戦慄の宇宙(そら)の果て (亜空@UZUHA)
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第1章 始動
戦渦の少女



 焔揺らめく機上で、二人の少年は再会した。

「アス……ラン……?」
「キラ……?」

 かつて友だった二人が果たした再会は、決して親友同士のそれに相応しくなく……。パァン……という銃声とともにキラは機体に押し込められ、アスランは動揺を隠せぬままそこを離れた。
 かくて、ストライクとイージスは共に生み出された機体でありながら、そして友であった二人を乗せながら……敵対するそれぞれの場所へと引き裂かれていった。


 

 キラ・ヤマト、そして地球軍将校マリュー・ラミアスを乗せた『X105-ストライク』は、ザフト軍のモビルスーツと交戦中……いや、一方的に攻撃されていた。

 それを尻目に……アスランと思しき者を乗せた紅い機体は遥か彼方へと飛び去った。

 

(アスラン?! ほ、本当に……アスラン?!)

 

 その行方を追うことは叶わなかった。

 激しい攻撃がストライクに襲いかかる。目下の敵機は合わせて3機。すべてがザフト軍の量産型モビルスーツ『ジン』であった。

 操縦桿を握っているのはマリューだった。その腕には鮮血が滲んでいる。このストライクに乗り込む前、銃撃戦で怪我を負っていた。

 アスランらしき目の前の兵士に激しく動揺し、火が上がり銃弾が飛び交う中で立ち尽くしていたキラを、マリューはとっさの判断でこのストライクのコックピットに押し込めた。

 マリューは地球軍兵士と名乗ってその機体を起動させた。が、この狭い空間が安息の場でないことはキラにもすぐにわかった。

 彼女はパイロットではなかった。機体を起動できても、すぐに集まってきたジンに対抗することができない。ジンの執拗な攻撃にマリューの手管(てくだ)は全く敵わず、ストライクは装甲もままならぬまま防戦一方であった。

 1機のジンがふらつくストライクの機体を蹴り倒す。格好悪く尻餅をついたストライクのコックピットで、キラもまた激しく身体をぶつけた。強い痛みと動揺の中、かろうじて目を見開くと、サイドモニターが視界に入った。そこには、ジンとストライクの交戦によって舞い上がる砂塵や瓦礫を避けながら逃げ惑う民間人の様相が映し出されていた。

 

「トール?! カズイ?! サイ?! ミリアリア?!!」

 

 それはよく知る者たち。彼の友人たちの姿。

 

(このままじゃ……!!)

 

 思ったものの、再びジンの攻撃を受け地べたに転がる。

 その時、

 

≪X105-ストライク、聞こえる?≫

 

 クリアな無線が入る。

 

「え……?!」

「だ、誰?!」

 

 キラとマリューが戸惑う間も与えずに、その目の前に深いブルーの機体が現れた。

 

≪誰が乗ってんのか知らないけど、フェイズ・シフト装甲くらい作動させなさい≫

 

 そして、3機のジンをバルカン砲で遠ざけた。

 

「あ、あれは……」

 

 マリューがつぶやいた。

 

「X101……グレイス……?!」

 

 自分たちが乗っている機体は『X105・ストライク』と言っていた。兄弟機だろうか。

 

≪聞こえてないの? ジンはまた撃ってくる。早くフェイズ・シフトを作動させて≫

 

 威圧的な……若い女の声。

 

「フェイズ・シフト装甲……?」

 

 キラが目前の『グレイス』に目を奪われる中、マリューは無線応答ボタンを押して応えた。

 

「わ、私はパイロットじゃなくて……。フェイズ・シフト装甲を導入していることは知っていたけど、さ、作動方法が……」

 

≪……コントロールスペース2の黄色いボタン押して≫

 

 無線の声はマリューの言葉を遮り、一言だけそう言った。そして再び接近してきたジンを迎え撃つ。

 マリューは指示されたとおりのボタンを押す。グレイの機体に色が灯った。

 

≪今の装備で3機はキツい。そっちはなんとかならないの?≫

 

 巧みにジンの砲弾を交わしつつ、グレイスのパイロットはそう言った。

 ストライクも砲弾を浴びたが、先ほどまで受けていた衝撃は無かった。だがグレイスが2機を相手にしている間、やっと装甲を身につけたばかりのストライクに1機が迫る。

 ストライクは後ずさった。正面からライフルの弾丸を浴びる。キラの体は大きく揺さぶられ、マリューの上に覆いかぶさる形になった。そして彼の目に再び逃げ惑う友人たちの映像が映った。

 

(……みんなっ……)

 

 次の瞬間、彼の手はマリューから操縦桿を奪い、ジンの攻撃を鮮やかに避けていた。

 

「き、きみ……!」

 

 マリューは彼の行動に驚愕した。当然、自分が保護したはずの民間人学生が突然難なく機体を動かしたらそうなるだろう。が、キラにとっても説明している間は与えられるはずもない状況である。

 

「代わってくださいっ……!!」

 

 キラは彼女をどかせ、シートについた。続けざまにキーボードを取り出して頭に浮かぶ全てのキーを打つ。マリューは驚愕しているのか為す術ないのかわからないが、幸い彼の手を止めることはなかった。

 

(こんなOSで……!!)

 

 苛立ちを覚えながら、キラはストライクのOSを書き換えた。そして今この機体に搭載されている装備を確認する。

 

「くそっ、これしかないのかっ……!!」

 

 身につけていたのは『アーマーシュナイダー=短剣』にすぎず……かといって他にどうすることもできない。

 キラは目の前のジンにそれを突き刺した。プロのパイロットであろうその敵の動きをも上回って。

 

「ジンから離れてっ!!!」

 

 マリューがとっさに指示した直後、ジンは爆発した。コックピットからパイロットが脱出し、飛び立つのが見えた。さらに爆雷の向こうで、二人のパイロットが彼に合流した。

 そのまま、3つの点は彼方へと消えていった。

 

 

---------------

 

 

「よし、オレはこっちを支えるから」

「ゆっくり下ろそう」

 

 サイとトールは、戦闘が終わるなり気を失ったマリューをストライクから下ろしていた。キラはまだ少し震える手のまま、後を続いて地上に降りた。

  命がけだった。上手く切り抜けなければ死んでいた。自分も。友人たちも……。そう頭ではわかっているのに実感が無い。それがまた焦りに似た恐ろしさを抱かせる。

 感情の整理などとうていつかないうちに、あのブルーの機体が降り立った。

 ジンを2機、撃退した機体。あの状況で、冷静だった声……。キラはゴクリとツバを飲み込んで、コックピットが開かれるのを見守った。

 そして、

 

「……えっ……?!」

 

 その目に飛び込んできたのは、

 

「女のコ……?!」

 

 自分たちと年端の変わらぬ、軍服も着ていない少女だった。

 

「誰……?」

 

 ミリアリアが動揺を隠せぬままに呟いた。

 こちらの驚きなどお構いナシといった様子で、少女は慣れた動作で地上に降りる。目線が同じになって、友人たちのうちの誰より小柄だということがわかった。

 その視線は鋭くこちらを見回している。先の無線での声のように、威圧的な表情で。

 

「き、キミは……?」

 

 ゆっくりと近づき、サイがそう問うた。少女はまるで睨むようにサイを見てからぶっきらぼうに名乗った。

 

「ナナ・イズミ……」

 

 風が彼女の長い黒髪を乱した。が、その視線の強さはゆるがない。

 

「ぐ、軍人には見えないけど……」

 

 まるで怯えたように問うトールに対し、ナナは短く応える。

 

「私は通りすがりの民間人……。たぶん、あんたらと一緒」

 

 民間人……にしては、アレを扱い慣れているようだ……。キラは動揺の核心を飲み込んだ。

 が、皆一様にそう思ったのだろう。一斉にグレイスを見上げた。

 

「そんなことより、知ってる情報を教えてくれない? 私は向こうの港で爆撃を受けた艦(ふね)からコレに乗ってきたんだけど……」

 

 ナナもグレイスの足をコツンと叩く。

 

「あと4機あったでしょう? 撃破されたの? ……それとも……」

「ザ、ザフトに奪取されたのよ……」

 

 少し惚けたように立ち尽くした自分たちに代わって答えたのは、意識を取り戻したマリューだった。

 

「あなたは? 軍人?」

 

 ナナは口調を変えずに彼女に問う。そんなナナに対し、マリューはいきなり銃を向けた。ナナだけじゃない。彼女はキラたち全ての少年少女に対して威嚇している。

 

「その機体から離れなさい!」

 

 突然向けられた銃口に、ミリアリアが小さく悲鳴を上げた。

 

「ど、どういうつもりですか?!」

 

 彼女を背中にかばいながら叫んだトールに対し、マリューはこちらの足元目がけて撃って来た。

 

「きゃあ!」

 

 細い煙が掻き消えぬうちに、動いたのはナナだった。

 

「コレは地球軍の最重要機密だもんね。それを見てしまった私たちが、軍人に歓迎されるわけないよね」

 

 それはキラには皮肉に聞こえた。実際、ナナという少女はそういう表情をしていた。そしてそのまま彼らの前に進み出る。

 

「みんな……こっちへ……」

 

 マリューはナナを睨んだまま、彼ら全員を機体から遠ざけた。そして一列に並んだ少年少女たちにひとりずつ名乗らせ、自らも名乗る。

 

「私は地球軍将校、マリュー・ラミアスです。助けてもらったことには感謝します……。でも、この2機はその子が言ったとおり軍の最重要機密なの。残念ながらそれを知ってしまったあなたたちを、このまま放っておくことはできません」

「拘束するつもり?」

 

 キラの中に絶望と怒りが広がる中、ナナは不敵に笑って言った。

 

「ええ……」

「あの艦に?」

「アークエンジェルを……知っているの?」

「私はこの機体をその『アークエンジェル』から持ち出した。今あの艦に動けそうな人間は殆どいない。おまけに、さっき試したけど電波妨害されててグレイスからあの艦に連絡することもできない」

「……あなた、なぜアークエンジェルに乗り込んだの?」

「……港を“見学”してたら急に爆撃されて、避難できそうなところがあの艦だったから。」

 

 二人はそこにキラたちがいないかのように、低い声で問答を交わす。が、キラから見ても緊張感を高ぶらせているのはマリューの方だった。

 

「……なぜ、軍事機密だったあの新型の機体を動かせたの……?」

 

 ナナはその問いに一瞬黙った。が、口の端を吊り上げてこう答えた。

 

「そんなことよりさ、ザフトがまた来ると思うんだけど。この2機を、はやくあの艦に乗っけた方がよくない?」

「……え、またモビルスーツが来るのか?!」

 

 彼女の言葉に動揺したトールが思わず叫んだ。ナナはマリューから彼へとゆっくり視線を移し、答えた。

 

「ザフトの目的は“G”……この軍事機密とかいう機体の奪取だったことは間違いない。ここにはまだ2機残ってる」

「じゃ、じゃあ……」

「再び奪いに来るか、不可能な場合は撃破するか……」

「こ、これを……?」

 

 トールたちはグレイに光る2機の機体を見上げた。だがキラはナナから目が離せなかった。ナナの声は落ち着き払っていて、それが逆に信憑性があって恐ろしく響く。

 

 パァン……

 

 パニックになりかけた彼らを銃声が鎮めた。

 

「とにかく、私と一緒に来てもらいます……!」

「い、一緒にって……」

 

 キラは先ほどから湧き出る怒りを抱えてトールたちの前に出た。銃口を目にして足がすくんだが、先ほど非現実的なモビルスーツの戦闘に立ち会ったおかげで勇気が持てた。いや、やけくそになっていた。

 

「ぼ、僕たちはただの民間人の学生です! 軍とは関係ありません……!」

「でも、軍の軍事機密に触れてしまったでしょう?」

「あ、あの状況では不可抗力だったじゃないですか……!」

 

 マリューは混乱を鎮めるべく再び引き金に指を回した。が、それを制する声があった。

 

「まぁ、仕方ないよね。」

 

 全員の視線を浴びながら、ナナは毅然と言った。

 

「確かに私たちは民間人で、ここは中立国。戦争が嫌で中立の国にいるんだから、軍なんかと関わるのはまっぴらだっていうアンタらの言い分はわかる。」

 

 ナナはまずキラたちを見回し、それからマリューに視線を移した。

 

「でも、外の世界では戦争が確実に行われてる。知らないフリ……なんて、するにも限界があったんじゃない?」

 

 マリューに同意するようではあったが、どこか冷めたようなその言葉に、キラたちはもちろんマリューさえも気圧されていた。

 

「艦はたぶん、爆破による瓦礫で身動きが取れない状態にある。けど、主電力が作動して誰かメインコンピュータを操作させることができる人でもいれば、主砲をぶっ放して脱出できるはず……」

「……そ、そう……では……」

「艦に積み込むものを確保して、必要ないものは爆破処理。それと港に向かう前に、ストライクとグレイスにパワーパックを装着してザフトの攻撃に備えないと」

 

 ナナはそう言って再びグレイスに乗り込んだ。マリューはその後姿を凝視したままそっと銃を下ろした。

 




2023/7/12 改訂


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産声

 

 ほんの数刻前……。ナナはひとり、港を“見学”していた。観光船や連絡船が泊まる港である。人が大勢いたからひとりになるのは容易かった。

 が、密かな目的を達する前にそれは起きた。

 突然、港が大きく揺れたのだ。天井は落ち、壁は剥がれ、地も割れた。鳴り響く警報の中で人々はパニックになり、右往左往と走り回った。

 

(爆発……。攻撃……?!)

 

 一瞬だけ迷った。あの人ごみにのまれて同行者を探すか、すぐさま身の安全を確保するか……それとも目的を達成するか。

 

(これが事故じゃないのなら……)

 

 予感があった。だからこのヘリオポリスまで来たのだ。この目で確かめなければならないことがあった。

 逃げ惑う人が肩をぶつけて去って行った。すでに港から避難するようアナウンスがかかっている。

 

(ごめん……!)

 

 選んだのは“目的”。瞬間、走った。人々が逃げる方とは反対に。

 爆発が事故ではなく攻撃だったとしたら……相手はザフトだ。ナナには断言できた。港は損壊したが直撃ではない。どこか別の場所が狙われた。それは、おそらく……。

 ナナは立ち入り禁止と書かれたドアを開けた。爆発が起きた方へ向かって進んでいく。“秘密の軍港”の場所はだいたい検討がついていた。

 誰にも咎められることなく、そこへ辿り着いた。やはりそこは先の爆破によって大破していた。すでに重力装置は稼働していない。

 が、堂々と停泊している真新しい戦艦があった。港が破壊されるほどの爆撃を浴びながら、ほぼ無傷の状態でそこにいる。

 

(あれだ……)

 

 予測が半分的中した。それに対する喜びはなく、どうしようもない怒りがパチンと弾けた。

 が、それを押し殺した。まだ確かめなければならないことは半分残っている。

 感情を押し殺して周囲を見回した。普段は活気に溢れているはずの港が、今は異様な空気に包まれている。予備照明で薄暗いが、船外にいて被害を受けた乗員が大勢いるように見えた。

 彼らを救助する者たちの中、数名の軍服を着た人間が艦へ入っていくのが目に留まった。浮遊する死体や瓦礫を避けながら、ナナもまたそっと艦へと足を踏み入れた。

 

(あれ以来、港への攻撃は無し……。じゃあ、あの爆破は陽動ってことか……)

 

 電気系統すら満足に作動していない艦内を、ナナは冷静に思考しながら奥へ進む。無重力状態でもボディバランスを保つことは造作もなかった。

 すぐに艦内のドックへとたどり着いた。通路の手すりから身を乗り出して様子をうかがう。機体のパーツや機具等が散乱しているが、攻撃によるものではないことがわかった。新造艦ゆえ、片付けが済んでいないのだ。その周りを作業着姿の整備兵らが右往左往と動き回っているが、こちらは先ほどの攻撃による混乱のようだ。「この艦が攻撃を受けたのか?」とか、「まさかこの状態で出撃するのか?」とか、「落ち着け」とか……怒号ともとれる声が飛び交っている。

 が、ナナにとってこの混乱は好都合だった。

 

「あった……“G”だ……」

 

 モスグリーンのシートからグレイの機体が垣間見えた。真新しいシートに覆われていても見間違えるはずはない。いまだ初動を知らぬそれは、この惨事にも静かに横たえられているだけだった。

 予測は全て当たった。その結果を噛みしめる。確かめてその後どうしようかは具体的に考えてはいなかった。ただ自分の目で確かめたかった。そしてまず話をして、理由を……。

 

「そっちはいいから次の攻撃に備えろ!」

 

 誰かの怒声が耳を劈いた。

 

(次の攻撃……)

 

 ここへ来た目的は達した。だが、それで終わりではない。今はもう、何かに巻き込まれてしまったのだ。さすがにこの事態は予想していなかった。が、だからといって泣きわめいても仕方がない。突っ立っていても無意味。

  このままシェルターへ……そう考えながら“G”を見た。

 

(1機だけ……)

 

 ここに横たわるのは1機の“G”だけ。だがナナは知っていた。この機体には“兄弟”がいるのだ。

 

「出撃する可能性がある。急いで準備しろ!」

「しゅ、出撃って……。艦長たちは……」

「し、指令ブースは吹き飛ばされたそうです……」

「それでも出るんだよ! ここにいたってやられそうな時にはな!」

 

 はっぱをかけているのは作業着を来た整備クルーのようだ。ナナの意思は彼の言葉に同調した。

 

「ナンバー……X100系統機ならいいんだけど……」

 

 ナナは機体に近づいた。整備兵たちにはこちらに注意を払う余裕は無いようである。誰にも気づかれることなく、ナナはシートの下へと潜り込んだ。そしてコックピットへと……。

 

「ラッキー。X101……『グレイス』だ……!」

 

 うっすらと額に汗が滲んだ。

 

「……よし、いける……」

 

 コックピット内の装置と持参した“メモ”を照らし合わせる。

 

「やっぱ、このデータで正解だったみたい……」

 

 ナナは無理やり口の端を上げた。いつもどおりに。

 持参したメモ……それには“Xナンバー”のデータがびっしりと書かれている。それを頼りに『グレイス』を起動させた。

 

「動いた……」

 

 その巨体の突然の動きに、ようやくドックの整備兵たちが気づいた。

 

「なっ……グレイスが動いたぞっ……?!」

「一体誰がっ……!!」

「アレのパイロットは全員下船して司令ブースにいたはず……」

「誰かが戻って来たのか?」

「いや、司令ブースはさっきので木っ端微塵にされちまったはずだ。奴らも無事なわけがねぇっ!」

「じゃあ……誰が……?!」

 

 混乱のうえに訪れたさらなる混乱。そのさ中でグレイスはゆっくりと立ち上がった。

 深呼吸して操縦桿を握り直す。決意が固まったことを確認して、口を開いた。

 

≪ハッチを開けて≫

 

 外部スピーカーから聞こるナナの声に、口々に動揺を発していた整備兵たちが一瞬にして黙った。

 

≪残りの5機を見てくる≫

 

 ナナはできるだけ静かに意思を告げた。

 と……。

 

「ハッチ開けろっ! 誰だか知らねーがどうやら味方らしいからな!!」

 

 整備兵の頭らしき男がそう叫んだ。

 疑惑渦巻く中ハッチは開放され、グレイスは瓦礫が散乱する港へと飛び立った。

 

 

---------------

 

 わりとあっさりザフトを退けられたのは運がよかった。そう思っている。いきなりジン3機は想定外だった。グレイスの不完全な装備ではいくら自分でも厳しい戦いになると思った。グレイスとストライクの反撃は、向こうにとっても想定外だったのだろう。

 この思いがけぬ初陣でグレイスは無傷だった。そしてストライクも。自分も、ストライクに乗っていた人も、彼らの友人たちも。

 死線を切り抜けた後は、皆で“G”の必要パーツの運び出しに取りかかっていた。もちろん唯一の軍人であるマリューの指示である。彼女の銃にはいささか腹が立ったが、従わざるを得ない状況ではあった。工場区はすでに爆撃による崩壊状態で作業が難航していたため、ナナがグレイスを操縦し、トレーラーにパーツを乗せたり瓦礫をどけて道を作ったりと働いた。

 やがてそれらの仕事を終え、ナナはグレイスを降りた。

 キラがこちらをずっと見ているのがわかった。彼だけではなかった。サイもトールもマリューも皆、ナナの一挙一動を盗み見ていた。

 が、気にすることはなかった。今まで誰かの視線を気にしたことなどない。というより、今気になっているのはただ一人のこと。港で別れた人のことが気がかりで仕方がなかった。

 今はどうにかこの場をやり過ごさなければ……。いや、やり過ごせば良いという生ぬるい現実ではないだろう。すでに「生き延びなければ」と言って良い程の事態になっていると直感していた。

 

「無線は? 通じないの?」

 

 そんな感覚を押し込め、ストライクの足元に立ち尽くすキラの元へ歩み寄った。

 

「あ……うん。電波妨害されてるみたいで……」

「まだ妨害されてる……ってことは、やっぱりザフトは今もその辺をウロウロしてるんじゃない?」

 

 ナナはストライクを見上げた。フェイズシフト装甲が落とされグレイの機体ではあるが、威厳に満ちて美しく見える。

 

「君は……」

 

 そんなことを思っていると、不意にキラが声を発した。

 ナナは彼を見た。怯えている。彼が今持て余すのは戸惑いでなく怯えだ。突然人生が狂ってしまった現実と目の当たりにした“敵”に対してだけでなく、目の前に立つ自分への……。

 

「君は……もしかして……」

 

 躊躇いがちな言葉に全てを察した。

 

「……キラは?」

 

 逆にナナが尋ねた。会って間もない彼の言葉を察してしまったことがなんだか可笑しくて、少し笑った。

 キラは場違いな笑みにかすかに驚いたが、一息ついて答えた。

 

「ぼ、僕は……コーディネイターだよ……」

 

 そう、やはり。彼はコーディネイターだった。彼がそうであることは、ストライクがアーマーシュナイダーを引き抜いた瞬間に確信していた。

 

「キミ……も……?」

 

 キラは再び問う。ナナはゆっくりと首を振った。

 

「……私はナチュラルだよ……」

 

 その答えに、キラは両目を見開いた。当然のリアクションだ。こんな成りで『グレイス』を自在に乗りこなす様を見れば、自分と同じコーディネイターであると思うのは当然だろう。

 

「キラは……ストライクのOS、書き換えたの?」

 

 彼が次の問いを選んでいるうち、今度はナナから聞いた。

 

「う……うん……」

「だよね、あんなんでスムーズに動けって方が無理だもん」

 

 実際、ストライクの咄嗟の動きは見事だった。まるで何千回もあの機体に乗り続けてきた熟練のパイロットのような身のこなしだった。少し、嫉妬するほどに……。

 

「君も……OSを……?」

 

 首をもたげようとした感情を抑える間に、キラがおそるおそる尋ねた。

 

「まさか。そんなのとっさになんて無理だよ」

 

 誤魔化すように前髪をかき上げながら、なるべくさらりと聞こえるように言う。

 

「ただ、あのOSでの操縦法を“知ってた”だけ」

 

 その先の答えを彼は求めるはずだった。自分に怯えているのは明らかだが、疑問は抱え切れるほど小さくはないだろう。

 どこまで話すべきなのか……正直ナナにもわからなかった。

 こんな“事情”は知らない方が良い。だが、それを隠して切り抜けられるのだろうか。この現状は。

 だが、キラが次の問いをぶつけて来る前に、上空……いや、上方の地表から爆音が響いた。

 見上げると、破壊された地表から一機の白いジンと、それを追うようにオレンジ色のモビルアーマーが侵入してきた。

 

「みんな伏せて!!」

 

 マリューが叫ぶと同時に、モビルアーマーの攻撃をかわしたジンがこちらに向かって発砲してきた。

 ジンはザフトの機体だ。“忘れ物”を発見したのだろう。盗み損ねたストライクとグレイスを……。

 

「ナナ!」

 

 一瞬にしてそんな予測を立てたとき、キラがナナに覆い被さった。二人して地面に伏せる。少し遠くから爆撃の音が聞こえていた。

 そして今度は港からの爆音とともに、巨大な戦艦が姿を現した。

 

「……ふ、船が……」

「キラ」

 

 悠然と現れた戦艦の姿を見留め、キラを見上げた。真っ青な顔をしている。完全に混乱しているのだ。それでも彼は……。

 

「ありがと」

「え……?」

「キラはやさしいね」

「…………」

 

 ナナはキラの身体の下で身を起こした。大丈夫、力が入る。こんな状況でも嬉しかった。キラがこうして守ってくれたのが。

 

「キラ」

 

 彼を死なせるわけにはいかないと強く思った。

 だから。

 

「……ストライクにパワーパックを装着して。グレイスの装備はあの艦(ふね)に運ばれちゃってるから援護しかできない」

 

 アークエンジェルと撃ち合うジンを睨みながら言った。冷たく聞こえても仕方がない。今は怯える彼の細胞を動かさねばならなかった。

 

「え……う、うん……」

 

 互いの息がかかる距離で二人はもう一度だけ瞳を合わせた。そしてすぐさまナナはグレイスのコックピットへ駆けた。

 キラが戸惑いながらもストライクのコックピットへと上がるのをモニターで確認したとき、小さなため息が出た。

 




2023/07/12 改訂


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ナチュラルとコーディネーター

 どうにか白のジンを退けザフトの攻撃を回避した後、命がある喜びを分かち合う間もなく少年少女たちは次の仕事へと取りかかった。無論、マリューの命令に従う形である。
 夢か現実かもわからぬ状態の者もいる中、彼らは協力してストライクとグレイスの2機、及び残されて無事だったパーツを『アークエンジェル』に収容した。
 アークエンジェルは先ほど港の方から現れた地球連合軍の戦艦である。その1番デッキに、艦の発進の指揮を執ったナタルらブリッジにいた士官と整備班が集まっていた。
 そして、先のオレンジ色のモビルアーマーのパイロット、ムウ・ラ・フラガも姿を現す。



 

 ナナはざわつく周囲を冷静な目で見ていた。ナタルとマリュー、そしてフラガの会話により、だいたいの現状は把握できた。整備班や下士官らが混乱を隠せずにいる原因が自分とキラにあることもわかっていた。

 やがてフラガがコチラに近づいてきた。そしてキラの前に立ち止まり、

 

「キミたち、コーディネイターだろ?」

 

 そう言った。

 ざわめきは一種の驚愕に変わり、一気に緊張の糸が張り詰めた。

 

「はい……」

 

 躊躇いがちにキラが答えると、カチャリという銃を構える音が不気味に鳴った。

 ナナはため息をついた。

 別に、驚くことでもない。ここは中立国オーブのプラント『ヘリオポリス』。中立の国なのだから、戦争を嫌うナチュラルとコーディネイターが共存していてもなんらおかしなことはないのである。

 だが、そのコーディネイターと銃を突き付け合っている地球連合軍の人間ともあれば、そういう意識を持つのは難しいのであろう。銃を構える者たちの目には、恐怖とそして敵意の色が滲んでいた。

 それを見て、キラは続けて言った。

 

「ぼ、僕はそうですけど、彼女は違います……!」

 

 ナナはキラを見た。彼は怯えた瞳を隠しきれずとも、銃口を睨んで立っていた。

 イライラした。本来なら静観すべきところだ。ナナにも聞かれたくない“事情”がある。 なるべくおとなしくやりすごす手段を考えるのが得策だった。

 が、イライラはつのるばかりで……殴りかかって片っ端から銃を破壊してやりたかった。

 しかし……。

 

「だ、だからなんだよっ!」

 

 すぐ側で声がした。

 

「キラがコーディネイターだからなんだっていうんだよ! キラは敵じゃねぇよ!」

「トール?!」

 

 キラの友人のひとり、トールだった。

 ナナはかすかに驚き、彼を見る。

 

「お前ら何考えてんだよっ! さっきの見てなかったのか?」

 

 他の友人たちもぞろぞろと進み出て、キラをかばうように立ちはだかった。

 

(へぇ……)

 

 ナナにとって、その光景は少し珍しかった。

 だから、

 

「……コーディネイターだから? ここで撃つの? アンタらバカじゃないの?」

 

 ナナの口も開いていた。

 

「な、なにぃ?!」

 

 銃口は再びナナにも向けられた。

 が、ナナは冷ややかに言った。

 

「あんたらの大切なコレを護ったのに、コーディネイターだから“敵”だっていうの?」

 

 彼らを睨む目から、射殺すほどの圧力を発している自覚はあった。

 

「てかさ、ナチュラルなのに新型のコレをいきなり扱えた私の方が明らかに不信人物じゃない?」

 

 そして小さく鼻で笑う。

 銃口は完全にナナだけをとらえた。

 

「銃を下ろしなさい」

 

 ようやくマリューが言った。

 

「ここは中立国のコロニーですもの。コーディネイターがここで暮らすのはなんらおかしなことではないわ。争いを避けたい人たちがいるのは当然のことよ。そうよね? キラくん」

 

 キラはうなずき、自分は『一世代目』のコーディネイターだと明かした。

 一世代目……つまり両親はナチュラルということだ。

 

「なるほどな。で、そっちのお嬢ちゃんは?」

 

 キラのことに一瞬考えを奪われていたが、ナナはまっすぐにフラガと向き合った。キラたちも固唾をのんで自分を見つめているのがわかった。

 

「なんで訓練を受けていそうもない君が、あんなに上手く“G”を動かせた?」

 

 ナナは迷わず答えた。勝手に口の端が上がった。

 

「私はモルゲンレーテの人間で、開発中の“G”のテストパイロットだったから」

 

 『コーディネイター』という言葉がここで出たときほどのざわめきはなかった。ただ、誰の頭にもナナの言葉が理解できていないようである。

 

「試作機に搭乗して、コレの開発に協力してきたってコト」

 

 面倒なので……いや、どうせ面倒事に巻き込まれてしまったので、あえて簡潔にそう言った。

 

「コレが地球連合軍のモノになるなんて、知らなかったけどね」

 

 そして全員を見回した。皮肉の笑みを隠しきることはできなかった。

 




2023/7/12 改訂


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対立

 アークエンジェルは、残りの物資の搬入が急ピッチで進められていた。

 コロニー外にザフトがいるのは明らかで、彼らがアークエンジェルのヘリオポリス脱出をただ黙って待ち構えているとも思えない。

 一刻も早い物資搬入と脱出準備が必要だった。

 だが……。

 

 

「あのモビルアーマーは出られそうもないし……、クルーも正規の人員じゃない……か……」

 

 

 たった今、こっそりとドックを覗いて来たナナは、ため息をつきながら廊下を歩いていた。

 

 

「……シェルターにも……今さら入れるわけないし……」

 

 

 彼女の予測は正しく、コロニー内の警戒レベルは9まで上がり、全てのシェルターにロックがかけられていた。

 今さら、彼女やキラたちが入れる余地はない。

 それに……。

 先程マリューが言ったとおり、彼女らは地球軍の最高機密を知ってしまった。

 まして、それを操縦した一人がコーディネーターで、もう一方が開発機のテストパイロットという事態だ。

 たとえ避難の選択肢があったとして、軍が二人を解放するはずはなかった。

 とすれば……。

 しばらくの間、このアークエンジェルに搭乗するしかなさそうだ。

 ナナは別段覚悟を決めたというような顔もせず、小さく一つ、こう呟いた。

 

 

「……あのコ……大丈夫かな……」

 

 

 その時、避難民居住区の一部屋からこんな声が聞こえてきた。

 

 

「キラにとってはあんなことも、『大変だった』ですまされちゃうんだぜ……?」

 

 

 ナナの足が止まった。

 声の主は知っている。

 とはいっても、さっき知ったばかりだが……確か、キラの友人のカズイという少年だ。

 

 

「やっぱコーディネーター……、キラは、オレたちとは違うんだよな……」

 

 

 ナナは拳を握った。

 彼の言うことはもっともな事実だ。

 ナチュラルとコーディネーターの間に決定的な違いがあるのは否めない。

 もともと、その「違い」のために彼らは対立しているのだ。

 この戦争も、それ以前のいがみ合いも……。

 今……その争いを嫌って共存してきた彼らの目の前に、その「違い」が明確な形で突きつけられた……。

 それだけのこと。

 ナナは深く息を吐いた。

 

 

「あんなヤツらと戦って……勝てるのかよ……地球軍は……」

 

 

 再び聞こえたカズイの言葉に、ナナは思わず言った。

 

 

「勝つことがそんなに大事なの……?」

 

 

 突然のナナの登場とその言葉に、カズイらは困惑する。

 が、ナナは彼らの視線を受け流し、二段ベッドの上で寝息をたてるキラを見た。

 

 

「ど、どういう意味……?」

 

 

 尋ねるカズイと戸惑うサイらに、ナナは自嘲気味に笑う。

 

 

「べつに……」

 

 

 『勝つことがそんなに大事なのか……』と彼らに対して言ったところで、その意味を説明することはできなかった。

 ただ漠然と、カズイの言葉に……そして今まで目にしてきた大人たちの態度に思っていただけだった。

 

 

 やがて、気まずい空気の中キラが目覚めたころ、マリュー・ラミアスが彼らの元を訪れた。

 ナナの予測は当たった。

 彼女の目的は、アークエンジェルのヘリオポリス脱出の際、モビルスーツでの支援を要請することだった。

 ナナと……そしてキラに。

 

 

「お断りします!!」

 

 

 当然、キラは断った。

 

 

「確かにっ、僕たちの周りでは戦争が起こってて、それに目を背けてはいられないっていう、あなたとナナの言葉は正しいのかもしれない……でも……」

 

 

 ナナは彼の隣りで、黙って聞いていた。

 

 

「僕たちは戦争が嫌で、中立の場所を選んだんだ……!! それなのにっ……!!」

「キラくん……」

 

 

 マリューにも、苦悩の表情が見て取れた。

 双方の立場や気持ちがわからないわけではなかった。

 が、ナナは場違いに平然と言った。

 

 

「私はやります」

 

 

 キラが勢いよく彼女の横顔を見た。

 だが、ナナはマリューをまっすぐ見上げたままに言った。

 

 

「こんなところで死ぬのは嫌だし。生き伸びるために私ができることがあればやります」

 

 

 友好的とも、善意ともとりがたい、冷たい声が響く。

 

 

「ナナ?!」

 

 

 止めようとするキラに、ナナは初めて視線を合わせて言い捨てた。

 

 

「何のためにチカラを使うか……自分で決めればいいだけだもの」

 

 

 キラの瞳の中に、彼を軽蔑するような醜い顔が映っていた。

 

 

 

 




2023/7/12 改訂


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ヘリオポリス崩壊

 キラ・ヤマトは、再びストライクに乗り込んだ。
 マリュー・ラミアスという軍人の言葉を受け入れたわけではない。
 確かにこの戦争に目を背けてきた自分たちの無責任さは否めない。争いが嫌だからと、それに関心を持たなかったことへの罪は認める。
 だからといってすすんで関わる気にはなれるはずもなく……それを流動的に受け入れて戦おうとするナナの態度も納得がいかなかった。
 が、実際のところ今は戦うことでしか生きる道は開けなかった。それはわかっている。
 いくらストライクを扱えるといっても、戦闘に順応した操縦訓練など受けたことが無い自分が役に立つ確信はなかったが、やらないよりはマシなのかもしれない。みんなを護れるかもしれないから……。
 そう思って、キラはナナと供に戦うことを仕方なく決意した。


 

 ストライクとグレイスは再びアークエンジェルから飛び立った。迫り来るザフトの機体はジンと、そして……。

 

「イージス……?!」

 

 グレイスのモニターには、確かに先ほど奪取されたはずの『X303-イージス』が映し出されていた。もっともナナ自身、実際にアレを目にするのは初めてだった。

 

(空中戦に強い機体……モビルアーマーに形態変化するヤツだっけ……!)

 

 フェイズシフトの展開で機体は朱色に光っている。6機の“G”の中でフレーム構造が異なるただ一機だったはずだ。ナナは頭に入っていたデータを引っ張り出す。

 

(もうあれを実戦に投入してくるなんて……!!)

 

 あれほど複雑難解なOSをわずかな時間で理解し、書き換えることができるとは……。

 キラもそうだ。やはりコーディネイターは自分とは“違う”……。

 

『やっぱコーディネイターはすごいよな。キラはオレたちとは全然違うんだよ……』

 

 先のカズイの言葉が耳の奥で聞こえた。

 

(……っ……!!)

 

 ナナはモニターを拳で叩いた。操縦方法を「知っていた」とはいえ、ナナはグレイスを自在に乗りこなせるわけではない。実機に触れることも、目にすることすら初めてだ。

 シミュレーターや試作機には乗っていた。が、実はそれもこの“G”の一世代前のモデルで……である。実際の“G”に関してはただの資料でしか知らなかった。

 もっとも、その事実をアークエンジェルの軍人やキラたちに知られるわけにはいかなかった。

 だから平然と戦うことを宣言しても、その実、ナナにとっては懸命の操縦だった。

 二度目に触れる操縦桿のミサイル発射ボタン。向かってくるジンに放つ。シミュレーターとは違う。当たれば相手は死ぬし、当たらなければこちらが殺される……。

 命のやり取りは初めてだった。が、ここで死ぬわけにはいかなかった。そして護らなければならなかった。

 

「キラっ……!!」

 

 交戦中のジンを遠ざけた隙に見えたストライクの危機。

 が、ストライクは相手のジンの攻撃をかわし、その胴を真っ二つに切り裂いた。

 その爆風がグレイスにも浴びせられる。バランスを失ったところへ先ほどのジンが襲い来る。

 ナナは懸命に機体を立て直して応戦した。

 息もつかせぬ混戦。グレイスは再びビーム砲を放ち、ジンを威嚇する。ヘリオポリスにできるだけ損害を与えないこと。アークエンジェルにMS(モビルスーツ)を近づけさせないこと。キラを死なせないこと。そして、自身も死なないこと。これらを全て背負って戦うことは、実戦経験が皆無の彼女にとって難解だった。

 アークエンジェルからの援護もあり、ジンは再び遠ざかった。その間に、ストライクはイージスと対峙していた。

 グレイスは援護に向かう。

 

(ストライクじゃ、イージスのスピードに敵わない……!)

 

 それに、アレがMA(モビルアーマー)に扁形できることをキラは知らない。

 

「キラ!!」

 

 が、ジンが纏わりついてそちらへなかなか近づけない。ストライクを捉えたモニターを気にしながら応戦するのが精一杯だった。

 その時……、モニター上でストライクとイージスが動きを止めた。“戦場”にあるまじき光景……。

 

「……キラ……?!」

 

 嫌な予感がした。

 そしてスピーカーから聞こえてきたのは……

 

≪キラ……。本当にキラなのか……?≫

≪アスラン……君なのか……?≫

 

 互いの名前を確認する少年の声。

 

(……え……?)

 

 ナナが戸惑った隙をついてジンが迫る。キラを気にする余裕など一瞬も与えられない。

 ヘリオポリスのシャフトに、アークエンジェルの弾丸が当たった。その損壊でコロニー内は不気味に揺らぎ始めた。

 降って来る瓦礫を避けながらジンの攻撃を交わす。

 が、ナナの耳に再び二人の声が聞こえる。

 

≪キラ……! なんでお前がそんなものに乗っている……?!≫

≪アスランこそ……なんでザフトに……?!≫

 

 繰り返される会話は、確かに“知ったもの同士が交わす風……。

 

「キラっ……!!」

 

 ナナは渾身の一撃でジンの腕を破壊し、ストライクに向かった。

 その時、突然大気がひしゃげた。

 慌てて操縦桿を握り直してモニターを見ると、近くの地表に大きな穴が開いていた。その向こうには、暗い宇宙が広がっている。

 それがどういうことか理解した瞬間だった。

 グレイスとストライクはあっという間にその宇宙空間へと吸い込まれて行った。

 

 




2023/7/12 改訂


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沈黙の(ふね)

 瓦礫が漂う宇宙空間の中、ナナは再びモニターに拳を打ちつけた。機体が受けた衝撃でまだ身体が不安定だったが、それでも力いっぱいその光景を殴った。

 

(護れなかったっ……)

 

 ヘリオポリスは目の前でゆっくりと壊れていった。

 住民が避難した救命ボートは安全な場所へ向けて発射されたはずだった。この騒動に巻き込まれる前に別れた“人物”の安否が気になった。

 

(無事だよね……? ちゃんとシェルターに避難したよね……?)

 

 “彼女”は人の多いところにいたはずだ。だったらヘリオポリスに異変が生じた瞬間に、警戒アラートを聞いて周囲の者たちと避難しているはずである。警戒レベルは最大になっていたから、避難しているのはシェルターだ。ヘリオポリスのシェルターは全てが救命ボートとしてコロニーから脱出できるようになっている。文字通り崩壊したのだから、救命ボートは自動的に発射されているに違いない……。

 己に言い聞かせるようにして、ナナはゴクリと唾を飲み込む。

 すぐに探しに行きたかった。だが、今は……。

 

≪グレイス……グレイス……聞こえていたら応答しろ!!≫

 

 無線から聞こえるナタルの声。

 

「……こちらグレイス……無事です」

 

 まだ息が苦しかったが、それを隠してできるだけ冷静に答える。

 

≪アークエンジェルの位置はわかるか?≫

 

 サブモニターを確認し、ナナは頷いた。アークエンジェルとストライクの信号を目にして安堵する。彼らは無事だった。コロニーの崩壊に巻き込まれることも、ザフトに撃たれることもなかった。

 

「はい、すぐに帰投します」

 

 ヘリオポリスの残骸を避けながら、ナナはアークエンジェルに向かった。アークエンジェルとの回線が切れてすぐ、無事を確認するキラの必死の声が聞こえた。

 

 

 

---------------

 

 

 

「ナナ……ほんと……大丈夫……?!」

 

 アークエンジェルのドックにグレイスを収めてコックピットから出ると、キラが心配そうに近づいてきた。出撃前には、あんなに突き放すような態度をとったのに……。

 

「大丈夫だよ。キラは?」

 

 ナナは初めて笑って見せた。

 

「僕も……大丈夫……」

 

 キラも笑った。が、それが無理矢理の笑みであることはすぐにわかった。

 ストライクは……おそらく無線の設定を近域周波設定にしていたのだろう。

 ストライクからグレイスに漏れ聞こえたキラの声。イージスのパイロットを、『アスラン』と……そう呼んでいた。そしてイージスのパイロットも彼の名を……。

 ナナは何も言わなかった。会話を聞いてしまったことも黙っていた。キラが話してくれるまでそうしようと思った。

 正直、彼の心中を図りきれなかったから、言うべき言葉がみつからなかった。不本意に巻き込まれた戦争。しかも同じコーディネータを“敵”にしなければならないという状況の中。その“敵”の姿で現れたのが知り合い……友人だとしたら……。

 それでもキラは自分を案じてくれた。なんだか悔しかった。何に対して「悔しい」のかはわからない。それもまたもどかしく、ナナは思わずうつむいた。

 

「ナナ……?」

「トリィ!」

 

 その時、キラの肩から何かが飛び立ち、旋回してナナの肩に止まった。

 

「え? 鳥?」

「トリィ? ……珍しいな。トリィが誰かの肩に止まるなんて……」

 

 それは鳥の形をしたロボットだった。

 

「これ、キラがつくったの?」

 

 そっと指を出すと、本物の小鳥のようにそこに止まる。鼻先に持ってくると、トリィは首をかしげてまた鳴いた。

 

「と、友達が……くれたんだ……」

 

 苦しげに、キラは答えた。今度は彼がうつむいていた。ナナの直観力が、それが『アスラン』だと囁いた。

 

「そっか……カワイイね」

 

 気づかぬフリをしてそう言った。そしてさりげなく話題を逸らす。

 

「あの救命ボート、キラが見つけたんだって?」

「あ……う、うん。推進部が壊れてて、漂流してたんだ……」

 

 眼下では、キラが帰艦途中に救出したというヘリオポリスの救命ボートから、避難民が次々と降り始めていた。

 

「よく艦に運ぶ許可が下りたね」

「初めはバジルール少尉に反対されたんだけど……艦長が……」

「そっか……」

 

 まさかアレに“別れた人物”が乗っていやしないかという期待が膨らんだが、気取られぬように目を逸らす。

 

「ザフト艦はこっちをロストしたのかな……」

「この艦は警戒態勢を解いてるみたいだから……たぶん」

「でもきっと……」

 

 

 「でもきっと、こちらの動きを探っているはず」ナナがそう言おうとしたとき、指先からトリィが何かを見つけたように突然飛び立った。

 救命ポッドから引っ張り出されたひとりの美しい少女が、それに気づいた。

 

「あ! あなた! サイの友達だったわよね……?!」

「フレイ?!」

 

 驚くキラに、フレイと呼ばれた少女は涙を浮かべて抱きついた。

 

 

 

 

 




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残酷な宇宙(そら)(前編)

 アークエンジェルのブリッジでは、仕官たちが今後の作戦について話し合っていた。作戦……といっても、この事態を打破できるような前向きな案などあるはずもなく……。一時的にザフトを遠ざけたといっても、彼らが虎視眈々と次の機会を狙っているのは確かだった。
 いつ、また襲撃されてもおかしくない状態。今のアークエンジェルには、緊迫感というより絶望感というほうがピッタリだった。

「艦長」

 いかにも軍人家系の出らしい毅然とした態度で、ナタル・バジルールが言う。

「私はアルテミスへの入港を具申いたします」

 アルテミスは『地球軍ユーラシア連邦』の基地であった。辺境にあってそう重要な拠点でなかったことと、何より通称『アルテミスの傘』と呼ばれる特殊防御帯に護られていることで、難攻不落と謳われていた。
 対してアークエンジェルと“G”は『大西洋連邦』の最重要機密。認識コードすら持たぬこの戦艦が、すんなり先方に受け入れられる保証はなかった。
 が、この不測の事態にアークエンジェルの艦長となったマリュー・ラミアスは、気は進まぬもののナタルの案を受け入れることにした。
 道は今、それしかない……。ただ、周囲をうろついているザフト軍の艦隊をどうにか振り切らねばならなかったが……。



 

 

 ナナはキラや彼の友人たちと供に、避難民居住区にいた。

 部屋の壁に寄りかって、ナナは彼らを外側から観察していた。もともとトモダチが多いほうではない。輪に加わるのは面倒だし、必要だとも思わなかった。

 ただ黙って、キラの様子を見ていた。

 心の奥底に『アスラン』のことを押し沈めようとしながら、友人と会話するキラ。彼はこれからどんな道を選ぶのか……。そんなことを考えながら。

 

「ねぇ、ナナ」

 

 ふと、彼らの視線が自分に向いたことに気づいた。呼んだのは、ミリアリアという少女。

 

「なに?」

 

 彼女はナナの柔らかいとは言いがたい声色に少し萎縮しながら、こう問いかけてきた。

 

「ザフトからは……逃げ切れたのよね?」

 

 皆が息を潜めて答えを待つ。

 ナナ自身、何故同じ民間人の自分にそんなことを聞くのかわかりかねたが、できるだけわかりやすく予測を述べる。

 

「艦の戦闘配備が解除されてるから、ヘリオポリスの崩壊に紛れてザフトを振り切れたと思うけど……向こうが諦めたとは思えない」

 

 彼らはいっせいに不安げな顔をする。そして、今しがた合流したばかりのフレイが叫ぶ。

 

「やだ……、じゃあこのフネに乗ってるほうが危険ってこと?!」

 

 キラがうつむいた。

 身勝手……ナナはそう思い、一瞬だけ眉間にシワをよせた。

 

「壊れたボートで宇宙を漂流するよりマシでしょう?」

 

 キラの気持ちを察したミリアリアがフレイに言う。

 

「それはイヤだけど……」

 

 フレイは不機嫌そうに口を尖らせてサイの腕にしがみ付いた。

 

「で、でもこの艦はいったいどこに向かってるんだろうな」

 

 サイは場を取り繕うように再び疑問を投げた。皆の視線が再びナナに向く。

 

「さっき、進路を変えたよな……?」

 

 トールも尋ねた。

 だから何故、自分に聞くのか……と思いつつ、ナナはまた予測を口にした。

 

「月の地球軍本部に向かいたいんだとは思うけど……この補給も中途半端な艦の状態じゃ、遠すぎてたどり着けない……」

 

 あくまで予測でしかないのに、フレイまでもが真剣にナナの言葉を待っている。

 

「どこかで補給を受けるとすると……友軍基地のアルテミスか……」

「アルテミスって……ユーラシア連邦の?」

「『傘』のアルテミスってやつか……」

 

 サイとトールもアルテミスの名は知っていたようで、納得の表情を浮かべる。ただ……すんなりとこの艦を受け入れる保障はない……という予測は伏せておいた。

 

「お、いたいた」

 

 その時、彼らの元をフラガが訪れた。キラとナナに、「自分の機体の整備」をするように……と。

 

「冗談じゃない! 僕はもうあれには乗りません!」

 

 キラは再び拒んだ。

 無理もない……。ナナは先ほどとは違う気持ちで黙っていた。

 サイらは不安げにキラを見つめる。ただひとり、フレイだけが状況をのみこめずにキョロキョロとしていた。

 

「じゃあ、またザフトが責めてきたら……ここでおとなしく死んでいくか?」

 

 フラガの声はまるでちゃかすようだったが、空気は張りつめた。

 

「で、君はどうする? お譲ちゃん」

 

 フラガがこちらを見た。

 ムウ・ラ・フラガ大尉。誰かが彼のことをこっそり『エンディミオンの鷹』と呼んでいるのを聞いた。軍人らしからぬ軽い口調。おどけた表情すら見せる。正直彼が『エンディミオンの鷹』という異名をとるとは信じがたかった。

 が、こちらを見る瞳の奥は鋭く、死線をくぐった者のそれに思えた。

 そして……彼の言わんとしていることは正しい。ナナもそう思うから。いくら戦いを拒んでも、巻き込まれることを嫌っても、戦わねばならない。でないと……ここにいる者たちが死んでいく。

 護らねば。護るためには、強くならねば……。

 

「当然、ザフトが来たら戦いますよ」

 

 少しも揺るがぬ、決意の言葉が口から出た。皆の視線を再び感じた。今度は脅威の目だったが。

 

「できるだけのチカラがあるんだったら……できるだけのことをしろよ」

 

 フラガはキラにそう言い残し、ナナの肩をポンと叩いて去って行った。

 

「ナナ!!」

 

 それからすぐ、キラはナナの正面に立って見据えた。

 

「君は……君は戦争に巻き込まれて平気なの?!」

 

 キラの気持ちはわかった。

 死にたくない……。殺したくない……。戦いたくない……『アスラン』と……。

 

「“護るため”には……戦うよ、私は……」

 

 キラとてそれをわかっているはず。ここにいる友人たちを護りたいと思っているはず。そしてフラガに言われたとおり、そのチカラが自分自身にあることも知っている。

 が、すぐにそんな気持ちになれるはずもなかった。

 

「僕は……戦いなんて嫌だ……! 誰も殺したくないんだっ……」

 

 押し殺すように言ってうつむく彼の脳裏には、きっと『アスラン』の懐かしい顔と先ほどの顔がダブっている……。

 ナナは表情を変えずに、そっと奥歯をかみ締めた。「キラはここにいろ」……と、そう言えれば楽だった。「戦わなくていい」と、言ってあげられればよかった。

 だが、それを彼が選ぶべき道とは思えなかった。自分ひとりで艦を護りきれる確信がないとかじゃなく……。そんなのは彼にとって一時の“気休め”だと思うから。この戦争から目を背けてはいけないと思うから。チカラは……確かに誰かを傷つける。が、それが無ければ進めない時もある。わからないものがある。

 そうやって生きてきた。それを信じているからこそ、ここに居る。

 

「でも、戦わないと殺される……ここにいるみんなも」

「だ、だからって、殺すことを望むわけじゃないっ……!」

 

 ナナは心を押し殺し、刺すような視線でキラに向き合う。

 

「望まなくても望んでも、人が殺し合うのが戦争でしょ? それが今、目の前で起きてるのにまだ理想にしがみつくの?」

 

 キラが目を見開いた。見守る連中も息を止めた。冷たい沈黙が流れた。彼らと自分との間に、みるみる溝が生まれるような時間だった。

 

「僕は……」

 

 やがて、苦しくて、悔しくて、震えた声がキラから漏れ……そしてついに、心の楔を吐き出した。

 

「僕は君みたいに、戦いに慣れてもいないし、戦うことが好きなわけじゃないっ!!」

 

 今度はナナの瞳が揺れた。だがそれはほんの一瞬で押しとどめた。今はただ、キラに突きつけた刃の切っ先を少も引いてはならなかった。

 

「私にこの艦を護れるチカラがあるのなら……それを使いたいだけ……」

 

 キラを睨みつけた。チカラを選ぶのは自分の意志。己に言い聞かせながら。

 

「私は戦うよ……キラ」

 

 ナナはそう言い捨て、その場を去った。

 

 

 




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残酷な宇宙(そら)(後編)

 ナナはドッグでグレイスの整備に取り掛かっていた。隣のストライクではキラが同じく整備を始めている。

 耳に鳴り響く先ほどのキラの言葉。いや、叫び。チカラを望まぬ彼に、無理矢理血のついた凶器を持たせた。その代償に、胸に冷たい氷を抱え込んだ。

 

『僕は君みたいに、戦いに慣れてもいないし、戦うことが好きなわけじゃないっ!』

 

 無理やりそれを追い払うように、ひたすらにキーボードを叩いた。今はそれに対し、否定の言葉を吐いている時ではないから……。

 

≪敵影補足! 総員、第一戦闘配備!≫

 

 突然、ドックにアラートが鳴り響く。

 

≪キラ・ヤマト、ナナ・イズミはブリッジへ!≫

 

 続いて自分とキラを呼び出すアナウンス。ナナはコックピットを出て、キラとともにブリッジへ向かった。

 

 

---------------

 

 

 ブリッジで作戦を言い渡され、再びドックへ戻った。今度は二人もパイロットスーツに身を包んでいる。

 

「いいか、二人とも。艦と自分を守ることだけを考えろよ」

 

 そう言ってゼロ式に乗り込むフラガに、ナナは無表情でうなずいた。

 

「ナナ……」

 

 先に口を開いたのはキラだった。

 

「き、気をつけてね……」

 

 怯えている様子だが無理もない。ズキリと心が痛む。

 

「キラもね」

 

 かろうじてあっさりとした答えを返し、グレイスへ向かった。

 だが、途中で身を翻し、ストライクに乗り込もうとしていたキラの元へ行く。

 

「ナナ……?」

 

 ナナはヘルメットを抱えた腕に、力を込めた。頭の隅で警報が鳴り響いている。「今はやめろ」……と、マトモな自分が叫んでいる。

 が、それでもキラに言葉をぶつけた。

 

「撃たれる前に、撃ちなよ」

 

 凶器……。再び切り付けられたキラは息を呑む。その双眸に、さっきのように嫌悪の陰が浮かぶのを知りながら、ナナはもう一度言った。

 

「今は……戦わなきゃ進めない……」

 

 剣を持てと……優しいキラにそう吐き捨て、ナナは彼に背を向けた。

 背後で立ち尽くしていたキラが、ストライクに乗り込んだのがわかった。同じくグレイスのコックピットを閉じて、大きく息を吐き操縦桿を握る。じんわりと汗がにじんだ。

 

『僕は君みたいに、戦いに慣れてもいないし、戦うことが好きなわけじゃないっ!!』

 

 そのとおりなら今はむしろ好都合だが……そう自嘲し、ヘルメットをかぶる。

 

(ごちゃごちゃ考えてる場合じゃない……。今は戦わなきゃ進めない)

 

 キラに言った言葉を己に言い聞かせ、新たに管制官の任に就いたミリアリアには余裕の笑みを見せた。

 

「ナナ・イズミ。グレイス、発進します!」

 

 再び漂う暗い宇宙空間。

 キラは前方ナスカ級から発進して来るモビルスーツに向かって行った。ナナは後方のローラシア級からの敵を迎え撃つ。その間、フラガのゼロは隠密潜航し、ナスカ級に奇襲をかける……という作戦だった。

 ナナはもう一度、操縦桿を握りなおす。今度こそ、ちゃんとアークエンジェルを守らねばならなかった。

 やがて、熱量接近のアラートが鳴る。

 

「3機……しかも奪取された“G”……?!」

 

 グレイスのメインモニターには、奪取された『バスター』『デュエル』『ブリッツ』の3機が映し出された。

 

≪……ナナ……!! 敵は奪われた3機を実戦に投入してきたわ……!≫

 

 ミリアリアが同時にそれを告げた。

 

「大丈夫。“G”の戦闘システムデータは頭に入ってるから」

 

 ナナは動揺を飲み込み、単調に答える。

 

「アークエンジェルはバスターのライフルに気をつけて。ストライク以上の火力を持っている」

 

 そしてそう言い放つと同時に、ブリッツが放ったバルカンを撃ち落とした。

 

(大丈夫……やれる……!!)

 

 わざと大きくうなずきながらストライクの位置を確認する。

 イージスと交戦中……。浮かんできた『アスラン』の名前を急いで頭から追いやった。今、余計なことを考えている余裕は無い。どうかキラも……。

 

「キラ……! デュエルがそっちに行った! 気をつけて!!」

≪りょ、了解……!!≫

 

 さらにバスターが放った火をよけながら、ブリッツのアークンジェル侵攻を阻止する。何度も乗ったシミュレーターより格段に速いスピードで周りは動いていた。

 早くも息が切れている。

 戦闘を展開中の6機のMS《モビルスーツ》の中で、明らかにスキルが劣っているのは自分だった。それをどうにかカバーしなければならない。一瞬でも気を抜くと、死が鼻先にちらついた。

 一瞬のようでもあり、長くも感じられたブリッツ、バスターとの交戦。やがてアークエンジェルからテキストデータが入電する。

 

《フラガ機 作戦成功 ナスカ級ヲ撃墜スル 主砲軸線上カラ離脱セヨ》

 

 バスターを振り切ったすきに、ナナはグレイスのスラスターを逆噴射させる。それほど間もおかず、アークエンジェルは艦前方へ向けて主砲ローエングリンを発射した。

 

「キラ……!!」

≪だ、大丈夫……!!≫

 

 2機が互いの無事を確認すると同時に、アークエンジェルから帰艦信号が出された。ナスカ級はアークエンジェルの主砲をくらい、離脱したのだ。アークエンジェルは一気にナスカ級を排除して得たアルテミスへの航路を全速前進する。

 作戦は成功だった。パワー残量が底をついていたグレイスはすみやかに帰艦する。ブリッツ、バスターも撤退命令を受けたようで、深追いを止めた。

 だが……。

 

「ストライクは……?!」

 

 コックピットから出てすぐに、ナナはマードックに向かって叫ぶ。同時に帰艦するはずだったストライクがまだ帰って来ない。

 

「どうやら4機に囲まれちまったようだ……!!」

 

 背筋に冷たいものが走った。ストライクもパワー残量に余裕などないはず。それは相手も同じことだったが、正規の訓練を受けて操縦に長けている彼らと、無駄撃ちの多いキラや自分とはその消費効率が違うことは明らかだった。

 

「ゼロはっ?!」

「まだ戻れないらしい!!」

 

 ナナに迷う暇はなかった。

 

「マードックさん、急いでグレイスのパワーパーックを充電して!」

 

 叫ぶと同時に再びコックピットに戻り、ブリッジに連絡をとる。

 

「こちらグレイス。1分後にストライク援護のため再発進します。許可を!!」

≪ダメだ! すでに艦とストライクとの距離は開いている……間に合わない!!≫

 

 CICのナタルが言うがナナは引かなかった。

 

「今キラを失ったら意味がないでしょう?! グレイスは高速エンジンが搭載されている……まだ間に合います!!」

 

 いざとなれば軍人の命令など聞く気はない。何のために力を使うのか……何のためにグレイスに乗るのか、自分の意志で決める覚悟だった。そう、初めから。

 

≪わかりました、許可します。ただし、限界が来たらすみやかに帰到するように!≫

 

 マリューの言葉と同時に、ナナはメインエンジンを始動する。パワー30%まで回復していた。

 

「マードックさん、もう出ます! 離れて!」

 

 新たにエネルギーライフルを装備し、グレイスは再びアークエンジェルから発進した。向かうは艦後方ストライク。その時すでにストライクのフェイズシフトはダウンし、デュエルの攻撃をくらおうとしていた。

 

(……間に合わないっ……!!!)

 

 スロットルを振り切っても、それを阻止できる場所までは到達できなかった。撃破されるストライク……嫌な光景が一瞬脳裏をかすめる。

 

「キラ……!!」

 

 が、デュエルの攻撃はストライクを撃ち落としはしなかった。気づけばストライクは、MA《モビルアーマー》へと形態変化したイージスに捕獲されていた。

 血の気が失せた。

 

「キラ!!」

 

 呼びかけに返信はない。

 ナナは初めて、己の行動を躊躇した。イージスのパイロットが本当にキラの知る者なら……その“目的”が分かってしまうから。イージスを撃つべきか……。キラを取り返そうとするのがいいのか……。このままキラを行かせたとしたら……。

 ナナは再び『アスラン』の名を振り切った。そしてライフルでイージスの背面を狙う。

 その時、イージスが別方向からの攻撃を受けた。

 

「フラガ大尉?!」

 

 ゼロが戻って来たのだ。

 

≪アークエンジェルにストライクのランチャーを射出させる! ストライクが装備できる時間をなんとか稼ぐぞ!!≫

「りょ、了解!!」

 

 フラガの指示で、ナナは最大速で回りこむ。イージスは耐え切れずにストライクを離した。

 ナナは4機をストライクから遠ざける。

 

「キラ……! 大丈夫?!」

≪う、うん……≫

 

 曖昧に答えて緩慢な動きをしながら、ストライクはフラガの指示でアークエンジェルからの射出軸線上に向かう。

 ゼロとグレイス、懸命の援護だった。

 バスター、ブリッツ、そしてデュエル……。パワー残量も少ないはずだが、彼らは執拗に迫る。必死でそれを交わしながら、ナナはイージスの動きをちらりと見た。3機……特にデュエルの執拗さと対をなすほどに、どことなく傍観している間合いだった。

 やがてデュエルの攻撃を受ける寸前でかわし、射出されたランチャーを見事装備したストライクが完全にザフトを遠ざけた。

 ナナは必死でエネルギー砲を撃ちまくるストライクと、撤退するイージスとを交互に見ることしかできなかった。

 

 

 




2023/7/12 改訂


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裏切り者

 アークエンジェルはどうにかザフトの追撃を受けずにアルテミスへ辿り着いた。だが予想通りそこで歓迎を受けるはずもなく、アルテミスからの監査官は銃を向けて威嚇してきた。
 ナナは銃の先で小突かれながら、この事態を鼻で笑った。地球連合軍の折り合い……それを調べ上げていなかったわけではない。まだ周囲に明かせぬ立場上、そういう知識は学んでいた。だから今さらこの仕打ちに驚くようなことはなかった。当の軍人たちよりも客観的かつ冷静でいられた。
 ただ、懸念はあった。アルテミスの目的ともくろみ……。ナナの予測どおりなら、取り返しのつかないことになりかねなかった。


 

 

 ブリッジ要員や整備班、そしてキラたちは、アルテミス側の威圧により艦の食堂に集められた。

 そう広くはない食堂内を、銃を持った軍人が取り巻き常に威嚇している。

 ラミアス艦長、バジルール副長、そしてフラガ大尉の司官3名は、先ほどアルテミス本部へと召喚されていた。

 不満と不安を持ちつつも、おとなしくしているしかなかった。

 息苦しい雰囲気が続く中、やがて要塞司令官のガルシア自らが食堂を訪れた。そして意地の悪そうな目で彼らを見回す。

 ナナは涼しい顔で、思い切り目を逸らして座っていた。

 ガルシアはおもむろに、“G”のパイロットは誰かと尋ねた。

 ナナの指先がピクリと動いたが、彼女は目だけでマードックと目配せし合った。案の定、キラは正直に名乗り出ようと立ち上がりかけた。が、マードックが後ろから彼の両肩を抑え、さりげなくそれを止めた。同時にナナは立ち上がり、つかつかと司令官の前に出た。

 

「1機に乗っていたのはフラガ大尉ですよ。もう1機には私が」

 

 なんとか……なんとかして誤魔化さねばならない。自分のことも、キラのことも。

 

「有線式ガンバレル<ゼロ式>を扱えるのはフラガ大尉しかいないだろう。それくらい私も知っているさ。フラが大尉はゼロに乗っていたはずだ」

 

 が、メビウス・ゼロ式のパイロットとして武名を馳せていたムウラ・フラガの名がその誤魔化しを阻む。

 

「モビルスーツのパイロットは他にいるんだろう?」

 

 ニヤリと笑った様は癪に障ったが、ナナは目をそらさず立っていた。

 

「それに、君みたいな娘があれほどのモビルスーツを操れるとは思えんな」

 

 ナナは一貫して平静を装った。元来、こういう苛立ちを抑えることは苦手だった。が、ここは抑えなければ“キラの身”に危険が及ぶと知っていた。

 

「さっさと白状したまえ……お嬢さん」

 

 が、ガルシアが嫌らしい笑みを浮かべてナナの襟首を掴んだとき、キラの我慢が先に限界を迎えてしまった。

 

「やめてください!!」

 

 マードックが慌ててまた肩を押さえつけるものの、キラはそれを払いのけた。

 

「アレのパイロットは僕です!!」

 

 ナナは首を回してキラを見る。「さがれ」と念を送ってみても、彼は怒りに燃えた瞳でガルシアをまっすぐ睨みつけていた。

 

「まったくこの艦の連中ときたら困ったものだ……」

 

 司令官ガルシアはため息をつく。

 

「やけに子どもが多いと思えば、その子どもがこぞって大人をからかうとは……」

 

 そして、ナナの襟首を突き放した。思いのほか強く飛ばされたナナの体が、サイに当たる。

 

「きゃぁ! サイ!」

 

 フレイが悲鳴を上げた。

 

「そろそろ本当のことを言ってもらわないと、軍として対処せざるを得なくなるぞ……!!」

 

 そう“勧告”したとき。

 

「本当よっ!!」

 

 サイに駆け寄ったフレイが叫んだ。

 

「そのコたちがパイロットよ!!」

 

 サイが止める間もなく、フレイはアルテミスの人間たちを納得させる言葉を吐いた。

 

「だってそのコたち、コーディネイターとあのモビルスーツのテストパイロットだもの!!」

 

 空気が複雑に揺れた。

 

「ほう……ならば子どもでも新型MSを扱えるというわけか……」

 

 意味ありげに納得する言葉を残し、ガルシアはようやくその場を去った。

 ただし、キラとナナを連行して。

 

 

---------------

 

 

「それで、僕たちにどうしろと?!」

 

 銃を突きつけられたままドックへ連れてこられたキラは、いつになく苛立ちを露にして言う。並んだストライクとグレイスの周辺には、アルテミスの整備士や技術者が群がっていた。

 

「とりあえずは、機体のロックを解除してもらいたいのだが……」

 

 要塞司令官ガルシアはニヤリと笑った。

 

「君たちは……他にも色々なことができるんだろう?」

 

 キラはガルシアが言わんとすることを予感して息を呑む。ナナは冷たくガルシアを睨みつけたまま黙っていた。

 

「例えば……これに対抗し得るような機体を作り出すことも……」

「いい加減にしてください!!」

 

 キラはガルシアの言葉を遮り、拳を握った。

 

「僕たちは軍人じゃない! そんなことをする義務はありませんよ!!」

 

 ナナはキラに視線を移した。怒りと戸惑いに支配され、痛みをその瞳に浮かべている。

 だが、

 

「だが……君はコーディネイターだろう? 裏切り者の」

 

 ガルシアの言葉はさらなる凶器となってキラに襲い掛かった。

 

「キミの存在は、地球軍にたいそう優遇されるはずだよ」

 

 そのセリフに、キラは言葉を失くした。

 

「いい加減にしてよっ!!」

 

 そして、ナナ自身も我慢の限界を超えていた。

 

「戦いたくて戦っているヤツがどれだけいると思ってるの?!」

 

 ガルシアの襟をつかみ上げ、怒りをぶつけた。

 

「殺したくて殺してるヤツがどれだけいるの?!」

 

 慌てた副官らがナナを引き剥がす。

 

「あんたたちみたいなヤツらがいるから、戦争は終わらないんだっ!!」

 

 吐き捨てた瞬間、ガルシアの拳がナナの頬を打った。

 

「ナナっ?!!」

 

 床に転がったナナに、キラが慌てて駆け寄る。すでに怒りは彼よりナナの方が勝っていた。

 

「と、とにかく機体のロックを解除します。それでいいでしょう?!」

 

 なおもガルシアにくってかかろうとするナナを押しとどめ、キラは言った。

 ガルシアは襟元を直し、憎々しげな一瞥を残して立ち去った。

 

「ナナ、大丈夫……?」

 

 相変わらず軍人たちに銃を向けられる中、キラはナナを支え起こした。ぶたれたところは痛くない。別の場所がひどく痛む。抑えきれずに弾けた怒りが、まだ体を燃やしていた。

 

「ごめん……」

 

 が、ナナはそれを噛みしめて言った。情けない声。キラの顔もまともに見られない。

 

「……え……?」

 

 謝罪の意図がわからぬ様子で、キラは戸惑っている。

 

「ナナ……?」

 

 ナナは立ち上がって背筋を伸ばした。

 

「キラを……傷つけるはずじゃなかった……」

「……え……?」

 

 目いっぱい奥歯を噛みしめた。

 

「ごめんね」

 

 そしてもう一度だけそう言ってキラに背を向け、軍人に囲まれたままグレイスのコックピットへと向かった。

 




2023/7/12 改訂


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アルテミス脱出

 怒りが全身を熱く駆け巡っていた。

 あの場でキラがコーディネイターだと明かしてしまったフレイの浅はかさ。キラを「裏切り者のコーディネイター」と言ったガルシアの汚らわしさ。キラが傷つく状況で、何もできなかった自分。向けられる銃口よりも、それらが腹立たしくて仕方なかった。

 ナナは苛立ちをぶつけるように、強くキーボードを叩いていた。ひとまず怒りをどこかへ置いて、冷静にこれからのことを考えなくてはならないはずなのに。

 

「おい! まだロックを解除できないのか?!」

 

 コックピットを取り囲む技術者のひとりが、痺れを切らしたように言った。その瞬間、コックピット内にアラートが響く。

 

「な、なんだ?」

「解除されたのか?」

 

 馬鹿なヤツら……。騒ぎ出す彼らに、ナナは冷ややかな視線を送る。それで少し、冷静さを取り戻せた。

 

「すいませんね、アナタが話しかけたから暗号コードをひとつ間違っちゃいました」

 

 薄く笑うと、彼らは一斉にナナを睨んだ。

 

「あーあ……もう一度やりなおさなくちゃ」

 

 わざと大きな独り言を言い、ナナは再びキーボードを打ち始めた。

 

「最高機密だから、複雑なロックをかけてるんですよ。気が散るから話しかけないでくださいね」

 

 彼らの苛立ちは最高潮に達している。ものすごい目つきでこちらを睨み、今にも発砲しそうな雰囲気だ。が、どうにか時間を稼がねばない。キラもおそらく、ストライクで同じことを考えているはずだった。ロックなど、本当はあと一つキーを叩けば解除される。だが今は、解除にてこずっているフリをして、この状態を脱しなければならない。機を伺うという受け身の戦法しか見つからないが、せめてアルテミス本部に連行された士官が艦に戻るまで……。

 やがてナナが3度目のアラートを鳴らした時、アルテミス内部が突然大きく揺れた。

 

「なんだこの衝撃は……!?」

「こ、これは……爆破か……!!!?」

 

 コックピットに群がっていた軍人や技術者たちが、驚いてドック内を見渡す。

 

「キラ!!」

 

 その隙に、ナナはキラに合図を送る。と同時に周囲の人間を蹴散らし、コックピットのドアを閉じた。

 

「き、貴様っ!!」

「何をする!!」

 

 最後のキー『G』を叩き、グレイスのメインコンピュータを起動させた。

 

≪ナナ……!!≫

「キラ、動ける?」

≪だ、大丈夫……!!≫

 

 ストライクと交信し、すぐにブリッジと連絡をとる。

 

「ブリッジ?! そっちの状況は?!」

≪……グレイスか? こちらブリッジ、艦長たちはまだ戻らないが、どうにか始動できそうだ≫

 

 ナナからの呼びかけにややあって、チャンドラの声が返って来た。

 

「よかった……」

 

 とりあえずホッとする。クルーたちはあの軟禁状態をどうにか脱し、アークエンジェル始動の体制を整えつつあったのだ。

 が、少しも気を休めることは許されなかった。爆撃はまだ続いている。

 

≪どうやら要塞内にMS《モビルスーツ》が侵入したようだ……≫

 

 鉄壁の防御を誇っていたアルテミスの“内側”に……?

