ワヲモツテトウトシトナス。 (Natural Wave)
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第1話 以為和貴

本当の自分はこんなものじゃないんだ

 

 

 そう考えて生きて来て気づけば成人していた。小学生の頃は、ただ好きなように生きていた。授業は聞いていたが頭の中はゲームや漫画の事ばかりで、放課後に遊びに行けば宿題なんてほったらかし。嫌々やった宿題で身につく知識なんてたかが知れていて。気付けば成績の悪い問題児。そんな俺でも中学生になれば変わると思って、Xや関数といった尚難しくなる勉強についていけなくなった。わからない場所がわからないという典型。多分、辿ろうと考えれば小学校高学年の何処かで躓いているんだろうと思う。頭が悪くても、運動があると思っても元から努力なんて大嫌い。クラスメイトや多少仲の良かった友達がそれなりにいた野球部でも万年ベンチ。自主練なんてするつもりもなく、当然の様に最後の試合も負けて終わった。感慨もわかなかった。

 

「……」

 

 ズズズ、とタピオカをストローから吸う。

 

「ねー。マジやばいよねー」

 

 タピオカの屋台から少し離れた場所でたむろする女子高生たちがタピオカ片手に談笑をしている風景。

 

「高校生か」

 

 制服を見れば、付近の高校の物で然程偏差値の高い高校ではないということが分かった。まぁ、俺も偏差値が高い場所には通っていないから馬鹿に出来るようなものではない。高校での俺は陽キャというにはかけ離れていて、かといっていじめられるような人間でもない。例えるなら俺が休んでも『あ、アイツ休みなんだ。ふーん』程度の反応の人間だった。中学の経験から部活を頑張れる自信も無くて帰宅部で三年間を過ごした。

 

 

 多分、俺を一言で表せば『無気力な真面目系クズ』だろう。

 

 

 心の底から変化を望んでいる癖に、自分から行動はしない。どこかの誰かが手を差し伸べてくれるのを期待している痛い奴だった。公立大学に通える程頭が言い訳ではない。そして私立に通えるほど金がある訳でもない。気付けばフリーターをしながら、周囲に言い訳をしながら、成人したら自分は何かが変わる筈と考えながらずるずると生きて、成人した。結果何も変わることは無かった。そんなこんなで周囲が大学を卒業して、就職をしてもなおずるずると生きて4年が経った。

 

 

「本当の自分はこんなものじゃないんだ」

 

 

 口でそう呟いても、何も変わらない。心の中でまだどこかで自分に劇的な変化が起こるのを望んでいる自分に辟易しながら空を見上げた。梅雨に入り5日近く続いた雨が上がった晴れの日。周囲の家々もここぞとばかりに洗濯ものと布団を干していた。

 

 

「ん?地震……ちょっとでかいか?」

 

 

 立っても感じる程度の初期微動。然程強くはないかと考えた瞬間、少しずつ地震が強くなった。ドキドキと少し心臓が跳ねて周囲を見れば、女子高生たちも周囲を見て少しだけ怯えた様子であった。10秒か20秒程度続いた揺れが収まり。スマホで地震速報を確認する。震度3、ちょっと怖くなるレベルだ。息を吐いて再び歩き出そうとした瞬間、また大きな揺れを感じた。ただ、次の物はハッキリと、大きな音を伴っている。

 

 

「嘘だろ…」

 

 

 ドドドドド!と、商店街から少し先の道路、そして道路の傍の斜面が崩れたのだ。多分、季節が梅雨でないのならこんな土砂崩れは起きなかっただろう。雨が5日続き、地盤が緩んでいたのだろう。呆気なく崩れた斜面は道路の傍に立っていた家屋を容易く飲み込んだ。

 

 

「おいおいおいおいおい」

 

 

 潰された家に向かって走り寄りながらスマホをタップし、消防に緊急通報をする。

 

 

『消防です。火事ですか救急ですか?』

 

 

「救急です!地震で山が崩れて!家が呑まれました!!」

 

 

『わかりました。場所がどこかわかりますか?』

 

 

「愛知、名古屋の蟹江商店街の傍です!」

 

 

『7分程で救急車や消防車が到着します』

 

 

「お願いします!」

 

 

『――』

 

 

 何か言っていたかもしれないが、反射的に通話を終了してしまう。もしかしたら人の助け方や応急処置などを聞けたかもしれない。

 

 

「(やっちまった…!)」

 

 

 後悔しながらもとりあえず崩れた現場に近づく。周囲に見えるのは木の根や岩などが大半。ところどころ斜めに崩れた屋根や壁の一部が覗いているだけだった。

 

 

「大丈夫ですか!!誰かいますか!!」

 

 

 崩れる瞬間に見えた、家の駐車スペースに止められていた軽自動車と、干されていた布団や洗濯もの。車はどうかわからないが、洗濯物は季節上にわか雨を考えて家にいるタイミングでしか干さないだろう。誰かいる筈だ。頭の中でもしまた土砂崩れが起きたら巻き込まれるかもしれないと考えながらも、少しでも空いた空間を覗き、しゃがみ込みながら声を掛ける。

 

 

 

「誰かいますか!!」

 

 

 

 土の臭いと、家屋に住んでいたであろう住人の置いていた芳香剤の香りが鼻に付く。

 

 

 

「助けて…」

 

 

 

 消え入りそうな声が聞こえた。20代だろうか、女性の顔が薄暗い中に微かに確認できた。咄嗟に時計を見て何分経っているかを確認する。

 

 

「大丈夫です!あと…5分くらいで消防の人が来ます!体動きますか!?」

 

 

 狭くても、這いずればなんとか出れるかもしれない。

 

 

「はい…でも…ぶつけたみたいで…足が…」

 

 

 脚が折れている?引っ張ればなんとか行けるか?可能な限り女性の方へと手を伸ばす。

 

 

 

「手!伸ばしてください!引っ張ります!!」

 

 

 

「はい―――」

 

 

 ガラ、ガガガ!と再び山の方から音がした。視界の端で小さな石がカラカラと斜面を転がっていた。だが、それ以上に斜面上部の大きな岩の基部が崩れ始めていた。

 

 

「まずい――!!」

 

