え」

 

「お前は男として恥ずかしくないのか……」

 

 酒場の一角でいつも通り卓を囲むカズマたちは、一人欠けていてもいつもの騒がしさを肴に酒を流し込んでいた。アクアの発言を肯定こそしなかったが、勝利の美酒が一段と美味しく感じるのはこの酒場にいる全員がそうだろう。いつもより酔いが回るのが早いようだった。

 

「いやしかしビビったよなー。デストロイヤーの大爆発で街中のガラスが叩き割れるなんて」

 

「ソウゴが直してくれなければ、今頃は何十億という借金を抱えていただろうな。私はそれでもいいが……」

 

「焼き尽くされた森も吹き飛んだ山も元通り。今はもう朝のことが嘘みたいに雪が積もってる。どっかの駄女神よりよっぽど神様してるぞあいつ」

 

「神は下界に大きく干渉しちゃいけない決まりなの。だから謝って。規則も知らず私のこと駄女神って言ったこと謝って!」

 

「へいへい。大した力もないのに自尊心だけはいっちょ前の女神様のプライドを刺激してどーもサーセンでしたー」

 

「上等よクソヒキニート! 女神の拳を受けなさい!」

 

「俺は真の男女平等主義者。手加減してもらえると思うなよ。身に付けてるもの全部〈窃盗〉して真冬のキャンプファイヤーをしてやる!」

 

 取っ組み合いの喧嘩を始めた二人に、周りはゲラゲラと笑い囃し立てる。ため息をつき、肩をすくめるめぐみんやダクネスがいつも通り劣勢に追い込まれるアクアを眺めていると、ヤジから抜けてきたダストがドカッと卓に腰を下ろした。

 

「よう、お疲れさん。問題児共」

 

「出会い頭に問題児呼ばわりとは随分なご挨拶ですね。後でリーンに言いつけてやりますから」

 

「どうしたんだダスト。サキュバスたちはもういいのか?」

 

「いんや、俺はそこからお前らを呼びに来たんだよ。サキュバスたちも宴会に呼ばれたのが嬉しいらしくて、お前らに挨拶がしたいって言ってたんだが」

 

「今回のデストロイヤー戦では精神的なケアでかなり貢献してくれたのですから、呼ぶのは当然でしょう」

 

「俺もそう言ったんだけど、どうしてもってな。ところで、王様はどうしたんだ?」

 

 ダストが周りを見回すが、キャメルクラッチを極められたカズマと〈ドレインタッチ〉を受けるアクアの競り合いに沸き立つ群衆ばかりで、目当ての顔はない。キョロキョロと視線を右往左往させるダストに、喉を潤したダクネスがしんみりとした口調で答えた。

 

「ソウゴなら墓参りだ」

 

「墓参りぃ? 雪降ってるのにか」

 

「ソウゴは昼間、後始末で忙しかったですからね。アクアが真剣に選んだ上物のお酒を一本持って慰霊碑に」

 

「ああ、なるほどな。……じゃあ俺らもやっとくか」

 

 献杯。三人はグラスを傾ける。静かな祈りは、勝利を収めたカズマの咆哮と群衆の歓声に溶け込んでいった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「あ、やっぱりいた」

 

 中央区にある墓地の一角。ランプを片手に立ち尽くす見覚えのある背中に、酒瓶を担いだソウゴは声をかけた。ハッとしたような素振りで振り返った彼女は、ひどく驚いたように目を見開いていた。

 

「トキワさん……。どうしてここに?」

 

「セナと一緒だよ。後始末があったから皆と一緒には来れなくてさ」

 

「そうですか……」

 

 今日建てられたばかりの慰霊碑には冒険者やこの街の住民たちから贈られた献花が供えられており、共同墓地と違って丁寧に供養されたことが見ただけでわかる。担いでいた酒瓶の封を切ったソウゴは、持っていたグラスの一つをセナに差し出した。

 

「はい、これセナの分」

 

「私の……?」

 

「これね、かなり良いお酒らしいよ。うちのパーティーで一番の酒好きが選んだやつだから期待してて。あ、お酒飲める?」

 

「ええ、嗜む程度には……」

 

 受け取った小さなグラスに少しお酒が注がれる。こちらを配慮してのことなのか、それともニホンという国のしきたりなのかはセナにはわからない。そもそも、どうして今夜の主役である彼がここにいるのかも、彼女にはわからなかった。

 何も言わず自分の分のグラスにも同じくらいの量を注いだソウゴは、残った酒瓶を献花の隣に並べてセナの隣に座り込んだ。

 

「じゃあ、献杯」

 

 そう言った彼は一気にグラスを飲み干す。それに習って口をつけたセナに、ソウゴは穏やかに笑いかけた。

 

「うん、水」

 

「あの、これは……?」

 

「お酒が浄化されちゃったのかな……。一応聖水のはずだけど、勿体ないことしちゃった気がする」

 

「はあ、そうですか……」

 

 残念そうに口を尖らせるソウゴにそう答え、残りを飲み干す。これがお酒で、少しでも酔えたのなら、ぼんやりとした頭を空にすることができたのだろうか。本当に聖水なら、この胸に詰まった何かよくわからない気持ちを全て洗い流してくれるのだろうか。ピリピリとした喉の痛みは、何も答えてくれない。

 空のグラスを握りしめたセナは、精一杯声を絞り出した。

 

「……仇を取って頂いて、ありがとうございました」

 

「気にしないで。俺は俺の役目を果たしただけだから」

 

「そう、ですか」

 

 二人の会話はそこで途切れる。セナは必死に返しの句を考えるが、頭の中には返せる言葉がなかった。

 見渡しても暗闇ばかりで、どこに言葉が落ちているのかわからない。焦ったところで形にしたい思いは見つからず、考えるだけ無作為に時間は過ぎていく。セナは、思考の闇の中に呆然と立つことしかできなかった。

 

「辛いときにはさ、辛いって言わなきゃ駄目だよ」

 

 そのたった一言が、彼女の世界に小さな光を灯す。

 

「どれだけ後悔したって、人は前にしか進めない。たまには後ろを振り返らなきゃ、自分が落としたものには気付けないけどね」

 

「…………」

 

「振り返ったところで落としたものは拾い直せない。後悔しても失ったものも取り戻せない。どれだけ足掻いても絶対にね。だから、その後悔を抱えて前に進むしかないんだと、俺は思う」

 

 ランプの火が揺らめく。寒風が吹いたからではない。セナが強く握りしめたからだ。なんとなく、この暗闇の名前がわかった気がした。

 

「トキワさんにも、後悔したことがあるんですか」

 

「あるよ。たくさんある」

 

「トキワさんでも、拾い直せなかったんですか」

 

「うん。どうしても、手が届かなかった」

 

「また落とすのは、トキワさんでも怖いですか……?」

 

「うん。すごく怖い。だからもう落とさないように大事に掴んでる」

 

 いつもへらへらしている彼の、とても寂しそうな横顔を見て思いが言葉になる。寄り添ってくれる優しさに、心が溶かされる。暗闇の中に紛れていた言葉が、懺悔が、吐き出したい気持ちが、か細い光に当てられて勝手にセナの口を動かしていた。

 

「……モンスターに殺されるなんて、珍しくないことです。デストロイヤーに踏み潰された街だって、数え切れないほどあります」

 

「らしいね」

 

「でも、考えるんです。もし貴方が見たいと言った時に腕輪を外していれば、とか。もし冒険者がクエストを受けてくれていれば、とか」

 

「うん」

 

「もし〈テレポート〉の使える魔法使いを編成に加えていれば、とか。もし、わたしが、もっと少数、せいえいの、めんばーで、へんせいしていたら、とか…………!」

 

「……うん」

 

「彼らは死なずに済んだんじゃないかって! 落とさずに済んだんじゃないかって! わたしの、私のせいで皆っ! みんな……ッ!」

 

 自分を支えきれず、セナは膝から崩れ落ちた。ぽたぽたと流れ落ちる雫は、嗚咽と共に雪に解けていく。落としたランプは煌々と真っ白な大地を燃やすが、暗闇を全て照らしてくれるわけではない。小さな火は足元を満足に照らすこともなく、ゆっくりとその灯火を消してしまった。

 何も見えない、自分を押し潰してしまう暗闇がまた訪れる。降り積もる雪は冷たく、セナに重みを与える。ソウゴはとても優しい声で彼女の頭を撫で、その雪を払い落とした。

 

「今はたくさん後ろを向いて、たくさん後悔して、たくさん自分を責めればいいよ。いつか、前に向けて一歩を踏み出すためにさ」

 

 立ち上がったソウゴは、グラスを酒瓶の隣に添える。俯くセナに手を差し出した彼は、真っ暗な夜の中でもわかるくらい、いつものように笑っていた。

 

「それでも、どうしても歩くのが怖いなら、俺が手を引いてあげる」

 

「トキワさん……」

 

「王様は誰よりも、前を歩いてるんだよ?」

 

 茶化すようにそう言ったソウゴは、セナの手を取って引っ張り上げる。立ち上がって見えた景色は、さっきまでとは違っているような気がした。街の灯りが、ソウゴの笑みが、消えてしまったランプの火より明るく罪悪感という暗闇を照らす。その暗闇を引きずりながらでも迷わず前に踏み出せる明るさが、そこにはあった。

 

「話してよもっと。セナの思ってること、この人たちのこと。俺、何も知らないからさ」

 

「……ええ、いいですよ」

 

 セナはポツポツと語り始める。彼らの歩みを、これまでの歴史を。知りうる限り全ての彼らの思い出を、弔いの気持ちと一緒に白い息に乗せる。雪はしんしんと降り積もるが、さっきよりも明るい世界では肩の重荷も少し軽くなった気がした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「カズマさん! 起きて! ねぇ起きてってば!」

 

「うるさいぞアクアぁ……。雪遊びならめぐみんとしてろ……」

 

「カズマ。あなた今さらっと私を子ども扱いしましたね?」

 

「杖を下ろせめぐみん。カズマ。早く起きないとデストロイヤー討伐の報奨金交付が始まってしまうぞ」

 

「ほーしょーきーん……? ああ、昨日の今日でもう出るのか……」

 

 残った酒が頭を締め付ける朝。日ももうそれなりに高くなった時間に揺り起こされたカズマは、眠気を覚ますために大きく伸びをした。昨晩のどんちゃん騒ぎの後でもケロッとしているパーティーメンバーが何やら興奮気味だが、カズマ一人だけは話半分といった雰囲気で寝ぼけ眼を擦る。

 

「あれ、ソウゴはどうした? 今日はバイトだったっけ?」

 

「ソウゴなら先にギルドに呼ばれて行きましたよ。帰ってきたのも遅かったですし、随分と眠そうでしたが」

 

「ふーん、そっか。昨日も今日もよく働くなぁ。あいつが王様になったら週七労働とか言い出しそうだ」

 

 金にがめついカズマからあくび混じりにそんな言葉が出て、三人は目を丸くする。というより、金の話をしているのにまるで食い付いてこない。そんな態度を不思議に思ったのか、ダクネスが首を傾げて問い掛けた。

 

「どうしたカズマ、いつものお前らしくない。普段ならもっと喜んでいるだろう。大金だぞ?」

 

「大金って言ってもなぁ。今回もソウゴがとどめ刺したんだから俺たちだけお祝い金みたいなオチだろ? 上げて落とされるのはもう勘弁だ」

 

 のそのそと起き上がり、あくびを連発するカズマは着替える前にトイレに行こうとドアに向かって歩いていく。この世界は思い通りにならない世界。そんな諦めから出た言葉だったが、三人はそんなカズマを見てにんまりと笑みを見せる。

 

「そうですかそうですか。カズマは起きたばかりだから知らないんですね」

 

「ねぇねぇ、今のうちに取り分決めちゃいましょうよ。私が障壁破壊したんだから、取り分は九対一でいいわよね?」

 

「いや待てアクア。流石に勝手に決めるのは不公平……って、なんでその比率になるんだ」

 

「私は爆裂魔法の威力向上ができるマジックアイテムが欲しいですね! ダクネスは鎧ですか?」

 

「え? ああ。もっと薄くて強度のある、打撃を肌で感じられる鎧がいいな……!」

 

 わちゃわちゃと話し始める仲間たちに、訝しげな視線を送る。今までカズマが見てきた中で一番の浮かれようだと断言していいくらいの盛り上がりを見て、流石に適当には流せなくなってくる。

 

「なんだよお前ら。報奨金ってそんなに出るのか? いくらだよ」

 

「三億です」

 

「……今なんて?」

 

「三億です」

 

「……嘘だろ?」

 

「私が走り込みに行っているとき、偶然ギルドの前でルナさんに声をかけられてな。額が額だから、ソウゴが先に呼ばれたのかもしれん」

 

「ちょっと待ってろ四〇秒で支度する!!!!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「あ、お待ちしてましたよサトウさん!」

 

「お待たせしました。三億の輝きを秘めた男、カズマです」

 

「清々しいまでの変わり身ですね……」

 

 昨夜の雪模様とは打って変わって晴れ晴れとした陽気。しかしギルドに入るや否や、その気まずそうな空気にカズマは違和感を覚える。ベルディア討伐の時でももう少し賑わっていたはずだがどうも様子がおかしい。それはアクア以外の二人も感じているようで、めぐみんとダクネスの先程までの浮かれ具合は鳴りを潜めていた。

 

「あれ? ルナさんソウゴは? 先に来てるって聞いてたんだけど」

 

「まさか、ソウゴったら三億を独り占めして国を起こす気なんじゃ……!」

 

「お前と違ってそんなアホなことするかよ」

 

 四人はもう一人の仲間を探すが、それらしい姿は見当たらない。トイレにでも言っているのかと考えたが、少し困ったような表情のルナにカズマの嫌な予感センサーがひしひしと反応した。とてつもなく面倒なことに巻き込まれる予感に、冷や汗がたらりと流れる。

 

「その、トキワさんでしたら……」

 

「ソウゴさんには、先に領主殿から与えられた特別クエストの説明をしていました」

 

「おはよー、みんな」

 

 そう言って現れたのは、いつも通り呑気に挨拶をするソウゴと二人の騎士を引き連れたセナだった。キリッとした目元とキツそうな丁寧口調は、昨日までの疲弊した様子からは想像もつかない。カズマがサキュバスのメンタルケアに感心していると、へらへらと笑うソウゴはその隣に並び立ち耳打ちをする。

 

「(ねぇ、昨日ってここサキュバスさんたち来た?)」

 

「(え? ああ、来てたけどどうした? なんかあったのか?)」

 

「(……ううん。ちょっと確認したかっただけ)」

 

 何のための問いだったのかわからず首を傾げるが、本人は一瞬だけ考えるような素振りを見せて誰にも気づかれないうちにいつものへらへらとした笑みを浮かべる。何かマズかったのか、それとも自分のいないところで交流ができて嬉しいのか判断のつけにくい反応に、カズマはほんの少しのわだかまりを感じた。

 しかしそんなカズマのもやもやを置いて、ダクネスが前に出る。

 

「すまない聞きたいことがある。特別クエストとは一体……?」

 

「その辺りの説明は、まとめて後でさせていただきます」

 

「ほら見てよ皆。腕輪、外してもらえたんだー」

 

「いつも通り呑気だよな、お前は」

 

「外してもらえたとはいえ警察の監視下でしょう」

 

「そうだけどさ。でも、タダでちょっと旅行できるなんて楽しそうじゃん」

 

「旅行って、クエストでそんな遠くまで行くの? 場所によってはお土産お願いしたいんだけど。観光地? この辺りだと温泉街かしら?」

 

「えーっと、どこだったっけセナ」

 

「こほん。えー、そろそろよろしいでしょうか」

 

 一頻り喋り倒した五人を見て、咳払いをするセナ。とりあえず静かに拝聴することとしたカズマたちは、ファンタジー世界そのものの様な羊皮紙のスクロールを広げ読み上げる内容に耳を傾けた。

 

「まず初めに。サトウカズマ一行。機動要塞デストロイヤーの討伐における貴殿らの尽力は目覚ましく、その多大な功績を称え、ここに報奨金三億エリスを進呈します」

 

「カズマさんカズマさん! やっぱり三億よ三億! 何買おうかしら? ねぇ、配分は「ちょっと黙ってろお前。話が進まねぇだろ!」

 

 まず初めに。その言葉がカズマにはどうにも引っかかった。あの、投獄までして頑なにソウゴの実績を認めなかった国が特別クエストをソウゴ宛に送っているのだ。きっと何かしら無理難題を吹っかけられるのだろうと身構える。

 

「……続いてトキワソウゴ殿。魔王軍幹部ベルディアの討伐、及びデストロイヤーの破壊は貴殿無くしては成し得ませんでした。その功績を称え、王室より特別報酬として冒険者証明書を送られます。こちらを」

 

 控えていた騎士から、ソウゴは一枚のカードを受け取る。冒険者カードに似ているが、そこにはパラメーターなどは載っておらず似ても似つかない。記されているのは名前と“職業:魔王(仮)”の文字くらい。覗き込む四人も見たことのない紙切れを物珍しげに眺めていた。

 

「それはベルゼルグ王国がソウゴさんという特例のために発行した貴方用の身分証明書です。モンスターを討伐すれば冒険者カードと同じくそこに記録されます。これより貴方はギルドから正式にクエストを受注し、正当な額の報酬を受け取れるようになります」

 

「「「「「マジですか!?」」」」」

 

「つまり、これからはソウゴという超ド級の公式チーターを連れてクエストに行けるってことか……!?」

 

「職業魔王かぁ〜! これで俺も魔法使えるのかな?」

 

「申し訳ありませんソウゴさん。スキルポイントの運用は今まで通り不可能なんです……」

 

「あ、そうなんだ。魔法、使えないんだ…………」

 

「もうこれからのクエストではカエルに食べられずに済むってことよね!?」

 

「安定した火力のせいで我が爆裂魔法の出番が減ってしまう……!」

 

「ピンチが減ってしまうと私が囮や壁になれない……! いや、寧ろ最前に出てソウゴの攻撃の余波を受けるチャンスか……!」

 

「おい最後の二人。お前ら後でキチンと話し合おうな。あとソウゴ、お前もう爆裂魔法を超えるキック撃てるんだから落ち込むなよ」

 

「俺もカズマみたいに魔法でコーヒー淹れたかったな……」

 

「まだ話は終わっていないんですが!」

 

 セナの一喝で、沸き立つパーティーは押し黙る。静かになった五人に向けて二度目となる咳払いをしたセナは、とても申し訳無さそうに眉を垂らした。

 

「但し、報奨金の授与の方には条件があります」

 

「条件?」

 

「実は、先のデストロイヤーの爆発によってこの辺り一帯の冬眠中だったあらゆるモンスターたちが活動を始めてしまいました。そのことでこの地を治める領主殿より、皆さんにはテロリストの疑惑が向けられています」

 

「「「「てててテロリストぉ!!?」」」」

 

「モンスターを使役する魔王軍の手先だって。俺、魔王なのにね」

 

「笑い事じゃねぇよ! うまい話の後にはいっつもこれだもんなぁ! ホントこの世界は!」

 

「テロリストってことは犯罪者ってことよね!? このままじゃ私たち死刑になっちゃうんですけど! 三億どころの話じゃないんですけど!」

 

「……なるほど。その嫌疑を晴らすための特別クエストというわけですね?」

 

「はい。お察しの通りです」

 

「どういうことだ?」

 

 阿鼻叫喚が、めぐみんとセナのやり取りで静まる。救いを求めるようなカズマとアクアの視線を受け、非常にやり辛そうにセナはズレた眼鏡をかけ直した。

 

「その疑惑を晴らすため、皆さんには我々の監視下で目を覚ましたモンスターを討伐する特別クエストを無報酬で受けてもらいます。ソウゴさんは『私と一週間ほど泊まり込みで』ドリスを拠点に地方を。残りの四名はこの二人を監視役としてここを拠点に、怪しい動きがないか見極めさせていただきます」

 

「あれ? さっき別室でそれ見せてもらったときセナと二人なんて書いてたっけ? そもそも泊まり込みだっけ?」

 

「か、書いてましたよ。私が嘘をついているとでも?」

 

「あれー? 考え事してたから見落としてたのかな……」

 

「その、ソウゴさんは、私と二人っきりは、嫌ですか……?」

 

「へ? いや別にそんなことないけど……」

 

 頬を朱に染め、もじもじと上目遣いでそう問い掛けるセナから甘酸っぱい青春の雰囲気を感じ取る。まるでラブコメの一ページを見せられているような気になったカズマは、ラブコメの鈍感系主人公のように平然と返答するソウゴの胸倉を掴み上げた。

 

「ソウゴお前! 時を操るとか悪役みたいなドチート能力持ってるくせにツリ目ツンデレ巨乳を落とすなんて主人公みたいなムーブかましやがってこの裏切り者がァァ! 顔か!? イケメンだからこの野郎!!」

 

「え、なになに何でカズマそんなに怒ってるの?」

 

「うるせぇ! ちょっと友達かもと思ってたけどお前なんか友達じゃねぇよヴァカ! お前の身の上話なんか誰が聞いてやるか!」

 

「ソウゴ、気にしないでください。モテない男の醜い僻みです」

 

「???」

 

「やっぱこの世界は不平等だ! パワーバランスがおかしければフラグの偏りまで激しいし! こんなことなら優しい義理の姉と俺のことが好きな義理の妹がいる裕福な家庭に転生したかったよぉぉ……!」

 

「何わけのわからないことを言っているのですか。ダクネス、お願いします」

 

 困惑するソウゴからカズマを引き剥がしたダクネスが、可哀想な生き物を見る目でカズマの頭を撫でる。幼い子どものようにベソをかくリーダーを仲間たちに任せたソウゴは、とても困ったように首を傾げた。

 

「と、とにかく! 通達は以上です。ソウゴさんは装備を整え次第出発、他の皆さんも一日でも早く疑惑を払拭できるよう尽力してください!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「はぁぁぁぁぁ……。ソウゴは一週間、デレてくれる美人と温泉旅行かぁ……」

 

「何ため息なんてついてるんです。カズマだって、我々のような美少女三人に囲まれて一つ屋根の下ハーレムではありませんか。今ならヌルヌル付きですよ」

 

「俺が人生のメインヒロインに求めてるのは、お前らみたいにカエルの口の中でも平然としていられるイロモノじゃないんだよ。〈フリーズ〉」

 

「んっ……。カズマはいつでも容赦ないな……! 粘液と氷と言葉責め、いい……!」

 

「ちょカズマさぁぁあん!! お喋りしてないで早くカエルを何とかしてほしいんですけどぉぉぉぉお!!!」

 

「よーし、早く食われろー。とどめさせないだろー」

 

「食べられたくないから助けてほしいんですけきゃぁぁあ!」

 

「よしよし、そのままちょっと耐えてろー。こっち終わったらすぐ行くからなー」

 

「こ、これが半分以上上級職のパーティーの戦い方か……? 信じられん……」

 

「女子供をエサにしてモンスターを討伐するなど、人間にできる所業ではない……」

 

 監視として着いてきた騎士二人がドン引きしていても、それによって疑惑が深まってもまるで気にしないカズマは、のんびりとダクネスを咥えたカエルの口に手を入れ初級の氷結魔法を掛けていた。

 外が駄目なら内側から冷凍作戦(カズマ命名)は上手くいったようで、分泌液を利用して内臓を凍らされた蛙はゆっくりと倒れ伏しその機能を停止する。ダクネスが這い出てこれるよう口を無理やりこじ開け、万が一にも蘇生する前に腹を開いてしまえば、後はギルドに報告して引き取ってもらうだけ。我ながらナイスなアイデアだと自負しているが、どうやらそう思っているのは慣れ親しんだパーティーメンバーだけだったようだ。

 

「下処理済ならちょっと引き取り額上乗せしてくれるかな? 後でギルドに相談してみよ。〈フリーズ〉」

 

「それにしてもカズマ。カエルの締め方が手慣れてきたな」

 

「こんなことに慣れたくはないんだが。この間取った〈料理〉スキルのおかげかもな」

 

「冒険者から料理人にジョブチェンジするつもりですか? あ、そこちょっとちめたいです」

 

「そんなわけないだろ。生活水準を上げるためだ」

 

「カズマさん! 限界! もう限界だからぁ! ちょっと足が喉通りかけてるからぁ!」

 

「はいはいわかってるよー。ていうか、お前カエルの口の中で〈クリエイト・ウォーター〉使えば出てこれるだろ」

 

「女神の私にカエルのゲロまみれになれって言うの!? そんなの死んでもごめんよ! でも死にたくないから助けてよ!」

 

「ったく、注文が多いなぁ……。ダクネス、こっち頼むな」

 

「ああ。これなら流石の私でも剣が当たるぞ」

 

 爆裂魔法を打ち終え動けなくなっためぐみんをダクネスに渡し、蛙の唇にしがみつき何とか耐えているアクアを助けに小走りで向かう。一体何やってるんだろな、などと、考えても仕方ないことをぼんやりと思いながら、唾液まみれでベタベタな腕を粘液の分泌先に再度突っ込む。

 

「どうでもいいけどさ、これってカエルの間接ディープキスだよな。〈フリーズ〉」

 

「本当にどうでもいいこと言い出したわね!?」

 

 アクアの体になるべく当たらないよう、カエルの粘液を順調に凍らせていく。かなりローリスクで忌まわしきカエルを狩れているので、これからはこれでローテーションするかぁなどと呑気なことを考えていたのだが、それが間違いだった。

 

「……カズマさん」

 

「どうしたアクア。足冷たいか? こいつ締めたら今日は終わりにしような」

 

「いえ、そうじゃないの」

 

「じゃあどうしたんだよ。今ならそこでトイレしてもバレないぞ」

 

「女神はトイレなんて行かないわよ! じゃなくて、後ろ! 後ろ!」

 

 焦るアクアに急かされて、カズマは後ろを振り返る。そこでは先程凍らせたカエルがダクネスの手で捌かれ今晩の唐揚げの材料になっている……はずだった。

 

「…………」

 

 そこにはいつの間にか増えていた四体のジャイアントトードと、人数分の武器が雪の上に転がっていた。

 

「ダクネスたちがカエルになっちまったーーー!!」

 

「なってない! 私達はカエルになどなっていないぞ!」

 

 カエルの口を中からこじ開けたダクネスが必死に抗議する。流石に防御に全振りし日々体を鍛えているダクネスの腕力には敵わないのか、カエルはだらだらと唾液を滝のように流すだけで口を閉じることも飲み込むこともできないようだった。

 

「すまないカズマ! 何故かわからないがカエルがいきなり地面から出てきたんだ! 不意を突かれて全員舌で絡め取られてしまった!」

 

「騎士二人とも使えねぇなぁ! コスプレかよアイツら! てか、なんでカエルが更に増えたんだ……!?」

 

 思い当たる節を探す。今日はまだアクアは何もしていない。モンスター寄せの魔法もしてないし、カエルが好みそうな物は身につけていない。いつも通り、まずはアクアに集めさせて爆裂魔法で一度まとめて倒したあと、全員を囮にして一匹一匹仕留めるよくやるパターンだった。何か他に要因が……と、そこまで考えて視界に派手なクレーターが映り込む。

 そして思い出す。何故ジャイアントトードが冬眠から目覚めたのかを。

 

「爆裂魔法のせいかーーー!!!」

 

「そんなことよりまずはめぐみんを! 早くしなければ消化されてしまう!」

 

「ああ、そうだな! ダクネスはどれくらい耐えられる!?」

 

「わ、わからん! いくら私と言えど顎を閉じる力は中々堪える! どうしようカズマ! この絶望感、かなりいいぞ!」

 

「こんな時まで馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ! アクア! あとは自力で這い出てとどめさせ! そんであのコスプレ騎士共を助けるぞ!」

 

「嫌なんですけど! あんなの放っておいてもう私帰りたいんですけど!」

 

「あいつらが食われたら俺たち死刑確定だろうが! 文句言わずに働け駄女神!」

 

 そう言ってカズマは自分の短剣をアクアに放り投げ、カエルたちへと向かっていく。あと一週間の辛抱だと強く自分に言い聞かせて、持ち上がりもしないダクネスの剣を遠心力で振り回し、叫びながら宿敵へと突撃して行った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「いやぁ、胃の入口が見えたときは流石にもう駄目かと思いました」

 

「ううっ……ひっぐ……。もうカエルは嫌なの……。カエルだけは…………」

 

「よかったなアクア。お前があの後何回もカエルに食われたおかげで、今日で全部カエルは終わりだ。明日はミミズだぞー」

 

「また丸呑み系のモンスターか! わくわくするな……!」

 

「それはお前だけだよー」

 

 全員で街にカエルの粘液を撒き散らしながら、カズマたちは真っ直ぐに家を目指す。あの粘液でベタベタになった騎士たちも帰りはかなり暗い顔をしていたが、いかに自分たちが真剣にモンスターに困っているか伝わっただろうと勝手に解釈しておく。

 夕飯はギルドでたらふくカエルを食ってやると心に決めたカズマは、自分たちの屋敷の前で中を伺っている見知った盗賊の姿を見つけた。

 

「おや、クリスではありませんか。どうしたんですか?」

 

「あ、みんな……って、君たちこそどうしたの? ヌルヌルのベタベタで」

 

「まあ、色々とな。折角だし上がっていけよ。お茶くらい出すぞ」

 

「ううん、お気遣いなく。今日はソウゴくんに渡す物があって来ただけなんだけど……」

 

「すまないな。ソウゴは冬眠から目覚めたモンスターを退治しにドリスへ行ってしまったんだ。数日は帰ってこれない」

 

「あちゃ、入れ違いか……。いや、寧ろちょうどよかったかな」

 

 そう言ったクリスは、一冊の古い本をカズマに差し出す。かなり年季の入ったそれは表紙がかなり傷んでおり、長年粗雑に扱われてきただろうことが専門家でなくてもわかる。めぐみんやダクネスが反応しないところから見ても、そんなに有名な本ではないのだろう。

 

「なんだよこれ」

 

「えっと……デストロイヤーの開発者の手記……かな?」

 

「「「「デストロイヤーの開発者の手記!?」」」」

 

 今日は口を揃えて驚くことばかりだなと、ため息を吐きそうになるが我慢した。そんなことよりも、自分の手に握られカエルの唾液が染み込んだ重大な歴史的書類に生唾を飲みこむ。

 

「これ、どこで手に入れた!?」

 

「カドヤって人にソウゴくんに渡すよう頼まれてさ。アタシの〈鑑定〉スキルによれば、まず間違いなく本物だよ」

 

「ディケイドが絡んでるなら本物でしょうね……」

 

 カドヤという名前で、あの飄々とした男を思い出す。世界を渡り歩き、ソウゴをこの世界に送り込んだ張本人。正直、胡散臭さは群を抜いているがどうしても悪い人間には見えない。そういう偽悪者的な雰囲気を纏った印象の男だった。

 カズマが士を思い出していると、クリスは困ったようにほほの傷を掻いてはにかむ。

 

「それさ。君たちが読んで、ソウゴくんに渡すかどうか決めてくれない?」

 

「どうしてだ? ソウゴ宛なら渡すしかないだろう」

 

「えーっと……。実はアタシも好奇心に負けて読んだんだけどさ……。読まないほうが良かったって思ったよ」

 

「そんなに酷い内容だったのですか……? 開発に関わる犠牲者の話とか……?」

 

「いや、何ていうか……。読めばわかるよ」

 

「え、なんか急に読むの嫌になってきたんですけど」

 

「じゃあ確かに渡したから! よろしくね!」

 

 そう言い残して、クリスは走り去ってしまう。呼び止めることも叶わず置いていかれた一冊の本に視線が集まるが、あれだけ脅されれば逆に気になって仕方がないのが人の性。

 

「……とりあえず、風呂入るか。生臭いし」




『国のお偉いさんが無茶なことを言い出した。危険な力を秘めた〈オーパーツ〉の力を抽出し、魔王軍を滅ぼす機動兵器を作れなんて無謀だ。解析すら進んでいないのに危険過ぎる』

『設計図の提出期限が迫ってきたというのに、何ひとつアイデアが湧かない。期限を破れば謀反と見做され処刑されるだろう。しかし、半端なものを出すわけにはいかない。可能な限り案を練ろう』

『期日になった。白紙だが提出しよう。私はこんな危険な物を作るためにこの世界に転生したわけではないのだから。思い返してみれば、いい人生だった。未練があるとすれば、私の発明で世界を幸せにできなかったことだ』

『なんか通っちゃった。設計図の上で潰した蜘蛛の汁が俺のデザインだと思われたみたい。みんな前衛的だって喜んでる。やっべぇ! こいつらバカだろ! でも何か今日はゆっくり寝れそう! よかった!』

『機動兵器製作の技術班と話を詰めることになった。まあ、詳しいこと聞かれてもわかんないんだけどな。俺、生物学者じゃないし』

『製作は順調に進んでいる。俺が想像していたより大きくなりそう。そういえば、賭けに負けて開発責任者に就任することになった。あそこで普通エクスプロージョン使う? マジないわあれクソゲーじゃん』

『新たな問題に直面した。動力がどうこう言われたが知るか。汁だけに。なんつってな。伝説のコロナタイトでも持ってこなきゃ、〈オーパーツ〉の力を引き出すのも無理だろ。そもそもこの〈オーパーツ〉ってなに? 起動すると喋り出すし怖すぎ。誰の声これ。機動兵器計画がおじゃんになるまで暇だから解析しておこう』

『やっべぇ! 〈オーパーツ〉で遊んでたら機動兵器と融合しちゃった! これ上に報告したら死刑じゃね? 黙っとこ』

『俺が〈オーパーツ〉を取り出そうと頑張ってるうちに本当に持ってきちゃったよコロナタイト。あれ? もしかして不具合とかで動かなかったら俺の責任じゃね? ここまで来て死にたくない。お願いします! 動いてください!』

『やっべぇ! 現在暴走中やっべぇ! コロナタイトが〈オーパーツ〉の力を最大限引き出してるっぽい。やっぱ俺天才かも』

『やっべぇ! 国滅んだよやっべぇ! でも、まあいっか! 何かスカッとした! これで溜まったツケも払わずに済むし! 今日は朝まで飲むか!』

『ここに住もう。コロナタイトから湧いてくるキモい生体ゴーレムも言うこと聞くし。どうせ降りられないしな。止められないしな。これ作ったやつ、絶対バカだろ。……あ、これ作った責任者、俺でした(笑)』




「……カズマ」

「〈ティンダー〉」

「お、お前たち! そんなものでもソウゴに渡すんだろ!」

「うるせぇ! 世の中には知らなくていいこともあるんだよ! これは絶対に知らなくていいことだった!」

「そうよ! これは世に出てはいけない情報だわ!」

「気持ちはわかりますが……」

「いいかお前ら。魔王軍を撃破するために開発されたデストロイヤーは不幸にも暴走、開発者は一人責任を感じてデストロイヤー内で孤独死、だ。いいな」

「「は、はい……」」

「転生者……勇者候補は誰一人この件には関わっていなかった。いいわね」

「いやお前はマジで反省しろよアクア」

「はい……」


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よんでませんよ、悪魔さん。1992
この魔王がいぬ間に裁判を!


「うひょーー!! これは素晴らしい出来栄えですねアクア!」

 

「そうでしょうそうでしょう。私の変形機神クリスタルカイザーは素晴らしいでしょう」

 

「名前がギリギリアウトなんだが、雪でここまで細かい造形ができるとはな……。ッ! おいアクア、ここの穴ってまさか……!」

 

「いいところに気づいたわねカズマ。そうよ。そこにこのサポートメカ、スペクトルヘキサゴンを合体させることで、合体超神セイントカイザーになるのよ!」

 

「「か、カッコイー!!」」

「って、その名前はマジでアウトじゃねぇか!」

 

「何をやってるんだお前たちは……」

 

 警察署前に作り出した雪像ではしゃぐ三人を横目に、スコップを雪に突き刺したダクネスはため息をつく。掻いても掻いてもなくならない雪を相手に気だるさは見えるが、疲れは見えない。そんな彼女にカズマはキラキラと少年のように輝かせた目を向けた。

 

「おいダクネスもこっち来いよ! 名前はともかくすごいぞこれ!」

 

「合体ですよダクネス! なんとかして持って帰りたいものです……!」

 

「持って帰るなんてダメよ。芸術とは、儚いからこそ美しいの。太陽に溶かされて無くなるところまでが作品よ」

 

「そんな……! これほどの作品を手放しても惜しくないと……!?」

 

「帰ったらめぐみんには、牛乳パックで変形合体デンドロメイデンを作ってあげるわ」

 

「ほあー! 新作ですか!!」

 

 真紅の目をルビーのようにキラキラと輝かせるめぐみんは、さながらクリスマスにサンタを信じる子どもそのものだった。雪でこれだけ見事なロボを完成させるのだから、期待値が上がるのは当然だろう。きっと自分ですら手放しで褒めるような物を作り上げるのだろうと思ったカズマは、非常に残念なものを見る目をアクアに向けた。

 

「お前もうアークプリースト廃業してその道で食っていけよ」

 

「何よ! 私がアークプリーストじゃなかったら、毎朝屋敷に充満してる変な悪魔の臭いを浄化できないのよ?」

 

「お前まさかサキュバスさんを浄化してないだろうな!? ソウゴの前に俺たち男性冒険者がお前を血祭りにあげるぞ!」

 

「してないわよ! サキュバスと他の悪魔の臭いの違いくらいわかるわよ! カズマにはもう絶対何も作ってあげないんだから!」

 

「上等だ! お前のよりすごいやつ作ってやる! めぐみん! どんなの作って欲しい!」

 

「カッコイイ魔獣がいいです!」

 

「よしよし、じゃあスノーマンだな。俺が黄金比というものを教えてやろう」

 

「ぷぷぷー。大口叩いて作るのは雪だるまなのね。ぷーくすくす! ダスネスは何作って欲しい? 熱心な信仰心だし、アクシズ教の女神の御神体かしら?」

 

「いや、それならエリス様の……じゃなくて。我々は雪像を作りに来たわけではないだろう」

 

「そうだったっけ?」

「そうでしたっけ?」

「そうだったかしら?」

 

「お前たちな……」

 

 三人の反応に思わず眉間を抑えた。奔放な連中を纏めるのがこんなにも苦労することなのかと理解を深めたダクネスは、少しだけ自分を抑える努力をしようと決意する。しかし、カズマたちとて当初の目的を本当に忘れたわけではない。

 

「でもなダクネス。冬でも元気な熊と死物狂いで戦って、帰って来たと思ったら今度は通りの雪搔きだぞ? ちょっとくらい遊んだってバチは当たらないよ」

 

「そうよ。本当は家に帰って暖炉の前でゴロゴロしたいのに働いてるなんて偉いわ、私」

 

「無報酬でここまで真面目に頑張っているんです。現に監視の人も我々を注意しないのですから、大目に見てくれているのでしょう」

 

「まあ、確かにそうだが……。休憩は程々にな?」

 

「「「はーい」」」

 

 母親のようなダクネスの叱り方に、カズマたちは雪遊びを中断して作業に戻るため散らばった。だが、もう降っていないとは言え、重みで固まった雪は疲労の残る肉体には酷だ。圧縮され氷となった純白にスコップを突き刺せど、持ち上げようとすればカズマの腕は悲鳴を上げる。

 

「こんなとき、火の魔法とかで溶かせればなぁ。〈ティンダー〉じゃ火力不足だし」

 

「爆裂魔法は一日一回ですからね。今日はもう撃てませんよ」

 

「どう考えても火力オーバーだろ。雪どころか街が溶けるわ」

 

「なら、私が水の魔法で溶かしてあげましょうか? 洪水クラスの水を召喚すれば、こんな雪なんてあっという間に流れていくわよ」

 

「だから雪じゃなくて街が流れるんだって。お前ら加減って言葉を知らないのか」

 

「カズマはもっと体を鍛えるといい。私がメニューを考えてやるぞ?」

 

「タフネスの考えたメニューとか辛そうだから嫌だ」

 

「だ、誰がタフネスだ!」

 

 過酷な肉体労働続きで集中力など保つはずもなく、ダラダラと話をしながら無理ない程度にのんびりと奉仕活動に勤しむ。金を貰ってるなら話は別だが、命の危険がない無償労働ならば必死になって雪を掘り返す意味もない。後はいつも通り、暗くなったら切り上げて酒場で今日の疲れを癒やすだけ。こんな生活を始めてまだ数日だが、もう随分と長い間やっているような気がカズマはしていた。

 

「そういや俺たち、なんでタダ働きしてるんだっけ?」

 

「忘れてしまったんですか、カズマ。私達はテロリストの容疑が掛けられているんですよ」

 

「そういやそうだったなぁ」

 

「そのために、デストロイヤーの爆発で冬眠から目覚めたモンスターを全部倒さなきゃいけないのよ」

 

「そうだったそうだった」

 

「まあ、今日私が絞め殺した一撃熊は冬眠するモンスターじゃないんだがな」

 

「ダクネスは騎士から格闘家にジョブチェンジするべきだよな。なんで熊と握力勝負してんだよ」

 

「いくら不器用とはいえ、剣よりも拳の方が勝機のあるクルセイダーなんて世界中探してもダクネスだけでしょうね」

 

「いいじゃない、個性的で」

 

「個性で済むかよ。ところでお前らさぁ、なんで俺たち雪掻きしてるの?」

 

 ザクッ、と四本のスコップが雪に刺さる。

 

「それは……街の役に立って悪人ではないとアピールするためでは?」

 

「冬眠から目覚めたモンスターを討伐して無実を証明するという話だったはずだがな」

 

「いつの間にか日暮れまでの掃除もセットになってたよな……」

 

「なんか服役してるみたいよね」

 

 刺したスコップを手放して、四人は現状の確認のため小声でも聞き取れる距離に集まる。命懸けで日々をこなしていたせいか、まともに思考する力が失われていたのだろう。錆びついた思考能力をゆっくりと動かしていく。口火を切ったのはカズマだった。

 

「……もしかして俺たちって、三億エリスを餌にタダ働きさせられてるだけなんじゃないか?」

 

「奇遇ですねカズマ。私もそう思います」

 

「だよな!? 通達からかれこれ四日、カエルを倒したと思ったら次はミミズ、コウモリ、挙句の果てには冬眠しない一撃熊! おかしいよな!?」

 

「思い返してみれば、日に日に指定されたモンスターも強くなっている。真綿で首を絞められているようなものだな。……私は、楽しかったが」

 

「こんな時くらい抑えろ変態」

 

「ボロボロになって帰ってきたら、労いの言葉もなく当然のように街の掃除させられるし! 今日だって雪搔き押し付けられるし! 何が奉仕活動よ! 女神を顎で使うなんて許されないわ!」

 

「しかし領主に報奨金を差し押さえられている以上、我々は大人しく従う以外どうすることもできないだろう」

 

「それだよ! なんで国から貰ったものを領主で一旦保留にさせられてるんだよ! そこもおかしくないか!?」

 

「確かに変ですよね。テロリスト容疑のインパクトが強過ぎてあのときは疑いもしませんでしたが、落ち着いて考えてみるとおかしな話です」

 

「我々全員、そうすることが当然のように受け入れていたからな……」

 

「ストライキよストライキ! 労働者にはストライキ権を行使する自由があるわ!」

 

「だが、迎えを無視すればここまでの努力が水の泡だぞ。それでは遠征しているソウゴにも悪い」

 

 ダクネスの意見に三人は押し黙った。

 あと三日ほどこの生活に耐えれば、約束通りの大金が手に入る。しかし、また授与を先延ばしにされる可能性も十分にある。だが従わなければテロリストの疑いは確定してしまい、五人まとめて首をはねられるかお尋ね者として追われる日々が始まるだろう。回避できるなら、夜逃げという選択肢は本当に首が回らなくなったときに残しておきたい。

 

「……領主に直談判するのよ。それしかないわ!」

 

 立ち上がったアクアが力強く拳を握りそう言った。

 カズマは悪くない案だと考える。このまま流されてタダで命を危険に晒すくらいなら、一度くらい言い分を聞いてもらってもバチは当たらないだろう。こちらは既に半分以上の日数を言われた通り働いているのだから、交渉だってできるはず。

 しかし、そんな反抗心にダクネスは水を差す。

 

「だが領主のアルダープは悪い噂が絶えない人物だ。 そう安々と話を聞いてくれるかどうか……」

 

「ですがこのままでは明日以降、更に強力なモンスターの討伐を命じられるでしょう。失敗すれば直談判よりもリスクが大きいのでは?」

 

「見張りの騎士が証言してくれたとしても、負けて帰ればテロリストだもんな。もしくはその場でモンスターのご飯になっちまう」

 

「そもそも、私達は何も悪いことしてないじゃない! ここまで大人しく言うこと聞いてたんだから文句を言う権利くらいあるわよ!」

 

「一理あるが……」

 

「よし、じゃあ決まりだな。俺たちはこれから、領主の屋敷に行く。話をつけてこんな生活とはおさらばだ!」

 

「「おー!」」

「お、おー……」

 

 どうにも歯切れの悪いダクネスを置いて、三人はズカズカと雪を踏み抜いていく。上手くいって自分たちだけ先に切り上げることができても、ソウゴなら「困ってる民は放っておけないよ」と言ってモンスター退治を続けることだろう。もしかしたらモンスターと仲良くなってモンスターが自治できる区域くらい作りかねない。

 兎にも角にも、まずは自分たちの安全から。この死と隣り合わせの毎日に終止符を打つため、大金を手に入れ仲間たちと面白おかしく生きていくため、カズマは領主の居場所を聞き出しに勇んで警察署の中へと向かって行った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ここが領主の屋敷ね」

 

「たまたまこちらの別荘に来ていたとは、運が良かったですね」

 

 季節柄、日もかなり傾いてきた時間にカズマたちが訪れたのは、アクセルの街から少しばかり離れた別邸だった。

 本邸で無いとはいえ、門の作りも中庭も豪華そのもの。それでいて庭が広すぎて屋敷自体が小さく見える。自分たちの屋敷とは比べ物にならない本物の豪邸を前に、カズマは言葉が出てこなかった。

 

「本当に行くのか? やめるなら今のうちだぞ?」

 

 ダクネスが不安げに問いかけてくる。いつもは性癖も合わせて勇猛果敢に切り込んでいく前衛がこうも怖気づいているのを見ると、カズマとて気持ちが揺らいでしまう。

 

「そ、そうだな。今日はもう遅いし、明日改めて「何を日和っているのです! せっかく来たのですから、ガツンと言ってやりましょう!」

 

「そうよそうよ! 何かここ嫌な臭いがするし、さっきから変な感じもするし、さっさと終わらせて帰りましょ。すみませーーーん!! 領主に話があってきたんですけどーーー!」

 

 だが、そんなカズマの意思を汲み取ってくれる人員はこのパーティーにはいない。

 物怖じしないというか、ただ精神が図太いだけのアークプリーストが門をガンガンと揺らし騒ぎ始める。カズマが動物園の猿を思い出したせいで止めに入るのが遅れると、めぐみんまでがベル代わりに門を揺らし始めた。

 

「早く出てきなさいよー! どうせ暇してるんでしょー!」

 

「大人しく出てきなさーい! さもなくば後悔することになりますよー!」

 

「おいお前ら! 俺たちがテロリストだと思われてるって忘れたのかよ!?」

 

「そんなに騒いだら警備兵が来るぞ! 話し合いどころでは……!」

 

「君たち、そこで何をしている」

 

 ダクネスが言い終わる前に、背後から声をかけられる。嫌な予感をひしひしと感じながらカズマがゆっくり振り返ると、そこには指をボキボキと鳴らす屈強なマッチョを従えた衛兵が立っていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「えっと。名前と職業は? ここに何しに来たんだ?」

 

「……名前はサトウカズマです。冒険者をしています。今日は、領主様から頂いた特別クエストへの抗議に参りました」

 

「ほーん。アクセルでは、チャイムの代わりに門を揺らすのが当たり前なのか?」

 

「……すみません。うちのパーティーメンバーが、本当にすみません」

 

 マッチョたちに丁寧に詰め所へと案内された四人は、それぞれ別室にて取調べを受けることとなった。ノートに話を書き留める中年の衛兵とテーブルセットを挟んで対峙するカズマは、反省の意を見せるべく徹底して伏し目がちに頭を下げていた。

 正直カズマとダクネスはとばっちりなのだが、こうしている間にもアクアとめぐみんの二人が馬鹿な真似をしていないかと気になって仕方がない。頼むから話をややこしくしないでくれよと、祈りながら衛兵の質問に答える。

 

「アポイントメントは取ってあるのか? 我々は何も聞いていないが」

 

「はい。アポ無しで来させていただきました」

 

「連絡もなしでこんな時間に門の前で騒いでいたのか? 冒険者って職業には常識がいらないのか?」

 

「いや本当に。本ッッッ当にすみません」

 

 悪態をつきたいのを我慢してテーブルに頭を擦り付ける。そもそもの発端は、これの雇い主が自分たちに要らぬ嫌疑をかけてきたことだ。しかし正論で殴られては返す拳も見つからない。騒いだのは自分ではなくアホの二人なのだとしても、下手に出る他カズマができることは何もなかった。

 

(アクアとめぐみんは後でぶん殴るとして、今は落ち着け。落ち着いて、ピンチをチャンスに変えるんだ……!)

 

「あの、できれば領主様に取次いでいただくことはできませんか? 急ぎのご相談がありまして……」

 

 可能な限りごまをする。転んだからといってタダで起き上がるようでは、この世知辛い世界は生きていけないのだ。なんとか次に繋ごうと愛想笑いを浮かべてみるも、返ってきたのは少し驚いたような表情だけだった。

 

「ここは来賓を迎えるための別邸だぞ? アルダープ様はここにはいらっしゃらないよ」

 

「え、いない? ここにいるって聞いたから、報奨金の件で話がしたいと思って来たんだけど……」

 

 何故か話が噛み合わない。いつもの監視役に聞き、地図までもらったのだ。間違ってはいないはずだが、それでも目の前の衛兵が嘘をついているようには思えない。

 まるで狐に化かされたような気分だが、衛兵はカズマの言葉にまたも驚いたように目を開く。

 

「報奨金……。ああ、お前らが魔王軍のスパイって言われてる冒険者どもか。えらい功績だって聞いてたから勇者候補様かと思ってたが、その貧相な顔じゃ違いそうだな」

 

(こいつもぶん殴りてぇぇ……!)

 

 机の下で握った拳を震わせる。犯罪者扱いされていなければ氷結魔法でこの部屋の温度を下げる嫌がらせをしてやりたかったが、今は我慢。怒りを表情に出さないようカズマがわなわなと震えていることなど知らない衛兵は、ノートに記録するのをやめてペンを置く。

 

「なんだ、てっきりアルダープ様に因縁をつけに来たチンピラ共かと思ってたが違うんだな。いやぁ、悪かった悪かった」

 

 そういうと、中年の衛兵は大口を開けてガハハと笑い始める。先程までとは打って変わったような朗らかさを見せる彼は、悪意のなさそうな笑みを浮かべた。

 

「最近は王都の方で賊が出るらしいし、俺たちもピリピリしてるんだ。領主様がいないときは尚更な」

 

「は、はぁ……」

 

「今日は何か壊したわけでもないし、上には報告せず見逃してやるよ。こんなことで捕まりたくないだろ?」

 

「はい。嫌です」

 

「これでも俺たち下っ端はお前らに同情してるんだ。もう迷惑なことはするなよ」

 

 雰囲気は柔らかくなったが、腑に落ちないことは多い。話の齟齬がとてつもなく大きな見落としを招いているような気がしてならないのだ。歯車が一つ抜けているようなもやもやを抱えたカズマは、とりあえず仲間たちと合流してこのもやもやをはっきりさせようと腰を浮かせた。

 

「でもまあ、お前らも大変だな。貰えもしない三億エリスのためにそこまで頑張るとは」

 

 その一言で、カズマはもう一度席につく。

 

「それって、どういう……?」

 

「……絶対に俺が言ったって言うんじゃないぞ?」

 

 念を押した衛兵は、身を乗り出して声量を落とす。釣られるように身を乗り出したカズマにだけ聞こえるように、小さな声でぼそぼそと囁いた。

 

「(ここだけの話、アルダープ様は俺達の間でもいい噂がない。デストロイヤーに踏み散らされた農民に手当てすら出さないような方だ。きっと今頃、三億エリスだってあの人の懐の中だろうさ)」

 

「いやいやいやいや。それはおかしいだろ! なんで国からの報奨金を領主が着服できるんだよ」

 

「そんなこと俺たちが知るか。あれだけ好き勝手やっても許されるんだから、懐刀の握り方でも知ってるのかね」

 

「懐刀?」

 

「ベルゼルグ王国の懐刀、ダスティネス家さ。あそこから何も言われてないんだから、神にでも愛されてるんじゃないかって話だ。っと、無駄話はこれくらいだ。ほら、帰った帰った」

 

 衛兵に追い払われたカズマは、釈然としないながらも詰め所を出る。神と言われて真っ先に思い浮かぶのは、いつぞや出会った女神エリス様。しかし、あの優しい女神そのものな美少女がそんな蛮行を許すわけがないだろうと首を振る。懐刀なんていう仰々しい名家っぽい貴族の名前まで出てきたのだ、正直言って自分たちの手には余る案件だろう。

 突っ込みたくない面倒事に片足を突っ込んだ気分のカズマは、大きく白い息を吐いた。

 

「なんか、めんどくさいことになりそうな予感がしてきなぁ」

 

 仲間を待つため、門前でぼうっと来た道を見つめる。直談判は空振りに終わり、妙な話を小耳に入れてしまった上に話が噛み合わない謎のおまけ付き。無駄に疲れた気がしなくもない。

 今は家に帰ろう。カズマはそう切り替えて、明日の無茶振りに思いを馳せる。とっぷりと暮れた帰り道は、自分たちのこれからを暗示するかのように真っ暗だった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「サトウカズマだな? 我々と一緒に来てもらおう」

 

「へ?」

 

 翌日。いつものように監視の騎士二人を待っていたカズマたちが来訪者を出迎えると、そこには見知らぬ男たちが立っていた。

 先頭に立つのは、ゴールドのラインが走るピシッとしたネイビーのスーツを着た壮年の男性。赤いネクタイに厳しい眼差しが、カズマを睨みつける。この衣装が我らが王様と温泉旅行に向かった王国検察官と同じだと気づいたとき、カズマの目は一気に醒めた。

 

「警察の方とお見受けする。礼状はお持ちか?」

 

 ダクネスがカズマの前に立つ。一触即発のピリピリとした空気に、思わず冷や汗が流れた。そもそも何故自分一人だけの指名なのか、まずはそこを解き明かすところから始めなくては。小さな犯罪に心当たりのあるカズマは、おずおずと問いを口にした。

 

「あの、俺何かしました……?」

 

「貴様らは昨晩、アルダープ様の屋敷を訪問したな?」

 

「ええ、行きましたけど……」

 

「その際、『出てこなければ屋敷を爆破する』という内容で領主を脅したそうだな。貴様らを聴取した衛兵が提出した報告書にそう書いてあるぞ」

 

「はぁ!?」

 

 バッ、と一番の心当たりへ振り返る。疑われたと思ったのかめぐみんは慌ててバタバタと両手を振り否定した。

 

「私じゃありません! 昨日は大人しく謝って許してもらいました!」

 

「じゃあアクアか!? なんてことしてくれたんだ! 謝って! 早く謝って!」

 

「私でもないわよ! 私がアクシズ教ってわかったらすぐに追い出されたもの! むしろ謝ってほしいのはこっちなんですけど!」

 

「無罪を証明する期間中に起こしたこの蛮行、領主様は温情をかけたことを深く後悔されていた。よって、主犯である貴様を国家転覆罪並びに国家反逆罪で起訴する。来てもらおう」

 

「え、ちょ、離せ! 俺は何もしてない!」

 

 身に覚えのない罪状に呆気に取られたせいで反応が遅れてしまい、カズマは騎士達に両腕を掴まれる。昨日の衛兵は見逃してくれると言ったはずだが、全員の話が本当なら自分達はハメられたことになる。しかし、嘘をついて心象を上げようとするようなタイプにも見えなかった。そこで、昨晩の彼の言葉が脳裏を過る。

 

『アルダープ様は俺達の間でもいい噂がない』

『あれだけ好き勝手やっても許されるんだから、懐刀の握り方でも知ってるのかね』

 

(まさか領主の野郎、三億を手にするために罪をでっち上げたっていうのか!?)

 

 一番ありえる可能性を手繰り寄せているうちに、カズマは二人に抱えられ馬車へと引き摺られて行く。アレに乗せられれば最期、このまま断頭台までドナドナコースは明らかだ。せめてもの抵抗として暴れてみるが、筋力差なのか脇を固めた騎士たちは微動だにしない。

 

「ちょっと待ちなさいよ! そんな紙切れいくらでも書き足せるじゃない! 証拠にならないでしょ!」

 

「邪魔をするな。国家転覆罪は主犯以外にも適用される。お前たちもまとめて捕まりたいのか?」

 

「それはちょっと……」

 

「仲間を見捨てるくらいならば、ここでお前たちと戦う!」

 

「その通りです! こんな権力の横暴に屈する冒険者ではありません!」

 

 怖気づいたアクア以外の二人は、各々の得物に手をかける。この世界の裁判制度がどれほどのものかはわからないが、展開として一番まずいと感じたカズマは無意味な抵抗をやめて声を荒げる。

 

「やめろダクネス! めぐみん! お前らまで捕まったら誰が俺の無罪を証明するんだよ!」

 

「し、しかし……!」

 

「俺なら大丈夫だ。無実なのに犯罪者にされてたまるか」

 

「……必ず、我々が助けてみせる!」

 

「頼んだぞ、お前ら!」

 

 放り込まれた馬車の中から、カズマは三人に向けて笑みとサムズアップを送った。歯を食いしばる彼女たちの表情を最後に、馬は走り始める。断頭台への階段を一段登ってしまったことを理解したカズマは、ここからどう巻き返していくかの思考に没頭した。

 

 

 

 

 

 が、一晩考えたところで妙案など思いつくはずもない。

 昨日めぐみんに爆裂魔法を撃ってもらって他の国に亡命しておけばよかったと後悔したカズマは、立たされた証言台にて心の中で悪態をついた。

 

(昨日捕まったばっかりなのにもう裁判なんて、展開早すぎるだろ!)

 

 まともな聴取もなく、一晩留置場で凍えたと思ったら次の日には裁判所に引き摺り出されていた。カズマ本人としてもあまり考えたくはないが、状況証拠だけで極刑にまで持っていかれる可能性があることに身震いする。

 

「インフラ整備とか便利なマジックアイテムのせいで忘れてたけど、この世界の文明レベルって中世並みなんだよな……」

 

 公開処刑が庶民の娯楽だった世界観を想起し、カズマは天を仰いだ。

 元の世界の司法制度に明るくないカズマでも、今いる法廷がドラマなどで見ていた日本のものとそっくりなのはわかる。転生してきた日本人の影響だとすぐに理解した。強いて違う所を挙げるなら、自分の立つ証言台の前に置かれた奇妙な形をしたベルだけ。これが、ソウゴが取調室で見たという嘘を検知するマジックアイテムなのだろう。傍聴席ではアクセルの街の冒険者や貴族らしい人物達がざわついており、この裁判が曲がりなりにも注目されていることを察する。

 肩にのしかかったとてつもなく重い現実のせいで項垂れるカズマに、弁護人としてこの審議に参加するダクネスが神妙な面持ちで呟いた。

 

「カズマ。この裁判、妙だぞ」

 

「妙?」

 

「普通は留置してから裁判までに、起訴できるだけの証拠集めや言質を取るための聴取がある。だが今回は、まるで最初から起訴する準備が整っていたかのような手際の良さだ。何かあるぞ、気を引き締めろ」

 

 脅しにも近いダクネスの言葉に、カズマは唾を飲む。もしダクネスの読み通りなら、今の自分達は背水の陣と言っても過言ではないくらい追い詰められていることになる。

 しかし、そんな緊張感を跳ね除けるようにめぐみんはローブをなびかせた。

 

「安心してくださいカズマ。我が灰色の脳細胞を以ってすれば、涙目になるくらい論破することなど造作もありません」

 

「ねえ、朝から何か変な感じしない? 違和感がすごいんですけど」

 

「安心していいのか……?」

 

 居心地が悪いのか挙動不審なアクア、どこにそんな根拠があるのか勝利を確信するめぐみん、そしてこの裁判に違和感を持つダクネス。約ニ名不安が残るが、それでもこのアウェーでは頼もしい味方なのは間違いない。間違いないはずだ。

 

(めぐみんはいいとして、問題はアクアだ。頼むから何もやらかさないでくれよ……)

 

 カズマが首を傾げる女神に祈りを捧げていると、扉が開き原告側が現れる。自分を起訴した検察官の後ろから、見知らぬハゲがふてぶてしい態度で出廷し席に腰を下ろした。もじゃもじゃと長いヒゲを撫でるタコのようなその男が恐らく、自分たちの罪をでっち上げた人物。

 

「(なあ、ダクネス。あれが……?)」

 

「(ああ。領主のアレクセイ・バーネス・アルダープだ)」

 

「(めっちゃこっちガン見してますね。薄着のダクネスを見るカズマより気持ち悪いです)」

 

「(あんな目で見てねぇし!?)」

 

 領主の姿は初めて見るが、カズマの印象はニヤけた好色爺だった。主観抜きにしても見た目だけは美人揃いの弁護側へ向けられた、特にダクネスへの視線がねちっこく、舐め回すようなその目はとてもじゃないが健全なものとは思えない。

 一通り状況の整理がついた頃、裁判長は声を張り上げた。

 

「これより、被告人サトウカズマの裁判を執り行う。検察官は前へ」

 

「はい」

 

 検察官の読み上げる起訴状の内容は、カズマたちがセナから告げられていた内容と差異のないものだった。デストロイヤー破壊時の爆発によって冬眠から目覚めたモンスターたちを利用したテロ疑惑。その根幹となるのは、ソウゴという謎の冒険者の存在だ。冒険者カードの発行できない規格外が“魔王”を名乗ったという事実が尾を引いているのは明らかだった。そこで思う。

 

(……俺、関係なくない? 全部ソウゴのせいじゃない?)

 

「――更に、被告サトウカズマには街中で女性の下着を〈窃盗〉していたという目撃情報もあり、素行の良い人物とはとても思えません。これらの情報を整理し、『被告は魔王を名乗る人物を外部より招き入れ、モンスターによる街の制圧を目論んでいた』という結論に達しました。よって被告人に国家転覆罪並びに国家反逆罪の適用を求めます」

 

「では、被告と弁護人に発言の許可を与える。反対意見をどうぞ」

 

 読み上げられた内容が事実であれ、最後の結論は検察官の推論だ。ターンが回ってきたのだから、ここから心象を良くしてその推論を崩せば勝てる。中世の裁判など最終的には印象操作が物を言うのだ。

 しかし、そう考えていたカズマたちを見てアルダープは鼻で笑った。

 

「裁判長。そいつらの発言なぞに今更何の意味がある。さっさと極刑にしろ」

 

「いやしかし、まだ被告側の主張すら聴いておりません。事前に聞いた話では、起こしてしまったモンスターはもう既に討伐してあると……」

 

「そこの青髪の女はギャンブルで街金に借金をしている。紅魔族の娘は爆裂魔法で生態系や地形を変えている頭のおかしいアークウィザードだ。報奨金欲しさと爆裂魔法を撃ちたいがためにその男に加担したんだろう」

 

「頭のおかしいと言うのはやめてもらおうか! 定着したらどうする!」

 

「お前、街金に借金してんの?」

 

「だって、カズマさんがくれるお小遣いだけじゃ勝てなかったんだもん!」

 

「開き直るんじゃねぇよ! 借金するくらいギャンブルにハマってるやつが偉そうにすんな!」

 

「これで疑う余地など無くなっただろう。おまけにこいつは猶予をやったにも関わらず、屋敷にやって来てワシを脅してきたのだぞ。この耳でハッキリと貴様の暴言を聴いたわ」

 

「待ってくれよ! 昨日のおっちゃんは、騒いだだけだから見逃してくれるって! そもそもお前いなかっただろ屋敷に!」

 

「諦めの悪い冒険者だな。お前が死刑になることは既に決まっているんだ。無駄な時間をかけるな」

 

「はぁ!? それどういう……!」

 

 ダンッダンッ! とガベルがカズマの言葉を遮る。

 

「静粛に! 許可した発言は反対意見のみです。全員、勝手な発言は慎むように!」

 

 裁判長の一喝で法廷は静まり返る。割り込んでしまったとはいえ、今のやり取りならアルダープの心象の方が悪くなったはずだ。十分巻き返せると踏んだカズマだが、その読みは大きく外れることとなる。ヒゲを撫でるアルダープは、心底面倒臭そうに頬杖をついた。

 

「裁判長、今のでわかったな? こいつは何一つ反省していない。死刑にしろ」

 

「ですからまだ主張を……」

 

「……もう一度言うぞ。()()()()()

 

 アルダープの言葉が、この場にいる全ての人間の頭に響いた。さもそれが世界にとって当然であるかのような錯覚が脳を混乱させる。認めたくはない、納得もしていない、しかし脳が抗えない。カズマたちが抗議の声すら出せずにいると、裁判長はどこか虚ろな目でアルダープに答えた。

 

「…………そうですね。確かに領主殿の仰る通り、被告には死刑が妥当ですな」

 

「待ちなさいよ! 死刑なんておかしいでしょ!」

 

 しかし、たった一人だけは違った。まるで親の仇でも見るような目で、憎らし気に顔を歪めるアルダープに牙を剥くアクア。この場で発せられた唯一の異議が、カズマたちを縛っていた『当然という思い込み』を跳ね除ける。

 

「今あんた、変な力使ったわね!? 女神の私を誤魔化そうったってそうはいかないわよ!」

 

「ど、どこにそんな証拠がある!」

 

「女神が不自然な力の流れを感知できないわけないでしょ!」

 

「お前にそんなソウゴの下位互換みたいな能力があったのか……!?」

 

「バカですか! 今はそんなことに驚いている場合じゃないでしょう! 早く止めないと!」

 

「待ってくれ裁判長! 貴方は今、とんでもない判決を出そうとしているのだぞ!?」

 

「さっさと判決を下だせ、裁判長!」

 

 カズマたちがいくら騒ごうと、虚ろな目の裁判長が喝を入れることはない。ガベルを振り下ろした裁判長は、まるで答えに導かれるように口を開いた。

 

「…………被告人、サトウカズマを――」

 

 終わった。抗議の声を上げる三人に囲まれたカズマがそう覚悟して目を閉じたとき、傍聴席の扉が大きな音を立てて勢いよく開かれた。張り詰めた空気を打ち破るように現れた二人が、この場の全ての視線を集める。

 

「異議あり、だよ」

 

 カズマたちは、聞き覚えのある声に振り返る。たった数日会っていなかっただけだが、密度の濃い時間を過ごしていたせいかとても懐かしく感じる顔。お土産なのか風呂敷を担いだ彼の姿に、カズマは安堵の涙を浮かべた。

 

「ソウゴ……!」

 

「ただいま、みんな」

 

 衆人の目を物ともせずゆっくりと傍聴席を歩き、柵を飛び越えカズマたちの隣に立ったパーティーメンバー最後の一人は、いつもとは違う怒気を孕んだ笑みを浮かべていた。

 

「アルダープ、だっけ? 裁判で()()はダメじゃない?」

 

「ど、どうして貴様が……!」

 

「どうしてって、終わったからだよ。ね、セナ」

 

 そう言って後ろに視線を送る。そこには、眼鏡をかけ直し厳しい視線を送るセナが立っていた。

 

「アルダープ様、これはどういうことでしょうか。サトウカズマ一行の件は私に一任してもらっていたはずですが?」

 

 セナの視線に、検察官は驚いた様子でアルダープへと振り返る。まるで初耳だったかのような驚きようと視線を受け忌々しげに表情を歪めたアルダープは、机を叩いて威嚇するように立ち上がった。

 

「裁判をめちゃくちゃにしよって! ワシに恥をかかせる気か!?」

 

「ふーん。じゃあ、領主は王様に恥をかかせてもいいんだ。この国の王様が実績を認めて報奨金を出したんだよ。それを死刑にするって、そういうことでしょ?」

 

 ドスの利いたソウゴの声に言葉を詰まらせたアルダープは、机の上でギリギリと拳を握る。悔しそうに歯を食いしばり青筋を立て、今にも爆発しそうな怒りの表情に顔は塗り替えられる。その姿に冷たい視線を送るソウゴへ、アルダープは吐き捨てるように声を漏らした。

 

「トキワソウゴとか言ったな……! 貴様の名前、覚えておくぞ……!」

 

「別にいいけど。俺、あんたのことちょっと嫌いかも」

 

「奇遇じゃな、ワシも貴様のことは嫌いだ!」

 

 椅子を蹴り飛ばしたアルダープは、当たり散らすように法廷を後にする。あまりの出来事に静まり返った室内で、ソウゴは裁判長へと向き合った。

 

「ねぇ裁判長。俺たちの罪を、教えて?」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おいシロ! シロはどこに行った!」

 

 自分の屋敷に戻るなり、アルダープは機嫌が悪そうに怒鳴り散らした。無意味な怒りを買いたくない使用人たちがご機嫌取りをすることなく離れていく中で、シロと呼ばれた者だけが彼の背後に立ち歩幅を合わせる。芸術家のような白のコートに白のベレー帽、そしてどこか嘘くさい笑みを浮かべ手に薄い本のようなものを持つ彼は、何一つ悪びれる様子はなく芝居がかった動きで頭を垂れて見せた。

 

「ここに、領主殿」

 

「あのバケモノはあと二日は帰ってこないはずだっただろ! 貴様の進言通り裁判の日程も早めたのに死刑判決すら覆った! どうなっているんだ!」

 

「申し訳ない、領主殿。魔王はどうやら、私の未来ノートの攻略法を熟知しているようだ」

 

「そんなことはどうだっていい! さっさとララティーナの周りにいるあの男どもを始末するのだ! その本に書き込んでさっさと殺せ!」

 

「それはできない。この未来ノートは起こりうる可能性の未来しか導けないんだ。そのために、わざわざマクスウェルとも契約しているんだろう?」

 

「そのマクスの能力も、駆け出し冒険者のアークプリーストにすら効かなかった! あの神器は無能しか引き当てれんようだな! 冒険者一人死刑にできんグズ共が!」

 

 怒りを吐き散らしたアルダープは、自室に入るやいなや大きな音を立ててに扉を閉める。外に取り残されたシロは一人、困ったように大げさに肩を竦めてみせた。誰に対するアピールでもないが、ため息をついて廊下の窓から空を眺める。

 

「気づいているだろう、魔王。元の世界では我が救世主のためとはいえ散々手伝ってやったんだ。できれば早く、私を自由の身にしてほしいものだね」

 

 首輪を撫でるシロはノートに自分の希望を書き込まない。その未来が、まだ導けるほど近い未来ではないと知っているから。




監視対象に関する報告書 一日目



ドリスに到着後、拠点確保のため予約していた宿へ向かう。しかし、部下の手違いで一部屋しか予約できていなかったようだ。こちら側のミスなので一週間相部屋でも仕方ない。仕方がないことなのだ。説明すると監視対象も理解を示してくれた。
荷物を置き、早速討伐へ向かう。確かに森の中にはモンスターが多かったが、監視対象は問題なく討伐していく。帰宿すると宿の風呂に行こうとしたので、出発前に上長よりに渡された書類を思い出し読み返す。それに従い、初日の労いも兼ねて外の温泉へ向かうことを提案した。親睦を深めるために混浴を勧めたが断られた。何かやましいことがあるのかもしれない。上長からもチャンスだと念を押されている。失敗は許されない。引き続き監視の目を強めることとする。


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この寒空の下にお情けを!

「へぇっくしょいっ!」

 

 それは、しんしんと雪が降り積もる朝のことだった。

 

「おやおや風邪かい? 気をつけるんだよ」

 

「カズマさんこそ鼻水が垂れてるじゃない。すぐにこのジャージを直してあげるから、暖まってね」

 

「まあそれ暖炉に入れて燃やそうとしたの、お前だけどな」

 

 カズマにげんこつを受けてズキズキと痛む頭に耐え、アクアはせっせと針仕事に勤しむ。焦げ目が少し気になるが、この程度の損傷を誤魔化すくらいソウゴの手を借りずとも女神にとっては朝飯前だった。そんなアクアの腹の虫が、供物を寄越せと盛大に鳴く。

 

「おやおや、お腹が空いたのかい?」

 

「そういえば、朝ごはんがまだだったわね」

 

「まあ食料も貯金も、全部お前が作った街金への借金のせいで消えていったんだけどな」

 

「…………」

 

「まあ家具も薪も、いつの間にか膨れ上がってたお前の借金のせいで昨日全部持っていかれたんだけどな」

 

「…………」

 

「まあこの家も、裁判所に差し押さえられてるからこのままだと「ごめんなさいって! 謝ったじゃない! 借りたのは二百万だったけど後付で暴利ふっかけられたんだって説明したじゃない! あんなの詐欺よ!」

 

「逆ギレすんなこの駄女神! 二百万でも十分な大金だわ!」

 

「勝てたらまとめて返せるはずだったの!」

 

「勝ててないから借りてんだろ! せっかく無罪放免で死刑を回避したのに、このままだと凍死寸前だった馬小屋生活に逆戻りなんだぞ!? なんでこんな短いスパンで命の危機に晒されなきゃいけないんだよ!」

 

「でも仕方ないじゃない! もっと前向きに生きましょう? 報奨金だって有耶無耶になってるんだからどうしょうもないじゃない!」

 

「よしわかった。前向きに検討して、お前の部屋に隠してある酒を質屋に入れ今日の分の食費を調達する。文句ないな」

 

「ど、どうして私のベッドの下に高級なお酒が隠してあることを知っているの!? まさか忍び込んだの……? 女神の柔肌を狙って忍び込んだの……!?」

 

「お前マジか。裁判所の人からマジで隠し通したのか。俺が必死にジャージだけは許してくださいって土下座してるときに、しれっと」

 

「か、カマをかけたわねカズマ! 卑怯よ!」

 

「うるせぇ! そもそもなんでお前がギャンブルで作った借金で俺たちがひもじい思いをしなくちゃいけないんだよ! 二日連続で出廷してセナに苦い顔された代表者の身にもなれ!」

 

「仲間じゃないの!? 苦しいときに助け合うのが仲間でしょ!」

 

「お前には苦労をかけられた記憶しかないし、今回のは完全な自業自得だろ!?」

 

「まあまあ、二人とも。その辺にしておけ」

 

「そんなに暴れると余計にお腹が空きますよ」

 

 醜い言い争いをダクネスが間に入り引き剥がす。それでもなおいがみ合う二人に、仲裁に入っためぐみんも肩を落とした。

 

「喧嘩しても利息が減るわけじゃない。セナの計らいで家財を担保として差し押さえられたからこれ以上利子が膨らむこともないんだ。地道に返していこう」

 

「そうです。アンナだって見て……見ているんでしょうか? とにかく、教育によくありませんよ」

 

「……それもそうだな。もう起きちまったことは仕方ないもんな」

 

「ふふん。分かればいいのよ」

 

「お前は反省しろ。もう一発いくぞ」

 

 カズマが男女平等主義の鉄槌を構えると、アクアはひうっ、と情けない声を出して頭を抱える。頭を抱えたいのはこっちだとばかりに大きくため息をついたカズマは、居間を見回して一人足りないことに気がついた。

 

「そういやソウゴは? まだ寝てるのか? 珍しいな」

 

「いえ、ソウゴなら警察署に行きましたよ。昨日、差し押さえに来ていたセナに声をかけていたので、話があるのではないかと」

 

「あらあら。魔王様も隅に置けないわね。デートかしら?」

 

「いや、アルダープについて調べたいことがあると言っていたからその類だろう。昼頃にギルドで落ち合う約束だ」

 

「そういえば、昨日朝からあった違和感とか、裁判中に感じた変な力のことも気にしてたものね」

 

「私も変なことを聞かれました。裁判所にサキュバスは来ていたか、とかなんとか」

 

「俺も前にそんなこと聞かれたな」

 

 顔を突き合わせた四人が、色とりどりの表情を見せる。台風の目は一つだけではないと確信したカズマが、ゆっくりと息を吐きながら心中を吐露した。

 

「……なんか、嫌な予感がする」

 

「絶対面倒事よ」

 

「そうですか? なんだか冒険の匂いがします!」

 

「少し気を引き締める必要がありそうだな」

 

 四人は同じ悪徳貴族相手の大捕物を想像し、バラバラの顔で意見を交わす。この世界に来てからトラブル続きなことに涙を堪えたカズマは、嵐がまだ終わっていないという事実に肩を落とした。

 

(なんか最近、世直しみたいなことばっかしてる気がする)

 

 求めている平穏な異世界ライフから遠のいている気がしてならないカズマは、この飽きのない目まぐるしい日常に慣れつつある自分にほんの少しため息をついた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「お話の内容や状況からですと、恐らくマクスウェル様ではないでしょうか?」

 

「マクスウェル?」

 

「はい。“辻褄合わせのマクスウェル”、“真実を捻じ曲げる者”などと呼ばれる地獄の公爵のお一人です。認識がおかしくなる力ですと、その方しか思い浮かびませんね」

 

「へぇー。地獄って貴族制なんだ。じゃあ王様もいるの? 地獄王みたいな?」

 

「食いついてほしかったのはそこではないのですが……」

 

 朝方だろうといつも通り布面積の少ない過激な服装をしているサキュバスは、困ったように頬を掻いた。

 警察署帰りのソウゴはそんな反応を気にせず、地獄の貴族というものを想像しながら目の前のティーカップに口をつける。悪魔と言えど味覚は人と同じようで、茶葉の香りに心が和む。客でもないのに快く裏方に通されたソウゴは、それなり以上の歓待を受けながら情報を集めていた。

 漫画に出てくるような、角やら羽やらが生えた悪役四天王みたいなモノが紅茶を楽しむ姿を想起していると、目の前のサキュバスはその空想を払い除けるように咳払いをした。

 

「マクスウェル様は、荒唐無稽な話でも他人に真実だと思い込ませることができます。あの方と肩を並べるほどの実力者であれば、その認識の改竄に無意識で抵抗できるとは思いますが」

 

「なるほど。俺とアクアが掛からなかったのはそういうことか」

 

「貴方様と女神様でしたらそうでしょうね。あとこの街で名前を上げるとしたらリッチー様くらいかと。他にお知りになりたいことはございますか?」

 

「そうだな……。悪魔と契約って簡単にできるの?」

 

「契約する悪魔の格にもよりますが、その気になれば誰でも可能です。願いと代価の等価交換ですから、我々とお客様のようなものだと思っていただければ。悪魔はあまり契約したがりませんが……」

 

「どうして?」

 

 ソウゴの素朴な質問に、サキュバスはとても苦い顔を浮かべる。悪魔と言えば言葉巧みに人間と契約し、大きな代償を求めるイメージが強い。何かまずいこと聞いたかな? とソウゴが考えていると、彼女はとても話し辛そうに言葉を濁した。

 

「悪魔というのは、契約者が代価を支払うならどんな願いでも叶える種族です。文化として契約が重要視されています。しかし、最近は難癖をつけて代価を踏み倒そうとしたり、用済みになった悪魔をプリーストに売る人間が多くて……」

 

「あー、その、ごめんね?」

 

「我らが魔王が頭を下げるようなことでは! それに、格の高い悪魔との契約なら代価を踏み倒すことなど不可能です。強制的に徴収できるほどの力を持っているというのも勿論ですが、高位の悪魔の代価は重いので」

 

「それって、命とか?」

 

「願いによっては、要求する者もいます」

 

 サキュバスの言葉を聞いて、ふむとソウゴは顎に手を当てる。

 公爵クラスの悪魔にもなればそれ相応の代価が必要だということはわかった。そして、そんな悪魔と契約することが理屈として可能だということも。しかし、それは果たして領主にとって一冒険者の命と釣り合うものなのだろうか、とソウゴは考える。

 自身の命を捧げてまで晴らすような恨みがあるとは思えない。事実、カズマが釈放されてもデストロイヤーの報奨金三億エリスは未だにアルダープの手の中だ。それほど現世に執着した人間が覚悟を持って起こした行動だと、ソウゴには到底思えなかった。

 

(俺の視た未来でもカズマは死刑を言い渡されてる。アクアの感じてた違和感と、この未来への強制力は白ウォズの未来ノートで間違いない。でも、どの未来でも白ウォズの姿はなかった。つまり白ウォズはこの件に積極的じゃない)

 

 過程が変わっても導かれた同じ結末。自分が視たにも関わらず繰り返されようとした未来。この時間軸の不自然さの原因を、ソウゴは知っている。かつて未来を奪い合った相手が手にしていた、書き込んだ未来へと世界を導く強力なアイテム・未来ノート。その持ち主が絡んでいるところまではいい。だが、ソウゴには彼が手を貸す理由に心当たりがなかった。

 

(白ウォズの求める“救世主の未来”はこの世界じゃ手に入らないはず。なら、ここで考えるべきは白ウォズの考えじゃない。辻褄合わせなんて呼ばれてる悪魔と組ませてまで未来ノートの強制力を高めてる、アルダープの狙いはなんだ……?)

 

 アルダープの噂はある程度聞いたが、その一面から判断するなら小物の一言に尽きる。より確実な未来を手にできるようになっても、何か大それた事をするような玉ではない。今ある権力を振りかざし、領主としての義務も果たさない悪徳貴族という表現が正しいだろう。

 だがこの国の王がそれを放任し、他の貴族が尻拭いをしている現状ならソウゴは口を挟むつもりはない。それを正すのはこの国の王の為すべきことであって、統治者でない自分が関わるべきではないと弁えているからだ。

 しかし。

 

(何が狙いだろうと、俺の前に立ち塞がるのなら倒すだけだ)

 

 何にせよ、まずは仲間との情報の共有だ。対策を練ろうにも、未来ノートによる時間軸への干渉をリアルタイムで感知できるのは、今のところアクアだけ。結果さえ観測すれば未来ノートの攻略はできるが、だからといって最悪の未来を何度も視るのは御免被りたいのが本音だ。

 十分に情報を集めたソウゴは、没頭していた思考を切り上げた。

 

「ありがと、サキュバスさん。色々聞けて助かったよ」

 

「いえ、我らが魔王のお役に立てて光栄です。それでその、報酬の件ですが……」

 

 礼を告げると、彼女はもじもじと上目遣いでお伺いを立てる。何を恥ずかしがっているのか、紅茶を飲み干したソウゴは忘れてはいない交換条件の報酬を口にした。

 

「えっと、変身するところが見たいんだっけ?」

 

「はい! 本来であれば報酬を要求すること自体が烏滸がましいことですが、魔王軍幹部やデストロイヤーを葬ったと噂のお姿を一度は拝見させていただきたく!」

 

「う、うん……。別にいいけど……」

 

 前のめりで食いついてくるサキュバスに気圧されたソウゴは、何がそこまで彼女を駆り立てるのかわからないまま立ち上がった。変身の余波で辺りが吹き飛べばまた元に戻せばいいかと独りごちたソウゴが腰にオーマジオウドライバーを出現させると、サキュバスは慌てて待ったをかける。

 

「折角ですから他のサキュバスにも見せてあげてください! それほどの威光を放っておいでなら出先の者たちも帰ってくるでしょうし。さあ我らが魔王、こちらへ!」

 

「……そういえばその、“我らが魔王”ってなに?」

 

「我々サキュバス一同、感謝の意を込めて貴方様をそう呼ばせて頂いています。その、お気に召しませんでしたか?」

 

「……ううん。好きに呼んでくれていいよ」

 

「寛大なお心感謝いたします、我らが魔王!」

 

 少しだけ、前の世界の仲間がちらつく。不意に溢れてきた懐かしい気持ちを抱えて、ソウゴは手を引かれるがままに自分を待つ民の前へと歩みを進めた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「つまり、ソウゴの元敵と高位の悪魔がアルダープに与している可能性が高い、ということですか?」

 

「うん。まあ、そんな感じ」

 

「ソウゴの敵で人間ってことは、ダークライダーってことよね?」

 

「なんだよアクア。ダークライダーって」

 

「前に言ったでしょ。仮面ライダーでも死後に地獄送りになる極悪人がいるって。そういうやつらのことよ」

 

「ソウゴとやり合える極悪人の時点で勝機はかなり望み薄な気がしますが……」

 

「たぶん大丈夫だよ。白ウォズとは和解してるから、寧ろ協力してくれるかもしれないし。まあ、なんでアルダープに協力してるかわからないんだけどね」

 

「じゃあ敵対するかもしれないわけか……。勝てるのか?」

 

「もちろん。俺は俺以外の誰にも負けないよ」

 

 自信満々に答えるソウゴに、カズマは愚問だったと感じた。

 増え続けたサキュバスに散々ねだられ、何度も変身を披露したソウゴがサキュバスの店を出る頃には、太陽もすっかり登りきってしまっていた。約束の昼時を超えた酒場は閑散としており、一つくらい注文もせず席を占領しても文句は言われない。作戦会議の割には大きめの声で、アクアは提案の声を上げた。

 

「じゃあ、領主の家をめぐみんに爆破してもらって、飛び出してきた悪魔とダークライダーを袋叩きにしたあとアルダープを警察に突き出せば解決ね。よかったわ、楽そうで」

 

「いやダメだろ。まだ『かもしれない』って話なのに、本物のテロリストみたいな行動するお前の案のどこが楽そうなんだよ」

 

「そうです! 我が爆裂魔法を蟻の巣をつつくみたいな感じで使わないでほしいのです! 悪魔とダークライダーを消し飛ばす、究極の一撃を披露しますから!」

 

「おい爆裂狂。ちょっとでいいから人の話を聞け。聞いてください」

 

「高位の悪魔にソウゴの元敵を葬ったとなれば、我が爆裂魔法にも箔がつくというもの。魔王を倒し、我が最強へと至る未来も近そうですね……」

 

「そんな未来初めて聞いたんだが。爆裂狂で戦闘狂なのか?」

 

「知らないの? アクシズ教教義『悪魔殺すべし、魔王しばくべし』を」

 

「知るか。知りたくもなかったわ。宗教の教義になんて物騒なもの掲げてるんだよ」

 

「女神の信徒なんだから神敵を討ち滅ぼすくらいの気概がなくてどうするのよ。ね、めぐみん」

 

「私はアクシズ教徒ではないのですが……」

 

「ええ!? 違うの!?」

 

「でもその教義だと、サキュバスさんも俺もひどい目に合いそうだね」

 

「それもそうね。……よし、今日からは『悪い悪魔殺すべし、悪い魔王しばくべし』に変えるわ」

 

「よかった。これで安心だね」

 

「安心だね、じゃねぇよ。そもそもなんだ、そのお前の私情を色濃く反映した変更は」

 

「当然じゃない。なにせ、私がアクシズ教の崇拝する女神アクアその人なんですもの。私の思想がアクシズ教の思想よ」

 

「なんつー恐ろしいカルト集団だよ」 

 

「カルトじゃないわよ!」

 

 カズマは量産されるアクアを想像して身震いする。アクシズ教が迷惑な連中だとは風の噂で聞いていたが、仮にアクアの考え方がインプットされた人間ならその評価も頷ける。願わくば関わりたくないと女神エリスに祈っていると、ここで唯一会話に参加していなかった仲間がゆっくりと立ち上がった。

 

「みんなに、お願いがある」

 

「どうしたんですかダクネス。改まって」

 

「何? 遂にエリス教から改宗する気になったの?」

 

「ふざけないでくれ。真面目な話だ」

 

「ふざけてないわよ! 私だって真面目よ!」

 

 アクアの言葉を一蹴したダクネスは、静かに頭を下げた。その行動に、思わずカズマたちは面食らってしまう。何事かと各々が言葉に詰まっていると、頭を下げたままダクネスは言葉を紡いだ。

 

「無理を承知の上で頼む。アルダープの件は、私に任せてもらえないだろうか」

 

「どうしたんだよダクネス、いきなりそんな。顔を上げてくれよ」

 

「カズマは死刑にされかけたのだ。納得できないかもしれない。だが頼む」

 

「……何か、理由があるんだよな?」

 

「ああ……」

 

 カズマの問いかけに、ダクネスは伏し目がちに頭を上げる。その表情は迷いを多分に含んでおり、唇は躊躇いに歪む。重大な秘密を打ち明ける前のような仕草にカズマたちが息を呑んでいると、空気を読まないソウゴは静かに手を挙げた。

 

「一つ黙ってたことがあるんだけど、言っていい?」

 

「このタイミングですか!? 今ダクネスが大事な話をしようとしている今ですか!?」

 

「うん。なんか、その方がいい気がするから」

 

 先程まで苦悶の表情を浮かべていたダクネスもぽかんとしているが、きっとこれでいい。彼女の話そうとしている内容を()()()()()()知っているソウゴはこほん、と大根役者のような咳払いをした。

 

「実は俺、最近時間を戻したんだ」

 

「え、いつ? 私気づかなかった」

 

「気づかれないようにしてたからね」

 

「うわぁ、嫌な予感してきた」

 

 記憶にはないがいつも通りのへらへらとした笑みを見ていると、チートパワーを持つこの男が時間を巻き戻す理由に気づいてしまう。ダクネスたちがベルディアに斬られたときも、ソウゴが呪いを受けたときも、自分のジャージが灰になったときもそう。もうそれしか方法がないときだけなのだ。

 耳を塞ぎたいが、怖い物見たさ精神で生唾を飲む。

 

「最初、アクアがウィズに連れられて泣きながらドリスに来て驚いたよ。一緒に帰ったらカズマと、カズマの判決に抗議して爆裂魔法を撃とうとしためぐみんが処刑台送り、責任を感じたダクネスが冒険者をやめて実家に帰ってたからもっとびっくりしたけど」

 

「あ、やっぱ聞くんじゃなかった」

 

「わ、私まで……」

 

 二人は虚ろな目で首が確かに付いていることを確認する。アクアが慈しみの目で二人の背中をあやすように撫でているが、ソウゴは特に気にする様子もなく続きを語った。

 

「それで、時間を戻してモンスター討伐をさっさと済ませ、街に帰って事のあらましを調べてたんだ。割り込むタイミング完璧だったでしょ?」

 

「俺たち、本当に紙一重で生きてるよな……」

 

「この世界は弱者には過酷な世界ですから……」

 

「大丈夫よ。過去はどうであれ今は生きてるんですもの。安心なさい、二人とも」

 

「何故だろう。アクアが女神に見えるよ……」

 

「汝ら、アクシズ教に入信する気になりましたか「「それはないです」」

 

 阿鼻叫喚の絵図を作り上げたソウゴは、ダクネスに微笑みかける。カズマとアクアが喧嘩を始めるがそんな日常の風景に構いはしないソウゴは、ほんの少しの勇気が出せない彼女に向き直った。

 

「借金を押し付けられた冒険者に、迷惑宗教の女神様、頭のおかしい爆裂娘に、自分の世界から追い出された魔王。ここは君の秘密で態度が変わるようなパーティーじゃないよ」

 

「……そうだな。その通りだ」

 

 一度死んだなんて話をされても、気がつけばいつもの日常に戻っている。そんな彼らを見て、ダクネスは強張っていた表情筋が緩むのがわかった。

 息を整える。大きく吸った空気を、肩に入った力とともに吐き出す。いくらか軽くなった体で、今度は真っ直ぐ前を向いた。

 

「皆、聞いてほしい話がある」

 

 迷いのない澄んだ声が、暴れていた三人の視線を集める。居住まいを正した三人が各々の席に座ると、覚悟を決めたダクネスはしっかりとした声で打ち明けた。

 

「私の本名は、ダスティネス・フォード・ララティーナという。そこそこ大きな貴族の生まれだ」

 

「ダスティネス!? そこそこ大きいどころか、名家中の名家ではありませんか!」

 

「え、じゃあダクネスの家の子になれば借金問題もチャラになるの?」

 

「アクアはちょっと静かにしてようね」

 

「いつもは騎士っぽい真面目くさった態度なのに、ララティーナなんてかわいい名前してたのか。ララティーナ(笑)」

 

「ら、ララティーナって言うな! その、黙っていて悪かった。お前たちにはいつか話そうと思っていたのだが……」

 

 ダクネスはもじもじと居心地が悪そうに身を捻る。出生を黙っていたことで後ろめたい気持ちを感じているのか、それとも本名を晒したのが恥ずかしかったのかはカズマにはわからない。前者だと思ったのか、めぐみんはすっと手を挙げた。

 

「いえ、驚きはしましたが構いません。ところで、それとアルダープに何の関係があるんですか?」

 

「……ちょっと待て。ダスティネスって確か、アルダープの悪事を黙認してるって貴族じゃなかったか?」

 

「黙認しているわけでは断じてない! ……ただ、決定的な証拠が今まで見つからなかったのだ」

 

 カズマの発言に、ダクネスは悔しそうに拳を握る。自身の特殊性癖を除いても、戦闘において先陣を切り盾として仲間を守ろうとする彼女の姿を思い出す。仲間思いで、それでいて騎士として人々を守ることに誇りを持つ彼女が悪徳貴族を野放しにしていて平気だとは、この場にいる全員が思えなかった。

 その証拠に、ダクネスは怒りの滲む表情で歯を食いしばる。

 

「だが、ソウゴの話で理由がわかった。悪魔の力で証拠を隠滅しているのなら、その悪魔を引き剥がせばアルダープに報いを受けさせることができる」

 

「それで、具体的なプランは?」

 

「私がアレクセイ家に探りを入れる。自慢ではないが、やつは私が幼少の頃より偏執的な執着を見せているから懐に潜り込むのは容易いはずだ。必ず悪魔やお前の元敵の情報を掴んでくる」

 

「そんなの危険ですよ! アクアやソウゴは悪魔の力を感知できますが、ダクネスだけではロリコンハゲオヤジにひどい目にあわされるかもしれません!」

 

「お前まさか、望んで凄いことをされに……?」

 

「ば、馬鹿か! そのくらいの分別はついているわ!」

 

 羞恥に頬を染めたダクネスが咳払いをする。いつもの空気に戻ってしまいそうだった自分を引き止めた彼女は、凄いことの妄想を首を振って振り払い凛々しい表情を作り直す。

 

「これは、これまで悪徳領主を野放しにし領民に苦しい思いをさせた、貴族である私の果たすべき責務なのだ。お前たちを一度死なせた責任もある。頼む。この件、私に任せてくれ」

 

 深々と頭を下げたダクネスに、カズマたちは返答を濁した。正直、勘付かれたアルダープに悪魔の力でやり込められる姿しか想像できないが、どれだけ諭してもダクネスは梃子でも動かないだろう。どうしたものかと迷っていると、ソウゴはいつも通りの様子で口を開いた。

 

「いいんじゃない? それがダクネスのしなくちゃいけないことならさ」

 

「ソウゴはダクネスがどうなってもいいんですか!?」

 

「いいわけじゃないよ。でも、ダクネスにはその覚悟があるんでしょ?」

 

「……ああ。どんなことをされようと、私は屈しない」

 

「ララティーナお前、やっぱ性癖優先してるだろ」

 

「し、してない! あとそっちの名前で呼ぶな!」

 

「覚悟があるなら俺はいいと思うよ。俺も仲間は心配だけど、上に立つ者の義務も大事だからさ」

 

 みんなはどう思う? そう問いかけられても、やはり三人はあまりいい顔をしない。仲間が一人で分の悪い戦いに挑もうというのだ、それを快く送り出すような人間がいないことを、ダクネスもソウゴも理解している。それでも譲れないダクネスは、再度頭を下げた。

 

「この通りだ。頼む」

 

「……やばくなったら帰って来ること。無理そうならすぐに俺たちに助けを求めること。俺から出す条件はそれだけだ」

 

「ダクネスが決めたことなら、私達が無理に引き止めても仕方ないわよね」

 

「そんな……! 二人ともいいんですか!?」

 

「いいわけないだろ。でも、反対し続けたってこの脳筋女はいつか一人で突っ走るだろ」

 

「それはまあ、そうですが……」

 

「なら、何してるかこっちで把握しておけば対処はできるさ。あの領主のオッサンもぶん殴りたいが、俺たちは膨らんだアクアの借金も返さなくちゃいけないしな」

 

「てへっ☆」

 

「お前の場合、かわいこぶっても怒りしか湧いてこないな」

 

 カズマたちの言い分を聞いても、めぐみんはやはり不満げな表情を崩すことはなかった。全員、彼女が人一倍仲間思いであることを知っているので無理強いをするつもりはない。すると、納得がいかないながらも気持ちを飲み込んだのか、めぐみんはダクネスのアンダーウェアをぎゅっと握る。

 

「……わかりましたよ。ダクネス、ちゃんと帰ってきてくださいね? 我々はずっと家で待ってますから」

 

「勿論だ。家名に誓おう。それに、私の帰る場所はここしかないさ」

 

「なら、私がとびっきりの〈ブレッシング〉をかけてあげるわ。女神の〈ブレッシング〉なんだから効果絶大よ」

 

「それ本当に効果あるのか?」

 

「当たり前じゃない! バッチリよ!」

 

 不幸にも借金を増やした女神が、自信満々に親指を立てた。どこからその自信が湧いてくるのか頭を抱えたカズマに、アクアはさらなる頭痛の種を植え付けてくる。

 

「さあ、今からはダクネスの激励会よ! いっぱい飲みましょう! すみませーん! 注文いいですかー?」

 

「お前なぁ……。まあ、今更飲み代一回分くらい借金が増えてもいっしょか」

 

「安心してよ。俺も頑張って稼ぐからさ」

 

「それだけが頼みの綱だよほんと……」

 

 アクアは注文を終えると〈花鳥風月〉を披露し辺りを水浸しにしていく。後の掃除までセットになった現実にがっくりと肩を落としたカズマを見て、ダクネスはくすりと微笑んだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「クエストが受けられないってどういうことですか!?」

 

「それが、どういうわけか昨日の昼ごろからモンスターが姿を隠しているみたいなんです。まるでデュラハンが城に住み着いていた時みたいで……」

 

 翌日。早速行動を起こすため実家へと帰省するダグネスを見送った四人は、借金返済のためソウゴを連れて冬のクエストに挑もうとギルドに集まっていた。しかし、クエストボードにはいつもびっしりと貼ってある依頼書がほとんどなかったのだ。そこで受付に確認すれば開いた口が塞がらないような始末だった。

 詰め寄るカズマと眉を垂らすルナの会話を聞いていたソウゴが、隣のめぐみんに耳打ちする。

 

「ねえ、ベルディアの時みたいってどういうこと?」

 

「あのデュラハンがここの近くの廃城に住み着いていたせいで、それを恐れた弱いモンスターたちが身を隠してしまい仕事が激減した時期があったんです」

 

「ふーん。じゃあ、魔王軍幹部クラスのモンスターが近くに現れたってこと?」

 

「いえ、我々ギルドも調査をしているんですが、これといった情報もなくて困っているんです。それどころか、前回は活動していた危険度の高いモンスターまで離れてしまっているようで……」

 

「雪精まで姿を消しているの?」

 

「はい。森の雪が溶けて早めの春が訪れているので間違いありません。その代わり、サムイドーの方に逃げているようで向こうは大変みたいですね」

 

「サムイドーってどの辺り?」

 

「北へ歩いて三日くらいかかる山奥よ。獣人が住んでいて、年中雪が積もっているわ」

 

「三日か。ちょっと遠いね」

 

「冬将軍がそこまで後退するとは、よほどの怪物が現れたということでしょうか」

 

「そんな……。ソウゴがいればニ千万なんて金、雪精討伐で冬将軍にリベンジしてサクッと返せると思ってたのに……」

 

「今は雪精どころかモンスター自体がいないとは。無償労働で春先に出てきそうなモンスターは討伐済みですし、皮肉なものです」

 

「遠征すれば仕事はあるけど、ダクネスのこともあるしあまりこの街から離れるのもね」

 

「チクショォ……! 本当にこの世界はうまく行かないなぁ……!」

 

 涙と怒りが混ざりあったカズマは、どこに向ければいいかわからない感情を吐き出す。しかし転んでもタダでは起きない男は、何かを閃いたのかパッと表情を明るくした。

 

「なあルナさん、これって原因突き止めたら報酬とかでないのか?」

 

「そうですね……。有益な情報なら、いくらかで買い取らせていただきますよ」

 

「よし、ならまずは原因の調査だな」

 

「調査って簡単に言うけど、サキュバスやギルドでもわからないのに宛はあるの?」

 

 アクアの心底不思議そうな意見に、やれやれと首を振ったカズマはぐいっと仲間たちに顔を近づけ声を潜めた。

 

「(あるだろ? 俺たちにはサキュバスさんたちとは違う情報源が)」

 

「(……ああ、なるほど)」

 

「(ウィズなら何か知ってるかもね)」

 

「(そういえばあの子、魔王軍幹部のリッチーだったわね。忘れてたわ)」

 

「というわけで、ルナさん。期待しといてくれよ!」

 

 

 

 

 

 思わぬ臨時収入だと意気揚々とギルドの扉を開けて出ていったカズマだが、彼らはすっかり忘れていた。自分たちの隣に、魔王軍幹部すら赤子のように扱う『よほどの怪物』がいたことを。

 数分後、確かに原因を突き止めたカズマたちはギルドに帰ってきた。そして、ソウゴとともにそれはそれは美しい日本の和の心(どげざ)で悪質なマッチポンプを謝罪したことは、これから先アクセルの街で語り継がれる逸話の一つとなったのだった。

 

 

 

 サトウカズマパーティー 借金総額:二千八百万エリス




監視対象に関する報告書 二日目



昨日に引き続き、モンスターの討伐に精を出す。街でも凄腕の冒険者がやってきたと話題である。魔王を名乗るだけあって人心掌握の術に長けているのかと思いきや、自ら魔王と名乗って住民たちから奇異の目で見られていた。何がしたいのかいまいちわからない。
気づいたことがある。人語を解するモンスターとは和解しているようだ。街で得た情報を元に生息地を変えるよう説得している姿をよく見かける。モンスターも自らの民であると豪語するだけあって優しいところが配下を増やそうとしている可能性がある。穏やかな寝顔に騙されないよう、引き続き監視の目を強めることとする。


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この紅魔のぼっちに決着を!

「春眠暁を覚えず、だねぇ……」

 

 変わり映えのない平原を眺めるソウゴは、隠すこともなく大きなあくびをした。

 小鳥のさえずりが、心地の良い午後をソウゴに知らせてくれる。この世界の暦上はまだ冬のはずだが、寒波を運んでくる雪精は一身上の都合で親玉の冬将軍と共に長期旅行中。巷で有名らしい『戻りブロッコリー』なる雪原を闊歩するブロッコリーの大群という謎の現象も、それに連れ立って現れるモンスターも一身上の都合で鳴りを潜めているためか、ここ数年で一番仕事がない長閑な時間がアクセルの街には訪れていた。

 

「カズマがカツオみたいなもんって言ってたけど、ブロッコリーとカツオは違うよねぇ……」

 

 サンマが畑で取れたり、野菜が空を飛んだりするという話を聞いたことがあるが、どれもソウゴにとっては見たことのない眉唾物の与太話だ。新鮮な野菜が意思を持って動くことにすら未だ慣れていないのだから、初だの戻りだのと言われても違和感しか仕事をしない。

 

「食べ物のこと考えてたらお腹空いてきちゃったな。お昼は見回りついでに屋台で買い食いしようかな」

 

 財布の中身を思い出し、交代まで腹の虫を宥めておく。いくらお腹が空こうと、眠かろうと、セナに交渉して勝ち取った守衛のバイト(大事な収入源)をサボるわけにはいかないのだ。働くということの大変さを知ると、前の世界でのおじさんの有り難みが身に染みる。

 ソウゴは、眠気と食い気を振り払うため大きく伸びをし、違うことを考えることにした。

 

「そういえば、冬に冬将軍がいるなら春にも何かいるのかな。春一番、とか?」

 

「それ以上考えるなよソウゴ。そういう迷惑な発想が、このろくでもない世界にろくでもないモンスターを生み出すんだぞ」

 

 独り言に答えが返ってくる。聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはよく見知った仲間が二人立っていた。春の陽気に当てられて、いつもよりのんびりとした笑みを浮かべるソウゴは穏やかな口調で声を返す。

 

「あ、カズマにめぐみん。二人とも今から爆裂散歩?」

 

「ええ! 春に相応しい絢爛豪華な、轟音鳴り止まぬ爆裂の華を咲かせてみせましょう!」

 

 爆裂散歩。それはめぐみんの爆裂欲を満たすため主にカズマ同伴の元、爆裂魔法を撃っても迷惑にならないところまで遠出する行為のことである。ソウゴがこちらの世界に来る少し前から始まった日課であり、ベルディアが怒り狂ってアクセルの街に攻め込んできた原因でもあるが、その日課だけはダクネスが潜入調査をしている今でも変わることはない。

 活き活きとしているめぐみんとは対照的に、疲労からかげんなりとした表情のカズマはため息混じりにぼやいた。

 

「ったく、一日一爆裂がしたいなら一人で行けよな」

 

「そうすると、誰が私を運んで帰ってくれるのですか」

 

「あはは。まあ、たまには息抜きしなきゃね。借金のためとはいえ働き詰めはよくないよ」

 

「たまにって言うか毎日だし。俺は休んだ気にならないんだが」

 

「何を言うのですカズマ! 爆裂魔法は最高の癒しではありませんか!」

 

「それはお前だけだ。ソウゴ、アレ貸してくれよ」

 

「はいはい」

 

 催促されたソウゴは、懐から一つのライドウォッチを取り出す。『バイク』とだけ書かれた、これまでの仮面ライダーのライドウォッチとはどこか違うそれをソウゴが起動させると、手のひらサイズだった時計型デバイスは瞬く間にカズマのよく知る大きさの二輪車へと姿を変える。展開されたライドストライカーを見て、めぐみんはキラキラと目を輝かせた。

 

「うはー! この『ばいく』という鉄馬の魔道具はいつ見ても素晴らしいですね! 動かす時の音もさることながら、何と言っても風と一体になる感覚が……! 動力は、やはり風の魔法なのでしょうか?」

 

「そういや、この世界にガソリンってないよな。整備もできないのにどうやって動いてるんだ?」

 

「さあ? でも動くしいいんじゃない?」

 

「ほんと、この魔王はいつもアバウトだよな」

 

「私も〈運転〉スキルさえあれば、この魔道具でどこまでも走れるのですが……。カズマはズルいです!」

 

「ま、最弱職の特権ってやつだな。出自不明のスキルすら獲得できるし」

 

「そもそもこれはマジックアイテムじゃないんだけどね」

 

「いや、質量保存の法則とか完全に無視してるから魔道具よりよっぽど魔法の道具だぞ」

 

 ソウゴにツッコミを入れるカズマは、フルフェイスのヘルメットを被りライドストライカーに跨がった。

 運転方法を説明されたあと冒険者カードに現れた〈運転〉スキルを獲得してからというもの、めぐみんとの爆裂散歩の移動手段はもっぱらこれになっていた。この世界は舗装されていない砂利道ばかりなので普通のバイクなら危険な道中だが、その点ソウゴの愛機は悪路でも問題なく走行できる機能が付いているため重宝されている。ネックなのは最大搭乗人数が二人までなことだが、馬より早く移動できることと爆裂散歩の内容を踏まえればデメリットにはなりえない。

 

「こいつのおかげで、長い時間かけて往復しなくて済むから助かるよ。もっと早く借りとけばよかったな」

 

「めぐみんの爆裂魔法も威力が上がってるから、今までの距離だと街の人からクレームくるしね」

 

「他の守衛さんならまだしも、ソウゴに怒られるのはもう嫌なのです……」

 

「他の守衛さんにも悪いと思えよ」

 

「ねぇ、俺そんなに注意の仕方キツかった……?」

 

「「何をやらかしても穏やかに注意されるから、内心で何考えてるかわからなくて後が怖いだけ」です」

 

「それ本人に言うんだ。いや、聞いたの俺だからいいんだけどね」

 

 うだうだとやりながらめぐみんもヘルメットを被り、杖と帽子を抱えて後部座席に座る。カズマの服をちょこんとつまむと、それが準備完了の合図である。グリップをひねりエンジンを何度か吹かせ問題ないことを確認すると、カズマとめぐみんはソウゴに親指を立てた。

 

「そんじゃ、行ってくるわ」

 

「いざ行かん、爆裂道の果てまで! 進め、ちゃんばる号!」

 

「人様の乗り物に変な名前をつけるな!」

 

「あはは。気を付けてね」

 

 軽妙なエンジン音と共に、二人を乗せたちゃんばる号は地平線の彼方へと消えていく。あっという間に見えなくなった二人の影を眺めていたソウゴは、元の世界ではあまり日の目を見なかった愛機の活躍にしみじみとした感傷に浸っていた。

 

「……ちゃんばるってなんだろ」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おっちゃん。串焼き三つ頂戴」

 

「お。王様の兄ちゃんじゃないか。この間は家内が助かったよ」

 

「いいよいいよ。民を助けるのは王として当然だからさ」

 

「アッハッハッ! なら、これは民からの年貢だ。一本オマケしとくよ」

 

「ほんと? ありがと! 何かあったら言ってね」

 

 店主からオマケしてもらった串焼きを握りしめ、空いたベンチを探しながら広場をふらつく。タレの香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、食欲が刺激されるのがわかる。この世界にも随分と馴染んだものだと感慨に耽りながらランチタイムの場所を見定めていると、見慣れない黒髪の少女がベンチでため息をついているのを見かけた。

 観光客、のようには見えない。どちらかと言えば羽織っている魔法使いのようなローブは、めぐみんが身に着けているものと似ている気がする。そして何より、ソウゴの目に写る魔力は常人のそれを超えていた。

 

(結構レベルの高い冒険者、かな?)

