時を求めたら始まりの日でした (Syu21)
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目が覚めたら戻りすぎてました

ドラクエ11が再熱して楽しくなったので書きました。強くてニューゲーム(二週目)しながら書いていきます。


  

 もし、もう一度あの日に戻ることが出来るのなら。過ちを予見し、修正して。守る力を正しく使い、誰も傷つかず失わない。

 

 そんな幸せな未来を、作る事が出来たのなら。

 

 それはきっと本当の意味で、勇者としての使命を果たせたと言えるんだろう。

 

「はぁっ!」

 

 がきん、という酷く鈍い音を上げながら、相対するようにして砕けた勇者の剣と時のオーブ。

 その折れた切っ先とキラキラ光るガラスの破片が交わる視界は、酷く綺麗で、儚くて。

 ゆっくりと時間をかけて壊れていく両者を見ながら、僕は自分の犯した罪の重さと愚かさを、しっかりと脳裏に焼き付ける。

 

 たった今、僕は一つの世界を終わらせた。導いてくれた仲間や大切な故郷を裏切って、一からやり直すことを選んだ。

 

 自ら背負ったこの罪は、一生かかっても許されはしない。死んでもなお、永遠に取れる事もなければ償う事も出来ない、とてもとても重い足枷。

 仮に耐えきれず無理に外そうとすれば、それは僕自身がここにいた、唯一の証明を捨てるのと同じ事になるだろう。

 

 そしてそれが出来る程、僕は自分が器用じゃない事を知っている。だからこそ、背負う事を選んだ。

 例えどんなに辛くとも痛くとも、これがある限り、僕は生にしがみつけるから。絶対に、生きてみんなの所へ帰るって思えるから。

 

 そういう意味でも、この罪は切っても切れない大切なものだ。切り離そうとも思わない。

 

「相棒!」

 

 聞こえた声にゆっくりと振り返れば、そこには目から涙を流して僕を見る、愛しくて大切な、かけがえのない仲間達。

 これまで沢山支えてくれて、辛い時には助けてくれて。

 

 そんな優しくて大好きなみんなを置いていくんだから、やっぱり僕は大罪人で、極悪人で、魔王の言う通り悪魔の子なんだろう。

 

「⋯⋯カミュ、セーニャ」

 

 相棒を筆頭に、僕はこれまでの旅を思い出すようにして順に名前を呼んでいく。

 シルビア、ロウじいちゃん、マルティナ、グレイグ。そして、僕らを救ってくれた今は亡きベロニカ。一人一人の顔を見ながら名前を呼べば、全員の視線が僕へと向けられる。

 時間がない事は分かっていたけど、最後にもう一度、みんなとの時間を共有したかった。

 

 こんな時、カミュやシルビアならもっと上手くやるんだろう。元々口数の少ない僕じゃ、適切な言葉なんて到底見つかりそうにない。

 けど、唯一「ごめん」だけは違うって分かる。だってその言葉はこれまでにもう散々伝えて、その度にみんなを心配させてきた謝罪の言葉だから。

 

 だから最後くらい、違う言葉で伝えたい。

 ただでさえ口数の少ない僕の言葉を、いつもちゃんと理解してくれたみんなへ。

 こんな僕の隣をずっと歩いてくれた、大切な、かけがえのないみんなへ。

 

 息を整え、言葉を紡ぐ。

 

「みんな、僕と出会ってくれてありがとう。僕の、勇者の仲間でいてくれてありがとう。向こうに行っても、ここにいるみんなの事は絶対に忘れない。僕はみんなが、今のみんなが、大好きだから」

 

 戻ればまた会えるのかもしれない、またみんなで旅が出来るのかもしれない。けど、それは昔のみんなであって、今のみんなじゃ決してないから。

 

 だからこそ、ちゃんと伝えておきたくて。

 

 これまでみんなと作った時間が、思い出が、日々が。僕にとってどれだけ救いで、どれだけ大切だったのかを、紡ぐ言葉に乗せたくて。

 

「勝手に決めといて、何言ってんだって思うかもしれない。けど⋯⋯それでも絶対にまた、みんなに会いに来るから。だから、その時は、」

 

 ありったけの想いを乗せた言葉に、みんなの目からはとめどなく涙が溢れる。そしてそれは僕も同じで、自分の意思で止める事は出来なかった。

 

 ロウじいちゃんだけでなく、普段はそういった弱い部分を見せないマルティナや強く頼もしくなったセーニャまで膝をついて涙を流しているのを見て、想いが伝わった事に安心する反面、駆け寄って涙を拭ってやれない事が酷く悔しい。

 

 次にまた会えた時は、絶対に僕がその涙を拭ってみせる。そして今度こそ、みんなで笑い合えるような、そんな幸せな未来にしてみせるから。

 その為なら僕は、みんなの願いや命だって、未来だって背負って戦えるんだ。

 

「おお、イレブン、イレブン⋯⋯っ!」

「イレブンさま⋯⋯!」

 

 みんなとの別れを遮るように、さらに強くなり全身を包み始める眩い光。別れの辛さや寂しさはあるけど、再会を信じているから怖くはない。

 

 ベロニカやみんなを必ず救って、必ず平和な世界を切り開いてみせる。

 

「っ、イレブン! 俺たちは、もう一度お前と旅をするからな!」

 

 決意を固めて旅立つ直前、光に包まれた微かな視界の先で、涙を強引に拭ったカミュが大きく叫んだ。あれだけ迷惑をかけてもまだ、彼は僕の相棒でいる事を望んでくれるらしい。

 

 みんなを置いていくのに、この世界を見捨てて裏切ったのに、それでもそんな言葉をかけてくれるなんて。

 相変わらず、君は最高にお人好しで優しい、最強で最高の僕の相棒だ。

 

 他のみんなもカミュの言葉に頷いてくれているような気がして、僕は精一杯声を上げて頷き返す。

 いつか僕が未来を変えて、永遠に取れる筈のないこの足枷を外せるような、過去と未来が収束して一つになるような、そんな奇跡に出会えた時。

 

「また会おうぜ!」

 

 そんな彼の言葉を最後に、僕の意識は光に包まれそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆらゆらと心地の良かった不思議な感覚から、次いでゆっくりと浮上してきた意識。

 それに合わせるようにして、静かに閉じていた両目を開く。

 

 ──するとそこには、視界いっぱいに広がる空と、空中に浮かぶ大樹が見えて。

 

「うわ⋯⋯」

 

 ついさっきまでとは明らかに違うその景色に、僕は信じられないとばかりに口をひらく。

 

「⋯⋯本当に⋯⋯過去に戻っ⋯⋯!?」

 

 けれどその後に続く筈だった言葉は、意外にも重力を失った僕自身によって中断された。

 どしん、といういかにも痛そうな音を立てて、驚く暇もなく背中から地面に落っこちる。当たり前だけど、打ち付けた背中は普通に痛かった。

 なんなら少し頭も打っているし、自分が思っていたよりも凄く痛い。

 

「い、たた⋯⋯」

 

 これは完全にたんこぶコースまっしぐらだ。強打した後頭部を優しく撫でながら、僕は起き上がると同時にその延長で真上を見上げる。

 木々の隙間から差し込む陽の光が眩しくて、その光景を見るに、僕が枝から足を踏み外して地面に落下した事は言うまでもなかった。

 

 開始早々あまりの仕打ちに、僕は複雑さから眉間に皺を寄せる。勝手に落ちたのは僕だけど、なんだかどうにも腑に落ちない。

 とりあえず、何かあったらいけないので一応ベホマをあてておこう。

 

 カミュやグレイグには「そんなもんに最上級の回復呪文使うな」とか言われそうだけど、たんこぶは立派な大怪我だからセーフだ。

 まぁ僕自身、まさかこんな事に一発目の呪文を使う事になるとは思わなかったけれど。

 とりあえずは時の番人の言う通り、力の引き継ぎには成功したようで安心した。

 

 とまぁそれに関しては良しとして、今はどちらかと言うとたんこぶよりも普通に胸が痛い。軽率にみんなの事を思い出したせいで、今確実に僕の精神がゴリゴリと削られまくっている気がする。

 まるでかき氷器に削られる氷のような気分だ。こればかりはベホマでも治りそうにない。

 

「うーむ⋯⋯」

 

 呪文をあてる後頭部に意識を向けながら、どうして自分が木の上にいたのかを考える。

 痛みのおかげでここが現実世界な事は理解出来たものの、流石にやり方が手荒じゃないだろうか。

 何も木登り中に時を戻さなくたっていいのに。

 

「そもそもここが過去っていう証拠も⋯⋯」

「ワンワン!」

「え?」

 

 そこまで考えていた時、少し離れたところから、聞きなれた懐かしい鳴き声がした。

 慌ててそっちに顔を向けると、その声の主は僕と目が合った途端、全速力でこちらに駆け寄って来てくれて。

 

「ルキ!」

「ワン!」

 

 勢いよく僕に飛びつくと、再び地面に倒れた僕に乗り上げ、優しく頬を舐めてくる。ふさふさの毛並みと太陽みたいな匂いは相変わらずで、こっちまで嬉しくなって抱きしめた。

 

 頭を撫でてやると一層擦り寄ってきて、地面に降りたかと思うと今度は僕の周りをぐるぐると回り始めるルキ。

 

「相変わらず元気だなぁルキは」

「ワンワン! ワン!」

「あはは、そっかそっか」

 

 そういえばあの日もこんな感じだったなぁ、なんて回る彼を起き上がりながらも微笑んで見ていると、そんな先行くルキを追いかけてきたらしい。

 

「イレブン! 大丈夫!?」

 

 綺麗な髪を風になびかせながら、今度は幼なじみであるエマがこちらへ駆け寄ってきた。

 その表情はいかにも一大事といった様子で、息を整えるのも忘れて僕に詰め寄るエマ。彼女は美人で村のみんなにも評判がよく、僕の自慢の幼なじみだ。

 

 とはいえ最後にあったのはそれなりに前なので、彼女とはこれが久しぶりの再会になる。

 

「エマ? そんなに慌ててどうしたの?」

 

 会ったと思えばいきなり安否を確認されて、僕はなんの事か分からずに首を傾げた。

 心做しか前に会った時よりも背が低く感じるのは、僕が知るエマよりもまだ少し幼いからだろう。

 

「どうしたのって、イレブンが私のスカーフを取ろうとして木から落ちたから、私心配で⋯⋯! どこか怪我してない? 大丈夫!?」

「え、スカーフ?」

 

 まさかと思いズボンのポケットに手を入れてみると、そこには確かにエマが普段愛用している、赤い色のおしゃれなスカーフが無造作に突っ込まれていた。

 その状態から察するに、時を戻る直前の僕が、落とさないよう入れていたらしい。

 

 だからってポケットに押し込まなくても。ガサツな自分に呆れつつ、木から落ちたのを見られていた事に若干の恥ずかしさを覚える。

 

「だ、大丈夫大丈夫。このくらいなんとも」

「本当に? 痛かったらすぐに言ってね」

「うん。ありがとう」

 

 羞恥を押し殺すように首をぶんぶん横に振ったら、安心したように微笑んでくれた。相変わらずエマは僕の女神である。可愛い。

 そしてウルノーガ、お前は絶対許さない。

 

「よっと」

 

 それから僕は立ち上がり、皺を直しながらスカーフについた汚れを軽く払った。返し次第彼女はすぐ頭に巻く気がしたので、塵一つ無いよう念入りに拭いておく。

 

 そしてようやく渡そうとした所で、彼女は何かに気づいたらしい。手を口元にもっていき、次いで驚いたように声を上げた。

 

「エマ?」

 

 どうしたのかと尋ねると、エマは慌てたように僕の背中を指さして。

 動きにつられるままに視線を向けると、僕自身その衝撃にぎょっと目を見開く。

 驚いた事に、そこには僕が過ぎ去りし時を求めて過去を遡ってきた、何よりも明確な証拠があった。

 

 ⋯⋯というより、なんで落ちた時に気づかなかったんだろう。

 

「イレブン、どうしたのその剣!」

「うわっ⋯⋯!?」

 

 僕が背負っていた剣は、紛れもなく「魔王の剣」そのものだった。

 禍々しくもおびただしい雰囲気を放つ背中の大剣に、僕は自分が背負ってる事も忘れてそれを見ようと体を捻る。

 

 どうやら時の番人が言うように、勇者の剣が壊れたことでいつの間にか装備されていたらしい。

 いやたんこぶなんかに驚いてる場合じゃないだろ僕。

 

 魔王の剣<たんこぶが成り立つ勇者でこの先大丈夫かな。頼りなさすぎて我ながら胃が痛いんだけど⋯⋯。

 背中に頭に精神に胃まで痛い勇者だなんてもうめちゃくちゃだ。

 

「見た事のない剣だけど⋯⋯さっきまで持ってなかったよね?」

「あー、えっと⋯⋯これはその⋯⋯そう! 前に散歩に来た時に見つけて、この近くに隠しておいたんだ。エマをびっくりさせようと思って」

 

 驚いた? なんてあまりに苦しすぎる言い訳を並べながら、僕は自分の機転の悪さを呪う。

 なんだよ魔剣を隠しておくって。こんなどぎつい剣がイシの村なんかにあったらそれこそ大騒ぎだよ? 

 もはや犯罪の匂いしかしないし。

 

「そっか⋯⋯それにしても凄い大きな剣だね! 重くないの? 私でも持てるかな?」

「いや、結構重いから持たない方がいいよ! 単に驚かせたかっただけだし! それよりほら、スカーフ」

「あ! ごめんイレブン、ありがとう!」

 

 剣に興味を示しそうになるエマを躱しつつ、手に持っていたスカーフを本人に渡す。

 全然誤魔化せてないけれど、彼女は触れずにいてくれるらしい。

 

 僕の罪にエマは絶対巻き込みたくないし、巻き込んじゃいけないんだ。僕にとって平和の象徴ともいえる彼女に、こんな戦いの道具への興味なんて持って欲しくない。

 

「謝るのは僕の方だよ。スカーフぐしゃぐしゃにしちゃって」

「ううん、全然平気だよ」

 

 少し皺のよってしまったスカーフに関して謝ると、エマは特に気にした様子もなく、笑顔で笑って許してくれる。

 それどころか自分のせいだとまで言ってくれる彼女は、やっぱりどこまでも優しくて。

 

「やっぱりこれがないとね!」

「そうだね」

 

 スカーフを器用に巻く様子を眺めながら、僕は密かにこの平和を手放さないよう、改めて強く決意を固めた。

 絶対とまでは言えないけれど、ここまであの日を再現されれば、鈍い僕でもよく分かる。

 

 戻った瞬間はきっと、風に飛ばされたエマのスカーフを取ったあの時。これから僕らは待ちに待った成人の儀式を終えるため、あの神の岩を登る事になるんだろう。

 

 聞いていた話よりもかなり、というか大分遡ってきてしまったみたいだけど、今の僕にはその理由までは分からない。

 ただ一つ分かる事があるとすれば、それはもう、二度と失敗は許されないという事だけだ。僕は僕の背負った大きな罪とみんなの未来を胸に、最後まで全力で抗わないと。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 そのためにも、まずはエマと無事に成人の儀式を終えなきゃならない。彼女を無事に守りきる事が僕に与えられた最初の使命だ。

 ぐっと拳を握り、左手の痣に誓いを込める。

 

 それから慣れた手つきでスカーフを巻き終えたエマに呼ばれたのは、ほんの数秒後の事だった。

 

「どう? 似合ってる?」

 

 いつも見たく優しい笑顔で聞いてくるエマに、僕はもちろんとばかりに頷く。トレードマークとも言える赤いスカーフは、しっかりと彼女の綺麗な髪に馴染んでいて綺麗で。

 

 改めて、彼女に戦うための武器は似合わないと思った。

 

「うん、凄く似合ってるよ。やっぱりエマは、こんな剣なんかより可愛いスカーフを巻いてる方がずっといい」

「え⋯⋯」

「あぁでも、スカーフがなくてもエマはそのままで十分可愛いけどね⋯⋯ってあれ、」

 

 そう歩きながら思った事を口にしていたら、いつの間にか隣を歩く彼女の姿がなかった。不思議に思って振り返ると、何故か足を止めていたエマが頬を紅潮させ、目を丸くして僕を見ている。

 

 その普段あまり見ない、なんなら初めて見たような彼女のその反応に、僕は話すのをやめて彼女の所まで戻った。

 

「何かあった?」

 

 顔を覗き込むようにして尋ねると、エマは照れたように俯きながら、小さく首を横に振って。

 

「ううん、ちょっと驚いちゃって。まさかイレブンがそんな事を言うとは思わなかったから⋯⋯」

「そんな事って?」

「だから、その⋯⋯似合ってるとか、可愛いとか⋯⋯。だってイレブンいつもはもっと話さない方で、表情で語る感じでしょう?」

「⋯⋯⋯⋯あぁ、な、なるほど⋯⋯」

 

 赤面しながら話すエマの話を聞きながら、僕は内心で深く頭を抱えた。どうやら口数が少ない事による弊害は、仲間のみんなだけでなく故郷の幼なじみにも出ていたらしい。

 

 確かに僕は昔から何かと口数が少なく、これまで何度もみんなに迷惑をかけてきた。「はい」か「いいえ(という名の強制的なはい)」の二択が主で、三行以上の台詞なんてこれまでに数える程しか言ったことがない。

 いや口下手か。

 

「あなたは即決するのがいい所だわ」なんてマルティナやシルビアは言っていたけど、思えばそれってむしろそこしか褒める所がなかったってだけなんじゃ⋯⋯。

 

(なんてこった⋯⋯)

 

 返事が出来るしギリギリセーフ! 僕はまとも! 平気平気! だと思っていたのが、まさか完全にアウトだったなんて。

 その上幼なじみであるエマにまでそんな不便な思いをさせていたんだから笑えない。

 

 それに⋯⋯今思えば確かに二人旅の頃のカミュやグレイグ、そしてみんなが仲間になりたての時も、常に誰かしらが僕の方を気にかけてはそわそわとしていたような気がする。⋯⋯うわぁ。

 

(そういう事か⋯⋯)

 

 そりゃ話しかけた街の人やみんながやけにおしゃべりになる訳だよ。だって僕が喋らないんだもの。話しかけたのに。

 

 そう考えると二人の頃のカミュやグレイグなんてさぞ気まずかったんだろうなぁ⋯⋯。コミュニケーションにおける比率が成り立ってないんだもの。

 無言で鍛冶ハンマー振り回してるんだからそりゃ怖いよ。

 エマなんてこれを十六年間耐えてきたとかなにその拷問。

 とんだ罰ゲームじゃないか。

 

「はぁ⋯⋯」

 

 今更ながらに申し訳なく思えてきて、加えて過去のみんなを思い出した事による精神的なダメージから思わず深いため息が出る。

 

 すると自分のせいだと思ったらしい。隣でエマがびくっと肩を震わせて、僕はまたしても彼女に謝らせる事になってしまった。

 罪悪感で今すぐにでも星になりたい。

 

「ごめん、失礼だったよね⋯⋯」

「いや、違うんだエマ。むしろ僕の方が完全に謝らなきゃいけないというか何と言うか⋯⋯」

「イレブン?」

「その⋯⋯あんまり上手に言えないけど、エマの事はちゃんと、いつも可愛いと思ってるから。むしろ今まで言葉にして来なくてごめん!」

 

 とりあえず謝らなきゃと思い、その場でしっかりと頭を下げる。

 やはり言葉が足りてない可能性はあるけど、みんなのおかげでこれでも結構話すようになった方だ。無口のままで言い訳がない。

 何より「二度目」の世界はもう始まっていて、変えられるのは僕だけなんだ。

 先の未来を変えたいのなら、当然僕自身も変わらなきゃいけない。

 

 やってやるぞと意気込んでたら、隣を歩くエマに笑われた。

 ほんとに可愛いな?

 

「⋯⋯ふふ。なんだか今日のイレブン、いつものイレブンじゃないみたい」

「そうかな? って、エマの言ういつもの僕がどんな奴なのか気になるんだけど⋯⋯」

 

 仮に無口だったとして、それが今日いきなりこんなに流暢に喋ったら普通に物凄く怖くない? 呪いにかかってると思われて教会に連行されてもおかしくないよ? 

 現にシルビアが無口だったら僕は迷わず教会でお祈りをします。

 

「私もイレブンはいつもかっこいいと思ってるから大丈夫! さ、ルキも案内してくれるみたいだし行こ!」

「⋯⋯うん」

 

 多少言いくるめられた事や過去の自分に複雑さを抱きつつ、僕達は前を行くルキの後を追ったのだった。




基本「いいえ」を選んで反応を楽しむのに、ぱふぱふに関してだけは即決で「はい」を選ぶような、そんな主人公を取り扱っていました。


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儀式なんて言葉に騙されてはいけない

ニューゲームしながらネタ見つけよ〜!と思ったら始まる場所を知らなくていきなり相棒と崖から飛び降りそうになり、ええい早くこの物語もそこまで行こう!と思って書いたはずが気付けばこうなりました。そんな二話目です。


  

 先導するようにして前を歩く愛犬ルキの後を追いながら、目的地である神の岩へと向かう僕とエマ。

 

「それでね、ルキったらうさぎ相手にすっかり怯えちゃって」

「あはは、それは僕も見たかったな」

 

 その道中で彼女と繰り広げる他愛もない話は本当に楽しくて、僕は懐かしさからついつい会話を弾ませる。

 エマもエマで、いつも以上に僕と会話のキャッチボールが出来ることが嬉しいらしい。女の子は話すのが好きな生き物だって前にセーニャやシルビアが言っていたけど、あの話は本当だったみたいだ。

 

 ⋯⋯こんな事なら、もっと話す機会を増やしておけば良かったな。まぁ全部ダメにしたのは僕なんだけど。

 

(本当はもっと前から、こんな風に僕と話したかったんだろうな⋯⋯)

 

 普段の何倍も明るく笑みを絶やさぬエマを見て、僕は嬉しい半面、同時にこれまでの愚かな自分を全力で殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。

 まさか僕はこんな簡単な事を十六年間気付きもせず、それどころか彼女に苦痛を強いていたなんて。申し訳なさで胃に風穴が開きそうだ。やり直せるなら全力でやり直したい。いや現在進行形でやり直してるけども。

 

(今後は言葉だけじゃなく内面も磨かないと⋯⋯!)

 

 なんだか人としての尊厳すら危うい気がして、僕は忘れないようしっかりと心のメモに書き込んでおいた。とはいえ「感情を言葉にしよう!」だの「ちゃんと思いやりを持とう!」だの、今更になって学ぼうとしてる自分に恐怖さえ感じている。

 

 それにしても言葉といい気遣いといい、みんなに突き放されるのは時間の問題だったように思う。

 力があるのに言葉足らずで不器用なんて、そんなの「ただそこにいただけなのに斬りかかかられた」聖獣ムンババや、グレイグを前にした時の「素直になれないジレンマ」ホメロスとほとんど同じじゃないか。いや前者に関しては完全に僕の過失だけど。

 

 ホメロスに関しては本当に焦れったかったなぁ。半ば八つ当たりで僕の故郷を滅ぼしかけたのは嫌な思い出だ。未だに許してない。

 

 とにかくみんなの優しさに甘えて、気づけば彼らと同じ道。なんて事にならないようにする為にも、これからはちゃんと自立していこうと思う。

 

「そういえばイレブン」

「なに? エマ」

「あなたいつの間にそんな背が伸びたの?」

「⋯⋯⋯⋯えっと」

 

 という訳で、まずは手始めに可愛い顔をして急所をどすどすと突いてくる彼女をどうにか躱していこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからどうにかこうにか誤魔化しつつ話題を変えながら歩いていると、途中で村のみんなが僕らを迎えてくれた。

 儀式をするにあたって、見送りに来てくれたらしい。

 

「おーいエマー! イレブンー!」

「あ、みんなー! 行こ、イレブン!」

「うん」

 

 手を振ってみんなの所へと駆け寄るエマに続き、僕も後を追うとその隣に並ぶ。

 儀式を前に意気込むエマと、そんな彼女をなんとしても守りたい僕。目的は違えど、その心に秘める決意はお互いに同じで。

 

 そんな僕らの緊張を知ってか知らずか、村のみんなは普段と変わらず僕らに接してくれた。

 

「二人共、道中気をつけるんだぞ」

「うん! 分かったわ」

「イレブンもエマも、怪我だけはしないようにね」

「うん、ありがとうみんな」

 

 まるで自分の子供のように、一言一言思いを込めて心配してくれる村のみんな。

 そんな戻る前と何一つ変わらない暖かさが今の僕にはとても嬉しく、そして同時に、こんな罪だらけの僕を思いやるみんなの優しさが今の僕には少しだけ痛かった。

 

 そして先へ進むべくエマに声をかけようとすれば、やっぱり女の子という事もあってみんな心配らしい。僕以上に沢山の声をかけられて、彼女は戸惑いながらも、けどしっかりとした足取りで僕の隣に並び直す。

 

「平気よ! なんたってイレブンと一緒なんだから。二人なら怖いもんなしだわ!」

「エマ⋯⋯」

 

 にこりと笑う彼女は、これから行く未知の世界に恐怖さえ感じていないようだった。不安で仕方ないだろうに、それでも僕を信じてついてきてくれるようだ。

 今の僕には、そんな彼女がただ眩しくて。

 失わない為にも「絶対に守るよ」と目を合わせれば、またしても顔を赤くしたエマにそっぽを向かれてしまった。⋯⋯どうやら、何でもかんでも口にしすぎるのも良くないらしい。

 僕自身カミュのような「天然たらし(って言うんだとシルビアが以前教えてくれた)」になりたい訳じゃないので、それなりに会話が出来ればそれが一番いいんだけれど。

 

 難しいなと思いつつ、エマに声をかけて再び先へと歩き始める。

 後ろからは、みんなの合わせたような盛大なため息が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「イレブン!エマ!」

「ペルラおばさま! おじいちゃん!」

 

 それからみんなと別れて先にある階段を登ると、今度は吊り橋の前に立つペルラ母さんと、村長、もといエマの祖父であるダンさんに呼ばれた。成人の儀式を迎えるにあたって、僕らを待っていてくれたんだろう。

 僕は自分の装備や身なりに違和感がないかを確認し、問題をできる限り排除した上で二人の元へ歩み寄る。

 

 ちなみに背負っていた魔王の剣は鞄に押し込み、つけていたアクセサリーや装備も外せるものは全て外して、とりあえずあの日と同じイシの剣を背中に装備した。

 時の番人はあの剣を常に持っておくよう言っていたけど、鞄の中ならすぐに取れるし大丈夫だろう。

 大体あんな歪な剣を持って故郷を歩いたらそれこそただのヤバい人だし。

 

 そして服だけはエマの前でいきなり脱ぐという奇行に走る訳にもいかなくて、これだけ唯一戻る前のままでいる。幸い普段から愛用してたテオじいちゃんの紫のコートだったからそこまで怪しまれたりはしないだろうけど、勝手に着てる事になるので多分母さんには怒られるだろう。

 

(それにしても、まともな服装で良かったなぁ)

 

 魔王の剣までも入ってしまう不思議な鞄に何回目かのツッコミを入れながら、僕はひたすらよくやったと自分を褒め称える。我ながらよくぞまともな服で時を超えたものだ。

 もしこれが「パレードの服」なんかだった日には、僕は間違いなく今頃出家していた事だろう。あれを着て魔王の剣なんてものを装備していたらと思うと心底ゾッとする。みんなが許してくれても僕が村を出て行く所だった。危ない危ない。

 

「力を合わせて頑張って来るんだよ」

「はい、ペルラおばさま」

「それじゃあ、いってきます」

 

 話は戻り、ペルラ母さんとダンさんの二人とも話を終えた僕は、怖がるエマに注意をはらいながらも神の岩へと続く吊り橋を渡っていく。

 ⋯⋯そして結論から言うと、まぁ分かってた通りペルラ母さんにはこの服についてめちゃくちゃに怒られた。後で渡す予定だったのに! なんて言われたけれど、元々着せたのは母さんなんだから仕方がない。変な服じゃなかっただけ許して欲しいくらいだ。

 

 とはいえ言い訳をするとボロが出そうだったので、そこは以前の僕お得意の「だんまり」でなんとか押し通した。乱用するのは良くないけれど、時には使い分けるのもいいかもしれない。

 そんな事を思いながら、不思議な模様の描かれた岩の傍にてエマから儀式の説明を聞く。この儀式は十六歳を迎えた人間が、神の岩を頂上まで登る事で初めて成人として認められるという、先祖代々受け継がれてきた大切な習わしだ。

 ちなみにこれを登ったことによる、身体的な変化というのはこれといって特にない。世の中そう甘くないし。

 

「イレブンと生まれた日が一緒だったのが唯一の救いね。一人だったら絶対めげてたもん」

 

 岩に刻まれた不思議な模様を見ていたら、以前と同じ言葉を改めて彼女に言われた。そういえば、当時の僕はどう思ったんだっけ? 首を振った記憶はあるけど、今の僕ほど強い否定じゃなかったように思う。

 

「そうかな? 僕はきっと、エマは一人でもこの岩を登りきれてたと思うよ」

 

 これは紛れもなく僕の本心だ。なんたって君は、あんな逆境に立たされても尚前を向ける、僕の自慢の幼なじみなんだから。

 この儀式だって、僕の力なんかなくてもきっと上手くやってた筈だ。

 

「けど私、イレブンみたいに剣や武器を扱える訳じゃないし⋯⋯」

「何も敵を斬るだけが力じゃないよ」

 

 そう、この世界には沢山の「力」が存在する。カミュやシルビアのような気配りも、ベロニカやマルティナのような気高さも、セーニャやロウじいちゃんのような優しさも、クレイグの持つ誠実さだって。

 そういう目には見えないものを含めて、全部が「強さ」であり「力」だ。だからこそ、何度でも立ち上がれるエマやみんなの強さは、僕にとって眩しいくらいに羨ましくて尊い。

 

「エマは自分が思ってるよりも何倍も強くて凄い人だ。だから自信を持っていい」

「イレブン⋯⋯」

「さ、日が暮れる前に早く行こう」

 

 エマが頷いたのを確認して、僕らは静かに洞窟の中へと入っていく。そこかしこから水が流れる洞窟の中は陽の光がさしているものの、相変わらず薄暗くて静かだった。

 確か前の記憶の限りだと、この先にエマを驚かそうと隠れているマノロが居る筈だ。何が起きるか分からない以上、確実に助けられるまでは安心もできない。

 

(魔物に見つかってないといいけど⋯⋯)

 

 マノロの無事を祈りつつ、エマに足元に気をつけるよう伝えながら、竹の足場を二人で慎重に渡っていく。

 

「しっかり僕の服を握って」

「う、うん」

 

 無造作に繋がれた太い竹は強度こそあるものの、エマからすれば十分に怖くて心許ないだろう。現に僕の背中を掴む手には必要以上に力が入っていて、僕は尚更気を引き締める。

 ⋯⋯それにしても、どうしてこんな簡素な竹だけで製作者は良しとしたんだろうか。

 エマがいなきゃ今頃「これ踏み抜いたら割れるかな?」とか思って試していた所だ。なんなら今も若干うずうずしてる。いややらないけど。

 

 そして何より凄いのはマノロだろう。昔は僕ですら落ちるか怖かった竹の橋だというのに、彼はただ驚かしたいという名目だけでこの竹を渡りきったんだから。

 将来かなりの大物になるかもしれない。

 

「ワンワン!」

 

 なんて思ったら普通に橋の先にルキがいたので、僕はもう考えるのを辞める事にした。人はともかく犬まであれを渡れるんなら多分この橋は大丈夫だ。そういう事にしておこう。触らぬ神に祟りなしって言うし。

 

「ありがとうイレブン」

「どういたしまして」

 

 何はともあれ無事に竹の橋を渡りきり、後はルキを追いかけながら、本来いるはずのない魔物を追い払うべく戦う。⋯⋯つもりだったんだけど。

 

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 さっきから、何故か目の前にいるスライム達が一向に僕らを襲いに来ない。それどころか感情の読み取れない丸い目をこちらに向けながら、むしろ逃げる準備は出来ていますとばかりに後方に向かって揺れている。

 

 その様子からして、間違いなく僕に対して怯えているんだろう。エマに襲いかかろうとしたから慌てて前に割り込んだのに、さっきまでの威勢はどこにいったんだスライムズ。一応複数形にしておこう。

 

「イレブン、大丈夫!?」

「うん、ここは僕に任せて」

 

 そう声をかけてくれるエマに僕は落ち着いて答えるけど、現に大丈夫じゃないのは目の前にいる彼らの方だろう。

 

「はぁっ!」

「ピギャァァァァアア!」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

「ふっ!」

「ピギャァァァァアアアアアア!」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 

 いや、あの、これはどうすればいいんだろうか。

 試しに剣を振りかぶってみたら、目を潤ませてめちゃくちゃに叫ばれて。襲われたのは僕達の方なのに、何かとても酷い事をしている気分になる。

 というか、そもそも僕は切ってもいない。ただ剣を振りかぶってるだけなのに、なんでそんなこの世の終わりみたいな叫び声を上げるんだ。僕は何もしてないのに。

 

「イ、イレブン⋯⋯」

「⋯⋯うん」

 

 このままじゃエマまで僕を非難しそうな気がしたので、僕は渋々剣を鞘へしまうと、スライム達を威嚇して追い返した。そういえば忘れていたけど、僕が強くなっても敵はあの時のままだもんね。出てきたスライム達からすれば、さながら僕が世界を破滅する化け物にでも見えたんだろう。失礼なスライムだな。

 

 とはいえここでは僕自身がイレギュラーな存在であるため、一概に向こうが悪いとも言いきれない。無駄な戦いが省けたと思って、この件は目を瞑る事としよう。

 

「凄いわ! 魔物の方から逃げてくなんて!」

「ワンワン!」

 

 唯一エマとルキだけは褒めてくれたので、僕はなんとも言えない気持ちのまま、とりあえず感謝の言葉を返しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も僕を見て驚くほど逃げ惑うモコッキーやスライムを傍目に、ようやく開けた場所に出る。

 

「見て、すごい霧⋯⋯」

「本当だ⋯⋯」

 

 だけどエマの言う通り、そこは視界一面を覆い尽くす程の真っ白な霧がかかっていて。

 あの時と同じ展開が起きている現状に、驚きから背筋に緊張が走る。

 

(マノロはどこにいるんだ⋯⋯?)

 

 そして見えにくい視界の中、懸命に目的の相手を探そうと辺りを見回した時。

 

「た⋯⋯助けてー!」

 

 どこからか、助けを呼ぶマノロの声がした。

 

「イレブン、あそこ!」

「うん⋯⋯!」

 

 彼のいる方向を探し当てて指を指すエマに、僕もすぐさま目線を辿る。

 するとそこには、煙のような姿をした魔物に襲われているマノロの姿があった。エマとルキを連れ急いで追いかけると、遮るようにして濃い霧が一つに向かって収束していく。

 

「霧が魔物に⋯⋯!」

「ワン、ワンワン!」

 

 そしてそのまま霧は二体のスモークへと姿を変貌させ、威嚇するようにして僕らの前に立ちはだかった。

 どうやらこれまでのスライム達とは違い、奴らはちゃんと戦うつもりらしい。

 

 戦闘するだけ無駄だろうけど⋯⋯まぁそっちがその気なら迎え撃つだけだ。

 

「⋯⋯エマ、ルキ、僕から離れないで」

「イレブン⋯⋯?」

 

 怯えるエマと吠えるルキを制し、僕は精神を研ぎ澄ませると、二人を背に守る形でスモークと向き合う。

 斬ろうと思えば斬れるだろうけど、不測の事態は許されない。より確実に仕留めるのなら、やっぱりこっちがいいだろう。

 

「はぁ⋯⋯!」

 

 意識を両手に集中させ、その中心に莫大な魔力を込める。幾多の戦いを繰り広げてきたおかげで、詠唱時間も体力も、込められる魔力も大幅に増えた。よっぽど高位な呪文じゃなければ、やられる隙さえ作らない。

 

 そして集めた魔力を形作ると、今度はそれらを片手ずつに分断し、炎の塊を左右の手に宿す。

 

「──焼き尽くせ! メラ!」

 

 そして僕の両手から放たれた小さく、けれど十分に魔力の篭った密度ある火の玉は、案の定スモーク達を瞬く間に燃やし始めた。そりゃそうだ、完全なるオーバーキルだし。

 下級呪文とはいえ、僕の魔力を込めた『メラ』はかなりの威力を誇るだろう。少なくともベロニカの弟子くらいにはなれるはずだ。⋯⋯厳しそうだから嫌だけど。

 

 徹底的にというのがよかったのか、スモーク達はあっという間に燃え尽きると、その姿を空中へと溶かしていく。

 すると次第に視界を埋めつくしていた霧が晴れていき、ようやく辺りが見渡せるようになった。

 

「⋯⋯よし。二人とも、怪我はない?」

 

 完全にスモーク達が消えた事を確認して、僕は念の為にとエマの方へ振り返る。

 けれどすぐに返事をしてくれたルキとは違って、エマは未だどこか放心したように、燃え尽きたスモークの方を見ていた。

 そんな怯えているとも取れる様子の彼女に僕は再度声をかけようとして、けどすぐに怖い思いをさせてしまった事に気づき胸を痛める。

 ⋯⋯そうだ。僕はともかく、エマは魔物なんて見るのも戦うのもこれが初めてなんだ。スモークなんてそうそうこの村に出るような弱い魔物じゃないし、ましてや魔物が燃えて消えていく姿なんて余程怖かったに違いない。

 

「えっと⋯⋯」

 

 どうにかしなきゃと思い、僕は彼女の側まで寄ると、出来る限り気を遣い優しく手を伸ばす。そして以前マルティナがやってくれた事を思い出して、再現するように髪の流れに沿って優しく頭を撫でた。

 

「エマ、大丈夫。もう平気だから」

「⋯⋯へ!? イ、イレブン!?」

「ごめん⋯⋯怖かったよね」

 

 いくら助けられたとしても、その心に住み着いた恐怖まではどうしてあげる事も出来ない。こんなの慰めにしかならないだろうけど、それで少しでも和らいでくれたら。

 そう思って数秒撫で続けると、次第にエマは落ち着きを取り戻したらしい。

 

「⋯⋯ありがとうイレブン、ちょっとびっくりしちゃったけど、もう大丈夫!」

 

 すぐに普段の調子を取り戻すと、彼女に改めてお礼を言われた。いつものエマに安心しながら、僕はよかったと笑顔で頷く。

 こんな事でよければお易い御用だ。また魔物に襲われた時もやってあげよう。

 

「すごい! すごいよイレブン!」

 

 そんな彼女にほっとしていると、興奮したようにマノロが僕らの元へと走ってきた。さっきまであんなに怖がっていたというのに、今の戦いを見てその恐怖も吹き飛んでしまったらしい。大物だな⋯⋯。

 

「こら、マノロ!」

 

 なんて関心していたら、案の定エマに説教されていた。確かに見上げた根性ではあるものの、やっぱり一人でこんな所まで来たのは良くないだろう。

 

「ルキ、マノロを頼むよ」

「ワン!」

 

 それからエマと話した結果、この先はやはり危険という事で、マノロとルキを一足先に村へ帰らせる事になった。

 正直心配ではあるけれど、あのルキがついているなら大丈夫だろう。なんせ当時の僕があれだけ苦戦していたモコッキー達を、僕よりも容易く無傷で倒すような男だ。自分で言ってて虚しいものの、マノロを任せる上でこれ以上の適任はいない。

 

(無事でよかった⋯⋯)

 

 声援を受け、小さくなっていく二つの背中を見つめながら、僕は静かに自分の手のひらをじっと見つめる。

 多少当時と違いはあるけど、ここに来て初めて、誰かをこの手で救えた事が嬉しかった。例え再演に過ぎなくても、確かに救えた命がある。守れるはずの命がある。

 

 そう思えるだけで、今がどれだけ幸せか。

 

「あんな怖い魔物を倒しちゃうなんて⋯⋯強くなったんだね、イレブン」

「うん⋯⋯エマやみんなのおかげだよ」

 

 この力は僕だけのものじゃない。みんなが僕に託してくれた、とても強くて暖かい力だ。

 だからこそ、正しく使いこなさなきゃならない。平和な未来を願う、大切なみんなの為にも。

 

「⋯⋯ふふ、そっか。それでこそイレブンよね」

「それでこそ、ってどういう意味?」

「ううん、なんでもない! もう少しで頂上よ。さぁ、行きましょ!」

「う、うん⋯⋯」

 

 どういう訳か嬉しそうなエマに、僕は疑問符を浮かべつつも頂上に向けて歩みを再開する。

 この先へ行けば、僕の勇者としての日々が始まりを告げるんだろう。

 

 決意を胸に、僕はあの日と何も変わらない結末が来る事をただ神に祈った。




車内におく太陽光で動く人形のやつの、勇者くん(さそうおどりver.)が欲しいです(なんの話)


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成人から勇者にランクアップしました

儀式を終えた途端村を追い出された勇者のこの時の心情を求めよ。



  

