るろうに剣心虎眼流武芸譚 (ならない)
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新選組編
虎を得る


文久二年江戸、三月末のこと市ヶ谷柳町の道を季春の暖かな日差しの中を一人の侍がゆるりと歩いていた。

長身に広い肩幅の堂々たる体躯で角張った顎の上に拳が入りそうな大きな口が乗っている。侍の名は近藤勇、剣術流派天然理心流四代目宗家でこの市ヶ谷柳町近くに道場試衛館を開いている。

 

近藤は先月の二月に初めての子を産んだ妻を労おうと、近所の菓子舗おぶせ屋のそば落雁を買って来ようと店に向かっていた。とは言え急ぐ必要も無いので散歩がてら町の様子を眺めながら歩を進めて行く。

 

すると急に男の怒鳴り声が聞こえてくる。見れば遠くの方で三人組の浪人らしい輩が町人を取り囲んでいる。

 

「武士にぶつかっておいて詫びの一つも出来んのか!!」

 

「あ、あれはお侍様の方から…」

 

町人が消え入りそうな声で言う。

 

「おのれ!無礼者!」

 

「もう面倒だ。斬って捨てよう…詫びは亡骸から剥げばよかろう」

 

三人目の言葉に残り二人が刀を抜き放ち構える。

 

「ひぇぇ!!」

 

町人が腰を抜かしその場に尻餅をつく。

 

「いかん!」

 

近藤は刀の鯉口を切り駆け出そうとした。しかし、間に合わない、浪人が刀を振り下ろそうとした。瞬間

 

「グェ」

 

どこからとも無く飛んできた石が刀を振り下ろそうとした浪人の顔を強かに打ち浪人は意識を失い倒れ伏した。驚いた残りの二人の浪人達は動きを思わず止まり石の飛んできた方に向き直る。

 

其処には手に自身の身の丈ほどある布に包まれた荷物を持った若い侍が立っていた。若い侍は歳の頃は十五ほどでまだ子供と言っていい顔つきをしていた。

 

「邪魔立てする気か!!」

 

顔を見て若侍を見縊った浪人の一人は威勢良く怒鳴り始め若侍へと詰め寄り、もう一人は警戒した様に一歩下がった。

 

「…」

 

若侍は浪人達を一瞥すると手に持った荷物と腰の大小の刀を民家の壁に立て掛ける。それを見た浪人は若侍の戦意が喪失したと見て居丈高に罵る。

 

「意気地なしめ!!今更謝っても遅いぞ!!」

 

若侍はきっぱりと言い放った。

 

「野良犬に表道具は不要」

 

浪人の顔がみるみる赤く染まり、一人が大上段に斬りかかる。

 

「死ねぇぇぇぇ!!」

 

だが刀が振り下ろされる前にその顔面に若侍の裏拳がメキッと音を立てめり込み浪人は顔を押さえ悲鳴とも呻き声とも言えない声を上げうずくまる様に倒れる。

 

「やるな小僧…江戸の片隅に虎が潜みよるとは…」

 

残った一人はニヤリと笑い腰を落とし刀の柄に手をかける。

 

「長い柄…抜刀術…田宮流の系譜か」

 

駆け寄ってきた近藤は浪人の刀の特徴と構えからどの剣術の流れを汲むものか看破した。若侍に助太刀すべきか思案し始めたが

 

(何だあの構えは?)

 

若侍が右拳を左手で掴むと左手側に引っ張る様にして構えた。近藤は俄然この若侍に興味を持ち今しばらく様子を見る事にした。

 

「シァ!」

 

鋭い気合いとともに浪人の刀が一閃煌めいた。若侍の拳の間合いの外からの斬撃に‘斬られた’近藤が思った時、若侍の右拳が消えたかの様に見えた。

 

「ギィァァ!!」

 

瞬間、断末魔の叫びを上げ浪人が刀を取り落した。見れば浪人の手が潰れた柘榴の様に酷い有様になっている。肉は裂け砕けた骨が甲から飛び出て全ての指があらぬ方に曲がっている。若侍の拳が自身が斬らるより早く浪人の拳を打ち据えたのだ。

 

近藤はその威力と早業に思わず感嘆の声を上げた。

 

 

 

「ありがとうございます!本当にありがとうございます」

 

浪人が役人に引っ立てられるのを見送った後、町人は拝む様にして若侍に礼をしている。

 

「あの様な輩が許せなかっただけだ」

 

町人はペコペコと頭を下げながら去って行った。町人が見えなくなると若侍はヘナヘナとその場にへたり込みそうになった。

 

「大丈夫か!?どこか斬られたのか!?」

 

近藤は咄嗟に若侍を支え問いかける。

 

「腹が…」

 

「腹を斬られたのか!」

 

「腹が…減った」

 

途端に若侍の腹の虫がグルグルと鳴き出す。

 

 

 

試衛館の道場の奥の居間では飯茶碗と箸とが当たる音と根深汁を啜る音、大根の漬物を齧る音だけが響いている。

 

近藤は腹を空かせた若侍を自宅に招き飯を食わせてやっていた。とは言え試衛館は特に裕福なわけでは無いので出された膳は飯と汁と漬物だけの質素な物だったが若侍は出された飯に美味そうに食らいついていた。

 

(仔犬だなまるで)

 

その様子を見ていた近藤はそういう感想を持った。あり付いた飯に必死に食らいつく姿は幼い獣を彷彿とさせどこか微笑ましさがある。

 

近藤にジッと見られているのに気がついて若侍はハッとして口元を乱暴に拭い膳を脇に退け姿勢を正した。

 

「この度は飯を恵んで頂きまことに有り難く」

 

「うむ、某当道場の主、近藤勇と申す」

 

そこでようやく若者は自分が名も名乗っていなかったのに思い至り恥しさに顔を染めた。

 

「そ、某は遠江国掛川にある虎眼流藤木道場の主藤木仁右衛門が次男藤木仁之助と申す」

 

「虎眼流…申し訳ないが聞いた事の無い流派だ」

 

「でしょうね、何せ伝えるのは我が道場だけで、その道場も掛川の郊外の田舎にあるものですから」

 

聞けば虎眼流なる流派は江戸初期の頃、濃尾無双と謳われた岩本虎眼と云う剣豪が創始した流派で戦国乱世の風潮が色濃く残っていた時代に成立された流派らしく実戦を想定した荒々しい剣術らしい。

 

「平和の世ではその様な剣術は流行らず。門弟も少なく、その門弟も掛川藩の藩士などは修行が‘キツ過ぎる’と直ぐに辞めてしまい、豪農か商家の子弟ばかりでして」

 

そう漏らす仁之助の声には今の軟弱な侍に対する軽侮の念が込められていた。それは近藤にも覚えがある事で仕切りに頷いている。

 

そんな訳で道場の経営は芳しく無く仁之助の家族は畑仕事などをしながら細々と暮らしていた。しかし、二年前に桜田門外にて大老井伊直弼が水戸浪士に殺されて以降世の中が荒み始めたのを知った仁之助は一旗揚げようと二月前に掛川を飛び出し江戸へと出てきたわけだが、何の後ろ盾も無い若者に仕官の口があろう筈もなく少ない路銀も底をつき数日まともな食事にも事欠いていたところに先ほどの事件に遭遇したのだった。

 

「それならば助けた町人から礼をもらっておけばよかったでは無いか?」

 

「それは、その…礼を貰いたくて助けた訳ではござらんので」

 

「今の時代、それでは苦労するぞ」

 

「分かってはいるのですが…」

 

鼻の頭を困った様に掻きはにかむ仁之助の顔を見つめていた近藤は何を思ったか膝をポンと叩き。

 

「行く宛が無いならば、この試衛館に住む気は無いかね」

 

仁之助は突然の申し出に困惑の色を隠せない。

 

「それは有り難いのですが、御迷惑では有りませんか…」

 

「な〜に、家にはもう何人か食客を抱えてござる。一人二人増えたところで何も変わらん」

 

豪快に笑い飛ばす近藤に仁之助は見入ってしまった。

 

「(この人は大人物かも知れん)では近藤殿、いえ近藤先生宜しくお願いします」

 

仁之助の答えに近藤は満足気に頷いた。



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壬生狼の虎

「狼が虎を?」

 

‘壬生狼が虎を飼っている’緋村剣心がそんな話を桂小五郎から聞いたのは元治元年の春のことだった。

維新志士は新選組を蔑みを込め元の名の壬生浪士組をもじり壬生狼と呼んでいた。

 

「無論、本物の虎じゃない」

 

剣心と桂は京都のとある旅籠で膳を囲んでいる。桂は酒を呑んでいたが剣心は酒を呑まず細魚の一夜干しに専念していた。

 

「コガン流とか云う剣術の使い手らしい、虎の眼と書いてコガンとな」

 

「なるほどそれで虎」

 

「うむ、‘若い’がかなりの腕らしい」

 

桂は若いのところが少し詰まった。

緋村剣心も若い未だ十代の半ばの歳で幼げな顔をしている。しかし、その歳で多くの暗殺をやってのけ‘人斬り抜刀斎’等と呼ばれている。

 

「お前が負けるとは思わんが気を付ける事だ」

 

桂は言葉とは裏腹に心配そうな声色で話す。

 

「…」

 

この頃の剣心の目は暗鬱に曇りどこか危うげで、初めて会った頃の優しげで理想に燃えた目を失っていた。

もっとも暗殺等と汚れ仕事をさせているので当たり前と言えば当たり前だが、桂はその事に些かの後ろめたさを持っていたが、日本のためと割り切り心を鬼にして暗殺の指令を出している。

 

(虎眼流どこかで…)

 

一方の剣心は物思いに耽っている。流派の名前を聞いた覚えのある。しかし、それが何時何処で誰から聞いたのか思い出せ無かった。

 

 

 

その頃、壬生狼の虎こと藤木仁之助は屯所内に設けられた道場で新選組隊士・蟻通七五三之進(ありどおし しめのしん)と向かい合っていた。

壬生浪士組は京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと‘会津藩預かり’新撰組として再編された。

新選組再編成により隊士の増員が図られ新人が増えた。そんな新人隊士には血気盛んな者も多い、それ自体は新選組の御役目を鑑みれば仕方の無いことではあったが、隊の秩序を思えば多少のガス抜きが必要だった。

例えば酒、例えば女、例えば

 

「剣術の稽古に励め」

 

そういったのは新選組局長・近藤勇だった。

欲求不満を拭い去るには、大いに剣術にのめり込むのが一番と考えるのは天然理心流の宗家として教えを授ける側の人間らしいといえる。

 

「‘虎眼流なる流派’の使い手だとか、一手のご指南を」

 

そう言って木刀を差し出した蟻通には嘲りの色が濃く出ていた。

実際、この新人隊士は田舎剣法と虎眼流を馬鹿にしていたし、自分より若い仁之助を軽視していた。

‘近藤局長の義理許しで隊士になった’と云う噂もそれを助長していた。それを証拠に江戸から付き従った隊士が隊長格に収まって居るのに仁之助は平隊士のままではないか、にも関わらず近藤や土方は仁之助を何かと重用しているのが面白くない、一度痛い目に合わせてやろうと試合を申し込んだのだ。

 

先に仕掛けたのは蟻通だった。

 

「タァ!」

 

体ごと体当りをする様な勢いで踏込み袈裟斬り、仁之助は正面から受ける。木刀同士がぶつかり乾いた音を立て互の体が密着した鍔迫り合いの体勢になり膠着した。

 

安易に体を引けば相手の木刀がその後を追って迫る。互にそのことを知っているから押し合いになる。

だが直ぐに事態は急変する。仁之助が全力で押し始めた様に見えた。その瞬間、待っていたとばかりに蟻通は身を引いて仁之助の姿勢を崩す…崩そうとした。

 

蟻通が身を引こうと足を引いて体を躱そうとした。転瞬、仁之助がさらに力を入れて押し始める。躱すため足を引いていた蟻通は踏ん張りが利かず床に押し倒された。

木刀で床に押し付けられる様な体勢の蟻通はバタバタと足を藻掻く、仁之助はさらに木刀に力を入れた。

 

「ま…い……ま…」

 

蟻通は降参しようと必死に口を開くが、あまりの圧迫に上手く声が出ない。蟻通の顔が恐怖に引き攣りみるみる青く染まる。

 

「それまで!」

 

様子を見ていた永倉新八が止めに入る。

 

「藤木、お前は何と言うか手心と言うか何と言うか…」

 

顔を掻きながら永倉が呆れる様に言う。

 

「痛く無くては覚えません」

 

きっぱり言い切る仁之助に永倉は苦笑いを浮かべるしか無かった。

 

 

 

近藤は微動だにせず座布団に座り腕組みしていた。横には新選組副長・土方歳三が控えている。その前に仁之助が畏まっている。

 

「藤木には要人警護の任に就いてもらう」

 

近藤は任務を言い渡す。続いて土方が口を開いた。

 

「京都所司代・重倉様は知っているな」

 

「ハッ、噂だけならば」

 

京都所司代・重倉十兵衛、本来京都所司代は譜代大名が就くことになっている。しかし、近年の京都の治安悪化によりその任務は危険が伴う様になり、何かと理由を付けこの任に就くことを拒んでいた。

そのことに頭を悩ませた幕府は千五百石の直参旗本・重倉にこの厄介な役目を押し付けた。

しかし、重倉はなかなかの人物で朝廷工作や京都の治安維持に上手く立ち回り良く働いた。非正規部隊である新選組にも度々便宜を図っており、近藤にとって頭が上がらない人物でもある。

 

「その重倉様が長州浪士に狙われているらしい。重倉様の意向で京の人々に不安をあたえる大規模な警護はできん」

 

土方は苦々しそうに顔を顰める。

 

「でだ、新選組、京都見廻組、からそれぞれ一人ずつ派遣する運びとなった」

 

近藤は重々しく頷いて

 

「新選組隊士・藤木仁之助に京都所司代警護を命ずる。一命を掛け任務に邁進してほしい。以上だ」

 

仁之助は深々と頭を下げた。



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微睡む

重倉十兵衛の護衛に就いて暫く経った。護衛とは言え四六時中重倉に付いている訳では無い、役所兼自宅である役宅内では専任の警護役が居るし、重倉が朝廷に参内する際などは入朝する資格が無いため役宅に待機して登朝の行列を見送った。

 

ではいつ護衛するのかといえば、公家や各藩の京都詰めの代官との折衝の時である。重倉はそういった折衝の際は秘密裏に会うのが常であった。それは表立って会うとその人物が維新志士に狙われかねないという重倉なりの配慮であった。

仁之助達護衛は、それ以外の時間は役宅内で待機することとなっている。

 

 

 

宛てがわれた部屋で仁之助は相部屋の同居人と朝食の膳を囲んでいた。

 

「京都の食い物はどれも美味いが京都の漬物は別格ですね藤木さん」

「ええ、全く」

 

同居人、京都見廻組同心・清里明良は美味そうに口中のすぐき漬けを噛み締める。

京都見廻組と新選組は京都の治安維持という同じ目的の下に結成された組織だがこの二つ部隊の仲はすこぶる悪い、一方は旗本御家人からなる正規部隊、一方は浪人や町人果ては百姓まで腕か立てば入隊可能な非正規部隊、一方は生捕り前提、一方は見敵必殺、仲が良かろうはずもなく。京都見廻組の内部資料には近藤勇を新選組なる郎党の首魁と表現し、新選組では見廻組の長・蒔田広孝を文弱の徒と嘲った。