 

 だとすれば、仕事がなくてため息をついているのだろうか。チクリと良心を刺す痛みが、ソウゴの足を動かした。

 

「元気ないね、どうしたの?」

 

「へ?」

 

 ソウゴが声をかけると、少女は声をかけられたことに驚いたのか目を見開いて顔を上げた。俯いていてわからなかった、輝く真紅の瞳がソウゴの姿を捉える。潤んだ瞳は緊張しているのか、幼さの残る表情も強張っていて、怯えているようには見えないがどうも堅苦しさが拭えない。その特徴的な目の色に、ソウゴの知識が納得と答えを導き出した。

 

「紅い瞳の魔法使いってことは、君も紅魔族?」

 

「は、はい……」

 

「隣座るね」

 

 返事も待たず腰を下ろしたソウゴは「いただきます」と一言呟くと串焼きにかぶりついた。この世界はアクアの雑な采配で日本人の流入が多かったためか、食材こそ馴染みはないがどことなく日本で食べたことがあるような味で安心する。空腹に染み渡る懐かしの味は、この街の安い美味い早いを牽引しているのだ。ちらりと隣を見ると、彼女は物珍しげに串焼きを見つめていた。

 

「食べる?」

 

「え、いいんですか?」

 

「うん。オマケしてもらったから、遠慮しなくていいよ」

 

 一本受け取った彼女は「いただきます……」と遠慮がちに会釈をして、恐る恐る口をつけた。すると気に入ったのか少し頬を綻ばせ、赤いリボンを揺らし熱心に咀嚼する。紅魔族というのは変わり者が多いと聞いていたが、小動物のような彼女を見る限りめぐみんが突然変異なのではないかと疑いたくなる大人しさだった。

 見た目から推測するに、年齢はめぐみんと変わらないか、少し上くらいの印象。紅魔族ということは例に漏れず彼女もアークウィザードだろうが、爆裂魔法以外覚える気のない彼女と違い、上級魔法を操るのがデフォルトらしい彼ら彼女らがこの駆け出しの街にいることに違和感を覚える。

 そこで、ソウゴの頭の中にあった情報がピンと仮説を弾き出す。

 

「紅魔の里って今、魔王軍の攻撃を受けてるらしいね」

 

「え、は、はい……」

 

「でも、里の住人みんなが上級魔法の使い手だからそれほど鬼気迫る感じじゃないって聞いたけど」

 

「はい、そうですね。里のピンチって感じではないです」

 

「そうなんだ。てっきり、侵攻がすごくて避難してきたとかなのかなと思ってたんだけど」

 

「い、いえ。私は私の用事で……」

 

「用事? ため息と何か関係あるの?」

 

「あ、はい。その、人を探してて……」

 

「人探しか……。手伝おうか? あんまりこの街に慣れてないみたいだし」

 

「いいんですか!?」

 

 おどおどと返答をしていた彼女の顔が、串焼きのときより明るくなる。身を乗り出して食いついてきたところを見るに、どれほど時間をかけたかはわからないが随分と探し回ったのだろう。連絡手段がないと不便だなぁ、などと考えながら二本目を頬張ると、彼女はハッとして首を横に振った。

 

「い、いえ! 大丈夫です! 唯一無二のライバルを人に頼って探し出すなんてダメですから!」

 

「そう? 君がいいならいいけど、友達と約束してるんじゃないの?」

 

 そう言うと、彼女はポカンとした顔で固まってしまった。何かおかしなことを言ったかと自分の言葉を振り返っていると、少女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔でぽつりと言葉を溢した。

 

「とも……だち……?」

 

「え、違うの? 唯一無二のライバルって友達のことでしょ?」

 

「うぇ、えっと、あの子は終生のライバルですけど、友達とは違うっていうか、でもでも傍から見て友達ならそれはもはや友達……? 学校帰りに遊んだりしてないし、ずっと勝負しかしてなかったけど友達なの?? でもめぐみんは超えるべき壁で、でも私が仲いいと思ってるだけで向こうはどうかわからないし、そもそもどこからが友達……!? わ、私に友達がいた???」

 

 混乱しているのか、目をぐるぐると回し、顔を瞳よりも真っ赤に染めた彼女は頭から煙を出してうわ言のように言葉を吐き出し続けている。呆気にとられるソウゴを一人置いて思考回路がショート寸前な彼女は、ぶんぶんと腕を振り串焼きのタレを辺りに撒き散らしながら合わせて首も大きく横に振った。

 

「どうやら違います! たぶん友達じゃないかなって! きっと!」

 

「言葉がめちゃくちゃだよ」

 

 指摘された彼女は、串焼きの残りを口に押し込むとソウゴに頭を下げてぴゅーっと駆けていってしまった。一人残されたソウゴは、やっぱり紅魔族って変わってるのかも、という感想を抱きながら三本目に口をつけた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「…………っていうことがあったんだよね」

 

「ほう。それを私に言うということは」

 

「どう考えてもめぐみんの知り合いだろ」

 

 夕食のハンバーグを囲みながら不思議な出会いの話をすると、少しだけツンとした態度のめぐみんは興味なさげに付け合せのじゃがいもを齧る。

 

「知らない人ですね。紅魔族と一口に言っても、全員を把握しているわけではありませんし」

 

「そうなの? 唯一無二のライバルって言ってたし、めぐみんの名前も知ってたから、てっきり友達なんだと思ってたんだけど」

 

「余計に知りませんね。ご飯をもらっておきながら名前も告げず、お礼も言えないコミュ障ぼっちが私のライバルなんてちゃんちゃらおかしな話です」

 

「ま、めぐみんがそう言うんならそうなんだろうね」

 

「いや、絶対こいつの関係者だろその子」

 

「うるさいですよカズマ」

 

 何か思うところがあるのか、めぐみんは不満げにハンバーグに齧り付く。どうも誤魔化すのが下手な少女は、不機嫌そうなポーズを取ることでこの場を収めることにしたようだ。

 だがそんなことを察せるわけもないアクアが、フォークでくるくるとにんじんをこねながら疑問を投げかけた。

 

「でも、同世代なら学校で一緒だったんじゃないの?」

 

「学校? 紅魔の里って学校があるのか?」

 

「やけに食いつきますねカズマ。ありますよ。そして何を隠そう、紅き牢獄にて一番の成績を納めし者とは我のこと!」

 

「お前が学校で一番? 冗談は爆裂魔法だけにしとけよ」

 

「爆裂魔法は冗談などではありません!」

 

「めぐみんの魔力量的に、魔法の勉強をする学校ならそれくらいでもおかしくないと思うけど」

 

「やはり、魔王にはわかってしまうのですね……。我が秘められし新なる力が」

 

「まあ、秘められてないし俺は見えるしね」

 

「強者にしか感じることのできない最強の片鱗……ッ! 伝説は既に始まっているということですね……。それなのに凡人ときたら」

 

「誰が凡人だ。本気出せばすごいカズマさんを舐めるなよ」

 

「そっとしておいてあげてめぐみん。ヒキニートのカズマさんは学校に嫌な思い出しかないから……」

 

「ほほう、知ったふうな口を利くじゃないかアクア。俺にだって楽しい記憶くらいあるわ。あとヒキニート言うなよ駄女神」

 

「でも、結婚の約束をしていた幼馴染が不良の先輩と仲良く二人乗りしていたのが、引きこもりの原因で学校生活最後の思い出じゃない」

 

「俺にプライバシーは無いのか!?」

 

 過去を勝手に暴露され憤慨するカズマはアクアの皿からハンバーグを強奪する。そこからいつも通りギャーギャーと始まる取っ組み合い喧嘩を横目に、少し拗ねたようなめぐみんを眺めていたソウゴはじゃがいもを口へ放り込んだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 翌日。いつも通り、穏やかな昼下がりにあくびをする。そろそろ爆裂散歩の時間かとちゃんばる号のウォッチを手のひらで遊ばせていたソウゴは、背後に大きな魔力を感じて振り返った。

 

「あれ? 君は昨日の……」

 

「き、昨日はいきなり逃げてすみませんでした!」

 

 深々と頭を下げた紅魔の少女は、地面を向いたまま静止してしまった。まさかわざわざ謝るために探しに来たのかと思うと、その律儀さに感心する。そんな彼女にいつも通りへらへらとした笑みを浮かべたソウゴは、ぱたぱたと手を振った。

 

「気にしないで。俺も気にしてないし」

 

「ありがとうございます……。あの、お仕事の邪魔でなければ、お隣いいですか……? わ、私、この街に来たばかりで知り合いがいなくて! 話を聞いてもらうだけでいいので! 絶対にお邪魔しませんから!」

 

「別にいいけど……」

 

「ありがとうございます! 親切な守衛さん!」

 

 そういえば名乗るタイミング失っちゃったな、とぼやっと考えていたソウゴの隣に、早口でまくし立て遠慮がちに並んだ彼女は、緊張しているのかもじもじと身をよじらせていた。その様子は、話しかけてほしいが自分から話しかけるのに躊躇いを感じているような、めぐみんの“コミュ障ぼっち”という表現が的を得ている様子。

 まあ全部黙ってる方が面白いか、と結論を出したソウゴは、二人が来るまで雑談で時間を潰すこととした。

 

「そういえば、ライバルは見つかった?」

 

「いえ……。冒険者ギルドで待ってたんですけど、全然現れなくて……。クエストも遠方のものばかりだし、遠征してるのかなって……」

 

 悲壮感漂う発言に、やはり良心が痛む。自分たちはここ最近、主に自分のせいで受けられるクエストがかなり減っているためギルドには顔を出していないのだ。というか、アクアの借金問題があるため出す余裕がない。カズマとアクアは馴染みのある現場仕事、めぐみんはその料理の腕前を買われ喫茶店で、それぞれバイトに精を出している。

 しかし、めぐみんが「知らない」と言い切っている以上それを教えることはない。

 

「そのライバルの子って、この街にいるの?」

 

「それは間違いありません! この街に爆裂魔法を使う頭のおかしい紅魔族がいるって話を耳にしたので!」

 

「うん、確かにいるけどライバルのこと頭のおかしいって通り名で認知するのやめてあげようね」

 

「そ、そうですよね……。でも、紅魔族でも爆裂魔法なんていうネタ魔法を覚えるのは私のライバルしかいませんから!」

 

「そうなんだ。因みにだけど、そのライバルと会って君はどうするの? ただ会いたいだけじゃないでしょ」

 

「ふぇっ!? えっと……」

 

 もごもごと恥ずかしそうにまごつく姿を見て、ソウゴはなんとなく彼女に昨夜のめぐみんの姿を重ねてしまう。ただ素直になれない、誤魔化すのが下手な少女の姿を。

 少し迷うように目を閉じた彼女は、意を決したように口を開いた。

 

「……私、あの子とは決着をつけなくちゃいけないんです」

 

「決着?」

 

 予想外の言葉にソウゴが聞き返すと、羞恥に頬を染めた彼女はコクリと頷いた。

 

「私は、めぐみんに勝って紅魔族で一番の魔法使いにならなくちゃいけないんです。何れ紅魔の里の長となる者として。……あ、めぐみんっていうのはそのライバルの名前なんですけど」

 

 慌てて注釈を入れた彼女の瞳は、決意に満ちた紅色に輝いていた。冷たい態度を取りながらも付き合いのいいめぐみんに、それがわかっているこの少女の関係。目標を語る彼女の顔つきに、青春だなぁと年寄りのような気持ちが芽生える。

 ただ、自分たちを重ねるにはあまりにも優しい関係だった。

 

「決着をつけるって、何か勝負でもするの? 魔法の?」

 

「それが一番いいのかもしれません。でも、これまでも色々な勝負をしてきたので、折角だからこの街でしかできない勝負をと!」

 

「へー。これまでどんなことしてきたの?」

 

「学生の頃は成績、小テスト、料理、あとはゲームとか、その場で思いついたものですね」

 

「それで互角なんだ」

 

「めぐみんが卑怯な手を使ってくるんです! だから毎回……」

 

「引き分けなの?」

 

「…………そ、それでこの街での勝負内容なんですけど!」

 

(あ、負け越してるんだ)

 

 卑怯な手とはいえ、何度も負けているのならそれは既に決着がついているのでは? という言葉を飲み込み、なんだかんだ付き合いのいいめぐみんについ笑みが溢れてしまう。そんなソウゴを気にすることなく、彼女は自分の考えた勝負内容を語り始めた。

 

「これまでは主観だったから良くなかったんです。客観的に見れる立会人がいれば、めぐみんも卑怯な手は使えないはず」

 

「なるほど」

 

「そこで、この街には“魔王”を名乗る冒険者がいるという噂を耳にしました」

 

「…………いるね。うん、いるよ」

 

 唐突な爆撃につい出そうになった「目の前に」という言葉を飲み込み、平静を装う。嫌な予感がして口を噤んだソウゴの仕草を肯定的な意味合いで受け取ったのか、彼女は今までで一番饒舌だった。

 

「やっぱり! 魔王軍幹部をカツアゲしたとか、モンスターを従えて君臨する第三勢力だとか、命を弄ぶ神の仇敵だとか!」

 

「うわぁ、この話の盛られ方にすごく既視感を感じる」

 

「そんな魔王って人に二人で挑んで、先に倒した方が勝ち! どうですか?」

 

「モンスターの討伐クエストと間違えてない?」

 

 おどおどした喋り方からは想像もできないくらい好戦的な発言に、思わずたじろいでしまった。いつものヘラヘラした笑みが、今では苦笑いだ。このままではこのキラキラと目を輝かせる戦闘民族たちに上級魔法と爆裂魔法の的にされてしまうため、やんわりと軌道修正せねばと知恵を絞る。

 

「噂を鵜呑みにしちゃいけないよ。この街でそんな話聞かないでしょ?」

 

「そうですか? 冒険者ギルドでも皆さんが話しているのを聞いたんですけど……」

 

「それ誰? 詳しく教えて」

 

 このままでは話が要らぬ方向に脱線してしまう。妙な噂をしている冒険者は後で見つけるとして、咳払いをしたソウゴは一度空気をリセットする。

 

「他にはないの? もっとこう、人のためになるような」

 

「人のため……」

 

 素直な性格なのか、ソウゴの言葉にまた思考を巡らせる彼女。あわよくばこれ以上トラブルの種を撒かないで済む方法を思いついてくれないかと祈るが、どうやらエリス様は見てくれていなかったようだった。

 

「そういえば、この街には白昼堂々と女性の下着を〈窃盗〉するクズマという方がいるそうなんです」

 

「え、そうなんだ」

 

「そのクズマって人を捕まえ懲らしめた方が勝ち! 世のため人のためにもなって一石二鳥です!」

 

「それは俺の仕事な気がする。もっと穏便な感じで」

 

 帰ったらお説教しなきゃ、と心中で呟いたソウゴに、少女はむむむと眉間にシワを寄せる。しかし、切り替えの早い彼女は妙案を閃いたのか表情を明るくした。

 

「じゃあ、デストロイヤーの結界を破壊したという凄腕のアークプリーストさんにお願いして、神様に決めてもらうとか!」

 

「絶対にろくな事にならないからやめておいた方がいいよ」

 

「じゃあじゃあ、王国一の硬さと噂のクルセイダーさんを負かした方が!」

 

「喜んで協力してくれそうだけど、その人は今いないから無理だと思う」

 

「もう! じゃあ守衛さんは何だったらいいと思うんですか!?」

 

 自分たちがそこそこ有名な、どちらかと言うと悪目立ちが過ぎることがわかりこの機会に少し大人しくしようと誓う。客観的に見るって大切なんだなぁと教訓を得たソウゴは、この紅魔の娘が納得できるような代案がないかと思考を巡らせた。

 

「大食い勝負とか、体力勝負とか?」

 

「雌雄を決する大一番で地味なのは……。折角の運命的な再会ですから、めぐみんも乗り気になるようなもっと血湧き肉躍る的な……」

 

「うん。大人しい子だと思ってたけど、君も紅魔族だったね」

 

「それどういう意味ですか!?」

 

 パーティーメンバーが一族のはみ出し物でないことがわかり一安心するが、それとは別に目の前の思っていたよりめぐみんな少女に頭を悩ませる。できれば罪滅ぼしとして勝負のお膳立てくらいはしてあげたかったが、紅魔族がここまで好戦的な種族だったとは想定外だった。

 どうしたものかと首をひねっていると、ソウゴは背後に迫る人の気配にタイムリミットが来たことに気がついた。

 

「何をしているんですか、ソウゴ。まあ、こうなるだろうとは思っていましたが」

 

「あれ、めぐみんも未来が視えるの?」

 

「未来など視ずとも、他人との距離感がわかっていない陰キャぼっちが唯一話しかけてくれた相手にべったりになるのはわかっていましたから」

 

「こっちも辛くなるからそれ以上はやめろ」

 

 酷い言い草だと思う反面、この少女のことをそこまで理解していることに感心する。きっと久々に会える友人に対する照れ隠しなのだろう。そう思い振り返ると、そこには想像より不機嫌な顔をするめぐみんが立っていた。

 

(あれ? なんか思ってたのと違う気がする)

 

 友人との再会を喜ぶ、というような態度ではなかった。彼女からは目に見えて負の感情が漏れ出している。例えるならば、好物を取られ拗ねてしまった子どもの様な雰囲気である。

 そんなソウゴの疑問など露知らず。ソウゴとめぐみん、そしてその隣りにいる訳知り顔のカズマの順に視線を右往左往させる紅魔の少女は、状況を理解できたのかできていないのか、咳払いをすると腰に手を当て胸を張った。

 

「ひ、久しぶりねめぐみん! 今日こそは長きに渡る決着をつけるわよ! ていうかその、この親切な守衛さんと知り合いだったの……?」

 

「『親切な守衛』……? ソウゴ、自己紹介はまだしてなかったのですか?」

 

「うん。お互い名前知らないし」

 

「どうしたんだよ。ソウゴが名乗らないなんて珍しいな」

 

「その方が面白そうだったから」

 

「お前も随分とこの世界に馴染んだよな……」

 

 めぐみんは大げさなため息をつき肩を竦める。随分と勿体ぶった態度を取る彼女は、非常に冷めた目に彼女を写した。

 

「嘆かわしいですね。まさか、二日連続で話し相手になってもらっておきながら自己紹介もまだとは。……ではまず、この自称ライバルに名を名乗ってもらいましょうか」

 

「えぇ!? めぐみんが紹介してくれたらいいじゃない!」

 

「嫌ですよ。そもそも、いくらでも時間があったのに対人関係における基本中の基本すらしていなかったあなたの落ち度ではありませんか」

 

 そう言い、めぐみんは少女に睨みを利かせる。反論できなくなったらしい彼女は羞恥で身を縮こまらせていたが、やがて腹を括ったのか目を潤ませながらも声を荒らげた。

 

「わ、わかったわよ! やるわよ! 人前で恥ずかしいけど……!」

 

 頬を朱に染めながらも、ソウゴにとって見覚えのあるポーズを構えた彼女はこほんと咳払いをした。

 

「わ、我が名はゆんゆん! アークウィザードにして、上級魔法を操る者! やがては紅魔族の長となる者……!」

 

「とまあ、彼女はゆんゆん。族長の娘で、私の自称ライバルを名乗るぼっちです」

 

「どうして名乗ったあとに紹介するの!? あと、ぼっちじゃないから! ふにふらさんとかどどんこさんとか、『私達、友達よね』って私の奢りで「待ってくれゆんゆん。それ以上は辛くなるからやめて」

 

 涙を堪えるカズマが彼女の言葉を遮った。

 紅魔の少女、ゆんゆんは先程より顔を赤くしてめぐみんの肩を揺らし抗議する。そのアクティブな姿は、さっきまで自分と話していた他人行儀なものではなく、気を許した者にだけ見せる一面のように思えた。

 やっぱり友達じゃん、とは二人ともあえて言わない。

 

「ほら、次はソウゴたちの番ですよ」

 

 その言葉には、意趣返しも含まれているのだろう。揺らされながらも意地悪な笑みを見せる彼女に答えるように、ソウゴは槍を壁に立てかけて兜を取る。そして、マジかという顔で自分を見るカズマの前で足を肩幅に開き、懐かしい気持ちに浸りながら腕を時計の針の様に大きく回しながら叫んだ。

 

「我が名は常磐ソウゴ! パーティーメンバーの借金を返すため、守衛のバイトに従事する者! やがては最高最善の魔王へと至る者! ……だよ!」

 

「我が名は佐藤和真。アクセルの街の冒険者にして、こいつらの冒険仲間である者。やがては金に困らない生活がしたい者」

 

「えっ、えっ、ま、魔王? それに冒険仲間? ってことは、お二人共めぐみんのパーティーメンバー??」

 

「さて、満足しましたかゆんゆん。我々は忙しいのでこれで失礼します。あまりソウゴのバイトの邪魔をしてはいけませんよ」

 

 事態を飲み込めていないのか頭から疑問符を飛ばすゆんゆんの脇をすり抜けためぐみんは、ソウゴからバイクウォッチを受け取るとサクサクと進んでいく。未だ理解が追いついていないのか困惑するゆんゆんを放置して、めぐみんはライドストライカーを起動させた。

 

「さあカズマ、行きますよ」

 

「いいのかよ、この子放っておいて」

 

「大丈夫ですよ。放置されるのには慣れているはずなので」

 

「慣れてないから! ……こほん。いい仲間を持ったようね、めぐみん。それでこそ私のライバル! 私はあなたに勝って紅魔族で一番の座を手に入れる! 我が宿願のため、いざ勝負よ!」

 

「え、嫌ですよ。私は忙しいんです」

 

「えぇ!?」

 

「いや、日課の爆裂魔法を撃ちに行くだけだろ」

 

「それがゆんゆんよりも優先順位が高いという話をしているんです。それに、ゆんゆんとの勝負よりちゃんばる号の方が楽しいですし」

 

「どうして!? 私、あなたと勝負するために上級魔法も覚えてきたのよ!? 紅魔の里から遥々やって来たの! お願いだから勝負してよぉ……!」

 

 さっきまでの威勢はどこへやら。ヘルメットを被っためぐみんに縋り付く様は、どう見ても友達には見えない。不憫にすら思えてくるゆんゆんの行動に、流石のカズマも苦い顔をする。

 

「ちゃんと対価もあるの! このマナタイトを賭けて勝負しましょう! だからお願いよぉ……!」

 

「おいめぐみん。友達が自分よりぽっと出のソウゴにベッタリだったのが気に入らないからって嫉妬すんなよ」

 

「「え、そうだったの?」」

 

「ち、違うわい! ……わかりました。いらぬ誤解を受けたままでは紅魔族の名折れ。その勝負、受けてあげましょう。それで、勝負の内容は?」

 

 ヘルメットを脱いだめぐみんは、渋々といった表情で腕を組む。カズマの言が的を得ていたのか、先程までのツンとした空気は感じられない。カズマと目を見合わせたソウゴは、出来の悪い妹を見るような笑みを浮かべる。

 そんなライバルの反応に、今までで一番顔を明るくしたゆんゆんは嬉しそうに胸の前で手を握った。

 

「いいの? 自分に有利な条件でしか勝負に乗ってこなかったあなたが。お昼休みになったらこれみよがしに私の前をちょろちょろしてお弁当を巻き上げていたあなたが、勝負内容を私に決めさせてくれるなんて!」

 

「お前……」

 

「さっきまでほのぼのとした俺たちの気持ちを返して」

 

「仕方ないじゃないですか! 家庭の事情で彼女のお弁当が私の生命線だったんです! ……それで、何の勝負をするんですか?」

 

 仲間から批難を浴び、逃げるように話題を切り替える。話を振られたゆんゆんは少し考えるような仕草をしたあと、ソウゴと目が合うと何かを思いついたのかポンと手を打った。

 

「ここは守衛さ……じゃなくて、ソウゴさんに決めてもらいます!」

 

「え、俺? いいの?」

 

「はい! フェアな勝負で勝ってこそ、紅魔族一の魔法使いを名乗れるというもの!」

 

「おいめぐみん。このフェアプレイ精神を見習えよ」

 

「フェアプレイから一番遠い男が何を言っているんですか。ソウゴ、ゆんゆんをぐうの音も出ないくらいコテンパンにできる勝負をお願いします」

 

「俺、お前より公平な自信あるわ」

 

 静かに罵り合う二人の隣で、ソウゴは突然の無茶振りに思考を巡らせる。二人がいい勝負になりそうで、それでいてしたことがない、魔法使いとして決着がつけられる対戦カード。めぐみんはいいとして、ゆんゆんの期待に満ちた眼差しに大きなプレッシャーを感じながらブツブツとキーワードを反芻する。

 

「魔法使い、決着、血湧き肉躍る、地味じゃない……」

 

「何か、ソウゴが継承したという歴史の中に魔法使いに関するものはないんですか?」

 

「めぐみん、歴史の継承ってなに?」

 

「あるにはあるよ。でも、この世界の魔法使いに指輪の魔法が使えるかな?」

 

「あの、指輪の魔法って?」

 

「とりあえず試してみればいいんじゃないか? スキルポイントさえ振らなければめぐみんも文句ないだろ」

 

「そうですね。では、勝負内容は『どちらがより上手く指輪の魔法を使えるか』ということで」

 

「使えなかったらどうするんだ?」

 

「今日の勝負は引き分け無効試合ということにしましょう」

 

「あの! 何も理解できないまま話が進んでいくんですけど!?」

 

「大丈夫だよゆんゆん。俺たちも全然わかってないから」

 

「それ大丈夫じゃないですよね!?」

 

 ソウゴは自分に歴史を託してくれた一人、絶望を希望に変える魔法使いの力をこの世界に再現する。と言っても今回は戦士の力を顕現させるのではなく、彼らの使っていた指輪を二つほど拝借するだけだ。ソウゴが手から黒い靄を放つと、その靄はめぐみんとゆんゆんの手の上で魔法陣のような紋章を取り込み形を作り上げる。

 

「なんですかこの黒い靄。なんで靄が指輪になるんですか?」

 

「ゆんゆん。慣れて」

 

「慣れるとかそういう問題なんですか!?」

 

「うるさいですよゆんゆん。これが魔法の指輪ですか? マジックアイテムでしょうか」

 

 めぐみんは自分の手に産み落とされた、赤い鳥が刻印された銀の指輪をマジマジと見つめていた。中には大きな石がはめ込まれており、指に付けると指輪というより鈍器に近い見た目になってしまう。

 ゆんゆんも自分の手にある、めぐみんのものより一回りくらい小さい緑の六角形の指輪を観察していた。

 

「うん。それはプラモンスターっていう使い魔を召喚するための指輪だよ。プラモンスターは魔力さえあれば動くと思うから」

 

「使い魔! 私には既に使い魔がいますが、いいですね! 早速やっていきましょう!」

 

 そう言うや否や、めぐみんは恐れることなく指輪を握り魔力を込める。すると赤い鳥の指輪は輝き始め、指輪を中心にプラモデルのランナーのような赤い四角の魔法陣が浮かび上がった。

 

「おお! なんですかこれは!」

 

「ドライバー経由じゃないから、指輪を中心に魔法が発動するんだね。攻撃魔法の指輪出さなくてよかった」

 

「今、さらっと恐ろしい告白があったような」

 

 めぐみんの感動を受けてか、ランナーから外れたパーツは指輪に吸い込まれるように組み上がり、赤い鳥へとその姿を変えた。専用のウィザードリングに込められた魔力分だけ自律行動ができる現代日本の使い魔、プラモンスター・レッドガルーダの完成である。

 召喚されたレッドガルーダは、翼をはためかせ産声を上げながらめぐみんの手に収まる。

 

「それはレッドガr「ちぇるっし! 今日からお前の名前はちぇるっしです!」……うん、ちぇるっしだよ」

 

「負けてんじゃねぇよ」

 

 困惑気味のレッドガルーダ、もとい『ちぇるっし』を撫でるめぐみんの幸せそうな顔を見て、ゆんゆんも指輪に魔力を込める。レッドガルーダと同じような緑の魔法陣が現れると、それは有翼の獣・グリーングリフォンへと姿を変えた。完成した途端に跳ね回るグリフォンを見て、ゆんゆんの表情は溶け落ちる。

 

「わっ! わっ! か、かわいい〜〜!」

 

「そっちはグリーングリフォンだよ」

 

「えへへ……。よろしくね、グリちゃん」

 

「ゆんゆんのネーミングセンスは普通なんだな」

 

「ゆんゆんは紅魔の里でも変わり者だったので、里では浮いた存在だったんですよ。だから紅魔族らしからぬ変わった感性を持っていて」

 

「なるほど。つまり、中二病だらけの紅魔の里で突然変異の常識人だったからぼっちだったと。なんて不憫な……」

 

 我が子のようにグリフォンの頭を撫でるゆんゆんは、それはそれは幸せそうな顔をしていた。

 プラモンスターたちは召喚主を気に入ったのか、彼らの周りをくるくると飛び回る。ある程度交流して満足したのか、めぐみんはビシッとゆんゆんを指さすと、レッドガルーダを肩に乗せて宣戦布告した。

 

「さぁ、ゆんゆん! お望み通り勝負をしましょう。使い魔を戦わせ、倒したほうが勝ちです!」

 

「え!? グリちゃんを戦わせることなんてできないわよ!」

 

「何を言っているのです。元々そのためにソウゴが力を貸してくれたのではありませんか」

 

「又貸しだけどね」

 

「でもこんなにかわいいのよ!? 私はこの子のことを一生かけて大切に育てるの!」

 

「魔力が切れたら歴史に還元されるんだけどね」

 

「何を甘いことを言っているのです。勝負の世界はいつだって厳しいもの。行きなさいちぇるっし! ゆんゆんの使い魔を倒すのです!」

 

「めぐみんの人でなし! あ、やめっ、やめてちぇるちゃん! 負けでいい! 今日は私の負けでいいからぁ!」

 

 涙目でグリーングリフォンを庇うゆんゆんに、やり辛そうにくちばしで遠慮がちな攻撃を加えるレッドガルーダ。勝負というか、いじめにしか見えない状況にため息を漏らしたカズマとソウゴは、目を見合わせて肩をすくめる。

 

「ハーッハッハッハッ! 今日も勝ちィ!」

 

 勝鬨を上げるめぐみんは、勝ち取ったマナタイトを天高く掲げ、高らかに笑っていた。

 

 

 

 その後、グリーングリフォンが歴史に還元されたためゆんゆんが号泣するのだが、そのせいで“魔王”の噂がまた一つ増えたことをソウゴが知るのは、当分先のことだった。




監視対象に関する報告書 三日目

寝食を共にして三日が経った。彼は早朝、私が起きる前にどこかへ行っているようだ。監視対象の勝手な行動は容認し難く、国家転覆を目論んでいる可能性も捨てきれないため、気取られないよう尾行する。彼が向かったのは教会だった。中で何やら盗賊の少女と話をしているが、会話は聞き取れなかった。湯上がりで少し服をはだけさせた私や、隣で無防備に見せかけて寝ている私を放っておいて逢引とはなかなか豪胆である。まさかとは思うが、小さい方が好みなのか。引き続き、監視の目を強める。


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この未知の迷宮に安らぎを!

 息が上がる。体力には自信があったが、勝手のわからないこの屋敷は見た目以上に広く中々外に出ることが叶わない。

 角を曲がる。もう何度目だろうか、階段も見つからない廊下を走るのは。普段の鎧と違い何の防御力もないくせに布の枚数だけ無駄に重量があるドレス。装飾品がこれでもかと差し込まれセットアップされた髪。機動性など欠片も考慮されていないヒール。立場上気にも止めなかったが、今はその全てが鬱陶しい。

 

「くっ……! これで何度目の行き止まりだ! どうなっているんだこの屋敷は!」

 

 早くこの屋敷から脱出しなければ。一刻を争う事態に気ばかりが急き、焦りはそのまま態度に還元される。息を整える間もなく拳を握ったダクネスは、壁を殴りつけたい衝動を抑えて踵を返す。

 その時、廊下に声が響いた。

 

「〈ダスティネス・フォード・ララティーナ、屋敷の中で道に迷う〉」

 

「ッ! 貴様……ッ!」

 

「どこに行かれるのですダスティネス卿。そちらにお手洗いはございませんよ?」

 

「……その呼び方はやめろ、シロウォズとやら。カズマやソウゴの元いた世界に貴族制はなかったと聞いたぞ」

 

「領主殿から丁重に扱うよう仰せつかっておりますので、ご容赦願いたい。私としては、『ララティーナ奥様』とお呼びするのもやぶさかではございませんが」

 

「ダスティネス卿と呼んでください。お願いします」

 

 振り返った目と鼻の先に、その男はいた。屋敷に来てからずっとアルダープの後ろに控えていた『シロ』と呼ばれる異国めいた白ずくめの服に身を包む男。この怪しげな人物が『元敵(ダークライダー)』とやらであることは、一目見て気がついていた。

 ソウゴから聞いた特徴通りの、妙に薄ら寒い雰囲気を纏う彼は胡散臭い笑みを顔に貼り付けてダクネスを覗き込む。

 

「あまり勝手に出歩かないでもらいたい。お目付け役として気が休まる時がないからね」

 

「黙れ! また私の邪魔をするのか!? お前は昨日も……! 昨日も……?」

 

()()? おかしなことを言うね、ダスティネス卿。君が逃げようとしたのは()()()()()()。そうだろう?」

 

「そ、そんなことはどうだっていい! 早く私をここから出せ! 早くしなければ父上が……!」

 

「すまないが、それはできない」

 

 ずいっと顔を近づけた白ウォズは、ダクネスの口を指で抑えた。おちょくるようなその顔に拳を見舞おうと腕を振るが、それを少し体を反らせて避けてみせた彼は懐から取り出したペンをくるくると手のひらで遊ばせ少し考える。

 

「くっ! 一発当てさせろ!」

 

「不器用と聞いていたが、まさかここまでとは。この世界の冒険者とやらは、スキルを習得しなければこの程度なのか……?」

 

「う、うるひゃい! これは自前だ!」

 

「おや、そうなのかい? まあどちらでもいいさ。私の導く未来には関係のない話だ」

 

 そう言うと、彼は手に持っていた板、未来ノートを開く。組み付き、腕力に物を言わせればこの優男を退けることは容易いだろう。しかし、どうしてもこの気味の悪い男に勝てるビジョンが見えなかった。まるで経験したことがあるような不思議な感覚に戸惑っていると、白ウォズは未来ノートの上でペンを走らせる。

 

「ダスティネス卿は、歴史の修正力というものをご存知かな?」

 

「修正、力……?」

 

「最低最悪の魔王という未来を拒み続けても、歴史の墓標たる墓守の魔王は誕生した。違う道を選んで過程が変わっても、歴史に残る事実は変わらないということさ」

 

「墓守の魔王……?」

 

「詰まるところ、未来は収束する。例えアナザーワールドに派生した可能性であっても、真実を捻じ曲げ、この世界の未来にこじつけることはできる。今から見せるのはその修正力を利用した、ちょっとした裏技の副産物さ」

 

「一体何の話をしている!?」

 

「〈ダスティネス・フォード・ララティーナ、        に再度記憶を奪われる〉」

 

 白ウォズがそう言うと、彼とダクネスの間に見覚えのある灰色のオーロラカーテンが出現した。

 揺らめくそこから現れたのは、“異形”その一言に尽きる怪物。非生命体のような緑の体色だが、厚みのある体躯は有機的な凹凸が目立つ。闘牛のような一対の角は錆びて朽ちており、同じく赤錆色のボロボロのマントが肩から地面に垂れていた。

 モンスターとは本質が違う、体にダクネスには読めない文字が刻まれたその怪物は、立ち尽くすだけで動く気配はまるでない。

 

「私の異世界同位体がアナザーディエンドの力を手にしたのなら、私にもその可能性があるということ。世界線を同一化させて私がアナザーディエンドになることもできるが、そうなると私は私でなくなってしまうからね」

 

「こ、この怪物で私をどうするつもりだ! これほどまでの闘気であれば、今の私ではどうすることもできない……! まともに抵抗することさえ難しいだろうな! さぁ、全力でかかってこい!」

 

「毎回同じ台詞を言わないでもらえるかな」

 

 呆れ気味の白ウォズはパチンっと指を鳴らす。キザな振る舞いに身構えたダクネスの前で、それを合図に異形は前方へと手をかざす。

 今自分が鎧と剣を持っていないことが口惜しくなるほどの威圧感にダクネスは拳を握るが、意思とは逆に視界はぐにゃりと波を打った。堪らず膝を突くが、まるで世界そのものが揺れているかのような感覚に顔を上げることすらままならない。そんなダクネスの頭上から、白ウォズは言葉を撒き散らす。

 

「毎度毎度、人とは思えない恐ろしい精神力だね。だが、あまり抵抗すると脳に障害が残りかねないよ」

 

「わたしに……なにを、した…………ッ!」

 

「少し記憶をいただくだけさ。領主殿には悪態をつかれたが、魔王の手前君をずっと屋敷に拘束するのは無理があるからね。ただ、我々にとって都合の悪い記憶はここに置いていってもらう」

 

「こ、れは……わたしの望む、ものとは、ちがう……!」

 

「君の望みは知りたくもないが、もう少し真面目に倒されてくれないかい?」

 

 白ウォズの声が遠くなる。底なし沼に沈んでいくように、少しずつ意識が掠れていく。敵の前で気を失うなどありえない。そう自分に言い聞かせ必死にもがくが、もがく程に頭痛が酷くなり歪んだ視界が三半規管を狂わせる。もう自分が屈んでいるのか、うつ伏せているのか、仰向けで倒れているのか、それとも立っているのかすらわからない。

 感覚が狂う。思考がみだレる。。コとばが蟠ゥ繧後k。。。

 

「まだ魔王に計画を知られるわけにはいかないのさ。契約者のためにも、ね」

 

 白ウォズの体裁を整えた言葉を最後に、ダクネスの意識はプツリと途切れた。

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「キールダンジョンの調査?」

 

「はい。つきましては、ソウゴさんにも同行していただきたく」

 

 とある非番の日、ギルドに呼び出されたソウゴは対面に座るセナからそう告げられた。セナの隣に座るルナも、神妙な面持ちで会話に参加してくる。

 

「危険度はバラバラですが、近頃ようやく森にモンスターが戻り始めたようなんです。しかし一度焼け野原になり全モンスターが退避したことで、生態系は完全にリセットされてしまいました」

 

「その節はすみませんでした」

 

「いえいえ! トキワさんがいなければデストロイヤーの襲来でこの街は地図から消えていたはずですから!」

 

 頭を下げるソウゴに、ルナは慌ててフォローを入れた。

 今のところ、セナたち国家公務員にサキュバス周りの話は伏せている。精神的ショックの大きかった者たちのメンタルケアを行ってもらいはしたが、国に仕える者に存在を明かすことは世界の常識を覆せる手札が揃うまで控えたいというソウゴの考えに寄るところが大きい。

 仕切り直しとばかりに、セナが咳払いをする。

 

「そこでこの度、冒険者たちを募り森の現状を調査する隊を緊急で編成することになりました。ですが、アクセルの冒険者たちのほとんどは稼ぎのために遠征している状態です」

 

「なるべく人が欲しかったので、サトウさんたちにもお願いしたかったのですが……」

 

「そのー、ごめんね?」

 

「……まあ、借金の返済も大事ですからね。デストロイヤーの調査隊のときより冒険者たちも協力的ですし、今回はソウゴさんに参加してもらえればそれで構いません」

 

 二人のバツの悪そうな表情に対していつも通りへらへらとした笑みを見せるソウゴは、本来ここにいるはずだった三人について想起した。

 

 アクアは朝から外壁工事。親方に認められ、かなりの額昇給しているらしい。最近では借金の事を忘れ楽しく働いているようだ。

 めぐみんは喫茶店。ゆんゆんも同じ店で勤め始めたらしい。個人成績で勝負している話を、毎日のようにゆんゆんが門まで報告しに来るようになった。

 そしてカズマは就寝中。本人は否定しているが、休みの前の日は必ず暖炉の前のソファで本を読み夜を明かしている。ダクネスの帰りを待っているのだろうことは想像に難くないし、察しためぐみんも敢えて何も言わないでいる。

 

 借金問題とアルダープの件が解決していない以上、全員がこちらに協力するのは難しいだろう。クエスト斡旋の件はそもそも自分の理想が巻いた種。気を取り直して、ソウゴだけでもこちらの案件に集中することとする。

 

「それで、ダンジョンってなに?」

 

「ダンジョンとは、ダンジョン主が作り上げた地下迷宮のことです。モンスターが湧くので危険な場所ですが、そういう特性を利用して野盗が根城にしたり奪った金品の隠し場所にしたりするので、お宝目当てで探索する冒険者さんもいますね」

 

「ふーん。じゃあ、そのダンジョンにもお宝が?」

 

「いえ、キールダンジョンは既に探索し尽くされたダンジョンなんです。発生するモンスターも弱く、駆け出し冒険者の練習用ダンジョンとして今は使われています。外には避難所もありますよ」

 

「そうなんだ。でも、それなら俺はダンジョンの調査より外見てたほうが良くない? 強いのもいるかもしれないんでしょ?」

 

「ダンジョンの内部は灯りがないため見通しが悪く、発生するモンスターも弱いとはいえアンデッドや低級の悪魔など様々です。攻略には最低でも複数人必要ですから、監督役の私と柔軟に対応できるソウゴさんの二人で潜った方が効率的かと」

 

「森の調査には動ける冒険者の皆さんと、最近やってきた紅魔族のアークウィザードさんにも声をかけていますから、早々遅れは取りませんよ」

 

「そっか。なら安心だね」

 

 ふむ、とソウゴは納得のポーズをとる。上級魔法が扱えるゆんゆんがいれば、多少強いモンスターが現れても戦えるだろう。近接戦でもサキュバス目当てで遠征に出ていない冒険者たちがいるなら特に問題はない。そして何より、自分の地下迷宮という未知の領域への好奇心もある。

 たまには自分も息抜きを。そんな風に考えたソウゴは二人にいつも通りのへらへらとした笑みを見せた。

 

「俺、冒険ってやつしてみたかったんだよね」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 闇というのは、いつだって危険なものを隠している。人の目から隠れ悪事を働くには丁度良く、助けを呼ぼうにも悲鳴がどこから聞こえているのかわからない。松明程度のか細い光では、足元の崩れた瓦礫の位置を把握できてもこの階段が一体どこまで続いているのかはわからないように。

 

「なので絶対に油断しないでくださいね。ソウゴさん」

 

「うん。わかったからちょっと離してくれない? 流石に腕に抱きつかれてると色々と困るんだけど……」

 

 不揃いだが隙間なく組み上げられた石造りの壁から、モンスターたちの息遣いが伝わってくる気がする。それとは別に、松明を持つ方と逆の腕からは健全な男性にとっては反応に困る柔らかな感触が。

 しかし、ソウゴの訴えは即座に退けられる。

 

「これはどちらかが躓いたときすぐにもう一人が助けられるようにという意図があり、決してやましい意味があるわけではありません。お構いなく」

 

「いや、セナが気にしないなら俺も気にしないようにするけど……。なんだか、たまに目が恐いよ」

 

「私にくっつかれるのは嫌ですか……?」

 

「恋人とかいたことない俺が言うのもなんだけど、そういうのは好きな人に言ってあげてね。ドリスの時から思ってたけど、女の子なんだしそういうの気にした方がいいよ」

 

「そ、そうですか……!」

 

 腕を締め付ける力が強くなったことで、ソウゴのお説教が意味をなさなかったことを悟る。寝間着のダクネスやアクアのスカートの短さから薄々感じてはいたが、この世界における貞操観念というか、やはり日本とは違う価値観には数ヶ月生活した程度で慣れることはなかった。

 

(セナ、暗いところ苦手なのかな?)

 

 ここに来る道中でダンジョンの危険性をこんこんと説明されたが、ぶっちゃけてしまうとソウゴには直近の未来を予見する力があるので目を瞑っていてもこの未知の地下迷宮とやらを初見で踏破することが可能だ。なんなら魔力そのものを感知できるので、一度もモンスターに会わず帰還することも。

 

(でも、それじゃ面白くないよね)

 

 だが、先を知っていてはつまらない。継承した歴史の影響でお化け屋敷を楽しめなくなったソウゴだが、わざわざ自分からお楽しみをふいにしてしまうような、そんな面白味に欠ける選択をする男ではないのだ。

 篝火でセナの足元を照らしながら、可能な限り恐怖心を煽らないよう注意しつつ彼女の歩幅に合わせてのんびりと長い地下への階段を降りて行く。そうしていると、不思議そうにセナは問いかけた。

 

「そういえば、どうして松明なのですか? ランプの方が明るいですし、火だと消えてしまえば再点火も難しいですよ」

 

「だって、こっちの方が冒険感あるでしょ?」

 

「はあ……」

 

「怖いならランプに変えるけど」

 

「いえ! 暗くてむしろ吊り橋k……モンスターを刺激せず調査が進められそうなのでいいかもしれません。松明のまま行きましょう」

 

「セナは真面目だね」

 

 そうこうしているうちに階段を降りきったようだった。広い空間に出たため、立ち止まって辺りを照らす。入り口の光が随分と遠く見えるが、段数を考えれば当然だろう。明かりを灯せるような場所もなく、風や水の音もしない。静寂の支配する世界が、そこにはあった。

 映画では不用意にトラップを発動させて棘のついた天井が落ちてきたり、巨大な玉や水責めに苦しんだりするのだろうが、残念ながらその心配はなさそうだ。ここが初心者向けという話を踏まえても余りあるワクワクに、ソウゴは胸を踊らせていた。

 

「あっ、宝箱」

 

「気をつけてくださいねソウゴさん。ダンジョンにはダンジョンもどきという、風景に擬態して宝箱や人の姿の疑似餌を利用し獲物を食らうモンスターがいますので」

 

「へぇ、生きる工夫だね」

 

 カメレオンみたいなものだろうかと想像する。どの世界でも野生の生き物は環境に適応するために進化しているんだなぁ、などと見当違いなことを考えながら松明を揺らして道を探す。進むべき、魔力溢れる細道を見定めたソウゴは、恐れなど知らない子どものようなキラキラとした無邪気な笑みをセナに向けた。

 

「それじゃ、探検始めよっか!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「おいお前ら! 俺を囮にすんなって何回言やわかんだよ! 魔法当たりかけたぞ!」

 

「何よダスト。餌でも囮でも役に立てるんだからたまには頑張りなさいよ」

 

「嫌だね。俺は楽して金を手にし、サキュバスんとこの割引券をもらうんだ。だから最後尾で怠けたい」

 

「あんたね……」

 

「そんなこと言ってるから一人だけ〈潜伏〉スキル使ってもらえないんですよ……」

 

「ちょっと乳がデカいからってデカい態度取るなよ新人のクソガキ。まずは上納金を払うところから始めろ」

 

「あなた本当に最低ですね!」

 

 ソウゴたちが冒険を始めた頃、外回り組はゴブリンの亡骸を前に言い合い……というよりダスト対女性陣の口論が行われていた。

 討伐したモンスターの詳細や観察して得た情報は都度クリスが取りまとめ、他の冒険者たちで接近したモンスターと対峙するという非常にわかりやすい役割分担。冬前の森と変わらないモンスターたちの分布に、雑談を話半分で聞き流していたクリスは一人胸を撫で下ろす。

 

(駆け出し冒険者の街の近くに強力なモンスターが住み着いたらどうしようかと思いましたが、一安心ですね。強力な個体も確認できませんし、この分なら前と変わらない生態系が蘇るでしょう)

 

 女神としてこの世界の変化を危惧していたが、杞憂に終わったようでほっとする。これでソウゴに変身を自重し続けてもらえば、元通りになるのもそう遠くないだろう。

 そんなことを考えていると、ダストが悪態と共にため息をつく。

 

「あーあ。王様はいいよなぁ。今頃は暗いダンジョンで乳のデカい堅物の姉ちゃんとお楽しみだろ? こっちは胸の寂しい盗賊に紅魔のガキのお守りだってのに」

 

「ダストは本当にブレないね。しばくよ」

 

「お守りってなんですか! ダストさんより活躍してますよ!」

 

「ソウゴは戦えない検察官連れて一人でダンジョンよ? あのなんとかって鎧の姿にもなれないんだから、こっち組で感謝しなさい。あと二人に謝れ」

 

「俺は謝るって言葉が嫌いだ。それによ、リーン。あのわけわかんねぇ王様だぜ? どうせ素手でも馬鹿みたいに強いに決まってんじゃねぇか」

 

「でもスキルも魔法も使えないのよ? 暗闇で戦えてるのかどうかすらわからないでしょ」

 

「……あいつなら体光らせたりできそうだよな」

 

「否定はできないわね……」

 

「ダンジョン掌握して新しい主になってたりしてな」

 

「アタシもそれは思ってた」

 

「皆さんの中で、ソウゴさんがどんなイメージなのか気になります……」

 

 ゆんゆんは自分の中のイメージとかなり乖離があることに戸惑うも、戦闘面において全幅の信頼を置かれていることは察する。実際戦っているところを見たことがないのだが、それでも“魔王”と呼ばれ畏怖される程度の実力なのだろうと想像はできるからだ。

 ふと疑問が浮かんだゆんゆんは、こそっとクリスに耳打ちをする。

 

「あの、ソウゴさんってそんなに凄いんですか?」

 

「凄いなんてもんじゃないさ。あれはね、この世の理不尽の化身だよ。ね?」

 

「そうだな。あいつが苦戦してるところなんて想像できないぜ」

 

「はぁ……?」

 

 いまいち要領を得ないゆんゆんの謎は、更に深まっただけに終わった。一人で首を傾げるが、のんびりとしている時間は早々に切り上げることになる。

 

「おい! またゴブリンの群れだ! この分なら初心者殺しがいるかもしれないぞ!」

 

 偵察を行っていたキースが木の上から激を飛ばした。初心者殺しというゴブリンとは危険度の違うモンスターの気配に、ピリピリとした緊張が走る。各々がさっきまでの冗談めいた雰囲気から、戦うための意識へと切り替えていく。

 

「初心者殺しね。カズマの初級魔法で追い返したのが懐かしいわ」

 

「〈敵感知〉に反応はないよ。まだ周りにはいないかも」

 

「ならとっととずらかるとしようぜ。ゴブリンの調査ならもう済んでるだろ」

 

「ダストにしてはまともな意見ね」

 

「金にならねぇ討伐なんてやってられるか」

 

 それぞれが自分の役割に戻り、クリスの先導で移動を開始する。仕事はまだまだ残っているのだ。心配など無用な時の魔王のことを頭の片隅に追いやったクリスは、〈敵感知〉スキルに意識を注いだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ねえセナ。このラットの親玉みたいなのがグレムリンだっけ」

 

「はい。下級の悪魔です」

 

「あ、この骸骨は初めて見るかも。アンデッドナイトだっけ? 君、ベルディアの仲間だったよね」

 

「それはスケルトンです。アンデッドナイトは騎士の死体がゾンビ化して発生する上級のモンスターですから、ここにはいませんよ」

 

「ふーん。ローブから鎧に変わっただけなのにそんなに違いがあるんだ。それにしても幽霊系多いね。セナは平気?」

 

「あまり得意ではないので、仕事以外では関わりたくありませんね。ところでその……お聞きしたいことが……」

 

「ん? 何?」

 

「ソウゴさんは本当に魔王軍の関係者ではないんですよね?」

 

 セナは、ダンジョン内で整列し萎縮しきったモンスターたちを前にそんな問いを漏らした。

 襲いかかってきたモンスターを足蹴にし、威圧だけで戦意を刈り取った挙げ句へらへらと笑いつつ獣の群れを震え上がらせる彼を前にすればその疑問は当然だろう。野生の本能というのは、時として知性よりも正しい判断が下せるという実例か。「魔王軍幹部です」と冗談を言っても信じてしまいそうなセナに対して、ソウゴは変わらないへらへらとした笑みを見せる。

 

「違うって言ってるじゃん」

 

「むしろ違う方が恐いのですが……」

 

 少し引きながらセナはレポートをまとめていく。これまで現れたモンスターの記録をなぞるが、キールダンジョンの危険度が上がったとか、そういう素振りは見受けられない。主が不在であるためかトラップなども追加されることがなく、練習用のダンジョンという体は保っているようだった。

 用が済んだモンスターたちは、魔王の許しを得て暗闇へと一目散に走り去っていく。面倒なマッピングも、戦闘も、その全てが免除されたダンジョン探索。これだけ楽に事が進んだので報告に必要な情報は全て揃ったと言っていいだろう。資料にまとめ「異常なし」と報告すればクエストは完了だ。

 

「どう? 結構モンスター見たと思うけど」

 

「いえ、まだです。やはりフロア全てを隈なく調査しなくては」

 

「セナは仕事熱心だねぇ」

 

 だがしかし、チャンスは活用するに限る。済んだ仕事のことは置いておいて、ここからは職場で得た既婚者たちの知識をフル投入し、ベストを尽くすために知恵を絞る。吊り橋効果は期待できない。その上さらっと腕を組見直しても、指を絡めても微動だにしない。この男を攻略するためには、打てる手は全て打つ。

 そう決めてアクションを起こそうとしたとき、松明の光が揺れた。

 

「…………待って」

 

「どうされました、ソウゴさん?」

 

 不意に、ソウゴは足を止める。するとキョロキョロと辺りを見回し始め、セナに松明を預けると、何かに導かれるように壁に近づきそっと石壁に耳を押し付けた。

 行動の意味がわからず、セナは首を傾げる。

 

「ソウゴさん……?」

 

「この先、何かある気がする」

 

「え?」

 

「凄い魔力を感じる。ウィズか、それ以上の」

 

 セナはか弱い松明の明かりの下で、歴代冒険者たちがマッピングしてきた地図を広げる。この先に隠し通路があるなど記されていないが、確信めいたソウゴの言葉に不思議とそれが嘘であると疑うことはなかった。

 壁を丁寧に調べるソウゴだが、暗がりかつ手探りは流石に無理があったようで壁から離れる。

 

「セナ、ちょっと離れて」

 

 だが、諦めたわけではない。まさかと言う表情のセナを下がらせたソウゴは、少し力を込めて右足を壁に打ち付けた。

 

「えい」

 

 軽い掛け声とは対象的な轟音が分厚い石の壁を蹴破った。砂埃が奥の空洞から噴出してくるが、ソウゴが意に介した様子はない。

 こんな趣きの欠片もない力技で隠し通路を突破されると思っていなかったであろうキールに対して、セナは少し同情した。

 

「後で直してくださいね」

 

「わかってるよ」

 

 セナから松明を受け取ったソウゴは、目の前に開かれた未踏破の通路にキラキラとした目を向ける。その瞳には、土煙より濃厚に漏れ出す魔力がしっかりと映っていた。高揚感がソウゴの内から湧いてくる。

 

「これってさ。俺たちが初めて入る場所なんだよね?」

 

「そうですね。ここからはマッピングの必要がありそうです」

 

「えへへ。わくわくしてくるね! なんだか、楽しそうな気がする!」

 

 セナの手を引き、通路に一歩足を踏み入れる。冒険の予感に胸を高鳴らせるソウゴは、抑えきれない笑みを浮かべながら未知の世界へと進んで行った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ほとんど一本道でしたね。モンスターも見かけませんし、忘れ去られた通路ということでしょうか」

 

「いや、モンスターはいたよ。見たことあるのばっかりだからいいかなって思って逃してたんだけど。苦手って言ってたし」

 

「そ、そうですか……。ありがとうございます」

 

 松明係を引き受けたセナがそんな気遣いに熱っぽい目を向けてきても、通路の脇にあった小部屋を調べることに夢中のソウゴが気づくことはない。木製のタンスも、本棚も、元はかなり上等なものであったはずだろうが、今や見る影もないほど劣化しよく燃えそうなだけの廃材も同然。机の横に立て掛けられた木の残骸も、錆びついた弦が付いていることで辛うじて楽器だったろうことが伺い知れる。

 

「しかしすごい埃ですね。モンスターも近寄っていないのでしょうか」

 

「どうだろうね。徘徊してても気づきにくいし」

 

 本棚にあった書物を引き抜き適当にパラパラと開く。伝記や小説のようだが、虫食いや風化が目立つためこの世界の知識が乏しいソウゴには判別が難しい。ただ、軽く目を通しただけでも冒険活劇、恋愛物、おとぎ話と、ここの全てが娯楽作品であることはわかる。

 

「これって全部キールの私物なのかな?」

 

「キールかどうかはわかりませんが、未踏破ポイントですしこの通路を作った人物の物だと思いますが。何か気になることでも?」

 

「ううん。別に。ここの本ってどれくらい前のものかわかる?」

 

「言い回しや題材、編纂者からして、恐らくは数十年以上前のものかと。発行元に問い合わせれば、ここに残されている巻数からおおよその期間は推測できると思いますよ」

 

「ふーん、そっか。まあ、そこまでする必要はないかな」

 

 開いていた本を戻そうとした時、本から何かが抜け落ちた。拾ってみると、それは四葉のクローバーが綴じられた可愛らしいデザインの押し花の栞。その妙にこの場に似つかわしくないものが気になったソウゴは、それをそっとポケットにしまい込む。

 

「ですが、何と言うか意外でした。大魔術師キールのダンジョンですから、禁忌の魔導書などがあるものだと思っていましたが」

 

「大魔術師?」

 

「ソウゴさんは知りませんでしたか? この辺りでは有名なおとぎ話ですよ」

 

 こほん、と咳払いをしたセナは、物語を読み聞かせるような口調で語り始めた。

 

 

 

 大魔術師キールの物語。

 その昔、希代の天才と讃えられた一人のアークウィザードがいました。色恋沙汰に興味を示さなかった彼は、魔法の研究と修行に明け暮れる毎日を過ごしていました。

 そんなある日、彼は街で偶然見かけた貴族の令嬢に一目惚れしてしまいます。ですが彼女は王族へ嫁ぐことが決まっており、その上自分とは身分の差もある。叶わぬ恋だと悟った彼は、彼女を忘れるため更に研究に没頭していったのでした。

 時が経ち、研究の全てを惜しみなく国に捧げ発展に貢献してきた彼は、いつの間にか国一番の大魔術師と呼ばれるようになっていました。そんな彼に、王は言いました。

「一つだけ、何でも望みを叶えよう」と。

 キールは王に言いました。

「私には、叶わない望みが一つあります。――

 

 

 

「結末は出版社によってバラバラで、史実でもキールの望みについては詳しく語られていません。色々な説はありますが、具体的に何を望んだのかは伏せられています」

 

「へぇ。なんでそんな人がこんなところ作ったんだろ。駆け出し冒険者のため?」

 

「どうでしょうか。一説によると、国に仕えていたキールはその褒美と称して妾となったその令嬢を攫いここに立て籠もった、という逸話がありますが」

 

「ふーん。攫った、か……」

 

 ホコリの積もった机を撫でる。固まったインクボトルに刺さったままの羽ペン。何か熱心に書き物をしていたようだが、それはきっと床に散乱した紙切れなのだろう。拾い上げ、もう続きが奏でられることのないそれを見てソウゴは呟いた。

 

「それはなんか、違う気がする」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「行き止まりですね」

 

「そうだね」

 

 小部屋のあとは目新しいものはなく、未踏破ポイントと言う割には罠もない簡素な一本道だった。まるで屋敷の廊下を歩いているような感覚に、ソウゴの違和感は確信に変わる。

 

「でも、この壁の向こうから魔力は流れてきてる」

 

「また蹴破るんですか?」

 

「いや、その必要はないかな」

 

 自信ありげに行き止まりへと向かったソウゴは、突き当りの壁を眺めるとそっと触れる。すると、その壁は訪問者を待ちかねていたかのように組みこまれたダミーのブロックが消滅し、隠された最奥の部屋を顕にした。溜め込まれた魔力が一気にソウゴの肌を撫でる。

 

『…………そこに誰かいるのか』

 

 声がした。ゴールには大抵“主”がいるもの。そんなことはゲームが不得意なソウゴだって知っている。故にその声にソウゴが驚くことはない。だが、ここまでで人が生きている痕跡が見受けられなかったせいか、セナはビクリと身構えた。そんな彼女を背に庇い、ソウゴは名乗りを上げる。

 

「俺は常磐ソウゴ。このダンジョンの調査に来た、最高最善の魔王を目指す者だよ」

 

『魔王か……。最近、光と闇の入り混じるとてつもない力を感じるようになっていたが、それは君だったようだね。なら後ろのお嬢さんは、さしずめお妃様と言ったところかな?』

 

「お、おおおおきさき!?」

 

「彼女はセナ。一緒に調査に来た検察官だよ。真面目なんだから、あんまりからわかないであげてね」

 

『ハッハッハッ。それは失礼した。少々口が過ぎたようだ』

 

「それで、アンタは?」

 

『私かい? 私の名はキール。このダンジョンを創り、貴族の令嬢を攫っていった――悪い魔法使いさ』

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 ――それは愛する人が虐げられず、幸せになること」

 

 

 

『彼女はご機嫌取りのために嫁がされた娘で、城内ではひどい扱いを受けていたのさ。だから「いらないのだったら私にくれ」と。そう言って私はその令嬢を攫ったのだよ』

 

「へぇ。キールって、悪い魔法使いなのに優しいんだね」

 

『ハッハッハッ。そう言ってくれるのかい? それは嬉しいね』

 

 肉が朽ちてしまい骨だけになった体でも、キールは朗らかに笑って見せた。

 生前から陽気な人物だったのか、ソウゴの反応にケラケラと笑う姿は表情がわからずとも人間のそれだった。流石に骸骨が話すのは怖いのか、セナはソウゴの後ろから少し顔を出して様子を伺っているが、敵意のなさは感じ取っているらしい。服を掴んでいた力が弱まっているのがその根拠だった。

 問題なさそうだと感じたソウゴは、話の続きを催促する。

 

「で、そのあとここに?」

 

『ああ。その場でプロポーズをしたら受けてくれてね。彼女を攫った後は王国と楽しく連日連夜戦争(パーティー)さ。だがその途中、私は不覚にも致命傷を負ってね。彼女を守り抜くためリッチーになったってわけだ』

 

「そっか。じゃあやっぱり、そこの部屋は奥さんのために用意したものなんだね。この譜面もキールが?」

 

『ああそうだよ。逃亡生活の中、彼女は不満も言わずずっと笑っていてくれたからね。私なりに何かできないかと色々してみた結果さ。あの頃は本当に楽しかった……』

 

 過去を懐かしむキールから、涙は流れない。水分などとうの昔に枯れ果ててしまっている骨の体では無理もない。それでもずっとここに一人でいられたのは、きっと、それ程までに楽しくて、幸せな時間だったんだろうとソウゴは思う。たった一人残されても、それでもいいと思えるほどの幸福がここにあったのだ。

 ちらりと彼の傍らを見ると、そこには白骨化した遺体が横たわっていた。視線に気がついたのか、キールは穏やかに微笑む。

 

『彼女がそのお嬢様さ。鎖骨のラインが美しいだろう?』

 

「とても愛していらしたんですね」

 

『ああ。この世で一番ね。未だに彼女のことを想うと熱くならずにはいられない』

 

 彼女と過ごした時間を思い出しているのだろう。骨だけになった愛しい人の手を握るキールの横顔は、幸福に包まれていた。きっと、そのご令嬢も幸せな余生だったのだろう。モンスターから感じるような未練というものを、彼女からは少しだって感じ取ることはできないのだから。

 キールは彼女から手を離すと、ソウゴに対して膝をつく。深々と頭を下げた彼は、かつて彼女を攫うと決めた時と同じく静かに口を開いた。

 

『王よ。若き魔王よ。どうか私の望みを一つ、叶えてはくださいませんか?』

 

「……言ってみて」

 

『私を、浄化してはくださいませんか』

 

 リッチーの浄化。それは、すなわち。

 

『彼女の隣で、ただ朽ちるだけの時間だった。だがこれも巡り合わせなんだろうね。君だったら私を浄化できる。そうだろう?』

 

「いいの? キールを追っていた国はきっと、もう君のことを覚えていない。望むのならダンジョンの外に出て、新しい人生をやり直すこともできるよ」

 

『やり直したいとは思わないさ。私の人生は彼女と共に生きるためにあった。彼女を看取ったとき、私の時計の針は止まったんだよ』

 

「……そっか。心残りはないんだね?」

 

『ああ。もう十分だ』

 

 少しだけ、羨ましいと思う。何の未練もない生というものを。後悔した分だけ時を戻してきたソウゴには、全てを投げ打って良かったと言えるこの魔法使いのことが、眩しく映る。

 

「ソウゴさん……」

 

 セナの縋るような声は、同情……とは少し違う。この、自分の全てを犠牲にしてでも愛する者を幸せにしたいと願った、優しくて愚かな悪い魔法使いに対する願い。一生を捧げた愛のために神の理を捨て、死ぬことの許されなくなった無限の時間をなんとかしてやりたい思うことは、きっと哀れみではない。

 

「わかってる」

 

 そんな民たちの願いを、王は決して無下にしない。

 

「キール。君の願い、叶えよう」

 

 ソウゴは手を翳した。放たれた黒い靄は三つに分かれ、三つ巴の鬼火の紋章をその身に受けることで人の姿を得る。

 

 いや、人とは違う。

 

 纏うのは炎。風。そして雷。そこに並び立つのは、三人の“鬼”。清らかなる音の力にて、邪悪を鎮める者たち。心に響き、正しきが息吹く音色を煌々と轟かせる歴戦の勇姿がこの世に顕現する。

 

『ほほう……。降霊や反魂とは少し違うようだね。まさか最期にこれほどの御業を拝めるとは』

 

「彼らは、一体……」

 

「“仮面ライダー響鬼”、“仮面ライダー威吹鬼”、“仮面ライダー轟鬼”。人を喰らう妖怪・〈魔化魍(まかもう)〉を音の力で清めて倒す、肉体を鍛え上げ“鬼”になった音撃戦士たちだよ。……お願いできる?」

 

 ソウゴは持っていた譜面を響鬼に手渡す。それをじっと見つめた彼は、返事代わりに顔の横で手首をシュッと払った。その答えに満足したのか、ソウゴはくるりと振り返る。

 

「行こっか、セナ」

 

「いいんですか?」

 

「うん。最後は二人の時間にしてあげたいからさ」

 

 響鬼は音撃鼓を床に、威吹鬼は音撃管・烈風と轟鬼は音撃弦・烈雷をそれぞれ準備する。地にひざを突き、音撃棒・烈火を構えた響鬼を見たキールは、去りゆくソウゴの背中に慌てて声をかけた。

 

『待ってくれ。……これを』

 

 そう言って、ソウゴに風呂敷を差し出す。包まれた隙間から見えるのは、松明の光を反射する眩い財宝。ズッシリと重いそれを渡したキールは、晴れ晴れとした表情で笑いかける。

 

『これはせめてもの礼だ。受け取ってくれ』

 

「……ありがと。大事にするね」

 

『感謝するよ。若き魔王』

 

「民の願いを叶えるのは、王の努めだからね」

 

 ソウゴたちが外に出ると、入口はまた何もない壁へと戻る。数えることすら忘れた時を刻む、見慣れたなんの変哲のない壁に。それを合図に、響鬼は烈火を振り下ろした。

 奏でられるのは、一人の男が愛した女性に向けて紡いだ曲。魔法の研究しかしてこなかった彼が、彼女の笑顔のために拙くても懸命に生み出したそのメロディーは、三人の鬼たちの手によってもう一度生まれ変わる。きっと自分が彼女に贈ったものよりもずっと人々の心を打つ交響曲に、キールは自然と愛する者の手を包んでいた。

 

『……実を言うとね、あるんだよ。一つだけ心残りが。君を幸せにできたかどうか。それだけがずっと、私の余生の中で気がかりだった』

 

 そんな囁きを、誰も聞いてはいない。この場に流れる祝福の音色は、彼の未練すら優しくその調べの中に溶かしてしまう。

 

『しかし困った。最期の最期で心残りが増えてしまうなんて――

 

 キールはゆっくりと眠る。それだけで穏やかな光が体を包み込むのがわかった。ようやく終われるのだと、安堵に似た感情が湧いてくる。薄れゆく意識の中で、キールは呟いた。

 

 ――叶うことなら、君と二人で聴きたかった。

 

 記憶の中の彼女が、優しく微笑んだ気がした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「どうだった? キールは」

 

「時の魔王の頼みだからね。きちんと例のお嬢様の転生先を調べて、その近くに生まれ変われるようしておきましたよー」

 

「ありがと、クリス」

 

「これで貸し二つ、だからね?」

 

「だから今その一つを返してるんじゃん。今日は奢りだよ」

 

「もう。私をアクア先輩と同じだと思ってない?」

 

 不満げなクリスだが、シュワシュワは美味しいようで賑わう酒場でも聞き取れるくらいゴクゴクと喉を鳴らす。いい飲みっぷりに些か財布の中身が不安になるが、奢ると言った以上男に二言はない。なるべく出費を抑えようと、自分はちびちびとジョッキに口を付けることとした。

 唐揚げを頬張りながら、クリスは問いかける。

 

「それで? その貰ったお宝で借金は返済できたの?」

 

「ううん。お宝には手を付けてないよ」

 

「え、どうして!?」

 

「だってあの借金はアクアの道楽でできたものだもん。それをキールからの心遣いで帳消しにするのは駄目でしょ」

 

「なんて言うか、律儀っていうか、頑固っていうか」

 

「それに、借金がなくなったらカズマもアクアも放蕩三昧な生活になっちゃうからね。借金だってすぐにどうこうなる額でもないし、今くらいの緊張感を維持したいんだ」

 

「それ、皆には言ったの?」

 

「めぐみんには」

 

「だよねー」

 

 やぶ蛇だったなぁ、などと後悔してももう遅い。打算的な計略に少し引くクリスは、今聞いたことを忘れるためシュワシュワを流し込む。とは言え、もう共犯者になってしまっているので逃げることはできないのだが。

 そんな彼女に対し、それに、とソウゴは付け加えた。

 

「お宝はセナと折半だからさ。宝石の付いたネックレス一個しか持っていかなかったし、残り全部お金に変えちゃうのも情緒がないっていうか」

 

「ああ……。大変だね、いろいろと」

 

「そうかな? 結構楽しいよ」

 

「いや、そうじゃなくて……。まあいっか」

 

 首を傾げるソウゴを見て、クリスはため息をつく。人の心の機微に疎いわけではないのに、そういうことに気づいていないのはわざとなのかと疑いたくなるが、この純粋そうな目を見ると天然物だろうと思わざるを得ない。女誑しと言うよりも、人誑しの才能は紛れもなく王の資質なのだろう。それがいいことか悪いことかは別として。

 

(あの検察官の方も、業の深い方ですね……)

 

「ソウゴはいますか!!?」

 

 クリスが呆れていると、ギルドの扉が大きな音を立てて開かれた。

 静まり返った酒場の中で名前を呼ばれたソウゴがそちらを見ると、いつもの杖や帽子すら被っていないめぐみんと視線が合う。慌てた様子で席まで駆け寄ってきた彼女は、息を切らしながら必死の形相でソウゴの腕を掴んだ。

 

「早く帰ってきてください! ダクネスが……!」

 

「……わかった。行こう」

 

 財布をクリスに放り投げたソウゴは、ギルドから飛び出すとライドストライカーを起動させる。ヘルメットもせず跨った彼はめぐみんが後ろに乗ったのを確認するとエンジンを吹かせる。

 

「しっかり掴まっててね、めぐみん!」

 

 爆音が、夜の街を駆け抜けていった。




監視対象に関する報告書 四日目

監視対象の様子が朝から何やらおかしい。いつもならのんびりと過ごし街の人間と交流している午前だが、まるで今日何が起きるのかわかっているかのごとく朝から動いている。監視対象に何があったのか確認を取ったが、はぐらかされるばかりで明確な回答は返ってこない。それどころか、旅程を繰り上げて明日の昼にはアクセルの街に帰りたいと言い始めた。
非常に困った。しかし、初めて見る彼の焦りようから推測するに、かなりまずい状況だと判断できる。これでは今夜はお酒は勧められない。もう少しで泥酔する量がわかりかけたのに。一先ず私情を忘れ、私もアクセルで何が起こっているのか調査を開始する。


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このご令嬢に縁談を!

「あら、おかりーソウゴ」

 

「おかえりくらいまともに言えんのか。昼間はお疲れソウゴ。とりあえずコーヒーでも飲むか?」

 

「どうしてそんなに落ち着いているんですか二人とも!」

 

「そうだぞ! これは我がダスティネス家にとって、いや、この国に関わる一大事なのだ!」

 

「つっても、ただの見合いだろ。嫌なら断れよ」

 

「断れない事情があるのだ!」

 

 地面に敷かれたレンガにはゴムの焦げた臭いと共にブレーキ痕が刻まれている。ライドストライカーから飛び降り慌てて屋敷の中へと駆け込んだソウゴが目にしたのは、潤んだ瞳と困った表情を携えたどこかのご令嬢だった。

 そのどこかのご令嬢……いや、宝飾品やドレスで着飾り、見た目はどこに出しても恥ずかしくないお嬢様になっているダクネスは、非常に興奮した様子でカズマの胸倉を掴み持ち上げる。

 

「それにこれはただの見合いではない! 貴族同士の婚姻は政略的な意味合いが強いのだ! 私がアレクセイ家に嫁げばアルダープにより強い権力を与えることになるのだぞ!?」

 

「カズマはいいんですか!? 大事な仲間が悪徳領主の妾にされてしまっても!」

 

「落ち着けお前ッ! 苦しッ……折れる折れる!」

 

 ダクネスの手をタップして何とか気道を確保したカズマは、搾り取られた分の空気を肺に取り込みながら無事だった頸椎に安堵し生を実感する。前の世界も合わせた人生で床がこれほど恋しく感じたこともないだろう。

 ドレスに隠されて見えない、人一人持ち上げられる筋肉を想起しても、カズマの減らず口は止まらなかった。

 

「安心しろダクネス。お前みたいなパワー担当のメスゴリラを娶るやつはいない」

 

「だ、誰がメスゴリラだっ!」

 

「知らないのカズマ? ゴリラは力だけじゃなくて賢いのよ?」

 

「アクアまで私をゴリラ扱いをするのか!?」

 

 

   ⏲⏱だ、だがそれも悪くない……!⏲⏱

 

 

「めぐみんが凄い形相だったから、てっきりダクネスが酷い目にあったんだと思って急いで帰ってきたんだけど」

 

「悪魔を従えていようと、自分より身分が上の人間に手を出す度胸はアルダープにもないさ」

 

「お前、本当にいいとこのお嬢様だったんだな……」

 

「信じてなかったのか!?」

 

 一先ず傷物になっていないようで安心した面々は話を聴くため、お茶を啜りながらいつもの席に着いていた。欠けていた一人が帰ってきたことで収まりの良さにほっとしたのは、めぐみんだけではないだろう。

 久々に全員で囲むテーブルで咳払いをしたダクネスは、神妙な声色で口を開いた。

 

「今回私はアレクセイ家に、冒険者サトウカズマの一件に関する調査及び、領主業務の査察という名目で潜入したんだ」

 

「ま、あれだけ派手にやっておきながらお咎めなしってわけないもんな」

 

「ああ。しかし、こちらの付き人も合わせて数日屋敷に滞在したのだが、シロとやらも悪魔も姿を見ることはできなかった」

 

「向こうもそう簡単に尻尾を見せるわけないわよね」

 

「そこで私はアルダープの息子、バルターに近づいた。近親者であれば何か情報が引き出せるかと思ったのだ。だが、それが間違いだった……」

 

 遠い目をするダクネスに、一同はごくりとつばを飲み込む。蛙の子は蛙ということだろうか。そんな思考が四人によぎる。

 緊張感の支配する空間で、彼女はその重い口を開いた。

 

「私の様子を使用人から聞いた父が、私がバルターに気があると勘違いし縁談を申し込んだのだ」

 

『…………』

 

「アルダープ側も乗り気で、あれよあれよという間に話は進んでいった。もちろん必死に抵抗した! しかしこれまで縁談の話が持ち込まれる度、相手に難癖をつけて断り続けてきた私に降って湧いた片思い疑惑。幸か不幸か、父もバルターの人柄を高く評価している。真偽に関わらずこんなチャンスを父が見逃すわけがない。日頃から私に『そろそろ危険な冒険者なんてやめて淑女として落ち着かないか』と見合い話を持ってくる父の本気の根回しに先手を打たれ、脱出に時間がかかってしまった」

 

『………………』

 

「私は今の生活が気に入っている。カズマたちは魔王討伐を掲げているだろう? そしてソウゴの危険性も考えれば魔王軍の手の者に目をつけられるのも時間の問題だ。皆の盾となり戦った私は抵抗虚しく捉えられ、手枷足枷をはめられあられもない姿にされ様々な辱めを……っ! くっ! わ、私はそんな人生を送りたい!! だからこの縁談を断る知恵を貸してほしいんだ! こちらから申し込んだ見合いを断る知恵を!」

 

「はい、解散」

 

「「「異議なし」」」

 

「どうしてだ!?」

 

 一人愕然とするダクネスに対して、非常に呆れた顔のカズマが答える。

 

「断れない事情って、お前が今まで親父さんに不義理はたらいてた報いだろ。身から出た錆じゃないか」

 

「うっ……。しかしだ! きっと見合い相手のことを聞けば力を貸してくれるはずだ!」

 

 そう言って、ダクネスは呆れ顔の仲間たちの前に一枚の肖像画を叩きつけた。上等な紙に描かれた人物画は、正しく絵に描いたような好青年。携える微笑みは、親とは違い邪悪さの欠片も感じられない。

 

「これが相手の男。アルダープの息子、バルターだ」

 

「これが? あのハゲオヤジの? イケメン過ぎてなんかムカつくな」

 

「親とは似ても似つかない、爽やかな好青年ではありませんか」

 

「遺伝子の抵抗がうかがえるわね」

 

 絵などいくらでも美化できるとはいえ、ダクネスが反論してこないところを見ると忠実に描かれているのだろう。しかし、反論がないからと言って不満がないというわけではない。

 

「それで、ダクネスは何が不満なの?」

 

「全てだ」

 

「いきなり全否定かよ」

 

「まず、恵まれない者に献身的に施しを与えるなど、人柄がとてもいいらしい。人望もあり、誰に対しても怒らず、努力家で、最年少で騎士に叙勲されるほど剣の腕が立つと聞く。非常に出来た人間だ」

 

「中身まで完璧そうなんですけど……」

 

 アクアのそんな一言に、ダクネス以外の全員が頷く。話を聞く限り私欲に塗れ悪魔を使役するような親がいるとは思えない、慎ましやかな貴族の鏡のようだが、それを真っ向から否定するダクネスは怒りの形相で拳をテーブルに叩きつけた。

 

「そんな素晴らしいことは、私を嫁にするような男がすることではない!! 貴族なら貴族らしく、こんな微笑みではなく常に下卑た笑みを浮かべていろ!!」

 

「お前何言ってるんだ」

 

「誰に対しても怒らない? 馬鹿が! 失敗したメイドに対して、お仕置きと称してアレコレやるのは貴族の嗜みだろうが……ッ!」

 

「お前は本当に何を言っているんだ」

 

「献身的な施しなど以ての外だ! そんな善人、お呼びではない!!」

 

 呆れ顔というか、めぐみんですら引いているのがわかる。これ以上この変態の妄言を未成年に聞かせ続けていいものかと思案しようにも、そんな間すら与えてくれないダクネスの暴走はとどまるところを知らない。

 

「そもそも、そのような出来た男は私の好みと正反対だ! 外見はパッとせず、体型はヒョロくてもいいし太っていてもいい! 私が一途に想っているのに、他の女に言い寄られれば鼻の下を伸ばす意志の弱いのがいいな。スケベそうで、年中発情しているのは必須条件だ! できるだけ楽して生きたいと、人生舐めてるダメなやつがいい。借金などあれば申し分ないな。そして働きもせず酒ばかり飲んで『俺がダメなのは世間が悪い』と文句を言い、空の酒瓶を私に投げてこう言うのだ! 『ダクネス。お前、そのいやらしい体を使ってちょっと金を稼いでこい』と。…………んっはぁ……/// ふ、フフフ……。そ、想像しただけで軽くぜ「それ以上言わせてたまるか!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ダクネスがダクネスなのはいつものことなので諦めるしかありませんが」

 

「この女はもうダメだ。手遅れだ」

 

「どうするの? ダクネスの好みストライクゾーンど真ん中のカズマさん」

 

「ばっかお前。外角攻め過ぎて敬遠並みのボールだわ」

 

「マウンドには立ってるんだね」

 

 と、馬鹿なことを言いつつ気を持ち直す。この際バルターのところに送り出して、この倒錯した性癖を何とかした方がいいのでは? という考えが脳裏を過るが、そんな考えを邪魔するようにダクネスはカズマの手を握った。

 

「頼む、知恵を貸してくれ! 見合いは明日の昼なんだ! 私一人ではもうどうすることもできない!」

 

「はぁ!? 急展開すぎるだろ!」

 

「このままだと、見合いの席でバルターを再起不能にしかねないね」

 

「お前とかアクアがそういう怖いこと言うと現実になりそうだからやめろ!」

 

 口では文句を言いつつも、握られた手を振り払えるほどカズマも情のない人間ではない。こと共に冒険を重ねた仲間からの願い出であれば尚更だ。それがわかっている仲間たちに暖かい目を向けられたカズマは、ため息をついて言葉を漏らした。

 

「はぁ……。しょうがねぇなぁ……」

 

「っ! ありがとうカズマ! 恩に着る!」

 

「ったく。借金完済の目途がようやく立ったと思ったらこれだもんなぁ」

 

「まあ、助けを求めろと最初に言ったのはカズマですからね」

 

「わかってるっての。それに、今回はかなり楽に済みそうだしな」

 

 そう嘯くが、あながち大言壮語というわけでも無さそうだった。カズマの表情から勝算があると読み取ったソウゴは、顔を明るくするダクネスを抑えて問いかける。

 

「へぇ。じゃあ、もう考えはあるんだ」

 

「ああ。申し込んだ以上こっちから断ることはできない。だが向こうに断らせるよう立ち回れば、世間的にはダクネスが振られたことになる」

 

「私は振られたことになっても気にしないのだが……」

 

「ダクネスの家はデカいんだろ? 家名に傷がつくのは避けたほうがいい。それに、傷心に漬け込んで見合いの申込みが増えるかもしれないじゃないか」

 

「それは困る! 私も毎回父を張り倒すのは心苦しいのだ……!」

 

「心苦しいなら張り倒すのやめろよ」

 

「それで? 具体的にはどうするのよ」

 

 アクアの横槍に、脱線しかけたカズマは何とか元の線路に着地し直す。ピンと指を立てたカズマは、得意げな顔をして言い放った。

 

「こっちから断る口実を作ればいいんだよ」

 

「断る口実、ですか?」

 

「ああ。イケメンで人格者。民を思う気持ちもあるし、国に尽くす貴族として申し分ない若き騎士。だが、そいつが森で出くわしたモンスターからダクネスを守れず、その上ダクネスに守られるようなことになれば?」

 

「なるほど。『噂より大したことのない男だった。自分より弱い男に嫁ぐ気はない』と断れば、今まで見合いを蹴り続けた後付けの理由にもなりますし、これからダクネスのお父さんが見合い相手を選ぶのも慎重になる」

 

「そういうことだ。誇張無しに言っても、ダクネスは世界一硬いクルセイダー。攻撃は当たらないが防御力だけは飛び抜けて尖ってる。そんなやつに勝てる人間なんて冒険者の中でも一握りだってのに、貴族にいるとは思えない。それにバルターを負かしたという箔が付けば尚更だ」

 

「カズマさんやソウゴさんみたいに悪い噂のないイケメン人格者なら、それくらいの風評被害じゃ向こうの人気も揺らがないものね」

 

「Win-Winというわけですか」

 

「え、待って。俺まで悪い噂あるの?」

 

「どうだ、ダクネス?」

 

 デメリットとしては、ダクネスを屈服させるほどの強い人間が現れれば首を縦に振らざるをえないことだが、カズマにそこの心配はない。勝てることはなくても、被虐嗜好のダクネスが負けを認める事などそう有りはしないからだ。

 カズマの提案がお気に召したのか、頬をほころばせうち震えるダクネスは力強く拳を握った。

 

「……いい。いいぞ、最高だ! それでいこう!」

 

「よし。じゃあ明日、俺とアクアは臨時の使用人として潜り込みダクネスの手助けだ。バルターがピンチになったら、めぐみんとソウゴがサポートしつつダクネスが一掃したように見せかける」

 

「俺、あんまり力使いたくないんだよね。エリス様にも釘刺されてるし」

 

「マジか。でもエリス様から言われてるならなぁ。俺の〈狙撃〉スキルだと矢が残るし……」

 

「そこは俺とめぐみんでなんとかするよ。ね、めぐみん」

 

「ええ、もちろん。我が伝家の宝刀、爆裂魔法が火を吹きますよ!」

 

「吹きません。そもそも、どこの世界に爆裂魔法が使えるクルセイダーがいるん……いないよな?」

 

「爆裂魔法並みじゃないけど、爆発系の攻撃ができて剣も振れる仮面ライダーなら何人かいるよ」

 

「そんなやつら相手にしなきゃいけない敵に同情したくなるわ……」

 

 頼むからこの世界基準で考えてくれ。そう念を押されたソウゴとめぐみんの頭には、既に妙案が閃いていた。

 

 

   ⏱翌⏲日⏱

 

 

「ねえ、めぐみん? 誘ってくれるのは嬉しいんだけど、他店の調査なんてするほどめぐみんって仕事熱心だったかしら?」

 

「すぐに人のことを疑うのですねゆんゆんは。そんなんだから友達がいないんですよ」

 

「今は関係ないでしょ!? それに友達くらいいるから!」

 

「仲良いね、二人とも」

 

「そ、そう見えますか? えへへ……」

 

 ソウゴの一言に対して照れくさそうにはにかむゆんゆん。そんなちょろい彼女にため息をついためぐみんは、目の前のティーカップにぼとぼとと角砂糖を落とした。

 テラス席ということもあり、風が心地良い。春の日差しが優雅な午後を演出している。この三人で囲むテーブルも珍しいな、などと感想を抱くソウゴは、警戒しているのか配膳された紅茶に手を出さないゆんゆんを見て、わざとらしく自分も角砂糖を入れていく。

 

「そんなことより、ちゃんと杖は持ってきていますね? あと財布は置いてきましたか?」

 

「え、ええ。言われた通りにしたけど……。本当にお金あるの?」

 

「そこは心配しないで。お金は俺がちゃんと持ってるから」

 

「本当ですか? 食い逃げに加担させる気じゃ……」

 

「私がそんなみみっちいことをすると思いますか?」

 

「うん」

 

「即答とはいい度胸ですね。今日という今日は徹底的に叩きのめし、その無駄に育った体に泣いて謝るくらいのすんごいことをしてやろうじゃないか。表出ろ」

 

「めぐみん落ち着いて。カズマの悪影響受けてるよ」

 

 宥めるように微笑みかけたソウゴは、砂糖の溶けきった紅茶を口に含んだ。

 いい香りではあるが、正直違いなどわからない彼にとっては口の寂しさを紛らわせる嗜好品でしかない。なんなら茶葉の名前すら忘れてしまったし、元の味など投入した砂糖のせいでさっぱりだ。だがこれは、あくまで人員確保の手段でしかない。

 紅茶を啜るソウゴの姿に警戒を解いたのか、ゆんゆんはおずおずとストレートのままカップに口をつける。それを見て、ソウゴはにこやかな笑みを見せた。

 

「どう? お味は」

 

「そうですね。ちょっと渋いです。抽出時間のせいかしら? うちで出すものの方が飲みやすいと思います」

 

「そっか。じゃあ今日はよろしくね、ゆんゆん」

 

「あの、他店の偵察でどうしてソウゴさんによろしくされているんでしょうか……? やっぱり嫌な予感がしてきたんですけど……」

 

「ねえめぐみん。俺がこう言うのもなんだけど、ゆんゆんってどうして勘がいいのに巻き込まれやすいの?」

 

「ぼっちは人から誘われるということに慣れていませんからね。声をかければ深く考えずひょいひょい着いてきますよ」

 

「私今日何させられるの!?」

 

 驚愕の表情を浮かべるゆんゆんの疑問には答えず、めぐみんは自分好みに甘くした紅茶を煽る。砂糖の甘味でゆんゆんの言う渋みなど全く感じないだろうが、彼女は少し眉をひそめた。

 

「そう言えばソウゴ。気になっていたことがあるのですが」

 

「ん? どうしたの?」

 

「アルダープはどうして自分の息子とダクネスを結婚させようとしているのでしょうか? ダクネスの話では、アルダープは幼少期より執着していたらしいです。それをみすみす手放すような」

 

「それは俺も不思議なんだよね。いくら未来ノートでも結婚した相手を誤認させるみたいな、認識を書き換えるのは不可能だよ。たぶん、悪魔の力でも」

 

「書き換えられるなら、今頃アルダープの独裁する世界ですからね」

 

「あの、さらっと本題みたいなものに入っていかないでくれますか?」

 

 肩を落とすゆんゆんを横目に、今日の戦闘要員を確保したソウゴは憂いなく思考に没頭する。もうこういう扱いに慣れてしまったのか、財布を持ってこなかったことを激しく反省している彼女を放って話を進めていく。

 

「アルダープの考えがわからないんだよね。カズマを死刑にすること、ダクネスと息子を結婚させること。どれもこれも悪魔や白ウォズの力に頼るようなことじゃない」

 

「対価を払っているとは思えない大盤振る舞いですからね。ソウゴは全て繋がっていると?」

 

「その辺りも、確信が薄れてくるよね。権力が欲しいなら、ダクネスより王族を狙った方がいいと思うんだけど」

 

「ソウゴは知らないんですね。王族は幼少期より経験値が豊富な食べ物を摂っているので、レベルはこの世界でもトップクラス。魔法抵抗力はアクアやソウゴに並ぶでしょう」

 

「つまり、悪魔の力は跳ね除けるのか……」

 

「話の内容はわからないけど、悪魔の力を悪用してる人がいるんですよね? 特に関連性とかなくて、その場凌ぎで乱用しているっていう可能性はないんですか?」

 

「その可能性は薄い、と思いたいかな。それだと悪魔が対価も求めず積極的に協力してることになるからさ。少なくとも、白ウォズはそういうタイプじゃないし」

 

「わからないなら無理に入ってこないでください」

 

「どうしてそんなに冷たいの!? 呼んだのはめぐみんだし、私なりの意見を出しただけじゃない! こういうのを求めてたんじゃないの!?」

 

 涙混じりにめぐみんの肩を掴むゆんゆん越しに、ソウゴは馬車が通り過ぎるのを見た。特徴的な水色の髪の持ち主と短髪の少年が操る馬車は、人が歩いて追いつける速さで外へと向かっていく。そろそろか、とお代をテーブルに置くと、めぐみんは行動を理解したのかゆんゆんの手を払って立ち上がった。

 

「ほら、行きますよゆんゆん。あなたの仕事はこれからです」

 

「え、本当に何させられるの私」

 

「説明は歩きながらするね」

 

「拒否権はありませんよ。断ればソウゴが無銭飲食の現行犯で牢屋へ連れていきますから」

 

「もう私、簡単に人を信じないから……」

 

 加担しているとはいえ、流石に心苦しくなる。帰りは優しくしてあげようと心に誓ったソウゴは、馬車を見失わないように歩く速度を早めた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「〈ライト・オブ・セイバー〉!!」

 

 稲妻の如き閃光が虚空を裂く。切れ味、威力、その全てが術者の実力に左右されるゆんゆんの十八番魔法。ソウゴも感嘆する光の刃を自在に操るゆんゆんは、周囲の空間を一閃すると一息ついた。

 

「ふう……。どうでしょう?」

 

「ありがと、ゆんゆん。本物の紅魔族の魔法って凄いんだね」

 

「おい。誰が偽物か、その辺り詳しく聞こうじゃないか」

 

「誰も偽物なんて言ってないじゃん」

 

 めぐみんの怒りを適当にいなしたソウゴは、ざっと辺りを見回した。目に付く範囲で危険度の高そうな動植物は見当たらず、ここまで順調に進んで来られたことを理解する。というより不自然なほどモンスターの影を見ないが、今の論点はそこではない。

 馬車を降りて森に入ったカズマたちとは少々距離が開いているものの、アクアの放った〈フォルス・ファイア〉の軌道を目印にすれば問題なく追いつけるだろう。先を目指しながら、ソウゴはふむと考え込む。

 

「でも、ダクネスが斬ったように誤魔化すとなると光の剣はやりすぎ感あるね。やっぱり最初に見せてもらった風のやつでお願いできる?」

 

「〈ブレード・オブ・ウインド〉ですね。わかりました」

 

 上級から中級魔法まで幅広く魔法を修得し、いかなる状況でも冷静に対応してクエストをこなすという噂のソロ魔法使い。噂に違わぬ実力の高さに、ソウゴは素直に賞賛の声を漏らす。

 ギルドからテーブルで一人ゲームに興じる姿から“ソロゲーマー”とあだ名され親しまれている彼女を見ると、“頭のおかしい爆裂娘”という忌み名を頂戴し敬遠されるライバルとはえらい違いだと感じてしまうのは仕方のないことだろう。

 

「ソウゴ。今なにか失礼なことを考えませんでした?」

 

「なんのこと? それにしても、魔法って色々あるんだね。俺、カズマの使う初級魔法とめぐみんの爆裂魔法しか見てなかったから」

 

「それだけしか見ていなかったら、魔法の有用性は分かりませんよね」

 

「その代わり爆裂魔法の魅力がわかるんですから良いではありませんか。中級や上級魔法なんて紅魔の里に行けば掃いて捨てるほど見られますが、爆裂魔法はゆんゆんの友達くらい希少価値がありますよ」

 

「めぐみんはいちいち私を貶さなきゃ会話できないの!?」

 

 やいのやいのと姦しい二人を見て、ソウゴはふふっと笑みを浮かべた。

 準備は整った。あとはカズマたちと合流し、作戦通りにことが運べばまずは見合いの回避という()()()()はクリアだ。

 

「……ゆんゆんの屈折魔法ってやつでもいいかも」

 

「? ソウゴ、なにか言いましたか?」

 

「え? ああ、ゆんゆんが着いてきてくれてよかったなって」

 

 へらへらとした笑みでそうはぐらかしたソウゴは、流石にこれ以上巻き込むのはまずいかとその考えを思考の端へと追いやった。

 

 

   ⏱⏲でも私、脅されて連れてこられたんですけど……⏲⏱

 

 

「……なにあれ」

 

「私に聞かないでください」

 

 ソウゴの疑問にノータイムで答えためぐみんは、狂戦士のように笑いながら剣を振るパーティーメンバーに言葉を失っていた。

 

「あはははは! 当たる! 私の攻撃が! 当たるぞー!!」

 

「強い方だ……! ふふっ。やはり貴女は他の令嬢とは違うようですね」

 

「無駄口をたたく暇があるのなら腕を動かせバルター!」

 

「わかっています! ……本当に、惚れてしまいそうになる!」

 

 飛びついてくる仮面のようなものをつけた小さな人型のモンスターを愛剣で薙ぎ払い、恍惚な笑みを浮かべる姿は流石に犯罪の香りがする。攻撃が当たらないという普段のストレスが一気に開放されているのか、この姿を見た人物に彼女が良いところのお嬢様と言っても信じてもらえないだろう。形式上背中を預け合ってはいるが、巧みなバルターの剣捌きとは大きな差を感じてしまう。

 状況がわからず呆然と見守るしかないソウゴたちの視界の端で、執事服に身を包むカズマがひょいと手を挙げる。

 

「おうお前ら、お疲れ。なるほどゆんゆんか。考えたな」

 

「カズマ、あれなに?」

 

「ああ。なんかあの人形みたいなの、対象にくっついて自爆するみたいでな。ダクネスが攻撃すると自分から当たりに行くんだよ」

 

 ほれ、とカズマは自分の背後を指す。そこには、運悪く爆発に巻き込まれた犠牲者が膝を抱えてべそをかいていた。支給されたメイド服は爆発の影響か所々焼け跡や煤が付いており、怪我はなさそうだが居た堪れない風体になっている。その程度で済むのは、やはりステータスがカンストしているからか、それとも欠片ほど残っている女神としての神聖さの力だろうか。

 

「アクアならギャグ漫画とかの爆発オチに耐えられそうだよね」

 

「縁起でもないこと言うなよ。このろくでもない世界のことだから、本当に起きるかもしれないだろうが」

 

「あはは。確かに」

 

「何にせよ、当初の作戦からはだいぶ離れたな。バルターも良い奴そうだし、話せばこっちの協力者になってくれそうだ」

 

「そっか。カズマが言うんならそうなんだろうね」

 

 二人が談笑しながら二人の奮闘を観戦していると、何かが弾ける音が響いた。

 

「くっ……! 剣が……!」

 

「剣がどうした! その程度でだらしないぞ!」

 

 音の発生源はバルターの持つ得物。ダクネスの鈍器のような剣と違い爆発に耐えられなくなったのか、真ん中からポッキリと折れてしまっていた。リーチが短くなった分、爆発による熱風がより身近でバルターを襲う。

 森の奥から湧いてくるあの正体不明のモンスターは、人海戦術でダクネスとバルターを追い詰めていた。このままなら物量で押し切られるのは明白だろう。

 

「って、皆さんなに眺めてるんですか! 早くダクネスさんたちを助けないと!」

 

「いや、ゆんゆん。アレをよく見ろ」

 

 救援を提案するゆんゆんに、まるで動く気配のないカズマはじっとりとした目で件の女騎士を指さした。

 彼女の眉間は苦悶と苦痛によってシワを刻み、珠のような汗が滴る頬は疲労からかうっすらと上気していた。攻撃を当てるということに慣れていないせいか、動きも剣術の型というより体力任せのフルスイングのため辛そうに肩も上下させている。装備も戦闘向きでないドレス、ヒールを折って無理やり動けるようにした靴。同じ正装とはいえ男のバルターと比べ機能性など皆無である。万全とは到底言い難いコンディション。

 

 

 しかし、彼女は喜びで破顔していた。

 

 

「何だ、この湧き上がる高揚感は! 今の私は鎧もなく、頼れるのは己の身一つ。あの爆発を何発と食らえば、私は無事でも流石に服はもたないだろう……。あられもない姿をバルターやカズマに晒し、それでも爆発は止まず、ボロボロにされた私はこいつらの巣へと持ち帰られ、慰み者に……! んっくぅぅ……///」

 

「なんであの人喜んでるんですか……?」

 

 戦慄するゆんゆんを放置して、カズマはソウゴたちに向き直る。酷く疲れたような顔なのは、恐らくダクネスが本性を剥き出しにしてからバルター相手に気を揉んだからだろう。

 

「あの変態は当分放っておいても大丈夫だ。それより、ダクネスが〈デコイ〉で爆弾モンスターどもの注意を引き付けてるうちにこの場を離脱したい」

 

「出どころを探らなくていいのですか!?」

 

「〈敵感知〉に反応はない。つまり近くにアレの親玉はいない。そしてアレの相手をしなくても見合いの件は解決する。ならわざわざ面倒事に首を突っ込む必要はない」

 

「あはは。カズマらしいね」

 

「笑っている場合ではありませんよ! アレがもし森から出て街に来たらどうするんですか!」

 

「それはない。あいつらは元々モンスターだけを追いかけてたんだ。アクアに反応して自爆してから、憤ったダクネスが挑みに行ってこれだ。こちらから手を出さない限り人は襲わない。戦うにしても俺たちの装備が万全じゃない。一旦引いて対策を練った方がいいだろ」

 

「本音は?」

 

「問題があるならギルドからクエストが出される。事前情報ありで報酬も貰えるならそっちの方がいい。タダ働きはしたくない」

 

「この男は……! ソウゴはいいのですか!?」

 

「うーん。せっかく取り戻した生態系をめちゃくちゃにされるのは困るかな」

 

「おい、まさか……」

 

 嫌な予感がしてカズマの顔は引きつる。このままでは臨時収入の危機。無報酬上等の出鱈目パワーをその身に宿すボランティアヒーローが出れば、それこそ問題が一瞬で解決してしまう。

 ここで貯金のチャンスを逃すのは手痛い。そう思い待ったをかけようとしたが、カズマの予想に反してソウゴは眉を垂らした。

 

「でも、俺もカズマの言う通りここは一旦引いた方がいいと思う。どうしてあの自爆人形がアクアに反応したのか気になるし」

 

「そう言えばそうだな。なんでだ?」

 

「魔力に反応した、とかでしょうか?」

 

「それならめぐみんやゆんゆんにも反応するでしょ。たぶん、アクアが女神だからだよ」

 

「ソウゴはまだその与太話を信じていたのですか……」

 

 めぐみんが呆れて肩を落とすが、カズマもピンとくるものがあったのか顔を見合わせる。あの神聖さの欠片もない女神を女神として認識するだけでなく、その上敵対視する存在の心当たりなんて一つしかない。アルダープ周りだけでなく、こんなところでも悪魔の存在がチラつくのはやはり日頃の行いだろうか。

 

「アルダープ絡みかそれ以外か。どちらにしても今は発生元を叩けるような状態じゃない。リーダーの言う通り装備を整えてから挑もう。と、言うわけで」

 

 そう言うと、ソウゴは手のひらをダクネスたちに、いや、正確には迫りくる爆弾人形たちに向ける。まさか衝撃波的なアレで全滅させる気かと身構えるカズマとめぐみん。それを訝しげな表情で見つめるゆんゆん。その三人の前でソウゴはにっこりと笑みを見せた。

 

 その瞬間、人形たちの世界は停止する。

 

「「「…………え?」」」

 

「とりあえずこのままにしておけば、これ以上荒らされる心配はないよね」

 

 ソウゴは事も無げにそう言う。空中に浮いたままのモノ、破裂する瞬間のままのモノ、様々あれど、その全てが体にノイズを走らせながらそれぞれの今という“時間”に縫い付けられていた。

 戦闘中の二人が触れても押してもびくともせず、動き出す気配もまるでない。カズマからすればまるで出来のいいパントマイムだ。しかし、全員がそうでないことを知っている。

 

「そ、ソウゴ? 何をしたんですか?」

 

「何って、時間を止めたんだよ」

 

「時間って止められるものなんですか……?」

 

「そりゃまあ、時を戻せるんだから時を止めるくらいは」

 

「今、無自覚系チート主人公に対するイラつきを思い出したわ」

 

 チート、無自覚と既にツーアウトなのだ。これに「え? また俺なんかやっちゃいました?」などとふざけたことを現実で言われれば流石に拳を固めていただろう。

 そんなカズマの心境など露知らず。いつも通りへらへらと笑うソウゴは、へらへらと頬を緩めながら振り返った。

 

「それじゃ、帰ろっか」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「バルターが話のわかるやつでよかったな」

 

「その上、協力まで約束してくれるとは。これでアルダープを調べやすくなる」

 

「ダクネス。馬鹿みたいなことは言わずに、結婚するならああいう人にしてくださいね」

 

「ひ、人の好みに馬鹿とはなんだ!」

 

「ダクネスさんの好みの男性ですか? 興味あります!」

 

「おや、まだいたんですかゆんゆん。もう用事はないので帰ってもらって結構ですよ。お疲れ様でした」

 

「どうしてそんなに冷たいの!?」

 

「まあまあいいじゃん。ここでゆんゆん巻き込んでおいた方が何かとべん……助かるからさ」

 

「今、便利って言いかけましたか?」

 

「そんなことよりお腹空かない? 皆で晩御飯でも一緒にどうかな?」

 

「い、行きます!!」

 

「ゆんゆんがチョロすぎて俺すごく不安になるよ」

 

「口車に乗せたやつの台詞じゃねぇよ」

 

 ダスティネス邸から騒がしく帰路を進む面々。その後バルターに事情を説明し見合いは破談。内部から調査してもらえるよう取り付けたことで後はゆっくりと敵を炙り出すだけ。白ウォズに隠し玉はまだあるだろうが、手は尽くしている。

 ふと、いつもは酒だ酒だとうるさい女神が静かなことに気がつく。

 

「どうしたの、アクア。静かだね。これからお酒だよ?」

 

「服の弁償もせずに済んだのに何落ち込んでるんだよ」

 

「私をなんだと思ってるのよ」

 

「宴会の女神」

「借金の女神」

 

「アンタたち本ッ当にいつか後悔させるから。 ……あの人形のせいで体に悪魔の臭いが付いてるの。それが不快なだけよ」

 

「うわ、やっぱり悪魔絡みだったのかよ……。それにしても、あれは何がしたかったんだろうな?」

 

 結局、ソウゴが時を止めっぱなしで放置した目的不明の人形たちのことを思い出す。そのうち敵対することになるだろうとは想像しているが、モンスターを狙っていたことにはまるで予想がつかない。

 深く考え始めていたカズマだが、そんな彼をソウゴはへらへらとした笑みで現実に引き戻す。

 

「大丈夫だよ。近い未来、本人から理由を聞けると思うから」

 

「……それは、お前が視た未来か?」

 

「ううん。そんな気がするだけ」

 

「お前の『気がする』は冗談じゃ済まないから勘弁してくれ」

 

 ため息混じりに肩を落とす。できることならお金になりますようにと祈るカズマだが、その思いは幸運の神様には届かないようだった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ほほぅ、これが話に聞く“時の魔王”とやらの力か。なるほどなるほど。我輩が想像していたよりも随分と人間離れした……いや、これは最早人間の所業ではないな」

 

 自分の生み出した傀儡を眺めながらそう独りごちる。魔力を断ち切り形を崩そうとしても、砂粒一つこぼれ落ちることはない。文字通り、時が止められているのだ。人と比べて遥かに長い時を生きる存在であれ、時間そのものに干渉できる存在などそうお目にかかれるものではない。

 感嘆する仮面を付けた、性別は恐らく男性であろう彼は、心底愉快そうにくつくつと喉を鳴らし懐から手のひらに乗るほどの力ある代物を取り出す。

 

「我の夢の実現のため、せいぜい利用させて貰うぞ。常磐ソウゴ」

 

«ザモナス»

 

 月夜に照らされるそれは、怪しい輝きを放っていた。




監視対象に関する報告書 五日目

アクセルの街に戻るとサトウカズマが国家反逆罪で逮捕されたという知らせを受けた。どうやら私の関与していないところで話が進んでいたようだ。逮捕の決め手は領主殿の屋敷に押しかけ脅しをかけたことらしいが、あのサトウカズマという男がそのような短絡的な行為に及ぶとは思えない。あの妙に知恵が回る男ならば確実に搦手を打ってくるはずだ。そこは監視対象とも意見が一致していた。
すぐに釈放の手続きを行おうとしたが、監視対象によって制される。仲間の窮地ではあるが何か考えがあるようなので従うこととする。監視期間中のため、本日はアクセルの街で宿を取る。請求書は領収書とともに後日申請致します。


追記
監視対象の指示に従った理由について申し開きを求められましたので、根拠としましたトキワソウゴのドリスでの実績と表情の差分に関する資料を後日送付します。ご確認ください。


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この仮面の悪魔と取引を!

 朗らかな日差しが、移ろいゆく季節を感じさせる朝。日常の騒がしさを取り戻しつつあるアクセルの街に、コツコツと小気味良い音が響く。革靴を鳴らし、訝しむ人々の視線を引き連れ歩く、目元だけ覆われた道化師のような仮面を付けた怪しげな風貌の……その背丈から恐らく男性であると思われる彼は、ギルドの前に到着するとふむと腕を組みニヤリと笑う。

 

「ここか」

 

 そう一言呟いた男は、扉を開いてズカズカと中へ入っていく。見慣れないタキシード姿の登場に駆け出し冒険者たちの視線が集まるが、そんなことは歯牙にも掛けない。物怖じをしない堂々とした態度で受付にやってきた彼に、受付嬢のルナはいつも通りの笑みを浮かべた。

 

「ようこそ、冒険者ギルドへ! この辺りでは見かけない方ですね。……いや、どこかで見たような……?」

 

「悪いが我に性別はない故、そのようなナンパの常套句を使われても靡かぬぞ。最近ようやく自分に彼氏ができない理由がわかりホッとしている反面、自分に問題があるわけではないので解決策がわからず悶々としながら彼氏いない歴を絶賛更新中の受付嬢よ」

 

「そそそそんなんじゃありませんけど!?」

 

「安心せよ、後輩の寿退社を見送るばかりにいつの間にか同期が既婚者ばかりになってしまった娘よ。人間である汝の年齢ならば家庭をもつのは自然なことだろうが、昨今は男女平等がブームだ。仕事に注力するのも悪いことではなかろう」

 

「好きで仕事にのめり込んでいるわけではありませんから!」

 

「それはそうだろうな! 志を同じくする者たちと日々研鑽を重ね、最近では不本意にも古株ということから副会長の座まで「あー!! あー!! な、何なんですか貴方は一体!!」

 

「おっと、これは失敬。羞恥と憤怒の悪感情、非常に美味であったが、名乗りもせずにつまみ食いなど些か無礼が過ぎたな! フハハハハッ!」

 

 顔を赤く染めるルナとは正反対に高笑いをする男は、ギルド内全ての視線を一手に引き付けるが気にする素振りはない。むしろ、それすらもどこか楽しげに引き受ける彼は一頻り笑うと、口元に邪な笑みを浮かべたまま咳払いをした。

 

「我輩の名はバニル。本気を出せば魔王より強いと噂の魔王軍幹部が一人、バニルである。本日は常磐ソウゴにお目通りしたく馳せ参じた所存。悪いが、お呼びいただけるかな? 麗しい受付嬢よ」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「これはこれは。ご足労いただき感謝しますぞ、時の魔王よ」

 

 仲間たちと連れ立ってギルドに足を踏み入れたソウゴに対し、とても美しくかつ大仰に礼をした大男は開口一番にそういった。指の先まで意識の通った所作は、大げさでもダクネスのお眼鏡に適うものだったらしい。一歩踏み出したソウゴは、頭を垂れる彼に声をかけた。

 

「アンタが俺に用があるっていう魔王軍幹部?」

 

「いかにも。我輩の名はバニル。地獄の公爵が一人、“見通す悪魔”こと大悪魔バニルである。以後お見知りおきを、時の魔王。いや、()()()()、とお呼びした方がよろしいですかな?」

 

「……どっちでもいいよ。手短にお願いね」

 

「……フフフ。勿論。時間は取りませぬよ」

 

「あと、話し方。楽にしてくれていいから」

 

「それはそれは。では失礼するぞ、時の魔王よ」

 

 話を聞きつけた冒険者やギルド職員が見守る中でドカッとテーブルに着いたバニルは、同じく着席したソウゴをまじまじと眺める。力量を測っているのか、しかし余裕ぶった笑みは決して崩すことはない。

 その内、仮面で隠れてはいるもののバニルの視線はソウゴ越しに後ろのテーブルへと移る。

 

「申し訳ないな、お仲間まで雁首揃えてお出でいただいて」

 

「まあ、魔王軍幹部が訪ねてきたって言われたらこうなるよ」

 

「それもそうか。いやしかし、実に個性的なメンバーだ。本名のララティーナがそこの小僧のせいで街の冒険者の間で定着し、悶々とした恥ずかしさを日々感じている娘に「んな!? お前だったのかカズマ!」

 

「最近活躍の場がないため爆裂魔法を撃ち込めそうな依頼はないかと小僧に見つからぬようギルドにこっそりとあしげく通う娘「ど、どうしてそれを!」

 

「その上、口では何だかんだ言いながらも問題だらけのパーティーメンバーに対して家族愛に似た感情を抱き、不満を並べながらも満更ではない毎日を過ごす小僧とは」

 

「何で俺だけ弄り方のテイストが違うんだよ!?」

 

「おや。では、戸棚の二重底に隠してある「勘弁してくださいお願いします」

 

 土下座するカズマを眺めくつくつと喉を鳴らす仮面の男、バニルは満足げな笑みを口元に浮かべる。仮面のせいで常にニヤけたような面が、より一層人を小馬鹿にしたような形を作るのはきっと意図があってのことだろう。この挑発の意味を理解したソウゴは決して口を挟まない。

 しかし、だからと言って本題に入れるというわけではなかった。

 

「ちょっと。私を無視するとはいい度胸ね、寄生虫の分際で」

 

「おやおや? もしや汝も魔王のお仲間だったのかな? これはすまない! まさか汝程度の駆け出しプリーストが魔王に頭を垂れているとは思いもせず! すまないな、邪教の女神と同じ名を持つへっぽこプリーストよ」

 

「誰が邪教よ! アクシズ教は立派な教えよ! あと、私がソウゴの仲間なんじゃなくて、ソウゴが私の仲間なの!」

 

「俺はどっちでもいいけどね」

 

「ふん。観光地で洗剤の押し売りをする宗教がマルチ商法のインチキ邪教でなければなんだと言うんだ? ん?」

 

「なら甘い言葉で人を騙して悪感情を啜るアンタは、さしずめ樹液に群がる虫けらってところかしら? まだ冬だし湧くのは早いんじゃなくって?」

 

 睨み合う二人は、一発触発の雰囲気を放ちながら顔を突き合わせる。アクアは指をポキポキと鳴らし、バニルは先程まで愉悦で象っていた三日月を噛み締め牙を見せる。

 どちらかが手を出せば確実に戦闘に入る。そんな雰囲気がギルドに立ち込めるが、ソウゴは流石にそこまで良しとはしなかった。

 

「はいはい。二人とも落ち着いてよ。バニルは俺に話があって来たんでしょ?」

 

「……フンッ! 命拾いしたなひよっこプリーストよ。今日のところは我輩が折れてやろう。感謝することだ」

 

「あらぁ〜??? 随分とデカい口を叩く悪魔ですこと。恐いなら恐いってちゃんと言わなきゃだめよ? プークスクス」

 

「忌々しき守銭奴の系譜が……!」

 

「どうどう。アクアもあんまり煽らないでね。話進まないから」

 

「話をすることなんてあるのかしら。ま、蛆共が言葉を喋れるならっていう前提ありきだけど」

 

「その点は心配無用。祈りや信心だけを集めて見返りを与えない貴様らと違い、我々には契約を結ぶという会話の文化がある。煽るなと言われた傍から悪態をつく貴様らとは違うのだ」

 

「……やっぱりアンタとは拳を交えなきゃいけないようね」

 

「我輩は構わぬぞ? むしろ暴虐の女神を倒しアクシズ教団などという迷惑集団を解散させることができれば、悪魔である我も民衆から褒め称えられること間違いなしであるからな」

 

「ふふふふふ……」

「クックックッ……」

 

「「表出ろ」」

 

「……話、進まないなぁ」

 

 呆れ顔でため息混じりに溢した言葉だが、二人の耳に届くことはなかった。

 

 

   ⏱⏲「カズマ」「よし来た」⏲⏱

 

 

「フハハハハッ!! 飼い主に怒られ萎縮する姿は、正しく犬であるな。正しく痛快である! クックックッ……!」

 

「はい、じゃあこれで話ができるね」

 

 アクアをカズマに任せ、とりあえず距離を取らせたソウゴはバニルの意識をこちらに向けさせる。アクアを連れてきたのは失敗だったかと一瞬考えたが、しかしきっと、これは必要不可欠なピースである。そのことがわかっているのか、バニルは何も言わず両肘をついて指を組むと口元を隠すように顎を寄りかからせた。

 

「話というより、取引だな」

 

「へぇ。俺とどういう取引がしたいの?」

 

「何、簡単なことだ。我が壮大なる夢のため、我輩もこの街に住みたい。よって我輩もサキュバスのように討伐対象から外してもらいたいのだ」

 

「いいんじゃない?」

 

「話が早くて助かる。では、約束の品だ」

 

 そう言ってバニルは懐から緑のライドウォッチを取り出し、テーブルを滑らせる。改造兵士となり修羅の道を歩むことになる男。醜い生物兵器へとその姿を変えてもなお戦うことを決意した勇者の刻んだ歴史。それを受け取ったソウ「待て待てソウゴ! 話が早すぎるぞ!」

 

「そうです! 相手は魔王軍幹部なんですよ!? そんなあっさりと!」

 

「大丈夫だよ」

 

「何が大丈夫なのよ!? いい? こいつは男性冒険者の持て余した欲を食らうサキュバスと違って、他人をおちょくり害をなして糧を得る害虫なの! 共存共栄なんて無理なの!」

 

「でも、その糧を得るために最大限人間を保護してくれるんでしょ? 幹部も辞めるし、他の魔王軍幹部が攻めてきたら戦ってくれるって」

 

「おっと、勝手に改竄するでないぞ時の魔王よ。どんな道筋を辿ろうと、我輩が『最大限』などと言うわけ無かろう」

 

「待てよソウゴ。そんなこと、バニルがいつ言ったんだよ」

 

「未来で」

 

「「「「はぁ?」」」」

 

 目が点になったのは、カズマたちだけではない。事態を飲み込めていないこの場にいる全員、ソウゴとバニル以外は理解が追いつかず首を傾げることすらできなかった。そんな現状にまたくつくつと喉を鳴らしていたバニルは、抑えきれなくなったのか大口を開けて笑い始める。

 

「フハハハッ!! これほどの人間がいて思考が止まり悪感情すら吐き出せなくなるとは中々に愉快であるな! 汝との交渉を決めて本当に良かった。今日はよく笑う日だ。フフフッ。フハハハハハッ!」

 

「そんなに笑うところかな」

 

 不本意そうなソウゴとは裏腹に笑い終えたバニルは、腹を抱えていた腕を解いて仮面をつけ直す。大きな笑い声が響いている間に正気に戻った彼らに対し、バニルは未だ目に涙を浮かべながら口を開いた。

 

「なに。此奴は未来予知を使って数十秒先の我輩と分割で幾通りも会話をし、我輩の用意した交渉材料、そしてこの提案におけるメリット、デメリットを全て検討した上で決断を下したに過ぎん」

 

「数十秒、先……?」

 

「魔王軍幹部であり見通す力を持つ我輩を警戒してのことだろうが、些かパワーバランスがおかしいな。数十秒ほどとは言え、返答が少しでも変われば未来はいくらにでも分岐する。分岐した未来、その全ての我輩に対応していたとなれば、いくら我輩とて脱帽せざるを得ない」

 

「何言ってるの。それを見越してここに呼んだんでしょ? ルナさんを使って人と注目を集め、この場にいる全ての人間の未来を見通すことで俺の出方を伺ってた」

 

「我輩は力の拮抗している者、強い魔力を持つ者、そして汝のような得体の知れない化物の未来は見通せんからな。このくらいのハンデはくれてもよかろう」

 

「……へぇ。バニルって見通す力以上に頭が回るんだね」

 

「おっと、これは虎の尾を踏んでしまったかな? 嫌がるならせめて、少しは悪感情を吐き出してほしいものである」

 

「ま、何はともあれ交渉成立ってことで。俺も“仮面ライダーシン”の歴史を返してもらえてよかったよ」

 

「うむ。ではさっそく契約の解消の手伝いを「だから待ってって! お前らだけで理解できてても困るんだって! 全部説明してくれよ!」

 

「あ、そうだったね。ごめんごめん」

 

 話し終えた雰囲気だったが、間に入ったカズマの言葉でソウゴはへらへらとした笑みを浮かべ謝罪の言葉を口にする。バニルもその行動に納得しているのか、浮かせた腰をもう一度下ろすと足を組んで肘をついた。

 

「では、最初からやろうか?」

 

「そうだね」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「何、簡単なことだ。我が壮大なる夢のため、我輩もこの街に住みたい。よって我輩もサキュバスのように討伐対象から外してもらいたいのだ」

 

「壮大な夢?」

 

「ああ。長く生き過ぎた我輩には夢ができた。とびきりの悪感情を味わいながら華々しく滅びたいという、特大の破滅願望が!」

 

「へぇ。変わってるね」

 

「まあ聞け。まずはダンジョンを用意する。そして各部屋に配下の悪魔や苛烈な罠を準備し難易度を上げる。そこに挑むのは歴戦の冒険者! 犠牲を出しながらもいつかは最奥に到達する者も現れよう。待ち受けるのはもちろん我輩! 死闘の末、倒された我輩のあとに現れる宝箱! 苦難を乗り越えた冒険者たちがその宝箱を開けると、中に有ったのは魔王軍幹部である我が貯めに貯めた金銀財宝――

 

ではなく、『スカ』と書かれた紙切れ一枚。

 

それを見て呆然とする冒険者を笑い、奴らの放つ極上の悪感情を貪りながら滅びたいのだ!」

 

「ふーん。まあ、それが夢なら頑張ればいいんじゃないかな。それで、その夢がここに住むことにどう繋がるの?」

 

「まずダンジョンを手に入れなければならない。そのための資金稼ぎだ。ここのすぐ近くに主のいないダンジョンがあったので拝借しようかと思ったが、手狭な上に雑魚も多い。とりあえず中を空にしようと手始めにモンスターに取り付き爆発する人形を作って放ったのだが、汝に邪魔をされたのであそこは諦めることにした」

 

「溢れ出てたからね。稼ぐツテはあるの?」

 

「ああ。この街に住む働けば働くほど貧乏になる店主とは、奴が冒険者の頃によく戦った仲でな。問題なかろう」

 

「まあ、ウィズなら大丈夫かな。でもこの街に拘る理由は?」

 

「汝の仲間の小僧。やつの過去を覗いたが中々面白い。我輩にとって有益になるはずだ。その小僧にとってもな」

 

「ふーん。まあ、カズマが面白いことは認めるよ。あとは知名度の問題かな?」

 

「この街は我輩のこと、というより魔王軍の幹部など興味はないだろう。ならば絡まれることも少ないはずだ。与えられた神器に振り回される勇者など取るに足らん存在だが、うろちょろされるのは鬱陶しいからな」

 

「魔王軍幹部なんて本当は駆け出しが相手できる存在じゃないからね」

 

「それに、もともと我輩は人間に危害を加えるつもりはない。人間は我輩の糧である悪感情を生み出してくれる美味しいご飯製造機だからな。ここに住む暁には魔王軍幹部をやめ、人間の守護に回ることを約束しよう」

 

「そんなに簡単にやめられるの?」

 

「幹部と言っても昔のよしみで結界の維持を頼まれているだけのなんちゃって幹部だ。未練などないし、同僚に情もない。我輩がこの世から消滅し残機を削れば契約も切れる」

 

「いいの? それって討伐されるってことでしょ?」

 

「我が夢のための必要経費だ。それをケチるような下級悪魔ではない」

 

「ふーん、わかった。じゃあ、バニルが俺に要求するのは皆にバニルがこの街に住むことを了承させること、だね。取引っていうんだから、何か俺に対価をくれるんだよね?」

 

「もちろんである。まあ、察してはいると思うが、我輩が魔王から渡されたこの〈オーパーツ〉。これを汝に進呈しよう」

 

「……へぇ。それが交渉材料になると思ってるんだ? 俺が力ずくで奪うこともできるそれが」

 

「汝はそんなことはせんさ」

 

「どうしてそう言い切れるの?」

 

「我輩は地獄のとはいえ()()。王より一つ下の位と言えど、下であるならば汝の“民”と言って差し支えなかろう『我らが魔王』よ。汝は魔王であっても、民から税を毟り取るような暴君ではない」

 

「それ、サキュバスさんたちから?」

 

「汝のような化物に挑むのだから事前準備はしておる。もっとも、見通す悪魔の力を持ってすればこの程度予測することなど造作もないが」

 

「俺の下に付きたいわけじゃないんでしょ? 本当に民になる気も」

 

「当然だ。ただ、体よく立場が使えると思ったまで。不満か?」

 

「……いいや。うん、気に入ったよバニル。いいんじゃない?」

 

「話が早くて助かる。では、約束の品だ」

 

 

 

「――とまあ、だいたいこういうやり取りを未来予知と見通す力を使いしていたわけだ」

 

「未来の読み合いなんてする経験なかったから楽しかったよ」

 

「我輩は二度と御免被りたいな。汝の無制限未来予知と違い我が見通す力には反動があるのだ。汝には下手な嘘はつかず腹を割って話した方がマシだと理解した」

 

 あけすけに笑い合う二人を見て、この場にいる全員が思う。魔王軍幹部に化物呼ばわりされてるこの男は、もしかしなくても本当に人間の皮を被った化物なのではないか、と。

 交渉が済んだということは、わざわざ強い敵と戦わなくて済むということ。一先ずプラスに考えることにしたカズマはそっとソウゴの肩に手を添える。

 

「ソウゴ。頼むからたまには人間っぽいことをしてくれ」

 

「え?」

 

「まあソウゴがいつも通り規格外で気味が悪いということはわかりました」

 

「え、あの」

 

「そうだな。流石の私もちょっと気味が悪いと思うぞ」

 

「あれ〜?」

 

「ソウゴの頭がおかしいのなんて今に始まったことじゃないからいいわよ今更! そんなことより、私はその便所コオロギがこの街に住み着くなんて認めないからね!」

 

「俺にとっては良くないんだけど……」

 

 少し肩を落とすソウゴを横目に、アクアはビシッと指を立てる。案外人間らしい可愛らしい一面もあるじゃないか、と件の魔王を見ていたバニルは、そんな女神の行動を意に介した様子はない。寧ろ得意げに笑う大悪魔は、からかう様な言葉を選ぶ。

 

「水洗トイレの女神たる汝に認められずとも、我輩がこの街で暮せばすぐにでも信用を勝ち取るだろう。虫は虫でも益虫だとな。汝も女神を自称するのであれば実力を示せばよい。借金まみれの迷惑プリーストに信用があればの話だが」

 

「借金はもうすぐ返すわよ! それに、私は清く美しい水の女神よ? この街に住む皆からの信用なんて湯水のように湧いてるに決まってるじゃない。ね?」

 

『…………』

 

「どうして全員目を逸らすのよ!?」

 

「フハハハハッ! これはこれは、女神様は道化師を演じられるのがお好きなようで。よくお似合いですので転職なさってはいかがかな? 実に笑えて、実に滑稽である!」

 

「こんのクソ悪魔言わせておけば……!!! 〈セイクリッド・ハイネ「ギルドの中でやめんか馬鹿女神!」あうっ!」

 

 

   ⏱⏲「いひゃい…………(´;ω;`)ウッ……」⏲⏱

 

 

「それでは早速、残機を減らして契約を切ってもらおうか」

 

「それについては、俺じゃなくてめぐみんにお願いしようかなって」

 

「うぇ!? 私ですか!?」

 

 脳天を押さえるアクアを優しく撫でていためぐみんが、急に話に巻き込まれたからか肩をビクリと跳ねさせる。突然の指名に驚いているのだろうが、そんな彼女を意に介した様子のないソウゴはいつも通りのへらへらとした笑みを見せる。

 

「大丈夫だよ。めぐみんの爆裂魔法の威力なら十分バニルを倒せる」

 

「爆裂魔法に耐えられるのは汝くらいだぞ」

 

「よかったなめぐみん。今日の一日一爆裂の的が決まって」

 

「我輩を射的屋の的のように扱うでない小僧」

 

「もし倒しきれなかったらどうするんだ?」

 

「そのときはアクアに浄化してもらうよ」

 

「おい爆裂娘よ。我輩を一撃で仕留められなかったときは、汝が墓まで持っていきたいと思っている恥ずかしい過去トップ一〇(テン)を紙に書き記し、世界中に似顔絵付きでばら撒いてやるからな」

 

「めぐみん任せて! 私がこいつの内面まで浄化してあげるから!」

 

「私が一番とばっちりを食らいそうなのですが!?」

 

「なんだよめぐみん。自信ないのかぁ? 無いならちゃんとソウゴに頼まなきゃな。私の爆裂魔法じゃ倒せそうにないので代わってください、って」

 

 カズマの挑発に、めぐみんの表情が固まった。困惑の顔からゆっくりと、額に青筋を浮かべる紅魔族の顔に変わっていくのがわかる。悪感情にご満悦なバニルの隣でいつもの勝ち気な表情になっためぐみんは、やり過ぎたか? と後悔するカズマに杖を向けて言い放った。

 

「私を本気にさせるとはいい度胸です。私がバニルを葬ったときは、カズマの恥ずかしい過去をばら撒きますからね!」

 

「趣旨変わってんじゃねぇか!」

 

「我輩はどちらでもよいぞ? 恒久的に羞恥の感情が食せるならな!」

 

「なんでいつの間にか二択になってるんだよ! 却下だ却下! ったく、じゃあダクネス。駄女神と爆裂狂のお守り頼んだぞ」

 

「ああ、任せ……って、カズマは行かないのか?」

 

 頷きかけたダクネスが疑問を口にする。全員で事の顛末を見守ると思っていたのか、アクアとめぐみんも首を傾げていた。そんな彼女たちの反応に眉を垂らしたカズマは、ソウゴの背中をポンと叩いて笑う。

 

「俺とソウゴはウィズの店に話をしに行かないとな。あと、ギルドの人とかとの話も詰めなきゃだろ? 任せっきりってわけにもいかないし、ダクネスはいざという時家柄的に知らぬ存ぜぬの方がいいだろうし」

 

「それもそうか……。すまないな、気を使わせて。帰ったら内容を教えてくれ」

 

「いいよ。困ったときはダスティネス家の威光を全力で使うから」

 

「お前はやり口が姑息なんだから、もう少し腹芸を覚えた方がいいぞ」

 

「お前は最近忘れてる、言葉をオブラートに包むってことを思い出した方がいいぞ」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 ギルドの前で四人と、それに連れ立って行った立会人の冒険者たちを見送ったソウゴとカズマは、職員たちとの話し合いも早々にのんびりとウィズの店を目指していた。

 めぐみんたちの移動手段が徒歩なのでそれほど遠い場所には行けないだろうが、門番の目を欺くには近すぎるわけにもいかない。そろそろ大きな爆発音が地を鳴らしてもいい頃だろうと思いつつ、カズマは口を開いた。

 

「それで? バニルとは他にどんな取引したんだよ」

 

「そんなのしてないよ」

 

「嘘だな。いつものお前ならアクアも丸め込んで話をつけてたけど、今日はそうじゃなかった。内容も俺たちにわからないように話してたし、何か隠してるか?」

 

「あー、やっぱり気づいてた?」

 

「まだ短いけど濃い付き合いだからな」

 

「この話、他のみんなには内緒でお願いね」

 

 ソウゴはバツが悪そうに頬を掻くが、この男が仲間に嘘をつかないことをカズマは知っている。故意にはぐらかして黙っていることはあっても、追求されれば必ず話すし何か大きなことをするときは絶対に詳細を話してくれる。それはきっと、時を歪め自由にできるという力を持つ者が対等だと思っている仲間に示す、せめてもの誠意なのだろう。カズマはそう解釈している。

 ふっと笑ったソウゴは口を開く。

 

「取引はしてないよ。でも、バニルからできるだけ多く情報を引き出したかったんだ。そのおかげで点と点が繋がった」

 

「点と点?」

 

「バニルは白ウォズと通じてる」

 

「え?」

 

 白ウォズ。自分を死刑にしようとしたアルダープの背後にいる、トンデモチートを持つというダークライダー。もしそれが上位の悪魔だけでなく魔王軍とまで繋がっているのなら、アルダープは人類の仇敵ということになってしまう。

 しかし、カズマがそんなことを言う前にソウゴはその可能性を否定した。

 

「アルダープとの繋がりはないと思うよ」

 

「根拠は?」

 

「簡単に言うと、白ウォズがダクネスの記憶から自分の存在を消してるのに、バニルは俺のことを『我が魔王』って呼んだから、かな」

 

「悪い。前提条件がわからん」

 

 早くも躓いたカズマが音を上げる。理解が追いつかないというよりも、どことどこの点を繋げればそういう話になるのかがさっぱりだった。あはは、と笑うソウゴは指をピンと立てて記憶を掘り返す。

 

「白ウォズってさ、白いウォズだから白ウォズなんだよね」

 

「まあ、だろうな」

 

「日本語の固有名詞で『シロウォズ』。なのにアルダープの屋敷から帰ってきたダクネスは『シロ』しか覚えてなかった。日本語の白なんてダクネスは知らないはずなのに」

 

「あー、そう言えば……。じゃあ、その白ウォズってのが『ウォズ』の部分だけ記憶を消したっていうのか? 何の為に?」

 

「きっと屋敷でダクネスに知られちゃいけないことを知られたんだ。アルダープならダクネスの記憶を改竄して手中に収めようとするだろうから、記憶を奪ってこちらに返したのは白ウォズの判断と見ていい」

 

「ま、あの欲深そうなおっさんならそうだろうな」

 

「なのにバニルは俺のことを『我が魔王』って呼んだ。……この呼び方は、俺が元いた世界で俺の仲間が呼んでくれてた敬称だから、この世界の人が知るはずがない」

 

「お前、前の世界で我が魔王なんて呼ばれてたのかよ」

 

 少しだけ、ソウゴは遠い目をする。懐かしむような、それでいてほんの僅かに憂いの混じった目。瞼に映るのは、今も従順な家臣として新しい自分に仕えその行く末を見守る姿。

 しかしそれは一瞬だった。すぐにいつも通りのへらへらとした笑みを見せるソウゴは、呆れたような表情のカズマへ向き直る。

 

「この呼び方は、きっと白ウォズからバニルに伝わった呼び方のはずだよ。たぶん、俺がここまで勘づくようにヒントのつもりだったんじゃないかな。カズマと俺がこうして話すことは見通してただろうし」

 

「これは気づかれてもいいってことか? 何の為に?」

 

「わからない。でも、アルダープの思惑の外で白ウォズは動いてる。その計画にバニルが加担してるって考えた方がいいかな」

 

「結局、あの悪魔とは敵対すんのかよ……」

 

「それはないよ。バニルが俺に接触してきたのは、計画に俺を利用しようとしてるからだと思う。俺がそのレールに乗れば無駄な戦闘は起きないはずだし、起こさせない」

 

「いいのかよそれ。そいつらに体よくこき使われるってことだろ」

 

「変に抗うより、向こうの予定してる道を歩いた方が白ウォズたちの思惑も見えてくるはずだよ。踊れと言うならいくらでも踊ってあげる。それに……」

 

 一呼吸開けて、ソウゴはニカッと歯を見せる。しかし目はいたずらっぽく、怪しげな魅力を灯していた。この男がこういう目をしているときは信用していい。短くも濃い付き合いのカズマの直感がそう囁いていた。

 

「……担ぎ上げられるのは、慣れてるんだよね」

 

「それ慣れるのはどうかと思うぞ」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 闇夜に紛れて、影が揺らめく。月明かりだけが頼りの深夜、使用人たちも寝静まった屋敷の中で唯一暖炉に薪をくべている部屋があった。贅の限りを尽くした調度品に囲まれたその部屋で、これまた端から見ても高級そうなソファで足を組む白ウォズは、パタンと未来ノートを閉じ慣れない首輪を撫でながら呟いた。

 

「新しい仮面、似合っているじゃないかバニル氏」

 

「爆裂魔法を覚える紅魔族などネタでしかないと思っていたが、ネタにしては十分な威力である。あの老いぼれもそろそろ立場が危ういな」

 

「この世界の魔王になんて興味はない。それよりも、うちの魔王はどうだったかな?」

 

「なかなか愉快であったぞ。力ではまず間違いなく敵わないが、知略と能力は五分五分といったところか。詳細はわからずとも、ここの繋がりは察しているであろう」

 

「時を操る力と対等とは恐れ入るよ。流石は地獄の七大悪魔筆頭だ」

 

「頭の中を覗く力と、先の世界を覗く力。これがもし逆であれば、呑気に五分五分などとは口が裂けても言えなかったであろう。末恐ろしい怪物である」

 

「そんな力があれば、彼ももう少し自分を幸せにできたのかもね」

 

 下らない仮定の話だと、白ウォズは鼻で笑う。例えそうだったとしても、彼の迎える結末は変わらなかった。そう断ずるだけの積み重ねを、白ウォズは知っている。

 

「どう動くと思う? 魔王と長い付き合いでありながら辛酸を嘗めさせられた挙げ句、この世界に運悪く引っ張り込まれ悪徳領主の小間使いに成り下がった救世主とやらの従者よ」

 

「私の知る魔王なら楽しく踊ってくれるさ。私が用意したダンスのパートナーなら、きっと気に入ってくれるはずだよ」

 

 パキッ、と、薪が割れる音がした。




監視対象に関する報告書 六日目

本日、領主アルダープ様による被害届の取り下げをもって、冒険者サトウカズマ並びにその一行の観察処分を撤回させていただきましたことご報告致します。監視対象の乱入による、冒険者サトウカズマの裁判の起訴取り下げについての報告書も合わせて送付させていただきます。冒険者アクアの借金滞納によるドネリー様からの申立てについての報告書は後日改めて送付させていただきます。
また、本件はベルゼルグ王家より担当に一任されておりましたので、ウィレム検察官による越権行為を不服とし厳重注意していただきますよう申し立てます。




   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱


「ふう。最後の報告書はソウゴさんに関することを殆ど書いていませんが、問題はないでしょう。あとは昨日送った表情差分の資料についての疑問点の回答と、ソウゴさんに頼まれた事件資料の取り寄せくらいでしょうか……」

 こんな世界でも、プライバシーというものは存在する。被害者を守るのは検察官の使命であるとセナは信じているし、いくら信用のおける相手でも事件の資料をおいそれと渡すわけにはいかない。それでもこうして取り寄せる事件を用紙に羅列しているのは、彼の真剣な表情のせいだ。



 『無理を承知でお願いするんだけど、アルダープが関わってそうな事件の資料、特に被害届が取り下げられたり、証拠不十分で不起訴になったやつとかって見せてもらえないかな?』



(あの真剣なお顔。きっと、我々では届かなかった真実に辿り着ける)

 彼はきっと、泣き寝入りした被害者たちの悲しみを断ち切ってくれる。そう、彼のように言うのなら、“そんな気がする”のだ。そんなことを考えながら、ふと浮かんだ疑問がセナの筆を止めた。

「どうしてあの人は、自分のことを“魔王”と呼ぶのでしょうか……?」

 セナがその答えを知るのは、今よりもずっと先の話だった。


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鈍ら-1994-重奏~ナマクラアンサンブル~
このどうしようもない仲間たちに招待を!