 さっきまで僕らを照らしてくれていたはずの太陽は、いつの間にかあの日と同じように影を見せ始めていた。

 

「エマ、引っ張るからしっかり捕まってて」

「う、うん、分かったわ!」

 

 黒い雲が次第に雨となって降り注ぐ中で、僕はツタの先にいる幼なじみを懸命に自分の方へ引き上げる。

 雨で足場が滑るとはいえ、軽い彼女を一人を持ち上げるくらい今の僕には造作もない。

 

 

 

 

 

 マノロやルキと別れてからというもの、これまでちょっとした坂程度しか無かったはずの神の岩が、突然手のひらを返したように僕らに敵意を見せ始めた。

 

 降り注ぐ雨に荒れる風、滑る地面に腕力を伴う高めの段差。既に慣れてる僕ならともかく、エマには壮絶な試練だろう。

 とても村育ちの女の子が挑むレベルのダンジョンではない。

 

「よい、しょっと」

「あ、ありがとう⋯⋯」

「どういたしまして」

 

 引き上げたエマを隣に立たせて、僕は巻いていたツルを解くと、崖下に向けて投げ落とす。

 これだけの思いをしたんだし、帰りはルーラじゃダメだろうか。行きも帰りも怖い怖いはさすがに理不尽の暴力すぎる。

 

「ごめんね、足引っ張っちゃって」

「何言ってるのさ、これくらいなんともないよ」

 

 楽な帰宅方法を思案していたらエマに申し訳なさそうに謝られたので、僕は慌てて首を横に振る。

 謝る必要なんてどこにもないし、むしろこんな険しい道を女の子一人に歩かせようとしてるご先祖さま達の方がよっぽど謝るべきだろう。

 

「困った時はお互い様だし、いつもエマには助けて貰ってるからね」

「でも⋯⋯」

「いいんだって。好きでやってるんだから気にしないで」

 

 そう言って、雨で濡れるエマの前髪を指で分ける。彼女はとても優しいから、僕が負担になってると思って気を遣ってくれたらしい。

 まぁ別にそんな事しなくても、僕はエマが笑って生きててくれたらそれでいいんだけどね。

 

「むしろもっと頼ってよ。幼なじみなんだから」

「イレブン⋯⋯」

 

 迷惑じゃない事を伝える為にも微笑むと、彼女は数秒悩んだ後で、迷いを断ち切るようにぶんぶんと顔を左右に振った。そして礼儀正しく頭を下げると、今度こそまっすぐな力のある目で僕を見る。

 

「じゃあ⋯⋯ごめんねイレブン! 迷惑かけちゃうけど、最後までよろしくお願いします!」

 

 ⋯⋯ほら見てください。僕の幼なじみこんなにもかっこいいんですよ。男の僕でも痺れるレベルだ。

 

「もちろん任せてよ。こう見えて力には自信があるんだ」

「うん、頼りにさせてもらうね!」

 

 潔良く頼ってくれる彼女に胸を張って頷く。もういくらでも頼って欲しいね。なんなら姫抱きして頂上まで走ろうか? エマのエスコートなら喜んでするんだけど。

 もちろん疚しい気持ちは無いです。

 

「エマ、最後までよろしく」

「こちらこそ!」

 

 まぁなんにせよ、心の強い彼女がいてくれるんだからきっとこの先も大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も連なる岩山や不安定な足場を乗り超えて、ようやく神の岩の頂上へと辿り着く。

 けど生憎の天候のせいで、本来見れた筈の絶景は、悲しい事に雨雲によって黒く覆われてしまっていた。

 

 そう、あの日と全く同じ空だ。

 

「惜しいなぁ⋯⋯きっと凄く綺麗だったのに」

 

 それを言うならエマの方が綺麗だろう。変態キザ野郎みたいになりそうだから敢えて言わないけど。

 

「まぁ待てばそのうち晴れるだろうけど⋯⋯帰りもあるからちょっと厳しいかな⋯⋯」

「うん⋯⋯残念だけど、雨が酷くなる前に早くお祈りを済ませましょ」

「そうだね。絶景はまた今度見に来よう」

「うん!」

 

 次またここへ来る約束をして、天気が荒れる前にとお互いお祈りの体勢に入る。

 ⋯⋯とはいえ、いつ奴が現れるか分からない以上、僕にとってはお祈りどころじゃないけれど。

 とりあえず間違っても崖から落ちるだなんて展開は避けたいので、音を立てないようにしてエマの近くへと歩み寄る。

 

 それと薄々感じていたけれど、どうやら過去に戻って来たからと言って、全ての出来事が同じになるとは限らないようだ。現にみんなの会話も当時と若干違っているし、エマもここまで話すようなタイプじゃなかったし。⋯⋯いや後半は主に僕のせいだけど。

 なんにせよ要所要所でズレが起きている分、自分の能力に胡座をかくのは至極危険だ。

 例え力量に差があったとしても、用心するに越したことはない。

 

 そう考えて、祈る彼女のギリギリまで近づいた──次の瞬間。

 

「ギェェァァアアッ!」

「っ!」

「なに!?」

 

 まるで出るタイミングを図っていたかのように、前回同様一匹のヘルコンドルがその場に姿を現した。

 威嚇するように吼えては風を呼び、目をぎらつかせたその様子を見るに、どうやら相当気が立っているらしい。

 

「あ、あ⋯⋯」

 

 いかにも凶暴そうな奴を見て、隣でエマが酷く怯える。戦い慣れた僕ならともかく、武器や魔力を保持していないエマからすれば当然の反応だ。

 

 けれどこの展開をあらかじめ予測、そして想定出来ていた僕からすれば、むしろ異常事態の起きていないこの展開こそ好都合でしかない。それにこれは正当防衛だからね。

 ヘルコンドルには多少悪いが、一度痛い目見てもらおう。

 

「エマ、こっち」

「えっ!?」

「大丈夫、僕に任せて」

 

 ヘルコンドルによって生まれた突風を左腕で盾にするように流しつつ、エマの腰に腕を回して、僕の方に引き寄せる。

 突然の事に驚いた様子のエマだったけれど、魔物に対する恐怖の方が勝ってたらしく、すぐさま敵の方を見上げていた。

 

 そんな焦りの色を見せる彼女を横目に、僕は内心胸を撫で下ろすと、向かい合うヘルコンドルに左手を突き出す。エマに見られるのは不安だけれど、こんな状況だし致し方ない。

 集中しながら手に込めるのは、もちろん最大級の魔力だ。手加減する気は毛頭ない。いっそ焼いて食べたら美味しいかな?

 

 なんて思っていたら丁度僕の呪文に呼応して、左手の痣が光り始めた。ここに来て初めての現象を目に入れながら、先にいる標的を睨みつける。

 これはあの時のお返しだ! 今こそ喰らえ積年の恨み!

 

「はぁぁ⋯⋯!」

 

 そして一筋の光と共に空に浮き上がる紋章が、襲い来るヘルコンドルの頭上を捉えたその刹那。

 

「ッ! ギィァァァァアッ!」

 

 突如凄まじい程の轟音を立てて、稲光と共に激しい雷、もとい『ギガデイン』がヘルコンドルを直撃した。僕本来の持つ魔力に加え、勇者の力までもを含んだその激しい稲妻はさぞかし痛いに違いない。

 その証拠に奴自身、圧倒的な力を前に為す術も無いようだった。なんかごめん。

 

 そして未だ身体中にビリビリと電気を走らせたまま、ヘルコンドルは遥か彼方の崖下へと力なく落下していく。まだかろうじて生きているとはいえ、あれだけの怪我を負えばそう戻ってくる事は無いだろう。

 

「よし⋯⋯」

 

 雨も止み、静寂が訪れた事で、ようやく詰めていた息を吐き出した。

 過去と同じ展開だったとはいえ、エマを危険にさらす事無く守れたのは上々だろう。偉いぞ僕。

 

「エマ、大丈夫? 怪我は?」

「⋯⋯あ、ううん、平気。なんともないわ」

「そっか、よかった⋯⋯」

 

 放心しているエマに顔を向け、覗き込むようにして笑いかける。

 見たところ本当に怪我はしていないようだ。無傷で済んで何よりである。

 

「助かった、のよね、私たち⋯⋯」

「うん。もう敵もいないし、安心していい」

「そう⋯⋯びっくりしたわ、まさかこんな所にあんな凶暴な魔物がいたなんて⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 まぁどちらかと言えばびっくりしたのは突然焼かれたヘルコンドルの方だろうけど。

 

「もしかしたら、ここに住み着いてたのかもしれないね。そこへ急に僕達が来たもんだから、敵だと認識して襲ってきたのかも。⋯⋯それはそうと、一人で立てそう?」

「あっ! うん、ごめん!」

 

 エマが頷いたのを確認して、僕は彼女の腰に添えたままだった手をゆっくりと退ける。抱き寄せた手前離すタイミングを無くしてたんだよね。手荒だったのは許して欲しい。

 もし怖がっていたらまた頭を撫でようと思っていたけど、終始僕の傍にいた事もあってその必要は無さそうだった。別に残念とか思ってない。

 

「今の雷⋯⋯イレブンが?」

「⋯⋯いや、そんなまさか。れっきとした偶然だよ」

 

 すると彼女に突然そんな事を聞かれたので、僕はなんて事ないように嘘をついた。罪悪感が凄まじいけど、彼女を巻き込むつもりは最初から無いし。

 

 これは神が起こした天変地異で、大地の精霊が見兼ねた僕らを助けてくれたまでの事だ。その方がまだ僕の存在よりもよっぽど信憑性がある。

 

「⋯⋯⋯⋯そっか。それもそうだよね! だいたい人の手であんな大きな雷が操れる訳ないもの!」

「うん。それか精霊のおかげかもしれないよ? こんな天気の悪い日に来た僕らを見兼ねて、しょうがないから助けてくれたみたいな」

「えー? そんな嫌々かなぁ? ⋯⋯ふふ、まぁいいわ。じゃあ雨も止んだ事だし、早くお祈りをすませなきゃね!」

「うん⋯⋯」

 

 とはいえ、多分エマにはバレてるだろうなぁ⋯⋯。もっと練習しておかないと。

 

「イレブン、準備はいい?」

「うん、いいよ」

 

 僕が頷いたのを確認して、エマが儀式の台詞を述べる。

 その間、僕は祈りを捧げながらにさっきのヘルコンドル戦について頭の片隅で思い返していた。いやぁ、念の為とはいえ正直かなりやり過ぎたよね。丸焦げになった時びっくりしたもの。あれ、ヘルコンドルってこんな簡単に燃えるんだっけ? って。

 

 まぁ思えば最後に戦った相手って、時を戻る前のウルノーガだもんなぁ⋯⋯。あまりの弱さにびっくりしちゃって今もお祈り所じゃない。⋯⋯ってあれ、もしかして僕ずっと真面目にお祈りしてないのでは? まぁ神様とか興味無いしいっか。

 

 さっさとお祈りを済ませて早く帰ろう。今日は何かと疲れたし。でもこんな「みんなシック」の状態で僕今日寝れるんだろうか。

 これで明日にはデルカダール行くんでしょ?再来週とかじゃダメ? いやダメだ未来が変わっちゃう。

 

(今度こそ平和が訪れた世界で、みんなが幸せになりますように⋯⋯)

 

 それから一応祈りを捧げておくと、その影響なのかさっきまで天を覆っていたはずの雨雲が次第に晴れていき、再び太陽が顔を出し始める。

 そして広がる絶景に、僕は改めて決意を固くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後僕らは神の岩を何とか乗り越え、ダンさんやみんなの待つ岩のふもとへと降りてきた。

 雨でぬかるんだ地面と言い滑る下り坂と言い、なんなら行きよりも苦労した事は言うまでも無い。

 

「──という訳なんです、ダンさん」

「そうか、神の岩でそんな事が⋯⋯」

「そうなの、突然でびっくりしちゃったわ」

 

 ダンさんに何があったのかを聞かれ、頂上で起きた出来事を掻い摘んで説明する。所々で嘘や作り話を混ぜ込んだものの、それなりに筋は通っている筈だ。みんなも納得してくれたし。

 

 マノロも無事に戻れたようで、これでようやく一安心だ。ルキにも後でめいっぱいご褒美をあげよう。

 

「ロトゼタシアの広大さを、二人も身をもって知る事が出来ただろう。お主らはまだまだ若い。もしかするとこの村を出て、いつか羽ばたく時が来るかもしれんからな」

「羽ばたく時⋯⋯ですか」

 

 ダンさんの話を聞きながら、僕は思わず気になった単語を復唱する。まさか僕のその時が明日になるとは誰も思わなかっただろうな。当人である僕ですら思わなかったし。

 ましてやその後自分が原因で故郷が燃やされるんだから、そりゃあこれだけ無口なヒステリック(過去の僕)も出来上がっちゃうよね。ここまで更生したのは本当に偉いと思う。

 

 思わず「ずっとここにいたいなぁ」なんて愚痴をこぼしたら、聞いていたらしいダンさんや村のみんなに笑われてしまった。まぁ割と本気なんだけども。

 

「⋯⋯私も、みんなとずっと一緒がいいな」

「ほっほっほ。わしらは大歓迎じゃよ。さて、そろそろ村に戻るとするか。イレブン、ペルラにも儀式が終わった事を教えてあげなさい」

「はい、分かりました」

「みんなも待っててくれてありがとね」

 

 ダンさんの一言が解散の合図となって、僕とエマは出迎えてくれた村のみんなにお礼を言うと、一緒に家までの道を歩き出す。

 

「羽ばたく時、か⋯⋯」

「エマ、何か言った?」

「ううん、なんでもない! 早く帰ろ!」

「⋯⋯うん」

 

 その道中、エマがずっと浮かない顔をしていた事に、僕は敢えて気付かない振りをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペルラ母さんに報告をする為に家へ帰ると、よほど奮発してくれたらしい。

 成人の儀式の前に話してくれた通り、テーブルの上にはあの日と同じく、沢山のご馳走が所狭しと並べられていた。

 

「あら、おかえり二人とも」

「ただいま、母さん」

「ただいま帰りました」

「見たところ無事に儀式を終えられたんだね。怪我はなかったかい?」

「うん、僕もエマも元気だよ」

「そりゃあよかった。エマちゃん、うちの息子が迷惑かけなかった?」

「ぜんぜん! それより聞いてペルラおばさま! イレブンったら凄いのよ!」

 

 挨拶を済ませて早々、頂上で起きた出来事をペルラ母さんにも伝える僕達。

 ダンさんの時は基本僕が説明したからか、今回はエマが、それも興奮したように身振り手振りで詳しく説明してくれる。

 

 僕としては途中でエマが良からぬ事を言ってしまわないか気が気じゃなかったけれど、まぁ今聞いている限りでは多分大丈夫だろう。

 それよりも僕はお腹が空いたので、ここはとりあえず先にご飯でも食べたい気分だ。

 

「まるでイレブンが雷を呼んだみたいだったわ!」

「⋯⋯」

 

 なんて思ったら前言撤回。全然大丈夫じゃなかった。

 母さんも案の定「なんだって!?」なんて食い付いてるし、これは例の話が終わるまで寝るどころか食べられもしないだろう。

 美味しいご飯が冷めちゃうなぁなんて思いつつ、二人の会話に口を挟む。

 

「だからエマ、あれは僕の力じゃないって。確かに不思議だったけど」

「でも確かに見たもの! イレブンの左手の痣が光って、雷を呼ぶ瞬間を!」

「エマ⋯⋯」

 

 あの時は何かを察して黙秘してくれたようだけど、僕があんまり話さないから痺れを切らしてしまったらしい。話して欲しいと縋るように見つめられて、どうしたもんかと頭を悩ませる。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 戻ってきた事は誰にも言わない。それが時を渡る上で、僕が唯一定めたルールだった。

 確かに魔王ウルノーガを倒す上でみんなの協力は必要不可欠だし、自分の知ってる知識や記憶、情報を仲間と共有するのは至って普通の事だと思う。

 ⋯⋯けど、もしそれが原因で未来が変わってしまったら。唯一未来を知る僕を守ろうとして、代わりに誰かが犠牲になったら。

 僕は間違いなく、話した自分を恨むだろう。決して有り得ない話じゃない。

 

 だからこそ、僕は知らないフリをし続ける。大切な母や、幼なじみの彼女にさえも。

 

「⋯⋯やっぱり僕に、そんな凄い力はないよ」

「イレブン!」

「だっておかしいだろう? 天候を操る人間なんて」

「それはそうだけど⋯⋯でも!」

「二人ともおよし!」

「っ、ペルラおばさま⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 言い争う僕たちを止めたのは他でもない。勇者にまつわる言い伝えの、その一部を知る母さんだった。

 運命には抗えないと、そんな今の僕にとっても刺さる言葉をこぼしながら、母さんはどこか悲しげに目線を下げる。

 

 そして少し間を空けてから渡されたのは、あの日と同じくユグノアの紋章が刻まれた『ヒスイの首飾り』だった。

 確かに無いとは思っていたけど、時を遡る上で、いつの間にか在るべき場所に戻っていたらしい。

 

「あんたはね、大きな使命をもって生まれた、勇者の生まれ変わりなんだよ」

「大きな、使命⋯⋯」

「そう。詳しくは分からないけど、おじいちゃんはずっと言ってた。イレブンが成人の儀式を終えたら、デルカダールに向かわせて欲しいって」

「そんな⋯⋯!」

 

 ペルラ母さんの話を聞いて、首飾りを見る僕と俯くエマ。初めて聞いた時の僕と同じで、エマには衝撃が強すぎたんだろう。

 まぁ当然か。僕なんて改めて聞いてるのに訳が分からないんだから。成人したと思えばいきなり城まで一人殴り込みだなんてどう考えても無謀だもの。

 

 魔王に向かって「僕勇者です!」だよ? 知らなかったとはいえ当時の僕ほんと恐ろしいな。無知どころの騒ぎじゃない。

 

「イレブン、本当に行っちゃうの⋯⋯?」

「⋯⋯うん。その使命がなんなのか、確かめなくちゃ」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯さぁ、明日から当分会えなくなるわ! 今夜はお母さんがとびっきり美味しいご飯を用意してるからね!」

 

 そんな僕らの様子を見兼ねて、母さんはゆっくり顔を上げると、食事にしようと席に着く。

 

 そしてその日は最後まで、母さんが笑顔を絶やす事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから三人で夕飯を食べ、エマを家まで送り届けたあと。

 

「ねむ⋯⋯」

 

 しばらく寝付いたフリをして、頃合になった辺りで僕はベッドを抜け出した。

 その理由はもちろん、エマと最後の夜を共に⋯⋯っていや語弊があるなこれは。外に出ている筈のエマに会いに行くため。っていうのもあるけど、村を出る前にもう一つやっておきたいことがあったからだ。

 

 ちなみに前者についてはもちろん邪な気持ちなんてない。いやほんとほんと。

 

「おやイレブン、眠れないのかい?」

「うん、ちょっとね」

「無理もないよ、突然の話だったし」

「うん⋯⋯」

 

 本当は今にも寝そうなんだけども。

 重い瞼になんとか鞭打って笑いかければ、気を使った母さんに、気分を落ち着かせるべく散歩に行く事を提案される。

 エマに会う為にも僕自身そうするつもりだけど、それより先にもう一つの要件を済ませておかないと。

 

「あのさ、母さん」

「ん? どうしたの?」

「実は⋯⋯頼みがあるんだ」

 

 内容を伝えると、母さんは「心配性だねぇ」と楽しそうに笑いながら、快く僕の頼みを聞き入れてくれた。

 




メンタル&力最強で吹っ切れてるように見えて中身ボロボロな主人公に弱いです。


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勇者というのは寝付く暇さえ無いらしい

本編リスペクトしながらたらればを想像するのが好きです。たまんねぇぜ!



  

 家を出てから走る事数分。村の後方にある大樹の元まで行くと、そこには優しい月明かりの下、静かに佇むエマの姿があった。

 

 眠い眠いと言ってた手前、やっぱり寝なくて正解だったらしい。

 どこか悲しげな彼女の後ろ姿を見て、申し訳ない反面嬉しいと思う僕はきっと嫌な奴だろう。

 

「エマ、こんなところでどうしたの?」

「あ、イレブン⋯⋯うん、なんだか眠れなくって。イレブンも?」

「うん、色々考えちゃってさ。まさかこんな事になると思ってなかったから」

「⋯⋯ふふ、そうだよね、私もまだ驚いてるもの。まさかイレブンが勇者だなんて。⋯⋯本当に、びっくりした」

「エマ⋯⋯」

 

 語尾がゆっくりになるにつれ、エマの声に震えが混じる。その表情こそ見えないけれど、彼女は今にも泣きそうだった。

 何か言わなきゃと思って口を開くけど、元々無口で口下手な僕が、こんな時気の利いた言葉なんて思い浮かぶ筈もなく。目線だけを彷徨わせる僕に気を使ったのか、エマは懐かしむようにして昔の事を話し始める。

 

 その内容はあの日と同じ、過去に彼女が木に引っ掛けた、赤いスカーフの話だった。大泣きするエマがほっとけなくて、子供ながらに何とかしようとあの手この手で村中を駆け回ったっけ。結局取れなくてテオじいちゃんに泣きついたのは恥ずかしい思い出だ。

 

「今日も沢山助けて貰っちゃって⋯⋯私、子供の頃からちっとも変わってないわね」

「⋯⋯そんな事ないよ」

 

 だって未来の君は僕がいなくても、一人で戦えるほどに強くなるんだから。例え村を滅ぼされても、悪魔の子の仲間だと罵られても。それでも立ち上がれるほど強く、そして頼もしくなれる。

 この目で見たんだから間違いない。

 

「私ね、イレブンはこの村でずっと、みんなと穏やかに過ごしていくんだろうなって思ってた。色んな経験をして、成長して。いつまでもこうしてずっと一緒に、隣を歩いていくんだろうなって」

「⋯⋯うん。僕もそう思ってた」

 

 エマの言葉に静かに頷く。あの時だってそうだ。これまでと何一つ変わらない平凡で退屈で、けど確かに平和で幸せな人生が、一生続いていくんだって。

 

「だからペルラおばさまの話を聞いて驚いたわ。まさかイレブンが勇者の生まれ変わりだなんて、これまで考えた事もなかったもの」

「⋯⋯はは、当たり前だよ。僕だっていきなりエマが世界の救世主だ、なんて言われても信じられる訳ないし」

「ふふ、そうだね。⋯⋯でも、信じなきゃいけないんだよね」

 

 手を握り締める彼女を見て、激しい罪悪感に苛まれる。気づけば謝罪が零れていた。

 

「⋯⋯ごめんねエマ。せっかく大人になったばかりなのに、こんな事になって」

「イレブンが謝る事じゃないでしょう?」

「そうだけど、ちゃんと謝りたくて」

 

 僕が勇者でさえなければ、あんな悲劇を起こさなければ。そう考えたのは何も数回だけじゃない。

 置いていってごめん、巻き込んでごめん、助けられなくて、弱くてごめん。

 

 ──そしてまた、同じ思いをさせてごめん。

 

 両手じゃ足りない位の「ごめん」が、エマには沢山、数え切れないほどにある。

 僕の存在が、君を沢山不幸にしてきた。

 

「だから⋯⋯ごめん。ごめんね、エマ」

「⋯⋯」

 

 彼女の瞳に、薄い涙の膜が張る。他にも言い様はあっただろうけど、今はそれ以外の言葉が見つからなかった。

 こんな時こそ笑顔にさせてあげなきゃいけないのに、やはり僕は勇者失格だろう。

 

「っ、こんな時でも、イレブンは変わらないね。いつだって優しくて、頼もしくて」

「それを言うなら、エマの方が僕よりずっと優しいし頼もしいよ」

「ふふ、また言ってる。イレブンはまず自分の凄さに気付くところから始めなきゃね」

「別に僕は凄くなんて⋯⋯」

 

 否定したら、彼女にまたしても怒られる。とはいえ、ここで僕は凄いなんて突然思える訳もないだろう? どこぞの能天気王子じゃあるまいし。

 

「まぁでも、そこがイレブンのいい所でもあるもんね。あなたならきっと大丈夫よ。幼なじみの私が保証するわ」

「うん、ありがとう」

「どういたしまして。⋯⋯さあ、もう自分達の家に帰りましょ。みんな心配しているわ」

「そうだね」

 

 僕が頷いたのを確認して、自分の家の方に向かって歩き出すエマ。

 言いたい不満があるだろうに、最後まで僕の事を思って、彼女は笑ってくれていた。僕を凄いと、優しいと言ってくれた。

 

 そんな彼女への最後の言葉が、ごめんで終わっていいわけが無い。

 

「エマ!」

「っ⋯⋯」

 

 名前を呼び、足を止めた彼女に向けて、僕は唯一浮かんだ言葉を伝える。

 それは初めて会った時から今日までずっと、そしてこれからも永遠に続いていく、大事で大切な切れない縁だ。

 

「エマ、ありがとう! エマが僕の幼なじみで、本当に良かった!」

「っ⋯⋯!」

「エマが保証してくれた分まで頑張るよ! だから、その⋯⋯また明日!」

 

 何を言うべきか纏まらず、結局最後は在り来りな、いかにもつまらない言葉で締める。

 そんな口下手な僕の言葉は、一体どれだけ彼女に届いたのか。

 

「⋯⋯うん! また明日!」

 

 じゃあね、イレブン。

 耐えきれなかった涙を流し、泣いて走り去る彼女の背中を、僕は見えなくなるまで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして次の日。デルカダールに旅立つ準備を済ませた僕を門先で待っていたのは、先程挨拶を済ませたはずのペルラ母さんと、見送りに来てくれた村のみんなだった。

 昨日の今日にも関わらず、あの日と同様、僕が勇者の生まれ変わりと知り旅立ちに駆けつけてくれたらしい。

 深く感謝して、一人一人の顔を順に見る。知ってはいたけど、やっぱりそこにエマの姿は無かった。ここに来る前に家にも行ってみたけど、彼女曰く「今は誰とも会う気にはなれない」らしい。

 

 あの時みたいな直前の最後じゃなくて、もっと前もってゆっくり話せたらと思ったんだけど。まぁ彼女がそう言うのなら仕方がないだろう。

 

「ダンさん、みんな、わざわざ来てくれてありがとう」

「何を言う。子供のように育てて来たお前の旅立ちじゃ、見送るに決まっとるじゃろう」

「⋯⋯あはは、そっか」

 

 勇者としての「僕」じゃない、村の子供の「僕」の為。そんな何気ない一言が、自然と僕を笑顔にさせる。

 相変わらず優しい人の多い村だ。

 

「してイレブン、デルカダールの王様に会ったら、くれぐれもこの村の事をよろしくな。勇者を育てた村という事で、何か褒美が貰えるかもしれん」

「⋯⋯うん、任せてよ」

 

 すかさずダンさんの後ろから飛び込んできた「はしたないぞ」という言葉にみんなが笑う中、僕は今出来る最大限の作り笑いと嘘を浮かべてそう答える。

 まさか勇者を育てた代償が焼き討ちだなんて言えるわけがないし。

 なんとか城に着く前に他の方法を探しておこう。

 

「それはそうと、故郷を離れ旅立つお主にロトゼタシアの地図を授けよう。道に迷った時はこれを見るのじゃ」

「ありがとうございます」

 

 まぁ既に持ってるんだけどね。喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、少し古びた地図を受け取る。

 

 昨日寝る前に袋を調べて気付いたけれど、番人の言う『悠久の金庫』というのは何でもかんでも持ってこれる訳じゃなかったらしい。現に『ヒスイの首飾り』はないのに『ロトゼタシアの地図』はある所を考えると、「だいじなもの」としてしまってた物はいくつか元の場所に帰っているみたいだった。

 とはいえそれ以外の道具は全部あるし、旅をする上でそう困る事もないだろう。母さんに「餞別入れといたよ」なんて言われた時は流石に背筋が凍ったけれど。

 

「それから、この馬もお主に授けよう。村一番の器量よしの馬じゃぞ」

「すみません、何から何まで助かります」

「気にするでない。旅立つお主へのせめてもの手向けじゃからのう」

 

 村長の有難い気遣いを受けてから、馬に歩み寄り背中を撫でる。いやぁ、久しぶりだね馬くん。一番最初の仲間にまた会えて嬉しいよ。

 また魔物を蹴り飛ばそうじゃないか。

 

「よろしくね」

 

 助走をつけて背にまたがると、先の景色が一層よく見える。⋯⋯うん、やっぱりこれだよ。この乗り心地、実家のような安心感。最高だね。

 

「村を出て、まっすぐ北へ向かえばデルカダール王国じゃからな」

「はい」

「イレブン」

「母さん⋯⋯」

 

 頷く僕に、ペルラ母さんが歩み寄る。息子の旅立ちが悲しいようで、流れる涙をハンカチで拭っていた。

 母さんにも迷惑をかけて申し訳ないな⋯⋯全てが終わったら大金を渡してバカンスにでも行ってもらおう。慰安旅行的な。

 

「まって!」

 

 それからようやく出発しようとして、けど聞こえた声に反射して振り向く。

 十六年間ほとんど毎日聞いた声を、今更聞き逃す筈もなかった。

 

「エマ⋯⋯」

 

 昨夜はよっぽど葛藤してくれたらしい。少しやつれたその顔を見るに、あれからあまり寝れてないんだろう。

 馬から降りて歩み寄り、その赤くなった目元を撫でる。

 

「ダメだよ。ちゃんと寝なくちゃ」

「だ、だって⋯⋯」

「うん。僕が言えた義理じゃないね」

 

 十中八九その原因な訳だし。自分の矛盾に笑ってみせると、ヒューヒューなんて声が聞こえて。その茶化すような周りの野次に、エマが慌てたように僕から後ずさる。そこまで大袈裟だとちょっと傷付くんだけど⋯⋯。まぁ今のは僕も悪かったか。

 

 とはいえ別に幼なじみなんだし、そこまで気にしなくてもいいと思うけどな。

 

「そ、そう、これ受け取って! イレブンが旅立つって聞いて、あれから急いで作ったの。村の外は魔物が出て危険だから、そのお守りをしっかり身につけるのよ」

「⋯⋯うん、分かった。ありがとね」

 

 渡されたお守りを受け取って、僕は早速それを首から下げる。そして彼女に向き合うと、エマは満足したように頷いた。

 そんな彼女にもう大丈夫だと確信して、僕は再度馬にまたがる。

 

「⋯⋯どんな使命があるのか私には分からないけど、どこにいても、この村の事忘れないでね」

「もちろん。忘れないよ」

「うん! 絶対に、元気で帰ってきてね! イレブン!」

「うん、行ってきます!」

 

 みんなの声援を背に受けて、僕は馬を走らせた。

 今はただひたすら、みんなを救う術だけを探して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャンプ地を超え、稀に襲いかかってくる魔物を倒しながら城へ向かうことはや数時間。

 

「なんか、もの凄く早く着いちゃったな⋯⋯」

 

 あの時と違ってそこまで時間をかけずに済んだ僕は、意外にもその日のうちにデルカダールへと辿り着いてしまっていた。

 最低でも一日はかかるだろうと踏んでいたものの、魔物が逃げてく影響でキャンプを早々に打ち切れたのが良かったらしい。

 三日もかけてようやく辿り着いてたあの頃は一体。

 

「よいしょっと⋯⋯よし、ありがとね」

 

 城から少し離れた所で馬を降り、あえて反対の方に走らせてから城の門をくぐる。本来なら馬くんを小屋に預けておくべきだけど、この後起きる危険性を考えたらこの方がまだ安全だろう。

 なんせ未来の悪魔の子の連れてる馬だ。変に危害を加えられるより外にいる方がよっぽどいい。

 

 それに理屈は分からないけど、過去の時から不思議な事に、彼は僕が呼ぶと例えどこにいても駆けつけてくれるのだ。

 孤島や高台なんのそのだし、僕とカミュが乗ってもびくともしない。縄で繋いだって走ってくるし、しまいには魔物までぶっ飛ばす始末。彼本当に馬なのかな? 

 

 一体どうして僕みたいな人間に仕えてくれてるのかは分からないけど、とはいえもちろん助かってるし、かつてのみんなと同じくらい大切な仲間には変わりないので僕自身気にしない事にしている。結論、僕の馬くんは凄い。

 

 

 

 

 

 

 

 それからデルカダールに入った僕を待っていたのは、過去で見た時とは似ても似つかない、それこそ騒がしい程に賑わう美しい街の景色だった。

  夕方近くにも関わらず活動している人々を見て、その尊さに目を細める。

 

「⋯⋯そういえば、こんな所だったっけ」

 

 なんせ僕の記憶にある最も最近のデルカダールといえば、命の大樹の落下の影響をもろに受け、その面影の一切を失くした地獄のような場所だ。

 街には涙と絶望が溢れ、襲う魔物の攻撃によって命からがら最後の砦へ逃げてきた人が、地に膝をつけて咽び泣くような、そんな悲惨な死後の街。

 

 それがこんな悲鳴や阿鼻叫喚とは無縁の、ただただ幸せのみが溢れるようなデルカダールがもう一度この目で見られるなんて。昔の僕は夢にも思っていなかっただろう。

 

「⋯⋯よし」

 

 そしてここからが本当の戦いだ。あの日とは違う未知の世界、一層気を引き締めてかからなきゃいけない。

 となるとやはり優先すべきは宿だ。確か王への謁見は昼以外禁止とされている筈だし、ここは一晩作戦を練るのがいいだろう。

 

 その考えに至った僕は、第一に宿屋を目指す事にした。

 

「うん、とりあえずはこれでいいか」

 

 最低限顔が割れないよう、道中鞄から持っていた『トロデーンバンダナ』を装着し、最後のひと押しにと髪を結ぶ。

 かつてのみんな曰く、僕はこの「サラサラヘアー」とやらが特徴らしいので、こうすれば第一印象をバンダナの方に結びつけられるだろう。

 

 僕としてはカミュみたいな男らしい髪の方がかっこよくて好きだけど、こればかりは遺伝らしいのでしょうがない。

 

「すみません、これ下さい」

「あいよ! 毎度ありー!」

 

 ついでに道具屋に寄って、指ぬきのグローブも買っておいた。何処で誰が勇者の紋章に気付くか分からないもんね。

 

 そしてこれは余談だけど、今僕が持っているお金は母さんの入れてくれた餞別を合わせて計五十万ゴールドだ。その他銀行にも少し入れてあるけど、時を渡った手前怪しまれると面倒なので、当分はこれだけでやってく事になるだろう。

 幸い過去の装備や道具も全部売らずに持ってきてるし、いざとなればいくらでも方法はある。

 

「後は大丈夫かな⋯⋯って、うわ、もうすっかり夜じゃないか」

 

 早速買った黒い指ぬきのグローブをはめて外に出ると、赤みがかっていた筈の空はすっかり暗くなっていた。

 高そうな家が並んでるとはいえ、宿があるのは酒場の中だ。顔が割れるのを危惧して寄り道した手前、部屋そのものが取れず野宿なんて事になったら流石に笑えないだろう。

 

「急いで部屋を取らないと⋯⋯」

 

 最悪は宿主に泣きついてでも⋯⋯なんてプライドの欠けらも無い事を考えながら宿に向かおうとすると、不運な事にその前方から、小さな女の子とガタイのいいマスクをつけた男の人が歩いてきた。

 

 不運と言ったのは他でもない。僕が見る限り、明らかにその二人がそれぞれ困った様子でいるからだ。これがただの二人組というだけなら通り過ぎていただろうけど、泣いてる女の子といい困ってる男の人といい、いかにも助けが必要そうで。

 

「⋯⋯⋯⋯はぁ」

 

 その光景に若干の見覚えやら見過ごせない衝動やらがあった僕は、目の前に見える宿と二人とを交互に見た上で、息を吐いてから少し離れた所にいる二人の元へと歩き出す。

 まぁ宿なんて無くても寝られる訳だし、平和への積み重ねだと思えば仕方ないか⋯⋯。自分の寝床と人助けを天秤にかけた点については許して欲しい。

 

「あの、どうかしました?」

 

 声をかけると、一緒にいた男の人が振り返った。マスク越しからでもわかる狼狽えっぷりと必死な弁明から、親子じゃない事は見て取れる。

 

 彼もまた、この子を見兼ねて声をかけた優しい人なんだろう。

 

「それが俺も偶然通りかかっただけでよく分からないんだが、どうにもこの子が言うには、メアリーってのが屋根の上に登ったまま降りられなくなったらしい」

「屋根の上、ですか」

「あぁ。道具屋に頼めば中から登らせて貰えそうなもんだが、この子をほっとく訳にもいかなくてな⋯⋯」

「なるほど」

 

 話を聞いて、すぐに合点がいく。そうじゃないかと思ってたけど、やっぱり彼女はあの時の子だ。

 確か降りて来ない猫のメアリーが心配で、あの時もこうして、ここにいる彼に泣きついていたような気がする。

 

「メアリーもうずっとご飯を食べてないの⋯⋯お腹ペコペコで可哀想だよぉ!」

「おうよしよし、分かったからそんなに泣くんじゃない。困ったな⋯⋯」

「⋯⋯」

 

 多分、というかこれはどう考えても、僕が手を貸した方がいいんだろう。心做しか男の人の方がちらちらと僕を見ているし、その視線はまさに「乗りかかった船だ、助けてくれ」と言わんばかりだ。

 まぁ僕としてもベロニカくらいの身長の子に泣かれて無視出来るほど性根が腐ってる訳じゃないし、知ってて声をかけた以上最後まで付き合うのが筋というものだろう。

 

 内心やれやれと思いつつ、泣いてる女の子の前に立つ。そして目線が合うよう片膝をついてから頭を撫でれば、彼女はようやく閉じていた目を開いてくれた。

 

「大丈夫、僕が連れてきてあげるから。⋯⋯ちょっと待ってて下さい」

「あ、あぁ⋯⋯」

「ひっく⋯⋯お兄ちゃん頑張って!」

「うん、任せて」

 

 応援してくれた彼女に頷いて、道具屋へと戻り事の次第を説明する。

 すると一部始終を見ていたおかげか、道具屋の店主はすぐに頷いて横の扉から入るよう許可を出してくれた。さすがは指ぬきグローブを扱ってるだけあって話の分かる店主だ。今後もご贔屓にさせてもらおう。

 ⋯⋯最も、次会う時には指名手配犯だけれど。

 

「えっと、ここか」

 

 お邪魔しますと誰に言う訳でもなく呟いてから、二階への階段を通って備え付けられた梯子を登る。

 

 そして辺りを見回せば、隣の家の屋根にて、じっとしているメアリーの姿があった。動けないその様子からして、やはりあの時みたく足を挟んでしまっているらしい。

 

「よっ、と⋯⋯」

 

 痛くないよう気を使いながら助けてやると、屋根の瓦で切ったのか、足には小さな切り傷が出来ていた。見過ごす訳にもいかなくて、抱き寄せながらにベホマをかける。

 暴れると思っていたメアリーは、飼い慣らされているのか少しも暴れる様子がなかった。特に弱っている訳でも無いようで、一先ず胸を撫で下ろす。

 

 それにしても、まさかベホマの相手がたんこぶと猫の切り傷だなんて⋯⋯。カミュとベロニカがこの場にいたら、今頃拍子抜けして頭を抱えているに違いない。やっぱり平和って最高だなぁ。

 

 ──まぁ今日の宿は無事に消滅したし、僕は全然平和じゃないけど。

 

 あれだけ街にいた人がもう数える程しかいないんじゃ絶望的だ。一応宿には行くけれど、最悪はその辺でやり過ごすしかないだろう。屋根か地べたか悩みどころだ。

 

「って、一体初日から何をやってるんだ僕は⋯⋯」

 

 完治したメアリーの頭を撫でながら、今日の予定とかけ離れた現状にため息を吐く。何が屋根か地べたかだよ。宿で一晩作戦を練る話はなんだったの? 自分の無鉄砲さが恨めしい。

 

「にゃーん」

「うわっ」

 

 ついにはメアリーにまで愛想を尽かされてしまったようで、僕の腕からするりと抜けると、そこからぐんと大きく伸びをした。開放的な姿を微笑ましく見ていると、やがて飼い主のいる方とは反対に向かって歩き出す。⋯⋯っていや待て待て、君の家はそっちじゃない。

 

「ちょっ、どこ行くの! そっちじゃ⋯⋯」

 

 ない、と言葉を続けようとして、その先に見えた光景に動きを止める。

 

 デルカダール城下町の東側。屋根から見える下の井戸付近にて、何かを話し合う二人の兵士。

 内容を聞かれたくないのか小声で話すその様子はいかにも怪しい取引現場さながらで、僕は咄嗟にメアリーを抱き上げると、見つからないよう身を低くした。急いで屋根の反対に周り、バレてないかを確認する。⋯⋯うん、とりあえずは大丈夫そうだ。

 いくら出鼻を挫かれたとはいえ、こんな所で盗み見て捕まったんじゃ本末転倒だろう。

 

「うわ、いかにもって感じだな⋯⋯」

 

 浮かんできた言葉をそのまま口にして、その怪しさから眉を顰める。とはいえただの業務連絡という可能性もあるし、これだけで判断するのは時期尚早だ。

 

 問題が無ければ知らない振りをして立ち去るだけだし、仮に取引でも兵士間の遊び程度なら口を挟んでリスクを背負う必要も無い。⋯⋯まぁ最も、そんな事をする兵士に守られる街もどうかとは思うけど。

 王も王だし今更か。

 

「⋯⋯⋯⋯うわ」

 

 なんて考えていた矢先にいかにもな商人が来るんだから、今日の僕は余程運に恵まれてないと言える。その上見覚えまであるんだから、頭が痛くてしょうがない。

 

 その後も何かを話してると思いきや更に街の奥へと消えていく怪しい三つの背中を見て、僕はようやく静かに立ち上がるとさっきの何倍も重々しく、そして長い負の感情をその場に吐き出した。

 残念ながら僕は知っている。経験からしてこの展開、何も起きない訳がないと。

 

「全く、今日はほんとに厄日だな⋯⋯」

 

 僕はメアリーを飼い主の所に連れていき、待望の宿屋に背を向けると、街の奥に消えたカミュの「元相棒」の背を追いかけた。



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デルカダールは治安が悪い

相棒を助ける為の相棒同士の協力って胸アツですよね。カミュさんすぐ「元」相棒とか言って突き放すんだからデクさん絶対内心で傷ついてる(確信)



  助けたメアリーを女の子に届け、「ありがとう」と渡された『ネコずな』に曖昧な笑顔を浮かべてすぐ。

 

「確かこっちだったはず⋯⋯」

 

 マスクの人から受けたお礼も早々に、僕は先程消えた怪しい三人の後を追っていた。

 関わる必要はもちろん無いけど、知り合いがいた分やっぱりどうしても気にはなる。だって、

 

「あれ絶対デクさんだったもんなぁ⋯⋯」

 

 街の奥へと歩く後ろ姿を見て確信した。小太りの背が低い商人という時点で薄々勘づいてはいたけれど、あの商人は間違いなく、カミュの盗賊時代の相棒デクさんだ。

 確かカミュを救う為デルカダール兵に賄賂を渡していたと言ってたし、さっき見たあれも、まさにその取引の最中だったんだろう。

 

 ただ一つ言わせてもらうとすれば、もっと人目につかないような場所絶対他にもあったよね? という事だ。

 そりゃあもちろん屋根から見るだなんてそもそもが反則行為だし、あの女の子は仕方ないとして、本来こんな時間に出歩く僕の方が悪いのかもしれないけれど。

 

 でもだからってそんなベタな所で取引しなくてもいいだろうに⋯⋯逆に見つけて下さいって言ってるようなものだよ?