そんな訳で見廻組の同心と相部屋になると聞いて最初は警戒したが、それは杞憂だった。

何しろこの清里明良という青年は剣はからっきしだが人柄が真に良い、仁之助を若輩と侮ることも無く、浪人者と蔑むことも無い。始めの数日ですっかり馴染んでしまった。

 

「今日は警護の予定は有りませんし、食休憩の後に稽古をしませんか」

 

清里の提案に仁之助は頷いた。警護任務の無い時などは仁之助は清里や京都所司代の与力同心達と剣術の稽古をしている。

 

 

 

清里明良は護衛役に新選組から派遣されて来る隊士が‘壬生狼の虎’と異名を取る藤木仁之助と聞かされて護衛の任に志願したのを些か後悔した。壬生狼の虎の噂は今や京都で知らぬ者は居ない。

 

曰く、木刀で相手の顎を吹き飛ばした。

 

曰く、一振りで六人の首を刎ねた。

 

曰く、生きた鯉を丸齧りで食った。

 

全ての噂が真実とは思わなかったが火のない所に煙は立たぬと言うし、どれほど恐ろしい男だろう。きっと虎の様な眼の化け物じみた男に違いないと思っていた。しかし、実際に会って見ると義弟(予定)とそう歳の変わらぬ少年だった。流石の重倉も虎と呼ばれる人物が年端も行かぬ少年だとは信じられず本物の藤木仁之助か疑問に思ったらしい。それを感じ取ったのか仁之助は

 

「では手練のほどを御覧あれ」

 

と言うやいなや荷物から‘ある物’を取り出し中庭に飛び出した。ある物、それは巨大な木刀だった長さは人の背丈ほどあり刃に当たる部分は幅広く子供の胴体ほどの幅がある。その巨大木刀を縦横無尽に振った。凄まじい速度で振るわれた木刀から出る風切り音はブンブンと鈍いものでは無い、まるで鋭い刀を振った様なビュッビュッといったものだった。

 

「お美事」

 

重倉が思わず唸った。周りに居た京都所司代の与力や同心達も感嘆の声を上げた。

後から仁之助に聞いた話しによるとあの木刀は虎眼流の稽古に使う‘カジキ’と呼ばれる物らしい。ついでにカジキを振り回し相手に己の力量を知らせる行為を虎眼流では‘無双許し虎参り’と呼ぶらしい。

 

その虎参りを見ていた与力や同心達の中には教えを請う者が現れた。始めはそれに対して仁之助は困った様に頬を掻き

 

「未熟者故、それに任務も有ります」

 

と断っていたが、空いた時間にでも是非にと請われて

 

「では一緒にやりましょう」

 

と朗らかに答えた。それからの京都所司代での二人の扱いは下にも置かないものとなった。

 

清里は噂などはあてにならないと心底おもった。稽古の時などは厳しく激しいが、それ以外の時は、出された食事を無邪気な笑顔で美味い美味いと食い、給餌の飯炊き女に感謝を素直に伝え、新しい真綿の布団に喜ぶ、仁之助という若者は噂の様な化け物とは程遠い人物だった。

 

 

 

役宅の中庭で仁之助と清里が木刀を手に向かい合う。

 

「タァ!」

「うわっ!」

 

仁之助が打ち込んだ一撃を清里は木刀で防ごうとしたが受け損ねその場に尻餅をついた。

 

「‘うわっ’はないでしょう」

「す済まない」

 

清里の息が弾んでいる。汗みずくになって稽古に励んでいると

 

「精が出るな」

 

重倉が二人の様子を眺めていた。

畏まり膝を折ろうとした二人を手で制す。

 

「そのままで良い、ふむ、清里も少しはマシになったと思ったが、まだまだよのう」

「情けない所をお見せしました」

 

カラカラと笑う重倉の言葉に清里は恥ずかしそうに顔を赤くする。

 

「ところで重倉様、何か御用でも…」

「おおそうだ。二人共晩酌に付き合ってくれ」

 

重倉は度々この若い二人を酒の席や茶飲み話に付き合わせていた。

千五百石の大身旗本ながら重倉は拘るところ無く二人を誘う。

その席で仁之助の剣談や清里の身の上話を聞くのが重倉の楽しみになっていた。



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落椿

夜の京都の路地を四人の侍が歩いている。四人とも羽織と袴を付けたしっかりとした身分の侍らしい。

この四人の一人は重倉、その他の二人は仁之助と清里でもう一人は京都見廻組からの増援で石地と言う中年の男だった。

この日、重倉は公家・久世との会合を行った。久世はいわゆる公武合体の思想を持った人物とされ朝廷内の倒幕派の動きを重倉に流していた。

会合は京都市中の六瓢(むびょう)と云う料亭の奥座敷にて行われたが、実態は会合を名目とした酒宴であり、仁之助などはこの時勢にわざわざ行う必要はあるのかと疑問に思ったものだが、これに対して重倉は「ああいった根回しが‘もしも’の時に役立つものだ」と言いおおらかに笑っていた。

 

 

 

その帰り、月は雲に隠れ夜の闇が京都の路地をすっかり包んでいた。提灯を下げた清里が先に立ち道を照らす。町屋の軒先の椿が落ち、路地は朱色に染まっていた。

 

「聞いたぞ清里、来月祝言だそうだな」

「はあ」

 

重倉が突然に話かけたので清里は気の抜けた返事になってしまった。

 

「あの幼馴染の器量良しをもらうか、果報者め」

 

悪戯っぽく重倉が言う。仁之助と石地もクツクツと笑うので清里は気恥ずかし気に頭を掻く。

 

「どうも、でも悪い気もするんですよ…世の中がこんなに荒んでいるのに自分だけ…」

「何を言うか世の中がどうあろうと人一人が幸せになろうとするのが悪い訳が無かろう」

 

その時、四人の後ろの路地の角からスッと何者かが現れた。現れた人物は短身痩躯の若い男で赤髪を無造作に束ねていた。

 

「京都所司代、重倉十兵衛殿とお見受けする」

 

急に現れ不躾に声をかけて来た男に仁之助は刀の鯉口を切り詰問した。

 

「何者だ!」

「これより天誅を加える」

「刺客か!?」

 

男の言葉に四人は一斉に抜刀した。

 

「名乗れ!!」

 

石地は一喝した。

 

「……」

「名乗らぬか!!」

 

一喝を完全に無視する刺客に怒りをぶつける様に石地が斬りかかる。

その惨劇は仁之助の止める間とて無く一瞬の出来事だった。

刺客は刀を抜くことすら無く石地の一撃を鍔で受け止めたかと思えば石地の刀を上に弾き飛ばした。弾いた勢いそのままに柄頭を石地の目に突きこみ目を潰したかと思えばいつの間にか刀を抜き打ち石地の胴を斬り裂いた。即死であった。

 

石地が倒れるのを見向きせず真直ぐに残りの三人に迫る。刺客の刃が重倉を襲うと思われた転瞬、刺客は身を翻し後ろに飛んだ。刺客の体があったところに鋭い一刀が差し込まれたのはほぼ同時であった。

 

 

 

刺客こと緋村剣心は表情こそ変わらぬが内心驚愕していた。暗殺の目標に刃を突き込もうとした瞬間に予感の様なものがよぎり飛び退いた。

予感は当った退くのが少しでも遅れていれば己の首は道に転がっていただろう。しかし驚愕したのはそのことでは無い、その一撃を繰り出した男が自分とそう変わらぬ歳の若者だったからだ。

 

「重倉様を連れて逃げろ清里さん!!」

 

若者の言葉に清里と呼ばれた青年は一瞬の迷いを見せたが、意を決して重倉を連れその場を去った。

 

「きっと増援を呼んでくる!!死ぬな!!死ぬなよ!!仁之助!!」

 

油断なく剣心を睨め付ける仁之助と呼ばれた若者の顔が去って行きながら叫ぶ清里の声にニッカリと歪む。

 

「さて、増援が来る前に俺を切れるかな…人斬り抜刀斎」

「……」

「その顔は当たりらしい」

 

油断なく構える。自分を知っていることにはそれ程驚いてはいなかった。しかし増援は困る。急いで此奴を始末してしまわなけれならなくなった。

だが始めの一撃を見る限り油断ならない相手であるのは間違い無い。すると仁之助が急に刀を担いだ。しめたと思った。あの様な構えでは必然攻撃は横薙ぎの斬撃に限定される。最初の一撃で仁之助の間合いを読んだ剣心は横薙ぎを躱し必殺の攻撃を繰り出し斃すと決心した。

 

 

 

清里は重倉を連れ所司代役宅に駆け込んだ。門番に重倉を託すと清里はもと来た道を駆け戻った。

 

「私は戻ります!」

「待て清里!今増援を」

 

重倉が止めるのも聞かず仁之助のもとへと駆けた。

 

 

 

仁之助は心臓の音がやけに煩く聞こえていた。口では余裕そうに言ってはみたものの相手はあの‘人斬り抜刀斎’。狙われて生き残った者は無いと云われる最早都市伝説に片足を突っ込んでいる化物だ。今すぐに刀を捨て逃げ出したい。そう思うほどに相手は遥か格上の剣士

 

(格上の剣士か…ここを逃げ延びたとして俺の生涯あと何回これ程の剣士と相まみえる事が出来ようか)

 

おそらく二度と無かろう。そう思えばこそ

 

(ならば剣客としてこの一戦に死力を尽すのみ)

 

覚悟を決めたならば自ずと闘いかたも決まる。

仁之助は刀を担いだ。虎眼流必勝の形である。

 

ジリジリと間合いを詰める。

 

(あと二歩…あと半歩)

 

慎重に細心に間合いを詰める。

 

(今!!)

 

刀を振るった。

もしこの場に他の剣客が居たならば「まだ遠い」とでも言ったに違いない。剣心も超一流、否それ以上の剣客だ。刀の届く間合いを読み間違えることは無い。

なればこそこの‘流れ’は有効なのだ。

 

虎眼流中目録以上の秘伝‘流れ’それは相手を屠りさる最小の斬撃、その骨子は握りに有り、握り手を鍔元より柄頭まで滑らせ間合いをわずか数寸伸ばす。わずか数寸しかし三寸斬り込めば人は死ぬ。

頭を狙った斬撃、額を更にその奥の脳をも断ち切る必殺の斬撃、十分な勝算を持って繰り出された斬撃はしかし剣心には届かなかった。

刀が届く瞬間、体は前のめりに沈み込み刃風は剣心の頭上を通り過ぎた。

 

(躱された)

 

思ったのと腹を刃が貫くのは同時だった。

 

 

 

剣心がその事を思い出したのは仁之助が刀を担ぎ間合いを詰めているそのさなかだった。

 

『虎眼流が担いだら用心しな』

 

師匠・比古清十郎のその言葉、詳細は語ら無かったが‘あの師匠’が警戒する程の何か

 

(あの構えには何か有る)

 

故に剣心は初見の流れを避ける事が出来たのだ。

 

 

 

仁之助は剣心を咄嗟に蹴り飛ばし引き剥がした。だがそれが限界だった。膝が折れるのを自らではどうする事も出来なかった。

 

「グッ」

 

倒れ伏しそうになるのを刀で何とか支える。意識を失いそうになるのを必死に堪え己を殺す相手を睨みつける。その事に意味は無い、だがせめて死のその瞬間まで相手と相対するのが剣客としての誇りだと思ったのだ。

 

「仁之助ぇぇ!!」

 

その時、逃した筈の清里の声が聞こえた。剣心の肩越しに抜刀した清里が駆けて来るのが見えた。来るなと叫びたかったが言葉の代わりに血反吐が出てきた。

剣心は死に体の仁之助を無視して清里に向き直り斬りかかる。殺られると仁之助が思った瞬間、驚くべき事にガシッとその一刀を清里が受け止めた。

仁之助との稽古の日々がこれを成し遂げた。だがしかし清里の刀が根本からボキリッと折れた。剣心の刃はそのまま清里の胸元を斬り裂いた。

血が清里の胸から噴き出し辺りを染める。その光景を最後に仁之助の意識は闇へと落ちた。



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白梅香

仁之助は命を拾った。意識を失った直後に増援の十数名が駆け付けたのだ。増援が場に着いた時には倒れ伏した護衛の三人以外誰もいなかったらしい。

病床が新選組屯所の一室に設えられた。回復にかかる一切の医薬代は重倉が持ってくれた。それだけで無く報奨金として五十両もの大金を仁之助に贈った。新選組隊士とは言え身分的には一介の浪人に過ぎ無い己にそれ程の心配りを掛けてくれる。その事に仁之助は重倉に敬愛の念を持たずに居られなかった。

 

 

 

仁之助は病床の中であの闘いを反芻していた。

 

(人斬り抜刀斎…)

 

抜刀斎が流れの間合いには入った時は勝利を確信していた。しかし抜刀斎は地面に倒れるが如く身を低くして斬撃を躱し、それどころか反撃さえしてのけた。

 

(…速かった)

 

人を殺す最小の斬撃‘流れ’が躱された。

 

(流れ星ならばどうであろう?)