 

「いや――」

 

 

 女性の顔を見れば、俺に見捨てられてしまうと思ったのか、その顔は怯えていた。迫る音を無視して、歯を食いしばって手を伸ばす。

 

 

「手!!」

 

 

 パシ、と女性の手を取り引くが手の細さからは想像つかない程の重量を感じた。何故?身体がどこかに引っかかっていた?。咄嗟に山を確認するとゴゴッ!と大岩がグラつき、基部が崩れその重みを支えきれなくなったのか岩は重力に則って斜面を転がり始めた。

 

 

「どうしたんですか!?何か引っかかっ――」

 

 

 

 手だった。

 

 

 

 ずるりと引っ張り出そうとした女性の肩や、腹回り、腰回りに、夥しい数の腕が纏わりついている。

 

 

 

 

『いちゃだめ』

 

 

 

 

 女性の奥の闇から聞こえた何かで首を絞められたような不快な声。自分に何が起こっているか理解できない女性。叫び声を上げそうになるのを我慢して、思い切り女性の手を引いた――瞬間、ズルリ、と俺の手に付いていた泥のせいで手が滑り、女性と手が離れて背後に尻餅を付いてしまう。

 

 

「え、いや、助――」

 

 

 再び手を伸ばした瞬間、ゴシャン!!と転がってきた大岩がほんの少しだけ空いていたスペースを圧し潰した。

 

 

「―――」

 

 

 ツ…と隙間から、赤い血が流れ出てくる。そして。目の前のどこかから、ペキ、パキ、と何かが折れる様な音がする。

 

 

「くそッ!!」

 

 

 大岩に拳を叩き付ける。遠くから、消防車のサイレンの音が聞こえた。

 

 

 

*

 

 

 救急隊員の方に手や膝など軽い擦り傷や切り傷の治療をしてもらいながら、ずっと女性に纏わりついていた腕の事について思考する。アレは一体何だったんだ…?幻覚…か?

 

 

「これで大丈夫です」

 

 

「あの……女の人がいるんです…あそこに…住んでいた人が…」

 

 

 岩に潰された位置を指差すと、救急隊員の方は首を傾げた。

 

 

 

 

「え……?おかしいな……あそこ、ご老人しか住まわれてないですよ?その方も連絡が取れているので――」

 

 

 

 

 救急隊員の方の声が遠く離れていく。脳内から音が消える。ちょっと待て。老人しか住んでいない?マテ、じゃぁあの人は何だ?俺の見たあの血は?あの腕は?

 

 

「待ってくださいよ、だって、俺、女の人の腕を引っ張ってたんですよ。でも、腕が、邪魔して…女の人が潰れて…血が…!!」

 

 

 立ち上がろうとした俺の肩を救急隊員の方が抑えて来る。

 

 

「落ち着いてください。あそこには最初から70歳の男性が住んでいるだけです。それに現場にも血などは見つかっていません。あなた以外は怪我人はいません」

 

 

 俺は救急隊員の方の手を振り払って逆に肩を掴んだ。

 

 

「そんなわけ有りません!!こっち!!来てください!!」

 

 

 ズカズカと現場に入り、女性が押しつぶされた場所へ。周囲の消防士の方達が慌てて駆け寄って来るのも無視する。

 

 

「ちょっとちょっと!危ないから下がって!」

 

 

「嘘だろ……」

 

 

 血が流れていた場所には、チョロチョロと水が流れているだけだった。大岩がどかされた場所には、女性の死体も、血痕も無かった。肩を押されながら、また救急車の場所へと戻される。

 

 

「あの、もう今日は家でゆっくりしてください」

 

 

 そう言って救急隊員の方が救急車に乗り込んだ。

 

 

「一体何が…」

 

 

 走り去っていく救急車を見ながら、再び押しつぶされた家へと目を向ける。

 

 

「……」

 

 

 疑問はある。だが何をするにしても一度時間を置くべきだ。そう考えてその場を後にする。多分、ある程度のがれきの除去などが終わればまたここに戻ってこれる。その時に本当にあの女性はいないのか、あれは本物だったのか確認しよう。もし本当に何もなかったのなら…一度病院に行ってみるべきなのかもしれない。

 

 

 

*

 

 

 

 深夜になりシャッターの下り切った商店街を歩く。LEDに換装しきれていない街灯の下を歩き、通行止めのテープを越えた。瓦礫をどかす為の重機や土砂を乗せたダンプの横をすり抜け、家のあった場所の前に立つ。

 

 

「……本当に、いたはずだ」

 

 

 いたはずなんだ。そう呟きながら大岩の在った場所へと歩み寄る。確かこの辺りだった筈だ、そう考えながら周囲を見回すと、カラン、と音がした。

 

 

「―――」

 

 

 ドクン、と心臓が強く脈打った。そこには確かに、ツ、と血が流れている。

 

 

「(幻覚なんかじゃなかった――不味いぞ。ヤバい。ヤバいヤバい!!)」

 

 

「助けて…」

 

 

 既にこの場から離れなければという心理がガンガンと脳内で警鐘を鳴らす。もしかしたら、救急隊員の方や消防士の方々は俺に辛い思いをさせないために、本当は女性が死んでいたのに黙っているのかもしれないと頭の片隅で考えていた。それでもこの場に戻ってきたのは、昼見たものが本当だったものかどうかだ。

 

 

 俺が見た女性が、腕が、本物であるかどうか。

 

 

「助けてよぉ…」

 

 

 そう、瓦礫の下から声がした。だが、そんなことは有りえない。もしこんな時間まで声を上げることが出来たのなら、消防士の方々が気づかない訳が無い。

 

 

 

 なら

 

 

 

 この声は

 

 

 

 俺だけに――

 

 

 

 

「だずげてよぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 

 

 ドッ!!と瓦礫が崩れ、中からウネウネと夥しい数の腕が伸びてくる。咄嗟にダンプを盾にして商店街の方へ走る。

 

 

「ウッ――――オォォォォオオオオオ!!!」

 

 

 全力で走る。ベタベタベタベタベタ!!と何かが這うような音が背後でしつづける。

 

 

「ハッ――ハッ――!!」

 

 