 いや一番意味分からないのは変装すらしてないデクさんだけど。あの人元盗賊だよね? 詰め甘すぎでは? 奴らの上司魔王なんだけどそんなガバガバで大丈夫? いやダメだろ。

 

「はは⋯⋯」

 

 あまりのいい加減さに乾いた笑いさえ込み上げてくる。流石はカミュの相棒だ。元盗賊から商人で成功した事もあって、その運はかなりのものらしい。

 彼をメタル狩りに連れていったらきっと相当な数狩れるんじゃないかな。今度頼んで来てもらおう。

 

 とまぁそんな冗談(割と本気だけど)はさておき、さっきの取引について気になる事があるのは確かだ。

 どうにも穏やかじゃなさそうだったし、何よりデクさんの無事が確認できてない以上、ついて行く意味は十分にある。まぁこれも平和な未来を手に入れる為の慈善活動ですし。

 

 なので決して宿が取れそうにないからヤケを起こして自暴自棄になってるとか、そのまま兵士とコネを作って後々有利に進めておこうとか、そういう下心がある訳じゃ断じて無い。⋯⋯多分。

 

「お、いたいた⋯⋯」

 

 例の井戸から短いトンネルを抜けて更に奥。デルカダール城下町の下層へと続く階段の開けた場所にて、奥へと消えた兵士二人とデクさんの姿を見つけた。

 もう一人兵士が増えているのは多分、元々立ち入り禁止である下層階段の警備を任されていた兵士が、この二人と組んでたった今合流したんだろう。

 

(他に共犯者は無しか⋯⋯)

 

 他の警備兵がいない事を再度確認し、逃走経路を頭に入れた上で近くの茂みに身を隠す。

 

 変装してるとはいえ、後の事を考えるとここで見つからない方がいい事は火を見るより明らかだ。ましてや相手は兵士と盗賊だし、見つかると僕まで面倒な事になりかねないだろう。

 大丈夫、元々無口だったし空気になるのは大の得意だ。⋯⋯自分で言ってて刺さる。

 

「怪しい人物はいたか?」

「いえ! 問題ありません!」

 

 デクさんの前を歩く兵士に尋ねられて、下層階段の警備にあたっていた兵士が弾かれたように小声で答える。

 幸いな事に、まだ取引は行われていないようだ。半ば強引に振り切ってしまったマスクの人には後日改めて謝ろう。

 

 それにしても、一見兵士の務めを果たしている彼らが裏では繋がって、それも商人の金に目を眩ませているんだから笑えない。魔王の独裁手抜き政治にはつくづく頭を痛めるばかりだ。

 

「さて、それじゃあいつも通り約束のものを渡してもらおうか」

 

 兵士達は気を張っていた状態を解くと、さっきまで国民を守っていたとは思えないほど悪い顔をしてデクさんを囲み始める。これが普段の取引における彼らのスタイル、もといフォーメーションなんだろう。

 とはいえ、これじゃ単なるカツアゲだ。一国の兵士がやる事とは到底思えない。

 

「⋯⋯はい。今日の分だよー」

 

 目の前の光景に嫌悪感を抱いていると、それまで黙っていたデクさんが、渋々といった様子で持っていた封筒を兵士に渡した。この中で一番階級が上らしい兵士がそれを受け取ると、確かめるようにして中身の金額を数え始める。

 

 その量は遠目に見ても、一兵士が一晩で使い切れるような生易しい額ではなかった。

 

「⋯⋯うむ、今日も約束通りだな。ご苦労」

 

 その後満足したように頷いて、用は済んだとばかりに踵を返す兵士達。

 そのどこか先を急ぐような、はたまたこの場からさっさと逃げるような、そんな不躾な態度が気になって観察を続けていると、すかさずデクさんが彼らに待ったをかける。

 表情こそ見えてはいないものの、酷く焦っているように見えるのは気の所為だろうか。

 

「あの件はどうなったのよー! あれからもう三日も経ったんだから、そろそろ答えてほしいのよー!」

 

 三日? 三日って何の事だろう。

 疑問を抱きつつ、間違っても草木の音が出ないよう気を付けながら、僕はデクさんを含めた四人の会話に静かに聞き耳を立てる。

 

「それについては保留だと昨日も言っただろう」

「あと四日しかないよー! 急がないと間に合わなくなっちゃう!」

「そうは言うが、あれだけの罪を犯したんだ。そうなったって仕方ないだろう。お前だって予想はついていた筈だ」

「だからアナタ達にこうして頼んでるのよー! こんな大金まで渡して、約束は守るのが兵士なんじゃないのー! 頼むよー!」

 

 土下座をし、兵士に縋りついて何かを懇願するデクさん。そんな彼を見て、僕は嫌な予感がすると同時に、言い様のない歯がゆさを覚える。

 

 ⋯⋯大体あれだけあからさまな場所でいかにもな取引をしてたくせに、なんでこんな時だけちゃんと主語を慎んでるんだあの四人は。普通こういう所でボロが出るものなんじゃないの? そこだけしっかりしてどうするんだよ。

 おかげで話が読めないし、かと言って介入出来ないのが尚更もどかしい。

 

「おいおい、落ち着けよ。初めに契約したろう? 約束通りの額を一週間ちゃんと持ってくれば、ヤツについてはどうにかしてやるって。お前はただその通りに従っていればいいんだ」

「っ、けど⋯⋯!」

「おら、分かったらさっさと離れろ!」

「ぐっ⋯⋯!」

 

 いっそあの場に乗り込んで全員黙らせようかとまで考えた所で、例の兵士が縋り付いていたデクさんを強引に突き飛ばす。咄嗟の事に受け身が取れなかったようで、デクさんは勢いそのまま、地面に体を強く打ち付けてしまった。

 それどころか倒れる彼の胸ぐらを掴んで、兵士達は脅すようにデクさんに向けて言い放つ。

 

「分かってるとは思うが、くれぐれもこの事を上に告げ口してみろ。お前がヤツと繋がってる元盗賊だって事も国宝の事も、全部洗いざらい吐いてやるからな」

「っ⋯⋯⋯⋯!」

「分かったら明日も同じ額を持ってこい。いいな」

 

 それだけ言って掴んでいた手を離すと、奴らは警備にあたる兵士一人をその場に残し、倒れたデクさんに構うこと無くどこかに向かって歩いて行った。

 

 そして倒れていたデクさんもいつまでもそこにいる意味はないと判断したようで、ふらりと立ち上がると悔しそうに城下町の上層、兵士達とは反対の方に向かって歩き出す。

 

 ──僕が勇者じゃなかったら、今頃どれだけ楽だっただろう。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 遠ざかっていく彼の背中を見つめながら、僕は今じゃないと自分に言い聞かせると、ただひたすらに逃げ出す機会を待ち続ける。

 握り締めた拳からは、今にも血が滲み出そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後も音を立てないように継続して息を潜め、警備をしていた兵士が、眠気からようやくうたた寝をし始めた頃。

 

「やっと抜け出せた⋯⋯」

 

 誰にも見つからずに無事逃げ出す事が出来た僕は、それからすぐにデクさんの後を追うべく街の上層へと向かっていた。

 同じ体制を維持してたせいで肩や腰がめちゃくちゃ痛いけれど、あんな場面を見せられた手前行動を起こさない訳にもいかない。

 

「それにしても、奴らなんて外道な⋯⋯」

 

 あまりの惨状に怒りを通り越してむしろ冷静になったくらいだ。時を遡った今の僕だったからよかったものの、当時なら間違いなくあの場でボコボコにしていただろう。

 追い討ちの『ラリホー』で済んだだけ感謝して欲しい。

 

「デクさんもう家に入っちゃったかなぁ⋯⋯あれから時間も結構経ってるし」

 

 上層へと続く階段を登りながら、さっき眠らせた兵士を思い出してため息を零す。

 なんせいつまで経っても寝ないんだものあの兵士。その上無駄に気配に敏感で、茂みから抜け出すのにどれだけ苦労したか。

 

 おかげで夜もさらに更けたし、ここまで来ると何がしたいのか自分でも分からない。村を出て城に来て変装して、猫助けて修羅場に遭遇して野宿⋯⋯ってなんだこれ。おまけにここに来てから何も食べてないってもうこれ完全に修行僧じゃないか。いつの間に勇者から転職したの? いや勇者なんて職種そもそもないけど。

 

「これは険しい旅になりそうだ⋯⋯」

 

 今から二度目の旅に対して既に不安を感じつつ、重い足取りの中、どうにか街の上層へと辿り着く。

 

 不思議な事に、何故か警備兵の姿は見当たらなかった。少し考えて、もしかしたら窓からの侵入を警戒して、建物の裏や通路の方にいるのかもしれないと思い至る。確かに犯罪者がそう正面から堂々と盗みに来る訳がないし、その発想もあるにはあるだろう。

 ⋯⋯とはいえこれじゃあまりに手薄だし、狙ってやってたとしても隙だらけだけど。

 僕とカミュが脱獄してデクさんに会いに来た時もそうだったし、一周回ってもうなんか全てが裏目に出ている気がする。いや詰め甘。

 

「⋯⋯あ」

 

 そしてデクさんが外にいる事を願いつつ、街頭を頼りに中心の噴水を見渡せば──幸いにも右側のベンチにて、腰掛ける彼の姿があった。正直ダメかと思ってたけど、何とか家に帰らずにいてくれたらしい。

 というより、怪我をした事で奥さんに心配をかけるのが嫌なんだろう。

 

 疲労を顔に出さないよう息を整えてから、絶望を纏っているデクさんの元まで歩み寄る。

 

「あの、すみません」

「⋯⋯はい?」

 

 声をかけると、何とも覇気のない声音で返された。よほどさっきの出来事が堪えているらしい。

 どこか焦点の合っていない目を見ながら、とりあえず害がないことを伝えるべく笑いかける。

 

「僕、今日この街に来た旅の者なんですが、宿に向かう途中すれ違ったあなたが怪我をしているのを偶然見つけてしまって⋯⋯治してあげられないかと思って探していたんです」

「ワタシを⋯⋯?」

「はい」

 

 頷く僕に、困ったような表情を浮かべるデクさん。そんな彼を見ながら、内心よくもまぁこんな嘘がすらすら出てきたなと自分に感心する。

 まぁ話の筋としては合ってるし、ここに来る途中で考えた設定にしては随分とそれっぽいんじゃないだろうか。

 

 もちろん心は痛むけど、仮に「あなたと兵士のやり取りを見ていました」なんて言ったらそれこそ修羅場の始まりだ。デクさんも商人とはいえ元盗賊だし、真っ先に口封じを⋯⋯なんて事になったらわざわざ会いに来た意味が無い。

 

「厚かましいとは思いますが、治させて頂けませんか?」

 

 恭しく頭を下げるも、当然デクさんは信用せず。それどころか訝しげな目で僕を見つめては、信じていいのか判断している。

 まぁ至って当然の反応だ。あんな事があった直後だし、むしろそうしてくれなきゃ僕が困る。

 

 とりあえずは無事に疑ってくれてるみたいだし、ひとまずはそれを利用させて貰おう。

 

「あぁ、すみません。急に言われてもって感じですよね。まずは治せるっていうのを証明しないと」

「証明⋯⋯?」

「はい」

 

 僕は尚も怪しむデクさんに頷くと、着ていたテオじいちゃんの紫のベストコートの左袖と指ぬきのグローブをそれぞれ反対に捲り、次いで鞄から調理用に使う小型のナイフを取り出す。よし、準備オッケー。

 するとそんな僕をみて、彼は何かを察したらしい。

 

「ま、まさか⋯⋯」

 

 追い討ちをかけるようにして、デクさんの顔が更なる絶望と恐怖に染められていく。その反応もまた当然だ。こんな手荒な方法、当時の僕だってそう思いつきはしないし。どう考えたってサイコパスだもの。

 

 ⋯⋯けどまぁ、それで少なくとも信用が得られるのなら、それはそれでいいと思うんだよね。もちろん治せるからって言ったって、こんな事をする僕を過去のみんなが見たら、絶対に止めるし怒るだろうけど。

 

 それでも覚悟を決めて来たんだから、この程度で怯えるようじゃ話にならない。

 言葉で信用に値しないなら、せいぜい身をもって実証するだけだ。

 

「うーん⋯⋯切るとして、となるとこの辺かな⋯⋯」

「じょ、冗談でしょー? 驚かそうったって、そうはいかないよー?」

 

 心を落ち着かせて照準を定めていると、横から恐る恐るデクさんが聞いてきた。「お前正気か?」と言わんばかりの驚愕の視線に、僕はもちろんと首を縦に振る。

 

 とはいえあまり切りすぎると大事になって兵士が来る分面倒だし、あくまで脅しが目的なのでそこまで深くやるつもりもない。

 ──けどまぁ、最後のひと押しくらいにはなるだろう。

 

「いいえ、僕はいつだって本気ですよ。怪我をしたあなたを助けてあげたいし、それに、あなたが助けたい人だって僕は助けたい」

「え⋯⋯そ、それって」

「よし、じゃあ早いとこ行きますね」

「ちょっ、ちょっとまっ!」

「せーの⋯⋯!」

 

 そして右手に持つナイフを振りかぶって、自分の左腕を切りつけようとしたその時。

 

「――まって! 待って欲しいのよー!」

 

 涙目の、というかもうほぼ泣いている状態に近いデクさんが、両腕を前に出して全力で僕を止めに入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ベンチに座らせてもらい、ボロボロと号泣する隣のデクさんにハンカチを渡しながら、さっきまでの無礼をひたすらに詫びる。

 

「咄嗟の判断とはいえ、本当にすみませんでした」

「うう⋯⋯」

 

 思えばなんて強引な手段だったか。

 デクさんの待ったの声を聞いて、ナイフをすんでのところで止めて顔を上げれば、彼は放心したようにその場に座り込むと、あろう事かそのまま泣き出してしまった。

 

 自分がやった事とはいえ、デクさんからすれば確かに恐怖以外の何者でもなかっただろう。僕だってカミュにセーニャ、それこそみんながそんな事をしだしたら、三日間は余裕で寝込む自信がある。

 

「怪我を治してあげたくて必死だったんです、許してください」

「う、ひっく⋯⋯」

「ほ、ほら見て! 怪我治りましたよ! これでもう大丈夫!」

「う、うぅ⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 どうしよう。一向に泣き止む気配がない。

 兵士達との出来事に加えてあんな事しちゃったから、きっとキャパオーバーしたんだ。結果的に怪我を治せたとはいえ、これじゃあまりに罪悪感が凄すぎる。

 しばらく人を脅すのはやめておこう。

 

(それにしても弱ったなぁ⋯⋯)

 

 一通りの手は尽くしたし、こうなると流石にやれることが無い。背もたれに寄りかかり、すっかり暗くなった夜空を見上げる。

 一応僕だってエマがいたし、旅を通じて仲間のみんなはもちろん、街の女性やぱふぱふ屋の女性のエスコートには慣れてきたつもりだ。口数こそ少ないとはいえ、今も隣にいるのが女性だったらそれなりに対応出来ていただろう。

 

 けどそんな僕でも流石にこのケースは無理だ。グレイグやシルビアならともかく、相棒の元相棒、言うなれば友達の友達であるおじさん(号泣中)だなんて慰めるハードルが高すぎる。これじゃハードルを通り越してもはや高飛びだもの。同じ陸上といえどジャンルが違いすぎて話にもならない。

 ⋯⋯あぁもう、どうしたもんかなぁこれ。

 

(カミュに会うまでが果てしなく遠い⋯⋯)

 

 頼むから、誰かもう一度僕の通訳をしておくれ。

 

 なんて現実逃避をしていたら、不幸にも泣いているデクさんにまで聞こえるほどに大きな音を立て、僕の腹の虫が鳴ってしまった。すかさず隣からの憐れむような視線を感じて、恥ずかしさから静かに両手で顔を覆う。

 

「その、ここに来てから碌に食べてないものですから⋯⋯」

 

 重ね重ねすみませんと謝り、僕はデクさんに見えないよう、ひたすらに唇をかみ締める。

 ⋯⋯いやもうこれ、どうしよう。過去にまで来た僕が言っていい言葉じゃないけど、今はとにかくこう⋯⋯死にたい。魔王だってなんだって、それこそデクさんだっていい。とにかく僕をこの場で殺すか、せめてあの時のカミュみたく、頭を殴って記憶を飛ばして欲しい。切実に。

 

「だ、大丈夫?」

「はい⋯⋯」

 

 恥ずかしさを堪え震えていると、泣き止んでくれたらしいデクさんに心配される。怪我を治しても泣いていたのに、まさかこんなのが理由で泣き止んでくれるとは。

 助かる反面複雑な感情を抱きつつ、これも一種の覚悟だと数秒を以てしてどうにか割り切る。

 

 それから全力で頭を下げて食事をしていいか尋ねれば、今度こそ笑われて土に埋まりたくなった。

 羞恥心を抑え込み、笑みは肯定と受け取ってお礼を言う。

 

「ふふふ、アナタ、変な人だよー」

「あはは、よく言われます⋯⋯」

 

 まぁなんにせよ、泣き止んでくれたなら好都合だ。

 話が進められる事に一安心し、僕は鞄を漁ると、さっき道具屋に寄る前に屋台で買っておいた水とホットサンドを手に取る。

 これは本当はすぐに食べるつもりで買ったけど、メアリーの件から忙しくてずっと食べられずにいたものだ。今じゃすっかり冷えきって、もう商品の半分の価値を失っている。結構悲しい。

 

 それでも一口齧ると素朴なパンと濃い味付けの具材が相まって、イシの村から何も食べてない胃が喜んでいるのをひしひしと感じた。明日こそは城に行く前に出来たてを食べよう。

 

「美味しいですね、このホットサンド」

 

 会話ついでに浮かんだ感想を伝えると、すっかり泣き止んだデクさんが「ワタシもよく買うよー」と相槌を打ってくれた。ようやくまともな会話が出来た事に手応えを覚えて、その後も数回やり取りを続ける。

 ⋯⋯そろそろ切り出してもいい頃だろう。

 

「あの、答えたくなかったらいいんですけど⋯⋯」

 

 そしてようやく怪我をした理由、もとい話の本題に入るようそれとなく促せば、デクさんは分かりやすいくらいの動揺を見せた。

 声が大きくならないよう口元で人差し指を立てて見せると、彼は何かを察したようですぐに表情を引き締める。誰もいないとはいえ、大きな声を上げればすぐ様兵士がやってくるだろう。

 

「⋯⋯一応、ここなら兵士達も来なさそうですね」

 

 デクさんが落ち着いた事を確認し、そう伝えてからもう一口ホットサンドを齧る。

 賄賂が利いているのかは分からないけれど、静かにさえしていれば話す分には特に問題もなさそうだ。

 

「あ、アナタは一体⋯⋯?」

 

 小声で彼に尋ねられて、僕は口元を袖で拭うとそのままの流れで答える。

 

「大丈夫、僕はあなたの敵じゃありません。むしろ味方です」

 

 それからあの出来事の一部始終を見ていた事を伝えると、デクさんはまたしてもベンチから転げ落ちそうな程の盛大なリアクションを見せてくれた。



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勇者と修行とペテン師と

春は何かと忙しいので書き殴れなくて残念です。デクさんの口調が分からなすぎて、メダル女学院で毎回「旅の思い出」の彼を見返す変人と化してます。実際仲間も一緒にそれを見てると思うともう軽い拷問ですね(いい笑顔)



  ベンチから滑り落ちたデクさんを心配しつつ、その後も失礼を承知で食事を続ける。

 

 お腹が空いていたという事もあって、既にホットサンドは二回戦目に突入していた。二択に迷ってついどっちも買ってしまったけれど、むしろそれが功を奏したらしい。僕って用意周到だなぁ。

 ⋯⋯その割にはこのザマだけど。

 

「そ、それじゃあアナタ、あの場にいたの?」

「はい。あ、それと僕イレブンって言います。お好きなように呼んでください」

「わ、分かったよー、ワタシはデク。デルカダールの城下町で商人をやってるよー」

「デクさんですね、よろしくお願いします」

 

 何となく流れで会釈して、お互いに遅くなった自己紹介を済ませる。既に何度か名前を呼びそうになっていたので、ここで彼公認になれたのは幸いだ。

 

 現状ただでさえ腕を切ろうとするヤバい奴なのに、その上ストーカーのレッテルまで貼られたらたまったもんじゃない。不審者兼ストーカー(対象者:おじさん)になるくらいならまだ指名手配犯の方が何倍もマシだ。⋯⋯マシだよね?

 

「それにしても、こんなにいい街の商人だなんて、デクさんて結構凄い人なんですね」

「う、うん。ワタシ商売の才能があるみたいよー。イレブンさんは見たところ旅人みたいだけど⋯⋯どうしてデルカダールに?」

「あぁ、単なる観光ですよ。デルカダール城って有名ですから、一度しっかり見ておきたくて」

 

 勇者の使命があるとは口が裂けても言えないので、とりあえず浮かんだ言葉を並べる。理にかなっているとはいえ、今日だけで僕は一体どれだけの嘘をつけば気が済むんだろうか。

 ついさっき勇者から修行僧に転職したばかりだというのに、今度はペテン師にまでなるつもりらしい。業者もびっくりのジョブチェンジ具合だろう。

 ちょっとカッコイイかもなんて思った僕を頼むから誰か殴ってくれ。

 

 そして少し話して判明したけど、デクさんあまりにも人が良すぎてさっきから罪悪感が尋常じゃない。今も「そっかー!」なんて綺麗な笑顔を向けられて、僕の良心がまさに悲鳴を上げている。

 盗賊とはいえ、彼もまた相棒よろしく心の優しい人らしい。

 

 なんだかイシの村のみんなと話してるみたいで親近感を覚えるので、いつか彼にはメタル狩りだけでなく僕の故郷にも来てもらおう。いっそうちの村で商売とか始めてくれないかな?

 

「観光するなら、ワタシ案内してあげるよー! この街には結構詳しいからね!」

「いいんですか? 実はさっきも道に迷っちゃって。この辺の土地には疎いので助かります」

「任せてよー!」

 

 まだまだ上辺ではあるものの、とりあえず僕自身に害はないと判断して貰えたみたいだ。兵士にやられた傷も癒やせた事だし、これでようやく続きが出来る。

 

 ⋯⋯まぁ自己紹介で遮ったのは他でもない僕なんだけどね。自称寛大系男子とはいえ、「おじさんストーカーからの指名手配犯」はフルコース過ぎて流石に無理。

 

「それで、さっきの話に戻るんですが⋯⋯」

 

 話す時にまで食べるのはマナー違反なので、僕は事前にホットサンドを一口含むと、しっかり飲み込んだ上で話を切り出した。

 彼も突然話題を変えた事で察してくれたのか、驚きながらもすぐに居住まいを正すと、真剣な顔付きで僕を見る。察しが良くてありがたい。

 

 とはいえ夜も遅い事だし、ここはなるべく手短に行こう。

 

「取引を見たのは本当に偶然で、屋根に足を引っ掛けた猫を助けた際、たまたまデクさんと兵士達のやり取りを目撃しただけなんです。なんだか穏やかじゃ無さそうだったから、結局心配になって後を追いかけちゃったんですけど」

 

 要点だけを絞りながら、事の次第を簡潔に説明する。

 初めは心配と興味本位だったものの、彼を追いかけたのは正解だったんだろう。現にそのおかげで怪我も治せた訳だし、なけなしの運に任せたにしては上々の結果だ。

 流石は寝床を代償にしただけの事はあるな。⋯⋯別に引きずってないけど。

 

「ワタシ全然気付かなかったよー、どこに隠れていたの?」

「後ろの茂みです。おかげで少し動いただけで草の音がするわ、何とか耐えてたら今度はデクさんが奴らに突き飛ばされるわでもうずっと気が気じゃなくて」

「そ、それは悪い事したよー。心配かけてごめんね」

「いえ、デクさんは悪くないですよ。というか、僕の方こそすぐに助けてあげられなくてすみません」

 

 そう、むしろ謝るのはこっちの方だ。兵士に気付かれたくなかったとはいえ、自分の事情を優先して、彼を助けにいかなかった事には変わりない。

 

 命の危機ならともかくとして、怪我と効率を天秤にかけるのは僕の悪い癖だ。いただけない事は重々理解している。

 まぁ最も、助けに行ってたら兵士達がどうなってたか分かったものじゃないし、そういう意味では出ていかなくて正解だったのかもしれないけれど。

 

「近いうちに仇は取るので、期待してて下さい」

 

 拳を握って笑顔で言えば、困ったように笑うデクさんに「ほどほどにね」なんて制されてしまった。あんな酷い目に合わされて、怒ったりとかしないんだろうかこの人。

 僕だったら間違いなくやってしまうだろう。何をとは言わない。

 

 それからしばしの沈黙が続き、またしても居た堪れなくなった僕は、どうしたもんかと思案してもう一口ホットサンドを齧る。食欲からの行為ではなく、もはや単なる暇つぶしの一種と化していた。

 

 とにかくこれで経緯は全て説明したし、僕が踏み込めるのもせいぜいここまでだ。後はもうデクさん本人に任せるしかない。

 

(とはいえ⋯⋯)

 

 半分ほど飲みきった水を手に取りながら隣を見れば、俯いて黙り込む彼がいて。

 腿に置いた手に力を込めるも一向に話そうとしないその様子から、僕は自分が内心じわじわと諦めかけているのを感じていた。

 

 潮時かなんて言葉が浮かび、まぁよくやった方だろうなんて他人事のように考える。

 

(⋯⋯これ以上は無理か)

 

 そう思い至るのに、あまり時間は要さなかった。

 もちろん話さないデクさんが悪い訳じゃないし、かといって面倒になった訳でもない。今だって話してくれるのなら誰よりも親身になって聞くし、彼の期待に応えるだけの力もあれば、責任を負う覚悟もちゃんとある。

 

 ⋯⋯けどその反面、まぁ別にいいかとも思ってしまった。だってしょうがないじゃないか、話したくても話せないんだから。黙秘も立派な選択だ。彼が選んだ決断を、部外者の僕がどうこう言う気はさらさら無い。

 

 第一そんな資格もないし。死んでも言えない過去の話が僕にもあるように、デクさんにだってそう易々と言えない話がある。それだけの事だ。

 だから話さない彼に僕が心を痛める理由も、ましてやデクさんが負い目を感じる必要さえも無い。

 

 ⋯⋯とはいえ、隣の彼はそう簡単に割り切れるような人でもないだろうから。

 

「すみませんでした」

「え⋯⋯?」

 

 前を見ながら、なんて事ないように一言謝る。

 例え話してくれなくたって、彼は命の恩人だ。その上カミュの相棒だし、観光の案内するって言ってくれたし。

 

 そう言う意味では僕はかなり頑張った方だと思う。初対面の人間が入れるほんの一、二歩程度しかない余地の中で、ここまで信用を築けたのは我ながら大したものだ。

 人間的な成長を含め、その収穫は十分にある。

 

「流石に踏み込み過ぎたので、よくないかなって」

「⋯⋯」

 

 表情を変えずに伝えると、視界の隅で、デクさんが更に握った拳に力を込めるのが見えた。僕が痺れを切らしたと思ってるらしく、悲しそうに眉を下げる。

 

「ごめんよー、気をつかわせて」

 

 申し訳なさそうに謝られて、気にしてない僕は首を左右に数回振った。

 

「言ったでしょう? デクさんは悪くないって」

 

 別に慰めでもなんでもない、本当にそうなんだから。デクさんの場合、話せない理由が自分じゃなくカミュにある事は僕も理解している。

 

 あんな兵士に縋り付く位だ。相手が国で、その上目的が仲間の囚人の救済だなんて、そう易々と他人に話せるものじゃないだろう。それが大事な相棒の人生まで掛かっているのなら尚更。

 だからこそ、今日はこの辺で終わりにしよう。

 

「あの、最後に一ついいですか?」

「え? いいけど⋯⋯」

 

 頷いたのを確認して、続きを口にする。

 これでダメなら諦めるから、せめてあと少し。

 最後に抵抗をさせて欲しい。

 

「これだけは言っておきたいんですが、不正の場面を見たとはいえ、僕は相手の事情も知らずに他人を責め立てるような、そんないい加減な真似は絶対にしません」

「っ⋯⋯」

「そりゃあ奴らが言うように、あなたは元々盗賊で、これまで沢山悪事を働いてきたのかもしれない。⋯⋯けど、今話しただけでも僕には十分分かります。あなたが自分の利益の為だけに、兵士に賄賂を渡すような人じゃないって事くらい」

 

 だってそんな打算的な考えが出来る人なら、カミュが捕まったその時点でオーブを売って逃げてた筈だ。一個人として順風満帆な彼が、悪事を働く理由も無い。

 

 ──相棒を助けたいという、たった一つの理由さえなければ。

 

「あんな奴らでも、縋らないといけない理由があるんでしょう? じゃなきゃ今頃、とっくに自分でどうにか出来てた筈だ」

 

 まぁ僕自身、そこが未だに分からない所なんだけど。内心だけで思いつつ、何の気なしに流れる噴水場を見やる。

 

 確かデクさんが兵士に賄賂撒いてたのって、あくまでカミュの監視を緩和させる為じゃなかったっけ? 本来優位な立場のはずが、どうして奴らに脅されてたんだろうか。

 

「けど正直、あの兵士達が素直にデクさんの力になるとはあまり思えません。今日初めて見た僕が言うんですから、デクさんも既に気付いてると思います」

「⋯⋯それはもちろん、分かってるよー。でも、今更他に当てなんて⋯⋯」

 

 悔しそうに歯を食いしばるデクさんに、僕はすかさず口を挟む。

 

「当てならここにいるじゃないですか。あなたの目の前に」

 

 この場において、これ以上の模範解答はないと言えるだろう。

 突如生まれた最後のチャンスに、僕はしっかりとデクさんに向き合うと、慎重に続く言葉を選ぶ。

 

「低い可能性を信じるのなら、いっそ僕にも賭けてみませんか? こう見えて悪知恵には長けていますし、助言くらいはしてあげられるかもしれません」

 

 まぁなんとも悪者みたいなセリフだ。勇者と修行僧を捨ててペテン師に乗り換えただけの事はある。

 認めてる自分が一番情けないけど。

 

「イレブンさん⋯⋯」

 

 僕の提案に、再び乗っていいものか悩み始めるデクさん。考えあぐねるのも無理はない。

 実際彼の立場からして、話せばその時点で終わりだ。自分がカミュと繋がってるのを認めるだけじゃなく、僕に弱みを握られる事にもなる。

 

 ⋯⋯最もデクさんの事だから、「巻き込むのは申し訳ない」とか思ってるかもしれないけど。

 とはいえせっかくここまで粘ったんだ。「賭けてみろ」と言った時点で帰る選択肢はとっくに捨てているし、行ける所まで行くしかない。

 

 僕は不安げなデクさんに深く頷くと、口角を上げてさらに言葉を畳み掛ける。

 

「大丈夫です、所詮はただの旅人ですから。聞いた所で大した利益にはなりませんし、何より更生しようとしてる人間を陥れるほど落ちぶれちゃいません」

「⋯⋯」

「まぁとはいえ、デクさんも話すリスクがありますし、もちろん無理にとは言いませんが。ただ、少なくとも奴らよりは確実に使える自信があります」

 

 それに今ならなんとタダ! お金は一切かかりません! 頭も回るし喧嘩も出来るし、その上過去の記憶持ちの職業勇者(と修行僧とペテン師)です! ⋯⋯って何気に僕優良物件過ぎじゃない? 未来の相棒も器用で優しくてハイスペックだし、指名手配犯にするにはあまりに惜しい人材だと思うんだけど。

 

 これには元盗賊のデクさんもびっくりの好待遇だろう。ちなみに短所は無口と無茶で、あと人への思いやりがかなり欠けてる。いや最悪だな。

 

「仮に力になれないと判断した場合はすぐにここから立ち去るので安心してください。デクさんの事は忘れますし、この街にも二度と来ないようにします」

 

 どっちにしろカミュと脱獄したら当分戻ってこないしね。

 前もって条件を提示すれば、彼は相変わらずの動揺と、けど微かに期待のこもった眼差しで僕を見やる。

 

「⋯⋯どうしてそこまでしてくれるの?」

「え?」

 

 そして予想の斜め上を行くこの質問に、僕は柄にもなく狼狽える羽目になった。てっきり「じゃあお願い」って来ると思ったのに、なぜそんなに回りくどい事を⋯⋯。

 

「どうしてって⋯⋯そりゃあ、助けたいからですよ。あぁいや、なんで助けたいのかって言われるとそれはそれで答えに困りますが⋯⋯」

 

 けどやっぱり、的確な返事は浮かばなかった。というかこの場合何を言うのが正解なんだ?

 「巡り巡って僕の為になるから」は意味深だし無いとして、かといって「困ってる人を助けるのに理由はいらない」というのも結局は答えてないのと同じ事だし。⋯⋯まさかこれ、何か変なルートに入った訳じゃないよね?

 

 答えによっては話が聞けず、その上「まさかこいつワタシの事⋯⋯」からのストーカー疑惑な未来があるかもってこと? ⋯⋯いや冗談じゃない!

 

「ストーカーだけは本当に勘弁してください」

「何の話!?」

 

 頭を下げたら驚かれた。どうやらそう言う意味じゃなかったらしい。そりゃそうだけど。

 

 その後も答えが見つからず数秒ほど熟考すれば、隣から優しい視線を向けられる。

 

「⋯⋯ふふ、アナタ変わった人だね。まるでアニキみたいだよー」

「⋯⋯お、おぉ。それは嬉しい⋯⋯ですね?」

 

 あんまり微笑ましそうに言うものだから、つい僕まで疑問形になってしまった。

 なんならその反応でさえ今の僕には身の危険を感じるので、可能であればやめて欲しい。「変わってる⋯⋯やっぱりストーカー!?」とかになったらたまったもんじゃないので。

 

 それに確か、古代図書館で読んだ恋愛文書にもこの手の展開が結構あった気がする。セーニャやシルビアにおすすめされて、カミュと二人で難しい顔しながら読んだっけ。「なんで勝手に相手の好感度が上がってるんだ?」なんて討論したのは記憶に新しい。

 男同士だと険しい心理戦になるってちゃんと胸に刻んでおこう。

 

 まぁとはいえ、答えられなかったけど何かいい感じに解決出来たみたいだ。カミュに似てると言われて悪い気はしないけど、僕ってそんなに変わってるかな。

 

「⋯⋯本当に、ワタシに力を貸してくれるの?」

「ええ、もちろん」

 

 デクさんの問いに、何を今更と笑みを深める。そんなの答えるまでもない。

 

「なんなら証明しましょうか?」

 

 冗談混じりに袖を捲ると、全力で首を左右に振られた。トラウマになったみたいで普通に申し訳ない。

 

「⋯⋯実は、ワタシの仲間がデルカダールの地下牢獄に捕まってるのよー」

 

 そして少し間を空けて、意を決したようにデクさんが話し始める。一か八かの賭けに乗る事にしたんだろう。

 

「さっき言ってた『アニキ』って人ですね」

「うん」

 

 知らない振りをして聞きながら、僕は半分程まで食べ終えたホットサンドの包みを再度開くと、またしても許可を得てから食べ始める。

 

 さっきは半ば諦めてたし後で食べようと片付けたけど、まだ続くのなら話は別だ。デクさんも特に気にしてないみたいだし、お言葉に甘えてさっさと片付けてしまおう。

 

「なんでまた牢屋なんかに?」

 

 怪しまれるといけないので、ここはひたすら知らないふりを貫く。

 エマの時もそうだったけど、知ってる事を尋ねるというのは思っていたよりも難しい。

 

「盗んだものが『レッドオーブ』っていうこの国の宝だったから、重罪も重罪で⋯⋯」

「⋯⋯レッドオーブ、ですか」

 

 そして聞こえてきた馴染みのある単語に、僕は会話も早々に反応を示した。

 

 『レッドオーブ』といえば、忘れるはずも無い。命の大樹へと向かう為の道標であり、またカミュと妹のマヤちゃんを繋ぐ、とても大切なこの世界の秘宝だ。

 妹を失くした彼にとって、あれが如何に重要で大事なものかは、過去を通して十分過ぎるほど理解している。

 

「うん⋯⋯アニキはあのオーブに強い欲望を抱いてたから、苦労して奪えた時はもの凄く喜んでたよー」

「そう、ですか⋯⋯」

 

 気を抜くとつい「そうでしょうね」なんて言いそうになって、慌てて胸の奥底にしまい込んだ。

 オーブを持って妹に会う、そしてあわよくば、彼女の黄金の呪いを解く。それこそが自分にとっての贖罪であり、そして願いだとあの時の彼は言っていた。

 

 それはきっと「今」のカミュも同じで、どうにかして妹を救う術を模索しているんだろう。それこそ生きる理由と言っても過言じゃない筈だ。

 

「けど、それで油断した隙をつかれちゃって⋯⋯アニキはワタシを助ける為に、自ら囮になってワタシを逃がしてくれたよー。今こうして商人をやれてるのも、きっとアニキがあいつらに、ワタシの事を話さないでいてくれてるからだと思う」

「⋯⋯随分と仲間想いなんですね。そのアニキって人」

 

 僕自身頬を緩ませながらにそう言うと、デクさんはこちらを見るなり、誇らしげに笑ってみせる。その様子に過去のみんなを思い出させて、少し胸が痛くなるのを感じた。⋯⋯ダメだダメだ、弱気は良くない。

 

 隣の彼に気付かれないよう、気を紛らわせるべく残ってるホットサンドごと紙の包みを強引に畳む。自分でまいた種とはいえ、これじゃ食事も出来やしない。

 捨てるのは悪いので後で食べるとして、今は何となく手の上で転がしておこう。

 

「だからワタシ、今度はアニキを助ける番だと思って必死に考えたよ。奴らに賄賂を渡して、牢屋の監視を和らげたりして⋯⋯」

「じゃあ、さっき僕が見たあれも⋯⋯」

 

 そしてその先を続けようとすれば、意外にも首を振ったデクさんによって遮られてしまった。

 

「え⋯⋯」

 

 そして言われた言葉の衝撃に、僕は自分が手にしていたホットサンドを落としている事にさえ気が付けずに固まる。

 それほどまでに、彼の言葉はそれほどまでに破壊力があった、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カミュの処刑が、残り四日を切ったらしい。



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双賢の奇跡と相棒奪還作戦会議

まさかこんな形でアンケートを参考にするとは思いませんでしたが、書いてて物凄く楽しかったのでオッケーです。お気に入りや感想、そしてアンケートなどなど、いつも本当にありがとうございます。おかげで毎回凄く書くのが楽しいです。感謝!