 が、ナナもキラも、アルテミスの軍人ほど驚きはしなかった。

 

≪キラ、ナナ! 侵入したMSはブリッツよ!≫

 

 オペレーターブースについたミリアリアがそれを伝える。

 

≪外側にはデュエル、バスター、それにローラシア級がアルテミスを攻撃中……!!≫

「了解」

 

 返答すると、続けざまにキラに言った。先ほどの心の揺れを、微塵も感じ取られぬよう。

 

「キラは艦長たちを救出して。私はブリッツを抑える」

 

 彼は一瞬躊躇った後、

 

≪りょ、了解……。ナナ、気をつけて……!≫

 

 通信モニターに映ったキラは、目を伏せながら答えた。

 

 

 




2023/7/12 改訂


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「あ、ねぇ、ナナ知らない?」

 

 食堂で食事を取っていたキラは、入って来たサイとフレイに問う。

 

「ナナ? キラと一緒に休憩に入ったはずだろ?」

「……見てないわよ」

 

 キラはフォークを置いた。

 

「誘ったとき、まだグレイスのシステムいじってて……もう少しで上がるからって言ってたんだけど」

 

 サイとキラの空気が重くなった。

 

「まだ……ドックにいるのかな……」

「たぶん……」

 

 キラは小さくため息をつき、トレーを下げた。

 入れ替わりにテーブルについたサイが、チラっと隣のフレイを気にしながら呟く。

 

「ナナは……戦うのは平気なのかな……」

 

 キラは驚いて彼を見る。

 

「テストパイロットって言ってたろ……? きっと操縦も戦闘も慣れてるだろうし……」

「……う、うん……」

 

 『撃たれる前に撃ちなよ』

 

 ナナの低い声と平静な態度が甦り、キラは否定の言葉を失った。

 

「キラにも『戦え』って言って……。なんかちょっと、怖いよな。……『強い』っていうか……なんていうか……」

 

 キラが言葉を返せないでいると、フレイが始めて口を開いた。

 

「あのコ、ちょっと異常よ……!」

 

 サイも驚いて彼女を向く。

 

「ミリアリアの話だと、休憩時間もロクに部屋に戻らないでずっとモビルスーツのところにいるっていうじゃない!」

 

 フレイは訴えるように言う。

 彼女には、ナナを嫌う理由があった。

 ナナはアルテミスでの一件で、キラがコーディネーターであることを明かした彼女を責めたのだ。

 本当は、サイやトールやミリアリアにもたしなめられたのだが、見知ったばかりのナナの怒りには納得がいかなかった。

 だから彼女は、周りのすすめでキラには素直に謝ったものの、ナナとはいっさい口を聞こうとしなかった。

 

「戦うことを何とも思ってないのよ! ……野蛮だわ!」

「フレイ!!」

 

 感情的に叫んだフレイを、サイが押しとどめる。

 キラは弱く笑い、とにかくドックへ行ってみると言ってその場をあとにした。

 

---------------

 

 

 正直、フレイの言葉はひどいと思いつつ、否定する言葉を直ぐには出せなかった。

 

 『ごめんね……』

 

 アルテミスで自分のために司令官にくってかかったナナ。

 

 『私は戦うよ……』

 

 冷たい瞳で宣言したナナ。

 

 どちらも同じ少女が持つにしては、表裏がかけ離れすぎている。彼女の目的も心も、読み取ることはできなかった。自分や友人たちが、彼女を頼りにしているのかいないのか。仲間という意識を持って良いものかどうかも。

 ただはっきりしているのは、自ら戦いの場に向かおうとするナナを拒絶する心。

 寝る間も惜しんでグレイスをレベルアップさせようとするナナの意図は、「強くなりたい」からだとは思う。

 「護るため」……そう言っても、それは相手を「殺す」こととイコールで繋がる。

 すすんでそれをやろうとするナナは、やはり自分と違うのだ……。

 そう一線を引いてしまう。

 あの、戦闘に対してやけに平静な態度も……。「撃たれる前に撃て」と冷たく言い放つ態度も……。時にマリューやナタルよりも平然と戦渦に身を置いているといっても過言ではない冷静さも……。

 サイの言う通り……怖いくらいだった。

 だから、フレイが拒絶するのも理解できた。「異常」と言い切るのも解せた。サイの不安も、カズイの不信も、トールとミリアリアの戸惑いもわかる。自分も、ナナとの隔たりを払えそうもない。それどころか、その隔たりの正体を知り得そうにもなかった。

 

「……ナナ……」

 

 “壁”を強く意識したまま、キラはグレイスのコックピットを覗きこむ。

 

「あ、キラ? 休憩終わったの?」

 

 キーボードを打つ手を止めず、ナナは問う。

 

「う、うん……」

「だったら悪いんだけど、グレイスの攻撃パターンをストライクとの連動性を6%高めてみたの。ストライクのプログラム見といてくれない?」

 

 キラはナナに言いかけた言葉を飲み込んだ。そして、何かを諦めたような気分でその依頼を了承した。

 

 

---------------

 

 

 アルテミスを無事に脱出し、ザフト艦を振り切ることに成功したアークエンジェルだったが、事態はなんら変わりなかった。

 アルテミスでの補給が叶わなかったせいで、弾薬などの武器系統はおろか、食料や水の不足も問題だった。

 ブリッジは、デブリ帯での補給という強行案の決行を決断した。

 そして……。

 

「ま……またあそこへ行くんですか?!」

 

 ポットでの視察を終え、キラたちは再びブリッジへ集合していた。が、面々には資源が見とめられたことへの喜びなど微塵もなかった。

 ただ、ナナだけが飄々とその場を傍観していた。

 

「フラガ大尉も見たでしょう?! あそこには……!!」

 

 まさかデブリに()()()()()が待っていようとは思わなかった。

 ただ残骸が広がるばかりと思っていたそこには、あの『血のバレンタイン』で犠牲になったプラント、『ユニウス・セブン』が変わり果てた姿で浮かんでいたのだ。

 地球軍による、突然の核攻撃。その光景を、誰もがニュースで見た。CG映像かと見まがうほど鮮明に、核の光がモニターに映し出されていた。

 その光の中、何十万という人間が犠牲になったのだ……。

 まさに悲劇。

 それが、この戦争の引き金だった。

 そのユニウス・セブンの残骸を見て、犠牲者の亡骸を目の当たりにして、再びそこに足を踏み入れ、物資を調達しようなどという気になどとうていなれない。

 だが……。

 

「オレたちだって資源が見つかったことを大喜びしてるわけじゃないさ」

 

 フラガは険しい顔で言った。

 

「オレたちは生きてるんだ。ってことは、生きるために必要なものを確保しなきゃならないだろう?」

 

 そう……ここで死ぬわけにはいかない。アークエンジェルに乗艦しているヘリオポリスの難民たちも、飢えさせてはいけなかった。

 わかっている。わかってはいるが……。あの残酷な光景が瞼にちらついて、覚悟を持てないでいる。自分の中の何かを壊す覚悟を……。

 

「グレイス一機でやりますよ」

 

 皆が押し黙る中、突然ナナが口を開いた。

 

「監視はいりません。時間がもったいないので、すぐに出ます」

「ナナ?!」

 

 思わず上ずった声が出た。

 

「キミは平気なの?!」

「あそこは……!!」

 

 他のみんなも驚いている。だが、ナナは氷のような視線を向けてきた。

 

「だったら、月本部にたどり着く前にみんなで干からびて死ぬ?」

 

 ブリッジ内の空気を切り裂くような冷たい声だった。キラたちばかりでなく、フラガやマリューたち軍人さえも息をのむような威圧感。

 

「いい加減、生きるためにやらなくちゃいけないことに気づきなよ」

 

 ナナはそう言い捨てて、ブリッジを去った。

 

 

 

 結局、キラたちも補給活動に加わることになった。

 ユニウス・セブンや、その他デブリに浮かぶ犠牲者の魂を思って、彼らは紙花を折った。せめてもの手向けとなるように。そこへ足を踏み入れる許しを得られるように。

 ただ、耳には先のナナの声がこびりついていた。感情のこもらない、いや、苛立ちえ滲ませた声だった。

 出会ったばかりの頃に感じた彼女に対する感情が、また湧き上がる。それは彼女が正体不明であることへの“不安”……などでなく、“危機感”を含む“不信感。

 トールたちもあからさまに口にはしなかったが、そんな感情を抱いているようだった。

 “仲間”という意識を持つようになった最近は、すっかり薄れていたその感情。ナナが笑うところは見たことがなかったが、少しずつ打ち解け初めていたと思っていたのに。

 キラはストライクに乗り込みながら、隣にたたずむグレイスを見た。

 彼らが花を折っている間、すでにナナは搭乗し、ブリッジとの打ち合わせを終えていた。

 

≪作業を開始してください≫

 

 アークエンジェルからの合図で、再びユニウスセブンの残骸へ足を踏み入れる。

 活動を開始する前に、そこに漂う数多の犠牲者たちの魂を少しでも慰めるため、そして生きる糧を分けてもらう許しを乞うため、カラフルな紙花をそこに手向けた。

 悲劇の空間に、花がゆっくりと舞った。

 キラは操縦桿を握り締め、その光景を見つめていた。美しくも悲しい光景。胸の奥が痛かった。

 ふと、隣に立つグレイスを見た。

 ナナは今、どんな感情でこれを見ているのか。「時間の無駄」だから、さっさと作業を開始しようと苛立っているのか。それとも何の感情も持たずに傍観しているのか。

 どっちにしろ、冷めた瞳でいるに違いない……。そう思った。

 その時、見つめていた先……グレイスのコックピットがおもむろに開かれた。

 

(……ナナ……?)

 

 そして、眼下に舞うどの花よりも鮮やかなピンク色の花が、中から踊るように滑り出た。

 

(ナナも……花を……?)

 

 小さな花を見送ると、コックピットはすぐに閉じられた。

 

≪キラ、私は左側を監視する。ストライクは右側をお願い≫

 

 直後に入った無線から聞こえた声は、先ほどと同様、冷たく響いた。

 

≪敵を捕捉したら迷わず撃ちなよ≫

 

 目にした光景と耳にした声のギャップに、キラは戸惑った。なんとなく返事をして、言われたとおりの持ち場へつく。

 ポットでの活動を行うトールたちも、ナタルの指示で持ち場へ向かった。

 

 

 それから約1時間。

 キラもナナも敵影を発見することもなく、作業は順調に進められていた。

 が……突然ストライクにアラートが鳴り響く。

 

「て、……敵……?!」

 

 キラの額に、一瞬にして冷や汗が滲む。浮遊物に身を潜めながら慎重に周囲を見回す……と、一機のモビルスーツをモニターに捕らえた。

 

「くそっ……!!」

 

 長距離強行偵察複座型ジン。こちらにはまだ気づいていない。辺りに散らばる宇宙船の残骸を、ひとつひとつ見て回っているようだった。

 

(行ってくれ……!!)

 

 キラはそのままジンが立ち去ることを祈った。向こうが気づけば、こちらを撃って来る。ここには、トールたちがいる。こちらも撃たざるを得ない。

 戦うのは嫌だ……。震える手で操縦桿を握り締め、キラは祈った。

 

 『迷ってたら、死ぬよ』

 

 前に吐き捨てられたナナの声が聞こえてきた。

 わかってはいたが、戦いたくないのは……殺したくないのは事実。たとえ護るためだったとしても。自分はナナのように割り切れてもいないし、強くもない。

 だが、キラの希望を引き裂くようにジンがこちらを向いた。そしてポッドを見つけ、ロングレンジライフルを構えた。

 

「くそっ……!!」

 

 ストライクもライフルを構える。

 そして、

 

 『撃たれる前に撃ちなよ』

 

 ナナの声を払いのけるように、キラは引き金を引いた。

 

≪ありがとう……キラ!≫

≪た、助かったぜ……!!≫

 

 ポッドからの声は聞こえなかった。

 ただジンを倒した己の手を見つめ、奪った命の重さを思って泣いた。

 

≪キラ……?! なにがあったの?!≫

 

 ナナからの通信も切った。今は、誰の声も聴きたくなかった。特に冷えた声色は……。

 その時、再びコックピットに再びアラートが鳴り響く。

 それは敵影感知の類でなく、遭難信号をキャッチした音だった。

 

 

 




2023/7/12 改訂


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ラクス・クライン


「つくづく拾い物をするやつだな、キミは……」


 ナタルの皮肉とため息がアークエンジェルのドックにこぼれる。
 作業を中断して帰艦したストライクが持ち帰ったのは、物資ではなく救命ポッドだった。


「開けますぜ」


 マードックの合図で、取り囲む兵士が銃を構える。
 ポッドのマークは民間船のそれとはいえ、『プラント所有』を意味するものだった。
 中からは何が飛び出すかわからない。
 緊迫した雰囲気の中、扉は開かれた。
 そして中から現れたのは……


「マイド!」


 ピンク色のしゃべる球体……。


「……は……?」


 それはけたたましく喋りながら、ナナに向かって飛び跳ねた。


「なに……これ……」


 両手で受け止めたものの、その「おもちゃ」の意味がわからないでいると……。


「ありがとう……ご苦労様です……」


 別のものがポッドから現れ出た。
 桃色の長い髪をした、美しい少女だった。
 拍子抜け……というより、あっけにとられた周囲に構わず、少女はにこやかにナナの両手に留まる球体に向かう。
 途中、無重力の中でバランスを崩した彼女に腕を差し伸べたのは、キラだった。


「ありがとう」


 どこか気品のある笑顔を向けられ、キラは戸惑いを浮かべた。
 が、次の少女の言葉で、周囲はもっと困惑することになる。


「まぁ……ここはザフトの船ではありませんの……?」


 何てのん気な……。
 ナナも呆れてため息をついた。
 両手の中で、ピンクの球体が賑やかに言った。


「テヤンデイ! オマエモナ!」




 彼女は、名をラクス・クラインといった。

 まぎれもなく、現プラント最高評議会議長、シーゲル・クラインの実子だった。

 つまり、地球軍にとっては「敵」の「ボス」の「娘」……である。

 「血のバレンタイン」の悲劇追悼一周年式典に追悼団団長として出席するため、彼女はこの宙域を訪れていたのだった。

 が、途中で地球軍の民間船と遭遇してしまい、その対応について船内でいざこざが発生し、身の危険を案じた者が彼女を救命ポッドで逃がしたという。

 

 とんだ拾い物をしてくれた……。

 ナタルはあからさまにため息をついた。

 マリューやフラガも、補給問題が片付いた直後の新たな問題に頭を抱えた。

 当のラクスは、敵陣に居るというのに、周囲にくったくない笑顔をふりまいた。

 まるで事態を「問題」と感じていないようだった。

 形式上は「保護」でも、鍵のついた部屋に「軟禁」されているにも関わらず。

 だから、仲間とはぐれて遭難した彼女よりも、動揺しているのは周囲の方だった。

 今も、食堂では少女たちの言い争いが起こっている。

 

 

「嫌なものは嫌なの!!」

「フレイ!!」

 

 

 ドックでの作業がひと段落したキラとナナは、食堂に入るなり思わず顔を見合わせる。

 聞けば、ラクスに食事を運んでくれというミリアリアの頼みを、フレイが執拗に断っているのだという。

 理由はもちろん、ラクスがコーディネーターだから……。

 フレイは、コーディネーターの能力を恐れていた。

 遺伝子を操作して生まれたコーディネーターと、自分たちナチュラルの違いを恐れ、嫌悪していた。

 

 

「あ、でもキラは別よ!」

 

 

 キラの姿を見とめ、慌てて取り繕うフレイに対し、キラが曖昧に笑みを返した時、

 

 

「何が別ですの?」

 

 

 混乱の主が登場した。

 鍵がかかっている部屋に居るはずの彼女が何故……?

 誰もが声を出せずにいる。

 

 

「私もみなさんとお話がしたいですわ」

 

 

 ラクスだけが笑った。

 そして、

 

 

「なんでアンタがここに居るのよ!!」

 

 

 恐怖と憎悪の声で、フレイが叫んだ。

 

 

「なんでザフトの子がここに居るのよ!!」

 

 

 フレイは後ずさった。

 が、ラクスはにこやかに彼女に近づく。

 

 

「私はザフトの軍人ではありませんわ……あら、あなたもそうですわね?」

 

 

 そして、手を差し出す。

 

 

「では、お友達になりましょう」

 

 

 その手は、友好の印だった。

 だが、フレイがそれに応じるはずもなく。

 

 

「ちょ、ちょっと……やめてよ!!」

 

 

 汚いものでも見るようにその手を見つめ、

 

 

「なんで私がコーディネーターなんかと握手しなくちゃならないのよ!!」

 

 

 その場を切り裂くようにそう叫んだ。

 そのセリフに、さすがのラクスも差し伸べた手をさ迷わす。

 初めて彼女の顔が凍りついた。

 そしてキラは、かすかに震えた。

 誰もが靴底を床に張り付かせている中で……。

 

 

「どいてよ、フレイ」

 

 

 ナナがつかつかとカウンターに歩み寄り、トレーを取り上げる。

 そして、もうひとつ。

 

 

「行こう、ラクス。私がアンタの部屋で食べるから」

 

 

 その言葉に促されて場を取り持つように、ハロがまた騒ぎ出す。

 

 

「あ……、ぼ、僕が持つよ」

 

 

 片手に一つずつのトレーを持って、さっさと食堂を出ようとしたナナに、キラは不意にそう言った。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「ここのみなさんは、私のことがお嫌いなんですね」

 

 

 部屋に戻るなり、ラクスは初めて暗い表情を見せて呟いた。

 

 

「そりゃあ、この艦はコーディネーターと戦ってるんだし……」

 

 

 当たり前のことを、キラはためらいがちに言う。

 

 

「こちらのみなさんとお話したかったですわ」

 

 

 それでもラクスは、置かれた食事を見て残念そうにため息をついた。

 

 

「私が話し相手になってあげるからさ、ここで我慢しててよ」

 

 

 ナナが向かいの椅子に座る。

 

 

「でも……」

 

 

 ラクスは言った。

 

 

「あなたたちはとてもお優しいんですね」

 

 

 美しい笑みで、二人を見る。

 

 

「ぼ、ぼくは……」

 

 

 キラは言葉を詰まらせながらも、告白した。

 

 

「ぼくもっ……コーディネーターですから……!」

 

 

 ナナはうつむくキラを見上げた。

 複雑なカオ。

 継ぐべき言葉はみつからなかった。

 代わりにラクスがこう言った。

 

 

「でも、あなたが優しいのは、あなただからでしょう?」

 

 

 優しい言葉、優しい笑み。

 キラは久しく与えられなかったそれに戸惑うように、部屋を出た。

 その後しばらく、ナナはラクスの部屋にいたが、誰もそれを気にとめなかった。

 

 

 

 

 



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モントゴメリ撃沈(前編)

 ラクスの身柄をどうするのか……決断を下せないまま、アークエンジェルは月の地球軍本部へ向かっていた。
 ひたすらザフトに見つからぬよう、祈りながら。
 だが、そこに希望の光が差し込む。
 本部からの第8艦隊先遣隊が、アークエンジェルを迎えにやってきているという通信が入ったのである。
 しかも先遣隊の中には地球連合外務次官ジョージ・アルスター……フレイの父親の姿があったのだ。
 フレイや、他の乗員のみならず、さすがのナナも安堵した。
 先遣隊と合流さえすれば、ザフトもそう簡単に手出しをして来られないだろう。
 そのまま本部へ着くことができれば、艦に乗っている難民は無事に保護される。
 そして……キラたちも。
 ただ、ラクスの身が心配だった。
 ラクスにとって、いわば敵の本陣へ送り込まれるのである。
 いくら民間人とはいえ、彼女は評議会議長の娘。
 敵対するザフトの最高司令の娘である。
 それを地球軍がただ手厚く保護し、あっさりと送り返すとは微塵も考えられない。

 だが、事態はそれ以前の凶事に陥った。
 先の見えない緊迫感から開放されたブリッジは、再びどん底に突き落とされる。
 先遣隊が、ザフトの襲撃を受けたのだ……。



「『ランデブーは中止! アークエンジェルは反転離脱せよ』との打電です!!」

 

 

 ここまできて……。あと一歩のところで……。

 そう悔しがったとて、事態は変わらなかった。

 マリューは艦長として決断を下さざるを得なかった。

 

 

「今から反転離脱しても、逃げ切れる保証はありません……。アークエンジェルは先遣隊援護に向かいます!」

 

 

 艦には第一戦闘配備がしかれた。

 自室で休憩をとっていたキラは、ドックに急ぐ。

 

 

「キラ!」

 

 

 その彼を、呼び止める声。

 

 

「キラ……! ねぇパパは……?!!」

 

 

 蒼白の顔で彼にすがりつくのは、フレイ・アルスターだった。

 

 

「パパの船は……大丈夫よね……?!!」

 

 

 キラは彼女を安心させるように、優しく言った。

 

 

「大丈夫だよ、僕たちもいくから……!」

 

 

 フレイはかすかに安堵した顔を見せた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 戦渦の宙域へ駆けつけたアークエンジェルが目の当たりにしたのは、護衛艦バーナードとロウの撃沈だった。

 それを成したのは、イージス……。

 後ろからはあのナスカ級が「とどめ」を狙っていた。

 アークエンジェルからストライクとグレイス、そしてメビウス<ゼロ式>が発進した。

 なんとしても、残る戦艦モントゴメリを護らねばならなかった。

 

 グレイスはジンと交戦した。

 ゼロが1機を撃破したものの、被弾し帰還する。

 ストライクはイージスと戦っていた。

 

(徹夜でシステムいじったのに……!!!)

 

 戦いやすいようシステムを調整しておいたにも関わらず、グレイスは苦戦していた。

 集中力の乱れ……それも命中力を鈍らせていたかもしれない。

 目的はジンの撃破でなく、モントゴメリの救援である。

 あの艦を、ジンだけでなくナスカ級からも護らねばならなかった。

 それに……。

 

 

(キラっ……!!)

 

 

 ストライクはまた、イージスと戦っている。

 キラは、また“アスラン”と戦っている。

 本当は阻止したかった。

 キラの代わりにイージスを、……“アスラン”なる人物を討つことになっても。

 同じようにキラが悲しむとしても、己の手で“落とす”よりは他人の手で成されるほうが苦しみは少ないと……せめてそうであったらと、そう思っていた。

 が、二人は引き寄せ合うように、刃を向け合った。

 

 

「くっ……!!!」

 

 

 ジンのロックをはずし、逆にロックする。

 グレイスのライフルが火を噴いた。

 

 

 1機撃破。残るエネルギーは50%。

 手に残る発射ボタンの感触が残ったまま、ナナはモントゴメリへとグレイスを向かわせた。

 しかし、その刹那……。

 ナスカ級の砲撃が、モントゴメリを襲った。

 

 

「うわっ…………!!!」

 

 

 モントゴメリに接近していたグレイスは、その爆発に吹き飛ばされる。

 

 

≪ナナ……?!!≫

≪ナナっ!!!≫

 

 

 ミリアリアとキラから、同時に通信が入る。

 が、機体が受けた衝撃で、ナナは息すらまともにできなかった。

 辛うじて開いた目に、眩い光になって散るモントゴメリが映った。

 

(そんなっ……!!)

 

 絶望感に、背筋が凍りつく。

 だが、ナスカ級の狙いが次にアークエンジェルに向くことを、ナナの感覚が察知した。

 喉の奥で膨らむカタマリを飲み込み、ナナは機体をフルパワーで立て直す。

 乱れた息を整えもせず、ナスカ級に向かう。

 その時、

 

 

≪こちらは地球軍特装艦アークエンジェル!≫

 

 

 全周波回線で、聞き覚えのある声が発せられてきた。

 

 

「バジルール少尉……?!」

 

 

 突然のことに、グレイスの動きは止まった。

 ストライクと、イージスも静止した。

 

 

≪当艦は先日、プラント最高評議会議長シーゲル・クラインの令嬢、ラクス・クライン嬢が遭難しているところを発見、保護した!≫

 

 

 モニターに、アークエンジェルのブリッジが映し出される。

 そこにはナタルと、そしてラクスの姿があった。

 

 

≪我々は人道的立場で彼女を保護したが、貴艦が当艦に対して攻撃した場合、彼女の身柄に対する責任能力を放棄したと見なし、当艦は彼女に対して然るべき処置を取ることをここに警告する!≫

 

 

 いわゆる……人質。

 アークエンジェルはラクス・クラインを人質にとったのだ。

 ナスカ級は当然攻撃を中止した。

 イージスも、撤退した。

 ナナとキラは、互いに言葉を交わさぬまま、そのアークエンジェルへと帰還した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「どういうことですか!? 彼女を人質にするなんて!!」

 

 

 キラの怒りを、ナナも同じだけ持っていた。

 

 

「そうするしかなかったのは、オレたちが役目を果たせなかったからだ! ……艦長や副長を責める権利はないよ、オレにも、お前にも……!」

 

 

 フラガの言うことも当然だった。

 ナナは二人のやり取りを視界の端に入れながら、ロッカールームへ入った。

 ヘルメットを放り投げ、スーツのチャックを乱暴に下ろす。

 汗の粒がいくつも浮遊した。

 身体に受けた衝撃は、まだ引かなかった。

 戦艦の爆破で吹き飛ばされて、機体に損傷がなかったのはラッキーだったが、人間の……ナチュラルの身体はそれほど丈夫にはつくられていなかった。

 全身の痺れ、吐き気もあった。

 が、不快なのは身体よりもこの事態にであった。

 

 

「くっ……!!」

 

 

 拳で壁を打った。

 無力な自分が、一番不快な存在だった。

 「護る」ための努力はしたつもりだった。

 昨日も睡眠に宛がわれた時間を割いて、グレイスのシステムを改善した。

 ストライクとの連携を高めるための攻撃もインプットした。

 艦隊との合流で、この先そんな必要がなくなったとしても、やれることは全てやろうと思った。

 それなのに……なにひとつ、護れなかった。

 艦隊も、フレイの父親も、ラクスも……キラも。

 

 イージスが去り際、“アスラン”がキラに何を言ったのか……知らずとも想像はついた。

 想像がつくだけに、苦しかった。

 キラがもっと苦しんでいることもわかって、胸が痛かった。

 彼に対して、自分が何もしてあげられないことも、知っていた……。

 

 

 



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モントゴメリ撃沈(後編)

 まだクラクラする頭を無理やり抑え、ナナは居住区へ向かった。

 ラクスは今……どうしているだろう。

 「人質」にされて、軟禁されて……。

 ナナはその“生い立ち”から、友人を作る機会が極端に少なかった。

 だから自分が、キラの友人たちに溶け込めないことを知っていた。

 彼らも、心の中では自分を怖がっていることも分かっていた。

 が、ラクスは違う存在だった。

 初めから彼女が、「プラント最高評議会議長の娘」ということは知っていた。

 そういう存在である彼女の、くったくのなさに興味を覚えた。

 敵の壁の内に入ったくせに、ちっとも壁を作らない。

 平和を唄う少女は、美しくたおやかに笑みを振りまいた。

 それに、彼女はきっと、何かを導く存在だった。

 おそらくキラも、感じているはず。

 

 

『でも、あなたが優しいのは、あなただからでしょう?』

 

 

 そう言ってほほ笑んだラクスの崇高さ。

 本当はずっと、そんな言葉を知りたかった。

 ナチュラルとかコーディネーターとかじゃなく、キラはキラであり、自分は自分であると……。

 それを表す言葉を、ナナはずっと探していた。

 至極簡単な言葉なのに、ラクスの声でようやくみつけた。

 だから彼女は、ナナにとって特別だった。

 そのラクスに、今、言うべき言葉は見つからなかった。

 彼女の尊厳を守れなかったのは、自分の弱さ……。

 だが、それでも彼女に会うために、ナナはひとりで向かった。

 が、途中……、ある部屋の戸口にたたずむキラの姿を認める。

 室内は、ただならぬ雰囲気。

 ナナは嫌な予感がしてかけつけた。

 すると、フレイが取り乱した様子でサイにしがみつき、泣いていた。

 錯乱してベッドから落ちたのか、乱れたシーツが床に落ちていた。

 そして、フレイは立ち尽くすキラに向かって叫んだ。

 

 

 

「あんた……自分もコーディネーターだからって、本気で戦ってないんでしょっ?!!!」

 

 

 何かが砕け散った音が、耳の奥でしたようだった。

 キラは肩を震わせ、走り去る。

 

 

「キラ……!!」

 

 

 ナナは思わず、彼の後を追った。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 船尾のガラスに拳を打ちつけ、キラは泣いた。

 ナナは黙ってうつむいた。

 彼にかける言葉は無い。全てが自分の責任のような気がした。

 自分の弱さが、キラを苦しめている気がした。

 自分の言葉が、キラをここまで傷つけた。

 自分が彼を、無理に戦場へと引っ張り出したりしたから……。

 だが、彼を置いて立ち去る勇気すらなかった。

 いつの間にかトリィが肩にとまり、一緒にキラを見守った。

 トリィに話す言葉も出なかった。

 

 そこへ……。

 

 

「あら……」

 

 

 場にそぐわない、やわらかな声がかけられる。

 

 

「……ラクス……?」

 

 

 ラクスはナナの肩に優しく手をかけ、ほほ笑んだ。

 まるで、ナナを慰めるように。

 自分が泣きそうな顔をしていたのだと、ナナは初めて知る。

 ラクスはそのまま、泣き崩れるキラの側へ行った。

 その姿に驚き、涙を見られたことに赤面するキラ。

 ラクスはこうも簡単に、キラの涙を止めてしまった。

 

 

「戦いは終わったのですね」

「はい……あなたのおかげで……」

 

 

 少し戸惑いながら、キラが答える。

 ナナはまだ、彼らを傍観するしかなかった。

 

 

「僕は……本当は戦いたくないんです……」

 

 

 キラはラクスに、胸のうちを吐露した。

 罪悪感で、ナナはついに視線を落とす。

 

 

「アスランは……あのイージスのパイロットは、僕の友達なんです……」

 

 

 キラはナナがそこにいるにも関わらず、そう呟いた。

 

 

「それはお辛いですわね。彼もあなたも、とてもいい方ですもの……」

 

 

 が、その呟きに、ラクスは落ち着き払ってそう答える。

 

 

「ア、アスランを知ってるんですか?」

 

 

 思わず目を見開いたキラに、ラクスは静かに笑った。

 

 

「アスラン・ザラは、私がいずれ結婚する方ですわ」

 

 

 その言葉には、ナナもキラ同様に驚いた。

 

 

「無口なのですけど……とても優しい方ですわね」

 

 

 ナナの手に、突然ハロが飛びついた。

 

 

「そのハロちゃんも、アスランがプレゼントしてくれましたの」

「僕のトリィも……アスランにもらったんです」

 

 

 ナナの肩で、トリィが鳴いた。

 

 

「お二人が、戦わなくてすむようになると良いのですけれど……」

 

 

 ラクスはその光景を見て、囁くように言った。

 

 

 

 

 



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決別


 居住区は、就寝時間に入っていた。
 艦のクルーたちも交替で休憩に入っている。
 後方でザフト軍のナスカ級がこちらを伺っていたが、こちらに人質(ラクス)がいる以上、手出しはして来ないはずだった。
 静まる艦の中、キラはこっそりと部屋を抜け出した。
 向かった先は、ラクスに宛がわれた部屋だった。



 ナナはテキストボードを片手に、居住区へと向かっていた。

 そして、ある一向に遭遇する。

 

 

「……ナナ……?!」

 

 

 彼女をみつけて、いや、彼女に()()()()()驚いたのは、サイとミリアリア、そしてキラだった。

 キラはあわてて何かを後ろに隠す。

 が、隠しきれるはずもなく、ナナにはそれがラクスだとわかった。

 

 

「ナナ、あのね……こ、これは……」

 

 

 ナナが口を開く前に、ミリアリアが弁解する。

 が、ナナに対するそれは無駄とわかったのか、キラはきっぱりと言った。

 

 

「ナナ、黙って行かせて。あとでいくらでも怒っていいから……!」

 

 

 ナナは大きくため息をついた。

 ミリアリアやサイの怯えに似た視線。キラの強行的な態度。

 そんなに自分が彼らと異なる存在だったのかと思うと、笑いさえこみ上げる。

 

 

「ナナ、お願いだから……」

 

 

 再びキラが懇願した時、ナナは遮るように手にしたテキストボードを突きつけた。

 

 

「これ、機体からのハッチの解除操作が書いてある」

 

 

 彼女の言葉の意味がわからず、息をのむ面々。

 

 

「ブリッジの管制システムを通さないで、機体から直接装備を着用するマニュアルも書いてあるから」

 

 

 真意を悟ったのは、ラクスが最初だった。

 

 

「ナナ……それを調べてくださったんですの?」

 

 

 ナナは返事もしなければ、表情も変えなかった。

 ただ、驚いてラクスとナナを見比べる三人を尻目に、ぶっきらぼうに言い捨てた。

 

 

「マードックさんたちも休憩室に入ってる。出るなら今しかないから、急いで。私もグレイスで出る……」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ロッカールームで、ナナはラクスにスペーススーツを着せた。

 

 

「ハロは……宇宙空間でも大丈夫?」

「大丈夫ですわ。ね? ハロ」

「オマエモナ!」

 

 

 自身もパイロットスーツに着替えたナナは、すっかり懐いたハロに小さく笑って見せた。

 

 

「ありがとう。ナナ」

 

 

 ラクスはナナの手をとった。

 

 

「お礼を言われるどころか、あなたには謝らなくちゃならない……」

 

 

 その瞳を、ナナは見ることができなかった。

 それでも、ラクスは握る手を強くした。

 

 

「あなたはとても、強くてお優しい方ですわ……」

 

 

 そんなことはない……と、否定の言葉すら返すことはできなかった。

 ただ、本心は自然とこぼれ出た。

 

 

「私は……本当はあなたみたいになりたかった……」

 

 

 そして、無理やりに笑ってみた。

 口にしてみて、それは本心に違いなかった。

 ラクスに出会い、ラクスと話し……ラクスのようでありたかったと、漠然と思い、感じた。

 そうなれなかった己自身に失望しさえした。

 

 

「私は馬鹿だから……あなたのように平和を願っても、チカラがないと先へ進めなかった」

「ナナ……」

 

 

 だが、失望したからこそ、素直になれた。

 

 

「内側に入らないと……、戦争が何で始まって、何で終わらないのか……、自分の目で見なきゃ、『本当の敵』が何なのかはわからないと思った……」

 

 

 その答えなど……いざ内側へ入り込んでみても、まだ見つからないが……。

 ラクスとは異なるこのやり方が、果たして良かったのかわからない。

 犠牲にしたものも数え切れない。

 ただ……、迷いを捨てようとした。

 迷うと進めなくなるから。

 

 

「キラを……戦争に巻き込んだのは……私……」

 

 

 迷うなと、キラにさんざん言っておいて、自分が迷いと戦っていた。

 

 

「キラに……チカラを持たせたのは……私……」

 

 

 挙句、キラを傷つけることしかできなかった。

 そんな自分に失望し、ラクスのようにキラを癒せたら……と、外側から平和を訴えられていたら……と、そう思った。

 

 

「ナナ……」

 

 

 ラクスはナナの頬に手をそえた。

 

 

「何が正しいやり方かなんて……わかるはずもありませんわ」

 

 

 そう……それも、わかるけど。

 

 

「私は、あなたが間違っていたとは思いません」

 

 

 ラクスはそう言ってくれるけど。

 

 

「あなたは、強くてお優しい方だから……ご自分を信じていてください」

 

 

 ナナはようやくラクスの目を見た。

 

 

「何が『本当の敵』なのか……見定めようとするあなたは、間違ってなどいません」

「ラクス……」

「わたくしは……あなたの意志を信じます」

 

 

 はじめてみせる、強いまなざし。

 ナナはわずかに安堵して、微笑を返した。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 にわかに起動したストライクとグレイスに、静まっていたはずの艦内は騒然とした。

 

 混乱する彼らを尻目に、キラとナナはラクスを連れて発進した。

 向かうは艦の後方で襲撃の機を伺うナスカ級。

 アークエンジェルとそれのちょうど中間地点で、2機は止まった。

 

 

≪こちらは地球軍所属艦アークエンジェル搭載機……ストライク……!≫

 

 

 キラが全周波チャンネルを使って通信を送る。

 それは当然、アークエンジェルにも聞こえているはずだった。

 ナナはじっと、前方のナスカ級と後方のアークエンジェルの動向を伺っていた。

 

 

≪今からラクス・クラインを引き渡す。ただしイージスが1機で来ること。それが条件だ……!≫

 

 

 キラが緊張で上ずりがちな声で告げる。

 

 

≪これが守られない場合……≫

 

 

 ナナはちらりと、ストライクを見た。

 

 

≪彼女の命は……保証しない……≫

 

 

 キラに似つかわしくないセリフだった。

 だが、ナナは沈黙を守った。

 自分たちが、幼い行為を犯しているとはわかっていた。

 ラクスを無事に帰す保証も、自分たちが無事に帰れる保証もないなか、あのキラがすすんで起こした行動。

 予測していたから、先回りしてブリッジを通さずともモビルスーツを発進させられるマニュアルを引っ張り出していた。

 キラの願う心は、知っているつもりだった。

 そして、イージスのパイロット、“アスラン”がそれに応えてくれることを願った。

 

 少しして、熱源が2機に向かって来た。

 数は1つ……。キラの要求通り、イージスが単体でやって来た。

 ストライクとグレイスは、ライフルを向ける。

 

 

≪アスラン……ザラか……?≫

 

 

 わずかに震えるキラの声。

 

 

≪ああ……そうだ……≫

 

 

 “アスラン・ザラ”の声を耳にするのは二度目だった。

 

 

≪コックピットを開いて……!≫

 

 

 イージスのコックピットから、“アスラン”が姿を現す。

 初めて目にするその姿。

 ヘルメットで顔はわからないが、背格好はキラとほとんど変わらなかった。

 ナナがグレイスから見守る中、ラクスはキラの手で“アスラン”の元へと帰された。

 

 

≪ありがとう・・キラ、ナナ……≫

 

 

 ラクスはキラと、そしてグレイスのナナを見て言った。

 

 

≪またお会いしましょうね≫

 

 

 そして、キラがコックピットを閉じようとした時……。

 

 

≪キラ! お前も来い!!≫

 

 

 “アスラン”が言った。

 

 

≪お前はコーディネーターだ。なぜ地球軍にいる?!≫

 

 

 彼の声は、必死だった。

 

 

≪オレたちに戦う理由はないはずだ……!!≫

 

 

 友を敵としなければならぬ苦しみは彼も同じだったのだ。

 そして、同じコーディネーターであるはずの友が敵側にいる理不尽さに戸惑い、苛立っている。

 そのもどかしさに、グレイスがいることも構わずそう言ったのだろう。

 彼の「誘い」に対し、突然、威嚇のはずのライフルが下された。

 ストライクではなく、グレイスの……。

 

 

「行って……キラ……」

 

 

 ナナは初めて口を開いた。

 しごく単純な言葉を、とても静かに。

 

 

≪え……ナナ?!≫

 

 

 キラばかりか、“アスラン”やラクスも息をのんだのがスピーカーから伝わる。

 が、ナナは軽く笑い飛ばすかのように言った。

 

 

「今までごめんね、キラ」

 

 

 ストライクも、ライフルを下ろした。

 

 

「キラは優しいから……こんなところは似合わない……。わかってたのに、戦わせたのは私……」

≪ナナ……?!≫

 

 

 キラはコックピットから身を乗り出し、グレイスを向く。

 ナナはメインモニター越しにキラを見た。

 

 

「ラクスと……友達と……行って。そして平和な場所で暮らして」

≪だって……ナナ!!≫

 

 

 キラの言葉を、丸めこまねばならない……。

 

 

「大丈夫」

 

 

 ナナは彼を遮った。

 でないと、ここまでついて来た()()()()()()()()が達せられない。

 キラをラクスと友の元へ……。

 戦禍の届かぬ場所へ……。

 だから、ナナは思い切り明るい声で言った。

 

 

「アークエンジェルのみんなは、ちゃんと私が守るから……!」

 

 

 一瞬の沈黙。

 

 

≪キラ……!≫

 

 

 願いを込めて名前を呼んだのは“アスラン”だった。

 ラクスはまだ、沈黙を守った。

 そしてキラは……。

 

 

≪だめ……だよ……≫

 

 

 すり切れそうな声で呟いた。

 

 

≪アークエンジェルには……僕の友達がいるんだ……!!!≫

 

 

 そして、迷いを振り切るかのように、コックピットのシートに身を置く。

 

 

≪僕も……みんなを守らなくちゃ……!!≫

 

 

 決意と、絶望が入り混じった声。

 

 

「キラ……!!」

≪キラ!!≫

 

 

 ナナと“アスラン”が、同時に叫ぶ。

 が、キラは再びライフルをあげた。

 

 決別……。

 

 キラと“アスラン”のそれを目の当たりにし、ナナにそれ以上の言葉を見つけ出せなかった。

 “アスラン”は、苦悩に震える声で言った。

 

 

≪ならば……次に戦う時は、オレがお前を討つ……!!≫

≪……僕もだ……!!≫

 

 

 どうしてこんな言葉を交わさねばならないのか……。

 彼らが幼少の頃に、どれだけの絆を紡いだかナナは知らない。

 が、少なくともキラの肩にいつもとまっているトリィの存在を見れば想像はできる。

 それが、また……ここで引き裂かれようとしている。

 再び互いの扉を閉めた二人をモニター越しに見て、ナナは操縦桿を力いっぱい握りしめた。

 

 

 



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無罪

 ラクス解放後、ザフト軍ナスカ級からは機を見計らったかのようにシグーが発進した。
 予測できた行為に、アークエンジェルからもフラガの<ゼロ式>が援護に駆けつけた。
 が、ラクスの強い意志により、戦闘は免れた。
 その後ナスカ級は、ラクスを迎えの船に送り届けるため去って行った。
 アークエンジェルは事実上、ナスカ級の脅威を脱したこととなる。



 無断で機体を発進させ、さらに人質を返還するためにザフトと接触するという行為を犯したキラは、アークエンジェルに戻るなりナナとともにクルーに拘束された。

 キラは静かにそれを受け入れた。

 胸に渦巻くのは、「後悔」なのかわからなかった。

 アスランの言葉は忘れようとした。ラクスの癒しの歌も。

 もう二度と会うことはないかもしれぬ二人のことは、忘れてしまおうとした。

 ただ、同じようにクルーに連行されるナナの横顔が気になった。

 いつも強気な瞳は、今は暗く伏せられている。

 

『行って……キラ……』

 

 思いもよらぬ、さっきの言葉。

 ナナの想いは……?

 今のキラに、それをうかがう余裕などなかった。

 が、戸惑いの中に、わずかばかり温かいものが込み上げてくるのがわかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「キラ! ナナ!」

「どうだった? なんて言われたんだ!?」

 

 

 艦長室を出た二人を、ミリアリアとサイが待ち構えていた。

 

 

「大丈夫だよ……僕たちが軍人じゃないからって、艦長が許してくれたんだ」

 

 

 二人はホッと胸を撫で下ろした。

 

 

「でも良かった……お前がちゃんと帰って来てくれて!」

 

 

 そしてサイが、キラに言う。

 彼はキラがストライクに乗りこんだ時、きっと帰って来るようにと、願いを込めてそう言っていた。

 

 

「心配してたんだ。あのイージスのパイロット、お前の友達だったんだろ?」

 

 

 キラと、そしてナナの顔色が変わった。

 

 

「カズイがさ、お前とあのコが話してるところを聞いてたらしくて……」

「大丈夫よ、私たち以外は知らないから」

 

 

 ナナは艦長室の扉をチラリと見て、その場を移動する。

 つられたように、彼らも続いた。

 

 

「だから、もしかしたらキラもそのままザフトに行っちゃうかと思ったけど……戻ってくれて本当に良かった」

「うん……」

 

 

 キラは笑った。

 心の隅に、また忘れようとしたアスランの声が甦ったが、無理矢理押し戻した。

 ここにはサイたちが……護るべき友達が居る。

 だから、帰って来た。

 アスランの言葉を撥ねつけて、彼の想いを遮って。

 ナナの想いを、無視して。

 

 

「じゃあ、オレたち交代だから」

「あとでね」

 

 

 二人はキラとナナに手を振り、ブリッジへ向かうエレベーターに向かった。

 

 

 

「あ、あのさ……ナナ……」

 

 

 反対方向のドックへ向かおうとしたナナを。彼は呼び止めた。

 久しく、こうしてナナと向き合っていなかったような気がしていた。

 

 

「ヘリオポリスでの戦いの時……ストライクの周波をグレイスが拾ってたの。だから、キラと“彼”の会話が聞こえてた」

 

 

 ナナは移動を止めぬまま、先回りしてそう答えた。

 

 

「二人のこと……本当は最初から知ってた……」

 

 

 そしてキラが何か言う前に、ナナは低い声のまま言った。

 

 

「知ってたのに、私はあなたを友達と戦わせていた……」

「……ナナ……」

 

 

 キラに、彼女を責めるつもりはなかった。

 が、ナナは呟く。

 

 

「ごめんね」

 

 

 そしてそのまま、ドックへ続く通路へと去って行った。

 

 

「……ナナ……君は……」

 

 

 困惑した表情で、キラはその後姿に呟いた。

 返すべき言葉は思いつかなかった。

 ナナの想いはまだ、わからなかった。

 ただ少し、彼女との隔たりが薄くなったような気がして、彼もドックへ向かった。

 

 その側で、一人の少女が拳を震わせていたのを、誰も知らなかった。

 

 

 



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月への航路(前編)

 アークエンジェルは月本部への航路を進んでいた。
 クルーゼ隊の脅威はとりあえずのところ脱したものの、他のザフト軍の襲撃を受けない保障はなかった。
 が、それでもアークエンジェルに朗報が舞い込んだ。
 月本部から、第8艦隊が迎えに来ているというのだ。


「オレたちさ、この艦降りられるんだよね!」

 

 食堂にも、いつもより明るい空気が流れていた。

 

「きっと降りられるさ!」

「そうよ、私たち軍人じゃないんだもの!」

 

 軍の機密“G”を目にしたことで拘束された彼らは、軍のさらなる拘束を恐れないわけでもなかった。

 が、地球軍本部の計らいに希望を持っていた。

 

 

「でもさ……ナナは……残るよね?」

 

 ひととおり、久しぶりの安堵感を味わったあと、カズイがつぶやいた。

 

「……きっと、残って戦うんだろうな……」

 

 今もドックでグレイスの整備にあたるナナを思い、彼らはうなずいた。

 これまで戦闘に積極的だった彼女が、「解放」されるからといってすすんで艦を降りるとは誰も考えなかった。

 それに、口にする者はなかったが、彼女の姿は「戦争」に対する使命感そのものに見えた。

 テストパイロットだったという経歴……それしかナナのことは知らないが、グレイスのパイロットは、彼女の生き甲斐なのではないかと思っていた。

 

「でも……キラは……?」

 

 なんとなくうつむいた彼らに追い打ちをかけるように、カズイはまたつぶやく。

 

「キラは……降りたくても降りられないんじゃないかな……」

 

 重い沈黙がわずかに流れた。

 地球軍のMSを性能以上に扱いこなせる「コーディネーター」……そんなキラを、地球軍があっさり解放するとは思えなかった。

 

「……キラってやっぱりすごいよな」

 

 それに、彼は艦のシステムにも、他の機体のシステムにも関わってきた。

 どんなに職務の長い軍人より、彼のスキルは上回っていた。

 それは彼らにもよくわかっていたのだ。

 

「……やっぱりさ、コーディネーターとオレたちって相当違うんだよな……」

 

 彼の言葉に賛同する者はいなかったが、何か言う者もなかった。

 

「あんなに凄いMSも訓練無しに乗りこなして、システムも変えちゃうなんてさ……」

 

 そして再びなんとなく重たい空気が漂ったとき、

 

 

「MSなら私も乗れるけど?」

 

 

 それを張りつめさせるナナの声。

 

「ナナ……!?」

 

 気まずさと緊張感が入り乱れる中、ナナは無表情のままカウンターへ行き、ドリンクをとった。

 

「私はナチュラルだけど、MSに乗れるよ」

 

 彼らに背を向けて一口それを飲み終え、ナナは冷たく言った。

 

「そ、それは……ナナがテストパイロットだったからで……」

「た、たしかにキラみたいに戦えるけどさ……!」

 

 取り繕うように口を開いた彼らに対し、ナナはゆったりと振り返った。

 

 

「だから、訓練すればキラと同じように乗れるってことでしょ?」

 

 

 そして勢いよくドリンクをカウンターに叩きつけ、その場を去った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「できれば、本人たちの希望をかなえてやりたいとこだがねぇ……」

「ハルバートン提督なら……きっと取り計らってくれると思います」

 

 艦長室で、フラガとマリューが今後について話し合っていた

 艦隊と合流する前の、目先の警戒もそうだったが、合流後の艦の身の振り方についても不透明な部分は大半を占めていた。

 彼らが最も心配するのは、やはりキラのことだった。

 そして……。

 

「ナナは……どうするつもりなんだろうな」

「…………」

 

 イスの背もたれに体重を預けて呟いたフラガに、マリューは答えられなかった。

 正直、ナナが何を考えているのか、理解する者はこの艦にはいなかった。

 この戦争に偶発的に巻き込まれた形にもかかわらず、戦闘には協力的、かつ積極的である。

 同年代のキラたちよりもずっと戦局に詳しく、これまで常に冷静な判断を下してきた。

 恐れも迷いもなく……時に冷酷に、まわりを突き放してきた。

 それはバジルール小尉のいかにも軍人らしい態度と似ているようにも見えた。

 だが……

 

「オレが聞いてこようか? 直接さ……」

 

 彼女がこのままグレイスのパイロットとしてこの艦に残ることを希望している……そう決めつけるのは早計すぎる気がしていた。

 

「お願いしますわ、フラガ大尉」

「了解、艦長!」

 

 フラガはおどけたふうに言い、部屋を出た。

 

 

 

 艦内は就寝時間に入っていたため静まりかえっていた。

 ドックも整備員が全員休憩に入ったため、メインの照明は落とされ、ほぼ闇が広がっていた。

 

「まっさか……こんなとこにはいないよなぁ……」

 

 艦長室を出てナナの部屋へ向かったフラガだったが、途中でミリアリアに会い、ナナが部屋にはいないと告げられた。

 食堂にも人影はなかったため、とりあえずドックを探しに来たところだった。

 が、だだった広く静まりかえった空間ではキーボードを叩く音も聞こえそうなくらいだが、今は全くもの音が無い。

 それでもフラガはフットライトを頼りに、ぼうっと闇に浮かぶグレーの機体へ向かった。

 そして、その足もとに座り込む小さな体を発見した。

 

「……ナナ……?」

 

 片手に難しいシステムの計算式が羅列されているテキストボード、片手に電源が入ったままのPCを持ったまま、グレイスの足に寄りかかって眠っている。

 抑えられた照明のおかげで、ナナの顔色はずいぶん悪いように見えた。

 

「おーい、ナナ……」

 

 起こそうとして伸ばした手を止める。

 彼はしばしためらった。

 今ナナを起こせば、その手に余している作業を再開するはずである。

 だとしたら……。

 

「どーなるかわからんが……今のうちに休んどけよ」

 

 フラガは自分の機体から救命用バッグの毛布を持ち出し、ナナにかけた。

 

「しかしお前……『何』にそんなに必死なんだろうな……」

 

 困ったように微笑し、彼はドックを静かに去った。

 

 

 

 



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月への航路(後編)

 アークエンジェルは、ザフト軍ローラシア級とXナンバーのMS(モビルスーツ)の攻撃を受けながらも、これを退け、ようやく地球軍第8艦隊との合流を果たした。
 クルーには安堵の笑みがもれ、避難民はようやく安全な場所へ移ることに喜んだ。
 トールたちには、バジルール中尉から除隊許可証が手渡されていた。
 便宜上、ヘリオポリス崩壊前からの入隊が記録されている。
 これでやっと、もとの生活に戻れる……と思った矢先に、フレイが『志願』を名乗り出た。
 揺れる彼らの心……。
 その頃、ナナは自身の決意を、マリューとフラガに語っていた。



「残って戦ってくれるのは心強いけど……本当にそれでいいの?」

「グレイスの操縦をしちゃったとはいえ、提督のご厚意で何事もなく艦を降りられるんだぜ?」

 

 ナナは二人に笑って見せた。

 

「このまま降りたんじゃ、“何のため”に戦ったのかわからなくなりますから」

 

 その言葉の意味を理解しかね、マリューとフラガは顔を見合わせた。

 

「私はただ勝つために戦ってきたんじゃなく、戦争を終わらせるために戦ってきたんです」

 

 いつになく控え目な視線で、強い言葉をナナは吐く。

 

「……今はまだ、生き延びるのに必死で、艦を守ることさえ満足にいかないけど……」

 

 息をのむ……それくらい緊張して、マリューはナナを見つめていた。

 ナナの次の言葉に、半ば希望の光でも見出すように。

 

「でも、私はこんな戦争は終わらせたいから……そのためには、今はどうしても力が必要だし、戦争から離れちゃいけないんです」

「力って……グレイスの力……?」

 

 

 思わず聞き返したマリューにナナは曖昧に笑って答えた。

 

「自分の目的のために、アークエンジェルとグレイスを利用しているみたいですよね……?」

 

 大人びた笑みだった。

 

 

「でも私、地球軍のためにザフトと戦うんじゃなく、戦争を終わらせるために“本当の敵”と戦っていきたいんです」

 

 

 そのまま受け取れば、屁理屈ともとれそうな子供じみた言葉。

 だが、マリューもフラガも、皮肉のひとつも出なかった。

 ナナの瞳があまりにまっすぐで、強い光を宿していたから……。

 

 

「アークエンジェルなら、それが叶うかもしれない……そんな気がするから、残りたいんです」

「なんで……そんな気がするんだ?」

 

 

 黙って聞いていたフラガが口を開く。

 ナナは彼に向きなおり、ちゃかすように答えた。

 

「だってこの艦、孤立無援だったおかげで、ずいぶんと『自分の意志』で動いてきたでしょ?」

 

 それ以上、マリューは何も言わなかった。

 それがナナの「評価」なのか「皮肉」なのかわかりかねた。

 だが、ナナはそれをも察したように言う。

 

「敵を倒すのが楽しくて、勝つのが嬉しくて戦争をしている軍人がどれだけいるのか、私は知らないけど……少なくともこの艦に、そんな意志は働いていないから」

 

 二人の頭の隅に、アルテミスで向けられた銃口が浮かぶ。

 

「ラミアス艦長もフラガ大尉も、そんな軍人じゃないから」

 

 ナナは自然にそう言いきった。

 まっすぐに見つめられ、士官二人は言葉を失くした。

 この場に最も強い意志で臨んでいるのはどちらか……ひしひしと感じた。

 

「というわけで、これからもよろしくお願いします」

 

 ナナは大げさに深々と頭を下げ、二人に背を向けた。

 

「私、キラと話して来ます。彼にはどうしても、艦を降りてもらわないと」

 

 最後に見せた笑顔の中に、かすかな陰を見出して、残された二人は複雑ため息を洩らした。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「キラ……」

 

 誰もいないドックで、キラはストライクを眺めていた。

 

「ナナ……」

 

 出会った頃と同じ姿のキラは、不安げに瞳を揺らしていた。

 それでも、無重力の空間を飛んでくるナナを、彼は受け止めた。

 

「ナナ……君は……」

「私は残るよ」

 

 

 キラは目を伏せた。

 

「……そっか……」

 

 トリィが彼の肩で、いぶかしげに首を振る。

 

「ナナ……僕は……」

「ハルバートン提督に何て言われたの?」

「え……?」

「話してたんでしょ? 今まで」

 

 ナナは彼の歯切れの悪い言葉尻をすくうように言う。

 

「あ……うん……」

 

 キラはうつむいたまま、ハルバートンの言葉を伝えた。

 

「覚悟もない軍人なんて、役立たずだってさ……」

「そっか……」

 

 ナナは小さく笑った。

 そして、まるで小さな子供のように佇むキラに言った。

 

「キラは艦を降りなよ」

「……ナナ……?」

 

 何の曇りもない声に、キラは初めて彼女の瞳を見る。

 

「今まで……ごめんね」

 

 まっすぐに、ナナはそれに応えた。

 

「キラを一番傷つけてたのは私だって、わかってたのに」

「そんなこと……」

 

 ナナは逆に戸惑うキラから、ストライクへ視線を移した。

 

「これは……キラには似合わない力だったよね」

 

 そして溜息のようにつぶやく。

 キラもストライクを見上げた。

 

「無理にそれを押し付けたのに、護ってくれてありがとう」

 

 言った瞬間、トリィが羽ばたき、二人の頭上を旋回してナナの肩に止まった。

 

「私はこんな生き方しかできないから、これからも戦うけど……」

 

 そのくちばしに手を添えて、ナナは言う。

 

「キラは……キラらしく生きてね」

 

 トリィは彼女の指先をつついて鳴いた。

 キラに言葉はなかった。

 それでいいと、ナナは思った。

 キラが自分をどう思っているのかなんて、知っている。

 だから、

 

 

「ほんとに……ごめんね」

 

 

 ナナはそう言って、弱く笑った。

 別れを悟ったかのように、トリィは再び旋回し、キラの肩に帰った。

 ナナはそれを見届けて彼らに背を向けた。

 

「戦争が終わったら……また逢えたらいいね」

 

 ナナはキラの言葉を待たず、漂うように去った。

 

 

 



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大気圏突入

 アークエンジェルは人員編成を行わぬまま、地球軍アラスカ基地へ降下することとなった。
 ハルバートンの指揮する第8艦隊は、この降下作戦を見届ける陣をとった。
 が、その準備も半ばで鳴り響く警報。
 ザフトが攻撃を仕掛けてきたのだ。
 ナナは急ぎ、ロッカールームでパイロットスーツに着替えた。
 ヘルメットを手に、一度だけ深く息を吐く。
 キラはもういない。
 それでも、戦わねばならなかった。


「これじゃあ、第8艦隊ももたないですよ!」

 

 ドックのモニターで戦況を見守るナナは、フラガに言った。

 戦渦は激しくなるものの、アークエンジェルには未だ戦闘命令が出ていなかった。

 そればかりか、この戦闘のさなかアークエンジェルは降下シークエンスに入ると、ブリッジから告げられる。

 あくまでアークエンジェルと“G”を地球へ降ろす……なみなみならぬハルバートンの意志が働いていた。

 

「くそっ……」

 

 それを知るフラガは、モニターにこぶしを叩きつける。

 その時……。

 

「とにかく、すぐに出られるようにしておきます」

 

 ここに聞こえるはずのない声が響いた。

 

「まだ、第一戦闘配備でしょ?」

 

 「彼」はゆっくりと空間を漂い、ストライクへ向かって行く。

 

「……キラ……?!」

 

 ナナは目を見開いた。

 艦を去ったはずのキラが、パイロットスーツを着てストライクに乗り込もうとしている。

 

「キラ!!」

 

 ナナは怒りに滲む声で叫んだ。

 そして、彼の元へ飛んでいく。

 

「なんで戻って来たの?!」

 

 彼女の握られたこぶしは小刻みに震えていた。

 

「……ナナ……?」

「なんで戻って来ちゃったの?!!」

 

 彼を責めるようにナナは問う。

 

「ナナ……」

 

 今までとは逆の立場だった。

 肩を震わすナナと、静かに見つめるキラ。

 キラは初めてナナに対して穏やかな表情を浮かべ、言った。

 

「僕も……戦うよ」

 

 ナナはそれで、喜ぶはずはなかった。

 絶望で顔を歪めながら、歯を食いしばった。

 

「僕も一緒に……戦うから……」

 

 慰めるようにキラは言い、細い腕に手をおく。

 ナナはうついむたまま、小さく首を振った。

 その失望にゆがむ顔の本当の意味など、キラにもそこに居合わせた者にもわからなかった。

 が、キラはすべてを諦めたように目を伏せるナナの体を、そっとグレイスの方へ押しやった。

 

 

 

 

 5分後、マリューは限界点までの間、MSおよびMAの出動を決断した。

 誰もがキラの再来に絶句した。

 が、それぞれの思いを口にしている暇はなかった。

 ナナも、絶望に染まった心で戦わねばならなかった。

 

「ナナ・イズミ……グレイス、発進します!!」

 

 発進と同時に、機体は大きくブレた。

 地球の重力の影響を受け、バランスをとるのが困難な状況になっていた。

 大気圏に近づくと、それはさらに危険な状態になる。

 機体自身が、大気圏内で耐えられるという保証もなかった。

 すでに今、コックピット内にかかる圧力は、ナナの身体の自由を奪っている。

 

「……マニュアルなら……単体でも降りられるけど……」

 

 素早くコックピット内の装置を操作し、ナナは機体を立て直した。

 ストライクもバランスを取り戻している。

 が、無論、それだけで安心している場合ではなかった。

 艦隊の防衛線を突破したデュエルとバスターが、二機に向かって来たのだ。

 

≪いいか! タイムリミットは15分だ! それまで堪えろ!!≫

 

 アークエンジェルからの通信も、雑音がひどく聞き取りにくくなっていた。

 ナナは懸命に機体のボディバランスを保ちつつ応戦する。

 地球降下への限界点まで、アークエンジェルにザフトを近づけさせないこと。

 それが今の役割だった。

 大気圏突入の限界点まで無事にもてば、ザフトも追撃を断念せざるを得ない。

 しかしすでに艦隊は戦列を乱され、戦闘不能になった戦艦から脱出したシャトルがいくつも排出されている。

 イージス、ブリッツは、それらを尻目にこちらへ向かって来ようとする。

 ナナはちらりとストライクを見やり、二機へ構える。

 が、グレイスの脇を脱出したシャトルが通り過ぎたとき、遥か向こうのナスカ級から放たれた主砲がシャトルを貫いた。

 

「ぐっ…………!!!」

 

 爆発とともに、跡形もなく消え去る脱出兵。

 爆風で大きく吹き飛ばされながら、ナナは歯を喰いしばった。

 ザフトは……すくなくとも「ラウ・ル・クルーゼ」は、容赦なくこちらを叩きのめすつもりだ。

 状況はどうみても、地球軍の劣勢だった。

 これだけの艦隊をもってしても、たったひとつの戦艦の護衛すらままならない。

 それほどのザフトの攻撃力と執念をひしひしと感じる。

 が、ここで死ぬわけにはいかなかった。

 離脱中の兵を殺すような者に負けるわけにはいかなかった。

 なんとか……あと2分。

 あと2分逃げ切れば、ザフトはもうアークエンジェルを追えなくなる。

 ナナは満足にいかない呼吸を無理やり整え、迫り来るバスターにライフルを向けた。

 

「こんなところまで追って来て……! アンタも無事じゃすまないのに!」

 

 打ち合う光が、地球の重力で歪み合った。

 すでにイージスとブリッツは進撃を断念し、ナスカ級に帰投し始めた。

 なんとかストライクとグレイスで、執念深く攻撃してくるデュエルとバスターを遠ざけねばならない。

 ナナは懸命に操縦桿を握った。

 スーツの下で、身体は汗ばむどころか、干からびたように水分を失っていく。

 中・遠距離型のバスターに対し、グレイスは近距離戦闘用の機体だ。

 優位に戦闘を繰り広げるには、バスターとの距離を詰めねばならない。

 が、機体の自由が利かないこの場面では、のろくさ動いているうちにバスターのライフルに攻撃されてしまう。

 アークエンジェルが降下シークエンス“フェイズ3”に入るまで、バスターを引きつけておくことが精いっぱいだった。

 

≪ナナ! キラ!! 限界点まであと1分よ!!≫

 

 ミリアリアが不安げに叫ぶ。

 その声も、雑音でほとんど聞こえない。

 

「くっ……」

 

 ちらりとアークエンジェルの位置を確認したスキに、バスターのビームが機体をかすめる。

 グレイスの手から、ライフルがもぎ取られた。

 

「限界かっ……!!!」

 

 離脱を選択しようとしたその時……。

 グレイスは再び爆風によって吹き飛ばされる。

 それは、ハルバートンの乗る戦艦メネラオスの散る姿であった。

 

「……そんなっ…………!!」

 

 艦隊を指揮する主戦艦の破壊。

 防衛戦は完全に地球軍の大敗であった。

 だが、それで終わりではなかった。

 アークエンジェルは今も降下を続け、ザフトはまだ追って来る。

 グレイスの脇を、再びバスターの火が襲った。

 今度は機体を直撃する。

 グレイスは左翼をもぎ取られ、大きくバランスを失った。

 

「……いい加減っ……!!」

 

 その時、ナナの中で何かが弾けた。

 

 彼女の手は何の迷いもなく、残った右翼を自ら切り離す。

 そしてグレイスのスラスターを全開にし機体を立て直した。

 エネルギー残量のことなど頭から消えていた。

 そして、目の前の「敵」に向かい、背のソードを抜く。

 

「アンタもただじゃすまないでしょっ?!!」

 

 フルパワーでエンジンをふかし、グレイスはあっという間にバスターとの距離を縮め、機体の身の丈ほどもあるライフルを真っ二つに破壊した。

 続けざま、蹴り飛ばす。

 バスターは重力に引かれ、地球に向けて落ちていく。

 

「キラっ……!!!」

 

 その方向には、デュエルと対峙するストライクの姿があった。

 限界点はとっくに超えている。

 一刻も早くアークエンジェルに戻らねば、いくら“G”とて危険だった。

 それはザフトの“G”も同じこと。

 なのにデュエルは、執拗にストライクに迫る。

 

「キラ……!!!」

 

 何とかデュエルの攻撃を交わしてアークエンジェルへ……そう言おうとして、声が出なかった。

 いつの間にかコクピット内にはアラートが鳴り響き、ナナの肺は押しつぶされそうなほど圧力を受けている。

 操縦桿は焼けるように熱かった。

 

(キラ……!!)

 

 それでもナナは、壊れたグレイスでストライクの援護に向かった。

 その機体の状態では、アークエンジェルのところまで行ける推力はないかもしれない。

 かといって、マニュアルでは可能と言われつつも、単体で大気圏を突破できるという保証もない。

 が、ナナの頭にそんな計算は微塵もなかった。

 ただ、ストライクを……キラを護らねば……。

 それに必死になっているだけだった。

 異常なまでに執拗に攻撃を仕掛けるデュエル。

 ストライクがそれから逃れるスキを見せない。

 かといって、グレイスにはその場から援護する装備はもう無かった。

 駆けつける推力も失いつつある。

 

「キラ!!!」

 

 何とか、デュエルの注意を分散させるだけでも……そう思って二機の間に割って入ろうとしたその時、デュエルのライフルがストライクにまっすぐ向けられた。

 ストライクには、それを防ぐべき盾はもう無い。

 大気圏の衝撃が、機体の自由をも奪うここでは、避けることも困難になりつつある。

 

 撃たれる…………

 

 ナナがキラに手を伸ばした時、グレイスではなく、一機のシャトルがデュエルとストライクの間に割って入った。

 

(あれは…………)

 

 メネラオスのシャトル……ということは、艦隊と合流前にアークエンジェルに乗っていた避難民のシャトルであった。

 が、無論それを知らぬデュエルは、離脱兵と思うはずだった。

 

(待って……そのシャトルには……!!)