 

虎眼流奥義‘流れ星’独特の握りから繰り出される最速の横薙ぎは抜刀斎を捉えられるだろうか……流れと同様避けられるのが容易に想像出来る。

知る限り使える限りの技をあれやこれや思案するがどれも想像の中の抜刀斎に届かない。

 

(となれば‘あれ’しか無いか…)

 

虎眼流藤木道場に密かに伝わって来た技、虎眼流の宿敵が編み出し虎眼流の高弟達を次々と斬殺し開祖・岩本虎眼までも殺害せしめ虎眼流藤木道場初代師範・藤木源之助の片腕を切り飛ばした魔技。

奥義・流れ星を会得したその日、先代師範の父より語り伝えられたその技の名は

 

「無明逆流れ」

 

呻く様に呟いた。

 

 

 

仁之助が床上げしたのは元治元年初夏の事だった。腹から背中に突き通した傷を医者が「人間とは思えぬ」と呻く程の回復力を持って二月足らずで全快した。

仁之助は床上げしたその日の内に新選組屯所から外出した。

軽衫袴に小袖の着物それに日除けの編笠を被っていた。目的地に向う途中で手桶と花を買った。行先は蛸薬師に有る如山寺である。

 

住職に挨拶を済ませ裏手にある墓地へと回った。

墓地に植えられた銀木犀の濃緑色の葉がそよ風に揺れていた。その風に爽やかな香りが乗って来たのに仁之助は気づいた。

 

「梅の花?」

 

梅雨が明け蝉の声を聞こうかと言う時期である。梅の木には花が咲くどころか実も落ちきっている。

ふと見れば目的の墓の前に一人の女性が佇んでいた。ハッとするほど美しい女性だった。剥いた果実の様な滑らかな白い肌、憂いを帯びた瞳、桜の花びらの様に薄く色づいた唇、烏の濡羽の様な艷やかな黒髪、それでいて雪の様に儚げな女性。初夏の墓地で梅の香と冬の雰囲気を纏った哀しげな瞳をした女性、どこか幻想的な空気に呆けてしまう。

 

「…もし」

 

怪訝な表情で女性が口を開く、ハッと我に返り女性をジッと見ていたのに気づいた。

 

「失礼しました」

 

仁之助は咄嗟に頭を下げる。カァと顔が熱く成るのが分かった。

 

「あの、もしかして藤木仁之助様でしょうか」

「いかにも、お…某は藤木仁之助ですが…貴女は何方様でしょうか?」

「不躾に申し訳ありません」

 

女性が頭を下げる。

 

「私は雪代巴と申します」

「!!」

「貴方の事は明良(あの人)から聞いております」

 

雪代巴の名を聞いた途端に仁之助の表情が強張った。その名を知っていた。雪代巴、彼女は清里明良の婚約者だ。

そこでようやく彼女の哀しみをたたえた瞳の意味が分かった。

 

「こ、この度は誠にッ」

 

言葉に詰まった。彼女の哀しみは自分のせいだ。自分が抜刀斎を倒せていれば彼女は今頃祝言を上げていたはずだ。そんな彼女に何と言う。その思いが言葉を止めていた。

 

「気になさらないでください」

「は?」

明良(あの人)も覚悟の上でしょうから」

「…」

「…」

 

気まずい沈黙が二人の間に流れる。

 

「あの…御参りに来たのでは…」

「そ、そうでした」

 

真新しい墓に花と浄水を捧げ焼香し手を合わせる。

 

「…」

 

しばし手を合わせ黙祷した。

目を開き墓石に刻まれた名前に目を向ける。

 

『石地兵馬』

 

重倉護衛任務中に戦死した仲間に想いを馳せる。石地はには家族は居ない。五年前に妻と死に別れてからは独り身だったらしい。葬儀も見廻組内でひっそりと行われた。

雪代巴に向き直る。彼女は寂しそうにポツリポツリと語りだす。

 

「私も明良(あの人)も五年前にお亡くなりになりになった石地様の御内儀にはお世話になりました」

「左様でしたか」

「御遺体は無理でしたが、せめて遺髪だけでも江戸に有る御内儀のお墓にと思いまして」

「何時まで京都に?」

 

彼女は少し考えて答えた。

 

明良(あの人)の怪我がもう少し良くなったら一緒に江戸まで帰ります」

「ならば明日にでも清里さんの見舞いに行きたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 

清里明良は一命を取り止めた。必殺の一撃は折れた刀のおかげで急所を逸れ致命傷を免れた。しかし怪我は酷くもはや戦える体では無く見廻組の任を辞する事となった。

 

明良(あの人)も喜びます。是非いらっしゃてください」

 

婚約者の大怪我に心を痛めていたに違いない彼女はそれでも笑顔で歓迎の意を伝えた。



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池田屋事件

感想ありがとうございます。


後の世に『京都大火計画』と呼ばれるその企ての情報が新選組に入ったのは元治元年五月下旬であった。

 

新選組監察方の山崎丞(やまざき すすむ)が京都の炭薪商人・枡屋喜右衛門(ますや きえもん)の正体を突き止めた。枡屋喜右衛門こと古高俊太郎(ふるたか しゅんたろう)は長州間者の正体が露見し即日、新選組に捕われた。水責め、笞打、石抱、釣責、連日連夜激しく責め立てられ遂に以下の事を供述するに至った。

 

計画の中心人物は尊王攘夷の志士・宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)、宮部は京都所司代・重倉十兵衛暗殺の失敗に憤慨して、各地に潜伏した同志に六月五日に京都市中の旅館に集まるり計画に参加するようにとの内容の檄文を配った。

 

宮部の計画とは、風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて禁裏御守衛総督・一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)及び京都守護職・松平容保(まつだいら かたもり)を暗殺し、孝明天皇(こうめいてんのう)を長州へ連れ去る。と言う余りにも乱暴な物だった。

 

以上の供述内容は直ぐさま標的でも有る会津藩主兼京都守護職・松平容保に上げられ会津藩兵の出動が要請された。しかし報告を受けて急遽開かれた会議では議論が紛糾して対応策は遅々として進まなかった。松平の家臣団が新選組を軽侮していたせいである。ある重臣などは「近藤勇は功名欲しさにことさら大袈裟にしているのではないか」こう言って憚らなかった。

 

結果、六月五日の当日まで何も決まらず新選組は数不明な敵に対して単独で対処する羽目になった。しかも会合予定の旅館の詳しい場所は不明で、その候補は複数、京都市中に点在している。その為に新選組は隊を三つに別け一軒一軒虱潰しに探す羽目になり戦力が分散してしまった。

 

夕刻、三隊はそれぞれ局長・近藤勇、副長・土方歳三、四番隊組長・松原忠司(まつばら ちゅうじ)がそれぞれ十人ほどを率いて出撃した。三隊に先発して山崎率いる監察方が偵察に出ている。

 

仁之助は近藤隊に配置された。近藤隊は他に一番隊組長・沖田総司(おきた そうじ)、二番隊組長・永倉新八(ながくら しんぱち)、五番隊組長・武田観柳斎(たけだ かんりゅうさい)、八番隊組長・藤堂平助(とうどう へいすけ)などが配置されていた。

 

 

 

夜の闇の中を袖口をダンダラ模様に白く染抜いた浅葱色の羽織で揃えた集団が突き進む、言わずと知れた新選組である。揃いの羽織の他には各々が鉢金を被り鎖帷子や籠手脛当を着込んだりしている。その中で比較的軽装な男が顔を笑み崩した。

 

「やあ、祭の音がここまで聞こえてきますよ」

 

確かに何処からか囃子の音が流れて来る。その音に顔をほころばせ場違いに明るい声の沖田に永倉は呆れ気味に苦笑する。

 

「沖田はいつも明るいな」

 

元治元年六月五日は今の暦では1864年7月8日、祇園祭の時期である。

場所は木屋町通り、西隣の川原町通りでは祇園祭で賑わっている。

 

祭りの夜、表通りでは日頃の憂さを忘れ浮かれ騒ぐ京の人々、しかし一本隔てる通りでは物騒な集団が敵を捕捉せんと駆け巡っている。

 

監察方より「三条小橋の辺りに長州浪士が集っている」の一報が近藤隊に齎されたのは亥の刻前、祭りの騒ぎもあら方収まった時だった。近藤隊が居る所から目と鼻の先だ。

 

「あの辺りで旅館は何処だ?」

「旅館は何件か有りますが、大人数が入るのは池田屋ぐらいのはずです」

 

近藤の問に武田が直ぐさま応える。監察方に土方、松原両隊に繋ぎを任せ近藤隊は池田屋へ急行した。

 

 

 

「安藤、奥沢、新田は裏口に回れ、我々以外が出てきたら…誰であれ斬れ」

 

池田屋には確かに大人数の気配がした。しかし祇園祭の時期には観光客も多い、間違いの可能性もあるのだが近藤は賭けに出た。三人が回り込んだのを見計らって、徐ろに池田屋に入って一声上げた。

 

「御用改めである!!」

 

瞬間、池田屋内は俄に殺気立った。同時に藤堂が踏み込んだ。後に魁先生と渾名される彼らしい果敢さだった。

 

「総司、仁之助、二階だ!!」

 

近藤の叫びに刀を抜きながら応え一気に階段を駆け上がる。

 

「おのれ、壬生狼が!!」

 

階段上に居た男が刀に手を掛ける。だが刀を抜く前に沖田の放った突きに喉を穿かれ階段を転げ落ちる。

二階は左右に一部屋づつの二部屋。

 

「仁之助さんは右側をボクは左!!」

「承知!!」

 

仁之助は右側の部屋の襖を蹴破った。さして広く無い部屋に六人の男、床には料理や酒がぶち撒けられている。

 

「新選組である!!手向かえば斬る!!」

 

六人は一斉に抜刀した。

 

「でりぁ!!」

 

一人が大上段に斬りかかる。スコンと間抜けな音が響き刀が止まった。天井に刀が刺さって止まったのだ。

 

「あっ」

 

間の抜けた声を上げた男の無防備になった胸を仁之助は一突きした。心の臓を突かれた男は悲鳴も上げずドウッと倒れる。

 

「お、おのれ!!」

「よくも!!」

 

残った五人は怒号を放った。

 

仁之助は徐ろに天井に刺さった刀を抜くと男達に向かって横薙ぎに投げた。

回転して飛来する刀を咄嗟に弾く。その隙に身を低くして滑る様に男達の真ん中に入り込んだ。

 

攘夷志士達は戸惑った。狭い部屋では上段に斬りかかれば先の男の様に天井に阻まれ、横薙ぎに斬りかかれば味方に当る。

攘夷志士達も剣術の素人では無い、寧ろ若い頃から道場に通い詰めて免許皆伝だとか達者とか云われる者も多いのだ。

剣術道場が想定するのは正々堂々とした尋常の勝負で、狭い室内で一人を多数で囲んで滅多打ちにするなど卑怯な戦い方は想定に無い。長い平和の中で剣術は殺法から哲学に成った。

 

故に攘夷志士達は無造作に真ん中に入り込んだ仁之助に戸惑い動きが一瞬止まった。

 

一方の仁之助は周りは全て敵、味方に当る配慮をしなくて良いのだ。右手で柄を人差し指と中指で挟む様に持ち左手で切先側の峰を摘む。ギリッと軋む音がする。

そして虎眼流は戦国の気質を色濃く残した殺法。その奥義は―――

 

『虎眼流秘伝‘流れ星’

 

―――神速の横薙ぎ。

 

左手の指が峰を離した。瞬間、刃が光を放った様に見えた。

 

ビュッ!!

 

風を斬る音が響く。

 

一瞬の静寂の後、ドッチャと音を立て残りの五人が倒れ伏した。否、倒れ伏したのでは無い。その体は胴の半ばから立ち斬られ下半身を残し上半身のみが床に落ちた。




資料が多過ぎて逆に困る。


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無明逆流れ

新選組屯所の砂利敷の中庭で仁之助と沖田総司が対峙している。沖田の手には薪が握られており、一方の仁之助は真剣を抜き放ち構えている。しかし仁之助の構えは第三者の目には到底剣術の構えに見えなかったであろう。刃を相手に向けたままに切先を杖をつく様に地面に突き立ている。

 

さらに驚いた事に仁之助は手ぬぐいで目隠しをしていた。そんな仁之助に沖田は手に持った薪を投げつける。

 

「ハッ!!」

 

瞬間、仁之助の刀が弧を描き垂直に跳ね上がった。

 

コンッ

 

乾いた音が響く。

 

()ッ」

「ああ!大丈夫ですか藤木さん」

 

沖田は慌てて駆け寄った。仁之助の額に直撃した薪が砂利の上に転がっていた。

 

 

 

あの後、池田屋での戦いは土方隊と松原隊の到着でさらに激しさを増してまさに乱闘となった。

 

結果、新選組側の死者ニ名、重傷三名を出し、志士側の死者十七名、逮捕者二十名、池田屋に集った尊王攘夷の志士は壊滅。このために維新が一年遅れたと云われる。

 

会津藩兵の増援到着は全ての戦闘が終わった後だった。その事で隊士と藩兵の間で些かの諍があったが、ともかくも池田屋事件は一応の終結を見た。

 

 

 

近藤は笑いを堪えていたが堪えきれずついに顔を笑み崩した。

 

「池田屋での我々の働きに京都守護職より五百両、朝廷より百両合わせて六百両が下賜された。さ〜て、どうするね歳三(とし)

「そうですね、まず池田屋に突入した者と死傷者にそれぞれ十両づつ。ああ、武功の有る者には追加で恩賞が必要でしょうね」

 

新選組の資金繰りに苦労していた近藤にとってまっ事有難かった。ともかく池田屋事件を境に新選組隊士の金回りは随分と良くなった。

 

また多くの同志を失った尊王攘夷の志士達の大半が京都より撤退、一時的な事とはいえ京都の治安は格段と良くなった。

 

こう言った訳で命懸けの任務に日夜駆け回っていた新選組隊士達にも余裕が出来た。

 

その余暇を多くの隊士は祇園や島原、大坂の新町などの花街で上方特有の風雅な遊興に溺れ込み酒色に耽った。それは幹部も例外では無く、近藤勇は芸者を妾として囲い、美男として有名な土方歳三などは花魁達に大モテだと江戸の家族に手紙で自慢していたほどだ。

 

危険な任務を帯び明日をも知れぬ身を忘れるためか、あるいはただの若さ故か、新選組隊士の遊びかたはとにかく派手で金を湯水の如く使った。

 

とはいえ隊士の全てが酒色に溺れたわけでは無い。沖田総司などは恩賞や給金のほとんどを実家に仕送りしていたし、斎藤一は「酒を呑むと人を斬りたくなる」と笑えない冗談を言い酒色を控えていた。

 

 

 

仁之助も酒色を避けていた。『人斬り抜刀斎を倒すための工夫を付ける』その一心があった。

 

仁之助は痣だらけになった体に湿布を貼りながら先の鍛錬を頭の中で反芻していた。

 

(無明の秘奥未だ至らず···か···)

 

あの夜の一戦で分かった事があった。

 

即ち『抜刀斎の強さは三つの速さに有り』

相手の意図と技を察知する‘見切り’の速さ

目にも留まらぬ動きで翻弄する‘足運び’の速さ

防御や回避の隙を与えぬ‘攻撃’の速さ

 

これに対するには、奇態な構えで意図を読ませず見切りを封じ、目に頼らず目にも留まらぬ足運びを捉え、防御と回避に頼らず一撃必殺で攻撃させる前に仕留める。

 

そのための無明逆流れなのである。

 

無明逆流れは元虎眼流の剣士・伊良子清玄が両目を斬り裂かれ視力を失った事に始まる。その詳細は南條範夫(なんじょう のりお)氏の小説『駿河城御前試合』の一編『無明逆流れ』か同作同編を原作とした山口貴由(やまぐち たかゆき)氏の漫画『シグルイ』を読んでもらうとして、ともかく視力を失った不具の身が苦心惨憺の末にこの技を編み出したのが無明逆流れである。

 

だが仁之助の無明逆流れは未だ完成には程遠かった。無明逆流れの‘逆流れ’の部分、即ち地に突き立てた刃先が地を裂く勢いを斬撃に乗せる斬り上げは形になった。がしかし‘無明’たる部分の習得に苦しんでいた。

 

そしてその‘無明’こそが抜刀斎を倒す核心であった。

 

無明とは目に頼らず逆流れの剣の軌道に入った者を即座に斬る。その至難を可能たらしめるための鍛錬方法が目隠しをして投げられた物を逆流れで斬ると言う単純明快な物だった。

 

この鍛錬は一人では出来ない。幸いなことに沖田や斎藤が協力してくれた。

 

鍛錬のたびに体が痣だらけになるも、来る日も来る日も投げられた物を斬り上げる。夏の猛暑の日も秋の大風の日も冬の雪の日も年が明けて春になっても斬り上げ続けた。

 

時は流れ、その間に禁門の変、伊東甲子太郎と配下が新選組に入隊、ぜんざい屋事件、山南敬助の切腹、松原忠司の死亡、などの事柄がおきた。

 

その間に仁之助は投げられた物は何であれ真二つに出来る様になっていた。

 

節分の時、鍛錬中に通りかかった永倉が冗談で一粒の豆を投げた事があった。日頃、仁之助に突っかかる隊士が鉄釜を投げ付けた事もあった。それらを無明逆流れで見事に真二つに斬り裂いた。

 