 

 デクさんが自分の豪邸に僕を連れてきたのは、カミュの処刑日を話してすぐの事だった。

 

「すみません。つい取り乱してしまいました⋯⋯」

「いいんだよー、気にしないで」

 

 自室のソファーまで通してくれたデクさんに謝り、次いで紅茶を淹れてくれた使用人らしき人にも頭を下げる。

 

 あれからデクさんの言葉に衝撃を受けた僕は、過去と違う内容に思わず彼に詰め寄った。焦りでベンチから立ち上がり「何がどうしてそうなった」と問い詰める僕の姿は、デクさんからすればあまりにも見苦しく、そして恐ろしかった事だろう。

 

 裏にいた警備兵までもがこちらに来そうになってしまい、すかさずここへ連れてきてくれたデクさんには感謝しかない。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 紅茶に映る自分の顔を見ながら、乱れた精神を深呼吸で安定させる。予想外だったとはいえ、自分から聞いておいて情けない話だ。

 それほど衝撃があった事には違いないけれど。

 

(なんて事だ⋯⋯)

 

 前かがみになり、膝の上で両手を組む。

 家主であるデクさんは、奥さんへの説明があるからとさっき部屋を出て行ってしまった。使用人も部屋の外で待機しているので、実質今ここにいるのは僕だけという事になる。

 

 もちろん悪さをする気はないけど、仮にも初対面の僕を、そこまで信頼しているデクさんもどうなんだろうか。

 

「はぁ⋯⋯」

 

 とはいえ一人になれたのは正直有難いので、僕は詰めていた息を吐き出すと、組んでいた両手をそのまま額に持っていき目を閉じた。カチカチと鳴る時計の針の音だけを耳にして、デクさんの話を思い返す。

 遮った事もあって途中までしか聞けなかったけど、確かに彼は言っていた。

 

 ――カミュの「処刑」が、もう四日前まで迫ってきていると。

 

 その話を聞いて、取り乱さない訳が無かった。だってカミュが処刑だなんて、過去にはそんな話なかったはずだ。あのまま終身刑だったろうって当時本人も言っていたし。

 それにもし過去で処刑になっていたとしても、それはあくまで勇者である僕の「ついで」であって、カミュ自身が単体で受けるような刑罰ではなかっただろう。

 

 仮に魔王の「気まぐれ」だとしたら、それはあまりにも酷い話だ。本来なら終身刑だったのが死刑だなんて、そんなの全くの別物じゃないか。奴は人の命をなんだと思ってる。

 しかもあと四日⋯⋯いや、もう日付が変わってるから、単純計算であと三日か。残りたったの七十二時間しかないなんて。

 

「っ、考えなきゃ⋯⋯」

 

 回らない頭をフルに使って、どうにか手段を考える。過去に来てからの疲労と睡眠時間があまりに比例してないけれど、そう甘い事も言っていられない。

 もたもたしてたらカミュが危ないんだ。弱音を吐く暇があるなら、少しでも作戦を練った方がいい。

 

(この方法は⋯⋯いやダメだ、確率が低すぎる)

 

 けどどれだけ頭を働かせようと、一向に確信的な案が浮かんで来ない。

 当然だ。元々一晩、じっくり宿で考える筈の予定だったんだから。一朝一夕で浮かぶものなら苦労はないし、どうにか出来るならとっくにやってる。

 

 現にイシの村からここに来るまで、思い付く限りの案はもう既に考えた。滝の穴から地下牢獄に入って、先にカミュから助け出そうとか、あんな悲劇にならないよう、いっそ魔王と直接渡り合おうとか。

 

 けどどの案も結局最後に辿り着くのは、それによって生まれる、何らかの「犠牲」と「可能性」だった。

 例えばカミュを先に助けたとして、当然それを見た兵士達は魔王に報告するだろう。そうすれば僕は勇者とバレる事もなく、ただカミュを助けた仲間だとして、過去と同じく指名手配犯の罪を背負う事が出来る。再演こそ不可能になるが、普通に考えれば良案だ。

 

 実際僕もそれが理想だと思ったし、現に明日の朝に滝まで行って、あわよくばこの策を実行するつもりだった。けど⋯⋯。

 

(このままじゃ無理だ⋯⋯)

 

 そう、カミュの処刑が決まっている以上、その作戦には既に問題が二つ発生している。

 一つ目は言うまでもなく、処刑にあたり兵士達の監視の目が、過去以上に厳しくなっている事だ。

 あの時は終身刑な上にデクさんの賄賂が効いてたおかげで何とかなったけど、流石にあと三日で殺される人間を奴らが野放しにする訳が無い。仮に明日岩穴に行った所で、一歩水路に入れば間違いなく誰かしらに気付かれるだろう。

 一般の兵士だけならまだしも、連絡が通ってホメロスやグレイグ、ましてやウルノーガまで出てきたら戦うのは無理だ。誰一人殺さずに魔王だけを倒すだなんて、あまりにも分が悪すぎる。

 

 そして二つ目の問題は、賄賂を渡していたデクさん本人の、その身に起こる危険性だ。

 仮に何かの奇跡が起きて、問題なくカミュと脱獄出来たとしよう。でももしそうなった場合、次に危険が迫るのは間違いなくデクさんだ。

 賄賂の必要性が無くなればあの三人の兵士に告げ口されるだろうし、またカミュを逃がした罰として代わりに処刑される可能性だってある。奥さんのいる彼には非常に不利な話だ。

 

 他の案である魔王を倒す事ももちろん考えたけれど、過去に倒したウルノーガは自分の意思でデルカダール王から出入りしていたし、ホメロスとグレイグがいる前で本性を現すとは考え難い。

 それに本当にデルカダール王に取り憑いているのかすら分からない以上、突然斬りかかるには後のリスクが大きすぎるだろう。

 

「くそ⋯⋯」

 

 結局どの案も何かしらの綻びがどこかで生じ、思うようにいかない現状に歯噛みをする。

 こんな事ならもっと沢山、多くの案を事前に考えておくんだった。思えばデクさん達のやり取りを見た時点で嫌な予感はしてたのに。

 

 相手が魔王で後ろ盾が国じゃ、どう考えても突破は無茶だ。例え運が味方をしたって、必ずどこかで限界が来る。過去と出来事が違うのなら、尚更安易な考えは捨てなきゃならない。

 

「っ⋯⋯⋯⋯」

 

 浮かんだ、というより初めからあった選択肢を思って、これまで以上に頭を悩ませる。

 本当に、本当に犠牲を一つも出さない方法があるとすれば。それはもう、「あの日」を再現するしかないだろう。

 

 正々堂々正面から魔王に会い、そして村を代償に牢屋に入るという未来を知る上でやるには最低の、けど最も安全な最悪の手段。この作戦だけは、何がなんでもやりたく無かった。

 どうにか村を燃やしたくなくて、辛い思いをさせたくなくて。

 

 考えて考えて考えて、やっとこの次に安全な別の方法を見つけ出したというのに。

 

「選べないよ⋯⋯」

 

 歯を食いしばって、瞼を閉じる。僕自身ならどんな痛みにだって耐えられるのに、どうしてこうも、周りばかりが辛い目に合わなきゃならないのか。

 

 カミュの事は助けたい。いや、助けなきゃならない。

 ⋯⋯けど、それと同じくらい故郷を、みんなを失いたくはない。過去と同じで、グレイグがホメロスを止められるかすら分からないんだ。

 想定していた未来とどこかでズレて、みんなが殺されてしまう可能性だって十分にある。

 

 そんな事になったら、多分僕はもう立ち直れない。立ち直れる訳が無い。

 誰かの犠牲の上にある世界なんて、もううんざりだ。

 

「っ⋯⋯」

 

 焼かれた故郷を思い出すだけで、無意識の内に手が震えだす。

 恨まれるのはどうでもよかった。イレブンのせいだって、育てなきゃよかったって。自分達の村が僕のせいで焼かれるんだから、そのくらい思われたって何もおかしくない。

 

 ⋯⋯でも、そういう人達じゃないんだよ。

「よく帰ってきたね」って、「無事でよかった」って。住んでいた場所が奪われたのに、それでも僕を受け入れるような、そんな暖かくて、優しい人しかいないんだ、あの村には。

 母さんだって、ダンさんだって、それこそ大事な幼なじみだって。誰一人として失いたくはない。

 

 七十二時間が酷く短いものに感じる。許されるなら今すぐにでも逃げ出したかった。

 

(一体、どうしたら⋯⋯⋯⋯あ)

 

 苦渋の選択を迫られ固く瞼を閉じる中で、どうしてかは分からないけれど、ふとある事を思い出した。

 前のめりになった体勢を解いて、カバンからあるものを取り出す。

 

「そうだ、これ⋯⋯」

 

 ――それはかつてベロニカが愛用していた、細くて長い、けれど丈夫な一本の杖。

 彼女のトレードマークであり、また形見でもあるそれは、時を求める前にセーニャがどうしてもと言って僕に持たせてくれたものだった。

 

 みんなが過去の自分にと持っていた装備を預けてくれる中で、彼女が「お姉さまの分が無いのは可哀想だから」と笑って渡してくれた、とても大事で大切な杖。

 本来ならセーニャ自身が持っていたかった形見だろうに、彼女は僕の反対を押し切ってまで、この杖を僕にと託してくれた。

 

 手に取ると先端にある赤い宝玉がきらりと光り、そして自然と、最後に見たベロニカの笑顔が思い出される。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 大樹が落ちたあの日、彼女はきっとあそこにいた誰よりも強く覚悟を決めていた。最悪の場合を想定して、みんなの無事をひたすらに願って。

 そして最後は全員を助けようと、一人犠牲になる方法を選んだ。

 

 本当なら僕がそうするべきだったのに、しなきゃいけなかったのに。結局彼女一人さえ守れないまま、多くの命を失って。

 過去に戻った今でさえ、選択が出来ず怯えている。

 

(⋯⋯ベロニカは、強かった)

 

 いつだって前を向いていたし、いつもみんなを励ましていた。小さくなった自分を見て「むしろ若返った」なんて言うくらいだ。

 そんな事を気にする年齢でもないのに、みんなに気にさせないよう、常に明るく真っ直ぐ笑って。

 

 杖を握る手に、思わず力が入る。

 

「⋯⋯今度こそ、全部助けるんだ」

 

 カミュの事も、エマや村のみんなの事も、世界も。

 

 ――そして君の事も。

 

 どうすればいい、どうしたら助けられる? 僕一人が出来る力で、全てを失わずに済むには、一体どうしたら。

 そう考えた時。

 

『──ごちゃごちゃうるさいわね! あんたはそういう所がいけないのよ!』

「え⋯⋯?」

 

 聞こえない筈のベロニカの声が、突如頭の中に飛び込んできた。慌てて部屋中を見回すけれど、もちろん彼女の姿はなくて。

 

(気の、せいか⋯⋯?)

 

 突然起きた不思議な現象に、すぐさま杖へと視線を戻す。

 ⋯⋯どうやら、ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったらしい。

 

「はは⋯⋯ほんと、何やってるんだか⋯⋯」

 

 柄にもなく弱ってる事を自覚して、震える声で自嘲気味に笑いをこぼす。疲れで幻聴でも聞こえたんだろう。

 自分の相棒と幼なじみの、それにみんなの命がかかっているというのに、全く我ながら非情なものだ。

 

 ⋯⋯けど、有り得ない事だと分かっていても、それでもやっぱりもう一度、彼女の言葉を聞きたいと思ってしまって。

 祈るようにして目を閉じながら、両手に握る杖を額に近づけ口を開く。

 

 ベロニカの声が聞けるなら、この際おかしな奴でもいいと思った。

 

「⋯⋯分かってるんだ、これ以外方法はないって。でも僕には、カミュやみんなを救えるだけの自信がない。助けられるだけの確証がない。⋯⋯怖いんだ。また僕のせいで、君やみんなを失いそうで⋯⋯」

 

 みんなの事を思うだけで、僕はこんなにも弱くなる。僕自身がいくら強くなったって、一人じゃどうしても限界があるんだ。

 

「ねぇベロニカ。未来を変えるだなんて大きな事、本当に僕に出来るかな⋯⋯君やみんなを助けたくてここに来たけど、僕一人じゃ、とても⋯⋯」

 

 悔しさから歯を食いしばる僕に、反応するようにして左手の痣が光を放つ。

 けれどそれに気が付くよりも更に早く、あの聞き慣れた優しい声が杖を通して響いてきた。

 

『勇者の癖に弱音なんて吐くんじゃないわよ! それにあんたは一人じゃないでしょ!? もっと仲間を頼んなさい!』

「っ、ベロニカ⋯⋯」

 

 ⋯⋯間違いない、彼女の声だ。

 懐かしさに込み上げるものを感じつつ、杖の先にいるだろうベロニカの気配に話しかける。

 

「でも、今の僕は一人だ。頼れる仲間は、もう⋯⋯」

 

 そして過去のみんなやベロニカを思い出してぎゅっと目を瞑れば、数秒の沈黙の後、彼女の呆れたようなため息が聞こえてきた。

 見えてる訳でも無いのにその姿が想像出来て、こんな時なのに暖かさを覚える。

 

『⋯⋯あのね、じゃあ聞くけど。あんたの言うその仲間ってのは、ちょっと別れたくらいで倒れるような、そんな弱っちい奴らの集団なワケ?』

「違う! みんな、十分強いよ⋯⋯」

 

 ベロニカの言葉に、食い気味になって否定する。

 鼓舞する為とは分かっていても、それでも仲間を弱いと言われるのは嫌だった。支えてくれて、共に戦ってくれて。その強さに、僕がどれだけ救われてきたか。

 今だって少し考えるだけで、浮かぶ思い出がいくつもある。みんながいてくれたから、ここまでやってこれた。旅を通して、強くなれた。

 

 みんなが「みんな」でいてくれたから、僕は──。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 ベロニカの言葉の意味に、ようやく気付いて目を見開く。彼女の尋ねた質問には、確かな意味が込められていた。

 

 ⋯⋯そうか。その「みんな」はちゃんと、ここにもいるのか。

 

 あの思い出こそないけれど、過去のみんなじゃないけれど。同じだけの優しさと強さを持ったみんなが、僕ともう一度、共に戦ってくれる大切な「みんな」が。

 この世界にも、過去にも確かに存在する。同じ時間を生きている。

 

「そう、か⋯⋯初めから、悩む必要なんてなかったのか⋯⋯」

『ええそうよ、ちゃんと分かってるじゃない。「今」だろうと「過去」だろうと「未来」だろうと、あたし達はあたし達で、あんたはあんたなの! 敵や他人がなに? それすら利用してやってやんなさいよ! それでこそあたしの認めた勇者様なんだから!』

「ベロニカ⋯⋯っ、うん」

 

 それこそ姿は見えないけれど、僕が力強く頷いた事で、彼女は満足したようだった。

 今にも指をさし、まるで説教をするかのような声音で僕を激励してくれる。

 

『いい!? 途中で敵にやられたりしたら、それこそ承知しないからね!』

「分かった。死んでも生き抜いてみせるよ」

『全く⋯⋯あんたといいセーニャといい、ほんっといつまでもあたしがいないとダメなんだから!』

「うん⋯⋯僕らには君が必要だ。早く平和を取り戻さなきゃ」

『その意気よ! めそめそしてないで、とっとと世界を救いなさいよね、イレブン!』

「ああ。ありがとう、ベロニカ」

 

 ──必ず君も、僕がこの手で救ってみせる。

 

 そんな僕の誓いを最後に、痣の光が納まるにつれ、次第に彼女の声も聞こえなくなる。

 届いたのかどうかは分からないけれど、きっと彼女にも、僕の声が届いたに違いない。

 

 もう会えないかもしれないけれど、同じだけの強さと優しさを持つこの世界のベロニカになら、その内どこかで会えるから。

 直接お礼を言うその時まで、自分に出来る事をやっていこう。

 

「敵や他人を利用して⋯⋯か」

 

 全く、ベロニカらしいな。

 思い返して笑っていると、後ろの扉が開いて、用事を済ませたらしいデクさんが戻ってくる。

 結構長い間席を外していたような気もするけど、僕自身ベロニカと話した時間を測っていないので何とも言えないだろう。

 

「待たせてごめんよー! 兵士の事を話すのに手間取っちゃって⋯⋯!」

 

 落ち着いた? なんて優しく聞いてくれる彼に感謝して、僕は頷くとその場に立ち上がり、デクさんの方に向き直る。

 

「すみませんデクさん。さっきの話、もう一度詳しく聞かせて貰えませんか?」

 

 ──迷いなんてものは、とっくのとうに消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お互いソファーに座り直し、当事者であるデクさんから、改めて事の次第を説明してもらう。

 そして話が終わる頃には、紅茶はすっかり冷めていて。体感的には短いものの、それなりの時間が経過していた。

 

「これが、ワタシの知ってる事全部だよー。どんな手を使ってでも、カミュの兄貴を助けてあげたいんだ」

「なるほど⋯⋯ようやく話が繋がりました」

 

 ありがとうございますと礼をしながら、脳内で簡単に聞いた話を整理する。

 

 カミュに関する内容で主にあの時と変わっているのは、彼の処刑が三日前に迫っているという事と、それが原因でデクさんが兵士に頼み込み、賄賂を多く積む事で監視をどうにか緩和させている(とはいえ立場は逆転している)事の二点だった。

 それ以外は過去の通りで、これといって特におかしい点も見当たらない。

 

 とはいえ何が原因でズレが起きているか分からない以上、過去の知識に頼り過ぎるのはよくないだろう。

 

「でも⋯⋯イレブンさんの言う通り、兵士達はもう、助けてくれる気はないと思うよー。ワタシ自身従うばかりで情けないけど、本当にお金だけが目的なんだと思う」

「ええ⋯⋯認めたくはありませんが、そのようです。それに奴らの事ですから、その、カミュさんが処刑され次第、真っ先にこの事を王に告げ口するでしょうね」

「⋯⋯」

 

 視界の先で、怖いのかごくりと喉を鳴らすデクさんの姿が見える。

 彼なりに覚悟を決めてはいるらしいけど、いざ言葉にされると思うところがあるんだろう。

 

「大丈夫です。そんな事、僕が絶対させませんから」

 

 それだけ言って、横目でちらりと時計を見やる。

 短針は既に三を指していて、あと数時間もすれば空が明るくなる頃だ。お互い暗黙の了解で時間については触れていないものの、処刑まで残り六十九時間。早く済ませるに越したことはないだろう。

 

 息を整え、本題に入る。

 

「デクさんの話を聞いて、少し考えました。⋯⋯一つだけ、カミュさんを助けられる方法があります」

「え? ほ、本当に!?」

 

 勢いのまま、思わずソファーから立ち上がったデクさん。目を合わせしっかり頷けば、彼はさらにその表情を明るくさせる。

 ここに来てようやく希望が見えたというところか。

 

「はい。少し時間はかかりますが、上手く行けばほぼ間違いありません」

「じゃ、じゃあ⋯⋯」

 

 今すぐにでも実行を。そんな雰囲気を漂わせる彼に、僕は即座に否定を入れた。

 

「確かに最善策ですが、あくまで上手く行けばの話です。もちろんそれなりのリスクは伴いますし、最悪の場合、デクさんの身に危険が及ぶ可能性があります」

「⋯⋯」

 

 再び部屋に静寂が訪れる。傍から聞けば脅しに近い提案だけど、事実以外の何物でもない。

 それに嘘をつく方がよっぽど悪だろう。

 

「とはいえ命に関わるようなものでもありませんから、そこは安心して下さい。⋯⋯ここから先は少しややこしくなるので、簡単に僕の作戦を話しておきますね」

 

 デクさんが頷くのを確認して、僕は乾ききっていた喉を紅茶で潤す。

 使える時間は少なくたって、明日の朝には戦場だ。使えるものは全て使って、最高の結末を迎えてやろう。

 

「――この作戦を話し終えたら、あなたは今日の朝から今後一切、僕には決して関わらないで下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内容の全てを話し終えたのは、まだ太陽がかろうじて昇っていない、薄暗い早朝の頃だった。



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知略とのエンカウント

アンケートに一人足りないと思ったそこのあなた。大正解です(何がとは言わない)



 

  人生は、良い事と悪い事の半々で出来ているらしい。

 

 何で知ったかは覚えてないけど、いつか誰かが言っていた。悪い出来事ばかりでも、最後は必ず同じぐらい、何かいい事が起きるんだって。

 確かに僕が生きてきた十六年も、まぁそれなりには当てはまるだろう。嫌な出来事もいい出来事も、思えば大体半々だったし。

 

「全く、低能なドブネズミ共が⋯⋯」

 

 だからこそ過去に来た僕が、こうして最悪な目に遭うのもきっと。さっきもの凄くいい事が起きた、その意趣返しに違いない。

 誰が作った決まりかなんて、僕には興味も無いけれど。

 

 今だけこの場をお借りして、一つ不満を吐かせて貰おう。

 

「どうやら無事のようだな」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 どうして街を歩いただけで、国の知将と出会うんだ。

 

 

 

 

 

 日付が変わり、太陽が潜む深夜帯。

 冷めきった紅茶を彼の使用人が淹れ直す中で、僕とデクさんのやり取りは、数十分に渡って尚も行われていた。

 

「カミュさんの処刑が今日を入れて三日後だとすると、作戦決行は明日の朝が最適です」

「え⋯⋯今日じゃなくて?」

 

 確信を持って話す僕に、彼は首を傾げて疑問を抱く。

 お互い隠しているものの、残り少ない数十時間だ。焦りが見えるのも無理はない。

 

「ええ。本来なら今日にでも実行したいところですが、なんせ内容が内容ですから。人の命を奪う以上、場所や後処理の面に置いても、それなりの準備がいるでしょう」

「後処理⋯⋯」

 

 想像したのか、デクさんが顔を青くさせる。まぁ当然そんな事にはさせないけれど、奴らはもちろん殺す気だ。

 救える確率が高いとはいえ、一筋縄では行かないだろう。

 

「仮に賄賂が効いてたとしても、相手はたったの十数人。大勢の兵士がいる中で、監視を誤魔化し続けるのは無理があると思います」

 

 それに処刑が迫る大罪人を、奴らがみすみす放って置くだろうか。⋯⋯いや、ないな。逃げられて不味いのは奴らの方だし、何よりそんなリスクを背負うだけ無駄だ。

 契約者であるデクさんにも内状が見られない分、せいぜい協力してるフリをするのが定石と言える。

 

「じゃあ、やっぱり彼らは⋯⋯」

 

 そんな考察していく中で、彼もある程度察したらしい。

 肩を落としたデクさんに、僕は紅茶の注がれたカップを手に取ると、それから淡々とした口調で告げた。

 

「いえ、最初の内は彼らなりに、上手く立ち回っていたと思いますよ。じゃなきゃカミュさんだってそう大人しくはしていなかったでしょうし、かといって下手に暴れていたら、既に処刑されてたかもしれませんから」

 

 単純に、彼が処刑になった事で収拾がつかなくなったんだろう。

 あんな横暴な手段に出た彼らを許すつもりは無いけれど、デクさんとの契約を黙ってくれているのもまた事実だ。

 お金が絡んでるからとはいえ、その義理堅さには感謝しかない。⋯⋯まぁ逆を言えば、義理堅いのに金に目を眩ませてるというのもどうかと思うけれど。

 

「そっか⋯⋯それなら良かったよー」

 

 僕の個人的な推察を聞いて、デクさんはどこか嬉しそうだった。

 まるで兵士の無実が証明されて、自分の事みたく安堵の表情を浮かべているような。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 そんな突っ込みどころ満載の様子に、それでいいのかとある種の複雑ささえ覚える。⋯⋯まさか、今さっき奴らにされた事まで忘れてるんじゃないだろうな、この人。

 本人がいいならそれでもいいけど、優し過ぎるのも考えものだ。心配する身にもなって欲しい。

 

(カミュの苦労が目に浮かぶな⋯⋯)

 

 まぁ僕も僕で、あまり言えた立場じゃないけれど。紅茶を口に運びながら、内心でデクさんに親近感を抱く。

 とはいえそうなってくると、ますます迂闊に動くのは危険だろう。当事者達さえ動けない中で部外者一人が割り込むんだから、当然至難の業になる。

 

 そこに加えて寝不足だなんて尚更決行は今日じゃない。デクさんも僕も万全でない以上、時を待つのが賢明だ。

 

「これはあくまで想定ですが⋯⋯」

 

 前置きをして、持っていたカップをテーブルに置く。

 それに今回の作戦を決行する上で、もう一つ、明日にしたい理由があった。

 

「仮に僕がカミュさんだとして。脱獄するなら、やはり明日の朝か昼を選びます」

「だ、脱獄? アニキが?」

「ええ。少なからず、機会を伺っているでしょう」

 

 そう、だから今日ではダメなんだ。カミュが脱獄を図る日にちは、「前」で言うなら明日になる。

 そこに過去との違いがあるとすれば、それは「今ここに僕がいる」事だ。

 本来三日とかかった道を、僕は半日でここへ来た。ズレているのは世界じゃなくて、二日早めた僕自身。

 

 ――そしてその日を逆算すれば、三日目の朝に捕まって、彼と出会ったあの日はきっと。

 

「彼が脱獄を決行するなら、準備で監視が最も緩む、処刑日前日の朝から昼にかけてのどこかしかありません」

 

 なんせ国を脅かす悪魔の子は、一人の勇敢な脱獄者と共に生まれたのだから。

 同じ思考かは分からないけど、カミュを信じて賭けるしかない。

 

「まぁとはいえ、地下牢じゃ時間なんてもちろん分かりませんし、そもそも彼がこの事を知ってるのかすら怪しい所ですが⋯⋯」

 

 そこだけは流石に確証が無くて、話しながらに目線が下がる。

 あいにくと、死ぬ人間を構うほどの慈悲は魔王にはないだろう。何しろ気まぐれで処刑を決めるような奴だ。部下にその事を云うだけ云って、肝心のカミュ本人はそれを知らないのかもしれない。

 

 突然呼ばれて即死刑だなんて、もしそれが仮に事実だとすればどこまでもふざけた話だ。つまらなすぎて笑いにもならない。

 

「アニキが⋯⋯そんな事を⋯⋯」

 

 話を聞いて、デクさんが呟く。

 信じてくれとは言わないけれど、彼の相棒ならば分かるだろう。普通じゃ不可能な事でさえ、器用なカミュならやりかねない。

 なにせ自分を一般呼ばわりする割には、彼もまたかなり大胆で無鉄砲な男だから。今も兵士の隙を狙って、せっせと穴を掘ってるんだろう。⋯⋯想像したらちょっと面白いな。

 

「イレブンさん」

 

 それから少しの間を置いて、ようやくデクさんの口が開かれる。

 ──彼もまた、戦う事を選んだらしい。

 

「教えてよー。アニキの脱獄を手伝う為に、これからワタシがやるべき事を」

「⋯⋯ええ、もちろん。彼を処刑から助ける為にも、あなたの力を貸して下さい」

 

 決意を固めたデクさんの目は、信用に値するものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて光が見えた矢先で、一体どうしてこうなったのか。

 その元凶とも言える出来事は、デクさんの家を後にしてすぐの、宿屋へと向かう道中にあった。

 

(そういえば⋯⋯)

 

 時間で言えば朝五時頃の、少しまだ暗い空の下。

 街の中層に続く階段を降りる途中で、ふと『ラリホー』をかけた兵士の事が気になって。

 

 眠いながらに教会横の細道を通り、その先にあるトンネルを抜けて例の場所へと戻ってみれば。

 

(やっぱり⋯⋯)

 

 視界の先には案の定、熟睡している件の兵士がいた。一応見つかると不味いので、再度背後を確認し、トンネルの影から静かに顔を覗かせる。

 ⋯⋯見た所、ここを任されているのはあの兵士だけらしい。

 アーチ状に作られた石造りの門に座り込み、背を預けながらに寝るその姿はまさに爆睡そのもので。僕の気配にも気付かない所を見ると、かなり『ラリホー』が効いてしまったのだろう。

 

(お、起こした方がいいかな⋯⋯?)

 

 眠りこける兵士を見ながら、僕はここに来て最も生産性のない謎の葛藤に苛まれる事となった。

 当然悪いのはデクさんを嵌めた彼らだけれど、爆睡させたのは他でもない僕だし⋯⋯。

 

 それにもしこれが誰かにバレたりしたら、間違いなく彼は上から罰せられるだろう。上って言うとホメロスかグレイグで、その更に上はウルノーガだ。

 彼の罪状は知ったこっちゃないけれど、最悪の場合デクさんを掛け合いに出さないとも言い切れない。

 

(っていや、流石に考えすぎか⋯⋯)

 

 どうやらいよいよ眠さで思考が狂いだしてきたらしい。なんなら寝ている兵士が羨ましすぎてもう。

 とはいえ多少気にはなるので、ここはひとまず自分の良心に従っておくとしよう。

 

(何か音が出るもの⋯⋯)

 

 爆睡の彼を起こすべく、何かないかと辺りを見やる。出来るだけ顔は割れたくないし、もちろん大事にもしたくない。

 丁度いいものはないだろうか。

 

(まぁ最悪はあの木の板でも倒して⋯⋯っ)

 

 なんて単純な思考から、兵士の近くに立てかけてある重なった木材を見ようとして。

 ──その先に動く、何かを見つけた。

 暗がりの中で目を凝らし、すぐに何かではなく「人」だと気付く。

 

 眠る兵士の奥にある、下層へと続く長い階段。かつてカミュと脱獄した際、とある警備兵を欺いた道だ。

 そこからゆっくりと顔を覗かせるのは、マスクを被った屈強な男。何度か後ろに振り向く事から、多分一人ではないんだろう。

 辺りが暗くて良く見えないけど、何かしら、手に武器を持っているのは間違いない。

 

(一体なんなんだこの街は⋯⋯)

 

 厄介事の多さに辟易しながら、とりあえずどうするべきかを考える。冷静なのは言うまでもない。眠気がピークに達したからだ。

 今こそ眠くはないものの、放っておいたらハイになるだろう。

 ⋯⋯それは結構、非常にまずい。

 

(こうなったら⋯⋯)

 

 やるしかないかと覚悟を決めて、その場で大きく息を吐く。関わりたくは無いけれど、暴れられても迷惑だ。街の住民に罪はないし。

 何より平和な世界の為にも、犠牲は極力出したくない。

 

「⋯⋯よし」

 

 小さく一言呟いてから、低姿勢で壁の近くに歩み寄る。

 それにいい事を思い付いた。どうにか奴らを捕まえて、寝ている兵士の手柄にするというのはどうだろう。彼さえ起きてくれれば全てを任せられるし、奴らも捕まえられて一石二鳥だ。

 

 最悪はここにいる全員の記憶を飛ばしたって構わないし。よく言うもんね、みんなで飛べば怖くないって。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 息を潜め、階段を上り終えた彼らの話に聞き耳を立てる。

 もし無理そうなら使うけど、武器や魔法は極力禁止だ。誰に見られるか分からない以上、不安だが素手で渡り合うしかない。

 

 マルティナに教わった格闘術の見せ所ですねこれは。

 

「おいおい見ろよあの兵士。こんなとこで呑気に寝てやがるぜ」

「城の兵士が聞いて呆れるな」

「おいお前ら、あまり大きい声を出すなよ。誰かに聞かれたら面倒だろう?」

 

 まぁ聞いてるんだけど。口には出さず、内心だけで彼らに答える。話し声から察するに、相手は全部で三人らしい。

 デクさんといい奴らといい、僕にはどうも「三」という数字に縁があるようだ。なんならカミュの処刑もあと三日だし。⋯⋯いやもう本当勘弁してくれ。

 

(さてと⋯⋯)

 

 ズレたバンダナを直しつつ、気配をなるべく消しながら敵の背後まで歩みを進める。

 

「誰かってお前、こんな街の端のとこに来る物好きなんてそうそう」

「──いるんですよねそれが」

「え⋯⋯」

 

 そして食い気味で話に割り込むと、それに気付いた一番後ろの小柄な男が、慌ててこちらを振り向いた。

 その行動を逆手に取って、握った拳の力の限りをその鳩尾に叩き込む。

 

「ふっ!」

「がはっ⋯⋯!」

 

 不意打ちは見事に決まったようで、男は数メートルほど宙を飛ぶと、その殴られた状態のまま背中から地面に着地した。

 ピクリとも動かないその様子から、どうやら気絶させられたらしい。

 

「これで一人目」

 

 呟く僕に、残りの二人がサッと顔を青ざめさせる。これじゃどっちが悪者か分からないけど、とにかく一人減らせたのは上々だ。

 

 男の落とした小型のナイフを拾い、目の前の彼らに切っ先を向けてから、横目で自分の鞄に押し込む。

 

「な、なんなんだお前⋯⋯!? いつの間に後ろにいやがった!」

「生憎ですが、質問に答えてる時間はありません」

「お前、城の回しもんか!?」

 

 いやだから、答える時間がないって言ってるだろう。あれから時間も経ってるし、空にはもうすぐ日が昇る。もたもたしている暇はない。

 この際彼らの話は無視して、とっとと事を済ませよう。

 

「そこの彼のようになりたくなければ、速やかに自首して下さい。今ならまだ、罪も軽くて済むでしょう」

 

 そう冷淡な態度で告げれば、彼らは恐怖を払拭するかのように、ナイフを構えて声を荒らげた。

 

「うるせぇ! 黙りやがれ!」

「おい、待て!」

 

 屈強な男の止める声すら聞かず、今度は長身の細身な男が、僕の命を奪おうとナイフ片手に向かってくる。

 ⋯⋯とはいえこれまで散々魔王や魔物と戦って来た僕からすれば、そんな覚悟もない凶器、今更怖くもなんともなくて。

 

「黙るのはそっちの方でしょう」

 

 ブレまくっているナイフを躱すと、駆けてきた男の右腕を掴んで、そのまま背後に回り込む。

 そして体勢を崩した奴の背骨目掛けて力いっぱい肘を下ろせば、男は情けない声を上げて地面に倒れた。

 

 もちろん折れてはいないけど、重症な事には違いない。肺が圧迫されて痛いだろうし、早急な処置が必要だ。

 

「⋯⋯これで二人目です。大人しく自首してくれますね?」

 

 二つ目のナイフを鞄にしまい、残りの男へ振り返ると、これが最後とばかりに忠告を入れる。大きな体躯と纏う気配から、多分奴がこの中におけるリーダー格だろう。出来れば最初に倒したかったけど、奥にいたのでまぁ仕方ない。

 むしろちょこまか動かれない分、この順番は逆に好都合だ。

 

「ちっ、お前ら情けねぇぞ!」

「無駄です。急所でしたし、当分動く事は出来ません」

 

 自首するのなら治療しますが。

 奴の目を見据えて答える僕に、男はマスク越しとは言えいかにも面白くなさそうだった。

 ナイフを強く握る手を見て、ダメそうだなと思いつつ何とか説得を試みる。

 

「そちらの事情は分かりませんが、生きている限り、今後いくらでもやり直せます。だから⋯⋯頼むから、こんな所で終わらせないで」

 

 僕がどうにかしてみせるから。世界を救うその前に、命を散らすのはやめて欲しい。諦めなければ希望はある。

 

 ⋯⋯けれど、そんな心の底から宿る想いは、悲しい事に目の前の彼には伝わらないようだった。それどころか何かを思い付いたように笑みを浮かべて、手に持つナイフを構え出す。

 

「餓鬼の癖に偉そうにしやがって⋯⋯! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

「っ⋯⋯」

 

 乱雑に刃を振り回され、僕は説得を中断すると、軌道を読んではその切っ先を数回避ける。さっきまでの二人とは違い、実際に「刺した」事のある人間の手つきだった。

 万が一にもやられないよう、最大限脳を覚醒させては、奴の剣先に集中する。

 

 ⋯⋯けど、むしろそれがいけなかったのかもしれない。

 

「馬鹿め! ハマりやがったな!」

「なっ!?」

 

 僕が数回目のナイフを避けた途端、奴は狙っていたとばかりに門の方へと走り出す。

 ――その先にいたのは、この騒動にも関わらず未だに寝ている一人の兵士。

 奴の狙いは初めからこれだったらしい。

 

(まずい⋯⋯!)

 

 脳が危険信号を放ち、弾かれたように男の後を追いかける。外道な真似をと思ったけれど、言ったところで彼には痛くもないだろう。

 人質に取られるだけならまだしも、殺されてしまえば後がない。

 

「詰めが甘ぇんだよ!」

 

 確信を抱いたらしい男のナイフが、眠る兵士のあと数歩手前の所まで迫る。

 そんな絶望的な光景を目にして──けど不思議な事に、やけに冷静な自分がいた。男の動きがスローに見えて、脳が瞬時に冴え渡る。

 

 その状態は、まさに『ゾーン』と呼ばれる現象そのものだった。兵士を死んでも助けたいという思いが、限界状態の僕と上手く噛み合ってくれたらしい。

 

「っ、させるか!」

 

 羽のように軽くなった足を駆使して、兵士と男の間に割り込む。

 背中を蹴る事も考えたけど、全力で振り下ろされるナイフを完全に止め切るには、何かしらの障害物が無いといけないから。

 

「死ねぇえっ!」

 

 守りきる盾がないのなら、この際自分がなるしかない。

 

「ぐぁっ⋯⋯」

「な⋯⋯!?」

 

 兵士を斬るはずだった刃は、代わりに彼を庇った僕の、左の肩へと浅く入った。それでもかなりの激痛が走り、痛みで顔を歪ませる。

 どうやらナイフを下ろした奴の腕を、咄嗟に片手で掴めたのが功を奏したらしい。

 もう少し刃が深ければ流石に不味かっただろう。

 

「こ、のっ⋯⋯!」

 

 これ以上深く切られないよう、持てる握力をフルに使って、奴の右腕を潰しにかかる。

 

「うっ、ぐ⋯⋯!」

「っ、はぁっ!」

「がはっ!」

 

 そして緩んだ瞬間に鳩尾を蹴り飛ばせば、敵が後ろに下がった事でようやく男と距離が取れた。

 凶器こそ奪えはしなかったものの、兵士を守れれば今はとりあえずそれでいい。

 

(無事か⋯⋯)

 

 警戒しつつ、特に変わりのない様子の兵士を見て内心胸を撫で下ろす。少し僕の血で制服を汚してしまったけれど、それについては許して欲しい。

 出来れば怪我を治したいものの、そんな時間はくれないだろう。寝不足に出血と状況は最悪だが、それでも何とかやるしかない。

 

「この⋯⋯糞ガキがぁあっ!」

 

 逆上し、襲いかかってくる男に構える。

 狙うはがら空きの下半身だ。足をすくえば勝機はまだある。

 

「っ⋯⋯!」

 

 そして痛みを無視して膝を曲げ、蹴る体勢を整えたその時。

 

「――死ね」

 

 突如左上から聞こえた声と共に、目の前に居たはずの男が右側の壁に向かって吹っ飛んでいった。ガシャンと壺の割れる音がして、つい「もったいない」と思うのは勇者の悲しい性だろう。

 ⋯⋯っていや、そんな事を言ってる場合じゃない。

 

「な⋯⋯!?」

 

 我に返って、飛んで行った男の方を見る。砂埃で少し見えにくいが、空が明るくなってきた分さっきよりはマシだ。

 

 そしてその先に見えたのは、激しく割れた壺の上に倒れる、動かなくなった無惨な男の姿だった。どうやら吹っ飛んだその衝撃ごと、手前の柵に身体を打ち付けたらしい。

 距離があるせいで分からないけれど、生きてるんだろうかあれは⋯⋯。

 

「安心しろ。殺してはいない」

「え」

 

 目視で安否を確認する僕に、すぐさま意表を突くようにして、横から端正な声がかかる。奴をぶっ飛ばした男の声だろう。

 ⋯⋯なんだかやけに聞き覚えがあるのはきっと、ダールハーネで負け惜しみを言われたあの時の事を、僕が未だによく覚えているからに違いない。

 

 薄々気配に気付いていたけど、まさかこんな形で介入してくるとは。

 

「よくも私の庭を荒らしてくれたな。虫ケラ共め」

 

 兵士と僕を庇うように立ち、盗賊を睨むその男。

 彼こそこの国の知将であり、かつての仲間グレイグの戦友でもあり、そしてまた⋯⋯僕の因縁でもある相手。

 

 

 

 

「知略のホメロス」ただその人だった。



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噛み合いの悪い心理戦

基本思いついた事しか書けない見切り発車スタイルなので、投稿期間が空くという事は悲しいかなそういう事です(瀕死)
ゲーム二週目しながらやろうと思ってたのに、この小説のイレブン君が一向にデルカダールから出てくれないので進捗早めて頑張ります。



  

 そして話は前回の、ホメロスと会った冒頭に戻る。

 確かに未来を変えに来たけど、一体どうして次から次に、厄介な事が起きるのだろう。

 

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 話を戻して早速ですが、誰かここから助けて下さい。無事かと聞くから頷いたのに、返ってきたのが沈黙だなんて出会って早々なんたる地獄。割り込んでおいて酷すぎるだろう。

 

 肩も治すに治せないし、思考もとっくに限界だ。倒れていいならすぐ倒れるし、ハイになる日も多分近い。⋯⋯ってなんだこれ。

 僕は一体こんな所で何をしてるんだ?