 スキルとは便利なものだと、カズマは改めて思う。カンカン、とリズムよく金槌を振り下ろすだけで自分のイメージが形になるのだから。正確には『理想の形に加工するためにはどうすればいいかがわかる』なのだが、それでもつい数日前まで自分がド素人だったとは思えない仕上がり。専門の職人に比べればやはり下の上、よくて中の中くらいの技量ではあるが、できることが増えるというのは楽しいものだ。

 そんな作業を眺めていたダクネスとめぐみんが、机の上に置かれた道具を手に物珍しそうな声を出した。

 

「ほう。器用なものだな。この平たい棒は何と言うんだ?」

 

「孫の手だよ。背中とか、手が届かない所を掻くための道具」

 

「『まごのて』ですか。先はちょむすけの手みたいですね。では、この刃のついた物は? 武器には見えませんが」

 

「ピーラーだよ。野菜の皮とかをきれいに剥く道具。……ちょむすけって何?」

 

「刃が接地面に合わせて動くのか。これを使えば、私でもきれいに皮剥きができるのだろうか?」

 

「できると思うぞ。剥ける厚さが一定になるよう作られてるから簡単に。結構切れるから気をつけろよ。で、ちょむすけって何?」

 

「ダクネスが皮剥きをすると、野菜が二回りくらい小さくなってしまいますからね」

 

「こ、これでも気をつけているんだぞ!?」

 

 二人が興味を示しているのは、これから宝の山になる予定の品物たち。つまるところ、カズマの元いた世界にあった便利グッズである。これらをカズマが工房として割り振られた部屋でせっせと作っているのにはわけがある。

 

「しかし、こうして見るとカズマの故郷の道具は面白いものが多いですね。良い意味で娯楽的というか」

 

「ああ。発想が我々に無いものばかりだな。バニルが目をつけるのもわかる気がする」

 

「普通は背中を掻くためだけの棒なんて作らないもんな」

 

 めぐみんの爆裂魔法によって無事に本体が破壊されたバニルだったが、倒されてすぐ“Ⅱ”と刻印された仮面と共に二代目バニルとしてこの世界に復活した。目的はもちろん、ギルドで話していた夢のための資金稼ぎ。復活してすぐのバニルとアクアがドンパチやっていたらしいことはどうでもいい情報である。

 ここで大事なのは資金稼ぎ。そのパートナーとしてバニルが声をかけたのはこことは異なる世界の知識を持つカズマだった。鍛冶屋で〈鍛冶〉スキルを教えてもらったカズマはバニルの提案する儲け話に乗り、こうして元の世界の知識を使ってカズマが手作りできるレベルの便利グッズのサンプルを制作している。

 

「量産体制と販売ルートはバニルが確保してくれる。俺は商品を形にするだけ。試しにオイルライターを売り出したら好評だったみたいでな。ウィズからもお礼を言われたよ」

 

「魔法が使えない者が火を起こすとなると、火打ち石か使い捨てのマッチ、もしくはマジックアイテムだからな。あの『らいたー』というのは安価だし、油の補充だけで使い回せるのだから便利なものだ」

 

「確か、『ばいく』も油で動くんでしたね」

 

「本当はな。……いやほんと、ソウゴのバイクって何が動力源なんだろうな。ところで、ちょむすけって何?」

 

 あの男の不思議パワーに思いを巡らせたところで解決などするわけもない。考えるだけ無駄だと思考を放棄したカズマは、ずっと気になっていることを口にしつつ折りたたみ式キャンプチェアの骨組みを組み立てていく。

 そんなことをしていると、ガチャガチャと玄関の方から音が聞こえた。

 

「ごめんください。サトウカズマさんはいらっしゃいますか?」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「こちら、粗茶ですが」

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

 いつもの検察官としてのピリピリとした態度は鳴りを潜め、穏やかさすら感じるセナはめぐみんに出された湯呑に口をつける。熱いだろうにすする音が聞こえないのは、きっとセナの育ちの良さだろう。音を立てないのがテーブルマナーだと聞いたことはあるが、湯呑でそれをされると何とも違和感を覚える。

 湯呑を置いたセナにダクネスが切り出した。

 

「それで、今日はどういったご要件だろうかセナ殿」

 

「ソウゴでしたらここ最近、休みの度に用事があるとかでいませんよ」

 

「いえ、ソウゴさんのスケジュールは把あゴホンゴホン。……失礼。今日はサトウさんたちにお願いがあって参りました」

 

(この人、初めて会ったときから比べて随分とポンコツになったな)

 

 恋は人を変えると言うが、この人の場合駄目な方に舵を切りすぎているとしか思えない。だが、面倒事になりそうなのでここはスルーを決め込むことにしたカズマは、何も聞こえなかった体を装って言葉を返した。

 

「俺たちにお願い、ですか?」

 

「はい。実は近くでリザードランナーが大量発生しておりまして、その討伐をお願いしたいのです」

 

「リザードランナー?」

 

「ご存知ありませんでしたか? では、ご説明しますね」

 

 

 リザードランナー。

 大きなエリが特徴の草食のモンスターで、外見は二足歩行の大きなトカゲである。普段は大人しいが、繁殖期に入ると姫様ランナーという一回り体の大きいメスの個体が生まれ、途端に厄介なモンスターへと変わってしまうのだ。

 その厄介とは、姫様ランナーと番になれる王様ランナーを決めるためのレースである。種族内ではなく、他種族の足の早い生物、それが馬だろうがドラゴンだろうが怯えることなく蹴って挑発し勝負を挑み、より多くのモノを抜き去った個体が王様になり姫様と番になるという、はた迷惑な求愛行動をする習性がある。もちろん起こされたモンスターによる周りの被害もさることながら、危険なのはリザードランナーの強靭な脚力から繰り出される蹴り。挑発のためとはいえその威力は凄まじく、蹴られただけで骨が砕けてしまう馬だけでも被害は甚大であるが、荷台を蹴られ巻き込まれた商人や馬車の搭乗者も後を立たない。

 

 

「……そのトカゲの討伐を俺たちに?」

 

「聞くところによると、サトウさんは馬より早い鉄馬の魔道具をお持ちだとか」

 

「なるほど。ちゃんばる号なら確かに馬よりも速いスピードが出せますね。リザードランナーを釣る餌にはもってこいです」

 

「その名前正式採用されてないからな。あと、預かってはいるけど本来あれはソウゴの持ち物だし」

 

「カズマが引き付けてめぐみんが爆裂魔法で仕留めるわけか。いいじゃないか。引き受けようカズマ」

 

「おい待て。簡単に言うけどな、それ一番危険なのは俺だろ」

 

「だがこのままでは流通に関わる者たちが危険だ。解決策があるのなら、早く手を打たねば」

 

「気持ちはわかるけど……」

 

「大丈夫ですよ! カズマの〈運転〉スキルなら追いつかれることはありません!」

 

「そこは心配してないんだよ。お前の爆裂魔法に巻き込まれやしないかというところが一番心配なの」

 

「安心しろ。討ち漏らしがあれば私が盾になる!」

 

「俺が追いつかれてる時点でダクネスにはどうしょうもないと思うんだが」

 

 何だか二人がやる気に見えるのはカズマの気のせいではないだろう。ダクネスはいつものノブレス・オブリージュだろうが、めぐみんは恐らくただ放つだけの爆裂魔法に飽きを感じているのではないかと推測する。ここのところバイト三昧で、冒険者らしいことは何一つできていなかったのだ。そこに王国検察官殿からの指名とあれば、燻っていた分二人の気持ちに火がつくのも仕方ない。

 とは言え、バニルとの商売が当たれば安定した収入源が確保できる。そんな安全かつ楽な道が開けているのに、わざわざ危険なモンスター退治に出たいわけがない。なんとかして断る口実をと知恵を捻り出していると、ふと先日言われた言葉が脳裏を過った。

 

 

 

『口では何だかんだ言いながらも問題だらけのパーティーメンバーに対して家族愛に似た感情を抱き、不満を並べながらも満更ではない毎日を過ごす小僧とは』

 

 

 

(バニルのやつ、余計なこと言いやがって……)

 

 二人からの熱のある視線に、カズマはポリポリと頭を掻く。荒れ地でもコンクリートの上と大差ないスピードが出せる仮面ライダー印のスーパーマシンなら大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせたカズマはため息をついた。

 

「はぁ、しょうがねぇなぁ……。わかったよ。じゃあさっさと装備整えて行くか」

 

「ありがとうございます! 話は私の方からギルドに通しておきますので」

 

「はいはい。……って、そういやアクアは?」

 

 やけに静かだなと思ったカズマは、あの女神様が特等席である暖炉の前のソファにいないことに今更気付く。いつもならこういうとき割り込んできて調子のいいことを言う迷惑極まりない女だが、思い返してみれば朝から見ていない。少し嫌な予感がするのは気の所為ではないだろう。

 そんなカズマの心情を察したのか、めぐみんは何の気なしに口を開いた。

 

「アクアならウィズのお店ですよ。カズマが籠もりっきりで暇だからと、ソウゴと一緒にでかけていきました」

 

「俺のせいみたいに言うなよ。迷惑かけてなきゃいいけどな……」

 

「どうする? 声をかけてから行くか?」

 

「そうだな。バニルとの商談もあったし、ついでに鍛冶屋にも寄りたいし」

 

「鍛冶屋ですか?」

 

「ああ。そろそろお願いしてたやつができてると思うんだよ。俺の、新しい相棒がな」

 

 

   ⏱⏲「新しい、相棒……」⏲⏱

 

 

「まさか自分で特注したフルプレートアーマーなのに、筋力を考慮していなかったせいで着て歩けないとはな」

 

「あの動こうとしても指一本動かせない感じが最高に面白かったですね」

 

「人の不幸を笑うんじゃないぞお前ら。碌な大人にならないからな」

 

 めぐみんとダクネスは、先ほど鍛冶屋で見た光景を思い出してくすくすと笑う。棒立ちのまま腕すら挙げられず、自力で鎧を脱ぐことすらできない様は悪いと思っていても吹き出してしまうだろう。

 いくらソウゴやめぐみんという過剰な戦力を有しているパーティーの、しかも女神による無限コンティニューのおまけ付きとは言え職業は最弱の冒険者。少しでも生存率を上げるために強力な防具をと思ったのが間違いだった。自分で思い出しても恥ずかしくなる醜態を、ブンブンと首を振って払う。

 

「ダクネスがガチムチじゃなくてもっと細ければ譲ってやれたんだけどなー」

 

「だ、誰がガチムチだ! これでも男の情欲を刺激するボディラインだと自負しているぞ!? なあ、めぐみん!」

 

「もっと表現方法はなかったのですか……」

 

 呆れるめぐみんは、身悶えするダクネスからカズマの腰へと視線を向ける。カズマの言う“新しい相棒”。見たことはなかったが紅魔族の琴線に触れる造りの異国の剣……の、成れの果てを。

 

「新しい相棒とやらも随分と小さくなりましたね」

 

「うるせぇやい。せめて名前くらいはかっこいいのにしたいよなぁ……。村正、虎徹、兼光、小烏丸……」

 

「そうですね。せめてもの供養ですね。私も考えてあげますよ」

 

「名前まで妙ちくりんな一振りにする気はないぞ」

 

「妙ちくりんとは失礼な! カズマも驚くかっこいい名前を付けてあげますからね!」

 

「命名権を譲った覚えはないよ」

 

 脇差とでも言うべき長さの刀を握りしめ、カズマはうんうんと唸る。この刀はカズマこそ新しい相棒。本来なら太刀ほどの長さで制作を依頼していたのだが、長さに慣れていないせいで商品棚を引っ掛けて倒し、出入り口にぶつかって転倒などを繰り返したため短く加工し直してもらうこととなった逸品である。

 やはり騎士としては興味があるのか、隣でまじまじと見つめるダクネスは楽しそうに口を開いた。

 

「だが、短くなっても面白い形をしているな。片刃なのもそうだが、不純物を取り除き純度の増した刀身の模様が特に美しかった。これもカズマの故郷の武器なのか?」

 

「ああ。侍っていう剣士たちが腰に差してたんだ」

 

「ほう、『さむらい』か。聞いたことがないな……」

 

「〈転生者(チート持ち)〉どもも日本刀は持ち込んでないか」

 

 日本刀はロマンがあると思っているが、やはり異世界転生などというものに食いつく日本の若い男女なら効果の面から西洋の伝説の聖剣や自分の考えた最強の武器をお願いするのだろう。そもそも、最初にカズマが提示された恩恵もそういうものが多かったと片隅にあった記憶を掘り起こす。

 

(あれから長いような短いような。まあ、色々あったよなぁ)

 

 しみじみともの思いにふけりながら仲間の顔を見る。いつかソウゴの語っていた恩恵。今でもやはり、強力な武器かスキルにしておけばよかったかと思うこともある。だが、あのとき短気を起こした自分を少しだけ褒めてやってもいいかなと、カズマは思った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ちわーっす。アクアいるかー?」

 

 カランコロン、と来客を知らせるベルが鳴り終わる前にカズマは問いかけた。いつもなら窓際の席で図々しく紅茶を飲みウィズとお喋りしているのだが、今日はいない。奥か? とカウンターの方に目をやるも、人の気配はするのだが顔を出す素振りはない。

 カズマが〈敵感知〉スキルを使う前に気配を察知したのは、流石は上級職のクルセイダーといったところか。静かに剣を構えたダクネスがカズマの前に立つ。

 

「ウィズでもバニルでもないな。そこにいるのは誰だ?」

 

「まさか、強盗ですか!?」

 

「いや、強盗でももう少し押し入る店考えたほうがいいだろ。あと杖を下ろせ」

 

「確かに、ここにあるのは金目の物とは程遠い物ばかり……」

 

「カズマ! それにめぐみんも! 冗談ばかり言ってないで戦う準備をしろ! アクアもウィズも捕まっているかもしれないんだぞ!?」

 

「そ、そうだよなダクネス! よし、俺が〈バインド〉で……」

 

「待ってぇ! 待ってください!」

 

 カズマたちが攻勢に入ったからか、気の弱そうな少女の声がカウンターの奥から慌てて上がる。聞き覚えのあるその声の主は心の準備を終えたのか、顔を見せると共にマントをはためかせた。

 

「ひ、久しぶりね、めぐみん! バイトにも顔を出さなくなったあなたとこんなところで会うなんて、何たる偶然! 何という運命の悪戯! さぁ、勝負よ我がライバル!」

 

 この店で一番出会わないであろう人物、ゆんゆんが羞恥で頬を染めながらビシッとポーズを取る。恥ずかしがってはいるものの紅魔族の血が流れているんだな、などと感心していたカズマの裾を、ちょいちょいと引っ張っためぐみんは、ゆんゆんを指さすと非常に冷たい声で言い放った。

 

「カズマ、〈バインド〉を。不審者です」

 

「不審者じゃないからぁ!」

 

「それで? どうしてあなたがここにいるんですか、ゆんゆん?」

 

「あの、その、話すと長くなるんだけど……」

 

「じゃあいいです。行きましょう、二人とも」

 

「待って! 話す! 簡潔に話すからぁ!」

 

 興味を失ったのかさっさと店を後にしようとするめぐみんのローブにしがみつくゆんゆん。見ていて辛くなるのでもう少し強く生きてほしいと願うカズマではあるが、ここでゆんゆんから話を聞かなくては店がもぬけの殻である理由がわからない。そう思うのはダクネスも同じだったようで、剣を収めるとゆんゆんを引き摺りながら尚も扉へと向かうめぐみんを制した。

 

「まあまあ、めぐみん。ゆんゆんしかアクアの行き先がわからないんだ。な?」

 

「……わかりましたよ。それで? ウィズやバニルはどうしたんです?」

 

「あっ、えっと、バニル? っていう人は知らないけど、アクアさんならいたわ。ただ、私がお店に来るなり店番をお願いされて、店主さんと二人で出ていってしまって……」

 

「店主ってことは、ウィズと二人で?」

 

「はい! 確か、短期間で確実に儲ける方法が、とか言ってましたけど……」

 

「うわぁ。嫌な予感しかしない」

 

 カズマの発言に、二人も同様の顔をする。バニルがいないことも気がかりだが、それ以上に借金をすることにかけては天才であるアクアとちょろ過ぎるウィズの二人が組んでいることがもう既に手遅れな気がしている。

 被害が拡大する前に探し出したい。しかし、思いとは裏腹に時は既に遅かった。

 

「たっだいまー! って、どうしたの皆して」

 

 カランコロン、とほくほく顔の二人が店の中へと入ってきた。幸福に色があればこういう色をしているのだろう。そういう輝きを放ちながら帰ってきた二人だが、カズマたちの視線は幸せそうな表情よりもウィズの小脇に抱えられた札束、そしてアクアに担がれた重量を感じさせる麻袋に目が行ってしまう。

 

「……おいアクア。その金どうした」

 

「ふっふっふ……。これにいち早く気づくとは流石ねカズマ。伊達にこの中で一番長い付き合いじゃないわ」

 

「俺じゃなくても気づくわ!」

 

「短時間で確実に儲ける……。まさか、銀行強盗ですか!?」

 

「ちっがうわよ! この清く正しい水の女神がそんなチンケな犯罪に与するとでも?」

 

「でなければ、その金はいったい……?」

 

「借りたんですよ。投資のために!」

 

 唖然とする仲間たち、そして話についていけていないゆんゆんが閉口する中で、満面の笑みのウィズを背に立つアクアが鼻高々に胸を張る。

 

「いい? 女神であるこの私が降臨したからには、ソウゴじゃない方の魔王は早々に討伐されるでしょう。となると、数年後にはベビーラッシュ、数十年後は団塊世代、数百年もすれば人口は爆発することになるわ。当然、人が住む土地が足りなくなる。そこで、土地転がしよ!」

 

「数百年って、お前らのスパンで考えてるんじゃねぇよ! それまでの土地の維持費はどうするつもりだ!? 管理費だけじゃなくて、税金とか利子とか色々あるんだぞ!?」

 

「勿論そこは考えてるわ。だから投資する前にこの全てのお金を調べ上げて一山当てるのよ。そう、プレミア貨幣でね!」

 

「「「プレミア……貨幣?」」」

 

 聞き慣れない言葉に三人娘は首を傾げた。一方、あまりの衝撃に目眩すらし始めたカズマは、補足説明すらする余力もなく頭を抱える。

 

「プレミア貨幣っていうのはね、珍しくて希少価値の高いお金のことよ。形が崩れてしまった硬貨や印刷に失敗してしまった紙幣なんかのエラー品。もしくは増産された数の少ない年の貨幣なんかね。希少価値が高ければ、銅貨一枚でも金貨並みの値が付いたりするのよ」

 

「それで残ったお金を土地に回して、プレミア貨幣のプラスで借金を返してしまおうという算段です!」

 

「コレクターなんかに売ればボロ儲け。上限いっぱい借りてきたから、探せばじゃんじゃん出てくるに違いないわ! これを繰り返せば土地の維持費も捻出できる。さ、皆いるんなら手伝ってよ!」

 

 力強く力説したアクアと、そんなアクアにキラキラとした目を向けるウィズ。そしてなんだか少し感心したような雰囲気になってきた店内で、カズマは自分でも驚くほど低い声を出した。

 

「……おいアクア。その買い取ってくれそうなコレクターの目処はついてるんだよな?」

 

「そんなのついてるわけないじゃない。でも、王都に行けばそういう変わった人はきっといるわよ。貴族って好きそうじゃない?」

 

「……お前、プレミア貨幣が混ざってる確率って知ってるのか?」

 

「さあ? でも、五%くらいは混ざってるんじゃないの? この間の借金滞納のせいで借りられるお金に制限があったけど、色々回って全部で六千万エリスだから……この内の三百万は二倍、いや三倍以上に化ける計算ね」

 

「どんなザル勘定だ! そんなに高確率で混ざってたら、希少価値なんてあるかーッ!」

 

 カズマの咆哮と共に、この世界で一番キツイげんこつがアクアの頭に振り下ろされた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 時は、少し遡る。

 

「先輩、いいんすか? バイトに資料読ませちゃって」

「セナさんが許可出したんだろ。なら俺らには止められないよ」

「あのキッツイ真面目の鬼を丸め込むなんてやりますね、あの人。流石は自称魔王」

「馬鹿。もし本人に聞かれたらどうするんだ」

 

(セナって、もしかして職場で怖がられてるのかな?)

 

 そんなことを頭の片隅に思い浮かべながらペラペラと冊子を捲る。保存用資料ということで丁重な扱いと持ち出し厳禁を言い渡されているため、監視の目という名目上警察署の資料室でのみ閲覧許可を得たソウゴは、大衆の目に晒されながらセナに頼んでいた資料を読み漁っていた。

 

「これも、か」

 

 閉じた冊子を机の上にある山積みの資料の一つに加える。横領が疑われた事件、有力な貴族の身内に不幸があった事件、アルダープと関わりのあった女性の失踪事件。上げだしたらきりはないが、どれもこれも気持ちのいい結末を迎えたものはなかった。

 

(始まりはアルダープの奥さんが亡くなって少ししてから。ここ一年くらいでめっきり訴えの数が減ってるけど、これはたぶん白ウォズの介入が始まったからかな。見えなくなった事件は警察の力じゃ追いきれない、か)

 

 積み上げられた事件資料、その全てが証拠不十分。更にこれにプラスして、訴えの上がらなかったものや完全に隠蔽してしまったものを合わせれば膨大な数になるだろう。その全てに“辻褄合わせ”とやらが絡んでいるとすれば。

 

(悪魔はアルダープに積極的に力を貸してると思ったほうがいいか。それとも、他人に代償を払わせている……? どっちにしても、なるべく早く動かないと被害者が増える)

 

 解決策は一つ。悪魔との契約を解除させ全ての異変を正すこと。その過程が圧倒的な力による強制か、交渉によって改心させるかの違いはあれど、ゴールは概ね変わりない。だが、そのどちらの道を進むにせよ障害は多い。

 

(問い詰めたところで正直に吐くとは思えない。俺がアルダープだったら、二人の力で俺の周りの人間に魔王を名乗る俺が悪者だと思い込ませるだろう。俺を排除するには一番効果的な手のはずだ)

 

 思い出すのは、共に戦った仲間に忘れ去られ戦うことになった時間。歪められた歴史の中で自分という存在が消失し、新たに擁立された王の手で最低最悪の統治がされた未来。傷つく人々の姿と、絶望から這い上がろうとする仲間たちの意地。

 そして、そこから繋がる世界の破滅。

 

(いや、あのとき白ウォズはいなかった。それに加古川飛流も、スウォルツもこの世界にはいない)

 

 首を振って幻影を払うと、どうしたものかと考える。暫定的な証拠で乗り込み白ウォズの計画ごとひっくり返してもいいが、仮にアルダープの裏にまだ黒幕がいるのならトカゲの尻尾切りになってしまう。

 

(ダクネスの消された記憶さえわかれば……)

 

 そんな風に考え事に熱中していると、目の前にコトッと頼んだ覚えのないコーヒーカップが置かれた。淹れたてであろう、立ち込める湯気が豆の芳ばしい香りをソウゴへと運んでくる。いや、そもそも資料室で飲食など普通に考えて禁止だろう。一体誰が、とソウゴが顔をあげると、そこにはこちらに笑みを向ける女性の警察官が立っていた。

 

「どうぞ。朝からずっと資料と睨み合ってますけど、疲れませんか?」

 

「…………何してるの、バニル」

 

「バニル、ですか? 私はアリアですけど」

 

「言わなかったっけ。俺、魔力が見えるからそういうのわかるんだ。バニルは特に魔力強いし」

 

「……この姿のまま愛の告白でもして後で赤っ恥をかかせてやろうと思ったのだが、どこまでもつまらん化物よ。ご明察の通り、我輩は模範的なアクセル市民ことバニルである」

 

 ため息をついた女性警官ことバニルは、そのままの姿でソウゴの対面に座る。認識のすり替え、いや、これは他人に化ける魔法だろうか。胸元から取り出したいつもの仮面で目元を覆うバニルは、高い声にいつもの口調という違和感を撒きながらテーブルに肘をつく。

 

「で、何してるの? お店は?」

 

「店主が一人で店番をしている。流石に店番程度で負債を背負うほど愚かではなかろう」

 

 山から一冊抜き取ったバニルは、ペラペラと興味なさげにページを捲る。決して読みたかったわけでも、邪魔をしに来たわけでもないだろう。現に捲る手付きは一定で、読んでいるというより眺めているが正しい。いまいち目的の読めないバニルは、資料に目を落としたまま口を開いた。

 

「今日は一つ、汝らにとって得しかない話をしに来てやったのだ。聞きたいか? 人の理に己を縛ることでなんとか人間であろうとする魔王よ」

 

「俺にそういう口撃は効かないよ」

 

「ただの戯れである。それで? 聞きたいのか、聞きたくないのか」

 

「……聞きたいな」

 

「素直でよろしい。が、会話を楽しむためにも未来予知はやめることだ。さもなくばこの娘の姿でとんでもないことをするぞ」

 

「その人に恨みでもあるの?」

 

「人間に恨まれるようなことはあれど、その逆はありえないな」

 

 ククク、と笑うバニルは資料を山に戻すと、そのままソウゴの前に六枚のチケットを差し出した。受け取ったソウゴは、そのチケットに書かれた文字を読み上げる。

 

「『アルカンレティア宿泊券』?」

 

「水と温泉の都、アルカンレティア。近所のマダムから日頃のお礼に温泉でも、と譲り受けたのはいいが持て余していたのだ。それを譲ろう」

 

「いいの? タダで貰っちゃって」

 

「気にするな。うちの店主を誘って楽しんでくるといい。福引で当たったとでも言えば着いていくだろう」

 

「その心は?」

 

「うちの働けば働くほど貧乏になる商才のない極貧店主を、一時(いっとき)でいいので店から引き剥がしたい。だが、あの無駄な仕入れに定評のある店主は中々店から離れようとしない」

 

「なるほど。それで温泉」

 

「そういうことだ。あの負債店主を誘って六人でゆっくり、二泊三日の温泉巡りでもしてくるといい。その間に我輩は不良在庫の返品と、小僧の商品の量産を始めなくてはならんのでな。店主がいては作業が進むどころか増える一方だ」

 

 雇い主に対してあんまりな言い草だとは思う。が、それはそれとして温泉旅行は魅力的に感じるのも本当の話だ。

 アルカンレティアについての知識を、ソウゴはあまり持ち合わせていない。知っていることと言えば、荷馬車の検閲のときに有名な湯治場だと耳にしたことがあるくらいだ。未知の土地に対する好奇心もあるが、それ以上に仲間たちと共に旅行というのも惹かれるポイントではある。気分の乗ってきたソウゴは、バニルに笑みを向けた。

 

「ありがとう。じゃあ遠慮なく貰うね」

 

「うむ。では旅行中の店主のお守りは任せたぞ、魔王よ」

 

 仮面を外して立ち上がったバニルは、波風を立てないようさっさと資料室を出ていってしまった。模範的なアクセル市民というのも、あながち嘘ではないらしい。

 知りたい情報は閲覧を終えた。カズマたちにさっさと話して予定を立ててしまおう。いや、きっと賛同してくれるだろうから先にウィズを誘って屋敷へ行こうか。その前に守衛のバイトの長期休暇を取らなければ。これからの段取りを組み立てたソウゴは、前の世界での修学旅行以来となる楽しい旅行というものに胸を弾ませていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 楽しい旅行に、胸を弾ませていたのだ。

 

「……あのさ。毎度毎度、ちょっと目を離しただけでどうしてこんなに面白い状況が作れるの?」

 

 まずウィズを誘うために訪れた魔道具店は、形容し難い惨状と化していた。

 腕をL字に組んで目を光らせるバニル、黒焦げのウィズ、ウィズに〈ドレインタッチ〉で体力を送るカズマ、生命力を吸われるダクネス、タライに浸るアクア、それに水をかけるめぐみん、あわあわと見守るゆんゆん。

 ひと目見ただけで状況が読めないソウゴは、とりあえず宿泊券がもう一枚必要になりそうだな、とだけ思うことにした。




親愛なるふにふらさん、どどんこさん、お元気ですか。私は元気です。
アクセルの街に着いたときは不安も多かったですが、周りの方に親切にしていただいてお友達もできました。
魔王を名乗る男の子です。本当です。ぼっちが男と知り合えるわけないとか言わないでください。
その男の子は魔王軍幹部を軽々葬り、時を巻き戻したり時間を止めたりできます。本当の本当なんです。妄想と現実の区別くらいつけろとか言わないでください。信じてください。
またお手紙書きます。

ゆんゆん


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この街の女性たちに幸運を!

 ふと気がつくと、ソウゴは灰色の空間にいた。見慣れたわけではないが何度か足を運んでいる空間に、向かい合って配置された二脚の椅子。アンティークな椅子に座った自分と向かい合うのはやはりと言うか、微笑みを携えた女神様だった。

 

「夜分遅くに申し訳ありません、時の魔王」

 

「久しぶりだね、エリス様。……で、なんで俺ここに呼ばれたの?」

 

 尋ねながら、眠る前のことをゆっくりと思い出す。確か昨夜の自分は、アルカンレティアに出発する早朝の馬車に乗るため荷造りを済ませ早めに床についたはずだ。その証拠に、今の自分は寝間着を着ている。ナイトキャップのせいで締まりはないが、そこは目を瞑ってもらおう。

 そんなことを考えていると、エリスは歯切れが悪そうな口調で頬の傷を掻いた。

 

「ソウゴさんに、折り入ってお願いがありまして……」

 

「お願い?」

 

「今日からご旅行だとは聞いています。ですがこちらも緊急でして、借りを返すと思って何卒……」

 

 申し訳無さそうに眉を垂らすエリスに、ソウゴはなんとなく嫌な予感がする。いつも遠慮がちな彼女が、クリスとしてではなくわざわざエリスとして強制的に自分を呼びつけた時点で察するべきだったのかもしれない。そこまで気付けなかったのは寝起きだったということで目を瞑ってほしいところではある。

 そんなソウゴの思いを知ってか知らずか、エリスは曖昧に微笑んでいた表情を引き締めた。

 

「実は、アクセルの街にとある神器が持ち込まれた、という報告がサキュバスたちから上がっています。その回収を手伝っていただきたいと」

 

「あ、サキュバスさんたちと仲良くやってるんだ」

 

「あ、貴方の顔に免じてです! 彼女たちは顔も広いですし、私も天界の仕事があって常に外界にいられるわけでありませんから。……だからといって、あのバニルという悪魔の存在を許したわけではありませんからね?」

 

「あはは。ところで神器ってなに?」

 

 聞き慣れない単語に首を傾げる。名前からしてとんでもアイテムのような印象はあるが。はぐらかすようなソウゴの疑問について、エリスは少し頬をふくらませると悩ましげな苦笑いを浮かべた。

 

「神器とは、この世界に転生した者に天界より与えられる強力なマジックアイテムです。アクア先輩が贈った〈転生特典〉、カズマさんの言葉をお借りしてチートアイテムと言った方がわかりやすいでしょうか」

 

「ふーん。回収ってことは、そのチートアイテムで転生した人が悪さしてるってこと? あ、でもそれなら神器が持ち込まれた、なんて言い方しないか」

 

「はい。本来、神器は与えられた転生者専用の強力なアイテム。しかし、力の一端であれば誰でも使用が可能です。性能は格段に落ちるのでほとんどが普通のアイテム程度になるのですが、中には一部であれ人の身に余る危険な効果を発揮する物もありまして。そういった神器を回収するのが私のお役目です」

 

「お役目って、確か前にそんなこと言ってたね。じゃあ、その危険なのがこの街に?」

 

 コクリ、とエリスは頷いた。

 

「回収する神器は〈異性を虜にする香水〉。仕組みは、香りを嗅いだ異性を魅了して意識を低下させその異性を従わせるというもの。効き目の強い惚れ薬のようなものですね」

 

「惚れ薬? それって危険なの?」

 

「いえ、持続時間も数時間程度と短いので、神器自体はさほど危険というわけではありません。ただ、今回はその神器に厄介な組織が絡んでおりまして……」

 

「厄介な組織?」

 

 ソウゴは、敵対組織というものの恐ろしさを知っている。思い出されるのは、実際に対峙したタイムジャッカー。傀儡となる王を生み出し歴史を我が物にしようとした無法者たちである。この世界の女神に厄介と言わせる連中が、惚れ薬を使いよからぬことを企むのであれば、その野望は王として叩き潰さねばならない。

 エリスは真剣な表情で、その厄介な組織の名を口にした。

 

「『女性の婚期を守る会』です」

 

「……なんて?」

 

「ですから、『女性の婚期を守る会』です。結婚願望のある未婚の女性が集まって結成された、この街の秘密組織になります」

 

「……うん、まあいいや。続けて」

 

「現在『女性の婚期を守る会』の内部では、結婚すれば愛が芽生えるとする見合い結婚派と、愛し合った先に結婚があるとする恋愛結婚派に分かれ争っています。この見合い結婚派が〈香水〉を手に入れたらしく、乱用されれば牽制しあっていた力関係が崩壊し、一気に結婚ラッシュになることでしょう」

 

「……それはまあ、いいんじゃないの?」

 

「よくありません! 効果が短くても組織的に〈香水〉が使われ結婚まですれば、社会的な拘束力による精神支配と変わりません。そうなれば、この世界の人々は〈香水〉の力で意に沿わない相手との結婚を無理強いさせられることになるでしょう。精神の自由が神器によって妨害されるなど、あってはならないことです!」

 

「なるほど。それは確かに困るね」

 

 民の幸せを願うソウゴだが、他者の意思を無視した幸せを応援するつもりはない。身構えていた分落差に頭を抱えたいところだったが、思っていたより状況は壮大かつ深刻らしい。

 それに、エリスが先輩の尻拭いをするというのなら、自分はパーティーメンバーの尻拭いをしなければならないだろう。これで借りを返せるなら悪い話でもない。

 

「わかった。手伝うよ、そのお役目。詳しいこと教えてくれない?」

 

 行きの馬車に乗れないのは残念だが、これも最高最善の魔王になるため。バイクを使えばすぐ追いつけるだろうと考えたソウゴは、どうして見通せるはずのバニルに渡された宿泊券が六枚だったのか、その理由を少し考えた方が良さそうな気がしていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 その日は、まるで世界がアルカンレティアへの旅路を祝福しているかのような快晴だった。春の陽気に当てられた馬車の停留所も、行商人や旅行客でいつも以上に賑わっている。見送りのためやってきたソウゴが仕事をしている同僚と挨拶を交したり、顔見知りの御者に手を振っていると、隣を歩いていたカズマが売り子のお姉さんから買ったおにぎりを片手に思い出したように呟いた。

 

「そういやセナは? どうせ着いてくるんだろ?」

 

「セナ? 来ないけど、どうして?」

 

「いや、職権乱用してでも絶対に着いてくると思ってたから、広めの馬車探してくるようにアクアにお願いしたんだよ。そっか。来ないのか……」

 

「なんか残念そうだね」

 

「ソウゴを餌にすれば絶対に混浴に来ると思ってたから残念だな、と」

 

「素直に言えば許されるってものでもないよ。何か、用事が立て込んでるんだって。温泉好きそうだったから、一応声はかけたんだけど」

 

「あいつ、お前以外に優先する事があったんだな……」

 

「そりゃセナだって、いつまでも無罪になった俺たちばっかり構ってるわけにいかないでしょ」

 

「いや、そういう意味じゃないんだが。……まあいいや。食べるか? おにぎり」

 

「あ、貰う。お腹空いてたんだよね。中身は何?」

 

「オカカの実」

 

「……カカオ?」

 

「オカカの実だって。まあ、食べてみたらわかるよ」

 

 聞き慣れないが好奇心から一つ受け取る。とりあえず半分に割ってみると、まず初めによく知る純和風な香りが鼻孔をくすぐった。懐かしい香りが記憶の扉を開く。

 これはよく、ソウゴにとっての育ての親、常磐順一郎に握ってもらったおにぎりの具の香りだ。しかし、中心にある具の見た目がどうにも木の実にしか見えないせいで、ビジュアル的な違和感が強い。

 

「この世界のおかかって木の実なんだ」

 

「南の方の森に生ってるんだと。オカカの木は削って鰹節にするらしいぞ」

 

「へぇ。じゃあ、樹液って鰹だしなのかな?」

 

「いや、それは知らんが」

 

 若干の抵抗を感じながらも、抑えられない好奇心の力を借りて口に運ぶ。お米の甘みとカリッとしたナッツ系の歯ごたえ、しかしそれでいて口に広がるのは甘辛いおかか本来の風味。美味しいのだが不思議な食感であるオカカの実が、ソウゴの思い出にある順一郎のおかかを侵食していく。

 そんな新しい常識と出会っていたソウゴを横目に、カズマもおにぎりを頬張りながら呟いた。

 

「しかしタイミング悪いよな。こんなときにエリス様からのお願いなんて」

 

「仕方ないよ。俺が王様である以上、この町で起きる面倒事はちゃんと解決しなきゃ」

 

「ソウゴはきちんと王様してて偉いよ。それに比べてあの駄女神は。自分が撒いた種なのに後輩のエリス様に仕事押しつけやがって」

 

「でも、そんなアクアを特典に選んだのはカズマでしょ?」

 

「短気を起こしたあの時の自分を殴りたい」

 

 ぼやくカズマの目は、半分以上後悔の色に染められていた。クーリングオフ制度が確立されれば躊躇いなく天界に送り返すだろう、そういう目だ。アクアの持ち込む面倒事も生活を楽しむスパイスにしているソウゴだが、カズマにとっては劇薬と同等なのだろう。

 そんなことを考えていたソウゴは、視界の端で人の波を掻き分ける巨大な塊が、だんだんとこちらに近づいて来るのに気がついた。

 

「あっ、ソウゴさん! カズマさん!」

 

 その巨大な荷物は、こちらに気がつくと聞き覚えのある声で二人に声をかけてきた。小走りで駆け寄ってくる大玉転がしの玉のようなそれが七人目の旅の同行者であると判別がつく頃には、彼女は満面の笑みで二人の目の前に到着していた。

 

「おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」

 

「おはよう、ゆんゆん。それにしてもすごい荷物だね。……アルカンレティアに引っ越すの?」

 

「あんなところに引っ越すわけないじゃないですか! って、そんなに荷物多いですか? 私、お友達と外泊して遊ぶのって初めてで……」

 

「ゆんゆん。それ以上は悲しくなるからやめてくれ。な?」

 

 二人が大玉と勘違いしたものは、もう漫画でしか見たことがないようなぎゅうぎゅうに詰められたドデカいリュックサック。明らかにゆんゆんが三人くらいは入りそうなそれを彼女は平然と背負っているが、恐らくは物を浮かせる魔法を使っているのだろう。そうでなければダクネス並みの筋力がその服の下に隠れていることになってしまう。

 この荷物の量も浮かれ気分で準備をした結果なのだろう。よく見ると目元には薄っすらとクマもある。遠足前の子どものような姿を思い浮かべてしまうと、この大荷物について言及するのは憚られる。どうしたものかと思考を巡らせる二人の間に、恥ずかしさと怒りに頬を赤らめためぐみんが慌てたように割って入った。

 

「なんですかその荷物は! 移動日も合わせて五日ほどの旅なのに自分の体より荷物が多くてどうするんです!? 一緒に行動する我々の方が恥ずかしいんですからね! ちょっとこっちに来なさい!」

 

「あっ、ちょっと待ってめぐみん! まず誘ってくれた皆さんに朝焼いてもらった豚の丸焼きを……」

 

「そんなもの持ってきてるから無駄な荷物が増えるんですよ! 馬車に乗ってるどのタイミングで食べるつもりですか!? あなたそれでよくこの街まで一人で来れましたね!?」

 

 まるでお母さんのように怒るめぐみんが、リュックサックからゆんゆんを強引に引き剥がすと、その場で中にあったものを次々と外に出していく。

 ゆんゆんが「それは移動中暇になったらやるゲームで!」とか「予備の予備の予備の予備のソックスが!」と悲鳴を上げているが、構いなどしないめぐみんは嘆きを無視して仕分けを進める。観衆からの注目を集めているが、不本意な形で目立つことになっためぐみんは珍しく耳まで羞恥の色に染めていた。

 

「……おかしいな。めぐみんが真人間に見える」

 

「それ本人に言ったら爆裂魔法だよ」

 

 触らぬ神になんとやら。紅魔族は紅魔族に任せようと決めた二人は、他人のフリをしつつ距離を取りおにぎりを飲み下す。

 だがしかし、新しい騒々しさが二人を掴んで離さない。

 

「これが一番多く乗れる馬車なんでしょ!? なんでこんなトカゲやら子犬が既に座席を占領してるのかしら?

説明して。この私にわかるように説明して!」

 

「困りますよお客さん! それはドネリー様から依頼されて王都まで運ぶ商品なんです! 座席分のお金は貰ってるんですから勝手に下ろそうとしないでください!」

 

「やめるんだアクア! すまない。すぐに引き剥が……今、ドネリーと言ったか? ドネリーの者がこれを?」

 

「え? ええ、なんでも地方で捕まえた珍しいモンスターを王都の貴族に売る商売を始めたとかなんとか」

 

「よしアクア。この積荷、全て下ろすぞ」

 

「ガッテンよダクネス!」

 

「そんな!? 困りますよダスティネス様!」

 

「ロックサラマンダーの幼体に白狼の子どもなんてこの辺りで捕獲できるわけがない。相当な手練の冒険者でもなければな。きっと何かやましいことをして手に入れたに違いないんだ! これはれっきとした犯罪の証拠だぞ!?」

 

「そんなこと言われたって……!」

 

 ダクネスが御者の胸ぐらを掴むという、珍しく実力行使に出ていてカズマの顔も青ざめる。男女としての力の差など冒険者としての力量で埋めてしまえるこの世界で、ダクネスが手を出せば御者のおじさん程度一撃で伸してしまうだろう。流石にそんなことをする直情的な人間ではないと信用しているが、あの絵面は色々とまずい。

 

「何してんだアホどもー!」

 

 傍から見れば恫喝と営業妨害の現行犯。加えて最近はダクネスが貴族の娘だと吹聴して回ったせいで余計に目立つ。ただの冒険者でも相当にマズイのだが、それでもカズマが焦るには十分だった。

 全力で駆けて行ったリーダーを眺めながら、ソウゴはクスッと笑みを浮かべる。

 

「めぐみんがお母さんなら、カズマがお父さんだね」

 

「それは本人たちの前で言ってやるといい。面白い反応が見られるぞ」

 

 一人言に返事があっても驚きはしない。大きな魔力の塊が二つも近づいてくれば誰かくらいは予想がつくというものだ。それに、ダダ漏れの気配に一々ビクつくほど繊細な心臓をしているつもりもない。バニルの声に振り返ると、彼は一人で肩にえらく厚みのある黒い布を担ぎ仁王立ちしていた。

 

「おっと、流石の魔王も驚きの感情は隠せないか。朝食にはほどよい驚嘆の感情である」

 

「その肩の何? ていうかウィズは?」

 

「いやはや、いくら恐れ知らずな我輩とてご近所の目があるからな。体裁上、そのまま持ち歩くようなことはせん」

 

 そう言ったバニルは、担いでいた黒い布を無造作に地面に放り投げた。「どふっ」といううめき声を漏らしたそれが投棄された勢いで半回転すると、自然と布もはだける。そこから黒焦げになった見覚えのある顔が覗いたとき、ソウゴは思わず声を裏返した。

 

「どうしたのウィズ!?」

 

「この余計なことをすることに定評のある貧乏店主め、旅行前に不安だからと余計な品物を山のように買い込んでいたのだ。罰として我が〈バニル式殺人光線〉で両面こんがりとな。安心するがよいぞ魔王。焼き加減はレアに留めてある」

 

「いや、全然安心できないんだけど。なんか透けてない?」

 

「ふむ。流石にこのまま消滅されるのは色々とマズいな。全快とはいかないだろうが、小僧に〈ドレインタッチ〉を頼むか。馬車に揺られていればそのうち蘇るだろう」

 

 そう独りごちたバニルはウィズの首根っ子を掴むとそのままズルズルとカズマの元へと引きずっていく。体裁がどうのと言っていたが、あれは悪魔的なジョークだったのだろうか。ウィズが女性以前に人として扱われていないのはよくわかるが、半透明になった有名人がそれでは否が応でも目立ってしまう。

 

「待ってバニル」

 

 呼び止めたソウゴは二度目となる“仮面ライダー剣”の力をこの世界に呼び出そうとする。エネルギー補給要員のような扱いで申し訳ないが、今は非常事態である。歴史の中の戦士も目を瞑ってくれるだろう。

 そう都合よく考え黒い靄を手のひらに纏わせるソウゴ。その姿を見るバニルは、不思議そうに首を傾げた。

 

「何をするつもりだ? 汝の生命力など流し込めばとどめにしかならんぞ」

 

「違うよ。前、ライダー一人の力なら受け止められるってわかったからさ。その時のライダーの力をまた借りようかなって」

 

「ふむ……」

 

 ソウゴの言葉に引っかかりを覚えたのか、思案するバニルは顎に手を当て少し真面目な調子で口をつぐむ。やがて結論が出たのか、黒い靄のまとわりつくソウゴの手をやんわりと制した。

 

「〈ドレインタッチ〉は対象の魔力、生命力といったエネルギーを文字通り吸い取るリッチーのスキルなわけだが。汝の呼び出そうとしているモノは人ではなく、あのライドウォッチとか言う物に近いのではないか?」

 

「そうだね。その認識で間違いないと思うよ」

 

「ならば、その仮面ライダーとやらの力が店主に注入されることになる。汝から切り離した生命力の欠片と言えばそうだが、なんだったか、あの力と歴史を無理矢理ねじ込まれ歪んだ存在は。……確か“アナザーライダー”だったか? やり過ぎると店主があれになってしまうだろう」

 

「え、そうなの?」

 

「すぐにという訳ではない。此奴はこれでもアンデッドの王たるリッチー。人間と違い一度や二度力が混じった程度で存在を奪われるほどやわな造りはしておらんが、蓄積すればどうなるかわからない、という話だ」

 

「……随分と詳しいね。アナザーライダーのこと」

 

「お察しの通りだ、と言っておこう。さて、無駄話はこの辺りにしておこうか。我輩も早く帰ってポンコツ店主が買い込んだ不良在庫を処分してしまいたいからな」

 

 そう言って背中越しに手をひらひらと振るバニルは、周りの視線など気にせずウィズを引きずっていく。それを見送ったソウゴは、行き場を失った靄を晴らして自分の手に視線を落とした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ねぇソウゴ。やっぱり私からエリスに言ってあげるわよ? 一人居残りなんて寂しいじゃない」

 

「いやいいよ。これも王様の仕事だからさ。それに、ゆんゆんの荷物も屋敷に運ばないとだし」

 

「いえ、そのときはゆんゆんを置いて行けばいいだけですから」

 

「どうしてそんなこと言うの!?」

 

「そんなことしないって。到着は明日の昼前だっけ。お昼ごはんには合流できると思うから、皆は気にせず馬車の旅を楽しんでよ」

 

「そうか……。わかった。お前なら心配はいらないだろうが、気をつけるんだぞ」

 

「では、我々は一足先にアルカンレティアでお待ちしていますね」

 

「うん。皆も気をつけて」

 

「それ既にバニルに言われたから不安で仕方ないんだが」

 

 御者が発車の号令をかけると、仲間たちを乗せた馬車はゆっくり動き出す。蹄がレンガの道を鳴らし、よく整備された木製の車輪がカラカラと音を響かせる。少しずつ歩みを進める彼らに、ソウゴは大きく手を振った。

 

「いってらっしゃい!」

 

『行ってきまーす!』

 

 元気よく声を返してくれた六人の姿は、徐々に小さくなっていく。これから一日半を掛け、一泊を挟み目的地へと向かう旅程。いつもは荷物の検査などで関わるものだが、やはり客として馬車を見送るのとでは違う感覚があった。

 あとに続く荷馬車や護衛の冒険者たちにも手を振ったソウゴは、旅という非日常な体験に出遅れたことに対し少し惜しいことをしたかと思ってしまう。馬車の後ろ姿が見えなくなるまで眺めていたソウゴは、軽く伸びをして息を吐いた。

 

「さ、夜まで何しようかな」

 

 しかし、そこは気持ちを切り替えてやるべきことに意識を戻す。

 残されたのは自分と大きなゆんゆんの荷物。八割ほどを不要と切り捨てられた悲しい遺物が、(あるじ)に置いていかれた寂しさを醸し出している。まずはこれを持ち帰り、要冷品とそれ以外を分けなければなるまい。服などは……まあ、アンナに手伝ってもらえば女性のプライバシーは守れるはずだ。

 

「帰りにシュークリーム買わなきゃ。……今日はミルクレープの方がいいかも」

 

 これから数日家を空けるのだから、同居人に寂しい思いをさせる分奮発せねば。サキュバスとクリスにもアンナのことを頼んでおこう。思っていたより忙しくなりそうだと考えながら、ソウゴは身の丈より大きな荷物を担ぎ上げた。

 

 

   ⏱⏲夜⏲⏱

 

 

 荷物を分け終えたあと、アンナにせがまれてゆんゆんの私物のゲームで散々遊び倒したソウゴは、大きなあくびをしながら日の落ちた路地を歩いていた。いつもは出店や駆け回る子どもたちで賑わう街の中も、夜になれば静かなもの。夜空には星が静かに瞬いており、きっとカズマたちも同じ空を見上げている頃だろう、などと柄にもなくセンチメンタルな気持ちになってしまう。

 

「ゆんゆんの持ってたゲーム、大人数用ばっかりだったけど今回のためにわざわざ買ったのかな?」

 

 だったら悪いことをした、とソウゴは思う。また今度屋敷に招待すれば遊べるだろう。ゆんゆんのギルドでの過ごし方を知らないソウゴがそんな風に考えていると、目的地に近づいていたのだろう、暗がりからひょこっと銀の髪が顔を覗かせた。

 

「やっほ、ソウゴくん」

 

「おまたせクリス。待った?」

 

「ううん。あたしも今来たとこだよ」

 

 何気ない会話をしながら、ソウゴは人の気配がないことを確認して暗がりに足を踏み入れる。なんだか悪いことをしているような気分だが、こういうやり取りは少年心をくすぐられるためソウゴとしても嫌いではない。

 そんなことを考えていると、クリスはいそいそと布で鼻から下を覆い始める。

 

「何してるの?」

 

「何って、今から不法侵入するんだよ? 顔くらい隠して変装しなきゃ」

 

「あ、そっか。変装……変装か……」

 

 顔を隠していること以外いつものクリスと何一つ違いはないわけだが、それでいいのだろうか。などと野暮なことは思っていても言うつもりはない。自分も何かで顔を隠そうと思ったが、残念ながらそのようなことは念頭に置いていなかったため手元には何もなかった。

 どうしたものかと考えていると、それを見越していたのかクリスは何処からともなく取り出した仮面をソウゴに差し出した。

 

「はいこれ、ソウゴくんの」

 

「いいの?」

 

「まあ、ソウゴくんは色々と目立つからこれでどうにかなるとは思わないけど、一応ね」

 

「ありがと」

 

 渡されたのは、目元だけが隠れるピンクの仮面。仮面舞踏会で貴族っぽい人が付けていそうなデザインの、普段使いには絶対に向いていないタイプの代物である。どれくらい効果があるかわからないが無いよりかはマシかと、とりあえず装着しつつ事前に聞いていた今日の流れを思い出す。

 

「えっと、『女性の婚期を守る会』のアジトに忍び込んで神器を回収するんだっけ。なんだかスパイみたいでワクワクするね」

 

「楽しそうなところ悪いんだけど、大事なお役目なんだからね? 落として瓶を割っちゃったら大惨事だからさ」

 

「わかってるよ。でも、そういう時って〈香水〉の効果ってどうなるの?」

 

「効果が発現するのは香りを纏った使用者から見て異性だからね。撒かれたらその場にいる人間が無差別に使用者で無差別に対象だよ」

 

「え、じゃあ俺その場にいる全員を好きになっちゃうってこと?」

 

「まあ、オーマジオウならこのレベルの神器だと影響は大したことないんじゃないかな。ちょっと眠くなるくらいで。あとは、その場にいる女性全員がソウゴくんにメロメロになるだけで済むと思うよ」

 

「大惨事じゃん」

 

「良かったじゃん、ハーレムだよ? カズマくんなら泣いて喜ぶだろうに。……あ、ここだね」

 

 からかう様な笑みを抑えたクリスは足を止め、入り口も何もない壁に向かって小声でそう言った。

 三階建てほどの、レンガ造りで瓦屋根の建物。サキュバス曰く、この建物の一室が『女性の婚期を守る会』の集会所で、〈香水〉を手に入れてからはほぼ毎晩のように会合を開いているらしい。

 

「サキュバスさんたちもよく気づいたよね。そんな会があるなんて、俺全然知らなかった」

 

「あの子たちの店は会にマークされてるからね。動向を探る過程で偶然知ったんだってさ」

 

「へぇ。クリスって、サキュバスさんたちとはよく話すの?」

 

「たまに悪さしてないか抜き打ちで見に行ってるんだよ。よく店でカズマくんと会ってるんだけど、知らなかった?」

 

「聞いてないけど。ていうか、最近外泊増えたのそういう理由か……」

 

「外泊? なんで?」

 

「うちの周り、バニル対策でアクアがすごく強い結界張ってるんだよね」

 

「あー、アクア先輩の結界ならサキュバスくらいだと昇天しちゃうね」

 

 他愛のない会話をしながらも、準備は着々と進んでいく。忍び込むという当初の予定通り正面突破などするわけもなく、当然裏口や窓からの侵入。どうやって入るのかとクリスの様子を伺っていると、彼女はソウゴに渡した仮面と同じく何処からともなく鉤縄(かぎなわ)を取り出した。

 

「ねえ。それってどこから出してるの?」

 

「仮面ライダーの皆さんと同じところだよ」

 

「あー、なるほどね」

 

 クリスに合わせてソウゴも声を潜める。いかにも隠密という感じがして、ソウゴ的には馬車の旅に引けを取らないくらい楽しい気分だった。

 クリスは縄の強度を確かめたあと、手元でくるくると勢いをつけ鉤爪を屋根へと放り投げる。正確無比な投擲はスキルによるものだろうか、それともただ手慣れているだけなのか。上手く棟に引っかかったようで、数回引いて外れないことを確認したクリスは縄を伝って壁をよじ登っていく。

 

「おー、盗賊っぽい」

 

「いや、あたしは盗賊なんだけど」

 

 すいすいと駆け上がったクリスは、三階の窓を覗き見る。部屋の中に誰もいないこと、〈罠感知〉で危険がないことを確認すると、事前に鍵を開けていたのか簡単に窓を開けて中へと侵入を果たした。

 窓から顔を出したクリスは、ソウゴに向けて親指を立てる。それを合図に、ソウゴも縄を伝って壁を駆け上がる。

 

「随分馴れてるよね、不法侵入」

 

「そりゃ、あたしは巷を騒がす義賊だからね」

 

「義賊?」

 

「神器の回収がお役目って言ったでしょ? それっぽいのを貴族の屋敷に潜り込んで片っ端からね。ついでに後ろ暗いお金も貰っちゃえって。もちろん、盗ったお金は孤児院や教会に寄付して回ってるよ」

 

「へぇ、なんかかっこいいね」

 

「それほどでも」

 

 侵入経路を判別させないため、縄は天井に放り投げておく。後で回収か、難しければ放置でもいい。発見されるリスクはあるが、魔道具を使った捜査でも捕まりさえしなければ問題はない。クリスの〈宝感知〉スキルで探索しつつ、二人はそのまま静かに廊下へ。誰もいないことを確認して、スキルが反応する部屋の前まで移動する。

 ここまで順調だが、油断はできない。無事回収し帰るまでが仕事である。忍び足で扉まで移動した二人は、扉に耳を当て中から声がすることを確認する。アイテムだけ別で管理していてくれれば楽だったのだが、そこまで世界というのは優しくないらしい。

 

「(ソウゴくん。これから先、なるべく時に関する力は使わないでね)」

 

「(すぐバレるもんね。わかってるよ)」

 

「(あと、何を見ても誰を見ても明日からはちゃんと知らないフリをするんだよ)」

 

「(え、この先何があるの?)」

 

 ソウゴの疑問に答えることなく、クリスはソウゴの手を握ると〈潜伏〉スキルを使い気配を断つ。極力音を立てないよう扉を開いた先にあったのは、ソウゴとしても目を開かざるを得ない光景だった。

 

 

 

 

この惚れ香水を使えばもう我々が年齢や周りに怯えることはなくなるのです! 何故それがわからないのです会長!

 

そんなもので手に入れた結婚が、我々の求めた幸せか!? 否! それはその場しのぎのまやかしに過ぎない!

 

 

 

 

 今朝カズマがおにぎりを買っていたお弁当売りの女性と、ソウゴにとってなんだかんだ長い付き合いとなっている検察官が、ぼんやりと蝋燭が照らす部屋の中で件の〈香水〉を挟み討論を繰り広げていた。

 

「(あちゃー、〈窃盗〉を使おうにも微妙だなぁ。人が密集してるからハズレが多すぎるよ)」

 

「(いや、それどころじゃないんだけど)」

 

 ソウゴの声など虚しく、ヒートアップしていく議論はまるで暴走列車のようにブレーキがない。聞こえないフリをするクリスもだが、ソウゴは自分がとんでもない魔境に足を踏み入れたのだと認識させられた。

 

「あなたは変わってしまった……。それもこれも、あの男が現れてから!」

 

「な……っ! い、今はあの方は関係ないじゃないですか!」

 

「いいえ! かつてのあなたは男同士のくんずほぐれつに心を燃やす尊敬できる方でした。ですが今は、想い人に気持ちも告げられず背中を追うだけの弱い女に成り下がってしまった……! もう我々の志は一つではなくなったのです!」

 

 ギリッと悔しそうに歯を鳴らすお弁当売りの彼女。その思いに耐えきれなくなったのか、この場にいる者たちの感情が昂っていくのがわかる。暴走列車は、遂にレールすら無視して走り出した。

 

「胃袋を掴もうにもきっかけがない!」

「香水の香りがあれば料理の味なんてわからなくなるわよ!」

 

「道具に頼って好きになってもらっても虚しいだけよ!」

「そこまで辿り着けないから頼るんでしょ!」

 

「周りは結婚し、後輩は彼氏持ち。もうこんな絶望の中で生きて行きたくないの! この香水は、言わば蜘蛛の糸! わかるでしょ副会長!」

「私だって同じ気持ちですけど、その糸に手を出したら魔王が釣れてしまいそうなので……」

 

「結婚さえしてしまえばこちらのものです! そこから始まる愛だってあるって本にも書いてました!」

「他人の言葉に縋るんじゃない! 自分の頭で考えるんだ!」

 

「上辺がいい男を捕まえたってどうしようもない。中身を見定めるには交際期間が必要だわ」

「私はその期間が長すぎて他の女に取られたのよ!」

 

 

 

 全員参加の激論(?)と言うよりヤジの応酬が展開されている横を、居た堪れない気持ちを抱えつつクリスに引かれ壁に沿って移動する。見てはいけないものを見ているという自覚はある。なるべくなら知らないままが良かった知人たちの姿に、明日から旅行で良かったと心から安堵することしかソウゴにできることはなかった。

 入り口から見て真正面の窓まで来ると、クリスは片手で器用にその窓の解錠を試みる。逃走経路を二つ確保するのは事前の打ち合わせ通りだが、手持ち無沙汰なソウゴは気になって仕方ないわけで。

 

「(……ねえクリス。セナが会長って呼ばれてるんだけど)」

 

「(気のせいだよ。あ、ソウゴくん。窓に背中向けて座って)」

 

「(ルナまでいるし、副会長って呼ばれてるんだけど)」

 

「(気のせいだよ。あ。あぐらじゃ駄目だよ。片膝ついて)」

 

「(他にも冒険者とかお店の人とか、ちらほら知ってる顔があるんだけど……。クリスは知ってたんだよね?)」

 

「(知らなかったとは言ってないよ。そうそう。顔は正面ね。飛び込んで着地してきた感じ)」

 

「(まあいいや……。それで、どうやってあれを回収するの?)」

 

「(〈潜伏〉スキルはあくまで気配を断つだけだから、目の前に立つと普通に気付かれるんだ。これだけ人がいると〈窃盗〉も使い辛い。だから、どっちかが注意を引き付けてサクッと回収する方が楽だと思うんだよね)」

 

「(…………それってつまr「(じゃあ、あとはよろしく!)」

 

 話を打ち切ったクリスは、合図もなしに手を離して窓を勢いよく叩いた。窓はもちろん大きな音を立てて口を開き、吹き込んできた風が蝋燭の火を消す。いきなりのことに室内は騒然となるが、一番心中が穏やかでなかったのはソウゴだった。

 

(……こんなことなら、最初から未来予知使っておくんだったなぁ)

 

 この世界を見守る女神様に対する借りなのだから大きな借りだとは思っていたが、まさかここまで無茶振りを要求されるとは思っていなかった。少し、自分のこれまでの行いがいか程だったかを考えさせられる。

 よくよく考えれば、今回の討ち入りで明確な役割分担はなかった。流れだけの説明だったので、二人でなんとかするものだと思い込んでいたのは自分。そして手伝うと言ったのも自分。なら、やれるだけのことはやろう。

 そう開き直ることにしたソウゴは、明かりの点けられた部屋では窓から侵入してきたばかりの体を装うしかなかった。

 

「ソ、ソウゴさん!?」

 

 そして速攻でセナに正体を看破された。知り合い相手に顔を隠した程度でどうこうできるとは思っていなかったが、この怪しげな仮面を着けていても何の疑問も持たずに驚かれたことには思うところはある。

 

(さて、ここからどうしようかな……)

 

 少しだけ、常磐ソウゴの話をする。

 彼はこの世に存在する全てのライダーの歴史を継承し、時を操るという人の身を越えた力を持つ、規格外という言葉が人の形を得たような男である。あらゆる仮面ライダーの能力を使うことができる、正しく仮面ライダーの王。達観した物の見方をし、未来予知などなくても十数手先くらいなら読み切ることができる知性を持つ。

 だがどれだけの経験をして精神が成熟していても、中身は高校を卒業したばかりの十八歳なのだ。できることならば他人のフリをして、何も見なかったことにしたいと思うくらいの感性は残っている。

 

「ひ、人違いです……」

 

 だからこそ、その一言を絞り出すのが精一杯だった。

 

「いや、何を言ってるんですかトキワさん。変な仮面まで付けて。ウィズさんのところの店員さんの真似ですか?」

 

 そうルナに切り込まれてしまうと、ソウゴとしても返す言葉はない。こちらとしては知人の赤裸々な結婚願望に晒された上で、仲間から見捨てられたあとに器用にアドリブをこなせるほど気持ちが落ち着いていないのだ。

 もうここは、正直に話して理解を得るしかない。そう思い、静かに仮面を取った。

 

「嘘ついてごめんなさい」

 

「いやまあ、そんな仮面一つで誤魔化せると思っていたことに驚きですが……。それで、一体どうしてここに……?」

 

「実は俺、その香水を女神様にお願いされて回収しに来たんだ」

 

「回収、ですか?」

 

「うん。その香水の正式名称は〈他者を隷属させる香水〉。強い魔力を持つ、それこそ紅魔族並みの魔法使いが使えば、世界を掌握できる恐ろしい神器らしいんだよね」

 

 嘘である。

 衝撃の事実とは、現実離れしているほどにすんなりと受け入れられるもの。そもそもそんな魔王よりも世界を滅ぼせそうな危険物、あのアクアでも個人に渡しはしないだろう。だが、打ち明ける話は眉唾物ほど食いつきがいいものなのだ。

 

「そ、そんなわけ……!」

 

「惚れ薬みたいな話で聞いてた? でも女神様が言ってたわけだし、きっと間違いはないはずだよ」

 

「そういえば、ソウゴさんは女神エリスの〈天啓〉で釈放されていましたね」

 

「そ。あの時の借りを返すと思ってって。もし俺が信用できないなら、明日にでもエリス教の教会に奉納してよ」

 

 半数以上の者が危険な物という話を聞いて心を傾けている。しかし、やはり〈香水〉を使いたかった者たちからは推察するまでもなく未練の色が漏れていた。いち早く〈香水〉を隠すように握った、お弁当売りの彼女からは特に。

 ここからどれだけ丁寧にこの場をフォローできるか、それに彼女たちの心の平穏と、明日からの自分の生活の安寧がかかっている。緻密な未来予知を重ね、慎重に言葉を選ぶ。

 

「たぶん、ここにいる人が使っても異性の意識を少し変えるくらいしか効果はないと思うよ。……使いたかった相手がいた?」

 

「いえ、特定の相手はまだ……」

 

「そっか。でもさ。魔道具で振り向いてもらっても、きっとそれは愛情にはならないんじゃないかな」

 

「そんなことはわかってるわ! でも、こうでもしなければ出会いがないの……! 毎日お弁当を売っても仲良くなれるわけじゃない。きっかけが欲しかった! それだけなの……」

 

「……わかった。じゃあ、俺が出会いの場を設けるよ。知り合いで結婚したい人とか彼女が欲しい人に声をかけてみる。〈香水〉みたいに君を意識させることはできないけど、それはきっと〈香水〉に頼っても同じだと思うからさ」

 

「それは……」

 

「それに俺は、皆がこんなものに頼らなくちゃいけないくらい魅力がないとは思わないよ。俺が保証する。だから、これは女神様に返してくれない?」

 

 ね? そう言って、ソウゴは手を彼女に差し出す。お弁当売りの彼女は、その手に一瞬の躊躇いを覚えたものの、未練を断ち切って〈香水〉をそっと乗せた。頬を伝う一筋の滴は、きっと彼女にとっての決別の一滴なのだろう。

 

「じゃあ、会の皆とも仲良くね。結婚してからの愛も、愛の先にある結婚も同じだよ。志は一つ、なんでしょ?」

 

「はい……。私、大切なことを思い出しました……! すみませんでした会長……!」

 

「構いませんよ。これからはより力を合わせて頑張りましょう」

 

 これで一件落着。あとはこれをクリスに渡し、一眠りすればアルカンレティアへ出発だ。やったことはないが、合コンのセッティングならカズマかサキュバスたちに打診すれば何かヒントは得られるだろう。お金が絡めばバニルも協力してくれるはずだ。全ては王として、ここにいる女性たちの幸せのお手伝いをするために。

 ホッとしたからこそ、少し気が抜けてしまったのだろう。見送りで朝が早かったこと、そして昼間のゲーム疲れからか一気に眠気が襲ってくる。少し意識が遠のきかけたソウゴが大きな欠伸をしていると、セナはふと問いかけてきた。

 

「……そういえば、ソウゴさんは女神エリスに言われてここに来たんですよね?」

 

「うん。そうだよ」

 

「旅行を切り上げて?」

 

「ううん。俺だけ後から参加にしてもらったよ」

 

「なんだか我々の事情がわかっていたようですが、いつからいたんですか……?」

 

「お姉さんとセナが討論してるときからだけど……あ」

 

 言い訳をすると、眠気に勝てなかったから。ボーッとし過ぎてセナの問いにスラスラと答えてしまった。まずいと思ったときにはもう遅い。恥ずかしさからか色々な感情がごちゃまぜになったような顔をするセナに、とりあえず何か言葉をかけないとと思ったソウゴは必死に気の利いた言葉をひねり出す。それが死体蹴りだとも知らずに。

 

「あー、その、セナは好きな人がいるんだよね! 流石は恋愛結婚派! 大丈夫! 俺、応援するから! セナが選んだ人なら、きっと男同士の趣味も理解してくれるよ!」

 

「トキワさんやめてください! 会長が息をしてません!」

 

 

   ⏱⏲「魔王……」「これは魔王の所業だわ……」⏲⏱

 

 

「いやぁ、すごいものを見たよ! 流石は魔王だね!」

 

「他人事だと思ってさー。はいこれ」

 

 屋根の上で大笑いするクリスに、ソウゴは拗ねたような仕草で回収した神器を手渡す。こんな小瓶一つのために随分と多くの犠牲を払ってしまった。明日からはより多くの民から魔王と呼ばれることになるだろう。非常に、不名誉ではあるが。

 

「まさか会の中で〈香水〉をつけてる人がいたとはね。眠気のせいで神器の影響受けて正直にぺらぺら喋っちゃうなんて、可愛いところあるじゃん」

 

「もう俺、帰って寝るから。じゃあ、これで貸し借りなしってことで。次は手伝わないからね」

 

「拗ねないでよ。それじゃあこれは、私からのささやかなお礼ってことで」

 

 そう言って、クリスは一枚の券をソウゴに差し出した。それを素直に受け取ったソウゴは、書いてある文字を目で追いかける。

 

「『アルカンレティア一日フリーパス』?」

 

「アクシズ教徒にだけ発行される特別なやつだよ。タダで温泉巡りできるの。ちょっとしたコネで貰ったんだ」

 

「へー。……って、アクシズ教徒? じゃあこれ使えるのってアクシズ教徒だけ?」

 

「いや、誰でも使えるよ。その代わり、街ではアクシズ教徒として扱われるけどね」

 

「?? どうしてアルカンレティアでアクシズ教が優遇されるの?」

 

「どうしてって――」

 

 闇夜で微笑む女神様の笑みには、どこか悪魔的な愉悦を孕んでいた。

 

「――アルカンレティアがアクシズ教の総本山だからだよ」




春風の心地よい季節になりましたが、ふにふらさん、どどんこさんはお変わりなくお過ごしでしょうか。私は変わらず、仲間たちと冒険の日々を送っています。

先日書かせていただきました友人の男の子とそのパーティーメンバーに誘っていただき、アルカンレティアへと湯治に参ります。本当です。一人旅ではありません。
この街で不安なこともたくさんありますが、知り合った方に良くしていただき毎日を楽しく過ごしています。
本当に一人旅じゃないんです。別枠で同行するわけでもないです。お土産送ります。
ゆんゆん


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この旅人たちに洗礼を!

「アルカンレティア、到着ー!」

 

 一番に馬車から降り立ったアクアは、大きく伸びをしながらこれまた大きな声で宣言した。

 

 岩山を掘って作られたトンネルを抜けると、そこはまるで別世界。趣きのある石橋を進み、湖と見間違えるほど大きく透明度の非常に高い川を横断する。その先で予定よりも早く到着した旅人たちを出迎えたのは、誰もが目を引く美しい街並みだった。

 景観を意識した区画整理と観光地としての美化意識だろう、やはりアクセルの街とも道中通過したドリスとも違って見える。高い技術で整地された石畳に、外壁ではなく山に囲まれた街。至るところから温泉街特有の湯気が上がり、それでいて硫黄臭いわけではなく空気も澄んでいる。穏やかな時の流れについ時間を忘れてしまいそうになる、そんな心地よさを感じさせる雰囲気に、アクアに続いて降りていった女性陣からも評価は上々だった。

 

「父に連れられて色々な所へ行ったが、これほど美しい街は見たことがない」

 

「私も来たことはありませんでしたが、昔からここは冒険者の間で有名な湯治場ですからね。効能がすごいとか」

 

「それはますます温泉が楽しみになるな」

 

「バニルさんから聞いたんですけど、最近は飲むための温泉もあるらしいですよ。お肌にいいそうで」

 

「ほう、それは興味がある。一緒に回ろうかウィズ」

 

「アルカンまんじゅうにアルカンせんべい、お土産は何がいいかしら……。あっ、めぐみん! あっちに温泉たまごを作るスペースができてるわ! 今日はあれで勝負しましょう! どっちがより完璧な温泉たまごを作れるか!」

 

「何をはしゃいでいるのやら、この田舎者は。ストーカーから食いしん坊キャラにジョブチェンジですか?」

 

「す、ストーカーじゃないから! ライバルだからぁ!」

 

 楽しそうに話す面々は、今日からの三日間に期待で胸を膨らませる。棚ぼたのように舞い込んできた楽しい旅行が、今始まろうとしていた。

 一人を除いて。

 

「な、長かった……」

 

「大丈夫か、カズマ? 一日半の馬車の移動は、慣れていなければハードだからな」

 

「でも、久しぶりに冒険者気分を思い出せて楽しかったです。ソウゴさんは残念でしたね」

 

「違う。そういうことじゃないんだよ」

 

 疲れ切った表情で最後に馬車から降りたカズマは、道中の出来事を思い出す。堅いダクネスを狙った走り鷹鳶のチキンレース、アクアの聖気に釣られて集まったアンデッドの大群、それを浄化する際ウィズが消滅しかけたりしたことを。上げだしたらキリはないが、他にも森の中で休憩しているときには安楽少女に感情移入し過ぎたゆんゆんをめぐみんが置いていこうとしたこともあったし、いい感じの岩を見つけためぐみんが爆裂魔法を放つために〈ドレインタッチ〉を強要してきたこともあった。

 本当に、これだけのアクシデントに見舞われながら誰一人欠けることなく到着できたことが喜ばしい。事の発端の全ては身内が原因なのだが。

 

「よし、帰るか」

 

「なぜです!? 旅はこれからではありませんか!」

 

「いやもうかなり疲れたよ。これから先、ソウゴ無しで遠出したくないくらいには」

 

「この程度の距離で音を上げるなんて流石はヒキニートね。あの悪魔と良からぬことを企む時間があるなら、もっと外に出て体を動かした方がいいわよ」

 

「悪魔……? ねぇめぐみん、悪魔って?」

 

「全部お前らのせいだよ」

 

「まあまあ。せっかく来たんですから楽しみましょう、カズマさん」

 

「一番被害受けてるウィズがそう言うなら……。あとの奴らは反省しろよ」

 

 だがしかし、愚痴を言ったところで仕方ないことはカズマにもわかっている。ソウゴでもないのに失った時間を取り戻すなんてことは不可能なのだから。気持ちを切り替え荷物を抱え直したカズマは、引き返していく馬車を見送りながら一先ず荷物を預けるためにも今夜の宿に向かうこととする。

 

「忘れ物はないな? えっと、宿は……」

 

「宿ならこっちよ! 私が案内するわ!」

 

「? 随分と張り切っていますねアクア。来たことがあるんですか?」

 

「無いわよ。でも、この街のことは誰よりも詳しいんじゃないかしら。だから何でも聞いてね!」

 

「ほう。それは頼もしいな」

 

 とんでもない自信で胸を張るアクア。和やかな空気ではあるが、カズマは嫌な予感しかしない。この駄女神が調子に乗っているときは大抵碌な目に合わないと相場が決まっているのだ。恐る恐る、予め災難を受け入れる覚悟をするためアクアに問いかける。

 

「な、何で詳しいんだ……?」

 

「何でって、ここは私の街よ? 当然じゃない」

 

「私の街……?」

 

「ええ。だってここは私の加護を受けた教徒たちの街、アクシズ教の総本山だもの」

 

「総本山……!? 変わり者が多いと噂のアクシズ教の総本山だと……!?」

 

 衝撃を受けるカズマとは対象的に、アクアはまるで無邪気な少女のように笑みを浮かべた。

 

「ようこそ! 水と温泉の都、アルカンレティアへ!」

 

 そのセリフが合図だったのか、どこからともなく現れた人々がカズマたちを包囲する。突然の強襲に面を食らっていると、彼ら彼女らはそれはもう邪悪の欠片もないキラキラとした目をカズマたちに向けてくる。

 

「ようこそいらっしゃいましたアルカンレティアへ!」

「観光ですか? 入信ですか? 冒険ですか? 洗礼ですか?」

「おお! 仕事をお探しならぜひアクシズ教団へ!」

「今なら他の街でアクシズ教の素晴らしさを説くだけでお金が貰える仕事があります!」

「その仕事に就きますと、もれなくアクシズ教徒を名乗れる特典がついてくる!」

『どうぞ! さあどうぞ!』

 

 神の洗礼より先に、アウェーの洗礼を受けてしまう。例えるなら、これまで人を疑ったことがない人間がマルチ商法にドハマりしているような、そんな感覚。一方的にノーと断るのは勇気がいるというか、悪いことをしている気分になってしまう、そんな善意の押しつけをカズマは感じてしまう。

 そこで思い出す。この教徒たちを騙し束ねる悪の権化の存在を。こちらには気まぐれで教義を変えてしまえる迷惑な女神がいることを。助けを求めようとアクアの方へと目をやると、彼女は他の教徒に絡まれていた。

 

「なんて美しく輝く水色の髪! 地毛ですか? 羨ましい! 羨ましいです!」

「そのアクア様みたいな羽衣もよくお似合いで!」

「そうかしら? どーもどーも」

 

(駄目だ役に立たねぇ!)

 

 既に懐柔されていた。このままではマズい。アクアがその気になって騒ぎになればせっかく気持ちを切り替えて楽しもうとしていた旅行がめちゃくちゃになってしまう。何より、後から合流するソウゴのガッカリした顔だけはなんとか避けたい。

 とりあえずこの場から離脱することだけを考えるカズマはめぐみんの手を握ってダクネスに目配せをする。彼女も意図を理解したのか、アクシズ教徒に押され気味のウィズとゆんゆんを捕まえるとそのフィジカルで退路をこじ開けた。

 

「すみません! もううちのパーティーにはアクシズ教のプリーストがいますので! 失礼します!」

 

 カズマは髪と羽衣を褒められてご機嫌なアクアの背中を押しながらアクシズ教徒の包囲網から抜け出す。まずは宿に避難を。一つの場所に留まっていると囲まれると理解したカズマは、小走りでその場を離れる。そんな彼らを、アクシズ教徒たちはとても邪気のない目で送り出してくれた。

 

『さようなら同士! 貴方方に良き一日があらんことを!』

 

 

    ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「広ぇ……」

 

 宿泊券を使い宿に転がり込んだカズマたち。部屋はニ部屋用意してもらえることになり、それぞれアクア、カズマ、ダクネスと後から来るソウゴの四人、めぐみん、ゆんゆん、ウィズの三人という割り振りである。

 とりあえず荷物を置こうと部屋の中に入ったのだが、中を見たカズマは思わず声を漏らしてしまった。

 

「アクセルの街の宿屋とはやっぱり違うなぁ……」

 

「そりゃそうよ。なんて言ったって、この街で一番の宿なんだから!」

 

 四人部屋にしても広い部屋。絵画や調度品も飾られており、これが観光地の本気かと唸らせられる。ベッドもふかふか、ソファも沈みすぎず硬すぎもせず、まるでVIP対応のようで気分は小金持ちだ。例に習って店員がアクシズ教徒かつ宿泊名簿と偽って入信書を差し出してきたことを除けば、満足度のかなり高い宿屋と言えるだろう。だからこそ、不安になることもある。

 

「どの宿でも使えるからって、こんなところに泊まって本当にいいのか?」

 

「いいに決まってるじゃない。私のかわいい信者たちが、そんなに心狭いわけないでしょ」

 

「これが三日間とも、しかもルームサービスまでタダとはな。バニルには帰ったら礼を言わないと」

 

「最終日にチェックアウトしないと違約金、払えないなら入信なんて言われたけど、こんなにすごい宿なら滞在期間を伸ばして泊まりたくなるのもわかるよ。入信はお断りだが」

 

「どうして? いいじゃない。今と変わらず私のことを崇めているだけでいいんだから、ささっと入信しなさいよ」

 

「お前のことを崇めたこともありがたがったこともねぇよ」

 

 高級そうなソファに沈みながら、そんな風に悪態をつく。テーブルにはまるでアメニティのように入信書が積まれているが、それを見なかったことにしたカズマは隣りにある観光パンフレットを手に取った。パラパラと捲ってみれば、こちらはかなり真面目に観光スポットについての記述が見られる。

 

「へー。温泉以外にも色々と名所があるんだな」

 

「さ、荷物を置いたら街へ出ましょ! 私、まずは行きたいところがあるの!」

 

「そうだな。ソウゴには悪いが、私も早くこの街を見て回りたいと思っている」

 

 時計を確認すれば、ソウゴと合流する予定まではかなり時間がある。きっとめぐみんたちも同じような意見だろう。確かにこのまま宿で無為に時間を消費するくらいなら、外に出て思い思い過ごす方がいい。おすすめスポットの一つや二つくらい、ソウゴをすぐ連れていけるよう地理を理解しておくのも悪くはないだろう。きっと、あのいつも大体へらへらしている仲間は、自分たちが気を使ってじっとしているよりそっちの方が喜ぶはずだ。

 そう考えたカズマは、到着時の不安など忘れて腰に下げていた未だ無銘の相棒をソファに立てかけた。

 

「よし! じゃあ行くか!」

 

「「おー!」」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……不安だ」

 

 深いため息をついたカズマは、とぼとぼと路地を歩きながらそうぼやいた。そんな彼に、散策のため軽装に着替えたダクネスが呆れたような顔を向ける。

 

「気になるならアクアに着いて行けばよかっただろう」

 

「でもアクシズ教団本部にカチコミなんて嫌だ」

 

「大丈夫ですよ。めぐみんさんとゆんゆんさんが一緒ですし。お二人はこの街に来たことがあるみたいですよ?」

 

「そうなのか? そんな話は聞いていなかったような……」

 

「なんでも、アクセルの街に行く前、お世話になったプリーストさんがいらっしゃるとか。だから大丈夫ですよ!」

 

「そうかな? そうだといいな……」

 

 気にはなるが、今から追いかけたところでどうにかなるものでもない。流石に自分の信者に無理無体なことはしないだろうと思うことでなんとか心の平穏を維持する。

 そんなカズマの心労を和らげるためか、噴水を見つけたダクネスは彼の手を引いた。

 

「ほら見ろカズマ! 噴水だぞ! 美しい女神像もある!」

 

 駆け出したダクネスに引っ張られ、カズマは躓きそうになりながら街のロータリーへと躍り出た。噴水を囲んだ住人たちが談笑する憩いの場。アクセルにも同じような場所はあるが、特別目を引くのはやはり中央に据えられた女神像の存在感だった。

 丁寧に扱われているのだろう、水場だというのに腐食も欠損も、苔の一つも見られない。絵画に描かれているような『美』を掘り出した像には、確かにアクアが纏っているような羽衣も見受けられる。信者ではないが、ダクネスは完成された女神像に感嘆していた。

 

「見事だな。信仰の深さが表れているようだ」

 

「詐欺だな。業の深さが滲み出ているようだ」

 

「あはは……」

 

 本物を知っているカズマがそう断ずると、酒を浴び理不尽に暴れる本人を思い出したウィズは笑うことしかできない。ここにアクア本人がいれば、この地が崇める女神の醜態を白日の下に晒すこととなっただろう。

 そんなカズマの悪態をいつもの軽口だと流したダクネスは、少し盛り下がった二人へと振り返る。

 

「アクアたちは教会に行ったわけだが、二人はどこか行きたいところはないのか?」

 

「そうだな……。名所はソウゴが来てからの方が良さそうだし、俺は地理さえ掴めればどこだっていいよ。ウィズは?」

 

「私は魔道具店を見て回りたいです! 良さそうなものがあれば注文を上げて店でも取り扱えられたらと」

 

「後でバニルに怒られても知らないぞ」

 

「大丈夫です! 本当に良い物ならバニルさんもわかってくれます!」

 

「いや、その……。まあいいや」

 

 いつもふわふわしているが、これで頑固なところがある彼女。またこんがりと焼かれたら助けてやらないと、とカズマが保護者のような気分でいると、通りの方から歩いてきた少女と目が合った。

 アルカンレティアの住人だろう、褐色の肌は日焼けによるものか。露出が高めだが、この街では見慣れた健康的な肌である。髪に咲く花のアクセサリーが、幼さと可愛らしさを底上げしている。藁で編まれたかごを腕に下げニコリと微笑んだ彼女だが、足元のちょっとしたレンガの凹凸に足を取られてしまったようで。

 

「きゃっ!」

 

 そのまま、籠の中のりんごを辺りに散らして転んでしまった。

 

「あっ! 大丈夫ですか?」

 

 気づいたカズマたちは、すぐさま駆け寄って転がるりんごを拾っていく。逃げ出さないかと心配になったが、どうやら杞憂に終わりそうで安心する。全てをかごに入れ終わると、少女はペコリと頭を下げた。

 

「助かりましたぁ。ありがとうございますぅ〜」

 

 なんとも猫なで声というか、ややぶりっ子の入った声色に警戒心を抱くカズマ。こういうのは地雷だと、日本の教育環境を経験し穿った目が養われている彼はそう直感する。しかし、彼女が頬を赤らめて上目がちにこちらを覗いてくると、そんな疑いの心は簡単に消し飛んでしまう。

 

「あのぉ、何かお礼をさせてもらえませんかぁ……?」

 

 そっと手を握ってくる彼女に、健全な青少年がトキメキを感じてしまうのは仕方ないことだろう。まあ! とお母さんのようなリアクションをするウィズにも、少しムッとするダクネスにも気付かない。

 どうしてりんごを拾っただけで、なんて野暮なことをカズマは考えたりしなかった。そもそも彼女は最初、自分と目を合わせて熱っぽい視線を送っていたせいで躓いてしまったのだ。きっとこの地が崇める神が、日頃の自分の行いからご褒美をくれたのではないか。

 淡い期待に胸を躍らせていると、彼女は甘い声で微笑んだ。

 

「この先にアクシズ教団が運営するカフェがあるんですぅ。そこでお話しません「結構です」

 

 一瞬で熱の冷めたカズマは素早く手を振り払ってその場を後にしようとする。そもそも、あの世界の中心は自分であると信じて疑わない駄女神が自分を労うような殊勝な心がけがあるわけないのだ。少しでも期待した自分を戒め、現実と向き合うカズマ。しかし、悪夢はそう簡単にカズマの手を離してはくれなかった。

 

「まあお待ちになって! 私こう見えて占いが得意なんですぅ! お礼に占わせてもらえませんかァ?」

 

「いや、結構ですって! ホントに! クソッ! 力強いな……ッ!」

 

「まあまあそう言わずにィ! すぐですから! ちょっと手相を見るだけですかラァ!」

 

「ちょ、いたた! 離して、は、離せー!」

 

 カズマが冒険者として非力であるということを差し引いても、少女とは思えない握力でカズマの腕を掴んで離さない。少し骨もミシミシ言っている気がするし、確実に圧迫痕が残っているだろう。

 猫の皮を被った獣だったのだ。仕草や素振りに簡単に騙されてしまった自分が恥ずかしい。カズマがいかに男女平等主義者とはいえ、これから三日間滞在する観光地で初日から住民とトラブルを起こすわけにもいかず、なんとか引き剥がして逃げようと懸命に藻掻く。だが必死の抵抗も虚しく、腕力でカズマに勝利した怪しく目を輝かせる彼女に手相を覗かれてしまった。

 

「今占いの結果が出ましタァ! このままではあなたに不幸が! ですがアクシズ教に入信すればその不幸を回避できます! 入りましょう! ここは入っておきましょう!」

 

「不幸なら今まさに遭遇してる! 離せって!」

 

「今なら、毎日飲むだけでこれから先の人生全ての不幸を回避できる聖水もついてきますよ!」

 

「なんだよそのテレビ通販みたいなノリは!?」

 

「不幸を回避できる聖水ですか!? それはさぞ有り難い聖水なんですね!」

 

「まあ! ではそちらの若くて美しいお方も一緒に入信書にサインを……」

 

「騙されるなウィズ! そんなものがあったら今の俺の状況は成立しないから! ダクネス! 助けてくれー!」

 

 一人では勝てないと諦めたカズマが、急展開にオロオロしていたダクネスに助けを求める。とりあえず自分にできることは、相手を落ち着かせて話し合いに持ち込むこと。そう考え胸元からペンダントを取り出したダクネスは、アクシズ教の少女の肩に手を置いた。

 

「待ってくれ。私はエリス教の信徒でな。その男を勧誘するつもりなら、まず私に話を通し「ペッ!」

 

 ダクネスが言い終わる前に少女はツバを吐き捨てた。

 

 この展開は誰も予想していなかったらしく、固まる一同。ダクネスが出したペンダント――エリス教のシンボルをまるで汚いものをでも見るような目で一瞥した彼女は、スタスタとその場を離れていく。そして距離を取った彼女はダクネスに触られた肩を払いながらこちらを睨みつけると、またツバを吐き早足でその場を去った。

 

「まあ、その、なんだ……。助かったよ、ダクネス。ありがとうな」

 

「え、ええそうですね! エリス教とアクシズ教は仲が悪いことで有名ですし、気にすることありませんよ!」

 

 何か声をかけねば。呆気にとられ沈黙していたカズマとウィズが使命感からそう声をかける。突然の扱いにさぞ傷ついていることだろう。そう思っていたが、予想に反してというか、期待を裏切らないダクネスは頬を赤らめていた。

 

「んっ……!」

 

「…………お前、ちょっと興奮したのか」

 

「…………してない」

 

「いや、でも『んっ……!』って」

 

「し、してない!」

 

 

   ⏱⏲「……でも、悪くなかった」「ダメだこの女」⏲⏱

 

 

「ああ! 凶悪そうなエリス教徒と思しき暴漢に無理矢理暗がりに引きずり込まれてしまうー! 誰か助けてー!」

「「「…………」」」

「へっへっへ! 俺様は暗黒神エリスから力を授けられたエリス教徒! 強くてかっこいいアクシズ教徒がいなけれりゃ怖いものなしだぜ!」

「「「…………」」」

「ああ! 誰かがこのアクシズ教の入信書に名前さえ書いてくれれば!」

「「「…………」」」

 

 

「おめでとうございます! お客様方はこの商店街を訪れた百万人目のお客様! 記念品を贈呈させていただきたいので、この入信書にサインを!」

「「「…………」」」

「この入信書はほんの手続きの一環でして! 今なら記念品の他にも特典が盛り沢山!」

「「「…………」」」

 

 

「あっれ〜〜??? 久しぶり! 私だよ私! 覚えてない? ほら、昔よく遊んだ私だよ!」

「「「…………」」」

「わっかんないかなー? でも、私もアクシズ教に入信してから、性格は明るくなったし肌もきれいになったからわかんないのも無理ないかなー!」

「「「…………」」」

 

 

「あらやだ両手に花ねお兄さん! よくみたらそこはかとなくイケメンじゃない! これ、アクア様の加護がある石鹸よ、あげるわ!」

「「「…………」」」

「いいのよ遠慮しなくて。もちろんタダよタダ! この石鹸はね、どんな汚れも落とす優れ物。なのに体には全くの無害なの! しかもこの石鹸ね、食 べ ら れ る の」

「「「…………」」」

 

 

 

 

「入信すれば幸運値倍増!」

     「アクア様の加護を得てから人生が上手くいくようになったのさ!」

          「これはあなたのためを思って勧誘してるの!」

  「これは王家も飲んだかもしれないありがたい聖水だよ!」

        「アクシズ教に入信してから彼女ができました」

      「ペッ。臭ぇ臭ぇと思ったらエリス教徒かよ! ペェッ!」

 「今ならポイント二倍だから! なんなら三倍だから!」

     「うちはアクシズ教徒専門の問屋なんだ。もちろん、入信すれば送料はタダだよ!」

             「この洗剤、飲むだけで筋肉がつくんだぜ!」

 

 

 

 

「どうなってるんだこの街は…………」

 

「凄いな……! これが異教の地における試練か……!」

 

「あのー、どうしてダクネスさんはぞんざいに扱われるとわかっていて、エリス教のペンダントをおっぴらに持ち歩いているんですか?」

 

「性癖上の都合だからそっとしといてやってくれ」

 

 刺激的な街の歓待に体力を削られ、怒る気力すら残っていない疲労感たっぷりのカズマは、とぼとぼと大通りを歩く。満足げなダクネスや苦笑いで躱しているウィズはさておき、このまま不安定な精神状態で街をふらつけば諦めからつい入信書に名前を書いてしまいそうになる。一時の気の迷いだったとしても、酒乱の女神の軍門に下ることだけは避けたいところ。

 

「どいつもこいつも小芝居挟んで入信入信入信入信。勧誘以外にやることないのか、この街の連中は」

 

「あはは……。頂いたものだけで当分の間は洗濯に困りませんね」

 

「食べられる石鹸と飲める洗剤ってなんだよ本当に」

 

 大きくため息をついて、なんとか心の平穏を保つ。嘆いたって状況は変わらないのだ。今はやることを整理する必要がある。

 まずは両手に抱えた消耗品を宿に持ち帰らなければ、ソウゴと合流することすらままならないだろう。最終日にチェックアウト、という条件も恐らくこういった歓迎から逃げられないようにするため。ならばダクネスまでとは言わずとも、前向きに楽しむ努力をするべきだ。幸い人間以外はいいところなのだから、いつもの騒がしい仲間たちとなら楽しみようはある。

 

「そういや、めぐみんたちは大丈夫なのか……?」

 

「ゆんゆんは押しに弱そうだからな。めぐみんが慌てている姿が目に浮かぶようだ」

 

「友達ができるって言われればひょいひょい名前を書きそうだな。……心配だ」

 

「では、先に教会へめぐみんさんとゆんゆんさんを迎えに行きますか?」

 

「いや、もうどうせ手遅れだろ。一番はこの大量の譲渡品を宿に持って行くことだな。教会はソウゴと合流してからにしよう」

 

 まずは自分の安全確保から。そう思い拠点に帰る選択をするカズマ。勧誘してくるアクシズ教徒から逃げ回るためとはいえ、ある程度道や目印も頭に入り始めている。早足でさっさと戻ろうと考えていると、視界の端で幼い少女が屈強な男に腕を捕まれ路地に連れ込まれようとしているのを見つけてしまった。

 

「ッ! おい、カズマ」

 

「ああ。ったく、しょうがねぇなぁ」

 

 見ず知らずの子どもだが、旅行初日にケチをつけられるのは気分が悪い。ほんの僅かな時間でバリエーション豊かな勧誘を見てしまったので、頭のおかしいアクシズ教の新手の勧誘手口という可能性も捨てきれないが、それでも幼子を見捨てていい理由にはならない。

 三人が駆け寄ろうとすると、それより先に二人の間に割って入る者がいた。

 

『やめなさい! 子どもに何をするんですか!』

 

 それは初春らしい白のカーディガンを羽織る、見目麗しい女性だった。強気な眼差しで屈強な男を睨み返す胆力と、少女を庇い立つ長い黒髪の美女。その服装にどことなく親近感を覚えるカズマだが、それとこれとは話が別である。

 

「おいおいなんだ姉ちゃん! オメェ、アクシズ教徒じゃねぇな? この薄い胸と幼い子どもを愛するエリス教の信徒に、アクシズ教徒じゃねぇお前が勝てるわけねぇ!」

 

「駄目だよお姉ちゃん逃げて! アクシズ教徒じゃないお姉ちゃんじゃ邪悪なエリス教徒には勝てないよ!」

 

 会話内容から頭のおかしい連中だったと判断し、カズマたちの足が止まる。間に割って入った女性も災難だろうが、巻き込み事故はお断り願いたい。そう思い知らなかったフリをしてその場をやり過ごそうと、三人は気づかれないよう静かに方向転換する。

 だが、勇敢な女性はカズマたちの思惑とは裏腹に首を傾げた。

 

『……? すみません。英語以外の外国語は、ちょっと。アイ、スピーク、ジャパニーズ、アンド、イングリッシュ』

 

「? 何を言ってるんだ姉ちゃん」

 

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 

 彼女に合わせて、二人も首を傾げる。カズマとしては何故会話が成り立っていないのか理解できないが、あの押して駄目なら更に押せ、を地で行くアクシズ教徒が固まってしまっているのだから余程のことだろう。

 

「何かあったのか……?」

 

「? どうしたカズマ。行かないのか?」

 

「え? あ、ああ。なんかあのお姉さん、外国語がどうとかって。会話が噛み合ってないんだよ」

 

 カズマが立ち止まり様子をうかがっていると、その訝しむ彼の表情にダクネスとウィズも引き返してくる。そして女性とアクシズ教徒の一対二の会話というか、ボディーランゲージを交えたコミュニケーションを眺めていると、二人はとても不思議そうにカズマを見た。

 

「噛み合ってないと言うが、聞いたこともない言葉を使われたらああもなるだろ」

 

「ええ。私も人間と魔王軍幹部をやっていますが、耳にしたことのない言語ですね」

 

「え? いやだって普通に……」

 

 そこまで言って、カズマはある一つの可能性に気がつく。ダクネスたちが理解できず、それでいて自分が理解できる言語。あの妙に懐かしい気がする装い。そして何よりこの世界の住民とは思えない手入れされた艷やかな黒髪ロング。

 

「……まさか」

 

 もう答えと言っても過言ではない同郷の可能性に気がついてしまったカズマは、嫌な予感がしつつも彼女に接触することを選択した。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

『助かりました! ありがとうございます!』

 

「あ、いえいえ気にしないでください。日本人のよしみってことで」

 

 抱えていた石鹸と洗剤を屈強なアクシズ教徒に押し付け彼女の手を引いてその場を離脱したカズマたち。近くにあったオープンテラスの喫茶店へと腰を落ち着けた四人は、カズマ発案の元テーブルを囲んで一時の団欒の場を設けることとした。

 

『いやぁ、まさか日本語の通じない場所に連れて来られていると思っていなかったもので』

 

「連れて来られたってことは、転生したわけじゃないんですか?」

 

『転生……? いいえ。居候に温泉のフリーパスを貰ったから行こうと誘われて、その人と私と私のお祖父ちゃんと三人で』

 

「え、何その居候怖い」

 

『本人は到着するなりどこかへ行っちゃうし、お祖父ちゃんも温泉巡りに一人で出掛けるし、私はちょっと街に出るだけのつもりだったんですけど、迷ってしまって……』

 

 流暢な日本語と先程のカタコト英語からして、純日本人で間違いないだろう。それにしても近くで見るとより美人である。だが、日本人がアルカンレティアの温泉フリーパスを持っているというのは変な話だ。それに、自由に行き来できるような口ぶりも引っ掛る。どこかで聞いたことがあるような話だとカズマは頭を悩ませるが――

 

(まさか、このあと入信書が出てくる展開なんじゃ……!)

 

 ――それ以前に、散々アクシズ教徒に振り回されたカズマは疑心暗鬼になっていた。美人局と言われても納得の美人。ビジュアルだけならダクネスとタメを張れる。そのうえダクネスと違って平和そうな人格の持ち主。これで裏切られたら、もうこの先カズマは人を信じることができなくなるだろう。

 そんな邪推もいいところなカズマの思考を、蚊帳の外にされたからか少し膨れたダクネスが袖を引っ張って現実に連れ戻す。

 

「おいカズマ。いったい何の話をしている」

 

「え? ……ああ、悪かったよ。この人は俺と同じ東の方の国の出身なんだよ。えっと、名前は……」

 

 ファンタジーの定番で誤魔化しつつ、そう言えば自己紹介がまだだったと思い当たる。名前を聞いてもいいものか、そのままこちらに自己紹介のターンが回ってきたら入信書が出てくるのではないか。そんな怯えを見せるカズマだが、その心配は杞憂となる。

 

「こんなところにいたのか、ナツミカン」

 

 聞いたことのある声が割って入った。彼女も声に気がついて振り返る。その視線の先には、前に会った時よりも随分とバカンスを楽しむラフな格好の男が立っていた。

 

「ったく、俺が帰ってくるまで家にいろと言っただろ」

 

『でも、お祖父ちゃんとキバーラは温泉巡りに行っちゃうし、ちょっと外見るくらいのつもりで……』

 

「爺さんはノリでなんとかできるだろうが、お前には異世界の現地語なんてわからないだろ。そのためにわざわざエリスと話をつけてきたっていうのに……。で、なんだこいつらは」

 

 そう言って、男は閉口するカズマとダクネスを見る。

 前のスーツ姿とかなり印象が変わり、暑くもないのに短パンにアロハ、そしてサングラスと頭につけたカラフルなレイ。お馴染みのマゼンタカラーの二眼レフカメラも忘れていない。

 彼はサングラスを少しずらすと、記憶を掘り起こしてカズマたちのことを思い出す。

 

「あ、あんた……! 確か、門矢士!」

 

「……よく見たらお前ら、ソウゴの仲間か。どうしてナツミカンといる?」

 

「「「ナツ……ミカン……?」」」

 

 首を傾ける三人の前に居直った女性は、少し慌てて御髪を整える。その仕草にドキッとしたカズマだが、気にすることのない彼女は三人に友好的な笑みを見せた。

 

『士くんがお世話になったみたいで。私の名前は(ひかり)夏海(なつみ)。よろしくお願いします!」




親友のふにふらさん、どどんこさん、今日は私の懺悔を聞いてください。

以前めぐみんとアルカンレティアを訪れた際、衣食住の提供と引き換えにめぐみんが色々と知恵を貸したのですが、それが最悪の形で発展していました。
めぐみんとは初めて来たことにしようという話でまとまりましたが、より強引かつ陰湿になったアクシズ教の勧誘に罪悪感が湧いてきます。
あのときめぐみんを止めることができていたらと思うと、非常に心苦しいです。誓って私は関係ありません。本当です。

ゆんゆん


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この不浄な街に救済を!

「では改めまして。私の名前は光夏海です。夏海って呼んでください。クルセイダーのダクネスさんに、アークウィザードのウィズさん、それと冒険者のカズマくん」

 

「ああ。よろしく、ナツミ」

 

「ちゃんと言葉がわかるっていいことですね……!」

 

「ふふっ。色んな世界に行きましたけど、この世界はファンタジー色の強い世界なんですね」

 

 ウィズが感動の声を漏らすと、ダクネスの差し出した手を握る夏海は朗らかな笑顔を浮かべた。美人同士が微笑み合っているのは絵になるなぁ、などと鼻の下を伸ばして不届きなことを考えていたカズマだが、一人だけ隣のテーブルに陣取る士の咳払いで急速に現実に引き戻される。

 

「カズマとか言ったな。どうしてお前らがここにいる?」

 

「……いや、その前になんだよその格好」

 

 観光地とはいえ春先に短パンアロハという出で立ちに疑問を覚えるのは仕方ないことだろう。前回のあの大人びたスーツとは七二〇度真逆の格好。それでも変わらない高圧的な雰囲気と俺様オーラだが、間抜けに見えないのはほとんど奇跡と言っていい。

 こうして顔を合わせるのは二度目で、服装に口を出すような間柄というわけでもない。それに憎たらしいほどに着こなしているのは事実なので、変だとか浮いているだとか、そういうわけでもない。だが、カズマにはどうしてもこの男の私服にしては遊び成分が多すぎるような気がしていた。

 そんなカズマの、いや、ダクネスやウィズも合わせた異世界組三人の疑問の眼差しに追随するように、士側の夏海までが首を傾げる。

 

「そういえば、いつの間に着替えたんですか?」

 

「たまの休みを満喫しろっていう世界からのお達しだ。そんなことよりカズマ、俺の質問に答えろ」

 

「バニル……知り合いからここの無料宿泊券貰ったからだけど、そっちは?」

 

「偶然だな。デストロイヤーのときアマゾンの駆除を手伝ってやったろ? その時の報酬として、エリスから温泉のフリーパスをな」

 

 そう言って、アロハの胸ポケットから紙切れを見せる。アクシズ教は教徒への還元率が高いなぁ、などと寝ぼけたことを言っている暇はない。カズマとダクネスは、夏海も掲げるその紙切れが視界に入ると同時に目を見開き身を乗り出した。

 

「「お前、居候だったのか!?」」

 

「気持ちはわかりますけどそれ言っちゃうんですか!?」

 

「なんだお前ら。喧嘩なら買うぞ」

 

「暴力はダメですよ、士くん」

 

 初対面で敵か味方か、なんていう物々しい雰囲気を醸し出していた相手が、居候などという肩身の狭い存在だったのなら驚くのも無理はないだろう。恐らく家主であろう夏海に対して態度が大き過ぎるというのも驚きの要因ではあるのだが、それにしてもこの数分の間に印象が反転しすぎて感情が追いつかない。『ミステリアスな世界の破壊者』だった人物が、今では『態度のデカいアロハを着た居候』。随分と身近になってしまった男をまじまじと見ると、もうただの偉そうなやつにしか見えなかった。

 と、ここでカズマがあることに気づく。

 

「あれ? 士と関わりあるってことは、もしかして夏海さんも仮面ライダー……?」

 

「一応、そうですね。今はいませんけど、キバーラっていう小さいコウモリの力で変身します」

 

「仮面ライダーって確か、言語とか勝手にわかるようになる世界にオートフィットするチートが備わってるんじゃなかったっけ?」

 

「そんなこと、確か前にアクアが言っていたな。ほとんど聞き流していたから詳しくは覚えていないが」

 

 カズマはベルディアとの戦いのあとで、アクアが語っていた内容をぼんやりと思い出す。ソウゴ曰く、到着後暫くしてこの世界の言語の読み書きや会話ができるようになったという今でも信じられない話を。士もその辺りを苦労している様子はない。ノーリスクで世界に溶け込めるその能力に、羨ましさよりも恨めしさを覚えたのは記憶に新しかった。

 その時の感情までセットで思い出していると、士は頭にかけたサングラスに太陽の光を反射させながらふんぞり返った。

 

「俺たちを基準にするな。本来ライダーは、必然にしろ偶然にしろ力を得た存在だ。俺やソウゴは逆に、世界から役割を与えられた存在だからな」

 

「世界に役割……? ツカサもソウゴも、お前たちの話はいつも突拍子がないな」

 

「別に覚えなくていい。あと、士()()だ。目上の相手には敬意を払え」

 

「わかったよ、士」

 

「大事なことだな、ツカサ」

 

「……まあいい」

 

 士はため息をつくと、いつの間に注文していたのか運ばれてきたコーヒーカップに手をつける。コーヒーの香りを嗅ぐその仕草は、浮かれたバカンス姿という強烈な視覚情報をねじ伏せるまでに堂に入ったもの。しかし肝心のコーヒーが口に合わなかったのか、それとも別の要因があったのか。カップを覗き冷めた目をした士は、そのままゆっくりとソーサーの上に置き再度ため息をついた。

 

「そう言えば、あの迷惑なプリーストはどうした? ここの連中のボス猿はあいつだろ」

 

「アクアなら教会だけど、それがどうかしたのか?」

 

「コーヒーカップの内側にアクシズ教の教義を書くことを禁止させる。こんなに飲みたくないコーヒーは〈ビルドの世界〉以来だ」

 

 士は不機嫌そうにカップを自分から遠ざける。

 そう言われてしまうと、コーヒーの黒が文字の溶け込んだ液体に見えなくはない。教義が口から入ってくることを想像すると、それはもう一種の呪いだろう。いくら俺様イケメン男とはいえ、同じ悩みで頭を抱える姿はカズマであっても同情してしまう。

 

「ったく、エリスのやつ何が幸運の女神だ。日記を押し付けたことへの当てつけか? 温泉は保証するとか言ってたが、それすらも危うい上に他のマイナス要素も多過ぎる」

 

「まあまあ士くん。せっかくの神様からの好意なんですし、ちゃんと楽しみましょうよ。私、こんなにのんびりと過ごす異世界は久々です」

 

「……ま、お前がいいならそれでいい」

 

 相変わらず不機嫌そうだが、満更でもなさそうに視線を逸らす士。好意と言うよりは信頼や親愛といった類いの、なんともいい雰囲気が二人を包む。

 だが、そんなこそばゆい空気をみすみす見逃してやるカズマではない。同情など消し飛んだカズマは非常に冷めた目で二人を見て言い放った。

 

「イチャイチャすんじゃねぇよ」

 

「してない」

「してません!」

 

 静かに目を逸らす士と慌てる夏海に向けて更に白けた目を向けるカズマ。先程美人局に会ったばかり故にやさぐれているのがわかるダクネスとウィズは、苦笑いを浮かべる他にない。そんなカズマたちに夏海は、誤魔化すようにポンと手を打って笑みを向けた。

 

「そ、そういえば、ソウゴくんという方はどこにいるのでしょう? 私、まだ〈ジオウの世界〉のライダーに会っていません」

 

「ここは〈ジオウの世界〉じゃない。まだ中心となる存在がわからないが、少なくとも本来ソウゴがいるべき世界じゃないからな」

 

「? ここはエリス様の世界だろ? 管理してる女神はエリス様だし」

 

「エリスは管理者であって歴史を動かす世界の中心じゃない。天界の存在は規定の関係で歴史に直接干渉することを許されていないからな」

 

「……? えーっと……?」

 

 流石のカズマも話についていけず、同じく振り落とされた二人と共に首を傾げる。目を点にする三人にどう伝えたものかと思案した士は、簡単な例え話を思いついたのかすぐに顔を上げた。

 

「……要するに、各世界には管理する女神とは別に正しい歴史を導く主人公みたいなやつがいる。が、少なくともソウゴはそうじゃない、ということだ」

 

「なるほど、主人公か……。ってことは、ソウゴじゃなくて、このろくでもない世界の方の魔王を倒すことになる勇者候補の中の誰か、ってことだよな? 正直あんまり関わりたくないな」

 

「カズマ貴様、正直すぎるだろ。まあ、私ももうマ……マツラギ? とは関わりたくないが」

 

「いや、ミコノギだろ。せめて名前くらいは覚えてやれよ」

 

「カズマさんも間違えていると思いますけど……」

 

 勇者候補という言葉からカズマたちが思い出すのは、ソウゴよりも前に見知ったことのある魔剣の勇者の顔。最近の怒涛の毎日のせいで記憶も褪せ、どんな顔だったか薄っすらとしか思い出せないが、少女二人を侍らせるムカつくイケメンだったことだけはカズマの魂に刻んである。

 そう考えると、確かにあの姿はテンプレ転生物の主人公らしい姿だったと言えるだろう。しかし、あれを中心に世界が回っていると思うとやはり苛立ちは感じてしまう。カズマが思い出しムカムカしていると、事情など知らない夏海はその怒りを忘れてしまうような笑みを見せる。

 

「まあ誰の世界でも構いませんよ。これもなにかの縁ですし、同じライダーとして挨拶くらいはしておきたいですね」

 

「そうか。ソウゴも直に到着するはずだ。迎えに行ってもいいが、あいつならウィズやアクアの魔力を辿ってここに来れるだろう」

 

「士くんみたいな運任せじゃなくて、そんな力まであるんですね! 流石は魔王です!」

 

「俺のは運任せじゃなくて、世界が出会うべき相手に引き合わせてるんだよ。……ちょっと待て。ソウゴはまだこの街にいないのか?」

 

 そう言った士は眉間にシワを寄せる。随分と意外だったのか、その声には疑問以上に驚きも含まれているように思えた。そこまで驚くことか? とカズマが不思議そうに首を縦に振ると、士の疑問に対してウィズたちが普段通りの調子で答える。

 

「はい。確か、エリス様に神器の回収を依頼されたとかで我々だけ先に来たんです」

 

「夢にエリス様が現れて、手伝って欲しいと直々に仰ったそうだが」

 

「あいつがソウゴに頼んだ……?」

 

 二人の発言に何かを感じたのか、士は思考を巡らせるように顎を指で撫でながら視線を落とす。しかしそれはほんの一瞬の出来事だった。カズマが違和感を感じるより先に、興味なさげなポーカーフェイスを取り繕いコーヒーカップを指で弾いた士は、頭にかけていたサングラスをかけ直した。

 

「……なるほどな。だいたいわかった」

 

「え、何が?」

 

「大丈夫ですよ。こういうときの士くんはだいたいわかってませんので」

 

「オイ」

 

 夏海の受け答えに鼻を鳴らした士は、ほぼ新品同然のコーヒーを放置して席を立つ。サングラス越しでもわかる値踏みするような視線を三人に向けると、士は静かに問いかけた。

 

「お前ら、滞在はいつまでだ」

 

「明後日までだけど……?」

 

「そうか。行くぞ、夏海」

 

「えっ。ソウゴくんに会わないんですか?」

 

「ああ。必要ならそのうち会える。……そうだカズマ。お前、運はいい方か?」

 

 名前を呼ばれキョトンとするカズマ。どうして名指しなのか考える彼に太陽を背にしたバカンス男は、自分が頭に付けていたレイをカズマの頭に被せた。ニヤリと口角を上げた士の意地悪そうな表情に、カズマはなんとなく背筋に冷たいものを感じる。そんなカズマの表情の変化を気に入ったのか、士は首から下げたトイカメラに三人の姿をカシャッと写す。

 

「お前たちが来て、俺たちがいて、ソウゴが遅れて。これが全部、偶然ならいいな」

 

 そう言い残し満足気に去っていく士の背中を、カズマたちに会釈した夏海は慌てて追いかける。何がどうなっているのかわからなかったカズマたちは呆然と嵐を見送るしかなかったが、あっ、というウィズの声に二人は我に返った。

 

「ツカサさん、コーヒー代払ってません……」

 

 そこにはもう湯気も出ない、すっかり冷めてしまったコーヒーだけが取り残されていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「へぇ、ここがアルカンレティアかぁ」

 

 街へと続く石橋を歩きながら、美しい大河を眺めるソウゴは呟いた。

 朝からライドストライカーを飛ばし、平原や荒野を駆け抜け数時間。マシンの性能に寄るところが大きいだろうが、のんびり馬車で一日半という時間を大幅に短縮したソウゴは、日が高くなる前に目的地へと降り立っていた。

 圧巻の景色を堪能しつつ、自分より早く横を通り過ぎ街へと入っていくエリス教のシンボルに似たマークが描かれた馬車に手を振ると、中から無垢そうな子どもがはしゃぎながら手を振り返してくる。馬車の装飾や子どものドレスからして、乗っているのは貴族だろう。クリスから厄介な街として悪名高いと聞いていたアルカンレティアではあるが、一定以上に需要があるのは間違いないらしい。

 

「温泉が有名っていうのは本当なんだね」

 

 街へと踏み込んだソウゴは、観光地としての知名度の高さに納得した。

 見応えのある風景もそうだが、人や物の往来はアクセルよりも頻繁かつ多いし、そういう人の循環で街自体にも活気を感じる。もう少し観光客が多くてもいい気がするが、それも季節の巡り合わせということで目を潰れる程度だ。

 

(でもこの感じ、流石はアクシズ教の総本山。そこら中からアクアみたいな力を感じる)

 

 他の全てが放つそれとは違う、天界の者のみが放つ神聖な力の気配。エリスやクリスのものとは違う親しみある気配から思い起こされるのは、飲んだくれてでろでろに酔っ払っている姿ばかり。だが腐っても女神ということだろう、漂う神気は低レベルのモンスターを牽制する弱い結界の役割も担っている。殺虫剤ほど強力では無い、さしずめ虫除けスプレーといったところか。この程度ならアンデッドが寄り付くことも、ウィズがダメージを受けることもないだろう。よく知る空気が街中に立ち込めている、加護を受けた街というものの特殊さをソウゴは肌で感じていた。

 カズマが自分と同じ権能を持っていればこの光景にどんな恨み節を吐くだろうか。そんなことを考えながら目を凝らす。

 

「ぽつぽつ強い魔力を持った人がいるけど、街全体にアクアの神気が漂ってるから判別し辛いな……」

 

 いつも通りの神、悪魔、人間、モンスターくらいのざっくりとした判別すら不可能なくらい滞留している神気に早速だがムッとするも、すぐに諦めるソウゴ。とりあえずこの街に漂う力と同一の力を感じる大きな建物に向かえばアクアには会えるだろう。そう楽観的に考え目的の方向へと足を向けたときだった。

 

「あっらぁ〜〜? お兄さん観光? それとも湯治かしら? やだもう、なんだっていいわよね! ようこそ、アルカンレティアへ!」

 

 行く手を阻むように、お年を召した奥様たちが音もなく現れた。全員がその手に持っているのは、紙の束とたんまり固形石鹸が詰め込まれたバスケット。ソウゴがそちらに気を取られていたせいか、視線の先を瞬時に読み取ったマダムたちは間髪入れず一歩踏み込み、逃すまいとソウゴを取り囲む。

 

「あらっ、これが気になるの? 見る目があるわねお兄さん!」

「なんたってこれはアクア様の加護を受けた特別な石鹸ですものね! 気になるのも仕方ないわ〜!」

 

「……なんで石鹸?」

 

「この石鹸はすごいのよ? 天然由来の成分だけ配合してるから体には無害なのにどんな汚れもみるみる落ちる!」

「あげるわこれ! いいのいいの! これタダだから! 遠慮しないで!」

「しかもこの石鹸、どんなステータス異常も治るの! 冒険者にはたまらない一品!」

「さらに、今ならアクシズ教に入信するだけでこの石鹸よりも強力な洗浄力の洗剤まで付いてくる! お得なんてもんじゃないわ〜。ここに名前を書くだけですごい洗剤までもらえちゃうなんて!」

「しかもこの洗剤、飲 め る の」

 

「いや、洗剤は飲まないし石鹸もそんなにいらないよ」

 

「遠慮しないで! この石鹸もアクア様の加護を受けているから食べられるの!」

 

「遠慮じゃないし、石鹸はおやつに入らないよ」

 

 怒涛の勧誘ラッシュを冷静なツッコミで躱したソウゴは、四方から押し付けられた石鹸を押し返した。確かに、到着早々石鹸を洗浄能力付き携帯食として押し付けてくるのは厄介と言わざるを得ないだろう。ふと、アクアの加護を受けたらうちにある石鹸や洗剤も飲めるようになるのだろうか、などと考える。

 

(アクアのことだから家中の洗剤を真水に浄化しそうだな)

 

 カズマにげんこつを落とされ、泣き叫ぶ姿が目に浮かぶ。

 あまり可哀想なことはしてやらないでおこう。そう思いグイグイくる石鹸を押し返していると、一人のマダムが見せつけてくる入信書が目に止まった。そこに描かれたマークは、先程すれ違った馬車に刻印されていたものと同じ。

 

(あれってアクシズ教のシンボルだったんだ。なら、あの貴族はアクシズ教徒なのかな)

 

 そう考えると、この街に気兼ねなく立ち入れる人間はアクシズ教徒以外いないのかもしれない。折角の観光資源を無駄にしているような気がするが、それでも有名なのはそれだけ温泉に価値があるからだろう。この街で受ける歓待を耐えるだけの価値が。

 だが王たる者、何事も一面だけで判断してはならない。

 

「ねえ、俺あんまり詳しくないんだけど、アクシズ教ってどんなのなの?」

 

「興味があるのね! いいわよいいわよ! はい、これがアクア様の教えよ!」

 

 ソウゴの興味本位の一言にすかさず反応したマダムは、バケットから一枚の紙を取り出し差し出す。一言礼を返したソウゴは、その紙に書かれた文章を目でなぞった。

 

 

 

 

 

一つ、アクシズ教徒はやればできる。できる子たちなのだから、うまく行かなくてもそれはあなたのせいじゃない。上手くいかないのは世間が悪い。

 

一つ、自分を抑えて真面目に生きても頑張らないまま生きても明日は何が起こるか分からない。なら、分からない明日の事よりも、確かな今を楽に行きなさい。

 

一つ、汝、何かの事で悩むなら、今を楽しく生きなさい。楽な方へ流されなさい。水のように流されなさい。自分を抑えず、本能のおもむくままに進みなさい。

 

一つ、嫌な事からは逃げればいい。逃げるのは負けじゃない。逃げるが勝ちという言葉があるのだから。

 

一つ、迷った末に出した答えはどちらを選んでも後悔するもの。どうせ後悔するのなら、今が楽ちんな方を選びなさい。

 

一つ、悪人に人権があるのならニートにだって人権はある。汝、ニートである事を恥じるなかれ。働かなくても生きていけるならそれに越した事はないのだから。

 

一つ、汝、我慢をする事なかれ。飲みたい気分の時に飲み、食べたい気分の時に食べるがよい。明日もそれが食べられるとは限らないのだから。

 

一つ、汝、老後を恐れるなかれ。未来のあなたが笑っているか、それは神ですら分からない。なら、今だけでも笑いなさい。

 

一つ、悪い悪魔殺すべし、悪い魔王しばくべし。

 

 

 

 

 

(……なんか、アクアの生き様そのものって感じがする)

 

 きっと、書いてあることは良いことのはずだ。好意的に要約すると、今を楽しく生きましょうという内容。しかし文の端々から感じられるこのどうしようもなくダメな感じはなんだろうか。悪く例えるなら、欲望に従い本能のまま生きろ、と解釈できてしまうこのダメな感じ。きっとこのソウゴが感じているダメな感じが、アクアを構成している主成分に違いないとそう確信できる。できてしまう。誰に何と言われても「あっ、これはアクアが考えた文言だな」という自信が決して揺らぐことはないだろう。

 ソウゴが言葉を失っていると、取り囲んでいたマダムは非常に悦に入った表情を浮かべた。

 

「素晴らしいわよね、アクア様の尊い教えは!」

「あなたも入信したくなったでしょ?」

「私達と一緒に、共にアクア様の教えを広める使徒になりましょう!」

「さあ」「さあ!」『さあ!』

 

 押して駄目なら更に押せ。勧誘を狩りか何かと勘違いしているのか、その目に宿る光は獲物を前にした肉食獣と同じもの。そんな熱のこもったマダムたちに向けて、内容を理解したソウゴはへらへらとした笑みを浮かべた。

 

「いや、俺は入信しないよ」

 

 あまりにあっさりとした拒否の言葉に、ポカンとした顔を見せるマダムたち。そんな変化を気にしないソウゴは、教義が認められた紙を折りたたんで懐にしまう。

 

「俺、王様だからさ。一つの宗教に肩入れするのはダメでしょ? それに、まだ見極めなきゃいけないし」

 

「おうさま……?」

 

「うん。じゃあ、仲間が待ってるから行くね」

 

 へらへらと笑い、ひらひらと手を降るソウゴ。未だアクアの神気で視界は不良だが、観光がてらぶらぶらと目的地を目指すのも悪くはないだろう。そんなことを考えつつ今日の昼食に思いを馳せながら、ソウゴは目印となる巨大な建物へと足を向けた。

 

 

   ⏱⏲「ずっとアクアに囲まれてるみたいで落ち着かないな……」⏲⏱

 

 

「おおー。間近で見るともっとすごいなぁ」

 

 目の前まで来ると、その大きさに思わず感嘆の声を上げてしまう。

 

「カメラとかあればよかったんだけどな。カズマに作れないか聞いてみよ」

 

 この世界で初めて見るくらいに立派な、例えるならそれは城のような教会だった。アクセルにも教会はあるが、ここまで主張の激しいものではなかったと記憶している。街の景観に沿った青の屋根を被る、清廉さを主張する純白の建物。だが窓にはめ込まれた色とりどりのステンドグラスが、この建物がただ大きいだけではない特別なものだと主張していた。荘厳な外観の中に、人を包み込む慈愛を感じる。特に太陽に反射する極彩色が、ソウゴに継承した歴史の一つを思い起こさせていた。

 

「そう言えば、なんで教会ってステンドグラスなんだろ」

 

 聖職者の力を宿したライダーもいるが、だからといってその力にまつわる知識を備えているわけではない。わかることと言えば、せいぜいがそのライダーの歴史くらいだ。

 アクアかダクネス辺りに後で聞いてみよう。そう考えるソウゴが扉へと近づくのと、その正面の扉を勢いよく開いて男が出てくるのは同時だった。大粒の涙を流し歓喜に打ち震える白髪の男性。かなり年を召した印象の彼は、まるで天から得た啓示をこの街の全ての人間に知らしめるかのように耳を疑う発言をした。

 

「エリスの胸はパッド入り! エリスの胸はパッド入り! 悪魔を払う奇跡の呪文じゃー!」

 

 絶叫しながら駆けていく姿を眺め、思う。

 

(……なんでアクシズ教が嫌われてるのか、わかってきた気がする)

 

 教義の内容に沿った思想ではあるのだろうが、人としてもう少し躊躇いを持って生きた方がいいのではないだろうか。そんなことを思いつつ今度こそ扉に手をかけようとする。その時、裏手から子どもたちの無邪気な声が聞こえた。

 なんとなく、嫌な予感がする。予想がつくのであまり見たくはないのだが、その不安を払拭するためにも確認だけしておこう。そう自分に言い聞かせたソウゴは、そっと声のする方向を覗きに行く。

 

「エリスきょうとだー!」

「やっつけろー!」

「くらえ! じゃあくないきょうとめ!」

 

「フッ、フヒヒッ! これがアクシズ教の洗礼か……ッ! いい! いいぞ!」

 

 そこには子どもたちに囲まれて石を投げつけられるだらしない顔の変態がいた。

 

「何してるのダクネス!?」

 

 

   ⏱⏲「この街は子どもに至るまでレベル高いな……っ!///」「…………」⏲⏱

 

 

「アクア。どうして俺が怒ってるかわかる?」

 

「なによ! ソウゴまで私のこと責める気!?」

 

「当たり前じゃん。アクアはアクシズ教の女神様でしょ? 民をきちんと導くのは上に立つものの義務だよ。なのに、悪いことした人を叱るどころか助長させるなんて、何考えてるの」

 

「で、でも……」

 

「アクア」

 

「はい」

 

「もうどっちが神様だかわかんねぇな」

 

 懺悔室から引き摺り出したアクアに正座をさせるソウゴは、珍しく腕を組み仁王立ちで見下ろしていた。口調はいつも通りなので戦闘時のような薄ら寒い恐怖を感じることはないが、あの奔放なアクアが本能的に大人しくしているため反省を促すには十分な効果があると見える。

 

「見て。あの隅で怯えてる二人を」

 

「アクシズキョウコワイアクシズキョウコワイアクシズキョウコワイ……」

「トモダチナンテイリマセンユルシテクダサイトモダチナンテイリマセンユルシテクダサイ……」

 

「見て。あの嬉しそうな変態を」

 

「くっ! 遂にソウゴまで変態扱いか……っ! 最高だなこの旅行は……!」

 

「あれ? そう言えばウィズは?」

 

「ウィズは一身上の都合で教会に入れないから一人で街を見て回ってるよ。昼飯は合流するってさ」

 

「そうなんだ。とにかく、反省してアクア」

 

「うぅ……」

 

 項垂れるアクアという珍妙な光景。だが、このまま少しはアクアもアクシズ教も大人しくなってくれれば、というカズマの切なる願いは残念ながら届くことはない。わなわなと震えるアクアは、目尻に涙を溜めつつも反撃の牙を剥いた。

 

「でも仕方ないじゃない! 信者数と信仰心は神にとってとても大事なの! それがそのまま神の力になるの! 私はかわいい信者たちのためならなんだってするわ!」

 

「あっ! こいつ開き直りやがった!」

 

「だからって仲間がどうなってもいいの?」

 

「それはまあ、良くないとは思うけど……」

 

「それに、アクアがそんなんだからアクシズ教が嫌われるんだよ」

 

「どうしてそんな酷いこと言うのよぉ!」

 

 突き立てた牙をそのままへし折られたアクアは、肩を落としてよよよと泣き崩れた。流石に今の一言はかなり効いたらしい、珍しく同情心を誘う涙を見せる。しかし、普段の行いを知っているカズマとソウゴがその程度で手心を加えるようなことはなかった。

 だが、この街に根深いアクシズ教徒の負の面を自重させるのはアークプリーストの一言だけでは無理だろう。だからといって、アクアが女神を名乗ったところで鼻で笑われる未来が見える。どうしたものかとソウゴが頭を悩ませていると、はたと何かに気づいたカズマがアクアに問いかける。

 

「なあアクア。お前今、信者数と信仰心が神の力になるって言ったよな?」

 

「ぐすっ……。言ったけど、なに……?」

 

「ならお前、信者と信仰が今よりもっと集まったら能力とかステータスが上がったりするのか?」

 

 カズマが気になったところ。それは、もうどうしようもないと諦めていたアクアの知能が並の人間くらいには上がるのでは? という光明だった。仮に信者が増えて能力の上昇が見込めるのなら、取り敢えずパーティーメンバーと知り合いだけでも改宗させれば希望が見えてくるし、あの邪教徒共の蛮行も戦力増強のためと少しは心穏やかに無視できるというもの。

 だが、返ってきたのは期待通りの答えどころかアクアの嘲笑の表情だった。

 

「上がるわけないじゃない。前にも言ったけど、私のステータスはカンストしてるの。あんた引きこもりニートゲーマーのくせしてカンストの意味もわからないの? 上限いっぱいって意味なんだけど?」

 

「このクソアマ、グーで殴りてぇ……ッ!」

 

「まあ、地上に下りたときに弱まった神聖な力を取り戻すことはできると思うけど、エリスの胸くらいうっすい信仰心じゃ数千人単位で集まらないとなんの足しにもならないわよ」

 

「アクア。そういうところが信者に悪影響なんだよ」

 

「はい……」

 

 ソウゴに注意され、再度項垂れるアクア。その変わり身の早さに色々と考えるのが面倒になってきたソウゴは、取り敢えずまだ食べられていない昼食のことを考えた方が建設的な気がしていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 やはり水がいいのか、アクア推薦の食事処で食べる物は米すらいつも食べているものより数段美味しく感じた。口の中に広がる甘みはもう一口、もう二口と食欲を駆り立てる。更に焼き上がりが完璧な焼魚が、異世界であっても自分が日本人なんだということを思い出させてくれる。この街で日本食にありつけたのは、先にこの世界に来ていた日本人たちの執念の賜物だろう。ここに味噌汁があれば言うことはなかったのだが、この世界では大豆がかなり貴重らしく高額なため断念。かつての食卓を恋しく思いつつ、ソウゴは話に出てきた気になるワードに反応を示す。

 

「へぇ、門矢士が?」

 

「ああ! ちゃっかり一番高いやつ頼みやがって……! なんだよ一杯二千エリスの教団コーヒーって! 話聞いたら八割が寄付のぼったくりじゃねぇか! 今度会ったらきっちりコーヒー代請求してやる!」

 

「いいじゃない。カズマのお布施で恵まれない子どもたちが救われるのよ?」

 

「嘘つけ。お前ら反社会勢力の資金源だろうが」

 

「だが、サービスは悪くなかったぞ……!」

 

「ダクネスさん、代金の代わりに土下座を強要されるのはサービスとは言わないと思うのですが……」

 

 いつも通りのダクネス節に呆れつつも、憤りからかガツガツとソウゴと同じ焼魚定食を頬張るカズマ。彼を含めた三人から事のあらましを聞いたソウゴは、あの男ならやりかねないという妙な納得を感じ苦笑いを浮かべる。流石にアロハ姿は想像できないが、歴史が書き換えられたときにレジスタンスの服装をしていたことを思い出し、もしかするとそういう遊び心というか、周りに服装を合わせて溶け込むのが門矢士流なのかもしれないと独りごちた。

 一人であの自由人の理解を深めていたソウゴの隣で、喫茶店での扱いを思い出し頬を赤らめていたダクネスが思い出したように呟いた。

 

「そう言えば、ツカサは他にも変なことを言っていたな。主人公がどうとか……」

 

「そんなこと俺達に関係ないからどうでもいいんだよ! それよりもコーヒー代だ!」

 

「相当根に持ってるね」

 

「当たり前だろ! 無銭飲食するようなやつに優しくて美人な友達以上恋人未満の相手がいるのに、俺の周りにはイロモノしかいないなんて不公平すぎると思わないか!?」

 

「怒りの根源はそこなんだ」

 

 ダクネスと同じくこちらもいつも通りだったカズマに、ソウゴは思わず肩をすくめる。恐らく今蔑ろにされた話題はかなり重要な話のような気もするが、唯一まともに内容を理解できているであろう本人がこの調子では聞き出すことは不可能だろう。ところてんスライムをつるつると啜るウィズも、ムニエルに舌鼓を打つダクネスも、仮面ライダーの力が異質であると理解していても異世界なんて話を素直に信じてくれているとは思えない。

 この街にいるならそのうち会えるはず。その時にもう一度聞けばいいだろう。そう考えることにしたソウゴは、ひとまずより深刻なダメージを負っている二人へと視線を移す。

 

「アクシズ教、怖いです……」

「もうお家に帰りたい……」

 

「こっちはこっちで重症だね」

 

「はい……。アンデッドでももう少し生気のある目をしています……」

 

 何とか持ち直しつつも、恐怖に染まった目でハンバーグを口に運ぶめぐみんとゆんゆん。同じ間隔でナイフを動かし、同じ付け合せを咀嚼する様はアクシズ教へのトラウマによるシンクロの為せる技なのだろうか。骨についた身を削ぎながらソウゴはそんなことを思う。

 そして先程までのしおらしい態度はどこへやら。待っていましたとばかりに運ばれてきたシュワシュワをぐいっと喉に流し込んだアクアは、ぷはーっ! っと幸せな悲鳴を上げ宣った。

 

「私が懺悔室に入る前は普通だったんだけどね」

 

「普通なわけないじゃないですか! 道中にも散々な目に合いましたよ! ついうっかり爆裂魔法を撃ちそうになったくらいです!」

 

「そうです! 私、友達を作るときはアクシズ教徒じゃないことを条件にしようと固く誓いました!」

 

「あなたは選り好みできる立場じゃないでしょう」

 

「めぐみんは私の味方じゃなかったの!? 同じ目にあった仲じゃない!」

 

「二人共考え直してよ! あの子達の良さを私が一から説明するから!」

 

「説明が必要な時点で色々とダメなんじゃないかな?」

 

「そ、そんなに酷いことをされたのか……? その話詳しく……!」

 

「お前は本当にブレないな」

 

 食べ終わったカズマが諦めた目でダクネスを見る。この女は未来永劫このままなのだろうと残念な気持ちでいっぱいだが、お腹も膨れたことで多少のイライラが解消されたのだから自分も案外チョロいものだとも思う。

 カズマは歯に挟まった食べ残しを爪楊枝で掻き出しながら、信者のいいところを紅魔族二人にプレゼンするアクアの話に割り込んだ。

 

「アクシズ教徒の信頼回復なんて無理難題は置いといて。これからどうする? 勧誘が怖いからって宿に引きこもるのも勿体ないだろ」

 

「それはそうなのですが……」

 

「無理難題じゃないわよ! ……わかったわ。この水の女神アクア様が、直々にこの街を案内してあげる! そうすれば皆の考えも変わるはずよ!」

 

「むしろより強固になりそうなんだが……」

 

 胸を張り自信有り気なアクアに対して、不安な面持ちのカズマ。巻き込まれたまともな人間のメンタルがゴリゴリと削られトラウマが増えるだけなのは目に見えているが、そんなカズマの思いに反してソウゴはいつも通りのへらへらとした笑みで食後の茶を啜り一息をついた。

 

「なら俺はアクアに着いていこうかな。来たばっかで何も見てないし」

 

「私も行こう。きっとまだ私が体験していないすごいことに出会える気がする……!」

 

「お前らならアクシズ教徒にやられることはないだろうな……」

 

「なんでうちの子たちが何かする前提で話をしているのかしら!」

 

 片やあらゆるダメージを喜びに変える変態エリス教徒と、片や無敵の魔王様。ギャーギャーと煩いだけの口だけ女神とアクシズ教徒如きでどうにかできる布陣ではないと安心していると、湯呑みを置いたソウゴが問いかけてくる。

 

「カズマはどうするの?」

 

「俺はパス。ろくな目に合う気がしない」

 

「「右に同じく」」

 

 特殊な連中と違い、至って普通の三人はわざわざ蛇が潜んでいるとわかっている藪の中に裸足で突撃するような馬鹿な真似はしない。かと言って、何か旅行のプランがあるわけでもない。ガイドなしで街を散策してもいいが、蛇は藪の中だけで生きているわけではないのだ。

 三人が頭を悩ませていると、何かを思いついたのかウィズがポンと手を打った。

 

「なら、折角アルカンレティアに来たんですから温泉に行ってみては? 混浴なんて貸し切りで気持ちよかったですよ」

 

「え、ここって混浴あんの!?」

 

「我々は混浴なんて入りませんよ」

 

「……俺まだ何も言ってないんだけど」

 

「カズマの考えてることなんて言わなくてもわかりますよ」

 

 先手を取られたカズマは悔しげに歯を噛み締める。が、まだ彼には希望は残されていた。それは自分に混浴を勧めてきたウィズの存在である。ウィズはこう見えてもリッチー、つまりアンデッド。アクアに着いて行きアルカンレティアを市中引き回しなどという、消滅のリスクの高すぎる愚行を選択するはずがない。

 勝利を確信したカズマが誰にも気づかれないようにガッツポーズをしていると、よし! と全員の意見を聞き終えたアクアが仕切った。

 

「なら、この私がガイドを務める観光組がソウゴ、ダクネス、ウィズ。温泉組がカズマとめぐみんとゆんゆんね」

 

「え、待ってくださいアクア様、私は……」

 

「え? ウィズはもう温泉入ったんだしこっちに来るでしょ? 楽しみましょう、アルカンレティア観光! どこから回ろうかしら……。幸福の泉? いや、恋(あが)りの滝も捨てがたいわね……」

 

「え、あ、そ、そうですね、楽しみです……。あはは……」

 

 太陽のような満点の笑みに押され、首を縦に振るウィズ。儚い夢が破れたカズマはがっくりと肩を落とすと、天を仰いで嘆きを口にした。

 

「神は死んだ……」

 

「私は生きてるけど!?」




心の友であるふにふらさん、どどんこさん、アルカンレティアは魔境です。
自業自得とか言わないでください。私ではなくめぐみんの罪です。
友達ができたとか嘘ついた報い? お友達は本当なんです。どうして信じてくれないんですか。え、その友達がアクシズ教の回し者? ソウゴさんは魔王を名乗っていますけど、良心的な魔王なんです。

良心的な魔王ってなんでしょうか。またお手紙書きます。

ゆんゆん



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この迷惑な街で騒動を!