 

 そんな声が届くはずもなく、デュエルから放たれた火はシャトルの真ん中を貫いた。

 

 吹き飛ばされる、ストライクとグレイス。

 彼らにアークエンジェルからの声はもう届かなかった。

 

 ナナはアラートが鳴りやまぬコックピットで、アークエンジェルとストライクの位置をモニターに映す。

 が、彼女自身はとても静かな状態だった。

 今は、自分の呼吸音しか聞こえない。

 機体が受ける衝撃も、身体には感じなかった。

 ただ、疲れていた。

 限界まで全力疾走をした後のように、身体が重かった。

 腕を動かし、ボタンの一つを押すのも億劫だった。

 彼女の頭も正常には動かない。

 ぼんやりとした状況のなか、なんとかマニュアルどおり大気圏突入のシステムを開始する。

 

(キラ…………)

 

 もう、彼を救いに行く力はナナにもグレイスにもなかった。

 彼が同様のシステムを記憶していることと、ストライクがそれに耐え得る機体であることを祈ることしかできなかった。

 しかし、グレイスの状態はシステム開始以前となんら変わりなかった。

 降下速度も、コックピット内の温度上昇も、歯止めない。

 ナナの視界は奪われ始めた。

 モニターの片隅に、ストライクがようやく機体バランスを立て直したのが見えた。

 

(よかった…………)

 

 どうか、ストライクにはまだキラを護る力があるように……ナナはまた祈った。

 そして自嘲気味に笑った。

 

 

(役にたたないマニュアルつくりやがって……()()()()()()()……)

 

 

 ストライクの向こうに、蒼く光る地球があった。

 美しい惑星を眺め、ナナは目を閉じた。

 

(……あそこを……護りたかったな……)

 

 そう思って力を抜くと、ずいぶん楽になった気がした。

 

 

 

 



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第2章 砂漠編
残景


「ナナ、新システムの開発がやっと形になったんだ。今日は朝からシミュレーターでテストしなさい」

「……わかりました……」

 

 朝食を食べ終えるなり、父親がナナに言った。

 ナナは無表情のまま、そう答えて食器を下げた。

 

「じゃあ、幼年学校には連絡を……」

 

 逆に怯えた顔で言ったのは、ナナの母親だった。

 

「幼年学校での勉強など……、『研究所』で誰かが教えた方がよっぽど質が高い。いっそ辞めさせるか……」

「ですが、この間入学したばかりで……」

 

 神経質そうにメガネをずり上げ、父親は母親を一喝する。

 

「国のための研究・開発に携わる方が、学校なんぞの勉強よりずっとためになるだろう!」

「は、はい……」

「自分の子供が最新型のMSの開発に役立っていることに、もっと誇りを持ちなさい!!」

 

 ナナは二人のやり取りを冷めた瞳で眺めていた。

 

 ここ数年、これの繰り返しだった。

 初めは母親にしがみつき泣いていたナナも、そんな行為も無駄と知ってから、父親の言葉に従うようになった。

 母に助けを求めたところで、事態は何の変化もないことに気づいたから。

 父親の意見は絶対で、母親はそれに従うことで自分自身を守っている。

 それからは、こんな時は何の感情も持たなくなっている。

 

「先に行ってるよ、父さん」

 

 二人を尻目に、ナナは研究所へ向かった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 モルゲンレーテ本社の、最新型モビルスーツ開発研究所。

 ナナの父はそこの所長であり、主要な開発者であった。

 

 3歳と5ヶ月。

 

 ナナが初めてシミュレーターに乗ったのは、そんな小さな頃である。

 ゲーム感覚で始めたそれが、いつのまにかシミュレーションとなり、気づけばテストパイロットと呼ばれていた。

 もの心ついてから関わっているだけに、ナナの操縦技術は軍で正規の訓練を受けた者と対等、いや、時にはそれ以上であった。

 幼稚園や学校……当然、行く機会は普通の子供より極端に少なかった。

 そこで学ぶようないわゆる「勉強」は、むしろ研究所内にいた技術者が詳しかったから、そういった面では不自由なかった。

 が、周囲の子供は彼女を恐れた。

 おそらく、彼女の父親の職業を知る大人たちがいろいろと噂しているのを、子供らは聞いたのだろう。

 「戦争」に関わる野蛮なことを、幼稚園や学校を休んでまでさせられている。

 恐れは壁をつくり、ナナは常に孤独だった。

 

 

 その日も淡々と「任務」をこなし、満足いくデータを父や他の技術者たちにくれてやってから、ナナは自宅に戻った。

 すでに日は暮れていたが、今ならまだ夕食に間に合う時間帯だ。

 久しぶりに母と食事がとれる、そうしたらその時に「自分は大丈夫」とまた安心させてやらねば……、そんな大人びたことを思って玄関のドアを開けた。

 すると、ちょうどそこには母親が立っていた。

 そしてもう一人、知らない男が居た。

 二人の脇には、見覚えのあるスーツケース。

 

「……かあさん……?」

 

 母親は、蒼白の顔でナナを見下ろしていた。

 見知らぬ男は、戸惑いの表情でナナと母親を見比べていた。

 

「さ、先に行って」

 

 ややあって、母親が男に言った。

 男はスーツケースを手に、去って行った。

 

「かあさん、どっか行くの?」

 

 ナナにはもう、予感はあった。

 が、子供らしくそう尋ねる。

 

「ごめんね……ナナ」

 

 涙を浮かべて母はナナの肩に手を置く。

 その瞳を見ても、ナナは泣きたくなどならなかった。

 

「お母さんはもう、限界なのよ」

 

 ナナは黙っていた。

 知っている。このヒトは今日までよく頑張った。

 

 そんな冷めた心で。

 

「お父さんと、仲良くね」

 

 流れた涙も、娘でなく自分自身の今までに対するもの。

 それも知っている。

 

 特に言うべき言葉は見つからなかった。

 動揺していたわけでなく、ただ本当に母親に伝える言葉がなかった。

 

「それ、ちょうだい」

 

 だからナナは、母親の首飾りを指さして言った。

 母親の家系に伝わるという、蒼い守り石。

 

 母親は少し迷って、古びたそれをナナの首にかけた。

 

「さようなら……」

 

 走り去る後姿を、ナナは振り返りもしなかった。

 ただ、蒼い石をみつめていた。

 それから、ひとつだけ小さくため息をつき、灯りのない食堂へ向かった。

 追いかける気はさらさら無かった。

 連れて行って欲しいとも思わなかった。

 

 いつかこんな日が来ることを、ナナは小さいながらも予測していた。

 母親のやさしさには感謝している。

 いつも自分を気遣ってくれた。

 が、護ってくれたことは一度もなかった。

 彼女は夫に怯え、さらには幼いながらもMSのシミュレーターを乗りこなす娘にも怯えていた。

 極端に「戦争」に関わるものを嫌うこと。それは中立国の母親に共通した思考だった。

 が、ナナはすでにそんな感情だけでは何も護れないことを知っていた。

 避けることは楽でも、護ることはできない。

 力に目をそむけているばかりでは、真実もまた遠ざかる。

 

 母との別離で、それをさらに強く実感した。

 

 やっと7つになる年の春だった。

 

 

 

 



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目覚め


 昨夜のザフト軍襲撃から数時間。
 敵部隊が「砂漠の虎」ことアンドリュー・バルトフェルドの隊とわかったことで、アークエンジェルは不安に包まれていた。
 いつ、彼が砂漠に落ちた天使を仕留めにやって来るかわからなかった。


 つかの間の休息時、フラガは医務室にいた。

 手には新型機『スカイグラスパー』のマニュアルがあったが、呼吸器と点滴の音が気になってあまり頭に入らなかった。

 その傍らからかすかに布がすれる音がし、彼は急いで顔を覗き込む。

 ずっと固く閉じられていた瞳は、ようやくゆっくりと開いた。

 

「ナナ!!」

 

 名前を呼ぶと、ナナはまどろみの中、ゆっくりと彼に視線を動かした。

 そして、焦点が合うなり、いきなり体を起して叫んだ。

 

「キラはっ?!」

 

 が、そんな大きな声など出るはずもなかった。

 

「お、おいおい、おちつけって!」

 

 苦痛に顔を歪めた彼女を慌てて寝かし、フラガは言う。

 

「キラも、艦も無事だ! 大丈夫だから!」

 

 その言葉を何十秒かかけて、ようやく意味を理解するナナ。

 そして安心したように息をつく。

 フラガも安堵し、ため息交じりで言う。

 

「……お前も、よく頑張ったな……」

 

 同じナチュラルとして、大気圏での気圧と摩擦熱が身体に及ぼす衝撃を考えないわけはなかった。

 

「……ここ……アーク……エンジェル……?」

 

 弱々しい声が呼吸器の隙間から洩れた。

 医師の話では、コックピット内の気圧と温度の上昇により、ナナは呼吸器官と内臓にダメージを受けている。

 意識が戻っても、長期安静が必要だった。

 

「ストライクが……、なんとかグレイスを抱えてアークエンジェルに帰艦したんだ。キラも一昨日まで熱を出してたけど、特に異常はないから大丈夫だってさ」

「ほん……と?」

 

 ナナは泣きそうな顔で不安げに聞き返す。

 彼女が艦に乗ってから、初めて見せる子供らしい表情。

 

「大丈夫だって。とにかく、お前はゆっくり休んでおけよ」

「でも……」

「大丈夫大丈夫。ザフトのことも今のところオレとキラで何とかなるから心配するなって」

 

 明るく言うと、ナナは信じたのか、疲れたのか、静かに目を閉じた。

 やがて呼吸は規則正しくなった。

 

 

 

 彼はちょうど戻って来た医師にナナの意識が回復したことを告げ、部屋を出た。

同時に、大きなため息が漏れた。

 

 あの時はさすがの彼も背筋が凍った。

 

 モニターに映るノイズ交じりの映像は、彼らに恐怖を抱かせた。

 なすすべなく堕ちる翼の折れたグレイス。

 大気圏の摩擦で、青い機体は赤い炎を纏いだす。

 やっとのことで、ストライクがそれを抱えあげ、アークエンジェルは二機に艦体を寄せた。

 そしてどうにかドッグに入った二機を強制冷却し、整備班がコックピットを開いたとき、ストライクからキラが飛び出して来た。

 降下中の艦内で身体バランスを保つのも困難な中、彼は疲れも知らずにグレイスに駆け寄った。

 

『ナナ!!』

 

 グレイスのコックピット内で、ナナはぐったりしていた。

 その中の温度に、医療班もうかつに近づけないでいるのを、キラとフラガはかき分けて行った。

 

『ナナ!』

『おい、ナナ!!』

 

 中の空気は彼らの肌を蒸すほどだった。

 ストライクが途中、グレイスを大気摩擦から守らねば、中でナナがどうなっていたか……。

 フラガは急いでナナのヘルメットとシートベルトをはずす。

 それだけで彼の手はやけどをしかねなかった。

 操縦桿を握ったままの彼女の手は、手袋が熱で溶けてくっついている。

 

『ナナ!! しっかりしろっ!!』

 

 呼ぶと、ナナはかすかに呼吸音を漏らした。

 かろうじて……生きている。

 その証拠に、ナナは意識がないまま呟いた。

 

「……キ……ラ……」

 

 ほとんど届かぬ声でも、周囲は安堵した。

 

「よかった……」

 

 そう呟いた瞬間、キラもまた意識を失った。

 

――――――――――――――

 

 

「くそっ…………」

 

 フラガは手にしていたマニュアルを握りしめた。

 戦争だから仕方がない……とはいえ、少年少女が命を削る様はやるせなかった。

 

「フラガ少佐!」

 

 突然、彼の後ろから声をかけたのは、キラだった。

 

「ナナは?! 意識はまだ戻らないんですか?」

 

 彼の後ろに隠れるように、フレイが困惑の表情を浮かべていた。

 

「さっき少しだけ意識が戻ったよ。みんな無事だって言ったら、安心してまた眠ってるぜ」

 

 キラは胸をなでおろした。

 その背後で、フレイが眉をひそめていることを知らずに。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 数時間後、ナナは再び意識を取り戻した。

 今度ははっきりと。

 

「コクピット内部の気圧と温度の上昇で、呼吸器官と内臓に影響が出ているから、最低でもひと月は安静にしていることだ」

「その間にザフトに攻撃されたらどうするんですか?」

 

 医師の診察を受け、ナナは言った。

 

「戦闘に加わるのはまだ無理だ。今の熱が引いたとしても、身体に無理はできんよ」

 

 確かに、身体はダルかった。

 右手も火傷でグルグルに包帯を巻かれていたし、喉に火傷を負ったせいで、呼吸も声を出すこともいつもどおりにいかなかった。

 が、アークエンジェルは砂漠に降りたとも聞いている。

 目的のアラスカとは遠く離れた場所で、しかも「砂漠の虎」の巣にあるという。

 すでに攻撃を受けたことも知らされた。

 一人だけベッドで寝ているわけにはいかなかった。

 

「キラはもう戦ったと聞きました。私だけ休んでいるわけには……」

 

 しかし、ナナの言葉は遮られた。

 

「彼はコーディネーターだろ」

 

 はっとして固まるナナに、医師はカルテに記録をつけながら続ける。

 

「体のつくりが違うんだよ、我々ナチュラルとは」

 

 今更ながら、それを思い知らされる。

 体がさらに重くなった気がした。

 

「でも、ひどい熱が出てたって……」

「それでも臓器に異常はなかったんだ。驚かされるよなぁ、連中の身体には」

 

 力が入れば、毛布を握りしめていただろうが、あいにくナナにそんな握力はなかった。

 

「とにかく君は安静が必要なんだから、しばらく寝ていなさい」

「わかりました……」

 

 ナナは素直にうなずき、再びベッドに横たわった。

 何とか、スキを見て抜け出さねばならない……そう思いながら。

 

「失礼します」

 

 すると、キラが入って来た。

 

「キラ……」

 

 意識を取り戻して以来、初めて目にする「友」の顔。

 閉まりかけたドアの向こうに、複雑な表情のフレイがいた。

 

「ナナ、大丈夫?」

 

 キラは疲れたような顔でそばに座った。

 

「キラ……ありがとう」

 

 うまく声が出なかったがが、キラは弱く笑った。

 

「よかった……無事で」

「キラは……、大丈夫?」

 

 そう尋ねた瞬間、キラの瞳に影が揺れた。

 そしてナナの脳裏にも、あの光景がよみがえった。

 

 二人は同じ光景を思い出していた。

 あの、メネラオスのシャトルが撃破される瞬間を……。

 

 どちらからともなく、相手から目を逸らす。

 

 少しの間、沈黙が流れた。

 

 点滴の落ちる音が、やけに大きく聞こえた後、おもむろにナナが口を開いた。

 

「キラ……昨日の夜、戦ったんだって……?」

「うん……」

 

 ナナは再びキラを見上げる。

 傷ついたようなキラの顔は、不意にナナをまっすぐに見つめて言った。

 

「大丈夫だよ。アークエンジェルは僕が守る」

「キラ……?」

 

 いつになく強い言葉。

 

「だからナナはゆっくり休んで」

 

 笑顔はなんとなく、彼らしくなかった。

 

「もう……誰も死なせないから」

 

 そして、吐かれた低い声。

 単純に、「決意の言葉」ととれないでもなかった。

 だがナナには、どこか危険な予感がしてならなかった。

 

「キラ……」

 

 だから。

 

 

「ごめんね……」

 

 

 そんな風に言わせたことも、自分のせいのような気がしてそう言った。

 

「ナナは最近、僕にそれを言ってばっかりだ……」

 

 苦笑するキラ。

 

「僕はストライクの整備があるから、ナナはちゃんと休んで」

「キラ……!」

 

 彼はそんなナナの思いを避けるように、部屋を出た。

 扉の向こう、フレイが不安げに彼を待ち構えていた。

 

 

 

 



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再会


 翌日、静まり返った真夜中の砂漠で、アークエンジェルはまたもザフトの攻撃を受けた。
 「砂漠の虎」の異名のとおり、彼の軍はバクゥと戦闘用ヘリを使ってアークエンジェルを翻弄した。
 ストライクも出動したが、地の利と数で勝るバクゥに劣勢を強いられていた。

 そこへ、アークエンジェルとストライクを援護するものが現れた。
 この地にキャンプをはるレジスタンス「明けの砂漠」であった。
 彼らは自立主義で、ザフトにも地球軍にも与さない組織である。
 が、彼らの武器はザフトを攻撃し、ストライクを救った。
 そして予め仕掛けておいた地雷原にて、バクゥ隊を撃滅させた。



「どういうことだ……?」

「レジスタンスが……オレたちの味方をしてくれたのか……?」

 

 アークエンジェル艦内も異様な雰囲気につつまれた。

 ストライクとレジスタンスの武装ジープが集まる夜明けの砂丘が、双方の対話の場になった。

 アークエンジェルからはマリュー・ラミアス艦長と、ムウ・ラ・フラガ少佐が降りた。

 ゲート口では、二人が装着した無線機からの音声をキャッチするイヤホンをつけたクルーが、銃を構えて待機する。

 罠……ともとれないわけではなかった。

 

 が、レジスタンスのリーダー、サイーブは尖った態度を保ちながらも、落ち着いた態度で警戒を解くように言った。

 彼の後ろでしかめ面をする金髪の子供をいぶかしがりながら、マリューはストライクから降りるよう、キラに言う。

 レジスタンスの面々が見守る中、キラはゆっくりと砂に降り立った。

 地球軍の新型MSを操縦していたのが「子供」だったことに、口々に驚きの声をあげるレジスタンスの人間。

 そんな中、金髪の子供がヘルメットをとったキラに向かって突然走り出した。

 

「お前っ……!!!」

 

 そしていきなり殴りかかる。

 それを片手で受け止めたキラは、その金髪の子がヘリオポリス崩壊の時に一緒だった子供だということを思い出す。

 

「君は……」

「何でお前がこんなものに乗っているんだ!!」

 

 捕まれた腕を逆に振り上げ、金髪の子はキラの頬を裏手で殴った。

 腰の銃に手をやるフラガ。

 が、レジスタンスのひとりにけん制される。

 

 その時。

 

 

「やめなさい、カガリ」

 

 

 その場を収める声がした。

 

「えっ…………?」

 

 カガリと呼ばれた金髪の「少女」は、声の主の姿を見て叫ぶ。

 

「……ナナっ……?!」

 

 そして涙を浮かべて駆け寄った。

 

「ナナ!! 生きてたのか!!」

「あなたも……、無事でよかった」

 

 唖然として見守る周囲をよそに、ナナとカガリは再会を喜び合った。

 マリューとフラガのみならず、レジスタンスの者たちも互いに顔を見合わせる。

 

「カガリとキラが知り合いだったなんてね」

 

 しがみつくカガリの頭を撫ぜながらキラに言うと、

 

「へ、ヘリオポリスで……会ったんだ」

「救命ボートに押し込まれた……」

 

 キラはまだ戸惑ったように答え、カガリはバツが悪そうに呟いた。

 

「そっか……このコを避難させてくれたのはキラだったんだ。ありがと」

 

 ナナは顔色の悪いまま、静かに笑った。

 

「き、君たちは……?」

 

 躊躇いがちに尋ねるキラ。周囲も答えを待った。

 カガリが何故か彼を睨むのをよそに、ナナは平然と答えた。

 

「古くからの友達なの。ヘリオポリスではぐれちゃって」

「それよりっ……ナナはなんで地球軍の軍服なんかっ……!!」

 

 するとカガリは突然、先ほどの怒りを甦らせた。

 

「お前も! 何であんなものに乗っている!!」

 

 さらにキラを振り向いて、再び叫ぶ。

 

「私……X-101グレイスに乗ってるの」

 

 そのカガリに、ナナはまた静かに告げた。

 

「えっ…………?!」

 

 驚愕の表情を浮かべたカガリに追い討ちをかけるように、ナナはさらに言った。

 

 

「今はグレイスのパイロットとして、あの艦に乗っている」

 

 

 カガリはついに、言葉を失った。

 

 



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燃える空

「なんでなんだっ! なんであんなものに……!!」

「仕方なかったの。みんなが生き延びるためには、私がアレに乗るしかなかったんだから」

「でもっ……!!」

「キラも……キラがストライクに乗っていなきゃ、私たちはザフトに撃たれてた」

 

 アークエンジェルはレジスタンスのキャンプに招かれ、艦を砂丘の陰に隠す作業をしていた。

 ナナはカガリと岩陰で話していた。

 カガリの怒りと困惑は収まりそうになかった。

 

「ずいぶん具合が悪そうですが……大丈夫ですか?」

 

 キサカが周囲の目を警戒しつつ、ナナに問う。

 

「大丈夫。降りるときにちょっとドジっちゃって……」

「ナナ!!」

 

 カガリは不安げにナナの肩に手を置いた。

 が、

 

「あんたこそ、何でこんなところにいるの?」

「…………」

 

 逆にナナに問われて目を逸らす。

 

「家出?」

「そんなところです」

 

 キサカが代わりに答えると、ナナは呆れたようにため息をついた。

 

「父さまがどれだけ心配されてることか……」

「ナナだって! 勝手に地球軍なんかに入って……!!」

 

 不満げなカガリにもう一度ため息をつき、ナナはキサカを向いて言った。

 

「第8艦隊のハルバートン提督に事情を明かして、“私”は軍に入隊していないことにしてもらっている……だから大丈夫」

「あの艦の者たちには?」

「誰にも言ってない……」

「そうですか」

 

 二人で話をすすめるキサカとナナに、カガリは苛立ち、割って入った。

 

「地球軍に入隊してないことになってるからって、あのMSに乗って戦ってるんだろ?!」

「今は私にアレが必要なの!!」

 

 ナナは初めて怒りを表した。

 その瞬間、眩暈に襲われて額を押さえる。

 

「ナナっ……!!?」

 

 キサカも駆け寄って支えた。

 

「確かに……」

 

 それを抑えて、ナナは再び低い声で言う。

 

「確かに私は戦争に加わった。ザフト兵をたくさん殺した。でも……」

「ナナ……」

「でも、それでしか道は開けなかった、今もまだ途中なの……」

 

 カガリはうつむき、己自身と対話した。

 

「……国を出た時から、私は同じ目的のために動いてる。少しずつ、やっと少しずつ見えてきたの。……だから、わかって……カガリ」

 

 だが、ナナの言葉に納得がいくわけではなかった。

 

「カガリ……!!」

 

 彼女はナナに背を向け、丘を走り去って行った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 その夜、アークエンジェルのクルーたちは、レジスタンス「明けの砂漠」のキャンプでしばしの休息をとっていた。

 「明けの砂漠」はこの近隣の街から集まった有志の集まりで、ここを勢力圏とする「砂漠の虎」に対抗して暮らしていた。

 そんな男たちの中には、まだ少年の域を脱しない子供もいた。

 

「ねぇ、カガリ知らない?」

 

 ナナはその一団に声をかけた。

 

「さっきアンタらの艦の方へ行ったぜ」

「そう。ありがとう」

 

 もう一度彼女とちゃんと話さなくては……ナナはそう思い、フラつく身体で彼女を探し回っていた。

 そこへ聞こえてきた、只ならぬ声。

 

「私、昨夜はずっとキラの部屋にいたのよっ!!」

 

 思わず足を止める。

 岩陰の向こうから聞こえたそれは、フレイの声。

 

「え……? ど、どういうことだよ……?」

 

 震えるサイの声。

 

「もうやめなよ、サイ」

 

 そして……低い声は、キラのもの。

 

「どう見ても、君が嫌がるフレイを追っかけまわしてるとしか思えない。昨日も戦闘で……疲れてるんだからほっといてくれよ」

 

 「友達」すら拒絶するキラの言葉……なかば信じられず、ナナは確かめるようにその光景を覗いた。

 すると、サイは逆上してキラにつかみかかる。

 が、キラは信じられない身のこなしでサイの腕を封じ、艦のタラップから突き落とした。

 

「サイ!!」

 

 ナナは思わず駆け寄った。

 サイの肩は、怒りと恐れで震えている。

 

「……フレイは……優しかったんだ……」

 

 砂上の二人に背を向け、キラはうめくように呟いた。

 

「僕を護るって……言ってくれた……」

 

 彼の背も、震えていた。

 

 

「誰もっ……僕がどんな気持ちで戦っているかなんて知らないくせにっ……!!!」

 

 

 ついに吐露した彼の心。

 ナナの心も凶器で突き刺されたようだった。

 しかし。

 

「行きましょう、キラ……」

 

 フレイに促されて去ろうとする彼に。

 

 

「独りで戦ってるような顔しないでよっ……!!!!」

 

 

 ナナもそこにあるカタマリをぶつけた。

 

「私だって一緒に戦ってる……!! 艦長だって、フラガ少佐だって、サイたちだって……!!」

 

 「止せ」……そう頭の片隅でもう一人の自分が叫んでも、止まらなかった。

 

「あのシャトルのことだって……私も一緒に背負ってる!!」

 

 それ以上、踏み込んではいけないとわかっているのに……。

 

 

「“アスラン”のこともっ……!!!」

 

 

 その言葉尻、キラはついに振り返り、怒りに燃える瞳でナナを見下ろした。

 ナナはそれを受けた。

 また、キラを傷つけた……。

 そんな後悔もあったが、今はただの怒りに支配されていた。

 キラも、ナナの言葉の中身より、彼女の叫びに苛立った。

 

 その時、キャンプの方から警鐘が鳴り響く。

 

「タッシルの街が燃えてるぞ!!!」

「ザフトだ!! 虎が襲撃をかけてきたんだ!!」

 

 突然、殺気だった空気。

 彼らも空を見上げると、街の方角が赤く染まっていた。

 

「キラ!!」

 

 フレイの横をすり抜け、キラは艦内に走り去った。

 ナナは彼を追おうとしてよろめいた。

 

「ナナ!!」

 

 彼女を支えたのは、サイと、そしていつのまにか駆け付けたカガリだった。

 

「ナナを頼む!」

 

 カガリはサイにそう言い残し、キャンプへ走り去った。

 

「……っ……カガリ……待って……!!」

 

 ナナの声は、もう届かなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ナタルと医師を乗せ、ナナはタッシルへとバギーを走らせた。

 町全体を囲む焔が、砂丘の向こうに真昼のような明るさを成している。

 

「全滅か……」

 

 ナタルが唇を噛んだ。

 だが……。

 

 

 町外れの丘には、多くの人間が逃げ延びていた。

 

「街の人は……みんな無事なんですか?」

 

 スカイグラスパーで先に到着していたフラガと並び、ナナは思わず呟く。

 

「ああ、攻撃の前に警告があったらしい……ていうか、お前、出歩いて大丈夫なのか?」

「警告? 砂漠の虎が……?」

 

 ナナは彼の心配を聞こえなかったことのようにして、町民の輪を覗き込む。

 家族の無事を喜びつつも、怒りに震える「明けの砂漠」の男たち。

 

「でも、攻撃の前に警告をするなんて……ずいぶんと優しいじゃない、砂漠の虎は」

 

 フラガがそう言った。

 

「あんたらと本気で戦争する気はないんじゃないか?」

 

 周囲からの視線が鋭くなったが、ナナもそのとおりだと思った。

 「本気」なら、警告などせず町を全滅させているはずだ。

 

「これは……昨日の一件の『報復』ってことですか……?」

「だろうな……」

 

 ナナの問いにフラガが答えると、周囲はざわめき立つ。

 

「人は助かったけど……!!」

 

 最初に叫んだのはカガリだった。

 

「街は燃えたっ!! こんなことをするやつのどこが優しいんだよっ!!」

「カガリ」

 

 ナナの嗜めにも、カガリは止まらなかった。

 

「こうやって我々を苦しめて……アイツは卑怯な臆病者だ!!」

「カガリ、やめなさい!」

 

 激高は身を滅ぼしかねない。

 危険な予感がした。

 そして、ナナの予感はすぐに的中した。

 

「サイーブ!! 大変だ!!」

「若い連中が!!」

 

 「明けの砂漠」の若者たちが、すでに離脱したザフト軍を追うと息巻いているという。

 急いで駆けつけたサイーブの止める言葉に少しも耳をかさず、彼らはジープで去った。

 

「くそっ……!!」

 

 仕方なく、サイーブはそれを追う。

 

「サイーブ、私もっ……!!」

「カガリ! 待ちなさいっ……」

 

 彼のジープに乗り込もうとしたカガリを、ナナは止めた。

 が、上手く声がでなかった。

 

「おい……ナナ……!!」

 

 腹を抑えて膝をついたナナをフラガが支えたが、カガリはそのままサイーブのジープに飛び乗った。

 しかし。

 

「お前は来るなっ……!!」

 

 サイーブは彼女を突き飛ばす。

 カガリの暴走は止められたかに思えた。

 が、一台のジープが彼女を乗せた。

 カガリやナナと同世代の少年、アフメドだった。

 

「カガリっ……待っ……!!」

 

 砂で咳き込むナナの横を、キサカが通り過ぎる。

 彼はナナに目配せし、同じジープに乗り込んだ。

 カガリの身は、彼に任せるほか無かった。

 

 

 

 いつもなら、フラガの制止もマリューの命令も振り切って、グレイスで後を追ったはずだが……あいにくナナもグレイスも、降下作戦の時の傷が癒えてはいなかった。

 

 やがて夜が明けて、砂漠は金色に輝きだす。

 たった数時間が、何日にも思えた。

 ナナは半ば上の空で、タッシルの住人たちの救護を手伝う。

 アークエンジェルからストライクが援護に向かったとフラガに聞いた。

 キラが向かってくれれば、きっとあのサイーブたちもカガリも大丈夫……。

 そう言い聞かせるほかなかった。

 

 やがて、そのストライクがキャンプの方角へ向かって上空を通り過ぎ、ザフト軍を追って行ったレジスタンスのメンバーが帰還する。

 

「カガリ!」

 

 ナナが1台のジープに駆け寄ると、カガリはうつむいたまま降りた。

 彼女のジープを運転していたはずのアフメドは、冷たくなって仲間の手で砂に下ろされた。

 カガリは泣き崩れるタッシルの住人たちに背を向けた。

 ナナはキサカの視線で何があったかを悟った。

 そして小さくため息をつく。

 

 まだまだ……このコは学ばなければならない……。

 

「カガリ……」

「うるさいなっ……!!」

 

 伸ばした手は振り払われ、カガリは走り去った。

 その横顔……泣いてはいなかったが、頬が赤くはれていた。

 

「あのカオ、どうしたの?」

 

 ナナはその背中を見送ったまま、キサカに問う。

 

「キラ・ヤマトに……」

「キラに……?!」

 

 ナナが驚いて彼を見上げると、彼は落ち着いた声で先ほどの一件を告げた。

 

「『思いだけで何が守れるのか』……と、彼はカガリ様に言いました」

 

 ナナは再び、カガリが去った方を向いた。

 そして、ストライクが帰った空を見上げた。

 

「……キラが……」

 

 その言葉をカガリに言ったキラの心。

 それを言わせたカガリの性格。

 どちらも手に取るようにわかり、ナナは再び溜息をつく。

 自分が何か言葉を差し出して、どうにかなることではなかった。

 二人が何を思い、何を選ぶのか……それは二人が決めること。

 ナナはただ、限りなく遠い傍から、二人に思いを馳せて見守るしかなかった。

 

 

 

 



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見えない壁

「はい、これで熱を測って」

「はーい」

 

 医務室で、ナナはおとなしく医師の診察を受けていた。

 昨日の様子を案じたフラガが、外出禁止の命令を下したのだ。

 ナナは医師の目を盗み、ポケットに忍ばせておいたクーラーシートに体温計をつける。

 肩に止まっていたトリィが鳴いたが、医師は彼女を振り返らなかった。

 

「はい、測れました」

 

 何食わぬ顔で渡すと、医師はカルテにそれを書き込んだ。

 

「37度5分……まだ高いほうだな」

「微熱でもないですよ」

「とにかく、あれだけのダメージを受けたんだ。まだ外出許可は下せないな」

「……え……」

 

 医師は断固としてそう言った。

 

「顔色もすぐれないようだし……右手の火傷はともかく、内臓器官はまだ弱っているからね。今日はせっかくの休息日だ。整備も止めておとなしくしていなさい」

「でも……」

「君はあのコーディネーターの少年とは違うんだ。同じようにとはいかないだろう……」

「…………」

 

 

 

 

 ナナは医務室を出るなり腹をさすった。

 トリィがそれを覗き込むように首を動かす。

 確かに、どんなに誤魔化してもあの降下作戦からこっち、体調はなかなか回復しなかった。

 砂漠の気候のせいもある。

 普段なら適応できるだろうが、今は数分外に出ればめまいがした。

 だが、休んでいる暇はなかった。

 グレイスは修理にまだ数日かかるという。

 その間にザフトと交戦することになれば、スカイグラスパーで出動するつもりだった。

 だから、少しでも早くあの新型MA(モビルアーマー)のマニュアルを頭に叩き込まねばならないし、テストフライトもしておきたった。

 それに……。

 

「ミリアリア……?」

 

 艦のゲートから外に出ようとしたミリアリアが、やたらと周囲を伺っていた。

 

「あ、ナナ……」

「どうしたの? キョロキョロして……」

 

 尋ねると、ミリアリアは不安げに笑った。

 

「なんとなく、キラがいないと……」

 

 そう、今、キラは不在だった。

 カガリの護衛という名目で、数キロ離れた街へ物資の調達に行っているのだ。

 彼のトリィが、何故かナナの肩で留守番をしいる。

 

「大丈夫だよ。トラが来たら私が退治してあげるから」

 

 ナナがいつになく陽気に言うと、ミリアリアは意外にも彼女の体調を気遣った。

 

「だってナナ、本当はまだ安静にしてなきゃいけないんでしょう?」

 

 一瞬、返す言葉を見失う。

 

「無理しちゃだめよ。艦はみんなでなんとかするから。……まあ、いざとなったら助けてもらうかもしれないけど」

 

 ミリアリアは笑った。

 それがナナにとって、何故か新鮮だった。

 

「ほら、今日こそはちゃんと部屋で休んでなさいよ。フラガ少佐に言われたでしょ?」

「え……あ、うん」

 

 曖昧に答え、ナナは言われるがまま部屋に向かった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 久しぶりによく眠った。

 といっても、時計を見ると1時間ほどしか経っていなかった。

 軍服を着なおし、ぼーっとした頭を覚まそうと伸びをする。

 

「カガリとキラ……帰って来たかな……」

 

 トリィが部屋を旋回し、ナナが差し出した指に止まる。

 

「おみやげ、あるといいね」

 

 彼に言い、ナナはブリッジへ向かった。

 

 

 

 

「戻らない……?!」

 

 

 ナナがブリッジに入ったのは、キサカから「カガリ、キラの二人が集合場所に戻らない」という連絡が入った直後だった。

 

「バジルール中尉に向かってもらってるわ」

 

 マリューが不安げに伝えるが、ナナはすでにブリッジを出ようとしながら言った。

 

「私、スカイグラスパーで待機します」

 

 それをマリューは慌てて止めた。

 

「だめよ!! あなたはまだ戦闘機に乗れるような身体じゃないって、さっき医師から連絡が……」

「戦闘すると決まったわけじゃないでしょう……?」

 

 しかし、ナナは毅然と言う。

 胃に痛みを感じていたが、さすろうとする手を押しとどめた。

 

「偵察とか、通常の飛行なら問題ありません。自分の身体は自分が一番わかってますから」

 

 そして余裕たっぷりに笑って見せた。

 が、マリューの顔を見る限り、それがうまくいったかどうかはわからなかった。

 

 

 

 ナナはドックへ走った。

 胃の痛みでつまずきそうになったが、何とかこらえて走った。

 不安がよぎる。

 キラもカガリも、失いたくなかった。

 が、ドックは別の理由で、異様な雰囲気に包まれていた。

 

「何があったの?!」

 

 立ち尽くすミリアリアとトールに尋ねる。

 が、彼らの答えを聞かずとも、何が起こっているかがわかった。

 主のいないはずのストライクが、不器用に歩き始めていたのだ。

 

「誰だー!!」

 

 マードックが叫んでも、ストライクはもがくようにハッチへ向かおうとする。

 

「さっき、サイってヤツがウロウロしてるのを見かけましたけど……」

 

 整備士の一人が、そう言った。

 

「サイが……?!」

 

 一瞬にして、キラに突き飛ばされたサイの震える肩を思い出す。

 今の彼の心が、何故かナナには手に取るようにわかった。

 

「くそっ!やめろ!!」

 

 マードックの声も虚しく、ストライクはバランスを失って膝をつく。

 

「……サイ……」

 

 ナナは歯を食いしばった。

 どうすることもできないが……。

 

「みんな、下がってて」

 

 ナナは痛みも感情も押し殺し、ストライクに近づいた。

 

「お、おい!」

「危ねぇぞ!!」

 

 周囲が止めるのをよそに、ナナはコックピットの真下に入った。

 

「サイ……大丈夫だよ……」

 

 そして、ストライクのスピーカーが拾える声で言う。

 

「わかってるから……」

 

 何とか再び立ち上がろうともがいていたストライクは、ぴたりと動きを止めた。

 

「わかってるから……一人で泣かないで……」

 

 ナナは願うように言う。

 

 やがて整備士と共に、トールたちがタラップを引いてきた。

 ナナはトールとカズイとともにそれに乗り、コックピットを開く。

 

「サイ……」

 

 サイはうずくまり、泣いていた。

 

「サイ……大丈夫だからね」

 

 ナナは彼を引き起こした。

 

「大丈夫だからね……」

 

 サイは声を震わしながら、小さくうなずいた。

 ナナは小さく笑い、サイの手をトールに引き渡す。

 

「あとは私がやるから」

 

 そしてストライクのシートに座った。

 いつも、キラが座る場所。

 キラの戦いの場所。

 キラが苦しみながら握る操縦桿。

 ナナはモニターでサイが連れて行かれるのを見送ると、それを握った。

 早く機体を定位置に戻せと、マードックがやきもきしながら見守っている。

 

「……サイ……あなたも……」

 

 ナナは難なくストライクを立たせながら呟いた。

 

「“見えない壁”に……苦しまないで……」

 

 苦しむのは自分だけで良かった。

 足掻いても、足掻いても……壊すことのできない壁。

 自分とキラの間にあるもの。

 どうしても壊したくて、力を選んだ。

 でも、それが良かったのか、まだわからない。

 わからないが、これまで苦しい道だった。

 足掻きながら進むのは、希望を持って生きるのとは違った。

 その壁を認め、諦めれば楽だった。

 羨み、憎むのが大多数……。

 でも……ナナはどうしても、その存在を壊したかった。

 壊して、“同じ”にしたかった。

 

 ただ、こんな先の見えない苦しみは、サイには味わって欲しくなかった。

 

 

 

 

 



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証明


 カガリとキラは、無事にバラディーアから帰った。
 『砂漠の虎』に出会い、彼の基地に招待されたというとんでもないお土産つきだったが、クルーたちはとりあえず胸を撫で下ろした。

 その後、アークエンジェルの士官たちは、キャンプの本部にてサイーブと共に今後の策を練っていた。
 といっても、彼らにはアラスカに向かうしか道はなく、そのためには「砂漠の虎」との決戦は必死だった。

 サイーブらはその支援を申し出た。
 もともと、敵は同じくする者たち……。
 アークエンジェルや敵軍のレセップスに比べ、「明けの砂漠」の戦力は微々たるものにすぎない。
 それでも彼らは、「虎」の支配を排除して自由をつかむべく、今この時に立ち上がろうとしていた。



 ナナは士官が出払っているのを良いことに、こっそり鍵のかかった部屋に忍び寄った。

 そして、あっさりとロックを解除し扉を開ける。

 灯りの切れた用具入れのようなその小部屋の片隅に、サイがうずくまっていた。

 

「ナナ……」

 

 ナナは何も言わずに、彼の前に座る。

 

「さっきは……ゴメンな……」

 

 手のつけられていない食事を見下ろし、ナナはため息をついた。

 

「これから3日も謹慎するのに、食べないとヘバっちゃうよ?」

 

 サイは膝に顔を寄せた。

 まるでお互いに次の言葉を待つような間があってから、サイが口を開いた。

 

「さっきさ……『わかってるから大丈夫』って言ってくれただろ?」

 

 彼が上目づかいにナナの様子を伺う。

 ナナは暗い床に視線を落したまま言った。

 

「わかってるよ……」

 

 互いにぎこちない会話。

 

「サイが『キラにはかなわない』って思ってることくらい」

「……ナナ……」

 

 が、ナナは少しずつ、言葉を紡ぐ。

 

「キラは……コーディネーターだから……『違う』とか『かなわない』って……みんながそう思うのは……当たり前なんだよね」

 

 諦めきれないような気持ちを、隠すこともできずに。

 

「でも……」

 

 そして少し迷って、ナナはサイに視線を合わせた。

 

 

「……サイにはキラにできないことができるかもしれない」

「……え……?」

 

 

 己の言葉の意味を、己自身で確かめるように、ナナは言う。

 

「サイはサイで、キラはキラだから……」

「ナナ……」

「サイがナチュラルだからとか、キラがコーディネーターだからとかじゃなくて……」

「…………」

 

 サイは答える言葉を見つけられず、ナナのうつむいた横顔を凝視した。

 

「でも……そんなこと頭でわかってても、やっぱり『違い』を目の当たりにしちゃうとさ……なんか……苦しいよね」

 

 苦しさの意味を……サイの心の内側を……ナナはずっと前から知っていたかのようにそう言った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 その頃、ドック内では若者たちが盛り上がっていた。

 第8艦隊からの補給で得たスカイグラスパーとともに、そのシミュレーターも搬送されていたのだ。

 その組立が終了し、カズイやミリアリアが次々と試運転をしていた。

 

「すごーい」

「へへーん。どんなもんだ!」

 

 今乗っているのはカガリだった。

 彼女のシミュレーション得点はナナに次ぐ2位。

 3位とは大きく開く健闘ぶりだった。

 

「でも、やっぱりナナは凄いのね」

 

 ランキングが表示されたモニターを見て、ミリアリアがつぶやく。

 

「まぁ……ナナは特別だよね」

「経験も違うしな」

 

 惨敗だったカズイや、これから挑戦しようと息巻くトールが言う。

 

「経験……?」

 

 ふと、カガリが怪訝な顔で聞き返した。

 

「だって、モルゲンレーテのテストパイロットだったんだろ? やっぱ実戦経験あるとないとじゃ違うよな」

 

 そしてトールの言葉に、突然モニターに拳を叩きつけた。

 

「実戦経験だと?! ナナにはそんなものなかったぞ!!」

 

 その剣幕と言葉の中身に、周囲にいたアーノルドやチャンドラさえも息をのむ。

 

「おまえたち、もしかしてナナが好きでモビルスーツなんかに乗ってると思ってるんじゃないのか?」

「え……」

 

 彼らは互いに顔を見合わせた。

 「好きで」……とは思ったことはなかったが、今までのナナは少なくとも戦闘には積極的だった。

 キラにも、皆にも、戦えと鼓舞してきたのはナタルでもマリューでもフラガでもない、ナナだった。

 

「ナナが喜んでテストパイロットをやってたと思うか?」

 

 カガリは悔しそうにうつむきながら言った。

 

「ナナは……開発者だった親父さんに、物心ついた時からテストパイロットとして育てられたんだ!!」

「そんな……」

 

 ドック内が静まった。

 

「だからって、ナナはそんなものに乗ることが好きだったわけじゃない。それがどんなことに使われるのか、ちゃんと知ってたから……!!」

 

 ミリアリアの耳に、グレイスのコックピットに座り、平然とミッションを受けるナナの声がよみがえる。

 

「あの性格だから……ナナはそこから出ようと思えばいつでもできたんだ……でも……」

 

 トールの目に、マニュアルを片手に食事をとるナナの姿がよみがえる。

 

「でも逃げずに、むしろ必死で操縦を覚えたのは……!」

 

 毅然とした態度で戦場に向かうナナの記憶が、皆の中によみがえる。

 

 

「ナチュラルの自分にだって努力すれば、コーディネーターと同じように『できる』ってことを、証明したいからだって……!!」

 

 

 カガリの声がドックに響いた。

 誰の耳にも、胸にも、痛いほど響いてそれ消えた時、カガリの姿はそこには無かった。

 

 

 

 



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突破戦

 ついに、レセップス突破作戦が開始された。

 早々に「明けの砂漠」が仕掛けた広大な地雷原が撃破され、「ザフト」と「地球軍、レジスタンス連合軍」は真っ向からぶつかり合った。

 

 ナナはブリッジにいた。

 CICに座り、対レセップスの対艦攻撃を担った。

 グレイスの修理にまだ目処がつかなかったことと、彼女の体調を慮るマリューの指示だった。

 

 戦況はほぼ互角。

 レセップス艦上にあのデュエルとバスターの影もあったが、砂漠での戦いには慣れていないようで、それほど脅威にはならなかった。

 どちらかといえば、バクゥと戦闘ヘリを使って巧みに攻め込んでくるザフトが若干有利か……という具合だった。

 

 しかし、アークエンジェルは後方からの思わぬ攻撃を受ける。

 そこに艦が配置されていたのは想定外だった、

 形成は一気に不利な方へと傾いく。

 

「艦長! スカイグラスパーでの出撃許可を!!」

 

 ナナは立ち上がった。

 カガリが「明けの砂漠」の一員としてジープで戦っている。

 キラも、今は隊長機と交戦している。

 ここで食い止めなければ、すべてを失いかねなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「ナナ・イズミ、スカイグラスパー2号機、発進します!!」

 

 砂漠の空は、灼熱の空気の塊だった。

 久方ぶりの重圧。

 めまいを押し殺し、右手の痛みも無視して、ナナは操縦桿を握った。

 向かうは後方のザフト戦艦。

 今も容赦なくアークエンジェル後部を攻撃している。

 

≪こちら2号機、これより艦後方のザフト艦を抑えます≫

 

 ナナはフラガにそう打電した。

 2機は上空で大きく旋回し、それぞれの攻撃目標へ向かう。

 ナナは砂漠でオレンジ色の機体と戦うストライクをちらりと見やった。

 あの隊長機……乗っているのは「砂漠の虎」に違いなかった。

 物資調達の時の一件で、彼に出会ったことはカガリから詳しく聞いている。

 彼が二人に投げかけた言葉も知った。

 キラが今、どんな気持ちで戦っているかと思うと、また胸が痛んだ。

 

≪ナナ! 後方の戦艦にはモビルスーツが待機してるわ! 気をつけて≫

「了解」

 

 “祈り”を胸に、ナナは艦後方へ移動した。

 まずは、アークエンジェルの動きを止めている、工場跡地に放置された廃墟群をビーム砲で破壊する。

 ようやく身動きが取れるようになり、後方からの攻撃に退避できるようになったアークエンジェルを見届けると、素早く戦艦に近づいて砲を浴びせる。

 さすがにテストもなしで初めて乗った機体だけに、扱うのは困難だった。

 が、なんとか力技で機体を操り、MS隊と艦からの射撃をかわす。

 艦上のMSはそれほど動けないようだった。

 それに、戦艦の火力も大したことはなかった。

 逆に、スカイグラスパーの身軽さと、装備したランチャーの火力は予想以上だった。

 

「もう一発……!!」

 

 ナナは再び上空から戦艦に急接近し、ビーム砲を発射する。

 キラが熱対流の調整をしてくれていたおかげで、砲は戦艦エンジン部に直撃した。

 戦艦の足は止まった。

 アークエンジェルも前方のレセップスに攻撃を命中させる。

 ナナはさらに後方艦のミサイル発射台と主砲砲台を撃破し、完全にこれを沈めた。

 そしてストライクも、隊長機ラゴゥとの激戦に勝利した。

 

 突破作戦は勝利に終わった。

 が、わかっていたとはいえ、犠牲は大きかった。

 レジスタンスのジープは半数以上を失った。

 収まらない砂煙の中、オレンジ色の機体が燃えていた。

 装備も装甲も失ったストライクは、いつまでたっても焼けた砂から立ち上がろうとはしなかった。

 

 

 

 

 



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第3章 オーブ編
潮騒



 砂漠のザフト軍突破に成功したアークエンジェルは紅海に出た。
 荘厳な地球の海に、クルーたちの表情も明るくなる。
 交替でデッキに出ることを許された彼らは、思い思いに潮風を満喫した。



 キラは独り、後部デッキへ向かっていた。

 頭の中をぐるぐると回る、バルトフェルトの言葉。

 

『ならどうやって戦争を終わらせる?』

 

 その問いに対する答えがなく

 

『敵であるものを全て滅ぼして……か……?』

 

 その問いに肯定も否定も返せぬまま、キラは彼を撃った。

 

 

「……っ……」

 

 

 まるで逃げるように、デッキへの扉を開いた。

 照りつける日の光が、一瞬彼の目をくらます。

 気を鎮めるように、思い切り潮風を吸い込んだ。

 それでも、少しも晴れない心……。

 

 手すりの方まで走りだそうとして、ふと、後方のかすかな気配に気がついた。

 

「……ナナ……?」

 

 戸口でうずくまっていたのは、ナナだった。

 

「ナナ……?」

 

 近づいても、反応はなかった。

 外敵から自分の身を守るように、身を縮めている。

 

「寝てるの……?」

 

 潮風がそっと、ナナの髪を揺らす。

 キラは静かに、少しだけ距離を開けて隣に腰を下ろした。

 青い空に、白い雲。

 鼻先に漂う潮の香り。

 心穏やかになれるはずだったが、キラは深く溜息をついた。

 

『独りで戦ってるような顔しないでよっ……!!』

 

 砂漠の夜、そう叫んだナナ。

 たしかに彼女は、こんなになるまで戦っている。

 が、アスランと銃を突きつけ合ったこと、バルトフェルトを撃ったこと……。

 そして、護れなかった先遣隊や避難民のシャトル……。

 これまでの光景が頭の中を旋廻し、どうしようもない孤独感に襲われる。

 

「だって僕がやらなきゃ……みんなが……」

 

 すべてを、独りで抱え込んでいる恐怖に陥る。

 

「……っ……」

 

 彼はこらえきれず、膝に顔をうずめた。

 

「……キ……ラ……?」

 

 やがて、まどろみの中から彼を呼ぶ声がした。

 

「……キラ……?」

 

 すぐそばの、ナナの声。

 

「……泣いてるの……?」

 

 まだ目覚めきらない、無防備なナナの声は、初めて聞くものだった。

 しかし、キラは顔を上げられずにいた。

 強くあれ……と言うばかりのナナに、こんな涙は見せられない。

 ……が。

 

「キラ……」

 

 ナナはまだ寝ぼけたような仕草のまま、そっと、彼の頭をなぜた。

 

「キラ……大丈夫……?」

 

 二度、三度……ゆっくりポンポンと手を置かれ、キラは思わず顔をあげる。

 袖でそっと顔を拭いナナを見ると、ナナは腫れたまぶたのまま彼を見つめていた。

 

「ナナこそ……大丈夫……?」

 

 思わずそう、聞き返す。

 覚醒しきらないナナは、その問の意味すら理解できないというように、わずかに首を傾けた。

 見たこともない危うさ……。

 胸騒ぎがして、キラはナナに手を伸ばしかける。

 その時。

 

「ナナ! ここにいたのか」

 

 明るい声は、カガリのものだった。

 彼女はキラとナナの間に座り、潮風を思い切り吸い込んだ。

 

 砂漠を発つとき、カガリはアークエンジェルに同行することを主張した。

 ナナは砂漠を離れて「オーブに帰れ」と何度も言ったが、カガリは考えを変えようとはしなかった。

 ナナと同行し、ナナのことを護るのだと……そして、ナナの意志を見届けるのだと言って。

 

「お前さ、コーディネーターんだなよな? なのになんで地球軍にいるんだ?」

 

 そんなカガリは、ひとしきり地球の海を懐かしんだ後、キラに向かって唐突に尋ねた。

 

「……やっぱり……おかしいのかな……」

 

 自嘲を含んで、彼はそう呟く。

 アスラン、ガルシア、バルトフェルド……彼らの問いかけが甦る。

 

「おかしいっていうかさ、戦争までしてるってのに……お前には『そういうの』はないのかって思ってさ」

 

 カガリは軽い口調で続けた。

 コーディネーターとして、ナチュラルを拒絶する心。

 ナチュラルというくくりに敵対する心。

 そんなものは初めから無かった。

 

 ナナはその答えに興味を示して彼を見た。

 カガリの陰に隠れて、ずいぶんとおそるおそる……。

 だからキラは逆に問う。

 

「君たちは?」

「私は別に……。ただ、攻撃されるから戦うだけだ」

 

 カガリが明快に答え、ナナはうつむいた。

 キラはナナの言葉を促すように、カガリを越してナナに視線を送る。

 

「ナチュラルだからって……」

 

 ややあって、ナナは眠気を払った声で呟いた。

 

「コーディネーターだからって……」

 

 ただ、暗い声で。

 

 

「……それだけで、なんで敵対するのかな……」

 

 

 カガリが怪訝な顔でナナを見た。

 争いの根本を、今頃になって「疑問」として口にする……。

 それが「ナナ」であることが、逆に不思議とでもいうように。

 だがキラは、何故か違和感をもたなかった。

 

「コーディネーターだって、みんなと一緒なのにね……」

 

 だから、ナナの問いに同調するように呟いた。

 

「コーディネーターだからって、最初からなんでもできるわけじゃないよ」

 

 遺伝子を操作し、ナチュラルのより優れた存在として生まれるコーディネーター。

 確かに、死に至るような病気にはかからない身体に、初めからできている。

 筋肉だって、知力だって、少し鍛えただけでナチュラルよりもずっと優秀になる。

 だが、優れた可能性を初めから得ている……というだけで、生まれた時からなんでも完璧にできるというわけではない。

 ナチュラルがするように、努力して、勉強して、鍛えて……。

 自らそうしなければ、持っている可能性は発揮されない。

 

「もともと『違う』かもしれないけど……そうなるためには、僕たちコーディネーターだって色々なことをしないと……」

 

 うまくは伝えられなかった。

 が、意外にもナナは同調した。

 

「そんな当たり前のこと、なんでみんな気づかないのかな……」

 

 そして続く言葉を求めたキラとカガリを置いて立ち上がった。

 

「そろそろ休憩時間終わりだから、行くね」

 

 核心を持ったまま行かれたキラとカガリは、デッキの扉が閉まったあともしばし黙り込んだ。

 先に口を開いたのは、カガリだった。

 彼女の言葉は、ナナの言葉に対する疑問ではなく、それを補足するものだった。

 

「今の言葉……ナナが昔からずっと言ってることなんだ……」

「……え……?」

「お前に言ったらナナは怒るかもしれないけど……」

 

 カガリは、少し迷ったように言った。

 

「逆に、『ナチュラルだって努力をすれば、コーディネーターと同じように出来るんだ』って……それを証明するためにさ、ナナはずっと頑張ってたんだ」

「……え……?!」

 

 キラは水を被ったような衝撃を受けた。

 ナナが……コーディネーターを倒すために戦っているのではないことくらい、わかっていた。

 ただ攻撃されるから戦うのだと……ナナも先ほどカガリが言ったとおりだと、自分と同じだと思っていた。

 だから、過剰なほどに「敵」に対して敏感で、戦闘に対して積極的で、身を削るようにその中に飛びこんでいるのだと……そう思っていた。

 だが、そうじゃないと、カガリは言う。

 

「じゃあ……テストパイロットだったっていうのも……」

「ったく……、この艦の連中の目はそろって節穴か?!」

 

 驚き、呟くキラをカガリは睨みつけた。

 

「親父さんに無理矢理やらされてたんだ!」

 

 強い声で、カガリは言う。

 

「中立国で“戦闘兵器”なんか造ってるって……ナナは周りの大人から睨まれて、友達もできずに育ったんだ……!」

 

 悔しそうにうつむいて、幼馴染のナナを語る。

 

「挙句の果てに、親父さんに愛想を尽かしたおふくろさんは男と出て行って……ナナは実の母親に捨てられてんだ!!」

 

 今は義姉となったナナのことを。

 

「それでも逃げなかったのは、ナナが自分で意志を持ったからだ!」

「自分で……?」

「……ナチュラルだって努力すれば……コーディネーターと同じようになれるって……」

 

 カガリは怒りや苛立ちというより、悔しそうだった。

 

「『同じ』なんだって……それを証明するために頑張ってきたんだ……」

 

 キラの中で、ナナと出会ってからの時間が巻き戻った。

 全ての言葉、全ての行動……そして全ての表情が、カガリの明かしたナナの真意と繋がる。

 フレイが『異常』と言わしめ、トールたちが恐れて一線を置くほどに、殺気を纏わり付かせて戦闘にのめり込んでいたナナ。

 あれは敵を倒すためではなく、もっと根本的なこと……。

 

「……だからって……それで得た力を“使う”ナナの意志はわからない……」

 

 記憶と現実を結び付けていたキラの横で、カガリは小さく呟いた。

 

「戦争に加わることで戦争を終わらせることができるのかなんて……わからない……」

 

 キラはカガリの横顔を見た。

 明らかに不安が混ざった顔だった。

 

「だが……私はナナを信じようと思う」

 

 キラは黙っていた。

 カガリの戸惑いは、今のキラにもわかった。

 

「何が『本当の敵』なのか見極めるには、今は力が必要だと、戦わなければ進めないと……ナナはそう言ったから」

 

 だから彼はうつむいた。

 ナナが力を求める意味を知ったが、それと戦争をすることとは違う気がした。

 

「『何が本当の敵なのか』……か……」

 

 つぶやいた声はカモメの鳴く声にかき消された。

 それが何かを、誰が知っているのか。

 このまま戦い続けたとして、本当に見つけられるのか。

 チカラを手にすればそれを倒せるのか。

 様々な疑問が渦を巻いてキラを襲う。

 おそらくカガリも……。

 その時、

 

「キラ! こんなところにいたの?」

 

 場にそぐわない明るい声が聞こえた。

 

「さっきから探してたのよ!」

 

 現れたのは、軍服の上着を脱いだフレイだった。

 

「気持ち良いわねぇ……! ねぇ、向こうで海をみましょうよ!」

 

 彼女はキラを引っ張り起こし、しっかりと腕を組んでデッキの端へ引っ張った。

 キラは抗うすべもなく、一度だけ後ろを振り返った。

 

「じゃーな。お邪魔みたいだから行くよ」

 

 カガリはため息交じりに言って、去って行った。

 それを見送るキラの後ろでは、フレイが彼女を睨みつけていた。

 

 

 



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空に漂う心

「ナナ……体調は大丈夫?」

 

 ドックの片隅でスカイグラスパーの調整をしているナナに、キラはドリンクを差し出した。

 

「ああ、ありがとう」

 

 ナナは大丈夫とでも答えるように、笑った。

 

「スカイグラスパーの戦闘データを分析してたの?」

「うん。キラのおかげで砂漠ではかなりスムーズに動けたけど、地形も気候も変わったしね」

 

 キラはナナが差したモニターを見る。

 

「ほら、もうまわりは海ばっかりだし、海中戦ってことになる可能性もあると思わない?」

 

 ナナの横顔は相変わらずだった、

 相変わらず顔色が悪く、相変わらず冷たい瞳。

 そして、いつものように毅然とした態度で戦闘について語る。

 が、キラの中では少しだけ何かが変わっていた。

 

 昨日のカガリの言葉……。

 

 

『ナナはナチュラルだって努力すれば、コーディネーターと同じになれるってことを証明しようとして頑張っているんだ……!!』

 

 

 そんなナナの意志など知らず……いや、ナナが本当は何を望んでいたのかなんて考えたことも無かった。

 考えようとすらしなかった。

 ナナはそうやって、ずっと独りで……。

 戦いたくない気持ちは同じだった。

 殺したくない気持ちは少しも違わなかった。

 それなのに、ナナの言葉の奥を見ようともしないで、気遣いもせず。

 自分が孤独に苦悩を抱えているつもりでいて、ナナを孤独に放り込んでいた。

 

「キラ……?」

 

 思わず考え込んだ彼の顔を、ナナが覗き込む。

 

「ううん。じゃあボクもそれを想定してストライクの調整をしておくよ」

 

 彼はそう答えた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 静寂は突然破られた。

 ザフト軍モラシム隊が、海と空、両方からの攻撃を仕掛けてきたのだ。

 グレイスは未だ修理中で戦闘不能のため、ナナは再びスカイグラスパーに乗る。

 ザフトからの攻撃は、空から空中戦用MSディンが3機、そして海からは海中戦用MSグーンが2機だった。

 

「空中戦用MSディン……グレイスのモデル機か……!!」

 

 スカイグラスパーで戦闘しながら、ナナは歯軋りした。

 グレイスは宇宙用の機体ではあるが、大気圏でも空中戦ができるタイプとして開発された機体だ。

 ディンとグレイス、双方の背中の羽は、形は違えど双方同じ働きを成す。

 まさにグレイスにうってつけの敵だったが、あいにくグレイスの羽はもがれたままだった。

 

 アークエンジェルからは、海中戦に適しているはずも無いストライクが、バズーカを手に海へ入った。

 グーンの海中でのスピードは、ストライクのおよそ2.8倍……ナナの記憶にはそうあった。

 援護すべく、ディンと交戦しつつも海面近くに浮き上がったグーンに攻撃する。

 が、グーンは海中を自在に動きまわり、浮き上がってはアークエンジェルの艦底に攻撃をしかけた。

 

「ぐっ……」

 

 空中から海面への降下、そして上昇。

 そのGだけで、ナナの身体は軋んだ。

 

「ディンさえ撃てば、グーンは撤退する……それまで持ち堪えて……キラ!!」

 

 ナナの記憶では、ディンの方が機動性に勝るが、スピードと火力はスカイグラスパーが上だった。

 軽い眩暈と吐き気を振り払うように、フルスロットルでディンに向かって行った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 結局、ストライクはグーン2機を撃った。

 ナナとフラガもディンを1機ずつ落とした。

 が、この海洋のど真ん中で攻撃を仕掛けてくるということは、この辺りにザフトの空母が網を張っていたということだ。

 いつ、また攻撃されるかわからなかった。

 襲撃から一夜明けた今も、艦内はピリピリと緊張が張りつめていた。

 

 ナナはスカイグラスパーの調整を進めた。

 やはり、砂漠の気候と異なるため、“飛び方”が違う。

 戦闘データを確認して、少しでも速く動けるようにしておきたかった。

 それに。

 

「あ、ねぇ、キラ」

 

 ドックに現れたキラを捕まえて言う。

 

「ストライクはソードを装備したほうがいいかも」

 

 ストライクの戦闘データも見たが、効率的とは言えなかった。

 危うい場面もあったようだ。

 それに、あのままではアークエンジェルも護りきれない。

 

「ビームは水中だとほとんど効かないし、ストライクは実弾をたくさん装備してる機体じゃない……なら、ソードのビームを切って実剣として使ったほうが効率いい気がする」

 

 また、目を逸らされることはわかっていた。

 軽蔑とか、怖れとか、そんな目で。

 だが、だからといって躊躇はしていられない。

 「キラのため」「みんなのため」そういうズルい言い訳を胸に、キラに言った。

 が……。

 

「うん。じゃあマードックさんに相談してみるよ」

 

 キラはそう答えて、歩き去った。

 

「え……」

 

 思わず声をもらす。

 どうしてだろうか。今、()()()()()()()気がする。

 手元のタブレットを落としそうになった。

 残念ながら、拒絶されることの方に慣れていて、ちゃんと見つめられることに動揺してしまう。

 

「いや、気のせいでしょ……」

 

 そうひとりごとを言って、キラの背中から視線を外した。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 それから時を置かずして、予想通りアークエンジェルはザフト軍モラシム隊の攻撃を受けることとなった。

 フラガ、ナナの乗るスカイグラスパーは、周辺で総攻撃の機を伺っているはずの空母を撃破すべく、アークエンジェルから飛び立った。

 

≪ナナ! 空母はおそらく潜水母艦だ! 水中に大型の熱源を探知したら一気に仕掛けるぞ!!≫

「了解!」

 

 アークエンジェルには、またも水中からの攻撃が仕掛けられた。

 前回と同様、艦底への集中攻撃を浴びるが、CICの懸命の迎撃とソードを装備したストライクで、なんとか応戦する。

 ゲーン隊、そして隊長機ゾノの苦戦の知らせを受けたザフト軍潜水母艦は、援護策としてディンの発進へ踏み切った。

 が、それによって海面へ浮上した空母を、フラガとナナのスカイグラスパーが探知する。

 

「見つけた!」

≪行くぞっ! ナナ!!≫

 

 2機は急降下し、母艦へ火力を集中させる。

 作戦は成功。

 水中からは大爆発が起こり、黒煙が上がった。

 

 だが……。

 

「フラガ少佐!!」

 

 ザフト艦からは危機一髪のタイミングでディンが発進していた。

 煙の中から現れたそれは、1号機に向かってライフルを構える。

 ナナはすんでのところでそれを阻止した。

 しかし、逆に後方から攻撃を受ける。

 

「……?! もう1機……?!」

 

 2機目のディンが、ナナを狙っていた。

 

≪ナナ! 大丈夫か?!≫

「はいっ……ナビゲーションモジュールをやられただけです……!」

 

 機体バランスはまだ保てた。

 が、モニターの一部が真っ暗になる。

 

≪そいつはオレが抑える! お前は帰投しろ!≫

 

 フラガがディンに向かって行った。

 

≪アークエンジェルの位置はわかるな?!≫

「はい……!」

 

 ここに居ても的になるだけ……そう判断したナナは、フラガの指示に従い、その空域を全速力で離脱した。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「まいったな……」

 

 懸命な応急処置も実らず、機体のナビゲーションシステムは回復しなかった。

 ブリッジとのコンタクトも断絶されている。

 こうなれば、太陽からアークエンジェルの位置を割り出さねばならない。

 敵MSが母艦から発進してアークエンジェルに攻撃を仕掛けた距離……そこから計算すればそう悩む距離ではなかった。

 いつかは艦影が見えるだろうと冷静に分析していたとき……。

 

「……あれは……!!」

 

 雲の切れ間に、突然艦が現れた。

 

「ザフトの艦……!」

 

 ナビゲーションシステムダウンのため、艦影捕捉のアラートは鳴らなかった。

 が、ザフト艦といっても戦闘機ではなく、大型の輸送船のようだった。

 

「お願い……そのまま行って……」

 

 ナナはテキストで信号を送る。

 

≪当機は被弾のため離脱中。戦闘の意志はない>

 

 何とかやり過ごせれば、お互いのために良いはずだった。

 しかし願い虚しく、輸送船の砲口はこちらを向いた。

 

「……なんでっ……!!」

 

 目視では回避行動が間に合わず、1発が左翼を掠めた。

 機体が大きく傾き推力が低下する中、ナナはなんとかヴァリアットを放つ。

 一瞬のもつれの後、互いに大きなダメージを受けて離散した。

 

 左翼のダメージは機体のコントロールを完全に失うものだった。

 降下速度は抑えきれず、機体は海面に向かって浅い角度で落ちるしかなかった。

 強烈なGの中、ナナは操縦桿を両手で握り、思い切り引いた。

 雲を突き破って見えた青い波間に浮かぶ島。

 その手前で、機体はなんとか胴体着陸を成功させた。

 

 

 

 

 



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孤島の邂逅

「……っ……」

 

 

 どれくらい時が経ったのか……。

 気がつくと、ナナはしんと静まり返ったスカイグラスパーのコックピットに居た。

 前方には砂浜。

 機体は島の浅瀬に胴体をへばり付かせたまま、波に揺られていた。

 急降下の衝撃のせいで、息が苦しかった。

 手を見ると、火傷の治りきらない右手が小刻みに震えていた。

 ぼうっとした頭を無理矢理働かせ、キーボードをたたく。

 が、全てのシステムがダウンし、離陸もアークエンジェルとの交信も不可能な状況だった。

 

「……やっぱダメか……」

 

 仕方なく、ナナは機を降りた。

 浅瀬……といっても、ナナの身長よりは深い海。

 さらに高波が押し寄せ、ナナの怪我した右手から救命パックを奪って行った。

 

 なんとか浜に上がり、息を整える。

 少し泳いだだけだというのに、激しい動悸と眩暈がした。

 パイロットスーツの内側までずぶ濡れのせいで、身体はよけいに重くなっていた。

 無理矢理それを動かし、ナナは島の内部に入る。

 熱帯の島らしく、ジャングルが広がっていた。

 が、それはそう広くもなく、少し歩いただけで島の反対側へと出た。

 

「小さい島……。無人島かな……」

 

 独り言を呟きながら、シダをかきわけ浜に足を踏み入れる。

 と……。

 誰もいないと思ったその浜に、赤いパイロットスーツをまとった人影があった。

 

(……ザフト兵……?!)

 

 わずかに身じろいだときに、足元の葉が揺れた。

 瞬間、ザフト兵がナナに気づく。

 銃を構えるのは同時だった。

 

 目が合った。

 

 同じ年頃の少年……。

 どちらもヘルメットをとっているため、顔まではっきりと確認できた。

 温い風が、二人の間に割り込んだ。

 その時に、ナナの視界の片隅……向こうの木々のはざ間にグレイのMSが見えた。

 

(あの機体は……!!)