「何で離したの?」

 

 

 耳元で、昼に聞いた女性の声がした。不味い、もう真後ろに――

 

 

「うっぉおお!!」

 

 

 ズルン!と足を土砂の泥濘に取られ、つんのめって転んだ。本能的なモノか、咄嗟に、自分の背後へ迫っていたナニカに対して振り返ってしまった。

 

 

「あ――――」

 

 

 ズズズズ!!とナニカを視認した瞬間、全身が粟立った。目の前には女性がいる。昼見た女性だ。だがその腹はドラム缶の様に膨らみ、下半身は二本の足ではなく無数の腕が地面に手をついて身体を支えている。

 

 

「(走れ――逃げないと…!!)」

 

 

 そう考えるが、身体は震え、足が言う事を聞かない。ニタニタと笑いながらこちらにペタリ、ペタリと這い寄って来る女。

 

 

「あ」

 

 

 ガシリ、と女の腕に肩を掴まれた。ペタリ、ペタリ、と下半身に這えた無数の手が身体に添えられていく。死ぬ。俺はここで死ぬんだ。脳裏に流れる無価値な青春の記憶――走馬灯。

 

 

「本当の…自分は…こんなものじゃ…」

 

 

 無いんだ。まるで遺言のように呟く俺に覆いかぶさるように、女が身体をもたげ――

 

 

 

 

「えいっ」

 

 

 

 という気の抜けた掛け声の後にドパン!!と弾けた。

 

 

「はっ…?」

 

 

「ギリギリ!!ッセーーーッフ!!」

 

 

 スタッ!と上半身の吹き飛んだ化け物の傍に着地した…男。濃紺の衣服がまるで闇に溶け込もうとしているのに、それに相反するような月明りに白く輝く銀髪。男はこちらを向くと、にっかりと口を大きく開き目を隠した笑顔を向けた。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 軽薄そうな声色ではあるが、俺は助けられたのだと理解し、ガクリと身体の力が抜けた。

 

 

*

 

 

 目が覚めた時、俺は自分の家にいた。1kのマンションで、オートロックや複数の鍵付きの玄関などセキュリティ面のしっかりした物件だ。天井のシーリングライトや壁紙の色、日の差し込み方で自分が家のベッドで寝ている事を悟った。

 

 

「確か――」

 

 

 数時間前に起きたであろうことを思い出し、咄嗟に跳ね起き周囲を見渡した。

 

 

「あ、おはよー」

 

 

 いた。普通に。昨夜見た男。男は勝手に俺の部屋着のスウェットを着込んでミニタオルを首にかけている。少し顔が赤い所を見るに風呂勝手に入ってやがったな。それにスウェットのサイズが全くあってないのが腹立たしい。脚長すぎだろ。

 

 

「何でいる!ここ俺の家だぞ!!」

 

 

「どうどうどう。落ち着きなって。一応僕命の恩人ー」

 

 

 そりゃそうだけど。だからって何で他人の家で過ごそうと思うんだこいつ。非常識すぎる。

 

 

「一応……礼は言っとく。助けてくれたんだよな?」

 

 

「イエス!滑り込みセーフでね」

 

 

 ココアあるよ。と勝手に台所を漁って作ったのであろうマグカップに注がれたココアを差し出してくる男。ココアを飲みながら考える。色々と聞きたいことが多すぎる…!!

 

 

「まず…何でまだ家にいる?」

 

 

「んー。本当は僕も適当に家の玄関にでも叩き込んで帰るつもりだったんだよ?でもさ、君の免許証見てビビッ!!っと来ちゃったんだよね。だからお風呂とか借りつつ、家に在ったエヴァシリーズ見つつ君が起きるまで時間潰してた」

 

 

 ぐっと喉から出かけたツッコミを抑えながら男が差し出してくる免許証をココアを飲みながら受け取る。特になんてことない免許証。まだゴールド免許になっていない普通自動車免許だ。

 

 

 

「君のお母さんってお化け見える人だったでしょ」

 

 

 

 ズ、とココアを啜る音が止む。

 

 

「……なんでわかる」

 

 

 想起する母の後ろ姿。確かに、母は霊だとかが見える人だった。

 

 

「だから言ったでしょ。免許証見てビビっと来たって」

 

 

 免許証。書かれているのは、免許の種類、生年月日、名前。

 

 

「君、以為 和貴(おもえらく かずたか)君で合ってるよね」

 

 

「…は?俺は以為 和貴(いい かずたか)だよ。なんだよ()()()()()って」

 

 

 俺の名前を聞き、男は何かに気づいたように頷いた。

 

 

「うん。成程ね。やっぱりか」

 

 

 勝手に何かを確信したかのような態度にイライラが募る。

 

 

「おい、説明しろよ。いきなりでこっちは訳が分かってないんだよ」

 

 

「オーケーオーケー。じゃぁまず昨日何が起こったかを話そう」

 

 

 男曰く、昨日の地震や連日の雨は偶然のものだという。当たり前だと思いながらも男は話を続ける。

 

 

「でも、土砂崩れ。アレは実は違う。アレは呪霊の仕業なんだよね」

 

 

「じゅ…何だって?」

 

 

呪霊(じゅれい)ね。呪いに幽霊の霊って書いて呪霊。まぁ君的に分かりやすく言えば妖怪みたいなもの」

 

 

 妖怪……まぁ確かに化け物だったが…。

 

 

「その呪霊が崖を崩して、家を巻き込んだんだ」

 

 

「はぁ?何のために?だってあの時は住んでる爺さんも外出してたんだぞ。なんで態々誰もいない家を?」

 

 

 男は、俺を指差した。

 

 

 

 

()()()()()()

 

 

 

「―――ッ!!!」

 

 

 ゾクッ!と背筋に冷たい物を入れられたような感覚が奔った。

 

 

「気づいた?あの呪霊は、家を巻き込んで、助けに来た人間を喰おうとしてたんだ。何かしらの偶然で君が助かったんだね」

 

 

 その言葉で一連の出来事を思い出す。家に駆け寄った俺は、女の人を引っ張り出そうとして、そして、あの化け物が女を掴んだ。泥で手が滑って女の手がすっぽ抜けて――岩だ。岩が、俺とあの化け物の間に落ちて、あの化け物が潰れた。偶然落ちてきた岩が俺とあの化け物を寸断したんだ。

