錦の輝き、鈴の凱旋。 (@飼い猫)
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第1幕「錦の輝き」
第1話:錦の名を持つウマ娘


 私が走れば、誰も彼もが私の後塵に拝した。

 脚に力を入れた分だけ速度が増した。芝を踏み締めて、全身で風を切り裂く感覚が堪らなく最高だった。

 他全てのウマ娘を置き去りに、ゴールを目掛けて突っ走る快感は他に例えようがない。

 

 私はきっと走る為に生を受けたのだ、だから私はウマ娘なんだ。

 (ターフ)に立つと此処が私の居場所なんだって分かった。深呼吸をすると生きているんだって自覚できる。

 誰が相手でも抜き去ってやる、何処までだって駆け抜いてやる。

 

 私の名はビゼンニシキ。錦の輝きは、ただ一度の穢れも受け付けない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。通称、トレセン学園。

 全国にあるウマ娘トレーニング施設の中でも最新鋭かつ最大規模の施設を誇っている学園の名称だ。

 そのジュニアクラスのB組に私は所属している。まだメイクデビューも果たしておらず、粛々とトレーニングを重ねる毎日を送っている。チームには所属をしていない。トレーニングメニューや体調管理をしてくれるトレーナーは居ないが、練習法は自分で調べているし、食事も栄養素を計算して摂っているので問題ない。

 芝を駆ける、腕を振る。頭の天辺から足の指先まで、全ての動作を確認する。私には内に切り込んでしまう癖があるから、それを矯正し、より理想的な走法に少しでも近付ける。トレーニング方法や体調管理といった学んだ事を実践し、理解を深める。私の素質は天下一品なのだから今の内から競走ウマ娘としての活躍を終えた先のことも考えておかないといけない。この繰り返しが私の未来を錦のように磨き上げるのだと理解していたから力が入るというものだ。

 少しでも気になることがあれば、コースの外枠に置いたビデオカメラで確認し、自分が納得できるまで何度でも繰り返した。

 妥協はない。私は絶対の王者となるべくして産まれたのだから、誰よりも高みを目指す義務がある。

 

「相変わらず、精が出るな」

 

 コーナーの抜け方が少し気になったので撮影をしていたところ、外枠に置いていた家庭用のビデオカメラを取り上げられた。何度も繰り返し走っていたせいか、息が切れる。強い声を出すこともできず、呼吸が整うまでの間、ジトッとした目でひとつ上の先輩を見つめた。

 

「理想の走りを追求するのも悪くはないが、ひとりでは出来ることも限られるだろう?」

「……別に、誰も私には追いつけませんよ」

「まあまあ、そう言わずにだ。シキ、私のチームに入れよ。お試しでも良いんだ」

 

 どういう訳か、少し前から私のことを付き纏うようになった先輩――ニホンピロウイナーは事ある度に私をチームに誘おうとしてくるのだ。

 

「まだ試したい事がありますので……」

「そういってずっと一人で走ってばっかりじゃないか。いけないぞ、そういうのは。よし、此処は先輩が一肌脱いでやる」

「頼んでませんって」

 

 良いから、良いから。と先輩はトラックに入って勝手に私の隣に併せてくる。

 鬱陶しいこと、この上ない。私がジュニアクラスのC組に上がった時には、貴女の敵になるんだぞ? その辺り、先輩は分かっているのだろうか。確かに先輩は一期上で活躍するミスターシービーやカツラギエースといった強豪にも引けを取らない素質を持っている。併せて最後の直線、先輩が一歩抜きん出て私の直ぐ前を走る。今はまだ敵わない、しかし決して手の届かない距離とは思わない。私がシニアクラスのレースに出られるようになる頃には私の肉体も成長している。

 その時には漏れなく全員、私の後塵に拝させてやる腹積りだ。

 

「ほらほらレースはひとりでするもんじゃないぞ!」

「わっ! わぷっ……ああ、もう、わざと土を蹴り上げてるでしょ!」

「あっはっはっ! 気分良く走らせてくれるレースがあると思うなよ!」

 

 絶対にいつの日か分からせてやる。と蹴り上げた土を浴びながら前を走る背中を睨みつけた。

 泥まみれになった体、頭から水道水を被って洗い流す。すぐ後ろには先輩が居て、首に掛けたタオルで汗を拭っている。

 

「あんまり体を冷やすなよ」

「分かってますよ」

「これからの予定は?」

「たくさん運動をした後は、めいっぱいに食事を摂る。当たり前でしょう?」

「その後は?」

「図書館で調べ物ですよ」

 

 身体を鍛えるにはメリハリが大事であり、この後は酷使した筋肉を休める為に勉学に励むつもりだ。

 情報というのはナマモノで刻一刻と刷新されている、それ故に私は常に最先端の知識と技術を溜め込まなくてはならない。やるべき事は多い、やれる事はまだ残っている。やれる事が残っているという事は、私にはまだ成長する余地があるという事だ。

 類稀なる才能を持って産まれた私は、更なる高みを目指す義務がある。そして競馬界を牽引する使命がある。

 私の一生は、競走ウマ娘として活躍した後も続いているのだ。

 

「……なあ、やっぱりチームに入れよ」

「しっかり身体は休めていますし、体調管理はばっちりですよ」

「ひとりだと負担も大きいだろう?」

「そうでもないですよ。今月の体重表を見てみます? ちゃんと栄養管理もできてるし、一度も落としてないですよ」

 

 根性論が売りのトレーナーとか今時の流行りじゃないし、経験則とかいう陳腐化した情報なんて私には必要ない。

 私が求めるのは常に最先端のトレーニング理論であり、私の素質と身体に適した体調管理の方法だ。知識量で私を上回るトレーナーなんて多くないし、下手に知識をつけたトレーナーは自論を押し付けてくる奴が多いから邪魔になるだけだ。居るかどうかも分からない私に合ったトレーナーを探すなら少しでもトレーニングをしていたいし、知識を増やしておきたかった。

 私は自分のことは自分でできるウマ娘なのだ。

 

「……何時でも頼れよ、待ってるからさ」

 

 何処までも上から目線な先輩が不快で、私は棘のある言葉で睨み付けた。

 

「今はまだ眼中にないかも知れませんが――私は先輩の敵ですよ」

 

 分かりやすい宣戦布告。しかし先輩は相変わらず、後輩を心配する目をしていた。

 まあ良い、そうやって見ていられるのも今の内だけだ。

 来年、競馬界に轟くビゼンニシキの名が自らを脅かすことになるまで見ているが良いさ。

 

 その時になれば先輩も、杞憂に過ぎなかった、と思い改めることになるだろうよ。



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第2話:トモダチ×シリアイ

 メイクデビューには遅れたけど、11月第1週目、満を待したデビュー戦で6バ身差で余裕の勝利を飾った。

 同月第4週目に行われたさざんか賞でも3バ身差で危なげなく勝利し、12月の第4週目のひいらぎ賞でも2バ身で力のあるところを見せつけた。メイクデビューに出遅れたこともあって同期で活躍するウマ娘から実績で一歩劣るけども――決して敵わない相手ではない。来年度のクラシックでは、全国がビゼンニシキの名を知ることになる。

 そんな私は今、トレセン学園の食堂にて、個別に頼んだ食事を片手で摘みながらノートに書き込んだプランを読み返している。

 

「シキ、流石にそれは行儀が悪いと思うな」

 

 そう言いながら私の向かい側の席にトレイを置いたのは同期のスズパレード、メイクデビュー戦で転けた情けないウマ娘だ。一応、その後に3連勝と勢いに乗っているが、まだOP戦にも出て来ていないのである。私の敵ではない。素質があるかも知れないが、その素質が花開くのは今暫く経ってからの話だ。

 

「なんで私の前に座るかな?」

 

 しっしっと手で追い払う仕草を見せてやったが、スズパレードは意にも介さずに腰を下ろす。

 

「食堂だって広くないんだ、机を一人で占拠するのは頂けないよ」

「……他にも席は空いているように見えるけど?」

 

 時に混み合うこともあるが、食堂の机は基本的に余裕がある。

 

「まあ良いじゃん、良いじゃん。同期の好みってことで」

「敵でもあるんだけど?」

「私達は競い合う好敵手であり、高め合う仲間でもある。そして日常では友達だよ」

 

 そう言って、スズパレードは陽気に笑って目の前の食事を箸で突いた。

 彼女のトレイには日替わり定食が乗っかっている――まあ食堂で出る定食は栄養を考えて作られている為にバランスが良い。私のようにサプリメントも使って栄養バランスを調整している訳でもなければ、大人しく日替わり定食を食べているのが正解だ。

 

「ジュニア三強の一角として、来年度の予定はどうするつもりなの?」

 

 食べながら話す彼女の事を見て、行儀悪いな、と私は眉を顰める。

 これからの予定か……敵に手の内を明かすのは危険だが、今の彼女は私の敵ではない。

 考えをまとめる意味でも、少しだけ話に乗ってやることにした。

 

「ちょっと迷ってる」

「ほえ? 珍しいね」

「弥生賞から皐月賞を狙うのが本命。でも、その前にひとつレースを挟んでも良いかなって考えてる」

 

 私、ビゼンニシキには弱点がある。それは長い距離を走れないという事だ。

 私の身体はマイルが最も適している。とはいえ1800メートルは余裕で走り切れるし、たぶん2000メートルでも大丈夫だ。それ以上の距離となると少し厳しいかも知れない。

 だがクラシック三冠を狙うのであれば、3000メートルもある菊花賞は避けられない。

 現状では、誠に遺憾なことに菊花賞を走り切ることは難しいと言わざる得なかった。走り方の改善は必須事項、菊花賞を狙う算段なら出来るだけロスの少ないコーナーの曲がり方から研究をし直す必要があった。それ以前に2400メートルもある東京優駿を走り切れるかも問題だ。

 たぶん、東京優駿はギリギリ行ける。その後で夏の間、徹底的にスタミナを鍛え上げる必要がある。

 

 プランAはあくまでもクラシック三冠を狙う道筋だ。

 しかし菊花賞を獲ることが現実的でない場合はプランBへの移行も考えなくてはならない。

 

 プランBというのは変則三冠。つまりは皐月賞、NHKマイルC、東京優駿の3つを獲る計画だ。

 これなら距離の問題に悩まされることもないし、スプリンターズSからマイルチャンピオンSへと短距離からマイル路線への切り替えても良いし、東京優駿を獲れたなら天皇賞(秋)からジャパンカップを目指す手もありだ。三冠馬ミスターシービーや京都新聞杯を獲ったカツラギエース。皐月賞の惨敗から路線を変えて、NHKマイルCの覇者となったニホンピロウイナー。スズカコバンも忘れてはいけない。

 同期の中に敵は居ない、少なくとも2000メートルまでなら同期の誰が相手でも負ける気がしなかった。

 

「ハーディービジョンやロングハヤブサとは戦ってみたかったけどね」

 

 同期で私の敵となりうるとしたら、この二人だった。

 二人が無事だったなら私とクラシックを競うことになり、かつてTTGと呼ばれて騒がれた黄金世代の再来となったに違いない。

 長距離路線は他の誰かに譲ることになるかもだが、2400メートル以下のレースは私の独壇場になること請け合いだ。

 つまらない世代になってしまって観客の皆様方には本当に申し訳ない。

 

「ん〜、その二人も強いけど……シキと同じ時期に頭角を表した子がいるじゃん」

「居たっけ?」

「ルドルフだよ、シンボリルドルフ」

「……誰?」

 

 重賞に勝ったウマ娘なら粗方、頭に入っているはずなんだけど――ノートをペラペラと捲っても、重賞以上の戦績を書き記した中にはシンボリルドルフの名前は乗っていなかった。

 

「まだ重賞には出ていないけど、君と同じ三戦三勝でオープン戦にも出ている。今年のクラシックは君とルドルフの二強だって話で持ち切りだよ」

「ふぅん?」

 

 ハーディービジョンやロングハヤブサと云ったレベルが、そうホイホイと出て来るものかね。

 メイクデビューの出遅れから早々に来年のクラシック路線に照準を絞った私とは違って、彼女が出走したというオープン戦と同時期にある京王杯2歳Sや朝日杯フューチュリティーSを避けている時点で底が見えてる。ハーディービジョンを避けて、楽なレースで勝ち星を稼いでいる相手なんて私の敵ではない。

 私の敵はシニアクラスの猛者達だ、そう考えると少しでも多くの経験を稼いでおきたい。

 

「……というかパレード、他人のことよりも自分の心配をした方が良いんじゃない?」

 

 彼女は素質ウマ娘だが、自分の能力を十全に生かし切れていないところがある。

 今のままでは重賞を獲ることは難しい。

 

「私もどうするか考えているところなの〜。ねー、シキはどうしたら良いと思うかなー?」

「そんなの自分で決めなよ」

 

 私には他人に構っている余裕なんてない。秋の来たるべく激戦に向けて、邁進あるのみだ。

 それでもまあ情けない同期の為に、塩を送ってあげるとするならば、

 

「私と同じレースには出ない事だね」

「自信満々に言ってくれるなあ」

 

 スズパレードは苦笑し、そして大きく溜息を零した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私では勝てない。

 それはハーディービジョンの走りを初めて見た時に感じた事であり、シンボリルドルフのレースを映像で見た時も彼女との格の違いを思い知らされた。そして、その思いは私の友達――彼女は私の事をどう思っているか分からないけど、私は友達だと思っているビゼンニシキを前にする度に抱いている。

 ビゼンニシキは自信家の癖に常に自己研鑽に励み、才能だけでも太刀打ちできないのに遥か高みを目指して突っ走っている。

 彼女との付き合いは長い、同じチームのニホンピロウイナー先輩よりも長い付き合いだ。ジュニアクラスのA組だった時、初めて併せウマをした時から彼女との実力の違いを知った。そして、その走りに夢を見た。GⅠの第一線で活躍するようなウマ娘というのは、きっと彼女のような才能に満ち溢れた存在のことをいうのだと思った。

 それ以後、彼女は私の憧れで、たった独りでもドンドン強くなる。私にとって最高に格好いいウマ娘だった。

 

「おーい、パレ坊。そろそろ次の予定は決まったのか?」

 

 チームに割り当てられたプレハブ小屋にて、ニホンピロウイナー先輩に呼び掛けられる。

 

「えっと……どうしようか迷ってまして……」

「おいおい、もうすぐトライアルレースも始まるんだろ? 早く決めないと後で困ることになるぞ」

「それはそうなんですけど……」

 

 項垂れるように頭を抱える。

 トレセン学園に来て、初めて出来た夢はビゼンニシキと大舞台で競い合うことだった。

 しかし何処までも強くなる彼女は私のことなんか置いてけぼりで、あっという間に私の手が届かない何処かへ行ってしまいそうだった。……才能を持つ者に努力をされたら凡夫は太刀打ちできなくなるじゃないか。それで良し、と思うことは絶対にないけども、それでも何処か仕方ない、と思ってしまう自分が居るのもまた事実だった。

 そもそも自分にGⅠの大舞台に立てるだけの実力を付けることは出来るのか、それどころかオープンクラスで戦って行けるのか。

 

「……弥生賞の前って言ったら共同通信杯だよね?」

「お、パレ坊もクラシック路線に行くのか?」

 

 ふと零してしまった独り言にニホンピロウイナーが反応する。

 

「昨年の有力候補は軒並み怪我で戦線を離脱してしまったからな、ワンチャンあるんじゃないか?」

「えー、そうかなー?」

「パレ坊も素質はあるぞ。ワンチャン、G1だって狙えるさ」

「口だけは達者なんですから」

 

 私は本物を知っている、そんな口車に乗ると思ったら大間違いだ。

 

「……でもシキとは走ってみたい」

 

 激戦になるなら共同通信杯よりも弥生賞の方だ。

 それなら夢を叶える為に一歩、踏み出しても良いかも知れない。

 

「とりあえずトレーナーに相談してみて、やっぱり無理そうならラジオNIKKEI賞を目指す感じで……」

「おいおい、戦う前から臆してどうするんだよ」

「いや、だってー。勝てないっですってー」

 

 トレーナーに相談すると呆気なく共同通信杯にレースが決まった。

 どうしよう? って相談した一時間後には私が心を決める前に予定が決まっていた。

 ビゼンニシキも出るようだ。えー、んー? えーと、なんぞこれー?

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 共同通信杯、クラシック前哨戦とも呼ばれるこのレース。

 周りには敵と呼べるだけの相手はおらず、クラシックの更に先にあるシニア戦を見据えて、今日は粛々と課題を熟すに留める。

 それにしても――と全ウマ娘がゲートに収まった後、1枠1番に居座る友人未満の知り合いを横目に見た。スズパレード、まさか出走してくるとは思わなかった。弥生賞よりも勝ち目はあると思ったか、それともクラシック路線に本格参戦する腹積りなのか。まあ良い、私は私のやるべき事を熟すだけだ。

 私は、この前哨戦を踏み台に栄光の道を駆け抜ける。

 ゲートが開き、ウマ娘達が飛び出した。右へ左へと視線を送り、全ウマ娘の位置取りを把握したところで前を見据えた。

 精々、ビゼンニシキ伝説。その一歩目を間近に見られることを光栄に思うが良いよ。



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第3話:順風満帆

 共同通信杯。私、スズパレードの結果は4着と着内に入るので精一杯だった。

 全力を出し切って芝の上で仰向けに転がった私を、私の友達は涼しげなどや顔で私のことを見下ろした。

 友達のビゼンニシキは2着と1バ身を付けての1着、GⅢという大舞台で好位差しという戦術の予行演習に使っちゃえる彼女は私達とは役者が違っている。やっぱり私の友達は強い。負けたのは悔しいけど、強いと信じていた相手が強いと目の当たりにするのは誇らしかった。

 試合後、トレセン学園の学食で顔を合わせた時に「な、私って強かっただろ?」と言われたので私は力強く頷き返した。

 

 それから数日間、私達は友達を変わらぬ関係を続けている。

 少し前に比べると併せウマをする回数も増えた。私の素質と実力を認めてくれるようにもなった、その事は私の心を嬉しいって気持ちで満たしてくれた。溢れるほどの想いを貰っているはずなのに、だけど、何処か渇きのようなものも感じるようになった。ビゼンニシキは私によく「私と同じレースに出るのは勿体ないよ」と告げる。「もっと勝てるレースはいっぱいあるよ」と、その言葉は嬉しいんだけど、同時に少し寂しくもあった。

 私はビゼンニシキに勝ちたいと思ったことはない。けど、一緒にレースをしてみて分かったこともある。

 最後の直線、馬群をするすると抜け出して、飛び出した彼女の背中が遠ざかるのを見て、胸がきゅうと締め付けられるように辛かった。置いていかれるのは嫌だった。ビゼンニシキ、彼女はいずれGⅠを獲って然るべき子だ。今は一緒に居るけども活躍するに連れて、もっと凄い子達に囲まれるようになる。

 ……私は彼女のことを友達だと思っているけども、彼女は私のことを友達だとは思っていないと思う。だから、もし、その時が来て、彼女の傍に居るウマ娘達の中に私が居ないのは嫌だなって思った。

 重いかな? 重いかも知れない。

 

 練習時、バテる私に彼女は「今日は、此処までで良いよ」と言い残して、一人、トラックを更に一周しに行ってしまった。

 彼女の戦果を追いかけるように伸ばした手は届かず、彼女はドンドンと先へと向かって行く――それが歯痒くて、悔しかった。下唇を噛み締めて、呼吸を無理やり整える。彼女には才能がある、その上で努力家だ。彼女の瞳は常に遠くを見つめており、足を止めることを知らなかった。

 彼女と同じことをしていたら一生かかっても追いつけない。

 彼女が一歩進んだなら私はその更に一歩先を、彼女がトラックを10周したのなら私は11周目を走らなくてはならない。震える脚に喝を入れる。惰性での練習は意味がない、と彼女が言っていたからそれを忠実に守る。ただ走るだけでは意味がない、かといって彼女のように知識が豊富という訳でもない。走り方なんて気にしたこともない、だから私は全力で走る。疲れたからって流したりせず、その場で出せる全力を振り絞って走る。

 遅くても良い。その分、時間を掛ければ良いだけだ。

 

「はあっはあっ……待って、待ってよ、シキ……ううん、そうじゃない。それは違う、それはシキじゃない。立ち止まるのはシキじゃないて……嫌なら、私が追い縋らなきゃ……はあっ……ふうっ……うん、私が行くから……」

 

 私には才能がないから、物量で攻めるしかないのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 登校中、固め濃いめ多めのハチミツドリンクを啜りながら、ぎっしりと文字の詰め込まれた手帳を眺めて情報を整理する。

 共同通信杯の結果は上々、とはいえ良い経験が出来た。とは言い難い。有力視されてきたウマ娘が怪我で離脱した影響が、今年のウマ娘は例年よりもレベルが低いようだ。少なくともミスターシービーの他、カツラギエースやニホンピロウイナーが切磋琢磨しているひとつ上の世代と見比べて、些か見劣りするのは仕方ない。この調子なら案外、菊花賞も取れたりするかも知れない。

 あまり楽観視してもいけないが、気を張り続けるの体に悪いと云うものだ。

 昨日は脚を酷使したので今日のトレーニングは水泳を中心に組み立てて――――

 

「おうおう、ピロから話に聞いていたが随分と研究熱心な奴なんだな」

 

 ――不意に後ろから片腕で首に抱き付かれ、ひょいっと手帳を取り上げられた。

 

「それ、企業秘密なんですけど」

「良いじゃないか別に。読んでも大半は訳わかんねえよ」

「ならなんで読むんです? ラギ先輩」

 

 ひらひらと手帳の中身を覗き見る軽薄そうなウマ娘の名はカツラギエース。

 私のひとつ上の先輩であり、昨年はGⅠにこそ届かなかったが、ミスターシービー、ニホンピロウイナーと続くシニア路線の有力株だ。先行からの好位差しを得意戦術としており、私と戦法が似ている事から彼女の戦ったレースを何度か研究したことがある。

 そんな尊敬する先輩のウザ絡みを受けて、面倒臭いと思いながらもハチミツドリンクを啜る。

 

「俺の代にはシービーの奴が居たせいで大変だったが、お前の代も大変だなあ」

「ラギ先輩。シービー先輩と走ったレースだといつも惨敗で、対戦にすらなってないじゃないですか」

「うっせー、京都新聞杯では勝ってるし!」

「あれ、明らかにシービー先輩の調整不足でしたよね? お腹、ぽっこりでしたよ」

 

 クラシック3冠でのカツラギエース先輩の戦績は皐月賞が11着、東京優駿が6着、菊花賞が20着と全てが着外で酷いことになっている。とはいえ皐月賞は苦手な不良馬場、東京優駿と菊花賞も距離の壁に阻まれた結果での惨敗なので仕方ない面もある。特に後者は私も他人事ではなかった。

 

「……あと私の代が大変って何がですか?」

 

 むしろ敵が少なくて楽な部類に入ると思うのだけど。

 

「シンボリルドルフだよ、知らないのか?」

「何処かで名前は聞いたことが……」

「まじか、同期だろ?」

「見ての通り、私は一人なのでテレビ以外の情報が入り難いんですよ」

 

 重賞しか確認していませんし、と答えると、あー、と先輩は間延びした声を漏らした。

 

「とりあえずルドルフって奴には気を付けておけ、あいつからはシービー以上の貫禄を感じるからな」

「……負けませんよ。例えシービー先輩と同じ時代に生まれても、2000メートル以下の距離でなら負ける気はしませんので」

「あいつはまだ実力の底を見せてやがらねえからな……ま、お前には期待しているよ」

 

 ポン、と背中を叩かれて手帳を返して貰った。

 ひらひらと手を振って去る先輩の背中を見つめながらズズッとハチミツドリンクを啜る。

 ……シンボリルドルフ、ね。

 

「先輩の中では私が挑戦する側ってのが気に喰わないけども」

 

 ま、頭の片隅にでも置いておくとしましょうか。

 そこまで考えて、空になったドリンク容器をゴミ箱に遠くから放り投げた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 チーム割り当てのプレハブ小屋にて、先日に行われた共同通信杯の映像を観る。

 結果はビゼンニシキの危なげない勝利。次のレースではライバルになるかも知れない。とトレーナーに言われたので目に通しているが、特に興味を引かれる内容ではない。小さく息を零すと背後の扉が開けられる。振り返ると鹿毛でふんわりとした長髪のウマ娘が部屋に入ってくるところだった。

 マルゼンスキー。今はトゥインクル・シリーズを卒業して、ドリームトロフィー・シリーズの第一線で活躍するウマ娘だ。

 

「なかなか素質のありそうな子じゃない」

 

 プレイヤーの電源を落とし、テレビを消す。

 観るべきものはなかった。一位になったビゼンニシキは勿論、他のウマ娘達も私の敵ではない。

 

「あら、お気に召さなかったのかしら?」

「気に召すもなにも……私は、私のレースをするだけです」

 

 どの時代、どの場所にも、生まれながらの強者はいる。

 私、シンボリルドルフは、そういう星の下に生まれたのだと誰もが語った。

 私自身、自分の価値には気付いている。メイクデビュー戦の選考試合の時点で、既に私の事は関係者の間で話題に上がっており、重賞勝利は当然、GⅠ勝利は責務、関係者が私を語る時、どれだけのGⅠを獲るのかが議題に上がる程だ。それが驕りにならないだけの素質が私にはあり、それを腐らせてしまうことは非常に罪深いことだと自覚も持っていた。

 夏にメイクデビューを終えた後、暫くレースに出なかったのは地力を付ける為だ。

 私はクラシック3冠、秋シニア3冠。前人未踏の6冠ウマ娘を目標に掲げていた。朝日杯フューチュリティSに出場しなかったのも将来を見据えての事、世界のウマ娘の競バを肌で感じたいが為に私は朝日杯を蹴って、ジャパンカップの観戦を優先した。そうする事に、それだけの価値があると思っての行動であり、実際、それだけの価値があった。

 あの時、観客席から観た世界の競バに私は自分の矮小さを知った。

 こんな事をしている暇はない。休養と云うのであれば、充分に体を休めることはできた。

 

「あら、何処に行くのかしら?」

「練習です」

 

 席を立てば、マルゼンスキーが問いかけてきたので、そう短く返した。

 ロッカーから体操服を取り出す後ろで「あの子も可哀想ね」と溜息混じりに零す。

 

「例年ならクラシックのひとつやふたつを獲るだけの素質もあったのに、貴女と同じ年に産まれた子は可哀想ね」

「……私も、まだまだです」

 

 私はまだ未熟だ。

 このままでは駄目だ、日本のウマ娘は世界に通用しない。私はもっと強くならなくてはいけない。

 近年になって漸く、ジャパンカップが開催されたが日本のホームであるにも関わらず、まだ一度も勝利を勝ち取ることが出来ていなかった。

 日本で頂点を取るだけでは駄目だ。私には、これまで以上の努力が必要で、私が思う以上の高みを目指さなくてはならない。

 私が世界への道を切り拓く、今はまだ道なき道であったとしても、私が通った後が道になれば良い。その為には、まずクラシック3冠を、同年でジャパンカップと有馬記念を獲る。来年度には海外へと出向いて、世界を舞台に戦って、日本のウマ娘も凄いということを世界に知らしめるのだ。

 ハーディービジョンが怪我で離脱した今、私を除き、国内に世界で通用するウマ娘は存在しない。

 カツラギエースやニホンピロウイナーは勿論、3冠ウマ娘のミスターシービーですらも世界のウマ娘が相手では見劣りする。

 今から秋のジャパンカップが待ち遠しい。

 

 芝に出る、出来ることは己を鍛えることだけだ。

 脚に力を込める、クラシック3冠は通過点に過ぎない。

 己を鍛え上げる為に芝を蹴り上げて、駆け出した。



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第4話:伝説の幕開け

 弥生賞、皐月賞トライアルレース。

 同レースに出走した上位3着までが皐月賞への優先出走権を得る事が出来る為か、本番の皐月賞に向けた叩き台として丁度良い時期にある為か、ジュニアクラスで頭角を現した実力ウマ娘が集結するこのレース。春から秋にかけて行われるクラシックレースの命運を占う――謂わば、登竜門とも呼べるレースがこの弥生賞であった。

 6枠10番ビゼンニシキ。パドックを終えた私はレースまでの出番を待つ、やるべきことはやってきた。やはり私もウマ娘なのか、高鳴る想いを止めきれない。体が高揚している。焦りはない、今更になって焦っているようでは勝負の前に負けを認めているようなものだ。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

 私の二つ後、自信満々に胸を張り、鹿毛の長髪を靡かせて歩くのは7枠12番シンボリルドルフ。ニホンピロウイナー、カツラギエースと注目するウマ娘であり、世間では唯一、私の対抗に成り得る存在だと評判のウマ娘であった。すれ違い様、彼女は私に一瞥も暮れずに観衆の待つパドックへと向かっていった。

 緊張している様子はない、私に気付かなかった訳でもないだろう。無視された事は少し気に食わないが、どうせ今日のレースで私の名を知ることになる。

 気に留める事はない、と彼女の後に続くウマ娘に意識を向ける。

 

 8枠13番スズパレード、事前投票では4番人気のウマ娘。

 前走の共同通信杯とは比べものにならない大舞台に、どうにも彼女は緊張してしまっているようで、右手を右足を同時に前に出して歩く仕草に思わず吹き出した。彼女とて、実力のないウマ娘ではない。クラシック3冠の大舞台には相応しくないが、レースを選んで出走すれば、重賞を勝ち負けに持っていけるだけの実力が現時点でも備わっていた。

 今はまだ私の敵ではないけども、とバンと彼女の尻を叩いて激励する。

 甲高くて可愛らしい声を上げる彼女に、私は高笑いを上げながらパドック場にまで続く、長い通路を後にした。

 先ずは一勝、ビゼンニシキの伝説は今、此処から始まるのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「……んもう、お尻を叩く事ないじゃない。思わず駆け出すところだったんだからね〜?」

 

 高笑いをあげるビゼンニシキの背中を見つめて、薄らと笑みを浮かべる。

 ちょっとヒリヒリするお尻を撫でながら、うん、と頷き、力強く地面を踏み締めてパドック場へと歩みを進める。

 気合は入った。今日、レースで一緒に走る相手に塩を貰っているようでは駄目だと思うけど、それでも気に掛けて貰えていることがちょっぴり嬉しかった。まだまだ私はビゼンニシキの敵ではない。それでも私はビゼンニシキと競うことを選んだのだ。それが過酷な道のりだっていうことは分かっている。

 私には実力が足りない、知識もない。目指している場所も違っている。

 それでも貴女と一緒に芝を駆けたいと思ったから、そう願ってしまったから、私は今日から貴女の好敵手として頑張るのだ。

 

「これから始まる大レース♪ 色とりど〜りの勝負服♪」

 

 心を落ち着ける為にも、幼い頃から耳にしていた歌の替え歌を口遊んだ。

 全力を出そう、今の私には絶対に優勝するなんて大それたことを言う勇気はない。でも力を出し切れずに負けるのは、きっと後悔すると思うから、今持てる私の全てを以てレースに挑むんだ。

 出来ることが少ない分、考えはシンプルにまとまっていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 今年のクラシック戦を占う大舞台に私、ニホンピロウイナーは観客席の最前列を確保した。

 去年、クラシック3冠ウマ娘が誕生した事もあり、他にも多くの個性的なスターウマ娘を輩出した事から競バ界は多いに賑わっている。しかし今年は多くの有力ウマ娘が怪我で退場してしまった事からウマ娘人気も少しは低迷するかと思ったけど、杞憂だったようだ。

 次世代の競バ界を牽引するスターウマ娘の誕生に期待を寄せた、私達の頃の弥生賞よりも多くの観衆が押し寄せている。

 

「ラギ、ピロ、コバン。この試合を三人はどう見る?」

 

 右隣には昨年の3冠ウマ娘のミスターシービーが腕を組んで若ウマ達を見守る。

 

「順当に行けば、ルドルフの一強だろうよ」

 

 と答えるのは左隣のカツラギエース。観客席とレース場を仕切る柵に肘を当て、頬杖を突いている。

 

「ビゼンニシキだってルドルフに負けていないよ。それにワンチャン、パレードにだって勝ち目はある」

 

 二人に囲まれた私はカツラギエースの勝負は決まっているという物言いが不服に感じて異論を唱えた。

 

「私はルドルフちゃん推しで」

 

 そして私の後ろからは、おっとりとした声で割り込んできた。

 ふんわりとした鹿毛の長髪と大きな胸が特徴的な彼女の名はマルゼンスキー、その彼女の右手には首根っこを掴まれたスズカコバンの姿があった。少し目を離した隙に何が起きたのだろうか。そんな私の疑念に気付いたのか「逃げ出そうとしたので」とマルゼンスキーは端的に答えてくれた。

 

「うぅ〜、勘忍や〜。煮るなり焼くなりは勘弁して欲しいんや〜」

「先輩から逃げるのは、流石に無茶だろ」

 

 首根っこを掴まれたまま、ぐったりとするスズカコバンにカツラギエースが肩を竦めてみせた。

 

「人聞きが悪いわ、ちょっと併せてあげてるだけじゃない」

 

 マルゼンスキーが不服そうに唇の先を尖らせる。

 どういう訳か先輩はスズカコバンがお気に入りであり、事ある度にトレーニングに誘っては潰している。特にレースで負けた後は顕著であり、東京優駿で大敗を喫した後なんかはベッドの上で死んだように眠るスズカコバンが発見されて、ひと騒動が起きた。

 その甲斐あってか、次走の神戸新聞杯ではカツラギエースから勝利をもぎ取った。

 更に次の出走では、京都新聞杯でリベンジされてたけど。

 

「この人とは運命を感じるなんて思ったのが間違いやったんや〜」

 

 ちなみに私は短距離マイル路線なので、中距離がメインのミスターシービー、カツラギエース、スズカコバンと一緒に走ることは少ない。

 

「それでコバンの予想はどうなんだ?」

 

 ミスターシービーに促されて、スズカコバンは少し考え込んだ後で「ビゼンニシキで」と答えた。

 

「好みはスズパレードなんやけど、彼女はまだ体が出来てへんのやろ? 仕上がりという点ではビゼンニシキがひとつ頭を飛び抜けとる。何も起きんかったらビゼンニシキ、少しでも隙を見せたらルドルフが勝つやろうな。素質という点だけで見るならルドルフが飛び抜けとるよ」

 

 スズカコバンの予想外に真面目な考察を耳にして、私達は思わず黙り込んでしまった。

 なんやねん、と胡乱げな目を向ける彼女に、コホン、とミスターシービーが咳を入れる。

 

「私の予想はルドルフだ。彼女の素質は多少の仕上がりをものともしないよ」

 

 マルゼンスキーとカツラギエースが同調するように頷き返した。

 

「ビゼンニシキの脚はピロ相手にも引けを取らんと思うで。あいつの得意距離は、たぶんマイルやろうし……」

 

 雑談も程々に、スズカコバンの言葉を遮るようにレース開始のファンファーレが会場内に響き渡る。

 私達は何かを言うまでもなく、会話を中断してレース場に意識を向けた。

 各ウマ娘、ゲートに収まって――弥生賞、そして、これから始まる長いクラシックのシリーズが幕を開ける。

 

「あ、出遅れたやん」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「やらかした……!」

 

 ゲートの開くタイミングが掴めず、出遅れてしまった。

 大一番で、この失態。共同通信杯よりも200メートルも長い今日のレース、ただでさえ外枠で不安要素があるっていうのに――いや、そんなことよりも今は追いつかないと! もう周りは1バ身先を走っており、皆に追走する形で慌てて駆け出した。第1コーナーに差し掛かる。先行切って、内側に切り込む算段を付けていたが、今となっては後の祭りだ。このまま、大外から入っていくしかない。

 スズパレードは上手く飛び出したな、今は2番手の位置に付けている。幸いなのは2番人気のシンボリルドルフもまた外側に振られているところか――今日の面子で私と勝ち負けになるウマ娘が居るとすれば、彼女しか居ない。

 なら、実力勝負に持って行ってやれば間違いはないはずだ。

 

 シンボリルドルフの直ぐ後ろにピッタリとマークを付けてやる。

 第4コーナーからの直線勝負、戦術は関係ない。どちらの脚の方が切れるかっていう真っ向勝負。

 大丈夫、切れ味なら誰にも負けない自信が私にはあるッ!

 

 問題は先頭を切るニッポースワロー、その後ろに着いたスズパレードだ。

 このまま気分良く走らせていると勝利を獲られるかも知れない。かといって現状、私が打てる手はない。他のウマ娘も絡みに行く様子もなかった。こうなればもう自分の脚を信じるだけだ。距離的な不安はある。第3コーナーを回って、また大外に振られる。大丈夫、大丈夫だ。まだ脚は残っている。徐々に速度を上げるシンボリルドルフに合わせて、私も先頭との距離を詰める。

 第4コーナー、大外一気。シンボリルドルフの横を抜くつもりで(ターフ)を踏み締める。

 距離を離される。外と内の差か、でも! と内に切り込んで、加速させる。

 半バ身差、並んだ。

 並び掛けた。

 残り200メートルの標識が通り過ぎる。

 最高速に到達して、後はゴールまで全力で駆け抜けるだけだ。

 そのはずだった。

 

「クッ……ソ…………!」

 

 届かない、切れ味なら私の方が上だった!

 確かに並んだ、あの瞬間は私の方が速かった!

 癖が出た。真っすぐに走らず、内に切ってしまった。

 でも確かに私の方が速かった!

 脚に力を込める。最高速に達した私の脚がこれ以上、伸びることはない。

 

 一歩、地面を踏み締める度に脚が伸びる。

 芝を蹴り上げる度に速度が増した。

 切れ味は私の方が上だ。でも、奴の脚は長く伸びる。

 

「クソ……クソッ!!」

 

 実力勝負を挑んで負けるとか情けなさ過ぎるだろ!

 伸びろよ、もっと伸びろよ! 想いに反して、半バ身差まで迫った距離が更に開いて行った。

 このレース、最初から最後まで私の思い通りに行かなかった。

 いや、実力を見誤っていた。早めに抜け出して、鼻先を抑えるべきだった!

 

 あと50メートル、もう脚が残っていない……1800メートルの時点で脚は使い果たしていた。

 

 ゴール板を通り過ぎる、結果は2着。

 顎を上げて、息を整える私と比べてシンボリルドルフの奴は少し汗を流しているだけで涼しい顔をしていた。

 私では勝てない、少なくとも今のままでは2000メートルを超える距離では敵わない。勝負をするなら2000メートルまでの距離だ。

 奴を相手にするのに、東京優駿の2400メートルでは厳しい。

 

「クソ、クソッ! クソ……ッ!」

 

 今日は充分に勝ち目があった勝負だ。

 最初から最後まで思うようにレースが出来なかった私の責任だ。

 次は絶対に間違えない、皐月賞では絶対に勝ってやる。

 

 奴のなによりも気に入らないのは、私に向けて一瞥もしない。

 その澄ました面構えだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「負けちゃった……」

 

 控え室からレース場までを繋いだ長い通路。そこで一人、呆然と立ち尽くす。

 友達のビゼンニシキを追いかけて出走した弥生賞は、共同通信杯と同じ4着の結果に終わってしまった。反省点は多い。途中までは上手く走れたと思うけども第四コーナーで外側に大きく膨れたせいもあって、先行したニッポースワローにも届かない。最後の直線でシンボリルドルフに抜かれて、追随するようにビゼンニシキも私の横に並ぶことなく駆け抜けて行った。

 強いな、素直にそう思う。

 順位の差が、そのまま私と彼女を隔てる距離の差で、並び立ちたかった隣には私とは別の誰か居座っていた。

 ゴール板を超えた先、全力を出し切った私は毎度のように(ターフ)の上で仰向けになり、レース後はいつも涼しい顔をしていたビゼンニシキには珍しく肩で息をしており、私なんかには目もくれずに一人のウマ娘の背中を睨み付けていた。歯を食い縛り、拳を握り締める。普段、飄々とした態度を取る彼女が初めて見せる激情、全身から溢れ出す殺意の塊を見て、私は思ったのだ。

 なんて羨ましいんだ、と。彼女の激情を一心に向けられるシンボリルドルフが羨ましくて仕方なかった。

 私では二人に敵わない。私のような凡夫では二人の間に割って入ることなんで不可能だ、そのことが分かっていても私は諦めることができなかった。

 

『シンボリルドルフさん、本日のレースは如何でしたでしょうか?』

 

 ウィナーズサークルでは、インタビューが始まったようだ。

 会場全体まで伝わる音声は、此処まで届いた。

 何を言うのだろうか、私の友達は強かった。とでも言ってくれるのだろうか。

 私はともかく、私の友達は強かったでしょう?

 

『楽な勝ち方でしたね』

 

 しかし彼女の口から出た言葉は、私の予想を大きく外れるものだった。

 

『今後の課題は精神面の強化、デビュー当時から組み立ていたローテーションをきっちりと守って行きたい』

 

 コイツハ イッタイ ナニヲイッテイルンダ?

 ビゼンニシキは出遅れて、不利なレースを強いられて、それでも追い縋った。

 それが実力と言われたらそれまでだけど、それでも一度、並び掛けた事実を忘れたとは言わせない。

 

 ……悔しい。悔しい、悔しい……ッ!

 私が負けた事よりも、私の友達の事を無碍に扱われたことに腹を立てた。

 これが負け犬の遠吠えだってことは分かっている。結果が全てだってことは分かっている。

 1着と2着の間には、絶望的な隔たりがあることは理解している。

 ギリッと奥歯を噛み締める、此処からでは何を言っても彼女の耳には届かない。

 

「……頑張ろう、もっと……もっと!」

 

 私では何処まで行けるのか分からない、二人の背中を何処まで追い掛けて行けるのか分からない。

 それでも諦めきれない想いが、私にはあった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「……経験不足が祟ったかな」

 

 私、ニホンピロウイナーは今日のレースを観て、小さく溜息を零す。

 ビゼンニシキはトレーナーを持たず、チームに属さない完全に個人でレースに参加するウマ娘だ。本来なら模擬レースなり、併せウマなりで経験を積むのだが、彼女は実践を多く積むことでしか対応して来なかった。少しでもレース運びや駆け引きを学ばせる為に併せて来たが、それも所詮は一対一に過ぎない。距離的な不利に加えて、レース開始時の出遅れ、その後の運び方に至るまで拙い点が露呈してしまった。

 素質はあった、勝つ見込みも十分にあった。

 それでも負けたという事は、ビゼンニシキがシンボリルドルフよりも弱いということの証明に他ならない。

 速いだけでは勝てない。強いというのは、レース上で起こり得る全てを含めて云うのだ。

 

「随分と大口を叩きやがったな」

 

 カツラギエースが挑発的に笑ってみせると「それを言うだけの素質と実力はあるからな」とミスターシービーは壇上に立つシンボリルドルフを澄まし顔で見つめる。

 

「あと、あいつもだ。あいつもまた近い将来に私達の場所まで来るぞ」

 

 そう言ってカツラギエースが指で差したのはビゼンニシキだった。

 

「距離的にはピロが当たることになるか?」

「あれだけ走れるのなら2000メートルのレースにも出てくると思うよ、ラギ」

「かぁーっ! シービーとルドルフに加えて、あいつの相手もしないといけないのかよ。あーやだやだ、嫌になっちゃうねえ」

「ルドルフの脚、もうちょっと距離が長い方が伸びそうやなあ。シービーだけでも手に焼くってのに嫌になってくんで、ほんま」

「私はラギよりも適応できるというだけで得意距離は2000メートルまでだよ」

 

 若手の台頭というのは、嬉しく思うと同時に焦燥感を孕む。

 今はまだ私の方が実力は上かも知れないが来年、いや、早ければ秋にも私達を脅かす存在になる。

 その事を思えば、自然と口角が上がる。

 やっぱり速いウマ娘の登場は、喜びを以て迎え入れるべきだ。

 

「ルドルフの対抗はビゼンニシキか。もし皐月賞でルドルフが勝てば、3冠ウマ娘に大きく近付きそうだな」

 

 カツラギエースが横目にミスターシービーを見ると、彼女は堂々と胸を張って答える。

 

「その時は秋に迎え討つとしよう」

 

 私も若手を迎え討つ為に、鍛え直さないといけない。

 でも、その前にビゼンニシキには教えたいことがまだまだ残っている。好敵手の前に彼女は私の可愛い後輩だ、何を言っても一人でやるという強情なウマ娘で目を離すことなんて出来やしない。

 今から秋が楽しみで仕方なかった。

 

「ルドルフちゃんが秋に出てきた時の為にコバンちゃんも今から鍛え直しとかないといけないわね」

「え? あー、いや、うちは勝てるレースに出走していけばええかなって……」

「そんなことを言って、1番人気で負けたレースがいくつあったかしら?」

「か、堪忍や〜……」

 

 マルゼンスキーはスズカコバンの首根っこを掴んで、何か思い至ったのか、パッと掴んだ手を開いた。

 

「ん? え、あれ?」

「私、用事を思い出したわ。先に上がらせて貰うわね」

 

 マルゼンスキーは私達を一瞥した後、背を向けようとして――地面に崩れ落ちているスズカコバンに人差し指を突きつける。

 

「今日は許してあげるけど、しっかり気を引き締めないと私の練習に付き合わせるからね」

「も、もちろんや!」

「いつも返事だけは良いんだから……」

 

 溜息を一つ、零して。今度こそ、マルゼンスキーは観客席から立ち去る。

 彼女が抜けた流れで、残された私達も解散した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ウイニングライブを終えた後、シャワーで汗を流して、すっきりとした私は控え室まで荷物を取りに戻る。

 部屋の取手に手を掛けた時、中から誰かの気配がある事に気付いた。ゆっくりと扉を開けると中には、中には私の一つ下のウマ娘、「あ、パイセンちっす! お疲れ様でした! レース、凄かったです!」と同じチームのシリウスシンボリが元気一番で労ってくれた。丁度、御茶を淹れていたところだったようで、手には御盆を持っており、二人分の御茶が用意されている。「御茶、飲みますか!? まだ手を付けていませんし!」と彼女は返事を聞く前に意気揚々と机に御茶を配る。ひとつは空の席、もうひとつは、ふんわりとした鹿毛の長髪が特徴的な先輩のウマ娘、マルゼンスキーが椅子に座って私のことを待ち構えていた。

 わざわざ健闘を讃えに来てくれたのだろうか。……そこまで気が回る先輩だったか?

 

「先ずは弥生賞1着、おめでとう」

 

 パチパチと手を叩く先輩のことを胡乱げに見つめる。

 とりあえず後輩が用意してくれた茶を飲むか、冷ますのは勿体ない。

 席に着いて、とりあえず一言、

 

「ありがとうございます」

 

 と言って湯呑みを手に取る。

 彼女は、素っ気ない態度を取ったからといって、その事で機嫌を悪くするような性格をしていない。

 ただ全てを理解しているような目で微笑み掛けてくるだけだ。

 

「随分とらしくない事を口にしたわね」

 

 咎める訳ではない。優しさの込められた物言いに、私は首を傾げて、あの勝利インタビューの事かと思い出した。

 

「実際、楽な勝ち方をさせて貰いました」

「敵に塩を送るような真似をして……」

「彼女と同じ事をしないように戒めるつもりです。たった一発限りの勝負、出遅れたことは言い訳になりませんので」

 

 出遅れただけでレース運びは大幅に不利になる。

 先ずはクラシック三冠、秋シニア三冠。出来る事なら春シニア三冠。それを今年と来年だけで達成し、翌々年には海外のレースに出ることも視野に入れたい。目標の達成には三冠ウマ娘のミスターシービーを始めとした先輩方を相手取る必要があり、来年には――クッキーを咥えながら、茶請けの皿を持ってくるシリウスシンボリに加えて、将来を有望視されるミホシンザンといった若手達も相手にしなくてはならない。

 この目的を達成する為には、万が一の可能性も残してはならない。それは必ず大舞台で顔を出す。派手さは必要ない、必要なのは確実性だ。勝つべくして勝つ、完全無欠な強さことが私に必要なのだ。

 そうでなくては、何時か小さな失敗をした時に後続の者達に食われかねない。

 

「私の道を阻む者が居るとすれば――いえ、私がもしクラシック3冠を落とすような事があるとすれば、それは皐月賞でしょう」

 

 あのウマ娘とは仕上がりでは負けている。

 弥生賞からでは時間が足りない。明らかにマイル適性のあのウマ娘が皐月賞にだけ焦点を絞り、あれ以上に仕上げてくる事があったなら次は確実に勝てるという保証がない。

 しかし焦るな、私の目標は数年後にある。今、無理をして怪我をしては元も子もない。

 

「シリウス、明日からはまた併せウマを頼む」

「かしこまりっ! 明日からなんて言わず、今から走っちゃいませんか!? ルドルフパイセン!」

「流石に今日は足を休めておくよ」

 

 一歩、一歩、確実に歩んで行けば良い。そう自らに言い聞かせて、今直ぐにでも走りたくなるような滾る想いを抑え込んだ。

 

「……余計なお世話だったかしら?」

 

 マルゼンスキーは頬に手を当てながら、茶請けのクッキーを頬張った。

 

「あ、美味しい」

「ですよね! これ大好きなんですよ、私!」

「今度、買ってみようかしら?」

 

 和気藹々とし始めた二人を見て、私は人知れず溜息を零す。

 そしてシリウスシンボリが用意してくれたクッキーを手に取り齧ってみる。

 あ、美味しい。



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第5話:研磨

 トレセン学園に施設された芝トラック、そのひとつで模擬レースが開催されていた。

 第4コーナー、先頭を走るスズカコバン。その直ぐ後ろでマルゼンスキーが余裕のある脚で猛追する。二頭を追いかけるように馬群を率いるのはミホシンザン。その遙か後方にポツンと一人のウマ娘、ハーディービジョンが懸命に走っていた。

 ジュニアクラスのB組だった頃、ハーディービジョンはクラシック3冠の最有力候補だったウマ娘だ。

 彼女の後方から馬群を一気に撫で切る走りは、見る者を魅了した。それが朝日杯フューチュリティSを走った後、元から不安を抱えていた脚を痛めてしまって長らく戦線を離脱する事になる。

 あの時に魅せた驚異的な末脚は、今や見る影もない。

 

 苦渋を舐めさせられた弥生賞、

 彼女の末脚を持ってすれば、あの憎きウマ娘を相手に勝つ事も出来たかも知れない。

 その仮定に意味がない事を分かっていながらも想像し、やはり私には前方待機の好位差しの戦法が合っていると結論付ける。そもそもの話、私ではハーディービジョンの末脚に勝てないから今の戦法に落ち着いたのだ。

 溜息を零す。チームに所属しない私に足りていないものは経験だ。大人数によって並び立てるレースの経験が私には圧倒的に不足している。共同通信杯は前哨戦、弥生賞はトライアルレース。本番の皐月賞の前に、もう1回、レースを挟んでおきたい。チームに所属しない私がレース経験を得られるのは実戦の場において、他にない。

 ジュニアB組の時点で、ニホンピロウイナー先輩の誘いに乗ってチームに所属しておくべきだったか。

 いや、今、そのことを言ったところで意味がない。それに先輩のチームには、スズパレードが所属している。今や彼女も弥生賞では着内に入った好敵手だ。クラシックシーズン真っ只中の時期に好敵手のいるチームへの加入を頼み込めるほど、私も厚顔無恥ではない。先輩に頼むのは、早くても東京優駿を終えた後の話だ。

 今は私一人でも出来ることをする。

 

 目指すは三週間後。レース間隔は厳しくなるが、仕方ない。

 あのウマ娘シンボリルドルフを相手に勝つ為には、多少の無茶は許容して然るべきだ。

 楽して勝てない。故に出来る限りを尽くし、万全を以て、叩き潰してやる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「あの莫迦め!」

 

 プレハブ小屋に戻るとニホンピロウイナー先輩がガシガシと頭を掻きながら悪態を吐き捨てていた。

 此処はチームシリウスに割り当てられたプレハブ小屋。チームシリウスというのは先輩が自分の為に発足したウマ娘チームであり、所属するウマ娘からトレーナーまで彼女ひとりで掻き集めた経緯がある。

 チームメンバーには私、スズパレードの他にタマモクロス等が所属している。

 トレーナーは男の人でウマ娘の体調管理を一身に引き受けている。基本的にウマ娘が持つ個々人の方針に口出ししないけど、相談すると親身になって話を聞いてくれる優しい人だ。個人で動いているビゼンニシキと併走することも許してくれる。

 彼はウマ娘のトレーニング知識も豊富なので、私は彼の作ったトレーニングメニューを基に動いている事が多かった。

 そんな彼が荒れる先輩を前に困ったように眉を顰めている。

 

「えっと、どうしたのです?」

 

 私が問いかけると先輩は「あの莫迦は……!」と言いかけて「いや、なんでもない」と私の顔を確認してから口を閉ざした。

 横目に机の上に広げられたプリント用紙、出走予定表を横目に見やる。GⅡスプリングS、皐月賞トライアルレース。私の視線に気付いた先輩が慌ててプリント用紙をまとめて片付ける。しかし、もう見てしまった。そこには既に東京優駿への優先出走権を得ているはずのウマ娘、ビゼンニシキの名が刻まれていた。

 私はスンと心を落ち着かせて、トレーナーと先輩に進言する。

 

「私も出たいです」

「駄目だ」

 

 即答する先輩に「どうしてです?」と私は首を傾げる。

 

「レースの出走間隔が短過ぎる」

 

 そう答えたのはトレーナーの方だった。

 

「皐月賞の後を考えないのであれば、それもまたありえない選択ではないのかも知れない。でも君の目標は皐月賞を優勝する事だけではないはずだよ?」

 

 彼の諭すような物言いに、自分が気落ちしていくのを感じる。

 無茶を言っていることはわかっている。さっきのは欲望がそのまま口から出ただけだ。

 皐月賞の後、すぐに東京優駿が控えている。

 私の憧れはビゼンニシキ、彼女と一緒にレースを走り続けたい。あわよくば競い合いたかった。

 その目的の為には、今、無理をして怪我をすることはできない。

 

 冷静に考えれば、簡単に分かる話。それでも一緒にレースがしたかった。

 

「皐月賞でも一緒にレースができる。ワンチャン、一着を取ることだってあるかもよ」

 

 先輩の慰めの言葉を耳に、私は握り締めて歯噛みする。

 ビゼンニシキは何処までも前に向かって駆け続けている。私の事なんて見向きもせずに目標に向かってまっしぐらだ。

 何時か、何時の日か、私だけを見て欲しいなって、そう思った。

 

「少し走って来ます」

 

 頭を冷やす意味でも告げた言葉に、トレーナーは優しく目を細めて頷き返してくれた。

 (ターフ)に出る。すると、そこには近頃、勢力を増しつつあるサクラ軍団とも呼ばれるチームがトラックのひとつを貸し切っていた。

 チーム名は確か、ハマル。少し前まで活躍していたウマ娘がトレーナーを務めるチームだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ミスターシービーが3冠を制覇した時、心が打ち震えた。

 NHKマイルCでニホンピロウイナーが勝利した時、思わず叫び声を上げてしまった。弥生賞ではシンボリルドルフがビゼンニシキを相手に強い勝ち方を示し、彼女が私の一つ上の世代を引っ張っていくと信じて疑わなかった。

 皆、私にはないものを持っている。

 キラッキラの輝きを放つ彼女達の活躍は、まるで自分の事のように嬉しかった。ウイニングライブのステージで華麗に踊る彼女達の姿に憧憬と羨望の眼差しを向けながらも、私は彼女達とは同じ舞台に立てないことを何処かで予感していた。

 私の血筋では、栗毛のウマ娘は活躍しないらしい。

 産まれたその時から私の命運は決まっていたようで親からは期待されず、周りからは落胆の吐息と共に産まれた。元気に育ってくれれば、それで良い。と言われて育って来たが、成長する過程で栗色の髪を何度恨めしく思ったことか。

 チームハマルのプレハブ小屋で、今日も今日とて溜息を零す。

 

「おい、ユタカオー! 何を項垂れてやがる! 今年にメイクデビューするんだろうが!」

 

 机に突っ伏して、ぐでーってしているとトレーナーに怒鳴りつけられた。

 

「シンゲキさん、こんにちは」

「シンゲキっていうな! 今は別の名前を名乗ってるのだから、そっちで呼べ!」

「えーっ? この前までずっとそう呼んでたのに。急に言われても無理ですって、シンゲキさん。あっ」

「あ・ぶ・み!」

「はい、あぶみさん」

 

 トレーナーの日高あぶみ、元サクラシンゲキのウマ娘は毎日のように私を(ターフ)へと連行するのだ。まあ走って歌うのがウマ娘の仕事だ。走れと言われれば走ります、と重い足を引きずるようにトラックへと赴いた。

 

「恵まれた身体を持っていながらけしからん奴だ!」

「そう言うならスターの面倒を見てあげた方が良いと思うのだけどなあ」

 

 あっちの方が絶対に私よりも素質も実力もあるんだし。

 そんなことを呟けば「スターよりも先ずデビューが迫っているお前からだ!」と怒鳴り散らされた。

 へえへえ、と私は頷いて今日も今日とて課されたメニューを熟す日々を送る。

 

 芝を走っていると隣のトラックにスズパレードが入って行くのが見えた。

 私のひとつ上の先輩でシンボリルドルフやビゼンニシキと比べると些か格が落ちるウマ娘。

 そういえばビゼンニシキが皐月賞の前にまたレースに出るんだっけ?

 後で番組表を調べて録画の予約をしとかないと。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 3月第3日曜日、中山レース場。私、ビゼンニシキはパドック場で観客達の歓声を一身に受けている。

 弥生賞の敗北から3週間、まともに眠れた日はなかった。

 このレース、ジュニアクラスB組の時期に名を馳せたウマ娘が揃っているが正直な話、私の敵ではないと思っている。今日は勝つのが当たり前のレースであり、極めたいのは勝ち方だと自らに強く戒める。レースというのは一発勝負、それが分かっていながら出遅れという不甲斐ない真似をし、その後もレース展開に翻弄されてしまうのだ。集中力が足りていないにも程がある。

 勝ちたいという意志が足りていない。何がなんでも勝ってやる、という気概が私にはなかった。

 今日のレースは私が格上だ。だからこそ今日のレースで負けた時には引退する。それぐらいの覚悟がなければ駄目だ。どれだけ不利な状況に追い込まれたとしても、それを跳ね除けるくらいの気持ちがなければいけない。でなければ、次のレースでも私はあっさりとレースを落とすことに成り兼ねない。

 重要なのは勝ち方だ、勝ち方に拘らせて貰う。間違いが起きない勝ち方を目指す。

 集中する、神経を研ぎ澄ませる。前を見据える。意識は常に前に、しかし周囲の情報を拾う事を忘れてはならない。不測の事態は起こり得るものとして認識しろ、如何なる状況に追い込まれたとしても実力を出し切るのが強いウマ娘の条件だ。王者の戦いとは、そういうものだ。

 (ターフ)に出る、ゲートに入る。瞼を閉じて深呼吸をする。

 2枠2番で他バと圧倒的大差を付けた1番人気。観客達の期待を背中に背負って、駆け出す構えを取る。

 これがビゼンニシキだと、強く輝きを放てるように――――

 

 今、ゲートが開かれた。



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第6話:布石

 その日、一人だけ纏っていた雰囲気が違っていた。

 GⅡスプリングS。弥生賞に出走しなかった中でクラシックレースを目指す者達が集まった第2の皐月賞トライアルレース。

 シンボリルドルフとビゼンニシキを避けた者達が多い為か、弥生賞と比べると些か面子が劣る。……皐月賞の優先出走権である3着以内を確実に得る為だ。それに多くのウマ娘に取って、一勝には今後の人生を変える重みがある。メイクデビューから2年が過ぎても未勝利戦から脱出することが出来なければ、何の保証も与えられないままトレセン学園を卒業することが大半で、未勝利戦を突破できても次はプレオープン戦、オープン戦が待ち構えている。此処を勝ち越すことができれば、シニアクラスに上がった後も最低限の食い扶持は保障される。

 重賞に出走するだけでも学園から多くの支援を受けることが出来るので、オープン戦に勝つことはウマ娘がウマ娘として生き続ける為の死活問題だ。重賞に勝つことができれば、その扱いは雲泥の差だ。ウマ娘としての人生を全うした後は学園の職員として雇われることもできるし、学園の関連施設に従業員として紹介を受けることもある。

 GⅠに勝てば、将来の心配はなくなる。

 勝てば勝つだけ豊かな暮らしが保証されるし、広告塔として少し世間に顔を出すだけでお金を稼ぐことができた。

 ウマ娘専用の婚活サイトが今、未勝利やプレオープン戦止まりのウマ娘達の間で流行っている辺り、レースひとつに人生が掛かっている。

 だからシンボリルドルフやビゼンニシキが一位と二位を独占すると分かっている弥生賞を避けたというのに――――

 

「――どうして、そこに居るのよ。ビゼンニシキ……!」

 

 勝つ見込みのあるレースを選んでやってきたってのに。

 7枠11番の2番人気。私、ゴールドウェイがゲート内で歯軋りを鳴らす。

 

 妙に気合が乗っちゃってるし?

 というかレース間隔、おかしくない?

 皐月賞に出る気あるんだよね?

 

 本当に迷惑ったらありゃしない!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 末脚になら自信があります。そんな私はスズマッハ。

 弥生賞で4着のスズパレードとは従姉妹の関係になるけども、ほとんど話したことはありません!

 得意なのは差し位置からの直線勝負、道中で溜めに溜めた脚をドカンと一発。

 マッハな脚で抜き去ります、置き去りにします!

 

 とはいえ末脚の伸びではシンボリルドルフに敵わないのも事実。

 末脚の切れではビゼンニシキに敵わないのもまた事実。

 

 私が所属するチームのトレーナーには、弥生賞では勝算がないからスプリングSに出走するように促された。

 私ではシンボリルドルフとビゼンニシキの2人を相手に戦えない為だ。私も2人と比べて実力が劣っているのは自覚しているし、負けるよりも勝つ方が好きだ。なにより私は2人に対して思い入れを持っている訳でもない。

 私は莫迦だ、難しい事なんて分からない。

 レース展開を読むことなんてできないし、今、トレーナーから託されている作戦だって「脚を溜めて最後の直線で全力疾走」という雑なものだった。普段から体調管理や訓練内容はトレーナーに任せているし、レースのスケジュールも同じように全幅の信頼を以て彼女に託していた。

 ビゼンニシキがレースに出走する事が決まった時、トレーナーに頭を下げられた。予想が外れた、と。

 

 大丈夫、失敗は誰にでもある。私が失敗した時、貴女は許してくれたじゃんか。

 それに信頼するという事は、その結果の全てが良いものになると盲信する事じゃない。

 トレーナーさんでも失敗することはあるんだね、と笑い返してやった。

 貴女で失敗するなら、私が一人で決めたら大失敗だ。

 きっと今ある状況が私にとって最善の道だったに違いない。

 これ以上はない。仮にあったとしても、貴女と共に歩める今の道を私は選び取る。

 

 それに……人気不利だからといって、私が1位を取っちゃいけない理屈にはならないはずだ。

 

 ビゼンニシキとは一度、勝負してみたかった。

 どうせ皐月賞で競い合うことになる。と考えて気にしていなかったけど、やっぱり一度くらいは直接対決してみたいと思っていた。

 見ててねトレーナー! 5枠7番の3番人気はスズマッハ、今日も元気に走ります!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 中山レース場、GⅡスプリングS。皐月賞トライアルレース。

 皐月賞、東京優駿と春のクラシック路線を目指すウマ娘達にとって、これが最後の乗車券。

 胸に秘めた想いは多種多様、栄光を掴むのはただ1人。本戦への切符を手に入れるのは3人限り。

 輝かしき栄光への道を駆け抜けるのは、どのウマ娘か。

 今後のウマ娘としての明暗を分ける1戦が今――――

 

 ――開かれました!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、ビゼンニシキはゲートが開く直前、その予兆を感じ取った。

 飛び出した時にはバ群の鼻先を切って先頭に立っており、そのままバ群を従える形で第1コーナーに入る。

 今度はスタートが上手く決まり過ぎた。意図せず、逃げの展開になってしまったことに舌打ちし、先頭に立ってしまったなら立ってしまったなりの立ち回りを再構築する。大丈夫、脚には余裕がある。逃げようと思って逃げた訳じゃないのだ。

 このまま他のウマ娘に先頭を譲っても良いが、楽に譲るのは少し違う気がする。

 レースの中盤、2番手、3番手のウマ娘が横に並んで来ようとするのを張り合わない程度に先頭を保ちながら第3コーナーに差し掛かる。内と外の差、ズルズルと後退する2人を横目に見ながら、まるで弥生賞の時の私とは逆だなと思った。コースの内側を通るスムーズな立ち回りを披露しての最後の直線、先頭に立ったのは私で脚に力を込める。

 1バ身、2バ身と距離を開けた時、安全圏まで逃げ切ったと悟り、一瞬、気を緩める。

 

 ――チリン、と涼しい音がレース場に鳴り響いた。

 

 その瞬間、大外から吹き荒れる冷たい殺意に身震いした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 耳に付けた鈴飾りはトレーナーが私に送ってくれたものだった。

 大外一気の私はスズマッハ! ただ前だけを見据えて全身全霊のマッハで駆け抜ける!

 後方から馬群を撫で切る展開に気分が高揚する。脚に力を込める、周り全てのウマ娘が遅く感じられた。

 先頭との距離は何バ身?

 

 目測は残り10バ身、9バ身!

 

 私は不器用で莫迦だから、こんな真似しかできやしない!

 

 ――8バ身、7バ身!

 

 莫迦だからトレーナーを信じて、トレーナーに言われた事を素直に熟すだけだ!

 

 ――6バ身、5バ身、4バ身!

 

 まだまだ脚には伸びる余地がある!

 力を入れたら入れた分だけ肌に感じる風の勢いが強く感じられた!

 逃すもんか! 地面を踏み締める、腕を全力で振り上げる。

 

 ――3バ身半、3バ身、2バ身半!

 

 信じたトレーナーが私を信じてくれるから、それに応えたいと願っているだけなんだ!

 

 ――2バ身、に、2バ身! ……1バ身半!

 

 手を伸ばせ、脚に力を込めろ!

 此処まで来たらもう勝ちたい、勝ちたいに決まってる!

 私を信じてくれたトレーナーやトレーニングに付き合ってくれた仲間達、そして私に期待してくれた皆の為にも!

 あと少し、あと一歩で!

 ウイニングライブで最高にキラッキラの私を皆に見せてあげられるんだ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 大外から一気に迫り来るウマ娘の影、リンと鈴を鳴らして迫り来る。

 ハーディービジョンを彷彿とさせるその末脚に一瞬、怖気を感じ取ったが、しかし彼女の脚が届かないことは分かっていた。

 弥生賞の時と同じだ。シンボリルドルフが私で、あの時の私がスズマッハ。レースの立ち回りを間違えると此処まで有利不利が付くものかと関心を抱き、やはり差しからの大外一気の作戦には限界がある。

 それが通用するのは格下が相手の時だけだ。普通に考えて、大外一気は立ち回りの失敗によるものだ。

 それを作戦と言い張れるのは規格外のウマ娘であるミスターシービーくらいである。

 

 大きく外に振られたスズマッハが先頭を走る私に届くはずもなく、ましては私の直ぐ後ろに付けていた2番手すらも抜かせずにゴール板を通り過ぎる。

 

 ゴールを終えた後、

 3着バのスズマッハが体力を使い果たしてしまったのか「負けたぁ〜……」と呻きながら仰向けに倒れてしまった。

 レース後に寝るのは彼女の従姉妹であるスズパレードと一緒らしい。

 

 2番人気のウマ娘、ゴールドウェイは最後方に付けて大敗。

 じとっとした目を私に向けてくるが、無視する。いや、だって、こんなの気にしてたら切りがない。

 相手にして欲しければ、せめて勝ち負けくらいには持って来て欲しい。

 

 レースの総評としては、概ね楽勝と云った内容。

 最後に思っていた以上に詰め寄られたのは誤算だったが、大外一気の差し勝負は私には合わないと改めて実感させて貰った。

 得られるものが多いレースだった。

 

 皐月賞に向けて、より万全な態勢で望めるという実感を胸に抱き、ズズッと左脚で地面を擦った。

 首を傾げる。トントンと左脚の爪先で地面を叩いても違和感はなかったから、気にせずウイニングライブの準備をしに控え室へと向かった。

 弥生賞の雪辱を晴らす為、今日の勝利を糧に皐月賞への準備を進めなくてはならない。



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第7話:栄光への道を直走る

 今日こそ言ってやらねばならない事がある。

 今までは自分で自分の事を管理できていたから良いが、今回の件は看過することができない。

 トレセン学園の敷地内、美浦寮。その一室にビゼンニシキの部屋がある。

 

 松葉杖で廊下を歩き、辿り着いた扉の前でチャイムを鳴らす。

「は~い!」と中の方から声が聞こえてきた。何時も駆け足で来るはずの音が聞こえなくて、ガチャリと扉が開け放たれる。

 部屋着なのか、ジャージ姿のビゼンニシキの姿がそこにはあった。

 

 彼女は私の顔を見た後で「あ~、ん~……」と気まずそうに頬を掻きながら目を逸らす。

 後ろめたさを感じている事は良い。

 しかし彼女は曖昧に笑って「……ピロ先輩まで、どうしたのですか?」と問いかけてきた。

 

「どうしたじゃないっ!!」

 

 大口開いて怒鳴りつけてやれば「どうどう」と両手を前に出して諫めてくる。

 

「近所迷惑ですよ、先輩」

「……私が言いたいことは分かっているんだろうな?」

「ええ、分かっていますよ。その事で今、話をしていたところなんですよ」

 

 ビゼンニシキがそう言った後で「今の声はピロか?」と部屋の奥の方から別のウマ娘が姿を現した。

 

「……ラギ、先に来ていたのか」

「ああ、この馬鹿をこれ以上、好き勝手させる訳にはいかないからな」

 

 そう言ってカツラギエースが仲の良さそうな様子でビゼンニシキの頭をガシガシと撫でる。

「やめてくださいよ~」と声には出しているが満更でもなさそうな可愛い後輩の様子を見て、ちょっと寂しいような、もやりとするような複雑な心境を抱いた。

 でも、そうか。彼女程の逸材であれば、私の他にも声を掛けられていて然るべきだ。

 トレーナーを付けずに個人でレースに出るウマ娘は、確かに少なくない。しかし、それは決してトレーナーを嫌っての事ではない。大半のウマ娘は自分を補佐してくれるトレーナーの存在を求めている。トレーナーに巡り合えないウマ娘が後を絶たないのは、トレセン学園に存在するウマ娘の数に比べて、現存するトレーナーの数が足りていない為だ。

 そういうウマ娘達は一人でメイクデビューを果たして、一人で未勝利戦、プレオープン戦を勝ちあがらなくてはならない。オープンクラスまで勝ち上がれば、誰かしらの目に止まる。しかし、それでもトレーナーに恵まれず、一人で戦い続けるウマ娘も多かった。

 だから、彼女のようにクラシック3冠に挑むようなウマ娘が一人で居ることは非常に珍しい事である。

 

「先輩、この事は後でしっかりと話させてもらいます」

「……そうか、うん。それなら良い。また日を改めるよ」

 

 彼女の決意は固いようだ。私を見るその瞳からは強い意志を感じ取れる。

 私は大きく息を吐き、そしてカツラギエースを一瞥する。これからビゼンニシキを頼む、と口には出さず、視線だけを送る。

 彼女もまた気さくに微笑み返してくれたから、私は安堵の息を零す。

 

 思い残しはある。

 しかし未練がましい女は嫌われるから、と自らに言い聞かせて悔しい想いを飲み込んだ。

 踵を返して、来た道を戻る。美浦寮を後にした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 美浦寮の一室、ビゼンニシキが個人で使う部屋に初めて足を踏み入れた。

 先ず目に付いたのは大きな本棚、ウマ娘関連の書籍がぎっしりと詰め込まれている。その脇にはダンボール箱が置かれていて、そこには雑誌類が所狭しと突っ込んであった。全てウマ娘に関するものばかりだ。もてなすものなんて何もありませんよ、と部屋の主は言っていたが部屋の中は存外に片付いている。ゴミを溜めている様子はない。

 そもそも急に来た知人を出迎えたドアであっさりと中に入れてしまう辺り、普段から部屋を綺麗にしているのが見て取れる。

「お茶を淹れて来ますね」と彼女が台所で湯を沸かしている間に部屋を簡単に物色してみたけども面白そうなものは何も見つからなかった。あるのは三冠ウマ娘シンザンのポスターがあるだけだ。

 つまらない奴だな、と思っていたらビゼンニシキが茶請けと一緒に白い湯気の立つ茶を持って来た。気の利く奴である。

 さておき、今日は大切な話をしに来た。

 

「シキ、話がある」

「……なんでしょう?」

 

 ビゼンニシキは一瞬の間を置いて、惚けたように問い返す。

 

「私のチームに入れ」

 

 単刀直入に切り込んでやれば、小憎たらしい後輩は申し訳なさそうに曖昧に笑ってみせる。

 

「あー、えっと、実は私、他のチームからも誘われていまして……」

 

 そりゃそうだ、彼女程の素質ウマ娘を放っておく奴の方が少ない。

 しかし彼女は一人で走り続けることを選択し、その結果、あのレース間隔の無茶へと繋がった。

 目を見れば分かる。こいつは悪いとは思っていても、欠片の反省もなければ、微塵の後悔もしていないのだ。トレーナーがいれば、彼女の事を否応がなしにも止めていた。しかし、こいつには肝心のトレーナーが居なかった。

 こいつの厄介なところは下手なトレーナーよりも知識が豊富で、平時の自己管理は完璧に熟すところにある。

 

 彼女もウマ娘の一人、目標を見つけたら真っ直ぐに駆け出す可能性を考慮しておけと言いたい。

 

「いいや、信用できない。そう言って今までのらりくらりと躱して来たんだろうが」

 

 これは本腰を入れて説得しなくてはいけないか。

 そうして私のチームへの所属を渋る彼女を説得していると部屋にチャイム音が響き渡った。気怠げに摺り足で扉まで向かう彼女を視線だけで追いかけると、扉の向こう側から聴き慣れた声が聞こえてきた。

 ニホンピロウイナー。チームシリウスのリーダーであり、エース。私達の世代における短距離代表だ。

 

「なるほどな、先に声を掛けられているっていうのはあいつの事だったか」

 

 確かにビゼンニシキは奴が好みそうな素質を持っている。

 それに二人の付き合いは長いとも聞いている。

 まあ、あいつならビゼンニシキを悪いように扱ったりしないはずだ。

 

「先輩、この事は後でしっかりと話させてもらいます」

「……そうか、うん。それなら良い。また日を改めるよ」 

 

 二人が別れたのを確認し、さてと、と私も重い腰を上げる。

 ニホンピロウイナーが動いているなら私が出張るのは野暮というものだ。

 それに私も他人のことばかり、気を取られる訳にもいかないのだ

 

「あ、折角、開けたんですから茶請けくらい食べていってくださいよ」

「……それもそうだな」

「来週の大阪杯、期待していますよ」

「ああ、任せておけ」

 

 腰を下ろし、チームへの勧誘以外で当たり障りのない雑談を交わした。

 数分後、美浦寮を出た後でウンと腕を伸ばす。

 来週は待ちに待ったGⅠレースだ。パンと両頰を叩いて気合を入れ直した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 頼れる先輩が出て行った後で若干、違和感のある脚の爪先でトントンと床を鳴らした。

 大丈夫、うん、大丈夫だ。机の上に置いたノートパソコン、咄嗟に落とした液晶画面。そこには、とてもじゃないが二人には見せられない検索履歴がズラりと並んでいた。例えば「ウマ娘 脚 違和感」とか、そんな感じの単語だ。

 痛みはない、走れもする。しかし万が一は起こり得る。

 万が一が起きてしまえば、私の夢は挑戦することなく終わる事に成り兼ねない。それは困る。部屋に飾られたシンザンのポスターを見て、その勇ましい姿を前に力強く頷き返した。

 私に菊花賞は難しいことなんて分かっている。

 それでも最後の最後まで三冠ウマ娘の夢は諦めたくない、諦め切れない。先ずは皐月賞、そして東京優駿。NHKマイルCに強行する道も捨てていない。

 それを許してくれるトレーナーが居れば、話は別だけど――脚に違和感を抱えた状態では先ず認められない。

 ……シンザンを超えろ。私には、それができる素質がある。

 二人の心配は嬉しいけど、今は私の夢を遮る障壁にしか見えなかった。



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第8話:最も速いウマ娘が勝つ

 待ちに待った勝負の時、クラシック3冠レース皐月賞。

 馬場は良好。今年の芝には砂が多く含まれている為、例年よりも力が必要とされている。

 前評判では5枠10番のシンボリルドルフが1番人気。前走の弥生賞で私を降したことが大きく評価されたようだ。

 そんな私、ビゼンニシキは2枠3番の2番人気。その評価には不満もあるが、直接対決に負けたことを鑑みれば仕方ないと云える。3番人気はよく知らないから飛ばして、4番人気は7枠14番スズマッハ。前走、スプリングSの末脚が評価されての結果だろう。続く5番人気、6枠12番はニッポースワロー。名前が似ているニホンピロウイナーと同じマイラーである、本人と関係ないけど。6番人気ゴールドウェイは前走で大きくやらかしたので人気を落としている。スズパレードは9番人気、ニシノライデンは13番人気。

 控え室、薄暗い部屋の中で左脚をテーピングでガッチガチに固める。

 痛みはない、走る事はできる。その上から長めの靴下を履いて誤魔化し、更には真っ白な衣装を袖に通す。GⅠはウマ娘の晴れ舞台。皆、自前の衣装で身を包んでは最高に輝けるウイニングライブのセンターを目指してレースを駆け抜ける。本来なら白星と掛けて穢れなき白、つまり無敗を意味する勝負服だった。

 今となってはどうでも良い話だ。

 トントンと左脚の爪先で床を叩いた。大丈夫。あと2レース、もしくは3レース。保つさ、保たせるさ。これが終われば夏が来る。夏が来てから、しっかりと脚を休めれば良い。

 大きく息を吸い込んで、気を吐くように長く細い息を吐き捨てる。

 覚悟は入学する時に決めて来た。

 この道を歩み始めたその時から、ずっと3冠制覇の目的は変わっていない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 割り当てられた控え室にて、ズダダッと腕を振って腿上げ運動に勤しんだ。

 そんな私はスズマッハ。昂る気持ちは抑え切れず、準備運動のつもりで身体を動かしている。

 実績は4戦2勝、重賞どころかオープン戦での勝利経験も持っていない。メイクデビュー戦でも負けており、勝ったのは未勝利戦とプレオープン戦だけだった。そんな私がクラシック3冠の大舞台に立つ事が許されたのは、運良くスプリングSで優先出走権を得られたからだ。

 幼い頃に期待されていたのは従姉妹のスズパレードだった。

 今はニホンピロウイナーがエースを務める新進気鋭のチームに所属しており、重賞制覇の未来を渇望されている。

 対する私にはスズパレード程の期待はかけられなかった。別にその事は恨んではいない、というよりもスズパレードとは何度か顔を合わせただけで話したことがほとんどない。

 私自身、自分に対して、あまり期待はしていなかった。

 オープン戦で勝ち負けを続けられる程度に走って、その中で重賞のひとつでも取れたら嬉しい。そんな気持ちで居たのに今、私が居るのは皐月賞の大舞台。冗談みたいな話だ。しかも4番人気である、嘘としか思えない。今でも信じられない。私に期待してくれている人が、こんなにも居る。興奮しないはずがない、気が昂らないはずがない。

 トレーナーは私を送り出す時、勝負服を手渡しながらこう言ってくれた。

 

「お前は強い、だからスカウトしたんだ」

 

 パンと両手で頰を叩いた。

 衝撃で真っ白になる頭、ジンとくる頬の痛み。燃える心に闘志が宿る。

 今日もエンジン全開、マッハで直線を駆け抜けてやる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、ゴールドウェイがデビューしたのは夏頃で、その時からレースに出続けて12戦を熟した。

 勝利数は3と少ないが、今年はGⅢにも勝っている。着内を外したのは前走のスプリングSだけであり、シンボリルドルフ、ビゼンニシキに続くジュニアクラスC組の実力馬という自負が私にはある。しかし肝心のスプリングSでは良いところを見せられずに終わったせいか人気は6番と大きく落としていた。

 勝負の世界に人気は関係ないが、それで納得できるかどうかは話は別だ。

 

 椅子に座ったまま、カッ、カッ、と蹄鉄で床を蹴る。

 

 引退後、婚活戦士になる先輩達を見て、冷ややかな視線を送っていた日々を思い出す。

 私は、ああはならない。重賞には勝利している。次はGⅠだ。私達の人生はレースだけに終わらない、引退後も続いていくのだ。

 その時に少しでも良い人生を歩む為に私達は走っていると言っても良い。

 ウマ娘にとって、レースというのは実績作りに過ぎないのだ。

 私は勝つ、絶対に勝利をもぎ取ってやる。シンボリルドルフが相手だろうと関係ない。勝てないウマ娘に輝かしい未来は待ってないのだ。だから勝つ、勝てるかどうかではない。勝つしか道は拓けない。いくら着内に入ったところで意味はない。

 勝利以外で他人の記憶に残る方法なんてないのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 大きく息を吸い込んでは胸を膨らませて、そして肺に溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出した。

 胸の鼓動が治らない。ドクン、ドクン、と鳴り続けている。

 私、スズパレードは皐月賞という大舞台を前に緊張し切っていた。

 

 兎に角、指で手に人という文字を書いてみようか?

 ウマ娘だからウマの方が良いのかな? よく分からない、そういえば観客は芋と思うのが良いんだったっけ?

 あ、そうだ。お茶を飲もうか、あ、でも、レース中に催したらどうしよう? それなら水を少し、あっ、手が滑った。コップが倒れた。水が溢れた。あっ、あっ、あっ……不味い、不味い、不味い。全然、落ち着かない。どうしよう、どうすれば良いんだっけ? もうすぐレースが始まっちゃう、行かなきゃ。いや、まだ時間じゃない。大丈夫、時間になったら係員のウマ娘が呼んでくれる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。羊の数を数えよう、羊が一匹、羊が二匹、って、それ眠くなるやつ! 駄目じゃん、寝ちゃ駄目じゃん! ああ、どうしよう、落ち着かない!

 あわ、あわわ! あわわわわわわわあふあふあふとくらとらす!

 日に30時間の鍛錬という矛盾を乗り越えた先に得た金剛石の筋肉を得て、バルンバルンの胸を揺らしながら世界を相手に戦い抜く姿は正に圧巻! 歌って踊れて配信まで出来るゴルシ系ウマドルの行末や如何に!?

 駄目だ! 頭がワニワニパニックパラダイス過ぎて、自分で自分が何を考えているのか分からない!

 

「スズパレード様、そろそろ出走の時間になります」

「ひゃい! ……ひゃわわわっ!?」

 

 ああ、どうしよう! どうしよう! と、とりあえず水を飲まなきゃ!