慶応二年夏 仁之助の無明逆流れは完成した。



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明治編
破落戸長屋


前話の夜鳴き蕎麦の話は無かった事にして下さい。

今回から明治編です。


東京の片隅に人々から『破落戸長屋』と呼ばれている裏長屋がある。ボロい上に日当たりも悪く、その辺りは治安も悪い、真当な人は避けて通る。それだけに家賃が安い。だから住まう人々も訳ありの者やその日暮らしの貧乏人などの世間からこぼれ落ちた者達であった。

 

その破落戸長屋に藤木仁之助と云う士族の青年が越して来たのは明治三年の事だった。藩の改易が相次いだこの時代こういった職にあぶれた士族が裏長屋に落ちぶれるて来るのも珍しく無かった。そういった士族は生活に困窮しているのが常であったが、この青年は金に困っている様子が無かった。長屋内で怪我や病気で仕事にあぶれた者が有れば米や味噌を分けてやり本当に困っていたら幾らかの金を包んでやっていた。これと言って稼いでいる様子が無いが、どこからそんな金が出て来るのか様々な噂が立った「どこか御大身の隠し子」だとか「実は大名の御落胤」だとか噂を囁いていたが、越して来て一年が経ちそんな様子が無いと分かるといよいよ金の出どころが分からなくなったが、その事で毛嫌いするとか深く詮索しようとする者は居なかった。その時には長屋の人々から『仁さん』と呼ばれ親しまれていたし、もしも疑わしい事が有ったとしても庇ってやるのが、こういった所の人情だった。

 

実のところ金の出どころについて長屋の人々が心配する様な事はなかった。新選組時代、酒色に用が無かった仁之助は俸禄や恩賞のほとんどを実家の藤木道場に飛脚便で送っていた。仁之助としては仕送りのつもりで送っていたのだが兄はその金には一銭も手に付けず「道場を継いだ俺は食うには困って無い、しかし、お前は何をするにも先立つ物が必要だ」そう言うと戊辰戦争後に帰郷していた仁之助にそっくりそのまま返した。その金は結構な大金で東京の片隅で慎ましやかに生活するには十分な金額だった。

 

 

 

仁之助は長屋の一室で新聞記事を読み耽っていた。新聞の見出しには逆賊・西郷隆盛成敗の活字が踊っている。西南戦争、明治十年二月に始まったこの内戦は同年九月の西郷隆盛の切腹と云う形で幕を閉じた。

 

「ふん」

 

仁之助はつまらなそうに鼻を鳴らし新聞を放り投げ、途中で止まっていた虫籠作りを再開した。竹製の丸い虫籠に捕まえた鈴虫などの鳴く虫を入れて売るのである。手慰みで始めた虫籠作りだったが風流人からは中々の評判を得て今では良い小遣い稼ぎになっていた。とは言え金に困っている訳では無いので気が向けばのんびりと虫籠を作り気が向かなければ仁之助は早々に虫籠を放り出し寝転がり昼寝をしたり、東京の町を散策したりして好きな様に生活していた。

 

「仁、邪魔するぜ」

 

仁之助がうとうと微睡んでいると声と同時に戸を開けて無遠慮に部屋に上がり込んで来た若者がいた。片眼を開けチラリと声の主を確認すると気怠げに呟いた。

 

「なんだ左之か······」

 

「なんだとはねぇんじゃねえか?」

 

若者の名は相楽左之助、長身に細身ながら筋肉質な体、逆立った髪、赤いハチマキに前を全開にした白い上着の背中には『惡』文字がデカデカと染め抜くという奇抜格好をしていた。

 

「なんだ『喧嘩屋』は本日()休業か?」

 

「るせぇ」

 

左之助は座布団の上にドカリと座り適当に置いて有った茶碗に長火鉢の鉄瓶の中身を注ぎ勝手に飲み始めた。

 

「なんだ?ただの湯じゃねえか」

 

「茶葉は戸棚の右の引き倒しだ」

 

仁之助は寝転がり目を瞑ったまま戸棚をゆびさした。左之助は立ち上がり戸棚をあさり始めた。

そのまま暫く二人は駄弁っていた。

 

仁之助は『張り』は無いが悠々自適な今の生活を結構気に入っていた。



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由太郎

塚山由太郎は父親の塚山由左衛門の仕事に付添い伊豆へと出向いた帰り、突如として現れた悪党共が馬車を襲い外へと引きずり出された。悪党共は五人、棍棒や短刀で武装していた。近くに御者と使用人が地面に転がっている。暗く二人が生きているかどうかも分からない。

 

「何者だ。貴様達は!?」

 

由左衛門が尋ねるが返ってきたのは返事では無く棍棒の一撃だった。鼻から血を噴き出しながら地面を転がった。

 

「止めろ!!」

 

由太郎は父を殴った男に飛び掛かった。だが、いともたやすく殴り倒された。

 

「巫山戯た真似しやがって!!」

 

悪党はそう言いながら倒れた由太郎の頭を踏みつける。

 

「うぐ!」

 

由太郎を何度も踏みつける悪党の足に由左衛門が縋り付き必死に叫んだ。

 

「止めろ!!止めてくれ!!」

 

悪党は由左衛門を振り払うと下卑た笑いを浮かべこん棍棒り下ろした。

 

ボロボロになった由左衛門は地面に頭を擦り付けた。

 

「お願いします。金は幾らでも差し上げます。命だけは、由太郎の命だけは!!」

 

「根性無しめ」

 

土下座で懇願する由左衛門に唾を吐きかけ吐き捨てる様に言う悪党の言葉に由太郎は泣きそうだった。

 

「ち、畜生っ」

 

殴られたのが痛い訳でも無く、悪党共が怖い訳でも無い、自分の無力が憎かった情けなかった。

 

「何をやっている!!」

 

怒気を含んだその言葉は雷鳴の様に轟き渡りその場にいた全ての者が身をすくませる。

 

怒声の発せられた方に皆が目を向ける。そこには竹束を背負った一人の男が立っていた。

 

 

 

その日、仁之助は重倉十兵衛のもとへご機嫌伺いと虫籠に使う竹を貰いに出向いていた。

 

重倉は幕府が倒れた後、隠居して東京の郊外の古い農家を改築した隠宅で慎ましく暮らしていた。その隠宅の裏には竹藪があり仁之助はその竹藪から虫籠などの細工に使う竹を切り出させて貰ている。

 

一通り挨拶を終え、竹藪から何本かの竹を貰い短く切り分け竹束を拵えて隠宅に戻ると酒肴の準備が出来ており、酒と焼いた筍に木の芽味噌を塗った筍田楽で歓待を受けた。

 

この筍田楽を作ったのは重倉では無い、お松と云う二十歳そこそこの女で住込みで重倉の身の回りの世話をしている。

 

初めて隠宅を訪れた時、重倉に対するお松の気安い態度から仁之助は「重倉の御隠居の御息女ですか?」とたずねた。お松はクスクスと笑い始め、重倉は頭を掻き「ワシのコレだ」と言って小指を立て「前の女房と死に別れてから寡夫暮らしをしていたが隠居すると豁然と女体が好きに成ってな」と照れた様に笑った。仁之助は空いた口が塞がらなかった。

 

酒杯を傾けながら二人は世間話に花を咲かせる。話しが仁之助自身の近況になった時、ふっと重倉が思い出した様に話題を振った。

 

「お前も良い歳だ。そろそろ身を固める気は無いか?良ければ世話をするが?」

 

「その事は遠慮したく」

 

「誰ぞ好い人でもおるのか?」

 

「一人暮らし気楽さを一度味わってしまうと、どうも······」

 

「分かるが、家族を持つのも良い物だぞ」

 

自分が妻子を持った姿を想像しようとした仁之助だったが上手く行かなかった。

 

筍田楽の旨さに普段余り酒を呑まない仁之助も思わず呑み過ぎてしまった。その様子を見た重倉は「今宵は泊まっていけ」と言ったが丁重に断り帰途に付いた。

 

夜気の冷たい風を浴び人家も人通りも無い郊外の道を歩いていると前方から男の怒声が聞こえてきた。

 

「おゃ?」

 

目を凝らせば脱輪した馬車に数人の男が群がっているのが見えた。強盗だと認識した瞬間、仁之助は油断無く歩み寄って行った。

 

 

 

怒声を放った男、仁之助は背中の竹束から一本、竹を引き抜き右手に持った。構えらしい構えを取らず腕はだらりと下げたままでゆっくりと五人の悪党に歩み寄る。

 

「だ、誰だてめぇ!!」

 

「ぶっ殺されたく無かったら消えろ!!」

 

「止まれ死にてぇのか!!」

 

「オラァ!!」

 

「ゴラァ!!」

 

五人はそれぞれ凄むが、その様子を見ていた由太郎は大声で凄む五人組よりゆっくりと歩く男の方が遥かに強そうに見えた。キャンキャンと吠える仔犬にゆっくりと近づく虎、その様に見えた。

 

やがて仁之助の放つ圧力に耐えられなくなったのか短刀を持った悪党の一人が奇声を上げ仁之助に打ち掛かった。瞬間、バシッと鋭い音が響くと短刀を持った男は白目を剥いて倒れ伏した。

 

「「「「なっ!?」」」」

 

悪党共には仲間の身に何が起こったのか分からなかった。短刀を持った男が間合いに入った瞬間、仁之助の右腕が消え鋭い音が響き、次に右腕が見えた時には手に持った竹はササラ状になっていた。「加減が難しい」と呟きササラになった竹を捨て新しい竹を引き抜いた。

 

悪党共が状況が分からない中で由太郎だけは何が起こったのか見えた。

 

「こめかみに一撃······」

 

その声が聞こえたのか仁之助が由太郎を興味深げに見つめた。

 

「へぇ」

 

仁之助が余所見をしたのを隙きと見たのか残りの内の三人が一斉に打ち掛かった。

 

「見てな」

 

由太郎にそう言うと、仁之助は竹を大上段に構えた。最初に短刀を突きこんで来た男の手首を打ち短刀を叩き落とし返す刀(竹)で男の脳天を打ち抜いた。声も無く崩れ落ちる男に目も向けず次の相手に向き直る。

 

竹を下段に構えなおすと、別の男が大きく振りかぶる棍棒を下から軽く叩いた。あくまで軽く叩いた様に見えたが竹は一気にササラになり、叩かれた棍棒は凄まじい勢いで回転しながら少し離れた林の中落ち、大きく体勢を崩した男の腹に拳を突き込んだ。

 

「ぐえっ」

 

潰れた蛙の様な声を上げ倒れ伏した。

 

三人目の男は何か武術の心得があるのか、大振りをせず持っていた棒を槍の様に構え突いて来た。しかし、仁之助は容易く避け相手の懐に入り込み、襟首を掴むと気合い一合、一本背負いで地面に叩き落とした。

 

三人を打ち倒した。その間六秒弱、残りの一人はオロオロと周りを見渡したが、三人を打ち倒す様子に見入っていた由太郎を見つけると由太郎に飛び付き人質にしようと試みた。だがそれより早く仁之助が男の腕を掴み「むっ!!」と気合いを込めた瞬間、男の腕からゴキャッという怪音が響いた。

 

「ッッッ!!」

 

腕を握り潰されるという非常識な攻撃の痛みに悲鳴になら無い悲鳴を上げ口から泡を吹いて倒れ伏した。

 

「す、凄い······」

 

そう言った由太郎の顔にはもはや先程の陰は無く、晴れ渡った表情で仁之助を見つめた。

 

近くの林からこっそりと去って行く大きな人影をチラッと見て仁之助は追うかどうか迷ったが怪我人の手当を優先した。

 

(それに後は警察の仕事だ)

 

裂いた手ぬぐいで由太郎達の止血をしながらそう思った。



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涎小豆

仁之助は長屋で小豆を茹でていた。固く炊き上げた小豆に葛餡を掛けさらに水飴を絡める。

 

「どれ···」

 

箸で一粒摘み上げる。ヌチャと糸を引く、眼前まで持ち上げた小豆を見て仁之助は満足気に頷く。

 

「これで良し」

 

小豆を箱に詰めるとふいに部屋の畳を引っ剥がした。古びた木材の床板の一部の色が違い、その色違いの床板を外し床下から細長い布包を取り出し包の中身を確認する。一振りの刀、無銘ながら新選組時代を戦い抜いた愛刀、常より長い二尺六寸の刀身を抜き刃や目釘に一通り目を通すと布包に戻し、小豆の入った箱と共に布包を抱え塚山邸へと向かった。

 

 

 

古い剣術流派の多くには様々な仕来りが有り、それは特別な儀式的な物で有ったり、普段の稽古や生活に関わる事で有ったりする。

そういった仕来りは時代の流れの中で形を変えつつも流派創始当時の信念や技術体系を今に伝えている。

虎眼流入門儀式『涎小豆』もその一つで有る。

 

 

 

由太郎は塚山邸の松の庭木に縛られていた。あの襲撃事件の後すぐに仁之助に弟子入りを申し込んだ。渋る仁之助を父の口添えも有り説得に成功させたのだが「虎眼流には入門に際して儀式が有る」と語り「準備して三日後にまた来る」と言い残しそのまま帰って行った。

 

はたして三日後、荷物を持った仁之助が現れた。荷物を持ったまま、庭に回った仁之助は人払いを行い由太郎だけが庭に残り、そしてアッと言う間に松の木に縛りつけられた。

 

「本当は他の門弟に押さえつけさせるのだが、最初の弟子だしな」

「あ、あの先生、これからいったい何を···」

 

戸惑う由太郎を尻目に刀を腰に差しながら言う。

 

「良いかこれから何が有っても私から目を逸らすな、正面から真直ぐ見据えるのだ」

「は、はい!!」

 

縛られた由太郎の前に仁之助が立ち手に持った箱から小豆を一粒摘み上げ由太郎の額に貼り付けた。

 

「何をっ!?」

 

由太郎が何をするのか訪ねようとした瞬間、背筋が凍り付いた様に感じた。

呼吸が荒くなり全身から汗が噴き出し目に涙が溜まる。

 

仁之助から滲み出た‘殺気’が由太郎を叩き込まれたのだ。由太郎は「殺される」と思った。馬車襲撃など及びもつかない、生まれて初めて本物の死の恐怖を味わった。だが由太郎は___

 

(負けてたまるか!!)