 

 

「多分、君は混乱しただろう。女性のいた痕跡があった筈だ。だのに、住んでいたのは70歳のご老人。そんなわけないって」

 

 

 救急隊員の方とのやり取りを思い出す。今思えばあの時の俺はあの人からすればパニックを起こした人間にしか見えなかったんだろう。

 

 

「あぁ。崩れた家から香った芳香剤も、70のジジィが買うような香りじゃなかった」

 

 

「うんうん。そうやって騙すんだ。この人を助けたい、助けなきゃ、そういう心理を利用するんだ。男ウケの良い香りや顔を模してね」

 

 

 チョウチンアンコウみたいにさ。そういいながら手でパクパクと何かを食べるジェスチャーをする男。じゃぁ、あの化け物にとってあの女性の部分は男を吊るための疑似餌ってことか…ゾッとするな…。

 

 

「この手の呪霊は多いんだ。あそこの商店街、名前に蟹って入ってるでしょ?地名に蟹とか蛇とか入ってる地名って水害や土砂災害が過去多発したりした場所が多いんだ。呪霊も災害にかこつけたり自分で起こしたりして人を襲うから素人目には災害で死んだようにしか見えない。だからいいカモフラになるんだよね」

 

 

「……」

 

 

「で、次の疑問で僕が何で君のお母さんについて言及したかっていうと、それは君のお家が関わって来るんだ」

 

 

 サラリと話題を変えた男。だが俺の家と言われても全く思い当たるものが無い。

 

 

「俺の家?」

 

 

「そう!君ってご家族で本来の実家から勘当とか家出した人がいるんじゃない?」

 

 

 男の言葉の家出というワードに結びついた人物がいる事を思い出す。

 

 

「……祖母ちゃんだ。祖母ちゃんが家出して愛知に来てる。実家?…は何処にあるかは聞いてない。縁切るくらい大喧嘩して出て来たみたいなことを母さんが言ってた気がする」

 

 

「そっか。多分、その時にさっき僕が言った以為(おもえらく)って苗字の読みを以為(いい)って名乗るようになったんだと思う」

 

 

 そう言いながら免許証を指差す男。

 

 

「待ってくれ。じゃぁ、俺の母さんがお化けが見えるのと、その…実家のおもえらく(以為)家?に関係が?」

 

 

「正解!花丸!その君のお祖母ちゃんの家出した以為(おもえらく)家っていうのは――」

 

 

 

 呪術師の家なんだよ。

 

 

 男の言葉に目が見開かれた。呪術師の家。その言葉を聞いて、胸の奥でずっとずっと燻っていた言葉が蘇った。

 

 

 

 

本当の自分はこんなものじゃないんだ。

 

 

 

 




呪術廻戦を見たから書いた。それだけ。


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第2話 以為家

短いです。サラッと読み切り。


 男の名前は五条 悟(ごじょう さとる)と言った。職業は呪術師で、呪術を教える高校の教師も兼任しているとの事だ。信じられないが。一応4つ上で先輩になるっぽい。男二人部屋に籠って話し合いというのも気持ち悪いので近くの大手カフェチェーン店にモーニングを食べに出る事になった。カフェに到着しチリンチリンと入店を知らせるドアベルが鳴ったのに気づいた店員さんから声を掛けられる。

 

 

「二人です・奥の席ってお願いできますか?」

 

 

「大丈夫です。こちらの席へどうぞー」

 

 

「どうも」

 

 

 お店の奥の窓際、日の差す席に案内された五条さんは椅子を引いて腰かけるとおしぼりで手を拭いた。

 

 

「いやはや本当に名古屋の人って朝食食べにカフェに来るんだねー。カフェとか来るの基本お昼だったからなんか新鮮だな」

 

 

「俺はあんま来ませんけどね」

 

 

 名古屋では家で朝食を食べずにカフェで朝食を食べるという人間が一定数いる。名古屋周辺駅のそばのカフェなどでは出社前のサラリーマンが家で朝食を食べずにカフェでモーニングを食べている風景が良く見られる。その為か名古屋のカフェでは喫煙可のお店が多い。二人で小倉トーストのモーニングを注文した段階で五条さんがシロノワールを注文した。

 

 

「言っときますけど、食べきれなくても手伝いませんから」

 

 

「大丈夫。甘い物は大好物だし名古屋に来るたび完食してるから」

 

 

 店員さんがテーブルを離れたのを皮切りに、家で話していた会話の続きを切り出す。

 

 

「では…改めて聞くけどじゅじゅつし…ってあの呪術師で?呪う?」

 

 

「そう!…ってまぁ一般ピーポーな君にもわかりやすく例えると海外で言うエクソシストみたいなニュアンスかな」

 

 

 あの首回る奴か?信じられるかよ。そう考えていたつもりだったが、どうやら口に出てしまっていたようで五条さんは肩を竦めた。

 

 

「でも、その呪術師の血が流れてるから君のお母さんはお化け…呪霊が見えてたんだよ。まず間違いなくお祖母ちゃんも見えてただろうしね」

 

 

「じゃぁ何で俺は見えなかったんでしょう?」

 

 

 俺には昔から霊感と言えるようなものは全くなかった。だから霊が見えるという母さんの言葉は話半分で聞いていた。

 

 

「普通に考えてお祖母ちゃんやお母さんに比べて呪術師としての血が薄いんだよ。お祖母ちゃんは以為(おもえらく)家だから呪術師の間に生まれてるだろうし、お母さんは少なくとも半分は呪術師の血を継いでる。お母さんが家の縛りなしに自由恋愛で結婚、君を授かったとすると君は最も割合が低くて呪術師のクォーターってことになる。こうなると呪霊が見えない子がいたりするんだよね」

 

 

「ほぉ……」

 

 

 だがそうすると俺はハッキリ言ってただの一般人みたいなものなんじゃないか?そう考えて少しだけ凹む。その俺の様子に気づいたのか、五条さんは微笑んだ。

 

 

