呪術廻戦 and U (KEiC)
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1.生後~小学三年生(4/23改訂)

 意識が浮上して、私は目を開ける。

 視界に映ったのは見慣れた白い天井ではなく、そもそも視界自体霞んでいてよく見えない。光が異常に眩しく感じる。

 すぐに瞼を閉じて、瞳を突き刺す光量に耐えた。ボワンボワンと周囲からの音が耳に届く。異常事態に周囲の様子を探ろうにも、四肢も満足に動かせない。

 これはいよいよ本格的に詰んだか——と諦めの境地に立ったところで。

 私は思いっきり尻を叩かれて思わず鳴いた。

 

「おぎゃあっ!!」

 

 ……はい?

 

 

 ◆

 

 

 私はオラクル船団に所属するアークス。その集団に二人しかいない役職、守護輝士(ガーディアン)のうちの一人だった。

 可愛い相方のマトイと切磋琢磨しながら宇宙を渡り、宇宙を脅かすダーカーの殲滅や様々な惑星に住まう原生住民との交流をしながら、日々楽しく任務に明け暮れていたはずだ。

 

 はずなのに……。

 

 結論から言おう、私はどうやら人間(ヒューマン)に生まれ変わったらしい。

 この状態になるまでの記憶などなく、気がついたら冒頭の状況になっていた。

 最初は記憶を移植する緊急事態にでもなったのか、手違いで生体パーツ開発のモルモットにされているのか、はたまた頭のおかしいマッドサイエンティストの冒涜的な研究の材料にされているのかと思ったが(二番目と三番目に大して違いがないな)、どうやらどれにも当てはまっていなかったらしい。

 

 生まれたばかりの未熟な感覚ながらも周囲から必死に得た情報でここは地球だと判明した。ただし、マザーやPSO2、ヒツギ達が存在していない別の世界線のようだが。

 生後数ヶ月でそれを断言できるほどの情報収集ができたのはなぜか。

 それは単に私がいろんな大人の手に渡り、いろんな施設をたらい回しにされたからだ。

 

 はい。私、実の両親に気味悪がられて捨てられました。

 

 道端ポイではなく、児童養護施設に預けられたのは良いものの、どこにも馴染めないので大人達にあっちこっちにたらい回しで荷物のごとく運送されています。

 

 言葉もしゃべれない赤子なのに馴染めないなら、それは中身が問題なのではなく外見の問題になる。

 どうやら私はアークス時代の記憶だけではなく、当時の容姿までも引きずって生まれてしまったらしいのだ。

 外国人の先祖も持たない東洋人の両親から生まれたとは思えないような、似ても似つかぬ赤子は夫婦仲の破綻原因になるだけでなく、さぞや不気味だっただろう。

 

 まず肌。雪のように薄い色素はまるで石膏ようになめらかで、いっそ血が通っているか怪しいほど血色がない。まさにキャストパーツの生体部品のよう!

 次に眼。生まれてから瞼が完全に開くまで誰も気付いていなかったが、どうやらカーマイン色らしい。

 最後の記憶が正しければ、終の女神シバの瞳を模したシバアイなるものに眼球をカスタマイズしていたので、もしかしたら瞳孔が白い異形の眼になっているかも……。

 とはいえ、私の記憶の中にある地球人はヒツギやコオリ、一連の戦いで出会った者たちくらいで、彼らも随分と色鮮やかな虹彩をしていた気がするのだが……。

 鏡がないのでまだ自分では確認出来ていないが、この様子だとまだ産毛しかないだろう髪の毛も象牙色のような白髪にカーマイン色が混じっているのだろう。

 

 アークスのエステを侮ることなかれ。髪色どころか、肌色顔の造形、骨格さえも瞬時にカスタマイズできる技術である。

 生身の肉体を持つ者でさえ凄まじい自由度で容姿を変えられるのだ。キャスト種族であった私はなおさら限度がない。

 日々発売される可愛い戦闘服を着こなすために、表面上は生身と変わらない姿で過ごしていた。なかなかに美少女をしていたと思う。

 故に容姿を引き継いだ今世も輝くような美貌の赤子のはずなのだが……。

 

 なんで誰も私の世話をまともにしないんだ!!

 

 あまりに放置されるので、本当の赤子よろしく、腹が減れば泣き、オムツを替えて欲しければ泣き、とにかくなにかしてもらいたい時は泣き、を繰り返した。

 ギャン泣きしたことで最低限の世話はされるものの、逆に必要ない時以外は泣かない赤子はそれはそれで恐ろしいらしい。それを知ったのは走り回れるようになって大人の影口を盗み聞きしてしまった時だった。

 

 解せぬ。

 

 

 ◆

 

 

 私が生まれ落ちた国、日本は義務教育と言って子供が一定の年頃になったら学校で勉学を習うらしい。

 とはいえ、純粋な子供でもない私は歩き回れるようになって早々、独学で勉強を進めて文字を読めるようにした。短い足でせっせと日々図書館に通い、知識を集める。

 そうして知ったのは、私が日本の都市である東京都の郊外に住んでいること、そしてヒツギたちが生きている時代よりも数十年単位で早く生まれていたことだった。

 彼女たちは生まれてさえいない。私がいるこの世界線でも生まれるかも不明だが、いつか探し出して会いに行ってみるのも一興か。

 

 と、集中して読書している私の視界の隅で、不可解な生き物が蠢いた。

 うんざりとした気持ちでそちらを見やる。奇妙な羽を背中に生やした、なんとも不気味な形をした小さな化物がいた。

 私が見ていることに気が付いたのか、それと目があった瞬間、ビュンと顔面を狙って跳んでくる。私が容赦なく机に叩きつけると、手に伝わる潰れた感触とともに血と肉片が飛び散った。

 

「……ちっ」

 

 自分でやっておいて最悪な気分である。

 この化物はダーカーのようにすぐに消えないくせに、ダーカーのような不穏な気配がする。

 見れるからには触れるようなのでこうして叩き潰すことも可能だが、虫のようななりの割には血肉があるので片付けが面倒だ。

 肉片をできるだけかき集めて置いてあるゴミ箱に入れ、持参したハンカチで手と汚れた本を(ぬぐ)い、机もざっと拭く。

 おかげで読書をする気分ではなくなったので、少し汚れが染み付いたままの本を本棚に戻した。

 実に適当な後処理だがこの化物は私にしか見えないので、見るからに生々しい肉片が捨てられていようが、多少机に血糊が残っていようが誰にも気付かれやしない。

 時間は少しかかるが死んだ化物の体は最終的に消えるのも確認しているし、あの本の染みもそのうち消えるだろう。

 流石に気持ちわるいので手は洗うが。

 

 時計を見やればそろそろ施設の門限が近い。子供の足で歩けば確実に間に合わないだろう。

 今日は少し急ぐか。

 図書館の外に出て人通りのない裏路地に入る。

 前世のフォトンを扱う感覚で体にエネルギーを巡り渡らせて、身体強化をして走り出した。人間離れした速度で駆け抜け、時には障害物を飛び越える。

 もっと暗くなれば屋根の上を走れるので直線で帰れるのだが、いくら都市郊外とはいえ薄暗いうちは人目がある。これ以上一般から逸脱されたところを目撃されたら今いる施設も追い出されかねない。

 

 この世にエーテルもフォトンも、ましてやダーカー因子も感じられないのに(単に人間の私が探知できないだけかもしれないが)、不思議なことにフォトンと同じように扱える力が存在していた。

 その力の元となるものは、大概どこにもある不穏なドロドロした無形の何かで、私はそれをダーカー因子のように取り込んで中和する力を持っているようだった。

 ただ中和するだけなら空気清浄機に徹するしかないのだが、この体には別の能力も備わっていたらしい。

 中和した謎のドロドロを、私が扱いやすい謎の力に変換する、という謎しかない能力だ。

 

 変換したあとのエネルギーはフォトンとほとんど同じ扱いができるのに、フォトンともエーテルとも違う力。

 フォトンが無味のミネラルウォーター、エーテルが幻想みたいな甘い味のジュースとするなら、この謎の力は少し刺激的な炭酸水みたいだ。

 味は違うけど全部液体だから扱い方は同じ感覚。

 炭酸だから一度に大量に使おうとすると微妙に酷い目に合うけどな!

 具体的には頭がちょっと痛くなる。試しにしばらく我慢して使い続けたら鼻血出たし。脳が炭酸の刺激で処理落ちしているのだろうか?

 

 ちなみに、ダーカー因子はカビみたいに舞い散る霧っぽくて、この世界に漂うドロドロは泥水みたいと思っている。

 それを私というフィルターを通して綺麗にして、残った液体である炭酸水エネルギー(仮)を操ってアークス時代と同じ動作を再現できているようだ。

 余談だが、アークスが各自のフォトンカラーを持つように、私の操る炭酸水エネルギー(仮)は指向性を持たせて活性化させるとカーマイン色に発光するようだ。

 理解できなくて良いぞ、私は感覚派だからな。

 

 先ほど殺した虫の化物もそんなドロドロの泥水が自然に固まって出来た泥人形のようなものなのだが、こいつらは放っておけばどんどん成長して人を襲うようになる。

 確かにそこに存在しているのに、知覚できない人間は簡単に餌食になってしまう。

 まぁ、普通に生活していれば遭遇するのは先ほどのほとんど無害な小物ばかりだし、見ていると気付かれなければ襲っても来ない。

 

(人間を積極的に襲う大物が出るとすれば……)

 

 随分と人通りが少ない道を選んでいると空家が多い区画に入った。その中で一段と古めかしい一つの廃墟ビルがある。三階程度のそれは特に大きくもないが長年放置されているのか老朽化が進んでいるようだ。

 敷地の前を通るついでに中を覗き見る。

 

(……ああ、居た)

 

 ビルの入口、かろうじて建物の中に収まっているが、じっと外を見つめる異形。二本足で立ってはいるものの決して人間にあらず。

 じっと観察すれば、見られていると気付いたそれは、あっさりと入口をすり抜けてこちらに走り出した。ギョロギョロと体中にある無数の目を見開き、子供など一呑みできそうな巨大な口から涎を撒き散らかしている。聞くに耐えない謎の叫声にピクリと顔が歪みそうになるのを制して、掌をそれに向ける。

 巨口が後僅かで指先に食らいつく、その寸前——発射された気弾が直撃し、異形は吹き飛んだ。

 

「む、これでは殺しきれないか」

 

 アークスのクラス・ヒーローが扱う、エネルギー消耗が限りなく零の初歩的な攻撃法。

 連続で五連射された気弾を十分に引きつけた上で体内に直接叩き込んだのに、流石にこれだけ強い個体はこの程度では倒せないようだ。

 前世ならいざ知らず、この体はまだまだ弱い。炭酸系エネルギー(仮)はフォトンと同じように扱うにはまだ調整と研究が必要であるし、何より一種の増幅器である武器もないのでは大した威力が出ないのも仕方がないか。

 

 ピクピクと痙攣しているソレに近付きながら、今度は気弾をすぐに放たず、掌に数秒留めてチャージする。今の練度では二段階チャージは厳しいようだ。

 仕方がないのでもう片手にも気弾をチャージして同時に発射した。

 これだけ近い的に外すはずもなく直撃、衝撃で肉片があたりに撒き散らかされる。

 それらをげんなりした気分で避けた。

 なんでこいつらの散り際は尽くこんなに汚いんだ……もっとダーカーのように跡形もなく消え失せれば良いものを。

 

「いや、出来るんじゃないか……?」

 

 こいつらは泥人形だ。泥水を中和出来る私なら、泥人形そのものを中和すれば良いのでは?

 物は試しだ。日本のことわざにも思い立ったが吉日ってのがある。早速やってみようではないか。

 

 手始めに小さめの肉片に触れてみる。中和するつもりでいると、少しずつその体積が削れていく。

 

(ビンゴ!)

 

 さすがに泥水のように簡単とはいかないが、練習すれば同じ速度で中和できそうだ。泥水と同じように炭酸水エネルギー(仮)にも変換できたし。

 回復速度としては前世のフォトンが自然回復する速度と同じくらいか。

 私の体が保有できる最大上限が低いので、溢れる分は泥水を中和するだけになるが、まばらに点在する泥水の溜まり場を探し回って補給するよりよっぽど効率が良い。

 思ったよりこの方法ってば画期的ではないか?

 汚物は処理できるし、私も炭酸水エネルギー(仮)を回復できる。

 おお、良いね!

 これで思う存分鍛錬できるし、エネルギー切れはすぐに補給できて効率も上がるし、私が強くなればもっと強靭な化物を早く多く殺せる。それも補給源にしてここに無限ループの出来上がり! 修行が捗るね!

 そうやって私が化物の抑止力になれば、襲われる人間も減るはずだ。

 

「フフ……あの子じゃないけど、私も随分とヒーローっぽいことを考える」

 

 脳裏で元気な少女が、恐縮です! と敬礼する姿を思い描いていると、気が付けば異形の体はすべて中和し終わっていた。気付かぬ間に集中していたらしい。

 

 その時、夕焼けチャイムが鳴る。童謡のメロディーとともに子供の帰宅を促す放送をする、例のアレだ。

 

「あ……」

 

 私、何のためにこんな人気の少ない場所をわざわざ選んで走り抜けていた?

 答え、門限を守るためさ。

 

「これは……間に合わないと今夜は夕飯抜き、かなあ」

 

 軽く泣きたい気持ちになりながら、さらに面倒な事態を避けるために急ぎ足で帰るのだった。

 

 

 ◆

 

 

 泥人形(ばけもの)を見つければ狩ったり一部の力を削って弱体化させる。狩り尽くせばエネルギー原が消滅するので適度に残し、生かさず殺さずのさじ加減で。

 修行は順調だ。何せ前世の自分(最強のアークス)という完成形が見えているし、訓練方法も持っている。

 バックアップしてくれる組織も共に歩む仲間もいないが、この戦争もない平和な国で、持て余している闘争本能と磨き上げた武力を遠慮なくぶつけられる獲物がいるだけ幸運だろう。

 

 そんな私は数年前から小学生を元気にやっている。

 今年で小学三年生。まだまだ小柄な体。相変わらずの陶器のように白い肌。

 象牙色の髪も伸びて今では背中で揺れるほどの長さになっていた。

 瞳を隠せるように前髪は少し長めに切り揃えている。思いがけずテリザヘアーに近くなった。

 私の眼は結局バッチリとシバアイだったが、常時発光まではしていなかった。ただ、力を使用するとやはり光ってしまうが。

 

 今日はどこの廃墟を巡ろうか。

 泥水が溜まりやすい場所、化物が集いやすいスポットというのはだいたい決まっており、この近所は網羅している自信がある。

 あとは化物が強くなりすぎないように定期的に回って、適当にやつらの力を削いだり、増えすぎたら狩ったりしている。

 そのせいなのか、近頃奴らは私が現れると逃げ始めるので、隠れんぼよろしく一匹ずつ探さなければならない事態になってしまった。

 感知はできるが、探し出す手間が面倒なのも事実。目が合えば襲いかかってくる習性じゃなかったのか、全く。

 

 河原近くに伸びる道を歩きながら今日の予定を組んでいると、足元に結構な勢いで小石が飛んできた。

 アスファルトにあたって、大きく跳ねた上がったそれは何もしなければ私に顔面直球コースである。首を横に傾けることで避けると、そのまま石を投げた張本人共に顔を向けた。

 川原で数人の子供が集まって私を睨んでいる。

 

「おいっ、よけんじゃねえよ、真っ白お化け! つまんねーだろうが!!」

「「そーだそーだ!!」」

 

 大多数は男の子で、少数の女の子も混じってるが、全員いかにもやんちゃそうだ。

 何を隠そうこいつらは私の学校の生徒で、上級生も含んだなかなかの悪ガキ集団。

 社会的地位の高い親を持つ子供も幾人か混ざっているために教師も手を焼いているほど。身寄りもない社会的弱者な私への度が過ぎた嫌がらせを止める大人はいない。

 だからって私も大人しくしていないが。

 

「うっせー! クソガキども! 生えたばっかの永久歯ガタガタいわせんぞ!!」

 

 瞬く間に走り寄って、リーダーと思われる上級生の男の子に飛びつく。首に足を絡めてそのまま後ろに倒れた。

 

「うぇっ!? ちょっ、テメ、それはずるいぞ!!」

「今更泣き言いってんじゃねー、真っ白お化け舐めるなよっ!! おら、お化けパワーでお花畑が見えるだろ!!」

「ま、待ってギブギブギブっ!!」

 

 くはは、愚かなやつらめ、まだお化けなんて信じているのか。可愛い奴らよ!

 

「すっげー! 三角締めだ!! いいぞいいぞー!!」

「やれやれー!! 真っ白お化けにポテチ二袋!」

「俺三袋!!」

「テメーら見てねえで助けろ!? ぐふっ」

 

 はい、子供たちを教育するためにお灸を据えてやったところで夕焼けチャイムが鳴りましたね。結局今日は何もできずに帰るしかない。

 

「ぐっ、てめぇ、次は覚えてろよっ!!」

「誰が覚えるか、さっさとおうちに帰っとけっ!!」

 

 こいつらには暖かいご飯を作って待ってくれている家族が居るのだから。

 

 吠える負け犬どもに中指を突き立ててやって、踵を返す。

 私にはメシマズ職員が大量に作り置きしたクソまず一品料理(パーフェクトフード)を食べる義務がある。

 

 

 ◆

 

 

 夜蛾は呪骸に祓わせた呪霊の残骸を見下ろす。

 消えかけたその残片は、もとは平均的な日本人男性を余裕で上回る巨体だが、等級にすれば驚異度は三級の中の下程度。

 故に、

 

「——弱い」

 

 夜蛾のこの一言も妥当な評価である。

 だが、それではおかしいのだ。

 夜蛾がいる建物は呪いのたまりやすい条件がいくつも重なった地だ。そこらじゅうに怨念や恐怖で集まった呪力が漂っている。これだけの負の感情のたまり場なら、本来なら顕現する呪霊もこの程度では済まないはずだ。下手したら一級が出てもおかしくない。

 顎に手を当てて思考する夜蛾の感知に新たな呪霊が引っかかった。今まで影もなかったのに、新たな呪霊が生まれたのだ。

 これだけ呪力が集まっていればおかしくない現象であるが……やはり弱い。本来なら留まるすべての呪いを吸い尽くしてより強力な呪霊が発生するはずだ。

 それなのに気配から読める強さはやはり三級。

 

「……意図的に弱体化している? まさかここ(・・)もなのか?」

 

 夜蛾はこの廃墟に来る前にいくつか近場に発生していた呪霊を祓ってきた。だが、どこもここと同じく漂う呪いの濃度に見合わない弱い呪霊ばかりが発生していた。

 三級、良くて二級にならない程度の呪霊が祓っては生まれ、祓っては生まれ、それは呪霊が生まれる呪い(ざいりょう)がなくなってようやく収まった。

 気味が悪かった。まるで誰かが揃えて誂えたかのように、一定の数で、一定の強さの呪霊が発生する。意思を持つ何者かが意図的に操作しているとしか思えない。

 だがこれだけ呪霊が発生しやすいにも関わらず、この近辺は被害者が圧倒的に少ないのだ。いや、正しくは数年前から減少傾向に有り、ここ最近に至っては全くないと言って良い。

 

「呪霊を統率する存在……特級でもいるのか?」

 

 それだけの大物が発見されないまま放置されてきたのならかなり危険だ。万が一遭遇したなら流石の夜蛾とて一人では厳しいが、現時点ではあくまで可能性である。

 今回の任務は周辺の呪霊の除去、そしてこの区域の呪いによる被害者零という嬉しくも異常な事態の原因を究明すること。

 その遂行のために、夜蛾は再び呪骸に命令を出し始めた。

 

 

 ◆

 

 

「なんてことでしょう……」

 

 私の修行場が見事に荒らされていますねえ!

 それもたった三日間来られなかっただけで、管理していた化物が生まれるパワースポットが全滅! 今じゃただちょっと雰囲気があるだけの廃墟である。

 これはどう見ても人為的になされたとしか思えない。そんな形跡がある。

 好き勝手に暴れる化け物どもと違い、指向性を持った泥水の名残がそこらじゅうに。

 

「はあ……順調だったのになあ」

 

 想定していなかったわけではない。

 化物が存在し、それが人間を襲うなら、人間の中にもそれらを狩り、駆逐する存在が居てもおかしくはない。

 そうでなければこの世は化物共の好き放題に荒らされて、襲い放題の宴会し放題、化物による人間踊り食いだ。

 現に化物(こいつら)を見れる上に殺せる私なんて存在が居る。私が異例中の異例の突然変異だったとしても、他に突然変異がいないとは限らない。

 多分そいつらが泥水が適度に渦巻く修行場に勘付いたのだろう。

 

(暫くほとぼりが冷めるまでここに寄るのはやめておこう)

 

 いつかは邂逅する時が来るだろうが、それは今ではない。

 人間に仇なす化物と敵対している時点で悪ではないのだろうが、だからといって私にも敵対しないとは言い切れない。接触するにしても安全マージンを取れるように私が強くならないと。

 たまたまガキどもの相手が重なったり、別の用事で忙しくてこの場所に来られなかったのは、鉢合わせを避けるという意味ではむしろ僥倖だったか。

 生身でも化物相手には戦えるけど、それを狩る者にどこまで有効かわからない。

 ああ、本当に武器がないのは辛いなあ……。

 

「ん……?」

 

 足早に立ち去ろうとする私の足に、一匹の化物が引っ付いてきた。

 弱い弱い化物だ。昔よく叩き潰していた虫にも満たないような、(もや)そのものような。

 それは必死に私の足に縋り付いているようにも見える。よほどここに残りたくないのだ。

 

「なんだ? 助けを求める相手が違うのではないか?」

 

 私は発生する化物たちにしっかり言い含めていた。

 増えすぎず、強くなりすぎず、ここから一切出ないのなら存在を許す、と。

 果たして言葉が理解できたのか不明だが、繰り返しそう告げるうちに、一定以上泥水を孕んだ化物は生まれなくなった。

 強すぎる奴は中和して削り、多すぎて目障りになれば討ち、過剰に泥水を飲んで反抗して来た個体は念入りに骨の髄まで抹消したのも功を奏したのかもしれないが。

 だから勘違いでもしたのだろうか、弱ければ私が助けるとでも。

 

「まあ、良いだろう」

 

 今となってはこの個体くらいしかまともに残ってはいないだろう。

 またこの場に泥水が満ちるまで時間はかかる。それまでは散らばっている泥水をこれに飲ませて保管庫にすれば良いか。

 便利な道具も強力な装備もない今、役に立つものは利用しなくては。

 私はその靄を指ですくい上げると笑いながら語りかける。

 

「せいぜい私の役に立つんだよ? そうすれば存在を許してやろう」

 

 小さな靄の震えを、私は肯定として受け取った。

 

 

 



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2.小学三年生~中学三年生(4/23改訂)

 正体不明の何者かに修行場を潰されてから、私は泥水を調整したり管理しなくなった。

 泥水は基本見かけたら(もや)に吸わせて回収し、化物が自然発生しないようにしている。それでも気付かぬ内に生まれた奴らは遠慮なく殺した。

 

 成り行きで拾ってしまったが、靄は中々話が分かるやつだった。私の話にふわふわした体全体を使ってリアクションをとってくれるのだ。

 別に私は化物相手に一方的に話す異常者じゃないし、これはこの靄の育成の一環だし。

 

 泥水が何かしら特殊なエネルギーであるのは間違いない。そこから生まれた化物は強力になると時に不思議な能力を行使するのを私は確認している。

 靄は化物の中でも本当に生まれたてで、その存在の指向性も、何の化物になるのかも決まっていない素体のようなものなのだと思う。

 ならば、積極的に育成して良い能力が発現するか試してみるのも一興だろう?

 

 私が靄によく話しかけるようになった切っ掛けは、見かけた泥水を飲ませ続けて暫く、ちょっと大きくなったこいつがだんだん意思疎通を仕掛けてくるようになってからだ。

 無形の靄が身をよじりながら必死に何かを伝えようとするのが少し面白いと思ってしまった。

 

「何言ってるのか分からん。これ使えるか?」

 

 靄の肉体言語を理解できるようなコミュ力変態ではないので、五十音が書かれた紙を用意してやった。

 

『やくにたつ すてないで』

 

 戯れに渡しただけなのに、本当に意味のある単語を紡いだのは驚いだけど。

 

「殺さないでじゃなく、捨てないでなんてお前も変わった化物だな」

 

 後から判明した事だが、この靄は意志も知性もないくせに、本能だけであの日私に縋り付いてきたらしい。

 その本能には、私に殺されると判断する危機感はなかったのだろうか。

 

 靄が何に成長するかは不明だが、とりあえず今まで通り泥水を与え続けることにした。

 ちょっと前からクソガキどもの間で育成ゲームなるものが流行っているらしく、ことあるごとに私のような貧乏学生にポケットサイズの機器を自慢してくるのだ。

 ……なんて名前のゲームだったか……たまごっこ、いや、たちまっち……?

 忘れた。

 ふふふ、ゲームなどなんだ。私は実際に存在する生き物? を育成してやる。

 

「いいか、今からお前が私のマグになるんだ」

 

 伝わっているかもわからんが、靄にマグの仕組みや役割を教え、それに付随して前世の知識やアークスという組織、それらが任務中にしてくれた支援を語ってみた。

 今はもう会えないサポートパートナー(マイエンジェル)や相棒のマトイ、同期兼同僚兼友人のアフィン、そして行く先々で出会った仲間の話もした。

 いやあ、前世をこんなに披露できる相手っていなかったから話が弾む弾む。

 

『まぐ も おらくる いきたい』

「うーん、私だって帰れるなら帰りたいが……今の私はこの地球の人間の一人でしかないからねえ、向こうから私を感知して迎えに来ることもないだろうね」

 

 唯一の話し相手がよく分からん泥人形でも何でも良い、多少なりとも知性を持っているなら、私は一向に構わん!

 

 

 ◆

 

 

『1998年~1999年 靄(仮称)の育成日記』

 

 △月 ■日

 

 今日から靄の育成日記を付けることにした。

 毎日ではないが、数日おきに経過観察として記録を残す。

 

 いつまでも靄って呼ぶのも味気ないが、今はどんな形で安定するのか予想もつかないので、名前はもう少し成長してから考えてみようと思う。

 軽く冗談で言っただけなのに、これはすっかりマグになるつもりらしく、一人称が『マグ』になってしまった。細かいことはもう知らん。

 

 とりあえず、澱んだ空気を放つ建物や、人の少ない場所で見つけた泥水を餌として飲ませていこうと思う。

 

 △月 ▼日

 

 ここ数日泥水を飲ませ続けたことで靄から濃霧くらいに密度が上がったように見える。

 相変わらず吹けば飛びそうな粒子の集まりに見えるが、体の一部が欠ける様子はない。

 感じられる泥水の濃度はかなり濃くなっているはずなのに、羽の生えた虫にもならない。

 コイツはいつになったら形が安定するのだろう。

 

 ●月 ◎日

 

 いつの間にか発生していた虫を数匹捕まえた。

 原型が残るように絞めた虫を、試しに靄に近付けたら体全体で包み込んでそのまま食ってしまった。虫を形成していた泥水をそのまま取り込んだのだろうか。

 その割には全然体積が増えないな。どうなってんだこれ。

 

 ●月 △日

 

 私なりに少し考えた。この靄、核がないからいつまでもずっと靄なんじゃないか、と。

 悩んでいる素振りの私を見かねたのか、靄から物にとり憑くことができると自己申告してきた。お前な、そういうことは早く言え?

 

 どうせなら持ち歩きやすいものに憑かせたい。

 靄を連れて雑貨屋に行き、適当に装飾品を見せてやったら指輪が気に入ったようだ。

 部屋に帰って、靄の目の前に指輪を置いてあげると、するすると小さな指輪に入り込んでいった。まるっきりダーカーが侵食する時と同じに見えるんだが。

 銀色の指輪は黒く染まってしまった。

 小さめのサイズを選んだが、今の私の指ではどれもスカスカなので余っていた糸でネックレスにする。チェーン? 貧乏小学生にんなものまで買えないわ。

 

 しかし、この指輪……一個千円もしない安物とは言え子供の懐には痛い出費だ。

 仕方がない、しばらくはおやつが食べたくなったらガキ共のプロレスごっこ(あそび)相手でもしてやって、報酬としてせしめよう。

 

 □月 ☆日

 

 久しぶりに日記をつける。

 指輪に憑いてから靄にあまり変化がなかったからだ。

 際限なく泥水を飲み、虫を食い、偶発的に発生した大型も引きちぎってやれば多少大きくても呑めるようだった。

 成長しているはずなのに、指輪がなければ手のひらサイズに収まる程度の大きさしかない。

 なら、他の化物と戦えるか試すために、何度か化物の前に放り投げたけど、生きている虫にさえ苛められる始末。

 弱い。よわよわだな、本当に。

 とはいえ、必要があれば溜め込んだ靄の泥水を中和して炭酸水エネルギー(仮)にしているので全く役に立たないわけじゃないけど。

 本当にただの倉庫状態。これだけ泥水を取り込んでても弱いなら歯向かわれても余裕で殺せるから楽だけど。

 弱いのは生まれた時の宿命(さだめ)なんだろうか。

 

 □月 ★日

 

 流石に泥水を溜めすぎたのかそこらの化物よりも異常に気配が強い。何も知らない人間も指輪から不気味な気配を感じるらしいのか、大人がしきりに私が変なものを持っていないか聞いてくる。まるで呪いのアイテムみたいだな。

 仕様がないので、私の炭酸水エネルギー(仮)を固めて指輪の外側からコーディングしてみたら、気配は漏れなくなった。

 武器にフォトンを纏わせて刃を形成するイメージだったけど、意外となんとかなるものだ。やっぱり炭酸水エネルギー(仮)は優秀。

 おかげで指輪は見た目だけはカーマイン色の結晶で出来ているように見えてオシャレになった。

 

 ……いちいち『炭酸水エネルギー(仮)』って書くのが面倒だな。

 

 ◆

 

 

 今日は学校が休みなのに強めの雨が降って外にも出る気分にならない。暇なので、靄で遊んでみた。日記のネタになるかもしれないし。

 靄はここ最近、密度が濃くなりすぎてもはや靄というより粘土みたいになってる。指輪から出てもらってコネコネと捏ねてみたが私に造形の才能はなかった。

 

 だが、この暇つぶしも無駄ではなかったようだ。

 靄の能力? が判明した。触れながら脳裏にイメージを思い浮かべると、靄はそれを読み取れるようなのだ。

 試しにマグの外見を思い浮かべれば、靄は体を変化させてその通りに形を作ってみせた

 

「おお! 次はこれ、どう?」

 

 マグの進化形態をいくつか伝えれば、見事にカリーナや少し複雑な模様のライブラを再現した。流石に色は靄が持つ黒しかないが、炭酸水エネルギー(仮)を流したら、カリーナの目とかライブラのギザギザ模様などの発光パーツがちゃんと光った。

 マグは進化デバイスを使えば外見を変えられる、ある種のファッション性がある。何かさせてみたらよさげなデザインはないか……ううむ、そうだ!

 魔が差してラッピーのイメージを送った。真っ黒いからマグサイズのダークラッピーになった。

 可愛い。

 炭酸水エネルギー(仮)を流したらつり上がった眼とか頭にある羽がカーマイン色に光った。すんごいダークラッピーっぽい。

 可愛い。

 

「お前、次から指輪から出るときはダークラッピーの姿な」

 

 ていうかこんだけ変幻自在なら喉とか形成できないの? 試しにラッピーみたいに鳴いてみろよ。キュ~って。

 

 

『……ぁ、ラ、ァ゛……ラ゛ァ゛ッビイイイィイイ゛ィ゛』

 

 

 あ、やっぱいいわ。

 

 

 ◆

 

 

 ▽月 ◇日

 

 いい加減、靄の名前を決めようと思う。

 

 その名も『晦冥(かいめい)

 

 これからどんな変化が起きようと、これだけは変わらないだろう、と思う要素から取った。

 いくら泥水を飲んでも、数多の泥人形を食らっても、物に憑いても、私が力を流し込もうとしても、こいつの闇色だけは変わらなかったから。

 ……ぱっと思いついた割にしっくりくるから、これでいいでしょう。

 

 というわけで、これからも私のために鋭意精進するように。

 そうすれば、弱い弱いお前を他の何者からも守ってやろう。

 

 改めてよろしく、晦冥。

 

 □月 ※日

 

 せっかくだし、晦冥の変幻自在になる能力を応用できないだろうか。パッと思いつくのはアークスの武器を模倣してもらうことだけど……早速試してみたら圧倒的に強度が足りなかった。

 晦冥は耐久度が低すぎる。もう少し成長させたら少しは使い物になるだろうか。

 

 ◎月 ●日

 

 飽きた。

 

 

 

 

 日記はここで終わっている。

 

 

 ◆

 

 

 小学六年生になった。

 この数年間は晦冥に泥水を蓄積したり、晦冥の能力研究に勤しんだりするのを主に、私の体の成長に合わせて無理にならない程度に修行を続けている。

 さすがにアークスの全クラスの同時進行は効率が悪いし、替えがきく動作も多いので後継クラスを主にして、便利そうな基本クラスの技術を再現できるように訓練している。

 サモナー? 無理無理。一緒に闘ってくれるペットがいないし、晦冥はよわよわのよわだし。化物なんて使役できないし、可愛くないし。

 

 あと訓練が停滞しているのは放出系の技術。

 私が使っている力は泥水そのものではないけど、下手したら化物を狩る者たちに感知される可能性があるので、テクニックの練習は三年生の時から全くできていない。

 そんな事情もあり、今の自分の強さを表すなら……全盛期の四割も行かないくらい、かな?

 修行環境が制限されている中で十二歳にしては頑張ってる方だよね。

 って言っても、アークス専用の武器がないので、武器を装備していない状態での四割だから……ちょっと強い化物が出たらキツいかも……。

 でも武器面については前世ほど強力とはいかなくとも、解決の目処は付いている。あとは形にするだけだ。

 

 そういえば、名前が長くていろいろ面倒になったので、ついに炭酸水エネルギー(仮)の名前を定義した。

 

『アストラル』

 

 英語の意味は『星の』とか『星の世界の』って言う意味がある。宇宙を旅していた私が扱う新エネルギーへの命名としてはなかなか良いのではないだろうか。

 

 

 さて、小学六年生といえば初等教育修了の年である。

 あと半年もせず卒業という秋のこの季節に、私が通う学校では修学旅行というイベントがある。修学旅行といえば……鉄板の京都!! いぇ~い!!

 いやー、この私も柄にもなく楽しみにしているんですね、京都。

 

 京都といえば神社仏閣が有名で、創作の世界でもよく陰陽師とか妖怪とかが出る舞台とされている。

 そんな場所なら絶対に泥水とか化物とか、わんさか居そうじゃないか! 地元は化物被害をなくすために狩りすぎてもう虫以下しかいないんだよ。

 あと木刀欲しい、木刀。荷物が嵩張っても良いから、ここ数年で貯めたなけなしの金で木刀買って振り回したい。拾った鉄パイプでカタナの訓練するモチベーション上がらない。

 

 ——うん、楽しみにしてたんだけどなあ。

 

 京都についた。期待してたほど泥水で澱んでなかったし、化物も大していなかった。

 神社とか仏閣とか信仰集まる以上に、清廉な場所という立ち位置を勝ち取っているから、化物がうようよしている地獄絵図なんて何もなかった。

 それでも人口が多いのだから多少なりともいるはずだけど、多分これ、化物を殺す人間とかの組織の拠点があるくさい。

 はい、今最も触りたくない謎集団ナンバーワンです、もう良いです、危うすぎてせっかく作った『泥水集めのしおり~晦冥の懐石餌巡りの旅~』とか出る幕もないです。

 

 解散ッ!!

 

 

 ◆

 

 

 何事もなく一番施設から近い中学校に入学した。

 公立だから近場の同年代が集まっているので、これといった新顔はない。私立に進学して消えた顔はいくつかいるけど。

 親の転勤でやってきた謎の転校生とかいない。

 青春は始まらないッ!!

 

 そんな中学校は全生徒入部制で、私が選んだのは剣道部。

 合法的に自分以外の人間と竹刀で打ち合えるチャンス、逃すはずがない!

 まあ素人の集まりも同然だから経験を積むのは期待できないけど、一番の目的は私の精神衛生の維持だから。

 無問題(モーマンタイ)

 だってずっと一人で修行漬けの数年間って結構辛い、寂しい。

 っていうか今世友達いない歴=年齢。アークス時代あれだけ賑やかだったのもあるから余計に反動。

 私は仮面(ペルソナ)になった記憶はないからぼっち耐性があまりないんだよ。

 相変わらず周囲からは異端扱いだけど、部活仲間(チームメイト)は出来た。

 ……え、ちょっと待ってそれはもう友達ではないか? あ、違う、そうですか。

 

 そんなこんなで侘しい青春への精神安定をはかりながら、ずっと構想していた計画を少しずつ始動しようと思う。

 別に新しいことを始めるのではなく、過去にしていたことを再現するだけだ。

 

 そう、泥水渦巻き、化物が闊歩する修行場を。

 

 これが実は地味に大変で、前回と同じようにやろうとすれば、一定以上の水準で化物を保有しながら人間に被害が出ないように調整する必要がある。

 過去の修行場は四拠点を数年かけて構築していった気がする。

 

(それがたったの三日で綺麗さっぱりなくなったのは本当に笑うしかないけど)

 

 修行場を作るということは、化物狩りに見つかるリスクがかなり高くなるということ。そして化物を制御できなければ人間への被害も出てくる危険性がある。

 いろんな事情で今まで避けてきた行為をどうしてこのタイミングで再びやろうとしているしているのか。

 それは必要に迫られているからです。

 

 義務教育が終わってしまうから!!

 

 ここ数年、私はできる限り潜伏し、修行も人目のつかない林や隠れた空き地にしていたけど、もうそんな呑気に時間を消費していられない。

 義務教育が終われば、私は今いる施設を出て自立しなければならない。施設を出たあと、どのように生きるのかを決めなければならないのだ。

 通常、施設を出た子供が取れる選択肢は、バイトしながら奨学金で高等学校に通うか、就職かの二択である(少なくとも私の所属する施設は)。

 未成年には違いないので、成人するまで受け入れてくれる施設はまた別にあるにはあるが、私はもっと別の選択を開拓したい。

 

 社会的立場として私は保護されている身なので施設から遠く離れられないが、きっと日本全国、もしかしたら海外にも泥水や化物がうようよいるだろう。

 京都は限られた場所しか見られなかったが、そこにも確実に存在していたし、修学旅行の道中も同様に居た。私はそれらをどうにかしたいと考えている。

 

 そして実際にその化物をどうにかしている組織があるのなら、是非とも接触してみたい。目的が一致するなら、あわよくば私も所属したい。

 

 だから、これまでとは真逆に、今度は積極的に彼らをおびき寄せよる行動にシフトするつもりだ。

 いざ、行かん!

 

 

 ◆

 

 

「ずっと前からお前のことが好きだったんだ! 俺と付き合ってくれ!」

 

 ……は?