「ふぅ……。いいお湯ね」

 

[それは温泉に咲く華、とでも言うべきか。短い赤毛をかき分けるエルフのような尖った耳。透き通るような肌は体が暖まったからかほんのりと赤みを帯びており、タオルでは隠しきれないグラマーな体型をより魅力的に際立たせている。

 ひたっと貼り付いたタオル越しに見える、強調された体のラインは正直全裸よりエロい。なんなら、夜な夜な薄い寝間着で屋敷をうろうろする某クルセイダーよりも。目の保養どころか、アクシズ教徒に散々痛めつけられた心を癒やす特効薬と言っても差し支えないだろう]

 

「昼間から露天風呂とはいいご身分じゃねぇか」

 

「あら、私は湯治に来ただけですもの。楽しめるときに楽しんでおかなきゃ、早くしないと入れなくなるでしょ?」

 

「ああ。もうすぐ全て終わりだ。この忌々しい街からようやく開放される」

 

「あなたがそこまで言うなんて、そんなに手強い相手だったのかしら?」

 

「……ここは、魔境だ」

 

「本当に色々、大変みたいね……」

 

[冗談のつもりだったのか、いたずらっぽい表情から少し困ったように黄色に輝く瞳を垂れさせる美女。湯気越しでも〈千里眼〉を駆使すればわかるその妖艶な仕草に、心かき乱されない男はいないだろう。夏海さんといい彼女といい、温泉には美女を引き付ける効能があるのだろうか。だとするなら、ダクネスがこの街への引っ越しを打診してきたときもう少し慎重に検討すべきだったと後悔する]

 

「ところで……」

 

「あ?」

 

「正面の彼、ずっとこっちを見てくるんだけど……」

 

[そう言って、美女はこちらに不審者を見る目を向けてきた。ただ温泉に浸かり、偶然にも正面になってしまっただけの俺に対して酷い仕打ちである。しかし、そんなことで腹を立てる俺ではない。やましいことは何もしていないのだから慌てることもない。ただまっすぐ見つめ返して、いつも通りクールに笑みを見せる]

 

「大丈夫だ。あれは俺たちの話に興味がある顔じゃない」

 

「いえ、それは私ばかり見ているからわかるのだけど……。あの! そうガン見されると流石に恥ずかしいのだけど……」

 

「お構いなく」

 

「そ、そうよね。混浴、ですものね……」

 

「お構いなく」

 

[女性に恥をかかせるわけにはいかず、極めて紳士的に断りの文句を重ねた俺はまた〈千里眼〉で立ち込める湯気の向こう側ウォッチングを再開する。まるで(けだもの)から身を守るように体を隠す美女だが、そういう恥じらいの身動ぎが周りのヒロイン未満のボンクラ共にはない新鮮さを提供してくれるため、俺の心と目を掴んで離さない。サキュバスさんたちの見せてくれる夢もいいが、やはり現実に勝るものはないのだ]

 

「さ、先に上がるわね。ごゆっくり」

 

[とうとう温泉よりも恥ずかしさが勝ったのか、タオルで大事なところだけ隠した彼女はそそくさと温泉から出ていってしまった。紳士である俺は、そんな彼女の隠せていない後ろ姿を盗み見るような卑劣な真似はしない。目を伏せて瞼に焼き付けた彼女の美を思い出しながら、ゆっくりと愉悦に浸る]

 

「フッ。恥ずかしがり屋なお姉さんだ」

 

「…………」

 

 モノローグを終え残り湯と共に心の中で眼福を拝むカズマを少し引いた目で見る男は、連れの女性と少しの間を開けて湯船に浸かることなく立ち上がる。肌の浅黒い筋骨隆々な彼のことなど眼中になかったカズマだが、彼がぼそぼそと何かを言っているのはすれ違いざまに耳に入ってきた。

 

「……さて、俺もさっさと仕上げにかかるか」

 

 とぼとぼと出入り口に向かう彼の背中に、カズマはどういう訳か親近感が湧いた。例えるなら、やめたくて仕方がない職場に向かうサラリーマンのような。

 いや、なぜ親近感が湧いたのかなんて、彼の疲労が溢れるくたびれた背中を見れば分かることだった。アクシズ教徒に相当やられたのだろう、悲壮感が色濃く滲み出ている。他人とは思えないが関わりたいとは思わない。なるべく絡まれないよう大人しくしていたカズマだが、浴場から出ていくその男の疲れた背中には、餞別としてそっと敬礼を贈った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……誰も入ってこないな」

 

 先客たちが離席してから数十分。空が夕日に染まるまで色々時間を潰してみたが、誰かが入ってくる気配はしない。貸し切りのようで気分はいいが、カズマが求めているのは自由ではなくトキメキ。もっと言えば異性の肌色である。

 同じく温泉組であるめぐみんとゆんゆんはサウナで我慢勝負をすると言っていたが、そろそろ露天風呂に来てもいい頃合いでは無かろうか。混浴に入ってきて欲しいとまでは言わないが、カズマとしてはせめて女湯できゃっきゃして耳を幸せにしてほしいところではあった。

 

「でも、そろそろ上がらないと俺がのぼせるな……」

 

 混浴に入るチャンスは今日だけではない。完全に日も落ちれば人も増えるだろうし、そうなれば混浴率も上がるというもの。そう希望的観測に望みを託し湯船から立ち上がったとき、ガラガラッと誰かが脱衣所の扉を開く音がした。

 カズマはすぐ様肩まで浸かり直し、期待と緊張で胸を躍らせる。

 

(さっきの美人さんくらいとは言わない。せめてお姉さんくらいの歳であってくれ……! お願いします! 神様仏様エリス様!)

 

 罰当たりなお願いを心の中で唱えつつ、ひたひたと近づいてくる足音をドラムロールのように、掛け湯のざばぁ、という音をファンファーレのように感じながら、その瞬間を静かに目を閉じて待つ。

 

 ちゃぷっ

 

 幕は開いた。人生で一番神に祈った時間を終えて、ゆっくりとカズマは目を開ける。

 湯気に隠れた白い肌。線は細く、控えめな肉付きだがすらっと伸びる長い手足。整った顔を彩る艶のある黒髪に、そこから色っぽく盛れる吐息。温泉でなく街中だったとしても、すれ違えばつい目を奪われてしまうだろう。

 

 だが。

 

(…………男、か)

 

「そうあからさまにがっかりしないでくれよ、冒険者君」

 

 カズマの心の嘆きが聞こえたのか、少し寂しそうに肩をすくめる青年。性別が男性であるだけでそれ以外は希望通りの美青年だが、自分の期待するものと違ったのだから肩を落としてしまうのが少年心というもの。とはいえ、初対面の相手に対してわかりやすく態度に出ていたのは流石に失礼だったと、カズマは慌てて取り繕う。

 

「あ、いや、その、これはそういうのじゃなくて……」

 

「構わないさ。人間、正直さは美徳だよ」

 

 そう言って微笑む男。物腰は柔らかく、おおらかなのかカズマの態度にも気を悪くしたような印象もない。そして勧誘してこないところから、まず間違いなくこの町の住人ではないだろう。

 しかしどうしてかカズマの直感は、この男に気を許してはならないと告げていた。言葉、イントネーション、表情、振る舞い……その端々からカズマの嗅覚がそこはかとない胡散臭さを嗅ぎ取ってしまう。男はそんなカズマの警戒心を察知したのか、首に巻き付けた首輪のようなものを撫でて笑みを見せた。

 

「私は歴史を語り未来を導く者。街から街へと旅をする吟遊詩人と言えば、君には伝わるかな?」

 

「吟遊詩人って、あの琵琶みたいなので弾き語りする?」

 

「あれは正確には琵琶ではなくリュートだ。覚えておくといい。もっとも、私は歌いはしないがね」

 

 指摘した男は溜まり溜まった疲れを見せつけるかのように、芝居がかった大きなため息をついた。

 

「世界の歴史や過去の出来事を語り、より良い方向へと世界を導くのが私の役割なんだが、この街の人間は話を聞いてくれなくて悲しくなるよ。二言目には入信入信だ」

 

「あー……」

 

「しかもイレギュラーな登場人物のせいで貴重な時間が削られてしまった。今日帰らなければならないというのに、足止めのための仕込みも台無しだ。鉢合わせのリスクは上がったし、残ったのは氏への貸しだけ。人生とはうまくいかないものだね」

 

「それは概ね同意するよ。この世界じゃ、何事もうまく行った試しがないからな」

 

「……話が合うね、冒険者君。名前は?」

 

「カズマだよ」

 

「カズマ君か……。珍しい名前だね。まるで勇者候補達のような名前だ」

 

「いいえ俺は関係ありません。最弱職の冒険者なので」

 

「おや、そうなのかい? 最弱職というのもそれはそれで珍しいが。……いや、最近だとそうでもないのかな?」

 

 いらぬ疑いは丁重かつ即座に否定しておくべきであろう。勇者候補なんてもの、士の話でなるべく関わりたくない集団に先程名前が加わったばかりの連中である。それでなくとも自分のパーティーは注目に事欠かない人間ばかりなのだから、カズマとしてはこれ以上目をつけられそうな新しい属性の付加は勘弁願いたい。

 と、そんなことを考えていると、吟遊詩人を名乗る男は何か閃いたのか表情を明るくした。

 

「そうだ、カズマ君。私の話を聞いてくれないかい?」

 

「え、俺? ここで?」

 

「ああ。もちろん、おひねりをくれなんて言わないさ。ここに来てから勧誘攻めでね、話したくてうずうずしているんだよ。さて、何がいいか……」

 

 カズマの答えを待たずに、ふむと考え始める男。楽しそうに何がいいかと記憶を探る姿に待ったを掛けられるほど、カズマも冷たい人間ではない。湯から上がり浴槽に腰を掛けたカズマの、先程までの警戒心は徐々に解かれていく。

 同じ湯に浸かりながら話し込んでいたせいか、胡散臭い雰囲気はあるが悪い人間ではないのかもしれない。そんな風に印象が変わりつつあるカズマに気づかれないよう、男はニヤリと口角を上げた。

 

「この国の王族には兄妹がいるらしいね。なら、こんな話はどうだろうか。『女王と兄』」

 

「へー。それってどこの国の話なんだ?」

 

「国じゃないよ。これは兄妹にとっては過去の、見方を変えればずっと未来の、滅びの決まった世界の話さ」

 

 

 

 

 

 

 その世界を統べる王家には、仲睦まじいスウォルツとアルピナという兄妹がいた。滅び逝く世界を救いたいと願う兄と、それを定めとして受け入れる妹。野心なき妹とは違い、兄であるスウォルツは王となって世界を滅びから救うことを使命とし、日々努力を重ねていた。

 月日は流れ、兄妹は成長する。そしてついに次代の王を決める日がやってきた。自らが王になると疑わないスウォルツだったが、王に選ばれたのは妹のアルピナだった。この国の王位は代々、王家の者のみが使うことができる『時を操る力』が最も強い者が継承していくと決まっていたからだ。アルピナはその能力がスウォルツよりも優れていたのだ。

 スウォルツは激しい憎悪に飲み込まれた。あらゆる面で妹より秀でた自分が、幼少より王になるための努力を惜しまず研鑽に励んでいた自分が、能力が妹より弱いというだけで王になれないことに怒りを燃やしたのだ。しかし、いくら意義を申し立ててもこの決まりだけは覆るものではない。

 そこでスウォルツは考えた。どうすれば自分が王になれるのか。すぐに答えは出た。妹さえ、アルピナさえいなければ自分が王になれるのではないか、と。そうしてスウォルツはアルピナから記憶を奪い取り、躊躇うことなく次元の狭間へと追放した。消えた妹の代わりに、王として君臨するために。

 スウォルツは世界を救うため、ひいては“王”として君臨し続けるため行動を起こす。それは他の平行世界に存在する十九の世界の守護者たちの歴史を一つにまとめ上げることで世界を一つに融合させ、そこを滅ぼし自分たちの世界だけを生き残らせるというものだった。計画のため、全ての歴史を継承し偽りの王となれる人物を探すスウォルツ。彼が王の器として選んだのは、その先の未来で守護者たち全ての歴史を継承し“最低最悪の魔王”と呼ばれ恐れられることになる少年だった。

 スウォルツは知らなかった。自らの行動こそがその少年を魔王へと導き、覇道を歩ませるきっかけになるということを。

 

 

 

 

 

 

「熱くなってきたね。私はそろそろ上がるとするよ」

 

「えっ!? こんな中途半端で!?」

 

「時間が押しているんだ。続きは、次会った時にでも」

 

 カズマの抗議にそう答え、湯船から立ち上がった男。長い手足から想像していた通り、立った姿はカズマよりも頭一つくらい大きい高身長。スタスタと迷いなく進んでいく男は、出口の手前で振り返っていたずらに微笑んだ。

 

「そうそう。ダスティネス卿によろしく伝えておいてくれ、サトウカズマ君」

 

 ピシャリと出口を閉めた男を見送ったカズマは、再度肩まで湯に沈んだ。自分ものぼせそうなほど熱くはあるが、そんなことより何事もなくてホッとする気持ちの方が強い。直感が侮れないと今日ほど思ったことはないだろう。

 

(世界、時を操る力、魔王……。スウォルツって名前はソウゴがいつか言ってた名前だったよな)

 

 名乗らなかったのは、きっとわかると思ったからだろう。教えてもいない自分の名字を知っていたのも、ソウゴの予想通りダクネスと接触していたのなら別に不思議なことではない。色々と考えることは多いが、温まってぼんやりとする頭では何も整理できなかった。

 

(……俺、ちょっと女の子と裸の付き合いをしたかっただけなんだけどなぁ)

 

 士との出会いを皮切りに、初日からかなりの面倒事に巻き込まれている気がする。しかし、それでも大義名分という後ろ盾のある以上、欲を捨てきれないカズマはきっと明日も自分は混浴に来るのだろうと半ば諦めの気持ちで空を見上げた。

 

「……そういや、白ウォズって何しに来たんだろ。あとでソウゴにチクろ」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「あぁんまりよぉぉ! うわぁぁぁあん!!」

 

「よしよし。災難だったな、アクア」

 

 人生で一番疲れた長風呂を終えジャージに着替えたカズマが自室へ帰ると、待っていたのは号泣しダクネスの膝を濡らすアクアだった。慰めるダクネスの様子からなんとなく事情を察したカズマは、ため息混じりに問いかける。

 

「で? 今日はどれだけの人に迷惑をかけてきたんだ?」

 

「どうして私が悪いことしたって決めつけるのよ!」

 

「そりゃまあ、普段からそうだしな」

 

「うわぁぁあん! ダクネスー! カズマがいじめるー!」

 

「よしよし。あまり言ってやるなカズマ。今日のはきっと仕方ないんだ」

 

「ねぇダクネス。今、『今日のは』って言った?」

 

 

   ⏱⏲「しかも『きっと』って言ったわよね? ね?」⏲⏱

 

 

「なるほど、皆を案内して観光名所を回っていたら、そこにあった飲む温泉も教会の秘湯も全部浄化してただの水にしてしまい各所から怒られた、と。要するにいつも通りだな」

 

「何よいつも通りって! 私、何も悪いことしてないのにぃ!」

 

「観光資源を軒並み破壊していく行為は悪いことだろ」

 

「仕方ないじゃない! あんな汚染された温泉水を飲み続けたら病気になっちゃうもの! お風呂もそう! どうして皆信じてくれないのよぉ……」

 

「傍目からはわからなかったからな」

 

「でもまあ、アクアがそう言うんならそうなんだろうな」

 

 仮にも水の女神だし、という言葉は飲み込んでおく。それを抜きにしても、アクアがこの街の観光資源を無意味に潰していく理由がないのだ。馬鹿なところはあるが、開き直りこそすれ自分に嘘をつかないところが数少ないカズマが認めているところでもある。

 

(てことは、あの混浴にいた二人組が怪しいよなぁ……。温泉に入れなくなる、とか言ってたし)

 

 士の言葉と混浴で見た二人組からカズマの中に一つの推論が立つが、それを敢えて口に出すことはない。確証が薄い上に自分から面倒事に首を突っ込むなど言語道断である。と、そんな風に考えているカズマに対してダクネスは驚いたように目を丸くしていた。

 

「ん? どうしたんだよ、そんなに驚いて」

 

「いや、カズマも同じことを言うんだなと」

 

「同じこと?」

 

「ああ。ソウゴにこっそりとアクアが浄化した水を元に戻してくれと頼んだら、『アクアがそう言うんならそうなんじゃない?』と言ってな。結局そのままにしてきたんだ」

 

「まあ、だろうな」

 

 ソウゴの力はあくまで『戻す』ことであって『直す』ことではない。いったいいつから汚染されていたのかわからないのなら、下手に触るよりわかる者に任せたほうがいいというのは賢明な判断だろう。

 とはいえ、流石のソウゴでも水の汚染までは感知できないらしい。そこまでできたらむしろ怖いが、器用貧乏どころか器用大富豪を地で行くあの男ならその内できるようになりそうで、益々神としての肩身が狭くなるアクアを思うと今から不憫でならない。

 

「じゃあ、ここにいないソウゴはその件に首を突っ込んでるわけか。ウィズもか?」

 

「ウィズは浄化されていると気付かずに温泉水を飲んでしまってな。ここにいるとアクアの涙のせいで体調が悪化するらしいから、隣でめぐみんに任せてある」

 

「いやホント、バニルに頼まれたとは言え誘ったのこっちだから申し訳なくなってくるな……」

 

「ちなみにゆんゆんはサウナで倒れたらしい」

 

「何してんだよ」

 

 めぐみんとの勝負になると途端にポンコツになるゆんゆんは自業自得として、ウィズは完全なるもらい事故だ。ほとんど聖水のようなものを、アンデッドが飲めばどうなるかはだいたい予想がつく。不死の王なんていう異名を持つリッチーだが、アクア(女神)ソウゴ(例外)などこの世界においてほんの一握りしかいないはずの天敵にこうも縁があるのは、寧ろ豪運の為せる業なのかもしれない。

 ウィズの不運に追悼の意を捧げていると、ダクネスは母親のような笑みを浮かべてアクアの頭を優しく撫でながら口を開く。

 

「ソウゴも夕食の頃には戻ってくるだろうから、方針を固めるのはそれからにしよう。その頃にはウィズとゆんゆんが回復していればいいが」

 

「……おい待て。まさかこの件に深入りするつもりか?」

 

 聞き捨てならないダクネスの発言に、カズマの表情が曇る。観光に来て温泉に入れなくなるのは確かに勿体ないが、だからと言って無償で世直しをするほどこの街に思い入れはないし、むしろ賠償金を払ってほしいくらいこちらは心に傷を負わされている。そういう私怨も含めて、ソウゴが感知できないなら帰り際にこの街の憲兵にでも知らせれば関わらずに済む案件なのだ。

 そんな思いの乗ったカズマの声色を敏感に感じ取ったアクアは、泣き腫らした目を抗議の色に染めた。

 

「当たり前じゃない! これはきっと、このアクア率いるアクシズ教に恐れをなした魔王軍の仕業よ! 財源を破壊して教団を壊滅させようとしているんだわ!」

 

「流石にそれはないだろうが、イタズラだとしても見過ごせないな。手は打たなければならないだろう」

 

「どうしてすぐ否定するのよダクネス! ソウゴの言うことなら信じるのにぃ!」

 

「あ、いや、そういうわけではないのだが……」

 

「真面目な魔王と穀潰しの駄女神を比べるなよ。紛れもなく信用の差だろ」

 

「上等よクソニート! 二度とそんな口叩けないくらいボコボコにしてやるわ!」

 

「言ったなクソビッチ。ステータスで勝っててもお前が俺に勝てたことねぇだろ。返り討ちにしてやるよ!」

 

 マズイ。

 いつも通り王としてうんぬんのソウゴ、真面目に貴族として対応しようとしているダクネス、自分の信者に関わることだからいつも以上にやる気のアクアが見事に噛み合ってしまっている。間違いなくめぐみんもこういう荒事にときめいてしまうだろう。となればゆんゆんも、アクアのゴリ押しでウィズも賛成の流れ。しかも今回はアクアの直感で導き出した答えがほぼ正解かもしれないときた。一人思惑の違うカズマが焦りを感じても仕方ないほど、状況が整いつつある。

 

(ベルディアとバニルで二人、その上ウィズを引き入れたから実質三人の幹部を攻略してることになる。これ以上魔王軍と事を構えて目を付けられるのは避けたい……!)

 

 これが魔王軍幹部とかならソウゴの探し物の件もあるので接触はやむなしだが、そうでないなら必要以上の接近は避けて平穏無事にこの街を出たいところ。というか士の言っていた“主人公”とやらならいざ知らず、そうポンポンと魔王軍幹部と戦うような事態に遭遇してたまるか、というのが本音である。

 白ウォズに加えて怪しい二人組の件。今日見たことを話すかどうかは成り行きで決めよう。そして願わくばソウゴが良くない知らせを持って帰ってきませんように。そう祈りながらアクアを適当にあしらうカズマは、今日の夕飯に思いを馳せることにした。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 一夜明けて。

 結局、夕飯の時間きっかりに帰ってきたソウゴからめぼしい情報が共有されることはなかった。聞き込みは空振りな上、魔力を感知しようにも街中にアクアの神気が満ちているので直接見ないと見分けがつかないのだとか。いつもなら一番古い付き合いのアークプリーストに悪態の一つでもつくカズマだが、今日ばかりはよくやったと褒めてやりたいとすら思っていた。

 そういう気持ちも、今は微塵もないのだが。

 

「俺さ、ホッとしたんだ」

 

 空を見上げるカズマの言葉に、同じく川沿いのレンガ塀に背を預けるめぐみんはぼーっと遠くを見ながら返した。

 

「戦わずに済みそうだからですか? カズマは我々の中で一番レベルが低いでしょうからね」

 

「言ってくれるなロリっ娘。毎日爆裂してるだけのお前に負けるわけないだろ。いくつだよ」

 

「二七です。カズマは?」

 

「黙秘権を行使する」

 

「自白したようなものじゃないですか……」

 

「レベルだけじゃ測れない強さが俺にはあるんだよ。……って、違うそうじゃない。ソウゴだよソウゴ。あいつにもできないことがあるんだなって」

 

「ああそっちですか。まあ、気持ちはわかります。ですがその結果があれですよ」

 

 めぐみんは、カズマがずっと目を背けていた現実を直視させる。引きずり戻された現状は、悲惨の一言で十分伝わる。カズマとしても目の前で繰り広げられる茶番を回避できるのなら、ソウゴにとっとと元凶をボコボコにしてもらえばよかったと後悔が押し寄せて来ていたところだった。

 

 

「親愛なるアクシズ教徒よ! 聞いてください! 今この街は、魔王軍によって破壊活動が行われています!」

「います!」「い、います……」

 

 

「この街の大事な温泉に毒が混ぜられているのです!」

「のです!」「です……」

 

 

「私が浄化して回っているので健康被害は出ていませんが、この件が解決するまで温泉には入らないでほしいのです!」

「お願いします!」「ましゅ……」

 

 

 『温泉の危険が危ない!』と書かれたプラカードを持たされ羞恥に悶えるダクネス、更に彼女を従えたアクアとソウゴの三人が積み上げた木箱に乗り、広場に集めなれ訝しむ様子の住民たちへ向けて演説を行っていた。タスキとか掛けてたら選挙演説だよな、などと下らないことを考えている暇はない。あの暴挙を止めることなく眺めているのは、一重にあれが囮だからである。

 

「これで本当に現れるんでしょうか。その魔王軍とやらは」

 

「来てたまるか」 

 

 街の人間に働きかければ尻尾を出すはずと息を巻いていたアクアと、楽しそうだからという理由で囮役に挙手したソウゴ。そしてクジで負けたダクネスで大衆に向けて声を上げている。あとの四人は不審な人物がいないか、二手に分かれお互い把握できる位置を陣取り警護だ。尤も、あんなものに釣られる関係者がいるのなら魔王軍はお先真っ暗だろうが。

 

「しかし、アクアも妙なことを言い出しましたね。そもそも何の為に魔王軍が温泉に毒を混ぜる、なんていう回りくどいことをするというのでしょう」

 

「そりゃまあ、財源を潰してアクシズ教を潰すためだろうな」

 

「何のメリットがあるんです? 手間がかかるだけでしょうに」

 

「そうだよなぁ。いくらやることがせこい魔王軍とはいえ手が込んでるよな。何か、相応の恨みを買うようなことしたんじゃないか?」

 

「街周辺のモンスターにも警戒されるくらいですから、その可能性も簡単には否定できませんが……。それにしてもカズマ、今回はやけにアクアの意見を支持しますね。何か隠してませんか?」

 

「あー、それなんだけどな……」

 

 何かしら裏を疑うような目でカズマを見るめぐみん。黙っていてもアクアのことだ、今よりトンチキなことを始める可能性が高い。ソウゴの入れ込みようから見ても、このまま放置して街を出るということはないだろう。隠して旅行の全日程が潰れるのも勿体ないかと考えを改めたカズマが、昨日見たものの話をしようと口を開いたときだった。

 

「あっ! こんなところにいやがったのか、昨日の迷惑プリースト!」

 

 群衆の中から一人の男が、アクアを指差してそう言った。

 

「皆、聞いてくれ! あの女、うちの温泉を全部ただのお湯にしやがったんだ!」

「うちもやられたぞ! そうか、犯人はお前だったのか!」

「質の悪いイタズラしやがって! 何が浄化だ!」

 

 そうすると、次々に溢れてくる非難の数々。さっきまで嘘か真かで揺れていた住民たちの目が敵意を含んだ眼差しに変わると、旗色が悪くなってきたのを肌で感じたアクアが一瞬たじろいだ。

 

「そういや隣りにいる兄ちゃん。お前、昨日散々王様だとかホラ吹いてたやつじゃないか?」

 

「ホラじゃないよ。俺、王様だし」

 

「嘘つくな! この国の王が誰かぐらい俺たちも知ってるよ!」

 

「嘘じゃないって! ほら見てよ、このカード。ちゃんと職業のとこ、『魔王』って書いてるでしょ? 仮だけど」

 

 そう言って、ソウゴはまるで宝物を見せるような満面の笑みでこの間貰った冒険者証明書を掲げる。ベルゼルク王国から発行された冒険者カードの代用品である。特例とはいえ、冒険者カードと並ぶ信用がある身分証明書の提示によって、ソウゴの嘘つきという汚名は返上されることとなった。

 しかし、これが意味するところがわかってしまったダクネスは、カズマたち離れたところから見てもわかるくらい顔を真っ青に染めた。プラカードを放り投げ、ソウゴの胸ぐらを掴む。

 

「えっ、なになにどうしたのダクネス?」

 

「馬鹿かお前はっ!? そんなものをこんなタイミングで見せたら……!」

 

 どうなるかなんて、火を見るより明らかだった。

 

 

「こいつら魔王軍の手先だーーー!!!!!」

 

 

「ほら言わんこっちゃないー!」

 

「でも俺、悪い魔王じゃないよ? 最高最善の魔王だし」

 

「もうお前は黙ってろ!!」

 

 ダクネスが涙目でソウゴを揺さぶろうとも、もう住民たちは見逃してくれない。目の色が完全に敵に向けるものへと変わる。このとき、カズマはすっかり忘れていたことを思い出した。この街はアクセルの街と違い、ソウゴがどういう人間か誰も知らないということを。

 

「よく見ればあの女騎士、昨日エリス教徒の首飾りをしていた女だわ!」

 

「何!? あの暗黒パット邪神の!?」

 

「間違いない、エリス教徒だ! こいつら、魔王軍の手先としてうちに破壊工作しに来たエリス教徒だったんだ!」

 

「ならあの胸はパットか! 俺達を誑かす悪魔め……!」

 

「最近お告げがあって変わった教義。このときを見越されたアクア様からの天啓だったんだな……!」

「悪い悪魔はあのエリス教徒、悪い魔王はこの男のことだったのか……!」

「悪い悪魔殺すべし……」

「悪い魔王しばくべし!」

 

『悪い悪魔殺すべし! 悪い魔王しばくべし!』

 

 勘違いが奇跡的な負の連鎖を起こし、あっという間に邪悪の権化と認識されてしまったソウゴとダクネス。関わりたくないので逃げたいカズマだが、このまま放置すれば事態はより混沌と化していくことだろう。そうなればのんびり犯人探しや観光をしている場合ではなくなってくる。

 

「……俺、悪い魔王じゃないんだけど」

 

「拗ねている場合か! ッ! そうだソウゴ! 時を戻してなかったことにしよう! それしかあるまい!」

 

「駄目だよ。時を戻しても人はデジャヴを感じるし、そのデジャヴと今との乖離が激しければ二つ存在してしまう同じ時間の記憶から、時が戻ったことを自覚しちゃうんだ。つまり、この状況をなかったことにはできないよ」

 

「そういう小難しい話をする場面ではないだろう!?」

 

 やっちゃった? とでも言いたげな軽いリアクションでへらへらと笑うソウゴと、絶望に顔色を染めるダクネスでかなり温度差はあるものの、魔王認定を受けたソウゴと頭の固いダクネスではこの場を誤魔化すのは不可能だと言い切れる。慌てふためく他のメンバーでもどうしようもないだろう。

 カズマがひとまず場を収めるためにと知恵を振り絞り一歩踏み出したとき、アクアは何かを決意したのか、どこからともなく取り出した羽衣を広げその場の注目を攫った。

 

「二人は違います! この水の女神アクアの名においてそれを証明します! 我々は貴方達を救うため、私自らこうして降臨したのです!」

 

「水色の髪と瞳だからってアクア様を語りやがって!」

「三人とも簀巻きにして川に沈めてやれー!」

「この女神を騙る魔女め! 天誅だ!」

 

「あー、もうこれダメだな」

 

 この場を諦めたカズマは足を止め、ゆんゆんとウィズに撤退の合図を出す。石を投げつけられる三人を見捨てることに罪悪感があるのか、おろおろとするだけで動けない二人の回収をめぐみんに指示し、自分は暴動の中心人物たちの逃走方法を思案することにした。手っ取り早いのはソウゴに時を止めてもらい離脱することだが、これ以上ソウゴの力を見せつけて余計な火種になるのは避けたい。ダクネスは喜んでるからいいものの、信者から石を投げられるアクアの精神的ダメージはかなりのもののはずだ。涙の洪水でウィズが天に召されないことを祈る。

 

「俺たち、このあと火炙りにされたりしないよな……?」

 

 もう二度と旅行なんてしない。そう心に決めたカズマは、初級魔法での目くらましのために風上へと走り出した。




ふにふらさん、どどんこさん、お元気ですか。私はもう駄目です。
アルカンレティアに来て一日。色々ありましたけど楽しい旅行になっています。一日があっという間に過ぎてしまい、もう本当に、この調子であと二日間過ぎてくれないかなぁと祈るばかりです。
今度はもっとゆっくりできる旅行がしたいです。ぼっちが贅沢言うなって言わないでください。ぼっちじゃありません。
あと、めぐみんがサウナでのぼせていました。見栄は張りたくないものです。

ゆんゆん


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この罪深きモノに鎮魂歌を!

「よし。荷物をまとめて帰ろう」

 

 宿まで逃げおおせたカズマは、開口一番にそう言った。

 

「帰れたら、の話だろう。外を見てみろ」

 

「アクアたちを探してアクシズ教徒が徘徊していますからね。ここが見つかるのも時間の問題でしょう」

 

「流石に私が盾になっても全員逃し切れるかわからないな……。安心しろ。その時は私を見捨ててくれていい!」

 

「息を整えろ変態。いやほんとどうすっかなぁ」

 

 カーテンの隙間から覗いた外には、アクシズ教徒たちが文字通り草の根をかき分けて神敵を探している様子が見られる。時々ガラス越しに聞こえる『粛清』や『魔女狩り』という不穏なワードが、自分たちの未来を暗示しているようでカズマの背筋はぞわぞわとしていた。一歩外に出れば、命がけの鬼ごっこのスタートである。

 唐突に始まった催し物にカズマが頭を抱えていると、ウィズが控えめに手を挙げた。

 

「あのー……。〈テレポート〉ならアクセルの街まですぐに帰れますけど……」

 

「私も、アクセルはテレポート先に登録してます!」

 

「よし、それでいこう。ウィズ四人、ゆんゆん三人に分かれて逃げるぞ」

 

「ホテルの違約金とやらはどうするんです? 手持ちにそんな余裕ありませんよ」

 

「後でなんとかする。今は命が最優先だ」

 

「街まで追ってこられたらお終いではないか?」

 

「その時はその時考える」

 

 暗雲立ち込める現状に差した一筋の希望。外に出て馬車に乗るリスクを回避しつつ、即時帰還できるこれ以上ない脱出方法である。やっぱり持つべきものは本物の魔法使いだなと思いながら、カズマは最後の懸念へと視線を向けた。

 

「というわけでアk「嫌よ」

 

 最後の関門、アクアは即答するとぷいっと顔を反らした。淑女とは思えないほど股を開きソファに陣取る彼女の頑なな態度は、絶対に譲るつもりはないという意思表示なのだろう。

 

「帰りたければカズマだけ帰ればいいじゃない。私たちは残るわよ。ねっ、ウィズ」

 

「ふぇぇ!? 私ですか!? 私はその、ここに来てからずっと、アクア様の興奮した神気に当てられているので、ご遠慮させていただきたいのですが……」

 

「ウィズの薄情者! ならゆんゆんでもいいわよ! とにかく私はかーえーらーなーいー!」

 

「ああっ! そんな涙を振りまかないで! 消えちゃ、消えちゃいますぅ!」

 

「でもってなんですか!? 私だって嫌ですよ! あとなんでウィズさんは透けてるんですか?」

 

 まるでお菓子売り場の子どものように腕を振り駄々をこねるアクアに、カズマは溜め息と共に肩を落とした。

 いつもの単なるワガママなら切って捨てられたのだが、今回はそういうわけではないことをカズマも他のメンバーもわかっている。迷惑そうな顔をしながらも優しく諭すように、カズマの口調はとても穏やかだった。

 

「あのな。お前、石まで投げられたんだぞ? そこまでしてやる必要ないだろ。これで何かあっても自業自得だって」

 

「そんなの関係ないわ! 私のかわいい信者たちに魔王軍の魔の手が迫っているのよ!? 見殺しにするなんてできるわけないじゃない!」

 

「そうは言ってもな……」

 

 信徒というより暴徒と言った方がいい住民たちに追われながら、魔王軍の相手までする義理はカズマたちにはない。かと言って、折れないだろうアクアだけを放置して帰れば今より悲惨な状態になるのは目に見えている。

 どうやって説得しようかと思案を巡らせていると、話を聞いていためぐみんがカズマの援護に回る。

 

「そもそも、魔王軍がというのもアクアの想像ですよね? 何かそれらしい噂もないのに、被害妄想だけで犯人は探せませんよ」

 

「そうだぞ。いたずらの首謀者が誰かはわからないが、それも我々が居なくなって頭の冷えた教徒たちが見つけてとっちめるだろう。今は互いのために身を引くべきだ」

 

「めぐみん、ダクネスまで……。でも、私のかわいい信者たちが……」

 

 仲間たちに諭され、しょぼくれた目にうっすらと涙を貯めるアクア。どれだけぞんざいに扱われても、自分を信仰している人間を愛しく思うのは神の定めなのだろう。自分がなんとかしなければというアクアの使命感と、信者の身を憂う気持ちは伝わってくる。しかし、カズマは我が身が一番かわいいのだ。

 そっとアクアの肩に手を置いたカズマは、いつもとは違い優しく微笑んだ。

 

「そうそう。ソウゴが感知できないってことは、そんなに強くないだろ。筋肉ついたオッサン一人くらい、アクシズ教徒だけで追い払えるよ。ここはあいつらを信じて、帰ったらシュワシュワでも飲もう。な?」

 

「……そうね。みんなを信じるのも女神の務めって今なんて言った?」

 

 涙を器用に引っ込めたアクアが今度は目を見開く。異様な食いつきにいつものアル中思考を取り戻してきたのかと思い、カズマは現金な女神だなぁと眉を垂らす。

 

「もちろん奢りじゃないぞ。自分の飲んだ分は自分で払えよ」

 

「違うわよケチ。そこじゃなくてもっと前。なんで犯人が筋肉ついたオッサンだってわかるのよ」

 

「なんでって、そりゃあそんな話してるのを俺が聞いたからだけど」

 

 言葉を失い、呆然とするアクア。何か変なこと言ったか? とカズマが眉をひそめていると、いつの間にか背後に立っていたダクネスがカズマの頭にポンと手を置く。

 

「そう言えば先程の街頭演説のとき、アクアの意見を支持していた理由を聞きそびれていましたね」

 

「なんだよめぐみん。改まって」

 

「いいから答えろカズマ」

 

「え? ……ああ、そういや言ってなかったか。混浴入っただろ? その時に中で『もう温泉に入れなくなる』とか『この忌々しい街から開放される』とか話してたやつらがいたからそうかなって。俺が巨乳のお姉さんばかり見てたから向こうも油断してたんだろうな。士も『温泉が危うい』みたいなこと言ってたし痛い痛い痛い! ダクネス頭痛い!」

 

「どうしてそういう大事な話を先にしないんだ!?」

「どうしてそういう大事な話を先にしないんですか!?」

 

 ダクネスのアイアンクローで深刻なダメージを負ったカズマが、握り潰されかけた頭を抑えて蹲る。もう少しでエリス様に旅行の土産話をすることになるところだったが、何とか持ちこたえた自分の頭蓋骨を褒めてやりたいくらいだった。カズマは反抗的な目で二人を睨み返す。

 

「なにするんだよ! 今更言ったって逃げるってことは変わらないだろ?」

 

「変わりますよ! カズマは冒険者をなんだと思ってるんですか!?」

 

「魔王軍の破壊工作が行われているかもしれないとわかっていて、逃げ出す冒険者がどこにいる! さあ立てアクア。我々も共に問題解決に当たろう」

 

「みんな……っ! やっぱり、持つべきものは仲間ね……!」

 

「えー、何この展開……」

 

 目の前で繰り広げられているのは、それはもう美しい仲間の絆とやらだろう。だがカズマにとっては想像以上の剣幕で叱られ腑に落ちないだけでなく、いつの間にか逃げることより戦う方向で話が進んでいく非常に厄介な流れ。思うように事が運ばないため助けを求めるような目でソウゴを見るが、彼は少し呆れたように肩を竦めるだけだった。

 

「元々俺はアクアと残るつもりだったから。アクアが自分の民を守るために戦うならね」

 

「で、でもゆんゆんとウィズはなー。関係ないしなー?」

 

「魔王軍と戦うなら私も!」

 

「そうですね。もしかしたら、私が取りなせば話し合いで済むかもしれませんし」

 

「えっ。どうしてウィズさんが間に入ると魔王軍と話し合いができるんですか……?」

 

「……はぁ。もうわかったよ。わかりました。しょうがねぇなぁ、ったく……。でも俺、そういう話をしてる奴がいたってだけでどこにいるとかは知らないぞ? そもそも魔王軍かどうかもわからないし」

 

 犯人がわかっても、居場所がわからなければ取り押さえようがない。そこのところは全員がわかっているのだろう、返しの句に困りあぐねている。そんな中で、めぐみんが一つ提案を上げた。

 

「やはり聞き込みしかありません。幸い、私やゆんゆん、ウィズの顔は教徒たちに強く認知されていないはずです。長く滞在しているのなら手掛かりはあるでしょう」

 

「それしかないだろうけど、いけるか? 外の様子だと話しかけるのも厳しいだろ」

 

 そう切り替えしたカズマがそっと外を覗く。慌ただしく走り回るアクシズ教徒たちは健在で、ほとぼりが冷めるのはかなり時間がかかるだろう。いっそアクア一人突き出して怒りを納めてもらおうかと考えていたカズマだが、彼らがどうも先程と様子が違うように感じ、窓を開けて身を潜めた。

 

「どうしたカズマ?」

 

「(しっ。静かに)」

 

 カズマの行動に違和感を覚えたダクネスを制し、〈千里眼〉〈読唇術〉のスキルをフル活用して慌てる教徒たちの様子を観察する。

 

『ど なってる  ! なんで    あんな毒みたいな湯 !』

『まさか、あの     報 のた に!?』

『とに  全員に  せろ!    は管理人が行ったがこっちはまだ          はずだ!』

 

「毒みたいな湯……?」

 

 帰ったら聴力を上げるスキルを取ろうと心に決めながら、読み取れた言葉だけで会話を推察する。どうやら自分たちを構っている余裕がないくらいのアクシデントが発生しているらしい。毒みたいな湯、ということはアクアが浄化したという微量なものではなく目に見えてわかる変化があったということだろう。事態の急変に、カズマとしても思うところがないわけではない。

 神妙な面持ちのカズマに不安を煽られたのか、アクアが心配そうに表情を曇らせる。

 

「ちょっとマズいな……」

 

「どうしたのカズマ!? まさか魔王軍のやつら、私が動き出したのを察知して進行を早めたんじゃ……!」

 

「俺たちに罪を擦り付けられる今が一番動きやすいからだろうな。でもチャンスだ。すぐに源泉に行けばあのオッサンがいるかもしれない」

 

「急に積極的だな……」

 

「面倒な事をさっさと済ませたいだけだ。ここで俺がグズっても長引くだけだしな」

 

 ピンチはチャンスという言葉があるように、カズマはこの状況を好機と捉えた。見つかって捕まればより酷い目に合うのは確実だろうが、混浴で『仕上げ』と言っていたところを見るに、この街の全ての温泉がダメになるような仕掛けをしているはずだ。抑えるなら今しかないと、この世界で培われたカズマの経験が告げている。

 

「ですがこの人数だと、こそこそ移動してもアクシズ教徒に見つかってしまいますね。二手に分かれて源泉に向かいますか?」

 

「……いや。アクアには街の温泉の浄化をしてもらう。ソウゴ、一緒に頼めるか?」

 

「わかったよ」

 

「でも、源泉が汚染されているのなら流れてくる温泉を浄化しても意味がないんじゃ……」

 

 カズマの指示にゆんゆんは疑問を投げかけた。さっさと源泉に向かってそちらを浄化しなければ、末端である温泉は汚染され続ける、という彼女の考えは正しい。しかし、それをソウゴは首を振って否定した。

 

「そんなことないよ。魔王()魔女(アクア)が一緒にいればアクシズ教徒たちの目を引けるから、ゆんゆんたちは誰にも邪魔されず一気に現場まで向かえる。それに、アクアは信者が困ってるの放っておきたくないでしょ?」

 

「カズマ、あんた……!」

 

「違う。アクシズ教徒にとって最優先事項は女神の名を騙ったアクアへの私刑と、魔王を名乗ったソウゴをしばくことだ。せいぜい囮として役に立ってくれ。アクアがどんなポカやらかしても、ソウゴがいれば捕まることはないだろ」

 

「カズマ、あんた……」

 

 輝いていた目が一瞬でドブを見る目に変わる。なんとでも言えと言いたげなカズマの横顔を見てクスリと笑うのはソウゴだけではない。同じく眉を垂らしためぐみんやダクネスと目を合わせて、ソウゴも同じように素直でない男のために肩を竦めた。

 まとまりつつあった話だが、ウィズが疑問を持って手を挙げる。

 

「いいんですか? ソウゴさんがこちらにいた方が、戦闘になったとき安全なのではないでしょうか」

 

「確かに戦力が多いに越したことはないけど、こっちにはアークウィザードが二人もいるから大丈夫だよ。それでいいな、アクア」

 

「構わないわ! 早く行きましょうソウゴ!」

 

「おいちょっと待て。アークウィザードは三人だが? 今誰をカウントしなかった?」

 

「ソウゴたちはそっちが済んだらこっちに向かってくれ。まあ、出番はほとんどアクアの浄化能力だろうけどな」

 

「そうなることを祈るよ」

 

「よし、じゃあ各自装備を万全に整えて待機! 源泉は山の中で、何があるかわからないからな。アクアたちがアクシズ教徒を引き付けたのを確認したら出発するぞ!」

 

『おー!』

 

「おい! 誰をカウントしなかったか言うのですカズマ!」

 

 

   ⏱⏲「カズマ! 正直に言うのです! カズマ!」⏲⏱

 

 

「〈ピュリフュケーション〉! 〈ピュリフィケーション〉!」

 

 アクアが何度目かの呪文を唱えると、赤黒く濁っていた露天風呂の湯船はすっかりと元以上の透明色となっていた。元以上、というのは語弊でも誇張でもない。アクアに標準装備された浄化能力に〈浄化魔法(ピュリフィケーション)〉の重ね掛けをすれば、飲用水よりももっと安全かつ清潔な水へと昇華させることなど造作もないのだ。

 効能や独特のにごりまで綺麗さっぱり消滅しているので、温泉というよりとてつもなく清潔な公衆浴場のお風呂になっているわけだが、今は目を瞑ってもらう他ない。浄化が完了したことを確認し、ソウゴは街の観光マップの温泉の一つに丸印を追加する。

 

「……ふぅ。ここはこんなものね」

 

「じゃあ次に行こっか。あと数分で入口から三人、男湯の仕切りから一人登って来るのが視えた。外は今も囲まれてるから、また羽衣で飛んでくれる?」

 

「任せて! じゃあソウゴ、よろしく!」

 

「ほいきた」

 

 ソウゴが腰をかがめてバレーのレシーブのような構えをすると、そこに羽衣の両端を握ったアクアが足を掛ける。せーのっ、という声に合わせてアクアがそこに両足を乗せると、ソウゴは彼女を垂直に空へと打ち上げた。だいたい建物の二階から三階ぐらいといったところか、そこまで到達した彼女は自身の羽衣を広げてまるで気球のようにプカプカと空に浮かぶ。

 

「いいわよ、ソウゴー」

 

「おっけー」

 

 アクアからの合図を確認したソウゴは、周りを見回して一番頑丈な壁を見据えると、そこに向けて真っ直ぐ駆け出した。勢いを落とさずぶつかる手前で踏み切り、その壁を足跡を刻むかのごとく力強く蹴り上げる。いわゆる、三角飛びというものだ。

 しかし重力に縛られた人間がどれだけ高くジャンプしても、到達できる高さには限度というものがある。もちろん建物の二階三階など到底届くはずはない。もっとも、ソウゴは普通の人間と違い重力操作や空中浮遊などを無意識レベルで行えてしまう類の存在であるため、そんな心配は不要なのだが。

 ふわふわと浮いたソウゴはゆっくりとアクアの気球の上に着地すると、大きく体を伸ばして大の字で空を仰いだ。

 

「ふー。やっぱ気持ちいいね、これ」

 

「ちょっと。のんびりしてないで次に浄化する場所を決めてほしいんですけど」

 

「はいはい。じゃあ、東の方にしよう。人も散ってるし、追ってきてる人たちは疲れてるみたいだから時間も稼げるよ」

 

「わかったわ! 落ちないように気をつけなさいよ!」

 

 アクアが舵を切ると、ソウゴの肌を撫でる風の流れが変わる。その心地よさに身を任せれば、地上から飛んでくる教徒たちの罵声など気にならないが、アクアはやはり違うのだろう。少なからず心にダメージを受けているようだが、それがただの傷心ではなく魔王軍への怒りに変換されているところがアクアらしいと、陽炎のように立ち昇る神気を眺めながら思う。

 

「カズマたちの方はうまくいってるかな?」

 

「どうかしら。こっちは粗方浄化したし、向こうもそろそろ犯人をボコボコにしててもいい頃よね」

 

「いや、ボコボコにはしてないと思うけど」

 

 ウィズとゆんゆんのアークウィザードコンビに、最大火力持ちのめぐみん。防御はダクネスが一手に引き受けるだろう。カズマが中距離で支援をしつつ指揮をとれば、相当な戦力差でない限り崩すのは容易ではない。そもそも、魔王軍の所属であれば幹部のウィズがいるので穏便に話は済むはず。

 アクシデントはあったものの、この件が片付けばのんびりとした温泉旅行になるだろう。そんな風に考えて、穏やかな日差しに目を瞑る。

 

「……ッ! アクア、備えて!」

 

「え、何!? 何に備えるの!?」

 

 しかし、そんな皮算用が吹き飛んでしまうような、比喩ではない文字通りの爆発的な魔力の放出にソウゴは飛び起きた。直後、解放された魔力の余波に煽られた羽衣気球がアクアの悲鳴と共に大きく揺れる。

 

「うぇえええ!? 何これ何これ!? なんだか邪悪な気配がするんですけど!? とっても邪悪な気配がするんですけどー!?」

 

「この気配、山の方から……!?」

 

 魔力の発生元を探り、まさかと思いそちらへと視線を向ける。自分たちが考えているより状況は良くない。それを知るのに十分すぎるほどの惨状が、そこでは起きているようだった。

 緑が生い茂っていた山に一点のシミ。その赤黒いシミは時間と共にどんどんと大きな汚れとして広がっていく。シミに追い立てられた鳥たちが慌てて逃げ出すが、逃げ遅れたのろまは飛び立てはしてもシミに飲み込まれて力を失い、ボトボトと墜落していった。

 

「マズいわよソウゴ! 山が毒で汚染されてる! あそこ、カズマたちが行った源泉がある辺りよ!」

 

「毒で汚染……? いや、あれは違う。生命力を吸われてるんだ!」

 

 ソウゴが断言するのと、動きがあったのは同時だった。

 

 そのシミの中心から、何かが生まれる。

 

 枯れ果てた木々や死して堕ちていく鳥たち、地上で息絶えたモンスターたちもいるだろう、その全ての生命を取り込み成長しているそれ。汚染された温泉と同じ赤黒い死の塊は、ただ膨らんでいるだけではなかった。

 塊から、突起が伸びる。その突起が腕のような形を得ると、反対側から鏡写しに腕が生える。異形の腕が大地を掴み、ゆっくりと体を持ち上げる。そこでソウゴもアクアも気がついた。

 

 アレは、人の形になろうとしているのだと。

 

「みんな……!」

 

 急がないとマズい。ソウゴは久しぶりに焦りを感じていた。

 

 

    ⏱⏲時は戻って⏲⏱

 

 

「いったい、何の骨でしょう?」

 

「見たところ人骨のようですね。衛兵、もしくは冒険者でしょうか」

 

「えっ!? ゴブリンとかオークとかじゃないんですか!?」

 

「はい。骨格からして成人の男性だと思います。アンデット化する危険はないと思いますが、後でアクア様に浄化していただきましょう。これはエリス教のお守りでしょうか?」

 

「アクシズ教徒には街の出入り口にエリス教徒の骨を飾る風習があった……?」

 

「そんな風習あるわけがないだろう。しかし不気味だな。どうしてこんなものが……」

 

 街を抜け、山頂を目指し山道を登り十数分。明らかに関係者以外の立入が禁じられていそうな雰囲気の門の前で、そこに転がっていた二人分の骨に一同は歩みを止めていた。粘液のようなものがべったりと付着しているそれは、冗談で誤魔化しても誤魔化しきれない、紛れもない不審死。大型のモンスターに捕食されたにしては平らげ方が些か上品すぎる新鮮な骨塚を前にして、カズマは一つの結論を出す。

 

「よし。引き返そう」

 

「ここまで来て何を怖気づいているのです。さあ、キリキリ歩いてください」

 

「いやいやこれはソウゴがいないとやばいやつだって! 絶対にやばいやつだって!」

 

「とは言っても、人がモンスターに襲われた形跡があるんだ。我々冒険者には進む以外に選択肢はないぞ」

 

「ちょっ、やめろ離せ! 俺には帰りを待つ家族がいるんだ!」

 

「そういう嘘は恋人の一人でも作ってからにしてください。だいたい、カズマがスキルを使って警戒していないと奇襲される危険が上がるんです」

 

 ダクネスに襟首を捕まれ、無理矢理引き摺られるカズマ。抗議や抵抗を無視してそのまま先を行くめぐみんたちに、ゆんゆんは彼らの普段の冒険がいかなるものか察しため息をつく。しかし、これは呆れや疲れからくるため息ではない。

 

「いいなぁ……」

 

「我々も行きましょうか、ゆんゆんさん」

 

「あっ、はい!」

 

 ウィズに促され、少し駆け足で追いつく。仲間への憧れが強くなったことを自覚したゆんゆんだが、今は目の前のことに集中しようと杖を握り直した。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 源泉に近づくと、充満しているのは硫黄の匂いだけでないことがわかる。腐臭とも少し違う、例えるならば死の臭い。その発生源を見て、ゆんゆんは声を漏らした。

 

「お湯が真っ黒……」

 

「これは毒ですね。ここまで酷いとアクア様以外に浄化は難しいかと」

 

「犯人はまだ近くにいるはずだ。手分けして探すか?」

 

「カズマ! あそこに人がいます!」

 

 めぐみんの指差す方向に、こちらに背を向けてしゃがみ込む人影があった。浅黒い肌に筋肉質な体格、間違いなく先日混浴で遭遇した男だと確信したカズマは、逃げ出さないよう背後からゆっくりと近づく。

 男の周辺に毒物らしきものは置かれていない。使い切ってしまったということは考えられないが、仲間が補充しに行っている可能性もある。〈敵感知〉と〈千里眼〉で周囲をサーチし、伏兵が潜んでいないことを確認したカズマは、男に向かって声を上げた。

 

「そこまでだ! 汚染野郎!」

 

 こちらに気がついた男は、ゆっくり立ち上がると余裕のある笑みを浮かべた。

 

「何ですかあなた達は。私は温泉の管理をしている者で、水質の調査に来ているだけですが」

 

「とぼけても無駄ですよ! 街でアクアたちが騒ぎを起こしたのを幸いと、一気に源泉に毒を混ぜようとしたんでしょう!」

 

「既にいくつもの源泉が被害にあってるわ! 神妙にお縄に付きなさい!」

 

「私はダスティネス・フォード・ララティーナ。貴族特権で詰め所まで来てもらおう。詳しい話はそれからだ」

 

 畳み掛けるが、男の態度はかわらない。怒るわけでも焦るわけでもなく、纏わり付く羽虫を適当に払うように余裕の態度で鼻を鳴らす。

 

「何を言っているのかわかりませんが、そこまで仰るなら調べてもらって結構ですよ。どうせ毒物なんて出てきは……」

 

「…………」

 

「出て、きは……」

 

 男の顔色が変わった。呆けるように、何かを思い出そうとしているウィズと目があった男は目を泳がせると、ゆっくりとウィズから顔を逸らそうと横を見る。その反応にウィズの中の最後のピースがはまったのか、ポンと手を打った彼女は晴れやかな笑みを見せた。

 

「ハンスさん! ハンスさんですよね?」

 

「さ、さあ? 誰のことやら……。私はハンスなんて名前じゃありませんよ……」

 

「私です! リッチーのウィズです!」

 

「リッチー? あのとびきり危険なモンスターの? でも私にリッチーの知り合いは……」

 

「リッチー!? ウィズさんリッチーなんですか!?」

 

「ゆんゆんうるさいです」

 

「えっ、みなさん知ってたんですか!?」

 

 昔なじみなのか、子犬がしっぽを振るように嬉しそうに男に駆け寄るウィズ。たじろぐ男を余所に、さらっと正体を知ったゆんゆんが慌てているが、めぐみんはおざなりにそれをあしらって状況を眺めていた。

 

「本当にお久しぶりです! お会いするのは私が魔王軍に入ったとき以来ですよねハンスさん! そう言えば、ハンスさんはデッドリーポイズンスライムの変異種でしたね! じゃあハンスさんが温泉に毒を? あれ? どうして顔を逸らすんですかハンスさん? もしかして私のこと忘れちゃいましたか? 私です! 結界の維持だけ頼まれてる、魔王軍のなんちゃって幹部のウィズですよハンスさん! ほら昔、私が魔王さんのお城に乗り込ん「あーあーあー! 急な用事を思い出したのでこれで失礼させていただきますー!」

 

 ハンスは詰め寄るウィズを引き剥がすと、下山するためそそくさと脇を駆け抜けようとする。しかし、そんなハンスを簡単に許すような人間はここにはいなかった。

 ハンスの退路に躍り出た面々は、それぞれ構えてハンスを見据えた。

 

「どこへ行こうというのだ、ハンス!」

 

「そんな嘘で誤魔化せると思っているのですか、ハンス!」

 

「ウィズさんって魔王軍幹部なんですか!?」

 

「そろそろ正体を現したらどうだ? ハンス!」

 

「ハンスハンスと俺の名を気安く呼んでんじゃねぇーよクソ共がーーーーッッッ!!!!!」

 

 怒りの臨界点に達したのか、ハンスは先程までの余裕をかなぐり捨てて叫んだ。声をかけたときの落ち着きはなく、額に青筋を立てて怒りの形相に染める彼はまずウィズに向かって怒声を浴びせる。

 

「何でここにいやがるんだウィズ! お前、店出すとか言ってただろうが! 温泉街で遊んでないで働きやがれ!」

 

「ひ、ひどいです! 私だって必死に働いてるんですよ! 何故か働けば働くほど貧乏になるだけで……」

 

「それからそこの女ァ! どうしてお前だけウィズの正体聞いていちいち驚いてやがる! 事前に打ち合わせくらいしてこい!! 一人だけ浮いてるんだよ!!」

 

「どうして私、魔王軍の人にお説教されてるの!?」

 

「ほう、ゆんゆんがぼっちであることを見抜くとは。ハンスあなた、なかなかやりますね」

 

「そんなところで褒められても嬉しくねぇんだよ! 人のことナメてんのかお前ら!!」

 

 ある程度溜まっていたものを発散したのか、肩で息をするハンスは手を額に当てため息をつく。その後しゃがみ込むと、ぼそぼそと後悔を交えた独り言をつぶやき始めた。

 

「なんてこった……。調査に時間をかけ、入念な下準備をして決行した作戦だったんだ。アクシズ教徒共からの重圧に耐え、この街の住民共に気取られぬよう隠密に神の尖兵たちを滅ぼす重要な任務だったが、ウィズのせいで思わぬ邪魔が入った……」

 

「そんな! 私、ハンスさんの邪魔なんてしてませんよ! ただ知り合いがいたから声をかけただけじゃないですか!」

 

「それが邪魔だって言ってるんだよ!! 普通に考えて魔王軍の知り合いが一人でこそこそしてたら、声なんてかけないだろうが!」

 

「そ、それはすみません……。それでその、今回は話し合いとかでなんとかなりませんか? この街は私の友人の街なんです」

 

「話し合い? ……クハハハハッ! アークウィザードとして俺たちを狩りまくってた頃はそんな言葉出てこなかっただろ! お前とはお互い不干渉の関係だったが、何ならやり合ったっていいんだぜ?」

 

 実力を知っているはずのウィズを前にして、まるで気にならないかのように挑発するハンス。余程腕に自信があるのか、それともウィズが敵対してこないと踏んでのことなのかはわからないが、このまま放置というわけにもいかないだろう。カズマは腰の脇差を抜いた。

 

「知り合いならウィズもやり辛いだろ。下がっててくれ。俺が相手をしてやるよ、ハンス!」

 

「ほう、弱っちそうなお前がか? ……ん? お前どこかで……」

 

「俺の名はサトウカズマ。昨日風呂で会っただろ? 魔王軍幹部ベルディアとの戦いに参加し、デストロイヤー討伐を指揮をとり、そしてバニルとの戦いを見届けた者だ」

 

「……なるほどな。昨日連れを凝視していたのはフェイクで、俺のことを張っていたというわけか」

 

「おいカズマどうした! いつものお前らしくないぞ!」

 

「まさか、ここに来る途中に変なものでも拾い食いしましたか!?」

 

「お前ら俺をなんだと思ってるんだ」

 

 カズマは甘く考えていた。

 ウィズが言っていたデッドリーポイズンスライムがやつの正体なら、毒を分泌できたとしても所詮はスライム。ウィズがここについて早々つるつる食べていた、あのところてんと同種族なのだ。ゲームでも最弱モンスターであるスライムなら、いくら強そうな見た目でもウィズ抜きで倒せる、と。

 

 しかし彼は忘れていた。この世界にカズマの常識は通用しないことを。

 

「門番の骨を警告代わりに置いてやっていたんだが、それでも引かない態度を見るにどうやらただのハッタリじゃないらしいな」

 

「……え? アレお前がやったの?」

 

「俺の名はハンス! ()()()()()が一人、デッドリーポイズンスライムの変異種ハンスだ! 管理人のジジイのように骨までしっかり消化してやる。覚悟してかかってこい、小僧!」

 

「え? 今なんて? 幹部?」

 

 聞き捨てならない単語が聞こえた気がして、カズマは聞き返す。しかし、時はカズマを待ってはくれなかった。

 

「〈カースド・クリスタルプリズン〉!!」

 

 背後から強烈な冷気が吹き荒れカズマの隣を駆けると、ハンスの下半身は一気に氷漬けにされる。不意打ちとは言え腰まで完全に凍結しており、逃げ出すのはほぼ不可能だろう。

 しかし、意表を突かれたのは彼だけではない。突然のことにカズマが驚き振り返ると、そこでは冷気を纏うウィズが、普段のおっとりとした表情からは想像もできない憤怒の形相を見せていた。

 

「何をしやがるウィズ……!」

 

「ウィ、ウィズさん……?」

 

「今、なんと仰いましたか……? 管理人のおじいさんを()()した……?」

 

「何をキレていやがる! 俺はスライム、食うことが本能だ! あのジジイも、門番の男共も同じ人間。同じ俺の食糧だ!」

 

「違います。……私が皆さんに不干渉なのは、戦闘に関わらない人間を襲わないことが条件だったはずです。冒険者がモンスターと戦い命を落とすことは仕方ありません。門番の彼らもそうです。それで生きる糧を得ているのですから。でも、管理人のおじいさんは違うじゃないですか!!」

 

 次の一撃を放つためだろう、ウィズは右手に冷気を集める。もう一度同じ攻撃を喰らえばマズイことをハンスも理解しているのだろう、悔しげに顔を歪ませる。

 

「本気で俺とやり合う気かウィズ! さっさと魔法を解け!」

 

「〈カースド……!」

 

「ウィズ! 貴様ァ……ッ!!」

 

「……クリスタルプリズン〉!!」

 

「ウィズーーーーッ!!!」

 

 ウィズが得意とする氷結魔法が炸裂する。許されざる罪人を氷の牢獄へ閉じ込めんと、容赦のない吹雪がハンスを襲った。氷の柱が生成され、放たれる冷気と源泉の湯気が混ざり合い水蒸気が場に溢れる。もはや爆風と呼ぶに相応しい霧の膨張に、カズマたちは吹き飛ばされそうな体を何とかその場に留めていた。

 

「ウィズこえぇ……」

 

 これがなんちゃってでも魔王軍幹部に抜擢される者の実力。同じ幹部を瞬殺する、ソウゴとは違う強者の圧を放つ存在。それを目の当たりにして、カズマたちは静かに怒るリッチーを眺めることしかできなかった。

 静寂を得たその場の、霧がゆっくりと晴れていく。彼女が作り出した氷のオブジェが、異様なまでの存在感を放ち戦いの終幕を知らせる。

 はずだった。

 

「っ! ハンスがいないぞ!」

 

 ダクネスのその言葉に、全員が氷の柱を注視する。そこに閉じ込められていたのは、ハンスの下半身だけだった。

 

「まさか、分離して逃げたのですか!?」

 

「逃げる? 馬鹿なこと言うなよ、冒険者ども」

 

 声は氷の柱の奥から響いた。背後にあった源泉から、再生した下半身とともにその体を顕にしたハンスは、あれだけの攻撃を見せつけられながら余裕の表情をカズマたちに向けた。

 

「今のはヤバかった。戦う場所がここじゃなかったら、今ので俺は終わっていただろうな。神に感謝してやってもいいくらいだ」

 

「なら、もう一度食らわせてあげます。感謝とともに懺悔もしてきたらどうですか」

 

「おっと、恐い恐い。……なあお前ら。少し話をしようじゃないか」

 

 不敵に笑うハンスは、そうカズマたちに持ちかけた。しかし、先程までのぽわぽわしたウィズならまだしも、既に戦うことを決めた彼女に対して時間稼ぎにしても愚策ではないか。カズマがそう思うくらいだ、本人もわかっているだろう。しかしハンスは攻撃の素振りも意思も見せずに、各々武器を構える冒険者たちと向かい合って自分の下半身が氷漬けにされた柱に寄りかかった。

 

「ウィズ。お前不思議に思わないか? 俺の再生力が早いことに」

 

「それがどうかしましたか」

 

「お前は貰ったときから興味がなかったな。これだよ」

 

 そう言って、ハンスは懐から見覚えのある手のひらサイズのデバイスを見せる。緑の丸い、時計のような装置。カズマたちは嫌というほど見覚えのある、ソウゴが探し求めているもの。ベルディアに爆裂魔法をほぼ無傷で耐える強力な防御力を与え、デストロイヤーに周辺地域の地形を更地にしてしまう熱放射とアマゾンを生み出し使役する力を与えた、強力無比なマジックアイテム。

 

「それは、魔王さんから頂いた〈オーパーツ〉……!?」

 

「ライドウォッチか! そりゃ幹部なら持ってるよな……!」

 

「お前らも知っていたか。この〈オーパーツ〉はいい。ひと目見たときに惹かれる何かを感じ、取り替えてもらって正解だった」

 

 ウォッチを見せびらかすように、カズマたちの前で空に透かす。再生能力の上昇なんていう地味な効果だが、失った下半身を瞬時に取り戻せるのは魅力的だろう。しかし、そんなカズマたちの思考を否定するようにハンスは笑った。

 

「お前らは知っているか? これの正しい使い方を」

 

「正しい使い方、だと……?」

 

「押して力を得る。それだけではないというのですか!?」

 

「ああ。うちにはモンスターを改造して強化する部署があってな。そこの局長がたまたま発見したのさ」

 

 ハンスは片手でウォッチの能力開放弁、ウェイクベゼルを九〇度回転させる。すると、そこにそのウォッチに封じられた歴史を持つ仮面ライダーの顔が現れ、能力の開放が可能な状態になる。ここまでは、ベルディアが見せたものと同じ。そのままライドオンスターターを押すことで、時を読み取り仮面ライダーの名前がコールされる。

 

 

«J(ジェイ)»

 

 

「冥土の土産に見せてやる。この〈オーパーツ〉の真の力を!」

 

 そしてそれを、ハンスは自分の体へと押し当てた。

 

『!?』

 

「ハッハッハッ! 漲る! 力が漲るぞ……!」

 

 ライドウォッチは押し当てた場所に黒い渦のような力の流れを生み出すと、そのまま体の中へと取り込まれる。スライムが捕食したようにも見えるが、違う。そう感じたとき、ハンスの肉体が変化が起きた。

 黒い渦から力の帯のようなものが湧き出てくる。それがハンスの全身を包むと、彼の肉体は先程までの人間の姿とは違う、どこかソウゴの変身するオーマジオウと似た雰囲気の異形へと変化させる。全身が緑で、黄緑のラインが入った体。目は赤く発光し顔の半分ほど大きく。そしてへその辺りにイチョウ型の赤い鉱石のような器官を持つ、ウォッチの示す顔と瓜二つの存在。

 

「ライドウォッチが融合って、確かデストロイヤーを作ったやつの日記にも書いてたやつじゃ……!?」

 

 だが、変化はまだ終わらない。

 

 体に«1994»の文字が刻まれると、まるで殻を破るようにハンスの体から芋虫のような触手が無数に突き出してきた。その芋虫は体表で繋がると形を変え、さらなる異形へとその身を象っていく。右肩から腕にかけてトカゲのような硬質な肌を、肘や膝には鋭利な針を、そして顔を裂いてできた口に蛇のような牙を生やしたそれは、全身を毒々しい赤紫に染めて笑う。

 

「本当に腑抜けになったなウィズ! 敵が話をしようなんて言って、本当に攻撃の手を止めるとは!」

 

「姿を変えたところで、問題は何もありません! 〈カースド・クリスタルプリズン〉!!」

 

 ウィズは臆することなく、笑う異形と化したハンス――アナザーJに向けて氷結魔法を放つ。いくらライドウォッチの力で姿を変えても、どれだけ高い再生能力を持っていても、全身を上級魔法で氷漬けにされてしまえばどうしょうもないはず。今度こそ氷の標本となったハンスを見て、カズマはホッと息をつく。

 

「魔王軍幹部なんて言われてビビったけど、なんとかなったな……。つかなんだよ、スライムのくせに幹部って」

 

「スライムの『くせに』? いつもと違った強気な態度と言い、もしやカズマはスライムについて誤解していませんか?」

 

「え? スライムって最弱モンスターじゃないのか?」

 

「誰だそんなことをお前に教えたやつは……。いいか? スライムっていうのはだな……」

 

 ダクネスとめぐみんが呆れた顔でカズマを見る。こういう世間知らずみたいな扱いを受けるのも慣れてきたが、やはり理不尽なこの世界に対する不満は募るもの。それも命あっての物種と、気を抜いたときだった。

 

 ピシッ

 

 確かに聞こえた音に、全員がハンスへと視線を移す。その瞬間、氷は見事に砕け散った。中から現れたアナザーJは、どこか一回り大きくなっているような気がしてならない。そんなカズマの気づきを余所に、アナザーJは笑う。

 

「この〈オーパーツ〉の力が、本当に再生能力の向上だと思うか? 俺も最初はそう思ったさ。だが違うんだよこれが」

 

「ッ! 皆さん走ってください!」

 

「どうしたウィズ!?」

 

「いいから早くしてください! 皆さん死んでしまいます!」

 

「この〈オーパーツ〉の真の力は姿を変えることでも、再生能力の向上でもない。この俺、スライムと同じ糧を得る力!」

 

 そう言ったアナザーJの触れている地面が、アナザーJの体と同じ赤黒く変色していく。それは紛れもなく、目に見える死。そこから逃げるため、全員が死物狂いで後退を始める。

 

「俺に触れた命を貪る能力。全ての命を吸収して糧とし、俺の力に変換する能力だ!!」

 

 アナザーJの体が膨らむ。普通なら取り込みすぎて弾けているだろうその体も、スライム故にいくらでも膨張を続ける。際限なく周辺の生命力を吸収するアナザーJは、遂に人形からただ膨らむ肉の塊へと変貌を遂げた。

 

「おい! あれを見ろ!」

 

 ダクネスの声につられて、走りながら全員が指差す方へ視線をやる。そこには飛び立つのが遅かったのか、群れから墜落してきた一羽の鳥がいた。そのまま赤黒く変色した土地に落ちると、鳥はまるで水分を吸われたかのように干からび、次の瞬間には腐った野菜のようにどろどろと溶けて地面に染み込んでいく。

 

『………………』

 

 あれが自分たちの最期かと思うと、何時間走っても疲れたなんて口が裂けても言えそうにない。

 

「追いつかれたら終わりだぞ!」

 

「カズマなんとかしてください!」

 

「俺に振るな! 黙って走れ!」

 

「これどこまで逃げればいいんですか!?」

 

「ハンスさんの体の膨張が終われば恐らくは!」

 

「それっていつだよ!?」

 

 走りながらカズマは考える。何か打開策はないかと。躓いたらそこで人生終了。まだアクシズ教徒との鬼ごっこの方がかわいかったと数時間前の自分の判断を恨めしく思う。周りを見回しながらこの危機を切り抜けるヒントを求め、そして思い出す。

 

「そうだ……! ウィズ! 氷で高台を作れるか!? なるべく高い位置に逃げたい!」

 

「高台……。ゆんゆんさん! 〈タイダルウェイブ〉は使えますか? 私がそれを凍らせます!」

 

「は、はい! いきます! 〈タイダルウェイブ〉!」

 

「〈フリーズガスト〉!」

 

 カズマの依頼で、前方に大きな波を作り出す魔法と冷凍魔法を組み合わせ氷の高台を作り出す二人。滑りやすく登り辛いことは承知しているが、現状これ以外の策をカズマは閃かなかった。

 大地も源泉も、そして空すら汚染されるあのアナザーJの能力。しかし無事だったものはあった。それは取り込まれず砕かれたウィズの氷魔法、そして飛び立ち逃げられた鳥たち。生命活動が不可能な温度と侵食が届かない高さがあれば助かるのではないか、その可能性に賭けるしかないカズマは〈バインド〉用に持ってきた縄を鞘から抜いた脇差の柄に括り付けながら、目の前の急な斜面に向かって走る。

 

「全員全力で登れ! もし死んだらあの世でいくらでも文句を聞いてやるよ! 〈クリエイト・ウォーター〉!」

 

 そう言ったカズマは、生成した水を脇差の刃にかけた。そこに〈フリーズ〉を掛け、縄を凍りつかせ固定する。後は自分の幸運を信じ、弓を取り出し構えた。

 初心者向けの短弓、しかし攻撃の意味で弓を引くわけではない。縄を括った脇差を弦に宛てがい、なるべく高台の高い位置を狙う。

 

「頼むぞ! 〈狙撃〉!」

 

 縄は放った脇差の軌跡を描き、氷の高波へと吸い込まれていく。脇差は狙い通り、見事に高い位置に刺さった。氷と氷がくっついて、簡単には抜けないだろう。効率よく登るための即席の命綱の完成である。

 

「ダクネスは自分の剣でなんとか登れるな!?「ああ!」ウィズとゆんゆんも風の魔法かなにかでなるべく早く上へ!「「はい!」」めぐみんは俺にしがみついてろ!「わかりました!」」

 

 言うや否や、五人は山頂アタックを開始する。滑りやすく、滑落すれば死あるのみ。手は冷たく触れば体が拒否反応を起こす。それでも本能に抗って上を目指す。両手剣をピッケル代わりに、縄でよじ登り、風の魔法で背中を押して、ようやく五人は登頂に成功する。幸い読みが当たったのか、氷の高台がドロドロに溶けるようなことはなかった。

 しかし、油断はできない。

 

「なんだよあれ……」

 

 息を整えながら、カズマは言葉を漏らした。だがそう呟きたかったのはカズマだけではない。

 振り返ると、いたはずのハンスは見当たらない。だが明確に危険な存在だけがそこにいた。スライムのように流動的な体から生えた腕。それは変異する前のアナザーJと同じ形。そこからさらに足、頭を形作った赤紫の死の塊は、その巨体を持ち上げ立ち上がる。

 

『「これがこの〈オーパーツ〉の真の力だ。さあ、俺を楽しませろ冒険者共! 裏切り者のウィズ!」』

 

「あんなサイズのスライムとどう戦えと言うんだ……!」

 

「大きすぎます……!」

 

 カズマの記憶に照らし合わせると、十階建てのビルくらいはあるだろうという身長。ロボットアニメに出てくるような、デストロイヤーと正面切って殴り合えそうな、そういうサイズ感だ。高台に登った自分たちを優に超えるその大きさに、言葉を失うとは正にこのことだろう。この体格差でどう戦えと言うとか、絞り出そうにも案も知恵も策も浮かばない。

 

『「丁度いい。お前たちを食った後は街の人間全員だ。あの忌々しいアクシズ教徒を根絶やしにしてやる。隠密なんて面倒なことはやめて、最初からこうすれば俺があんな目に合うこともなかったんだ……!」』

 

 アルカンレティアでの日々を思い出し、ふつふつと怒りが湧いているのだろう。憎らしげに歪む表情と握りしめる拳で気持ちは伝わってくる。だが、見逃してくれない以上倒さねばいけない相手だ。同情もしていられない。

 

「ウィズ、ゆんゆん。あれ凍らせられるか!?」

 

「全力の魔力でも怪しいですが、かなり消費してしまっているので四分の一くらいが限界だと思います……!」

 

「すみません! 私も全力でそのくらいです!」

 

「めぐみん! 爆裂魔法であれ全部焼けるか?」

 

「スライムは魔法に強い耐性がありますから、倒し切るのは無理でしょう。加えてハンスが爆発四散すれば辺りに猛毒が散乱しますよ」

 

「爆裂魔法で倒しきれない相手って、この世界のスライムはどうなってるんだよ……!」

 

『「最後の会話は済んだか? 安心しろ。続きは俺の腹の中でさせてやる!」』

 

 アナザーJは下半身をスライムに変化させる。体こそ半分ほどの大きさになるが、どうということはない。そのスライム化した体が津波のように、素早くカズマたちに襲いかかる。

 

「〈ブリザードウォール〉!」

 

「〈ウインドカーテン〉!」

 

 二人の防御魔法が間に合い、飲み込まれるのだけは回避した。ドーム状に展開された風と吹雪の結界が五人を包み、捕食しようと近づくスライムを寄せ付けない。しかし、こうなっては動くことができない。スライムが周りを取囲み、さながら絶海の孤島のように逃げ場を絶たれる。

 

『「“氷の魔女”もこうなれば型なしだなァ! 終わりにしてやる!」』

 

 目の前まで迫ってきたアナザーJの上半身は、抵抗を繰り返す冒険者を見下し嘲笑う。そして体を捻り引導を渡すため拳を握ったその姿を見て、ダクネスは結界のギリギリ縁に立って両手を広げた。

 

「ウィズ! 私が受け止めて見せる! あれを凍らせてくれ!」

 

「おいダクネス! 受け止めるなんて無茶だ! 死ぬぞ!」 

 

「だがそうしなければ全員スライムに飲み込まれてあの世行きだ! ウィズ、頼む!」

 

「は、はい……! 〈フリーズガスト〉ォ!」

 

 アナザーJから拳が繰り出された。巨体ゆえに空気や重力の抵抗があるのか、動きは怠慢。しかしゆっくりと迫る恐怖というものを肌はピリピリと感じている。ウィズの魔法で凍てつき鈍器となったその拳は、風と吹雪の結界を意に介さず簡単に突き抜けてきた。それを大きな音と共に全身で受け止めたダクネスは、後ろに滑りながらもなんとかその場に踏ん張ることに成功した。

 しかしとてつもない衝撃だったのだ、鎧にヒビが入り欠片がこぼれ落ちる。あの様子では骨と内蔵も傷ついただろう。凍りついた拳に、ダクネスの吐き出した赤が新たな色として吹きかけられた。

 

「ぐっ……! うおお……!」

 

『「耐えるじゃないか冒険者。だが、お前の命も俺の糧にさせてもらうぞ……!」』

 

「ダクネス!」

 

「気にするなッ! 私はクルセイダーだ。自らの体を盾とし、お前たちの身を守るのが私の役目だッ! だが、これは結構、クるな……! こんなに強い衝撃、そして命を危険晒されているという感覚は初めてだ……っ!」

 

「喜んでんじゃねぇよ緊張感持て!」

 

『「ハハハッ! 諦めろ冒険者共!」』

 

「どうしようめぐみん! 防御魔法の内側にも汚染が!」

 

「周りがスライムで囲まれているから、土台が侵食される前に汚染が始まったようですね……! カズマ、どうしますか!?」

 

(どうする……!? ここはもう、爆裂魔法しか……!)

 

 ダクネスの受け止めた氷が砕ければ、防御の内側にもスライムが溢れてしまうことになる。爆裂魔法の威力なら、倒せなくても逃げるための隙を作ることはできるかもしれない。しかしそれで周りを囲むスライムが動きを止めなければ、切り札を無駄に使うだけに終わってしまう。しかも運悪く大きな破片がこちらに飛んでくることも、爆裂魔法の爆風で自分たちが吹き飛ばされる可能性もゼロではない。この絶望的な状況を切り抜けるには、手札が絶対的に足りないのだ。

 ダクネスも今はなんとか踏ん張って耐えているが、少しずつ力で押され後退している。その上氷のコーティングを飲み込みつつある毒が、ダクネスの体を蝕み首筋や顔に赤紫の斑点が出始めていた。

 万事休す。諦めかけた、その時だった。

 

 

«キング! ギリギリスラッシュ!»

 

 

 『ジオウサイキョウ』の文字が空を裂く。

 王に与えられた大剣・サイキョージカンギレードによる一撃が放たれると、ダクネスを苦しめていた腕が吹き飛び宙を舞った。こんなことができるのは一人しかいない。この戦況を覆すワイルドカードに、カズマは歓喜の声を上げた。

 

「ソウゴ! アクア!」

 

「ごめん! 遅くなった!」

 

「うぇえ!? あの鎧の方ソウゴさんなんですか!?」

 

 空から現れたのは、竜と建物が一体になったモンスターの頭に乗ったオーマジオウと、城壁のような背中から身を乗り出すアクアだった。先程の一撃を放った大剣を黒い靄として体に取り込んだオーマジオウは、結界の内側にいた五人を事も無げにアクアのいる竜の背中へと瞬間移動させる。ランダムテレポートとは違う瞬間移動に困惑するアークウィザード二人とは裏腹に、ダクネスの外傷を見たアクアが顔を青くした。

 

「毒まみれのボロボロじゃない! ダクネスしっかり! 〈セイクリッド・ハイネス・ヒール〉!」

 

 最上位の回復魔法から放たれる暖かな光りに包まれ、ダクネスの体から赤黒く変色し始めていた斑点が消え去る。苦痛が和らいだのか、苦悶に頬を染めていた顔が少し残念そうな顔と変わったのを見て、カズマはホッと息を吐いた。

 仲間の命が助かり安堵したも早々に、カズマとめぐみんは背中に乗り移ったオーマジオウに駆け寄った。

 

「何だよこのドラゴン! まさかこれも仮面ライダーの力なのか……?」

 

「なんだか外観は城のような、見たことのないドラゴンですね」

 

「キャッスルドラン。キングオブバンパイア、“仮面ライダーキバ”の居城だよ」

 

「バンパイア!? 仮面ライダーってバンパイアもいるのか!?」

 

「まあその話は追々。ところであれは何?」

 

 そう言って、オーマジオウは隣へと視線をやる。するとそこに、キャッスルドランの現在の飛行高度を超えるアナザーJの巨体が顔を覗かせた。間近で見る巨大なアナザーJは、流動的な体を持ちながら固いはずの鱗や牙が再現されているため、生物と非生物の境界を曖昧に感じて気持ちが悪くなる。斬られた腕も再生しており、本当に生き物なのか疑いたくなるのは仕方ない。

 常識をかき混ぜられるようなその見た目に対して嫌悪感を顕にするカズマたちに、アナザーJは咆哮した。

 

『「腕を斬ったくらいで調子に乗るなよ! 俺はスライムだ。〈オーパーツ〉の力で取り込んだ生命力があれば、腕くらいいくらでも修復できる!」』

 

「ライドウォッチを使ってアナザーライダーになってるのか。そのウォッチ、“仮面ライダーJ”のウォッチだよね?」

 

『「そんなこと知る必要があるのか? 今から俺に喰われるやつが!」』

 

「確かに、回収すればわかることだね」

 

 仲間たちを庇うように前に出たオーマジオウが手をかざす。そこから念じるだけで衝撃波を生み出し、迫りくる驚異をいとも容易く跳ね返した。衝撃波の余波でキャッスルドランも傾くが、慣れているのかすぐにバランスを立て直す。跳ね返されたアナザーJはというと、たたらを踏んで大きな地鳴りと共に大地に仰向けに打ち付けられた。

 その姿を見て自分の手のひらを見るソウゴは、追撃には移らず少し首を傾げる。

 

「ちょっとソウゴ! あいつが弾けたら汚染範囲が広がるんだから、もっと優しく攻撃して!」

 

「あ、ごめん。でさ、斬ったときもそうだったけど、なんか手応えないんだよね。あれ何? 水?」

 

「あいつは魔王軍幹部のデッドリーポイズンスライムだ。打撃は効かないらしいぞ」

 

「でっど……なに?」

 

「デッドリーポイズンスライム。触れれば即死の猛毒を持つ、スライムの中でも更に上位の危険なモンスターです。特にあのハンスさんは、魔王軍の中でも高い賞金がかけられています」

 

「ふーん。スライムってどんなモンスターなの?」

 

 いまいちわかってるのかわかってないのか、首を傾げるオーマジオウ。そんな彼に先程カズマに見せた視線と同じように、めぐみんと復帰したダクネスは少し呆れたような目を向けた。

 

「スライムに打撃は効きません。魔法への強い耐性もあり、貼り付かれれば待っているのは窒息死か、生きたまま消化液で溶かされ栄養にされるかです」

 

「捕食されればおしまいよ。溶かされたら私の〈復活魔法〉じゃ生き返らせることはできないわ。ま、ソウゴなら溶かされる前まで時間を巻き戻せるから平気でしょうけど」

 

「唯一の弱点である核が体のどこかにあるはずだが、あの大きさだと見つけるのは無理だろうな。そもそもあのサイズなら、核を破壊しても猛毒の体が散らばってここら一帯を汚染する。小さければ浄化もできるんだがな」

 

「スライムってそんなやばいやつだったのか……」

 

「カズマさんは知らずにあれだけの啖呵切ってたんですか!?」

 

「ゆんゆんはわかっていませんね。知っていたらこの男が強敵に戦いを挑むわけ無いでしょう」

 

「むしろ我々は、こいつがスライムを雑魚だと勘違いしていたことに納得したくらいだ」

 

「ていうかお前ら、門のところにあった粘液まみれの骨。あれスライムの仕業ってわかってただろ」

 

「「さてなんのことやら」」

 

「お前ら、家に帰ったら泣いて謝るようなすんごいことしてやるから覚えてろよ……!」

 

 死の瀬戸際まで追い込まれていたが、いつも通りの空気を取り戻す一行。気持ちの入れ替えは済んだ。高度を上げたキャッスルドランから、立ち上がろうとしているアナザーJを見下ろしてオーマジオウは呟く。

 

「ライドウォッチの排出には、俺が瀕死レベル以上のダメージを与えなきゃいけないんだ。でもあの体にダメージを通せるだけ力を込めると、爆発の影響で山は吹き飛ぶしアルカンレティアは毒まみれになるよ」

 

「どんな威力の攻撃をするつもりなんですか……?」

 

「破片を集めるために時を戻せばハンスが蘇ってしまうでしょうから、その案は保留ですね。あと、私は一度ソウゴの本気の一撃が見たいです」

 

「やめときなさい。この星がなくなるわよ」

 

「凍らせれば触れることは可能だ。私もそれでさっきやつの攻撃を受け止めた」

 

「ゆんゆんとウィズが力を合わせれば半分までなら凍らせられるらしい。あの毒さえなんとかできれば……。アクア、あれ浄化できないか?」

 

「あのサイズを一瞬で浄化なんて無理よ。一日以上かかるわ」

 

「それに、今のハンスさんは触れた生命を取り込むことで力を増します。浄化し続けてもすぐに毒を生成してしまうのではないでしょうか?」

 

「……ねえカズマ。毒をなんとかできれば策はあるの?」

 

「ああ。俺が考えてることが正しければ、半分凍らせられれば倒せるはずだ。……って、できるのか!?」

 

「わからない。けど、なんか行ける気がする」

 

 そう言って、オーマジオウはサムズアップをする。未来を見ての自信なのか、それとも根拠がないのかはわからない。でも、そんなソウゴを見て同じように“なんかいける気”がしてきたパーティーメンバーは、ニヤリと笑うとサムズアップを返した。

 

「ソウゴがそう言うと、確かになんだか行けるような気がしてくるな」

 

「根拠なく自信満々に言われちゃうとね」

 

「紅魔族はいつだって、なんか行ける気がしていますよ」

 

「お前のは自信じゃなくて過信だからな」

 

 この状況で笑い合う五人を見て、困惑を隠せないゆんゆん。そんな彼女の肩にそっと手を触れ微笑んだウィズは、懐かしいような寂しいような、複雑な笑みを浮かべていた。

 

「よし! めぐみんは爆裂魔法の準備!」

「承知!」

 

「ウィズとゆんゆんは合図をしたら全力の凍結魔法を!」

「わかりました!」「は、はい!」

 

「ダクネスとアクアは、魔力を使い切った三人がソウゴの攻撃で吹き飛ばされないよう守ってやってくれ!」

「わかった」「任せて!」

 

 それぞれの役割の配置につくのと、アナザーJが立ち上がるのはほぼ同時だった。更に汚染範囲を広げ、大地からエネルギーを強制徴収し体をまた大きく成長させている様子。アナザーJは、その凶悪な牙をむき出しにして叫んだ。

 

『「どれだけ足掻こうと無駄な事だ! お前らはオレには勝てない!」』

 

「そういうのフラグって言うんだぜ……! ソウゴ、頼む!」

 

 オーマジオウは手のひらから黒い靄を生み出すと、そこに新たなライダークレストを刻む。ゴーグルに髪のような意匠を持つその紋章が靄に吸い込まれると、靄は守護者の力と色を持ってこの世界に顕現する。

 

「“仮面ライダーエグゼイド”。ゲームから生み出されたウイルスと戦い患者の運命を変えた、天才ゲーマーで医者の仮面ライダーだよ」

 

 オーマジオウの語りと共に現れたのは、医者という言葉から想像できない、なんとも奇抜なカラーリングだった。イメージしていた白衣と違い全身が明るい、きっと夜なら映えるであろうネオンピンク。まるでゲームのキャラクターのように描かれた目のパーツに、コントローラーのような胸部アーマー。現れた戦士が拳を高く掲げたのを見て、カズマはポツリと呟いた。

 

「いや、ゲーム要素強くね?」

 

「お願い、エグゼイド」

 

 ピンクの戦士、エグゼイドはオーマジオウの言葉に首を縦に振ると、どこからか銀色のデバイスを取り出す。それを起動すると、彼の背後にゲームのタイトル画面のようなビジョンが浮かび上がった。

 

«MAXIMUM MIGHTY X»

 

 その銀のデバイス、ガシャットを腰に付けたネオンイエローのベルトに差し込むと、ベルトからうるさいくらいに歌が流れ始める。

 

«マキシマムガシャット! ガッチャーン!»

«LEVEL.MAX!»

«最大級のパワフルボディ! ダリラガーン! ダゴズバーン! 最大級のパワフルボディ! ダリラガーン! ダゴズバーン!»

 

 歌に合わせて上空に現れた、巨大な顔。カズマが口をあんぐりと開けていると、エグゼイドは拳でベルトに差し込んだガシャットを叩いた。すると、エグゼイドはその顔に吸い込まれてしまう。中に取り込まれ何が起きるのかと見ていると、その顔から腕が、足が生えてエグゼイドが顔を出す。

 

«MAXIMUM POWER X»

 

 一連の流れが完了したのか、縦にも横にもカズマの五割増しになった巨大なエグゼイドが着地する。手には剣なのか銃なのかわからない武器を構え、巨大化したエグゼイドはアナザーJを見据えた。

 

「いや、やっぱりゲーム要素の方が強くないか!? このフォルムのどこに医者要素があるんだよ!?」

 

 カズマの言葉など届いていないのか、エグゼイドは気にせずその銃剣にベルトに挿していたガシャットを差し込む。やっぱりゲームっぽいなぁなどという感想はしまっておくべきだろう。銃剣にエネルギーが溜まる。

 

«MAXIMUM MIGHTY CRITICAL FINISH!»

 

 その音声がコールされると、剣の刀身に当たる部分からビームが放たれる。そのビームは真っ直ぐにアナザーJへと向かうが、当のアナザーJは意に介した様子はなく鼻で笑った。

 

『「どんな魔法を使うつもりか知らないが、スライムに魔法耐性があることを知らないのか!?」』

 

「魔法じゃないよ。医療行為だ」

 

「嘘つけどこがだよ」

 

 放たれたビームはアナザーJに着弾する。すると、変化はすぐに起きた。赤紫だった体は、徐々にその色を失いまるで川を流れる水のように無色になっていく。この変化に一番驚いたのは、やはりアナザーJだった。

 

『「!? なんだ!?」』

 

「エグゼイドマキシマムゲーマーレベル99(ナインティナイン)。その力はリプログラミング。あんたの中の毒を生み出す遺伝子構造を書き換えて、毒を生成できない体にした。カズマ!」

 

「リプログラミングってパソコン用語にしか聞こえないんだけどまあいい! めぐみん! あいつの腹のあたりにぶっ放せ!」

 

「ええ、任せてください!」

 

 瞬間、めぐみんの瞳が紅く輝いた。

 

 

 

「死を司る赫き鉄槌よ」

 

「断罪の刻 来たれり」

 

「悪しき魂は今、煉獄に身を堕としその罪過を灌ぐ」

 

「神に仇なす邪悪を滅ぼせ」

 

「王に盾突く愚者を罰せ」

 

「常闇より出れ、葬送の業火」

 

 

爆 裂 魔 法(エクスプロージョン)〉!!!

 

 

 

 めぐみんから放たれた全魔力が、アナザーJの中心に集まる。魔力の残滓がキラキラとこの世界を彩るが、それも刹那。人類最大の攻撃魔法はその威力を遺憾なく発揮すると、キャッスルドランすら吹き飛ばしてしまうような爆風と爆炎をこの世界に現出する。

 

『「何ィィ!!?? あいつと同じ爆裂魔法だと!?」』

 

 真ん中で炸裂したのだ、上半身と下半身はきれいにおさらばしていた。余波で腕も吹き飛んでおり、条件はかなり整っている。突っ立っているだけだった足がどろりと形を崩したのを見逃さなかったカズマは、自分の仮説が正しかったと笑った。

 

「ウィズ! ゆんゆん! あいつの上半身だ! 再生するのは意識を持った頭のある方だけだ!」

 

「いきますよ、ゆんゆんさん!」

 

「はい! これが今の私に残された全魔力! 喰らいなさい!」

 

 

「「〈カースド・クリスタルプリズン〉!!!」」

 

 

 二人の氷結魔法が宙を舞うアナザーJの体を包み込む。春の日に起きた猛吹雪。命の活動を奪うその牢獄から逃げ出すことは、空中ではまず無理だろう。

 

『「このままやられてたまるかァ!!」』

 

 しかし、ただやられるだけのアナザーJではない。首と頭を分離させて逃げ出そうとする。だが、それを許すほどカズマは甘くない。

 

「〈狙撃〉! 〈狙撃〉! 頭だけ逃げようってことはそこに核があるんだろ!? 逃がすかよ!」

 

 なるべく頭頂部を狙い弓を引き続ける。エグゼイドも加勢してビームを放つ。一瞬でいい、逃げる時間を奪う。その一瞬の、核に当たるかもしれないという躊躇いが、アナザーJから逃げる僅かなチャンスを奪い取る。氷結魔法に飲み込まれたアナザーJが、恨めしそうにカズマを睨んだ。

 

『「ぐっ……き……さま…………!」』

 

「ソウゴ!」

 

「返してもらうよ。俺たちの歴史」

 

 

«終焉ノ刻»

 

 

 エグゼイドが靄となって歴史に還元されると、オーマジオウはドライバーに配置されたオーマジオウマトリクスを押した。全身から溢れ出る黒の金の力の波動。それを纏いキャッスルドランからゆっくりと、重力を無視して浮かび上がったオーマジオウ。凍りついたアナザーJの周りに出現した大量の『キック』の文字。オーマジオウは、必殺の一撃を叩き込むための構えをとる。

 

 

«逢魔時王必殺撃»

 

 

 背中のアパラージタが展開し、翼のように広がる。天の使いのように見えなくもないが、その本質が天に召すなんていう可愛らしいものでないことを知っているカズマは、キャッスルドランの塀にしがみついて叫んだ。

 

「いけーーーーーッッッ!!!」

 

 文字通りの一撃必殺。キックが炸裂するとともにやってくる、爆裂魔法を超えた爆風と衝撃。キャッスルドランは耐えきれずに吹き飛ばされ、投げ出されそうなアクアとダクネスをカズマは〈バインド〉で繋ぎ止める。声にならない搭乗者全員の悲鳴が、自分の悲鳴と爆音でかき消されていた。

 今日一番の命の危険を感じるが、爆風が収まればなんてことはない。安全バー無しのジェットコースターの方がまだ楽しいかもしれないが。なんとかアトラクションを楽しみ終えたカズマは、バクバクとうるさい心臓を抑えながら息を吐いた。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 体勢を立て直したキャッスルドランが、ゆっくりと源泉近くの地面に着陸する。生きているという感覚、そして枯れてしまった木々に囲まれていてもドロドロに溶かされることはないという安心感から、体の力が一気に抜ける。

 

「お、お前ら生きてるか〜……?」

 

「な、なんとか……。あのカズマ、魔力を分けていただけると……」

 

「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛! な゛わ゛あ゛り゛が゛と゛ね゛か゛じ゛ゅ゛ま゛さ゛ぁ゛ぁ゛ん゛! わ゛た゛し゛も゛う゛こ゛れ゛の゛り゛た゛く゛な゛い゛ぃ゛ぃ゛!!」

 

「あぁ! アクア様の涙で、わたし、きえちゃいますぅぅ……」

 

「ゆんゆんがショックで息をしてないぞ! 帰ってこいゆんゆん!」

 

「…………っこほ! こほっけほっ! ……ここはどこ? 私は誰……?」

 

「しっかりしろゆんゆん!」

 

 阿鼻叫喚とはこのことだろう。カズマも脱力しきってしまい、吐き気すらやってこない。

 だが、生きている。空を仰いで硫黄臭い空気を吸い、それを実感する。あの絶望的な状況で勝ったんだという実感の方は、残念ながら湧いてこない。まだ夢の中にいるような気分だが、太陽の輝きだけはこれが現実だと教えてくれる。

 

「終わったな……」

 

「終わったね」

 

 キャッスルドランに降り立ったオーマジオウ。彼の手には確かにハンスが取り込んでいたライドウォッチが握られていた。変身を解除しソウゴの姿に戻った彼は、カズマの隣に座り込んだ。

 

「お前、もうちょっと加減しろ。お前に殺されるところだったぞ」

 

「ごめんごめん。でもJの歴史は確かに返してもらったよ。これで一件落着」

 

「温泉旅行に来て魔王軍幹部と遭遇とか、本当にこの世界はろくでもないな。ゲームバランスはどうなってんだか……」

 

「まあまあ。俺としてはありがたいけどね」

 

 そう言ってソウゴはサムズアップをする。呆れたように笑うカズマもサムズアップを。勝利を祝う二人は、拳を打ち付けて全員無事に生き残れたことを喜んだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「くっ……! まさか俺がおめおめと逃げることになるとは……!」

 

 ハンスは生きていた。オーマジオウによる一撃を受け、爆発の中でなお執念で源泉に飛び込み、パイプの中の毒を食いながら逃げ遂せていた。これ程までに自分の幸運と耐性の高さに感謝したことはないだろう。〈オーパーツ〉を奪われ、体も小さくなったが生きている。ここで逃げることは恥ではない。毒を生成できない体にされても、毒を持つモンスターを食らい続けて器官を擬態で生み出せばなんとでもなる。撒いた自分の毒を回収すれば吐き出せはしないが触れれば即死の毒の体は取り戻せた。まだ終わりではない。

 

「復讐してやるぞ、サトウカズマ……! 勝利に油断した今夜、寝込みを襲えば簡単に殺せるんだ……!」

 

 ハンスは恨みの炎を灯していた。絶対に許してなるものかと、デッドリーポイズンスライムとしてのプライドがあの憎い冒険者の顔を思い出させる。

 

「やつを食って、擬態して、仲間を全て殺して食ってやる……! 絶対に、絶対に許さんぞ……!」

 

 ハンスはパイプからどこか知らない温泉へと流れ出た。スライムだ、少しの隙間があれば逃げることも隠れることもできる。力を蓄えて、復讐を果たし、〈オーパーツ〉を取り返す。ハンスの頭にはそのことだけしかなかった。温泉から小さくなった自分の体で這い出る。

 

「まずはこの街の人間を食らって回復だ……。ウィズにさえ見つからなければどうということはない……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもそれは、俺がもう視た未来だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 そんなはずはない。自分より先に、この街のどの温泉に出るかわからない自分を待ち伏せることなんてできるはずがない。そう思い振り返る。しかし、神は微笑んでくれなかった。

 

「よくも私のかわいい信者たちの街を無茶苦茶にしてくれたわよね。ハンスだったかしら? 覚悟、できてるんでしょうね……?」

 

 ポキポキと指を鳴らすアクア。怒りから、神気が溢れ出しモンスターであるハンスの皮膚をピリピリと刺激する。

 まずい。本能がそう告げていた。このプリーストと真正面からやり合うことだけは避けなければならないと。逃げ道を探す。しかし、退路が絶たれたことだけがわかった。

 

「本当に出たぞ……」

「スライムだ!」

「あのプリーストと自称魔王の言った通りだ……」

「同志に石を投げるなんて、俺たちはなんて罪深いことを……!」

 

 ぞろぞろと見届人たちが姿を現す。こんなはずじゃなかった。何かの間違いだ。悪い夢に違いない。そんな言葉ばかりがハンスの脳内を駆け巡る。

 

「な、なぜ俺がここにいると……! お前らは完全に勝利に油断していたはずだ……!」

 

「ご愁傷様だな、ハンス。こっちには未来が視える“時の魔王”がいるんだ。お前がパイプを通って街に逃げて、住民を食う未来を予知したんだよ」

 

「未来が視えるだと……!? デュラハンよりも先の未来が視える人間なんて聞いたことがないぞ!?」

 

「まあ俺、魔王だからさ。だから、ハンスが次にどう行動してどう逃げるかも視えるんだよ」

 

「最後のお喋りは済んだかしら? 安心なさい。懺悔を聴いても赦しはないわよ。その代わりに、綺麗さっぱり浄化してあげるわ!」

 

 アクアは身に宿る神気を拳に込める。その右拳から放たれる人を超えた眩い神聖属性の輝きに、ハンスは目を疑った。

 

「ふざけるな……。ふざけるなッ! 俺は魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンスだぞ!? こんなカルト教団の街簡単に破滅させて終わらせるはずだったんだ! もう少しで、もう少しで計画も完遂! アクシズ教団をぶっ壊し、ベルディアとバニルが消息を絶った街で調査と報復活動をする手筈だった! なのに、なのにこんなところで……!」

 

「そんなこと知らないわ! あんたの不幸は唯一つ。私達を相手にしたことよ! 〈ゴッドブロー〉!!!」

 

 アクアの、いや、女神の怒りと悲しみが込められた拳がハンスに刺さる。信者たちに信じてもらえなかった悲しみ、信者たちに石を投げられた悲しみ、仲間たちに信者たちを悪く言われた悲しみ。そして、その全ての原因であるハンスへの膨大な怒り。人を超えた神の力はその拳を更に輝かせ、左拳を瞬かせる。

 

「私も、なんか行ける気がしてきたわ……!」

 

 ソウゴにだけは見えていた。この街に漂う神気が、アクアの左拳に集約されていく奔流を。信者たちの神への懺悔と祈りが、輝きとなってアクアに集まっていく奇跡を。

 

「なんだ、この異様な神聖属性は! まさか、この地が崇める忌々しい女神とは……!」

 

「これで終わりよ」

 

 その拳は、女神の愛と悲しみの鎮魂歌。石を投げられ、魔女と罵られ、それでも捧げられる信者たちへの愛。そして同胞を虐げた懺悔と共に捧げられる信者たちから神への愛。そしてそれを引き裂くハンスへの膨大な怒り。「おい。悲しみどこいったんだよ」左拳から、人智を超えた聖なる光が放たれた。

 

 

〈ゴッドレクイエム〉

 

 

 鎮魂歌は巨大な光の柱となって天を衝いた。

 その街を包む強大な輝きに、今度こそ全て終わったのだとカズマは思った。




「良かったんですか? 私達一緒に戦わなくて。結果的にはなんとかなりましたけど……」

「ああ、問題ない。知りたいことはしれたしな。どうして俺がこの世界で役割を与えられたのか。どうしてあいつらと会ったのか」

「役割? ああ、そのアロハですか。たまには楽しめっていう世界からのお達しだったんじゃ?」

「そんなわけないだろ。この世界の主人公と会わせるためだ」

「えっ、いたんですか? どこに?」

「おかげでこの世界が誰を中心に回っているのかも、だいたいわかった」

「誰なんです? 私、お会いしましたか?」

「どうだっていいだろ。またこの世界に来るかどうかもわからないんだ。この〈ろくでもない世界〉にな」

「他人の世界を指してろくでもない、なんて言い過ぎですよ」

「いいんだよ。帰るぞ、ナツミカン」

「あっ、待ってください士くん!」


   ⏱⏲⏱⏲⏱


 かくして、魔王軍幹部ハンスを討伐しライドウォッチを回収した一行。これで手に入れたウォッチは五つ。残るウォッチはあと七つ。気持ちよく踊って貰えたようで、招待状を出した側としては嬉しい限りです。
 さて、次の舞踏会までは時間があります。もっと楽しんでいただけるように私も仕込みをしなくては。彼にももっと頑張っていただかなくてはなりませんから。

 それでは皆さん、また、お会いしましょう。


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この美しい街にさよならを!