 

「ん、んっ……んぐ!? ごぅっふ、げっほ、がっほッ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 もう駄目だ、おしまいだ。

 絶望感が視野を狭めているのか、真っ暗な幕が視界を覆い尽くす。

 そこから先、(ターフ)に立つまでの記憶がほとんどなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ニシノライデン。オープン戦を含む5戦3勝と順調に勝ち星を稼ぎ、獲得賞金で皐月賞の出走に漕ぎ着けた。

 控え室で椅子に座り、ただじっと瞑想に耽る。私は決して、強いウマ娘ではないのかも知れない。難しく考えることも得意ではない。トレーニングメニューや体調管理、レーススケジュール等は全てトレーナーに任せきりだ。私はただトレーナーを信じて、トレーニングを積み重ねる。食事を摂る。そしてレースに出走する。

 シンボリルドルフ、ビゼンニシキ、スズマッハ。いずれも強い、万に一つの勝機もないように感じられる。

 だがトレーナーが出走を決めたのなら、それはきっと私には勝ち目があるということだ。ならば私は全力で走るだけ、トレーナーが信じてくれたように私もまたトレーナーを信じるだけの話。実力を出し切る、ただそれだけで良い。

 心の赴くままに、真っ直ぐに走ろうと改めて決意する。

 どうせ、私にはそれぐらいしかやれる事がない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 調子は悪くない、程よい高揚感に身を委ねる。

 今日はクラシック3冠、その一戦目。しくじる事は許されない。

 静かに意識を研ぎ澄ませる。必要なのは失敗をしない事、指先に至るまで神経を張り巡らせる。

 意識を落とす、波紋のひとつもない心の泉に沈み込ませる。

 ゆっくりと焦らず、静かに呼吸をする。滾らせた気が肉体を充実させる。

 パチリと音が鳴った。

 濃密に圧縮された闘気が静電気のように、パチッ、パチッと音を立てる。

 体調は今、現時点を以て最高潮へと辿り着いた。

 トレーナー、私は勝つ。

 誰一人寄せ付けない頂きの果てにある光景を私は君と見たいと思っている。

 手を開いて、ゆっくりと握り締める。

 負ける気がしない。こんな想いでレースをするのは初めてだ。

 不敵な笑みを浮かべて、傲慢にもこんな考えが浮かぶ。

 これでどうやって負けろと云うのだ。

 

「シンボリルドルフ様、そろそろ出走の……ひっ!」

 

 漲る闘志は、その身に神威を宿らせる。

 レースには絶対がないと言われる。しかし、私は絶対を見せる。

 例え、相手が神馬であったとしてもだ。



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第9話:錦の輝き

 ――シンザンを越えろ。

 

 それは全日本ウマ娘トレーニングセンター学園における現在のスクール・モットーだ。

 シンザンとは今から10年以上も前に伝説的な活躍を果たしたウマ娘の事だ。クラシック3冠を初めとしたGⅠレースを5勝もしており、負けたレースも全て2着。生涯を通して、ただ一度も連対を外したことがない化け物のような実績を持っていた。

 この輝かしい記録は今もなお破られることなく続いており、ある者からは神馬と呼ばれ、今日に至るまでウマ娘達の目標で在り続ける偉大なる先人であった。

 

 ――シンザンを超えろ。

 

 その言葉には神格化されつつある大先輩の壁を打ち破って欲しい、という意味も込められている。

 孤高のウマ娘は、たった一人の好敵手にも恵まれず、今なおも孤高で在り続ける。絶対という言葉は、正しくシンザンの為にある言葉だった。シンザンがトゥインクル・シリーズを卒業し、スクール・モットーが書き換えられてから10年近くが経つが、未だに彼女の記録を打ち破るウマ娘は現れていない。

 

 シンザンは、私達にとってひとつの到達点だった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 大観衆に迎えられる中、全ウマ娘が(ターフ)に出ると各々で準備運動に勤しんでいた。

 大半のウマ娘は自分の調子を確かめるだけに終始するが、少し頭の回るウマ娘は芝の状態を確かめている。そして抜け目のないウマ娘は自分の脚の具合を確かめながら横目に周囲の状態を確認している。私に向けられる視線は多い、しかし最も注目を浴びているのはシンボリルドルフだ。状態は良さそうだ、周りのウマ娘が彼女の放つ覇気に気圧されている。

 スズマッハは気合が入っているが、あれはちょっと焦れ込んでる。ゴールドウェイもあまり調子は良くなさそうだ。

 良い感じでバ場を回っているのはオンワードカメルン、朝日杯の3着バ。前走のスプリングSで見た記憶はあるが、それだけだ。もしかすると着内に入ってくるかも知れない。ニシノライデン、ニッポースワローも悪くはなさそうか。

 他の有象無象はさておいて、気になるのはスズパレードだった。

 周りが見えていないのか。なんとなしに近付いてみても私に気付く様子はなくて、真っ青な顔で何かを呟いている。

 

「パレード? ねえ、パレードってば」

「えっ! あっ、シキ。どうしたの?」

「どうしたのって……そんな調子で大丈夫な訳?」

 

 声を掛けるまで目の焦点も合っていなかった。

 本当に大丈夫かな、こいつ。ちょっと過呼吸気味だし。

 ……もう少しだけ声を掛けることにした。

 

「皐月賞という大舞台で大コケしたウマ娘と友達だと思われるのは困るんだけどな~?」

「あうっ、それは……ん? 友達? えっ、友達って今?」

「精々私に恥をかかせないように頑張り給え」

 

 パンッと背中を叩いて彼女の傍から離れる。

 

「他の心配だなんて、随分と余裕があるんだな」

 

 横から言葉も交わしたこともないウマ娘に絡まれた。

 

「ゲートが隣だからね。知った顔が陰気臭いと集中し難いんだよ」

「……優しいことだ」

 

 棘のある物言いをして、走り去るのはゴールドウェイ。力はあるウマ娘だと思うが今は余裕がなさそうだ。

 

「あれは今回、意識から外して問題なさそうだね。追い込みだし」

 

 準備運動も程々にして、順々にゲートに収まる。

 スズマッハが少しゲートに入るのを嫌っていたが、特に問題はなく準備は整った。

 横目に見る4枠のスズパレードは良い感じに気合が入っている。

 

 まあ私の敵ではない、レース場で友達って言葉は怒るものだと思うけどね?

 

 目を閉じて、大きく息を吸い込んで意識を集中させる。

 内枠を取れたのは大きい。距離に不安が残る私がシンボリルドルフを相手に内枠を取れたのは、私に流れが来ている証拠だ。だからといって油断は禁物、焦れ込みは以ての外。シンボリルドルフは強い、それはもう認めている。実力だけで勝つことのできない相手だ。シンボリルドルフ相手に勝つ為には、たったひとつの失敗も許されない。

 過去のレース2回で、どれだけ出遅れが勝ち負けに影響を与えるかを知った。

 

 だから、最高のスタートを――ゆっくりと息を吐きながら目を開ける。

 

 作戦や戦法なんてものは、もう充分に考え尽くした。

 後はもう走るだけだ。シンボリルドルフよりも早くゴールに辿り着く、それだけの為に全力を振り絞る。

 最後に一度、トントンと左脚の爪先で地面を叩き、躊躇はしない。と自らに言い聞かせる。

 シンボリルドルフは、それができる相手ではない。

 

 脚に力を籠める。呼吸が整うと同時にゲートが開け放たれた。

 

 開けた視界、例年よりも砂の多い芝を目掛けて駆け出した。

 スタートは悪くない。そんな私の横を飛び出したのはスズパレード、その更に奥からは3番人気のアサカジャンボが鼻を取りに行った。私の前方に付けたスズパレードが徐々に速度を落とし、それに合わせて私もバ群の中央付近に位置を取る。シンボリルドルフもスタートが良かったようでするすると上位に入ってきた。

 随分と早く仕掛けてくるじゃないか、もうちょっとゆっくりとしても良いんだぞ?

 第2コーナーを抜けた辺りでスズパレードが位置を大きく後方に下げる。あまりにも良すぎたスタートに驚いたのか、ちょっとドタバタしている印象。代わりにスズマッハが4番手と大きく位置を上げている。シンボリルドルフは3番手。丁度、バ群から離れる位置を気持ちよさそうに走っている。これは早めに距離を詰めないと手が付けられなりそうだ。

 まあ最初から最後の直線に入った時点で、シンボリルドルフの斜め後ろに付けるつもりではいた。

 

 シンボリルドルフの研究は続けてきた。

 彼女の強みは末脚の伸びだ。スズマッハのように伸びる脚を持っていながら切れ味も悪くない。

 そんな彼女を相手に後方待機の競バでは勝ち目はない。

 弥生賞のように1バ身から2バ身の差をキープされたまま負ける事になる。

 かといって彼女の前に付けるのも悪手、私の長所である末脚の切れが鈍る為だ。

 私は私の長所を間違えない。

 

 シンボリルドルフの脚が鉈の切れ味だとするならば、私の脚は剃刀だ。

 

 第3コーナーの手前、少しずつ距離を詰める。

 私が奴を殺すには、一瞬の切れ味で勝負するしかない。

 シィィッ、と息を吐き出して、奴が隙を見せるのを待った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 第3コーナーに入った時、私、シンボリルドルフは半ば勝利を確信していた。

 スタートは完璧、レース運びも間違いはない。無理のない速度で悠々と先行しての3番手、無理して逃げに入ったアサカジャンボは既に息が切れている。そのアサカジャンボを追いかけた2番手ルーミナスレイサーもまた体力が持ちそうにない。

 このまま直線に入れば、勝つ事は難しくない。

 スズマッハの伸びは驚異的だが、先行した私の末脚に追いつく程ではない。ビゼンニシキもまた十分に距離が空いた現状では恐るるに足らず、誰にも私の影も踏ませないままゴールまで突っ走るだけだ。

 先ずは一つ。栄光への道に目掛けて、第4コーナーに差し掛かる。

 

「…………?」

 

 背後から音がした、誰だ? 私の脚に付いて来られる者は居なかったはずだ。

 私は今、前を走る二人を避けるように外側に位置付けている。その更に外から迫る影に意識を向ける。外から来るとすればスズマッハ、しかし彼女は最終コーナーからのスパートはなかったはずだ。それが出来るのであれば、もっと早くに名前が上がっていたはずだ。ビゼンニシキはバ群の内に埋もれていたはずなので、これもない。他に来る可能性があるとすれば、追い込み戦術のゴールドウェイ。だが今日の彼女は状態が良くなかったはずだ。

 では、誰だ? チラリと横目に後ろを見れば、直ぐ横に迫る白き影。栗色の髪を揺らして、ただ前方を見つめて突っ走る。

 

「ビ……ゼン、ニ……シキッ!」

「捉えたぞ、ルドルフ!!」

 

 何故、此処に!?

 混乱する頭、首筋に剃刀の刃を添えられたような悪寒が走った。

 しかし、直ぐに意識を切り替える。

 

「そういう事なら受けて立つ!」

 

 最後の直線、錯乱するよりも早く脚に力を込めた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、スズパレードにはビゼンニシキのように外側から巻くって勝ち切るだけの実力はない。

 するするっと外に抜け出した彼女を見送り、私は内側で前が開くのを祈った。そして第4コーナーで開けた隙間に目掛けて突っ込んだ。

 出だしが遅れるのは仕方ない。これではビゼンニシキとシンボリルドルフを相手に追いつけないが、外側に出ては勝負にすらならないことも分かっていた。これが最善、これが私の最速の道だ。さあ二人は何処まで前を走っている!?

 抜き去った先、開けた視界には誰も居なかった。

 

「えっ?」

 

 困惑する私の外側をオンワードカメルンが抜き去る。

 その更に奥で、私達の遥か前をシンボリルドルフとビゼンニシキが走っていた。

 ……なんで、そんな外を?

 

 よろめく友達の前を、シンボリルドルフが1バ身抜け出した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンザンは、私達にとってひとつの到達点だった。

 彼女が生み出した偉業の数々は日本の競馬界、今世ではウマ娘界隈を大いに盛り立て発展させることになり、サラブレットとしての遺伝子をより強いものへと加速させる。古くはハイセイコー。TTGの時代を経て、想いはミスターシービーへと託される。

 シンザン以来となる3冠ウマ娘である彼女を筆頭に、私達は着実に神馬への高みに手を伸ばしていた。

 

「……あと少し。……シンザン、ようやく貴女に時代が追いつこうとしています」

 

 芦毛というよりも白毛な私、ハッピーミークは生徒会室へと忍び込んでいた。

 私には前世の記憶がある。とはいっても競走馬としての記憶であり、人間の言葉は単語として断片的に残るだけだ。それでも強く印象に残っている馬の名前が、シンザン。前世では新しい2頭の3冠馬の誕生を見届けてから死んでいった。

 孤高の苦悩は今世でも残っている。トゥインクル・シリーズを卒業した今、ドリームトロフィー・リーグにおいても彼女は過去の名ウマ娘を蹴散らし、ハイセイコーやトウショウボーイ、テンポイントと云った有数の名ウマ娘を相手に無敗の勝利を続けている。

 あまりにも強すぎる為、現在、ドリームトロフィー・リーグよりもトゥインクル・シリーズの方が人気のある始末。

 相変わらず、出鱈目なウマ娘だ。

 

 それでも前世では、競馬界がたった一頭の馬を相手に20年もかけて追いついた道のりを、今世では半分以下の時間で追いついている。競馬界の歴史を短く圧縮したようなウマ娘の歴史には、前世では見られた競走馬の何世代かが今世では見られなくなっている。

 その世代の内の一つが、前世における私が駆け抜けた時代だった。

 毛色は鹿毛、幼い頃は全く見栄えがしないと溜息を吐かれたもので、たらい回しにされるように他の馬主へと売られた経歴を持つ。

 

 そんな私は今世でも見栄えのしないウマ娘として評判だ。

 再び馬として――いや、ウマ娘だが、兎に角、ウマ娘として産まれた以上は芝に出て走りたい。ウイニングライブなるものには欠片の興味も湧かないが、前世では取れなかったクラシック3冠の栄光をこの手で掴んでみたかった。

 しかし見窄らしい身体の私はトレセン学園への入学も難しいと言われている。もし仮にレースに出るにしても中央よりも地方を薦められる始末だ。

 遠戚であり、トレセン学園の生徒会長を務めるハイセイコーの伝手を使って、オープンキャンパスには参加させて貰っているが、やはり身内からは良い顔をされなかった。トレーナーや他ウマ娘も見窄らしい私の事なんて気にも留めず、こうして抜け出しても誰も追いかけて来なかった。

 冒険がてらに校舎内に忍び込み、今は生徒会室の椅子に腰を下ろしている。

 

「……戻りますか」

 

 ひっそりと生徒会室を出た後で、堂々と廊下の真ん中を歩いて帰る。

 期待されないことには慣れている。前世よりも頑丈さに劣る今の身体ではオープンクラスに上がることすら難しいかも知れない。

 それでも走るのは競走馬だからだ。

 ウマ娘になっても走ることに対する本能は欠片も衰えてはいなかった。

 

 さて、皐月賞はもう終わった頃合いか。

 録画はしてある、レース内容なんて後で確認すればいい。

 今日という日まで、まだ私の予想を覆す結末が訪れた事は、ただの一度だってなかったんだし。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『シンボリ強い! シンボリ強い!』

 

 歓声が上がる最後の叩き合い。

 抜け出した、抜け出してしまった。

 不本意な結果だが、脚を緩める訳にはいかない。

 気付いた時には、全てが手遅れだった。

 それに――――

 

「…………まだ……まだ、だ……!」

 

 ――錦の輝きが、衰えない。



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第10話:歴史の転換点

 これは私がまだランドセルを背負う年頃の話だ。

 中山レース場、四月中旬。皐月賞。

 奥側の直線を走っていた時、ビゼンニシキは6番手辺りに付けていた。

 2枠3番というスタート位置も相まって、バ群の内側に埋もれていた事までは覚えている。

 しかし桜並木が咲き誇る第3コーナーに入った辺りで彼女は姿を消し、第4コーナーで大外を捲ったシンボリルドルフの直ぐ後ろで姿を現した。

 まるで瞬間移動でもしたかのような見事な手際に一瞬、心が奪われた。

 わあっと沸き立つ観客達の歓声で正気を取り戻し、観客席の先頭、その柵から身を乗り出して勝負の行く末を見守る。もう隣を走る1番人気のウマ娘の姿なんて目に入らなかった。

 真っ白な勝負服を着込んだ栗色の髪を揺らすウマ娘。

 がっちりと後ろに付けた後、鮮やかなスパートを決める姿を幻視した時から私、グラスワンダーは彼女の虜だった。

 この後すぐ親の都合で渡米した後も、幻視した彼女の姿が瞼に焼き付いて離れなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 第4コーナーを抜けて、最後の直線だ!

 斜め前に居るシンボリルドルフ、ずっと傍目に確認していたが今、この瞬間に視線を切った。

 もう追い掛けない! 後はゴールまで駆け抜けるだけだ!

 

 左脚を全力で踏み込んだ――瞬間、身体が微かに右へと寄れる。

 

 こんな時に癖が出たか!

 衝突しないように修正する、真っ直ぐに走らなければシンボリルドルフの脚から逃れ切れない。

 だから真っ直ぐにゴールを目掛けて駆け抜ける。

 

 その時、視界が真横にブレた。

 右肩に感じる衝撃、踏ん張った左脚に激痛が走る。

 よろめく身体、それでも前だけを目指して駆け抜けた。

 まだ抜けてない、まだ抜け出せていない!

 半バ身先を行くシンボリルドルフを抜く為に右へ左へと揺れる身体を痛む脚で必死に制御する。

 よし、と姿勢を正せた時に再び右肩に衝撃があった。

 

 何故? と困惑する。お前はそんなことをする奴じゃないだろう?

 

 前を見れば、私と同じように困惑するシンボリルドルフの顔があった。

 ので、私は左脚に力を込める。もっと前へ、更に前へ、芝を踏み締めて、少しでも前へと走り出す。

 まだまだ、まだまだだ! ちょっと肩を当てられた程度で負ける私じゃない!

 

 手を抜くなよ、脚を緩めるな。

 お前はそんなことをする奴じゃないのならしっかりと完走してみせろ。

 その上で私がお前を抜き去ってやるッ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキが直ぐ横に付けていたことで混乱した。

 だから一旦、考えることを止めた。思考を放棄して、ただ負けるまいと彼女よりも前を走ることだけを考えた。

 レース中、身体をぶつけに来る相手は多くいる。その多くはレースの序盤から中盤にかけて、できるだけ良い位置を取る為に身体を擦り付けたり、前に出る為に空いた隙間へ強引に身体を捻じ込むことだってざらにある。多少、過激になるのは仕方ないことだ。レースなんて月に1度、年に6回もあれば多い方だ。何ヶ月もの準備期間を経て、レースに臨むという前提がある以上、1着というたったひとつの勝利を目指して誰も彼もが必死になる。

 私から身体をぶつけに行くことはない。それでも相手から身体をぶつけられそうになった時、反射的に押し返すことは多々あった。

 だから、これは、その一環だった。

 

 横に並ぼうとするビゼンニシキの身体が横にブレた。

 身体を当てに来た。と思った、その時にはもう肩を当て返していた。

 

「――――?」

 

 その余りの手応えのなさに、私の体まで横に流れてしまう程だった。

 騙された? してやられたのか?

 更に左右に揺れるビゼンニシキの身体が、もう一度、彼女の身体が大きく私の方へとよれたから反射的に肩を当て返す。

 ほとんど抵抗なく横に逸れる彼女の姿に違和感が強くなる。

 

 大きく体勢を崩した彼女の、私を見る顔が困惑の色に染まっていた。

 

『シンボリ強い! シンボリ強い!』

 

 歓声が上がる最後の叩き合い。

 抜け出した、抜け出してしまった。

 不本意な結果だが、脚を緩める訳にはいかない。

 気付いた時には、全てが手遅れだった。

 それに――――

 

「…………まだ……まだ、だ……!」

 

 ――錦の輝きが、衰えない。

 

「……受けて……立つ、ぞ…………ッ!」

 

 口の端を噛み締めて、最後のもうひと押しを仕掛ける。

 シンザンが持つ鉈の切れ味。それは私の理想、その頸を切り落とす。

 それが私に出来る精一杯の誠意だッ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 芝を踏み締める度に激痛が走る。

 ガッチガチに固めたテーピングが今生きた。

 踏み締める、身体はブレない。踏み締める、まだ加速する。

 互いに体勢を崩した今、ヨーイドンなら私が勝つ!

 剃刀を舐めるなよ。

 一瞬の切れ味は今、この瞬間に!

 その頸動脈を綺麗に切って、息の根を止めてやる!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 伸びて来た、この土壇場でビゼンニシキが伸びて来た!

 残り100メートルを超えた最後の最後でビゼンニシキが、地の這うように体勢を低くして更に加速する。

 剃刀は2枚あった!

 私、シンボリルドルフを殺し得る刃は2つあった!

 ただ私を殺し切る為に振るわれた二度目の刃に、敗北の二文字が脳裏に過ぎる。

 

 だが、と歯を食い縛る。それでも、と前を見据えた。

 

 脚に力を込める、芝を踏み締める。

 蹄鉄が地面を噛み締めて、前へ、前へと身体を押し出した。

 パチリと闘志が紫電となって迸る。

 

 追い縋る追跡者を振り払う為、芝を蹴り上げて突き放しに掛かる!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

――残り半バ身、行ける!

 

いいや、行かせるものか!――

 

――その鼻先を絶対に捉えてやる!

 

まだ加速する……化物か!?――

 

――まだ届かないか、化物めっ!

 

絶対に抜かせてなるものか!――

 

――しつこいぞ! いい加減にその座を渡せ!

 

諦めが悪い! 潔く勝利を譲れ!――

 

――勝つのは、この私!

 

勝つのは、この私!――

 

 

――ビゼンニシキ/シンボリルドルフだッ!――

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 観衆の誰もが決まったと思った瞬間、二度、伸びて来たビゼンニシキの末脚に誰もが息を飲んだ。

 二人して縺れるように切ったゴール板は、人の目には判定不可能。体勢有利はシンボリルドルフか、しかし低い姿勢で身体を目一杯に伸ばしたビゼンニシキが差し切ったようにも見える。

 当然のように写真判定、途中、勝負は荒れたが、第4コーナーからゴールを切るまで実に、実に滾るレースであった。

 気付けば、柵を握る手に力が篭っている。

 口の端は歪な形に歪んでおり、二人が駆け抜けたゴール板を暫し茫然と眺めていた。

 素晴らしい。レースとは、あそこまで心躍るものだったのか。

 強者達が激戦の跡、二人が放った熱に当てられた。ぶるり、と身を震わせて、艶のある吐息を零す。

 あれだけのレースは、そうそう起こり得るものではない。

 嗚呼、でも、見ているだけでこれだけの熱量を感じるのだ。

 (ターフ)に燻る熱は未だに絶えない。3着以降なんて最早、観衆の誰ひとりとして気にしちゃいなかった。

 自然と溢れる嘆息に、私は想い更ける。

 

 これだけの熱量を放った渦中の二人、あの二人は一体、どれだけの熱を感じたことか。

 私、アグネスタキオンはこの日を境に幻想に取り憑かれることになる。

 

 最早、無粋とも呼べる1着と2着の掲示板。

 たっぷりと数十分も掛けた審議の上、10の数字。つまり、シンボリルドルフの番号が最上段に点灯した。

 此処から遠ざかる救急車の音、私はたっぷりとレースの余韻に更ける。



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第11話:ひとつ目

 皐月賞を終えた後の控え室、重い溜息を零して項垂れる。

 やってしまった、やらかしてしまった。レース途中、唐突に現れたビゼンニシキに驚いて、正常な判断を失っていた。

 相手の進路を妨害した上に二度も体を当てに行ってしまった。悪質な妨害と取られてもおかしくない。審議で膠着処分は確実、意気消沈せずには居られない。それは自分がしでかした事による過ちの大きさ故、即ち私を応援してくれていたファンへの裏切り、そして対戦相手であるビゼンニシキに対する罪悪感の為だ。

 相方のシリウスシンボリには席を外して貰って、独り、部屋で沙汰を待っていると私達を管理してくれるトレーナーが扉を開けて入ってきた。

 

「……着順が確定しました」

「降着か? それとも失格か?」

 

 自嘲し、半ば自棄気味に問い返す。

 降着ならウイニングライブに出なければいけないし、失格なら控え室を引き払う準備を始めなければならない。

 どちらにしても帰る前に一度、ビゼンニシキに謝罪をしに行かなくてはならないか。

 

「1着です」

「……なんだって?」

「ウィナーズサークルで表彰を行った後、すぐウイニングライブの準備が始まります」

「待ってくれ、降着は免れなかったはずだ。失格の可能性もあった」

「厳重注意があります。暫くの謹慎処分も言い渡されています」

 

 想定外の言葉に思わず顔を上げる。

 冗談だろう? と何度も確認を取ったが彼は神妙な顔で首を横に振るだけだった。実力で劣っているとは思わない。しかし進路妨害をしたのは事実、なのに厳重注意と謹慎処分では、実質的にお咎めなしと言っているようなものではないか。

 それでは私が彼女から栄光も着順も奪ったも同然、それを理由もなしに受け入れることはできない。

 

「……ビゼンニシキから抗議があったはずだ、それはどうする?」

 

 ウマ娘中央レース協会に、私を担ぐ理由はないはずだ。

 ビゼンニシキ側から抗議があれば、すぐにでも私の降着は決まるはずである。

 何故なら正当性は私よりも彼女の方にあるのだから。

 

「抗議はありませんでした」

「……そんなことはないだろう?」

「本当です、ビゼンニシキ側からの抗議はありませんでした」

 

 そんなはずはない。

 あれだけの妨害を受けたのだ。彼女が言わずとも、彼女のトレーナーが黙っていないはずだった。

 今回の件を黙っているようなトレーナーは、トレーナーを名乗ってはいけない。

 自分が担当するウマ娘を守るのはトレーナーとして当然の役割だ。

 

「ビゼンニシキにトレーナーは居ません」

「……それなら、今すぐにでもビゼンニシキを説得する。受け取って当然の権利を放棄することは許されない」

「彼女はもう此処には居ません」

「どういうことだ?」

 

 トレーナーは顔を俯けると震える手を握りしめた。

 嫌な考えが脳裏を過ぎる。何か起きてはいけない、大きな出来事が起きたことを予感させる。

 頭が真っ白になる。ぐにゃりと景色が歪む錯覚を覚えた。

 

「ウイニングライブの中止はできません。あれはURAの貴重な収入源でもありますし、皐月賞に出場したウマ娘への賞金にもなっています。クラシック3冠のひとつともなれば、その損失は簡単に補填できるものではありません」

 

 無表情を取り繕ったトレーナーが、極めて淡泊に告げる。

 違う、そういう事が聞きたいんじゃない。

 

「彼女は……彼女はどうなったんだ!?」

「ルドルフ、今は目の前の事に集中してください。貴女は与えられた結果を受け入れるだけで良いんです」

「結果だと!? 結果は私の進路妨害、少なくとも私の降着処分になるはずだ!」

 

 いいや、違う。そうじゃない!

 

「ビゼンニシキはどうなった!? 故障したのか!? 私のせいで、故障させてしまったのか!?」

 

 わざとじゃない、故障させるつもりはなかった。

 私は私の走りを邪魔されたくなくて体を当てることはあっても、相手を潰すつもりで体を当てたことは一度だってない!

 ……怪我の程度は、どの程度だ? すぐ救急車で運ばれたってことは軽くないはずだ。

 私が、この手で、彼女の未来を……壊して…………!

 

「違いますッ!!」

 

 トレーナーの怒声が部屋に響き渡った。

 

「あの子は元々脚を痛めていました! 馬場に出た時も左脚を気にしてました。そりゃそうですよ! あんな短い間隔でレースに出続けて怪我をしない方がおかしいんです!」

 

 それに、とトレーナーが私の目を見つめて訴える。

 

「ルドルフ、貴女の方が速かった! 一度は抜かされたかも知れませんが、貴女の伸びる末脚があれば直ぐに抜き返していました!」

 

 真正面から真っすぐに睨まれて、意気消沈して尻込みする。

 椅子に座ったまま、大きく溜息を零す。

 

「そんなこと……誰にも分からないではないか……」

「私が保証します。1着は貴女です、ルドルフ。それに、これはもう確定したことです」

「……道化を演じろと?」

「道化ではありません、貴女が本物です」

 

 どうすれば自分にとって得なのか、なんて分かっている。

 ただ納得ができない。私の中にある良心と自尊心が受け入れない。

 

「……どうしても結果を変えることはできないのか?」

 

 トレーナーは首肯して、そのまま目を伏せた。

 そんな彼女の姿を直視できず、私は天井を仰ぎ見る。

 

 このまま私が表彰を拒み続けることは簡単だ。

 しかし、それをしたからと云って、今更、順位が変わることは有り得ない。

 ウイニングライブは、損失云々で済ませられる話ではない。

 出走したウマ娘が顔を売り、今後の人生に影響を与える大きな機会だ。

 私の一存で中止にすることなんて、出来るはずもない。

 

 それに、と顔を俯かせるトレーナーの姿を見る。

 

 私だけの問題ならまだ良い。

 しかし私が表彰式の出席やウイニングライブの参加を拒否すれば、私のトレーナーである彼女の立場を危うくする。

 最早、此処に至っては、出席しない。という選択肢はなかった。

 こうしている間にも時間は過ぎる、無為に予定が遅れる。私が愚図れば愚図るだけ、周りに迷惑を掛けることになる。

 URAは勿論、今日のレースを見に集まってくれた観客にもだ。

 

 それでも脚が動かない。

 気持ちに整理を付けられない。

 到底、納得できる話ではない。

 

「……五分、欲しい。それで気持ちを切り替える」

 

 儘ならないものだ、と私もまた目を伏せる。

 ごめんなさい。そう呟かれた言葉を私はあえて無視した。

 

 約三十分後に行われた表彰式では、多くの観衆と出迎えられた。

 ウィナーズサークルの中心にて、インタビュアーからマイクを受け取った私は一度、大きく深呼吸をする。

 まだ納得をし切れない想いがある。

 今すぐにでも全てを投げ出して、叫びたくなるような感情を噛み殺す。

 勝者として相応しい姿を務めて演じる。

 幾度とシャッターを切る記者達の言葉が頭に入って来なかった。

 

 意味深に微笑んで、黙って立ち尽くす。

 

 私、シンボリルドルフは英雄ではない。

 そう立ち振る舞ってはならない。

 しかし勝者であることを否定しては、多くの者を侮辱することになる。

 

 だから、私は人差し指を立てた。

 カメラの向こう側に居る誰かに向けて、立てた人差し指を空高くに掲げる。

 そして挑発的に笑って、告げる。

 

「ひとつ目だ」

 

 シンボリルドルフは英雄(ヒーロー)ではない、悪役(ヒール)だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 競走馬とウマ娘の最も大きな違いは、情報収集能力の違いにある。

 私、ハッピーミークはウマ娘になった今世で初めて書籍や雑誌を読むようになった。テレビに目を通している。家族や友人といった人としての触れ合いを通じて、周囲の取り巻く環境というのが少しずつ分かるようになった。

 そうすることで前世では、人間達がどうして私達を競わせるのかも理解した。

 

 それはお金の為、もしくは栄誉の為。

 馬主や調教師、厩務員、騎手といった人間は、そうしたものを得る為に競走馬を走らせる。

 しかし、私と人間の間には必ずしも利益だけだった訳じゃない。

 

 情があった、少なくとも私はそう感じていた。

 

 勿論、人間達にとって競走馬は大切な商売道具である事実は変わらない。

 しかし、それでも感じられる情というものがあったのだ。

 私は大切にされていた、可愛がられていた。

 競馬で勝利する為に厳しく躾けられたこともあったが、それはそれ。

 私は周りの人間から愛されていた。

 

 競走馬時代、

 なんとなしに感覚として理解できていた事が、今ははっきりと分かる。

 競走馬として、私は幸せだったのだ。と今では思っている。

 

 閑話休題。

 競走馬としての私は人間に言われるがまま、走っていたように思える。

 周りの空気が張り詰めてきたらレースが近いんだなって察したり、意気込みなんかで次のレースがどれだけ大切なものなのかを推し量った。

 競走馬時代の私では、なんとなくでしか分からなかったものだ。

 

 しかし、今は手に取るようにわかる。

 競馬には重賞やGⅠといった格付けが為されており、格の高いレースに勝つ事が競走馬としての目的とされている。

 賞金が得られる、名誉が得られる。

 そのことが視覚化された情報として、はっきりと理解することが出来た。

 

 競走馬とウマ娘の違いは、自覚の有無にある。

 

 競走馬時代、競争本能のみで走らされていた時とは違う。

 明確に自分の意思を以て、たったひとつの勝利を掴む為にウマ娘は走っている。

 そこには責任があり、なによりも強い想いが込められていた。

 

 想いは、力になる。

 それは時に奇跡すらも起こし得る。

 逆もまた然り、

 

 それ故に起こる悲劇というものが、この世界には多々あった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「なあ、お前は莫迦か?」

 

 トレセン学園にあるウマ娘専門の診療所。

 そこで全治一ヶ月以上の捻挫を言い渡された私を罵るのは付き添ってくれたカツラギエースだ。

 左脚を包帯でグルグル巻きにされた私の姿を見た彼女は、片手を振り上げた。

 しかし、寸でのところで思い止まり、そのやり場のない怒りに大きく溜息を零す。

 無用な心配をかけてしまった、とは思っている。

 

「チームに所属しているはずの奴に付き添いがないのはおかしいよな?」

 

 まだ苛立ちの収まらない声色に、私は笑って誤魔化すしかなかった。

 こんなにも目をかけてくれる相手が居るのに、私は自分のことは自分でできると勝手をやって怪我をしてしまった。今も松葉杖を突くほどの重傷を負っているにも関わらず、反省する気が欠片ほども湧いてこない自分の心配をさせてしまうのは本当に申し訳ない。

 そんな私の性根を察しているのか、カツラギエースはやるせなさそうに頭を抱える。

 

「……東京優駿には出るつもりだな?」

「もちろんですが、その前に一戦挟むつもりです」

「莫迦か? そうか、莫迦なんだな。よし、一発殴らせろ。その頭を正気に戻してやる」

 

 今の私がまともではない自覚はある。

 しかし今、私の興味を惹くのは先輩ではなくて、待合室に設置されたテレビの方だった。

 画面にはシンボリルドルフ、立てた指一本を空高く掲げる姿が映されている。

 

 ひとつ目、と画面の向こう側に居る誰かに向けて語りかける。

 

 これだから出来る莫迦は困るんだ。

 自分に出来ることは他の奴にも当たり前に出来ると思ってやがる。

 私の適正距離は2000メートルまでだということを何故、分からないのか。

 いや、2000メートルでも少し長いくらいだ。

 私にとって、皐月賞が勝負所だった。

 

 ……菊花賞では、万にひとつの勝ちもあり得ないだろうな。

 

 奴の3冠制覇を阻むには東京優駿が最後の好機だ。

 菊花賞には出走しない、菊の舞台では奴には勝てないことは分かっている。

 出走する事そのものに意義はない。

 

「今の私では奴には勝てない」

 

 想いをそのまま口にする。

 

「……でも私はレースをする度に強くなる。その実感を皐月賞で得た」

 

 弥生賞の私では、あの後で差し返されていた。

 スプリングSを経て、私は確実に強くなっていた。皐月賞の最後の差し合いで私は更に強くなった。

 あの末脚がもう一度出せるなら、シンボリルドルフを躱した後だって差し返されない。

 

「勝算のないレースに出る事に意味はない、努力賞なんて糞食らえだ」

 

 これはもう決めたことだ。

 

「東京優駿を本気で取りに行きますよ。その為にもう一戦、私には必要だ」

 

 先輩の瞳を真っすぐに見つめる。

 無理は承知、無茶を言っているのは分かっている。

 しかし、誰がなんと言おうとも、私がこの道筋を変えることはない。

 

「来年もある。宝塚記念でも、天皇賞秋でも良いじゃねえか」

「それはそうなのですが……」

 

 これは確信に近い予感だった。

 

「……たぶん今、手を伸ばさないと私は二度と奴に追いつけなくなる」

 

 暫しの沈黙、

 先輩は大きく溜息を零した後、苦虫を嚙み潰すように口にした。

 

「シキ、ウチのチームに入るんだ」

「私は誰のチームにも入りませんよ。だって邪魔されるじゃないですか」

「なら顔を出すだけでも良い。ウチのトレーナーに頼んで設備も計画も全部、面倒を見てやる」

「……それだと先輩になんの見返りもないじゃないですか」

「見返りなんて最初から求めてねえんだよ」

 

 彼女は、心底嫌そうに言葉を続ける。

 

「俺の知らないところで勝手をされるとレースに集中できねえんだよ。どうせ野垂れ死ぬなら俺の見ているところで死ね」

 

 骨は拾ってやる、と最後に吐き捨てられた。

 ……私は幸せものだったんだな。

 何も言わずに頭を下げる。

 先輩は気まずそうに、気持ち悪いからやめろ、と言って顔を背けた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 トレセン学園、

 とある芝トラック場ではマルゼンスキーが後ろからスズカコバンを追い回すのが日常になりつつある。

 そんな彼女達が所属するチームの名はリギル。ドリームトロフィー・リーグで活躍するマルゼンスキーがエースを務めるチームであり、トゥインクル・シリーズの現役ウマ娘としてはスズカコバンがチームの代表格になる。

 再来週に行われる春の天皇賞を目指してスズカコバンに追い込みが掛かる横で、模擬レースを勤しむミホシンザンがバ群を率いて第4コーナーを回る。

 その最後方だ。

 

 先頭を走るミホシンザンに狙いを定めて、脚に力を込める。

 地面に顔を擦り付けるように極端な前傾姿勢。一瞬の溜めの後、跳躍するように前へと飛び出してやった。千切れるほどに腕を振り、地面に踏み込んだ脚で芝ごと後方に蹴り上げる。

 一歩、踏み込む度に加速する。一歩、踏み込む度に限界を超越する。過去を置き去りに未来を駆ける。

 その為に前へ前へと体を押し出した。

 バ群の横を一気に抜き去り、一足早くに抜け出していたミホシンザンに迫る。

 粘るミホシンザンを追い立てる。まだメイクデビューも果たしていない相手に負けられない、と鼻先を捉えた。

 そのままゴール板までに、しっかりと1バ身の差を付ける。

 

「調子は良さそうね、ハーディービジョン」

 

 肩で呼吸する私にトレーナーの東条ハナが労いの言葉を掛けてくれる。

 彼女は新人のトレーナーであり、マルゼンスキーを輩出したチームリギルの二代目トレーナーでもある。

 言動は少し厳しいところもあるけども、とても勉強家で信頼に値する人だと思っている。

 

「ええ、これでNHKマイルCへの出走は許してくれますよね?」

 

 トレーナーは眉間に皺を寄せた後、約束ですから。と眼鏡を直して表情を隠す。

 そんな彼女に私は苦笑を以て、応えた。



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第12話:次の目標に向けて

 力いっぱいに走れる。ただそれだけのことがこんなにも幸せな事だとは知らなかった。

 朝日杯フューチュリティSに出走した後、自分自身の不注意から靭帯を痛める怪我をしてしまった事で同期のウマ娘から大きく遅れを取ることになった。シンボリルドルフとビゼンニシキの二人が激戦を繰り広げるのを見ているだけってのは、悔しくて仕方ない。どうして私は、あそこで走れていないのか。歯痒い想いに心が焦れる。焦りは禁物、と自らに言い聞かせて、それでもリハビリはオーバーワークになりがちだった。

 歯痒いのは、トレーナーも一緒だ。

 先代から引き継いだマルゼンスキーやスズカコバンと違って、私は今のトレーナーに才能を見出されて一から手塩をかけて育てられて来た。その為、先の二人よりも特別に深い思い入れを抱かれている。今もスズカコバンの調教には兼用トレーナーのマルゼンスキーがメインで指導しているしね。

 チームリギルとして考えると特別ではないかも知れないが、私は東条ハナが初めて自分自身の力のみで勝ち取ったGⅠウマ娘である。

 クラシック3冠レースを獲る。と決めた矢先の出来事だった。

 

 事故だった。氷を張った水溜りに脚を取られて、靭帯を壊してしまったのだ。

 ウマ娘専門の診療所にあるベッドに寝かされた私を見たトレーナーは、怒鳴る訳でもなく、叱る訳でもなく、ただ震える拳を握り締めて「莫迦」と目に涙を溜めながら一言だけ告げた。

 申し訳ないことをしたと思っている。

 それから彼女は付きっきりで私のリハビリに付き添い、食事から調教までを徹底的に管理するようになった。トラックコースに出る時には、必ず彼女は私達の前を歩くようになった。

 私は彼女の提案する全てを受け入れた。

 私から要求したのはひとつだけ、同期と共にGⅠレースを走りたい。

 怪我の状態は悪い。弥生賞は勿論、皐月賞にも間に合わない。辛うじて、5月末には間に合わせることが出来たが、2000メートルどころか1600メートルまでの距離しか走ったことのない私にぶっつけ本番で東京優駿に出走することは難しい。

 その照準がNHKマイルCに定まるのは必然だった。

 

 長いリハビリ期間を経て、私は今、(ターフ)を駆け続けた。

 脚に負担をかけないようにプールでの調教をメインで行って来たが、まだ体力は戻り切っていない。私のピークはまだ朝日杯フューチュリティSの時で止まっている。焦りは禁物だ。それでも最高潮だったあの時期に少しでも近付く為、更に先を目指す為に脚に負担を課す。

 早く結果が欲しい。未だ、落ち込むことのあるトレーナーの為にGⅠでの1着が欲しかった。

 トレーナーが夢見たクラシック3冠レースはもう無理だけど、NHKマイルCは必ず獲ってやるのだ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 カツラギエースが結成したチームの名は、レグルスと云った。

 彼女自身でメンバーを集めて、トレーナーを捕まえて結成した即席チーム。チームのエースでもあるカツラギエースの他に重賞を勝利したウマ娘は居ないが、未勝利からの昇格率が高く、オープン戦以下で活躍するウマ娘が多く所属している。

 卒業後、就職率の高さから重賞を勝つだけの素質を持たないウマ娘からは地味に人気のあるチームだった。

 

「なんでボクが自分のチームじゃないウマ娘の面倒を見なくちゃいけないんだい?」

 

 そんなチームレグルスのトレーナーは心底、嫌そうな顔をカツラギエースに向けた後、じとっとした目で私を見つめる。

 

「それに此奴はビゼンニシキじゃないか。……面倒事の予感しかないのだけど?」

「そう嫌な顔をすんなよ。別に一から面倒を見ろっていう話じゃない」

「面倒を見ろって言われても困るけどね。ボクには重賞ウマ娘を持った経験がない」

「おいおい、私を忘れるなよ」

「君はほとんど自分で勝手にやってたじゃないか。ボクは名義を貸しているだけで、君というウマ娘のトレーナーになったつもりはない」

「酷いことを言うじゃねえか、俺達の仲だろ?」

 

 大丈夫だ。とカツラギエースは自信たっぷりに言うので付いて来たけど、どう考えても歓迎されていない。

 パイプ椅子に座っていた私は、その居心地の悪さに背筋を伸ばす。

「どうぞ」と横から湯呑みに入ったお茶が私の前に置かれる。顔を上げると見知った顔、耳飾りの鈴がリンと涼しい音が鳴り響いた。

 

「……私の顔に何か付いてる?」

「スズマッハじゃん、此処の所属だったんだ」

「そだよー」

 

 ……同期が居るじゃん、この子も東京優駿に出るじゃん。

 これって本当に良いの? ジトッとした目でカツラギエースを見つめてやる。

 

「別に構いやしねえよ」

 

 本当に? と今度はスズマッハを見る。

 

「レース場では好敵手だけど、外だと友達でしょ?」

 

 そう言って笑う彼女の笑顔が眩し過ぎて直視するのが辛い。

 話は決着したのか、カツラギエースが私に歩み寄る。

「もう勝手にしてくれ」と大きく溜息を零すレグルスのトレーナーは哀愁が漂っていた。

 

「とりあえずシキには、脚に負担を掛けないようトレーニングが中心だな。トレーナー頼んだよ」

「リハビリ用のトレーニングスケジュールとか組んだ事ないのだが?」

「んじゃ俺はスズマッハと特訓しに行ってくるからな」

 

 おーい、と呼ぶトレーナーの声に一瞥すらせずにスズマッハを連れてプレハブ小屋を出る。

 

「とりあえず移動に松葉杖は辛いだろ。セグウェイを貸してやるから、暫くはそれで移動しとけ」

「あ、はい」

 

 マイルカップに間に合わせろって莫迦かよ。と女は頭をバリボリと掻きながらノートパソコンの操作を始める。カタカタというタイプ音が響き渡ること数分程度、私もトレーニングに向かおうと考えて腰を上げると「ちょっと待って」とトレーナーに呼び止められる。

 

「うちの方針は基本、自己責任だ。目標は自分で設定しろ、設定したならやり遂げろ。その為に必要なことは出来る範囲で手を貸してやる」

 

 トレーナーはノートパソコンをパタンと閉じると入り口の横に置いてあったセグウェイを私の目の前まで持って来る。

 

「挫けるも自由、諦めるも自由。無理を承知で押し進むのも構わない。その結果、何が起ころうとボクの知ったことじゃない」

 

 人参のキーホルダーが付いた鍵を手渡してくれた。どうやらセグウェイに使うもののようだ。

 

「だけど、ひとつだけ約束する」

 

 ただ淡々と無感情に言葉を連ねる。

 

「君が諦めない限り、ボクは何処までも付き合ってやる。例え、それが地獄の果てでもだ」

 

 彼女は私を真っ直ぐに見つめながら平坦な声色で告げる。

 

「一時的とはいえ君がボクの管轄に入っている間、ボクが君を見放すことは絶対にないと断言する」

 

 カツラギエースが自分の脚で作ったチーム。

 一筋縄ではないと思っていたが、随分と個性的な人物がトレーナーをやっている。

 彼女は私に手を差し伸べる。

 

「君がボクの過干渉を許すなら手を取ると良い。過干渉が嫌なら今すぐにでもボクの前から消えたまえ」

 

 私は逡巡した後、その手を受け取った。

 

「ようこそ、チームレグルスへ」

 

 そう告げる彼女の顔は、やはり無表情であった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 NHKマイルCの季節が訪れる。

 私、ニホンピロウイナーが去年、皐月賞で惨敗した後の路線変更で出走したのが其のレースだった。

 中長距離路線。つまりクラシック路線やグランプリ路線から外れたウマ娘達が集まる同期の短距離マイル王者決定戦。それはそのまま私にとって次世代の好敵手になる。

 その出走登録を見やり、そして、そこに記されている名前を見た私は変な笑いが出た。

 

 無言でスマートフォンに繋いだイヤホンを耳に差し、とある人物に通話する。

 

「おい、ラギ。これはどういう事だ?」

『なんのことかな』

「惚けんじゃねえよ。どうしてあいつが今、マイル路線に転向しているんだ?」

 

 いや、マイル路線に転向したのならそれで良い。

 

「……まさかマイルカップとダービーを連走するんじゃないだろうな?」

 

 暫しの沈黙、あいつは無責任なことを口にした。

 

『俺はあいつの望みを全力で補佐することに決めた』

 

 プツッと通話が途切れた。

 

「あ、こら! おい、なんて無責任な……私は、お前だから! あ、こいつ! 着信拒否しやがったッ!!」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキの練習量は桁を外れている。

 片足を包帯で巻いた状態であっても、その練習量は欠片も衰えない。

 脚を痛めたなら痛めたなりのトレーニングを、脚に負担を欠けるのが駄目ならばと延々とプールで泳ぎ続けている。

 頭は常に勝つ為の方程式を構築しており、レースに関する情報は貪欲に吸収し、脳が糖分を欲するのかハチミツジュースをよく口にする。

 彼女の身体は、勝利だけを追い求めていた。彼女の全てが勝利する為に効率化される。

 その息遣い一つを取っても、勝利を感じ取ることができる。

 

 ビゼンニシキは才能と云う点だけを見れば、恐らく、そこまで特別なウマ娘ではない。

 

 ただウマ娘として、レースに勝利する為に極限まで最効率化させていった果ての存在が彼女なのだと思った。

 彼女は云う、きっと自分は走る為に生まれてきた。

 

 私が走れば、誰もが私の後塵に排した。

 脚に力を入れた分だけ速度が増した。芝を踏みしめて、全身で風を切り裂く堪らなく最高だった。

 他全てのウマ娘を置き去りに、ゴールを目掛けて突っ走る他に例えようがない。

 

 だから、私は走るのだと。

 

 本来、ビゼンニシキというウマ娘は特別というよりも地味な存在だ。

 それでも自分の持つ可能性を信じて、己の感性を研ぎ澄ませて、余計なものを削ぎ落とし、己が肉体を効率化させる。

 そんな彼女が放つ輝きは、機能美と呼ぶのが相応しい。

 

 錦の輝きは究極的な完全さを以て、体を為す。

 彼女は自分の才能を織り上げた。

 その輝きは皇帝や帝王と呼ぶよりも、やはり錦の名が似合っている。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 五月初旬、京都レース場。GⅢ京阪杯。

 その観客席の最前列に位置取るのは私、ビゼンニシキ。出走するのはカツラギエース先輩だ。

 GⅠレースの大阪杯を制してからの本レース、事前投票では文句なしの1番人気。先輩はムラッ気の強い戦績をしているが、それを押し退ける程の実力差が本レースにはある。

 それもそのはず今日の出走は続く宝塚記念に向けたステップレースに過ぎないのだ。

 

 レース前の準備運動中、先輩は観客席にいる私に向けて、不敵に笑って見せた。

 近頃、先輩はやけに気合が入っている。

 宝塚記念への意気込みも強く、絶対に取ってやるという意気込みが感じ取れた。

 

 各ウマ娘、ゲートに収まってからのスタート。

 先輩は出遅れながらも道中3番手に付けて、好位からの差し勝負で危なげない勝利を飾った。

 まだレース場に居るにも関わらず、私を見つけて「どうだ、見たか!」と云わんばかりのどや顔に私は苦笑する。

 勝って当然だ。カツラギエースというウマ娘は、ああ見えてミスターシービーに次ぐ実力ウマ娘なのだ。

 好位置からの鮮やかな差し勝負は素直に尊敬する。

 

 負けられない、と素直に心が疼いた。

 

 今日もまた学園に帰ったら延々とプールに励むことにしよう。

 調整以外で左脚を使って走ることは禁止されている。それは東京優駿に勝つ為にトレーナーが出した提案であり、実際、私も距離も壁が立ち塞がっている以上、心肺機能の向上は急務だと感じて大人しく受け入れていた。

 少なくともNHKマイルCが終わるまでは、従うつもりだ。

 

「今日のラギ先輩は強い勝ち方だったね。まるでルドルフみたいだった」

 

 隣で私と同じく観戦するスズマッハが口にする。

 確かに好位置から抜け出すレースはシンボリルドルフが得意とするレースだった。

 そして、それは私も同じはずだ。

 

「それは違うんじゃない?」

 

 スズマッハが答える。

 

「ラギ先輩とルドルフは抜け出してからも伸びる脚、でもシキは一瞬の切れ味じゃん」

「それは競り合いなら負けるってこと?」

「総合的な能力が高いから格下相手には通用するんだろうけど、私相手には通用しないよ?」

「スプリングSでは届かなかった癖によく云うな」

「今なら届くもん! ラギ先輩にずっとミスターシービー役をやらされてるんだし!」

 

 スズマッハがぷんすこと頬を膨らませる。

 実際問題、彼女の末脚の伸び幅は驚異的だ。伸び切った時の最高速はシンボリルドルフを超えるかもしれない。

 とはいえ、それは伸び切った後の話だ。

 加速するまでに時間がかかる彼女では、それまでに付いてしまった差を覆すことは出来ない。

 結局、第4コーナーから加速する術を身に付けなければ意味がない。

 

「スズマッハはプリンシパルSに出走するんだったっけ?」

「私だって、挑戦できるならダービー獲りたいもん!」

「ま、精々頑張り給え」

 

 ポンポンと背中を叩いてやったら、むっきゃーと怒り出した。

 いちいち反応が面白い奴である。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 練習用シューズの蹄鉄を打ち換える。

 成長期に怪我で休んでいた私は、まだまだ練習が足りていなかった。

 重石用の蹄鉄は一歩、踏み込むだけでもズシンと重たい。脚を痛めない為のダート用コース、そこを延々と走り続ける。

 ズシンズシンと音を鳴らして、ゆっくりと着実に、さりとて膝を高く振り上げることだけは絶対に止めない。

 私の戦法は直線一気、自分の末脚を信じて、最後方からバ群をぶっち切る。

 その為には粘り強い脚を作らなくてはならない。

 

 千里の道も一歩から、実際に千里を走り切るつもりで朝から晩まで走り続ける。

 筋肉の発達は日進月歩、少しずつ、さりとて確実に、脹脛と太腿に筋肉繊維がぎっちりと詰め込まれていくのを実感する。

 最初は歩くことしか出来なかった。慣れてくるとジョギングが出来るになり、今では軽く走ることも可能になった。走れるようになると坂路を使うようにもなった。日に何度も坂路を往復している。坂を下るときはゆっくりと呼吸を落ち着けながら、周りから抜かれることも気にせずに、GⅠ勝利の栄光を掴む為に坂を登り続ける。

 ビゼンニシキがNHKマイルCに出走するという話を聞いた。

 今や世代の二番手である彼女に勝つ事は難しい。先ず身体の出来では劣っている、彼女の脚には鋭い切れ味がある。

 時間が足りない、少しでも多くの時間を練習に費やさなくてはならない。

 

 追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて。

 

 ただ意識を勝利の為に研ぎ澄ませる。

 私はハーディービジョン、心の内に激しく燃える闘志を今は抑えつける。

 怪我をした私を見放さずに、ずっと付き添ってくれた彼女の為、全ては東条ハナの為だ。

 私のトレーナーに初のGⅠ勝利を捧げる為に私は鍛錬を続ける。

 身体から不純物が取り除かれる。

 少しずつ身体が次のレースの為だけのものに移り変わっていくのが分かる。

 まるで別の生き物になっていくかのような錯覚。

 もっと、もっとだ。まだ足りない。

 

 最初、重石を付けた特訓は辛いだけだったが、ある一定の領域を超えると――なんだか楽しくなってきた。

 

 自然と口元が歪な形に歪んだ。

 息も絶え絶えで声を発するのも辛いのに掠れた笑い声が零れる。

 あと少し、もう少し、どれだけ疲れていても脚を上げるのは止めない。

 どれだけ苦しくても太腿は上げ続けた。

 あと一歩、もう一歩。

 膝が腰の上まで届かなかったら、最初からやり直しだ。

 うひひ、うへへ、筋トレ楽しいなあ。



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第13話:まるで脚に翼が生えているかのようだった

 5月第2週目、東京レース場。NHKマイルC。

 同期による短距離マイル王座決定戦。事前の人気投票ではビゼンニシキが1着になると予想されている。

 対抗となり得るは怪我からの復帰明けであるハーディービジョン。鍛え上げた肉体は昨年末、朝日杯フューチュリティSで見た時の比に非ず。パドック場で披露した見違える程の脚力に期待して、彼女を4番人気にまで押し上げる結果になる。シンボリルドルフとビゼンニシキが頭角を現す以前、誰がクラシック3冠の第一人者だったのか。その事をレース場にまで訪れたファンは思い出していた。

 彼女の実績である5戦3勝は、数字だけ見ると決して強くないものだ。

 だが京王杯ジュニアSを見た者は知っている、朝日杯フューチュリティSを見た者は知っている。

 彼女の走りが本物であることをウマ娘ファンは知っている。

 

 この世代において、後方一気の猛追は彼女の代名詞であった。

 怪我で戦線を離脱している間、スズマッハに奪われてしまった御株ではあるが、彼女の走りに3冠制覇の夢を見た者は少なくない。

 それだけの魅力が彼女にはあったのだ。

 

 ハーディービジョンが(ターフ)に帰ってきた。

 シンボリルドルフ、ビゼンニシキに続く3強の一角が関東にて、レース場に帰ってきた。

 後方一気の追い込みウマ娘が勝利を奪いに帰ってきた。

 

 幻の名ウマ娘。その復帰に観客達が盛り上がる中で、ビゼンニシキも負けていない。

 重賞2つを含む7戦5勝の実績は他ウマ娘を圧倒しており、負けた2戦もシンボリルドルフとの競り合いの末だった。

 同世代の中では頭ひとつ抜きん出た存在であることに間違いない。

 

 私、スズパレードは観客席の最前列で皆がゲートに収まる様を眺める。

 皐月賞が終わった後、暫くビゼンニシキとは疎遠だった。でもチームレグルスの練習に加わってからぼちぼちと顔を合わせるようにもなった。食堂にいる時、昼食の人参ハンバーグを摘みながら3人で机を囲む日が過ぎる。

 3人というのは、私とビゼンニシキ、そして何処となく懐かしい顔のスズマッハだ。

 前に顔を合わせたのは幼い頃、顔の輪郭も朧げになっている。

 

 どうして彼女がビゼンニシキの隣に居るのか分からない。

 じとっとした目で威嚇した時も、スズマッハは涼しげな顔で惚けただけだった。

 というよりも視線の意味すら解せなかったようだ。

 

「誰が勝つかな〜?」

 

 問題なのは、そのスズマッハが私の隣に居ることだ。

 

「シキが勝つに決まってる」

「心情的には、シキだけどさ〜。追い込みウマ娘的には、ビジョンに勝って欲しい気もあるんだよね〜」

「なにそれ?」

 

 仲間意識はないのか?

 友達の無神経な知り合いを咎めるように睨みつける。

 スズマッハは困ったように肩を竦めてみせた。

 

「応援はしてるってば、なんだかんだで最後の調整には付き合ったし〜」

「それで調子は?」

「あんまりかな?」

 

 ムッと頰を膨らませたタイミングで「あ、でも」と茶化すような声を上げる。

 

「シキがルドルフ以外を相手に負けるところが想像できないんだよね」

 

 当然、と私は不機嫌さを隠さずに頷き返した。

 正直なことを云えば、ルドルフに負けた事だって私は信じていないのだ。

 弥生賞はともかく皐月賞は絶対にビゼンニシキが勝っていた。

 

『世代最速を自負するウマ娘が府中に集う! NHKマイルカップ!』

 

 東京レース場、スマホに付けたイヤホンを耳に実況の声が聞こえてくる。

 (ターフ)では準備運動を終えたウマ娘がゲート付近に集まっていた。

 

『先ずは8枠17番オンワードカメルン。前走の皐月賞3着が評価されたか3番人気』

 

 確か9戦2勝のウマ娘、重賞の勝ち星はないが朝日杯フューチュリティSでは3着の成績を持っている。

 

『1枠2番はアサカジャンボ。前走13着の雪辱を晴らせるか、2番人気』

 

 皐月賞では第4コーナーで一杯になり、中距離路線を疑問視されてからのマイル転向。地力の強さが評価されているのか前走の惨敗を喫した後でも根強い人気を持っている。

 

『1番人気は勿論このウマ娘、ビゼンニシキ。弥生賞、スプリングステークス、皐月賞を経てのNHKマイルカップへの出走です』

 

 ふふん、そりゃそうだ。私のビゼンニシキは一番なのだ。

 

「なんであなたが得意顔なの?」

 

 そんな無粋な言葉に「私の友達が誇らしいんです~!」とこれまたどや顔を決めてやった。

 

『未だに3着を下回ったことがありません。負けた相手も世代最強ウマ娘シンボリルドルフただ一人、今回のレースでは他のウマ娘よりも大きく見えます』

 

 続く解説の言葉にスンと心が冷めるのを自覚する。

 弥生賞はさておき、皐月賞はビゼンニシキが獲っていた。

 それをあのウマ娘が横から体当たりをしたせいで──

 

「急に静かになるの止めてくんない? 怖いんだけど……」

 

 ──おっといけない、今はレースを目に焼き付けなければならない。

 彼女の勝利をこの眼に焼き付けるのだ、親友として!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 静かに深呼吸を重ねる。

 胸を膨らませる程に大きく吸い込んだ後で、全身を使いながらゆっくりと息を吐き出すと同時に力を抜いた。

 嗚呼、嬉しいな。幸せだな。

 これから大事なレースが始まるっていうのに昂る気分に抑えが利かない。

 これから始まるレースの事を思うと楽しみで楽しみで……本当に楽しみで仕方なかった。

 戻って来れた、この(ターフ)に戻って来れた。

 もう戻って来れないと思った事もあった。

 胸の奥が疼くのだ。お前はもう走れない、と囁きかけてくるのだ。

 その声を振り払うように筋トレに勤しんできた。

 絶対に戻ってやる、と何度も自分に言い聞かせて、それでも泣きたくなることもあった。

 トレーナーには迷惑を掛けた、心配を掛けた。

 チームリギルの皆も同様だ。

 マルゼンスキー先輩、スズカコバン先輩、辛い時は何度も声を掛けてくれた。

 貴方達が励ましてくれたから私は今、此処に立っている。

 

 再び走れるようになった時、私の心を埋め尽くしたのは膨大な感謝の気持ちだった。

 

 胸元で強く手を握りしめる。

 勝ちます、と己に言い聞かせる。

 勝ちます、とトレーナーに誓いを立てる。

 この膨大な感謝の気持ちはもう言葉だけでは足りなくなっていた。

 ありがとうございます。と何度、口にしたのか分からない。

 ありがとうございます。と何度、想ったことか分からない。

 勝ちたい、と今日ほど願ったことは初めてだ。

 トレーナーだけではない、チームメンバーだけでもない。

 私を待ってくれた皆の為にも私は勝ちたかった。

 勝ちたい。勝って私、ハーディービジョンがちゃんと戻ってきたことを皆に伝えたいんだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 左脚の爪先でトントンと地面を叩く。

 踏み込めば痛みはある。しかし走るには支障のない程度の痛みだった。

 私、ビゼンニシキは走るのが好きだ。ゲート前、高まりつつある緊張感が好ましい。

 気分が高揚する、胸の鼓動が速くなる。

 トクン、トクン、と私の心が昂ってくる。

 私はきっと走る為に生まれてきた。だから今日も走るし、明日も走る。

 走ることが私という存在の証明になるのなら、私は誰よりも速く走ってみよう。

 最後の直線、他のウマ娘を抜き去るのは快感で、誰一人居ない先頭を駆けるのは爽快だった。

 誰よりも早くに辿り着いたゴールには達成感がある。

 私は此処にいる、私は今を生きている。

 

 走ろう、何処までも。

 走ろう、あの芝の果てまで。

 走ろう、ゴールの先にある何処かへ。

 

 各ウマ娘が収まったゲート内で高揚する気分とは裏腹に世界の全てが透き通って見えた。

 過去に何度かゾーンに入った経験はある。

 あの静かな世界を私は覚えている。全てを掌握できる全能感を覚えている。

 しかし、今日は何故だか、とてもふわふわしていた。

 地に足が付かないような、でも不思議と不安はない。

 ぽやっとしている内にゲートが開かれた。

 身体は自然を動いていた。

 目の前には空と芝だけが広がった。視界には他のウマ娘が誰も映って来ない。

 気持ちが良い、気分が良かった。

 このレースに至るまで、様々な作戦を考えてきた。

 でも、なんとなしに行けるところまで行ってみようという気になった。

 何処までも行ける気がしたから、何処まで行けるか試してみたくなったのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『ビゼンニシキが鼻を切った! 後続との距離がどんどん開いていくぞ!?』

 

 トレセン学園の食堂に置かれた大型テレビを見つめながら食事を摂る。

 彼女が逃げたのは確かスプリングS以来の事、その時は逃げるというよりも先頭に出てしまったといった印象の方が強かった。

 しかし今、彼女が見せるのは大逃げで後続との距離を突き放しにかかっている。

 これは何かの作戦か? 何かが起こる前触れか?

 どちらにせよ、目が離せないことには違いない。

 

「ルドルフさん! 御同伴させて貰ってもよろしいですか!?」

 

 料理を口に詰め込みながら好敵手が走るレースを観戦する。

 

「あれ、ルドルフさん? ルード―ルーフ―さーん!」

 

 彼女がマイル路線に舵を切ったのは残念だが、

 それでも来年の宝塚記念や天皇賞秋で再戦できる事を願って、今は好敵手の情報を溜め込むことに専念する。

 油断していると次もまた寝首を掻かれることになりそうだ。



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第14話:あの坂の向こう側を求めて

「あの莫迦、はしゃぎ過ぎだ」

 

 東京レース場、その観客席の一角で舌打ちを零す。

 鼻先を切って走るビゼンニシキは完全に逃げの態勢に入った。

 スプリングSの時とは違う、本物の逃げだ。

 

「……脚は完治しているのか?」

 

 隣からドスを利かせた低い声色で威圧される。

 ニホンピロウイナー、現時点でNHKマイルカップとマイルチャンピオンSを勝ち星に含んだ16戦9勝という前年度のマイラー界の絶対王者。2000メートル以上の距離であれば3冠ウマ娘のミスターシービーが勝つが、1600メートル以下の距離であればニホンピロウイナーが勝つと云われる二大王者の片割れである。今年は高松宮記念、安田記念、スプリンターズSという短距離マイラー路線のGⅠレースを完全制覇することを期待されていたが、2月末に行われたレースによる骨折で秋までの療養を余儀なくされている。その分、マイルチャンピオンS2連覇への想いは強い。

 今は骨折も治り、レース復帰の為のリハビリを始めた頃合いか。松葉杖を突いているが、脚に体重をかける分には問題ないようだ。

 もっと自分を労わってレース場まで来なければ良いものを。

 

「まあ普通に走るだけなら問題はねえよ」

「レースは普通じゃないだろ」

「……本人が望んでいるんだ、仕方ねえよ」

 

 あいつは自分の事を天才ぶっている割に努力や根性といった古臭いものを信仰しているからな。

 友情、努力、勝利というのであれば、友情という部分をもっと重要視して貰いたい。

 

「だったら……それを止めるのがお前の役目じゃないのか?」

 

 震えた声、怒りに満ちた目で睨まれる。俺だって好きで許している訳じゃねえよ。

 

「それをしていたらあいつは今も一人で頑張ってたよ」

「だとしてもだ! お前はサルノキングを忘れたのか! バンブーアトラスを忘れたのか!?」

「忘れてねえよ、忘れてねえから俺は今もなお無事是名バとして活躍している。他のウマ娘もそうだ。シービーは菊花賞後のレースは控えたし、コバンも前走のアクシデントから菊花賞を回避してるだろ?」

 

 先頭を走り続けるビゼンニシキの姿から目を離さずに続ける。

 

「こんな言い方をしたかないが故障してるのはバンバン出走してたお前だけだよ」

「……だからこそだ、故障をしたらどんなことになるのか!」

「だからこそ、だろ? あいつがお前ではなくて、俺を選んだ理由もな」

 

 レース展開が安定してきた頃合いを見計らって、ニホンピロウイナーを見た。

 下唇を噛みながら俺の事を睨みつけてくる。

 その姿は、なんというか、あのレース場の勇ましい姿から想像できない程に情けなくて滑稽だ。

 

「ピロ、あいつが最も懐いているのはお前だ。だからこそ分かるんだよ」

 

 ビゼンニシキの事を誰よりも気に掛けて、心配してきたのは彼女だ。

 それを横取りしてしまったのは申し訳なく思ってはいるが、今の彼女ではビゼンニシキの力にはなれない。

 何故なら、あいつが求めているのは今を戦う力だ。

 クラシック3冠はあいつの夢であり、走る理由でもあった。

 

 あいつは王道が好きだ、正攻法に拘りを持っている。

 クラシック路線やグランプリに強い執着を見せているのもその為だ。

 そんなあいつがクラシック3冠レースを終えた後、短距離マイルへの路線変更を考えている。

 そこには間違いなくニホンピロウイナーの影響がある。

 

 マイラーの王者である彼女の走りを見てきたことで中長距離への拘りは薄れていた。

 だからこそだ、だからこそクラシック3冠レースでは妥協できない。

 幼い頃から見てきた夢を諦めずにはいられないのだ。

 

「あいつ、TTGで最も好きなウマ娘って誰か知っているか?」

「……トウショウボーイじゃないのか?」

 

 ニホンピロウイナーの解答に俺は首を横に振る。

 

「グリーングラスだよ」

「シンザン好きのあいつがか、意外だな。本人から聞いたのか?」

「あいつの得意にしている物真似がグリーングラスが勝利したレースの実況なんだよ」

「それは一度、聞いてみたいな」

 

 あいつは、と彼女から視線を外してレースを眺める。

 

「……強いウマ娘になりたかったんだよな」

 

 そろそろ第3コーナーに差し掛かるといったところ、未だに先頭はビゼンニシキ。後続との距離は2バ身程度、最後方に陣取っていたハーディービジョンが先頭との距離を詰めに掛かる。

 

「ダービーが終わったら、お前のところに返すよ」

「それはどういう意味だ?」

「やっぱり、あいつの居場所はお前のところだよ」

 

 俺は自分のことで精一杯だからな、と涼しい顔で笑ってみせた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 そろそろか。レースの中盤、最後方でじっくりと脚を溜めさせてもらった。

 大外周りの距離的不利を嫌って、バ群の内側からバ群に突っ込んだ。蹴り上げられる芝生を回避しながら右へ左へとステップを刻むようにウマ娘同士の隙間に身体を滑り込ませる。此処で詰まっていては内側に切り込んだ意味がない。

 東京レース場の向直線には、高低差1.5メートルの登り坂がある。

 バ群がガクンと速度を落とす瞬間を見計らって、更に速度を上げる。他のウマ娘達の息遣いが分かる、呼吸が読み取れる。今日の私は絶好調だ。坂を登りきった後、第3コーナーの半ばまで続く高低差2メートルの下り坂。その後、第3コーナー半ばから第4コーナーに掛けては若干の登り坂になっている為、あえて速度を落とす理由がない。高速で曲がるウマ娘達が大きく外に膨らむのを予見して、内に内にと切り込んで行った。何人かコーナリングが上手いウマ娘は居るが、そういうのは無視だ。数人程度なら外を通っても問題ない。

 レース中盤まで18番目だった順位は1桁台に乗り、前にはもう数人が残っているだけだ。

 好位置に付いていた3番人気のオンワードカメルンを置き去りにして、バ群の先頭を率いていたアサカジャンボも抜き去った。

 視界が開けた、真っ直ぐの芝の先を走るのはビゼンニシキだ!

 

『さあ直線だ! 先頭を走るはビゼンニシキ! バ群の内からハーディービジョン!』

 

 大歓声が上がる、直線勝負。

 2バ身先を走るビゼンニシキの背中を見つけた瞬間、私は一瞬の溜めを作った。

 踏み込んだ右脚に全体重を乗せる。一歩分、後続が私に追い付き、アサカジャンボが視界の端に映った。

 それだけだ。次の一歩で後続を完全に突き放す。

 続く一歩で影すらも踏ませない。

 

『これはもの凄い末脚だ! 追いつくか、逃げ切るか!? 幻の名ウマ娘が実像を以て襲い掛かる!』

 

 バ群は消耗なしで綺麗に抜け出せた。

 今日の自分に満点を上げたい。この距離でこの差なら確実に抜き去ることができる。

 東京レース場、最後の直線に入った直後に高低差2メートルの坂がある。

 逃げに徹したビゼンニシキには辛いはずだ。

 この坂で蹴りを付ける!

 

『ハーディービジョンが更に加速する! 後続との距離は1バ身、2バ身! しかし、しかし――――ッ!』

 

 ……落ちない、ビゼンニシキが落ちて来ない!

 

『――ビゼンニシキとの差が1バ身から縮まらない!』

 

 もう限界のはずだろう!?

 勝てる距離、勝てる差だったはずだ。

 手応えはある。過去、最高の仕上がりだったと言っても良い。

 少なくとも、今の私は朝日杯フューチュリティSの比ではない。

 私は過去の自分を超えたのだ!

 

『ハーディービジョンが追う、ビゼンニシキ粘る! ビジョンが追う、ニシキが粘る!』

 

 坂を登りきった残り300メートル、まだこれからだ!

 更なる猛追を仕掛けるべく、自分の脚に喝を入れて、更なる速度を追い求めた。

 落ちて来ないのなら、こちらから仕留めに行ってやる!!

 

 これが私だ、ハーディービジョンだ!

 シンボリルドルフを倒せる者はビゼンニシキじゃない!

 ハーディービジョンが此処に居る!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 ――行け!

 

 最後の直線、思わぬレース展開とデッドヒートに観客席から大歓声が上がる。

 

 ――行け!

 

 スズパレードが推しの団扇を片手に吠えた。スズマッハが手を掛けた柵を強く握り締める。

 

 ――行け!

 

 ニホンピロウイナーが興奮して転びそうになってるのをカツラギエースが必死に支える。

 

 ――行け!

 

 関係者席では、東条ハナが祈るようにレースの行く末を見守った。

 

 ――行け!

 

 そしてトレセン学園では、世代最強のマイル王者決定戦に同世代の全ウマ娘が注目をしている。

 シンボリルドルフも例外ではない。

 好敵手の激走を、最後の競り合いをじっと見つめている。

 

 ――まだ行けるはずだろう?

 

 想いは、力になる。

 それは時に奇跡すらも起こし得る。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 意識が、ぼんやりとしていた。

 慣れない逃げ戦法に二日前まで続けていた過酷なトレーニング、東京優駿に目標を定めて肉体を徹底的に追い詰めた。

 左脚には痛みがあった。走っている間も継続的に襲い来る痛みは感じていた。

 でも、やっぱり思考がぽやぽやする。

 頭の中は透き通るように鮮明で、視界は見え過ぎるほどによく見えた。

 自分の胸の鼓動が聞こえる、息遣いを感じる。

 坂を登り切った後の観客席、団扇を片手に必死で振り回すスズパレードの姿があった。

 その団扇に貼ってあるのって私の写真?

 思わず、失笑する。

 うん、そうだな。あいつが見ているのなら、格好良いところを魅せてやらないとな。

 それに――と、私の遥か先を走るウマ娘の背中を幻視する。

 あいつは絶対に倒す、と左脚で地面を強く踏み締めて一瞬の溜めを作る。

 身体は極端な前傾姿勢。皐月賞で掴んだ二の脚を今、解禁する。

 

 嗚呼、疲れているはずなのに――なんだか気持ち良くなってきた!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『坂を登り切って、ビゼンニシキが此処で伸びた! 錦の輝きは未だ衰え知らず!』

 

 待て、待て待て! 待てって、おい!

 ビゼンニシキが一瞬だけ速度を落とした。

 好機だと思って距離を詰めた瞬間、奴の速度がグンと加速した。

 まだ脚を残していたっていうのか。

 追い付けないのか、私は追い付けないのか!?

 

 また、私だけを置いて行くっていうのかッ!!

 

 後続のウマ娘が「むりーっ!」という声を上げるのを耳にして、歯を喰い縛った。

 無理じゃない! クラシック3冠レースの皐月賞で2人がデッドヒートを繰り広げる映像を観て、どれだけ悔しい想いをしたのか!

 想い出せ、観ているしかなかった自分の不甲斐なさを、情けなさを!

 再び戻って来れたのは誰のおかげだ!

 トレーナー、マルゼンスキー、スズカコバン、ミホシンザン、リギルの皆……!

 こんな有様では支えてくれた皆にも顔向けが出来ない!

 

『もういっぱいか!? ハーディービジョンはいっぱいか!?』

 

 まだだ、まだッ!

 ゴール板を越えるまではまだ、勝負を分からない!

 離された距離は致命的、しかし、私は諦める訳にはいかないんだッ!!

 なりふり構わずに脚を動かせ、手を振り回せ!

 ただ勝ちたいって想いを心の炎に焼べる!

 奮起せよ、前を向け!

 

「根性を見せるんだよおおおおおおおおおおッ!!」

 

 その時、限界の壁を突き抜けた感覚があった。

 最終局面、小難しい事は全て投げ捨てる。

 

『ハーディービジョンも伸びた! GⅠウマ娘の意地を見せる!』

 

 追い付けるかどうかではなく、追い付くのだと心に決めて最後の力を振り絞った。



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第15話:私、天才なので

 幼い頃、ビゼンニシキは神童と呼ばれていた。

 それは「年齢の割には」という接頭語が付く意味での言葉だ、御山の大将と言い換えても良い。

 親族は彼女の事をGⅠウマ娘になると持て囃し、彼女もまた教えられた事を人並み以上になんでも出来てしまった為、自分の事を天才だと信じて疑わなくなった。

 此処まではよくある話だ。

 歳を重ねる度に現実を知る。自分が群衆に埋もれる一人に過ぎない事を知り、大人になった。と偉ぶって幼い頃に見た夢から目を逸らすようになる。

 そんなありきたりな物語が世の中には溢れている。

 

 しかしビゼンニシキは今もなお、自分が特別だと信じ切っていた。

 自分は才能に恵まれている。

 だから他のウマ娘よりも努力を重ねる義務があると思い込んで、常に努力を積み重ねて来た。

 

 なにかで勝った時も、彼女は自分の努力を驕らない。

 皆よりも自分の方が才能があっただけだと言い張った。

 

 誰よりも努力を積み重ねてきた。

 それを当然だと云って、彼女は自分の才能だけを驕り続ける。

 走れば走るだけ、鍛えれば鍛えるだけ、やればやるだけ、自分が成長出来るのは全て才能のおかげだと彼女は言い続ける。

 彼女の生まれ持った素質は決して低い訳ではない、むしろ素質があると云っても良い程だ。

 それでも天才と呼べる程のものではない。

 

 ただ彼女には幼い頃から長年、積み重ねてきた努力がある。

 自分を天才だと信じて続けてきた鍛錬の数々が、今ある彼女の肉体の下地になっている。

 彼女は生まれ持った天才ではない。

 しかし、彼女には、天才にも引けを取らない肉体が築かれていた。

 彼女にはGⅠを獲れるだけの素質がある。

 

 その素質は、彼女が幼い頃から積み重ねてきた努力の賜物によるものだ。

 彼女は誰に言われるまでもなく、自分の意志で今の自分を作り上げた。

 故に彼女は結果的に天才となった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 幼い頃、天才という言葉は私の為にあった。

 前を走るウマ娘を後ろから抜き去るのが快感だった。

 私には生まれ持った末脚がある、何処までも伸びる脚があった。

 後方一気の差し勝負、バ群をごぼう抜きにする快感は他では例えられない。

 私の脚には翼が付いている、誰も私から逃れ切れない。

 

 それが私、ハーディービジョンだ。

 

 流石に才能だけではやって行けなくて、デビュー直後は苦しめられた。

 今はトレーニングを重ねて、鍛えに鍛え抜いた。

 何度も吐瀉物を撒き散らした、泡を吹く程に巨大タイヤを引いて来た。

 生半可な鍛え方はして来なかったはずだ。

 加速力だって、最高速だって、数年前とは段違いに速くなった。

 私は天才なのだ、誰もが認める天才である。

 

『ビゼンニシキが伸びる! まだ伸びる! ハーディービジョンを引き離し、更に伸びる!』

 

 怪我の影響は残っている。

 私は同世代のウマ娘と比べて、数ヶ月の遅れがある。

 しかし、それでも私の末脚はまだ健在だ!

 

『これは強い! 2バ身、3バ身! ハーディービジョンの背後には誰も来ない! 異次元の脚に誰も追い付けない!』

 

 ふざけるな、ふざけるなッ!

 最後の末脚を使った後、距離は少し縮まっていたじゃないかッ!

 半バ身までは詰めることが出来た!

 なのに、どうして! 嗚呼、クソッ! クソォッ!

 あいつ、私を見ていなかった!

 並びかけた時、私の事なんて何ひとつ気にしてなかった!

 待て、待てよ! 待てよコラァッ!!

 私を見ろォッ!!