 

 ナナが注意を逸らしたことで、ザフト兵は引き金を引いた。

 弾丸はナナの銃にのみ命中し、それを弾き飛ばす。

 さらに彼は銃口を向けたまま威嚇した。

 が、ナナは銃を弾かれた手の痺れも気にせずに、無防備に目を見開いた。

 銃を構えるザフト兵が怪訝な顔でジリジリと歩み寄る。

 ナナはその彼をまっすぐに見つめて呟いた。

 

「……アス……ラン……?」

 

 突然名前を呼ばれた彼は、銃口を向けたまま息をのむ。

 ナナは再び震える声で、だがはっきりとその名を口にした。

 

「アスラン……ザ……ラ……?」

 

 何故その名がナナの口から出るのか……。

 彼は心当たりを思い出したように、目を見開く。

 

「……ナナ……イズミ……か……?」

 

 呼ばれて、ナナはフっと笑った。

 銃口を向けられている緊張感よりも、“おかしさ”がこみ上げたのだ。

 だが次の瞬間、ナナの身体は突然その力を失った。

 

「…………?!」

 

 乾いた浜に倒れるナナが、“アスラン”に撃たれることはなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 瞼を上げると、グレイの物体が目に入った。

 そのスキマから入り込む僅かな日の光で、しばらくするとそれがMSの手だとわかった。

 

「……あれ……?」

 

 記憶が鈍く甦り、ようやく目の前に現れた“アスラン”の存在を思い出す。

 

「……アスラン……」

 

 ゆっくりと身体を起こした。

 額から濡れたタオルが落ちた。

 手足は拘束されておらず、そればかりか身体には薄い毛布がかけられていた。

 誰がそれをしたのか……。

 はっきりとした心当たりに何故か胸が痛んだ。

 その存在を探すべく、ナナは辺りを見回した。

 砂浜に転がる岩と岩にはさまれたその場所に、ナナは寝かされていた。

 強い日光は彼のMS、イージスの手のひらによって遮られている。

 

「気がついたのか?」

 

 岩陰から、彼が現れる。

 やはり、さっきのザフト兵だった。

 

「気分はどうだ?」

 

 彼は困惑を隠そうとはしなかったが、言葉はナナを気遣うものだった。

 

「え……?」

 

 しかし、ぼうっとしたナナの頭では、その意味は理解できなかった。

 彼はため息混じりに言う。

 

「そんな身体で戦闘機に乗るとは……どういうつもりなんだ。お前も、指揮官も……」

 

 そしてナナに近づき、その手から温くなったタオルを取り上げる。

 

「え……?」

「だから……、ひどい熱だと言っている……」

「ねつ……?」

 

 それでも状況が呑み込めずにいるナナに、彼は呆れたように言った。

 

「パイロットスーツを脱いだほうがいい。濡れたままだとますます熱が上がるぞ」

 

 そしてタオルを持ったまま、岩の向こうへ行った。

 

「…………」

 

 しばらくかかって、ナナはやっと彼の言葉に従った。

 もぞもぞと、びしょ濡れのパイロットスーツを脱ぐ。

 そして毛布にくるまった。

 潮の香と、嗅いだ事のない布の匂いに包まれた。

 鈍くなった身体と頭。

 それを無理矢理覚醒させるかのように、ズキンと痛みが走る。

 それは擦り切れた包帯の下ではなく、強くあろうと張り続けた胸の奥。

 

 それを抑えるすべをナナが見つけ出せないまま、やがて彼は、濡らしたタオルを手に戻った。

 

「……ほら……」

 

 岩によりかかって座り込んでいたナナに、彼はそれを差し出す。

 素直に受け取り、額に当てながらナナは言った。

 

「なんで……私を拘束しないの……?」

「え……?」

「私を縛っておかなくていいの……」

 

 ナナの抑揚のない問いに、彼はため息まじりに答える。

 

「そんな身体のヤツに何ができる……」

 

 そして顔を背けた。

 ナナは胸の痛みに自らナイフを入れるように言った。

 

「今のうちに私を殺さなくていいの……?」

 

 ナナは立ち上がった。

 眩暈は押し殺した。

 アスランの言葉が聞きたかった。

 アスランは振り返り、戸惑いの表情でナナの瞳を見つめなおした。

 

「X-101グレイスのパイロットを……殺しておかなくて良いのかって聞いてるの」

 

 挑発の言葉とともに、ナナは静かな表情のまま両手を広げた。

 はらり……と毛布が砂に落ちる。

 アスランはかすかに拳を握った。

 

「私はあなたの“敵”でしょう……?」

 

 さらに自嘲気味な言葉を吐き出したナナは、微笑さえも漏らした。

 アスランはしばしうつむき、沈黙した。

 迷い、葛藤……。

 それを見つめて答えを待つナナに、彼はついにつぶやいた。

 

 

「別に……お前をここで殺す気はないさ……」

 

 

 ため息をつくようにそう言って、彼はナナの足もとに落ちた毛布を拾う。

 

「今は戦闘中じゃないし……お前は戦えるような状態でもない……」

 

 そして目を伏せながら、それを再びナナに押し付ける。

 

「それに……『あの時』の借りを返すだけだ……」

 

 ナナはじっと、彼の瞳を見つめた。

 

「あの時お前は……キラを『返す』と言ってくれた……その礼だ」

 

 二人の間に、あの時の記憶が甦る。

 キラとナナ、二人でラクスをアスランの元に返したときのことを。

 

「ラクスも……お前に世話になったと、話をしていた……」

 

 が、ナナは冷たい声で静かに言った。

 

「あなたを殺して……あなたの機体を奪うかもよ?」

 

 ナナの腹の底で、いやな塊が膨らんだ。

 が、ナナはアスランから目を逸らさなかった。

 彼の言葉が聞きたかった。

 彼の心を知りたかった。

 

「だとしたら……」

 

 少しの沈黙の後、アスランは再びナナを見た。

 

「俺はお前を殺さなきゃならない」

 

 怒りとか殺気とか、そんなに鋭いものではなく、苛立ちや願いのようなものが彼の瞳に揺れたのを、ナナは見た。

 

「俺はザフトのパイロットだ……機体に手をかけさせるわけにはいかない」

 

 そう答えるのはわかっていたのに、わざわざ挑発するように言ったのは、その揺らぐものを見るため……。

 ナナはようやく、押し付けられた毛布を羽織りなおした。

 

「だからよせよ……そんなことは」

 

 息苦しさから逃れるように、彼はまた岩陰に消えた。

 

 

 

 

 日も暮れた頃、ナナの前で、アスランが拵えた焚き火が呑気に燃えていた。

 先ほどの“熱”と、身体の“熱”でぼうっとした状態のナナの前に、彼の手が伸びる。

 

「ほら……」

 

 救命パックに入っていたらしい非常食だった。

 

「ありがとう」

 

 ナナは素直に受け取った。

 その素直さが意外だったのか、アスランはあきれたような溜息をつきながら、火の向こう側に腰を下ろした。

 

「そんなひどい熱で戦闘機に乗るなんて……それに、『銃口から目を逸らすな』とは、軍学校で一番最初に教わることだろう」

 

 ナナは一口スープをすすり、自嘲気味に呟いた。

 

「だって私……軍人じゃないもの」

「……え……?」

 

 アスランは当然驚き、薪をくべる手を止めた。

 

「あの時……」

 

 ナナは単調に話す。

 

「ヘリオポリスでたまたま戦闘に巻き込まれて、あの艦に乗ることになっちゃったの」

 

 パチン……と火花が舞った。

 

「……キラと一緒だよ……」

 

 砂の舞いのような、静かなナナの声色。

 アスランは「キラ」の名に苛立ちを思い出して低く叫んだ。

 

「だったら何故……あんなモノに乗っている……?!」

 

 が、ナナは逆に穏やかに答えた。

 

「モルゲンレーテのテストパイロットだったから、あの機体を動かせただけ」

「テスト……パイロット……?」

「そう……だから、一応はオーブの……民間人ってことになるのかな……」

 

 アスランは目を伏せ、手の中の小枝を焔の中に放り込んだ。

 

「でも、アレの開発に協力してたってことで、あなたたちの敵ってことにはなるかもしれないけどね」

 

 また自嘲気味に言って、ナナは手の中のカップを揺らす。

 

「なぜ中立国のオーブが地球軍のMSをつくっていた……?! あそこにあんなモノがなければオレたちだって……」

 

 彼の怒りを含む、低い声。

 

「ヘリオポリスを攻撃するつもりはなかったんだ……!!」

 

 ナナは黙って聞いていた。

 

「だが、オレたちはプラントを護るために戦っている……。だからあれを見逃すわけにはいかなかった……」

 

 再び沈黙が流れた。

 

「でも……」

 

 ナナがゆっくりとそれを解く。

 

「……地球軍も、ザフトが攻撃をするから、わざわざ中立国のオーブでアレをつくってたんだよね……」

 

 そして、解けない輪をさらけ出す。

 

「オレの母は……ユニウスセブンにいた……」

「……え……?」

 

 それに、アスランは憎しみで答える。

 

「ただの農業プラントだったのに……何の罪もない人たちが一瞬で殺されたんだぞ……子供たちまで!」

 

 そう……その憎しみを先に生み出したのは地球軍だと。

 

「それで黙っていられるかっ……!」

 

 では……その後に生まれたのは……?

 その前にあったものは……?

 

 炎の揺れを見つめながら、ナナはまだ、絡み合った醜い輪を持て余す。

 

「撃たれたから撃って……また撃ち返して……キリがない……」

 

 吐き捨てるような台詞に、アスランがナナを見た。

 炎の揺らめきが、互いの瞳に同じ光を灯している。

 

「それが……戦争だ……」

「じゃあ、それはいつまで続くの……?」

 

   『どこで終わりにする?……双方が滅ぶまでか……?』

 

 カガリから聞いた、“砂漠の虎”の言葉。

 

「何が敵? 何が悪かったの……?」

 

 ナナはアスランの答えを待たずに続けた。

 

「最初はこの戦争に『巻き込まれた』かもしれないけど……」

 

 かすかな迷いを彼に見せぬよう、噛みしめるように言う。

 

「私は……その答えを見つけるまでは、あの機体に乗り続ける……」

 

 決意を彼はどう受け止めるのか……。

 

「……だったら……オレとお前は敵だ……」

 

 『敵』と……そう言われて、ナナは返す言葉を飲みこんだ。

 言ってしまえば……彼の迷いはさらに大きくその心を揺るがすだろう。

 彼はやさしいから。

 そうしたら彼は撃たれるかもしれない。

 キラに……あるいは自分に……。

 だから。

 

「……そうだね」

 

 告げて、ナナは笑った。

 打ち寄せる波に逆らうように……。

 あまりにも、場にそぐわぬその表情。

 どう受け止めたのか、アスランはハッとしたような顔をした。

 

「お前……」

 

 そして口をついて出た言葉が何か分からぬうちに、ナナがそれを遮った。

 

「……っ……!」

 

 その右手から、空になったカップが落ちる。

 

「怪我してるのか……?!」

「あ、うん……大丈夫」

 

 右手の小さな震えを見つけ、アスランは考える間もなく歩み寄る。

 

「手を出せ」

「え……?」

「診せてみろと言っている」

「あ……うん……」

 

 ナナは言われるがままに毛布から右手をゆっくりと出した。

 巻きつけていた包帯はボロボロに擦り切れて、血が滲んでいた。

 

「どこまで無茶してるんだ、お前は……」

 

 アスランは今日一番深いため息をついた。

 そして、救護セットを引き寄せ、手当を始める。

 ナナの手の平に、治りかけの赤黒い火傷が広がっていた。

 

「こんな手ではまともに操縦できないだろう……」

「だって……降りるときに……」

「地球へか?」

「うん……ちょっとドジっただけ」

 

 アスランは手を止めた。

 あの時も、二人は同じ戦場にいた。

 直接戦ってはいないが、アスランもストライクとグレイスが降下していくのを目にしていた。

 当たり前のこととはいえ、知らなかったからとはいえ……互いに刃を向け合っていた事実を実感する。

 改めて、目の前の存在が“敵”であることを思い知らされるその記憶。

 

 ナナはゴクリと唾を飲んだ。

 アスランの揺らぎがまた、大きくなったような気がした。

 

 が、アスランは黙ったまま、ナナの手に包帯を巻き始めた。

 この手が、彼を撃つのだとしても……彼の仲間を、プラントを撃つ手だとしても……。

 

「今は……」

 

 彼の手は、器用に包帯を巻いていく。

 言葉は不器用に、そこに漂った。

 

 

「お前は俺の敵じゃない……」

 

 

 胸の痛みはついに耐えがたく……。

 ぽつん……と、雫になって彼の手に落ちた。

 

「……ナナ……?」

 

 初めて名を呼ばれ、ナナは笑う。

 

「アスランは……優しいね……」

 

 戸惑った彼の顔がキラと重なる。

 

「キラも……あんなに優しいのに……」

「……ナナ……」

 

 この心の震えを抑えるすべなど知らない。

 ただ気休めのように、叫んでも無駄だという言葉を、今さら吐き出す。

 

「なんでっ……二人が戦わなくちゃいけないの……っ?!」

「お前……」

 

 「キラと戦わないで」……言えば楽になることをナナは知っていた。

 キラとアスランを戦わせたくない。

 そんなところは見たくない。

 今、強くそう思う。

 なんで二人が撃ち合わねばならぬのか。

 その運命を激しく呪う。

 だから「戦わないで」と言えれば良かった。

 だがそれは、一時的に痛みを消すだけにすぎない気休めの言葉。

 彼はザフトのパイロットで、キラは地球軍に入隊した。

 かつての親友が、今は『敵』同士。

 

    ちがう……

 

 さっき飲み込んだ言葉が、涙とともに込み上げてくる。

 

    ちがう……敵じゃない……

 

 だが、言ってはいけなかった。

 言っても浅はかと思われるだけ。

 言ってはアスランに迷いを生む。

 迷いは彼を死に近づける。

 彼に死んでほしくはない……。

 

「ナナ……」

 

 ぎこちない手つきで、アスランはナナの本心を拭った。

 潮風、波の音。

 穏やかなそれらと裏腹に、ナナの心は激しく揺れていた。

 彼の心を……優しさを知るほどに、胸の痛みが増すから……。

 いっそ知らなければよかったと、思ってしまうから。

 

「ハハ……」

 

 これ以上はダメだ……。

 脳の奥で警報が鳴った時、ナナは笑った。

 

「ごめんね」

 

 そしてそう言おうとした瞬間、アスランが先に口を開いた。

 

「まったくお前は……」

 

 戸惑いを無理矢理押し込めた複雑な顔つきで、彼も笑っていた。

 

「強いくせに泣き虫で……、よくわからないヤツだな」

 

 そんな彼の表情に一瞬面くらい、ナナは左手で涙を拭った。

 何の答えも見出せないままだが、そうすると激しい揺らぎは収まった。

 鋭い痛みは、鈍いうずきに変わった。

 初めてちゃんと、笑えている気がした。

 

 パチンと、薪がはじけた。

 思い出したように、アスランは枝をくべ始める。

 ナナは真新しい包帯が巻かれた右手を見下ろした。

 そこに灯った温かさを失わぬよう、しっかりと毛布にくるまる。

 

「ラクスはちゃんとプラントに戻った?」

 

 かける声に、ぎこちなさはもう無かった。

 

「ああ……本当、お前たちのおかげだな」

「婚約者なんだってね」

「あ、ああ……まぁ……一応……な……」

 

 赤らんだ彼の横顔に、ナナは笑った。

 『無口なのですけど……とても優しい方』

 そう彼を表現したラクスの言葉を思い出す。

 彼女の言葉で想像していたよりずっと、アスランはやさしかった。

 その証拠に。

 

「そ、そんなことより、具合は大丈夫なのか?」

 

 そうやって案じてくれる。

 

「うん。アスランこそ、降りて来たばっかで時差ボケでしょう? 救助信号をキャッチしたら起こすから寝てていいよ」

 

 そしてそう言ったにも関わらず、額に触れてくる。

 

「まだ熱があるじゃないか、お前こそもう休め」

 

 また、涙がこぼれそうになった。

 こんな優しさは知らなかった。

 人の手が、こんなに温かいなんて……。

 キラや仲間や、自分を撃つかもしれない手がこんなに、あたたかいなんて……。

 

「ナナ……?」

 

 ナナはアスランの隣に座った。

 そして、目を閉じた。

 本当はもっと話がしたかった。

 色々な話が……。

 が、これが夢であって欲しいという思いがそれを圧し止めた。

 次に逢うのが戦場とは、悲しすぎるから。

 

 アスランはかすかに身体を寄せたナナに、それ以上何も言わなかった。

 ナナは毛布の下で、真新しい包帯が巻かれた右手をそっと握った。

 

 

 

 



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箱庭


 アークエンジェルでは、ナナの捜索活動が行われていた。
 ナタルがMIA(Missing In Action)の認定を口にしたが、マリューは諦めようとはしなかった。
 日没までの1時間という約束で、ストライクに捜索をさせた。
 が、ナナの消息をつかむことはできず、キラは命令を無視してその後も数時間、捜索し続けた。



「夜明けまで……あと3時間だそうです……」

 

 ドックを見下ろす通路に佇むフラガに、マリューは言った。

 

「それまで、少佐も休息をとってください」

「……わかっちゃいるんだけどねぇ……」

 

 フラガは自嘲気味に言って、眼下のストライクを見下ろす。

 休息の艦長命令を押し切って捜索に出ようとするキラをようやく説得したものの、キラはいつでも発進できるよう、コックピットを離れようとはしなかった。

 そして、フラガ自身も……。

 

「情けないよな、“少佐”なんて言われてキラにエラそうに説得してても、パイロット一人を失いかけただけでこうも動揺しちゃうとはねぇ……」

 

 マリューは何も答えず、フラガに並んでストライクの隣りに眠るグレイスに視線をやった。

 互いに軍人としてそれなりに経験は積んできたつもりだった。

 自身の身が危険に晒されることも、戦闘中に仲間を失うという経験も……。

 だが、今回は今までとは異なる、明らかに耐えがたい不安と絶望があった。

 それはただ、ナナが「グレイスのパイロット」だからというだけではなく……。

 

「私は……ずいぶんとあのコに助けられてきたんだと……つくづく思い知らされましたわ……」

「……オレもさ……」

「“強力な戦力”だから……だけではなく……」

 

 何度、ナナの言葉に強さを持てたか……二人は今更ながらに実感する。

 民間人の少女にも関わらず、時に非情さを持って彼らの迷いをむしり取った。

 明らかに、この艦を導いていたのはナナだった。

 それを、痛いほどに感じている。

 

「あのコは……きっと生きてますわね」

「オレはそう思う……キラだってそう思ってるさ」

 

 信じるしかないが、今度はどうしてもナナを救わねばならない。

 冷たい眼の奥にあったものを、ちゃんと確かめるために……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 やがて、空が明るくなり始めた頃。

 イージスの発信機のアラートで、二人は目を覚ます。

 いつのまにか、ナナの頭は彼の肩にのり、彼の頬はナナの頭に添っていた。

 アラートの音とその状況に、アスランは慌てたように起き上った。

 

「発信機……?」

「あ、ああ……捜索隊が救難信号をキャッチして向かっているのかもしれない」

 

 そう言い残し、彼は足早に機体に向かった。

 ナナはゆっくりと起き上る。

 彼のぬくもりはまだ残っていた。

 

(……アスラン……)

 

 包帯の巻かれた右手を見下ろす。

 そして深く息をつき、すっかり乾いた地球軍のパイロットスーツに袖を通した。

 

 

「こっちは救援が来る。お前の機体がある方角からも、熱源が近づいているようだ」

 

 二人は夜明けの浜辺で、イージスを見上げた。

 

「オレはコイツを隠す……」

「うん……そうだね」

 

 ここで無駄に戦闘するより、隠れて互いにやり過ごすのが得策と、二人はわかっていた。

 最も、互いに出会った者の存在を味方に明かせば、それは避けられないが……。

 そんなつもりは二人にはなかった。

 ここで出会った者が何者なのか……告げれば双方の味方に混乱を招く。

 だから……。

 

「私も機体のところに戻るね」

「ああ……」

 

 だから、会わなかったことにしなければならない。

 互いに別れを切り出そうとして、二人は見つめ合った。

 

「熱は……下がったようだな」

 

 先に言ったのはアスランだった。

 

「うん……いろいろありがとう」

 

 ナナが答えて笑うと、二人は同時に目を伏せた。

 そして……今度はナナが先に口を開いた。

 

「今度、会うときは……」

 

 ハッとして、アスランが顔をあげる。

 

「“敵”なんだよね……?」

 

 朝の風が、急かすように二人の間を駆け抜けた。

 

「……ああ……」

 

 あの時、『今度会うときは撃つ』という決意をぶつけ合ったアスランとキラ……。

 今もまた、アスランとナナがその言葉を心に抱えている。

 だが、この一夜が嘘だったかのように、また敵同士という関係に戻るというのに……。

 

「あんまり無茶をするなよ、お前」

 

 アスランはそう言って……。

 

「そっちこそ……!」

 

 ナナは笑いながら首飾りを取り外し、

 

「これ、あげる」

 

 アスランに差し出した。

 

「私のお守り……。きっとアナタを守ってくれるよ」

 

 アスランは少し躊躇ってから、ナナに促されるままに首を傾けた。

 

「戦争が終わったらさ……」

 

 彼に首飾りをかけながら、ナナは言った。

 

「できればキラも私たちも死なないで……ラクスも交えて4人で逢えたらいいね」

「……ナナ……」

 

 矛盾……。

 次に会うときは殺し合う立場であるのに、互いの命を気遣って……。

 だが、二人とも複雑な心をどうすることもできなかった。

 それを察したかのように、アスランの胸に収まった蒼い石がキラリと悲しげに光った。

 それを見て、

 

「じゃあね」

 

 ナナは彼に背を向けた。

 走り去るナナの背を、アスランは見えなくなるまで見送っていた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

≪救難信号だ……! 捉えたぞ!!≫

 

 上空からスカイグラスパーで捜索していたフラガから無線が入る。

 キラは示された地点へとストライクを向かわせた。

 胸が高鳴った。

 ナナは……きっと生きている。

 信じてはいたが、その姿を目にするまでは不安だった。

 冷たい瞳、鋭い言葉……それらを突き刺されても、ナナのそれはいつも正しい方を向いていた。

 彼女を失いかけて、初めてわかった。

 自分たちが生きてここまで来られたのは、ナナの強さのお陰だったと。

 決してナナの全てを認めるわけではないが、彼女の非情さに賛同することはできないが、それでも確かに、ナナの言葉と行動は自分たちを導くものだった。

 

(ナナ……!!)

 

 それに、ナナはただ戦争ばかりに意識を向けていたわけではなかった。

 ちゃんと深い思いやりを持っていてくれた。

 アルテミスでガルシアの言葉に傷つけられたときも、ラクスをアスランに返したときも、ちゃんとナナは想っていてくれた。

 彼女が戦争のことしか考えていないと思い込んで敬遠していたのは、ただその想いに気づかなかっただけだった。

 

 だからキラは、小島の岸に浮かぶスカイグラスパーの残骸と、そして岩場にたたずむ影を見たとき、涙が出るほど安堵した。

 取り返しのつかない後悔をしなくても良いことに……。

 

 

 

「はい、ナナを無事に救出しました。これより帰投します」

 

 フラガとアークエンジェルにナナの無事を告げ、キラは改めて安堵のため息をついた。

 

「ほんと……無事でよかった」

 

 狭いコックピット内で、ナナの身体を支えながら呟く。

 ナナはぎこちなく笑った。

 

「心配かけてゴメンね」

「本当に大丈夫? どっか、怪我とかしてない?」

「うん、平気」

 

 相変わらず曖昧な笑みと、顔色の悪さ。

 キラは遭難の疲れのせいだと思って気遣った。

 

「少し揺れるから、捕まってて」

 

 ナナの腰を支える腕に力を込めると、ナナも素直にキラに捕まった。

 ストライクは島を離れ、再び海中に潜る。

 アークエンジェルもこちらへ進路を寄せていた。

 

 ナナはサイドモニターに映る孤島が遠ざかっていくのをずっと見ていた。

 

 

 

 

 

 



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戦場の姫

 救助以来、自室にて絶対安静の艦長命令を受けていたナナのもとを、キサカが訪れていた。

 

「ナナ様……」

「わかってる……」

 

 ナナは腕を組み、小さくため息をついた。

 

「なんとかオーブにあのコを帰したいとこだけど……」

「ラミアス艦長に『事情』を話しますか……?」

 

 キサカの言葉に、ナナは困ったように彼を見上げ、そしてもう一度ため息をついた。

 

「『事情』を明かして、小型の輸送機でこの艦から脱出させるのが最善策だと思うけど……」

 

 最善の策は思いついてはいるものの……。

 

「問題は……あのコが素直に言うことを聞いてくれるか……」

 

 ナナとキサカは、カガリの頑固な瞳を思い浮かべ、同時にため息を吐いた。

 

「……しかし、この機を逃してはアラスカまでカガリ様をお連れすることになります」

「そんな意味のないことは、どうしても避けたい……」

 

 どうしても、カガリを目と鼻の先のオーブに返さねばならなかった。

 砂漠を発つとき、ナナはカガリの同行に反対した。

 『砂漠の虎』との決着がついたのだから、オーブへ帰れ……と。

 が、カガリは『ナナと供に行く』という主張を曲げなかった。

 最終的にナナがそれを許す形になったのは、アークエンジェルの航路上に、オーブ近海があったからだ。

 オーブに近づいたとき、どこかのタイミングでカガリを帰すことができるかもしれない……そういう考えがあったからである。

 

 が、マリューに『事情』を明かして許可をとりつけたとして、カガリが素直に帰るとは考えがたく……しかしこの機を逃せばアラスカまで彼女を連れて行くことになる。

 ナナもキサカも、これ以上カガリを危険な戦闘に巻き込みたくはなかった。

 

 しかし……。

 

≪敵影補足! 総員第1戦闘配備……!≫

 

 突然、聞き慣れたアラートが艦内に鳴り響く。

 それからそう時間を置かずに始まった戦闘で、ナナの部屋も大きく揺れた。

 

「ナナ様……!!」

 

 傾いたナナの身体をキサカが支えた。

 徐々に体力は回復していたものの、その身体に本来の力が無いのは彼にも分かった。

 今回も、とても戦闘に加われる状態ではない。

 ナナ自身も、あの“遭難”でカガリに大泣きされたから、無茶な出動は控えると約束していた。

 

「案外、方法なんて悩む必要もないかもね……!」

「ナナ様……?!」

 

 が、ナナは青い顔のままニヤリと笑ってみせ、部屋のモニターに向かう。

 

「ミリアリア! 状況は?!」

 

 緊迫した声で、ミリアリアはこう次げた。

 

≪ザフトの“G”4機から攻撃を受けてるわ……!!≫

 

 一瞬にして、ナナの頭に島で別れたアスランの顔がよぎった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 イージス、バスター、ブリッツ、そしてデュエルの4機は、モビルスーツ空中支援機グゥルに乗り、巧みなコンビネーション攻撃を仕掛けていた。

 翻弄されるアークエンジェルとスカイグラスパー、そしてストライク。

 徐々に航路離脱を強いられ、気づけばオーブ領海に限りなく近いところまで追い込まれていた。

 当然のごとく、オーブ軍防衛艦隊からアークエンジェル、ザフトの双方へ通信が入る。

 それは、ただちに近海から離脱せねば自衛権を執行し、砲撃を開始するという警告であった。

 

 前にザフト、後ろにオーブ……。

 アークエンジェルは逃げ場の無い危機にあった。

 激しく揺れるブリッジに、なすすべはなかった。

 グゥルを使った空中戦で主導権を握ったザフトのMSに対し、ストライクも防戦一方である。

 

 そこへ現れたのはカガリだった。

 

「いいから、そのまま突っ込め!!」

 

 噛み付く勢いで、カガリはマリューに叫ぶ。

 

「私がオーブに話す!!」

 

 が、その意味をマリューやナタルが理解できるはずもなく、困惑は深まるばかりだった。

 

「このままでは沈むぞ!!」

 

 カガリは周囲を無視するようにカズイの方へ移動し、インカムを奪い取る。

 

「カガリさん?!」

「何を……!!」

 

 その行動に、マリューとナタルは止める間も持たなかった。

 その時、再びブリッジの扉が開いた。

 

「ナナ……!!」

 

 キサカを従え、ナナが現れた。

 

「状況は?!」

 

 初めてではない、ナナの毅然とした声。

 インカムを手に、カガリも立ち尽くす。

 促されるようにようやく答えたのはナタルだった。

 

「ザフトの攻撃でオーブ海域に押し込まれている。オーブはこれ以上領海に近づくと、自衛権を発揮して攻撃すると警告してきた……!」

 

 対するナナの言葉を、自然と誰もが待つ形になっていた。

 が、ナナはメインモニターを睨みつけたまま、どの視線も受け止めずに言った。

 

「ストライクとスカイグラスパーを艦に戻してください」

 

 続けて、ナナは後ろに控えていたキサカに言う。

 

「キサカ、カガリをお願い」

 

 そして突然、軍服の上着を脱ぎ捨て、カガリの手からインカムを奪い取る。

 

「ナナ?!」

 

 カガリが驚いて近寄ろうとするが、ナナは厳しく言い放つ。

 

「あんたは向こうへ行ってなさい!」

 

 そして、強引にキサカの方へと押しやった。

 カガリはそれでナナの目的を悟ったらしく、なんとか抵抗しようとするが、キサカは彼女を抱えて操縦席の方へと降りた。

 そこはナナのそばにあるサイドモニターの『死角』だった。

 

「ナナ?! あなた一体……」

 

 マリューが立ち上がってナナを向くが、再びの揺れで言葉は遮られた。

 ナナは何のためらいもなく、カズイの手元のボタンをいじり、全周派チャンネルをセットする。

 

「ナナ?!」

 

 止めるもののないままに、ナナはサイドモニターに向かって行った。

 

「こちらは地球軍特装艦アークエンジェル……!!」

 

 ブリッジが息を飲むと同時に、また爆雷が水しぶきを上げたが、ナナはそのまま続けた。

 

「オーブ軍に告ぐ。ただちに攻撃態勢を解き、本艦を保護しなさい!」

 

 突拍子もない要求に、ブリッジは息をのむ。

 ナナの声には迷いがない。その言葉が当然のように吐かれたため、真意を問う声は各自の中に飲み込まれた。

 が、オーブ軍からは当然それを跳ね除ける返信が入る。

 

≪何を突然、勝手なことを……!!≫

 

 が、ナナはそれさえも遮って言った。

 

 

「私はオーブ連合首長国前代表、ウズミ・ナラ・アスハの娘、ナナ・リラ・アスハです」

 

 

 一瞬……ザフトの攻撃さえもが躊躇った。

 

「ヘリオポリス視察の際、崩壊に巻き込まれて遭難した私を、この艦は救助、保護してくれました」

 

 ナナのよどみない台詞に対し、ブリッジ内には、戦闘中とは思えぬ呆けた空気が流れる。

 

「現在も危険を顧みず、私をオーブに送り届けるためにオーブ近海を航行中、ザフト軍の攻撃を受けたところです」

「ナナっ……!!」

 

 ただひとり、カガリがナナに駆け寄ろうとするが、キサカがそれを押さえつけた。

 オーブ艦のモニターには、アークエンジェルのブリッジに居る()()()()が映し出されているはずだった。

 ナナはじっと、頭上のモニターを見据える。

 

 しかし……。

 

≪何を言うか……! ナナ様は国内にて休暇中のはずだ! そんなところにナナ様がいらっしゃるはずはない!!≫

 

 オーブからは全てを否定する言葉が叫ばれる。

 モニターの映像は繋がっているはずだった。

 その証拠に、こちらのモニターにはオーブ艦のブリッジが映し出されている。

 

≪こんな状況でそんな陳腐な嘘が通用するわけはなかろう!!≫

 

 司令らしき軍服の男が画面越しに怒鳴りつけ、通信は一方的に切られた。

 同時に、バスターからの攻撃がアークエンジェルのエンジンを破壊する。

 艦は大きく前方に傾いた。

 

「1番、2番エンジン被弾、推力低下!! 高度が……保てません!!」

「そんな……!!」

 

 さらに混乱するブリッジで、ナナは落ち着き払ってマリューに言った。

 

「これなら領海に落ちても仕方ないですよね」

「え……?」

 

 海面へと落ちるアークエンジェルに、もうオーブ領海から離脱する術はない。

 ナナはさらに、安心させるように微笑した。

 

「さっきの指揮官……ティリング司令官には会ったことあります」

 

 意味を飲み込めずにいるマリューに、キサカが続ける。

 

「第二護衛艦群の砲手は優秀だ。砲撃がこの艦に当たることはない」

 

 言われつつも、ザフトからの攻撃はアークエンジェルを霞め、水しぶきを高らかに上げていた。

 

「……ナナ……あなた……」

 

 なおも困惑するマリューらに対し、ナナは哀しい微笑をもらした。

 

「今まで……黙っていてごめんなさい……」

 

 それだけ言って、皆を見回す。

 

「カガリと私は……ウズミ前代表の娘です」

「私たちは……義姉妹なんだよっ……!!」

 

 カガリも吐き捨てるように補足した。

 

「『ぜったいバラすな』ってさんざん言っておいて、自分が盛大にぶちまけてるじゃないか!」

「そんなに怒んないでよカガリ。この状況じゃ、こうするしかないでしょ」

 

 周囲が戸惑う間に、アークエンジェルは衝撃と供に海面へ着水した。

 そこはすでに、オーブ領海内であった。

 

≪警告に従わない貴艦に対し、我が国はこれより自衛権を行使する!!≫

 

 オーブ軍はそう宣告し、アークエンジェルに対して攻撃を始めた。

 あっという間に艦隊と軍用ヘリに取り囲まれ、水しぶきに包まれるアークエンジェル。

 ザフトは手が出せるはずもなく、後退して行った。

 

 

 

 



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入港

 傷だらけのアークエンジェルは、オーブ連合首長国本国にあるモルゲンレーテ本社の港への入港を許可された。

 オーブ側の公式発表では、

 

『地球軍戦艦はオーブ軍防衛隊の自衛措置により、すでにオーブ海域を離脱した』

 

 ……とされていた。

 

 無論、対ザフト軍用の公文である。が、彼らがそれを信じるとはオーブも到底思ってはいなかった。

 とんだ茶番……ではあるが、そうまでして、この国はアークエンジェルを守ろうとしていた。

 この異例の待遇に、サイたちは喜びと淡い期待を抱き、士官たちは安堵しつつも訝しがった。

 

 そして、ナナは……。

 

「キラ……」

 

 フレイの部屋から出てきたキラを呼び止める。

 

「ナナ……?」

 

 そして扉をチラリと見やりながら、遠慮がちに言った。

 

「少し……話せる……?」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「本当に……黙っててごめんね……」

 

 人気のない後部デッキで、ナナは呟いた。

 

「仕方ないよ……。立場が立場だったんだから……びっくりしたけどね」

 

 キラにもわかっていた。

 アークエンジェルに乗り込んだ当初、グレイスのパイロットが『オーブ連合首長国代表の娘』だと明かされては、あの時の混乱を極めた状況がさらに悪化していただろうということを。

 それに、それを隠し、敢えて地球軍の軍人として振舞わなければならなかったナナの強さも、葛藤も。

 改めて、ナナに対する自分たちの弱さを思い知る。

 

「アスハの娘……と言っても、養女なんだけどね……」

 

 そんなキラの想いを知らず、ナナは艦の後方を取り囲むオーブ艦隊を眺めながら淡白に言った。

 

「私は……軍が支援していたモルゲンレーテのMS開発局……その最高責任者の娘で、筆頭テストパイロットではあったんだけど……」

 

 他人事のように語られる、身の上話。

 

「父が死んだあと、もともと親交があったアスハ家に引き取られた……」

「……え……?」

 

 ナナは、キラの問いを先回りして答える。

 

「母は、私がまだ小さい時に男と出て行ったの。……親戚たちは、中立国のくせにMSなんか開発する父にも、そのテストパイロットだった私にも反感を持っていたから、誰も私を引き取りたがらなかった……」

 

 ナナの中に今も残る、その日の記憶。

 娘に対する罪悪感というよりは、その日までの自分自身に対する哀れみのような瞳で別れを告げた母。

 

「カガリとはもともと幼馴染だったから……そんなに悲壮感も違和感もなかったけど」

 

 ナナはそれを追いやるように笑った。

 

「それで、開発所からは籍を外れたんだけど、ヘリオポリスでモルゲンレーテが地球軍の新型MSを造ってるって噂を聞いて、“視察”に行ったの。カガリは連れて行くつもりはなかったんだけど、無理やり着いてきちゃって……」

「その時に巻き込まれちゃったんだ……君とカガリは……」

 

 カガリとナナ、そしてキラの運命を変えた瞬間が、二人の中で思い出される。

 

「まぁ……それを目にして何をするってわけでもなかったんだけどね。それが本当だとしたら、地球軍とオーブがそれをしなければならなかった理由と、これからどうしなきゃいけないかを知りたかった」

 

 キラはナナの横顔を見つめて黙った。

 実際にヘリオポリスで“G”の存在を目にして、実の父親が開発してきたMSを自身で操縦して……何を知ったのかはわからなかった。

 

「これから……どうするの……?」

 

 母国に帰った“姫”を、キラは素直に案じた。

 ナナはゆっくりとキラに視線を合わせた。

 眼下の海面が反射した日の光が、キラキラとその青い顔を照らす。

 

「オーブはたぶん、対外的には“アークエンジェルはオーブ海域を離脱した”と発表してるはず……」

「え……あの混乱の中で……?」

「そう……。でも、それをあっさりザフトが信じるわけがない……」

「じゃ、じゃあ……」

 

 ナナは再び、海面に視線を戻した。

 

「きっと……まだ近海を見張っているはず……」

 

 キラもナナから視線を外した。

 互いの胸にあるのは、アスランの面影……。

 

「なんで、オーブはそこまでしてアークエンジェルを護ろうとするの……?」

 

 今度はキラが、かき消すように話を変えた。

 

「……“私とカガリが乗っているから”……だと思う?」

 

 そう言って微笑とともに向けられたナナの問いに、キラは肯定などできなかった。

 ナナはため息をつくように、その考えを明らかにする。

 

養父(ちち)は、そんな“小さな”理由と国の行く末を天秤にかけるような人じゃない……」

 

 「だとしたら」……とナナは少し言いよどみ、言った。

 

「アークエンジェルとストライクのこれまでの戦闘データの提供、それにモルゲンレーテで開発中のMSに対するキラと私の技術協力……ってとこかな」

「……え……?」

 

 正直、キラは驚いた。

 そんな取引のために、国の存亡をかけてアークエンジェルをかばったのか……。

 力への欲求のために……。

 キラにとっては、少しの失望を伴った。

 が、ナナはそれをわかっているように言った。

 

「だから……キラにはまた無理をさせちゃうことになると思う……」

 

 そして自嘲気味に笑った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アークエンジェル入港後、にわかに慌ただしくなったモルゲンレーテの港には、地球軍の軍服を着たナナの姿があった。

 先刻、入港と同時に士官らが迎えの車で軍本部へ向かった。

 カガリも養育係のマーナにつかまり、正装させられて艦を降りた。

 それをうまくかわしたナナは、独りで懐かしいモルゲンレーテの港を歩いていた。

 

「ナナ様、ご無事でなによりでした」

 

 ひとりのエンジニアが、ナナに駆け寄った。

 

「エリカさん……、久しぶり」

 

 エリカ・シモンズ……彼女はモルゲンレーテ社の技術者であり、かつてナナの父の元で働いていた。

 ナナは複雑な笑みを返した。

 彼女とは、7、8歳の頃に出会った。

 つまり、ナナの過去から現在を知る人物となる。

 父の元でテストパイロットとして研究所にいた自分も、アスハに引き取られてからの自分も。

 今は地球軍の軍服を来てこの国に帰って来た。

 ほんの少し、きまり悪い気がしていた。

 

「うかがいましたわ……あなたがX-101グレイスを操縦してきたそうですわね」

 

 ナナはアークエンジェルを見上げてうなずいた。

 

「まぁ、ここでの経験が役に立った……ってことになるかな……」

 

 エリカの興味の先は知っていた。

 グレイス、及びストライクの戦闘記録。

 そしてパイロットであるキラとナナの運動能力データ。

 それを“ここで開発中のMS”に役立てたいと……そう思っている。

 技術者の考えることは良く分かっていた。

 己の魂を注ぎ込む研究対象を、いかに進化させるか……。

 そのためには手段を選ばない、何をも犠牲にする……ナナの父親こそがその典型的な例であった。

 

「でも、本当に良かった」

 

 が、エリカは父とは異なった。

 

「あなたがグレイスの操縦方法を知っていたから、この艦は生き残ることができたのでしょう?」

 

 ナナはエリカに視線を戻す。

 逆に彼女が、アークエンジェルを見上げて目を細めた。

 

「よく、無事で戻られましたね」

 

 一児の母でもある彼女は、人間味のある技術者であった。

 

「私が地球軍の軍服を着ていることには、何も言わないの?」

 

 だからそう言っても

 

「そうするしかなかったのでしょう? それに……」

 

 エリカは小さい子供と話すように、笑って答える。

 

「あなたの“意志の結果”なら、きっと間違いはないはずだから」

 

 ナナは答えなかった。

 そんなふうに『肯定』されても、何故なのかはわかりかねた。

 ただその時に必要だと信じる行動をとってきたからこそ、国を抜け出してヘリオポリスに行き、戦争に巻き込まれる形となった。

 それが正しかったのかなど、分かるはずもない。

 グレイスに乗ったのも、そうしなければならなかったから。

 敵を撃ったのも、生きるためと護るため……そして進むため。

 目の前の敵をなぎ払ってまで進むべき道に立っているのかすら、わからない。

 

「まるで運命のように、MSのテストパイロットだったあなたが、グレイスのパイロットになることにはなったけど……」

 

 黙りこんだナナに、エリカは穏やかに言う。

 昔、父の研究所の片隅で話したように。

 

「ヘリオポリスに向かったのは、あなたの意志があったからでしょう?」

 

 ナナは少し、うつむいた。

 アスハにひきとられて初めて、ウズミに黙って国を出た。

 どうしても、真実を知りたかった。

 ヘリオポリスで地球軍のMSを造っているという事実をこの目で見て、何故オーブがそうしなければならなかったのかを知りたかった。

 そして、自分が開発に携わってきたMSが、誰にどんな風に使われるのかを見届けたかった。

 

「それに……ウズミ様にひきとられてモルゲンレーテから離れた後、MSの開発データを回すように私に言ったのも、あなた自身の考えがあったからでしょう?」

 

 エリカは茶化すように言った。

 全てお見通しとでも言うように。

 彼女の言うとおり開発データを見せて欲しいとエリカに頼んでいたのは、開発を見届けるためと、パイロットとして並ぶもののない技術を持った自分自身への終わらない課題だった。

 アスハ家に引き取られ、「MSのパイロット」とは縁が切れたとはいえ、もしそれらを始動させねばならぬ事態に陥ったとき、もっともチカラがあるのは自分だった。

 それは、ウズミも軍もモルゲンレーテの連中も……誰もが知っている。

 決して、父の研究成果を見届けるためではなかった。

 

「あなたはお父様の意志ではなく、ずっと自分の意志で開発に協力してくれたわ……」

 

 エリカは少し、呟くように言った。

 

「この世界の……平和のためでしょう……?」

 

 この世界の平和。

 周囲の人間はもちろん、常に顔をつき合わせてきた研究所の人間にすら心の内を明かさなかったナナが、一度だけエリカに吐き出した言葉。

 

 

『私は父さんの研究のためでも、オーブが戦争に勝つためでもなく……世界の平和のためにMSに乗っている』

 

 

 二人はそれを覚えていた。

 まだナナが、9つになったばかりの頃だった。

 今言えば偽善ととれる綺麗ごとでも、幼い子供の言葉にそれはない。

 

「今は……自分たちを護ることに必死で……ただ戦争をすることしかできないんだけどね……」

 

 ナナは自嘲した。

 そう言うしかなかった。

 

 いくら強く意志を持っても、現実はただ戦争をしているMSのパイロットにすぎない。

 進みたくても、生きることに必死で、少しも先へ進めない。

 護りたくても、傷つけてばかりで……。

 もしかしたらこの先も……。

 

「そう焦らないで……」

 

 唇をかみ締めたナナの肩に、エリカはそっと手を置いた。

 

「生きて帰って来たじゃない」

 

 エリカは明るく言った。

 

「あなたの意志が折れない限り、生きていれば進めるわ」

 

 その楽観的な言葉に、ナナは戸惑った。

 

「大丈夫。私は信じてるわ」

 

 が、エリカは再び笑ってそう言った。

 

 

 

 



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オーブの獅子

 その夜、ナナはウズミの居室を訪れた。

 国を離れて以来の面会……。

 軍服ではなく私服に着替えて向かうと、勢いよく扉が開かれ、カガリが飛び出てきた。

 

「カガリ……?」

「ナナ!!」

 

 カガリは、頬を赤くはらしていた。

 中でなにがあったかは察しがついた。

 

「……ちゃんと冷やしなさいよ」

「うるさいなぁっ……!!」

 

 呆れたように言うと、カガリは口を尖らせて走り去った。

 やれやれ……そう小さくため息をつきながら、開けっ放しの扉をノックする。

 

「ナナです、失礼します」

 

 久方ぶりに会う義父は、すこし痩せていた。

 が、瞳の光は少しも衰えてなどいなかった。

 

「ナナ……無事でなによりであった」

 

 優しく笑った彼に、ナナは扉を閉じるなり深く頭を下げた。

 

「色々と……本当に申し訳ありませんでした……!」

 

 あの瞳に見つめられ、改めて罪の重さを実感する。

 わざわざ他人である自分を引きとり、普通の生活を与えてくれた“父”を失望させたことに胸が痛んだ。

 だが……。

 

「よい……」

 

 ウズミは力強く言った。

 

「そなたは自身の意志に従ったのだ……私にはそれを責めるつもりなどない」

 

 ナナの意志……父も、エリカと同じ言葉を使う。

 

「でも……」

「よいと言っておる……それより、無事に戻ったことに礼を言う」

 

 再びそれの存在に戸惑ったナナの言葉を遮り、ウズミは言った。

 

「大変だったであろうに……」

 

 そして、ナナを娘にするように抱きしめた。

 

「父様……」

 

 ナナは初めて、父の腕のなかで息をついた。

 

 小さい頃のナナにとって、ウズミ・ナラ・アスハという人物は、唯一信用できる大人だった。

 ナナのシミュレーションテストを視察に来ては、我が子のように接してくれた。

 そんなことだけではない。

 MSの開発は、オーブ連合首長国代表としての彼の意志だった。

 『他国を侵略せず、侵略を許さず、干渉しない』というオーブの意志……その象徴である彼が認めたMS開発。

 来るべき日に、チカラなくば護れない。

 理想だけでは護れない。

 ただ、それを正しく使う信念を持たねばならない……。

 ナナは彼の信念に沿った。

 だから、己の欲求だけで技術開発する父の元でさえも、テストパイロットとして開発に携わってきた。

 今回のヘリオポリスの件も……ナナはその事実を知ってもカガリと違って彼を責めなかった。

 そうしなければならない理由が、オーブにはあったのだろう。

 それはきっと、国の平和のためには必要な力なのだ……そう思っていたから。

 ただ、それをウズミに直接聞くことはできなかった。

 たとえ彼がその事実を知らなかったとしても、聞いて彼が何か答えれば『国としての言葉』となる。

 知らなかったこともまた罪。

 責任感の強い彼が、たとえ娘であるカガリやナナであっても、個人の意を明かすとは思えなかった。

 だからナナは、ウズミに黙ってヘリオポリスに向かう必要があった。

 心のどこかで、ウズミがそうする自分を知って黙認してくれている気がしていた。

 

「でも……カガリのことも、本当に申し訳ありませんでした……」

 

 が、カガリを巻き込んだのは誤算だった。

 まだ、彼女には真実を見せたくなかった。

 それを知った彼女が、父に対して何を思うか見当がついていたから。

 それに、お陰で大切な「国の姫」を危険にさらすことになってしまった。

 

「それも……あのはねっかえり娘が無理矢理着いていったのであろう」

 

 ウズミのため息に、ナナは苦笑した。

 父の真意が愛娘に伝わるには、まだ時間がかかりそうだ。

 まっすぐで、強い心を持っているだけに……そう、父に良く似て。

 

 

「それで……この後、そなたはどうする気だ?」

 

 あくまで、ウズミはナナに選ばせた。

 ナナは父の瞳をまっすぐ見上げた。

 迷いは初めからなかった。

 

「あの艦とともに行きます」

 

 自分の進むべき道は、オーブの“ウズミ・ナラ・アスハの娘”としての道ではない。

 それはカガリの役目である。

 

「私は地球軍第8艦隊提督の計らいで、軍人登録はされていないことになっています……。だから……」

 

 彼の好意を傷つけることはわかっていた。

 が、これ以上、彼やオーブを混乱させたくなかった。

 だから、ナナは言った。

 

「養子縁組を解消してください」

 

 ウズミの顔色に変化はなかった。

 ナナがそう申し出ることを、彼もまたわかっていた。

 

「行くか……。光を求めて……」

 

 かすかに目を伏せ、彼は言った。

 

「この先に、光があるのかどうかもわかりませんが……進もうと思います」

 

 ナナは彼を安心させるように微笑した。

 

「撃ち合うばかりが“道”ではないと……それもそうだと思いますが、たとえ撃ってでも、私は内側からこの争いの“根”を見極めたいんです」

 

 覚悟はある。

 恨みの連鎖に連なるその覚悟は、グレイスの操縦桿を握ったときに決めた。

 

「外側からそれを見極めるのは、この国の……父様の娘であるカガリの役目です」

 

 だからきっと、ウズミはわかってくれると思った。

 

「己のやるべきことを、進むべき道を……意志を持ってやり通せとは、父様の教えでしょう?」

 

 ウズミは初めて、声を出して笑った。

 

「誰にも……正しいことが最初からわかっているわけではない……」

 

 そしてゆっくりと窓辺により、独り言のように語る。

 

「私とて、今の言動、行動が正しいのかはわからぬ」

 

 ナナは黙って彼を見つめた。

 その一言、一言を漏らさぬよう。

 

「だが、平和の願いは皆、同じはず……それを護り、掴み取るために信念をもって進むことは、決して間違いではないのだ……」

 

 ナナの心の片隅に巣食う不安の種。

 それを壊すようにウズミはナナに強い視線をよこした。

 

「だから私は、そなたの意志を信じておる」

「父様……」

 

 力強い、「父」の言葉。

 

「そなたは強い……だからこそ、手折られそうになるときは、この『父』の言葉を思い出せ」

 

 ナナは震える心を推しとどめ、精一杯笑った。

 

「はい、『父様』……」

 

 

 

 

 

 



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フェンス越しの夕陽

 ウズミ・ナラ・アスハの計らいで、アークエンジェルの学生クルーたちは、家族との面会を許された。

 反対に、ナナは彼との養子縁組解消の書類にサインをした。

 これで、この先地球軍と行動を共にしても、オーブやアスハに迷惑をかけることはない……。

 少しの自由と安堵感、そして孤独感を得て、ナナはモルゲンレーテの工場区へ向かった。

 カガリにはまだ伝えていなかった。

 ギリギリまで、彼女には言わないつもりだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 モルゲンレーテ社、最大にして最高レベルの開発所。

 そこでは、『M1アストレイ』というMSの開発が行われていた。

 ストライクやグレイスらの“G”と同時期に開発された量産型で、もちろん、構造はほぼ同系である。

 主任設計士はエリカ・シモンズであった。

 つまりこれらも、ナナの父親の開発が礎となった機体である。

 ナナの予想通り、オーブはアークエンジェルをかくまう代わりに、このMSの開発協力をキラとナナに求めた。

 オーブ側との用事であまり顔を出せないナナの代わりに、キラがエリカ・シモンズの要請で協力しているはずだった。

 

「お疲れ様」

 

 ナナがモニタリングルームに入ると、実験場ではアサギらテストパイロットたちがアストレイを動かしているのが見られた。

 以前に視察した時は立ち上がるのもやっとだったのが、今はスムーズにパンチやキックを繰り出している。

 

「へぇ……ずいぶんうまくなったじゃない」

 

 ガラス越しに実験場を眺めていたカガリやエリカ、そしてフラガが振り返った。

 

「あなたの戦闘データをもとに、キラ君がOSをかなり書き換えてくれたおかげですわ」

 

 エリカの言葉に、ナナはデスクでひたすらキーボードを打つキラをちらりと見た。

 表情が暗く見えるのは、気のせいではないだろう……。

 トリィが変わらず、彼の肩でジッとしている。

 

「でも、まだまだ実践で通用するレベルじゃないな!」

 

 カガリが偉そうに言うと、インカムで聞いていたアサギらが反発する。

 

「カガリ様だって乗れないじゃないですか!」

 

 そしてナナの姿をみつけ、手を振る。

 

「ナナ様!あとで操縦方法を講議してくださいね!」

「マニュアルだけだとどうしてもわかりづらくって……!」

 

 ナナも彼女らに手を振った。

 実験は成功だった。

 キラがいとも簡単にナナの戦闘データを解析し、ナチュラルに合ったOSに書き換えたおかげで、いっきに実戦投入への目処がたった。

 

 実戦……。

 

 考えると複雑だった。

 戦争をしないはずのオーブに訪れるその機会は、不当に侵略されたその時のみ。

 M1アストレイはこの国の“盾”だった。

 それは、ウズミもカガリも共通の見解である。

 が、オーブの民はほとんどこれらの存在を知らない。

 平和である以上、知らなくても良い「力」だ。

 平和を宣言しているくせに、裏では「力」を強くする。

 そのジレンマがカガリの心を複雑にし、父への反感となっていた。

 そしてきっと、キラも複雑な思いで開発に協力したのだろう。

 力がなければ守れない……その現実をつきつけられた彼は、今はもう口にはしないが。

 

 

 

「じゃあ、僕はストライクの方へ行きます」

「わかりました。ご協力ありがとう」

 

 実験終了後、キラはエリカらにそう言って、修理ドックへ向かった。

 ナナもグレイスの様子を見るために、彼とともに行こうとすると、

 

「おい、キラ……!」

 

 それを、フラガが呼び止めた。

 

「なんですか?」

 

 振り向くキラに駆け寄って、フラガは言う。

 

「君こそ、なんですか? その不機嫌な顔は」

 

 言われてキラは目をそらす。

 

「お前、ご両親との面会も断ったっていうじゃないの」

「え……?」

 

 ナナにとって、それは初耳だった。

 キラの両親もオーブに居るとは聞いていたので、てっきりこのあと他のクルーと同じように面会に行くのだと思っていた。

 が、キラはフラガの問いから逃れるように歩きだした。

 

「べつに……今は会いたくないだけです」

 

 その理由を聞けずに、フラガは黙って彼を見送った。

 代わりに、ナナに目を合わす。

 ナナは案ずる彼に小さくうなずいて、キラを追った。

 

 

 

「キラ、疲れたでしょう? ここの人たちは仕事熱心だから」

 

 ナナはできるだけ明るく話しかける。

 

「あ……うん。大丈夫だよ」

 

 歩く速度を変えぬまま、キラは曖昧に答えた。

 

「開発協力も……戦争するためじゃなくて、この国を守るためだと思えば……仕方ないし」

「そう……」

 

 彼はすたすたと歩くばかりで、ナナの方を見ようとはしなかった。

 

「ナナの方の用事は終わったの……?」

「うん。ごめんね、キラばっかりにまかせちゃって」

「……いいんだ……」

 

 ぎこちない空気が流れた。

 トリィだけが変わらず、キラの肩で小さく首を動かしている。

 やがて二人は、ドックへ通じるエレベーターに乗った。

 キラがボタンを押す。

 動き出して、彼は呟いた。

 

「フレイが……っ……」

 

 奥に寄りかかっていたナナは、彼の背が震えていることに気づく。

 

「フレイと……何かあったの?」

 

 ナナも思わず息をのんだことを悟られないように、努めていつもの口調で尋ねる。

 と、キラは躊躇いながらも吐き出した。

 

「僕が両親に会わないのは……自分に同情してるからだろうってっ……」

 

 キラはまるで、泣きだしそうだった。

 

「……戦って……苦しんで傷ついて泣いて……独りぼっちの僕なんかがっ……同情するなって……!」

 

 ナナは黙って聞いていた……が、彼が吐き出さずにはいられない言葉を受け止められる自信などなかった。

 

「僕の方がっ……可哀そうだって……!!!」

「キラ……!!」

 

 思わず、彼の震える肩に手を置く。

 その時、ブザーとともにエレベーターの扉が開いた。

 開けた視界に、トリィが鳴く。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は一瞬、その場所がどこか忘れて立ちつくした。

 そして、

 

「ごめん……ナナ……」

 

 キラがうつむいたまま低い声で言った。

 

「僕たちは……間違ったんだ……っ……」

 

 ナナの手から離れ、キラは再び歩き出す。

 遅れてナナは、あとを追った。

 フレイの言葉を……キラの言葉を……聞いてもナナにはわからなかった。

 フレイが何故そんなふうにキラを傷つけたのかも、キラが二人を「間違った」と言った理由も……「ごめん」と、自分に対してそう言った訳も……。

 ナナにはわからなかった。

 そして、かけるべき言葉も……。

 

 何も見つからないまま、ナナはまるで次の答えを探すように、キラの背を追った。

 修理中のグレイスを通り過ぎ、挨拶するエンジニアたちに曖昧に返事を返し……ストライクのコックピットに乗り込むキラのそばに行った。

 もの凄いスピードでキーボードを叩くキラ。

 

「おーい、ナナ!……じゃなくてナナ様! グレイスのフライングパーツの付け替えが終わったんで、流動システムの調節をしておいてくれ!! バージョンが上がったらしいから、OSいじらないといけないらしい!!」

 

 機体の下から、マ―ドックが声をかける。

 

「あ……うん。わかった」

 

 キラに気を取られていたナナは、曖昧に返事をした。

 が……。

 

「君は……」

「え……?」

 

 手を止めず、キラが言う。

 

「君は、アークエンジェルの修理が終わったら……どうするつもりなの?」

 

 キラは改めてそれを尋ねた。

 マリューもフラガも、未だ彼女には何も聞かなかった。

 立場上……これ以上「地球軍」と行動を共にして良いはずはない。

 オーブ近海での戦闘で、『ナナ・リラ・アスハは、ヘリオポリス崩壊の折に遭難し、たまたま地球軍に保護され、運よくオーブに送り届けられた』……これが地球軍にもオーブにも、そしてザフトにも公式的な記録となっている。

 無事、祖国に帰ったアスハの娘が、再び地球軍の戦艦に乗って戦場へ向かう理由はなかった。

 みんな、それをよくわかっている。

 

「何も変わらないよ」

 

 が、ナナは少しの落ち着きを取り戻して答える。

 

「私はみんなと一緒に行く」

「え……でも……」

 

 キラはようやく手を止め、ナナを見上げた。

 

「君が地球軍として戦争に行ったらオーブは……」

 

 ナナは微笑を返した。

 

「私は……国とはもう関係ないの」

「え……?!」

「さっき……アスハとの養子縁組を解消してきたから……」

 

 キラの瞳が歪んだ。

 それをキラの優しさと受け取ったナナは、胸の奥の罪悪感を握りしめるようにしてキラに言う。

 

「だから……キラもここを離れる前に、ご両親に会っておいた方がいいよ」

「…………」

「……ね……?」

 

 キラは再びうつむいた。

 キーボードの上で、彼の拳がゆっくりと握られる。

 

「キラ……」

 

 彼の空気は孤独だった。

 このまま……再び戦場へなど出られるはずもないくらいに。

 

「今……会ったら……」

 

 かすれた声で、キラは呟いた。

 ナナにしか、聞こえない小ささで。

 

「今会ったら、聞いちゃいそうだから……」

 

 再び、彼の次の言葉を受け止めきれないという不安で震えたナナに、キラは闇を吐きだした。

 

「『なんで僕をコーディネーターにしたの』って……!!」

 

 その瞬間、トリィが彼の肩から飛び去った。

 

「トリィ……!」

 

 トリィはあっという間にナナの横をすり抜け、二人の頭上で旋回してから飛んでいく。

 

「トリィ……!」

「どこに行くの……?!」

 

 二人はあっという間に見えなくなったそれを追って走り出した。

 

 

 

 

「どこいっちゃったんだろう……」

「今までこんなふうに突然遠くに行くことはなかったのに」

 

 ドックを出ると、工場区の敷地内は夕日が照らされていた。

 まぶしさで僅かに痛む目を細めながら、二人はオレンジ色の空を見まわす。

 

「まさか、フェンスを越えて行っちゃったのかな……」

「海の方とか……?」

 

 二人は同時に、モルゲンレーテ社の工場区を仕切るフェンスを見やった。

 

「…………!」

「…………!」

 

 そして、同時に息をのんだ。

 フェンスの向こうで……、作業着を着た少年が数名、止めた車の側からこちらを見ていた。

 ひとりが両手に何かを持って、ゆっくりとフェンスに近づいて来る。

 吸い寄せられるように、二人は黙ったまま“彼”に向かって歩いた。

 フェンス越しに、キラは相手を見た。

 

 作業着を着たモルゲンレーテのスタッフであるはずの“彼”は……ここにいるはずのないアスラン・ザラだった。

 

 彼はぎこちなく、両手に乗ったトリィを差し出した。

 

「君……の……?」

 

 震える手を隠すようにゆっくりと、キラはそれを受取る。

 トリィはキラの手に乗り移ると、アスランへと向きを変えてから小さく鳴いた。

 

「ありが……とう……」

 

 なんとか答えたキラに、アスランは背を向けて歩き出そうとした。

 向こうで彼の仲間がこちらを見ている。

 他にすべき会話はなかった。

 

「大切な……」

 

 が、キラは思わず言った。

 アスランが立ち止まる。

 

「大切な友達にもらった……大切なものなんだ……」

 

 ありったけの意味をこめて、キラは言った。

 

「そう……なんだ……」

 

 小さくアスランは答えた。

 そして、それ以上のやりとりは許されぬまま、彼は仲間に呼ばれて去って行った。

 

 トリィがもう一度鳴いた。

 フェンスの向こう……道路のもっと向こうには、海がオレンジ色に光っていた。

 

「アスラン……」

 

 不意にナナがつぶやいた。

 キラははっとしてナナを見たが、諦めたように言った。

 

「う、うん……。今のがアスランだよ……声でわかった……?」

 

 ナナは答えぬまま、両手でフェンスを握った。

 

「彼がここにいるってことは……やっぱり、まだザフトは近くにいたってことだよね……」

 

 キラは不安をなだめるかのように落ち着いた声で言う。

 

「あの仲間が……他のMSのパイロットなのかな……」

 

 しかし、ナナは一言も返さなかった。

 

「ナナ……?」

 

 彼らがいた場所から、ナナは視線を外せずにいた。

 

「ナナ、大丈夫だよ……またアスランと戦うことになるけど、僕は……」

「キラ……っ……」

 

 ナナはキラの言葉を遮った。

 その声は情けないほど震えていた。

 

「ナナ……?!」

 

 フェンスをつかむ両手を力いっぱい握りしめ、ナナは迷いと戦うように歯をくいしばって足元を見た。

 

「ナナ?!」

 

 キラはナナの肩に手を置く。

 トリィが再び飛び立ち、ナナの目の前のフェンスに止まった。

 

「ナナ……!」

 

 ナナはトリィを見て一度強く唇をかんだ。

 そして、キラを向く。

 不安げなキラの瞳の中に、今にも泣き出しそうな自分が映っていた。

 

「キラ……私……」

「ナナ……?」

 

 言いかけて、再び目を逸らす。

 こんなに息が詰まるのは初めてだった。

 が、いつかは話さねばならない。

 キラと同じ痛みを、自分も知っている……と。

 『親友』と戦わなければならない彼と、『一度だけ会ったことのある相手』と戦わなければならない自分では、痛みの大きさは違うのかもしれない。

 が、それでも同じである……と、伝えたかった。

 それでキラが楽になるわけではないけれど。

 共通の想いはきっと、少しは力になるはずだった。

 今まで言えなかったのは……、今もこうして情けなく躊躇っているのは……、もしかしたらキラが自分のぶんまで痛みを背負ってしまうかもしれないと思ったからだ。 

 キラは優しいから。

 ナナが『キラの代わりに自分が“アスラン”と戦う』と思ったように。

 

「私っ……」

「なに……?」

 

 いや、違う。

 ただ、言えないだけだ。

 『アスランと戦う』と、言えないだけだ。

 ずるい、馬鹿だ、最悪だ。

 何もかもから目を逸らしたくなる。逃げたくなる。

 

「ナナ……、向こうで少し休もう……」

 

 こんな卑怯で醜い自分にも、キラはこんなに優しい。

 だから、言おう。

 同じ痛みを、自分も知っている……と。

 “事実”をちゃんと伝えよう。

 

「私……、あの時……」

「あの時……?」

 

 促すように、トリィが鳴いた。

 『大切な友達』……キラの言葉をかみしめながら、ナナはついに口を開く。

 

「私……アスランと……」

 

 その時、

 

「ナナーっ!!」

 

 遠くから聞こえた声。

 向こうから、カガリが走って来た。

 

「カガリ……」

 

 キラがナナの肩から手を離すと同時に、カガリはその両肩をつかんで揺さぶった。

 

「ナナ!! 養子縁組を解消したって本当か?!!」

 

 一瞬、ナナにはカガリの問いの意味が呑み込めていなかった。

 

「さっきお父様が言っていた! 本当なのか?!」

「カ、カガリ……!」

 

 カガリの勢いを、キラは止めようとする。

 

「カガリ、ちょっと待って、ナナは……」

「ナナ! どういうつもりなのか、ちゃんと私に説明しろ!!」

 

 しかし、カガリも必死だった。

 突然の事態に、彼女もまた混乱していたのだ。

 その綺麗な金髪が、夕陽に照らされて眩しかった。

 

「カガリ……ごめん……」

 

 ナナはのろのろと口を開いた。

 あまりにも情けない顔をしていたからか……キラとカガリは言葉を失って固まった。

 

「その話は、あとでちゃんとするから……キラもごめん、続きはまた今度……」

 

 ナナは歪んでいるのを承知で笑んだ。

 

「私、遅くなる前に今日のグレイスの修理工程をチェックしなくちゃ……」

 

 そして、そう呟くように言い残し、二人の前から去った。

 

 

 

 

 



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碧い石

 ザラ隊を乗せたボスゴロフ級空母は、オーブ領海から少し離れた位置で補給を受けていた。

 アスラン・ザラは独り、艦の上部デッキに座り、潮風に当たっていた。

 カモメが何の苦悩もないように、自由に空を飛んでいた。

 

「ナナ・リラ・アスハ……か……」

 

 先日のオーブ臨海での戦闘に、グレイスは出撃しなかった。

 スカイグラスパーも1機だけだった。

 あの小さな島で出逢った少女、“ナナ・イズミ”は出撃しなかった。

 懸命に“足付き”と、そしてストライクと戦いながらも、心のどこかで安堵した。

 手に怪我を負い、熱まで出していた、顔色の悪い少女の姿が戦場に無かったという事実に。

 が……。

 それもつかの間、彼女は突然戦場に現れた。

 全周波チャンネルから聞こえた声は、確かにナナ・イズミの声だった。

 ただし、彼女はオーブ連合首長国前代表の娘、“ナナ・リラ・アスハ”と名乗った。

 

「確かに……軍人ではなかったな……」

 

 アスランは首に下げた石を眺めた。

 蒼い石は、空と海の光を受け、美しく煌めいていた。

 

「ナナ……」

 

 孤島での出会いは、無かったことになっていた。

 が、彼の中であの時間を無にするわけにはいかなかった。

 

『私はあなたの敵でしょう……?』

 

 そう言って自嘲めいた瞳の中に在った、傷ついたような影。

 それが今でも容易に目に浮かぶ。

 

『撃たれたから撃って……また撃ち返して……キリがない……』

 

 吐き捨てるような呟きは、どんな答えを期待していたのか。

 

『じゃあ、それはいつまで続くの……?』

『何が敵? 何が悪かったの……?』

 

 そんなこと、誰もわからないと……そう答えようとした。

 その矢先。

 

『……その答えを見つけるまでは、あの機体に乗り続ける……』

 

 ナナは振り絞るように決意を吐き出した。

“敵軍のパイロット”である自分に対し、刃を突きつけるようでいて……何故か自分が一番傷ついたような顔をしていた。

 その影を見とめながらも、だったら自分は敵だと告げたとき、ナナは穏やかに肯定した。

 意図せずして、その言葉は彼女の影を濃くした。

 あの顔は忘れない。

 まるで目の前で消えそうな、危うい儚さ。

 そして、自分のことを「やさしい」と言い、キラと戦わねばならぬ現実に涙を零したナナの心を持て余した。

 

 蒼い石の輝きは、ナナに似ていた。

 空と海に解けてしまいそうな儚さが、その石にもあったから。

 モルゲンレーテのフェンスの向こうで、キラと一緒にいたナナは、思わぬ再会に蒼白になっていた。

 だから逆に、ちゃんとキラにトリィを返すことができた。

 イザークたちの前で、何も傷つけずにすんだ。

 

「オーブに……残ってくれればいいが……」

 

 一国の元代表の娘。

 表向きには、ヘリオポリスの一件で「保護」された公人だ。

 生き残るためにやむを得ず、グレイスに乗って戦ったとして……母国に着けばその必要はないだろう。

 普通なら、無事の帰国を果たしたところで彼女の旅は終わるはずだ。

 だが……。

 アスランはため息をついた。

 ナナはそれで終わりにするような人間ではないと……たった二度の出会いで知ってしまった。

 ただ生き抜くために仕方なく力をとったなら、大切な護り手であるキラを「返す」と言う訳が無い。

 ただザフトを「敵」とするなら、あんなに無防備な姿をさらす訳が無い。

 残念ながら「答え」を見つけるまで戦うと言ったナナの意志は、凛としていた。

 胸が苦しくなるほどに……。

 それはオーブに帰り着いたとて、おそらく揺らいではくれないだろう。

 いや、そもそもオーブに生きて帰ることが目的だったとも思わない。

 あの状況で名を明かしたのは、仲間を護るための苦汁の選択だったのだろう。

 残念ながら……ナナはそういう人間なのだと、……知ってしまった。

 

「アスラン! ここにいたんですね!」

 

 もう一度深くため息をついたとき、ニコルが現れた。

 アスランは石を軍服の中にしまった。

 

「向こうでイルカの群れが見れるそうですよ! 行きませんか?」

 

 ピアノを愛する彼もまた、こんな戦場には似合わないやさしい人間だった。

 彼のことも、護らねばならない。

 アスランは曖昧に返事をしながら、そう思った。

 たとえ誰が“向こう側”にいようと……それはもう“敵”なのだから……。

 迷っていては護れない、撃たねば撃たれると……誰もが何度も言い聞かせているはずだ。

 きっとキラも……そしてナナも……。

 

「次の作戦……、不安ですか?」

 

 うつむいた彼に、ニコルは心配そうに尋ねた。

 次の作戦とはつまり……オーブを出た“足付き”を網を張って待ち構え、落とすこと。

 

「大丈夫ですよ」

 

 イザークとディアッカは猛反対した。

 無理も無い。“足付き”がまだオーブにいるという確証が、潜入操作で何一つ得られなかったのだから。

 が、ニコルは賛同してくれた。

 

「僕はアスラン……じゃなかった、ザラ隊長を信じてますから」

 

 そう、間違いなく“足付”きはオーブに居たのだ。

 キラとナナが居のだ。

 誰にもそれを言えないから説得はできないが、これは確証というより事実だ。

 そして彼は、隊長としてこの作戦を決めたのだ。

 

「ああ……」

 

 アスランはまた、曖昧に笑った。

 

 

 

 

 

 



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第4章 アラスカ編
出航


 アークエンジェルの修理は完了し、出航の時が来た。

 港のドックに出水が始まり、アークエンジェルは再び戦の水に身を浮かべる。

 ナナは地球軍の軍服を着て、アークエンジェルのドックにいた。

 そしてすっかり甦ったグレイスを見上げていた。

 

 みな、彼女がアスハの名を捨てて同行することに、驚きを隠さなかった。

 が、ナナは相変わらず平然としていた。

 己の意志を言葉にして言うつもりはなかったし、マリューやフラガが理解してくれているとわかっていた。

 それに……。

 正直、フェンス越しに見た顔が頭から離れなかった。

 だから、自分のことについて考える余裕がなかった。

 

 

 

 やがて、いよいよ出航というときに、ブリッジからアナウンスが入る。

 キラと自分に、後部デッキに上がるようにとの指示だった。

 

「キラ」

「……なんだろう……もう出発なのに」

 

 二人は互いの間の空気をぎこちなくしたまま、供にデッキに上がった。

 すると、港からカガリが駆けてくる。

 彼女は走りながら、港施設の上方を指差した。

 

「お前のご両親っ……!!!」

 

 ナナの隣で、キラが息をのんだ。

 そこからコチラを向いていたのはウズミと、そしてキラが決して会おうとしなかった彼の両親だった。

 二人は届くはずの無い声で何か言い、キラの母は泣いた。

 

「キラ! ナナ!」

 

 やがてデッキに上がってきたカガリが、息を切らしながら言った。

 

「キラ……! 本当に、会わないまま行くのか?!」

 

 キラはうつむき、両親のいる方に背を向けて言った。

 

「……二人に……心配しないでって……伝えてくれる?」

 

 カガリはうなずき、それ以上何も言わなかった。

 そして、ナナに向き直った。

 

「ナナ……お前はいつでも、私の姉なんだからな!」

「カガリ……」

 

 少し涙をため、叫ぶように言った。

 

「ぜったい(うち)に帰って来いよ!」

 

 オーブの公人の服を着たカガリを、ナナは目を細めて眺めた後

 

「わかった」

 

 小さく笑った。

 そして、父の言葉と想いを受け止め、ここに残ることを決めた“妹”に誓った。

 

「行ってくるね」

 

 カガリは少し零れた涙を拭って笑った。

 そしてナナとキラに抱きついた。

 

「お前らっ……死ぬなよ……、絶対!!!」

 

 ナナとキラは彼女を安心させるようにうなずいて、別れを告げた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アークエンジェルはいよいよ戦の海へと舵をとった。

 ウズミは領海ギリギリまでオーブの護衛艦をエスコートさせた。

 再びドックに戻ったナナとキラは、そのままパイロットスーツに着替えていた。

 示し合わせたわけでない。

 ただ、二人とも()()()()()からそうしたまでだった。

 何の命令も出ないまま、ストライクとグレイスに乗り込む二人に、マードックは当然驚いた。

 

「おいおいどうしたんだよお前ら? まだ戦闘配備はしかれてねーぞ」

 

 キラは淡々とコックピットに入りながら言った。

 

「領海を出たら、ザフトの攻撃が始まりますから」

 

 その言葉にどれだけの確信があるのか、マードックには知る由も無かった。

 ただその数十分後、オーブの領海を出て間もなく、二人の予想どおりに第一戦闘配備が発令された。

 

 

≪向かって来るMSは、デュエル、バスター、ブリッツ、イージスの4機です!≫

 

 ミリアリアから通信が入っても、二人に驚きなどあろうはずも無かった。

 

≪グレイスは艦上空、ストライクは後部デッキへ……!≫

 

 指示が入ってから、ナナは初めてキラに通信を入れた。

 

「キラは迎撃に回って! 私はスカイグラスパーと空中戦をやる」

≪了解!≫

 

 あえて二人とも、“アスラン”については触れなかった。

 ナナはキラに気遣う言葉をかけなかった。

 結局、彼には話せなかった……。

 今さらそれ話してもどうにもならないし、何より自分も余裕がなかった。

 

 発進後、グレイスはすぐに遠距離からバスターの攻撃を受けた。

 回避行動は難なくこなす。

 グレイスの操縦桿を握るのは久しぶりだったが、ナナの腕は衰えてはいなかった。

 ストライクもトールの乗ったスカイグラスパー2号機の支援を受け、煙幕の陰からビーム砲を放つ。

 敵の4機が散開したと同時に、グレイスは長く折られていた羽を羽ばたかせてバスターに接近し、『グゥル』を破壊する。

 それが無ければ、モビルアーマーに変形できるイージス以外の3機にとって、大気圏での空中戦は不得手だった。

 自在に空を飛べるグレイスは、イージスに向かって行く。

 

(イージスは……私がっ……!!)