 

 目の前で見知った顔を赤らめて、半ば叫ぶように告げられた言葉を、私の脳は受け入れるのに数秒は要した。

 

(あ……これ、俗に言う体育館裏での告白というやつだ)

 

 ぼんやりとそんなことを思いながら、俯いて黙ってしまった男の子を見る。

 こいつは昔から事あるごとに私に突っかかってくる同級生で、真っ白お化けと呼ばれる度に遊び(プロレス)相手をしてやっていた。

 取り敢えずなぜ自分がこんな青春な状況に陥っているのか考察するのは後にして、告白の返事でもしよう。

 

「ごめん、付き合えない」

「そっか……そうだよ、な……。俺のことなんか、好きじゃないよな。昔からちょっかいかけてたし……むしろ嫌いだよな……」

 

 急にネガティブになるなよ、君のこと嫌いとか一言も言っていないよ。

 

「違うよ。私は君を嫌ってなんかいないし、君だから断ったわけでもない。他の誰から告白されても、今の私は恋愛をする余裕がないんだよ」

「……確かにお前、いつも忙しそうだけど、最近は以前にもまして大変そうだもんな。そんな時に悪かったな」

 

 中学三年生最後の夏が目前まで迫っている。

 この時期は誰もが受験勉強で忙しく、余裕があるのはスポーツ推薦をもらっている子くらいだ。告白してきたこいつもその口で、私も剣道部のエースなんて地位を獲得しているから同じだと考えているのだろうな。

 確かに推薦で高等学校に行けば学費はかからないし、私のような身寄りがない者には安泰だろう。

 けれど、私の第一目標はそれではない。

 それよりもいつまでも化物狩りと接触できないまま、三年間経過しそうな方に焦っている……!

 

 その後、彼とは一言二言話して別れた。

 

「真っ白お化けより、君に似合う可愛い女の子と出会えるさ!」

 

 別れる前にいつものノリで肩を叩いて元気づけてやったら逆に泣かれた。なんでだ。

 

「ま、変な泥は消えたかな……」

 

 立ち去る背中を見てつぶやく。

 私だって無意味にスキンシップが好きなのではない。

 

 人間はその身の内に泥を飼っている。特に落ち込んでいたり、怒っていたり、不穏なことを考えている時にその人間から感じられる泥は濃くなる。

 溜まりに溜まった泥が、やがて泥水となって溢れ、泥人形の材料になる。

 彼は昔からその泥が溜まりやすい性質で、特に集団に加わって私をからかう時にその傾向が顕著だった。最近は随分とマシになったけど、昔から放っておけなくてその度にプロレスごっこと称して泥を中和していた。

 生きているモノからそれが完全になくなったことはないけれど。

 私に振られたことでまた少しだけ泥を作っていたが、軽く肩を叩く程度で消えた。長く落ち込むことはないだろう。

 

「未来へ向かって走れよ、少年。君の青春は高校にあるはずだ……!」

 

 適当に嘯いて私も学校から出ることにした。

 

 

 ◆

 

 

「ん~~! まだまだ明るいな!」

 

 校門を出たところで背伸びをする。

 今日も放課後を部活に費やしたが、日の入が遅くなっている六月なのもあり太陽はまだまだ沈んでいない。

 汗ばんでくる季節に少しでも涼しく過ごすため、伸ばした髪を後ろで一つに纏めてポニーテールにしている。

 カーマイン色の瞳は小学生からずっと長く伸ばした厚くて重たい前髪で隠している。私の素顔を見たことがあるのは施設の職員くらい。何年も隠し通した私の前髪、マジ鉄壁。

 

 修行場に直行する前に、日課の巡回をする。曜日ごとに細かく分けたルートを回っており、今日は広めの商店通りに行く予定だ。噂話が好きな主婦たちが吐く言葉によるものか、あそこは意外と泥が溜まるのが早い。

 あ、虫みっけ。捕獲、っと。

 

「うわ、あいつまじで掴んだよ」

 

 虫を捕まえた瞬間、背後からそんな声が聞こえた。偶然だろうか。普通の人間は私が何か持っているなんて見えないはずなんだけど。

 気になって後ろを振り返る。

 

「傑の言うとおり見えてんな」

「呪力が感じられないから半信半疑だったけどね。それと悟、人を指でさして笑わない」

 

 そこには、片や丸サングラスをかけてゲラゲラ笑っている銀髪不良(ヤンキー)と、片や髪の毛を後ろで結んで前髪だけちょろりと残した胡散臭い顔の、全身真っ黒二人組がこちらを見ていた。

 つか、両方とも背が高い(でけえ)な。

 

 

 




主人公の生い立ちを上手く省略できず書きたい場面まで辿り着くにも長い……。
次回! 悟と傑と主人公の楽しい楽しい呪霊狩り


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3.meets 五条&夏油

4/14 残穢に関する一部の記述を削除しました。詳しくはあとがきで。


 夏油は五条と共に任務に派遣されていた。

 東京郊外にある区域に呪霊が発生されていることが発覚したからだ。確認できた呪霊はせいぜい三級程度で夏油と五条を投入するには過剰戦力だったが、懸念事項があるらしく二人の担任である夜蛾が直々に指名をしてきたのだ。

 補助監督は先に二人を現場近くの商店通りに下ろすと、車を停車できる場所を探すと言ってどこかに消えてしまった。二人は補助監督が戻ってくるまで適当に近くをぶらつく事にしたのだが。

 

「ん?」

 

 ふと、夏油は一人の少女に目を止めた。

 派手な頭髪は今時の東京では珍しくもないし、何より隣の存在で見慣れているが、それでも黒が多い中でそれは目立っていた。

 五条とはまた系統が違う象牙色の銀髪に洋紅(カーマイン)色が混じった頭。量の多い前髪は顔の半分近くを隠している。目立ちたいのか隠れたいのかよくわからない容姿だ。

 

「どした傑。ナンパしてえのか?」

「そんな訳無いだろ、悟じゃないんだから」

「ア゛?」

「ほら、あの子」

 

 夏油は少し離れた場所を歩く少女を示した。

 

「なんだか違和感を感じてね」

「んー、ん~~? おお、本当だ。あいつ術式持ってる」

「ということは術師か? でもそれなら事前に情報共有があるはず。未登録の野良か、呪詛師か」

「いや、全然呪力感じられねえから術師じゃないだろ」

「天与呪縛?」

「さあな、術式を持っただけの一般人(パンピー)かもしれねえし」

 

 少女は何かを探しているようだった。敏い夏油がよく観察してやっとわかるくらいなので、随分と隠すのに手馴れている。だからこそ逆に目に付いたのかもしれない。

 少女はついに目的のものを見つけたのか、通りの一角に寄っていく。その先を目で追うが特に何もない——一般的視点からすれば、だが。

 

「一般人は一般人でも、ただの一般人ではないかもしれないよ。少なくとも、彼女見えているみたいだし」

「お?」

 

 夏油が指さす先を五条が追う。そこには一匹の蠅頭が物陰に潜んでいた。少女はまるでゴミでも拾うかのようにさり気ない仕草で、躊躇いなくそれを手で掴んだ。

 

「うわ、あいつまじで掴んだよ」

 

 少女にも聞こえる声量で言い放つと、五条は彼女を指さしてこれみよがしに笑いだした。何でだよと突っ込みたい夏油であったが、得意のポーカーフェイスで微笑みを浮かべて適当に合わせる。

 

「傑の言うとおり見えてんな」

「呪力が感じられないから半信半疑だったけどね。それと悟、人を指でさして笑わない」

 

 五条と共に近付いてみるが、どうやら逃げる気はないらしい。

 嘲笑とも取れる行為を初対面に向けられたからが、目が隠れていても読み取れるほど少女はげんなりとしていた。

 

「おいガキ。お前何? 呪力がねえし術師じゃないよな」

「は……じゅ、つし?」

 

 これ以上五条に任せても煽るだけだと判断して、夏油が引き継ぐことにした。

 

「ごめんねお嬢さん、コイツ失礼が歩いているようなものだから気にしないで」

「傑なんでさっきから俺に冷たいの」

「お嬢さんが持っているそれ、私たちは蠅頭って呼んでいるんだけど、呪霊の一種でね。人を襲うそれを退治する人を呪術師って呼んでいるんだ」

「え、あなたもこの羽虫が見えるんですか!?」

 

 夏油は少女に握られている蠅頭を見やる。握っている左手の人差し指にある洋紅色の指輪が、陽に反射してキラキラと光っているのがやけに目についた。

 

「うん。詳しく知りたい? 道端で長話もなんだし、ちょっとそこ寄ってかない?」

 

 一時的ではなく常に見えているなら放っておくわけにも行かない。少女の様子が演技なのかまだ判断はつかないが、それを見極めるためにも一度話をしたほうが良いだろう。

 夏油の後ろでは五条が「やっぱナンパじゃん、オッエ゛ー」と吐く真似までしている。

 少女は見知らぬ男二人に付いて行くことに抵抗が有る様子ではあったが、好奇心の方が優ったのか最終的に頷いた。

 

「決まりだね。でもその前に——」

 

 夏油は少女に手を差し出す。

 

「取り敢えずその蠅頭、渡してくれる?」

 

 

 ◆

 

 

 遭遇した。

 ついに遭遇してしまいましたよ! 化物狩り!

 彼ら曰く、化物は呪霊っていう存在で、それを狩る者たちは呪術師と呼ばれる職業(?)の人たちらしい。

 取り敢えず何も知らない、変なのが見えるだけの女の子(パンピー)のフリして探ろ。

 果たして『呪術師』ってのが今後私が身を寄せるに相応しいのか、見極めなければならないからね。

 

 初エンカウントから場所を移してすぐ近くの喫茶店。

 そこそこ人が入っている場所をあえて選んだのだろう、夏油と名乗る人はなかなか気遣い出来る人らしい。それと比べて五条、お前はダメだ、無駄に態度がでかい。んで脚長い(褒め言葉)。

 第一印象から胡散臭い二人組だったが、話を聞いてても普通に胡散臭い。私が化物見えているのでなければなんの宗教勧誘かって思うよね。

 主に夏油が話すのをソフトドリンクを飲みながら聞く。なかなか説明上手で、こっちの質問にもさらりと分かりやすく答えてくれる。

 

 実は先ほど、促されるまま夏油に虫を渡したら速やかに握り潰され、跡形もなく消えた。

 私がやる時と違って即座に肉片が散って消える。

 ていうか、この人潰す瞬間に自分の中から泥水出さなかった?

 気にならないはずがないので、さりげなく呪霊という存在の祓い方を聞いてみる。

 まず、呪霊は呪力でしか祓えない。毒を以て毒を制す、その言葉通りに呪力で出来た呪霊は呪力を纏った攻撃でしか殺せないらしい。

 呪力とは誰もが持つ負の感情が呪力として漏出したもの。私がずっと泥水と呼んでいた正体である。一般人と違ってこの呪力をほぼ漏出させずに身の内に循環させ、操れる才能を持った人間が呪霊を退治する。それを生業とする者を呪術師と呼ぶのだとか。

 

「えっと……話を要約すると、呪術師の二人がここに来たのは、この街に強い呪霊が発生したからそれを退治するために来た……ということでよろしいですか?」

「うん、それであっているよ」

 

 蠅頭(はむし)は彼らの中でも評価が低い雑魚らしいから、来た目的は十中八九私が用意した奴らだろうな。

 

「なぁ、話は終わった? そろそろ行こーぜ」

 

 夏油の隣で椅子に背どころか全身を盛大に預けていた五条。最初から会話に興味がないようにストローの袋を弄っているだけだったが、ついに飽きたようで立ち上がる。

 待てよ、せっかく見つけたのに逃すはずないだろ。

 

「あの! 呪霊を祓うって言うの、私もできますか?」

 

 私も立ち上がって身を乗り出して精一杯引きとめようとする。

 真っ先に反応を示したのは五条だった。

 

「やめとけ、ガキ。呪術師ってのは言うほど簡単じゃねえし、一歩踏み込めば地獄だ。生半可な覚悟でやるもんじゃねえ。お家に帰ってママが作った飯でも食っておねんねしてろよ」

 

 む、禁句を言いおったなこやつ。ならばそれを利用するまで。

 

「私、施設育ちだから親なんていません!」

 

 五条を睨みつける。

 

「中学校を卒業したら施設を出て暮らさなければならないんです。それまでに私にも出来ることを探して働かなきゃいけないの、だから……」

 

 五条も流石に少し気まずいのか一瞬目を逸らしたが、彼も譲る気はないようだ。

 

「……そもそもお前、呪霊祓う力ないぞ」

「……え?」

 

 いや、私呪霊殺せるが? 殺せないならこれまで殺したと思ってた奴ら、実は死んでなかったのか……ってそんなわけあるか!

 

「何でですか!? 私見えるし、触れもするんですよ?」

「触れるってだけじゃダメだよ。触るだけなら実は誰にでもできる」

 

 今度は夏油が指摘してきた。

 

「呪霊が人間に触れるから呪霊の被害者が生まれるんだ。もっとも、知覚できないなら触れていることにも気付かないだろうけどね」

 

 思い当たっていたとはいえ実際に本業の人から肯定されると呪霊の理不尽感凄まじいな。

 

「とにかくさっき傑が説明しただろ。呪いは呪いでしか祓えない。見たところお前には呪力がない。呪力を持たないお前は見ることが出来るだけで、殺せはしないんだよ」

「そんな……」

 

 いや、フリじゃなくて本気(マジ)で納得いかないんだが。この二人の話を信じるなら、私が持つアストラルってこの世界の誰にも認知されていない力なのか?

 

「そんなに言うのなら、蠅頭なんて羽虫じゃなくてもっと大きいのを祓うところ見せてくださいよ! 私には無理って分かったら諦めますから!」

「ハァ? 何言ってんだお前」

「もともと二人がここに来た目的ってそれですよね? 私、ずっとここに住んでいるから大きい呪霊が集まる場所知ってますよ」

「「!!」」

 

 言った瞬間、驚きとともにとんでもないバカを見たような顔をされた。夏油までそんな呆れるなんて、何故だ。

 

「お前、マジで命知らずだな。いいぜ、連れてってやるよ」

「悟! それは」

「いいだろ傑。コイツには一回地獄を見せてやらねえと、本当の意味じゃ理解できないだろ」

 

 五条は私に指を突きつけると言い放った。

 

「お前に呪術師の仕事を見せてやるよ」

 

 

 ◆

 

 

 喫茶店を出ると、五条はさっと周辺を見渡したあと、コソコソと夏油に耳打ちした。

 

「傑、説明メンドクセーから補助監督まこうぜ」

「……褒められた行為ではないが、今回は賛成だ」

 

 親友の賛同を得られた五条は、少女に静かにするように言い含めると、彼女を脇に荷物のように担いで高速で走り去る。その後ろには夏油も続いていった。

 

 誘拐の一場面(ワンシーン)そのものだったが目撃者はいなかった。

 

 

 ◆

 

 

『実際のところ彼女の術式はどうなんだい?』

 

 夏油は携帯を弄るフリをしてすぐ隣を歩く五条にメールを送信した。

 

『少し変わり種ではあるが、正直微妙な能力。俺も昔書庫でチラ見した程度だけど……変転術式って知ってる?』

『聞いたことがないな』

『要は、物質Aを物質Bに変化させる感じの呪術なんだけど。

 変える前と変えた後のモノの性質が近いほど効率が良い。全く違う性質を持つモノに変えようと思っても呪力さえ大量消費すれば変転は成功する。

 そこらへんに転がっている石を黄金に変えることも、無機物を有機物に変えることもできる』

『普通に強いじゃないか。何が微妙なんだ?』

 

 夏油は少し離れた先を歩く少女を見やる。彼女が知る呪霊がいる建物に案内してもらうために先導してくれている。補助監督に詳細な目的地を聞いていなかった不手際もあり、夏油たちは呪霊の出る場所をだいたいしか知らなかった。

 移動中を利用して夏油は気になっていた事を五条に聞いていた。少女が天与呪縛によって身体能力や五感が強化されている可能性も考え、言葉ではなくメールという手段でやり取りをしている。

 

『まずこの呪術は欠陥がある。この術式を扱う術師は一生に一つのパターンしか変転させることができない。そしてこのパターンってのは、術式を初めて発動した時に変転させたモノに固定されるんだ』

『ああ、なるほど。術式を自覚するのが四~六歳。その年頃の子供が初めて使う変転の対象が、必ずしも呪術師として大成する組み合わせとは限らないということか』

『そ。しかも珍しい術式だし、片手にも満たない数しか認知していないから研究も進んでいない。誰も知らない能力もあるのかもしれない。でも判明している中で、一つだけ可能性を感じる例があったんだ。知りたいか?』

『勿体ぶるなよ』

『変転術式ってのはな、変換の力なんだ。さっきは分かりやすく物質って例えたけど、別に形に縛られないし対象は無形でもなんでも良い。

 それを踏まえたうえで、おそらくこの術式の限りなく正しい使い方ってのは、物質Aに呪力を指定したパターンだ』

『それは他と何が違うんだい?』

『呪力をAとした場合、術者は自らの呪力を消費しなくともただ変転を念じるだけで術式は発動する。周辺にある呪力を使用し、勝手に物資Bに変えるんだ』

 

 その文面を見た瞬間、夏油はポーカーフェイスを崩して勢いよく五条に顔を向けた。五条はまるで悪戯が成功した子供のように笑っている。

 

『それって一種の浄化ってことじゃないか!』

『ま、本当にそうなればよかったんだがな。

 当時の奴らもそう考えていろいろ試してみたんだけどよ、残念ながら実戦じゃ使い物にならないってのが分かっただけだった。

 それの使い手は変換先を全然系統の違う『花』を指定してな。負の感情から可愛らしい花に変換するから効率は最悪。蠅頭を形成する程度の呪力を変換するにも半日はかかるし、呪力は節約できても本人の消耗が凄まじいし、結局普通に祓った方が手っ取り早かったんだとさ』

 

 現代の若者らしく、カコカコと高速で長文を作成して送信する五条。

 夏油少し考えたあと、返信をする。

 

『彼女が何の変転をするのか分からないか? もし天与呪縛だったら体力的な消耗は克服できるだろ。浄化ができるならそれだけでも利用価値はある』

 

 例え時間がかかっても呪力を別の無害な何かに変えられるならそれは貴重な力だ。危険すぎて迂闊に処分もできない呪物も、時間さえかければただのガラクタにしてしまえるのだから。

 だが、五条から返ってきたのは『分からない』だった。

 

『実際に術式を行使しているのを見てねーからそこまでは分からない。でも呪力変転ができるなら本人もある程度自覚はあるだろ。さっきの様子じゃそれはないし』

『それは彼女が演技していない場合の話だ』

『今さらかよ、疑い深いな。剣道部のエースだから戦う才能はあるはずだーって豪語してたし、天与呪縛を隠しているわけでもないんじゃない』

 

 夢中で携帯を操る二人に、ふと少女が足を止めて振り返る。

 

「お二人共ほんっとーに現代っ子ですね。歩きながら携帯を弄るのは危ないからやめたほうが良いですよ」

 

 ご尤もな注意だが少女のそれは純粋な正義心より、拗ねているゆえだろう。

 少女にとって呪霊が祓えるかどうかは一大事にも関わらず、二人が呑気にしているように感じるのだ。

 

「ごめんね。把握しておかなきゃいけないことを知っている人に聞かなきゃいけなくてね。お詫びに何か冷たい飲み物を奢るよ」

 

 夏油は微笑みながらさり気なく事実で誤魔化すと、ちょうど置いてある自動販売機に寄った。

 

「え! マジ!? ごちそーさん!!」

「悟は自分で買えよ」

「ケチー!」

 

 分かりやすく駄々をこねる五条を無視して、夏油は少女に「何が飲みたい?」と聞いた。

 

「……サイダー」

「お、いいね! じゃあ俺コーラ!」

「だから自分で買いなさいって」

 

 結局五条は情報提供のささやかな対価として夏油に奢らせた。

 

『もしこいつが術式を使えるとしても』

 

 コーラを飲みながら、五条はご機嫌にメールを打つ。

 

 

『せいぜい泥水を炭酸水(コーラ)に変える程度だろ』

 

 

 後に、少女がこのやり取りを聞いて大爆笑した迷言だった。

 

 

 ◆

 

 

「こ、ここです」

 

 少女が案内したのは如何にも幽霊がいますよ、と言わんばかりの廃墟ビルだった。

 

「これはいるねえ。しかも結構な数」

 

 夏油はビルの入口を見て嘯く。

 

「ちょうど良いじゃねえか、こいつが納得するまで獲物に事欠かないってことだろ」

 

 五条は少女の隣に立つと、建物から必死に目を逸らしているその頭に手を乗せる。

 

「よく見てろ、ガキんちょ。お前が普段直視しないようにしている奴らを、俺たちがどうやって殺すのかをな」

 

 置かれた五条の手に促された少女は震えながらも視線をビルの入口に向けた。

 

 ビルの入口、かろうじて建物の中に収まっているが、じっと外を見つめる異形。二本足で立ってはいるものの決して人間にあらず。

 じっと観察すれば、見られていると気付いたそれは、あっさりと入口をすり抜けてこちらに走り出した。ギョロギョロと体中にある無数の目を見開き、子供など一呑みできそうな巨大な口から涎を撒き散らかしている。聞くに耐えない謎の叫声に、少女が身を竦める。

 巨口が後僅かでその身に届く、その直前、まるで見えない壁にぶつかった様に呪霊は停まった。

 

「分かったか? こいつらは見られていると感じたら襲いかかってくる。例外もあるがほとんどそんな習性だ。なーんも知らない見えるだけのお前が今まで無事だったのは奇跡、ただの強運に過ぎねぇんだよ」

 

 スッ、と五条が手を向けると、呪霊はギュッと圧縮され、跡形もなく消える。

 少女が呆然と見ている。前髪に隠されているが、その下にある眼はこれでもかというほど見開かれているのは想像に難くない。

 五条はニヤリと口角を上げた。

 

「これでもまだ自分がこいつらをどうにか出来ると思ってんの?」

 

 少女は身を震わせながら俯く。

 

「確かに、さっきみたいなのを私は祓えません。五条さんと同じような芸当が出来るとも思わない。……でも」

 

 しかし、

 

「……まだまだ」

 

 彼女は不屈だった。

 

「ここにはまだ沢山呪霊がいますよね! あなたたちの戦い方をもっと見せてください。諦めるのはそれからです!」

 

 そもそも呪力がないのだから諦める以前の話だが、この年頃の子に理屈を説いても無駄か、と夏油は考える。

 それに彼女がどうしてもと言うのなら方法がないこともない。呪具を持たせれば良いだけだ。天与呪縛があれば尚の事、十分戦力にはなるだろう。

 だが五条が頑なに少女を拒絶する気持ちもわかる。

 御三家の五条家に生まれ、六眼と無下限呪術を持つ五条は、地獄を見慣れた呪術師以上にこの業界の闇を身を持って知っている。関わらないで済むなら、関わらないまま生きていく方向に誘導したいのかもしれない。

 正直なところ、夏油にとって少女は守るべき弱者の一人であるが、弱者から強者に這い上がりたいならそれも構わないと考えている。その素質もある。

 ただ親友の五条がそれを望まないのならば。

 

(悪いが、お嬢さんの望みはここで潰えてもらうしかないな)

 

 

 ◆

 

 

「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」

 

 帳を下ろした二人は少女を連れてビルに足を踏み入れた。質問されるままに夏油が一通り帳の効果を説明してやったあと、五条は釘を刺す。

 

「おい、俺から離れるなよ。呪霊の中には人質を取ろうとする奴らもいる。お前が人質になっても無視するからな」

「わ、分かりました……!」

 

 本音では見捨てる気などないだろうに素直じゃないなあ、と夏油は一人クスリと笑う。

 

 そこからは早かった。呪霊を見つけるなり五条と夏油がさっさと祓うからだ。

 予想外だったのはそれだけでは終わらなかったことだ。問題なのはその数だった。

 

「あーもう! またかよ!」

 

 術式で沸いた三級の雑魚呪霊を五条が圧縮する。断末魔をあげることも許されず速やかに祓除された。

 

「悟、気持ちは分かるけど少しは落ち着きなよ」

「はぁ!? これで何体目だと思ってんだよ。祓っても祓ってもキリがねえ」

「確かに。事前に知らされていた(・・・・・・・・・)とは言え、流石にこの事態は異常だな」

 

 夏油は支配下の呪霊を操り、新たに接敵した呪霊を飲ませた。本来ならこの程度の雑魚でも使いようはあるので後で取り込むのだが、短時間で大漁過ぎて捕獲する気にもならない。後で味わうゲロ不味の数を想像して密かにテンションが下がった。

 そうしている内にも、別の場所で呪霊が生まれた(・・・・)気配がした。

 

「夜蛾先生が言っていた懸念事項そのまんまだね」

 

 倒した傍から新たな呪霊が建物の何処かにランダムに発生する。祓った数だけ新たな呪霊が発生し、一定以上強い個体は出ない。ここまでドンピシャなら、夜蛾の言う通り呪い(ざいりょう)がなくなるまで呪霊の発生は終わらないだろう。

 

「呪霊を統率する存在ってやつかよ。ったく、だったら隠れてコソコソしてねーで姿見せろってんだ」

「逆にその存在がいるからこそ近年のこの地域の呪霊被害者は零といってもいい。行方不明者も死者もいないし、あるとすればちょっと肩が重いくらいだろうね」

 

 おかげでこんな建物に祓うべき強さの呪霊が発生していることへの感知も遅れてしまったが。

 

 夜蛾から聞いた話によると、このような事態は初めてではないらしい。と言うのも、夜蛾自身が六年程前にこの地域で同じような状況に遭遇したからだ。

 その際には呪霊を統率する上位存在がいる可能性を考慮して、暫くは窓による近辺の監視をしていたが、結局四級呪霊以下の弱い呪霊しか滅多に発生しなくなったため、定期的な巡回に切り替えて人材を他所に回していたのだ。そんな人材不足のツケが回ってきた。

 推測によれば少なくとも二年前から発生しているらしいのだから。

 

「つーか建物ごと祓ったらダメなのかよ」

「ダメだよ。いくら近辺が閑散としていても周囲に住宅地が多い。帳を下ろしても建物が崩れる衝撃までは抑えられないんだから」

 

 それに呪霊が確認されている地点は一つではない。ここが済んで少女を帰した後、夏油と五条は別の場所も回るつもりだ。そこも壊したら同じ日に同じ地区でいくつも建物が崩壊することになって不自然きまわりない。

 

「あの……さっき『先生』って聞こえたんですけど、お二人って学生なんですか?」

 

 次の呪霊と遭遇するまでの道中、遠慮がちに少女が問う。

 

「あれ、言ってなかったかな? 私と悟は呪術高専っていう呪術師を養成する学校に通う学生なんだよ」

「傑、それは言うなよ。通えば自分も呪霊殺せるかもしれないってこいつが勘違いしたらどうすんだ。おいガキ、高専に来たところで呪力がねーのはどうしようもないからな!」

「……ちなみに何年生ですか?」

「一年生」

「…………」

 

 夏油の暴露を聞いて少女は無言で五条を見上げる。夏油にはこの瞬間の彼女の考えが手に取るように分かった。

 

 すなわち「テメェもガキだろ」と。

 

 変化があったのは、圧縮にも飽きた五条が無駄に技巧を凝らして一体の呪霊を爆散させた時だった。

 本来ならそのまま崩れて消える肉片の一部が残ったかと思うと、ひとりでに動き出したのだ。黒い靄のようなものに変化したそれは空中に文字を模る。

 

「ああ? なんだこれ」

 

 少し形が崩れて読みにくいそれを五条が警戒しながら読み上げる。

 

 

『ろーど いぶつが まじった』

 

 

「ロード? 異物? 何の話だ」

 

 結局それは五条によってすぐに霧散させられる。

 夏油が痕跡を調べても特に何も変わった要素はない。強いて言えばこれまでの呪霊と同じ残穢(・・・・)が残っているだけだ。見落としはないか、夏油の第六感がヒシヒシと違和感を訴える。

 そしてハッとした様子で気が付いた。隣では五条も同様に。

 

「なあ、傑。こいつら……」

「悟も気が付いたか。巧妙に隠されていたにしても見落としていた自分が情けない」

「いや、こればかりは六眼を持っていようと関係ねえ。簡単すぎる初級者向けの間違い探しだ。違いすぎて逆に共通点に気が付かなかった。」

「ああ、これまで私たちが倒してきた呪霊……残穢が全て同じ呪霊のものだ」

 

 

 ——この廃墟ビルは、淀んでいる。 

 渦巻くように呪いが集まり、際限なく同じ等級の呪霊が生まれる。

 

 そう、ここは呪霊の領域。

 

 彼らが一歩踏み込んだその瞬間から、

 

 そこは既に呪霊の胎の中だったのだ。

 

 

 




五条と夏油の二人の口調は何度原作を確認してもわからん。一人称以外は若者っぽくすれば良いんか?

独自の術式の設定が出ましたが、細かいことは考えるな、感じろ!

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※消したのは、術式が扱えない三級呪霊から残穢が出るのはおかしいという部分です。今後は呪術の残り香だけではなく、呪力の放出や強さに関わらず長期間呪霊が一箇所に留まっていた場合なども残穢が残るとします。宿儺の指とかの呪物の残穢もそのようなものらしいので。
正直、解釈難しい。


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4.with 五条&夏油

 五条はいつの間にか背後に匿っていた少女が近くにいないことに気が付いた。見渡せば少し離れた場所で壁に向かって立っている。

 

「おい! ガキ! 俺から離れるなって言っただろ!」

 

 特に壁際は危険だ。弱い呪霊は壁を抜ける能力を持っているのだから。

 少女の腕を掴んだ五条は、なんとなく彼女が見つめていた壁を見た。一見ただの壁のようだがくっきり残穢が残っており、五条の六眼ははっきりとそれを読んだ。

 

 

『つよいの きた

 ちかく いる』

 

 

「!!」

 

 意図を持った不気味なメッセージに五条の手が緩んだ時だ。

 

「離して」

 

 抵抗が感じられたと思えば、するりと少女の腕が抜けていった。

 

「おい……っ!」

 

 少女の雰囲気が一変していた。それまでの怯えているような様子は鳴りを潜め、むしろここが自分の家で自分はその主だとでもいうような貫禄さえ漂わせている。

 いつの間にか下ろされた髪を整えている彼女が手馴れた仕草で髪をかき上げた。

 

 顕になったその両眼は、暗闇の中不気味に洋紅色を放って発光していた。

 

「お前……」

 

 瞳孔が白く反転している異形の眼に、呪霊かと一瞬頭をよぎったが即座にその考えを捨て去る。相変わらず少女から呪力を感じられないし、呪われている様子もない。

 つまり、目の前の少女はどこまでも人間なのだ。

 

「悟、彼女に異常があったのか」

「いや、見た目だけなら何も変わらねえ」

 

 サングラスを外した五条が隣に並んだ夏油に告げる。夏油は五条を信頼している。ならばそれに間違いはないだろう。夏油も少女から呪力は感じられない。

 

 だが、なんだ。この威圧感(プレッシャー)は。

 先ほどとは存在感が違う。

 

「お嬢さん、どうやら只者じゃなかったようだね」

 

 少女は二人に目を向ける。まるで別人のように無感情に、無表情に告げる。

 

「見極めは終わりだ。この場に異物が混じった。私の縄張りに許可なく侵入する不届き者がいる。直々に誅する必要がある」

「どういう事か、説明してくれるかな」

 

 夏油の口調は疑問形だが、そこには有無を言わせない色があった。

 

「少しは猶予はあるかな……うん、いいよ」

 

 少女は左手を上げた。その動作に身構えた夏油だが、特に何も起こらなかった。

 

「まず、この建物に集う呪霊は私がこの子に命じて作った偽物だ。本物を真似た幻影に過ぎない。晦冥、もう良いよ。お前の(のろい)が満ちて異物を感知できない」

 

 少女が手を振ると、人差し指に嵌められた指輪が瞬いた。

 

 

 ゾゾゾゾゾゾ——

 

 

 闇が這う音がした。身の毛もよだつような響き。

 建物中に渦巻き、散っていた呪いが意志を持ったように集まる。一級呪霊が発生してもおかしくない量の呪いは、全て指輪に吸い込まれ、そして完全にその気配を絶った。

 同時にこの場はただの廃墟ビルに戻る。

 

「呪力が消えた……!」

「いや、あの指輪の中に入ってる。俺が眼を凝らしてやっと分かるレベルの隠匿だ」

 

 五条も今の今まで指輪に意識を向けていなかったから気付かなかったが、注意をすれば指輪から漏れ出る僅かな呪力ある。通常の視界に例えるなら、薄い霧が漂って見える程度には。

 少女が首を傾げて指輪を眺めた。

 

「なるほど、君たちは呪力の探知を指針にしているから、間に異物を挟むと感知できないのか。我ながら良い方法を思いついたものだ。ということは、君たち、アストラルを感知できないのか?」

「ガキ、アストラルってなんだ」

「五条……君は出会い頭からガキガキってうるさいな、一つしか違わないくせに」

「年下はガキだろ」

 

 洋紅色と碧色が火花を散らしてぶつかる。

 先に逸らされたのは洋紅だった。

 

「……もう良い。今は君と言い合っている暇はないし、私の力を説明する時間もない」

 

 少女は芝居がかった仕草で両腕を広げた。

 

「呪術師の君たちも感じるだろう? ここに向かってくる呪霊(けはい)を」

 

 そして身を翻して無防備に夏油たちに背を向ける。

 

「詳細を説明するのはやはり後にしよう」

 

 パラリ、と天井の欠片が落ちた。

 続いて、崩落。

 瓦礫が少女の目と鼻の先に山となって積まれていく。続いて降り立ったのは巨大な異形。

 虫に人間の腕がいくつも生えたような歪なイキモノ。

 見たところ準一級相当だろうか。一級術師である五条と夏油が揃っていれば手こずりもしないだろう。だがただの人間から見れば戦車を持ち出してもなお足りない。そもそも呪力がなければ意味がない。

 

「今、私がすべきなのは」

 

 少女の身をはるかに上回る大きさの化物に、しかし、呪力を持たない少女は一歩たりとも怯まなかった。

 

「この不躾な侵入者に、己の愚かさを思い知らせてやることだ」

 

 

 ◆

 

 

 共に廃墟ビルを探索するうちに夏油とムカつく五条の実力は分かった。

 夏油は支配下に置いた強力な呪霊を操って雑魚をバクバク食わせるし、五条は呪霊をおもちゃみたいに圧縮したり捻ったり爆散させてた。「俺たち最強だから」とか嘯いていたのも伊達ではない、ということか。

 暫く様子を観察してみたが、一部人間性に問題はあるけど(五条)、善性には問題はないと判断した。

 どうも、私が見えるだけの一般人ってことで私を呪術師の業界に近付けさせたくないようだが、逆に見えるからこそ放置もできない。だから私が廃墟ビルに同行することを許したし、私程度を守れる自信もあるのだろう。

 呪術師が生きる世界がどんな伏魔殿かは知らないが、五条や夏油のような人間がいるなら、飛び込んでみても悪くないかな。呪術師を育てる高専ってのも気になるし。

 

 見極めるという目的も果たせたし、この場もそろそろ潮時だろうかと考えていると、晦冥が二人にバレるのも構わずに連絡してきた(ロード(lord)ってのは私のことだ。別に教え込んだのではなく晦冥が勝手に呼び出した)。

 どうやら本物の呪霊(・・・・・)が建物に侵入してきたらしい。

 

 実のところ、今まで散々『最強の二人』に蹂躙されてきたこのビルの呪霊は全て偽物。

 晦冥が取り込んで支配下に置いた呪力(どろみず)を吐き出し、これまで食らってきた呪霊を真似て作り出した幻影だ。要はガワだけのハリボテで、どれだけ精巧に真似たところで雑魚どもが使う壁抜けの能力などこれっぽっちも使えない。

 ただ込められている呪力の量は本物なので、感知するだけなら区別はつかない。それ以外でもすぐに偽物とバレないように、どうしても変えられない基盤部分は残してある程度呪力に指向性を持たせているので、全てが晦冥という同じ呪霊の一部とは見分けられないようにはしているが……意味はなかったな。

 彼らは私がネタばらしする前に自身たちで答えを見つけてしまった。

 

 化物狩り——呪術師をおびき寄せるに当たり、幼い頃に作った修行場を再現しようとしたが、私も無駄なリスクは負いたくない。

 今考えれば、人間を襲う呪霊を目的のためとは言え”飼う”なんて行為、危険過ぎた。何の拍子に私の手にも負えない個体が生まれるかも分からないのに。

 だから二度目は再現はせども、同じようにはしなかった。

 そこで目をつけたのが晦冥の変幻自在の能力だ。これまで私が見た呪霊のイメージ、そして晦冥が取り込んだ呪霊。データは十分にあった。

 呪霊は信用しないが、晦冥は信用も信頼もしている。

 この子は裏切らない、そう約束したから。

 

『つよいの きた

 ちかく いる』

 

 さて、そうやって私が丁寧に整えた舞台に五条たち(やくしゃ)が揃ったと思えば、こんどは本物が紛れたと来た。しかも何年も発生しなかった強い個体。この近辺の呪力はほとんど回収しているから、他所から来た客かな。

 この二年半の沈黙が長すぎる前フリと勘違いしそうになるイベント日だな、今日は!

 

 私が傍にいないのに気付いた五条が追いかけてきた。コイツ意外と面倒見良いよな。

 既に騙す意味もないので、か弱い少女の振りはやめだ。ムダに疲れた。もしかして役者の才能有り? とか考えたがもう無理。

 すぐに異常を察知した夏油もやってきた。

 

「お嬢さん、どうやら只者じゃなかったようだね」

 

 いやいや、「私だって呪霊殺せる(ようになりたい)もん!!」って必死にアピールしてただろうが。

 

「見極めは終わりだ。この場に異物が混じった。私の縄張りに許可なく侵入する不届き者がいる。直々に誅する必要がある」

 

 随分と二人に祓われてしまったが、晦冥に残った呪力を回収させる。おかげで晦冥の気配に紛れて補足できていなかったモノホンを見つけることができた。

 警戒をしている二人に敵対しないことを示すため、ちょっとは私の目的を明かそうと思ったが……どうやら時間切れのようだ。

 

「詳細を説明するのはやはり後にしよう。今、私がすべきなのは——この不躾な侵入者に、己の愚かさを思い知らせてやることだ」

 

 我が物顔で現れた呪霊。かなりでかいし呪力も濃い。経験則からして壁抜け以外の強力な能力を備えている可能性が高い。これまで遭遇してきた呪霊の中でも過去最大の強さだろう。

 試しにアストラルを纏った拳で殴ってみる。

 この体は元々身体能力が高い。成長に合わせて年々人間離れした動きができるようになっている。そこに追加でアストラルで強化すれば、身体能力だけならアークス時代と遜色ない。

 ダーカー・ブリュー・リンガーダ(中ボス)をダウンさせるつもりで拳を当てれば巨体が吹き飛んだ。通路の突き当たりにぶつかってやっとその勢いは止まる。アホみたいに吹き飛んだけどあんまりダメージはないみたいだ。

 

「晦冥、お前もあれくらい頑丈になりなよ」

『むりぃ』

 

 晦冥にイメージを送り込む。指輪から呪力の一部が出てくるとイメージ通りに形成され、私の手に渡った(その残滓で作った文字で返答もされた)。

 手に取るのはカタナ。カテゴリだけでなく、アークスの間でもまんま『カタナ』と呼ばれている武器だ。

 長物にカテゴリされる武器だが建物内でもある程度取り回しが良く、素早い攻撃に向いている。

 単純な裏事情として、木刀を使えば万が一見られても誤魔化しがきくので訓練で一番つぎ込んだ時間が長いってのもある。

 

「さて、今後の為にデモンストレーションでもしようか! 五条と夏油さん、そこでよく見てろ!」

 

 手にとったカタナにアストラルを流し込む。そのままでは耐久性が低すぎて使い物にならないからだ。一部に闇色(かいめい)を残し、刃渡りがカーマイン色に発光する。

 地を蹴り、高速で接敵。

 抜刀後の斬り払い、からの斬り返し二閃。

 型としてはサクラエンド零式そのものだ。神速の斬撃とそこそこの威力を出せる優秀な技だが……。

 

「チッ、浅いか」

 

 反撃で飛んできた鉤爪を弾き飛ばし、後ろに飛んで仕切り直し。

 カタナは既に納刀している。抜刀術こそがこの武器の真髄だから。

 呪霊から生えている複数の人間の手。その中のひと組の掌を向き合わせたかと思うと、その間に呪力が集まって呪力の砲弾が形成されていく。

 

「……おや」

 

 見るからに放出系の攻撃だ。これがこの呪霊が持つ能力だろうか。

 多分呪霊としては十分速いのだろうが欠伸が出そうな速度の溜めの後に、ついにそれは発射、膨張しながら突き進む。

 込められた呪力はまずまず。膨張させたのは通路という地形を利用して逃げ道を塞ぐためか。密度が薄くなった分威力は下がっているだろうが、防具もない身に当たればアストラルで強化した私とて痛い目に遭う。

 ま、当たればだけど。

 砲弾との距離がまだまだある時点で、私はカタナにアストラルを流し込む。

 タイミングを見計らって下から繰り出したのは衝撃波を伴う斬撃。地面を滑りながら進むごとに威力が増すそれは砲弾と衝突し、その鋭さを持って敵の攻撃を左右に両断した。分たれた呪力が勢いのまま両側の壁を削っていく。

 

「ハトウリンドウ……少々扱いにくいが今みたいな中距離にはちょうど良い技だ」

 

 誰に聴かせるわけでもなく解説してみる。

 渾身の溜め技が簡単に対処されたからか、怒りに任せて呪霊が突っ込んでくる。

 いやいや、確かに中距離にはって言ったけどそれで接近戦に持ち込もうなんて馬鹿なのか?