 

 遠のく背中に追い縋るべく、ただ奴の視界に映りたくて更なる加速を自らに課した。

 限界を超えた走り、その更に先を求めて芝生に右脚を踏み込んだ。

 瞬間、ピキッという嫌な痛みが足首から走る。

 故障した!? 構うものか、と意地だけで先を進もうとした。

 視界にはもう奴しか映っていなかった。

 

 ――これ以上、無理をしないで。お願いよ。

 

 誰かの、声が、聞こえた、気がした。

 

『ハーディービジョンは此処まで! ハーディービジョンは此処までだ! ジュニア最速王者はビゼンニシキで決まりだ!』

 

 速度を緩める。思わず、脚を止めてしまった自分に茫然となる。

 流しながら走っていると後方からやって来たバ群の波に飲み込まれた。

 なんで追うのを止めてしまったのだろうか。

 

『ビゼンニシキ1着! もう脇役とは言わせない! 掲示板の頂点を錦で飾りました!』

 

 顔を上げるとビゼンニシキがゴール板の先を駆け抜けていったところだった。

 

『文句なしの圧勝ですッ!!』

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 痛い、左脚の痛みがキツくなった。

 立っているだけでも辛い程の激痛だ、テーピングが緩んでしまったのかも知れない。

 今日は、なんだか、とても疲れたな。

 呼吸が全然、整わない。

 呼吸音が五月蝿い、胸の鼓動が煩わしい。

 それでも心配をさせない為に観衆に向けて、手を振った。

 ウィナーズサークルの受け答えは少し待って貰おうか。

 早く休みたい。

 とりあえず脚を冷やさなくちゃな。

 さっさと退散させて貰おう。

 レース場と控え室を繋ぐ専用通路、そこで誰もいない事を確認して壁にもたれかかる。

 不味いな、左脚が動かない。

 あと一戦、まだ一戦だけ残っている。

 痛い、痛いな。

 顔に出しては駄目だ。

 止められる。

 疲労は隠さなくても良い。

 慣れない逃げに、最後の追い切りだ。

 隠すと却って不自然になる。

 痛い、疲れた。痛い。眠い。

 眠りたい、眠る前に脚を冷やさなきゃ。

 壁が冷たい、ちょっと気持ち良い。

 呼吸が整わない。

 これは、本当に、不味いかも。

 でも、まあ少し休めば、良くなるかも知れない。

 今はやるべき事をやってから少し眠ろう。

 頭が、もやがかって、思考が、まとまらない。

 勝った。うん、勝った。

 もう、それは良い。

 とにかく、今は、休みたい。

 

「……バカじゃねーの?」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 異変には直ぐに気付いた、左脚を痛めてしまったのは直ぐに分かった。

 ビゼンニシキは余裕そうな笑みを浮かべながら観衆に手を振っていたけど、その顔は嫌な脂汗で滲んでいる。

 隣にいるスズパレードは感極まって泣き喚いているので使い物にならない。カツラギエースはニホンピロウイナーを見つけて観客席の後ろの方に行ってしまったので気付くのは難しいそうだ。ビゼンニシキは退場する時に左脚でしっかりと地面を踏み締めて歩いていたので尚更だ。その腐った根性だけは流石と褒め称えてやる。

 スズパレードには適当に別れを告げた後、関係者用の通路を通り、レース場と控え室を繋ぐ通路で迎えに行った。

 案の定、彼女はボロボロの見るに耐えない状態で壁にもたれかかっていた。

 

「……バカじゃねーの?」

 

 思わず、呟いてしまった私は悪くない。

 彼女ならもっと上手く勝つことも出来たはずだ。勝てないにしても怪我を悪化させることはなかった。

 本番は東京優駿だって自分で言っていたじゃないか。

 

「……スズ…………マッハ……?」

「今すぐに病院に連れ込まれたくなければ、しっかりと立て。勝者が情けない面を見せないでよ」

「手……厳しい……な…………」

 

 ビゼンニシキは大きく深呼吸をした後で、ズズッと左脚を引き摺りながらも壁を手に歩き出した。

 

「……ごめん、マッハ…………肩を貸してくれない? ……あと控え室で氷も…………」

「図々しい奴だな」

 

 はあっ、と溜息を零しながらも彼女の脇下を担いでやる。

 全身が汗で濡れており、ちょっと気持ち悪かった。

 ゆっくりと歩いてやる。

 あまり顔には出さないが、僅かに眉を顰めるので痛みは感じているようだ。

 

「…………そんな身体で東京優駿に出るつもりなの?」

 

 もう止めれば良いじゃん、そんな有様になってまで走る意味ないじゃん。

 

「出る」

 

 しかしビゼンニシキは、これだけは強い口調で答えた。

 

「勝てる訳ないじゃん」

「勝てるよ」

「どうしてそんな事を言えるかな」

「天才だから」

 

 そう言った彼女は殴りたくなる程のどや顔だった。

 今にも死にそうな顔色をしてやがる癖に。

 ああそうか、馬鹿は死ななきゃ直らないのだ。

 何を言っても無駄だと判断したカツラギエースの気持ちが今になってよく分かる。

 

「……バーカ」

 

 精一杯の悪態を込めて呟いた言葉に、彼女は苦笑する。



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第16話:よろしい、ならばかかって来い

 私、シンボリルドルフは生まれた時から強者であることを義務付けられていた。

 ちょっと本気で走っただけで周りからは誰も居なくなる。ヨーイドンの時は隣を走っていた仲間達は、遥か後方で息を切らしながら茫然と立ち尽くしていた。そして皆、走るのが好きなはずなのに私と一緒に走ろうとする者は誰も居なくなっていた。

 トレセン学園の入学試験を受ける時もそうだ。

 地元の同期で私と同じ学園に入学しようと試みた者は誰一人として居なかった。

 中央のレースで活躍するぞ、と意気込んでいたウマ娘も今は地方で活躍していると話に聞いている。どうにも私の力は他者に大きな影響を与えるようだ。無闇に力を晒しては相手の人生を変えてしまう事になり兼ねない。

 私は自分の力を正しく認識していたから、それを誇示するような真似を極力控えた。

 授業には、きちんと参加している。チームには所属しない代わりに自己鍛練に励む毎日を送る。淡々と一人でトレーニングメニューを熟していたので同学年のウマ娘達から少し孤立気味になってしまった。

 私が初めて本気の走りを披露したのは、ジュニアB組に進学して間もなくの話だ。

 選抜レースで、私は堂々と1着を勝ち取った。

 

 2着とは残酷的な差を付けた。

 この日の事で心を折った者も少なくないはずだ。

 唯一抜きん出て並ぶ者なし。私の走りは、そういう類のものであると理解はしている。

 絶対は、此処にある。絶対の体現が、私という存在だ。

 無論、至らぬ点は枚挙に暇がなく、いずれ至るべき頂点の座は遥か遠くだ。

 なればこそ、私は共に帝道を歩む儕輩を強く求めている。

 

 私は道の果てが孤高である事を知っていた。

 だからこそ、立場は違えど並び立ってくれる存在に憧憬していた。

 トレーナーが欲しかった。

 誰でも良い訳ではない、私の隣を歩いてくれる存在を欲していた。

 実力は見せた、後は求めるだけだ。

 

「我こそはと思う者は、是非名乗り出て欲しい」

 

 しかし感触は想像していた以上に悪かった。

 私の実力を見て気遅れする者、私がレースで負けた時を考えて保身に走る者、周りの反応を窺う者、反応は多種多様だったが、その場で名乗り出てくれる存在は誰も居なかった。

 まあ仕方ない、想像していなかった訳ではない。

 

「もし諸君の中に私の儕輩になっても良いと思ってくれる者が居れば、後日、声を掛けてくれると嬉しい」

 

 その日は、それで解散した。

 

 翌日、トレーニングコースで走っていると3人ものトレーナーが私に声を掛けてくれた。

 1人は私を必ず強くするという決意を語り、1人は私と必ず歩むという覚悟を語った。そして最後の1人は、私の走りをもっと見たいという期待を語る。

 嬉しい事だ、強い想いを胸に抱いて熱の込もった言葉で私を求めてくれた。共に歩むと誓ってくれた。

 ただ1度だけの会話では決められなかった。

 だから私は試すような真似をすることに心苦しく思いながらも3人に課題を出した。私に掛ける期待を、私に託す夢が如何なるものか形にすることを望んだ。

 正直、実力を問うつもりはあまりない。

 ある程度までは許容できる。それ以上に重要な事は彼らが私を通して見る未来が如何なる光景になっているか、という事だった。お互いの見ている先が違っているとお互いに不幸になると思ったから最初の段階できちんと擦り合わせをしておく必要がある。

 私の力は強過ぎる、それこそ世界にまで手が届くほどに。

 どんな未来でも掴み取れる可能性が私にはあった。

 

 そうした経緯を経て、私は1人のトレーナーの手を取った。

 彼女もまた私と同じように未熟な存在ではあったが誠心誠意、私に尽くしてくれている。練習スケジュールは基本的に私の要望に沿う形で進められるし、レースのプログラムは幾つも用意した上で私に選び取らせる形を取った。トレーニングコースの使用許可は必ず、翌日の練習時間までに取って来てくれるし、練習が終わってシャワー室で汗を流した後は髪と尻尾を丁寧に乾かして整えてくれる。何処で学んできたのかウマ娘用のマッサージまで身に付ける始末だ。

 そして今もまた手作りの蜂蜜に漬けた薄切りのレモンを用意してくれている。

 うん、美味しい。感想を聞かれても美味しいとしか答えた覚えがないのに、日々の試行錯誤から今では完全に私好みの味になっていた。所属するチームのプレハブ小屋でウマ娘雑誌を片手に寛いている時の話になるが、私の好みに合わせた味わい深い紅茶を欲しいタイミングで淹れてくれる。私好みの菓子の補充も問題ない。使ったシューズは言わずとも綺麗に洗ってくれる。体操服の洗濯は勿論として、制服のアイロン掛け、果てには下着や私服とかも洗って貰うようになった。

 身の回りの煩わしい事は全てトレーナーがしてくれる。

 おかげで私はトレーニングに集中し、次のレースの事だけを考える事もできた。

 正に至れり尽くせりの生活を満喫している。

 

「あれ、シャンプー変えた?」

 

 時折、うちのトレーナーから感じる好意が少し重たく思うことがある。

 

「ああ、前に使っていたものが切れたからな。売店で売られているもので間に合わせたんだ」

 

 私の後ろ髪に顔を近付けて、スンスンと鼻を鳴らすトレーナーに事情を説明する。

 

「これはこれで良い肌触り、私の時とは全然違う……やっぱり個人差ってあるなぁ」

 

 彼女は私の髪を手に取り、その感触を確かめる。

 この程度のスキンシップは日常茶飯事なので咎めることはない。

 というよりも慣れ切ってしまって、安心感すらある。

 そのまま私の髪を使って複雑な編み込みを施して遊ぶのも何時ものことだ。

 ……やっぱりおかしいんじゃないかな、この状況。この距離感。

 

「同性同士なら普通よ」

 

 そうかー、普通なのかー。たぶん違うと思うんだけどなー。

 でも、まあ、この件に関しては随分と前の段階で深く考えることは止めている。

 と云うのも彼女が一度、風邪で休んでしまった時に私は自分で自分の身の回りの事が面倒で出来なくなってしまったのだ。

 人も、ウマ娘も、一度上げた生活水準を下げるのは多大な困難と精神的苦痛を伴うものだ。

 彼女の献身は私を堕落させ、今やもう彼女なしの生活に戻るなんて考えられない。

 その対価として、多少のスキンシップや写真撮影は許容すべきだった。

 

 また彼女の献身はトレーナー方面でも存分に発揮される。

 私の顔色を見るだけで大まかな体調を把握し、髪や肌に触れるだけで寝不足といった軽度な症状まで見破ることができた。それで肌荒れと診断されるのはまだ分かる。でも、それだけで太り過ぎと診断された時は流石におかしいと思った。

 現在の体重を1キログラム未満の誤差で的確に当ててくるのは、ちょっと怖くなったので他のトレーナーも一緒なのか知り合いのウマ娘に相談した事がある。引き攣った笑みで首を横に振られて以来、誰にも相談できなくなった。

 今では健康診断と称して毎朝、出会い頭でトレーナーに頬の感触を確かめるようにもっちもっちと撫でられている。

 

 トレーナー関連は、そういうものとして受け入れるようにしている。

 実際問題、彼女に任せていれば何の問題も起きないのだ。チームリギルは徹底的な管理を方針にするチームであるらしいが、たぶん、きっと私よりも管理されているウマ娘は学園には居ないはずだ。過酷なトレーニングに励んでいるはずなのに、日に日に肌や髪が綺麗になっていく恐怖を彼女達は知らない。そして気付いた時には全てが手遅れで受け入れるしかないと悟った時の恐怖を彼女達は知らないはずなのだ。

 近頃はオイルマッサージの習熟に励んでいるとの事であり、妹分のシリウスシンボリの肌艶がめっちゃ綺麗になってた。

 シリウスシンボリは彼女の手腕により、完全に堕とされている。私生活駄バ娘である。

 

 私達はもう手遅れなのだ。このままトレーナーと共に突き進んでいくしかない。

 そもそもの話、私が帝道を歩む為には今のトレーナーの能力は必須だ。乗り換えるメリットは欠片も存在せず、大きなデメリットだけが幾つも思い浮かんだ。そして私はトレーナーの事が嫌いではない。というよりも此処までの好意と献身を見せられて、嫌う方が不可能だ。好ましいと感じている事は間違いない。たぶん、おそらく、私はトレーナーの事が凄く好きだ。断言できないのは複雑な気持ちが私の理性に疑問符を飛ばしているだけであり、親愛と呼べるほどの感情を抱いているのは疑いようもない事実である。ちょっとばかり受け入れ難いだけの話なのだ。このままではいけない。と頭の何処かで思っていながら、これ以上の環境はない。と心の何処かで確信している。

 人としての、ウマ娘としての、尊厳の葛藤はあれど、たぶん私がトレセン学園に居る間は彼女との縁が切れる事はない。

 むしろ競争ウマ娘としての人生を終えた後、ちゃんと自立できるのか心配なくらいだ。たぶん、出来ない。出来ないので、世話して貰う為にドリームトロフィー・リーグへの参加を果たさなければならない。

 その為にはGⅠレースを幾つも勝利する必要があった。

 

 大丈夫、うん、大丈夫だ。

 私の目的は最初から何一つ変わっていない。

 大丈夫だ、私の野心は昔のままだ。

 そこに他の理由が加わっただけの話に過ぎない。

 そうだ、大丈夫なのだ。

 

 編み込みを終えたトレーナーが満足げに手を叩いた後、スマホで手早く写メを撮る姿に苦笑する。

 このトレーナーに関しては深く考えるだけ、ドツボに嵌るのは分かり切っていたことだ。

 どうせ結論は変わらないのだから、今は次のレースの事を集中した方が良い。

 

「ビゼンニシキがマイル路線に行ってしまったのは残念だったな」

 

 今週のウマ娘雑誌には、NHKマイルCで1着を取ったビゼンニシキの姿が表紙に飾っていた。

 他ウマ娘を置き去りにする異次元の末脚、ジュニア世代最速ウマ娘。秋に開催されるマイルCSでの現役最強マイラーであるニホンピロウイナーとの激戦が期待されている。

 実際、中継で観た時も逃げ戦法から最後の直線で末恐ろしい伸びを見せていた。

 あれだけの伸びは私とのレースで見せたことはなかった。中距離は適正が合っていなかったのかも知れない。それなら秋のジャパンCと有マ記念でも出走が被る事はなさそうか。

 でもまあ野心家な奴のことだ。道は違えたが来年度、遅くとも秋の天皇賞で衝突することはあるはずだ。

 更に速くなった好敵手を想い、うかうかしてはいられない。と気合を入れた。

 

「あ、ヴィクトリアマイルが始まる時間ね」

 

 そう云って、トレーナーがプレハブ小屋に備え付けたテレビを点ける。

 

『ダービーには出走する』

 

 番組が違ってたのか、長椅子に座ってインタビューを受けるビゼンニシキの姿が映り出された。

 

『下バ評ではシンボリルドルフの一強なんでしょ? それじゃあ観てる方もつまらないだろうしね。私が出走して東京レース場を盛り上げてあげるよ』

 

 そこには自信に満ち溢れた好敵手の姿があった。

 

『皆が観たいのはルドルフの2冠じゃない。あの無敗の絶対王者が地に伏せるところなんでしょ?』

 

 彼女は不敵に笑いながら饒舌に話を続ける。

 

『大丈夫だよ、安心しなって。最後の直線で体当たりをして来るような相手には負けたりしないよ』

 

 あれはお互いにとって不本意な結果だったけども、と彼女は目を伏せた後でテレビの向こう側にいる誰かをじっと見つめて続ける。

 

『シンボリルドルフは私が倒す』

 

 確かに彼女はそう言った。

 

『雌雄はダービーで決する。首を洗って待っていろ』

 

 それは清々しいほどの宣戦布告だった。

 心に火が灯るのを感じる。物足りない気持ちはあった。

 トレーナーが隣で拗ねるよう口先を尖らせて私の写メを撮るのも気にせず、テレビ画面に見入った。

 やはり私が走るレースには、彼女の存在が必要なのだ。



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第17話:合間の話

 前走、NHKマイルCを終えた後の事だ。

 レースが終わった後のライブ会場、これから始まるウイニングライブに犇めき合うのは観客達にレースを共にした好敵手達。彼女達にはライブ衣装には着替えさせず、色とりどりな勝負服のままステージ上に上がってもらった。

 そんな彼女達の中心で椅子に腰を掛けるのは天下の快速ウマ娘ジュニアクラス。つまりは私、ビゼンニシキだ。

 思い入れの深い真っ白なテンガロハットを被った私はギターを両手に弾き語る。

 

「さあ早くも、早くも第4コーナーをカーブした! テンポイントか、トウショウボーイかクライムカイザーか。内へ1頭、内へ1頭! ハマノクラウドか。さあこの辺り、テンポイントか? テンポイントが先頭か!? テンポイントが先頭に立っている! テンポイントが先頭か!? 内からグリーングラス、内からグリーングラス! さあテンポイントが先頭だ! テンポイントだ、テンポイントだ! それ行けテンポイント、羽など要らぬ! 押せ、テンポイント先頭だ! テンポイント先頭!! ……内からグリーングラス? 内からグリーングラス! グリーングラスかテンポイント! グリーングラスが先頭だ! グリーングラス、グリーングラスが1着でゴールイン!」

 

 私が脚を痛めて派手な踊りが出来ないことを素直に打ち明けると皆の方からプログラムの変更を提案してくれた。

 歌う楽曲はトレセン学園に所属している者ならば誰もが誦んじて歌うことができる走れウマ娘。今より40年前にリリースされて以来、未だに替え歌やリメイクがされ続けているウマ娘にとっての定番曲だ。学園祭でも定期的に使われる曲である為、練習せずとも振り付けはみんな覚えている。

 折角、今日の日の為に振り付けを練習をしてくれた皆を申し訳ないと思いながらも皆の想いを無駄にしないように走れ走れと歌い切り、事前に打ち合わせをした漫才を披露する。私の隣で椅子に座るのは私と同じく脚を痛めたハーディービジョン、彼女はギターを弾けないようなのでマイクだけを持っている。

 今回は理事長を務める事もあってか不満顔を見せている。

 

「エーこの度、ファン感のライブを、どのように中止にするかという問題に対しまして、慎重に検討を重ねて参りました結果……」

「理事長、そう何度も中止、中止と申されましても……」

「エーですから、皆もトレーニングで疲れている事ですし……」

「理事長! ライブには、ウマ娘には夢があるんですよ! 浪漫があるんです!」

「エーですから、予算とか考えた末ですね……」

「理事長! ライブのセンターはハイセイコーですよ! アイドルウマ娘のハイセイコー!」

「えっ、ハイセイコー!? 名前が好きだなぁ。やっぱり開催するかあ〜!」

「開きましょう、開きましょう、そうしましょう!」

 

 当時、海外から日本に来たばかりの理事長はハイセイコーのことを知らなかった。

 少し前まではウマ娘人気が低迷していた事もあり、企画されていたライブに掛かる費用と効果を見て、理事長から中止にする案が出た事がある。しかし当時の生徒会長であるスピードシンボリが反対し、その説得として出したのがハイセイコーのアイドル的人気だった。この反対意見に押し切られた理事長が最後に発した台詞が「承諾! ハイセイコーという名前が気に入った!」というのはウマ娘達にとっての語り草だ。実際、ファン感謝祭のライブは大成功を収めた。

 その翌日から噂が噂を呼び、レース後に開催されていたウイニングライブの人気も急激に高まり、それまで寄付金と補助金によって成り立っていたURAの収益は翌年より黒字に転換することになる。

 今あるウイニングライブは、当時の理事長の判断とハイセイコーの存在があってのものだ。

 

 さておき、次の実況物真似はハーディービジョン。

 彼女は不服そうな顔をしながらもプロ根性から声を張り上げた。

 

「……大地が、大地が弾んでミスターシービーだ! ミスターシービーだ! 内からリードホーユー来た! 内からリードホーユーだ! さあミスターシービー、驚異の末脚! ミスタシービー、ミスターシービーが先頭だ! ミスターシービー先頭だ! ミスターシービー逃げる、逃げる、逃げる! 史上に残る3冠の脚! 史上に残る、これが3冠の末脚だ! 拍手が沸く、ミスターシービーだ! シンザン以来の3冠! シンザン以来の3冠ウマ娘ミスターシービー! 驚いた! 物凄いレースをしました! ダービーに次いで物凄いレースをしました! 坂の下りで先頭に立った9番のミスターシービー!」

 

 結果は着外に落ちた彼女を準センターの位置に置くことに反対意見は出なかった。

 本人は不服ではあったが、彼女の走りにはそれだけの夢と浪漫が詰まっていた。2着だろうと殿だろうと負けは負け、勝負は勝つか負けるかの2択。大敗するのはみっともないかも知れないが、勝負から逃げるのはそれ以上に情けない。

 怪我をしてから復活し、最後尾から最後の限界まで追い縋ろうとした彼女の走りは多くのウマ娘に影響を与えていた。

 ウマ娘だけに留まらず、常に挑戦し続ける姿勢に人間相手にも勇気を与える結果になった。

 

 いつも違う趣向のウイニングライブではあったが、大概は好意的に受け入れられる。

 とりあえず成功はしたということで胸を撫で下ろす。

 カツラギエースといった先輩方に捕まる前に私は一人、タクシーを使って帰路に着いた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 五月半ば、夏の本番も近付いて来た頃合い。

 頭上から照らす日差しは早くもキツくなり始めていた。

 トレセン学園、美浦寮。その一室にて、氷水を張った桶に左脚を突っ込むのは私、ビゼンニシキ。寮の共用冷蔵庫に入れておいた人参味のガリガリ君を齧る。袋に名前を書くだけでは他のウマ娘に食べられる事もあるけど、袋に食べたら罰金1000円の付箋を貼っておいたら最初の一人を除いて誰も手を付けなくなった。

 1000円分のガリガリくんを報酬に使って、寮のみんなで追いかけ回したのが良かったようだ。協力してくれたウマ娘にはガリガリ君を一本ずつ、捕まえてくれた子にはハーゲンダッツを進呈した。今も他の子は勝手に食べられる事もあるみたいだけどね。

 ガリガリ君をガリガリと齧りながらベッドに横たわる。勿論、左脚は桶に付けたままだ。

 私は強くなった。

 私はやれば出来る子だ。やれば出来るからやっただけの話、世の中にはやっても出来ない子はいるけども、私は天才なのでやればやるだけなんでも出来るようになった。レースを重ねる度に速くなり、今では世代最強の一角として名を馳せている。

 今の私が皐月賞に出走したら、間違いなくシンボリルドルフに勝てた。その確信がある。

 私は強い、そして誰よりも強くなれる素質がある。素質があるなら誰よりも強くなる為に努力するのが当然だ。

 だから私は走り続ける。走って、走って、誰よりも速く駆け抜ける。

 今は休養するのが東京優駿までに速くなる一番の近道なので、全力で休養しているだけに過ぎない。

 東京優駿までに怪我が完治する事はない。

 痛みは感じる。でも、痛いだけだ。痛いだけなら私は走れる。

 でも治すに越したことはないので治療には専念する。

 嗚呼、早く走りたいな。と窓の外を眺めた。

 澄んだ青空が広がっていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ジリジリと太陽が照り付けるトレーニングコースを私、スズパレードは走り続ける。

 汗を拭い取り、もう一周。と駆け出す。

 現状で戦績は7戦3勝、重賞どころかオープン戦での勝ち星もない。未勝利、プレオープン、プレオープンと重ねた勝ち星は、東京優駿に出走する他のウマ娘と比べて見劣りする。ビゼンニシキと共に走り続けたくて選んだクラシック路線、彼女はずっとGⅠの最先端を走り続けると思うから、私も彼女と同じレースに出続ける為にも日々の努力を怠る事はできない。

 それにビゼンニシキは後ろを振り返らない、常に前だけを見ている。

 彼女の視界に映りたければ、前に出るしかない。彼女よりも先着する。その為には、私はシンボリルドルフをも相手取らなければならない。次こそはビゼンニシキがシンボリルドルフを超えると信じているから、私もまたシンボリルドルフを超える必要がある。

 このままでは足りない、もっとトレーニングを続けないといけない。

 ビゼンニシキは自らを追い詰めることで更なる高みへと駆け上がっていった。なら私も同じくらいの事はしておかないといけない。

 彼女に置いて行かれるのは嫌だった。

 だからといって、私のせいで彼女が立ち止まるのはもっと嫌だった。

 なので私が頑張るしかないのだ。

 少しでも追いつけるように、少しでも追い縋れるように、延々と走り続ける。

 ビゼンニシキは、かっけぇんですよ。

 その名が示す通り、誰よりも眩く輝いているんですよ。

 だから私も頑張るんです、頑張れるんです。彼女が頑張ってるから私も頑張れるんです。

 あの背中に憧れて、私は今日も走り続ける。

 少しでも近付けるように、いずれ、私を見て貰えるように。

 

 自分を追い詰めてから一週間が過ぎて、二週間が過ぎる。

 ビゼンニシキがトレーニングコースに出て来た頃合い、調整程度に走る彼女を傍目に最後の追い込みを掛けた。

 そしてレースの前日、まるっと一日を使って体を休める。

 東京優駿はもう間もなくだ。



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第18話:バトン

 東京優駿当日、その日は何故か朝早くに目が覚めた。

 すっきりとした頭、窓のカーテンを開くとまだ太陽が顔を出す直前だった。

 目覚まし時計でセットした時間よりも二時間も早い。

 二度寝することも出来たが、なんとなしに二度寝する気にはなれなかった。

 何時も通りに身支度を済ませた後、美浦寮を出る。

 

 夏も間近、にも関わらず涼しい風が肌を撫でた。

 早く起きたのに眠くはない。私は大一番に興奮しているのだろうか?

 その割には心は落ち着いている。

 朝に感じる綺麗な空気のように思考は澄んでいた。

 いまいち気分が盛り上がらない自分に疑問を抱くも、まあいっか。と歩みを進める。

 折角、朝早くに起きたのだ。東京レース場に向かう前にトレセン学園の中を歩き回ってみるのも良いかも知れない。

 プール場やトレーニングコース、それから食堂。

 まだ早い時間帯、熱心なウマ娘をちらほらと見かける程度だ。

 私もあんな風に走っていた時期があった。

 ジュニアクラスA組の時、まだレースの予定とか考えなくても良かった頃は、体力が続く限り体を鍛え上げる事を考えていた。

 たった数年前の出来事が遠い昔のことのように感じられる。

 トレーニングコースに入ってみる。

 そして、そこから見る光景を眼に焼き付けた。

 なんとなしに、そうしなければいけない気がしたのだ。

 

「あー! 誰か入っとるやん! ウチが一番っちゅう話じゃなかったんかい!」

 

 振り返る、葦毛の小さな体躯のウマ娘が怒りを露に駆け寄ってきた。

 

「せっかく、人が整備されたばかりのトレーニングコースにいの一番で足跡を付けたろうって思うとったのになにしてくれてるねん!」

 

 同期では見たことがない顔だ。

 彼女は柵を飛び越えてトレーニングコースに入るや否や私の顔を見て、なにかを思い出すように考え込んでみせた。

 そして、ポンと両手を叩いた。

 

「そーそー、アンタってビゼンニシキや~ん! ダービーでルドルフ対抗の最大手がこんなところでなにをしてはるんかな~?」

 

 妙な猫撫で声で照れくさそうに身体をくねくねと動かした後、ピタッと急に動きを止めた。

 そして、くわっと目を見開いた後で少女は声高らかに叫んだ。

 

「GⅠウマ娘がなんで此処におるん!?」

「散歩のついでだよ」

「あー、今日はええ天気やし、風も気持ちええしなあ。ちょっと散歩をしたくなる気持ちも……いや、今日はダービーやろ!? ホントになにしてはるん!?」

 

 なんだこいつ、面白い奴だな。

 まるでツインテイルのように伸ばした赤と青の髪飾りを揺らしながら「あかんやろ! さっさと行かな!」と自分の事のように焦り散らしている。

 時間的にはまだ余裕があるから大丈夫、その辺りは抜かりない。

 それはさておきトントンと何時も癖で地面を左脚で地面を叩いてみせる。

 不思議と痛みはなかった。

 

 今日は気分が良い、調子も良さそうだ。

 気負いがないことだけが不安要素だが、今から昂った気分で居てもレース本番で疲れてしまいそうだ。

 それよりも今は走りたかった。

 思えば、NHKマイルCを終えてから、まともに走った覚えがない。

 ぶっつけ本番は流石に怖いかな。

 いや、それは言い訳だ。

 今はただ走りたい。今、この場で走っておきたかった。

 

「君、速いの?」

「なんや急やな。……ウチが速いかって? そらもう速いに決まっとるわ、これでも同期じゃあ誰にも……」

「なら走ってみる?」

 

 ドンと胸を叩いた葦毛のウマ娘を横目に、トラックの反対側を指で差した。

 

「トラックコース半周。丁度、800メートルくらい?」

 

 キョトンとした顔を見せた後、少女は獰猛な笑みを浮かべてみせる。

 

「ええんか? ウチ、本気で走るで?」

「まだデビューも済ませていない小娘を相手に私が負けるとでも?」

「……ええで、胸を貸してもらうわ」

 

 小娘は軽く柔軟体操を始めたので、私もその場でトントンと小さく跳ねて身体を解した。

 

「合図は?」

「任せる」

「はっ! 吠え面かかせたる!」

 

 彼女はポケットから何かを取り出すと、走る構えを取りながら右手を前に出した。

 その親指にはコインが乗せられている。

 私もまた彼女と同じように走る構えを取れば「行くでぇ」という声の後でコインが空高くに打ち上げられた。

 

 太陽の光を受けて、キラキラと輝くコインが地面に落ちる。

 

 ――瞬間、二人で同時に駆け出した。

 この日、私は今までの人生で最も速く駆け抜けられたように思える。

 脚は軽く、まるで風のようだった。

 800メートルの超短距離レース、それでも葦毛の少女とは1バ身、2バ身と差を大きくする。

 当然だ、まだ身体も出来ていないウマ娘に負けるはずがない。

 

 でも、2年前の私よりも速かったかな?

 そんなことを思いながら圧倒的な大差をつけてゴールする。

 数秒遅れで、少女がよろよろと息を切らして追いついた。

 

「う……嘘やん……ウチは先輩にも勝ったことあるんやで……? こんなに……差が、付くもんなんか……? ……たったの……800メートルやねんぞ?」

「いや、速いよ。思っていたより随分と速かった」

「……でも負けたやん。GⅠに挑むウマ娘っちゅうのは皆、アンタみたいに速いんか?」

「今日の私のように速いのは限られてる」

 

 けど、と言葉を付け加える。

 

「今の私よりも速いウマ娘は存在する」

 

 葦毛の少女は「そうか」と顔を俯き、黙り込んでしまった。

 ふるふると肩を揺らす。ちょっと大人げないことをしてしまっただろうか?

 少し心配になったが、直ぐに杞憂だと分かった。

 

「……そうか、そうか、ええこと聞いたわ。今のままでは全然足りんっちゅうことやな……ウチは頂点を取るで、その為にはもっと努力せないかん。待っとれよ、直ぐにアンタらを負かしに行ったるからな!」

 

 獰猛な笑みを浮かべながら睨みつけられる。まるで今にも私の事を食い殺さんという雰囲気だ。

 

「早くて2年後かあ。私、それまで待てるかな?」

「待っとれちゅうてんのや!」

「いや、ドリームトロフィー・リーグに行っちゃってるかもじゃん?」

「……ならそこで待っとき! ウチも追いかけたるわ!」

 

 絶対に倒す! と葦毛の少女に指で差しながら言われてしまった。

 やっぱり面白い奴だ、不思議と笑い声が零れる。

 大レースの前だというのに緊張感がまるでなかった。

 

「……君、名前は?」

 

 なんとなしに問い掛けてみると、彼女は不思議そうに私の事を見つめた後、嬉しそうな笑顔で答えてくれた。

 

「タマモクロスや! いずれウマ娘界の頂点に立つ存在や、よろしくな!」

「覚えておくよ。君、面白いからね。切れがいいよ、ノリツッコミの」

「せやろ、せやろ~。ウチって脚の切れには自信があってなあ……って違うんかい!」

 

 うん、良いものを見せてもらった。

 本場って感じがするね。

 それに彼女と走って、良い具合に身体も整った気がする。

 

「おっと、そろそろ良い時間だね」

 

 そう言って、別れを告げようとすれば、タマモクロスは私に向けて拳を突き出してきた。

 

「ダービー、勝ちや! ウチに勝ったんや! ルドルフなんていてこましたれ!」

 

 ……嫌いじゃないよ、そういうの。

 私はタマモクロスに向けて、拳を突き出し返してやる。

 

「錦の名は伊達じゃないってところを見せたげる」

「おう、期待しとるわ! いけ好かん姉ちゃん!」

 

 良い朝を迎えられた。

 良い走りもできた。

 そして、良い出会いがあった。

 

 もう負ける気なんてしないね。



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第19話:最も運のあるウマ娘が勝つ

 5月第4週、東京レース場。東京優駿。

 晴々とした青空が広がっている。肌を撫でる風が心地良くて、少し湿り気のある空気が気持ち良い。

 不思議と気分が高揚する。観客席に埋め尽くされた観衆の熱気に胸が高鳴った。

 トントンと軽く跳躍して脚の具合を確かめる。左脚は上々、軽く走ってみても痛みはなかった。

 調子が良かった。胸いっぱいに空気を吸い込めば、芝の香りが肺を満たす。

 私は今日もまた走る事ができる。私は今を生きている。

 

 後ろを振り返るとゲート前に続々と集まりつつあるウマ娘達。

 その中で異彩の存在感を放つのは皐月賞ウマ娘、シンボリルドルフが私の傍まで駆け寄って来る。

 

「今日こそはお互いにとって良いレースをしよう」

 

 爽やかな笑みと共に差し出される手を「今日は紳士的にお願いするよ」と私は躊躇せずに握り返せば、彼女は困ったように眉尻を下げてみせた。挨拶も程々にシンボリルドルフとは一度、距離を取る。

 

「シキ、脚の調子はどうなの?」

 

 すると今度はスズパレードが話し掛けて来た。

 さっきしたみたいに涼しい顔で軽く跳んでみせるとスズパレードは意を決するように強い表情で頷き返す。

 

「私もシキに負けないように頑張るから!」

 

 そう言って握り拳を作る彼女の姿が微笑ましかったので「頑張れ」とだけ言っておいた。

 スズマッハは遠くの方で一人、思い詰めたように佇んでいる。18人中18番目の人気に不貞腐れているのかも知れない。他にはニシノライデンを始めとした多くのウマ娘達、何度もレースに出走し続けたせいか随分と知った顔が増えたように感じられる。

 思えば、今日まで私は8戦6勝。内5戦がクラシック絡みのレースである。

 随分と走って来たようにも思えるし、まだ物足りない気もする。あっという間なようで、実に濃厚な毎日を過ごしてきた。

 悔いはある、心残りもある。

 でも、たぶん私は走り続けることでしか自分を表現できないような不器用なウマ娘だ。

 だから走る。何処までも、この脚が動く限り、走り続ける。

 言動が軽薄な私ではあるが、走る事に関してだけは真摯で在り続けたかった。

 

 他のウマ娘達がゲートに入るのを見て、私の覚悟を決めて自らのゲートに収まる。

 小さく深呼吸、幼き日から憧れた大舞台。全てを出し切ろう。

 姿勢を低くして、ゲートが開くのを今か今かと待ち侘びる。

 

 私は、走るのが、どうしようもなく好きなのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 最も運のあるウマ娘が勝つ。

 それはただ単に強運のことを示すのか、そのウマ娘を取り巻く運命の強さを示すのか。

 東京優駿。またの名を日本ダービー。

 

 その戦いに勝てれば、辞めてもいいと云うトレーナーがいる。

 その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまったウマ娘もいる。

 その戦いは、僕達を熱く滾らせ、熱く狂わせる。

 勝負の誇りの世界にようこそ。

 

 1番人気は勿論、このウマ娘。シンボリルドルフ。

 戦績は弥生賞、皐月賞を含んだ5戦5勝と此処まで無敗の王者。

 好位からの差し勝負は王者の貫禄。我が帝道を阻む者は誰も存在し得ない。

 圧倒的な実力を以て、他ウマ娘を蹴散らして来ました。

 

 弥生賞では辛酸を舐めさせられた、皐月賞ではあと少しが及ばない。

 雪辱を果たすは今、この場において他になし。

 ルドルフ対抗の急先鋒、ビゼンニシキは2番人気だ。

 戦績は前走NHKマイルCを含んだ8戦6勝。

 負けたレースは2着のみ、上に立つはルドルフただ1人。

 

 3番人気はラッシュアンドゴー。

 シンボリルドルフとビゼンニシキという2大巨頭を間に割って入ることは出来るのか。

 青葉賞を優勝歴に含めた4戦3勝、実績は充分だ。

 

 共同通信杯では4着、弥生賞でも4着。皐月賞でも4着。

 人気も4番。実力上位のウマ娘ですが、もう一歩が届かない。

 なんとか殻を破って欲しいところだ、スズパレード。

 

 他にもプリンシパルSを制したトウホーカムリなどが出走しております。

 ニシノライデン、スズマッハと準備運動を終えたウマ娘達がゲート内に収まって態勢完了。

 間もなく、世代最強ウマ娘を決めるレースが始まります。

 

 全てのウマ娘が目指す頂点、その歴史に蹄跡を残すのはどのウマ娘か。

 勝負の火蓋が今、切って落とされました。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 横一線に並んだ綺麗なスタート。

 開けた視界に鼻を切ったのはフジノフウウンとラッシュアンドゴー。私、ビゼンニシキはバ群の中腹、やや外側に付ける。斜め前にはニシノライデン、すぐ後ろにはシンボリルドルフ。第2コーナーを曲り終えた頃合いで、スズパレードが最内から上がってバ群の先頭に付ける。

 思えば、シンボリルドルフよりも先行してレースを展開するのは初めてか。

 何時も後ろから追いかける立場だったから少し新鮮だ。レース中盤の向かい直線、特に語るべきところはなく、全員が私とシンボリルドルフの出方を窺っている。そして私もまたシンボリルドルフを意識しており、シンボリルドルフもまた私のことを意識する。硬直状態のまま向かい直線の半ばを通過した。

 NHKマイルCでは、逃げで勝利することができた。なら、早めに仕掛けてみるのも悪くないかも知れない。

 直感に従って、第3コーナーに入る直前に先頭との距離を詰める。シンボリルドルフも直ぐ後ろを追い縋ってくる。他のウマ娘達も私達に釣られてペースを上げて来た。うん、行ける。今日の調子なら余裕で追い抜くことができる。

 私の相手は背後から迫る彼女に絞られそうだ。

 まあ、私は全力で前に出るだけだ。今の脚なら何処までだって駆け抜けられる。

 何処まで行けるのか試してみたくなって、更に加速させる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、シンボリルドルフは最初から敵はただ1人と見定めていた。

 私が認めた好敵手、唯一私を勝ち負けに追い込んだ強敵。ビゼンニシキの斜め後ろに構えて様子を見る。

 好位置から抜け出して勝利するのが私の走りであるのなら、なればこそ最も強い相手の後ろに付けるのが最も勝算が高い。

 それにビゼンニシキが持つ武器の中で最も脅威なのが、一瞬の切れ味だ。最後の直線で先頭に立たれたまま、抑え込まれてしまうのが最も手強い。抜き返すにも二の脚を使われてしまっては、距離が足りずに差し切られる危険もあった。

 勝つ為に人事を尽くす。

 もう受けて立つなんて悠長なことを言うつもりはない。

 この脚で私が倒してやる。

 第3コーナーに差し掛かる少し前、先頭と距離を詰めるビゼンニシキの後ろを追うように速度を上げる。

 最後の直線に入ったと同時にスパートだ。

 絶対に差し切ると云う強い意志を持って、今暫く脚を溜める。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 相変わらず、本命の2人は大外回りなんて気にも留めずに先頭との距離を詰めに掛かる。

 前走と同様に私、スズパレードには二人のような伸びる脚も切れる脚もない為、内側の好位置を先行して機会を窺い続ける。

 もし仮に私が勝てるのだとすれば、それはきっと運が味方した時だ。二人を相手に正々堂々と戦うなんて敗北主義も良いところである。良い位置を取り、良い具合に隙間が空いて、最高の瞬間に飛び出すことで得られる勝利だ。

 私は二人と比べると凡夫だ、敵うわけがない。それでも二人の背中を指を咥えて見ていることなんて耐え切れなかったから必死になって手を伸ばし続けたんだ。私には才能がない、素質がない。そんな事は分かっている!

 でも、でもだ! 私だって頑張って来たんだ! 必死になって、努力を積み重ねて来たんだ! ジュニアクラスA組で初めて彼女の走りを見た瞬間から今日に至るまで、熟し続けた練習量だけは誰にも否定はさせない! 今までやり遂げて来たことにだけは私は自信が持てるんだ!

 信じるんだ、自分を! 走り込んできた距離を思い出せッ! 

 2400メートルなんのその!

 最後の直線に使える脚は残っている!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ………………。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 この時、ボクは東京レース場に足を運んでいた。

 観客席の最前列、特等席。日本でサイキョーのウマ娘を決めるレースが始まるって聞いたから飛んでやってきた。

 この日まで、ボクはこの目でレースを見たことはなかった。なけなしの小遣いを握り締めて、テレビの中でしか見たことない世界に初めて脚を踏み入れた。青々とした芝は何処までも綺麗で、トラックの横幅の広さに圧巻し、ターフビジョンの向こう側まで続く敷地の広さに圧倒された。風が気持ちよかった。周囲を大小様々な建物が取り囲む中で、風が吹き抜ける。

 思わず、唾を飲み込んだ。胸の高鳴りを抑えることはできなかった。

 もうレースは始まっている。

 入場する際にボクは――まだ有名なウマ娘を何人か知っているだけだったけど、ボクと同じように額に星を付けたシンボリルドルフに運命を感じて人気投票の一票を投じた。

 ボクはまだ本気で走るウマ娘の迫力を知らない、その蹄鉄の力強さを知らない。

 第4コーナーを回った最後の直線、一斉に地響きを上げるウマ娘達の末脚に魂が奮えた。

 すごい……凄い、凄いよッ!

 ボクの何時かあの場所に、あの舞台で、あの(ターフ)を走ってみたいッ!!

 皆がウマ娘の声を張り上げた歓声に釣られるように、ボクもまた声を張り上げた。

 

「行け、シンボリルドルフ!」

 

 ボクはトウカイテイオー!

 いつか絶対にあの場所で先頭を駆け抜けるんだ!




過去話、修正項目。
・シンボリルドルフのトレーナーの性別と性格が変わっていたので後に合わせる形で修正。
・NHK杯→プリンシパルS


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第20話:歴史の特異点

 東京レース場、観客席の最後方。

 私、ハッピーミークは東京優駿の行く末を見守る為に会場まで足を運んでいた。

 保護者代わりに付いてきたのは遠戚のハイセイコー、アイドルウマ娘と称される彼女は帽子にサングラスというベタな変装をしているが周りのざわめきが止まらないので、たぶん正体はバレている。誰も彼女に話しかけようとしないのは、如何にもお忍びな姿に遠慮されているせいかも知れない。

 レース展開は丁度、終盤に差し掛かったところだ。

 1番手はフジノフウウン、2番手はスズパレード。大外回って2人に迫るのはビゼンニシキ、更に後方から一気に距離を詰めてくるのはシンボリルドルフだ。

 予想通りの展開、ならば予想通りの結末が待っているのは必然だ。

 

「ミーク、確かお前の予想だと1着はシンボリルドルフだったな」

 

 ハイセイコーに話しかけられる。

「誰だ、あのウマ娘は?」「ハイセイコーの妹か?」「それにしては毛色が違い過ぎる気もするが」

 そんな声が周りから聞こえてきたが、無視してコース上を走るウマ娘達を眺めながら答える。

 

「……はい、ビゼンニシキは最後の直線で落ちるはずです」

「あいつも強く成長している。万全ならいい勝負をすると思うのだが……」

「距離の壁は、そう簡単に克服できるものではないので」

 

 想いは、力になる。

 それは時に奇跡すらも起こし得る。

 確かに、その通りだ。

 

 ビゼンニシキの実力は、前世の時を遥かに凌駕していた。

 NHKマイルCでの激走は、ニホンピロウイナーにも比肩し、マルゼンスキーにも引けを取らない走りを見せた。

 正直、心が奮えた。もう少し早く生まれたかった。という気にさえなった。

 あのビゼンニシキには夢がある、浪漫がある。

 周りに影響を与える力を持っている。

 

 しかし、私は知っている。

 スワンSのレース中に起きた悲劇を私は知っている。

 そしてビゼンニシキの脚はもう――――

 

 いえ、と首を横に振る。

 

 彼女は何度も限界を乗り越えてきた。

 そして今回もまた彼女は限界を超えてくる、かもしれない。

 ウマ娘の限界の果てに彼女は挑戦し続けていた。

 

「無事に終われば良いのですが……」

 

 前世では、競争馬の怪我は文字通りの致命傷になることが多い。

 大きな怪我をしてしまった時は安楽死という処置が取られることも少なくなかった。

 そのせいか、レース中の故障が発生する度に胸が疼いて仕方なくなる。

 

 大丈夫、彼女が怪我をするのは今日ではない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、カツラギエースは観客席の最前列で可愛くも憎たらしい後輩の晴れ姿を見届ける為に観客席の最前列を陣取っていた。

 隣には腐れ縁のニホンピロウイナーの他にスズカコバンとマルゼンスキーが、それぞれが贔屓するウマ娘を見守る。ニホンピロウイナーの脚の怪我は治り、今はもう軽く走り回れる程度には回復している。秋頃には復帰できそうだった。

 さておき、今はレースの方に注目だ。

 ビゼンニシキは若干、掛かっているかも知れないと云ったところか。しかしNHKマイルCの逃げを見せられた今となっては、彼女の脚質が分からない。分かるのは2400メートルという距離が、彼女にとって不利だという事実だけだ。

 勝って欲しいという気持ちはある。しかし、それ以上に無理をして欲しくはなかった。

 怪我だけはしないで欲しい。

 こんな言い方をしてはいけないと思うが、無事に戻ってさえ来れば負けても良かった。

 帰って来い。無事な姿で帰って来るんだ。

 届かぬ思いを胸に抱き、今はただレースの行く末を見守るしかなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『4コーナーを回る! 4コーナーを回った! ルドルフは外を通っている、外を通っている!』

 

 行ける! このまま勝利を掴むんだ!

 最後の直線に差し掛かって、残り500メートル強!

 ゾクゾクと背中に感じる威圧感。後方から抜け出そうとするシンボリルドルフの気配を察した私、ビゼンニシキは思い切り左脚を踏み込んで一瞬の溜めを作り、一瞬の切れ味による加速を以て好敵手の出鼻を抑え込んだ。

 すぐ後ろから舌打ちが聞こえてくる。

 まだ直線に差し掛かったばかりだというのに手札のひとつを切らされた私の方が舌打ちをしたいくらいだった。

 しかし、相手はシンボリルドルフ。この私を2度に渡って下してきた無敗の王者。出し惜しみをして勝てる相手ではない、全てを出し切ってもまだ勝ち切れない。彼女に勝つ為には限界のひとつやふたつを超える必要がある。

 皐月賞でそうしたように! NHKマイルCでそうしたように!

 さあ坂に入った段階で更にギアを上げる。先頭を維持したまま、登り切った後で二の脚を解放……そこから先は未知の世界だ!

 ウマ娘の限界に挑戦する。この速度の果てにある景色を見る為に、

 私は左脚に更なる負荷を掛ける――――

 

 横目に過ぎる、残り400メートルを示す標識。

 

 ――踏み込んだ左脚が、まるで泥に絡み取られたかのように急激に重くなった。

 肺が苦しい、途端にガクガクと体が崩れた。

 左脚から激痛が走る。

 堪え切れないほどの激痛に目を見開いた、口の端から泡が溢れた。

 目の前の坂が、まるで壁のように反り立っている。

 あれは、なんだ? 私は今、何処を走っている?

 よろめく身体、支えた左脚にピシリという嫌な音が響いた。

 

 致命的な、何かが、壊れる、音がする。

 

「そこまでなのか?」

 

 隣を通り過ぎるシンボリルドルフが、そんなことを口にした。

 まるで失望と無念が入り混じったような声色に奮起する。

 まだ、まだだ! 私はまだ、走れるんだ!

 限界はまだ、先にある!

 踏み込んだ右脚が滑り、空回りする。

 まだ行ける! と態勢を立て直す為に左脚で再び地面を踏み込んだ。

 あの背中に追いつく為に、あいつに失望されることだけは絶対に……絶対に耐え切れない!

 そのまま左脚に全身全霊を込めて芝を蹴り上げた。

 

『どうしたビゼンニシキ!? どうした!? 急に失速しました!!』

 

 私が走れば、誰も彼もが私の後塵に拝した。

 脚に力を入れた分だけ速度が増した。

 芝を踏み締めて、全身で風を切り裂く感覚が堪らなく最高だった。

 他全てのウマ娘を置き去りに、ゴールを目掛けて突っ走る快感は他に例えようがない。

 

『ビゼンニシキはバ群に消えて――外からルドルフ! スズパレード頑張る!』

 

 私はきっと走る為に生を受けたのだ、だから私はウマ娘なんだ。

 (ターフ)に立つと此処が私の居場所なんだって分かった。

 深呼吸をすると生きているんだって自覚できる。

 誰が相手でも抜き去ってやる、何処までだって駆け抜いてやる。

 

『さあルドルフが先頭だ! ルドルフが先頭だ!!』

 

 私の名はビゼンニシキ。

 錦の輝きは、ただ一度の穢れも受け付けない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ……リン、と涼しげな音を鳴らす。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキは、ビゼンニシキがどうなったんだ!?

 観客席のどよめきを肌に感じる。場内実況の声から異変に気付いた。

 誰か教えてくれ、と嘆く想いを置き去りに更なる加速を以て先頭に立つスズパレードとフジノフウウンに迫る。

 必死に脚を動かした。後ろを振り返りたいという想いを必死に押し殺して、心残りを振り払うように懸命に前だけを見て走った。

 最早、私の勝利は私だけのものではない。

 トレーナーの為、パートナーの為、私を応援してくれる皆の為にも私は走り続けなくてはならない。

 私は様々な人の想いを背負って、今を走っている!

 

「お前、何をしたっ!? シキに何をした!? また何かやったのかッ!?」

 

 横から必死な声が聞こえてきた、怒りに泣き声が混じっている。

 無視した。私が何かをした覚えはない。

 とりあえず、全てはゴールをしてからの話だ!

 

「クソッ! お前……ッ! 絶対に許さない! お前だけは絶対に勝たせないッ!!」

 

 スズパレードが追い縋ってくる。

 しかし、彼女の脚では私を抜き返すことは不可能だ。

 私の末脚に対抗できるのはビゼンニシキでも難しい。

 溜めていた脚を解放して、置き去りにした。

 

『スズパレード頑張る! しかし、此処までか!? ルドルフが抜けた! いや、あれは……えっ!?』

 

 リン、と涼しい音が耳に聞こえた。

 

『フジノフウウンを抜い去って……スズパレードも抜き去った!』

 

 1バ身差まで詰められて、その横顔を見た。

 見た顔ではある、あまり印象には残っていないウマ娘だった。

 記憶を辿る。

 

『春の中山に吹いた涼風は、府中にて再び吹いた! 前回は1バ身半、今回は残り1バ身!』

 

 このウマ娘は確か皐月賞以前に1度、ビゼンニシキを追い詰めたことがある。

 

『その驚異的な末脚は無敗の王者を捉えることはできるのか!?』

 

 結果は3着だったが、その末脚の伸びは完全にビゼンニシキを超えていた。

 

「待ってた、待ってたんだ……これだけが私にできる勝ち筋だったから……!」

 

 呟かれる声は震えていた。

 

『スズマッハ! 残り半バ身! 息を潜めた鈴の刺客が今、シンボリルドルフの喉元に食らいついた!!』

 

 横目に見た彼女の顔は涙を流しており、歯を食い縛ってゴールだけを見据えている。

 私の事なんて彼女は見ていなかった。

 誰よりも早くにゴールすることだけを目的とし、その他全てを投げ打つ覚悟を決めて走っている。

 

「う……あっ……う……っ!!」

 

 不味い、負ける。直感した、これは負ける流れだ。

 

「……ぅ……うおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 背後から迫る威圧感に押されるようにゴール板に向かって走り出した。

 これまでの人生で初めて、脇目も振らず逃げ出した。

 私、シンボリルドルフが受けて立つ訳でもなく、ただ逃げる事しかできなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 末脚には自信があります。そんな私はスズマッハ!

 ただ後方から一気に詰めるだけのやり方ではシンボリルドルフには届かず、ビゼンニシキ相手にも通用しない。

 かといって鼻を切って逃げるのもまた二人を相手に逃げ切れる気がしなかった。

 

 だから待ったんだ。

 シンボリルドルフの直ぐ後ろに付けて機を窺っていた。

 狙ったのはシンボリルドルフとビゼンニシキの2人が潰し合った直ぐ後だ。どうせビゼンニシキは2400メートルも持たないと確信していた。でも、あいつは夢を見せる奴だから……相手が無敗の王者であっても騙されるって信じていた!

 最後の直線、二人が脚を使い切った後に私が飛び出すことで勝てる算段だったんだ!

 だけど、あれは聞いてない! あの結末を私は知らないッ!

 

 支えたかった、手を差し伸べたかった!

 

 今にも倒れてしまいそうな彼奴の直ぐ横を私は駆け抜けた!

 見捨てたんだ! 私はあいつを見捨てたんだ!

 あいつの目はまだ戦っていたから!

 脚は止まってもまだ走っていたから!

 私は彼女を見捨てて自分の勝利を掴む為に前へと駆け出した!

 

 勝たなきゃ……勝たなきゃッ!!

 

 脚は充分に溜めてきた!

 まだ伸びる! まだ伸びろッ! 駆けるんだ、捉えるんだ!

 あの勝利に向けて、全力疾走! 猪突猛進! 後の事は何も考えるな!

 全てを出し尽くして戦うってことを私は彼奴に教えられた!

 勝つ、勝つんだ! 絶対に勝つんだッ!!

 

 届け、届け、届け、届け、届け、届けぇぇーーーーっ!!

 肺が破裂してでも駆け抜けろ! 心臓が引き裂かれても走り抜け!

 脚が潰れても、骨が砕けても、マッハで駆け抜けるんだよっ!!

 1度切りで良い、たった1度きりで良いから死ぬ気になってみろ!!

 命を限界まで燃やし尽くしてみろっ!!

 

「満身創痍の瀕死になるまで駆けてみろよ私いいいいいいいいいいいっ!!」

 

 どっちが勝ったなんて分からない。

 ゴール板を駆け抜けた後、私は前のめりに倒れていた。

 ただ大歓声が沸いていたことだけは覚えている。

 

『1着はルドルフ! 涼風、僅かに及ばず! ルドルフ、苦しいレースを致しました! しかし勝ちました! クビ差の勝利です!』

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「どけっ! 私はシキの所に行くんだっ!」

「止めなさいって、まだ確定してないのにゴール板を戻ったら失格になるっての!」

 

 東京レース場、ゴール板の周辺は騒がしくなっていた。

 4着でゴールしたスズパレードはゴール板から逆走しようとしており、それを3着のフジノフウウンが腰にしがみ付いて止めている。他のウマ娘の何名かは――特に5着のニシノライデンと6着のハーバークラウン――は「行かせてやれよ」と白けた目で二人を見ていたが口に出すことはなかった。2着のスズマッハは俯せに倒れたまま身動きひとつ取らず、1着を取ったはずのシンボリルドルフは真っ青な顔で呆然としたまま突っ立っている。これでは誰が勝者なのか分からない。

 ゴール前の激戦で熱狂した観客も、そのウマ娘達の異様な様子に今は静まり返っている。

 私、カツラギエースも同じだ。

 坂の向こう側から上がってくる気配を見せない後輩を茫然と見つめている事しかできない。隣ではニホンピロウイナーが観客席の柵を超えようとしており、それをスズカコバンとマルゼンスキーが必死になって止めている。

 覚悟はしていた。こうなる予感はあった、予測できた事態だった。

 その上で彼女は走り続ける選択を取り、私はそれを良しとした。しかし幾ら覚悟していた事とはいえ、実際に目の当たりにすると頭の中は真っ白に染まっていた。何も考えられなかった。ただ坂の向こう側を見つめる事しかできない。

 これは私の責任だ、私がレースを出し続ける事を良しとしたからだ。

 しかし私が彼女の出走を阻止する立場だったら、彼女は一人でもレースを走り続ける事になっていた。

 それは言い訳に過ぎない。やはり責任は私にある。

 何が起きようと最後まで面倒は見ると決めたから、私は彼女を引き取った。

 

 掲示板が、まだ確定しない。

 まだレースが終わっていない、どういう訳か審査員がまだレースを終わらせる判断を下せずに居る。

 ゆっくりと、坂の向こう側から見知った顔が、変わり果てた姿で姿を現した。

 その後輩を見て、私は背筋が凍る想いをした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンボリルドルフが1番にゴール板を走り抜けた。

 後方から猛追を仕掛けて来たウマ娘も凄かったけど、最後の最後まで粘り抜いたシンボリルドルフも格好良いと思った。

 特に最後の100メートルの抜くか抑えるかの激戦は見ているだけでも手に汗握り、2人が並んでゴールした時は思わず声を張り上げていた。思わず跳び跳ねちゃうほどの大興奮だ。

 嬉しさの余り、やった、やった、と何度も声を上げたのも束の間の話。東京レース場が異様な空気に包み込まれていた。

 何が起きたのか分からなくて、おろおろと周りを見渡していると――――

 

 ――ゾクリ、と背筋に冷たいものを感じた。

 後ろを振り返る、そこには坂があった。その向こう側から、ゆっくりと誰かが姿を現す。

 まるで幽鬼のように、ふらふらと左右に体を揺らしている。今にも倒れてしまいそうな満身創痍の姿なのに、虚な瞳をギラギラと輝かせており、歯を食いしばった口元からは荒い息が零す。左脚を引き摺り、前のめりになりながら一歩ずつ、前に進んでいる。

 意識は保てているのか、正気は残っているのか。

 故障をしてもゴールだけを見続ける彼女の姿に全身が震えていた。心が臆して、奥歯がガチガチと震え出す。

 剥き出しの闘争心、そして殺意の塊に身が竦んで仕方ない。

 あれは誰だ、本当に私達と同じウマ娘なのだろうか?

 

 私、トウカイテイオーはその日、レースの素晴らしさが分かった。

 同時にレースの恐ろしさを肌身で感じた。

 そして翌日のテレビのニュースを見て、故障の怖さを知った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキには夢がある、浪漫がある。

 同世代で最強と名高いシンボリルドルフと引けを取らない能力を持っており、NHKマイルCで見せたレースは次世代の到来を予感させた。3冠ウマ娘ミスターシービーの対抗ウマ娘としてシンボリルドルフ、最強マイラーのニホンピロウイナーの対抗ウマ娘としてビゼンニシキ。秋のシニア戦では新旧の最強対決に皆が胸を高鳴らせる。

 東京優駿の時点で、ビゼンニシキは紛れもなく最強の一角に名を連ねていたのだ。

 共同通信杯から東京優駿という三ヶ月半の内に出走したレースの数は、実に6戦。クラシック路線を駆け抜けた錦の輝きは、当時のウマ娘ファンの脳裏に強く焼き付けられた事だろう。

 良い意味でも、悪い意味でも、目立つウマ娘だった。

 

 ビゼンニシキ。生涯戦績9戦6勝。

 主な優勝歴はNHKマイルC、共同通信杯、スプリングS。

 最終レース、東京優駿(競走中止)。

 競走能力喪失により、引退。

 

 

 

 ――歴史の歯車が狂い始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 東京優駿から1週間が過ぎた。

 消毒液の香りが染み付いた真っ白な部屋に私は寝かされている。

 ベッド脇に置かれた机の上にはウマ娘関連の雑誌に加えて、幾つもの参考書が積み上げている。

 医者の診断によると人並み程度の生活を送る程度には回復するようだ。同時に二度とウマ娘としてレースする事は出来ないとも言われたが、不思議と衝撃は少なかった。

 もう二度と本気で走れない事は悲しいけど、そんな気はしていた。予感はあった。遠くない内に似たような事が起きるような、そんな未来を知っていたような感覚さえある。

 だから私は焦っていたのかも知れない。

 過密スケジュールを組んででも今、勝たなくては二度と機会は訪れない気がしていた。

 私よりも付き添いのニホンピロウイナーやスズパレードの方が悲しんでいて「大丈夫だよ」って笑ってみせると「どうしてそんなに平気なんだよ」って2人に泣き付かれた。他にも付いて来ていたカツラギエースは頰に真っ赤な紅葉を作っており、巻き込んでしまったことを申し訳ないと思った。カツラギエースは少し悲しそうに眉を下げると「気にするな」と一言だけ言ってくれた。

 画して、ウマ娘としてレースに参加する事のなくなった私は膨大なトレーニングから解放されて暇を持て余している。持て余した時間で私は机の上に積み上げた参考書の山を切り崩しつつ、ダウンロードしたスマホアプリに熱中する。

 ちょっとした燃え尽き症候群にもなりかけたが、今はやる事を見つけて邁進中だ。

 

「問題。東京優駿の優先出走権を得られるトライアルレースは全て、東京レース場である」

「えっと青葉賞とプリンシパルステークスで……はい! 全部、東京レース場です!」

「ぶっぶー、違います。皐月賞もトライアルレースに含まれるんだよ」

「えー、それ引っ掛けじゃん!」

 

 お見舞いに来ていたスズパレードに、スマホアプリで出てきた問題を出して遊んでいる。

 あまり専門的なものは分からないだろうから、中でも特に簡単なものを抜粋して。

 

「ねー、シキ。思っていたよりも元気なのは良いのだけど、えっと……本気なの?」

 

 スズパレードがチラリと机の上に積み重ねられた参考書を横目に見る。

 それはトレーナーの資格試験に関する参考書と過去問集、そしてウマ娘の専門的な内容が記された書籍の数々だ。

 スマホアプリも中央トレーナーの資格試験の過去問集をまとめたクイズアプリである。

 

「これは前々から道のひとつして考えていた事だよ」

「それじゃあ、もうトレセン学園から居なくなっちゃうの?」

「在籍は続けるつもり、ラギ先輩かピロ先輩のチームに頼んでトレーナーとしての勉強をさせて貰うつもりだしね」

 

 ウマ娘のトレーナーもトレセン学園には多い。

 例えば、サクラシンゲキとか。今は日高あぶみって名乗っているんだっけ?

 ドリームトロフィー・リーグに参戦できなかったウマ娘のセカンドライフとしては珍しくないものだ。

 

「シキがトレーナーかあ」

「想像できない?」

 

 スズパレードは首を横に振る。

 

「ううん、上手くやるんだろうなって思っただけ。だってシキ、頭良いし」

「周りが勉強しなさ過ぎなだけだと思うけどね。……と、テスト結果が出た」

 

 スマホアプリの過去問を解き終わり、その画面をスズパレードに見せる。

 

「98点、惜しかったよ」

 

 その結果にスズパレードは困ったように笑って告げる。

 

「シキならトレーナー試験なんて余裕だよ」

 

 まあ私、天才だしね。




思いの外、切りが良くなってしまったので次回投稿時に前話と繋げます。
この話でビゼンニシキのレースに出るウマ娘としての話は終わりになります。
構想としては此処までが序章「錦の輝き」になります。
次回からは次章「皇帝の神威」が始まります。
ビゼンニシキは主人公のまま、しかしレースの主役はスズパレードとして物語を進めていきます。
もうちょっとだけ続くんじゃ。


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月刊トウィンクル特別号(編集中)

※作中の5月終わり時点。

 

■目次

1.チーム《シリウス》

2.チーム《レグルス》

3.チーム《リゲル》

4.チーム《ベテルギウス》

5.チーム《ハマル》

6.個人派閥

 


■チーム《シリウス》

 1.概要

 2.トレーナー

 3.所属メンバー

 

▼概要

新興の少数精鋭チーム。

チームエースのニホンピロウイナーは勿論、重賞を狙えるメンバーで固めた注目株。

今後の活躍に期待される。

 

▼トレーナー

本名:調査中

年齢:調査中 性別:男性

概要:

チームに入れず、誰も引き取らなかった未勝利未満のウマ娘相手に

適当なアドバイスを送りながら楽隠居を決め込んでいたトレーナー。

過去に担当ウマ娘のレース当日、持病で病院輸送されて、

出走したウマ娘の結果を台無しにしてしまったことで引退を考えていたが、

ニホンピロウイナーの熱意に押される形でトレーナーを引き受ける。

 

▼所属メンバー

・ニホンピロウイナー(シニアクラスA組)

戦績:15戦9勝(GⅠ2勝、重賞2勝)*1

主な優勝歴:マイルCS、NHKマイルC、CBC賞、きさらぎ賞。

略歴:

マイルの絶対王者。もしくはマイルの皇帝。

1600メートル以下の戦績は11戦9勝、負けた2戦は共に2着と短距離マイル戦では驚異の連対率100%を誇るウマ娘。

シリウスのチームエース。

 

・スズパレード(ジュニアクラスC組)

戦績8戦3勝

主な優勝歴:万両賞(1勝クラス)

略歴:

共同通信杯、弥生賞、皐月賞、東京優駿と4戦した全てが4着という珍記録を持つウマ娘。

安定して着内に入れる実力はあるので決して弱いウマ娘ではないが、決定打に欠ける。

GⅠは厳しいか。重賞での勝ち負けは期待する。

 

・タマモクロス(ジュニアクラスA組)

素質ウマ娘として期待されているが、

模擬レースではなかなか結果を出せずにいる。

 

・ホクトヘリオス(ジュニアクラスA組)

マイル路線での活躍が期待されるウマ娘。

 

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■チーム《レグルス》

 1.概要

 2.トレーナー

 3.所属メンバー

 

▼概要

オープンクラス未満のウマ娘が中心で構成されたチーム。

チームに所属するウマ娘は多いが、オープンクラスはカツラギエースとスズマッハの2人。

チームの抱負は未勝利突破。

 

▼トレーナー

本名:調査中

年齢:調査中 性別:女性

基本的には放任主義。

来る者追わず、去る者追わず。がモットーだが普通に追いかける。

ぶっきらぼうだが放っておくことができない性格。

そんな彼女の周りには、自然とウマ娘達が集まってくる。

 

▼所属メンバー

・カツラギエース(シニアクラスA組)

戦績:16戦7勝(GⅠ1勝、重賞2勝)

主な優勝歴:大阪杯、京都新聞杯、京阪杯

 

・スズマッハ(ジュニアクラスC組)

戦績:7戦2勝

主な優勝歴:若竹賞(1勝クラス)

 

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■チーム《リゲル》

 1.概要

 2.トレーナー

 3.所属メンバー

 

▼概要

前任者のトレーナーから代替わりした中堅チーム。

マルゼンスキーとスズカコバンを有しており、チーム全体の実力は高いがトレーナーの力量に不安が残る。

新体制の移行に手間取っている様子が見受けられている。

 

▼トレーナー

本名:東条ハナ

年齢:調査中 性別:女性

前任者から代替わりしたばかりの新米トレーナー。

初めて自らスカウトして担当したウマ娘であるハーディービジョンの怪我がきっかけで、担当ウマ娘を徹底管理する方向に舵を取るようになった。

最初は、ただ単にお節介を焼き過ぎただけだったりする。

 

▼所属メンバー

・マルゼンスキー(ドリームクラス)

生涯戦績:8戦8勝(GⅠ1勝、重賞3勝)

主な優勝歴:朝日杯フューチュリティS、東京スポーツ杯ジュニアS、ラジオNIKKEI賞、札幌短距離S

 

・スズカコバン(シニアクラスA組)

戦績:15戦4勝(重賞1勝)

主な優勝歴:神戸新聞杯

 

・ハーディービジョン(ジュニアクラスC組)

戦績:6戦3勝(GⅠ1勝、重賞1勝)

主な優勝歴:朝日杯フューチュリティS、京王杯ジュニアS

 

・ミホシンザン(ジュニアクラスA組)

 

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■チーム《ベテルギウス》

 1.概要

 2.トレーナー

 3.所属メンバー

 

▼概要

シンボリルドルフの為に新米トレーナーが新しく結成したチーム。

 

▼トレーナー

本名:調査中

年齢:調査中 性別:女性

新米トレーナー。試験ではトップの成績を収める。

シンボリルドルフの走りを見て、一目惚れした。

何も考えず、熱意だけでスカウトしてチームを結成した。

ウマ娘を私生活で駄目にする能力に優れている。

勿論、トレーナーとしての能力に不足はない。

 

▼所属メンバー

・シンボリルドルフ(ジュニアクラスC組)

・シリウスシンボリ(ジュニアクラスA組)

 

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■チーム《ハマル》

 1.概要

 2.トレーナー

 3.所属メンバー

 

▼概要

調査中

 

▼トレーナー

本名:日高あぶみ

年齢:調査中 性別:女性

元ウマ娘のトレーナー。

レースで活躍していた時の熱血気質が抜けない暑苦しい感じのトレーナー。

ウマ娘の時の名前はサクラシンゲキ。

 

▼所属メンバー

・サクラユタカオー(ジュニアクラスB組)

・サクラスターオー(ジュニアクラスA組)

 

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■個人派閥

 1.概要

 2.メンバー

 

▼概要

チームに所属せず、個人で活動するウマ娘の総称。

スカウトされず、1人で活動せざるを得なかったウマ娘もここに分類される。

 

▼メンバー

・ビゼンニシキ(ジュニアクラスA組)

生涯戦績:9戦6勝(GⅠ1勝、重賞2勝)。

主な優勝歴:NHKマイルC、共同通信杯、スプリングS。

最終レース、東京優駿(競走中止)。

競走能力喪失により、引退。

 

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*1
この世界軸ではNHKマイルCに出走した代わりに中京4歳特別と阪急杯への出走をしていない為、史実よりも1戦少ない。またマイルCSに出走した代わりにトパーズSの出走がなくなっている。




気が向いたら追記します。


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第2幕「皇帝の神威」
第1話:努力だけでは超えられない。


「あん? 俺が出会った中で最も才能を感じた奴は誰かだって?」

 

 スペシャルウィークを中心とした世代の激戦を終えてから程なくした頃の話になる。

 世紀末覇王を名乗るテイエムオペラオーが台頭し、トゥインクル・シリーズは黄金世代と新世代による対立構図によって新たな様相を見せ始めていた。時代は移り、過去は色褪せる。そんな時分に古き良きを知る編集部の誰かが働きかけたのか、月刊トゥインクルで過去の名ウマ娘を題材にしたシリーズを取り扱うことになった。

 その名も、名ウマ娘伝説。1年間を通して、過去の名ウマ娘を取り上げるシリーズだ。

 今もドリームトロフィー・リーグで活躍するシンボリルドルフやマルゼンスキーは勿論、シンザン、トウショウボーイ、スピードシンボリ、カブラヤオーといった多くの世代を取り上げて来た。そして来月発刊される月刊トゥインクルでは、ミスターシービー世代の記事にすることが決まっている。

 3冠ウマ娘のミスターシービーは勿論、ニホンピロウイナーとカツラギエースをメインに取り扱う予定だ。

 そして、そんな彼女達に同世代で最も才能を感じたウマ娘を問い掛けてみた。

 

 これは最初、ミスターシービーにしたものである。

 その時の解答が面白かったので、同じものをニホンピロウイナーにも訊き、そして今はカツラギエースに問い掛けている。

 今の彼女はチームレグルスのトレーナーであり、現在では葛城一佳と名乗っている。

 

「先ずはニホンピロウイナー、あいつこそ天才と呼ばれるべきだろうよ」

 

 此処まではミスターシービーと一緒の答えだ。

 それから、とカツラギエースは続ける。

 

「スズカコバン」

 

 ミスターシービーが2番目に、ニホンピロウイナーが1番目に上げた名前を彼女も口にした。

 

「意外です。他の方も同じ名前を口にしていました」

「まあ戦績だけ見るとパッとしないしな。実績を出しているピロの方が分かりやすい天才ではある」

「素質という意味ではミスターシービーが一番かと思うのですが……」

「あいつはゴリラだぞ、末脚ゴリラ。レース脳は発達してるが基本、ゴリラ的思考しか出来ないからな」

 

 ピロも同じことを言ってたんじゃねえか? という問いに対しては私は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。

 

「ミスターシービーさんもニホンピロウイナーさんも当時、最もレースを理解していたのはカツラギエースさんだと言っていましたよ」

「それはあいつらが考えなし過ぎるだけじゃねえか。俺くらいのことは他のウマ娘でも考えていたよ。まあレースの理解度という点ではシキが一番だったけどな」

 

 昔を思い返すように彼女は遠くを眺める。

 しんみりとした沈黙の後、「コバンの話だったな?」と彼女の方から話を戻しに来た。

 

「あいつは本気で走れたことがほとんどないんだ」

「……それはどういう意味で?」

「誰かと競い合うことに本気になれなかったんだよな」

 

 スズカコバン。30戦近くもして10勝にも満たない戦績であり、彼女を推した他3人と比べると些か見劣りする。

 しかし彼女は戦績の7割以上を掲示板内に収めており、半分以上を3着以内に収める隠れた実力ウマ娘ではあった。

 

「あいつが最初から本気を出してたらシービーの3冠はなかったかも知れないし、その後のルドルフの冠の数も幾つか減らしていたことになるだろうよ。ピロもマイラーの王者と呼ばれる事はなかったかもな」

「……それ程ですか?」

「それ程だ。シンザンを超えることが出来るのは、あいつだけだと入学当時の同期はみんな思ったもんよ」

 

 そうして、つらつらと語る彼女の言葉に耳を傾ける。

 当時の苦労話とか、昔はこうだったとか、ああだったとか、取り留めがない話のメモを取りながら3人の口から出た1人のウマ娘の存在に想いを馳せる。

 スズカコバン。天才と呼ばれる彼女は一体、どのようなウマ娘だったのだろうか?

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 夏も本番が近付いて来た。

 じりじりと照り付ける太陽が煩わしくて、少し走るだけで肌に張り付く下着類が鬱陶しい。

 こんな日は冷房を効かせた部屋でゆっくりと過ごすのが吉。下手に外を出歩くと電柱の支線にぶつかったりする、それで胸が断裂する重症を負ったりする。昔、そんな目に合ったウマ娘が居たんだってよ。嘘みたいな本当の話、世の中なんて何処に危険が潜んでいるのか分かったものではないのだから無理をして良いことなんて何処にもない。

 レースの最前線でバチバチに張り合うのは格好良いとは思うけど、それで故障をしては元も子もない。

 善戦は記憶に残らないかも知れないが記録には残る。激戦は記憶には残るが記録には残らない。

 無事是名バとはよく言ったもので、賢いウマ娘は現役を長く続ける為に息の細い活躍を長年に渡って続けているものだ。

 汗臭く生きる必要なんて何処にもない。仮に頑張ったところで、私ではドリームトロフィー・リーグを戦い抜く事はできない。

 あのハイセイコーですらも着内に入るので精一杯の世界。頂点には神と称されたシンザンが待ち構えており、2着以下ではトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスといったTTGの面子に加えてカブラヤオーとスピードシンボリが凌ぎを削っているのだ。ドリームトロフィー・リーグの参加には最低でもGⅠレースの3勝が条件とされている。特別枠で招待されることもあるが、そういうウマ娘はマルゼンスキーといった活躍する事が半ば約束されている面子だけだ。

 ひいこらとGⅠレースを走っているような連中が足を運んで良い場所ではない事だけは確かだ。

 

「コバン、貴女は本当に勿体ないですね」

 

 私を追いかけ回した後で涼しい顔をしたマルゼンスキーが告げる。

 彼女は私には素質があると言い続ける。しかし、そんな事はない。そんな事があれば、今、私が肺が破裂してしまう程の苦痛を感じながら仰向けに倒れているはずがない。ドリームトロフィー・リーグの格の違いを感じさせられる。

 トレセン学園に入った後、運命を感じた彼女との出会いは絶望の始まりだった。

 血気盛んに挑んだ模擬レースで私は10バ身以上の大差、タイムにして2秒以上の差を付けられる。心はポッキリと折られてしまって、レースに勝っても上には上が居ると思えば、嬉しくともなんともなかった。

 トレーニングに身が入らない。マルゼンスキーに追い回されなければ、真面目に走ることもしない。

 それでも、それなりの戦績は残せるのだから良いじゃないか。

 

 6月第1週目、阪神レース場。宝塚記念。

 その数日前に撮影されるレース前の記者会見にて、カツラギエースが他の注目ウマ娘と共にテレビに映っていた。

 彼女は少しやつれた顔で静かに告げる。

 

「……俺は勝つ、絶対に勝つ。それ以上の言葉は必要ない、勝つ。それだけを覚えていて欲しい」

 

 マイクパフォーマンスもへったくれもない言葉で周囲を黙らせる。

 何処までもストイックな姿に皆が威圧される。

 そんな彼女のことを私はテレビ越しに冷めた目で見ている。

 

 馬鹿らしいな、と思った。

 

 そうだ、馬鹿らしいのだ。

 熱血だとか、根性だとか、そんな事を言いながら走るのが馬鹿らしくて仕方なかった。

 根性を出しても届かない差がある。

 世の中には、才能の壁というものが存在している。

 ビゼンニシキも届かなかった。

 

「ビゼンニシキは頭はええんやろうが、生き方は下手くそやったなあ」

 

 シンボリルドルフという才能の壁に負けた上に、競争能力喪失という事態になっているのだから笑えない。

 もっと適度に手を抜くことを知っていれば、あんな風に走れなくなる事はなかった。

 ビゼンニシキのデビューは遅い。去年の11月からメイクデビュー戦を果たし、今年の5月終わりに競争生活を終えてしまっている。

 たった半年で、彼女はどれだけ稼いだのか。GⅠ1勝に重賞2勝、その程度なら1年も走れば稼ぎ切ることはできる。2年、3年と掲示板内を狙って重賞を走り続ければ、彼女よりも稼ぐ事ができるウマ娘は多く出る。

 折角の才能も使い潰してしまっては意味がない。

 賢い生き方というのは、無理せず、怪我せず、のらりくらりと生き続けることを言うのだ。




ウイニングポストやってました。
スズパレードで春秋グランプリ制覇したり、メジロラモーヌで17戦17勝したり、スーパークリークでクラシック3冠秋春古馬3冠などをしていました。そのついでに構成の再点検などをしました。
その過程で修正内容というか、構成上のミスに気付きましたので修正してきました。

・修正内容
ニッポーテイオー世代、存在が消えました。
ニホンピロウイナーのチームにダイナガリバーとニッポーテイオーの代わりにホクトヘリオスが入ります。
その後でタマモクロス世代以降が1つ繰り上がっています。
修正ついでに、名前だけ出ていたオサイチジョージが消えました。
世界観はアプリがメイン、アニメで補足する方針で固定します。


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第2話:ゴリラを滅せよ、慈悲はない

 6月第1週目、土曜日午前。トレセン学園のトレーニングコースに人集りが出来ている。

 出席日数を稼ぐ為に車椅子で登校したビゼンニシキは、手術を終えた後、数日の療養期間を経て、外出許可を得ていた。車椅子の後ろに引っ掛けた鞄に多くの資料を持ち込んでは、それを片手に多くのウマ娘を囲ってお悩み相談を開いている。

 彼女の話に興味を持つのは、トレーナーを持たない哀れなウマ娘達である。

 

 この辺りでトレセン学園の実情を少し語る。

 トレセン学園には2000人というウマ娘が存在しているが、その全てのウマ娘を見るだけのトレーナーが足りない。その為、ウマ娘の多くは自分を担当してくれるトレーナーを見つける為に様々な手段で自分の能力をアピールする。例えば選抜レースに出てみたり、自分から売り込みに行ったり、とだ。

 素質を持つウマ娘はトレーナーからも人気があり、トレーナーも直ぐに見つかるがそんなウマ娘ばかりではない。

 ジュニアクラスからシニアクラスまで、未勝利のまま終わるウマ娘も少なくない。そういったウマ娘の面倒を見ようと思う奇特なトレーナーは数少ない。それもそのはず、トレーナーの価値は育てたウマ娘で決まる。ウマ娘を蔑ろにするトレーナーは少ないが、一度に見られるウマ娘の数が限られている以上、選べるなら出来るだけ育て甲斐のあるウマ娘を選びたいのが人情というものだ。

 彼女達はトレーナーの選バ観から溢れたウマ娘達、走りを見て欲しくても誰も見てくれなかったウマ娘達である。

 

「君はコーナーの走り方を修正した方が良いね。折角、内埒にいるのに外に膨らむから最後の直線で最内を突かれて負けるんだ。コツを教えてあげるから後でまた来てくれる? そちらの君は上半身の筋トレして来なかったでしょ、下半身だけ鍛えても長丁場を走り切る事はできないよ。簡単にトレーニングメニューは書いておくから自分で調整しながら頑張ってみて、上手くいけば今年中に1勝できるかもね。君は体は出来てるけど、レース運びで損するタイプかな? さっきのレースを録画したのをDVDに焼いておくから、自分の走りを客観的に見てみると良いよ。ちゃんとやる気があるなら後で気付いた点や疑問をメールで送ってくれても良いから」

 

 そんな彼女達の走りを数回の模擬レースで的確に助言を言い渡すのがビゼンニシキだった。

 教室ではレースプログラムを片手に、iPadのキーボードを叩きながらスケジュールの相談を受けたりもしている。少し前までは重賞しか観なかったレースも今週からはメイクデビュー戦や未勝利戦からしっかりと目に通すようだ。二度、三度と顔を合わせている相手には相手の情報を簡単にまとめており、中でも熱心な相手には改善点など詳細な情報が記載されていた。

 本人は必要に応じてやっているだけでまだ無自覚のようだが、これって相当やばい代物になりつつあるのでは? 現時点で既に他のトレーナー達が喉から手が出るほどに欲しい情報で満たされている気がしないでもない。

 

「さて、パレード」

 

 iPadの電源を切り、そして私の方を振り返る。

 

「そろそろ宝塚記念が始まる時間だ。車椅子を押してくれないかな?」

 

 私は快く頷き、そして彼女の車椅子の取手を握り締める。

 移動中も彼女の飽くなき探究心は留まることを知らず、車椅子に揺られながら新しく発表された論文に目を通し、時折、スマホで資料を開いて論文内容と照らし合わせたりしている。

 

「現役のオープンウマ娘様に小間使いのような真似をさせて申し訳ないね」

 

 ふと、そんなことを軽口混じりに言ってきたので、無言でデコピンしてやった。

 これは私がやりたくてやっていることなのだ。他のウマ娘には任せられない大事な役目、ビゼンニシキの身の安全は文字通り、私の手中にある。

 そのことに僅かな優越感を感じ取り、ふんふんと鼻歌混じりに食堂を目指す。

 

 ずっと走り続けられるウマ娘は本当にひと握りだけだ。

 ジュニアクラスを未勝利のまま終えてしまうウマ娘は数多く、そういったウマ娘の半数以上が地方のトレセン学園に転向する。シニアクラスでもオープン戦まで勝ち上がれるウマ娘は1割にも満たない。大半のウマ娘が1勝クラスから3勝クラスのプレオープン戦で卒業を果たすことになり、シニアクラスの三年目。つまり、シニアクラスのC組になった時点で就活なり婚活に走るウマ娘は多かった。

 重賞に出走するだけでも1割未満のエリート、そこで優勝出来るのは全体の1%未満に入る実力ウマ娘だと言われている。GⅠレースとは、その1%未満のウマ娘達が凌ぎを削り、たった1つの勝利を掴むという途方もない世界である。

 ドリームトロフィー・リーグは、そのGⅠレースを3勝することが1つの条件だと言われている。

 世代に1人、多くても2人。酷い時には1人も出ない。

 

 大半のウマ娘がトレセン学園の卒業と共にレースで走るのを止める。

 だから私達は今を全力で走り続ける。悔いが残らないのように、力いっぱいに駆け続ける。

 GⅠレースで勝利するなんて私にとっては夢のまた夢の話だ。

 どうしても、その光景が脳裏に思い浮かばない。

 

 私が想像できるのは、ビゼンニシキがシンボリルドルフの鼻先を捉えて抜き去る姿。

 その光景を間近で見たかった。置いていかれるのが嫌だった、そしてシンボリルドルフに彼女を取られるのが嫌だった。

 なんだか退屈だな。そんなことを考える。

 考えて、ああ、そうか。と得心する。

 

 今の私には、走る目的がなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 阪神レース場に高らかに吹かれるファンファーレ。

 宝塚記念、ファンによる人気投票で出走する権利が得られる春のグランプリレース。ファンは3冠ウマ娘であるミスターシービーの出走を待望していたが、彼女は脚に違和感を覚えるとのことで出走を回避。ニホンピロウイナーも選出されていたが適正距離が違うという理由で出走を回避している。

 おかげで俺、カツラギエースが繰り上がりで人気の1番手になった。

 そのことに感慨はない。実質、人気は3番手。実力も3番手。そう思われている事は俺自身が最も理解している。

 2番人気は1世代前の菊花賞ウマ娘のホリスキー、3番人気は今年の春の天皇賞ウマ娘のモンテファスト。4番人気は今年度の上がりウマ娘のダイセキテイ。話題という点だけを語れば、いまいち盛り上がりに欠ける面子と言わざる得ない。

 端的に言ってしまえば、地味だった。

 この世代を象徴するウマ娘が出走しないレースに、世間の反応は冷めたものである。

 東京優駿や皐月賞の方が余程、盛り上がりがあった。

 

 関係ない。俺は俺の走りを見せつける、それだけだ。

 呼吸をする。深く呼吸を整える。血流を通り、酸素を送り届けるように全細胞を気で滾らせる。

 勝つ、絶対に勝つ。今日の結果は今後の未来を運命付ける。

 そんな、予感がしていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「ミスターシービーが出走を回避するならスズカコバン、貴女に負けはないわよ」

 

 先週の事だ。

 ミスターシービーの出走回避を聞いた時、大先輩のマルゼンスキーからお墨付きを得た。

 ただ、と人差し指を立てながら続く言葉を口にする。

 

「カツラギエース、彼女だけは化ける可能性がある」

 

 曰く、心技体で例えるならば、貴女達の世代で心の部分が最も強いのはカツラギエース。

 余りにも心の部分が強過ぎる為に心技体のバランスが崩れがちで、レース毎の戦績にムラが大きい。

 でも化ける奴ってのは、決まって心が強い。

 何度でも泥を啜り、何度でも躓き、何度でも負け続けて、心が挫けた数だけ強くなる。

 彼女は不器用なウマ娘だ、正攻法の真っ向勝負を挑む事しかできない。

 楽を知らない奴というのは、何時まで経っても伸びず、延々と基礎だけを繰り返す。

 延々と同じところで足踏みを続けている。

 踏み締めた地面は何処までも硬くなる。

 コツコツと、コツコツと、コツコツと。

 

「……そして気付いた時には、とんでもないものを築き上げていることがある」

 

 成長度は常に一定ではない、それが普通だ。

 力を貯めて、蓄えて、膨らませて、限界まで貯蔵したものが破裂した時、飛躍的に実力が向上する。

 破裂させるのに必要なものは針一本、些細な気付きひとつでそれだけで数日前とは別人になる。

 今にして思えば、ビゼンニシキは気付きを得る天才だったな。

 レースを走ることで意図的に成長のきっかけを得ている。

 

「心以外の部分では勝ってるのにね〜?」

 

 その余裕のある挑発的な笑顔が嫌いだった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 阪神レース場、宝塚記念。ゲート内にて目を伏せる。

 軽く深呼吸をする。ムキになるな、マルゼンスキーの戯言は今に始まった話ではない。

 落ち着け、冷静にレースを運べば良い。

 身の丈あった結果を求めるのが最善、それ以上を求めては後で必ず報いが来る。

 無理をするな、怪我をしては元も子もない。

 

 もう少しでゲートが始まろうかという時、

 私が収まる5枠9番から2つ先、4枠7番から放たれる殺意に身震いした。

 カツラギエース。なんでそこまで気合を入れているのか分からない。

 ああ、でも、思えば、こいつ、ちょっと気に入らないんよな。

 なんだか最近、ちょっと気合い入っているし……

 

 今時は苦労とか努力とか流行らないんだよ。

 精神論は古過ぎる。効率化こそが今時の流行り、根性なんてのは悪習は今直ぐに廃れるべきだ。

 楽して勝つのが今時の流行りなんだ。

 はあ? 楽して勝つやて?

 スポーツインテリは全員、筋肉を鍛えてパワーで殴るのが最大の近道だって知ってるからインテリ駆使して皆仲良くゴリラになるんだよ。肉体的素質がない奴がアレコレと必死になって考えて、最大効率を求め切れない奴が、ない頭を必死に働かせたトライアンドエラーで頑張るんだよ。

 頭脳舐めるな、勉強舐めるな、努力舐めんな。あれがどれだけ苦労するのか知ってるのか。楽して勝つ為にどれだけ努力を積み重ねる必要があるのか知ってるのか。楽して勝つ為に皆ゴリラになっているってことを知ってるのか!

 世の中、ゴリラが強いんや! ゴリラが最強なんや!

 マルゼンスキーのゴリラもさあ、ミスターシービーのゴリラもさあ!

 まじ巫山戯るなや、本当に巫山戯んなや!

 そんなゴリラ達を才能ひとつで凌駕するニホンピロウイナーまじ巫山戯んなや!

 ゴリラを滅せよ! ゴリラを討伐せよ!

 

 私は楽がしたい、楽して勝ちたい。

 そんなことができる訳がないと私は知っている。

 だから私は嫌々ながらも走るし、適当に理由を付けながらトレーニングを続けている。

 マルゼンスキーとミスターシービーは云う、例え勝負に負けても鍛えた筋肉は残るじゃない。筋肉は財産、決して無駄にはならない。

 巫山戯んな、まじ巫山戯んなや!

 鍛え上げた肉体は君を裏切らない、ってうっさいわ!

 これだからゴリラは嫌なんや!

 ゴリラも精神論もウチは大っ嫌いや!

 

 勝負は勝たなきゃ意味がないんや!

 どれだけ善戦しても勝たなきゃ意味がない!

 そして、どんなに努力しても勝てない相手が居るんやったら……

 最初から努力しない方がましや!

 努力するから悔しいし、努力をするから悲しい想いをする!

 そんな想いをするのが嫌だからウチは……

 

 ガシャン、と音が鳴った。

 何百回を繰り返し、何千回を想像し、何万回と練習して体に染み付かせたスタートダッシュ。

 不意を突かれたとしても出遅れはない。

 一度レースが始まれば、思考は切り替わる。最適化される。

 それは紛れもなく、今日まで延々と積み重ねてきた努力の成果だった。



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第3話:ジャパンカップでまた会おう!