 

 ナナには以前より強い思いがあった。

 “アスラン”のことは頭から捨てる。

 たとえここで彼を撃つことになっても、自分が撃たれたとしても、キラがそうなるよりは良いように思えた。

 

 あの夕暮れに、フェンス越しに向き合うキラとアスラン、そして自分。

 一番恐ろしいのは、キラとアスランが殺し合うことだと思った。

 そんな瞬間は見たくない。

 そんなことはさせたくない。

 だから、あの孤島での優しい“アスラン”は忘れてイージスに銃を向ける。

 が、“イージスのパイロット”の腕はナナを凌いだ。

 追い詰められないまま、アークエンジェルへの攻撃を許してしまう。

 

 しかし、トールからの支援もあり、互いに決定的なダメージのないままに時が過ぎる。

 全体の戦況は、アークエンジェル側の有利な展開で進んだ。

 

 グレイスはエネルギーパック補充のため、一時的にアークエンジェルに着艦した。

 おそらくストライクもあと10分でこの行為が必要になるだろう。

 しかし、それ以前に敵の4機が先にフェイズシフトダウンするはずだった。

 

「ミリアリア、敵の状況は?!」

≪ストライクの攻撃でブリッツが戦闘不能に、デュエル、バスターもグゥルを失ってるわ。今はスカイグラスパー1号機が交戦中です≫

「……イージスは?」

≪ストライクと交戦中……! 今小島に着陸したところよ!≫

 

 ナナは奥歯を噛んだ。

 すでに汗でびっしょりだった。

 

「エネルギーパック交換終了、グレイス出ます!!」

 

 早く其処へ……!

 嫌な予感がした。

 

 

 

 再び明るい空の下へ出ると、眼下の小島でストライクがイージスと交戦していた。

 痛む胃を押さえつけ、迷わず其処へ向かう。

 

≪ストライク! 何をしている!! 出過ぎるな!!≫

 

 アークエンジェルから通信が入るも、ストライクはイージスへ向けたソードを引かなかった。

 そしてイージスも、激しくストライクに応戦する。

 が、ついにイージスのフェイズシフト装甲が剥がれた。

 

「キラ……!!!」

 

 続く言葉は出なかった。

 「撃つな」と言えば罪になる。

 じゃあ、キラより先に撃てば……と思えども引き金を引く指は動かない。

 グレイスはソードを振り上げたストライクの脇にただ降り立った。

 

「キラ……待って……!!」

 

 力尽き、ただのグレイの塊になったイージス。

 必死で頭をめぐらして、ナナはキラに言う。

 

「待って! このまま……」

 

 このまま拘束を……。

 

 刃を振り下ろす前にそうして欲しいと言いかけたその時、グレイスの右肩に突然衝撃が走る。

 

「……ぐっ……!!」

≪ナナ……?!≫

 

 戦艦1隻分の大きさもない、小さな島だった。

 木も生えない岩盤むき出しの島。

 一体何処から……?

 十数メートル後方へ押し込まれて顔を上げると、ブリッツがミラージュコロイドを解いてこちらへ向かって来ていた。

 

「ブリッツがっ……!?」

 

 最後のミサイルをグレイスに向けて放ったのだ。

 

「キラ……!!!」

 

 ナナは咄嗟に前方のストライクを見た。

 今、こちらは完全に虚をつかれている……。

 

 それからは、やけにスローモーションでその光景が映った。

 

 ストライクは体当たりしてくるブリッツを寸前で避けた。

 そして、手にしたソードでブリッツのコックピット斬りつけた。

 

 グレイスと、ストライク、そしてイージスの目の前で、ブリッツは爆音と供に散った。

 

 

 

 



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君の敵

「やったじねゃーか!!」

「ついに1機落としたんだってな!!」

 

 ストライクから降りたキラを、整備クルーたちが両手を挙げて迎えた。

 

「最近のお前は本当にすげーな!」

「この調子で残りも頼むぜ!」

 

 敵機を落としたパイロットを褒め称える声に、キラが応えるはずは無かった。

 

「やめてくださいっ!!」

 

 叫んだ彼の纏う異常な空気に、ドック内は一瞬にして静まりかえる。

 

「人を殺したのに……『よくやった』だなんてっ……!!」

 

 苛立ちながら吐き捨てたキラに、誰かが小さく呟いた。

 

「今さら何だよ。今までだってさんざんやってきたじゃねーか……」

 

 ビクン……とキラの肩が震えた。

 そのタイミングでフラガが間に割って入らなければ、取り返しの付かない事態になりかねなかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ナナは乱れた息を整えもせず、キラを追った。

 フラガのキラに対する言葉は、もっともだと思った。

 

 『自分たちは戦争をしている、人殺しじゃない』

 『迷っていては自分が撃たれる』

 

 キラも「わかっている」と叫んだ。

 

「キラ……」

 

 ようやく追いついても、彼はナナを振り返ろうとはしなかった。

 ナナは次の言葉を躊躇った。

 何度も何度も、キラに対する言葉を彷徨わせてきた。

 が、これほどに躊躇ったことはない。

 

「次は……むこうの3機も仲間の敵を討とうと、これまで以上に責めてくるよ」

「わかってるよ……!」

 

 彼の背は、ナナの言葉を拒絶していた。

 だが、ここで言わなければ、次にキラが撃たれてしまう。

 どんなに拒絶されても、嫌われても、ナナには言う必要があった。

 

「“イージス”は……きっと“迷い”を捨てて撃って来る……」

「…………!!」

 

 イージス……「アスラン」と言えず、ナナは「イージス」と言った。

 そして、キラの背すら直視できず、床に視線を落とした。

 

 親友の仲間を殺したキラの気持ちも、親友に仲間を殺されたアスランの気持ちも、どちらもナナを締め付けた。

 だからといって、どちらも救うチカラなどナナにはなかった。

 もどかしく、悔しくて……二人の運命を呪うことすら無責任な気がして、ナナもまた拳を握った。

 ただ、アスランがこれまでの迷いを捨て、キラを本気で撃って来ることだけはわかった。

 だから……。

 

「次に襲撃があったときは……私が“イージス”を撃退する」

「……え……?!」

 

 キラはその言葉に驚き、初めてナナを振り返った。

 

「キラはアークエンジェル防衛と、グレイスの援護に回って」

 

 淡々と言おうと努めても、アスランの面影が浮かんで声が震えそうになる。

 

「私が“イージス”と戦う……!」

 

 それは自分自身にも突きつけた決意の言葉だった。

 それを揺るがぬものにするよう、ナナはまっすぐにキラの瞳を見つめる。

 キラは歯を食いしばった。

 明らかに苛立ちを増していた。

 

「大丈夫だからっ……!」

「キラ……!」

 

 ナナの決意は跳ねつけられた。

 

「僕は大丈夫だから!!」

「でもっ……! キラっ」

 

 さらに食い下がろうとしたところをキラは吐き捨てるように言った。

 

 

「君が『戦え』って言ったんじゃないか……!!」

 

「……え……?」

 

 

 一瞬にして身体も頭も冷えきった。

 

「撃たなければ撃たれるって……! そう言い続けてきたのは君だよ」

 

 キラの吐き出した心の意味は、とても今受け止めきれるものではなかった。

 

「君の言ったとおりだってこともわかった。撃たなきゃ撃たれる……戦わなきゃ護れない……だから僕は撃ったんだ!!」

 

 やり場のない怒り……いや、憎しみに似た焔が、やさしいキラの背で激しく揺れていた。

 

「キラ……」

「僕は……“イージス”と戦うよ……!!」

 

 ちがう……。

 こんなキラを見たかったわけじゃない。

 キラにこんな言葉を吐かせたかったわけじゃない。

 持ってほしかったのはこんな決意じゃない。

 

「キラ……」

 

 擦り切れた心で、歩き出したキラの背に、ナナは精一杯言った。

 

「“彼”はあなたの敵じゃない……」

 

 キラは立ち止まり、

 

「僕は……」

 

また吐き捨てるように呟いた。

 

 

「“彼”は……僕の敵だよ……!!」

 

 

 抱えていたヘルメットが、ナナの腕から床に落ちた。

 再び遠ざかるキラの背を、ナナは追うことができなかった。

 力が抜け、壁に手をつきながら、ナナは“彼”の面影をかみ締めた。

 

「……キラ……!!」

 

 喉の奥で止まった言葉は、キラにはもう、伝わることはなかった。

 

 

 

 

 



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黒煙


 戦いは必然……。
 アラスカ基地の勢力圏内まであと少し……というところで、アークエンジェルは苦戦を強いられる、
 ブリッツを失ったザフトの追撃部隊は、さらに勢いを増して責め立ててきた。
 辛うじて迎え撃つアークエンジェル。
 キラも、ナナも、平常心ではなかった。
 やはり、「イージス」はストライクを攻めてきた。
 二人の戦いに割って入ることなど、ナナにはできるはずもなかった。


 海も空も、仲間を失った3機の強奪“G”の殺気で埋め尽くされていた。

 グレイスはデュエルと、スカイグラスパー・フラガ機はバスターと交戦していた。

 その隙を突くようにして、さらにディンも襲い掛かる。

 ナナに、イージスと戦うストライクの援護に向かう暇など与えられなかった。

 

「キラ……!!」

 

 ストライクとイージスが近くの孤島に降りたところまではモニターで確認できた。

 だが、今はただ祈るしかなかった。

 あれ以来、一度も目を合わせていないキラの、強さと弱さが怖かった。

 撃っても撃たれても……きっと何も残らないと思った。

 キラをこんなふうにしたかったんじゃない。

 あんな目をして戦って欲しかったんじゃない。

 そんな言葉を言って欲しくなかった。

 

『“彼”は……僕の敵だよ……!!』

 

 ちがう……。

 

 ナナの心はそう叫ぶ。

 かつての親友といっても、敵軍に属する者を“敵”じゃないと言う方が間違っているのかもしれない。

 だが、間違っていようと何だろうと、ナナの信念は彼をキラの“敵”としてはいけないと叫んでいる。

 そしてナナにとっても……。

 だが、心の叫びは声にならなかった。

 キラに言うほど強くなれなかった。

 躊躇いと戸惑い。

 それに揺さぶられたまま、ナナはグレイスに乗っている。

 

「くっ…………!!!」

 

 ナナは心の揺れをなぎ払うように、デュエルの片足を切り捨てた。

 青い海へと降下していく機体。

 目の前で避難民を乗せたシャトルを撃破した“彼”のことも、殺したいわけじゃない。

 とりわけ執拗に攻撃をしてきても、“彼”を殺したいわけじゃない。

 だからナナは、落ちて行くデュエルが撃ち続けるビーム砲を避け、反撃もせずにそこから離脱する。

 ディンの羽を撃ち抜き、エンジンをやられて孤島に不時着したアークエンジェルの元へ。

 

「フラガ少佐……?!」

 

 島を抉るように落ちたアークエンジェルに近づいた時、サブモニターには船尾から黒煙をして帰投するスカイグラスパーが映し出された。

 

《バスターにエンジンをやられた。これより帰投する……!!》

「了解……!」

 

 メインモニターには、アークエンジェルの正面に落ちたバスターが映し出されていた。

 ナナはまっすぐにそこへ向かった。

 アークエンジェルとバスター。

 どちらも推力を失い身動き取れない状態だった。

 が、アークエンジェルは正面のバスターに主砲の照準を合わせる。

 そしてバスターも未だ手にしていた高エネルギーライフルを、アークエンジェルのブリッジに向けた。

 

 ナナの中で、何かが弾けた。

 

「もうやめてっ……!!」

 

 双方が引き金を引く寸前、ナナは間に躍り出てバスターを組み敷いた。

 バスターは背中から倒れたが、まだライフルを手放さなかった。

 が。

 

「聞こえる……?」

 

 ナナは背後のアークエンジェルから熱量を感じながら、眼下のバスターに問う。

 

≪ど、どけよ……!!≫

 

 バスターのパイロットが言った。

 そしてライフルをグレイスに向ける。

 

「降伏を……!!!」

 

 だがナナは、バスターのコックピットを見つめたまま低い声で言った。

 

≪な、なんだとっ……?!≫

「降伏しなさい!!」

 

 祈りすら滲ませたその声に、バスターのパイロットが息をのむ。

 

「私を撃っても、アークエンジェルの主砲があなたを撃つ……!!」

 

 アークエンジェルの主砲はまだ、グレイス越しにバスターをロックしている。

 

「……お願いだから降伏して」

 

 アークエンジェルのナタルからは、通信が入っていた。

 が、ナナの耳には入らなかった。

 ただ願った。

 オーブで見かけたアスランの仲間たちの一人……それがこのパイロットだと確信し、これ以上命を落としてほしくないから願った。

 

 少しの沈黙の後、アークエンジェルからの通信をナナが完全に切った瞬間、バスターのコックピットが開いた。

 アスランと同じ赤いパイロットスーツが現れる。

 ヘルメットをとった“彼”は、浅黒の肌をした金髪の少年だった。

 

≪……ザフト軍“ザラ隊”所属、ディアッカ・エルスマン……≫

 

 彼は両手を上げ、グレイスのコックピットに向かって名乗った。

 

≪……投降する……≫

 

 願いは通じた。

 ナナはアークエンジェルに通信を入れる。

 

「こちらグレイス、バスターのパイロットが投降しました。バスターに対する戦闘を解除してください」

 

 もの言いたげなナタルが了解すると、ナナは安堵し、息をついた。

 その時、近隣の島から爆音が鳴り響き、地を揺るがした。

 背に嫌なモノを感じ、ナナはその方向を見る。

 と、尋常ではない規模の黒煙が、不気味に空へ立ち上っていた。

 

 

 

 

 

 



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震える芯

「トールと……」

 

 ナタルが告げたのは、スカイグラスパー・ケーニヒ機と、そして……。

 

「キラ……が……?」

 

 ストライクのロストだった。

 

≪イズミ少尉! 聞いているのか?!≫

 

 しばらく、目の前が真っ暗だった。

 ようやく我に返ったとき、ナタルの声がコックピットに響いていた。

 

≪今バギーをそちらへ向かわせて、捕虜を確保する。少尉はバスターの主要パーツを艦へ収容しろ!!≫

 

 ナナは黒煙から、同じくそれを見上げるバスターのパイロットへ視線を移した。

 そして、奥歯を強くかみ締めた。

 

(トール……キラ……!!)

 

 胸の奥に、二人の名を……そして

 

(……アスラン……!!)

 

 もう一人の名をしまいこみ、

 

「グレイス了解しました」

 

 ブリッジにそう答えた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスは、トール・ケーニヒとキラ・ヤマトをMIA(Missing In Acution)と認定した。

 彼らの機体の捜索はしなかった。

 なぜなら、艦はさらなるザフトの追撃を避け、一刻も早くその場を離脱せねばならなかったからである。

 マリューはオーブへ救援信号を打ち、断腸の思いで島を後にした。

 

 ロッカールームで、ナナは着替えもせずにうずくまっていた。

 ヘルメットは隅に転がり、ロッカーの扉はへこんでいた。

 

(やらなくちゃ……!!)

 

 震える肩を押さえつけた。

 

(私がみんなを護らなくちゃ……!!)

 

 血が滲むほど、唇をかみ締めた。

 

(しっかり……しなくちゃ……!!)

 

 くらくらするほど強く目をつむった。

 

(……強く……!!)

 

 息を吸うことも吐くことも止め、心の芯に力を込めた。

 

(……強くならなくちゃ……!!!)

 

 

 やがて軍服に着替えたナナは、静かな顔でロッカールームを出てブリッジに上がった。

 へこんだロッカーの前に、一粒だけ落ちた雫が染みを残していた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 艦長室での作戦会議の最後、ナナは言った。

 

「向こうの追撃部隊もかなりの打撃を受けているはずです。次は私が艦を護ります」

 

 そして士官たちの深刻な空気をかき消すように微笑して、その場を後にした。

 

 

 フラガやマリューが目を見張るほど、ナナはあれから冷静に立ち回った。

 アラスカまで、まだまだ気の抜けない航海のなか、今までどおりに作戦会議に参加し、グレイスの整備はもちろん、バスターの修理にも携わった。

 ()()()()()()()艦は自分が護るのだ……と、言葉にせずとも周囲には伝わった。

 

「本当に……あのコには助けられてばかりですわ……」

 

 ナタルが去った後、マリューはそう呟いた。

 

「この状態であんなふうに振舞えるとは……頭がさがるね、まったく」

 

 フラガも苦笑する。

 二人の胸中は複雑だった。

 軍人の訓練など受けていない一人の少女が、前線で戦い、戦友を失い、責任を負い、混乱する艦の中で落ち着いた振る舞いをするのは相当の覚悟がいるはずだった。

 無理をしていないはずがない。

 わかっていても、事実、再び戦闘になれば彼女に頼るところの大きさは明らかだった。

上官として彼女を救うどころか、助けられてばかりいる。

 強い意志を持って彼らを気圧したオーブの獅子を思い出し、二人は同時に息をついた。

 

 

 

 ドックに向かっていたナナは、意外な人物に呼び止められる。

 それは、怯えたような顔をしたフレイ・アルスターだった。

 

「ナナ……あの……」

 

 ナナが彼女と言葉を交わした回数はわずかだった。

 そればかりか、キラが居なくなってからは一度も顔を合わせる機会が無かった。

 

「あ、あの……」

 

 ナナは視線を逸らし、言葉を躊躇うフレイに対して優しく言った。

 

「ごめんね、フレイ」

 

 その声の柔らかさに、フレイは両目を見開く。

 

「キラを護れなくてごめん」

 

 フレイは顔をひきつらせたまま何も言わなかった。

 

「でもせめて……アラスカに着くまで艦は私が護るから」

 

 だから安心して……と、ナナは言って彼女の前から去った。

 

 

 

 やがてドックへ着いたナナは、バスターの修理工程を確認する。

 推進部が回復せず、もしグレイスが戦闘不能になったとしても、乗り換えて出撃することは困難だった。

 

「お前が言ったとおり、グレイスの部品でなんとかならないかってやってみてはいるものの……長距離型と空中戦型じゃ構造が違いすぎるからなぁ……」

 

 マードックがぼやいた。

 

「とりあえずアラスカ勢力圏までに、バスターの高エネルギーライフルの方をグレイスに適合させてもらえませんか?」

 

 データを眺めながらナナが言う。

 

「あの長距離砲は対艦装備だから、戦艦で追撃されたときに使えるようにしておきたいんです」

 

 マ-ドックの表情がかすかに変わった。

 

「火力をある程度抑えて……トリガーをグレイスのライフルの部品と取り替えたりなんてできます?」

「なるほど、それならすぐにできそうだ」

 

 ナナがその場ではじき出したデータを見ながら、マードックはすぐに整備員を集め、作業にとりかかった。

 

「おねがいしまーす」

 

 ナナは普段どおり、いや、普段よりも明るく言った。

 ドックの整備員たちにも、不安の影は覆いかぶさっていた。

 機体を最も良く知る彼らだからこそ、あのストライクが落とされたという事実はリアルに伸し掛かったのだろう。

 マードックでさえも、表情を暗くしていた。

 だからこそ、彼らには前向きに作業に取り掛かる時間が必要だった。

 そのためにナナが休憩時間も惜しんでデータを作っていたことは、誰も知らなかった。

 

 

 



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破片

 やがてアークエンジェルはアラスカの地球連合軍本部へと到達する。

 ようやく辿り付いたその場所で待ち受けていたのは、歓迎でも安息でもなく、不可解な仕打ちだった。

 

「クルー全員が艦内待機って、どういうことですか?」

 

 さんざん待たされて、ようやく本部から士官らの召集がかかった後、ナナはブリッジに呼ばれてそれを告げられる。

 アルテミスでのことを思い出し、ナナのこめかみがピクリと張った。

 

「まぁ……オレたちは“厄介者”っていうことだろ」

 

 フラガはいつもの口調で言った。

 ナナは一瞬ナタルの横顔を見て、表情を変えずにまた聞いた。

 

「査問は避けられないってことですか?」

「だろうな」

 

 これまでの、艦の行動の報告はすでにアラスカに上がっているはずだった。

 だとしたら……。

 ヘリオポリスを崩壊させたこと、先遣隊を全滅させたこと、アルテミスを壊滅させたこと、第8艦隊を犠牲にしたこと……数々の報告が本部の高官たちの機嫌を損ねていることは確かだった。

 そして、わざわざヘリオポリスで極秘開発した新型MSのパイロットが、コーディネーターとオーブの元代表の娘だったという“内情”も……。

 

「捕虜がいることも伝えてあるんですよね?」

「それに対する返答もないの……」

 

 マリューは困ったようにため息をついた。

 

「補給はすぐに受けられるんですか?」

「今のところは未定だ」

 

 ノイマンも操縦席で肩をすくめた。

 

「あなたも……査問会では辛い立場になると思うけど……」

 

 マリューがナナの身を案じた。

 

「覚悟はできてますよ」

 

 ナナは軽い口調で答えてブリッジを後にした。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 やれやれ……。

 ナナはやっとのことでここへ辿り付いたうえでのこの仕打ちに、軍人という者に対してますます呆れはてていた。

 2時間後の査問会では、本部の容赦ない尋問が待ち構えていることだろう。

 戦闘データだけを搾り取って利用し、面倒な艦はお払い箱に……という嫌な予感が脳裏を掠めた。

 自身のことに対しては、どうということはなかった。

 本部の人間たちの興味が自分に向いていることも、今後の利用価値を計算していることもわかりきっている。

 それより……この艦が心配だった。

 この艦でなければ、意志は全うできない……。

 今まで犠牲にしたものを無駄にしたくは無かった。

 オーブも、カガリの思いも、そして……キラも……。

 

「なんとかしなきゃね……」

 

 気を取り直したように軽く呟き、ナナは居住区へ向かう。

 今もブリッジに姿の無かったミリアリアが心配だった。

 トールが居なくなってから、ミリアリアは水すら口にできない状態だった。

 ナナが艦の仕事で忙しく動き回る分、サイがかいがいしく彼女を気遣った。

 同じくキラを失って不安になっているはずのフレイと彼が、一緒に居るところは見かけなかったが……。

 

「サイ……!」

 

 その彼が、向こうから歩いて来る。

 彼の肩にいたトリィがナナを見つけて飛んで来た。

 

「ナナ……休憩中?」

「うん、ミリアリアは?」

 

 サイは疲れた顔で答えた。

 

「医務室で休ませてる……。全く食欲がないんで、ちょっとドクターを呼びに行ってくるよ」

「じゃあ私、側についてるね」

「うん、そうしてやって」

 

 サイも、友達を失って余裕を無くしているはずだった。

 その後姿を見送りながら、ナナは小さくため息をつき、肩にトリィを乗せたまま、ミリアリアの居る医務室へと向かった。

 そしてその扉を開いた時、信じがたい光景を目にする。

 

「ミリアリア……!!?」

 

 目を血走らせたミリアリアが、ベッドから床に転がり落ちたザフトの捕虜にナイフを振り上げていた。

 

「トールがいないのに……!!!」

 

 ミリアリアの怒りを滲ませた叫びに、ほんの一瞬、ナナの足が竦んだ。

 

「なんであんたが此処に居るのよっ……!!!」

 

 捕虜のディアッカ・エルスマンも、彼女に完全に気圧されていた。

 

「ミリアリア……!!!」

 

 ナナは辛うじて、彼女の腕を掴んだ。

 

「ミリアリア……ごめんね……!!」

 

 そして彼女を抱えてそう言った。

 

「ごめんね……!!」

 

 泣き崩れる彼女に、その言葉しか言えなかった。

 胸を締め付けるものは、これまでの平静さを剥ぎ取るようだった。

 だが。

 

「でも……この人を殺しても、トールは帰って来ないっ……」

 

 あえてそう言い、ミリアリアの手からナイフを奪って捨てた。

 

「ナナっ……!!」

 

 ミリアリアは両手で顔を覆った。

 声にならない悲鳴に、ナナは唇をかみ締めた。

 その時。

 

 カチャリ……

 

 扉の方から嫌な金属音がした。

 振り返ると、

 

「フレイ……?」

 

 フレイがディアッカに向けて銃を構えていた。

 しゃっくりあげるミリアリアと、後ろ手に拘束されたまま床に転がるディアッカ、そしてナナの前で、フレイが震える指を引き金にかけた。

 

「コーディネーターなんか……!!」

 

 憎悪に染まった低い声で、

 

「みんな死んじゃえばいいのよ!!!」

 

 そう叫ぶと同時に、身動き取れないディアッカに向かって引き金を引いた。

 

 銃声が響いた。

 寸前、ナナの身体は反射的に動いた。

 

 脳内で、背中を撃ち抜かれる自分がイメージされた。

 少し笑った。

 戦場じゃなく、ここで最期を迎えたとしても後悔は無かった。

 ただ少しだけ、あっけないオワリに自嘲した。

 

 だが、痛みは無かった。

 

「な、なんで……よ……」

 

 震える声がして、振り返った。

 人を……憎きコーディネーターを撃ったはずのフレイは、その手から銃を振り払われ、あおむけに倒れていた。

 彼女の手から銃を叩き捨てたのは、ミリアリアだった。

 たった今までディアッカを殺そうとしていたミリアリアが、彼を殺そうとしたフレイを止めていた。

 

「なんで止めるのよ……!」

 

 フレイは傍らで泣き崩れるミリアリアに問う。

 

「あんただってあいつを殺そうとしてたのに、なんで止めるのよ……!!」

 

 ミリアリアは泣くばかりで、答えなかった。

 ただただ、首を横に振っていた。

 

「ミリアリア……」

 

 彼女の心境を思うと、言葉にならなかった。

 彼女を守ろう……、早くここから連れ出さなければ。

 かろうじてそれが浮かんで、ナナは身体を起こした。

 すると、頭や肩、背中から何かが落ちてパリンと割れる音がした。

 

「お、お前……」

 

 ナナの眼下で、ディアッカが瞳を震わせていた。

 

「あ、ごめん……」

 

 あの瞬間、とっさに身体が動いて、彼に覆いかぶさっていたのだ。

 

「大丈夫……?」

 

 彼に怪我はなさそうだ。

 そのまま頭上を確認すると、天上の電灯が割れて落ちてきていたのがわかった。

 

「お、オレをかばって……」

 

 殺されかけて動揺する彼を安堵させるように、ナナは笑った。

 眉間が引きつっていたから、うまく笑えていないのは承知だった。

 それでも良かった。

 ナナはミリアリアに歩み寄り、肩を抱きしめた。

 ミリアリアはすがるようにナナにしがみついた。

 

「フレイ……」

 

 それを黙ったまま見つめているフレイに、視線を合わせた。

 そこには確かに敵意がある。困惑も。

 が、ナナはかみ締めるように強く、静かに言葉を吐き出した。

 

 

「そんなことを言ってるから、この戦争は終わらないんだよ……」

 

 

 騒ぎに気づいたクルーが駆けつけるまで、誰も何も言わなかった。

 

 

 



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査問会

 査問会は、ナナが予測したとおりの議事進行だった。

 本部のサザーランド大佐は、初めから『コーディネーター』を最重要機密機体に乗せたマリューの判断ミスを指摘した。

 そしてこれまでのアークエンジェルの航海を、『大した戦果』と皮肉った。

 表向きには「少尉」の階級を与えられたことになっているナナは、ノイマン曹長の隣で、淡々と査問の運びをうかがっていた。

 理不尽かつ執拗な尋問に、時折椅子から腰を浮かせるフラガとマリューの背を冷静に見つめた。

 

 やがて詰問の内容は、ナナ自身へと移行する。

 サザーランドの眼の奥にあるものは、決して尊敬に値する上官の持つ光ではなく、探るような、責めるような、品定めするような……不快な光だった。

 が、全て予測立てしていたナナは、冷静に振舞った。

 いちいちサザーランドの挑発に乗るのも無駄な話と、馬鹿にした気持ちもあった。

 もちろん、覚悟もしていた。

 それに、キラとトールを失った悲しみはナナの心に広く水を張り、怒りの火など灯る場所はなかった。

 

 ただ、

 

「コーディネーターがいるから、世界は混乱するのだよ」

 

 そうサザーランドが言ったときだけ、ナナの心は細波だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて。

 

「長時間の質疑応答ご苦労であった」

 

 サザーランドはようやく査問会の解散を告げた。

同時に、起立したアークエンジェルの仕官たちにこう言った。

 

「フラガ少佐、バジルール中尉、イズミ少尉、アルスター二等兵以外の乗員は、このまま艦で待機するように」

 

 名を呼ばれたフラガは怪訝な顔を隠さず問う。

 

「では、我々は?」

「この4名には転属命令が出ている。明08:00、人事局へ出頭するように」

「て、転属……でありますか?」

 

 転属命令……ナナはその言葉にも表情を変えなかった。

 本部のお偉方の腹の底は見えている。

 

「イズミ少尉はX-101グレイスと供に退艦してもらう。機体移送の準備もしておけ」

 

 だからサザーランドがナナを見てそう言ったとき、ナナは静かに口を開いた。

 

「最後に、サザーランド大佐にお聞きしたいことがあるんですが」

 

 サザーランドは興味深げに口の端を上げた。

 ノイマンが隣で不安げにナナを見下ろす中、ナナはサザーランドの目をまっすぐ見て言った。

 

「この戦争は、どうすれば終わるとお考えですか?」

 

 マリューとフラガが振り返った。

 サザーランドの部下たちも、吐息を詰めた。

 

「簡単なことだろう」

 

 サザーランドはなだめすかすように答えた。

 

「“敵”を全て倒せばよいのだ」

 

 今度はナナが、口の端を上げた。

 

「“敵”……ですか……?」

「そうだ。前線で戦果をあげてきた君ならば、よくわかっているはずだろう?」

 

 ナナは答えずに、いかにも彼の答えに賛同したかのように笑んだ。

 サザーランドも満足そうにうなずき、会議室を去った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「大変だったな、お前も」

 

 アークエンジェルのドックに戻ってから、フラガは大きなため息をついた。

 

「平気ですよ。聞かれることはわかってたし」

 

 ナナはなんでもないことのように答える。

 

「逆に、尋問の内容が予想通りで面白かったです」

 

 肩をすくめると、フラガは「参った」といったように苦笑した。

 

「最後に……何であんなことを聞いたんだ?」

 

 そしてナナの真意を問う。

 ナナはグレイスを見上げながら、淡々とした口調で応えた。

 

「地球軍の……真意を知りたかったからです」

 

 その横顔が大人びていて、フラガは一拍置いてから問いを続ける。

 

「で、わかったのか?」

 

 ナナはじれったいほどにゆっくり、彼を向いた。

 

 

「コーディネーター(イコール)“敵”である……と」

 

 サザーランドの声が甦る。

 

「“敵”を全て滅ぼすことで戦争を終わらせる……と」

 

 ナナは憎悪すら篭もった瞳を見せた。

 

「…………」

 

 それで、フラガはナナの想いを理解した。

 もともと彼は、ナナが地球軍のために艦に乗ったわけではないことを知っていた。

 彼女の意志も聞かされた。

 ここでは、ナナの意志は叶わないと理解した。

 

「で、オレたちは転属命令が出されたが……どうする?」

「転属になった顔ぶれを見ると……本部の目的が気になります」

「目的……?」

 

 転属になったのは、フラガとナナ、そしてバジルールとフレイである。

 

「戦果を上げてきた少佐と、“貴重な”MSパイロットの私。それに、上官命令に忠実なバジルール中尉、そしてアルスター前事務次官の娘であるフレイ……」

「どれも『使えそうな人材』ってわけか」

 

 ナナは整備員らに聞こえぬよう、小さな声で言った。

 

「あとのクルーは“お払い箱”ってことですかね」

「お払い箱……」

 

 ナナはわずかに眉をひそめた。

 

「おかしくないですか?」

 

 フラガは組んでいた腕をほどいた。

 

「何がだ?」

 

 次に言うナナの言葉に、嫌な予感がしていた。

 

「アークエンジェルは仮にも、わざわざ中立国オーブで秘密裏に開発した新造艦ですよ……? ザフトが執拗に追撃するほどの……」

 

 ナナが何を言いたいのか、フラガも少しずつわかりかけてきた。

 その分、嫌な予感が強くなる。

 

「いわば“大きな餌”……でもその中身には、軍にとって取って足りぬと判断した人員……」

「ナナ……何を……」

 

 ナナの言葉には、包み隠すところが何もなかった。

 

「大きな餌で釣りたい獲物があって、それをまるごと切り捨てるほど大きな“作戦”があるってことですよね?」

 

 ナナは顔大人びた顔で、移送準備に追われるグレイスを見上げた。

 

「……大きな……作戦……?」

 

 ナナの言葉は、彼女の予測でしかなかった。

 だが、フラガは寒気さえ覚えた。

 言われてみれば、当てはまる。

 まだ子供の域を脱しきらず、軍教育すら受けていない彼女の言葉には、いちいち納得できる部分があった。

 

「だがオレたちは……」

 

 が、彼らは今、軍人でという立場である。

 いくら不信をつのらせたとて、異議を申し立てることは不可能だった。

 本部の命令には従わねばならないのだ。

 

「ま、だからといって()()()一軍人である私なんかに、できることはないですけどね」

 

 ナナはそれすら先回りして、皮肉めいた笑いを見せた。

 

「ナナ……従うのか? 転属命令」

「あたりまえじゃないですか。従わなきゃ反逆罪でしょ?」

 

 今までの表情とは一転、ナナは乾いた笑い声をあげる。

 

「それは……お前の意志とは反するんじゃないのか?」

 

 フラガがそう、強い口調で言ってみても。

 

「ここで軍法会議にかけられたら、それこそもともこもないですから」

 

 ナナは肩をすくめた。

 

「地球軍の命令には従いますよ、とりあえず」

「ナナ……」

 

 やけにあっさりとしたナナの答えに、今度はフラガが眉をひそめる。

 が、ナナは遠くで呼ぶマードックの方へ向きを変えながら、また大人びた笑みで言った。

 

「とりあえずは……ね」

 

 

 

 

 



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痛み

 ナナは人事局から渡された辞令を、まるめてダストボックスに放り込んだ。

 転属先は最前線のパナマではなく、大西洋連邦の首都、ワシントンD.Cであった。

 やはり……予測はまたも的中した。

 ナナの()()()()()は、リスクを伴う前線ではなく、より懐深くにしまいこんで利用しようと……軍上層部はその恩恵を計算している。

 本当に戦争を終わらせたいのか、ただ力を得てそれを誇示し続けたいのか……。

 呆れてため息がとまらなかった。

 

「とりあえず……グレイスと一緒でよかった……」

 

 ナナは呟きながら、ベッドの上に乗せた“空っぽ”のトランクを閉じた。

 肩でトリィが鳴いた。

 

「トリィはサイやミリと一緒にいてあげてね」

 

 キラの想い出……。

 トリィが鳴くたび、羽ばたくたび、胸にこみ上げる。

 

「キラ……」

 

 これまで生きてきた中で、後悔はたくさんある。

 でも、一番大きな後悔は、彼を戦場に引っ張り出したこと。

 彼を死なせたこと。

 彼を、親友と戦わせたこと……。

 ナナはもう一度鳴いたトリィをトランクに乗せ、手ぶらで部屋を出た。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 固いマットが敷かれただけの粗末なベッドで、ディッカはずっと黒い天井を見上げていた。

 医務室で、自分を殺そうとした二人の少女と、護ろうとした二人の少女……。

 全ての光景が、頭から離れなかった。

 先ほどそのうちの一人がここを訪れた。

 怯えながらも、自分に会いに来たミリアリアという少女……。

 初めは自分を殺そうとナイフを振り上げたくせに、自分に向けられた銃口を払った。

 

 なぜか……。

 

 考えても、答えを見つけることはできなかった。

 ただ、今までに感じたことのないモノが、胸の奥から湧き上がる。

 それすら何なのかわからなくて、彼はもどかしさに寝返りをうつばかりだった。

 そこへ。

 

「怪我は大丈夫?」

 

 突然現れたのは、自分を護った少女だった。

 

「お、お前……」

 

 初めに投降を勧告した、グレイスのパイロット、ナナだった。

 彼女の頬にこそ、自分をかばった際にできた切り傷が赤く筋となっている。

 

「私、この艦を降りることになったから」

 

 しかし、ナナは彼が何か言う前にそう告げた。

 

「パ、パナマに行くのか……?」

「え……?」

「ザフトが攻めてるのはパナマだろ……。前線に送られるのか?」

 

 少し疲れた顔のナナに、そう言う。

 それが「心配」ととられても、もうどうでもよかった。

 

「ちがうよ。D.Cに行けって言われた」

「そ、そうか……」

 

 少しの沈黙があった。

 ナナも何か言葉を選んでいるようだった。

 だから彼は、言うしかなかった。

 

「お前とアイツ……、なんで……あの時オレをかばった……?」

 

 ガラにもなく、躊躇う。

 

「オレはお前らの敵だろ? なんでかばったりしたんだよ」

 

 自身で出せない答えを、ナナに求めた。

 

 

「だってあなたは“敵”じゃないから」

 

 

 だが、ナナはあたりまえの事のようにそう言ってのけた。

 

「な、なに言ってんだよ。お、お前らにとって、オレは敵だろ?」

「敵じゃないよ」

「オレはお前らを攻撃したんだぞ……?!」

 

 何度も何度も、相手の“死”を願ったはずなのに……。

 

「だけど、“ディアッカ”は敵じゃない」

 

 ナナの答えはあまりに簡潔すぎた。

 が、初めて名を呼ばれた瞬間、急に渦巻いていたもどかしさが鎮まった。

 あの時、銃口が向けられたときに叫ばれた言葉。

 

『コーディネーターなんて、みんな死んじゃえばいいのよ!!』

 

 憎悪の言葉は、それまで自分たちが思っていたことと少しも変わらなかった。

 愚鈍なナチュラルどもが……ナチュラルなんかがいるから……。

 ナチュラルなんて滅びてしまえ。

 そう思って戦ってきた。

 たくさんのナチュラルを殺してきた。

 ナチュラルが自分たちコーディネーターにも、同じように考えていると知ったつもりで。

 それが「憎しみ」と勘違いして。

 だが、その言葉を聞いていたはずなのに、寸前まで自分を殺そうとしていた少女は自分を護った。

 そして、同じく自分をかばった少女が言った。

 そんなことを言っているから、戦争が終わらない……と。

 ひどく傷ついた横顔で、心の奥底から湧き出る意志のような何かを、あの場で吐いた。

 

「あなたは?」

「え?」

 

 その時の顔をして、逆にナナが言った。

 

「私が憎い? まだ殺したい?」

 

 問われて、しばし黙り込んだ。

 答えを探していたのではない。

 これから吐き出す自分の言葉の重みを知っていた。

 

「いや……」

 

 「ちがう」と、彼は小さな声で呟いた。

 彼の“軍人”としてではなく、ディアッカ・エルスマンという一人の少年としての返事だった。

 

「そういうコトでしょ?」

「…………」

「なのに……どうして……」

 

 ナナは冷たい柵を握り締め、目を伏せた。

 

「どうしてキラとアスランが殺し合わなくちゃならなかったのかな……」

「……え……」

 

 聞いたことのない名と、聞き覚えのなる名が、同時にナナから発せられた。

 

「お前、アスランを知ってるのか?!」

 

 ナナはうつむいたまま、否定はしなかった。

 

「アスランは……どんな人だった……?」

 

 そして悲しげに、彼にそう問う。

 何かを我慢しているナナに、ディアッカは素直に答えた。

 

「お人よしで、甘いやつで、頭が固くて……」

 

 ふと、自分の中にある“痛み”を実感しながら。

 

「……でも、イイヤツだった……」

 

 少し、ナナは微笑した。

 

「やさしかったよね……」

「あ、会ったことあるのかよ……」

 

 完全に傷をさらけ出したナナの笑み。

 

「お互い遭難したときに」

 

 ディアッカは息をのむ。

 確かに輸送船が落とされて、アスランが機体ごと行方不明になったことがあった。

 あのときに、二人は出会っていたというのか……。

 それでも、戦わなくてはならなかった……と。

 だが、ナナはさらに言った。

 

「知ってた……?」

「な、何を……」

「ストライクのパイロット……キラは、アスランと友達だったの」

 

 アスランの苦悩の表情が今さらながら鮮明に思い出される。

 あれほど執拗に追撃したストライクのパイロットが友人だったとは……。

 アスランはどんな気持ちで……?

 

「私は二人を止められなかった」

 

 ナナの影が、彼に落ちて揺れていた。

 

「アスランは……キラの“敵”じゃなかったはずなのに……」

「ナナ……」

 

 自然と、名が口を伝った。

 

「もう……こんなことは繰り返したくない」

 

 彼の身体は脳が命じるわけでもなく、ナナの前に立っていた。

 

「どうすればいいのかなんて、わからないけど……」

 

 涙を零すことすらできず、ただ柵を握り締めて立っているナナに、かける言葉はない。

 

「何が“敵”で何が“敵”じゃないのか……」

 

 ただ、彼は黙って彼女の言葉を受け止めた。

 

「知らなきゃ戦争は終わらない……!」

 

 ナナは彼の瞳をまっすぐ見つめた。

 何を言っても、揺るがぬ光。

 それは彼女の芯が揺るがないことを証明していた。

 

「これからあなたが何処へ行っても……」

 

 ナナは無理矢理笑みをつくり、手を差し入れた。

 

「ミリアリアがしたことを、忘れないで」

 

 言葉の意味は、案外すぐにわかった。

 

「ああ……」

 

 彼はその手を、ゆっくりと握り返した。

 

 

 

 



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オペレーション・スピットブレイク

 空っぽのトランクを片手に、ナナは艦のゲートに向かった。

 艦長を初め、アークエンジェルの乗員たちが、退艦する4人を見送るために並んでいた。

 

「ナナ……!」

 

 サイとミリアリアもそこにいた。

 

「サイ、トリィをよろしくね」

 

 肩のトリィを彼に渡す。

 

「ナナ……」

 

 言葉を詰まらす二人に、ナナはいつもどおり軽い口調で言った。

 

「今までありがと。二人に会えて本当に良かった」

 

 そしてマリューに頭を下げる。

 

「お世話になりました」

「ナナ……」

 

 それ以上の言葉はなく、二人は固く握手をした。

 あまりにさばさばした姿に、「ナナらしい」……と見守る乗員たちは思う。

 ナナはそのまま、ノイマンらに笑みを残し、敬礼する乗員たちの間を淡々と歩いて行った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「それじゃあ、私はここで」

 

 

 基地のドックで、ナナはフレイとナタル、そしてフラガに別れを告げた。

 ここからシャトルに乗って移動する彼らと違い、ナナには迎えが来ていた。

 

「バジルール中尉、今までお世話になりました」

「ああ、少尉も無事で」

 

 彼女の思想はナナの意志とは重ならなかったが、彼女に救われた分は大きかった。

 だから、感謝の念を込めて彼女の敬礼に答える。

 そしてフレイを向き、

 

「いろいろごめんね、フレイ」

 

 そう言って手を出す。

 ()()()()あった彼女だが、キラを失い、サイたちと引き離されたフレイは、哀れなほどに不安げだった。

 

「元気でね」

 

 だからこれも本心だった。

 いつかきっと……戦争の意味を知って欲しいと、キラのやさしさにすがったフレイだからこそ、その意味を知るはずだと、願いを込めた。

 フレイは泣きそうな顔のまま、迷ったすえに手を握り返した。

 

「じゃあ、フラガ少佐」

「頑張れよ」

 

 彼はいつになく真剣な瞳で言った。

 

「ありがとうございました」

 

 ナナは先に差し出された手を、しっかりと握った。

 

「こっちこそ……お前には助けられてばかりだった……」

 

 互いに笑みを交わす。

 ナナが最も多く言葉を交わしてきたのは彼だった。

 だからナナも、彼にはずいぶんと助けられてきた。

 

「また、どこかで会えるといいですね」

 

 そう言うと、フラガは黙ってナナの頭を撫でた。

 

 

 

 輸送船に乗り込んだナナは二人の軍人に連れられて、キャビンへ向かっていた。

 グレイスは無事に搬入を終えて、格納庫で横たわっている。

 その時、突然、船が大きく揺れた。

 ナナはとっさに、壁に手を付く。

 

「な、なんだこの衝撃は……」

「敵襲か?!」

「この基地に? まさか……!」

 

 軍人の一人が、操縦室に連絡をとる。

 ナナは残る一人に言った。

 

「ザフトの攻撃目標はパナマじゃなかったんですか?」

 

 わずかに青ざめた彼は、険しい顔で答えた。

 

「ああ……だから主力部隊はすべてパナマへ向かっている……」

 

 ナナのこめかみがピクリとひきつった。

 ザフトはパナマを陥落させに来るはずだった。

 まさかこのアラスカが攻撃の対象になっているとは……。

 再び基地が揺れた。

 明らかに、爆撃を受けた衝撃だった。

 

「緊急発進する。キャビンへ急げ!!」

 

 連絡を取っていた一人が、大声で叫んだ。

 

「ザフトが目標をアラスカ本部に変更し、総攻撃をしてきたらしい!」

「なんだと?!」

「守備隊が敵を食い止めている間に、我々は離脱する!!」

「離脱? 本部からの命令か?」

「サザーランド大佐からの勅命だということだ」

 

 ナナは二人のやりとりに割って入った。

 

「『守備隊』って、アークエンジェルや、ここに残った艦のことですか?」

 

 その言葉に騙されるほど、ナナは愚かではなかった。

 主力部隊をパナマに向かわせているということは、ここにはろくな戦力は残っていないということだ。

 たとえば、MSのパイロットもMAのパイロットも退艦し、補給すら受けていないアークエンジェル……。

 

「私もグレイスで『守備隊』に加わります」

 

 そう申し出た。

 しかし、戸惑いつつも、軍人たちはそれを否定する。

 

「だ、駄目だ! 貴様はこの戦闘に加わらず、ワシントンへ輸送されることになっている!」

「サザーランド大佐の命令ということだ! ここは守備隊に任せて我々は……」

「今の戦力じゃ、確実に基地が落とされますよ?!」

 

 二人とて、わかっているはずだった。

 ここにはザフトの総攻撃を食い止める戦力が無いことも、ここが陥落不可の地球軍本部であるということも。

 

「本部が落とされるかもしれないのに、黙って逃げろというんですか?!」

「しかしこれは……」

「離脱中に落とされないという可能性が無いわけじゃないでしょう?!」

 

 強い口調は、完全に二人を圧倒した。

 ナナの脳裏では、今までの嫌な予感が形を成した。

 “大きな餌”で釣りたい獲物と、それを切り捨ててまで成功させたい“大きな作戦”。

 

「……っ……!!」

 

 ナナの中で何かが弾けた。

 

「おい!」

「止まれ!!」

 

 船の揺れと同時に、ナナは走り出す。

 キャビンではなく、格納庫へ。

 二人の軍人はナナの突然の行動に、銃さえ撃った。

 一発が、右足をかすめる。

 ナナはその場にうずくまった。

 

「手間をかけさせやがって!」

 

 一人がナナを乱暴に引っ張り起こす。

 と、その鳩尾にナナの拳が飛んだ。

 

「貴様! 反逆罪と見なすぞ!!」

 

 もう一人が再びナナに銃を向けた。

 が、ナナはその腕を取って投げ飛ばす。

 あっけなく床に落ちた彼の銃を拾い、ナナは振り返りもせずに走り去った。

 

 

 

 幸い、銃弾は右のふくらはぎをかすめただけだった。

 それに、熱い痛みも怒りの前に消えていた。

 

「どいて!」

 

 ナナはグレイスの周りにいた数人の整備員を退ける。

 彼らは今受けている攻撃に対して、無防備に慌てふためいていた。

 持っていた銃を上に向けて一発放つ。

 と、一瞬でその場は鎮まった。

 

「グレイスは迎撃に向かいます。船はこのまま発進させるよう、ブリッジに連絡を!」

 

 ナナとて、一応彼らの「上官」だった。

 

「ハッチを開けて!」

 

 整備員たちは言われたとおり、グレイスから遠ざかった。

 やがて開けられたハッチから、ナナはグレイスに乗って飛び出した。

 

 

 

 

 



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 「大きな作戦」……だった。

 ここがザフトの攻撃を受けることも、守備隊が囮、いや“捨て駒”だということも。

 予感が的中しても、ちっとも嬉しくはなかった。

 ナナは苛立ち、グレイスのモニターを叩く。

 フラガと話したとおりの現実。

 『使える人材』をアラスカから離し、アークエンジェルという餌を撒いてザフトの攻撃を受ける。

 誘いこんでどうしようというのか……。

 何の策があるというのか……。

 

「アークエンジェルはやらせない……!!」

 

 とにかく、ナナはアークエンジェルを探した。

 ある程度の予測を立てていたから、グレイスはフル装備のまま搬送させていた。

 だから、ライフルと盾とで、向かって来るザフトには対抗できた。

 が……。

 

「数が多すぎる……!!」

 

 アークエンジェルの位置を捕捉する間もなく、次から次へと浴びせられる爆撃。

 ザフトは間違いなく、総力戦でアラスカに集結していた。

 パナマを攻めるつもりでアラスカへ総力を向けてきたザフト。

 そしてそれを察知し、アラスカから主戦力を離脱させていた地球軍。

 いったい何がどこでどうなっているのか……。

 ただならぬ大きな黒いチカラを振り払うように、ナナは懸命に操縦桿を握った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 補給も人員編成もままならぬ状態で、アークエンジェルは守備戦に加わっていた。

 すでに右舷デッキは破壊され、艦の姿勢維持も困難な状態だった。

 懸命に応戦するが、この戦力でザフトの総攻撃に対抗しろというほうが、初めから無理な話だった。

 その上、単機で戻って来たフラガから、本部の地下に「サイクロプス」が仕掛けられていると告げられる。

 それはつまり、ザフトを誘い込むだけ誘い込んだらサイクロプスを発動し、この基地ごと消滅させるということ。

 もちろん、守備隊も巻き込むことになる。

 彼らは囮……捨て駒として完全に本部から切り捨てられていた事実を改めて知る。

 

「敵の大半をこちらへ誘い込むことが戦闘目的だったなら、本艦はすでにその任を果たしたものと判断します」

 

 艦長、マリュー・ラミアスは決断した。

 

「これ以上の戦闘は困難とし、この空域を離脱します。なお、これは艦長マリュー・ラミアスの独断であり、クルーは一切の責任を負わないものとします」

 

 だが、離脱も不可能に近かった。

 次から次へと向かって来るザフトの波に、隙間は無い。

 フラガもスカイグラスパーで再出動したが、応戦に手一杯だった。

 そこへ……青い光が舞い降りた。

 羽を広げた青い機体はまぎれもなく……。

 

「グレイス……!?」

 

 ブリッジの誰もが確信した瞬間、

 

≪10時の方向に向かってください!≫

 

 グレイスから通信が入った。

 声はもちろん、ナナ・イズミだ。

 

≪ディン隊を突破します!≫

 

 フラガに続く、二人目の帰艦者。

 ブリッジの面々がわずかに明るくなる。

 

≪意外と早い再会だったな、ナナ!≫

≪フラガ少佐もけっこう落ちつき無いんですね≫

 

 二人もコンタクトを取って連携に入る。

 

≪ところで、“作戦”の最終段階が何か知ってるんですか?≫

 

 フラガはこの事態を予測していたナナの問いに、つかの間を置いて答えた。

 

≪本部の地下にサイクロプスが仕掛けられている≫

≪サイクロプス……?≫

 

 事態を予測していたナナでさえ、息を呑む代物。

 

≪まさか、本部はすでに……≫

≪ああ、もぬけのからだ≫

 

 ナナは何も言わなかった。

 が、スピーカー越しでもフラガにはナナの怒りがわかっていた。

 

≪とにかく、ここから一刻も早く離脱しなくちゃならないってことですね≫

≪なんとしてもな≫

 

 グレイスとスカイグラスパーは懸命に突破口を開きにかかった。

 が、二機の援護をも上回るザフトの攻撃量に、事態はなかなか好転しなかった。

 さらに、あのデュエルまでもが向かって来た。

 

≪くそっ、こんな時に!!≫

 

 フラガがそちらへ向かった。

 

≪オレが行く! ナナは艦前方を切り開け!≫

≪了解!≫

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 グレイスが辛うじてディン隊を退けると、今度はジンが隊列を組んできた。

 アークエンジェルの迎撃が追いつかないまま、懐深く入られる。

 グレイスの高速移動と的確な射撃で隊列を乱すが、その数の前には敵わなかった。

 

≪アークエンジェル!!≫

 

 戦艦は取り付かれれば終わり……。

 向きを変えた瞬間、グレイスの手にあったライフルが打ち抜かれて砕け散る。

 構わずナナは、ブリッジに向かう一機のジンへ向かって行った。

 辛うじて、イーゲルシュテルンでジンを遠ざける。

 その間に回りこみ、アークエンジェルのブリッジを背に、ジンに対してビームサーベルを構える。

 撃たれても……、ブリッジは護る覚悟だった。

 背には、護りたいものがある。

 そうでなければ意味がない。

 

 だが、その手にあったサーベルは、突如として光を無くした。

 そして、青い機体は見る間に輝きを失った。

 

「グレイスのパワーが……!!」

 

 すでに限界を迎えていた。

 フェイズシフト装甲が消え、ビームサーベルはただの筒と化した。

 

≪ナナ!! ナナ!!≫

 

 ミリアリアの、言葉にならない声が届く。

 グレイスはビームサーベルを捨て、盾を構えた。

 そこから一歩も避ける気は無かった。

 が、ジンはわざとゆっくり撃ってきた。

 2度、3度の攻撃で、グレイスの盾は破られた。

 さらにジンは、無防備なナナをあざ笑うかのようにグレイスを足蹴りにした。

 

「ぐっ…………!!!」

 

 破片を散らしながら、なすすべもなく墜ちていくグレイス。

 機体を立て直す推力すらままならない。

 

(アークエンジェルがっ……!!)