 

 今のところ確認した奴の攻撃手段は虫の鉤爪一対による物理攻撃と、背中に生えた三対の人間の手から生み出される呪力放出の計二つ。呪力放出が意味がないと知るやすぐさま接近を選択したということは、遠距離攻撃手段はもう残っていない可能性が高い。

 直線的な鉤爪の薙ぎ払いを大きく飛び上がることで回避。そのまま天井に着地、落ちる前に自ら蹴り出し、運動エネルギーを乗せた斬撃で背中に生えるすべての腕を切り落とす。

 何やら至近距離で砲弾を放とうとしていたようだが、遅すぎるので予備動作ごと潰した。

 そのまま呪霊の背後に着地して、振り向きざまに虫の脚を切り払う。奴の理解が追い付いていないうちに六本ある節足を素早く丁寧に切断する。

 これで移動手段を失った。あとは鉤爪を処理すれば取り敢えず目に見える脅威はなくなる。

 

「なんだ、砲弾を放つ以外は多少頑丈なだけか。ご大層な呪力を蓄えている割には弱いな」

 

 油断はしないが、正直拍子抜けである。

 

「だが頑丈ってのは良いことだ。死ににくいなら、それだけ貴様に無断侵入したことへの後悔を長く味あわせる事が出来る。丁度アストラルを消費したし、補給もさせてくれよ、なあ?」

 

 ああ~楽しいなあ。

 

 正直、ここ数年大物がすっかりいなくなったから闘争から随分と遠い場所に居た。張り合う相手もいなく、来る日も来る日も自己鍛錬なんて流石に飽き飽きしていたところだ。普段はいない五条と夏油(ギャラリー)もいるからテンアゲ。

 でも窮鼠猫を噛むってことわざもあるし、最後まで気を抜かずに行こうか。

 せっかく切り落とした脚を回復されても困るから、手早く丁寧にそして的確に。

 

「削り取ってやろう。お前の肉、お前の力を、お前の存在ごと」

 

 片方の鉤爪を切り飛ばし、もう片方に手を当てて呪力ごと削る。

 ほう、腐っても強力な呪霊なのか。たった鉤爪一本分で上限の少ない私のアストラル保有量をほぼ回復させた。後は晦冥に呪力としてストックしても良いかも。

 

「晦冥、これ食べて良いよ」

『りょーかい』

 

 生きたまま解体(バラ)した。

 

 

 ◆

 

 

 少女が目にも止まらぬ速さで移動している。傷つけられた呪霊は聞くに耐えない奇声を上げた。

 呪霊が呪力を収束して打ち出す。あれが呪霊の呪術なのだろう、決して複雑な術式ではない。収束・充填・発散を目的とした放出系術式。ただ呪力を当てるよりは威力も効率も良いが言い換えればただそれだけの術式だ。

 ——故に単純明快で強い。

 それを、少女は一太刀のもとに両断した。

 

「ただの刀では呪力は切れない。あの刀はあの子が飼っている呪霊が作ったようだが……あの洋紅色の輝きはなんなのか」

 

 その後の戦いで見せた少女の身のこなし、一瞬にして呪霊を無力化させた技術。そして鉤爪を消失させた力。

 

「強いな。これは天与呪縛は確実、術式も使っているんじゃないか?」

 

 少女の戦いを観戦している夏油は同意を求めるように呟いた。

 

「……悟?」

 

 返答がないことを訝しんだ夏油が隣に目を向けると、そこには予想以上に険しい表情の五条がいた。サングラスを外して顕になった六眼で少女を睨んでいる。

 

「あのガキ、呪力じゃない何か別の力を消費して戦ってる。俺にも見えないナニカ」

「六眼を以てしても感知できない謎の力か……」

 

 脅威だ。本人の目的はまだ判明していないが、呪術師には察知できない強力な力を持つだけで、上層部は彼女を危険人物と見なす可能性がある。下手したら秘匿処刑なんて言い出すかも知れない。

 

「あー、でも慣れてきた」

 

 五条が不敵な笑みを浮かべる。

 

「慣れてきた?」

「そ、感知できないなら別の視点から感知できるようにすれば良い。ガキが使っているナニカは確かに存在する。ならば周囲の呪力を押しのけているナニカを知覚するまでだ」

「悟……君ってやつは……」

「すんげぇ~疲れるけどな! あー、ヤメだヤメ!」

 

 五条は外していたサングラスを付けた。言葉通り六眼で探るのはやめたのだろう。

 

(悟ならそのうちその負荷(つかれ)も克服出来るようになるんだろうね)

 

 戦闘が一段落したようで、少女は呪霊相手に遊び始めた。

『不躾な侵入者に己の愚かさを思い知らせている』最中なのだろう。

 呪霊が切り落とされた部分を回復させる素振りをすればすぐさまその部分を切り落とし、そうでなくとも端から削り落としていく。

 落ちた肉片(パーツ)を少女の指輪から漏れ出た不定形の靄が包み込んで消化して食らっていく。

 生きたまま解体されていく呪霊。少女は笑みを浮かべてはいるものの、戦闘時ほど楽しんでいるようには見えない。

 少女の作業は大して時間はかからなかった。

 五条も珍しく茶々を入れることもなく、ジッと少女を観察している。

 

「そんなに見つめられたら照れるよ、五条」

 

 残った呪霊の核となる頭部をカタナで縦に薙ぎ払うと、少女はやっと夏油たちを振り返った。

「闇落ち少女コエー笑」

「さて、只者じゃないお嬢さん、さっきの続きを聞かせてもらおうか」

 

 ニヤニヤと悪戯小僧のように笑う五条とは正反対に夏油は真面目な表情だ。

 少女は静かな笑みを浮かべて近くの部屋に入る。夏油も部屋の中の様子を見れる位置に移動して伺えば、少女はどうやら外を見ているようだった。

 いつの間にか陽は沈み、空の端が辛うじて紫色に染まっている。

 

「門限が近い。そろそろ帰らなければ」

「おいおい、闇落ち少女がそんなん気にすんのかよ」

「さっきから何だよ、闇落ち少女って……。私は施設育ちだって言っただろう。うちの職員は厳しくてあまりルールは破りたくないんだ」

 

 五条の言いように少女は呆れたように返す。ここに至ってよもや施設育ちが真実だったとは。

 

「君たちさえ良ければ一緒に施設まで来るかい? あまり良い顔はされないけど客人を呼ぶ程度は許可が下りるし」

 

 少女の誘いに夏油と五条は顔を見合わせた。五条は面白そうとすぐに賛成し、夏油も断る理由はない。少女に敵対の意思は感じられないし、積もる話も廃墟よりは施設の方がゆっくり出来そうだ。

 ただ、一つ懸念があるとすれば。

 

「ここ以外にもいくつか呪霊が出るポイントが確認されていて、私たちはそこの呪霊も祓除する予定だったんだけど」

「それなら問題ない。もう気付いているかもしれないけど、あれも君たちを誘うためのブラフだから。晦冥に言って回収させている」

 

 クスクス、と少女は笑った。

 

「私の目的が知りたいだろう? 心配しなくても全部説明するよ。でもその前に——」

 

 少女は手を差し出した。

 

「改めて自己紹介しようか?」

 

 既視感。

 

安藤優(あんどうゆう)だ。いい加減、私のことはきちんと名前で呼びなさい。よろしくね、五条悟、夏油傑さん」

 

 

 



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5.中学卒業まで

主人公が住む養護施設は完全なフィクションであり、実際の団体・施設とは何ら関係ありません。

主人公はこの世界に生きている一人の人間として書き進めていくつもりなので、原作登場人物に対して容赦ない態度・コミュニケーションを取ることもあります。不快な思いをされる方はブラウザバックを推奨します。



 ◆幕間

 

 施設に戻る道中。

 

「ガキ、さっき使ってた変な力はなんだ」

「……頑なに名前を呼ばないのは嫌がらせか? バカ五条、バカ」

「ア゛ァ? 誰がバカだ誰が」

「ガキって呼ぶからだ、バカ!」

「俺のどこがバカっつーんだよ!」

 

 いがみ合う安藤と五条。少し距離を離して付いて行く夏油が二人に生暖かい視線を向けている。

 

「ハァー、自分が言ったことも覚えていないバカはほんとバカ五条だね」

「お前さっきからバカバカ言いすぎて文章おかしいぞ」

「君、本当に私がただの人間だと思ってたの? 呪霊って見られているって感じたら襲って来るんだろう? 『なーんも知らない見えるだけの人間』が、十四年も生きてきて、運良く強い呪霊を直視しないなんてそんなことあり得るわけねーだろ、バァーカ!! バカごじょー!」

 

 安藤は五条のかつての台詞を流用して煽る。

 

「だいたいねえ、初見で蠅頭掴む女がいたらちょっとは怪しく思うでしょ。祓う力もないのにあんなキモイ虫をわざわざ探してまで捕まえてどうするの、飼うの?」

 

「んッ」

 

 我関せずと話を聞いていた夏油にもダメージが入る。

 

「夏油さん……?」

 

 謎の音に訝しんだ安藤が振り返る。その耳に五条がコソッとした仕草で、全く忍んでいない声量で囁いた。

 

「おい、安藤(・・)……謝れよ。今の傑のいいところに入ったぞ……」

「え、何が?」

「だってお前をただのパンピーだって思ってたの、俺だけじゃねぇし」

「あ……。あー……夏油さん、ごめんねえ」

「傑、俺に免じて安藤のことは許してやってよ!!」

 

 態とらしく両手を合わせて謝罪ポーズを取る五条。

 口角上がってる。

 夏油はにっこりと静かに微笑んだ。

 

「私は別に優ちゃんには怒っていないよ」

「だってよ、良かったな安藤」

「優ちゃんには(・・)ね。訂正するけど、最初に彼女が術師ではないとかただの一般人とか言いだしたのは悟だから。私はちゃんと違和感持ってたから。それをナンパとか言って茶化したの覚えているからね」

「めちゃくちゃ気にしてんじゃん」

「五条が一番謝れよ」

 

 二人から責められて、五条は態とらしく「ウッウッ」と泣き真似を始めた。

 

「クソ……なんで傑も安藤も俺のことばっか責めるんだよ! イジメか?」

 

「「数時間前の己の発言を省みろ!!」」

 

 

 ◆茶番終了

 

 

 安藤が案内したのは寂れた建物だった。

 広い敷地は最低限の手入れはされているようだが、全体的に子供を養護しているような健全な雰囲気は感じられない。

 幼児向けの遊具は壊れているのか、使用禁止のテープが巻き付けられていて使用できないようだ。

 

「ここの児童養護施設は他の養護施設でも引取り困難な子供が多く集まる。陰鬱だし職員の料理はメシマズだし、子供が育つのに理想的な環境とは言い難いが、大人からの虐待も子供同士の暴力も横行していない」

 

 そう他人事のように説明をして安藤は玄関を開けた。

 

「遠慮せず入ると良い。この廊下を進んで右に曲がった突き当たりが私の部屋だ。私は職員に一声かけてくる」

「流石に女の子の部屋に勝手に入るのも悪いしここで待っているよ」

「分かった、すぐ戻ってくる」

 

「エロ本さがそーぜ」とか言いながら『女の子の部屋』に突撃しそうな五条を捕まえ、夏油は安藤に待つことを告げた。安藤は一瞬五条に冷めた視線を投げてから、食堂と札が掲げられている部屋へ消えて行く。

 

「そうか、もうそんな時間か」

 

 夏油は携帯電話の時間を確認した。安藤との衝撃的とも言える遭遇をしたことで普段のルーティンはすっかり頭から抜けていた。

 

 安藤はすぐに出てきた。お盆を手にしており、牛乳をかけたオートミールのような食べ物がいっぱいに入った皿と、飲料水の入ったコップが乗せられている。

 

「うわ、なにそれ離乳食?」

 

 五条が皿を覗き込んで言い放つ。安藤は呆れた声色でそれを否定しながら歩き出した。

 

「そんな訳無いだろう、これはうちの職員が用意した手作り完全食(パーフェクトフード)だよ。まずいが、三食食べれば必要な栄養は全て摂取できる。君たちの分は無いからな」

「いらねー」

「ここに住む子は小さい頃からこれを食べてるのかい?」

「いや……これは私専用だよ。他の子はもっと見た目も味もマシなものを食べている」

(……さっき虐待はないって言ってなかったか?)

 

 夏油は口を吐いて出そうな疑問を飲み込んだ。五条は興味ないのか意外と大人しい。

 

「はい、ここがお待ちかねの『女の子の部屋』ですよー」

 

 そこは殺風景な部屋だった。六畳ほどの間取り、置いてある家具はパイプベッドと古びた勉強机、小さな箪笥くらい。

 

「なんと特別に一人部屋なんですよー、と。……うーん、客を招くなんて初めてだから椅子の数は考えていなかったな。あまり座り心地は良くないがベッドに腰がけてくれ」

 

 藤堂は二人にベッド勧めてから自らは椅子に座った。

 

「悪いけど先に食べさせて。時間が経つと水分を吸って余計に不味くなる。その間に私に聞きたいことでも整理しておいてくれ」

 

 慣れた様子で食事を流し込む安藤をあまり見ないようにしながら、夏油は密かに建物全体を探る。

 こういった場所なのだから負の感情が留まり、呪霊が発生しやすそうなものだが、蠅頭どころか形が定まる前の黒い塊の影もない。

 安藤が変転術式を扱えているのはほぼ確定に等しいので、片っ端から呪力を別物に変換しているのだろう。

 安藤が食べ終わるタイミングを見計らって五条は声をかけた。

 

「で、ずっとはぐらかされてたけど、お前の不思議パワー何」

「君はもう言葉を選ばないな……別にはぐらかしていたわけではないよ、私もなんと説明したら良いか分からないくてね……私が把握している範囲でこの力を説明しよう」

 

 曰く、安藤は物心ついた時から呪霊が見えていた上に、呪いや呪力などを認識できていたという。両親に似ても似つかぬ容姿を持ったことで生まれてすぐ施設に預けられたため、それが何なのか教えてくれる人はいなかったそうだ。

 幼いながらも呪霊を殺す力を欲していたら、いつの間にか便利な力を手に入れた。どうやらそれは呪力を糧に生まれる応用の幅が広いエネルギーで、彼女はアストラルと呼んでいる。

 

 そうして数年間、呪霊と渡り合うために自主訓練と並行してエネルギー源である呪霊を確保していたら、小学三年生の時に何者かに確保していた呪霊を全て祓われたらしい。

 

(それが夜蛾先生が言っていた『懸念事項』というこの任務の前例に当たるのか。年数的にも辻褄は合う)

 

 安藤の話から夏油は推測する。

 

 ともかく、自分以外にも呪霊を祓除できる人物、及び組織が存在することを感知した安藤は、警戒と保身もあってしばらく潜伏することにしたらしい。

 呪霊の発生は見逃せないため、細心の注意を払って呪いを集めたり、蠅頭の捕獲は続けていたようだが。

 そして自身の実力が及第点を超えたのと、一番は義務教育の終了によって自立する必要があるという切実な事情から、自身と同じような力を持つ集団との接触を考えるに至ったらしい。

 

「そうして君たちを誘うために、弱い呪霊が発生する場を複数作ったんだ。数年前にもそれで来たんだから、同じようにすればまたやってくるだろうと思ってね。思ったより時間はかかったけど」

 

 安藤の『時間はかかった』と言った際の語気が微妙に強い。これは言外に責められているのだろうか。

 それにしても弱点にもなりかねない事情までも包み隠さず話してくれるのは信用と取れば良いのか……可能性は低いが他にも頼りがあるのか。

 

「君の力は大体わかったよ。それで、優ちゃんがさっきから『晦冥』と呼んでいるその呪霊はなんだい? 何か縛りで契約でもしているのかな」

 

 安藤からの説明を咀嚼しながら、夏油はずっと聞きたかった事を質問した。呪霊操術を持つ夏油としても規格外な呪力を孕む存在は気になる。

 

「うん? ……その縛りっていうのはよく分からないが、いくつか約束はしているな。この子は確保していた呪霊の生き残りでね、必死に縋り付いてくるから丁度良いと思って持ち帰った。その時の晦冥は吹けは飛ぶようなよわよわの霧だったから言ってやったんだ。お前が私の役に立つなら存在を許してやる、ってね」

 

 どこか愛おしげに左人差し指にある指輪を撫でる安藤。

 だが夏油のように術式として確立しているのではなく、たったそれだけの言葉であのクラスの呪霊が御しきれるとは信じ難い。

 

「その他にはないのかい?」

「んー、だんだん愛着が湧いてきて、お前は弱いから何者からも守ってやるって言ったかな。私がこの子を守る限り、この子も決して私を裏切ることはないよ」

「でもそれは当時の話だろう? 私が見た限り、君の呪霊はかなり強い部類に入るように見えるが……」

「そうなの? でも私が殺した今日の呪霊の前に放り出したら、晦冥すぐにマウント取られてボコボコにタコ殴りされてしまうと思うけど」

「ええ……」

 

 多数の呪霊を擁する夏油から見ても、晦冥という呪霊がそのような下等だとは思えない。実際に安藤が切り落とした呪霊の一部をノータイムで消化しつくしている場面も見ている。

 直接的な戦闘能力に欠けていたとしても、その他の能力で最終的に準一級程度なら食い殺しそうだ。

 

「良ければ君の晦冥を直接見せてもらえないだろうか」

「構わないよ。……晦冥、少し出てきて良いよ」

 安藤が左手を掲げて指輪に合図を送る。それに応えたのか、すぐに指輪から染み出した黒い影が集まり、何かの形を象っていく。

 

 

「ギュエエエエェェェ」

 

 

「「………………」」

 

 出来上がったのは両手に乗る程度の大きさの、目つきの悪い赤い目を持つ二頭身の黒い鳥。可愛らしいその見た目に反して嘴から飛び出たのは聞くに耐えない奇声だった。

 

「おい、可愛くないから鳴くなって言っただろう」

『は~い』

 

 閉口する夏油と五条とは違い、安藤は慣れたように注意をした。

 晦冥は空中に文字を形成する形で返事をする。

 

(やはりこの呪霊は複雑な意思疎通ができるようだ。この時点で高位の呪霊に間違いないね)

「そいつが、お前のいう晦冥って呪霊の本体?」

 

 それまで黙って話を聞いていた五条が謎の鳥を指差した。

 

「いや、晦冥の本体は無形の黒い靄だよ。私が呪力を食わせすぎたのか気配が濃くなりすぎてしまってな……指輪には収まってくれるんだが、全て顕現すると敏感な子供が怖がるのでこのように一部だけ出してダークラッピーの形をとらせている」

「ダークラッピーって?」

「宇宙のどこにでも生息する謎の鳥。晦冥黒いし、ダークラッピーも黒くて可愛いから丁度いいと思って。これでも成長したんだよ、晦冥は最初は一色しか真似できなくて私のアストラルを流すことで目とか羽の色を再現していたのだけれど、でもこの子が研鑽したことで色の再現もできるようになってからは更に細かいデザインも——」

 

 自慢気に長話をしているのを聞き流す。たぶんそういう設定なんだろう。数ヶ月前まで中学二年生だったし。

 馬鹿正直に「中二くせ~」とこぼした五条が頭を(はた)かれているのは見なかったことにする。

 

(ともかく、彼女たちの契約が実際どこまでの拘束力を伴っているかは不明だが、少なくともこの呪霊が素直に命令を聞いて庇護されている程度には優ちゃんの実力は高いのかもしれない)

 

 実際に準一級を相手にしてもまだまだ余裕がありそうだった。

 

 一通り語って落ち着いた安藤が改めて口を開いた。

 

「それで? 私は聞かれた事を素直に話したよ。次は君たちの番だ。私もいくつか知りたいことがある」

 

 安藤の質問はざっくりと纏めるとこうだ。

 ・安藤の力は呪術師から見てどのように解釈されるか。

 ・呪術師はアストラルまたはそれに類する力を認知しているか。

 ・呪術師の業界について

 ・安藤は呪術師になれるか

 ・おまけとして五条と夏油の能力

 

 安藤の質問には呪術界に詳しい五条が答えた。五条も安藤も子供っぽいところがあるので、すぐに脱線してしまうのを夏油がフォローしてやる。

 五条だけなら友人付き合いの範囲内だが、五条と安藤を絡ませると子守相手が二人に増えた気分になる夏油であった。幸い険悪ではない。今日出会って早くも喧嘩するほどなんとやらってやつなのか。

 

 話を進めるにあたり、安藤の天与呪縛の体質も説明した。

 本来持つべき才能だったのに、完全に呪力を持たないで生まれたので縛りが発動して高い身体能力を持つこと。その上で奇跡的に術式が噛み合い、呪力とは別の力を使いこなせること。かわりに縛りの恩恵も下がっていはいるが、総合的にかなり高いポテンシャルを持っている、というのは六眼を持つ五条が下した判断だ。

 

 因みに、安藤はおまけと称していたが呪霊を祓っていた時から五条と夏油の能力はかなり気になっていたらしい。本人は隠しているつもりでも興味津々なのがすぐ分かった。

 三人で一緒になって能力を語り合うのが存外に面白かった。夏油は密かにポーカーフェイスの下に隠したが。

 

「ふーん、つまり二人の説明をまとめれば、私が持つ変転術式ってのはいくつか前例があって別に特別異端視されるものではないし、私自身に呪術師になる才能もあるけど、変換後の謎の力が君たちの上層部に目をつけられるかもしれない、と」

 

 顎に手を当てて思考する安藤の様子は誰かへ確認しているというより、思考を纏める独り言のようだ。

 

「ま、上層部の腐ったみかんムーブは今に始まったことじゃねえし、お前が呪術師やりてぇっつーなら滞りなく高専に入学できるように俺がなんとかしてやらんこともない」

「えー、五条どうしたの、急に殊勝になるじゃん」

「お前ね、アストラルっつー爆弾を包んで処理してやるっつーんだよ。もっと俺を敬え! お前の先輩になるんだからな! 五条先輩って呼ぶが良い!」

「リームー」

「このガキ!!」

「あ、改めて夏油先輩(・・)、来年からよろしくお願いしますね」

「うん、私も強い後輩ができて心強いよ。よろしくね、優ちゃん」

 

 両手を繋いで態とらしく『うふふあはは』する安藤と夏油を、五条が顔面崩壊しながら睨んでいた。

 

 

 ◆

 

 

 夜も更け始めた頃、話は一段落したので二人は帰る流れになった。すごく苦労していそうな補助監督と呼ばれるスーツの人が二人を迎えに来て、彼らを乗せて去っていく車を見送る。

 

「呪術界の上層部は魔窟……か」

 

 五条の忠告を反芻する。

 夏油は隣で複雑そうに聞いていたが否定しないところを見ると、あながち脅しでもないのだろう。

 でも。

 

「一枚岩の組織なんて見たことないし……大体どこの組織もそんなものでしょう」

 

 アークス然り、マザークラスタしかり、アースガイド然り。

 組織というものはそれに所属する人間の数だけ思惑が存在する。例え掲げるものが同じだとしても、それに至る道が無限にあるのならば衝突が増えることもあるし、目標を忘れて停滞を選ぶ者もいる。

 私が扱うアストラルもアークスにとってのフォトンとエーテル程度の違いとしか考えていなかったけど、呪術師からすれば未知なだけあって簡単にはいかないらしい。

 アストラルも今のところフォトンと同じ感覚で使えているだけで、私が把握していない性質もあるだろう。こういう時にアークスの高い解析技術が恋しくなる。

 

「呪術師かー」

 

 今日初めて知ったけど、皆で呪霊を狩るなんて楽しそうだなー。

 五条も夏油も、せいぜい組織への橋渡し役になってくれれば良いと考えていたが意外と協力してくれそうだし。

 

「私の未来はまだまだ明るいぞー!!」

 

 少なくともホームレスは免れコースだね。

 

 

 ◆

 

 

「よう、安藤」

「ごめんね、優ちゃん。コイツがどうしてもってうるさいから、今日もお邪魔するね」

 

 翌日、五条が襲来してきた。傍らに申し訳なさそうに笑う夏油を引き連れて。

 行き違わないようにか部活を終えて下校するところを態々狙ってきた。

 

「今日も近場で呪霊を狩るんだよ。お前暇だろ、見学がてら行こうぜ」

「これもオープンキャンパスと思って付き合ってやってよ、ね」

「キャンパスここにないけど!! 屋外実習ってことで!」

 

 背が高く、お世辞にもガラが良いとは言えない二人に絡まれている私だが、周囲の視線が突き刺さるだけで誰も助けようとは思わないらしい。まぁ、見た目だけなら私もどっこいどっこいか……。

 彼らの後ろで昨日も見た補助監督の人が待機している。文句を言わないということは話は付けてあるのだろう。

 

「分かった」

 

 断る理由もないので同行することにした。

 

 近場って言ったくせに車で一時間近くする場所だった。これ東京出てんじゃないの。

 目的地についてからは五条と夏油が呪霊を瞬殺するのを見ていた。昨日聞いた能力の解説を知った上で観察するのは新しい発見があって中々面白かった。

 もし、自分がこのふたりと戦うならどうするか、考えるのも楽しい。

 

 移動時間が長かった割に十分とせずに事は済んだので、施設に送り返してもらって解散となった。

 

 

 ◆

 

 

「よう、安藤」

「ごめんね、優ちゃん。コイツがどうしてもってうるさいから、今日もお邪魔するね」

 

 次の日も五条はやってきた。お約束のように夏油も苦笑いで付いている。

 今日も呪霊狩りに誘われた。

 

 ——あれ? これ昨日も見たな?

 

 これまで私の行動範囲と言ったら徒歩で行ける範囲くらいだったから、遠出気分で付いていくことにした。

 

 

 それからは毎日ではないが、結構な頻度で前触れもなく二人はやってくる。

 学生の身分でそんなに働くのかと思ったが、どうやら人手不足の業界らしく実力さえあるなら学生でも現場に派遣するらしい。仕事を任せる関係上しっかりと給料も支払われるそうな。

 なんだそれ、最高じゃないか。

 五条と夏油は同期にもう一人、家入硝子という女の子がいるらしい。ただ、この人は反転術式といういわゆる回復に特化した人で貴重な人材、戦闘型でもないので余程のことがなければ現場には出てこないようだ。

 五条から私が高専に入学する許可を既にもぎ取ったのは知らされているので、会うのが楽しみである。

 

 

 ◆

 

 

「よう、安藤」

「今日もよろしくね、優ちゃん」

 

 飽きもせず夏休みにも二人はやってきた。

 もうお約束となってしまったやりとりの後に車に乗って目的地へ向かう。

 

「実は私たちの担任の先生に相談したんだけど、そろそろ優ちゃんも呪霊を祓ってみない?」

「また急な話だな」

 

 道中世間話をする軽さで夏油が提案してきた。五条も面白そうに続く。

 

「お前は期待のルーキーって話通しているからな、実力を事前にはかる為にも補助監督付きでどうよ」

「断る理由もないし良いけど」

 

 最近流されるままにあちこちに連れ回されている気がするなあ。

 

 今回の目的地は寂れた山道を脇にそれた林の中。

 付近に幽霊が出るトンネルがあるとか、呪われた廃村があるとか、ホラーが好きな界隈では結構有名な場所らしい。実際に肝試しに来た物好きな若者達が行方不明になったことで呪霊が発生しているのが発覚したそうな。こうして後手に回るのも珍しくないのだとか。

 

「強さはどれくらいなの?」

「二級くらいだから、優ちゃんが前に戦った呪霊より一段弱い分類だね」

「ま、そこらへんのカテゴリは結構アバウトだから油断はするなよ。実際行ってみたら聞いてたのより強かったり、術式は使えなくても一級相当ってのもあるし。珍しいけど」

「そう、分かった」

 

 獣道を伝ってちょっとした山登りをした先に不自然に拓けた場所がある。随分と寂れているが無人の集落のようだ。建物もかなり朽ちており、呪われた廃村の噂の出処は十中八九これだな、というのが分かる不穏な空気が漂っている。

 実際、集落の中に呪霊の気配を感じる。一番大きいのが二級相当で、あとはちらほら散らばっているのは三級から蠅頭くらいの雑魚か。

 

「では、帳を下ろします」

 

 補助監督が闇色の結界を張る。人目など無きに等しいが念のためなのだろう。

 

「さてと、君たちの前で戦うのはこれが二回目か」

「なんだよ、安藤。緊張してんのか?」

「冗談」

 

 せいぜいかっこ悪いところは見せないように程々に頑張ろう。

 テクニックはまだまだ訓練が進んでいないので本番で事故が起きるのは避けたい。

 となれば自然と選択肢は一番慣れているカタナに限られるが……今回はファントムクラスを試してみよう。前は建物の中だったからあまり派手な動きはできなかったしね。

 

「五条、念の為に君の術式で防御しててくれない? 他人がいる想定はしてこなかったからフレンドリーファイアがないとも限らない。気を付けるけど万が一がないとは言えないからさ」

 

 さて、五条保険にも加入したし、多少地形が変わるくらいは問題ないって補助監督の人も言っていたから気軽にやっていきますか。

 

「晦冥、よろしく」

 

 イメージするのはグリムアサシン。アークスの技術によって武器の見た目を変更する迷彩アイテムだが、それを直接武器として扱えるように落とし込む。

 手に渡されたのはカタナ形態。具合を確かめるために一度鞘から抜いてみる。

 流れるアストラルの色はカーマインではなく美しい空色。

 

「うん、やっぱりグリムアサシン(これ)はこの色が一番相応しいね」

 

 この色が見たくて晦冥が再現した色をアストラルで塗りつぶさないように、わざわざ武器の内側を循環するよう強化するなんて面倒な芸当を覚えたのだ。

 

 感知した気配を追って集落の中心へ近づいていく。

 二級の呪霊はボスを気取っているのか一番大きい建物に潜んでいるようだ。

 

「いつまでも穴熊ぶっていると、知らないうちに殺されるよ」

 

 建物の柱を狙って、シフト・ローゼシュベルトを連続で放つ。空間を裂いて残り続ける斬撃は複数形成され、支柱を切り刻むだけでは終わらず、崩れ落ちる瓦礫さえも細切れにした。

 呪霊だし、流石に呪われてもいない建物に潰されて終わり、なんてことはないと思うが。

 なかなか現れない敵を呑気に待っていると、急に瓦礫を突き抜けて巨体が現れる。大きさはロックベアくらい、見た目も熊に近い。ただ頭部は熊っぽさ以外にどこか人間に近く、髪の毛のようなタテガミも生えている。

 呪霊は人の負の感情から生まれる存在だからか、これまで見てきた個体もどこか人間に近い要素を持っていることが多い。

 長い両腕の先には鋭い爪が刃の如く生えている。あれがメインウェポンか。

 

「なんだ、本当の熊か」

 

 クッと思わず笑ってしまったのを挑発ととったのか、怒りの咆哮とともに瓦礫を押しのけて突っ込んでくる。

 大ぶりな爪の攻撃を身を低くして避ける。

 ほぼ地面にくっつく程の低姿勢。

 起き上がる際のバネの力を利用し、飛び上がりながら素早く呪霊の横から間合いを詰め、そしてシュメッターリング。鞘、カタナ、脚を利用した三連の格闘攻撃は違わず頭部に突き刺さる。

 高速の連続攻撃は呪霊の右側頭をただの肉片にしたが、これだけでは倒すのに十分ではないらしい。

 少し距離を取って相手の出方を見てみる。あ、瓦礫を投げてきた。それを避けたり、切り落としたり、蹴ったり、あえて隙を見せたりしたが、遠距離攻撃は物を投げる以外飛んでこない。

 どうせなら私みたいに斬撃飛ばしたりとか期待してたんだけど。

 何にせよ、四肢が揃っていて動作もロックベアに近いし、これだけ様子見をしても変わった動きはないし。

 

「パワーと図体がでかいから二級なのかな?」

 

 さっさと終わらせよう。

 投げつけられた瓦礫を足場にして高く飛び上がる。更に別の瓦礫も足場に利用して高度を保ちながら接敵していく。呪霊の間合いに入った時、相手も狙っていたのか投げる動作と見せかけて両腕で大振りの斬撃を繰り出してきた。

 

「——なっ」

 

 私は滞空している。このままでは避けることも出来ず、爪は容易く私を輪切りにするだろう。

 

「んてね!!」

 

 通常ならな。

 体重移動と持ち前の身体能力に任せて無理やり体勢を変える。スレスレで爪の間をすり抜けた。

 アークスにとってギリギリの空中戦なんて日常茶飯事だ!!

 地面に向かって落ちていく、その勢いをアストラルの放出で更にブーストしてヴォルケンクラッツァーを繰り出す。叩きつけたカタナを中心に広がった衝撃波は呪霊の足元に波及し、狙い通りにその体制を大きく崩した。

 カタナの一閃で軸足を切りつけて転倒させる。

 あとはフォルターツァイトで死ぬまで切り刻む!

 フォルターツァイトは六回の流れるような剣閃による連続攻撃だ。この呪霊は三回目の途中で動かなくなった。

 

 感想。

 面積が大きいので訓練の成果を試すのに良い的だったが、最終的に耐久値を削りきる作業になってしまった。呪霊の死ぬ間際の後先考えない反撃はあったが、それも当たる前に剣閃の餌食になって不発だったので意味なし。

 

 晦冥に呪霊の肉を食わせている間に、大きく伸びをする。

 あとは残った雑魚狩りと行こうか。

 

「ファントムライフル」

 

 呟くと同時に武器にイメージを送り込む。カタナの形をした武器は瞬時に形態を変化させ、瞬く間に私の手に一丁のライフルが握られている。

 グリムアサシンを武器にしたのは趣味もあるが、スイッチを押すように武器形態を切り変えるイメージを持ちやすいからだ。長く使用していたので形状や握り心地なども馴染む。

 

 離れた家に潜む呪霊の気配を狙って発砲。アストラルを結構な威力の弾丸として吐き出す通常攻撃は、壁など容易く貫通して蠅頭を爆散させた。

 大物が倒れたら、あとはもうただの作業だ。群れる弱い呪霊をクーゲルシュトゥルムによる弾幕で蹴散らし、逃げる三級は走って追いかけてシフト・ナハトアングリフの大型貫通弾で風穴を開ける。

 最後にライフルのビット制御をちゃんと再現できているか確認するためにビットの設置攻撃。

 

「はい、鏖殺完了。お疲れ様でしたー!」

 

 五条と夏油にいい笑顔でサムズアップする。

 五条はノリノリで、夏油は少し恥ずかしそうにしていたがサムズアップで返してくれた。

 後ろで控えていた補助監督の人はちょっと表情が強張っていたが。

 呪霊の死なんて見慣れているだろうしどこか具合が悪いのか聞いてみたら、死んだあとも肉片がずっと残るのは見たことがないとかで、普段と違うゴアにちょっと衝撃受けているだけだった。

 

 

「なんで銃火器の使い方知ってんの? ここって日本だよな」

「自分が扱いやすい形を晦冥に再現してもらっているだけ。そしてこれは銃であって火器にあらず」

 

 五条の疑問に適当に返す。

 確かに法治国家の平和な国でアサルトライフルなんて普通は触れることはないよねえ。前世アークスっていう戦闘職してたとか言えるわけないし。

 突っ込みどころ満載な武器なんてこれからいっぱい出す予定だし。

 

「そっか、安藤って中二病だったわ」

「誰が中二病か」

 

 

 ◆

 

 

 それからは定期的に五条たちはやってきて、時々は私も戦闘に加わったりした。

 帳があればある程度派手な攻撃をしても外部に漏れないし、建物の破損は後で関係者が修復する。

 私も帳が使えれば五条たちがいなくても、地元の廃墟ビルでもうちょっと大胆に訓練できるんだけど。私呪力がないからなあ……。

 晦冥……あんた使えるようになったりしない……?

 

『できるよ』

 

 やった、マジか。さすがうちの子天才!

 うちの子、やれば出来るんです!