 とっぷりと日も暮れ月が顔を覗かせれば、街は人の光に彩られる。星の瞬きも美しいが、仄かな火の光もまた乙なもの。吊るされた灯りは綺羅びやかに祝いの席を引き立て、つい数時間前まで魔王軍幹部によって脅かされていたとは思えない賑やかさで場を盛り上げている。その賑やかさに当てられた冒険者たちは、ジョッキを片手にこの時間を満喫していた。

 

「ほっ! それっ! 助手の頭からも〜~勝利の〈花鳥風月〉〜!」

 

「うぅ……。アクア様のお水、前にも増してピリピリします……」

 

「こ、こんな凄い宴会芸見たことねぇ!」

「金を払うからもう一度見せてくれ!」

「麗しいアークプリースト様! おかわりはこちらですよー!」

 

「あはは〜。どーもどーも〜」

 

 

「そこで俺は刀を抜いて言ってやったのさ。『このサトウカズマが相手をしてやる!』……ってな」

 

「お兄ちゃんカッコいい!」

「勇者カズマと温泉に乾杯!」

「いいぞいいぞー!」

 

「まっ、俺とこの愛刀にかかればざっとこんなもんだ。んなっはっはっ!」

 

 

「二人とも現金だなぁ」

 

 シュワシュワをちびちびやりながら、浮かれ気味な二人を遠巻きに見てそんな感想を漏らしたソウゴは、取り分けてきた魚のパイを口に運ぶ。命がけの戦いの後とは思えない変わり身の早さにこの世界で生き抜く処世術を感じ、やはり順応力の高さこそが求められる才能の一つなのだろうと思う。もっとも、神経が図太い自信のあるソウゴからしても、朝方に自分が石を投げられた広場でへらへらと宴会芸を披露するアクアはどうかと思うが。

 気を取り直して、魚のパイに集中する。お菓子としてのパイはよく作ってもらっていたが、こういった主食のようなものはなかなかないので珍しい味に口元は綻ぶ。何の魚が使われているのかは食べただけではわからないが、恐らく赤っぽいので鮭とかその辺りだろう。そんな風に考えながら賑やかな一団を眺めていると、その人混みから仲間が一人、こちらに向かってくるのが見えた。

 アナザーJの攻撃を受け止めたせいで壊れてしまった鎧は脱ぎ、黒シャツとタイトなミニスカートに身を包む彼女は、ソウゴの隣に並ぶとジョッキを差し出した。

 

「飲んでいるか? デストロイヤーのときの祝勝会は街の修復やらで飲めなかっただろう?」

 

「今回の汚染した森はアクアに任せたからね。時を戻すとハンスが生き返っちゃうし。ダクネスこそ嫌がらせされてない?」

 

「ああ。残念なことにな」

 

 コツンと静かに乾杯する二人。家屋に背を預け地べたに座り込むソウゴと違い、立ったままのダクネスは少し物足りなそうな表情を浮かべた。

 

「アクシズ教徒は騒ぎたがりが多くて、宴会だとマナーを守るんだ。エリス教徒の私に酒を注ぐぐらいだぞ」

 

「流石はアクアの宗教。自分とお酒には正直なんだね」

 

 感心しながら、ソウゴはぐいっとジョッキを煽る。

 ハンス討伐ののちに事の顛末をギルドに報告すると、教徒たち及び教団のプリーストから魔王軍の手先だと罵り石を投げたこと、そしてアクアを魔女だと呼んだことに対して正式な謝罪があった。トップが出てこないことにカズマは憤慨していたが、信者たちからの信頼を回復したアクアが喜んでその謝罪を受け入れたことで今回の件は手打ちに。街を危機から救ったカズマたちは英雄として持て囃され、こうして感謝と謝罪の宴を開いてもらう事となった。

 なったわけだが。

 

 

「わはははは! 私の宴会芸はまだまだこんなもんじゃないわよー!」

「わはははは! 俺の武勇伝はまだまだこんなもんじゃないぜー!」

 

 

「あの二人、根本が似てるよね」

 

「気が大きくなるとすぐに調子に乗るところがそっくりだな」

 

 呆れ気味に笑うダクネスが、普段は見せない年長者の顔を見せる。温かな提灯の灯りに照らされたその柔らかな眼差しには、恋愛沙汰に関心の薄いソウゴでもつい見とれてしまう美しさがあった。

 さながら出来の悪い弟妹を見る姉のような表情をソウゴが物珍しげに眺めていると、その視線に気が付いたのかダクネスは恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「そ、そう言えばめぐみんとゆんゆんはどうした? さっきまでゆんゆんが勝負だなんだと騒いでいたが……」

 

「二人なら向こうでアルカンまんじゅうの大食い勝負をしてるよ」

 

「ゆんゆんはそれで勝って嬉しいのだろうか? ……まあ、離れているのならちょうどよかった」

 

 そう呟いたダクネスは、ソウゴの隣に腰を下ろす。どうしたのかと首を傾げながらパイを頬張ると、ダクネスは穏やかな語り口で口を開いた。

 

「お前とは一度、二人で話がしたかったんだ」

 

「俺と?」

 

 呑気にパイを食べ進めるソウゴを気にも止めず、ダクネスはソウゴと目を合わせる。どこか凄みのようなものを感じるが、これが前衛職の放つ気迫なのか、貴族の凛とした佇まいなのか、ソウゴには違いがわからない。

 ぼんやりとした目の奥を覗き込むように、まっすぐソウゴを見据えた彼女は決して目を反らすことなく尋ねた。

 

「何故、魔王に拘る?」

 

 そう問われ、ソウゴはパイを口に運ぶのをやめた。

 

「我々はその日暮らしの冒険者だ。脛に傷を持つ者も多い。だから例え仲間であれ、いや仲間だからこそ過去をみだりに詮索したりはしない。だから、答えたくないなら答えなくてもいい」

 

 きっと、ダクネスも勇気を出したのだろう。自分の身分を隠し、それを打ち明けた経験のある彼女だからこそ、人の内側に踏み込むにはそれなりの勇気が必要だったはずだ。口の中に残ったものを飲み下しながら、ソウゴはそう思う。

 彼女は終始、真剣な面持ちを崩すことはなかった。

 

「お前には人の上に立つ素養がある。全ての民衆から愛されるよう振る舞う統治者ではなく、最善を為すためならば大衆を敵に回すことを厭わない為政者のだ。魔王にしかなれないと言っていたあの言葉も、今ならなんとなく納得できる。だが、それだけが魔王を名乗る理由ではないだろう?」

 

「…………」

 

「好奇心ではないと言えば嘘になる。しかしそれだけではない。私は知っておきたいんだ。領民を守る貴族として、魔王軍と戦う冒険者として、お前の仲間として。どうしてお前が王ではなく、わざわざ“魔王”に拘るのかを」

 

「拘る、か……」

 

 言葉をこぼしたソウゴは、空を見上げた。

 確かに、今の自分には『世界を支配する“最低最悪の魔王”になる』という未来はない。ジオウの力を手にする前のように世界を良くするただの王を目指せばいいし、魔王を名乗るメリットがないことは今回のことでよくわかった。アクセルでも、王様と呼ばれることはあっても魔王を愛称として使っているのはバニルやサキュバスたちくらい。“時の魔王”というフレーズも神々に浸透しているし口馴染みもいいが、だからといって大事にしたいほど愛着があるわけではない。そもそも自分は魔王として君臨する道を拒み続けここにたどり着いたのだ。考えれば考えるほど、理に適った道理と呼べるものはなかった。

 しかしいくら理屈を捏ねくり回しても、既に出ている答えは変わらない。

 

「“最高最善の魔王”になるって約束したから、かな」

 

「以前言っていたな。友人との約束、だったか」

 

 相槌を打ったダクネスに、ソウゴは懐かしそうに微笑んだ。

 

「二人いてね。俺が最低最悪の魔王として君臨する未来から、歴史を変えるためにやって来た二人。最初から俺のこと倒す気満々だったゲイツと、俺が悪い魔王にならないよう導くって言ってくれたツクヨミ。喧嘩もしたしぶつかることは多かったけど、二人とも大事な友達だった。……今はもういないんだけどね」

 

「それは……。いや、すまない。聞くまでもないな」

 

「いいよ、もう過去のことだし。それでさ、俺も迷ったことがあるんだよね。このまま王への道を進めばたくさんの人を苦しめる魔王になるってわかって、力を手離すことを決めたんだ。でもそのとき、ゲイツが言ってくれた」

 

 

『お前は“最高最善の魔王”になると俺に言った。だったら問題ない』

『“最低最悪の魔王”になったら! そのときは俺が倒してやる。必ずな。俺を信じろ……!』

 

 

「世界が滅び始めて、元凶には手も足も出ない。そんなとき、俺を庇って致命傷を負ったゲイツが最期に言ったんだ。オーマジオウに、魔王になれって。世界を救うにはそれしか手がないっていうのもあったんだろうけど、俺はゲイツの判断を今でも信じてる。だから俺は“魔王”に拘ってるんだ」

 

「……いい友人だったんだな」

 

「うん、自慢の友達だ。だから『俺こそが“最高最善の魔王”だ』って胸を張って言えるよう、俺はこれからも“魔王”に拘り続けるよ」

 

 瞼を閉じると思い出す、色鮮やかな過ぎ去った日々。もう二度と戻ることはできない、失った時の中。いくら望もうともう拾い直すことが叶わない、手の届くことのない二人を懐かしんでいると、いかに自分が未練がましいかをソウゴは悟る。

 そんな彼を痛ましげに見つめるダクネスに、そうだ、と何かを閃いたようにパッと表情を明るくしたソウゴは、へらへらと笑みを浮かべた。

 

「約束してよダクネス。もし俺が最低最悪の魔王になるって思ったら、皆で俺を倒してね」

 

 生半可な覚悟ではないと、ダクネスは思う。自分も貴族ではあるし、領民にとって善の存在でいたいと当然思っている。しかし守るべき民から道を踏み外したと後ろ指を指されたとき、大人しく断頭台に登れるかと問われれば答えあぐねるだろう。口ではなんとでも言える。だがこの男は本当に、躊躇うことなく首を差し出してしまう。そんな気がする。

 

(それが、ソウゴの考える王なのか)

 

 人であることを否定した、民のためだけに存在する王。

 貴族でもなく、ましてや王族として生を受けたわけでもないのに求められる以上の資質を備え、その強大な力を民のため無償で行使する自己犠牲精神まで宿す、生まれながらの王とでも表現すべき姿勢。理想という道を歩むために犠牲を厭わず、それを隠すことをしない実直さ。それがこのへらへらと笑う男が考える“最高最善の魔王”。

 その辺りに腐るほどいる貴族に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと思いながら、少し茶化すようにダクネスは言った。

 

「随分と重いものを背負わせるんだな」

 

「嫌かな? 頼むならダクネスだって思ってたんだけど」

 

 ソウゴは笑いながら首を傾げた。

 重い。領民の生活を背負っているダクネスがそう思うくらいには重い期待がそこには含まれていた。しかし、応えなければならないと心が騒ぐ。このへらへらとした男の本気に対して誠意を返さねばならないと。

 ぐっと堪えたダクネスは立ち上がると、気丈夫に背筋を伸ばし恭しく膝をついた。

 

「……承知しました、()()()()よ。このダスティネス・フォード・ララティーナ。我が名と誇りにかけてその約束、必ず果たすとここに誓います」

 

 これが今、目の前にいる仲間に見せられる精一杯。その答えに満足したのか、ソウゴはにっこりと笑った。

 

「いいの? 王様二人に忠誠を誓うなんて」

 

「今だけだ。それに、王と魔王なら被らないだろう」

 

 くすりと笑い合う二人は、またコツンとジョッキを合わせる。夜はまだまだ、騒がしいまま更けていった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「はぁ〜〜。朝っぱらから入る貸し切り状態の露天風呂は最高だなぁ……。五臓六腑に染み渡る……」

 

「お爺ちゃんみたいだね」

 

「うるせーよ。馬車の手配も済んでるし土産もたっぷり。あとはチェックアウトだけだし、のんびり帰ろうぜ」

 

 明るくなった青空を仰いだカズマは、また大きくジジくさい息を吐いた。昨日の戦闘で体中にできた傷に染みるが、それ以上に全身を包む程よい温度が二日酔いやら眠気やら疲れやらを解消してくれているように感じる。

 やっぱり温泉は日本人の心だな、などと更にジジくさい感想が思い浮かぶくらいだ。タオルを頭に乗せて湯船に浸かっていると、ここが日本とは違う異世界だということを忘れそうになる。

 

「おいアクアー! お前、絶対湯船に浸かるなよー! 帰り際に怒られるとか嫌だからなー!」

 

 「何回も言わなくてもわかってるわよ! なんで夜通し浄化してた私がこんな犬みたいな扱いになるの!? 不当よ! この扱いは絶対に不当よ!」

 

 「こっちはアクアさん用にお湯を分けてますので大丈夫です!」

 

 「カズマこそ、混浴にウィズが入ってるからと言って覗かないでくださいよ!」

 

「善処する」

 

 「声が小さいぞカズマ!」

 

「だぁーもう! わかってるよ! 男湯にはソウゴもいるんだよ! 許してくれるわけないだろ!?」

 

「俺がいなくても覗かないでよ。捕まえる知り合いはダストだけにしといてよね」

 

「ダストはいいのかよ」

 

 体を洗い終えたソウゴも、湯船に足をつける。ザバァーっと溢れる湯を見ると非常に贅沢な気持ちになる……はずなのだが、それ以上の違和感がソウゴの鋭敏な感覚を撫で回す。

 

「……なんか、アクアに抱きつかれてるみたいで落ち着かないな」

 

「どういう意味だ?」

 

「たぶんだけど、昨日ハンスを完全に浄化するためにアクアが光ったでしょ? そのせいで前よりも街に漂うアクアの神気が濃くなってるんだと思うんだ。お湯からもアクアの気配を感じるし」

 

「ほーん。普段は便利な感知能力も、オフにできないとこういうとき面倒だな。視界もアクアの魔力だらけか?」

 

「まあね。俺が気にしないだけで済めばいいけど、この濃度ならウィズにも何かしら影響があるんじゃないかな?」

 

「そういえば体調悪そうだったもんな。……ジ○ジョの正義みたいなもんか」

 

 カズマがそう言うと、空から飛んできた女湯と書かれた桶が綺麗に頭にヒットする。カコンッ! と、これまた綺麗な音を鳴らした頭を抑え悶絶するカズマに向けて、天からお叱りの声が響いた。

 

 「誰が霧のスタ○ドよ! 女神から溢れ出る神聖で高貴な力って言いなさい! あとソウゴもそんないかがわしい表現やめてよね!」

 

「桶を投げるんじゃねぇよ! 他に客がいたらどうすんだ!」

 

 「はぁー? 私がそんなヘマするわけないじゃない」

 

「声の反響具合で位置を特定したんだね。この大きさの声が聞こえる人間離れした聴力に、混浴を飛び越えてるのに完璧なコントロール。狂犬ならぬ強肩女神だ」

 

「うまいこと言ってんじゃねぇよ! ったく、戦闘に関係ない無駄技術ばっかり練度が高いってどうなってんだあいつ……」

 

 頭を抑えつつ、コブができていないかを確かめる。襲ってきた衝撃のわりに傷は浅いようで、触っていると痛みも引いていく。跡が残らないのはいいことだが、それはそれとして必ず何か仕返しをしてやろうとカズマは一人心に誓った。

 復讐方法を考えるカズマの隣で、色々と諦めて肩まで湯に浸かったソウゴが大きく伸びをする。

 

「なんだかんだ言って、旅行ももうおしまいだね」

 

「旅行っていうか長距離遠征みたいなもんだったけどな。報償金がいくら貰えるか……」

 

「言葉のわりにはあんまり楽しみじゃなさそうだね」

 

「デストロイヤーの報償金のことがあるからなぁ。どうせ今回も、全額差し押さえかガッツリ減額だろ」

 

「冷めてるなぁ」

 

 カズマの中にこの三日間の出来事がフラッシュバックする。

 馬車での移動中の面倒事から始まり、極めつけは魔王軍幹部との命がけの戦い。結局あのあと現れることのなかった門矢士や、アクアとソウゴのせいで街中の人間から追われた昨日。短くもトラブルだらけの濃い旅程だった。

 そもそも混浴であの不穏な会話を聞かなければ、首を突っ込むことなくこの街から離脱できたのかもしれない。しかし、あの美人の半裸が見られたことを踏まえると、カズマとしては総合的にプラスと言える。もっとも、最後にウィズとの混浴を楽しめたなら嫌なこと全部忘れて楽しい旅行だったと言えるのだが……。

 

「今から混浴に行こうとしてもダメだよ。アクアとお風呂なんていう自殺行為を避けるために分かれてるんだから」

 

 隙をうかがっていたカズマにソウゴが釘を刺す。褒賞金はわかりきっている絵に描いた餅、混浴も壁一枚隔てられた向こう側。手に入らないものばかりの世の中に、カズマはため息を吐いた。

 

「はぁ……。世知辛い世の中だ……」

 

「そうあからさまにがっかりしないでよ」

 

 このソウゴの言葉に、カズマは小骨が喉に刺さったような感覚を覚えた。記憶の片隅にもやもやしたものを感じ、眉をひそめてうんうんと唸る。

 

「最近そのフレーズをどっかで…………。あっ」

 

 何かとても大事なことを忘れているような気がして記憶を探ると、答えには簡単に行き着いた。当然だ。面倒事を避けるために、後で話そうとカズマが後回しにしていたことなのだから。

 流石に二日前の話となると切り出しづらい。どう話を持っていくかと思案していると、そんな異変に気が付いたソウゴが不思議そうな顔をした。

 

「どうかした?」

 

「いやー、そのー……。怒らないで聞いてほしいんだけど」

 

 まずは言い訳をさせてほしい。後回しにした自分も悪いが、ゴタゴタ続きで話をするタイミングがなかったのだ。というより、そんな暇がなかったのはソウゴも承知のはず。情状酌量の余地があると踏んだカズマは、へらへらと笑みを浮かべてお伺いをたてた。

 

「実は……「カーズマさーん! 石鹸を貸してほしいんですけどー!」

 

 出鼻をくじかれたカズマは、当然のように無視をすることを決めた。

 

「実は話しそびれて「カズマさーん! 聞こえてるでしょー? 石鹸を貸してほしいんですけどー!」聞こえてるよなんだよ! 石鹸ないのかよそっちは!」

 

 「いえ、あるのですがアクアが全て浄化してしまったので泡立たなくてー」

 

 「すまないが、一つ投げてくれないかー? 予備が見当たらなくてなー」

 

「あの食べれる石鹸って更に浄化できたのかよ……。悪いソウゴ、ちょっと待ってくれ」

 

 続く仲間たちの声に、しぶしぶ湯船から出たカズマは自分の体に違和感を覚える。この違和感の正体はわからないが、自分の体に異変を感じるというのはなんとも居心地が悪い。気味の悪さを感じながらも、石鹸を握り仲間へとパスするため構え、そこで一つの疑問が浮かぶ。

 

「ウィズから借りた方が良くないかー? こっからだと距離わからないから届くかどうかわからないぞー」

 

 「ウィズさんには声をかけたんですけど、返事がなくて……」

 

「先に上がったのか? でも、ウィズなら一言くらい声かけてくれそうだけど……」

 

「ウィズの魔力は感じるよ。感じるけど……。あれ? こんなに弱々しかったっけ?」

 

 カズマは嫌な予感がした。普通にのぼせているとか、先に上がったとか、その可能性の方が大いにあるだろう。しかし、さっきから感じる違和感の正体が掴めない以上、この嫌な予感というものを侮ってはいけない。こういうときの直感とは、往々にして当たっているのだ。

 カズマが奇妙な悪寒に苛まれていると、ソウゴは湯船に浸かりながら問いかける。

 

「ねえカズマ。聞いてもいい?」

 

「なんだよソウゴ」

 

「傷は?」

 

 そう言われて、自分の体をまじまじと観察する。そこでようやく先程の違和感の正体に気がついた。

 

「傷がなくなってる……?」

 

 そんなはずはない。〈ヒール〉もかけてもらってないのだ。温泉に浸かっただけで傷が癒えるなんて、そんな効能聞いたこともない。しかもそんな特殊な温泉なら、アクシズ教徒の厄介さを差し引いてももっと賑わっていなければおかしいだろう。

 だが、この正体がわかったことでカズマの中にあった疑問が全て結びついていく。

 

「なあアクア」

 

 「何よカズマー?」

 

「お前昨日、山を夜通し浄化したんだよな?」

 

 「ええしたわよ。あのまま生命力を吸われた状態で残しておくと、そういう場所に生息する凶暴なモンスターが集まってしまうもの。そりゃあもう丁寧に、そして本気も本気で浄化したわ! もはや霊山と呼ぶに相応しいんじゃないかしら?」

 

「まさか源泉も浄化したのか?」

 

 「当たり前でしょ? あのスライムが浸かってたんだから綺麗にしなきゃばっちいじゃない。あいつには恨みもあったし、本気の本気の本気で綺麗にしてあげたわよ!」

 

 カズマはソウゴと顔を見合わせる。きっと何を言いたいのかわかったのだろう。いつものへらへら顔ではなく、力なく微笑んだソウゴは諦めたように言った。

 

「俺、間違ってたよ。街にアクアの神気が充満してるのは、浄化された源泉から湧き出たアクア仕込みの聖水が蒸発してるからなんだろうね」

 

 そこからのカズマの判断は早かった。

 

「ダクネスー! 急いで混浴に行ってウィズを回収してくれー! ウィズが成仏しちまう!」

 

 「わ、わかった!」

 

「他の奴らもさっさと着替えて馬車まで走れ! 街の奴らに気づかれる前に逃げるぞ!」

 

 「どうしたのよカズマさーん。そんなに慌てて」

 

「お前のせいだよ!! めぐみん! ゆんゆん! そのアホ女神を殴ってでもいいから連れ出せ! お前らの荷物は俺とソウゴで持つから!」

 

 「わかりました!」

 

 「え!? わ、わかりました!」

 

 温泉が浄化されたなんてものの比ではない。湧き出るものが変わってしまっているのだ。いや、この際聖水が湧き出ているのだから許してほしいところではあるが、昨日の今日でこれでは教徒たちからどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。彼らの狂信ぶりは嫌というほど骨身に染みているのだ、英雄から疫病神にジョブチェンジすることだけは回避したい。

 慌てるカズマを見て、ソウゴはくすりと笑みを溢す。

 

「笑い事じゃないんだが」

 

「わかってるよ。でも強敵を倒してのんびり帰宅するより、なんか俺達っぽいなって。そんな気がする」

 

「俺はのんびり凱旋したかったけどな!」

 

 もう二度と旅行なんてしない。こんな巡り合わせを引き込んだバニルにクレームを、そしてこの地の崇める女神様にとびっきりのげんこつをくれてやろうと決心したカズマは、無事に家まで帰れますようにと、それだけを天に祈りながら脱衣所へと駆けた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「たーだまーっ!」

 

「おかりー」

 

 アクアのテキトーなただいまに、カズマは適当なおかえりを返す。

 元気よく土産を掲げたアクアは一人、疲れなど知らないかのようにどかどかと屋敷の中を走って行った。恐らくは留守番していた幽霊のアンナへ土産を見せびらかしに行ったのだろう、彼女を探す声が屋敷にこだまする。

 

「帰りが快適だったのはわかるけど、あいつ元気が有り余ってるな」

 

「そう言えば、行き道と違ってモンスターと遭遇しませんでしたね」

 

「ソウゴがいたからだろうか?」

 

「熊避けの鈴みたいなもんか」

 

「俺、熊避け扱いされたの初めてだよ」

 

「いや、そもそも熊は鈴の音なんて聴くと獲物がいると思って寄ってくるぞ」

 

「マジか」

 

(今度、音を消すスキルとかないかクリスに聞いてみよ)

 

 一つ知見を得たカズマは、己の安全確保のためそんなことを考える。最弱とは言え、どんなスキルでも習得可能なこの職業は自分に向いているのかもしれない。剣や魔法を使う上級職に憧れはあるが。

 そんな他愛もない会話を終え、荷物を下ろしたソウゴはへらへらと笑みを見せた。

 

「さて、帰ってきたことだし俺も職場にお土産渡しに行こうかな」

 

「明日からバイトなのでしょう? 明日でもいいのではないですか?」

 

「そうなんだけど、ちょっとお願いしてたこともあるからその確認もね」

 

「私も鎧を修理に出さないとな。『ばいく』の後ろに乗せてくれないか?」

 

「修繕費は共用の貯金から出すから、見積もりだけ後で教えてくれ。って言っても、ほとんどソウゴのバイト代だけどな」

 

「いいよ。そのためのお金だし」

 

「では、私は夕飯の買い出しに行きますね。二人とも荷物持ちお願いしますよ。あ、でも三人だとちゃんばる号に乗れませんね……」

 

「じゃあ今日は特別に、他の仮面ライダーのバイクを借りよっか。サイドカーって言ってバイクの横に――」

 

(今度乗せてもらお)

 

 未知の物への好奇心を隠しきれないめぐみんに説明を始めるソウゴと、それを見守るダクネス。そんな三人の荷物を抱え居間を目指すカズマは、サイドカーへの興味に後ろ髪を引かれながらひらひらと手を振った。

 

「俺は晩飯まで寝とく。できたら起こしてくれ」

 

「何言ってるんですか。カズマはアンナと遊んであげてください」

 

「へいへい。確かゆんゆんのゲームあったよな?」

 

「ソファの近くにまとめて置いてあるよ。気をつけてね、俺が教えたからアンナ強いよ」

 

「フッ。伊達に母親泣かせのカズマさんなんて呼ばれてないぜ。ゲーマーの本気ってのを見せてやる……!」

 

「誇るところなのか……?」

 

 がやがやと三人は騒がしく玄関を出ていく。静かになった屋敷には、今はアクアの独り言のような自慢話が響くだけ。街を離れるときこっぴどく叱ったのだが、次の日にはこれだけケロっとしているのだから毎度の事ながら大した性格だと感心する。

 

「あいつ、冒険の話は晩飯の時って馬車で言ったのに……」

 

 だがしかし、アクアの鳥頭は今に始まったことではない。諦めのため息をついたカズマの顔は、疲れだけではなくどこか楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

(こうして、俺たちのアルカンレティア旅行は幕を閉じた。いくら働こうと生活は豊かにならない。魔王軍幹部なんていう大物を倒しても褒賞金や賞金は当てにできず、毎日が命懸けの日銭稼ぎの日々。でも、俺もそんな毎日がいつの頃からか俺たちらしいなんて感じていたし、このいつも通りがずっと続くと、そのときの俺は思っていたんだ)

 

 

 

 

 

「カズマ。私の頬をつねってくれないか?」

 

「こんなときにまで性癖出してくるなよダクネス。夢が覚めるだろ」

 

「夢ではありませんよカズマ! これは現実です!」

 

「いいの? ねぇめぐみん、本当にいいの?」

 

「ま、この女神アクア様のパーティーなんだから当然よね」

 

「ようやく固形物が食べられそうです……!」

 

「目の前にすると圧巻だね」

 

 

 

(ギルドに呼び出された俺たちの目の前に積まれた札束。それを受付から差し出したルナさんは、とびっきりの笑顔で言ってくれた)

 

 

「みなさんおめでとうございます! 魔王軍幹部・ハンス討伐の褒賞金、五億エリスです!」

 

 

(お父さん、お母さん。俺、異世界で大金持ちになります!)




紅魔の里のふにふらさん、どどんこさん、お久しぶりです。
先日のお手紙が届かなかったようで、無視されたのかと心配でしたがお変わりないようで安心しました。

私は旅行も終わり、無事にアクセルの宿まで戻りました。思い返せばたくさんの出来事がありました。中でも大変だったのは、やはり魔王軍幹部との死闘です。本当です。ぼっちが大人数で旅行できるのも奇跡なのに話盛り過ぎとか言わないでください。偶然! 本当に偶然、旅先で戦うことになったんです! マジックアイテムで街一つ飲み込むほど大きくなったデッドリーポイズンスライムとみんなと力を合わせてたたか……本当だってば! どうして信じてくれないの!?

ゆんゆん


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爆裂娘にcheer heat low!2017
この伝説への幕開けを!


「盗賊を私兵の如く使役する最低最悪の魔王よ。どうだ、悪魔である我輩と取引をしないか?」

 

「へぇ。何が望み?」

 

「拠点がほしい。我輩は例の白い粉を出そう。いくら魔王とて、港で高い代償を支払いたくはあるまい?」

 

「まあ、余裕があるって言っても無駄な出費はしたくないからね」

 

「ダメよソウゴ! そんなこと、神が許しても私が許さないわ……!」

 

「黙っておれインチキ守銭奴。そのインチキで金を巻き上げ、迷える子羊を導くのではなかったのか? 今の汝はその子羊を無慈悲に刈り上げる毛革屋ではないか!」

 

 牙を剥き出しで威嚇するアクアをからかい、楽しそうに笑うバニル。その隙に切れる手札を悟られぬよう確認したソウゴは、二人の無意味ないさかいを宥めるようにへらへらとした笑みを携えて結論を口にした。

 

「小麦二、レンガ一で」

 

「交渉成立だ」

 

「あー! 私の最長交易路がー!」

 

「フハハハハッ! 次の我輩の手番で、汝の悔しがる顔が見れると思えば安い買い物である!」

 

「じゃあ俺は最後に独占を使うね。二人とも、木材頂戴」

 

「貴様……ッ! まだ我輩たちから巻き上げるつもりか……!?」

 

「過度な重税は神の審判が下るわよ!」

 

「アクア文句しか言わないじゃん」

 

 

 

「平和だなぁ」

 

 魔王と悪魔と女神による無人島をかけた壮大なテーブル代理戦争を離れたところで眺めながら、カズマは店主の入れてくれた紅茶に口をつけた。

 渋みの少ないすっきりとした香りが鼻を抜け、お茶受けのクッキーとの相性もいい。これも連日通いつめている身内の駄女神のせいかと思うと心苦しくはあるが、魔道具店よりも喫茶店を開いた方がいいと思えるほどの腕前に成長しているウィズには素直に感心させられる。少なくともその方が負債も少なくて済みそうだな、とはあえて言わない。

 

「悪いな、ウィズ。俺までお茶出してもらって」

 

「いえいえ。カズマさんの商品のおかげでお客さんも増えていますし、このくらいは」

 

 ウィズの嬉しそうな笑顔が物語る通り、ウィズ魔道具店の業績は緩やかに上昇の兆しを見せていた。旅行前にいくつか納品した試作品も発売時期を聞かれるほど反応がよかったらしく、アルカンレティア旅行から帰宅後すぐにバニルから次の商品の催促があったのはつい数日前の出来事。文句を言おうと乗り込んだはいいものの、出端をくじかれたのはカズマの記憶に新しい。

 対面に座り自分も紅茶を飲み始めたウィズは、三人が囲んでいる見慣れないアナログゲームを指してカズマに問いかけた。

 

「皆さんがされてるあのゲームも、カズマさんの故郷のものなんですか?」

 

「ああ。バニルに追加で娯楽商品もって言われて困ったけど、まだこれが持ち込まれてなくてよかった」

 

 トランプやルーレットなどは隣国エルロードにカジノがあるらしく、そこで既に使用されていたため却下。日本でも有名なゲーム類は既に普及済み。知恵を振り絞り、世界で一番売れている外国産ボードゲームを思い出したときには奇声を発し仲間たちに変な目で見られたものだと、カズマはしみじみと思い出していた。〈転生特典〉持ちはこの世界でチートを駆使した冒険者として生活しているため、地道な商売で金を稼ぐ発想がなかったのが一番の幸いだったのだろう、というのがカズマの見解である。

 のんびり穏やかな午後の一時を優雅に楽しんでいると、アクアの悔しそうなうめき声と地団駄で新製品の試供が終わったことがわかった。

 

「くぅ~~~!!! どうして私のサイコロは七を出してくれないのかしら! エクスプロージョンルールを追加すべきよ! 作った拠点を全部更地にできるやつ!」

 

「卑怯にも〈ブレッシング〉まで使ったくせに賽の目に嫌われるとは、所詮は悪質教団の迷惑女神と言うことか! ククク、実にいい気味である!」

 

「悪質じゃなくてアクシズよ! ア・ク・シ・ズ! どうせ見通す力とか使ってズルしたに決まってるわ、この陰険悪魔!」

 

「我輩が汝と同レベルなわけなかろう。なんなら、もう一戦してやってもよいぞ? 結果は変わらぬだろうがな!」

 

「上等じゃない! 無人島だろうとどこだろうと、悪魔の好きにさせる女神が居てたまるかってもんよ!」

 

「楽しかったね。本当にもう一回しよっか?」

 

「あんたとだけはイヤ」

「汝とだけは御免被る」

 

 真顔の女神と真顔の悪魔が仲良く声を合わせたことで、また新たに対戦相手を失ったソウゴ。へらへらとした笑みはなりを潜め、しょんぼりとする彼を見てカズマは、帰ったら神経衰弱で相手をしてやるかと仏心を見せる。そんなカズマが自分の幸運値と運ゲーでようやく互角ぐらいになるチート魔王を横目に試作品を片付けていると、一段落ついたタイミングを見計らったようにウィズは三人分のお茶とお菓子をテーブルに広げた。

 小競り合いもほどほどに紅茶を飲んでほっと一息をつく三人。その中で咳払いをしたバニルは、お菓子を次々口に運ぶアクアに対して珍しく嫌みの一つも言わずに足を組んだ。

 

「さて、このゲームの出来もわかったことだ。そろそろ商談といこうか。まずは既に販売を始めている『らいたー』からだな」

 

 そう言い帳簿のような紙の束とそろばんを取り出したバニルは、それをペラペラとめくりながら手際よく珠を弾いていく。随分と様になっているが、これで地獄の公爵なんていう偉い立場だというのだから、地獄という場所が本当にどういうところなのかカズマにはわからなくなってくる。少なくとも、死ぬ度に自分が召される天界よりは人間社会に近いのかもしれない。

 ぼんやりとそんなことを考えながら待っていると、計算を終えたバニルは小切手のような用紙にさらさらと文字を綴った。

 

「現時点で『らいたー』の売上個数がおよそ二百。販売額が一つ五百エリスだったので約十万。取り決めでは売れた額の一割ということだったな。相違なければ、汝らの収益は今でだいたい一万エリスほどとなる」

 

「まあ、ライターだけならそんなもんか」

 

「いやはや、小僧への見立ては正しかった! 短期間でこの売れ行き。王都の商人にも卸したことで、これからの売上の伸長にも期待ができる。どこぞのガラクタばかり店に並べるポンコツ店主とは大違いである」

 

「ひ、酷いですバニルさん! 私、これでも頑張ってるんですよ!?」

 

「店を構えてから恐らくかなりの年月を空腹と暇な店番に費やして来たであろう全自動負債製造機よ。そろそろ商売は頑張るだけではどうにもならんということを理解せよ」

 

 呆れた調子で諭され、悔しそうに頬をふくらませるウィズ。そんなウィズも、店が栄えて嬉しいことに変わりはないのでその怒りもすぐに冷めていく。しかし貧乏生活からの脱却の兆しが見えたことを喜ぶバニルやウィズとは対照的に、カズマの反応はドライなものだった。

 販売個数は目を見張るものがあるが、だからと言って一万エリス程のお小遣いで喜べるほど子どもでもない。カエル討伐のクエスト報酬の相場(肉の買取含む)が一匹当たり二万五千エリス、ソウゴのバイト代が日給二万エリスということを思えば安定した収入からは程遠いものの、裏を返せば単価が上がればそれだけの収益が見込める反応だったということだ。ハンスとの戦いを経て命の大切さを実感したカズマの目指す、安心安全の異世界ライフも決して夢ではなくなってきた。

 まだ見ぬ未来に想いを馳せ、その足掛かりとして差し出された小切手へと手を伸ばす。しかしバニルは、明るい未来に向けて伸ばしたカズマの手をひらりとかわした。

 

「……なにすんだよ」

 

「そして、ここからが本題だ」

 

「本題?」

 

「汝にとって、とても良い提案がある」

 

 悪魔の囁きとはこういうものを言うのだろう。ニヤリと笑うバニルの表情からはろくな提案である気が全くしないが、どうにもつい期待してしまう、そういう声色だった。それでも警戒するに越したことはないとカズマが身構えると、お菓子の入っていた皿を一人で空にしウィズにおかわりを要求するアクアが横槍を入れてくる。

 

「この木っ端悪魔の提案なんて絶対ろくなもんじゃないわよ! 耳を傾けちゃダメよカズマ!」

 

「黙っておれ、我が家のエンゲル係数に多大なダメージを与える意地汚い乞食女神め。……さて、さっさと危険と隣り合わせの生活から脱却したいと願う小僧よ。今まで提供した試作品の知的財産権自体を、我輩に譲る気はないか?」

 

「知的財産権? そんなことしたら俺、利益なくなるだろ」

 

「タダでとは言っておらんだろう。まとめて三億エリスで買い取ろう」

 

 さらっと飛び出た金額に、カズマとアクアは紅茶を吹き出した。

 

「「さ、さささ、三億!?」」

 

「もちろん、取り決め通り売上の一割でも我輩は構わん。この出来ならば月々百万エリスは固いと思っていいだろう」

 

「「月々、ひゃくまん……!」」

 

 一足飛びで夢が叶ってしまう、想定より多い(ぜろ)の数に思考が固まるカズマ。貰えないデストロイヤーの褒賞金と同じ、一生働かなくていい額が飛び出せば警戒心など吹き飛んでしまうのも無理はないだろう。先程までお菓子に夢中だったアクアでさえ悪魔の甘言ということを忘れ、目を¥にして指折り(ぜろ)の数を数えていた。

 盛大に紅茶を吹き掛けられても動じない当のバニルは、ウィズに差し出されたタオルで濡れた体を拭きながら続ける。

 

「今すぐに決めろとは言わん。汝らもこれから大金を手にするのだ、答えは量産体制が整ったときに聞こう。それまで考えておくといい」

 

「大金を手にする? そんな予定なかったと思うけど」

 

 ウィズが補充したお菓子を摘まみながら、三億エリスで頭がいっぱいの二人に代わってソウゴが答える。その反応の何が面白かったのかくつくつと(わら)うバニルは、自分の唇に人差し指を立ててニヤリと口角を吊り上げた。

 

「おっと失敬。汝らにとってはまだ少し未来の出来事であったな」

 

 聞き覚えのある答え方をしたバニルは、外が騒がしいことに気がつくとにんまりと三日月を描く。実に悪魔らしい表情というべきか、良くも悪くも彼にとってはいいように事が運んでいる表れなのだろう。なんとなく気に入らないが、そういうものを表に出すと喜ばせるだけだというのをソウゴも重々承知している。

 流れに身を任せると決めたソウゴは、扉を突き破らんとする勢いで雪崩れ込んできたダクネスの慌てようにも驚くことなく、眉ひとつ動かさずに落ち着いて紅茶を啜った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 場所はギルド。多くのギャラリーに囲まれ相対するのは、仲間と一緒にカエルに丸呑みにされた仲であるいつぞやの騎士二人と、最近もしかしたらこの人はポンコツなのかもしれないと思い始めているお馴染みの王国検察官。

 この構図は見たことがあると、カズマの既視感が告げていた。もちろん忘れるはずもない、アルダープに目をつけられたあの日である。もう何も期待しないと決めていたカズマは、次はいったいどんな無茶振りがやって来るのかと話半分といった感じでぼやっとした表情を浮かべていた。

 

「冒険者、サトウカズマ一行。魔王軍幹部ベルディア、並びにバニルの討伐、及び機動要塞デストロイヤーの破壊のみならず、新たにアルカンレティアにて魔王軍幹部ハンスの討伐という多大な活躍をされました。ここにその功績を称え、褒賞金より金五億エリスを進呈いたします。こちらは、王室からの感謝状です」

 

「はあ……」

 

 そう宣言されても間抜けな声しか出なかったカズマは、冴えない顔のままで笑顔のセナから通算二枚目の感謝状を受け取った。沸き立つ場内の盛り上がりようにもこれといった感慨はなく、どこか他人事のようにしか感じられない。

 だが、現実を受け止められていないのはカズマだけではなかった。腕を組みドヤ顔でふんぞり返っているのはアクアくらいなもので、期待していなかった分反動が大きかったのか、飛び出した金額にめぐみんやダクネスも目を点にしていた。

 

「五億かぁ。バニルの言ってた大金ってこの事だったんだね」

 

 唯一涼しい顔をしているソウゴがそんな感想を漏らす。しかし、それに言葉を返す者はいない。あの場で大金がどうのという話を聞いていたウィズはもちろんのこと、いつもなら自分の知らない話に対して異様に食いつくゆんゆんすら、降って湧いた高額所得に固まったまま動こうとしなかった。それが少しおかしく感じて、ソウゴはくすりと笑ってしまう。

 

「あの……サトウさん?」

 

 困惑気味のセナに声をかけられ、カズマは少しずつ、この歓声が自分達の命懸けの戦いを称えるものだと理解し始める。頭が追い付けば、感情も追い付く。だがカズマは、沸き上がる大金への興奮と、喜びから飛び跳ねそうになる衝動を寸前のところでグッと堪えた。

 まずセナに確認しなくてはならないことがある。この世界の石橋はしっかりと叩いて渡り始めても、突然壊れて地獄へ真っ逆さまという鬼畜仕様なことをこの身をもって知っているのだ。こんなうまい話、何かの罠の可能性だって十分考えられる。

 緊張からか、絞り出した声はカズマが自分で思っていたより震えていた。

 

「なあセナ? 本当にお金が貰えるのか……?」

 

「はい。今度こそお受け取りいただけます」

 

「だ、だって倒してから音信不通だったし、てっきりまた貰えないものだと……」

 

「それは、皆さんがアルカンレティアのギルドに討伐報告を上げていながら、報酬を受け取る前に街を出てしまったからです。手続きに時間がかかってしまいました」

 

「領主は? あのオッサンが難癖をつけてこなかったのか!?」

 

「確かに抗議の連絡はありましたが、そもそもアルカンレティアはアルダープ氏の治める領地の外ですから口を挟む権限はありません」

 

「アルカンレティアの連中は!? その、温泉に何か問題があったから弁償しろとか言ってこなかったのか!?」

 

「いいえ。アクシズ教団の最高神官であらせられるゼスタ氏からも、直接感謝の意を伝えられないことが非常に残念だったとお言葉を頂戴しております」

 

「国……。そうだ国! またソウゴがヤバイやつだから減額しますとか言うんだろ!?」

 

「ソウゴさんは正式に冒険者として認められていますのでご安心ください。あの、お気持ちはわかりますが疑い過ぎでは……?」

 

 困り顔のセナを見ても頑なに信じようとしないカズマ。話を聞けば聞くほど都合が良すぎて、むしろ謀られているのではという疑いが強くなる。

 

(あの温泉の変化は絶対にすぐ気付く。なのに触れてこないなんて、アクシズ教団は何を考えてるんだ……?)

 

 報復とは行かずとも何かしらアクションがあるだろうと考えていたカズマとしては気味が悪い。仮に聖水が出るようになったことがアクシズ教団にとっていい結果だったとしても、あえて触れないのは何かしら理由があるはず。何か裏があるのではないか? 褒賞金は餌で罠が待っているのではないか? 考えれば考えるほど、ど壺にはまっている気さえしてくる。

 疑心暗鬼なリーダーの反応に、この状況でもたった一人能天気なアクアはこれ見よがしにやれやれと首を振った。

 

「何よカズマ。そんなに貰うのが嫌なら私が一人で全額受け取ってもいいのよ?」

 

「なんでそういう結論になるんだよ」

 

 いつもの癖で放蕩女神の頭を小突いてやろうかと拳を固める。少なくとも幸運とは縁遠い仲間が浮かれているのだ、何か良くないことが待っているはず。しかし、そんな彼の偏見で凝り固まった疑いの目も、現物をいざ目の前にしてしまえば簡単に霞んでしまった。

 ギルドのカウンターから現れた、山のように積まれた札束。総額五億ともなれば驚くことすら忘れるほどの迫力だった。これまで大人しかったウィズも、普段お目にかかることのない宝の山を前にして「まあ」と感嘆の声をあげる。その札束の向こう側から覗くルナは、ようやく五億エリスという浮世離れした金額を理解したカズマにとびっきりの笑顔を向けた。

 

「みなさんおめでとうございます! 魔王軍幹部・ハンス討伐の褒賞金、五億エリスです!」

 

 ソウゴに背中を押され、一歩前に踏み出すカズマ。紙のはずなのに黄金と見間違うほど輝いて見えるその山から、そっと一束拾い上げる。

 感じるのはただの紙束の重量ではない、しっかりとした百万エリスの重み。感謝状とは違う手触りの影響か、拒絶していた全ての感覚が鮮やかに戻ってくる。報われたという実感が、抑圧していた諸々の感情を一気に思い出させ、溢れ出す感慨に気付けばカズマの頬には一粒の雫が伝っていた。様々な感情が混じり合う言葉にならない情動を抱え、後ろを振り返る。

 そこには、苦楽を共にした仲間たちの笑顔があった。そこで初めて、カズマは素直な自分の気持ちが見えてくる。湧き上がる喜びは、もう誰にも止められなかった。

 

「やった……、やったんだ…………! 俺たちの頑張りが、ようやく認められたんだ……!!」

 

「カズマ! 私の頬をつねってくれないか?」

 

「こんなときにまで性癖出してくるなよダクネス! 夢が覚めるだろ!」

 

「夢ではありませんよカズマ! これは現実です!」

 

「いいの!? ねぇめぐみん、私パーティーメンバーみたいな扱いしてもらってるんだけど! 本当にいいのかしら!?」

 

「ま、この女神アクア様のパーティーなんだから当然よね! ほーら、祝いの〈花鳥風月〉~♪」

 

「ようやくちゃんとしたご飯が食べられそうです……!」

 

「目の前にすると圧巻だね」

 

「もっと喜べよソウゴ! やっと報われたんだぞ俺たち! お前にはいっぱい苦労かけたよな! これからは楽させてやるからな!」

 

「さぁ、今日は新たな門出を祝してパーッと飲むわよー! いいわよね、カズマ!?」

 

「ったく、しょーがねーなー! よーし飲め飲め! 全員飲めー! 今日は俺たちの奢りだー!」

 

 思い思いの感想を吐き出しながら、ようやく盛り上がり始めた主役たち。カズマの一言でギルドの熱もまた上がっていく。割れんばかりの歓声に飲まれていく彼らの姿にほっと胸を撫で下ろしたセナは、キリッとした仕事スイッチに切り替えるとほとんど話を聞いてないであろうカズマたちに向けて声を張った。

 

「皆さんの功績は史上類を見ない快挙です。短期間での快進撃は王都でも噂になっているそうで、アイリs「堅いことはもういいから、あんたも飲みなさいよ! すみませーん! こっちにシュワシュワ三つー!」

 

「あ、ちょ、困ります! 私はまだ帰ったら仕事が……!」

 

「楽しい日に何言ってんのよ! ほら仕事なんて忘れて、後ろのあんたたちも飲みなさいな! 奢りなのよ? 飲まなきゃ損損♪」

 

「頼んじまったもんは飲まなきゃなー! セナさんの、ちょっといいとこ見てみたいー!」

 

「ええ!? あの、本当に私帰ったら取り寄せた書類の整理とかあって……!」

 

 アクアとカズマに挟まれてテーブル席へと座らされたセナは、両サイドからジョッキをぐいぐいと押し付けられる。一応の抵抗を見せてはいるものの、他の冒険者に囲まれ既に一気飲みを始めた騎士たち同様、それも無駄になってしまうだろう。ギルドの職員すら昼間から酒をかっ食らう、駆け出し冒険者が大出世したお祭り騒ぎ。なんとか自分だけでも抜け出さなくてはとキョロキョロと目を泳がせているが、周りは囃し立てる冒険者ばかりで逃げ道はない。しかしそこに、手を差し伸べてくれる救世主が現れた。

 

「ほら皆、無理矢理はダメだよ」

 

「そ、ソウゴさん……!」

 

 まるで猫を取り扱うように襟首を掴んで二人を持ち上げるソウゴ。その腕のどこにそんな筋力が? という疑問もほどほどに、二人をひょいと引き離しジョッキを取り上げた。ソウゴがお説教をするために眉間に皺を寄せ口をムッと結ぶと、とばっちりを受けたくない周りの冒険者たちは蜘蛛の子を散らしたようにはけていく。

 当のカズマやアクアはというと、それこそ慣れたもので、イタズラのバレた子どものような反省もほどほどという顔をしていた。

 

「アクアは毎回巻き込んだ人を飲ませ過ぎるんだから気をつけてね」

 

「は~い」

 

「カズマもお酒の無理強いはダメだよ。特に、セナはお酒弱いんだから」

 

「まあ、ソウゴは逆にザル過ぎて全然酔わなちょっと待て。なんでお前セナがお酒弱いって知ってるんだ?」

 

 浮かれてへらへらしていたカズマが急に神妙な面持ちになる。今までで見たことがないくらい真剣な顔にいったいどうしたのかと疑問符を浮かべたソウゴは、目を泳がせるセナに気付かず首を傾げると何の気なしに答えを口にした。

 

「え? だってドリスの時、やたらお酒勧めてくるのに自分はちょっと飲んだらやたら絡んでくる上にすぐに寝ちゃってたからさ。女の人が外でそれじゃ危ないでしょ?」

 

「ふーん。へー。ほー」

 

 カズマからじとっとした目で見られ、セナはだらだらと冷や汗を流し始める。追求の眼差しから逃れるように視線を反らすと、今度はその先にいたアクアの笑いを堪えるニタニタとした目と合ってしまう。たじろいでしまったセナの反応からその〈くもりなきまなこ〉を以てして真意を見抜いたアクアは、そっとカズマの肩に手を置いて口許を押さえ、へらっと笑いぼそっと呟いた。

 

「……むっつり」

 

「ち、違いますから! やましいことは決して……!」

 

「セナだって知ってるだろ。そういう言い訳するやつには大抵心当たりがあるもんだぞ」

 

「それにしてもやーねー。ソウゴを酔わせて何しようとしてたのかしら」

 

「言ってやるなよアクア。相手は十代とは思えないくらい三大欲求の一つが決定的に欠けてるソウゴだ。むしろよく頑張ったと思うよ俺は」

 

「確かに、あの民が最優先の特殊な変態だものね。カズマくらいお手頃だったらそんなに苦労しないでしょうに」

 

「あれ? なんか俺、今貶されてる?」

 

「馬鹿お前。貶されてるのもケンカ売られてるのも俺だよ」

 

 不本意そうなソウゴなどお構いなく、わざわざ茶化すような言葉を選ぶ二人。そんなカズマとアクアのにやけ面に顔を赤らめ、羞恥からぷるぷる震えて涙を溜めたセナは、カズマたちの言葉を誤魔化すためかソウゴからジョッキを引ったくる。驚くソウゴを放って男前に酒を煽ったセナは、空になったジョッキをダンッと机に叩きつけ口元を拭うと、据わった目でネクタイを緩めながら二人を睨みつけた。

 

「わかりました。仕事なんてもういいです。ならとことん付き合って貰おうじゃありませんか! 今更なんですか! こっちはもうそれ以上に恥ずかしいところを知られてるんです!!」

 

「これ以上の恥ずかしいところってなんですか?」

 

「……見れば解る。あなた、酒飲みね? その飲みっぷり、練り上げられている。気に入ったわ! すみませーん! こっちにシュワシュワじゃんじゃん持ってきてー!」

 

「そんなことより恥ずかしいところについて詳しく!」

 

 

   ⏱⏲「朝まで飲むわよーっ!」『カンパーーイッ!』⏲⏱

 

 

 宴もたけなわ、という言葉を先輩女神から聞いたことがある。大抵使われる場面は会をお開きにする時で、宴会が盛り上がってるという意味らしい。盛り上がってるところ悪いけど解散しましょう、というお開きの話を切り出す日本のポピュラーな方便だそうだ。

 下界に降り冒険者として宴というものに混ざるようになってから、いつ使うのかと興味はあったものの、荒くれ者たちの宴会は最初から最後までクライマックス。そのうえ馬小屋暮らしが基本の冒険者たちには家に帰るという概念が薄く、ギルドで夜通し飲み倒してそのまま寝落ちする人間も多いため、自分には縁遠い言葉だと思っていた。

 

(書類仕事が多くて遅くなりましたが、カズマさんたちの宴会はまだやっているでしょうか……)

 

 そんな心配をするのも、日がもう落ちて街が暗闇に包まれてしまっているが故。始まったのが昼頃だったことを思えば、いくら酒好きの先輩がいるとは言えそれこそ宴もたけなわ、なんて言葉が出ていてもおかしくは無いだろう。仕事の合間に下界を覗いてから心惹かれていた分、お開きになっていた場合は少し凹んでしまうかもしれない。

 日々を苦労に感じているわけではないが、いつぞやの先輩女神が言っていた通り真面目な女神業務の後のシュワシュワは格別に美味しく感じるもの。特にそれが人様の奢りであれば尚更に。ご相伴に与れれば幸運くらいの気持ちで煌々とした明かりが漏れるギルドを裏手から覗くと、そこには行儀悪くテーブルの上で扇子から水を撒き散らす先輩と、その水を被りながら楽しそうにジョッキを空にする冒険者たちの姿があった。

 

「よかった、間に合ったみたいですね♪」

 

 自分でも声が高くなったのがわかる。世界が大変だというこのご時世に

女神である自分が浮かれるのはどうかと思わなくもないが、それはそれ。神が楽しめない世界など、きっと人も楽しめない。そんな風に一人言い訳をして窓越しに中をよく確認する。

 ざっと見えるだけで、最早恒例となった負けた方が一気飲みをするルールの腕相撲に素面で連勝を重ねる親友、テーブルの上にカードを叩きつけ合って仲良く遊んでいる紅魔族の二人、カウンターでスーツが少しはだけた公務員と目の据わった受付嬢に絡まれ困った表情の魔王がいる。いつも通りとそうでない者達が共存する、混沌とした様相のギルド。気持ちが落ち着く実家のような安心感が、その空間にはあった。

 

「さて、あたしも混ぜてもらおうかな~♪」

 

 口調をエリスからクリスへと切り替えて入口へと回る。第一声はどうしようかと悩みながら通りへ出るとそこには、入口の扉に背を預け何やら本を読む不審な人物が佇んでいた。音も漏れていない外で、誰かを待っているかのような落ち着きよう。もう春も終わりだと言うのに白いコートを羽織り、日差しもないのにベレー帽を被る出で立ちは明らかにこの世界から浮いていた。

 無意識に腰のダガーに手を添えていたクリスに気がついたその男は、パタンと本を閉じると首に巻きついたチョーカーを撫でながらにこりと微笑んだ。

 

「こんばんは、冒険者君。これから中に用事かい?」

 

「……そうだけど、キミは?」

 

「そう警戒しないでくれ。私はただの使いっ走りさ」

 

「そうは見えないけど、一応聞くよ。誰の?」

 

「さあ、誰のだろうね」

 

 質問に質問で返す胡散臭い口調の不審者は、笑みを浮かべたまま懐から一通の手紙を取り出した。クリスはすかさず〈トラップサーチ〉を使用し、それが何の変哲もない蝋で閉じられただけの封筒だと言うことを確認する。

 一連の工程を終えるまで待っていた不審者は、それをクリスへと差し出すと、その上に自分が先程まで読んでいた本を重ねた。黒のハードカバーに赤と金の装飾が施されたセンスを疑う造りの表紙。そのタイトルに目を落としたクリスは、差し出された一式を自然と受け取ってしまい、つい見慣れない本の名前を読み上げた。

 

「『紅魔黎明記』……? 何これ?」

 

「それは君にあげるよ。紅魔族に伝わる彼らの成り立ちが記された書物さ。一緒に渡されたんだが、異世界のお話というのも中々面白いね。こういうのに、君くらいの歳の男の子は心惹かれるんだろう?」

 

「……あたし、女なんだけど」

 

「おっとそれは失礼した。女神のように麗しいお嬢さん。すまないがその手紙を族長の娘に渡しておいてくれるかな? 頼まれ物なんだが、私がこの中に入ると君の友人たちに冷水を浴びせてしまいそうでね。流石に楽しそうな空気を壊すのは忍びない」

 

 仰々しく頭を下げた不審者は、目的を達したのか手をひらひらと振ってクリスの脇を抜けていく。最後までクリスのダガーを、まるで抜かないことが分かっているかのように気にも止めなかった不審者は、少し進むと何かを思い出したかのように歩みを止めて振り返った。

 

「そうそう、一つ言い忘れていた。〈窃盗〉には気をつけた方がいい」

 

「……?」

 

「それじゃあね」

 

 コツコツと靴底を鳴らしながら闇へと消えていく不審者。手元に残された未開封の手紙と本を抱えたクリスは、もう見えなくなってしまった男の背中見つめながら肩の力を抜いた。

 

(掴みどころのない、気味の悪い方……。ソウゴさんのお知り合いと考えるべきでしょうか? 私のことを知っている口ぶり。でも私が〈門〉を通した記憶はない。それに、ゲートを勝手に開けるのはディケイドとディエンドだけのはず……)

 

 不審者ではなく、危険人物として認識を改めたクリス。手紙をそのまま渡していいかどうか悩みながらも、彼女は一先ず中に入ることとした。敵か味方かの判断はソウゴに確認を取ってからにすればいい。そんな風に考えを纏め彼の消えた先を見つめながらガチャリと扉を開けると、騒がしい日常が静かな通りを飲み込み、明るく照らす。

 

スッティール! スッティール!

 

「よ~~~しっ! 〈窃盗(スティール)〉!!」

 

「へ?」

 

 今日この時ほど、余所見をしていたことを恨めしく思うことはないだろう。

 開けた途端耳に届いた言葉に、クリスは間抜けな声を出してそちらを見た。瞬間、視界に映ったのはハンカチをヒラヒラさせる冒険者と、その先でスキルを発動させ右手を輝かせるカズマ。そしてその光が収まったときに残ったのは、やけにスースーする自分の下腹部と、カズマに握られた見覚えのある布切れだった。

 その時、先程の不審者の言葉がフラッシュバックする。

 

 

 

『「〈窃盗〉には気をつけた方がいい」』

 

 

 

『ひゃっはーーーーー!!!!!』

 

 勝鬨をあげ戦利品を振り回し掲げる冒険者たちに対して、クリスは規定を曲げてでも必ず天罰を下してやろうと誓った。

 

 

   ⏱⏲「いぃぃやぁぁぁああ!! パンツ返してーーーっ!!」⏲⏱

 

 

「ずみ゙ま゙ぜん゙。反゙省゙じでま゙ず」

 

「お前と言うやつは、どうしてすぐにクリスのパンツを剥ぎ取るんだ!? 公衆の面前で辱めるなら、なぜ私を標的にしてくれない!?」

 

「ダクネス。たぶん、怒るところはそこじゃないわよ」

 

「俺だってパンツが欲しくて〈窃盗〉してるわけじゃないんだ。欲しくないわけじゃないが。ランダムだし仕方ないだろ」

 

「あんたも、ダクネスとクリスにボコボコにされてよく開き直れるわね」

 

「うるせぇよ。ていうか早く〈ヒール〉かけてくれ。ヒリヒリして痛いんだが」

 

「嫌よ。なんで私が性犯罪者の手当しなきゃいけないのよ。そんなのツバでも付けときゃ治るわ」

 

 正座でダクネスからみっちりとお仕置されたカズマは、まるで反省の色もなく平然としていた。そんな彼を二人に任せ、クリスから事のあらましを聞いていたソウゴは興味も薄げに受け取った本をぺらぺらと捲っていた。

 

「ふーん。これを白ウォズが?」

 

「うん。今ソウゴくんから聴いた特徴通りだし間違いないと思うよ。その人が族長の娘に渡してってさっき」

 

「この封蝋印、お父さんからです。アクセルに来てから手紙のやり取りはしてたんですけど、最近は届き辛いことがあるみたいで……」

 

「ということは、間違いなくゆんゆん宛ですね。ほら、ちゃっちゃと開封してください」

 

「ええ!? 凄く怪しそうなんだけど!?」

 

「どの道開けなければ話が進みません。早くしてください 」

 

 めぐみんに急かされ、乗り気では無さそうなものの封を開けるゆんゆん。その中から出てきたのはたった一枚の便箋だった。それに目を通したゆんゆんは、はっと目を見開くとわなわなと震え、次にはぎゅっと手紙を握りしめた。

 

「お、お父さんが……! どうしようめぐみん! 里が! 私、私……っ!」

 

「……? 貸してください」

 

 次第に青ざめていくゆんゆんの顔に、めぐみんは彼女からパッと文を取り上げる。不穏そうな流れにカズマたちも気がついたのか、お説教を切り上げてめぐみんを取り囲んだ。文字を目で追うめぐみんは、全員が聞こえるように声を出してそれを読み上げた。

 

 

 

 

 

最愛の娘、ゆんゆん。

この手紙が届く頃には、きっと私はこの世にいないだろう。我々のことを恐れた魔王軍がとうとう本格的な侵攻に乗り出したようだ。既に里の近くに巨大な軍事基地が建設されている。そこから現れる見たことの無いモンスターの影響で、手紙すら簡単には送れない。

それだけではない。どうやら在留している魔法に抵抗のある幹部がそのモンスターを生み出しているようだ。さしずめ魔王軍の新たな生物兵器と言ったところか。

ふふ……。魔王め、切り札を出してくるとはよほど我々のことが恐ろしいとみえる。

とはいえ、軍事基地の破壊もままならない現在、我々にとれる手段は限られている。

 

そう、紅魔族の族長として。

この身を捨ててでも魔王軍の幹部と刺し違えること。

 

愛する娘よ。お前さえいれば紅魔の血が絶えることは無い。

紅魔族族長の座は任せた。この世で最後の紅魔族として、決してその血を絶やさぬように。

 

 

 

 

 

「こ、これは……ッ!」

 

「見たことの無いモンスター……。アマゾン、だったか? アレに関するウォッチとやらはまだあるのか? もしくは他に何か」

 

「あるよ、二つ。間違いなくアマゾンズのどちらかのウォッチの力だね」

 

「紅魔族がここまで追い詰められているなんて……。かなり厄介そうだね。あたしも手を貸すよ」

 

「ふーん。で、どうするのよカズマ」

 

 話を振られ、頭をわしわしと搔くカズマ。

 正直、カズマの心境としては関わりたくない、その一言に尽きる。褒奨金だけでなく、バニルとの取引で得られる三億エリスまであるのだ。わざわざ危険なことに首を突っ込んで命を危険に晒すなんて論外も論外。そんな選択肢は選択肢として並ぶ前に予選落ちである。

 聞かなかったことにして会計を済ませ、先に帰ってしまったウィズと同額をゆんゆんに渡し、アクアの作った借金を完済させ残りを五等分。そこから一人新商品造りに勤しみ、仲間たちとたまに簡単なクエストに赴く程度の怠惰な毎日を過ごす。今のカズマの心のほとんどは、そんな理想の日々を望む気持ちがウエイトを占めている。

 

「カズマ……」

 

 めぐみんが弱々しげにカズマを見る。わかっている。ここで絆されては、きっとまたハンスと同じかそれ以上に手強い敵と戦わされるということを。だがあのウォッチの力を使った魔王軍幹部の規格外の強さは身に染みている。その魔の手が家族や故郷に迫っているとわかっていれば、気持ちは落ち着かないだろう。

 自分たちのリーダーがどんな決定を下すのかわかっている仲間たちは、酔いなんて冷めたような面でカズマに視線を集めていた。

 腰に剣を差し直すダクネス。勝気な笑みを浮かべるクリス。いつも通りへらへらと笑うソウゴ。面倒くさそうに欠伸をするアクア。今にも泣き出しそうなゆんゆん。全員の顔を順番に見たカズマは、わざとらしく大きなため息をついた。

 

「ったく、しょうがねぇなぁ……。まあ、ゆんゆんにはアルカンレティアで世話になったしな」

 

「カズマ……!」

 

「んじゃ、ちょっくら行くか。紅魔の里へ!」




 魔王の攻勢により追い詰められた人類は、欲深き王の一言によりついに禁忌へと手を伸ばすこととなる。

 新たなる生命の創造。

 魔王を討つため、一人の平和を願う天才によって生み出された彼らを、人は天の使いだと信じて疑わなかった。
 しかし、彼らは悪魔の子だった。膨大な魔力と血の色の眼を持つ彼らは、その眼に写るもの全てを破壊する獣。名も無き忌み子たちは本能のままに世界を蹂躙し、やがて魔王をも凌駕する恐怖を人々に与えた。

 だが、創造主である天才は彼らに眠る光を諦めていなかった。破壊衝動を抑える力を持つ刻印を開発した天才は、それを彼らに刻むことで遂に知性ある人間へと生まれ変わらせることに成功する。自らの、命と引き換えに……。

「紅き瞳を持つ黒き魔導の王が、闇に支配された世界に夜明けを連れてくる」

 散り際に天才が残した言葉を胸に、かつて獣だった者達は平和を願う彼の思いを継ぐ。そして、自分たちが彼の思い描いた平和な夜明けに輝く星にならんと誓い、こう名乗ることにした。

 紅き瞳を持つ黒き魔導の王に連なる一族――“紅魔族”と。


紅魔黎明記 第一章 瞬くは紅魔の明星


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この里帰りに不穏な道のりを!

 昨夜の余韻もほどほどに、ようやく日が昇り始めた静かな街をカズマは一人で歩いていた。向かうのはもちろん紅魔の里行きの馬車乗り場……ではなくて。一刻も早く仲間の故郷へ向かわなければならないのはわかっているが、その仲間たちを待たせてわざわざ一人で行動しているのにはそれ相応の理由がある。

 

「……? なんだあの荷馬車」

 

 慣れ親しんだ路地を歩くカズマの視界に入ったのは、なんでもない荷馬車だった。そしてよく知る店から見覚えのない御者と思わしき男が出てくると、仕事を終えたのかカラコロと木製の車輪を鳴らしながらカズマの目的地を後にする。明朝だからか少し音に配慮した御者がのんびりと乗り場へ帰っていくのを見送ったカズマは、その背を眺めながら不思議そうに首を傾げた。

 普段から荷馬車に縁のないカズマでも、乗り場で荷を降ろしてから人力の荷車で街の中へと運び込むことは知っている。バニルがよくしている返品作業が逆の手順だからだ。例外はあるが、基本的な運用は変わらないはず。そんなことを考えつつ、自分が寝ぼけて店を間違えたという可能性を考慮して、一応通い慣れた店の名前を確認する。

 

「ウィズの店で間違いないよな」

 

 店先に掲げられた『ウィズ魔道具店』の表記に間違いはない。年季の入った店構えも相変わらず。何かあったのかと首を捻りつつも、荷物が運び込まれたのなら誰か起きているだろうと安心して扉に手をかけようとする。

 その瞬間。

 

はわぁーーーーぁぁあ!!!

 

 スタングレネードが炸裂したのかと思うほどの光が店内から放たれた。いや、この世界にそんな化学の塊が存在しないことはカズマもわかっている。魔道具が爆発でもしたのか、とにかく今聞こえたのはウィズの悲鳴で間違いない。驚きつつも扉を急いで開けたカズマは、慌てて中へと転がり込んだ。

 

「どうしたウィズ! 何があった!?」

 

 店へと飛び込んでいの一番に見えた光景は、こんがりと焼かれ床に伏せるウィズと、腕をL字に組み仮面の隙間から赤い光を灯す目を覗かせるバニルだった。次に脳が認識したのは、店の中に所狭しと積まれた木箱の山。きっとさっきの荷馬車はこの大量の荷物をわざわざ店まで運びに来てくれたのだろう。確かに、荷車では何往復しなければならないかわからない。

 状況からなんとなく事の顛末を理解してしまったカズマに対して、少しつまらなさそうにバニルは鼻を鳴らした。

 

「おや、こんな朝早くにどうした? 小金持ちになり資産運用を検討中の浮かれ小僧よ。疲れきった我輩に悪感情(ちょうしょく)でも振舞ってくれるのかと思ったが」

 

「そんなわけないだろ。聞きたいことがあって来たんだけど、聞きたいことが増えて困ってるんだよ」

 

「聞きたいこと? よかろう、教えてやろうではないか! 何故大量のガラクタが納品されたのか。何故金庫に入れた褒奨金の分け前が無くなっているのか、何故そこで当店に住み着く貧乏神が転がっているのかッ! その答えはただ一つ……!」

 

「もう答え出てんじゃねぇか。で? ウィズは何を仕入れたんだよ」

 

 興味本位でそんなことを尋ねる。役立ちそうにないんだろうなということは察しがついているのだが、人間やはり好奇心には勝てないというもの。もしかしたら使い道を思いつくか、新商品のアイデアになるかもしれないという期待も少しはある。

 そういうカズマの胸の内を見通したのかふむと顎に手をやったバニルは、少し考える素振りをすると手近な木箱を開けてそこから商品を一つ取り出した。

 

「エントリーナンバー一番! 旅のトイレ事情を解決出来る簡易トイレ! プライバシーを守るための消音機能がついた水洗式という優れ物である」

 

「へぇー! 何それすごい!」

 

「欠点は消音用の音がデカすぎてモンスターを呼び寄せることと、水を生成する機構が強力すぎて辺りが大惨事になることだな」

 

「着眼点は良かったな。次行こうか」

 

「エントリーナンバー二番、願いが叶うチョーカー! 当店では珍しく正規価格で売り切れた、相対的には人気商品と称せる一品! その再入荷分である」

 

「おお! 着けると幸運値が上がるとか、催眠術で相手を言いなりにするとかか?」

 

「いいや。着けると願いが叶うまで外れず徐々に首が絞まっていく仕様で、死ぬ気になれば痩せられると女性客が買い求めていたのだ。解呪魔法で外れることがわかり、最早誰も買わん」

 

「解呪って呪い扱いかよ」

 

「ではエントリーナンバー三番! 運命の赤い指輪! これを嵌めた男女がお互いの好感度を知ることが出来るペアリングだ。告白したいが成功するかどうかわからないという弱気な背中を後押しする、カップル誕生間違いなしの非常に徳の高い品物である」

 

「ほーん。デメリットは?」

 

「そもそも贈った指輪を嵌めてもらえる時点で好感度など高いに決まっているし、低ければもうチャンスは回ってこない上に変な指輪を渡してくると吹聴されること間違いなし。こんなおもちゃを買うくらいなら、同額の金を使い宝石なんかが付いたアクセサリーを贈った方がいいだろう」

 

 そう言って、バニルは紹介し終えた売り物たちを乱雑に木箱へと放り込んでいく。店主に向けて貧乏神呼ばわりは厳しい評価だと思ったが、この店内を圧迫する在庫全てが紹介された商品と同じく負債になると考えれば、悪態の一つも吐きたくなるだろう。

 だが、いつものような同情の気持ちはあまり湧いてこない。というのも、ウィズには褒奨金からそれなりの額を渡しているからだ。ごそごそと次に紹介する商品を鼻歌交じりに探すバニルの背中に、カズマは問いかけた。

 

「それ全部、昨日渡した褒奨金の取り分で買ったんだろ? 全部で幾らくらい使ったんだ?」

 

 抱えた損失は二千万か三千万か。流石のウィズでも多く見積って半分くらいは残しているだろう。臨時収入があったとは言え痛い出費だろうなぁと思いながら興味に負けたカズマがそう尋ねると、バニルはふっと、諦めたような実にさっぱりとした笑みで答えた。

 

「全額だ」

 

「ほーん。全額かぁ……。って全額!?」

 

「ああ、全額だ」

 

「いやいやいやいや。だって俺、ウィズには日頃から世話になってるし宴会にも参加出来ないからって一億渡したんだぞ!?」

 

「だから、その一億エリス全てが一夜にして燃えないゴミに変わったと言っているだろう。……いや、全てが燃えないゴミというわけでもないか」

 

 ため息すら忘れたバニルだが他のことは思い出したようで、違う木箱を開けるとひょいと中から手の平に収まるほどの水晶のような球体をカズマに取って見せた。薄紫の、とても綺麗な輝きを放つその球体をカズマは知っている。いつぞやの借り物使い魔勝負で、我がパーティーメンバーが誇る変態その二が友人から巻き上げそのままこの店に売却された代物。

 

「それ。確かマナタイト、だったっけ」

 

「ああ。高密度の魔力が封じ込められており、上級魔法などの魔力の消費が激しい魔法を使う時に肩代わりできる宝珠だ。この貧乏揃いの駆け出し冒険者の街には不要な使い捨ての高級品である。お一つどうだ、成金冒険者よ」

 

「爆裂魔法の回数が無意味に一回増えるだけだからいらない」

 

「だろうな。気が変わったら買いに来るといい。当店に置いていても、埃を被るかこのオンボロ倉庫を更地にする着火剤にしかならん」

 

「いつか買いに来るかもしれないから絶対に火つけるなよ」

 

 店が吹き飛べばソウゴが元に戻してくれるだろうが、ウィズはショックのあまり昇天しかねない。よくこの二人は友だちやってるな、とカズマは思う。そう思いつつ、魔力の塊は乱雑に扱えないのか丁寧に梱包し直す悲しみを背負った背中を眺めていると、一通り遊び終えたバニルは特に興味がなさそうに口を開いた。

 

「さて、それで聞きたいこととはなんだ小僧よ。我輩は開店までにこの負の遺産を処理せねばならぬ故に忙しいのだが」

 

「あっ、そうそう忘れるところだった。実は、紅魔の里が魔王軍に攻められててピンチらしくてな。それで魔王軍幹部を倒しに行くことになったから、そいつの情報が欲しくてさ。心当たりないか? 魔法に耐性のあるやつらしいんだけど」

 

 随分と時間を食った気がするが、ようやく本題を思い出したカズマ。これまでの偶発的な戦闘と違い、今回は倒しに行くと決まっていて内情に詳しい友好的な幹部が近場に二人もいる。活用しない手はないとこうして一人赴いたのだ。

 

(全員連れてきてもよかったけど、サキュバスであれだけ敵意丸出しだったクリスがいるからなぁ。煽るバニルと会わせて朝っぱらから派手な戦闘になるのは嫌だし、ウィズがリッチーだってバレるのも困るし)

 

 そんな言い訳を胸の内で吐き出しながら、バニルの回答を待つ。しかしバニルは答えよりまず一言、意外そうに「ほう」と驚いたような声を漏らした。

 

「我輩が思っていたよりも早いな。もっと先の話だと思っていたが……」

 

「? 早い? なにが?」

 

「ん? ああ、いや、我輩が魔王の城を出る時はまだ紅魔の里を攻めあぐねていたからな。この短期間でそこまで侵攻するとは思っていなかったので、少々意外だっただけだ」

 

「ふーん。で、どうなんだよ。何か知らないか?」

 

 ハンスの時は何の情報もなしに凶悪な能力に極悪な能力をかけ算したような敵と戦う羽目になったのだ。ウォッチの詳細はわからずとも、せめてどういう系のモンスターかさえ事前に知っていれば対抗策を考えながら行動することも出来るだろう。基地まで作ってる敵の懐へ飛びこむのだから、それくらいのハンデがなければ対等とは言えない。ソウゴは別として。

 カズマの腹の中を知ってか知らずか、少し視線を這わせるような仕草をしたバニルは何か納得したのかふんと鼻を鳴らした。

 

「知っているとも。紅魔の里へ侵攻しているのは、モンスター開発局局長ことグロウキメラのシルビアだ。部下のゴブリンやコボルトからの信頼も厚く、幹部では珍しく大群を率いる将だな。部下たちに改造手術を施す技術、強力な軍隊をまとめ上げ効率的な編成ができる頭脳を持つだけでなく、勇者を幾人もあの世へ葬った幹部の肩書きに恥じない実力と聞く」

 

「キメラって、またどえらいのがいるな……。あ、どんなライドウォッチ持ってるとかわかるか? 色とかでもいいんだけど」

 

「さあな。そこまでは知らぬ。他に聞きたいことはないか?」

 

「そっか。ま、後は現地でなんとかするよ。助かった。ありがとうな、バニル」

 

「よい。汝は我輩のビジネスパートナーだ。対価さえ払えば何も文句はない」

 

「え゛。対価取るのかよ」

 

「当然だろう。退職したとはいえ、元職場の情報はそこまで安くないぞ。我輩は由緒正しき悪魔。時の魔王とは取引したが、サキュバスとの協定には名を連ねておらんからな」

 

 ククク、と喉を鳴らすバニル。してやられたという気持ちもあるが、ここに来る前に立ち寄り空振りだったサキュバスたちと比較しても、得られた情報はかなり有用なものだったと言える。勉強代だったと思い諦めたカズマだったが、バニルが要求したものは対価とも言えない条件だった。

 

「なに、それほど重いものは要求せん。汝の知的財産権に関する契約の件だ。買い取ると言ったが、まだ商品を生産する職人が見つかっておらん。なので量産体制も築けておらず、この若作り店主のせいで身銭もない。帰ってくるまでに契約書は用意しておくが、三億の受け渡しはしばし待ってほしい」

 

「そんなことでいいのか? 今は懐が暖かいし、お金はいつでもいいよ」

 

「……汝は悪魔に関して疎いようなので忠告しておくが、悪魔に向かっていつでも、などと軽々しく言うものでは無いぞ。口約束でも約束は約束。後で違えれば面倒極まりないことになる」

 

「いやまあ、バニルは信用してるからな。それに、俺にはまだ商品アイデアがあるし、そのことを考えればむちゃくちゃしないだろ」

 

「ほほう、我輩を信用か! どこぞのボンクラ女神をこの地に引きずり下ろした男とは思えん慧眼だな」

 

「うるせぇよ。じゃあ、俺行くから」

 

 クツクツと喉を鳴らすバニルに別れを告げたカズマは、ひらひらと手を振って店を後にしようとする。

 知りたいことは知れた。ライドウォッチの詳細がわかり次第対策を立てれば、ハンスの時のようなほとんど負け戦みたいな立ち回りはしなくて済むだろう。今回は魔法最強のウィズの代わりにベテラン盗賊のクリスがいる。その辺りを踏まえて配置を組めば最大限安全に事が済むかもしれない。

 歪なパズルのピースをパチリとはめる為に、うんうんと頭を悩ませるカズマ。そんな彼の背中を、バニルは呼び止めた。

 

「そう慌てるな小僧。ついでに一つ、我輩からのアドバイスを聴くが良い」

 

「なんだよ。押し売りされても対価は払わないぞ」

 

「うむ、いい学習能力だ。しかし今回対価はいらぬ。これは我輩の気まぐれである」

 

 そう言ったバニルはニヤリと笑ったかと思えば、ずいっとカズマに顔を近づけその瞳を心の底を覗くかのように凝視する。そしていつも浮かべている人を小馬鹿にしたような顔をやめると、ピンと人差し指を立て仰々しく宣った。

 

「汝、この旅のどこかで仲間から大事な相談をされるだろう。その時は決して茶化さず、誤魔化さず、己の心に素直に答えるが吉だぞ」

 

 そう言いニヤつくバニルだったが、いつものふざけた笑みより少し嬉しそうにカズマには見えた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「あっ! やっと来たねカズマくん」

 

「おー、悪い悪い。待たせたな」

 

 バニルのアドバイスを頭の片隅に編成を思案してみると、あまりにもゆんゆんの勝手が良すぎて本当にパーティーに入ってくれないかどうか考えていたカズマは、屋敷の前で待っていたクリスに声をかけられそちらに意識を向ける。旅のメンバーはもうとっくに集まりきっているようで、すぐに戦闘に移行できるよう荷物を極力削った身軽な仲間たちが、待ちくたびれた様子で屋敷の前に佇んでいた。

 

「遅いですよ。待ってる間、ゆんゆんがちょろちょろして目障りだったのですから」

 

「め、めぐみんだってそわそわしてたじゃない!」

 

「まあまあ。故郷の窮地だ。お互い気が急くのは当然だろう」

 

 ダクネスのフォローに、バツの悪そうな顔をする二人。二人ともが家族の身を案じているのは、いつものキレのないやり取りから伺い知れる。もっと急いでやった方がよかったかと反省の色を見せるカズマに、ソウゴはいつも通りの調子で問いかけた。

 

「どうだった? 何かわかったことあった?」

 

「ああ。ライドウォッチのことはわからなかったけど、幹部についてはな」

 

「この待ってる間、私もうちょっと寝ていられたんじゃないかしら。朝早くに起こされた上に待ちぼうけで、今とっても眠いんですけど」

 

「アクアさん、待ってる間ずっとこの調子で……」

 

「だから昨日は早く寝ろって言ったろ? ったく……。頼むよソウゴ」

 

「うん。わかった」

 

 一人だけ緊張感の欠けたアクアを放っておいて、促されたソウゴは右手から前方に向けて黒い靄を放つ。その靄はソウゴから魔法陣のような紋章を与えられると、自分の姿を思い出したように人の姿へと纏まっていく。

 

(落ち着いてこの光景見ると、なんかちょっと怖いな)

 

 この靄が意志を持って動き出すと思うと、精巧なアンドロイドなどに対する不気味の谷というのか、ついそういう得体の知れなさを感じてしまう。幽霊と同居していたり、不死のリッチーや土で出来た体を持つ悪魔と会話しているせいで感覚自体は日本にいた頃に比べ鈍っているものの、心理的な反応というのは完全になくなったりはしないらしい。

 そんな感想を抱いているカズマの目の前に、黒いローブに身を包む、赤い宝石のような仮面で素顔を覆う戦士が現れた。

 

「へえー。これが仮面ライダーさんかぁ」

 

「うん。彼は“仮面ライダーウィザード”。絶望から生まれる怪物・〈ファントム〉をその身に宿す、絶望を希望に変える指輪の魔法使いだよ」

 

 特徴的なのはブレイドやオーマジオウのような鎧では無い、すっきりとしたシルエット。そして目を引かれるのが腰に装着された手形のバックル。両手に大きな指輪を一つずつ嵌めた魔法使い然とした戦士は、顕現すると共にバサッとローブをはためかせる。

 そんなウィザードと相対したゆんゆんは、まごつきながらもまずは頭を下げた。

 

「あっ、その……。この間は、私事で使い魔さんをお借りしまして……」

 

「ちぇるっしは元気にしていますか?」

 

「ちょっ、めぐみん! 人様の使い魔を勝手に付けた変な名前で呼んでもわからないでしょ!?」

 

「変とは何ですか! カッコイイではありませんか! 貴方もそんな赤い顔に黒ずくめなんていう紅魔族向きな格好をしているのですから、当然そう思いますよね!?」

 

 めぐみんに迫られたじろぐウィザード。表情こそわからないが、確実に困っているだろうことはカズマの想像に難くない。しかしソウゴはそんなウィザードを助けることはなく、むしろ楽しそうに眺めているだけだった。

 そんなソウゴの隣に立ったダクネスは、わちゃわちゃと気を紛らわせる二人と、それに付き合わされる異形の魔法使いという不思議な組み合わせを見て感嘆の声を漏らした。

 

「ほう。あの御仁が我々をアルカンレティアまで送ってくれるのか?」

 

「うん。ウィザードの«テレポート»ならテレポート先の登録は必要ないからね。俺が紅魔の里に行ったことあれば直接跳べたと思うけど、流石に行ったことない場所はイメージし辛いからさ」

 

「へー。指輪の魔法って便利なんだね。綺麗だし、盗賊の血が騒いじゃうよ」

 

「でもあのウィザードっての、紅魔族よりも高い魔力を持ってるようには見えないわね。ここから紅魔の里まで〈テレポート〉しようとしたら、跳ぶのが一人だったとしても爆裂魔法より魔力使うわよ」

 

「いや、ウィザードには自分が使った魔力を再吸収して回復できるスタイルがあるから問題ないよ」

 

「魔力の永久機関か。流石は公式チート集団」

 

「忘れてたけど、そういやあんたらって一人一人が世界を救えるだけの力を持ってたわね」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「みんな、忘れ物ない?」

 

「ああ。装備も揃っている」

 

「いつでもいいぜ」

 

「よし。じゃあ、お願いできる?」

 

 ソウゴの問いにウィザードは首を縦に振ると、変わった魔法に興味津々な七人を送り届けるための準備を始める。まず初めに、ベルトの両サイドに付けられたレバーを操作し、バックルの真ん中の手形を右手から左手、そしてまた右手になるよう合わせた。すると、ベルトに施された手形のちょうど中指に当たる部分、ウィザードが指輪を嵌めている箇所にあたる部分に小さな魔法陣が明滅し、待機音が辺りに響く。

 

 

«ルパッチ マジック タッチ ゴー! ルパッチ マジック タッチ ゴー! ルパッチ マジック タッチ ゴー! ルパッチ マジック タッチ ゴー!»

 

 

 そして、バックルと同じ手形の意匠があしらわれた右手の指輪を外し、紫の魔法石が煌めく渦のような模様の指輪と付け替える。

 その間流れ続ける待機音に、アクアは不快感を露わにしていた。

 

「ねぇソウゴ! あのベルトすっっごくうるさいんですけど! なに、黙ると死ぬの? もっと音を小さくして欲しいんですけど!」

 

「なんだろうね。この音、うるさいだけじゃなくて生理的に受け付けない気持ち悪さもあるんだけど……。ソウゴくん、あの人って悪魔?」

 

「違うよ。精神世界(アンダーワールド)にドラゴンはいるけど」

 

「うるさいのはわかるけどちょっと我慢しろ。うるさいけど」

 

「確かにうるさいが呪文か何かだろう。いいじゃないか。普段とは違う魔法なんてなかなか見られるものじゃないぞ? うるさいが」

 

「なんかごめんね?」

 

「そうですか? 私はあんまりうるさいとは思いませんけど……」

 

 早朝ということもあって、ドライバーから流れる音声はよく響いた。街中なら近隣住民が叩き起されること間違いないだろうと思われる待機音は、魔法が発動するまで決して鳴り止むことは無い。それを除いても、アクアとクリスだけが特別な忌避感に見舞われていることや、ゆんゆんは平気なところを見るに、絶望から生まれる〈ファントム〉という存在や指輪の魔法には、天界の存在とは相容れない何かがあったり高い魔力を持つ者を惹き付けたりする何かがあるのかもしれない。などと、ソウゴは適当に解釈しておく。

 

 

«テレポート»«プリーズ»

 

 

 非難を気にすることのないウィザードが右手をベルトに宛てがうと指輪に内包された魔法が発動し、ソウゴたちの足元に赤い大きな魔法陣が現れた。読めない文字と燃え盛るドラゴンのような絵、そしてウィザードを象ったような意匠が盛り込まれた、見たことの無い幾何学模様。それがゆっくりと、彼らの体を通って上へとせり上がってくる。

 

「おおっ! なんか凄く魔法っぽい!」

 

 人生初のテレポートに感動するカズマ。魔法陣を通り抜けた体は見えなくなるのに、地面に着いた足や手の甲を撫でる風の温かさは感じられる。しかし、そんな感動体験も一瞬で終わってしまう。

 魔法陣が顔を通ってしまえば、そこはもう別の場所だった。

 

「これがテレポートか……。本当に一瞬だったな」

 

 鼻につく硫黄の臭い。さっきまで目の前にあった屋敷はもうどこにもなく、周りを見れば自分たちは木々の中。空へと昇る湯気は源泉の近くだからだろう、よく見れば麓には見知った街がある。つい先日ハンスに汚染された山は、アクアの言う通りすっかり元に戻っているようだった。

 通り抜けた魔法陣の向こう側から、靄に戻ったウィザードを回収したソウゴが地面に置いていた荷物を抱え直す。

 

「ここから歩いて二日だっけ」

 

「はい。この辺りは危険なモンスターも多くて馬車は出ていないので、普通は〈テレポート〉で移動するんですけど……」

 

「仕方ないね。この人数なら魔力の消費も激しそうだし」

 

「そうだ。またソウゴにあの城のようなドラゴンを出してもらえば、歩かなくて済むんじゃないのか? かなり刺激のある乗り心地だった……!」

 

「え!? 嫌よ! 私、もう絶対あのドラゴンの背中には乗らないから! あれに乗るくらいなら一人で歩くわ!」

 

「大丈夫だよ。今回は隠密に動きたいからな。あんなので空を飛んでたら目立ちすぎる」

 

 そう言って行軍を開始するカズマたち。昼の間に行けるところまで進まなければ、夜目が効くのはアクアとカズマ、それにクリスの三人だけとなる。主戦力の動きが制限された状態での戦闘となると、ソウゴの負担が大き過ぎるのだ。幹部戦での主軸をこんななんでもない所でこき使うわけにはいかない。

 地図と現在位置を照らし合わせ、進む方角を決めるカズマ。全員がそれに倣って彼の後を付いて行く中で、殿(しんがり)を買って出たソウゴはやけに静かに考え事に没頭するめぐみんに気がついた。彼女の様子に気づいたのはソウゴだけでなく、珍しく熟考するライバルの姿にゆんゆんも不思議そうに眉を垂らす。

 

「どうしたの、めぐみん? まさかテレポート酔いでもしたの?」

 

「いえ、あの指輪の魔法というものについて少し疑問がありまして。ソウゴ、聞いてもいいですか?」

 

「まあ、俺が答えられる範囲なら」

 

 ウィザードの歴史を継承しているからと言って、詳しい魔法の仕組みなどを理解している訳では無い。ライダーとしての誕生から消滅までの経緯と、行動から読み取れる意図を推察する程度しか造詣のない自分が答えられることは、かなり限定的と言えるだろう。力になれるかどうかわからないソウゴが自信なさげにそう返答すると、めぐみんは自身の感じた違和感を流暢に語りだした。

 

「では素人質問で恐縮ですが。我々ウィザード職には適正として魔法を理解する知力が必要で、そこに〈スキル〉として習得した魔法、発動のための呪文、そして本人の魔力という三つを組み合わせて魔法を使います。しかし指輪の魔法というものは『習得した魔法』が『指輪』、『呪文』が『ベルトからの声』で代用されており、スキルポイントが必要ないことや呪文の詠唱の簡略化という点ではかなり合理的と言えるでしょうが、まるで魔法のまの字も知らず適性もない、魔力があるだけのド素人が突然魔法使いになれてしまうような構造になっています。ソウゴの世界は、それほどまでにウィザード職が枯渇しているのでしょうか? それとも、魔法使いを生み出すことに意味があるのでしょうか?」

 

 ソウゴは単純に目を丸くした。〈ウィザードの世界〉における魔法使いとは、いわゆる人柱と呼ばれるものである。この世界のように職として確立されたものでもなく、彼女の言う通り魔法のまの字も知らない人間がある男の計画に巻き込まれ、ある日突然仕立てあげられた存在。それをたった一度で仕組みを看破しためぐみんに素直に感心したソウゴは、飾ることのない素直な感想を口にした。

 

「めぐみんって、実は賢い?」

 

「あ゛?」

 

 

   ⏱⏲「ソウゴに喧嘩を売られる日が来るとは思いませんでしたがいいでしょう。いくらでも相手になりますよ! 紅魔族に喧嘩を売⏲⏱

 

 

 山を越え、森を抜け、小川を渡り、長い道のりを何の障害もなく進む一行。先頭は索敵のカズマと防御のダクネス、真ん中に遊撃部隊であるクリスやゆんゆんを据え、後ろには回復のアクア、最終防衛ラインであるめぐみんとソウゴを配置したバランスのいい陣形となっており、万が一の感知できない奇襲にも対応できる布陣となっている。

 だが歩き始めて半日。奇襲にはちょうどいい樹木生い茂る森の中とはいえ、何のアクシデントも起きなければ気持ちは緩むもの。ちょっとしたハイキング気分でいい感じの枝を振り回し、鼻歌交じりにすれ違う木々をぺしぺしと叩くアクアがいい例だった。

 とはいえ、ここは本来魔王軍の配下や紅魔族のレベルアップの糧になるようなモンスターの生息地帯。異変を感じたのは、この辺りをよく知るゆんゆんだった。

 

「おかしい。どうして全然モンスターと遭遇しないのかしら……?」

 

「魔王軍の襲来で退避しているのではないのか?」

 

「私、スキルポイントのためにこの辺りでモンスターをよく狩っていたのでわかります。魔王軍の配下くらいなら返り討ちにするような強力なモンスターもいたはずなんですけど、その気配すら感じません……」

 

「ほんとよねー。私は楽だからいいけど」

 

「このまま無事に里まで行ければ消耗無しで済むけど、なんだか嵐の前の静けさって感じがするよ」

 

「変なフラグ立てんなよクリス。ま、それもソウゴに喧嘩売る度胸のあるモンスターがいればの話だけどな」

 

「どういうこと?」

 

 クリスが首を傾げる。そのキョトンとした顔と仕草にどういうわけか優しい女神様の顔が被りドキッとさせられたカズマは、自分の感性に疑問符を浮かべながら照れたという事実を誤魔化す為にふいっとそっぽを向いて答えた。

 

「そ、そりゃあ、ソウゴにモンスター避けしてもらってるからな。アクセル周りの生態系を変えたあの威圧感だ。あれより弱めだけど、野生の獣ほど生存本能がはたらくから〈敵感知〉にも引っかからないくらい戦意を削がれてるよ」

 

「んな!? それでは強いモンスターと戦えないではないか!!」

 

「時の魔王を虫除けみたいにするのやめようよ……。あたしが気を使う……

 

「俺は全然いいんだけど。……どうしたの二人とも?」

 

 呑気な会話をする一行だったが、ソウゴは歩みを止めた紅魔族二人の様子がおかしい事に気づく。二人ともが揃って耳を疑うような顔をし、ゆんゆんに至ってはサッと顔が青ざめていく。具合が悪いのかと心配の視線が注がれる中で、めぐみんはわなわなと唇を震わせながら声を絞り出した。

 

「……ソウゴは今、強者のオーラを出しているのですか……?」

 

「うん。そんな名前を付けた覚えないけど」

 

「早くそれしまってください! 手遅れになります!」

 

「どうしたんだよめぐみん。爆裂魔法ならこんなところじゃなくて、幹部相手にぶちかませるだろ?」

 

「違いますよ! この辺りにはいるんです! 強者を好んで狙うとびきり特殊でとびきり危険なモンスターが!」

 

 取り乱すめぐみんの言葉に、ゆんゆんは首がもげるのではと思うほど何度も力強く頷く。その顔にあるのは焦りと恐怖。好戦的な部類である二人が珍しく揃ってする同じ反応に戸惑いつつ、カズマは意識を集中させ〈敵感知〉スキルで辺りを再度確認する。しかし、すこぶる調子のいいカズマのスキルは非常に静かな寝息を立てていた。

 

「……いや、大丈夫だ。〈敵感知〉スキルに反応はない」

 

「あたしも! 周囲に敵意を持ったモンスターはいないよ!」

 

「もう、脅かさないでよめぐみん」

 

「なら先を急ぎましょう! なるべくここから離れないと!」

 

「囲まれる前に早く! でないとカズマさんが……!」

 

「え、俺限定!?」

 

「もう遅いんじゃないかな?」

 

 ソウゴの言葉を合図に、茂みを掻き分けて複数の巨体が現れる。

 発達した筋肉が隆起する、大木と見間違うほどの腕。馬のような蹄を備えた脚。牙では些か言葉が足りない獰猛な歯牙が、滝のように流れる唾液に濡れててらてらと光沢を帯びている。イノシシとブタを掛け合わせたような耳と鼻。纏う衣はフリルの着いた服なのだろうが、レオタードのようにピッタリと体に張り付いており、豊満な大胸筋とシックスパックが生物としての強さを見せつけるかの如く浮き上がっていた。そして何より目を引くのは、ダクネスを見下ろす程の長身よりも、飛沫のように服にこびりついた赤黒いシミ。

 この生き物を、カズマはお得意のゲーム知識でよく知っている。

 

「オーク!? しかもメスばっかり……! なんで〈敵感知〉に反応しないんだよ!?」

 

「あ~らァ♡、敵だなんて寂しいこと言うじゃなァ~い? 美味しそうな匂い振り撒いちゃってェ♡ 私たちはお兄さんたちと♡イ♡イ♡コ♡ト♡しに来ただけよォ~♡」

 

「……そうか! 女オークたちには敵意がない。むしろ純粋な欲求だけ! だから敵を探していたあたしとカズマくんの〈敵感知〉に反応しないんだ!」

 

「このスキル、人間にも反応するのにそんな抜け道あんの!?」

 

「わかってもらえたかしらァ? 私たちの♡あ♡い♡ たくさんいるからいつもより楽しめそうねェ♡」

 

「ヒッ……!」

 

 ジリジリと間合いを詰めてくる女オークについ悲鳴をあげるカズマ。その数はざっと数えても二十はいるだろう。ソウゴがいるという安心感を簡単に凌駕するモンスターとは違う捕食者のようなギラついた目に、カズマはこの世界に来て一番の身の危険を感じていた。

 戦闘態勢に移り、背中合わせで円陣を組む七人。背中に感じる仲間を、カズマはこれほどまでに頼もしく感じたことは無い。そういうピリピリした緊張感の中で、めぐみんが口を開いた。

 

「気を付けてくださいカズマ。捕まればお終いです……ッ!」

 

「これがお前らの言ってた、とびきり特殊でとびきり危険なモンスターなのか……?」

 

「ええ。女オークは同種のオスを腹上死で絶滅させるほどの絶倫。現在でもオスは産まれますが、成人する前に弄ばれ干からびて死にます。結果オークたちは、持て余した性欲の捌け口として縄張りに入り込んだ他種族のオスを無差別に集落へ拉致し、一滴残らず搾り取り殺してしまう男性冒険者にとっては天敵のような存在になりました」

 

「ナニソレコワイ」

 

「今では、より強い子種と本能を満たす強いオスを求める、オークとは名ばかりの様々な生物の形質を獲得した異様に強いナニカです。やつらはオスを連れ帰る前に気絶させるため一旦搾りに来ます。屋外だろうと関係なくおっぱじめるので、捕まったらカズマの初めてはここで無惨に散ると思ってください」

 

「おいコラめぐみん! なんで俺が童貞なこと前提で話まとめてやがる!」

 

「あらァ、貴方もしかしてチェリーなのかしらァ♡ 可愛いわねェ♡ なら、もう人間の女じゃ満足できない体にしてあげるわよォ~♡」

 

「結構です勘弁してください!」

 

「シャイなところもまたいいわねェ♡ 決めたわ。私貴方の子を産んであげるゥ♡ オスが六〇、メスが四〇、余生は海の見える綺麗なコテージで毎日乳繰り合うのォ♡」

 

「それ余生っていうかロスタイムですよねお断りしますぅ!!!」

 

「大丈夫だよカズマくん! あたしたちが守ってあげるから!」

 

「カズマさんには指一本触れさせません!」

 

「く、クリス……! ゆんゆん……!」

 

「誰も俺の心配してくれなくて、ちょっと寂しいんだけど」

 

「あんたの心配なんてするだけ無駄でしょ」

 

 アクアにもっともらしい顔でそんなことを言われ、しゅんとするソウゴ。しかし、そんなソウゴに構っていられるほど戦況に余裕はない。

 魔法で先制攻撃しようものなら、その強靭な脚力で一気に間合いを詰められるだろう。先手であれば範囲の広い魔法で有利に進められただろうが、後手に回った今では打開策がない。向こうが警戒して勝負を決めに来ないのは、一重に我らがクルセイダーのポンコツぶりを知らないからだということをカズマは承知している。

 

(くそ……ッ! 気は引けるが、ソウゴに頼むしか……!)

 

 時を止める。時を戻す。頼りきりになってしまい仲間としては不甲斐ないが、ここを切り抜けるにはそれしか手がない。いきなり反則級の手札を切らざるを得ない現状にこの旅への不安しか残らないが、背に腹はかえられないのだ。無事にここを離れるためカズマがソウゴに頼もうとした時、何かに気がついたダクネスがはっと目を見開いた。

 

「……待ってくれ! では、女と見るや襲いかかってくる女騎士の天敵、オークのオスがもういないと言うのか!?」

 

「今それ気になるところかな!?」

 

「もういません!!!」

 

「そ、そんな…………」

 

「なんでそんなにショックを受けてるんですか……!?」

 

 失意から呆然と膝から崩れ落ちるダクネスに、ゆんゆんはそんな感想を漏らす。だが、これはいつものギャグでは済まされない。円陣のうちの一人、それも警戒されていた前衛職が陣形を崩すということ。それはすなわち、戦線が崩れることを意味する。

 

「ダクネス! 今は遊んでる場合じゃ……!」

 

 はっとしたクリスが声を上げるが遅い。勝手にグダつき緊張の糸が切れたその一瞬を好機と捉えたのか、舌なめずりをした女オークたちは一斉に飛びかかってきた。

 

「さァ、チェリーボォイに澄ましボォイ! 二人とも今夜はこの世の天国を見せて上げるわァ!!」

 

 ルパンダイブというよりも、草食動物にライオンが襲いかかるように。詠唱の遅れたゆんゆんの魔法では、無傷でこの場を切り抜けることは不可能だろう。あの巨体に組み伏せられれば、華奢なクリスやめぐみんは勿論、腕力ではダクネス以外勝ち目がないことは明白だ。

 気づけばカズマは、建前など忘れて叫んでいた。

 

「助けてソウゴー!」

 

「もちろん。そんな未来は来ないからね」

 

 瞬間、まるで世界中の全員が同時に瞬きしたような錯覚を受けると、世界は少し前の様相を取り戻す。日の角度も風の心地も変わりはしないが、カズマたちは円陣を組む前に、そしてオークたちと対面する前に、世界は巻き戻されていた。

 違うのは失意のダクネスがその場で崩れ落ち直したこと、そして時が戻ったという自覚が全員に植え付けられていたこと。今度は周囲のモンスター全てを対象とした〈敵感知〉を行い、自分たちが既に囲まれていることを理解するカズマは、半分泣きそうな顔でソウゴに縋った。

 

「なんでこんな直近なんだよ! あれか!? またウィザード大先生の〈テレポート〉か!?」

 

「会話ができるならちゃんと話し合いしなきゃ。俺、言ったじゃん。モンスターも民だって」

 

「こんの澄ましボーイが! 女オークさんは残念だけど例外でいいと思うよ!?」

 

 カズマの悲痛な叫びを聞いたのか、再度茂みを掻き分け現れる女オークの群れ。数は変わらず二十と少し。今度は最初から本気なのか、この春も終わろうという時期に肌が上気し体から湯気が立ち上っていた。だがソウゴの得体の知れない力を警戒しているのだろう、襲いかかってくる素振りはない。

 とはいえ、明らかに常軌を逸している女オークたちにまたギラついた目を向けられ、ジェットコースターに乗った時のように股がひゅんとなるカズマ。アクアの背中に隠れた彼の視線は、ただ一人の頼みの綱に向けられていた。

 

「いったい何をしたのかしらァ? まるで時間が戻ったみたいじゃなァい?」

 

「初めまして、オークのみんな。俺、常磐ソウゴ。最高最善の魔王を目指してるんだ。話がしたいんだけど、いい?」

 

「私の名前はスワティナーゼ。ピチピチの十六歳♡ 恥ずかしい性癖とエロトークならベッドの上でいくらでもしてあげるわァ♡」

 

「違うよ。そういうんじゃなくて、住み分けの話。君たちに性欲を抑えろとは言わないけど、拉致するなら生きて返して欲しいんだ。人もモンスターも。殺しちゃうと、やっぱり共存は出来ないからさ」

 

 本当に交渉を始めたソウゴ。彼にとってはドリスで散々行ってきた事なので普段通り振舞っているが、モンスターと対話なんていう見た事のない光景にパーティーメンバーもただ唖然と見守るしか無かった。

 

「俺は皆に幸せでいて欲しい。話ができるなら妥協して貰えると嬉しいな。そうすれば、余計な争いはなくなるでしょ?」

 

「それはできないわァ。私たちは愛に生きる狩人。この飢えを満たさなくちゃ、生きてる意味がないの!」

 

「でも、君たちが襲った人達にも生きる意味があった。それを汲んであげてほしいんだ」

 

「彼らに生きる意味があったのなら、それは私たちの心を満たすことよ! 満たせず死んでしまった弱いオスに払う敬意なんてないわァ!」

 

 話は平行線。比較的友好だったサキュバスと初めて邂逅した時もこうだった。弱肉強食の世界で生きるということがどういうことか、ソウゴは何度もこの壁にぶつかってきた。

 全ての生き物と分かり合い手を取り合うことは不可能だろう。彼らにも生き甲斐があり、種としてのプライドがあり、糧を得る必要がある。故に完全な敵対意志を持つもの達とは戦わなければならない。擦り合わせられるなら、それが一番いい。これが自分の理想であり、エゴであることは理解している。それでもなるべく多くの民が幸福であるようにしたい。オークと言えど例外にはできない、ソウゴなりのエゴとの付き合い方がある。

 少し脅して、それでも引かないなら戦うほかはない。あまり好ましくはないが、力を示すしかこの世界で大言を宣う資格を得られないのだから。そう切り替えて、一人二人くらい消し炭にしようとしたとき、スワティナーゼは「そうだわ」と何かを思い出したようにニヤリと笑った。

 

「彼らは心は満たせなかったけど、お腹は満たしてくれたわねェ」

 

 その言葉に、ソウゴの動きが止まった。そんな機微な変化に気づかないスワティナーゼは続ける。

 

「特に耳がよかったわァ。私、人間の耳が好物だって最近知ったのォ。貴方たちがもし私たちを満足させられなくても大丈夫ゥ♡ 私たちがちゃぁんと食べてあげるわねェ♡」

「私、紅魔族の目を一度食べてみたかったのォ! 普通の人間とどんな味の違いがあるのかしらァ?」

「私は足よォ! 女の足は柔らかくて美味しいんだからァ!」

「指を!」「私は」「腹の」「骨の髄までしゃぶり尽くしてあげるわァ!」

 

 オークたちは共鳴するように口々にゲタゲタと笑い始める。その目は血走り、野生の猛獣以上に危険な雰囲気を醸し出す。貞操の危機よりももっと恐ろしい何かを感じて、カズマは冷や汗を垂らした。

 

「こ、こんなのと和解なんて無理だろ……!」

 

「いつものオークなら、女性冒険者なんて無視して男の人だけを攫っていくはずなんです! それがどうして捕食対象に……!」

 

「駄目よ! 人間も女神も食べたって美味しくないわよ! 食べるならカエルとかにしときなさいよ!」

 

「そういう問題ではありませんよ! あの目、マジです!」

 

「どうするの、ソウゴくん! ……ソウゴくん?」

 

 捕食者の目に晒されても、まるで微動だにしないソウゴ。分かり合えないことに少なからずショックでも受けているのかとクリスが心配そうに声をかけるが、別段ソウゴは落ち込んでいるわけではなかった。むしろ何か気になることがあるのか、普段通りの思案顔。その事が、オークたちと違う意味で少し怖く感じてしまう。

 考えをまとめたのか、普段と何ら変わりない表情、そして普段と何ら変わりない声色で、ソウゴはオークたちに疑問をぶつけた。

 

「……君たち、この辺りで魔王軍の配下を襲った?」

 

「何人かお誘いしたわよォ。長持ちしたけど、事切れた途端に干からびてビックリしちゃったけどねェ♡」

 

「人を食べるようになったのはその辺りから?」

 

「ええそうよォ。無性に美味しそうに見えちゃったのォ! でもやっぱりお腹より心が優先! 私たちを貴方たちの息子から溢れる愛で満たして貰わなきゃ♡」

 

「……そう言えばさ。オークってもっとたくさんいないとおかしいよね。君たちの集落には、まだ仲間がいるのかな?」

 

「ええいるわァ。だから休む間もなくいくらでも楽しめるわよォ♡」

 

「そっか。じゃあ、そっちも後で潰さないとね」

 

 ソウゴの意思に従い、腰にオーマジオウドライバーが現れる。顕現と共に黄金の輝きを放ち、有り余ったエネルギーが稲妻のように辺りに霧散して存在感を強調した。

 だが、それでもソウゴの顔色は険しくなったりしない。

 

「……熱い。足元あつってなんか燃えてるんですけど!」

 

 ソウゴの背後、アクアたちの足元に赤黒い巨大な時計が出現する。正午を示していた針は二つに別れ、短針は時を戻り、長針は時を歩む。進めるも巻き戻すも自在。そんな王にとっては当たり前のことを下々の者に理解させるかのように時を示した時計は、地を割って熱を放出する。

 

「変身」

 

 

«祝福ノ刻»

«最高»«最善»«最大»«最強王»

«オーマジオウ»

 

 

 丁度アクアの足元から射出された千度を超えるエクスプレッシブフレイムアイ、要するに『ライダー』の文字がダークマターインゴット製の頭部に収まり、変身が完了する。と同時に放たれた力の波動は、とても普段通りの様子からは想像できない禍々しい黒い靄となってオークたちの肌を撫でた。それだけで彼女たちにはわかってしまう。いや、様々な遺伝子を取り込んだオークだからこそその靄に乗った殺気を鋭敏に感じ取れたのだ。

 

「俺の判決を言い渡すよ――」

 

(こ、これにだけは勝てない…………ッ!!!)

 

 目の前にいるのは関わってはいけない、逆らってはいけない、格の違う生物だと。

 

「――“死”だ」

 

「に、逃げるのよォ!!」

 

 死のイメージしか湧かない怪物。それが突然目の前に現れたらどうするか。答えは簡単。何を、誰を犠牲にしようと生存本能に従って逃げる。みっともなくとも、無様でも、例え腕や脚をもがれても逃げる。煮えたぎるような性欲も忘れ、ただそれしかオークたちの頭にはなかった。

 

「い、いや、確かにヤバい奴らだったけどそこまでする必要は……」

 

「カズマ。今回の幹部が持ってるライドウォッチが何かわかったよ」

 

 流石にかわいそうに思えたのか、幹部を葬るオーバーキルもいいところの変身に先程までの恐怖が吹き飛んだカズマが口を開く。しかしその言葉を遮ったオーマジオウは、淡々と、いつも通りの声色で語り出した。

 

「“仮面ライダーアマゾンネオ”。彼の歴史には人間を第五のアマゾンへと変異させる溶原性細胞っていうものがあってね。第五のアマゾンの特徴は、愛するものほど食したくなる人肉への食欲と、人体の一部部位に対する執着。きっとアマゾンネオのウォッチを利用して改造された配下の体液から感染したんだろうね。体の変化は無さそうだし、オークアマゾンってところかな?」

 

「感染とかすんの……?」

 

「水分がないとすぐに死滅するから空気感染はしないよ。発症するのも極わずかな可能性なんだけど、オークたちは他の遺伝子同様に取り込んじゃったんだろうね。これで、アマゾンアルファのウォッチが入ってたデストロイヤーが紅魔の里へ向かってた理由もわかった。ウォッチ同士が引かれあってたんだね」

 

「いやいや! そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ! それって、タダでさえ危険なモンスターが更に危険なモンスターになったってことでしょ!? 逃げられちゃったじゃん!」

 

 オーマジオウの説明をいち早く理解したクリスが焦ったように声を荒らげる。話をしているうちにオークたちの姿も、気配ももう遠いもの。この一瞬で足場の悪い森の中をあの巨体で逃げるのは、普通であれば無理だろうがオークたちの獲得した運動能力なら可能だろう。しかし悠長に構えるオーマジオウは、とても落ち着いた雰囲気でカズマに手を差し出した。

 

「弓貸して」

 

「弓? いいけど、もうとっくに弓の射程距離なんて超えてるぞ?」

 

「大丈夫だよ。ちゃんと当てるから」

 

 懐疑的なカズマから弓を受け取るオーマジオウ。そのままオーマジオウは、手にした金の装飾が施された緑の銃剣のスロットルを引く。展開されていた曲線の弓のようなものが折りたたまれると、オーマジオウはその銃口を片手で天高く掲げた。

 

「おい待て。俺の弓は?」

 

「え? これだけど」

 

「え?」

 

「え?」

 

 不思議そうに首を傾げ合う二人。まるで噛み合わないが、オーマジオウは気を取り直して狙いを定めると、空いた右手でドライバーに手を宛てがう。

 

«Wノ刻»

 

 時を読み取ったオーマジオウドライバーが、抽出し再現するライダーの時代を表し名を呼ぶ。すると禍々しいオーラを増幅させたオーマジオウは、躊躇いなくその引き金を引いた。

 

「ペガサスフルバースト」

 

 銃口が一瞬雷を帯びると、空気が揺れる。銃口から不可視の弾丸が放たれたのだ。音からして、全部で三発。それを見届け変身を解除したソウゴは、持っていた弓をカズマへと差し出した。

 

「ありがとね、弓」

 

「お、おう。……あれ? さっきの銃は?」

 

「え? これだけど」

 

「え?」

 

「え?」

 

「漫才してる場合じゃないよ! 今の何!? ちゃんと説明してよ!」

 

「ああ、そうだね」

 

 掴みかかるクリスに、その後ろで不安げな仲間たち。その視線に少し考えたソウゴは、いつものへらへらとした笑みを浮かべた。

 

「人間の味を覚えたのなら、リプログラミングしてもきっと人を襲うと思う。だからあのオークたちは狩ることにしたんだ。バラバラに逃げたけど集落を潰すって話をしたから、彼女たちは子どもたちを避難させるために集落に一度帰る。だから今ので魔力の高いオーク三人にクウガの封印エネルギーを撃ち込んだんだ」

 

「『ふういんえねるぎー』ってなんですか……?」

 

「“仮面ライダークウガ”の力だよ。ライジングに俺の力を上乗せして“仮面ライダーW”の力で追尾能力を与えた空気の弾丸を、クウガの超感覚と俺の未来予知能力で肩とか腕とか、走るのに支障が出ない箇所に撃ち込んだ。全員が集落に辿り着く頃には、全身に封印エネルギーが回ってるよ」

 

「それが全身に回ると、どうなるのですか? まさか、オークを休眠させる効果が……?」

 

「そんな力はないよ。増強した封印エネルギーが全身に回って、魔力に引火すると――」

 

 そこまで言って、ソウゴはくるりと振り返る。するとそれを待ちかねていたように、遠くの方からとても大きな爆発音が一つ轟いた。突然の大音量に動物たちは騒ぎ始め、音がした方角では何かが燃えているのか煙が上がり始める。

 何となく察した面々に向けて、ソウゴはいつも通りのへらへらとした顔で微笑んだ。

 

「じゃ、先を急ごっか」

 

「だから、やることがえげつないんだって」




「これが、『魔術師殺し』の力……ッ!」

 焦土と化した大地で、みっどしーは歯を食いしばった。

 対紅魔族用決戦兵器『魔術師殺し』

 紅魔族への抑止力として王の命により開発された、魔法無効化フィールドを展開する蠍の尾のような形をした兵器。その暴走により、国は火の海に包まれていた。

「くっ……! 俺たちはなんて無力なんだ……ッ!」

 創造主に誓った平和への祈り。散っていった仲間たちへの思い。みっどしーの胸に刻まれたこの暖かな気持ちは決して偽りではない。しかし、誰も、何も守れない圧倒的な無力感に、心は折れる寸前だった。
 みっどしーは、愛する者の残した杖を抱きしめた。

「まりんな……。俺は、もう……」

 『魔術師殺し』がみっどしーに狙いを定める。無情なる制裁が、みっどしーへと襲いかかった。


紅魔黎明記 第二章 紅魔、赤星に散る


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この痛々しい故郷に休息を!

 コンソメの香りでゆんゆんは目を覚ました。

 体を冷やさないよう掛けていたローブから身を起こし新鮮な空気を肺いっぱいに取り込むと、うんと一つ伸びをする。硬い地面で寝ていたからだろう、軋む体からはポキポキと関節の鳴る音がした。しかし、連日歩きっぱなしだった疲れはしっかりと取れていて、野宿とは思えないとても気持ちの良い目覚め。細かな時間はわからないが、寝起きの頭でも今日が出発から二度目の夜を明かした朝だということは覚えている。微睡む頭で、一旦状況を整理することにした。

 

(確か、昨日は日が落ちる頃に里の近くまで来れたんだっけ。夜戦はこっちが危ないからって夜明けを待つことにして……)

 

 火の番はカズマ、ソウゴ、クリスのローテーションになったため他のメンバーは早めに床に就いた。今の今までぐっすり眠れていたということは、魔王軍に見つかることはなかったということだろう。

 寝ぼけ眼を擦り周りを見れば、寝ているのはアクアだけ。オークとの遭遇からずっと、アマゾン化したモンスターがいないか調べるために魔物寄せの魔法を連発していたので疲れが溜まっているのかもしれない、と一人納得する。実はそんなことは関係なく、このアークプリーストはただ爆睡しているだけなのだが、ゆんゆんにはそれを知る由もない。

 気持ちよさそうに寝息を立て、放り出したお腹をガシガシと掻く彼女を眺めていると、ゆんゆんが起きたことに気づいたカズマが声をかけてきた。

 

「おはよう、ゆんゆん。朝飯はもうちょっとでできるんだけど、それまでコーヒーでも飲むか?」

 

「あ、いただきます」

 

 ゆんゆんが答えると、鍋をかき混ぜるのを一旦やめたカズマはマグカップにインスタントコーヒーを振り入れる。そこに〈クリエイトウォーター〉で清潔な水を注ぎ、底を〈ティンダー〉で加熱すればあっという間にコーヒーの出来上がりだ。普通は見向きもされない初級魔法を器用に操る様は、最下級職と平凡な見た目だけでは侮れない。ピーキーなパーティーメンバーをフル活用し上手く立ち回る機転の良さ、姑息と評されるその邪知深さ、そして様々な〈スキル〉を使いこなしこうして食糧のキーピングまで行える管理力。普段の言動や街の冒険者からの評価はアレだが、ソロが基本のゆんゆんとしてはそのオールラウンダーさから見習うものはたくさんあると言えるだろう。

 湯気の立ち昇るマグカップを、カズマは持ち手をゆんゆんに向けて差し出した。

 

「カップの底熱いから、持つとき気をつけてな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 カップを受け取ったゆんゆんは、言われた通りマグカップの側面に手を添えてコーヒーに口をつける。自分がバイトしている喫茶店で飲むものとは違う、非常に簡素な味。味わい深さなど欠けらも無いが、目を覚ますには丁度いい苦味が口に広がる。しかし、屋外で飲むとその味もまた格別に感じるもの。ほっと落ち着きながら、頭が起き始めたゆんゆんはここにいない者たちのことを尋ねた。

 

「あの、皆さんは?」

 

「クリスが偵察、他の三人は食えそうなモンスターを探しに行ってるよ。紅魔の里ももうすぐだし、助けに行く俺たちが食糧を圧迫するわけにはいかないからな」

 

「そうなんですね。じゃあ、私もなにか……」

 

「いや、ゆんゆんは体力と魔力を温存しておいてほしいからゆっくりしててくれ。ゆんゆんの〈テレポート〉で現地入りしなきゃいけないからな。全員帰ってきたら、クリスの情報を基に作戦立てよう」

 

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 そう言って、またコーヒーに口をつける。申し訳ないような気持ちにはなるが、パーティーリーダーの采配にケチをつけてもしょうがない。自分の出来ることをして他のメンバーの役に立つ。それが集団戦というものだと、出発前に読み込んだパーティーメンバーと仲良くするための本にも書いてあった。

 

(……私もパーティーが組めたら、こんな感じなのかな……?)

 

 カラカラと底につかないよう鍋をお玉でかき混ぜる音を聴きながら、風に乗って鼻をくすぐるスープの香りにお腹を空かせる。今日の朝食は乾パンとコンソメスープだろう。スープの具材は、恐らく昨日寝る前に凍結魔法で冷凍保存した一撃ウサギ(ラブリーラビット)の残り。避けるのも困難なスピードで飛んできた一撃ウサギを、眉ひとつ動かさず片手で難なく受け止めたソウゴには驚かされたものだ。

 他にも、幸運値最低のアクアが〈フォルスファイア〉を使い、群がってきた大量のモンスターをソウゴが時を止めて全員で選別する、カズマの故郷で行われていたという『ていちあみりょう』も新鮮な体験だった。ダクネスが邪道だと物足りなさそうな顔をしていたり、『ちょうちんあんこう』と称されたアクアが憤慨したりと、それを見て笑えるだけの余裕も貰った。

 

(でも、驚くのにもちょっと慣れてきたかも)

 

 自分にも耐性ができてきたのか、慣れとは自分で思っている以上に恐ろしいもの。彼らと交流を持つようになってそれなりの時間は経ったが、ようやくトキワソウゴという規格外に慣れてきたと言っていいだろう。初めて声をかけてもらった時から、随分と時間がかかったように思うが。

 コーヒーを飲みながら、ゆんゆんは思い出し笑いついでにふと思った。

 

(あれ? なんだか、すごく仲間っぽくない……?)

 

 思い返せば、平時は門番や街の巡回をしているソウゴと(一方的とはいえ)よく話す。街で見かけたり、ギルドにいればカズマやアクア、ダクネスにも挨拶してもらえる。飲み会があれば声もかけてもらえる。たまにクリスからはクエストのサポートを依頼されたりもする。他にも、この間は旅行もして、魔王軍幹部のスライムと戦って、こうして里までの道を共に歩いている。支え合い、協力し、困難に立ち向かう。自分の想像する理想ではないかと、冷静に考えてみれば思い当たる節も多い。

 

(いや、流石に仲間は……。向こうはそう思ってないかもだし、それにカズマさんたちだって今回は里が心配なめぐみんに付いてきたって感じだし。……じゃあ、次にどこか行く時誘ってもらえたら仲m……、と、友だちくらいには思っても……? いやいやいやいや! もし私の勘違いで、里の外の人にとってはこれくらいなら普通に知り合いくらいの関係でもするかもだし! そもそもライバルがいるパーティーに入れてもらおうだなんて! これは共闘……。そう、共闘よ! 断じて仲間とかじゃなくて! ……でもやっぱり、知り合い以上友だち未満的なものを期待しても…………)

 

「何一人でもじもじしているんです? トイレですか?」

 

「うっひゃぁ!?!!!??」

 

 

   ⏱⏲「あー! 大事なローブにコーヒーがー!」⏱「本当に何をしているんですか……」⏲⏱

 

 

「時を戻すってやっぱり便利よね。一日かけて汚れた服とかも洗濯したてくらいに戻せるんだし。ねぇ、毎日すれば一生服洗わなくていいんじゃない?」

 

「そんなことしたらクリーニング屋さんと服屋さんの仕事なくなっちゃうよ」

 

「すみませんすみません! お手数をお掛けして……」

 

 コーヒーが染み込んだローブを今朝起きた時点まで戻してもらい何とか体裁を整えたゆんゆん。彼女のほっとした顔を見届け、全員に食器が行き渡ったことを確認したカズマは、乾パンを口に放り込んで言った。

 

「よし、じゃあ今から作戦会議するぞー。クリス、頼む」

 

「ひゃーい」

 

 同じく乾パンを齧り、ウサギ肉を頬張っていたクリスはスープで口の中のものを流し込むと、空になった食器を置いて立ち上がり、木に刺した周辺地図の前へと移動した。それを全員が食事をしながら注視する。注目の的となっているクリスは、記憶を頼りに地図に赤ペンで印を書き込む。

 

「魔王軍の基地は里から少し離れたこの辺り。結構立派なのがあったよ。近くに水場はなし。攻めてきた敵が見えるよう見晴らしが良くなってて、攻め込むには正面突破しかなさそうかな。あたしは〈千里眼〉使えないから、武装したモンスターが出入りしているのしか見えなかったけどね」

 

「里の方はどうなっていたのだ?」

 

「静かなものだったよ。火の手は上がってなかったし、制圧はされてないんじゃないかな。囲まれてもなかったし、遠くから見た感じだと手紙ほど緊急って感じはしなかったかも」

 

「一時後退してたり、交渉の準備をしてたりする可能性もあるから油断出来ないな」

 

「そんな! 我々紅魔族が魔王軍に屈するなどありえません!」

 

「魔法使えない子どもとかが人質にとられてたらそうも言えないだろ。あんな手紙送ってくるくらいなんだ。今はあらゆる可能性を考慮した方がいい」

 

「そう言えば、紅魔の里ってアルカンレティアと違って里全体から色んな魔力を感じるんだけど、どうして? 人とか、悪魔とか、神とか。そのせいで感知し辛いんだよね」

 

「里には『邪神が封印された墓』や『名もなき女神が封印された土地』などがありましたからね。両方とも少し前に解かれてしまいましたが」

 

「封印が解かれてるのになんでそんな緊張感ねぇんだよ」

 

 もしかすると紅魔族というのは相当にヤバい種族なのかもしれない。カズマが呆れて肩を落としていると、素面なめぐみんと違って恥ずかしげにゆんゆんは俯いた。

 話が逸れたため、クリスは咳払いをする。

 

「続けるよ。……デストロイヤーのときみたいな化け物って感じのは見当たらなかったかな。オークみたいに、外見は変わらず能力だけ継承してるのかも」

 

「だと厄介だね。俺、アマゾンかどうかの見分けつかないからさ」

 

「そうなのか? 魔力の違いとかでわかるものではないのか?」

 

「俺がザモナス……えっと、〈アマゾンズの世界〉の力を集約したライダーのウォッチを持っていれば、その世界の力も使えるんだろうけどね。〈アマゾンズの世界〉は平成ライダーの世界じゃないけど、ザモナスは〈ジオウの世界〉で生まれた平成ライダーだからさ」

 

「ちょっと何言ってるかわかんないな」

 

「……あら? そう言えばクリスってデストロイヤーの時いたかしら?」

 

「え? い、いたよー? 頑張って戦ってたけどなー? ね、ダクネスー?」

 

「そ、そうだったか? あの時は人も多かったからな……」

 

 流石にディケイドと組んで別の場所でこっそり戦ってたとは言えないため、適当に誤魔化すことにしたクリス。アクアはまだ訝しんで首を捻っているが、事情を理解しているソウゴは助け舟のつもりで話題を変えることにした。

 

「それで、どうするのカズマ? 予定通りここから〈テレポート〉? それとも基地を攻める?」

 

「基地を攻めるのはリスクが高いな。ソウゴがいれば安心だけど、敵戦力がわからないまま無策で突っ込むのは無謀だ。まずは俺とソウゴで先行して里に入って、問題なさそうなら全員合流しよう」

 

「二人でか? 初めから全員で行った方がいいのではないだろうか」

 

「里に内通者とか、スパイが紛れていたら全部筒抜けになるだろ。本当に人が捕まっていた時はお前たちで救出してもらうことになるし、それにダクネスには頼みもある」

 

「頼み?」

 

「ああ。俺の代わりにリーダー代行をな。それと……」

 

 疑問符を浮かべるダクネスに向けてひょいひょいと手招きするカズマ。それに習って顔を近づけたダクネスの耳元で、他には聞かれないようそっと耳打ちをする。

 

「(もし紅魔族がアマゾンになってたら、人死にもやばい上に真っ先に狙われるのはめぐみんとゆんゆんだ。十四のあいつらに同郷の人たちと殺し合いさせるわけにいかないだろ)」

 

 ハッとしたダクネスは、少し表情を曇らせる。しかし、悟られてしまえば何のために頼みなんて言う嘘までついて二人が汚れ役を買って出たのかわからない。顔を引締めたダクネスは、カズマとソウゴに向けて真剣な眼差しを向ける。

 

「そうだな。万が一の時は任された」

 

「頼むぞ」

 

「え? なになに? 何の話?」

 

「お前が言うこと聞かない時の制御法だよ」

 

「何よそれ! 絶対違うわよね!? ねえダクネス違うわよね?」

 

「安心してくれ。私はアクアが隠している高級なシュワシュワを料理酒と入れ替えたりしない」

 

「本当に何の話してたのよ!?」

 

「冗談だって。詰め替えたのは料理酒じゃなくて安酒だよ。ほら、おかわりいるか?」

 

「いる! ……今なんて言った?」

 

 オチがついたところで、詰め寄るアクアを無視しておかわりをよそう。ある程度緊張も解れただろう、動きも決まったのだから腹ごしらえが済めば行動開始だ。

 紅魔族がアマゾンになっていた、なんていうソウゴによる粛清ルートだけは回避したいと静かに女神エリスに祈るカズマ。よく知る二人が天涯孤独になる未来だけは御免被りたいが、もしも魔王軍の手によってアマゾン化していた場合は……

 

 

〖既に魔王軍によって里は全滅させられていた〗

 

 

 ソウゴと話して決めたこの嘘を伝える。真相は墓まで持っていくと二人で約束した。この約束だけは、例え何があっても違えることはないだろう。一番の危険要素はバニルだが、バニルとて自分の夢が叶うよりも先に自分の残機が全損することは避けたいはずだ。

 腹を括ったカズマが、普段通りを装ってクリスのおかわりをよそっていた時だった。

 

『!?』

 

 ズドォンッ! と、地鳴りが響いたのは。

 

「な、なになに!? 今の何の音!?」

 

「わからない! けど音は里の方からだよ!」

 

 音は続け様に鳴り続ける。まるで怪獣映画で爆弾やミサイルが投下されている時のような、戦闘という呼び名がかわいらしく感じるほどの文字通りの戦争音。魔王軍にも相当な魔法の使い手がいて、真正面からの全面戦争でも展開されているのかもしれない。そんな仮説を信じてしまえるほど、空気の震えや木々のざわめきは異様なものだった。

 しかし、少しほっとしている部分もあった。

 

(紅魔族がまだ戦ってるってことは、アマゾンになって共喰いしてないってことだ!)

 

 期待を込めてソウゴを見ると、彼も同じことを考えていたのだろう、確かに頷く。怪我の功名とでも言うべきか、戦争の音が生存者を知らせてくれていた。胸を撫で下ろすカズマだが、安心ばかりもしていられない。戦闘は既に始まっているのだから。

 頭を切り替え、最善の策をめぐらせる。

 

「予定は狂ったが、全員で行くぞ! 装備を整えてくれ! 紅魔族に加勢する! ゆんゆん、ここから全員いけるか!?」

 

「はい! いけます!」

 

「よし、めぐみんは爆裂魔法の準備! ソウゴは〈テレポート〉直後の流れ弾の対応を!」

 

「わかりました!」「任せて」

 

「ゆんゆん! 頼む!」

 

「いきます! 〈テレポート〉!」

 

(お父さん……っ!)