「進路希望を聞いてると意外とレース関連の仕事に就きたいと思っているウマ娘って多いんだってね」

 

 食堂にて、ビゼンニシキが蹄鉄のカタログを見つめながらそんな事を口にした。

 いつもは最高品質のものばかりが載ったページばかりを見ていたのを覚えている。2人で蹄鉄を買いに行った時、財布から何枚もの万札を涼しい顔で取り出していたのは記憶に新しい。この時はまだメイクデビューする前で、お金が勿体なくて高い蹄鉄や靴に手を出せなかった私に「私の脚にはお金をかけるだけの価値があるからね、これは自分自身に対する投資だよ」と言って惜しみなく資金を注ぎ込んでいた。

 それで実際、GⅠレースで勝利するんだから彼女の判断は正しかった。

 私も彼女に触発されるように、メイクデビューもしてない時期からレース用だけは高いものを買うようになり、そのおかげもあってか、今では重賞を4戦して全てで着内に入ることができている。

 やっぱり良い靴、良い蹄鉄を使うと走りやすいし、タイムにも差が出てくる。

 高価な道具には高いだけの意味があるのだ。

 

「安くて良い蹄鉄ってなんだよ……って思ったけど、探せば意外とあるもんだね」

 

 今、これを取り寄せてるんだけどさ。と開いたページには仲間内で評判の高いメーカーの商品だった。

 

「軽くでも走れるようになったら色んなメーカーの商品を試して行かないとね。ウマ娘だからこそ分かるってことはあると思うし……」

 

 研究熱心なのは今も昔も変わらない。

 競争能力を喪失する程の怪我を追っても彼女は何も変わっちゃいなかった。

 そのことに安堵し、カタログに熱中し始めた彼女に声をかける。

 

「ねえシキ、もうそろそろレースが始まるよ」

「ん? ああ、そうか、もうなんだね」

 

 食堂にある大型テレビからファンファーレが鳴り響いた。

 もうすぐ始まるのは宝塚記念。実況は何時もの人、解説は私と同じ机に座るビゼンニシキだ。

 

「菊花賞以後、脚部の違和感から出走回避を続けるミスターシービー先輩が不在の中、春のシニア戦を引っ張るのはラギ先輩。対抗は春の天皇賞ウマ娘のモンテファスト先輩と直近の4戦全てで3着以内と調子が良いホリスキー先輩。とはいえ直近の大阪杯、京阪杯を共に1着で終えているラギ先輩を相手には格が落ちるといったところかな」

 

 誰かと一緒にレースを観る時、聞いてもいないのにつらつらとウマ娘の情報を語るのはビゼンニシキの悪癖だ。

 とはいえ彼女の解説は聞いていると楽しいし、視聴の邪魔をするような真似もしない。

 彼女は語りたいだけなのだ。会話をするつもりもなく、適当に相槌を打つだけで良いのも得点が高かった。

 

「それでシキの注目ウマ娘は?」

「何事も起きなければ、順当にラギ先輩が勝つよ」

 

 適当に投げた質問にも語りたがりの嫌みのひとつも言わずに彼女は拾ってくれた。

 でも、と親友は言葉を続ける。

 

「絶好調のラギ先輩に勝てるとすれば、それはたぶんスズカコバン先輩だけじゃないかな」

「スズカコバンってマルゼンスキー先輩とよく一緒にいる?」

「そうそう、彼女は何時もマルゼンスキー先輩の特訓に付き合わされているようなんだよね」

「いや、それは逆なんじゃ?」

「勿論、スズカコバンを鍛えるって名目もあるんだろうけども……マルゼンスキー先輩も、そこまで暇じゃないからね」

 

 あの人って割とストイックなんだよ、とビゼンニシキがテレビ画面を見つめる。

 

「マルゼンスキー先輩ほどのウマ娘になると練習相手を探すのにも一苦労。今のトレセン学園で彼女の練習に付き合えるのってスズカコバン先輩を除くとミスターシービー先輩とラギ先輩、それからシンボリルドルフくらいしか居ないんじゃない?」

 

 親友が言い終えたところで、ガシャン、と見計らったかのようにゲートが開いた。

 カツラギエースが先頭から2番手という何時もの好位置を取り、スズカコバンは外に振られながらも前から4番手というの位置に付いた。

 序盤、中盤と静かなレース運びが続き、第3コーナーに入る手前でするするっとスズカコバンが位置を上げる。

 

「今日は前の方に位置を付けたみたいだけど、あの押し上げ方は綺麗過ぎて惚れ惚れしちゃうよね」

 

 第3コーナーから第4コーナーに入った場面、

 気付いた時にはスズカコバンがカツラギエースのすぐ後ろの位置を取っていた。

 その淀みない加速の仕方は、職人技と呼んでも遜色がない。

 

「やっぱり、あんなあっさりと脚を残したまま上位に抜け出せるのは才能としか言いようがないよ」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 スズカコバンの走りは洗練されている。

 まるでマルゼンスキーを彷彿とさせるエンジンを搭載した2代目スーパーカー。

 ただし初代スーパーカーのような唸りを上げる脚をしている訳ではなく、消音性に特化した隣人に優しい和製のスーパーカーだ。

 大阪杯の時はレースの序盤から中盤に掛けて、最後方に居た癖に第3コーナーに入る頃には先頭集団の直ぐ後ろに付けており、直線に差し掛かった時には好位置に付けている。

 メイクデビュー以前、その忍者の如し走りに皆が見惚れた。スマートに抜き去る姿に皆が憧れた。

 その美しさに天才とは、彼女の事を言うのだと皆が認めた。

 

 3冠ウマ娘のミスターシービーも、マイルの皇帝ニホンピロウイナーも、

 彼女の存在を格下として見た事は1度もない。

 いくら実績で勝っていても、スズカコバンを自分と肩を並べる同列の存在として扱っている。

 

 そんな彼女達から1歩引いた位置にいるのが私、カツラギエースだ。

 生来の性格が祟ってか、大舞台で意気込んで惨敗する失態を繰り返してきた。

 皐月賞11着、東京優駿6着、菊花賞18着と掲示板にすら入れない体たらくだ。

 重賞では活躍してもGⅠでは勝てない。

 そんな印象がファンに植え付けられつつあった。

 

 勝ちたいという気持ちなら誰にも負けない。

 その負けん気だけが私の強さだと信じていた。

 それが勘違いだと気付いたのは、奴を知ってからだ。

 

 勝ちたいと思うだけじゃ勝てない、負けないと意気込むだけでは勝てない。

 誰よりも負けん気の強い彼女は、精神力の使い時というものを心得ていた。

 気持ちを落ち着ける、静かに滾らせる。

 心の水面の奥底で煮立つ想いを必死に抑え込んだ。

 ぐつぐつと、ぐつぐつと、溶岩が噴火する一歩手前で維持し続ける。

 決して、鎮火させてはならない。

 今にも発狂しそうになる闘志を、臨界点の限界で維持するのだ。

 無理に落ち着かせる必要はない、大事なのは制御する事だ。

 激情は、私の武器だ。

 それ故に振り回されてはならない。

 激情は、正しく使えば誰にも負けない武器になるとビゼンニシキが証明した。

 感情に身を委ねることは甘えだとビゼンニシキが証明した。

 根性論上等、精神論上等。

 

 突っ張ることがウマ娘のたった1つの勲章だと、この胸に信じて生きてきた。

 

 泣きたくなるような辛い思いを乗り越えて、

 肩を並べた2人が手の届かない場所に行った時も夜空の星を眺めて誓いを新たにする。

 譲れない一線がある、乗り越えるべき壁がある。

 諦観に流されそうになる時も必死になって堪えてきた。

 己の胸に刻んだ、たった1つの誓いを守る為に……!

 

 これから直線一気、ぶっ込みかけるんで夜露死苦ゥッ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンザンを超えろ!

 それはシンザンが産まれてからシンボリルドルフが7冠を達成するまで掲げ続けられてきた指標のひとつだ。

 しかし、この時代にはもう1つ。歴史的に重要な事柄がある。

 

 日本の競走馬は、世界のレベルには通用しない。

 

 シンザン以降、

 海外に挑戦した競走馬は少なくないが、

 その全てが世界の高過ぎるレベルを前に無残な敗北を繰り返してきた。

 日本は世界に劣っている。

 野球に然り、サッカーに然り、ほとんどの分野で日本が世界のレベルに付いていけなかった時代がある。

 しかし何時の時代も世界に挑戦し続けた者達がいる。

 

 その挑戦の積み重ねが今の時代を作る。

 過去の先駆者が死に物狂いで築いた道を後世の者達が延伸する。

 伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ。

 意図的に、無意識に、紡がれてきた歴史が後の成功を生むのだ。

 単身で世界を相手に乗り込んで、その地位を確立した先駆者が後世に夢を見せる。

 希望を残す。そうしてまた次世代へと紡がれる。

 残された因子が継承される。

 

 私、ハッピーミークは信じている。

 ハクチカラが拓いた道から長年続いた失敗の経験は、終ぞ私が天命を全うするまでに成功を収める事はできなかった。

 しかし私は信じている。私達が築いた挑戦の歴史は、何時の日か、成功を収めると信じている。

 サッカーのキングがそうであったように。

 何時の時代だって先駆者は偉大だ。

 ライト兄弟は本気で鳥のように空を飛ぼうとして、実際に飛んだ。

 その後に功績が残せずとも、その事実の偉大さは決して廃れようがない。色褪せようはずもない。

 後世に道を残した、道を示した。その事実こそが、最も大切なのだ。

 黒船来航以降、日本という国は常に世界への挑戦が命題として挙げられている。

 そして最終的に成功を収めてきた偉大な国だ。

 

 ――日本も世界なんですよ。

 

 カツラギエースという存在は、私が知る中で最も偉大な競走馬の内の一頭である。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ――何時だってそうだ!

 最後の直線で綺麗に抜け出せると思えば、私の前を走るウマ娘は何処までも粘ってくる!

 私の方が実力上位のはずなのに、何故かまったく垂れて来ないのだ!

 もう限界だろうに!

 体力は使い潰しているはずなのに!

 理不尽に、不条理に、彼女達は限界を超えて末脚を伸ばしてくる。

 私だって負けてはいない。

 マルゼンスキーにも負けない体躯、身体能力だけなら決して負けていないはずなのだ!

 それでも届かない、あと数バ身からが縮まらない!

 脚は残していた、体力は残していた!

 最後の直線に備えて万全を喫して挑んでも何時も届かない!

 もっと、と芝を踏み締める。

 もっと、と腕を振り上げる。

 肺は今にもはち切れんばかりで、心臓は今にも張り裂けそうで、

 心が挫けそうになっても歯を食い縛って堪えた。

 勝てるはずなのに、何時だって勝てるはずだったのに!

 手を伸ばせば届く距離が届かない……ッ!

 

 ゴール板はカツラギエースの先行のまま、通り過ぎた。




最初は野球界のトルネードも入れようとしましたが年代的に出来ませんでした。
かっとばせー、ユ・タ・カ!


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第4話:悪夢に苛まれる

 東京優駿から早1週間、くらい。だと思う。

 プレハブ小屋の壁に貼られたURA製作のカレンダーはミスターシービー(東京優駿優勝ウマ娘)からハギノカムイオー(宝塚記念優勝ウマ娘)のものに差し替えられている。

 そして無敗の2冠を達成した私、シンボリルドルフは部屋に備え付けたソファーの上でだらけていた。

 目元にはタオルを置いて視界を塞ぎ、背中からトレーナーに抱き締められる形で横たわる。後頭部に柔らかい双丘の感触がある、鼻先に優しい匂いを感じ取る。意識を落とす、暗闇の中に。ゆっくりと深呼吸し、意識して、何も考えないようにした。

 最近、寝付きが悪い。眠りが浅い。夜中、部屋の電気を消せなくなった。

 こんな事ではいけない、と分かっていながらも眠ることができない。黙っていると嫌な考えが次々に思い浮かんで来て、自己嫌悪で発作的に叫びたくなる。側頭部を少し強めに叩く事で強制的に思考を中断させる。気付いた時には包丁を握り締めていた時はもう駄目だと思った。

 この有様ではトレーニングにも身が入るはずもなくて、それでも菊花賞に勝たなきゃならないので自虐的に身体を動かし続けた。

 眩む視界、揺れる身体。裏で何度も吐瀉物を吐いた。

 

 私のせいだ。

 最後の直線、坂を登り切ったビゼンニシキはゴールを通り過ぎていた私達の姿を確認してから力尽きた。

 競争中止が明確になった瞬間にスズパレードは膝から力が抜けるように倒れ伏した彼女の傍へと駆け出す。スズマッハは前のめりに倒れながら嗚咽を溢してた。私は呆然と立ち尽くす事しかできなかった。

 坂に差し掛かった時、ビゼンニシキは不自然に速度を落とした。

 あの時は何かに躓いたのか、未知の距離に戸惑ったのか、その程度の認識しかなくて、もしかすると、あの時から故障して、全力で戦いたいと云う、自分の満足感を満たす為に、私は彼女に奮起の言葉を、告げて、それが原因で、彼女は取り返しの付かない故障を負ったのかも知れない。私が言葉を掛けたから彼女は二度と走れなくなったのかも知れない。

 そう思うと身体が震えて仕方なかった。

 

 本当はもう引き籠もっていたかった。

 理性がそれを許さない。仮に私がビゼンニシキを故障に追い込んだとして、それが贖罪になるとは思えない。

 不甲斐ない私を見て、彼女がどう思うか。

 きっと失望するに違いない、きっと憤りを感じるに違いない。

 彼女の為なんて絶対に言ってはならない。

 それでも最善の道は、私が傲慢になって勝ち続ける事だと思った。

 道半ばで潰えた彼女の名を、より高みへと連れて行けるのは彼女に勝った私にしか出来ないことだ。

 彼女がそれを望まないことはわかってる。

 それでも背負わなくてはいけないことだと思った。

 これはもう私のエゴだ。

 

 私は己を鍛え続けなくてはならない。

 精神的に弱っていたなんて言い訳にもならない。

 ただただ情けない姿を吐露しているだけだ。

 私は強くあらねばならない。

 私の敗北はビゼンニシキの名を落とす。

 だから誰にも負けてはならない。

 

 ふとトレーナーの手が私の頭に触れる。

 髪を梳かすように優しく撫でられる。鼻先に擽る甘い香り、自然と意識が闇の奥深くへと落とされる。

 最近、夜に寝られなくなった。というよりも独りだと眠れない。

 私が眠れるのは此処、プレハブ小屋でトレーナーを感じられる時だけになっていた。

 昼間のトレーニングは全て、免除となった。

 代わりに眠れない夜にトレーニングに励んでいる。

 太陽が沈む頃に学園の外に出て、川のすぐ横にある道を延々と走り続けている。

 頭の中が空っぽになるまで走り続けて、地平線の向こう側から太陽が顔を出したら寮に戻る。

 シャワーで汗を流した後、少しだけ眠ることができる。

 眠ると悪夢で魘されるだけだから、出来るだけ寝ないように心掛けた。

 周りのウマ娘に心配される事が増えた。

 大丈夫、と微笑み返す。大丈夫、以外の言葉が思い浮かばないので、大丈夫、と言い続けた。

 勉学は身に入らず、プレハブ小屋で待つトレーナーに会っては寝かして貰っている。

 外が茜色に染まるまで眠り続けて、そしてトレーナーと別れる。

 別れてから、また夜のトレーニングに励んだ。

 

 今日の曜日が分からない、今日が何日なのか分からない。

 時折、朝なのか、昼なのか、夕方なのか、分からなくなる時がある。

 それでも私は走り続ける。それだけが今の私に出来る事だ。

 ずっと気怠さを感じている、頭に靄がかかっているかのようだ。

 私には走り続ける事しかできない。

 走り続ける事だけはできた。

 

 今は安らぎの中で身体を休める。

 子守唄が心地良かった。



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第5話:次の段階へ

遅れてすみません、イメージを深めていました。


 まとめたプリント用紙をホッチキスで綴じる。

 プリント用紙には今日まで私が見てきたトレーナーが居ないウマ娘に関する情報が書き込んでおり、簡単にデータ化した数値と総評、更には本人に書かせた自己PRと志望動機をまとめている。これは来月の7月の第1週目にお試しで開催する公開模擬レースの一環であり、参加資格はトレーナー契約を結んでないウマ娘。参加条件に自己PRと志望動機の提出を上げている。

 とはいえ今回は記念すべき1回目だ。

 見込みのありそうなウマ娘に声を掛けて協力を促していると、何処から情報が漏れたのか。模擬レースへの参加希望するウマ娘が次から次へと溢れ出して、結局、レースは条件を変えて3回も開催する羽目になってしまった。

 芝1600メートル、芝2400メートル。ダート1600メートル。

 これで3レース共に16頭立てが組めるのだから、どれだけトレセン学園のトレーナーが不足しているのかよく分かるというものである。

 後は片っ端から声を掛けるだけだ。

 模擬レースに参加するウマ娘の他、私の指導を受けるウマ娘達と手分けして100近くもあるプレハブ小屋を巡っては手製の資料を手渡す。

 内面はさておき表向きは私達のことを邪険に扱う人は少ない。

 とはいえ実際に来てくれるのは何人になるか。10人も居れば大成功、2、3人も居れば良い方だと思ってる。

 最悪は誰も来ない事だが、可能性としてはない訳ではない。

 

 ……この行為にどれだけの意味があるのか分からない。

 トレセン学園が提供する機会として、トレーナーがウマ娘をスカウトするのは選抜レースの時だけだ。

 他はウマ娘が直接、ウマ娘がトレーナーにアタックを仕掛けたり、偶発的な出会いによるものが多い。

 これがひとつの切っ掛けになればと思う。

 こういうウマ娘がいる事を知ってもらう事が大事なのだ。

 

 松葉杖を突きながらプレハブ小屋を巡っていると、ふと後ろから気配があった。

 振り返れば、手をワキワキとさせながら私の脚を狙う不審者が1人。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止のはずなんだけど?」

「いやいや、俺はトレーナーだ。それにしても良い脚をしているな、ちょっと確かめさせて貰えないか?」

「尻尾にリボンでも付けておいた方が良かったかな?」

 

 まあ松葉杖なので蹴れないのだけど、横目にプレハブ小屋を見るとチームスピカの表札が掛けられていた。

 

「ここのトレーナーさん?」

「ああ、そうだな。それにしても良い脚をしてるのに惜しいな。その怪我は何時治るんだ? トレーナーは居るのか?」

「……私の顔に見覚えは?」

 

 私の脚ばかりを見る変質者に顔を上げるように促せば、彼は私を見た後で気不味そうに目を伏せる。

 

「……そういうことか。すまない」

「申し訳なく思っているんだったら、これに来てくれると嬉しいかな」

「これは?」

 

 男は差し出された資料を手に取り、それをパラパラっと捲る。

 途中から真剣な眼差しで目を通し始めた。

 

「これは誰がまとめたんだ?」

 

 それは、これまでプレハブ小屋に回った時も何度か聞いた質問だった。

 

「私だよ」

 

 と慣れた調子で答えてやれば、男はじっと私を見つめて問いかける。

 

「俺のチームに入らないか?」

 

 流石にそれは初めてだ。

 

「私はもうレースには復帰できない身なんだけど?」

「そうじゃない。トレーナーの補佐としてウマ娘を支えていく気はないのか? これも他のウマ娘達の為に作ったものだろう?」

 

 パンパン、と資料を軽く叩きながら告げる。

 何処かのチームのトレーナーの補佐に就く事は考えていた。

 しかし、それは今ではない。

 そもそも私にも学ぶべき相手を選ぶ権利があるはずだ。

 

「チームスピカのトレーナーは新米だと聞いているけど?」

「経験を積むことも大事だと思うんだけどな」

「後ろから脚を触ろうとしてくる変質者はちょっと……」

「いやいやそれはトレーナーの性というか、やっぱり直に確認した方がだな……」

「ま、これだけのことを始めておいて、今更抜ける訳にはいかないでしょ」

「それもそうか」

 

 納得して頂けたところで「それでは」と次のプレハブ小屋を目指して松葉杖を両脇に歩き出す。

 

「ビゼンニシキ、他に行く宛がなければ俺が面倒を見てやる」

 

 それはきっと本心からの言葉だったに違いない。

 でも私には行く宛もあれば、最後の拠り所に出来る場所が2つもある。

 私は横目で背後に振り返り、にんまりと笑い返してやる。

 

「私、こう見えて結構モテるんで」

「……強いんだな」

「そりゃもう誰よりも」

 

 良い男はデートの誘いを断らないもんだよ、と最後に告げてから今度こそ次のプレハブ小屋を目指した。

 

 トレーナーは基本的に良い人が多い。

 それ故にウマ娘を預かるという意味がどういう事なのか弁えている。

 人一人の人生を預かるのだ。その重大さを理解すれば、生半可な覚悟でウマ娘を預かる事は出来る訳がなかった。

 それにトレーナーとは慈善事業でもない。

 ウマ娘に取らせてきた重賞とG1レースの数、オープンクラスまで押し上げたウマ娘の割合と数が実績になる。

 そして実績のないトレーナーに実力のあるウマ娘は寄り付かない。

 優しい世界にも、現実はある。

 現実が伸し掛かって来る。

 

 求めるだけでは意味がない。

 私達には双方の歩み寄りと新たな道の提示が必要なのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキが傍に居ない時の私は基本、無気力だ。

 レースを走り続けるのも親友の走りを見届けたかった為、少し目を逸らした隙に何処か遠くへ行ってしまいそうな彼女に置いて行かれないように必死で追い縋った。

 それだけだ、それだけの為に私、スズパレードは過酷な練習にも耐えてきた。

 ビゼンニシキは常に私の先を走っている。

 瞬きをする間にも小さくなる彼女の背中を私は必死に追いかけていた。私には到底、理解にも及ばないような高みを目指しているようなウマ娘だったから、私は彼女の背中を目指して走るだけで良かった。

 そんな彼女の背中は、今はもう何処にもない。

 親友が居なくなった後、私の心に残ったのは喪失感だった。

 胸にポッカリとした穴が空いてしまったかのような錯覚、今の私は何の為に走っているのか分からない。

 右も左も分からなければ、何を目標にして走っているのかも分からなかった。

 親友の背中を必死になって追いかけたのは、そこに親友が居たからだ。

 ビゼンニシキの居る場所が私の居場所だった。

 

 それでも私は走り続けている。

 走り続けるのは何の為か。

 雑念を振り切るように練習に打ち込んだ。

 胸に空いた穴を埋めるように鍛錬に勤しんでいた。

 

 ある真夜中の事だ。

 ふと眠れない夜に部屋を出る。月明かりだけが差し込んだ暗い廊下を歩いていると、自分以外のだれかの気配に気付いた。

 なんとなしに隠れてみると見慣れた顔、憎き面構えのシンボリルドルフの姿があった。

 ジャージ姿をした彼女を見て、こんな夜更けに何をしに行くんだろうと思って後を付けてみる。

 

 彼女は門限を超えているにも関わらず、学生寮の敷地内から出て行ったではないか。

 少しの逡巡の後、彼女の後を追いかけることに決めた。交通量の少ない道を直走り、暫くすると川沿いの道に出る。

 そこで何かをする訳でもなく、彼女は延々と川沿いの道を登り始めた。

 夜道、彼女を見失わないように、彼女に見つからないように適度な距離を保ちながら追いかける。

 それから、どれくらいの時間が過ぎたのか。

 延々と走り続ける彼女を途中で追い掛けることができなくなった。

 息が切れて、顎が上がる。脚は鉛のように重たくて、闇夜に消える彼女の背中を見送ることしかできない。

 どれだけ走り続けるつもりなのか。汗だくになった体で闇に包まれた道の先を見据える。

 

 こんな夜遅くまで鍛錬を続けているのか。

 荒い呼吸、肩で息をしながら自分と彼女との距離の差を再認識する。

 分かりきっていたことだ。

 私ではビゼンニシキが目指した先の景色を想像する事すらもできない。

 ビゼンニシキの好敵手はシンボリルドルフであり、シンボリルドルフの好敵手もまたビゼンニシキでしか成り得ない。

 私ではビゼンニシキの好敵手に足り得ない。

 勿論、シンボリルドルフの好敵手になることも無理だ。

 私は今、何処を向いているのだろうか。

 ビゼンニシキ、私は何処を目指して走れば良いのだろうか。

 どうして私は走り続けているんだろうか。

 

 意気消沈する日々が続いた。

 私ではどう足掻いても辿り着けない高みがある。

 ビゼンニシキの目指した先を見据えて、直向きに走って行けるのはシンボリルドルフだけだ。

 私ではない。鍛錬に身が入らない、それでも私は走り続ける。

 最早、トレーニングは逃げ道になっていた。

 

 そんな私を見るに見かねたのか、菊花賞を目指す前にニホンピロウイナーが1つの提案をしてきた。

 6月末に開催されるジュニアC組限定のレース。ラジオNIKKEI賞への出走、つまりは目先の目標を作ることで走ることへの意欲を繋ぎ止めようという話だ。

 その提案を私は2つ返事で承諾する。

 とはいえだ。

 目標を与えられたからと云って、すぐに気持ちの持ちようが変わる訳でもない。

 それでも目標があるから今日も今日とて練習三昧、重石付きのシューズを履いて、全力ダッシュを繰り返す毎日を送っている。

 私、スズパレードには足りていないものが多過ぎる。

 ビゼンニシキは勿論、シンボリルドルフと比べても何もかもが足りていない。

 私は全てを鍛え直さなきゃいけない。

 やるべきことは多い、やるべきことしかない。

 そのことは私にとって救いだった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 6月第4週、福島レース場。芝1800メートル、ラジオNIKKEI賞。

 ジュニアクラスC組(通称、クラシッククラス)に限定して開催されるGⅢレース。その開催時期から東京優駿に敗れたウマ娘、もしくは参加できなかったウマ娘が集うレースでもあり、古くは残念ダービーという俗称で呼ばれていた時期もあった。能力はあるが春のクラシック路線の重賞レースを勝てなかったウマ娘が箔付の為に参加することが多々ある。

 菊花賞を目指すことになる夏の上がりウマ娘とは、また一風変わったラインナップでも知られている。

 まあ残念ダービーという俗称があるようにラジオNIKKEI賞に参加するウマ娘は皐月賞や東京優駿に参加するウマ娘と比べて幾分か格落ちする。春のクラシック路線で良いところを見せられなかった私には丁度良いレベルなのかも知れない。

 そんな気持ちで出走したレース。私、スズパレードは集中力を欠いたままゲートを飛び出した。

 

『スズパレード1着! スズパレード1着! その差は2バ身か3バ身春、完勝です! クラシックを経て、念願の重賞レースを勝利しました!』

 

 勝ててしまった。思いの外、あっさりと。

 ポケッとした頭で控え室に戻るとニホンピロウイナー先輩が待ち構えており、私の姿を見ると嬉しそうな顔で私の頭に手を乗せる。

 わしゃわしゃっと髪の毛を乱しながら優しい声で告げる。

 

「格下相手ならこんなものよ。今の貴女には重賞を勝てる程度の力は備わっている」

 

 その言葉が、なんだか私の事を認めてくれているようで嬉しかった。

 次は菊花賞トライアルレース、GⅡセントライト記念。

 今の私が何処まで通用するのか分からない。この道が何処に繋がるのかも分からない。

 それでも、ぶつかってみようと思ったんだ。



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第6話:夏の上がりウマ娘

 ウマ娘界隈の素人にとって、7月から9月という夏真っ盛りの季節は箸休めの印象が残る。

 春のクラシックレースが終わり、春シニア3冠も幕を閉じる。これから先は菊花賞や秋シニア3冠に向けた準備期間であり、トレーニングに精を出すウマ娘も居れば、春に酷使した肉体の療養に当てる者も居る。ウマ娘の夏の過ごし方は千差万別、秋の勝利は夏で決まると云っても過言ではない。

 そして真夏の炎天下であってもレースは開催されている。

 

 ウマ娘界隈の玄人は知っている。

 既に勝負は始まっている、秋の火蓋は既に切られている。

 皆は以下のフレーズを覚えているだろうか。

 

 ――皐月賞は、最も速いウマ娘が勝つ。

 

 それはスピードが速いウマ娘という意味だけではない。

 最も成長の早いウマ娘。即ち、身体が出来上がるのが早いウマ娘が皐月賞を勝つと言われているが為の言葉だ。

 つまり菊花賞では成長が遅いウマ娘。所謂、晩成と呼ばれる者達が台頭し始める。

 古くはアカネテンリュウ、グリーングラス。共に春のクラシック路線には間に合わず、夏頃から台頭し始めたウマ娘である。

 ウマ娘界隈の玄人にとって、夏の上がりウマ娘は風物詩だ。 

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私の名前はニシノライデン、シンボリルドルフと同期である。

 身体が出来上がるのが遅かった為かメイクデビュー戦は遅れに遅れて、ジュニアクラスC組に進級してからになった。

 1月の初陣には勝利を飾ったが、続く1勝クラスのレースで苦戦を強いられて、3戦目でようやくオープンクラスに昇格する。この時点で3月も半ば、月末のオープン戦では勝利を飾ったが、春のクラシック戦線では皐月賞6着、東京優駿5着と掲示板に入るのが限界の戦いを強いられてしまった。

 トレーナーは善戦したって言ってくれるけども、勝負は勝てなきゃ意味がない。

 勝てなきゃ走る意味がない。

 

 先頭争いをするウマ娘っていうのは皆、輝いている。

 その中でもシンボリルドルフは同世代で別格に格好良いウマ娘だ。

 私も彼女と競ってみたい。

 この想いが憧れで終わるのは嫌だった。

 

 ある意味で安定した戦績を持つスズパレードはラジオNIKKEI賞で箔を付けた。

 だから次は私の番だと気合いを入れる。

 

「ねえねえ、トレーナー! トレぇーナぁーっ! 私も重賞レースに出ーたーいー!」

「ええ……今の時期にクラシッククラス限定のレースなんてありませんよ?」

「スズパレードも勝ったのに私だけ何もないなんてやーだー!」

 

 プレハブ小屋にて、困り顔の眼鏡トレーナーの服を掴んで揺すって強請る。

 私は弱い。夏に休んでいる暇なんてないのだ。

 

「まあ鉄は熱い内に打てと言いますか……」

 

 トレーナーは傾いた眼鏡を中指で直しながら告げる。

 

「試しにダートを走らせるのも悪くはないでしょう」

「……ダート?」

「距離的な問題もあったかも知れませんし……貴女の力を試すのに打ってつけのレースがありますよ」

 

 にっこりと微笑むトレーナーに「それ、なんてレース!?」と飛びついた。

 プロキオンS。ちゃんとGⅢの重賞レースだ! レースの名前も格好良い!

 ダート1400メートル。ダートは走った事ないけど行ける行ける!

 

「……ニア混合なので……てる見込みは……いですが……」

 

 何かトレーナーがポツリと呟いたけど私の耳には届かなかった。

 でもまあトレーナーが私に言わないってことは、きっと私が知る必要のないことだ。

 私はトレーナーの言う事を信じて、真っ直ぐに突っ走れば良いのだ!

 

「私、絶対に勝って重賞ウマ娘になるから!」

「ええ、期待していますよ。それはさておき外に寄れる癖は治しておかないといけませんよ」

「えっ? 私、真っ直ぐに走っているけど?」

「何時か大事にならなけば良いのですが……」

 

 私の走りを見ている時のトレーナーは時折、難しい顔をする。

 プロキオンS。勝って、格好良いウマ娘になるんだ!

 

 7月第1週、中京レース場。GⅢレース、プロキオンS。

 体格の大きな先輩のウマ娘に囲まれたレースは結果、5着という春のクラシック路線と大差ない結果に終わった。

 いや、おかしい。話が違ってる。距離は短いし、砂は走りにくいし!

 観客席に居るトレーナーが顎を撫でながら、ふむ、と何か納得したように頷いた。

 

「やっぱりシニアクラスが相手では難しかったようですね」

「話がちがーうーっ!」

「クラシッククラス限定のレースはないって言ったじゃないですか」

「……そうだっけ?」

「そうですよ。あと、やっぱりライデンは中距離芝が合ってますね」

 

 次は神戸新聞杯ですよ、と涼しい顔で告げるトレーナーをじとっと睨みつける。

 勝負は勝てなきゃ意味がない! 私、トレーナーの事を信じてたのに!

 

「とはいえシニアクラスを相手に掲示板内は予想外ですねぇ、嬉しい誤算ですよ」

 

 にんまりと意味深に笑うトレーナーに「次は勝てるレースに出してよね!」とぷんすこと文句を言ってやる。

 

「次は勝てますよ、ええ、勝てます」

「ホント!? ホントにホントだよね!?」

「ええ、本当に本当です。ちゃんと私の言う通りに走れば勝てますよ。それと今日も外によれていましたが……」

「真っ直ぐ走ったよ!」

「……はい、後で一緒に映像を確認しましょうね」

 

 なんだかあしらわれているようでムキャッと怒り散らかした。

 

 9月第4週、阪神レース場。

 ジュニアクラス限定のGⅢレース、神戸新聞杯。

 私は2着という結果に終わった。

 

「むっきゃー! 勝てなかったー! なんでー!?」

「外によれたからじゃないですかねえ?」

「真っ直ぐ走った!」

「あ、はい。……さておき今回はアタマ差なんですから成長していますよ」

「今までで1番手応えあったのに……もう終わりだあ! 私の競走生活はもう終わるんだあ!」

 

 控え室で四つん這いになって項垂れる。

 勝負は勝てなきゃ意味がない。2着も最下位も等しく同じ負けなんだ。

 もう私は生涯ずっと負け続けの生活を送ることになるんだ。

 負け犬ならぬ、負けウマ娘なのだ。

 ポロポロと涙を流して、己の弱さに絶望する。

 

「……次は10月末に開催される京都新聞杯です」

「皐月賞から半年、勝ち星のない私に価値なんてないんだあ……もう頑張っても無駄なんだあ……」

「GⅡレースです、スズパレードのラジオNIKKEI賞よりも上ですよ」

「……勝てたら格好良い?」

「ええ、格好良いですよ。スズパレードよりも余程、格好良いです」

 

 濡らした目元を服の袖で拭い取り、パンと両頬を叩いて萎えた心に喝を入れる。

 

「私、格好良い!」

「ええ、格好良いです」

「私、凄い!」

「ええ、凄いです」

「私、頑張る!」

「ええ、頑張ってください」

「私、次は勝つから!」

「ええ、期待してますよ」

「うおおおおおおおおおおおお! ファイッ、オー! ファイッ、オー! ファイ、オー私!!」

 

 気合を入れる為に控え室で咆哮した私は係員の注意を受けてしまった。

 

 10月第3週、京都レース場。

 ジュニアクラス限定のGⅡレース、京都新聞杯。

 遂に私は念願の重賞を制覇した!

 

「がでだああーっ! がでだよわだじぃぃ……っ!!」

「ええ、そうですね。よく頑張りましたよ」

「うええええん!! がでだよおおおお!!!」

「周りの目もあるので観客席にいる私を抱き締めるのは止めてくれませんか?」

「うええええ……うえっ、げっほごほ……うっぷ、おえっ……私、勝てたよおおお!!」

「ええ、勝ちました。おめでとうございます、落ち着いてください」

 

 半ば諦めの表情を見せるトレーナーを抱きしめて顔を擦り付ける。

 格好良い姿を皆に見せてあげてください。と頭を撫でられたので彼の胸元から顔を離すと、彼の衣服にくっついた鼻水がびろんと伸びた。トレーナーは溜息をひとつ、胸元から取り出したハンカチでチーンと私に鼻を噛ませる。

 

「皆、貴女を待っていますよ」

 

 そう言って背中を押されたので(ターフ)に戻った。

 これで晴れての重賞ウマ娘、観客席の皆に手を振って応える。

 みんなー、私やったよー! 私、格好良いよー!

 

 翌日、トレーナーに抱き着いた場面がウマ娘新聞の1面を飾った。

 他のスポーツ誌でも私の写真が載っていたが、ウイニングランやウイニングライブと別の場面であるにも関わらず全てが全て泣き顔のアップシーンで統一されていた。

 なんで、どうして? こんなの格好良くない!

 

「トレーナー! これ、おかしいよ!」

「勝利の涙、格好良いじゃないですか」

「格好良い? ホントにそう思ってる?」

「ええ、思ってますよ」

 

 彼は面倒臭そうな顔で缶コーヒーを啜る。

 

「思ってない! それ、絶対に思ってない!」

「おお、やっと気付きましたか」

「えっ!? それって今までも嘘吐いてたってこと!?」

 

 私、トレーナーの事を信じていたのに!

 トレーナーを信じてトレーニングをして、トレーナーを信じてレースに出て、そして勝ったのに!

 こんなんじゃ私、トレーナーの事を信じられなくなっちゃうよ!

 

「ライデンは格好良いですよ」

「うっそだー! 私、もう騙されないもん!」

「新聞の写真は情けないですが、走っている姿は格好良かったですよ」

「……ホントにホント?」

「本当に本当です」

 

 じとっと睨みつけてやれば、じっと私の目を見つめ返してくる。

 ……たぶん嘘は吐いてない。これで嘘を吐いてたら私、人間不信になる。

 ということはホントのホントに私は格好良かった!

 

「え〜へへ〜、そうでしょそうでしょ〜? ライデンは格好良いんだよ〜?」

「ええ、レース場で走る貴女は格好良いですよ」

「……なんか含みがあるような?」

「言葉通りの意味ですよ」

 

 嘘を吐いている気配はない。

 なら私は格好良かったということだ。

 ふふん、と鼻高々にどや顔を決める。

 

「それで次走なのですがシニアクラスリベンジということでチャレンジカップか中国新聞杯辺りを……」

「菊花賞!」

 

 ピンと手を伸ばして自分の意見をはっきりと告げる。

 

「……えっと?」

「GⅡに勝ったなら次はGⅠ! トーゼンでしょ、トーゼン!」

「シンボリルドルフが居るのですよ?」

「行ける行ける! なんたって私は無敵のGⅡウマ娘なんだから!」

「相手は無敗の2冠ウマ娘なんですが、それは」

 

 トレーナーは溜息1つ、珈琲を啜りながら暫し考え込んだ。

 

「……まあ、それが王道ですかね」

「王道!? なにそれ格好良い!」

 

 まだ悩んでいるトレーナーを尻目に「頑張るぞ!」と私は気合を入れ直した。

 皐月賞と東京優駿では辛酸を舐めさせられたが、あれから私は進化して重賞ウマ娘だ!

 ただの重賞ではない、GⅡである! 二段階進化だ!

 

「本当に出走するつもりなんですね?」

「モチのロン!」

「芝3000メートルですよ?」

「ヨユーよ、ヨユー! 餅は熱い内に搗けってトレーナーも言ってたじゃん!」

「打つのは鉄ですが、意味は通りそうなのがなんとも……」

「餅は熱い内に食べた方が絶対に美味しい!」

 

 無敵の私を止められる者は何処にも存在しないのだ!

 

「……やるからには徹底的に鍛えますよ」

「あれ? トレーナー、なんだか顔が怖いよ?」

「勝負は勝てなきゃ意味がない。そう言ったのは貴女じゃないですか」

 

 にんまりと悪い笑みを浮かべる彼の横顔を見て、私はまた何かをやらかしてしまった予感がした。

 菊花賞まで残り3週間、私は地獄を見ることになる。



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第7話:その身に神が宿る。

 7月の初旬、スズパレードがラジオNIKKEI賞に勝利した数日後の話になる。

 その時の私は最終調整を終えた資料をコピーする為に夜間のコンビニまで足を運んでいた。

 事のついでに買ったパピコを袋から取り出した時、私の直ぐ横をウマ娘が通り過ぎた。

 

 視界の端に捉えた鹿毛色の長髪、夜間でも分かる見なれた色彩に「おい、不良娘」と、つい声を掛けてしまった。

 ゆっくりと後ろを振り返るウマ娘は、やはり私の知っている人物で間違いない。

 まるで三日月のような白い前髪が特徴的な彼女の名前はシンボリルドルフ、今をときめく無敗の2冠ウマ娘である。

 

「こんな夜遅くまでトレーニングとは勤勉な奴だな」

 

 知らない仲ではない、今は好敵手ですらもない。

 気さくに声をかけてやれば、シンボリルドルフは怯えた顔で私を見た。

 どうしたのだろうか。

 やはり彼女ほどのウマ娘でも3冠へのプレッシャーは感じるものなのか。

 

「……ビ、ゼン、ニ……シキ……」

「流石の2冠ウマ娘様も校則には弱いのか?」

 

 仕方ない奴だな、と内心で思いながらパピコの袋を見せつける。

 

「奢りだよ、少し話に付き合ってよ」

「いや、私は……」

「私のアイスが食べられないっていうのかな?」

 

 こういう手合いには強引に攻める方が良いと相場で決まっている。

 御節介なら、それに越した事はない。

 半ば強引に連れ歩き、近場の公園にあるベンチに腰を下ろした。

 

「スズマッハって意外と手先が器用でリンゴの皮剥きがすっげぇ上手いんだよ。手術後に入院してる時に何度か剥いてもらったんだけどさ。彼奴、最初の時に何食わぬ顔でアーンとか言っちゃう訳よ。私、怪我をしてると言っても手は動く訳じゃん? あんまりにも堂々とやっちゃうもんだから写メを撮ったら顔を真っ赤にして怒っちゃってさ〜。写メを消せって、ずーっと迫られる訳よ。あ、その時の写メ見る? その場では大人しく消しといたけど、ちゃんとネット上に移しといてさ〜」

 

 他愛のない話をしていた。

 シンボリルドルフはパピコを口に咥えたまま物思いに耽るように顔を俯かせる。

 たぶん私の話は聞いていない。けど、場を濁すつもりで話は続けた。

 

「この前にスズパレードがラジオNIKKEI賞に勝った時の話なんだけどさ〜」

「ビゼンニシキは……」

「あいつ妙に自己評価が低いとこがあって、そりゃ、私と比べたら……ん?」

 

 シンボリルドルフは私を一瞥し、逡巡の色を見せた後で再び地面に視線を落とす。

 

「……模擬レースの話は聞いている」

「ああ、ルドルフの所のトレーナーって今、担当してるのは2人だけだよね? 良かったら来てくれるように……」

「随分と精力的に動いているんだな」

 

 ……会話が成り立たない。

 これは私が思っている以上に追い詰められているのかも知れない。

 まあ、それならそれで適当に話を合わせて聞き出すか。

 

「私の始めたことだしね、やるからには真面目に取り組むよ」

「ビゼンニシキは……」

 

 彼女は再び口を開いた後、下唇を噛み締める。

 急かさず、続く言葉に耳を傾けながら待ち続けた。

 数十秒か、数分か、妙に長く感じられる沈黙の後に彼女は口にする。

 

「……走ることに未練はないのか?」

 

 なんだそりゃ? いや、本人は真面目なんだろうけど。

 とりあえず言葉の裏を読み取ろうと試みる。

 これはどういう意図で発せられた問いかけなのか。

 ……もしかして気遣われている?

 

「あるよ、あるに決まってるじゃん」

 

 パピコを啜る。冷たい甘味に口内が潤うのを感じる。

 

「でも後悔はない、反省もしていない。あれが私の最善だったと今でも思っている」

 

 慎重に言葉を選びながら想いを口にする。

 走り切ったとは思っていない。私が目指した未来はクラシックレースの先にある。

 志半ばで私の道は潰えてしまった。

 未練はあって当然だ、問うまでもない。

 まだ走れるなら走っている。でも走れないのが分かってしまっている。

 本気で走れない脚になってしまった。

 

「私の想いに私の脚が付いて行かなかった、それだけの話なんだよ」

 

 リスクのある道を選び取り、それで失敗したのなら、その責任は全て選択した私だけのものだ。

 他の誰のせいでもない。私だけが背負うことのできる問題だ。

 そんな当たり前のことは口にするまでもない。

 

「……どうして、そこまで割り切れるんだ?」

「別に割り切ったつもりはないよ。今でも私は君と走りたい、もっと大きな舞台で走りたいと思ってる」

 

 想いの強さは時に奇跡を起こす。

 しかし私こそが想いの強さで奇跡を起こし続けて来たような存在だ。

 流石に、これ以上の奇跡は起こせまい。

 奇跡の代償が今になって訪れたと云うべきか。

 とにかく奇跡が期待できない事は感覚で分かっている。

 

「……お前は、私を恨んではいないのか?」

 

 なるほど、これが彼女が抱える問題の根幹か。

 さて、どう答えたものかと思案する。

 慎重に、ゆっくりと言葉を掬い取りながら答える。

 

「レースっていうのは1人で走るものじゃないんだよ」

 

 私は夜空を見上げた。夜空に輝く星々に手を伸ばしながら語り続ける。

 

「ウマ娘がトゥインクル・シリーズで走るのは平均で4年、長くても5年が限度だ。早いと3年で姿を消すウマ娘も多い。そんな短い期間で世代交代が行われる界隈で、私達は今を全力で走り続けているんだ」

 

 未練はある、本当はもっと走りたかった。

 まだ私は何も為しえていなかったのだから、未練はあって当然だ。

 それでも次を見据えられる事には理由がある。

 

「私は短い期間しか走れなかったし、きっと私の名前は直ぐに膨大な歴史の中に埋もれる事になる」

 

 掴み損ねた星々は、なんと心惜しい事か。

 今でも、ふとした瞬間に足を引っ張られそうになる。

 まだ過去を振り切れている訳ではなかった。

 

「それでもだよ」

 

 後顧の憂いなく未来を見据えられる事には理由がある。

 

「私が走った事には意味があると信じている。たったの数年という短い期間で頻繁に世代交代が行われる界隈だからこそ、受け継がれるものがあると信じている。過去から現在、現在から未来へ。私の走りは同世代は勿論、次なる世代に影響を与えて更なる高みへと押し上げるものであったと信じている。終わった今だからこそ言える。私達は皆、過去と未来を繋ぐ橋渡しなんだよ」

 

 そう思う事で私は過去を切り捨て、未来を見る事に成功した。

 ふと視線を落とすと嘗ての好敵手がポカンとした顔で私の事を見つめていたから、その胸に拳を突き立てる。

 にんまりと笑みを浮かべて、精一杯の激励をしてやる。

 

「走れ、ルドルフ。何処までも、そして何時の日か走り切った先で見えた景色を教えて欲しい」

 

 シンボリルドルフは強い。

 そう信じているから夢を託すことができるのだ。

 今日は良い夜だ。月が綺麗に思えるよ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ビゼンニシキと別れた後、私は草陰で吐いてしまった。

 私は頑張らなくてはならない。ビゼンニシキの名に恥じぬように、更なる努力が必要だ。

 裏切れない夢を託された。

 もっと強く、もっと完璧に、絶対は此処にある。

 彼女の分まで走って、走って、走り続けて、更なる高みへと駆け上がる。

 裏切りたくない約束があった。

 何時の日か、ではない。今からだ、今この場から私は絶対になる。

 

 最早、私の為だけではない。

 託された数多の夢を背負って、打ち砕いた数多の想いを受け継いで、私は走り続けなくてはならない。

 それが私という莫大なる才能を持って生まれた者としての責務だとも思った。

 

 その日から世界が変わって見えた。

 一寸先も分からぬ暗闇の中を踏み締めて、更なる先を目指して踏み越える。

 立ち止まる訳には行かない。

 如何なる困難があったとしても、私は踏み留まる訳には行かなかった。

 強くなる。

 もっと、もっとだ。

 高みを目指して走り続ける。

 

 大切なものだけを胸に抱いて、ひたすらに強さを追い求めた。

 余計なものが削ぎ落とされる。

 どれだけの月日が過ぎたのか分からない。不眠症は変わらず続いている。

 気付いた時には、もう次のレースは間近まで迫っていた。

 

 負けられない戦いが続いていく。




ビゼンニシキ(よし、 楽しく話せたな)


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第8話:絶対は此処にある。

 夏の猛暑を乗り越えた9月の半ば、

 私、ビゼンニシキはトレーニング用のトラックコースで未勝利ウマ娘による模擬レースを眺めている。

 観戦用ではなくて、トレーニングとしての模擬レースだ。

 

 私の指導を受けようとするウマ娘は意外と多い。

 数にすると50人近くものウマ娘が指導を受けており、7月を終えた時点で5人のウマ娘が未勝利を脱した。

 彼女達には元から未勝利を勝てるだけの実力が備わっていただけの話だと私は考えるが、彼女達はそうとは思っていないようで私が見るウマ娘の数は次から次に増えていった。

 本当は未勝利クラスのウマ娘をメインにするつもりだったのに未勝利戦を勝った後も私の指導を受け続けたいと云うウマ娘が居て、それなら私もという話の流れで今も指導は続けている。そうなってくるとプレオープンクラス*1のウマ娘までもが私の指導を受けたいと足を運ぶようになり、ちょっと収拾が付かなくなってきた。今は未勝利クラスのウマ娘を優先的に指導し、余った時間でプレオープンクラスのウマ娘を指導する形を取っている。

 これで文句をいう奴は来なくても良いし、さっさと他のトレーナー探しの旅に出て行って貰いたい。

 

 模擬レースは概ね成功と言っても良い結果に終わった。

 訪れたトレーナーは6人と多く、引き取られたウマ娘は3人だ。オープンクラスのウマ娘のトレーニング相手という意味合いも強かったが、それでも3人は快く受け入れて、今はオープンクラスのウマ娘を相手に併走をしながらオープンクラスを目指している。

 中には私を勧誘しようとした不届き者――チームスピカのトレーナーとか――も居たが、丁重に断っておいた。

 

 走るウマ娘として引退した後のセカンドライフは順風満帆、というよりも順調過ぎて忙しいくらいだ。

 今日も今日とてホームセンターで購入したキャンプ用の折り畳み椅子に腰を下ろして、自前のノートパソコンに数字を打ち込む作業に明け暮れる。

 こうやってデータを比較していると、どういうウマ娘が勝ちやすいのか分かって楽しくなってくる。

 無論、データはデータ、参考程度に留めておくのが肝要だ。

 数字弄りは趣味に留めておくのが良い。

 

「随分と順調そうじゃねぇか」

 

 エンターキーをターンと気持ちよく叩いた直後に話しかけられた。

 ちょっと恥ずかしい。後ろを振り返ると見慣れた顔、カツラギエースがノートパソコンを覗き込んでいる。

 首を横に振った後、彼女は缶珈琲を私に手渡した。

 

「心配で来てみたが、いらぬお節介だったようだな」

「週に一度、来る度に同じことを言ってるの気付いてます?」

「もうちょっと可愛げのある後輩なら見舞いに来る気概も出るんだがな〜」

「私の心配よりも自分の心配した方が良いですよ」

 

 高松宮記念を見ましたよ。と告げれば、彼女は罰が悪そうに顔を背ける。

 

「仮にもGⅠウマ娘が8頭立てのレースで5着とか恥ずかしくないんですか?」

「本番じゃないから良いんだよ。秋の天皇賞を見てやがれよ」

「その言葉をしっかりと覚えておきますね」

 

 にっこりと笑えば、可愛くねえ後輩だ。と改めて不貞腐れた。

 頂いた缶珈琲を啜る。ほっこりと温かい、心に染み入るようだ。

 

「そろそろ秋が始まりますね」

 

 照り付ける太陽の光はまだ暖かく、しかし風は少し涼しくなってきた。

 随分と過ごしやすくなってきたような気がする。

 脚のギブスは取れている、軽く走ることもまだ難しそうだ。

 脚に負担を掛けないようにセグウェイで移動する毎日を送っている。

 

「マッハとスズパレードはセントライト記念への出走を決めたよ」

「あれ、確かセントライト記念ってルドルフも出ますよね?」

「スズパレードの方は2200メートルで通用しなければ、3000メートルという長丁場でルドルフには勝てないって言ってたらしいな。マッハの奴は……どうなんだろうな、あいつ。ルドルフが出走するって知ってから決めてたぞ」

「……マッハとルドルフって因縁ありましたっけ?」

「知ってる限りではダービーで2着を取ってるくらいだな。まあ私の知らないところでなんかあるんだろ」

 

 カツラギエースは、興味なさげに答えた後で私を見る。

 

「正直な話、お前の同期でシンボリルドルフに勝てる奴って居るのか?」

 

 その問いに私は溜息ひとつ、零してから答える。

 

「中距離でルドルフに勝てる見込みのある同期は1人も居ませんよ。正直、別格です。短距離マイルでハーディービジョン、2800メートル以上の長距離で可能性があるくらいです。というか今のトゥインクル・シリーズでルドルフの対抗になれるウマ娘って片手で数え切れる程じゃないですか?」

 

 ミスターシービー、カツラギエース、ニホンピロウイナー、辛うじてスズカコバンとハーディービジョン。うん、他に思い当たるウマ娘が居ないです。

 

「まったく難儀なもんだよな。どうして俺の時代に3冠を取れるウマ娘が2人も登場するんだか」

「ラギ先輩のクラシック路線は駄目駄目だったのでノーカンですよ。むしろシービー先輩が戦線を離脱している時期に大阪杯と宝塚記念を勝ってるんですから運が良い方です」

「お、言ったな?」

「秋の天皇賞にはシービー先輩も間に合うみたいなので是非とも見返してください」

「おうよ、見返してやっから見てやがれ」

 

 ドンと自らの胸を叩いてみせる先輩を横目に「楽しみにしてますよ」と笑みを零す。

 同時期に2人もの3冠に届き得るウマ娘が存在する私達の時代は、ウマ娘史上でも特別なんだと思った。しかしTTGやハイセイコー、シンザンを思い浮かべて考えを改める。特別じゃない時代なんて何処にもない、その時代を全力で駆け抜けたウマ娘が居る限り、きっと積み上げれた歴史の何処を抜き取っても特別な時代に巡り合うことができる。

 古き良きを尊重し、新しい今を享受する。あの時代でしか成し得なかった想いがある、背景がある。それを否定する事なく、胸に抱いて常に未来を見つめ続ける。素晴らしいのは過去ではない、素晴らしいのは未来ではない。過去の名ウマ娘に憧れて、過去の名レースに胸を高鳴らせて、まだ見ぬ未来へと全力で駆け抜ける姿こそが素晴らしいのだ。そういう姿に私達は心を打たれる。過去から現在、現在から未来へ。誰かの想いを託されて、誰かへ想いを託す。

 だからこそ、私達は何時だって今この瞬間こそが最高であるべきなのだ。

 

 ネタバレですが、ラギ先輩は秋の天皇賞で5着になります。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 9月第4週、中山レース場。

 菊花賞トライアルレース、GⅢセントライト記念。

 芝2200メートル。

 

 パドック会場にて、シンボリルドルフは観衆の前で大きな欠伸をしていた。

 肌艶は悪くて、心なしか髪もボサボサだ。普段の凛とした面構えは何処吹く風よ、その見窄らしい姿に会場中が困惑する。

 明らかな調整不足、覇気も闘志も見せぬ無敗の2冠ウマ娘の姿に非難はトレーナーへと飛んだ。

 しかしトレーナーもまた不動の構え。

 目元に隈を作った異様な姿、視線だけで周囲を威圧した後、向けられたマイクに向けて1言だけ告げる。

 

「レースには絶対はありませんが、ルドルフには絶対があります」

 

 それは自信の表れか、もしくは虚勢に過ぎないか。

 ただ、その場にいた全員が同じ事を思った。

 彼女は本心から言っている。

 今までとは、まるで違ったシンボリルドルフの陣営に唾を飲み込んだ。

 

 レース会場、トラックを走る姿に覇気はなく、目は虚ろだ。

 準備運動も程々に、歩くのも覚束ない様子であった。

 紛れもなく、ルドルフは調整に失敗している。

 今までシンボリルドルフの圧倒的な才能を前に平伏してきたウマ娘達に希望が差した瞬間だった。

 各ウマ娘が準備運動を終えてゲート前に集まる。

 鼻息荒く、クラシック最後の栄光を掴む為に気合いを入れる。

 

 ――パリ、と音が鳴った気がした。

 

 ゲート入りの瞬間、空気がひりついた。

 静電気を纏うように肌の表面が刺激される錯覚、ウマ娘の全員が薄らと背筋に寒いものを感じ取る。

 それは観客席でレースを見守るウマ娘をも怯えさせた。

 呼吸が細い、空気が寒い。手が震える。カチカチと奥歯が鳴る。

 

 5枠5番。自らのゲートを目前にシンボリルドルフの纏う気配が変わっていた。

 

 カサついた肌にボサボサの髪、しかし瞳だけは鋭い輝きを放っている。

 パリ、と空気が弾ける音がする。

 ゆっくりと吐き出される息は白色に染まり、抜き身の殺意はただ一点、ゴールに向けられていた。

 その余波を受けて、周囲のウマ娘が震えている。

 洗練された殺意に走る前から戦意を消失する者すらも居た。

 観客席にいるウマ娘の一人が呟いた。

 

 ――皇帝が居る、あそこには皇帝が居る。

 

 シンボリルドルフを除き全員の顔から血の気が引いていく中で、

 ただ1人、3枠3番のスズマッハが涼しい顔で話しかける。

 

「無作為に周囲を威圧して……無敗の2冠ウマ娘ともあろう方がみっともないですね〜」

 

 ねえ、知ってるかな。と蠱惑的に笑って耳打ちする。

 

「シキ、泣いてたよ。もっと走りたかったって、一度だけ病室で泣いてたことがあるんだ」

 

 ――絶対に許さない。

 

 その言葉を最後にスズマッハはシンボリルドルフの側を離れた。

 シンボリルドルフはゲートを前に茫然と立ち尽くす。

 係員の手により、されるがままゲートに収まる。

 レース開始のファンファーレが鳴り響いた。

 

 シンボリルドルフは、大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。

 

「唯一抜きん出て、並ぶ者なし。私の隣を走って良いのは……」

 

 ゲートが開け放たれた。

 

 シンボリルドルフが、逃げた。

 余りにも速い飛び出しに誰1人として止めることはできず、追い掛けようとする者も居なかった。

 後続とは大きく距離を開いて、4バ身、5バ身、6バ身、自棄になっとしか思えないシンボリルドルフの逃げに観客席は阿鼻叫喚、実況と解説ですらも困惑して、まともに状況を説明できない有様であった。秋シニア3冠で最も警戒すべきクラシッククラスのウマ娘という事で様子を見に来ていたシニアクラスの有力ウマ娘達ですらも言葉を失っている。

 これだけの逃げレース、如何にシンボリルドルフと云えども最後まで保つはずがない。奇を衒った作戦ならば警戒に値するまでもない。しかし、本当にシンボリルドルフはその程度の存在なのか。あのシンボリルドルフならば保たせることができるのではないか?

 想起されるはシンボリルドルフのトレーナーの言葉。

 

 ――レースには絶対はありませんが、ルドルフには絶対があります。

 

 最終コーナーを終えた最後の直線、シンボリルドルフのトレーナーは観客席でポツリと不機嫌に呟いた。

 

「ルドルフに逃げなんて、ある訳ないじゃないですか」

 

 加速する、引き離した後続を更に引き離して加速する。

 

「……知らない、こんなのは知らない。確かに圧倒的だった。でも、此処まで圧倒的じゃ……」

 

 偶々、ハイセイコーと一緒に中山レース場に来ていたハッピーミークが狼狽する。

 前世の競馬を知る彼女が未知の体験に身震いする。

 引率していたハイセイコーですらもレース上に漂う異様な恐怖に冷や汗を流す。

 中山レース場では、異常事態が発生していた。

 

 後続との差は10バ身以上、まだ加速する。更に加速する。

 

 トレセン学園の食堂の前でビゼンニシキが歯噛みする。

 やってくれたな、と。NHKマイルCで魅せた私以上の伸びを見せつけてくる。

 2200メートルという距離を終始、彼女は先頭のまま駆け抜ける。

 

「もう世界まで行っちゃえよ、バーカ」

 

 そんな元好敵手の投げやりな言葉に後押しされるように最後の追い込みを仕掛ける。

 その瞳は何を見ているのか、何処を目指しているのか。まだだ、まだまだ、奴ならまだ先を走るとシンボリルドルフは加速し続けた。

 先頭をシンボリルドルフがポツンと1人。文字通り、後続は誰も追い付けない。

 

 シンボリルドルフは差し切ってゴール板を駆け抜けた。

 最初からシンボリルドルフは逃げたつもりはない。少し先行してみただけだ。

 NHKマイルCで見た好敵手の逃げて差す姿を知っていたから、何時もの位置では差し切れないと先行した。

 その結果がこれだ。

 シンボリルドルフの圧倒的なウマなりの速度に誰1人として付いて行くことが出来なかった。

 これは、それだけの話である。

 

「……こんなの、勝てる訳がない、じゃん…………」

 

 乾いた笑い声が零れる。最後のコーナーを曲がった所で何段にも加速するシンボリルドルフの遥か後方を走っていたスズパレードの心がポッキリと折れる。

 他のウマ娘も似たような面持ちの中で、ただ1人。歯を食い縛って最後まで駆け抜けるウマ娘が居た。

 

「まだ……まだ菊花賞まで時間はあるんだ! 絶対に、絶対に……3冠は渡さないから!」

 

 大きく遅れてスズマッハがスパートを掛ける。

 その距離は余りにも遠過ぎた。

*1
1勝クラスから3勝クラスまでのウマ娘の総称。




因子継承。


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第9話:このウマ娘、天皇賞(秋)で5着なんですよ。

 10月の第1週目、東京レース場。GⅡ毎日王冠。

 秋の天皇賞に対するステップレースに指定される本レースは、シニアクラスの有力ウマ娘がこぞって参戦し、秋のシニア路線を占う重要なレースと認識される事が多い。

 とはいえだ、今年は前年度の3冠ウマ娘であるミスターシービーが春と夏を乗り越えた復帰戦に選んでおり、ミスターシービーの対抗1番手を担うカツラギエースも出走していた。この2人に対抗するのはシニアクラスに上がってから徐々に頭角を見せ始める晩成ウマ娘のトウショウペガサスの他、地方からの刺客であるサンオーイくらいなもので、大抵のウマ娘は出走を回避してしまっていた。

 GⅡという重賞レースにしては、9頭立てのレースと寂しいものになっている。

 それだけミスターシービーとカツラギエースの実力が抜けている証左であるとも云えた。

 

 このレースはアタマ差でカツラギエースが勝利した。

 

 それからミスターシービーは本番である秋の天皇賞に向けて、調整をしていた時期の話になる。

 ウマ娘用のトイレで用を足していた時の事、隣の個室からノックされた。

 

「シービー、居るのか?」

「その声は、ラギ?」

 

 どうしてトイレをしている時に話かけて来るのだろうか。

 時と場所を考えて欲しいと思いながら返事をするとカツラギエースは神妙な声で語り掛けてくる。

 

「秋の天皇賞の出走表を見てきた」

「あら、どうでした?」

「俺とお前……」

 

 カツラギエースが1呼吸置いてから意を決して口を開く。

 

「最後の直線で一騎打ちになる」

「!?」

「でも俺、負ける気ないから……ワンチャン、ひょっとしたら次は行けるかもよ?」

 

 少し浮ついた声色で彼女は語る。

 確かに最近、カツラギエースの調子は良い。本番に弱いというのも今は昔、クラシック路線では私の圧勝だけど勝負の行方も今度ばかりは分からない……!

 強気な彼女の言葉に思わず、笑みを零す。

 シンボリルドルフという強敵は居ても、私の好敵手と呼べる相手はカツラギエースただ1人だけだ。

 

「毎日王冠は譲っても……秋の天皇賞までは負ける気ないわ」

「どっちが負けても、気持ちよく相手を讃えようぜ!」

 

 秋の天皇賞は俺達のワンツーフィニッシュだぜ!

 

 10月末、東京レース場。秋の天皇賞。

 ミスターシービーは約1年ぶりのGⅠレースに差し切って勝利した。

 2着には半バ身差でテュデナムキング、3着には更に半バ身差でロンググレイス。ハナ差でトウショウペガサスと続き、その後でようやくカツラギエースの番号が掲示板に乗った。確かに最後の直線には残っていた。しかし最後の直線で踏ん張りが効かずに垂れて、ミスターシービーだけではなく他3人にも抜かれてしまったのだ。

 ミスターシービーは呆然と掲示板を見上げているカツラギエースに声を掛けようとした。

 私達でワンツーフィニッシュを決めるのではなかったのかと、ちょっとした悪戯心も込めて話しかけようとしたのだ。

 

「ぶるる? ぶるっふん! ぶるるふぅん……」

 

 うわっ、この子。顔真っ赤ですよ。

 ちょっと弄ってやろうかと思っていた心が、気の毒な気持ちに押されて消えてしまった。

 なんて声を掛けたら良いのか分からない。

 

「なんか抜いちゃってすみません」

 

 そういったのはトウショウペガサス。いや、別に貴方は何も悪くないんですよ?

 自分よりも順位が上のウマ娘に情けを掛けられている好敵手の姿を眺めていると、横から2着を取ったテュデナムキングが爽やかな笑顔で私に話し掛けてきた。

 

「いやー! 流石にクラシックで活躍するウマ娘には敵いませんね!」

 

 うん、ちょっと君は空気を読んでくれません?

 カツラギエースは別に活躍してない訳じゃないんですよ。ちゃんとクラシック路線でも重賞を2つも勝ってる実力ウマ娘なんですよ?

 好敵手はプルプルと身を震わせた後、ぶるっふぅん! と息を吐き出して先着した2人を見つめる。

 

「テュデナムキング、ロンググレイスか。シービー……気を付けろよ。あいつら結構やるぜ」

 

 振り絞るような声で負け惜しみ口にする彼女の姿は、哀れにしか思えなかった。

 勝ってるんだけどね、私。

 

 尚、テュデナムキングとロンググレイスは以後のレースで3着以内に入る事なく引退した。

 そして華麗にスルーされたトウショウペガサスはマイル路線でニホンピロウイナーやハーディービジョンと勝ち負けする活躍を見せることになる。

 カツラギエースは後に語る。

 

「ワンチャン……か。クラシック3冠レースの時も……ワンチャン狙ってたんだけどな」

 

 カツラギエース、心の折れないウマ娘である。




秋天トイレ事件。


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第10話:短距離マイル戦線

遅れて申し訳ありません。
リアルで忙しい事になっていました。


 ミスターシービーとカツラギエースが秋のシニア路線を賑わせている頃、短距離マイル路線でも大きな動きがあった。

 10月第1週、中山レース場。スプリンターズS。丁度、カツラギエースが毎日王冠に出走していた頃の話になる。

 

 私、ハーディービジョンは再びGⅠレースの舞台に立っている。

 NHKマイルCで古傷を悪化させた私は、夏の間は再びリハビリに励んで9月開催のセントウルSに出走した。

 シニアクラスに混じっては初めてのレースだったが、辛うじての2着で善戦することは出来た。スプリンターズSのトライアルレースでもあったセントウルSで2着に入着したことで当レースの優先出走権を得て出走している。

 パドック会場は盛り上がりはいまいち欠けている。それはマイルの帝王と呼ばれたニホンピロウイナーが大事を取って、GⅠレースの出走を回避した為だ。九月半ばに行われるチャレンジカップを経て、10月末のスワンSに出走。前年度に優勝したマイルCSの連覇に照準を定めている。

 私に勝ったビゼンニシキは怪我で引退し、ニホンピロウイナーも出走しない。

 主役の居ないGⅠレース。ウマ娘ファンの間では、そう揶揄されているのを私は知っている。

 そして私の人気も低い。前走のセントウルSではNHKマイルCの失態が祟ってか10番人気、そして今回も8番人気と期待されていない面子の中で更に期待されていなかった。

 まあ良い、関係ない。

 私は愚昧な大多数よりも、見る目のある少数を尊重する。

 無理をして、馬鹿やって競争能力を喪失した莫迦なんて今日にでも忘れさせてやる。

 NHKマイルCで万全だったなら私が勝っていた。万が一もない、私が勝っていたことを教えてやる。

 ニホンピロウイナーにしてもそうだ。マイルの絶対王者だかなんだか知らないが、今年からの主役は私だってことを教えてやる。

 戦線を離脱した者にもうレース場に居場所なんてないことを教えてやる。

 ロートルは新しい世代に居場所を追いやられるものだと教えてやる。

 

 ゲートに収まって態勢完了、意識を高める。

 全身の体温が上がっていくのが分かる。短距離決戦は集中力を高めると同時に姿勢を低くする。

 勝つ、勝つさ。勝ってみせるさ。

 ゲートが開くと同時に、今日、改めて未来に向かって駆け出した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『最後方からバ群の中を通ってハーディービジョンが抜けて来た! 前を走るはハッピープログレス! 若き王者の誕生か!? 遅咲きマイラーの悲願が叶うか!? ビジョンか!? プログレスか!? 届くか、届いたか!? いや、粘る! 粘ります! アタマ1つ分を残して、ハッピープログレス!!』

 

 テレビ画面に映されるのはハッピープログレスとハーディービジョンが並んでゴール板を駆け抜けた姿だった。

 ハッピープログレスはシニアクラスに入ってから重賞レースに出走するようになり、去年の夏頃から短距離路線で頭角を表した有力ウマ娘の1人だ。今年の春には高松宮記念、安田記念と2つのGⅠレースを取っている。

 ウィナーズサークルで行われた勝利インタビューでは、最優秀短距離ウマ娘の称号を取ると豪語した。

 それはつまりニホンピロウイナーに対する宣戦布告である。

 

 ……やっぱり、レースは良い。

 最後の接戦は心が滾り、無意識に拳を握り締めていた。

 怪我をしてもレースに関われる事は、きっと幸福なことなんだと思う。

 私、ビゼンニシキは珈琲を啜る。

 そういえば、近頃、スズパレードとスズマッハの姿が見当たらなかった。

 2人共に秋で忙しくなる頃合い、心配は無用か。

 それに私には私を頼ってくれるウマ娘が居る。

 私にはやるべき事がある。

 雑念を追いやって、数字を打ち込む作業に戻る。

 

「今からマイルチャンピオンシップが楽しみだね」

 

 気付けば、そんな事を呟いていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 また負けてしまった。

 ジュニアクラスとシニアクラスでは余りにもレベルが違い過ぎる。

 NHKマイルCの時はビゼンニシキだけを相手にしていれば良かったが、シニアクラスが混じるだけで全員を相手にしなくちゃいけなくなった。追い込み一気を仕掛ける時もジュニアクラスのウマ娘とは粘りが違っており、綺麗に抜かすことが出来なかった相手が何人も居た。対して私の先を走るハッピープログレスは差しウマ娘であるにも関わらず、私よりも遥かに早くバ群を抜けて、私がバ群を抜け出た頃にはもう随分と距離が空いてしまっていた。

 強いというよりも上手い。素質だけならビゼンニシキの方が強い、しかし彼女の強かなレース運びは私達とはレベルが違っている。

 これがシニアクラスか、これから先は彼女達を相手に戦わなくてはならないのか。

 

「今のままでは勝てない。先ずはそれを認めよう」

 

 悔しさを噛み殺し、大きく息を吐いた。

 ニホンピロウイナーの名前の影に埋もれていた彼女であったが、仮にも現在の最優秀短距離ウマ娘の最有力候補だ。今の短距離マイル界隈のトップレベルの強さを肌に感じ取ることが出来た、と前向きに捉えよう。

 速くならなくては、もっと、もっとだ。

 マイルCSでは彼女だけではなくて、マイルの絶対王者ことニホンピロウイナーも参戦する。

 時間が惜しい、早く学園に帰ってトレーニングをしたかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 10月末、京都レース場。スワンS。

 芝1400メートルの最後の直線をニホンピロウイナーが駆け抜ける。

 2着とは5バ身を超えて、6バ身、そして7バ身になったところでゴール板を横切った。

 そのポテンシャルを遺憾なく発揮して、余裕の勝利だ。

 故障明けとは思えない力強さを見せつける。

 

 ――マイルの絶対王者が(ターフ)に帰ってきた。

 

 そうウマ娘ファンに知らしめるのに充分過ぎる結果を残す。

 巷ではニホンピロウイナーとハッピープログレスの短距離最強ウマ娘論争が繰り広げられてきたが、実際に本物の走りを見ると意見が覆る。短距離マイルの舞台においてはニホンピロウイナーこそが最強、そう思わせるに足る説得力が彼女の走りにはあった。

 そんなことは分かっている。

 観客席から強敵の復帰を見て、拳に力を込める。

 

 ニホンピロウイナーの強さは肌身に染みている。

 私が何度、走ってきたと思っている。

 私が何度、負かされてきたと思っている。

 ただ走るだけなら私、ハッピープログレスがニホンピロウイナーに敵うことはあり得ない。

 

「それでも……」

 

 気付けば、呟いていた。

 そう、それでもだ。ウイニングランを続けるニホンピロウイナーを睨みながら続く言葉を口にする。

 

「……マイルチャンピオンシップは渡さない」

 

 前年度の短距離マイルの覇者が居ない中で、無双の活躍を続けても自分が最強だと思った事はない。

 それはニホンピロウイナーの存在を知っているからだ。もし彼女が万全の状態で高松宮記念、安田記念に臨んできた時、勝っていたのはニホンピロウイナーの方だ。

 レースに絶対はないが可能性として高いのは、間違いなく彼女の方になる。

 

 私は、誰かに持てはやされるような才能は持っていなかった。

 ジュニアクラスでは目覚ましい活躍を見せたが、クラシッククラスでは1度も勝つ事ができなかった。シニアクラスに上がった後で漸く勝利し、重賞も1つ制覇することができたが、2年目のシニアクラスではハギノカムイオーとニホンピロウイナーに才能の違いを見せつけられる。3年目になって、悲願のGⅠ勝利を果たすもニホンピロウイナーが骨折で離脱している時の話だ。骨折したのは相手の方だと言うのに、ウマ娘ファンからは空き巣扱いを受け続けてきた。

 それもあって短距離マイル路線は長らく、王者不在とされてきた。

 

「……ニホンピロウイナーが居れば、なんて事はもう言わせません」

 

 もう自分には勝つしかない。

 シニアクラスも3年目、トゥインクル・シリーズで走れるのは今年で最後になるはずだ。

 つまり次のマイルCSが雪辱を晴らす最後の機会になる。

 

 ニホンピロウイナーが居なくても私が勝ったGⅠレースは嘘ではなかったはずだ。

 高松宮記念、安田記念、スプリンターズS。

 私が勝ってきたレースを本物にする為にも、私は勝たなくてはならなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 復帰戦のチャレンジカップでは、アタマ差の勝利。

 次走のスワンSでは、7バ身差の圧勝。

 調子は万全、怪我をする前よりも強くなっていることを実感する。

 

 ……短距離マイル路線は人気が低かった。

 

 ウマ娘の花道と云えば、クラシック3冠だ。

 皐月賞、東京優駿、菊花賞。どれもが2000メートル以上の長丁場であり、秋シニア3冠や春シニア3冠のレースも距離の短いレースは1つもない。人気が集まるのは短距離マイルよりも中長距離のレースの方だ。

 その為か中距離や長距離を走れないウマ娘が短距離やマイルを走ることが多い。

 私、ニホンピロウイナーもその口で、皐月賞で最下位になった事で中長距離で大成する道を諦めた。

 しかし最初から私はマイル以下の距離では敵なしだと考えていた。3冠ウマ娘のミスターシービーやカツラギエースにも負けない自信があるし、シンボリルドルフが短距離マイル路線に参戦してきたとしても返り討ちにできる自信がある。

 逆に2000メートル以上の距離では、上記3名のウマ娘に勝てる気がしない。

 

 それは実力云々というよりも得意分野が違うという意味合いだ。

 私は短距離マイルが中長距離で失敗した落第者の集まりだとは決して思わない。

 クラシック3冠を目指すのは当然だ、それだけ注目度が違うのだ。

 クラシッククラス限定のGⅠレースで中長距離は5つもあるにも関わらず、短距離マイルのレースは2つしかない。クラシック3冠やトリプルティアラという称号があるにも関わらず、短距離マイルのウマ娘を象徴する称号は1つもない。

 これだけ扱いが違うのであれば、そりゃあ中長距離にウマ娘が集まるのも当然の話である。

 

 しかし私はまだ諦めた訳ではない。

 短距離マイルにも人を集めれば良いのだ。もっと短距離マイル路線に人気が出れば、短距離マイル路線を目指すウマ娘も増える。かつてハイセイコーが今のウマ娘ブームを作ったように、私もアイドルホースと呼ばれるほどの活躍を魅せれば良い。

 その為には記録が必要だ。

 マイルチャンピオンシップ3連覇、中央競馬で同一のGⅠレース3連覇の偉業はまだ誰も達成していない。

 私は短距離マイル路線の火付け役になる。

 

 調整は済んだ、調子も良好。

 あとは私の走りで短距離マイルを盛り上げるだけだ!



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第11話:燃ゆる秋

『もの凄い脚だ! 来たぞ来たぞ来たぞ! シンボリ来た! シンボリ来た!』

 

 11月第2週、京都レース場。クラシック3冠レースの終着点、菊花賞。

 最も強いウマ娘が勝つと云われるレースの直線でシンボリルドルフが最後の直線でスパートを掛ける。流石に3000メートルという長丁場を逃げるという選択は取らなかったが、それでも伸びる驚異の末脚。先頭を走るニシノライデンは全力で腕を振っているが、残念ながら切れ味はない。早仕掛けでシンボリルドルフよりも前に立ったスズマッハの脚にも何時もの伸びがなかった。

 唯一、シンボリルドルフの脚に付いていけたのはゴールドウェイ、懸命に追い縋るがもう一杯か。

 

『外からゴールドウェイ! しかし追いつけない、影すらも踏ませない! シンボリが先頭に立って、更に突き放す!』

 

 まるで予定調和とでもいうように2着以下を突き放して、その身を更に加速させる。

 これが王者の姿だと、そういうように一歩、地面を蹴る度に距離はどんどんと開いていった。

 正に圧巻、正に圧勝。

 誰もが勝利を確信し、2年続けての3冠ウマ娘の誕生を称えるように観客席から歓声が上がる。

 無敗の3冠ウマ娘の誕生は、ウマ娘史上これが初めてだ。

 

『大歓声だ、京都レース場! 赤い大輪が薄曇りの京都レース場に大きく咲いた! 3冠ウマ娘8戦8勝! 我がウマ娘史上、不滅の大記録が達成されました京都レース場!!』

 

 ゴール板を駆け抜けて、僅かの静寂。遅れて他のウマ娘達が駆け込んできた。

 文句なしの勝利にシンボリルドルフは、興奮が止まぬ観客席に立てた3本指を高々に掲げてみせた。

 生きる神話、伝説が誕生した瞬間である。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 俺、カツラギエースはジャパンカップまで残り2週間で最後の総仕上げの真っ只中であった。

 東京にあるトレセン学園から京都レース場まで足を運んでいる余裕はなく、トレーニングの休憩時間を使って、菊花賞のラジオ放送に耳を傾けている。1着は言わずもがな。ゴールドウェイが意地を見せた2着、夏の上がりウマ娘であるニシノライデンが3着。そしてセントライト記念の雪辱に燃えるスズマッハは4着と続いている。

 妹分のスズマッハは思ったよりも健闘した方だと思う。長距離の適正がない訳ではないが、得意と言う程でもない。実際、最後の末脚勝負で脚を使い切っていた。それでも粘って掲示板内に収めたのは素直に讃えられるべきだと思っている。

 帰って来たら慰めるか、それとも褒めてやるべきか。その時の顔色で対応を変えようか。

 

 そんなことを考えながらトレーニング用のトラックコースを眺めていると見た顔が思い詰めた表情で走っている姿が見えた。

 正直、言葉を交わした事はほとんどない。しかし放っておくのも気分が悪い。なんせそのウマ娘はいけすかない方の妹分であるビゼンニシキの友達なのだ。……まあ悩むくらいなら声を掛けてから考えるのが良い。それで駄目なら諦めも付くし、後に引かずに済む。

 そう結論を付けた後、彼女がトラックを一周して戻ってくるのを待ってからコースに出た。

 

「随分と辛気臭い面で走ってるじゃねえか。確か、えーっと、スズパレードつったっけな?」

 

 声を掛けると頭にキノコでも生やしそうな陰鬱な面構えで見つめ返された。

 

「……菊花賞、どうせシンボリルドルフの圧勝だったんですよね?」

「まあ、そうだが……」

「ふふっ、やっぱり……努力をしたって無駄なんだ……」

 

 ぶつぶつと呟きながらコースに戻って行った。

 なんだ、あいつ。怖いな。11月の頭にオープン戦で勝ってた気がするんだけどな。

 後でビゼンニシキに伝えておこうか?

 

 その翌日、目の周りを真っ赤に腫らしたスズマッハを出迎える。

 大舞台で勝てなかった時の悔しさは俺も重々に承知している。

 とりあえず労いの言葉の1つでも掛けてやろうか。

 

「よく頑張ったな」

 

 ポンと肩を叩いてやれば、急にスズマッハがぷるぷると震え出した。

 

「私、また勝てませんでした……」

 

 そう云うと目からポロポロと涙を零れ出した。

 嗚咽を零しながら目元を抑える後輩の姿に周りのウマ娘からヒソヒソとした声が聞こえてくる。

 

「カツラギエースさんがまたウマ娘を泣かしたんですって」

「あらあらやだやだ卑しか女ばい」

 

 違うんです。泣かしたつもりはないんです。冤罪なんです、本当なんです。ちょっと気遣ったつもりで話しかけると泣いちゃう子が時折、居るだけなんです。

 とりあえず此処は場所が悪い。落ち着いた場所で話を聞こうと思って此処から離れようと彼女の手を引いた。

 

「まぁたカツラギエースさんが部屋に連れ込もうとしていらっしゃいますわよ」

「あらまあおやまあ卑しか女ばい」

 

 周りの声を無視して、プレハブ小屋に押し込んだ。

 話を聞けば、どうにもシンボリルドルフとの実力差に打ちのめされているとの事だ。

 まあ俺も才能の違いを感じた事はある。ニホンピロウイナー然り、ミスターシービー然り、誰しもが才能の違いを感じるものだ。特にミスターシービーなんて短距離マイル路線にはニホンピロウイナーが居るっていう理由もあってクラシック路線にしがみついている癖に3冠なんてやっちまうんだぜ。元からクラシック1筋の俺とかバカじゃねえのって思ってしまう訳ですよ。本来の自分の得意距離はマイルだと聞いた時はもうバナナかと、アボカドと。菊花賞で大敗した俺とか距離を言い訳にできないじゃん。嫌味でしかないですよ、ほんと。

 スズカコバンに俺達は仲間だなって視線を向けたら、一緒にしないで貰えます? って感じで不快感たっぷりに睨み返された。

 ともあれだ、スズマッハの肩を叩いて慰めの言葉のひとつでも掛けてやる。

 

「あいつ、ジャパンカップも出てくるつもりなんだろう? 次のジャパンカップで俺が仇を取ってやるよ」

「無理ですよ、ラギ先輩じゃあ! どうせ大舞台だらかって10着以下の大敗でまた顔真っ赤になったりするんです!」

「ふざけんな! 今年はずっと掲示板内だよ! この前の天皇賞だって1着との差は1バ身じゃねえか!」

「海外のウマ娘も来るんですよ!? マジェスティーズプリンスとかいう奴なんて海外でGⅠを5回も取ってるやべぇやつなんですよ! それに加えて天敵のミスターシービーに加えて、シンボリルドルフも居るんです! そもそもラギ先輩は2400メートル以上のレースで勝てたことないじゃないですかぁっ!!」

「うっせえな! 2200も2400も一緒だよ! 見とけよ、クソガキ! ぜってーにジャパンカップで勝ってやっからな!」

「トイレで最後の直線は1騎討ちになるって言ってた癖に!」

「なんで知ってるんだよ!? おい、誰に聞いた!?」

「ニホンピロウイナーさんが言いふらしてました! ミスターシービーさんから聞いたって!」

「あいつ、ぜってー泣かす!」

 

 わあわあぎゃあぎゃあと口喧嘩をした後で「ぜってー勝つし! 絶対に見とけよ!」と指で差してからプレハブ小屋を出た。その足でチームシリウスのプレハブ小屋に足を運んだ。

 

「たのもー!」

 

 扉を蹴って、殴り込みを掛ければ、中に居るのはスズパレード1人だけだった。

 気怠げに私を見た後で、流していたテレビに視線を戻す。テレビの液晶画面に写っているのはビゼンニシキが勝ったNHKマイルCのようだ。

 その情けない姿を見て、ガシガシと頭を掻いた後で私はスズマッハにしたのと同じように指で差した。

 

「お前も見とけよ! 私がミスターシービーもシンボリルドルフも世界のウマ娘も全員倒す! だから何度、敗北したって挫けんな! 私だってクラシック全部、大敗してるんだからな! それでもやれるってところを見せてやんよ!」

 

 人生長いんだ! と最後に吐き捨て、バンっと扉を閉じた。

 それからもう1度、シリウスのプレハブ小屋に戻ってトレーニング用のシューズを片っ端から持ち出す。

 スズマッハの視線が痛かったが関係ない。

 負けた時に後悔して良いのは、やることをやった奴だけだ。

 これから人事を尽くして、レースに勝つ。

 その為に必要なことは――トレセン学園の近場にある寮に足を運んで、その扉をノックする。

 

「おい、起きろ! 仕事だ! トレーナー、仕事しろ!」

 

 ドンドンと扉を叩けば、寝惚けた面構えのトレーナーが顔を出す。

 

「……今日は定休日なんだけど? それに僕は君のトレーナーになった覚えは……」

「うるせえ、ジャパンカップに勝つんだよ!」

「ごめん、話が見えない。なんで、そんなに必死なの?」

「勝つんだよ!」

「……わかった。力にはなるけど、時間足んないよ?」

「今からでもやれることを教えてくれ」

 

 やれやれ、といった様子でトレーナーは部屋に戻り、身支度を整えてから再び顔を出す。

 

「上がりなよ」

 

 そう促されるままに部屋へ入ると、中は思っていた以上に小綺麗にされていた。

 もっと資料とか書籍とかでごちゃごちゃしているかと思った。

 なんとなしに落ち着かない。初めて入る部屋にそわそわしているとソファーに腰を下ろすように促される。

 座りながら暫く待っているとジュースに入ったコップを片手に戻ってきた。

 

「先ず1つ断言しておくことがある」

 

 彼はカップに入った珈琲を啜りながら答える。

 

「まともにレースをした時、君はジャパンカップには勝てない」

「……シンボリルドルフか?」

「それもあるけども、ベッドタイムやマンジェスティーズプリンスといった海外のウマ娘にも強いのが揃っている」

 

 出走するウマ娘のほとんどが格上だと思った方が良い。とトレーナーは告げる。

 

「君は能力のあるウマ娘だ。巡り合わせが良ければ、もっと活躍出来たとも思っている」

「そういうのは良い。勝つ為の手段を教えてくれ」

「……いちかばちかしかないよ。君がジャパンカップで勝てる手段なんて」

「もっと具体的に言ってくれ」

「気合を入れろという話だ。君が突出しているのは、その精神性。つまりは根性なんだからね」

「つまり、どういうことなんだ?」

「細かいことを考えるな。君はバカになるんだ」

 

 むらっ気が強いのは、慣れない事に頭を使うからだよ。と彼女は気軽に告げる。

 それからジャパンカップを獲る為の細かい打ち合わせに入った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 カツラギエースがジャパンカップ制覇の為、本格的に動き出した頃、京都レース場ではマイルCSが開催される。

 先ずは1番人気、ニホンピロウイナー。骨折で長期間の休養を挟んでも、その実力が疑われる事はない。その威風堂々とした佇まいは王者の風格、マイルの皇帝が再び京都の大舞台に戻ってきた!