 

「貴様、見ない顔だな」

「きさっ⋯⋯い、いやぁその⋯⋯」

 

 その上いきなり「貴様」呼ばわり。もうイヤだ、誰だこいつをこんなにしたのは。今時礼儀も知らないだなんてグレイグの業が深すぎる。

 その辺の魔物よりよっぽどモンスターしてるじゃないか。今まで隣で何見てたんだよ。

 

「つい数時間ほど前に、ここへ来たばかりでして⋯⋯」

 

 とはいえ黙秘も怪しまれるので、仕方なく当たり障りのない言葉を述べる。黙ったままに睨んでくるけど、応える元気は無いので無視だ。

 

 ちなみにそんなホメロスが一体どこから現れたのかというと、どうやら上層と中層を繋ぐ階段脇のスロープから、戦闘中だった僕達目掛けてそのまま強引に飛び降りて来たらしい。

 ここまでの言動といい発想といい、彼は限度というものを知らないんだろうか。

 

(本当に生きてるんだよな、あの人⋯⋯)

 

 密かに渋面を作りながら、改めて吹っ飛ばされた男の方を見やる。なんなら「死ね」とまで言われていたし、騎士らしからぬ暴言にはマスクの彼もさぞ驚いたに違いない。

 

 ホメロス曰く生かしてあるとの事だけど、よくもまぁあそこまで派手に蹴り飛ばしといて「殺してない」なんて言葉が言えたものだ。殺る気満々の間違いじゃないの?

 

(相変わらずだなホメロスも⋯⋯)

 

 大胆な行動に呆れつつ、けど何とか思考を切り替えて先の自分の発言を反芻する。

 

「知略のホメロス」とはよく言ったもので、彼の繰り出す様々な戦略にはこれまで何度も手を焼かされてきた。詰めが甘いのが玉に⋯⋯というかもはや瑕でしかないけれど、その執念深さは折り紙付きだ。

 尋問なんてさせたらまず面倒臭いに違いない。

 

「なるほど、旅の者か」

「そうです」

 

 疑われる事がないように、いかにも人当たりのよさそうな作り笑いで二つ目となる質問に答える。

 

「ここへは何をしに?」

「観光に来ました」

「観光?」

「はい。デルカダール城を一目見たくて」

 

 嘘を混ぜるのは骨が折れるけれど、理由が魔王討伐なだけに仕方がない。

 悟られてしまえばその時点で詰みだ。

 

 というかこれって僕からすると、ただ敵のレベルが盗賊から騎士(但し魔王側の可能性あり)にはね上がっただけなんじゃ⋯⋯?

 その辺のチンピラから急に魔王の片腕だなんて、いくらなんでもお腹いっぱいなんですけど。

 

「用件はそれだけか?」

「はい、それだけです」

「ここまでの移動手段は?」

「馬です。とても器量が良いんですよ」

「ほう? それは一度お目にかかりたいものだな」

「ええ、機会があれば是非」

 

 さて、ここまではどうにか対応出来ているものの、これ以上続くとさすがに不味い。

 何が不利って僕の名前だ。まさかホメロスに会うとは思っていなかったから他に偽名は一つもないし、かと言って用意するだけの時間を彼がくれるとも思えないし。

 

(ちょっと厳しいな⋯⋯)

 

 追い詰められていく感覚に、怪我も相まって冷や汗が流れる。

 最悪の場合は戦うけれど、余計な接触を避けるに越したことはない。ましてや剣をまみえて戦うなんて、それこそただの「繰り返し」だろう。

 

 それに過去に行く事を決意した時、僕はグレイグと約束をした。

 ──例えホメロスが魔王側でも、救える限りは救うって。

 確かに僕から言わせれば、ホメロスは殺したいほど憎い相手だ。これまでしてきた行いだって、そう許される事じゃないだろう。

 

 ⋯⋯けど、それでもやっぱりグレイグにとってホメロスという男は、例え自分を犠牲にしてでも救ってやりたい「唯一無二の盟友」らしい。

 散々悪事を働いたとはいえ、大事な仲間が命を懸けてまでも救いたいと思う人間だ。僕の復讐心なんかで斬る事は出来ないだろう。

 

 それが仮に、平和な未来への近道だとしても。

 

(これが正念場か⋯⋯)

 

 逃げたい衝動を抑えつつ、唯一冷静な頭で切り抜ける為の手段を探す。

「知ってる」僕が諦めた時、今度こそ本当にホメロスを救える人間はいなくなるだろう。見送ってくれたグレイグの為にも、そんな結末は避けなきゃならない。

 

「道中で対峙した魔物の種類は?」

「『いっかくうさぎ』や『おおきづち』、あとは『スライム』に『ズッキーニャ』です。その他にもまだ何匹かいましたけど、主に戦ったのはこの辺りでした」

「ふむ、なるほど」

 

 そんな決死の覚悟を決めている僕の裏腹で、いかにも興味の無さそうな反応を示してくるのがこの男。「煽りのプロフェッショナル」ことホメロスさんだ。

 すました顔がまぁなんとも憎たらしい。

 

「それなりに長旅だったと見受けるが、ここまでどの程度で来た?」

「そうですね⋯⋯大体三日という所です。あまり土地勘には強くなくて」

 

 現に今してるこの尋問だって、大した興味もないんだろう。回りくどさに嫌気がさして、肩がじくじくと痛むのを感じる。

 

 グレイグには悪いけど、やっぱり僕はホメロスが苦手だ。だって村は燃やすしカミュ怪我させるしグレイグ妬むしベロニカの幻覚見せてくるし。⋯⋯って鬼かこいつは。本当にろくな事をしないな。

 

「そうか、それはご苦労だったな」

「いえ⋯⋯お気遣いありがとうございます」

 

 ここまで素直に応じたものの、流石に我慢の限界だ。尋問の多さに痺れを切らし、不快感を見せつけるべく顔の中心に眉を寄せる。

 それから数秒睨んでみたものの、ホメロスが怯む様子は一切見受けられなかった。うーんしぶとい。

 

 むしろ企むような笑みすら向けられて、気味の悪さから反射的に半歩後ずさる。睨まれて笑うって何? もしかしてそういうタイプの人なの?

 

「して旅の者よ。貴様、先程城を見に来たと言っていたな」

「⋯⋯はい。そうですけど」

「もう既に見終えたのか?」

「いえ、これからですが⋯⋯」

 

 すると全く訳の分からない事に、ホメロスは今更になって最初の質問を繰り返してくる。

 

 とはいえ失言をしたつもりもないし、話の筋だってちゃんと通した。勇者と疑う原因なんて、どこにもなかった筈なのに。

 

(気付かれたか⋯⋯?)

 

 どこがボロだか分からないけど、ホメロスのあの表情を見るに何かあるのは間違いない。

 カミュを確実に助けるためにも、ここは死んでも隠し通さなければ。

 

 最悪を考え戦闘態勢に入っておくと、一体何を思っているのか、ホメロスから凄まじい言葉のカーブを投げつけられる。

 

「その割に、随分と回り道をしているようだな」

「⋯⋯は?」

 

 彼の放った発言は、今までで一番意味が分からなかった。

 ただ一つ確実に言える事があるとすれば、間違いなく、奴は今内心で僕を馬鹿にしているんだろう。

 

 それについては後でボコボコにするからまぁいいとして⋯⋯今この男なんて言った? あまりにも変化球すぎてちゃんと聞き取れなかったけれど、確か回り道がどうとか何とか⋯⋯。

 

「あの⋯⋯」

 

 話の流れで聞き返そうとすると、ただでさえ憎たらしい笑みを、今日一番とも言える程に深いものにするホメロス。

 まさかその気味の悪い笑顔に第二形態があるとは⋯⋯。

 

「こんな人のいない開けた道で満足に城にも向かえず、それどころか無力な兵士の助太刀とは。どうやら貴様、余程賊には向いていないらしい」

「え⋯⋯それ、って!」

 

 そして嘲笑うようにして放たれた言葉に、僕は数秒考えてから、ようやく自分が皮肉を言われている事に気が付いた。

 理解した途端瞬時に怒りが湧いてきて、片側の口角だけが自然と激しく吊り上がる。

 

 どうやら、僕は相当な思い違いをしていたらしい。

 

(やってくれたなこいつ⋯⋯!)

 

 入り組んだ現状を認識すると同時に、拳にまでも力が入る。最初からおかしいと思ったんだ。入ってくるタイミングといい、まどろっこしい質問といい。

 

 ──まるで何があったかを知ってる上で、僕という人間を試しているような。

 

(こいつっ⋯⋯初めから全部見てたな⋯⋯!?)

 

 え、もしそうなら本気でタチ悪くない? 

 しかも遠回しに「観光もままならない盗賊以下の無能」って僕を馬鹿にしてきてるよね? いやほんとどういう神経してるんですか? 

 あまりの意味不明さに笑ってしまうんですけど。寝不足も相まってむしろ楽しくなってきたんですけど。

 

 しかもこいつ絶対僕が勇者だって分かってないし。よかったーホメロスが生粋のアホで。

 いやまぁあれだけの会話で気付かれても怖いけど。

 

 それにしても⋯⋯えぇ? 仮にも僕助けた側だよね? なのになんなんだこのホメロスの図々しさは。

 じゃあまさか、さっきから何かと呼んでくる「貴様」っていうのも意図的って事? ⋯⋯いや怖! どんな思考回路してるんだよ!?

 

(なんて奴だ⋯⋯)

 

 しかも状況を知っていたって事は、これまでしてきた僕への質問も、せいぜい盗賊の仲間かどうかを確かめるための判断材料にしか過ぎなかったんだろうし。

 

 これじゃ何も知らずに嘘まで混ぜて粘った僕と、ただ引き合いに出された馬くんがあまりにも切なすぎるじゃないか。

 覚悟を決めた僕の身にもなってくれ。

 

「⋯⋯はは。本当、随分といい趣味してますね⋯⋯!」

 

 笑いつつ、怒りを含んで皮肉を返せば何ともないように鼻で笑われた。煽りのバーゲンセールとも取れる目の前の奴の反応に、更に強く拳を握る僕は悪くないだろう。

 一発ぶん殴るだけならきっとグレイグも許してくれるはずだ。

 

「ふん、何を言う。悪いのはこんな時間にこんな所で道草を食っていた貴様の方だろう?」

「へぇ⋯⋯?」

 

 それじゃ何か? まるで僕が好きこのんで、自分からこんな所に来て盗賊と夜な夜な殺り合っていたと? いやそんなわけあるか!

 人を変人殺戮者に仕立て上げるのもいい加減にしろ!

 

「別に迷ってた訳じゃないですけどね? 街を見ようと思って散歩してただけですし」

「ほう? それにしては随分と人騒がせな散歩だな? てっきり景色を見て歩くのが主だと思っていたが、まさか旅人界のそれが、道中賊とやり合う事だとは知らなんだ」

「あはは、ええまぁ、そんな所ですかね⋯⋯!」

 

 こいつっ⋯⋯! ふつふつと湧き上がる怒りの感情を抑え、どうにか無理やり笑顔を保つ。最も、笑顔の方向性は百八十度変わってしまったけれど。

 

 大体誰が好きでこんな面倒事に巻き込まれるっていうんだ。今すぐに寝たい衝動もあって、気を抜くと本当にぶん殴りかねない。

 いっそ不敬罪で奴を地下牢に幽閉するのはどうだろう。

 

(いや待て落ち着け、耐えれば帰れる⋯⋯!)

 

 今にも背中の剣に手を伸ばしたくなる衝動を押し止めながら、ひたすら脳内でそう自分に言い聞かせる。

 非常に腹は立つけれど、ここで乗ったらそれこそ負けだ。

 ようやくあと少しで終われるんだから、今はカミュと睡眠を最優先に考えないと。

 

「一応聞いておくが、貴様本当に、このドブネズミ共との面識はないのだろうな?」

「ドブ⋯⋯えぇ、無いです。断じて」

 

 なんだか少々気になるワードがあるけれど、そこに触れるのはこの際やめておこう。面倒な事この上ないし。

 

「そこの兵士は我がデルカダールに仕える者で間違いないが⋯⋯寝ているのは何故だ?」

「⋯⋯えっと」

 

 言いながら、僕の方を睨みつけてくるホメロス。その視線が辿る先は、もちろん爆睡している後ろの兵士だ。

 どうやらあの場を見てたと言っても、本当に僕と賊がやり合う直前からだったらしい。

 

 核心を突かれた事で多少の焦りはあるけれど、後ろでいびきまでかかれてしまっては弁明の余地もないだろう。⋯⋯仕方ないな。

 

「その、少し色々と足手まといでしたので。邪魔にならないよう、彼には申し訳ありませんが眠って頂きました」

 

 罪悪感こそあるけれど、まぁ邪魔だったのも真実だ。

 これなら一応辻褄も合うし、返答としては悪くないと思う。

 

「ほう? 我が国の兵士を足手まといとは、余程腕に自信があるらしいな?」

「別にそういうんじゃないですよ。現にこの通り手負いですし」

 

 それにあなたも見てたんでしょ? 半ば投げやりに言って斬られた肩を目で示せば、当然切れた傷口が視界に入る。

 この程度なら『ベホイミ』で十分完治するだろうけど、時間が経ってしまったので痕まで消えるかは分からない。

 だから早く治したかったというのにこの男ときたら。

 

「自ら下した相手を逆に利用されるというのも情けない話だな」

「⋯⋯ええはい、全くその通りです」

 

 なおも皮肉をこぼされて、怒る気力もなくなった事からその言葉だけを肯定する。噛み付いたって利益はないし、対応するだけエネルギーの無駄だ。

 

 ⋯⋯とはいえ、まぁホメロスの非難は最もだろう。外道な考えをする悪党には慣れていた筈なのに、それでも考えが甘かった。

 何ならホメロスが介入してきたのも、もしかしてそれが原因かもしれない。

 

「兵士の件で気を悪くしたのなら謝ります。すみませんでした」

 

 なんにせよ、部下の悪口を言った事は確かだ。また責められても面倒なので、先手を打つべく反省の意を込めて頭を下げる。

 けど不思議な事に、目の前の彼はさほど気にしてないらしい。

 

「構わん。むしろ弱者を弱者と言って何が悪い? 紛れもない事実だろう」

「えっ、あ、いやまぁ⋯⋯」

 

 だから、頼むからそういう返しに困るような事を言うのはやめてくれ⋯⋯! 

 早いとこ切り上げて終わらせたいだけなのに、これじゃまるで僕がお前に同意しているみたいじゃないか。

 

「それにそいつはグレイグの管轄している部下だからな。足手まといで当然だ」

「あー⋯⋯」

 

 なるほど、通りでホメロスの目付きがここ一番に悪い訳だ。とはいえ触れると絶対ろくな事にならないので、ここは「観光もままならない無知な旅人」の肩書きを存分に使わせて頂くとしよう。

 

 それにしてもグレイグ、君は一体いつからホメロスをこんなモンスターに仕立て上げていたんだ。鈍感もここまで来ると流石に罪だと思う⋯⋯まぁ僕も人の事言えないらしいけど。

 

(⋯⋯う、わ)

 

 なんて呑気に考えていた所で、突如足元がふらつき初めた。見えていた視界が徐々に色を失って暗くなり、次第に身体の自由が効かなくなる。

 

 過去に何度も経験したけど、ここまで酷いのも久しぶりだろう。出血のせいで血が足りていないらしい。

 

「っ⋯⋯」

 

 耐えられなくなり、思わずその場に片膝を着く。

 肝心のホメロスからは目を離してしまっているけど、見えた所で動けないようじゃ意味も無い。

 

 それでも何とか顔を上げようとするけど、気力は殆ど残っていなくて。

 

(限界か⋯⋯)

 

 ふらつく視界を右手で覆い、逡巡した後に回復呪文の使用を決める。出来れば手の内を見せずに終わらせたかったけれど、こうなった以上背に腹は変えられないだろう。

 治療中にホメロスが斬ってくる可能性もあるけれど、とはいえ構っていられるほどの余裕はなかった。

 

 意識を右手に集中させて、それを傷口に持っていく。

 

「――じっとしていろ」

「え⋯⋯?」

 

 ⋯⋯けれど、唱える筈だった回復呪文は、いつの間にか更に近くまで来ていたホメロスによって遮られてしまった。

 何をするんだと目だけで睨めば、すぐに癒しの力を肩に感じて。

 

 ──信じ難い事に、彼は僕に治療を施そうとしていた。

 

「『ベホイミ』」

「っ⋯⋯!」

 

 そしてホメロスが呪文を唱えると、次第に淡い緑の光が僕の左肩へとあてられる。

 その呪文は疲労を回復させる効果こそ無いものの、出血によって尽きかけていた、僕の体力を取り戻すのには十分すぎるくらいのもので。

 

「どうして⋯⋯」

 

 過去の彼からは考えられないような行動に、驚愕から目を見開いて理由を尋ねる。

 するとホメロスも聞かれるだろうと踏んでいたらしい。『ベホイミ』による集中を切らさないよう、目線だけをこちらに向けて横から短く返される。

 

「彼を助けて貰った借りを返しているまでだ」

 

 勘違いするなよとどこかで聞いたような言い回しまでされてしまい、想定外の事に僕は思わず黙り込んだ。

 

 ホメロスの行動ももちろん意外だけれど、それ以前に僕が見てきたかつての彼は、果たしてこんなにも人間らしかっただろうか。

 憎む感情や嫉妬心においては確かに誰よりもそうだったものの、どこかそれとはまた少し違う、言い様のない謎の違和感。

 

 少なくとも過去において、僕が彼にこの感情を抱いた事はなかった筈だ。

 

(⋯⋯これが、グレイグの言っていたホメロスなのかな)

 

 真剣な顔つきで治療を施してくれるホメロスを見ながら、不意にそんなことを考える。

 グレイグが話すホメロスの姿はいつもにわかに信じがたくて、その都度みんなで首を傾げていたけれど。

 

 それでも今はほんの少しだけ、彼がホメロスを信頼する理由が分かったかもしれない。

 

「処置は施した。時期に痛みも落ち着くだろう」

「はい」

 

 その後ホメロスの言う通り、数分もすればすぐに痛みから解放されて、治療を終えた彼に倣い僕もその場に立ち上がる。特に痕も残らなかったようで、肩を回してもなんら異常はなかった。

 

 多分ホメロスもグレイグ同様、部下や仲間の応急処置には慣れているんだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 治してくれた事に感謝して、彼の目を見ながら礼を言う。

 言いたい文句は沢山あるけど、今この場にいる目の前の彼を、一方的に忌み嫌うのはなんだか少し違うがした。

 

「民を守るのは騎士の務めだ。貴様には迷惑をかけたな」

「いえ、お互い様ですから」

 

 まさか傷を治してくれた上に謝罪までしてくれるとは思わなかったけど。これで多少は見直したとはいえ、やっぱり謙虚なホメロスというのはとてもじゃないけど気味が悪い。

 かと言って皮肉まみれというのも嫌だし、丁度いい塩梅はないんだろうか。

 

「最も、なぜ貴様がこんな時間に、それもこんな所にいたのかはまだ判明していないがな」

「⋯⋯旅人界の散歩には決まった道順などないので」

「ふっ、まぁいい。そういう事にしておいてやろう」

「どうも⋯⋯」

 

 本当に、丁度いい塩梅はないのかこいつには。どこまでも嫌味ったらしい奴め。

 よくもまぁウルノーガもこんなモンスターを手懐けたものだ。手下につけてた六王軍といい、趣味の悪さは筋金入りと言える。

 

「別れる前に少し手伝え。二度と動けないよう、奴らを縛り上げなくてはな」

「は、はぁ⋯⋯分かりました」

 

 せめてほどほどにするよう頼むと、「変わった奴だ」とまたしても鼻で笑われた。

 どこから出したのかロープを両手に持ち、近くに倒れる盗賊の元へと歩き始めるホメロス。⋯⋯一瞬そのまま息の根を止めたりしないか心配だったけど、流石に人の心はあるらしい。

 

 ホメロスほどじゃ絶対に無いけれど、二人にまでも言われてしまうんだから僕はそれなりに変人なんだろう。あのデクさんとホメロスに言われる位だし、こればっかりは否定も出来ない。

 

(あ、よかった生きてる)

 

 吹っ飛ばされたマスク男もどうにかかろうじて無事なようだし、ホメロスに見られない内に『ホイミ』くらいはかけてあげるとしよう。

 いつポックリ逝くか分からないし。

 

「いたのはこの三人だけか?」

「はい、間違いありません」

 

 縄で縛られた盗賊三人を一瞥して、僕とホメロスは話を続ける。

 寝ていた兵士は放置されているものの、彼のこの後を考えるだけで今から既に同情ものだ。僕のせいだと伝えたし、そこまで酷い事にはならないといいけど。

 

(これでようやく解放される⋯⋯)

 

 ホメロスとの会話をする反面、もう脳内には暖かいベッドの事しかない。ここまで問題続きの僕にとって、これ程までに幸せことはないだろう。

 

 怪我は治っても疲れているし、今なら寝た過ぎてキラーパンサーよりも早く宿屋まで走れそうだ。

 

「それじゃあ僕はこれで」

 

 喜びから頬を弛めて会釈をすると、ホメロスの見慣れた目付きが僕を射る。

 

「今から城に向かう気か?」

 

 そんな無謀をしてたまるか。

 

「まさか。宿に戻るだけですよ、整理したい事もありますし」

 

 首を振りながらそう答えると、ホメロスは少し考えるような素振りを見せて、それから静かに頷いた。

 その所作がいちいち整っている所を見ると、流石は騎士だと言わざるを得ない。

 いっそ永遠に兜を被れば万事解決なんじゃ?

 

「ふむ、そうか。城など見て何が楽しいのかは知らないが、空いた時間にでも好きなだけ見ていくといい」

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

 もう皮肉なのか何なのかさえ眠い僕には分からないけど、今は気分がいいので許すとしよう。

 戦わずに済んだ事とホメロスを少し知れたことは大きな収穫だし。

 

「じゃあそろそろ⋯⋯」

「待て」

 

 そう考えながらもう一度別れを告げて背中を向ければ、またしてもホメロスに止められる。⋯⋯流石にちょっとしつこいんだけど。

 

 せっかくいい感じに終われそうなのに、この期に及んで何があるんだ。

 

「⋯⋯なんですか?」

 

 早くしてくれと思いつつ、静かに顔だけ振り向けば、前にいる騎士様から突然最後の爆弾が放り込まれる。

 

「貴様の名前を聞いていない」

 

 その質問に、僕が固まったのは言うまでもなかった。

 

「えっ、と⋯⋯⋯⋯」

 

 まさかこのタイミングでそこを突かれるとは⋯⋯。必死に頭を働かせるけど、完全にオフになりかけた頭で偽名が思いつく訳もなく。

 まずいまずいと内心激しく焦った結果、奇跡的にある方法を思いついた。⋯⋯そうだ、言い逃げだ。

 

 どうせ明日には敵対するかもしれないんだから、ここで無理に言う必要はないだろう。数時間でも寝られれば今はこっちの勝ちなんだから、この際あとの事はどうでもいい。

 逃げる準備を整えて、顔の他にもう半身だけを彼の方に向ける。

 

「名前でしたらすみません、次会えた時は教えますので」

「なに?」

 

 物凄い目で睨まれるけど、それに怯むほど僕の肝も据わっていない。

 

「それじゃまた!」

「っ!」

 

 それだけ言って踵を返し、背後に聞こえるホメロスの声も聞かぬまま、宿までの道を駆け抜ける。

 追ってこないか心配だったものの、捕まえた盗賊がいた事もあってどうにか無事に逃げれたみたいだ。

 

 そして命からがら宿屋に入り、受付の人に押し付けるようにして、鞄に入ったゴールドを渡す。

 

「すみません、一部屋お願いします⋯⋯!」

 

 その後は泥のように眠りについたので、あまり前後の事は覚えていない。

 唯一記憶にあるとすれば、次会う時は絶対にホメロスを煽りと皮肉で言い負かしてやろうと固く誓った事くらいだ。

 

 その時は約束通り僕の名前を教えてやろう。もちろん皮肉付きで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いぞ、旅人」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 

 なんて思ったら次の日宿屋の酒場にて、僕はホメロスを雑に撒いたあの朝の事を、ただひたすらに後悔する羽目になるのだった。



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やりきれないので吹っ切れました

表現の幅を広げたくて試行錯誤していたらなんかいい感じに落ち着きました。今後もこのくらいのスピード感で行きたいです。(文章の話)
そしてアンケートを新しく更新しましたので、よろしければ投票して下さると作者が大変喜びます。



 

 次に僕が目を覚ました時、窓から見えた空は意外にもまだ明るかった。時計を見れば時刻は昼の十三時過ぎだったので、とりあえず一般的な人の睡眠時間は確保出来たらしい。

 

 正直もう少し遅くなると踏んでいたけれど、そう呑気に寝ていられるほどの余裕は今の僕にはなかったみたいだ。

 

「うぇ⋯⋯お腹空いた」

 

 ぐうぅと悲鳴をあげるお腹の音にため息を吐いて、のそのそとベッドの縁に腰掛ける。とにかく眠くて忘れていたけど、昨日大して食べてないんだった。

 寝られる事なら寝ていたいけど、人間空腹には勝てない生き物なので。

 

 本日二度目のため息をこぼし、渋々準備を整える。

 

 

 

 

 髪を一つにしっかり結んで、昨日と同じく『トロデーンのバンダナ』と、そして指ぬきのグローブを嵌める。

テオじいちゃんのくれたベストコートは昨日のとんでもない騒動のおかげで肩の部分がぱっくりイカれてしまったので、今着ているのは村から持ってきた『イシの村人服』だ。

 過去から持ってきた防具もあるけれど、このコートの次に動きやすさを重視するならやはりこの服だろう。伊達に十六年も着てないし。

 

 生憎僕はハンマーこそ振れても針に糸が通せるほどの器用さは持ち合わせていないので、当分の間はこのベストコートともお別れだ。

 出来ればカミュに頼んで明日にでも直して欲しいところだけど、やっぱり信頼関係の無い内はそう図々しくもいけないので、結局はひとまずお預けだろう。

 出来ればもっと器用なタイプに産まれたかったな。⋯⋯まぁロウじいちゃんの孫だし無理か。

 

 その後も数分ほど身支度を整えるのに費やして、それからようやく部屋を出る。

 そして一階に下りようと右側にある階段まで向かえば、何かイベントでもあるらしい。段差の始まりから終わりにかけて、沢山の人が所狭しと集まっていた。

 

 何かを見ているらしく手すりに押し合うようにして列を作り、けど決して大きな音を立てないよう努める人々の姿は、さながら珍しい魔物を遠くから観察する研究者達のようで。

 

「あの、何かあったんですか?」

 

 既にいい予感はしなかったけど、とりあえず一番上の段差にて、膝をついていた男の人に話しかける。

 手すりの隙間から懸命に下の階を覗いているものの、その位置からでは殆ど何も見えていないだろう。

 

「え、あ、俺?」

 

 振り向く彼と目が合って、僕も応えるように頷く。

 向こうは突然の事に目を丸くしていたけど、それでも質問はちゃんと聞こえたらしい。

 

「あー、いや、ちょっと珍しい客人が来ててさ」

「客人?」

「あぁ。これがまた凄い人なんだよ」

「へぇ⋯⋯」

 

 それは僕でも知ってる人だろうか。「凄い人」とやらに少しばかりの興味が湧いて、一緒になって例の人がいるだろう一階の酒場を見下ろす。

 けどやっぱりというかなんというか、ここから酒場は見えなかった。

 いや絶対彼も見えてないだろこれ。

 

「その人そんなに有名なんですか?」

「そりゃあもう有名さ。この辺のヤツらならみんな知ってて当たり前だぜ?」

「そうなんですか? あいにく僕はここの出身じゃないので⋯⋯」

「なんだ、お前余所から来たのか」

「えぇまぁ、ちょっと観光に。それにしても凄い人だかりですね」

 

 いくらこの街の有名人とはいえ、わざわざ見に来るだなんて皆様大変ご苦労な事だ。

 目の前の彼も例に習ってそうだろうから、あえて口にはしないけど。

 

「まぁ無理もないさ。なんたって彼は英雄だからな」

「え」

 

 聞き捨てならない単語に、思わず声がワントーン下がる。

 

「え、えいゆう?」

「そう、正真正銘この国の英雄。お前は余所者だし知らないのも無理はないが、デルカダールに住んでて英雄を知らない奴なんてまずそういない」

「へ、へぇー⋯⋯」

 

 同じ「へぇ」でもさっきのそれとは雲泥の差だった。嫌な顔をしなかっただけまだマシだろう。

 

 流石に国の英雄と褒め讃える相手を前に、不快な表情が出来るほど僕とて薄情な人間ではない。

 とはいえもしこれが昨日の状態のままだったら、きっと今頃顔にも口にも、なんなら態度にさえ出ていただろうけど。

 

「えっ、と⋯⋯それって王様とは違うんですか?」

「違うな、王様はまた別の人さ。けどなかなかいい線いってるぞ」

「いい線って事は⋯⋯少なくともそのくらい地位がある人って事⋯⋯ですよね⋯⋯」

「あぁ。というかもうほぼ正解だけどな。実質王よりももうちょいこう⋯⋯あれなだけだし」

「あぁ⋯⋯」

 

 落胆したのは言うまでもない。

 差し出した手の甲をゆっくり上から下に何回か落とす彼のそのジェスチャーは、その英雄とやらを気遣っての行為なんだろう。

 若干びびっているだけの様な気もするけれど、彼の沽券に関わるので敢えて触れるのはやめておく。

 

 それよりも今問題なのは、彼のありがた迷惑なジェスチャーによって、確信八割疑心二割だった僕の予想が、完全に確信十割へと振り切れてしまった事だ。

 解が出てこんなに嬉しくないのも珍しい。

 

「なるほど⋯⋯」

 

 道理でみんなが静かにしているわけだ。うんざりしながら数回頷くと、彼はジェスチャーが伝わった事に大変満足したようだった。

 別にそういう意味の頷きじゃないんだけど。

 

「な、凄いだろう? 城下には滅多に来ないってのに」

「えぇまぁ確かに⋯⋯それでちなみにどっちが⋯⋯あぁいや、やっぱりなんでもないです」

「うん? どうした?」

「いえ、大したことじゃないので」

 

 どうせグレイグだろうとホメロスだろうと僕には関係のない事だし、どっちにしたって会わないんだからどうでもいいや。

 

 まぁ強いて言うなら希望はグレイグだけど。

 なんせ彼は僕の大切な仲間だし、この後敵対するとはいえど、その誠実さは知っているから僕がグレイグを嫌いになる事も絶対にない。

 それに彼なら僕と面識もないから一目見るくらい問題ないし、なんならむしろ嬉しいくらいだ。間違いなく僕の今日一日を彩る活力となるだろう。

 

 ちなみに後者については今グレイグに思った事を全て真逆にすれば済む話なので、この場では省略しようと思う。面倒だし。

 

「おかげで状況が掴めました。急に話しかけてすみません」

「別にいいさ、俺もほとんど見えないから帰ろうと思ってたしな」

「⋯⋯やっぱり見えてなかったんですね」

「あ、バレてた? そうなんだよ、さっきまでは俺も下の方で見てたんだけど、どうにも人が押し寄せてきてな」

「あぁ、なるほど」

 

 だから場所取り争いに参加していないのか。てっきり序盤で追いやられたから、拗ねてムキになってここにいるのかと思ったけど、それについては心の中で謝罪しておこう。

 

 それにしても参ったな⋯⋯食事がてら受付にも用事があったのに。でもまぁその英雄とやらに会っちゃったら割とお終いな所もあるし、見つかるくらいなら大人しく部屋に戻った方がいいか。

 

 とりあえず彼にお礼を言ったら「この際下まで見に行かないか」なんていい笑顔で提案されたので、丁重にお断りさせて頂いた。

 彼の好意は有難いけど、ここで人付き合いを優先すると大抵ろくな事にならないから。ソースは僕。

 

「じゃあ、気を付けてくださいね」

「ああ、じゃあな」

「はい、さよなら」

 

 手を振って彼の健闘を祈ると、下の方にいた人々の群れに、揉みくちゃにされながらも突き進んでいく彼の勇姿がそこにはあった。一応敬礼しておこう。

 

 それにしても、僕が見た時は人一人通れるくらいのスペースが確保されていたはずなのに、これは想像以上に見物客が増えてきているらしい。

 僕はここの出身じゃないからよく分からないけれど、それほど英雄とやらが城下に来るのは珍しい事なんだろう。

 

「⋯⋯⋯⋯あ」

 

 そういえば肝心のどっちかを聞くのを普通に忘れてしまった。いや忘れんなよって話だけれど。

 しょうがないので僕も渋々人混みの隙間を掻い潜りながら、どうにかその英雄が見える位置まで階段を下る。

 

「うぇ⋯⋯」

 

 そして何とか人の隙間から見えたその対象に、押されている圧も相まってなんとも低いうめき声が出てしまった。小声に抑えたので誰に聞かれた訳でも無いけど、事実不快に思ったんだからしょうがない。

 

 視界の先にいた英雄は、やっぱり知将の方だった。

 あの気を遣いまくったような彼のジェスチャーで察してはいたけど、奴と分かればもう用はない。今日はこれにて解散です。それでは皆さん、さようなら。

 

 グレイグがよかったなぁなんて内心ぶつくさと文句を垂れながら、帰りは比較的楽な人混みを抜け二階へと戻る。

 起きてからした事はたったこれだけのはずなのに、何故僕はこんなにも疲れているのだろう。

 しかもまだ起きて十数分だなんてそんな馬鹿な。

 

「はぁ⋯⋯」

 

 重い足取りで部屋まで戻り、自室の扉をガチャりと閉める。外に出るにも出られないとなると、やはりこの街は本当に僕の事が嫌いらしい。初日の騒動は目を瞑れても、二日も続くとさすがに癪だ。

 

 こうなったら空いた時間で、完璧なまでに明日の準備を進めてやる。今に見てろ。

 僕は整えた身なりを全て崩すと、明日の決戦に向けて下準備やら作戦確認やらに取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一通り作業を終わらせて、暇になったので持ってきた武器を磨くこと計二時間。

 青かった空がだんだんと赤みを帯びていく中で、僕は現在とある危機へと直面していた。⋯⋯いや、正確には危機と言うよりは緊急事態というべきかもしれない。

 別にどっちでもいいけど。

 

「うーむ⋯⋯」

 

 考えないようにしていたものの、刻一刻と時が経つに連れ、空腹が本当の限界を訴え始めている。いや本当の限界なんて言ったら餓死になってしまうけれど、まぁ気持ちだけならそんな感じだ。

 

 思えばここに来て食べたのはホットサンド二つだけだし、なんなら一個は地面に落として結局ほとんど食べれなかったし。

 あれは完全に不可抗力なので、決して僕のせいではないと思う。申し訳ありませんでした。

 

 とにかく、乗馬して人助けをして盗賊とやり合って知将と心理戦をした人間の食事としてはあまりにも足りていないだろう。

 

「これはきつい⋯⋯」

 

 地響きのように鳴り続ける胃の音に、うんざりして後ろのベッドに倒れ込む。外に出たいのは山々だけど、一向にホメロスが宿を離れないんだからどうしようもない。

 

 現にさっきから十五分単位で下の階を覗いているというのに、奴はいつまで経っても出ていく所か、テーブルに座って優雅にお茶なんか嗜んじゃっている。貴族か。いや貴族だけど。

 酒場をおしゃれなカフェと勘違いするのもいい加減にして欲しい。

 

 まぁそんな三十六歳の可愛くもないドジっ子特性はひとまず置いておくとして、やはり問題は空腹だ。

 何とか睡眠は確保出来たものの、こうも三大欲求のどれかが常に欠けているとなるとさすがに堪えるものがある。列記とした人間ですし。

 

 それに悲しいかな、今ある問題はそれだけじゃない。一刻も早く手続きを済ませておかないと、僕の今日の寝床が危ういのだ。

 あくまでこの部屋は夜の予約の人が来るまでという条件で奇跡的に貸して貰えただけなので、当然あと数時間もしたら僕はここを出ていかなきゃならない。

 とはいえ野宿は絶対嫌だし、そんな惨事にならない為にも、やはり交渉は必要だろう。

 

 もしかしたらキャンセルが出たかもしれないし、仮に出てなければ予約客を待ち伏せしてゴールドの力に頼ったっていい。なんせこっちは明日から野宿だ。

 今日体感した幸せを思えば五十万ゴールドなんて可愛いものだし、それでもダメならお相手さんと「オハナシ」して変わってもらおう。

 上記の内容は敢えて伏せておくけど。

 

 なんにせよそういった点を踏まえた上で、せめて食事は出来ずとも女将さんとは話がしたいのだ。

 いやこのお話はさっきの「オハナシ」とは違うからね? ほんとほんと。僕は平和主義者なラブアンドピースだから、って意味一緒か。

 

「はぁ、仕方ない⋯⋯」

 

 考えてたってどうしようもないので、ベッドからゆっくり起き上がり、崩した身なりをまた整える。

 今の内に自分に言い聞かせておこう。僕は空気、目にも見えないただの窒素だ。そこは酸素じゃないのかよ。

 

 ホメロスがいる酒場のテーブルから宿の受付は丸見えだけど、今日の寝床には変えられない。一体何時間も誰を待っているのか知らないけれど、女将と話してすぐに宿を出ればそう関わる事も無いだろう。

 

「⋯⋯行くか!」

 

 全ては安眠の名のもとに。

 ベッドへ別れの挨拶を済ませると、部屋を出て一階に続く階段へと向かう。

 

 それにしてもあのホメロスを二時間も酒場に放置するんだから、彼の待つお相手さんとやらは相当肝がすわっているらしい。うーん、僕もぜひ見習いたいものだ。

 

 そしてすっかり見物客のいなくなった階段を下りきって受付に行けば、何の因果かいの一番にホメロスと目が合ってしまった。あーあ最悪。

 心做しか睨まれた気がして、僕は何も見ていないかのように目を逸らす。

 今何かいたかな?

 

「あの、すみません」

 

 受付に立ち、ホメロスのせいで奥の部屋に隠れてしまったらしい女将さんを呼ぶ。

 人のいない酒場はあまりにも静か過ぎて、本当におしゃれなカフェにでもいるのかと思った。

 もちろん皮肉だけど。

 

「な、なにか御用ですかー?」

「御用と言えば御用なんですけど⋯⋯えっと、もう少しこちらに来て頂けませんかー?」

 

 そんな二メートル以上も離れた所から御用を聞かれましても。

 あんまり遠いと避けられてるみたいで普通に傷付くので辞めて欲しい。落ち込んじゃうので。

 

「聞きたいことがあるんですけどー」

 

 仕方ないので声を張りながら話しかけると、何やら声を出せない理由でもあるのか、少し先でぶんぶんと首を横に振る女将さんとその他スタッフの皆さん。

 

 焦ったように口元に手を置いて、それから懸命に僕に向けてジェスチャーをしてくる。

 なになに⋯⋯「静かにしろ、ホメロス様の邪魔になる」⋯⋯あぁはいはい、なるほどそういう事ね。了解了解。

 ――誰がこんな奴のために!!!