 

 不安で顔が強ばる。だが、紅魔族族長の娘としての誇りで心を立て直す。ただ家族の身を案じて、ゆんゆんは魔法を唱えた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「そこまでだ、魔王軍! ここからは俺たちが――」

 

 ソウゴのショートワープによる微調整で戦場が見渡せる丘の上まで跳んだカズマたちは、各々の得物を構えて名乗りを上げる。

 しかし、現実というのはいつだって予想を裏切ってくるもの。駆けつけ戦場を見渡したカズマは、この世界が毎度毎度自分に斜め上の回答を叩きつけてくることを思い出した。

 

「撤退だ! 一人でも多く生き残るんだー!」

「だから嫌だって俺は言ったんだ! こいつらと戦うのは!」

「帰りたい! お家に帰りたい!」

 

 死屍累々。阿鼻叫喚。大地は爆ぜ、風が切り裂き、炎が降り注ぎ、水が飲み込み、雷が鳴り轟く。魑魅魍魎の命を塵芥に変えていき、さっきまで生命(いのち)だったものが辺り一面に転がる屍山血河。未だかつて見たことがない、この世を嘆く言葉を幾つ並べても足りない地獄絵図がそこには繰り広げられていた。

 紅魔族の手によって。

 

「その命、灰燼として散らせ! 我が深淵より生まれる闇の炎によって!」

永遠(とわ)に眠れ。氷の中で――」

「邪悪の下僕たちよ、無へとお逝きなさい……」

「EAT……KILL……ALL…………!」

 

 魔王軍の数は優に千を超えているだろう。ゴブリンやコボルトに混ざって、悪魔もどきやゴーレムの姿も散見される。そこに向けて際限なく放たれる、あらゆる属性の上級魔法が織り成す雨あられ。誰がどう見ても、滅亡寸前なのは紅魔族ではなく魔王軍である。不安だとか、墓まで持っていく決意だとか、そういう盛り上がった気持ちの類いを全て置き去りして現実は進んでいく。

 炎の竜巻。氷柱の雨。割れた大地。吹きすさぶ嵐。おまけに轟音、そして爆風。災害という災害が、厄災という厄災が、数などものともしない紅魔族によってもたらされ、ちっぽけな魔王軍の命を虫けらのように蹴散らしていく。日本にてCERO Zくらいのゲームで見たことある光景に、カズマはただ呟くしかなかった。

 

「――なにこれ」

 

「さ、さぁ……?」

 

「なんだか、手紙で書いていたほどのピンチって感じはしないね……?」

 

 状況が飲み込めないパーティーメンバーたちは、やり場のない気持ちを抱えてポカンと戦場を眺めることしかできない。顔を見合わせるだとか、日頃のストレス解消とばかりに散々上級魔法をぶちかます連中に事情を聞くだとか、ソウゴでさえそんな簡単なことすら思いつけない絵面。呆然としているだけで勝手に魔王軍は倒されていく。そんな風に無為な時間を過ごしていると、後ろから男が声をかけてきた。

 

「……おや? ゆんゆん? ゆんゆんじゃないか! めぐみんも! 二人とも帰ってたのか!」

 

 聞き覚えがあるのだろう。いち早く反応するゆんゆん。そして彼女は驚愕に顔を歪めると、震える声を喉から絞り出した。

 

「お、お父さん……?」

 

「帰ってくるなら帰ってくると手紙をくれれば良かったものを。お父さんがアルカンレティアまで迎えに行ったんだぞ? 最近はオークも気が立ってるからなぁ」

 

 ゆんゆんから「お父さん」と呼ばれる壮年の男性。歳の割には十字架だのトゲの付いたアクセサリーだのをゴテゴテと身に着ける、日本のイタい中学生のようなファッションを好んでいるようで、これが受け入れられている『紅魔族』というものの方向性が垣間見える身なりをしていた。

 なんとなくオチが見え始めた気がするものの、高ぶっていた手前、現実を受け入れるのに少し時間が欲しかった一行は、成り行きに身を任せることにして静かに親子の対面を傍観していた。

 

「え、いや、どうして……?」

 

「どうして……? まさか、ゆんゆん! 我が愛しの娘よ! あの戦いのせいで記憶を……!?」

 

「違うから! もう、恥ずかしいことしないで!」

 

「なんだ。アクセルへ行っても内気なところは変わらずか……。ところで、そちらの方々は?」

 

 男――ゆんゆんの父親にして紅魔族族長。そしてあの手紙を書いた張本人は、叩き折りたくなるような白い歯を見せてニカッと笑った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ゔぅ゙……! あの人見知りの娘が、里の外で仲良くなった人を連れてくるなんて……! 今日はな゙んて! な゙んて素゙晴らじい日なんだ……! 今夜はお祝いにしよう……!」

 

「ちょっ、やめてよお父さん恥ずかしいから……!」

 

 大袈裟ではなく本当に涙をボロボロと零す父親に、頬を朱に染めるゆんゆん。それを見て、一同は紅茶を啜った。

 成り行きに身を任せたまま、自分たちの屋敷と引けを取らない立派な邸宅に案内されたカズマたち。言われるがまま応接間に通され、許されるがままに上質なソファに座り、そして勧められるがままに香り高い紅茶をご馳走になる。その頃には外の大災害も落ち着いたようで、もうすっかり音は響いてこなくなっていた。

 一頻り泣いたゆんゆんの父親は、ゴホンと一つ咳払いをすると腕を組み、カッと開いたその瞳に特徴的な深紅の光を宿した。

 

「我が名はひろぽん! ゆんゆんの父にしてこの里の長……紅魔族を導く者! 改めて歓迎しよう、外の人達」

 

 ニカッと無邪気に笑うひろぽん。ゆんゆんが里で浮いてしまうのもわかる濃いキャラクターに少し胃もたれしそうになるものの、郷に入っては郷に従え。会釈してカップをテーブルに置いたソウゴは、とりあえずこちらも名乗ることにした。

 

「我が名は常磐ソウゴ。全てのライダーの歴史を束ねる、最高最善の魔王だよ」

 

「我が名は佐藤和真。アクセルの街で数多のスキルを習得し、魔王軍幹部と渡り合う最強の最弱職です」

 

「我が名はアクア。この地に降臨せし気高く麗しい水の女神にして、いずれ魔王を討ち滅ぼす崇められし存在よ」

 

「我が名はクリス。しがない盗賊だよ」

 

「わ、わが、わがなはダスティネス…………」

 

「いつもながらお前の羞恥心はどこに重きを置いてんだよ」

 

「ハッハッハッ! 良い方たちじゃないかゆんゆん! 皆さんゆっくりしていってください! それで、今日はまたどうして? 観光ですかな?」

 

 ソウゴから始まった名乗りに嬉しそうに顔を綻ばせるひろぽん。そんな彼の一言に目的を思い出したゆんゆんは、赤面し俯いたダクネス以外の、最初から目的を忘れていなかった面々からの冷ややかな視線を受けてバツが悪そうに肩をすくめる。そして彼女は、ニコニコと観光名所について語る父に向けて窺うように尋ねた。

 

「違うのお父さん。あの、手紙のことなんだけど……」

 

「手紙? 手紙がどうかしたのか?」

 

「どうかしたのかって、里のピンチだって書いてあったから私たち……」

 

「里のピンチ? 一体なんのことだ? ただの近況報告しか書いてなかったはずだが……」

 

「近況……報告…………?」

 

「ああ。一、二週間くらい前かな、流れの吟遊詩人が紅魔族の歴史を知りたいと里に立ち寄ってくれてね。いくつか街へ寄ったあとアクセルの街へ行くと言っていたから、里に伝わる伝承が記された禁忌の書物を渡す代わりに届けてもらうようお願いしたんだよ」

 

(白ウォズのやつ、吟遊詩人って役職気に入ってたのかな)

 

 アルカンレティアでの一幕を思い出し、そんなことを思うカズマ。歴史を語るなんちゃらと言っていたのは、あながち口から出まかせというわけでもないのかもしれない。それよりも、禁忌の書物なんて物騒なものをほいほい押し付けてくる方が問題な気がしなくもない。

 野営地に置いてきたあの本は返した方がいいのかとカズマが考えていると、父親の言葉を受け入れられないゆんゆんはパクパクと酸欠の魚のように口を開くと、取り乱したように身を乗り出した。

 

「で、でも、この手紙が届く頃にはこの世に居ないって……!」

 

「紅魔族のいつもの挨拶じゃないか」

 

「魔王軍の基地を破壊することもできないって!」

 

「破壊するか観光名所として残すか意見が割れていてね……」

 

「じゃあ、魔王軍の新たな生物兵器は!?」

 

「見たことの無いモンスターの亜種らしいんだがね。まあ、我々紅魔族は上級魔法で遠距離から吹き飛ばすから、実際なんなのかはわからないんだけどな」

 

 ハッハッハッ! と豪快に笑うひろぽんに言葉を失うゆんゆん。これだけ雑に扱われてアマゾンもさぞ無念だろう。カズマはそう思い、紅茶を啜った。

 

 

   ⏱⏱「すみません。父には私から制裁を加えておきます……」「ゆんゆん!?」⏲⏱

 

 

「すみませんでした。私も少々冷静さを欠いていたようです……」

 

 ゆんゆんと別れ里を歩きながらめぐみんの実家を目指す一同に、めぐみんはシュンとした表情で謝罪の言葉を口にした。ゆんゆんと違い紅魔族のセンスを理解していた分責任を感じているのか、いつもと違いしおらしい態度。そんな彼女に調子でも狂ったか、こんなときなら間違いなく悪態の一つでもつくカズマでさえガシガシと頭を掻いた。

 カズマたちだってわかっている。デストロイヤーにハンスと、立て続けにライドウォッチというものの力を目の当たりにし、その恐ろしさが身に染みていれば心配にもなるということは。むしろ杞憂で済んでよかったくらいだと、カズマはめぐみんの頭をポンポンと撫でた。

 

「まあ、里が無事で何よりだよ。あんま気にすんな」

 

「そうだぞ、めぐみん。家族の危機を知って冷静でいられる者などいないさ」

 

「旅もそれなりに楽しかったし、ソウゴが幹部をシバいてる間に私たちは観光でもして帰るわよ。いいわよね、カズマ?」

 

「そうだな、何日か泊まってのんびりしてから帰るか。アルカンレティア旅行はバタバタしてたし、それにアンナへの土産話がこれだけじゃ寂しいもんなぁ」

 

「でしたらうちに泊まってください! 少々手狭ですが……。観光も私が案内しますよ!」

 

「いいのか? なら、お言葉に甘えようかな。金があるって言ってもこの人数だと馬鹿にならないし。じゃあ荷物取りに行かないと」

 

「あっ! 荷物ならあたしとソウゴくんで行ってくるよ! 皆は先にめぐみんさんの家に行ってていいよ。おうちの人に事情を説明したりとか、色々あるだろうしさ」

 

 ねっ! とソウゴの背中をポンと押すクリス。彼女の発言の意味を理解したソウゴは、「そうだね」と一言だけ返した。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「アマゾンネオ……でしたか。ソウゴさんはどのくらいの危険度だと思われますか?」

 

 野営地まで戻ったクリスは、広げたままの荷物を片付けるより先にソウゴに問いかけた。食器を荷物の中の飲用水で濯ぐソウゴはうーんと、考えるような素振りを見せる。クリスも里に血の臭いがしなかったことには気づいていただろう。紅魔族にとってアマゾンは、ひろぽんの発言通りそもそも有象無象と違いがわからないほど相手にならない存在だと認知されている。

 

「今のところは大したこと無さそうだけどね」

 

 考えてみれば、一番の感染源である水源は魔法による生成のため感染リスクは極端に低い上に、戦闘は魔法による遠距離が常。この防衛ラインを越えることはそう簡単なことではないだろう。デストロイヤーのように本体が蹂躙してくることもない。しかしそれ以上に、ソウゴには大したことがないと思える仮説があった。

 

「たぶんだけど、シルビアだっけ。ライドウォッチの力を使いこなせてないんじゃないかな」

 

「その根拠は?」

 

「まず、アマゾン化したモンスターがオークだけだったこと。仮にアマゾン化したモンスターを操れるならもっと手広く感染させてると思わない? そのオークだって事故みたいなものだし」

 

「ですが、そのオークだけでも感染はしています。事故であれ、大したことないと言うのは楽観的すぎるのではないでしょうか?」

 

 クリスの言い分も、ソウゴは理解している。食欲旺盛になったオークによる被害は確かに出ているし、油断ならない敵であることは間違いない。だが、濯ぎ終えた食器の時を進めることで乾かしたことにするという権能の無駄使いを披露するソウゴは、いつも通りにへらへらと笑いながら難しい顔をするクリスの質問に対して質問で返した。

 

「クリスはさ。オークがどうして感染したか覚えてる?」

 

「……アマゾン化した魔王軍の兵士を襲ったから、でしたよね」

 

「でも、ここまで来る途中で魔王軍とは一度も遭遇しなかった。つまりオークの縄張りにシルビアは自軍を配置してない。ていうか、紅魔族相手にそんな余裕が無い、が正しいかな。なのにオークとアマゾン化した魔王軍は出会った。なんでだろうね」

 

「それは……」

 

「アマゾンの特徴で最も留意すべきは、理性じゃ抑えきれない食欲だ。部下をアマゾンへと強化してみたはいいものの、仲間への捕食衝動で手を焼いたんじゃないかな。隊の規律を乱したそれらを追放、もしくは仲間を襲いたくないと自ら脱走した者を放置した結果が、オークとの出会いに繋がるんじゃないかと俺は思ってる」

 

「集団行動を主とするシルビアとアマゾンネオのライドウォッチに秘められた凶悪な権能とでは相性が悪かった、というのがソウゴさんが大したことないと考える理由なんですね」

 

「今のところは、ね」

 

 ふむと推測を噛み砕くクリスは、一定の得心を得たのか納得したような素振りを見せる。しかし、長々と憶測を語ってみせた当のソウゴの表情は、どこか浮かないものだった。ウサギの骨などを茂みに撒き、焚き火跡を蹴散らして野営の痕跡を目立たないよう工作するソウゴは、木に貼り付けた地図を回収して呟く。

 

「ハンスにウォッチの使い方を教えたモンスター開発局局長。シルビアがもしバニルの見立て通りの人なら、そろそろ何かしらの打開策は考えついてるだろうからね」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 ここは、研究室だろうか。薬品と血の臭いが混ざる異臭立ち込める空間。その暗がりにぼんやりと灯るいくつもの青い光。小さい礫のように不規則に宙に浮かんでいるが、実際に浮かんでいるわけではない。大小様々な体格をした者たちの腕に取り付けられた腕輪の一部が発光しているのだ。

 よく見るとその光は、二つで一対になっていることが分かる。まるで目のような、横長の光。その光を目と認識してしまうと、途端に腕輪も呪術的なお面を象っている様に見えてくる。なぜこの形なのか、インスピレーションを受けて製作した本人にすらわからない。その本人はというと、正常に発光する青い光を見て、わなわなと歓喜に震えていた。

 

「やりましたねシルビア様! 遂に完成です!」

 

「ええ。これもアンタたちの協力あってこそだよ……! ありがとう開発チーム! ありがとう、被検体のアンタたち! 私は最高の部下を持ったよ……!」

 

「勿体ないお言葉です、シルビア様!」

「この腕輪さえあれば、俺達も理性を失って同士討ちしなくて済むようになります!」

「これであの憎き紅魔族共に一泡吹かせてやれますね!」

 

 腕輪をつけたモノたち……ゴブリンのような肌質でありながら他の動物やモンスターの形質をその肉体に発芽させているナニかは、沸き立つ様な高揚感に満たされていた。そのモノたちの放つ戦意に口角を釣り上げた製作者――シルビアは、髪を掻き上げて邪悪な笑みを見せる。

 

「もちろんさ。犠牲になった部下たちの怨念、しっかりと受け取ってもらうよ、紅魔族……!」




「これが創造主(マスター)の残した『世界を滅ぼしかねない兵器』……!?」

「ええ。これを使えるのは貴方しかいないわ、みっどしー」

 天才の遺物。掌に収まる程度の大きさしかないそれを、れんちんは差し出した。暗いモニターに数種類のボタンが付いただけのシンプルなデザイン。しかしそのあまりの存在感にみっどしーは息を飲み、手を伸ばして……そして、その手は宙に縫い付けられた。
 これがあれば暴走する『魔術師殺し』を止めることが出来る。しかし、創造主が封印していたその禁忌の発明に手を伸ばしていいのかという迷いが、彼にはあったのだ。

「俺は……」

 蘇る悪しき記憶。暴走し世界を滅ぼしかけた忌々しい過去が、彼に力を手にすることを躊躇させる。次に暴走すれば今度こそ誰も止めることが出来ないだろうという確信と、破壊を繰り返すだけの兵器に戻りたくないという感情が胸の内に渦巻く。瞬間、彼の頬を強い衝撃が襲った。

「何を迷っている! お前が躊躇っている今も、人々は傷ついているんだぞ!!」

「ちゃなか……」

「それが使えるのはお前だけだ! 世界を救えるのは、俺達の中で一番魔力を持ったお前だけなんだ。……悔しいことにな」

 拳を解いたちゃなかは倒れたみっどしーに手を差し出した。その紅き瞳に宿るのは羨望と悔恨、そして……希望の光。
 光に照らされたみっどしーは、ちゃなかの差し出した手をしっかりと握り返した。

「……おかげで目が覚めたよ」

 決意を胸に立ち上がったみっどしーは、今度は躊躇うことなく兵器を手に取り起動する。愛する人が願っていた、世界に平和を取り戻すために。

「見ていてくれ、まりんな! 俺の“覚悟”を――」


紅魔黎明記 第三章 綺羅星の再輝


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この不安な夜にお誘いを!

 状況を説明すると、少々ややこしい。

 彼女からすれば食事中に数人分の荷物を抱えた二人が目の前に突然現れた場面で、ソウゴやクリスからすればアクアの近くにワープしたと思ったら幼女がもごもごと口いっぱいに食べ物を蓄えつつ黒猫を焚き火で炙ろうとしている瞬間に出くわしてしまったという状況。いや、そもそも幼女が火にかざしている生き物が猫かどうか疑わしい。額の十字架のような模様はいいとしても、羽が生えていることがこの世界の猫のスタンダードではないはず。そして放つ魔力はソウゴが目標にしたアクアらしき魔力のそれ。少なくとも神獣だとか、そういう類のものだろうとソウゴは思っている。

 三者とも目を合わせたまま固まり、自分たちの目の前で起きていることを順序立てて整理していく。口の中のものを飲み下す幼女。数人分のリュックを軽々と持つ男。身軽な女。が、やはりお互いに理解しかねるこの現状。この混沌とした空気を打ち破ったのは、火の粉が毛に引火しかけた黒猫の「んなー!」という切実な鳴き声だった。

 

「……とりあえず猫離してあげて」

 

「……ちょむすけはうちの非常食」

 

「そっか。なら苦しまないようにしてあげてね」

 

「でも、活きがいい方がおいしいかも」

 

「なるほど。一理あるね」

 

「無いよ! 倫理的に猫を生きたまま丸焼きとかダメだから!」

 

 

   ⏱⏲「あ、これやっぱ猫なんだ」「気にするべきはそこじゃないよね!?」⏲⏱

 

 

「我が名はこめっこ! 紅魔族随一の魔性の妹にし、いずれはこの世の全てを喰らう者! こっちはちょむすけ」

 

「なー」

 

 両手を額にあてがい例に漏れず物騒な名乗りをあげる幼女こめっこと、丸焼きを免れた羽の生えた黒猫(暫定)ちょむすけ。紅魔族共通の真紅の瞳と黒髪を持ち、二つ括りのおさげと大きな星の髪飾りが特徴的なこめっこは、継ぎ接ぎだらけのサイズのあっていない大きなローブを翻して得意げな顔をした。その表情にどことなくパーティーメンバーの爆裂狂の面影を重ねたソウゴは、膝を折り目線を合わせて微笑んだ。

 

「我が名は常磐ソウゴ。最高最善の魔王だよ」

 

「まおー?」

 

「気にしなくていいよ」

 

 ソウゴの脳天にびしっとチョップしたクリスは、襟首を摘んでソウゴを立たせる。紅魔族の幼女という、良い意味でも悪い意味でも吸収力の高い幼子への悪影響を鑑みて、選手交代とばかりに今度はクリスがこめっこと視線を合わせるため腰を屈めた。

 

「……こほん。我が名はクリス。よろしくね、こめっこちゃん。ところで、どうしてちょむすけ……くん? を焼こうとしてたの?」

 

 クリスの素朴な疑問に、こめっこは首を傾げた。どうしてそんなことを聞くのかと純粋な不思議を感じている様子。だがこめっこは歳の割には聡いようで、クリスの質問の意図を理解したのかちょむすけを抱えると非常に不満そうな顔をした。

 

「生はおいしくない」

 

「あたしは食べ方の話をしてるんじゃなくて、どうして食べようと思ったのかが知りたかったんだよ」

 

「お腹すいたから」

 

「非常食って言ってたね。名前を付けたペットを食べるなんて、すごく困ってるんだね……。ごめんね。そこまで力にはなれそうにないや」

 

「ううん。おやつ」

 

「まさかのスナック感覚!?」

 

「この辺りのセミの幼虫は食べ尽くしたから、次はちょむすけ」

 

「さっき食べてたのセミの幼虫なの!?」

 

「セミの幼虫は夏前のこの時期が一番うまいって姉ちゃんが言ってた。塩焼きは通だって。まだ焼いてる途中のある」

 

「悪いことは言わないから、お姉さんとは距離を置いた方がいいよ」

 

「むっ。姉ちゃんはね、すげぇ魔法使いなの! 姉ちゃんを悪く言うならクリスには分けてあげないよ」

 

「いらないよ!」

 

「俺はちょっと食べてみたいかも」

 

「まおーはいいよ」

 

「ソウゴくんは黙ってて! あーもう! おやつならあたしたちの携帯食料あげるから!」

 

 そう言ってクリスは自分の荷物から干し肉を取り出してこめっこに差し出す。小腹を満たすために昨日一昨日と移動しながら食べていた物の残りだが、ソウゴが時を止めるという反則的な保存方法でリュックに詰めた生肉よりはマシだろう。干し肉を見たこめっこは目をキラキラと輝かせると、抱えていたちょむすけを放り投げて差し出された食べ物に文字通り食らいついた。

 

「いいの!? やったー! お肉だー!」

 

「固いからよく噛んでって口に入れすぎだよ! 全部あげるから! 誰も取らないからゆっくり食べて!」

 

 頬をいっぱいにして干し肉を嬉しそうに頬張るこめっこ。保存食でここまで喜んで貰えたのなら食材もうかばれることだろう。幼児の世話を焼くクリスを見ていると、ソウゴはまるで姉妹を見ているかのような気持ちになる。

 それはそれとして顎疲れないのかな、などと感想を抱きながらソウゴが放り投げられたちょむすけを見ると、ちょむすけは自分の羽をぱたぱたと羽ばたかせて無事に地面に着地していた。何事も無かったかのように「なー」と欠伸をするちょむすけ。ついさっき丸焼きにされそうになったことも忘れたのか呑気な猫は、退屈そうに主人の食事をぼんやりと眺めていた。

 

「この世界の猫って空飛ぶんだ……」

 

「え? なんか言った、ソウゴくん?」

 

「いや、なんでもないよ」

 

 新しい常識をアップデートしたソウゴがこの世界の神秘に浸っていると、追加でデザートの干しぶどうと水を渡したクリスがソウゴの隣にやってくる。嬉しそうにお腹を満たすこめっこを眺める彼女だが、少し困ったように眉を垂らした。

 

「こめっこちゃん、お姉さんが男を連れて帰って来たから家族会議してるんだって。それで暇だからって外に遊びに来たみたい。このまま放置ってわけにもいかないし……」

 

「一人でいる時に魔王軍に見つかるのは避けたいね。めぐみんの家に行くのは後にしようか」

 

 年端もいかない子どもに食事だけ与えてさようなら、という訳にもいかない。女神だ王だという前に、一人の人間としての良心がそれを許さないのだ。かといって、全員の荷物を持っているためこのままずっと遊んでいるわけにもいかない上に、人の世に不平等に干渉できない女神と自分が問題を解決しても意味が無いことを理解している魔王には家庭環境に手が出せない。どうしたものかと二人が考えていると、こめっこは会話を聞いていたのかもぐもぐと口を動かしながらあどけない表情で言った。

 

「うちは今ダメ。家族会議中。飽きた」

 

「うん。こめっこちゃんを家に送るのは後にするよ。あたしたちはめぐみんって娘の家に用事があってね、先にそっち寄ろうかなって」

 

 クリスがそう言うと、こめっこは干し肉を齧る手を止めずに首を傾げた。

 

「めぐみんは私の姉ちゃん」

 

「「……え?」」

 

 

   ⏱⏲「セミの幼虫って思ってたより美味しいんだね」「君さ、この世界に順応しすぎじゃない?」⏲⏱

 

 

「ここ。こめっこの家」

 

 保存食を綺麗に平らげた幼女がそう言って指をさしたのは、趣深い小屋だった。

 築年数など一見して判別できるようなものではないが、きっとこの里で一番古い建物に違いないと二人は確信した。年季が入り風化し始めた木目の壁は、土壁やレンガが使われていた集落の家々とは違う一階建て平屋の石置屋根。扉は引き戸であり、ガラスが使われているものの曇りガラスではないようで、細かい傷がたくさん付いているためか中はうっすらと透けて見える。アクセルの街にある馬小屋に家らしい装飾を施したような、無理をして良く言えば素朴で風情ある、正直に言うなら吹けば飛んでいきそうなほどボロっちい、そういう印象だった。

 

「入って」

 

「「おじゃましまーす」」

 

 そういうことは思っていても口と態度に出さないのが二人。自分がこっそりと家を抜け出たことを覚えているようで、そっと扉を開いたこめっこはギイギイと鳴る木の床をそっと静かに歩いていく。その後ろに続いて二人も玄関をくぐると、そこには綺麗に揃えられた見知った靴が四足並んでいた。間違いなくここがめぐみんの家であり、ソウゴが面影を重ねた幼女は妹だということになる。そしてその幼子にセミの味やら他にもきっとあるはずのゲテモノ料理の味を教えこんだ犯人も間違いなく。

 そこはまあいいとして、家族会議に発展しているということはカズマがそれなりの事をしでかした可能性が高い。めぐみんに事情を聞く前にカズマへの擁護かお説教が待っているはずだ。どちらだろうとソウゴが悩みながらこめっこが手招きする部屋へと向かうと、少なくともお説教は必要なさそうだと結論づけた。

 

「その歳で冒険者としても商売人としても成功しているなんて凄いじゃないか! 流石は我が娘が選んだだけはある! なあ母さん!」

 

「ち、違うと何度も言っているではありませんか! カズマは仲間で友人で……!」

 

「仕送りの額からしてもキチンとしたいい人そうだし、私は反対しませんよ。ところで、式はいつかしら? こういうのは早い方がいいですし明日にでも、なーんて。おほほほほ」

 

「いやほんとに! 俺とめぐみんはそんなんじゃないですから! セクハラの件は誤解なんです! 俺は誰にでもそういうことするんです!」

 

 カズマがなりふり構わず最低な発言をするそこは、縁側付きの開放的な和室だった。板を打ち付けて穴が隠されているだけの壁に、ちょむすけの仕業なのか破れっぱなしの襖。すきま風も多いことが予測される、陽の光を直接浴びられないこと以外は屋外と変わらない造り。その部屋には婚前の挨拶のようにちゃぶ台を一つ挟み向かい合う、笑顔のめぐみんの両親らしき夫婦と慌てたようなカズマとめぐみんがいた。会話の内容から両親の方が乗り気な様子で、家族会議と言ってもカズマを処罰するためのものでは無いらしく一安心する。そしてカズマたちの後ろに控え、正座でお茶を啜りながら成り行きを静観していたアクアとダクネスが、部屋の前で立ち尽くすソウゴたちに気がついた。

 

「あらソウゴにクリスじゃない。やっと来たのね。お疲れ」

 

「二人ともすまないな。荷物、ありがとう」

 

「いや、それはいいんだけど……。二人とも結婚するの?」

 

「しねーよ!」

「しませんよ!」

 

 二人が揃ってが反応することで、全員の視線が一気に入口に集中する。突然の来訪者に疑問符を浮かべる両親は、娘達が勢いよく否定した事を流して一旦新しく増えた来客へと居直った。

 

「あの、どちら様でしょう? 娘と義息(カズマさん)のお知り合いで……?」

 

「奥さん。今なんて言いました?」

 

「まおーとクリス。姉ちゃんの仲間。ご飯くれた。いいやつ」

 

「「ええ!? ご飯を!?」」

 

「ソウゴです。魔王です」

 

「クリスです。来る途中偶然会ったので案内してもらったんですよ。あの、あげたのは携帯食料だったんですけど、まずかったでしょうか……?」

 

「いやいやとんでもない! 母さん! この人達にも一番いいお茶を!」

 

「だからウチにお茶は一種類しかありませんよ。おほほほほ」

 

 笑いながらソウゴたちの横をすり抜け廊下の先へと消えていくめぐみんの母。この態度の急変に驚きはするものの、それよりご飯で人の善し悪しを判定するこの幼女の将来が少し不安になるソウゴとクリス。そこは後でめぐみんから何とかしてもらおうと考えておく。

 補足でクリスが付け足した言葉でなにかに気づいためぐみんが、たまにアクアやカズマに見せるお姉ちゃんのような顔を妹へと向けた。

 

「こめっこ、貴方また一人で外に出ましたね? 危ないからダメと言ったではありませんか!」

 

「暇だった。それとお腹もすいた」

 

「暇だったのなら私たちが遊び相手になろう。外は魔王軍もいることだしな。食事は……」

 

「あー! もうお昼過ぎてるのかー! ソウゴ、朝の肉は?」

 

「あるけど」

 

「なら、庭も広い事だし外でバーベキューでもしようか! ゆんゆんも呼んで! 昼飯晩飯兼用で! な!」

 

「ええ、そうですね! では私はゆんゆんを呼んでくるとしましょう! 友だちの私が!」

 

 突然大きな声を出して立ち上がったカズマと、それに乗っかるめぐみん。勝手かつトントン拍子に進んでいく縁談話を有耶無耶にしたいが為に無理矢理話を切り上げようという作戦だろう。だがこの話の切り替えは非常に効果的だったようで、バーベキューという単語にキラキラと目を輝かせるこめっこは嬉しそうに姉に抱きついた。

 

「バーベキュー!? バーベキューって、たまにやる食べれる雑草とか花とかを外で焼いて食べるやつじゃなくて、お肉焼くちゃんとしたやつ!?」

 

「ああそうだぞってちょっと待て。めぐみん、お前ん家どうなってんの?」

 

「あーあー! では私はゆんゆんに野菜とかその他諸々(たか)ってくるので! 人数増えますからお肉の追加はカズマに任せました!」

 

「おい、それではぐらかせると思ってんのか。あと、ゆんゆんには金返すって言っといてくれよ」

 

 誤魔化しに失敗しながらもカズマにサムズアップしためぐみんは、母同様にソウゴたちの横をすり抜け玄関へ消えていった。嵐のようにどたどたと激変する一つ屋根の下、利害の一致でスムーズに事は運んでいく。

 めぐみん家の事情に呆れ頭をポリポリと掻くカズマは、呆気に取られるめぐみんの父を勢いで押し切るために必要以上に大きな声を出した。

 

「俺、アクア、ソウゴで肉を狩りに行くぞ! ダクネスとクリスはこめっこと遊んでやっててくれ! よし、散開!」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ゆんゆんお姉ちゃん。野菜焼けた」

 

「ええ、そうね。でも、私もそろそろお肉食べたいかなって……」

 

「でも野菜焦げる。あと次のお肉焼いて」

 

「う、うん……。こめっこちゃん、お野菜は?」

 

「ゆんゆんお姉ちゃん。野菜焼けてる」

 

「そうだね。私、野菜食べるね……」

 

(俺、これからゆんゆんにもっと優しくしよう)

 

 幼女にわざとらしく「お姉ちゃん」と呼ばれいいように使われているゆんゆんを見て心新たにするカズマは、ソウゴにいい感じに時を進めてもらい熟成させた熊肉を頬張った。この世界で食べなれたジビエ料理の味に舌鼓を打つと、時間操作って戦いでも日常生活でも使えるから便利だなぁ、と主婦の知恵のように時の王の権能を無駄遣いさせている事実から目を逸らす。とはいえ、酒盛りをして宴会芸を披露するいつものアクアを筆頭とした全員の笑顔を見れば、無駄かどうかを論じるのは無粋というものかもしれない。

 

「こめっこ、意地悪をしてはいけませんよ。お肉が足りなくなれば、またソウゴが狩って来てくれますから」

 

「むー……。じゃあゆんゆんも食べていーよ」

 

「いいの!? ありがとう、こめっこちゃん!」

 

「ゆんゆんさんが不憫すぎて下手にツッコめないな……」

 

「なんかさらっと俺の仕事増えてない?」

 

 夕陽に照らされる紅魔の里。その端で楽しい時間はどんどんと過ぎていく。獲物の解体担当のカズマ、熟成担当のソウゴが一息つける頃には、追加で捕らえてきた尊い命達はもうすっかりといなくなってしまっていた。それでも箸が止まらないこめっこは、散々ゆんゆんに押し付けていた野菜をもくもくと口に運んでいる。そんな旺盛な食欲を目の当たりにしたカズマは、あの小さな体のどこにあれだけの量が入るのかと驚きながら茶を啜る。

 

「いやぁ、よく食うなお前の妹」

 

「熊一頭くらいはこめっこが食べたんじゃないかな」

 

「食べれる時に食べれるだけ食べる、がこめっこですからね」

 

「それにしても食べ過ぎじゃない? 見た目も変わってないし、何かのスキルかしら?」

 

「だが、あれだけ美味しそうに食べてくれると気持ちがいいものだな」

 

「そうだね。見てるだけでお腹いっぱいになるけど」

 

 ゆんゆんに野菜を焼かせ尚も食べ続けるこめっこ。それを見て和む一同は、食後のお茶を啜りながら縁側に並んでいた。あとは片付けをして風呂に入り寝るだけ。魔王軍の幹部については明日考えればいいだろう。泊めてもらえるということで、日が沈みつつあるこの夕暮れ時でものんびりとだらけていた。

 そんな彼らの傍にやってきためぐみんの母ゆいゆいは、申し訳なさそうに話を切り出した。

 

「すみません皆さん。今晩の寝床のことなんですど……」

 

「どうかされましたか、奥方殿?」

 

「実は、人がこんなにも増えるとは思っていなかったもので……。泊まっていきなさいと言ったのは夫なのですが、六人では流石に全員の寝るスペースが確保できず……」

 

「おや? 部屋ならいくつかありましたよね? 全員冒険者なので、床でも気にはしないと思いますよ」

 

「そうだな。お風呂と屋根さえあれば」

 

 間取りを覚えているめぐみんがそう提案すると、全員が肯定的な反応を示す。しかし問題は布団の数ではなかったようで、困ったようなゆいゆいは頬に手を当てると眉を垂らして小首を傾げた。

 

「実際に見てもらった方が早そうですね」

 

 そう言って、ゆいゆいは一行を連れて廊下を進んでいく。暗い廊下は焼けた太陽の赤に染まり、そうでないとわかっていてもまるで燃えているかのように見えてしまう。ぞろぞろと後ろをついていくカズマたちに、ゆいゆいは振り返らず口を切った。

 

「主人のひょいざぶろーは魔道具職人をしています。アクセルの街にも卸しているので、もしかすると目にしたことがあるかもしれません」

 

「へー、魔道具! 凄いですね」

 

「紅魔の里の主な収入源は、高い魔力を活かして作製される高品質な魔道具やポーションの売上ですからね」

 

「私のこの鎧も、紅魔の里で造られているものなんだぞ」

 

「ふーん。それがどうかしたの?」

 

「実は近頃、昔からのお得意先からよく返品が来るようになりまして……。お恥ずかしい話ですが、娘からの仕送りでなんとか日々を耐え抜いている状態なんです」

 

「それは災難だな。経営者が変わったとか?」

 

「いえ、経営者は変わらず名のあるアークウィザードの方なのですが、最近新しく雇ったバイトの方から返品するようよく言われると」

 

(……ん? なんかどっかで聞いたことある話だな)

 

 何となく某魔道具店の某リッチーと某地獄の公爵が思い浮かぶが、ないないとカズマは首を振る。そもそもあの店に、ダクネスが身につけている鎧に匹敵するような高品質な魔道具など並んでいるところを見た事がないのだから。バニルだって馬鹿ではない。例え高くても、売れる見込みのある良質な物をポイポイと返品したりはしないだろう。もっとも、里の経済を支えているものが、所狭しと並べられている売れないガラクタに混じっているわけがないのだが。

 ゆいゆいはある部屋の前に立ち止まると、その襖を開ける。その部屋の中に積まれていたのは、カズマにとって見覚えのある、具体的には二日ほど前にウィズ魔道具店でバニルがため息をついていたものにとてもよく似た木箱だった。

 

「多くの返品で裏の工房だけでなく家の中まで在庫だらけ。ですので娘を入れて三人、無理をして四人ほどしかお泊めすることができないんです」

 

「……奥さん。これ、中を拝見しても?」

 

「ええ。かまいませんよ」

 

「どうしたのよカズマ。そんな顔を青くして」

 

 アクアの言葉を無視して、カズマは縋るような気持ちでそっと蓋を開ける。中に入っていたのは、自分が二日前に悪魔に紹介されて役に立たないと思った珍品奇品の数々。冷や汗をダラダラと流すカズマの肩からひょっこりと箱の中身を覗き込んだアクアは、中に詰め込まれたいろいろな魔道具を見て興味が出たのか一つ拾い上げた。

 

「ねえねえめぐみんのお母さん! この指輪は何の魔道具かしら?」

 

「それは嵌めた男女がお互いの好感度を知ることが出来るペアリングです。告白を確実に成功させる事が出来るいいものなんですけど……」

 

「あらそうなの? もしかすると、冒険者に見向きされないからって返品されたのかもね。見る目がないわね、そのバイト。こっちは何のアクセサリー?」

 

「それは近くの身につけている者同士で魔力を共有できるブレスレットです。リッチーには〈ドレインタッチ〉というスキルがあるので、それを参考に考案したんですよ」

 

「ダメよリッチーのスキルなんて参考にしちゃ! そのバイトわかってるじゃない!」

 

(こいつ、今褒めたのがバニルだって知ったらどうなるんだろ)

 

 だが決して言わない。この事実は墓まで持っていこうと固く決意したカズマは、アクアから魔道具を取り上げるとそっと木箱の蓋を閉める。墓まで持っていく秘密が随分とグレードダウンしたが、これから先はおいそれとウィズの店の魔道具を馬鹿に出来なくなってしまった。とにかく悟られないよう話題を変えようと、カズマは振り返った。

 

「事情があるなら仕方ないですね。じゃあ、宿に泊まるメンバーはどうする? ここは無難に俺、アクア、ソウゴか?」

 

「えっ、嫌よ私! お腹いっぱいだし、お風呂入って晩酌して寝るだけなのに雑木林歩かなくちゃいけないなんて!」

 

「ワガママ言うんじゃねぇよ」

 

「まあいいんじゃない? 俺とカズマとあと一人。クリスでもダクネスでも」

 

「そうだね、ならあたしが行こうか? ダクネスはどうしたい?」

 

「私はどちらでも構わないが……」

 

 無難な組み分けに顔を見合わせるダクネスとクリス。正直、二人ともどちらでもいいといった反応。二日間野宿してここまで来ているのだ、今更恥ずかしがることもなく、身の危険もソウゴには感じていないしカズマも同意がなければ手を出してくる度胸はないと踏んでいる。だが、その提案にゆいゆいは笑顔で否定を差し込んだ。

 

「あら、カズマさんは我が家に泊まってくださいな。娘からの手紙にも書いてありましたが、クリスさんはしょっちゅう下着を剥ぎ取られ、ダクネスさんは薄着を邪な目で見られているとか。うちには主人もいますから安心して眠っていただけると思いますよ」

 

「お前本当にどこまで書いてるの?」

 

「しかし、それでは自分の娘が仲間の男に襲われかねないぞ?」

 

「ダクネス。俺たちに信頼は無いのか?」

 

「ならソウゴくんもこっちに泊まれば? そうすればカズマくんも何もできないから危険はないでしょ」

 

「なあお前ら。一旦、本人の前で危険だとかなんだとか言う話をするのはやめようか」

 

 カズマの言葉など自業自得と耳を貸さず、話を詰めていく仲間たち。そんな彼らに困ったような表情を貼り付けたゆいゆいは、真っ赤な夕陽に照らされて小首を傾げた。

 

「ですが、泊まっていただくのは族長さんのお家ですよ? ソウゴさんはゆんゆんさんと仲がいいとか。あちらの方がいいのではないでしょうか」

 

「え、ゆんゆんの家に決定なの?」

 

「はい。追い出しておいてお金のかかる宿に泊まらせるというのもなんなので、ゆんゆんさんからは許可を頂いています。ゆんゆんさんは押しに弱いですから、うちの娘より貞操の危険があるかもしれませんね。ご心配でしたらダクネスさんもこちらに泊まりますか? かなり狭くなってしまいますが……」

 

 気を使わせて申し訳ないなという反面、このうふふと笑うめぐみんの母親が何を考えているのか分からないという恐ろしさをカズマは感じていた。まるで初めからこの組み分けにするためだけにこの茶番を用意したのではないかと疑ってしまうほどに。戦慄するカズマの隣で、それでもゆいゆいはうふふと笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「というわけで、今晩はよろしくねゆんゆん」

 

 ダクネスも居残りを決め、ゆんゆん宅にお世話になるのはソウゴとクリスとなった。というのも、二人にとってはその方が都合が良かった、と言う理由が大部分を占める。そんな腹の中を知らないゆんゆんは、とても緊張した様子で二人に頭を下げた。

 

「は、はいっ! 私、めぐみん以外を泊めるの初めてで! 不束者ですがよろしくお願いします!」

 

「ゆんゆんさんのお父さんがまた別の意味で泣いちゃうから誤解を招く言い方はやめようね」

 

「えっと、使ってなくてすぐに泊まれる部屋聞いてきますね! あとお風呂の準備も!」

 

「そんなのテキトーでいいんだけ……行っちゃった」

 

 クリスの言葉を振り切って、走り去ったゆんゆん。取り残されたソウゴとクリスは、着替えを小脇に抱えたまま待ちぼうけを食らうこととなった。広い家だが、お手伝いさんとかはいないのだろう。あとできちんと親御さんに挨拶しないとと思うソウゴは、ただ待っているだけというのも暇なので誰もいないことを確認してからクリスに問いかけた。

 

「今夜も天界に帰るんだよね? だからこっち来たんでしょ?」

 

「そりゃね。アマゾンのウォッチのために長時間下界に降りてるけど、補佐の天使に仕事全部丸投げってわけにもいかないしさ」

 

「毎晩大変だね、人と女神の両立は」

 

「ソウゴくんが見張り代わってくれたりして時間作ってくれてなかったら破綻してるよ。あと、寝る時間もくれるし」

 

「クリスと俺を除いた世界の時間を止めてるだけだから、大したことじゃないけどね」

 

「どう考えてもそれは大したことだよ」

 

 何はともあれ、そんな生活ももうすぐ終わる。 明日は里の観光を中心にして魔王軍の様子を見つつ、攻めてくれば迎撃。シルビアが敵陣にいればアナザーライダーになる前にウォッチを回収し、アマゾン化している魔王軍を根絶やしにすれば作戦終了。仮に明日シルビアを討ち取れずとも、連日攻めてきているのであれば十分に敵戦力の分析はできる。取りこぼしが一番危惧される状況のため、慎重にならざるを得ないのは仕方のないことなのだ。

 と、アマゾンネオウォッチの回収の算段を付けていると、ソウゴは妙な気配を感じてじっと魔力の感知に神経を研ぎ澄ませる。方角はいつも魔王軍が攻めてくるという正面の入口とは反対の山の方向。距離はあるが、混ざり物の多い異質な魔力はこの魔力入り乱れる紅魔の里でも目立つほど一際存在感を放っていた。早くお風呂に入りたいのか、ゆんゆんの影が待ち遠しそうなクリスは無反応。

 

「……〈敵感知〉の範囲外か」

 

「どうしたの、ソウゴくん?」

 

「たぶん魔王軍。俺、ちょっと見てくるね。これお願い」

 

「え、ちょ」

 

 戸惑うクリスに着替えを押し付けたソウゴは、ショートワープを使ってその場を瞬時に離れる。取り残されたクリスは男物の寝巻きを抱え、慌てて戻ってきたゆんゆんにどう説明したものかと頭を捻った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 赤と黒が入り交じった、長い髪を靡かせる長身の美女。出るところは出て、締まるところは締まる、均整のとれたボディライン。その美を強調するのは、下級悪魔の革で設えられた真紅のドレス。闇の中でも際立つ赤を見せつけ歩くその姿は、例え敵といえ目を奪われるだろう。シルビアは、部下たちを引連れて森を進んでいた。

 行軍は順調。第二次被検体となった下級悪魔たちにも異常な行動は見られない。腕輪からの投薬による本能の抑制機能は正常であり、分量を調整すれば肉体を強化したまま理性を保つことも可能。一度魔王城に戻って成果の報告を上げた方がいいかとシルビアは考えていた。サンプルは十分であり、他の生物でも適合は期待できる。部下たちのデータを元に魔王軍全体の強化ができれば、頭のおかしい紅魔の連中など相手にせずとも一定以上の評価は得られるだろうし、例えまた派兵を命じられ紅魔族と戦うことになっても、強化し隊を整えた後で侵攻すればいいだけのこと。最早、この頭のおかしいやつらの里に長居する理由はシルビアたちにはない。

 しかし、シルビアはやられっぱなしで逃げるなどという屈辱を甘んじて受けられるほどプライドの低い生き物ではなかった。

 

「シルビア様! 見えてきました、『謎施設』です!」

 

「ええ。あそこに眠るお宝を頂いたら一度魔王城へ引き上げるよ。最後に紅魔族の連中に一泡吹かせてやろうじゃないか」

 

「『謎施設』ってところにはどんなお宝があるの?」

 

「昼礼の内容を忘れたのかい? 仕方ないねぇ……。あの『謎施設』って呼ばれる建造物は恐らく兵器格納庫。紅魔黎明記っていうやつらの伝承にあった、古代兵器が眠っている場所のはずだよ。連日コソコソと里中を調べて回ったけど、それらしいものはどこにも見当たらなかったからね」

 

「へー。それを奪って使ってやろうってわけだ」

 

「ええそうよ。『世界を滅ぼしかねない兵器』、『魔術師殺し』、『レールガン』。伝承じゃおとぎ話のような破壊力のアーティファクトだけど、この里にはあの滅びた魔法技術大国ノイズで使われていたという古代文字が掘られた石碑がある。伝承通りなら紅魔族を生み出したのはノイズで間違いない。あのデストロイヤーを造った国だからね。絵空事のような兵器が実在していても不思議じゃないわ」

 

「入れるの? あの変な工場みたいなの」

 

「入れるさ。こっちには『結界殺し』があるんだからね。あらゆる魔術的な封印や結界を無効化するこいつがあれば、やつらの封印している施設なんて簡単に開けられるよ。……って、アンタ本当に何にも聞いてないわね。所属はどこの隊よ」

 

「いや、俺アンタの部下じゃないし」

 

「そう。なら知らなくても仕方ないわね」

 

「ところで、アマゾンズレジスターを作ったのはシルビア?」

 

「『あまぞんずれじすたー』って何よ」

 

「アンタの部下が腕に巻いてる腕輪のことだよ」

 

「ああ、あれね。そうよ。あれアマゾンズレジスターって名前なのね。なんだか凄くしっくりくる名前…………」

 

 そこまで話して、シルビアは足を止めた。

 

 

 今、自分は誰と話していた?

 

 

 その疑問が脳に閃いた時、シルビアは全身の毛が逆立つのがわかった。脊椎反射で地面を蹴り上げ大きく跳躍した彼女は、土の上を滑りながら四、五メートルほど離れた地点に着地する。

 

「ッ……! 誰よアンタ!?」

 

 飛び退いたシルビアは、行軍に紛れていた見知らぬ人間に声を荒らげた。警戒する大将に倣って、兵たちも隊列を崩して戦闘の陣形を組み上げる。恐怖という感情を知らないのか、刃物を突きつけられても特に反応を見せるのことない男……ソウゴは、へらへらと場違いな笑みを見せた。

 

「ねえ、どうしてアマゾンズレジスターを作れたの?」

 

「質問してるのはこっちよ! 紅魔族? 違うわね、まさか勇者候補……!?」

 

「勇者? 違うよ。我が名は常磐ソウゴ。全てのライダーの力を継承する、最高最善の魔王にして――」

 

 ソウゴの右手から夜の闇の中でもはっきりとわかるような黒い靄が這い出てくる。その靄は意志を持つかのように、彼の右手のひらの上でシルビアの見た事のない形を作っていく。剣のような鋭利なものともメイスのような鈍器とも違う変わった形状の、どちらかと言えば鈍器に近い、恐らく武器。鮮やかなオレンジ色が鈍く光るそれをシルビアへと向けると、ソウゴからいつものへらへらとした笑みが消えた。その瞬間、シルビアの本能が告げる。

 

 逃げろ、と。

 

「――ここでアンタたちを、討ち滅ぼす者だ」

 

«火縄大橙DJ銃»

 

 ソウゴは迷いなく引き金を引いた。放たれるエネルギー弾は、歴史の中であらゆる強敵に傷をつけてきた強力無比な光弾である。一発一発の反動もまた威力に応じて凄まじいが、ソウゴには訳はない。重量のある火縄大橙DJ銃を片腕で軽々と扱い、ぶれることなくシルビア一人を一点狙いする。

 その光弾の危険性を本能的に察知したシルビアは、夜の森という夜戦には不向きな地理でも素早く移動し避けていく。飛んでくる力の塊をギリギリのところで躱すものの、身を掠めた弾が地面を抉り、木々をなぎ倒すのを見て冷や汗が垂れた。

 

「くっ! 詠唱無しで〈ファイアーボール〉を連発する魔道具!? なんてもの持ってるんだいアンタ!」

 

「魔道具じゃないんだけど、まあいいや」

 

 本当にどうでもよさそうに答えたソウゴは一旦銃撃をやめ、DJテーブルをスクラッチした。すると火縄大橙DJ銃から法螺貝を主としたリズミカルな音楽が流れ始める。そしてDJピッチをマシンガンモードへと設定するともう一度スクラッチ。今度はよりテンポの早い音楽が夜の森にこだまする。まるで逃げ惑うシルビアを馬鹿にしているかのような、その場違いでノリのいい音楽にシルビアは悟る。

 これは戦闘ではない。“狩り”なのだと。

 そう思った途端、逃げるという行為の意味がわからなくなってしまう。奇襲をかけることもできたのに、この男はわざわざ猶予を与えた。それは即ち、相手にならないという宣言以外の何物でもない。そんな逃げ切れるかどうかもわからない敵から距離を取り、ただ一瞬長生きすることに何の意味があるのか、と。

 

「シルビア様をお守りしろー!」

 

 恐怖に足を掴まれていたシルビアは、部下たちの声にハッとした。陣形を組んでいた兵士たちが、この間を好機と読んで一気に敵へと群がっていく。魔道具の発射間隔は理解した。数で押せば多少の犠牲が出ようとも敵一人くらい鎮圧できる。そういう甘い考えが下敷きにあったのだ。

 その軍勢に向けて、何の感情も湧いてこないのか顔色一つ変えることのないソウゴは調律の終えた場違いな工芸品を構える。

 

「でもそれは、()()()()()()()

 

 どうして一度銃撃をやめたのか。それはシルビアを確実に仕留めるためではない。

 マシンガンモードへ移行した火縄大橙DJ銃の銃口を向かってくる兵士たちへ突きつけると、身を翻して引き金を引く。放たれるのは、先程シルビアを追い回したものよりも二倍から三倍のスピードで放たれる力の礫。制御も難しそうな連続射撃を完全な制御下に置き、迫り来る兵士たちの首から上を一発も外すことなく正確に吹き飛ばし無力化していく。上級魔法を連発し自分たちを爆撃していくのが集ってくるハエを追い払う行為なら、今突きつけられているこれはそう、明確な殺意。

 

「お、お逃げ下さいシルビア様! こいつは異常です! 足止めはわれわペッ

 

 退避を促す下級悪魔の頭が無くなり、胴体が力なく地に伏する。かつて部下だったものが干からび朽ちていく様を見て、シルビアは頭が冷静になるのがわかった。数をものともしないぽっと出の強敵に、将を守るため突撃していく兵士たちは動く的として消費されていく。それに怒りを覚えないような、そんな冷酷な女ではなかったのだ。

 

「全員どきな!」

 

 シルビアはそう一言言うと、肺いっぱいに空気を溜め込む。そして部下たちが道を開けた一瞬、その入れ替わりの一瞬のタイミングに敵へ目掛けて炎のブレスを吐き出した。これまでいくつもの町を焼き払い、勇者候補を灰にしてきた火炎がソウゴを包み込む。手応えはあった。だがシルビアは勝ったと思えなかった。

 十秒、二十秒、確信が持てず一息で吐けるだけ吐く。生物の中でもとりわけ人間は、体表の半分も火傷を負えば死んでしまう脆い生き物。安全かつ確実な死を与えるには一番有効だと、シルビアは判断したのだ。炎を吐き終わり、いつもなら焼け焦げた跡だけが残っているはずの場所。しかしそこには、少し考えるような素振りのソウゴが無傷で立っていた。

 

「だろうね。そんな気がしたよ……ッ!」

 

 次は何で攻める? 触手か、近接戦か、はたまた相手に合わせて遠距離射撃か。手札はまだまだある。まだ死ねない。例え服に焦げ目すら付いていない相手でも、死を覚悟するにはまだ早い。シルビアが生への執着からぐるぐると思考を巡らせていると、ソウゴはどういう訳か銃口を下げた。

 

「ねえシルビア。ちょっと話をしない?」

 

「話? いきなり攻撃してきて、部下を殺しまくったアンタとどんな話をするっていうのよ」

 

「それについては言い訳しないよ。さっきまでは全員ここで終わりにするつもりだったし、命を奪った事実から逃げるつもりもない」

 

「さっきまで……? 気でも変わったのかしら」

 

「うん。シルビア、部下のこと気遣ったでしょ? それに部下を盾にして逃げなかった。だから、ちょっと話がしてみたいなって」

 

 戦意はないと言うのか、ソウゴは手にしていた武器を宙に放り投げる。すると火縄大橙DJ銃は黒い靄へと戻り歴史の中へと還元された。だが武器が一つとは限らないため、隊は警戒を解くことはない。それがわかっているのだろう、ソウゴも武器を下ろさない兵たちを気にする様子もなく、ただ薄らと笑みを浮かべてシルビアを見ていた。

 

「……いいわ。しましょう、話とやらを」

 

「ありがと」

 

 現状、勝ち目はない。ここでソウゴの手を振り払っても無為に部下を死なせるだけだと考えたシルビアは、大人しく交渉のテーブルに着くことを選んだ。そんな大将の姿に武器を下ろす兵たち。髪をさらりと流したシルビアは、つかつかとソウゴの前まで歩み進んだ。

 

「それで? 貴方はいったい何の話をしたいのかしら?」

 

「アンタの持ってるアマゾンネオのライドウォッチ……って言ってもわかんないか。〈オーパーツ〉だっけ。それを返してくれないかな? その歴史は俺達のなんだよね」

 

「歴史……?」

 

「そ。返してくれれば、俺はアンタを見逃してもいい。もちろんアンタの部下も。その代わり、アマゾン化している配下は全部元に戻させてもらうけど」

 

 要するに、この男の主張はこうだ。

 

 「魔王から貰ったマジックアイテムと研究成果を差し出せば、アンタと部下の命は助けてやる。拒否すれば〈オーパーツ〉も命も力づくで奪う」

 

 なるほど、確かに問答無用の殲滅から話をするという段階まで文明レベルが上がっている。拒否権がないという点が実に上からの物言いだが、そこに異議を唱えるということは交渉を袖にしたと受け取られることだろう。しかしながら〈オーパーツ〉を差し出した上に研究成果も破棄したとなれば、もう自分には魔王軍幹部としての立場どころか魔王軍での居場所がなくなることを意味する。

 

「私に魔王軍を裏切れって言うの?」

 

「俺の理想は、人もモンスターも可能な限り仲良く暮らせる世界を作ること。魔王軍をやめるなら、そのために協力してほしいなって思うよ」

 

「仲良く? 随分とお気楽なことを言うのね。私は魔王軍幹部としてこれまでたくさんの人間の命を奪ってきたの。その私が、今更仲良くなんてできるわけないじゃない」

 

「できるよ。シルビアは部下の身を案じることが出来る。ならきっと人の中でもやっていけるし、人とモンスターの橋渡しにもなれると俺は思う。まあ、人を襲わないでとか色々約束しなくちゃいけないことはあるけど」

 

 確信めいた言葉に、シルビアは少し心動かされる。毎日毎日頭のおかしい紅魔の連中に虫けら扱いされ、基地の研究所に籠って徹夜で実験と検証の日々。そういうしがらみから解放され、いがみ合ってきた人間と手を取り仲良く暮らせる未来を想像して、部下たちを見た。

 

「シルビア様……」

 

 部下たちの迷いのない目は、困惑するシルビアの姿を写す。どんな選択をしようと、彼らは自分に付いてきてくれるだろう。これまでの献身的な人体実験の志願と、培ってきた信頼からそんな姿が容易に想像できる。目を閉じて覚悟を決めたシルビアは、ソウゴに向き直った。

 

「時間がほしい。魔王様にはこれまでの恩もある。魔王軍にも思い入れが。今ここで迷いのない答えが出せるとは思えないの」

 

「…………」

 

「明日の夕刻、全軍を率いて紅魔の里の正面入口に行くわ。そこで私の答えを伝える」

 

「……わかった。それでいいよ」

 

 ソウゴは森の中へと消えていく魔王軍を見送る。とりあえず、明日は時間までのんびり観光をしよう。カズマやクリスになんと言われるか。小言を想像して、ソウゴは少しだけ満足そうなため息をついた。




「喰らえッ! これが俺達の思いの結晶、最終兵器『レールガン』の力だッ!」

 高密度の魔力を凝縮し撃ち放つ創造主が遺した兵器が火を噴く。仲間たちから託された魔力を込めた一撃が、ついに暴走する『魔術師殺し』を貫いた。大きな風穴を開けた『魔術師殺し』は身悶えすると、ゆっくりと地面に倒れ機能を停止する。
 終わった。長きに渡る戦いが、ここで終わったのだ。

「勝った……。勝ったんだ……ッ!!」

「ああ、俺たちは勝ったんだ!」

「やったわね、みっどしー」

 拳をうちつけるちゃなかとれんちん、そしてみっどしー。焼け野原となってしまった荒野で喜びを噛み締める三人は、魔力を使い切ったことの疲労と安心感から仰向けに倒れた。もう指一本動かせない、それほどの極限状態で見上げる空は、初めて知る透き通った青さだった。

「……ちゃなか。れんちん」

「どうした、みっどしー」

「ここに、俺たちの里を作ろう」

「ここに?」

「ああ。散っていった仲間たちの、弔いのためにも」

 頬を撫でる土煙をこれほど心地いいと思ったことは無いだろう。愛する者を失ったことでぽっかりと開いた心の穴を埋めるように、みっどしーは眠りについた。


紅魔黎明記 第四章 巡るは紅魔の遊星


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このふざけた里に観光を!

 ソウゴがシルビアと交渉し、一時撤退していく姿を見送っていたほぼ同時刻。そんなことになっていると知らないカズマもまた、めぐみんの家で一人孤独な戦いを強いられていた。

 

(どうして俺はめぐみんの部屋に押し込まれているんだろう)

 

 腕を組み、この異常な事態について冷静に考える。後ろには魔法で鍵をかけられたボロの扉。目の前には継ぎ接ぎだらけでペラッペラの一組の布団と、それに包まれてすやすやと気持ち良さそうな寝息をたてるめぐみん。思春期に突入してから初めて入る女の子の部屋に少なからずときめきを感じたりもするが、貧困を如実に語る殺風景さと隙間風に身を震わせれば、コレジャナイ感から簡単に現実へと引き戻される。

 

(いかんいかん。奥さんは「ごゆっくり~」なんてセリフと共に俺をここに閉じ込めたんだ。つまり、ここでめぐみんにときめき手を出してしまえば向こうの思う壷。だいたい、めぐみんは俺にとってロリ枠だ。イエスロリータ、ノータッチ。そもそも俺はロリコンではない。母性溢れる大人のお姉さんが好みなんだ。しっかりしろ、佐藤和真!)

 

 くだらないことを考えてとりあえず頭を回す。そうでもしなければこの異常な事態に呑まれてしまう、そんな危機感があったからだ。

 魔王軍との全面対決を視野に入れた編成を考えていたために、長湯してしまったカズマが風呂上がりに見た光景。それは家の中にいる者達を次々と魔法で眠らせるゆいゆいの姿だった。いつぞやのアルダープ家査察辺りから魔法抵抗力が上がっていたらしいダクネスはかなり眠気に抗っていたが、〈パラライズ〉をかけられ身動きが出来なくなるとビクンビクンと体を痙攣させ、いつも通りだらしない笑みを浮かべて白目を剥いていた。あのブレない姿は、ちょっとしたトラウマである。

 

(褒奨金やバニルから入る金の話をした俺も迂闊だが、セクハラしまくる男と娘をくっつけようとしたり身内に魔法かけたりする奥さんも人としてどうなんだろうか)

 

 流されるのはお手の物だが、今ここでゆいゆいの思惑に流されめぐみんに手を出せば取り返しがつかないことになるだろう。社会的信用、そして人としての尊厳を失い、信頼を築き上げてきた者たちから寝込みを襲った鬼畜外道だと罵られること間違いなし。カズマとて犯罪者としてアクセルに凱旋する気はない。……いや本当に、別にめぐみんがダメとか嫌いとかそういう事ではなくて、自分の保身のため、ひいてはめぐみんの心の安寧のためである。普段の言動から幼少期に頭に爆裂魔法でもくらったのかとは思っているが、そこを差し引いても美少女だし、料理もできるし、気も使えるし仲間思いで心根も優しく、多少意地っ張りで好戦的な性格ではあるものの普段さりげなく見せるか弱い女の子らしさに時たまドキッとさせられって違う違うぞ違いますよの三段活用、地の文にまで漏れ出るんじゃないもっと括弧をつけろ俺の過負荷(マイナス)思考!!!

 

 閑話休題。

 

 頭をブンブンと振って乱れた思考を取っ払い、この状況を打破するために落ち着いて部屋を観察する。脱出しようにも外へ出られるのは窓だけ。窓から外に出たところで寝床がなく、野宿するにも道具がない。恐らく、外からもう一度この家に侵入すればゆいゆいに捕まり自分まで魔法をかけられるだろう。扉の向こうで息を潜めているのはスキルを使わずともわかる。ならばゆんゆんの家に行くという手もあるが、流石に裸足であそこまで歩くのは現代日本人の感覚から抵抗があった。

 じっとしていたせいか、考えを煮詰まらせていたカズマの首筋をひやっとした空気が撫でる。ぶるっと身体を震わせたカズマは、自分の体が少し冷え始めていることに気がついた。

 

(しかし、この隙間風はなんとかならないものか)

 

 どこからともなく吹いてくる隙間風は、きっと建物の老朽化のせいだろう。耳障りな音がしないところを見るに、空気が通り抜けられるくらい複数箇所に換気口ができているに違いない。簡単な補修ではどうにもならないであろうことを考慮すれば、この妙な肌寒さは大人しく受け入れるしかないお(うち)事情というものになる。

 だがそこは、これまで数々の戦いを小狡い手(けいりゃく)アドリブ(とっさのきてん)で乗り越えてきた男、佐藤和真。頭脳派を自称するつもりは無いが、こういう困り事をその知恵で解決できるのがうちの女神に足りない知力というものである。とは言え、隙間風のせいで思考が乱されれば出せる答えも出ない。やはり最適解を出すには体を暖めてリラックスさせる必要があるのではなかろうか。風呂から上がったばかりで湯冷めしてしまえば風邪をひくだろうし、最先端医療技術もないこの世界で肺炎にでもなれば一大事である。一時しのぎであれ早急に手を打たねば。

 

 その時、カズマの思考に電撃が走った。(比喩)

 

(そうだ、布団にお邪魔しよう)

 

 おあつらえ向きに布団があるのだから、これを活用しない手はない。ペラペラではあるが他に暖をとれるものも見当たらず、勝手に人様の家の収納をひっくり返すのも常識に欠けた行動だ。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのか。やはり肌寒さで思考が麻痺しているのかもしれない。一刻も早く体を暖めなければならないだろう。ペラペラだが。

 そう結論を出したカズマは、掛け布団を綺麗に整えめぐみんの隣に落ち着いた。想像通り布団は人肌に暖まっており、隙間風で冷えたカズマの体を包み込んでくれる。そして何より、温めてくれるのは体だけではなかった。同じ風呂に入り、同じ固形石鹸を使って髪も体も洗っているはずなのに、仄かに香る女の子特有のいい匂いに胸が高鳴る。敷布団までペラッペラでほとんど床の感触だが、寝心地の悪さを差し引いてもお釣りが来るだろう。さっきまであったコレジャナイ感はどこへやら。美少女と同じ布団で添い寝なんてシチュエーション、前の世界ならそうそう起きないラブコメ的ご褒美イベントである。

 

 安心しきって寝ている美少女の無防備さに、イケナイ気持ちから«CROSS-Z DRAGON!»が«FINAL FORM RIDE»してしまいそうなことを抜きにすれば。

 

(……しまった! これは孔明の罠だ!)

 

 ハッとしたカズマは、自分が術中に嵌ってしまっていることに愕然とする。一時の暖を取るだけのつもりが、気がつけばゆいゆいに踊らされめぐみんと同じ布団で添い寝をしてしまっていた。今から慌てて飛び出そうものなら、お約束のようにめぐみんが目を覚まし悪し様に扱き下ろされること請け合い。ただでさえこんなところをアクアやダクネスに見られれば、鬼畜だの外道だのの(そし)りを自ら受け入れることになってしまう。そうなれば誰もカズマの主張に耳を傾けてはくれないだろう。

 

ま る で 痴 漢 冤 罪 。

 

 ただ隙間風から最悪の事態を回避するための行動が、意図せぬ受け取り方をされ極悪人のように(なじ)られることになる。«ジカンデスピア⤴︎ !»が«カイガン!»しかけているのも寒さによる生理現象なのだが、この状況を見られれば信じてくれる者はいないだろう。ままならない世界の理不尽に、カズマは声を上げることも涙を零すことも許されないのだ。

 これが本当に痴漢冤罪であるならば、無実の罪をふっかけてきた見ず知らずの女の顔面に«RIDER STING»をかまし«FINAL VENT»からの«LIMIT BREAK»で恨みを晴らしつつ、謂れなき性犯罪者というレッテルを回避するため暴力男の汚名を被るのが男女平等主義戦士であるカズマの最善手だが、相手は大事なパーティーメンバーだ、そんな極悪非道なことはできない。とはいえ、このままでは弁解の余地もなくダクネスにボコボコにされ市中引き回しの後にソウゴに説教されるのは目に見えている。

 

(……待てよ。アクアは勧められるがままに酒を飲み、いつも通り泥酔して爆睡している。ソウゴはクリスとゆんゆんの家。めぐみんとダクネスとひょいざぶろーさんは奥さんの手で葬られた。つまり、今この家の中で正常な判断ができるのは俺と奥さんだけ。仮に手を出して、めぐみんが目覚めて、魔女裁判が開かれても、多数決を取れば軍配が上がるのは俺であって今この場から生まれる新しい常識においてマイノリティはめぐみんだ。大多数が常識となるのは世界にとって不変のルールでありごく自然なこと。そもそも従来の常識に則っても親御さんが許可を出している、所謂(いわゆる)ジャパニーズ・スエゼン。食わねば男が廃るというもの。今ならめぐみんに訴えられても勝てるのではないだろうか!? ……勝てるだろうか? クソッ! 裁判の経験が一回しかない上に、文明レベルが中世のこの世界に弁護士なんて仕事があるのかどうかすらわからない! 前の裁判の時、理不尽に項垂れるだけではなくもっと法律の勉強をしておけば――いや、勝てる。勝てるはずだッ! なんてったって、この世界は年下の男を酔わせて誘い受けで責任を取らせようとする«乙女はいつもときめきクライシス♪»がいるんだ! そんな横暴が国家権力の名の下に許されるのなら、順接的に考えて俺だって無罪放免になるはずって違うだろだからそうじゃない!! 勝てるとか勝てないとかじゃあないんだ、論点がズレてる! あの«大玉 ビッグバン!»検察官と俺じゃ権力に差があり過ぎるだろ! こんなことならもっとダクネスにゴマをすって地位向上に努めた方が良かっいやだからそうじゃないんだって! 今考えるべきは、過去を振り返り悔やむことではなくて、奥さんの策略に嵌り実質«ウェイクアップ!»してしまったというこの危機的状況をどうやって無事に回避し一夜を明かすかだ!)

 

 こんなことなら、あの時大人しくゆんゆんの家にお邪魔しておくべきだったとカズマは思った。ソウゴとクリスを分断したのも、圧倒的な魔法抵抗力を持つソウゴを本能的に察知し、盗賊であるクリスにこの状況を邪魔されないようにするため。酒飲みのアクアと比較的耐性の薄いダクネスの方が御しやすいと判断したからだろう。食事中あまり絡んでこなかったのは、全員の実力や性格を見極め選別するためだったと考えれば頷ける。

 

(まさかこんな強引な手段に出てくるとは……。チェス盤をひっくり返されたとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない、もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だぜ……)

 

 ソウゴであれば時を巻き戻すなり、この肌寒さを無効化する力も豊富に持っているのだろうが、残念ながら最弱職であるカズマにそんな能力は存在しない。ソウゴの使用する権能はスキルとして冒険者カードに反映されているのだが、日本語表記な上に一つ一つのスキルポイントが生涯賃金並なため習得が不可能な領域なのだ。

 なんとか自分の力でこの状況を逆転できる方法を模索する。だが、どんなルートを辿っても制裁が下されるバッドエンドの未来しか視えない。八方塞がりだと諦めかけたその時、カズマの思考に電撃が走った。(二回目)

 

(逆転の発想として、冤罪でなくしてしまおう)

 

 どう頑張っても受け入れ難い冤罪を吹っ掛けられるのならば、いっそのこと冤罪で無くしてしまえばカズマ自身もその罪を受け入れられるだろう。暴力による鉄槌も、言葉による私刑も、少しでもいい思い出があれば仕方ないと割り切れる。カズマとて(よわい)十七になる健全な青少年。そんな«EVOLUTION KING»中の健康優良児が同じ布団で寝ている美少女に手を出さないという方が不健全ではないだろうか。いや、不健全以前に失礼というものだ。

 

(……許せめぐみん、俺とて男だ。ソウゴみたいな民の幸せに興奮する特殊性癖持ちや一般的な聖人君子と違って性欲はある。これはお前の女性としての尊厳を守るため仕方ないことなんだ)

 

 めぐみんの顔にかかった髪をさらりと撫であげる。すると、無防備に眠る安心しきった彼女のご尊顔が現れた。近づけばよりわかる、甘い女の子の匂い。普段意識したことの無い唇から目を離せなくなる。

 カズマの心臓を激しく打ち鳴らすのは緊張か、背徳感か、それとも恋のドキドキ的なあれか。カズマの«HEART the KAMEN RIDER!»が«Heat»してるのはきっと一時の迷いではない。他の女の人にセクハラももうしない。彼女に操を立てて一途に愛し、一生幸せにすると誓おう。それが、自分が彼女に捧げられる精一杯の誠意。そう思い、眠るめぐみんにそっと«エンゲージ»しようとした時だった。

 

 目を覚ましためぐみんと、目が、あったのは。

 

 

   ※※本二次創作「この素晴らしい魔王に祝福を!」は決して性犯罪の助長を促すものではありません。どんな理由があれ、双方の合意なく行為に及ぶことは犯罪です。犯罪、ダメ絶対※※

 

 

 その後、当然のように朝チュン的なことはなかった。というのも、ヘタレたカズマが冷や汗をダラダラと流しながら誤魔化そうとしたが、そんな小手先の嘘がカズマの性格を理解した賢いめぐみんに通用するはずもなく、誘導尋問の末に自爆したからである。その後は丁寧に敷布団で簀巻きにされ夜を明かし、話を聞いたアクアとダクネスに普通にグーで起こされ今に至る。

 

「カスマ、お前という奴は……。強力なライドウォッチを持った魔王軍と戦うんだぞ? どうしてそこまで緊張感が足りないんだ」

 

「本当にすみませんでした。反省してます」

 

 防御力全振りクルセイダーのゲンコツを受けてコブができた頭を押さえ、綺麗な土下座とともに謝罪を口にするカズマ。据え膳があったとはいえ、それはそれ。因果応報とはまさにこの事で、いつものような見苦しい言い訳もせず大人しく制裁を受け入れていた。

 その情けないジャージ姿を見下ろすダクネスは、ほとほと呆れたように頭を抱え溜息をつく。

 

「今回はお前がヘタレだったからこのくらいで済ませるが、本当に手を出していたら取り返しがつかないんだぞ?」

 

「はい。自分でもどうして一人でこんなに盛り上がってしまったのかわかりません」

 

「めぐみんのお父さんとお母さんに言われてその気になっちゃったんじゃないの、クズマさん?」

 

「わかりません。そうかもしれませんが、だとしても今回のことに関しましては私の不徳の致すところです」

 

「もう二度としないと誓えますか、ゲスマ?」

 

「はい。もう二度と寝込みを襲うような真似はしません。次からは正々堂々、正面から行きます」

 

「バカズマ貴様、実は反省してないだろ。あとでソウゴにきっちり叱ってもらうからな」

 

「ソウゴは俺の保護者か何かか」

 

 畳に額を擦り付け、深々と土下座を敢行するもいつも通りのカズマ。一時の気の迷いでは済まされない自身の行動には一切言い訳をせず謝罪する姿だけは三人に誠意を伝えるに足るようで、あとはめぐみんの裁量待ちという雰囲気で彼女に視線が注がれる。仕方ないといった感じで肩を落とすめぐみんだったが、ちょうどそこに扉を開けたゆいゆいがひょっこりと顔を出した。

 

「族長の娘さんたちがいらっしゃったので朝ご飯にしようかと思うんですけど、話はまとまりそうですか? 」

 

「申し訳ない、ゆいゆい殿。大事なお嬢さんに対してウチの阿呆が。このお詫びは本人からきっちりとさせるので、ご容赦いただきたい」

 

「お詫びだなんていいんですよ。誰にでも過ちはあります。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とはいえ、カズマさんを娘の部屋へ案内したのは私です。となれば、私にも責任の一端はあるでしょうし」

 

 保護者というか先生のようなダクネスの詫びの言葉に対して、そう返したゆいゆい。その言葉に、カズマは何を言っているんだ? と一人呆けた顔をする。責任の一端どころか、昨夜全員を眠らせて部屋に押し込んだのは彼女で、完全な黒幕はゆいゆいである。その辺りは当然認知されていると思い口には出していなかったが、さも当然のように語られた嘘には拭えない違和感があった。

 だとしても、目の前で魔法を受けたダクネスやめぐみんにそんなでっちあげが通用するわけないと考えていると、カズマの意に反してダクネスは悪びれた様子で眉を垂らした。

 

「そう言っていただけると助かる。私も就寝前の記憶が曖昧で……。監視という名目で無理を言って泊めていただいた手前、お恥ずかしい限りで」

 

「ダクネスのせいではありませんよ。何事も無かったことですし、今回はこのくらいで許してあげましょう」

 

「娘もこう言っていますし、気になさらないでください。ささっ、皆さん居間へどうぞ」

 

「よかったわねカズマ、許してもらえて。早く着替えなさいよ」

 

「お、おう……」

 

 仏のように微笑むゆいゆいと三人の反応に違和感を感じ、ぼーっと部屋から出ていく背中を眺める。その最後尾に付いたゆいゆいは、部屋から出る時にちらりとカズマへと視線を向けた。目は口ほどに物を言うという言葉があるが、きっとこういう時に使う言葉なのだろう。カズマはその笑っていない視線にぞくりと冷たいものを感じた。

 この感覚は覚えがある。昨夜、部屋事情を語った時に感じた時と同じ底知れぬ恐怖。まさか、自分の見たものと三人の記憶の齟齬はゆいゆいの魔法による記憶の改竄ではないのか? そんな発想が脳に閃いたとき、ゆいゆいは声を出さず、口だけを動かしてこう告げた。

 

『つ ぎ は う ま く や っ て く だ さ い ね』

 

(……見なかったことに、ならないかなぁ)

 

 早く帰りたい。閉じた扉を見つめるカズマは、切実にそう思った。

 

 

   ⏱⏲「オンナノヒト、コワイ」⏲⏱

 

 

「と思ってたけど、やっぱ一番怖いのはお前だったよソウゴ」

 

 昨晩、カズマが馬鹿なことで葛藤していた時に起きていたとんでもない事情を事も無げに語ったソウゴは、ゆいゆいから提供された朝食を摂りながらきょとんとした顔をした。

 

「そうかな?」

 

「そうだよ。よくもまあ、魔王軍幹部を仲間に引き入れようと思ったな」

 

「話せばわかるって思ったから」

 

「本当か? 後でへらへらしながら、やっぱり絶滅させるねとか言わないか?」

「言わないよ。たぶん」

 

「ふーん。ならいいけどさ」

 

 ソウゴの曖昧な回答を聞き流しながら、カズマも朝食に口をつける。

 本日の朝食は、めぐみん家ではわりとポピュラーらしいしゃばしゃばのお粥。しかし、この器に入ったものを指してお粥というとお粥に失礼かもしれない。これはカズマが思うに、ギリギリ米が原型を留めているため重湯とも違う、流動食というより貧困食と表記すべきデンプン溶液である。限界を超えて水分を吸わされ膨張した米は、ほんの少しでも腹を膨らませようとする意地の表れなのかもしれない。味付けはシンプルに塩で、ほんのりと感じる塩味が気のせいかと思わずにはいられないほど微かな米の甘味を引き立てる。もしかするとこれは、無味と塩味の境界を彷徨う芸術なのかもしれない。

 感想はあえて口にしないカズマがそんなことを考えながら大人しく啜っていると、その軽い答えに納得いかなかったのかクリスがバンッ! とちゃぶ台を叩いた。

 

「カズマくん、正気!? 相手は魔王軍幹部のグロウキメラだよ!? これまで多くの人々と勇者候補を手にかけ、力を付けてきた人喰いモンスター! サキュバスやあの仮面の悪魔とは話が違うよ!?」

 

「でも、ソウゴがそうしたいんだろ? お前の理想がそうなら反対しないよ」

 

 憤りをぶつけるクリスに対して、涼しい顔でそう言うカズマ。この答えはソウゴにとっても意外だったのか、珍しく目を丸くしていた。深く考えていないのか、それとも長い付き合いだからか。呑気な女神だけが平然とお粥を啜る中で、自分の言葉にアクア以外の全員が同じような反応を示しているのは、カズマにとっては何とも不思議な光景だった。

 

(これがバニルの言ってた相談だったんだろうか。それほど大事な話じゃなかったし、相談っていうか事後報告だよなこれ……)

 

 答えてからでは遅いのだろうが、ふと思い出すのは出発前の言葉。どちらにせよこれが自分の本心だと、カズマはバニルの言葉をくしゃくしゃと記憶の片隅に放り投げた。

 今回軽く流した重大事項。カズマにとっては強敵と戦わなくて済むというのが一番の魅力だが、この決断にはそれ以上の理由がある。それは、ソウゴの理想だということ。伊達や酔狂で王を名乗っているわけでないということを、カズマは知っている。最高最善の王であろうと地道な努力を重ねていることを、カズマは知っている。民の幸せを心から願うソウゴを、カズマは知っているのだ。そんなソウゴの理想に、一度乗ると決めた。だというのに手前勝手に降りるほど、落ちぶれたつもりは無い。

 そんなことは口に出さず、アクアと共にごちそうさまをしたカズマは信じられない物を見るような目のクリスにへらへらと笑ってみせた。

 

「ま、何かあれば俺たちでフォローするって。それに、仲間になるかどうかはまだわからないんだろ? 起こってないことをあれこれ考えても仕方ないしな」

 

「え゙。フォローとかしなきゃいけないの? 私、危ないことと面倒なことはしたくないんですけど」

 

「お前は日常生活でもアルカンレティアでも助けられてんだから、ここにいる誰よりもやる気出せよ」

 

「あはは……。いい話っぽかったのに、アクアさんらしいですね」

 

 嫌味ったらしく言われ拗ねたように口を尖らせるアクア。そんな二人のやり取りを見ていたダクネスもクスッと笑うと、仕方ないといった表情で箸を動かし始めた。

 

「安心しろクリス。ソウゴはまだ最高最善の魔王だ。カズマもこう言っていることだし、なんとかなるだろう」

 

「なんとかなるって、そんな悠長な……!」

 

「だがクリスも言っていたじゃないか。『理想が叶うことを願っている』と」

 

「それは……っ!」

 

 過去の発言を持ち出され、言葉を失うクリス。しかしこれ以上は何を言っても無駄と判断したのか、納得はいっていないようだが彼女もまた大人しく食事に戻った。だがどうしても譲れないのか、不満げな顔はなかなか元には戻らないものの、クリスは気に入らないような表情でカズマに白い目を向ける。

 

「……納得したわけじゃないからね。もし仲間になりたいって言ってきても、私はその場で絶対に反対するから」

 

「それでいいんじゃないか? なあ、ソウゴ」

 

「……うん。ありがとうね、みんな」

 

「さ、この話はこれでおしまいだ。ということは、夕方までのんびり観光できるってことだよな。俺、観光ついでに紅魔黎明記の聖地巡礼がしたいんだけどいいか?」

 

 仕切り直しとばかりに手を叩いたカズマはそう提案した。うきうきとした様子は、この旅で感じていた重圧から開放されたからだろうか、心做しかいつもより浮かれているような気さえする。しかし気になったところはそこでは無いようで、カズマの言葉にダグネスとゆんゆんはそろって疑問符を浮かべた。

 

「聖地巡礼? 道中であの歴史書だったかをえらく熱心に読んでいるなと思ってはいたが、カズマの信仰している神に関して何か記載でもあったのか?」

 

「あ。もしかして神社の御神体でしょうか? 私達も何の神様かわからないんですけど、カズマさんは知ってるんですか?」

 

「違うわ二人とも。カズマの言う聖地巡礼っていうのはね、物語の舞台やモデルになった場所を巡って作品の世界を疑似体験する旅行の楽しみ方の一つよ。引きこもりにもそういうのに憧れとかあったのね」

 

「誰が引きこもりだ。いやー、読んでみると意外と面白くてな。折角だし色々と歴史の重み的なのを感じたくてさ。なあめぐみん、十四章の『グリフォン像』とか三章の『願いの泉』とか行ってみたいんだけど、まだ残ってたりするのか?」

 

「……え? ああ、そうですね、構いませんよ。そこまで気に入って貰えたのなら書いた人たちも草葉の陰で喜んでいることでしょう」

 

 カズマの問いかけに、ワンテンポ遅れてめぐみんは答えた。少し不思議に思ったカズマも、すぐに普段通りに戻った彼女を見て気のせいかと元の話題へと戻っていく。

 

「書いた人たち? あれって紅魔族の歴史を綴った禁忌の書なんだろ?」

 

「歴史と言ってもほとんどおとぎ話の領域ですよ。しかも代を重ねる毎に章が追記され、その度に過去の話もカッコよく脚色されているので最早どこまでが事実かわからず、有識者の間でも議論されているほどです」

 

「歴史を改竄してリレー小説にすんな。通りでみっどしーが長生きだったわけだよ」

 

「ですが面白かったのでしょう? ならば良いではありませんか」

 

「歴史ナメんな」

 

「まあ、歴史なんて後から見た人の解釈でどうとでもなるからね」

 

「歴史回収してるお前がそんな身も蓋もないこと言うんじゃねぇよ」

 

 食卓を囲んで騒がしくもいつも通りに戻っていく面々。相変わらずクリスはツンとした表情なものの、観光には行きたいようで名所の話には興味を持って耳を傾けていた。そんな中でも一人だけ、僅かなめぐみんの変化に引っ掛かりを覚えたゆんゆんは、彼女の違和感に一人眉をひそめていた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「どうなってんだ、この里は。頭おかしいんじゃないか」

 

 里を歩きながら、カズマはげっそりとした顔で悪態をついた。

 リレー小説と言えどベースは史実。……と思っていた自分が甘かったと、カズマは痛感させられた。二十二章に登場しみっどしーたちに強大な力を与えた聖剣は数年前に鍛冶屋のおじさんによって造られた観光客寄せのパチモンで、十五章の中心である罪の果実はそのとき追記者がどハマりしていた果物がモデルの作り話……。上げだしたらキリはないが、カズマに紅魔黎明記(あの本)を歴史書などと呼ぶまいと誓わせるに十分な程だった。極めつけはライフルらしきものを物干し竿にしたり、カッコイイからという理由で随一だのの言い回しを好む独特の感性。

 ツッコミきれず疲れが見えるカズマに、めぐみんは見慣れないローブを翻して得意げな笑みを見せた。

 

「安心してください。次に案内するのは紅魔の里でも秘中の秘。我らが魔法学園・レッドプリズンです!」

 

「学校に行くから着替えたってことは、それってめぐみんたちの制服なの? かわいいわね!」

 

 いつもの服装から一転、ピンクのシャツとスカートに皮のウエストベルト、そして赤い裏地の黒ローブを羽織る二人。普段曝け出している胸元より懐かしい格好の方が恥ずかしいのかもじもじするゆんゆんと比べ、アクアに褒められご満悦なめぐみんは胸を張って得意げな顔をする。

 

「そうでしょうそうでしょう。由緒正しき学園を案内するのですから、正装に着替えて然るべきです」

 

「制服に義務教育制度なんて、まるで日本みたいねカズマ」

 

「学校を牢獄とは、また随分なネーミングだな。あながち間違いだとは思わないが」

 

「どうしたのよ急にやさぐれちゃって。学校に馴染めなかった古傷でも痛みだした?」

 

「おい。それ以上言うなら俺にだって考えがあるぞ」

 

「えっ……! カズマさんも学校に馴染めなかったんですか……!?」

 

「やめてくれゆんゆん。そんな仲間を見つけたような目を俺に向けないでくれ」

 

 わちゃわちゃとじゃれ合いながら学園を目指す一行。その後ろを付いて行きながら話を聞いていたダクネスは、紅魔の里の教育機関の仕組みに感心したようで興味深げに腕を組んだ。

 

「義務教育か。金はかかるだろうが、識字率を上げたり一般教養を浸透させるためには理にかなった制度だな。……当家に領地さえあれば、試験的に導入できるのだが」

 

「今は各家庭と教会頼りだもんね。それも必要最低限って感じだし、教育が重視されるのは貴族階級くらいだし」

 

「そうなんだ。この国の王様にお願いしてみたら?」

 

「当家から言えば通るだろうが、仮に王命が出たとしても実績がないことを盾にアルダープのような金にがめつい領主共がいい顔をしないだろう」

 

「ふーん。俺なら民の幸せのために絶対させるけどな」

 

「君の場合は力づくじゃん」

 

「あはは。ちゃんと制度は整えるよ」

 

 呆れたようなクリスに、へらへらと笑うだけで誤魔化すソウゴ。このほとんど肯定しつつも敢えて否定しないところにこの男の危うさがあるのだが、本人も自覚はあるのか曖昧な態度を崩そうとしないのはそのためだろう。つくづく困った男を招き入れてしまったと、クリスは少しだけ後悔した。

 そんな二組の会話の知能指数に大幅な乖離が認められる大所帯は、前を行くカズマたちが足を止めたことで一時停止を余儀なくされる。

 

「どうしたの?」

 

 ソウゴがそう尋ねると、彼らの進行を妨げていたのは三人の黒ローブ。顔や体をすっぽりと覆い、一見すると男か女かわからない不審人物たちだが、道行く人が気に留めていないところを見るに敵でないことは確実だろう。それどころか日常風景の可能性すらあると考えていると、彼ら……いや、彼女らは全員の視線を集めたことを確認し一斉にローブを脱ぎ捨てた。

 

「我が名はあるえ。紅魔族随一の発育にして、やがて作家を目指す者……ッ!」

 

「我が名はふにふら! 紅魔族随一の弟思いにして、ブラコンと呼ばれし者!」

 

「我が名はどどんこ。紅魔族随一の……随一の…………。なんだっけ?」

 

「俺たちに聞かれても困るんだが」

 

 めぐみんたちと同じ服装で眼帯をしたあるえ、ツインテールのふにふら、そしてポニーテールのどどんこは、イマイチ締まらないがそれぞれがポーズを決め、くっくっくっ、と不敵な笑みと爛々と輝く紅い瞳でミステリアスな雰囲気をゴリ推してくる。普通に街中でこんなことをすれば奇異の目に晒されること間違いなしだが、そこは紅魔の里。どうやら珍しい事ではないらしく、彼女たちも恥ずかしがる様子はない。

 返しの句でも待っているのか、キメ顔のまま微動だにしない三人。紅魔族的には危ない人じゃないらしいので一旦考えるのをやめたカズマは、薄々そうじゃないかと思いつつも確信が持てなかったため、めぐみんに耳打ちをした。

 

「誰?」

 

「学生時代の同級生です」

 

「そうだよな。ちょっと安心したわ」

 

 同じ服装で同じローブ、ここでもし知り合いでも何でもない在校生が突然名乗り勝負を仕掛けてきたのだとしたらこの里の未来は危ういとカズマは本気で考えていたのだが、取り越し苦労だったようで胸を撫で下ろす。すると、何を思ったのかおもむろに彼女達の前へと歩み出たソウゴは、慣れたように腰を落としポーズを決め返した。

 

「我が名は常w「お前も毎回乗らなくていいから!」

 

 

   ⏱⏲「ところで、ブラコンなんですか?」「カッコイイ通り名を思いついてないだけよ!」⏲⏱

 

 

「久々に帰ってきたと聞いてね。名乗り返してくれるという噂は本当だったようだ」

 

「え、噂になってんの?」

 

「ええ。族長が触れ回ってたわよ」

 

「お父さんったら……っ! 帰ったら制裁を加えておきます……」

 

 恥ずかしげに頬を染めるゆんゆん。一人娘から連日お叱りを受ける気持ちはどんなものなのかと思いつつ、カズマはもうなるべく名乗り返さないようにしようと心に決めた。

 そんな彼らに優しく微笑んだあるえは、柔らかい表情で目を細める。

 

「せっかくだ、よければ昔の話なんかしながら学園を回ろうじゃないか」

 

「いいの!? 聞きたいわ、めぐみんとゆんゆんの学生時代!」

 

「ふふふ。その代わり、君たちの冒険の話も聞かせてくれると嬉しいね」

 

「学生の頃の話なんて楽しいものはありませんよ! せいぜいゆんゆんのボッチエピソードくらいです!」

 

「めぐみんの卑怯者! すぐに私を生贄にしようとして! あるえだって小説のネタ集めのために私たちを売らないでよ!」

 

 あるえの提案に、お互い恥ずかしい過去でもあるのか色めきたつ二人は、食いついたアクアの好奇心を擦り付けるために天下の往来で言い合いを始める。そんな彼女たちに懐かしげな視線を送るあるえは、尊い日々を噛み締めるように微笑んでいた。

 蝙蝠の羽を模した髪飾りを揺らし、艶のある短めの縦ロールに紅魔族随一というフレーズに偽りのないダクネスを超える発育。おまけに眼帯と属性がてんこ盛りの彼女は、隣で自分の顔をじっと見つめるカズマに気がついたのか、ふっと笑いかける。

 

「私の顔がどうかしたかな?」

 

「あ、スマン。その眼帯、めぐみんも持ってたなって」

 

「ああ、これかい? これは私の強大すぎる魔力を抑える拘束具のようなものでね。ついでに魅了や洗脳などの魔法への耐性も得られる強力な魔道具なのさ。それの予備を出立の時に餞別として渡したんだよ」

 

「へー。やっぱ紅魔族ってのは凄いんだな。……あれ? でも前にめぐみんはお洒落で付けてるだけって言ってなかったっけ?」

 

「あるえ。うっかり信じてしまう人がいるので、ちゃんとそういう設定だと最後に付け加えてください」

 

「なるほど。やっぱ紅魔族ってのは頭おかしいんだな」

 

 紅魔族に対する理解をまた一つ深めたカズマ。そんな彼らを値踏みするようにしげしげと見つめる、ローブを腰に巻いたツリ目のふにふらとタレ目のどどんこは、感心したように声を上げた。

 

「それにしても、実在したのね。ゆんゆんの男友達」

 

「ゆんゆんってばチョロいから、手紙に友達ができたって書いてた時には悪い男に騙されてるんじゃないかって気になってたのよ」

 

「ふにふらさん、どどんこさん……!」

 

「安心してくれ。ゆんゆんはアクセルでも上手くやっているぞ」

 

「ふーん、あっそ。ま、中級魔法使いの半端者にしては頑張ってるんじゃない?」

 

「もー! 二人ともそんなこと思い出さなくていいから!」

 

 ダクネスのその言葉に、二人は興味なさげに振る舞うも柔らかくなった頬までは隠しきれていなかった。

 ふにふらとどどんこ。この二人の名前に、ソウゴは聞き覚えがあった。彼の記憶が正しければ、友達であるということを餌にしてゆんゆんに奢らせていた二人。しかし三人の様子からは意外にもそういった雰囲気は見て取れない。むしろゆんゆんの身を案じるかのような発言は、ソウゴ的には好印象を抱く。

 

「でも、時を操る魔王とか話盛りすぎよね。カッコイイ設定だけど、もっと相手がノリやすいものにしないと」

 

「よかったわね、ゆんゆん。私たちみたいな普通の感性の人が外にもいて」

 

「もしかして俺の存在ってあの眼帯と同じ括り?」

 

「紅魔族でも見たことないとそうなるんだね」

 

 前言撤回。少し嫌な人達かもと、ソウゴは認識を改めた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「シルビア様」

 

「……わかってるわ。時間でしょ」

 

 背後からゴブリンに声をかけられたシルビアは、大きくため息をついて白衣を脱ぎ捨てた。いつもならラックに掛けたりするのだが、そんなことは無駄だと分かっているからだ。

 

(きっと、もう私がここに帰ってくることはない。紅魔の里からある程度反対方向に進むと、反射するものからコボルトみたいなモンスターが湧き出てきて妨害してくる。増援を呼ぼうと魔王城に鳩を飛ばせば赤や黒のドラゴンに食われてしまう。これじゃ報告書の一枚すら送れない。完全に詰みね)

 

 出した答えに悔いはない。例え血を見ることになろうと、自分に、いや、自分たちにとって一番の答えだと胸を張れると、シルビアの覚悟は揺らがなかった。

 

(でも私にもプライドがある。アンタもそれがわかってて私に時間を与えたんでしょ? それとも本当に心変わりすると思ってたのかしら。監視だって基地内に入れていないものね。だとするなら、アンタは魔王じゃなくて相当なお人好しよ)

 

 髪をセットし、メイクを整え、一番愛着のあるパルファムをふって腹を括る。彼らの前で弱気な姿は見せられないと、いつもより気合いを入れて身支度を整える。醜い最期など許されない。それがこの世のあらゆる美しいを貪ってきた自分の存在意義であると強く言い聞かせて。

 

「シルビア様。全員揃っております」

 

「ええ」

 

 彼らの前に立ち、こうして話をするのも最後だろう。狭い地下空間にみっちりと集まった部下たちを見渡せば、その表情から怯えを見つけるのは容易な事だった。昨夜生き残ったもの、話を聞いたもの、その全てに恐怖心が植え付けられていた。シルビアがその恐怖を飲み込めたのは、自身のプライドと将としての責任なのだ。だからこそ、彼女は一言目を決めていた。

 この狭い空間では、息を吸い込む音すらよく聞こえた。

 

「私は今からアンタたちに、勝つために死ねと命令する。怖ければここから逃げなさい。トキワソウゴの下に付けば見逃してもらえるはずよ。どうせ私も死ぬんだから、敵前逃亡も不問とするわ」

 

 誰も動かない。空気の怯えは変わらずだが、彼らの目には僅かながらのプライドの火が灯っている。強がりなのは見て取れるが、それでも自分の怯えを乗り越えるために歯を食いしばっている。そんな気がした。

 愛すべき部下を誇りに思うシルビアは、自然と頬が緩んでいた。

 

「アンタたちの覚悟、しかと受け取ったわ。散らされた仲間たちの魂は私たちと共にある。戦いましょう、あの化け物と。私たちの未来のために!」

 

『我らがシルビア様の未来に勝利を!!!』




「く……っ! な、なぜだ、みっどしー……! どうして俺たちに攻撃を……っ!」

 血が滴る傷口を押え、ちゃなかは絞り出すように言葉を吐き出した。身体に走る痛みより、友に裏切られた心の痛み。それだけが今のちゃなかの意識を保っていられる理由。血溜まりに沈むれんちんはもう助からないだろう。それでも、ちゃなかは何故自分たちが死へと向かっているのかを知りたかったのだ。
 ちゃなかを嘲笑うように、その(かいな)を赫に染めたみっどしーは笑みを浮かべた。

「クックック……。我はこの男の中で封印(ねむ)らされし神。暴虐と破壊の神、ウォルバク」

「ウォルバク、だと……!?」

永遠(なが)きに渡る封印からようやく解き放たれたのだ。崩壊(こわ)してやるぞ。この男が築き上げてきた全てを……。この世界を完結(おわ)らせてやる……!」

 魔力の奔流がみっどしーへと集約していく。まるで『レールガン』を使った時のような爆発的な力の収束。その時、ちゃなかの中で全てが繋がった。

 みっどしーが飛び抜けた魔力を持っていた理由。
 彼の暴走へのトラウマ。
 彼が最近見ていた夢。
 それは彼の中に巣食う破壊と暴虐の神への畏れが無意識のうちに引き起こしていた予兆だったのだと。

終焉(おわ)りだ」


紅魔黎明記 第五章 煌々たる死兆星


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このグロウキメラに決断を!

「カズマさん。あの、お願いがあるんです……」

 そろそろ出発の頃合だと装備の点検をしていたカズマの元に、もじもじと指をまごつかせるゆんゆんがやってきた。その表情はとても迷っているようで、何か言いたげにはしているがどう言えばいいのか分からない。そんな感じのする眉の垂れ方だった。こういう時は深く聞かないが吉。それを心得ているカズマは、普段通りに答えた。

「どうしたんだよ、ゆんゆん。お願いって?」

「ええっと、その……」

 言い辛い事なのか、それとも言葉に迷っているのか、言い淀む彼女は沈黙してしまう。戦闘になるかそのまま仲良し懇親会になるかはわからないが、その直前でのお願いとあらば内容によっては承服しかねるかもしれない。しかし、うちのパーティーメンバーと違ってゆんゆんなら無茶なことは言い出さないだろうとカズマがのんびり答えを待っていると、彼女は意を決したように口を開いた。

「めぐみんに爆裂魔法を使わせないでほしいんです!!」

「それはまあ、俺も爆裂魔法より他の魔法覚えてほしいけど……」

「あ、そ、そういうことじゃなくて……。えと、紅魔の里にいる間、めぐみんに爆裂魔法を使わせないでほしいっていうことで……」

「? ダメなのか?」

「いや、その、ダメと言うかなんと言うか……。と、とにかく! もし魔王軍との戦いになってもめぐみんに爆裂魔法は撃たせないでください! お願いします!」

 言いたいことだけ言ったゆんゆんは、そそくさとその場を後にする。彼女の言っている意味をカズマが知るのは、もう少しあとの事。

 


 日も十分に傾き、空は万人が思い浮かべる夕暮れ時を演出する。燃え上がる斜日の(あか)に染められた紅魔の里は、さながら茜色の海とでも表現するべき哀愁を放っていた。もしこの夕暮れ色に満たされた世界が海だと言うのならば、押し寄せてくる大軍は歴史を動かす波なのか、それともどこかの地より流れ着いただけの漂流物なのか。少なくとも、一つの歴史のターニングポイントであることは間違いない。自分たちの前に並び立ったシルビア軍を見てその数に息を飲んだカズマは、ソウゴの理想の前に立ちはだかる壁を感じていた。

 

「クックックッ……。まさかここまでたどり着くとはな。……これも戦士の宿命か。まずは褒めてやろう、魔王軍幹部シルビア! そして聴け! 我が名はひろぽん! この里の長にして、紅魔族を導く者。貴様に引導を渡す者だ……ッ!!」

 

 ひろぽんの名乗りと共に、彼の背後から天を焦がす勢いで炎の柱が立ち昇る。ポカンとする全員とは別に周辺の木々に引火する勢いで火の粉を撒き散らすそれを隣で見ていたゆんゆんは、大事な時に無駄なことで魔力を使う身内への羞恥心から耳まで真っ赤にしていた。

 

「だが既に貴様らに明日はない。我が強大なる魔力によって術中に嵌っている貴様らにはな! 隠匿されし一子相伝の秘奥義が邪悪を焼き尽くし、この世界に光をもたらす。それこそが、(あか)の宿命……!」

 

「ちょっとお父さん! 続けないでよ、恥ずかしいから……!」

 

「何を言ってるんだゆんゆん。こんなの、紅魔族のいつもの挨拶じゃないか」

 

「……私、アンタ達のそのノリ苦手なのよね」

 

 紅魔族流の開幕パンチを面倒くさそうにいなしたシルビアは、疲れたようにこめかみを押えた。そんな人間くさい仕草を横目に、カズマは参考も兼ねてこっそりとめぐみんに耳打ちする。

 

「(……なあ、めぐみん。秘奥義ってなんだ? 広範囲系の魔法か?)」

 

「(そんなものありませんよ。大抵の紅魔族は盛り上がるだけ盛り上がって、勝てないと分かったら〈テレポート〉で逃げますから)」

 

「(あ、そういう……)」

 

 色々と察したカズマは、相手と和解できたら仲良くなれそうな気がしていた。

 

 

   ⏱⏲「最初からやり直そっか」「……そうね」⏲⏱

 

 

 日も十分に傾き、空は万人が思い浮かべる夕暮れ時を演出する。燃え上がる斜日の(あか)に染められた紅魔の里は、さながら茜色の海とでも表現するべき哀愁を放っていた。もしこの夕暮れ色に満たされた世界が海だと言うのならば、押し寄せてくる大軍は歴史を動かす波なのか、それともどこかの地より流れ着いただけの漂流物なのか。少なくとも、一つの歴史のターニングポイントであることは間違いない。自分たちの前に並び立ったシルビア軍を見て気持ちを仕切り直したカズマは、そんな風に思うことでなんとか緊張感を保っていた。

 

「まさかここまで「そこはやり直さなくていいから!」

 

 愛娘に口を押さえられ、引き摺られて後退させられるひろぽん。それを見送ったソウゴは、ごほんと咳払いをして笑みを浮かべた。

 

「改めまして。逃げずによく来てくれたね、シルビア」

 

「逃げられないように監視を放っていた男がよく言うわ」

 

「逃げようとしなければ気づくことは無かったけどね」

 

 シルビアと呼ばれた長身の美女は、へらへらと笑うソウゴに対して嫌な顔一つせず余裕を持った笑みを浮かべていた。

 背は優に二メートルを超え、カズマの頭でようやくへそ辺りに届くという恵まれた体躯。しかし過剰な筋肉や余分な脂肪はついておらず、長い手足と出るとこは出て締まるところは締まるバランスのとれたボディラインが、赤い革のドレスと相まって美しさを際立たせている。クリスからあの体を構成しているのが今までシルビアが殺し取り込んだ美男美女だと聞いていなければ、うっかり鼻の下を伸ばしていたかもしれないと思うとカズマは少し背筋が冷たくなった。

 

「こっちは全員で来てあげたのに、出迎えは随分と寂しいのね。たったの八人?」

 

 頬に手を当て悩ましげに見下ろすシルビアは、わかりやすい皮肉を口にした。

 彼女の言う通り、敵兵力は目視できる範囲だけをざっくり数えても千を軽く超えているだろう。対してこちらは仲間たち七人に見届け人として同行してもらった族長・ひろぽんを加え計八人。戦闘になれば一人あたり百人以上を相手にしなければならないという圧倒的な戦力差であってもシルビアたちが警戒を解かないのは、ソウゴの存在が大きいだろうことは自明の理というものだろう。だがこちらが少数なのにもきちんと理由があった。

 

(言えない。里の人達に話したら嬉々として大討伐部隊組んだ上に一網打尽の罠を仕掛けようとしてたから適当に誤魔化して来たなんて)

 

 里の守護だとか先遣隊と本隊で分けるだとか、中高生が好みそうな語句の口から出任せを並べて来なければソウゴによる恐怖統治が行われるところだったのだ。言動こそふざけているものの考え方が現実的だったり、ロマンは好きでも追い求めているわけではなかったりと、言動の不一致っぷりがどうにもやり辛いとカズマは心の内で毒づいた。

 しかしそんなシルビアの安っぽい挑発が癪に障ったのか、圧巻の数を意に介さないアクアとクリスは向かい合う軍勢に対して堂々と中指を立てた。

 

「はぁ~~?? なんですかぁ~? 下級の悪魔もどきの寄せ集めならこれでも多いくらいなんですけど??? むしろ、女神である私がアンデッド臭いアンタたちのために直々に出向いてあげてるんだから感謝するのが当たり前なんじゃないかしら???」

 

「出会い頭に浄化魔法を叩き込まれないだけマシなんだけど。不浄な存在は譲歩してあげてるってことがわからないくらいおつむが弱いみたいだし、これじゃ話し合いなんて無理だね。力でわからせるしかないよ。どっちが上で、どっちが下か」

 

「ふ、二人とも落ち着け!」

 

「く、クリスさんこわいです……」

 

「このやさぐれクリスはサキュバスの時以来ですね……」

 

 話し合う気などさらさら無いとでも言いたげに睨みを利かせ、不快感を隠すことなく全面に押し出す二人。アクアはいつもバニルに喧嘩を売る時のようなふてぶてしい態度だが、クリスは今にも先制で一撃必殺を仕掛けそうなピリピリとした殺気をまとっている。

 そんな二人を宥めるダクネスを横目に、長話をしていると二人が暴れだしそうだなと思ったソウゴはにっこりと穏和な笑みをシルビアたちに向けた。

 

「ごめんね、周りは気にしないで。じゃあ、答えを聞かせてくれるかな?」

 

「ええ、構わないわ。……と言っても、アンタはもう予想がついてるんじゃない? だから監視なんて寄越したんでしょ?」

 

「うん、まあね。でも教えてよ。シルビアの出した答えを」

 

 勿体ぶった言い回しをしたソウゴは、全員が見守る中でそう問いかける。

 ソウゴは誓って、未来を覗いていない。敵になるにしろ隣人になるにしろ、彼ら彼女らの選択を事前に把握するというのは誠実さに欠けるとソウゴが感じたからだ。

 だからこそ、予想はついていてもつい期待してしまう。即答しなかったが、悩んだ末に気が変わったのではないかと。猶予を要求したのは策略を練るための時間ではなく、身辺整理の時間だったのではないかと。あの去り際の決意に満ちた目は死を覚悟したものではなく、生きるため全てを捨てる覚悟ではないかと。無駄に命を奪わずに済むのではないか、と。

 しかし、シルビアはそんなソウゴの期待を笑顔でスッパリと切り捨てた。

 

「答えは、ノーよ」

 

「……ま、そうだよね。理由を聞いてもいい?」

 

「そう難しい事じゃないわ。アンタに誘われた時、部下たちを見て思ったの。私がアンタの下につけば、今いる私たちの命は保証される。でも魔王軍の兵として私を信じ、そして散っていった部下たちの無念はどう晴らせばいいのかって」

 

「ふーん。死んだ仲間のために命を賭けるんだ?」

 

「違うわ。私たちが生き残るために命を賭けたのよ」

 

「そっか。俺、シルビアのそういうところ好きだったのに残念だな」

 

 少しだけ目を伏せ寂しそうにそう呟いたソウゴだったが、次の瞬間には普段通りの表情に戻っていた。仇敵のように睨みつけるわけでも、名残惜しげに見つめるわけでもなく、しかし無関心というわけでもなく、ほどほどに興味がある普段通りの顔。そしてその顔でソウゴは、普段よりも一段低い声を伴って宣言した。

 

「その未来は、絶対にやって来ないよ」

 

 その人離れした切り替えの早さのせいか、カズマは武器を構え戦闘に集中していく仲間たちの中で一人だけ、ソウゴに怖気に似た畏怖の念を抱いた。

 敵味方問わず粟立つ肌を、ソウゴから放たれるチリチリとした殺気がやんわりと撫でる。王の決断に呼応して現れた装飾品から余剰なエネルギーが黒い稲妻となって大気に漏れ出ると、その威圧感には何度も見ているはずのカズマたちですら気圧されてしまう。それを真正面からまともにぶつけられたシルビアたちが自ずと一歩後ろに引いてしまうのは、いくら覚悟していても仕方の無い事だった。

 

「変身」

 

 

 

«祝福ノ刻»

 

 

 

«最高»      «最善»

 

«オーマジオウ»

 

«最大»      «最強王»

 

 

 

 そこに現れるのは、比類無き王の御姿。語り継がれし時をその身に宿し、この世の全てを超越した並ぶ者のない究極王者。重厚なる歴史を纏い、時空を思いのままに書き換える絶対覇者。自身こそが『仮面ライダー』であることを知らしめるかのごとくフェイスに文字が刻み込まれた時、オーマジオウから放たれる威光で最前列に立っていた兵は意識を刈り取られ地に倒れ伏した。悠然と立つオーマジオウは、その燃えたぎる意思が宿る瞳でこれから蹂躙する命を見据える。

 

「返してもらうよ。俺たちの歴史」

 

 既にオーバーキルな気がしなくもないカズマ。しかしそんなカズマの同情とは裏腹に、シルビアはオーマジオウの出現に恐れるどころか逆にくつくつと喉を鳴らすと、抑えきれなくなったのか天を仰ぎ笑い始めた。壊れたようなとか、狂ったようなとか、そういう退廃的なものではない嬉しそうな声。そんなシルビアに対してオーマジオウは、その場違いな感情表現に怪訝そうな声色で問いかけた。

 

「……何がおかしいの?」

 

「いいえ、楽しいわけじゃないのよ。ただ、全てに納得が言ったの。貴方の真の姿を見てね……!」

 

 真の姿なんていう紅魔族が好きそうな単語を口にしたシルビアは、ビシッとオーマジオウを指さすと胸元から取り出した見覚えのある一冊の本を手に断言した。

 

「トキワソウゴ。アンタがこの『紅魔黎明記』に書かれていた『紅き瞳を持つ黒き魔導の王』なのね!」

 

「いや、違うけど」

 

「隠さなくてもいいわ。伝承と同じ黒と金の装飾に赤い瞳、顔の古代文字、昨夜の〈ファイアーボール〉を連発する魔道具、そして魔王軍と敵対しながら魔王を名乗る頭のおかしい感性に、紅魔族に与しているところから見て間違いないのよ。アンタが古より語られる伝説の存在であり、この紅魔族(イカれた連中)の名前の由来ともなった『(あか)の魔王』ってことはね!」

 

「『紅の魔王』なんて単語、その本に出てきたっけ」

 

「この名前は今、私が考えたわ!」

 

「……おい、めぐみん。ここにも一人『紅魔黎明期』を本当の歴史だと信じている被害者がいるんだが」

 

「情報戦において我々の勝利と言っていいでしょう」

 

 真顔でそんなことを宣うめぐみんの隣で、ジトッとした視線を送るカズマ。今からでも嘘だと釈明するのがソウゴにとっても向こうにとっても一番いい気がするのだが、訂正などするはずのない紅魔族の族長はむしろその誤解を確固たるものにするかのようにオーバーリアクションでたじろいだ。

 

「な、なんだって……!? まさか、娘のお仲間があの伝説の“紅の魔王”だというのか……ッ!? 次期族長である娘の実力を試すため、そして魔王軍を壊滅させるために降臨していたと!?」

 

「いや、本当に違うんだけど」

 

「フンッ! 味方陣営にも言わずこの場面で正体を現すのも紅魔族みたいじゃないか! もう言い逃れは出来ないわよ、忌々しい紅の魔王……!」

 

「全然話聞いてくれないじゃん……」

 

 勝手に盛りあがっているシルビアとひろぽんに対し、冷めた声でとても迷惑そうに否定するオーマジオウ。本当にただの偶然の一致であって、ソウゴにとっては謂れのない代名詞なのだが、認めようと否定しようと覆らない敬称になってしまったらしい。オーマジオウの鎧も言葉責めという名の精神攻撃には耐性がないようで、疲れからため息しかつけないソウゴはわかりやすく肩を落とした。

 否定することを諦めたオーマジオウを見て、一人自分の世界に入り込んでいたシルビアは恨めしげに歪めていた形相を笑みに変えた。

 

「でも、これで私の仮説は証明された」

 

「仮説?」

 

「ええ。アンタは期待以上の光を私たちに見せてくれたのさ……!」

 

 太陽が完全に沈み、夜がやってくる。その闇の中でもはっきりと分かるような邪悪なしたり顔を見せるシルビア。まるでこの状況こそ自分の思い描いていた展開だと言わんばかりの愉悦を孕んだ表情は、波紋のように伝播してシルビアの軍勢たちの眼に活路を見つけたような光を灯していく。そのどういうわけか希望を見いだした彼らの先頭で腕を組み、ご満悦な様子のシルビアは嬉しそうに大口を開けた。

 

「魔王様を倒し、この世界に人類の平和をもたらす救世の王。ノイズで伝えられていた御伽噺のような存在であるアンタがいるってことは、やはりこの伝記通りあの魔法大国の古代兵器もここにある! 教えてあげるわトキワソウゴ。アンタたちは既に()()()()()()……!!」

 

(……今、ノイズって言った? 紅魔族とノイズって関係あるの?)