「血の濃い薄いは呪術師に取って重要な要素ではあるけど、それが実力に直結するとは言えないんだ。血を重視するのはハッキリ言って呪術師業界で言う保守派の人達だから」

 

 

 一般から呪術師になった人間でも強い奴は強いしね。そう言いながら五条さんがこちらを指差す。

 

 

「でも君の場合は正直言って濃い薄いよりも、血が入ってる事が重要」

 

 

「…血が入ってる?」

 

 

「そう。君の実家の以為(おもえらく)家って滅亡してるんだよね」

 

 

「――」

 

 

 突然のワードに言葉を失ってしまう。これから家に行くのだろうかと頭の済で考えていたこともあり、尚の事ショックが大きかった。

 

 

「滅亡…ですか?」

 

 

「そう、この場合家を出た君のお祖母ちゃんやお母さん、君以外の以為(おもえらく)家は全員死んでる」

 

 

「ちょっと待ってください。一族全員死亡って起こりにくいんじゃないですか?俺みたいにちょっとだけ血を継いでるとかって人その辺にいてもおかしくはないんじゃ?」

 

 

「そうでもないんだな。確かに自由恋愛を繰り返すような一般の人達なら血を絶やすって滅茶苦茶難しいんだけど、それが呪術師ってなるとそうでもない。まず第一に母数が少ないし、それでいて何人も子供を作るとかって事はあんまりない。愛し合えば子供を授かるなんて生易しい世界じゃないんだ。決められた相手と決められたタイミングに決められた行為を行う。そうして儀式的に子供を作る。そう言うのを繰り返すのが呪術師さ」

 

 

 成程、俺が考えていた以上に呪術師の世界というのはぶっ飛んだ世界なのはわかった。

 

 

「で、現状…お母さんやお祖母ちゃんは御健在?…そう、辛い事を聞いたね。となると君以外の以為家は0。文字通り君が一族の末裔で最後の生き残りって訳。ちなみにお祖母ちゃんやお母さんの死因とかはわからないけど、少なくともそれ以外の以為家は全員呪い殺されてる」

 

 

 ドクン、と心臓が大きく脈打つ。一族全員が呪い殺される――そんなことがあり得るのか。

 

 

「だから、ハッキリ言って君の存在の発覚って日本で例えるとエゾオオカミが生きてましたーってくらい凄い事なんだよね」

 

 

 滅茶苦茶凄いじゃねぇか。新聞でトップニュースになるわ。

 

 

「でも、俺はそんな凄い家の血を継いでる実感も特殊な何かがある訳でもないです」

 

 

 呪術師の家の血を継いでると聞くと、生まれつき何かしらの体質があったりするのかとも思ったが、俺は普通に生きてきた。特別な何かを感じたことは一度も無い。勉強もそうだが、運動も人並みだ。

 

 

「あぁうん。それは当たり前だよ。この場合血を継ぐっていうのは、君の家に代々伝わって来ていた特殊な呪術を扱う才能があるかもしれないっていう事なんだ。もし君にその才能がなかったとしても、例えば君の子供にその才能が受け継がれるかもしれない。だから以為家の血が繋がっていたっていうのは、それだけで呪術師界にとって吉報さ」

 

 

「はぁ…特殊な呪術…ですか…」

 

 

「そのことは後にでも説明してあげる。―――ところで、仕事何やってるの?」

 

 

「フリーターです。今日は休みです」

 

 

「そっか、ならちょうどいいや。君の家の事も含めてついて来て欲しいんだ」

 

 

「……」

 

 

 ふとここまでいろいろ聞いて置いてなんだが、この人の話が本当なのかどうかという思考が生まれた。嘘ではないと信じたいが、かといって今までの人生を生きてきた経験で疑ってしまう。そんな俺の思考を見透かしてか、五条さんは先に出されたホットコーヒーに砂糖を幾つも入れながらこちらを見た。

 

 

「ついてこないなら来ないで君はこのまま普通の生活に戻るだけだよ。普通に生きる分には君の血は君にとってメリットにもデメリットにもなることは無いからね」

 

 

 普通の生活。その言葉を脳内で反芻する。また明日起きて、仕事に行って、帰って明後日の準備をする。その繰り返し。でもこの人について行ったなら自分の中で望んでいた劇的な変化――この普通の生活とやらから抜け出す変化が起こるかもしれない。

 

 

 

「わかりました。行きますよ…どうせなら知らなかった家の事も全部知っておきたいですし」

 

 

 

 コーヒーを口に含みながら、日の陽気で緩んでいた意識を起こす。

 

 

「オッケー!じゃぁ!その前に処理しときたい事含めて東京に行こうか!!――これ食べてからねん」

 

 

 店員さんの持ってきたバスケットに入れられたトーストに、餡子を乗せて小倉トーストにした五条さんは小倉トーストと続いて出されたシロノワールを頬張りながら頷いた。

 

 

*

 

 

 名古屋駅のホームで新幹線の切符を買い新幹線を待つ間、簡単に呪術と術式、家についての話を聞く。簡単な説明であったが、1、呪力とは電気のようなエネルギーで人間すべてが多かれ少なかれ持っている。2、呪術は呪力を用いて行う技、呪力と言う電気に対しての家電のイメージだそう。3、術式とは呪術師の人間が血と共に次代に残す特殊な呪術の事、だそうだった。

 

 

「その以為家の術式って奴を知るためには、滅んだ実家?に行かないといけないんですよね?」

 

 

「ん?いや、行く必要は無いよ?君の家が滅んだ段階で君の家の術式についての文献は僕の働いている学校が保管してるんだ。だからそこに顔出して、返してもらえばいい。その後、一応家が潰えてなかったって報告を含めて御三家に顔を出してもらいたいんだよ」

 

 

「御三家…?なんすかそのポケモンみたいなの」

 

 

「やっぱそれ浮かぶよねー。因みに僕金銀世代」

 

 

 因みに俺はルビサファ世代だ――っていうのは置いておいて、ついでに話しちゃおうか、と五条さんはホームのベンチに座る。

 

 

「基本的に連綿と続くような長い血の歴史を持つ家っていうのはその家特有の術式を持ってるんだ。んで、君の家もその例に漏れなかった。それこそ戦国時代だなんだなんて比にならない位昔から続いてる血だったんだ」

 

 

 そこまで辿れるのか…?ちょっと凄すぎないかそれ…?