 

「すみませんが! 今日の予約! キャンセルが無いか聞きたいのですが! お部屋に空きはありますでしょうか!」

「しーっ! しーっ!」

「し!? すごい! 四部屋も空いてるんですか! それは物凄くついてるなぁ!」

 

 きっとこの場にカミュや過去のグレイグがいたら、今頃「鬼かお前は」なんてさぞ呆れられていた事だろう。 

 彼女たちへの恩義はこの国の英雄によってたった今消滅しました。恨むならぜひとも奴を恨んでください。

 

「ちなみに! お値段の方ですが!」

「おい」

「出来れば安い方が嬉しいなぁなんて!」

「おい騒がしいぞ、旅人」

 

 ええい黙れ黙れ。今は僕の寝床と値引き交渉が何よりも先だ⋯⋯って、なんだホメロスか。

 今忙しいから用があるなら後にしてくれ。

 

「僕こう見えても金欠なんです! なので何卒! 何卒前向きに検討お願いします!」

 

 そして引き続き声を大にして呼びかけると、ついにやってられなくなったらしい女将さん達の叫びにも似た声が響いてくる。

 あ、やっと会話してくれた。

 

「り⋯⋯だりっ⋯⋯!」

「すいませんよく聞こえないのでもう一度お願いします!」

「だから左だってずっと言ってるでしょう!?」

「左?」

 

 となると僕からすれば右か。別に変わったものなんて特に無いけど⋯⋯あぁ、とんでもない悪人面をした英雄様(笑)ならいるな。これのことか。

 

「この人については気にしなくて大丈夫です! 全くもって知らない人ですので!」

「ひぃいっ!」

「何考えてんだアイツ!?」

「誰か奴を止めてくれ!」

 

 僕が何かを発する度に、奥から響く阿鼻叫喚。横のホメロスはまぁなんとも読み取りにくい複雑な顔をしているけれど、これもいつもの事なので僕にはさして問題もない。

 

「知らない人とはいい度胸だな、旅人」

 

 と思ったら突然話しかけてきたので、いやさっきから話しかけてきてたけど。

 なんにせよ女将さん達がパニックになって暇になったので、ここは仕方なく応対してあげるとしよう。

 

「あれ? どこかでお会いしましたっけ?」

「ふん、相変わらずの憎たらしさだ。貴様のような世間知らずを育てた親の顔が見てみたいぞ」

「ちょっと何言ってるか分かんないんですけど」

「⋯⋯私を馬鹿にしているのか?」

「え、むしろ馬鹿にされたと思われたんですか? それでしたらそちらの完全な勘違いですね。日を改めてまたお越しください」

 

 煽りの応酬にホメロスの顔が怒りで歪む。やったぜ。

 

「⋯⋯低能無能だとは思っていたが、まさかここまでとはな」

「期待以上だったみたいで何よりです」

「一晩寝ただけで相手の顔を忘れるとは思わなんだ」

「いやー、有名な人なら忘れるわけないんですけどね。有名な人なら」

「ほう⋯⋯? それは悪かったな、有名でなくて」

「いえいえそんな! 別に知名度がないからってそうへこむことはありませんよ、気にしなくて大丈夫です! ファイト!」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 凄い、ホメロスが今までに見た事ないくらい酷い顔をしている。

 本当は「グレイグよりも」って単語を付け加えようと思ったけれど、そんな事をしたらマジでブチ切れたホメロスによって僕の寝床が痛手を追うので今回は泣く泣くやめておいた。

 いつか絶対に言ってやろう。

 

「さてさて⋯⋯無事に用も済んだ事ですし、僕はこの辺で失礼します」

 

 さすがに空腹が限界だし。最後のひと押しとして女将さん達に部屋を空けるようよろしく頼むと、それはもう凄い勢いで首をぶんぶん縦に振っていた。

 本当に親切な人達だなぁ。もちろん皮肉だけど。

 

 昨日のホットサンドは外せないとして、他には何を食べようか。考えながら入口に向かうと、そうはさせないとばかりに英雄様が立ち塞がる。

 なにまだメンタル抉られたいの? さては生粋のドMなの?

 

「このまま私が黙っているとでも?」

「黙るも何も⋯⋯話す事なんてもう無いでしょう?」

 

 終わったから出ていくだけなのに。

 これ以上続けて困るのは自分と奥の女将さん達なんだけど、ちゃんとそこのところ分かってるのかなこの男は。

 まぁ分かってたらわざわざ引き止めなんてしないか。

 

「ふっ、せっかく人が要件を持ってこんな所まで来てやったというのに、恩知らずな奴め」

「え? ⋯⋯え、あ、僕に会いに来てたんですか?」

「それ以外に誰がいる。昨日宿に戻ると言ったのは貴様だろう」

「えぇ⋯⋯」

 

 そりゃあ確かに言ったかもしれないけど⋯⋯それじゃあれか、ホメロスを二時間も酒場に放置してたとんでもメンタルの持ち主って、結局のところ僕だったのか。なるほど。通りで親近感を抱いた訳だ。

 

 ⋯⋯って、隠れて大損じゃないかふざけんな。

 

「全く⋯⋯人を待たせておきながら、なんといい加減な男だ貴様は」

「いや待たせるも何も⋯⋯てっきり誰かと待ち合わせてるんだと思ってましたし」

「仮にも騎士であるこの私が、こんな開けた場所でむざむざ誰かと落ち合うとでも? はっ、恥を知れ旅人が」

「ちょっと今なんで悪口言われたのか分からないんですけど」

 

 なにこれ僕が悪いの? お前が何処で誰と会おうとそんなん僕には知らんがな。

 いい加減自分で世界は回ってると思い込むの本当にやめた方がいいと思う。友達減っちゃうし。

 ⋯⋯あ、いないのかごめん。

 

「それで、要件ってなんです? わざわざ騎士様直々になんて⋯⋯あ、僕先を急ぐので手短にお願いしますね。五分くらいでお願いします」

 

 じゃないと本当に餓死しちゃうので。

 よく言わない? 腹が減ってはスライム斬れぬって。

 別に言わないか。

 

「それが人を二時間も待たせたやつの態度か?」

「いやまぁどちらかと言うと勝手に待ったのはそっちじゃ⋯⋯ごほんごほん、なんでもありません」

「つくづく癇に障る奴だな貴様は。聞かずに後悔するのはそちらだというのに」

「あいにくと嘘がつけないタイプでして⋯⋯」

 

 ほら、僕って正直者だし勇者だし。

 ちなみにここで聞かない僕よりも、話せない上に二時間も待たされたホメロスの方がよっぽど後悔すると思うけど。

 とはいえそんな事を言うとマジでブチ切れたホメロス(以下略)なので、今回も泣く泣くやめておくとしよう。

 いつか絶対言ってやる。

 

「まぁいい。今回だけは貴様の待遇に免じて許してやる」

「待遇?」

「あぁ、見たところ腕は確かなようだからな。知能が劣る上に口が減らないというのはかなり問題だが⋯⋯まぁそこに関しては徹底的に指導してやるとしよう」

「さっきからさり気なく人をボロクソに言うのどうにかなりません?」

 

 黙って聞いていればなんて酷い言い様だ。僕にも傷つく心はあるというのに。

 というかさっきから指導って何、物凄く雲行きが怪しいんですけど。嫌な予感しかしないんですけど!

 

「すいませんやっぱり聞くの辞めますさよなっ」

「待て」

 

 即座に背後の扉から出るべく身体を反転させようとして、けどそれよりも早く喉元に切っ先を突きつけられる⋯⋯っておいおいこんな所でそんなもん振り回すな!

 

「朗報だぞ? 何を逃げる必要がある」

「あなたにとっての朗報が僕にとっても朗報とは限らないでしょうが!」

 

 だから自分基準で世界を回すなとあれほど。

 

「安心しろ、貴様には勿体ないくらいの良い話だ」

「人の喉元に切っ先当てるような人間の言うセリフとは到底思えませんけどね⋯⋯!」

「貴様が逃げようとするからだ。自業自得だろう」

「だからってどこの国に酒場で剣振り回す騎士がいると思うんです。国民への迷惑とか考えないんですか? それとも残念なアホなんですか」

「肝が据わってるというのも戦場においては利点だな」

「ダメだ何を言っても通用しない!」

 

 皮肉は相手が反応して初めて成立するものなのに、さっきまで鬼のような顔をしていたホメロスがもう既に懐かしい。⋯⋯いや普段からそんな顔してるか。

 

 とはいえ万が一刺されたら笑えないので逃げる態勢を嫌々解くと、ようやく喉元の切っ先が離される。

 あーあ、ここで僕を仕留めておけば楽だったのに。やっぱり詰めが甘い男だなホメロスは。

 

 そんなだから好きな食べ物「フルーツサンド」でみんなに鼻で笑われるんだよ? ちなみに出処はグレイグです。

 

「聞き分けがいいのも褒められたものだな」

「あんな脅迫しといてよく言う⋯⋯じゃあもうはい、逃げないので要件をお願いします」

 

 もうこれ四回くらい言ってるけれど、僕もう死にそうなくらい空腹なんだって。

 聞いてあげるから早くしてくれ。

 

「貴様の要望通り手短に伝えてやろう」

「お、それは大変助かりますね。なんです力仕事ですか? それとも魔物討伐だったり?」

「私の右腕だ」

「ちょっと待って」

 

 気のせいかな、今何かヤバい単語が聞こえた気がするんだけど。右がどうとか腕がなんとか。

 

「えっと、もう一回言ってもらっても?」

「貴様に私の右腕になれと言っている」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 ダメだ聞き間違いじゃなかった。

 というか、え、右腕ってあれの事? カミュで言うところの相棒みたいなやつ。それを僕とホメロスでなろうって? ⋯⋯いやなんで!?

 

「じょ、冗談ですよね? いや冗談にしてもタチが悪いですけど」

「貴様は私が冗談でこんな事を言う男に見えるのか?」

「いや見えないから困ってるんですって!」

 

 まさかここまでホメロスが狂ってる男だったなんて、そんなの聞いてないよグレイグ!

 僕の素性を知らないからそんな事を言ってるんだろうけど、普通にお互いにとっても自殺行為だからねそれ。

 いきなり横から心臓貫かれても知らないよ? いいの?

 

「大体なんでまた僕なんか⋯⋯」

「そろそろ私の忠実なる下僕が欲しいと思っていた所だったのでな。貴様なら丁度いい」

「そんなペット感覚で決められましても」

 

 今さり気なく下僕って言わなかった? 城に戻って右腕の意味ちゃんと調べてきた方がいいと思う。

 待っててあげないけど。

 

「まぁなんでもいいですけど⋯⋯なんにせよ僕はあなたの右腕にはならなっ⋯⋯」

 

 断ろうとしたらまたしても切っ先を突きつけられたので、面倒な事にホメロスはどうも本気らしい。

 

「貴様に拒否権はない」

 

 憎たらしい笑みを浮かべる目の前の男に、僕は唇の端だけで笑う事しか出来なかった。



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決戦前夜に野宿は付きもの

次から本編再開です! ホメロスとのくだりももちろん書いてて楽しいですが、やはり筆が乗りますねぇ! お気に入りや評価も嬉しいです。ありがとうございます!



 

  僕がようやく宿を出た頃には、夕焼けなんて風情のあるものはとっくのとうに消え去っていた。

 ほとんど暗くなってしまった空を見上げて、それから周りに聞こえるように愚痴を吐く。

 

「あーあ、すっかり暗くなっちゃって⋯⋯」

「貴様がいつまで経っても出てこないからだろう?」

「⋯⋯ちょっと黙っててもらっていいですか」

 

 おまけになんか付いてきてるし。

 お互い埒が明かないという事で一旦「保留」にしたというのに、どうしてさも当然みたく隣に並んでるんだこの男は。

 

「あの」

「なんだ」

「いやなんだじゃなくて。なに普通に付いてこようとしてるんですか。話はもう終わりましたよね?」

 

 おかげで中層の住民が揃ってこっちを見てきているんだからたまったもんじゃない。

 僕は明日指名手配犯になる予定なんだよ。少しは配慮して欲しいの、分かる?

 

「貴様の事だ。保留と乗じて逃げ出すとも限らんからな」

「だからって逃げる度そう喉元狙われちゃ敵いませんよ。せめて半径八メートルは離れてください」

「絶妙に遠いな」

「僕と貴方の心の距離ほどじゃないので」

 

 それなら間違いなく空と海くらいには離れてるだろう。なんなら宇宙レベルかもしれない。

 

「私が貴様の指図を受けるとでも?」

「⋯⋯あーはいはい、じゃあもう好きにしてください」

 

 本当に面倒臭い男だな⋯⋯。

 相手にするだけエネルギーの浪費だと判断して、鞄から『たびびとのフード』を取り出し装着する。

 バンダナと結んだ髪が引っかかってまぁなんとも被りづらい。

 

「おい、なぜ顔を隠す必要がある?」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 誰のせいだと思ってるんだ。

 

「あのね、観光目的の旅人が、仮にも英雄様の隣を堂々と歩けるわけ無いでしょう?」

「何故だ? 歩けばいいだろう。誰に追われる訳でもあるまい」

「⋯⋯後ろから刺されても知りませんからね」

 

 これだから高貴なフリした自意識過剰は。

 だいたいそんな美形まで振りまいてくれちゃって、僕が住民から変な恨みでも買われたらどうするんだ全く。

 

「まぁいい。それで、貴様はどこに行くつもりだ? 例の観光とやらの続きでもするのか?」

「そんなのあなたに報告する義理ないですけど」

「義理ならあるだろう。下僕の動向を知るのは主の務めだ」

「右腕の話はどこに行ったんですか右腕の話は」

「案ずるな、下僕兼右腕だ」

「優先順位が違う!」

 

 雑用させる気満々じゃないか。勝手に人を下僕扱いするんじゃない。

 そもそも魔王の下僕の癖に。

 

 その後もどうにかホメロスを撒こうとするものの、ここまで隣に並ばれてしまうと下手な行動に出るわけにもいかず。

 結局脱走が適わないまま、当初の目的地だったホットサンド屋まで辿り着いてしまった。

 店を前にして足を止めた僕に、ホメロスも同じようにして横に立つと店の方を見やる。

 

「ほう、あのような店がこの街にあったとはな」

「え、もしかして食べた事ないんですか? あんなに美味しいのに?」

「城下に降りる事なんて滅多にないからな。それに手掴みで物を食べるなどはしたないだろう」

「えぇ⋯⋯」

 

 長年この国にいてあのホットサンドを食べた事がないなんて、それでも本当にデルカダールを守る騎士様なんだろうか。

 まぁ手掴みの件に関しては貴族だろうから分からなくもないけれど。

 

「あの美味しさを知らないだなんて、確実に人生損してますよ? あぁ勿体ない」

「貴様に私の人生まで否定される謂れはない」

「別に否定とまでは⋯⋯まぁいいや。今からあそこで買ってきますけど⋯⋯いいですか、絶対こっちには来ないでくださいよ」

「何か不都合でもあるのか?」

「いや不都合しかないでしょ。酒場での出来事忘れたんですか?」

 

 一体誰のせいで僕が女将さん達から嫌われる羽目になったと思ってるんだ。あそこに帰るってだけでも今から気が重いのに。

 

 今頃僕のことを「恩を仇で返すとんでもない悪魔」か何かだと噂している事だろう。

 まぁ全ての元凶はホメロスだし、僕もどちらかと言えば被害者だから別に⋯⋯っていや、この場合ホメロスを待たせていた僕こそ全ての元凶になるのか? ⋯⋯それはかなりやってるな僕も。

 後で丁重に謝っておこう。

 

「まぁとにかく、今回ばかりは逃げないので、そこで大人しくしといてくださいよ」

 

 もちろん隙あらば逃げるけど。

 ホメロスに有無を言わせる事無くその場を離れ、フードを外しつつホットサンド屋へと足を早める。

 奴がいたら店員が慌ててまたしても僕の幸せが遠のくので、やはりホメロスを置いて来たのは我ながらいい判断だった。

 

「すみません」

「はいよ、いらっしゃい! ⋯⋯って、おうおう、昨日のあんちゃんじゃねぇか」

「その節はどうも。美味しかったのでまた買いに来ました」

「かー! 嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか! 中の具サービスしといてやるよ!」

「え、本当ですか!? ありがとうございます!」

 

 どうやら当初の目論見通り、バンダナの色が目立ってくれたおかげで、彼に僕の印象を残す事が出来ていたらしい。

 

 気前のいいホットサンド屋の店員にお礼を言って、どの味にしようかとメニュー表を眺める。昨日落としてしまった罪悪感もあることだし、ここはやっぱり昨日と同じものを二つ頼もうかな。出来たてはさぞ美味しいに違いない。

 

「何にするか決めたか?」

「はい。この定番の方を一つと、昨日勧めてもらったこっちの方を⋯⋯」

「ほう、これが例の食べ物か」

「ちょっ!」

 

 なんでこっちまで来てるんだホメロス⋯⋯! 

 ちゃんと人の話聞いてた? それとも理解が出来なかったの? そういうポジション狙ってるの?

 

「いらっしゃ──ホホホ、ホメロス様!?」

「私もこの者と同じものを貰おう」

「はっ、ははいぃ! ただいま!」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 屋台越しじゃ見えなくなるほどに低いお辞儀をして、それから死に物狂いで調理を始めた店員。

 そんな彼に心で深く詫びながら、僕はホメロスを睨みつけると、嫌味と共に再度フードを被り直す。

 

「いやぁ、まさか『待て』も出来ない人だとは思いませんでしたよ。右腕とかいう前にまず常識から学ばれたらいかがです?」

「言っただろう。貴様の指図は受けぬと」

 

 そう言って商品頼んだのはどこのどいつだよ。興味津々なくせにまぁ素直じゃない。

 

「その割には注文してるじゃないですか。はしたないとか言ってたのはどこの誰でしたっけ?」

「民に寄り添うのも騎士の務めと判断したまでだ」

「⋯⋯ほんとに素直じゃないなあんた」

 

 こうも言い返されてしまうとさすがに賞賛せざるを得ない。脳みその大部分が皮肉で構成されてるんじゃないかと思うレベルだ。

 

 ちなみにこれを脳内メーカーで見たら多分皮肉の「H」まみれになると思うので、要するにホメロスは変態という事だろう。あ、ホメロスの「ホ」も「H」ですね。これはもう確定来たな。

 

 「た、大変お待たせ致しました!」

 

 その後もお互いを貶しあっていると、さっきの店員からは想像もつかないほどの丁寧語でホットサンドを渡される。

 

 お金を払おうと値段を尋ねると「金なんて取れるわけが無い」とひたすらに拒否されて、それでも無理やり渡そうとしたら今度は「頼むからタダにしてくれ」なんて、むしろこちらが懇願されてしまった。

 いやなんだタダにしてくれって。そんなセリフ生まれてこの方聞いたことないんだけど。

 

「いや、ほんとに悪いですって!」

「俺を助けると思って頼むよ、あんちゃん!」

「だからって僕の誠実さを踏みにじらないでくださいよ!?」

「ふっ、私が有名人でよかったな」

「ちょっとそこうるさいな!?」

 

 なんならさっきの根に持ってるし。

 結局店員の熱意(使いどころ間違えてるだろ)に負けて、渋々タダで品物を受け取るとその場を後にする。

 

 一悶着あったものの、出来たてのホットサンドは手に持つだけで香ばしいパンの匂いが広がり、ひと口かじるとそれはもう格別なほど美味しかった。

 胃がひしひしと喜ぶのを感じて、そのまま止まることなく二口、三口と頬に詰めていく。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 そんな僕を見てホメロスはしばらく固まっていたけれど、その内一つ目を食べ終えた僕が「食べないんですか? あ、もしかして食べ方分からないんですか?」と煽りまくれば、すぐ様キレたように焼きたてのパンへと齧り付いた。

 めちゃくちゃチョロいなこの男。

 

「どうです、お味は」

「⋯⋯少々食べにくいが、まぁ悪くない」

「へえ?」

 

 よくもまぁそんな口元汚しといて悪くないなんて言えるな。

 それなりにお気に召したようで、苦戦しつつもけど丁寧に、かつ上品に食材を口へと運んでいく。その動作はいかにも貴族そのもので、本当にこの手の食品を食べた事がないらしい。

 

 それにしても、あのホメロスが隣でホットサンド食べてるよ⋯⋯。僕は一体何が楽しくて、過去の因縁とこんなところで仲良くパンなんてつまんじゃってるんだろうか。地獄かここは。

 

「⋯⋯それで、いつになったら僕の前からいなくなってくれるんですか?」

 

 またしても嫌味を言いながら、住民の視線から逃げるようにして東の脇道を進んでいく。敢えて東を選んだのは、この先にある家で済ませておきたい用事があるからだ。

 ⋯⋯最も、ホメロスがいると面倒な事になるのは十中八九目に見えているけど。

 

「貴様が私の提案を承諾するまでだ」

「勘弁してくださいよ。それだと永遠に貴方といなきゃいけなくなるじゃないですか」

「断る前提というのがいっそ清々しいな」

「当たり前でしょう。右腕なんて冗談じゃない」

「⋯⋯さては貴様、下僕を希望か?」

「いい加減ぶん殴りますよ? ほんとに」

 

 なんだその「ちょっと閃いちゃいました」みたいな顔は。

 代替案として名前を言えば逃がしてくれるとも言われたけれど、偽名だったら即殺すとも言われたのでもう僕に逃げ場はないらしい。

 

 やはり最悪は気絶させるしかないか⋯⋯。

 

「大体、貴方には頼もしい右腕が既にいるらしいじゃないですか。今更僕にこだわる必要なんてないでしょ」

 

 今どき二股とか流行らないし。

 そうさり気なくグレイグの事を示唆してやれば、ホメロスの顔が一瞬にして陰りを見せた。悪人面から殺人鬼よろしく表情を一変させて、いかにも不愉快そうに悪態をつく。

 グレイグに対して地雷まみれだなこの人。

 

「⋯⋯あんな怪力だけの馬鹿、私の右腕に相応しいわけがないだろう」

「そうですか? でもよく聞きますけどね。確か⋯⋯『双頭の鷲』でしたっけ? 二人が揃えば怖いもの無しとかなんとか」

「はっ、誰から聞いたかは知らんが、そんなものは所詮王や民が持て囃した故の、単なる戯言だ。奴と一緒くたにされるなど屈辱でしかない」

「戯言に屈辱ねぇ⋯⋯」

 

 心做しか、自分を卑下しているように聞こえるのは気の所為だろうか。⋯⋯いや、多分そうなんだろう。

 過去のホメロスもグレイグに対してある種の劣等感を感じていたみたいだし、それに頭の回る彼の事だ。きっと自身に対しても、少なからず落ち度があると理解しているに違いない。

 

「別にそんなんで言ったんじゃないと思いますけどね。王様にしろ国民にしろ」

「知ったふうな口を利くな。ここに来て間もない余所者が」

「余所者でもそれくらい分かりますよ。民を導く一国の王が、冗談や皮肉で英雄を二人も作ると思いますか?」

 

 ましてやその頃の王はウルノーガに取り憑かれていなかっただろうし、決してそんな事を冗談で言うようなタイプでもない筈だ。

 ⋯⋯とはいえ、思い込みに定評のある男だからなぁホメロスは。

 さっき言ってた屈辱とかいうのも、きっと王がグレイグに劣る自分を見兼ねて同情しただけとか、そんな面倒くさそうな勘違いをした上でそう言っているんだろう。

 

 全くもってふざけた話だ。

 

「そんな事も分からないで屈辱だのなんだのって、これじゃ双頭呼ばわりされてるグレイグさんがあまりにも惨めですね」

「っ!」

「さっきから戯言だの屈辱だのと色々言ってますけど、真に足でまといに思われてるのは、むしろ貴方の方なんじゃないですか?」

 

 心を抉るような僕の発言に、ホメロスが怒鳴ったのは言うまでもなかった。

 

「──黙れ! 貴様に私の何が分かる! 常に上をいく存在が近くいるという事がどれだけ辛く険しいものか、お前には分かっているのか!?」

 

 場所もはばからず、剣を抜こうと柄に手をかける彼を見ながら、辺りに誰もいなくて良かったと他人事のように考える。

 どうせ明日には対立するし、仮に今ここでホメロスに嫌われたところでむしろおあいこというものだ。僕もこの男が嫌いだし。

 

 ⋯⋯ただ、だからといってグレイグが妬まれるのは違うだろう。本人はひたすら努力をしただけだ。そこに多少の才能や力量はあるにしろ、彼が疎まれる理由や筋合いなんてものはまるでない。

 

「⋯⋯分かりませんよそんなもの。良くも悪くも、僕には競う相手なんていませんでしたし」

「なら⋯⋯!」

 

 その憎しみ溢れる奴の表情に、ふと過去のグレイグを思い出して。

 溢れる苛つきそのままに、僕はホメロスに向かって怒鳴り返す。

 

「だからって大事な相棒を悪く言っていい理由にはならないでしょう! グレイグさんが貴方を貶すような発言を一度でもしたんですか!? 足でまといだと言ったんですか!?」

「っ⋯⋯⋯⋯」

 

 僕の言葉にホメロスが押し黙る。言い返せないのも当然だ。だってグレイグは平気でそんな事を言えるような人間じゃないんだから。

 他人の悪評なんて流すわけが無い。

 

「⋯⋯そうじゃないなら、それは完全に貴方の思い込みだ。勝手に自分を下だと決めつけ、その上相手を僻むだなんて、そんなの相手にも⋯⋯そして自分にも失礼すぎる」

 

 グレイグは決してホメロスを下になんか見ていなかった。対等だったんだ。ちゃんと。

 

「貴方が自分をどう位置付けするかはこの際どうでもいいですが、そうやって彼を悪く言うのはやめて下さい」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 僕がそう言うと、ホメロスは先程よりは少しだけ納得したような顔をしていた。

 半ば勢いで説教してしまったけれど、結果的に彼の心には響いたらしい。

 

「それに双頭なんでしょう? いいじゃないですか。二人でひとつ、二頭で一頭、一心同体。確かそういう魔物いましたよね。スライムナイトみたいな」

「⋯⋯私とその辺の雑魚を同等にするな」

 

 僕がそう言うと、ホメロスは先程よりも確実に呆れたような顔をしていた。調子に乗って言ったものの、彼の心には響かなかったらしい。

 だから悪口言うなってのに。

 

「とにかく、今後一切グレイグさんの悪口、その他悪評禁止ですからね。言う度にあの人の尊敬するところ十個ずつ言って貰いますから」

「一体なんなんだその拷問は。あんな頭の回らない男の尊敬点なんてそうあるわけ」

「はい悪口頂きました。早速ペナルティですね。尊敬するところ十個どうぞ」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 初回サービスという事で見逃してあげたら、まぁなんとも言えない悔しそうな顔で「次はやらん」なんて言われた。いや次も何もさっさと別れたいんだけど。

 

 また指図がどうこう言われると思っていたのに、意外にもホメロスはやる気らしい。それならそれで考えさせてる間に逃げたのに⋯⋯これは抜かった、次は必ずそうしよう。

 

「あ、ちなみに僕の悪口は好きなだけ言っていいですよ。別に傷つくとか無いですし」

 

 まぁホメロスには散々言われ慣れてますから。

 そういう意味合いで伝えたつもりだったのに、またしてもこの男は解釈違いを起こしたらしい。

 

「そういう趣向でもあるのか?」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 

 至極真面目な顔して言う悪人面に、僕は震える拳をなんとか抑えて先に進む事を決める。

 その内絶対ぶん殴ってやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして当初の目的通り⋯⋯まぁなんか後ろについてきてるけど、東の奥にある一件の家へと辿り着いた。

 用事と言ってもそこまで大変なものでもないし、上手く行けば数分程度で済ませられるだろう。

 

「お邪魔します」

 

 例の如くそれだけ言って家に上がり、目的の物が置いてあるだろう左の本棚へと向かう。

 

 途中家の人や使用人らしき人に見つかったけど、ホメロスがいたおかげで特に声をかけてくる事も無かった。

 ⋯⋯なるほど、こういう場合なら案外この男も使えるかもしれない。

 

「それで、こんな場所に何の用だ?」

「ちょっと探し物を頼まれまして⋯⋯」

 

 後ろを歩くホメロスに説明しつつ、本棚にあるだろう一冊の手記を探す。

 

 例の済ませておきたい用事というのは、この家にある手記を読んでメモし、その内容を上層へ続く階段の下にて待っている男の人に伝えてあげるという、いわば探し物のクエストだった。

 西側を一通り探したけれど無かったらしく、そこで偶然通り掛かった僕に白羽の矢が立ったらしい。

 

「故郷に帰る前に、この街の英雄について知りたいんですって」

「そんなもの、私が直接行けば済む話だろう」

「いや、まぁそうなんですけど⋯⋯」

 

 ホメロスに任せると何言い出すか分からないし。

 というか、そもそも過去で受けたクエストなんだけどね。ちゃんと当時もここの本を読んで一から説明してあげた気がする。

 

 ただまぁ結構昔の事だし、普通に内容を覚えていなくて。

 グレイグの事は説明できてもホメロスの事はすっかり嫌な奴認識だから、下手に口を滑らせるくらいなら再度調べようと思った次第です。

 

「だいたい人に任せる時点でどうかしている。調べ物すら満足に出来ないとは」

「あーもう分かりましたから静かに⋯⋯あ、あった」

 

 タイトルをなぞっていた指先に目当てのものを見つけ、それを手に取りつつカバンをあさってメモを出す。

 別に覚えるような内容でもないし、とりあえず適当なワードだけ抜き出しておけばまぁいいだろう。

 

「えーと、なになに⋯⋯『将軍と軍師 ふたりの英雄』」

「ほう? そんな物があるのか」

 

 どうやらタイトルに興味を惹かれたらしい。

 さっさと読めと言わんばかりに黙る英雄(片割れ)を無視して、赤い装丁の表紙をはらりと捲る。

 

「えっと、『魔物がデルカダール王国を襲ったとしても、この国が滅ぶことは決してない。それは二人の英雄がいるからだ』」

「ふむ、続けろ」

「いや続けろって⋯⋯」

 

 別に貴方の為に読んでるわけじゃないんだけど。三十六歳に読み聞かせとか苦痛でしかないし。

 まぁ読むけども。

 

「⋯⋯えーと、『一人は武勇に優れたグレイグ将軍。愛馬リタリフォンを駆ってこれまで何百回と魔物の討伐に向かったが、未だ無敗である』」

 

 ちなみに僕を捕まえ損ねたのは過去三回なので、彼の無敗説は負け数三で撤廃です。いや僕は魔物じゃないけれど。

 

「『騎士道にも精通した武人で、剣術の腕は王国一。圧倒的な力から繰り出される大剣の前には、あのトロルでさえも太刀打ちできないだろう』⋯⋯ですって」

 

 敢えて隣で聞き耳立てている男に振ってやると、まぁいかにも面白くなさそうな顔をしている。

 

 とはいえ悪口を言うとその十倍尊敬点を言う事になるので、そう悪態つくことも出来ないらしい。

 これはなんともいい薬ですな。

 

「凄いですね、あのトロルでも太刀打ち出来ないだなんて。ギガンテスとかも余裕で倒しちゃうのかな?」

 

 最も、今の僕なら一人でウルノーガもギリ倒せるけど。⋯⋯いや、やっぱり一人じゃさすがに無理か。あいつめちゃくちゃ素早いし。

 せめてブギーぐらいにしておこう。

 

「ふん、私とてそんな虫ケラ共敵ではないわ」

 

 お隣も相当の負けず嫌いらしいので、ついでにメモにも書いておくことにした。

「ホメロスは非常に負けず嫌いで、負け惜しみだって叫んじゃうような男」⋯⋯っと、これでよし。

 

「さて次は⋯⋯あ、ホメロスさんのページみたいですね。どれどれ⋯⋯」

「やっとか。これだけ焦らしておいて、よほどグレイグよりも良い様に書かれているのだろうな」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 どこから来るんだその自信は。まぁいいや、とっととメモしてさっさと終わろう。

 

「えっと⋯⋯『もう一人は知略に優れた軍師ホメロス。古今東西の戦術に精通し、わずかな部隊で魔物の大軍を破る数多くの実績を残している』⋯⋯へぇ、やっぱりホメロスさんも凄い人なんですね」

 

 てっきりただ暴言吐いて悪口言って悪態ついてるだけの殺人鬼もとい極悪人なんだと思ってた。全部意味一緒だけど。

 

「ふっ、常に戦略を練るのは当然の事。グレイグが無鉄砲で無頓着な分、私が苦労するというものだ」

「お、それは悪口ですか? ペナルティにします?」

「⋯⋯今のは賞賛の方だ。そんな事はいい、さっさと先を読め」

「はいはい」

 

 果たして無鉄砲で無頓着のどこが褒め言葉なのか。分からないけれどまぁ触れるのも面倒なので、保留にして続きを読む。

 

「なになに⋯⋯『剣の腕ではグレイグに及ばないものの』⋯⋯『剣の腕ではグレイグに及ばないものの』」

「おい貴様なぜ二回も読む。喧嘩を打っているのか?」

「いやだってやけに太字だったので、重要なのかと」

 

 その箇所を指し示すと今度こそマジでブチ切れたホメロスがそばにある暖炉で本を燃やそうとしてきたので、それは不味いと今回ばかりは謝っておいた。何せ人の家の本ですし。

 相変わらず冗談の通じない男だな⋯⋯。

 

「⋯⋯まぁ大体こんなもんですかね」

 

 後はこれといって特筆することも無かったので、さらっと残りのワードをメモに書いてから、手記を閉じると元の位置に戻す。

 

 そして家を出ようとする僕とは反対にホメロスが著者の名前をやけに睨んでいたけれど、これも触れると面倒な気がしたのでやめておいた。

 さすがにその辺は弁えていると信じよう。

 

 その後一向に本棚から離れようとしないホメロスを無理やり引っ張り、ついでに家主に謝り家を出て。

 そしてようやく依頼主である彼の元へと辿り着く。

 

「あ、あ⋯⋯ホ、ホホホ」

 

 いやもういいから、そのくだりもう沢山したから。

 何度やっても仕方がないので半ば彼を雑に扱い、僕は話に出てくるホメロス本人を後ろに引き連れたまま、メモを元に本の内容を説明してあげた。

 

 あまり内容が頭に入ってなさそうな彼はこの際置いておくとして、例の「剣の腕では──」の所でホメロスに殴られた件については僕は絶対に悪くないだろう。単に事実を言っただけだし。

 

 普通に腹が立ったので、そこから更に二回繰り返して言ったらその分ちゃんと二回殴られた。いやごめんて。

 

「⋯⋯という感じです。分かりました?」

「あ、え、は、はぁ⋯⋯」

 

 うん、まぁ分かるわけないよね。結局は人づてに聞いた知識なんて当てにならないという事だ。うーん哲学。

 

 分からない彼にせめてものお詫びにと今行った家までの地図を渡そうとしたら、何故かホメロス先生によるお説教が始まってしまったので、クエストの報酬と地図とを交換して彼とはすぐに別れた。

 本当にろくな事をしないホメロスである。

 

「さて⋯⋯僕の用事はこれで一通り終わりました。あとは宿に戻って寝るだけです」

 

 昨日同様すっかり暗くなった星空の下、広場まで戻って来た僕は、言いながら背後のホメロスに振り返る。

 勝手に付いてきたのは向こうだけれど、まぁホットサンドをご馳走になったり色々したのでお礼くらいは言っておこう。

 

「貴方のおかげで結構充実してました。ありがとうございます」

 

 素直に頭を下げてやると、ホメロスは拍子抜けしたように目を丸くして⋯⋯って、失礼なやつだな。

 

 ちなみにグレイグゲーム(さっき名付けた)については怪しい判定が多々あったものの、まぁホメロスの勝ちという事にしておいてやろう。

 僕を三発も殴った事に関しては永遠に許さないけれど。

 

「⋯⋯ふっ、つくづくおかしな奴だな貴様は。口答えしたり礼を言ったり⋯⋯私を対等な人間として扱うのは貴様とグレイグくらいのものだ」

「そうなんですか? もっとみんなも言えばいいのに」

 

 いっそメンタルを抉りまくって一人旅にも出させればいいのでは? その方がよっぽど好青年になると思う。

 

「グレイグに比べ私は幾らか近寄り難いからな。私に奴ほどの愛嬌は無い」

「あ、愛嬌ですか⋯⋯」

 

 まぁ確かにグレイグはああ見えて虫が嫌いとか、ムフフ本が大好きとかいうギャップはあるけれど、それをホメロスがやるのはちょっと⋯⋯。

 

「ま、まぁとりあえずは今のままでもいいんじゃないですか? 変に民衆に集まられても迷惑でしょうし」

「それは言えてるな。集ってくるのは盗賊や魔物のようなドブネズミ共だけで十分だ」

「またそうやって悪口を⋯⋯はぁ、まぁいいや。そういう事なら対等なグレイグさんを大事にしないといけませんね。あのペナルティは無期限だと思ってください」

「⋯⋯善処しよう」

 

 いや善処するんかい。そこは断ってくれないと僕としてはやりづらいのですが⋯⋯。というか、なんだかホメロスが少しずつ僕に歩み寄って来てる気がするのは気の所為だろうか。

 

 後半に連れてあまり皮肉とかも言ってこないし、なんならさり気なく僕まで対等とか言っちゃってたような気がするし⋯⋯っていや待て待てよく考えたらおかしいぞこれ!?

 下僕は!? 下僕はどこにいっちゃったの!? いや決して望んじゃいないけども!

 

「じゃあ右腕の件も破棄という事でいいんですよね! なんせ対等なグレイグさんがいるわけですし!」

 

 こうなったらもうゴリ押すしかない。グレイグは対等! グレイグは友達! これで頷かない奴なんていないぜ!  

 

 と思ったけれど、それはあくまで相手が一般人の場合に限るらしい。

 

「何を言う。対等な下僕の席がまだ残っているだろう」

 

 いや「対等な下僕」って何。

 そんなの聞いた事ないんだけど。

 

「もうそれ意味がめちゃくちゃですから。既に対等じゃなくなってますから」

「貴様は下に見られるのが好きなんだろう?」

「いやいつ!? いつ僕がそんな事言いました!?」

「言ってはいないが顔に出ている」

「変態か!」

 

 突っ込み疲れで息を切らしつつ、それでも懸命にホメロスの発言に異を唱える。なんだか話の流れ的にそう見えるけど、決してそういう意味のハァハァではない。

 というか、なんだ、完全に僕の気の所為じゃないか。良かった下僕扱いされてて。⋯⋯いや全く良くないけども。むしろ変態のレッテル貼られてるけども。

 

 変態代表みたいな奴に言われたくないな。

 

「じゃあもうどうすれば見逃してくれるんですか⋯⋯僕もう宿で寝たいんですけど」

 

 それにこれ以上一緒にいるのも明日の作戦に差し支えるので、そろそろ別れておきたいのが正直なところだ。

 どうしようかと考えていると、同じようにして顎に手を置いていたホメロスが我先にと口を開く。

 

「⋯⋯そうだな、それなら今日のところは貴様の名前で見逃してやろう」

「え」

「朝言っていただろう? 次会えた時は教えると」

「あ、あー⋯⋯」

 

 そういえば言ったような気がする。

 けどそれはあくまで明日敵対する時にでも会うと思っていたからで、決して今日の事を言っていたわけではないというかなんというか⋯⋯。

 

「その⋯⋯明日じゃダメですか?」

「ダメだな」

「あはは、デスヨネー⋯⋯」

 

 鋭すぎる目で睨まれて、その上剣すら抜かんとする勢いにただただ乾いた笑いをこぼす。

 これじゃ本当に逃がしては貰えないだろう。なんなら僕の安息の地であるベッドまで付いてくる気じゃ⋯⋯いや無理無理無理、それは絶対に嫌すぎる。

 

「どうしても言わぬと言うのなら⋯⋯」

「ま、待って! 明日! 明日ならもう会った瞬間に名乗ります! 絶対に!」

「ほう⋯⋯? もし名乗らなければ?」

「その時はまぁしょうがないかなーなん、てっ!」

 

 冗談で言ったら投擲用の小さなナイフが僕の顔ギリギリをすり抜けて行った。咄嗟に避けたからいいものの、割と刺す気満々である。

 

「もう一度聞こう。明日になっても名乗らなければ?」

「⋯⋯大人しく下僕兼右腕として働かせて頂きます」

「よかろう。交渉成立だ」

 

 刃物で脅しておいて何が交渉だ。立派な脅迫じゃないか。

 おかげで明日は王に会うまで、死んでもホメロスから逃げなきゃいけなくなったし。⋯⋯って、え、あれ? 

 

 という事は僕、もしかして今日宿で眠れないってこと? 奴の事だから絶対待ち伏せするだろうし⋯⋯うわ、終わった。完全に詰んだ。あれだけ女将さん達を脅しといてドタキャンとか、僕はなんて失態を⋯⋯。

 

「⋯⋯今の話キャンセルとかって」

「無理だな」

「ですよね⋯⋯」

 

 そんな優しさがホメロスなんかにある訳ないもんね。知ってた。

 

「では、今日は約束通りこの辺で見逃してやるとしよう。明日会うのを楽しみにしているぞ、旅人」

「⋯⋯⋯⋯はい」

 

 最後の単語を強調しつつ、ようやく背を向けて歩いていくホメロスを恨めしく思いながら、重苦しくも長いため息を数秒かけて雑に吐く。

 

 なんだか変に目をつけられちゃったし、おまけに宿では寝られないしでもう最悪だ。

 その上明日は指名手配だなんて、相変わらず苦行過ぎて笑えもしない。

 

「⋯⋯⋯⋯許してくれないだろうなぁ」

 

 視界の先にそびえるデルカダール城を背景に、手前に映るホメロスを見やる。

 グレイグに対しての妬み嫉みはともかくとして、騙していた僕に対する彼の怒りの感情は、きっと想像もつかないほどのものになるだろう。

 

 内に潜める理由は違えど、結局のところホメロスは僕のせいで闇に染まってしまうかもしれない。

 

「⋯⋯せめて僕だけに止めてくれたらいいんだけど」

 

 そんな微かな希望を口にしながら、僕は屋根を取るか地べたを取るか、二択を求めて歩き出すのだった。



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そして勇者は悪魔と化す

 

 人は決断を迫られた時、多少苦労を伴ったとしても、自分にとって最良の判断を下すものである。

 

 

 

 

 ──なんてまぁちょっとカッコイイ感じの事を言ってみましたが、要約すると「いい寝床を思い出したのでそっちで一晩過ごしました」って言うただのご報告です。

 

 やっぱり屋根とか地べたなんて冗談じゃないし。そんな所で寝られるかって話ですよ。

 ⋯⋯まぁ言ったの僕なんだけど。

 

 いやさ、あの後寝る場所探してたらいいとこ見つけちゃったんだよね。ほら、ここに来る途中のキャンプ地。

 そこにあったじゃありませんか。それはもう丁度よさそうな感じの小屋が。

 

 あそこならベッドの一つくらいあるかなーと思って馬くんと向かってみたらもうビンゴですよ。もはや僕の為に設置されていたんじゃないかとさえ思えたよね。

 ありがとう世界。

 

「お、おい! そこは俺の家だぞ!」

「⋯⋯⋯⋯え」

 

 ──まぁいざ寝ようとしたら家主に止められたんだけど。

 

 焚き火の横でやたらめったらキャンプの説明してくるおじさんがいるなぁーなんなんだろうなぁーとか思っていたら、まさかのその人の家だったらしい。

 いやキャンプをしろよキャンプを。

 

 最終的にその話を好きなだけしていいからここで寝かせてくれと頼んだら意外にも了承してくれたので、僕は三時間にも及ぶおじさんのキャンプうんちくと引き換えに無事安眠を手に入れ⋯⋯ってあれむしろこれ余計に疲れただけなんじゃ!?