 

 きっと一番最後の意味深な発言に反応するべきなのだろうが、それよりも気になる固有名詞が出てきたせいでカズマはそっちに意識を取られる。

 ノイズと言えば、かの機動要塞デストロイヤーを生み出した国。そしてあの日記を書き記し亡くなった、とんでもなくふざけた〈転生者(チート持ち)〉がいた国。誰もが真面目な空気で気づいていないが、古代兵器なんていう重要ワードの登場によりとてつもなく嫌な予感がカズマの中で渦巻いていた。

 そんなことを知らないシルビアは、空に向けて指を鳴らす。

 

「さあ、ショーの時間だよ!」

 

 合図と共に里から大きな爆発音が鳴り響いた。地鳴りに続いて、上級魔法が飛び交っているのか、真っ暗な空が炎や雷の魔法を光源として彩られる。突然の怪獣映画のような騒乱にどよめいたのは、里の中だけではない。

 

「うぇ!? なになに!? なんなの!?」

 

「〈敵感知〉スキルに反応がある! かなりの数の敵が里の中にいるよ! どんどん増えてる! 空にはいない。まさか、地面から……!?」

 

「ちぃっ……! ヤツらめ、基地から我らの里まで地下の抜け道を作っていたのか……っ!」

 

 シルビアにガンを垂れていた二人が振り返り、ひろぽんまでも本当か嘘かわからない驚きの反応を見せる。予想外の背後からの奇襲に動揺しているのだろう憎らしげに歯を食いしばるクリスは、少し考えるように視線を這わせるオーマジオウへと声をあげた。

 

「ここも囲まれてる! アタシのスキルだけじゃ数が把握出来ないよ! ソウゴくん、わかる!?」

 

「……いや、わからない」

 

「くっ、それほどまでに数が多いということか……!」

 

「で、でも、ソウゴさんならあのオークの時みたいに一網打尽にできるんじゃ……?」

 

「そうじゃないよ」

 

「そうじゃない……?」

 

 期待がこめられたゆんゆんの言葉に対して、静かに首を振るオーマジオウ。その姿が余程気に入ったのか、シルビアは騒がしくなった里から轟く爆発音に負けないくらいの大声で、高らかな笑い声を上げた。

 

「アーッハッハッハッ! やっぱりアンタには感知できないのね。私の研究の集大成は!」

 

「感知できないって、本当なのソウゴくん!?」

 

「……うん。里の中からは紅魔族の魔力しか感じない。他のは畑の野菜や石化したグリフォンくらい。カズマやクリスが言うような大勢のモンスターの魔力は少しも見えないんだ」

 

「そんなわけないじゃない! 生きとし生けるもの全て、例外なく魔力を持ってるものなの! 植物だろうとアンデット系のモンスターだろうと、生命力と魔力は直結してるんだから! それが無いなんて絶対にありえないわ!」

 

「…………生きとし生けるもの?」

 

 アクアの言葉を聞いて、オーマジオウは引っ掛かりを口にする。まさかと思いシルビアへと視線を向け直すと、彼女はソウゴを出し抜けたのがよほど嬉しかったのか喜色で塗り固められた満面の笑みを返してきた。

 

「あら、気づくのが早いじゃない。それも歴史とやらにあったのかしら。でも残念だわ、仮面のせいでアンタの悔しそうな顔が見れなくて」

 

「……作ったね。アマゾンズの歴史に存在しないものを。第()のアマゾン、()()()()()()()()()()()()を……!」

 

「『しぐまたいぷ』、ね。いいじゃない、シグマタイプ。この言葉もアマゾンズレジスターと同じようにしっくりと馴染む言葉だわ」

 

「……あんまり馴染まれると困るな。この世界にライダーの歴史が定着しちゃうからね」

 

 愉楽に満ちた顔のシルビアは、オーマジオウの苦言も小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 そんなピリピリと睨み合う二人の空気に当てられても、専門用語の登場で話に追いつけなくなった一行は、揃って首を傾げる。だがその中でも一人だけ、神妙な顔つきをするひろぽんだけは違った。

 

「ほう。『しぐまたいぷ』に『あまぞんずれじすたー』か……。あの二人、わかっているじゃないか」

 

「お父さん、知ってるの!?」

 

「いや、カッコイイ言葉だということ以外はさっぱり」

 

「馬鹿にしてんのか」

 

 平常運転の紅魔族にそろそろ疲れが溜まってきたカズマ。そんな彼らの反応を見てくすっと笑うソウゴは、少しだけ後ろを振り返って解説を挟んだ。

 

「シグマタイプは死体をベースに生み出されるアマゾンだよ。元が死人だからお腹が空かないし痛覚もない。だから肉体が崩壊するまで戦い続けられる特性を持つ『生物兵器・アマゾン』の完成系。それをシルビアは、感染力がある溶原性細胞で作ったんだ」

 

「……つまり、今里を襲っていてソウゴが感知できないモンスターは、触れたら人喰いの化け物になるかもしれない人喰いアンデッド、ということですね?」

 

「うん。まあ、そんなとこ」

 

「おいおい。それ、どこのB級ゾンビ映画だよ……!」

 

 噛まれたらゾンビになるどころではなく、触れられただけでアウトかもしれないという難易度の高さにカズマは悪態をつく他なかった。対策を立てようにも、里の内部に侵入されていてはどう転んでも接近戦になってしまう。飛び散る体液だけでも危険なのに、痛覚がなければ怯むことも無く自爆特攻が当然のように行われることだろう。一人でも多く道連れに出来ればアマゾン仲間が増え、それがソウゴへの、紅魔族への攻撃に繋がる。力の差を理解しているからこその僅かな勝ち筋に縋った結果が、とんでもない自爆テロを引き起こそうとしていた。

 カズマたちの反応が余程お気に召したのか、シルビアはとても機嫌よく舌を回す。

 

「ずっと考えていたの。どうしてアンタは昨夜、迷わず私たちを見つけられたのか。アンタに何の感情も向けてなかった私たちに人間の持つ敵感知は反応しないはず。この里の人間が今更警備を厳重にして見張りを立てるなんて考えられないわ。なら生命力に吸い寄せられる死霊の類のように、生きているものを見分けられる何かがあるんじゃないかって」

 

「それで、動く死体を用意したってわけか。使ったのは紅魔族にやられた仲間の体? でも、損傷具合で復元できないものもあるから数は確保できないよね」

 

「まさか墓荒らししたんじゃないでしょうね!?」

 

「ふふふ……。そんなちっぽけなことじゃないわ。私は……、いいえ。私()()は、生き残るために全てを賭けたのよ! アンタを出し抜き、勝てるかもしれない僅かな可能性に! そして勝った! この全員の命を賭けた大勝負に!」

 

「全て……? 死体って、まさか……!?」

 

 クリスが信じられないものを見るような目を向ける。

 彼女が今考えていることは、この場にいる全員が導き出した答えと等しい。だが信じたくないという気持ちが強いのも事実だった。常識の範疇を超え、理解というものの枠外にある結論。プライドなどというもので説明できない執念とも呼ぶべき意地。

 人や他種族の死体など、いくらかき集めようと制御出来ないのだ。アマゾンズレジスターで本能を抑えようと、支配することができなければ一夜で統率の取れた動きなどできない。そんなことはこの里に来る前からわかっていて、少し考えれば分かることなのに、常識としてその可能性から目を逸らしていた。認めたくなかったのかもしれない。一日かけて準備をしたソウゴへの対抗策。

 

 

 勝つために死んだ、など。

 

 

「そう! 私が生み出したシグマタイプは全て部下の亡骸を使った従順な下僕たち! 紅魔族に葬られた遺体の中で蘇生できた部下、千三百人! そして私を信じて自らの命を差し出し適合した配下、千人! アンタが生命力を感知できている部下たちは、私が生前の部下から切り離した生きた部位に『あまぞんさいぼう』を注入して培養した千七百人のクローンによる囮! これが私の研究の……人生の全てよ!」

 

 シルビアの言葉を皮切りに、周辺の茂みから様々な形の怪物がぞろぞろと這い出してくる。体の八割が爬虫類のような皮膚に覆われたコボルト、片足だけがバッタのような形をしているゴブリン、肩から虎のような牙を生やしたトロール、魚のような鱗の生えた腕を四本持つグレムリン……。元の形質から大きく逸脱したキメラのような部分は、欠損した部位を補ったアマゾン細胞の変異によるものだろう。彼らに反応して、シルビアの周りに集結していたモンスター達も一体、また一体と元の体からかけ離れた化け物へと肉体を変えていく。

 

「あんなモノが全部で四千体もいるというのか……!? 王都を攻める軍勢でも聞いたことの無い数だぞ……!」

 

「一匹でも逃がしたらパンデミックだよ! 全部ここで仕留める……!」

 

「……仕方がない。我が紅魔族に伝わる一子相伝の秘奥義を見せるしかないようだな。疼くぞ、あまりの強大さゆえに封印されし我が左腕の魔力が……ッッ!!」

 

「逃げの〈テレポート〉じゃねぇか! どこに逃げるって言うんだよ、里が襲われてるのに!」

 

「シグマアマゾンだとややこしいから、キメラアマゾンってところかな? アマゾンネオの歴史にもピッタリだし」

 

「どうしてそんなに落ち着いてるんですか!?」

 

 変化を終えた魑魅魍魎が、たったの八匹しかない餌を食い散らかさんと涎を垂らして襲いかかってくる。冒険者であれば様々なモンスターから敵意や殺意を向けられるのは日常茶飯事だが、純粋な食欲をぶつけられることも珍しい。それら暴食の(けだもの)を眺めるシルビアは、目の前にぶら下がった勝ちから口角を吊り上げる。

 

「いくら化け物じみたアンタと言えど、この数から仲間を守りきれるかしら?」

 

「守りきる? おかしなことを言うね、シルビア」

 

 迫るアマゾンたちの数は目で追うことが無謀なほど膨大。本来飢餓を感じないはずのシグマタイプが捕食衝動に駆られているのは歴史が歪められたからか、それとも溶原性細胞によって本能が刺激されているのか定かではない。しかし、オーマジオウはイレギュラーなはずの驚異に対して身動ぎ一つせず静かに佇んでいた。

 

「俺にその未来は視えないかな」

 

「〈セイクリッド・ターンアンデッド〉!!」

 

 突如としてオーマジオウの背後から放たれた光が、その場を影の一片すらなくなるほど眩く照らす。邪悪な存在をも優しく抱きしめるような、天界の存在が放つ暖かく優しい光。その神聖な浄化の輝きはキメラアマゾンたちを包み込むと、彼らに辛うじて結び付けられていた魂を神の名の下に強制的に解き放ち次々に自然の循環へと戻していった。変わり果てたバケモノたちの残骸はアクアの浄化能力に当てられてか、欠けた死体というあるべき姿へと戻っていく。その光の中心で水色の髪を靡かせるアクアは、フッと笑い腰に手を当てた。

 

「要するに、魔法的な力で蘇生しなかっただけのアンデッドでしょ? 死者だって言うのなら私の敵じゃないわね」

 

「同胞たちが……! アンタは、一体……ッ!?」

 

 絶対的優位を確信していたシルビアにとって、度肝を抜かされるとはこのことだったのだろう。十数体の下僕たちを難なく物言わぬ骸へと戻されたのだ、理解が追いつかないのも無理はない。驚くシルビア、そして警戒心から歩みを止めたアマゾンたちに勝ち誇ったような顔を向けたアクアは、隣でそれを眺めるカズマですらイラッとくるドヤ顔で名乗りを上げた。

 

「ふふふ……。冥土の土産に教えてあげるわ、魔王軍幹部シルビア。……我が名はアクア! やがて魔王軍を滅ぼすであろう清廉なる水の女神にして、紅の魔王を従えし者!」

 

「従った覚えないんだけど」

 

「細かいことはいいのよ」

 

(こいつ、勝てる相手が出てきてわかりやすく調子乗り始めたな)

 

 緊張感の持続しない仲間たちを見ながらそう毒づくカズマ。一日かけた仕込みがあっさり突破されたシルビアを見ていると少し可哀想に思えてくるが、これは命を懸けた戦いだ。アクアの力が有効であるのなら、ソウゴがウォッチを回収しアマゾンの脅威が完全に消滅するまで被害を極力減らすために動くべきだろう。

 

(それに、俺も気になることがあるしな)

 

 シルビアが口にした『ノイズの古代兵器』。御伽噺の領域と言われればその通りなのだが、この国というか〈転生者〉には前科があるため作り話だと切り捨てるわけにもいかない。内密かつ早々に処理しなければ、何のためにあの手記を燃やして隠滅したのかわからなくなってしまう。

 気持ちを真面目な方に切り替え大まかな動きを組み立てたカズマは、オーマジオウの背中に問いかけた。

 

「ソウゴ。こっちは任せてもいいよな」

 

「うん。そっちはお願いね」

 

 オーマジオウは、カズマの考えがわかっているのか振り返ることなく答える。その言葉を聞いたカズマは懐から取り出したバイクライドウォッチを起動すると変形したライドストライカーに跨り、アクアに向けて自分が被ろうとしているものと同じフルフェイスのヘルメットを放り投げた。

 

「俺とアクアで里の中に侵入したアマゾンを浄化する。〈敵感知〉が使えるクリスと里に詳しいゆんゆんで、逃げ遅れた人がいないか見回ってくれるか?」

 

「わかりました!」

 

「ま、フォローするってことになっちゃってるしね」

 

「付き合わせて悪いね、クリス。お礼ってわけじゃないけど」

 

 そう言ってオーマジオウは歴史の中から最も適した移動手段を選別する。〈運転〉スキルが不要かつ、いざと言う時に自動で戦闘に参加できる優秀なマシン。大企業スマートブレインが“オルフェノクの王”を守るために制作したギアの一つでありながら、彼らを裏切り人々を守るために戦った“紅き血の英雄”をサポートする人馬一体の高性能ライダーマシン。

 

「『オートバジン』。“仮面ライダーファイズ”をサポートするバイクだよ。運転は任せていいから」

 

「へぇ。よろしくね、オートバジン……くん?」

 

 カウルを撫でたクリスの言葉に反応して、自動でエンジンを吹かせるオートバジン。二人が乗り込むとライトをチカチカと光らせたオートバジンは、ゆんゆんが後ろに、そしてクリスがハンドルに手をかけたことで準備が出来たことを理解し初心者でも恐怖を感じ無い程度の速度でゆっくりと前進を始める。

 その隣で、投げ渡されたフルフェイスを抱えたアクアは髪をなびかせてふふんと得意げな顔をしていた。

 

「仕方ないわねぇ。今までの非礼を詫びて『女神アクア様、どうか力をお貸しください』って言うなら考えてあげなくもないけど?」

 

「さっさと後ろに乗れ、アホ女神」

 

「アホって何よ、アホって! 謝って! この私にアホって言ったこと謝って!」

 

 後ろのシートに座りわーきゃーと喚くアクアに背中をポカポカと殴られるカズマは、心底面倒そうな顔でブレーキペダルに足をかけた。敵の多いところを支援しつつ、目的の場所を目指す。内容はアレだったが観光しておいて良かったとエンジンを吹かしながらカズマが里の地理を思い出していると、ハンドルを捻る彼に杖を抱えためぐみんが駆け寄ってきた。

 

「カズマ! 私たちは……?」

 

「めぐみんとダクネスはアマゾンと相性が悪いからここで待機だ。特にめぐみんは温存しとけよ。どこでお前の魔法が必要になるかわからないからな」

 

「わかった。気をつけろ、二人とも」

 

「……わかりました」

 

 前衛職と撃った後身動きが取れない魔法使いは危険が多すぎる。もどかしそうではあるものの、カズマがそう言いたいことを理解している二人は大人しく首を縦に振った。納得したことを確認したカズマは、フルフェイスのシールドを下ろしクラッチレバーから指を離した。

 

「ちゃんと掴まれよアクア。落ちても知らないぞ」

 

「ねえカズマ。私のチャーミングな髪がつっかえてこのヘルメット被れないんですけど。ゆんゆんが被ってたみたいな顔が出るやつないの?」

 

「ない」

 

「もー、仕方ないわね。髪を解くか「よし、行くぞ!」ちょっ早い早いうえに速いんですけど!? 色々まだだから! 道ガタガタで揺れてるから! 落ちたら死んじゃうからーー!」

 

 アクアの悲鳴を引き摺りながらもサスペンションを駆使して一気にトップスピードへと近づくライドストライカーは、緩やかに速度を上げ丁寧にエスコートするオートバジンと違い舗装などされていない砂利道を問答無用で突っ走る。アクアによって放り投げられたヘルメットは慣性の法則に従って地面に落ち、瞬間、まるで最初からそうであったかのように黒い靄となって霧散してしまった。

 エンジン音がどんどんと離れ、騒がしさの去った両陣営の間に風が吹く。まるで戦力が分散するのを待っていたかのように、キメラアマゾンたちは残ったオーマジオウたちの進路及び退路を塞ぐよう取り囲んだ。

 

「大人しく行かせてくれるとは思わなかったな」

 

「あのプリーストは厄介そうだけど、アンタの比じゃないと思ってる。アンタの()()を四匹くらい逃がしたところで問題ないわ。それに、そっちの二匹はどうやら足手まといのようだし、紅魔族の一匹くらいついでに道連れなんて簡単よ。アンタを潰すチャンス、逃しはしないわ」

 

「ほう。言ってくれるな、魔王軍幹部シルビア。いや、〈屍を操りし者〉シルビアよ!」

 

「変な通り名を勝手に付けるんじゃないよ」

 

 辟易した様子でボヤくシルビア。

 今日はよく頭が痛くなる日だと、彼女は眉間を解した。頭痛程度で済めばいいが、それも叶いそうにない。視界に入った自分の手を見てわからないようほくそ笑んだ彼女は、勝気な笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「さあ、戦おうじゃないか紅の魔王! まあ、戦いになればの話だけどね!」

 

「同感だよ、〈歴史の改竄者〉シルビア」

 

「アンタまで変な通り名を付けるんじゃないよ! 全員行きな! アイツをぶちのめしてやるんだよ!」

 

 シルビアの宣言に応じて、キメラアマゾンたちが一気に動き出す。普通ならのしかかられ、引きちぎられ、食いちぎられ、骨の欠片さえ残してもらえないような惨たらしい最期になるであろう場面。それでも気を抜けないとシルビアが感じるのは、これだけの数を相手に終始狼狽えた様子のない、オーマジオウのいやに落ち着いた態度のせいだろう。

 悪いイメージを顔を振って払い落とす。何を怖がる必要があるというのかと、シルビアは開き直った。過剰な戦力差、死の恐怖を克服した戦士、そして目論見通りの展開、全て順調。例えここにいる全員がやられても、無傷での突破は不可能。消耗させることができればいくらでも手の打ちようはある。

 

「そうだ、折角だし最期に訂正しておくよ。俺の通り名は紅の魔王じゃなくて――」

 

 だがそれは、普通ならの話。

 普通なら、いくら強くとも無傷での突破は不可能。普通なら、この戦力差をひっくり返すことは無理難題。普通なら、戦力を分散させれば負担が増え隙が生まれる。普通なら、非戦闘員を抱えての戦いはこちらが有利となる。普通なら、普通なら、普通なら……。いくつもの常識的な発想と、無意識の内に考えてしまう『普通なら』の先に、シルビアの勝利は存在していた。だから化け物『じみた』相手だと思っていて、そして気づいていなかったのかもしれない。

 相対している存在が、普通ではないということに。

 

「――()の魔王だよ」

 

 オーマジオウは右手を掲げる。

 たったそれだけ。

 たったそれだけの動作で、戦局は一変した。

 

「…………え?」

 

 三千を優に超える軍勢の足音が、ピタリと止んだ。全てのキメラアマゾンが空間に縫い付けられたかのように静止し、毛の一本すら揺れることがない。瞬きも、羽ばたきも、踏み出しも、咆哮も、その全てが一瞬を切り取った出来のいい彫刻のように止まっていて。シルビアは、混ぜ物だらけの悪い酒を飲んだ時のような気持ち悪さが胸に渦巻くのがわかった。

 

「それからもう一つ。君は勘違いをしている」

 

 勿体つけた指摘だが、シルビアの耳にそんな言葉は入ってきていない。突然世界が止まったのだ。躍動感はあるのに生物感はなく、体を揺らそうにも山を揺らしているような感触しか返ってこないチグハグさ。初めての異常事態に、シルビアから悠長な問答に付き合ってやれるほどの余裕はさっぱりと無くなっていた。それでもなお、オーマジオウは続ける。

 

「俺の()()はみんな手強いよ。なんて言ったって、一筋縄じゃいかない曲者揃いだからね」

 

「それは褒めているのか?」

 

「それじゃあ戦おうか、シルビア」

 

 ダクネスのツッコミを華麗に受け流したオーマジオウは、掲げた右手をゆっくりと握りしめ拳を胸元へと引いた。

 たったそれだけ。

 たったそれだけの動作で、世界は一変した。

 

 オーマジオウから放射状に広がる、赤色の混じった黒い靄。死の風とも呼ぶべきそれは、この世界の果てまで広がるかのごとく拡散していく。殺意が込められたような気配もなく、ただ地表を撫でるだけの靄。だがその靄が動かなくなった仲間に触れると、彼らの体は触れたところから黒い塵となって空を舞った。同胞たちの形をした黒い塵の塊が最初からそこにあったように、彼らの体は綻び、散っていく。酔いの次は夢。それもとびきりの悪夢を見ているような吐き気が込み上げてくる。

 挑んだのは間違いだったのではないか? プライドを捨て、上司としての矜持も捨て、大人しくしっぽを振る犬にまで成り下がった方が賢かったのではないか。シルビアの胸中に後悔が押し寄せていると、目に見える範囲全てのキメラアマゾンを塵にしたオーマジオウは静かに口を開いた。

 

「まあ、戦いになればの話だけど」

 

「……同感ね、トキワソウゴ」

 

 半数以上の部下を一瞬で失ったシルビアは、自分の任を全うするために拳を握った。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「〈ゴッドブロー〉!」

 

 神聖なる光蓄えし女神の拳が、キメラアマゾンの鼻っ面に突き刺さる。派手に吹き飛ばされた個体は地面を滑ると、悶え苦しんだ後にガックリと体の力を抜いた。魂が昇天でもしているのかアマゾン細胞によって変異していた箇所はブクブクと煮え滾るような動きをしたのち、煙のようになって天に昇る。倒した個体の体が右上半身が砲弾でも受けたような抉れ方をした死体になったことを確認すると、アクアは祈りを捧げるように目を伏せた。

 

「眠りなさい。安らかに」

 

「お前ちょっと紅魔族のノリに影響されてるだろ」

 

 〈狙撃〉スキルで足の関節を撃ち、動けなくなったところに浄化魔法を叩き込む。なるべく音を立てないように目的地付近から歩きで里を進むカズマたちは、着実に『謎施設』へと近づいていた。

 里は元々戦闘準備をしていたというのもあって、可及的速やかな加勢は不要と判断したカズマ。よって先に済ませることは一つ。

 

「ほら、のんびりしてる暇はないぞ。古代兵器ってのを確認してから里の中のアマゾンを一掃するんだからな」

 

「ねぇ、その確認って本当にしなくちゃいけないの? あの本の中身は嘘っぱちなんでしょ?」

 

「お前がテキトーなやつをテキトーにポンポン送り込んだからこんなこと確認する羽目になってるんだろうが」

 

 『紅魔黎明記』。あの歴史書と呼ぶには烏滸がましく、フィクション作品と断ずるにはモデルがちらほらと現実に存在してしまっている曰く付きの書。もし仮に、万が一の億が一の可能性でも〈転生者〉の作ったチートアイテムなんていうものがこの里にゴロゴロと転がっているのであれば、それを敵に渡してしまった時困るのは自分たちなわけで。そして絶対にありえないと言いきれない物的証拠を、カズマたちは既に目にしてしまっているのだ。

 

「それにお前も見ただろ? あの服屋の物干し竿。ライフルだぞ、ライフル。あんなの転生してきた日本人にしか作れないだろ」

 

「わかったわかった。わーかーりーまーしーたー。地味なことはさっさと終わらせて、派手に活躍して皆からの称賛が欲しいわ」

 

「お前、後ででいいからこの世界の人達に謝れよ」

 

 ぶーぶー言いつつもカズマの後ろに付いて歩みを進めるアクア。責任など微塵も感じていない顔には腹が立つものの、ソウゴが初めてシルビアたちを見つけたときに向かっていたという『謎施設』にはキメラアマゾンが対ソウゴ用の兵器を探すためにウヨウヨしているに違いない。〈潜伏〉スキルでどのくらい誤魔化せるかわからない手前、ゲンコツを落として騒がしくするなど以ての外。全部終わったらまとめてしばこうと誓ったカズマは、握った拳をそっとしまった。

 

「ねえ、あそこに誰かいるわよ」

 

 アクアが指をさす方向に現れた工場のような配管が剥き出しの建物。〈転生者〉絡みだと言われれば確かに鉄筋コンクリート製の工場に見えなくもないそれの入口には、カズマの予想通りキメラアマゾンが密集し壁となっていた。恐らく、中には兵器を運び出すために一個小隊くらいのキメラアマゾンたちがいるだろう。リーダーっぽいのを倒せれば上々、ついでに使えそうな武器があればちょろまかせるので万々歳だ。

 茂みに隠れて〈千里眼〉を使い状況把握をするカズマは、穏便かつ確実かつ漁夫の利的に一掃できるタイミングを見計らう。

 

「よしアクア。あいつらが中から「よーし、まとめて全員しばけばいいのよね!」

 

 アクアはカズマが答えるより先に茂みから立ち上がると、神々しい光を放ち始める。あっ、と声を上げたところでもう遅い。

 

「〈セイクリッド・ターンアンデッド〉!!」

 

 カズマが止めるより早く、浄化魔法を群れに叩き込むアクア。守備に着いていたキメラアマゾンたちは為す術なく浄化されていき、外に出ていたモノたちは残らず死体へと還元される。

 その光景を「いい仕事した」と言いたげに額を拭いながら見るアクアに、カズマはすかさずゲンコツを落とした。

 

「~~~ッ!!! 何すんのよボケニート!」

 

「ボケはお前だアホ駄女神!! 相手が何体いるのかわからないのに先制攻撃するやつがあるか!」

 

「いいじゃない! どうせ全員浄化するんでしょ!?」

 

「するにしてもタイミングがあるだろ! 何が出てくるかわからないんだぞ!?」

 

「う~~! 何よ何よ! 私は良かれと思ってやったんじゃない! もっと褒めてよ! 讃えてよ!」

 

「誰が褒めるか! お前はいっつもそうだ! 人の話最後まで聞かずに勝手なことしやがって!」

 

「私だって頑張ってるじゃない! そりゃ、ちょっとは失敗もするけど……。誰しも生きてたらミスの一つや二つくらいするじゃない! 器が小さいのよ、おたんこなす!」

 

「何がちょっとだ! お前とは長い付き合いだが、ほぼ毎回お前のやらかしで俺が苦労させられてるんだぞ! そこん所よく考えろよアンポンタン!」

 

 二人がくだらない口論をしていると、そこにすっと影が差し込む。月明かりに浮かび上がる、身の丈はカズマたちの倍はあろうかという長い影。それをマズいと思った時にはもう遅い。プスプスと焼け焦げたような音を出しながら佇むそれに、錆び付いた人形のようにギギギと二人して首を向けると、そこには顔や肌が焼け爛れた美女がご立腹な様子で腕を組みこちらを見下ろしていた。その見覚えのある顔に、二人は大きく目を見開く。

 

「浄化魔法での不意討ちなんて大層な歓迎じゃないかい、冒険者共。お陰で部下たちがあの世へ旅立って行ったよ」

 

「お、お前……! なんでここに……!」

 

「アンタは入口でソウゴと戦ってたはずよ! 魔王軍幹部、シルビア!」

 

「あら。アンタたちあの男の関係者? ということは囮作戦は上手くいってるようね」

 

 赤い差し色の入った髪をなびかせて、シルビアは笑う。赤ではなく、黒の革のドレス。胸元の青い薔薇の刺繍が目を引くそのドレスは、豪華さは無いものの着るものを選ぶだろう艶やかさがあった。初めて見た時に鼻の下を伸ばしかけたその美貌も、浄化魔法のせいで爛れていたのだろうが逆再生のようにゆっくりとよく知った形へと戻っていく。

 そこで、彼女の言っていたことをカズマは思い出していた。確かに言っていたのだ、『私たち』と。言っていたのだ、『クローンによる囮』と。どこかでそれだけはないと思っていたことを、カズマは恐る恐る口にした。

 

「シルビア、お前もまさか……!」

 

「当然じゃない。私だって命を賭けなきゃ、部下に示しがつかないでしょう?」

 

 完全に元の美しさを取り戻したシルビアは、月に照らされたライドウォッチを片手に妖艶な笑みを浮かべた。




「クッ……! まさか、この我が……ッ!」

「あなたは破壊と暴虐の神。ならばその力を削いでしまえばいいだけのこと」

「神である我が、貴様ら人間如きに遅れをとるだと……!? なぜ、、、なぜだ、この男の支配(こうそく)力が抜けていく……ッ!!?」

 崩れ落ちたみっどしーの体から、泥のように黒い憑き物が流れ出ていく。その泥は地を蠢くと、辛うじて人のような形を保とうとする。しかし、対峙する女はその最後の抵抗を見届けることなく杖を突き立てた。

「封じられるのです。この地に。そして悔い改めなさい。神でありながらこの世界に仇なす者よ」

『ぐ、ぐぁぁあああ!!! 一度ならず、二度までも……! おのれ、おのれ愛と美の女神めぇぇぇえええ!!!』

 大地に吸い込まれるように、泥は土に溶けていった。断末魔の悲鳴も肥沃な土地に飲み込まれ、世界は静けさを取り戻す。倒れ伏したみっどしーは、僅かに残った意識で顔をもたげた。

「ま、まりんな……。生きて……」

「……さようなら。みっどしー」

 自分に背を向けて去っていくまりんな。彼女の背中に手を伸ばそうとして、みっどしーの意識は途切れた。


紅魔黎明記 第六章 蘇る残星の心


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この死せるキメラに滅びの力を!

 カズマが使用する弓は短弓と呼ばれるものに属する。本職のアーチャーが操る長弓と違い射程距離は短いが、高い筋力値を求められないので最弱職でも扱いやすい代物である。その中でもカズマ愛用の品は、初心者や子ども向けに作られた一回り小さい練習用。性能は他と比べ若干劣るものの、荷物の多いカズマにとっては矢筒ほどかさばらないことが利点となっている。

 戦闘における利便性より持ち運びを重視しているのには理由がある。売り場の肥やしになっていたため安かったこともそうだが、最弱職の性質上サポートに回ることが多いので手数は多い方がいいというのが一番の理由だ。そのためカズマの主力武装ではあるが、基本的にはめぐみんの爆裂魔法へ繋げるために中距離からの撹乱や威嚇、気配を消しての不意打ちなどに使われることが多い。

 だがそれは、パーティーメンバー五人が全員揃っている時の話。

 

「魔法の次は弓? いくら皮膚呼吸できるって言っても、凍らされた鼻と口の感覚がまだ戻ってないのよ。もっと手加減してくれないかしら」

 

 本来、弓とは至近距離であればフライパン程度の厚みの鉄を突き破る強力な兵装であり、日本史における合戦では武士の基本装備として重用されていた武具だ。射速は、時速およそ二〇〇km。前述通り有効射程こそ短いものの、長弓よりも速射性に優れた短弓には接近戦による連射が可能である。至近距離で放たれたプロ野球選手の投げるボールより速い不意の一撃なら、いかに堅牢な体であれ無傷とはいかないだろう。

 

「あら、無視? 会話はコミュニケーションとしてとても大事よ」

 

 おあつらえ向きにも、今宵の戦場は月と星の明かりしか頼るもののない真っ暗闇。そして幸運値が高ければ高いほど命中しやすいという〈狙撃〉スキルの特性を利用し、さらに〈千里眼〉、〈敵感知〉、〈潜伏〉、そこに新たに習得した〈聞き耳〉のスキルによって視界、気配、聴覚をカバーしたカズマなら、夜の闇と木々に紛れて五mという超至近距離から確実にシルビアを狙うことが可能なのである。

 

「〈狙撃〉ッ!」

 

 鏃が、鈍い光で闇を裂く。迷いのない一射は風を切る音と共に、軌跡を描いてシルビアの額へと吸い込まれていった。死者とはいえ元は生物。暗がりから突然顔を狙われれば反射行動が起きると踏んでの一射だった。一瞬でも怯んでくれれば簡単に次の手を詰めていくことができる。

 そういう淡い期待を抱いていたカズマだが、相手は腐っても魔王軍幹部。自分の命すら捨てて戦いに挑む狂人に、そのような期待はするだけ無駄というものだった。

 

「まあ手加減なんてしてもらわなくても、こんなとろい矢が当たるわけないけど」

 

 そう言ってシルビアは、自分に迫ってくる矢をいとも簡単に指で挟んでみせた。これは力量や戦闘経験の差、いわゆるレベル差というものではない。シルビアという、数多の生物を取り込みその長所を我が物としてきたグロウキメラだからこそできた芸当である。

 南方の砂漠に生息するデザートハウンドから砂の僅かな動きも見逃さない視力を、空の狩人と言われるトビフクロウから動体視力、闇の中で狩りを行うシャドウテイルからは暗視能力を獲得している。そして筋肉の瞬発力を水の上を駆けるシーサーペントから、握力を一撃熊から得ている彼女にとって、カズマの射った素人の弓などテーブルに置いたペンを指で拾い上げるくらい簡単な事だった。

 

「もっと本気出してくれない? 時間が惜しいのよね。古代文字のせいで扉は開かないし、壁で建物が支えられてるから変に壊したら崩れて生き埋めになりそうだし。さっさと『世界を滅ぼしかねない兵器』を手に入れてトキワソウゴを倒しに行かないといけないのに……!」

 

「最初からずっと本気だよ!」

 

 八つ当たり気味な怒りに任せ粗末な矢を握り折ったシルビアは、そこで初めて鏃が不自然にてらついていることに気づく。それをまじまじと見つめた彼女は、矢をひと舐めすると感心したような声を出した。

 

「あら、毒なんて塗ってるじゃない。このピリピリとした喉越しは痺れ薬……材料はこの辺りで採れるキノコかしら。現地で毒の調合なんて多才ね、惚れちゃいそうだわ。でも、この程度の量じゃ私のハートは射止められないわよ」

 

「そいつは残念だよ! アプローチの方法なんて知らないもんでな! 〈狙撃〉! 〈狙撃〉ッ!」

 

「あははっ! アンタ面白いわね」

 

 シルビアは体から触手を数本生やすと、そのうちの一本を使って悪足掻きのように放たれる矢を軽くいなしていく。毒が塗られていた鏃に触れないよう、矢柄の部分を丁寧に叩き落とす精密な動きは彼女の情報処理能力の高さが伺えた。それと並行して、シルビアは手持ち無沙汰な残りの触手を鞭のようにしならせカズマを追い立てる。目にも止まらぬ速さで繰り出される攻撃を直感で避けるしかないカズマは、ほんの一瞬前まで自分のいた場所が次々と触手の一撃で抉り取られていくのを見て汗が吹き出すのがわかった。

 逃げながらも矢を射るのを忘れないカズマに向けて、シルビアはにんまりと笑う。

 

「運もいいのね。気に入ったわ。謝るなら見逃してあげてもいいわよ?」

 

「土下座でも何でもするので攻撃をやめていただけないでしょうか!?」

 

「死んで詫びるって言葉、知らない?」

 

「それ見逃してねぇじゃねぇか! 〈狙撃〉ッ!」

 

「人に毒矢を撃っといて生かして許してもらおうなんて虫が良すぎるわよ!」

 

「そりゃご尤もで!」

 

 下らない会話をしていても、両者攻撃の手は緩まない。それでも、足がもつれでもすれば体のど真ん中に大きな風穴が開くこと間違いなしという緊張感が逆にカズマの思考をシンプルなものに整えてくれていた。

 

(鏃を舐めても変化なし。毒耐性くらい持ってるよな普通。状態異常は期待しない方がいい)

 

 それでも避けたり受けたりせずあえて触れないように処理しているのは、カズマが何を思って矢を無駄に消費しているのか、その意図について考えあぐねているからだろう。

 そこまではカズマの想定内。毒程度でどうこう出来るのならば、魔王軍幹部なぞとっくの昔に〈転生者(チート持ち)〉たちの経験値となっていたはず。だからこそカズマは、そういう力でゴリ押しできる同郷の人間と違った弱者らしい知恵を絞ったのだ。仕込みを終えたカズマは、わざと外れるようにシルビアの足下へ矢を射った。

 

「シルビア! これでも喰らいなさい!」

 

 それを合図に、カズマと対角線上に回り込んだアクアが麻縄に括りつけた陶器の瓶を投げつける。縄を振り回した遠心力を利用してほとんど直線の放物線を描く瓶は、完璧なコントロールでシルビアの顔面目掛けて飛んでいく。しかし、いくら勢いをつけたからといっても矢よりは遅い。シルビアにとっては止まって見えるスピードだ。それに加えて不意打ちならまだしも、投げる直前に声をかけたのだから受け取れと言っているようなものだった。よく見える目で一秒未満の時間の中じっくりと観察したシルビアは、それがコルクで栓をしただけのものだと判断すると躊躇うことなく片手で受け止める。

 

「キャッチボールなんて、アンタも私と遊びたいのかしら? でも残念。私、若くて顔のいい女は嫌いなのよ」

 

「私だってアンタみたいなアンデッド臭いヤツ嫌いよ! カズマ!」

 

「〈狙撃〉ッ!」

 

 背を向けたシルビアへとまた距離を詰めたカズマは、彼女の手の中にある瓶を的として矢を放つ。それは先程から射っている矢と同じ、鏃のてらついた変わり映えの無い矢だった。のんびりと飛んでくる矢を眺めるシルビアは、手の中の瓶を軽く振って中を確かめる。

 

(瓶狙い? 中は液体。痺れ薬の原液かしら?)

 

 自身の忠告通り、致死量の痺れ薬を与えるためこれを矢で破壊してぶちまけようとしているのだろうか。毒耐性を持つシルビアには量を増やしたところで何の意味もないが、耐性がなければ確実に動きを封じることが出来る。

 

(無駄撃ちはプリーストが私の背後に回るための陽動。声をかけてきたのはこっちの男が近づくための隙を作るため。頑張って頭を使ったのね)

 

 シルビアの見立てでは本職ではないようだが、狙いは正確で弓の腕はそこそこといったところ。近くに来たということは瓶を射抜ける自信のある距離まで接近してきたと考えるのが自然。そう予想をつけたシルビアは、その作戦のあまりの浅はかさに鼻で笑ってしまった。

 

「でも見込み違いだったようね。もっと面倒な相手だと思ったのに」

 

 そろそろ飽きてきたので矢を投げ返して嬲り殺そう。ソウゴの関係者だと言うのなら、魔王軍に逆らった見せしめとしては十分な効果が期待できる。余計な時間を費やした損害には足りないが、そこはあの男の悔しがる顔で補填できるに違いない。

 しかし矢を掴んだシルビアは、この矢が先程までの矢とは違っていることに気がついた。

 

「……? 何これ?」

 

 その矢には痺れ薬ではなく、油がたっぷりと染み込んだ包帯が巻かれていた。握ればじんわりと滲み出てくるため普通の矢よりも僅かながら重みを感じる。それをシルビアは奇妙に感じた。

 矢が重くなればその分矢速も落ちるしコントロールも難しくなるはず。近づいてきたことが瓶を確実に割るためなら矢を油まみれにする理由がない。それに、変わっているところはそこだけではなかった。矢羽根にはこれまた油を吸い込んだ麻縄が瓶と同じように繋がれており、導火線のようにたわんだ残りがシルビアの視界の中で宙を舞っていた。それがどこに繋がっているのか、無意識につい目で追ってしまう。その反応を見たカズマは、ニッと口角を釣り上げた。

 

「お前が賢くて助かったよシルビア。……〈バインド〉ッ!」

 

 シルビアが確認するより早くカズマがスキルを発動させたことで、油まみれの麻縄に魔力が加わる。薄ぼんやりとした光で輪郭が闇に浮かび、疑問の答えが自分のもう片方の手の中にある事に気づく頃にはもう遅い。魔力を帯びた何の変哲もない、いや、下拵えの済んだ縄が素早くシルビアの体に巻き付いた後だった。シルビアにとっては不幸にも、そしてカズマにとっては幸運にも、縄は関節などの力の入りづらいところに食い込み死人の体にも驚きと痛みを与える。

 

「〈ティンダー〉! からの〈ウインドブレス〉!!」

 

 カズマは油まみれの縄で拘束したかった訳では無い。本来であればマッチ程度の火しか起こせない初級の発火魔法。そんな弱いマッチの火でも、風の力を受ければ宴会での火吹き芸ほどの威力へと変わる。その火が油を吸った麻に引火すれば、火吹き芸の火はたちまち朽ちるべき腐肉の塊を葬送するための炎へと昇華する。

 

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」

 

 巻き上がる炎は油の染みた麻縄だけでなく、長い髪を燃やし、肌を焦がし、服を、肉を、喉を焼くことでじっくりとシルビアの体を侵食していった。縄を引きちぎろうにもただの麻縄ではないようで、中心に仕込まれていた金属製のワイヤーがきつく体を締め上げてくる。それでも火の勢いを落とそうと体を振れば、火の粉が足元に転がしていた矢へと燃え移り今度は足場の草木を燃やす。力加減を間違えて瓶を握り潰せば、中から噴き出した油に火がつき更に火は強くなる。それはシルビアの予想を裏切る、山火事すら恐れない捨て身の攻撃だった。

 そこでシルビアはようやく気づいた。近づいたのは矢を当てるためではなく、この初級魔法の火を確実に着火させるため。一射目の痺れ薬は二射目以降の油が塗られた矢や瓶の中身を誤認させるためのブラフ。気づいてみれば本当に小狡くて下らない策で、火に耐性を持つファイアードレイクの体組織を人肉の下に展開しているシルビアにとっては自慢の美しさを汚す嫌がらせにしかならないようなもの。しかしそんな子どもの考えるような策にまんまとハマったという事実が、シルビアのプライドをひどく傷つけ怒りという名の火に油を注ぐ。

 

「クソガキどもが……ッ! こんなチンケな火で私を燃やせると思ってるの……ッ!? ぶち殺してやる……ッ!!!」

 

 喉を焼かれようと関係ない。怒りが頂点に達した今のシルビアには、受けた屈辱を倍以上にして返す事しか頭になかった。

 一見すると、カズマたちの攻撃はただ自分の死期を早めただけの愚行に映る。元より勝てるとは思っていない戦いで、相手を怒らせ本気にさせるなど普段のカズマからは想像もできない愚策と言えるだろう。しかし、それこそがカズマの狙いだった。

 

「行け! アクア!」

 

「ええ! 〈セイクリッド・ターンアンデッド〉!!」

 

 これがカズマたちの、アンデッド化した魔王軍幹部を倒す本命の一撃だった。極光とでも言い表すべき神聖な光。天を貫く眩い柱が、怒りに燃えるシルビアを打ち抜く。

 邪悪を払い魔を滅す、例え地獄の公爵と言えど無事では済まない女神の審判。並のアンデッドであれば余波だけでその神聖さに昇天し、悪人ならば光を見ただけで改心し模範的な神の信徒になるような威力の浄化作用を誇る、除霊魔法の中でもトップクラスの魔法。とりわけアクアという本物の女神の放つものは、アークプリーストという職業では到底成し得ない奇跡の領域へと至る崇高な光である。

 シルビアの断末魔さえ掻き消す光の柱が徐々に細くなり、辺りに土埃と焦げた臭いが混ざる煙だけが残ると、カズマはすかさずバイクウォッチを起動した。展開したライドストライカーに跨ると、グリップを捻ってエンジンをかける。

 

「消耗してる今がチャンスだ! 後ろ乗れ! 逃げるぞ!」

 

「はぁ? アンタ寝ぼけてるの? いくら仮面ライダー(はた迷惑なヤツら)の力で蘇った存在でも、相手はアンデッドなの。今の浄化魔法で消滅しないわけないじゃない。それに古代文字って日本語でしょ? 読めるんだからさっさと施設の中のチートアイテムとやらを確認しに行きましょ」

 

「忘れたのかよ!? デュラハンのベルディアだってウォッチの力でお前の浄化魔法を耐えきったんだぞ!」

 

「それとこれとは話が別よ。前のロボなんたらってヤツからは執念とか悲哀みたいなのを感じたけど、今回のは私欲とか、そういうただれた人間っぽさをより強く感じたわ。むしろ私の浄化魔法でその辺もさっぱり浄化できたんじゃないかしら?」

 

 得意げに胸を張るアクアがふふんと鼻を鳴らす。その姿を見たカズマは、より一層の不安を感じた。この自称女神が調子に乗る時は九割九分九厘の確率で良くないことが起きる。女神エリスに誓ってもいいくらい、必ず良くないことが起きるという確信があった。その確信を後押しするように、〈敵感知〉スキルがシルビアのいた場所に何かがいると告げている。

 怪我などはソウゴに直してもらう前提で、首に縄をかけバイクで引き摺ってでもここから一刻も早く離れた方がいい。そう判断したカズマがバイクから降りてアクアの元へと駆け寄った。その時だった。

 

 ヒュンッ、と風を切る音がしたと思った次の瞬間に、背後のライドストライカーは大きな音を立てて空を滑っていた。

 

「「!?」」

 

 驚く二人が振り返る。スローモーションのようにゆっくり動く世界の中で、パチパチと火花を散らすライドストライカー。カズマの腕ほどの長さと太さのある、骨のような棒状のものが貫通している愛機は、二人に見守られる中で盛大な爆発を起こした。当然のように発生する爆風が、煙幕になっていた土煙を全て吹き飛ばす。

 

『「何かに当たったわね。音しか聞こえないから適当に投げたんだけどよかったわ』」

 

 声の発信源は、先程までシルビアがいた場所。そこには一つの影が佇んでいた。……影と呼ぶには、少し語弊があったかもしれない。そこにいたのは人に限りなく近い骨の標本で、隙間から向こう側が覗けるくらい肉の欠片も付いていない美しい白骨のシルエット。『人に限りなく近い』というのは、カズマの感想だ。何せその二本足で立つモノは、カズマの知っている人体の骨格から随分とかけ離れたものだったのだから。

 長い短いが不規則で右半身の方が二本多い肋骨。左だけ関節が一箇所多い腕。繋ぎ目はないが明らかに材質の違う骨が一つの塊になっている頭骨など、上げだしたらキリはないが素人目にもそれが人の骨と同じでないことは見て取れた。その髑髏(しゃれこうべ)が、落ち着いた様子でカタカタと音を立てて動き出す。

 

「『アクアとか言ったわね。本当に洒落にならない威力の浄化魔法だわ……。そっちは確かカズマ、だったかしら。アンタがチョロチョロしていたのは私の集中力を乱して魔法抵抗力を削ごうとしたってわけね。ふふっ。まんまと乗せられたわ。今のは結構危なかった」』

 

「そんなっ!? 私の浄化魔法が効いてないなんて……!」

 

「いや、骨だけになったのに結構危なかったで済まれると困るんだが」

 

『「トキワソウゴのオマケだと思って甘く見ていたわ。まさか、アンタたち相手に本気を出すことになるなんてね……!」』

 

「いいわよ、来なさいよ! 何回だって浄化してやるんだから!」

 

「なんで臨戦態勢なんだよお前は! 今のうちに逃げるんだよ!」

 

 カズマのツッコミも無視して、この世で最も合理的な骨の塊はいつの間にか手の中にあったこの世界で最も不条理なアイテムを見せつけるように掲げる。ウェイクベゼルを回転させることでこの理不尽な力を与えるライダーの顔を拝めるのだが、それを確認していられるほどの余裕をカズマたちは持ち合わせていなかった。

 

 

 

«アマゾンネオ»

 

 

 

「『後悔するがいいわ。魔王軍幹部を本気にさせたことを!』」

 

 歴史を封じられたライダーの名前がコールされると、シルビアはライドウォッチを胸にあたる箇所へ押し付ける。ハンスの時と同じように黒い渦が発生しウォッチを取り込むと、全身の骨からブクブクと肉が湧き始めた。生命を冒涜しているような光景は見ていて気分のいいものではないのだが、ここで目を逸らせば次の瞬間には自分たちがあの体を構成するパーツになりかねないという危機感から顔を背けられない。

 腱、内蔵、筋組織と順番に形成され、あっという間に元の肉体を取り戻したシルビア。しかし彼女の変化はそれで終わらなかった。皮膚の上に魚のものに似た細かい鱗が生えていく。月の光を反射して独特の光り方をする、黒に青が混ざった暗い色の鱗だった。擦れ合うとカチャカチャと金属のような音を鳴らすそれが全身を包み左肩に羽のようなアーマーを象ると、そこに«2017»のアラビア数字が刻印される。顔はのっぺらぼうのように目も鼻も鱗に覆われ、頭にはクラゲを模した広めの笠が。笠から垂れる髪は一本一本が青く染まりつつも光の加減で虹色の光沢を見せ、海を漂う触手を彷彿とさせるような、重力を感じさせない畝りを持っていた。

 腰にペストマスクのような赤い意匠が表れると、のっぺらぼうだった顔にギザギザの切れ込みが入り大きく開く。

 

「哀れな冒険者たちよ。畏れ、ひれ伏しなさい! 我が名はシルビア! この世界随一の研究者にして、究極のグロウキメラに至る者!」

 

 高らかにそう宣言したシルビア――アナザーアマゾンネオは、笠から伸びでた触手を指で弄びながら、不気味なほどにんまりと口元を歪める。それが悪魔の様相に見えたのはきっと、逃げきれないと悟ったカズマの思い込みではないだろう。歩み寄ってきたアナザーアマゾンネオは、触手の先を二人へと向けるとこう提案してきた。

 

「アンタたち、古代文字が読めるって言ってたわよね? なら開けてもらいましょうか。この里に封印されし禁忌の扉を」

 

「……因みに、断るとどうなるんでしょうか」

 

「そうね。プリーストの青い目はこの姿の目にちょうどいいと思わない? アンタの悪知恵も案外役に立ちそうだわ。それに、新鮮な脳って美味しいのよ?」

 

 触手の先で二人の耳の周りをゆっくり撫でるアナザーアマゾンネオ。大破した逃走手段が黒い靄として霧散するのを背景に、二人の答えは目を合わせずとも合致した。

 

「「すぐ、開けさせていただきます」」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「『ついぞ出会うことのなかった、この文字を読める同郷の者へ。我、在りし日の記憶と真実をここに記す。鍵となる呪文を知り、扉を開きし知恵ある者に我が遺産の全てを譲る』……。鍵?」

 

 アクアは薄暗い階段の突き当たりにあった、扉に掘られた日本語をなぞった。前室というか踊り場というか、階段から降りてきた人達が滞留できる開けた空間。明かり一つない場所だが、扉に触れると魔力に反応してかぼんやりと青白い光を灯す。その扉の横にはパネルが埋め込まれているのだが、それが恐らく扉のロックを解除するものなのだろう。幻想的な雰囲気ではあるものの、立ち塞がる壁に対して懐から御札を取り出したアナザーアマゾンネオは、その御札をパネルに宛てがうもふう、とため息をついて頭を抱えた。

 

「この扉、『結界殺し』が効かないのよね。魔法的な結界じゃないみたい。アンタたち、鍵ってなんの事かわかる?」

 

「は? 知るわけないじゃない」

 

「そうよね。でも扉を壊して建物が崩壊したら兵器は生き埋めなのよ。だから何としてでも正規の方法で扉を開けないと……。同郷の者ってことは、滅びたノイズにヒントが……?」

 

 一人ぶつぶつと独り言を繰り返すアナザーアマゾンネオ。カズマとしてはこのまま立ち往生してくれている方がいいのだが、役に立たないと判断されて片方だけ脳みそちゅーちゅー、なんてことはお断り申し上げたい。時間を引き伸ばしてダラダラと過ごしている内に自分やアクアの魔力を追ってソウゴが来てくれるのが一番いいのだが、そんなに都合いい事が起きるわけないという諦めもある。

 

「な、なあ。ノイズってもう滅びた国なんだろ? どうしようもなくないか? 他の入口探すとかさ」

 

「他の入口なんてなかったわ。散々調べたけどここだけなのよ、唯一の入口は」

 

「カズマもちょっとは考えなさいよ。私の送り出した〈転生者〉の同郷ってことは、アンタが一番答えに近いんだから」

 

(なんでコイツは敵と一緒になって考えてんだよ)

 

 ここでツッコんで変に我に返られると面倒なので、腕を組んで頭を悩ませる二人のことはそっとしておく。時間は勝手に過ぎそうだが、どうやって今ソウゴたちが戦っているであろうシルビアが偽物で本物がここにいることを伝えるか、それを考えなければこの状況を打破することは出来ない。悩みながらカズマが壁にもたれると、壁は扉と同じようにぼんやりと光を放つ。

 

「カズマ。……ねえカズマってば!」

 

「なんだよ。俺もちゃんと考えてるだろ」

 

「違うわよ。後ろ! 後ろ!」

 

「後ろ?」

 

 アクアに促されて首だけ動かして壁を見る。すると、そこにはぼんやりとした光の中に浮かび上がる文字があった。触れた部分だけ浮かび上がっているのは、透かしや炙り出しのような隠し文字のつもりなのかもしれない。驚いてカズマが離れると、文字はすっと消えただの石壁に戻ってしまった。

 

「今の……」

 

「日本語! 今のは日本語だったわ! ここに在りし日の記憶ってのが彫られてるのかも! そこに鍵のヒントがあるはずよ!」

 

「それも古代文字だったのね……。浮かび上がっては消えるから模様だと思っていたわ……」

 

「シルビア! アンタ触手伸ばせるんだから壁の端っこから光らせていきなさいよ!」

 

「なるほどね、そうすれば全文が読める! アンタ賢いわね!」

 

「ふっふっふっ。ま、この麗しい水の女神アクア様にとってはこの程度簡単なことよ」

 

(だから、なんでコイツは敵と一緒に喜んでるんだよ)

 

 これでいよいよ後がなくなってしまった。〈転生者〉、恐らくデストロイヤーを開発した者と同一人物が遺した兵器とやらが本当にくだらないガラクタか使えなくなっていることを祈るしかない。こんなことに運を使いたくはないが、今は幸運値に頼るしかないとアクアの読みあげる文章に耳を傾けた。

 

「いくわよ。……『ヤバい。この施設の事がバレた。でも幸いなことに、俺が何を作っているのかまでは分からなかったらしい――

 

 

 

 

 

 

 ――国の研究資金でおもちゃやゲームを作ってたことがバレたらどんな目に遭わされるか……。上司には適当に「魔王軍に対する兵器を開発している神殿です」って言っちゃったから、壁画っぽく文字を彫っておく。内容はこの里に関する日記で。触ったら光り出す演出付けときゃそれっぽいし、この国の奴ら日本語読めないから神に捧げる祝詞ですって言っときゃ平気だろ』

 

『お偉いさんが俺の楽園にやって来た。ゲームの用途を聞いてきたんだけど、ゲームなんだから遊ぶために作ったに決まってるじゃん(笑)。でもそんなこと言ったら首が飛ぶので「これらは神の言葉に従い製造した、世界を滅ぼしかねない兵器です」と真面目な顔でぶっこんどいた。いつもはピリピリしている同僚の女研究員が慄いていたので、電源をつけて脅かしてやった。「適正と膨大な魔力に反応して真の力を解放する」とか言ったらめちゃくちゃビビってた(爆)。当分はここで遊んでいられ「ちょちょちょっと待ちなさいよ!」

 

 

 

 

 

 

 アナザーアマゾンネオが読み上げるアクアを制止する。二人が彼女へと視線を送ると、目も鼻も無いのに目を見開いて驚いているような気がする反応で口をわなわなと震わせていた。

 

「まさか、無いの……? 『世界を滅ぼしかねない兵器』なんて実際には……? じゃああの歴史書って……?」

 

「まだわからないじゃない! 遺産って言ってこんな大掛かりな仕掛けを用意してたのよ? あの性悪悪魔じゃあるまいし、きっと何か凄いのが眠ってるわよ! ね、カズマ!」

 

「そ、そうだぞシルビア! 紅魔黎明記には他にもほら、『魔術師殺し』とか色々載ってたし! どれかは実在するかも!」

 

「カズマ……。でも、書かれていたことが全部嘘だったら……」

 

 なんで敵を慰めているのだろうと不思議に思いつつも、命を捨て部下を蘇らせ一縷の望みをかけていたものが嘘っぱちでした、という絶望に打ちひしがれる姿は心にくるものがある。というか、〈転生者〉のやらかしなので敵とはいえ罪悪感さえある。二人で声をかけるも、ガチ凹みしてしまったアナザーアマゾンネオは膝を抱え込み項垂れていた。

 

「き、気を取り直して続きいくわよ! えーっと……。あ! この辺とかいいんじゃない!?」

 

 

 

 

 

 

『お偉いさんから「予算をつけるから、神の神託で魔王軍を倒すための兵器を作れ」と言われた。もう俺のチート能力で散々この国に貢献したじゃん。上下水道完備させたの誰だと思ってんだよ。面倒くさくなってきたので「争いは何も生まない……」って言ったら女研究員に引っぱたかれた。ありがとうございます』

 

『アイデアに煮詰まる。俺デザインとか苦手なんだよなぁ……。変形合体ロボとかどうだろう。ちょうど『神の依代』とか言って作ったキングジョニーもあるし、これを一分の一スケールで作るのは。ちょっと楽しみだ』

 

『舐めんなって却下された。やる気がなくなったので、とりあえずデカくて魔法に強いの作っとけばいいんじゃないスかねって言ったら通った。大丈夫か、この国』

 

『だから俺デザイン苦手なんだって。アイデアのために散歩をしていたところ、野良犬が通りかかった。もうこいつでいいやとスケッチ。犬型兵器『魔術師殺し』。うん。首三つくらいにしたら格好つくんじゃね』

 

『「蛇型とは考えたな! これなら手足を付けない分楽だし、起き上がりなどを考えなくていい!」と絶賛された。いや、確かに絵心ないけどよく見てくれよ。胴体長い犬だろ。ダックスフンド的な。この国の奴らは目まで悪いのか』

 

『改めて見たら蛇だわこれ』

 

『『魔術師殺し』の実験開始。上級魔法はもちろんのこと、爆発魔法や炸裂魔法まではギリギリ耐えられるようだ。しかしバッテリーが持たない。勿体ないが仕方ないので、人類の手に余るとか言ってここに閉まっとこう。キメラと合体させたらバッテリーいらずでいい感じになりそうなんだけどなぁ』

 

『『魔術師殺し』に代わる対魔王用の新兵器できた。まあ改造人間なんですけどね。改造手術を受けたい奴を募集してみたら抽選になるほどの人気になった。皆どれだけ改造人間に憧れを抱いてるんだ? 術後は記憶なくなるって言ってるのにいいのか』

 

『魔法適性を最大レベルまで上げるだけの簡単な手術だって説明してるのに連中がワガママを言い出した。やれ紅目にしてほしいだの、一人一人に機体番号をつけて欲しいだの、この国はこんなのばっかりなのか。いやまあ、そういうの嫌いじゃない。嫌いじゃないけどね?』

 

『全員の手術がようやく終わった。お偉いさんへのお披露目のために集めたら「マスター、我々に新しい名を」ってイケボで。マスターって誰だよ。俺か。元の名前から適当にあだ名をつけてやったら喜んでた。こいつらの感性どうなってるんだ? 手術のせいなのか?』

 

『やっべぇ。こいつらめちゃくちゃ強い。作ったやつ天才じゃね? 俺か。お偉いさんから褒められたし、プロジェクト名だの聞かれたので分かりやすいようについでに種族名も付けておこう。紅い瞳で魔法を操る種族……。うん。“紅魔族”なんていいんじゃないだろうか。紅魔族計画(プロジェクト・レッド)、なんつって。俺も古傷が疼いてきたな……。発表したら連中も喜んでた。これで当分はゲーム作りに戻れそう。この世界のボードゲームはクソゲーだからなぁ。電線通して家庭用売り出すか』

 

 

 

 

 

 

「「ちょっ!?」」

 

(嘘だろ!? 紅魔族が改造人間って……)

 

 思い当たる節はある。どことなく日本人っぽい名前やこの世界では珍しい義務教育制度など、〈転生者〉の介入無くしては説明できない点。人工的に生み出された存在なら強さにも納得がいく。衝撃の真実にカズマが閉口していると、『魔術師殺し』が実在することで元気になったアナザーアマゾンネオはくつくつと意地悪げに喉を鳴らした。

 

「なるほどね。人間にしては飛び抜けて強いからモンスターでも掛け合わさってるのかと疑ってたけど、そういうカラクリだったのね……! でも一点特化っていう発想はかなりアリだわ。これで私の研究も一段階高みへ進む! ねえアクア、紅魔族に関する記述は他にはないの!?」

 

「他? えっと……。あ! 『戦闘実験の途中、紅魔族の連中がまたワガママを言い出した――

 

 

 

 

 

 

 ――天敵である『魔術師殺し』への対抗手段が欲しいと。対抗もなにもバッテリー切れで動かないんだって。それにお前らの天敵として作ったわけじゃないし。でもいくら説明しても聞きやしないこいつら。個体識別のためのバーコードが体に出るようにしてやったじゃん。俺にのんびりゲームさせてくれよ……。いや、嫌いじゃないよ? そういう中二な感じは。とりあえず眼帯と包帯の巻き方は教えておいた』

 

『ありあわせのパーツで適当な武器を作った。適当に作るつもりが、紅魔族と意見を出し合ってたら楽しくなってきてデザインと演出ギミックを凝りすぎた。電磁加速要素なんて皆無だし見た目はデカいライフルだけど、カッコイイし便宜上『レールガン(仮)』とでも名付けよう』

 

『『レールガン(仮)』やっべぇ! 魔力を圧縮して撃ち出すだけのシンプルな構造なのに、馬鹿みたいに魔力を持ってる紅魔族に合わせて作ったから山を吹き飛ばすくらいの威力出た。これこそ『世界を滅ぼしかねない兵器』じゃね!?(笑) とは言え、想像以上の威力が出てるから数回使ったらお釈迦だろう。悪用されると怖いしこれもしまっておこう。あっ、でもこの間物干し竿壊れたから当分は代わりに使っておこう』

 

『紅魔族計画も一段落ついたので新しいゲームでも作ろうかと思ってたけど、王都からの招集がかかったのでそれはまた今度。なんか未知のエネルギーデバイスを魔王軍から奪ったとか、お偉いさんが莫大な国家予算をかけて超大型機動兵器を作るって言い出したとかで上はてんやわんやしてるんだと。ま、俺には関係ないことですがね!』

 

 

 

 

 

 

「『てことで、これをアンタが読んでる頃、俺はノイズにいます。電気は通ってるから好きにゲームで遊んでて。対戦したかったらノイズに来てね。鍵は小並コマンドにしといたから』……。これで終わりね」

 

「これ作ったオッサン、このあとデストロイヤーの制作に関わるわけか……。ここに帰ってくる気があったってわかるとちょっと不憫だな」

 

 手記の最後、デストロイヤーの中で天寿を全うしたという記述の残されていた開発者。名も知らぬ〈転生者〉が物寂しい最期を迎えたと知ると胸に来るものがあるが、よくよく考えてみるとこの男のせいで酷い目にあっているので同情心も冷めていく。

 スッ、と熱が引いていくカズマの隣で、アナザーアマゾンネオは読み上げられた単語について小首を傾げた。

 

「ねえアクア。その『こなみこまんど』って何?」

 

「さあ? カズマ知ってる?」

 

「ああ。小並コマンドっていうのは有名な裏技コマンドでな。ゲームとかあんまりやらない人でも一回は聞いたことあると思うぞ。えっと、上上下下……」

 

 ポチポチとパネルのキーを操作し、慣れた手つきでコマンドを打ち込んでいくカズマ。まさか使い古された裏技コマンドを異世界で使う日が来るとはなぁと感慨深い気持ちに浸っていると、ピーッ、と間抜けな解錠音を鳴らした扉は金属の錆びた音や石と石がこすれ合う石臼のような音を立てながら開いていく。あんぐりと口を開けた入口は、灯りも何もない奈落の底へと誘う階段の健在っぷりを顕にした。現れた深淵を前にたじろぐカズマをよそに、アナザーアマゾンネオは恐るどころか歓喜に身を震わせていた。

 

「ふ、ふふふっ……! ようやく! ようやく究極の力が手に入る! これで私は成すことが出来るのよ! 私の悲願を!」

 

「よかったわね、シルビア……!」

 

「泣いてくれるのかいアクア……! ありがとう……! 私は必ず最強のグロウキメラとなって、部下やアンタたちの気持ちに応えてみせるわ!」

 

 片方は目がないので流れはしないが、感極まって涙ぐむ二人は互いに微笑みを交わす。そして触手で壁や階段を探索しつつ闇の中へと消えていったアナザーアマゾンネオを送り出したアクアは、その背中を見送りながら指を組み祈りを捧げた。

 

「シルビアに神の御加護がありますように……」

 

 すっかり本来の関係を忘れてしまった女神を横目に、〈千里眼〉スキルでアナザーアマゾンネオが引き返すには難しい所まで降りて行ったことを把握したカズマは再度パネルを操作する。適当なコマンドを打ち込むとパネルはブーッ、ブーッ、とエラー音を吐き出す。すると扉は、開く時と同じ音を喚きながらゆっくり、そしてぴったりと元の壁に戻ってしまった。

 

「これでよし、っと」

 

「これでよし、じゃないわよ! まだ中にシルビアがいるのよ!?」

 

「いるからいいんだろ。お前、途中からアイツが敵だってこと忘れてたろ」

 

「…………そんなわけないじゃない」

 

「はいはい。今のうちにソウゴたちのところに戻るぞ。ライドウォッチがこっちにある以上、キメラアマゾンを全滅させたって意味ないしな」

 

 罠避けとして先行させられなかったのは不幸中の幸いだった。シルビアとアクアの間に情が生まれたからか、それとも最初からそんなつもりがなかったのかは分からないが、扉を壊す以外に脱出方法のないアナザーアマゾンネオを隔離できたのは大きい。無理に出ようとすれば、良くて生き埋め、悪くて崩落からの圧死、と言ったところか。

 

(死んだ後でもウォッチって回収できるんだろうか)

 

 自分が考えても仕方ない。まずは里へ戻って物干し竿として受け継がれていたライフル、『レールガン(仮)』の回収からだ。壁の日記からして一番危険なのはアレのはず。とんでもないものをぞんざいに扱っている紅魔族に対して頭おかしいんじゃないかという気持ちが強くなるが、一番初めに物干し竿の代用として使い始めた〈転生者〉も大概だと嘆息する。この世界に銃という概念がなくて本当に良かったと、カズマは心からそう思った。

 討伐達成の申請はまたアルカンレティアでしようとカズマが考えていると、地下から響く轟音と共に地面が大きく揺れ始めた。

 

「うぇ!? な、なになに!? 何この揺れ!?」

 

「この音……! シルビアのやつ、俺たちを巻き込んで心中する気か!? 早く出るぞ!」

 

 パラパラと天井から石の破片が零れてくる。きっと出口を封鎖され怒ったシルビアが、中から建物その物を破壊しようとしているのだろう。縦に横に、まるで建物を振り回しているかのような不規則な揺れに、覚束無いながらも出口へとひた走る二人。崩落に巻き込まれれば生身の二人は即刻あの世行きだ。それだけは何とか避けねばならないと、カズマとアクアは必死に外への階段を駆け上がった。

 

「死んじゃう! これ本当に死んじゃうから!」

 

「喋ってないで真面目に走れ!」

 

 二人が命からがら施設から飛び出すと、建物は地響きを鳴らし原型など忘れたように倒壊する。むき出しになった近代的な骨組みの鉄筋が、この田舎の集落に似つかわしくない異物感を主張していた。ゲーム等が巻き添えとなって全ておじゃんになってしまったことを勿体なく思うカズマ。だからこそ、そんな瓦礫の山と化した施設を見ればアナザーアマゾンネオの生存など疑う余地もない。ないのだが。

 

「ふう、これでシルビアは倒したわね。それで今回の褒賞金なんだけど、私が油断させたから倒せたようなものだし取り分は多くて当然よね?」

 

「今そんな話してる場合か! シルビアはまだ生きてる。さっさとここから離れるぞ!」

 

「いやいや。流石にこれで生きてられるわけないじゃない」

 

 へらへらしているアクアの楽観的な意見とは正反対に、カズマの〈敵感知〉スキルは信じられないことを平然と宣うのだ。そもそも、心中目的なら建物そのものを壊すよりも扉を壊して攻撃してきた方が確実に自分たちを道連れにできる。それをしなかったということは、この崩落の中でも生きていられる自信があったからだろう。この世界の生き物の理不尽さと生命力の強さには感心させられると、カズマは内心毒づいた。

 そんなカズマの隣でへらへら笑っていたアクアだが、突然静かになって瓦礫を見つめると指をさして言う。

 

「ねえカズマ。なんかあそこ、赤くなってない?」

 

「赤……? ッ! 走れッ!」

 

 赤熱する瓦礫を見たカズマは、直感でアクアの手を引き全速力で後退する。その直感は、実に正しかった。弾けた瓦礫は火山の噴火のように天高く打ち上げられ、マグマのようにドロドロに溶けた鉄筋が頭上から降り注ぐ。鉄が溶ける温度だ、落下地点の草木などは簡単に燃え始め、火の手は留まることを知らず辺りを無差別に火の海へと変えてしまう。カズマの行った丸焼きなど可愛いものの様に思えるほど、瞬時に凄惨な火炎地獄を作り上げた。

 

「ねえ! あれめちゃくちゃ怒ってない!? 扉閉めちゃったから!? 絶対殺されちゃうんじゃない!?」

 

「いや、シルビアに俺たちを殺すつもりは無いはずだ! その気なら出てきてすぐに俺たちを狙う!」

 

「そ、そうなの? なら、謝ったら許してくれるかしら?」

 

「許してもらえても、次は『レールガン(仮)』を渡すことになるだろ! 冒険者の俺たちが、紅魔族を作ったオッサンが世界を滅ぼしかねない兵器なんて言ったものを渡せるわけないだろ!」

 

「じゃあどうするのよ!? 追いつかれたら終わりよ!?」

 

「だから追いつかれないように走ってんだろ!」

 

 走りながらも振り返ったカズマたちは、赫灼とした施設の跡地に佇む、陽炎を纏った者を視認した。説明するまでもなく、アナザーアマゾンネオ。しかしその出で立ちは、二人の知るものから随分とかけ離れてしまっていた。

 

「ほんと、どうなってんだよこの世界の生き物は……!」

 

 下半身は機械的な蛇、上半身は鱗を生やしたクラゲの化け物。そこにゲームのハードを取り込んだからか人工物の鎧が張り付いている。そんなものの全長が下半身のせいで優に五mを超えているのだから洒落にならない。背中からはこれまで取り込んだものが定員オーバーにでもなったのか、腕やら脚やらが歪に飛び出しより異形として極まった形をしていた。アレを生き物と呼ぶことにも些かの抵抗がある。そんなカズマの感情を無視して、アナザーアマゾンネオは咆哮した。

 

「滾る……ッ! 最高の気分よ!! 今の私なら、誰にも負ける気がしない! 終わらせてやるわ……トキワソウゴ!!!」

 

 もしかしたら扉を閉めたことにすら気づいていないのではないか。命の危険を感じながらも、標的にされなくてよかったとカズマは少しだけほっとした。




「飲め、みっどしー」

「……頼んでいない」

「俺の奢りだ。いいから飲め」

 くのっぺは、いつものボックス席に座るみっどしーの前にクロロ茶を置いた。れんちんが毎回頼んでいた、少し高いお茶だ。しかしみっどしーはそれに口をつけることはなかった。湯気を立ち上らせ、冷めていくクロロ茶。それを見たくのっぺは、大きくため息をついて対面に腰をかけた。

「れんちんとちゃなかのことは残念だった。邪神のせいだったんだ、そう自分を責めるな」

「……だが、手にかけたのは俺なんだ。覚えているんだよ。二人が冷たくなっていく感覚を」

「だから、何もせず落ち込むだけか?」

「っ! ……ああ。もう俺は戦いたくない。もう、誰とも関わりたくないんだ……」

 放っておいてくれ。みっどしーの丸まった体はそう語っていた。しかし、三人の事を誰よりも間近で見てきた、苦難を乗り越えた三人が帰ってくる場所を守っていたくのっぺにはそんなこと出来るはずもなかった。

「……どうして創造主(マスター)はお前の中に邪神を封じたんだろうな。その意味を、よく考えてみるといい」

「意味……?」

 くのっぺは席を立った。一人になったみっどしーは、ぬるくなったクロロ茶を静かに口へと運んだ。


紅魔黎明記 第七章 揺れ動く流星の狭間で


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この飢えたキメラに終焉を!

 常磐ソウゴは困惑していた。ジオウの力を手に入れ、これまで幾つも死線と数多の難局に乗り越えてきたソウゴだが、今ほどの戸惑いを知らないだろう。そう言いきれるほど、ソウゴにとって未知との遭遇だった。

 それは配下の殆どを消滅させられ、手も足も出ず四肢を地に投げ打つしかないシルビアがどういうわけか一向にライドウォッチを取り出す素振りを見せないことに……ではない。そしてもちろん、物量作戦の一辺倒だけで勝機を確信していたシルビア軍に対するものでもない。

 

(めぐみんとゆんゆんは、紅魔族でもまだかわいい方だったんだなぁ)

 

「トキワさん、君は確かに強い。そしてその“紅の魔王”としての真の姿もかなりイカしている! 変身のタイミングも、派手な演出も、時を操るなんていう桁違いな力も非常にいい! 最高にグッとくる!! だが、引きが弱い!!!

 

 紅魔族のメンタルの図太さに、である。

 気がつくとどういうわけか戦闘を中断させられ、オーマジオウの姿のままひろぽんに正座させられていたのだ。姿が変わろうと中身は変わらないオーマジオウは、とりあえず小首を傾げて目の前に現れた疑問を口にする。

 

「引き?」

 

「そう、引きだ! タメだよタメ! 見せ場! そこが非常に弱い! もっとピンチを演出しないと盛り上がらないだろう!?」

 

「盛り上がるとか、それって今する話?」

 

「今しなきゃいつするんだ!? ……いいかい? 想像して欲しい。襲い来る化け物の群れ。より多くの者を救うために仲間と散り散りになり、託された想いを胸に戦いに挑む。しかしそれは初めから相手の罠! やってくる増援! 一人また一人と追い詰められ絶体絶命のピンチ! もうダメだと諦め……からの覚醒ッ!! 発現した圧倒的な力による無双! 蹂躙! 名乗り! 〆の決め台詞! そして背景の爆発! これなんだよ、求められているものは! それ以外は外の人とは思えないくらい完璧なのに、このカタルシスが君には無いんだ!! だからとても惜しい!!!」

 

「うーん……。それって求められてるのかな? ねえ、ダクネスは求めてる?」

 

「いや、私は全く求めていn「人類皆求めてるよ! 当然じゃないか!」

 

 食い気味で強く語るひろぽん。何がそこまで彼を熱くさせるのかわからないソウゴだが、力説する彼の目は確固たる確信に満ちていた。

 そんな茶番に付き合わされているシルビア軍はと言うと、ソウゴの困惑の種である長話を無視して倒れ伏すシルビアへの手当てに勤しんでいた。彼らの慌てようからかなり切迫した空気だったことをソウゴは思い出すが、言葉を遮られたダクネスも口を挟むことを躊躇うめぐみんも、そんなことを忘れて唇を真一文字に結び、なんとも言えない表情を浮かべているだけ。誰も助けてはくれない。楽しかったからと里に来てから一々名乗り返していたのが良くなかったのだろうか、それともカズマやゆんゆんのようなツッコミがいないとこうなるのか。ソウゴは困惑に晒されながらも、一つの学びを得ていた。

 とは言え、現実逃避をしていてもひろぽんのご高説は止まらない。腕を組み気難しげに眉を寄せる彼は、諭すように口を開いた。

 

「トキワさん。戦闘において最も大事なことはなんだと思う?」

 

「俺は民の無事だと思うけど」

 

「違う。カッコ良さだ」

 

「言い切っちゃうんだ……」

 

「いくら強くとも、華がなければ誰も憧れない。見映えもない。そして何よりカッコ良くない! いいのか!? 時の魔王を名乗りし者がそんなに地味で!?」

 

「別に、気にしたことないし……」

 

「そんなんじゃダメだ! 君には外の人とは思えないくらい紅魔族の才能がある! だから見て、学んでくれ! これさえ身につければ、今日から君は本物の“紅の魔王”。悠久の時を統べる覇者にして、究極の王となるだろう……!」

 

「もうなってるからいいんだけどね」

 

 まるで話を聞かない族長は、拳を握ることで指先のないレザーのドライビンググローブの感触を確かめていた。興奮からか紅い瞳は夜に浮かび上がる輝きを宿し、顔つきからは宿敵と合間見えた時のような凛々しさを感じさせる。髪の先まで神経が通っているかのようなピシッとした出で立ちこそ勇猛な戦士のそれだが、当のシルビア軍側はまだ余裕があると判断したのだろう、こちらに関心を向けず束の間の休憩をしている。

 ソウゴも少し面倒に感じ始めているが、王として民との触れ合いを無下にするわけにいかず大人しく観覧させてもらうこととした。そして里から響く地鳴りをバックに、魔法で照明代わりの炎と演出のための風を巻き起こすひろぽんはキレのいいポーズで名乗りを上げる。

 

「聞け! 魔王軍幹部シルビアよ! 我が名はひろぽん! この里の長にして、紅魔族を導く者! そして貴様たちに終焉をもたらす者! 我が内に眠りし狂気と共に踊るがいい。この宴にピリオドを打つ、ラストダンスを……!」

 

(今の地鳴り、なんか火山みたい。魔法じゃない……?)

 

「さあトキワさん! 君も名乗るんだ!」

 

「え? ああ、はい」

 

 里の様子が気になるソウゴだが、まずは目の前の敵の掃討から。意識を切り替えたオーマジオウは、促されるままにポーズをキメた。

 

 

   ⏱⏲「我が名は常磐ソウゴ!」⏲⏱

 

 

 パララララッ!!

 

 乾いた音が火薬の臭いでむせ返る里に反響した。バイク形態のビークルモードから戦闘用人型のバトルモードへと自動で姿を変えたオートバジンは、前輪が変型した十六門のマシンガン・バスターホイールから弾丸を放ちキメラアマゾンたちを撃ち抜いていく。背面のスラスターから推進力を得て、地面を滑るように移動する素早い攻撃は捉えるのが難しく、翻弄されるキメラアマゾンたちはいい的となっている。

 ただの鉄の礫程度で倒すことは不可能だが、痛みを感じないとはいえ着弾時の勢いまで殺せるわけではない。最前列が僅かでも後退すれば全体の足止めに繋がり、結果として一網打尽にできる隙になる。

 

「サンキュー、オートバジンくん! いくよっ! 〈ワイヤートラップ〉!」

 

 クリスはその僅かな隙の合間を縫い、無数の鉄紐を建物と木々に繋ぐことで蜘蛛の巣のようにキメラアマゾンたちを絡め取る。アマゾン化した影響で素体となったゴブリンや下級悪魔の力を上回る怪力を発揮しようとも、魔力が通った鉄の紐を引きちぎるなど無理な話。むしろ痛覚が無いせいでもがけばもがくほど複雑にワイヤーが絡まり、余計に身動きが取れなくなっていく。

 しかし、いくらワイヤーが頑丈でも支えになっている柱や木には限界というものがある。肉が切れようとワイヤーが肌に食いこもうとお構い無しに群がられれば、大した時間は稼げないということは容易に想像ができた。それがわかっているクリスは、素早く後退しゆんゆんに向けて合図を送る。

 

「ゆんゆんさん、お願い!」

 

「任せてください! 〈ライト・オブ・セイバー〉ーーーッ!!」

 

 ゆんゆんの手の動きをなぞる様に、雷の如き光となった魔力の刃が死者たちをワイヤーごと切り伏せる。例え死から蘇った怪物でも、体を真っ二つに裂かれてまで動ける道理というものは無いのだ。切り口から肉の焼け焦げた臭いが鼻につくが、それも一瞬のこと。力無く倒れた残骸はどういうわけか水分だけが抜け、カラカラのミイラとなって辺りへと乱雑に投げ出される。

 

「ふぅ……。い、今の、ちょっとパーティの連携っぽかったかも……!」

 

「ゆんゆんさん! 次来るよ!」

 

「あ、す、すみません!」

 

 クリスの忠告通り、辺りに遺棄されたミイラたちを踏み荒らしてキメラアマゾンたちは進軍してくる。オートバジンのマシンガンやゆんゆんの魔法で牽制しても、死を恐れない亡者たちの行進は怯まない。神聖魔法が付与されたマジックダガーでヒットアンドアウェイを繰り返すクリスは、不満を顔に露わにして大声で悪態をついた。

 

「あーもう! どれだけいるの!? これじゃキリがないよ! 〈バインド〉!」

 

「里にいた人たちは避難できましたし、私達も一度引きましょう! 囲まれてますけど、後方ならアマゾンたちも手薄で突破できそうです!」

 

「嫌だよ! モンスターとはいえ、こんな生きてるのか死んでるのか分からないような生命への冒涜、女神の一人として見過ごせない……!」

 

「め、女神……? クリスさんまでアクアさんみたいなことを……」

 

「いやっ、ちがっ! えっと女神……の、信徒! エリス教を信奉する者の一人としてね!? だからそんな残念な人を見る目はやめてよ!」

 

 二人がグダグダしている間にも、キメラアマゾンたちの歩みは止まらない。一体一体の強さは中級以上の魔法で撃退できる程度だが、如何せん数が多いのがいただけなかった。

 総数で言えば、里の中にいるキメラアマゾンは五百にも満たないだろう。いつもの紅魔族なら数人で対処できるほどでしかない。しかし、障害物が豊富な暗闇に知性を備えた化け物が隠れているのだから話が違う。オートバジンの熱源感知とクリスのスキルによって防戦に徹することはないものの、戦闘に参加している他の紅魔族はそうはいかないはず。加えて致命傷以外で動きが止まることはなく、接近戦に持ち込まれれば浄化魔法がなければ溶原性細胞の感染に繋がってしまう。何度考えても過剰なまでの危険性に、平和な異(カズマたちの)世界の危険に頭を悩まされる。

 

(ソウゴさんがすぐにライドウォッチを回収してくださると思っていましたが、何かトラブルがあったと考えるべきでしょうか……?)

 

 一向に緩むことのない相手側の進撃に反攻しながらも、まず疑う必要のないことが脳裏を過った。伝え聞くオーマジオウの実力であれば心配に思うことが烏滸がましいのだろうが、“仮面ライダー”という世界の守護の任を与えられた人間の力というものもまた、世界から賜った侮り難い至高の力に他ならない。それを人の規格を超えたモンスターが使うのだ、想像を遥かに超えた怪物が出来上がっても何ら不思議はないだろう。焦りにも似た緊張がクリスを襲う中で、そんな彼女を追い立てるように里の奥から耳を劈くような一際大きな爆音が轟いた。

 

「今度は何!?」

 

「クリスさん、あれ!」

 

 ゆんゆんが示す先には、轟音の発生源と思しき真っ赤に沸き立つ炎の柱が吹き上がっていた。噴火した溶岩のように立ち上るそれはすぐに勢いを落としていくが、影響は大きいのだろう、燃える森が煌々と夜の空を染める。そんなものが自然現象なわけがない。勢いづくキメラアマゾンたちを見て、クリスはこれが向こうの策略の一つなのだと気がつく。

 

「これ以上は勘弁してよ……!」

 

 泣き言を言ってもどうにもならないが、それでも愚痴を言わずにはいられない。確実に何かよくないモノがこちらへと向かってきていることがわかっているからだ。心苦しいがここは撤退するべきかとクリスに迷いが生じた時、遠く彼方からこちらに向かってくる二つの影が視界に紛れ込んできた。

 

「あれって……カズマくんとアクアさん?」

 

 バイクという移動手段を持っていたはずだが、何故か二人は仲良く手を握り必死の形相でこちらへと走って来る。直線上にある障害物や降り注ぐ落下物をそのまま器用に避けているので、カズマの〈回避〉スキルを併用しているのだと思われる。そんな彼らに引き連れられるように、背後から木々を薙ぎ倒し現れたのは――異形。

 

「ゆんゆーーーん!! クリスーーー!」

 

「助けてーーー!」

 

「何、アレ……!?」

 

 ここに来て大物の登場に、ゆんゆんは魔法を唱えることも忘れて口を押えた。

 体色は鱗で覆われた青、しかし下半身は金属質な光沢を持った蛇。鎧を纏ったラミアに似た形状だが、上半身はキメラアマゾンを彷彿とさせるクラゲとも魚とも言い難い人工物的なデザインとなっていた。背中からはモンスターやら人やら様々な生き物の体の部位が突き出していて、それが癒着することで一対の趣味の悪い翼となっている。生き物を幾重にも合成させたようなエゴの塊に見えて、吐き気が込み上げてくるのは生理的な反応として仕方がない。

 そんな非道徳的な異形の登場に言葉を失うクリスたちとは違い、キメラアマゾンたちは沸き立った。

 

「シルビア様だ!」

「遂に手に入れたんですね! この里に封印されし禁断の兵器を!」

「これで勝てる!」

「忌々しい紅魔族が滅びる時が来た!」

 

「シルビアだって!? そんな、だってアイツはソウゴくんが……!」

 

 信じたくはないが、出し抜かれたと考えるべきだろう。カズマとアクアは兵器奪取の妨害をしたが相手は魔王軍幹部。力及ばず敗走中と言ったところか。クリスが加勢しようと残り僅かなワイヤーを握りしめると、異形は顎を手で割いて無理矢理作ったような口から言葉を発した。

 

「ねえ、なんで逃げるの二人共!? アンタたちが封印を解いてくれたからこの力を手に入れられたのに!」

 

「すみませんすみません! それ無かったことにできませんか!?」

 

「どうしてよ! 私はこんなにもアンタたちへの親愛に溢れているの! 『レールガン』を見つけてトキワソウゴを倒せたら魔王軍に口利きしてあげるわよ!? 楽しく人間を滅ぼしましょう!」

 

「忘れてたけど、一応私たち冒険者なものでぇぇ!」

 

 前言撤回。どうやらかなり自業自得的なものらしいと、クリスとゆんゆんは察した。

 

「……どうします? とりあえず、助けますか?」

 

「……そうだね。お願いするよ」

 

 規則を破って生き返らせたことのある勇者候補の冒険者とその原因である先輩女神が、倒すべき魔王の下に下るなど頭痛の種にしかならない。眉間を押さえながらクリスがそう頼むと、ゆんゆんは異形が間合いに入った瞬間に大きく息を吸って十八番である上級魔法を唱えた。

 

「〈ライト・オブ・セイバー〉ッ!」

 

 光刃が魔を穿つ。雷鳴が如き嘶きが大地に打ち付けられ、鼓膜を叩く破裂音へと変わる。使用者の技量によって切れ味の変わる光の軌跡が、二人を追いかける怪物を縦に真っ二つに裂いた。勢い余って地面を砕いた余波がカズマとアクアを前のめり気味に吹き飛ばすが、ヘッドスライディング程度で助かったのだからいい天罰だろうと、クリスはそっと心の中で独りごちる。

 大きな砂埃を背景に、クリスたちの前まで滑り出て突っ伏するカズマとアクアは、助けられ方に不満があったのか二人揃って抗議の顔を上げた。

 

「もっと優しく助けてくれよ!」

 

「そうよそうよ! 危うく巻き込まれるところだったわ!」

 

「す、すみません……」

 

「ゆんゆんさん、謝らなくていいと思うよ。それで? どうして魔王軍幹部と仲良くなってるのさ」

 

「「いやまあ、色々とありまして……」」

 

 言い淀む二人は、気まずそうに目を逸らした。その色々の部分に自分では想像もつかないようなやらかしが含まれているのだろうとため息をついたクリスとは対照的に、理不尽な扱いには慣れっこのゆんゆんが疑問を口にする。

 

「それにしても、どうしてシルビアが二人を? 姿も随分と違っていましたし、ソウゴさんが相手をしていたはずですけど……」

 

「違うんだよ! あっちはソウゴを引きつけるための囮で、本物はシグマタイプになって里に侵入してたんだ! ライドウォッチを使ってアナザーライダーになってたし、早くソウゴに知らせないと……!」

 

「でも、その前に証拠隠滅じゃない? あの壁に彫られた紅魔族の真の歴史はシルビアの手で瓦礫にされたけど、『レールガン(仮)』をなんとかしておかないとこの里に私が送り込んだ〈転生者(チート持ち)〉がいたってソウゴにバレるかもだし……」

 

「紅魔族の真の歴史ってなんですか!?」

 

「それもそうだな。心配事は全部潰しておくべきだよな。もしバレたら、何のためにソウゴに黙ってデストロイヤー作ったオッサンの手記を燃やしたのかわからなくなるし」

 

「あの手帳燃やしちゃったの!?」

 

「あの! それより紅魔族の真の歴史ってなんなんですか!?」

 

「いいのよゆんゆん、気にしなくて」

 

「そうだぞゆんゆん。歴史なんて後から見た人の解釈でどうとでもなるんだから」

 

「そんな言い方されたら余計に気になります!」

 

「っ! 待って! 遊んでる場合じゃないみたい!」

 

「私は遊んでないんですけど……」

 

 クリスの一言で、カズマとアクアは素早く視線を前方に戻す。未だ立ち上る砂埃の向こうから、のそりと、何かとてつもなく大きいものの動きを感じるのは気のせいではないだろう。気配も影も、スキルを使わなくても敵意がひしひしと伝わってくる。自然と、握る拳に力が入る。

 

「ねえカズマさん。私この、煙の向こうに元気なシルビアがいるって光景にとてもデジャブを感じるんですけど」

 

「奇遇だな。俺もこれで三回目くらいな気がするよ」

 

 カズマの呟き通り異形――アナザーアマゾンネオは長い尾で砂埃を払い、つまらなさそうな顔で自身が健在であることを示した。上級魔法の直撃を受けて掠り傷もなければ煤一つ付いていないのはショックが大きかったのか、ゆんゆんは得意な魔法が全く通用しなかったという事実に気圧されて一歩引いてしまう。

 

「何かしたのかしら?」

 

「そんな!? 私の魔法が……!?」

 

「シルビアは『魔術師殺し』を取り込んだの。魔法が効かないのはそのせいよ」

 

「それ以外にも、謎施設の地下に眠っていた物を片っ端から取り込んでるはずだ。どんな攻撃が来るかわからないぞ」

 

「証拠隠滅云々より、先にそっちを教えて欲しかったよ!」

 

 警戒を強める四人に対して、くつくつと喉を鳴らすアナザーアマゾンネオ。一番の攻撃手段である魔法が通用しないということで余裕があるのだろう、にんまりと口元を歪めて囁いた。

 

「それもこれもカズマとアクアのおかげ。あとは『レールガン』を手に入れ、トキワソウゴを葬れば魔王軍は安泰よ。ねぇカズマ。『レールガン』の在り処に心当たりがあるんでしょ? 教えてくれれば、欠員が出てる魔王軍幹部の枠に推薦してあげるわ」

 

「教えられるわけないだろ! 俺たちはこれでも冒険者の端くれだぞ!」

 

「そうよ! 壁の文字読んでる時はちょっと楽しかったけど、人類を滅ぼすって言うのならアンタとはこれまでよ!」

 

「……そう。とても残念だわ」

 

 肩を落としたアナザーアマゾンネオ。顔のパーツが著しく足りていないので細微な感情を読み取ることは難しいが、声色と伏した顔から本心で残念がっていることはわかる。しかしそれも僅かな間。次に顔を上げた時に浮かべていたのは、どこか親近感のある人間味を感じさせる表情だった。名残惜しさがありながらも、区切りのついたスッキリとした雰囲気でアナザーアマゾンネオは号令をかける。

 

「……この里にいる全ての配下たちよ、聴きなさい! 私の元へこの里中の物干し竿を持ってくるのよ! 紅魔族なんて後でいくらでも狩れる。これは最優先事項、急ぎなさい!」

 

「あっ! ズルいわよシルビア!」

 

「どうして物干し竿を……?」

 

「慌てるなアクア! あれを一目で物干し竿だなんて思う奴がいるわけない!」

 

「さっきから説明が全然足りてないと思うんだけど!?」

 

「話は長くなるから端折るけど、この里のある物干し竿が世界を滅ぼしかねない兵器ってやつなんだよ!」

 

「大事なところ端折り過ぎじゃないかな!?」

 

「カズマとアクアが『レールガン』を持ってきてくれたら、こんな面倒なことしなくていいんだけどね。今ならまだ仲間として迎え入れてあげるわよ?」

 

「だからしないって言ってるでしょ!」

 

「そう。なら、持ってきたくなるようにしてあげるわ……。死なないでよ?」

 

 そう言葉を吐き捨てたアナザーアマゾンネオが大きく息を吸い込むと、そこに肺でもあるのだろう、もともと膨らんでいた胸部が更に数倍大きく膨れ上がる。

 

 マズイ。

 

 四人の生存本能がそう告げるのと、アナザーアマゾンネオの口から炎が吐き出されるのは同時だった。どんな魔法を唱えようと間に合わないスピードで迫る炎のブレス。どんなスキルを使っても避けられない殺意の篭った広範囲攻撃。カズマの脳裏にこの世界に来てからの思い出が走馬灯として過ぎり、苦痛の後に出迎えてくれるであろう女神の微笑みを思い出した時、四人の前に飛び出してくる影があった。

 

「オートバジンくん!」

 

 バスターホイールを盾にして、カズマたちを庇うように立ち塞がるオートバジン。ブレスはオートバジンに衝突することで左右に分かれ、四人は辛くも丸焼けを逃れていた。遠慮なく吐き出される炎は周りにある家屋を容易く飲み込み、瞬く間に灰へと変えていく。それでもカズマたちが息苦しい灼熱に立っている程度で済んでいるのは、オートバジンが身を呈して壁となってくれているからだった。

 

「無理しないでください! オートバジンさん!」

 

「水の女神が丸焼きなんて冗談じゃないわよ! 〈セイクリッド・クリエイト――

 

「やめろアクア! 水を媒介に感染するんだぞ!? ここら一帯を汚染区域にする気か!」

 

 しかし、いくら仮面ライダーの操るスーパーマシンとはいえ機械。高温の炎に晒され続ければ、銀色のアーマーが赤く発光するほど熱を蓄え、タンデムシートやタイヤは耐えきれずにドロドロと溶けだしてしまう。それでもバイザーの奥はピコピコと駆動しており、排気による冷却機能をフル活用して少しでも持ちこたえようと懸命に炎を防いでいた。

 炎を吐き終えたアナザーアマゾンネオは、口元を拭いながら感心したようにオートバジンを見下ろした。

 

「……へぇ。ゴーレムの割には耐えたじゃない」

 

 溶けた非金属部が燻る。ゴムを焼いたとき特有の鼻につく臭いを放ちながら、オートバジンは膝関節部をぐにゃりと歪めて崩れ落ちた。直に炎を当てられ続けたバスターホイールは完全に原型を失っており、弾薬に引火していたのであろう弾けたような形跡が見受けられる。ギギギと音を鳴らしているのは立ち上がろうとしているからなのだろうが、体を構成するパーツの尽くが熱で形を変えてしまっているためそれ以上体勢を変えることが出来ないでいた。

 

「でもダメね。その程度じゃ私には届かないわ」

 

 そこにアナザーアマゾンネオは無慈悲にも尻尾を振り下ろす。グシャッ、という短い悲鳴と共に、駆動音は完全に途絶えてしまった。叩きつぶされたオートバジンのバイザーから完全に光が消え、バイクでもなければロボットでもない、地面に埋め込まれた鉄クズへと成り果てる。

 その無惨にも変わり果てた姿を見たゆんゆんとクリスは、短いながらも共に戦った仲間を尊ぶように涙を浮かべた。

 

「オートバジンさん!」

 

「よくも、オートバジンくんを……! 絶対に許さない……!」

 

 大破したオートバジンはさらさらと黒い靄へと変換され、二人の目の前で歴史の中へと帰っていく。弔うべき篝火の向こう側から、怒りに満ちたゆんゆんとクリスを愉快そうに眺めるアナザーアマゾンネオは、歪な口元をより釣り上げてニタリと笑う。

 

「これが最後の警告よ。死にたくなければ大人しく私に『レールガン』を献上しなさい。今協力するのなら、命だけは助けてあげる」

 

「誰があなたなんかに……! 喰らいなさい! 〈ライトニング・ストライク〉!」

 

「……おつむの足りないお嬢さんだこと」

 

 雷鳴が唸り、空が閃いた刹那、轟音と共に一筋の稲妻がアナザーアマゾンネオを貫く。本来であればいかなる敵であれ打ち砕く必殺の一撃。雷系統における上級の魔法だが、やはりと言うべきか『魔術師殺し』の力を得たアナザーアマゾンネオには何のダメージも与えられなかった。防御をする素振りもない異形の存在に、ゆんゆんは悔しそうに歯を食いしばる。

 そんな彼女を見下ろすアナザーアマゾンネオは、笠から垂れる触手を畝らせならがら嫌味っぽくニヤついた顔を向けた。

 

「アンタたちの魔法には随分と手を焼かされたわ。……でも、もうそれは過去の事。アンタたちは今から絶望を知るのよ」

 

「魔法が効かなくなっただけで随分な自信だね」

 

()()()()()()()()()? 魔術師を殺すための兵器が、そんななまっちょろいものなわけないじゃないか! 〈エンシェント・ブレイクスペル〉ッ!」

 

「っ! その魔法は……!」

 

 驚くクリスを無視して、アナザーアマゾンネオを中心に里を包み込むように展開される見知らぬ大きな結界魔法。広範囲の攻撃かと身構えるが目に見える変化は起きず、カズマたちをすり抜けるとそのまま透けて霧散してしまう。熱さも冷たさもなく、状態異常も感じられない。体に何の変化も起きていないことを確認したアクアは、冷や汗を拭いながら息を吐く。

 

「何よ。驚かせるんじゃないわよ! 〈セイクリッド・ターンアンデッド〉!」

 

 リッチーですら天に帰す女神の浄化魔法。ライドウォッチに干渉されて完全に消滅させることは不可能でも、障壁を無視し不浄なものに直接作用する程の力を持つ浄化の力なら足止めにはなるはず。強大にして強力な退魔魔法が、眩い光と共にアクアの手から放たれる――ことはなかった。

 しばしの沈黙。時間差で何かが起きるということも無く、ただ建物の燃える音と煙だけが立ち上る。この異常事態に首を傾げたアクアは、戸惑いながらも力を込め直して再度唱えた。

 

「あ、あれ? 〈ターンアンデッド〉! 〈ターンアンデッド〉!! ……あれぇ??」

 

「〈インフェルノ〉! どうして魔法がでないの……!?」

 

 ゆんゆんも慌てた様子で魔法を行使するが、世界は少しだって様子を変えたりはしない。小さい子どもが魔法使いの真似事遊びをしているかのような光景に、クリスは自分の知識と合致してしまい苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「……〈エンシェント・ブレイクスペル〉はかつて、魔法の恩恵を授かった勇者候補が生み出したと言われてる広範囲解呪魔法だよ。対象は人魔を問わず、一定時間あらゆる魔法を使用できなくなる」

 

「つまり、今の私たちは魔法が使えないってことですか!?」

 

「私たちどころか、里の中にいる人たちは皆魔法が使えなくなってるはずだよ!」

 

「お前、なんてもんこの世界に送り込んでんだよ!?」

 

「送り出した〈転生者〉がこの世界でどんな生活送ってたかなんて知るわけないじゃない!」

 

「遊んでる場合じゃないよ! 魔法が付与された武器や神々から与えられた神具だって例外じゃない。碌に前衛スキルを持ってないアタシたちだけじゃマズイよ、この状況……!」

 

 四人は戦慄の表情でアナザーアマゾンネオへと視線を向ける。得意げな顔で触手を畝らせるアナザーアマゾンネオは、大口を開けて笑い声を響かせる。

 

「魔法が使えなくなっただけで随分な慌てようね。……でもね、絶望はこれだけじゃないのよ」

 

『シルビア様ー!』

 

 そう宣告したアナザーアマゾンネオの元へ、物干し竿を抱えたキメラアマゾンたちが駆け寄って行く。その中で一際異彩を放つ一本を見たカズマとアクアは、一気に寿命が縮む感覚に陥った。紅魔族随一の服屋で代々錆びない物干し竿として受け継がれていた一本であり、カズマの持ちうる知識の中では対戦車ライフルに分類されるそれ。青ざめる二人の変化を見逃さなかったアナザーアマゾンネオは、一目で物干し竿だとは思えない一本を見つけ、当たりを引いたことを確信してニタリと頬を緩めた。

 

「ありがとうね、アンタたち! これで私たちはようやく、紅魔の里を滅ぼすという悲願が叶う……! これも全て、今まで支えてくれたアンタたちのおかげだよ!」

 

「勿体ないお言葉です!」

「一生ついて行きます、シルビア様!」

「我々の手で、頭のイカれた連中を皆殺しにしましょう!」

 

 

シっルビアっ! シっルビアっ!

 

 割れんばかりの歓声を浴びるアナザーアマゾンネオは、対戦車ライフルを手にするとそれを迷いなく口へと運ぶ。むせることもなく、ぐいぐいと胃の中へ押し込んでいく姿に剣を飲み込む手品を思い出すカズマだが、そんな悠長な現実逃避に浸っている時間はない。

 一分もかからずに飲み下したアナザーアマゾンネオは、内に湧き上がる力と解析し理解した力の使い方に、震えを抑えきることができないでいた。

 

「これが世界を滅ぼしかねない兵器の力……! この力で私は、恐れるものなど何も無い究極のグロウキメラへと至るのよ!」

 

 歓喜するアナザーアマゾンネオの体が、ぼんやりとした光を纏う。合成の反応で光っているだとか、魔力の可視化だとか、そういう類のものでは無い。体が、細胞が、新たなステージへと登ったアナザーアマゾンネオに合わせて作り替えられている。そうカズマは直感した。

 グロウキメラの性質をカズマは詳しく知らない。わかっていることは魔法が効かない兵器を取り込みながら火を拭いたり無効化の魔法を使ったり、手当たり次第に飲み込んだ物を鎧にしたりと、この世界の生き物の例に漏れず理不尽代表のような面をしているということだけ。その中でもとびきり悪意に満ちた魔王軍幹部なんて肩書きを有しているのだから、理解を拒みたくなっても仕方がないだろう。

 

「なに、アレ……?」

 

 それは誰かの口をついた言葉だったが、四人ともがそれぞれ自分の口から漏れ出した言葉だと錯覚してしまう。それほどまでに、アナザーアマゾンネオは生き物と呼ぶには憚られる見た目をしていた。

 

「……カズマ。それにアクア。アンタたちとは色々あったけどお陰で力が手に入った。感謝してるわ。だから恐怖も苦痛も感じないように一瞬で終わらせてあげる」

 

 目の前で口を開く異形を、カズマの頭は生き物として認識できなかった。

 

 それは誰もが羨む豪華な屋敷を追求した違法建築の終着点。

 それは美しい風景を描こうと百万の絵の具を塗り重ねたてしまった紙。

 それは好きな食べ物を手当たり次第に皿に盛り付けた残飯。

 それはこの世に現存する全ての楽器で奏でられた旋律とは程遠い雑音。

 それは賛美の言葉だけで紡がれた罵詈雑言。

 

 色々と思い浮かべるがどれも違う。筆舌に尽くし難いそれを表現する言葉を、カズマは持ち合わせていなかった。

 

「光栄に思う事ね。これから綴られる新しい私の物語の最初の一ページは、アンタたちの死から始まるのよ」

 

 きっとキメラという種族もここまで姿が変わることは想定外だったのではないかと考えさせられるほど、生物としての尊厳をかなぐり捨てた、生命そのものを否定する出で立ち。そもそも、人と蛇とクラゲと魚と対戦車ライフルとゲーム機とその他諸々を全て混ぜて、どうして生き物の体を成せるというのか。全身からはみ出した様々な生物のパーツも、それを押さえ込もうとしているプラスチックの鎧も、谷間の鱗を突き破って存在を主張するライフルも、首元に設定されたメーターも、全てがアナザーアマゾンネオという異質さを象る要因に過ぎない。その不気味さから来る生理的な嫌悪に、四人は呑まれてしまっていた。

 

「安心なさい。四人とも仲良くあの世に送ってあげるわ」

 

 足の竦んでしまったカズマ達に銃口が笑いかける。ハッタリではない。間違いなく死がやってくる。頭では理解出来ても、体は縫い付けられたように動かすことができないでいた。

 撃ち出す弾を準備しているのだろう、死のカウントダウンのようにメーターは緑の光で満たされていく。バチバチと放電しながらゲージが半分まで溜まると、アナザーアマゾンネオは照準を合わせて微笑んだ。

 

「じゃあね」

 

 直後放たれる、光。砲撃は空間を震わせるほどの衝撃だった。反動が大き過ぎたのかアナザーアマゾンネオは堪えきれず大地を滑り、銃口から放たれたエネルギーの塊は音をも置き去りにする光の速さで容易く四人の意識を食い荒らす。仮にオートバジンが盾になろうと、四人と一機は細胞の一欠片も残さずこの世から消滅していただろう。今度は走馬灯を見る余裕すら無いほどに、押し付けられた死という概念に思考を塗り潰されてしまっていた。

 

 そして、着弾。

 

 この星を欠けさせるには十分な威力だった。爆裂魔法にだって負けていない破壊の権化。世界を滅ぼしかねないなんていう大仰な謳い文句が伊達では無いということを証明する一撃は、魔法という焼け石に水滴を飛ばす力さえ取り上げられたカズマたちを襲った。

 光が、音が、熱が、破壊が、順番に押寄せる波のような暴力となって世界に顕現する。現界したエネルギーの奔流は土も水も空気すらも、あらゆる全てを分解し、蒸発させるほどの熱量。その一撃がこの世界に残すのは、大きなクレーターという暴威の爪痕だけ。

 

 

 

 

 

「…………これを耐えるのね」

 

 ――の、はずだった。

 

「ギリギリ間に合った、かな」

 

 この世界の欠損だけが残されるはずの、生まれ変わったシルビアの華々しい最初の偉業。それを片手で難なく阻止したのは、漆黒と純金の鎧を纏う紅い瞳の異形。誰よりも待ち望んでいた助っ人の登場に、張り詰めていた緊張の糸が切れたカズマたちはその場にへたりこんだ。

 そんな彼らへと振り返ったオーマジオウは、事も無げに問いかけた。

 

「ねえ、今のって演出的にタイミングよかった?」

 

「演出? 何の話よ」

 

「さっきひろぽんから引きが弱いって言われたから、一番盛り上がるタイミングで登場できたかなって確認したかったんだけど」

 

「そんなタイミング計ってる余裕あるなら、もっと早く助けてほしかったよ……」

 

「すみませんすみません! 父には私がキツく言っておきますので忘れてください!」

 

「んー。やっぱり、求められてない気がする……」

 

「そんなこと求めるのは紅魔族だけだからな」

 

「ちょっとアンタたち! 私を無視してくっちゃべってるんじゃないよ!」

 

 抗議の声を上げて咳払いをするアナザーアマゾンネオ。ハッと存在を思い出した五人が身構えると、その反応に満足したのか仕切り直しとばかりに腕を組んでカズマたちを見下すように顎を上げた。

 

「姿は違うようだけどわかるわ。……トキワソウゴね?」

 

「そうだけど、シルビアも結構雰囲気変わったよね」

 

「どう見たって雰囲気変わったとかで済ませていいレベルの変化じゃないだろ」

 

 アナザーアマゾンネオの観察を終えたオーマジオウは興味なさげにそう答えると、攻撃を受け止めた左手に残る金属片を眺めながらふーんと一言だけ漏らした。

 

「電気の大砲かと思ったんだけど、違うんだね。それが古代兵器ってやつ? 電池を光速で飛ばすなんて面白い武器だと思うよ」

 

「電池!? あの『レールガン』ってやつは、魔力を圧縮して撃ち出す武器のはずだぞ!?」

 

「今のシルビアには魔力が無いから使えるように改造したんじゃないかな? 電気だけを圧縮するのは限度があるから、より蓄えられるように弾を用意した。でしょ?」

 

「その通り。私には取り込んだものを自分の力として使える能力がある。その『でんち』ってのは何か分からないけど、遺跡の地下で取り込んだものが弾の代わりになるって私の能力が教えてくれたのよ。今ので半分の力。素晴らしいでしょう?」

 

「遺跡なんかあったっけ?」

 

「む、昔の紅魔族が建てた謎施設だよ! そこに色々と魔道具の兵器が眠ってたんだ! あの『レールガン』もその一つなんだよ! な、アクア!」

 

「え、ええそうよ! 断じて〈転生者〉は関与してないわ!」

 

「ふーん……?」

 

「そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちよ! アンタが私と遊んでいる間に、私はこの『レールガン』と『魔術師殺し』という究極の矛と盾を手に入れたの。もうあの夜のようにはいかないわ!」

 

「ふーん。そっか」

 

「……いい機会だから教えておいてあげる。私はね、若くて顔が良くて、何でもこなせる澄ました輩が大嫌いなのよ!! アンタも絶望の縁に叩き落としてあげるわ! 〈アンリミテッド・ブレイクスペル〉ッ!!!」

 

「っ! 避けてソウゴくん!」

 

 アナザーアマゾンネオの手から白い光が放たれる。熱くもなければ冷たくもないその光は、じっと観察するオーマジオウを照らすとオーマジオウの鎧の隙間からソウゴを侵していく。状態異常も感じず無抵抗のまま成り行きに任せるオーマジオウは、光が途切れるととりあえず体を動かして変化を観測していた。

 

「何したの?」

 

「〈アンリミテッド・ブレイクスペル〉は、対象からあらゆる魔法を剥奪する究極の解呪魔法! 呪いだろうと祝いだろうと無差別に効果を打ち消し、果ては覚えている魔法を全て忘却の彼方へと葬る永遠の解呪をもたらすの!」

 

「魔法を剥奪、ですって……!? それじゃあソウゴさんは……!」

 

「これこそが『魔術師殺し』と呼ばれる所以! アンタはこの先死ぬまで、触れるだけで魔道具を機能停止させ、回復魔法すら受け付けず、初級魔法さえ覚えられないし、使えない体になったのよ!」

 

「ふーん。そうなんだ」

 

 アナザーアマゾンネオは、勝利を確信しての宣言を行ったつもりだった。しかし返ってきたのは驚きでも慄きでもなく、どこか他人事のような生返事。大して興味のなさそうなその反応に調子を狂わされたアナザーアマゾンネオは、咳払いをして居住まいを正した。

 

「……落ち着いているのね。それとも、まだ現実を受け入れられていないのかしら?」

 

「現実って?」

 

「そう、現実よ! アンタの特殊な力は全て封じた。あの〈ファイアーボール〉を連発する魔道具も、化け物じみた力ももう無いはずよ! 身体能力がいくら強くとも、この『レールガン』の一撃を防ぐことは不可能! どれだけ祈ろうと、奇跡や魔法は起きやしないの!」

 

「奇跡や魔法……?」

 

 少し考えるような仕草をするオーマジオウを放置して、アナザーアマゾンネオは『レールガン』の発射準備を始める。先程は半分ほどのエネルギーによる砲撃だったが今度は違う。確実に葬り去るために、フルチャージで臨む。バチバチと余剰分が漏電し、メーターが『FULL』の文字を浮かび上がらせた瞬間、アナザーアマゾンネオは体勢を低く構えて吠えた。

 

「塵と化しなさい、トキワソウゴ!」

 

 二射目の砲撃の威力は、単純に倍だとかそんなちゃちなものではなかった。光速で射出される電撃の砲弾は、先程の試し打ちの比ではない破壊力を記録する。ファンタジーと電磁加速の力によって現実的にありえない速度で飛翔する砲弾は、進行の妨げとなる空間すら焦がし、世界を光で染め上げ、大地を熱で削ってしまう。たった一人を確実に倒すためだけに放たれた一撃は、衝撃波で周囲の家屋を吹き飛ばすという甚大な被害と共にオーマジオウへと肉薄した。

 

「……何か勘違いしてない?」

 

 光が駆け抜ける刹那、オーマジオウの複眼・エクスプレッシブフレイムアイが揺らいだ。複眼から放たれるのは千度を超える熱線。後手で反応できるはずのない速度に対処できるのは、速度もまた“時”という概念に縛られたものが故。片手間に砲撃を相殺してみせたオーマジオウは、なんでもない事をした後のように口を開いた。

 

「ライダーの力は奇跡や魔法なんかじゃない。人が築き上げた、血と涙の歴史だよ」

 

(なんなの、こいつ……!)

 

 シルビアはゾッとした。世界を滅ぼすに値する兵器の最高出力を難なく突破されたことも、奇跡的な恩恵の全てを否定する兵器の力がまるで効かなかったことも、三千を超える部下達と自分の分身をぶつけてもほんの少しだって疲れさせることが出来なかったことも。そして何よりも、その全てを当然のように行う、目の前に立つ人の姿をしたナニかを理解できないことが怖かった。

 

(なんでコイツは、これだけの力があって人間でいられるの……!?)

 

 わかることは沢山ある。まだ手加減されているということもその一つ。あれだけの威力同士のエネルギーの衝突で、両陣営に被害が出ていないことが何よりの根拠だった。オーマジオウにとってはのんびりと後出しジャンケンであいこにしたに過ぎないということを理解してしまっているから、怖いのだ。

 

「バケモノめ……!」

 

 世界を掌握することなど簡単で、思うままに支配構造を変えてしまうことも簡単なこの怪物が、人の中で人のように扱われ人のように生活しているという事実が何よりも怖かった。シルビアの中の野生が怯える。これだけの力をつけてもまだ、片鱗しかわからないという事実に。

 するとオーマジオウは、彼女の心境の変化を察したのか少しだけ肩を落として呟いた。

 

「もう、終わりにしようか」

 

 オーマジオウは、静かにドライバーに手を宛がった。

 

 

 

«終焉ノ刻»

 

 

 

 黄金と、深紅と、漆黒を纏うオーマジオウの体が、禍々しい覇気を放ちふわりと宙に浮び上がる。

 

 

 

«逢魔時王必殺撃»

 

 

 

 アパラージタが十時十分を指し示すと、『キック』の文字が恐怖に固まるシルビアを取り囲む。逃げられない。回らない頭でもそう認識できるくらいには、死期というものを感じ取っていた。

 

(……私は、終わるのね。紅魔族も倒せず、私の研究の何も残せず、こんな所で、こんなにあっさりと)

 

 世界がゆっくりと動く。わかってしまう。仮に『レールガン』をフルパワーでもう一度撃とうとも、この一撃を相殺することはできないと。きっとそよ風の中を歩くように簡単にいなされることだろう。プライドなど捨ててしまえばよかったのだろうか。それとも、これは運命なのだろうか。今更考えたところでどうしようもないと、仕方のない摂理なのだと思考を放棄する。

 配下たちが涙を流しながら何かを訴えようとしてくるが、聞こえはしない。緩やかに自分の死を受け入れたシルビアは、ゆっくりと目を閉じ――

 

 

 

『縺ァ繧ゆソコ縺ッ窶ヲ窶ヲ逕溘″縺溘>!』

 

 

 

 ――配下たちが泣き叫ぶ中で、アナザーアマゾンネオは爆炎に包まれた。

 

「…………」

 

 歴史の収束によって世界に変化が起きる。プツンと糸が切れたようにキメラアマゾンたちが倒れ伏した。その体にノイズのようなものが走ると、この世界から仮面ライダーアマゾンズの歴史が消失して欠損の激しい死骸へと戻っていく。それを見届けても変身を解かないオーマジオウは、奪い取った新たな仮面ライダーの歴史を握りしめていた。

 そんな哀愁を漂わせるソウゴの背中など気にもせず、地面に大の字で寝転がったカズマは、戦いが終わったことの安心感から大きく息を吐いて心臓の鼓動を確かめていた。

 

「カズマーっ!」

 

 遠くから自分の名前を呼ぶ声がする。首だけ動かすとそこには、こちらに向かって駆けてくる仲間二人の姿があった。起き上がれる程の気力が残っていないカズマは、とりあえず手を上げて反応を返す。

 

「おーう、お前ら。なんか久しぶりに感じるな」

 

「戦いの最中に何を呑気なことを言ってるのですか!」

 

「こっちはどうなった!? 今の爆発はなんだ!?」

 

 戦闘が終わって気が抜けている面々とは反対に、気を張ったままの二人は各々の得物を握りしめていた。ソウゴと違って走ってきたのだろう、肩で息をするめぐみんとダクネスに、気が解れたアクアたちもカズマと同じように空を仰ぎながら答える。

 

「慌てなくても大丈夫よ。全部終わったんだから。ま。まだ魔法は使えないみたいだけど」

 

「そうだね。一旦これで全部解決! まったく、王様のフォローは大変だよ」

 

「残念だったわね、めぐみん! 今日はネタ魔法の出番はないわよ!」

 

「……ほう。出番がないなら作ればいいだけの事。今なら全部シルビアのせいにできますから、後のことなど気にせず気持ちよく撃てます」

 

「おい爆裂狂。こんな所で無駄撃ちするなよ。フリじゃないからな!?」

 

「大丈夫ですよカズマ。ネタ魔法なんですから、いくら撃とうとネタで済みます」

 

「済まないからタチ悪いんだろ! おいソウゴ! 早くこの頭のおかしいロリっ娘から杖を取り上げてくれ!」

 

「カズマ貴方! 私をロリっ娘と言いましたね!?」

 

「……何してるのさ、みんなして」

 

 ぎゃいぎゃいと、戦いのすぐ後とは思えないくらい賑やかな時間がやってくる。生と死の綱引きから解放されたカズマたちに釣られ、オーマジオウも難しく考えることはやめていつも通りに戻った自分たちの時間に身を委ねることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『逕溘″縺溘>繧薙□!』

 

(……なに?)

 

 何かが聞こえた気がして、シルビアは目を開いた。

 ここがどこだかは分からない。目を開いているのか閉じているのか、それすらも分からないのだから。無限のような闇の中でぽつりと自分の意識だけが浮かんでいる、そんな気分だった。

 

(私、は、死んだはず……)

 

 ゆっくりと記憶を探ることで自分の最期を思い出したシルビアは、状況認識のために辺りを確認しようとするが、首の感覚も、それどころか手や足の感覚も、声を出す箇所さえ見当たらない。それでもわかる。ここには涙を流してくれた部下たちも、自分の命を終わらせたあのバケモノも存在しない、と。夢か現か、安心と不安の狭間でシルビアはただぼうっと虚空を見つめることしか出来なかった。

 死後は三途の川を渡るなんていう迷信を聞いたことがある。耳にし始めたのは最近だったが、人間の間での神への信仰というものか、自分には関係ない話だと思っていたがその通り。川どころか砂利のひとつもありはしない。死後の世界なんて信じていなかったが、不信心者は虚無へと送られる決まりがあるのかと半ば冗談めいた気持ちを萌芽させる。

 

『縺昴s縺ェ縺ォ陦?縺悟?縺ヲ逞帙>縺?繧? 逞帙>縺ッ縺壹□! 諤昴>蜃コ縺? 縺ゅs縺溘?縺溘□縺ョ豁サ菴薙↑繧薙°縺倥c縺ェ縺?』

 

(……なに?)

 

 また、聴こえた。何を話しているのかは分からないが、悲痛さが伝わってくる声だった。

 

『縺雁燕縺御ソコ繧呈ョコ縺吶▲縺ヲ縺?≧縺ェ繧峨?∽ソコ縺ッ縺雁燕縺ィ謌ヲ縺?h縲 縺?縺」縺ヲ菫コ縺ッ縲∫函縺阪◆縺?°繧? 縺雁燕縺ィ! 縺雁燕縺ィ荳?邱偵↓!』

 

 男の声だ。年老いたものではない。若い男の声。何かを訴えかけるような理解不能の言語が聴こえる。いや、頭に流れ込んでくる。

 

(……わかる。これは、記憶。私じゃない誰かの記憶)

 

『謗「縺タヨ……。縺雁燕縺tihiロダナ?』

『縺昴>縺、縺ッ縺?繧√□繧。!』

『縺。縺イ繧。駆除しちャ縺?¢縺ェ縺やつ』

『縺企。倥>だkaraおレに縺輔o繧九↑!』

 

 ぐるぐると頭の中を回り始める言葉。嬉しいも、悲しいも、怖いも、辛いも、怒りも。言葉と共に、それにまつわる感情を一つ一つ理解していく。

 

『菫コ繧偵い繝槭だ繝ウnankあと一緒にするな!』

『やっぱり、ただの縺イ縺ィ縺上>だ……』

『縺翫l縺溘■はまだ何も始繧√※ない!』

『逃げろ、千翼ォ!』

『何で俺たちは生きてちゃダメなんだ!』

『俺が送ってやる。母さんの元へ』

『千の翼。七羽さんが付けたんです』

『俺は最後まで生きるよ!』

 

 この世の理不尽に対する怒り。ちっぽけな幸せすら許されない絶望。産まれてきたことが消えない罪で、殺されることが贖罪だと理解した上で、その全てに抗って生きようとする意志の力。苦しみの果てにただ愛されたいと、生きたいと願うだけの心の力に触れたシルビアは、自分の中に確かに芽生えた気持ちを吐き出した。

 

(……こんな所で、終わりたくない)

 

 まだ何も成していない。生きることを諦めたくない。こんな所で死にたくない。何も残さないまま忘れ去られ、忘却の中で二度目の死を迎えるなんて想像するだけで耐えられない。死の間際に、無理だ無駄だと放棄した感情が嵐のように激しくシルビアを揺さぶる。

 これは渇望。美しい自分を愛してほしいという渇望。究極のグロウキメラとして君臨したいという渇望。研究成果によって並び立つ者などいない研究者の頂点に立ちたいという渇望。

 

 これは純粋な、幸福への渇望。そして生への渇望。

 

(私はまだ――

 

 

 

 その望みに、歴史は応える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

«AMAZON NEO ORIGIN»

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――マダ、イキテイタイィィィィィィィイイイ!!!!!!!!」』

 

 再度紅魔の里に顕現した異形は、成れの果てと言うには異質な、泥のような何かだった。



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この伝説の幕引きに爆焔を!

 再度紅魔の里に顕現したシルビアは、成れの果てと言うには異質な、泥のような何かだった。

 

イノチヲォ、マリョクヲォ、クワセロォォォオオオオオ!!!

 

「な、なんだアレは……!」

 

 ダクネスの疑問に答えられる者は誰もいない。そもそも、それがシルビアだという確証が薄いのだ。人の形などはもちろんしているはずもなく、例えるならば排水路から掬いあげた一塊の沈殿物に青を一滴混ぜたような、そんな形状をしていた。あらゆるモノを喰らい作り上げていた元の面影など欠けらも無いが、直感というか、当然のようにそれがシルビアだということはわかるものの理由を問われれば言葉に詰まる、そんな風体である。しかし、少しずつ膨れ上がっていくそれは束の間の勝利に気を抜いていた一同を一瞬で現実へと引き戻す存在であることは確かだった。

 

「は、走れお前らぁぁぁあ!!!」

 

 カズマが叫ぶのとほぼ同時にスタートダッシュを切る六人。泥の塊は転がっていたモンスターたちの死骸だけでなく家屋や木々を無差別に取り込み、その膨張は留まることを知らない。肥大化と言うべきか成長と言うべきか、空腹に身を任せあらゆる物を食い尽くしながらじわじわと迫ってくる未知の脅威に、ゆんゆんの目尻にはじんわりと涙が滲んでいた。

 

「何なんですかあれー!?」

 

「知りませんよ! 無駄口を叩いている余力があるならもっと真剣に走るのです!」

 

「あんなもの、もうグロウキメラでもなんでもないぞ!」

 

「シルビアは倒したわよね!? ライドウォッチも回収したのにどうしてこんな目に遭うの!? なんとかしてよカズマさぁん!!」

 

「あんなの俺が何とかできる範囲をとっくに越えてるっつーの! どう考えたってソウゴに丸投げ案件だろ!」

 

「そのソウゴくんはどこに行ったの!? いつの間にかいなくなってるんだけど!?」

 

「知らねーよ! とにかく今は死なないように走れ! 生命力と魔力に溢れたお前らが見つかったら確実に喰われるぞ!」

 

 どこを向いているのか分からないが、追いかけてこないところを見るにダクネスやアクアなどの存在に気づいているわけではないらしい。魔法という手札が切れない今のパーティーではマトモな対抗策など思いつくわけもなく、むしろ餌に丁度いい人間ばかりでただ逃げるしかないカズマたちにとっては不幸中の幸いだった。

 目に染みるほどのアンモニア系の腐敗臭と吐瀉物のような()い臭いが混ざりあった、生ゴミよりもずっと鼻につく悪臭を撒き散らす下水のヘドロよりも濁ったそれは、どこにあるのかわからない口から延々と、誰に向けたものでもない聞くに絶えない雑音を垂れ流す。

 

シニタクナイ……! ワタシハマダ、ナニモナシテイナイ……。ナニモ、ノコシテイナイ……!

 

 煮え滾るコールタールじみた黒色(こくしょく)に照らつく流動体から絞り出される絶叫は、色彩を失った夜によく響く。乱雑に鼓膜を叩く喧しさについ耳を塞ごうとも、骨を震わせるその嘆きを拒絶することはできない。脳を直接揺らしてくる騒音は、臭いも相まって吐き気を催す程に酷いものだった。

 

コンナトコロデ、シンデナルモノカ……! ココカラハジマルノヨ! ワタシノ、カガヤカシイジンセイガ……! ダレカラモアイサレ、ソンケイサレル、ソンナ、キボウニミチタ、スバラシイミライガァァア!!

 

 公害に命を与えたらこうなるのだろう。復活したシルビアは、自我が朧気なのかけたたましい独り言を喚きながら自分の身を振るって汚泥を撒き散らす。その泥が付着した木々はどういう理屈か自らの意思で大地から根を引きずり出すと、樹皮に獣の顔の様なコブを作り出して動き始める。のそりのそりと徘徊するそれがキメラアマゾンないしそれに近しい何かなのだとわかれば、蠢きだしたそれらの危険度も自ずとわかるというもの。野菜も攻撃してくるこの世界で無害な樹木でさえアマゾン化させてしまえる理不尽さと不条理さに、文句の一つだって言いたくなるのは仕方の無いことだろう。

 

「次から次に……! こんな所にトレントの群れだと!?」

 

「違うよダクネス! きっとアレもアマゾンだよ!」

 

「では、あの泥のようなものがようげんなんちゃらというものですか!? 普通の木まで『あまぞん』にするなんて!」

 

「あの泥にちょっとでも当たったらアウトってわけかよ……! ゆんゆん! 魔法はまだ使えないか!?」

 

「すみません! やってはいるんですけど、発動しなくて……!」

 

「クソッ……! アナザーライダーって奴らはどいつもこいつも! 追い詰められたら全体攻撃仕掛けてくるんじゃねぇーー!」

 

「浄化魔法さえ使えればあんなの一瞬でやっつけられるのに! だから()()なのよ、仮面ライダーって奴らはぁーーー!!!」

 

……()()()

 

 しかし、その文句の一つにこれほど後悔したことはなかっただろう。

 アクアの言葉に反応したシルビアもどきは、ピタリと動くのを止める。それに合わせて泥の雨は止み、アマゾンもどきたちの動きも止まった。ギチギチと捻じ切れるのではないかと思うほど体を捻る泥の塊は、背を向けるこちらを視界の中心に捕らえたのか捻れたまま静止する。明かりもなく彩度の落ちたこの真夜中だ。見失ってくれと祈るも、幸運の女神はそこまで先輩女神の幸運値に逆らえないらしい。

 

ドウシテワタシヲアイシテクレナイノォォォオオオ!!!

 

「「「「「「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!!!」」」」」」

 

 捻れたままの体から六つの突起物が飛び出すと、それはぐにゃりと折れて地面に突き刺さる。よく見ればそれが三組の腕であることが分かるのだが、いかんせん振り返る余裕など今のカズマ達にはなかった。感情が引き出されるにつれて魂が器に馴染んでいくのか、体を変化させるシルビアはドタドタと土煙を上げ、木々を薙ぎ倒し、六本の腕を器用に使って移動を始める。顔もどこにあるのかわからない塊が腕だけで追いかけてくる姿は、夢に出てきそうなほどの不気味さだった。

 

ワタシハ、イキル……! オマエタチノォ……イノチヲォ……ヨコセエェェエエ!!!

 

 咆哮と共に体から無数の触手が伸び出ると、それは矢のようにカズマたちを追い立てる。狙いは随分と大雑把だが、無駄な破壊を行わない精密な触手の刺突は地面や木々に綺麗な真円の風穴を次々と空けていった。一突きでも喰らえばお終いだというのに泥の散布も再開され、加えて木のアマゾンもどきも狙いをカズマたちに絞りわらわらと向かってくる。出来の悪いB級ゾンビ映画を鼻で笑っていた日本時代を悔いるカズマは、この更なるピンチを招いた女神に怒りを向けることで精神の安定を図ろうとしていた。

 

「お前が余計なこと言うからだぞポンコツ女神!」

 

「悪かったわよ! でもそんなに怒んないでよ! やっちゃったことは仕方ないじゃない!」

 

「二人ともやめないか! 今はケンカをしている場合ではないだろう!?」

 

「そ、そうですよ! まずはこの状況を切り抜ける打開策を……!」

 

「カズマの小狡い知恵でなんとかしてください!」

 

「よし、なら追っ手を分散させるために分かれて逃げよう! アクアは右、アクア以外は左だ!」

 

「ちょっ!? どうして私だけ一人ぼっちで逃げなきゃいけないわけ!? 私がアンデッドを引き寄せる体質なの知ってるでしょ!? アレどう見たってアンデッドよね!?」

 

「魔法のついでにその辺も無効化されてるかもしれないだろ!?」

 

「されてないわよ! 世界が昼間くらいに見えてるもの! 体質に変化はないの! 私にはわかる。二手に分かれたら私一人だけが酷い目に遭うのよ! いつもの事よ!」

 

「まだわかんねーだろ! こっちには魔力たっぷりなめぐみんと生命力溢れるダクネスがいる。もしかしたらお前を追いかけずに一人生き延びるかもだぞ!」

 

「絶対思ってないわよね!? 嫌だからね! 私、カズマにしがみついてでも皆についてくからね!」

 

「寂しがり屋か! そもそもお前の言葉に反応して追ってきてるんだから、お前が犠牲になれば万事解決するんだよ!」

 

「カズマくん、それはさすがに言い過ぎなんじゃ……」

 

「ほ、本気じゃないわよね……? 私たち仲間よね!? 楽しい時も苦しい時も一緒でしょ!?」

 

「仲間のことを思うなら体を張るくらいはしてくれてもいいだろ!? どうせ前の職場に顔出しに行くだけなんだし、ソウゴに時間を戻してもらえばすぐ帰って来れるって!」

 

「あんた、前に倫理観がどうとか言ってたの忘れたの!? あと私まだ辞めてないからね!」

 

「遊ぶのは後にしろと言っただろう! 本当に追いつかれてしまうぞ!」

 

ワタシハ、イキル……!

 

 六本の腕をスプリングのようにして、シルビアは空を舞う。その巨体からは想像もつかない跳躍力でカズマたちの頭上を軽く飛び越えたシルビアは、里の建造物を踏み荒らしながら彼らの進路に立ち塞がった。粘膜のような粘り気のあるものがボタボタと体表から流れ落ちる青黒い物体に、生命らしさは一切感じられない。全ての腕でしっかりと大地に爪を立てる獣は、ようやく在り処のわかった口を大きく開けて咆哮した。

 

 

ワタシハ……シアワセニナルノォォォオオオ!!!

 

 

 ビリビリと空気を震わせる叫びは、幸せからは縁遠い不気味な姿への恐怖で冒険者たちの足をその場に縫いつけてしまう。迫力や気迫なんて単語では形容しきれない悲鳴にも似た叫声には、死してなおも生に縋りつく魂の凄みがあった。

 しかし、いつまでも立ち竦んではいられない。カズマは気合いで己を奮い立たせ逃げ道を探すため視線を這わせるが、前はシルビア、後ろはアマゾンもどきが近づいてきている挟み撃ちという絶望的な現実を再認識しただけだった。完全に詰みという状況を打開するため脳をフル回転させるカズマの前で剣を抜いたダクネスは、両手で柄を握りしめるとシルビアの前に躍り出た。

 

「私が囮になる。お前たちは行け。散り散りに逃げれば誰かは助かるはずだ」

 

「無茶ですよダクネスさん!」

 

「そうです! いくらダクネスと言えど、あんなのと戦うなんて無理です!」

 

「無茶でも無理でもやるしかないだろうッ!」

 

 ダクネスの一喝に、誰もが口を噤んでしまう。険しい表情をしていた彼女だが、怯んだ仲間たちの顔を見るとふっと優しい笑みを浮かべる。まるで最期の顔を取り繕っているように思えて、カズマはギュッと拳を握った。

 

「騎士である私の役目はお前たち仲間を守ることだ。それに状態異常耐性だってある。なに、少しは時間を作ってみせるさ」

 

「だからって、ダクネス一人を犠牲にできるわけないよ!」

 

「ねえカズマ、何とかならないの!? 皆で逃げる方法考えてよ!」

 

「今考えてる!」

 

「私のことは気にせず早く行け! 時間が無いんだ!」

 

 迫る敵に、望みを託す仲間たちの視線という板挟み。いくら頭を回しても、この状況を無事に乗り切る方法なんて皆目見当すらつかない。せいぜい予見できるのは、ダクネスにこの場を任せたとしても打撃が効くのかどうかすらわからないあのボディに飲み込まれ、足止めどころか小腹を満たすだけだということくらいだ。

 

(考えろ、考えろ……! 触れたら消化かアマゾン化だ、近接戦はありえない。有効そうなのは魔法だけど、『魔術師殺し』の力が残っていたら無駄な抵抗だし紅魔族に助けを求めに行く時間も隙もない。そもそもゆんゆんとアクアは魔法が使えないし、めぐみんの爆裂魔法もゆんゆんからストップがかかってる上に、使えたとしてもあの巨体相手にどれくらい通用するか怪しい、って……!)