 

___仁之助を正面から睨み付ける。

 

「シャッ!!」

 

腰の刀が抜き打たれた。由太郎の眼前を刃が閃き通り過ぎる。由太郎は一閃としか認識出来なかったが、十文字に二閃の斬撃が放たれた。

 

由太郎には傷一つ付ける事なく額の小豆が十文字に割れた。同時に縛っていた縄もパラリと切れ落ち、由太郎も膝から崩れ落ちる様に伏した。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、」

 

荒い呼吸を繰り返す由太郎の肩をポンと叩き、仁之助はニコリと笑った。

 

「良く頑張ったな」

「先生···」

 

汗や涙でグシャグシャな由太郎の顔に割られた小豆からトロリとした汁が垂れた。これが涎小豆の涎の所以であった。



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伊達にして帰すべし

仁之助は巨大木剣カジキで由太郎は振り棒で向かい合いながら素振りをしている。

 

「漫然と振るな!眼前に敵が居ると思って打ち込め!」

「は、はい!」

 

仁之助の激が飛び、由太郎が息を弾ませながら答える。

 

由太郎を弟子にして一ヶ月の間、塚山邸の中庭で千本素振りを毎日続けさせていた。

 

『素振り三年で初伝の腕』それ程に言われるほど重要で大事な修行であるが巷の道場では単調な修行を続けては門弟が離れてしまう。そこで門弟の興味を繋ぐため防具を付けて竹刀での打ち合いなどの派手な試合稽古をやらせる様になる。

 

無論、仁之助とて竹刀での打ち合いも無意味では無いと思う。しかし、そう言った試合形式の稽古は基本稽古で身体を作った後で無ければ所詮竹刀舞踊になり、小手先ばかり器用な軽い剣となってしまう。自然、太刀行きの速さも違ってくる。

 

故に由太郎に課された稽古は地味だが辛い古法の修行法が取り入れられていた。先ずは素振り、由太郎が振っているのは竹刀や木刀では無い、振り棒と言う樫の木の棒に鉄製の輪を嵌め込んだ重さ二貫目(7・5キログラム)の棒である。続いて走り込み、高下駄を履き山野を駆け巡る、不安定な高下駄で足場の悪い山野を駆け、崖をよじ登り、川の流れに逆らい遡る、これにより筋肉はもとより体幹を鍛える。

 

一ヶ月の間、辛く厳しい荒業に耐え心身を鍛えた由太郎の身体は引き締まり顔付きも精悍に成った。

 

「止め!今日はこれまで」

「ハァ、ハァ、は、はい!ありがとうございました!!」

 

弾む息を整えながら汗だくの由太郎が頭を下げる。

 

塚山邸で夕食を御馳走になり、仁之助は帰途に付いた。

 

 

 

肩にカジキの包みを担ぎ夜気の冷たい風が吹く道を一人歩く仁之助は思案していた。

 

(そろそろ、基本の形を教えるか)

 

この一ヶ月で由太郎は驚くべき上達を見せた。仁之助としては形稽古に入るのは後二、三ヶ月先の事だと見越していたが、その段階を由太郎は軽々越して行った。正に天稟、その才能に末恐ろしさと何よりその才能に剣を教え鍛え上げる事に喜びを感じていた。

 

何かに気付き不意に立ち止まる。

 

「···何か用か?」

 

前方の夜の闇の中から三人の男が現れ、また後方にも気配を感じた。真ん中に肩に黒い羽飾りを付けた筋骨隆々とした大男、大男の左側には鉢巻を巻いた中肉中背の若い男、右側に肩幅の広い鯰髭の男。それぞれ、大男は帯刀し、若者は柄の両端に刃が付いた異形の刀を背中に背負い、鯰髭の男は笹穂槍を持っていた。後方の気配は二人、おそらく此方も武装していると見た。

 

「何か用か?」

 

再び、今度は強めに問いかける。大男が進み出る。

 

「吾輩は石動雷十太!!日本剣術の行く末を真に憂う者である!」

 

大男は堂々と名乗り胸を張っり、そして己の目的を語り始めた。昨今の剣術の弱体化は嘆かわしい、そこで脆弱な新剣術を淘汰し、古流の実戦剣術を復古させ『真古流』として日本の剣術界を立て直す。と言う事らしい。

 

「虎眼流・藤木仁之助!!吾輩達の同士になれ!!」

 

雷十太の主張は仁之助にも心当たりがあった。武士階級の廃止により剣術は下火になって行くだろう。更にこれからの時代の戦場は銃や砲による戦いが中心となり、心身練磨の手段としての剣道はともかく、戦の術としての剣術はその多くが滅ぶのは自明の理。

 

ならば滅びそうな古流剣術が命脈を保つための互助する体制を組織するのも理解出来る。

 

「断る!!」

 

だが気に入らない。新剣術を淘汰すると豪語するのもそうだが、そも___

 

「勧誘ならば礼節を弁えよ!!」

 

___路上で武装した多人数で囲み‘同士になれ’など無礼なのも極みある。

 

「···殺れ」

 

雷十太が静かに言うと後ろに下がる。鉢巻は異形の刀を構え、鯰髭は槍を(しご)いた。後方でも刀を抜く音がする。

 

「他流の者、丁重に(あつか)うべし、(たお)すことまかりならず」

 

カジキを包んでいた布を解く

 

伊達(だて)にして帰すべし」

 

手応えを確かめる様にカジキを一振りする。



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圧倒


前話を少し修整しました。


鯰髭の槍が心の臓を穿かんと突きこまれた瞬間、仁之助の身体が巨大木剣カジキを手にしたままに高く跳躍した。

 

「な!?」

 

人の背丈を軽々越える高さの跳躍、鯰髭は思わず宙を舞う仁之助を見上げた。その瞬間‘ビュッ’と風切り音が鳴り、鯰髭の顔を激しい痛みが襲った。

 

「ギャァァ!」

 

今だかつて味わった事のない痛みに悲鳴を上げながら倒れ込み両手で顔面を覆う。指の隙間から血が滴り落ち地面を染める。

 

鯰髭の背後に着地した仁之助はカジキを一振りして、こびり付いた肉片と血を振り落とした。

 

そしておもむろに残った敵を一瞥をくれる。下がった雷十太の他の三人、前述した鉢巻の男の他、忍の様な格好をした小男、僧侶の様に頭を剃りあげた坊主頭の男、いずれも刀を抜き放っている。

 

「大丈夫か!?」

 

坊主頭が倒れている鯰髭に駆け寄り、顔を覗き込む。

 

「「「ッ!!」」」

 

鯰髭の顔の右側面の肉がごっそり削り取られ、骨の一部が剥き出しになっている。仲間の身に起きた凄惨な事態に戦慄し、それを為した相手への恐怖を三人は覚えた。

 

一連の動きで仁之助は囲いを突破したのみならず相手の心理の上手(うわて)を取った事になる。さらに解ったことがある。それは

 

(此奴等、戦い馴れしていない···)

 

これである。包囲戦の利点を活かしきれず簡単に突破され、予想外の事に対して判断が遅く、味方の負傷にオタつく様子といい、どれも素人くさかった。

 

これがもし新選組だったら、相手の正面の隊士が牽制し背後の隊士が複数人で一斉に斬り掛かる。倒せずとも腕を斬って攻撃力を奪うか足を斬って機動力を奪うか、いずれにせよ包囲した相手を無傷で囲いから出さない。戦闘中であれば負傷した仲間には声をかけても目は向けず、敵から一瞬でも目を離す事など無かった。

 

三人に向かって一歩踏み込む、怯んだ三人が一斉に飛び退る。その様子を離れた所から眺めていた雷十太の顔には不快の表情が浮かんでいた。

 

「バカ者共め!何をしている!それでも真古流の者か!!」

「し、しかし」

「言い訳は要らん!貴様達には藤木仁之助の首を獲る以外にこの場を無事に脱する道は無い!!」

 

雷十太は刀の鯉口を切り、三人を睨み付ける。

 

「それとも···吾輩の刀の露となるか?」

 

進退窮まった三人は意を決して前に出る。

 

「···」

 

仁之助としても雷十太の所業には思う所が有ったが、相手が刀を抜いている以上は下手な同情は禁物、迷えば斬られるのは仁之助だ。ジリジリと詰め寄る三人に対して、仁之助は正眼に構えた。

 

間合いが詰まり、攻撃が届く距離まで後一、二歩の所で仁之助が動いた。大きく踏み込み鉢巻の男に掬い上げる様に打ち掛かっる。咄嗟に体を反らした鉢巻の男が‘躱した’そう思った瞬間、仁之助の木剣が伸びた。

 

「グァ!!」

 

鉢巻男の鼻が宙を舞う。

 

「タァ!」

 

掬い打ちの後の隙を突き、裂帛の気合いと共に坊主頭が斬り掛かる。だが坊主頭の刀が仁之助の身体を捉える先に、仁之助の木剣の柄頭が坊主頭の鼻頭を叩き潰す方が先だった。

 

「ッ!」

 

鼻血を噴き出し後ろによろめく坊主頭の顔を木剣の横薙ぎが襲う。肉片が飛び退る。額の頭蓋が剥き出しになった。

 

「じょ、冗談じゃねえ!!」

 

残った小男は身を翻し逃げ去った。

 

「···」

 

仁之助は雷十太の方を見る。その顔には不敵な笑みを浮かべていた。

 

「貴様の太刀筋は見切った」

 

そう言うと刀を抜き、大上段に構えた。かと思うとその場で刀を振り下ろした。仁之助との距離六間(約10メートル)刀の届く距離では無い。

 

「むっ!」

 

それは唯の感で有り、理由など無かった。仁之助は横飛に跳んだ。一瞬前まで仁之助の居た場所に太刀風が通り過ぎ道端に植えて有ったケヤキの枝を切り落とした。

 

「見たか!!これぞ吾輩の必殺剣『飛飯綱』だ!!」

「···」

「フハハ!!声も出ぬか、降伏するなら今の内だぞ虎眼流!!」

「必ず殺す剣と書いて必殺剣、おかしいな俺は生きているぞ?」

「貴様!!」

 

怒りでワナワナと顔を震わす雷十太にさらに告げる。

 

「石動雷十太と申したな?貴様······人を斬った事無かろう」

「!!」

 

躱された剣の技名を自慢気にひけらかし無駄口を叩く、おおよそ命の遣り取りを経験した剣客の所業では無い。

 

「人を斬ってこそ、一端の剣客···などと言うつもりは無いが···」

 

不殺なれども一剣に己の命と信念を賭ける、そういう剣客もいる。しかし、雷十太のやっている事はやたらに刀を振り回す唯の技自慢、所詮は幼稚な剣客ごっこでしか無い。だが幼稚なだけに危険でもある。だから

 

「石動雷十太、貴様を斬る」

 

得物が木剣であっても関係無い、石動雷十太を絶ち斬る。そう決めた。

 

「ぐっ」

 

ゆっくりと近付いて来る仁之助の気迫に押され雷十太は後退する。

 

「おい、何だ喧嘩か?」

「人が倒れてるぞ!」

「警察だ、警察呼べ!」

 

騒ぎを聞き付けて人が集まり始めた。仁之助の注意が一瞬逸れる。その隙に雷十太は、その場から背を向け駆け去った。



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果たし状

「と、言う事があってな」

 

仁之助は夕飯の支度を整えながら、飯をたかりに来た左之助に昨晩の出来事を話した。

 

「へぇ、それで素直に逃したのか?」

「まあな、人が集まり始めたしな。それよりも···何が有った」

 

怪訝そうに左之助を見る。全身は包帯が巻かれ、ツンとした膏薬の匂いもする。

 

「ああ、喧嘩に負けちまったんだ」

 

負けたと言う割に、付き物が落ちた様に朗らかに笑う左之助。

 

「左様か···」

 

負けた喧嘩を根掘り葉掘り聞くのも野暮だと思い、それ以上聞かない事にした。

 

「喧嘩屋も廃業だ」

「なに?」

「だから喧嘩屋を辞めるんだ」

「···(やから)が無職になった」

「うるせぇ」

 

小言を言いながらも仁之助の手は止まらず出汁に味噌を溶かし込む。飯をおひつに移し、皿に料理をもる。

 

「良し、出来た」

 

夕飯の膳を左之助の前に置く、自分の分も用意する。

 

「お、美味そうな匂い」

 

献立は焼き大根、大根の皮の金平、味噌汁の具は大根の葉、見事に大根尽くしだった。

 

「何だよ、大根ばっかじゃねえか···あ、でもうめぇ」

「焼き大根はな時間をかけてじっくり焼くのがコツだ」

 

皮を剥き薄めの輪切りにした大根に塩をふり、焦げ目が付くまで胡麻油で焼く(焼き上がりの直前に醤油をたらすのも芳ばしくて良い)たったそれだけの料理だが、これがなかなか上手い。

 

「でもよ。やっぱり肉や魚が食いてえな」

「たかりに来た分際で贅沢言うな、それにその怪我では胃が受け付けないぞ」

「俺の胃はそんな軟じゃねえよ」

 

そんな話をしながら夕飯を食べていると

 

「御免!御免!ここは藤木仁之助殿の御宅か?」

 

訪ねて来た者があった。

 

「何方?」

 

仁之助が戸を開け訪問者を見る。そこには顔が包帯で隠れているが間違い無く、あの晩に雷十太と共に現れた鯰髭に間違い無かった。

 

仁之助と目が合った瞬間、鯰髭の顔が恐怖に染まる。

 

「こ、これを、雷十太殿から、預り申した」

 

オズオズと一通の書状差し出す。書状には『果たし状』と記して有った。

 

「ふむ」

「へ、返事を頂きたい」

「少し待っていただく、中へどうぞ茶の一杯でも出そう」

「ッ!!け、けっこう、外で待たせていただく」

 

鯰髭は顔を青くして断った。

 

部屋の中に引き返し、書状の中身を確認する。しばし読み進むと仁之助の顔に苦笑が浮かんだ。箪笥から筆と硯を取り出すと返書を書き上げ、鯰髭に渡した。

 

「此方を石動殿に渡しなさい」

 

受け取った鯰髭はそそくさと去って行った。左之助が興味深げに見ている。

 

「何だ?」

「果たし状だ」

 

果たし状を左之助に投げて渡す。果たし状の内容は以下の通りだった。

 

『明朝、〇〇の原に来い。一対一で正々堂々決着を付けたい。石動雷十太』

 

「お前、コレは···」

「なかなかの達筆だ」

「受けたのか?」

「もちろん」

「罠だぜ、これは」

「だったら面白いな」

 

仁之助がカラカラと笑うのをに左之助は呆れた様子で見ている。





感想にてご指摘して頂いた通り『剣客商売』の一編『辻斬り』の台詞、そのままになっていました為に書き直させて頂きました。
『剣客商売』ファンの皆様を不快にさせてしまった事をお詫びいたします。


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人斬り獣

こちらの都合で前話に追記、修整しました。
詳細は前話の後書きに書いて有ります。
申し訳ございませんでした。




鯰髭が仁之助に果たし状を届けていた頃、薄暗い雑木林の中を二つの人影が疾走している。小さな影を別の影が追っている。小さな影は仁之助が真古流に襲われた日に一人逃げ出したあの小男だった。追う影は雷十太であった。

 

「ヒッ、ヒッ、ヒャ」

 

奇声を上げ必死に走る小男の顔は恐怖に染まり涙と鼻水でグシャグシャになっていた。追う雷十太の顔も凄い、その顔は憤怒のために歪み目は血走り、まさに鬼の如くであった。

 

「ぬん!」

 

雷十太は刀を振り抜いた。瞬間、雑木林を裂き斬撃が飛び、小男の肩に傷を付けた。

 

「ギャ」

 

態勢を崩した小男に雷十太が迫る。このままでは逃げ切れない、そう思った小男は刀を抜き雷十太に向き直る。それは‘腹を決めた’と言うより‘やけっぱち’による行動だったが、

 

「貴様!あの時逃げた癖に吾輩には立ち向かってくるのか!!!」

 

雷十太は、自分が仁之助より下と見られた。と捉えた。

 

「ヒッ」

 

雷十太の怒号に身をすくませた小男に刀が振り下ろされる。右の肩口を斬られ右腕がポトリと落ちる。

 

「ギァァァ!」

「死ね!死ね!死んでしまえ!!」

「ギァ!やめ、止めて!」

 

次々と刃が振り下ろされる。左手が落ち、足が落ち、顔が裂かれ、(はらわた)が溢れる。

 

「···」

 

グシャ、グチャ、と湿った音が響く。小男はとっくに息絶えていたが、雷十太は刀を振り下ろすのを止めない。

 

「フ、フヒ、フヒヒ

 

怒りに染まっていた雷十太の顔が次第に別の色が浮かび、笑い声が止まらなくなっていた。

 

フヒ、フハハ、これか?これが、人を殺めると言う事か?フハハハハ!!