 

 

 

 

 季節は過ぎていく。

 夏が終わり、剣道部の最後の大会を華々しく優勝で飾って私は引退した。

 なんか、天与呪縛ってのがある時点でズルのような気もしたが、できるだけ技術で勝つように変な努力した。

 

 学校と施設には早い段階から宗教系の高等専門学校に行くと申請している。入学の内定も決まっているしな。

 五条たちに連れ回されている内に働いた分はきっちりと給料として支払われたため、自立資金も十分ある。学費は免除されるし、施設からも文句は出なかった。向こうも早く私が出て行く方が嬉しいだろうし。

 

 受験で焦る同級生を尻目に、のんびりと雪を楽しんだり、山奥で五条たちとガチ目の雪合戦したり……ああ、あとテクニックの練習で間違えて五条の指を溶かしたりした。すぐに高専に帰って治してもらったらしい。

 

(夏油さん引いてたなー)

 

 正直すまん。

 

 そうこうしているうちに新緑も顔を見せ始めた。

 

 桜が満開の中、私は中学校を卒業した。

 記念写真なんて撮る相手もいないと思ったけど、告白をしてきた男の子が最後の思い出にって撮ってった。それが実はちょっと嬉しかったり。

 

 

 さて、いよいよ呪術高専への入学が数日後に迫っている。

 

 高専の場所を聞いたときは少し驚いた。ほぼ真反対に位置しているとはいえ、同じ東京都内にあったのによく私これまで潜伏できたな。やっぱり普段から徳を積んでいるからですね。

 新入生は何人かいるが、呪術師と補助監督の養成は別扱いらしく、一緒に机を並べる同級生は二人だけ。少ないと思ったが呪力を扱う人間なんて多くもないしこんなものなんだろう。

 

 少ない荷物をトランクに詰め、届いた制服を眺める。

 ある程度は改造して良いって言われたので、アーベントローゼ・スタイルにできるだけ寄せた。足元は危ないのでヒールからローファーに変更され、所々に渦巻きのボタンがあしらわれている。

 呪力耐性のためデザインは簡略化されたが、なかなか可愛らしくて好き。

 

 新しい服はワクワクするねー。特に今世は学生になってからは制服と体操着くらいで私服なんて持っていなかったし。

 柄にもなく修学旅行よろしく楽しみにしている自分を自覚した。

 

 

 ◆

 

 

 バカ五条、コロす。

 

 

 



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6.高専一年生 一日目・朝 ★挿絵有り

 七海健人は毎朝余裕を持って準備をする。それは呪術高専に入学してからも変わらない。

 早朝に起きて身支度を整えた後、寮のキッチンを借りて簡単なベーコンエッグを調理し、併設の食事スペースで焼いた食パンと共に食べる。食事のあとは荷物を持って早々に登校する予定だ。

 

「七海おはよう! 朝早いんだね」

「おはようございます」

 

 朝から溌剌な調子で話しかけてきたのは昨日同級生として対面したばかりの灰原雄だ。制服まできっちり着込んでいる七海とは違いまだ部屋着でうろついている。

 責めるべきは彼ではなく、単に七海が早いだけだ。

 灰原は飲み物を取りに来たようだ。

 

「そう言えば今日はもう一人の同級生が来るんだよね。昨日が入学式なのに一日遅れてやってくるって、どんな子なんだろ」

「さあ。すぐにでも対面するでしょうし落ち着いて待ってみては?」

「女の子って聞いたけど、仲良くやってけるといいなー」

 

 初対面の時、明るい灰原に七海は少し戸惑ったが七海の愛想のない返しも気にしない事は既に知っているので気負いなく返事する。確かに、もう一人もこれくらい楽な関係が築ければ良いだが。

 

「なに? 安藤の話?」

「あ、五条先輩おはようございます!!」

「おはようございます……」

「おはよーさん」

 

 二人の会話に第三者が割り込んだ。いつの間に居たのか二人の先輩当たる五条だ。スカウトで入学した七海だが生来の真面目さもあって、事前にある程度高専の関係者や有力な呪術師は調べていた。

 その情報においては、五条悟は現代の呪術界において最強の一角であるとされているらしい。

 実の所、七海は初見からこの先輩に少し苦手意識を抱いている。

 

「安藤さんって今日入学する僕達のクラスメイトですよね!」

「そ、俺がスカウトして来たの」

「五条先輩が直々にですか? それは心強いですね!!」

「傑も一枚かんでるけどな。最強の俺達が推薦するんだ、アイツの実力は保証するぜ」

 

 七海は五条の登場から感じ始めた嫌な予感に胸騒ぎがした。この先の会話は聞かない方が良い気がする。だが、無情にも灰原が核心に切り込んで行った。

 

「丁度七海と話してたんですけど、なんで入学式の次の日にやってくるのかなって」

 

 五条悟は呪術師として高い能力を持ち、モデル顔負けの整った容姿とスラリとした高身長を持っている。

 

「ああ、それね」

 

 御三家出身のエリートで、未成年ながら実質当主としての権威も持つ。

 二物どころか三物も四物も与えられているようなこの男だが、

 

「俺が安藤に入学式は今日だって嘘ついた」

 

 何処か肝心の物が欠落している印象を受けるのは決して気のせいではないはずだ。

 

「もうとっくにバレてるだろうけど」

 

 男はカラカラと笑った。

 

 

 ◆

 

 

「まあまあ、どうせなら皆で安藤を迎えに行こうぜ!」

 

 五条の一声で夏油と家入も集められ、何故か一年と二年の全員で新入生を迎えに行くという話になった。

 普段はあまり関心を持たない家入も「クズどもが半年以上前からご執心の女の子がどんな子か興味ある」と言って同行した。

 迎えに行くと言っても別に大したことではない。安藤は最寄り駅までは自力で辿り着いており、補助監督が運転する車でもうすぐ高専に到着するのだと言う。

 校門付近で待ち伏せして一番に顔を見ようという実にくだらない提案を、五条の勢いに押されて七海も参加することになってしまった。

 新入生一人のために補助監督まで動いていることに何らかの作為を感じつつ。

 

「そろそろかな」

「お、噂をすれば」

 

 夏油が時間を確認するとほぼ同時に、五条が角を曲がってきた黒い車を発見する。車は学生たちから少し離れて滑らかに停車した。

 先に降りてきたのは補助監督で、気のせいではなく明らかに顔色が悪い。彼は誰が命じた訳でもないのにまるで執事のように自主的に後部座席のドアを開けると、中から出てくる人物を決して直視するまいと顔を伏せた。

 

 最初に磨きあげられたローファーが地を踏んだ。黒のストッキングで包まれたスラリとした脚がそれに続く。

 その人物は七海が想像していたよりは小柄で、想定よりも重い威圧感(プレッシャー)を纏って現れた。

 背中を覆う程度に長い象牙色の銀髪は洋紅色混じり。白いシャツの上にテールコートジャケットを羽織り、下は短いスカート。現代風ながらどこかシックな雰囲気に改造された制服。下手したら着る人間の方が衣装に負けるデザインを着こなす少女。

 それだけならまだ良かったが、何故か目元を隠す黒のサングラスをかけており、なんだかガラが悪い。

 七海は何故か横に立つ五条を連想した。

 

 そそくさと素早い動作で補助監督が一抱えあるトランクケースを運んでくる。

 

「安藤さん、お荷物です」

「ありがとうございます、門倉さん。わざわざ駅まで迎えにも来て頂いて」

「い、いえ。それでは私はこれで!」

 

 最低限のやり取りだけをして門倉と呼ばれた補助監督は早々に退散して行った。まるで何かに怯えているかのように。

 

「さてと」

 

 彼女はキャスター付きのトランクケースを足元に立たせる。

 並ぶ顔ぶれを一瞥し、少女がどこか不遜に言い放った。

 

「皆さん初めまして。安藤優と申します。……一日遅れの新入生をお出迎えしてくれる方達がいるとは思いませんでした」

「初めまして! 僕は灰原雄! 僕も今年の新入生なんだ。名前同じ響きだけど、英雄の『ゆう』って書くんだ! よろしく」

 

 どこか異様な雰囲気とも言える中、灰原が溌剌とした調子で自己紹介を返した。

 

「私の名前は優しいのゆうなんだ。これからクラスメイトとしてよろしくね、灰原くん」

「初めまして、家入硝子、二年生。怪我したら反転術式で直してあげるから遠慮なく来てね」

「あなたが……夏油先輩からお話を伺っています。他人を治せるすごい方だと。よろしくお願いします、家入先輩」

 

 面識がない中で唯一残ったのは七海のみになってしまった。正直嫌な予感しかしないのでさっさとこの場から去りたいが、この流れで一人だけ自己紹介しない訳にも行くまい。

 

「七海健人です。君と灰原くんと同じく今年入学です、よろしくお願いします」

「七海くんだね、今日からよろしく」

 

 一通り初対面同士が挨拶を済ませたタイミングを見計らって夏油が進み出る。

 

「おはよう、優ちゃん、改めてこれからよろしくね」

「夏油先輩、おはようございます。こちらこそよろしくお願いします」

「なぁ、さっきから安藤のその喋り方何? 高校デビューしたの? そのサングラス俺の真似?」

「あれ、今、虫が鳴きましたか?」

 

「「虫!!」」

 

 夏油と家入が揃って腹を抱えながら爆笑した。

 五条がほほ笑みながらこめかみに青筋を浮かせる。

 安藤はそれらの全てをスルーしてトランクケースのハンドルに手をかけた。

 

「すみませんが、どなたか学生寮まで案内をお願いしても良いですか? 私の荷物これだけなので輸送する必要もないと思って持ってきたんですけど、さすがに邪魔なので部屋に置きたいんです」

「じゃあ僕が案内するよ!」

 

 すぐに灰原が案内を名乗り出る。

 

「俺も行くぞ」

「悟……同級生同士ゆっくりさせてあげようよ」

「は? むしろ顔馴染みがいた方が良いだろ」

 

 夏油がやんわりと誘導するも無駄に終わる。夏油は状況を見守りつつも最悪の事態は避けるようにフォローに回ることにした。

 

「私はこのまま校舎に行くけど、道同じだから途中まで一緒に行くわ」

(私も途中離脱したい……)

 

 家入の発言に七海も続きたかったが、夏油の『同級生同士』発言によって退路は絶たれている。七海健人、真面目である。

 

 案内を買って出た灰原を先頭に歩き出した一行。

 

「優ちゃん、荷物持とうか」

「いいえ、これくらいなら大丈夫ですよ。……念の為に聞きますが夏油先輩は加わっていませんよね?」

「おい、安藤」

「うん、私も知らない間に話が進んでいたようでね。昨日君の姿が見えないのでやっと気が付いたかな。それと私への口調はこれまで通りで良いよ」

「安藤」

「フフフ、では口調は遠慮なく。……そうか、あなたが無関係だと聞いて少し安心したよ」

「ハハハ、そう言えば髪型変えたんだね」

「うん、高専入学するし呪術師にもなるし心機一転には丁度良いかなって。前髪で目を隠すのもやめたかったし」

「おーい、聞こえてますかークソガキ安藤さーん」

 

 道中やり取りをする安藤と夏油の周りを五条がアピールしながら動き回っているが、どう見ても無視されており、何故か夏油まで一緒になって見て見ぬふりをしている。その光景に最後尾で七海が冷たい視線を送っていた。

 そんな中、安藤はおもむろにサングラスに手を掛けた。

 

「街中では目立つから一応サングラスを付けていたんだけどね。どこかのクズのおかげでその気分じゃなくなったからもう外す。今時ならコンタクトで通るでしょ」

 

 七海は現れた白い瞳孔に一瞬息を詰めた。が、五条の六眼ような前例も知っていたため、すぐに呪術師特有の身体的特徴と考えることにした。灰原はそもそも細かいことを気にしていない様子。

 二年生組はそれには全く触れず、安藤の発言で盛り上がってる。

 

「五条クズって言われてんじゃん、ウケる」

「悟、ついにバカからクズに格下げされてしまったね」

「誰もクズが俺だって言ってねーだろ!! 傑もなんで一緒になって無視してたんだよ!」

「今回は悟が何も事前情報をくれていないじゃないか。流石にフォローのしようがないよ」

「……言ってなかったか?」

 

 実のところ夏油は五条の目的をある程度察してはいるがあえて知らないふりをした。いつもなら五条の側に立って悪ノリすることもある夏油だが、今回は中立を保つことにしたようだ。

 それを察した家入がますます面白そうにニヤニヤしている。

 そんな中、安藤が実に忌々しそうに五条を睨み上げた。

 

「クズ五条、いちいち突っかかって来て何か用? お前の負債は貯めてから首一つで許してやろうと考えていたのに。下らない要件だったらマジぶっころ」

「はぁあ? 殺害予告? なんでそんなキレてんの?」

「キレてねえよ」

「だよな、俺悪いことしてねえし」

「ころすぞ(なんだこいつ)」

「優ちゃん逆、逆。本音の方が出てる」

 

 安藤が足を止める。

 

「私もこの際はっきりさせたい。五条、なぜ私に今日が入学日だと嘘をついた?」

 

 安藤の鋭い睨みを、五条が飄々と受け止める。

 

「んなの、お前の爆弾をじじぃどもに知られねえように、お前を守るために決まってっだろ」

「………………はぁ?」

 

『守る』という意外な発言に、たっぷりと間を空けて安藤が素っ頓狂な声を出した。夏油は予想していたのか「やはりそんなところか」と納得している。

 

「軽い入学式とはいえ来賓として上の連中が顔を出しにくんだよ。人手不足の業界、高専の入学生ってのは貴重な人材だかんな、公式的に初めて一斉に揃い、かつ来校する理由にもなる入学式を狙って実物を見聞しに来る奴らもいるんだよ」

「それで?」

「事前に予定を組んでるご老体ばっかだから、一日ずらせば余計な奴らは消える。お前の能力はある程度ぼかして上に報告しているが、実際に見られたらどうなるか分からんし。守るより隠すってのが本質だな」

「ふ~ん……? 夏油先輩、今の話は本当?」

「うん、私も予想していた内の一つだからね。理屈としては通っているよ」

「そう……」

 

 五条の説明を聞いても安藤は素直に納得はしていない顔だった。

 

「んだよ、この俺がここまで手間をかけて手を回してやってんのになんか文句あんのか」

「いや、その話が本当なら私のためにしてくれたこと。私は礼を言うべきであり、君が責められる謂れはない」

「分かってんじゃん」

 

 夏油が密かに後退し始める。「下がったほうが良いよ」とほかの新入生二人にこっそり忠告までして。忠告された七海と灰原は正確にその意味を測り兼ねていたが、家入がいつの間にか消えていたこともあり、危機本能に素直に従った。

 

「でも一つだけ腑に落ちなくてね」

「何が」

「そのようにしっかりとした理由があるのなら事前に私に一言通達すればよかっただろう。何故わざわざ私にも黙っていたんだ?」

「敵を欺くにはまずは味方からって昔から言うじゃん」

「その心は?」

 

Surprise(サプラーイズ)!!!」

 

「………………」

「え、まさか英語分かんない? 驚きだよ。安藤に驚いて欲しかったから——てへ☆」

 

 

 直後。

 五条にトランクケース、クリーンヒット。顔面に。

 

 

「っぶねーな! 何しやがる!?」

 

 否、当たったかと思われたが五条の無下限術式によって防がれていた。

 打撃音は発生せず、周囲に風が吹き抜けた事象だけがその攻撃速度を証明している。

 

「おい、今のは防ぐところじゃなくて甘んじて受け入れるところだろ、空気読めよ」

「んなの生身で受けたら頭破裂するっつーの」

「なんでこのクズはバカなのに頭を大切にするんだろう」

「はぁあ? そもそも何マジになってんだよ。こんなのドッキリだろ!?」

「私はな! これでも楽しみにしてたんだよ! その言い分が通るのはテレビの中だけだってのを体に教え込んでやる!!」

「いやんエッチ」

 

 ガチギレする安藤。

 どこまでも茶化す五条。

 

 ここに相容れぬ二人のゴングが鳴った。

 

 そうして始まったのは徒手空拳(ステゴロ)による殴り合い。

 夏油たちは安全地帯からその高速戦闘を観戦する羽目になった。

 

「あのー、夏油先輩」

「なんだい灰原くん」

「なんで五条先輩と安藤さんってあんなに仲が悪いんですか?」

「仲が悪いんじゃなくて、喧嘩するほどってやつだよ」

「いやいや、めっちゃ殺気立ってますけど。特に安藤さん」

「あれで二人共ちゃんと手加減しているよ。地形変わっていないからね」

「……マジですか?」

「悟は術式使わずに呪力で身体強化してるだけだし、優ちゃんも……多分何も使ってないね」

「え、五条先輩は分かりますけど、安藤さんが何も使ってないって……?」

 

 灰原は思わず夏油を見る。

 

「直ぐに知るだろうから言うけど、彼女は呪力がないんだ。天与呪縛によるフィジカルギフテッド。見た目は普通の女の子だけど、純粋な身体能力だけならこの中の誰よりも強いと思うよ」

 

 安藤はそれに加えてアストラルという別の力があるが、今はそれは使っていないと予想している。

 夏油は何度か安藤の戦闘シーンを観察することによって、なんとなくアストラルを読むことができるようになっていた。五条のように呪力の流れを視認できるわけではなく、場の空気から察知する程度だが。

 呪術師の勘はバカにはできない。

 

「——それで、これはいつまで続くのでしょうか」

 

 それまで黙っていた七海が初めて口を開く。無表情・無愛想だが怒ってはいないのだろう。強いて言えば、浮かんでいる感情は『呆れ』だろうか。

 

「うん、そうだね。一旦寮に寄る時間を考えればそろそろ止めに入っても良い頃合だ」

「でもアレ、どうやって止めるんですか……」

「ん? 簡単だよ」

 

 灰原の純粋な疑問に、夏油は軽薄な笑みを浮かべると、手のひらサイズのボールのようなものを取り出した。よくよく見ると目玉や口が付いており、気配から呪霊の一種なのだと分かる。

 

「こうすれば良いのさ」

 

 夏油は徐に呪霊を投擲した。

 綺麗な弧を描いて戦闘の中心地に飛び込んでいったそれ。タイミングを見計らった夏油が指をパチリと鳴らすと——

 

 チュドーーーン

 

 冗談のような効果音とともに爆発する。

 規模としては軽く地面が抉れる程度だが、人間は簡単に吹き飛んでしまうだろう。

 それを無言で見ていた七海は思った。

 

(まともに見えてこの人も大概同類)

 

 灰原はポカーンと口を開けて固まっている。

 

 大きく舞い上がった土埃。数拍おいてそれは五条の無下限術式と、安藤の蹴りで発生した強風によって強制的に晴らされた。

 現れた二人はさすがに喧嘩をやめている。

 常人なら大怪我を負いかねない爆発に巻き込まれて無傷どころか、土埃一つすら付着していなかった。

 

「お二人さーん、そろそろ時間厳しいってー」

 

 夏油が片手を口の横に当てて呑気に言い放つ。

 当人たちはというと顔を見合わせると何事もなかったように歩き出した。

 

「今回はこれくらいで勘弁してあげる、バカ五条」

「もっと先輩を敬え、クソガキ」

 

「じゃ、私たちも行こうか」

 

 無言で立ち尽くす七海と灰原の肩をポンと叩くと夏油は二人の背中を追った。

 

「七海……なんか……いろんな意味ですごい子がクラスメイトになっちゃったね……」

「厄介な予感しかしない」

 

 まだ授業さえ始まっていないのに、今後の学校生活に不安を感じた七海であった。

 

 

 ◆

 

 

【安藤優の高専制服、及び本人イラスト】

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 




公式で夏油はモテると聞いてついつい紳士枠にしてしまう……。クズさはどこに捨ててきた?

高専に入学式ってあんの?


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7.高専一年生 meets 夜蛾+学生生活

 大変遺憾な一日遅れの入学。

 余計な寄り道をしてしまったが、寮母に案内してもらってなんとか寮の自室に荷物を置くことができた。

 

(なんで朝からこんなに労力使うんだろう……)

 

 多分、いや確実に。五条の言動は諦めて流せば良いのかもしれない。

 

(でも泣き寝入りは嫌だ。つーか単純に五条がムカつく)

 

 私が大人げないだけか? と、悶々と考えながら来た道を逆戻りする。

 

「安藤何してたんだ、おせーぞ」

「いや、待ってなくても良かったんだけど」

 

 外に出たらなぜか五条と夏油が待っていた。逆に同級生の二人がいない。どうせなら教室まで連れて行って欲しかったんだけど。

 

「七海くんと灰原くんは私達が先に行くように言っておいたからね」

「……なんで?」

「そりゃお前が昨日できなかった手続きと俺たちの担任と面談するからに決まってんじゃん」

「手続きは分かるけど……面談って?」

 

 歩き出した二人に付いて行く。

 

「優ちゃんが入学するのに関わったのは何も私たちだけじゃない。私たちの担任の先生の助力があったんだよ」

「学長はスルーして良いのか?」

「今の学長は名家出身でもない無名の下々(しもじも)には興味ないんだ。いくら貴重な戦力でも、わざわざ面談をしようとも考えていないよ」

「あいつも保守派(くさったみかん)だからな、今俺たちが知っている中で正直に安藤の能力を言える大人は先生しかいねえんだ。お前の能力を一緒に誤魔化すのに協力してくれている」

「あの……今更だけど、私の能力誤魔化しているっていうけど具体的にはどうしているの? 任せろっていうから本当に丸投げしちゃったけど」

 

 流石に戦闘の要であるアストラルをこの先ずっと使わないなんてしたくない。

 

「優ちゃんの術式、変転術式はそのまま伝えているよ。ただ、その変換後のアストラルを未知の新エネルギーではなく、あくまでも天与呪縛があっても扱える優ちゃんの特殊な呪力と報告しているんだ」

「そんなんで良いの?」

「爆弾は包むって言っただろ。埋めちゃあ、いつ踏み抜かれるか分かんねえからな」

 

 五条曰く、本来術式ってのは術師の数だけあると言われるほど多種多様らしい。体系が確立されているのは御三家を主とした相伝の術式くらい。

 その点、変転術式は相伝でもなく、一人の術師に一パターンしか変転できない扱いにくさもあって未知が多い術式だから、ある程度誤魔化しやすいらしい。

 

「そうなんだぁ……」

 

 フォトンと同じように扱えるエネルギーをアストラルって私が勝手に名付けているだけで、呪術師が受け入れやすいように『特殊な呪力』って呼んでもらっても何ら構わんけど。

 逆にたったそれで上層部は納得するんだなぁ……。

 

「お前なぁ、拍子抜けってツラしてるが六眼にも察知されない『呪力ゼロでも扱える汎用性と隠密性のある何か』を上の連中が聞き付けてみろ、確実にひと悶着あんぞ」

 

 それは散々聞かされてきたから理解できるが。

 

「悟は呪力を押しのけて存在するアストラルを、呪力を見る事で間接的に把握しているから、君の抑止力となる事ができる。その立場が盤石であると示すためにも『六眼でも見れません』なんて伝えていない」

「単純に私が強い呪術師、っていうのはダメなのかなあ」

「それで納得させるには圧倒的に優ちゃんの信用性が足りないね」

「おっしゃる通りです……」

 

 私は自身の戦闘能力を見誤ったりしない。元守護騎士(ガーディアン)として、過不足なく客観的に己を判断できるように務めている。

 呪術界では強者に分類される五条と夏油から一目置かれていることも、ここ数ヶ月のやり取りで自覚した。

 そんな力を持つぽっと出の人間を、五条曰く保身と権力維持が生きがいの上層部が見逃すはずがない。

 

 とは言っても今やっていることも問題の先送りではあるのだけれど。

 呪術師として活動していくならそのうち私の能力の異質さも露呈してしまうだろうし。武器を使用してのフォトンアーツはまだ良いとして、テクニックの使用は致命的だ。

 初めてテクニックを見せた時、五条と夏油が珍しく全力で驚いていたのは記憶に新しい。

 術式は一人一つなのに、術式とは別に魔法じみた属性攻撃が沢山使えるっていうのは、呪術師から見てもおかしいのだろう。

 今後、事情を知る者以外の人目があるところでのテクニック使用は控えたほうが良いかもしれない。使用するとしても限定的な開示に限ったほうが良い。それで——

 

 ——パン、と拍子を打つ音が耳のそばで響く。

 ハッとして顔を上げれば、夏油がすぐ近くで手を叩いたようだった。

 

「思考の深みに嵌ってたよ、話を進めていい?」

「う、うん……ごめん」

 

 そう、どうせ今考えてもしようがないことだ。

 

「取り敢えずアストラルの件はそれで一旦終わり。それはあくまでも潜在的な爆弾だ。今、表面的な問題になっているのは実は君ではなく、君の持つ呪霊、晦冥になる」

「晦冥が?」

「うん。呪霊を完全に支配下に置く術式を持つ私とは違って、君の場合は縛りで擬似的な主従関係にあるだけだからね。君たちの縛りは形式に則って細部まで詰めた契約でもない。晦冥が掃いて捨てるような雑魚なら問題なかったけど、君の呪霊は呪術師から見たらかなり強い分類にあたるからね」

「……この子の純粋な戦闘力ではなく、その能力が問題ということか」

「あとは単純に内包する呪力量が余裕で特級相当ってとこかな」

 

 左拳を握り込む。

 晦冥は弱い。体は脆いし、純粋な戦闘能力だけならきっと三級から抜けたくらい。

 だが晦冥は呪霊らしからぬ知性を備えているし、その能力を搦手として運用するなら準一級程度なら屠れる。

 

「晦冥をどうするつもりだ……?」

 

 思わず睨みつけてしまうが、夏油は気にしない様子でにっこりと笑った。

 

「別に何もとって食おうってわけじゃないよ。私をはじめとして呪霊を従える存在は珍しいくはない」

「?」

「ただ、それを許容するには相応の手順ってのがあってね。今からする手続きにはそれも含まれるんだよ」

「ああ……そういえば元々手続きが目的って言っていたね」

 

 無意識に力んでいたのを自覚して脱力する。

 ちょっと安心した。

 けど、夏油の話の進め方って無駄に不安を煽っているのは気のせいかなぁ……。

 

 

 ◆

 

 

 夜蛾は高専に複数ある道場の一つで待機していた。

 待ち時間を利用して手に持つニードルで羊毛フェルトをチクチクしている。しばらく地道に作業に勤しんでいたが、扉越しにでも外から聞こえる話し声に顔を上げた。

 

「来たか……」

 

 担当している悪童二人に連れられて来た少女に夜蛾は鋭い視線を向ける。

 五条たちからの報告によれば、この少女がかつて夜蛾が任務中に遭遇した不可思議な現象を引き起こした張本人なのだという。

 その目的も既に聞き及んでおり、悪質ではないことと本人も危険性を自覚し反省していること、長年の該当区域での呪霊被害抑止の功績を考慮してお咎めなしとなった。

 

「あの人が私たちの担任、夜蛾正道先生だよ」

 

 夏油に示され、少女の瞳孔の白い眼が夜蛾に向けられた。本人にはその気がなくても、威圧感がある。

 

(悟もこいつも最近の若者は無駄に眼力だけはあるな……俺もサングラスでもかけるべきか?)

 

「初めまして、安藤優です。この度は入学に伴うお力添え、ありがとうございます」

 

 両手を重ねて自然となされたお辞儀は美しいが、夜蛾はどこか機械的な印象を受けた。

 

「何をしにここに来た」

 

 前触れもなく振られた質問に、安藤は少し考えてから答える。

 

「呪術師になるために」

「君はここに来る前から独自に呪霊の祓除を行っていたそうだな。ここに来たのはその延長線上か」

「元々施設を出たら各地を放浪しながら呪霊を祓う予定でした。中学を卒業する前にそれを生業とする職業があることを知ったので、就職先にと考えたまでです」

「就職、か」

 

 それが悪いとは言わない。だが、それでは平凡すぎる。

 

「呪術師は遊びではない。組織に所属するからには義務と責任が発生する。これまで君は君自身の裁量で呪霊を祓ってきた。しかし今後、呪術師として活動するのなら上の指示に従わなければならない」

「………………」

「戦闘で仲間の死を目の当たりにすることも珍しくない。敵は呪霊だけではなく悪質な術師、人間を相手にすることもある。不快な仕事だ。意にそぐわない命令もあるだろう。己の命が最優先事項ではないこともザラだろう。それでも君は——」

 

「仰りたいことはそれだけですか」

 

「……なに?」

 

 ブワリ、と何かが溢れた気配がした。

 

「元より私はここに遊びに来たのではない。この世において、私に呪霊を殺せる力があるのなら、私は喜んでそれを殺そう。この肉が削がれ、骨が砕けようと幾度でも立ち上がって見せよう」

 

 いつの間にか少女の瞳が輝いている。まるで暗闇で光に反射した猫の瞳が発光しているかのように。

 

「義務? 責任? 仲間の死?」

 

 少女は不敵に笑う。

 

「——上等だ。(エネミー)の殲滅、原生種の保存こそがアークス(わたし)の目的。そこには原生住民(にんげん)も含まれている。戦いの過程で仲間の死は避けられない。それを悼みこそすれ、自身が立ち止まる障害にするのは仲間への侮辱行為だ。私が折れる要因にはなりえない。

 

 敵がそこにいるなら殲滅する。

 

 これまでも、そしてこれからも。私が戦う理由など、それで十分だ。それは呪術師になっても変わらない」

 

 少女が口を閉ざすと痛いほどの沈黙が流れた。

 緊迫した空気が場に漂う。

 

(立場が変わろうと、己の意志は変わらんということか。これ以上俺がどうこう言うのも無粋か)

 

 覚悟は示された、ならば問うた夜蛾が否定するはずもない。

 

「——合格だ。改めてようこそ、呪術高専へ」

 

 半端な答えが返ってきたなら力尽くでも本音を聞き出すため、待ち合わせ場所を道場にしたが……意味はなかったらしい。自身がリスクを負ってまでその能力の隠匿を許した生徒だ。威勢の良い言葉が聞けてむしろ喜ばしい。

 

(……しかし途中よく分からん単語が出ていたが何かの設定か……? まぁ、安藤の意図は伝わって来たから良いか)

 

 軽率に突っ込んだら(安藤が)可哀想なことになると察した夜蛾だった。

 

 

 ◆

 

 

「——合格だ。改めてようこそ、呪術高専へ」

「ありがとうございます。先ほどの無礼な振る舞い、失礼しました」

 

 夜蛾に認められたことに私は余裕のある笑みを浮かべた。

 

(あっぶなかったー! 啖呵切ったは良いもののつい勢いで原生種とか原生住民とか言っちゃった。アークスが何か突っ込まれなくて助かった……!)

 

 裏では盛大に焦っていたが。

 唸れ私のポーカーフェイス!

 

 夜蛾に告げたことに嘘はない。私はもうアークスではないけれど、長年染み付いた目的も貫いてきた意志も健在だ。

 人間が蚊を叩くように、アークスがダーカーを殲滅するように。敵がいるなら殺す、私が呪霊を殺す動機などわざわざ探す必要などない。

 

 もちろん、高専に来たのは殺伐とした理由だけではなく、単純に一緒にワイワイする仲間が欲しいのもあるけど。ソロって気楽だけど寂しいからねー……。

 前世戦闘職、今世も戦闘職への就職を決めたとは言え私は戦闘狂ではないのだからな!

 

「さて、俺からの面談は終わりだ。次にここの警備(セキュリティ)などの説明を行う」

 

 そうして本来であれば昨日聞くはずだった諸々の説明を受けた。

 

 最後に晦冥の一部を提出。高専のセキュリティを問題なく作動させるため、晦冥の呪力を登録することで敷地内で晦冥が能力を使用しても警報(アラート)がならないようにするのだ。

 本来なら生徒である私もするべきなのだが、呪力がないので見送りになった。

 夏油が言っていた呪霊への手続きってこれか。説明されていないけど、警報機能だけでなく使用した履歴も残るのだろうか。敷地内なら正確な場所も感知されたり……。

 

「ねえ、晦冥を無限に分離させたらセキュリティバグるかな……?」

 

 何やら書類を精査し始めた夜蛾を待つ間、私はこっそりと五条と夏油に囁いた。

 

「何その発想ウケる。その呪力GPSみたいなの、本当にあるんなら傑の呪霊も全開放したら面白いんじゃね?」

「姉妹交流会の仕組みを考えるにGPSはないとは思うけど……全く同じタイミングで呪力が大量発生したらシステム管制は狂うかもね。大分キャパも大きいだろうからやるとしたら結構な重労働になると思うよ?」

「ふむ、それじゃあ今の晦冥の呪力では心許ないな……もっと呪力を蓄えないと」

 

 ただの思いつきが思いのほか話題が弾んで話し込んでしまう。

 

「おい、そこ、固まってなにか悪巧みか?」

 

 鋭い夜蛾に指摘されて、秒で突き合わせていた頭を離した。

 夜蛾に体を向けて綺麗に横に並ぶ。チラと横を見やれば二人共神妙な顔をしていた。私も同じ顔している自信がある。

 いやいや冗談だし。流石に本当にやったりしないよ意味ないし、ホントホント。

 夜蛾は大分訝しんだようだが、「整列しているならちょうど良いか」と流してくれた。

 

「最後に。安藤優、君を二級呪術師として任命する」

「……はい。謹んで拝命いたします」

 

 んん? 事前に何も聞かされていないけど今等級をもらったんだよな。

 呪術規定とか任命書とか重要事項が記載された書類を入学関係の書類と一緒にどさっと渡される。

 

「あの……二等級って入学したらすぐに貰えるものなんですか?」

「そんなわけねーだろ」

 

 夜蛾に投げかけた質問のつもりだったが、五条が解説してくれた。

 

「前からちょくちょく俺達の任務に連れて行ったり、補助監督ありで代わりに呪霊を祓ったりしただろ。その実績でお前は二級になったんだよ」

「そういえば、担任の先生に相談して私の実力をはかるって……」

 

 言ってたねー、穴熊呪霊を倒す日に。結構記憶ほじくり返したわ。んで、その担任の先生ってのが目の前にいる夜蛾先生ってことね。

 

「ハァ……お前ら、事前に教えてやらなかったのか」

「別に前から知っていようが、今知らされようが安藤のやることは変わんないだろ」

「ほら、優ちゃんにプレッシャーかけちゃいけないと思って」

 

 どこまでが本音なのやら。

 

「んじゃ、こっからはまだ誰も知らねーこと教えてやるよ」

 

 五条が人差し指をピンと立てて歯を見せた。後ろで夜蛾が「俺にも相談していないことってなんだ」って怖い顔している。

 

「安心してください、別に悪い話じゃあないですよ。——私、夏油傑と、」

「五条悟の名の下に、安藤優を一級術師に推薦する」

 

「………………」

 

 夜蛾が頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 

「~~このバカどもがっ!!」

 

 うん、正直もう話についていけない。

 

 

 ◆

 

 

 結局、私の一級術師への昇級はしばらく見送られることになった。

 流石に二級になって間もないのに任務もこなさずに推薦は受理しかねるのと、代々呪術師を排出してきた名家出身でもない、実力も書類上の評価しかないスカウト呪術師に対して目に余る特別待遇だからだ。

 そもそも申請先間違えているし。するなら現学長だし。

 正直、呪術界における一級呪術師の立ち位置がどれほどのものなのか、私にはまだ実感もわかないけど。

 

 

 なお、話がまとまる前の一幕。

 

「俺が学長になるまで安藤を無駄な注目から避けたいって言った奴誰だ、名乗り出ろ」

 

 五条と夏油が互いを指差した。

 

 その後の展開はお察しである。

 

 

 ◆

 

 

 そうして始まった高専での生活。

 

 呪術師を育てる機関ではあるが、通常の学校で習うような座学も教育課程に含まれている。効率化のためか補助監督志望の子達と合同の場合が多かった。

 

 実技は主に体術を中心にやり、各自の術式の研究は先生の助言をもらいながら自ら研鑽することになる。校内に生徒自体が少ないので、学年関係せず合同で訓練することも多い。

 クラスメイトの七海と灰原はスカウトされただけあって運動神経もよく、ある程度の体術は身についているようだった。私はどちらかというと上級生に混じって彼らをサポートする方に回ったが、時にアークス時代では見たことのなかった武術を逆に習ったりした。

 いやー、書物では知っていたけど、改めて地球の武術流派って無数にあるなあ。

 それぞれの特色も違うし面白い。これまで研鑽してきた技術と相性の良い動きを組み込んでいくのは新発見も多く、日々新鮮な気持ちで取り組める。

 やはり誰かと共同訓練することがモチベーションを保つのに大切なのを実感した。

 

 基本的には校内での学習になるが、時には引率されて直接呪霊を祓除に向かうこともある。皆で祓うときは主に三級の雑魚を相手に実地訓練だ。現場の空気に慣れさせる目的もあるのだろう。

 同級生の補助監督見習いがたどたどしくも下ろした帳を見届けて、現場に直行するのは呪術師見習いの私たちだ。とはいえ、二級術師の立場の私は見習い扱いではないので、彼らの成長のためにも基本は後方からのサポートに徹するが。

 

 これまでは誰からも避けられてきた私が、同年代のクラスメイトと切磋琢磨をしている……。

 誰かとお喋りして一緒に学業に励む、ただそれだけなのに……。

 これ以上ない幸せを感じて密かに噛み締めた。あー、涙がこぼれそ……。

 

(そうか、これがリア充か……!)

 

「なんで安藤さん急に拳握って天を仰いでるんだろう」

「灰原くん、今は放ってあげたほうが良い」

「え? 誰か私のこと呼んだ?」

「呼んではないかな!!」

 

 

 

 

 入学から瞬く間に二週間が過ぎ、今日は学校は休日だが一年生で自主的に集まって朝から自主訓練をしていた。

 

「灰原くんは戦法で悩んでいるんだっけ? 七海くんも?」

「うん、今はとりあえず習っている体術で戦っているけど、何か僕に合うような武器ないかなって探してるんだ」

「私はもう適当な武器を選んだので、動き回る相手でも急所に正確に打ち込む練習でもしようかと」

 

 灰原は武器探しで七海は精度の鍛錬か。それで昨日の放課後に武器とか自立駆動する案山子を借りる申請してたのね。

 一人納得していると逆に灰原に「安藤さんは?」と聞かれる。

 

「私は自己回復とか耐久度を上げる練習かな」

 

 基本的に避けて当てる戦法だが、どうしたって負傷するときは負傷する。その際の回復手段としてレスタがあるが……。以前五条を相手に試した時に改善しなければいけない問題点が出てきたのだ。

 耐久度上げは単純にユニットという防具がない状態でも打たれ強くなりたいという思いからだ。必中攻撃を前提とした訓練は後回しにしていたし。

 

「自己回復って反転術式の練習? もうそこに手を出しているのですか?」

「ううん、同じ効果だけどあくまでもアストラルの応用技で、呪力を使用する反転術式じゃないよ」

 

 七海の勘違いを訂正する。二人には既に、私が呪力がなくとも生得術式の効果でアストラルという呪力と似たような力を扱えると教えている。

 

「まぁ私のはすごく急ぎってわけじゃないし。それより灰原くんの武器選びちょっと見てみたいかな」

 

 訓練場の端に綺麗に並べられた訓練用の模造武器を順番に眺めていく。

 木刀やマチェットなどの刀剣、棍棒や槍のような長物、多節棍のような連結武器、メイスやトンファーなどの打撃武器など、一通りの近接武器が集まっている。

 

「因みにこの中だったらどれが一番よさげ?」

「んー……これかな」

 

 灰原が武器を眺め回して最終的に選んだのはナックルだった。

 

「結局格闘じゃん。あれ、そういえば遠距離の武器はないの?」

「倉庫に弓矢くらいしか見つからなくてさ。そういうの余計に扱えそうにないし」

「んー……形にとらわれずに試してみても良いんじゃない?」

 

 アークスの第三世代だった私はすべてのクラスに適性があったから、最終的に全クラスをマスターした。得意不得意は多少あるけど扱える武器の種類にはそれなりに自信がある。見た目で最初は苦手意識を持っていた武器が、実際に使ってみれば意外と馴染んだなんてことも珍しくはなかった。

 

「そうだ……! フフフ、灰原くん。高専にもなかなかない武器をお試しさせてあげよう」

 

 そう言って晦冥にイメージを送って作らせた武器を手早く灰原に握らせた。

 

「ええ!? これって!」

「アサルトライフルだよ」

「この日本でまた物騒なものを持ち出しますね、あなたは」

 

 そう、渡したのはグリムアサシンのアサルトライフル形態だ。灰原とのやり取りを横で見ていた七海に呆れ顔で溜息つかれた。

 

「安藤さんの晦冥って銃火器も作れんの!?」

「ちゃんと構造もイメージすれば作ってくれるよ。んで、これ銃だけど火器じゃないから。弾薬の代わりに呪力を込めて打ち出してみてよ」

 

 簡単なライフルの使い方を教える。構えはレンジャークラスだ。流石に初心者にファントムクラスみたいに片手て打たせようとは思わん。

 壁に描かれた目標に向けて、銃身から連続で放たれた呪力の弾丸は中心から少し逸れて銃痕を残した。それからも何度か繰り返していくと、だんだん狙い通りの場所に着弾するようになる。

 

「灰原くん筋良いじゃん。短時間でもう狙い定まってる」

「いやー……まさかこんなに当たるなんて。自分でも驚いているよ」

「普通に暮らしていたのでは絶対に判明しなかった才能ですね」

 

 意外な結果に三人で感心する。ちなみに七海には合わなかった。

 

「んじゃ、次はこれとこれも試してみてよ」

 

 そう言ってツインマシンガンとランチャーも試してもらった。

 ツインマシンガンはアークスの身体能力をいかして片手で打つため、二丁でワンセットの拳銃だ。ある程度反動に耐える必要があるが、呪力で身体強化すれば問題ないだろう。

 ランチャーは少々連発性に問題があるけど、一撃一撃の威力が高い上、本体を強化して耐久性を上げれば鈍器にしてもよい。

 

「アハハ、なにこれ楽しいね!!」

 

 ランチャーを脇に抱えて次々と呪力を発射する灰原。

 

「ヤバ、トリガーハッピーが出来上がってしまった……」

「どうするんですか、君のせいで灰原くんが汚染されましたよ」

「七海くん、それどういう意味?」

 

 満足するまで銃器を試した灰原。銃弾の餌食となった壁は壊される前提に作られているが、それでも耐久性が低い使い捨てではない。それが今となってはいくつも抉れた跡が出来上がり、罅が広範囲に広がっている。

 

「いやー、ありがとう安藤さん。貴重な体験をさせてもらったよ!」

「いい感じに扱えているし、高専に申請して銃でも支給してもらったら?」

「うーん、アサルトライフルが結構気に入ったけど、これ背負ってるの街中でバレたら補導されるじゃん」

 

 呪具を持ち歩く術師だってザラにいるのに今更か。

 万が一警察に補導されて連行されたとしても、最終的には組織が手を回してくれるので銃刀法所持違反とかにはならんが……確かにその手間が発生するのは面倒だな。

 

「見た目が問題ならこれとかどう?」

 

 晦冥にとある武器のイメージを送る。

 そうして顕現したのは、神聖な長杖(メイス)を連想させる銀色のアサルトライフル、レゾナントオルコス。

 

「それ銃?」

「うん、こう見えて呪力を発射する機構を備えたアサルトライフルだよ」

 

 細長い形状の本体に美麗な浮き彫りが施され、蒼穹の飾り帯をつけられたそれがしっかりとトリガーがついている銃だとは誰も思わないだろう。

 原本はフォトンを発射するので銃口さえない。代わりに宝石のように取り付けられた結晶がキラキラと青く輝いている。元を忠実に再現したこれを所持して咎められたとしても、宗教系の儀礼杖と言い訳できるのではないか。

 

 細長いそれを自然な動作で構え、壁に向かって連射する。ボロボロの壁に超ダメ押し。

 よし、問題なく撃てるね。

 

「それ仕込み銃みたいでかっこいいね!」

「そうだね、現代の技術ならその気になればいくらでも再現できるんじゃないか?」

 

 銃を仕込んだ杖とか口紅があるんだから。

 それを聞いた七海が「しかし」と口を開いた。

 

「私も閲覧できる範囲で術師の資料を読みましたが、弾薬に呪力を纏わせる術師はいても、呪力そのものを銃を媒体に発射する術師は知りませんね」

「その発想がなかっただけとか?」

「そもそも銃火器を使用する、というのは少数派のようです」

「確かにあんまりそんなイメージないかも」

 

 高専にある模造武器や校内見学で案内された武器庫は昔ながらの近接武器ばかりだった。

 遠距離攻撃が出来る人はそもそも自身の術式でそれを成しているので、あまり現代武器に頼ることがないのだろう。

 

「ま、でもこれで灰原くんは遠距離の武器も意外とイケるって分かっただろう? 体術で戦うのを主にするとしても、近付けない相手への対策として遠距離攻撃の手段を用意しておくのも悪くないよ」

「うん、今回は良い参考になったよ。もう少し考えてみる。ありがと! 安藤さん」

 

 素直(灰原)で常識人(七海)な同級生って居心地いいなー!