 

 ジンは改めて、ブリッジに銃口を向ける。

 冷たいアラスカの海へと墜ちていきながら、ナナは歯を食いしばった。

 恐怖ではなく、悔しさに……。

 

 その時、まさに最期の火が発射されるその瞬間、一条の閃光が空から走った。

 それはまっすぐに、すでに銃口が光りかけていたジンのライフルを打ち抜いていた。

 

「……え……」

 

 それが“何”が認識する間もなく、ジンは両足を落とされる。

 

「モビル……スーツ……?」

 

 白い機体に、青い翼。

 見たこともないその機体は、ジンを遠ざけたかと思うと、グレイスに向かって来た。

 尋常ではないそのスピードに、構える間もなく、グレイスは腕を掴まれ引き上げられる。

 機体はあっけなく安定を取り戻した。

 そして……。

 

≪ナナ! 大丈夫?!≫

 

 スピーカーから声がした。

 

「え……?」

 

≪ごめんね、遅くなって≫

 

 続いてモニターに映し出される顔は、まぎれもなく……。

 

「キ……ラ……?」

≪良かった、間に合って≫

 

 やさしく笑んだ彼は、確かにキラだった。

 

「キラ……!!」

 

 言葉は無かった。

 ただ彼が……ここに居ることが信じられなくて……。

 嬉しいのか、悲しいのか、感情がごちゃまぜになって感覚を失った。

 

≪ここを無事に切り抜けたら……≫

 

 そんなナナに、キラは大人びた口調で言った。

 

≪君にたくさん話したいことがあるんだ≫

 

 ぎこちなく、ナナは頷いた。

 するとキラは安堵したように笑って、機体の向きを変えた。

 2度、3度、ストライクとは比べ物にならない火力で、周囲のザフト軍MSを蹴散らす。

 そしてその間に、グレイスをアークエンジェルのデッキに着艦させた。

 

「キラ……!」

 

 ナナは気持ちを奮い起こし、彼に告げる。

 

「基地にサイクロプスが仕掛けられていて……もうすぐ作動するの!」

≪サイクロプスが……?!≫

 

 できるだけ落ち着いて……そう言い聞かせて、ナナは言った。

 

「だからっ……早くここを離脱しないと、地球軍もザフトも……みんなっ……!!」

 

 が、言葉は途中で詰まった。

 悔しさと、怒りとが入り混じり、さらにキラがこんな場所へ戻ってきたことへの言い知れぬ悲しさに。

 

≪わかったよ。僕にまかせて≫

 

 かつての彼とは違う、冷静さ。

 キラは力強くそう言って、再び空へと飛び去った。

 

「キラ……?」

 

 直後、キラの声は全周波回線で聞こえてきた。

 

≪ザフト、連合、両軍に伝えます。アラスカ基地はまもなくサイクロプスを作動させ、自爆します≫

 

 両軍へ……敵味方無く伝えるもの。

 

≪両軍とも直ちに戦闘を停止し、すみやかに撤退してください。繰り返します……≫

 

「キラ……」

 

 心が震えた。

 折れそうになっても、ギリギリのところで踏ん張ってきたナナの意志が、彼の言葉で震えていた。

 

 

 

 



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後悔と懺悔

 全速力でアラスカ基地を後にするアークエンジェルのドックで、ナナは基地の行く末を見た。

 モニターに映し出される、サイクロプス作動による惨状。

 ユニウスセブン崩壊の映像とリンクして、言葉もなく、ただ背筋が冷えるばかりだ。

 涙は出なかった。

 悲しみよりも怒りがある。

 いや、それ以上に感じるのは“後悔”だった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 やがて、アラスカから数十キロ離れた荒野に、アークエンジェルと、そしてキラの乗った『フリーダム』が降り立った。

 乾いた風の中、ザフトのパイロットスーツに身を包んだキラはアークエンジェルのクルーたちとの再会を果たした。

 

「本当にキラくんなのね……?」

 

 マリューはまだ信じられないといった様に問う。

 誰もが、キラの言葉を固唾を呑んで待っていた。

 

「……はい」

 

 キラはゆっくりと頷いた。

 

「キラ……!!」

 

 それが合図だったかのように、ミリアリアらが駆け寄って来る。

 

「お前、どうして……!」

「幽霊じゃないんだよな?!」

 

 クルーたちに囲まれたまま、キラは周囲を見回した。

 そして、輪の外側に佇むナナの姿を見止めると、ゆっくりと歩き出した。

 ナナは一言も発さず、キラを見上げている。

 周囲は鎮まり、二人を見守った。

 

「ナナ……」

 

 キラは静かに笑んだ。

 が、ナナは奥歯をかみ締めたまま、何も言わない。

 再会の喜びも、驚きも、戸惑いさえも表さない。あるとすれば……悔しさだ。

 だが、その心をキラはもう知っていた。

 

「ナナ、ごめん」

 

 だから、その複雑な心ごと包むように、キラはナナを抱きしめた。

 

「キ……ラ……」

 

 ようやく、ナナは声を発した。

 肩は少し震えている。

 それはつい今しがた死線を乗り越えたからではない。

 この再会を喜んでいるのでも戸惑っているのでもない。

 

「ごめん、ナナ」

 

 キラはもう一度言った。

 そしてナナの肩に手を置いて、強い瞳で見つめた。

 

「今まで、独りで戦わせてごめん」

「……え……?」

 

 ナナの声は掠れていた。

 

「ようやく、ナナが言っていたことの意味がわかったんだ」

「キラ……?」

 

 キラの言葉が、少しもわからないといった様に、首を少し傾ける。

 その仕草に見覚えがあったキラは、懐かしさを覚えた。

 

「“何と戦わなくちゃならないのか”……君はずっと僕に教えてくれていたのに」

 

 そう……ずっと側にいた彼女に、“後悔と懺悔”をさらけ出す。

 

「僕は弱すぎて……君を見ようとはしなかった」

「キラ……私は……」

 

 ナナは何かを言おうとして、それを飲み込み、うつむいた。

 彼女もさらけ出している。

 “後悔と懺悔”を。

 

「ナナ……」

 

 が、キラはそのまま言葉を繋げた。

 

「今度は僕も、()()()()一緒に戦うよ」

 

 ナナは再び彼を見上げた。

 やはり、苦しげに。

 

「大丈夫」

 

 それがナナの“優しさ”だと、もうわかっていたから、キラは笑えた。

 

「僕の意志も、君の意志と供に戦うから……」

「キラ……」

 

 キラはもう一度、「大丈夫」と囁いた。

 それでようやく、ナナは少し笑った。

 

 

 

 

 



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第5章 オーブ開戦編


 アークエンジェルのブリッジに、艦長ら主要メンバーとナナ、そしてキラが居た。

 キラはイージスとの戦闘後に“ある人”に救助され、プラントで保護されていたことを明かした。

 そして、ニュートロンジャマー・キャンセラーを搭載したザフト軍新型機『フリーダム』を託されたことを。

 マリューらアークエンジェル側は、彼にアラスカ基地で起きたことを話した。

 ザフト軍の攻撃目標が初めからアラスカであることを、本部が知っていたこと。だからこそ、サイクロプスという代物で対抗する策があったこと。

 その限りなく事実に近い予測を交えて。

 

 ナナは一言も言わず、側面モニターに寄りかかっていた。

 その場の空気は、キラとの再会を果たしたにも関わらず、重苦しいものだった。

 何故なら、『本部の策』であるサイクロプスからは免れたものの、その先にとるべき道は険しいものだと皆が知っていた。

 

 

「このまま、自力でパナマに行くんですか?」

 

 サイの問いにフラガがため息交じりに答えた。

 

「歓迎してくれるとは思えないんだよねぇ、オレたちは“色々”知っちゃってるからさ……」

 

 色々……それは今しがた話したばかりの“予測”。

 絶対に公表されるはずの無い軍の最重要機密に違いなかった。

 

「命令なく戦列を離れた本艦は、『敵前逃亡艦』……ということになるでしょうね……」

 

 マリューの言葉は、軍人である彼らに重く圧し掛かる。

 

「原隊に復帰しても、軍法会議……か」

 

 敵前逃亡は銃殺刑。

 軍人ならば誰でも知っている軍規である。

 

「私たちは……何のために戦っているのか、わからなくなるわ……」

 

 マリューの言葉は、一軍人としてではなく、一人の人間としての言葉のように響いた。

 だから、キラは言った。

 

「こんなことを終わらせるには、『何』と戦わなくちゃならないと思いますか?」

 

 静かな問いに、全員が彼を見る。

 

「僕たち……僕は、それと戦わなくちゃいけないんだと思います」

 

 己の言葉をかみ締めるようにうつむいた彼は、ふと顔を上げてブリッジの隅を見た。

 静かに佇む、ナナの方を。

 

「そのことを、今までずっとナナが教えてくれていたのに……誰も気付こうとしなかった」

 

 皆がつられてナナを見た。

 

「これからは……逃げずに戦います」

 

 キラの宣言に、皆はナナの言葉を待った。

 少しの沈黙の後、ナナは壁から背を離し、一度目を伏せた。

 そして、顔を上げて言った。

 

「オーブへ……」

 

 何度もここに響いた、強く静かな声だった。

 

「この先も、逃げずに戦おうというのなら……オーブへ向かいませんか?」

 

 ナナは再び、彼らを導いた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ナナとキラは、並んでフリーダムを見上げていた。

 再会を果たしたとき、キラはこの機体に「ニュートロンジャマー・キャンセラ-」が搭載されていることをすぐに明かした。

 それは、核兵器を無効化するニュートロンジャマー(Nジャマー)の影響を打ち消す装置である。

 つまり、核が使用不可になった世界に、再びその力をもたらすものであった。

 それを搭載したフリーダムは、核によって動いている。

 エネルギーの枯渇は無く、補給がいらぬ、いわば無敵の機体。

 だからこそ彼は、そのデータを奪おうとするのなら、敵対してでも守る……と強く言った。

 

『それが、この機体を託された僕の責任です』

 

 その時に、殺気すら滲ませたキラを思い出し、ナナは彼を見上げる。

 

「この機体……」

 

 まだ、なんとなくぎこちなかった。

 

「誰に……託されたの……?」

 

 キラはゆっくりとナナに視線を移し、答えた。

 

「ラクスだよ」

「ラ、ラクス?」

 

 あの優しい歌姫との出会いを、ナナは鮮明に覚えていた。

 彼女がキラに、フリーダムを与えたというのか……。

 

「僕は保護されてからずっと、ラクスのところにいたんだ」

「プラントの……ラクスのところに?」

 

 キラはそこで聞いた事、話したこと、考えたことをナナに語った。

 アスランと戦い、彼を死なせたこと。

 彼も自分を殺そうとしたこと。

 ラクスがそれを、受け止めてくれたことも。

 そして。

 

「ラクスと、君のことを話してたんだ」

「私……?」

「うん」

 

 キラはまっすぐにナナを見つめて言った。

 

「ラクスは、ナナは“光”だと言っていた」

「ヒカリ……?」

 

 何のことか理解できず、ナナは首を傾ける。

 と、キラはラクスの面影を呼び覚ますように視線を彷徨わせながら言った。

 

「ナナの意志は、きっとみんなが目指す“光”だ……って」

 

 ナナはラクスと分かれる時、彼女に言われた言葉を思い出した。

 

『何が“本当の敵”なのか……見定めようとするあなたは、間違ってなどいません』

 

 優しさの中にあった、ラクスの強さに魅せられた。

 

『わたくしは……あなたの意志を信じます』

 

 そして、その言葉にかすかに安堵した。

 彼女なら、わかってくれているのかもしれない……と。

 彼女が導いてくれるのかもしれない……と。

 同じものを探せるかもしれない……と、そう思った瞬間だった。

 

「目指すものが“光”なら……それはラクスだよ」

 

 だからナナは、再びフリーダムを見上げて言った。

 フリーダムを託したラクスの想いが、ようやくわかった気がした。

 

「ラクスがキラに言った言葉、覚えてる?」

 

 初めて、絡み合うものがひとつ解けたのは、ラクスのあの言葉。

 

「『キラが優しいのは、“キラ”だから』だって……」

 

 今でもうまく説明できないが、それが全てだった。

 

「私はそれが、“鍵”だと思っていた」

 

 コーディネーターだから優れているとか、ナチュラルだから劣っているとかじゃなく、コーディネータだろうがナチュラルだろうが、人は皆、人なのだから。

 

「ナナも言ってたよね、『ナチュラルだって努力すれば、コーディネーターと同じように出来ることある』って」

 

 キラもまた、その想いを口にする。

 

「ナナはそれを証明するために、MSに乗ってたんだよね?」

「どこで聞いたの?」

「カガリが言ってた」

「……あのコ……」

 

 大げさにため息をついたナナに、キラは笑う。

 

「だから……ナナはずっと前から、その“鍵”を知っていたんだよ」

「そんなこと……」

「ラクスが教えてくれたんだ」

 

 二人は再び向き合った。

 

「君は初めから、何が“本当の敵”なのかを見定めるために戦っていたって」

「ラクスが……」

「そのためには、戦争を内側から見なくちゃならないし、力が無ければ進めないって」

 

 ナナは顔を逸らした。

 それが正しかったのか、自分自身、答えを出せないのは明らかだった。

 

「そんな君の強い意志を、僕たちは見ようとしなかった」

 

 だがキラは、ナナの手をとって言う。

 

「でも、君はきっと間違ってない」

「だって……、それで良かったのかなんてわからない……」

「わからないのは仕方がないよ。でも、少なくとも僕たちには……君のその意志が“光”なんだ」

「キラ……」

 

 まるで、これから罪を償うかのような顔で。

 

「僕は君の意志を信じる」

 

 かつてラクス・クラインが、エリカ・シモンズが、そしてウズミ・ナラ・アスハが言った言葉を、キラが再びナナに言った。

 

「私の……意志……」

「うん……」

 

 ナナは自然と、拳を握っていた。

 

「折られないで、ナナ」

「キラ……」

「僕も信じて戦うから」

 

 もう、独りじゃない……。

 そんな甘い言葉が、ナナの耳元に囁かれた気がした。

 

「ありがとう……キラ」

 

 ようやく、ナナは笑った。

 再び戦場に戻って来てしまった彼を見た瞬間にあふれ出した後悔が……少しだけ薄れた気がした。

 

 

 

 



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温床

 アークエンジェルは、再びオーブにその身を隠した。

 正直、彼らにとっては“賭け”だった。

 敵前逃亡艦と見なされているであろう地球連合軍の艦を、わざわざ受け入れるなど、ありえるわけもない。

 それも、オーブにとっては二度目の“危ない橋”である。

 いくら『ナナ』が搭乗しているとはいえ、国の危険を考えると、受け入れは認められない可能性があった。

 が、ナナは何の不安も抱かずオーブへの進路を導き、そしてオーブはあっさりと彼らを受け入れた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「とりあえず……よかった」

「これで、色々とこの先のことを考える時間ができたね」

 

 入港が完了すると、ナナとキラはドックからブリッジへ向かった。

 これからウズミ前代表がブリッジに入り、士官と対話することになっている。

 

「この先……か。ナナは何か考えてるの?」

 

 そう問うキラには、以前のような不安げな様子はなかった。

 

「オーブでなら、それが見つけられると思って」

 

 ナナも軽い口調で答える。

 

「地球軍のやり方はアラスカではっきりわかったから」

 

 “敵”であるコーディネーターを全て滅ぼすという『やり方』。

 ナナはまさに『内側』でそれを直に見定めた。

 

「まだよくわかんないけど、私にとっての本当の敵は、“それ”の気がする」

 

 探し続けた本当の敵……それが少しだけわかった気がしたから、

 

「だから、今度は“それ”と戦うために何が必要なのか、オーブで見つけようと思う」

 

 曖昧な言葉でしかなかったが、キラは安堵したように笑んだ。

 

「やっぱり君は光だよ、ナナ」

「だからそれはラクスだってば……」

「ラクスが導いた先にある光が“ナナの意志”だよ……そんな気がする」

 

 信じて疑わないキラの瞳に、ナナは言い返すことを諦めた。

 

「とにかく、私の意志はオーブの理念が元になってるの。だから、またウズミ様の話を聞いて色々考えて、アークエンジェルの皆がそれぞれ道を選べればいいなって思っただけ……!」

 

 そう言い放って、少し歩みを速くする。

 

「確かに、ウズミ様の言葉は僕も……」

 

 それに追いつこうとキラも足を速めた時、

 

「キラ……!!」

 

 その背に、聞き覚えのある声がかかる。

 

「ナナも……!!」

 

 キラとナナが振り返ると、目に涙を溜めたカガリ・ユラ・アスハが駆けて来た。

 

「カ、カガリ……?!」

「このバカっ……!!」

 

 カガリは走る勢いを止めぬまま、キラの首に抱きついた。

 

「お前っ……お前っ……!!」

 

 キラはそのまま、後ろに倒れこむ。

 

「死んだのかと思ったんだぞ!! この野郎っ……!!」

「ご、ごめん……」

 

 戸惑うキラと、泣きながら文句を言うカガリの傍らにしゃがみこみ、ナナが笑った。

 

「カガリ、久しぶり」

「ナナ……!!」

 

 カガリは今度はナナを睨みつけた。

 

「ナナもっ! アラスカで討たれたかと思ったじゃないか!!」

「ごめんごめん」

 

 心の底から心配していた様を見せ付けられ、キラとナナは優しく宥める。

 

「二人とも……ほんとに生きてるんだな……?!」

「ちゃんと、生きてるよ」

「僕たち、戻って来たんだ」

 

 ようやく安堵して涙を拭ったカガリに、ナナは手を差し伸べた。

 

「アークエンジェルからお前の捜索依頼が来てすぐ島に向かったのに、お前、居ないから……」

 

 カガリはその手をとりながら、キラを見下ろしてまだぶつぶつと恨み言を言う。

 

「機体も……コックピットも酷い状況で、でもお前の姿はなかったから……ほんとに、心配したんだぞ」

「ほんとにごめん、カガリ」

 

 ナナは押し倒されたキラにも手を貸した。

 

「じゃあ、カガリが捜索隊の指揮をとってくれたんだ」

「そうだ。それで“キラじゃないヤツ”を発見した」

 

 何気ない口調で言ったナナに、答えたカガリの言葉。

 それにキラに手を貸したナナと、ナナの手をとったキラが同時に固まる。

 

「僕じゃ無いヤツ……って……?」

「……誰……?」

 

 急に蒼白になった二人に、カガリは低い声で告げた。

 

 

「アスランだよ」

 

 

 キラは息を呑んだ。

 

「ア、アスランは……い、きてた……?」

 

 カガリとキラの情況が逆転した。

 

「ああ。こっちで保護して、ザフトに返した」

「ア、アスランが……」

「めちゃくちゃ落ち込んでたぞ、アイツ。お前を殺したって泣いてた……」

 

 ゆっくりと語るのはカガリで、声を震わすのはキラだった。

 そして。

 

「ナナ……?」

 

 ナナは言葉すらなく、ただその場に立ち尽くしていた。

 

「ナナ? どうしたの?」

 

 キラが心配そうにその顔を覗き込む。

 その傍らで、カガリがため息をつくように言った。

 

「アイツ、ちゃんと持ってたぞ。ナナの石」

「え……?」

 

 キラが彼女を向く。

 

「アイツを保護した時、見覚えのある首飾りをしてたんだ。ナナが、大事にしてた守り石だった」

「なんで……アスランが……」

 

 ナナは視線を彷徨わせるばかりで、二人の会話すら聞こえていないようだった。

 だから、カガリが代わりに明かす。

 

「地球に降りた直後に遭難して、その時にナナと会ったらしい」

「遭難……?」

「ナナも遭難したころがあったろ?」

「あ……あの時……?」

 

 キラは再びナナを見た。

 ナナはやっと、息をつく。

 

「……そっ……か……」

 

 そして言った言葉は、

 

「生きてたんだ……アスランも……」

 

 今さら、()()だった。

 

 

 



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見極めのとき

 オーブ軍施設の一室で、オーブ政府側とアークエンジェル側の対談が行われていた。

 オーブ側はウズミとキサカ、そしてカガリ。

 アークエンジェル側はマリューとフラガ、そしてキラとナナだった。

 

 室内は当然、明るいムードではなかった。

 マリューがアラスカ「ジョシュア」での惨劇をウズミに報告すると、彼は額の皺を濃くした。

 いくら情報漏洩があったとはいえ、地球軍本部がとった作戦はあまりに残酷であると、そう断言した。キサカもまた、机の上の冷たい計算と言い切った。

 

「それで、コレか……」

 

 ウズミは吐き捨てるように言い、リモコンでモニターをつける。

 と、画面にはジョシュアの戦闘を報じるニュースが映し出された。

 内容は当然、攻撃を仕掛けてきたザフト……いや、『コーディネーター』への反抗心を煽るもの。

 今こそひとつになってザフトを倒せ……と、デモやら軍人らが次々と画面に現れる。

 何も無い荒野と化したジョシュアの映像に、ナナは唇を噛みしめた。

 きれいさっぱり無くなってしまったあの場所で、いったい何人の“人”が亡くなったのか。

 が、恨んでいても仕方なかった。

 

「大西洋連邦は、中立の立場を取る国々へも圧力をかけてきておる」

 

 後ろを振り返っている暇はない。

 このオーブもまた、難しい立場になりつつあった。

 

「連合軍として参戦せねば、敵対国としてみなすとな」

 

 地球軍がオーブの保持する力を欲しがっていることは知っている。

 連合に組みせねば、敵対国としてその力を奪うつもりだということも、簡単に予測が立った。

 だが、この国は強い理念を掲げた中立の国である。

 オーブの理念と法を守る者ならば、コーディネーターもナチュラルも関係なく受け入れる国である。

 遺伝子操作の是非を問題としない社会を作ってきたのは、ただコーディネーターだから、ナチュラルだからというだけでお互いを見ることこそが、軋轢を生むという考えの下だった。

 

「キラ君がコーディネーターであるのも、カガリやナナがナチュラルであるのも、当人たちにはどうすることも出来ない“事実”でしかなかろう」

 

 カガリはチラリと横に立つナナと、その向こうのキラを見た。

 

「そうですね」

 

 キラは穏やかな表情で、ウズミに答えた。

 ナナもウズミにうなずく。

 

「なのに、コーディネーター全てを“悪”として、“敵”として攻撃させようとするような大西洋連邦のやり方に、私は同調することはできん」

 

 何度も何度も繰り返し掲げたオーブの理念。そして彼の意志。己の中に深く、そして力強く根付くもの根源を確認するかのように。

 

「しかし……おっしゃることはわかりますが……」

 

 が、フラガが言った。

 

「失礼ですが、それは理想論にすぎないのではありませんか?」

 

 彼の言葉も最もだ。

 わかってはいるものの、コーディネーターはナチュラルを見下すし、ナチュラルはコーディネーターを妬む。

 理想を掲げつつも、そうならないのがこの世界の現実だった。

 無論、ウズミもその現実を知っている。

 

「我が国とて、全てがうまくいっているわけではい」

 

 だが。

 

「が、だからといって諦めては、本当に互いを滅ぼし合うしかなくなってしまう」

 

 そう……“敵”と“味方”に二分して……。

 

「そうなってから悔やんだとて、すでに遅い」

 

 ウズミは立ち上がり、少し歩いて皆を見回した。

 

「それとも、それが世界というのならば、黙って従うか?」

 

 問いかけは重く、答える者は無かった。

 

「どの道を選ぶも、君たちの自由だ」

 

 ただ、選ぶことはできる。

 

「君らは若く力もある……」

 

 だからこそ、

 

「見極められよ……真に望む未来を……」

 

 『見極める』こともできるはず……。

 ナナは壁を向いて息をついたウズミを見つめた。

 ずっと追っていた彼の意志。

 今はここに居る皆がそれを見て、見極める時を得ている。

 

「ウズミ様は、どう思ってらっしゃるんですか?」

 

 そして、迷いを捨てたキラが口を開いた。

 

「キラ……」

 

 彼はウズミをまっすぐに見据えていた。

 ナナはキラからウズミに視線を移す。

 ウズミもまた、その視線をしっかりと受け止めていた。

 

「ただ剣を飾っておける状況ではなくなった……と思っておる」

 

 そしてそう言い、ナナに視線を移した。

 

「…………」

 

 ナナはかすかに頷き、キラを見やる。

 彼の横顔は、安堵と決意が入り混じったように、わずかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 



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遠い光

 ザフト軍のパナマ攻撃の知らせを、ナナはモルゲンレーテの整備ドックで聞いた。

 

「ザフトは『ジョシュアの敵討ち』……と、猛攻撃を仕掛けてきました」

「狙いはマスドライバー?」

 

 宇宙へ上がるための施設、「マスドライバー」。

 いまや貴重なそれが、パナマにはあった。

 それさえ制圧すれば、地球軍の足は地上に止まる。

 ザフトのパナマ攻略の目的は明らかだった。

 

「パナマ陥落は……おそらく時間の問題かと……」

 

 キサカの言葉に、ナナは少しの間考えこんだ。

 そして、グレイスの整備を周囲の者に任せ、ウズミの元へと向かった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「パナマが落ちれば、情勢はどうなる……?」

 

 窓辺に立ち、ウズミはナナにそう問う。

 ガラスの向こうには、夕日を浴びる紅い海が広がっていた。

 

「地球軍は地球に残るマスドライバーを求め、躍起になると思います」

「で……あろうな……」

 

 地球に残されたマスドライバー……それは、このオーブにもあった。

 日に日に強まる、地球軍からの参戦要請。

 それに、マスドライバーの保持。

 そして、強大な軍事力……。

 どの条件から見ても、オーブが立たされた場所は狭く際どい所だった。

 

「地球軍は……オーブに対する圧力をいっそう強めるでしょう」

「うむ……」

 

 外交でどうにかなる問題ではなくなる……と、ナナは懸念した。

 もちろん、ウズミがそのことを前提に考えていることも知っていた。

 

「オーブは“敵対国”と見なされるでしょうね」

 

 冷静な声に、ウズミはナナを向いた。

 そして、再び問う。

 

「そなたは、オーブの取るべき道をどう考える?」

 

 ナナが答えるのに、間は無かった。

 逆に、簡単な問題を出されたかのようで、少し笑う。

 

「私に聞かずとも、もうお答えは決まってらっしゃるのでしょう?」

 

 だから、ナナはこう言った。

 

「私は、ウズミ様がオーブの理念を崩すことは、決して無いと思っています」

 

 ウズミはかすかに目を細めた。

 

「地球軍に組みすれば、軍やマスドライバーを利用されるかもしれませんが、孤立は免れるでしょう……」

 

 ナナの言葉に淀みは無い。

 

「逆にザフトと組んでも、同じこと……」

 

 自分の足で、ようやくここまで辿り着いた者の、強い信念があった。

 

「国民の多くは、地球軍に参戦することを望むかもしれません。この国が戦場にならない道を選ぶのなら……」

 

 ウズミはそれに聞き入った。

 

「でも、それでは何も終わりません」

 

 微動だにせず。

 

「互いを認め合わず、ただ“違うから”と憎み、全てを敵、味方に分けては、争いは絶対に終わりません」

「ナナ……」

「そうさせる“力”こそが“敵”だと……私は思いました」

 

 “答え”はいつのまにか出ていた。

 

「そして昨日、ウズミ様の言葉で確信に変わりました」

 

 ウズミはナナに歩み寄り、ナナもソファから立ち上がった。

 

「そなたは“光”を見つけたのだな」

「遠い……光です」

 

 妨げるものは数多ある。

 そのための犠牲も、覚悟せねばならないだろう。

 だが、

 

「オーブが取る道は、世界に指し示す道となるでしょう」

 

 ナナは噛みしめるように言った。

 ウズミもまた、腹の底にある決意を見据えるように頷いた。

 そして、

 

「そなたはどうする。どうやってその光へと進むのだ……?」

 

 三度問う。

 やはり、ナナに迷いはなかった。

 

 

「戦います」

 

 

 気負いすら取り払った。

 

「オーブの理念を掲げて、望む未来のために、戦います」

 

 望まぬ未来が迫っていても、希望は捨てない。

 そのために戦う。

 その力も持っている。

 

「やはりな……」

 

 ウズミは急に老けたような顔で笑った。

 

「ウズミ様……?」

 

 そしてナナの肩に手を置いて、呟いた。

 

「やはりそなたは、我らの光だ……」

 

 ナナは首を振る。

 最近も誰かに言われたその台詞は、やはり他人事のようだった。

 

「私はずっと……ウズミ様の信念に導かれて生きてきましたから……」

「よいのだ」

「ウズミ様……」

 

 ウズミはカガリにするように、ナナの頭に手を乗せた。

 

「人類の未来は、そなたの目指す先にある。……私もそれを目指して共に戦おう……」

 

 

 

 

 



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国の未来


 オーブ現政権の即時退陣。
 国軍の武装解除、並びに解体。
 これが、パナマを失った地球連合軍が突きつけてきた『最後通告』だった。
 48時間以内にこの要求に従わない場合、オーブ連合首長国を『ザフト支援国家』と見なし、武力をもって対峙する……と。

 理念と法を捨て、連合に下れば、このオーブでの戦闘は回避される。
 が、プラントが“敵”となる。
 逆にプラントと組めば、連合は“敵”。
 オーブは取るべき道の選択を迫られていた。


 アークエンジェルのドックに、艦長の号令で全クルーが集められた。

 マリューは彼らに、オーブの置かれた状況を説明した。

 すでに連合艦隊がオーブに向かっていること。

 オーブ政府から、都市部、軍施設近郊からの避難命令が出されたこと。

 それでもオーブは、あくまで『中立』の立場を貫き、現在も外交努力を続けていること。

 だが、残念ながら戦闘を回避する可能性は極めて低いこと。

 

 クルーたちは不安げな面持ちでざわめき立つ。

 ナナは、マリューやフラガ、そしてカガリの側ではなく、キラとともに彼らの中に居た。

 正直、事態を予測していたから、ナナには何の動揺も無かった。

 ただ淡々と、マリューの話に耳を傾ける。

 

「我々もまた、道を選ばねばなりません」

 

 現在、アークエンジェルに示されている『道』は無かった。

 アークエンジェルは脱走艦であり、もはや士官たちも軍人という枠を取り払いつつある。

 

「オーブのこの事態に際し、どうするべきなのか……。命ずる者もなく、私もまた、あなたがたに対し、その権限を持ち得ません」

 

 マリューの明確な言葉に、ざわめきはいっそう増す。

 

「回避不能となれば、明後日09:00、戦闘は開始されます」

 

 オーブを守るべく、連合と戦うのか。そうではないのか。

 ひとりひとりが、自身で判断せねばならない時が来ていた。

 だから、マリューは希望者の退艦を許可する発言をした。

 残って戦うも、戦いを避けて去るも……各々が決断するのだと、そう告げた。

 ざわめきは最大になった。

 突きつけられた『選択の時』に、誰もが困惑していた。

 が、立ち止まっていることはできなかった。

 どちらにせよ、選ばねばならない。

 個人で考えた道を。

 最後にマリューは、彼らに言った。

 

「これまで私のような頼りない艦長について来てくれて……本当にありがとう」

 

 そして深く、頭を下げた。

 再び彼女が顔を上げた時、最前列の隅に立つナナと目が合った。

 二人はかすかに笑みを交わし、同じように息をついた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「連合はパナマでMS部隊を投入したっていうらしいから……」

「たぶん、オーブにも展開してくるだろうね」

「ストライクを量産化した機体……って話だけど、性能については詳しい情報が入ってないし……」

「部隊の規模もどのくらいかはわからない……」

 

 解散後、ナナとキラは連合の攻撃について話しながら歩いていた。

 そこへ。

 

「ナナ! キラ!」

 

 カガリが切迫した表情で駆けて来た。

 

「ナナ、わ、私っ……」

「ちょっと落ち着きなさいよ」

「だ、だって……!」

 

 ナナは極めて冷静に返す。

 宥めるように言ったのはキラだった。

 

「そんな服を着てる人が取り乱してたら、みんなが不安になっちゃうよ」

 

 カガリは公人が身につける制服を見下ろし、息をつこうとする。

 が。

 

「そ、そうだよな……でもっ……」

 

 すぐに頭を抱え込む。

 

「オーブが戦場になるなんてっ……こんなっ……こんなこと!!」

 

 それを見て、キラは静かに言った。

 

「でも、オーブのとった道は正しいと思うよ、僕は」

「え……?」

 

 顔を上げたカガリに、キラは優しく言う。

 

「一番大変だとも思うけど」

「キラ……」

「だから、カガリも落ち着いて。僕も戦うから」

 

 不安と懸命に戦っているのか、カガリの瞳に涙が浮かんだ。

 そして彼女は、さらなる安堵を得ようと、ナナを見る。

 

「……カガリ」

 

 ナナは一度目を伏せた後に言った。

 

「あなたがしっかりしなくてどうするの?」

 

 それは、キラとは反対の厳しい声だった。

 

「ナナ……」

「あなたは国を護るための“指揮官”でしょう? みっともなくうろたえてないで、しっかり立ち向かいなさい」

 

 キラは一瞬、ナナを止めようとして口をつぐんだ。

 ナナの拳が、カガリの見えないところで震えていたからだった。

 

「この国の“意志”が正しかったと、あなたが自信を持てなくてどうするの? 国民や軍に不安や疑念を抱かせるようなことになる」

「あ、ああ……」

「怖がっちゃダメ。ちゃんと先を見据えるの。わからなくても答えを探し続けていなさい」

 

 カガリは突きつけられたものに耐えるように、強く奥歯を噛みしめた。

 

「あなたがこの国の未来になるの」

 

 ナナは強くそう言って、カガリの決意を待たずに背を向けた。

 

「ナナ……!」

 

 追おうとして躊躇ったカガリを、キラは笑みで圧し止めた。

 ややあって、顔にまだ不安を浮かべながらも小さく頷いたカガリに彼も頷き返し、彼もナナの後を追った。

 

 

 

 



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退艦

 つい先ほどまでアークエンジェルの禁固室に収監されていたディアッカ・エルスマンは、艦の後部ゲートから外へ出た。

 艦を降りることになった経緯は、詳しく聞かされていない。

 ただ、アークエンジェルが地球連合軍から離れたから……とだけを聞かされた。

 

 そんな無茶苦茶な話を信じられないまま、彼は用意された平服を着て、ミリアリアによって返されたザフトのパイロットスーツをバッグに詰めて艦を降りた。

 そこはモルゲンレーテのドックだった。

 そこへ。

 

「ディアッカ」

「ナナ……?」

 

 すれ違う者たちの挨拶に軽く応えながら、ナナが駆け寄ってきた。

 

「一体どういうことなんだよ、捕虜はもう必要ないから降りろってアイツが……!」

「アイツってミリアリア?」

「あ、ああ……」

 

 ナナは少し笑いながら謝った。

 

「ごめんごめん。色々バタバタしちゃって、私も説明しに行く暇がなかった」

 

 そして、どこまで聞いたかと尋ねる。

 

「ジョシュアが落ちてこの艦がオーブに来てて連合がオーブに攻撃して来るって……」

「あー……話がとびとびなんだ……」

「だからワケわかんねぇって言ってんだろ? てか、なんで連合の艦が軍を離れてオーブに居て、その中立国のオーブに連合が攻めて来るわけ?」

 

 ナナは軽い口調で答える。

 

「この艦はアラスカで本部から“捨て駒”にされたから、生き延びるために脱出したの」

「はぁ? んじゃ、この艦は脱走艦なのかよ……」

「まぁね。ついでに、そんな連合のやり方にはこれ以上従えないからオーブに来たの」

「は……?」

「それで、パナマがザフトに落とされたことで、オーブのマスドライバーと軍事力が何としても欲しい連合は、参戦しないなら『ザフト支援国』として見なすと言ってきた」

「だ、だから連合にオーブが攻撃されるのか?」

「そういうこと」

 

 これまでのいきさつと、先ほどのミリアリアの言葉とが、ようやく繋がった。

 

「だから……アイツもお前も戦うのか?」

 

 ナナは笑みで返した。

 

「国を護るために……か?」

 

 そしてやっと答えた。

 

「この国だけじゃない。“人が望む未来”を護りたいから」

「人が望む……未来……?」

 

 曖昧な表現に、ディアッカは素直に怪訝な顔をする。

 が、ナナは再び曖昧な言葉を言った。

 

「私、ナチュラルだし、連合のMSのパイロットだったけど……コーディネーターでザフトのパイロットのあなたのこと“敵”だと思ってないから」

「…………」

「そういう未来を手に入れたいだけ」

 

 そして、その意味を飲み込めない彼の肩を親しげに叩く。

 

「投降させといてポイ捨てみたいで悪いけどさ、ちゃんと生き残ってよね」

 

 そう言った姿は、先ほどのミリアリアと重なった。

 

「お、おい……!」

 

 だから、彼女と同じくさっさと行きかけたナナを、彼は呼び止めた。

 

「いくらオーブったって、連合の攻撃に勝てるわけ……」

 

 ナナは振り返り、彼の言葉を遮った。

 その瞳に、彼は気圧される。

 

「この国の意志が折れれば、戦いは案外早く終わるかもね」

「え……?」

「ナチュラルかコーディネーター……どっちかが滅びることになって」

「…………」

 

 そう言い捨てると、ナナは再び笑みに戻って別れを告げる。

 ディアッカは、すでに続く言葉を持ち得なかった。

 

「あ、そうだ」

 

 少し離れたところから、ナナが振り返って言う。

 

「アスランが生きてたって……!」

「ア、 アスランが……?」

「もし軍に戻ったら、よろしく言っておいて!」

 

 彼の返事を待たず、手を振って再び歩き出したナナの背が、やけに細く見えた。

 

 

 

 

 



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開戦

 オーブ領海にて、戦いの火蓋は切って落とされた。

 連合の艦隊がいっせいにミサイルを発射し、オーブ艦隊がそれを迎撃する。
 アークエンジェルもまた、オーブを守るために発進した。


 無論、マリューを初めとする“元”士官は戦う道を選んだ。

 ブリッジから抜けたのはカズイただひとり。

 ミリアリアとサイは残る決意をした。

 ナナは彼らと特に話をしたわけではなかった。

 ただ、残った者の顔ぶれを見ると、この戦争で何かを学びながら進んできた者たちばかりで、納得がいった。

 ただ、キラが第八艦隊を護るために戻って来てしまった時のような、少しの痛みがあった。

 

「フラガ少佐、デビュー戦ですけど大丈夫ですか?」

 

 ナナはそれを指先で潰すかのように、茶化すような口調でストライクへと通信を入れる。

 

≪生意気言ってくれるねぇ、そりゃぁMS戦はルーキーだけどさ≫

 

 フラガも気負い無く答えた。

 そのやりとりを聞いていたキラも通信を入れる。

 

≪でも、無理しないでくださいね≫

 

 彼も、この戦闘に対して特に殺気だった様子はなかった。

 ただ、こうなってしまったことを受け入れ、オーブの選択に賛同する形でフリーダムのコックピットに座った。

 

≪ボウズも嬢ちゃんも、俺の腕前をなめるんじゃないぜ!≫

 

 ナナはヘルメットごしにニコリと笑った。

 気負いは無い。

 この戦闘がどういう結末になるのか、考えても無駄だった。

 ただ護るために戦うだけ。

 心配なのは、カガリが指揮官としてちゃんと役割を果たせるか……ということだけだった。

 だから。

 

≪でも、ナナ……ほんとにいいの? オーブ軍の方へ行かなくて≫

 

 キラが心配そうにそう言っても

 

「オーブ軍はウズミ様とカガリが居るから、私はアークエンジェルの一員として戦うの」

 

 迷い無く答えられた。

 この艦とともに進んでこられたから、オーブに再び帰ることが出来たし、後悔することなく居られる。

 

「キラも自分で決めたでしょ?」

 

 力を手に、選ぶことを許されたはずのキラも、アークエンジェルと供にオーブを護るときめたから。

 

「私も……」

 

 自分もまた、力を手に、自分の道を選ぶのだと……そう決意した。

 

≪敵モビルスーツ部隊、イザナギ海岸に上陸。モビルスーツ隊は発進後、迎撃願います……!≫

 

 自分とは比べ物にならぬほどの覚悟で艦に残ったはずのミリアリアから、通信が入る。

 ナナはストライク、フリーダムと共に、戦渦の中に飛び立った。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ストライク、フリーダム、そしてグレイスが、M1アストレイと連合のモビルスーツ隊が交戦する空に躍り出た。

 

「M1と向こうのMSの性能はほぼ互角……」

 

 上空からそう見抜くと、ナナは一気に降下し、M1の援護に入る。

 M1アストレイのパイロットたちは、全員が初陣だった。

 経験不足はいなめない。

 中には、アサギらナナと歳の変わらない少女たちもいる。

 が、相手のMS部隊もつい先日、パナマで実戦投入されたばかり。

 こちらも訓練どおりの動きが出来れば、ある程度は対抗できるはずだった。

 

「あとは数さえ何とかなれば……!」

 

 数で勝る連合に対し、グレイス、フリーダム、ストライクが懸命に援護する。

 

「ジュリ! 無駄撃ちしないでちゃんと狙って! シミュレーションどおりならちゃんと当たるから……!」

≪りょ、りょうかい……!≫

 

 何とかサポートしつつ戦っていたグレイスだったが、突然現れた熱源を感知し、動きが止まる。

 方向はオーブ艦隊とアークエンジェルが交戦している沖合いだった。

 一時上昇し、メインモニターに光学映像を出す。

 と、見たこともないMSが一機、ストライクのアグニ級のビームを放っていた。

 さらに、海岸に向かって高速移動するMS、そしてMA。

 

≪地球軍の新型か……?!≫

 

 陸に上がったMSに、ストライクが向かって行く。

 

「キラ!」

≪うん、空中戦は僕らで……! 艦隊を援護しよう!≫

「了解!」

 

 グレイスとフリーダムは、艦隊を攻撃するMSとMAに向かう。

 が、MAはイージスと同じようにMSへと変形し、手にした大鎌状の武器で駆逐艦を破壊していった。

 さらに、フリーダムが放ったビームがそれの前で湾曲する。

 

≪ビームがっ……!!≫

「曲がるっ……?!」

 

 敵MSの性能はグレイスを凌ぐほどだった。

 ナナは手に滲んだ汗を感じないよう、操縦桿を強く握り返した。

 沖合いではアークエンジェルがMA隊の集中攻撃を受けている。

 バリアントで応戦しているが、数とスピードで押されているのは明らかだ。

 

「キラっ……! アークエンジェルが!」

≪う、うん、わかってるけど……!≫

 

 しかし、キラすら状況を打開できぬほど、新型MSの攻撃は凄まじかった。

 その時、気にかけていたアークエンジェル上空に、陸から高エネルギー砲が放たれた。

 それにより、アークエンジェルに撃たれたミサイルが全て打ち落とされる。

 

「あ……あれは……」

 

 グレイスのサブモニターには、高エネルギーライフルを構えたバスターが映し出された。

 

「ディ、ディアッカ……?!」

 

 釈放されたはずの“ザフト兵”ディアッカ・エルスマンだった。

 

(ディアッカ……)

 

 「ザフト」である彼にとって、何のメリットもない戦いのはずだった。

 だが、彼は自分の意志であの火を放った。

 湧き上がる激情をかみ締め、ナナは改めて目前の新型MSに向かう。

 

「キラ……!」

≪うん、わかってる!≫

 

 グレイスとフリーダムは連携攻撃に入る。

 キラの機体は以前と違うが、何度も共に戦った二人の間には関係なかった。

 そして前よりずっと、心をひとつに戦えていた。

 比べて敵は不可思議なことに、同時期に実戦投入されたMS隊にしては何の連携攻撃も仕掛けて来ない。

 それどころか、味方の攻撃を邪魔し合う始末。

 

「なんとかこのまま押し込めればっ……!」

 

 が、あと少しで形勢逆転というときに、もう一機も加わった。

 敵側の火力と特殊武器で、グレイスとフリーダムは引き離され始める。

 

「あれってほんとに……?」

 

 ナナに嫌な予感が走った。

 機体の性能だけでなく、パイロットの腕も“ナナ”を凌ぐほどだった。

 だとすれば、相当の訓練を受けた者か……、いや、まるで“ザフト軍”を相手にしているような感覚……。

 そう感じてしまうほどの異常な戦闘スキルだった。

 

 やがて、3機によってグレイスとフリーダムは囲い込まれる形となる。

 三方向から放たれるビームや実弾が、容赦なく襲い掛かった。

 グレイスもフリーダムも、直撃は避けている。

 が、キラですらナナをかばう余裕はなく、反撃も効果を得られない。

 

 そして遂に、2機は同時にロックされた。

 ナナは歯を食いしばった。

 目の前の緑色のMSが銃口を向けている。

 この至近距離であの高エネルギーライフルを放たれれば、一撃でグレイスは大破するだろう。

 すでに盾は失っていた。

 かろうじて避けられても、背後のフリーダムに当たってしまう。

 一瞬でそんなことを考えながら、ナナは熱を溜めた銃口を眺めていた。

 その時……。

 

「え……?」

 

 上空からビーム砲が放たれ、キラを撃とうとした敵に直撃した。

 同時に、グレイスの目の前に赤い機体が現れ、

 

「…………?!」

 

 指先ひとつ動かす間も無いうちに、緑の機体が放ったビームをその盾で受け止めた。

 

「あ……赤……い……」

 

 突然現れたその機体に、ナナだけでなくキラも息を飲む。

 連合のMSもまた、同様に動きを止めた。

 

 

 

 



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ジャスティス

 突如現れた赤い機体。

 

 ナナとキラは、互いに言葉を交わす余裕すらないほどに驚愕していた。

 一体どこから、一体誰が……?

 が、そんな間は与えられなかった。

 一瞬早く我に返った敵MSの3機が、グレイスとフリーダム、そして赤い機体目掛けて一斉にビーム砲を放ってきた。

 散開するも、ナナの瞳は赤い機体を捕らえたままだった。

 すると、“それ”からグレイスとフリーダムに対して、通信が入った。

 

 

≪こちらはザフト軍特務隊……アスラン・ザラだ……!≫

 

「え……」

 

 

 操縦桿の上で、ナナの手が冷たくなった。

 忘れていたはずの火傷の痕が、今さらピリリと痛み出す。

 

≪聞こえるか? フリーダム……。キラ・ヤマトだな……?≫

 

 なおも聞こえるその声は、間違いなく、アスランだった。

 

「アス……ラン……?」

 

 喉の奥で、乾いた声が出た。

 

≪グレイスに乗ってるのは……ナナ……だな……?≫

 

 キラもナナも、答えることはできなかった。

 惚けた2機の代わりに、アスランが敵MSを迎撃する。

 先に動いたのはフリーダムだった。

 

≪ど、どういうつもりだっ……?!≫

 

 フリーダムはアスランの機体の前に割り込み、敵MSに攻撃する。

 

「キ、キラ……」

 

 ナナは彼の苛立ったような声にゴクリと唾を飲み込み、襲い掛かる敵の攻撃をビームサーベルで撃ち返す。

 

≪この戦闘にザフトが介入するのか?!≫

 

 そして、“この場”はキラに任せた。

 実際、アスランが現れた事実を飲み込みきれていなかったし、敵の攻撃を避けるので精一杯だった。

 ただ、言葉にならない祈りを胸の奥に抱きつつ、懸命にグレイスを動かす。

 モニターに映る“アスラン”は、巧みに敵の攻撃を受け流しながらキラの問いに答えた。

 

≪この戦闘に対して、軍からはなんの命令も受けていない……!≫

 

 そして、

 

≪この介入は……≫

 

 グレイスに向けて放たれたビームを再び受け止めて護りながら、“アスラン”は言った。

 

≪オレの意思だ……!!≫

 

 一瞬、スピーカーからキラの息を呑む様子が伝わった。

 ナナは目の前の赤い機体に視線を奪われていた。

 

「アスラン……」

 

 そしてさらに激しくなる敵MSの攻撃とともに、信じられないことが起こる。

 まるで同じ隊で戦渦を潜り抜けてきた者同士のように、キラとアスランが連携をとり始めたのだ。

 

「アスラン……キラ……」

 

 戦場では一度も無かった震えが、ナナの身体を襲っていた。

 それは恐怖でなく、かといって喜びでもなく、説明しようの無い心の揺れだった。

 

 やがて、敵MS3機は突然攻撃を停止し、母艦へと帰投して行った。

 フェイズシフト装甲が剥がれたわけでもなく、エネルギー残量の問題でもなさそうだったのに、不可解な撤退だった。

 さらに、連合艦隊からも撤退信号が放たれる。

 一気に帰投する連合のMSたち……。

 だが当然、ナナにその理由を考える余裕はなかった。

 ただ、向かい合うキラとアスランを見つめていた。

 

≪援護には感謝する……≫

 

 先に口を開いたのは、キラだった。

 

≪だが……その真意を確認したい……!≫

 

 警戒を込めた声に、ナナはごくりと唾を飲む。

 アスランの『答え』に対する予測など、立ててはいられなかった。

 彼の『真意』とは……。

 それを祈ることさえ、できずにいた。

 

≪オレは……≫

 

 ややあって、赤い機体のコックピットが開かれ、“アスラン”が姿を露にした。

 そして彼は、ゆっくりと言葉を選びながら答えた。

 

≪その機体……フリーダムの奪還、あるいは破壊という命令を本国から受けている……≫

 

 ナナは奥歯をかみ締めた。

 今さらながら、それは予測できる範囲だったことを思い知る。

 だが、アスランは言った。

 

≪だが今……オレは()()()()と敵対する意思はない≫

「え……?」

 

 何故か……それ考える暇は与えられなかった。

 

≪話が……したい……≫

 

 アスランがそう言った。

 

≪お前と……≫

 

 彼はまっすぐに、フリーダムのコックピットを見据えていた。

 

 

 

 

 



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 夕暮れの海岸で、戦闘を終えたオーブ軍たちが休息をとっていた。

 とはいえ、これは安息ではなかった。

 彼らは皆、凄まじい戦闘に疲弊しきっていたし、連合側が一時的な撤退をとったことは誰もが承知であった。

 そして、その犠牲の大きさも彼らの身体と心に大きくのしかかっていた。

 

 

「みんな、よくやってくれた!!」

 

 司令部から駆けつけたカガリは、この惨状に内心は愕然としつつも、平静を装って兵士たちに声をかける。

 

「撤退して行った理由はまだわからないが……」

 

 そして、赤い日に照り返すものを見上げ、走り出す。

 

「キラ……!! ナナ……!!」

 

 キラの乗るフリーダムと、謎の赤い機体がゆっくりと降り立った。

 そして向かい合う2機を見守るようにして、ナナのグレイスも降りる。

 アークエンジェルのクルーや、フラガ、そしてディアッカらが彼らの元に集まった。

 皆が息を止めて見守る中、赤い機体のコックピットからザフト兵が。

 フリーダムのコックピットからキラが。

 最後に、グレイスのコックピットからナナが姿を現した。

 

「あ、あいつ……!!」

 

 見覚えの無い赤いMSから降りたのは、オーブが救出・保護したザフト兵……アスラン・ザラだった。

 キラと戦い、キラを殺そうとしたアスラン。

 キラの幼い頃からの親友で、キラを殺したと泣いていた。

 そして彼の首には、ナナが大切にしていた護り石が……。

 

 その時のことをナナは自分とキラに話してくれた。

 ナナのあんな顔は初めて見た。

 きっと、一生忘れないと思う。

 

『ごめんね、キラ。何度か……言おうと思ったんだけど……』

 

 あれほど歯切れが悪い口調も初めてだった。

 

『私……あの時、無人島に不時着して……。……ちょっと調子が悪くて……』

 

 記憶を呼び覚ますようでいて、まだ躊躇っているようでもあった。

 

『アスランが、助けてくれた……』

 

 ナナはぎゅうと手を握りしめていた。

 

『“敵”だと言いながら、アスランは優しかった……。だから私は、キラと戦って欲しくないと思ったし、アスランが撃たれないで欲しいと思った』

 

 ナナがどんな思いでその時を過ごしたのか、カガリにはわからなかった。

 だが、同時に枯れ果てたようなアスランの顔も思い出した。

 キラを撃ったと言って泣いていた。激しく悔いて、憤って、絶望していた。

 それはきっと、彼も優しいからだと思った。

 キラと同じように、優しいヤツだから……。

 だから、ナナが言ったことはよくわかった。

 

『よかったね……』

 

 ナナはキラに言った。

 

『アスランが生きてて……本当によかったね』

 

 その時のナナの笑みは、頼りなくて、幼くて、なんだか胸が締め付けられた。

 

 

「キラ……ナナ……アスラン……」

 

 あふれ出しそうになる様々な感情を、カガリは懸命に押しとどめた。

 やがて、それぞれの機体から降りると、キラとアスランはしばし見詰め合った。

 そして、夕陽が照らす中、どちらからともなく歩き出す。

 駆けつけたオーブ兵がアスランに向けて銃を構えるが、キラがそれを制止した。

 

「彼は敵じゃない……!!」

 

 彼の言葉に、カガリの心は大きく打ち震えた。

 『敵』だから戦った二人だったはず。

 『敵』として殺し合った二人だったはずなのに……。

 アスランは、フリーダムとグレイスを援護した。

 そしてキラは今、アスランを()()()()()()と言い切った。

 

「ナナ……」

 

 カガリは二人の向こう側に立ち尽くすナナを見た。

 遠くて表情はよくわからなかった。

 が、夕日が照りつけるその顔は、青ざめているのがわかった。

 ちょうど、そのナナの正面で二人は立ち止まった

 再び、沈黙のままに見つめ合う。

 カガリの周囲の者たちも、微動だにせず二人を見守っていた。

 そしてナナも……。

 その時、どこからかトリィが飛んできて、キラの肩に止まって鳴いた。

 キラは少し笑って、アスランを向いた。

 そして、言った。

 

「やぁ……、アスラン」

 

 アスランは強く拳を握った。

 が、迷いを打ち消すように低く呟いた。

 

「キ……ラ……」

 

 やっと、出会えた二人……。

 そんな気がして、カガリはたまらず走り出す。

 

「お、お前ら……!!」

 

 そして、二人の首に腕を巻きつけた。

 

「カ、カガリ……?!」

 

 二人とトリィは驚いたが、カガリは叫んだ。

 

「この……バッカヤロウ……!!」

 

 涙が溢れた。

 キラとアスランが、ようやく笑みを交わしたのがわかったから。

 やっと二人が『敵』じゃなく、『友』としてここに居る……。

 かつての『友』にやっと会えた。

 カガリは彼らの首をがっしりと掴んだまま、無理矢理歩き出す。

 

「ナナ……!!」

 

 きっと、誰よりそれを望んでいたナナの元へ。

 

「ナナ……!!」

 

 呼んでも、ナナは答えなかった。

 

「ナナ……?」

 

 キラですら戸惑うほどに、ナナはその場に立ち尽くしたまま、

 

「……っ……!!」

 

 肩を震わし、泣いていた。

 

「ナナっ!!」

 

 ナナの涙を見たのは初めてだった。

 普通なら泣き出すような苦しいときも、生意気な笑みを浮かべて憎まれ口をたたいてきたナナが、両手で顔を覆って泣いていた。

 

「ほんと、バカだよなっ、こいつら!」

 

 カガリ自身も泣きながら、そう言って笑う。

 戸惑っていたキラは、優しい顔でナナの頭に手を乗せた。

 そして、アスランも……。

 ぎこちなく、震える肩に手を置いた。

 

 ナナはいつまでも、いつまでも、泣いていた。

 

 

 

 

 



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 オーブ軍のドックでは、軍艦やMSの他、アークエンジェルも整備や補給を受けていた。

 グレイスもまた、他のMSとともにそこにあった。

 それらの足元で、キラとアスランは言葉を交わした。

 コンテナに腰掛け、並んで話す二人を見守るように、ナナは少し離れて立っていた。

 

 キラは、己の意志をアスランに告げた。

 ウズミ・ナラ・アスハの言葉を正しいと思うから、戦うのだと。

 アスランは困惑した。

 それは当然の反応だった。

 いくらオーブが強大な軍事力を持っているとはいえ、相手は捨て身でオーブを獲りに来た連合軍である。

 まして、新型MSの存在もある。

 勝機があるのか微妙なところだった。

 

 だが、オーブが地球軍につけば、地球軍はその力も利用してプラントを攻める。

 ザフトの側についても同じこと。

 ただ、オーブにとっての“敵”が代わるだけ。

 

「そんなのはもう嫌なんだ……。だから僕も戦うんだ……」

「しかし……!」

 

 食い下がるアスランに、キラは静かに、呟くように言った。

 

「僕は君の仲間……友達を殺した……」

 

 アスランの背筋がビクンとなって、彼は静止した。

 ナナの脳裏にはブリッツの爆炎が甦る。

 

「でも……僕は彼を知らないし、殺したかったわけじゃない……」

 

 そう……撃たなければキラが撃たれていた。

 

「君も……トールを殺した……」

 

 そしてそれも同じこと。

 撃たなければアスランが撃たれていたから……。

 

「でも……君も、トールのことを知らない……。殺したかったわけでもないよね……?」

 

 キラに見つめられ、アスランはうつむいた。

 

「オレは……」

 

 そして呻くように言う。

 

「……お前を殺そうとした……」

 

 ナナも秘かに拳を握った。

 隣でカガリも、息を潜めていた。

 

「僕もだよ……アスラン……」

 

 キラは穏やかに彼に言う。

 そして、MSを見上げた。

 

「戦わないで済む世界……。そんな世界だったら良かったけど……」

 

 ナナは目を伏せた。

 そう願っても、戦争はどんどん広がるばかり。

 排除、撲滅、惨殺……。

 憎しみが大きくなるだけ。

 

「このままじゃ本当に、地球とプラントは、お互いを滅ぼし合うしかなくなる……」

 

 世界は二分され、敵だ味方だと区別して、それがまるで善のように叫ばれて……やがてそれぞれの“敵”を滅ぼすまで終わらない争いになる。

 

「だから……僕も戦うんだ……」

「キラ……」

「たとえ“護るため”でも、銃を撃ってしまった僕だから……」

 

 キラはそう言いながら、ナナを見た。

 反射的に、目を逸らしそうになった。

 彼に銃を持たせたのは自分だから……。

 だがナナは、キラを見つめ返して小さく頷いた。

 もう独りじゃない……彼が言ってくれたから、孤独感は消えていた。

 代わりに、あたたかく強い光が胸の奥で光った。

 

「僕たちも……また戦うのかな……」

「……キラ……?!」

 

 だから、キラのそんな言葉にも、もう独りで拳は握らなかった。

 キラと同じように小さく笑み、アスランを見つめる。

 

「もう、作業に戻るね……」

 

 キラは立ち上がった。

 

「攻撃がいつ再開されるかわからないから……」

 

 そしてナナに並ぶ。

 ナナも一緒に歩き出した。

 

「ひ、ひとつだけ聞かせてくれ……!」

 

 戸惑いながら、アスランが呼び止める。

 

「フリーダムにはNジャマーキャンセラーが搭載されている……。お前はそのデータを……」

 

 キラは表情を変えぬまま答えた。

 

「ここで、あれを奪おうとする人がいるなら……僕が撃つ……」

 

 そして困惑したままのアスランを残してフリーダムに向かう。

 ナナはアスランと目を合わせた。

 驚愕、迷い、葛藤、不安……それらが入り混じった瞳に、ナナは笑いかける。

 

「ナナ……」

 

 アスランはまるで答えを求めるかのようだったが、ナナは再びキラに並んで歩き出した。

 答えは、すぐになど出まい。

 だから今すぐにキラと自分の意志を理解してくれるとも思っていない。

 ただアスランが、『自身の意志』でキラと自分を助けてくれたことが嬉しかった。

 『話がしたい』と……そう言ってくれたことが嬉しかった。

 だから自然と、ナナはキラの横顔を見上げる。

 キラも同じ気持ちだったのか、同じようにこちらを見ていた。

 

 

 

 



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さいかい

 夜が明けた。

 オーブ政府からの、幾度の会談要請に答えすら無いまま、連合は攻撃を再開した。

 “敵”とみなせばその言葉すら聞こうとしない、これが連合のやり方と改めて知らされる形となった。

 

 ナナは直接、ウズミから連絡を受けた。

 アラスカで“それ”を直に見ていたから、むしろ彼よりも冷静だった。

 絶望も、怒りも無い。

 ただ淡々と、パイロットスーツに身を包み、グレイスの元へ向かう。

 途中、フリーダムの方で声が聞こえた。

 足を止めてそちらを向くと、アスランとキラが話していた。

 ナナはそれをコンテナの陰から二人を見守っているディアッカを見つけ、傍に寄った。

 

「この状況ではオーブに勝ち目はない。お前もわかっているんだろ……?」

「うん……たぶん、みんなもね……」

 

 二人の言葉に、ナナとディアッカは自然と顔を見合わせる。

 

「でも、勝ち目が無いからって戦うのをやめて言いなりになるなんて、できないでしょう?」

「キラ……」

「大切なのは、“何のために戦うか”で……それを僕はナナに教えてもらった……」

 

 ナナはキラの台詞にうつむいた。

 キラは何度もそう言うが、決してそんなつもりは無い。

 あるとすれば、未だに彼を戦いに誘ったという罪の意識だけだ。

 その複雑な気持ちを察してか、ディアッカがナナの肩に手を乗せる。

 

「だから……僕も戦うんだ……」

 

 キラは言葉を失くしかけたアスランを置いて、フリーダムのタラップに上がる。

 

「本当は、戦いたくなんてないけど……戦わなくちゃ護れないものもある……って、それも、ナナが初めから僕に言ってくれてたことなんだけどね」

 

 ナナは唇をかみ締め、キラを乗せてコックピットへ上昇するタラップと、置き去りのアスランを交互に見た。

 

「ごめんねアスラン……ありがとう……話せて嬉しかった」

「キラ……」

 

 やがてフリーダムのコックピットが閉まると、ナナは顔を上げた。

 

「で、ディアッカはパイロットスーツなんて着ちゃってどうしたの?」

 

 深刻な顔をしている彼を茶化すように。

 

「は? い、いや、オレも仕方ねーからバスターで出てやろうと思ってさ」

「ふーん、何で?」

 

 下から覗き込むようにすると、ディアッカはふてくされたように言った。

 

「乗りかかった船ってヤツ? お前らだけじゃ頼りないしな」

 

 彼はそっぽを向いたが、目には強い光があるように見えた。

 

「乗り掛かった(ふね)ってそのまんまじゃない」

「う、うるせーな! わかりやすくていいだろうが!」

 

 ナナはその様子に笑いつつ、グレイスに向かって走り出した。

 

「じゃ、また“後で”ね!」

 

 また後で……会うことが出来ると信じて。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 戦況は、前日同様、苛烈を極めた。

 連合の新型MSレイダー、フォビドゥン、カラミティも姿を現し、フリーダムとグレイスに向かって突っ込んで来る。

 

≪ナナ……! 離れないで戦おう、あの3機は接近させた方が扱いやすい!≫

「了解!」

 

 フリーダムとグレイスは、連携攻撃を仕掛けて来ない……というより、味方同士で邪魔をし合う3機を、狭い範囲で戦わせる策をとった。

 が、敵の勢いと火力に前日を再現するかのように押し込まれる。

 だが、空から援護射撃があった。

 

≪キラ! ナナ!≫

 

 上空に現れたのは、アスランの機体、ジャスティスだった。

 

「ア、 アスラン……?」

 

 彼はスピーカー越しに、低い声で言った。

 

≪オレたちだってわかっているんだ……!!≫

 

 巧みに敵の攻撃をかわしながら、強い言葉を……。

 

≪戦ってでも、護らなきゃいけないものがあることくらい!!≫

「アスラン……!」

≪蹴散らすぞっ!!≫

 

 その言葉に、背を合わせていたグレイス、フリーダム、ジャスティスは、散開してそれぞれ目の前の敵に向かった。

 

 連携攻撃がとれるこちらの方が、徐々に優位に立ち始めた。

 ナナは必死でグレイスの操縦桿を操った。

 次の動作を考えている暇など与えられない、一瞬でも止まれば高エネルギー砲に機体を撃ち抜かれる、極限の状況だった。

 やがて、コックピットに鳴ったアラートで、グレイスのパワー残量が無くなっていることに気付く。

 

≪ナナは補給に戻って!≫

≪援護する、行け!≫

 

 気付いたキラとアスランから通信が入った。

 と同時に、敵の3機も母艦へと撤退する。

 彼らもまた、エネルギーの補給を必要としていた。

 ひとまず、彼らとの戦闘は休戦という形になった。

 気付けば、ナナは喉が痛むほど、呼吸を荒くしていた。

 

≪ナナ、大丈夫?≫

「う、うん」

 

 キラからの通信を受けた直後、カガリから連絡が入る。

 テキストデータで来たそれは、『離脱命令』だった。

 

 

 

 



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小さな火

 ウズミの命を受け、『かぐや』に集結した部隊は、信じがたい言葉を聞かされる。

 それは、オーブからの脱出命令だった。

 

「お、お父様……何を……!?」

 

 マリューらアークエンジェル側はもちろん、カガリすら、面食らった顔で聞き返す。

 

「すでに人々は避難した……あとの責めは、我らが負う……」

 

 ウズミは、カガリを見つめてそう言った。

 そして、汗を滴らせたままのナナに視線を移す。

 

「が……たとえオーブを失っても、失ってはならぬものがある……」

 

 ナナはその視線をまっすぐに受け止めた。

 

「地球軍の背後には、『ブルーコスモス』の盟主、ムルタ・アズラエルの姿もある……」

 

 今までで、最も険しく、気高い顔。

 オーブの獅子のその姿を、ナナは静かに見上げていた。

 

「そしてプラントもいまや、コーディネーターを新たな主とするパトリック・ザラの手にある……」

 

 少し後ろで聞いていたアスランが、目を伏せたのが気配でわかった。

 ナナは一度唇をかみ締め、再びウズミの言葉を待つ。

 

「このまま進めば、世界はやがて、認めぬ者同士が際限なく争うばかりのものとなる」

 

 彼の言うとおり、今を見止め、来る未来を見据えなければならない時が来ている。

 ナナ自身も、アスランも、ここに居る者全てが。

 

「そんなものでよいか? 君たちの未来は……」

 

 望む未来は、そんなものじゃないはずだから。

 

「“別の未来”を知る君たちが、今、小さな火を抱いて其処へ向かえ……」

 

 彼が指し示す道を、しっかりと見定める。

 

「過酷な道ではあるが……わかってもらえような?」

 

 ウズミは最後に、マリューに対して優しい表情を浮かべた。

 ナナにはそれが、“父”としての顔だと知っていた。

 マリューはひとつ息をついて、答えた。

 

「小さくても強い火は消えぬと……私たちも信じております」

 

 ナナもまた、息をついた。

 彼女の心を信じて……彼女らやアークエンジェルとともにここに辿り着けて、本当に良かった……そう思った。

 

 

 マリューたちが脱出準備のため、アークエンジェルに戻ると、ウズミはカガリの頭を撫ぜた。

 とても愛おしそうに。

 そして、ナナとキラを向いた。

 ナナは応えるべき言葉を知っていた。

 

「大丈夫ですウズミ様」

 

 だから、力強くそれを言う。

 

「あとのことは、お任せ下さい」

 

 オーブを脱出した後のことも、残されたオーブのことも、そしてカガリのことも。

 全部をひっくるめて、彼が託すとしたら自分しか無いと……うぬぼれじゃなく、そう思っていた。

 ウズミは皆が見つめる中、安堵したように“父”の顔で頷いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 カグヤの軍港では、オーブ脱出のための準備が行われていた。

 脱出先は『宇宙』。

 確実に連合の追っ手を振り切れるところだった。

 アークエンジェルは、整備や補給と、さらに宇宙へ上がるためのブースターの取り付け作業が行われている。

 オーブ軍は『クサナギ』の発進準備を急いでいた。

 

 カガリがクサナギへ搭乗するM1隊の様子を見に行くと、ナナはウズミと並んだ。

 汗はすっかり引いていた。

 

「ウズミ様……」

「何も言うな。そなたには、全てわかっておろう……」

 

 二人が立つところからは、脱出準備に取り掛かる管制官たちが見渡せた。

 誰もが皆、一度は軍を引退した老体ばかり。

 

「無鉄砲なナナ姫さまには、湿っぽいのは似合わんわ」

「そうそう、こちらの調子が狂ってしまいますぞ」

 

 彼らはナナとウズミを見上げて笑う。

 しわがれた笑い声は、管制室を満たした。

 

「ったく、私だってお年頃の乙女なんだからねっ!」

 

 ナナは彼らに対し、いつものように言った。

 ウズミも隣で、笑っていた。

 彼が言うとおり、ここでは何も言う必要は無かった。

 聞く必要も無い。自分は全てわかっている。

 

「先ほどの言葉、信じるぞ」

 

 ウズミはナナの頭に手を乗せた。

 

「我らも、安心だ……」

 

 そしてほっとしたような顔を見せ、カガリにしたように頭を撫ぜた。

 

「ウズミ様……」

「私がそなたの“父”であることを忘れるな」

 

 書類上は赤の他人であっても、ナナ自身にとって“父”となる人物は彼だった。

 

「本当に……」

 

 だから、涙は押し込め、“父”を安心させるように言う。

 

「ありがとうございました」

 

 彼の意志を見続け、憧れ、追い求めた。

 今の自分が『ここに立ててよかった』と思えるのは、彼の存在があったから。

 その幸福に感謝を。

 ナナは力いっぱい、彼にしがみ付いた。

 

「カガリのことは、私が必ず護ります……!」

 

 そして、彼が一番欲しい言葉を贈る。

 

「あのコはまだ幼い……導いてやってくれ……」

「はい……」

「そなたと居れば、安心だ」

「大丈夫、もう悪いコトは教えませんから」

 

 笑うと、ウズミも力を込めてナナを抱きしめた。

 

「そなたも……“この先”はどうか幸せであれ……」

 

 幸せ……自分のそれを願ってくれた者など居なかった。

 血の繋がらない“父”が唯一、そう言ってくれた。

 

「はい……父様……」

 

 ナナは彼の腕の中、こっそりと一粒だけ涙を零した。

 

 

 

 

 



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未来の種

 ナナがバギーで軍港に出ると、キラとディアッカ、そしてアスランが、彼らの機体の前に集まっていた。

 グレイスもそこに立っている。

 ナナはバギーから降り、彼らの元に駆け寄った。

 

「で、どうするの?」

 

 そして、唐突にそう言った。

 そんなナナには慣れてきたのか、ディアッカがすぐに答える。

 

「そりゃあ、このままカーペンタリアに戻っても良いんだろうけどさ。今オーブと敵対してんのは地球軍なんだし」

 

 彼と、キラ、ナナの視線はアスランを向いた。

 

「『ザフトのアスラン・ザラ』……か……」

 

 答えを待つ中、アスランは呟いた。

 

「“彼女”にも……そしてお前にもわかってたんだな……」

 

 自嘲気味に言って、ナナを向く。

 “彼女”が誰なのか、誰にもわからないままに。

 

「国や軍の命令に従って敵を撃つ……オレはそれでいいんだと思っていた……」

 

 仕方ないと思った……と。それでこんな戦争が一日でも早く終わるなら……と思って戦ったのだと、アスランは言った。

 ひどく、悲しげに。

 そして。

 

「でも、オレたちは本当は……」

 

 キラを向いて強く問う。

 

「何とどう戦わなくちゃいけなかったんだ……?!」

 

 少しの沈黙の後、キラは笑った。

 

「一緒に行こう、アスラン」

 

 彼に道を指し示して。

 

「え……」

 

 アスランとディアッカが彼を向く。

 当然、少しの驚きがあった。

 キラは二人を交互に見て言った。

 

「みんなで一緒に探せばいいよ……それもさ」

「キラ……」

 

 そして彼は、ナナをまっすぐに見つめた。

 

「ナナ、手を出して」

「え……?」

 

 言われるがまま、ナナはそろりと右手を出す。

 自分の手を見て改めて、そこに負った怪我のことを思い出した。

 地球に降りる時の酷い火傷。

 未だに痕も、痛みも残っている。

 そして、アスランに手当てされたという記憶も。

 

「…………」

 

 その記憶を包み込むように、キラが優しく手を握った。

 

「キラ……?」

 

 キラは大人びた笑みを浮かべていた。

 

「今まで一人ぼっちで探させていたけど……これからはみんなで探そう、ナナ」

「キラ……」

 

 また、心に安らぎの風が吹いた。

 と、

 

「ディアッカ……?」

 

 その手の上に、ディアッカの手も乗る。

 

「オレも付き合うぜ」

 

 彼は飄々とした顔で、片目を瞑ってみせる。

 そして、

 

「オレも……だ」

 

 アスランもまた、手を乗せた。

 

「これから探せばいいことすら、今わかった」

 

 彼の瞳に、強い光が浮かんでいた。

 

「アスラン……」

 

 ナナは最後に、左手を一番上に乗せ、力強く言った。

 

「行こう……みんなで一緒に……!」

 

 潮風が、手を取り合った彼らの間を緩く吹き抜けていった。

 だが、心地よさに浸っている間はなかった。

 いよいよカグヤの軍港に敵襲を知らせるアラートが鳴り響いたのである。

 

「恐らく空中戦になる。バスターはアークエンジェルへ……!」

「ちっ……わかったよ」

 

 アスランが言うと、ディアッカはしぶしぶうなずいた。

 

「グレイスも行って。大丈夫。アークエンジェルとクサナギの発進を援護するだけだから、僕とアスランでやるよ」

「でも……」

 

 ナナも渋った。

 が、キラとアスランの視線を交互に受け止め、うなずいた。

 

「わかった……。じゃあ、宇宙(うえ)でね……!」

 

 四人は目を合わせ、意志を確かめ合うと、それぞれの機体に乗り込んだ。

 

 ナナはグレイスのコックピットに座り、ヘルメットのシールドを降ろす。

 そしてモニターを眺めた。

 そこに映る、美しいオーブの海。

 もうすぐにでも、ここは戦渦に飲まれることとなる。

 が、感傷に浸っている暇などなかった。

 グレイスのセンサーも、敵MSの接近を感知している。

 数は3。あの新型だった。

 

≪アークエンジェル、発進します。キラくん! ナナ!≫

≪フリーダムとジャスティスで発進を援護します。アークエンジェルは行ってください!≫

「グレイスとバスターの収容準備お願いします」

≪わかったわ!≫

 

 アークエンジェルは発進シークエンスに入った。

 港のドックからゆっくりと浮かぶ艦。

 その向こう側に構えるマスドライバーからは、カガリらオーブの脱出部隊を乗せた『クサナギ』が発進する予定だった。

 

「クサナギは!?」

 

 ナナはオーブ国防本部に問う。

 

≪すぐに発進させる!≫

 

 答えたのはウズミだった。

 

≪頼んだぞ、ナナ!≫

 

「はい……!」

 

 これが、ナナが聞いた“父”の最後の声となった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 バスターとグレイスの収容と同時に、アークエンジェルは前方の空に向けてローエングリンを発射した。

 ブースターを全開にし、一気に上昇する。

 艦内は強烈なGがかかった。

 やれやれ慌ただしい船出だ……と独りボヤきながら、ディアッカはバスターのコックピットを出た。

 と、ナナがグレイスから降りるなりどこかへ行こうとしているのが目に入った。

 

「お、おい……!!」

 

 ディアッカは思わず後を追う。

 整備班らが待機室でシートについているなか、ナナは走っていた。

 さながら、艦の後方へと落ちて行くような感覚だ。

 時折、整備班がしまい忘れた器具が二人を追い越して行く。

 

「ナナ! 危ねぇって……!!」

 

 ナナはコンテナやらタラップにぶつかりながら、後部デッキまで一息に駆け抜けた。

 そして、艦後方を見渡す。

 ディアッカはナナに並んで下を見た。

 どんどん遠のく地上。

 薄い雲に、視界も遮られていく。

 かろうじてマスドライバーからクサナギが飛び立ったのがわかった。

 フリーダムとジャスティスの動きは、とても小さくて見えなかった。

 

「アイツらなら大丈夫さ……ちゃんとクサナギに……」

 

 ディアッカがナナを安心させようと、そう言った時だった。

 クサナギのさらに向こう、彼らが先ほどまで居たカグヤの地が、突然閃光を放ち、爆発した。

 

「なっ…………」

 

 此処からでも、それと分かる炎と煙。

 敵の攻撃による破壊などではない。

 もっと一瞬で、もっと簡潔な……。

 

「カグヤが……自爆……?!」

 

 呟いた瞬間にハッとしてナナを見た。

 その横顔に、驚愕や絶望は浮かんでいなかった。

 

「お前……知ってたのか……?」

 

 悲愴感すらない、が、蒼白の頬を見つめて問う。

 と、ナナはゆっくりと彼を見た。

 

「私たちは……託された……」

 

 そして、傷ついた笑みを浮かべた。

 

「え……?」

「オーブの理念……ウズミ様の想いは、()()()が継ぐ……」

 

 ガラスについたナナの手が、少しだけ震えていた。

 

「ディアッカ……あなたも……」

「オレ……も……?」

 

 ディアッカは、彼女の言葉に捕らわれる。

 

「ザフトに戻る道もあったのに、私たちと一緒に来てくれたあなただから……」

「ナナ……」

「だからこそ……本当は気付いているんでしょう……?」

 

 脆く、儚く、それでも強い何かを突きつけられて、立ち尽くす。

 

「何が大切なのか……って」

 

 その笑みを護る術も、壊す術も知らないもどかしさ。

 

「それを見つけたあなたの存在は、私たちが託された未来にとって大きいと思うの」

 

 そして、その言葉の意味も染み込みきらない緩やかさ。

 

「あなただからこそ……」

 

 目の前のナナが、突然揺らいだ。

 

「ナナ……」

 

 とっさに彼は、手を伸ばす。

 捕まえなければ、消えてしまいそうだった。

 

「お、おい……!」

 

 ひどく不安定な陽炎のよう……そう感じて強く引く。

 と、艦にミリアリアの声が響いた。

 

≪アークエンジェル、大気圏を突破して安定軌道に入りました≫

 

 気づけば、自分の体も重力を失った空間の中で浮いていた。

 

≪フリーダム、ジャスティスのクサナギへの着艦を確認! クサナギとのランデブーに入ります≫

 

 同じアナウンスが2度流された。

 

「ア、 アイツらも無事だったみたいだな……」

 

 ようやく、ディアッカは胸をなで下ろす。

 

「ドックに戻ろう、ディアッカ」

「あ、ああ……」

 

 そして、まだナナの腕をつかんでいたことに気付いて、慌てて手を放した。

 

「私、クサナギに行かなくちゃ。あのコ、きっとまた泣いてるから」

 

 ナナは少し笑って、慣れた動作で身体の向きを変えた。

 そして壁に手をつきながら、もう一度振り返ってガラスの向こうを見やった。

 地球が青く美しく彼らを見送っていた。

 

「ナナ……」

 

 隣に並ぶと、ナナはディアッカの腕を掴んでうつむいた。

 

「ナナ……?」

「ごめん……」

 

 掠れた弱い声だった。

 

「これで……最後だから……」

 

 それはほんのわずかな時間……。

 次に顔を上げれば、彼女は笑顔だった。

 

「私がしっかりしなくちゃね……!」

 

 いつもどおりの口調だった。

 

「……お前……」

 

 涙などは滲んでいなかった。

 ただ、少しだけ眉の間に辛そうな皺が浮かんでいただけ。

 

「お前がどんだけ孤独だったかなんて知らないけど……」

 

 だから、ディアッカは急に落ち着いた気分で言った。

 

「キラが言ってたろ。もう独りじゃないんだぜ?」

 