 

もはや人の形を留めず、どこがどこの部位か分からぬほど斬り刻まれた小男だった肉片の上で高笑いを上げ、何とか形を留めていた頭を蹴っ飛ばす。

 

堪らぬ!これは堪らぬ!!

 

恍惚とした表情で叫ぶ。

 

吾輩は、俺はコレを今の今まで知らなかったのか!!何と損をしていた事か!!

 

今までの人生が一気に色褪せ、酷く退屈でつまらぬ物になり果てた。

 

「ら、雷十太殿!?これは一体!!」

 

追って来た顔に包帯を巻いた坊主頭と鉢巻の男が驚愕の表情を浮かべる。

 

ん?

「「!!」」

 

雷十太の眼で射すくめられ、二人は恐怖に慄いた。最初から泥の様な濁った眼をしていた雷十太だが、今、二人を見る雷十太の眼は人を見る眼では無い、獲物を見付けた獣の様な怪しい光を宿していた。

 

「···何だ貴様らか

 

興味を失った様に二人から視線を外し、小男だった肉片に視線を戻す。

 

何の用だ

「い、今しがた果たし状の返書が届きました」

で?返事は?

「承知したと···」

 

肉片に刀を振り下ろす。血肉が飛び散った。

 

「「ヒッ」」

虎眼流!藤木仁之助!!フハハハハ!!

 

一匹の獣が楽しそうに実に楽しそうに笑っていた。



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獣の牙

仁之助は夜明け前、深夜と言っていい時間に起き出した。冷たい水で体を清めてから藤色の小袖と藍鉄色の袴を着込む。腰に二尺六寸の無銘と脇差しを腰に差す。

 

「···」

 

少し考えてから壁に掛けて有った普通の木剣を手にして、果たし合いの場へと向かった。

 

 

 

東京に有るとある野原、今の人口過密な東京からは想像も出来ないが、当時はこうした野原が火除地として東京の各地に点在した。ただこうした野原は江戸の頃より、剣客の果たし合いや、ヤクザ者の喧嘩の舞台として使われて来た経緯もあり、都市開発の度に数が減っていた。

 

ともかく、朝霧に煙る野原に一人の大男が眼を閉じ仁王立ちしていた。無論この大男は石動雷十太である。

 

来たか

 

雷十太はカッと眼を見開き刀の鯉口を切る。手に木剣を引っ提げた仁之助が朝霧をかき分け現れた。

 

「待たせたな」

 

そう言いながらも仁之助は周囲の気配を探り注意を払っていた。

 

安心しろ、今は俺、一人だ

「···」

 

二人の視線が合う。その時、初めて仁之助は雷十太の尋常ならざる様子、そして辺りに漂う血の匂いに気が付いた。

 

「石動雷十太、貴様一体、何人斬った」

 

怪しく光る眼、人を獲物と見なす獣の眼、今その眼は獲物を発見して狂喜が浮かんでいる。数日前の雷十太とはまるで別人だった。

 

ほう···解るのか?

「お前の様な眼をした連中を俺は知ってる」

 

そう、知ってるのだ。あの時代、血風吹きすさぶ京都、時に敵として対峙し、時に味方として共闘した。人を斬る事に取り憑かれ殺人に快楽を見出した鬼の眼だ。

 

これが今の俺だ!!

 

雷十太はそう叫ぶと左右に刀を振るった。刃から放たれた飛飯綱が朝霧と野の藪を斬り裂いた。そこには三人の骸が斃れていた。袈裟斬にされた鉢巻男、脳天を斬り割られた坊主頭、首を落とされ顔が分からないが鯰髭の体。

 

「貴様···同士(なかま)を斬ったのか···」

 

仁之助の体が声が怒りに震える。

 

同士(なかま)?その様な者、もはや要らぬ!!真の剣術(殺人術)······俺が体現する!!

 

そう豪語する雷十太の顔には陶酔に似た悦楽の色が浮かんでいた。

 

「やはり、あの夜に斬っておくべきだった···」

 

仁之助は後悔した。あの日、あの時、逃げる雷十太を追って、追って、そして倒すべきだった。そして心を圧し斬るべきだったのだ。

 

「もはや命を奪う他無し」

 

木剣を捨て刀の柄に手をかける。折られた心やひび割れた心は或いは治す事が出来るかも知れぬ。しかし、曲がり歪んだ心はもはや手の施しようが無い。これ以上の犠牲を出さぬためにも『ここで始末をつける』そう心に決め刀を抜き放った。

 

正眼に構える仁之助、対する雷十太は刀を大きく振りかぶった。対峙する二人、距離にして八間、刀の届く距離では無いが雷十太には飛飯綱がある。

 

ぬん!

 

対峙の時間は短かった。抑えきれぬ殺意に後押しされた雷十太が飛飯綱を放った。轟音を立てながら迫る刃風、しかし仁之助は振るわれた剣の動きから斬撃の軌道を見抜き小さく左右に動き飛飯綱を躱す。

 

ぬん!ぬん!ぬん!

 

連続で放たれる飛飯綱、それらの斬撃を最小限の動きで躱し続ける。躱しながら前進する仁之助、ついに互いの刃が届く距離まで近付いた。

 

俺が飛飯綱だけと侮るなよ!

 

凶暴な笑みを浮かべた雷十太は大上段に構えなおす相手に胴体を晒す大上段は真剣勝負に置いては自身に絶対の自信が無ければなかなか出来る事では無い。

 

「···来い」

 

呻く様にそれでいて力強く重い声、仁之助は刀を頭上に奉ずる様に掲げた。

 

防御?馬鹿め纏飯綱は防げん!!

 

纏飯綱は鋼をも断つ、仁之助の刀を断ち頭を真向竹割りにするのを想像して、勝利を確信した雷十太は刀を振り下ろした。しかし、雷十太は気が付かなかった仁之助の刀の掴みが変わっていた事を、人差し指と中指の間に柄を持つ猫科の猛獣な掴みになっていた事を。

 

死ねぇぇ!!

 

絶叫して斬り掛かる雷十太、振り下ろされる刃に向かって踏み込む仁之助、瞬間、血が飛び散った。

 

刀を持った腕が地面に転がり、肘から先を失った雷十太が膝をつき項垂れる。その腹からは腸が前垂れの様に溢れる。

 

あの瞬間、雷十太が防御のためと見なした刀は凄まじい速度で振るわれ、雷十太の太い腕を大根でも切る様にサクッと容易に切り落とした。そして刀を振るのと同時に逆の手は脇差しを抜き雷十太の腹を裂いた。虎眼流『簾牙』斬り上げを脇差しで防ぎ刀で攻める二刀の技、その変形、二刀を攻めに使う簾牙「野生において牙とは本来武器のはず」そう思った三代前の藤木道場の師範が工夫した技だ。

 

お、おの、ゴプァ」

 

何かを言おうとするが口から血が止め処なく溢れ後が続かない。

 

「···」

 

その様子を冷たく見下ろす仁之助と目が合った。

 

「!!」

 

瞬間、雷十太が感じたのは恐怖、己に確実に訪れる死の恐怖だった。

 

(い、嫌だ死ぬのは嫌だ)

 

どうにかその場から逃げ出そうとするが足に力が入らない、命乞いをしようにも口からは血が溢れ声が出ない。

 

仁之助は刀を雷十太の首に押し付け、そしてスッと引く、動脈を斬られた首からは血がドッと流れ出し、雷十太の顔からはたちまち生気が失われていった。やがて雷十太は抜ける様な息を吐き、首の傷から流れていた血が止まった。

 

その様子を見る事無く、仁之助は背を向けて刀に拭いを掛け収めると野原を後にした。



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弟子

雷十太との決闘より半月が過ぎ、その一戦、雷十太を手に掛けた事が仁之助に暗い影を落した。事など全く無く、普段の生活に大きな変化は起きなかった。

 

ただ一つ、変化した事が有ると言えば、由太郎との稽古の合間合間に語り合う事が増えた。

 

寡黙とまでは言わないまでも、どちらかと言うと余り自分の事を語らない仁之助と由太郎の会話と言えば、由太郎が頻りに質問して仁之助が幾つか答え、由太郎が「流石は先生」と感心すると言うものだった。

しかし、決闘から暫く経ってからは、仁之助は自分から剣術や剣客に対する己の見解を語る様になり、また由太郎に関して剣術以外の悩みや不満を聞く様になった。

 

「タッ!」

「ヤッ!」

「トウッ!」

 

気合い声と共に床を踏む音と木剣がぶつかり合う音が塚山邸に新しく設えられた道場に響く。仁之助と由太郎は木剣で激しく打ち合っていた。ビュンビュンと風切り音を立て稽古とは思え無い速度で振るわれる木剣、それを躱し防ぎ弾く。

 

「手打ちになっているぞ!腰を入れて打て!」

「は、はい!!」

 

どれ程の時間打ち合っているのか、由太郎の息が上がり汗が滝の様に流れ汗止めに頭に巻いた手拭いがグッショリと濡れ必死に木剣を振っていた。一方の仁之助は軽く汗ばむ程度で余裕の表情だった。

 

「ヤァー!!」

 

由太郎が体当たりする様な勢いで踏み込み木剣を仁之助に振り下ろす。自身に振り下ろされる木剣を仁之助が防ぐ、バシンッと鋭い音が鳴る。

 

「良し!!」

 

仁之助がそう言うと由太郎の顔に喜びの色が浮ぶ。

 

「タッ!」

 

しかし、間髪入れず仁之助が由太郎の木剣を弾く、由太郎の体が多く崩れた。崩れたところに追撃の木剣が由太郎を襲う。木剣が由太郎の頭に当たる直前、ピタリと止まる。

 

「油断大敵」

 

ぽつりと呟く。

 

 

 

井戸で汗を洗い流し胴着から着替えた二人は塚山邸の畳敷の一室で正座し対峙していた。

 

「さて由太郎、剣術を学ぶ意義は何だと思う?」

 

出された茶を啜り一息ついた仁之助が口を開く。

 

「強く成るため!」

 

間髪入れず由太郎は答える。目を閉じ上を向き、少し考えて仁之助は話す。

 

「確かにそれも一理ある···」

「はい!」

 

自分の考えを師が肯定してくれるのが、よほど嬉しいのか無邪気な笑顔を浮かべる。

 

「···だが、それだけでは無いと私は思う」

「では剣術を学ぶ意義とは?」

 

真っ直ぐ師を見つめる。

 

(さむらい)は、いざと言う時には覚悟を決め死地に飛び込まなければならない」

「はい」

「ならば剣術は···いやさ武術全般を学ぶのは、そのための腹を拵えるために有る」

 

茶を一口飲む。

 

「今は士の時代では無く、目まぐるしく世情も変化して行く、それでもだからこそ己に誇りを持ち、恥を知り、決して曲らぬ歪まぬ芯を心に持たねばならない」

「···」

 

由太郎は黙して考える。

 

「まぁ、これはあくまで私の考えで、君が自分なりに考えて別の答えを持つのは悪い事では無い」

「はい先生!!」

 

元気良く答える由太郎に満足気に頷き仁之助はぬるくなった茶を一気に飲み干した。



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手土産は羊羹

その日、仁之助は羽織と袴を着込み風呂敷包みを手にして、東京の町を歩いている。羽織も袴も古い物と見え、昔は鮮やかな紺色だったであろう羽織はすっかり色褪せていた。それでも羽織も袴もしっかり洗濯されているためか清潔な印象を与える。

 

「ええっと···ああ、ここか」

 

とある道場の前に立つと、懐からメモを出し覗き込み目的地を確認する。道場には神谷活心流道場と看板が掲げられていた。道場は東京の町中である事を思えば結構広い、全体的にいささかくたびれているが、手入れが行き届いており大事にされているのが外からでもわかる。

 

「御免ください」

 

門前から道場内に声をかける。(この時「頼もう」などと言うと道場破りになってしまう)

 

「は〜い」

 

道場から明るい女性の声が返って来る。小走りに掛けてくる若い女性、艷やかな長い黒髪をリボンで束ねた当世風に言えばポニーテールと呼ばれる髪型が似合う快活そうな美人だった。

 

「某、虎眼流の藤木仁之助と申します。神谷活心流、神谷先生とお見受けしました」

 

女性に向って頭を下げる。

 

「あ、これはご丁寧に、わたしが神谷活心流道場師範代、神谷薫です。左之助から話は伺ってます。今はみんな出払って、大したおもてなしは出来ませんが先ずは中へ」

「では失礼して」

 

道場の中に案内する薫に再び頭を下げ、道場内に入る。

 

 

 

事の起こりは二日前、仁之助が左之助に一つの相談を持ちかけたのが始まりだった。

 

「で、何だ相談てのは」

 

飯を集りに来ていた左之助が満腹になった腹を叩き、上機嫌に言う。

 

「お前さんは何故か顔が広い、どこぞ良い道場はないか?」

「何だ?道場破りか?」

「違う。弟子の事だ」

「弟子?ああ、確か由太郎とか言う?」

 

最近、由太郎との試合稽古をしていてある問題に気が付いた。その問題とは仁之助との体格差である。決して大柄とは言えない仁之助だが、由太郎は十歳そこそこの子供、どおしても仁之助を見上げる様な格好になってしまう。

由太郎は成長期、これからぐんぐんと背も伸びるだろう。そんな時期に自分より大きな相手とばかり試合していたら妙な癖が付きかねない。

 

「そこでだ。体格の近い相手と試合させたい。出来れば同年代の子供と言いたい所だが···手前味噌かもしれないが、由太郎の実力は同年代の子供どころか下手な大人より強い」

「へぇ」

 

ニヤニヤと左之助が笑う。

 

「何だ」

「親バカならぬ師匠バカてな」

 

仁之助は「ふん」と鼻を鳴らす。

 

「まあ、そう言う事なら任せな、知り合いに丁度良いのが居る」

 

そうして神谷活心流道場を紹介された。

 

 

 

話は神谷活心流道場に戻る。居間に通された仁之助は薫と対していた。

 

「お話は左之助から聞いてます。そちらのお弟子さんをうちの道場で稽古させたいとか」

「はい、不躾な願いとは思いますが何卒」

 

頭を下げようとする仁之助を薫が止める。

 

「同じ剣の道を志す者ですもの、互いに切磋琢磨するのをお断りする理由はありません」

 

そう言って朗らかに笑う薫に感謝を伝え、居間に弛緩した空気が流れる。

 

「ああ、忘れていました。こちらを、口に合えば良いのですが」

 

風呂敷を広げ手土産を渡す。

 

「あら子虎屋の羊羹、好物です。あっ!わたしたら、お客様にお茶も出さないで、すぐにお茶をお出しします」

「お構い無く」

 

薫が腰を上げかけた。その時

 

「ただいまでござる薫どの」

 

玄関から男の声がする。

 

「あ、丁度よかった。剣心お茶を淹れてくれない」

「おろ?お客でごさるか?」

「うん、帰ってそうそうで悪いんだけど」

「構わんでござる。すぐにお出しするでごさるよ」

 

優しげな男の声、その声を(はて?どこかで聞いた様な?)と首を傾げる。

 

「旦那様ですか?」

「や、やだ!旦那様だなんて!そんなんじゃ無いですよ〜!!」

 

薫は嬉し恥ずかしそうにモジモジとしだす。

 

()い人てやつか)

 

分かりやすい薫の態度に仁之助は思わず笑みを浮かべる。

襖が開き先程の男が入って来る。

 

「お待たせいたした。お茶を···!!」

「!!」

 

空気が凍った。



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覚悟


間が空きすみません。
その上短いです。



予期せぬ仇敵との再会に凍り付き動き固まった二人を怪訝そうに見ていた薫が口を開く。

 

「ええと···お知り合い?」

 

瞬間、仁之助と剣心は同時に動いた。仁之助は跳ね上がる様に立ち上がり、剣心は茶碗の乗ったお盆を落とした。

 

「「······」」

 

仁之助は拳を構え、剣心は腰の逆刃刀に手を掛けた。

 

(どうする?どうするのだ仁之助!?)