 

 

 ◆

 

 

『ろーど かいめいを

 にどと ほかのひと つかわせないで』

 

 ——ああ、私のためにその身を犠牲にした、

 他でもないお前の望みなら——私は、それを許そう。

 

 

 




原作に初登場した際、灰原くんが武器なしの素手だったのがとても気になる。
術式捏造しようと無駄に能力考えましたが、そもそも生得術式のない呪力で戦うタイプだったのかなー、に落ち着きました。

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【本編に入れたらテンポ悪いので割愛したアストラルの設定】を活動報告に上げています。
あとがきに載せようと思ったのですが、ちょっと長いので。
本編の補正にもなるので、興味がある方は是非覗いていだだけたら嬉しいです。

そのうち人物設定や能力設定を一話使ってまとめてみたいですね。



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8.高専一年生 VS ???

ちょっとグロい場面が出ます。この程度なら今後も出ます。
呪術廻戦見てる人は心配しなくても大丈夫か!


 私は補助監督が運転する車に揺れていた。後部座席で窓の外を過ぎる景色を眺めながら高専へ帰る(・・)

 

 入学から数週間、短い間に私は既に何度も任務に駆り出されていた。標的は二級術師に見合うものばかりで、予測と呪霊の実力にズレが出ても強すぎることもなく、簡単に祓除出来る範囲だ。

 二級ということで術式も持たない呪霊のため、図体ばかりが大きい雑魚としか思えなかった。

 今日も東京から離れた県外へ赴き、対象をさっさと片付けて今は日帰り任務の帰りの最中である。

 

 ここ数日を振り返りながら、飽きからくる欠伸を噛み締めていると。

 

(——ん? 今……)

 

「門倉さん、ちょっと止めていただけますか」

「え? はい、分かりました」

 

 補助監督であり運転手の門倉が私の意を汲んですぐに道端に駐車した。何かと縁がある門倉は私が向かう任務に高確率で引率をしてくれるので、もしや補助監督は担当制なのかと疑ってしまう。

 門倉は初対面の時もそうだが、雰囲気からして腰の低い人で、実際にやり取りしてもその印象は拭えなかった。

 今も理由も告げていないのにすぐに私の希望に沿ってくれたのだから。それで良いのか、年上青年男性。

 

「安藤さん、どうかされたんですか?」

「先ほど山の上から声が聞こえたような気がして」

「声、ですか? 私には何も聞こえませんでしたが……」

 

 私たちを乗せている車はコンクリートで舗装された山道を通っており、普段から閑散としている道は夜なのも手伝ってか他に車も見当たらない。

 今いるのは山の中腹あたりだ。先ほど車が走っている際に、エンジン音に紛れて山頂付近から女性の悲鳴のような声が聞こえた気がした。

 

「その……気になるようでしたら少し寄り道してみますか? 私には聞こえなくても、安藤さんの五感でしか捉えられない僅かな声量だったのかもしれません」

「良いのですか?」

「はい。今回の任務も早く片付きましたので……。安藤さんのおかげで時間の余裕はあります」

 

 門倉の申し出は有難い。私も空耳として片付けるには妙な引っ掛かりを感じていたからだ。

 車をUターンして引き返す。

 声が聞こえた近辺を注意深く探ると、草木に隠されるように山頂への道が見つかった。土がむき出しになっており、鬱蒼と茂っていることから随分と長いこと放置されているようだが……。

 

(ん、誰かが通ったような痕跡があるな……)

 

 よく観察してみると、微妙に草が踏み分けられて、細かい枝が折れていたりしている。

 

「獣にしては迷いがありませんね。門倉さん、上に何があるか見て行きましょう」

 

 非戦闘員である門倉を後ろに庇うようにして私は先頭を歩く。大きな音を立てないように、茂った植物をかき分けてしばらく登山したその先には——廃墟になった工場があった。

 元々あった看板は経年劣化でほとんど字が読めないが、辛うじて精肉工場だったのが分かる。

 

(ホラーゲームの舞台みたいじゃん)

 

 こんな山奥で精肉工場なんて怪しい。潰れてかなりの年数が経っているようなので普通に需要が足りなくて採算が取れなくなっただけかもしれないが……。

 自分の足元を見やれば、私の靴跡に重なるようにして先に何者かの足跡が残っていた。

 

(やっぱり、最近誰かが踏み込んでいるな)

 

「少しきな臭いですね……。中に入って様子を見てきます。門倉さんは危ないので、車に戻っていただいても良いですか」

「わ、分かりました。くれぐれもお気をつけてください」

「はい。一時間しても戻らなかったら応援を呼んでくださいね」

 

 その他細々としたやり取りをして門倉は来た道を引き返していく。足を滑らせた背中が慌てて近くの木の枝に捕まったところを目撃してしまい、大丈夫か……と少々心配になった。

 

 

 ◆

 

 

(さてと。悲鳴が聞こえた山奥にボロボロの廃墟、何者かが潜む怪しい精肉工場跡に、様子を見てくると仲間を帰して一人で向かおうとする私)

 

 おまけに戻らなければ~なんてフラグも立てて。今の状況、ホラー系創作物の一番最初に犠牲になる奴が立たされる位置じゃないか。

 このまま私が行方不明になり、私を探しに来た誰かを主人公にしたゲームだか映画だかが始まりそうだ。しかもこの手の最初の犠牲者は得てして主人公が駆けつけた時には既に手遅れなのがほとんど。

 

「ま、そんなつまらない犠牲役になんかならないけど」

 

 見敵した瞬間に蜂の巣にしてやろう、と殺意マシマシで晦冥から渡されたツインマシンガンを握る。念の為に腰にカタナも下げて。

 

 当たり前だが今の私にはアークスのクラス制限などない。同時に別のクラスの武器を装備できるし、テクニックもいつでも扱える。ただ、やはりクラスごとにアストラル操作の傾向が違うので、細かくスイッチを切り替えるように思考を替える必要があるが。

 今の私にはまだ練度が足りない。例えば、その場で制限なく扱う武器を変えられるが、ツインマシンガンで攻撃しながらテクニックを同時発動など器用な真似はできないし、エトワールのようにフワフワ浮かびながら大剣を振り回すこともできない。

 脳が複数あれば解決するが……実現するはずもないので高い精度で並列思考ができるよう訓練中だ。

 

 廃墟の窓や正面入口などは侵入者対策かご丁寧に封鎖されており入れそうにない。残っている足跡を追って侵入経路を探す。探っていると風化で封鎖が朽ちたのか、入れそうな従業員入口が見つかった。

 もう疑念にもならない先人の侵入跡をスルーし、音を立てずに建物に踏み込む。

 中は想像通り瓦礫や土埃が雑然と放置された通路だったが、しばらく進むとやけに整頓されている区画に出た。ゴミなども落ちていなく、工場の遺物は壁際に整然と寄せられている。さらに進むと、真新しいガラスケースが幾つも並ぶ小部屋を見つける。木製の棚なども並べられており、それぞれ所狭しと小物が並べられているようだ。よく手入れされた雑貨屋という印象を受ける。

 ガラスケースの中には楽器が配列されており、なんとなく近くに寄って観察してみる。

 

(バイオリン……? にしては少し変わった形だな。弦を張るネックの部分が白い——)

 

「……っ!!」

 

 次の瞬間、その正体に気づいた私は思わず息を詰めた。

 そしてバイオリンに限らず他の楽器や小物を見ていく。

 間違いない。ここにあるものは全て人間を素材にして作られた作品だった。人間の骨や髪の毛、皮を加工し、足りない部分は他の素材で補っているようだ。

 

「随分とイカれた趣味だな」

 

 気持ち悪いと思うと同時に、少々複雑な気分がこみ上げる。

 アークス時代は頼まれれば素材集めのために、龍族をはじめとする知的生物など、意思疎通が取れるか関係なく他の原生生物を数え切れないほど狩っていたからだ。その素材で加工された武器、道具、料理などの恩恵を罪悪感もなく私は享受していた。

 

(とはいえ、流石の私も同族に手を出しはしなかったが……これを作ったのは人間。人間が人間を素材にするとはな)

 

 私が聞こえた悲鳴もおそらく材料となった者の断末魔か。

 ここにある作品は素材こそ問題だが、その他に不審な点は見当たらない。成り立ちからして怨念渦巻きそうなものだが、妙なことにそれはない。山奥の廃墟という如何にもなシチュエーションも揃っているのに、この建物に呪霊の気配も呪いもない点も引っかかる。

 浮かんできた予測を頭の隅に置き、先を急ぐ。手遅れかもしれないが、被害者がいるなら生きているうちに救出したい。

 最低限の注意を払いつつも先程までの慎重さは捨てる。

 行き着いた大きい扉。空気の流れから予測するに中はかなり広い空間のようで、何者かの作業音もしている。

 僅かな隙間から中を覗けば、辛うじて視界の隅に何者かの背中が見えた。刃物が擦れ合うような研ぐ音を響かせる様は実にらしい(・・・)

 

(ここからじゃこれ以上は見えないな)

 

 角度の問題もありこれ以上は中の様子を探れそうにない。扉を開けようとすれば錆びた蝶番は音を立てて相手に気付かれるだろう。

 となれば、やることは変わらない。

 

(——速攻!!)

 

 扉を文字通り蹴り飛ばし、間髪入れずにツインマシンガンを発砲。被害者がいた場合も考え、威力が高くなってしまうフォトンアーツは使わない。

 犯人は私に気が付くとすぐさま物陰に隠れた。

 

「ちっ!!」

 

 思わず舌を打つ。今のを避けれたということは相手はやはりただの殺人鬼ではないようだ。

 一瞬呪力の気配を感じたので呪詛師である可能性が高い。迷いのない動きは訓練されているものだ。

 

「おい、隠れてないで出て来い」

 

 無駄だとは思いながら呼びかける。

 この広間、かつては主要な作業場だったのか広さは体育館ほどもあり、天井も高かった。何かが撤去され跡が床のそこかしこに残っており、壁際にはほとんど鉄くずと化している機械類や何故か鉄骨が積み上げられている。広い床には大きな鉄製の作業台が規則正しくいくつも置かれており、呪詛師はその一つに隠れていた。

 奴が潜んでいる近くの作業台は腑分け最中だったのか、部位ごとに分けられた生々しい肉塊がトレイに規則正しく並べられており、血がそこかしこを汚している。

 量からして数人分。どうやら手遅れのようだが、まだ解剖されていない女性が一人寝かせられているようだ。生きているか分からないが服は着ており目立つ血痕もない。

 すぐに保護しようと動くが、その前に物陰に引きずり込まれた。

 

「近寄るんじゃねえ」

 

 引きずり込んだ者、犯人は意識のない女性を盾のようにして姿を見せる。

 図体が大きい禿頭の男だった。目の回りを黒く塗り、口元は長い髭で隠されて全体的に表情が分かりづらい。薄汚れた革製のエプロンは肉屋らしいファッションだが、それも何で出来ているのやら。

 男は大振りのナイフを取り出すとためらいなく女性の太ももに突き刺した。

 痛みに叩き起こされた女性の高い悲鳴が耳を劈く。

 

「こいつはまだ生きている。お前が変な動きをしたら即座に殺す」

 

 まったく、ちょっと様子を見に来たつもりが随分と面倒な状況になったな。

 

「お前、呪詛師か」

「おん? 呪力もねェメスカギだと思ったが……テメェ術師の関係者か?」

「呪術師だ」

「ハッ、笑えるぜ。……本当か分かんねえが、呪術師を知っているなら全部デタラメでもねえな。他の術師どもがやってくるのも時間の問題か」

 

 僅かな間に今後の算段をつけたのか、男は切り札となる人質を一層抱え込んだ。

 

「少しは遊んでやろうとも思っていたが仕方がねえ。お前をさっさと殺して、俺はトンズラだ」

「素直に逃がすと思っているのか?」

「逃がすさ、俺には人質(コイツ)がいるんだからな。おら、無駄な時間稼ぎはやめてさっさと武器を捨てろ。さもないと……」

 

 男が女性の首にナイフを突きつける。グッと押し付けられて血が溢れた。女性は恐怖で声も出ない、と思えば出血やら恐怖やらで色々と限界がきたのか白目をむいて気絶してしまった。

 それを見て私は腹を括る。仕方がない、人質を救うためにも一度武器を置いて油断させよう。

 多少の怪我、もとい自己犠牲は覚悟する。人質と私では取り返しのつく範囲が違うのだから。

 ツインマシンガンを床に落として遠くに蹴り、カタナも放り投げる。両手を挙げて降伏のポーズ。

 

「何か隠してねえだろうな。服も脱げ」

 

 おっさんマジか。

 絶句してしまうが、呪詛師の目には冗談の色も下卑た欲もなく、ただ敵対者に対して当然の要求をしているだけのようだ。

 女性を救うと決めたからには拒否権はない。言われた通りに衣服を脱いでいく。

 

「妙な仕草はするなよ。俺が怪しい行動と判断したらコイツの命はないと思え」

「はいはい」

 

 最終的に下着は身につけたままで再度降伏ポーズをする。これ以上は脱ぐ気はないという意思表示でもある。

 呪詛師の敵視の視線は途中から観察も混じってきていた。まるで市場に並ぶ野菜を見分するようだ。

 

(ああ、こいつ私が素材としてどれ程の価値があるか見てるな)

 

 気付いて、不快感に思わず眉を寄せてしまう。

 

「なかなか良い体じゃねえか。肉付きは薄いが綺麗な骨格をしている。お前から素材がとれたら最高の楽器が作れるだろうに残念だなァ……」

「それはどーも」

「お前はここで死ぬ。どうせなら死後は素晴らしい作品(コレクション)にならねえか?」

「死んでもゴメンだね」

 

 ゴミを見るように男に向ける目を細める。

 

「ああそうかい。本当に残念だ。冥土の土産にイイもん見せてやるよ」

 

 男は最後にそれを言うと、人質を連れて後退し始めた。

 

「……?」

 

 てっきり宣言通りに殺しに来るつもりかと思っていた。接近戦に持ち込めば負ける気はしないが、どうやら相手も不用意に近付くのは避けるらしい。

 かと言って逃げる様子もない。なぜなら呪詛師が後退する方向には出口がないからだ。部屋を長方形とするなら、扉は長辺の端近くに一つずつ、両端合わせて計四つの扉がある。

 男が今まさに背をつけた短辺は、積み上げられたガラクタとただの壁しかないのだが——。

 

 男の隠れた髭の下、その口がニヤリと嗤った気がした。

 

「回れェ!!」

 

 ——次の瞬間、私の体は宙に放り出された。

 

「!?」

 

 頭が状況を把握する前に、足は地を離れ天井へ落ちていく(・・・・)。まるで重力が逆さまになったかのように。

 

(重力操作……?)

 

 鉄の作業台は元から床に固定してあるのか、放り出されたのは私とガラクタだけだ。

 重力の影響は術師本人にも影響しているのか、男は転がるガラクタを避けながら、壁の出っ張りに体を引っ掛けて落ちないようにしている。

 そうして状況を把握している間にも、体は無意識に動き出して天井に着地する体制を整えていた。

 確かにここの天井は通常に比べれば随分と高いが、呪術師なら問題なく着地できる高さである。

 

「もう一丁(いっちょ)ォ!!」

 

 だが、反転した天と地の中間まで落下したところで、呪詛師が再び吠えた。

 

「っ! 今度は横!?」

 

 それまで天井に向かっていた体が回転し、九十度真横に引っ張られる。

 男が居る側に向かって重力が再びその方向を変えたのだ。私は完全に空中で孤立していた。

 

(そうか……!)

 

 今になって奴の狙いに気がつく。

 一回目の重力変換で天井に飛ばす、そうすれば私は床から離れる。再度重力を横に変えれば、私は周囲に捕まる物もない空白に置き去りにされる。

 

 あとは落ちるのみ。

 

 入口付近からほとんど動いていない私はほぼ部屋の端にいた。そのため、今や地上と化した反対側の壁との距離は高く(・・)、おおよそ五十メートル以上は離れている。高層ビルにすれば二十階近いか。

 

(……だが、本当にこれだけか?)

 

 極限の集中によって景色がスローモーションに流れる中、思考する。

 確かに高い。人間を殺すのには容易いだろう。しかし、呪術師を仕留めるには心許ない。

 私の身体能力なら無傷で着地することも可能だ。かつて、アークスだったときは隕石のごとく宇宙から惑星に流れた時でさえ無傷でヒーロー着地をしていたのだから。

 

 その時、背後からゴッゴッと重いもの同士がぶつかる不穏な音がした。振り返れば、壁際に積んであった鉄骨や機械類(ガラクタ)が隙間なくぶつかり合いながら私に向かって落ちて来るではないか。

 

(狙いはこれか!)

 

 ガラクタにかかる重力は私より重く設定されているのか、落下中の私に追いつく勢いだ。

 確かにいくら呪術師とは言え空中に放り出されて、超重量の鉄骨や機械の下敷きにされて高所から落ちたら死ぬ。そうじゃなくても大怪我くらいはする。

 それこそ五条のようにそもそも近付けない術式や、夏油のように物量で押し切るなら簡単に回避できるだろうが……あいつらは所謂規格外である。平均的な術師相手にするなら十分な攻撃となるだろう。

 

「どうしようか……」

 

 なんて考えている間に集中を切らせた私は、終わりを告げるスローモーションの景色をぼんやりと眺めまま——迫る鉄の群れに巻き込まれた。

 

 

 ◆

 

 

(痛い……)

 

 全身が痛い。

 腕に力をいれて起き上がろうとするが、引き潰されてぐしゃぐしゃの肉片一歩手前のそれは鉄骨の下敷きになっており、動かせやしない。

 体は完全に押し潰されていた。アストラルの強化を頭と心臓に回したので生きてはいるが、胴体はほとんどひしゃげており、全身複雑骨折に内蔵もいくつも破裂しているだろう。折れた肋骨が肺に突き刺さっているのか、息をするたびにヒューヒューと空気の漏れる音がする。

 激痛には慣れてはいるが、流石にアークスのキャストの体と人間の体では負傷した時の勝手も感覚も違いすぎる。

 せめて体の一部だけでも這い出さなければ。指がちぎれるのも構わずに無理やり腕を引きずり出す。

 

「ハッ、まだ生きていやがったか。ゴキブリ並にしぶてェーな」

 

 嘲笑とともに男の声が頭上から降ってきた。

 

「そこらの術師もぶっ殺せるコンボが突き刺さったのにまだ原型残ってんのか。こりゃ呪術師ってのも嘘じゃねえかもな」

 

 なんとか顔を仰いで見上げれば呪詛師が瓦礫に足をかけてこちらを覗き込んでいる。女性の姿が見えないがどこかに置いてきたのだろうか。

 

「ハァ、ハァ……こ、ろす……」

「あん?」

「ころ、し、てやる……ハァ、ハァ……」

 

 息も絶え絶えに言葉を吐き出す私を見て、ついに男は嗤い出した。

 

 ケラケラと。

 ゲラゲラと。

 

「そんな死に体で良くもまぁ、んなセリフが吐けるもんだ。負け犬でもねえな、虫の羽音ってくれぇか細いじゃねえか、虫の息だけにっ!! ——プッ、ハハハハ」

 

 ゲラゲラゲラゲラ——

 

 クソつまんねー。

 

「うる、さい……こっちに……こ、いッ!」

「いいぜェ。頑丈な体だ、キズモノになっちまったが、ちーと貰って小物にでも仕立ててやろう」

 

 そう言って男は私のそばに足を下ろし、私は欠けた腕を伸ばす。

 

「はは……バカ、め……」

 

 指が足りない手は確かに男の足首を掴み——万力のごとく締め上げた。

 

「つかまえたァ……!」

 

 

 ——レスタ!!

 

 

 そうして間髪を容れず発動した緑の光(レスタ)は私を癒し、

 

「アガァ!?」

 

 男の足を融かした。

 

「あ゛ー……生き返った~」

 

 緑の光が瞬くたびに傷は消え、欠けていた部分は時間を巻き戻すように新しく生える。

 掴んでいる男の足を握り潰さない程度に力を込めて男を引き倒す。

 

「なんだ、足首まだ残ってんじゃん。思ったほど呪力ないんだ。あの規模の重力操作は何かタネでもあるのかな?」

 

 回復した体にアストラルを流し込んで、ズルリと鉄骨の下から這い出る。

 レスタの光を浴びた男は足だけでなく、服に隠れた全身の肌が火傷のように焼けているはずだ。

 

「テメェッ!! 何しやがったァ!!」

「うるさい、黙れ」

 

 まだ元気に吠える男の上に馬乗りになり、力尽くで四肢の一本一本を捻る。

 四肢が捻れてもまだ暴れようとする男の頭を掴んだ。

 

「大人しくしろよ。その方がお互い手間が省けるだろう? 暴れるなら気絶させる。頭殴るからね、手元狂っても知らないよ」

「……グゥッ!」

 

 やっと静かになった。晦冥で作った縄で念の為にぐるぐる巻きにする。

 

「あ、そうだ。晦冥、女の人無事に回収できた?」

『できた』

 

 瓦礫だらけの周辺を見やれば、少し離れたところで粘土状の黒い闇に包まれた人質がいた。

 放り投げた武器の形態を解除した晦冥が、男が離れた隙に女性を確保したのだ。

 芋虫になった男をズルズル引きずって女性に近付く。軽く見た限り怪我は太ももの刺し傷と首の浅い切り傷。運良く大きな血管を外れたのか血は止まりかけていた。

 良かった良かった。

 彼女と私では、取り返しのつく怪我の範囲(・・・・・・・・・・・・)が違うのだから。

 女性の服を破いて止血をし、最低限の処置を済ませて肩に担ぐ。

 

「ねえ、早く術式解いてくれない? いい加減ここから出たいんだけど」

 

 燃え尽き症候群みたいに呆然としているおっさんを揺らした。

 

 

 ◆

 

 

 アストラルは呪力と反発する。

 長年扱ってきてその性質に気が付いたのはほんの数ヶ月前。中学最後の冬にレスタの練習相手になってくれた五条の指を融かしたことで判明した。

 考えればフォトンはダーカー因子を浄化する唯一の力。それと似た性質を持つアストラルが、負のエネルギーとも言える呪力と親和するはずがなかった。

 

 これまで呪霊を私が殺せたのは、この性質を持つアストラルを利用して攻撃していたから。

 斬撃に乗せて切れば呪霊の組織を切断し、拳で殴れば爆散した。それは単に威力が強かったのではなく、その威力を効果のある攻撃にアストラルが仕立て上げていたからだった。そして傷口に付着したアストラルが徐々に侵入することで呪霊の体が時間をかけて消えるのだ。

 攻撃の仕組みとしては呪力がこもった呪具に近い。

 

 では、晦冥はどうなのか。

 アストラルを直接流し込まれた晦冥はなぜ原型を保てるのか。

 それは晦冥がアストラルに耐性があるからだ。そうすれば晦冥に関するこれまでの疑問は説明がつく。

 生まれたばかりの頃から私の傍にいた晦冥は生き残るために最優先でアストラルへの耐性を身に付ける必要があった。最初の頃、(のろい)を飲ませても飲ませても大した成長をしなかったのはそのせいだ。

 少しずつ耐性を付け、やがてアストラルからの影響をほぼゼロにしてようやく、晦冥は呪力による成長を他に回す余裕を持ち始めた。

 あの時、倉庫替わりとは言え絶えず毎日呪いを与えてやらなければ、晦冥はとっくに私のアストラルに中和されて消えていたのだ。

 変幻自在の能力を手に入れてからは私のアストラルによる強化にも耐えられるようになっていたため、脆いままの体を強くする優先順位も低くなった。そうして、次はその模倣能力の精度に注力した。

 

 晦冥は約束通り私のためにその身を捧げて、私のために存在してきた。自分だけで生きる道を犠牲にして。

 弱いのは決して生まれた時の宿命ではなかった。むしろ強いから私の傍で生き残れたのだ。

 だからこそ、私もアストラルの性質に気付くのが遅れ、五条という第三者にレスタを使用して初めてその性質の一端を掴んだのである。

 

 最初は本当に驚いた。回復をするはずのレスタが逆に五条に危害を加えたのだから。

 私を回復する為に浸透する癒しの力は、呪力を持つ者にとっては侵食する毒となる。

 呪力を内包するモノほどその効果は高くなり、だから軽く試しただけで五条の手は崩れ落ちた。

 あの時謝り倒した記憶は未だに鮮明に脳裏に残っている……。

 夏油とかマジで引いてたし……。

 

 その点、今回捕まえた呪詛師は思ったほどではなかった。あれだけ広い空間の重力を自由自在に操るのだから、足ごと無くなると思ったのに。

 

 とはいえ、人質を救えて良かった。

 

「あ、門倉さーん。こっちこっち。潜んでた呪詛師を捕まえましたよ。被害者何人か居たのですけど間に合わなくて。助かったのはこの人だけです」

 

 工場の外に出て下山すると、車の前で門倉が心配そうな表情で右往左往していた。多分三十分も経っていないと思うけど、分かりやすい人だなあ。

 

「あ、安藤さん!? なぜ下着姿!? 服どうしたんですか、服!! ていうかボロボロじゃないですか、その血は怪我でもしたんですか!?」

 

 あ、なんか色々肝心なこと忘れてたわ。

 

「メンゴ……てへ☆」

 

 

 この後、滅茶苦茶怒られた。

 

 門倉怒るとマジコワイ。

 

 

 ◆

 

 

「安藤さん! 今から一年生全員で沖縄に出張だって!」

「この時期に朝から毛布かぶってどうしたんですか? 確か日帰りの任務だったはずでは?」

「は……? 普通に任務明けで寝たいんですけど」

 

 徹夜して高専に帰った私に告げられたのは新たな任務だった。

 せめてシャワー浴びさせて。

 

 

 




Q.もっとスマートな戦い方なかったの?

A.あるけど人質取られてて色々めんどくせーのと、流れで瀕死のフリ戦法思いついてしまったのでやった、反省も後悔もしていない(by安藤)

レスタで軽率に治る系戦闘族なのであまり怪我に頓着していない。



次回、懐玉編!




作中登場したオリジナルキャラの呪詛師。
お察しのとおり組屋鞣造の先達というか、先輩とかお師匠とかそんな人です。
人骨で作られた楽器を出したかったのですが、本編に丁度良いお仲間がいるじゃんってなって、年代的には年上になるかな、と。
イメージとしてはホラゲでよく居る(?)死ぬほど追いかけてくるお肉屋さんです。チェンソーギュンギュンしてくる奴。

【能力】重力操作系
本人の呪力は多くなく、素で術式を発動したら自身の体重を軽くしてそこそこ身軽に動ける程度で、身体強化の延長線上の術式。

結界術と組み合わせて、事前に準備をした特定の建物内などに限り重力を(理論上)自在に操ることができる。それなりに疲れるので乱発はできないし、演算苦手だから細かく重力調整出来ないけど。

補助道具などを利用して時間をかけた念入りな事前準備が必要、限定された環境でしか真価を発揮しない、自身も術範囲に含めるなど、様々な縛りで効果を高めています。拠点作成に向いている能力です。
彼はこの力を利用して、人を攫っては欲望のまま創作活動に励み、たまーに呪術師に見つかっても返り討ちにしてトンズラをするというのを繰り返していました。
大抵の相手は死ぬか瀕死に追い込まれて殺されるのでこの能力は術師界隈には知られていません。

本人の戦闘能力は2級くらい。この戦法に限り1級に届くんじゃないかな、初見殺しなので破られたら逃げるしかないけど。


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9.高専一年生 懐玉編 前編

間が空きました……。
リアルで色々やっていたのと、今後の展開を色々考えすぎました。
色々考えた結果、懐玉編はこんな感じです。長くなったので前後で分けます。


 ◆2006年 春某日 沖縄 那覇空港

 

 

「長い空の旅だったね!」

「どう考えても一年生の手におえる任務じゃない」

「そう? 僕は燃えているよ!」

 

 憂鬱な七海とは正反対に、灰原が元気に熱意を力説をする。返す言葉も見つからず眉を神経質に寄せる七海だったがふと、一人見当たらないことに気が付いた。

 

「灰原くん、安藤さんの姿が見えないのですが」

「ああ、彼女ならさっき先輩たちの様子を見に行くってどっか行ったよ」

「勝手な単独行動……」

「あと、護衛対象を一目見たいんだってさ」

「個人的な願望による独断……」

「アハハ。護衛対象を知るのと知らないのとじゃモチベーションが違うのかもね。僕は夏油先輩にいい所見せたいから頑張るけどさ!」

「今すぐに台風でも来てしまえばいい」

 

 

 ◆

 

 

「あ゛っづい……」

 

 東京からおよそ三時間半のフライトを経て私は沖縄の土地を踏んだ。

 そしていまは現地の暑さにやられている。いくら沖縄でも春だし、ちょーとばかり暖かいくらいだろうと考えてたらまさかの晴天で海水浴もできそうな気温だとは。空調が完備された空港から一歩踏み出しただけなのに服の下は汗ビッショリだ。

 アムドゥスキアの火山洞窟エリアなんて地表がマグマや岩石そのものだったけど、アークスの体、とりわけキャストは今の体とは根本的に耐久性が違った。

 アークスの技術や装備などのバックアップもあったし、その恩恵は火山洞窟エリアに地球人を引き連れていっても大丈夫なレベルだったのだ。

 

「前は……どうやって……暑さを……凌いでいたっけ……?

 

 直射日光の下、熱のこもる高専の長袖制服で歩く私。半袖でもおかしくない気温と湿度だというのに、黒地の長袖重ね着とは……。

 

 今は事前に調べた五条たちの現在地に向かっている最中だ。門倉に一言投げて返事を聞かずに出てきたので移動手段は徒歩しかない。

 

(これ……辿り着く頃に本人たち別の場所に移動していません、なんてならないと良いな……)

 

 暑さで沸騰した頭で、なんとなく今の生身でどれくらいまでの環境変化なら耐えられるか考えてみる。

 

 フィジカルギフテッドの恩恵があるからマグマ踏めなくはないけど、レスタ連打する羽目になるだろうなぁ。

 ……フッ、岩盤浴ならぬ、溶岩浴(ガチ)。

 

 んで、五条は無下限術式でそもそもすべてを寄せ付けないし、夏油は配下の呪霊で対策すれば良い。自身の周囲のマグマを転移させ続けるとか、冷気で中和するとか。あんなに呪霊持ってんだし、出来そうじゃない?

 

 あ……冷気……そうだ。アストラルで冷気作ろう……。

 

 今更ながらそれを思いつく。随分と茹っているようである。

 アストラルを媒介に自分の周囲のごく僅かな範囲の大気を冷やして涼しくする。おかげで少し思考に余裕が出た。

 今まで視界に映るだけで無視していた道沿いのお店も情報として処理され始める。

 

「あ……あれ涼しそ……」

 

 かりゆしウェア、と大きく書かれた看板を掲げる服飾店。華やかな柄だがもどこか馴染みやすさを感じる服が展示されているお店に、私は吸い込まれるようにフラフラと踏み込んだ。

 

 

 ◆

 

 

 目的の一行を見つけたのは海水浴場だった。

 

(めっちゃ楽しんでるじゃん)

 

 海の家で買ったアイスをガリガリ嚙み砕きながら、ナマコを指さしてバカ笑いする男女二人組を遠目に見る。夏油は少し離れた場所でこれまた知らない女性と会話していた。

 少女が護衛対象で、女性は今回沖縄まで出向く原因となった誘拐されたという世話役だろう。

 

「ふ~ん、普通の女の子だ?」

 

 天内理子。天元と同化する素質を持った星漿体。

 幼いころから贄となることを言い聞かせれて育てられ、その儀式がすぐそこまで差し迫っている上、現在進行形で複数の組織に命を狙われているっていうのに。

 

「呑気なもんだねえ」

 

 いや、健気って言った方が良いのか。

 無邪気に笑う姿を見ていると思わずこちらもフフ、と笑いが漏れる。

 

(嫌いじゃないな)

 

 むしろ辛気臭く落ち込んでいた方が色々と面倒だ。仮にそんな人物だったらあの二人もあそこまで打ち解けていないだろう。

 

 それから暫く、海の家で大量に買った焼きそばやいか焼きなどを消費しながら見守っていると、携帯電話に連絡が入った。

 出発を明日にズラすらしい。目的は飛行中の賞金期限切れらしいが……。

 

(そちらは方便で本命は少女の最後の思い出作りか)

 

 五条は意外と面倒見が良い一面がある。初対面で会った時も演技していた私を律儀に呪霊から守ろうとしてくれていた。

 今回の作戦の懸念事項といえば、ずっと術式を発動させる五条の負担だ。

 私だってせっかく遥々沖縄にまで駆けつけたのだし、五条ほど護衛に向いていなくても助力できないだろうか。

 

 今回、応援として呼ばれた一年生に任せられたのは、怪しい人物が上陸しないか空港を見張ること。『窓』の人員も密かに配置されているらしく、彼らに期待されているのは、空港で敵対勢力を発見したら速やかに五条たちへ報告するという警報機的な役割だ。

 あくまでも第一目的は天内の護衛であって、必ずしも呪詛師(にんげん)を撃破する必要はない。

 七海と灰原二人たちの存在は呪術師として敵を牽制する良い目印といったところか。

 

 ちなみに前日まで任務に入っていた私の参加は任意だったらしく(飛行機に乗ってから知った)、だからこうして気兼ねなく散策している。

 最後のたこ焼きを口に放り込み、丁度近くのテーブルに給仕に来た男性に話しかける。

 

「店主さん、うどん追加!」

「ハァ~~……お嬢ちゃん、さっきからよく食べるねえ」

「昨日からまともに食べてなかったから、ついでにたこ焼きおかわり!」

 

 ハードな肉体労働してきたのにここに来るまで胃に入れたの、カロリーチャージゼリーくらいだからな。

 

「ほい、すぐ作ってくるからちょいと待ってな」

「は~い」

 

 それに、施設を出てからやっと今世で思う存分グルメに興じれるのだ。今までのメシマズの反動か、美食を解禁した私の給料はほぼ食費に消えていると言って良い。

 

 さて、今回の私はおまけとはいえ、半ば強引に出てきたのも事実。同期に恨まれる前に一回合流しよう。

 

(夏油もいるし、やっぱ護衛は全部任せよー)

 

 もう少し食べたら戻るか、なんて呑気に考えていたら。

 

「お? 安藤じゃん。お前空港で待機してんじゃないのかよ」

「優ちゃん、サボり?」

 

 ……は?

 

「い、いつの間に!?」

 

 まさかこの私が食べ物に夢中になりすぎて近付いてくるのに気付かなかっただだと……!?

 

「へい、うどんとたこ焼きお待ちどっ!」

「あ、あざーす」

 

 うむ、想定外のエンカウントをしてしまったが美味しいものに罪はない。残しても勿体無いしね。

 

「なんだよこの皿の量、一人でどんだけ食ってんだ」

「うるはい……」

「食べながら喋らない方が良いよ」

「ふぁい」

 

 自然と相席で座った馴染み顔二人。挨拶がわりの適当なやり取りを済まし、私という知らない人間の登場に立ち尽くしている天内達を見やる。

 口の中のうどんを飲み込んで私は彼女たちに話しかけた。

 

「見ての通り私は味方ですのでご心配なく。お二人共、遠慮せず座ってどうぞ」

「わ、分かったのじゃ」

「失礼します」

 

 ……のじゃ?