 ナナは少しだけ驚いたような顔をした。

 今更照れくさくなって、ディアッカは目を逸らす。

 

「うん……わかってる」

 

 明るい声にもう一度振り向くと、ナナは無邪気な笑顔で言った。

 

「ありがと……」

 

 

 



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第6章 歌姫出撃編
導き


 キラとアスランがクサナギのドックでひと息つくと、アークエンジェルから、ナナ、マリュー、フラガが小型シャトルでやってきた。

 あまり言葉を交わさぬまま、ナナと三人でカガリの部屋を訪れる。

 

「カガリ……入るよ」

 

 カガリは声をあげて泣いていた。

 

「ナナ……」

 

 ナナを見るなりしがみ付く。

 

「ナナ……!!」

「カガリ……」

 

 ほんの少し優しく頭を撫でた後、ナナはカガリの身体を引き離した。

 

「ナナ……?」

 

 カガリの涙が、いくつもの宝石のように宙に浮かぶ。

 

「しっかりしなさい、カガリ」

 

 ナナはそれを無視して言った。

 

「今は、悲しんでいる暇はないでしょう?」

「で、でも……」

「もう泣かないの!」

 

 カガリはビクンと肩を震わせた。

 その両肩を掴んで、ナナは強く言う。

 

「この艦のみんなはあなたに命を委ねてるの。いつまでもそんな顔をしてちゃダメ」

「わ、私は……」

 

 カガリは逃れるように顔をそむけた。

 が、ナナはそれを許さなかった。

 

「オーブの最高責任者はあなたなんだから」

 

 カガリは懸命に涙を止め、言い返す。

 

「でも、ナナが……!」

 

 しかし、ナナはそれをも遮った。

 

「ウズミ・ナラ・アスハの娘はあなたでしょう? 私じゃない」

「ナナ……」

「ウズミ様の意志を継ぐのは()()()でも、ウズミ様の代わりにオーブを導くのはあなたしかいないんだから……!」

 

 突き放され、言葉を失ったカガリから、ナナは手を離した。

 

「涙を拭いたら、あなたもすぐにブリッジに来なさい。これからのことを話し合わなくちゃ」

「ナナ……」

 

 

 追いすがるカガリの手を放し、ナナは振り返りもせずに部屋を出る。

 キラとアスランは、黙ってそれを見ていた。

 あまりに冷たい光景だった。

 が、ナナがすれ違いざまキラに囁いた。

 

「キラ、ごめん……あと、お願い……」

 

 ナナの顔はよく見えなかった。

 が、遠ざかる背は細く弱く、カガリに対して厳しい言葉をぶつけたのとは別人のようだった。

 キラは、同じくそれを黙って見送っていたアスランと目を合わす。

 その瞬間だけで、二人は意思を交わす。

 そしてキラはカガリのもとへ、アスランはナナを追って行った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 アスランがクサナギのブリッジに入ると、ナナはすでにキサカ、マリュー、フラガと今後についての話をしていた。

 彼は壁に身を寄せ、それを見守る。

 

「では、そちらの指揮はキサカ一佐が?」

「クサナギの艦長として陣頭指揮は私が取る。が、最高指揮官は私ではない」

 

 キサカの言葉に、マリューとフラガは、エリカ・シモンズと話していたナナを見た。

 

「んじゃ、やっぱナナってことになるのか?」

 

 フラガが言うと、ブリッジに居たオーブ軍の人間が口々に賛同する。

 

「ナナ様が指揮してくだされば心強い!」

「我らオーブ軍もそう簡単に潰されんだろう……!」

 

 が、ナナは場違いに明るく言う。

 

「ちょっと待ってよみんな。そんなワケないじゃない!」

 

 彼らの期待を、ナナは笑い飛ばした。

 

「私はもうウズミ様の“娘”じゃない。だから、アスハ家の人間でもなければ、軍の指揮権も無い」

「しかし……」

「だがナナ様は……」

 

 ナナはマリューを見上げる。

 

「今の私は、あくまで『アークエンジェル所属のMSパイロット』なんだから」

 

 そして、今度はオーブの者たちを見回して、あっさりとした口調で言った。

 

「オーブの最高指揮官はちゃんと居るでしょ? ウズミ・ナラ・アスハの正真正銘の愛娘が」

 

 あっさりとはしていたが、有無を言わさぬような威圧的な響があった。

 

「ウズミ様はカガリに意志を継がせたんだから……みんなも信じて」

 

 ナナは強く念を押すように言い、オーブの者たちは素直に頷いた。

 そしてナナは、空気を変えるように話題を移す。

 

「とにかく、これからどこへ向かうか決めないと」

「そうだな」

 

 キサカがナナの意図を汲み取ったかのように、それを受けた。

 

「我々はまず、L4を目指そうと思う」

「L4のコロニー群へ?」

「クサナギもアークエンジェルも現状は物資に不安はないが、無限というわけではない」

「特に水は、すぐに問題になるでしょうね」

 

 エリカ・シモンズが、モニターに宙域図を出した。

 L4のコロニー群は次々と廃棄されて、今では無人だった。

が、水場としては現在でも十分に使える……というのがキサカの見解だった。

 

 ちょうどその時、キラがカガリを連れてブリッジに入った。

 カガリは表情を硬くしたままだったが、モニターの方へと進み出る。

 ナナがほんの一瞬、辛そうな視線でカガリを見やった。

 それを見て、

 

「L4にはいくつかまだ稼働しているコロニーがある」

 

 アスランは口を開いた。

 みな、彼を振り返る。

 

「不審な一団がそこを根城にしているという情報が入ったので、ザフトが以前に調査したことがある」

 

 彼は淡々とそう明かした。

 

「じゃあ、人は住んでないけど、設備が動いてるコロニーがあるってこと?」

 

 ナナの問いに、彼はうなずく。

 ナナはすでに、いつもの飄々とした様子に戻っていた。

 

「じゃあ、決まりですね」

 

 肯定したアスランを見て、キラが安堵したように言った。

 カガリも少し、表情を崩して頷いた。

 ナナがまた、それを横目でうかがっていた。

 

「しかし……」

 

 アスランもまた、内心で安堵した時、フラガが彼を向いた。

 

「君らは本当にいいのか?」

 

 フラガはアスランとディアッカ……二人の“ザフト兵”の意思を確かめた。

 彼は、オ-ブでの戦闘は目の当たりにしている。着ている軍服にこだわる気はない……としつつもこう問う。

 

「状況次第では、オレたちはザフトと戦闘になることがあるかもしれないんだぜ?」

 

 そう、オーブの時とは違うのだ。

 つい最近まで所属していたモノと戦わなければならない状況がきっとやって来る。

 

「そこまでの覚悟はあるのか?」

 

 アスランはうつむいた。

 

「君はパトリック・ザラの息子なんだろう?」

 

 最初にフラガの言葉に反論したのはカガリだった。

 

「誰の子だって関係ないだろ? アスランは……」

「軍人が自軍を抜けるってことは、君が思ってるより簡単なことじゃないんだ。ましてやの軍のトップが自分の父親っていう事情じゃ……」

 

 が、言葉を遮られ、カガリは押し黙る。

 

「自分の大義を信じてなきゃ、戦争なんてできないんだ……!」

 

 フラガはそれでも強く言った。

 

「それがひっくり返るんだぞ。そう簡単なことじゃない……!」

 

 アスランはキラとは違う。

 ザフトの正規の軍人だった。

 だからこそ、“簡単”にはいかないことを、地球軍の正規の軍人だった者たちは知っている。

 

「一緒に戦うんなら当てにしたい」

 

 アスランは突き刺すようなフラガの視線を受け止める。

 彼の声には必死さすら滲んでいた。

 

「君の意思はどうなんだ……?!」

 

 見守る者たちもまた、アスランの答えに吐息を詰めていた。

 そんな中、キラとナナだけは静かにたたずんでいた。

 二人の、いつもと変わらない視線を、何故だか強く感じながら、アスランは口を開いた。

 

「オーブでも……」

 

 彼は自分の心を確かめるよう、それを余すところなく伝えられるよう、ゆっくりと話しだす。

 

「プラントでも地球でも、色々なことを見て、聞いて……。それで、たくさん感じて、思って、考えました……」

 

 伝えきれるとは思わないが、せめて少しでも……と祈りをこめて。

 

「何が間違っているのか何が正しいのか……何がわかったのかわからないのか……今のオレはまだよくわかってはいません……」

 

 もどかしさからも、逃げてはいけないと学んだから。

 

「ただ、自分が願っている世界は、あなたがたと同じだと……それだけははっきりと感じています」

 

 せめてきっぱりと言い切れることをまっすぐに告げる。

 何度も失敗してきたそのことに挑戦すると、

 

(……ナナ……)

 

 ナナが泣きそうな顔で笑っていた。

 

「しっかりしてるねぇ……君は。キラとは大違いだな!」

 

 フラガも笑って、軽口を叩く。

 

「昔からね……」

 

 キラはアスランを振り返り、そう答えた。

 アスランも少し笑えた。

 その時ようやくナナが口を開いた。

 

「私たちがオーブから託されたものは大きい……」

 

 ゆっくりと移動して、カガリの肩に手を置く。

 

「こんな、たったの2隻で成し遂げることは、はっきり言って不可能に近いことだけど……」

 

 カガリはナナを見つめ、ナナもしっかりと見つめ返した。

 

「それでも、いいんだよね?」

 

 ナナの問いに、自然と皆がうなずいた。

 そしてキラは言った。

 

「信じよう……小さくても、強い火は消えないんでしょう?」

 

 この火は、決して簡単には消されない。

 アスランも強くうなずいた。

 

 

 

 



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「艦長と少佐は、アークエンジェルに戻りますか?」

「ええ、そうね。向こうのクルーたちにも、一刻も早く今後のことを話さないと」

「機体や艦の整備も残ってるしな」

 

 キラとカガリ、そしてアスランがブリッジを去った後、ナナが二人に言った。

 

「整備といえば、私のグレイスなんですけど、ディアッカに宇宙戦用に調整をお願いしておいてもらえます?」

「伝えてはみるが……」

「大丈夫。やってくれますよ、すんごい文句は言うと思いますけど」

「わかったわ」

「ナナからの命令だ! って言っておくぜ」

「お願いします! 私はちょっとだけこっちを手伝ってから戻ります」

 

 その言葉に、マリューとフラガは顔を見合わせた。

 

「ナナ……あなた……」

「本当にいいのか?」

 

 そして、そう問い、キサカの方を伺う。

 が、ナナは涼しい顔で言った。

 

「こっちにはちゃんと指揮官がいるし、キサカなら完璧にサポートしてくれますから。ね、キサカ」

「私はあなたの意志に従うまでですよ」

 

 それだけのやり取りで終わったため、マリューとフラガはそれ以上何も言わなかった。

 代わりに、別の心配をした。

 

「カガリさんには……ついていてあげなくていいの?」

 

 ナナは小さく笑って、首を振った。

 

「キツイかもしれないけど、オーブを背負うためには、ここで強くならないと……」

 

 まるで彼女自身が傷ついたような顔だった。

 だから、またマリューとフラガは口をつぐんだ。

 

「こっちが落ち着いたら、フリーダムとジャスティスもアークエンジェルに移します。そのつもりでマードックさんにも連絡を……」

「わかったわ」

「んじゃ、先に戻ってるぜ」

 

 ナナは明るく手を振って、二人を見送った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブリッジの扉が閉まってから、キサカがおもむろに口を開いた。

 

「ナナ様……お話が……」

 

 彼らしからぬ歯切れの悪さに、ナナは茶化すような顔をした。

 

「だーかーら、“様”はもう止めてってば」

「…………」

 

 キサカはエリカと顔を見合わせ、ゆっくりと軍服の懐に手をやった。

 そして、細い筒を取り出した。

 アスハ家の家紋がついた濃紫のそれに、ナナは見覚えがあった。

 ウズミが愛用していた、万年筆のケースだった。

 

「これを、ウズミ様から預かりました」

 

 キサカはケースから、中身を取り出した。

 出て来たのは、万年筆ではなく、丸めた書簡だった。

 

「なに……?」

 

 黙って手渡されたそれを、ナナはゆっくりと開く。

 と、

 

「これって……」

 

 それは、あの時ナナが署名した『養子縁組解消』の書類だった。

 

「どうして……?」

 

 それは確かに、オーブを出てアークエンジェルと共に行くことを決めた時、ウズミと交わしたものだった。

 だが、

 

「ウズミ様は、ナナ様との養子縁組を解消したことを、我ら側近たちには発表しました。このクサナギのブリッジに入っている者たちは全て知っています……が」

 

 ナナが周囲を見回すと、彼らは真剣なまなざしで自分らを見つめていた。

 

「ウズミ様はサインをなさらなかったのです」

「そんな……」

 

 それはもちろん、養子縁組が解消されていないことを表す。

 

「どうして……?」

 

 ナナは素直に困惑の表情でキサカを見た。

 

「……“アスハの名”が、何らかの形であなたに必要になる時が来る……と、ウズミ様はおっしゃっていました」

「“アスハの名”……が……?」

 

 それに傷をつけたくなくて、捨てたはずだった。

 が、ウズミはそれが必要になる時が来ると、そう言ったというのか。

 

「でも……」

「ナナ様」

 

 キサカはナナが言おうとしたことを遮った。

 

「確かに、ウズミ様の後を継ぐのはカガリ様です。それは我らもわかっています。が、我らにはあなたの力……強い意志が必要なのです」

「私……の……?」

 

 ナナはわずかに眉をひそめ、皆を見回した。

 うなずく者、祈るように手を組む者……彼らのほとんどが、オーブで暮らしていた頃にすでに見知った者たちだった。

 

「あなたのお気持ちはわかりますわ」

 

 中でももっとも古い付き合いのエリカ・シモンズが言った。

 

「カガリ様をウズミ様の後継者として……ウズミ様の願いを叶えて差し上げたいのだと、あなたはそれを望むのでしょう?」

「エリカさん……」

「我らはナナ様のその意志に従います」

 

 キサカも後を継ぐ。

 

「ですが、必要とあらばその書簡を破り捨て、“名”を掲げて、我らのためにその強い“光”で道を指し示してくださることを願っています」

「光……?」

「こんな時だからこそ、私たちにはそれが見えたんです」

 

 沈黙の中、ナナはため息をついた。

 彼らの言葉が重荷になったわけではない。

 ただ、彼らにそれほど自分が必要とされていることを知った驚きだった。

 

「カガリ様をウズミ様の後継者として盛りたてていくためには、誰かが導き、道を開かねばなりませんからな」

 

 キサカの言葉に、ナナはようやくプッと噴き出した。

 

「それを言われちゃ突き返せないじゃない……!」

「あら、キサカ一佐はもちろんナナのそんな性格を承知で言ったのよ」

「はぁ……殺し文句ってヤツ?」

「そんなつもりはないがな」

 

 最後はいつもらしいやり取りだった。

 皆、カグヤの惨状を見て、心に不安と絶望を抱えている。

 国、いや、己の命すらこの先どうなるかわからない。

 そんな状況で、彼ら『小さくても強い火』はカガリの指揮の下に進む。

 オーブの意志と、未来への願いを込めて。

 その道中を指し示す者として必要な者が誰か、彼らははっきりと口にした。

 だからナナは、彼らに言った。

 

「わかった。できるだけやってみる」

 

 気負いなく単純な言葉に、彼らは皆、安堵したように笑ってくれた。

 

 

 

 

 



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一枚の写真

 クサナギのドックではM1隊の整備が急ピッチで進められていた。

 なにしろ宇宙戦は初めての経験である。

 地上戦ですら初陣を飾ったばかりのため、各パイロットと整備班は慌ただしく機体の調整を行っていた。

 

「キラ!」

 

 そこに、彼らを手伝うキラの姿があった。

 ナナは彼の元へ向かう。

 

「ナナ! カガリと一緒じゃなかったの?」

「うん、キサカたちとしゃべってた。キラは手伝ってくれてたんでしょ? ありがとう」

 

 二人は空中で手を取り合った。

 

「大分作業も進んできたみたいだよ」

「よかった。M1は……」

 

 ゆっくりと話す間もなく、周囲から声をかけられる。

 

「キラさん! このシステム見てもらえませんか?」

「ナナ様、ちょうどよかった。ビーム発射角を宇宙空間用に調整してみたんですけど……」

 

 アサギやジュリらをはじめ、M1のパイロットたちは、少しでも宇宙空間での戦闘に対する不安をなくそうと、宇宙での戦闘経験がある二人に寄って来た。

 

「ブースターもナナ様のデータから計算して調整したんですけど、合ってるかどうか……」

 

 彼らに応えようと、ナナが向きを変えた時だった。

 キラがナナの腕を掴んで引き戻す。

 

「ナナ、ここは僕が見るから、ナナはカガリとアスランのところに行ってあげてよ」

「え……?」

 

 ナナが驚いて振り返ると、キラはブリーフィングルームの方を見やった。

 その視線を追うと、ガラス越しにうつむくアスランの姿があった。

 遠くて表情は見えないが、影があるのはすぐにわかった。

 

「アスラン……」

「さっきは凄く強かったけど、ラクスのこともあるし……今、すごく悩んでると思うからさ」

「ラクスのことは……キラも心配でしょう?」

「うん……」

 

 ナナの問いにはキラもうつむいた。

 ついさっき、アスランの口から『ラクスが国家反逆罪』で追われている……と告げられた。

 罪に問われた反逆行為とは、ザフトの機体であるフリーダムを“スパイ”に手引きしたことだという。

 それを()()()()()()()であるキラが、胸を痛めないはずはなかった。

 だが、キラは明るい声で言った。

 

「でも今は……今できることをひとつひとつやっていかなくちゃね」

「キラ……」

 

 大人びた顔だった。

 ナナはそんなキラと、遠くのアスランを交互に見て、うなずいた。

 

「わかった。ちょっと話して来る」

 

 この場をキラに任せ、ナナはブリーフィングルームへと向かった。

 

 

 

「アスランってば」

「……ナナか?」

 

 三度目の呼びかけで、アスランはようやく顔を上げる。

 

「もうすぐこっちの作業もひと段落だって、キラがめちゃくちゃ働いてくれてるみたい」

「そうか……」

 

 心ここにあらず……と言った風の彼に、ナナは小さく笑って傍に寄る。

 

「心配だよね」

「え?」

「ラクスのこと。婚約者なんでしょ?」

 

 アスランは床に視線を落したまま、自嘲気味に言った。

 

「今はもう違うそうだ……」

 

 他人事のような呟きに、ナナは宙に身体を浮かせたままうなずく。

 

「そうなんだ……」

 

 あっさりとしたその答えが出たあとは、しばし沈黙が流れた。

 ナナは黙ったままアスランの周りを漂っていた。

 アスランはずっと、ガラスの向こうのドックを見下ろしている。

 

「さっきの……さ……」

 

 その横顔に向けてナナは言った。

 

「え?」

「さっきのアスランの言葉、私、すごくうれしかった」

「オレの……?」

 

 ナナは向きを変え、足を床につける。

 

「うん。『願う世界は私たちと一緒だと思う』って言ってくれたこと」

 

 まっすぐに向き合うと、アスランもようやく微笑をもらした。

 

「本当にそう思ってる……。というより、本当にそれしかわからないだけなんだ……」

「それがわかるだけいいじゃない」

 

 ナナは彼の肩に手を置いた。

 

「それだけだって、立派な答えだと思うよ」

「そう……か……?」

「たとえそれが正しいかどうか迷ってたって、とりあえずは進めるでしょ?」

 

 そしてまた宙に身体を浮かせた。

 

「迷ってても、わかろうとしないでそのままその場所に居続けることが、一番ダメなんだと思う」

 

 それでは何も変えられないから……それを知っているからこそ、皆ここにいるのだと、ナナは実感している。

 

「少し前まで、オレはそうだったな……」

「だけど変わったんでしょ?」

 

 ナナはアスランにかかる影を振り払うように言った。

 

「迷っててもわからなくても、ちょっとずつでも、間違ってたとしても……自分の意志で前に進むことが大切なんだよ、きっと」

「ナナ……」

 

 アスランはナナの腕を引いた。

 身体は天井から彼の元へと引き寄せられたが、何故かとても自然に思えた。

 

「そうだな……わかるためにも、自分の意志で進まないとな……」

「うん!」

 

 力いっぱいうなずくと、アスランの顔にもようやく笑みが戻った。

 ナナも安堵した時、キラが現れてM1の対応が終わったことを告げた。

 

「ここはM1で手狭だから、僕らはアークエンジェルに移動しよう」

「わかった」

 

 そして、

 

「キラ……!」

 

 カガリもやって来た。

 が、彼女は何かを伝えに来たにしては切羽詰まった様子で、戸口のところで足を止めた。

 

「カガリ?」

「どうしたの?」

 

 カガリは困惑したような表情で、手に何かを持っていた。

 そして、キラに向けて躊躇いがちに呟く。

 

「キラ……あの……」

 

 ナナとキラは顔を見合わせた。

 

「カガリ、キラに話があるの?」

「あ、ああ……」

 

 今度はナナとアスランが顔を見合わせる。

 

「じゃあ、オレたちは……」

「うん」

 

 そして、キラを残して去ろうとすると、カガリが二人を引きとめた。

 

「ま、待って! お前たちもいていいから……ていうかいてくれ……!」

 

 カガリはナナの腕を掴み、キラの前に立つ。

 そして、ぎこちなく手の中のものを差し出した。

 

「こ、これ……」

「なに……?」

「写真……?」

 

 キラが受け取ったものは、一枚の写真だった。

 それは、一人の女性が男の子と女の子の赤ん坊を抱いて、幸福そうに笑っている写真だった。

 

「誰……?」

「う、裏に……名前が書いてある……」

 

 言われるがまま、キラは写真を裏返す。

 そこには、二つの名が記されていた。

 

「え……?」

 

 『キラ』と『カガリ』、二人の名前。

 

「キラ……と、カガリ……?」

 

 ナナの声もかすかに震える。

 

「カガリ、この写真どうしたの?」

 

 カガリはすでに、目に涙を溜めていた。

 

「別れ際……、お父様から渡されたんだ……」

 

 そして、ウズミに言われた最後の言葉を告げた。

 

『父とは別れるが、お前は一人じゃない。お前には強い“義姉”がいる。そして……血を分けた“弟”もいる……』

 

「お、弟……?」

 

 キラは写真をひっくり返し、もう一度表を見た。

 

「どういうことだ……?」

 

 カガリはうつむきながら問う。

 だが、キラにもわかるはずがなかった。

 

「ナナは……?」

「え……?」

「何か……知らないか……?」

 

 そして、ナナにも。

 

「ごめん……わかんない……」

「そうか……」

 

 たった一枚の写真に押しつぶされそうなカガリと、キラ。

 

「この、女の人は?」

「…………」

 

 カガリは首を振る。

 

「お前と“姉弟”って……じゃあ私はっ……」

 

 そして、ナナの腕をつかむ指に力を込めた。

 

「カガリ……」

 

 カガリの涙が一粒宙に浮かんだ。

 それを見て、

 

「今は考えてもどうにもならないよ……カガリ」

 

 キラは落ち着きを取り戻して言う。

 

「それに、この写真になにか意味があるとしても、カガリのお父さんはウズミさんだよ」

「キラ……」

 

 ナナはそんな二人を見て、いつもの口調で言った。

 

「何があったにしろ、いきなり明かされた“弟”が『キラ』でよかったじゃない」

「ナナ……、急に受け入れ過ぎだ……」

 

 キラとカガリは目を見開き、アスランは呆れたように言う。

 場違いなことはわかっていたが、ナナはますます明るく言った。

 

「とんでもなく嫌なヤツと突然引き合わされるより良いでしょ?」

「え……」

「そういう問題じゃ……」

「私みたいな()()義姉(あね)”じゃなくて、かしこくて優しい“ほんとの弟”がいてよかったじゃない、カガリ」

「ナナ……」

「あ、そうしたら私とキラも義姉弟(ぎきょうだい)になるのかな? なんか急に家族が増えたね!」

 

 ナナがカガリの肩をポンと叩くと、ようやくカガリの表情が少しだけ晴れた。

 

 

 

 

 



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選択

 カガリに別れを告げ、キラとアスランは自機に乗り込んだ。

 カガリはまだ少し曇った顔で、ブリーフィングルームから二機を見つめていた。

 キラは機体の調整をしながら、モニターで彼女の姿を伺う。

 あの写真を見せられて、記された名前を見て、キラ自身も少なからず動揺した。

 だが正直、動揺はしても困惑はしなかった。

 

(カガリ……)

 

 もしカガリと何か繋がりがあるのだとしても、両親に何か秘密があるのだとしても、それはまだマイナスの情報ではないように思えた。

 ナナが明るく笑い飛ばすようにしてくれたのも大きい。

 だから今は、目の前のやるべきことに集中できるはずだ。

 キラは自身の想いを確認し、操縦かんを握り直した。

 その時。

 

≪キラ……!≫

 

 フリーダムのタラップにナナが現れた。

 

「ナナ?」

 

 キラは急いでコックピットのハッチを開く。

 

「アークエンジェルまで乗せてって」

「え? シャトルは?」

 

 手を伸ばすと、ナナは捕まってそのままコックピットに入り込んだ。

 

「乗って来たシャトルは艦長と少佐がラブラブしながら帰っちゃったし、クサナギのシャトルを借りても戻しに来るのとか面倒だもん。この人手不足のさ中に送ってもらうのもなんだしさ」

 

 すでに、ナナはシートの後ろに陣取っている。

 キラも再びシートに座り、ハッチを下ろした。

 モニターを再起動すると、カガリがさっきと同じ体制で立ち尽くしているのが映った。

 

「ねぇ、ナナ……やっぱり」

≪ついててやった方がよくないか?≫

 

 キラが言いかけた時、アスランからの通信が入った。

 

≪キラかナナ……どちらか一人でも……≫

 

 カガリを案じての言葉だった。

 キラはちらりとナナを伺いつつ、答える。

 

「いや……」

 

 胸は痛むが、仕方ない。

 

「一緒にいると、かえって考え込んじゃいそうだし……」

≪そうか……≫

 

 アスランも、彼らの心境を思ってうつむいたのがわかった。

 すると。

 

「今は……辛くても進まないと……!」

「ナナ……?」

 

 皆を鼓舞するように、ナナは明るく言う。

 

「この艦だけじゃなく、オーブの未来を、あのコが握ってるの。今、それを自覚しないとね!」

「ナナ……」

 

 それが『冷たい』だけじゃないと、キラにはもうわかっていた。

 誰よりも相手の心を考え、先を見据え、道を指し示すのがナナだった。

 そのことに、やっと気づいたから。

 そして、

 

「大丈夫だよ、あのコはウズミ様に似て、頑固で無鉄砲でちゃんと強いから……!」

 

 そう言うナナ自身が、自分を傷つけていることも。

 

「うん……そうだね」

≪ナナ……≫

 

 だからキラはナナに同調した。

 たしかに、ナナの言うとおりここでカガリがクサナギを牽引せねば、クルーたちが不安になる。

 そればかりか、オーブの未来は不安定になる。

『強い火』であるためには、カガリの『強さ』が必要だった。

 

「ナナ、発進するから、しっかりつかまってて」

「うん」

 

 キラはモニターのカガリに視線を送った後、フリーダムを発進させた。

 その衝撃に備えて、ナナはシートにしがみ付く。

 その時、ナナが何かをしっかりと握っていることに、キラは気がついた。

 

「ナナ、それ、万年筆?」

「これ?」

 

 宇宙空間に出ると、キラはそれを尋ねた。

 ナナの手にあるのは、万年筆のケースのようだった。

 

「ケースだけね。中身は違うの」

「何?」

 

 何気なく尋ねたつもりだった。ナナもあっさり答えた。

 だが、そうするにはあまりに重大な答えだった。

 

「私の()()()()()()()

「え……?」

 

 その意味を問いかけた時、再びアスランから通信が入った。

 そしてそれも、重大な内容だった。

 

≪キラ、ナナ……アークエンジェルに戻ったら、シャトルを一機、借りられるか?≫

「え……?」

「シャトル?」

 

 キラとナナは顔を見合せる。

 と、アスランが言った。

 

≪オレは一度、プラントに戻る……≫

 

 キラの肩で、ナナの指先がピクリと動いた。

 

≪父と、一度ちゃんと話がしたい……≫

 

 彼の父。それが普通の人間ならばまだ良かった。

 だが、彼の父はザフトの最高権力者である。

 ()()()()()()アスランが戻っても、『ちゃんと』など話せるはずがない……。

 

「アスラン、でもっ!」

≪わかってる……!≫

 

 が、アスランは言葉を遮って、絞り出すように言う。

 

≪でも……オレの父なんだ……!!≫

 

 キラは判断をナナに委ねた。

 アスランを危険な目にあわせたくない。彼に傷ついてほしくない。

 そう思っていた。

 ナナは目を伏せていたが、すぐに顔を上げた。

 

「わかった」

「ナナ……」

 

 モニターの中のアスランの顔をまっすぐ見て、そう言う。

 

「シャトルが借りられるように話しておく」

 

 アスランは思いつめた顔で呟いた。

 

≪すまない……≫

 

 通信が切れて、キラはナナに短く問う。

 

「大丈夫……だよね?」

 

 ナナは少し間を置いて、軽い口調で言った。

 

「わかんない」

「え……?」

 

 キラがナナを向くと、ナナはサバサバとした風に言った。

 

「でも、“すごいな”……と思って」

「“すごい”……?」

「アスランが……自分にとって一番苦しくて面倒な道を選んだから」

 

 が、その目もとはわずかに引き攣っていた。

 

「ちゃんと、前に進んでる……」

「うん……」

 

 ナナの指先にまた力がこもったのを気付かないことにして、キラはアークエンジェルのデッキへと、フリーダムを進めた。

 

 

 

 



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覚悟の出立

 アークエンジェルに戻って来たナナは、すぐにキラとアスランとともにブリッジに上がってしまった。

 報告やこれからの相談があるのはわかっている。

 が、ディアッカとしては早く文句を言ってやりたかった。

 自分の機体を他人に預けるなんてどういうつもりなのか……と。

 グレイスの整備が面倒なわけじゃない。

 どちらかというと、そこまで信用されているのがうれしい。

 いろいろと背負い込んでいるナナを手伝えることもうれしい……。

 が、そのうれしさは気恥ずかしさも伴っていて……、そこには気づかないふりをしていたかったのだ。

 だから。

 

「お前なー……!」

 

 ドックに現れたナナを、ディアッカはふくれっ面で出迎えた。

 

「ごめんごめん。で、調整はやっといてくれた?」

「何でもかんでもオレにやらせんじゃねーよ!」

「しょうがないでしょ? 私だってあっちでサボってたわけじゃないんだからー」

「だからって、自分の機体を他人に調整させるってどういうつもりだよ……」

「いいじゃない。バスターとグレイスは姉弟機なんだから」

「だからって……」

「ていうか、バスター盗んだんだからそのくらいやってよ」

「ぬ、盗んだって……」

 

 ナナがいつもの調子で軽口を叩くのに()()()安堵した。

 その時。

 

≪左舷デッキへ、シャトルB-27機の発進をスタンバイしてください。30分後に出発します≫

 

 ドックにブリッジからの連絡が入った。

 

「シャトル? また向こうに行くのか?」

 

 何気なくたずねたつもりだった。

 だが、ナナは答えずに呟いた。

 

「あ、そういえば言うの忘れてた……」

「は? 何を?」

 

 答えは得られなかった。

 ナナは笑みでこちらを制し、グレイスのコックピットに入って通信ボタンを押す。

 

「ミリアリア、カガリには知らせた?」

≪いいえ、まだよ。これからクサナギに連絡を入れるところ≫

「よかった。じゃあ悪いんだけど、あと10分してから知らせてくれる?」

≪え、ええ。わかったわ≫

 

 通信を着ると、ナナはディアッカに向き合う。

 そして、

 

「ディアッカ、ちょっと付き合って」

 

 そう言うなり腕を引っ張った。

 

「はぁ? ……っておい、な、なんだよ……!」

 

 されるがまま、ついて行く。

 

「ナナ、いったい何なんだ?」

 

 やがて左舷デッキへの扉を開くと、ナナは言った。

 

「アスランが、プラントに戻って、お父さんと話をするんだって」

「はぁっ!?」

 

 声が裏返った。

 

「ど、どういうことだよ?!」

 

 ナナは淡々と、用意された一人乗りシャトルのチェックを始める。

 

「意外、こんな小型シャトルも積んでたんだ……。パワーはフルにしてあるの? マードックさん」

「おいって!」

 

 ナナはマードックと会話しながら、さらりと言う。

 

「アスラン自身、このままじゃダメだっ……て、そう思ったんじゃない?」

「でも!」

 

 が、今度は逆にディアッカがナナの腕を引っ張った。

 

「今更プラントに……ていうか、ザラ議長の前になんか戻ったら、アイツ……!」

「それもちゃんとわかってるよ……アスランは」

 

 全て言いきる前に、ナナは口元に笑みを浮かべつつ、目もとを細めた。

 その表情を見て、ディアッカは思わず黙った。

 

「アスランの“覚悟”に、何か言えるわけないでしょう?」

 

 ナナがアスランを案じる気持ちが、まるで痛みのように伝わった。

 

「……そうか……」

 

 だから、そう言うしかなかった。

 せめて、頼まれもしないシャトルのチェックを半分受け持つくらいしかできなかった。

 

 少しして、アスランとキラが現れた。

 シャトルに乗り込もうとして、アスランはディアッカに言った。

 

「オレが戻らなかったら、君がジャスティスを使ってくれ」

 

 そう言いながら、ディアッカのすぐ隣りに居るナナを見ようとしていない。

 そのことに気づいたから、ディアッカは撥ねつけるように答えた。

 

「嫌だね。あんなもん乗れるか。お前が乗れよ……!」

 

 ナナもまた、アスランの方を見ていなかった。

 強烈な違和感が湧き上がり、おせっかいを承知で口を出しかけた。

 その時。

 

「ちょっと待て、アスラン! お前……!!」

 

 知らせを聞いてクサナギから駆け付けたのだろう。

 カガリが血相を変えてやって来た。

 

「プラントに戻るなんて、何考えてんだよ……!」

 

 カガリがアスランの肩をつかむ。

 勢いで、二人の身体は宙を流れた。

 

「あの機体は? 置いて行くつもりなのか?」

 

 カガリはそのままの体勢で、奥に佇むジャスティスを見やった。

 

「ジャスティスはここに在った方がいい」

「そ、そんなことしたらお前……!」

「大丈夫だ。どうにもならない時は、キラとナナがちゃんとしてくれる」

「そういうことじゃない!」

 

 ディアッカは、ナナの横顔を見やった。

 すぐに取り乱したカガリを窘めるかと思っていたナナは、黙って二人のやり取りを見守っていた。

 

「でも……オレは行かなくちゃならない……」

 

 だから、アスランの言葉にナナがそっと拳を握りしめたのも見逃さなかった。

 

「このままじゃ……駄目なんだ……」

 

 そんなナナを、向こうからキラも見ていた。

 一瞬、キラと目が合った。

 彼は二人の元へ向かった。

 

「カガリ……わかってあげて?」

 

 そしてナナの代わりに、キラがカガリを宥めた。

 カガリがうつむいて大人しくなるまで、ついにナナは一言も発さなかった。

 

 

 

 ようやくアスランとナナが言葉を交わしたのは、アスランがシャトルのシートに座り、ベルトを締めた時だった。

 

「じゃあ……」

 

 アスランはディアッカとカガリ、最後にナナを見た。

 そして言った。

 

「ちゃんと、話して来る……」

 

 『必ず戻る』とは言わなかった。

 

「うん」

 

 ナナも、『必ず戻れ』どころか、『気をつけろ』とすら言わなかった。

 ただそれだけの言葉を交わし、アスランを見送った。

 

 

 

 

 



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エターナル

 アスランと、彼の護衛のためにキラが出発すると、アークエンジェルとクサナギはL4と呼ばれる宙域へと進路を向けた。

 カガリは不安な顔のままクサナギに戻り、ナナは淡々とした表情でL4のデータを調べる。

 タブレットを操作する手に、よどみはなかった。

 だが、

 

「おい、ナナ!」

「え……? 何? ディアッカ」

 

 彼が呼んでから3回目で、ナナはようやく彼に気付いた。

 ため息をつきながら、彼は告げる。

 

「もうすぐL4宙域だから、ブリッジに上がれってさ。さっきから連絡入ってるぜ?」

「あ、そう。わかった」

 

 ナナはニコリと笑い、タブレット彼に手渡した。

 

「じゃあ、行ってくる」

「ああ」

 

 画面を見て、彼はまたため息をつく。

 画面上には、『エラー』のダイヤログがいくつも重なって出ていた。

 

「ったく……無理しやがって……」

 

 ブリッジへと去るナナの背を見て、彼は深いため息をついた。

 

 

 ブリッジの正面にはすでにコロニー群が見えていた。

 メインモニターでは、クサナギのキサカと回線が繋がっている。

 ナナが現れるなり、作戦会議が始まった。

 

≪一応、偵察隊を出した方が良いな……何も無いとは思うが、念のため警戒をしておいてくれ≫

 

 彼が言うと、マリューが答える前にナナが言った。

 

「グレイスとバスターで出る。M1も3機出してくれる?」

≪了解した≫

 

 通信が切れると、マリューは艦に第2戦闘配備を言い渡す。

 ナナはすぐさまブリッジの扉へ向かった。

 その背に、

 

「おいおい、お前はちょっと休んでおいたらどうだ? 偵察くらいオレが……」

 

 フラガが案じて声をかける。

 が、

 

「大丈夫ですよ。私、少佐と違って若いんだから」

 

 ナナは軽口を叩きながら出て行った。

 言い返す暇もなかったフラガは、ため息をつく。

 

「やれやれ……」

 

 マリューも戸口を見やって息をついた。

 

「ナナらしい台詞……ではあるけれど……」

「ああ。何かしてなきゃ落ち着かないんだろうさ……」

 

 ミリアリアとサイもまた、去り際のナナの横顔を思い返し、いたたまれない心境に耐ええかね、互いに顔を見合わせた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 スペースコロニー『メンデル』。

 ナナはバスターとM1隊を率いて、その港口に入った。

 数年前に打ち捨てられただけあって荒廃は進んでいたが、ある程度の設備は今も稼動していた。

 もちろん“敵”らしき姿も無かった。

 

 ナナの『異常無し』という報告を受け、アークエンジェルとクサナギは港に入る。

 その後休む間もなく、ナナはキサカ、マリューらと補給作業のプランを話し合った。

 フリーダムから『連絡』が入ったのは、プランが決まり、各艦のクルーたちが動き出そうとしていた時だった。

 

「え……? キラから?」

「ええ、ザフトの戦艦『エターナル』がアスラン君を保護して、こちらへ向かっているそうよ」

「アスラン……を……?」

 

 ナナはマリューの顔を食い入るように見つめた。

 

「無事らしいわ」

「そうですか……」

 

 彼の無事を聞くと同時に、どっと疲れが押し寄せた。

 張り詰めていたものが途切れそうになるのを感じ、ナナは無理矢理話題を変える。

 

「それで、その『エターナル』って? ザフトの艦なんでしょう?」

「艦にはラクスさんが乗っているそうよ」

「え、ラクス……?!」

 

 それは成功だった。

 マリューの口から出たその名に、変な疲れは吹き飛び、一気に目が覚めたようになる。

 

「まだ事情は詳しくわからないけど……とりあえず、我々と敵対するわけではなさそうね」

「ラクスが……」

 

 平和の歌を歌う少女……ラクスはナナの憬れた姿だった。

 彼女はキラを救い、キラにフリーダムという力を与え、キラを変えた。

 そのラクスが、今またアスランを救ってここに来る。

 ナナは宙に漂う自分のヘルメットも忘れて、ブリッジを飛び出した。

 

 

 それからすぐ、アークエンジェルとクサナギが停泊する港に、『エターナル』が現れた。

 フリーダムも一緒だった。

 ナナはマリューらと共に、エターナルに迎えられる。

 艦の床や壁には傷ひとつなく、真新しい匂いがしていた。

 そのドックで、ナナはラクスとの再会を果たす。

 

「ナナ……!」

「ラクス……!」

 

 ラクスは、勢いよくナナに向かって飛びついた。

 以前と少しも変わらぬその姿に、ナナは思い切り笑む。

 

「良かった、ラクス……無事だったんだ。追われてたって聞いたけど……」

「はい、無事です! ナナとまたお会いできて、本当に嬉しいですわ」

 

 二人に、多くの言葉はいらなかった。

 互いの無事を喜び合い、同じ場所に辿り着いたことの意味を分かち合う……瞳を合わせるだけでそれが出来た気がした。

 そんな二人の少女の横に、この艦の艦長が現れる。

 

「はじめまして……というのは少し変かな?」

 

 男はマリューに対して名乗った。

 

「アンドリュー・バルトフェルドだ」

「え……?」

 

 ナナはその名に聞き覚えがあった。

 無論、マリューもである。

 

「マリュー・ラミアスです。……しかし、驚きましたわ……」

 

 驚くのも無理は無かった。

 彼はアークエンジェルが『明けの砂漠』と共に撃破した、ザフトの隊長だった男だ。

 キラが撃ったはずの『砂漠の虎』と呼ばれた男だった。

 

「お互い様さ」

 

 が、彼は何の恨み言も無く、ラクスの隣に佇むキラを向いて言う。

 

「なぁ、少年」

 

 キラはうめくように低い声で言った。

 

「あなたには……僕を撃つ理由がある……」

「キラ……」

 

 ナナは、バルトフェルドを撃ったストライクが、砂漠の砂に沈みながらいつまでも立ち上がろうとしなかった光景を思い出した。

 

「今は戦争中だ。誰かを撃つ理由なんて、誰にでもあって、誰にだって無い」

 

 そして、そう返したバルトフェルドの言葉に、カガリから聞いた彼の言葉も甦る……。

 

『じゃあどうやって戦争を終わらせる? “敵”である全てを滅ぼして……か?』

 

 あの時、彼は街中で偶然にもカガリ、キラと出会い、二人が『連合』と『明けの砂漠』の一員と知ってなお手を出さなかったという。

 そればかりか、どうやらカガリがずいぶんと親切にされたらしい。

 今それを思い出し、案外“答え”には近づいていたのかも知れないと思った。

 その時、

 

「やあ、こちらがラクス様がおっしゃっていた方ですか?」

 

 バルトフェルドが急にナナの方を見た。

 

「え?」

 

「そうですバルトフェルド隊長。この方が、私たちの“光”ですわ」

「は?」

 

 ナナがラクスの横顔を見ると、バルトフェルドは右手を差し出した。

 

「できれば、“砂漠の地”でお会いしたかったなぁ」

「…………」

 

 ナナは彼の手を見て、それから顔を見上げた。

 隻腕、隻眼……おそらく片足は義足だろう。

 そんな姿になってまで、キラを怨まぬとは……。

 そして、ラクスを立ててザフトに敵対するとは……。

 

「私もです」

 

 ナナは彼の手を握り、心から言った。

 

「もっと早くにお会いできればよかったと思います」

 

 以前は“敵同士”、命を削り合った。

 だが、それは戦争だったから。

 だから彼にとって、今ここにいるキラや自分は“敵”じゃない。

 ナナにとっても、初めから彼が“敵”なわけじゃない。

 

 握った手を通して、二人は心を通じ合った。

 隣でラクスが笑っていた。

 キラも、ぎこちなくだが笑みを浮かべた。

 

 

 

 



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「ナナ、アスランが怪我を……」

 

 ひととおりの挨拶が済むと、ラクスがナナに言った。

 

「そう聞いたんだけど……大丈夫なの?」

 

 敢えてあまり深刻な顔をせずにナナが聞くと、

 

「腕を撃たれたみたい……ていうか、それよりお父さんのことで……」

 

 キラが心配そうな顔で答えた。

 

「ザラ議長はアスランを『反逆者』と見なし、拘束しようとしていました……」

 

 ラクスは目を伏せながら、アスランを撃ったのはザラ議長……彼の父親だと告げた。

 

「それで……ラクスが?」

 

 ナナはほんのわずかに眉をひそめたが、まだ平然としていた。

 

「はい。バルトフェルト隊長以下、みなさんの協力もあって、アスランの救出に成功しました」

「そっか……でアスランは?」

 

 この場にアスランの姿が無いことは、初めからわかっていた。

 が。

 

「どこ行っちゃったんだろう……アスラン……」

 

 キラとラクスが心配そうに顔を見合わせる。

 少し意外に思った。

 二人はてっきり、アスランがどう過ごしているか承知していると思っていたのだ。

 だからこそ敢えて心配している様子は控えていたのに。

 だが二人は優しい顔をナナに向けて言った。

 

「ナナ……アスランのこと、お願いできますか?」

「また独りで悩んじゃってるんだよ、きっと」

 

 ナナは驚いた。

 

「え……?」

 

 今度は素直にそれを表す。

 が、まともな反応であるという自覚はあった。

 ナナにアスランのことを託した二人は、彼の『元婚約者』と『親友』である。

 客観的に見れば、少なくともナナよりは適役のはずだった。

 しかし。

 

「話……聞いてあげて」

 

 アスランを心配しているのは確かだろうが、何故だかこちらにも優しさを向けられているような気がしたから……。

 

「わかった」

 

 ナナはそれ以上何も言わずにうなずいた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アスランはひとり、港を見下ろせるラウンジにたたずんでいた。

 眼下では、ラクスのエターナルとオーブのクサナギ、そしてアークエンジェルが補給や修理を進めている。

 慌ただしい風景を見下ろしながらも、彼の思考はプラントでのことが占めていた。

『覚悟』はあった。

 キラやナナに会って、強さを得たつもりでいた。

 父に会っても、何も変わらないという事実に対する『覚悟』。

 父への絶望に対する『覚悟』。

 それと相乗効果を成すであろう、自己嫌悪への『覚悟』。

 もう、ここへは戻れないかもしれないという『覚悟』。

 それらを持てたつもりでいた。

 が、胸はひたすら絶望感で埋め尽くされている。

 仮初めの強さを剥ぎ取られ、もう、顔を上げることさえできないような気になっている。

 

 と、うつむいた彼の視界に、蒼い煌きが入り込んだ。

 左手でそれをそっと握る。

 その小さな石に、まるですがるかのように……。

 その時、

 

「こんなところに居たんだ」

 

 それをくれた本人の声がした。

 

「もうすぐ作戦会議が始まるよ」

 

 ふわりと現れたのは、ナナだった。

 

「ライトもつけないで」

 

 そう苦笑しつつも、ナナはスイッチに目もくれず彼の目の前に着地した。

 

「ナナ……」

 

 ナナはフッと息をついた。

 そして、

 

「また、会えたね」

 

 ただ、そう言った。

 ただそれだけだったから、今更のように、ナナに心配をかけていたことを思い出す。

 プラントへ戻る決意を告げても、何も言わなかったナナ。

 カガリのように心配するのでも、キラのように『まだ死ねない』と言うのでもなく……ただ、全てを飲み込んだような顔で見送ってくれたナナ……。

 アスランは左手の石に視線を落とす。

 

「お前の石が守ってくれたよ」

「そっか、良かった」

 

 相変わらず、答えはそっけなかった。

 きっと、これまでもずっと……そうやって、自分の想いを他人に押し付けないように生きてきたのだろう……。

 そう思う。

 だから、アスランは素直に呟いた。

 

「オレは……父には失望した」

 

 ナナはガラスに手をついて、港を見渡した。

 

「自分が、あの人のあんなモノのために戦ってきたのかと思うと……」

 

 ふわりと、ナナの髪だけが揺れていた。

 

「……情けない……」

 

 それすらも視界に入れるのがおこがましい気がして、またうつむいた。

 ナナからの言葉は、しばらくしてから返って来た。

 

「私もさ……」

 

 それは意外な言葉だった。

 

「父を好きだった記憶はひとつもない……」

 

 ただの『報告』のように出された声に、アスランは思わずナナの横顔を見る。

 

「父がMSの開発をしていたのは、自分の野心のためってわかってから……私はソレが大嫌いだった」

 

 ナナはわずかに目を伏せた。

 

「でも……実際、それを父に言ったことは無くて……」

 

 少しの戸惑いと、結果を知ったものの顔だった。

 

「後悔はしてないけど……もし今生きてたら……」

 

 その瞳が、再びアスランを映す。

 

「父に言おうと思って」

 

 揺らいではいるが、美しいヒカリ。

 

「ちゃんと、私の意志を……言おうと思って……」

 

 魅せられた。

 

「正直、わかってもらえたとは思えないけど」

 

 惹きつけられた。

 

「喧嘩別れで終わっちゃうかもしれないけど……」

 

 こんなにも強く。

 

「どんなに失望しても、父が生きてたら、私もアスランと同じことをしたと思う」

 

 瞬間、アスランそれに誘われるがまま、手を伸ばした。

 

「え……?」

 

 ナナの細い腰を捕まえて、抱き寄せる。

 

「ア、アスラン……?」

 

 ナナの身体が硬直した。

 

「ナナ……」

 

 耳元でささやいた。

 気の利いた言葉など思いもつかない。

 まして、この行動をどう説明すれば良いかもわからない。

 が、何故だか今までの絶望感は薄れていた。

 

「ア、アスラン……」

 

 戸惑いを隠しきれないナナを初めて見たから、少し笑えた。

 

「な、なに……? どうしたの……?」

 

 くすぐったそうに少し身をよじったナナを、もっと強く抱きしめた。

 

「ありがとう」

 

 挙句、出たのがそんな一言。

 それでもナナは、ゆっくりと力を抜いた。

 

「アスラン……」

 

 そして、ナナがようやく息をついたとき、

 

「ありがとう、ナナ……」

 

 もう一度そう言うと、ナナの手はぎこちなく抱き返してくれた。

 

 

 

 

 



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ドミニオン

 コロニー・メンデルの港で、エターナル、クサナギ、そしてアークエンジェルの三艦は整備と補給を急ピッチで進めていた

 ザフトか……地球軍か……。

 どちらが先に現れたとしても、それは“敵”としての姿であることは間違いなかった。

 ここに、安息はない。

 ナナは補給組と整備班の間をせわしなく行ったり来たりとしていた。

 合間にアークエンジェルのブリッジや、クサナギ、エターナルとも連携をとり、できるだけ効率よく作業が進むように気を配った。

 時間は少しも無駄にできなかった。

 一刻も早く、戦闘準備を整えなければならなかった。

 当然のことではあったが、ナナには嫌な予感がしていた。

 

 そしてそれはいつものように的中する。

 フリーダムとジャスティスのエターナルへの移送が決まった直後……アークエンジェルのブリッジにアラートが鳴り響いた。

 警戒宙域に敵艦補足……。

 すぐに発進したアークエンジェルが目にしたのは、アークエンジェルの同型艦『ドミニオン』。

 その艦の艦長は、ナタル・バジルール……。

 そして、ブリッジにはブルーコスモスの盟主、アズラエルの姿があった。

 

 

 

 アークエンジェルから、フリーダムを先頭に次々とMSが飛び出す。

 クサナギからもM1隊が発進していた。

 最終調整が終わらないエターナルを除く二艦は、戦闘のために港を出た。

 ドミニオンからもMS隊が向かって来る。

 中には例の新型三機の姿があった。

 

≪あの三機はオレとキラで抑える。ナナは艦の防衛に回れ!≫

 

 ジャスティスからの通信が入った。

 

≪大丈夫、僕たちに任せて!≫

 

 そしてフリーダムからも。

 ナナは言葉を飲み込んでうなずいた。

 あの三機……新型というだけでなく、戦い方がおかしかった。

 正規の軍を相手にシミュレーションを繰り返してきたナナだからこそ、すぐにわかった。

 彼らは正規に訓練を受けた軍人でもなければ……()()()()()()()()ではない……。

 そう感じたことを、まだ誰にも言ってはいなかった。

 言えば混乱は必至だった。いや、自分自身が一番混乱していたのかもしれない。

 ナチュラルでも、コーディネーターと同じように……誰よりもそう思って、特殊な環境で訓練を積んできた。

 実際、パイロットとしての腕は、ナチュラルの中でも隊長クラスにはなっている自覚があった。

 正規の訓練を受けたパイロットと、搭乗時間は比べものにならないのだから。

 が、あの三機はグレイスの性能を差し置いて考えても、ナナの能力を凌駕していた。

 それは、戦術や戦闘スキルというわけでなく……運動能力そのものが卓越しているように感じられた。

 ナチュラルで、あれほどの動きができるとは思えなかった。

 奢るわけではないが、子供の頃からMSに乗ってきた自分は、誰よりもMSを自身の身体のように乗りこなせるつもりでいた。

 それでも、理屈でない『違い』が彼らとの間にあったのだ。

 オーブでの戦闘でそれを実感したナナは、アスランとキラに従った。

 自分ではまだ、足手まといになる……。今は、まだ。

 

「クサナギ! 出遅れてる!!」

 

 モニターで艦の位置を確認し、バスター、ストライクと連携が取れる位置につく。

 ナタルの腕は流石だった。

 的確な戦術と判断で、アークエンジェルを追い詰めていく。

 デブリすら利用して攻めて来た。

 

≪デブリにつかまった! 身動きがとれない!!≫

 

 キサカの声でクサナギを見ると、デブリのワイヤーがその艦体に絡まっていた。

 アサギが懸命にそれを切ろうとしているが、手間取っているようだった。

 他のM1に、それを援護する余裕はない。

 

「ディアッカ、ムウさん、ここお願い。私はクサナギの援護に行きます」

≪わかった!≫

≪了解!≫

 

 言ったと同時に、あの三機のうち一機が、クサナギの状況に気づいて向かって行った。

 

「アサギ!!」

 

 アサギに向けられた砲を、なんとか防いで逆にビームを放つ。

 今はまだ、この機体には勝てない……。

 しかし、

 

「アサギ、私が援護する。大丈夫だからちゃっちゃと終わらせちゃって!」

≪は、はい! ナナ様!≫

 

 そんな事を思っているなど、仲間に悟られてはいけなかった。

 なんとか懸命に迎え撃つしかなかった。

 

 ようやくアサギがワイヤーを切り裂き、クサナギが自由になる頃には、ナナの肺はゼーゼーと音をたてていた。

 決定的なダメージはなかった。

 エネルギー残量も、相手の機体と同じくらいは残っているはずだった。

 ここでケリを……。

 そう思った矢先、敵の機体はまるでグレイスとの戦闘に飽きたかのように、フリーダムとジャスティスに向かって行った。

 

「アスラン! キラ! 一機がそっちへ向かった!!」

 

 その返事の仕方で、二人でさえもギリギリの状態であることがわかった。

 ナナは一瞬躊躇したが、すぐにそちらへとグレイスを向けた。

 クサナギが戦線復帰したことで、すぐにこちらの有利になるはずだ。

 あとはあの三機の攻撃に持ちこたえるだけ……。

 オーブでの戦闘の再現のように、六機はぶつかり合った。

 が、フリーダムとジャスティスで敵を押し込んだ時、ドミニオンからフリーダムに対して直接攻撃があった。

 

「キラ……!!」

 

 艦からの攻撃は、最早アークエンジェルやクサナギではなく、フリーダムに的を絞っているようだった。

 

「バジルール中尉……まさか……!!」

 

 攻撃をかわすだけで精一杯のグレイスの横を、ジャスティスが線を描くように駆け抜けた。

 そして、フリーダムを窮地から救う。

 と、その腹いせのように敵の一機がグレイスを攻撃し、コックピットを蹴りつけた。

 

「ぐっ……」

 

 強烈な衝撃を受けて飛ばされるグレイス。

 コックピット内には、戦闘不可能状態を告げるアラートが鳴る。

 暗い宇宙に光る戦いの灯が、フラッシュのようにモニターを照らした。

 堕ちる……。

 大気圏突入の時をぼんやりと思い出す。

 点滅する光が遠ざかり、視界が暗くなりかけた。

 そのとき、急にガクンと機体が止まった。

 

≪……か!? 大丈夫か!? ナナ!!≫

 

 その声がアスランだとわかっていたが、呼吸がうまく出来ない状態で……、返事さえも返すことはできなかった。

 

 

 

 

 



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知らない敵

 ジャスティスはそのままグレイスを抱えてアークエンジェルに着艦した。

 ドックに着くなり、アスランは自機を飛び出してグレイスに向かう。

 無理やりグレイスのコックピットを開けると、中でナナはぐったりとしていた。

 

「ナナ……!」

 

 アスランはナナのシートベルトをはずし、ヘルメットを脱がせた。

 

「ごめ……まだ……息が……」

 

 機体が受けた圧のせいで、ナナは苦しそうだった。

 アスランはそのままナナを引っ張り出し、パイロットスーツのチャックを下げて楽に息が出来るように抱える。

 

「ほら、水!」

 

 マードックもタラップを引いて駆けつけた。

 

「あ……ありがと……」

 

 ナナは顔を歪めながらも笑ってみせ、水を一口飲んだ。

 

「どこか怪我は!?」

 

 あれだけの力で機体を飛ばされれば、身体に受ける衝撃は普通ではないはずだった。

 

「大丈夫大丈夫、最後はちょっとバテちゃった」

 

 が、ナナは笑ってまた水を飲んだ。

 その額には汗がじわりと浮いている。

 

「一度、医務室で休んだ方がいい」

 

 触れた肩は細く揺れ、肌に血の気はない。

 だが、

 

「大丈夫だってば。宇宙級のフリーホールに乗っちゃったみたいなもんだから」

 

 ナナは軽く受け流し、

 

「それより、ディアッカとムウさんがコロニーに入ったって聞こえたけど……」

 

 すぐに話題を変える。

 

「あ、ああ……。『ザフトがいる』と言い残して行ったらしい」

「ザフトが……?」

 

 ナナは眉をよせた。

 自分の体調のことなど、もう頭にないのがわかった。

 仕方なくアスランは説明する。

 おそらく、ナナの意識が朦朧としていたであろう時間にあったことを。

 

「ラミアス艦長はそれが『クルーゼ隊』だと予測している」

「クルーゼ隊って……」

「キラが単機で援護に向かった」

 

 アスランとディアッカがその『クルーゼ隊』の一員であったことを、当然、ナナは知っているはずだった。

 が、ナナは何も言わなかった。

 アスランに対しても、そこへ向かったディアッカに対しても。

 

「アスランは予定通り、今のうちにジャスティスをエターナルに移して」

 

 そしてそう言いながら立ち上がる。

 無重力空間でも、フラついていることが見て取れた。

 

「オレも内部に行く。本当にクルーゼ隊長なら危険だ……!」

 

 その腕をとって、アスランは言った。

 が、

 

「だめだよ」

 

 ナナは小さく笑いながら、その手を抑える。

 

「地球軍がまたいつ攻めて来るかもわからないし……今のうちに陣営を整えておかなきゃ」

「しかし……」

 

 逆に、ナナがアスランの腕を掴んだ。

 

「私たちは、ここで撃たれるわけにはいかないでしょう?」

 

 厳しい声で、

 

「たとえキラたちが戻らなくても、私たちはここで戦わなくちゃ」

 

 泣きそうな顔で、そう言った。

 その目に、今までのナナの生き方が、ふとわかった気がした。

 

「……わかった」

 

 だから、せめてその痛みを広げないために、アスランはそれ以上何も言わずに頷いた。

 

「お前、本当に身体は大丈夫なんだな?」

 

 最後にそれだけを念押しして。

 

「うん」

 

 陰りを押し殺した笑みを確認し、アスランはジャスティスへ戻った。

 

 

 

 

「こちらジャスティス、エターナルへ移動する」

 

 ブリッジに連絡を入れ、モニターにグレイスを移すと、ナナはすでにマードックらと整備に取り掛かっていた。

 その青白い横顔を少しだけ拡大してから、アスランはアークエンジェルを出た。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 それから30分以上が経過した。

 キラたちはまだ戻らない。

 そればかりが、港の反対側へ偵察に出ていたアサギが悪いニュースを持って来る。

 向こう側には、ザストのナスカ級が三隻、停泊している……と。

 

「ナナ、少しいいか?」

 

 グレイスの修理を整備班に任せ、港で艦の動力システム修復を手伝っていたナナに、アスランは声をかけた。

 

「少し、話がある」

 

 ナナは手を止めて振り向いた。

 ヘルメット越しでも、その顔色がまだすぐれないことがわかった。

 

「やっぱり、少し休んでいたほうがいいんじゃないのか?」

「もう大丈夫だってば」

「だが顔色が……」

「色白なのは生まれつきなの」

「しかし……」

「それより、キラたちを探しに行くのは却下だからね。ラクスにもそう言われたでしょう?」

 

 アスランはため息をついた。

 ナナという人間は、無理やり引っ張って行ってベッドに縛り付けておかない限り、休むということができないらしい。

 というより、自分の身体への心配は受け付けない性質のようだ。

 

「その話じゃない」

 

 そのことを指摘しても、今はただ時間を無題にするだけだ。

 それほど、ナナの砦は固い。

 アスランは当面のところは観念して、次の話題を持ちかけることにした。

 

「今、アークエンジェルが送ってくれた、さっきの戦闘データを分析していたんだが……」

「あの三機のパイロットのこと?」

 

 ナナはそれを先回りしていた。

 アスランがうなずくと、ナナは作業を他の者に任せ、アスランを港の隅まで引っ張った。

 コンテナの影で、アスランは話の内容を明かす。

 

「あの三機の戦い方は、とても正規軍とは思えない。新型機の性能を考慮しても、あの動きは……」

「ナチュラルとは思えないんでしょう?」

 

 ナナは再び彼の言葉を遮った。

 視線が鋭くなったのがわかった。

 

「ああ……キラもそう言っていた」

 

 ナナは辺りを見回した、そして誰も居ないことを確認すると、フッと笑った。

 

「私もそう思う」

 

 それは明らかに“自嘲”だった。

 

「あの三機のパイロットは、普通のナチュラルじゃない……」

 

 ナナはそのままわずかに目を伏せた。

 

「私は……長くMSに乗ってきたし、開発も目の当たりにしてきた。それに、何万パターンもの“敵MS”との戦闘もシミュレートしてきた」

 

 そして、あっさりと己の本質を晒した。

 

「だから、わかる」

 

 戸惑いと、覚悟を混ぜたようなナナの瞳を、アスランは受け止める。

 

「あの動きは()()()()

 

 その戸惑いを打ち砕く術は見出せなかった。

 が、とにかくこの話をしたことで、ナナ独りにそれを抱え込ませるようなことにはならなかった。

 それに安堵し、再びアスランはため息をついた。

 

「“何”にせよ、また向かってくれば撃たなければならない」

 

 だから、先に『覚悟』を口にできた。

 

「うん」

 

 ナナは少し笑った。

 そのままナナの肩の荷が軽くなるよう、もう一つの懸念事項を口にする。

 

「それに、あの艦……ドミニオンの狙いは、フリーダムとジャスティスの鹵獲かもしれない……」

 

 はっきりとした分析はできていなかったが、たった一隻で攻めてきたことや、フリーダムへの攻撃の仕方を考えると自身の予感が正しい気がした。

 

「うん、そうだね……」

 

 ナナも深くうなずく。

 そして。

 

「私は“まだ”あの三機に敵わない……」

 

 少しうつむいて、

 

「でも、アスランとキラを失うわけにはいかないから、彼らを倒すために最大限の努力をする」

 

 ナナはそう決意を示した。

 

「あの人たちが“何”であっても……」

 

 アスランはナナの瞳の奥にある強い光を見た。

 未だ戻らない、キラたちを案じているはずだった。

 誰よりも、真っ先にそこへ向かいたいはずだった。

 それでも、今、“ここ”でこうして、自分のやるべきことを口にするナナは強い光だった。

 オーブで、ウズミが言ったことの本当の意味が、その瞳に浮かんでいる気がした。

 アスランは不意に、ナナの肩に手をかけた。

 言うべき言葉は思いつかなかった。

 が、それでも勝手に何かがこぼれ出ようとしたとき、再び港にアラートが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 



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解放

 ナタルが指揮するアークエンジェル級ドミニオンが、再びメンデルへ向かって来た。

 むろん、あの三機も出動している。

 アークエンジェルからグレイスが、エターナルからはジャスティスが出撃し、これを迎え撃つ形となった。

 

「アサギたちM1隊は艦の護衛を!」

≪了解!≫

≪わかりました!≫

 

 あの三機がまた向かって来る。

 

≪ナナ、大丈夫か?≫

 

 キラはまだ戻らない。

 何としてでも、ジャスティスと共に三機を止めねばならなかった。

 

「大丈夫。足手まといにはならないようにする」

 

 モニターに映るアスランに向かってそう言い、操縦桿を握りしめた。

 

「ブリッジ、ザフトは?」

≪未だ動きはありません!≫

 

 わずかに高揚したミリアリアの声が聞こえる。

 港の向こうに潜むザフト軍ナスカ級は、まだ戦闘を開始してはいない。

 が、彼らが『クルーゼ隊』というのなら、間違いなくこちらに向かって来るという予感が、ナナにはあった。

 

「アスラン、中で何が起きているのかわからないけど、もしクルーゼ隊とキラたちが遭遇しているのなら、ナスカ級がいつ動くかわからない」

≪ああ、わかっている……≫

 

 良ければ地球軍とザフトとの交戦状態になり、こちらには余裕が生まれる。

 この戦争は地球軍とザフトの戦いなのだから、そういう構図はあり得ることだった。

 だが、それが『アークエンジェル級ドミニオン』と『ナスカ級ヴェサリウス』……いや、『アズラエル』と『クルーゼ』であるのなら、そんな単純なことにはならないと思っていた。

 両者とも単なる勝利が目的でなく、アークエンジェル撃沈、もしくはフリーダムとジャスティスの鹵獲が本懐であると考えられる。

 だからこの場合、両者からの挟み撃ちという最悪の構図が正解だろうと判断した。

 

(早いとこ、こっちを片づけたいところだけど……)

 

 しかし、そう思ってはいても、簡単に現状を打開する力が、今のグレイスにはまだなかった。

 

「くっ……」

 

 相変わらずめちゃくちゃな連携と、でたらめな動きで、三機は猛攻を仕掛けてくる。

 それぞれの位置と攻撃が来る方向を感知するのがやっとだった。

 待機中のわずかな時間にグレイスにインプットした敵MSの戦闘パターンも、さほど役には立たなかった。

 前回の戦闘でダメージを受けた体も、グレイスのコックピット部も、応急処置をしての戦闘だった。

 そこへ、フリーダムとバスターが現れる。

 彼らが無事に戻った安堵より、ナナは先に気づいた。

 ストライクの姿がない……。

 

「ムウさんは?!」

≪怪我をして……治療中なんだ……≫

 

 キラが無理に感情を押し殺した声で答えた。

 

(怪我……?)