 

 まぁそんな感じで閑話休題。

 

「よし! じゃあ行こう馬くん!」

 

 ヒヒーン! と元気よく反応してくれた約一日ぶりのソウルメイトに再度跨り、まだ明るくなって間も無い空の下を駆けていく。

 

 夜更かしさせられた上に城に戻らなきゃいけないので結局のところ非効率だけど、なんにせよ今日は決戦の日だ。

 

 気を引き締めてかかるとしよう。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 昨日と同じく馬くんを野に放し、城の門を開けてもらって上層までの道のりを進む。

 

 道中ホメロスに会ってしまわないか心配だったけれど、門番の兵士曰く「ホメロス様が城に来るよう言っていたぞ」との事らしい。

 

 どうして僕を知っているのか尋ねたら、なんでも『オレンジのバンダナを付けた一つ結びの男』が来たら、そう伝えておくようホメロス直々に言われたそうだ。

 いやめちゃくちゃ僕の策にハマってるじゃないですかホメロスさん。

 

 数時間後にはその特徴一切無いけど大丈夫? 

 ちゃんと指名手配できる? 

 

 いやお使いかよ。

 

「いっそメガネもかけるんだったな⋯⋯」

 

 門番の言葉を思い出しつつ、道すがら道具屋に置いてあるメガネを見て一人呟く。

 手前にあった昨日の宿屋については静かに見て見ぬふりをした。もうなんか色々と申し訳なさ過ぎて。

 

 というか、大体なんでホメロスは僕が城を出た事を知ってたんだろうか。

 教えた記憶とか一切ないし⋯⋯ハッ! まさかあいつ、本当に宿まで僕を迎えに行ったな!? なんなら待ち伏せしてたんだろ! うわ気持ち悪っ! 

 

 どんだけ僕の名前知りたかったの? さてはやっぱり変態なの? 

 ⋯⋯あぁいや変態なのか。

 

 一人で納得しちゃったよ。

 

「はぁ⋯⋯」

 

 知りたくもない事実を知ってしまい、なんとも重い足取りで城への階段にたどり着く。

 魔王か見極める為とはいえ、やだなぁ自分からホメロスに会いに行くの⋯⋯。

 

 僕が勇者(悪魔の子)だって知ったら絶対本気でブチ切れるだろうし、なんなら僕自身欺いてきた自覚もあるし。

 後半に関しては僕の立場上仕方ない部分もあるけれど、それが原因で村の被害が拡大するのだけはお断りだ。

 最悪はどんな手を使ってでも阻止しなきゃならない。

 

 まぁ逆に言い換えると、要はそれさえどうにか出来ればこの際ホメロスなんてどうでもいいんですよ。

 なんなら元々嫌われてたし。

 

 罪悪感が無いといえば嘘になるけれど、まぁここは奴が過去にしでかしてきた罪状と相殺するという事で。

 

「たのもー!」

 

 城の門へと歩きながら、道場破りよろしく門番に向かって話しかける。

 

「な、なんだ貴様!」

「そこに止まれ!」

 

 そして二人の近くまで行くと、即座に持っていた武器を交差するようにして行く手を阻まれた。

 

 なんの用かと訝しむような視線で聞かれ、僕はいかにも善良そうな笑みを浮かべる。

 

「実は僕、勇者の生まれ変わりらしくて。自分の使命を全うするべく、本日は王様に拝謁したく伺いました」

「勇者だと⋯⋯?」

「はい。証拠の品もあります」

 

 そう言って予め出しておいた『ヒスイの首飾り』を見せてやれば、兵士達は思い当たる節でもあるらしい。

 僕のいかにもな世迷いごとに笑ったり呆れる暇もなく、揃って怪しげに手元の首飾りを覗き込む。

 

「⋯⋯分かった。待っておれ」

 

 そして顔を見合わせ小声で何かを話し終えると、すぐに片方の兵士が、王のいるだろう城へと戻って行った。

 この間僕の台詞は無し。話が早くて助かるなぁ。

 

「おいお前、例のホメロス様の右腕候補だろ?」

「⋯⋯⋯⋯イイエ」

 

 訂正。

 早ければいいってものでもないらしい。

 

 

 

 

 

 

 その後待っている間片方の兵士に「お前あのホメロス様に喧嘩売ったらしいな」なんて興奮気味に聞かれたり、「昨日の事は街で噂になってるよ」なんて知りたくもない事実を言われたりして頭を抱えていると、ようやく城に向かった片割れさんが帰ってくる。⋯⋯いやもう遅いよ何してたのさ!

 

 もう少しで無垢な門番によって僕の精神が壊滅もしくは崩壊する所だったからね?

 なんならこの兵士魔王より手強いんですけど。

 

「先ほどは大変失礼致しました。国王がお待ちですのでどうぞお入りください」

「ありがとうございます⋯⋯」

 

 それから耳打ちをし終えた門番二人が道を開けるようにして後ろに下がってくれたので、僕はお礼を言ってその真ん中を通り過ぎる。

 

 その後ろで二人が何やら僕とホメロスの関係について話していたけれど、ここは敢えて聞こえないフリ──はちょっとどうしても出来なかったので、僕は二人の元までダッシュで戻るとしっかりじっくりたっぷりみっちりと彼らに「オハナシ」させてもらったのだった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 門番二人とお話をして、それからようやく城に入って。更に行ける限りの部屋を見つけては、タンスを漁って壺割りまくって。

 

「さてと⋯⋯」

 

 そして一通り満足した所で、ようやく国王が待ち構えているだろう玉座の間へと歩みを進める。

 いやー、大変満足満足。

 やはり探索はこうでなくちゃね。

 

 壺を割る度にメイドっぽい人が「いけませんお客様!」って言いながら掃除してたけど勇者の性なので許して欲しい。

 きっといともたやすく行われるえげつない行為というのはこういう事を言うんだろう。うーん爽快。

 

 とはいえ結構道草食ったし、今頃王やグレイグ達はそれはもう首を長くして僕の到着を待っているに違いない。

 なんなら遅すぎて若干ピリピリしている事だろう。果たして見回りの意味とは。

 

「どうぞこちらへ」

 

 そして玉座の間の扉にて待機していた兵士に声をかけると、途端に周りから緊張が走る。

 僕も合わせて襟を正せば、次いで固く閉じられていた豪華な造りの派手な扉が、ぎぎぎといかにもな音を奏でて開かれた。

 

 ──その先に待っていたのは、玉座へと延びる赤い絨毯を挟むようにして列を織り成す兵士の他に、見るからに地位の高そうな人間が三人。

 

 こちらを値踏みするかのように、静かに標的を見据えるグレイグ。

 

 厳格な面持ちで勇者を待ち構え、思考の一切を悟らせない程の威圧を放つ、国王もとい現魔王。

 

 そして──

 

「⋯⋯ようこそデルカダール城へ。旅の者よ」

 

 ──強い怒りと激しい侮蔑を混ぜ合わせ、憎悪に満ちた眼差しで僕を睨む件のホメロスがそこにはいた。

 

 歓迎するように見えて知将の声が沈んでいるのは、きっとこの先で起こる展開を彼が十分に理解しているからだろう。

 怒りが出ちゃってますよホメロスさん!

 

「⋯⋯どうも」

 

 放たれる不穏さを我が身でひしひしと感じつつ、初めて会った日と同様の笑みを彼に向ける。

 するとそれすら忌々しいという風に嫌悪感溢れる視線で睨まれ、僕はやれやれと肩を竦めると、玉座の前まで歩みを進めた。

 

 そこまで嫌がられるといっそ清々しいな。

 まぁあんまり睨まれると笑っちゃうから辞めて欲しいけど。真面目な時に限ってなんか笑えてくるあの現象本当なんなんだろうね。

 

 流石に笑えないので助けを求めて反対側のグレイグを見れば、こちらの彼は何故かハッとしたように目を大きく見開いて僕を見ていた。

 君もなのかグレイグ⋯⋯!

 

 おたくらそんなだから魔王にいいように使われちゃうんだよ? 

 大体十六年もあったんだからいい加減気付け。

 

「ユグノアの首飾りか⋯⋯」

 

 内心突っ込みを入れると玉座の方から呟いたような声が聞こえてきて、流れるように意識を向ける。

 その声の主は他でもない。この国を統べる王様だ。

 

 相手を射抜くような視線といい堂々とした出で立ちといい、僕の知っているデルカダール王と何ら変わりないように見えるのは流石魔王という所だろう。

 今でこそ気配で確信が持てるけれど、過去で戦ってなければこうして気付く事は出来なかった筈だ。

 

 グレイグ達が気付けないのも無理はな⋯⋯くは無いと思うんだけどなぁ? 

 マルティナだったら多分一発だろうし。

 

「よくぞ来た旅の者よ。わしがデルカダールの王である」

「お会い出来て光栄です。デルカダール王」

 

 まるで王様本人のような口ぶりに内心で辟易しつつ、軽い会釈を一つ返す。

 魔王と知っていてわざわざ跪く必要もないし、ここはひとまず無知な世間知らずで通しておこう。

 

 なのでひたすら睨んでくるホメロスを誰かどっかにやってきて欲しい。さっきから目がもう「無礼だぞ」だの「田舎者が」だのって本当にうざいんですけど。

 

 お前は僕の教育係か。

 

「こうしてそなたが来るのを長年待っておった。ようやく会うことができ嬉しく思うぞ」

「は、はあ⋯⋯」

 

 魔王も魔王で返しに困る言い方をしてくるもんだから、ますます僕の礼儀知らずに拍車が掛かる。

 きゃー! ホメロスさんこわーい! 

 すっごいこっち見てるー!

 

 ⋯⋯とまぁそれはひとまず置いておくとして、そりゃあ魔王としても十六年の月日はさぞ長かった事だろう。

 なんなら王様より王様してたんじゃないの? どうせならもう百年くらい頑張ってみる気は無い? 

 見ないフリとかしておくよ?

 

 タイミング見て斬り掛かるけど。

 

「その首飾りを携え、王であるわしに会いに来たという事は⋯⋯そなたは自分の素性を知っておるのだろう」

「はい」

「うむ。とすれば、そなたの手の甲には勇者の痣があるはず。見せて貰えるな?」

「もちろんです」

 

 言いながら、予めグローブを外していた左手を魔王に向けて差し出す。

 当時は何とも思ってなかったけど、本当に僕のこの痣って主張激しいよね。痣通り越してもはや刺青レベルだし。

 

 これ上から落書きとかしたらどうなるんだろうか。紋章と一緒に落書きも空に浮かんだりするのかな? 何それめちゃくちゃやってみたい。

 

 なんてくだらない事(僕は至って真剣)を考えている間に、魔王は僕の痣を見て何やら一人で騒ぎ始める。

 

「おお、その痣こそ勇者の印! そなたこそあの時の赤ん坊⋯⋯皆の者よ、喜べ! 今日は記念すべき日! ついに伝説の勇者が現れたのじゃ!」

「「おぉおー!」」

 

 立ち上がり、天に向かって両手を広げては祝福の言葉を述べる魔王。

 そんな男に言われるがまま、周りの兵士達も揃って大きな歓声をあげる。

 

 ⋯⋯大方、勇者さえ葬り去れば世界が平和になるとかなんとかこれまで言われて来たんだろう。

 

 僕が魔王だと明かした所で、この場の誰にも信用しては貰えない。そう確信を持って言える位には、ウルノーガは王様に擬態しきっていた。

 

 こうなってしまえばお手上げだ。

 未だ魔王かどうかも見極められていない以上、ここで対峙するのはあまりにも早計すぎる。

 

 本体から魔王を引き剥がす方法だって分からないんだし、今は過去同様、大人しく流れに身を任せるしか術はない。

 

「ときに勇者よ」

「はい」

 

 脱獄に思考を切り替えながら、次に来るだろう言葉を待つ。

 

「そなたはどこから来たのだ? そなたをここまで育て上げた者に礼をせねばならん。教えてくれぬか」

「⋯⋯はい」

 

 その質問は、過去にも聞かれたものだった。

 魔王にしっかりと目を合わせ、言葉を整理し淡々と答える。

 

 欺くならまずここだろう。

 

「僕の住んでいた村は──」

 

 敢えて教えたその場所は、本来真っ直ぐ行けばいい筈の所を左に向かって遥か進んだ、『旅立ちの祠』へと続く道。

 デルカダール神殿をも超えた先にあるあの場所ならば、代わりに被害を受けるような人もいないだろう。

 

「奥地に小さな集落があって、そこで生まれ育ったんです」

 

 過去の素直な僕とは違い、遠くの道を行くように。一人でも多く助けられるよう、せめてもの時間を稼げるように。

 

 頭の地図をフルに使って、遠回りになる嘘を教える。

 カミュも故郷も助けたいなら、一人でも多く欺かなきゃならない。信じ込ませなきゃならない。

 

 ──そんなある種の勇者の賭けは、少なくとも魔王相手には有効なようだった。

 

「なるほど⋯⋯ホメロス、聞いたな?」

「はい」

 

 流れるようにホメロスへと声をかけ、反応するようにして長い金髪がゆらりと揺れる。

 何とか疑われずに済んだらしい。

 

 勘のいいホメロスにはその内バレてしまうかもしれないけれど、そこはもう運命とやらに頼るしかないだろう。

 

「まさかあの辺境の地に村があったとは⋯⋯」

「ホメロス、分かっているな。後は任せたぞ」

「はっ!」

 

 そのやり取りに内心でほっと一息つくと、こちらに振り返るホメロスと目が合った。 というより、正確には睨み直されたという方が正しい。

 律儀だなこの人⋯⋯。

 

 何か言いたげなその表情に数秒ほど付き合って待ってあげると、向こうがゆっくり口を開く。

 

「⋯⋯旅人よ、私は貴様を許しはしない」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 その言葉には怒りの他に、「裏切り者」というニュアンスも含まれていると僕には思えた。

 

 許しはしないというそれが、一体何に対する怒りか。

 思い当たる節がありすぎて僕にはいまいち分からないけれど、とりあえず今彼に伝えるべき事は一つしかないだろう。

 

「旅人じゃなくて、イレブンですよ。ホメロスさん」

「っ!」

 

 告げた僕の数歩後ろで、音を立てていた鎧が止まる。ラッキー。

 どうせ止まってくれるというなら、この際もう一つ言わせてもらおう。

 

「それと⋯⋯あの話、忘れないで下さいね」

 

 取ってつけた様なあの約束と、代わりに僕なら恨んでいい制約。

 今後敵対していく上で、ちゃんと覚えていて貰わないと困るから。

 

 ⋯⋯まぁ正直なところ欲をいえば、僕の策に嵌って回り道とかしてくれたらもっと最高なんだけどね。そしたら多少のダメージくらいは受けてあげない事もない事もない事もない事もないし。

 

「頼みますよ」

 

 ホメロスと同じく敢えて濁して伝えると、流石は頭の回る知将なだけあって、僕の言い分を理解したらしい。

 

「⋯⋯行くぞ」

「はっ!」

 

 数秒の間を置いてから、部下の兵を連れると静かにその場を後にした。

 守ってくれるとは思わないけど、一応無言は肯定だ。あの人ツンデレ拗らせてるし。

 

 まぁ僕には永遠に「ツン」どころか「ドライ」だったけどね! やっぱりあいつめちゃくちゃ嫌い。

 

「ホメロスを誑かすとはいい度胸だな」

 

 なんて思ったら第二フェイズ。

 消えたホメロスを見ていた僕に、後ろから聞きなれた声が降ってくる。

 

 やはり付き合いが古いだけあって、僕と同じく彼⋯⋯もといグレイグもホメロスが肯定したと受け取ったようだ。

 

 というか誑かすって何。

 

「人聞きの悪いこと言わないで下さいよ⋯⋯」

 

 呆れたように答えながら、またしても僕は後ろに振り向く。

 向き過ぎてなんなら一回転しちゃったよ。

 

「貴様の事は聞いていたが、まさか一人で乗り込んで来るとはな。ホメロスに言い寄ったのもそう言う理由か」

「いや待ってくださいツッコミたい所しかないんですけど」

 

 分からなすぎて一息で言えたし。そもそも僕あいつに言い寄ってないし。

 一体この街で僕とホメロスはどういう関係になってるわけ? 話が飛躍しすぎて付いていけないんだけど。

 

 とりあえず誤解を解くので一回全員集めて下さい。何ならしれっとホメロスが被害者ポジしてるのも腹立たしいし。

 

「まさか一人で乗り込んで来るとはな⋯⋯」

「いや進めるんですかこの状況で!?」

「何を企んでいるかは知らんが、貴様の思い通りにはさせんぞ勇者め!」

「あんたら本当に話通じないな!」

 

 いいよそんな所で双頭の息とか合わせなくても。

 ポンコツが増えた所で収拾つかせるのは僕なんだからね? 本当勘弁して。

 

「グレイグよ! その災いを呼ぶ者を地下牢にぶち込むのじゃ!」

「ちょっ!」

 

 あんたも絶対このタイミングじゃないだろ⋯⋯! 

 何勝手に僕とホメロスの噂を有耶無耶にしようとしてるんだ。

 

 お前なんてデルカダール王と十六年も一つになってる癖に! 

 この辺変態しかいないのかよ気持ち悪いな!

 

「勇者こそがこの大地に仇をなす者! 勇者こそ邪悪なる魂を復活させる者! 勇者と魔王は表裏一体なのじゃ!」

「待って下さい! 言いがかりにも程が」

「黙れ災厄を呼ぶ悪魔の子が!」

「っ⋯⋯」

 

 全てにおいて否定しようとすると、それより早くグレイグに剣先を向けられる。

 

 殺意はそれなりにあるものの、喉元に突き付けてこないだけまだ良心が感じられた。というかそれが普通だと思うけれど。

 

 やっぱりホメロスが一番イカれてるんだなぁ。

 イレを。

 

「我が王はあのように聡明なお方。勇者が何者か分かっておったのだ。お前には不運であったな」

「ええ本当に。まさかここまでとは思いませんでしたよ」

「分かったならとっとと降参しろ。無駄な争いはしたくない」

 

 その発言こそ、グレイグの本心に他ならないのだろう。

 

「⋯⋯どうやら、そうするしか手は無さそうですね。あなたの言う事も尤もですし」

 

 詰めていた息を吐きだしながら、両手を上げて大人しく諦めた素振りを見せる。

 

 グレイグと魔王が揃って勝ち誇っている辺り、この場の誰一人として僕の言葉の含みには気付けなかったようだ。一応皮肉だったんだけど⋯⋯。

 

「この者を捕らえよ!」

「はっ!」

 

 右手を前に差し出して、グレイグ及び兵士に命令を下す魔王。

 これで当分は会う事もなくなってしまうけれど、次こそその命を散らしてやるとしよう。

 

「せいぜい残りの人生を楽しむといい。あの薄汚い盗賊のようにな」

「っ!」

「明日の朝また会おう」

 

 そう言って不敵な笑みを浮かべるこの世の諸悪の根源を、僕は扉が閉じられるその瞬間までひたすらに睨み続けていた。

 



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将軍グレイグは何もかも甘い

 地下牢はあの日と何も変わらず、暗く沈んだ雰囲気を放っていた。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 歩く兵士と僕の足音、そしてグレイグの纏う頑丈な鎧の音だけが辺りに響き、人気の無い空間である事を嫌でも認識させられる。

 過去にも再三言われていたけど、やはり大罪でない限り地下牢は滅多に使われないらしい。

 

 ⋯⋯というか、これじゃ一人ぼっちにされてるカミュがあまりにも可哀想なんだけど。

 広い部屋でぼっちとか逆に落ち着かないからね? 

 

 結局なんかそわそわしちゃってトイレみたいな狭い空間求めちゃうんだから。

 ちなみにソースはやっぱり僕。

 

「うわっ」

 

 なんて考えていると足元の石か何かにつまづいて、咄嗟に斜め前を歩いている兵士二人のマントを慌てて掴む。

 

「うおっ!」

「うえっ!?」

 

 すると案の定彼らも後ろに引っ張られ、転んだ僕を追いかけるようにして地面に強かに尻を打ち付けた。なんかごめん。

 

「いったた⋯⋯」

「お前! 狙ったのか!?」

「んなわけないでしょ! 暗いし足元が見えづらくて」

「黙れ! 悪魔の子の言い分など聞くものか!」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 いやもうこれ何、僕は一体どうすればいいの? 

 さっきからまともに話もさせてくれないんだけどこの人達。

 

 仮にも一国の兵士なんだからさ、相手くらいちゃんと自分で見極めるとかしてくれない? じゃないとここの英雄みたいに君らもポンコツになっちゃうよ?

 

 あいつら闇にも染まるしエロにも染まるし。

 欲望のメーター振り切れ過ぎだろ。

 

「早く立て! さっさとしろ!」

「⋯⋯はいはい」

 

 先に立ち上がった左右の兵士に催促されて、不貞腐れながらも後に続く。

 グレイグがまぁ難しい顔をしてこちらを睨んでくるけれど、それでもズボンに付着した泥くらいは払わせてくれるらしい。

 

 よくよく考えたらホメロスが一人葛藤してる間にエッチな本コレクターやってたグレイグ恐ろしすぎじゃない? メンタル一体どうなってんだよ。

 

「いいか? 妙なマネはするなよ」

「分かってますよ⋯⋯」

 

 三叉槍を僕に向け、泥を払う間も一切の警戒を怠らない兵の面々。

 兜で顔こそ見えないけれど、余程悪魔の存在を恐れているらしい。全く迷惑な話だ。

 

 一体魔王に何を吹き込まれたか知らないけれど、僕だって別に敵の将軍と部下を前に暴れるほど無茶をする気は無いからね? 

 ましてや相手はグレイグなんだし。

 

 それに今はカミュを救出する事が最優先なんだから、リスクを負うだけ時間の無駄だ。

 余計な犠牲を生まない為にも、ここは一度大人しく牢屋に⋯⋯なんて。

 

 ──入るわけ無いんだなぁこれが。

 

「はぁっ!」

「なっ、ぐあっ!」

 

 グレイグを含めた前三人が向き直るのと同時に僕も後ろに振り返り、右側にいた兵士の顔面を全力でぶん殴る。

 相手は兜をしているんだし、素肌じゃないので合法だろう。

 

 思いきり殴れるだなんて素敵!兜万歳!

 

「っ、この!」

「っ!」

 

 そして殴られた兵士が吹っ飛んでいく様を横目で見ながら、その勢いを利用して今度は左の兵士の肺に肘打ちを入れる。

 

「せいっ!」

「うぐっ⋯⋯!」

 

 次いでよろけている間にまたしても全力で顔面を兜と一緒に殴り飛ばせば、後ろの壁に全身を打ち付けて二人目の兵士が戦場から脱落した。

 やったねイレブン大勝利! もう誰も僕を止められないぜ!

 

 ──と思ったら、一人目は意外にもまだ気絶していなかったらしい。

 

「う⋯⋯ぐ⋯⋯っ!」

「おお⋯⋯」

 

 タフなんだなぁと感心しつつ、せっかくなら利用しようと吹っ飛んで行った彼に近寄る。

 

「っ、待て!」

 

 その途中背後からグレイグの静止の声が聞こえたけれど、それで止まるくらいなら最初からこんな真似しないんだなぁ。罪悪感で死んじゃうし。

 

「ちょっと失礼しますよ」

「うぅ⋯⋯」

 

 襲われないよう起こした兵士を盾にしながら、彼の被っていた兜を剥がす⋯⋯ってうわ取りづらいなこれ。

 

 どうでもいいけどデルカダール兵の兜って見える範囲狭すぎじゃない? ズッキーニャとか縦長すぎて絶対「ズ」位しか見えてないと思う。

 

 それか「ニャ」とか。

 いや死ぬほどどうでもいいなこれ。

 

「くそ!」

「このっ!」

「っ! ほいっ!」

 

 考えてる間に残り二人となった兵士がこちらに向かって走ってきたので、すかさず中間にある水溜まり目掛けて兵から奪った兜を投擲。

 

「メラ!」

「うわっ!」

「なっ!」

 

 そして素早くメラを放てば、一瞬にして炎を纏った鉄の兜が水に落ち、跳ねた泥水が兵士にかかった。

 熱いわけではないけれど、足を止めるには十分な演出だろう。シルビアと一緒にサーカスだってやれるかもしれない。

 

 あの服は二度と着ないけど。

 

「よし」

「くそっ⋯⋯!」

 

 向こうが水に気を取られている隙に兵士の首へと腕を回して、空いた左手をこめかみに充てる。

 

 武器は没収されてるものの、魔力は変わらず健在だ。メラの威力はたった今見せたし、相手からすればさぞ立派な人質の図になっている事だろう。

 

「これで形勢逆転ですね」

「っ⋯⋯!」

 

 一向に動けず歯噛みしているグレイグに向け、してやったりと笑ってみせる。

 やり方自体は汚いけれど、これで僕にも発言権が与えられる筈だ。

 

 本当はもっと穏便に交渉するつもりだったんだけど、まぁこうなった以上仕方がないよね。

 グレイグがこの手の展開に弱い事は過去を通して理解してたし。

 

 ⋯⋯べっ、別に本当に転んだわけとかじゃないんだからねっ! 全部わざとなんだからっ!

 これはその⋯⋯そう! あれだよあれ、高齢期!

 

 なんか急に可愛さが無くなったな。

 

「悪魔の子よ、一体なんのつもりだ!」

 

 地下牢全体に響く程の怒号を上げるグレイグに、僕は変わらず涼しい顔をして彼の質問に答えてあげる。

 

「やっぱりここでくたばるのは御免かなって。だいたい牢屋に入る謂れも無いですし」

「お前っ⋯⋯! 自分が何者か分かって言っているのか!」

「ええもちろん。ちゃんと分かってますよ」

 

 悪魔の子でしょう?

 言いながら不敵な笑みを浮かべれば、対峙している三人がより一層の警戒を強めた。丁度いい。

 

 作戦を円滑に進める為にも、ここは強引にいかせて貰おう。

 

「あまり暴れない事をお勧めします」

「なっ⋯⋯!?」

 

 警告としてそう人質の兵士に伝えてやると、彼は瞬時に肩を強ばらせ、可能な限り僕の方へと視線を向ける。

 

 額に出来ているたんこぶはきっと、もしかしなくてもさっきぶん殴った僕のせいだろう。

 ⋯⋯ちょっと普通に申し訳ないなこれは。

 

「な、何を⋯⋯!?」

 

 冷や汗を滲ませ怯える人質くんに、僕は安心させるべく笑顔で頷く。

 なんだか凄く顔色が悪いし、ここは先程のお詫びも込めてひとつ気の利いた言葉でもかけてあげるとしよう。

 

「大丈夫。すぐ楽になりますから」

「ひっ!?」

 

 そして左手でサムズアップをすれば、人質くん共々この場の全員が表情を驚愕に染め上げた。

 三者三様一斉に武器を構え初めて、今にも飛び掛りそうな勢いで睨まれる⋯⋯ってあれ。

 

 何、もしかして皆さん本気で捉えちゃった感じ? 

 ただのイカしたジョークだったんですけど⋯⋯。

 

 僕が冗談言うなんて本当にレアだからね? 

 レア度で言うとサマディー地方の「サボテンゴールド」くらいレア。

 

 割と結構会えんじゃねぇか。

 

「はぁぁあ⋯⋯!」

 

 なんてボケてる場合じゃないので、とりあえず気合いを入れ直し、魔力を調節しながら左手を橙の光で灯らせる。

 

 やけに向こうが焦っているのは、直前の解釈違いによって仲間が本気で消し炭にされると思っているからだろう。

 いやサムズアップしながら死刑宣告するような人間がいてたまるか。どんだけ卑劣な悪魔なんだよ。

 

 とかいうこの発言全部が今の僕にはブーメランなのもうほんと辛すぎて無理。

 

「それじゃいきますよ」

 

 そして折れかけた(というかほぼ折れてる)心をどうにか優しく慰めながら、気を取り直して構えを直す。

 怪我をさせる気は毛頭ないけど、それでも限界ギリギリまでは攻めよう。

 

「ひぃっ! うわぁぁあ!」

「せーの!」

 

 そして人質を引き寄せながら、その手を兵士の顔面目掛けて助走と共にぶつけに行けば──。

 

「──全員今すぐ武器を捨てろ!」

 

 もうあと残り数センチというところで、グレイグの命令が地下牢一杯に響き渡った。

 すぐ様従う兵達を見て、僕も寸前で止めていた手を遠ざける。

 

 分かりきってはいたけれど、彼は人命を優先してくれるらしい。

 

 いやまぁぶっちゃけ僕が止めてなきゃ彼もう今頃燃えてたけどね? 何なら止めるの遅すぎてちょっと人質に当たっちゃったし。

 

 いや当たっちゃったのかよ。

 

「ぐぁっ、うぅ⋯⋯!」

「っ、この外道め⋯⋯!」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 これに関しては本当にごめん。

 たんこぶ含めて後でちゃんと治すから許して欲し⋯⋯というか外道て。

 

 主に暴れた人質と命令の遅いグレイグのせいだけどね? 大体十六歳の子供を葬ろうとしてくるようなゲスい連中に言われたくないし。

 邪悪すぎて普通に「ニフラム」案件なんだけど。

 

「⋯⋯お前の望みはなんだ」

 

 光の彼方に消し去ろうかと一人で熟考していると、眉間にきつく皺を寄せ、なんとも苦々しい表情のグレイグに問われる。

 人質がいる手前動けないものの、隙あらば斬ると言わんばかりの眼差しだ。

 

 正直そこまで睨まれると結構悲しいんだけど。

 一緒にパンデルフォン音頭でも踊る?

 

 ⋯⋯それはさすがに殺されるな。

 

「その前に、出来れば貴方と二人にして頂きたいのですが」

「俺と一対一でやり合う気か」

「そんな物騒な事しませんよ。僕だって無駄な争いはしない主義ですし」

 

 あくまで目的は彼との対話だ。

 僕の予想が正しいのなら、ここでグレイグと話すかどうかでこの先の未来は大きく変わる事になるだろう。

 

 最悪の事態を避ける為にも、確かめておきたい要項がある。元々人質を取ったのもそれが理由だし。

 

「この状況で俺が信じると思うか?」

 

 尤も、向こうはそんな事一切知らない訳だけど。

 

「そこは信じてもらうしかありません。少なくとも素手で英雄と渡り合う気はありませんよ」

「よく言うな。部下に火傷まで負わせておいて」

「全身火だるまよりはマシでしょうが⋯⋯」

 

 あれでも頑張って制御した方だし、なんなら火傷はグレイグのせいだし。

 実質三:七くらいのもんだからね? どっちが悪いか明白過ぎて話にもならないレベルだよ?

 

 ちなみに配分は向こうが三で僕が七。

 そこは三側じゃないのかよ。

 

「まぁとにかく、彼については後ほど謝罪をするとして⋯⋯話しておきたい事があります。貴方にとっても非常に重要な話です」

「何⋯⋯?」

「条件を呑んでくれるのならもちろん人質も解放しますよ。元々それが目的ですから」

 

 そう悪い話じゃないと思いますけど。

 提案しつつ、けど遠回しに拒否権は無いぞと主張をすれば、流石のグレイグも為す術が無いと判断したらしい。

 

「⋯⋯分かった。お前の要望を通そう」

「ありがとうございます」

 

 諦めたように戦闘態勢を解く彼を見て、僕は頷くと左手を差し出し指示を飛ばす。

 

「じゃあとりあえず、牢屋の鍵を貰いましょうか」

 

 主導権を握った僕に、逆らえる人間はこの場に一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 牢屋の鍵を受け取って、怪我させた二人に謝罪と治癒を施した後、最奥部から一番遠い牢に見張りも含んだ兵士全員を閉じ込める。

 

 こうすれば魔王に報告される事も無いはずだ。

 

「お待たせしました」

 

 そして準備が出来たと彼の方を向けば、思う所でもあるらしい。

 グレイグが何とも訝しげな目で僕を見ていた。

 

「何か?」

「いや⋯⋯」

 

 首を傾げて尋ねると、少し意外そうに返される。

 

「お前が人質をあまりにも簡単に手放すのでな。目的の為の行動とはいえ、俺が不意を付いて襲いかかるとは思わないのか?」

「あー⋯⋯別に思いませんね。事前に警告はしましたし、襲われたらそれまでですから」

「⋯⋯随分と潔がいいんだな」

「あいにくとイレギュラーな事には慣れてるので」

 

 むしろ過去にきて予定通りだった事とかあった? 全然記憶にないんだけど。

 自分で考えて落ち込みながら、極力兵士に会話を聞かれないよう最奥部へと歩き始める。

 

 こんな話をしてるというのに背を見せる僕も僕だけど、普通に付いて来ているグレイグもまたグレイグじゃないだろうか。そんなんで今後大丈夫⋯⋯? 

 

 敵ながら心配しちゃうんですけど。

 

「先程部下の怪我を治したのは何故だ」

「いや何故って⋯⋯そんなの僕が怪我させたんだから僕が治すに決まってるでしょう。成り行きとはいえ完全にこちらの過失でしたし」

「まるで怪我をさせる気はなかったような言い方だな」

「事実そうですからね。別に人質だって元々取る気はなかったですよ? そっちが話をさせてくれなかっただけで」

 

 敢えて言葉に棘を含ませるも、鈍感を地で行く将軍様には逆効果なようで。

 

「お前はホメロスを数日で懐柔させた男だからな。巧みな話術を扱う上に悪魔の子とくれば彼らの反応も当然だろう」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 自信ありげに返されて、不快感から顔を顰める。 

 まさかカウンターを喰らうとは⋯⋯。しかもなんか僕がホメロスを口説いたみたいになってるし。

 

 もうその噂流してる奴一回絞めるから誰かここまで連れてきてくれない? 目の前でホメロスぶん殴って無実を証明してあげるって。

 戸惑いとか一切無しで出来るから本当に。

 

「⋯⋯とにかく、あの二人には悪い事をしたから謝ったまでです。まぁそう簡単に許して貰えるとは思いませんけど」

「なるほど。悪魔にも良心はあるという事か」

「貴方さっきから僕をなんだと⋯⋯まぁいいや、話が出来ればこの際なんでも」

 

 悪魔の子とか言われ過ぎてもう慣れたし。大体悪魔の子って何? 親は誰なんだよ親は。

 本物の悪魔(魔王)に悪魔呼ばわりされてるの本当に不服なんだけど。

 

 いっそ呼び方変えるとかどう? 光の救世主とか神の使いとか創造神とか。

 ⋯⋯自分で言っててなかなかしんどくなっちゃったのでやっぱりナシでお願いします。

 

「少し先を急ぎましょう。僕の都合で彼らを閉じ込めておくのも悪いですし」

「⋯⋯ああ」

 

 それから会話は一旦終わり、少しして本来僕が入る予定だっただろう牢屋の通路に辿り着く。

 

 道中囚人は見当たらなかったし、過去の通りならここの一番奥にカミュが収監されているはずだ。

 気配も若干感じるし、早く合流したすぎて今からソワソワしちゃうんだけど。

 

 嬉しさで牢屋の柵とか今なら余裕でこじ開けられそう。

 エキス飲んじゃったハンフリーさんかよ。

 

「⋯⋯ここまでくれば大丈夫かな」

 

 とはいえ真横で話すのもカミュが気になって仕方がないので、あえて一部屋分手前で止まる。

 

 後で説明する手間も省けるし、どうせならカミュにも話を聞いて貰うとしよう。

 

「それじゃあ早速だけど本題に入ろうか。そこまで時間もあるわけじゃ無いし、グレイグに限っては大仕事になるからね」

「ほう⋯⋯?」

 

 そろそろいいかと口調を変えて発言すれば、グレイグの眉がピクリと動く。

 急に馴れ馴れしくされたものだから、少なからず不審感を抱いたらしい。

 

「さっきまでと随分な変わり様だな」

 

 素直な疑問を向けられて、僕は小さな笑みを浮かべる。

 

「二人でいてわざわざ畏まる必要も無いからね。さっきはそっちの部下もいたし合わせたけど」

「つまり、俺になら最低限の礼儀もいらないと?」

「敬意を払ってるからこそだよ」

「どうだかな。少なくとも俺はお前と馴れ合うつもりなど無い」

「そう? 僕は仲良くなりたいけどね」

 

 なんたって大事な仲間だし。

 むしろ数日前まで仲間だった人相手に今更敬語とか使えなくない? あれだけの時間一緒にいてさ。

 そんな高度な真似出来るの記憶喪失になったカミュぐらいだと思う。

 

「そう言ってホメロスを言いくるめたんだろうが、俺には通用せんぞ」

「あーはいはい。次までにちゃんとその誤解解いておいてね。一生根に持って生きていくから」

 

 魔王も噂の出処も諸悪の根源まとめて許さん。

 いつか絶対とっちめてやろう。

 

「それで肝心の話なんだけど⋯⋯その前に一つ聞いておきたい事があるんだ」

 

 そして真剣な顔つきで僕が本題を切り出せば、グレイグも何かを感じ取ったらしい。

 無言ながらに目だけで先を促され、僕もそのまま話を進める。

 

「ホメロスから明日この街で処刑があるって聞いたんだけど、その執行人って、もしかして⋯⋯」

「ああ。ホメロスが任務でいない今、間違いなく俺になるだろう」

「っ! やっぱりそうか⋯⋯」

 

 難しい顔をするグレイグに、僕も合わせて渋面を作る。彼と話をする上で、まず確認しておきたかったのがこれだった。

 

 奪われる命があるんだから、当然奪う人間も必要だろう。そんな重役を任せるにあたって、国の英雄が選ばれないわけが無い。

 ホメロスがいない以上グレイグが出るのはほぼ確定だし、仮に選ばれなかったとしても当日の参加が義務付けられているはずだ。

 

 とはいえ実際にそうなってくると、ここで一つの問題が生じる。過去との「ズレ」とも言えるだろう。

 

 ──処刑を控えてるという事は、グレイグが必然的にイシの村に行かなくなるという事だ。

 

 このまま追わずに終わってしまえば、村が焼かれるだけでなく、最悪大切な母さんやエマまで八つ裂きにされてしまいかねない。

 それは死んでも阻止しなければ。

 

「⋯⋯グレイグ、今から僕の言う事をよく聞いて欲しい」

 

 再度しっかり目を合わせる僕に、グレイグが固唾を飲んで次に放たれる言葉を待つ。

 

「実は、ホメロスの向かっている場所には僕の村は無いんだ」

「なっ!?」

「あそこにあるのはただの草原と祠だけ。要は嘘をついたんだよ。少しでも時間を稼げるようにね」

「お前⋯⋯っ!」

 

 白状し始めた僕を前にして、グレイグの表情が怒りに染まる。まぁ当然の反応だ。

 斬りかかってこないだけまだ優しい方だろう。

 

「どういうつもりだ! ホメロスを裏切ったのか!?」

 

 鋭い目付きで睨む彼に、僕はゆっくりと首を横に振る。

 

「別に裏切ったわけじゃない。むしろ救う為にやったんだ。村のみんなもホメロスも、そしてもちろんグレイグの事も」

「っ、さっきから何を言っている! ホメロスはお前が悪魔の子かどうかを確かめに向かったんだぞ!