 

 その後簡単な自己紹介をお互いして、流れで彼らの観光に同行することになった。

 とはいえ事前の予定から急遽変更したので近場で行ける場所に限るが。

 

 話してて分かったが、天内は天元との同化に対してネガティブに考えていないらしい。

 本心を推し量ることしかできないが、同化を死と同等と見ていないのは嘘ではないように感じる。ただ、少しだけ……迷いを感じるのも確か。

 

(んー、気になるけど……。あの二人が付いているんだし、私が口出すことはないか)

 

「優! 次は水族館に行くのじゃ!」

「うん! せっかくだからジンベイザメ見ようか、理子ちゃん」

 

 年頃相応にはしゃぐ少女を追いかける。やはり野郎どもより同年代の女の子の方が付き合いやすいのか、この短時間で天内は私に随分と気安くなった。

 

「デカイのう……」

 

 最後の思い出を焼き付けるように水槽を見つめる少女の横顔を、私はこっそり眺めた。

 彼女が最終的にどんな選択をしたとしても、そこに安らぎがありますように。

 

 

 夕方、私は天内とお別れの言葉を交わした。

 

「さようなら、優」

「うん……」

 

 寂しそうに笑う天内に手を振る。彼女にとってこれは間違いなく今生の別れなのだ。

 

「さようなら」

 

 

 ◆

 

 

『ろーど』

「うん?」

『あのこ きにいったの?』

「そうだね、なかなか面白い子だったな」

 

 ………………。

 

「——なんだ? 拗ねているのか?」

『すねて ない』

「そうかそうか」

『……ろーど は あのこ すくうの?』

「救う? なぜ私が?」

『だって きにいった でしょ』

「まぁ、否定しないけど……。『世界のために礎となれ』なんてよくある話だ」

 

 ………………。

 

「これは決して意味のない迷信ではない。天元の力を継続して利用するには星漿体との同化が必要で、同化によって確実に不測の事態は避けることが出来る。天内もそれを承知して納得しているんだ。私が口出しをするのもおかしいだろう」

『ろーど それでいいの』

「……なんだ、私の心境を心配してくれるのか? 確かに私は自己犠牲は気に入らないが、あれはそう言った類とは少し違う」

 

 ………………。

 

「さっきから何なんだ、晦冥。お前こそ天内を助けたいの?」

『ろーど が のぞむなら』

「……私が命令すればお前は他人のために動くというのか?」

『うん』

「あ゛あ゛ん?」

 

 無意識に漏れた声に自分が驚く。

 

『ろーど の ためなら ひと すくうよ』

「へー、ほー、ふーん……。——やめときなよ」

『なんで?』

「それは極めてグレーだからだ」

『?』

「お前は呪霊で、倫理観も違う。何が人間の救いになるのか、お前に判断できるか?」

 

 他人の『救い』なんて、私だって分からないのに。

 

「それに……私との『縛り』に抵触する可能性も高い。それが気がかりだ」

『わかった ろーど そういう なら』

 

「——晦冥、お前は誰かを救おうなんて、考えなくて良いよ」

 

 ………………————。

 

「救う気もないのに、救わなくて良い」

 

 

 だから————私の命令だけ聞いていれば良い。

 

 

 ◆

 

 

「今何時だと思っています?」

「えーと……」

 

 時計を見ると二十時過ぎ。空港の混雑ピークはとっくに過ぎており、呪詛師が人ごみに紛れ込むのも厳しいだろう。事前に知らされた一年生の任務時間は余裕で過ぎている。

 はい、怒り心頭の七海に問い詰められている最中です。

 私だって本当はうどん食べたら戻ってくるつもりだったんだよ?

 

「護衛対象を一目見るだけが、どうしてこんなに遅くなったんですか」

「あー……成り行きで一緒に観光することになって」

「つまりあなたは仕事を放り出してこんな夜遅くまで遊び歩いていたわけですか」

「……意味もなく遊んでいたわけじゃないよぅ、私も護衛したもん」

 

 試しにぶりっ子したら、すんげえしかめっ面で睨まれた。

 よほど可愛くなくてムカついたのだろうか、なんかごめんな。

 

「七海、門限に厳しいお父さんみたい」

 

 灰原、火に油注ぐのやめてくれる?

 

 

 ◆

 

 

 翌日。

 私は誰よりも一足先にフライトで本土に戻ることになった。二級術師として別の任務が入っているためだ。まぁ、沖縄の滞在延期がそもそものイレギュラーなので、七海と灰原を置いて私だけ通常通り帰るというのが正しいか。

 正直、昨日天内とあんな別れ方をしたのに、空港でばったり会ったら(向こうが)気まずいだろうから渡りに船だった。

 

 高専の自室に帰ってベッドに倒れこむ。まだ時間に余裕があるから少し休もうかな。

 やっぱりここが一番落ち着く。最近寝るのも車とか飛行機とかばっかだったからなあ。

 一ヶ月程度しか経っていないのに、もうここが帰る場所だと思える。

 

 軽く仮眠を取り、私は迎えに来た補助監督に連れられて任務に向かうのだった。

 

 

 ◆都立呪術高専 筵山麓 15:00

 

 

「お疲れ様、もう高専の結界に入ったよ」

「これで一安心じゃな!!」

 

 夏油の一言に皆肩を抜いた。

 

「悟、本当にお疲れ」

「……二度とごめんだ」

 

 労いの言葉をかけられるが、五条は不機嫌そうに顔を顰めて術式を解いた。

 それを虎視眈々と狙っていた凶刃が迫り——空振りに終わる。

 

「……お?」

 

 声を発したのは誰でもない。新たに現れた正体不明の第三者だった。

 

「誰だテメェ……!!」

「気にすんな、男の名前なんて俺だって覚えんの苦手だ」

 

 口元に傷のある黒髪の男は、奇襲が失敗したにも関わらず不敵に笑った。

 五条が術式で男を弾くと間髪入れず夏油の呪霊が丸呑みにする。

 

「悟!」

「問題ねえ。先に行ってくれ、アイツの相手はしとくから」

「結界内に侵入してきた相手だ、油断はするなよ」

「ハッ、当たり前」

 

 夏油たちを見送り、五条はサングラスを外した。

 言われるまでもなく油断するつもりはない。

 

(俺の眼が間違っていなければ、アイツは安藤と同じタイプだろうからな)

 

 そして六眼に間違いなどありえない。

 睨みつける先、足止めしていた呪霊が内側から切り刻まれる。腹から出てきたのは血まみれになりながらも、呪具を持った無傷の男だ。

 

「おっかしいな、さっきのを避けるのは流石に予想外だ。仕留めるつもりだったが……俺がナマったか……お前の削り(・・)が足りなかったか?」

 

 男は飄々とした口調で首をかしげた。

 

「削りとか鰹節じゃねーぞ」

 

 五条は男を素早く観察する。

 体に巻きつけた呪霊に別の武器。本人の呪力は完全にゼロ、術式もない。先程とは別の武器を持っているのは、あの呪霊が特殊な能力を持つのだろうか。晦冥のような変幻自在だったら面倒だな。

 そして先ほどの身のこなし。呪力による身体強化もない人間とは思えない。天与呪縛の可能性が高い。

 

安藤(あいつ)も天与呪縛の恩恵で呪力への耐性はあったからな。呪霊の出どころは晦冥みたいに物に憑いているか、身一つなら飲み込んで隠していたのかもしれねぇな)

 

 賞金の期限はとっくに切れていると指摘すれば、丁寧に賞金の目的を説明してくれる男に、思わずククッ、と笑いが漏れる。

 沖縄で安藤を捕まえたのも無駄ではなかったらしい。おかげで男の思惑通りに消耗するのは避けることができた。

 それに、

 

「生憎、アンタみたいな奴は慣れてんだよ。ここから先は簡単には通さねえ」

「ん? そいつはちったぁ興味あるが……まぁ、今は関係ねぇな!」

 

 五条悟 VS 伏黒甚爾 開戦。

 

 

 ◆

 

 

「ん? いつもと違うか……?」

 

 任務を終えて高専に帰ってきた。本物の入口の一つから結界内に入ったが、何やら騒がしい。

 常人離れした感覚が異変を告げる。

 

「晦冥、先行して探ってきて」

『りょーかい』

 

 晦冥は返事をするとその体を指輪から広げ、やがて見えないほど薄く消えていった。

 晦冥は霧状の体をいかして広範囲に散ることが出来る。その間、広げた範囲を知覚できるので偵察や警邏に便利なのだ。

 

 携帯端末を出して時間を確認する。午後三時過ぎ。天内が同化のために高専に着いているはずだ。

 

「ん? 少し前にアラートが発動している?」

 

 原因としては夏油が五条とまたケンカでもしたのか、可能性は低いが結界内の侵入を許したか。

 

 後から聞いたのだが、実際には、結界内に侵入を許し夏油が迎撃したことでアラートが発動したらしい。

 

『ろーど』

「どうだった?」

『しんにゅうしゃ ごじょーと たたかってる』

「チッ、まさか本当に結界内に敵がいるとはね」

 

 晦冥からあらかた報告を聞き取ると、私は走り出した。

 五条と侵入者の戦闘を避けて、天内が居るだろう下層へ向かう。五条なら負けないと判断しての選択だ。夏油の実力は信用しているが、護衛しながらの戦闘は難しいだろう。

 結界に侵入しているのが一人とも限らない。晦冥の偵察範囲はそれなりに広いが、広大な高専の敷地をカバーするには時間も呪力も足りない。

 

「晦冥! 天内は見つかったか!」

『うん いちばん した いるよ』

 

 もうそこまで辿り着いているなら問題なさそうか、なんて考えたそばから。

 

『あ』

「……どうした」

『ごじょー まけた』

「はぁ!?」

 

 思わず急ブレーキをかけて立ち止まってしまう。

 

「あいつが負けただと!?」

『しに かけ』

 

 しかも瀕死らしい。敵対者同士の戦いだ、負けたほうが死ぬのは珍しくもない。だが、五条の敗北は信じがたい。

 

「敵はどこだ」

『わからない』

「何故」

『じゅりょく ない ろーど おなじ』

「なんだと?」

 

 まさかここに来て同じ体質の相手が現れるとは。しかも五条が負けたなら私と同じかそれ以上の身体能力の持ち主と考えて良い。こうなっては天内の身が危ない。

 

「晦冥! 天内の周りに急いで集まって、攻撃があったら防いで。問題ないな(・・・・・)?」

『だいじょうぶ』

 

 少し前に取り決めた、『他人に晦冥を使わせない』という縛りが加わったので、違反しないように命令を出さなければならない。

 

 五条は瀕死、だがまだ死んではいない。場所は判明しているので今から向かうこともできるが……しかし行ってどうなる。私は家入のように他人に反転術式を使用できないし、レスタは呪力に反発して術師の体を融かす。

 悩んだ末、断腸の思いで天内を追うことにした。

 

 思い出せ、ここは高専だ。アラートが発動しているなら他の者たちも動いているはず。家入が駆けつければ瀕死の五条を助けるのに私以上に役に立つはずだ。

 今、危険なのは五条をも倒す何者かに狙われている天内、そしてそれを護衛する者たちだ。

 

 下層へ行くにはエレベーターに乗る必要がある。先に入った天内たちがいる為、カゴ(荷物や人を乗せる箱)も一番下に有るだろう。もう一度引き上げるにも時間がかかるなら扉をこじ開けて降りたほうが早いか。

 そう考えたが、どうやら敵も同じ考えだったらしい。エレベーターに駆けつけた頃には既に扉は半壊にされていた。

 

「後手後手だなっ!」

 

 こんなことなら二級程度の任務はよそに回して天内の護衛を継続するのだった……!

 後悔しても遅い。

 何階あるかもわからないエレベーターの昇降路を飛び降りる。長めの落下時間をやり過ごし、下にあったカゴの天井に着地する。天井部には既に先人によって壊された孔が開いており、私もそこを通って先への道を急ぐ。

 

『ろーど あまない こうげき された』

「どうなった!?」

『ただ の だんがん だいじょうぶ』

「そうか!」

 

 それは僥倖だ。

 エレベーターから出た先で黒井が倒れているのが見えた。駆けつければまだ息はあるようだ。ただ、切りつけられた傷からの出血がひどく、このまま放置すれば大量出血で死ぬだろう。

 彼女が身につけているエプロンを剥がし、急いで止血していく。

 既に聴覚は奥の戦闘音を拾っている。

 

「これで良いか……」

 

 応急処置を済ませた黒いを壁に凭れさせて先を急ぐ。

 抜けた先は地下にあるにも関わらず随分と広い空間だった。中心には地球では見たこともないほどの大樹が鎮座している。

 だが今はそれを鑑賞している暇はない。

 視線を巡らせれば、夏油と見たことのない男が戦っていた。夏油の呪霊による攻撃を高速移動で避ける男。随分と身軽だ。

 

(呪力強化以上の身体能力、フィジカルギフテッドだな)

 

 私は出来るだけ気配を絶って、夏油と男のやり取りを盗み聞きする。情報の開示のためか、聞いてもいないのに男はペラペラと喋る続ける。

 天内は探すまでもなく夏油の背後に匿われていた。彼女を何としてでも天元の下まで届けなければならない。ここで戦闘に巻き込まれるより遥かに安全だ。

 

(しかし、男の話が本当なら外では蠅頭が溢れているのか。これは五条の救命も危ぶまれるか?)

 

 男が話す間に隙を探る。

 

「人間が残す痕跡は残穢だけじゃねぇ。臭跡、足跡。五感も呪縛で底上げされてんだよ。——だから、そこでコソコソ隠れている奴がいるのもバレてんだよ」

 

 ピンポイントに指さされて私は悪態を吐いた。流石の私も体臭まで消せない。

 五感による索敵・気配の察知は身を持って知っている。だが、まさか夏油を前にしてまだそれほどの余裕があるとはな。

 

「随分と鼻がきくようだ、犬か?」

 

 憎まれ口を叩いて私は壁の影から出た。

 

「優!」

 

 振り返った天内が私の名前を呼ぶ。それに微笑み返す。

 正直、視界に敵がいるならすぐにでも爆破してしまいたいが、夏油や天内がいることで巻き込む恐れがある。

 攻撃の指向性を持つアストラルは今回のような呪力を持たない敵より、味方に強く作用してしまう。

 

「夏油先輩、ここは私が引き継ぐ。あなたは理子ちゃんを連れて天元様の元へ」

「しかし!」

「問題ない。五条のことも……だいたい把握している。相手は天与呪縛だろう? ならば、あなたより私の方が適任だ」

 

 夏油は対人戦闘も強いが今回は相手が悪すぎる。夏油もそれは理解できるはずだが、五条の知らせを聞いて冷静になれないのだろう。

 私の指摘で少し落ち着いたのか、夏油は頷いた。

 

「……そうだね。ならここは任せるよ。行こう、理子ちゃん」

「待って! 優! 黒井、黒井は!?」

 

 天内が必死に私の腕を揺さぶる。

 

「理子ちゃん、安心して。黒井さんは大丈夫。生きている。ここに来るまでにちゃんと手当もしたよ」

「……分かったのじゃ。最後に一目……いや、何でもない」

「……ごめんね。行っておいで」

 

 流石にこの状況でもう一度天内を黒井を会わせる余裕はない。

 そうして夏油に連れられ、天内は奥へと向かう。

 

「させるかよっ!」

 

 それまで静観していた男が、ここぞとばかりに邪魔をする。

 

(速いっ!)

 

 振りかぶられた刃を、こちらもカタナで弾く。咄嗟に動いて何とか間に合った。

 素の身体能力は向こうのほうが上手。アストラルで強化すれば互角以上にできるか……?

 

 次の瞬間、世界が闇に覆われる。いつの間にか男の背後に現れた異形の女が問いかけた。

 

『ねぇ わた わタ わたし きれい?』

 

 夏油の呪霊操術で呼び出された呪霊だ。簡易領域を展開する呪霊なら確かに足止めには向いている。奴が呪霊相手に返答している間に武器を取り替える。

 タロンシュナイデル。右腕に装着する装甲のような機械腕だ。いかにも近接戦闘に特化している見た目だが、その実はガンスラッシュ。これで多少不意を突けると良いが。

 

「趣味じゃねぇ」

 

 なんだそれ。

 

 男が二股に分かれた短刀を己の呪霊から持ち出すと、周囲に浮かぶ巨大な鋏を打ち消していく。

 

 なんだそれ……!

 というか今の動き、あの呪霊が武器庫か。ならば、あれから潰そう。

 

 男が夏油の呪霊を相手にしている隙に背後から肉薄する。タロンシュナイデルを装備した右腕を突き出す。

 

「終わりだな」

 

 男はため息を吐きながら振り向きざまに体勢を低くしてタロンシュナイデルを潜り抜ける。そして持っている短刀で胴体を狙ってきた。

 目にも止まらない速さ、とはこのことだろう。ただの術師なら男の言うとおり、このまま切り裂かれてお仕舞いだが……私は相手の拳に自らの左手を添えて、短刀の突きを外側に押し流した。

 

「っ!?」

「お前こそ気をつけろ」

 

 必殺だと思った攻撃を防がれ、息を呑む男に笑いかける。

 

タロンシュナイデル(これ)は切れるぞ」

 

 打撃に見せかけたタロンシュナイデルから放たれたのは斬撃。

 それは男の背中に巻き付く呪霊を切り裂き、両断する——はずだったが、直前に男が距離をとったことによって浅い切り傷で終わる。

 とはいえ、アストラルが存分に乗った斬撃なので、見た目より重症だろう。

 

「チッ」

 

 男は一つ舌を打つと、痛みに悶える己の呪霊に構わず別の刀を抜き出し、夏油の呪霊を切り殺した。

 私にも斬撃が放たれるが、ついでとばかりに飛んできた攻撃にやられるはずがない。軽く打ち払い、反撃にラスターのフォトンアーツ、ステイ・ブランドエクステンションを放つ。

 左手にアストラルで形成した即席の剣を出現させ、回転しながら連続で切り払う技だ。

 男は対処するよりバックステップで避けることを選択したため、エンハンスアーツに繋げられなかったが、追撃にステイ・スラッグスキャッターをエンハンスアタック付きで放ってやった。

 まさか打撃武器のようなタロンシュナイデルから射撃が放たれると思わなかっただろう、一発当たったらしく、腕から流血している。

 

 アストラルの散弾をあれだけ打ったのに、当たったのはたったの一発……されど一発だ。

 男は術師ではない、故に反転術式も扱えない。

 アークスをやっていると感覚が麻痺してしまうが、奴はどんなカスリ傷でも即時に回復する手段はないのだ。レスタをどれだけ連発しようが巻き込む味方もいない私の方が有利だ。

 

 男は血の垂れる腕をチラリと見やると、今度こそ油断のない視線を私に向けた。

 やっとこっちを見たな。

 

「俺の間合いでやりあうどころか、反撃までしてくる奴がいるとはな」

 

 目を細め、口の端を釣り上げた。

 

「……お前、術師じゃねえな。呪力が感じられねぇ、五条が言っていた『俺みたいなやつ』ってのはお前か。天与呪縛のフィジカルギフテッド、同類ってわけだ」

「そう、だから君の相手は私が適任だ」

「だが、妙なもんを連れてやがる。その指輪に飼っているのは呪霊か。その腕のやつも随分とイカれた武器だ……さっきとは違う得物(もん)を持ってるが……お前も呪霊の能力で仕舞ってたのか?」

「さぁね」

 

 タロンシュナイデルを利用した不意打ちは終わった。この武器は見た目も良いし、相手を騙すには丁度良いが、使用者の私さえイマイチ距離感が掴みづらい。

 期待した役割は果たしたので、さっさと他のガンスラッシュ、グラウベンエーレに変える。ラスターのバーランスタイル用に調整された銃剣だ。この男相手にフォメルスタイルのような高威力は必要ない、必要なのは間合いを固定しないバーランスタイル。

 

「仕切り直しの前に一つ訂正しよう、私は術師だ」

「ハッ、笑わせやがる」

 

 凶暴に笑うと男は左手に短刀、右手に刀を持って突貫してきた。

 

 

 



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10.高専一年生 懐玉編 後編

パパ黒戦、決着。


早速誤字。抹殺と抹消間違えた。修正しました。
あと、パパ黒とのやり取りが作者の意図しない誤解が出そうだったのでちょっと修正しました。


 刀の一撃を回避し、ラスターステップガードで反撃する。

 始まったのは超高速の戦い。

 男の速度は目を見張るものがあるが、アストラルで強化した私も引けを取ってはいない。

 加えて速度の出やすいのラスタークラスで戦っていること、そしてバーランスタイル特有の斬撃に伴う光波の射出も相手の攻撃のタイミングを潰していった。

 離脱しようとすれば射撃で追撃し、手間取っているうちに私の間合いに詰める。

 多彩な攻撃手段を間髪を容れず連続で繰り出し、回避さえもステップスライドアドバンスとして攻撃に繋げる。

 この戦い方は男と相性が良いのか、おかげで相手はほとんど防戦に徹して能動的に攻めることができない。

 

 とはいえ、こちらも気を抜けない。

 男が単純に強いのもあるが、特段気をつけているのは、奴が持つ短刀の反撃だ。

 正確な効果は知らないが、先ほど夏油の呪霊の攻撃を打ち消していたことから、術式に対して特攻能力が付与されているかもしれない。

 短刀の斬撃はガンスラッシュで受けず、アストラルで使い捨ての剣を形成して迎え撃った。やはり特殊な呪力が篭っているのか、反発を受けたアストラル剣がたったの一撃で形を保てなくなり、霧散する。

 

(攻撃の指向性を持たせたアストラルが簡単に撃ち負けるとは、随分と上等な呪具だ)

 

 中距離まで離れた男を追いかけるようにムーブ・ホローポイントとエンハンスアタックを叩き込むが、弾丸が跳弾する前に全て叩き落とされ、さらに距離を離された。

 

「クッソ、マジでやりにくい相手だなっ!」

「張り合いがあって良かったね」

 

 やりにくいのはお互い様でしょ。

 男に追い詰められている様子はない。まだ笑って悪態を付く余裕があるのだ。

 確かに、私は男に一方的に攻撃をしているが、タロンシュナイデルの反撃以来、一度も傷を負わせることが出来ていない。攻めているのに攻めきれない。

 

「理子ちゃんはもう結界の中だ。高専外部の結界をどうやってすり抜けたかは知らないが、お前の目的はもう果たせない。諦めたらどうだ?」

「まだ日も暮れてねーのに何言ってんだ? んなのは星漿体が同化してから言えよ」

 

 この諦めの悪さからして、天元の結界を破る当てはあるということか。

 

「ふん、この先に行きたくば、私を倒してからにするんだな」

 

 最も、殺られる気も通す気もないが。

 

 銃口を向け、イベイトシュート。容易く避けられる。

 だが想定内だ。出方を見て次の攻撃手段を選ぶ。

 私の周囲をぐるぐると周りながら高速移動をしだしたので、無属性のエンハンスシュートで連射を続ける。

 弾丸は全てアストラルで構成されているので燃費はかなり悪いが、消費しながら晦冥が溜め込んだ呪力を常に変換し続けるので弾切れは心配ない。

 

(全く何度も何度も。私の動体視力でも当たらないってどういうことだ)

 

 当たっている弾丸もあるのだが、刀で切り伏せられているか、あの短刀でかき消されている。

 埒が明かない。とはいえ、私の目的は同化が始まる日没までの時間稼ぎだ。状況は私に有利なのは変わらない。

 

 その時、男の呪霊が大量の蠅頭を吐き出した。

 

「っ! 邪魔だ!」

 

 迫る蠅頭を全方位への斬撃で切り落とすが、数が多すぎる。

 範囲の広いステイ・スラッグスキャッターのエンハンスアタックで雑魚を一掃していると、蠅頭の群れの中から何かが高速で飛んできた。咄嗟にそれをガンスラッシュでガードする。

 

「これはっ!」

 

 鎖に繋げられた短刀が深く銃身に突き刺さっていた。

 次の瞬間、握っていたグリップの感覚がなくなり、武器が霧散して晦冥の霧に戻っていく。

 武器の強化のために内部を循環させていたアストラルも行き場を失い、周囲に弾ける。余波で巻き込まれた周辺の蠅頭が溶け消えた。

 

 短刀が回収されていく。鎖の先を辿って男を探せば、奴は既に天内を追って屋根を伝いながら大樹へ向かっていた。

 

「行かせるか!!」

 

 手にファントムロッドを握り、ラ・フォイエを放つ。座標指定型の炎属性テクニックだ。

 男のすぐ傍で爆発が起きる。だが、奴の五感が直前の空間の変異を捉えたのか、直前に上に飛び上がり、爆風で更に前進の後押しをしてしまった。

 空中に投げ出された体を、男は鎖を建物に射出することで引き寄せ、再び屋根に降り立つと再度走り出す。

 どんどんその姿が遠くなっていくが、

 

「私の視界に入っている限り無事(タダ)で済むと思うなっ!!」

 

 ラ・フォイエ、当たらない。

 グランツ、当たらない。

 サ・バータ、当たらない。

 

 扱い慣れた座標指定型のテクニックを同時に(・・・)、かつ連続で放つも、どれ一つとして当たらない。

 男はテクニックをやり過ごすために避けたり、例の短刀で打ち消したりと、一進一退を繰り返しているが、確実に前に進んでいた。

 こうしてテクニックを放っている間にも、ラスター(・・・・)のラスターステップスライドで高速の移動をしているのに、追いつけない。初手での距離が離れすぎていた。

 

 ラ・フォイエ、ラ・フォイエ、ラ・フォイエ、ラ・フォイエ。

 

「ラ・フォイエっ!! ——うぁッ」

 

 視界がスパークする。

 頭が真っ白に染まり、平衡感覚がなくなる。体が倒れてしまう前に、その場にしゃがみ込んだ。

 明滅する視界で足元を見やれば、ポタポタと赤い雫が垂れている。鼻を触ると手にも赤色が付着した。どうやら鼻血が出ているようだ。

 

(クソ、無茶しすぎたか)

 

 ファントムクラスとラスタークラスを同時に使用し、テクニックも同時展開・乱発したことで脳の処理が追いつかなくなったらしい。

 

「ぐぅ、レスタ!」

 

 テクニックの使いすぎで生じた脳のダメージを、レスタ(テクニック)で誤魔化し、急いで男を追いかける。

 僅かな間に男はもう大樹のすぐ近くに迫り、勢いのまま結界を壊すためか短刀を繋げた鎖を振り回していた。

 あれが投擲される前に、止めなくては。

 

 当たらないなら、追尾を。 射程も長いホーミングエミッションなら……!

 晦冥に素早くアサルトライフルのイメージを送る。間に合うか?

 

 いや、これは間に合わな——、

 

 その時、男の体が空中に放り出された。

 

「……何?」

 

 あの引き寄せる術式は。

 

 入口を見る。

 

「五条!」

 

 そこには、全身を血で染めながら立つ五条がいた。

 

 男は持っている短刀で五条の術式を打ち消したのか、完全には引き寄せられず、私から少し離れた屋根に降りた。

 

「マジか……!」

 

 奴も想定外の登場人物に随分と驚いているようだ。

 確かに、五条の様相はパッと見るだけでもかなりの深手を負っていたのが分かる。今、生きているのが不思議なほどに。

 

「大マジ、このとーりピンピンだよ」

「反転術式!!」

 

 五条が髪をかきあげて傷跡を見せる。男が思い至ったように声を上げた。

 家入の治療が間に合ったのかと考えたが、五条が次々と生き延びた経緯を暴露するので、直ぐにそれが彼の自力だと判明する。

 

(つーか五条の眼がイってんだけど。リサみたいになってんだけど)

 

「お前の敗因は俺の首を切り落とさなかったこと、そしてその呪具を使わなかったことだ」

 

 ハイになった五条が男を指差して嘲った。

 

「敗因? 勝負はこれからだろ」

「あ゛ー、そうか? そうだな、そうかもなァ!!」

 

 そのやり取りが再戦のゴングとなったのか。男は五条に肉薄し、フェイントを交えて短刀の一撃を繰り出した。五条は術式を展開して宙に浮いてそれを避ける。

 そして逆さまのまま、掌印を組んだ。

 

「術式反転・赫」

 

 弾き出された無限が男を弾丸のように吹き飛ばした。

 

(えーー……、なにあれ、えー、五条ナニアレー。人間が鉄砲玉になってんじゃん、ええ……)

 

 瀕死で死んだかも知れないと心配した先輩が、とんでもないレベルアップして帰ってきた。

 もう、唖然とするしかないよね。

 

「全く、死にかけて覚醒とか主人公かよ」

 

 私はその場で片膝を立てて座り込み、頬杖をついて観戦することにした。

 いやあ、だって絶対私の存在忘れてるでしょ、奴ら。なんなら男も自分の目的忘れてるでしょ。五条もあんな調子じゃ、私の時間稼ぎも、もう終わりでしょ。

 

 決着はすぐに着いた。五条が虚式・茈という見たことのない技を使用して。

 それまで私のすべての攻撃を避けていた男も、流石に対処できなかったらしい。片腕と胴体の半分を失って倒れた。

 

「見えない攻撃か……初見で避けろっていうのが無茶ぶりだな」

 

 原型を残しているだけでも大したものだ。

 

 戦い終えた五条は男といくつかやり取りをする。男には言い残すことがないとのことで直ぐに終わったが。

 そこでようやく私の存在を思い出したのか、五条が文字通り飛んできた、空中を。

 

「傑と天内は!?」

「両方とも無傷だよ。既に奥に行ってる」

 

 親指で背後の大樹を指し示すと、五条はそのまま飛んで行った。

 私には一言もなしかよ。まぁ、鼻血も止まっているし無傷だが。

 

「よっと……。上にはまだ蠅頭が沢山いそうだし、掃討の手伝いにでも行くか」

 

 立ち上がって制服についた埃を払う。屋根を伝って最短距離で入口近くの石畳に降り立つ。

 

「…………んーー……。まだ生きている音がする……」

 

 この耳にずっと届くのだ、鼓動が。

 聞きたくなくても勝手に音が耳に入ってくるのはもう慣れた。

 この死に際の荒い息遣いは無視をするのも忍びない。

 

 男は地面に転がっていた。背後の壁がいくつも円形に抉れており、天与呪縛の肉体を持ってしても耐えられなかった虚式の凄まじさを物語っている。

 

「驚いたな。本当に生きているとは」

 

 側に寄って覗き込む。

 下半身が千切れ、両腕など既にない。心臓と肺が辛うじて残っているからまだ息をしているだけ。

 

「ああ……て、めぇ、か……」

 

 意識もあるようだ。息も絶え絶えに男は私を視界に収めた。

 

「五条、に……やられはしたが、てめえも、なかなか手強かったぜ……」

「お世辞はどーも」

「世辞、じゃねえ。俺、と同じでも……でめえは術式を、持ってる……」

 

 ハハ、と吐息で笑った。

 

「呪力、じゃねえ。別の力、使ってるだろ……」

「………………」

「良かったな、恵まれて……。こんなクソ、みたいな世界、で、精々、長生きすんだな……」

「……なんだそれ」

 

 最後に吐くのは恨み言じゃないって、なんだそれ。

 コイツ、変な奴だな。

 

「ああ、思い、出した……」

「あん?」

「言い残し、あったわ……」

「は? ちょっと、五条じゃなくて私に言うの!?」

「もうてめえしかいねーだろ……。伝言で、いい。五条(ヤツ)に伝えろ……」

「分かったよ……じゃあ、生きてるうちにさっさと言え」

 

 ちょっと様子を見るはずが、ここまでしっかりと見取り役をする羽目になるとは。

 

「二、三年すれば……俺の、ガキが、禅院家に売られる」

 

 うん?

 

「——好きにしろ」

 

 …………ハァ?

 

「なに、あんた子持ちだったの」

「………………」

 

 男は空中を見つめたまま答えない。

 

「売られるって……母親は?」

「………………」

「売ろうとしてたのも大概だけど、殺そうとした相手に自分の子供を好きにさせようとはな」

「………………」

「おい、もうその命捨てるのか」

「………………」

「死んだふりすんな」

 

 返答しない男の頭を小突く。何度も小突く。

 

「……んだよ、う、っとうしい。静かに、死なせろよ」

「自分の子供を売れるんだ。今は自分の命も捨てるんだろ」

「もう……死ぬ、しかねーヤツに、何言ってんだ」

「そうか。そうだね。じゃあ、死ぬつもりならその体、どうしようが私の勝手で良いよね」

「あぁ……解剖、でも、なんでも……」

「そ。解剖していいの。何してもいいってことは絶対服従ってことね」

「変なこと、言うな、ァ……お前……」

「いいから答えろ」

「………………」

「コラ、死んだふりすんな」

 

 小突く。二回目のやり取りだぞ、これ。

 

「……まじウルセー。俺の死に際、こんなのかよ……」

「で、どうなの」

「もう、好きにしろ……」

「そ、じゃあ縛りの言質はもらったからな……」

「…………あ?」

 

 私は男に向かって笑った。その瞳に、あくどい笑みを浮かべる少女が映っている。

 

「恵まれた体質に感謝しろ」

 

 

 ————レスタ。

 

 

 ◆

 

 

 伏黒甚爾は呆然と己の体を見下ろしていた。

 五体満足に修復された、その体を。

 

 先程まで伏黒は確かに五条によって体は両断され、肺の半ばから上が辛うじて残っていた状態だった。そんな通常なら即死状態でも、伏黒の天与呪縛の恩恵は伏黒を生かし続け、死に際を引き伸ばし続けていた。

 既に感覚が麻痺していたのか、痛みも感じなかった。それだけ死の淵に近いということだ。

 あとは逝くのを待つだけだと思っていたら、先程まで戦っていた少女が覗き込んできた。

 開けているだけの目でも、視界に入れば、頭も自然とその顔を認識する。

 

「驚いたな。本当に生きているとは」

「ああ……て、めぇ、か……」

 

 その気もなかったのに、気が付いたら会話をしていた。

 後から思えば、それが運の尽きだったのか。

 

 伏黒も伏黒で、少女に思うところがあった。

 伏黒の感覚では確かに少女には呪力はなく、伏黒にも迫るその身体能力は天与呪縛のフィジカルギフテッドだと認めさせるには十分だった。

 

 夏油が星漿体を連れて撤退する時、少女は伏黒を止めてみせた。全力の伏黒を、だ。

 内心称えると同時に、その一瞬で伏黒は少女では自分に及ばないことも見抜いていた。

 男女の差なのか、年の差なのか、ただの才能の差か。

 同じ体質の人間に会ったのも初めてなので、何がその差異を生んだのかは定かではないが、邪魔するならさっさと殺して星漿体を奪おうと考えていた。

 それが、蓋を開けてみれば一撃を喰らい、一方的に攻撃されて始終防御と回避を強いられようとは。

 見くびっていた身体能力も、どんな手を使ったのか逆に伏黒を上回っている。

 

 やがて伏黒は少女に呪力とは別の力を感じ取った。いくら呪霊を使役した特殊な武器でも少女の戦闘方法は特殊すぎた。

 謎の力は、彼の人並み外れている五感だけで導かれたのではなく、優れた第六感もその存在をヒシヒシと訴えていた。

 

 確信したのは、少女が魔法じみた力を使ってきたからか。

 少女との戦闘は足止めを食らうだけで意味がないと割り切って、保険で残しておいた蠅頭を嗾けて振り切ることにした。

 フィジカルギフテッドは基本的に近距離戦闘だ。少女の場合、近距離に加え、遠距離に片足突っ込んだ中距離での戦闘だったが、流石にこれだけ離れれば為すすべもないだろうと。

 果たしてその目論見は外れた。

 想定外の力を持ってして。

 

 星漿体を追うため、屋根伝いに駆け抜けていた時、ふとチリと空気が熱を持った気がした。直感に従って真上に飛べば、先程までいた空間が爆発する。

 

 あの時は冷や汗がびっしょりと背中を流れたよなぁ、と後から何度も振り返って伏黒は思う。

 

 幸い、爆発を利用して更に距離を稼げたが、そこから更に爆発爆発爆発、爆発の嵐。

 地雷でも踏んでるのか、それとも戦闘機の絨毯爆撃か、と思うような爆炎が伏黒を襲う。

 それこそ、これまで経験したことがないほど必死に避けた。途中からは瓦礫の被害は無視した。

 時には白く輝く矢の群れや、尖った氷の柱の群れが襲いかかってきた。建物の陰に隠れても建物ごと爆破してくる。

 ここにいるのは己と少女のみ。ならばこの攻撃は少女が仕掛けているに違いなかった。

 少女が背後で宣言した通り、奴の視界に入っている限りこの攻撃は続くのだ。

 

 冗談じゃねえ、と伏黒は思った。

 自分と同じ呪術も使えねえ猿だと思った人間が、そこらの術師以上に呪術を使えてんじゃねえか。

 あんな奴、やっぱ相手してらんねー。

 

 五条のように事前に情報を集めて対策したわけでもない、夏油のように近接戦闘で仕留めることも出来ない。ぽっと出の危険人物は無視に限る。

 

 星漿体まであと少し、という所で復活した五条がやってきてしまったが。

 覚醒した五条が登場した時点で、伏黒は今回の任務を諦めた。

 ただでさえ危険視していた男と、謎の力を使役する女。こんな二人を相手に何とか振り切って、苦労して星漿体を攫ったところで退路が見いだせるはずがない。

 任務失敗で多少信用は落ちるだろうが、命には変えられない。

 五条の挑発に乗ったフリをして逃走をするつもりだった。結果は惨敗。

 

 五条との戦闘は正直あまり覚えていない。一瞬にして終わったからだ。

 だから伏黒としては五条よりも、逃げ回る伏黒に脅威を叩き付け続けた少女に対しての方が忌避感が強かった。

 

 逆説的に言えば、自分と同じはずの少女が、同じじゃないなら、自分が見れなかったものを見れるのかもしれないとも思った。

 こいつなら、俺が捨てた自尊心(それ)も持ったまま生きていけるのだと。

 だから死に際、こんなことを言ってしまっていた。

 

「良かったな、恵まれて……。こんなクソ、みたいな世界、で、精々、長生きすんだな……」

 

 そして、

 

「言い残し、あったわ……」

 

「二、三年すれば……俺の、ガキが、禅院家に売られる」

 

「——好きにしろ」

 

 これが一番の失言だったのだろう。

 そっからクソメンドくせえやり取りを、少女に強いられるまま伏黒は付き合い……。

 

「レスタ」

 

 その結果が、この五体満足な体、というわけだ。

 

「おい、俺は夢でも見てんのか?」

「本当に夢に沈めてやろうか?」

 

 信じられない気持ちで投げかけた質問を少女はバッサリと切り捨てた。

 

「いや、反転術式でもここまで完全に修復できねえだろ」

 

 事実、五条の額には傷跡が残っていた。だが己のこの体には傷跡一つなく、両断されていた胸元を探っても繋ぎ目もなければ、抉られて消失した肉も不自然に盛り上がっていない。

 

「私もここまで上手くいくとは思っていなかったよ。初めて自分以外の同じ体質の人間にレスタを使ったけど、意外となんとかなるんだな。最も、あんたの元の体なんか知らないから、原型のあった下半身を繋ぎ直して足りない部分の補強に留めたけど。しばらくは他人の体みたいで気持ち悪いかもね」

 

 言われて確かめれば、確かに戦闘で消失した腕や腹の辺りに少し違和感を感じる。感覚が鈍いわけではないが、どうにも慣れない。だが、それも少し鍛錬(リハビリ)すれば直ぐに元通りになるだろう。

 

「んで、俺にこんなことをして、アンタどういうつもりだ」

「どういうつもり、って……死にかけていたから覚えていないのか? お前は私に絶対服従することになるんだ、私のために奉仕をしなさい」

「覚えてるっつーの。俺を使って何したいんだよ。テメェも俺をヒモにしてぇのか」

「は? ヒモ? 何言ってんだ、キモ」

「あ゛あ゛?」

 

 ここ数年、伏黒の女との付き合い方と言えばそれしかない。しかもいつも女の方から寄ってきた。

 その弊害か高校生相手にヒモ発言、伏黒の常識も随分と狂っていた。

 最もこの業界に常識を求めるものなど、安藤くらいだが。

 

「勘違いするな、お前を助けたのはお前のためでも、ましてや曖昧な正義のためでもない。単にお前に利用価値を見出したのと……ミジンコにも満たない理由だが、最終的に天内も五条も殺せなかったからだ」

「殺せなかったからだと?」

 

 伏黒も少女が伏黒に同情して命を与えたなどとは露ほども考えていない。いないが、最後の理由は癪に障る。

 

「敵だったのは変わりない。結果的に殺せなかったから許すなんてつもりもない。だからその命を繋ぐために精々役に立つと証明するが良い」

 

 実に遺憾だが、ここまでくれば少女との付き合いは長くなりそうなのは想像に難くない。

 

(こいつとは合わねえな……)

 

「お前の使い道は沢山ある。特殊な体質に高い戦闘能力。モルモットにしても良いし、任務のお供にしても、金ヅルにしても良い。なんたって好きにしろといったのはお前自身だからな」

「……マジかよ」

「マジマジ、大マジ」

「………………マジかよ……」

 

 まさかあの言葉がこんなことになるとは。天与呪縛だからには伏黒も縛りは適用される。伏黒自身も情報開示による能力の底上げは手軽さもあり頻繁に使用してきた。

 だから、この少女との間に取り交わされた縛りが間違いなく存在し、破ればただでは済まないことも理解している。

 どうせ死ぬからと、少女の煩わしさに結んでしまった完全服従の縛り。適当に返事したとしても同意したのは伏黒本人だ。そして代わりに与えられたのは、命。縛りの対価としては十分。

 

「ハァ…………」

 

 伏黒は盛大に溜息を吐いた。本当に勘弁願いたい内容だが、感情が嫌がっても、頭はこの縛りの正当性を認めてしまった。

 

「さて、やっとちゃんと現状を理解できたね?」

「……おう」

「そっかそっか、じゃあ早速今後の方針だけど、とりま養育費でも稼いできなよ」

「……あ?」

 

 さらりと出された命令に眉を寄せる。

 

「子供を置いて死ぬなんてダメでしょー。売るほど困窮しているなら自慢のその体で働きなさい」

「よりによって俺にそれを求めるのかよ……」

(この女、やけに俺の子供(ガキ)を気にしてやがった。さっきまでのは方便で、本音はこれが目的じゃねえか?)