 

「こんなの、人間が相手にしていい敵じゃないだろ……!」

 

 弾き出された答えは、詰みの一言である。熟練の冒険者でも手に余るような怪物に駆け出しポンコツパーティーが挑もうと言うのがそもそもの間違いなのだ。考えるほど手詰まりであることを思い知らされ、諦めがじわじわと心を支配してくる。だが悲観してばかりいても現状が好転するわけでもない。一か八か、苦し紛れに賭けるならここしかないとカズマは判断を下した。

 

「……めぐみん! 爆裂魔法を頼めるか!?」

 

「ば、爆裂魔法ですか!? 奴の中にはまだ『魔術師殺し』の力が残っているかもしれません! それに、飛び散ってきた破片の処理と動けなくなった私を運ぶことを考えればリスクが……」

 

「逃げる隙さえ作れればいい! あとは俺たちで何とかする!」

 

「っ……わかりました!」

 

「よし、ダクネス!」

 

「わかっている! 後のことは任せろ!」

 

 急かされためぐみんは、不安げだった眉をキリッと逆立て詠唱を始めた。幾つもの魔法陣がシルビアを中心に展開され、人類最大の攻撃魔法を呼び出すための準備が整っていく。高められた魔力が陣を赤く彩り、肺を焼くほどの熱を発し、敵を葬る力の残照は光の礫となって色彩を失った世界を照らす。この世の理を覆さんとする反逆の狼煙を掲げ、絶望を撃ち破るための魔法が目を開く。

 

「全員伏せろーーッ!」

 

 

 

「〈エクスプロージョン〉!!!」

 

 

 

 莫大な光と炎がシルビアを飲み込む。それは一瞬の出来事。爆炎が地を焦がし、大気を燃やし、爆風が全てを吹き飛ばす。超至近距離にいるカズマたちも例外なくその脅威に晒されるが、煽られて後方彼方へと転がるアマゾンもどきと同末路を辿らぬよう地面に爪を立てて必死にその場に留まっていた。やがて風と熱は収束していき、砂煙だけが取り残される。数秒か、数分か、短いようで長い時間を辛抱して嵐の収まったことを肌で感じたカズマは、ゆっくりと目を開けて周りを確認した。

 

「全員、生きてるか……?」

 

「し、死ぬかと思ったけどね……」

 

 掘り起こされた岩盤や引き千切れた木々が辺りに散乱しているが、クリスが答えたように負傷者は見られない。この威力の破壊だ、直撃したシルビアも当然無事ではないだろう。逃げる時間を確保できたと確信し、少し気も楽になる。息も絶え絶えだが怪我もしていない丈夫な仲間たちの無事な様子を見てほっとするカズマの隣でこんもりと出来上がった砂山から顔を出したアクアは、口に入った砂をぺっぺっと吐き出しながら頭を振って顔に付いた砂を払い落とした。

 

「う~……。口の中がじゃりじゃりするんですけど……」

 

「遊んでないでさっさと出てこい。とっととここから離れるぞ」

 

「遊んでないわよ! ていうか、見てわからない? 埋もれちゃって出られないから早く助けて、、ほ、しい……」

 

「ん? どうしたんだよ?」

 

 アクアの視線がカズマの向こう側にある砂埃に釘付けになると、自慢の水色の髪のように顔が青ざめていく。血の気が引いていくとはこのことだろう、引きつった笑いも一緒に浮かべている。それで全てを察しながらも信じたくない気持ちを抱え、カズマはアクアの視線の先である背後へとゆっくり首を回した。

 

ア……ァアァ…………

 

 立ち上る土煙。その奥から感じる圧迫感はスキルによって感知したものでは無い。悪夢だってもう少しマシだろうと、カズマは煙から何度も何度も現れるその怪物に不満をぶつけたくて仕方がなかった。

 

ツヨ、イマ、リョク……。イノチ……ホシイ……!

 

 体の大部分が弾け飛び電極を刺したカエルのように痙攣しているが、そこにシルビアは健在だった。失った体積もゆっくりとだが補修され元の形へと戻っていく。神経が上手く再生できないのかおよそ生命の動きには見えないが、それもつかの間。生き物としての秩序を無視する怪物の蠢きに全員が愕然としているうちに完全に元の泥の塊に戻ったシルビアは、腹でも減ったのかダラダラと滝のように唾液に似た溶解液を垂れ流しながら大きな口と思しき穴を開いた。

 

「そんな……!」

 

「私の、爆裂魔法が……」

 

「効いていない……だと……!?」

 

「どうしようカズマさん! とってもピンチなんですけど! 今までで一番のピンチなんですけど!?」

 

 ほんのちょっとだって油断してはならなかったのだ。相手は自分たちの常識の枠を超えた、怪物と化物の融合体なのだから。そういう後悔が脳裏を過ぎる頃には、もう何もかもが手遅れだった。

 

イノチヲク、ラッテ、ワタ、シワイキル……!

 

(あ、終わった)

 

 本能のままに六人へと接近したシルビアは、上から覆い被さるように口を大きく開いた。ご馳走にクローシュを被せるように、絶対に逃がすつもりのないと激しく主張する大口の中は夜の闇よりもずっと暗い。引き込まれればもう二度と陽の光を拝むことはできないだろう。

 手札は使い切った。対抗出来る力はもう何も残されていない。できる限りの最大限をしたが、この闇を裂く力をカズマたちは持ち合わせていないのだ。隣でアクアが泣き喚いているが、それも遠くのことのように聞こえる。ここまでだと諦めたカズマは、死を覚悟してグッと目を瞑った。

 

ワタシハイキルノォォォオオオ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体が溶けるところを見たくなくて必死に目を瞑っていたが、痛みは一向にやってこない。しかし、人の脳というのは非常に騙されやすいことを知っているカズマは今まさに腕が、足が、ボロボロと溶けているのではないかと疑心暗鬼になっていた。寒過ぎれば暑く感じ、熱過ぎれば冷たく感じるのが防御反応。認識さえしなければ痛みを感じずに楽に死ねるのではないかと考えていたが、どうやら様子がおかしいということを頬を撫でる風で感じ取る。腐臭も何も感じないことを不思議に思い恐る恐る目を開くと、そこは溶解液溢れる脱出不可能なシルビアの胃の中……などではなく、随分と静かな丘の上だった。

 

「ここは……? 天界じゃない、よな……?」

 

「魔神の丘だよ。昼間来たじゃん」

 

 呟きに対して返事がやって来る。慌てて振り向いた先にいたのは、表情こそ隠れてわからないが、いつも通りへらへらとした笑みを浮かべていそうなオーマジオウだった。周りには気を失って転がっているアクアや自分の四肢の感触を確かめているクリス、少し残念そうな表情を見せるダクネスなどがいて、少し離れたところには多くの紅魔族が何を思っているのかシルビアに蹂躙される里を眺めている。里の中にいると気づかなかったが、里はもう手遅れなほど火の手が回っており、その元凶であるシルビアはきっといなくなった餌を探しているのだろう、半壊していた建物を払い除けて狂ったように叫び声を上げていた。そこでようやく自分たちが捕食される寸前に助けられたのだと気づいたカズマは、恐怖と緊張から解放された安堵でその場にへなへなとへたりこんだ。

 

「い、生きてる……」

 

「助けるのギリギリになってごめんね。里の人たちを避難させてたら時間かかっちゃって」

 

「引きとかではなく?」

 

「それやったら怒るでしょ?」

 

「うん」

 

 たはは、と頭を搔くオーマジオウ。逼迫した空気でもこの男の場違いな笑いに安心感があるのは、これまで積み重ねてきた実績と信頼の成せるものなのだろう。未だに緊張感を維持している仲間たちは気を失っているアクアを涙ぐみながら必死に蘇生しようとしているが、そんな情景すらも日常の一ページに見えてしまう。兎にも角にも、これであの化け物とおさらばできると憂鬱を溜息に変えて吐き出したカズマだったが、そこで一つの疑問を思い浮かべる。

 

「そういやさ、何で近くにいた俺たちを後回しにして紅魔族の避難を優先したんだ?」

 

「……あ~、それ。それはね、えっと、紅魔族の人たちって今は魔法使えないでしょ? だからだよ」

 

「それなら俺たちも同じだぞ。むしろ狙われる条件の方が多いくらいで……」

 

 そこまで言って、カズマは気づく。未来を覗けるオーマジオウが、その程度の事に気づかないなんてことがあるのか、と。場当たり的な天然でその場を乗り切ることもあるが、基本的に常磐ソウゴという男は思慮深く、未来予知などなくとも相手の一手二手先を読む観察眼と自分の思うように場をコントロールする聡慧さを持っているとカズマは評価している。そのソウゴが、あれだけ喚いていたシルビアの言葉を聞き漏らすだろうか。そんな疑問から導かれる可能性は一つ。

 

「……お前、俺たちを囮に使っただろ」

 

「……さ、休憩も済んだろうしシルビアを倒す作戦でも「おいコラ話を逸らすな」

 

 聞こえなかったことにしたオーマジオウに食い下がるカズマ。アクアへの発言を棚に上げている自覚はあるが、今ここで重要なのは実行したのか、それともしていないのかという一点である。カズマからの非難の視線を浴びて観念したのか、オーマジオウは少し肩を竦めると悪いと思っているのかへらへらとした態度で釈明した。

 

「カズマたちの方が大丈夫な気がして」

 

「その信頼は俺たちの首の皮一枚ずつでギリギリ繋がってるってこと忘れんなよ」

 

「そうそう切れることないから安心だね」

 

 などと宣う魔王様に拳の一つでもお見舞いしてやりたいところではあるが、大人なカズマはそこをぐっと堪えた。残念なことに、こんな脱線話への怒りよりも優先するべきことが目の前にはあるのだから。

 ブツブツと未だに独り言を吐き続け、無秩序に紅魔の里を荒し回っているシルビア。腹が減っているのか本能に従って暴れるその姿からは、過去にあった気高さや知性はちっとも感じられない。カズマとしても数日滞在した仲間の故郷が自分が遠因で焼け野原になる様を見るのは心苦しく、まずは手の付けられなくなったアレを何とかしなければおちおち寝転がってもいられないと、いつもへらへらと脳天気な王様へ溜息混じりの言葉を投げた。

 

「お前にはアクセルに帰ったらすんごい仕返しをしてやるとして、まずはシルビアだ。早く倒してきてくれよ、いつもみたいにドカーンと。きっと紅魔族も、初めてお前のその姿を見た時のめぐみんくらい喜ぶぞ」

 

「あー、そのことなんだけどね。俺じゃ今のシルビアは倒せないんだ」

 

「……へ? 倒せない? 倒さないじゃなくて?」

 

「うん。まあ、事情がややこしくてさ」

 

「ややこしい……?」

 

 引っ掛かりを見せるカズマに向けて、オーマジオウはライドウォッチを雑に放り投げた。

 条件反射で出した両手の中にすっぽりと収まったそれは、青をベースに銀のウェイクベゼルが嵌め込まれたウォッチ。もちろんスリープ状態のため、ライダーズクレストと存在していた年代を示す〈2017〉というアラビア数字が顕となっていた。おもちゃのような見た目に反してずっしりとした妙な重さがあり、これがあの理不尽そのもののような力を与える歴史が詰まった物なのかとカズマは独りごちる。実際手に持って見るのは初めてのカズマは、今自分たちを苦しめるアマゾンネオの歴史の結晶というものを珍しげに眺めていた。

 その様子を見下ろしていたオーマジオウは、カズマの観察が終わったことを見計らって口を開いた。

 

「アナザーライダーから派生した今のシルb「待て待て待て」……どうしたの?」

 

 鉄仮面からは想像もできないような、きょとんとした声。その仕草は物々しい鎧姿に似つかわしくない常磐ソウゴらしい仕草なのだが、そのいつもらしさにカズマは眉間を揉みほぐし待ったをかける。

 

「どうしたの? じゃねぇよ。突然語り始めるな。その話ってややこしいんだろ?」

 

「うん。それなりに」

 

「そうか……。よし! 全員集合!」

 

 

   ⏱⏲「いつまで寝てるんだよアクア。お前の分のシュワシュワなくなるぞ」「シュワシュワ!?」『…………』⏲⏱

 

 

 全員集まれば文殊の知恵、ということではない。一人で抱え込むキャパシティを超えそうだなという予測の元、情報共有という名目で全員を巻き込んでおこうという腹積もりである。もう涙も何も無い仲間たちが仲良く体育座りをして話を聞く姿勢になったのを見たカズマは、よし、と満足気に頷いた。

 

「君たちが静かになるまで、二分かかりました」

 

「カズマ先生。私のシュワシュワは?」

 

「それはこの戦いが終わったら報酬でたらふく飲めるぞ。そのために、今からソウゴがあのシルビアを倒すために必要なややこしい話をする。もしかしたら今後に関わるかもなので、ちゃんと聞いておくように」

 

「はーい」

 

「カズマ。それはまた歴史がどうのという話か? 私にはついていける自信が無いのだが……」

 

「俺もついていける自信ないから安心してくれ」

 

 手を挙げて行儀よく発言するノリのいい彼女たちを横に置き、カズマはオーマジオウへと視線を振る。とてもやりづらそうに咳払いをしたオーマジオウは、その硬い鎧に必要があるのかわからないが襟を正して語り始めた。

 

「じゃあまず初めに。アナザーライダーっていうのは、正規の資格を持っていない者がライドウォッチを使って自分の中に無理矢理ライダーの力を注入することで生まれる怪物であり、歪められた歴史が顕在化したもの。時間は世界に同時に二つ存在できないからアナザーライダーが存在することで元の仮面ライダーの歴史は書き換えられてしまい、その世界ではそれが正しい歴史という認識になってしまう。ここまではいい?」

 

「すみません。何一つわからないんですけど……」

 

「よくはないが続けてくれ」

 

「今の確認何だったんですか!?」

 

「細かいことはいいんですよ。続きをお願いします」

 

 控えめに手を挙げたゆんゆんを見なかったことにして、カズマとめぐみんは話を促した。正しいとか歪んでいるとか、スタートダッシュで躓いたような気がするが気にしない。そもそも、早々に大きな欠伸をする欠陥女神や既に思考を放棄している脳筋クルセイダーがいる時点でそこまで話を深堀りするつもりは無いのだ。緊急時につきふわっと概要だけでもわかればいいだろうと判断したカズマたちを見て、オーマジオウは戸惑うゆんゆんを気にかけずこくりと頷いた。

 

「アナザーライダーの歪んだ歴史を正すには、その歴史が間違っていることを証明して正しい歴史に修正する必要がある。それができるのは同じライダーの力か、このオーマジオウみたいな時空の管理者、他にはその歴史の先にある未来の力だけなんだ。だから俺はアナザーアマゾンネオを倒せたし、この世界から歪められたアマゾンネオの歴史を消去してライドウォッチを抜き出すことができた。アナザーウォッチなら壊せるけど、正しい歴史はディケイド……門矢士じゃないと壊せないからね」

 

「なるほど、その抜き出した歴史を形にしたのがライドウォッチってわけだね。……って、ちょっと待ってよ。ならどうして今のシルビアが溶原性細胞をばら撒けるのさ。あれって確か、アマゾンネオってライダーの歴史の一部なんだよね?」

 

「その通り。いい質問だよクリス。それが、俺が倒せない理由だよ。今のシルビアはアナザーアマゾンネオじゃないんだ」

 

「……? いや、益々意味がわからないんだけど。アマゾンネオじゃないのにアマゾンネオの歴史の力を使えるの?」

 

「そうだよ」

 

「???」

 

 まるで言葉遊びのような問答に眉をひそめるクリス。矛盾が大手を振って歩いているような話をされているわけなのだが、当のオーマジオウはふざけている風には見えず、至って真剣かつ真面目という印象だった。そのことがよりカズマたちを混乱させるのだが、そんな彼らの困惑を振り切るように続ける。

 

「シルビアとアマゾンネオの歴史は相性が良過ぎた。シルビアはこの世界でアマゾンネオの歴史の()()、本来の歴史に存在しないはずの第七のアマゾンを生み出してしまう程にね。その影響でシルビアと消えかけたアマゾンネオの歴史が混線して、この世界に新しい“ライダーだけどライダーじゃない歴史”を作り出してしまったんだ。それが今のシルビアってわけ。歴史が変わって、今日からシルビアが事実上の“仮面ライダーアマゾンネオ”になった。だからアナザー、じゃないね。語感を合わせるならアルターライダーってところかな?」

 

「それは、先程言っていた歪められた歴史とは違うのですか?」

 

「うん。下地は歪んでいるけど、シルビアが生み出した歴史の続きはあくまでもこの世界で紡がれたアマゾンネオの物語の続き。それもまた正史と言えるから、俺にはこの唯一無二のアマゾンネオの歴史の続きに干渉できない。例えアナザーライダーが異世界で紡いだ歴史だったとしてもね。俺は歴史を維持する役割があるから、時空を作り変えて排除もできないし」

 

「じゃああのシルビアはどうするの!? まさか、ソウゴくんが永遠に時を止め続けるしか対策がないなんて言うんじゃ……」

 

「そんな事言わないよ。アルターシルビアを倒す方法ならある。アマゾンネオの歴史の続きが唯一無二の歴史だったとしても、シルビア本人は違う。この世界の力で他の世界の異物が混ざったシルビアの歴史を修正すればアルターシルビアを倒すことが出来るはずだよ。俺はこの世界の住人じゃないから、それができないってだけ」

 

「この世界の力って……」

 

 クリスは言葉を失った。オーマジオウの言いたいことはわかる。アクアの〈浄化魔法〉を筆頭とする魔法、その他勇者候補達の持つチート能力なんかの〈仮面ライダーがいるはずの無いこの世界〉由来の力で倒せということだろう。アナザーライダーを倒してきた今までとは逆の発想である。しかしその理屈には大きな欠陥と、越えられない無理難題が待ち構えているのだ。無茶を言っている自覚がないのか平然としているオーマジオウとは対照的に、閉口していたクリスたちの中でアクアが抗議の声を上げた。

 

「そんなの無理よ! あんたたち仮面ライダーの中じゃ強敵ってのはパワーアップのための中ボスくらいのポジションでしょうけど、こっちの世界じゃそうはいかないの! 〈転生者(チート持ち)〉を幾人も返り討ちにしてきた魔王軍幹部が仮面ライダーの力で余計に強くなってるのに、今更並のチート能力が通用するわけないじゃない!」

 

「そうかな。俺は無理だと思わないけど。……カズマは何か思いついたんじゃない?」

 

 そう言って、オーマジオウは考え込んでいたカズマを見る。まるで仮面の下の表情がわかってしまう、見透かしたような一言。全員の視線を一斉に受けたカズマには少しの迷いがあったのだが、それでもなんというか、さっきまで強ばっていた仲間たちの顔が期待で少しだけ緩んだような気がして。伺うようにチラッとゆんゆんに視線を送ると、彼女は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに意図を察したのだろう、とても優しげで柔らかな表情を見せた。ゆんゆんの笑みに腹を括ったカズマは、「しょうがねぇな……」と呟くと強い眼差しで言い切った。

 

「いるだろ、ここに一人。並のチート能力なんて凌駕する、人類最大威力の攻撃魔法が使えるアークウィザードがさ」

 

 ここで自分の名前が上がるとは思っていなかっためぐみんは、突然の指名にきょとんと惚けた顔で言葉を漏らした。

 

「私、ですか……?」

 

「お前以外に誰がいるんだよ。爆裂魔法でダメージが与えられることはさっきの一発でわかってるんだ。再生に時間がかかってたみたいだし、やるならこれしかない」

 

「で、ですが、私の力ではシルビアを倒せるほどの威力は……」

 

 いつもの強気な態度はどこへやら、尻すぼみになっていくめぐみんの言葉。自分で言っていて悔しくなったのだろう、俯いて唇を噛む彼女はギュッと杖を強く握りしめる。しかし、そんなことはお構い無しにズカズカとめぐみんの前へと歩み出たカズマは、ぽんと頭に手を置いて帽子ごとガシガシと乱暴に髪を荒らした。

 

「誰がお前一人でなんて言ったんだよ。これまでだって、全部()()()で何とかしてきただろ?」

 

「っ……!」

 

「これからだってそうだよ。安心しろって。俺には、あのシルビアを倒すための策がある」

 

 不敵に笑ったカズマは、とびきりのサムズアップをしてみせた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

スベテ、ヲササゲタ……。チノニジ、ムヨウナド、リョクヲシテ、ワカサヲス、ベテギ、セイニシテ、ヒトナミノ、シアワ、セヲナゲウッテケン、キュウニハ、ゲンダ……。ナノニ、ドウシテ……。ドウシ、テミトメ、テクレナ、イノ……? ド、ウシテアイ、シテ、クレナイ、ノ……!?

 

 うわ言のようにボソボソと呟くシルビアは、獲物探しを諦めたのか自分の生みだした木のアマゾンたちを溶かしながら腹に収めていた。触手で絡め取ったアマゾンを、焚き火に薪をくべるような感覚でポイポイと自分の体へ無造作に投げ込んでいく姿は、生き物とは何かが決定的に違う。命への冒涜、生きることへの侮辱を感じさせる醜悪さがあった。

 

「それはね、死者の物語に続きはいらないからだよ。シルビア」

 

 凛とした声が、静かに蹂躙される里に響く。肥大化しながら自給自足を行う生き物もどきの前に立ち塞がったオーマジオウは、腕を軽く振るうことでアルターシルビアの燃料を一瞬にして全て黒い塵へと変えてしまった。

 

「その醜さは君が望んだもの? なんか違う気がするけどね」

 

 アルターシルビアの動きが止まる。それは口寂しさや驚嘆と言ったものではなく、新しい興味へと移ろいだからだ。そうは見えないが、きっとこのヘドロじみた体には目や耳などの感覚器官も埋もれているのだろう。こちらをじっと射抜く視線を感じ、オーマジオウはそう確信する。もぞもぞと体から触手を這わせるアルターシルビアは、自らやってきた極上の獲物を前にだらだらとヨダレを流し始めた。

 

イノ、チ……ツヨ、イイノチ……!

 

「蘇る為に命を欲する怪物、か。最期まで生きる為に戦ったアマゾンネオの歴史にこれ以上蛇足を書き加えるのはやめてもらいたいんだけど、言うだけ無駄かな」

 

イノチヲヨ、コセェェェエエエ!!!

 

「……言葉まで忘れちゃったみたいだね。(たが)の外れた歴史の暴走。やっぱり、受け止めきれる器じゃなかったか」

 

 暗闇の中、神速で襲い来る触手を最小の動きで回避するオーマジオウは、それを手刀で切り落として様子を伺う。痛みを感じないのか攻撃の手は緩まず、切り離された触手は地べたで蛆のようにくねくねと暴れるだけだった。そのあと干からびて朽ちるところは溶原性細胞の感染者の特徴ではあるが、こういう手合いにありがちな元の体に戻ったりだとか、そこから分身が生まれるだとかの面倒なことは起こらないらしい。触手自体は体積を減らすことも無く無限に湧き出てくるのか、いくら切り落としてもキリがない。それでも時間稼ぎという任を与えられたオーマジオウは黒い靄から手に馴染んだ武器を引っ張り出し、自らの役割を全うするために権能を振るう。

 

「本当はここまでする必要ないんだけど……。まあ、八つ当たりだと思って諦めてよ」

 

 

«ジカンギレード»

«ジュウ!»

«タイムチャージ! ……ゼロタイム!»

 

 

「俺、ちょっとムッとしてるんだ。もちろんシルビアにもだけど」

 

 負けもしなければ勝てもしない消耗戦の始まり。作戦開始を告げる狼煙を上げるため、オーマジオウは愚かにも歯向かう簒奪者に対して引き金を引いた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「……ナニアレ」

 

 壊されたライドストライカーの代わりにオーマジオウから預かった空を飛ぶらしいタイヤの無いバイク・ダンデライナーに股がっていたカズマは、エンジンを吹かしながら呟いた。銃を撃ったら行動開始の合図だと言っていたが、まさか本当に『ジュウ』の文字が空へと打ち上げられるとは想像していなかったのでつい面食らってしまう。そう言えばアナザーライダーになったハンスの腕を切り落とした時も何やら文字が両断していたような……、と余計な記憶まで掘り起こしていると、重い鎧を脱ぎ捨て髪を下ろしたダクネスが、インナースーツにフルフェイスのヘルメットというコアなニーズにジャストフィットな姿で狭いタンデムシートに恐る恐る腰を下ろした。

 

「よ、よし! 大丈夫だカズマ! 重い鎧は脱いだから、これでもう浮き上がらないなんてことは無いぞ! 重い鎧は脱いだからな!」

 

「あーはいはい。そんじゃ、ちゃんと掴まってろよ」

 

「おい! 雑に流すんじゃない! きちんと重かったのは私ではなく鎧だったと訂正しろ!」

 

「わかったわかった。いつもながら、どこに羞恥心の重きを置いてんだか」

 

 ホバーバイクが耐えきれない重量の鎧を着ていたという事実に、こいつも存外化け物クラスの筋肉量だよな、などとさらに失礼なことを思うカズマ。体重なんかよりもそのピチピチのお召し物の方は恥ずかしくないのかと思春期特有の好奇心が刺激されるが、羞恥に頬を染める乙女チックな変態の被虐心を目覚めさせるだけなので口には出さないでおこうと決めた。

 後ろでまだ煩いダクネスに訂正を求められつつ背中をポカポカと殴られながらも、あえてスルーしてカズマはグリップに手をかける。浮上までもう少し。しかしそんな彼らの発進を妨げるように、一組の紅魔族がダンデライナーの前に立ち塞がった。

 

「……勝算は低い。それに、君たちにとっては好都合だったようだがあの魔道具のデメリットも伝えたはず。それでも行くとはまさか、この里のために死ぬつもりで……!?」

 

「「いや、そんなつもりは微塵もないです。本当に」」

 

 ひょいざぶろーとゆいゆいである。神妙な面持ちで腕を組むひょいざぶろーも、眠ってしまったこめっこを抱いて真剣な表情をしているゆいゆいも、本気なのか死地へ送り出す的なノリなのかイマイチ判断に困る絡み方なのが非常にややこしい。里の人達に作戦の概要を説明した時は明らかに後者の反応だったが、両親くらいはできれば前者であってくれと心の片隅で願うカズマに対し、ひょいざぶろーの隣で沈黙していたゆいゆいは意を決したように口を開いた。

 

「カズマさんは本気で、ネタ魔法なんかで勝てると思っているんですか?」

 

「はい勿論」

 

「燃費も悪いしコストパフォーマンスも見合っていない。紅魔族でも使えるかどうかも怪しく、使えたところでメリットよりもデメリットの方が大きい。そんな何の役にも立たない魔法を、どうしてそこまで信じられるんですか?」

 

(事実なのはわかってるんだけど、手心ってものを知らないのか)

 

 本当のこととは言え、改めてポンコツ魔法である理由を並べられると反論に困ってしまう。こんなのが最強の魔法なのだから、使い勝手のいい力を持った〈転生者〉たちが優遇されるのも頷けるというものだ。だがそれだけでないことを知っているカズマは、決して怯むことなく真っ直ぐゆいゆいに視線を返した。

 

「……別に、爆裂魔法を信じてるわけじゃないですよ」

 

 カズマが振り返ってダクネスを見ると、彼女もまた同じ気持ちなのだろう、ふっと優しい笑みを浮かべる。きっと確認などするまでもなく、答えなんて決まっている。例え誰が同じようなことを言われたって、仲間なら必ず同じ答えを出していたはずだ。そんな確信を持って、カズマはゆいゆいに向き直ると一番のキメ顔で親指を立てた。

 

「俺たちは、めぐみんを信じてるんです」

 

 目を丸くしたひょいざぶろーとゆいゆいは、不意にふふっ、と笑みをこぼす。大笑いする訳ではなく、カズマには何か納得がいってつい溢れ出てしまった笑みに見えた。先程までのお堅い雰囲気はどこへやら。とても楽しそうに目を細めるゆいゆいとひょいざぶろーは、すっと腰を折って頭を下げた。

 

「これからも、娘をよろしくお願いします」

 

 その言葉を額面通り受け取っていいものか、意図するところはわからない。しかしその言葉が、表情が、ここ数日めぐみんと自分を無理矢理くっつけようとしていたお金絡みの打算的なものや、紅魔族特有のおちゃらけたものでは無いようにカズマは思えた、いや、思いたかった。少しだけ、前の人生に残してきた家族の影が重なり懐かしい気持ちになったからかもしれない。向けられた暖かな信頼に対してグッと親指を立てて返事をしたカズマとダクネスは、一路目的の場所へと出発した。

 小さくなっていく背中を眺めながら、ひょいざぶろーはポツリと呟く。

 

「あれが私たちの義息(むすこ)か。……サトウカズマ。不思議な男だ」

 

「そうですね。あの爆裂魔法しか眼中になかっためぐみんが気を許すのも、なんだかわかる気がします」

 

 二人は寂しそうに、そしてどこか嬉しそうに微笑んだ。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「始まってるわね……」

 

 戦闘の音が響く里を見下ろしながら、ゆんゆんは呟いた。

 里の様子を一望できる丘ならば、戦場の動きはよくわかる。爆ぜては元に戻るよくわからない山ほど大きい泥の塊も、里の住民たちの謎の余裕も、奔走するパーティーの面々も、その機微の逐一を眠りから覚めようとしている空が全て教えてくれていた。短いようで長かった夜に、ようやく終わりがやってくる。安堵とも焦りとも言える高揚感がそわそわと心を急き立てつつも、程よい緊張感となって戦いに挑む彼女の身を引き締めていた。もっとも、今からゆんゆんが何かをするわけではないのだが。

 

「めぐみん、準備はいい?」

 

 後ろからついてきているはずの、体力に多少難のあるライバルへと振り返ったゆんゆん。魔力が十全でないとはいえ、ゆんゆんの渡せる魔力は渡しきってしまっているのでここでへばられてはカズマの作戦に支障が出てしまう。しかし、そんな心配を他所にゆんゆんの隣を無言ですり抜けためぐみんは、いつもなら恥ずかしげもなく口上を述べるような場面なのに静かに里を眺めているだけだった。

 

「めぐみん……?」

 

 その姿はゆんゆんの目に、意気消沈しているように映った。逃げ延びていた紅魔の里の住人たちに作戦への協力を打診した時のことを思えば、いくら我が道をゆくめぐみんと言えど落ち込んでしまうのも無理はない。なんと声をかけたらいいかと思案するゆんゆんは、当たり障りのない言葉を選びながら口を開いた。

 

「き、気にすることないわよ! そりゃ爆裂魔法は使い所のないネタ魔法だし、使ってる奇特な人なんてめぐみん以外に見たことなんてない特異な魔法だけど、里の皆が何を言おうとめぐみんはめぐみんの好きなようにすればいいと思うし……」

 

「フォローがしたいのか喧嘩がしたいのかハッキリしろ」

 

 口を噤んでしまったゆんゆんを見て、盛大な溜め息をつくめぐみん。余計に落ち込ませてしまったのかと控え目な視線を送ってきているが、そういう煮え切らない態度が頭痛の種だということには気づいていないらしい。もじもじとするゆんゆんに調子を狂わせられながらも帽子の唾を上げためぐみんは、昇り始めた陽の光に目を細めた。

 

「落ち込んでなんていませんよ。それにわかっていたことです。私が爆裂魔法しか使えないことを知られてガッカリされるだろうということは。それはあなたも予想していたことでしょう?」

 

「……気づいてたの?」

 

「カズマがああも露骨ならわかりますよ。ゆんゆんのそういうお節介なところは昔からですし。……思い返せば、こめっこを助けるため私の代わりに中級魔法を習得してくれたときから、あなたには助けられっぱなしです。ゆんゆんがあの時、私に爆裂魔法への道を示してくれなければ私は今ここにいなかったでしょう。皆と出会うこともなかった」

 

「ど、どうしたのよめぐみん? 何か悪いものでも食べた? 落ちてた変な木の実とか食べてない?」

 

「人が素直に感謝しているのですから真面目に聞いてください」

 

「だってだって、学生時代からずっと素直じゃないめぐみんが私にお礼を言うなんて……」

 

「私をなんだと思っているのですか。お弁当の感想だって毎回伝えていたでしょう」

 

「私を負かして巻き上げたお弁当だけどね」

 

「言いがかりはよしてもらおうか。あれは勝者への正当な対価です」

 

 心外だと言わんばかりに不満げな顔をするめぐみんと、意地悪に口元を釣り上げるゆんゆん。見つめ合う二人は何がおかしかったのかどちらもがふふっと吹き出すと、どちらが先というわけでもなく声を上げて笑い始めた。戦いの音でかき消される戯れだが、カズマならきっとこういう緊張感のなさを「自分たちらしい」なんて形容するのかもしれない。めぐみんはそう思った。

 しかしそんな表情も早々に崩し、彼女は遠くを見つめる。昔を懐かしんでいるのか、未来へと思いを馳せているのかはわからない。そして憑き物が落ちたようなすっきりとした笑みを浮かべると、迷いのない口ぶりで杖を握りしめた。

 

「一つ、勝負をしませんか?」

 

「勝負……? 今、ここで……?」

 

「ええ。勝負内容は、私の爆裂魔法であのシルビアを倒せるかどうか、で」

 

「勝負っていうより賭けじゃない」

 

「賭け事だって立派な勝負ですよ。倒せなかったら私の負け。ゆんゆんの望みをなんでも一つ叶えましょう。もし私が倒せたら――」

 

 めぐみんの提案した報酬にゆんゆんは目を丸くし、ついでに耳も疑った。その言葉は、絶対に聞くことができないと思っていた言葉だったのだ。そうあればもっと胸を張れるのにと、誰からも笑われたりしないのにとずっと思っていた願望で、それでいて無理なのだろうと半ば諦めていた言葉。無理をしているのかとその横顔を覗くと、色彩を失った世界でも褪せることのない陽の光にあてられためぐみんの瞳は、見たことがないくらい紅く揺らめき美しく輝いていた。その表情を見てゆんゆんは、ほんの少しだけカズマたちを羨ましいと思った。

 

「後悔しない?」

 

「しませんよ。……これ以上、するわけないじゃないですか」

 

「……そっか」

 

 ゆんゆんの返せる言葉は、それ以上になかった。

 

 

  ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ね、ねぇカズマ? ちょっと吸い過ぎじゃないかしら? 私、既にめぐみんに残りの半分以上持っていかれてるからそろそろ魔力の底が見えてきてるんですけど」

 

「お前は空っぽ手前まで抜いとかなきゃ中継地点にならないだろ。ぶっ倒れるまでは吸わないから安心しろって」

 

「そう? なんだか足の力も抜けてきて膝が笑ってるような気がするんですけど」

 

「まだ立ってられるならセーフだな」

 

「やっぱり倒れるまで抜こうとしてない!?」

 

 ぎゃーぎゃーと文句を言うアクアをスルーして、〈ドレインタッチ〉で滞りなく魔力を吸引するカズマ。女神の魔力というのでちょっとは神々しさというか、ソウゴが目で見て判別できるほどの違いというのに興味があったのだが、いくら吸おうとなんてことはない。普段から吸っている人やモンスターの魔力との違いというものはちっとも感じられなかった。ソウゴが鋭敏な感覚を持っているのか、自分が鈍感なのかはカズマにはわからないことなのだが。

 アクアの顔色を確認しつつギリギリを攻めるカズマは、「そう言えば」と、ふと気になったことを口にした。

 

「あれだけポンポン浄化魔法撃ってたのに、よくまだこんなに魔力残ってたよな。俺の方が容量オーバーしそうだ」

 

「そりゃ、私たち女神の力の源は信者たちの祈りですもの。人間みたいに休養を摂って自然に回復できる分と、信仰心がそのまま自分の力に変換される分を考えればこんなもんじゃないかしら」

 

「なるほど。つまり、アルカンレティアから供給される魔力があるからもっとギリギリまで吸っとかないといけないわけか」

 

「あっ! 今のナシ! 今の話はナシでぇー! うちの子たちの信仰心まで持っていかないでぇー!」

 

「なんか俺が悪いことしてるみたいだからその言い方やめろ」

 

 抗議の声など構うことなく、カズマは遠慮なく魔力を吸い上げる。しかし容量オーバーという話も冗談ではなく、許容量を超えたらどうなるかは身をもって体験しているため無限に吸い続けないとダメなんてことは無いよなと戦々恐々としつつ、本当に震え出したアクアの足を見てこんなもんかと手を離す。するとアクアは気だるそうにその場にぺたんとへたりこみ、よよよと涙を見せる仕草をした。

 

「うう……。私、女神なのに……。こんな仕打ち、あんまりよ……」

 

「女神だって言うならシルビアの封印くらいしてみせろ、このパチモンが」

 

「パチモンじゃないわよ!!」

 

 叫べる元気があるなら問題ないかと、カズマは腰に下げていた袋から今回の作戦に欠かせないアイテムを一つ取り出す。革のベルトに金属の装飾が施されており、中央には魔石と呼ばれる魔力を溜め込む性質のある石が嵌め込まれたバングル。めぐみん宅より拝借してきたウィズ魔道具店からの返品商品である『魔力を共有する腕輪』を、ほらよ、とアクアの足元へ転がした。

 

「いいかアクア。まだ嵌めるんじゃないぞ。爆裂魔法の魔法陣が展開されたのを確認したら嵌めるんだ。めぐみんの父ちゃんから受けたデメリットの説明、覚えてるか?」

 

「馬鹿にしないでよ。装着者の中で残存魔力の総量が多い人から少ない人へ、全員が均一になるよう自動で送られる、でしょ」

 

「ウィズの店に並びかけた品なんだから、絶対に説明されたデメリットよりもどえらい欠陥があるからな。足並みを揃えないとえらい目に合うぞ」

 

「その嫌な方向への信頼はまあよしとして、この作戦本当に大丈夫なの? 皆言わないけど、あんた下手したら死ぬわよ」

 

「しょうがないだろ。めぐみんに『俺たちで何とかする』って言っちまったんだ。言い出しっぺが今更うだうだ言ってられないよ」

 

(めぐみんの親御さんにもカッコつけちゃったし)

 

 後悔はしていないが、流石に調子に乗り過ぎたと思うカズマ。テンションが上がっていたからと言い訳もできず、やれるだけやるしかないと腹を括る。そんな未練タラタラなカズマの顔を見て、アクアはどうしようもない弟を見るようなにやけ顔をした。

 

「……カズマってホント馬鹿よねー」

 

「うっせ。俺には女神がついてるんだから多少無茶してもいいんだよ。なんかあった時は頼むぞ」

 

「まったく、ようやく認める気になったのならしょうがないわねぇ。いいわ。女神アクアの名にかけて、エリスがまたグダグダ言ってきても絶対こっちに引っ張り返してあげるんだから!」

 

「そりゃ心強いこって」

 

 調子のいいアクアに呆れたような顔をするカズマは、ヘルメットを被り直すと再度ダンデライナーに跨った。グリップを捻ると、未だに慣れない浮遊感の後から地に足のつかない心許なさと子どものようなワクワクが連れ立って押し寄せてくる。それが少し心地よく感じるのは、何度もこんな勝敗を決する分の悪い賭けを乗り越えてきたことによる勘違いなのか、それともこのバタバタが自分たちらしいと思ってしまっているからなのか、答えは出す必要もない。

 

「カズマ!」

 

 静かに浮上するカズマを呼び止めたアクアは、親指を立てるとニコッと笑う。

 

「終わったら気持ちよくパーッと祝勝会するんだから、しっかり倒してきなさいよ! もちろん、アクセルに帰ったら褒賞金で宴会だからね!」

 

「……しょうがねぇなぁ! 今のうちに披露する宴会芸でも考えておけよ!」

 

 勝利を信じて疑わない女神の微笑みに、カズマの中の敗北なんて文字は見事にかき消されてしまっていた。

 

 

 

―――

―――――

 

 

「それで、策ってなんなのよカズマ。めぐみんの爆裂魔法じゃいいとこ半分削るのが限界よ?」

 

「さっきも言っただろ。その半分は俺たちで補えばいいんだよ」

 

 時は戻って、各自が行動を開始する前。

 事も無げにそんなことを言うカズマに、ソウゴ以外の全員が首を傾げていた。

 

「めぐみん家の返品在庫に魔力を共有するってやつがあったの覚えてるか? あれを使って、ここにいる人たち全員の魔力を掻き集めるんだ」

 

「めぐみんに倍以上の威力の爆裂魔法を撃ってもらうということか。しかし可能なのか? 本来の自分の二倍の魔力を溜め込むなど」

 

「試したことはありませんけど、不可能のはずです。コップの中にバケツの水を無理矢理押し込むようなものですから……。溢れ出るならいいですけど、最悪の場合……」

 

「そこは心配ないよ。魔力を共有するのはめぐみんじゃなくて俺だ。めぐみんに合わせて俺が〈ドレインタッチ〉で魔力を流せば、めぐみんにそこまで負担はかからないと思う」

 

「なるほど。カズマくんがマナタイトの代わりをするってことだね」

 

「それではカズマへの負荷が大き過ぎます! 我が爆裂魔法の消費魔力は今やマナタイト数個分。今のカズマの基礎魔力の数倍……いえ、十数倍は固いでしょう。崩壊寸前まで魔力を貯めた魔石だって魔力を急激に消費させれば壊れてしまうのに、それを生身の人間でなんて危険です!」

 

「どっちにしろ『共有する』ってところの意味がふわふわし過ぎてわからないんだ。余計なリスクは背負わないに限る」

 

(バニルに返品くらってるってことはドデカい欠陥があるのは間違いないし)

 

 ガラクタの性能を全部聞いておくべきだったと後悔するも、まさかここで再会すると思っていなかったのも事実。それも作戦の要になるとは夢にも思っていなかったがあの悪感情を啜る悪魔のことだ、分かっていてあえて話題に出さなかったのかもしれないと勘ぐってしまう。考えても仕方のないことを早々に諦めたカズマだが、全員が釈然としない表情を浮かべているのを見ていつものソウゴのようにへらへらと笑って見せた。

 

「大丈夫だって。幸運値だけは異様に高いカズマさんだぞ? 俺の運を信じろ!」

 

 

―――――

―――

 

 

 

(とは言ったものの、あれなかったことにならないかなぁ)

 

 全員を所定のポイントにつかせ、あとはめぐみんに爆裂魔法を撃ってもらうだけというところまで来て、抱え込んだ魔力を注ぎ込みながらカズマは普通に後悔していた。この小さな背中に全てを託すと決めたのはカズマなのだが、潔さなど知ったことではなく、いざとなればうだうだ言うのが自分だったと今更ながらに思う。

 しかしカズマはブンブンと強く首を振り、そんな自分を奮い立たせた。

 

(いやいや、何怖気付いてんだ。しっかりしろ俺! やるって決めたのは俺だぞ!)

 

 この右手首に巻かれた魔道具の効果は、アクアが覚えていたように使用者同士で均一になるよう魔力が調整・分配されるというもの。魔法使い職パーティーならば既に普及している魔力の保存が可能なアイテムの方が有用で、前衛職と共有すれば自分の魔力の総量が減るかもしれないという欠陥を抱えていた。敵に嵌めて自分の魔力補給か、逆に魔力を注ぎ込んで破裂させるという使い方もできるが、そもそも腕輪を嵌めている余裕があるならそんな搦手を使う意味は無いだろう。だが今回に限って言えば、そのデメリットを利用してカズマにこの里全ての魔力を集約することができるのだ。

 そこまではいい。実用性からは程遠くとも、そこまではまだ良かったのだ。

 

(でも出力ミスったら俺の体がパンッ、だもんなぁ。なんでカッコつけちゃったかなぁ)

 

 このバニル公認の欠陥品には、当然のように安全装置がなかった。

 本来なら魔力の保有量が多い魔法使い職が使うことが前提のアイテムが、カズマのような魔力が極端に少ない最弱職が使うことを想定し設計されているわけがない。この欠陥に目を瞑り当初の作戦通り運用すれば、『魔力の最大保有量を無視して強制的に流れ込んでくる魔力のせいで体が弾ける』のが先か、『爆裂魔法によって魔力を急激に吸い取られ体が壊れる』のが先かという嫌な二択の綱引きが始まってしまう。めぐみんの体への負担を考慮すれば、間違いなくカズマは酷い目に遭うだろう。裏を返せば、カズマが負担の全てを引き受けることでアルターシルビアという怪物への勝機がようやく見い出せるということ。今日はエリス様とどんな話をしようかなとぼんやり現実逃避を始めていると、意識の外でこほんと咳払いしためぐみんが物々しく口を開いた。

 

「……こんな時になんですが、カズマに話があるのです」

 

「? どうしたんだよ、改まって」

 

 めぐみんの顔は真っ直ぐ前を向いており、後ろからでは表情を窺い知ることはできない。しかし神妙な声色になんというか、漠然とだがいつもと違う感じがした。

 カズマが応えてから、緊張を孕んだ沈黙が流れる。王が痴れ者を拳で嬲る音は依然として喧しいが、そのあまりにも規格外な蹂躙に目を奪われているという訳では無いようだった。急かすこともなくただ首を傾げ様子のおかしな仲間を眺めていると、めぐみんは自分の中で整理がついたのか呼吸を整えてから明るい声で言い放った。

 

「私は、上級魔法を覚えようと思っています」

 

「……え?」

 

「カズマたちとパーティーを組んでクエストに行くようになってから、時折考えていたことなのです。このままでいいのか、と。既にゆんゆんに便利な上級魔法を幾つか教えてもらう約束をしましたので、この戦いが終わったらカズマに使い勝手が良さそうなもの選んでもらって取得するつもりです。里一番の天才と言われたこの私が上級魔法を使いこなせば国一番の優秀な魔法使いになること間違いなし! ソウゴじゃない方の魔王なんてあっという間に倒せてしまいますよ。そうですね……。これからは『紅魔族随一の魔法の使い手、数多の魔術を操る者!』。これでいこうと思います。カッコイイとは思いませんか?」

 

「思いませんかって……」

 

 きっと今の自分は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていることだろう。それくらい意外な発言に、すぐ返事の声は出せなかった。何度窮地に立たされても頑なに爆裂魔法以外の魔法を覚えようとしなかっためぐみんからの唐突な申し出に、頭の整理が追いつかないほど困惑が強かったのだ。

 しかし捲し立てるように並べられた言葉を時間をかけて噛み締めれば、これほど嬉しいことは無い、これに尽きる。ようやくまともな攻撃手段が確保できるということなのだから何を断る理由があるというのか。パッと表情を明るくし二つ返事で首を縦に振ろうとして……そこでカズマの脳裏に、ある言葉が蘇った。

 

 

 

『汝、この旅のどこかで仲間から大事な相談をされるだろう。その時は決して茶化さず、誤魔化さず、己の心に素直に答えるが吉だぞ』

 

 

 

(己の心に、素直に……)

 

 きっと今ふと湧いた疑問は、口にしない方がいい疑問だろう。ここで深追いしなければ、上級魔法を覚えた一端のマトモな魔法使いが手に入る。頑強な前衛に、後方支援に、強力な魔法使いという完璧な布陣。バニルから得られる安定した収入と死の危険とは縁遠い優秀なパーティーの二つが揃えば、カズマの求めていた楽しく安全な異世界ライフがようやく幕を開けるのだ。

 そんなことはわかっているのに、この胸につっかえる蟠りがカズマの首を縦に振らせてくれなかった。ここでこの居心地の悪い感情に目を瞑れば、今までのように五人で笑えなくなる。そんな気持ちが、カズマの口を動かしていた。

 

「爆裂魔法しか愛せないんじゃなかったのかよ」

 

「……爆裂魔法のことはいいんです。卒業します」

 

「卒業!? おい、本当にどうしたんだよめぐみん! お前と言えば毎日欠かさず爆裂魔法。アクセルの街での爆裂魔法の代名詞、頭のおかしい爆裂娘だろ!? まさかお前、めぐみんの偽物なんじゃ……」

 

「失礼ですね。正真正銘、本物の私ですよ。疑うと言うのであれば、我が一族に継承されし、生まれながら発現する謎の刺青の位置をお教えしましょう。ゆんゆんのなんてスケベなカズマが好きそうな場所にあるんですよ」

 

「えっ。その話詳しkって違う! さっき里の連中に爆裂魔法を馬鹿にされたこと気にしてるのか? あんな爆裂魔法の事を何にもわかってない奴らなんてほっとけよ。それとも俺がネタ魔法使いってよく言ってること、実は結構気にしてたのか? なら謝るよ、悪かった! もう二度と言わないから!」

 

「……いえ、そんなんじゃないんです。本当に。単に心変わりというか、何と言うか」

 

 平謝りするカズマに対して、めぐみんは気まずそうに言葉を濁しながら俯く。大きな帽子がズレて表情に濃い影を落とすと、そこだけ夜に取り残されたように何も見えなくなってしまった。それでも明るい調子の声を絞り出す彼女は、決して振り返ることなくへらへらと続けた。

 

「思ったんですよ。日頃カズマからなんだかんだ言われつつも、ダクネスは防御で、アクアは支援魔法でそれぞれパーティーに貢献しています。私に出来ることと言えば爆裂魔法。ですが“人類最大の攻撃手段”もソウゴの前では型なしです。考えれば考えるほど、私はなにも役に立てていないなー、と」

 

「……だから爆裂魔法を捨てて、上級魔法を覚えるって言うのか?」

 

「捨てるなんて人聞きが悪いですよ。……今でも爆裂魔法は好きです。でも他にもっと好きなものができて、それを守るための力は爆裂魔法ではなかった。ただそれだけのことなんですよ」

 

「なら卒業まですることないだろ? 今回みたいなことだってあるわけだし、いざと言う時の切り札として残しておけばいいじゃないか」

 

「上級魔法を使ってしまえば、もうその日は爆裂魔法を使えません。使えない切り札なんて手元にあっても腐るだけです。最大火力はソウゴに任せ、これからの私は多様な魔法で戦闘を牽引するのが堅実でしょう」

 

 沈黙する二人の間を、戦場の音と風が駆け抜ける。食い下がってきていたカズマの静寂を肯定と受け取ったのか、めぐみんは帽子の唾を摘み上げてようやく後ろを振り返った。黙りこくってしまったカズマに向けられたその微笑みは、痛々しいほどに穏やかだった。

 

「カズマたちと出会わなければ、こんな事少しだって思わずに爆裂魔法だけを鍛え続けていたことでしょう。でももうお荷物は嫌です。自分の好きだけではなく大好きな皆を守れる、そんな役に立つ魔法使いになりたいんですよ。これを最後のワガママにします。だから、許してもらえませんか?」

 

 そんな顔を見せられたカズマは――

 

「嫌だ」

 

 ――普通に、腹が立った。

 

「何キレイにまとめようとしてんだ。そんな顔するくらい未練があるなら、俺は認めないからな」

 

「えっ、いや、あの……。今のは私の固い決意にカズマも根負けし、渋々頷くところでは……?」

 

「そんなお約束知るか。だいたいなんだ、その俺たちのために自分の夢を諦める、みたいな物言いは。馬鹿なこと言ってないで今まで通りのお前でいろよ」

 

「馬鹿な、こと……?」

 

 その瞬間、めぐみんの取り繕っていた表情は崩れた。必死になって心配をかけまいと維持していた微笑みはキョトンと呆けた顔になり、そしてみるみるうちに眉が吊り上がっていく。それでも堪えようと拳を握りわなわなと肩を震わせるも、ついに耐えきれなくなった激情がとめどなく溢れ出す。感情の推移がそのまま顔に表れるめぐみんは、顔を真っ赤に今にも大泣きしそうな程の涙を目尻に蓄えてカズマの手を払いのけた。

 

「馬鹿なことってなんですか!! カズマにはわかりませんよ!! 私がどれほど悔しい思いをしているかなんて!!」

 

「……」

 

「ベルディアと闘った時、私が上級魔法を覚えていればダクネスは一度だって死なずに済んだかもしれない! ハンスの時も、皆がボロボロになることはなかったかもしれない! その前も、この次もきっと! 今だってそうです! 私が爆裂魔法ではなく普通の魔法を扱えていれば、ダクネスが無茶言うこともなかったし、カズマがこんな危険なことをせずに済んだはずなんです!!」

 

「……」

 

「そう思う度に、今まで大好きだった爆裂魔法への想いが褪せていく……! 爆裂魔法を初めて見た時の高鳴りを忘れてしまうことが怖い。いつか爆裂魔法への憧れを後悔するかもしれないことが怖い。私のせいで、誰かを失うことが何より怖い……! こんな思いをするくらいなら、せめて綺麗なまま思い出として終わらせたいと願って何が悪いんですかッ!!」

 

「でも諦めきれないから、そんなに迷ってるんだろ!!」

 

「そうですよッ!! そこまでわかってるなら私の気持ちを全部飲み込んで大人しく上級魔法を取得させてくださいよ!! 私を、皆を守れる優秀な魔法使いにさせてくださいよッッ!!」

 

「だからそれが嫌だって言ってるだろ!! お前にそんな顔させるくらいなら、優秀な魔法使いなんていらないんだよ!!!」

 

「ッ……!」

 

 めぐみんは目を丸くし、言葉を詰まらせた。そんなことを言われるなんて思ってもみなかったような驚いた様子に、カズマはムカムカが止まらなかった。

 今の自分がどんな顔をしているか、カズマには皆目見当もつかない。らしくもない熱血漢のような顔をしているのかもしれないし、激情に駆られた顔で怒鳴り散らしているだけかもしれない。しかし口をついて溢れてくる正直な気持ちを、どうやっても抑えることはできなかった。

 

「何でそこまで爆裂魔法に拘るのか俺にはわからない。王様に拘る理由も、あのド変態の性癖も、駄女神のパチモンっぷりも、どれもこれも理解できるもんかよ。それでもお前らにとっては変えられないものなんだろ!? 譲れないものなんだろ!? そりゃ迷惑に感じることの方が圧っっっ倒的に多いしもっとマトモになってほしいって思うけど、お前らはそうじゃなきゃダメなんだよ!!」

 

 カズマの思いは変わらない。平和で楽しい、命の危機なんてない異世界ライフ。御伽噺のような胸躍る冒険を夢見たことはあるが、そんなものは身の丈に合わないものだと諦めたのはとうの昔の話だ。クエストに出る度に死にそうな目に遭ったり、実際に死んだりして、このろくでもない世界から逃げ出して日本に帰りたいと何度も願ったが、今際の際に思い出すのはいつだって元の世界の暖かな食卓よりも仲間たちと飲んだシュワシュワだった。

 カズマだって薄々わかってはいるのだ。バニルに諭されるまでもなく、自分が心から欲しているものが何かくらい。

 

「駄女神でも、爆裂狂でも、ド変態でも、魔王でもいい。優秀じゃなくったっていいし、守ってくれなくてもいい! 俺が頭を抱えながらでも一緒に冒険がしたいと思ったのは、自分の好きに嘘をつかない今のままのお前らなんだよ! ……めぐみん。お前はこんな中途半端なところで爆裂魔法を卒業して、本当に後悔しないのか? 俺はまだ、百点って言える爆裂魔法を見てないんだぞ!」

 

 顔を覗き込まれためぐみんは、ぴくりと肩を跳ねさせると慌ててカズマに背を向ける。もうとっくに手遅れなのだが、袖でゴシゴシと目元を拭い体裁を整えると震える声を必死に押さえつけて平静を装った風に鼻を啜って喉を鳴らした。

 

「……いいのですか? 我が爆裂道に終わりはありません。このチャンスを逃せば、もう二度と上級魔法を覚えるなんて殊勝な言葉は私の口からは出てきませんよ」

 

「いいよ別に。元から期待なんてしてないし」

 

「これからもっと、たくさん迷惑をかけますよ」

 

「上等だ。もう慣れた」

 

「ワガママも、もっといっぱい言うかもしれません」

 

「今に始まったことじゃないだろ」

 

「ふふっ、そうですね。私はワガママばかり言う魔法使いです。ですが、カズマほどではないと思いますよ」

 

「どこから来るんだよ、その自信は」

 

 口元を弛めためぐみんが、里に向けて杖を構える。めぐみんの顔は真っ直ぐ前を向いており、後ろからでは表情を窺い知ることはできない。しかし憑き物が取れたような声色にはなんというか、いつもと同じ安心感があった。

 もう一度、めぐみんの首筋に右手を当てる。肩の力が抜けたいつもと変わらないめぐみんの背中に、素直になるのもたまには悪くないと、カズマはそう思った。深く息を吐いためぐみんは、振り返らずに言う。

 

「……カズマ」

 

「なんだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「礼ならアレを倒してからにしてくれ。俺が酷い目に遭うのは今からなんだぞ」

 

「そうですね。ではしかとその目に焼き付けてください。私の……いえ、()()()の爆裂魔法を」

 

 顔など見えなくても、めぐみんが微笑んだことはわかった。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、人類最強の攻撃魔法・爆裂魔法を操る者! とくと見よ、人の身にて到達しうる唯一無二の最強を!」

 

 

 

 

 

黒より黒く、闇より暗き漆黒に

我が真紅の混淆を望みたもう

 

 

 

 

 

 言の葉の調べに合わせ、紅魔の里の上空に魔法陣が幾重にも連なって描かれる。セピア色の闇を切り裂くその鮮やかな(ほむら)に、観衆は瞬き程度のことすら忘れてしまうだろう。カズマがつい目を奪われるほどに、天を貫く紅蓮の(つるぎ)は美しかった。

 

 

 

 

 

覚醒の刻、来たれり

無謬の境界に落ちし理

 

 

 

 

 

 これが作戦における全ての合図。仲間たちと里の住民たちが腕輪を嵌める合図であり、ソウゴがアルターシルビアを蹴り上げる目印。この一瞬に世界の全てがかかっているのだ、見蕩れている場合では無いとカズマは来るべき衝撃に備え右腕に力を込めた。その直後だった。

 

 

 

 

 

無業の歪みとなりて、現出せよ

 

 

 

 

 

 とてつもない衝撃と共に、腕輪を嵌めた右手首の皮膚が爆ぜたのは。

 

(――――――――ッ!??!!!!???!?)

 

 声にならない声を噛み殺し、めぐみんの首を握り潰さないように歯を食いしばる。気付かれれば集中力を乱し、このカズマの身に余る魔力の吐き出し場所が無くなってしまうだろう。そうなればアルターシルビアを倒すどころの話ではなく、カズマの体がザクロのように破裂しめぐみんに特大のトラウマを背負わせることになる。カッコをつけて大見栄を切ったというのに、また爆裂魔法卒業なんてことを考えさせるような事態は論外だ。ここが踏ん張りどころだと歯を食いしばって、溢れ返りそうな魔力を全力でめぐみんに送りつける。

 

 

 

 

 

踊れ、踊れ、踊れ

 

 

 

 

 

 服に血が滲み始め、重みと生暖かさが伝わってくる。手首の大きな血管が傷つけば大惨事だが、そこは持ち前の幸運で何とか回避しているらしい。皮膚の下が炭酸水でも流し込まれたようにパチパチと弾け、白だった袖はじわじわと範囲を広げならが赤く染まっていく。魔力の総量が落ち着くのが先か、カズマの体の限界が来るのが先か。こんな心臓に悪い駆け引きは二度とゴメンだと後悔しながらも、同じ所を何度も針で刺されているかのような痛みに耐え続ける。

 

 

 

 

我が力の奔流に望むは崩壊なり

並ぶものなき崩壊なり

 

 

 

 

 めぐみんが杖を振りかぶると、その動きや声が魔王には当然視えているのだろう。完璧なタイミングで泥なのか肉なのかわからなくなったアルターシルビアの塊が、声でもなんでもない不協和音を発しながら魔法陣の中心へと跳ね上げられた。何かを訴えかけているのか悲壮感のある喚きだが、そんな些事に構っている余裕は無い。里全体の魔力の総量は落ち着いているとはいえ、依然としてカズマの許容量は超えている。永遠にも感じた数秒がやっと終わるという安心だけが、カズマの心を占めていた。

 ここが折り返しだということも忘れて。

 

 

 

 

 

万象等しく灰燼に帰し、深淵より来たれ!!

 

 

 

 

 

 一瞬、静まり返る世界。空気も、音も、光も、時すらも置き去りにして、魔法陣に吸い寄せられるように夜が収縮する。さながらブラックホールのように思えるそれも、これから起きる破壊の前置きに過ぎない。

 

 

 

 

 

穿て!! 〈爆裂魔法(エクスプロージョン)!!!

 

 

 

 

 

 めぐみんの魂に応えた爆焔が、この世界を焼き尽くさんと暴威を振るう。膨大な魔力を糧として生み出された爆音は、アルターシルビアの断末魔を容易に飲み下した。朝日よりも眩しい熱は、夜の終わりを告げる号砲。雲を裂き、闇を晴らし、留まるところを知らない太陽はこの世界に光明をもたらす。

 

 

 

「「いっけぇぇぇぇええええええええ!!!!!」」

 

 

 二人の意志に呼応するように、この里に残された全ての魔力を注ぎ込まれた爆裂魔法は山を削り、地盤を掘り返し、破壊の二文字をこの世界に刻み込む。どんなチート能力でも、どんな魔法でも越えられない、唯一無二の“人類最大威力の攻撃手段”。込められた想いの力は不可能を可能にし、常識なんてものを簡単に覆してしまう。魔力の残滓がキラキラと、彩度を失った世界を鮮やかに彩る。

 

 そして響く轟音と、それに相応しい衝撃波。

 

 かつての荒れ果てた里を更地に変える大魔法は、煙の向こうから二度とシルビアの姿を映すことはなかった。細胞の一つ、変異した歴史の一遍すら残さず忘却の彼方へと葬り去った業火は、この世界からアマゾンネオの痕跡を全て焼却し尽くしたのだ。取り戻された元の世界に空気に、カズマは懐かしさすら感じた。

 

「ふぅ……。最高に……気持ちよかった……デス」

 

 力を使い果たしためぐみんは、爆裂魔法の余波に煽られる形でその場に仰向けで倒れ込む。立ち上がる余力などは少しだって残されておらず、指一本さえまともに動かせない。

 

「おつかれめぐみん。ナイス爆裂」

 

 サムズアップでもしてやりたいところだが、同じく仰向けで転がるカズマもまた身動き一つ取れないほど疲弊していた。腕輪は付けているが魔力は少しだって流れてこない。全員の力を使い切ったのか、それとも腕輪の故障なのかは定かでは無いが、エリス様に会える機会が一つ減ったことに安堵と少しばかりの寂しさを覚えていた。疲労からうつらうつらと船を漕ぎ始めたカズマに、同じく眠気に襲われ始めためぐみんが問いかける。

 

「……カズマ。今日の爆裂魔法は、何点でしたか?」

 

 わざわざ聞かなくてもわかるだろう。これまでで最大の威力、最高の破壊力、それでいて撃ち終わったあとの清々しさ。世界を救った一撃に、全ての想いを込めた究極の一撃に、送る賞賛はいくら並べても言葉では足りない。だからこそ、カズマは一言だけ言った。

 

「百二十点!」

 

 抗い難い微睡みに身を任せ、カズマはそこで意識を手放す。憂いなどは何も無く、残ったのは晴れ晴れとした気持ちだけ。寄り添って眠る二人の姿は、連れ帰りに来たソウゴがカメラを持っていないことを悔やむくらいにはとても幸せそうな顔をしていた。




「刮目せよ! これこそが神に与えられし聖剣の力! 人に創造された貴様ら紅魔族など、前時代の遺物でしかないことを知れ!」

「これが神に選ばれた勇者……! なんて力だ……!」

 剣を振るう男、ワカトミは切っ先をみっどしーに向けるとニヤッと笑う。フルプレートアーマーを着るソードマスター、ワカトミ。魔法を両断し、斬撃を飛ばす剣士などこの世界に存在しない。その直感が、彼が神が遣わした勇者であると確信させた。

「紅魔族など古い! 魔王を打倒するのは我だ。魔王城解放の鍵であるこの女は頂いていくぞ」

「いやっ! 助けてみっどしー!」

「かなきゃん! やめろ、彼女を離せー!」

「ふん! この女を救いたくば――



―――――
―――




 コンコンコンっ、とドアを叩く音でイグニスは本を閉じた。少々熱中していたためか目に疲れを感じる。仕事の息抜きとして貰い物の本を読んでいたというのに、疲れが溜まっては元も子もない。眉間を解しながら「入れ」と言うと、扉の向こうから恭しく高齢の執事が姿を現した。

「読書中失礼致します旦那様。おや、その本は……」

「ああ、この間ララティーナが気分転換にと置いていったものだ。こういうものも偶には悪くないな。……それでハーゲン、何か用があったんじゃないか?」

「はい、旦那様。実はララティーナお嬢様の冒険仲間であるサトウカズマ様宛に手紙が届いておりまして……」

「冒険仲間? どうして直接ではなく我が家へ?」

「それが……」

 言い淀む執事・ハーゲンはイグニスの座る机にそっと一通の手紙を置く。一見しただけで、それが上質な紙を使ったものであるとわかる。その上見たことがある刻印に、見慣れた達筆な筆跡。これは王国が対外向けに頒布する際に書かせるお抱え書記の文字だとイグニスはすぐに勘づいた。
 慌てて手紙を拾い上げ、中に目を通す。最後まで黙読し終えたイグニスは、背もたれに体重を預けるとふーっ、と息を吐いた。

「……明日、ララティーナとそのお仲間全員をうちに呼びなさい」

「はい、そのように」

 ハーゲンはまた恭しく頭を下げるとさっと部屋から出ていってしまう。一人残されたイグニスは、貰い物の『紅魔黎明記』の表紙を撫でると楽しそうで、それでいて少しばかり疲れたような顔をする。

「あの子に冒険仲間ができてからというもの、本を読む暇もないな」

 今日はもう寝よう。イグニスはそう思った。


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太陽の王女1988
この勝ち組冒険者たちにいつもの日々を!


冒険者にとって必要なもの、ですか……。やはり心……『意志の力』ですかね

 

 そう語るのは、新進気鋭の冒険者・サトウカズマ。最弱職でありながらもデュラハン・ベルディア、悪魔・バニル、デッドリーポイズンスライム・ハンスと続き、四人目の魔王軍幹部であるグロウキメラ・シルビアを討伐したパーティーのリーダーを務める彼は、記者の前でそう話した。

 

恐怖や慢心は誰にでもあります。恐怖する自分を恥ずかしがらないこと、死の恐怖を受け入れて強敵に戦いを挑むこと、仲間を信じ背中を任せること、そして慢心せず日々努力を怠らないこと。心のたるみを律する意志の力、とでも言いましょうか。それが僕の思う、冒険者にとって必要なものですね。他にも沢山ありますよ、必要なことって。それでも力だけが全てじゃない。そう思いますね、僕は

 

 駆け出し冒険者でありながら魔王軍幹部を四人も討伐した超新星。アクセルにやって来るまでの経歴は一切不明。しかし数々の実績を打ち立て頭角を現した彼のような冒険者は、いかにして誕生したのか。我々は彼の日常に密着した。

 

 

ザ・ドキュメンタリー      

   サトウカズマ  冒険者の流儀

 

 

   

 

 

 冒頭一ページ目で雑誌を閉じた鎧姿のソウゴは、暇そうに欠伸をする年老いた店主に尋ねた。

 

「おっちゃん。これ、売れてるの?」

 

「いんや。万引きも捕まえてくれたことじゃし買ってくれるならオマケするよ、王様の兄ちゃん 」

 

「……じゃあ、一冊だけ」

 

 これは同情ではない。山積みにされた雑誌から目を逸らし胸の内でそう唱えながら、ソウゴは店主に金を払う。

 

「まいどー」

 

 そして店主はさも当然のように残りの雑誌を全てソウゴの手に積むと、空いたスペースに倍ほどの量の新しい雑誌を並べ始める。表紙は見たことの無い端正な顔立ちの青年で、青いフルプレートに身を包み真っ白な歯を見せはにかんでいた。カズマが表紙だったものに比べて強気な部数に、思わず店主に対して疑問を口にする。

 

「こっちは売れるの?」

 

「まあ、そじゃの。イケメンじゃし、ミツルギさんは男女問わず人気じゃからの」

 

 ほほほと笑う店主を見て、これがこの世の無情さかと積み上げられたおまけの重みを噛み締める。

 

 遠く轟く爆発音が店の窓を揺らす。今日もアクセルの街は、いつも通り平和だった。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 最近は人手の補充もあり、丸一日働き続けるということも無くなってしまった。午前、午後、夜勤のうち、午前か午後のどちらか。給金はセナの計らいでそのままだが、少し前まではほぼ毎日身につけていた衛兵の鎧は数日に一度程の頻度にまで下がってしまっている。失った命は帰って来ないが、ゆっくりと傷が癒えてきたこの街があるべき姿に戻っているのだと思えば王として感慨は一入であった。本日の業務を終えて着替えを済ませたソウゴは、短期間で十分にくたびれた鎧を眺めて呟く。

 

「そろそろ俺もお役御免かなー」

 

 元は収入と情報収集を目的に始めたバイトだった。冒険者の本業でもあるクエストに行けるようになり収入の心配はなくなったし、もう一つの理由の方だって想定以上の成果と言っていい。この街にもすっかりと馴染めたうえ、セナを伝として得られたこの世界の情報、そしてなによりこの世界の民の普段の暮らしというのをよく理解できた。人員の補充があるのなら、もうソウゴとしては働き続ける理由もないのだ。

 詰所への寄付と称して放置することとした大量の雑誌の内の一冊を丸め、自分が退職する前にサキュバスと協定を結んでいることを話して衛兵を内側から攻略する算段をつけながら詰所を出たところで、ソウゴはよく見知った大男に軽く手を挙げた。

 

「おつかれ隊長。おさきー」

 

「おう、お疲れさん! そうだソウゴ! これ、お前が見回りに行ってる間にセナさんが持ってきたぞ!」

 

「またお弁当? もう借金苦じゃないから大丈夫って言ったのにな」

 

「人が入るまでお前には随分と助けられたからな、その礼だろ! 無下にするんじゃないぞ!」

 

「わかってるよ。お礼考えないとなー」

 

 可愛らしい柄の風呂敷に包まれたお弁当を受け取ったソウゴは、ひらひらと手を振ってガハハと豪快に笑う衛兵の取りまとめと別れた。今日は天気もいいし外で食べるのもありかなー、とぼんやり考えながら、穏やかな昼下がりの街を歩く。子どもたちのはしゃぐ声、活気づいた商店の呼び込み、街行く人々の話し声、冒険者たちの悪巧み。色々な声に耳を傾けながら、いつも通りの日々に頬を綻ばせる。

 

「おっ! 王様の兄ちゃん! どうだ、仕事終わったなら一杯やって行かないか?」

「今日はギルドに行く用事があってね。また今度にするよ」

「オーサマくん! 今日は活きのいい野菜が入ったのよ! 持ってって!」

「いいの? みんな喜ぶよ。ありがとね、おばちゃん」

「まおーのにーちゃん! 『ふうせん』が木に引っかかったから取ってー!」

「ウィズの所で買ってくれたんだ。いいよ、ちょっと待っててね」

「王様の坊主や、悪いが屋根の修理手伝ってくれんかのう? ダストの馬鹿が踏み抜きやがって……」

「後でダストにやらせるからそのままにしといて。ついでに雑用とかさせればいいよ」

 

 いつも通りの帰り道だった。街の人と言葉を交わし、相談事を解消し、ギルドや商店の困り事を解決する。この何気ない日々に戻れたのも、偏に仲間たちのおかげ。いい恩恵を授かったと、決して口にはしないがあの愉快な仲間たちを思いながら独りごちる。

 アルターライダーという歪みを正し、アクセルの街に帰ってきてそろそろ一週間が経つ。魔法を駆使し、目を見張るような速度で更地を里へと復元していく紅魔族を目の当たりにした一行は、父親の手伝いをするゆんゆんだけを残して早々にアクセルへと帰っていた。理由は簡単、いても手伝える事がないからだ。土木作業は召喚した悪魔やゴーレムが行い、上級魔法で丘や川を再現していく。丁度リフォームしたかった、なんて言う彼らがたった一日で里をそれっぽく再現したのを見れば、帰るか、と呟いたカズマに全員が肯定の意を示すのは必然である。

 

「ただいまー」

 

 扉を肩で押して入る、野菜やらなんやらを抱えるソウゴ。さっさと荷物を降ろそうと一目散にキッチンに向かうと、廊下の途中でひょいひょいと袖を引っ張られる感覚があった。

 

「あ、ただいまアンナ。……え? あー、カズマたちまだやってるんでしょ。大丈夫。今日は秘策があるんだよね」

 

 呆れたような顔でそう返したソウゴは荷物の中から一枚の紙を抜き取ると、同じ武勇伝ばかりで退屈を持て余す同居人ににこっと無邪気に笑ってみせた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「俺たちは働かないぞ」

 

 寝巻きのアクアと共に暖炉の前のソファを陣取るジャージ姿のカズマは、ソウゴの顔を見るなりそう言った。

 

「まだ何も言ってないじゃん」

 

「皆まで言うな、わかってる。数日俺たちが暇そうにしていれば、ギルドで持て余してる厄介な案件を持ち帰ってきて働かせようとする。お前はそういう奴だし、今のお前はそういう時の顔をしてる」

 

「いやいや、そんなわk「目を閉じるだけで思い出すわ……。初心者向けだからと騙されてアースウォームに丸呑みにされたこと、割のいい仕事だからと言いくるめられて爆弾岩の大爆発に巻き込まれたこと、他にもライドウォッチの影響かもって突然変異種や異常行動種のモンスター討伐に駆り出されたこと……」

 

「最後のはまだしも、俺たちはもう騙されないぞ。褒賞金もたんまりあって、これからバニルとの商売でどんどん儲かるのがわかってるんだ。雑誌に取材されるほどの注目度で、顔が売れれば有名人の仲間入り。道行く女子たちが振り返る、物語の主人公みたいな日々だって夢じゃない。安い命を買い叩いてまでクエストに行く必要なんてないんだからな!」

 

「そーそー。カズマの小狡いパテントで輝かしい未来は約束されてるわけだし、今更真面目に働くなんてできるわけないのよねぇ」

 

「これまで俺たちはよく頑張ったよ。駆け出しなのに身の丈に合わない格上と散々戦わされ、楽に死ぬか苦しんで死ぬかの紙一重のところを首の皮一枚でなんとか生き残ってきた。もうそろそろ安心安全な異世界生活を享受したっていいはずだ。少なくとも、一年は冒険者稼業なんて休業だからな」

 

「いいわねぇ。一年、こうしてダラダラと焚き火を眺める生活も悪くないわねぇ。カエルに食べられることも、ミミズに食べられることもない一年……。考えるだけで心の傷が癒えていくわ……」

 

「何不自由ない俺たちの勝ち組印税ライフを棒に振ってたまるか! 俺たちは命のやり取りから解き放たれ、真の自由を勝ち取ったんだ! そういう事だから、そのクエスト用紙は菓子折り付きで丁重にお返ししてきなさい」

 

 取り付く島もなくしっしっ、と追い払われたソウゴは、仕方ないと一度戦略的撤退を選択する。テーブルで頬杖をつきながら成り行きを見守っていためぐみんとダクネスは、ソウゴでさえ調略出来なかったダメニートコンビにほとほと呆れた様子でため息をついた。

 

「あの駄目人間たち、テコでも動く気がないようですね……。紅魔の里での奔走っぷりはどこへ行ったのでしょうか」

 

「どうする? このままでは本当に休業、そのうち冒険者は廃業して商売で食っていく、などと言いかねないぞ」

 

「そうだね。せっかくルナからカズマとアクアが好きそうで面白そうなクエスト譲って貰えたのになぁ」

 

 四つ折りにしていた紙を広げ、そうボヤくソウゴ。しかしそんな言葉に未だ引っかかるほどカズマやアクアも学習能力がないわけではない。聞こえないふりをして怠惰を極める二人は、ピクリとだって反応する気配がなかった。そんな電池の抜けた二人と違って少なからず興味を示すめぐみんとダクネスは、ソウゴの言う面白そうなクエストとやらの依頼書を覗き込む。

 

「ほほう、新たに発見された遺跡の調査ですか。難易度は……ってなんですかこのドクロの数は!? 冬でも無ければ駆け出しの街のクエストボードになんて張り出されることのない危険度ではありませんか!」

 

「ただの遺跡調査とは思えないな……。何がそこまで危険だというんだ?」

 

「なんでも、巨大なゴーレムが遺跡を守ってるらしくて、近づく者には容赦なく攻撃してくるんだってさ。外に散乱してる石碑を調べても年代は不明。運良く中に潜り込めた人の話によると、そこら中に機能を停止した人間みたいな形のゴーレムが放置されてるらしいよ。誰が何のために作ったのかわからない、まさに謎と未知に溢れた不思議遺跡ってわけ。冒険っぽくてワクワクしない?」

 

「確かに冒険っぽいですが……」

 

「そんなクエストでよくあの二人が釣れると思ったな……」

 

 めぐみんとダグネスは揃って顔を引き攣らせた。概要を聞いただけでもカズマたちが喜んで受けるようなちょろくて稼げるクエストでないことはわかる。一体どんな口八丁で二人を丸め込んで死地に連れ出そうとしたのか、この何を考えているのかわからないへらへら男に久しくドン引きしていると、ソウゴは含むような笑みを浮かべて少し小声でこそこそと語った。

 

「それがさ、その遺跡にいるゴーレムのほとんどがメイドみたいな格好してて、更に奥に何体か美少女っぽいゴーレムが眠ってるらしいんだよ。ゴーレムって創造者じゃなくても主人になれるんでしょ? そういうのカズマ欲しいかなって」

 

美少女メイド……!」

 

「そうですね。稼働しているものは支配権を塗り替えるのにかなりの魔力が必要ですが、ソウゴなら問題なくできると思いますよ」

 

「あとね、お宝は見つけたパーティーの総取りだけど、帰還した人達は今のところ戦利品無し。それってまだ財宝が残ってる可能性が高いってことでしょ? たくさんのゴーレムを使役するくらいの凄いダンジョン主なら、それ相応の凄いお宝が奥に眠ってる……かもしれないね。そういうのアクア喜ぶかなって」

 

お宝ざくざく……!」

 

「ほう、リスクは高いが夢があるんだな。だがそれだけの好条件なら、難易度はさておき受けたいパーティーは他にも多いんじゃないか? ソウゴにしては珍しいクエストのチョイスだな」

 

「そこはちょっとまあ、色々とね」

 

 ダクネスの疑問にへらへらと笑みを浮かべ歯切れ悪く誤魔化すソウゴは、追求を避けるように早々に話題を切り上げて、鼻息荒くそわそわと落ち着かない二人へと視線を向ける。そして見透かしたような目で微笑むと、わざわざいつもより大きな声量で、これまたわざとらしい口調で独り言を呟いた。

 

「ちょっと勿体ない気もするねー。まあ俺たちが断ったら王都に回される案件らしいし、すぐ解決するかなー。仕方ないけど、お昼食べたらルナに返してくるよー」

 

「「…………」」      

 

 ダメ押しのようにわざとらしくため息をついたソウゴは、そわそわしている怠け者二人のことに気づいていないのか依頼書を畳み直しさっさと懐にしまう。もう本当に諦めてしまったのだろう、残念がっていたクエストのことなどさっさと忘れセナからの差し入れである包を広げると、ソウゴはわっと顔を綻ばせた。

 

「おっ、今日は一口サイズのサンドイッチかぁ。いっぱいあるし、みんなも食べる?」

 

 そんな申し出に、めぐみんとダクネスは少し困ったように眉をひそめて顔を見合わせる。そして示し合わせたかのように眉を八の字に曲げたまま、めぐみんは手探りで言葉を選びつつ疑問を口にした。

 

「いいのですか? その……セナがソウゴにと作ったお弁当なのに」

 

「みんなで食べた方が美味しいし、俺は足りなかったら適当に食べるから平気だよ」

 

「その言葉、セナが聞いたら泣いてしまいそうだな……。頂戴するが」

 

「そうかな?」

 

「せめてお礼くらいちゃんと選んであげてくださいね……。私たちは選びませんが」

 

「うん。そのつもりだけど……」

 

 感動するような言葉だったろうかと首を傾げながら、二人の言葉の意図に勘づかないソウゴは摘んだサンドイッチを口に運ぶ。きっと仕事をしながらでも食べられるようにという配慮が込められているのだろう、野菜も挟んであってバランスがいい。彩りに星やハート型に切られたバランが添えられていて、そういう目でも楽しませてくれるところにも細かな気遣いを感じる。

 

(お礼かぁ。たしか、セナって男同士の恋愛ものが好きなんだっけ……。また今度あのおっちゃんに聞いてみよ)

 

 などと、悪魔のような善意を芽生えさせるソウゴがひょいひょいとサンドイッチを摘んでいると、暖炉の前からわざとらしい咳払いが聞こえる。チラチラとこちらへと視線を向け、見えるように伸びをする挙動不審者二人。しかし、そんなあからさまな仕草を視界の端にも入れないソウゴは残りをさっさと口の中に放り込むと、ご馳走様でした、と一礼をして席を立つ。

 

「じゃあ行ってくるよ」

 

「「いや待って」」

 

 

   ⏱⏲「「待ってくださいお願いします」」⏲⏱

 

 

「あれが遺跡か。見た感じ、なんか神殿みたいだな」

 

「儀式とかしそうだね」

 

「ここから見える限りでは、巨大ゴーレムとやらの影はありませんね。ソウゴはなにも感じませんか?」

 

「それらしい魔力は全然見えないよ。魔法的な力が使われてないゴーレムなのかも」

 

「そんなことがあるのだろうか? 動力となる核には大なり小なり魔石が使われているはずだが……」

 

「それ以外でも魔力で構成されている部分は多いですよ。パーツ同士を繋げているのだって魔法の力ですから」

 

「あらあらぁ? ということは、百戦錬磨の私たちに恐れをなして逃げたのかしら? なかなか賢いゴーレムみたいね」

 

「バカ座ってろ。隠れてる意味なくなるだろ」

 

 カズマに何を言われようと、敵の影すら見えない現状況下のアクアには効果がないらしい。宴会芸用の扇子をひらひらと舞わせる女神様は、こういうとき真っ先に不幸な目に遭うということを忘れてしまっているようだった。もちろん〈敵感知〉は怠っていないが、先日の女オークのこともありやや過敏なくらいのカズマは駄女神のことなど早々に諦めて岩越しに遺跡を注意深く観察する。

 新しく見つかった未調査遺跡はそれなりに古いものなのだろう、遠目から見ても風化や損傷の具合がわかる。遺跡というよりはゲームで見た事のある神殿なんかに近い見た目の、例えるならローマっぽい建築物は建物を囲うように聳え立つ柱がいくつか折れてしまっていて、神聖さと不気味さを併せ持つ荒れ果てた廃墟らしさを醸し出していた。それが戦闘の爪痕なのか経年劣化なのかは定かでないが、これほど立派なものがこれまで誰の目にも触れず放置されていたという事実にカズマは首を傾げる。

 

「しっかし、結構目立ちそうなのになんで今まで見つからなかったんだろな」

 

 カズマの疑問は、きっとアクア以外の全員が抱いていたものだろう。この遺跡、別に鬱蒼とした木々に囲まれているだとか、谷の底にあるとかではない。アクセルの街から南に歩いて数時間。見晴らしの良い砂丘の中に、ぽつんと鎮座しているのだ。宝船が現れたと思うべきか、それとも何か悪いことの予兆なのか。何か勘づくものがあるのかと仲間たちの表情を窺うも、期待に叶わずただ一様に眉をひそめるだけだった。

 

「デストロイヤーのせいで辺り一帯焼け野原になったでしょ? あの後周辺を調査してて見つかったらしいけど、それについてはギルドの人皆が不思議だって言ってたよ」

 

「ソウゴが余計なものまで復活させちゃったんじゃないの?」

 

「それはないよ。巻き戻したのは精々数時間程度だし、あれは元々ここにあった建物だよ。間違いなく」

 

「人の目に晒されなかった理由……。例えば、強いモンスターの縄張りだった、とかではないでしょうか?」

 

「モンスターから遺跡を守るために配置されたゴーレムというわけか。生態系は戻っているが分布は変わっているようだし、納得のいく仮説だな。なら、どうしてこんな辺鄙な場所に遺跡を建てたのだろうか?」

 

「それは……余程の機密事項が眠っている、とか?」

 

「ま、理由なんて何だっていいわよ。ちゃっちゃとお宝頂いて帰りましょ!」

 

「おいアクア、突っ走るんじゃない! どこから敵が来るのかもわからないんだぞ!?」

 

「へーきよへーき! ソウゴだって敵の気配はないって言ってたじゃない。そんなことより、お宝は見つけた人の総取りでいいわよね? じゃ、おさきー!」

 

「待ってくださいアクア! 一人は危険です!」

 

 じっとしているのに飽きたのかダクネスとめぐみんの制止を振り切ったアクアは、「おったから♪ おったから♪」と鼻歌を交えて遺跡へとスキップしていく。普段の行いを省みてほしいと思うのはきっと高望みなのだろう。後で泣きべそをかく姿が容易に想像できるが、仲間の危機に体が動いてしまうダクネスやめぐみんと違ってカズマは慌てたりしなかった。

 

(アークプリーストより炭鉱のカナリアにでもジョブチェンジした方がいいのではなかろうか)

 

 恐れを知らないというのは怖いもので、地雷原を軽やかなステップで意気揚々と駆け抜ける自称女神には鳥ほどの危機感も無いらしかった。ダクネスやめぐみんもトラブルメーカーを引き戻そうと後を追い、陣形も何もあったものではない。巨大ゴーレムに泣かされるのか、遺跡内のトラップにでも泣かされるのか、取り敢えず様子を見るため俯瞰に徹しようとカズマが決心した直後、足元を揺らす大きな地鳴りに合わせて遺跡の入口まで近づいたアクアの真下から突き上げるような衝撃とともに大きな亀裂が走った。

 

「な、なになに!? 何だかとっても嫌な予感がするんですけど??!!」

 

「ほー。近づいたら現れるタイプの門番か。(おもむき)があるな」

 

「感心している場合か!? アクア! 早く戻ってこい!」

 

「でも、さっきの仮説通りモンスターから守るためのゴーレムってことはなさそうだね。出てくるのが遅すぎるよ」

 

「どこかにゴーレム出撃のスイッチがあって、アクアがそれを作動させたのかもな。寸前まで〈敵感知〉スキルに反応がなかったし」

 

「二人ともどうしてそこまで落ち着いていられるんですか!? 仲間のピンチですよ!?」

 

 隆起した地面は砂丘を掻き分け、巨大な壁となって遺跡への侵入者を阻む。流れ落ちる砂粒の向こうにある影は遺跡を上から覗きこめるほどの丈があり、確かにこれは巨大と称する他に表現方法はないだろう。砂塵の中から現れた黒光りする腕は、ごつごつとした五本の指で慌てふためく強欲な侵入者の体を絡め取り、いとも簡単に右手の中に収めてしまう。お約束のごとく捕まったアクアがわーきゃーと喚いているが、この巨体を前に構っていられる余裕は無い。砂のベールを払い除け見せた真の姿、その得体の知れない見た目のゴーレムに、ダクネスは思わず身震いしてしまった。

 

「なんと巨大な……! 金属でできたゴーレムなど見たことがなかったが、アレなら私も満足できそうだ……! おいゴーレム! 人質なら私が代わろう。アクアを離せ! 締め上げるならわ、私を締め上げろぉ!」

 

「感心してる場合じゃなかったんじゃないの?」

 

「なんですか、なんなんですか、あの形状、あの光沢……! カッコイイ! カッコイイですよ! 紅魔族の感性にビシビシ響きます! 何とか捕獲して持ち帰ることはできないでしょうか!?」

 

「仲間のピンチは?」

 

「ちょっとアンポンタンどもー! 女神の私が捕まってて超ピンチなんですけど!? 遊んでないで助けて欲しいんですけどー!?」

 

(俺が言うのもなんだが、こいつら敵が出てきたってことを理解しているのだろうか。しかし……)

 

 緊張感もなく平常運転の三馬鹿娘プラス魔王はさておき、カズマは現れたゴーレムに既視感を禁じ得ずじっくりと観察する。まず目に付くのは全体のフォルム。ダクネスの見立て通り光沢のあるボディが金属でできているのは一目でわかるのだが、そのシルエットは昭和の超合金の玩具のような無骨さと愛嬌があった。

 それだけならまだいい。

 動くたびに関節部から排出される蒸気、今まで見たどのゴーレムよりも洗練されたボディ、どことなく一昔前のロボットアニメを彷彿とさせる見た目、アクアの首から上以外すっぽりと握りしめてしまえる巨大さ、そして極めつけは赤く発光する複眼。そして何より、これだけの巨体にも関わらずソウゴが少しだって魔力を感知していないのだから間違いない。

 

「どう見ても巨大ロボだよなぁ」

 

 ゴーレムというよりロボットそのもの。自律型巨大ロボと言えば聞こえはいいが、力を誇示するように腕を上げて胸を張るポージングもカズマのよく知る九十年代に主流だった日本のアニメのイメージそのままだった。

 魔法の力以外で動くロボなんて絶対に日本からの〈転生者〉が関わっているんだろうなとしげしげと眺めていると、ロボは人質を取っていることなど忘れているのか右腕を前に突き出す。ここまでくれば次にどんなに技が飛び出すのかは想像に難くはない。それは元日本担当の女神であるアクアも同じようで、髪の色ほど青ざめる彼女は直視したくない現実から目を背けることも許されずただうわ言のように口をパクパクさせていた。

 

「う、嘘よね……? 私、まだ握られっぱなしなんですけど……? まさかお約束的にロケットパンチとかしないわよね……? 死んじゃうから! 絶対死んじゃうからー! たすけてよかずまさわぁーーーーーー!!!」

 

 ロボの右肘の辺りから推進力なのか炎が溢れ出す。こんなお約束ばっかり起きることがあってたまるかという呆れの気持ちと、これがソウゴの視ている未来の景色なんだなという緊迫した気持ちが混じり合う最中、泣きじゃくるアクアを握りしめたロボの右腕は無慈悲にも発射された。

 

「凄いですカズマ! 腕が飛びましたよ! あんなゴーレム見たことがありません! 絶対に生け捕りにして連れて帰りましょう!」

 

「ダメに決まってるだろ! ああいうのはその場で壊しといた方がいいって相場が決まってるんだよ!」

 

「お願いします! ちゃんと餌もあげますし、毎日散歩にもいきますから!」

 

「あんなデカイのどこをどうやって散歩させる気だよ!」

 

「馬鹿をやっている場合か、敵の前だぞ! あれは私が受け止めるからアクアを頼むソウゴ!」

 

「はーい」

 

 水の女神様から垂れ流される涙と鼻水で緩やかな下り坂の軌跡を描き、カズマでも全然余裕で避けられる程度のとろさで迫り来るロケットパンチ。等速直線運動など夢のまた夢と言いたげに、重力に従ってなだらかに高度を落とす飛翔体を素直に受けてやる義理は全くもって無いのだが、それでもわざわざ仲間たちの前に躍り出たダクネスは両手を広げ鋼鉄の塊を待ち構える。

 

「さあこい! 私を押し潰してみせろぉーー!!」

 

「お前は実益と性癖が合致してるだけじゃねぇか」

 

 長身の部類に入る自身の身の丈の二倍以上はあろうかという金属の塊を、嬉々とした表情を浮かべて全身で受け止めんとするダクネス。まあ避けても砂のおかげで無事に不時着するだろうが、変態はそんなことでは止まれないらしい。

 両手を広げニヤけたダクネスと、絶叫するアクアを握りしめた巨大な拳がぶつかりあった瞬間、金属同士がかち合う重い音が辺りに響いた。ロケットパンチは遅さの割に燃料が切れるまで前進は止まらないらしく、吹き出す炎を推進力にダクネスを襲い続ける。しかし勢いにも質量にも一歩も押し負けない防御力を見せつける彼女はギリッと歯を噛み締めると、拳を捕まえながら険しく眉間に皺を寄せた。

 

「カズマ……! っく、ダメだ……っ!」

 

「おいまさか、ダクネスが音を上げるなんて……!?」

 

「こいつ見た目に反して中身が空洞だ! 重さが足りない! これでは満足できないぞ!!」

 

「早くもアクアを助け出すって目的を忘れてんじゃねぇよ。……ソウゴ」

 

「はいはい」

 

 どうして遺跡に入る前に疲れているんだろうか。浮かんだ疑問を頭の周りから振り払うカズマは、隣で仕方ないなぁとでも言いたげな顔で事の成り行きを静観していたソウゴに後を任せる。不満げなダクネス、白目を剥くアクア、目を輝かせるめぐみん。第一関門で騒ぎ倒す仲間たちを見て、カズマはただただ肩を落とすしかなかった。

 

「……もう帰りたい」

 

 

   ⏱⏲「えいっ」「私のまじぇんがー!」「もう名前付けてたのかよ」⏲⏱

 

 

「うう……。わたしのまじぇんがーが……」

 

「元気出してめぐみん! 帰ったら私が爪楊枝で機動魔神グレートマイザーを作ってあげるわよ!」

 

「……カッコイイですか?」

 

「もちろん! 女神の本気を見せてあげるわ!」

 

(傍から見たらお母さんと娘だな)

 

 なんてことを口走れば無意味に爆裂魔法を食らってしまうだろう。いつもならポロッと零れるような言葉をそっと胸の内に秘め、カズマはソウゴによって木っ端微塵にされ機能を停止したロボの破片を拾い上げまじまじと観察する。この世界で魔法を使わずに機動する巨大ゴーレムというだけで興味は引かれるが、それ以上に気になるのは今後同じ素材で似たようなものを作り販売できるかどうか。ロケットパンチで飛んできた拳と発射台となった本体とでは材質や重みが違うことに気がついたカズマは、カンカンと打ち合わせてぼそぼそと一人言を呟く。

 

「飛んできた方は薄いわけじゃないのにすごく軽いな。鉄とか鋼とは違うみたいだし……合金とかか? いや、この世界の合金がこんなに軽いわけないか。でも軽さの割には硬いしな……。そもそもこいつの動力ってなんだ?」

 

「何かわかったのか?」

 

「いいや全然。何か新製品に役立てばと思ったけどダメだな。わかったのは部分ごとに耐久度とか重量とかが凝られてるってことくらいだよ」

 

 土台は自重を支えて動けるようにしっかりと造られているが、上半身になるにつれて軽量化の試行錯誤が窺える。両肘から先は特に硬くそれでいて軽く、飛ばして武器にすることが前提の構造のように思えた。ここまでロマンに拘ってロケットパンチを再現したのなら、あの蜘蛛型兵器と同じく自爆装置の一つでも付いているのではないかと残骸を漁るが、どうやら作動する前にトドメを刺されてしまったらしい。開発者泣かせな魔王の行いに多少の申し訳なさを感じつつも、余計な災難に巻き込まれずに済んだと胸を撫で下ろし立ち上がる。

 

「かなり作り込まれていた、ということか」

 

「ああ。一体何と戦うことを想定して作ったのかはわからないけど、少なくともこの近辺のモンスター相手なら負け無しだったろうよ」

 

「ふーん。そうなんだ」

 

「……そりゃ全部素手で粉々にするやつには違いなんてわかんないだろうけどさ」

 

「オーマジオウの鎧の方が軽くて丈夫だし負け無しだよ」

 

「出処のわからない不思議スーツで張り合ってくんな。……しかし、これだけデカいうえに自爆機能まで付いてるとなんかデストロイヤーを思い出すな。なあアクアー。冬将軍のときみたいに、転生者たちの意識のせいでゴーレムが生まれるみたいなことってあるのか?」

 

「それは無いと思うわよ? 少なくとも私は聞いたことないわね。めぐみんは心当たりある?」

 

「いいえ。そもそもゴーレムとは〈クリエイト・ゴーレム〉などの魔法で生み出し使役する魔法人形のことです。精霊のように人間の意識が存在に影響を与えることなどありえませんよ」

 

「そうか……。となると、こいつはオーバーテクノロジーの産物とかでもなくて間違いなく日本人転生者が作ったものってわけだ。一気に関わりたくなくなってきたな。帰るか」

 

 こういうのに関わるとろくな目に合わないという経験則から、回れ右を提案するカズマ。二度あることは三度あるなんて言葉があるように、妙に親近感が湧き始めている科学者の存在がチラついているのが最たる理由なのだが、そんな及び腰のカズマに仲間たちは異を唱えた。

 

「ちょっとちょっと。今更引き返すなんて冗談でしょ? 面倒なゴーレムも倒して宝の山が目の前だって言うのに、私が怖い思いしただけになるじゃない」

 

「これだけ強力なゴーレムに守らせていたのです。重要な秘密、あるいは財宝が眠っているに違いありません。今こそ、隠匿されし真実を暴く時です」

 

「新たに発見された古い遺跡なら歴史的価値もあるだろう。クエストを抜きにしても興味があるな」

 

「守ってたゴーレムがいなくなったから、今を逃せば他の冒険者が全部探索し尽くしちゃうだろうね。それはちょっと勿体ない気がする」

 

 どうやら多数決では惨敗らしいことを悟るカズマ。嫌な予感がしつつも一理ある仲間たちの反論に折れた彼は、肩を落としてため息をつく。

 

「……しょうがねぇなぁ。俺も美少女メイドゴーレム欲しいし、ちゃっちゃと終わらせるか」

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

 松明だけが頼りの薄暗い石造りの廊下に、コツンコツンと靴底が石畳を叩く音が響く。壁には照明らしい設備が一応あったものの応急処置の目処が立たないほどに劣化が酷く、蜘蛛の巣だらけのそれらはカズマの手に負える具合ではなかった。事前情報通り暗がりのそこかしこに機能停止した人型の残骸や風化し砂埃で汚れた布切れが散乱しており、その損傷っぷりが廃墟然とした佇まいをより際立たせている。その陶器のように冷たい光沢を放つガラクタに松明を近づけたカズマは、ぽつりと疑問を口にした。

 

「……美少女?」

 

「には見えませんね。どう見ても」

 

 煌々と燃える炎に照らされるそれは、不気味の谷に足を踏み入れてすらいない、マネキンに落書きをしたものとでも表現すべき人形だった。目はぱっちりしているが瞼はなく、直接ペンキで描かれた灯台の地図記号そのもの。頭に植え付けられている毛のようなものも毛糸のような質感でもさもさと毛羽立っており、とてもじゃないが美少女なんていう装飾語が付いていいような代物ではなかった。

 

「おいソウゴ。聞いていた話と違うんだが」

 

 きっと()()さえ無ければ不出来な失敗作が転がっているだけと無視できただろう。しかしこの人形たちが袖を通しているこれは、風化しているとはいえカズマのよく知るおよそ機能性皆無のメイド喫茶のコスプレ衣装のようなぼろ布。この転がっているガラクタを指して、 美少女メイドだなんて宣うのであれば無視するわけにもいかない。そんな詐欺師を見るようなカズマに対して悪びれる様子のないソウゴは、ケロッとした顔で小首を傾げた。

 

「何のこと?」

 

「放置されてるのは美少女メイドって話だったろ。まさかとは思うが、これがそうだなんて言わないよな?」

 

「メイドみたいな格好してるとは言ったけど、美少女メイドが転がってるとは言ってないよ。美少女型は奥に眠ってるって言ったじゃん」

 

「……そだったっけ?」

 

 どうだったか、半日ほど前のことを思い出そうと首を捻るカズマ。そう言われればそうだったような気もするが、なんと言うか、いつもと同じように上手く口車に乗せられているような気もしてくる。スキルとは違うカズマの直感と経験が、何となくこの先に進んでもいい事は無いと告げている気さえする。

 

「ねえ、そんなのどっちだっていいから先に進みましょ? お宝はもう目の前なんだから」

 

「そうだな。ここで立ち止まっていてもゴーストが寄ってくるだけだ」

 

「私は構いませんよ。手に負えないくらい集まってくれば屋内でも合法的に爆裂魔法を撃つことができますし」

 

「屋内であんなもん撃とうとするな」

 

 こういう時の嫌な予感は当たるものだが、もう引き返すなんて言えるところはとっくに過ぎてしまっている。ため息をついたカズマは、まあソウゴがいれば最悪死ぬことはないだろうと、まだ見ぬ美少女メイドとお宝に思考を切り替えた。

 

 

   ⏱こ⏲の⏱す⏲ば⏱

 

 

「ここが一番奥の部屋なのかな。儀式とかは……しそうな感じはしないや。試作品の展示会みたいだね」

 

「並んでいるのは一体どういった用途の魔道具でしょうか……? うーん、私でも見たことが無いものばかりですね。使い方も見当さえつきません」

 

「これは……香水入れだろうか? ほんの微かだが、爽やかな香りがするな。いい香りだ」

 

 長いテーブルのように隆起した石段の上にズラっと並べられた魔道具らしきものをそれぞれ手にし、各々の感想をこぼすめぐみんとダクネス。めぐみんがカショカショとおもちゃのナイフを抜き刺ししている、黒い髭をつけたオッサンが樽から飛び出してくる系のそれは魔道具じゃなくてゆんゆんが喜びそうなパーティーグッズだよとか、ダクネスが熱心にスンスンと匂いを嗅いでいるそれはトイレの芳香剤だよ、と教えれば喜ぶのだろうか怒るのだろうか。どちらにせよ日本の影がチラついて仕方がないので黙っておこうと、カズマとソウゴは目を合わせて肩を竦める。

 ここは神殿でも遺跡でもなく、おそらく日本人転生者が建てた工房とか倉庫とか、そういった類のものだったのだろう。ここまで入り組んだ道もなく、罠なんかが仕掛けられていなかったところを見るに間違いない。存在を隠蔽するための仕掛けが何らかの拍子に解除されたと考えるべきだろうが、まあ細かいところは考えたって仕方がない。

 

(ってことは、お宝とかは期待できないよな。俺が家主だったら倉庫に貴重品なんて絶対隠さないし。でも美少女メイドゴーレムが我が家にやってくるのは大きい。俺たちの勝ち組印税ライフをサポートしてくれる家事代行は普通にありがたいし、もういっそ美少女じゃなくてもいいまである)

 

 正直なところ散乱していた人形もどきと比較して美少女というのなら、まあそれはそれとして抗議したいところだが、カズマとしては姿形にこだわるつもりはもうすっかり無くなっていた。美少女メイドというものに心が浮かれていたが、よくよく考えてみればいくら金があろうとあの屋敷に積もる埃を綺麗にするには人手が必要で、それが紅魔の里を素早く復興していたようなゴーレムがやってくれるのならこんなにありがたいことは無い。欲を言えば美少女メイドが希望だが、入口を守っていたゴーレムの凝り様を見るにきっと実用的な機能はついているはず。探索を進めるなかでそんな期待がカズマの中にふつふつと芽生えてきていたのだ。デザインはさておき。

 そんな期待に胸を膨らませるカズマに、片っ端から家探しする埃まみれのアクアは少しムスッとした顔を見せた。

 

「ちょっと、カズマにソウゴ。ぼさっとしてないでアンタたちもお宝探しなさいよ。もしお宝が見つかっても分けてあげないわよ」

 

「見つかったらな。……ところでソウゴ。それでその、例の美少女メイドっていうのは……?」

 

「俺も聞いた話だからあんまり詳しくないんだよね。でも、壁の隙間からは魔力が漏れ出てる。きっとそこに隠し扉とかあるんだと思うよ」

 

「ホント、相変わらず便利な能力してるよな」

 

 迷いなくある一箇所を見つめ壁の前に立ったソウゴは、両手の平でぐっと壁を押す。押戸ではなかったらしくビクともしない壁を見て、少しふむと考えたソウゴは、四人が見守るなかで拳をグッと振りかぶった。

 

 

   ⏱⏲「えいっ」「隠し扉を力技で開けるんじゃねぇよ」「え、ダメなの?」⏲⏱

 

 

「ここは、手狭だが居住スペースのようだな。ソウゴ、ここには隠し扉のようなものはないのか?」

 

「どうだろうね。魔力が滞留しててよくわかんないや」

 

「思わせぶりな隠し扉で隔離していたというのに、お宝の気配は全くありませんね。空振りと見ていいでしょう」

 

「そぉんなぁぁ……。私のお宝がぁ……」

 

「お前のじゃねぇよ。……さて。美少女メイドゴーレムはっ、と」

 

 項垂れるアクアを放置して、四人は部屋の探索を始める。馬小屋と同じか少し広いかくらいの部屋にあるのはホコリの被ったベッドに木製の机と椅子、それとタンス。机の上には設計図やら本やらが散乱しており、若干荒れているように感じるのは前回ここまで到達した冒険者が既に探索を終えているということだろう。それとは別に、生活感が非常に顕著であり長い間放置されていたことがわかるようにかなりしっかりと煤と埃にまみれている。何かを動かす度に埃が舞うが、今更冒険者がこの程度の汚れでキャーキャー言う訳もなく、ベッドの下からタンスの裏まで隅々調べていく。そうしているうちに、カズマは少し模様がズレている壁を見つけた。

 

「おっ、ここ外れるな。まるで脱出ゲームみたいな……、ってなんだこれ、金庫か?」

 

「金庫!?」

 

「わかりやすく元気になるやつだな。でも中にお宝なんてないと思うぞ」

 

「そんなのわからないじゃない! 早く開けましょう!」

 

 板が雑に嵌っているだけだったそこを開いてみると、そこにはカズマがかがんで入れるくらいの背丈の偉く仰々しい金属の引き戸が現れた。ダイヤルと押しボタン式パスワードのダブルロックだが、やはり誰かが最近侵入したのだろうパスワード用のボタンは特定の場所の埃が無くなっており押された形跡があった。きっとこの奥に例の美少女メイドゴーレムが安置されているのだと悟ったカズマは、アクアから期待の眼差しを背に受け前回来た冒険者たちが開けっぱなしにしている事を祈りノブを回すも、返ってくるのは固い施錠済みの感触だけだった。

 

「ま、そりゃそうだよな」

 

「ねえカズマ。早く開けてほしいんですけど」

 

「そう言われたって鍵のヒントもないんじゃな」

 

「クリスがいれば盗賊スキルで開けられたのかもしれないな」

 

「そんな事せずとも、先程同様ソウゴにぶち破ってもらえば良いではありませんか。まじぇんがーを素手で砕けるのですからこんな鉄の扉だってわけは無いでしょう」

 

「いやいや、これ開けてすぐ目の前にゴーレムが眠ってたらどうすんだよ。こういうときは、どこかに解錠のヒントがあるのが定番なの」

 

「穴を開けるのがダメなら無理やりこじ開けることもできるけど。仮にゴーレムを壊しちゃっても直せるよ?」

 

「どんな馬鹿力だよってまあソウゴなら素手でこじ開けられるし穴くらい開けられるか……。でもな、やっぱりこういう脱出ゲームの謎解きみたいな要素はちゃんと乗り越えてこそ手に入れた時の感動があるってものだよ。やったことないか? 捕まってるなら扉蹴破って外出ろよって感じのゲーム」

 

「ないけど……。そういうものなの?」

 

「そういうものだよ。その辺に何かないか? 謎の色つき文字とか、見たことあるこの施設内の場所の絵とか写真とか、とにかくそれ単品じゃ何の役に立つのかわからないものだ」

 

「なんだその抽象的だが具体的な探し物は……? まあ、思い当たるものはあるにはあったが……」

 

「あるんだ」

 

 感心するソウゴを横目に、ダクネスは一冊の本をカズマに見せる。表紙のハードカバーはかなり傷んでいて、室内同様年季を感じさせる一冊だった。受け取ったカズマは表紙を入念に調べるが、特に変わったところは無い。本当にただの、経年劣化しただけの普通の本という印象だった。まじまじと外装を見つめるカズマに、ダクネスは補足を口にする。

 

「少し中を見たんだが、見たことのない字で何が書いてあるのかさっぱりでな」

 

「見たことない字……って、これ日本語じゃねーか」

 

 カズマが一ページ目を開くと、それに習って関心を示す全員がその本を覗き込む。お世辞にも綺麗な字とは言えないが、そこにはしっかりとした筆跡で、紅魔の里で嫌という程に見たさほど懐かしくもない日本語が記されていた。内容としては日記なのだろう、言葉の端々や筆圧から責任感や重責、苦悩といった感情が滲み出ていて、これを書いた人物の人間性というものが窺い知れる。ここに金庫を開く鍵が記されているのだろうか、眉間に皺を寄せるダクネスとめぐみんにもわかるよう、他人の日記を盗み読むことに抵抗を感じつつもカズマは文章を読み上げ始めた。

 

「えっと……『異世界生活一日目。この日、私は女神に頼まれて異世界へと降り立った。魔王を倒し、世界を救うために。道は困難を極めるだろうが、俺の決意に揺るぎはない―――

 

 

 

 『―――異世界生活七日目。女神様に貰った力を試してみた。それは自らが望むものを創り出すという恐るべき能力だった。手始めにこの施設を作ったが、この力があれば世界を征服することすらもできるのではないだろうか? だが、私の望みはただ一つ。魔王を倒し、この世界の人々を救うことのみだ。

 

 『異世界生活一一三日目。魔王に対抗できるものを生み出したいが難航していた。それは、この能力を使用する時の制約が問題なのだ。その制約とは『物作りの際に強い思いを必要とする』というもの。作り出すものにどれだけ強い想いを抱けるかが重要なのだ。私の魔王を倒したいという思いはこの程度のものなのか……!? 苦悩が続く。

 『分かっている。自分が本当に望んでいるものは何なのかを。だが、魔王を倒したいというのも嘘ではない……! 私は悩んだ。何度も何度も、自分に問いかけた。そして、悩みに悩んだ末に……

 

 

 『魔王討伐は、諦めることにした。

 

 

 

「「「「「え?」」」」」

 

 五人の声が綺麗に重なる。責任感の強い勇者が現れたと思っていたのに、唐突な意志の瓦解に全員が困惑していた。目が点になりながらも、カズマは続きを読み進めていく。

 

 

 

 『だってしょうがないじゃん。俺、元ニートだし。異世界に来たくらいでそうそう中身が変わるわけないじゃん。……決めた。俺はこれから好きに生きる。自分の作りたいものだけ作ろう。まずは男の憧れ、美少女型ロボが欲しい。それと、巨大ロボットもロマンだなぁ。いや、もうどっちも作っちゃおっと!

 

異世界生活一九三日目。巨大ロボ改め巨大ゴーレム作ってみた。でもダメだ。搭乗できない。ちょっとだけ乗ってみたけどホント無理! 洗濯機に放り込まれた汚れ物の気分だった。でも作ったものは仕方ないし、ここを守らせとこーっと。おっといけない、自爆装置つけ忘れてた。必須だよな、自爆装置。自爆しなきゃロボじゃないよ、うん。あ、ロケットパンチもいいな。もう少し改良しよう。

 

異世界生活二八九日目。念願の美少女型ゴーレムの制作開始。だが失敗ばかりだ。だって硬いんだよ、膝枕がさぁ! 力加減もできないし! 頭撫でて貰った時なんか首折れるかと思った(笑) ついでに言うなら致命的な欠陥があった。美少女型ゴーレムにとって最も重要なものが足りなかったんだ。それはデザイン。俺絵心ないんだよなぁ。おかげでコケシみたいなのしかできない。練習しよう。

 

異世界生活三〇二日目。巨大ゴーレムと美少女型ゴーレムが、目を離した隙に暴走を始めた。外がめちゃくちゃだ。反抗期だろうか? 守らせとくの無理だな。なんか障壁とか展開しとくか。

 

異世界生活五六三日目。もう一度原点に立ち返る。妥協することなく、自分の理想を追求したものを作ることにした。まず俺が求めるものは……Mか、Sか。いやまあ、それはひとまず置いておこう。

 

異世界生活七八三日目。違う! 何が違うんだ!? 目鼻立ちか!? 髪型か!? それとも造形そのものなのか!? もう一度デザインから見直しだ。ここで妥協したら今までの苦労が全て無になる。あ、ちなみに俺Mだったわ。やっべ、俺やっべ! ひとまず、それは置いておこう。

 

異世界生活一二三○日目。悟った。そうだよ。俺の力があれば美少女型ゴーレムにこだわる必要ないじゃん。この力でどこかの技術大国に士官しよう。それで、高給貰って、美人メイドさんとか雇えばいいじゃん。やっべぇ! テンション上がってきた! この世界に送ってくれた女神様、あざーしたーっ!

 

追伸。今、私はノイズにいます。国を飛び越えてこの世界の上下水道を私は作っています。もし誰かがこの日記を読んだなら、ここに眠るゴーレムたちを大事にしてあげてください。ちっとも言うこと聞かないけど、みんな可愛い我が子です。

 

 

 

「「「「…………」」」」

 

「ハハハッ。ハズレだったみたいだね」

 

 読み終えたカズマは、そっと日記を閉じる。なんだろう、この清々しいまでの読了感は。なんとなく、途中からこれを書いた人間が誰かは分かっていた。それはソウゴを除く三人も同じなのだろう、ソウゴの軽口に反応することも無く皆無言を貫いている。その様子を妙に感じたのかソウゴは首を傾げるが、四人はお互い目を合わせることも無くすぅーっと、大きく息を吸い込んだ。

 

 

   ⏱⏲「「「「お前かーーーっ!!」」」」「えっ、誰!?」⏲⏱

 

 

「ねえカズマ、やめときましょ? どうせその中に入ってるのは、デストロイヤーを作った転生者が言うこと聞かないって太鼓判押したゴーレムだけよ? 今日のところは私が泣かされただけでいいから、もう帰りましょうよ」

 

「ダメに決まってんだろ。それに、ソウゴなら言うこと聞かせられるかもしれないし、そうじゃないなら今ここで全部ぶっ壊しとかないと後が怖い」

 

「そんなに美少女メイドが欲しいの? ほら、きっとダクネスなら喜んでメイド服着てくれるから、それで我慢しましょ?」

 

「おおおいアクア! どうして私がメイドにならねばならない!? お前たちは忘れているかもしれないが、私は誇り高い騎士でダスティネス家の娘だ! む、無理やり女給の格好で傅かされ、下げたくない頭を下げさせられ、カズマの下卑た視線に晒されながら毎日をす、すす過ごすなど! きっ、きっとカズマの事だ。主人という立場を利用し、断ることの出来ない私に無茶な要求ばかりしてくるに決まっている……! んっ、ハァ……ハァ……やれるものならやってみろ!!!」

 

「今日一でよく喋るなぁ。でも腹筋の割れたメイドなんていらない」

 

 アクアとダクネスを袖にしつつ、次々とロックを解除していくカズマ。日記にはきちんと解錠の仕方が載っていたのだが、やはり盗賊スキルに縁があるからだろうか、傍目から見ても手慣れた作業のように感じる。扉が開くのを後ろで控えながら眺めるソウゴに、同じく後方に陣取るめぐみんがそう言えば、といった感じで尋ねた。

 

「ソウゴソウゴ。帰還したパーティーとやらから何か情報は聴けていないのですか? その美少女メイドゴーレムとやらについて。襲いかかってきたとか、そもそも魔力切れで動いていなかったとか」

 

「俺は家でグータラしてるカズマとアクアが簡単に食いついてきそうな持て余してる厄介事ないかってルナに聞いて、出てきたのがこれだから詳しくは知らないんだよね。本当はギルドから派遣された調査隊が、駆け出しの手には余るって判断したから王都の方へ流れる予定だったらしいし」

 

「家で歯切れが悪かったのはそういうことですか。こうして見るといつも通り二人が上手く丸め込まれただけなのですが、ここまで表現と誇張だけで別の話のように思わせるのは、立派に詐欺師の手管ですね」

 

「人聞きが悪いなー。あはは」

 

 冷静に分析するめぐみんに、へらへらと笑って誤魔化すソウゴ。調査隊だって立派なパーティーだし、誰もアクセルの冒険者が来たなんて言っていないので嘘をついているわけではないのだが、なんともスレスレの言い分に、きっとその内もっととんでもない案件を引き連れてきそうだとめぐみんは思う。少しワクワクしてしまうのは、きっと紅魔族の性分だからだろう。

 そんなこんなしているうちにロックを全て解除したカズマは、扉に手をかけて開く……前に、ソウゴにぴっと指を向けた。

 

「いいかソウゴ。美少女メイドゴーレムなんて、いたらいるだけ幸せになれるんだ。使役できそうなら一体だって壊すんじゃないぞ」

 

「わかってるよ。それに、機能が停止しててちょうどいい背丈ならアンナが乗り移れるかもだし」

 

「なるほど。いっつも虚空に向かって喋ってるからアクアかソウゴがいないといるのかどうかわからないもんな。よし、ちょうどいいの探すか」

 

 話はまとまったとばかりに、カズマは扉を開いて奥へと進む。それに習ってダクネスが、その後ろを嫌々アクアが、そしてめぐみん、ソウゴと順番にくぐって行く。扉の向こうは想定よりも広い開けた場所になっているらしい。特に前を行く仲間にぶつかることなく大広間に出たソウゴは、ほほー、と高い天井や青く光る地面に声を上げた。

 

「おい、あれを見ろ!」

 

 ダクネスが指差す先にあるのは、複数のガラスケース。中はゴーレム保存用のものだろうか、白い気体が充満していてどうなっているのか窺い知ることはできない。しかしそれぞれ人影のようなものは見えるため、中で待機状態になっているのだろう。近づいてメをこらせば中にどんなものが入っているかは分かるはずだ。きっと調査隊はここまで来て、ガラスケースを開けずに撤退したと思われる。外に襲ってくるゴーレムが待ち構えていたのだ、普通に考えればここのゴーレムは全て好戦的だと思うだろう。わざわざ敵を増やすような真似を常人がするわけもない。

 そう、常人なら。

 

「おい、ちょっと待てめぐみん」

 

 ふらふらとガラスケースに近づくめぐみんの肩を、カズマはしっかりと握りその足を止める。彼女の目の前にあるのはボタン。押せば何が起きるか、とかは書いていないが、各ガラスケースごとに同じものが併設されているのだからだいたい予想は着く。それはここにいる誰しもが同じだったようで、引き止められためぐみんは振り返るとそれはそれはにこやかな笑みをカズマに向けた。

 

「どうしたんですか、カズマ?」

 

「どうしたんですかじゃねぇよ。お前今何しようとしてる」

 

「目の前にボタンがあるなら、何が起こるか予想が着いていても押してしまうのが人の性。カズマも押したければ隣のをどうぞ」

「お前忘れたわけじゃないだろうな。こいつら全然言うこと聞かないらしいんだぞ。そんなの解き放ってみろ、どうなる?」

 

「ソウゴが困ります」

 

「その通りだ。でも、こっちにはソウゴの未来視っていう誰も困らない解決法があるんだ。大人しくしてろ」

 

「嫌です! 未来の私がボタンを押せたとしても、今の私が押せないではありませんか! 何の解決にもなって、は、離せー!」

 

「お前のそのよくわからん衝動を抑えればいいんだよ! 絶対押させないからな! おいソウゴ! どうなんだよ、使役できそうなのか!?」

 

 バタバタと暴れるめぐみんの両手を押さえ、ガラスケースから引きはがそうとするカズマは後方に控えているソウゴへと問いかける。すると、後ろで俯瞰していたソウゴは少し残念そうに肩を落とすと両手で大きく‪✕‬を作った。

 

「ダメだね。どれも」

 

「何がダメなんだ? やっぱりチートで作られたゴーレムだから、主人を変更できないとかか?」

 

「うーん。たぶん、現物見た方がわかるかな」

 

 ちょいちょいと、ソウゴはカズマの左を指さす。何だ? とその行動に疑問を覚えつつも指された方を見ると、これまた迷惑行為に定評のある女神様が今まさにボタンを押しましたという体勢でこちらを見ていた。

 

「……目の前にボタンがあるなら、何が起こるか予想が着いていても押してしまうのが人の性なのよ」

 

「めぐみんと同じこと言ってんじゃねぇよ!」

 

 ボタンが押されたからだろう、ガラスケースが音を立てて開き始める。それと同時に中の白い気体が辺りへと漏れ出し、中のゴーレムが再起動する。一度下がらないと、とアクアに気を取られ油断したのが良くなかった。カズマの拘束をすり抜けためぐみんが、アクアに続けとばかりにもう一つボタンを押しガラスケースを解放する。

 

「お前何やってんだ!? ソウゴが使役できないって言ってるのになんでわざわざ起動させてるんだよ!?」

 

「一つも二つも同じでしょう。アクアが押せて私は押せないなんて我慢できません」

 

「堪え性のないやつらだなぁ! 余計なことしなきゃどうにかなっちまうのかお前らは!?」

 

「遊んでいる場合か! 三人とも早く下がれ!」

 

 ダクネスの一喝で我に返った三人は、全速力でダクネスとソウゴの後ろに隠れる。生き物でないが故にソウゴとの力の差がわからず、その上ソウゴにも使役できないほどの力を持つ〈転生特典〉で生み出されたゴーレム。外にいた巨大ゴーレムが強力だったため、ここに眠っていたゴーレムたちもさぞ強敵になるのだろう。

 しかし、身構えるカズマたちの前に現れたのは、意外にも大人しい二体の可憐な美少女だった。

 

「どなたが我々のご主人様ですか?」

 

「俺です」

 

 条件反射で名乗り出てしまったカズマ。自分でも驚くくらい自然と前に出て、後ろから三馬鹿娘の非難を受けるが何処吹く風。というのも、ご主人様だと名乗ってから二体の表情が和らいだように思えたからだ。

 二体のゴーレムは、本当に人間じゃないのかと疑うほどよくできていた。話しかけた方の一体は長い赤髪にクールな印象の美少女。もう一体は茶髪のボブで可愛い感じの美少女。胸から下は気体に隠れて見えないが、ボブの方はメイド服らしきものを着ていることが分かる。二体とも文句無く美少女で、並べればパーティーにいる三馬鹿娘に引けを取らない造形をしていた。

 そんな風に観察しながら鼻の下を伸ばしていると、カズマはふと疑問に思う。どうしてソウゴは使役できそうにないと言ったのだろうか、ということである。

 

(これはあれか? ソウゴが上書きするまでもなく俺がご主人様になれるってことなのか?)

 

 期待を込めてソウゴへと視線を向ける。これは、残りのゴーレム全て解放してもいいかという確認のための目配せでもあったのだが、状況に似合わずソウゴはとても渋い顔をしていた。女子たちの冷たい目線はいい。もう慣れている。しかし、こういうときのソウゴはカズマに軽蔑の念を抱くよりもへらへらと笑っていることの方が圧倒的に多いのだ。それがどうして? その答えは、ピシャッ! という鞭かなにかが放つ音と共に知ることとなった。

 

「……ぴしゃ?」

 

 変な音がしたと振り返る。そこには美少女ゴーレム二体が並んでいて、それ以外何も変化は無い。そう、変化()無い。何故なら最初から、彼女たちは持っていたのだ。

 

「……ふあ?」

 

 白い気体が晴れていき、彼女達の全貌がわかる。赤髪の方は鞭を、ボブの方は首輪を、それぞれ手にチャラつかせながらニッコリと微笑む。そこで、カズマはあの日記の一文を思い出した。

 

 

あ、ちなみに俺Mだったわ。やっべ、俺やっべ! やっべぇ!

 

 

「さあご主人様、お仕置の時間ですよ?」

「ほら、いい声で鳴けよ! 情けないオス豚が!」

 

 カズマは悟った。これはそう、あれだ。使役できるとかできないとかじゃない。そもそもメイドでもない。ちらりと、ソウゴへと振り返る。するとソウゴは、何を思ったのかにっこりと微笑むとぐっとサムズアップを向けてきた。いやいやグッじゃない、グッじゃ。そういうのは求めてない。お前はどんな未来を視てるんだ。ピシャンピシャンと地面を叩く音が近づいてくる。アクアとめぐみんの顔は青く、しかしダクネスの頬は赤く。本当に、外で巨大ゴーレムを倒した時点で帰っておくべきだったと心の底から深いため息をつく。

 

「メイドじゃなくて、女王様じゃねぇかーー!!」

 

 もう四度目は勘弁してください。カズマは、天にましますエリス様に深く祈りを捧げた。




まおーのえーへーさんへ

きのうは、けがをなおしてくれて、ありがとう! みーあちゃんとも、うぃずおねーさんともなかよくなれて、とてもうれしいです! まおーのおにーちゃんとも、なかよくしたいです! おおきくなったら、およめさんになってもいいよ! また、てじなみせてね!

追伸:うちの娘がどうしてもお礼のお手紙を書きたいと言いましたので、今回筆を取らせて頂きました。それで、お嫁さんとはどういうことでしょうか? まさか俺の娘が可愛いからって今から唾つけとこうとかそういうことか? 出るとこ出てもいいんだぞこのロリコン野郎! 手ぇ出してみろぶち〇してやるからな!? ついこの間までパパのお嫁さんになる、なんて言ってた娘を誑かしやがって! だいたい何だ魔王って!? バカにしてんのか!? 今度娘に近づいてみろ、アクシズ教の入信書にお前の名前書いて提出してやるからな!! わかったか!!!


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