 続いて2番人気はハッピープログレス。春の短距離マイル戦で経験に裏打ちされた実力を遺憾なく発揮してきた古強者。高松宮記念、安田記念、スピリンターズSというGⅠレースを3勝した実績はニホンピロウイナーを上回っている。私こそが短距離マイルの王者だ、ニホンピロウイナーとの直接対決に闘志を燃やす。

 3番人気はダイゼンシルバー、神戸新聞杯を勝って夏頃から頭角を現した若き彗星。短距離マイルの世代最強は私だ!

 そして、かつては世代3強と謳われた1角、怪我に泣かされ続けた若き天才。NHKマイルCでは大敗を喫した後、長い療養の末に出走したセントウルSでは2着、スプリンターズSでも2着。共にハッピープログレスに阻まれての2着! 今度こそ1着が欲しい! 4番人気はハーディービジョン!

 各世代を代表するウマ娘がようやく揃った短距離マイル戦の終着点!

 王座へ、疾走せよ!



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第12話:激戦

 ゲート内に収まった後、私、ハーディービジョンは大きく深呼吸をする。

 思えば、私のウマ娘としての道は順風満帆と呼ぶには程遠いものであった。新馬戦では4バ身差の圧勝を披露してみせたが、続く札幌ジュニアSでは12着の失態を犯し、函館ジュニアSは5着と掲示板が精一杯だ。それでも京成杯ジュニアSと朝日杯フューチュリティSを連続して獲る事で私の実力を証明したが、翌年の年明けに競争生命を脅かされる大怪我を負った。

 トレーナーとの2人3脚でNHKマイルCに間に合わせるも最後の直線で怪我を悪化させて12着の大敗を喫し、再びリハビリに専念する羽目となった。今年はまともにトレーニングをできた日の方が少ない。

 短距離マイル路線は脚の消耗を少しでも減らす為、差し戦法は私の信条ではあるが、露骨なまでの追い込み一気はバ群に揉まれて脚を悪化させない為という意味合いも込められている。そもそも、まともにトレーニングをできなかった私には他のウマ娘と比べて体力が少ない。

 バ群の最後方から誤魔化し誤魔化しで1600メートルの距離を走り切るのが精一杯、それが今の私だった。

 

 それでも努力を積み重ねてきた量は誰にも負けないと信じている。

 先ずは歩く練習から、そしてジョギングに変わり、全力で走れるようになるまで随分と時間が掛かった。焦れる想いを抑える事が出来たのは、付きっきりで私のリハビリに付き合ってくれたトレーナーが居てくれたおかげだ。

 東条ハナ、彼女の存在があったから私は再び、芝に戻ってくる事が出来た。1度とならず2度までも。彼女が私を管理してくれなければ、きっと私は何処かで焦れて怪我を悪化させていた。幾度と戻って来られるのは彼女の存在があってのことだ。

 感謝を、圧倒的感謝を。

 胸に抱いたこの想いは言葉だけでは伝え切れない。

 恩返しをさせて欲しい。貴女が初めてスカウトして育てたウマ娘は、こんなにも凄い奴なんだってことを全国に知らしめてやりたい。そして私を育ててくれた東条ハナはこんなにも凄い奴なんだって皆に教えてやりたい。

 だから私は今日も声には出さずとも、その身を以て高らかに宣言してみせよう。

 

 天才ハーディービジョンは此処に居るぞ!

 

 開いた視界に向けて、広がる芝へと全力で飛び出した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

『ゲートイン完了です。……スタートしました。1人、立ち遅れたウマ娘が居ます』

 

 遅れたウマ娘は有力ウマ娘ではない。

 スタートは上々、ニホンピロウイナーは何時も通りの先行策。私、ハッピープログレスは最後方から様子見する。そして気になるのはハーディービジョン、今日の彼女は中段の位置でニホンピロウイナーの出方を窺っていた。

 ……余り普段とは違う戦法を取らないで欲しいな、計算が狂う。

 まあニホンピロウイナーと競り合って消耗させてくれれば重畳、私は最後方からゆるりと距離を詰めるとしましょうか。

 マイルCSの距離は短い。スプリンターズSよりかは長いけど、それでも充分に短いと言える。序盤から中盤、中盤から最終コーナー、そして最後の直線と状況は目まぐるしく変化し続ける。急流の川下りのように、この激流を見事に乗りこなすことができた者に短距離戦の勝利は舞い込んでくるのだ。

 第3コーナーの手前、坂を登るタイミングでガクッと速度を落とす他のウマ娘を逆手に3番手くらいの立ち位置まで上がる。バ群の内側に埋もれたニホンピロウイナーは外に抜け出せず、その後ろに受けたハーディービジョンは更に困難な状況に置かれた。これは勝利パターンに入った! 登りの終わりから下りで勢いを付ける。そのまま第4コーナーを曲がり切れば、第3コーナーに入る手前と立ち位置が逆になった。

 さあ最後の直線だ。内側に2人、ニホンピロウイナーはまだ出て来ない!

 

「やっと……やっと、勝てる!」

 

 歓声が、沸いた。

 メイクデビューから苦節5年間、ハギノカムイオーに才能の違いを思い知らされること1年、ニホンピロウイナーに苦渋を飲まされること2年間。ウマ娘は恵まれた才能がなくても、努力だけでも頂点を獲れるってことを証明できる! 努力は嘘を吐かない! 頑張り続けた者は最後に勝利する! 積み重ねた時間は何よりも強い力になる! 勝てる、勝てるんだ! 私が、私こそがマイルの王者だ!!

 ……内側から黒い影が視界を過ぎった。

 力強い脚音、地面を踏み締める度に速度を増す。内側に居る2人のウマ娘から、ぬるりと姿を飛び出したのは怨敵ニホンピロウイナーだ。かつてのマイルの絶対王者が、自身の不在時に簒奪された王冠を奪い返しにやってきた。

 分かっていた、分かっていたよ。この程度で終わらないことは、そういう奴だってことは分かっていた!

 

「……でも、これは私のものですッ!!」

 

 短距離マイルのGⅠレース完全制覇の夢は誰にも邪魔させない!

 もう誰にもケチを付けさせない! 才能で負けていることは分かっている、能力で劣っていることも分かっている!

 それでも、譲れない! これだけは譲りたくないッ!!

 

「勝つのは私、ハッピープログレスだッ!!」

 

 加速させる、限界を超える走り方なんて既に確立済みだ!

 ロートルを舐めるな! ベテランを敬え! そして私に勝利を譲ってしまえ!

 これが、私の、最後の、大・激・走だッ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 思わず見惚れてしまった。

 第4コーナーに差し掛かった時、下り坂で速度を上げたウマ娘達が外に膨れる中で前を走るニホンピロウイナーだけが内埒のスレスレを綺麗に回っていた。正に曲線のソムリエ、弧線のプロフェッサー。時速70キロメートルを超える高速帯でニホンピロウイナーは、身体を内側に傾けて、衣服を内埒に擦り付けながら最短距離を我が物顔で突っ走る。

 彼女の才能は身体能力の高さだけではない、身体のバネだけの話ではない。天才とは斯く云う存在のことをいうのだと、この身が震え上がった。

 彼女と同じベストラインを辿ることは私、ハーディービジョンには出来ない。

 しかし彼女を信じているからこそ使えるラインがある! 少し膨らませたライン取りでニホンピロウイナーの直ぐ横を目掛けて、突っ込んだ。彼女が外に膨れないと信じられるから取れる道、外へ弾き飛ばされる心配はないと信じて勇気を振り絞った。

 さあ、翔けろ! ハーディービジョン! 最後の直線に駆け引きはなくなった!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ギリギリの戦いが求められた。

 ハッピープログレスが外を抜けて出た時、私は最後の直線で出遅れるのを覚悟した。その上で出来る限りタイムロスを減らす道が最内だったから、私は勝利を掴む為に最困難の道へと迷わずに踏み込んだ。抜きん出て並ぶ者なし、別に何バ身も大差を付けて抜きん出る必要はないとは思っているが、2着以下に価値がないことには同意する。

 目指すは1着のみ、その為の道が拓かれているのであれば、そこに突っ込まない道理はない!

 2着狙いで引き下がるくらいなら挑んで最下位の方がまだましだ!

 掴める可能性があるなら手を伸ばせ! 手繰り寄せる為なら蜘蛛の糸だって掴んでやる!

 勝利! それ以外、必要ない! 健闘はない! あるのは勝利、ただひとつ! 少なくとも私にとってはそうだ!

 だからこそ王者、だからこそ皇帝! 短距離マイルの舞台で私は負けてはならないのだ!

 勝って当然! マイルの絶対正義とは、私の事だッ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ――伸びろ!

 

 ハッピープログレスが歯を食い縛って粘り続ける。

 しかし、やはり強いのはニホンピロウイナー。現在2番手のシャダイソフィアを悠々と抜かして、伸びて来た。

 既に射程距離。一歩、踏み込む度に距離が詰まり、一歩、蹴り出す度に距離が遠のいた。

 先頭は変わってニホンピロウイナー、やはりマイルの王者はニホンピロウイナー!

 誰もがそう思った、その瞬間。

 

 ――伸びろ!!

 

 と更にハッピープログレスが伸びて来た。

 意地を見せる、根性を振り絞る。限界を超えた走りでニホンピロウイナーに追い縋った。

 ニホンピロウイナーの直ぐ後ろにはハーディービジョンも迫っている。

 中からダイゼンシルバーも上がって来た。

 マイルの絶対王者への挑戦者は、この3人へと絞られた。

 3人が揃って、ニホンピロウイナーへと襲い掛かる。

 

 ――伸びろォォォォッ!!

 

 しかし、抜け出したのはハッピープログレス。

 体力は使い切った。ガス欠の身体を気迫で持ち堪えて、魂を削って更なる加速を生み出した。

 僅かに、距離が、詰まる!

 しかし!

 しかしだ!

 ニホンピロウイナーが突き放しに掛かる!

 やはり、このウマ娘だ! ニホンピロウイナー!

 マイルの絶対王者、マイルの皇帝!

 この距離で譲れない!

 

 ゴール板を抜けて、ニホンピロウイナー1着!

 

 2着はハッピープログレス、3着は微秒。

 体勢有利はハーディービジョン、ダイゼンシルバーが4着か。

 マイルの王者が、満身創痍の身体で、今、拳を突き上げる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお勝ったぞおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ゴール板の向こう側、芝の中心で咆哮を上げる。

 マイルの王者は、この私だと! ニホンピロウイナー、ただ1人だけだと!

 そう言わんばかりに声を張り上げた。



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第13話:夢

 11月第4週、東京レース場。ジャパンカップが開催される日だ。

 有マ記念が日本最強のウマ娘を決める夢の祭典だとするならば、ジャパンカップは日本のウマ娘が世界に対する挑戦だ。と、テレビの偉い人が言っていたのを覚えている。今年は日本が誇る2大ウマ娘、新旧3冠ウマ娘の初対決? という事もあってか会場は大きな賑わいを見せていた。

 私は初めて訪れるレース場に胸を高鳴らせる。

 視界いっぱいに広がる(ターフ)に気分が高揚する。これから行われるレースへの期待で観客席は異様な熱気で覆い尽くされていた。

 最前列、会場を開くと同時に全力疾走で特等席を手に入れる。

 観客席とトラックコースを仕切る柵からピョコンと顔を出して、レースの開催を今か今かと待ち続けた。

 早く始まらないかな?

 楽しみだな、普段はテレビ越しでしか見ないウマ娘の走りをこの目に焼き付けるのだ。

 ウズウズと身を揺すり、私が芝で全力疾走したかった。

 

「あれ、師匠じゃん」

 

 ふと見知らぬ少女に話しかけられた。

 歳は私と同じくらいか、離れていても1つ上か下くらい。

 額から垂らした三日月のような真っ白の前髪が目立って格好良かった。

 片手にはドリンクを持っており、ストローで啜っている。

 

「ターボは、シショウじゃない。ツインターボ。君は誰なの?」

「ああ、うん、そうだね。君はツインターボ、もう間違えたりしないよ。ボクは……そうだね……」

 

 彼女は少し言い淀んだ後で、自分の持っているドリンクを見た。

 

「ハチミーハヤクナル……いや、それは流石に。なら、うん、こうしよっか」

 

 少女はにっこりと自信に満ちた笑顔で告げる。

 

「キセキノテイオー。うん、こっちの方がしっくり来る感じがする」

 

 彼女は満足げに頷き、私の隣を勝手に陣取る。

 

「ターボは此処、初めて?」

「うん、そうだよ! テイオーは!?」

「……テイオーじゃなくてキセキの方で呼んで欲しいかな」

「どうして?」

「だって、帝王とか大仰じゃん」

 

 キセキノテイオーは、少し困ったようにはにかんでみせた。

 それは嫌がっているというよりも、何処となく寂しそうな顔をしていたから彼女の提案を受け入れる事にした。

 でも、良いと思うんだけどな。帝王、格好良いし。

 

「それでキセキは来たことあるの!?」

「何度も来たことあるよ。大ベテランだ、トイレの場所とか必要になったら教えてあげるよ」

「今はいらないよ!」

「うんうん、したくなったら言ってね」

 

 言いながらキセキノテイオーは(ターフ)を眺める。

 多くのウマ娘がコース上に出て来て、たぶん準備運動なんかに勤しんでいた。

 もうすぐジャパンカップが始まるのかな。

 でも、あれ? テレビで見たウマ娘が見当たらなかった。

 

「ねえねえキセキ、ジャパンカップが始まるんだよね?」

「今から始まるのはメイクデビュー戦だよ。ジャパンカップはもうちょっと後になるかな」

「えー、なにそれ! ターボ、ずっと待ってた!」

「まあまあ、レース場が初めてなら今の内に慣れておくのも悪くないよ」

 

 むうっと口を膨らませれば、キセキノテイオーは困ったように肩を竦めてみせる。

 ジャパンカップが凄いレースだって聞いたから見に来たのに、まだまだずっと先なんだって! キセキノテイオーがドリンクのストローを私に向けて「飲む?」と聞いて来たから1口だけ貰った。甘くて最高に美味しかった。「これなに?」って聞いたら「はちみつドリンク、固め濃いめ多めがボクのおすすめだよ」と得意顔で答えた。

 ちなみに値段は1000円もするらしい、凄く高い!

 

「ところでターボってやっぱり、好きな戦法って大逃げなの?」

「大逃げ? なにそれ?」

 

 質問の意図が分からなくって、コテンと首を傾げる。

 

「ふうん? まあ気にしないで良いよ」

「えー、気になる!」

「……レースで最初から最後まで先頭を走ることだよ」

「ん〜? ターボ、何時も全力!」

「ああいや、そういう意味じゃなくて……いや、そういうことなんだね」

 

 キセキノテイオーが勝手に納得して頷いたから「どういう意味なの!?」って問い詰めてやった。

 彼女は少し考え込んだ後、またはちみつドリンクのストローを私に向けて「飲む?」って聞いて来たので1口だけ貰った。「甘い、美味しい!」と思わず緩くなる口元に「そうでしょそうでしょ」と嬉しそうに笑うキセキノテイオー。もう1口って強請ったら、もう駄目だって断られた。

 悲しい。と思うのも束の間、ラッパの音がレース場に鳴り響いた。

 

「もうすぐレースが始まる合図だよ」

 

 その言葉を聞いて、柵からレース場へと乗り出した。

 あれ、さっきまで何の話をしてたんだっけ? まあいっか!

 今はとにかく、レースを間近で見てみたかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 チームハマルは東京レース場、その観客席に出陣を果たしていた。

 トレーナーである私、サクラシンゲキ……ではなかった。日高あぶみは観客席の一角をチームメンバーのサクラユタカオー、サクラスターオー、サクラチヨノオー。そして、まだ幼いサクラバクシンオーの計5人で占有していた。サクラバクシンオーは初めて来るレース場に興奮しており、今にも柵を超えて(ターフ)に飛び出して行きそうだ。

 まだトレセン学園にも入学できない年齢だが、これだけ喜んでくれるなら身内の好で連れて来た甲斐があるってものよ。

 

「これでユタカオーも奮起してデビューしてくれたら申し分ねえってもんよ」

「遅れたくて遅れてる訳じゃないんで、ちゃんとトレーニングも頑張ってるじゃん」

「本格化するのが遅い! 私の若い頃はなあ、8月の頃からブイブイ言わせたもんよ」

「結構、最近の話じゃんか、それ」

 

 ジャパンカップで披露した逃げ戦法は日の丸特攻隊と呼ばれたりしたもんよ。

 

「バクシンバクシン!」

 

 ジャパンカップまでの幾つかのレース、逃げ戦法を使うウマ娘を見て可愛い娘っ子はその場で跳び跳ねながら声援を送っている。

 

「ハッハッハッ! あの無邪気っぷりは一体、誰に似たのやら……」

「そういえば、あぶみさんもウマ娘時代、シンゲキシンゲキって叫びながら走ってましたよね?」

「記憶にはございませんな!」

 

 無邪気にはしゃぐ身内達の後方で腕を組みながらレースを観察する。

 時代が常に移り変わるように、僅か数年という歳月でレースの様相は見違えるように変わっていった。

 誰も彼もがデータを重視するようになり、効率という文字に囚われるようになる。

 それらは確かに大切だ。肉体は鍛え方を間違えるとプラスどころかマイナスにもなりかねない。

 今の御時世、気合と根性は古臭いと云う。

 しかし私は思うのだ。

 何処かで気合と根性は必要になる事はある。

 と云うよりも世の中の9割程度は気合と根性があれば、どうにかなることを知っている人間が少なくなったように思える。

 勿論、精神は消耗品である為、それを頼りにすることは間違いだ。そもそも最初からやり方を間違えていれば、目的を達成することなんて出来ようはずもない。

 それでも全ての手を尽くした時、最後に頼れるのは己の精神。つまり古臭い気合と根性である。

 最後のもう1押し、それが勝負の行方を変える事にもなる。

 

「バックシーン!」

 

 レース場の一角で娘っ子の可愛い声が響き渡る。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ボクは今、観客席の最前列を陣取っている。

 東京優駿で見たシンボリルドルフの姿をもう1度、見てみたくってなけなしの小遣いを片手に握りしめて会場に乗り込んだのだ! メイクデビュー戦から始まり、未勝利戦、プレオープン戦、オープン戦と幾つかのレースを観戦している。

 そして待ちに待ったジャパンカップの本バ場入場に柵から身を乗り出して、ウマ娘達を出迎えた。

 この前は、ただレースを観ることを目的に脚を運んだけど、今日のボクは少し違う。ちゃんと勉強して来たのだ!

 1枠1番ミスターシービーは去年の3冠ウマ娘でとても凄い! 7枠12番のシンボリルドルフは今年の3冠ウマ娘で最高に格好良い、今日は勝っちゃう! ボクの1推し! 6枠10番カツラギエースはそれなりに強いウマ娘! 3枠3番ダイアナソロン! ティアラ路線の代表! 後は海外の凄く強いウマ娘ばっかり! 

 今日もまた1人での観戦だ、ボクにはレース場に一緒に来てくれる友達は居なかった。

 

「マックイーンは誰が勝つと思ってる?」

「そうですわね。やはり海外勢……だとは思いますが、シンボリルドルフやミスターシービーに勝って貰いたいですわ」

「アルダン姉様の予想はどうなの?」

「ええ、そうね。やはりシンボリルドルフとミスターシービーの2人が何処まで世界に通用するのか……でも私はカツラギエースにも頑張って貰いたいわね」

「ふーん、んじゃ、ドーベルは?」

「えー、パーマーって私に聞いちゃう訳? まあルドルフはまだ若いからね、勝つならシービーじゃないの?」

 

 すぐ近くで5人のウマ娘が和気藹々と話している。

 姉妹だろうか。その姿をぼんやりと眺めていると「あら、貴女は……」と1人のウマ娘が私に話しかけて来た。

 

「貴女もウマ娘なんですね。同じウマ娘の好で一緒に観戦しませんか?」

 

 差し伸べられた手に暫し茫然とした後で「うん!」と笑顔で頷き返した。

 

「ボクはトウカイテイオー! 君は?」

「私はメジロマックイーン、そして、こちらが……」

「ライアンだ」

「パーマーだよ」

「ドーベル、よろしくね」

「アルダンです」

 

 次々と自己紹介をしてくれるメジロ家の面々に混ざってレースを見る事になった。

 これがボクにとって初めてのウマ娘友達だった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ジャパンカップの開催まで、あと数十分といった所か。

 私、ビゼンニシキはセグウェイを乗りこなして東京レース会場の出入り口付近まで訪れていた。

 今の私では脚に負担を掛けられない為、観客席の最前列を取ることは出来ない。となれば目的のレースだけを観れば良いと思って、丁度良い時間に来ることにしたのだ。

 それから入場料を支払おうとした時、今にも泣き出しそうな悲しい顔で出入り口の先を眺める幼いウマ娘が居た。

 別に私は聖人君子と云う訳ではない。普段なら見て見ぬふりをしていたと思う。でも、その時は、どういう訳か放っておけない気がして、私は子供用の入場料を追加で支払っていた。

 

「どうしたのかな?」

「……お姉さん、誰?」

 

 私のことを知らない事に少し、がっかりと思いながらも大人の対応で平静を装った。

 

「私はビゼンニシキだよ。今は脚を痛めちゃったけど、少し前まではレースに出てたんだよ」

「レースって……お姉さん、もしかしてGⅠレースにも出たことあったり!?」

「あるよ、っていうかGⅠで1着にもなったことあるよ」

「えー、すっごい! それってジャパンカップだったり!? ダービーとか!?」

「……ダービーにも出走したことはあるよ、皐月賞なら2着だったけどね」

「まじやばじゃん! ルドルフやシービーからサイン貰えちゃう系!?」

「……ルドルフなら、まあ、うん。行けるかも、どうかな?」

 

 目を輝かせる彼女に私は誤魔化すように視線を逸らし、チクチクと痛む心から逃れる為に話題を変える。

 

「ところで私、さっきも言ったけど脚を痛めちゃってるんだよね」

 

 貴重品を抜いた肩下げ鞄を幼い彼女に差し出しながら続く言葉を口にする。

 

「荷物持ちをやってくれない?」

「えっ?」

「お代は子供1人分の入場券」

 

 そう言って指に挟んだ入場券を翳せば、幼子は満面の笑顔を浮かべてみせた。

 

「やるかい?」

「やる! 絶対やる!」

「うん、それじゃあ一緒にレース場に入ろうか」

 

 彼女に肩下げ鞄を手渡して、手を繋ぎながら観客席に脚を運んだ。

 

「そういえば、君。名前は?」

「ダイタクヘリオス! いつかGⅠレースに出て優勝するから!」

 

 だってみんなアタシの事を天才だって言ってるし、と彼女は満面の笑顔を浮かべる。

 さて、少し急ごうか。レース前の準備運動を見逃したくない。

 ジャパンカップのレース開始まで、もう残り僅かだった。



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第14話:諦めないという事は。

総合評価が1000を超えてました。
ここまでお付き合いくださった皆様に感謝です。
おかげでここまで書くことができました。
これからも頑張っていきたいと思います。


 私、キングヘイローは東京レース場で腕を組みながらジャパンカップを観戦している。

 今日は特別な日だ。日本から選りすぐった4人のウマ娘が海外から来た10人のウマ娘を相手に挑戦する。

 今年は去年までとは違う。シンザン以来となる3冠ウマ娘、世界に通用するかも知れないウマ娘が2人も居る。謂わば、シンボリルドルフとミスターシービーの2人が世界に手が届くかどうかのレースだ。それはそのまま、今後のウマ娘界隈を占うことに繋がっている。

 歴史が変わる日になるかも知れない。そんな時に後の王足る私がその場に居合わせないとかあり得ない。

 ちょっと寝坊して朝一番に出向くことができず、後方から見ることになってしまったが、これぐらいの方が大物感があって丁度良いくらいだ。むふん、と鼻息を荒くしていると2人のウマ娘が私と同じように遅れてレース会場へとやってきた。身長差から考えて姉妹だろうか? あんまり似てないので親戚の子を預かったとか、そんな感じなのかも知れない。

 ……というか付き添いの方のウマ娘、今年のNHKマイルCで優勝したウマ娘なのでは?

 

「横、良いかな?」

 

 そう声を掛けられて「え、ええ、良くってよ」と、つい気丈に答えてしまった。

「見えない」と嘆く幼子に「仕方ないな」と肩車をする2人の親しい様子に、やはり血筋といった縁はありそうな感じはする。それよりも、やっぱり彼女はNHKマイルCで優勝したビゼンニシキだ。横の様子が気になって、チラチラと横を見るも彼女は気にした様子もなくレース場を見続けている。

 幼子も満面の笑顔で彼女の頭にしがみついていた。

 

「貴女は……いえ、貴女達は姉妹ですの?」

 

 なんとなしに聞いてみれば、彼女は首を横に振る。

 

「さっき会ったばかりだけど」

「そうだよー」

「……近頃のGⅠウマ娘は随分と親しみ深いのですわね」

 

 溜息を零せば「あ、君は分かってくれるんだ」と彼女は嬉しそうにはにかんだ。

 他のウマ娘を蹴落とした先で頂点を目指す存在、過酷なレーススケジュールを組んで出走する度に走りを洗練させていくストイックな彼女の姿は修羅と見間違えるような存在だった。観客席が沸いた。コース場では今、今年度の3冠ウマ娘が観客席の前を走っている。才能という点において、ビゼンニシキは彼女と比べて一歩、及ばない。NHKマイルCの激走を見る限り、彼女の適正は短距離マイルの方にあったのだと思われる。

 それでも彼女は挑戦し続けた。あの孤高の皇帝に最後まで挑み続けたのだ。

 

「……路線変更しようとは思わなかったのですの?」

 

 踏み入り過ぎた質問だと思ったが、それでも好奇心は抑えきれなかった。

 ミスターシービーとニホンピロウイナーが棲み分けをしたように、彼女もまた短距離マイル路線に切り替えれば良かったのだ。そうすれば、脚に負担をかけ過ぎる事もなければ、もっと息を長く活躍する事もできた。

 ぽけっとした面を見せる幼子を肩に乗せて、ビゼンニシキは少し気恥ずかしそうに笑みを浮かべてみせる。

 

「勝ちたい奴が居たんだよ、こいつには絶対に負けられないって奴がね」

「それは競争生命と引き換えにしても良いと思えるほどのこと?」

「いんや、私はもっと走り続けるつもりだったよ。でも止まる事もできなかった。まあ自制が足りなかったんだよ、きっと」

 

 軽い口調で語られた重たい空気。

 私には競争生命と引き換えにするまでレースに出走し続けた彼女の気持ちは分からない。

 ほら、とビゼンニシキはレース場に視線を向ける。

 

「日本の皆は調子が良さそうだね。特にラギ先輩とルドルフの気合の乗り方は尋常じゃない」

 

 そう言って切なげに笑う彼女の横顔を見たから私は続く言葉を口にした。

 

「もう(ターフ)には戻って来ませんの?」

 

 彼女は今にも泣きそうな笑顔で答える。

 

「彼女の隣を走ることが、もう出来ないんだ」

 

 大きな怪我を負った事は知っている。

 彼女の脚は、もう二度と、あの時の輝きを取り戻す事はない。

 それでも、私は――

 

「私は一度で良いので貴女の走りを生で見たいですわ」

「GⅠで勝てる脚じゃないよ、オープン戦だって厳しい。全力で走り込むのも難しいくらいだ」

「無理を言っている事は自覚しています」

 

 それでも、見たかった。口から零れた言葉にビゼンニシキは申し訳なさそうに笑った。

 

「見たい!」

 

 そう口にしたのは彼女の頭にしがみついた幼子だった。

 

「私も見たい! 話を聞いてたけど、お姉さん! すっごいイケイケだったんでしょ!? だったら私、その走りを見てみたい!」

「……いや、今はもう速く走ることは…………」

「大丈夫! だって……!」

 

 と彼女はコースを指で差した。

 そこにはカツラギエースとシンボリルドルフの2人が観客席の最後方に居る私達の方を見つめている。

 いや、見ているのはビゼンニシキか。彼女の代わりに幼子が手を振って応えた。

 周りのウマ娘ファンもまたビゼンニシキに視線を向けている。

 皆、期待と気まずさが混じった眼をしていた。

 

「お姉さんは、めっちゃ愛されてる!」

 

 ビゼンニシキは視線を落として、たはは、と乾いた笑い声を零す。

 

「困ったな」

 

 ただ、それだけを呟いた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「来てるな」

 

 ポツリと零す独り言、(ターフ)から観客席の最後方で幼子を肩に乗せたビゼンニシキの姿を確認する。

 特別に目立った容姿でもない癖に、あいつは不思議と何処に居ても目立つ奴だった。競争生活を終えた今でも、あいつの放つ輝きが衰えることはない。

 負けられねえな。パン、と両頰を叩いて気合を入れ直す。

 

「はい、来ています」

 

 偶然、俺の隣に居合わせたシンボリルドルフが呟き返す。

 

「先輩として格好良いところを見せてやらねばならん」

「ならば私は貴女を超えた存在として、更なる高みを目指す為の踏み台と致しましょう」

「応よ、迎え討ってやんよ」

 

 闘志を剥き出しにする後輩に挑発的な笑みを持って応じてやる。

 

「胸を借りますよ」

 

 余裕を持った澄ました顔で彼女は告げる。

 クソ生意気に育ちやがって、と俺は準備運動に戻る彼女の背中を見送った。

 不思議と気持ちは落ち着いていた。

 大きく息を吸い込んだ。芝を踏み締める、前を見た。

 青々とした芝、何処までも続きそうなコースの先を見て、なんだか何時もと違う錯覚を覚える。

 何時もよりもコースが広く……いや、視野が広がっているのか。

 地に足が付いている。

 気合は充分、調子も良好。体が軽いくらいだった。

 

「ああ、そうそう……」

 

 前を走るシンボリルドルフが後ろを振り返って告げる。

 

「最上無二。今日の私、絶好調ですよ」

 

 パリ、と空気が弾ける音が鳴った気がした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 観客席には数多くの観客が詰め寄せている。 

 いつも以上の熱狂に目眩を起こしてしまいそうだった。

 どうして私は此処に来たのか。

 誘われたからだ。

 ジャパンカップに来い、と書かれた手紙と共に入場料と交通費の入った封筒を受け取った。

 溜息を零す。本当に、どうして私は此処に居るのか分からない。

 

「パレード、来てたんだ」

 

 顔を俯かせていると声を掛けられた。

 聴き慣れた声。最近になって、顔を合わせる機会が増えた親戚のスズマッハだ。

 彼女は大きな溜息を吐き捨ると私の隣に陣取った。

 

「諦めないって何だろうね?」

 

 そんなの知らないはずがない。

 それを体言したウマ娘を私は知っている。不利な距離でも可能性がゼロになるまで天敵を追い続けた存在を私は知っている。

 でも、私は彼女のようにはなれない。

 彼女は特別で、私は凡夫だ。そもそも私は彼女と違って、走る才能も乏しかった。

 幼い頃から天才だった彼女とは違うんだ。

 生き物としての格が違ってる。

 

「ねえパレードは知ってる?」

 

 スズマッハは話したくもないのに、無遠慮に語りかけてくる。

 

「ビゼンニシキって初めて天才だって呼ばれたのは、幼稚園の頃のお絵かきだったらしいよ。その時からずっと凄い、偉いって言われて育って来たらしいね」

「……えっ? それって別に……」

 

 そんなのはよくある話だ。愛情を持って子供を育てる家庭で、親が子を甘やかす言葉としては順当なものだった。

 

「神童と呼ばれたのは作文コンクールで2位を取った時、夏休みの自由研究では最優秀賞を取ったこともあるし、ピアノのコンクールでは入賞に入ったこともあるようだね。体育祭では走りで1位を取るのは当たり前、それよりもリレーで1位になったことを誇っていたね」

「それなりに凄いと思うけど……えっ、ちょっと待って、なにそれ?」

「あいつのいう生まれながらの天才って、その程度の事なんだよ。その程度ならトレセン学園にもザラに居るっていうね。東大とか京大とかに行ったら大体、そんな奴ばっかりだよ」

 

 それがモノホンの天才を相手にギリギリまで追い詰めてたってんだからね、と肩を竦めてみせる。

 

「天才ってのは幾つか定義があるだろうけども――その中でひとつ、言えるのは、きっと、飛び抜けたなにかを1つ持っている者に使う言葉だ」

 

 その上で、と彼女は悪戯っぽく笑って告げる。

 

「あいつの自惚れは天才的だ」

 

 悪口とも、褒め言葉とも、取れる声色だった。

 

「それなりの才能はあったんだと思う。でも、少し探せば見つかるような才能を磨き続けることでウマ娘史上に残る天才をギリギリまで追い詰めたんだよ、あいつ」

 

 だから私も挑戦することに決めたんだ。と、そこでスズマッハは言葉を区切って(ターフ)を眺める。

 

「悔しいけど、天才はいる」

 

 それでも、と彼女は続ける。

 

「私は可能性がある限り、追い続けると決めた。何度だって手を伸ばし続けてやる」

 

 そう言いながら伸ばした手は何処に向けられているのか。

 しっかりと握り締めて、それ以後、彼女は黙りを決め込んだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ゲート前で海外のウマ娘の内、何名かが震え上がっていた。

 ゲートに入ることを嫌がって係員に後ろから押される形で収まる。

 異様な空気を放つのはシンボリルドルフ。

 その身から放たれる気迫はまるで放電の如し、張り詰めた緊張感がパリッと肌を刺激する。

 日本には侍が居る。日本には鬼が居る。

 その言葉を肌身を以て、思い知らされる数名のウマ娘。その空気の中でも涼しい顔をしているのは、ベッドタイムやマンジェスティーズプリンスの2人。彼女達は世界の広さを知っている、それ故に世界レベルの化け物の存在を知っていた。

 特にマンジェスティーズプリンスは幾度となく海外のGⅠレースを渡り歩いた古兵だ。シンボリルドルフのことをウマ娘後進国である日本のウマ娘だと侮ることなく、警戒すべき難敵として認める。事前情報では、日本のウマ娘で警戒すべきはシンボリルドルフとミスターシービーの2人、ミスターシービーに幾度と負けを重ねたカツラギエースは警戒に値すべきウマ娘ではない。シンボリルドルフとミスターシービーという日本の2大エースに勝つ事、それ即ちカツラギエースに勝つことへと繋がるのだ。

 それに真に警戒すべきは身内にいる。日本以外のウマ娘こそが、このレースにおけるライバルであった。

 ファンファーレが鳴り響いた。

 今年のジャパンカップの注目度は例年の比ではない。

 

 大半のウマ娘ファン、レースを志すほぼ全てのウマ娘が、

 観客席で、テレビで、ネット配信で、視聴して注目する中で

 世界を舞台にしたレースが今、始まった。



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第15話:レッドカーペット

 ジャパンカップは横一線の綺麗なスタートから始まった。

 日本の王者であるミスターシービーは脚を抑えて後方待機の位置取り、シンボリルドルフは得意の先行からの好位差しの態勢を取る。鼻を切って逃げ出したのはカツラギエース、序盤からスパートを仕掛けたかのような加速で誰も追いかけようとはしなかった。シンボリルドルフは海外のウマ娘を意識しており、海外のウマ娘も他の強豪ウマ娘。もしくはシンボリルドルフかミスターシービーを警戒する。

 ノーマークのまま、悠々と逃げるカツラギエースの遠い背中を見て、舌打ちを零したのは東京レース場で1人だけだった。

 ミスターシービーだけが、カツラギエースの1人旅を誰も咎めないことに苛立ちを募らせる。

 

「皆、あいつを見縊り過ぎなのよ」

 

 カツラギエースが何かを仕掛ける気配はあった。

 レースの序盤、場内実況はカツラギエースの名を最初に触れただけで後はシンボリルドルフとミスターシービーや海外の強豪に注目するばかりだ。そも本日のカツラギエースの人気は10番。地元日本のウマ娘にしては、あまりにも低すぎる人気。誰も彼女に期待していないことが見て取れる。

 異変に気付いたのは残り1200メートルの標識を超えた時、カツラギエースが後続を突き放す為に更なる加速を始めた瞬間だった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 想定外のハイペース。先頭を取れるなら取ってしまおうと考えていたが、それはあまい考えだったと痛感させられる。

 私、シンボリルドルフは先頭をカツラギエースに譲っての2番手、そのまま海外のウマ娘が追いついて3番手から4番手といった位置に落ち着いた。カツラギエースを射程圏に収めたまま、しかし、カツラギエースは更に速度を上げた破滅的なペースで先頭を爆走する。先行集団に付いていくだけでも苦しい展開、独走態勢に入ったカツラギエースを捉えようものならば、逆にこっちが潰れかねない。

 僅かに速度を緩める。大丈夫、カツラギエースは落ちてくるはずだ。如何にカツラギエースが日本を代表するウマ娘の1人だったとして、あのペースで走り続けることは不可能だ。それこそNHKマイルCで脅威の逃げを見せたビゼンニシキに800メートルも長い距離で同じことをしろと言っているようなものである。

 此処は抑えるのが正解だ、他のウマ娘達も同調するように自分のペースを保つ事に専念する。

 

 第3コーナーに入る直前辺りからゆっくりと距離を詰めれば良い。

 東京レース場の第3コーナーから第4コーナーは緩やかな登り坂になっており、大逃げを打って満身創痍のカツラギエースの脚も止まるはずだ。そのように私は考えていた。

 それが楽観だと痛感したのは、カツラギエースが第3コーナーに入った瞬間だ。

 事もあろうか、あの先輩は加速を始めた。まだ最後の直線にも入っていないと云うのに、ミスターシービーですらも第4コーナーに入ってからスパートを仕掛けると云うのに、あの先輩は第3コーナーを入ると同時に加速を始めた。

 既にオーバーワークなのは間違いない。

 しかし、もし仮に最後まで体力が保つのだとすれば……?

 

 いや、そもそもだ。

 私は今、本当にハイペースで走っているのか?

 脚の調子は良い。最初こそ速かったが、今は丁度いい速度で走れている。

 むしろ、ペースは遅いくらいか?

 

「シット!」

 

 私の前を走る海外のウマ娘、速度を上げる。

 普段よりも疲れていなかったのは、調子が良いからだと思い込んでいた。

 それは間違っていた。

 速度を上げなくてはならない。早くカツラギエースに追いつかなくてはならない。

 第3コーナーの入りから他のウマ娘に追従するように速度を上げる。

 負ける、このままでは負ける。

 

 焦燥感に囚われるように、先頭を走るカツラギエースを追いかけた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「バックシーン!!」

 

 チームハマル陣営にて、カツラギエースの爽快な逃げっぷりに幼いサクラバクシンオーが嬉々として声を上げた。

 そんな彼女の後方で腕を組んだサクラシンゲキが「ほう、あれは!」と無意味に強者感を出すものだから「知っているのか、シンゲキ」と私、サクラユタカオーが解説役に回る彼女に声を掛けてやる。

 するとサクラシンゲキ、もとい日高あぶみは自らの顎を撫でながら、したり顔で語り始める。

 

「あれは今から3年前のジャパンカップ、私がまだサクラシンゲキと名乗っていた頃の話だ」

「世界の強豪を相手にした大舞台で逃げを噛ましたっていうやつだよね。結果9着だと格好付かなくない?」

「……その時に受けた渾名が日の丸特攻隊、まさかその雄姿を再びレース場で見られるとはな」

「いや、貴女は走ってた側じゃん」

 

 あぶみは咎めるようにチラリと私を睨みつけたが、すぐ視線をレース場に戻してサクラバクシンオー。他サクラスターオーやサクラチヨノオーに並んで日高あぶみが胸を膨らませて、大声一気に叫び出した。

 

「シンゲキィーッ!!」

「バクシーンッ!!」

「シンゲキシンゲキシンゲキ!!」

「バクシンバクシンバクシン!!」

「行けや、カツラギィッ! 日の丸特攻隊、大和魂を見せたれェーッ!!」

「バックシーンッ!!」

 

 第3コーナーに入った瞬間、更に加速したカツラギエースの姿を見て、後続が一気に仕掛け始めた。

 誰もノーマークだったが故の予期せぬ事態、慌てて距離を詰めざる得なくなった計算外のロングスパート。カツラギエースが吠える。汗だくの全力疾走、最初から最後まで手抜かずの本能で駆け続ける。第4コーナーを曲がった時、日本中のウマ娘ファンの注目がたった1人のウマ娘に向けられる。

 後続との差は20メートル以上、しかし、やはり世界の壁は余りにも大きい。そしてシンボリルドルフもまた黙っていなかった。

 第4コーナーの終わり、満身創痍の身体では、もう残り1バ身まで追い詰められていた。

 

「カツラギエースも此処で終わり」

 

 そう結論を付けた時、まだだ、と日高あぶみが答える。

 

「露骨なまでの減速、あいつ。あの土壇場で1息入れやがったぞ」

 

 震える声で、あぶみが言葉を続ける。

 

「ある、あるぞこれ。あるある! 全然ある! 世界のどてっ腹に風穴空けたれカツラギエースッ!!」

「バックシーン!!」

 

 残り半バ身。その瞬間、誰もがカツラギエースが抜かれる姿を幻視した。

 ミスターシービーは出遅れた。残る日本の希望はシンボリルドルフただ1人、そう思ったはずなのに……

 カツラギエースはまだ先頭を譲らない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 逃げを打つと決めた時、生半可な逃げでは意味がないということも察していた。

 確信を得たのは4年前ジャパンカップ、日の丸特攻隊と呼ばれたサクラシンゲキの逃げ戦法だ。あの程度の逃げ戦法では、海外のウマ娘は勿論、ミスターシービーやシンボリルドルフの末脚に捕まるのは明白だ。逃げで勝つ為には大逃げを決める必要がある。第4コーナーに入るまでにどれだけ後続との差を開くことが出来るかが勝負の分かれ目である。

 体力温存は考えない。幸いにも東京レース場は向い直線の途中、一度だけ登り坂があるが、基本はなだからな下り坂だ。

 速度は付けようと思えば、どれだけでも速く走ることができる。

 

 地獄を見るのは最後の直線に入ってからだ。

 第3カーブから第4カーブにかけて緩やかな登り坂の後、直線に入った直後に高低差2メートルの登り坂が待ち受けている。

 気が遠くなるほどの登り坂、それはまるで壁のようにそそり立っていた。

 最初から全力疾走、中盤も全力で駆け抜けた。第3カーブから第4カーブだって全力で走っていた。知らずの内に速度が落ちていた事に気付いたのは、すぐ真後ろにまで海外のウマ娘が迫っていた事に気付いたからだ。既に疲労は頂点、満身創痍の身体を気力だけで走らせる。

 最初にこのコース設計をした奴を憎む、この設計を良しとした責任者を恨んでやる。

 そして、この坂はビゼンニシキの脚を奪った坂でもあった。

 

 気合が足んねえ、根性が足んねえ。努力が足んねえ。

 

 そんなはずがないんだよなあ。

 怪我をする奴に意識が足りないとか、なんだとか、云う奴は何処にでも居る。

 だが、それは一度でも全力で生きた事のある奴にだけ云える戯言だ。

 あいつが努力不足で根性足りなくて、気合が入っていないっていうのなら、この世界にいる100%が気合が入ってねえって話になる。

 ぶち殺す。この坂如きで俺が止められると思うなよ。この悪意しか感じないコース設計、中山レース場や京都レース場と比べるとましかも知れねえが……それでもやっぱり日本のレース場は全て悪意の塊でしかない。気合がねえ、根性がねえって云うのなら喝を入れてやる! 歯を食い縛れェッ! こんな坂如き、あいつが走ってきた数を思えば屁でもねえっ! そして、それはあいつの倍以上を走ってきた俺にも同じことが言えるッ!

 この程度の坂で俺を止められると思うなァッ! 俺を止めたきゃ中山の坂を百本持ってこいやァッ!!

 積み重ねてきた努力がッ! 突っ張ってきた経験がッ!

 後の気合と根性を生み出す原動力となる!

 なあ、そうだろ!? シキ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 先頭を走る日本のウマ娘は既に息が上がっていた。

 スローペースに気付いた時、とんだ策士が居たものだと思ったが、そんな事はない。

 こいつは莫迦だ、単なる莫迦娘だった。息を入れたかと思えば、相変わらず息は上がったままだ。顎は上がっているし、疲労で体幹も崩れてしまっていた。限界だ、一杯だ。猪のように全力で駆け続けて、疲労して速度を落とし、そして他のウマ娘の気配を感じたから速度を上げた。ただ、それだけのウマ娘である。

 汗だくで、ボロボロの身体を気力だけで保っている。

 そもそもだ。自分の調子からスローペースかと思ったが、本当にスローペースだったのか。日本の(ターフ)は神経質なまでに整えられている。舗装した道路のように走りやすかった。おかげで体力の消耗も少なく走れていた。

 では本当にスローペースだったのか?

 最後の直線の坂に入った時、脚が泥に浸かったかのように重く感じられた。

 体内時計は既に狂わされている。スローペースだと感じたのは錯覚だったのではないのか。

 疲労が遅れて圧し掛かってくる。

 

 ――関係ない!

 

 スローペースだろうが、ハイペースだろうが、関係ない!

 ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで、ウマ娘後進国と云われた辺境の島国にまでやって来たというのに……大逃げに惑わされて負けましただあ!? ふざけるな! 体格も膂力も格が違っているんだ、どんな小細工を仕掛けられようとも力で捻じ伏せれば良いのだ! 他の海外のウマ娘に負けるならまだしも、これで負けては生涯を通しての恥晒しだぞ!?

 私は今、追い詰められている! その事実だけでも笑い者だ! その上で負けてられるかッ!!

 

 どけっ! 私は栄光あるイギリスのウマ娘! ベッドタイムだぞ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 レース展開は依然としてハイペースだった。

 その理由の一端は、スタート直後にシンボリルドルフが先頭を取ろうとカツラギエースに突っかかった点にある。

 競ったカツラギエースは速度を緩めようとせずに後続を突き放す為に加速し、後続のウマ娘はカツラギエースに引っ張られる形で無意識にペースを上げることになった。限界に近いペースの走りを強いられていたにも関わらず、海外のウマ娘達は誤認する。日本の(ターフ)が余りにも走りやす過ぎたが為に、体力を消耗していないと勘違いしてしまったのだ。

 実際には体力を消耗している。体力を消耗していても何時も以上に走れる日本の(ターフ)が海外のウマ娘達のペース管理を狂わせた。

 それが今、第4コーナーを曲がった先にある登り坂で痛感させられる。

 だとしたら日本のウマ娘はどうか?

 

 全体を通してのハイペース。

 シンボリルドルフは気付かずに速度を上げて、先頭を走るカツラギエースを追い抜かす覚悟を決めた。

 では、あのウマ娘はどうだ。

 シンボリルドルフが台頭する以前、日本ウマ娘界の王者として君臨したあのウマ娘はどうだ。

 

 レースは最初の段階からハイペースで一貫している。

 変化があるとすれば、カツラギエースが第4コーナーで無意識に速度を落としたくらいだ。

 後続のウマ娘は常にハイペースを強いられていた。

 

 では、あのウマ娘はどうだ。

 

 彼女は不器用だった。

 掛かりやすく、ペース管理が出来なかった。

 その猪突猛進さ故に身に着けた、最後方からの追い込み一気の戦法。

 彼女には、これしかなかった。これしか勝つ術がなかった。

 息を潜めて、ゆっくりと機会を窺い。

 

 スパートを掛けたが最後、その末脚はゴールするまで止まらない。

 

 バ群を最後方から一気に追い抜く姿にウマ娘ファンは魅了された。

 そのウマ娘の走りには浪漫が詰め込まれていた。

 日本で最も愛された3冠ウマ娘。

 最後の直線だけで全てのウマ娘ファンを魅了した彼女の名は――――

 

『――ミスターシービーが上がってきた! 此処からだ! 我らがミスターシービーが上がってきた!』

 

 最後の直線は、王者が王座に着く為に用意されたレッドカーペット。

 この状況の全てが、彼女が優勝する為のもてなしである。

 

 

 

 

 



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第16話:これ以上、言葉は必要ない。

何時もお読み頂き、ありがとうございます。
そして前回のアンケートに投票してくださった方、ありがとうございました。
思っていた以上に票が集まり、思っていた以上に票が散らばって楽しませて貰いました。
応援で票を入れてくださった方も多かったと思います。
今回はお試しで置いてみましたが、以後も趣向を変えて置いてみたいものです。


 私、ミスターシービーの王道は挫折から始まった。

 トレセン学園に入学した時は類稀なる才能の持ち主と持て囃された事もあったが、熱くなりやすい性格が裏目に出る事が多かった。他のウマ娘と少し競っただけで極端に視界が狭くなり、息も吐かずに最後の最後まで全力疾走をしてしまうのだ。そんな感じだったので最後の直線では、精も根も使い果たして、模擬レースでは入着することも出来ない日々が続いた。

 もっと賢く走れたらと思う、性格を矯正しようと何度も考えた。

 それでも、やはり駄目なのだ。ちょっと他の誰かと並んだ闘争本能とでも呼ぶべきものが剥き出しとなり、自制を効かせることが出来なくなる。

 カツラギエースの好位置からの差しレースには、ちょっとした羨望と嫉妬を覚えていた時期もある。

 

 11月にメイクデビューを果たしてから2連勝を果たした。

 その時は持ち前の身体能力の差で強引に勝利をもぎ取ったが、2勝クラスのひいらぎ賞で私は初めての敗北を喫した。それは出遅れによるもので、無理に前へは行こうとせずに後方でじっくりと脚を溜めるレース展開だった。最後の直線で猛追を仕掛けるも結果は2着、ただ何時も違って脚にはまだ余裕があったし、レース展開もしっかりと頭の中に残っていた。

 競り合ってしまうのが駄目なんだと理解したのは、この時だ。

 私が追い込み戦法について、真面目に考えるようになったきっかけのレースであり、充分な練習時間を設けた共同通信杯から快進撃を続けるようになる。共同通信杯、弥生賞、皐月賞、東京優駿。序盤は最後方で脚を溜めに溜めて、第3コーナーから仕掛けてバ群を捲り、最後の直線で突き放すといったレースを得意とするようになった。

 他のウマ娘と競ると掛かり、力を使い果たしてしまうと云うのであれば、最後方で仕掛け時だけを考えれば良い。

 トレーニングも最後の直線に重点を置くようになった。

 どうしても私は最後方からのレースになる為、できるだけ長くスパートを仕掛けられる脚が必要になる。

 粘り強い脚が必要だった。

 

 私は天才ではない、もっと綺麗な勝ち方もできたはずだ。

 勿体ない、とニホンピロウイナーは云った。信じられんわ、とスズカコバンは首を横に振る。頭ゴリラかよ、とカツラギエースですらも理解を止めていた。

 私には、これしかなかった。不器用な私では、勝ち方が限られていた。

 この戦法に殉じようと決めた時から、翳っていた私の心は、雲ひとつない青空のように澄み切っている。

 さあ、行こう。何処までも。

 常識なんて関係ない、もっと楽に勝てる戦法があることも分かっている。

 それでも、これが私に許されたたったひとつの勝ち筋だったから極めてやったのだ。

 やるからには、やってやりましょう。 

 勝てば官軍。理屈云々ではなく、私のやり方が正しいのだ。

 踏み締めた地面を抉り、ゴール目掛けて吹っ飛んだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ズン、と(ターフ)が揺れた錯覚がした。

 彼女がスパートを仕掛ける時は、何時もそうだった。

 大地が、弾んで、空を駆けるように飛び出した。

 

 爆発的な加速力、驚異的な瞬発力。駆け出したが最後、絶対に垂れない粘り強さが彼女の脚には凝縮されている。

 彼女の肉体に宿る全てが末脚の為に必要なものを兼ね備えていた。否、最後の最後に先頭でゴール板を駆け抜ける為に、最後の直線に全てを振ったのが彼女の肉体だった。たったひとつの戦法を極めた彼女の肉体は、刀鍛冶が何度も鉄を叩いて、幾度と折り重ねて鍛えた刀剣のように研ぎ澄まされている。その全てを最後の直線の為だけに捧げた姿が、そこにはあった。

 それは狂気だった。それしか勝ち目がない、と理性的に狂っていた。

 濃縮された殺意が他ウマ娘を無慈悲に切り捨てる。日本よりも遥かに先を行くと云われる、海外のウマ娘が、たった1人の狂気に呑まれて斬り伏せられる。並ぶことすら許されず、差されて、追い抜かされて、問答無用に彼女の後塵に拝した。

 ドッ、と地面を踏み締める音が鳴る。

 どの世界にも大莫迦者はいる。理屈とか、理論とか、全てを無視して、自分だけが信じるたったひとつの定石に縋り、踠き、足掻き、苦しんで、後世の誰も脚を踏み入れることができない極地に辿り着けてしまう者が極稀に現れてしまうのだ。

 そのウマ娘は禁忌を侵した。

 しかし、そのウマ娘にとっては、それしか手がなかった。

 つまりは、勝てば良かろうなのだ。

 

 それで勝ってしまうから、彼女は万人に愛されているのだ。

 

「あいつは最初、逃げウマ娘になると思っていたんだよ」

 

 会場に来ていたトウショウボーイが、懐かしげに語る。

 

「初めて顔を合わせた時には運命を感じた。こいつなら私の後を任せられるかもって思った。でも違ったんだよな」

 

 テンポイントとグリーングラスは好敵手の言葉に黙って耳を傾けながらレースの終盤を見守り続けている。

 

「あいつは私じゃない、私とは余りにも違い過ぎている」

 

 東京の山などものともせずに駆け上がった。

 ミスターシービーは後にも先にもただ1人、唯一無二の猪武者が世界を相手に突っ走る。

 常識破りのウマ娘が、世界の壁を破りに猛然と襲い掛かった。

 

「あいつはミスターシービー以外の何者でもなかったんだ」

 

 会場が、今シーズン一番の歓声で賑わった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 第4コーナーの終わりから私、ベッドタイムは先頭を走る田舎臭いウマ娘を相手に競り合っていた。

 もう力尽きていたはずだ。口の端からは泡を吹き出して、顎は上がっており、身体は右へ左へとふらついている。

 走る姿勢すら維持できず、我武者羅に走っているだけのウマ娘を、私は追い抜かせずにいる。

 

 あと半バ身の差だった。

 悠々と抜かして、後はゴールまで一直線に駆けるだけの簡単な仕事のはずだ。

 息絶え絶えのウマ娘を相手に、たった、それだけの事が出来ずにいる。

 

 カツラギエースは白目を剥いていた。

 お世辞にも整ったとは云えない間抜け面を晒して、尚も彼女は先頭を駆け続ける。

 理解が及ばなかった、まるでウマ娘以外の何かと走っているかのようだ。

 珍獣とも呼べるウマ娘を相手に、私はあと半バ身が詰めることが出来ない。

 

 おかしい、明らかにおかしい。

 今にも力尽きてもおかしくない過呼吸状態、そんな状態で彼女は更に加速をしていた。

 なんだ、このウマ娘は、日本には、モノノケがいると聞いた。

 話を聞いた時は、そんな莫迦な、と鼻で笑った。

 居る。モノノケは、居る。

 先頭を走る、何か、それこそが、モノノケだ

 どれだけ走っても、走っても、追い抜けない。

 底はもう見えているはずだ。

 しかし、どれだけ走っても追い抜ける未来が見えて来なかった。

 何時までも走り続ける、そんな怖気がする光景を予見した。

 脚が緩んだ、距離が離されていった。

 

 ――パリ、と空気が弾ける音が鳴った気がした。

 

 脚が緩んだ、その横を鹿毛色のウマ娘が抜き去っていった。

 まるで雷撃のような暴力的な末脚で、先頭のウマ娘へと襲い掛かる。

 日本は魔境だ、モノノケが2人も居る。

 

 ――ズン、と更に背後から足音が響いた。

 

 前言を撤回するのは、間もなくだった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 その秋、日本は世界に届いていた。

 

 世界よ、見よ!

 これが日本のミスターシービーだ!

 これが日本のシンボリルドルフだ!

 全世界を席巻せよ!

 

 と誰もが息巻いたその瞬間、先頭を譲らない諦めの悪いウマ娘が居た。

 レース前で10番人気の大穴が、ただ1人、意地だけで先頭を突っ走っていた。

 そのウマ娘の名は、カツラギエース。

 

 ベッドタイムの猛追を凌ぎ、そして今、勝負の舞台はシンボリルドルフとの一騎討ちに移行した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ポロポロと涙が溢れ出した。

 先頭で大激戦を繰り広げるカツラギエースの勇姿を見て、言葉を失っていた。

 身体が震えるのを止められなかった。

 

 背後から猛追するシンボリルドルフの姿を見て、誰もが先頭を交代する姿を幻視した。

 しかし、そんな未来を頭を振って否定する。

 自然と握り締めていた拳、私、ツインターボは柵に身を乗り出して叫んだ。

 

「頑張れえっ! エース、負けるなあっ!」

 

 そう叫んだ瞬間、カツラギエースの瞳に正気の色が戻った気がするんだ。

 

「……諦めないという事はァッ!!」

 

 カツラギエースが吠えた。

 彼女の身体が落ちる。

 確と地面を踏み締めて、姿勢が正しく戻った。

 魂が震え出す、全てを燃やし尽くさんと闘志が燃え盛る。

 坂を登り切って、シンボリルドルフの追走を振り切らんとカツラギエースが更に加速した。

 

「こういう事だあああああああああああああああッ!!」

 

 もう涙で、まともに前を見ることもできず、何度も服の袖で拭い取る。

 その合間に、海外のウマ娘を抜き去る何者かの影を見た。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ……追い、抜かせないッ!

 理屈じゃない、常識じゃ考えられない。

 ベッドタイムよりも速い末脚で追いついたにも関わらず、カツラギエースは尚も粘り続ける。

 いや、何を言っているんだ。常識を外れた走りをした奴は他にも居た、ビゼンニシキだってそうだった。

 限界を超えた先で、加速するウマ娘は存在している。

 驚く事はない、彼女の底はまだ見えていなかっただけの話だ。

 此処から幾度と加速しようとも、何度でも、何度でも、挑み続けるだけの話だ。

 私は、3冠ウマ娘だ! 私の世代を代表するウマ娘なのだ!

 私の敗北は、私がこれまで下してきた全員を貶める結果になる!

 まだだ、まだ、私は走り続ける事ができる!

 

 更なる加速を求めて、力強く地面を踏み締めた――瞬間、私の脇を抜き去る影があった。

 

 気付けば、背中があった。

 ミスターシービーが、私に一瞥もせず、カツラギエースを目掛けて突っ込んで行った。

 2人は示し合わせたかのように更なる加速を以て、私を突き放していった。

 それを見て、ポキリ、と心が折れる音がした。

 ぐにゃり、と視界が歪んだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「待たせたわッ!!」

 

 私、ミスターシービーはカツラギエースに向けて叫んだ。

 しかしカツラギエースは一杯一杯なのか反応はなし、だが意識はしているはずだ。

 そうでなければ私の末脚から逃がれるべく、更なる加速しないはずがなかった。

 ああ、そうだ。

 此奴は初めから強かった。

 大舞台で転けるような精神的な弱さはあったが、最初から私に勝てる強さがあった。

 こんな舞台で全力で競い合いたいとずっと思っていた。

 

「秋の天皇賞の約束を忘れたとは言わせないわよ!」

「……だああああ! うっせえなあ! 必死なんだよ、こちとらああああっ!!」

「さあ雌雄を決しましょう! 全力の全開で打ちのめす!!」

「手加減しろや、クソがあああああああああッ!!」

 

 シンボリルドルフは後塵に拝した。

 もう私達2人の独壇場、此処から先は世代最強を賭けた大一番だ!

 カツラギエースを仕留め切る為に、更なる加速を試みた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 柵を握り締める、涙が溢れて止まらない。

 シンボリルドルフの姿勢が僅かに崩れて、ズルズルと後退していく姿を見た。

 信じられなかった。信じたくはなかった。

 最強はシンボリルドルフだと信じている。

 もう駄目だって、嫌でも分かる。

 

 そこには絶望があった。

 

 それでも――いや、だからこそだ。

 シンボリルドルフなら、なんとかしてくれるって信じたかった。

 どうにかして欲しかった。

 

 だから叫んだ。

 

「勝ってよ、シンボリルドルフッ!!」

 

 その言葉が届いたのか分からない。

 声が届くかどうかも分からない、それでも叫ばずにはいられなかった。

 勝って欲しい。何故ならシンボリルドルフはボクの英雄なんだ!

 

「ルドルフ、勝ってェーッ!!」

 

 ――パリ、と空気が弾ける音が鳴った気がした。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「会長の、バカ……どうしてそんな相手にてこずっているんだよ……」

 

 手に持っていたドリンクを握り潰した。

 レースの結末は知識として知っている。

 それでも言わずには居られなかった。

 

「ボクに絶対になれって言ったんだ。それを言った会長が絶対にならなくてどうするんだ……」

 

 それは理不尽な怒りだった。

 許せなかったんだ。会長が苦戦をしている事に、絶対の心得を教えてくれた会長が簡単に諦めるなんて許せなかった。

 だから、激情のままに呟いた。

 

「……行けッ!」

 

 ボクはやったぞ、やり遂げたぞ。

 なら、会長がやらなくてどうするんだ。

 

 この時代の会長はまだ、あの頃の約束を知らない事は分かっている。

 これが理不尽だって事は重々に分かっている。

 この世界が、自分の知る過去とは少し変わっている事も分かっていた。

 

 それでも、それでもだ。

 どうして言わずに居れようか!?

 絶対は、此処にある。

 

「……行け、会長。皇帝の神威は結果じゃない、その在り方にあったんだ」

 

 後押しするように呟いた言葉。

 その言葉が届くはずがないのは分かっている。

 しかし、シンボリルドルフが背中を押されるように加速を始めた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「……う…ッ!」

 

 声が聞こえた気がした。

 

「お……おッ……おっ!!」

 

 それは観客席から、そして遠い遥か先から。

 

「……ぉ……ぉおッ……お……おおッ……ォォ!!」

 

 非現実的だって事は分かっている。

 しかし、今は常識を外した。誰かが私の勝利を信じている。

 その事実がある以上、どうして諦められようかッ!!

 

「……ォォおおおおオオおおおオオオオおおおおおおおッ!!」

 

 まだ行ける、脚に力が入る。

 最後の坂道で脚を壊しても走り続けたウマ娘を私は知っている。

 勝負が確定する最後の瞬間まで、前を向き続けたウマ娘を知っている。

 恥を知れ、己を奮い立たせろッ!

 

 限界は、誰かが決めるものじゃないッ!

 振り絞る力は無限大ッ! 戦い続ける意志が勝利を掴むんだッ!

 戦いもしない者に、勝利は訪れないッ!!

 

 ――さっさと行けよ、バーカ。待ちくたびれたよ。

 

 その時、肉体の全てが合致した気がした。

 幾度と調整を重ねてきた走る姿勢が、最適解を導き出す。

 ガチッと歯車が噛み合う感触があった。

 

 脳裏に過ぎるは東京優駿、最後の坂。前を走る最高の好敵手の姿。

 ビゼンニシキが最後の最後で見せた理想の走り、それが私の肉体にピッタリと当て嵌まった。

 ……行ける、と確信を以て、前を走る2人を追走する。

 

 

 

 



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第17話.決着

ひっそりと章のタイトルを変えてみる。


 カツラギエースが大逃げに打って出たのは、馬鹿正直に戦っても勝算が薄い事を自覚していた為だ。

 得意の好位差しではシンボリルドルフとの末脚勝負で負ける。かといって差し戦法を取れば、最後方のミスターシービーに追い付かれる。どっちの戦術を取っても勝てる見込みがないのであれば、例え、地獄を見る事になっても逃げてやる。地獄の果てまで逃げてやる、何処まで行っても逃げてやる。

 その意気込みで構築されたハイペースな展開に、ほぼ全てのウマ娘の末脚が潰された。

 ベッドタイムは脚を残していたが、ただでさえ超高速のレース展開に加えて、カツラギエースに追いつく為にロングスパートを仕掛けた。そして、カツラギエースの意地と根性の伸び脚で更なる加速を強いられる事になり、完全に叩き潰される結果となった。

 垂れたベッドタイムの代わりにシンボリルドルフがカツラギエースへと挑むが、カツラギエースの末脚が更に伸びた訳ではない。先行策を取ったシンボリルドルフもまた――意識しての事ではないが――カツラギエースの術中に嵌っていたのだ。カツラギエースの脚は衰えず、シンボリルドルフの足が僅かに鈍った。

 カツラギエースが二の脚を使ったのは、ミスターシービーが猛追を仕掛けてきた時だ。

 

 常に最前線で戦い続けたカツラギエースの本能が、末脚の使い時を見誤らせなかった。

 ハイペースの展開は最後方からスパートを仕掛けたミスターシービーにも影響を与えている。追い付いただけでも常識破り、そこから更にカツラギエースとの競り合いは、お互いにとって奇跡に近い。ガス欠の身体に気合と根性を注入して、無理やり動かしている状態だった。

 譲らない、譲れない。その意地のぶつけ合いが二人の脚を緩めること許さなかった。

 根性の勝負、想いの嵩は測れない。それ故に勝った者が強い、という単純明快な結論が求められる。

 こいつにだけは負けたくない、こいつにだけは勝ってやる。

 どちらの想いが強いのか、掲示板の頂点が語ってくれる事だろう。

 

 先頭を走るに二人が互いを高め合っている中、シンボリルドルフは2人を追走する。

 彼女には競り合う相手が居ない。

 脱落した今、根性の勝負に割って入る事は出来ない。

 

 否。

 否、否、否。

 断じて、否だ。

 

 シンボリルドルフには理想の走りが視えていた。

 体力を使い切り、靄がかかり始めた脳で、霞む視界で彼女は見ていた。

 好敵手の、その走りを。

 未だ前を走るビゼンニシキの姿を幻視し、その背中を追い掛けた。

 追い抜く事はない。

 彼女なら、どうするだろうか、と考えていた。

 徐々に動きは重なり、一致する。

 呼吸は重なり、頭から指先に至るまで、二人の体は完全に折り重なった。

 錦の輝きが、皇帝の身体に宿る。

 

 ならば、もう、負ける道理はなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 先頭を走るカツラギエース、追ってミスターシービー。

 その差は半バ身まで詰まっていた。しかし1バ身差から詰まって、カツラギエースまだ粘り続ける。

 そんな二人から1バ身の差でシンボリルドルフが懸命に追い掛ける。

 

 その更に後ろにはベッドタイムが2バ身差、まだ堪えているが巻き返すのは難しそうだ。

 

 優勝圏内はシンボリルドルフまで、勝負の行方は日本の三人に委ねられた。

 迫るミスターシービー、徐々に差を詰めるが標識は残り100メートル。この調子で差を詰めても間に合うかどうかは微妙な所だ。

 カツラギエースは頑張った。カツラギエースが粘る。カツラギエースを追ってシービー!

 その二人の後ろからシンボリルドルフが再加速を始める。

 

 最後の競り合いに観客席が沸いた。

 手に汗を握り、叫ばずには居られなかった。

 対して、テレビ中継を見守るウマ娘ファン。もしくはウマ娘は静まり返った。

 息を飲んで、勝負の行方を見守り続ける。

 目を離せなかった。その三人の争いに誰もが釘付けにされた。

 それは、ウマ娘ファンの親に無理やりチャンネルを奪われた泣く子すらも見守る大激戦だ。

 日本が世界に届く瞬間に、誰もが同じことを胸に抱いた。

 

 頑張れ、と。頑張れ、と!

 

『これで全てが決まる最後の競り合い! カツラギエース先頭、カツラギエースが粘るか!? ミスターシービーが差すか!? はたまたシンボリルドルフが追い抜くか!? 勝負の行方は、未だ分からず! しかし、しかし! これだけは、はっきりと言えます!』

 

 実況の女性の声が会場内、もしくはお茶の間、あるいはトレセン学園の食堂に響き渡る。

 

『このレースに立ち会えた私達は果報者です! さあ、この世紀の一戦を目に焼き付けろッ!!』

 

 残り50メートルで、シンボリルドルフが二人に追いついた。

 体勢変わって、ミスターシービーとシンボリルドルフが四半バ身の差で抜け出す。

 カツラギエースが、僅かに、垂れた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 カツラギエースの実力は他二人に比べて、劣る。

 それは分かり切っていた事だ。フィジカルモンスターのミスターシービー、走りに天性の才能を持つシンボリルドルフ。二人と比べて、カツラギエースが持っているものは余りにも見劣りするものだ。カツラギエースも才能のあるウマ娘だ、それは分かる。しかし歴史を代表する二人のウマ娘と比べると、見劣りすると言わざる得ない。

 そうだ、これは当然の結末だ。順当な勝負になれば、カツラギエースが勝つ事はあり得ない。

 つまるところ、これは歴史が正された。というだけの話である。

 

「…………れ……」

 

 予兆はあった。

 それはビゼンニシキに始まり、シンボリルドルフへと継承される。

 特異点と呼べる事象は、幾つも確認されてきた。

 そして、今、歴史は変わろうとしている。

 

「……がん…………ばれ…………」

 

 しかし、幾ら理性で分かっていても受け入れる事が出来なかった。

 心が拒絶する、魂が否定する。此処でのカツラギエースの敗北を受け入れる事なんて出来ない。

 私は知っている。これまでの歴史を、紡いできた歴史を。そして日本の未来は明るいと、日本の夜明けがやって来たと、告げてくれたのがカツラギエースだ。

 私達が紡いで来たものを――いや、違う。そんな不純な想いで、この涙は流れない。

 つまるところ、私はカツラギエースのファンなのだ。

 

「……頑張れ、カツラギエース。頑張れ! 頑張れェッ!!」

 

 最後の直線、残り50メートル。半バ身の差が付いた現状からの差し返しは絶望的だ。

 それでも私は応援せざる得なかった。応援するしかなかった。

 私、ハッピーミークは東京レース場の観客席から、今生で最も大きな声を張り上げた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 一瞬、意識が、飛んでいた。

 もう限界は、疾うの昔に、超えていた。

 心臓が張り裂けそうな程に鼓動を打ち、喉はカラカラで血管を破いて吐血してしまいそうだった。

 もう脚の感覚なんて、ほとんどない。何処を走っているのか定かではない。

 距離はどれくらい残っているのか。

 今、先頭を走っているのか。それとも、もう抜かされてしまったのか。

 分からない、もう、何も見えない。

 自分が走れているのかどうかも分かっていなかった。

 視界はもう、ほとんど真っ白に靄がかっていた。

 

 それでも、前に進めと肉体が訴える。

 腕を振り続けろと心が告げる、脚を動かせと魂が叫んだ。

 まだ脚は動いている。心臓は鼓動を続けている。

 燻る魂は、燃えたがっている。

 

 ならば、まだ、脚を止める時ではない。

 全身全霊、全力全開、満身創痍の肉体を奮い立たせてインスピレーションは光速を超える。

 魂は地球の重力から解き放たれて、何万光年先の宇宙にぶっ込みを仕掛ける。

 もう此処で死んでも良い。

 違う、何時だって死ぬ覚悟で走って来た。

 出掛ける時、皿に残していたクッキーは平らげた。昨日まで残していた餅は全て焼いて胃に治めた。朝、パインサラダが食いたくなったから、その脚でコンビニまで運んでパインの缶詰を買って来た。冷蔵庫の中身は空っぽだ。エアコンや家の鍵は二度、三度と確認してから出て来ているのでバッチリだ。

 何時でも死んで良いと思って生きて来た訳ではない。

 それでも、何時死んでも心残りがないように生きて来たつもりだ。

 

 もし仮に明日、地球破壊規模の核弾頭がトレセン学園に降って来たとする。

 そのことを知った人類は今日を如何にして過ごすことになるか。

 私なら、きっと、トレセン学園の屋上に立って、この身を張って、気合と根性で核弾頭を受け止めて、宇宙の遥か先にいるスポーツマン・シップ号に投げ返してやるのだ! たった一度きりじゃない、三度だ! 三度もだ!

 明日を目指して生きる事はあっても、明日を惜しんで生き永らえるつもりは毛頭ない!

 

 痛む脳裏に浮かんだのは二人のウマ娘。

 見てるかスズマッハ! 見てるかスズパレード!

 これが私だ、カツラギエースだ!

 

 頑固一徹! 気合と根性だけは、万夫不当の益荒雄よ!

 怒髪天を衝け、俺は今、怒っているぞ! 俺自身に怒っている!

 一度、突っ張ると決めたなら! 最後まで貫き通すが筋である!

 漢一匹、カツラギエース!

 最後の最後まで、気合の入った生き様を見せるんでェーッ!!

 

 夜露死苦ゥッ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

                                               

『スタンドは総立ち! 誰もが見たかった新旧3冠ウマ娘の一騎討ち! この勝負に誰も文句なし、待ったをかける者はなし!』

 

 勝負の行方は二人に委ねられる。と、その時の誰もが信じた。

 東京優駿から二年連続の3冠ウマ娘の夢を見て、セントライト記念ではシンボリルドルフが見せた圧巻の勝利に誰もが夢見た光景だ。その激突の立ち会い人になれることを誰もが望んでいた。

 この勝負に、水を差すことは許されない。

 日本中の全てが思った瞬間、ただ一人だけ、それを真っ向から否定する者が居た。

 勝負に水を刺されたのは、私達の方だと心で叫んだ。

 来い、と。早く来い、と。さっさと来い、と。

 決着は私達で付ける、とミスターシービーが魂で最後の末脚を振り絞った。

 カツラギエースが、伸びた。

 しかし残る距離は50メートルを切っている。

 

『ここでカツラギエースが伸びる!? いや、届かない! やはり勝負の行方は二人に……ッ!』

 

 カツラギエースの身体が極端に沈んだ。

 そして最後の一歩で、真横に跳んだ。

 実況が絶句し、会場全体が騒然となった。

 

 ウマ娘のレース規定では、四肢はゴールの判定に含まない。

 それはウマ娘、トゥインクル・シリーズの黎明期にゴール寸前でヘッドスライディングをするウマ娘で溢れ返ってしまった為だ。時速70キロメートルを超えるウマ娘達による全力前のめり行為は、余りにも危険な行為であった為に禁止にされた歴史がある。

 それ故にウマ娘は胴体と頭部のみがゴールした時の判定に使われる事になった。

 

 嘗てはよく見られた光景、今はもうほとんど見られなくなった光景。

 カツラギエースが横っ飛びで先頭を走る二人の間に割って入る。

 

『――――――――体勢はッ!?』

 

 実況は己の矜持に欠けて、失った言葉を取り戻す。

 

『……た、体勢は、ミスターシービーの有利! しかし、しかし、これはッ!? シンボリルドルフもあり得るぞ、カツラギエースがすっ飛んで来たッ!? 分かりません、まったく分かりません! 4着はベッドタイム、5着にはマジェスティーズプリンス! 優勝は誰の手に委ねられたのか!? 写真判定に委ねられますッ!! いや、しかし……これは…………』

 

 カツラギエースは滑り込んだまま身動きを取らない。

 シンボリルドルフはゴール板を超えた直後に前のめりに倒れ伏し、ミスターシービーは一歩、二歩とふらついた後に仰向けに寝転がった。誰一人として言葉のひとつも発さず、ただひたすらに体力回復に専念する。

 その満身創痍の姿は、最後の直線の激戦が如何に壮絶なものであったかを物語っている。

 

 掲示板には判定中である事を示す「写」の文字が上位3名の枠を埋めている。

 

 誰も言葉を発せずに居た、怪我の心配する者も居る。

 勝負の余韻に戸惑うものも少なくなかった。

 その中で、一人が拍手を送る。

 

 パチ……パチ……、と。

 

 波紋を広げるように、パチッと他の者が手を叩いた。

 パチ、パチ、と拍手が広がって、瞬く間に会場を拍手の音が包み込んだ。

 先ずは激戦を繰り広げた三名を讃える。

 

 勝負の行方は、それから確認しても遅くはない。

 ジャパンカップ開催以来、日本ウマ娘としては初の制覇になる勝利の行方は審査員に委ねられる事になった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 審査員達は用意された部屋の一室に集まり、一様に眉間に皺を寄せた重苦しい空気を充満させていた。

 囲んだ机の中心に置かれたのは、判定用のゴール写真をピンボケする限界まで引き伸ばしたものが置いてあり、それを前にして全員が腕を組みながら睨み付けているのである。

 誰も彼もが生粋のウマ娘ファンであり、それ故に、この大任を任された事を誇り想うと同時に悩み苦しんでいるのである。

 此処にはミスターシービーのファンが居る、シンボリルドルフのファンも居る。

 心の内では、贔屓に勝って貰いたい。

 しかし、ウマ娘ファンを自負する者であるからこそ、不正は許されない。許すことはできない。

 レースは神聖であらねばならないのだ。

 

「皆も分かっていると思う」

 

 審査員の中で一際目立つウマ娘が語る。

 彼女の名はクモハタ。ドリームトロフィー・リーグを引退し、後進の育成に人生を注ぎ続けて来た重鎮である。

 今は審査員の一人として、レースに立ち会うことも多かった。

 

「此処まで来たらもう、どのウマ娘が強いとか、速いとか、そういう次元の話ではないと私は考える。そうだ、道理じゃないんだ。理屈でもない、能力の優劣を決めるものでもない」

 

 彼女は強い決意を以て、続ける。

 

「これはただ、持っていたかどうかの話なんだ」

 

 その言葉に審査員の一人が涙を零した。

 嗚咽を上げる者も居り、粛然と祈りを捧げる者も居る。

 彼ら審査員もまた先の勝負に熱を当てられていた。

 勝負を判定する事そのものが無粋である、と心の何処かで感じている。

 永遠に、この余韻に浸り続けたい。

 しかし、それでも彼らは判定せざる得ない立場だ。

 レースは終わらせなければならない。

 勝負である以上は、優劣を決めなくてはならない。

 

「私達は胸を張れば良い。結果を出す、それが私達に与えられた使命なんだ」

 

 クモハタは目元を服の袖で拭い取る。

 最も引き延ばされた写真を備え付けのファックスから印刷される。

 それを手に取った彼女は、一度、目を伏せて、顔を上げた。

 

「……結果は、出た」

 

 その言葉に、審査員達は落胆とも、安堵とも、取れるような表情を浮かべる。

 

「届けよう、当人達に。そして全国のウマ娘ファンに」

 

 クモハタは強い意志を目に宿らせる。

 そして、笑顔を浮かべて、優しく告げる。

 

「この結果が彼女達を、そして全てのウマ娘を強くする事に繋がると私は信じている」

 

 この場にいる全員が力強く頷いてみせた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 15分近くもかけて行われた審議の末、

 掲示板の頂点を飾ったのはカツラギエースだった。

 

 2着はハナ差でミスターシービー、3着も同じくハナ差でシンボリルドルフ。

 タイムはゼロコンマゼロゼロの誤差なく、同タイムでの着差であった。発表では1着と2着では4センチメートルの差、2着と3着とでは3センチメートルの差であったとの事だ。

 その結果を見届けて、私、ミスターシービーは一度、大きく溜息を零した。

 様々な感情が渦巻く中で、それでも浮かべたのは笑みだった。

 

 悔しくないと云えば、嘘になる。

 それでも出し切った。これ以上はない、と信じられる程度には出し尽くした。

 ゴール板の近くには未だにカツラギエースが呑気に寝ている。最初は怪我を心配されたが「むにゃむにゃ、もう食べられないよ」という古典的な寝言を呟いてからは放置されていた。

 そんな彼女の顔を見て、含み笑いを零す。本当に大した奴である。

 

「ラギ、貴女が勝ったわよ」

 

 彼女の側まで歩み寄り、その体を揺らす。

 

「……はッ! 勝負はッ!? ゴールはッ!?」

 

 口から涎を垂らしたまま、飛び上がった。

 こいつは本当に何も分かっていないようだ。

 私は苦笑し、顎で掲示板を見るように誘導する。

 カツラギエースは顔を上げて、その結果を見て固まった。

 なにか信じられないものを見るように呆然とした顔を浮かべていた。

 こいつでも大人しくなる事はあるのね。と、そんな事を思って含み笑いをする。

 ふるふると身を震わせるカツラギエースに私は、一言告げる。

 

「おめでとう、貴女の勝利よ」

 

 カツラギエースは私を見た後、観客席に顔を向けた。

 

 ――エースッ! エースッ! エースッ!

 

 会場全体を揺らすエースコールにカツラギエースはくしゃりと嬉しそうに笑った。

 そっか、と。勝ったのか、と。何度も確認するように零した。

 目尻に溜まった涙を袖で拭って、カツラギエースは立ち上がり、観客席に向かって叫んだ。

 

「やってやったぜシャロォォッ! コノヤローバカヤロー!! 見たかてめぇら! 俺はやったったぞォーッ!!」

 

 感極まって叫ぶカツラギエースは本当に嬉しそうだった。

 そんな彼女に背を向けて、空を見上げる。

 負けたのか、と。彼女の前では意地でも涙は見せなかった。

 

 

 

 



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第18話:奇跡の帝王

 ボクが今、この地に立つのは三女神の導きがあっての事だ。

 嘗て、ゴールドシップはメジロ家の存続という目的の為にチームスピカに潜り込んで利用した事がある。

 三女神の一柱であるバイアリータークが望むのはヘロド系と呼ばれる魂の血族の存続であり、その根幹を握っているのがメジロ家、強いてはメジロマックイーンの復活が分岐点にあったようで、奇しくもゴールドシップと女神バイアリータークの思惑が合致した形となった。

 ただ、それでも足りなかったのが前世での話になる。

 繫靭帯炎から奇跡の復活を果たしたメジロマックイーンだけど、後遺症が残っていたのか長距離を走り切ることが出来ない脚になっていて、ドリームトロフィー・リーグでは勝ち星を上げることなく引退してしまった。

 それを契機にメジロ家は衰退の一途を辿る。

 途絶える事はなかったが、細々と存続するだけで嘗ての栄華は見る影もなくなってしまった。

 

 ボクもまた何度も骨折した影響もあって、ドリームトロフィー・リーグに長く滞在する事ができなかった。

 最初の一年目は結果を残したが、二年目以降は脚部不安に苦しめられて、三年目には着内に入る事もできなくなって引退する。その頃には、一足先に引退をしていたメジロマックイーンはメジロ家が養子として引き取った幼いゴールドシップを相手に悪戦苦闘する毎日を送っていた。

 嘗てあった輝かしい青春の日々、もう誰かを待つ事はない。そして待たせる事もない。

 全てが終わった。と実感した時、ポツリと無用心に零した一言が、ボクを超常現象の世界へと巻き込んだ。

 

“その願いを叶えよう、代わりに叶えて欲しい願いがある”

 

 それは見納めだと思って訪れていたトレセン学園を散歩していた時の事、三女神の彫刻がある広場にて、眩いばかりの光に包まれたボクは世界から忽然と消えてしまった。

 

 ボクの本名はトウカイテイオー、ボクの魂にもヘロド系の血脈が流れているとのことだ。

 女神バイアリータークに望まれたのは、ヘロド系と呼ばれる魂の血族の存続。

 ボクが呟いたのは、メジロマックイーンとの再戦。それもお互いに全盛期だった時期の事だ。

 

 あの時、ボク達は最強だった。

 誰よりも速かった。全てのウマ娘がボク達を追走するしかなかった。

 ウマ娘に関わる全てがボク達を中心に回っていた。

 

 たった一度きりの勝負では物足りない。全然、足りない。

 ボクが望んだのは、メジロマックイーンとジュニアからクラシック、シニアに至るまでトゥインクル・シリーズで競い合うことだ。

 その願いが叶えられて、ボクは今、東京レース場の観客席に立っている。

 

 最初にボクが立っていたのは、三女神の彫刻の前だった。

 手を見れば、ボクの身体が幼くなっている事はすぐに分かった。財布の中には五百円玉が十枚、これはボクが時間を逆行する前に入れていた五千円札を硬貨に変換してくれたものだと思ってる。

 最初に確認したのはウマ娘新聞であり、食堂に置いてある共用のものを拝借した。

 それで今日がジャパンカップの開催日っていう事を知った。その時にボクが知る歴史と変わっていることも分かった。それは会長が生徒会長じゃなくなっていた為だ。ハイセイコーというマルゼンスキーの少し前に活躍したウマ娘が生徒会長として、新聞のインタビューに答えていた。彼女の事は記憶の奥の方に薄らと残っている。確か、当時は最も人気の高いウマ娘として知られており、第一次ウマ娘ブームを作った立役者でもあったはずだ。

 そもそも会長の所属チームはリギルではなくて、ベテルギウス。ボクが過去に戻った時代は、ボクが知る歴史とは明らかに変わっている。

 ボクだけじゃない? ボク以外にも過去に戻ったウマ娘が居る?