 

仁之助は顔には出さないが心中では焦っていた。此方は武器の類いは寸鉄一つ帯びていない、対する相手(抜刀斎)はすでに刀(逆刃刀などとは夢にも思わない)に手を掛けていた。

 

(勝てるか?無手であの抜刀斎に)

 

だが迷いは一瞬の事だった。

 

(無手なれども、殴る拳(打つ手)は有る)

 

両の拳をより強く握り締め相手の隙を伺う。一度覚悟を決めてしまえば相手を観察する心の余裕が出てくる。

驚いた事に抜刀斎の姿は刃を交えた十数年前のあの夜から全く変わっていなかった。()()()()()()は京都に居た頃にあった陰りが晴れてむしろ若返って見えた。

 

(妖怪の類いではないか?)

 

背筋がゾッとした。

 

一方の剣心は視線を仁之助から外す事無くゆっくりと歩を進め、突然の事に呆然としている薫を背後に庇う様に立った。

 

「剣心···」

 

心配そうに名前を呼ぶ薫の方には振り向かず、しかし、優しく言う。

 

「大丈夫でござるよ薫どの」

 

そして次に若干厳しめに言った。

 

「下がっていてほしいでござる」

 

ぶつかり合う闘気で張り詰めた空気が部屋を満たす。二人は互いに手の届く距離で睨み合いながら顔色は少しも変えなかったが、しかし、緊張で背中にびっしょりと汗をかき、口の中は乾ききっていた。

歴戦の二人でさえそうなのだから、年若い薫にとっては想像を絶する重圧だろう。息が詰り口も聞けず、肩を剛力で押さえ付けられた様で立ち上がる事が出来ない。

 

時間が止まった様な重々しい沈黙、暫しして風が襖の隙間から吹き込んだ。瞬間、無声の気合いと共に二人が同時に動いた。仁之助は踏み込み拳を繰り出す。剣心も腰の逆刃刀を抜き打った。

 

「二人共止めなさい!!」

 

二人の間に割って入った薫の声が意外なほど大きく響いた。咄嗟に引いた仁之助の拳は薫の顔面スレスレに止まり、剣心の逆刃刀は薫の胴を薙ぐ直前でピタリと止まった。

 

「お願い止めて···」

 

真っ青な顔、息もたえだえで絞り出す様な声を上げた薫はそのままヘナヘナとその場にへたりこんだ。

 

「神谷先生!?」「薫どの!?」

 

部屋に満ちていた闘気は霧散してしまった。



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強敵

仁之助と剣心の再会から数日後、神谷活心流道場ではバシン!バシン!と竹刀同士がぶつかり合う音が響いている。

 

防具を着けた二人の子供が向かい合い、試合をしている。言うまでもなく一人は由太郎で、もう一人は神谷活心流道場門下生の明神弥彦である。

仁之助は道場の方わらに座してジッと試合の様子を見ている。その反対側には剣心が座っており、薫は試合の審判をしている。

 

弥彦は相手の手元から伸びて来る竹刀を必死に防いでいた。

 

(この猫目強え···)

 

竹刀の速度が違う。ドッシリと落ち着いた構えから疾風の如き攻撃が飛んで来る。

 

(う、腕が痺れる)

 

一撃一撃攻撃が重い、竹刀で防御してもその衝撃が手や腕まで響いてくる。

このままでは徐々に体力を削られ負ける。そう思い何とか反撃に転じたいが、攻撃が鋭く反撃する隙が無い。しかも時が経つにつれ次第に速度が増し重さが増し鋭さが増した。

今まで出稽古で他の道場の稽古に交じり大人とも試合して勝った事も有る弥彦だったがこれ程の強敵は初めてだ。

 

(負けてたまるか!!)

 

気合いを入れ直し由太郎の動きに必死に喰らいつく。

 

「ほう、やるな」

 

仁之助は感嘆の声を上げた。ああも激しく攻められて気圧されるどころか、むしろ闘志を燃やす弥彦に感心した。

格上の相手との戦いで追い詰められた時に踏ん張り粘る事は難しい。相手が強ければ強いほど人は敗けても仕方ないと思ってしまうものだ。

 

「彼は強く成るぞ」

 

仁之助は弟子に好敵手が出来る予感に思わず笑みがこぼれた。

 

一方的な試合が展開する中で由太郎は戸惑っていた。由太郎はこの日初めて防具を着け、竹刀を持った。仁之助との稽古では防具など着けず、打ち込むのも木刀であって竹刀の軽さは如何にも頼りない。

しかし、それにも次第に慣れ何時も通りの動きができ始めた。戸惑っているのはそれでは無い。

 

(何故!?何故勝てないんだ!?)

 

これで有る。一方的に攻めているのに一本が取れない。

 

(先生が見ているんだ!!)

 

尊崇する師の前で不甲斐ない試合は出来ぬと気負い、より激しく攻め立てる。だが弥彦は体力を削られながらも粘る。後一歩が届かない。気負いが焦りになり始めた。

焦りから攻撃が荒く技の冴えに陰りが見え始めた。

 

「ヤッ!!」

 

大上段から全力で振り下ろされる竹刀、大振りのその一撃をふらつきながらも咄嗟に躱す弥彦、竹刀が空を泳ぐ。

由太郎は全力であるがために大きく体勢を崩してしまった。

 

「ぐっ」

 

弥彦の竹刀が繰り出される。由太郎の面を打つ、否、打つと言うよりポンと当てる様な有効打とは程遠い攻撃、体力の限界に達した弥彦にはそれが今できる限界だった。

弥彦はそのまま前のめりに由太郎を巻込みながら倒れた。

 

「この、さっさと離れろ!!」

「ゼェゼェ、る、るせぇ、腕が痺れて動かねぇんだ!!」

 

仁之助はジタバタと藻掻く二人を苦笑して引き剥がす。

 

「神谷先生、今回はこれまでにしましょう」

「そうですね」

「先生!勝負はまだ着いていません!!」

「戯け」

 

コツンと由太郎の頭に拳を落す。あまり力を入れた様に見えなかったが由太郎は痛みに悶る。

 

「攻め切れず焦って反撃を食らう···どう見てもお前の負けだ」

「はい···」

 

消え入る様な返事をした由太郎は悔しそうに己の袴を握り締めうつ向いてしまう。

うつ向いた頭を仁之助の手が乱暴にワシワシと撫でる。

 

「明日からの修行はより厳しく行くぞ」

「は、はい!!」

 

由太郎は嬉しそうに元気よく返事をする。

その様子をジッと見つめていた弥彦の頭を剣心がポンポンと撫でる。

 

「弥彦も良くやったでごさる」

「や、やめろよ」

 

手を振りほどこうとするが腕が痺れて動か無いため振りほどけず結局なすがままにされてしまった。

 

 

 

弟子二人を下げ今度は仁之助と剣心が進み出る。手には竹刀が握られている。

 

「さて緋村殿···始めようか!!」

「そうでござるな藤木どの···参る!!」

今度は達人二人の試合が始まった。



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勝負


感想・誤字修正ありがとうございます。



仁之助は手にした竹刀を一振りした。

 

(竹刀を持つのは確か···十五年ぶりか···)

 

対面には嘗ての敵、緋村剣心

 

(嘗てのか···)

 

そう最早‘嘗て’の敵なのだ。

薫に戦いを止められた後、剣心と一対一で話す機会を得た。腹を割って話してみれば、あの恐ろしい人斬り抜刀斎は一人の心優しい青年であった事を知った。

そして一度それを知ってしまえば仁之助の心中には敵意は無くなり、この心優しい青年に親しみさえ感じた。

佐幕と倒幕、新選組と維新志士、出会えば即殺し合いの敵だった二人、しかし、同じ時代(幕末)に同じ場所(京都)で同じく日本のために戦った同志と言う共感も二人の間に有った。

 

藤木仁之助と緋村剣心は最早敵同士では無い、無いが···仁之助は剣客で剣心もまた剣客であった。

仁之助が勝負を仕掛け剣心が受けたのは剣客として一つの区切りを付けるためでありケジメなのだ。

 

 

 

仁之助と剣心が睨み合う。

防具は着けない、審判はいない、勝敗は当人同士が決める。そういう勝負であった。

正眼に構えたまま二人共に動かない。道場の脇に寄っている由太郎も薫も弥彦の三人も固唾を飲んで見つめる。道場を包む緊張感は真剣勝負のそれだ。

 

暫しの後、二人は同時に動いた。激しい動きでは無い、ゆっくりと左回りに円を描く様な動き。静まり返った道場の中に袴の衣擦れの音だけが聞こえる。円が二周ほどした時、二人の間合いはにわかに近付いていた。円を描きながら二人は静かに距離を詰めていたのだった。一歩の踏み込みで一撃が相手に届く距離で二人はピタリと止まった。

 

先に仕掛けたのは仁之助

 

「タァ!!」

 

裂帛の気合いと共に左手を突き出す。‘左片手突き’その名の通り片手での突き、両手での突きと比べ初動が小さく隙が少ない。剣心はその突きを右へと躱す。

 

(剣心の勝ちよ)

 

剣心が躱した瞬間に薫はそう心の中で呟いた。片手突きは初動こそ少ないが片手であるがために突いた後に素早く構え直す事が出来無い、つまり躱せば隙が出来る。そこを突けば勝つ事が出来る。しかし、薫の思惑とは裏腹に剣心は右へと躱した後さらに後方と飛び退いた。何故と薫が思った瞬間、仁之助の竹刀が右へと跳ねた。

‘片手平突き’嘗て新選組副長・土方歳三が考案し隊士へ教えた実戦技の一つで有る。その要諦は刃を横に水平に寝かせる事で突いた後に直様横薙ぎの斬撃へと移行出来ると言う事である。(もっとも竹刀では刃を横に寝かせる必要も無いが)無論、新選組と敵対していた剣心も嫌と言うほど片手平突きを見ている。

 

(懐かしい技でごさるな)

 

剣心は思わず苦笑する。苦笑しつつ攻撃に転じ無防備な仁之助の胴に竹刀を振るう。

対して仁之助は左右や後ろに避けるのでは無く前に踏み込み肩から剣心にぶち当たろうとする。

これを読んでいた剣心は仁之助のぶち当たり避けながら横をすり抜けながら胴を打つ。

 

しかし、これも仁之助は床を転がって避ける。転がる勢いを利用して跳ね起き、剣心に打ち込んだ。

剣心は身を捻り独楽の様に回転して回避、回転を利用して仁之助に横薙ぎの一撃。

頭を狙う一撃を仁之助は体を反らして躱す、反らした反動を利用して竹刀を斬り上げた。

打っては躱し躱しては打つ、流れる様に目まぐるしく攻防が切り替わる。攻撃が躱す動作の躱す動作が攻撃の呼び水になる。

 

「凄い···」

 

誰とも無く感嘆の声が上がる。双方の動きが噛み合って傍から見るとまるで剣舞を舞っている様であるが、竹刀から出ている風切り音は直撃すればただでは済まない事を如実に表している。

 

仁之助と剣心が同時に跳び退き距離を取った。二人共、滝の様な汗をかき息も弾んでいる。だが二人の目は闘志が爛々と滾っていた。その時、道場に居た全ての人が同じ事を感じ取った。即ち『次の技で決まる』と

 

「「「あっ!!」」」

 

二人の戦いを見ていた三人が驚愕した。

仁之助が竹刀を己の右足に突き立てたのだ。まるで盲人が杖に縋るかの様な構え、大凡あらゆる剣法に無い構え。

 

あの構えは必殺の力が込められている。剣心はそう確信した。

右足の第一指と第二指の間に突き立てられた竹刀は万力の如く締め上げられ、上半身は捩り捻られ力を貯めている。

剣心は右へ左へと動き隙きを覗う。しかし、仁之助の構えは重心を巧みに操り剣心を追尾する。

正面から打ち勝つしか無い、奇妙な構えから繰り出されるのは下から上へ跳ね上がる斬撃で有ろうと当たりを付けた剣心は自分の繰り出す技を決めた。

 

「「···」」

 

今日一番の緊張感が場を支配した。

剣心が動いた。真っ直ぐ相手に向って駆ける。剣心の体が仁之助の間合い剣の軌道に入るその直前、バッと剣心の体が飛んだ。高い道場の天井近くまで飛び上がった剣心は仁之助の頭上へと襲い掛かる。

 

飛天御剣流・龍槌閃

 

猛禽の如く、否、飛龍の如く仁之助の頭上から襲い掛かる。頭に竹刀が直撃する直前、仁之助も己の技を繰り出す。

 

無明逆流れ

 

振り下ろされる竹刀と跳ね上がる竹刀が交差した瞬間、大きな破裂音が響き渡る。

 

バァン!!