 

 

「で、今の呪術師の家では御三家って呼ばれる有名な家がある。まず一つ、禪院家(ぜんいんけ)。ここは分家も含めると結構な大所帯だね。ゴリゴリな保守派って感じ」

 

 

 僕の生徒もここの子がいるんだー。と言う発言でそう言えばこの人教師だったと思い出す。

 

 

「二つ目、加茂家(かもけ)。通称やらかしちゃった家。過去に当主の一人が呪術師史上めちゃくちゃドイヒーなことやってる。功績もあるけどそれと同じくらい厄い家。ここも保守派」

 

 

 まぁ、何代も続く家なら誰かやらかしてる奴は出てくるだろうな。

 

 

「三つ目、五条家(ごじょうけ)。因みに僕の家ね。ハッキリ言って僕がいるだけで成り立ってるような家。前二つに比べればまぁマシな考え方してる。僕の性格見ればどことなくわかるでしょ?」

 

 

 因みに、と五条さんが指を四本立てた。

 

 

「君の家の以為家(おもえらくけ)。過去から連綿と続く結界術式の大家。御三家とは違って護る事に特化した術式を持ってた。時の為政者の護衛には必ず以為家の人間が付いていたんだ。少し前には天皇とか皇居の守護もね」

 

 

 結界術式?かっけぇ。とか思ってたら不意打ちどころではない重すぎるワードが飛び出してきて驚愕する。

 

 

「天皇っ!?」

 

 

「そっ!だから御三家はどこも以為家とは仲良くしようとしてたんだよね。呪術師だって国の決まりとかには左右されちゃうから、その国を統べる人間の傍に立ち続ける以為家とはだれも喧嘩したくなかったんだ」

 

 

「……あの、家って実は滅茶苦茶凄かったんですか?」

 

 

「だから言ったじゃん。エゾオオカミみたいなものって。今の皇居を守ってるのは御三家だけど、君の家の術式を参考にして無理くり体を為してるくらいのレベルの守護なんだよ?御三家の人間が君の家の全盛のレベルの守護なんてしようと思ったらそれこそ千年に一人とかそういうレベルの天才が生まれでもしない限り無ー理ー」

 

 

 到着した新幹線に乗り込み、東京へ出発する。

 

 

「僕の高校で術式を回収したら、そのまま何日か過ごして術式の修行してもらう。その後、御三家に顔出し。ただ僕の方も結構面倒な事に巻き込まれちゃってるからこの顔出しには同行できない。多分だけど……御三家の方から人が送られてくると思うからその人と一緒に顔出しってことになるかな」

 

 

 ここで、と五条先生が指を立てる。

 

 

 

 

「和貴ってさぁ…。女遊びするほう?」

 

 

 

 

「しませんよ。なんすかいきなり」

 

 

「そっか。じゃぁ……ちょっと心決めといて。言っとくけど…呪術師ってクソだから」

 

 

突然の問いに訳も分からず混乱したが、この問いと言葉の意味に気づいたのは俺が御三家に顔を出しに行った時だった。

 

 



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第3話 禪院真依

環境が変わった為、少し今迄の書き方と変わったかもしれません。


「以為家の生き残り?」

 

 

 高専の休みの日と呪霊退治がオフとなった日が被った数少ない休日に、実家からの招集命令に辟易しながら戻って直ぐ私は当主である直毘人叔父様の部屋に通された。相変わらず酒を呷っていた叔父様だったが私を見て酒を地面に置き、唐突に滅んだ筈の一族の生き残りがいる、と言い出した。

 

 

「そうだ。これがどういうことかわかるか」

 

 

「……いえ」

 

 

 私がそういうと直毘人叔父様は退屈だと言わんばかりに鼻で笑った。俯きながら、奥歯を噛みしめる力が強くなる。

 

 

 

 

「争奪戦が起こるということよ。血と術式のな」

 

 

 

 

 ゴクリ、と一度酒を仰ぎ喉を鳴らす直毘人叔父様。血と術式の争奪戦。という事は、その者を家に迎えようということなのだろうかと疑問が湧いた。

 

 

「聞けば、当人はつい先日まで非術師、一般人として生きていたそうだ。本人でさえ自身に呪術師の血が混ざっている事、ましてや呪術師の存在すら知らぬと来た。ハッハッハ!これほどの好機はあるまい!!我々の行動次第であの血と術式が手に入るということの意味!!」

 

 

 先日まで非術師として生きてきた。呪術師として生まれながら、その存在を知らず平凡に。なんて羨ましい事だと思った。同時に、なんという不幸に巻き込まれてしまったのかと思った。こんな地獄に堕ちてしまったのだから。

 

 

「――この争奪戦では五条は動かないだろう。五条悟本人の意向に左右される故だ。加茂は……しても金銭援助と呪術師として成長するまでの後方支援、と言った所か」

 

 

 して真依よ。と名を呼ばれ、見たことも無い人間の不幸を想像して伏していた顔が上がる。

 

 

 

 

「貴様、以為家の男に嫁げ」

 

 

 

 

 呼吸が止まる。この男は今、何を言ったのか。トツゲ――嫁ぐということか。私が、顔も見た事のない男に?話したことも無い男に?訳も分からず、視線が座っていた畳の縁を彷徨う。

 

 

「五条が動かぬ以上我々が加茂を出し抜く手段は女よ。加茂は女を利用する事で特級呪物なんぞ創り出してくれよったからな。同じことをしようものならウチや五条は当然、加茂家の内から反対するものが出るだろう。しかしこちらはそんな事を考える必要はない。金も、知識も、女も宛がうことが出来る。出来レースに近いな」

 

 

 クツクツと笑う叔父。ようやく叔父がなぜ私を呼んだのか理解し、怒りで身体が震えてくる。

 

 

「何故…私なのですか…」

 

 

「ふむ、貴様は顔が良いからな。身長も高い。これで真希もいれば二人とも宛がうことも出来たのだがな。両手に華というところか?」

 

 

 ビクリ、と肩が跳ねた。

 

 