 

 悩んでいると頭が疲れたから、道すがらではちみつドリンクを購入してから東京レース場までやって来た。

 お金の心配もあるけども、トレセン学園の理事長は秋川やよいだ。ジャパンカップの後にでも突撃して、何か良い考えの一つでも御教授頂ければ、と軽い気持ちで考えている。あの御人好しの理事長が今のボクのような幼子を追い出すような真似をするとも思えないし、頼れるところは頼っていかないと生き死にに関わる。

 それはさておきとして、会長のレースは観戦するんだけど……

 

 そういえば、この世界のボクって存在するのかな?

 

 結論を言っちゃうと、居た。

 東京レース場の入り口で目を輝かせるボクの姿を発見し、そしてまだ幼い頃のメジロマックイーン他、メジロ家の面々の姿も確認できた。まだ心の準備が出来ていなかったボクは人混みに隠れた後、彼女達と顔を合わせないように距離を置いて観客席に向かう事になる。

 その先で出会った幼いツインターボ。カツラギエースの激走に感化された彼女はゴールの後、呆然と涙を流しながら (ターフ)を眺めていた。

 ボクもまだ会長が負けた事は今でも信じられない。

 でも、これだけのレースを見せつけられて、結果を受け入れないのはレースを侮辱する事だとも思った。ボクも春の天皇賞では悔しい想いをした。無敗のウマ娘で居るって決めたのに、メジロマックイーンに敵わず、勝ち続ける事ができなくなった。今でも悔しいと思っている。でも、やっぱり、あの時の経験もあったからボクは最後の有マ記念で勝てた。誰よりも悔しい想いをして来たから最後の大一番を勝つ事ができた。

 まあ悔しいけど、やっぱり負けるところなんて見たくなかったけど。

 

 レースを終えた後、ツインターボと一緒に東京レース場を出た。

 この世界のボクとメジロ家の面々とは顔を合わせないように、まだ泣きじゃくるツインターボを近場の公園でベンチに座らせる。なけなしのお金を使って飲み物をひとつ買って渡してあげた。

 今、彼女に話しかけるのは無粋だと思ったから、暫く隣に居てあげる事にした。

 

 ついでに買って来た自分の分のスポーツ飲料水、飲むと冷たい液体がやけに身体に染み渡った。

 熱に当てられたか。そりゃそうだ、あれだけのレースを見たら誰だって熱くなる。

 ボクが、この世界に訪れた日がジャパンカップの開催日だったのは意図的なものではなかったと想う。

 でも、ボクが今日のレースを見た事には運命的なものを感じざる得ない。

 

 だって、ボクはこの時、東京レース場に居なかったんだ。

 

 また、走りたいな。

 今度こそ思う存分に走ってみたい。次こそは骨折もせず、好きなだけ走りたい。

 でも、それは無理だと分かっている。

 

 女神から説明は受けている。

 ボクの身体は、そのまま幼くなっているだけだ。つまり、三度も骨折をした事実はなくなっていない。子供の成長力を以てすれば、骨折の影響も以前ほど大きなものではないけども、古傷として残り続けることにはなる。無理をしないように、と再三に渡って忠告を受けてから送り出されたので、今回は怪我をしないようにしっかりと予防するつもりだ。

 牛乳を飲んだりとか、しっかりと魚を食べたりとか、そんな感じで。

 

 メジロ家の主治医さんには、御世話になりっ放しだったな。

 怖いけど、良い人だった。他にもメジロ家には、メジロマックイーンが引退した後も少しでもボクが長い間を走れるように献身的に付き合ってくれた。もっとお礼を言っておけば良かったな、前の世界に心残りが結構残っちゃってる。

 今回は、御世話になるような事にはならないように気を付けなきゃいけない。

 

 前のボクは怪我に対して、無頓着過ぎた。

 会長のようなウマ娘になる為には、強い事は勿論、丈夫であることも同じくらいに大切だ。

 さておき、ツインターボも落ち着いて来たので、そろそろお別れにしようか。

 

「テイオー、次は何時会えるの?」

 

 あれ? テイオー呼びに戻ってない?

 

「キセキの方で呼んでって言ったはずなんだけどね?」

「テイオーの方が言いやすい」

「えぇー……」

 

 この世界のボクと呼び方が被りそうで、なんだか面倒が起きそうだったから変えて貰ったんだけどな。

 

「ま、いっか」

 

 彼女、ツインターボと次に顔を合わせるのは随分と後の話になりそうだし。

 

「次に会う時はトレセン学園に入学する時じゃないかな?」

「えー、やだー。また会おうよー、ターボが会いに行くからー」

「そう言われてもなあ……」

 

 帰る家、ないし。

 この世界に別のボクが居るってことは、家に帰ることは出来ない。

 だから早めに理事長のところに行きたかった。

 

「ボクの家はちょっと、人を呼べないから……」

「どーして?」

「どうしてって言われてもなあ……親とか?」

 

 前世の両親、ごめんなさい。

 ツインターボは、むうっと頰を膨らませた後で「それなら!」と口を開いた。

 

「ターボの家に来てよ! それなら良いでしょ!?」

「まあ、それなら……」

 

 いざとなれば、明日にでも会いに行けば良いかな。

 とそんな気持ちでツインターボに手を引かれるまま、彼女の実家まで脚を運ぶ事になった。

 翌日、ボクはツインターボの家で過ごす事に決まっていた。

 

 ワケワカンナイヨー。



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第19話:チームベテルギウス

 東京優駿の後、記者会見では幼いウマ娘が乱入して来た。

 関係者以外は立ち入り禁止の場所、すぐに警備の者が摘み出そうとしたが、咄嗟に彼女の事を庇って話しかけていた。

 ビゼンニシキが怪我した直後、頭の中は真っ白で幼い彼女の前で上手く笑顔を作れていたか分からない。

 

「ボクは……ボクは……」

 

 幼子は何度か言い淀んだが、決意を示すようにしっかりと私の目を見て言い放った。

 

「ボクは、シンボリルドルフさんみたいな強くて格好良いウマ娘になります!」

 

 その言葉を聞いた時、思わず慟哭したくなる衝動を抑え込んだ。

 強いのはビゼンニシキだ、私ではない。彼女を潰してしまったのは私だったんだ。

 震える身体、嗚咽が零れそうになる。それでも笑顔を作って、彼女の頭を撫でた。

 辛うじて言えたのは、そうか、という一言だけ。他に何も言えなかった。

 

「……うん!」

 

 幼子は力強く頷いた。

 その直後に彼女は警備員に手を引かれて、部屋の外へと追い出される。

 それからライブの後まで、私はどうやって切り抜けたのは覚えていなかった。

 あの幼子とも会っていない、顔も覚えていない。

 たぶん、彼女の顔を見ることができていなかったんだと思う。

 

 私は、強くならなくてはいけない。

 あの子を失望させない為にも、これまで戦って来たウマ娘の為にも、私は勝ち続けなくてはならない。

 ビゼンニシキの為にも、私は勝たなくてはならない。

 

 それが贖罪になるとは思っていない。でも、私にはそれしかなかった。

 

 ジャパンカップの翌日にはトレーニングを再開していた。

 昼間は眠り、夕暮れ時に目覚める。学寮を抜け出しては、指定の時間になるまで延々と走り続けた。

 足首に付けていた重石の量を倍にする。続く有マ記念まで残り一ヶ月程度、それまでに私の先を行ったカツラギエースとミスターシービーに必ず勝てるだけの実力を身に付けなくてはならない。

 あと7センチメートル、たったの7センチメートルだ。

 それはもう実力差だけの話ではない、私は心で負けてしまったのだ。無敗の王者で在り続けようと誓ったのに、それでも私は負けてしまった。カツラギエースとミスターシービーに心で負けてしまったのだ。

 敗因を認めてしまったなら、私が頼れるのは、もう生まれ持った才覚だけだ。

 

 あと、どれだけ鍛えられるのか。

 私は弱い、己の心も信じるな。弱い心には、常に追い込み続けるんだ。これで良い、なんてものはない。足りない、まだ足りない。あの時、私は勝てると確信した。負ける道理はない、と慢心してしまった。その油断が残り7センチメートルの差に繋がってしまったのだ。ならば私の感性も信用することはできない。鍛錬はやればやるだけ良い。限界を超えて負荷を掛け続けて、もう充分だ。という思いを振り払って、時間が許す限り駆け続ける。

 そこまでやって漸く最低限、勝つ為にはまるで足りていなかった。

 走らねば、また負ける。不安を振り払うように直走る。どれだけ走っても恐怖が背後から這い寄ってくる。罪悪感が足の先から迫り上がってくる。走る、全力で逃げるように走り続ける。走っても、走っても、すぐ後ろを罪が追いかけてくる。ひたり、ひたり、と怖気が走るような音を立てながら追いかけてくる。逃げて、逃げて、逃げ続けて、朝日が登るまで延々と逃げ続けて、身体全身が冷や汗でぐっしょりとした後に漸く、夜が明けた。

 それから、ふらり、ゆらり、と学寮に戻る。

 

 何時もは、そんな感じだ。

 その日も、そうだった。

 しかし翌日、ジャパンカップから二日後の事だ。

 この日は、何時もと違っていた。

 

「……レースを終えたばかりなのに、何をやってんの?」

 

 誰にも教えていないはずの道の先で、ビゼンニシキが立ち塞がる。

 何時もとは雰囲気の違っている。険しい顔を見せる彼女に、言葉が、詰まった。

 じゃり、と音が鳴る。

 一歩、また一歩、と歩み寄ってくる彼女に私は身動き一つ取れず、小さな悲鳴を零してギュッと目を閉じた。

 首筋に手が触れた。優しく撫でられたから、ゆっくりと目を開ければ、今にも泣き出してしまいそうな不安そうな顔をした彼女の姿があった。

 何故、どうして、彼女がそんな顔を見せるのか?

 

「それだけ汗を流してるのに冷たいな……君は、何を恐れているんだ?」

 

 問い詰められて、バツの悪さから視線を逸らした。

 

「まさか……」

 

 と彼女は私の胸倉を掴んで、額を擦り付ける程の至近距離で私の瞳を覗き込んだ。睨み付けてくる。

 

「…………あ……あ…………あ……」

 

 彼女の瞳から目を背けることが出来ない。

 瞳の奥に怒りの激情を灯す、彼女から逃れることができない。

 今にも泣き出しそうだった、膝を折ってしまいそうだった。

 私の胸倉を掴んだ彼女の右手が、それらを許してくれなかった。

 互いの吐息が吹きかかる距離で彼女は告げる。

 

「……まさか、私が君を、負けた事で咎めるとでも思ったか?」

 

 ドスを効かせた低い声色に、私は目尻から涙を零すことしか出来なかった。

 

「私の想いも乗せて走って欲しいとは願った! でも、私になれとは一度も言ってないぞコラァッ!!」

「違う……違うんだ…………」

「ふざけんな、ルドルフッ!! お前は私じゃない、お前はシンボリルドルフだろうがッ!!」

「は、話を……話を聞いてくれ……」

「…………聞くだけ聞いてあげるよ」

 

 ふるふると無様に首を振る私に毒気が抜かれたのか、彼女は私の胸倉から手を離してくれた。

 まともな思考は出来ていなかった。もう心は壊れてしまいそうだった。

 限界を超えて、決壊してしまった心の堰からは不安や弱音が溢れ出してしまった。

 

「ビゼンニシキ……私では、私だけでは駄目なんだ……もう駄目なんだ……やっぱり、お前が居なくちゃいけないんだ……どうして居なくなったんだ……どうして怪我なんてしてしまったんだ……もう、戻って来れないとか嘘なんだろう? お前なら戻って来られるんだろう? じゃなければ、私は……私は……私の手で、お前を……私は……あ、あぁ……ああっ……私は、なんていう事を、私は、あの時に…………」

 

 地面に膝を付いて、震える声で訴える。

 吐き気が催して、吐瀉物を地面に吐き捨てた。

 自らの手を見つめながら嗚咽を零す。

 もう駄目だ、心が保たない。

 

「ルドルフ」

 

 声を掛けられたから顔を上げた。平手を振り被る、彼女の姿が目に映った。

 

「歯ァ食い縛れ」

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ジャパンカップを終えた翌日、私、ビゼンニシキは幼いウマ娘と一緒にトレセン学園を歩き回っていた。

 手を繋ぐ彼女の名前はトウカイテイオーと云うらしい。根っからのシンボリルドルフのファンであり、今日は朝から校門で彼女の事を待ち構えていたようだ。なんでも一言、言いたい事があるとか、なんとかで。面白半分、励まし半分の気持ちで彼女の手を引いてシンボリルドルフが居そうな場所を巡り歩いた。

 最初は食堂とか校庭を回った後でトレーニング施設に向かった。このついでに保健室にも脚を運んで、最後にはトラックコース場にも向かったけども、何処にもシンボリルドルフの姿はなかった。彼女の事だ、何処かでトレーニングをしている事は分かっている。

 でも、途中で出会ったウマ娘に話を聞いても学園内でシンボリルドルフがトレーニングをしている姿を見た者は居なかった。

 不審に思った私は、時期まで問い詰めると最後に見たのは夏の始まる頃、つまり東京優駿の直ぐ後になる。

 

 あの馬鹿め、と内心で罵った。

 トウカイテイオーの手前、苛立ちは抑え込んだが、途中から口数が少なくなってしまったのは許して欲しい。

 最後に訪れたのがプレハブ小屋。ノックをして、対応をしてくれたのはシンボリルドルフが所属するチームベテルギウスのトレーナーだった。目元には隈で燻んでおり、肌荒れが少し目立っている。

 彼女は私の顔を見た一瞬、警戒心を高めた後、力ない笑顔を浮かべて誤魔化そうとした。

 開けられた扉の隙間から部屋の中を見る。読み散らかされた書籍の山、机の上には空のペットボトルが並んでおり、ゴミが溜まっていた。そして唯一、綺麗にされたソファの上ではシンボリルドルフが寝かされていた。

 

「シンボリルドルフに会いに来たんだけど……」

 

 トレーナーは暫し考え込んだ後、心配そうな顔をするトウカイテイオーを見てから申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「今日は休養日でいないのよ」

 

 顔色は悪いのに、強い、声色だった。

 

「また後で来るよ」

「……ええ、夜に来てくれると嬉しいわ」

「うん、分かった」

 

 別れた後、トウカイテイオーを校門まで連れて行った。

 悲しそうな顔をする彼女の頭を撫でてやり、私の連絡先を教えてやる。

 また今度、時間がある時に。

 その言葉を伝えると彼女は少し表情を明るくして家に帰った。

 

 さてはて、どうしたものか。

 レースで負けた程度で塞ぎ込むなんて情けない奴だ、と苛立ちに地面の小石を蹴った。

 そういう奴ではないことは分かっている。その程度で、此処まで傷心するのは、らしくない。

 時期的には、東京優駿の直ぐ後か。

 

 まさか、私が原因じゃあるまいな?

 

 その日の夜、まだ明かりの灯るプレハブ小屋に赴いた。

 そして、今置かれているシンボリルドルフの状況を知る。

 怒りを通り越して、心の底から呆れてしまった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「歯ァ食い縛れ」

 

 乾いた音が辺り一面に響き渡った。

 頰に、ジンとした痛みが遅れてやって来る。

 そこで叩かれたことを自覚した。

 

「……ふざけるな、ふざけるなよルドルフ…………」

 

 拳を握り締めて歯を食い縛る彼女の姿を見て、彼女を怒らせてしまった事を察する。

 それもそうか、こんな無様な姿を見せてしまっては怒るのも当然だ。

 

()()()()()()

 

 彼女は、心底、悔しそうに歯を食い縛る。

 

「私は、そんなに弱そうに見えたか! 私は怪我をした原因を誰かに押し付けるような奴に見えたのか!? ふざけるなッ! これは私の失態だ! 私の怪我なんだ! ルドルフ、私はお前の好敵手じゃなかったのか!? 私のことを認めてくれていたんじゃないのか!? 私は認めていたぞ!? お前だから託せると思ったのに、お前だから後腐れなく身を引けると思ったのに!! 背負わせたいのは罪なんかじゃない! 私がお前に見たかったのは夢なんだッ!!」

 

 言いたい事を言い切って、肩で呼吸するビゼンニシキの目から涙が零れる。

 その涙は何を意味しているのか、少なくとも私に向けられたものじゃないことは分かった。

 不甲斐ない、と。情けない、と。

 彼女は目元を拭って、人差し指で川沿いの先にある橋を示した。

 

「立て、今からレースをする」

 

 彼女が、何を言っているのか、分からなかった。

 

「距離は目測、1200メートル。私の得意な距離だ」

「お前は……脚が……」

「うるさい!」

「でも……」

「うるさいうるさい! やると決めたらやるんだよ!」

 

 ビゼンニシキの怒気に拒むことができず、彼女と並び立った。

 彼女はポケットからコインと取り出す。どうやら、何処かのゲームセンターのコインのようだ。

 そういう場所に彼女も行くんだな、と思いながら構えを取る。

 

 ピン、と指に弾かれたコインが夜空に高く飛んだ。

 

 もしかしたら、という想いがあった。

 こいつなら走れるようになっているかも知れない。

 そんなこと、有り得ないと分かっていても、できるかも、と思わせる奴だった。

 

 コインが、地面に、落ちる。

 

 一縷の希望を胸に抱いて、私は全力でスタートを切った。

 スタートダッシュはビゼンニシキの方が速い。やはり、ビゼンニシキは凄い奴だ。

 ブランクもあるはずなのに、私の脚に付いて来れる。

 

 やはり、私には、お前が……まだ遥か先にあるゴールを見定めた瞬間、誰かが倒れる音がした。

 後ろを振り返れば、左脚を抱えて苦痛に顔を歪める彼女の姿があった。

 

「畜生……畜生……まだ走りたいのに、まだ走っていたいのに……まだ走らなきゃいけないのに……ッ!」

 

 怪我が悪化したのか、慌てて駆け寄ると手で振り払われた。

 

「来るな! 行けよ、先に! レースだろ!? 誰かが故障したからってレースで立ち止まるのか!? 違うだろ!? 行くんだよ!!」

「意地を張ってる場合じゃないだろう!?」

「そうか……それなら地を張ってでもゴールに行ってやる! お前がその気なら私だってそうだ!!」

 

 もう立てない脚で、彼女は必死に腕を伸ばして身体を引き摺った。

 

「私は、お前と……走れた事が……誇り、なんだ……ッ! ……憧れたんだ! 初めて、倒したいって……思った、相手なんだ!」

「もう良い! 分かった、分かったから……!」

「分かってないッ!! 私は、お前と走ってる時が、楽しくて……楽しくて、仕方なかったんだ……!」

 

 地面に身を擦りながら彼女は息絶え絶えになりながらも「なあルドルフ?」と問い掛ける。

 

「……私達のレースは、そんなに、悲しいものだったのか? もっと、もっと……素晴らしい、ものじゃ……なかったのか? ……お互いを意識して……必死に己を高めて……次の再戦に備えて……調整して……そうして競い合ったレースが、悲劇の一言で済まされてしまうような……安い、ものだったのか?」

 

 私は悔しいよ、ルドルフ。とビゼンニシキが初めて、嗚咽を零して泣いた。

 

「足枷になるつもりはなかったんだ……私は、お前に……前を向き続けて欲しかったんだ……」

「……ニシキ…………」

「行け、ルドルフ。行ってくれ、ルドルフ。私の想いを足枷にしないで欲しい……」

 

 このまま橋の向こう側まで行くのは容易かった。

 しかし、怪我を悪化させた彼女を置いて行くことはできない。

 なによりも、私がそうしたくなかった。

 

「ルドルフ……行けよ、ルドルフ。おい、何をするんだよ、おい?」

 

 だから、私は、彼女の身体を背中に担いだ。

 

「ビゼンニシキ、私は行くぞ。全てを背負って行くんだ。走れなくても良い、私の隣にはお前が居て欲しい」

「……ちょっと臭過ぎない? 違う意味にも取れるんだけど?」

「そうか? まあいい。共に行くぞ、ニシキ。先ずはあの橋の向こう側だ」

 

 出来るだけ身体を揺らさないように駆け出す。

 背中にウマ娘一人、背負っているにも関わらず、脚は軽くて仕方なかった。

 飛ぶように走る、彼女と一緒なら何処までも行けそうだった。

 

 ビゼンニシキがチームベテルギウスに正式加入したのは、その翌日の事になる。

 

 

 

 



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第20話:休息期間

 朝、目覚めると学寮の部屋で眠っていた。

 何時もの天井、何時もの壁紙、そして少し離れた場所に置かれたベッドには同室のシリウスシンボリが眠っているはずだ。

 窓からは鳥の囀る音が聞こえてくる。カーテン越しに差し込む太陽の光を見て、ウンと身体を伸ばして眠気を吹き飛ばした。今日は気分が優れている。これだけすっきりとした気持ちで起きられるのは何時ぶりだろうか。

 身体を起こそうとして、ずっしりとした重みに首を傾げる。

 誰かが布団に入っている? シリウスシンボリが寝惚けてしまったのだろうか、しかし髪色が違っていた。あいつはもっと髪が黒かったし、短髪ではない。顔は布団に隠れて見えない、恐る恐ると捲り上げると制服姿のビゼンニシキが眠っていた。

 ……これは、どういう、状況なのだ?

 困惑する頭で状況を整理すると、もぞりとビゼンニシキは身動きして目を覚ました。

 まだ眠たそうな目を擦り、じとっとした視線で私を見る。

 

「昨日のこと、覚えてる?」

 

 正直、よく覚えていない。

 とりあえず私は、その場で正座をして畏ってみた。

 先ずは、冷静に、状況を掌握せねば。

 ビゼンニシキは溜息を零し、責めるように私を睨みつけた。

 

「今日から此処に私も住むから」

「……ルームメイトのシリウスシンボリはどうしたんだ?」

「私の部屋を使ってるのって私だけだからね、自分だけの部屋を貰えるって言ったら喜んで交換してくれたよ」

 

 荷物は後で取りに来るんだって、そんなことを言う彼女を前に私は手で自らの目元を隠す。

 彼女が景気良く承諾する姿が目に浮かぶようだった。

 まあ、それは良い。良くないが、大事の前では些事というものだ。

 意を決して、問い掛ける。

 

「どうして私の布団に居るんだ?」

「連れ込まれたのは私なんだけど?」

 

 彼女の湿り気の強い目に、気圧されるように息を飲んだ。

 

「本当に覚えてないんだねえ」

 

 と彼女は呆れるように息を零した後、何か楽しいことを思いついたように悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 立てた人差し指で、私を指して、楽しそうに目を細める。

 

「ねえ、責任を取ってよ」

「それは、どういう?」

「んー? 言わなきゃわかんない?」

 

 くすくすと肩を揺らして、その人差し指を私の胸元に突き立てる。

 

「私の初めて、責任取ってよ」

 

 唾を、飲み込んで、理性を、働かせる。

 大丈夫だ、奴の制服がはだけた様子はない。

 

「……お前、そういう冗談を言う奴だったか?」

「そういう奴だよ。でも、これは私の不可抗力で初めてってのも嘘じゃない」

「どういう意味かは分からないが、取り返しの付かないことをした訳ではあるまい」

「ま、家族以外と初めて、布団を一緒にしただけだよ」

 

 くたり、と彼女は私の身体に寄り掛かってきたので抱き止める。

 

「ああ、左脚が痛い……」

「それは、うん……申し訳なかったというか、いや、でも、お前も……」

「保健室に連れてって、あ、でも、汗かいたまま寝たから先にシャワー浴びたい」

「いや、私には授業もあるし、それにトレーニングもだな……」

「今日のトレーニングは休み、ちゃんとトレーナーに伝えてある。あと授業はサボってよ」

「だが、しかしな……」

「あー、誰のせいで脚を悪化させたんだったっけなー?」

 

 ビゼンニシキは白々しく呟くと、にまにまとした笑みを浮かべてみせる。

 

「今日は一日、私に付き合うこと、これは決定事項だよ」

「……トレーナーに伺いを立てなくてはいけない」

「了承は取ってる。私じゃいうことを聞いてくれないって泣いてたよ?」

 

 意地でも休ませろってさ。と何時の間に連絡先を交換していたのか、スマホ画面を私に見せつける。

 SNS経由のトレーナーからメッセージには、私のことを任せる旨が書き記されていた。

 

「ルドルフ、君の体調管理は全て私に託された。君は少々無茶をする気質を持っているようだからね、これから先はずっと私に管理されながら生きて行くんだ。わかったかい?」

 

 だから、とりあえず、と彼女は両手を私に差し出して告げる。

 

「抱っこ、私を浴室まで連れて行くんだ。これはトレーナー命令だよ」

「……それは職権乱用が過ぎないか?」

「良いんだよ。同じウマ娘だし、同室のパートナーが言っているんだ。何も問題はあるまい」

「都合良く肩書きを変えるもんだな」

「最大限の結果を得る為に手段を選ばないのが私のやり方でね、それが最適解なら躊躇なく使うよ」

 

 にこりと微笑む彼女に、私は天井を仰いで大きく息を吐き捨てた。

 

「私からの心証はどうする? 損なうかも知れんぞ?」

「今更、何を言っているの。既に私達は信頼関係を築けてるじゃないか。であれば、何も問題はない」

「せめて、おんぶにさせてくれ……」

「御姫様抱っこで妥協してあげよう」

「何故、頑なに自分から地獄に足を突っ込もうとするんだ……」

 

 ビゼンニシキは自らの顎に人差し指を当てながら思案顔で答える。

 

「君が困惑する姿を見てるのは楽しいから、それ以外の理由が必要あるのかい?」

「よし、おんぶだな。それ以上の交渉の余地はない」

「仕方ない、それで妥協するよ。これ以上は機嫌を損ねて、御手洗いにも連れて行って貰えなさそうだからね」

 

 さっさと背中を向け給え、と顎で指示する彼女の姿に釈然としない思いを抱きながら背中を下ろす。

 

「……こういう事は他の者にもしているのか?」

 

 背後に流し目で問い掛けると「勿論」と彼女は得意げに頷いてみせた。

 

「パレードは何時も良い反応を見せてくれるから楽しませて貰ってるよ。ピロ先輩は何も言わずにすんなりと受け入れるから面白みがない。ラギ先輩はあしらい方が上手で、こういった事をいうとデコピンをされる。スズマッハは最初こそ嫌そうな顔をするが、結局、最後は折れて好きにさせて貰っているかな」

「……夜道では背中に気を付けるんだな」

「はて?」

 

 可愛げに首を傾げる好敵手の姿に私は大きく溜息を零した。

 いや、何事もなければ良いんだ。ただ夜道で最初に出会った時の彼女の事を思い返すに、ちょっと不安になっただけだ。

 多かれ少なかれ、彼女はそういう言動をする奴だった。

 冷静になった、今だから分かる。

 

「今は松葉杖もないからね、君が頼りだ。サービスで頭と背中も洗って貰えるかな?」

「……前は?」

「洗ってくれる?」

「いや、いい。私が悪かった」

「やけに非を認めるのが早いじゃないか」

 

 肩を竦める彼女を前に、これからの事を思って、頭を抱える。

 ずっと振り回され続けなくてはいけないのか。

 

「ちなみに昨夜の事だけど、君は眠る時に私の手を握りながらベッドで横になったんだ。んで私もシリウスのベッドを借りようとしたんだけどね。私の手を強い力で握って離してくれなかったから……」

「わかった。わかったから、それ以上は言わなくても良い」

「……随分と顔が赤いね。熱でも患ったのかな? ちょっと顔を上げてくれないかな。今、額同士を合わせて……」

「待て、待て待て、私を揶揄うのは後にしてくれ」

 

 ふむ、と彼女は頷き、仕方ないなぁ、と残念そうに距離を離した。

 もしかすると刺されるのは私の方かも知れない。と身の危険にブルッと体を震わせる。

 

 朝方、生徒達が授業に参加している中、寮長に頼んで特別に開放してくれた共用浴場。

 当然と云えば、当然だが浴槽に湯は張っていない。とりあえず彼女をシャワー前の椅子に座らせた私は、先ずはシャワーで雑に頭の天辺からお湯を流してやる。洗面道具なんかはまだ部屋に置きっ放しだったという事で、今日は私のシャンプーを貸してやる事にした。

 彼女の短い髪を後ろから両手で、わしゃわしゃっと洗ってやる。

 

「良い匂いがするね」

「ん、そうか? 定期的に企業から美容品が送られてくるんだ。テレビの取材で尻尾のブラシとか使っているメーカーを教えたら新作が発表される度に送られてくるようになったな。ニシキはそういう事はないのか?」

「ほとんどなかったかな? そういう話が来た覚えもない……いや、あった気がするけど、御歳暮代わりに関係者に送ってたら来なくなった」

「……普段、何を使っているんだ?」

「メーカーは知らない。でも、リンスインシャンプーってのを使っているよ」

「……ちなみに髪を短くしているのは?」

「洗うのが楽で良いじゃん」

 

 こいつ、そっち方面では無頓着なのか。

 更に問い質すと肌の手入れは化粧水を使っているだけだった。

 それもスズパレードに頼み込まれての事だったようだ。

 

「このシャンプーとリンス、トリートメントをやるから使ってくれ」

「いや、悪いから良いよ。高いんでしょ?」

「悪くないから使うんだ」

 

 ああ、うん。と彼女は流されるように頷き返す。

 

「見た目は気にしておけ、私の好敵手を名乗る相手が見窄らしい姿では私が困る」

「ウマ娘に必要なのは見た目ではなくて、脚だよ」

「その脚がない奴が何を言っているんだ。大人しく見た目も磨いておくんだ」

 

 ぐぬぬ、と不貞腐れる彼女の頭からシャワーを浴びせてやる。

 薄らと白い湯気が辺りを包み込んだ。少し冷えたので、私自身の身体にも少し掛けてから洗身用のタオルに泡を立てる。

 こいつは根っからのスポーツマンで女である事を半ば捨てている。

 私が、どうにかしてやらねばならない。と使命感を以て、彼女の背中を優しく磨いた。

 

「ああ、そういえば、次走は有マ記念だったね?」

 

 彼女の言葉に首肯する。

 

「人気投票では選出されるだろうしな」

「二度目の3冠ウマ娘同士の衝突、盛り上がるだろうね」

「まあ、決めたのは昨晩なんだがな」

 

 あれ、そうなんだ。と零す彼女に頷き返した。

 ジャパンカップでは、私の実力不足を痛感させられた。

 あの7センチメートルは運ではなく、戦略でもなく、明確な実力差による必然だ。

 それ故に一年間、己を鍛え直した後に再戦する腹積りもあった。

 

「カツラギエースが今年でトゥインクル・シリーズを卒業し、来年からドリームトロフィー・リーグに挑戦する事が決まったからな」

「逃げられる前にリベンジを果たしておきたいんだね」

「そうだな、勝ち逃げされるのは癪に障るからな」

 

 有マ記念は、ファンの人気投票ではあるが選出されたからといって必ずしも出走する訳ではない。

 少なくとも短距離マイラー路線のニホンピロウイナーとハッピープログレスは回避するはずだ。ハーディービジョンも選出されたとしても出走する事はない。

 今年の有マ記念では私、シンボリルドルフの他にミスターシービー、カツラギエースの三者によるレースになると言われており、出走を回避するウマ娘が続出するんじゃないかと言われている。

 そもそも出走枠の16名も埋まるのか怪しいところだ。

 

「有マ記念に関してはひとつ、盛り上げる腹案がある」

 

 前を洗っていたビゼンニシキが私の方へを振り返り、そして自分の前に座るように指で示した。

 

「ほら、交代だよ。髪と背中を洗ってあげるよ」

「……自分の髪にも無頓着な奴にか?」

「良いから良いから」

 

 言われるがまま、彼女の椅子を少しだけ後ろにズラしてから曇った鏡の前で背中を向ける。

 有マ記念の腹案とやらは気になるが、その話は後でも構わない。今は自らの髪を守る為に神経を集中させた方が良い。

 余談になるが、ビゼンニシキは髪を洗うのが上手かった。

 できるのにしない奴は厄介だな、と心から思った。

 

 午後の時間、保健室までビゼンニシキを運んだ。簡単な検査を受けた後、そのまま彼女を背負って私室まで戻る。

 少し早めの昼食を取った後、私は今はベッドの上で寝転がらされていた。ビゼンニシキは机の上でノートパソコンを立ち上げて、鞄からは数多の資料とメモ書きを広げた。

 休まないのか? と問えば、やるべき事があるんでね。と返される。練習がしたい、と言えば、今日は休む日、と言われた。私が横になる隣で彼女はノートパソコンのキーボードをカタカタと打ち鳴らす。何をしているのかを訊けば、未勝利のウマ娘達の情報を整理しているんだとか。彼女からすると未勝利ウマ娘達の片手間に私の面倒を見ているようだった。

 彼女は頑張っているのに私だけ眠るのは、なんとなく居心地が悪かった。

 ついでに云うと、なんとなしに気に入らなくもある。

 

 それに先日まで寝不足だったのに、今更、一人で眠れという方が無理なのだ。

 私の快眠には人肌の温もりが必要である。

 少し前まではトレーナーが付き合ってくれていたが、今は目の前に一人しか居ない。

 

 そして彼女の目元には私のトレーナーと同じく、薄らと隈が付いているのも見逃していなかった。

 私はベッドから立ち上がり、「あっ、えっ、ちょっと」と困惑する彼女の体を抱き上げて、そのまま私のベッドに連れ込んだ。

 そして、そのまま暴れる彼女を胸の中に抱き寄せながら瞼を閉じる。

 

「……これ、必要なの?」

「今の私には人肌が大切なんだ」

「まあ、それで体調が良くなるなら良いんだけどね……」

「それなら間違いない。大人しく眠るんだ」

 

 時計の針は午後1時、私は久方ぶりにぐっすりと眠りに就くことができた。

 起きたのは地平線の向こう側から太陽が出て来ようかという頃合、15時間近くもの快眠の末にビゼンニシキは私の胸でぐったりとしていた。

 快眠効果が実証されてから、私の練習効率も、彼女の作業効率も右肩上がりだ。

 それから効率主義の彼女がシリウスシンボリのベッドを使う事はほとんどなかった。

 

 

 

 



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第21話:世代対抗戦

感想返しは今夜中に行います。


 ジャパンカップから数日後の事だ。私、スズパレードは見た。

 トレーニングを終えた後、汗を流しに共用の浴場に足を運んだ時、彼女は居た。

 他のウマ娘達に視線を浴びるのも気にせず、3冠ウマ娘を扱き使って、自分の頭と背中を洗わせる彼女の姿があったのだ。

 あー、とか、んー、とか、低い声を零しながら為すがままに体を洗わせている。

 何を見ているのか、何を見せつけられているのか。

 鏡越しに私の姿に気付いたビゼンニシキが、やあ、と気さくに手を上げて声を掛けてきた。

 

「久しぶりだね、我が友よ。私は遂に皇帝を従えるまでに至ったようだ」

「誰が誰を従えているって云うんだ。ほら、お湯を流すぞ」

 

 言葉を妨げるようにシャワーの湯を掛けられたビゼンニシキは抵抗ひとつ見せずにお湯を当てられる。

 

「……いや、待って、何がどうなってこうなってるの?」

 

 困惑する頭、いや、二人はいつの間に此処まで親しい関係になっていたのか。

 

「知りたいかい? 私事で彼女と顔を合わせた時に左脚を悪化させてしまったんだ。その責任を取ってもらっているという訳だよ」

「悪化させたって!? それ、大丈夫なの!?」

「大丈夫、大丈夫、ちょっと治りが遅くなることになっただけだ。その長引いた分だけ彼女には私の身の回りの世話をして貰う事になった」

 

 3冠ウマ娘様を扱き使うのは気分が良いよ、と彼女は肩を揺らして笑ってみせた。

 ええ、なにそれ。ええ……

 思わず頭を抱えたくなる事態にシンボリルドルフは私を見て、「代わってくれるか?」と問い掛けてきた。

 

「正直、こいつは我が儘でな。やれ、あれをしろ、ほれ、これをしろ、とうるさいんだ」

「今しか味わえないんだから楽しまなきゃ」

「私は有マ記念に向けての準備もあるのだが?」

「大丈夫、進捗は順調だよ。元より君はオーバーワーク過ぎるんだよ。もう少し君のトレーナー君を信用し給え、彼女はああ見えて有能だ」

「それは分かっている」

 

 軽口叩き合えるほどに仲が進展してるんですけど、なにそれ羨ましい。

 いとも簡単に距離を詰めた彼女のことを妬ましく思い始めた頃合だ。

 ふむ、とシンボリルドルフが横目に私の顔を覗き見ると手に持っていた洗身用のタオルを私に手渡した。

 

「……ルドルフ、職務放棄?」

「私だって偶には一人でゆっくりと湯船に浸かりたいんだ。代わりが居るなら良いだろう?」

「まあ、構わないんだけどね」

 

 タオルを片手に恐る恐ると彼女の背中に近付いて、なんとなしに彼女の髪をスンと嗅いでみる。嗅ぎ覚えのない石鹸の香りがした。

 

「私の知らない女の臭いがする!?」

「これはこれで反応が楽しいし」

「お前、本当に何時か夜道で後ろから刺されるぞ?」

「大丈夫、パレードが私を刺す訳ないじゃない」

 

 とりあえず、彼女の体をゆっくりと丁寧に洗わなくてはならない。

 彼女の柔肌を決して傷つけないように……はあっ、はあっ、と荒い息が漏れる。

 

「もっと強く擦らないと綺麗にならないよ?」

「無理です! 私には、これ以上、力強くなんて……!」

「擽ったいだけだなあ」

 

 不満を口にしながらも、クスクスと肩を揺らす彼女に頭がおかしくなってしまいそうだった。

 

「スズマッハも居るんでしょ?」

 

 そう云えば、奥の隅っこの方でいそいそと体を洗っていたウマ娘の一人がピクリと反応する。

 

「最近、私のことを避けてるよね。悲しいなあ……」

 

 よよよ、とビゼンニシキが泣き真似をすれば、スズマッハは盛大に溜息を零して、歩み寄って来る。

 

「なに、私も体を洗えば良いの?」

「あげません!」

 

 私はビゼンニシキの身体を背中越しに抱き締めて、断固とした決意を以て、ガルルとスズマッハを威嚇した。

 

「……いや、取る気はないけどさ」

 

 スズマッハが、そんな私を蔑むように見下してくる。

 

「パレード。私の所有権を主張するのは良いけど、少し前からルドルフと同室しているんだよね」

 

 その言葉を聞いた時、様々な妄想が私の脳裏を駆け巡った。

 女同士、密室、数日間、何も起きないはずがなく……!

 全てを察した後、私は涙を流しながら浴場全体に響き渡る声で怒鳴り散らしていた。

 

「こいつら、うまぴょいしたんだ!」

「うまぴょい言うな」

 

 湯に浸かっているシンボリルドルフが頭を抱える。

 

「うまだっちしたんですか?」

 

 質問を重ねたのはスズマッハ。ビゼンニシキは意味深に笑みを浮かべることで答える。

 それを見て、私は感情を抑え切れなくなって、頭を左右に振りながら叫んだ。

 

「昔の女だって、すきだっちした癖にうまぽいするんだ!」

「おい、ニシキ。なにを楽しそうに笑ってんだ、この二人を早く止めろ」

「パレードって揶揄うと面白いんだよ」

 

 ケラケラと笑うビゼンニシキに「良い性格をしているよ」とシンボリルドルフは諦め混じりの大きな溜息を吐き捨てた。

 

「それで私のことを呼んだって事はなにか話したい事があるんだよね?」

 

 そんなスズマッハの言葉にビゼンニシキは首肯する。

 彼女は後ろを振り返って、皆の顔が見えるように、そして皆に自分が見えるように向き直った。

 ビゼンニシキは不敵な笑みを浮かべたまま、浴場にいる皆を見渡した。

 

「先ずはシンボリルドルフ、スズパレード、スズマッハ……」

 

 彼女は、それぞれに視線を送る。

 

「ハーディービジョン」

 

 湯船に浸かっていたウマ娘の一人が顔を上げる。

 

「ニシノライデン」

 

 頭を真っ白な泡だらけにしたウマ娘がギュッと目を閉じたまま、ビゼンニシキの方を見た。

 

「あとはゴールドウェイ、メジロシートン、キョウワサンダー辺りかな」

 

 それぞれ3人のウマ娘が反応を見せる。

 

「これは私が考えた夢物語、本来なら私自身が実行する予定だったんだけどね。もし君達にシニアクラスの先輩方と喧嘩をする気概があるのであれば、先ずは御清聴頂きたい」

 

 反応は良くもなければ、悪くもない。

 興味はないが、とりあえず話は聞いてやると言ったところか。

 ビゼンニシキは浴場内にる全員の注目を浴びながら語る。

 

「近年、有マ記念はファン投票によるグランプリレースであるにも関わらず、出走枠である16人を満たさない事が多い。その年の最強を決める夢のドリームマッチが聞いて呆れる」

 

 彼女は肩を竦めた後、その拳を握り締めて、皆を見た。

 

「出走することに意味がある、出走することが栄誉になる。やるなら今だ、3冠ウマ娘が世代を分けて2人も居る今だからこそ出来る。全国のウマ娘ファンで選ばれた、と自覚を持ち、誰もが出走したいと願う夢のグランプリレース。今の時代、それ相応のレースは日本ダービーを置いて、他にない。これはウマ娘全体の発展へと繋がり、これから生まれる全てのウマ娘達に希望を与える物語になる」

 

 概要を語り終えたところでハーディービジョンが挙手をして、口を開いた。

 

「それで具体的にどうするつもりなんだ?」

「シニアクラスに喧嘩を売る。これは世代を賭けた一大決戦、有マ記念は個人戦であると同時にチーム戦になる」

「それって、それって、ひとつ上の先輩達との対戦になるって事だよね!?」

 

 ニシノライデンが頭から湯を被り、ブルブルと身体を振って水気を飛ばしてから口を開いた。

 

「なにそれ、めっちゃ楽しそう!!」

 

 乗り気なのが一人、スズマッハが間髪入れずに問いかける。

 

「要は注目を浴びるって事だよね? 出走するだけで、出走する全員が顔を覚えられるようなドリームレース。でも、それってどうするの?」

 

 ビゼンニシキは人差し指を左右に振って、どや顔で告げる。

 

「策ならある!」

 

 そう言った時、シンボリルドルフが僅かに笑った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 数日後のウマ娘新聞の一面をシンボリルドルフが飾った。

 見出しにはこうだ。

 

 ――私達の世代は、上の世代よりも強い。

 

 それは全国各地、辺境にいるウマ娘ファンにも漏れひとつなく一斉に配られた。

 シンボリルドルフが発した一言は、この年の有マ記念は、本年度における最強ウマ娘を決める決定戦であると同時に、世代戦の様相を見せ始めていた。それぞれの世代が代表するウマ娘達が見出しに載せられる。

 その戦績が、その特徴が、そのエピソードが、メディア機関を通じて、SNSを通じて、企業と個人が入り乱れて、情報は瞬く間に拡散された。

 投票数は例年の倍以上、注目度は二乗以上だ。

 

 出走ウマ娘が変化する、全ての歴史が変化する。

 ハッピーミークは頭を掻き毟った。こんなの知らない! と周りからの視線も気にせずに叫んだ。

 物語はIFへと変化する。IFこそが、REALとなる。

 

 ミスターシービーvsシンボリルドルフという3冠ウマ娘同士の戦いから、ミスターシービー世代vsシンボリルドルフ世代という新たな舞台へと移り変わる。

 

 舐めるなよ、若造共が。

 ミスターシービー世代には、カツラギエースが居るぞ。スズカコバンが居るぞ。

 他にも多くのウマ娘が、その注目度から我こそはと名乗りを上げる。

 

 その勝負の行方は、どうなるのか分からない。

 最早、運命は誰かの手に委ねられるという領域を超えて行ってしまった。

 だが、これだけは分かる。

 全国のウマ娘ファンの誰もが確信した。

 

 今年の有マ記念は、歴代最高に熱いレースになる!

 

 

 

 



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第22話:ユメヲカケル!

 ふと通り掛かったコンビニで、会長の顔が目に入った。

 どうやら雑誌の表紙のようだ。タイトルには月刊トゥインクルと刻まれている。

 好奇心を抑え切れず、コンビニに寄り道して目的の雑誌を手に取ると再来週に行われる有マ記念の特集がまとめられていた。

 煽り文句はミスターシービー世代vsシンボリルドルフ世代。表紙の写真はミスターシービーとシンボリルドルフが互いを睨み合っている構図であり、表紙を捲ると折り畳みになったページに上下二段で、ミスターシービー世代とシンボリルドルフ世代の立ち写真がズラリと並んでいる。

 会長は嘗て、自分にはライバルと呼べる存在は居なかった。と言っていた。

 

 でも表紙にある会長の写真を見る限り、決して、そんなことはないと思うんだけどな。

 

 ジャパンカップの時よりも、凛々しい顔付きの会長を見て、少しだけ胸がすく想いがあった。

 有マ記念では、もっと素晴らしいレースを見せてくれるはずだ。中山レース場、場所は千葉県の何処か。足を運べない距離ではない、お小遣いさえどうにかなったら直に観戦してみたい。そのまま月刊トゥインクルを軽く流し読みをした後で、購入したスポーツドリンクを片手にコンビニを出ると「テイオーのアンポンターン!」と聞き慣れた声が聞こえて来た。

 声する方を振り向けば、師匠が泣きじゃくりながら何処ぞ彼処に向かって走っているところを見た。

 まあ、たぶん、私を探して街中を歩き回っていたのだろう。

 

「師匠ってば、仕方ないなあ」

 

 トン、トン、と軽く跳躍してから青いツインテイルを振り回す彼女の後を追い掛けた。

 元が私の身体だった為か柔軟性の高さは今でも健在だ。アスファルトの道路を踏み締めて、足首を使って地面を蹴り出した。推進力を殺す事なく、ほぼ真横に飛び出す走法を使って、ボクは数多くのGⅠレースを制覇してきた。風を切り裂いて、空を翔けるように、地面の上を滑るように駆け抜ける。

 そうすれば、まだ走り方も知らない師匠なんて簡単に追いつく事ができた。

 

「ターボ、どうしたの?」

 

 併走して、驚かせないように声を掛ければ、師匠は涙ぐみながらボクに飛び付いてきた。

 

「バカー! 私に何も言わずに遊びに行くなんてテイオーの癖に生意気だーッ!」

「あはは……遊びに来てる訳じゃないんだけどね」

「ん? 遊びじゃないの?」

 

 ボクの事を抱きしめたまま、キョトンとした顔を見せた師匠に言葉を続ける。

 

「トレーニングだよ、トレーニング」

「……トレーニング?」

「3冠ウマ娘になる為に今から出来る事をやっとかないとね」

「……3冠ウマ娘?」

「あー、えっと、ダービーとか、この前に観たジャパンカップとかで勝つ事だよ」

「あ、それなら分かる! ターボも勝ちたい!」

 

 カツラギエースのようにターボもなるんだ、と意気込む彼女を見て苦笑する。

 ツインターボの素質は決して高い訳ではない。いや、あの大逃げ戦法で重賞に勝つだけの実力がない訳ではないのだが、GⅠレースで勝てる程かと言われれば難しいところだ。並大抵の努力で彼女がGⅠレースで勝つことは不可能に近い。なんせ、あの時代にはボクが居る。ひとつ上の世代にはメジロマックイーンにメジロライアン 、メジロパーマーを始めとした強敵達に加えて、ひとつ下の世代にはライスシャワーにミホノブルボン。そして、その下には、あのビワハヤヒデまで居る始末だ。今更だけど、あの時代って本当に怪物や化物と呼ばれるウマ娘が多過ぎる。ナイスネイチャを始めとしたカノープスの面々も、もっと時代が良ければ、重賞やGⅠレースを取れていたはずだ。

 あの時代に産まれたからこそ、それだけ力を伸ばしたのかも知れない。

 

 歴史にIFはない。けど、この世界の未来は、まだ未確定だ。

 

 少し先の未来を思い浮かべて、くすりと含み笑いを浮かべる。

 師匠の爽快な大逃げがGⅠレースで決めたとするならば、それはきっと痛快に違いない。

 それを見てみたい、なによりも師匠の夢を頭ごなしに否定するのは違う。

 

 だって、彼女はツインターボなのだ。

 挑戦する前から諦めるのは、師匠らしくない。そんな師匠をボクは見たくない。

 どうせなら、応援したい。

 

「……GⅠレースに出走できるのは、本当に極々限られたひと握りだけなんだ」

 

 ふえっ? と首を傾げる師匠に話を続ける。

 

「限られたウマ娘がオープンクラスに上がり、その中で限られたウマ娘が重賞レースに出て、更に、その中で選別されたウマ娘がGⅠレースという大舞台に出走する」

 

 それでボクの前に立ちはだかるのであれば、それはそれで構わない。

 正々堂々と真正面から叩き潰してやる。

 

「GⅠレースで勝つっていう事は、十数人で行われるレースを何度も勝ち上がったウマ娘だけが出られる大舞台で勝利するって事なんだ」

 

 この時代のボクの夢を潰してしまうのなら、それはそれで構わない。

 それで負けてしまうのであれば、所詮、その程度の覚悟ってことだ。

 

「それだけの覚悟が、ターボにはあるの?」

「あるっ! 絶対にあるっ!」

 

 答えは分かっていた。

 それでも即答だとは思わなかったけど、彼女がそう答える事は分かっていた。

 だって、彼女はツインターボなのだ。

 

「ターボもジャパンカップで勝つから! テイオーにだって勝つ!」

「ボクも負ける気はないよ」

 

 でも、とボクは続ける。

 

「ボクが行っているトレーニングを教えてあげるよ」

「良いの!?」

「一緒の方が効率も良いからね」

 

 そう言って、ボクは師匠を連れて、とある神社まで足を運んだ。

 東京都にある神社。急勾配の石段を前で、しっかりと柔軟体操を施した。

 今すぐに走りたがる師匠を宥めて、30分にも及ぶ入念な準備の末に石段を駆け上がる。

 先ずはボク一人だけで、全力で駆け上がった後で息を整えながらゆっくりと下りた。

 そして二本目を全力で駆け上がる。

 幼い身体、先ずは体力作りが大切だと思って、何度も駆け上がってはゆっくりと下りる。

 三本目からは師匠もトレーニングに加わったけど、ボクが六本目に入った時点で、まだ三本目の師匠は息絶え絶えで階段を登っていた。ほとんど歩いているようなものだったけど、それでも走る意思を持ち続けている辺り、やはり根性はあるのだと思った。

 ボクが十本を走り切った時点で師匠は漸く、四本目を終えたところだった。

 

「はぁっ……ぜぇっ……もうだめ……なんで……ひゅうっ……テイオーは、そんなに……走れるの……?」

「ふぅっ……ボクは鍛えているからね……はぁっ……これぐらいしないと勝てない相手がいるんだ……」

「ぜひゅっ……明日も……はぁっ……続ける……の?」

「勿論、今日は身体を慣らすだけだけど、明日からは少しずつトレーニングメニューを増やしていくつもりだよ」

 

 まだ立ち上がることのできない師匠の横で、ボクは地面に線を入れてラダートレーニングと呼ばれるものを開始する。

 

「……ターボも、テイオーみたいになれる?」

 

 そんな弱音を吐く彼女に、ボクは少し思案してから答える。

 

「ボクの方が長く続けているし、年齢もひとつ上だからね。来年には、同じくらいのことはできるようになってるはずだよ」

 

 ボクも最初から出来た訳じゃないし、と笑顔を浮かべれば「ターボ、頑張る!」とボクの見様見真似でラダートレーニングを開始した。何度か足を縺れさせて、転倒していたけど、それでも諦めずに挑戦し続ける姿は刺激を受けるものがある。前はテイオーステップと呼ばれた足捌きを遺憾なく発揮してみせれば、師匠も負けじと脚の動作を早めた。

 

 そうして、幾つかのトレーニングを終えた後で家まで走って帰る。

 

 幸いにも師匠の家は財政的には豊かであった。

 ボクは食べる方ではあるけども、オグリキャップやスペシャルウィークのように大飯食らいではない。

 お腹いっぱいに御飯を食べた後、畳に布団を敷いて就寝する。

 朝に起きると、よく師匠がボクの布団に潜り込んでいた。

 

 そうして数週間が過ぎた頃合いだ。

 師匠が半死半生で石段ダッシュを十本、達成できるようになった時にボク達のことを遠目でじぃっと見つめてくる視線に気付いた。

 振り返ると阿吽の彫刻から、ボク達のことを伺うウマ娘が見つけた。

 

 あれは確か、ミホノブルボン?

 

「ターボ、あの子なんだけど……」

 

 地面に大の字で倒れる師匠に声を掛けると、彼女は倒れたままミホノブルボンを確認する。

 

「はあっ……ぜえっ……あの子もターボ達と一緒にトレーニングしたいの?」

 

 そういうと師匠は、ゆっくりと身体を起こして深呼吸をする。

 そして、無理やり呼吸を整えた後で、彼女の傍まで行って手を差し伸べた。

 

「ターボはね、3冠ウマ娘になるんだよ!」

 

 ん? 師匠の目標が大きくなってないかな?

 

「それでねテイオーはね、7冠ウマ娘になるんだよ!」

 

 あれ? ボクの目標設定も大きくなってない?

 

「当然、貴女もターボ達と一緒にGⅠレースに目指したいんだよね!?」

 

 さも当然のように言ってのける師匠に、ミホノブルボンは首を横に振ってみせる。

 

「いえ、私の目標設定はクラシック3冠レースです」

「ならターボ達のライバルだね!」

 

 それでも尚、握手を求めてくる師匠にミホノブルボンは首を傾げる。

 

「……その手は、何を意味しているのでしょうか?」

「私達は同じ目標を目指す仲間でライバル! なら友達だよ!」

「……そう、なのですか?」

 

 ミホノブルボンが助けを求めるようにボクを見つめて来たので頷き返した。

 

「うん、そうだね。ボク達は友達以上、仲間で好敵手になれる」

 

 ボクも彼女の傍へと近付いて、同じく手を差し出した。

 彼女は暫し、考え込んだ後にボク達の手を受け取る。

 

「認識を修正、同じ目標を持つ者同士は友達以上、仲間で好敵手になれる。認識しました」

「うん、これで友達だね! 私はツインターボ!」

「ミホノブルボンです」

「あはは……」

 

 噛み合ってるような、噛み合ってないような。

 それで、とミホノブルボンはボク達のラダートレーニングの跡を指で差した。

 

「あれは、何をしていたのでしょうか?」

「走るトレーニング!」

「走る? あれで、ですか?」

「テイオーが速くなるって言ってたよ?」

「テイオー、とは、貴女のことですね?」

 

 説明を求めます。と彼女は押しが強く、問い掛けてくる。

 詳しい訳じゃないんだけどね。とボクは骨折の療養期間中に得た知識を口にする。興味深く相槌をする彼女と比べて、小難しい話に飽きたツインターボは一人でラダートレーニングを始めてしまった。競うようにトレーニングをしてきたせいか、ツインターボの足捌きは随分と向上している。

 真似してみる? と問い掛ければ、では、と彼女は入念な柔軟体操に準備運動を始める。

 あ、意外とガチで乗ってきたな。

 

「手伝うよ」

「それには及びません」

「良いから、良いから、一人でやるよりも二人でやった方が効率が良いよ」

 

 そうして柔軟運動をし、彼女が遠い未来に脚部不安に苦しめられた事実を思い出して、柔軟体操と準備運動を怪我と絡めながら重要性を語る。そんなボクの蘊蓄を彼女は真剣に聞いてくれて、だからボクもつい熱が入って語り聞かせてしまった。トレーニングをする意味を、例えば何処を鍛えているのか、そういったことを語りながら一緒にトレーニングを続ける。

 その翌日からもミホノブルボンは毎日のように神社に訪れていた。

 石段ダッシュでは、ツインターボとミホノブルボンを交互で相手に全力ダッシュを繰り返し、三人で縄跳びや色んなトレーニングを繰り返した。ミホノブルボンの要望で軽く走り方を指導してみたり、長距離を走る為に必要なことも聞いてきたのでコツを教える。

 彼女達に教える事はボクの走りに対する理解を深める結果にも繋がった。

 努力をできるのが嬉しくて、競い合うのが楽しかった。

 

 有マ記念の開催が近付いてきた頃、見知らぬおじさんがミホノブルボンの隣に立っていた。

 

「君がブルボンのトレーニングに付き合ってくれているというウマ娘かな?」

 

 一度、顔を見ておきたかった。と彼はボクと師匠の目線に合わせて微笑んだ。

 

「ミホノブルボンの友達になってくれてありがとう。私は、ブルボンの父だ」

 

 そう言った後で、いつも行っているトレーニングを見せて欲しい。と言われた。

 ちょっとやり難い思いを抱きながらも、何時もと同じように柔軟体操や準備運動に30分以上も時間を掛けた後で石段ダッシュから始まるトレーニングを開始する。筋肉トレーニングは石段ダッシュの他に上半身を鍛えるトレーニングを幾つかする程度、今の時期に筋肉はあまり必要ない。体力作りという意味合いが強い。トレーニングの多くは敏捷力や俊敏性、脚のバネを鍛える事を重点においてトレーニングを行っていた。

 筋肉を重点的に鍛えるのはトレセン学園に入ってからでも遅くはない、とボクは勝手に思っている。

 時折、おじさんからトレーニングに関する質問が飛んでくるので、それに逐一答えた。ボクの知識は骨折をしている時に勉強をしたものがほとんどであり、その知識は曖昧になっている箇所も多かった。要点だけ、掻い摘んだ程度のボクの話をおじさんは無愛想に耳を傾ける。

 そんなことを繰り返した後で、粗方、トレーニングを終えた後におじさんがまた話しかけてくる。

 

「君は7冠ウマ娘になるらしいね」

「それは……まあ、そこまで公言したつもりはないけど……」

 

 でも、とボクは答える。

 

「ボクの当面の目的は無敗の3冠ウマ娘です。その先に目指すものがあるとすれば、7冠ウマ娘もあるかも知れない」

 

 ボクは縄跳びを両手に持って、久々に全力で振り回した。

 ほとんど目視できない速度の中で、手足の感覚のみで細かくステップを刻むように飛び続ける。

 おおっ! とツインターボが目を輝かせて、ミホノブルボンがポカンと口を開いた。

 

「レースには絶対はないけど、ボクには絶対がある」

 

 ふっ、ふっ、と息を零しながら限界まで速度を早める。

 

「……柔軟体操や準備運動が多いのは、怪我を恐れての事か?」

「そうだよ。それが一番、怖いからね。怪我で走れないのは一番、悔しいんだ……たぶん」

 

 ちょっと最後に言葉を濁したのは、今はまだ骨折をしていないからだ。

 

「テイオーって寝る前にも入念にストレッチするんだよ!」

 

 ターボも一緒にやってる、と師匠が片手を上げる。

 ふむ、とおじさんは顎を撫でた後、「なにか欲しいものはあるかな?」と訊いてきた。

 ボクは幾つかのトレーニング道具を思い浮かべながら、それとは全く別のものを咄嗟に口にしていた。

 

「有マ記念を観に行きたい」

 

 おじさんは渋い顔を見せた後、ミホノブルボンに視線を送ってから小さく溜息を零す。

 

「親御さんの許可を取ったら連れて行ってあげよう」

 

 そう言ってくれた。

 ツインターボの両親は、ミホノブルボンの事も知っていたのですぐに許可を取れた。

 今から月末の事を思うと夜も眠れなくなる。

 

 

 



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第23話:テンアゲでゴー!

評価バーが赤色で埋まってるの自作の長編では初めて見ました。
テンション爆アゲでありしゃす!


 ボク、トウカイテイオーはトレセン学園に脚を運んでいた。

 放課後に時間が出来たからビゼンニシキに連絡を取ると二つ返事で承諾してくれて、ボクをトラックコースにまで案内してくれる。

 そこにはシンボリルドルフが居た。月刊トゥインクルに載っていたニシノライデンの他にハーディービジョン、スズパレード、スズマッハが居る。シンボリルドルフ世代で代表するウマ娘が横一列にズラリと立ち並んでいた。

 これから何が始まるの? と隣に立つビゼンニシキに問い掛ければ、模擬レースだよ、と彼女は答えてくれた。

 

「十人立てって事で暇があるウマ娘にも協力して貰っている。とはいえ応募数の方が多くて選別に困ったけどね」

 

 ビゼンニシキが肩を竦める。

 話を聞けば、ジュニアクラスB組からも参加するウマ娘も居るようで、その一人がサクラユタカオーとの事だ。彼女が冠するサクラの名は、ウマ娘界隈では有名な名前であるようだ。他にも有名処としてはメジロの名がある。

 ジャパンカップで出会ったウマ娘達の名前にもメジロの名があったっけな。

 

「……ねえ、ニシキさん。この面子って有マ記念で参加するウマ娘達だよね?」

「そうだね。クラシッククラスの面子で行う特別練習だよ」

「本番前に敵同士で協力し合うの?」

 

 思った疑問を口にすると、ビゼンニシキは首を横に振る。

 

「普通はあり得ないけど、今回は世代対抗戦でもあるからね」

 

 トラックコースを使っている為にゲートがない。

 ウマ娘の一人が両腕を大きく開いて、パンッ、と乾いた音を響かせた。

 その音に合わせて、東京優駿に勝るとも劣らない面子のウマ娘が一斉に走り出す。

 

 レース場よりも近い距離で見る模擬レースは本番とは、また別の迫力がある。

 数多のウマ娘が地響きを鳴らす走りは、胸の奥まで振動が響くほどの力強さがあった。

 間近で見るシンボリルドルフの姿に興奮する、その走りを食い入るように見つめる。

 

 やっぱり彼女の走りは他のウマ娘とは違っていた。

 

 その際立って美しい走りには、ただただ見惚れるばかりだ。

 そんな彼女は序盤から中盤にかけて三番手から四番手といった好位置を維持して、第3コーナーから第4コーナーに掛けて徐々に加速を始める。

 最後の直線に差し掛かる。瞬間、バ群の最後方から力強い足音が地面を揺らした。

 殿付近から追い上げる二人の影、それは先行するシンボリルドルフ以上の末脚を以て猛追を仕掛ける。ハーディービジョンとスズマッハの二人組が二本の矢となってシンボリルドルフに襲い掛かった。そしてシンボリルドルフの前を塞ぐように乗り出したウマ娘が一人、ニシノライデンがシンボリルドルフの前を内から外に横切った。あからさまな走行妨害、横目にビゼンニシキを見れば、渋い顔で口を真一文字に閉ざしていた。

 接触を恐れたシンボリルドルフの脚が止まり、その隙を突いたハーディービジョンが彼女の横を抜き去る。

 しかしニシノライデンの末脚には今一歩届かず、競り合いの末にニシノライデンが一着をとった。

 シンボリルドルフは3着に終わる。

 

「やったー! 勝った、勝った!」

 

 両手を振り回しながらピョンピョンと跳ねるニシノライデンの姿にビゼンニシキは苦笑混じりに告げる。

 

「いや、斜行だからね」

「うっそだー! 真っ直ぐ走った!」

「そこまで言うなら映像を観る?」

 

 撮影していた映像データをノートパソコンに移して、ニシノライデンに見せる。

 最後の直線に差し掛かった辺りで、彼女は跳ね上がるように耳と尻尾をピンと立てた。

 それを見て、ビゼンニシキが満面の笑顔でポンと彼女の肩を叩く。

 

「君のトレーナーから斜行癖がある事は聞いているよ」

「ぴえっ!?」

「あんなのを本番でされちゃ敵わないから徹底的に矯正してあげる」

 

 とりあえず、後回しだね。とビゼンニシキはシンボリルドルフの側に歩いて行った。

 ボクも彼女の後ろをトコトコと付いて行ってみる。

 シンボリルドルフは白いタオルを首に掛けて、スポーツ飲料水を飲んでいるところだ。

 

「ルドルフ。私の走り方は私の理想であって、ルドルフの理想とは別物なんだよ」

「いや、しかし、この走り方をしている時の方が調子が良いんだが……」

「今まで自分の走り方を、しっかりと分析して来たことなかったでしょ? そりゃあ、私がトレセン学園に入る前から固めてきたフォームだから完成度は高いけどさ。もっと上を目指すつもりなら、自分用に調整をして行かないと……」

「ふむ、難しいものだな」

「本当は夏の時期にじっくりとやりたいことだけどね。そのままだと怪我しちゃいそうだから修正は必須だよ」

 

 シンボリルドルフとビゼンニシキが何を話しているのか、ボクには半分以上も分からなかった。

 ただ、怪我という単語が気になって「速いだけじゃ駄目なの?」と話の腰を折ってしまった。

 

「速さだけを追求すると脚に負担も掛かりやすいからね。それに長い距離を走れなくなる。故障する可能性も高くなるから自分の体格にあったバランスの良い走り方を模索する必要があるんだよ」

 

 人によって骨格も体格も違うから、それぞれの走り方を模索する必要があるんだけどね。と彼女は告げる。

 

「でもルドルフさんは3冠取ったよ?」

「彼女の場合は、生まれ持ってるものが違うからね。それにジュニアクラスの中では完成度も高い。けど一流のウマ娘、ミスターシービーやカツラギエースを相手にやって行くには不十分だ」

 

 君もスペック頼りの走り方をしてはいけないよ、とビゼンニシキがボクの頭を軽く撫でて来た。

 それからビゼンニシキは他のウマ娘と会話を交わしに行き、その間にシンボリルドルフは自分の走り方を確かめるように50メートル程度の距離を何度も往復して走った。

 全身を使って走る、というのはどういう意味なんだろうか?

 走る時に腕を振る。当然だ、その方が走りやすい。でも走るという行為は、脚を使うものだ。脚に力を込めれば、早く走ることが出来る。一瞬、地面を踏み締めて脚を溜めれば、爆発的な加速力を生み出すことも出来た。

 言葉では理解できても感覚的に掴めない謎に、その日は延々と悩み続けることになった。

 

「そういえば、ヘリオスは何処に行ったんだろ?」

 

 ふとビゼンニシキがポツリと呟いた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「あー、ほんと、今日という日こそ自分の距離適性を妬んだ事ないなあ……」

 

 世間が有マ記念に注目する中で私、ニホンピロウイナーは蚊帳の外である。

 人気投票では4位という位置に居るが、私が走りきれる距離は2000メートルが限界だ。

 骨折した影響もある。

 有マ記念の出走は回避し、来年春の短距離マイル路線に調整する。

 来年度の短距離マイルのGⅠレースを全て獲り、マイルCSで同一GⅠ三連覇のおまけも付ければ、誰もが短距離マイル路線に目を向けるはずだ。短距離マイル路線には、絶対の王者がいる。あのシンザンですらも敵わないかも知れないマイルの皇帝が居ると誰もが称賛する事になる。

 その為に必要なのは連勝だ、その為に必要なのは不敗神話だ。

 

 しかし、それでも、羨ましいものは羨ましい。

 

「グレス先輩〜、私も阪神カップに出ても良いですか?」

「おい、やめろ。おい、ふざけんな」

 

 ハッピープログレスが所属するチームのプレハブ小屋にて、牛乳たっぷりの珈琲を啜りながら問い掛けたらすっごい嫌な顔をされた。

 スズパレードは有マ記念に出走予定のクラシック組で共同練習に向かっており、それにタマモクロスも付いて行ってしまった。来年の春まで退屈な私は今、凄く時間を持て余している。ハーディービジョンの奴も有マ記念に出走するようでちょっかいを掛けに行くことが出来ない。

 その為、退屈な私は12月末に引退レースを行うハッピープログレスに茶々を入れに来た。

 

「先輩はドリームトロフィー・リーグに行かないって本当ですか?」

「私の実力では、あそこで活躍できないわよ」

「先輩なら行けますってー」

「今のドリームトロフィー・リーグって短距離マイル路線がほとんどないじゃない」

 

 世間的に盛り上がりが欠ける為か、彼女の言う通り、今のドリームトロフィー・リーグの本戦には短距離マイル戦がない。

 あるのは3200メートルのSDT(サマードリームトロフィー)と2400メートルのWDT(ウィンタードリームトロフィー)の2種目だけで私達のような短距離マイル路線のウマ娘には居場所がなかった。

 これはそのまま短距離マイル路線の人気のなさにも繋がっている。

 

「……一年だけ、待ってくれたら私が世界を変えてみせますよ」

 

 そう云ってみるが、ハッピープログレスは申し訳なさそうに笑うだけだった。

 

「私がGⅠレースで戦えたのは、対抗が貴女しか居なかったからよ」

「そんなことないですよ。貴女は確かに強かった。ミスターシービーやカツラギエースにも負けていない」

「……本物は貴女だけよ」

 

 でも、と彼女は儚げに微笑んでみせる。

 

「貴女にそう言ってもらえるのは嬉しいわね」

 

 世間が盛り上がる中、日陰者は虎視眈々と地位向上を目指し続ける。

 あの日のNHKマイルCのような盛り上がりを見せ続ければ、いずれ、あの日のジャパンカップのような名勝負を生み出せば、いつの日か、嗚呼、ビゼンニシキの離脱が余りにも痛すぎる。

 彼女の存在こそ、今の短距離マイル路線には必要だった。

 

「あ、これ、貰っても良い?」

 

 そう言って、返事も聞かずに小さな手を伸ばす誰かさん。黒鹿毛の髪に青いラインの入った幼いウマ娘はバリボリをクッキーを頬張っており、その姿を私とハッピープログレスはポカンとした顔で見つめていた。

 

「ねえ、グレス先輩。何時の間に子供を作ったんですか、流石に学生の内は不味いですよ」

「髪の色を考えたら貴女の子になるんだけど?」

「……親戚の子なんですか?」

「縁もゆかりもないわよ、貴女の親戚じゃないの?」

 

 やっば! と目を輝かせて、口の周りを汚しながら次から次にクッキーを頬張っている。

 

「……えっと、君、何処から来たの?」

「何処から来たって言われると校門からなんだけど、誰と来たかって意味だとシキ姉って人と一緒に来たんだけど、超クールなお姉さんと出会っちゃってテンアゲでゴーしちゃって、見失っちゃうし何処かに行っちゃうし、まじありえないっていうか、それで近場の人に話を訊いたら此処に案内されちゃったワケ!」

 

 ……早口過ぎるし、途中でよく分からない言語が混ざるし、話が飛ぶしで要領がいまいち掴めない。

 

「なるほど、そのシキ姉ってのが貴女の保護者なのね」

「あ、分かるんだ」

「この子、超クールなお姉さんに目を奪われて、保護者と逸れちゃったみたいよ」

「貴女が超クールとか言ってる姿ってシュールよね」

「とりあえずシキ姉って人のところに行けば良いのかしら?」

「えー、それめちゃ困るんですけどー!」

 

 幼子の抗議に私とハッピープログレスは困ったように互いを見つめ合った。

 

「シキ姉って誰のことかしら?」

「思いつくのはビゼンニシキだけなんだけど……」

 

 余りにも似ても似つかない二人の姿を照らし合わせて、首を横に振る。

 

「まっさかねー」

 

 この二人が仲良く話しているところがまるで想像できない。

 そもそもどうやって出会ったのかすら分からない。

 

「えっと、シキ姉って人との連絡を取れるかしら?」

 

 私の代わりにハッピープログレスが訊くと「取れるよ」と幼子は首肯して、たっぷりとシールを貼ってデコレーションしたスマートフォンを取り出した。

 

「でも私、シキ姉の所に戻る前に超クールなお姉さんに会いたいし? どうにかならないかな?」

「名前が分からないと探しようがないんだけど……」

「それな!」

 

 幼子は人差し指で私を指差して、そのウマ娘の名前を意気揚々と口にした。

 ちなみに幼子の名前はダイタクヘリオスと云うらしい。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「今度の有馬記念には、モンテファスト先輩が参戦するらしいな」

「コバンの出走も決まったわよ。あとティアラ路線からはロンググレイスも参戦するみたい」

「まるでお祭り騒ぎだな」

「実際、お祭り騒ぎでしょ」

 

 トレセン学園のトラックコースで俺、カツラギエースはミスターシービーから併走を続けている。

 クラシッククラスの連中は、打倒ミスターシービー世代を掲げて、ビゼンニシキを中心に定期的な模擬レースを開催する気合の入れようだ。それを受けてのミスターシービーからの誘いであり、俺は二つ返事で快諾した。スズカコバンは相変わらずマルゼンスキーの追い切りを受けており、誘うことは難しそうだ。

 今は休憩中でトラックコース脇でスポーツドリンクを飲み干している。

 

「貴女、有マ記念でも逃げるつもり?」

 

 今は協力関係にあるとはいえ、レース前に戦法を晒すのは如何なものか。

 いや、まあ、しかし、彼女の場合はどんなレース展開でも後方にポツンと一人なので関係ないか。

 

「逃げるつもりはねぇよ、あんな奇策を何度も使えるとは思ってねえし」

「それは残念」

「残念?」

「だって逃げてくれたらペース上がって、私が追い抜きやすくなるじゃない」

 

 その彼女の言葉にポカンと口を開けて見つめ返した。

 

「……お前、そんなことをいう奴だったか?」

「それだけ下の世代も強いって事よ。ルドルフは勿論、他のウマ娘もね」

 

 油断してると掲示板外に落ちるわよ、とミスターシービーが語る。

 

「そういえば、お前って最後方からの追い込みを止めようとしたことないよな?」

「まあ、そうね」

「戦法を変えようとは思わないのか?」

「変えようとは思った事あるけど……私にとってはこれが一番の戦法だし、今更変えられない事情もあるのよね」

「変えられない事情?」

「貴女も今に分かるかもしれないわ」

 

 そろそろ再開するわよ、と彼女が話題を切り上げたところで「ウェーイ!」と幼い声を上げた見慣れないウマ娘が駆け寄ってくる。

 両手を広げながら、キーンと俺達の前までやって来てピタッと止まった。

 

MJD(えむじぇーでぃー)!? バイブスまじやばいんですけど! うわー! どうしよ、どうしよ!? テンション爆アゲなんですけど〜!!」

「……えっと?」

 

 何処から入って来たのか。幼いウマ娘がトレセン学園に入ってくることは珍しいことじゃない。

 唐突な若者言葉にミスターシービーが困惑する横で、やっぱり彼女の人気は高いのだと再認識する。

 彼女のようなウマ娘が、未来のウマ娘に夢と希望を与えていくんだろうな、と。

 

「好きなウマ娘と出会って、テンション上がってるんだってよ」

「え、分かるの?」

「まあ、なんとなくな」

 

 そういうウマ娘、ウチのチームにも居るんで。

 

「シービーのファンなんだろうし、握手でもしてあげたら良いんじゃね?」

「あんたねえ……」

「私は知り合いに当たってみるよ。SNSで連絡を取れば一発だし」

 

 そういって荷物からスマートフォンを取り出した。

 その間にミスターシービーは困ったように、幼いウマ娘に向き直って名前を問い質している。

 

「私、ダイタクヘリオス! お姉さんって誰?」

 

 ……はっ? 天下の3冠ウマ娘様を相手に今なんと?

 いや、幼いから良いんだけど、テレビでも何度も放送されている顔だぞ。なんなら今の時代、名前はさておき顔写真はシンザンやハイセイコーよりも知名度高い可能性あるんだが?

 やっぱり、とミスターシービーは溜息を零して俺に振り向いた。

 

「役割交代ね、私がみんなに連絡を送るわ」

「えっ? いや、ちょっと待てって……俺が? 俺なのか?」

「当の本人が一番、あのジャパンカップの意味を分かってないのね」

 

 まあ、そんなもんかしら。とミスターシービーは俺の肩を叩いて、スマートフォンを取り出した。

 思考が止まる。目の前には、俺にキラキラと輝いた目を向けてくる幼子が一人。

 

「私、ダイタクヘリオスです! カツラギエースさんのアゲアゲな爆逃げはホンット最高で、まじリスペクトしてます! 私も大きくなったら爆逃げで会場を湧かします!!」

 

 あー、んー、えーと、つまり?

 助けを求めるようにミスターシービーを見た。

 彼女は苦笑してスマートフォンに視線を落とす。

 

「……応援、ありがとな。トレセン学園に来るのを楽しみにしてるよ」

「はい、有マ記念も爆逃げ期待しています!!」」

「まあそれは、レース展開にもよるだろうなあ……」

 

 言葉をボカすもキラキラした幼子の純粋な目を曇らすことは出来なかった。

 

「あの子、あそこに居た!」

「ほんっと子供の行動力と好奇心には付いていけないわね」

 

 遠くの方からニホンピロウイナーとハッピープログレスが駆け寄って来る。

 どうやら、ダイタクヘリオスの関係者のようだ。違ったけど。この後、直ぐに彼女がビゼンニシキの関係者だと分かり、何故か釈然としない様子のニホンピロウイナーがハッピープログレスと二人でダイタクヘリオスを引き取った。

 残された俺は溜息ひとつを零し、トラックコースに戻る。

 

「私の事情、分かった?」

「あー、んー、どうしよっかなー?」

「自分で決めれば良いのよ。でも、私としては逃げた方が良いと思うわよ」

「ハイペースになったら追い込み有利だもんな」

「その通り」

 

 俺が中指を立ててやると、彼女は楽しそうに笑ってみせた。

 これは取れる戦法、限られますわー。

 

 

 

 




ナウなヤングにバカウケ。


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第24話:愚妹と呼ばれたウマ娘

 嘗て、太陽の王子と呼ばれたウマ娘が居た。

 そのウマ娘は不良馬場を苦手としていたが、頭上に太陽が浮かんだ良馬場で強い実力を発揮した。

 クラシック戦では東京優駿と菊花賞では共に2着という結果に終わるも、オープン戦のプリンシパルSでは2着と7バ身の差を付ける圧勝劇を披露し、GⅡレースのセントライト記念では見事な勝利で飾っている。シニアクラスの1年目では、秋の天皇賞で2着、有マ記念では3着と十分な実力を見せつけて、彼女の全盛期となる2年目では、春の天皇賞と宝塚記念を連勝で飾る活躍を見せた。

 時には、無冠の帝王と揶揄されることもあったが、GⅠレースの最前線で結果を出し続けたその実力は決して、太陽の王子という名に相応しいものであった。

 それがモンテプリンスの泥臭くとも輝かしき経歴となる。

 

 今のウマ娘界隈には愚妹と呼ばれ続けたウマ娘がいる。

 クラシック路線の頃から常に大舞台で活躍を続けてきたGⅠウマ娘の妹という期待を背負うも、メイクデビュー戦を果たした初年度は3戦3敗という情けない結果に終わった。来年度、4戦目にして漸く、未勝利戦を勝ち上がるも1勝クラス戦で掲示板内の3連敗という結果に終えた後、脚部不安により長期休暇を余儀なくされる。11月に復帰するも勝ち切れず、またしても脚部不安に悩まされて長期休暇に入った。

 クラシッククラスを終えた時点で、8戦1勝。この時期から活躍を続けてきた姉の輝かしい戦績を比較して、何時しかそのウマ娘は愚妹と呼ばれるようになった。

 シニアクラスに上がった1年目で漸く2勝を果たすもオープンクラスには上がれず、2年目の夏に漸くオープンクラスにまで漕ぎ着けた。ここに至るまで、16戦も掛かってしまった。時間にすると3年間と9ヶ月である。

 秋に入った最初のレース、毎日王冠では6着。続く秋の天皇賞では4着と好成績を残した。

 そして21戦目。GⅡレースの目黒記念にて、初の重賞勝利を飾った。

 有マ記念の7着を経て、5年目の春。日経賞を4着で終えた私は、春の天皇賞に殴り込みを掛けた。

 

 そこで私、モンテファストは悲願のGⅠレースに勝利した。

 

 勝利した事も嬉しかったけど、トレーナーが澄まし顔で――――

 

「脚元が万全であれば、このメンバーを相手に勝っても驚くことではない」

 

 ――と、さも当然のように言ってくれたことが何よりも嬉しかった。

 

 姉と同じ春の天皇賞、この頃になるともう誰も私のことを愚妹と呼ぶ者はいなかった。

 姉と同じように宝塚記念にも出走するも13着、オープン戦を挟んだ秋の天皇賞では14着。長年、苦しめられた脚部不安もあり、私は長年付き添ってくれたトレーナーに引退を示唆される。親愛する彼が云うには、もう私の脚は限界なんだとか、無理をすると日常生活にも支障を来す可能性もあるのだとか。

 結局、私は姉には届かなかったんだな。と不貞腐れる毎日が続いた。

 トレーニングは続けていた。体力を維持する程度のものだったけど、これだけでも今の私にとってはしんどかった。

 日に日に引退の二文字が肩に伸し掛かって来る。

 

 そんな時に、テレビ放送でシンボリルドルフの口から大言壮語が飛び出した。

 世間は、ミスターシービー世代とシンボリルドルフ世代の対決に沸いた。

 その事が、何故だか私には許せなかった。

 蔑ろにされているようで、腹が立った。

 

 私は、姉であるモンテプリンスの事が嫌いだ。

 だって、ずっと比較されて来たので。姉の為人は嫌いではない。

 むしろ姉は好きだ。

 ただ単に私の精神性に問題がある。

 姉に劣等感を抱く自分が嫌いだ。

 

 もう少しだけ走りたい、あと一戦だけ走りたい。

 姉は春の天皇賞と宝塚記念を取っても年度代表ウマ娘には選ばれなかった。

 秋にひょっこりと出て来て、有マ記念だけ掻っ攫ったウマ娘に全てを持ってかれてしまったのだ。

 それだけ有マ記念の1勝は、重い。

 

 だから、私は、有マ記念の1勝が欲しかった。

 ドリームトロフィー・リーグで活躍する姉の鼻を明かしてやりたかった。

 姉は心優しいウマ娘だ。姉は愚妹と呼ばれる私にも優しく接し続けて来た、気に掛けてくれた。

 でも、私のことをウマ娘として見てくれた事は、ただの一度としてなかった。

 

 私は、宝塚記念には勝てなかった。

 でも有マ記念で勝てたなら、宝塚記念に勝った姉よりも上だと言って問題ないと思うのだ。

 今年の有マ記念には、ミスターシービーが居る。シンボリルドルフが居る。カツラギエースが居る。

 例年以上にレベルの高いレースになるはずだ。

 それでも、だからこそ、今年度の有マ記念に勝利する事には価値がある。

 

「姉さん、うん……うん……そうだね、脚の調子は悪くないよ」

 

 ワイヤレスのイヤホンを耳に付けて、スマートフォンの画面には姉の一文字が表示されている。

 誰もいないトレセン学園の校舎裏で密やかに通話していた。

 他愛のない会話を経て、私は静かに息を吸い込んで、反骨心混ざりの決意を口にした。

 

「私ね、有マ記念に出走する。そして、姉さんよりも上だって証明する」

 

 姉が口を閉ざした数秒後、短い言葉で返してくれる。

 

『ファスト、頑張れ』

 

 どうしてだろうか。

 そのどうしようもない程に優しげな声を聞くと、

 自分が、惨めで、ちっぽけで、情けなくて、泣き出したくなる。

 どうして私と姉は此処まで違うのか。どうして私は姉の妹なのだろうか。

 どうしようもない程に嫌っていて、どうしようもない程に愛している。

 震える声で通話を切った後、私は目元を拭った。

 愚妹と呼ばれた私の事なんて、世間の誰も期待していないはずだ。

 だからといって、負ける訳にはいかないのだ。

 私はもう、勝つしかない。

 

 ズズッと痛む脚を引き摺った。

 まともにトレーニングを積む事もできないまま、有マ記念の日はやって来る。

 やるだけの事も出来ず、私は最後の大舞台に脚を踏み入れるのだ。

 

『どれだけ首を長くした事でしょうか!? 私達は待っていた、この瞬間を待ち望んでいた! トゥインクル・シリーズ! 王道路線の終着点、有マ記念! ファンの期待を背負ったウマ娘が続々とコース場に姿を現します! 此度の有マ記念は一味違う、今年を代表するウマ娘の揃い踏みだッ!!』

 

 来場者数は過去最高、中山レース場を埋め尽くす大観衆の歓声が地面を揺らした。

 心臓を直接、叩かれるかのような衝撃に踏み出すのを躊躇し、意を決して(ターフ)に脚を踏み入れる。

 勝つよ、姉さん。

 28度目の挑戦、過去5年間の集大成。終着点。

 胸に思い浮かべたのは、最も嫌悪する最愛の姉だった。

 

 

 




次回、有マ記念。


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第25話:有マ記念

長らくお待たせしました。
書くのに随分と時間が掛かりました。
労力の割に読みにくかったので、たぶん同じことは二度としないです。


 12月第4週、中山レース場。有マ記念。

 ウマ娘の三女神も本日を待ち望んでいたのか、快晴の良馬場で絶好のレース日和と相成りました。

 入場者数は過去最高を記録しており、多くの観衆に見守られながらの開催となります。

 パドック会場も例年以上の熱気と賑わいを見せております。

 

 さあ、カーテンの向こう側から最初のウマ娘が姿を現します。

 


▼パドック早見表

1枠 1番11人:スズマッハ

1枠 2番 6人:ニシノライデン

2枠 3番 1人:ミスターシービー

3枠 4番 8人:メジロシートン

3枠 5番 4人:スズカコバン

4枠 6番 2人:シンボリルドルフ

5枠 7番 7人:トウショウペガサス

5枠 8番 9人:サクラガイセン

6枠 9番16人:キョウワサンダー

6枠10番 3人:カツラギエース

7枠11番13人:ダイアナソロン

7枠12番10人:ロンググレイス

7枠13番 5人:デュデナムキング

8枠14番12人:モンテファスト

8枠15番14人:スズパレード

8枠16番15人:ハーディービジョン

 

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◾️1枠1番スズマッハ

 

 1枠1番スズマッハ。本日は12番人気。

 戦績こそ10戦2勝、されど侮るな! 東京優駿では惜しくも2着で破れましたが、最後の直線で見せた最後方から彼の皇帝を追い詰めた猛追劇は今も記憶に新しい! 続くセントライト記念では3着、京都新聞杯でも3着、菊花賞4着と東京優駿から続くクラシック路線4レースを掲示板内に収める安定した結果を残し続ける実力者でもあります!