 

 伏黒が少女の本音を推測する。面倒だが彼女の目的を探ればやりようはあるかもしれない。切り替えが早いのか伏黒は早速これからの生活改善の算段を付けようとしていた。

 

「私もこれからお前をどうやって高専に認めさせるか考えるからさ。頑張ってね、パーパ♪」

「…………オェ……」

 

 パパ呼ばわりされてガチめに吐きそうになった伏黒は、ガチめの拳骨を落とされて暫く生死の堺を彷徨った。

 陥没したと思われた頭蓋骨は、起きた頃には跡形もなく治っていた。

 伏黒はやはりそれを夢だと思うことにした。

 

 

 

 

 2006年 春某日 日没後 星漿体同化完了

 

 星漿体護衛及び抹消任務

 

 

 【完遂】

 

 

 




パパ黒生存です。


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11.高専一年生 青春不可侵条約

 大変失礼な(ナメた)態度を取ってくれやがった男、名を伏黒甚爾と言うらしい。複雑な立場のため、この騒ぎの鎮圧を手伝わせるのも目を離すのもできないので、一旦お眠りいただいた。邪魔だし(本音)。

 うう~ん、ちょっと硬いものが凹んだ気がするので治しておこう。

 晦冥に適当な呪霊を模した個体を生み出させ、それに伏黒を呑み込ませて連れて行く。

 辛うじて瀕死状態から脱している黒井も回収し、救護班に預ける。運ばれる怪我人を反転術式で治療する家入の姿も確認できた。

 

(蠅頭ばかりとは言えここには一年生もいるからなあ……)

 

 単体ならともかくこれだけ群れとなっていれば怪我くらいは負うか。

 この時期は忙しいので出払っている術師が多く、まだまだ蠅頭は残っている。見晴らしのよいところでツインマシンガンなどの銃器を装備し、片っ端から殲滅していく。

 

 日が暮れたあと、しばらくして五条と夏油が地上に上がってきた。

 天内同化のギリギリまで付き添っていたようだが、何かあったのだろうか。五条は明らかに不機嫌だし、夏油も珍しくイライラしているのが見て取れる。

 任務成功とは言え内心が複雑なのは想像がつくが、それとはまた別の要因のような気がした。

 

「どうした、クズども。珍しく機嫌が悪いな」

「「…………」」

 

 家入が激務後の一服をしながら遠慮なく切り込む。ここ一応教育機関なのですが?

 

「……別に」

 

 家入の問いにも答えず黙ったままだった二人だが、やっと口を開いたと思ったらこれだ。

 ふむ……これが消沈の裏返しなら慰めるのが普通なのだろうが、生憎と私にそれは向いていない。

 

「元々この任務の終着点は見えていただろう? 何かあったのか、言ってみろ」

 

 まさか護衛対象に同情をしすぎて落ち込んでいます、ってところなのか? いくら仲良くしていたとは言え、この二人がそこまで割り切りできないとは思えないが……。

 

「ちょっと予想以上に後味が悪くてね……私が未熟なだけさ」

 

 苦笑する夏油。五条はもう何かを口にする気もないようなので、夏油からことの次第を聞く。

 

 実は薨星宮(こうせいぐう)本殿で伏黒に襲撃される前、天内は同化を拒否していたらしい。もっと皆と一緒にいたい、と。

 だが、結局は保護をしてもらうため大樹まで行ってしまった。駆けつけた五条と合流したあと、天元と敵対するのも覚悟の上で天内を連れ戻そうとしたところ、これがあっさりと許可が下りてしまったらしい。

 どうも天内の他にも星漿体は存在しているらしく、既にその場に届けられていた。年端もいかない赤子だ。

 そんな存在を目の当たりにして天内が引き下がるはずがなかった。

 選ぶ権利がある自分と違い、判断もできない子を身代わりにはできない、と。そう言って、天内は結局同化の道を選ぶことにした。

 

「そっか……二人共、お疲れ」

 

 話を聞き終えると、家入はそれだけ言って支給された飲み物を二人に渡す。

 私は途中から相槌を打つこともできず、ただ飲料水を流し込んでいた。

 

「……じゃ、私はいろいろあって疲れたから少し休む。色々報告もあるし、また後で」

 

 空になった紙コップを捨てて、一足先に部屋に戻る。

 傍らに付いてくる晦冥の呪霊模倣体を見て、ああ、この中に入っている奴のことも報告しないとなぁ、なんて。

 

 気が付けば壁に拳を打ち付けていた。

 なんだ、割り切れていないのは私の方だったのか。

 

「何が……自己犠牲と違う、だ」

 

 天内が同化を拒否した時点で。

 天内が半ば囮にされていた時点で。

 天内が他の星漿体を庇って同化に臨んだ時点で。

 

 ——それはもう、ただの、自己犠牲だ。

 

 

 ◆

 

 

「指導!!」

「いだいっ!!」

 

 骨同士がぶつかる鈍い音が響いた。

 遠慮なく頭部に落とされたのは夜蛾の拳骨。頭に手を当てる私の目の前で、夜蛾の方が余程痛そうに拳をさすっている。

 

「ったく、よりによって今回の騒動の主犯格を生かすとはな!」

「も、申し訳ない……ですけど!」

「あ゛あ゛!?」

「ですけど! 流石に事前に相談をするような時間はなかったっていうか、コイツ今でこそ五体満足ですけど、さっきまでほんっとうに死にかけていたんですって!!」

 

 ビシ、と床にあぐらで堂々と座り込む伏黒を指差す。当事者のくせに我関せず、と床の木目を数え出している始末。それ面白いと思ってやってんのか、おお?

 

「それに関しては俺も証言できるぜ。なんせ、瀕死に追い込んだのは俺だし」

 

 五条がフォローしてくれた。だが非常に嫌そうに伏黒をみやり、不満げに私に目を移すと説明を求めてきた。

 

「流石にあの状態から完全復帰するとは思わなかったけど。どうやった、安藤?」

 

 今、私たちがいるのは高専に数ある道場の一つ。夜蛾と面談をしたのと同じ場所だ。

 自室で気分転換した後、重要な相談があるとして夜蛾を呼び出し、伏黒と面識のある五条と夏油にも同席をしてもらった。

 夜蛾も私の雰囲気から大事になると予見していたのか、人の寄り付かない道場を貸し切って人払いも済ませてくれた。私も念の為に晦冥に周囲を捜索させて人がいないのを確認してから、呪霊模倣体に呑み込ませていた伏黒を吐き出させた。

 呪霊から人体がデロン、とまろび出たのはとてもシュールだった。

 寝ていた伏黒を文字通り叩き起してやった後、彼はさっさと状況把握を済ませると、何を考えているのか、大人しく一言も発さずに待機している。

 

「簡単だよ、レスタを使ったんだ」

「レスタ、って悟の指を溶かした……?」

 

 去年のことを思い返したのか、確認を取る夏油に頷く。

 

「そう。あれは五条が持つ呪力に私のアストラルが反発した結果だからね。本来レスタは人体を修復する効果がある」

 

 反発するものがなければ問題ない。ならば、私と同じ体質の伏黒も本来の効果が見込める。

 軽く説明をしてやると、全員神妙な表情になった。

 

「話に聞いていたが、反転術式と同じものだと思っていた。だが条件さえ合えは四肢さえも復元できるとはとんでもないな。反転術式でもここまで完全には修復できない」

 

 夜蛾がしみじみとあごひげ摩りながら感想を口にするが、その条件ってのがとんでもなく達成しにくいんだよ。

 レスタの恩恵は私が身を持って知っている。出来れば誰にでも使用できるようにしたいが、この世界の人間は一般人に至るまで呪力を持つのが普通だ。

 打開の構想はある程度あるが、家入にお借りした実験用ラットを既に何匹かただの肉に変えてしまっているので実用にはまだ遠い。

 

「ったく、ヤローどもにジロジロ見られる趣味はねえよ」

 

 今まで沈黙を貫いていた伏黒が耐えかねたのか文句を言った。まぁ、修復されたのを見るためとは言え、それだけ観察されればね。特に五条の六眼を向けられている時が一番居心地悪そう。

 

「それで夜蛾先生、本題なのですが」

 

 伏黒が使える状態に復帰した理由を説明するのは良いが、それよりも進めておくべき事項がある。

 即ち、今後の伏黒の扱いだ。私の希望としては当初の予定通り、私の下に付かせて任務を任せたい。そしてその特殊な体質を私と比較し、様々な検証を行いたいことを伝える。

 

「それにどうもこの男、子持ちらしく。自分が死ぬのを良いことに子供を好きにしろと言ってきたので、どうせなら本人に養育費でも稼がせようかと考えています」

「子持ち……まぁ、お前の考えは大体わかった。だが事はそう簡単には運ばないだろう。こいつが悪名高い『術師殺し』であるのもそうだが、離縁したとは言え、禅院家出身だ。御三家も関わってくるとなりゃあ、な」

「……禅院?」

 

 夜蛾の苦言は最もだ。それは予想していたことだが……禅院出身とは。この粗暴な男が呪術界の名家(エリート)出身だと?

 

「ハッ、その名で呼ぶんじゃねえよ。とっくの昔に婿に入ってるっつの」

 

 笑いながら悪態を吐いている様子を見るにあながち冗談でもないらしい。

 

「あーー! 思い出した! すんげえ前にちらっと見かけた変なオッサンじゃん! なんも呪力がねーからレアキャラとか思ってたんだった!」

「——チッ」

 

 また五条が何か言いだしたな。伏黒も伏黒で舌打ちしているし、こいつらも初対面じゃないのか。世間せま。

 

「ま、術師殺しだかなんだか知んねーが、今は縛りで安藤に絶対服従なんだろ? いいんじゃね、強いし便利に使ってやれば。俺も上に納得させるのに手ェ貸してやるよ」

「五条……確かに君が手伝ってくれるのなら御三家の一つを味方にしたも同然だが……どういう風の吹き回しだ?」

 

 星漿体を巡る一連の任務で一番命の危機に貧していたのは五条だ。死に際に反転術式を習得できなければ今この場に立つことも叶わなかった。そんな人間の前にノコノコと伏黒を連れてきたの、私だって少し抵抗感があったのに。

 

「別に何も企んじゃいねーよ。コイツと()った俺だからその強さは分かっている。敵対していたとしても今はそうじゃない。便利な手駒が出来たと考えれば良いだろ。それに……単純にお前の言いなりってのが面白そう」

 

 ……それ、最後の理由が大半だろ。

 

「優ちゃん、私は反対だ」

「夏油先輩?」

 

 今まで成り行きを見ていた夏油が進み出た。

 

「その男が強いのは認めよう。だが、その男がどこまで君の命令に忠実なのかはまだ定かではない。縛りを交わしたというが、どこに穴があるかはわからない。今は大人しいのは従順なふりをしているだけで、虎視眈々と反逆を狙っているのかもしれない」

 

 ふむ、夏油の指摘はあってしかるべきだ。

 だが、問題ない。それは私も対策を考えている。

 

「夏油先輩の憂慮はごもっとも。それに対する措置もあるので今から実践するよ」

 

 他人同士の利害による縛りを破った際の罰は計り知れない。

 今回の縛りの対価で伏黒に与えたのは命そのものと評しても過言ではない。

 ならば、縛りを破った罰もそれに則したものであると考えて良いだろう。私と伏黒の間に取り交わされた誓約が果たして正常に機能するかどうか、それが危惧されるのなら不安要素を『確実』に変えれば良い。

 

 伏黒に目線を合わせるために片膝をつく。

 

「少しじっとしててね」

 

 その首に手を当て、指先から放出したアストラルを操作して結晶化していく。

 やがてその首にカーマイン色のリングが嵌められた。チョーカーにも首輪にも見える。素材としては晦冥の指輪を覆っているのと同じものだ。

 

「これで私の任意でその首が飛ぶ」

「っ!?」

 

 反射的なのだろう、伏黒は首元に手を当てると恨めしげに睨んできた。

 いやいや、別にこれは私の趣味でもなんでもなくて、君のためなんだよ。

 

「それは決して壊れない。壊そうとすれば君の命もなくなると思え。あるいは万が一壊れたとしても、それは君に対する攻撃を開始する。伏黒甚爾、君は私と縛りを交わしたが危険因子には変わりない。であれば、首輪(それ)があるからこそ生きていられると思え」

 

 私の任意のタイミング、あるいはリングが破壊されたとき、リングを創造するのに使用されたアストラルのエネルギー分、テクニックによる攻撃が発生する。

 結晶化するほどのアストラルをあの大きさで仕立て上げたんだ、いくら天与呪縛の強靭な肉体をもってしても、首と胴体が泣き分かれるのは確実。周囲への被害を避けるために攻撃の指向性を整えているけど……それでも接近していると巻き込みは免れないかも。

 全く、必要な措置とはいえ、我ながら人権もなにもあったもんじゃないね。

 

 因みに強度は安心安全の宇宙(アークス)規格、流石に隕石を落とせば壊れるけど、逃れるために壊すとしたら本末転倒だね。

 作成するのにどれほど晦冥の呪力を消費したことか……これまで地道に溜め込んだ努力を考えると頭が痛くなる。

 

「さて、これでどう? 夏油先輩。夜蛾先生も気になっていたでしょう?」

 

 目に見えない縛りより、目に見える戒めを。

 流石にここまでされれば十分のようだ。夏油はそれで引き下がった。

 

「悟も傑も納得したようだな。さて、最後に俺からだ」

 

 まだ……ありますか……。

 

「禅院甚爾——いや、今は伏黒甚爾か。その危険性は今ここで話に上がったと通り。伏黒を伴うなら……優、これまで俺たちが逸らしてきた君への注目が集まるのは確実だろう。いくら俺たちが屁理屈で誤魔化そうが、伏黒を任せる若い術師の調査を上が抜かるとは思えない。伏黒を従えるに至る経緯、今後制御できる根拠を説明するにはその力の一端を明かさねばならない。悟が後ろ盾として上層部への口添えをするとしても、もう隠せないのは……覚悟できているな?」

 

 思わず苦笑する。

 

「ええ、もちろん。伏黒(かれ)を生かすと決めた時から、そうなると思っていましたよ」

 

 きっと今回も無理をすれば何とか隠し通せるのかもしれない。だが、これから先も露見する機会はいくらでもある。だからこそ、夜蛾も私が目立たないように匿うのは自身が学長に就任するまで、と期限を儲けた。恐らくそれが限界だから。

 そうして彼らが幾重にも施してくれた目隠しを、私は盛大に破いてしまった訳だ。

 

「どうせこうなるのなら、最初から下手な言い訳はしなかったほうがよかったかもしれませんね。……皆が時間をかけて根回しをしてくれていたのに……このような形で台無しにして申し訳ない」

 

 そう、これは自業自得。

 ならば、そのツケを払うのも私であるべきだ。

 

 これまで直接関わるのを避けてきた呪術会の上層部、私の力を知ったところで何処まで排除にかかってくるかは不明だが……秘匿死刑とやらをされる以上に私の有用性を示してやれば良い。

 上層部に危険視される可能性があるということは、裏を返せば役立つということだ。

 

「あなた達は優しいからまた私の為に動いてくれるのでしょう。でも、それには及びません。私が上層部を説得し、私の、そしてこの伏黒の命も守る」

 

 それでも尚、何者かが私の死を望むのなら。

 その時は、私の死をもってして秘匿死刑を敢行する以上の爆弾(デメリット)を落としてやる。

 

 全てを語らずとも、私の『覚悟』を感じ取ったのだろう。その場に痛いほどの沈黙が流れる。

 自然と伏せられた視線の先、伏黒は何か考え込んでいるようだ。

 切り替えが早そうに見えて、やはり自身の命ともなると色々複雑な心境なのだろうか。

 

 その時、空気の揺らぎを感じたと思ったら、ふ、と視界が影で暗くなる。

 ポンと肩に手を置かれ、すぐに遠慮なくバシバシと背を叩かれた。

 

「辛気くせー、水くせー、めんどくせー」

「……は?」

 

 あまりの言いよう。見上げた先にはサングラスを指でずらし、六眼を覗かせた五条がいた。片目を閉じて実にいい笑顔を浮かべている。

 

「お前はお前で腐ったミカンどもに啖呵切って、俺も俺でお前の側につく、それで良いだろ!」

「五条……」

「ひどい言いようだね、悟。私だっているだろ」

 

 続いて進み出た夏油。ずっと固くしていた表情を微笑みに変えていた。

 

「……優ちゃん、確かに今回のことは私もまだ飲み込め切れていない。でもね、そこの男は気に入らなくても、私は優ちゃんの味方であることには変わりないよ。内政のゴタゴタじゃあ悟ほど役に立たないが、私も一級術師として助力はできる」

「夏油、先輩……」

 

 顔を見合わせた二人は揃って笑った。

 

「そゆこと。感謝しろよー安藤。俺たち最強コンビがお前のために一肌脱いでやろうつってんだぜ?」

「悟のわがままは今に始まった事じゃないし、優ちゃんのこともゴリ押しで解決するかもね」

 

 ……なんだか……こそばゆいな。

 

「おい、お前ら勝手に話進めんな。もっと教師も頼れ!」

 

 ああ、これは一体どこの青春ドラマだ? こんなこと……そういえばアークス時代も呆れるほどあったなあ。

 

「フフ、それなら遠慮なく頼りにさせてもらうよ、先輩方、夜蛾先生」

 

 本当、皆、お人好しだ。

 

「ハッ、お前、やっぱり恵まれてんな」

 

 伏黒がニヤリ、と唇を釣り上げている。

 

 うん、そうだね。私はずっと人に恵まれているよ。

 前世も、——今世も。

 

 

 ◆

 

 

 ところで、伏黒ってカーマイン色マジで似合わねーな。

 

 

 ◆

 

 

 その数日後、開かれた上層部の会合に私と伏黒は参加した。

 五条は五条家としての参加だが、障子の向こうではなく私たちと同じ立ち位置だった。

 

 ほとんど尋問と同様のような時間だったが、五条の煽り口調と上層部のやりとりはまさに地獄絵図としか言い様がない。

 私も舐められないようにある程度毅然と対応したが、ご老人たちとの価値観が違いすぎて、こいつらまともに日本語喋って欲しいと思った。

 女卑を隠そうともしない言動、軟禁措置、能力継承の胎盤にしてはどうか云々……。聞くに耐えない下卑た奴ら。

 秘匿していた私の力の特異性も、伏黒の現状を説明するため、揚げ足を取られない程度に開示したが、当然火に油。

 五条の煽りスキルも大概だが、ずっと話が堂々巡りして進まないので結局夏油の予見通り、ゴリ押しになってしまった。

 

 黙ってたら貢献してやるが余計な手出ししてきたらお前らをメチャクチャにしてやる(意訳)、という実に乱暴な意思表示を叩きつけてやった。

 

 伏黒も相変わらず面倒くさそうに立っていたが、

 

「今の俺はこの女に絶対服従だ。お前らがこいつに手を出したら俺も敵に回る。知ってるだろ? お前らが俺を術師殺しって呼んでんだ、自分の身が惜しけりゃちったあ物分り良くなれや」

 

 と、援護してくれたのはかっこよかったぞ、パパ!

 

 術式反転を習得し、名実ともに呪術界最強へ覚醒した五条。そして悪名高い(らしい)術師殺しの伏黒。今後の呪術界に多大な影響を与える者が二人も私側についている。上層部も頭ごなしに却下する訳にもいかないだろう。

 

 会合も終盤、先方の一人が代表して渋々認めてもらうことになった。

 ただし、伏黒に叛意があると認められた場合、即刻処刑すること。

 そして私が私の力を悪用するのなら、拘束の後、裁判にかけられ処遇を決めるそうな。

 これまで敵対していた伏黒とは違って、私は呪術師として任務に忠実に従事していたこともあっての采配だ。

 

 そしてこれは幸か不幸か、私の一級昇格がその場で決まった。

 私の力を正当に評価した結果とかそれっぽく捲し立てていたが、危険な任務に駆り出してあわよくば死んでほしいという本音がスケスケだった。

 思い通りにならないなら排除、ってか?

 

 ——帰り。

 

「五条……君が奴らのことを腐ったミカンだと称する気持ちが身に染みて分かったよ」

「だろだろー? 臆病なご老人どもはさっさとご退場願いたいよねー」

「うん……」

 

 同じ古参でも、呪術界の古参はマリアやレギアス、アルマ達とは大違いだ。

 

若人(おれたち)から青春を取り上げようなんて許されるはずがないんだよ、何人たりともな!」

 

 五条が嘯く。

 お前は何歳のつもりだよ。

 

 

 ◆

 

 

 ——あいつら きらい

   ろーど の じゃましたら のろってやる

 

 

 ◆

 

 

 そんな二度と参加したくない会合から更に数日後。早々に一級案件が回ってきた。

 どうもとある学校に呪霊避けとして設置されいる強力な呪物の封印が緩んでくる頃だから回収してこい、とのこと。

 それだけなら二級や三級の術師でも事足りそうだが、緩んでいることで漏れた呪力が逆に強力な呪霊を引き寄せる餌と化しているらしく、ついでにその呪霊も祓ってこい、とのこと。

 

「回収するのはこれだ」

 

 夜蛾から渡された資料に目を通せば、片隅に屍蝋の指の写真があった。

 

「特級呪物、両面宿儺の指……」

 

 上層部、いきなり爆弾ぶっこんできやがるじゃん。早速あわよくば死ね案件が来ましたね。

 両面宿儺の特級呪物って言ったら私だって聞いたことがある。五条の術式をもってしても破壊できない代物で、「機会があったら優ちゃんの術式で少しずつでも浄化できないか試してみたいね~」なんて夏油がのほほんと笑っていた。本気か冗談かはさておき。

 

「先生……確かコレって呪霊が力をつけるために特級呪霊さえも狙う曰くつきの代物ではなかったでしょうか?」

「……君なら問題ないと上が判断して割り振られた依頼だ。念の為に伏黒も連れて行け。確か今朝方帰ってきたばかりだろう」

「一昨日に金稼いで来いってたんまり任務押し付けて追い出したので、今頃ぐーすか寝てんじゃないですかね」

 

 今回の采配に夜蛾も思う所があるらしいが立場的に拒否もできないのだろう。あながち私がお手上げになる案件でもない分、意見もしづらいと。彼も上と下の板挟みで大変そうだ。

 だからこそ、せめて単独ではなく伏黒を同行させるように助言をしたのだろうが。

 

「では、この任務謹んで拝命いたします」

 

 

 

 任務の遂行時間としては学生が下校する夜間が望ましい。任務場所は県外。一時間後に車で移動開始すれば丁度夜になるくらいの距離。

 早速準備して行こう。といっても部屋に用意してある任務セットを取りに行くだけなのだが。

 

 自室まで近付くにつれて顔が引き攣るのを自覚する。

 ついに扉の前に立つが、誰もいないはずの部屋の中から音がする。スピーカー越しの機械音声、テレビだ。

 

「あれれ~おっかしいなあ、今朝確かに切ったはずなんだけどなあ」

 

 ガチャリ、と開ければ。

 ソファに寝転がる伏黒(おっさん)。呑気に見ているのは競馬実況。

 

「おい」

「あー、ったく何やってんだよ、そこだ、差せ!」

「おい」

「あ゛?」

「ア゛? は、こっちだよ。人の部屋で何寛いでんだテメェ……」

 

 ツマミもテーブル広げて随分と楽しんでいるね???

 

「見てわかんだろ、競馬だ」

「ぬぁんで私の部屋でって聞いてんだろ!?」

「俺の部屋にはテレビがねーからだよ」

「だからって勝手に私の部屋にお邪魔してんじゃねぇよっ!!」

「いいだろ、ペットの世話もテメェの仕事だ」

 

 こいつは恥もプライドもないのか!? ——なさそう!

 おかしいな、確かに仕事を与えているはずなのに、このやりとりだとただのヒモ野郎にしか見えねえ。

 

「ハァ……まぁいい。良くはないけど。暇なお前に朗報だ、仕事だぞ」

「ああ? 養育費はもう十分稼いだだろうが」

「いやいやお前の労働力を養育費だけのために使う訳無いだろ。ほら、一時間後には出るからさっさと用意しろ」

「チッ……」

 

 ………………。

 

 うう~ん……。自分で選んだとはいえ、なんで一回りも年上のおっさんの面倒を見てんだろうなぁ。

 

 

 

 




今更ですが、安藤の口調や二人称は場の雰囲気と、相手に与えたい印象によってコロコロ変わります。

パラパラ漫画見返してはおりますが、キャラの口調がおかしいかも(細かいことは気にすんな!)。


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12.雑魚と日常と、そして…… ★挿絵有り

用意していた夏服がやっと公開できます。あらすじにも貼っているけど、この話が初出なのでここにもベターっと。
冬服はブレザーなので、夏服はセーラー服にしたくて、モチーフはアメルエテューナです。


【挿絵表示】



 夜の小学校。

 

 生徒も職員も誰もいない、事前の通達で警備員も不在で完全な人払いができている建物。

 廃墟ではないのに昼間とは全く違う雰囲気の学校は、なるほど子供が好奇心で肝試しをしてみたくなる気持ちも少し分かる。

 

「では、お二方とも頑張ってください。くれぐれもお気を付けて」

「はーい、行ってきますね、門倉さん」

 

 帳が降りる最中、完全に隔たれる直前にかけられた激励ににこやかに応える。伏黒も門倉の激励の対象に含まれているのに本人といえばさっさと先に進んでいる。

 

「ちょっと伏黒! 待って」

「おせぇ」

 

 文句を言うものの素直に立ち止まるのだから良しとしよう。

 

「改めてこれからの段取りを伝えるよ。窓からの事前情報では既に呪物の封印は解けかけており、早速弱い呪霊が発生しているらしい」

「それは道中も聞いた」

「はいはい。幸いまだ被害者は出ていないようだね。けど、直接来て分かった事が一つ」

「ああ、どうせ雑魚ばっかでめんどくせえと思ったが」

「ふふ、その様子じゃ君も気付いているね。どうやら呪物(えさ)に釣られて強い個体が紛れ込んだようだ」

「肩慣らしにはなるだろ」

「そうだね、私も試したいことがあるし相手としては丁度良いのではないかな」

 

 気配の強さは丁度今の私の等級と同じ一級相当か? 相対していないのあくまでも予想だが。

 

「聞くまでもないと思うけど、君、仕事道具の呪具はちゃんと用意してあるんだろうね?」

 

 言ってるそばから伏黒が口の中からゲロった呪霊を取り出していた。何度見ても絵ヅラよ。

 

 伏黒が収集した呪具は強力な効果を持つものが多い。ただでさえ希少な武器だが、特級呪具も複数所持している。

 伏黒が扱う呪具については上層部に突っ込まれはしたけど私の鹵獲品だから渡さなかった(ゴリ押し)。上層部が呪具に対して正確な情報を持っていないのも功を奏した。

 結果、ほとんどの呪具はそのまま徴収されることはなく伏黒が継続して使用している。

 ただ、唯一あの短刀、術式を打ち消す破格の効果を持つ『天逆鉾』だけは五条家の預りとなった。

 最も危険度が高いと見なされたのもあり秘密裏に封印されるらしい。

 手元に置けば強力な切り札となるので正直惜しい気持ちもあるが……実際に五条はそれで死にかけたのだし、その判断を尊重することにした。上層部関係でいつもお世話になているしね。

 

「じゃあ、呪霊は君に任せるよ。私は呪物が収められているらしい祠を探してくる」

「五分で終わらす。テメェも早くしろよ」

「何事もなければね……と、その前に」

 

 ちょいちょい、と伏黒を手招く。怪訝な顔で近くに寄ってきた。うん、十分範囲内かな。

 

「シフタ、デバンド」

「……なんだこれ」

 

 見えないながらも伏黒は自身を包む力を感じ取ったようだ。

 

「攻撃力と防御力を上げる補助テクニックだよ。君がいるおかげでやっと実戦で使えるよ。早速実験させて」

 

 発動に使用したアストラルで対象を包み、攻撃力・防御力の活性フィールドを生み出す。私が自身に施すアストラルの強化を第三者に施すイメージだ。

 今まで使用する対象もいなかったけど、伏黒相手なら反発も気にせずに扱える。

 元々のテクニックは効果時間が短く戦闘中に細かくかけ直す必要があったが、少々改良して、注ぎ込んだアストラルが消費し尽くされるまで効果は持続するようにした。予め多めに与えればその分効果時間は伸びる。

 とはいえ注ぎ込めば注ぎ込むほど良いわけでもなく、一定以上は霧散してしまう。それでも大きく効果時間を伸ばすことに成功した。

 

「五分程度なら効果は続くはずだ。後で強化前と強化後で感想を聞かせてよ」

「ふーん。ま、俺は俺で適当にやっとくわ」

 

 拳を何回か閉じたり開いたりを繰り返すと、伏黒は地を蹴って校舎へと飛び込んでいった。

 踏み込みで地面が陥没して小さいクレーターが出来てんだけど……。こんな無駄に力を発散させるタイプではないだろうし、強化された分を持て余しているのかな。どうせ直ぐに慣れるだろうけど。

 

「さてと、私も仕事をしますか」

 

 例の特級呪物、両面宿儺の指は校舎裏の祠に収められているらしい。

 事前に学校の大体の敷地図は頭に入れているので、迷いなく目的地へ向かう。

 校舎裏の一角、裏山へと続く場所にその小さな祠はあった。手入れされていないようで雑草が繁殖し、祠そのものも古びている。

 

「生徒が近寄らないように結界がかけられているのか」

 

 雑草を掻き分ければ結界の媒体となる呪具が規則正しく祠を取り囲んでいる。その呪具も随分と風化しており、結界の維持も危うい。本当にギリギリ間に合ったって感じ。

 結界の外からでも漏れる呪力を感じる。この中で更に封印されているはずなので、漏れ出た呪力だけでも結界を突き抜ける力はあるわけだ。

 

「お邪魔しますよー」

 

 と言いながら、遠慮なく扉を開ける。

 小さな祠に見合う、小さな木箱がぽつんと中に収められていた。木箱を手に取り念の為に中身を確認する。札でぐるぐる巻きにされて実物は見えないが、問題なくあることを確認。

 うむ、回収完了。あとは伏黒が呪霊を全て狩り終えるのを待つだけ、だね。

 

 どうせ待っている間は暇なので、今頃元気に呪霊をぶっコロがしているだろう伏黒を見学でもしようかな。

 踵を返した時。

 

 地面から飛び出した鯉のような呪霊が箱を持つ手を狙って飛び掛ってきた。

 

「うぉ!?」

 

 咄嗟に腕を振り上げて回避するが——

 

「あ」

 

 蓋が滑り落ち、呪物が投げ出される。

 そしてそれは、まるで水面を泳ぐように移動する呪霊によってパクリと食われた。

 呪霊はドプンと再び土の中に浸かるとそのまま何処かへと去っていく。

 

「ノォオオオオ!?」

 

 思わずに頭を抱えて、遠ざかっていく気配を呆然と見送る。

 いやいや、見送っている場合じゃない、追いかけなくては。

 幸い、帳が降りているためすぐに敷地外へ逃亡される心配はしなくて良い。

 高速で離れていく呪霊の気配。校舎をグルリと回って向かおうとしているのは……校庭か。

 ここから最短距離で先回りをするには校舎を乗り越える必要がある。ベランダの手すりや壁面の凹凸を足場にして校舎を垂直に登っていく。屋上を突き進みそのまま地上へダイブ。

 その僅かな時間にも思考は回転する。

 

 地面に潜り込む隠密性の高い呪霊。隙を見て呪物を奪い取る算段だったのだろうが、それだけなら問題なかった。咄嗟の判断ではあったが奴の飛びつきを回避はしたのだ。

 だが——。

 

「あの呪物……いや、あいつ(・・・)は……」

 

 咄嗟に振り上げた小箱。

 しっかり閉じられていたはずの蓋が、偶然にも開き、そして偶然にも呪霊の前に投げ出された呪物。

 ——そんな偶然、あってたまるか。

 

「流石に特級呪物は伊達じゃない。年代物の封印、紙切れ同然の札では大した抑止力もない、か」

 

 あの屍蝋にはどれ程の意識が残っているのだろう。呪術師に回収されるくらいなら呪霊に食われようとするなんてね。

 

 呪霊を追って踏み入れた校庭。その中央で地表から飛び出した魚の呪霊は瞬く間にその呪力を膨れさせていく。比例して図体も膨れていき、最終的に殻を持つ真円の卵のような形をとった。

 

 ——これ以上成長する前に壊す!

 

 ヒーローソードを手に持ち、卵を真っ二つにしてやろうと剣を振り上げたその時、殻が割れると中から触手のようなものが飛び出してきた。

 腕力で無理やり剣の機動を変えて触手を切り飛ばす。それらは呪力によって即興で造られたのか、すぐに根元から霧散していく。

 一秒にも満たぬ僅かな時間稼ぎ。だが、相手にとってはその一瞬で十分だったらしい。

 卵を割って飛び出した影が凄まじい速度で肉薄してくるのを辛うじて目視し、反射的にそれを蹴り飛ばした。

 ズザザ、と地面を削りながら着地したそれ。四足で蹲っていたと思っていたそれは、まるで人間のように後ろ足で立ち——いや、正しく人型となったそれは二本足で立ち上がったのだ。

 顔面に小さな目を複数浮かべているものの、人間のように歯の生え揃った口がある。肌色は異常に青白いが、その体は筋肉質な男性そのもの。ところどころ魚だった時の名残なのか鱗が表面に残っている。まるで魚人のようだ。

 元は雑魚の範囲を出ない弱小呪霊が、特級呪物を取り込めばこうも変わるとは。この威圧感に感じられる呪力、今は奴こそが特級呪霊と認定して差し支えない。

 

 ああ、全く。たかが呪物を回収するだけの任務に、どうしてここまで手こずってしまうのか。

 この際だ、私の油断が原因だと認めよう。他の呪霊にだけ集中しすぎた。呪いの王の呪物への警戒が足りなかった。ただの屍蝋(もの)だと侮ってしまった。

 

「……ハァ」

 

 めんどくさ。

 

 腕時計をチラリと見やる。伏黒と分かれて四分ちょっと。

 

「おい、雑魚(・・)

 

 剣の切っ先を真っ直ぐ呪霊に突き付ける。

 

「まともに相手するのも手間だ。秒で昇天させてやる、さっさとかかってこい」

 

 特級は、明確に分類された一級以下の呪霊とはその扱いが違う。一級でさえも役不足な強力な呪霊のみが特級に数えられる。

 だが逆説的には、ある一定の実力さえ満たせば特級とカウントされるのだ。そこからどれだけ実力に差があろうと、特級は特級。

 故に特級同士を比較してしまえばその実力はピンからキリ、振れ幅が大きい。

 

 つい数分前まで虫ケラだった呪霊が、宿儺の指を取り込んで特級に足を突っ込んだとは言え、その力などたかがしれている。よしんば本当に強いとしても、急に降って湧いた能力を十全に使いこなせるとは思えない。

 

 言葉が通じたのだろうか。呪霊は挑発されたのが理解出来たらしい。

 虫けらに相応しい単純さで激高を露わにすると、腕を広げて呪力を飛ばしてくる。

 底辺とは言え特級のエネルギーをまともに相手する気はない。刃で切り裂いて両脇に逸らす。

 エネルギー放出を囮に、呪霊本体が拳に呪力を纏わせて追撃してきた。それを既に持ち替えたエトワールダブルセイバーで弾く。

 私の見た目からは想像できない膂力に弾かれ、呪霊は驚愕を顔に浮かべている。

 人間に近いから表情がわかりやすいな。

 呪霊は上手く力を受け流せなかったのか体勢を崩した。その隙を見逃す筈がない!