「何故…!!いったいどれほど私たちを弄べば気が済むのですか!!」

 

 

 姉の名を出された瞬間、頭に血が上ったために出た言葉。叔父様は何を言うでもなく一度酒をあおり、酒を地面に置いた。

 

 

 

 

「だからお前は馬鹿なのだ」

 

 

 

 

いや、この場合は()()と言えるか、と叔父の言葉が二人だけの室内に響いた。

 

 

「貴様の事だ。どうせ見知らぬ男に嫁ぐなど冗談じゃないとでも思っているのだろう。だからこそもう一度言うぞ。だからお前は馬鹿なのだ」

 

 

 キッと叔父を睨めば叔父は鼻を鳴らすだけで酒をあおる。

 

 

「言ったはずだ。以為家の血と術式を御三家…特に加茂と我が禪院家は欲している。そして、その男の元に嫁ぐのが貴様が適任だという意味」

 

 

「……」

 

 

「分かりやすく話してやる。お前がその男に嫁いだらお前は禪院 真依(ぜんいん まい)から以為 真依(おもえらく まい)となる。そしてその男の子をお前が孕んだのなら、お前から以為家の相伝を継ぐものが生まれるかもしれんのだぞ。さすれば、お前はその時点で禪院家の落ちこぼれから、以為家の世継ぎを生みうる胎となるのだぞ。そんな女を無碍に扱う者などこの禪院家にも、呪術師の世界にもいようはずもない。その男の傍に居続ける限り貴様は呪術師として働く必要も戦う必要も無い。――ハッキリ言う。貴様の人生の今までの負を全て打ち払うほど世界が裏返ると言える。周囲の手のひら返しと共にな」

 

 

 更に、と叔父様は続ける。

 

 

「先も言ったが、以為の男は非術師として生きてきた。とどのつまり思考や感性は一般人のそれだ。そんな男が貴様の呪術師としての才や置かれていた立場などに拘るか?――見目の良い貴様が男を愛せば、男もまた貴様が愛しただけ貴様を愛するだろう。我ながら言ってて恥ずかしくなるがな」

 

 

 ごとり、と酒を畳の上に置くと、叔父様はこちらに向き直った。

 

 

「二度とこのような奇跡的な縁は無い。そしてこのような奇跡的な相手が巡る事もない。だからもう一度聞く。真依よ――貴様は以為家の男の元に嫁ぐ意志はあるか?」

 

 

 男の元に嫁げば、私は落ちこぼれではなくなる。男の元ならば、呪霊と戦う必要もなくなる。私が望んでいた自由が手に入るかもしれない。

 

 

 

「――よろしくお願いします」

 

 

 

 私は、伯父様へと頭を下げた。

 

 

 

「わかった。では、これから東京に行き以為家の男と合流しろ。男は現在東京で相伝の術式を回収した後、御三家に挨拶回りに来る。その挨拶回りに同行、その後も男の援助を続けろ。金や呪具など必要なものがあれば貴様を通して渡す。――絶対に男をものにしろ。自分の人生を変えたいのならばな」

 

 

「はい」

 

 

 ポタリ、と滲んだ視界から滴った涙が、畳に付いていた手の甲に滴った。

 

 

 

 

*

 

 

 東京都立呪術高等専門学校。通称高専。東京郊外の森に囲まれた呪術師を育成、排出して来た呪術師の学校らしい。教師から生徒の全てが呪術師あるいはそのサポートに当たる職務についているそうだ。寺にあるような何重の塔だとかみたいな建物や古い寺院のような建物がそこかしこに立っている校内に入り、五条さんに連れられて古い本の臭いの充満する書物庫に辿り着く。バサバサと積もったホコリを払いながら、目的の書物を探して五条先生が部屋を歩き回った。

 

 

 ホコリをあまり吸わない様に袖で口元を覆いながら、木枠の窓を全開にして五条さんが本を見つけるのを待つ。5分程書物を探していた五条さんが、あったあった、と梯子迄かけて取ってきた本を手に取る。時代劇とかでよくある紙の束を麻紐でまとめた書物だった。

 

 

「これが?」

 

 

「そう。この中に君の家の術式が詰まってる。因みに呪術で封印されてて、君の家の血が入ってる人間じゃないと開けない仕様になってる」

 

 

 ほら、こんなかんじ、と五条さんが本を開こうとしても本は1mmも捲れていない。試しにと俺が受け取って本に触れると何の抵抗もペラリと本が捲れた。

 

 

「うん、問題ないみたいだね」

 

 

 五条さんは安堵のため息をつきながら傍の椅子に腰かけたままだ。五条さんも見るのだろうかと本を差し出すと、五条さんは手を出して制止させる。

 

 

「僕に見せる必要は無いよ。他人に術式の内容を教えるってのは相伝の術式の弱点を教えちゃうようなものでもあるからね」

 

 

 ……。という事は呪術師同士で争う事もあるのだろうと予想がついた。まぁ確かに呪術を悪用する奴ってのも出てきそうだから仕方ない。五条さんの言葉にそうですか、と呟きながら表紙を捲ると最初のページで大きく簡潔な文が掛かれていた。

 

 

 

 

 以為家相伝術式ノ礎ハ『隔絶』也。境界ヲ用イ、外界ト内界ヲ隔絶ス。以下、各々術ヲ記ス――。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 後半の文はまだ読めなくも無さそうだが、前半に至っては旧字なのだろうか見た事も無い漢字がポロポロ出てくるあたり本当に家の歴史の長さを思い知らされた。というかまずひらがなを使って欲しい。

 

 

「どう?出来そう?呪力の柔軟な操作はまぁ追々頑張るとして、術式の発動程度の操作は出来るだろうから、やってみたら?」

 

 

「……」

 

 

 パラパラと本を捲り、一番簡単そうな術を試す。指で輪を作り、その輪の中に向けて息を吹き込んだ。

 

 

「「……」」

 

 

 なにも起きない。

 

 

「あの、何も起きないんですけど」

 

 

「あー。まぁ呪力を無意識で練り出す練習も必要みたいだね。オッケー。目を閉じて」

 

 