 

剣心の体が宙を舞った。その身は高く打ち上げられ天井に叩き付けられた。

 

「ぐっ」

 

何とか着地したが膝を付き竹刀で体を支えている有様だ。

 

「拙者の「待った」」

 

負けでござる、そう剣心が最後まで言い終わる前に仁之助が竹刀を持った己の腕を差し出した。仁之助の竹刀は半ばから折れ右手は紫色に腫れていた。

 

「緋村殿の勝ちだ」

 

そう言った仁之助は清々しい笑顔を浮かべていた。



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荒行


お久しぶりです。
間が空いて申し訳ありません。




広い庭に何かを叩く乾いた音と「タァ!」と言う気合い声が響く。由太郎は自宅の庭で一人、竹束を相手に鍛錬を続けて居た。

 

『切り返し』それが由太郎が行っている鍛錬方の名である。竹束を木刀で左右に打ち続けると云う鍛錬方である。

 

竹は非常に頑丈で靭やかな植物である。戦国時代には竹束を火縄銃の弾丸を防ぐ盾として使い、時代が下ったとある戦場では竹藪に撃ったライフル弾が跳弾を繰り返し撃った本人に当たると云う珍事が発生した。

 

それ程頑丈で靭やかな竹束を木刀で力まかせに打つと反動がもろに返り指や手首を痛めてしまう。だから打つ側も力強くそれでいて靭やかに打つ必要がある。

 

竹束を一心に打つ、身体の芯を意識しつつ一撃一撃を全身の重さと筋肉を使って打つ、途切れる事無く左右に打ち続ける。皮が裂け血塗れになった掌に化膿止めの塩を擦り込み打ち続ける。

 

『回数は決めない、自分が満足するまで続けなさい』

 

師のその言葉に従い、試合に負けた悔しさを払拭する様に竹束を打ち続ける。毎日腕が動かなくなるまで何万回と切り返しを続けた。一月が経ち掌の皮は鞣した如く堅くなっていた。

 

「ヤッ!!」

 

気合いと共に放たれた今日一番鋭い一撃が竹束を叩く、その瞬間、竹束がへし折れた。と同時に由太郎はその場で倒れ込んだ。

 

「ゼェゼェ···」

 

息も絶え絶え、全身は汗でずぶ濡れで地面に大の字で寝転ぶ。

 

(先生は今頃どうしているだろう···)

 

緋村剣心との試合の後、怪我の治療もそこそこに山に籠もると言い残して行ってしまった師に思いを馳せ由太郎は意識を手放した。

 

「また由太郎様が気を失っておられる」

「おーい、誰か水持ってこい」

 

この頃は由太郎の無茶にすっかり慣れた使用人達がテキパキと庭の片付けを始めた。

 

 

 

仏教に千日回峰(せんにちかいほう)と云う修行が有る。その修行方とは七年間を山寺に籠もりその内千日間を山の中を歩き続ける。最初の四年は年間百日、最後の三年は二百日の間、山中を朝から晩まで歩き続ける。

 

仁之助も山に籠もっている。さすがに七年も籠もるつもりは無いが行っている修行は千日回峰に似ている。

 

身に着けているのは粗末な山袴に筒袖の着物、足袋に草履、そして腰には短刀一つ、それだけだ。

 

食料の類は持ち込まない、飢えは木の実や皮でしのぎ、渇きは朝露や雨で潤す。夜具なども無い、山中では決して横にならない木や岩に背を預け短時間だけ目を瞑る。

 

短刀も身を護るための武器では無い、山中で身動出来なくなった時に自害するための道具だ。

 

山に籠もる間、自分の命以外は一切の殺生を禁じている。どれほど飢えていてもネズミ一匹であろうと殺して食らう事はならない、熊などの猛獣に襲われてようと一切の反撃は出来ない逃げの一手だ。

 

山中を進む、人の手など少しも入っていない樹木が生い茂る道なき道を進む、激しく流れる谷川を泳いで渡り、切り立った崖を身一つでよじ登る。

 

この様な生活を四十日行う。

 

そして四十一日目、最後の締めに断食、断水、断眠の瞑想を七日間を行う。

 

肉体的にも精神的にも極限状態に追い込む。心身共に削いで削いで削ぎ切って己の中心に残ったモノを磨き上げて昇華する。

 

虎眼流藤木派『圧縮回峰』荒行の多い虎眼流の中でも成し遂げた者は十人に満たない。

 

仁之助はなぜその様な荒行を己に強いるのか、剣心に敗北したからか、否、勝ち負けの問題では無い、剣心が膝を付き敗北を認めようとしたその瞬間、仁之助の中に殺意が湧いた。

 

(宿敵抜刀斎を殺す絶好の機会だ!!)

 

あの時、由太郎が視界に入ら無ければ殺意に飲まれ無防備な剣心を撲殺していたかもしれない。

 

仁之助は殺意自体は否定しない、真剣での戦いを命のやり取りを殺意無しで出来る方がどうかしている。危険なのは殺意に我を忘れる事だ。

 

(殺意の類は己の手に収まる程度でなくては成らぬ)

 

とそう思う。

 

だからこそ己を見つめ直す圧縮回峰を行う。

由太郎にとって少しでも真当な師匠たる為に···



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十番勝負一本目『ガマ剣法』


ガマ剣法のイメージは『腕』の方です。


 

夢うつつの中で仁之助は過去の闘いの記憶を思い出していた。

 

 

 

池田屋事件から少したった時期、仁之助は一人、市中見回りに毎日出ていた。

池田屋で目覚ましい働きをした新撰組は佐幕派には一目置かれ、攘夷派には同志の敵として憎まれていた。

そのせいか最近、隊士が襲撃に合い死傷者を出していた。故に仁之助は一人で見回りに出ていた。

つまりは釣りだ。仁之助は新撰組の羽織を着て目立つ様に練り歩き、時おり人通りの少ない路地を通る。そしてその後方、距離をとって普段着の新撰組の隊士達が付いて回る。後方の隊士達は襲われた仁之助を助太刀では無く、不逞浪人を見つけ、追跡し、隠れ家を発見、あわよくば一網打尽、という策だ。

 

一見わざとらしく、怪しい、雑な釣りに引っ掛かるものか?と思うかもしれない。だが、釣り餌が良い。

藤木仁之助は攘夷志士に名が売れている。壬生浪士隊の頃から池田屋まで多くの同志を斬っている。

いわば不倶戴天の敵、そんな相手が毎日、一人で呑気にぶらぶら歩き回っている。

危険を犯してでも討ち取りたいと思うのが人の情と云うものだ。

 

とは言え、壬生浪の虎の腕前は響き渡っている。同志の敵討ち、しかしながら仕損じれば恥、だから、雇った。裏の口入れ屋を通して仁之助を斬れる者を…

 

 

 

奇妙な男だった。顔は頭巾を被り分からないが背が低く横幅が広い肩幅も広いのだが、肥ってもいる。肥ってはいるのだが肥り方が腹が前にでるのでは無く、左右に広がっている。その体を支えている脚、極端な短足だった。そのせいで低い背がより低く見える。刀を帯びていても脇差しが無いので武士身分では無いのだろう。

 

そんな男が仁之助の前に立ち塞がり、あまつさえ刀を抜きはなった。

そこは闘い慣れた仁之助、相手が刀に手をかけた瞬間、後ろに跳ねて距離を取る。既にその手には抜き身の刀が握られていた。

 

「何奴!!」

 

「…」

 

大声で問いはしたものの初めから答えなど期待していない。味方への合図の様なものだ。

 

場所は屋敷の外壁に挟まれた狭い路地、前には刀を抜いた男、背後からも複数の殺気を含んだ気配を感じ取る。挟撃ち、というより背後の気配は此方を逃がさない為と、邪魔の入らない様に道をふさいでいるのだろうと辺りをつけた。

 

ならばと、正面の相手に集中する。

凄まじい殺気をぶつけて来る相手にジリジリと距離を詰める。

すると相手が地面に伏せた。

 

相撲の四股の様に脚を広げ、上体はひれ伏す様に前にのめった。その様子は蛙が今まさに跳ぶ瞬間に似ていた。

 

(ガマ剣法!)

 

その奇態な構えを見た仁之助は息を飲んだ。

藤木道場の初代、藤木源之助が書き残した手記に、とある御前試合で目の当たりにしたと云う数々の技と業が事細かにしるされていた。

幼い頃その手記を読んだ時より、その技の数々を想像し、自分でも試したり、どう闘うか工夫していた。

 

そんな中で試して上手く行かなかった技が『ガマ剣法』だった。ある種の肉体的特長が必要なこの技は仁之助の想像の中でしか存在しなかった。今までは

 

(有難い)

 

しかし、今まさに仁之助の眼前に天性の肉体でしか表現出来ない『ガマ剣法』が現れた。

幼少の頃より練ってきた工夫が本物につうじるか、ようやく分かる。まさに千載一遇、この時を逃しては二度と再び『ガマ剣法』の使い手とめぐり会う事など無いだろう。

思わず笑みが溢れる。

 

命をとしての闘いの場で緩んだだらしない顔をしてはいかんと顔を引き締める。

 

 

 

ガマ剣法の使い手の刺客は肝を冷やした。殺しの対象の藤木仁之助が急に歯を剥き出しにした。その姿は大型の肉食獣が威嚇している様で本能的な恐怖を覚えた。

 

更に驚いた事に仁之助は手に持った刀を自身の左側の地面に突き立てると、その場に正座で座り込んだ。

 

ガマ剣法を会得して以降、様々な相手を始末して来た。侮り不用意に斬りかかる者、注意して距離を取る者、しかし、座り込んだ者は流石に初めての事だ。

 

ガマ剣法の骨子は体勢を極限まで下げて相手の刃が自分の体に届く前に足を斬り払い、体勢を崩した相手を立ち上がりの勢いを着けた斬撃で止めを差す。

 

初手から思惑を崩された刺客は混乱した。どうする?どうすれば?

だが仁之助は目の前、いつまでも思案などしては居られない。

 

わざわざ首を近くに近づけてくれたのだ。

そう思ったならば自分をおたつかせた仁之助に怒りの感情が沸き上がる。

 

(その首撥ね飛ばしてやる!!)

 

刺客の刀が吸い込まれる様に仁之助の首へと伸びる。

刃が首に届く瞬間、ガシッと仁之助の手に上下から挟み込まれ動かなくなった。

 

押し込んでもピクリとも動かない刀を引き抜こうと体重を後ろに掛けた瞬間、パッと刃から手を離され体勢が大きく崩れた。

後ろにつんのめる刺客に対し仁之助は脚を大きく伸ばし前に踏み込み、そして、刺客の脳天と顎を挟み込む様に掴んだ。

 

「ムッ!」

 

仁之助の息む声と共に刺客の視覚が上下逆転した。

 

 

 

首を捻り折った刺客を見下ろしながら、地面に突き立てた刀を引き抜き鞘へと納める。背後の気配が遠退いて行くのを感じる。

 

「藤木」

 

入れ替わる様に隊士が寄ってくる。

 

「逃げた連中はどうしました?」

 

「山崎さんが追っている」

 

「なら大丈夫そうですね」

 

「血が出てるぞ」

 

首に手を当てると浅く斬られいるのがわかった。

もし地面に突き立て刀で斬撃の方向を限定していなかったら斃れていたのは自分だったかもしれない。

 

「…」

 

仁之助は刺客の捻れた首を元に戻し、手を合わせた。





筆者の妄想の垂れ流し

恐縮ですがお付き合い下されば幸いです


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十番勝負二本目『飛竜剣』

 

「今夜は帰らんぞ~ウィィ」

 

「局長、予定の無い外泊は避けて頂きたい」

 

「固いこと言うなよぉ」

 

顔を真っ赤に染め酒臭い息を吐きながら新撰組局長・近藤勇は三人の隊士に我が儘を言って困らせていた。

 

場所は近藤勇の妾の家、所謂『妾宅』と云うやつだ。

近藤勇は昼間から妾宅に上がり込み、日頃の激務の反動か日か落ちるまで酒と色にたっぷりと浸っていた。

 

そして現在に至った訳だ。

困ったのは護衛役の隊士達だ。鬼の副長にはくれぐれも間違いの無い様に、と念押しされている。

 

「俺は新撰組局長だぞ~!俺が良いと言ったら良いのだ!」

 

結局、ぐでんぐでんに酔っ払った近藤勇を連れ帰るのは逆に危険と言う訳で、二人が妾宅に泊まり込み護衛を続け、残り一人が新撰組屯所に報告に戻る事になった。報告に戻る隊士が仁之助だった。

 

 

 

仁之助は最近、妙な視線を感じる。もともと気配を感じ取る能力は人一倍優れていると自負していた。が、無明逆流れの鍛練でその感覚がより鋭く成っていた。

 

新撰組の羽織を着ていれば市井の人々が好奇や嫌悪の入り交じった視線を感じる事は今までもあった。遠巻きに見てくる視線の先に目を向ければ、急いで目を伏せそそくさと離れてく人々が居るだけだ。

がだ、その視線の中に粘っついた。なんと表現すべきか…そう、執着に似た何かを感じとっていた。しかも、妙に粘っついた視線の癖に視線の先が分からない。

 

そして…

 

正面から酔っ払った浪人風の男がふらつきながら歩いてきた。

 

すれ違った瞬間、仁之助は振り向き様、浪人に斬り掛かった。浪人は横に跳び仁之助の刃を避けた。急に刀を抜いた仁之助を見た人々は悲鳴を上げ逃げだした。

仁之助が視線を向ける先には刀を抜きニタリと顔を綻ばせた浪人が立っていた。

 

…そして、視線を感じる様になって、刺客の類が妙に多くなった。

 

 

 

「何故、分かった」

 

「歩き方…」

 

浪人の質問に仁之助は構え直しながら手短に答える。

前後不覚になるほど酒を飲んだはずの浪人、しかし、歩幅だけ一定、明らかに仁之助との間合いを計っていた。

 

「なるほど、次は気を付けよう」

 

「…」

 

浪人は笑みを深くして、脇差も抜いた。右手に太刀、左手に脇差の二刀流、右の太刀は正眼、左の脇差は上段に構えた。

 

「二天一流?」

 

仁之助の口から二刀流として名高い宮本武蔵の流派名を耳にした浪人は怒りで顔を歪ませた。

 

「未来知新流だ!」

 

「知らん、何処の木っ端流派だ」

 

嘘である。構えを見た瞬間仁之助の脳裏に浮かんだ流派名、未来知新流、その名は源之助の手記の中に『飛竜剣』の名と共にしるされていた。

わざと間違える事で相手の情報を手に入れる。監察方・山崎丞に教わった技術である。

 

「おのれ!」

 

更に未来知新流を馬鹿にして相手を怒らせる事で平常心を失わせ視野を狭まわせる。

 

浪人の左手が動いた。脇差が投擲される。ほぼ同時に踏み込む浪人、未来知新流の秘技『飛竜剣』相手の胸元に向かって投げた脇差、脇差が刺さって仕留めればよし、仕留め切れずとも避ける等で体勢を崩した相手を太刀で仕留める。

 

(未来知新流は隙を生ぜぬ二段構えよ!!右に避けるか左に避けるか、それとも太刀で脇差を振るい落とすか!?)

 

否、仁之助の答えは前、前進では無く、前のめり、前方に飛び込んだ。

脇差が頭上を空気を切り裂き通り過ぎて行く

 

「チィェェイ!」

 

「キェェイ!」

 

裂帛の気合いと共に白刃が煌めき交差した。

 

仁之助は地面を転がりながら体勢を整え相手に向き直る。

向き直った時には浪人は太刀を落とし、力無くへなへなと膝を付いた。次の瞬間、グチャリ、浪人の腹から腸が零れ落ちた。

 

 

 

パタリ

 

浪人が斃れたのを確認した男が障子を閉じ、酒を煽る。

 

「またや、また殺られてもうた」

 

「ケケ、知新流の旦那、斬られましたかい」

 

場所は仁之助達が闘っていた近くの料亭、その二階座敷に二人の男が差し向かって酒を呑んでいた。

 

一方は関西弁の商人風、老人だが歳を感じさせない矍鑠とした様子と品の良い格好から何処の大店の御隠居と言った雰囲気だ。

一方は卑屈な喋り方の総白髪、一目で不健康そうだと分かる痩せた体に痩けた頬、白髪ながら顔は若かった。

 

「口入れ屋の旦那、随分な御執着でやすね」

 

「関西一円の裏仕事を取り仕切るワシが嘗められたままでいられるかい」

 

「一銭にもならないのに…そう言えば最初の依頼人の長州者は何処に行っちまったんでしょうかね」

 

酒を舐める様に呑む白髪男の呟きを聞き商人風の男・口入れ屋は何でも無い様に言う。

 

「アイツか?アイツならちょいと絞めて軒下に埋めたで」

 

口入れ屋は首を絞める真似をした。

 

「ケケ、おお怖」

 

「お前にも働いてもらうで、十字打ちの」

 

「あっしは高いですよ」

 

そう言って白髪男は口入れ屋の酌を受けた。





駿河城御前試合に出てくる流派以外との闘いも書きたいので全部の技は出ません。あしからず


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