 決して侮れるウマ娘ではありません!

 追い込み一気の末脚は、この大舞台でも冴え渡るのか!

 鈴風スズマッハ。気合は充分、鋭い双眸が睨み付けるはゴール板か、同期の好敵手か!?

 それとも、まだ見ぬ歴戦のウマ娘か!?

 

 入場時、例年以上の熱気を見せる会場の空気に呑まれたようにも見えましたが、今は持ち直していますね。

 良い状態を保っています。シンボリルドルフが居なければ、ダービーウマ娘になっていたかも知れないウマ娘です。

 もしかしたらがあるかも知れませんよ。

 それにしても、今日の盛り上がりは異様です。

 先ずは、この大歓声によるプレッシャーを退けるところが最初の登竜門になりそうですね。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 耳につけた鈴の飾りが、リンと涼しげな音を鳴らした。

 パドック場に姿を出した時、出迎えてくれた歓声の余りの大きさにビクリと身を震わせる。

 皐月賞の比ではない。菊花賞でも、まだ劣る。東京優駿でも、まだ足りない。

 

 震える体を引き締めて、確と前を睨み付けた。

 こんなところで臆してはいられない。これから戦う相手は今まで以上の難敵だ。

 勝てる見込みは万に一つもない。

 のであれば、万が一にも満たない勝機だけは絶対に逃さない。

 

 シャン、と鈴の音を鳴らした。

 今日の他ウマ娘が発する重圧に比べれば、この程度の観衆は屁でもない。

 私、スズマッハは勝ちに来たのだ。

 

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◾️1枠2番ニシノライデン

 

 神戸新聞杯で2着、京都新聞杯で1着。菊花賞で3着。

 潜在能力は未知数の天真爛漫なウマ娘、夏の死闘を経て有マ記念に殴り込み!

 1枠2番ニシノライデン!

 重賞を一つ含めた12戦4勝、このウマ娘には戦績以上の怖さがある!

 本日は6番人気に推されています!

 

 少し落ち着きがないのが気になりますね。

 この大歓声に臆している訳ではなさそうですが、これがレースにどう響いて来るのか気になるところです。

 それに彼女には斜行癖がありますからね、それもまたきちんと克服できているのか。

 良い意味でも、悪い意味でも、見所の多いウマ娘ですね。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 はえ〜、すっごい! すっごい!

 こんな大観衆に見守られながら走るのは初めてだ。

 ピョンと跳ねながら両手を振って、皆の歓声に応じる。

 私、ちゃんと頑張るからね!

 怖いビゼンニシキの下で必殺走法だって身につけて来た!

 もう絶対に斜行なんてしないもん!

 

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◾️2枠3番ミスターシービー

 

 ファン投票数は歴代1位、人気投票も1位!

 ならば、勿論、着順も1位だ!

 鮮烈ッ! 苛烈ッ! 存在そのものが常識破りのウマ娘の名は、2枠3番ミスターシービー!

 前走のジャパンカップでは2着と破れましたが、それは決して彼女の格を落とすものではありませんでした。

 殿一気の豪脚は未だ健在!

 彼女が走る全てのレースが名レース!

 菊花賞で見せた常識外のロングスパートは、今も鮮明に思い返すことができます!

 さあ、ウマ娘史上に残る名レースをもう一度、見せてくれ!

 戦績は12戦8勝! 内4勝がGⅠレース!

 我らが3冠ウマ娘が地面を揺らして今、中山レース場に馳せ参じるッ!!

 

 纏っている雰囲気が他のウマ娘とは違っていますよ。

 気合の乗りも充分、やはりミスターシービーと云ったところです。

 この大観衆を前にしても欠片も動じていません。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 今日という日を待ち望んでいた。

 過去一番の大喝采は、肌が痺れるような衝撃を伴った。

 秋の天皇賞には勝てたが、ジャパンカップで負けてしまった。

 秋古馬3冠の目が消えて、落胆したファンも多いはずだ。

 それでもなお、いや、前以上の歓声によって出迎えられる。

 勝たねば、と思う。勝ちたい、と願う。

 勝ってやる、と決意を新たにする。

 

 ズン、と地面を踏み締める。

 鍛え上げた強靭な脚力は、背景と共に全てを後塵に拝する。

 私はミスターシービー、日本を代表する3冠ウマ娘。

 今日もまた規格外の意味を教えよう。

 

 

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◾️3枠4番メジロシートン

 

 名門メジロ家からも参戦だ!

 クラシッククラス、3枠4番メジロシートンは8番人気!

 春は善戦に次ぐ善戦に苦しみクラシック路線に乗り遅れましたが、夏から本格化!

 直近では、5戦3勝。オープンクラスに上がってからはアルゼンチン共和国杯を含んだ3戦2勝!

 アルゼンチン共和国杯では、12人のシニアクラスを相手にたった1人で返り討ち!

 戦歴は10戦5勝と今乗りに乗っているウマ娘です!

 

 この観衆を前に動揺を隠せていませんね。

 レースまでに立ち直れば良いのですが、どうでしょうか。

 会場の空気に呑まれていますよ。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 余りにも大きすぎる歓声に身が竦んだ。

 頭の中が真っ白になって、呆然と立ち尽くしてしまった。

 今まで戦って来たレースとはまるで違っている。

 これがGⅠレース、これが日本最高峰のレース。

 指先が震える、唇が震える。全身がガクガクと震え出した。

 駄目だ、何も考える事ができない。

 視界が何も見えない、頭の中に何も入って来ない。

 そんな中で映ったのは、幼い妹達の姿だった。

 それ以外は何も記憶に残っていない。

 でも、私は黙って片腕を上げた。

 拳を握り締めて、ゆっくりと観衆に背を向ける。

 他は何も覚えていない。

 でも、それだけで良かった。

 アルダン。

 マックイーン。

 ライアン。

 パーマー。

 ドーベル。

 彼女達の顔を胸に刻んで、前を見た。

 妹達に格好良いところを見せる。

 それだけの為に私、メジロシートンは走れる。

 

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◾️3枠5番スズカコバン

 

 大阪杯では3着、宝塚記念では2着。

 今年はGⅡレースだけで2着が4回、今年の優勝歴は京都大賞典ただ1つ!

 実力は充分、しかしあと一歩が届かない!

 ファン投票では5位、レース前の人気投票では4番人気!

 21戦5勝、重賞2勝! 今日こそGⅠレースのお立ち台に立つ姿を見せてくれ!

 玄人に根強い人気を誇る3枠5番はスズカコバンだ!

 

 ミスターシービー世代では、常に実力上位と目されて来たウマ娘です。

 同期のカツラギエースとは違って、高い確率で掲示板内に収まる安定した走りを見せており、実際に順位の上ではカツラギエースに勝る事も多いです。それは同時に上振れも少ないことを意味します。

 とはいえ実力は侮れません。今日こそシルバーコレクターの名を返上して欲しいものです。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 主役になる存在っていうのは、何時だってキラキラと眩く輝いている。

 こいつは他とは違うなっていうのは、初めて顔を合わせた時からは分かるもんで、当時はまだ身の程知らずだった私はミスターシービーにニホンピロウイナー。それにカツラギエースを加えた接点のない三人組を一つにまとめて、これからの時代は私達が牽引するんだと意気込んだ時期もあった。

 最初は私だけが頭一つ飛び抜けていた。

 あの時はまだ、ミスターシービーは常識というものに囚われていた。才能だけで走るニホンピロウイナーも私の敵ではなく、カツラギエースは気持ちだけが先行して空回りするばかりであった。

 まだ粗削りなところの多い仲間達を相手に気持ちよく勝ち続けていたのが私だ。

 慢心する私に、本物を見せ付けたのがマルゼンスキー先輩で、毎日のように追い回されていたのに、気付いた時には肩を並べて、簡単に追い抜いていってしまったのが仲間の三人組であった。

 

 私達の世代は、四強の名で語られる事が多い。

 ミスターシービーは勿論、ニホンピロウイナー。カツラギエース。

 そして私、スズカコバンの四人だ。

 

 とはいえ実績で云えば、私の名は他三人と比べて格落ちしている。

 他三人はGⅠレースを3勝以上しているのに、私は重賞レースに幾つか勝つだけでGⅠレースを獲った事はない。そんな私が四強の一人と認識されるのは、ミスターシービーとカツラギエースの対抗に成り得る存在が私以外に居ない為だ。

 誰かに期待されている訳ではない、ただレースのちょっとした刺激になれば良い程度の存在だ。

 

 貴女には素質がある、とマルゼンスキーが私に云う。

 ミスターシービー、カツラギエースも同じ事を口にした。

 でも、違うんだ。

 確かに私は人並み以上に走る素質はあるかも知れない。

 でも主役に成り得る存在っていうのは、他の奴らとは輝き方が違っている。

 全身から強い光を放って、見る者全てを魅了する。

 

 そういう他とは違う何かを持っている連中が大舞台で勝利する。

 

 あと一歩で勝てない。

 それが何度も続くということは、実際には見た目以上に実力差があるという事だ。

 私と他三人との間には、クレバス程の隔たりがある。

 

「今日こそ期待してるぞ、コバンちゃん!」

「センター、勝ち取れよ!」

「そろそろ真ん中で踊ってるところを見せてくれ!」

 

 そんな言葉を受けて、私は片手を振り上げて応える。

 ファンサービスは大切だ。私のような勝ち切れないウマ娘は、彼らの存在によって支えられている。

 特に引退後とか。

 顔を売る機会が多いと解説席に呼ばれる事も多いし、テレビに呼ばれる機会も増える。

 賢く生きなければ、夢を見ているだけで良い年齢は過ぎた。

 

「……がん……ばって?」

 

 パドックの先頭に近い位置に、ふわふわした髪の幼いウマ娘がしどろもどろに告げる。

 その子を見ると赤くした顔で気不味そうに目を逸らすから、私は小さく微笑んで対応した。

 皆に手を振り、そしてパドック場を後にする。

 

 これでも頑張ってるよ。

 勝ちたいに決まってんじゃん。

 あと一歩が届かない。

 頑張っても、頑張っても、届かない壁がある。

 私には、ずっと、何かが足りていなかった。

 

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◾️4枠6番シンボリルドルフ

 

 このウマ娘には、前口上は必要ない!

 史上初の無敗の3冠ウマ娘! 4枠6番はシンボリルドルフ!

 ファン投票は3位! 人気投票では2番人気!

 ジャパンカップのリベンジなるか!?

 

 これは……少し掛かり気味でしょうか。

 いや、なんというか、何時もよりも、子供っぽい?

 いえ、なんでもありません。

 不適切な発言を申し訳ありませんでした。

 普段とは違う様子、これは吉と出るか、凶と出るか。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 脚が、軽かった。

 ふわりと浮き足立った感覚に、トンと地面を蹴れば何処までも跳んで行けそうだった。

 気分が高揚している、胸の高鳴りを抑え切れない。

 口元は自然を笑みを浮かべており、気を引き締める事ができなかった。

 なんというか、ムズムズする。

 この状態が良いのか、悪いのか、判別が出来ない。

 ただ、分かるのは、楽しみ、という事だ。

 早く走りたくて仕方ない。

 体全身がウズウズしている。

 嗚呼、楽しみだ。

 まるで童心に帰ってしまったかのようだ。

 だから、私をあまり待たせるな。

 走りたくて、走りたくて、仕方ない。

 今日の私は、何かがおかしかった。

 

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◾️5枠7番トウショウペガサス

 

 続く5枠7番はトウショウペガサス、今は彼女の事を知る者は少ないでしょう。

 彼女は府中ジュニアSを勝ち、続く朝日杯FSではホクトフラッグとのアタマ差の激戦を繰り広げました。

 しかし脚部不安に悩まされ続けて、クラシック路線では掲示板内に入る事もできず、再び脚を悪くしての戦線離脱。シニアクラス一年目ではプレオープン戦で2着になるも、その一戦だけで再び脚部を痛めてしまいます。

 彼女の歴史は、常に脚部との戦いでした。

 二年目のシニアクラスでは、プレオープン戦で善戦するも3着、2着とかつて見た彼女の脚からは程遠いものでした。

 しかし、彼女は帰ってきた!

 プレオープン戦を着実に勝ち抜いて、毎日王冠で4着! 秋の天皇賞で4着!

 そして、ダービー卿Cでは漸く! 漸く、彼女が勝利しました!

 三年ぶりの重賞制覇!

 私達は待っていた! ジュニアクラスの時からのファンも多いぞ!

 あの夢の続きを見せてくれ!

 戦績は重賞二つを含んだ18戦6勝!

 トウショウペガサスは7番人気だ!

 

 実況の方は少し入れ込み気味のようですね。

 気持ちが先行して、掛かってしまったようです。

 何処かで息を入れられれば、良いのですが。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 アズマハンター。

 バンブーアトラス。

 ハギノカムイオー。

 ホリスキー。

 

 あの時、クラシックレースで、

 競い合ったウマ娘は、私が怪我をしている時に皆、居なくなってしまった。

 次は彼女達とまともに戦えるように療養生活に励んだけど、

 皆、私が復帰するよりも先に引退してしまった。

 

 脚の調子は良いとも、悪いとも、どちらとも付かない。

 知っているウマ娘が誰も居ない大一番、あの時は、こんな事になるとは思ってもいなかった。

 正直、有マ記念に出るかどうかも迷った程だ。

 

 世間はミスターシービー世代とシンボリルドルフ世代で盛り上がっていたしね。

 今更、私のようなロートルが出しゃばったところでね、と。

 でも、それは出来なかった。

 有マ記念のファン投票で、私が出走を濁した時に多くの御便りが来た。

 もう一度、見せて欲しい、と。

 私の万全の走りが見てみたい、と。

 本当に、多くの御便りが届いた。

 正直、引退も考えていた。

 でも、これじゃあ辞められない。

 誰かが私の走りを信じてくれている限り、私は走り続ける。

 どれだけボロボロになっても、私は走る。

 私の走りに夢を見るファンが居るのなら、その期待に応えたい。

 

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◾️5枠8番サクラガイセン

 

 西にメジロ家があるならば、東にサクラ一門があり!

 5枠8番サクラガイセン!

 あまりオープン戦には姿を現さないウマ娘ですが、底知れない実力を感じさせます!

 特にこの有マ記念までは怒涛の4連勝!

 プレオープン戦とはいえ、ノリに乗っているウマ娘の一人!

 戦績は16戦7勝、9番人気です。

 

 本格化するまで時間が掛かったウマ娘ですね。

 今年の初めと比べて、まるで別人のような体付きですよ。

 良い走りを見せてくれる気がします。

 戦績以上の実力があるのは、間違いありません。

 掲示板内は固いと思いますよ。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 なんで、重賞レースの初戦が有マ記念なんでしょうか?

 ウマ娘トレーナーのサクラシンゲキに物申したい。

 いやまあ、今までも全て内容も確認せずにガイセンガイセン言って、出走していた私も悪いかも知れない。

 今年だけで私、13戦もしてるんだって。これで14戦目だよ。凄くない?

 通りで何時もレースばっかりしてる気がしてたよ。

 

 いつものノリでガイセンガイセンって言ってたらね。

 なんかおめかしされてね、凄く豪華な勝負服を着せられてね。

 そして、今、大観衆の前に立たされています。

 あまりの雰囲気にスタッフに話を聞くと有マ記念だってさ。

 私、先週まで他人事のようにテレビで話題に上がるのを観てたよ。

 出走する側とは思わなかったよ。

 

 でもまあやる事は何時もと同じ、最初にゴール板を横切って勝利の凱旋すれば良いんだ。

 うん、やる事シンプル。シンプルイズベスト。私、迷わない。

 いや、無理だよ。だって、有マ記念だよ? GⅠレースなんですよ?

 タスケテ、ダレカタスケテ。

 

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◾️6枠9番キョウワサンダー

 

 去年の十月から今年の四月までに12戦!

 未勝利で敗北し続けた異例の戦績を持つウマ娘、6枠9番キョウワサンダー!

 走ったレースは19戦! 勝利は、たったの三度のみ!

 13戦目の未勝利戦と15戦目の1勝クラス!

 続くオープン戦では2着! 2勝クラスでは3着!

 格上挑戦のローズSでは、8着!

 1勝クラスでしか勝てない18戦2勝のウマ娘が次に選んだのは、秋華賞!

 ギリギリ滑り込めた14番人気で、第4コーナーから大外一気の末脚大爆発!

 なんとびっくり優勝だ!

 有マ記念でも、その末脚を爆発させる事はできるのか!?

 今回もまた16番人気と人気は振るっていません。

 

 人気は当然です。

 まぐれですよ、あんなの。

 ええ、まぐれです。

 私は言いました。

 桜花賞で1着、オークスで2着。

 サファイアSでは1着で秋華賞トライアルレースのローズSでも3着。

 他のウマ娘とは違って、常に安定した戦績を維持するダイアナソロンが1着になると。

 それが、無名ウマ娘が大外一気であんな末脚を魅せるなんて誰が予想できますか!?

 ネットでお笑い者ですよ!

 私、もうテレビで順位予想するのやめます!

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 ……なんで、私って此処に居るんだろ?

 秋華賞を獲った勢いで有マ記念も行っちゃいますか! みたいなノリで出走登録をして、まあ人気投票足りないから登録だけして笑い話にしようかなって、そんなノリで出走したんだ。実際、人気投票では届いてなかったんだよ。ちゃんと確認してから出走登録してみたんだよ、ちょっとイキッてみたかっただけなんだよ。

 ニホンピロウイナーとハッピープログレス。それにゴールウェイと他にも何人かが出走回避して、なんか通っちゃいました。「ワンチャン狙ってみた!」みたいな感じでテヘペロ感出してたのに、本当に通っちゃった気不味さですよ。

 というか、なんで私にファン投票が集まってるんですかね。

 トレセン学園に所属する2000人の内、20位台だったんですよ。

 悪ふざけで入れないでくださいよ。

 人気投票で16番目の最下位にするなら最初から入れないでよ。

 走らなきゃ駄目? 駄目ですよね。

 あーうん、吐きそう。

 胃が辛い……

 

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◾️6枠10番カツラギエース

 

 大一番でのズッコケ大将!

 秋の天皇賞は嫌な事件でしたね……!

 ある時はGⅡ大将! ある時は特攻隊長! ある時は史上最高峰の名ウマ娘!

 記録に残るし、記憶にも残る!

 気合と根性を胸に抱いた自称インテリ派!

 ジャパンカップの大逃げは衝撃的でした!

 今日を見せるは、どの顔か!?

 ハマるのか、ハマらないか!?

 戦績は3つのGⅠレースを含んだ22戦10勝!

 予想屋泣かせの彼女の名は、6枠10番カツラギエース!!

 我らが愛され大将はファン投票2位の3番人気だッ!!

 

 気合の入り方が他とは違いますね。

 とはいえ、それは彼女にとっては当然のことです。

 問題は、その気合が良い方に転がるか、悪い方に転がるか。

 1番人気に押せない理由が、此処にあります。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 史上最多の大観衆、その歓声を全身に受けて身震いする。

 これだけのウマ娘ファンが一堂に会して、今か今かと俺達のレースを待ち侘びてやがる。

 浮かんだ笑みは如何なる意図があっての事か。

 さあ、目に物を見せてやる。

 今日という日に俺のレースを観に来たウマ娘ファンに幸福を讃えよう!

 拍手喝采の準備をせよ!

 今日を生きよ! 今日を全力で生きる事も出来ない奴に明日は訪れねえ!

 俺様、カツラギエースが今日もまた世界を震撼させてやる!

 

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◾️7枠11番ダイアナソロン

 

 クラシッククラス、ティアラ路線の実力派!

 7枠11番ダイアナソロンは13番人気!

 ティアラ路線では桜花賞1着、オークス2着、秋華賞3着と安定した実績を持つウマ娘です。

 しかし前走のジャパンカップでは、14着と振るわなかった点が今回の人気低迷に繋がってしまったか。

 クラシック路線と比べて、実力不足と見られるティアラ路線。

 その評価を此処で巻き返して欲しい!

 

 ティアラ路線は、ウイニングライブに力を入れていますからね。

 その分だけライブの練習に時間を取られてしまって、トレーニングする時間が削られてしまいます。

 レースを重点に置いたクラシック路線のウマ娘と比べて、実力が劣るのは仕方ないかと思われます。

 とはいえティアラ路線による芸能方面の進化は凄いものがあります。

 どちらが良いかは一概には言えませんが、ティアラ路線のライブは一見する価値はあります。

 ちなみに私は断然ヤマノシラギク派です。

 ティアラ路線では振るいませんでしたけど。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 入学時に見た興行中のヤマノシラギクは、理想の御姫様だった。

 その息遣いに魅了され、その仕草に心を奪われた。ウイニングライブでの彼女の立ち振る舞いを見た後では、クラシック路線の歌や踊りは子供騙しにしか感じられなくなってしまった。

 本物を見た私が目指すのは歌って走れるウマ娘で、その為にティアラ路線に参戦した。

 クラシック路線のウマ娘と比べると、歌や踊りに割く時間は多くて、余った時間を全てレースに捧げてもクラシック路線の過酷なトレーニングには追い付けない。

 気付いた時には、もう隔絶とした差が生まれていた。

 それでも私は夢を諦めきれず、だから私は有マ記念への出走を決断する。

 負けるつもりはない。

 負けるつもりはないが……勝つのが難しい事も理解している。

 

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◾️7枠12番ロンググレイス

 

 現女王、ティアラ路線の最強ウマ娘!

 7枠12番ロンググレイスは10番人気!

 去年はローズSから秋華賞を制覇し、エリザベス女王杯をも手中に収めて、GⅢレース中山金杯を制覇した後、次走の大阪杯では2着。京都大賞典2着を経た、秋の天皇賞では3着の結果を残しました。

 そして、少し前のエリザベス女王杯では連覇を果たしたウマ娘です。

 役者は充分! 実力も充分!

 世代対抗戦と聞いて、シニアクラスのティアラ代表として有マ記念に馳せ参じました!

 

 堂々とした立ち振る舞いを見せています。

 気負いはありませんね。

 彼女のライブを見る為にレース場に訪れる人もいる程ですからね。

 こういった歓声には慣れているのでしょう。

 良い勝負をするかも知れませんよ。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 ティアラ路線に参戦した事を私は誇りに思っている。

 クラシック路線が走りで人々を熱狂させるというのなら、私は歌と踊りで人々を歓喜の渦に誘おう。

 天使のような微笑みで見る者を全てを魅了して、甘美な声で聴く者全てを誘惑する。

 とはいえ、クラシック路線特有の全身全霊の勝負が織り成す泥臭いドラマチックなレースにも憧れを持たない訳でもない。

 そういう勝負に憧れて、私はクラシック路線でも走り続けている。

 本職は歌と踊りで、走りは趣味の領域を超えない。

 それでも本気の趣味だと自負している。

 決して、クラシック路線を侮っているつもりもない。

 私は、私なりに走る事について、本気で向き合っているつもりだ。

 全身全霊で走る姿に、全力全開で挑戦する姿に、人々は魅了されるのだ。

 

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◾️7枠13番デュデナムキング

 

 去年の有マ記念では2着のウマ娘、7枠13番デュデナムキング!

 中山記念で1着になった後、春の天皇賞で17着と奮わず、続くオールカマーでは7着と調子が危ぶまれていました。

 しかし前走の秋の天皇賞ではミスターシービーに次ぐ2着となりました。

 人気が高い時は結果を出さず、人気が低い時に結果を出す事からレース前には必ず新聞を読んでいるとまことしやかに囁かれているウマ娘でもあります。事実、前回の有マ記念では12番人気、前走の秋の天皇賞では8番人気。春の天皇賞とオールカマーでは共に2番人気でした。

 今回は5番人気、果たしてどちらに転ぶのか!?

 

 流石に有マ記念ともなれば、実力のあるウマ娘が揃っていますね。

 しかし今回は例年よりもレベルが高いですよ。

 彼女もまた歴戦のウマ娘、期待をして行きたいですね。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 新聞なんて読んだことはないですよ。

 何時も全力で走るけど、それが偶々結果の出たレースで人気が低いというだけの話だ。

 それをジンクスのように語られると、ちょっとなんだかなっていう感じだ。

 でもまあ、私は全力で走るだけだ。

 去年は17戦。その過酷なスケジュールが祟ってか、今年は脚部不安に悩まされて今回を含めた5戦のみだ。

 折角、調子が出てきたところだったんだけどな。

 決してカツラギエースやミスターシービーに素質という点で負けているとは思っていない。

 勿論、リードホーユーにもだ。

 

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◾️8枠14番モンテファスト

 

 今年の春の天皇賞覇者! 8枠14番モンテファスト!

 春の天皇賞の姉妹制覇は歴史的偉業!

 嘗て愚妹と呼ばれ続けた妹は、姉を超えることは出来るのか!?

 27戦8勝! 主な優勝歴は目黒記念と春の天皇賞!

 11番人気です!

 

 ……頑張って欲しいですね。

 近頃は結果が奮いませんが、長年の努力に裏打ちされた実力は決して侮れるものではありません。

 解説として、このコメントは間違っているのでしょうが……

 ええ、本当に。頑張って欲しいです。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 パドック場に向かう途中で顔だけは知っているウマ娘とすれ違った。

 確か、彼女はスズパレードという名前だったか。どうだったか。

 まあ気にする必要もないか、と思って、脇を通り過ぎようとした時の事だ。

 

「……貴女には、心が折れた経験はないのですか?」

 

 恐る恐る、といった声色で問い掛けてきた。

 どうして、私に、そのような質問をするのか分からない。

 でも、心当たりがあるとすれば、姉の事か。

 

 今からレースをする相手にする質問じゃない事に微かな苛立ちを覚えつつも、端的に答える。

 

「何度だって、折れてるよ」

 

 偉大過ぎる姉の側に居続けて、

 比較され続けて、

 走っても走っても勝てない日々が続いて、

 何処に走っているかも分からず、

 何の為に走るのかも分からなくなって、

 それでも挫けずに走り続けた私が手にしたものは、

 姉と同じ春の盾だった。

 

「私からすれば、貴女も才能に恵まれているから」

 

 私は、この舞台に立つ為に四年間の歳月を必要とした。

 脚部不安にも苦しめられた。

 重賞の舞台に立つだけで三年間の歳月が必要だった。

 それを半分以下の年月で立つ事ができた彼女は、余りにも恵まれ過ぎている。

 オープンクラスに上がるまでにかかったレース数は16戦。

 重賞勝利を得るまでにかかったレース数は21戦。

 春の天皇賞を獲るまでかかったレース数は24戦。

 その数値は私の卑屈な自尊心だ。

 姉と同じ頂きに辿り着いた時、この胸に湧いた感情は歓喜ではなかった。

 どうだ、見たか。と今まで私を見下してきた者達への復讐心だった。

 称賛を素直に受け取れず、それまでの旅路を美化する周囲に反吐が出る。

 拗れに拗れた感情は、姉にも向けられた。

 私が歩んだ道のりは姉と同じものではない。

 これは、これだけは、私だけのものだ。

 ちっぽけな宝箱に収めた、ちんけな宝物。

 

 人は一人では生きられないと云う。

 確かにその通りだ。誰もが知らずの内に支えられている。

 その上であえて云いたい。

 罵倒されて、莫迦にされて、誰からも期待されず、たった一人でも走り続けた。

 差し伸べられた手もあった。

 でも、同情心からの手助けは真っ平御免だ。

 私は、私自身でも疑心暗鬼になりながら駆け続けた。

 手の平返しが気持ち悪くて仕方ない。

 

 春の天皇賞は、私一人の勝利だ。

 文字通りの一人勝ち。

 それは誇りでもあって、同時に自己嫌悪の対象でもあった。

 

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◾️8枠15番スズパレード

 

 今年のクラシック路線を陰ながら支えた功労者!

 共同通信杯から東京優駿まで続く4連戦を掲示板内に収めた実力は本物!

 ラジオNIKKEI杯では重賞勝利を飾り、シニアクラスの混じる福島記念でも遺憾なく実力を発揮しました!

 8枠15番はスズパレードは14番人気!

 先行からの直線の粘りに定評があります!

 

 今年のクラシック路線は彼女の名前をなしには語れません。

 ラジオNIKKEI杯ではクラシック路線を直走るウマ娘達のレベルの高さを実証し、福島記念でも今年のクラシッククラスのウマ娘がシニアクラスのウマ娘に見劣りしないことを証明いたしました。

 今年はレベルが低い? とんでもない。

 シニアクラスのウマ娘とバリバリに張り合える彼女が掲示板内にしか入れないのが、今年のクラシックレースなのです。

 少し元気がないのが気になりますが、私が期待しているウマ娘の一人です。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 自分の手を、開いて、握り締める。

 ゆっくりと顔を上げると今まで見た事もないような大観衆が私に向けて歓声を送った。

 決して、人気が高い訳ではないのに、これだけのファンが私に期待をしている。

 瞼を閉じる、思い浮かべるのはビゼンニシキの背中だった。

 私は何時も彼女の後ろを追いかけている。

 そして、きっと、これからも延々に追い続けるのだろうと思った。

 尊敬している。憧れている。

 何時か彼女の隣を走ることを夢見て、走り続けていた。

 彼女の背中を追いかけるだけで、全てが事足りていた。

 これから、私は、何処に向かって、走れば良いのだろうか。

 私では彼女のように走れない。

 それでも、これからも、走り続けなくてはならない。

 私は不器用だから、踠いて、足掻いて、苦しんで、そうして走り続けるのだと思った。

 とりあえず、先ずは一戦。

 このレースを足掻く事から始めてみたいと思います。

 

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◾️8枠16番ハーディービジョン

 

 最後はこのウマ娘! 当代三強の一角!

 先月のマイルCSは記憶に新しい! しかし1800メートル以上のレースは今日が初めて!

 7戦3勝! 生粋のマイラーと目されてきた彼女の脚に距離の壁はあるのか!?

 ミスターシービー、スズマッハに続く殿一気の3番手!

 8枠16番ハーディービジョン!

 人気は15番目とやや不満の御様子!

 

 彼女の素質は今日の面子の中でも上位にありますよ。

 特にミスターシービーを彷彿とさせる末脚は、あのシンボリルドルフを以てしても勝るとも劣りません。

 クラシックレースでの二人の衝突を見てみたかったですね。

 ビゼンニシキを含めた三強対決も見てみたかった。

 ……とはいえ、やはり気になるのは距離の壁ですね。

 彼女は上位に食い込む可能性も、最下位に落ちる可能性もあります。

 今回のレースで最も読みにくいウマ娘の一人でしょう。

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 随分と出遅れてしまったな、と思う。

 シンボリルドルフは言わずもがな、ビゼンニシキの活躍は今もファンの記憶に根強く残っている。

 それに比べて、私は、まだ何も為していない。

 三強とは名ばかりで実際には一強、ビゼンニシキに配慮しても二強が良いところだ。

 ビゼンニシキには距離の壁があった。

 しかし私は距離の壁はない。

 私が短い距離を走るのは怪我の影響を考慮しての話であり、決してマイラーという訳ではない。

 ビゼンニシキでは辿り着けなかった。

 しかし私なら目指すことのできる頂きだ。

 目指すは何時だって頂点。

 3冠ウマ娘なんて関係ない。

 有マ記念は私が貰ってやる。

 

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 パドックも終わりまして、各ウマ娘がコース場に移動を開始します。

 全てのウマ娘を一通り見て、如何でしたでしょうか?

 

 やはり、今年は全体的にレベルが高いですよ。

 ミスターシービー、シンボリルドルフ、カツラギエースの三つ巴になるかと思いましたが……

 もしかしたら、と思わせるウマ娘が多数出走していますね。

 正直、今ではレース展開が予想できません。

 もしかするとTTG以来、レベルの高いレースを期待できるかも知れません。

 

 はい、ありがとうございます。

 それでは各ウマ娘のコース場での準備運動を見ながら改めて振り返ってみましょう。

 今から発走が楽しみで仕方ありません。

 

 

 

 




余談ですがアンケートで順位は変わらないので、その辺りは安心して投票してください。


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第26話:剃刀の切れ味

本作品は、ウマ娘プリティーダービー二次創作「最強の戦士」を勝手ながら応援しています。


 年末の中山で争われる夢のグランプリレース、有マ記念。

 貴女の夢、私の夢は叶うのか。

 

 3番人気は特攻隊長カツラギエース。

 今日も果敢に逃げるのか、ジャパンカップの勝利はまぐれなのか。

 気合は充分、吠えろカツラギエース!

 俺達は、お前の激走に期待する。

 

 2番人気は皇帝シンボリルドルフ。

 ジャパンカップでは、惜しくも3着に敗れましたが無敗の3冠ウマ娘の名の格は決して衰えてはいません。

 僅か7センチメートルの差を埋めることはできるのか。

 

 1番人気は規格外ミスターシービー。

 走る全てのレースが名レース、演出家とも名高い彼女の末脚に魅了されたウマ娘ファン過去最多。

 今年、カツラギエースとは3度の激戦を繰り広げております。

 この有マ記念ではシンボリルドルフを含めた3強の争いが期待されております。

 

 また世代対抗戦と銘打たれた本レース。

 クラシッククラス、シニアクラス。そしてティアラ路線からも有力なウマ娘が多数出走しております。

 シンザンから続いた歴史を過去に、現在を未来に。

 3冠ウマ娘が二人も生まれて、ジャパンカップでは初めて日本のウマ娘が勝利した今年は何かが違います。

 ウマ娘を愛するファンならば、彼女達を通じて、胎動する何かを感じている事でしょう。

 さあ、歴史が変わる。

 新しい時代の開幕を共に見守りましょう……!

 

 今ゲートインが完了して、出走の準備が整いました。

 有マ記念……今、スタートが切られました。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 出遅れは、ない。

 全員が一斉に揃ったスタートの中でカツラギエースがハナを切って先頭を走る。

 その背中を追いかけるように私、シンボリルドルフが徹底マークを仕掛けた。私のすぐ後ろにはスズパレードとニシノライデンが付けて来る。

 肌がチリチリする、今までのレースとは皆の気迫が違っていた。

 ジャパンカップでの海外ウマ娘には、何処か余裕があった。気負っていたのは日本のウマ娘ばかりであり、海外のウマ娘は何処か日本を侮っている節があった。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで日本まで来たウマ娘も居たに違いない。

 しかし、この場に居る全てのウマ娘が、たった一つの勝利を掴む為に手を尽くし、知恵を振り絞っている。

 出走する全てのウマ娘が一流で、重賞レースに勝利できるだけの実力を持っており、あわよくばGⅠレースにも手が届く能力を備えていた。

 楽しいな、と笑みを浮かべる。

 脚が軽くて、余りにも軽過ぎて、トンと空高くまで飛んで行ってしまいそうだった。

 タン、タン、タンとリズムを刻んで軽快に位置を上げる。

 カツラギエースに一人旅は許さない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 始まったな。

 私、ビゼンニシキは観客席の後方からダイタクヘリオスを肩車して、コース上を走るウマ娘達を見守る。

 各ウマ娘が横一線に揃った綺麗なスタートから各々が得意な位置にバラけていった。

 

 先頭はカツラギエース。

 ジャパンカップで味を占めたのか、それとも何か掴むものがあったのか。

 逃げる姿に迷いはなかった。

 

 その直ぐ後ろに付けたのはニシノライデン。

 外側にシンボリルドルフ。ジャパンカップの再現は許さないとでも言いたげにピッタリとカツラギエースの斜め後ろに付けている。

 三人の後ろには先行策を取ったスズパレードが果敢に攻めての四番手の位置取りだ。

 

 四人の後ろに付けるのはトウショウペガサス。

 1バ身の差を置いて、バ群を率いるのはメジロシートン。

 その後ろに内をサクラガイセン、外をダイアナソロンと続いて、

 ロンググレイスとモンテファストも横に並んでいる。

 スズカコバンは此処に居た。

 バ群の最後方を走るのは、デュデナムキング。

 

 更に1バ身が開いて、スズマッハ。

 ハーディービジョン、ミスターシービーの順番で縦に並んだ後、

 最後方をポツンと走るのはキョウワサンダーだ。

 

 少し縦に長い展開か。

 私ならシンボリルドルフの後ろを取って、ずっとシンボリルドルフのマークをする。

 最後の直線まで力を溜めて、カツラギエースとシンボリルドルフを競わせた後、漁夫の利を得るように前に抜け出す。

 そして、そのままミスターシービーの追撃をも振り切って、ゴール板を駆け抜ける。

 私が勝つとすれば、その展開しかない。

 

「カツラギエース、勝てるかな?」

 

 ジッとレースを見つめるダイタクヘリオスが、頭の上から問い掛ける。

 私は序盤の攻防を終えて、展開が落ち着き始めたのを見守りながら口を開いた。

 

「まあ難しいだろうね」

 

 今回のレース、一筋縄ではいかない。

 なんせ私が授けた策がある。

 最後の直線が今から楽しみで仕方なかった。

 

「絶対、勝つし!」

 

 と頰を膨らませるダイタクヘリオスを無視して、先頭付近を見つめる。

 楽な展開にさせてやるもんか、と悪戯っぽい笑みを浮かべて。

 私では無理だけど、彼女ならそれが出来る。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 中山競馬場2500メートル内回り。

 第3コーナーから第4コーナーに入るまでは、平坦な道が続いている。

 まだレース開始直後、速度も出せない混戦状態では外に膨れる事もなく、コーナーを曲がり切って大歓声に出迎えられた。

 若干の下り坂の後、100メートルで高低差2メートル以上の坂を駆け上がる。

 

 ここでトウショウペガサスが速度を落とす。

 逆にメジロシートンが坂を駆け上って、二人が横並びとなった。

 スズパレードは――落ちて来ないか。先頭三人と中団との差は2バ身程度、どの程度から仕掛けて行くべきか。

 坂を登り切った後、更に200メートルをかけて、高低差2メートルの坂を駆け上がり、第2コーナーから向正面に向けて、登った分の坂を降って行った。全ウマ娘の速度が上がる。

 私、スズカコバンも下り坂のコーナーで乱れたバ群の間を縫って、体をバ群の外へと放り出した。

 下り坂の勢いを利用して、先頭との距離を詰める。

 早仕掛けになるが仕方ない。勝ちを目指すなら、これしかない。

 背後に控えるミスターシービーから出来るだけ距離を取っておく必要があった。

 脚が縺れるような高速レースから、第3コーナーに突入する。

 

 外側へと膨れ上がるウマ娘達から逃れるようにスズパレードのすぐ後ろへと付けた。

 さあシンボリルドルフが仕掛ける前に、奴の鼻先を捉えておきたいが……と思った矢先に、ズン、と地面が揺れる錯覚があった。

 来る、と身が震えた。最後方から地均しをしながら、襲いかかって来る。

 ミスターシービーがやって来る。

 最後方から放たれた矢から逃れるように、私は先頭を目指して駆け出した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 第2コーナーから向かい正面、乱れるバ群の外側からスズカコバンが位置を上げて行ったのを観客席から見た。

 ボク、トウカイテイオーは今日も今日とて最前列、手に汗握る緊張感に塀をギュッと握り締める。

 シンボリルドルフはまだ仕掛けない。実況が、ジャパンカップに続いてハイペースな展開だと言っていた。

 

 速度を上げたまま、第3コーナーに差し掛かる。

 シンボリルドルフは良い位置をキープしている。

 最後の直線でビューンと抜け出すのが彼女の走りだ。

 大丈夫、と自分自身に言い聞かせて、レース展開を見守った。

 

 高速で曲がるコーナーに、バ群がやや横に広がった。

 その最内を走るのは先頭集団ではシンボリルドルフただ一人、カツラギエースが若干、外に膨らんで、スズパレードとニシノライデンもまた最内を突けずに居る。

 よし、行ける! と確信した時、ズン、と会場全体が揺れる錯覚があった。

 

 そんな事が、あり得るはずがない。

 ある得るはずはないが――この感覚は、ジャパンカップでも味わった。

 たった一人のウマ娘が唸りを上げて、駆け上がって来た。

 今回は、それが三人だった。

 

『最後方からミスターシービー! そしてスズマッハとハーディービジョンが駆け上がった! キョウワサンダーは出遅れた! ポツンと一人を残して、先頭を目掛けて三本の矢が放たれる! まだコーナーの途中、果たして最後まで届くのか!? カツラギエースとシンボリルドルフを射止める為のロングスパートだッ!!』

 

 最内をミスターシービー、大外をスズマッハ。そしてバ群の中心を掻き分けるのはハーディービジョン。

 それぞれが、それぞれの道筋で仕掛けたスパートに、その勢いの凄まじさに息を飲んだ。

 

『後ろから追い立てられるように中団のウマ娘達が続々とスパートを掛ける! まるで追い込み漁! 捕まるのは誰か、生き残るのは誰か!? 意地を見せられるか!?』

 

 殿一気の三人娘、先頭集団の四人には動きは見られない。

 まだ起こり得る波乱の予感に呼吸するのも忘れて、ただただ見続けることしかできなかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 かつて映像で観た時とは面子も展開も違い過ぎていた。

 もしかしてがあるのか、万が一があるのか。

 観客席の最前列でボク、キセキノテイオーは息を飲んだ。

 勝つ、勝つよ。会長が勝つに決まっている。

 そう信じていても一抹の不安を拭きれずにいる。

 

 右手にミホノブルボン、左手にツインターボ。

 二人の保護者として、繋ぎ止めていた手を強く握り締める。

 どうなるの? とツインターボが問い掛けて来た。

 カツラギエースファンの彼女に遠慮して、分からない。と端的に答える。

 レースに集中して、展開を見守った。

 

 大丈夫、最後の直線で抜け出すのは会長に決まっている。

 カツラギエースが粘ったとして、最後に競り合うのは会長とカツラギエースの二人の勝負だ。

 全員が自分の得意な位置に付いており、マークする相手が三人もいる現状だ。

 それなら実力のある者が優位に立つのは当然の経過だ。

 

 そう信じて、電光掲示板から目を離し、目視できる第4コーナーの先を見た。

 シンボリルドルフの勇姿を出迎える為に。

 バ群を引き連れて最後の直線にやって来たのは――――

 

『さあ最後の直線だ! 外から抜け出したのは――外からニシノライデンッ!?』

 

 ――まるで子供のようなウッキウキの満面の笑顔で全力疾走するウマ娘だった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「いよし! 良くやった、ライデンッ!! 最高だッ! 完璧過ぎるッ!!」

 

 ニシノライデンが先頭に抜け出した瞬間、私、ビゼンニシキは歓喜の余りに叫んでいた。

 内をシンボリルドルフ、外をニシノライデン! カツラギエースの更に外だ!

 この展開は読めていた! 全て分かっていたからこそ授けることができた秘策!

 そして、この後の展開も読み切っているッ!

 カツラギエースが、持ち前の根性で先を走るニシノライデンに追い縋る。

 その獣染みた本能を解放したのを見て、更に頬が吊る程に口の端を歪み倒した!

 

「食い付いたァッ!! アッハッハッハッ、一本釣り成功! そのまま行っちまえ、ライデン!!」

 

 カツラギエースが競って来たのを見て、ニシノライデンが更に速度を上げる。

 互いを意識して競り合い加速する二人を見て、シンボリルドルフが慌ててスパートを掛けた。

 

「見たか!? 見たかルドルフ!? 目にもの見せれたか!?」

 

 ダイタクヘリオスが押し黙って私を見つめていることにも気付かずに、笑い飛ばした。

 

 

 




ダイタクヘリオス(えー? うわあ…)


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第27話:迫り来る。

感想100件、行きました。
多謝多謝、感想が私に力を与えてくれる。
感想があるおかげで私はペースを維持し続けられます。
いつもありがとうございます。


 これはスペシャルウィークを中心とした黄金世代の激戦が終わった後の話になる。

 月刊トゥインクルで連載されているシリーズ、名ウマ娘伝説。そのミスターシービー世代を取り扱った私の記事が人気があったようで、次の記事も私、乙名史悦子が執筆するようにと言い付けられた。

 ミスターシービー世代を取り扱った後でシンボリルドルフ世代に繋げるのが定石か。

 ただまあシンボリルドルフ世代というのは地味だ。

 皇帝シンボリルドルフという話題性はあるが、ミスターシービー世代のように時代を代表するウマ娘が少ない。

 とはいえ最悪、シンボリルドルフを取り上げるだけで一冊の本を作ることもできる。

 

 兎にも角にも先ずは情報を集める為、当時を知るウマ娘や当事者だったウマ娘にインタビューを繰り返した。

 そしてミスターシービー世代にもした質問を、この世代のウマ娘達にも問い掛けた。

 

 ――貴女が最も才能を感じたウマ娘は誰でしょうか?

 

 まあ、これは大半のウマ娘が口を揃えて、シンボリルドルフの名を上げた。

 しかし重賞レースに勝利するウマ娘の間では、シンボリルドルフが一番なのを前提に違うウマ娘の名前が上がるようになってくる。

 その内の一人がビゼンニシキ、そしてシンボリルドルフが上げた名も彼女であった。

 

「ルドルフの奴が私の名前を上げただって? まあ、当然だよね。私、天才だし? でもまあ、そうかそうか……あいつがね? それも即答? あ、ふ〜ん、へぇ〜?」

 

 ビゼンニシキは満更でもない様子で、何度も頷いてみせる。

 彼女の尻尾がぶんぶんと左右に振られている為、上機嫌なのは明白だ。そんな彼女の後ろでサブトレーナーを務めるウマ娘が「はうっ!?」と尊みに限界を感じているが今は無視する。

 ああ、そうそう、今のビゼンニシキの立場はトレーナーだ。

 多くのウマ娘が彼女の事を慕っている。

 

「単純に最も速く走れるという点ではシンボリルドルフの一択だよ」

 

 あれこそ怪物というものだ。とビゼンニシキは肩を竦めて、でも、と続きを口にする。

 

「私が天才だと認めるのは同期では一人だけ、誰だと思う?」

 

 そう問われて彼女の交友関係を頭に思い浮かべてみるが、それらしいウマ娘は思いつかなかった。

 スズパレードとスズマッハは違うだろうし、NHKマイルCで打ち負かしたハーディービジョンを彼女が上げるとは思えない。

 他のウマ娘が上げた名前の中にも、彼女を満足させる答えを得られる気がしなかった。

 

 私が降参の意を示すように肩を竦めると、彼女は嬉しそうに笑みを深めた。

 

「ニシノライデン。あれは完全な天才肌で直感型、使う言語の大半が感覚的で彼女の扱いには本当に困ったよ」

 

 効果音だけで会話した方が話が通じるって可笑しくない? とビゼンニシキは当時を思い返してかケラケラと笑ってみせる。

 

「それに彼女はね」

 

 と彼女は人差し指を立てながら得意げに告げる。

 

「誰よりも楽しそうに走るんだよ。本当に、見ているだけで羨ましくなるくらいにね」

 

 そういう子が好きなんだ。

 と彼女はサブトレーナーと同室していたダイタクヘリオス、そして小柄で偉大なウマ娘に視線を送る。

 このチームは本当に、チーム内での仲が良さそうだった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 第4コーナー付近。私、ニシノライデンには周りの動きを予見できた。

 カツラギエースの内側が僅かに開こうとした瞬間に、ふわっと走って力を緩めれば、外側を走っていたシンボリルドルフがカツラギエースの内側を抉じ開けようと切り込んだ。シンボリルドルフに一旦、前を譲った後で私はカツラギエースの外側へ、斜め前に向かって駆け出す。

 カツラギエースの警戒心は、シンボリルドルフに向いている。

 だからシンボリルドルフが動き出せば、カツラギエースの意識は自然と内に向いて、これ以上、身体が外に膨らまないように強引に進路を内側に切り返す。

 強引なコーナリングにカツラギエースの速度が落ちる。

 身体を張った彼女のブロックに、シンボリルドルフが脚を止めて、外側へと切り返そうとした。

 そんな感じで二人が互いを牽制し合う中、私はカツラギエースを外側から差す。

 

 ビゼンニシキ曰く、これは私のとっておきだ。

 

 現在、三強と呼ばれるウマ娘の内二人を出し抜いた快感は、堪らなく最高だった。

 歓喜に全身が身震いした。走るのは楽しい、抜き去るのはもっと楽しい。

 それよりも、なによりも楽しいのは、他のウマ娘と競り合っている時だった。

 

 カツラギエースが半バ身差で抜き返さんと迫って来た。

 私も負けじと脚に力を込める。

 強い! 凄い強い! カツラギエースさん、やっぱり強いよ!

 ルンと心が踊って、更に加速させる。

 疾走する。彼女となら何処までも加速して行けそうだった。

 ゴール板を目指してまっしぐら!

 

 それに背筋がゾクゾクする。

 まだ遠く、背後から強烈な圧力を感じている。

 来る、誰かが来ている!

 早く来ないかな! まだかな? まだ来ないのかな!

 思わずスキップしてしまいそうな心持ちで、背後から来る気配を待ち侘びた。

 ご飯はみんな一緒に食べた方が楽しい。

 なら、走るのだってみんな一緒の方が楽しいに決まっているのだ!

 もっと、もっと! 私に付き合ってよ!!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 最後方、私、キョウワサンダーは見た。

 第3コーナーから第4コーナーに差し掛かる時、高速帯で外に膨れる身体を無理やり力で抑え込みながら最内に切り込んでいくミスターシービーの背中を、バ群に尻込みする事なく果敢に突っ込んで行ったハーディービジョンの背中を、そして遠心力に振り回されながらも大外から切り込んでいったスズマッハの背中を、見せつけられていた。

 付いていくなら大外一気、しかし私ではスズマッハの背中にも追い縋れない。

 これがティアラ路線とクラシック路線の違い……私には遠くなる三つの背中を見つめていることしか出来なかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 中団最後方のデュデナムキングは一足先に加速する。

 内か外かと逡巡して、先頭を走るカツラギエースを捉える為に最内を選択した。

 内側へと身を寄せた時、ズン、と地面が沈むような脚音が聞こえた。

 ゾッと怖気が走った直後、入ろうとした最内を後方から突っ込んできたウマ娘に弾かれてしまった。

 余りの力強さによろよろとバ群の中央に押し戻される。

 体勢を立て直している内にハーディービジョンが華麗な足捌きで擦り抜けて、視界の端で大外をスズマッハが駆け上がるのが見えた。

 ああ、クソ……しくった!

 優勝争いから脱落した事を悟り、それでもせめて掲示板内を目指す為に彼女達の後を追い掛ける。

 たった一度のミスが致命的だった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 併走していたモンテファストが身体を外に振ったのが見えた。

 どうやら先に上がって行ったスズカコバンの直ぐ後ろを追いかけていくようだ。

 この状況で、内側を維持しない? 

 私、ロンググレイスは勝利する為、徹底的に内側を維持し続ける。

 大丈夫、絶対にバ群の内側が開くはずだ。

 辛抱強く待ち続けて、そして時は来た。

 皆が最後の直線に向けて加速する中で、私は速度を緩めて身体を内側へと寄せた。

 このまま開いた内側から抜け出せば、勝ち負けだって――――

 

 ――そう思ったのも束の間、二つの影が私の左右から抜き去って行った。

 

 ミスターシービー、そしてハーディービジョン……!

 狙いは良かった。

 でも安定を取って、挑戦し切れなかった判断が私を優勝争いから脱落させた。

 更に大外からも一本、化け物染みた末脚に格の違いを感じ取る。

 勝てない、と否応なしに理解させられた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 中団の中腹辺り、

 外をスズカコバンが駆け上がり、続いてモンテファストが追いかけて行った。

 それを見届けて私、ダイアナソロンも外から攻めた方が良いのか逡巡し、このまま維持し続けることを選択する。

 此処から第4コーナー、最後の直線に向けて、外側に膨れてしまうのは避けたかった。

 そう思った時、内を走るサクラガイセンが前に出た。

 何を慌てているのか? ウマ娘一人分もない内トウショウペガサスと外メジロシートンの間を抉じ開けて行った。

 無茶苦茶をする、クラシック路線はこれだから……!

 まあ良い、内が空いたのだ。

 私はもっとスマートに決めて――――

 

 ――轟ッ! と最内を黒い影が唸りを上げて駆け上がって行った。

 

 真っ黒の長髪を揺らすのはミスターシービー!

 彼女との末脚勝負には勝てないと察した私は、もう既に手遅れだということも忘れてスパートを掛けた。

 と思えば、前を走るトウショウペガサスが垂れて来た!

 内に入ったせいで!? ……なら、外は! と見た時に鹿毛色のウマ娘に進路を塞がれた。

 あれは、確かクラシッククラスの……!

 内にも外にも出られず、二人が駆け上がるのとは対照的に私は後方へと落ちて行った。

 これでは、もう、掲示板内も難しい……!

 クソ! クソぅッ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 やっぱり2500メートルは無理〜!

 私に期待してくれた皆様方ごめんなさ〜い!

 

 by.トウショウペガサス

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 外側をスズカコバンとモンテファストが駆け上がるのを確認する。

 その少し後にサクラガイセンが私、メジロシートンと内を走るトウショウペガサスの間に割って入って来た。

 いくらなんでも強引過ぎる――!

 と思ったが、サクラガイセンの必死な形相を見て、スパートを仕掛けた。

 この際、外に膨れるのも仕方ない!

 

 サクラガイセンの何かに怯えたような表情、まるで何かに追い立てられているかのようだった。

 それなら、もう、決まっている! 誰が来るのかなんて決まっている!

 ズン、と内側から音が鳴った。

 トウショウペガサスがズルズルと落ちるのを横目にサクラガイセンと共に全力で駆け上がる。

 来る……! 来る……! 来る……!

 アイツが来る!

 ミスターシービーが最後方からやって来る!

 アイツに抜かれたおしまいだ!

 あの悪魔的な末脚を相手に抜き返すことなんて出来やしない!

 勝つ為には、逃げ切るしかない!

 

 第4コーナーを抜けて、最後の直線だ!

 隣を走るサクラガイセンと共に姿勢を落として、シンクロするように一瞬の溜めを作った。

 後ろから迫る死神から逃げ切る為に再度スパートを掛ける。

 

 その一歩後で、ズン、と地面を抉り、蹴り上げられる音がした。

 

 サアッと血の気が引く、音がした。

 正面には坂、100メートルで高低差2メートルの坂が立ち塞がった。

 行くしかない、躊躇している余裕なんてない。

 先頭を走るウマ娘にも追いつかなきゃいけないのだ。

 ああ……! でも! ……それ、でも!

 背後から迫る死神から意識を逸らす事が出来ない……!

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!?!?」

 

 私は悲鳴に似た雄叫びを上げながら坂に踏み込んだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 あれは、皐月賞の焼き直しだ!

 後方の中団が第4コーナーを抜けた辺りで、私、シンボリルドルフは、ニシノライデンの余りにも綺麗な外差しを見て、思わず舌打ちする。私をも囮にして、歴戦の勇者であるカツラギエースの意識外から抜き去ってみせた。

 あの策をニシノライデンに授けた相手なんて考えずとも分かる。

 ソイツが観客席で高笑いをしている姿を幻視して、全身に力が漲るのを感じ取った。

 別に、怒っては、いないとも!

 

 これはレースだ。

 世代対抗戦と銘打っても、個人がレースの勝利を目指すのは当然の事だ。

 それに邁進するニシノライデンをどうして責められようか。

 

 ただ、それはそれとして、ほんの、ちょこっとだけ、癪に障っただけだ!

 カツラギエースと併走して、競い合うように加速していく二人の背中を見て歯を噛み締める。

 姿勢を落として、今、此処でスパートを掛ける事を決断する!

 

 坂に差し掛かって、僅かに速度を落とした二人に割って入るべく加速した。

 あえて外に出るまでもない、あえて内に入るまでもない!

 ああ、そうだとも!

 別に、怒って、いないとも!

 ニシノライデンがキラキラと目を輝かせて、カツラギエースが心底嫌そうに顔を顰める。

 

「やったあ! ルドルフ来る! ルドルフ来た!」

「だああああッ! ったく、お前らはぁッ!! もっと楽させやがれぇぇッ!!」

「このまま抜かさせて貰う!」

「たーのしー!!」

 

 三者三様の感情の発露に誰一人、落ちる事なく坂を駆け登る。

 まだ二人とは1バ身差。

 背後からは強大な重圧を感じ取ちながら、坂の先にあるゴールを目指して全力疾走する。

 

 

 



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第28話:役者は揃った。

 サクラガイセンとメジロシートンが最後の直線に入って、遅れて私、ハーディービジョンも二人の後を追い掛けた。

 このままの速度を維持できれば、易々と二人を追い抜く事も難しくはない。

 2000メートルの壁は越えた。

 それはビゼンニシキには越えられなかった壁だ。

 私は、自分自身の事をスプリンターとも、マイラーだとも思った事はない!

 さあ最後の直線だ。

 更に加速をする為に姿勢を落として――――

 

 ――ガクン、と予想以上に身体が落ちた。

 

 脚が泥に囚われたかのような錯覚、視界の端にはハロン棒が残り300メートルを示していた。

 2200メートル。それが私にとっての距離の壁だと云うのか……!

 まるで脚が動かない。落ちる速度に横からスズマッハが更に末脚を伸ばして先を目指した。

 

 また……またなのか……!

 

 せめて背後から迫るバ群に飲み込まれてなるものか、と食い縛ってゴールを目指す。

 追う立場から逃げる立場へと変わった瞬間でもあった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、サクラガイセンは兎に角、ミスターシービーの末脚から逃げ切ろうと早めに仕掛けた。

 その甲斐あってか、坂に辿り着くまでは追い付かれずに済んだ。

 私のすぐ前をスズパレードが走っている。

 追い付いて、追い越せ! 坂に脚を踏み入れた。

 その瞬間、ガクンと姿勢が崩れる。

 それは隣を走るメジロシートンも同じだった。

 高低差2メートル以上の坂が、まるでそそり立つ壁のように私達の立ち塞がった。

 それでも、行かなければ……!

 太腿を振り上げる。

 しかし思うように脚が動いてくれない。

 ミスターシービーに追い立てられるように行った全力疾走が、今になって祟ったか。

 強制されたロングスパートに脚が消耗し、坂で縺れて、思うように走れない。

 その間に、黒い影が内側を物凄い勢いで駆け登るのを見た。

 それは更に前を走るウマ娘を捉えようとしていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ペースが、速い……!

 私、モンテファストは脚の痛みを堪えながら坂を駆け登っている。

 2500メートルの長丁場。唯一、万全の状態で走れた春の天皇賞。しかし、その激走の影響か次走の宝塚記念で13着、オープン戦にも勝てず、秋の天皇賞で14着。脚の痛みを押して出走した有マ記念。これが最後の機会だと自らに言い聞かせて懸命に駆け上がる。

 辛い、きつい。しんどい。

 でも、そんな事は今に始まった話ではない。

 私の人生、始まりは谷間のドン底で、その後は常に壁を登っているようなものだった。

 崖っぷちで、ずっと片手で宙ぶらりんになってる状況で頑張って来た。

 努力が報われるとは限らない、と言うけども!

 それでも、この程度の坂で私を止められると思うなよっ!

 スズカコバンの1バ身後ろを一歩、また一歩と確実に駆け登る。

 決意も、努力も、人生を、

 否定するように私の隣をスズマッハが抜き去って行った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ハーディービジョンが振り落とされて、私、スズマッハもまた限界が近付いていることを感じ取る。

 豪脚を持つミスターシービーに合わせて仕掛けたロングスパート。急な勾配の坂道を駆け上がり、太腿と脹脛の筋肉がピクピクと痙攣し始めていた。吐き出す呼吸は荒くて腕を上げるのもしんどくて、息を吸うのも苦しかった。

 それでも日本の歴代ウマ娘最高の末脚を持つミスターシービーに付いて行く為に、それだけを考えて坂を駆け登った。

 モンテファストも抜かして、続くスズカコバンを追い抜かそうと今日、何度目かの力を振り絞る。

 彼女のように、地面を揺らし、

 彼女のように、大地を弾ませて、

 彼女のように、全てを置き去りに、

 そう想い描いても、現実は違っていて、

 前を走るスズカコバンとの距離が縮まらなかった。

 内側で易々と坂を駆け登るミスターシービーの姿を横目に見て、才能の違いをまざまざと見せつけられる想いだった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 メジロ家一同、私はメジロマックイーン。

 観客席で手の汗を握りながらシートン御姉様を待った。

 

 坂の向こう側、

 最初に登って来たのはニシノライデン、半バ身遅れてカツラギエース。

 更に半バ身差でシンボリルドルフが上がって来た。

 

 此処までは既定路線、問題はこの後だ。

 御姉様は来るか、来てくれるのか。

 ミスターシービーか、スズカコバンか、サクラガイセンか、まさかのスズマッハか。

 祈るような想いで待ち望んだ、先に姿を現したのは――――

 

『ニシノライデン、カツラギエース、シンボリルドルフと続いて来たのは、なんとなんとなんと……ッ!!』

 

 ――1バ身差で最初に姿を現したのは鹿毛の髪、それは頭の隅にも入っていないウマ娘だった。

 

『スズパレードだッ!! スズパレードがミスターシービーとスズカコバンを引き連れて凱旋だッ!』

 

 御姉様は、来ない。

 

『しかし苦しいか! やはり脚の伸びはミスターシービー! だがスズパレードも頑張る!』

 

 スズマッハが続いて、その後で漸く、ボロボロになった御姉様がサクラガイセンと共に坂を登って来た。

 私達はシートン御姉様が積み上げて来た努力を知っている。

 しかし勝負とは、かくも無情なものなのか。

 ひとつでも順位を上げようと懸命に走る御姉様の姿に、涙が溢れそうだった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 有マ記念が始まるまで、

 クラシッククラスで模擬レースを行った後の話だ。

 ビゼンニシキは、有マ記念に出走するウマ娘は勿論、協力をしてくれたウマ娘にも助言を施す中で、私、スズパレードにだけは何も言ってくれなかった。

 もしかして、私って無視されてる?

 そう思うと不安になって、つい私の方からビゼンニシキに問い掛ける。

 すると彼女はあっけらかんとした態度で答えてくれた。

 

「君に教えることなんて、もうないんだよ」

 

 まるで突き放すかのような言葉に、目の前が真っ暗に閉ざされたかのような想いになった。

 ぶるぶると震え出す手を握り締めて、もう一度、ビゼンニシキを見つめれば、彼女は困ったように肩を竦めてみせる。

 

「私と君が、どれだけ一緒に走って来たと思っているのさ。その中で私の言葉を今一度、思い返してみると良い」

 

 君に足りないのは気付きだよ、と彼女は優しい声で教えてくれる。

 それから私は部屋に戻るとトレセン学園に来た時から書き留めている何冊もの日記帳を取り出した。A4の大学ノート、毎日、半ページ以上は書き込んでおり、その半分以上がビゼンニシキに関する事だった。印象に残る言葉、今まで教えてくれた助言の数々、そして走りに関する様々な考察が簡単に書き込まれてる。

 今日に至るまで、ざっと三年分。それを一気に読み返した。

 自分で大切だと思うものには、新しいノートに書き留めて、それを次のトレーニングに持って行った。

 ビゼンニシキの助言には、トレーニングで注意する点、意識するべき箇所も事細かに込められている。ほんのちょっとした世間話に金言とも呼べるものがたくさん詰まっていた。

 私は、今まで、何をしていたのだろうか。

 不甲斐なさに涙が溢れてくる。

 たっぷりとビゼンニシキのおもいやりの詰まったノートを片手にトラックコースに出た。

 その一字一句を噛み締めて、咀嚼し、そしてビゼンニシキと一緒にして来たトレーニングを思い返し、彼女が何に気を付けて、何をしていたのかを思い出す。私がしていなくて、彼女だけが心掛けていた事は何だったのか。

 必死になる必要はない。

 ただ、瞼を閉じれば、事足りる。

 それだけで彼女と過ごした日々を鮮明に思い返す事が出来た。

 彼女が浮かべた表情、肌に触れた感触。その匂いに至るまでを詳細に感じ取ることができた。

 胸が満たされる。

 彼女の言葉の一つ一つが、仕草の一つ一つが、私の血肉になる実感を得る。

 好きで心が満たされる。好きの分だけ強くなる。

 私がビゼンニシキで象られる。

 これが恋愛的な意味なのか、それとも友情的な意味なのか。憧れか、好敵手か。

 どういう意味を持つのか分からない。

 それでもビゼンニシキの事が好きだと再認識して、自覚する分だけ強くなる。

 これが、愛。嗚呼、愛で私は強くなる。

 

 挫けたって良い、膝を折ったって良いッ!

 どれだけ自分自身が嫌いになっても、

 何度、心が折れたとしても、

 不甲斐なさに悶え苦しんだとしても、

 愛が私を何度でも立ち上がらせてくれるッ!!

 

 有マ記念、私の心はありがとうの気持ちでいっぱいです!

 ビゼンニシキと出会えた幸運に、ビゼンニシキと過ごせた幸福に、ビゼンニシキの教えを得られた僥倖に。

 ありがとう、その一言が言いたくて最後のスパートを掛ける。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「そうだ、それだよ! パレード!」

 

 観客席の最後方でダイタクヘリオスを肩車しながら滾る想いのままに、右手を前に突き出してグッと拳を握りしめた。

 

「急にどうしたんだ!? あれだけオトボケで鈍間でウスラトンカチで鈍感系主人公とタメを張れる君が急にどうしたっていうんだ!? ハハ……アハハハ! アァーハッハッハッハッハッ!! そうだよ、君に必要なものは気付きだったんだ! 私は君に必要な情報は提供した、やり方だって教えていた! 後は実践するだけ、だが、こういうのは他人に言われてやっても意味がないッ!! 他人にモノを教える経験をしたことがある者なら誰でも分かることだ! こういうものは、横から口出しすると却って邪魔になって、十中八九で相手は迷走し始めるッ!! 自分で始めて、自分で考えて、自分で実践しなくちゃ意味がないんだってなあッ!! 後数年先を見込んでいたよ、パレードッ!!」

 

 漸く、漸く実が結んだ。と右手で額を抑えながら笑った後で、スン、と気持ちを落ち着かせる。

 

「君がそのステージに立てるのは、早くても来年だ」

 

 彼女のことは誰よりもよく知っている。

 だからこそ、分かってしまうのだ。

 彼女には、最初から勝ち目なんてなかった。

 

「まだ身体が若いんだ」

 

 所謂、晩成と呼ばれる成長傾向。

 気付きを得る。その切っ掛けになれば、と思っていたんだ。

 ここまで来れただけも信じ難い、この舞台に手を掛けるところまで届いただけでも奇跡だ。

 まだ成長過程にある身体では――

 

『スズパレードは此処まで! スズカコバンとミスターシービーが駆け上がる!』

 

 ――超一級品の素質を持つ彼女達には敵わない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ない、それはない。

 私を抜き去ったウマ娘がスズパレードと知り、怒りが、沸点の臨界点の遥か彼方まで突き抜けて行った!

 ミチ、と筋肉が軋む音がした。ミチ、ミチと筋肉を引き絞る音がする。

 ミスターシービーなら良かった。モンテファストでも、まだ許せた。自分よりも格上なら仕方ないって言い切れる。

 しかし、しかしだ。

 明らかな格下を相手に、遅れを取ることだけは許されないッ!!

 ズン、と地面を踏み締める。

 姿勢を低くして、指の先から脚の爪先まで神経を研ぎ澄ました。

 

 ――瞬間、思考がやけにクリアになった。

 

 まるでたった一人だけが世界から遠のいたかのような錯覚、音がやけに遠くに聞こえる。

 自身の息遣いが、鼓動が、全てが洗練されて、手に取るように分かった。

 自分だけが此処に居る。深い湖の中に飛び込んだかのような感覚、自分だけの領域が此処にある。

 

 知ったことか、と今得た感覚の全てを怒りで燃やし尽くした。

 

 めらり、と双眸に殺意を込める。

 今から殺す、と瞬間湯沸かし器のように全細胞を沸騰させる。

 滾れ、滾れ、滾れ……!

 どいつも、こいつも、どいつも、こいつも……!!

 いつもいつもいつもいつもいつもいつも……!!

 走って走って走って走って走って走って追いかけ回されて……!!

 絶対、抜き殺す!

 此処で負けたら――ッ!!

 瞬間、マルゼンスキーのにやけ面が脳裏に過って、遂に私の怒りは怒髪天を衝く!

 

「やってやろうやないかァッ!!」

 

 戦術も、技術も、全て、かなぐり捨てて、

 剥き出しの感情のみを以て、

 私、スズカコバンは破れかぶれの突貫を開始した。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 残り100メートル。

 最後の局面、役者は決まった。

 

 規格外ミスターシービーか。

 皇帝シンボリルドルフか。

 番長カツラギエースか。

 シルバーコレクタースズカコバンか。

 爛漫娘ニシノライデンか。

 

 勝負の行方は、以上の五名に絞られた。

 泣いても笑っても、これが最後の攻防になる。

 

 

 



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第29話:皇帝の神威

 レースのペースを支配するのは、先頭に立つウマ娘だと相場で決まっている。

 有マ記念では、カツラギエースがハナを切って逃げることでレースを支配する権利を得た。と誰もが無意識の内に認識していた。

 しかしカツラギエースは、そのような細かい事は考えない。

 自分自身が全身全霊、空っぽになるまで限界を振り絞るのに適した戦法が逃げだった、という話に過ぎなかった。彼女は獣染みた感覚によって、後方との距離を測り、類稀なセンスで逃げ戦法を成立させているに過ぎないのだ。

 では、レースを支配していたのは誰か。

 2番手の位置に付けて、カツラギエースを追走するシンボリルドルフか?

 いや、彼女もまた違っている。彼女はレースの流れを掌握する能力に長けており、それに乗っかるのを得意としている。

 ニシノライデンは語るまでもなく違っている。

 スズカコバン、モンテファスト、スズパレード、サクラガイセン、メジロシートン。

 好位置に付けた彼女達もまた、この有マ記念においては主導権を握ることすら許されて来なかった。

 

 では今回、レースの支配をしていたのは誰か。

 このハイペースの展開を生み出したのは、果たして誰なのか。

 今日の展開で最も得をするウマ娘は誰であるか。

 

 答えは単純明快、ミスターシービーだ。

 

 彼女はバ群のほぼ最後方の位置からレースを支配してのけた。

 己が持つ存在感を武器に出走する全てのウマ娘を後ろから追い立てて、レース展開をハイペースに仕立て上げる。カツラギエースやシンボリルドルフですらも、自らの術中に陥れて、彼女一人が優位となる展開を作り出した。カツラギエースは獣染みた本能によって、スズカコバンは天性のセンスにより、モンテファストは歴戦の経験により、その事に気付いていたが対抗する術を得られないまま、2周目の第3コーナーを迎えることになる。

 誰も彼もが無意識の内に引っ張り上げられたハイペースの展開に息を切らす中、ミスターシービーは悠々とスパートを仕掛けた。自分以外が耐え切れない位置でのロングスパートも計算しての事だ。同じ追い込みウマ娘のハーディービジョンとスズマッハを実力のみで叩き潰し、更に最後方から追い立てることで更にペースを引き上げて、前を走るウマ娘を次々と自滅させて行った。

 つまり、中山の坂を登り切った時点で彼女は、持ち前のフィジカルに頼ったごり押しで、11頭のウマ娘を捩じ伏せた事になる。

 正に規格外の怪物、彼女の豪脚は衰えることを知らない。

 

 次なる標的を見据えて、気合を込めた踏み込みは大地を揺るがした。

 

 観衆が沸いて、足踏みで地面を打ち鳴らす。

 この脚に俺達は魅了されたのだ。どうしようもなく惹かれたのだ!

 歓声はまるで大地が弾んだようで!

 ミスターシービーの次なる一歩を後押しするッ!!

 

 

 

 一歩で距離を詰めて、

 

 

 二歩で並んで、

 

 

 三歩で抜け出した。

 

 

 

『ほぼ最後方の立ち位置からバ群を一刀両断ッ! 先頭を走る秀英をも鎧袖一触して、我らがミスターシービーが先頭に躍り出た! 私達は今、凄まじいものを見せつけられている!』

 

 規格外の怪物、フィジカルモンスターの真骨頂!

 これが三冠ウマ娘ミスターシービー、これが稀代の豪脚なのだ!

 彼女の最盛が今、此処にあるッ!

 

『これは決まったか!? 今年の覇者はミスターシービーで決まりか!?』

 

 観衆の大半が勝負を確信した瞬間、ズン、と四人の俊英が地面を踏み締めた。

 

 そうだ、彼女達もまた選りすぐりの精鋭達なのだ。

 ミスターシービーの凄まじさを肌身を以て、味わい続けてきた者達である。

 たった一度、抜かれた程度で心が折れる者は、此処に残っていないのだ!

 

 カツラギエースは、持ち前と気合と根性を振り絞った。

 結局、そうなのだ。

 こいつは何時だって、遅れてやって来る。

 主役は遅れてやって来るとは、よく言ったものだ。

 私達の世代で主役と呼べる存在は、ミスターシービーを置いて他にはいない。

 この土壇場で来る事は、最初から分かっていた。

 だが、しかし、主役だからといって勝利が確約されているわけではない。

 出鼻を抑え切れなかったのは確かに痛い。

 それでも、此処で諦めるような潔いウマ娘であったなら――――

 

 ――俺は今、この場に居ないッ!!

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 唸りを上げて、ミスターシービーを差し返さんとカツラギエースが一歩分、前に出た。

 

 スズカコバンは、長年蓄積した憎悪と憤怒を以て飛躍する。

 どいつも、こいつも、私なんかに期待して!

 やれば出来ると、もっと強くなれると、毎日のように言い聞かされて!

 毎日のように力の差を見せつけられて!

 毎日のように格の違いを見せつけられて!

 私では主役にはなれないと思い知らされて!

 報われない努力を強いられて、毎日のように追い回されて!

 どいつも……ッ! こいつも……ッ!

 好き勝手で言いたい放題ッ!

 自分の事を棚に上げて、くっちゃべってんじゃあないッ!!

 

「だらあああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 ガリッと歯ぎしりを鳴らして、スズカコバンも怒り任せに前に出た!

 

 ニシノライデンは、ミスターシービーの圧巻の走りに全身を震わせた。

 ゾクゾクと背筋を駆け抜ける感覚は何だったのか。

 笑みは深まるばかり、胸の奥から込み上がって来る感情は何なのかッ!

 彼女には、それを語る術はなかった。

 ただ肌身で感じる彼女の凄まじさに、その圧倒的な豪脚を前にして尚だ!

 少女は瞳を燦然と輝かせた。

 感情が膨れ上がる。

 切なくて、苦しくて、辛くて、ワクワクして、楽しくて、どうしようもないほどにウキウキしてッ!

 

「……ぃぃぃぃぃいいいいやっふうううううううううううううッ!!」

 

 ただ衝動のままに駆け上がるッ!

 

 シンボリルドルフは、見た。

 一歩目で詰めて、二歩目で並び、三歩目で抜き出た。

 ミスターシービーの走りを観察し、その素晴らしさに見惚れてしまった。

 レースの最終局面、土壇場であるにも関わらず、彼女はミスターシービーの豪脚の素晴らしさに憧れる。

 もっと……こうか?

 彼女の重心の乗せ方を参考に、次なる一歩で地面を踏み締めた。

 ズン、と地面を打ち鳴らす音を感じ取り、いや、違うな。と更なる一歩で試行錯誤を継続する。

 ビゼンニシキの走り、ミスターシービーの走り、二人の走りは私の理想ではない。

 二人の理想を分析して、自分自身の身体に適合させる。

 次の一歩、地面を踏み締めた時、バチリ、と電流が迸ったような感覚があった。

 勿論、そんな事はあり得ない。これは単なるイメージに過ぎない。

 しかし、何かがガチリと噛み合った感覚があった。

 今まで空転していた歯車が、綺麗に噛み合ったような、そんな感覚があったのだ。

 行ける、と確信する。

 

 

 

 一歩で抜け出して、

 

 

 二歩で先頭と距離を詰めて、

 

 

 三歩で捉えた。

 

 

 

 汝、皇帝の神威を見よ。

 バチリと迸る闘志が、威圧感が、自尊心が、彼女の力となって、他者の追随を許さない。

 まるで吹き抜ける風のように、(ターフ)を威風堂々と駆け抜ける。

 

 ラスト50メートル、

 規格外の怪物ミスターシービーに決闘状を叩き付けたのは――――

 

『――シンボリルドルフが抜けて来た! 最後の決着は、この二人! 新旧3冠ウマ娘対決だッ!!』

 

 会場に、今年一番の歓声が上がる。

 

 

 

 



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第30話:今、この瞬間に全てを。

 果たされなかった夢がある。

 かつて競馬ファンの間で期待されていた新旧三冠馬対決。つまり、ミスターシービーとシンボリルドルフの直接対決は世間を大いに賑わせた。

 しかしジャパンカップでは、予想外の超スローペースでミスターシービーはバ群に埋もれて、続く有馬記念ではシンボリルドルフとカツラギエースの一騎打ちの形になる。

 競馬ファンが夢見た新旧三冠馬対決は、なんともまあ歯切れの悪い結果に終わった。

 

 これは夢の続きの物語である。

 史実で為しえなかった新旧三冠馬対決、ファンが恋焦がれた偉大な二頭の一騎討ち。

 ジャパンカップを経て、竜虎相搏つ。

 言葉を解したミスターシービーは、ファンの期待を背負って(ターフ)に立っている。

 それは曖昧な理解ではなくて、きちんと認識しての事だ。

 なればこそ、ミスターシービーは当然、強くなる。

 

 何故ならば、彼女は王者であるが故に。

 この時、ミスターシービーは紛れもなく王座に座っていたのだ。

 

 本来、ミスターシービーの全盛期は菊花賞から秋の天皇賞まで。

 適正距離は2000メートルまで、と言われている。

 歴代三冠馬で最も低い評価を受ける競走馬、ミスターシービー。

 

 そんな魂を持つ彼女を、

 王者としての自覚が、彼女の全盛期を今に押し上げた。

 彼女は距離の壁をも超越する。

 

 規格外の怪物ミスターシービー。

 そのウマ娘は、禁忌(タブー)を犯した。

 そうか、禁忌(タブー)は他人が作るものに過ぎない。

 彼女の豪脚は、歴史をも凌駕する。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ミスターシービーが先頭に抜き出た時、観客席に居たトウショウボーイが握り拳を作って吼えた。

 付き添いのテンポイントとグリーングラスもまた手に汗を握る。

 後者二人は来るべき強敵の予見に警戒心を高めた。

 

 とんでもないウマ娘が現れた。

 菊花賞の時から予見はあり、しかし、その時は殿一気の戦法から脅威には成り得ないと判断した。

 その戦法には限界があって、一流を相手には通用しない。

 それがドリームトロフィー・リーグに出場するウマ娘の見解であった。

 しかし、それは今、覆った。

 

「決まったな」とテンポイントが告げる。

「ああ」とグリーングラスが応えた。

 

 自らの地位を脅かす存在の誕生を祝福し、そして来るべき好敵手の登場に歓喜する。

 近頃、変わり映えのしないドリームトロフィー・リーグの面子にマンネリを感じていた頃合いだ。

 彼女であれば、あるいは、劇的な変化を与えてくれるかも知れない。

 ミスターシービーには、そう思わせるだけの魅力があった。

 彼女と走る事が今から楽しみで仕方ない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「いいや、まだだ」

 

 ビゼンニシキは、ダイタクヘリオスを肩車しながら呟いた。

 もう無視を決め込んでレースに熱中する幼いウマ娘を余所に、彼女は檄を飛ばすように繰り返す。

 まだ、終わっていない。と。

 残り50メートルの距離、半バ身差。

 それは豪脚を持つミスターシービーを相手に絶望的な差であったと云える。

 しかしビゼンニシキは、我らが皇帝が再び抜き返す事を信じていた。

 確たる根拠はない、理由もない。

 強いてあげるとすれば、彼女がシンボリルドルフである為だ。

 来る、と確信している。

 もしも自分が、あの場に居たならば、という想いは欠片も抱かない。

 シンボリルドルフの走りは、私達の夢だ。

 何故ならば、彼女もまた私達の世代を代表する王者である為だ。

 

「来るさ、絶対に」

 

 そうでなくては、シンボリルドルフではない。

 その意気に応えるように、彼女は一歩、また一歩と脚を伸ばし始めた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンボリルドルフの全身から放たれた気迫は、観客席にまで迸った。

 ピリリと肌を刺激する感覚に、トクンと胸が高鳴る。

 これが会長の全身全霊、応援するのも忘れて、その走りに見入ってしまった。

 

「……凄い」

 

 不思議な気分だった。

 此処はボクの知る歴史ではないというのに、まるで伝説の古戦場に立ち会えたかのような、そんな感覚があった。

 ブルリと震える全身は、一体、何を意味しているのか。

 胸の奥に熱いなにかが灯り、今すぐにでも(ターフ)に飛び出して駆け抜けたい衝動に駆られる。

 あの場所に自分が居ないことが悔しくて仕方なかった。

 

「これが会長……これが皇帝……」

 

 かつて、夢見た遥か高み。

 数多のレースを駆け抜けて、初めて分かるその凄み。

 当時、ボクは、どれだけ大言を吐いたのか。

 今になって、その滑稽さを自覚した。

 

 だけど、それでもだ。

 それを知って、尚もその高みを目指したいという想いは変わらない。

 むしろ、その意思は強くなるばかりだ。

 

 会長の脚が伸びる。

 彼女もまた、目の前の遥か高みを超える為に挑み続けている。

 行け、と思わず呟く自分が居た。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 帽子を目深に被り、サングラスを掛けた少女が一人。

 彼女は栗毛と黒鹿毛のウマ娘を共に連れており、観客席の後方で腕を組みながらレースを観戦していた。

 脚に鉄下駄を履いており、そこにはシンザン鉄という掘り込みが刻まれている。

 

「なあ、ドッシー。同じシンボリを冠する者として、あいつをどう思う?」

 

 栗毛のウマ娘の問い掛けに黒鹿毛の少女が顎を撫でながら応える。

 

「素晴らしいですよ、コダマさん。運命を感じます、才能だけなら私達にも匹敵するのでは?」

「そうか、お前がそこまでいう程か。シンザンはどう思う?」

 

 問われて、腕を組んだ少女は、微動だにせず、じっとレース場を見つめていた。

 

「またポケッとしてやがるな、こいつ」

「観戦中の彼女が領域に入るのは、何時もの事じゃないですか」

「そうだけどな。よく他人のレースに、そこまで集中できるよ」

 

 とか言いながらも三人共にレース場から一度足りとも目を逸らしていない。鉄下駄ウマ娘の反応の薄さにコダマと呼ばれたウマ娘が溜息を零した時、ポツリと零す。

 

「三日月の子が勝つよ」

 

 シンザンと呼ばれたウマ娘の言葉にコダマは笑みを深めて、ドッシーと呼ばれたウマ娘は大きく息を吸い込んだ。

 

「来るか、此処から」

「もし仮に勝ったとすれば――――」

 

 彼女は続く言葉を口にはしなかった。

 二人の間で腕を組んだ日本の頂点が、サングラス越しに、先頭を走るシンボリルドルフとミスターシービーを睨み付けていた為だ。

 その双眸はドリームトロフィー・リーグでのレース中、自分達に向けるものと同一であった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 その時、世界がゆっくりと視えた気がしたんだ。

 彼女達の気迫に当てられたせいか、まるで世界から自分が切り離されたような錯覚を感じ取る。

 音が遠くて、肌から周囲の情報を読み取る。

 この世界には今、ボクと――シンボリルドルフ、そしてミスターシービーの三人しか居なかった。

 二人の呼吸を感じ取る、二人の鼓動を感じ取る。

 胸の奥から熱いものが込み上がってくる。

 目尻から熱い何かが零れ落ちる

 行け、と思わず呟いていた。

 行け、と祈る想いで口にする。

 行け、と熱い心で叫んでいた。

 ワアッと上がる歓声に、たった三人だけの希薄で、濃密な圧縮された世界に色彩が戻る。

 シンボリルドルフが一歩で並んで、二歩で抜き返した。

 王者交代、その歴史的瞬間に観衆の誰もが声を抑え切れない。

 

 中山レース場を揺るがす喝采を――――

 

 

 

 

 

 ――ズン、という重い足音が掻き消した。

 

 

 

 

 

 規格外の怪物、ミスターシービー。

 

 彼女には、常識の二文字が当て嵌まらない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 抜いた、抜かれた。また抜いて、そして抜き返される。

 残り10メートルにも満たない距離で後続との距離を突き放して、あと一歩の全身全霊を何度も繰り返した。

 もう作戦もない。ただ全力を振り絞る、何度も、何度も、細胞のひとつひとつに至るまで、余力の全てを捻り出して、限界の果てにある更なる限界への挑戦を一歩毎に要求された。肺が痛い、心臓が苦しい。脚が今にも攣りそうだ。それでも力を緩めることは出来ない。全力の全開の全身全霊の更なる先にある限界を飛び越えて、次元を超越して、ただひたすらにゴールを目指した。

 今、この瞬間が全てだ。

 此処で勝てなければ、たぶん、もう二度とこの御人には勝てなくなるような気がした。

 意地も、根性も、気合も、自尊心も、経験も、持てる全てを総動員して、命を燃やし尽くして、灰すらも残さない覚悟を以て、魂すらも前に進む為の原動力するべく焚べ続ける。血反吐を吐きたくなるような激痛の最中、頭がズキズキと痛む極限で、抜きつ抜かれつの攻防が延々と続けられる。

 何処まで行っても付いてくるッ! 振り切れないッ!