 

 いったいコロニーメンデルの中で何が起きたのか……。

 今のキラの声色にしても、尋常でない出来事が起こったことは確かだった。

 が、今はこの戦闘に集中しなければならなかった。

 数の上で有利になったとはいえ、とても攻勢とはいえない状況である。

 さらにミリアリアから、沈黙を守っていたナスカ級が、ついに戦闘宙域に接近して来たという連絡が入る。

 

「やっぱり……ザフトもここへ……」

 

 ナスカ級からもジンが発進するはずだ。

 数はわからないが、M1が対応に当たったとしても、おそらく技術的には劣性に回る可能性が高い。

 だが、どうしても目の前の三機を振り切れない。

 

≪まずいぞ、このままだと押し込まれる!≫

 

 アスランでさえも、焦りを隠せない様子だった。

 その時、

 

 

≪アークエンジェル!!≫

 

 

 コックピットに、いや、この宙域に悲鳴のような声が響いた。

 

「え……?」

≪お願い! 助けて! アークエンジェル!≫

 

 その声を知っていた。

 ナナだけではない。皆知っているはずだった。

 呼びかけられたアークエンジェルのクルーたちも、当然……キラも。

 

「フ、フレイ……?」

 

 それは、アラスカで別れたはずのフレイ・アルスターの声だった。

 それに気づくと同時に、一瞬フリーズ状態になった戦闘宙域が、再び動き始める。

 三機のうちの一機、青い機体がその場を離れて行った。

 その先にあったのは、ザフトの救命ポット。

 

「……あ、あれにフレイが……?!」

 

 ナナの頭も混乱した。

 フレイはアラスカで転属を命じられた。

 その先がザフトであるはずもなく、ましてや捕虜になるような危険な場所に配属されたという記憶も無い。

 

「なんで、フレイが……!」

 

 とっさに青いMSを追った。

 フレイはアークエンジェルを呼んでいる。叫ぶように、悲鳴のように呼んでいる。

 そして、

 

≪わ、私、“鍵”を持ってるの! 戦争を終わらせるための“鍵”を……!!≫

 

 そう叫んでいた。

 その意味はわからずとも、救わねば……そう思った。

 彼女との再会が叶うのなら、言わなければならないことがある。

 アラスカではきっと伝えきれなかったから、もう一度……。

 が、後ろから黒いMSが放った鉄球が襲いかかる。

 間一髪で回転して避けた時、その横をすり抜けるようにして、フリーダムが飛び去った。

 

「キラ……!」

 

 フリーダムは早かった。

 グレイスも、黒いMSも、そしてジャスティスも追い付けぬほどに。

 が、その様子はどこか虚ろなのが、後ろから追っていてもわかった。

 

「キラ!」

 

 呼びかけに応答はない。

 嫌な予感がした。

 

≪ナナ、あのポットは一体何なんだ?! さっきの声は……!≫

 

 同じく動揺したアスランが通信を入れて来る。

 応えようとして言葉に詰まった。

 『何』と問われても、未だキラにとってフレイがどういう存在だったのか、ナナにはわからなかった。

 

「アラスカで別れる前まで、アークエンジェルに乗っていた……キラたちの仲間なの……」

 

 答えつつ、グレイスを加速させる。

 幸いエネルギー残量はまだ30パーセント。

 片手でシステムをいじりつつ、加速力を上げる。

 だがそれでも、フリーダムには追いつけない。

 

「キラ、待って!」

 

 フレイを乗せたポッドは、ゆらゆらとドミニオンの方へ漂っている。

 それに迫るのは、青いMS。

 フリーダムは必死でそれに追い縋ろうとしていた。

 

「待って、キラ!」

 

 グレイスの加速とともに、嫌な予感も膨張する。

 そして、フリーダムが答えぬまま、青のMSが反転して攻撃を仕掛けて来た。

 

「キラ!!」

 

 あのキラが……。

 回避行動もとれずにビームを浴びる。

 メインカメラがある頭部が吹っ飛んだ。

 

「キラ!」

≪キラ!≫

 

 ジャスティスとともに援護するが、二機の背後にもぴったりと地球軍のMSがついている。

 グレイスも、左足にわずかにビームをくらった。

 動きを止められた隙に、フレイを乗せたと思われるポットが青いMSに回収される。

 同時に、アークエンジェルから帰還信号が上がった。

 が、頭部を失ったフリーダムはなおも追い縋ろうとする。

 黒と緑のMSが、ここぞとばかりにフリーダムに襲いかかるのは必至だった。

 

「キラ!」

 

 寸でのところで、ジャスティスがフリーダムへの直撃をガードする。

 だが、キラはそれすら気付かないかのように、ポッドを追う。

 ドミニオンからの援護射撃も始まった。

 

≪下がれ、キラ! その状態で敵艦に突っ込むつもりか?!≫

 

 アスランの言葉も耳に入らないようで、キラはフレイの名を叫び続けていた。

 

「キラ……」

 

 だがこのままでは本当に、キラは……。

 

≪ナナ、キラを連れて離脱しろ! できるか?!≫

 

 アスランと考えることは同時だった。

 

「うん」

 

 短く答え、スラスターを全開にする。

 フリーダムの肩を掴むと、全速力でその場を離れた。

 ジャスティスの援護のお陰で、攻撃は避けられた。

 だが、安堵の息はつけなかった。

 キラは泣いていた。

 

≪僕が傷つけた……! 僕が護ってあげなくちゃならないんだ……!!≫

 

 それはこちらの胸を刺すほど、悲痛な心の叫びだった。

 

 

 



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 アークエンジェルに帰還し、すぐにメディカルルームへ向かった。

 ベッドには傷ついたムウが横たわっていた。

 大した怪我じゃない、と、彼はいつものように陽気に笑う。

 つきそうマリューも同調した。

 が、彼女の瞳の奥に在る影を、ナナには容易に読みとれた。

 

 胃がキリキリと痛んだ。

 前回の戦闘で受けたダメージが悪化しているようだった。

 情けない……と、密かに自嘲する。

 ムウが怪我をし、マリューも精神的ダメージを負っている。

 キラもエターナルに帰還後、倒れたというし、さすがのラクスも心を痛めているはずだ。

 だから、今は何が何でも平気な顔をしていなければならない。

 今までずっとそうしてきたように、たとえ非情な態度と思われてでも、生き延びるための最適の手段を選ばねばならない。

 だから……。

 大きく息を吸い込んだ。

 余計に胃が痛むのは承知の上で。顔を歪めずに息を吐き切った。

 

(大丈夫……)

 

 そう言い聞かせ、整備班が忙しく働くドックに入る。

 ナナはグレイスではなく、バスターへと向かった。

 

「ディアッカ」

「え? ナナ?」

 

 すでに整備を開始していた彼は、まずムウの容体を尋ねた。

 ムウが言ったとおりに答え、ナナはディアッカの目を覗き込む。

 

「それで、あなたは大丈夫なの?」

 

 コロニー内部で遭遇したのは、やはり『クルーゼ隊』だったと、ミリアリアを通して連絡が入っていた。

 だから、『元クルーゼ隊』の彼が平気なのかどうか、確かめたかった。

 

「何がだよ」

 

 ディアッカは意外にも、ニヤリと笑って見せた。

 

「何がって、『仲間』に会ったんじゃないの?」

 

 ナナはその様子に安心しながら、口を尖らせて聞く。

 

「会ったさ。上官と仲間にな」

「それで大丈夫なのかって聞いてるの!」

 

 喧嘩ごしな態度をとっても、ディアッカはサバサバとした返事を返した。

 

「仲間と……イザークと話をした。銃を向けられたけどな」

「え……?」

 

 ナナは一気に心が冷えるのを感じた。

 ぶつかり合うキラとアスランの姿がトラウマのようにフィードバックしていた。

 が、

 

「けど、結局イザークは俺を撃たなかった」

 

 ディアッカはそんなナナを察しているように言った。

 

「俺もちゃんと伝えられたと思うし」

 

 そして、まっすぐにナナを見つめた。

 

「伝わったかどうはかわかんないけど」

 

 ナナが聞き返す間もなく、

 

「お前みたいに言えたと思うぜ?」

 

 ディアッカはそう言って笑った。

 

「そっか」

 

 つられて笑えた。

 彼の強さが嬉しかった。

 

「オレのことは心配すんな、てか、そんな余裕ねーだろ」

「失礼な。私はちゃんとディアッカのことも心配してあげられる余裕があります」

「なんでそんな上から目線なんだよ!」

 

 冗談のやり取りをして、笑い合う。

 胃の痛みがかすかに和らいだ。

 

「それじゃあ私、キラの様子見て来る」

「あ、ああ……アイツ、倒れたんだって?」

 

 ディアッカはそれ以上何も聞かなかった。

 彼も、フレイの声を耳にしているはずなのに。

 

「すぐ帰って来るから。戻ったらフレイのこと、あなたにもちゃんと話すね」

 

 自分の理解している範囲で……。

 そう心の中で付け足して、ナナは連絡用シャトルへ向かった。

 が、すぐ立ち止まり振り返る。

 まだディアッカがこちらを見ていた。

 心配そうな目が隠しきれていない。

 

「ディアッカ」

 

 そんな彼の目を見て言った。

 

「帰って来てくれてありがとう」

 

 その目が見開き、頬が赤らんだのを見て、ナナはシャトルの方へ駆け出した。

 

 

 

 キラの部屋の前には、心配そうに中をうかがうアスランとカガリがいた。

 

「ナナ……!」

 

 ナナの姿をみつけたカガリは、不安げな目でナナと部屋の中を交互に見た。

 ナナは何も言わずに、キラの様子を外からうかがった。

 キラは……泣いていた。

 ラクスの腕にすがって、泣いていた。

 結局、キラとフレイがどんな関係だったのか、ナナは知らない。

 もともと人との関わりに慣れていないと自覚していたから、ああいう二人の関係性は理解できなかった。

 キラをコーディネーターだからと遠ざけ、傷つけたくせに、キラを癒したフレイの想いも……傷つけらながらもフレイの“優しさ”にすがったキラの想いも……。

 未だにわからなかった。

 

「行こう」

 

 ナナはそのままカガリを引っ張って、ドアから離れた。

 アスランも、何も言わない。

 自動ドアは静かに閉まった。

 

「ナナ……」

 

 カガリは不安で押しつぶされそうな顔をしていた。

 この子は情緒が豊かだから……。

 カガリの最大の長所に、フッと笑みがこぼれた。

 

「ナナ……?」

「大丈夫だよ、キラのことはラクスに任せよう」

 

 ラクスなら、キラを支えられる……。

 それだけは、今、はっきりとわかっていた。

 二人の間にある絆が、何故だかこの目には見えている気がした。

 

「でも……」

 

 カガリは手にしたあの写真を見下ろす。

 赤ん坊のキラとカガリの写真を。

 

「今考えてもしょうがないよ、カガリ」

 

 この間よりずっとやさしく、カガリの肩に手をかける。

 

「キラは弱いくせに強いもん。きっとまた元気になるから、それから話しをしてもいいでしょう?」

「あ、ああ……」

「今はラクスに任せて、私たちはキラが元気になるのを見守っていよう」

「ああ……そうだよな……」

 

 カガリはひとつ、吐息をついた。

 不安と混乱を押し殺し、懸命に心を落ち着けようと努力しているようだった。

 

「クサナギに戻って、M1のパイロットたちを見てあげて。精神的にも疲弊してるはずだから。私も行ってあげたいけど、さっきまたグレイスを傷つけちゃったから、整備に戻らないとマードックさんに怒られちゃう」

「ああ、うん」

「それと、戻ったらキサカに伝えて欲しいんだけど……」

 

 ナナはあれこれとクサナギでの作業をカガリに指示した。

 ようやく目の前のやるべき課題に焦点を合わせたのか、カガリはわずかに目つきを変えて戻って行った。

 とりあえずは安堵した。

 キサカが指揮を執っているとはいえ、立場上、クサナギの指揮官はカガリである。

 動揺は早急に収め、その任に戻るべきであった。

 カガリ本人もそれを感じたのか、今回はうまく自身の衝動を抑え込むことができたようだった。

 彼女もまた、変わり始めている……。

 

(父様……)

 

 自然と心の中で、ウズミにそれを報告した。

 

 

 

 

 



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ひとときの平穏

 カガリを見送って……。

 

「聞いた?……フレイのこと……」

 

 ずっと沈黙を守っていてくれたアスランに、ようやく向き合う。

 だが、なんとなく目を見られなかった。

 

「ああ、カガリに聞いたよ。ヘリオポリスからの仲間で、キラと、その……一緒にいたって……」

 

 アスランは言葉を濁した。

 おそらくカガリも、顔を赤くしながら彼に伝えたのだろう。

 そんな二人がおかしくて、わずかに苦笑した。

 

「そ、そういう関係だったのか?」

「私ね、よくわかんないんだ」

「え?」

 

 キラの親友であるアスランには、正直に伝えようと思った。

 そしてキラが落ち着いたら、ラクスにも話さねばならない。

 

「フレイはコーディネーターが嫌いだったみたいで、お父さんが乗った艦をあなたたちに落とされて……それで、キラを責めた。『コーディネターだから、本気で戦ってないんでしょう』って」

「俺たちが……?」

「そう。アークエンジェルを迎えに来た、地球軍第八艦隊の先遣隊。あれに、フレイのお父さん……アルスター事務次官が乗っていた」

「ああ……そうか……」

 

 アスランはうなだれた。

 が、今は過去に流した血を拭う時ではなかった。

 ナナは続けた。

 

「フレイはそうやってキラをひどく傷つけた。それなのに、艦隊と合流しても艦を降りないで、キラの側に留まった。元々は、サイの婚約者だったのに……」

「サイって、アークエンジェルのCICか?」

「うん、そう」

「婚約者……だったのか……。それなのになぜ、キラと……」

 

 小さく首を横に振った。

 

「わかんない……。キラも、フレイのお陰で元気になったし……」

 

 二人の間にある違和感を、ここで言葉に表現することはできなかった。

 

「ただ、キラがフレイのことを『自分が傷つけた』と思ってたってことは……やっぱり複雑な関係だったのかなって……」

 

 先ほどフリーダムから聞こえた、キラの絞り出すような声。

 嗚咽に近いその声は、アスランの耳にも届いていたはずだった。

 

「そうか……」

 

 アスランはうなずいた。

 完全には理解しきれていないだろうが、今の話だけで、もしかしたらナナよりは二人の関係を察したのかもしれなかった。

 が、それを説明して欲しいとは思わなかった。

 もどかしさがあるのは事実だが、きっと、二人のことは自分にはわかり得ないのだと、そんな気がしていた。

 

「そういうわけだから、キラ、あんなにショックを受けて……」

「……ああ……なんとなくわかったよ……」

 

 だが、アスランは『なんとなく』だが納得してくれた。

 

(よかった……)

 

 これで、アスランはキラを支えられる。

 そう思った。

 

「それじゃあ、とりあえず私もアークエンジェルに戻るね」

 

 そう言って、もう一度キラの部屋の扉を見た。

 

(ラクス……、キラをお願い……)

 

 だが、その視界が遮られる。

 

「お前は……?」

 

 アスランが回り込み、肩をつかんだ。

 

「え……?」

「お前の話を聞いていない」

「なに……が……?」

 

 引っ張られる形で、浮かせた足が床についた。

 

「キラやアークエンジェルの仲間だけじゃないだろう、ショックを受けているのは」

「え?」

 

 深い緑色の瞳が、こちらを見ている。

 

「お前は大丈夫なのか?」

 

 思わず、目を逸らした。

 

「ナナ」

 

 アスランの指先に力がこもる。

 

「私……」

 

 促されるようにして、声が漏れた。

 

「私は、フレイを責めたんだ……」

 

 心の中のドロリとした醜いモノが、喉の奥にこみ上げる。

 

「『コーディネーターなんて、みんな死んじゃえばいい』なんて言うから……だから……」

 

 フレイの手に握られた拳銃。

 ディアッカに向けられた銃口。

 乾いた銃声。

 ミリアリアの涙。

 割れた電灯。

 鮮明に思い出せるのに、口にするのは難しかった。

 

「だから……『そんなことを言ってるから戦争が終わらないんだ』って、私はフレイを責めたんだ……」

 

 もっとうまく、感情を、状況を、説明できればよかった。

 だが、今は……。

 

「私は……フレイの中に……」

 

 自分自身の言葉が恐ろしかった。

 

「……本当の“敵”を見てしまった……」

 

 それが、あの怯えた少女の喉元に、残酷に突き立てた凶器のようで……。

 自分が怖かった。

 

「ナナ……」

 

 いつの間にか、アスランの手は肩から離れていた。

 

「でも、とりあえずは地球軍に保護されたみたいだから……、一応は安心かな……」

 

 一歩、後ろに下がった。

 反動で身体が浮き上がり、また彼から離れる。

 

「また逢えたらいいけど……逢えたら『ごめんね』って言いたいけど……今はどうしようもないもんね」

 

 これ以上、自分に対する怯えを悟られる前に、彼の前から去りたかった。

 

「考えててもしょうがないから、グレイスの整備に戻るね。アスランも、肩の怪我が治ってないんだから、無理しないでね」

 

 しかし、反転しようとした身体は、再びアスランに遮られる。

 

「ナナ……!」

「ど、どうしたの?」

 

 アスランは声を潜めつつも、強い口調で言った。

 

「抱えすぎだ……!」

「え……?」

 

 掴まれた腕が痛かった。

 

「少佐の怪我を心配して、それを心配する艦長を気遣って、お前のことだからディアッカのことも心配してるんだろう?」

「アスラン……」

「こっちではキラとラクスのことを心配して、カガリにも気を使って、クサナギのことまで気をまわして……その上彼女のことまで気遣うなんて、いくらなんでも抱え込みすぎだ」

 

 彼が何を言っているのかわからなかった。

 何故、怒ったように言うのかも。

 腕を掴む手に、どうしてこんなにも力を込めるのかも。

 

「そのうえ、オレの怪我のことまで」

「だって、それは……」

 

 アスランはため息をついた。

 出かかった中途半端な言葉がかき消される。

 

「みんなそれぞれ戦っているんだ。みんなの分まで全部、お前一人で抱えることはない」

「アスラン……?」

「まぁ……、お前に心配をかけるオレたちの方に責任はあるが、お前もお前自身のことに少しは気を配れ」

 

 アスランが、自分を心配してくれているのだと、その言葉でようやく理解した。

 

「……と言っても、無駄だろうがな……」

 

 彼がしかめっ面をしたので思わず笑った。

 胸の奥がくすぐったかった。

 

「と、とにかく、お前も体調が万全じゃないんだから、できるだけ休んだ方がいい……!」

 

 今度はアスランが目を逸らした。

 その頬が、少し赤い。

 だから不思議と、こみ上げてきた涙を抑えることができた。

 

「アスラン……」

「な、なんだ?」

 

 自然と“願い”が口をついた。

 

「じゃあちょっとだけ……、この間みたいにして」

「この間?」

 

 今まで誰かに何かを願ったことはなかった。

 それでも……、

 

「ほら、『ありがとう』って時のやつ……」

 

 ごく自然に声になる。

 

「あ、ああ……」

 

 アスランは戸惑いがちに、腕を引いた。

 そしてぎこちなく、ナナを抱きしめた。

 

「ありがと」

 

 今回は、ナナが先にそう言った。

 

「ああ……」

 

 アスランは照れたように返事をし、そっと腕の力を強めた。

 

 

 



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 クサナギとエターナルと、何度目かの往復をして戻ったナナの耳に、その情報が入った。

 

「地球軍の月艦隊がボアズに侵攻?」

「それが……」

 

 アークエンジェルのブリッジが、いつにも増して重苦しい空気に包まれている。

 

「今、バルトフェルド艦長から連絡が入って、すでにボアズは落とされたらしいの」

「え……?」

 

 ナナはマリューの横顔から、正面モニターに視線を移す。

 そこには、クサナギのキサカと、エターナルのラクスが映し出されていた。

 

≪こちらの情報によりますと……≫

 

 ラクスがナナの姿を確認して口を開いた。

 その顔は深刻で……いや、見たこともないほど曇り切っていた。

 

「ラクス……?」

 

 少し躊躇った後、ラクスは言った。

 

「地球軍は……核攻撃を行ったようです……」

 

 一瞬の静寂……。

 

「な、なんで……核が……」

 

 呟いてすぐに頭に浮かんだのは、フレイの声だった。

 

『わ、私、“鍵”を持ってるの! 戦争を終わらせるための“鍵”を……!!』

 

 彼女をこれ以上悪く思いたくなかった。

 だが、皮肉にも気づいてしまった。

 

「まさか……フレイが言ってた“鍵”って……」

 

 ミリアリアとサイが、怯えたように息を呑む。

 

「フレイがクルーゼ隊の捕虜だったとして……解放されて地球軍に保護された。そこには、アズラエルがいる……。だとしたら、このタイミングは……」

「クルーゼだ。ヤツがニュートロンジャマーキャンセラーの情報を持たせたんだ!」

 

 ナナが言い切る前に、マリューの傍らにいたムウが吐き出すように言った。

 

「『まもなく最後の扉が開かれる』なんてほざいていやがったからな、あいつは!」

 

 彼の憤りが、ブリッジの空気を震わせた。

 モニターの向こうのラクスさえ、うつむく。

 

「クルーゼがわざとフレイに核の“鍵”を持たせて解放したってこと……?」

 

 あまりに信じがたい思考だ。

 が、ムウは何の迷いもなく同意した。

 

「味方のザフトが核攻撃されるのに?」

 

 そして誰も否定はしなかった。

 

「こうなったら……」

 

 もう、言葉を選んでいる場合ではなくなった。

 

「プラントも地球軍も、撃って撃たれての最悪の展開になる……」

 

 絞り出すように、残酷な現状を突きつける。

 

≪そうですわね……≫

 

 いち早く同意したのはラクスだった。

 

≪ナナ……我々は……≫

 

 モニター越しに目が合った。

 同じことを考えている。

 何故だかそれがわかった。

 

「行こう」

 

 ナナはそれを口にした。

 

「もう、私たちにできることなんて、ないのかも知れない」

 

 迷いはなかった。

 

「だけど、私たちは“それ”をするためにここまで来た」

 

 少しだけ胸が詰まった。

 

「この手に力を持ったのは、護るため……終わらせるため……」

 

 後悔は……、懺悔は、後で……。

 

「だから、最後まで、信じて……やり通す……」

 

 周囲はシンと静まりかえった。

 その張りつめた空気が、なんだか今となっては心地よかった。

 

≪まいりましょう≫

 

 ラクスがやっと、いつもの笑みを浮かべた。

 

≪私たちのやるべきことを、最後までやり通すために≫

 

 ブリッジで同意の声が上がった。

 キサカも深くうなずいた。

 みな、吹っ切れたように笑っていた。

 

 

 

 

 



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第7章 未来への戦い編
紅の光


「ザフトの対抗策については正直言って予測がつかないけど、地球軍は補給を済ませて再攻撃を仕掛けると思う」

 

 グレイスのコックピットで、機器の操作をしながら言った。

 

≪ええ、そうね≫

 

 この通信は、全艦のブリッジと、全てのMSのコックピットと繋がっている。

 マリューがこれに同意した。

 

「次の狙いは、おそらくプラント……」

≪そうだろうな≫

 

 今度はバルトフェルトが。

 

「正確な時間はわからないけど、月から補給部隊が出ているとすると、私たちが今から向かって間に合うかどうか、ギリギリのラインだと思う」

≪そのつもりでいるのが妥当でしょうな≫

 

 そしてキサカも。

 

「とりあえずは、『地球軍の核攻撃阻止』を目的に全速力でプラントへ向かいましょう」

 

 最後に、三艦の艦長たちがナナの言葉にうなずいた。

 

 

 

 やがて三艦はプラント周辺宙域にたどり着いた。

 すぐにMS全機に発進命令が下される。

 

「ナナ・イズミ、グレイス、発進します」

 

 冷静に。とにかく、できることを……。

 言い聞かせ、ナナはグレイスを発進させた。

 すぐにザフトと地球軍が交戦している宙域を黙視する。

 そして、プラントに向かう地球軍の……。

 

「核攻撃部隊を補足……」

 

 一度だけ、奥歯を強く噛みしめた。

 憎しみ、怒り、悲しみ……それら全てを呑み込んででも、冷静に動かねばならなかった。

 

「キラ、アスラン。サポートするから、とにかく核を撃ち落として」

≪了解!≫

≪わかった!≫

 

 エターナルから発進したフリーダムとジャスティスが、ミーティアを装備した。

 そのまま加速し、核攻撃部隊へ向かう。

 数は定かでない。

 が、ミーティアの砲数でなければ間に合わないことだけはわかっている。

 

 フリーダムとジャスティスは、最初の攻撃を開始した。

 一気に撃ち落とされる核。

 呪わしい光の華がいくつも、宙に咲いた。

 突然の介入行動に、宙域は一瞬戸惑いを見せた。

 だがすぐに、あの三機のMSが行動に移る。

 

「こっちは任せて!」

 

 グレイスを再加速させ、ジャスティスに向かって来た青いMS(=カラミティ)をけん制する。

 さらに、脇をすり抜けてフリーダムに襲いかかる黒いMS(=レイダー)に、後ろからビームを打ち込む。

 

(もう、あなたたちの動きにはいい加減対応しとかないとね……!)

 

 額に汗が滲んだ。

 が、口の端を無理やり吊り上げた。

 続いて、緑のMS(=フォビドゥン)の足を止める。

 その時だった。

 突然、宙域に異変が起こる。

 

「な、なんで……?」

 

 コックピットのレーダーは、異常な動きを示している。

 ザフト側が一斉に撤退を始めたのだ。

 

≪ヤキン・ドゥーエ後方に、巨大な物体が出現……!!≫

 

 ミリアリアから通信が入った。

 

「え……?」

 

 グレイスをザフト軍宇宙要塞『ヤキン・ドゥーエ』の方へ向けようとした。

 が、突然一機のMSが急接近して来てそれを遮った。

 

「なっ……」

 

 よける間も、抗う間も与えられず、グレイスはそのMSに腕を取られ、そのまま引っ張られる。

 急加速で身体が前のめりになった。

 体制が悪く、反撃もできない。

 

「ちょっ……」

 

 振り切ろうとした、その時……。

 突然、巨大物体から紅の光が放たれた。

 

「……っ……?!」

 

 息を呑んだ。

 まがまがしいその光は、射線上の全ての物を破壊した。

 『撃った』のではない。『破壊』したのだ。

 まさに、今まで自分が居たその場所も……。

 それは一瞬の出来事だった。

 戦闘宙域を駆け抜けた閃光は、艦もMSもMAも飲み込んで、粉々に破壊した。

 

「あ、あれは……」

 

 声が喉に張り付いた。

 にもかかわらず、言葉がこぼれ出る。

 

「なに……? 今の……」

 

 動揺を口に出さなければ、意識が飛んでしまいそうだった。

 

「なんなの……?」

 

 恐怖、疑問、怒り……。

 操縦桿を握る手が震えていた。

 モニターには、瓦礫と化したモノたちを茫然と見つめるフリーダムとジャスティス、それに、ストライクとバスターが映っている。

 

「みんな……」

 

 とにかく、皆は無事だった。

 とにかく……それだけは……。

 それに、

 

「デュエル……?」

 

 自分が間一髪で、アレを避けられたことも。

 

「イザー……ク……?」

 

 それは紛れもなく、傍らにたたずむMS、デュエルのおかげだった。

 あれに乗っているのは、確か『イザーク』という名の……、アスランとディアッカの仲間だったはず。

 

(どうして……)

 

 またひとつ、疑問が沸いた。

 だが、

 

「ありがとう、イザーク」

 

 回線をデュエルに合わせ、そう礼を言う。

 声はもう、震えてはいなかった。

 

≪……くそっ……≫

 

 彼は一瞬、名を呼ばれたことに驚いたようだった。

 が、それをすぐに憤りに変え、その場を離れて行った。

 憤り……。

 ザフトの攻撃に、ザフトである彼が、それを感じていた……?

 

「イザーク……」

 

 ディアッカから聞かされたその名を呟き、一度、強く目を閉じる。

 そして、改めてモニターを見る。

 その全てが未だ、混乱を映し出していた。

 

「ひとまず撤退を……!」

 

 各艦のブリッジへ通信を入れながら、ナナは操縦桿を握りなおした。

 その手ももう、震えてなどいなかった。

 

 

 

 

 



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決意

 宙域を離脱した三艦は、小惑星群に身を潜めた。

 エターナルのブリッジにそれぞれの艦長らが集結し、目の当たりにした悲惨な状況を話し合っていた。

 

 

 皆が考えていることは同じだった。

 アレが……あの『ジェネシス』という兵器がもし、地球に向けて放たれたなら……。

 クサナギから、エリカ・シモンズが兵器の分析を報告する。その予測される結果も。

 それはまさに絶望で、この世の終わりだった。ナチュラルにとっては……。

 

「地球に向けて、撃つつもりでしょうか……」

 

 マリューの問いに、バルトフェルドが答えた。

 人はすぐ、戦いに、殺し合いに慣れるのだ……と。

 もう、地球軍は核を撃った。そしてザフトもジェネシスを撃った。

 その引き金を引くことを、たぶんどちらももう、躊躇わないだろう……。

 

「兵器が……争いを生むのでしょうか。それとも、人の心が……」

 

 ラクスが影を負っていた。

 彼女の強さが、ナナが焦がれた強さが、影に飲み込まれそうになっている。

 

「核もあの兵器も、絶対に互いを撃たせちゃだめだ」

 

 押し止めようとしたのはキラだった。

 

「そうなってからじゃ、もう全てが遅い」

 

 彼の視線が、ナナを向く。

 彼だけじゃなかった。

 皆が、ナナを見ていた。

 

「ナナ」

 

 キラが口を開いた。

 

「僕は……僕たちは、君に導かれてここまで来た」

「キラ?」

 

 そう話すキラの傍らで、ラクスが笑んだ。

 

「僕たちは何もわかってなくて、ただ戦うことを否定して……戦いを終わらせるために“何と戦わなくちゃならないのか”ってことを、考えようとすらしなかった。君は初めからずっと、教えてくれていたのに」

「キラ……」

 

 そうね、とマリューが同意する。

 

「ナナは、私たちの誰よりも強い意志で戦っていたわね……。目の前の戦場ではなく、ずっと先の、何かを見つめて」

「マリューさん……」

 

 そんなふうに思われていたことなど、知らなかった。

 ただひたすらに、『戦え』『立ち止まるな』『撃て』と、鞭打つような言葉を投げつけて来たつもりだった。

 キラに、ミリアリアたちに、マリューやムウに……。

 そんな自分が怖くて、後悔することを怯えていた。

 孤独は平気だった。

 でも、仲間たちの優しさを知っていたから、彼らを傷つけることは哀しかった。

 だから、

 

「私は、キラに『戦え』って言ったこと、今でも後悔してるよ」

 

 正直にそう告げる。

 

「マリューさんたちにも……確かに戦わなきゃ死ぬって状況だったけど、それでも、私は……バルトフェルドさんや……アスランを撃とうとしたんだし……」

 

 自分の言葉に、涙がこみ上げそうになる。

 

「ナナ」

 

 カガリの手が肩に触れる。

 その瞳は、まっすぐで正直だった。

 

(うん、わかってる)

 

 それに応え、口を開いた。

 

「それが正しかったのかなんて、今はまだわからない……けど……」

 

 刃のような言葉を突き付けることが、自分の役目とわかっている。

 

「まだ私は、戦わなくちゃならない」

 

 最後まで“力”を使うことを肯定して。

 

「核も、あの兵器も、どっちも壊す。私たちの力は今、そのために使う」

 

 そうやって進むことしか、自分にはできないのだから。

 

「はっきり言って、たったこれだけの戦力で成し遂げるのは難しいけど……見ているだけなんてもうできない。無駄かもしれないけど、ここで止めたら、今までの犠牲こそが無駄になる。間違ったやり方かもしれないけど、でも、ここにある意志は、今やり遂げなければならないものだと思う」

 

 皆を見回した。

 ナナの口から出る言葉に、怯える者は誰もいない。

 

「私たちは未来を託された、小さくても消えない強い火種だと……そう信じてる」

 

 その場が静まりかえった。

 ただただ、誰もがその言葉をかみしめているようだった。

 ナナ自身も。

 

「ナナ」

 

 キラが、再会の時と同じ言葉を言った。

 

「僕の意志も、君の意志と供に戦うから……」

 

 ラクスがナナの両手を取った。

 歌っているときのような、穏やかな瞳をしていた。

 

「参りましょう」

 

 それはまるで、全てを包み込むような、ウズミの眼差しに似ていた。

 

「信じた道を」

 

 声もなく、ただ、皆がうなずいていた。

 

 

 

 



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最後の戦い

 エターナルのブリッジに、アラートが鳴り響いた。

 それは、地球軍が進撃を開始した合図だった。

 

「行こう」

 

 これが最後の戦いになるのかもしれない……。

 そう思った。

 そして皆も、その予感がしているようだった。

 

「キラ」

 

 だからラクスは、ブリッジから出ようとするキラを呼び止める。

 

「先、行くね」

 

 キラにそう言い、ラクスを見る。

 彼女とは、言葉を交わす必要がなかった。

 

 

 

 

「じゃあ、ナナ。気をつけてな! 絶対……、絶対に死ぬなよ!」

「ナナ様。どうかご無事で!」

 

 クサナギへのシャトルに向かうカガリとキサカが、そう言った。

 

「あ、マリューさん」

「え?」

「すみませんけど、先にアークエンジェルに戻ってください。ちょっとカガリに話が……」

「え、ええ。わかったわ」

 

 マリューが去ろうとすると、その背にもう一度声をかけた。

 

「急いでくださいね。ストライクが発進準備に入っちゃうから」

「え?」

 

 振り返ったマリューが聞き返し、そしてすぐに意味を悟ると、かすかに頬を染めて踵を返した。

 その様子にクスリと笑うと、

 

「カガリ……」

 

 ナナは思い切りカガリを抱きしめた。

 

「ちょっ、おい、ナナ!」

 

 カガリは慌ててバランスを崩す。

 宙に浮いた二人の身体は、キサカが受け止めた。

 

「カガリ。オーブを護ってね」

「ナナ……」

「あなたはウズミ様の意志を継いでいる。オーブを護るのはあなた。それを忘れないで」

 

 オーブという国への想い。オーブの仲間への想い。そして、ウズミへの想い。

 それを全部、カガリに託した。

 

「大丈夫、カガリなら戦えるよ。ウズミ様の娘なんだから」

 

 カガリはうつむいた。

 今まで我慢していたのだろう。

 その箍が外れそうになっているのが、うるんだ目で分かった。

 

「カガリ」

「だ、大丈夫だ! それより、ナナは自分の心配をしろ!」

「うん、そうだよね」

「いいか、絶対に生きて戻って来いよ! 約束しろ!」

 

 眼尻から零れた雫に、ナナは笑った。

 

「うん、約束する」

「わ、私ひとりじゃ、この先のオーブの再興は難しいんだ。ちゃんと生き残って、一緒に……一緒に……」

「うん、わかってるよ、カガリ」

 

 ナナはとうとう言葉を詰まらせたカガリを、もう一度抱きしめた。

 

「キサカ、カガリとオーブのことはお願いね」

「全て承知しております、ナナ様」

 

 彼はそれ以上何も言わなかった。

 その彼に、そっとカガリを押しやる。

 手が完全に離れて、ナナは笑った。

 大丈夫。

 あの衝動的で愛情深いかわいい妹のところが、自分の帰る場所なのだ……。

 そう自分に言い聞かせ、彼らに背を向けた。

 そうして振り返ると、アスランが黙って立っていた。

 

「アスラン……」

 

 その眼はじっとこちらを見ていて、何だか居心地が悪かった。

 視線を横に逸らすと、窓から地球が見えていた。

 青い、美しい星。

 眩しくて、今度は目を伏せた。

 

「ナナ……」

「アスランも、気をつけて」

「ナナ」

「絶対、死なないでね」

「ナナ!」

 

 アスランは、前と同じように、去ろうとするナナの腕を引いた。

 

「アスラン……」

「オレも話がある……」

 

 目を見る。

 大人びた眼差しが向けられていた。

 

「も、戻ってからじゃだめ?」

「今、話しておきたいんだ」

 

 アスランの手によって、正面を向かされる。

 ふと、あの孤島に二人して遭難した時のことを思い出した。

 熱に浮かされて、正直、鮮明に覚えている部分は少ない。

 が、アスランの戸惑ったような目と、それでも優しかった温もりは覚えている。

 泣いたのは、あの時が初めてだった……。

 

「アスラン……」

 

 彼も同じものを見たのだろうか。

 耳の奥で、あの時の波音が聞こえた時、アスランはまた強くナナを抱きしめた。

 

「ナナ……オレは……」

 

 青い星が、二人をじっと見ているようだった。

 

「お前に会えてよかった」

 

 二人の、わずかに重ねた時を。

 

「これからも、お前とともに……」

「アスラン……」

「そんな未来を今、願っている……」

 

 そして、これから続く時を。

 

「私……あなたを、護りたい……」

 

 それらを護りたかった。

 願う未来を、アスランを……みんなを、全部護りたかった。

 アスランは小さく笑って、

 

「アスラッ……」

 

 そっとナナに口づけた。

 そして。

 

「オレがお前を護る」

 

 そう言ってまた、強く、抱きしめる。

 ナナの腕は、その温もりに、しっかりとしがみついた。

 

 

 

 



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第二派

「ミリアリアとは、何か話した?」

 

 ムウには聞く必要はなかった。

 だからナナは、すでにバスターに乗り込んでいるディアッカに話しかける。

 

≪はぁ? 何でだよ≫

 

 モニターに映る顔は、ヘルメット越しにも仏頂面をしているのがわかった。

 彼のそんな表情も、なんだか見慣れた……。

 そう思うと、嬉しかった。

 

「ねぇ、ディアッカ」

 

 グレイスのシステムの最終調整を行いながら、ナナは言葉を濁す彼に言った。

 

「さっきのジェネシスの攻撃の時、私、あなたの仲間に助けられたんだ」

≪はぁ?≫

 

 先ほどよりすっとんきょうな声が聞こえ、思わずスイッチをいじる手を止めて笑った。

 

「デュエルがいきなりグレイスを掴んで、ジェネシスの射線上から避けてくれた」

≪イザークが……?≫

「うん」

 

 ディアッカはしばし考え込んだ様子だった。

 

「イザークって、どんな人?」

 

 キーボードを叩きながら、彼の答えを待つ。

 

≪アイツは……≫

 

 言葉を選んで、彼は言った。

 

≪くそ真面目でプライドがやたら高くてめちゃくちゃ怒りっぽくて、いっつもアスランに突っかかっててさ……キレたら手がつけられない面倒なヤツだけど……≫

 

 ナナは顔を上げ、モニターを見る。

 

≪けど、いいやつだぜ≫

 

 友を語る彼の目は、穏やかだった。

 

「そっか」

 

 たった一言、『いいやつ』だけで想いを表せる絆が、少しうらやましい。

 

「この戦いが終わったらさ、また、話せたらいいね」

≪ああ、そうだな……。ま、どうせオレもアスランもアイツにしこたま怒鳴られるんだろうけどよ≫

 

 ため息交じりで未来を語るディアッカには、安心させられた。

 

「私も会ってみたいな。イザークに」

 

 ディアッカは大げさなため息をつきながらこう答えた。

 

≪お前とイザークなら、会って5分で喧嘩になりそうだぜ……≫

 

 

 

 

 二人のやり取りを遮るように、ドック内にアラートが鳴った。

 地球軍が進撃を開始。さらにアークエンジェルはドミニオンを補足した。

 MS全機に発進命令が下る。

 

「ナナ・ イズミ。 グレイス、発進します!」

 

 デッキを飛び出してすぐ、ヤキン・ドゥーエ宙域で交戦する両軍を目視した。

 

「あそこへ……」

 

 ……行っても無駄なのかもしれなかった。

 地球軍の核攻撃を止めて、ザフトのジェネシスも破壊するなど、無理なのかもしれなかった。

 だが、それでも迷いはない。

 やり遂げる意志……それが強さだと、未来への希望だと信じている。

 だから、ジェネシスから“2射目”が発射されても、ひるむことはなかった。

 あの光が再び、数多の命を破壊しても、恐れも、怒りもしなかった。

 

「ミリアリア、アレの攻撃対象は?」

 

 冷静に、ジェネシスが放たれた場所を確認する。

 

≪地球軍月基地の、プトレマイオス・クレーターです≫

 

 月基地が……。

 だとすれば、そこからこちらへ向かって来る地球軍の支援部隊も大きな被害を受けている可能性が高い。

 これが普通の戦場であれば、地球軍は一時撤退し、態勢を立て直すのが定石である。

 しかし、これは普通の戦場ではなく最終決戦の場所……。

 とすれば、地球軍が引くことはあり得ない。

 そして、ジェネシスの次の標的は……地球。

 

「エリカさん、1射目と2射目のタイムラグはどのくらいだった?」

≪お、およそ86分です……!≫

 

 次の発射までの猶予は、約80分……。

 ならば……。

 

「アークエンジェルはドミニオンを追ってください」

≪ナナ?!≫

「たぶん、アズラエルはプラントに核を打ち込んで来る……!」

 

 我ながら恐ろしい予測だと思う。

 だが、何故だかアズラエルの思惑が、手に取るように分かるのだ。

 彼はコーディネーターの存在そのものを忌み嫌う者。

 だとすれば、あの攻撃を受けて思うのは、プラントへの復讐。

 ジェネシスの破壊でも、ザフト軍の撃破でも、撤退でも、ましてや降伏でもなく、プラントを……コーディネーターを滅ぼすことしか考えていないはずだ。

 だから……。

 

≪ドミニオン、他、数隻が転進!≫

 

 予測通り、彼らは目的を変えた。

 

≪本艦が追います! エターナルとクサナギはジェネシスを!≫

 

 マリューがすぐさま対応した。

 

「キラ、アスラン、ディアッカも! 核攻撃部隊が来る、プラントへ!」

≪わかった!≫

≪了解!≫

≪オーケー!≫

 

 迫って来た地球軍MSをなぎ払いながら、ナナもプラントへ向かう。

 

「ムウさんとアストレイは艦の防衛をお願いします」

≪了解した!≫

 

 今度はザフトのMSが数機、取り囲みに来る。

 だが、 グレイスの火力を下げ、代わりに推力を理論上の極限まで上げていたため、それらをなんなく置き去りにして飛び去った。

 

「あの三機は グレイスとバスターで引きつける。フリーダムとジャスティスは、とにかく核を阻止して!」

 

 言った瞬間、ナナの中で何かが弾けた……。

 地球軍、ザフトが入り乱れる戦場を、グレイスは縫うようにして飛翔する。

 すぐに、例の三機のMSが向かって来た。

 それらのけん制に成功し、フリーダムとジャスティスは放たれた核を撃ち落とした。

 あの光が、また宙にいくつもいくつも放たれる。

 追いついたバスターと、ザフトの部隊もまた、プラントを護るべく、次々と向かい来る核を撃った。

 

 ナナは、ひたすらにフリーダムとジャスティスを追い立てる三機のMSを攻めた。

 火力を下げているから、ビームライフルが直撃しても致命的なダメージを与えることはできなかった。

 だが、代わりにスラスターの威力を上げた分、スピードは彼らを上回る。

 まったく連携攻撃を仕掛けて来ない三機を翻弄するようにグレイスを操った。

 通常より増した空気圧のせいで胃が酷く軋んだが、歯をくいしばって耐えた。

 まず一機……レイダーにビームサーベルを向ける。

 後ろからカラミティが不意打ちを狙って来たのをわざとギリギリで避け、油断したレイダーに斬りかかった。

 至近距離であれば、威力が弱くても破壊はできる……。

 グレイスの目の前で、レイダーは爆破した。

 彼を憐れんでいる暇はなかった。

 仲間意識があったとは思えなかったが、それでもカラミティとフォビドゥンは、逆上したように突っ込んで来る。

 それを左右のモニターに捕らえつつ、

 

「ディアッカ! 核攻撃部隊の旗艦を叩いて!」

 

 冷静な言葉を吐く。

 

≪あ、ああ、だけどお前……!≫

「私は大丈夫」

 

 あとの二機は、 グレイスの力でなんとかするつもりだった。

 が、

 

≪オレが行く!≫

 

 思いがけず、サポートが入る。

 

≪ディアッカ! 貴様はとっとと旗艦を落として来い!≫

 

 ディアッカを怒鳴りつけ、さらにグレイスに向かって来たフォビドゥンからのビームを防いだのは、あのデュエルだった。

 

≪イザーク!≫

「イ、イザーク?」

 

 彼の楯はナナを護った。

 

≪おい、 グレイスのパイロット! まずはあの緑のヤツからだ! 右から回り込め!≫

 

 続けざまに出される指示に、ナナは言葉を飲み込んで従った。

 咄嗟の連携は、その成果を上げた。

 フォビドゥンはグレイスのビームサーベルで半分に割れ、カラミティはデュエルの砲撃で大破した。

 ようやく……あの三機を撃退した。

 後悔は飲み込んだ。

 息が切れていた。

 胃がキリキリと痛んだ。

 おまけに、前に怪我をした掌が、熱を持っている。

 

「ありがとう、イザーク」

 

 デュエルは グレイスの正面にいた。

 ただ、静止していた。

 ナナは息を整え、その場を後にした。

 ジェネシスを、破壊するために。

 ザフトのジェネシスを……。

 背後から、ついに攻撃は無かった。

 

 

 

 

 



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ジェネシス

 バスターが地球軍の核攻撃部隊旗艦を撃墜したという連絡が入り、フリーダム、ジャスティス、そしてグレイスは、すぐさまジェネシスへと進路を向ける。

 ナナだけが知っていた。

 この時点で、ストライクが失われていることを。

 

「ムウさんっ……」

 

 エターナル、クサナギ、そしてアークエンジェル。この三艦のブリッジとは常に連絡がとれるように、グレイスの通信系統を設定していた。

 さらに、他のMSとも連携が取れるように、全てのMSの位置をコックピットのモニターで補足させていた。

 だから、わかってしまっていた。

 ストライクの機影が、アークエンジェル前方でLOSTしたことを知ってしまった。

 

「ムウさんっ……!!」

 

 涙を抑えることなどできなかった。

 彼の優しさはすでに、ナナの心の奥底にまで浸透している。

 マリューの痛みが容易に想像できてしまう。

 嗚咽が漏れた。

 秘かにマイクを切る。

 歯を食いしばって、操縦桿を握った。

 ここで力を緩めれば、何もかもが無駄になる。

 成し遂げなければ、最後まで。

 この先、撃たれようとも……最後まで戦わねば。

 懸命に、繰り返し、自身にそう言い聞かせた。

 

 

 追撃に来た敵を振り切り、あとはまっすぐにジェネシスへ向かうだけ……というところで、キラは突然、フリーダムを転進させる。

 

≪アスラン、ナナを頼む! 何かが……!≫

 

 そう言い残して。

 

≪キラ……?≫

 

 アスランが戸惑っているのがわかった。

 ナナとて、キラが何を目的に向かって行ったのかはわからない。

 だが、不思議と心は落ち着いていた。

 

「キラは……」

 

 もう、涙は止まっている。

 

「キラの戦いをしに行ったんだと思う」

≪キラの戦い……?≫

「うん、よくはわかんないけど」

 

 彼が理由もなしに行動するような人間でないことは良く知っている。

 そして、ナナ以上にそれを知っているのはアスランであるはずだった。

 

「それにしても、キラってば相変わらずボケてるんだから!」

≪な、なにがだ?≫

 

 だから……という安心もあった。

 

「どうせ言い残すんなら、“私”に“アスランを頼む”って言って行けばいいのに!」

 

 まっすぐ、ジェネシス近辺の戦闘宙域を見つめながら大げさに憤慨すると、アスランは少し笑った。

 ほっとした。

 それでまた、涙がこぼれそうになる。

 強く、唇を噛みしめた。

 

≪ナナ、大丈夫か?≫

 

 気づかれないつもりだった。

 が、アスランはサブモニターをONの状態で通信をよこす。

 

「うん、大丈夫」

 

 とっさにうつむいた。

 が、

 

≪ナナ……!≫

 

 アスランはヘルメット越しの表情を察知する。

 その敏感さが、今は余計だった。

 

「ほんとに大丈夫。ていうか、これだけ戦闘して、疲れない方がおかしいでしょう?」

 

 涙は見られていないはず。

 だから、そう誤魔化した。

 

≪一度、アークエンジェルに帰投したほうがいいんじゃないか?≫

 

 が、最近の彼は恐ろしく心配性だった。

 

「平気。もう一息だから、戻っている時間がもったいない」

≪だったら、エターナルかクサナギで補給を……≫

 

 アスランはとうとう、ジャスティスをグレイスの前方に回り込ませた。

 

「アスラン、私は大丈夫」

 

 モニターを見上げる。

 

「まだ、戦える」

 

 そう噛みしめるように呟くと、逆にアスランがうつむいた。

 葛藤は彼の優しさだ。

 今は、それを知っていることが嬉しかった。

 だから、笑うことができた。

 

「護ってくれるんでしょ?」

 

 耳元でため息が聞こえた。

 そして、

 

≪ああ……必ず……≫

 

 低い声がした。

 目が合う。

 もう一度、二人は意志を確認し合った。

 それを見計らったかのように、エターナルから通信が入る。

 

≪これよりジェネシスへの攻撃を開始する!≫

 

 バルトフェルドの合図で、エターナルとクサナギから、ジェネシス側部へ一斉攻撃が行われた。

 が……それらはジェネシスに、少しの傷をつけることも叶わなかった。

 

「そ、そんな……」

≪フェイズシフトか……!≫

 

 強力なフェイズシフトに護られた外装が、主砲のローエングリンでさえ跳ね返したのだ。

 

「アスラン……!」

 

 とっさに思いついた“次の手”は、アスランも同様だった。

 

≪ああ……≫

 

 ジャスティスとグレイスは、同時に進路を変えた。

 

≪ヤキンに突入して、コントロールを潰す!!≫

 

 

 

 

 



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ヤキン・ドゥーエ

 ジャスティスが、ミーティアを切り離した。

 

≪行くぞ、ナナ!≫

「うん」

 

 彼に対して短く答え、別の回線に告げる。

 

「ジャスティスとグレイスでヤキン・ドゥーエに侵入してコントロールを破壊する。エターナル、クサナギは援護をお願い!」

 

 すぐに、ラクスとキサカの動揺が伝わった。

 が、

 

「大丈夫、あとは私たちに任せて」

 

 彼らに向けて余裕しゃくしゃくの表情を返す。

 自信があるわけではなかった。

 だが、恐怖もない。

 アスランと一緒だから……。

 

 

 

 防衛隊を蹴散らし、ヤキン内部への侵入に成功した。

 すでにゲート付近は攻撃を受けて破壊され、力を失って宙を漂うしかない者や、怪我を負った者たちが居た。

 それらを横目に、MSで行けるところまで進む。

 ジェネシスの二射目からすでに、80分近くが経過しようとしていた。

 時間がない……。

 一刻も早く、コントロールを制圧してジェネシスを止めねばならなかった。

 進路が詰まり、施設への通路を発見したところで、ジャスティスは停止した。

 隣にグレイスを着地させる。

 後ろから数機、M1部隊が援護に来ていた。

 

≪ナナ、銃を持てよ≫

「わかってる」

 

 シートの裏から拳銃を取り出し、コックピットを出る。

 

「コントロールブースの場所はわかるの?」

「ああ、ヤキンに来たことはないが、おそらく他の要塞と同じ造りになっているはずだ……」

 

 アスランは照明が落ちて暗い通路を、慎重に進み始めた。

 

「銃は使えるのか?」

「あたりまえでしょう? MSのパイロットは、射撃の訓練も必要なんだから」

「だがお前、初めて会った時は簡単に銃を撃ち落とされていたが」

「あの時は本調子じゃなかったの! アスランだって知ってるくせに」

 

 緊張感が高ぶる中、二人は思い出話に少し笑った。

 ナナは彼の背を見つめながら、深呼吸した。

 肩の力が抜けて行く。

 もちろん、人を撃つのは初めてだ。

 が、阻む者が現れれば、迷わず撃たねばならない。

 グレイスの操縦桿とこの拳銃は同じ事……トリガーを引くことに変わりはない。

 だから、大丈夫……。

 そう無理やり自分を納得させる。

 

「このフロアのはずだ」

 

 アスランは立ち止まり、通路の角から入口の様子をうかがう。

 そして二発、銃声を鳴らした。

 

「行くぞ……!」

 

 黙って彼を追った。

 扉の前に、二人の兵士が肩を抑えて浮いていた。

 アスランはそのうちの一人から、IDカードを奪い取り、扉の装置にセットした。

 

「開くぞ」

 

 扉の両側に、アスランとナナが構える。

 

「銃を向けられたら先に撃てよ」

「わかってる」

 

 大きくうなずくと、彼は扉を開いた。

 肩越しに、中の様子をうかがう。

 

「え……?」

 

 その目に飛び込んできたのは、四肢の力を失って宙に浮かぶ二人の男の姿だった。

 周りをいくつもの赤い粒が取り囲んでいる。

 そのうち一人の顔は知っていた。

 アスランの父……ザフトの最高評議会議長、パトリック・ザラその人である。

 アスランは父の姿を凝視したまま、コントロールルームへ足を踏み入れた。

 ナナもそれに続く。

 同時に、扉を開いた時には妙に静まり返っていた室内が、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 

「え? 議長が?!」

「ぎ、議長が……!」

「おい、何でだよ……!」

「た、退避だ! 脱出を!!」

 

 もう、“侵入者”にかまう者など誰もいなかった。

 彼らは皆、彼らのトップに立つ者の変わり果てた姿に驚愕し、その場を放棄して脱出を始めたのだ。

 二人もそんな彼らの様子は目に入らなかった。

 天井部まで浮いたザラ議長の身体を、二人で静かに下ろす。

 パトリック・ザラは、最後の力を振り絞るように、アスランの肩に手をかけた。

 そして、

 

「撃て……ジェネシス……を……」

 

 その願いを口にした。

 

「我らの……世界……を、奪った……報い……を……」

 

 報いを……。

 そう言い終えた彼は、大きく血を吐いて息絶えた。

 

「父上!!」

 

 アスランが呼びかけても、彼は二度と目を開かなかった。

 

「くっ……」

 

 アスランは歯を食いしばった。

 悲しみというより、怒りが……いや、憤りが滲んで見えた。

 

「父上……!」

 

 彼の涙が、父親の血玉に混ざるように飛び散った。

 その別れすら引き裂くように、コントロールルーム内に基地の自爆を宣言するアラートが鳴り響いた。

 全てのデスクのモニターが、紅く光る。

 

≪総員速やかに施設内より退去してください≫

 

 無機質な機械音……。

 アスランは勢いよく立ちあがり、モニターと向き合った。

 そして、言った。

 

「ヤキンの自爆シークエンスに、ジェネシスの発射が連動している!」

 

 アスランはものすごい速度でキーボードを打ち始めた。

 が……、ナナはパトリック・ザラの顔を見つめたまま、動くことができなかった。

 

「そんな……」

 

 信じられなかった。

 ザフトの最高評議会議長が、ジェネシスという兵器を振りかざした男が、ナチュラルを全て滅ぼそうとした男が、ナチュラルの“敵”が、そしてアスランの父が……こんなところで、こんなふうに命を落とすことになるなどと……。

 こんなふうに、息絶えた姿に逢うことになるなどと……。

 耳の奥で、彼が残した最後の呻きが繰り返されていた。

 彼は、大切なものを奪った“敵”を滅ぼそうと戦った。

 報いを受けさせんとして。

 何故……。

 失った者が、あまりに大切だったから。

 彼の妻、アスランの母……?

 失くした痛みが大きすぎて、怒りしかその胸に宿らなかった……?

 冷たくなっていく彼を目の前にして、その想いを痛感した。

 彼に対し怒りは感じなかった。

 ただ、悲しみ……憐れみ……無念さがこみ上げるばかりだった。

 ナナは黙って、彼の瞼を下ろした。

 そして、ゆっくりと、手を組み合わせる。

 涙が一粒零れた。

 その時、

 

「くそっ!!」

 

 アスランがデスクを目いっぱい殴りつけた。

 

「駄目だ、完全にロックされている!」

 

 ナナはのろのろと立ち上がった。

 涙が頬を伝い、粒になり、目の前に浮いた。

 

「こんなことをしても、何も戻っては来ないのに!!」

 

 絶望の表情を浮かべたアスランの隣りに立つ。

 そして、放置されたインカムを装着し、デスクのスイッチを操作した。

 

「ナナ?!」

 

 息を吸う。

 涙が止まらないせいで、少し肺が痙攣した。

 が、言うべきことは決まっていた。

 

「ヤキン・ドゥーエ内部、および、ヤキン・ドゥーエ、ジェネシス周辺宙域で戦闘中の全軍に通告します」

 

 全周派チャンネルで、全ての者に伝えねばならなかった。

 

「すでにヤキン・ドゥーエは放棄され、自爆システムが作動しています」

「ナナ……!?」

 

 アスランが腕を掴む。

 が、まっすぐ前を見つめて続けた。

 

「そして、ヤキン・ドゥーエの自爆システムには……ジェネシスの発射が連動しています」

 

 たとえ誰にも届かなかったとしても。

 

「照準は、地球……」

 

 愚かな足掻きかもしれないけれど。

 

「このままでは、本当に世界が終る……。果てない戦いの中に身を置いたあなたがたなら、もうそれをわかっているはず……」

 

 胸が苦しかった。

 

「だからどうか……」

 

 言葉が途切れそうだった。

 

「速やかにこの宙域から退避してください」

 

 それでも、

 

「我々は最後まで、ジェネシスの破壊を試みます」

 

 意志と、願いを……。

 

「どうか……」

 

 どうか……。

 

「どうか、生きてください……」

 

 命を繋げて、未来へと……。

 

「一人でも、多く……生きて……」

 

 この絶望の中で絞り出す願いは、あまりに儚なかった。

 無力さが胸を締め付けた。

 目の前に広がる『世界の終わり』が怖かった。

 

「ナナ……」

 

 アスランが肩を抱いた。

 嗚咽を我慢することが、もうできなくなっていた。

 

「アスランっ……」

 

 インカムを捨てた。

 モニターに表示された自爆までの時間は、1765秒。

 

「行こう、アスラン……!」

 

 声は震え、涙の粒が飛び散った。

 が、アスランは力強くうなずいて、ナナの手を引いた。

 

 

 

 

 



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世界の終わり

 二人は来た通を戻った。

 先ほどと違い兵の姿はなく、手にした銃はすでに使い道を失っていた。

 だが、同時に残された時間も少なくなっていた。

 ジャスティスとグレイス、2機のMSが見えた時、後方から爆発音がした。

 

「くっ……」

 

 アスランが、ナナの腕を強くひいた。

 爆発で発した熱風が、二人の身体を押し出す。

 半ば身体を撃ちつける形で、二人はグレイスに辿り着いた。

 

「ナナ、大丈夫か?」

「うん、アスランも?」

「ああ……」

 

 それ以上、言葉は必要無かった。

 2度、3度と、爆音が響いている。

 二人は一度だけ目を合わせて、それぞれの機体に乗り込んだ。

 

 

 

 ジャスティスとグレイス、そして援護のM1が2機、無事にヤキン・ドゥーエから脱出した。

 後方モニターに映る巨大要塞は、あちこちから崩壊を始めていた。

 

≪ナナ≫

 

 名を呼ぶ声は、低く落ち着いていた。

 

「うん、わかってる」

 

 ナナも静かにそれに応える。

 

「ジェネシスを内部から破壊する」

 

 援護のM1を帰らせ、グレイスをジェネシスへと向けた。

 周囲の戦闘がどうなっているか、はっきりと確認する余裕はなかった。

 先ほどのメッセージが、どれだけの人に届いたのか……。

 よくわからなかった。

 何故、迷いなくあんな行動をとったのか、自分でも不思議だった。

 パトリック・ザラの死を見て、ジェネシスの発射を知って、戦いの果てを見た気がした。

 行きつくところまで来てしまったのだと。

 世界の終わりを目の当たりにしたのだと。

 

 ただ、悲しくて……無力で……、涙が溢れた。

 

 この世界に、まだ未来があるのだとしたら、ここで戦いを止めたかった。

 やめて欲しかった。

 生きて欲しかった。

 願いはつたない言葉になって、涙とともに溢れ出た。

 ただひとつ、意志だけが残っていた。

 ずいぶんと擦り減って頼りない意志だが、まだ心にそれは残っていた。

 それだけを抱いて、今、アスランの背を追う。

 最後まで、手にした力を使うべく……。

 

 ジェネシスのゲートが射程内に入ると同時に、ジャスティスが砲を発射する。

 ゲートは大きく口を開けた。

 いよいよそこへ侵入しようとしたその時、アスランから通信が入った。

 が、声が無い。

 

「アスラン?」

 

 呼びかけても返事は無い。

 モニターを見上げた。彼はうつむいている。

 

≪……かない……≫

 

 聞き取れないほどのつぶやきが耳を掠める。

 

「アスラン?」

 

 もう一度呼びかけると、彼は顔を上げて言った。

 

≪お前は戻れ、ナナ≫

「え……?」

 

 思わず身を乗り出した。

 

「な、なに言って……」

≪ジャスティスとグレイスの火力を合わせても、破壊力が足りない≫

 

 アスランは怒ったように言って、また眼を逸らす。

 

「そんなこと言ったって、やるしか……」

≪ジャスティスが……≫

 

 ナナが口を開こうとすると、

 

 

≪ジャスティスを核爆発させる≫

 

 

 アスランは決意を口にした。

 

「え?」

≪それなら確実だ≫

 

 ああ……確かに……。

 

 頭の片隅で、やけに悠長に同意する。

 だが、

 

「で、でもそれじゃあアスランが……!」

 

 彼の言わんとすることがわかるから、首を横に振った。

 

≪いいから、お前は戻れ≫

「いいからって何?!」

 

 彼には、“そこ”から脱出する気が無いのだ……。

 それはつまり……。

 

「あ、あなただけ行かせられるわけないでしょう?!」

 

 怒りがこみ上げる……というより、頭の中は激しく混乱した。

 何故、彼がそんなことを言うのか、理解ができない。

 だが、アスランの声は冷静だった。

 

≪いままで……ありがとう、ナナ≫

 

 彼は笑った。

 同時にジャスティスはグレイスを置き去りにして、ジェネシスのゲートに吸い込まれていった。

 

「アスラン!」

 

 まだ理解ができなかった。

 完結などしていなかった。

 

「待って! アスラン!」

 

 アスランの想いなど少しもくみ取らず、ナナは彼を追った。

 誘導灯が無機質に並ぶ細い通路の先に、ジャスティスがいる。

 

「アスラン!」

 

 喉が千切れそうなほどに叫んだ。

 

≪ナナ、ついて来るな!≫

 

 ジェネシス内のシステムが、発射の最終ステータスに移行したのだろうか。

 モニターにもスピーカーにも、ノイズが混じり始める。

 

「嫌だ!」

≪駄目だ!≫

「あなただけ死なせるなんてできない!」

≪だからといってお前まで死ぬことはない!≫

「そんなの意味わかんない!」

 

 言い争いが途切れ途切れになる。

 

≪わかってくれ、ナナ!≫

「わかるわけないでしょう?!」

≪お前を死なせるわけにはいかないんだ!≫

「それは私も同じだって……!」

 

 だが急に、モニターもスピーカーもクリアになった。

 

≪ナナ≫

 

 目が合った。

 

≪お前には、この戦争が終わってからもやるべきことがある≫

 

 その言葉が、ナナの心に突き刺さった。

 

≪お前は生きろ、ナナ≫

 

 彼が優しくそう言った時、モニターが真っ暗になった。

 

「アスラン?!」

 

 耳を澄ましてもノイズさえ聞こえない。

 彼が通信を切ったのだとわかった瞬間、

 

 ジャスティスが背のフライヤーを外した。

 それは当然、後方のグレイスに直撃する。

 

「ぐっ……!」

 

 コックピットが大きく揺れ、モニターが割れた。

 機体の制御が不能のまま、グレイスは後ろへと激しく押し戻されて行く。

 

「アスラン!」

 

 叫びも願いも届かない。

 何も伝えていないのに。何の覚悟もできていないのに……。

 彼はもう、遠くへ行ってしまった……。

 

 

 

 



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未来へ

 『生きろ』という短い言葉に、ありったけの想いを込めた。

 ナナという少女に出逢えたことへの感謝。

 過去の過ちへの懺悔。

 この戦いを終わらせる決意。

 護りたいという意志。

 未来への希望。

 そして、ナナの幸福を願い……。

 

 彼女が納得するはずはない。

 正義感が人一倍強い彼女が、最後の最後であんなふうに突き放されて、怒らないわけがない。

 きっと後悔するだろう。自分を恨むだろう。

 たくさん、泣いてくれるだろうか……。

 だがそれでも、ナナは前に進むと信じていた。

 決して手折られることのない強い意志。

 陰ることのない、眩しい光。

 それはこの先の未来で、みんなの希望となるだろう。

 世界には、未来には、ナナが必要だ。

 だから、恨まれても、ナナが泣いたとしても、彼女の心に傷を作ったとしても……、どうしても護りたかった。

 生きて欲しかった。

 たとえ、それが残酷なことだとしても……。

 

 通路を抜け、開けた場所に辿り着いた。

 中心に柱があり、不気味に光っている。

 ここが、ジェネシスの中枢だった。

 アスランはジャスティスの自爆装置を作動させた。

 その手は少しも淀まぬ動きをしてくれた。

 それもそのはず、今、恐怖は少しもなかった。

 ただもう少しだけ、ナナと話がしたかったとは思う。

 もう一度、ナナに触れたかったとも思う。

 

 それだけ……。

 それだけだ。

 

 そっと胸を抑えた。

 あれからずっと、肌身離さず身につけている護り石……。

 それを取り出し、両手で握りしめ、目を閉じた。

 その時、

 

 

≪アスラン!!≫

 

 

 もう一度、聞きたいと思っていた声が聞こえた。

 

(え……?)

 

 振り返ると、全ての装備を失ったグレイスがいた。

 

≪アスラン!!≫

 

 ナナが叫ぶ。

 一瞬、己の目を疑ったアスランも、我に返って叫び返す。

 

「お前は戻れと言っただろう、ナナ!」

 

 だが、片翼が折れたグレイスは、反転するどころかそのコックピットを開いた。

 

「ナナ?!」

 

 ナナが出て来て言った。

 

≪そんなのっ……ずるいよ!≫

 

 肩を震わせ、拳を握って、泣きながら……ナナは言った。

 

≪今さら、こんなのっ……!≫

 

 言葉にならない声が、ヘルメットのスピーカーににじむ。

 

「ナナ、お前には、この先、やらねばならないことがある」

 

 アスランは心を落ち着けながら、自機のコックピットを開いた。

 モニター越しでなく、じかに見るナナは、震えていて頼りない。

 細い体は、今にも掻き消えそうだった。

 

「頼むから、早く脱出してくれ……!」

 

 だから懇願した。

 今さら恐怖が湧いたのだ。

 ナナを失うという勝手な恐怖が。

 だがナナは、

 

≪言ったじゃない……≫

「え……?」

 

 喉の奥から絞り出すように、叫んだ。

 

≪私を護るって、言ってくれたじゃない!!≫

 

 ヘルメット越し、その瞳はまっすぐにアスランを向いている。

 いくつもの光の粒が、それすら覆い隠そうとしていた。

 

「ナナ、だから……」

≪護るって言ったくせに、いなくならないでよ!!≫

 

 怒り……いや、ナナがぶつけてくるのは恐怖だった。

 咎めるような叫びに滲むのは、確かに怖れだ……。

 

「ナナ、オレはお前を護りたい。だから……」

 

 その姿に、アスランは戸惑った。

 ナナと恐怖が結びつかなかった。

 

「だ、だから、生きてくれと……」

 

 その隙間に縋り付くように、ナナは言った。

 

≪私はもうっ……≫

 

 しゃっくりあげながら、

 

≪もう、あなたがっ……≫

 

 最後は一息に、

 

 

≪あなたがいないと戦えないっ……!!≫

 

 

 そう言った。

 全ての感情をさらけ出し、ナナは両腕で顔を覆った。

 思考が停止した。ナナの言葉の意味を理解できなかった。

 茫然と立ち尽くすアスランの耳元に、激しい嗚咽が聞こえた。

 それに混ざって……。

 

≪そばにっ……いてっ……≫

 

 そう聞こえた瞬間。

 

「ナナ……」

 

 アスランは反射的に、足を蹴りだしていた。

 まっすぐ、もう泣くことしかしようとしないナナのもとへ……。

 

「ナナ」

 

 縮こまるようにして泣きじゃくるナナの肩を抱く。

 そのまま、グレイスのコックピットへ引っ張り込んだ。

 シートに座り、扉を閉める。

 片腕でナナを抱え、グレイスの操縦桿を握った。

 ナナは、泣きながらしがみついた。

 怯えた子供のように、ただただ泣いていた。

 その身体をしっかりと支え、グレイスを反転させる。

 あとは全速力で通路を引き返すだけだった。

 

 何も考えなかった。

 ジェネシスの発射まであとどのくらいかわからなかった。

 ジャスティスの爆発があと何秒で起きるのかも、もうわからなかった。

 脱出は間に合うのか……ナナを無事に連れて帰れるのか……。

 そんなことすら考えなかった。

 

 アスランはただ、次にナナとかわす言葉だけを考えていた。

 

 

 

 



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戦慄の宇宙(そら)の果て(最終話)

 ナナを片腕で抱いたまま、アスランは全速力でグレイスを駆った。

 ジャスティスさえも凌ぐスピードは、“G”の常識を超えている。

 ナナがグレイスに細工したのだということがすぐにわかった。

 ここが……このコックピットが、ナナの戦場だった。

 それをかみしめたまま、暗い通路を抜けていく。

 ナナはやはり、ただただ泣いていた。

 

 

 やがて、グレイスはジェネシスの外へと躍り出た。

 同時に、後方で視力を奪うほどの閃光が発せられる。

 そして、機体を吹き飛ばすほどの爆風……。

 ジャスティスの核爆発により、ジェネシスの存在は完全に消滅した。

 

「ナナ……」

 

 そのことにすら興味を失ったかのように、ナナはアスランの首にしがみついたまま泣いていた。

 モニターを見ることも、何がどうなったのか聞くこともせず。

 

「ナナ……ジェネシスは破壊した……」

 

 回された腕がわずかに動いたのを、アスランは感じ取った。

 

「ジェネシスは撃たれなかった……オレたちも、死ななかった……」

 

 ゆっくり……まるで億劫だとでもいうように、ナナはやっと顔を上げた。

 

「ナナ、オレたちはまだ、生きているんだ」

 

 ヘルメットの中はすでに、涙の粒でいっぱいだった。

 

「ナナ……」

 

 すすり上げながら、ナナはシールドを上げて首を二、三度横に振る。

 アスランの目の前に、雫がいくつも煌めいた。

 

「ナナ、すまなかった……」

 

 未だ止まることを知らぬ涙を、アスランはそっとすくい取る。

 

「お前を護るつもりが、誓いを破るところだった……」

 

 そして、心の底から自然とこみ上げて来る言葉をそのまま告げる。

 

「未来が……世界がお前を必要とするように、お前がオレを必要としてくれるのなら……」

 

 涙をいっぱいに溜めた瞳が、こちらをまっすぐに見ている。

 

「もし、そうなら……オレはずっと、お前の側にいると誓う」

 

 ナナのこの涙が、この姿が、もしも自分への想いなのだとしたら……。

 

「アスラン……」

 

 ナナは再び彼の首にしがみついた。

 

「……いて……」

 

 声は震えて聞き取れなかった。

 が、彼にはちゃんと伝わった。

 

「ずっと……側にいて……!」

 

 願いも、想いも。

 惹かれ合い、求め合っていることが、この戦いの果ての宙でわかった。

 

「ナナ……」

 

 ナナの体を起こし、彼は言った。

 

「お前を愛している」

 

 ナナは嗚咽をこらえながら、聞き取れないくらい震えた声で応えた。

 

「わたしも……」

 

 と。

 

 

 その宇宙(そら)は、信じられないほど静かだった。

 憤怒も、慟哭も、全てが鎮まったように。

 二人はキラの姿をすぐに見つけた。

 彼は大破したフリーダムのすぐそばに、漂っていた。

 

「キラ……!」

 

 涙を引っ込めたナナが、グレイスのコックピットを飛び出していく。

 そして、キラにしがみついてまた泣いた。

 キラも、泣いていた。

 そしてアスランも。

 

 戦いは終わった。

 

 多くの者を失って、傷ついて、傷つけて……。

 それでもこうして、戦いは終わったのだ。

 今はやがて過去になり……未来は……。

 

「行こう……キラ……アスラン……」

 

 暗い宇宙の果てで、遠くに青く輝く地球を見つめながら、ナナがつぶやいた。

 

「未来へ……一緒に……」

 

 

 

 

 





最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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続編(DESTINY編、後日談も含む)も引き続きよろしくお願いいたします!



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