 

「——吹っ飛べ!!」

 

 瞬時に形成された巨大なアストラルの刃を蹴り飛ばす。

 スキップアーツ・セレスティアルコライド。

 エトワールの燃費最悪、単発最高ダメージを叩き出すフォトンアーツ。

 反動で私も後ろに弾き飛ばされるのを、エトワールの特有のフワフワ滞空で衝撃を殺す。

 勢い良く放たれた刃は抵抗なく呪霊を貫通し、その胴体に巨大な風穴を開けた。ピクピクと痙攣している様は既に死に体だ。呪霊は術師より反転術式で回復しやすいと聞いたことがあるので、ダメ押しにシューティングスターで剣を降らせといた。

 

 肉片の間に混じる屍蝋を拾い上げる。

 仮にも特級呪霊を屠る攻撃力で壊れないか。無下限呪術でも破壊できないらしい。

 残っていた肉も晦冥に食わせたところで、校舎に潜む呪霊を掃討し終えた伏黒が合流した。

 

「おや、五分ぴったりだね。お疲れ」

「そっちもか? 引き上げるぞ」

 

 伏黒は戦闘の形跡を見渡すと、確認なのか聞いてきた。

 

「うん、万事問題なし。帰ろう」

 

 

 

 帳を解除する前、こっそりと晦冥に宿儺の指は取り込めるか聞いてみた。

 

『まずそう いや』

 

 そっかー、嫌なら仕方がないねー。

 

 

 ◆七海 健人、灰原 雄

 

 

「『安藤さんが男を飼い始めた』らしいよ」

「は?」

 

 灰原らしからぬ物言いに七海は反射的に聞き返した。

 

「だから安藤さんが」

「いや、二度は言わなくて結構」

 

 律儀に言い直そうとするのを手で制して、七海は優秀な頭脳を一瞬で巡った様々な憶測に、自然とこめかみを押さえた。

 

「……色々と突っ込みたいことはありますが、またどういった経緯でそんな話をしようと?」

「や、なんか噂になってるから七海にも教えておこうと思って」

「そこで何故私」

「だって七海、安藤さんの保護者じゃん」

「なんですかその不本意な認識は。というか、その噂を私は聞いたことがないのですが」

 

 敷地が広い高専とは言え業界柄、関係者は多くない。付き合いも限られてくるので実際のコミュニティは狭く、本当にそのような噂があるなら知りたくなくても七海の耳にも入るはずだ。

 

「うん、だって十分前に初めて聞いたし」

「………………」

 

 十分前に誕生した噂らしい。

 七海は同級の灰原とよくセットで任務に当たるが、それでも四六時中一緒にいるわけではない。だから、十分前に灰原がどこで誰と会って何の話をしたかなど知るはずもないが……状況からおおよそ察することはできた。

 

 補助監督見習いの同級生に噂好き、かつ、自称安藤ファンを名乗る者がいる。恐らく、いや十中八九、その者が言い出したはずだ。

 安藤は話すと途端に残念感がにじみ出るのだが、容姿(そとづら)だけは完璧だ。その整った容姿に対して憧れを持つ者も多い。

 最も七海からすれば、十人すれ違えば八人振り向いて、二人は一目ぼれし、喋ったら十人ともイメージと違うと幻滅させるのだと思っている。

 件の自称安藤ファンもファンを名乗るくせに『黙っていれば可愛い』と宣っていた。むしろ吹聴していた。お前本当にファンか。

 

「その噂? の根拠がどこから来たのか分かりませんが、実際に自分の目で見てもいないのに——」

「あ!」

 

 言ってるそばから安藤が見知らぬ男を引き連れて……襟元掴んで引きずって来た。

 

「え、もしかしてアレ? え、あれガセじゃなかったんだ……」

 

 ガセネタだと思いながら報告したんかい。

 

 七海たちが談笑しているのは寮にある共有スペース、いわゆる談話室や休憩室にあたる部屋だ。広い間取りで見通しもよく、男女で別れたエリアの両方から繋がる構造になっている。男女の部屋は正反対に位置しているため間違うことも早々ないのだが……安藤は女性部屋エリアへ繋がる廊下から男を引きずってきたのだ。

 高専寮は生徒だけでなく教員も入寮しているので大人の男性が居ても問題ない。特別厳しい男女間の交際制限はないし、異性の部屋を訪ねることもある。ただ、それは大抵が大勢が集まる場合であり、ましてや男性が女性の部屋に行くのは暗黙のうちに避けるべきだという風潮があった。

 

「げ、現行犯! 七海、今だよ!!」

「私にどうしろと」

 

 なんて言っているうちに、安藤と男のやり取りも耳に入る。

 

「お前さぁ……マジでもうテレビ買え」

「んな金あるならレースに賭けるわ」

「あ゛あん!? つーかまた私のおやつを漁りやがっただろ! 遠出しないと買えないご当地お菓子の袋捨ててあったの見たかんな!」

「ツマミ切らしてんだよ」

 

 なんだかものすごく情けない内容だった。

 ドスドスと歩き方にも怒りがにじみ出ている安藤の詰問をのらりくらりと男は躱す。長身で筋肉質な大の男を片腕で軽々と引きずっていく小柄な少女という絵ヅラはそれなりに異様だったが、この場にそれを突っ込む者はいない。

 安藤は共有スペースを横切っていき、男性エリアへの通路へ向かって男を蹴り飛ばした。ボールみたいに飛んでいった男は、壁にぶつかる前に華麗な体捌きを見せて綺麗に着地した。

 

 それが、数日後に体術講師として顔を合わせた伏黒甚爾という男との初エンカウントだった。

 

『安藤が男を飼い始めた』という噂は結局は長続きはしなかった。

 二人を初めて見た者は最初こそ、すわ噂は本当だったのか、と頭をよぎるのだが、安藤が男にガチ切れしている場面を見せられては、一瞬でその考えが払拭されるのだ。

 

 安藤が口を開くたび、「今日で何日任務に出てないと思ってる? だらだら遊んでじゃねえぞ」とか「養育費稼いでこい」とか「また有り金スったのか!?」とか「休みの日くらい家に帰って子供の相手しろッ!!」とか。そんな説教のような台詞ばかりが飛び出る。

 七海に言わせれば、安藤こそ保護者役なのでは? と。世話役とか仕事の仲介役の方が近いので、ある意味『飼う』というのはあながち間違った表現でもないのかもしれない。

 ダメオヤジを仕方なく相手する苦労人に見えるのは間違いない。とはいえ、どうも一方的に安藤だけが苦労しているわけではないようである。

「ツラ貸せ、人体実験だ」とか「ちょっと腕一本もいでいい? ちゃんと新しいの生やすから」とか、結構バイオレンスな要求をする場面も散見されるからだ。

 嫌がって逃げ回る男を本気で追い掛け回す。たまに何故か家入も加わっている。

 

「逃げんじゃねえ! 内臓よこせ!」

「血肉よこせ~! 」

 

 男が超人的な動きで広い高専内を縦横無尽に走り回るのを、安藤がこれまた縦横無尽なデタラメな機動で追い回す。家入はマイペースに歩きながら激闘現場に向かう。

 

「あれもう一種のホラーだよね。言っていることがめっちゃ血生臭いし」

「もう放っておきなさい」

 

 七海は興味もないと示すように、読んでいる本から視線を外さない。

 その光景が日常の一部に変わってしまうのに時間は必要なかった。

 

 伏黒が来てからデメリットどころか七海たち生徒にはメリットしかない状況だ。

 安藤は伏黒が暇そうにしていると高専生の体術訓練を手伝うように指示をする。伏黒は面倒さを隠しもしないが、言われた通りに生徒の相手をしてくれる。

 実際に目にした彼の実力は本物で、七海も、人として尊敬はできないけどその技術は信用できる、と真面目に指導を受けている。

 灰原は最近遠距離の呪具を使って戦う方法を試行錯誤していた。伏黒は武器使いとしてもエキスパートらしく、灰原はよくアドバイスを貰っているようだ。

 

 

 そんなわけでそろそろ夏到来だけど、今日も高専は皆で仲良くやっています。

 

 

 ◆家入 硝子

 

 

 高専にある施設の一つ。家入は与えられた研究施設でサンプルの採取を行っていた。

 手術代に寝かせた人体を解剖し、内蔵を取り出していく。

 

「家入先輩、例の研究、進捗ありました?」

「ん~、あんまり芳しくはないかな」

「残念……生物から呪力を完全に取り除くには道のりが遠そうですねえ」

「それは最終目標でしょ? 今は何とか取っ掛りを手に入れる段階だから、気長にやるしかないね」

「私の呪術なら一時的に体内の呪力を中和することは可能なんですが……」

「その原理をどの術師でも再現できて、なおかつ恒久的な効果が実現できれば解決だね」

 

 言わずもがな夢物語である。

 この場にいるのは家入だけではない。最近何かと付き合いの増えた安藤と雑談をしながらの作業だ。

 安藤の入学以来、二人が本格的に接点を持つようになったのは、他人に施せる反転術式に興味を持った安藤が、晦冥に反転術式を教えてくれと言い出したのがきっかけだった。「呪霊に反転術式を教えるのは初めてだよ」と家入も安易にノった。

 

 安藤は家入の解剖作業を見ていた。

 目下で行われる、自身の内臓(・・・・・)の摘出を、意識を保ったまま観察しながら家入と雑談をしている。

 そう、あたかも傍観者のように振舞ってはいるが、実際のところ現在進行形で解剖されているのは安藤自身だった。もちろんこの作業は戯れなどではなく、研究サンプルの採取のためなのだが、事情を知らない人間——知っていたとしてもだが——から見れば狂気の沙汰である。

 さすがの安藤も痛覚がない訳ではないので、局所麻酔で痛みを消してはいるが、もはやそんな実情は瑣末な問題だ。

 

 元々呪霊にとって反転術式は人間ほど高度な技術ではないので、晦冥に反転術式を教授するのはすぐに済んだ。

 その後、話の種に巻いた話題が二人の妙な行動力によって発展して、今では『呪霊発生の要因となる呪力の漏出を根本的に解決する』という目標を掲げて共同研究をする仲になっているのだ。

 つまりは、滅多にいない完全に呪力を持たない特異な人間、安藤と伏黒を研究対象にして、人間から呪力そのものを永遠に除くことはできないかを模索している。

 この人体解剖も目標達成のための重要な一環だ。

 

「家入先輩、これ終わったら焼肉食べに行きましょうよ」

「良いけど、こんな状況でよくそんな提案ができるよね」

「いやいや、私だってこれで思いついたんじゃないですよー? 今夜は久しぶりに皆オフで揃うからって、五条が奢ってくれるって」

「へ~、あいつが? 珍しいな」

「あの人基本的にパリピじゃないですか。またよからぬことでも企んでいるんじゃないですか? 宴会芸だ~とかいって誰かのスカート穿いて突入してきそう」

「そしたらモルモットにしてやるわ」

 

 そうして暫くは取り留めもない雑談が続いた。

 最終的に安藤はそのほとんどの臓器を摘出された。

 

「今ので最後ですか?」

「うん、もういいよ」

 

 摘出が終われば、最後にレスタを安藤が発動してこの作業は完了する。

 臓器がアストラルによって再構成されていくのを見て、家入が思わず感嘆の息をつく。

 

「何度見ても見事だね~」

「流石に毎回毎回凝視されたら照れるんですが」

「毎回毎回だから慣れてよ」

 

 安藤も家入も手馴れている様子のとおり、この狂気的な作業は今回が初めてではない。

 何もない場所に臓器が再構成されていくのは一種の創造だが、レスタは生き物にのみ作用する術で、構築術式のように任意に創造できないらしい。家入からしたらこれでも十分だし、アストラルならいずれ創造くらい実現しそうだとも思う。

 

「私の反転術式もこれくらい出来ればねえ」

「負のエネルギーをかけ合わせて正のエネルギーにするなんて、よく考えたと思いますけど」

「その負のエネルギーを、汎用性の高いエネルギーに変換する君の術式もどうかと思うけど。呪力なんて便利な力があれば普通はそれを使おうと思うじゃない。それをさらに別のエネルギーにしようなんて発想、どこから来たの?」

「……さぁ。本能的に呪力を呪力のまま扱おうなんて思えなかったのかもしれませんね。私にはドロドロと気持ち悪い泥水のようにしか感じないから」

「それは面白い表現だ。やはり、君たちの五感っていうのは普通の術師とはまったく違うのかもしれないね」

 

 レスタによる肉体の修復も終わり、安藤は手術代から降りる。麻酔効果はもう必要ないので、アンティで取り除いた。

 因みに最初の頃は安藤に効く麻酔の模索から始まった。それでも全身麻酔を実現するには至っていない。

 サンプル比較のため、伏黒も時々その肉体を提供し、最後に安藤が修復するのだが、伏黒は摘出中に会話する趣味がないため終始黙った状態で、終わったらさっさと自室に帰っていく。

 

「君に限らず、晦冥くんもなかなか面白い呪霊になってきたね」

「え? 急にどうしたんですか?」

 

 家入は壁に寄りかかって一服しながら、服を着る安藤に目を合わせる。

 

「さっき晦冥くんの反転術式を見せてもらった時についでに調べたんだけど、また呪いの内包量が増えていたから」

「ああ、ちょっと前の任務で強めの呪霊を食べさせたから」

「晦冥くんが弱かった頃からいろんな呪霊を食べさせていたんでしょ? それだけ弱い呪霊がそんなに異物を取り込んで無事なんて、面白いと思ってね」

「ふふ、そんな悪食みたいに言わないでくださいよ。晦冥も両面宿儺は嫌みたいです」

「え、そんなの取り込ませるつもりだったの?」

「まさか。ただ出来るかって聞いてみただけですよ」

「その答えが『嫌』ってわけか」

「不味そうだから、って」

「そうか。出来なくはないんだねえ……。或いはそれが晦冥くんの素質なのかもしれないね」

 

 呪霊の学術的な生体や、知恵を持った個体の考えなど、家入は分からない。研究しようとも思わないが、安藤に従属の意思を示す『晦冥』という弱小呪霊が、際限なくその他の呪いを飲み込んでもその意思を塗りつぶされていないのは特殊な状況ではないかと思う。

 

 事実、晦冥を見た夏油が真似して配下の呪霊に他の呪霊を餌として与えてみたが、呪力が混ざり過ぎて制御が難しくなり、最終的に本体が耐えられずに四散したとか。ただ、その試みで新しい技の着想にはなったらしい。

 

 ともかく他の呪霊ではできないことを晦冥は実現している、ということだ。

 

「また面白い変化があったら教えてね。晦冥くんの呪力の使い方は研究のアイデアになるかもしれない」

「役立ちそうな情報があったら報告しますよ。さ、焼肉行きましょ~」

「ここ片付けてから行くわ」

 

 採取したばかりのサンプルの処理や分類をしなければならない。

 透明な容器に冷凍保存された己の臓物を一瞥だけして、安藤は「ではお店で待っていますね」と言って出口に向かう。

 

 高級焼肉~♪ ホルモ~~ン♪ と歌いながら去っていく背中を家入は見送った。

 

「あの感性だけは理解できないわ……」

 

 

 ◆伏黒 恵

 

 

 恵は一人公園のブランコに揺られていた。

 

 恵は五歳だ。時間は正午に差し掛かる真昼間。同じ年頃の子供たちは保育園か幼稚園に通っているのが普通だが、家の事情でいわゆる無園児の恵には関係のない話である。

 コミュニティに所属していないおかげで同世代の友人との縁などない。幸か不幸か恵自身、それを熱望しているわけでもなく、残った子供らしい部分が時折寂しさを訴えるものの、育ってきた環境故か、早熟な子供は大人を煩わせようとも思わない。

 驚く程手のかからない達観した子供だった。可愛げがない、とも言う。

 

 ギーコギーコとゆっくりとブランコをこぎながら時間を潰す。

 津美紀は今年から小学校に入学したため、今頃は授業を受けているだろう。

 昼ごはんは適当に菓子パンで済ませており、家に帰っても誰もいない。

 

(今日の晩飯、どうしよ)

 

 恵と津美紀は義理の姉弟だが割と仲が良い。問題は再婚した津美紀の母と恵の父、両方が蒸発したことだ。

 恵の父親は何年も会ってもいないので今更だったが、少し前から津美紀の母親も家から姿を消した。

 これまでも母親の数日の放蕩だったら珍しくもなかったが、これだけ長時間家を空けたことはない。幼い恵も、全ては理解できないまでも察することはできた。

 津美紀と相談して残っていた多くはないお金で何とか生活してきたが、そのお金も底を尽きつつある。

 

(そろそろ大家のおじさんに事情を説明するか、津美紀から学校に相談してもらわなきゃな)

 

 考えていると、いつの間にか視界にあるジャングルジムの端に変な生き物がとまっていた。恵と対して変わらない大きさの歪な虫のような生き物だ。

 恵は昔からこういった気味の悪いものが見えていた。この化物もまだ小さい方で時には直視するのも躊躇われるような異形もある。

 極力見るのも避けてきたそれら。普通の人には感知できないものが見える自分も何かしらおかしいのだろう。

 今日も恵はその生き物を知らぬふりをして公園を立ち去る。

 ——いや、立ち去ろうとした。

 どこからともなく現れた人物が迷いのない足取りで生き物に近付き、おもむろにそれを握り潰すのを見るまでは。

 

(……!?)

 

 呆然とその場に固まっていると、くるりと振り向いたその人物は恵に笑いかけた。

 

「こんにちは、初めまして! 君が恵くんだね?」

 

 言いながら恵に歩み寄ると、視線を合わせるように腰を折って「わー、そっくり」と感心した様子で恵の顔を覗き込む。

 

「先輩方にも見せたいくらい。あ、写真撮って良い?」

「アンタ誰?」

 

 それは十代半ばの少女だった。銀髪に蛍光ピンクのような瞳、恐ろしく整った顔立ち。この近くでは見たことのない制服——夏服だろうか——を着ている。

 派手で、どこか人間ではないような浮世離れしたその人物は、冷ややかな容姿とは裏腹に気安く自己紹介をした。

 

「私は安藤優です。君のお父さんの主人……いや、上司……雇い主……? うん……とにかく君のお父さんの知り合いです」

「アイツの……?」

「そうだよ。最近君のお父さんにお仕事を振る立場になったんだ」

「仕事? アイツが?」

「あはは、その様子だとすんごいロクデナシってのも分かっているようだね。人間としても親としても失格だから、せめて子供の養育費でも稼ぎなさいってケツ叩きしてるんだ」

「養育費……なるほどな。それで、アンタ……安藤さんは俺になんの用?」

「……本当に五歳なのかなあ……。うん、今日来たのは君の様子を見に来たからなんだ。本当は一目だけ見て他の人に引き継ぐつもりだったんだけど……ねえ」

 

 昼間から一人で公園にいる五歳児。周りには保護者どころか大人もいない。

 恵自身、自分の置かれている状況が普通ではないことぐらい自覚している。

 

「ま、こんな真夏に立ち話もなんだしちょっとそこのお店に入らない? 食べ物でも飲み物でも、お姉さんが奢ってあげる」

「知らない人について行ってはいけないって言われてるんで」

「そこで急に突き放さないで!? 塩対応だなあ……大丈夫、人がいっぱいいるところを選ぶよ」

「……分かった」

 

 少し悩んだ結果恵は少女、安藤の話を聞くことにした。

 顔も覚えていないが父の知り合いである。本当に恵を騙したり拐かそうとする悪人なら、もっと周囲の記憶に残らないように地味な装いをしてくるだろう。

 それに、いくら年頃の割にはしっかりしていても、暫くまともな食事にありつけていない恵にとって好きなものを奢ってもらえるのは魅力的な誘いだった。

 

「ねえねえ写真撮って良い? ツーショットしよ、はい、チーズ♪」

 

 だから正直鬱陶しい絡みをされても我慢してやろうと思う程度には恵は気を許した。

 

 

 

 連れて行かれたファミリーレストランで恵はおすすめメニューのチーズ入りハンバーグとドリンクバーを頼んだ。というか、安藤に遠慮するなと勝手にオーダーをされた。

 近所にあるこの店に、恵は初めて入る。ファミレスなのに初めて一緒に来たのが初対面の他人というのも皮肉なものだ。

 

「お父さんの事覚えてるー?」

「……覚えてない。何年もあってないし」

「あー、そんな感じ? じゃあお母さんは?」

「津美紀の母親ならもう家に帰ってこない」

「んん?」

「少し前にまとまった金が入ったらしくてそれ持って消えた。家に金を入れる相手なんて一人しかいないし、今頃二人でよろしくやってんじゃないの」

「わーお……そういう感じねー」

 

 パフェをつついていた安藤は携帯を取り出した。

 

「お父さんは今私と一緒に働いているから君のお母さんと一緒じゃないよ。流石にお母さんの居場所は調べないと分かんないけど」

「別に知らなくて良い」

「そ。お父さんの写真あるけど見る?」

 

 と、疑問形で投げかけながら返事を聞くまでもなく、安藤は携帯の画面を恵に突きつけた。

 

「………………」

 

 そこには、顔を掴まれて無理やりカメラに顔を向けさせられた男が写っていた。ピンク色のネイルが同じなので、掴んだ手の持ち主は目の前にいる安藤だろう。

 

「ほんとーに困ったおっさんでさぁ、こんなのもあるよー。いやぁ、後で何かに役に立つかもしれないと思ってちょくちょく撮ってた甲斐があったねえ」

 

 いや、その恵の父親(おっさん)の写真が役に立つ機会なんて早々ないと思うが。

 次々と流されていく写真。

 競馬実況を見るだらしない男の姿、画面の隅で中指を突き立てているピンクネイルの手。

 制服を着た何人もの学生を指導している男。

 銀髪にサングラスの制服の男とメンチ切り合っている姿。

 

 空中を刀で切り付ける男。

 宙に飛び上がっている男。

 

(あの化け物は写真には映らないから、この二つはそいつらと戦ってんのか?)

 

 台に寝かせられて腹を開かれている男と、その内臓を取り出す女、そして画面の隅でピースしているピンクネイルの手。

 

「あ、やべ、ちょっと待って今のなし。さっきのよく出来た合成だから」

(合成にしたってあの男がそれを撮るのに付き合うって……一体アイツとどういう関係なんだろ……)

 

 しまった、という顔で安藤は携帯をしまう。

 

「さて、君のお母さんが持ち逃げしたお金はね、お父さんが君たちの為に稼いだお金なんだよ。今のお父さん結構な高給取りでね、そこそこの金額になっていたはずなんだけど……。どうする? お母さん探して返してもらう? そんでまた一緒に暮らす?」

「俺は別にどうでもいい。津美紀に聞いて決める。津美紀の母親だから」

「おっけー。どちらにしろ生活費はいるよね、またお父さんにお金用意させるね。でも子供二人だけで暮らすのは流石に不味いから、保護者と一緒にいないとね。ということで私からいくつか提案できることがあります」

 

 安藤は指を一本立てた。

 

「その一、お父さんと一緒に暮らす。そのニ、お父さん以外の後見人を立てる。その三、お父さんの実家の禅院家に身を寄せる。この三つのどれを選んだとしても望めばお母さんも一緒に暮らす事はできると思うよ、津美紀ちゃんもいるし」

 

 次々と立てられていく指を恵はジッと見つめる。

 

「俺と津美紀だけで暮らすのはできないの」

「出来るよ。要は法的に保護者が居れば良いから、実際に暮らすのは君たちだけでもできる。その場合はお手伝いさんを雇ったり、関係者が定期的に様子を見に行ったり……もしかしたら監視がつく場合もあるかもね」

「監視? なんでだ?」

「あのね、お父さんの実家の禅院家ってのは術師の業界では結構偉い家なんだよ。禅院ってのは才能が大好きでね、そこの血を引いてて化物(じゅれい)も見えて術式も持っている恵くんを喉から手が出るほど欲しがってるの。そんな子がどこで何をしているか分からない、なんて状況許すはずがない。一緒に暮らしている大人が居れば奴らも目立った行動は控えるけど、そうじゃなかったらいろいろ大胆な手に出るかもね」

「……さっき禅院の家に行くって選択もあっただろ、そんなやばいとこなのか」

「それは君次第かな」

「……津美紀はどうなる? そこに行けば津美紀は幸せになれるのか?」

「なれないだろうね。提案しておいてだけど『その三』はおすすめしないよ」

「………………」

「あ、生きていくのに大事な注意事項、どれもお金だけは気にしなくて良いからね」

 

 恵は考える。

 その一はどうでもいい。家に帰ってこないし親としての義務も果たされていないが、書類上の保護者は恵の父親だ。選べば今後は中身が伴うだけだ。

 そのニは父親の立場がすげ変わっただけだ。誰とも知らない奴と一緒に暮らしたくないし、かと言って子供二人で暮らして見張られたりするのも嫌だ。

 その三は論外。津美紀が幸せになれないなら選ぶ余地もない。

 

「『その一』にする」

「あは、やっぱりお父さんと暮らしたいんだね!」

「違う、消去法だ」

「その単語どこで覚えてきたの? ……そっかそっか。確認するけど、お父さんと一緒に暮らしたいとか、別居したいとか希望はある?」

「アイツがどこで何しようがどうでもいい。俺たちの平穏な生活を守るのに役に立つなら利用するだけだ」

「つまりお父さんを名前だけの保護者にして、知らない人から監視されたり定期的に面会されたくはないってこと?」

「ああ」

「へー、やっぱり恵くんって頭が良いんだね。実はね、『その二』で赤の他人を後見人に出来るけど、それだと一応親類関係にある禅院がうるさい可能性もあるんだよね。その点、実の父親なら名ばかりの保護者でも表立っては文句が言いにくい。……複雑な家庭環境だろうからあくまでも提案の一つとしたんだけど、君は一番賢明な判断をしたね」

「分かってて選ばせたんだ。あんた性格悪いな……」

「ええ!? 精一杯の気遣いの結果なんだけど!? ……あ、お節介だけどお父さんと仲良くしたかったら言ってね。仲介役になってあげるから」

「…………やっぱワリィじゃん」

 

 その後、恵は食後のアイスクリームと、津美紀のためにお持ち帰りメニューも奢ってもらった。

 

 

 ◆

 

 

 ピロリロリン~♪

 

「お、安藤からメール来てる」

「私の方にも一斉送信できているね」

「あたしもー」

 

 教室で三人時間を潰していた五条、夏油、家入は同時に通知を鳴らした携帯を取り出す。安藤が一斉送信で写真を送ってきているようだ。宛先は他にも一年生や懇意にしている教師陣、そして伏黒も入っている。

 

 件名は『恵くんとツーショット☆ ※伏黒は絶対見ろ、そしてその尊さを(以降は見切れている)』だ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「ブッ、ナニコレ! マジでそっくりじゃん!!」

「すっごい嫌そうな顔だねえ」

「え、普通に可愛いじゃん。年取ってあんな大人になるのやめてほしいなあ」

 

 爆笑する五条とニヤリと笑う夏油。何かとサンプル採取で伏黒と接点のある家入は早くも子供の将来を気にしていた。

 

 その後、高専の近場に引っ越してきた恵と津美紀の元へ、度々彼らが遊びに行くのはまた別の話。

 

 

 ◆伏黒 甚爾

 

 

 メールを開けた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 




次回、いよいよ玉折編に突入です。


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放置してしまっているので……

皆様お久しぶりです。

 

この小説を読んでいただいている方、いた方、覚えていらっしゃる方、そうじゃない方も、この文章に目を通している全ての方へ送ります。

 

しばらく更新していない本小説ですが、エタります。

 

原作がどんどん予想していない方向に進んでいてもはやこの二次創作の展開が……できそうではあるのですが、ちょっと話の運びとか諸々気に入らなくなったので、全面的に書き直そうと考えています。

 

次投稿するときはベースの設定などは引き継いで、書き直したものを投稿します。

全部完結まで書き上げてから投稿するので、投稿されたらエタることはない、ということです。

 

ただ、現時点ではいつ書き上げられるか見通しが不透明、そしてずっと放置しておくのも忍びないのでこちらの告知をしました。

 

安藤と晦冥の結末は決めています。

構想は出来ていて、点と点を結ぶ作業という執筆が出来ていません。

 

頑張ります。

 

ではでは、少し長くなりますが、また会うことがありましたら、その時はまたよろしくお願いします!

 

 

 

 

ちょっと、投稿するのに文字が足りないな……。

文字稼ぎで記号投げるのもまずい気がするので、途中まで書いて放置してる文章でも投げます。

推敲していないです。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

◆2006年 夏

 

 

 世間では学生は夏休みに突入したらしいですよ。

 

 高専? もちろん、毎日任務漬けですが何か?

 

 授業そのものは学生らしく休暇となり、学校のカリキュラムとしても夏季休暇となっているのだが、そこは悲しきかな呪術師。代わりにこれでもかと任務が詰め込まれ、毎日毎日忙殺される。

 危険な任務には参加しない家入でさえ、高専で見かけることがほとんどない。

 

「くっそ! 海で呑気にきゃっきゃっとはしゃいでいるリア充どもが羨ましい!!」

 

 一人、夜の無人駅で単独任務に駆り出されている私は、人目がないことを良いことに叫んだ。

 正しくは、無人駅だった場所(・・・・・・・・)だけど。

 周囲は炎の海に包まれており、地面には巨大なクレーターがいくつも刻まれている。何かが深く突き刺さっていたような穴も無数に散見し、炎の熱にも負けずに残る氷の柱が複数本、聳え立っている。

 一体どこの地獄を再現したんだ、とツッコミを入れるべきか。

 これは特級呪霊との戦闘跡です。隠蔽とお片付けはこの後スタッフがやってくれます。

 私は休みなしで補助監督によって次の任務に輸送されます……。

 

 先日の両面宿儺の呪物を回収したこと。突発的に発生した特級相当呪霊を祓除したこと。その実績により、単独で特級任務を振っても問題ないと判断された安藤さんですよー。

 おかげで毎日がスリルとリスクに彩られ、この私にして戦闘中にレスタ連発する無茶振り案件がデフォルトになった。おかげで能力の出し惜しみもほとんどできない状況に追い詰められていますよ、ちくしょう。

 まあ、戦闘が終わるたびに地獄絵図になっている激戦区で、無事に私を監視できるような人員が早々いるとは思わないけど。

 伏黒? ああ、あいつは別件で強く生きているよ、ハハ。

 

 

◆秋:京都姉妹校交流会(ダイジェスト未満)

 

 

 そんな調子で、青春の『せ』の字もない高専初の夏休みを乗り越えた。

 今の私の興味といえば、近々開催される京都姉妹校交流会である。

 参加するのは二年生と三年生なので、一年生の私が出る幕もないが、観戦することはできる。許可をもらって、会場外にある高台に陣取って左団扇に観戦予定である。

 あ、団扇を扇ぐのは晦冥の仕事です。

 

 んで、結果発表。

 実況? しないよ、するほど中身がなかったもん。

 こっちにはさしす組が揃ってんですよ? 相手がいくら優秀でも、このメンツ相手に善戦することもできんでしょ。

 団体戦、余裕で東京高の勝利。

 個人戦、これは姉妹校同士で対戦するようにトーナメントを組むのだが、試合が進むうちに対戦ペアが東京高同士が大部分を占めてしまったので、早々にお開きになった。

 そして丸々と開いた午後で、一年生も交えた本当の交流会(パーティ)を開いて交流会は終わった。

 

 あんだけ楽しみにしていたのに、呆気ないねえ……。

 

 

◆秋

 

 

 ハロウィン。

 五条が仮装で女装してきた。五条に引っ張ってこられた夏油はメイド服を着ていた。顔が死んでた。

 五条は勝手に女子の制服を拝借してたらしく、女性陣にフルボッコにされた。

 トリックオアトリートでかき集めたお菓子を貪りながら、私はその光景を眺めていた。

 

「あ、あっははははははははは! 何あれ、おっかしっ! やっば! 夏油先輩も何! やってん!! あっは、ははははははははっは、はっ、ゴホッ、ゴホッ……ハハハっ!!」

「食うか笑うか咽せるかどれかにしたら」

 

 あ、恵くん。誰、パンプキン頭を被せたの、かわい。ナイス、写真撮ろ。

 

 これは仮装パーティではなく、忙しい中でも雰囲気だけでも楽しもうと、高専生たちが仮装姿で任務に向かうという催しである。動きにくい服は避けて。任務前になんとか時間を合わせて、ちょっとだけお披露目してすぐに出発していく。

 観客として特別に恵くんと津美紀ちゃんを招待している。

 

 七海はサラリーマンの仮装が仮装じゃないくらい似合っていたし(本職か?)、灰原は、流行を取り入れてゲド戦記のクモのコスプレだった、家入はゾンビとフランケンシュタインの混ざり物だった。

 

 私? 折角だから容姿を最大限に生かして、全力で女神シバをやりましたとも。

 

 

◆冬:一年生の終わり

 

 

 冬季休暇(ふゆやすみ)

 ハイハイ、夏と同じ忙しい忙しい。リア充は滅びた、受験生頑張れ。

 

 

 大晦日。

 ハイハイ、大晦日ねー忙しい忙しい(投げやり)。

 

 

 世間が賑わってイベントムードほど!

 呪霊が湧いて呪術師は忙しい!!

 

 

 学校の授業、戦闘訓練、任務、お遊び。まるで生き急いでいるように毎日を過ごしていく。

 

 そうして気が付いたら一年が回り、桜が咲いて。

 私は、二年生になっていた。

 

 

◆2007年 春

 

 

 二年生の春。禪院直哉を名乗るクソガキが訪ねて来た。

 任務結果を報告をしていたら、私が高専に戻る少し前に、禪院家の当主の息子がお忍で訪問して来ていたらしい。なんでも伏黒と私に会わせろの一点張りとのこと。

 正直聞いたこともない人間、しかも禪院家のボンボンからの直々の指名に嫌な予感しかしない。

 とはいえ、京都から遠路遥々きたらしい同い年の男の子、このまま返すのも可哀想だし挨拶だけでもするか、と会うことにした。

 その判断をすぐに後悔することになる。

 

「なんや、(おも)たよりべっぴんやないか。……ふーん、確かに呪力がないなあ。せやかて、君、呪力は使えんでも別の力をつこうとんのやろ? 中途半端やなあ。あかんなあ、そんなんで甚爾君を尻に敷いてこきつこうとんの? 何を勘違いして思いあがっとんのか知らへんけど、甚爾君に甘えんなや。女なら男の三歩後ろ歩いて身の程弁え、背中から刺されんで」

 

 開口一番がこれである。

 まだ目があっただけじゃん。私、部屋に一歩踏み込んだだけじゃん。

 

「ねえ、一応確認とるけど私帰っていいか?」

 

禪院直哉(クソガキ)はスルーして、ここまで案内をしてきた女性に尋ねる。女性は明らかに冷や汗をかいており、返答に困っているようだ。

 分かるよその気持ち、現在進行形で分かる。

 後で何やらクソガキが喚いているが、まともに耳に入らない。頭が痛い。

 上層部のくそじじぃ共を歳だけ若くしたような人間だ。言っている言葉の半分も意味が分からん。理解したくもない。

 

「無視はいかんやろ、やっぱ生意気やなあ。こっち向いて挨拶くらいせな」

 

 痺れを切らしたクソガキが肩に手を置いてこようとしたので、手首を掴み返して床に押さえつける。腕関節を極めて動けないようにする。

 一瞬の出来事に理解が追いつかないのか、禪院直哉はしばらく目を見開いていたが、状況が追いつくと青筋を立てて睨み上げられた。

 おおう、コワ。

 

「お互い初対面だけど、名前は分かっているし、自己紹介とかはもういいよね? 本当はね、禪院家の人とは会いたくはなかったんだ。でもここまで来てくれたから追い返すのも可哀想だと思ってね、君の望み通り挨拶だけでもしようかって来たんだ」

「可哀想やと? 何をふざけた事くっちゃべってんねん! ええからさっさと離しいや、くそ(アマ)ァ!」

「今の私の遺憾な気持ちが分かるかい? 分からんか。それじゃあ、もう帰るけど、私は親切だから教えてあげるね」

 

 にこり、と努めて優しい笑顔を浮かべる。

 

「伏黒甚爾は三日は帰ってこない。ここはガキが遊びにきて良いほど暇じゃねえんだよ、とっとと去ねや」

 

 あ、恵くんと津美紀ちゃんは別だよ。

 

「こんっのアマァ!!」

 

ゴキッ

 

「あ」

 

 怒りに我を忘れるとはこのことなのか。自分がどんな体勢かも忘れ、勢いよく暴れた禪院直哉の肩から、してはならない音が響いた。

 確かに、呪力で強化すれば無傷で振り解くのも可能だろうけど、私相手に力比べ(それ)をするのはバカでしょう……。

 

「ぐっ……!」

 

 腕を抱えて呻いている。悲鳴を上げることもなく、肩を押さえて私を睨みつけてくる。

 立ち上がった彼は私よりも背が高い。やはり随分とプライドが高いようだ。そんなに見下ろされたくないのか。

 

「言っておくが、それ、お前の自業自得だからね。そのまま帰っても良いけど、早めに治したほうが良いよ。医務室、案内してもらったら?」

 

 これ以上視界に入れるのも嫌なので踵を返す。もう何を言われても構うまい。

 

「認めへん……認めへんからな、オマエみたいな女が、甚爾君と同じはずない……!!」

 

 ……あいつは伏黒にどんな幻想を抱いているんだ?

 

◆夏

 

星漿体の任務から一年以上が過ぎた。

ますます反転術式を使いこなした五条は最強に磨きがかかった。

 

その夏は昨年あった災害の影響で人々の心が荒んでいるのか、クソほど呪霊が大量発生して忙しい。元々少ない呪術師で払うため、手の空いている生徒も次々と任務に駆り出された。単独で遂行できる力のある術師は一人で行かせる。

強い術師ほど自然と持久力や体力もあるのでほぼ出っぱなしだ。元々の身体能力が高い私や伏黒など言わずもがな。

 

余りにも忙殺されているからか、たまたま見かけた夏油はどこか塞ぎ込んでいる見える。

五条のバカは相変わらずだけど。あいつに人並みの悩み事があるのか怪しいと思うこの頃。

 

 

任務の合間に休憩室でベンチに座り込んでいる夏油を見かけた。

 

「どうしたの夏油先輩。何か悩みでも? やっぱ最近の激務でストレスが溜まっているか?」

「久しぶりだね、優ちゃん。なに、ただの夏バテだよ」

「そう? アレだったら五条でもサンドバックにする?」

「……また悟に何かされたのかい?」

「何もされてないけど術式のオートマ制御に成功したあのドヤ顔がムカついて」

「普通に理不尽」

「最強ってちやほやされているのをぶっ飛ばしたいと思わない? 私情とかじゃなくて、術師として高みを目指すならやっぱ強い奴と戦って勝ちたいよね。って、これも私情か」

「最強、か。……そうだね」

「そういえば夏油先輩とは本気でやりあったことないね。私としては無数の呪霊を使役する先輩と遠慮なく一戦してみたいな。なんてたってあなたも五条に並ぶ最強(・・)の一角だ」

「はは、買いかぶり過ぎだよ。私ではとても優ちゃんの攻撃は捌ききれないさ」

「体術ならそうだ。でも先輩の本領はそれじゃないでしょう。その気になれば、私が近寄れもぜずに物量で潰すこともできるはずだ」

「一体それを実現するのに私はどれほどの呪霊を使い捨てれば良いのかな?」

「ははは、それはやってみないと分からない。私だって負けるつもりはないから、先輩に正面から勝つなら最後には一匹も残っていないんじゃないかな」

「ふむ、それじゃあ本気の勝負はお預けだね」

「むー、ちょっとは挑発にノってくれても良いでしょー」

 

そうこう雑談しているうちに灰原もやってきた。夏油に憧れているからか、いつもより姿勢もピシッと決まっている気がする。

灰原も交えて三人で会話を続ける。灰原は明日七海とタッグを組んで遠出の任務に当たるらしい。

 

「そうそう、僕の武器ようやく形になったよ! 入学したばかりの頃安藤さんに見せてもらったライフルを参考にして、遠くからでも呪力を飛ばして強力な攻撃が出来るようになったんだ。呪力を飛ばせさえすれば呪具じゃなくても良いからあまりお金かからなかったし。明日初めて実戦投入するんだ!」

「お、いよいよか。試作品を触らせてもらった感じ、かなりレゾナントオルコスの使用感に近付いてたよね。呪具じゃないなら比較的数も揃えられるから出し惜しみしなくて良いね」

「オーダーメイドだから流石に使い捨てにできるほど安価でもないけどね」

「でも高専からも補助金出てるんでしょ? 武器としても汎用性があるし役に立つって実績を作れば大量生産の承認も降りるでしょう。ククク、お主も悪よのう」

「いえいえ、お代官様ほどでは……」

「君たち一体何の話してんの……」

 

妙なノリでの掛け合いに、思わず夏油が突っ込んだ。

灰原が実物を持ってきて夏油に使い方のレクチャーをしたりした。普通の学生だったらどうかと思う話題だけど、高専生ならこれくらいデフォだよね。

 

(ん、足音?)

 

その時、聞きなれない音を耳が拾った。遠くのため普通の人間には聞こえない。私の耳でも僅かな音を拾う程度だ。高専においてあまり聞き慣れない重い足音が私たちのいる建物に近付いてくる。

 

やがて現れたのは高身長に尻の大きい(胸も大きい)女性だった。

 

「君が夏油くん? そちらは……安藤さんだね?」

 

見かけない顔だが、こちらのことを知っているのか。だけど、だけど灰原くんの名前は呼ばなかった。……ということは。

 

「どんな女が好みかな?」

「どちら様ですか?」

「自分はたくさん食べる子が好きです!!」

「私の好みは私です」

 

謎の登場人物の唐突な質問に三者三様の回答がなされた。

え、いや私の回答別に変じゃないでしょ。私の今の容姿は前世のキャストボディを自分ごのみにした容姿を引い付いだものなのだから。

そして夏油に灰原、何だその目は! 聞かれたから答えただけでしょ!

 

夏油が灰原に高度な自虐をした後、女性が用があるのが私と夏油と気付いたからからか灰原は気をきかせて退場していった。

代わりに座ったのは女性、名を九十九由基、なんと特級術師らしい。

夏油いわく、特急のくせに任務を全く受けずに海外をプラプラしているとか、ロクデナシだとか。

 

 

 

 

 



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