無実を証明してくれる相手を欺く必要がどこにある!」

「⋯⋯必要ならあるよ。だってあの人は僕を殺したいほど憎んでるんだから」

「っ⋯⋯!」

 

 目を見開くその反応から、どうやら僕の言い分に思い当たる節でもあるらしい。

 きっと僕が悪魔の子だと確定した時、ホメロスの憎悪に満ちた表情をグレイグは隣で見ていたのだろう。

 

 そんな顔した人間が、とても村を確認するだけで終わってくれるとは思えない。

 ましてや相手があのホメロスなら尚更。

 

「だからわざと遠く離れた道を教えた。僕のせいで大事な人を失わない為に、そして間違ってもホメロスが、僕への恨みで取り返しのつかない過ちを侵さないように」

 

 きっとそれが巡り巡って、グレイグの罪を和らげる事にもなるんだろう。

 ホメロスの事は大嫌いだけど、他ならぬ仲間の頼みなんだから仕方がない。

 

「それに村のみんなだって僕が勇者の生まれ変わりだと知ったのはつい数日前だ。偶然拾った子供を育ててそれが原因で死刑だなんて、そんなのあまりにも村のみんなに悪すぎる。これじゃ殺されたって死にきれないよ」

「お前⋯⋯⋯⋯」

「だからグレイグ、無理を承知で頼みたい。君の仲間が無実の人を殺める前に、その手で救って欲しいんだ」

 

 言いながら、懐に忍ばせていた地図を手に取る。

 過ぎ去りし時を求める前と後でもらった、二枚のうちの片方だ。役立てるのなら今しかない。

 

「ここに本当の村の場所が書いてある。ホメロスの事だから時期に察してしまうだろうけど、今から向かえば間に合う筈だ。王には僕が嘘をついていたと言えばいい」

「だがしかし⋯⋯⋯⋯」

 

 尚も葛藤しているグレイグに、僕は目の前まで歩み寄ると胸元に地図を押し付ける。

 話す事はもう話し終えたし、残る手段はゴリ押ししかない。

 

 大丈夫ゴリラとゴリアテとグレイグは押しに弱いってこれ昔から言われてるから。いや知らんけど。

 

「盟友なんでしょ? グレイグにとってホメロスは」

「──っ!」

「今行かないと、いつか絶対後悔するから」

 

 だからお願い、頼むよグレイグ。

 身長差から彼を見上げて、伝わるようにしっかりと頷く。

 これでダメなら実力行使だ。持ってる鍵でカミュを助けてどうにか村まで二人で逃げよう。

 

 そんな思いで覚悟を決めたけど、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 

「⋯⋯分かった。ひとまずお前の言葉を信じよう」

「っ! グレイグ⋯⋯」

 

 一時とはいえ理解してくれたグレイグに、僕は思わず顔を綻ばせる。敵対している身とはいえ、彼に頼めれば百人力だ。

 

「俺としても近頃のホメロスには思う所がある。もしその話が事実だとすれば、明日の処刑より重大だ。⋯⋯お前の差し金というのが納得いかんがな」

「差し金って⋯⋯いやまぁ確かに差し金だけど⋯⋯また人聞きの悪いことを」

「俺を欺く為の嘘とも言いきれんからな」

「それなら安心していいよ。僕グレイグには嘘つかないから」

 

 というか基本嘘つかないし。

 ホメロスの場合はめんどくさいから適当にあしらってるけど、グレイグ相手なら話は別だ。

 

 でもお前脱獄するじゃんって? いやぁなんの事かさっぱり分かりませんね。オナカスイタナー。

 

「まぁいい。どの道行けば分かる事だからな。だがもしお前の言う事が嘘だと分かれば⋯⋯」

「うん。その時は処刑でもなんでも受け入れるよ。村のみんなが助かるのなら僕の事なんてどうでもいいし」

「⋯⋯お前は、本当に」

「本当に?」

 

 妙に歯切れの悪いところで終わった言葉が気になって、何の気なしに聞き返す。

 

 けれどわざわざ言うほどの事でも無かったのか、すぐに大したことじゃないからと強引に話を終わらされてしまった。なんか逆に気になるな⋯⋯。

 

 「本当になんで生きてるの?」とかだったらどうしよう。割と立ち直れないかもしれない。

 酷く心を痛めていると、今度はグレイグの方から話しかけられる。

 

「俺も一つお前に聞きたい事がある」

「え⋯⋯あ、うん。なんでもどうぞ」

 

 そして切り替わった話題に戸惑いつつも、気軽に安請け合いをしてみれば。

 

「俺と以前にどこかで会った事はないか?」

「──っ」

 

 彼は至極真面目な顔で、記憶を確かめるかのようにそんな質問を僕にしてきた。突然の事に動揺が隠せず、衝撃から息を詰まらせる。

 

 けれど不思議と数瞬もすれば、やけに冷静な自分がそこにはいた。

 

 「⋯⋯多分、無いと思うよ」

 

 他人行儀な笑みを浮かべて、僕自身驚くほどあっさりと言ってのける。

 特に躊躇をしなかったのは、ひとえに僕が強く覚悟を決めていたからだろう。

 

「僕は三日前まで村から一度も出たことが無かったし、グレイグの事は本や話で聞いていたけど、実際に会うのはこれが初めてだ」

 

 そして少し断定的になってしまった自分の弱さを恨みつつ、否定の言葉をさらりと述べれば。

 

「⋯⋯そうか。悪かったな、おかしな事を聞いて」

 

 グレイグは目を伏せて考える素振りを見せた後、それから納得したように頷いた。

 ⋯⋯結構危なげだったけど、ひとまずセーフと信じよう。

 

「別にいいよ、実際僕もグレイグとは初めてな気がしないし」

 

 なんならつい最近まで隣歩いてたし。

 でもおかしいな⋯⋯時を遡ったのは僕一人だけで、皆は記憶が無いはずなのに。

 

 考えているとグレイグに「やはりそうか、実はお前を一目見た時から⋯⋯」なんてプロポーズ紛いの事を言われそうになったので、やっぱり気の所為だと全力で言い張っておいた。

 

 頼むからこれ以上誤解を生むような発言は控えてくれ。僕の沽券に関わっちゃうから。

 

「さて⋯⋯じゃあ要件も済んだ事だし、これ返すね」

「っ!」

 

 言いながら、手に引っ掛けていた牢屋の鍵をグレイグに投げる。ひとまず彼とはお別れだ。

 そして元々僕が入る予定だっただろう牢屋に向けて歩き出せば、何故だか彼は付いて来なくて。

 

「⋯⋯あの」

 

 一度足を止め振り返り、呆れたようにグレイグへ声をかける。

 

「その鍵使って閉めてくれないと僕牢屋に入れないんだけど」

「⋯⋯⋯⋯」

「ほら早く。あんまり時間も無いんだからさ」

「ああ⋯⋯」

 

 さっさと来るよう促せば、グレイグは納得がいかない様子で僕の後ろを付いてくると、持っていた鍵で牢の扉を閉めた。

 

 それから数回扉を引っ張ってみて、ちゃんと開かないことを確認する。⋯⋯うん、これでよし。

 

「それじゃ後はよろしくね。ここで大人しく待ってるから」

 

 そう言って鉄格子越しにひらひらと手を振れば、グレイグが理解出来ないとばかりに眉を寄せる。

 

 ⋯⋯心做しか引かれてる気がするのはなぜだろう。

 

「⋯⋯お前は頭がいいのかバカなのかどっちなんだ」

「いや何急に。別にどっちでもないと思うけど」

 

 まぁどちらかと言えば前者になるのかな。

 こうして牢に入ったのもグレイグを信用させる為の演技みたいな所あるし、今だって脱獄する気満々ですからね。

 

 それは頭がいいんじゃなくてただの下衆だろって? ええい黙れ黙れ!

 

「今の発言は気にしなくていい。どちらにせよお前が変わり者である事は理解出来たのでな」

「ねぇそれ絶対褒めてないよね? なんなら若干貶してるよね?」

「さて、それでは俺も行ってくるとしよう」

「まさかの言い逃げ!? 嘘だろ!?」

 

 どうやら嘘ではないらしく、グレイグはどこか満足気な表情を浮かべると、本当に踵を返して部下の元へと歩き出す⋯⋯っていやホントに行くんかい!

 

「ちょっ! 一つ言い忘れてたんだけど!」

「なんだ」

 

 慌てて鉄格子の間から彼を呼び停めれば、歩く鎧の音が途絶え、足を止めたグレイグの姿が視界の端に僅かに映る。

 身勝手すぎて大変納得いかないけれど、まぁみんなを救ってくれる恩人な訳だし。

 

 戦地に赴く大事な仲間への報酬(皮肉)として、ここは僕からちょっとした「プレゼント」をさせて頂こう。

 

「実は僕、家に大事な宝物を置いてきたんだ。人によっては金銀財宝よりも貴重とされる、非常に価値の高いらしいお宝をね」

「⋯⋯それで?」

「どうせこの様子じゃ僕は当分村に帰れないだろうし、なんなら最悪死刑だからさ。この際グレイグにあげようかなって」

「⋯⋯⋯⋯」

「詳しい場所は渡した地図にも書いてあるから。もちろん要らなければ全然無視して構わないし」

 

 まぁグレイグは無視出来ないだろうけど。

 内心ケラケラ笑っていると、グレイグは怪しみながらも小さく頷いて、それから再度背を向ける。

 

 出来れば反応が見たかったけど、まぁこればっかりは我慢するしかないか。

 

 

 

 鎧の音を響かせ遠ざかっていく彼に、僕は祈りと感謝を込めて最後に一言お礼を言った。



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勇者は再び相棒と出会う

 グレイグの出立を見送って、その場に腰を下ろしつつ「この天井の模様ゴーレムみたいだなぁ」とかいう至極どうでもいい思考を巡らせること数分。

 

「六、七、八⋯⋯あれ? 一、二、三⋯⋯お」

 

 暇すぎてついには「扉の鉄格子の本数を数える」なんてもうこの世の終わりみたいな時間を特に意味もなく過ごしていると、ようやくグレイグの気配が地下牢から消えた。

 静けさからして部下も解放出来たようだし、警備兵が補充される前に僕もさっさと動くとしよう。

 

 ちなみにこういう無駄な時間こそ一見意味が無い上に気づいた時の後悔が凄いけど、実はそんな無駄な思考をしている時間こそが自分にとっての平和でもあり幸せでもあるという哲学なんだよとか言ってる暇があったら早くそこから立てよってね。

 

 なんなら地面が濡れてるの忘れて若干ズボンに染みてきたので、今僕は大変気分が沈んでいます。

 

 これと引き換えに得られたものが鉄格子の本数とか一旦一人で泣いてもいい? 

 ちなみに全部で二十五本でした。

 

「無駄のバカヤロー!」

 

 ついでにこんな時でもツボを割りたくなっちゃう僕の勇者的な性にも馬鹿野郎。二個もあるのにどっちも入ってないとかなんなの? アンティーク的なポジションのツボなの?

 いやなんだアンティーク的なポジションて。

 

「くっ、これも『そこにない事に気づけた』というある種の経験か⋯⋯!」

「⋯⋯い」

「それとも『目に見えるものだけが宝ではない』という刺客からのメッセージ⋯⋯」

「おい」

「こんな粋な宝を用意して、やっぱりあいつら只者じゃ──」

「おいっ! お前だお前! そこでツボ割ってる変なヤツ!」

「え? ⋯⋯あ」

 

 どうやら僕に話しかけていたらしい。

 なんだ、てっきり一人で「おいおい」言ってるヤバいタイプのカミュかと思ったよ。これまた随分とクセが強いのにキャラ変したなって。

 

 とりあえずカミュのいる方に視線を向ければ、彼はいかにも落ち着いた様子で腕と足の両方を組み、何とも楽そうな体勢で壁に背を預け座っていた。

 いや牢屋に順応し過ぎだろこの人。

 

「ったく、何度も呼んでるのに無視しやがって。勇者ってのは随分と騒がしい生き物なんだな」

「いや牢屋でそこまで達観してる方がおかしいと思うけどね?」

 

 むしろ何をどうしたらそんな自分ちみたいに振る舞えるんです? その上以前は無かった筈の藁的なものまで敷いちゃってるし。

 これが「経験者」は語るってやつか⋯⋯。

 

 きっと僕みたいにズボンを濡らして学んだ知恵なんだろうな。思えばキャンプの時もやたらと藁に寄りかかってたし。いや藁への信頼強すぎかよ。

 

「まぁいいや。それより今僕の事『勇者』って呼んだよね? さっきの話全部聞いてたって事で大丈夫?」

「あ、ああ。しっかり聞かせて貰ったぜ。まぁ正直内容が内容なだけに聞いちゃ悪いとも思ったが、俺としても聞いておきたい話だっ──」

「あぁうんそれならオーケーオーケー。説明する手間が省けて何よりだよ」

「えっ」

「とはいえ結構掻い摘んだし、そうだな⋯⋯他に聞きたい事とかある? まだ少し時間あるから今ならなんでも答えるけど」

「いや、ちょっ」

「あ、そういえば自己紹介がまだだったよね。僕はイレブン。性別は男で趣味は鍛冶。好きな食べ物は母親のシチューで、嫌いなタイプはこの国の知将。基本なんでもウェルカムだけど、まぁ強いて言うなら好みのタイプはピチピチの──」

「待て待て待て待て! 一人で勝手に進めていくな!」

「ん?」

 

 好みのタイプを言おうとすると、焦ったようなカミュの叫びに制された。ここから良いとこだったのに⋯⋯。

 静かにしてると何故かため息を吐かれたので、ひとまず僕も聞こえるように牢屋越しから声をかける。

 

「何か気になる箇所でもあった?」

 

 そして首を傾げてそう尋ねれば、彼は数秒こちらを見た後、呆れたように額に手を当てやれやれと首を左右に振った。

 いや何その仕草超かっこいいんだけど。もうあと百回やって欲しい。

 

「いや『あった?』じゃねぇよありまくりだ。所々で要らねえ情報挟みやがって」

「ちなみにフェチは匂いだよ」

「だからそれが要らねぇって言ってんだよ⋯⋯! 誰が初対面で相手の性癖知りたがるんだ、変態か俺は」

「いやまぁ否定はしないけど」

 

 ただでさえそんなワケの分からない服着ちゃってますし⋯⋯それ絶対中にインナー着るタイプのやつだよね? なんで素肌の上から直に着てるの? まさかそういう趣味の人なの?

 聞くに聞けなくて過去までこの問題持ってきちゃったんだけど。

 

 カミュには「しろ!」なんて怒られましたが、これについては僕は決して悪くないと思います。

 何なら敵にもよく捕まるし君。

 

「⋯⋯ってんな事言ってる場合じゃねぇ。俺が聞きたいのはそれよりもっと前の下りだ。言ってただろ? 説明がどうとか手間がどうとか」

「ああ。うん、確かに言ったね」

「てことはだ、その口振りから察するに、お前俺がここにいる事最初から気付いてたって事か? あの将軍と話してる時も?」

「ずっと気配は感じ取ってたよ。まぁ誰がいるのかはこうして見るまで分からなかったけど」

「マジかよ⋯⋯」

 

 当然のように頷く僕を見て、カミュが信じられないとばかりに絶句する。フードで顔こそ見えないけれど、その衝撃は余程なようだ⋯⋯ってなんかごめん。

 本当は会う気満々で来ました。僕がわざわざここにいるのもひいては村とカミュの為です。

 相棒処刑とか冗談じゃないし。

 

「通りで話しかけても驚く気配が無いわけだぜ。じゃあなんだ、お前俺の気配に気付いてる上でわざと話を聞かせてたのかよ?」

「うん、簡単に言えばそういう事だね。元々盗賊が捕まってるのは王を通して知ってたからさ、この際一緒に聞いてもらおうと思って」

 

 そっちにも関係ありそうな事だったし。

 淡々と質問に答えていくと、またしてもカミュの声が聞こえなくなった。不思議に思いつつ格子の隙間から向こうを窺えば、すぐ様乾いた笑いが返ってくる。

 ⋯⋯一瞬狂ったのかと思ったけれど、そういう訳ではないらしい。

 

「はは⋯⋯こいつは参ったな。これでも気配を消すのには結構自信があったんだが」

 

 少し弱った声音が聞こえて、僕は慌ててフォローを入れる。

 

「い、いや普通の人なら絶対気付かなかったと思うよ!? 僕だからすぐに気付けただけで!」

 

 何ならレベルもカンストしてるし一度は魔王も倒してますし。こちとら仮にも相棒ぞ? 今更気配を消されたくらいで分からなくなるような絆じゃないんですわ。ただでさえ仲間ガチ勢ですし。

 

 それにしてもカミュが元気そうで本当良かった。再会出来たの嬉しすぎて今にも牢屋こじ開けて飛び付きたいレベル。

 いやだからそれどこの何フリーさんだよ。

 

 誰かアラクラトロのエキス持ってきて!

 

「なんだそりゃ。勇者ってのは常人じゃ分からねぇ気配にまで気付けるもんなのか?」

「うーん、あんまり勇者は関係ないね。何なら僕よりこういうのに長けてる人いるし」

「⋯⋯お前よりもか?」

「うん。アレに関しては僕も未だに謎が多い」

 

 何なら近くにお宝が何個あるとか匂いを嗅ぐだけで分かっちゃうからね。何? 「まだ三個お宝がありそうな匂い」って。生まれてこの方そんな匂い一度もした事ないんですけどどういう事なの?

 気配とかいうレベル超え過ぎて未だに習得出来ないし。

 

 まぁその人カミュって言うんだけど。

 

「お前がそこまで言うなんてよっぽどスゲェ奴なんだな。是非ともお目にかかりたいもんだぜ」

「そ……そうだね」

 

 思い出してたらそんな事言ってくるもんだから普通に面白くて笑ってしまった。いや君張本人だから。むしろ聞きたいのはこっちだから。

 さり気なく自分の事「スゲェ奴」呼ばわりしてるのも面白過ぎて無理。いやまぁ本当に凄い人だけども。

 

「⋯⋯だがやっぱり分からねぇ」

「何が?」

 

 内心未だに笑いながらも何とか平静を装って聞くと、再度腕を組み直したカミュがゆっくりと顔をこちらに向ける。何やら不満があるらしい。

 

「お前が俺に奴との話を聞かせた意味だよ。仮に存在に気付いてたとして、素性も知らない盗賊なんかにあんな内容聞かせるか普通? 捕まってるとはいえ大罪犯した悪党なんだぞ? 聞かせる理由がどこにあるんだ」

「いやそんな理由とか言われても⋯⋯」

 

 そんなのカミュだからとしか言い様がないんだけど⋯⋯大体そんな事言ってくる時点でもう極悪人じゃないし。

 今時こんな最初から最後まで優しくしてくれる相棒なかなかいないよ? 正直絶対途中で裏切るんだろうなこのイケメンとか思ってたもの。

 それに関してはもう本当にすみませんでした。

 

 おまけに盗んだ理由も妹の為とかさぁ⋯⋯なにそれただの良いお兄さんじゃん。処刑される意味が分からないんだけど。

 ホメロス騙して人質とってグレイグ裏切るとかいう非人道的な事してる僕の方がよっぽど捕まるべきだからね? 加えて正体悪魔の子とかもう本当この国にとって僕の存在害でしかないな。

 

 カミュそこ良ければ変わろうか?

 

「その⋯⋯強いて言えば勘かな」

「勘?」

「うん。僕の予想が正しければ君今日ここからあれ⋯⋯その、これするでしょ?」

「なっ」

 

 一応警備兵もいるので「脱獄」という単語は出さずにジェスチャーだけで表現すると、幸いカミュにも伝わったらしい。

 反射的に上体を起こすその様子から、図星だった事が見て取れる。⋯⋯良かった。ただの推測に過ぎなかったけど、やはり計画は今日だったみたいだ。

 

 時を求めた事で生じた「ズレ」との戦いはひとまず僕の勝ちだろう。

 

「⋯⋯なぜその事を知っている?」

 

 瞬時に警戒を始めたカミュに、僕は牢屋越しにも関わらず両手を上げて降伏の意を示す。

 これまで内密にしていた筈だし、突然そんな事を言われれば警戒するのも当然だ。 僕が警備兵に告げ口をするリスクを思えば彼の反応も頷ける。

 

 ⋯⋯いやまぁそんな事したら僕も併せて終わっちゃうからしないけど。カミュに嫌われるのも普通に嫌だし。

 

「別に知ってた訳じゃないよ。そうなのかなって推測しただけ」

 

 何にせよ二人で脱獄するにあたってここでの争いはそれこそ無意味だ。何だか敵視までされてるようだし、ひとまず論破に徹するとしよう。

 

「はっ、それまた随分とピンポイントな予想だな。推測なんてレベルじゃねぇぞ」

「でも結果的にはそうなってるでしょ? 実際グレイグがいなくなればその時は⋯⋯とか話聞きながら思ってたんじゃない?」

「っ⋯⋯!」

「やっぱり。だからこそ君にも聞いて貰ったんだよ。勘が当たれば僕だって同じ目的なんだし、手の内は晒した方がお互い何かと便利だからね」

「は⋯⋯? い、いやちょっと待て! 同じ目的だと?」

「そうだよ。何なら初めからそのつもりで──待った」

 

 そして畳み掛けるようにしてカミュに自分の意見を述べていれば、不意にこちらへ近づく気配を感じた。

 静かにするよう手のひらで向かいにジェスチャーを飛ばし、それから極力小声で情報を伝える。

 

「⋯⋯一人こっちに向かってきてる。他にも気配が増えてきてるし、きっとグレイグが王様に話をつけてデルカダールを出て行ったんだ」

 

 時期にやって来るその一人とも今はそれなりに距離があるけど、辿り着くのも時間の問題だろう。

 何ならここまで誰も来ていないのがむしろ奇跡と言ってもいい。

 

 いやほんと警備兵しっかりしてくれ。いやそれはそれで困るけども。

 

「⋯⋯なるほどな。これもお前の推測通りってワケか」

 

 集中していると少し皮肉めいたような言い方をされて、僕は目線を先の廊下からカミュに移す。

 どうやら途中で話を遮っただけになかなか煮え切らないらしい。

 

 悪い事をしたと一人反省を続けていれば、すぐ様カミュから大きなため息が聞こえてきて。

 ガサガサとフード越しに頭をかいて立ち上がる姿に、不思議とどこか懐かしさを覚える。

 

「全く、今日はワケの分からねぇ事ばっかりだな。オマケに例の『勇者サマ』とやらは随分変わった奴みてぇだし」

「うっ⋯⋯」

 

 その言葉今の僕には大変刺さるんだけど⋯⋯! 

 もうそれ褒められてないってグレイグ辺りで察してるからね? 馬鹿と天才が紙一重なように変と良い奴もまた紙一重なんだよ?

 絶対君ら前者で使ってるじゃんもう勘弁して。

 

「その⋯⋯」

 

 しばらく返しに悩んでいると、カミュの口元が僅かに緩み、両手が腰に添えられる。

 

「全部説明してくれんだろ? 何にしろこのままじゃ二人仲良くお終いだからな。その推測とやらを含め聞きたい事もまだあるし、ひとまずお前の提案に乗ってやるよ」

「カ⋯⋯っんしゃします! ありがとう!」

「おいなんだ今の間は」

「いやその嬉しすぎてちょっと⋯⋯」

 

 危ない危ない。喜びのあまりつい口が滑ってカミュの名前地下牢いっぱいに叫ぶとこだった。

 流石に聞いてもいない名前を呼ぶとか犯罪の匂いがプンプンしますし。

 

 カミュもカミュで名乗らないのは警戒心の現れなんだろう。今更だけどこれで信用出来ないとか言われて一人で穴に飛び込まれたら僕もう百パー終わってたよね。カミュがいい人で本当に良かった。

 

「とにかく、君がいるなら百人力だ。僕の事は好きなように使ってくれて構わないから、基本自由に動いて欲しい。もちろんその都度情報は伝える。必ず上手くやってみせるよ」

 

 そして二人でここから出よう。

 ニヤリと笑みを浮かべた僕に、カミュは数秒俯いた後、合わせるようにして口角を上げる。

 

「⋯⋯分かった。よろしく頼むぜ」

 

 ──相棒。

 

 彼から呼ばれたその一言に、僕は嬉しさからただ下唇を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからカミュが過去の通り気絶させた警備兵から鍵を奪い、お互い牢屋を出る事数分。

 

「これで全員か?」

「うん、とりあえずはね」

 

 華麗な手さばきで三人目となる警備兵を倒したカミュに近寄り、既に気絶させた他の二人も併せて計三人ロープで縛り上げる。

 

 鞄も武器もカミュが早々に見つけれてくれたし、これで装備は万全だ。中身が一切減っていないのも運が良かったとしか言い様がない。

 ⋯⋯ってだからそれでも国の兵士か。

 

 その辺の宝よりよっぽど高額な武器入ってるからね? 魔王の剣とかマジなやつだし。

 なんでその辺ポンコツなんだろう⋯⋯。

 

「とりあえず、って事はまだ近くにいるのか?」

「いや。地下にいたのは三人だけど、それだと流石に少ないからね。グレイグもまだそう遠くには行ってないだろうし、途中で報告されない為にも可能な限りはここで凌ぎたい」

 

 それに勇者と盗賊の処刑となれば、少なくとも後二人⋯⋯いや三人は警備の補充が来る筈だ。

 変に気付かれて騒がれるよりは五、六人纏めて眠らせた方がよっぽどバレずに動けるだろう。

 

「俺もその案に賛成だ。動く上で敵は少ないに越したことはないしな」

「うん」

 

 カミュも異論は無かったようで、案外すぐに納得してくれた。正直もっと敵視されると思っていたけど、彼なりに上手く割り切ってくれたらしい。

 

 内心で彼に感謝をしつつ縛った兵士にホイミをかけると、服に付着した汚れを払い終えたらしいカミュが僕の隣まで歩み寄る。

 僕の手元が気になったみたいだ。

 

「お前回復呪文まで使えるのか⋯⋯」

「まぁ気付いたらいつの間にかね。君もどこかに怪我とかしてない? 僕で良ければ治すけど」

「いや、現状特にはないな。こいつらもそこまで強くねぇし」

「君が手慣れすぎてるんだよ。あんまり簡単に気絶させるから見てて何度も感動したし」

 

 盗むと峰打ちはカミュの専売特許だもんね。

 いや峰打ちが専売特許って言うのも普通にどうかとは思うけど。すぐ短剣に毒とか混ぜるし。

 

「どこに感動してんだよお前は⋯⋯まぁ誰かさんが隣で騒いでくれたおかげだけどな」

「いやー、別に騒いだつもりは無かったんだけど⋯⋯彼らが勝手に怯えただけで」

「にしてはすげぇビビりようだったぞ? お前一体こいつらに何したんだよ」

「それはまぁ⋯⋯秘密?」

「うわ⋯⋯」

 

 言ったらカミュにドン引きされた。いやそんなそこまで外道な事した訳では無いよ。ただ人質とって兵士殴ってその上ちょっと火傷させただけだし。

 いやもう本気でごめんなさい。

 

 ちゃんとホイミかけてラリホーして周りに「ゆめみの花」沢山添えてあげるからね⋯⋯。どうか安らかにお眠り下さい⋯⋯って意味違うか。

 

「まぁとりあえずはこれでよしっと」

 

 一人残らずラリホーマが効いた事をよく確認してから、地面についてた片膝を離す。

 見ていたカミュからは「よくやるぜ」なんて呆れたように言われたけれど、見守ってくれた君も十分お人好しだと思うよ。優しさ滲み出ちゃってるし。

 

「しかしお前、こうして見ると本当に勇者っぽく無いよな」

「…………」

 

 なんて思ったら突然理不尽にディスられたので若干ちょっと傷つきました。

 話の流れガン無視かよ。

 

「い、一応聞くけど主にどの辺が?」

「いやどの辺も何も全体的に。何なら村人の方がしっくりくるぜ?」

「何その推測ご名答過ぎて怖いんだけど」

 

 僕よりよっぽど優秀ですやん前職占い師でもしてたの? グレイグとの話を聞いてたとはいえ、そこまで的確に当ててくるとは⋯⋯。

 

「大体勇者っぽいってなにさ⋯⋯十六歳でそんな雰囲気どう放てと」

「やっぱり『勇者』は嘘だったのか」

「いや嘘じゃないけど!? ちゃんと紋章だってあるしこれでも列記とした勇者だから!」

 

 というか何その「やっぱ」って。さり気なく僕の事疑ってたの? 流石にそこまで外道を極めちゃいないんだけど。

 いやまぁ「グレイグを裏切って脱獄」とかいう外道オブ外道なスケジュールを控えた人間が言えた事じゃないけどね? 好感度はもう捨てました。

 

「でもお前ご名答って言っただろ?」

「それは見た目の話だよ⋯⋯君の言う通り三日前まではただの村人だったからね。最近急にジョブチェンジさせられたんだ。使命があるとか何とか言われて」

「お、おお⋯⋯それは災難だった⋯⋯のか?」

「まぁどう見たって幸運ではないね」

 

 ご覧の通り収監されたし。

 分かる? 急に「勇者だから」とか言われて村追い出される僕の気持ち。それでいざデルカダールに来たら悪魔の子呼ばわりでコレですよ。もう全然意味が分かんない。

 自分で自分に同情するんだけど。

 

「な、なんか悪かったな⋯⋯」

「いいよ。そんな全然、気にしてないし⋯⋯」

 

 ただちょっと心のHPが激しく消耗しただけですから⋯⋯なんでホイミって傷は治せるのに精神までは癒せないんだろうね。人って本当に奥が深い。

 

 ⋯⋯うわ、また新たな哲学を生み出しちゃったよ。これはもう将来学者になるしかないな。

 旅が終わったら自己啓発本とか出しちゃお。

 

「そういやずっと気になってたんだが⋯⋯お前一体何をやらかしたんだ? こんな地下まで連れてこられて、罪状までは話してなかっただろ?」

「あー⋯⋯」

 

 自分で自分を慰めていると不意にカミュから質問をされて、ある意味吹っ切れた僕は事の発端を思い出しつつ、けどその内容に眉を顰める。

 

「それがさ、僕がここにいるのって『勇者』だかららしいよ」

「は? なんだって?」

「なんか『光』と『闇』は表裏一体だから、勇者は一周まわって災いを呼ぶ『悪魔の子』って事になるんだってさ。だから僕の存在が世界に不幸を招かない為にもこうして地下に捉えておくんだと。いやもう全然意味分かんないよね」

「あ、ああ⋯⋯確かにそいつは分からねぇな」

「でしょ?」

 

 何なら自分でも何言ってるのか分かんないもの。

 ましてやそれを言ってる奴が災いそのものなんだからもう呆れて笑うしかない。

 

 御先祖様に言いつけてやる!

 

「だがいくらなんでもそれは流石に⋯⋯なんかもっと他に思い当たるような事はないのか? 宝を盗んだとか人を殺めたとか」

「それが一切無いんだよね。なんならここに来てまだ二日だし」

「ならこの二日間何してたんだよ?」

「何って⋯⋯えっと買い物して屋根から降りられなくなった猫を助けたでしょ? それから兵士に怪我させられた商人を介抱して盗賊を捕まえて何故かホメロスに気に入られてそれで気付いたらなんかここに⋯⋯って、え?」

 

 いや待って自分で言ってて大変悲しくなったんだけど。指を折る度ただただ良い事しかしていないのですが。

 

 うわ、これは敵側完全にやってるな。理不尽過ぎて今すぐ玉座にギガデインしたいんだけど。この際デルカダール王とか後でザオリクかければよくない? いや老体に雷は流石にダメか。

 

 それにしても酷すぎてさっきからため息が止まりません。カミュの同情の視線も痛いし。

 

「お、恐ろしく何も悪い事してないな⋯⋯むしろ善行しまくりじゃねぇか。なんでお前ここにいるんだよ」

「いやもうほんとに僕が聞きたい。なんで僕ここにいるの? 僕なんかした?」

「まさに今それを聞いてるんだが⋯⋯」

 

 気まずそうなカミュの態度に更に精神が抉られる。

 カミュも悪い事したら捕まっちゃうからね、君も本当に気を付けなよ⋯⋯あぁもうとっくに捕まってるのか。ごめん。

 

「⋯⋯また前から兵士が二人ほど来ます。片方任せてもよろしいでしょうか」

「あ、ああ。任せときな。丁度カンが戻ってきた所だ、さっさと片付けちまおうぜ」

「了解⋯⋯それじゃ手筈通りよろしく」

「おう⋯⋯まぁなんだ。そう気落ちすんなよ」

「ありがとう⋯⋯」

 

 共闘の有り難さに楽だなぁなんて感謝をしながら、僕は相棒に慰められると降りてくる敵の迎撃準備に入ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現れた兵士を倒し、再度ロープで縛り上げた後。

 

「それで? これからどうするつもりだ?」

 

 纏めた兵士を一部屋に運び、寝ている事を確認していると後ろのカミュに声をかけられた。

 追加の兵士はこれ以上待つとキリが無いので、まぁ言わずもがな脱獄に関する話だろう。

 

「やっぱり正面突破かな⋯⋯元々出口は一つしかないし」

 

 一応考える素振りを見せつつ、とりあえず今適当に考えた「ガンガン行こうぜ〜正面突破編〜」の意志を伝える。

 そんな僕を見て「要は考えてないんだな」なんて呆れながらにカミュは言うけど、何を隠そうその通りなので弁明の余地はありません。

 君の掘った抜け穴だけが今の僕には頼りです。

 

 それに言うなれば僕にとってはカミュとの合流が目的だからね。脱獄出来るならこの際内容はどうでもいいし、最悪はゴリ押しで何とでもするからどっちにしたって結果オーライ。

 

 なんて言う僕の思考は彼にもそれなりに伝わったようで、ジト目で僕を数秒睨むとそれからため息を吐いて背を向ける。

 

「⋯⋯付いてきな」

「あ、はい」

 

 どうやら抜け穴まで連れて行ってくれるらしい。

 言われるがままに彼の後ろを付いて歩けば、道中思い出したように話題を振られた。

 

「⋯⋯ふと考えてみたんだが、お前将軍とあんな約束交わしたくせに脱獄しちまって本当にいいのか? 自分から牢屋に入ってただろ?」

「あー⋯⋯まぁ多分何とかなるよ。グレイグには悪いけど信じてくれて助かったよね。もっと演技の腕を磨いておかないと」

「⋯⋯本当お前時々勇者とは思えない手段使うよな」

「こればっかりは成り行きですし」

 

 どうせ僕は悪魔の子だからね。⋯⋯いや待てよ? 悪魔の子って順番を変えたら「小悪魔」にならない⋯⋯? これは新しい発見だ。

 今後のポジションはこれで行こう。

 

「俺の記憶が正しけりゃ『僕グレイグには嘘つかない』とまで言ってたぞ? 早速嘘ついちまっていいのかよ?」

「そんな事よく覚えてたね⋯⋯それに関してはホメロスが村を襲うだろうって事に対する意味だから大丈夫。別に脱獄しないとは言ってないし」

「おいおいとんでもねぇ屁理屈だな。グレイグが聞いたら間違いなくキレるぞ?」

「君がみすみす殺されるよりマシさ」

「お前はまた恥ずかしげもなくそういう事を⋯⋯」

 

 特に考える素振りを見せずに思った事を素直に言うと、丁度カミュが自身の収監されていた部屋の前で足を止める。

 

 言葉にこそしては来ないものの、敢えて聞かせた理由と言い今の僕の発言と言い「どうしてそこまで」と言わんばかりの眼差しだ。

 どうやら理由を述べないとこれより先には進ませてくれないらしい。

 

「……そりゃまぁ僕だって人間だし、酷い事してる自覚もあるよ。それこそ悪魔って言われても仕方がないと思うくらいにはね」

「なら⋯⋯」

 

 お前だけでも引き返せ、無理に出ていく必要は無い。そうカミュは言おうとしてくれるんだろう。

 そんな相棒の気遣いを蹴って、遮るように言葉を被せる。

 

「でも、それでも僕は『勇者』だからさ。確かに冤罪かもしれないけど、救いたい命が沢山あるんだ。こんな所でのんびりなんてしてられないよ。目の前に死刑宣告された人がいるなら尚更ね」

「っ、お前⋯⋯」

「それにさ、英雄一人騙すだけで百人の命が救えるんならこの際安いと思わない? 追ってくるならそれこそ上等、『勇者』が生まれた理由を探して証明するまで逃げ切るだけさ」

 

 悪い事なんて実際なんにもしてないからね。

 そう胸を張って言い切ってみせれば、目の前の盗賊の心に少なからず響いたらしい。

 

「⋯⋯ははっ、お前なかなか最高だな!」

 

 楽しそうに笑い声を上げると、カミュは納得したように腕を組みながら牢屋の格子に体重を預けた。

 

「証明するまで逃げ切る⋯⋯か。確かにお前の言う通りだ。気に入ったぜその覚悟」

「あ、ありがとう?」

「ああ。にしても流石はあのホメロスに嘘をつくようなヤツだけあるな。警備兵まで噂してたぞ? ホメロスに言い寄ってる命知らずのバカがいるって」

「待ってその話題僕にはきつい」

 

 頼むから認めるか精神削りに来るかどっちかにしてくれない? ホメロスとかいう単語のせいで一気にテンション下がったんだけど。

 

 あと参考までにその「命知らずのバカ」って言った兵士誰か教えて貰ってもいい? いやただ気になっただけですって、ホントホント。

 

 その顔覚えて悪い噂を街全体に垂れ流そうとかそんなの一切思ってない。

 

「⋯⋯っと、悪い。余計な時間使わせちまったな。見せたいものはこの先だ」

 

 それから牢屋に入ったカミュに続いて僕もその背を追いかけてみれば、覆い被された藁の下、隠されてるのはやはりというかあの抜け穴で。

 

「ずっとこの穴を掘っていたんだ。今日脱獄しようと思ったが、そんな日にまさかお前が来るとはな⋯⋯」

「⋯⋯」

 

 感慨深そうなカミュの声音に、僕も真剣な顔付きで彼を見据える。

 監視の目が緩んでいたとはいえ、この日の為にかけた時間と努力はきっと相当なものだっただろう。

 

「どうやらあの予言通り俺はイレブン⋯⋯お前を助ける運命にあるらしいな」

「──っ!」

 

 彼に言われた言葉が響き、その衝撃から目を見張る。やっとカミュが僕の名前を⋯⋯! 

 いやもう嬉しさで泣きそうなんだけど。正直あんまり「お前」呼びしてくるもんだから僕の名前呼びたくないのかと思ってた。

 これは完全に記念日ですね。誰かお赤飯炊いてください。

 

 まぁその一方でカミュは未だに自分の名前教えてくれないけども。

 おかげで「ギリギリまで正体を明かしたくないカミュ」VS「何度もカミュって呼びそうになる僕」の戦いが延々と行われていてただただ辛い。

 

「そう簡単には行かねぇだろうが、絶対二人で抜け出してやろうぜ!」

「⋯⋯うん! もちろん!」

「よし! さぁ、お前から先に行け!」

「うん! ありが」

「──と、言いたい所だが」

「ッドゥア!」

「あ、悪い」

「…………」

 

 こんなタチの悪い区切り方をされるだなんて、もう僕嫌われてるんじゃないだろうか。普通そんな所で区切ったりする? 行く気満々過ぎて勢い余って転んじゃったよ? 魔物みたいな声出たし。

 

「な、何⋯⋯」

「その⋯⋯お前が言ってた宝ってなんだ?」

「は?」

「いや、時間が無いのは分かってるんだが⋯⋯やっぱり盗賊としてはどうしても気になるだろ?」

「いや知らないけども」

 

 僕盗賊じゃないですし。

 今じゃないだろと視線でカミュに訴えてやれば、彼もそれは分かっているようで申し訳なさそうに頬を掻く⋯⋯からと言って引き下がる訳ではないらしい。

 いやそこは下がれよ。

 

「頼む相棒! 金銀財宝よりも貴重だって言う非常に価値の高いお宝、一体それが何なのか俺に教えてくれ!」

「え、えぇ⋯⋯?」

 

 見上げる形になった事で、カミュの期待するような視線が僕に目掛けて降りかかる。参ったな⋯⋯。

 僕自身言うのは構わないけれど、正直この流れで披露するには色々と失うものが大きい気がしなくもない。

 ましてや相手がカミュな訳だし。

 

「⋯⋯教えてあげてもいいんだけどさ、この先掘り返さないって約束する?」

「ああ、当然だ。お前の大事にしてるもんだからな。そう易々と他言はしねぇよ」

「いやまぁそういう意味じゃないんだけど⋯⋯」

 

 まぁ何にせよひとまず言質は取れたし、時間も無いのでここは正直に話しておくか。

 

「まぁいいよ。別に言っても減るもんじゃないし」

「本当か!」

「うん」

 

 僕が了承した事により更に瞳を輝かせるカミュ。こんな表情の彼を見るのは以前にオリハルコンを見つけた時以来だ。勇者の大事なお宝と聞いて余程の期待をしているらしい。

 

 ⋯⋯とはいえ文句を言われそうなので、ここはやっぱり言い逃げが吉だ。十中八九面倒そうだし。

 

「一回しか言わないからちゃんと聞いてね」

 

 敢えて焦らすとカミュがゴクリと喉を鳴らして、僕の言葉を聞き逃すまいと目を見て静かに耳を澄ませる。

 夢見る少年の野心の為にも、雰囲気くらいは合わせてあげよう。

 

「僕の隠したそのお宝はね⋯⋯」

「お宝は⋯⋯」

「この世で一番貴重とされる⋯⋯」

「貴重とされる⋯⋯?」

「──ムフフ本だって聞かされてるよ」

「は⋯⋯⋯⋯?」

「それじゃお先に」

 

 そこまで言って、僕はカミュから視線を外すと穴に颯爽と飛び込んだ。

 

 上から何やら聞こえるけれど、まぁ数秒も待てば向こうも来るので今は聞こえない振りをしておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──飛び込む間際に見た相棒の顔は、今まで見た中で一番とも言える呆然としたようなアホ面だった。



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