 もう一歩が遠い、1メートル先が遥か彼方、あと10メートルがウン光年の向こう側、そんな錯覚を覚える中で次なる一歩を踏み締める。脳裏を過ぎったのは、これまで繰り広げてきた激闘の歴史。弥生賞、皐月賞、東京優駿、走馬灯のように駆け巡って、私の直ぐ左隣を懸命に走る好敵手の姿を幻視した。

 あの小憎たらしい笑みを視た。

 ふっと息を零す。ズン、と地面を踏み締める。バチリ、と全身に気迫を漲らせる。めらり、と瞳の奥に火を灯した。胸に刻まれた錦の輝き、これまでの全てを背中に背負って、あと一歩を駆け抜ける。もう一歩を突き進んだ。

 受け継いだ意志すらも燃やし尽くして、今一歩を乗り越えるッ!

 

 

 

 

 

 彼女と共に目指した丘の向こう側には、

 

 果たしてどのような景色が待っているのだろうか……?

 

 

 

 

 

 澄み切った色の青空が、何処までも続く晴天が視界いっぱいに広がっていた。

 

 

『シンボリルドルフだ! 最後はシンボリルドルフッ! シンボリルドルフが差し返したッ! 新旧3冠ウマ娘対決はシンボリルドルフの勝利で決まりましたッ!!』

 

 (ターフ)に仰向けで寝転がりながら、静かに呼吸を整える。

 内臓に至るまでの全身に激痛を感じながら必死で酸素を体内に取り込んだ。内側から胸を叩く心臓の鼓動が止まらない。もう手足は指先ひとつも動かせなかった。

 意識が朦朧とする程に体力を使い果たした身体で、

 

 私は嬉しさのあまり笑っていた。

 

 

 




次回、第二幕「皇帝の神威」完結


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第31話:これから

30話で〆る予定が話数の打ち間違いに気付かず、31話という中途半端な数字にしてしまった書き手が居るらしい。


 有マ記念の激戦が終わり、息を入れた後のウィナーズサークルで簡単なインタビューを受ける。

 とはいえ、此処で行われるのはファンサービスの意味合いが強く、インタビュアーもテレビや新聞といったメディアではない。記者会見は記者会見で別の場所で行われる事になる。

 優勝をした今の心境とか、ファンに向けた一言とか、そういった簡単な質問に答えていると幼いウマ娘が柵の最前列からジィッと私を睨みつけているのが見えた。彼女は確か、東京優駿の記者会見で――いや、あの子の姉か? 姿形は似ているが幾分か成長しているように感じられる。

 幼いウマ娘は私と視線が合ったのに気付くと、にんまりと笑みを浮かべた顔で私に人差し指を突き付けてきた。

 

「ボクは、貴女に勝ちます」

 

 それは宣戦布告だった。

 

「貴女よりも、強くて格好良いウマ娘にボクはなります」

 

 鹿毛の髪に頭の頂点から弧を画いた真っ白の綺麗な流星、その隙間から覗かせる瞳の奥には確かな闘志を宿らせる。観衆の大半が可愛らしい子供の大言に口元を綻ばせる中で、彼女の中にあるウマ娘としての魂を確かに見た。

 私は、ファンサービスの一環を装って「君の名前は?」と好奇心から彼女に問い掛ける。

 

「キセキノテイオーです」

「そうか、覚えておこう」

 

 彼女の頭をポンポンと軽く叩いた後で、私はインタビュアーからマイクを受け取って声高らかに宣言する。

 

「私は、これから国内のGⅠレースを制覇する。春秋天皇賞、ジャパンカップ、そして有馬記念の連覇。それを手土産にドリームトロフィー・リーグへの参戦、そして長年トレセン学園の指標として掲げられて来た――シンザンを超えろ、という言葉に終止符を打ちたい」

 

 それは即ちシンザンを超えるという事に他ならない。

 先ずは手始めにトゥインクルシリーズでのシンザンの功績を超えた後で、シンザンを直接対決で叩き潰すと宣言したのだ。

 この言葉に困惑する者が3割程度、失笑する者が2割程度、興奮に目を輝かせる者は半数。

 私の目の前に立つ幼いウマ娘、後者半分。歓喜に身を震わせていた。

 

「生意気だと思う者も多く居るだろう、批判する者も多いに違いない。それでも私はあえて言わせて貰おう」

 

 軽く息を吸い込んで、今まで戦ってきた好敵手に、まだ見ぬ強敵達に、そして何処かにいる日本の頂点(シンザン)に届くように告げる。

 

「止められるものなら止めてみろ。私はまだ先を目指して駆け続ける」

 

 此処が終わりではない、此処からまた始まるのだ。

 どうだ、とキセキノテイオーに大人気ない笑みを浮かべてやれば、彼女は憧れを目の前にしたようにキラキラと瞳を輝かせた。

 彼女の名を忘れないでおこうと思う。おそらく、彼女は私と同じ舞台までやって来る。

 そんな予感があった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 ボクと似た顔をしたウマ娘が、憧れの存在に名前を訊かれる光景を見て、歯を喰いしばった。

 悔しさにギュッと手を握り締める。憧れのシンボリルドルフに宣戦布告をした彼女に憤る気持ちもあれば、それをあっさりと受け入れたシンボリルドルフに妬む想いもあった。

 ドロリと溢れ出す黒い感情に、彼女にだけは絶対に負けない。という強い想いを抱いた。

 

「キセキノテイオー。そして、トウカイテイオー。これは運命なのかな?」

 

 その言葉に後ろを振り返れば、栗色の髪をした子連れのウマ娘が私に向けて笑顔を浮かべた。

 

「あれって君の姉さん?」

「知らないよ、ボク。姉妹とか居ないし」

「ふぅん……?」

 

 ビゼンニシキが首を傾げながら顎を撫でる。

 

「あの子、鍛えているね。身体が柔らかそうだけど……脚を怪我した経験でもあるのかな? ちょっと庇った歩き方をしているね」

「そんなの直ぐに分かるの?」

「分かるよ。トレーニングは肉体強化、身体作りは日常からだからね。常日頃から庇った動きをすると他を悪くする。脚に違和感を感じるようになってからは歩き方もカメラでチェックしていたよ」

 

 言いながらビゼンニシキはメモ帳を取り出して、そこに何かを書き込んでいった。

 

「一人でトレーニングしようとか思ってるんでしょ?」

「……どうして分かるのさ」

「そういう顔してた。まあ君は身体が柔らか過ぎるのがネックだ。一人の時は基礎鍛錬を中心にして、よく食べて、よく寝ることだ」

「なんか普通だね」

「普通が出来ない奴に成長の見込みはないからね。それに寝食は身体作りの基本だ。何時でも何処でも、どんな時でも、寝食を疎かにしないっていうのは割と才能に近いところがあるんだよ」

 

 ま、それで君は満足出来なさそうだから、と紙の切れ端を手渡された。

 

「技術的な事がしたくなったら此処に来ると良いよ。私がしっかりと見てあげる。逆に私の居ないところでは勝手なトレーニングをしない事が条件だけどね」

 

 じゃないと怪我するよ、君。とあっけらかんと言われてしまった。

 

「私のようになりたくなければ、私のように知識のある人の前でしか走るトレーニングしちゃ駄目だよ」

 

 少し、しんみりとした声色で告げる。

 東京優駿の悲劇をボクは忘れていない。あの時の光景は、一種のトラウマとして脳裏に刻まれていた。

 思い出そうとすると、今でも少し動悸が激しくなる。

 

「そういえば、ニシキさんってルドルフと同じチームだったんだよね?」

 

 なら、彼女の下に着くことも悪くない。

 憧れのシンボリルドルフと同じチームに入れるのなら、と考えていたのだけどビゼンニシキは少し困ったように肩を竦めてみせた。

 まあ今はね。と意味深な言葉と共に頭を撫でられる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 あの激闘から暫くの時は流れて、

 

 雪が降り積もる、年明けのトレセン学園。

 ウマ娘によっては帰省する者も多いが、私、スズパレードとビゼンニシキは毎年、同じように食堂で鍋に箸を突いている。

 去年までと違うのは、余計なウマ娘が一人、この場に混じっていることだ。

 

「此処の食堂は寄せ鍋まで許してくれるのか」

 

 と感心するように告げるのはシンボリルドルフ、鍋奉行に勤しむ私の横で良い具合に煮込まれた食材を箸で摘まみ取っている。

 

「人が少ない時だけだけどね」

 

 ビゼンニシキが親切に答える横で、ジトッと我が代の3冠ウマ娘様を睨み付ける。

 

「なーんーでー、貴女が居るんでーすかー? 私が誘ったのはシキだけなんですけどー?」

「別に構わないだろう? ニシキが誰かのものという訳でもあるまい。それに誘ったのはニシキの方だ」

「いや、誘ってはないけどね。年明けの予定を訊かれたから答えただけだよ」

 

 そう言いながら資料と睨めっこを続けるビゼンニシキの為に彼女の受け皿に肉や野菜の美味しい部分を多めによそいだ。

 

「食事中くらいは資料から目を離したらどうだ? 行儀が悪いぞ」

「んー、そうなんだけど、これ。今週中にまとめておかないといけないからさ」

「何を纏めているんだ? ……って、これは未勝利組のトレーニングスケジュール?」

「せめて、冷めない内に食べてよ」

 

 溜息ひとつ、少し鍋に余裕が出来たので食堂に備え付けのテレビを眺める。

 そこにはミスターシービーの姿があり、テロップにはトゥインクル・シリーズを引退する旨が書かれていた。

 カツラギエースと共にドリームトロフィー・シリーズへの移籍を決断したようだ。

 なんでも、彼女が云うには――――

 

『――もう私の未練はシンボリルドルフだけですので、彼女一人の為だけにトゥインクル・シリーズに残り続けるよりも彼女が必ず追って来るドリームトロフィー・リーグで力を磨く方が良いと考えました』

 

 との事である。

 有馬記念を終えてから今日に至るまで、ウマ娘関連の話題の半分程度が彼女の移籍関連の話になる。

 残り半分は、シンボリルドルフの出場できる八大競走の完全制覇だ。

 哀れカツラギエースの話題は記事の端に押しやられてしまった。

 

「有マ記念が終わったこの時期って何時も落ち着くはずなんだけど……」

 

 と私は呟きながら鍋奉行に戻る。

 そうそう有マ記念の結果だけど、1着はシンボリルドルフ。アタマ差で2着ミスターシービー。3着に入ったのは1バ身差で、なんとびっくりニシノライデンである。4着にカツラギエース、5着にスズカコバン。共にハナ差、大きく開いて6着に私という感じだ。

 去年は色々な事があった、きっと来年も色々な事があるに違いない。

 チームベテルギウスに入った事には不満はあるけども、彼女自身、あまりチームには縛られていないようだった。シンボリルドルフの体調管理がメインのようで、今も未勝利のウマ娘達の指導は続けているようだし。

 有マ記念以後、前と同じようにビゼンニシキと緩い毎日を過ごす時間も増えた。

 正直、これが私にとって、最近の一番大きな出来事だったりする。

 時折、コブ付きになったりしますけど。

 今日とか、皇帝とか。

 

「今年もニシキを頼りにさせて貰うよ」

 

 そんな事を宣う皇帝様に私はにっこりと笑いかける。

 ふざけんな、と手に持った菜箸を握り折った。

 

「その話なんだけどね」

 

 ビゼンニシキは資料から目を離さずに告げる。

 

「私はもうベテルギウスのメンバーじゃないし、部屋も一週間後に引き払う予定だよ」

「えっ?」

 

 私とシンボリルドルフの声が被った。

 しかし彼女は悪びれる様子もなく、続く言葉を口にする。

 

「トレーナーとしての実習を積む為に地方のトレセン学園に移動するんだよ」

「……おい、そんな話は聞いてないぞ」

「ルドルフのトレーナーには言っておいたよ」

「私も聞いてない!」

「そだっけ?」

 

 首を傾げるビゼンニシキに私は詰めようとするもシンボリルドルフは真剣な眼差しで問いかける。

 

「……何時までだ?」

「なんでそんなに怖い顔をしてるのかな?」

「話を逸らすな」

 

 逸らしている訳じゃないんだけど、と彼女は人差し指をくるくると回しながら軽い調子で告げる。

 

「最低でも半年、場合によってはもっと長くなるかもね。まあ地方と言っても同じ関東圏なんだから会えなくなるって訳じゃないよ」

 

 大袈裟だなあ、と肩を揺らす彼女に今度は私が食ってかかる。

 

「何処!? ねえ、何処なの!?」

「まだ正式に決まった訳じゃないんだけど〜……」

 

 少し勿体ぶった後で、彼女は楽しげに答える。

 

「船橋だよ」

 

 

 

 




これにて本章「皇帝の神威」は終わりです。
次回からは今度こそ「鈴の凱旋」が始まると思います。

感想返信は今日中に


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第3幕「ライオンハート」
第1話:幸先が不穏ですね?


 年末年始の降雪も鳴りを潜めて、トレセン学園では有マ記念を終えた12月末に卒業式と同時に授賞式が執り行われる。

 年間代表ウマ娘に選ばれたのはシンボリルドルフ、無敗の3冠に加えた有マ記念が決め手となった。最優秀シニア級ウマ娘は宝塚記念とジャパンカップを獲ったカツラギエース先輩であり、短距離マイル戦線のGⅠレースを3勝もしたハッピープログレス先輩が2位の位置付けにされている。最優秀短距離ウマ娘には、ハッピープログレス先輩との直接対決を幾度と制したニホンピロウイナー先輩が選出された。

 卒業式ではハッピープログレス先輩が音頭を取り、モンテファスト先輩などがトレセン学園を去って行く。

 確か、ハッピープログレス先輩はウマ娘関連のスポーツ用品メーカーへの就職が決まっていて、モンテファスト先輩は地方のトレセン学園の職員として働くことになっていると人伝てに聞いた覚えがある。ハッピープログレス先輩は、GⅠ3勝という権利を持っていながらドリームトロフィー・リーグへの参戦はしなかった。

 年末年始の短い休暇を終えた後は、次々に新入生がトレセン学園に入ってくる。

 

 ミスターシービー、カツラギエースという二大巨塔がトゥインクル・シリーズを去り、ドリームトロフィー・リーグへの参戦を決めた今、残された私達には如何なる戦いが待っているのだろうか。

 

 まあ、そんな事よりもビゼンニシキが恋しい。

 フットワークの軽い彼女は宣言通り、早々に寮を引き払って、地方のトレセン学園に出て行ってしまった。ウマ娘の脚を持ってすれば、東京から千葉なんて、そう遠くない位置だけど、中途半端に距離が空いているせいで気軽に会いに行ける距離でもない。

 私、スズパレードは数分に一度といった頻度で溜息を零す日々を送っている。

 とりあえず3月のGⅡレース、中山記念を目標に見据えており、その結果次第で大阪杯に繋げる事を予定に掲げていた。

 

 あまり気乗りはしないけど。

 身体作りをサボる訳にもいかないので、適度に身体を動かすくらいの事は続けなくてはならない。

 ビゼンニシキが戻ってきた時に、だらしない肉体を見せる訳には行かないのだ。

 

 よし、頑張ろう。

 

 と意気込んで、トラックコースの芝に脚を踏み込んだ。

 瞬間、ズルッと泥濘に脚を滑らせる。

 あっ、と思った時は手遅れで、気付いた時には担架に乗せられて保健室まで運ばれていた。

 

「靭帯が伸びてますね」

 

 保健室で淡々と告げられる難しい言葉の数々、

 そのほとんどは理解できなかったけど、ひとつだけは分かったことがあった。

 私は、長期離脱を余儀なくされたようだ。

 

 幸先が悪いにも程がある。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 船橋トレーニングセンター学園にて、

 私、ビゼンニシキは真っ白のテンガロハットを被り、中央のトレーナー免許を持つ地方トレーナーの下で実習を受けている。

 とはいっても今は雑務が多い。今日はデータの収集であり、彼が担当するウマ娘のトラックコースの柵にカメラを設置して、ストップウォッチを片手に次々と情報をiPadに記載する。並列して今日のトレーニング内容を確認し、トラックコースを走らせる傍らで彼女達の基礎体力が如何程のものか中央で請け負ってきた未勝利のウマ娘達の情報をグラフ化して比較する。

 幸いにも数だけは揃っている。有マ記念前の模擬レースで得た中央で活躍するジュニアクラスの情報も手元にはある。

 数字を可視化したものをプリント用紙に印刷して、事のついでにカメラを撮ったウマ娘の走りで気になった点をトレーナーにプレゼンしてみた。

 すると彼は黙って首を横に振り、そして私の肩を叩いて優しく告げる。

 

「もう俺が教えることは何もない」

 

 私は晴れて一週間でトレーナーのお墨付きを貰うことになった。

 

 やる事がなくなって、暇になった。

 SNSに送られてくる未勝利のウマ娘達と連絡を取ったり、彼女達が自分で撮った走る映像を眺めているだけで時間が過ぎる。

 中央でやっていたようにトレーナーを持たない未勝利のウマ娘を集めてみようか?

 いや、それだと中央の焼き直しで面白くない。

 

 それに地方のウマ娘は中央程、必死で走るウマ娘は少なかった。

 なんだかんだで重賞を走るウマ娘に囲まれていた私には、此処は退屈で仕方ない。中央のウマ娘は未勝利でも、一勝が欲しくて頑張ってたし、走れないなら走れないなりに歌や踊りを頑張るウマ娘も多く居た。卒業後の進路を考えて、相談してくるウマ娘もいた程だ。流石に進路相談室に送り込んだけど、勉強なんかは教えることはできた。

 それに比べると、此処は退屈だった。

 

 遠目にトラックコースを走るウマ娘を眺めながら彼女達の能力を推し量る。

 中央の平均なら大体、掌握できている。勝ち負けに持ち込める能力を持っているのかどうか、此処に居るウマ娘で中央の未勝利戦を突破できる可能性を持つ者は半分にも満たない。

 早く中央のトレセン学園に戻りたいな、そう思っていた時に一人のウマ娘がトラックコースを駆け抜ける。

 その走りにビビッと来た。

 私は衝動のままにトラックコースまで駆け寄り――人間程度には走れるようになった――、そして彼女の走りを間近に見て、笑みを浮かべた。中央でも類稀な才能の持ち主、実習が終わるまでの退屈な日々に一縷の希望が見えた瞬間だった。

 その日から私は、黒鹿毛の彼女に絡んで回るようになる。

 

 

 

 




おや? 章タイトルの様子が……


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第2話:前準備は入念に。

 私、ハーディービジョンには休みがない。

 年末年始のトレセン学園、トラックコース。利用者のほとんどいない中でトレーニングウェアに袖を通した私は白い息を吐きながらトラックコースの外側を延々と走り続けていた。

 私ではシニア王道路線を走る事は難しいと気付かされた有マ記念、再び短距離マイル路線に切り替えた私は高松宮記念の優先出走権を得る為に2月末に開催される阪急杯への出走を決意した。ニホンピロウイナーはオーシャンSをステップレースにしたスケジュールを組んでおり、私が彼女との出走を避けた形になる。

 これは私のトレーナー、東条ハナの判断によるものだ。

 近頃、負けが続いている私に重賞勝利を与えたかったのも理由のひとつにあるのだろう。

 気になるのはトウショウペガサスの動きだが、中距離マイル路線をメインに走るようで短距離戦には出てくる気配がない。ので今は考えなくても良い。やはり私が気にすべきはニホンピロウイナーただ一人、私と彼女の間には明確な力の差がある。

 次こそ彼女に勝つ為に今日も今日とて直走る。

 まだ寒気が肌に染み入る時分ではあるが、走り続ける事で身体を温めた。

 走る、走る、また走る。

 毎日のようにトラックコースの外側を延々と走り続けていた結果、何時しか私が走っていた箇所に芝が生えなくなってしまった。

 それでもまだ足りない、と己を鍛える事に注力する。

 去年、怪我で半年近くも無駄にした私が、ニホンピロウイナーに勝つ為には、とにかく走り続けるしかなかった。

 今はまだ朧げにも見えない勝利を確実につかむ為に、限界ギリギリで体調管理をする。

 勝つ為に、勝つ為に、勝つ為に。

 

 最早、芝の上を走っているのか、土の上を走っているのか分からなくなった頃に阪急杯の出走が確定する。

 仮にも朝日杯FSを勝利したGⅠウマ娘、収得賞金は充分で抽選を引く事もない。有マ記念から約2ヶ月ぶりのレースが決まったって云うのに心が昂る事はない。粛々と、淡々と、トラックコースを走り続けて、末脚を鍛える為に筋トレに励んで、坂路を往復し続ける。

 気分が上がらず、追い切りも満足に熟せず、調整不足のままで挑んだ阪急杯での人気は6番手と低かった。

 何時もなら憤る低評価にも、今日は心が穏やかだった。

 全力は出しているけど、本気は出せない。浮いた気持ち、地に足が着いていないとか、そんな感覚だ。

 このような気持ちで勝てる訳もないはずで――――

 

『さあ第4コーナーを回って、最後の直線! バ群から抜けて来たのは……ハーディービジョンッ!? 最後方から何時の間に、その位置に居たのか!? ハーディービジョンが抜けて、一歩、二歩と距離を開けるッ!! これは強い、これは圧巻! まだ伸びる、突き放して、今ゴールイン!! 圧勝です、これはものが違います! 朝日杯の覇者が同じ阪神レース場を舞台に帰って来た!!』

 

 ――誰よりも早くゴールラインに走り込んでいた。

 

 大歓声に包まれる中で、私は何処か満たされない気持ちがある。

 言っちゃ悪いが、今日の面子は私が去年、苦しめられたウマ娘達と比べて格が落ちる。

 ニホンピロウイナーは勿論、ハッピープログレス、ビゼンニシキにも届かない面子だ。

 観客席では東条ハナが、私の久方ぶりの勝利に涙を流す姿が見えた。

 

 しかし、私の心は冷めている。

 いや、今、目が醒めたというべきか。

 きっと私は、このまま重賞路線を走り続ければ、それなりに勝ち星を稼げるのだろう。

 だが、それでは私の心は満たされない。

 心に思い浮かべるは、短距離マイルの絶対王者ニホンピロウイナー。

 もうコース上から離れたハッピープログレスやビゼンニシキにはもう勝つ事は出来ないが、その頂点に立つニホンピロウイナーに勝てば、結果的に私はハッピープログレスやビゼンニシキよりも格が上だと証明することができる。

 そうだ、全てはニホンピロウイナーただ一人に収束するのだ。

 

 ぼっ、と心に火が灯るのが分かった。

 次は高松宮記念、絶対に勝つ。と心に決めて、明日からのトレーニングについて考えを巡らせる。

 兎に角、私が勝つ為には走り込みを続ける事が最低限だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 マイルの皇帝、マイルの絶対王者。

 勝つのは当然の立場であるが故に、トレーニングには余念がない。

 同じ短距離マイルを走るウマ娘の全員が私の座を狙っている。その全てを敵に回して、どんな不測の事態に陥ろうとも負ける事は許されない。勝つのは当然、なれば私の目標は勝ち続ける事にある。

 背負わされた重圧、それを涼しい顔で受け取る。

 期待の数だけ、私の脚は重くなる。ズン、とレース場を響かせて、想いを力に変えて、飛ぶ様にコースを駆け抜ける。

 今の短距離マイル路線では文字通り、敵なし。

 無敵の実力を以て、オーシャンSで2バ身の差を付けてゴールする。

 

 唯一抜きん出て、並ぶ者なし。

 

 短距離マイルという限定された距離ではあるが、

 今のトレセン学園で、その言葉を体現する唯一無二の存在が今の私だ。

 

 万が一の可能性すらも握り潰す為に他ウマ娘の情報を集めて、頭の中に叩き込んだ。 

 レースに絶対はない。不確定な要素ばかり、それでも勝つのが絶対王者。

 どんな闇が世界を覆ったとしても、私の走りは光を示す。

 私の脚で勝利を掴み取る。

 

 慢心はない、油断などあり得ない。

 恐怖を胸に抱いて、次なるレースに赴いた。

 高松宮記念。

 恐れを抱かない者は存在しない。

 もし仮に居たとして、それは単なる精神破綻者だ。

 恐怖は押し殺すものでもなければ、消し去る必要もない。

 受け入れて、乗り越える。

 

 それを人は勇気と呼ぶのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 トウショウペガサスは、好物のにんじんハンバーグをもぐもぐと頬張っている。

 トレセン学園の人参は甘くて美味しい、その上ジューシーだ。焼くと人参の肉汁と呼ぶべき汁がじゅわあっと溢れ出して、柔らかくてホクホクな人参にナイフをストンと落として切り分ける。その一欠片をフォークに刺して、口元に放り込めば――舌が蕩ける程の美味しさに思わず、片手を頰に添える。

 研究に研究を重ねられたトレセン学園農学部の人参は至高の一品だ。

 そりゃそうだ、人参に目がないウマ娘が妥協の一切合切を切り捨て、設立当初から今に至るまで予算度外視で研究を続けてきた代物である。その美味しさ、その舌触り、ランクに表すとA5である。

 農耕ウマ娘の魂は時代を経て、形を変えても、その在り方は紀元前から変わっていない。

 食への追求、即ちグルメフロンティア。

 それこそがウマ娘の行き着く理想の一つだ。

 

 次のファン感謝祭では、もっと皆に食の素晴らしさを広く伝えるべく、大食い大会の開催を検討している。

 署名活動は順調に進んでおり、食堂の職員方に話も通してある。このトレセン学園に所属する食堂スタッフは皆、いっぱい食べる貴女が好き、と大飯食らいのウマ娘達を満足させる為に鍛えられてきた古兵である。むしろノリノリで話に乗ってくれた。

 そうだ、私の戦場は此処にある。これこそが私の成すべき役目である。

 トウショウペガサスが開拓するのは、あの多くの食の先にある頂きの上だ。

 ご飯を食べれば幸せで、皆で食べればなお美味しい。

 だから、ご飯を食べる時は、いただきます。で始まり、ご馳走様でした。で終わる。

 大食い大会とは、皆と、夢と浪漫を共有する素晴らしい催しなのだ。

 

 これを成立させる為に私、トウショウペガサスはこの世に生を受けたのかも知れない。

 そう思えて、仕方ないのだ。

 私の魂に掛けて、せめて来年のファン感謝祭までに必ず成立させてやる。

 そうしなければいけない気がするのだ!

 トレセン学園の未来の為に、うら若きウマ娘の為に!

 私には成さねばならぬ事がある!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「へっくしょん!」

 

 今年になって、笠松のトレセン学園に所属した芦毛のウマ娘が大きなくしゃみをする。

 ズズッと鼻を啜り、首を傾げて、今日も今日とてボロボロのジャージに袖を通して、駆け出した。

 走れる事は幸せだ。

 自分の脚で走る事は楽しかった。

 体力が尽きるその時まで、ずっと走っていられる。

 トレセン学園の外を走れば、巡り巡る景色を堪能し、場所によって変わる空気を肌に感じ取る。

 整備されたトラックコースでは、脚に力を込めるだけ、何処までも早く走れる事が楽しい。

 全身に風を浴びながら、駆け抜ける。

 それだけでもう心が満たされる。

 それ以上にもっと色んな景色が見たくて、もっと速く走りたくて、もっともっと長く走ってみたくて、何処までも、この世界の果てに届いたとしても、私はずっと走り続けることができた。

 私の心は満たされる、私の心は渇いている。

 二律半面の想いを抱きながら、今日も今日とて、朝から晩まで走り続ける。

 ちょっとした休憩を挟んで、走る為に呼吸を整えて直走る。

 走った後に食べる御飯は、とても美味しかった。

 

「……よし、もうちょっと走ろうか」

 

 走れば走るだけ御飯は美味しくなる。

 だから今日もまた夕食時まで、美味しく御飯を食べる為にも走り続ける。

 走って、走って、走って、走って、走って、走って…………

 

 

 

 



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第3話:公営の星

感想は今日中に返します。


 地方のトレセン学園に所属しているからと云って、決して中央の連中に劣っているとは思っちゃいない。

 確かに中央の方が身入りが良いし、金が集まる場所に才能のあるウマ娘が集まる事も理解している。しかし中央に所属する為には金が必要だ。日本にあるトレセン学園で最大規模、最先端のトレーニング施設を有する中央は兎に角、学費が掛かった。

 それで中央に行かせて貰えるだけの資金がなかった私は此処、船橋にあるトレセン学園に入学する事になる。

 

 とはいえまあ住めば都という言葉があるように船橋で過ごしている内に愛着が出来てしまった。

 私は此処の空気が好きだし、船橋には船橋の良さがあると思っている。勿論、中央に対する憧れの気持ちもあるが、それはそれ。挑戦する事はあっても、船橋を捨てたいとは思わない。地元の商店街、道を走れば、多くの人に声を掛けられて、段ボールに詰め込まれた人参を頂く事もある。

 私は船橋のウマ娘であり、船橋に居場所を見出している。

 地元のウマ娘ファンの為に私は走りたい。この船橋レース場の観客席を満員の観衆で埋め尽くす事が私の夢の一つだ。そして日頃から私のことを応援してくれるファンの方々に、船橋のレースを見に来てくれているウマ娘ファンに、船橋のウマ娘達に、私達は中央にも負けないんだぞ。と夢を抱かせて、胸を張らせてやる事が、私の夢のもう一つだった。

 その為、交流レースで中央の連中に負けないように、日々トレーニングを積み重ねている。

 

 年明け頃に中央から来たトレーナー候補を名乗るウマ娘に付き纏われるようになった。

 トレーニング中は、遠目から自分の事を観察するだけなのだが、昼飯時になれば、すっと私の対面を陣取って来る。奇遇だね、と白々しさを隠す気もない栗毛のウマ娘を半目で睨み付けて、何も言わずに自分の食事に視線を落とす。今日はカレーライス、少し辛めのものをチョイスした。銀色の磨き上げられたスプーンで安定感のある美味しさのカレーを頬張っていると、白いテンガロハットを被った栗毛のウマ娘は得意顔で、虎が木の周りを走ったらバターになる話をして来た。おい、喧嘩を売ってるのかな?

 さておき、先述したがトレーニング中は絡んでくる事はない。

 遠目から私を観察するだけの日が多いが、時折、カメラを片手に私のことを撮影している事もある。ペンを片手にメモに何かを書き留めている事もあった。これでも私は去年、ジャパンカップダートダービーに優勝した経歴を持つウマ娘、私の走りを研究しようとするウマ娘は多い。しかし、中央に居る奴でも私の走りから学べる事はあるのか。と思えば、少し誇らしくもあった。

 見たければ、思う存分に見れば良い。どうせ、砂の舞台で私が負ける事はあり得ないのだ。

 1月末、南関東SⅢに無事、勝利した私は2月初旬に南関東SⅡの金盃にも危なげなく勝った。

 次は3月中旬にはJpnⅡのダイオライト記念、気合を入れる為にカツ丼を注文した横で白いテンガロハットを被った栗毛のウマ娘が「随分と調子が良いようだね」と四つ折りにされたプリント用紙を私に手渡して来た。なんだこれは、と思って開いてみたら大井のトレセン学園に所属するウマ娘の情報が印刷されており、中でもカウンテスアップと云う名のウマ娘に関しては、かなり詳細な情報がぎっしりと書き込まれてあった。

 彼女は君が最も警戒すべき相手だよ、と澄まし顔で告げる彼女に「テツノカチドキ*1じゃなくて?」と私が首を傾げれば、彼女も警戒すべき相手だが、と栗毛の彼女は言葉を続ける。

 

「地力はカウンテスアップの方が上だよ。次の川崎記念を観てみると良い、テツノカチドキと彼女が衝突するはずだからね」

 

 何処から情報を仕入れているのか。

 ネット配信される地方レース場を視聴すれば、確かにカウンテスアップとテツノカチドキは同じレースに参加していた。そしてカウンテスアップがテツノカチドキを相手に勝負に勝った。

 気付けば、カウンテスアップの詳細な情報が書き込まれたプリント用紙を睨み付けていた。

 

 翌日、午前のトレーニング前にビゼンニシキを名乗る栗毛のウマ娘に話かけに行った。

 色々と問い詰めたいことがあった。どうして私に構うのか、とか。どうやって情報を知り得たのか、とか。

 しかし彼女は私が声を発する前に四つ折りの新しいプリント用紙を手渡した。

 

「情報を更新しておいた。やっぱりカウンテスアップは未だに発展途上、彼女は強いよ」

 

 その内、勝てない時が来るかもね。

 と挑発的な笑みを浮かべたものだから、私は人差し指を彼女に突き付けながら言い返してやった。

 絶対に負けたりしないから、と。

 そして、私は宣言通りにダイオライト記念で彼女に勝った。

 アタマ差の勝利だった。

 

 その翌日、レース後でトレーナーに休暇を言い渡された私は、

 トレセン学園の屋上で白いテンガロハットを被った栗毛のウマ娘が、スマホで会話しながらiPadを操作しているのが見えた。イヤホンを付けている彼女の横に回り込むのは簡単な事で、隣から彼女のiPad画面を覗き込んだ。見たことのないレイアウトのアプリケーション、そこには詳細なウマ娘の情報が記入されていた。会話しているのは中央トレセン学園の後輩か、トレーニング内容やレーススケジュールの相談を受けているようだ。ノートを開けば、ぎっしりと文字の詰め込まれたレースの予定表が書き込まれており、どのウマ娘が何処に出走するのか書き留めてあるようだった。

 シャープペンシルと消しゴムを片手で器用に使い分けて、書いて消してを何度か繰り返す。

 そしてまた指先で先程のアプリケーションを開けば、そこに書き込まれた情報と送られて来た動画ファイルを再生して、どの辺りが悪いのか簡単に指南したりする。会話先のウマ娘のページを開く為に、一覧にあった名前の数は軽く30を超えていた。その中には、シンボリルドルフの名前もある。一体全体、こいつはどれだけのウマ娘から頼られていると云うのか。

 呆気に取られていると、スマホ画面がテレビ通話に切り替わった。そして画面先のウマ娘が、恐る恐るといった様子で隣に立つ私を指で差した。

 ビゼンニシキはiPad画面を閉じた後で、ゆっくりと私に視線を向ける。

 私の存在を確認した彼女は軽く溜息を零した後で、白いテンガロハットを外し、ぴょこんと顔を出したウマ耳からワイヤレスイヤホンを手に取って、ゆっくりと口を開いた。

 

「盗み見るのは、よくないね」

「無用心に情報を晒している方もどうかと思うけど?」

「それはそう、でも君もマナーがなっちゃいないと思うな」

 

 天下のロッキータイガー様ともあろう御方が、と挑発的な笑みを浮かべる。

 外されたワイヤレスイヤホンから僅かに溢れる音、耳を澄ますと黄色い歓声が上がっていた。

 何時しか私に付き纏うようになったウマ娘は、私が思っている以上に秘密が多いようだ。

 

 

 

 

*1
去年の東京大賞典(JpnⅠ)の優勝ウマ娘。




歩く機密情報


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第4話:激動の兆し

 3月第4週目。

 中京レース場、高松宮記念。芝1200メートル、左回り。

 緩やかな登り坂に、約700メートルも続く下り坂。そしてゴール前に置かれた急激な登り坂に300メートル以上もある最後の直線は差し戦法や追い込みを得意とするウマ娘に優位なコース設計になっている。

 その事もあってか私、ハーディービジョンは人気2番手の位置に付けている。

 

 1番人気は勿論――――

 

『去年の春は怪我で回避した春の短距離マイル路線。しかし今年は万全を喫して、この高松宮記念の舞台にやって来たッ! 戦績は18戦12勝! 1600メートル以下での戦績は13戦11勝! マイルチャンピオンシップ2連覇の覇者は堂々の1番人気! マイルの絶対王者、ニホンピロウイナーッ!!』

 

 コース内での準備運動中で観客席に手を振る余裕を見せる彼女を睨みつけた。

 これまでの私の戦績は、11戦4勝。メイクデビュー戦に勝った後、札幌ジュニアSと函館ジュニアSで大敗。京成杯ジュニアSで勝利する為のコツを掴んだ後、その勢いで朝日杯FSにも勝利する。怪我明けのNHKマイルCで再び大敗を喫した後、怪我の悪化に苦しめられて、セントウルSでは2着、スプリンターズSでも2着。マイルCSでは3着。有マ記念では掲示板外の大敗。そして阪急杯で優勝する。

 あと一歩が掴めない、安定感に欠ける。それが世間での私の評価だった。

 

 それでもハッピープログレスが居なくなった今、ニホンピロウイナーに土を付けられるのは私だけだと言われている。

 正直、短距離マイルという舞台に限定したニホンピロウイナーの実績は、ミスターシービーやシンボリルドルフにも引けを取らない。そして彼女の実力は短距離マイル路線でただ一人、群を抜いていた。

 大丈夫だ、私なら勝てる。実力を十全に発揮すれば、勝ち負けには持ち込める。

 それが東条ハナと私の見解だ。

 

 レースは、やや早めの展開となった。

 好スタートを切った私は、先行というよりも差し気味の位置に収まり、バ群の中団付近から展開を見守る形となる。ニホンピロウイナーは前から3番目の位置、第3コーナーから第4コーナー。バ群が広がる頃合いで、内へ、内へと順位を上げていった。ニホンピロウイナーは相変わらず、綺麗なコーナリングで前一人を抜いて、そして直線一気で逃げるウマ娘を仕留めにかかる。

 それを差し位置から私が追走する。

 長く続いた下りからの登り坂は、その反動で多くのウマ娘が一瞬、脚を止める。それが先行したウマ娘であれば尚更だ。道中で快適に飛ばし続けたウマ娘が、速度を落とした隙に抜き去るのが私とトレーナーが考えた対策だった。

 悔しいけど、それが末脚以外でニホンピロウイナーに勝てるものがない私に取れる唯一の方策だった。

 既に3番手まで順位を上げた私が坂に差し掛かった時、ニホンピロウイナーは坂を半ばまで駆け上がって逃げウマ娘を捉えていた。そのまま並ぶ猶予も与えず、抜き去って、坂を登り切った彼女を止められる者は誰も居なくなっていた。

 距離にすると5バ身、遥か遠くを駆ける小さな背中が今、ゴールラインを割った。

 大差の付きにくい短距離レースで圧勝劇を繰り広げたニホンピロウイナー、湧いた観客席に彼女は悠々と手を振って応える。

 2着でゴール板を超えた私は、膝に手を付きながら彼女を睨んだ。

 ……ほとんど、息も切らしちゃいなかった。

 

 肩で息をする私の横を、ニホンピロウイナーが横切る。

 その時、私にだけ聞こえる声で囁いた。

 

「挫けるなよ、君なら来年はGⅠを獲れる」

 

 後ろを振り返った。

 悠然とコースから退場する背中、拳を握り締める。口の端を噛み切った。

 舐めるな。次こそは必ず、その背中を刺してやる。

 

 六月初旬の安田記念、追い込みの私に有利な距離だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 同じ頃、阪神レース場、大阪杯。芝2000メートル、右回り。

 最後の直線で激震が走っていた。今年、地方の笠松から中央に移籍してきたウマ娘、ステートジャガーが最後の直線で後方からバ群を抜け出して、2着のスズカコバンとは2バ身、3バ身と差を広げてゴール板を横切ってしまった。ミスターシービーとカツラギエースの引退により、著しく話題性を失ったトゥインクル・シリーズに現れた超新星はGⅠレースを獲った大金星に大声で吠えた。「見たか、やったぞ!」と拳を大きく振り上げる。

 この一人のウマ娘の快挙は、新たな戦いの幕開けとなる。

 有マ記念での世代対抗戦で盛り上がった数ヶ月後、ウマ娘ファンは新たな話題に飢えていた。

 ウマ娘雑誌は、ウマ娘ファンの要望に応える為に新たな話題作りに励んでいた。

 

 その結果、ひとつの流れがウマ娘界隈で生まれる。

 地方ウマ娘の中央進出、今までにも有望なウマ娘が中央に移籍することは多々あった。しかし、ステートジャガーがウマ娘史に残した傷痕は強く、地方にいる多くの有望なウマ娘が中央進出を目指して名乗りを上げるようになる。

 中央移籍を目指すウマ娘が増える中で、地方に所属したまま中央のレースに殴り込みをかけようとするウマ娘も居た。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 4月第3週目。

 大井レース場、帝王賞。ダート2000メートル右回り。

 ロッキータイガーは、カウンテスアップとの激戦の末に1着でゴールする。

 肩で息を切らして、横目に眺める観客席は、国内GⅠの格付けを受けるレースであるにも拘らず、埋まり切ってはいなかった。

 大井レース場で開催されるウイニングライブが満席になった試しもない。

 地方のトレセン学園は、中央に比べて予算が少ない為に華々しい演出が出来なかった。

 プログラム通りにライブを終えた後、アンコールもなしに催しを終える。

 

 翌日、船橋トレセン学園。

 授業を終えた後、廊下で大きく溜息を零せば、向かい側からいけ好かない栗毛のウマ娘と出会した。

 彼女は笑みを浮かべて、私に向けて歩み寄ってくる。

 

「この前の帝王賞での優勝おめでとう」

 

 当たり障りのない称賛の言葉。無視しようかとも考えたが、今日はそういう気分ではなかった。

 

「なあ、訊きたいことがあるんだ」

 

 彼女は興味深げに目を細める。

 このビゼンニシキというウマ娘は、驚くことに中央でGⅠレースにも勝った事があるウマ娘であった。シンボリルドルフとは幾度と激戦を繰り広げた仲であり、彼女の敗北歴のほとんどがシンボリルドルフによって与えられたものだ。

 怪我をした後、どういう経緯があってトレーナーを志すようになったのかは分からない。

 しかし彼女が持つ知識と技術は本物で、そこに関してだけは信用できる。

 

「シンボリルドルフが今のトゥインクルシリーズの頂点なんだよな?」

 

 笑みを深めて、頷く彼女に私は続く言葉を口にする。

 

「もし、仮に、私がそのシンボリルドルフに勝てば、この地方の観客席を満員にする事もできるのかな?」

 

 その問いに、ビゼンニシキは少し考え込んだ後で「可能性はあるよ」と告げる。

 

「ルドルフに勝ったことのあるウマ娘、それだけで君を目当てに多くの中央のファンが大井に押し寄せてくる」

「……私でも勝てるか?」

「今のままでは勝てないよ。実力もそうだけど、芝とダートでは走り方が違い過ぎる」

「それを修正すれば、勝てる見込みはあるんだな?」

「見込みはある、といった程度かな。ルドルフはマジモンの怪物だよ」

「どのレースに出たら最も注目を浴びる事ができるんだ?」

 

 くつくつとビゼンニシキは肩を揺らした後で、ゆっくりと口を開いた。

 

「ジャパンカップ。中央の実績のない君では、グランプリレースに出走する事はできないし、秋の天皇賞は人気があるから枠が足りない可能性がある」

 

 なにより、とビゼンニシキは悪戯っぽく肩を竦める。

 

「日本の頂点どころか世界の上に立ったウマ娘ともなれば、話題性は十分だと思わないかな?」

 

 決断は、直ぐだった。

 

「……私には何が足りない?」

 

 その問いに彼女もまた即答する。

 

「全てだよ。シンボリルドルフと戦うには何もかもが足りていない」

「ならば、その全てを身に付けるまでだ」

 

 彼女を壁際に押し寄せて、ドン、と壁に手を打ち付ける。

 

「教えてくれ、ビゼンニシキ。私が中央で戦う為には何をすれば良い?」

 

 ビゼンニシキは口元を手で覆い隠した。

 隠し切れない歪な笑み、その瞳は狂気で濁っている。

 肩を揺らして、そのまま私を睨み返した。

 

「良いのか? 私が、君に、助言しても、良いのかな?」

 

 半ば自問自答にも聞こえる問いかけに、私は力強く頷き返した。

 

 中央と地方では、根本的に力の差がある。

 それは知識だったり、技術だったり、意識だったりだ。

 その全てを持っている存在が目の前に居る。

 

 中央のGⅠレース優勝経験を持つウマ娘。

 情報収集にも長けて、分け隔てなく知識と経験を与えるトレーナーでもある。

 

 ならば、使わない手はない。

 

 

 

 

 

 壁ドンした一件は、話題に乏しい船橋トレセン学園に在籍するウマ娘で少しの間、盛り上がった。

 



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第5話:桜舞う季節

 4月、桜が咲き誇る季節。

 この時期になるとウマ娘界隈は騒がしくなり始める。

 大阪杯から始まる春シニア三冠レースが幕上げに加えて、世代最強を決めるクラシック路線にティアラ路線といったGⅠレースが毎週のように行われる。その裏では、世代最強スプリンターを決めるNHKマイルC、更には安田記念やヴィクトリアマイルと云ったレースも開催される。6月末に開催される宝塚記念まで続くGⅠラッシュにウマ娘ファンも気分を高揚させていた。

 その中でも特に注目を受けているのがクラシック路線だ。

 朝日杯ジュニアSに勝利したスクラムダイナを始めとし、ホープフルSに勝利したシリウスシンボリ。今年に入ってからメイクデビューを果たしたミホシンザンは3戦3勝でスプリングSに勝利している。安定した走りを見せるサクラサニーオーは京成杯で勝利し、その彼女を弥生賞で破ったのはスダホーク。そして共同通信杯で勝利したサクラユタカオーが皐月賞に向けて、準備を始めている。

 この時期、確かサクラユタカオーは骨折をしていた記憶はあるが、今回は骨折するような事態は起きていないようだ。

 それを言ってしまえば、ジャパンカップや有マ記念も歴史とは変わってしまっている。

 

 月刊トゥインクルを読み終えた私、ハッピーミークは、それをコンビニの雑誌棚に戻した。

 此処ではシリウスシンボリは世界に挑戦するのか。その結末を知っている身からすると世界挑戦は避けた方が本人の為、でも世界挑戦そのものが失われるのは少し寂しい。適当にカフェオレ辺りを購入すると元気よく道路を走る幼いウマ娘の姿があった。額の流星が目立つ子に青色のツインテイルの子。そして栗毛の綺麗な髪をした子の三人だ。

 元気が良いようで、このまま近場の神社まで走って行くようだ。

 この辺りの神社で有名なのは、あの長い石段のある場所か。彼女達の背中を見送った後で、私は実家に帰る為に背を向ける。シニア王道は、シンボリルドルフの一強。短距離マイル路線は、ニホンピロウイナーの一強。クラシック路線が注目を浴びるのは致し方ない事だ。

 そういえば、ギャロップダイナは、この時期どうしているのだろうか?

 まだ名前を見た覚えがない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「すげぇんですよ! ルドルフ様って、まじすっげぇんですよ!」

 

 ピョンピョンと跳ねながら推しウマ娘について語る。

 弥生賞から始まるビゼンニシキとの接戦、ジャパンカップの激戦に続く、有マ記念の新旧3冠ウマ娘対決! そのどれもが名勝負で熱い想いが私の胸を撃った! 胸の奥からふつふつと湧き上がる衝動は何故か、これは恋か。これは愛か。――そんな恐れ多い! 私は去年に漸くオープンクラスに上がって、オープン戦に一勝するだけのクソザコウマ娘。GⅠレースの最前線で活躍を続ける超一流とは比べるのも烏滸がましい、矮小な存在なのです!

 手を伸ばしても届かない。遠い彼方に居るウマ娘を観客席から眺めることしかできない。

 

 でも、それで良いんです!

 だって、それがファンとしての正しい在り方なのだ!

 ガチ恋勢はお断り!

 

 私、ギャロップダイナは遠くから声援を送るだけで満足する節度あるウマ娘なのだ。

 シンボリルドルフ様に少しでも還元する為にファングッズは網羅済み、彼女の出走するレースには必ず彼女に投票して、観客席から彼女の走りを応援し、そしてウイニングライブではレースとは違った姿を魅せる彼女の姿に胸キュンする。嗚呼、ルドルフ様。今日も私に生きる希望を与えてくれてありがとうございます。明日を生きる理由を与えてくれてありがとうございます。

 推し色のペンライトを御守り代わりに何時でも鞄に入れている。

 うまうまうみゃうみゃ。

 語りに堕ちる私のシンボリルドルフ語りに対面の先輩様は大きく溜息を零す。

 

「貴女もフェブラリーステークスで2着って事を忘れてないかしら?」

「2着って云っても5バ身差じゃないですかー。やっぱり私には無理無理かたつむり、GⅠレースには出走せず、重賞レースの賑やかしとして後生を過ごして行くのです……でも、バックダンサーとしての腕前はバッチリですよ!」

 

 華麗なステップから決めポーズをビシッと決めてみせる。

 これでも踊りには自信がある。何時の日か、シンボリルドルフ様の後ろで踊れる事を夢見て頑張っているのです。ああ、でも、私の踊りで彼女のステージを邪魔してしまったらどうしよう! やっぱり観客席でペンライトを振っている方が私の性根には合ってそうです。そういえば、この前の有マ記念のウイニングライブ! 私が写っているんですよ! 観客席に! シンボリルドルフ様と同じ画面に、私が写っているんですよ! ひとつの画面に収まっているんです!

 ふひ、ふへへ、うっひっひっひっ……そういえば、フェブラリーSで得た賞金でDXボックスも購入しちゃいました! もう持ってる映像なんですけども、やっぱり揃えたいものは揃えたいですし? それにDXボックスに添付されている特典がね、欲しくてですね……中古じゃないです、ちゃんとシンボリルドルフ様の懐に入るように現品購入です!

 これは模範的ファン娘、出来るウマ娘。

 

「……ああ、うん。そうそう……それで、引き取ってくんない? うん、分かった……」

 

 先輩はスマホで誰かと連絡を取った数分後、私のトレーナーさんが食堂にいらっしゃった。

 

「ああ! トレーナーさん、私! ルドルフ様のバックダンサーになる為にダンスレッスンを増やしたいです!」

「なぁにアホなことを言ってるのよ! このバカッ! 勝ってやるぐらい言いなさいよ!」

「そんな私如きがルドルフ様に勝つだなんて、怖れ多すぎて……私、死んじゃいますよ……!!」

 

 私の悲痛の訴えにトレーナーは頭を抱えて、先輩の方を振り返った。

 

「アンドレアモンさん、何時も何時も申し訳ありません」

「まあ、彼女も可愛い……? 後輩だしね。芽が出るまで同じように苦労してきた仲だし……」

 

 頭を下げるトレーナーに私は首を傾げる。

 なにやってんだろう、この人。

 

「……貴女も苦労してるわね」

「素質はあるんですよ、素質は……」

「素質はね。うん、素質はねえ?」

 

 二人して、大きく溜息を零した。

 どうしてそんなにやつれたような顔をしているのか不思議で仕方ない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 4月第3週、中山レース場。皐月賞、芝2000メートル。

 ミホシンザン、スクラムダイナ、サクラサニーオー、スダホーク。本来は4人で決められる決着だが、転厩騒動の起きなかった今世ではシリウスシンボリが出走し、更にはサクラユタカオーまで参戦する始末で混迷を極めている。

 1番人気はミホシンザン、2番人気はシリウスシンボリ。3番人気にサクラユタカオーで4番人気にサクラサニーオー。5番人気にスダホーク、6番人気にスクラムダイナとなっている。10番人気のクシロキングも含めれば、サクラサニーオー除いて、GⅠホースが6名も出走するというちょっとした異常事態だ。本来ならダイゴトツゲキが阪神3歳Sに出走したGⅠホースなので、彼女を含めると7名になる。ミスターシービー世代とシンボリルドルフ、ニッポーテイオー世代、タマモクロス世代、オグリキャップ世代という化け物世代に加えて、前後を囲まれていなければ、この時代こそが黄金世代と呼ばれていてもおかしくない。

 出走するウマ娘は18名、足切りされた競走馬の名前は覚えてない。

 今日も今日とて、私、ハッピーミークはハイセイコーの保護下で観客席から観戦する。

 シンボリルドルフ世代が現れてから少しずつ歴史の歯車が狂い始めている。

 もう私の知識は絶対では、なくなっている。

 その事で正直な話、ちょこっとワクワクしていたりもする。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 なんだかんだで間に合ってしまったな。

 中山レース場、皐月賞。今日は快晴、第3コーナーから第4コーナーにかけて、桜並木が咲き誇る。

 その美しさを堪能しながら、今日の芝の具合を確かめる。

 

 トントンと軽く跳んでみる。

 脚の調子は良さそうだ。有マ記念の世代対抗戦、その騒動の時に開催された模擬レース。サクラシンゲキこと日高あぶみに無理やり参加させられての事だったけど、その時にビゼンニシキから助言のひとつを頂戴した。

 それは走る時のバランスが悪いという話だ。

 私には強力なパワーがあるらしいが、その大きな身体で闇雲に走れば、何時の日か物理的に痛い目を見ると云われてしまった。それ以後、サクラシンゲキこと日高あぶみと共に試行錯誤を重ねて、時にビゼンニシキに助言を貰いながらフォーム改造に勤しんだ。

 結果、私の脚は以前と比べて、スムーズに回るようになった。

 

 ふと観客席を見ると、

 サクラ一門の皆が私の名であるサクラユタカオーの文字を刻んだ横断幕を広げているのが見えて苦笑する。

 ……最近、走るのが楽しいんだ。

 全力で走った翌日、ちょっとした違和感を覚えるのでトレーニングは手を抜くことが多かった。

 時には痛みを発する事もあったのに、近頃はそれがない。

 

 自らの太腿を、パン、と叩いて気合を入れる。

 メイクデビュー戦以来、私が全力で走った事は一度もない。

 しっかりと仕上げた今日ならば、全力で走っても脚が壊れる事はないはずだ。

 試してみたい、ウズウズする。

 自分の可能性が何処まで届くのか、この皐月賞の舞台で早く試したかった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 シンボリルドルフは名実共に怪物だ。

 ビゼンニシキも不世出の天才ではあったが、それをシンボリルドルフは上回っている。

 ジャパンカップでは、自身が世界に通用するウマ娘である事を証明し、有マ記念では接戦の末にジャパンカップで後塵に拝したミスターシービーとカツラギエースを真っ向勝負で捻じ伏せた。その2人がトゥインクル・シリーズを卒業した今、彼女には敵が居ない。

 となれば、次に目指すのは世界だ。

 シンボリルドルフは、先ずは日本で格付けを終えてからの話だと言っていた。

 彼女の世界挑戦の付き添いを担うのは、私であるべきで、なればこそ私は無敗の3冠ウマ娘になる事で証明しようと考えている。

 クラシック3冠レースは、世界戦に向けた前哨戦。日本にも強いウマ娘は居ると聞いているが、世界にはもっと強いウマ娘がうじゃうじゃと居るという話だ。ならば当然、クラシック3冠レース如きで躓いてはいられない。

 勝って当然、当たり前のように勝ってやる。

 私はシリウスシンボリ、日本総大将の名を担うべきウマ娘の名だ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 少し昔の話をする。

 かつてチームリギルには、二名の偉大なウマ娘が所属していた。

 片や、無敗の2冠ウマ娘であるコダマ。片や、今も伝説として語られる生きる神話のシンザン。トキノミノル引退後のドリームトロフィー・リーグを牽引し続けてきた2名は、TTGを始めとする数多のウマ娘を返り討ちにし、今もなお頂点に日本ウマ娘界の頂点に立ち続けている。

 マルゼンスキーがチームリギルの所属になったのは、その後の話だ。

 チームリギルの現トレーナーである東条ハナがスカウトしたウマ娘で、当時、引退を考えていた前トレーナーはマルゼンスキーを叩き台に、チームの運営を自分から東条ハナへと少しずつ引き継がせていった。スズカコバンは丁度、転換期の真っ只中の時期にチームリギルに所属したウマ娘。前トレーナーが東条に名義だけ貸し与える状態が暫く続いた後、東条が名実共にチームを引き継いだ年にスカウトされたのがハーディービジョンだ。

 東条ハナは勉強家であった。前トレーナーから技術と知識を引き継ぐ傍で、海外からウマ娘関連の論文を取り寄せては読み耽っていたと話に聞いている。それでいて情にも厚く、ウマ娘とは親身になって語り合うことを至上とした。

 そんな彼女の歯車が狂い始めたのは、朝日杯FSの後に起きたハーディービジョンの故障だ。

 競争生命すらも危ぶまれる大怪我に、東条は己を悔いた。ハーディービジョンがレースに復帰できるようにトレーニングスケジュールを組み直し、徹底的な体調管理に食事の指定までするようになる。全ては愛すべきウマ娘の為に、彼女は担当したウマ娘の為に身を粉にして働くことができる人物だった。

 それは他のウマ娘にも波及する。

 前トレーナーのやり方を続けたいものは、マルゼンスキーが面倒を見ている。スズカコバンは、その中の1名。東条ハナはウマ娘の要望に沿ったトレーニングやレースのスケジュールを調整する程度で深入りしなくなった。

 私、ミホシンザンは東条ハナのやり方を支持している。

 

 あれだけウマ娘の為に尽くすことができる人は他に居ないと思っている。

 データに頼るのは不安の現れ、名門リギルの重圧が彼女をデータ偏重の思考へと追いやっているのかも知れない。徹底管理は彼女がウマ娘を想うが故の行動なのだと私は推察している。私は知っている、ゴミ箱の底に転がる胃薬の空瓶に。御手洗いに行った後、顔色が悪いのに、妙にすっきりとした顔をしている。そして、よく口臭消しの菓子類を口に含んでいた。

 彼女に足りないのは自信だ。つまりは成功体験、積み重ねるべきは経験ではなくて実績だ。

 

 まだ若く、行き過ぎる事も多々あるが、それでも、支えたい、と思えるような御人だ。

 

 ハーディービジョンは失敗した。

 だから私が獲る。皐月賞も、東京優駿も、菊花賞も、

 シンザンは5冠ウマ娘だ。

 

 ならば私が6冠以上を取れば良い。

 10年以上もの間、誰も到達できなかった境地だ。

 これほど分かりやすい実績は他にない。

 

 今日の皐月賞は通過点、

 だからといって足元を疎かにする無様な真似をするつもりはない。

 勝つ事が前提、負ける事は許されない。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 三つ巴の皐月賞。そんな見出しのウマ娘新聞を流し見た後、隣に立つダイタクヘリオスに手渡す。

 難しい顔で広げた新聞紙を睨みつける彼女だが、精々、見ているのは人気と印の項目だけで細かい文字列は流し読んですらいないことを私は知っている。

 ふむっ、と手で顎を撫でる彼女の見慣れた姿に私、ビゼンニシキは大きく溜息を零した。

 

 関東圏で開催されるGⅠレース。

 その時にレース場まで脚を運んでみれば、ほぼ確実に、この幼いウマ娘が入り口付近で待ち構えている。

 入場券はたかられるし、会場内で販売されている食事を強請られる日もあった。

 全く以て厚かましい小娘である。親の顔が見てみたいものだ。

 

 おかげで私も脚を運ぶつもりのなかったレースにも脚を運ぶ羽目になる。

 

 憤慨するのも程々に、コースを見渡した。

 馬場状態は稍重。最も速いウマ娘が勝つと云われるレースではあるが、重馬場が苦手なサクラユタカオーにとっては不利な状態だ。本命はミホシンザン、次点でシリウスシンボリと云った感じ、展開次第でスクラムダイナとスダホーク辺りが勝ち負けに絡んでくる可能性もある。

 ……去年、私もこのレースに出走していたんだよな。と少し物思いに耽る。

 弥生賞に皐月賞、シンボリルドルフの鮮烈な走りは今でも鮮明に思い返すことができる。彼女に勝つ為には、どうすれば良いのか? レースまでに何をすれば良いのか? そんなことばかりを考えていた時期があった。

 今ではもう随分と昔のように感じられて、苦笑する。

 

 中山レース場にファンファーレが鳴り響いた。

 体勢が整ったようで、間もなく、ゲートが開け放たれる。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 先ずは静かな立ち上がり、

 海鳥が大きく翼を広げたような横一列、数秒も経たない内に各々が得意とする位置に収まっていった。

 1番人気のミホシンザンは先頭から5番手の位置取り、3番人気のサクラユタカオーがバ群の中央付近、2番人気のシリウスシンボリが中央からやや後方といった立ち位置で様子を窺う展開となった。スタートで少し出遅れた最優秀ジュニアウマ娘のスクラムダイナは、バ群に埋もれるもスタート開始直後から第1コーナーから第2コーナーにかけて、上手い具合に身体をバ群の外に抜け出させて、ミホシンザンの外側にピッタリと付ける。

 向かい直線、人気上位の御三方が仕掛けたのは、ほとんど同じタイミングだった。

 各々がバ群の外側から先頭との距離を詰める。ミホシンザンは2番手、スクラムダイナは4番手。直ぐ後ろをサクラユタカオー、連結するようにシリウスシンボリ。中山レース場の第3コーナーから第4コーナーに掛けて、ほとんど傾斜はない。ミホシンザンは更に速度を上げて、第4コーナーに入ったところで先頭に立った。

 この時、スクラムダイナもスパートを仕掛けたが、ミホシンザンの末脚に置いていかれた。

 伸び悩む彼女の代わりに抜けて出たのは、シリウスシンボリ。彼女もまた最終コーナーを捲って、ミホシンザンの1バ身後ろを追走する。勝負の行方は人気上位の2名に委ねられたか。

 先頭争いをする2名の外から図太い脚音、大地を踏み締めて駆ける栗毛のウマ娘。

 重馬場を苦手とする巨体がコースの外側から中山の坂を駆け上る。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 自分の脚なら持つと信じた早仕掛け。

 マークするように真横に付けたスクラムダイナを千切って、独走体勢に入ってしまうのが私の考えだった。

 しかし、シリウスシンボリが私のすぐ後ろに付けてきた。

 おかげで私が思い描いた青写真は台無しだ。

 

 だが、頭は抑えることはできた。

 末脚には驚いたが、私を差し切るにはキレが足りない。パワーが足りない。

 これならば、相手の呼吸に合わせて、頭を抑え続けることは可能だ。

 剃刀ではない、鉈には程遠い。

 それでは私を仕留め切れることはない。

 加えて、中山の坂が私の味方をしてくれる。

 後は不意の一手を喰わないように全神経を背中に向ける。

 

 平坦から坂路へ切り替わる瞬間が最も狙われやすいからな――――

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 その日、空はどんよりとした雲に覆われていた。

 ミホシンザンの視界の端で、薄暗い雲の隙間から差し込む光に照らされて、グンと力強く登る栗毛の影。

 それは太陽の光を浴びて、黄金色の輝きを見せた。

 

『外からサクラユタカオー! サクラはサクラでもユタカオーの方だ! 中山レース場に吹き荒れる桜旋風! 桜前線の上昇気流に乗って、桃色の勝負服が中山の坂を登る登る登るーっ!』

 

 蘭と輝かせる桜の瞳、稍重の馬場に苦しめられつつも踏み荒らされてないコース外側を選んだ。

 観客席では、トレーナーが拳を握り締めて「シンゲキシンゲキ!」と叫んだ。サクラ一門の可愛い担当、幼きウマ娘が「バクシンバクシン!」と両手を広げて声援を送る。有マ記念で苦渋を飲んだ先輩が「ガイセンガイセン!」と大声を発する。そして今はドリームトリフィー・リーグで活躍するサクラ一門の偉大な大先輩、学ランに鉢巻という古風なスタイルのウマ娘が「漢なら!」と上空に向けて正拳突きを放って怒号を放った。

 

「……う……ぉ……オ…………ォオ……ッ!!」

 

 漢なら掴んでみせよ、己が定めたその勝利。

 道半ば、果てるが本望。目指す果ては、ただ一つ。

 歩んだ足跡が、勝利の価値。

 あの頂に咲かせてみせるは、世にも見事な満開の大桜。

 勝利せよ、してみせよ。

 心根真っ直ぐな一本木が、美しき桜を咲き誇らせるッ!

 

「……ォォォォオオオオオオオオオ!!」

 

 土に蹄鉄を喰い込ませて、力任せに駆け上がる。

 皐月賞は最も速いウマ娘が勝つというのであれば、彼女の速度に勝てるウマ娘は存在しない!

 坂道から平坦。更に速度を上げて、疾走する!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、ミホシンザンが坂を登り切った時、サクラユタカオーとは1バ身の差が付いていた。

 まだ絶望する距離ではない。と最後の力を振り絞ろうとした時、サクラユタカオーは一瞬の溜めを作った後で突き放すように更に加速した。ぐにゃりと歪みそうになる視界、空回りしそうな心を必死で繋ぎ止めて、懸命に手足を動かした。

 しかし彼女が加速した時、感じた予感は裏切ることなく距離は更に離されて行った。

 歯噛みする想いを口にはできず、

 更なる力を追い求めて、

 前に一歩、

 更なる一歩を駆け出した。

 

 私の名前はミホシンザン。

 日本で最も偉大なウマ娘の名が私の名前に組み込まれていることは、きっと意味があるんだと思う。

 彼のウマ娘とは運命的なものを感じたこともある。

 しかし私は私だ。

 私は私が信じるものの為に戦うのだ。

 

『中山レース場に桜が満開! 本年度のクラシックレースの春を告げるはサクラユタカオー! 他のウマ娘を押し除けて、先ずは一冠目を収めました!』

 

 懸命に振り絞った一歩は、終ぞ彼女に届くことはなかった。

 

 

 

 



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第6話:時は流れる

ちょっと文字を打ち続けるペースが落ちてきてしまったので、
目標は週三回、最低週二回でこれから頑張っていきたいと思います。


 中央トレセン学園、トラックコースの内側で顎に垂れる汗を拭い取った。

 次走、京王杯スプリングCに向けて、私、ハーディービジョンは(ターフ)を駆け続けている。

 休んでいる暇はない。1分、1秒が惜しかった。

 悔しいけども、あのニホンピロウイナーは化け物だ。今の私では勝てない。

 まともでは、勝つ事は出来ない。

 

 削れ、人間性を。

 滾らせろ、闘志を。

 貪欲に、勝利を。

 

 この1歩が明日の勝利を掴むと信じて、(ターフ)を走り続ける。

 脚への負担は考えない。しんどくて当たり前だ、辛くて当然だ。

 それでも、1歩でも多く|芝トラックコースを走り続ける。

 休憩時間を削り、休日を削り、精神を削り、心を削り、研ぎ澄まし、洗練させる。

 不純物の全てを取り除き、ただ走る為だけに先鋭化する。

 

 現状で勝つことが叶わないのであれば、それはもう鍛えるしかない。

 鍛え続けるしかない。太陽が昇り始めた頃から(ターフ)を走り、授業中は睡眠学習に勤しみ、昼休み前の授業で早弁を嗜み、そして(ターフ)を走り、午後の授業では全力の全開で休養に励み、放課後は太陽が落ちるまで(ターフ)を走り続ける。

 日に何本、走ったのか記録している。

 昨日よりも1本でも多い今日を、今日よりも1本でも多い明日を、それを最低目標に今日も(ターフ)を駆け登る。

 寮に戻った後は、朦朧とする意識の中で雑にシャワーを浴びた後で髪も乾かさずにベッドに身を放り投げた。気付けば、時計の針は5時前を示しており、ジャージに着替えた私は眠るルームメイトを起こさないように、ひっそりと外に出る。そしてまた(ターフ)を走る。近頃、タイムが落ちて来た。それでも走る。走らなければ、勝つ事ができない。

 あのハッピープログレスも紛れもない化け物だ。昨年、唯一、あの怪物に本気を出させたウマ娘であり、唯一、あの怪物を相手に勝機を持っていたウマ娘だ。そして彼女はニホンピロウイナーの離脱時、短距離マイル戦において、無双の活躍をしてのけた。

 つまりニホンピロウイナーに勝つ事は、そのまま短距離マイル戦を制する事に直結する。

 

 分かりやすくて良いじゃないか。

 ニホンピロウイナーに勝つ為には、私は致命的に能力が足りていない。

 だから走る、挫けることなく走り続ける。

 雨の日も、風の日も、むしろ鍛錬に丁度良いと言い聞かせて走り続けた。

 私が成長する間にも、ニホンピロウイナーもまた成長を続ける。

 だから、私は彼女よりも多く走らなければならないのだ。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

「見て欲しいウマ娘がいる」

 

 皐月賞の興奮も収まらない頃、そんなことをロッキータイガーが切り出してきた。

 机の上には膨大な量の数字が印刷されたプリント用紙。ホワイトボードには芝とダートの走り方の違いについて、図付きでの解説が書き込んであり、テレビにはトレーニング中の彼女の走りが一時停止で映っている。

 私、ビゼンニシキは教鞭を片手に、説明する手を止めて、彼女を黙って見つめ返す。

 

「……親戚、なんだ。所属は大井、なんだがな……素質は充分にある、此処では学べないことを教えてやって欲しい」

 

 私は溜息ひとつ、それから咎めるように彼女を見る。

 

「他のウマ娘を気にする余裕なんてないと思うけど?」

 

 あのルドルフを相手にするんだ。1秒だって惜しまないといけない。

 そう思いはするが、しかし、それはそうだけど、とロッキータイガーは気不味そうに零す。

 

「本当に……本当に、素質のある奴なんだ。器は私よりも上かも知れない」

 

 それって中央でGⅠを狙えるレベルという事になるんだけど?

 ロッキータイガーも十分過ぎる実力を持ったウマ娘。現状でもスズカコバンやニシノライデン、スズパレードのようにGⅠレースの常連になれるだけの能力を持っている。そんな彼女よりも素質があるとなれば、カツラギエースやミスターシービーといったレベルの話だ。

 にわかに信じがたいけど――――

 

「まあ見るだけなら」

 

 ――興味がない、と云えば嘘になる。

 

 後日、日程を合わせて合同で練習する事になった。

 近場の運動場にて、準備運動中。責任者との交渉の末、植え替え用の芝生の費用を立て替えることで芝コースの練習に使わせて貰えることになった。整備されたトレセン学園のトラックコースと比べると凹凸があって走り難いけど、あまり贅沢も言ってられない。事のついでにと誘ったトウカイテイオーの柔軟体操の為に背中を押してやると――うわっ、こいつ。めっちゃ身体が柔らかい――「やっと見つかったで!」と通りの良い声と共にジャージを着込んだ小柄なウマ娘が駆け寄ってきた。

 顔の半分程もあるふっさりとしたツインテイルを揺らして、タッタッと軽快な足取りで駆け寄ってくる。

 

「てやんでぇい! あんたが中央から来たというトレーナー志望のウマ娘かい!?」

 

 随分と威勢の良いウマ娘のようだ。ロッキータイガーに視線だけで確認を取れば、彼女は首肯する。

 

「彼女が私の従妹、イナリワンだ」

「ロッキーの姉御から話は聞いとる! うちは大井所属のイナリワン! よろしくな、姉ちゃんッ!」

「うん、私はビゼンニシキ。こちらは私の知り合いのトウカイテイオー、よろしくね」

「えっと、よろしくお願いします」

 

 挨拶も終えたところで本日の芝トレーニングに関しての注意を幾つか口にする。

 先ず最初に、トレーニングはロッキータイガーがメインである事、そして使用許可を貰っている範囲を口頭で説明して、今日のスケジュールを簡単に告げる。来たばかりのイナリワンにはトウカイテイオーと一緒に柔軟体操をして貰って、その間にカメラを設置する。とりあえず三機程、全てiPad一つでリモート操作ができるように改良済みだ。

 これらはロッキータイガーの為に用意した機材であり、イナリワンとトウカイテイオーに使うつもりはない。

 

「芝に慣れる事とフォームチェックがメインだからね。最初の内は、あまり細かく考えなくても良いよ」

 

 そう言って、先ずは軽くグラウンドの外周を走らせる。

 サッカーやラグビーで使うコートの内側は、必ず走らないようにと言い付けられている。ロッキータイガーは、慣れない芝に少し戸惑っている様子、イナリワンとトウカイテイオーは苦にしている様子はなさそうか。少しだけ速度を上げさせる。ダート特有のピッチ走法、何時もよりも沈まない地面にロッキータイガーは脚を縺れさせて、躓きかけてしまった。思ったよりも速度が出てしまったのかも知れない。

 何周から走らせた後で、ある程度、全力で直線距離を走り込ませる。

 やはりダートに慣れきったロッキータイガーは、素質ほどの速度が出せずに苦戦している。

 これは少し時間が掛かりそうか、と次はイナリワンを走らせた。

 

「行ったるでぇッ!」

 

 彼女が、その一歩目を踏み込んだ時、ピリッと来る予感があった。

 体全身を使った大胆なフォームは、その小さな体躯を感じさせない力強さがあった。まるで重機のように地面を揺るがして、前へ前へと一歩、踏み込む度に芝を蹴り上げて加速する。

 その迫力に、ブルリと身を震わせる。

 にやつく頰に思わず、手で口元を隠した。まだ粗削りだけど、磨けば必ずモノになる。

 あっ、ヤバイ。これ、ヤバイ。

 シンボリルドルフが相手でも、ロッキータイガーが相手でも、トウカイテイオーが相手でも感じなかった衝動が、そこにはあった。

 最初から自分の走りを持っているウマ娘がいる。生来の素質によって、生まれた時から完成形が決まっているウマ娘だ。シンボリルドルフは、その典型例。彼女は自分の走りを探求するだけで事足りた、足りないピースを集めるだけで理想の走りを実現する。それはロッキータイガーも、トウカイテイオーも同じである。誰かにとっての最適な走り、それが私には見える。データで裏打ちすることで精度が増した。

 しかしイナリワンからは、明確な答えというものが見つからなかった。これから如何様にでもなる。これからの成長次第で幾らでも変化する。彼女の可能性は、枝分かれする樹木のように広がっていた。

 彼女を鍛えたくて仕方ない、彼女が欲しくて堪らない。

 

 小さく深呼吸、今日はロッキータイガーの為の集まりだ。

 他のウマ娘に現を抜かしていては申し訳ない。

 でも、少し諦めきれないので、ロッキータイガーにiPadを手渡した。

 

「……ロッキー。これで一度、私の走りを撮ってくれないかな?」

「えっ? 確か脚を痛めているんじゃ……」

「少しくらいなら大丈夫だよ」

 

 私はスタート地点に立つとトントンと軽く跳ねる。

 距離は400メートル程度、これくらいなら、と姿勢を低くして地面を蹴り出した。もう他のウマ娘のように走る事は出来ない。あの時のように限界を超えた走りを追求する事は難しい。それでも伝えられる事があるなら私は、今一度走ってみせよう。誰かの為に、伝えたいものがあるから私は走る。

 右脚を地面に踏み込んだ。爪先で身体全身を前に引き込みながら左脚を前に出し、そして右脚首を使って地面を蹴り出す。頭の先から

手の指先、脚の爪先に至るまで、全ての動きを連動させる。ロスを極限まで削り、全ての動きを前に進む為の動力源にする。

 風が吹き抜けるように、駆け抜けた。

 

 速度は出ていない、体感で分かる。

 ただ私が追い求めた理想の走りは、今もなお健在だ。

 久しぶりの本気の走り、惚けるロッキータイガーに肩で息をしながら微笑みかける。

 

「はぁ……ふぅ……それじゃあ比較検証と行こうか?」

 

 イナリワンは感嘆し、トウカイテイオーは食い入るように私を見つめていた。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 私、トウショウペガサスは苦悩している。

 どうすれば、この大食い大会に興味関心を持たせることができるのか。

 有マ記念で最下位になってしまった私の話に耳を傾ける者は少ない。

 

 ならば、どうするか。

 勝てば良かろうなのだ。

 

 そんな訳で3月第2週に開催された中山記念に出走した。

 そして勝った。勝ったので、ウイニングライブではお腹が空きそうな歌を歌ってみた。

 それがバズって、SNSでは私の名前がトレンド入りしてしまった。

 

 どうせなのでトレセン学園の学食を紹介し、食べる動画を上げたところ、これがまたヒットしてしまった。

 中山と東京のレース場は私の御得意様、場内で売られている食品や近場の美味しい料理店などの紹介しては、それを完食する動画を上げ続けると動画の視聴者達も話に乗っかってくれて、それがまた楽しくて生放送の企画なんかも打ち上げた。

 これまで稼いだ賞金を使って、美味しいものを食べる日々を送っている。

 視聴者にはトレセン学園に在中するウマ娘も混ざっているようで「今度、遠征したついでに食べに行ってみます」といったコメントも多々付くこともあった。

 

 とある日の生放送中、次のファン感謝祭で大食い大会をしたい。という話をポロッと零すと何人かのウマ娘と思しき誰かが食い付いた。これまでも生徒会に意見書を提出していることを告げれば、なんか思っていたよりも盛り上がってしまった。

 これは行けると思った私は、日時を指定して署名を取る事を宣言する。

 なんか思っていたよりも集まった。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 5月第3週目、東京レース場。京王杯スプリングC。

 掲示板の最上段に位置するのはニホンピロウイナーを示す13番の数字が点灯する。

 2着は私、14番のハーディービジョン。差は2バ身だ。

 

 観客席の歓声に応えて手を振る彼女は、余裕のある息遣いをしていた。

 

 まだ遠い、彼女と私の間では着差以上の距離がある。

 荒い呼吸を無理やりに整える。思考はもう次のレースに移っていた。

 安田記念。高松宮記念の短距離よりかは希望がある。

 

 これはステップレース、本番は次だ。

 そう言い聞かせて、明日からまたトラックコースを走る算段を立てる。

 どうすれば勝てるんだ、この怪物に。

 

 この怪物に勝つ為に、心を折る事なく何度も挑み続けたハッピープログレスは称賛に値する。

 努力を、積み重ねるしかない。泥臭く、走り続けるしかない。理論に頼っても、勝てないことが証明されるだけだ。

 理屈じゃないんだ、道理を乗り越えるんだ。

 勝つ、勝ってやる。絶対に勝つんだ。勝ってみせる。次こそは必ず、勝ってみせます。

 コース場から去ろうとした時、前に故障した脚がズキリと痛んだ。

 

 ……その程度の事は、承知の上だ。

 

 勝つ為には、立ち止まる事は絶対に許されない。

 もっと負荷を掛けて、もっと鍛えて、走り込んで、それから、えっと、走って、走って……

 

 

 

 



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第7話:トレーナー、苦悩する

 近頃、胃が辛くて仕方ない。

 チームリギルの看板が掲げられたプレハブ小屋。真っ暗になった部屋の中でノートパソコンのディスプレイが手元を照らしている。

 瓶詰めにされた胃薬、幾つかの錠剤を手元に出して、それを一息に飲み干した。

 

 私、東条ハナは担当ウマ娘の情報を洗い直していた。

 スズカコバン、ハーディービジョン、ミホシンザン。GⅠレースを幾つも取れる素質を持つウマ娘を手にしておきながらも私は、彼女達の本領を発揮することもできずに燻らせてしまっている。彼女達はなにも悪くない。スズカコバンは決して、ミスターシービーやカツラギエースに遅れを取るウマ娘ではない。ハーディービジョンは決して、シンボリルドルフに敵わないウマ娘ではない。ミホシンザンは決して、サクラユタカオーに敵わないウマ娘ではない。

 そこに距離適正の壁があるとして、GⅠという大舞台で勝利を与えてあげられないのはトレーナーである自分の実力不足が原因だと考える。

 2人が勝つ為には、どうすれば良いのか。思案し、試行錯誤する。

 

 次の東京優駿までに出来る事は何か、いざレースとなった時の作戦はどうするか。

 何本目か分からないエナジードリンクを飲み干して、徹底的に情報を洗った。くらりとくる意識、眠らなければ、まともな判断は出来ない。しかし、眠っている時間も惜しかった。どうすれば良いか、どうするのが正解か。答えのない迷路で同じ場所をぐるぐると回っている錯覚、音を上げたい思いをグッと堪える。

 悔しいけど、このサクラユタカオーのスピードは同世代の中では頭ひとつ分、抜けている。

 同じ場所から仕掛けては、勝てるものも勝てない。

 

 早仕掛けに出るのが良いか、仕掛けは遅らせるのが良いか。

 

 ミホシンザンにはGⅠを獲れるだけの能力がある。

 ならば勝負の明暗を分けるのは、作戦の差。つまりはトレーナーの腕の差だ。

 そう奮起し、きゅうっと胃が痛くなるのを感じ取った。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 5月第4週、東京レース場。東京優駿。芝2400メートル。

 通称、日本ダービー。最も運のあるウマ娘が勝つと云われる本レース。注目を浴びるのは、皐月賞の覇者であるサクラユタカオーを始めとしたミホシンザンとシリウスシンボリの3名だ。ウマ娘ファンの間では、皐月賞で勝利したサクラユタカオーを本命とした上で、皐月賞から追加された400メートルをどう見るかで議論を交わされている。

 スピードだけならサクラユタカオー、確かにそうだ。しかしミホシンザンには、嘗て、鉈の切れ味と称されたシンザンに似た末脚を持っている。高次元にまとまった能力を持つシリウスシンボリは2400メートルという距離でこそ生きる。

 予想は立てられても結果は見えぬ、TTGを彷彿とさせる3強対決にウマ娘ファンは例年以上の盛り上がりを見せた。

 

 果たして、レースはどうなったか。

 その日の東京レース場は重馬場、特にコースの内側は荒らされていて走れたものではなかった。

 第3コーナーで仕掛けたのはシリウスシンボリだ。前走の皐月賞でミホシンザンに頭を抑えられた彼女は早仕掛けによるロングスパートを仕掛けて、ミホシンザンの外側に付ける。この影響でミホシンザンはコースの外側に逃げることが叶わず、やや荒らされた馬場の上を走らさせられる結果となった。

 サクラユタカオーには、皐月賞で見せた脚の切れ味がない。

 シリウスシンボリは荒らされていないコース外側の馬場を走り抜けて、不良馬場に速度を出しきれないミホシンザンを尻目にゴールを決める。結果は1バ身半の差でシリウスシンボリの勝利だ。2着はミホシンザンで、3着にサクラユタカオーが入る。

 クラシック3冠レースの2冠目は、シリウスシンボリが手中に収める。

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 当初の予定では、東京優駿の後に世界挑戦する計画だった。

 皐月賞、東京優駿と立て続けに勝利することで世代最強の名を手にし、その肩書きを以て世界を相手に戦う腹積もりでいた。

 しかし私、シリウスシンボリの前に立ち塞がったサクラユタカオーのおかげで予定が狂った。

 

 東京優駿に勝っただけでは世代最強を名乗る事は出来ない。

 今年いっぱいは日本に居る。次の菊花賞で雌雄を決し、ジャパンカップに出走する。

 世界を相手に戦えることを証明した後、堂々と海外遠征してやる。

 

「世界に打って出るのは、日本で一番になってからでも遅くはないよ」

 

 私を担当するベテルギウスのトレーナーに、そう言われたので方針を転換した。

 事のついでのように「ユタカオー程度に負けているようじゃ世界なんて到底無理だよ」とも添えられたから売り文句に買い文句と「だったら勝って納得させてから行ってやる!」といった一幕もあった。

 打倒サクラユタカオーは成った、皐月賞で私よりも上位に居たミホシンザンだって破った。

 後はシニアクラスのシンボリルドルフ以外のウマ娘だけだ。

 菊花賞で地位を確立し、ジャパンカップでは世界の並みいる強豪よりも上位を走り抜けて、なんの憂いもなしに世界に飛び出す!

 これが私の考えた最強の計画なのだ!

 

 

◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇

 

 

 良かった、本当に良かった。

 チームベテルギウスのプレハブ小屋にて、トレーナーの私は情報整理を行いながら胃を押さえる。

 ビゼンニシキがチームを離れてから仕事が急激に増えた。

 というよりもビゼンニシキが残していった資料の情報が膨大過ぎて、それを理解するのに数週間を費やし、その情報の有用性に気付いてしまったから情報を収集する為の労力が増えてしまった。おかげで担当ウマ娘のメンタルケアに費やす時間が取れていない。それ以前にシンボリルドルフのクラシック路線で忙しくて疎かになっていたシリウスシンボリが世界挑戦に異常な執念を燃やしていた事に気付くのに時間が掛かってしまった。

 海外挑戦するのは構わない、それだけの素質はある。

 シンボリルドルフも手が掛からなくなったし、いざとなればビゼンニシキにでも押し付けてやれば良い。なんならベテルギウスの看板をビゼンニシキに渡して、私はシリウスシンボリと一緒に海外へ渡っても良い。

 でも今はまだ早過ぎる、時期尚早だ