 五条さんが立ち上がり、俺の正面に立った。言われた通りに目を閉じると、五条さんが俺のへその辺りに手を当てた。

 

 

「呪力ってのは、呪う力。とどのつまり人間の感情で言うマイナスな感情から生まれるんだ。怒りや憎しみ、そう言った感情。人間だれしもそういう感情は持つだろう?その感情から生まれる呪力を意識してコントロールするのが呪術師。怒りではらわたが煮えくり返る。悲しみで胸が張り裂けそう。そういった感情は身体の中心部、胴体から生まれる。わかりやすいのは丹田って呼ばれる辺りだよね」

 

 

 突如、へその辺りに生暖かいものが流し込まれるような感覚がした。

 

 

「今僕が発した呪力が当たったの感じた?これが呪力。よくよく意識したらこの感覚が胴を中心に意識できると思う。意識できたなら、その感覚を血管から全身に巡らせるイメージをしてごらん」

 

 

 生暖かい感覚が、ズズズ、と移動していく。

 

 

「あ?あー。あ、こんな感じですか」

 

 

 五条さんが当てた呪力とはどことなく流れる呪力の粘性が違うように感じる。

 

 

「うん。でも実際はもっと滑らかに、素早く無意識でする必要があるから要練習だね。じゃぁそれを、指先?に集めるのかな?さっきの続き、やってごらん」

 

 

「えっと…」

 

 

 へそ回りの感覚を胸を通して肩ひじ手首指先へと回し、指で輪を作って輪の中で呪力を循環させる。すると、ツ、と輪の中に薄い膜が張ったように見えた。その膜に向けて、息を吹き込む。

 

 

「お」

 

 

 ぷくっ。と呪力の膜を纏った(あぶく)が、ふわふわと漂う。

 

 

「これはどんな効果が?」

 

 

「えっと…。物を入れて浮かべたりとか、それこそ呪力を籠めて破裂させたりとかいろいろあるみたいです。正直どんなことになるかわかんないですけど…。今はただ簡単に割れない頑丈な泡ってだけだと思います」

 

 

 ツンツンと泡をつつく五条さん。目隠しを外してカラコンを入れているのかと聞きたくなるくらい青く透き通った目でしばらく泡を眺めると、目隠しを元に戻した。

 

 

「見た感じほんとに呪力で作った泡だし、基礎的な術の一つってことかな。ここから発展させていく感じか。オーケー、まぁそんな感じで術式は練習してって。付きっ切りで特訓って訳にはまだいかないけど、そのうち僕の生徒と一緒に行動して呪霊退治とかにも参加してもらうから」

 

 

「はぁ…足引っ張りませんか?」

 

 

「まぁ、そこは低級のをやってもらうし。優秀なのがいるしね」

 

 

 あ、そういえば。と五条先生が此方を向いた。

 

 

「基本的に東京で動いてもらうから、東京に引っ越してもらいたいんだけど」

 

 

 最大難易度の任務来た。そりゃぁ東京から各地に動いた方がいいけど流石に急すぎる。

 

 

「そんなお金があるとでも?フリーターだったんですよ?」

 

 

「あぁ、そこはまぁ、後々君をサポートしてくれる人が出てくるからいいでしょ」

 

 

 スマホを取り出して、付近の空き物件を調べていく。広さはもうワンルームでも何でもいい。耐震とセキュリティが厳重なところ、且つ入居が直ぐに出来そうなところを探していく。

 

 

「タスク一気に増えて辟易するんですけど」

 

 

「千里の道も一歩からだよー」

 

 

 簡単に言うな。役所に顔出して転出届やら保険証の申請やらいっぱいあるんだぞ。本当に面倒くさい。

 

 

 

 

*

 

 

 

 史上最悪の呪い。両面宿儺が受肉したという報せに禪院家内や京都校が騒々しくなったころ、私は顔も見た事のない男の元へと向かう為に東京に来ていた。駅の人の多さなどに辟易しながら、高専から出た送迎車で高専へ向かう。真希が任務で出ているのが幸いだったか。以為家の男は術式の修行を兼ねて何度か4~3級の呪霊討伐の任務をこなしているようだった。挨拶回りの為に数日オフになったという事と人の多い場所があまり得意ではないとのことから高専の校門で待ち合わせになっていた。

 

 

 時刻は集合時間の10時から丁度30分前。ジトジトと湿気で汗をかきやすいこの季節に30分も前から外に立っていたくなどない。溜息を吐き、パタパタと制服の生地を摘まみ熱気を逃がす。すると――

 

 

「あ、御三家の方ですか?」

 

 

 と声をかけられビクリ、と肩が跳ねた。慌てて振り返り、件の男であろう男へと向きかえった。

 

 

「態々東京まですいませんね。本来なら自分が京都まで向かうべきなんですけど…」

 

 

 白。真っ先にその色が印象に残った。生成りのリネンジャケットに青と紫の散りばめられた柄シャツ、明るめなデニムジーンズ。白のスニーカー。髪型も清潔感のあるものだ。

 

 

「はじめまして。以為(いい)……じゃなかった。以為 和貴(おもえらく かずたか)です」

 

 

 この男が私の白馬の王子様にでもなるのかと諦観しつつ、一度頭を下げた。

 

 

「お初にお目にかかります。御三家、禪院家より遣わされました禪院 真依(ぜんいん まい)と申します。此度の御三家への名披露目に同行いたします」

 

 

「あの、そこまで畏まらなくていいですよ?」

 

 

「そうは参りません。以為様に良く仕えるようにと、当主様より仰せつかっております故」

 

 

 私がそう言うと、以為家の男はポリポリと頬を掻いた。

 

 

「じゃぁ、俺がそう望んでるんでもっと軽い感じでお願いできますか?様づけとかも止めてもらって。先輩に接するくらいでいいから」

 

 ……。

 

 

「……わかりました。ではそれくらいで話します」

 

 

「お願いね。で、これから京都に?」

 

 

「はい、先ずは私の禪院家へ向かいます。その後、私の在籍する高専の京都校の先輩の一人の加茂さんと合流して加茂家へ。五条家は最後になります」

 

 

「あ、五条家は行かなくていいって五条さんに言われてるから大丈夫」

 

 

「そうなんですか。では早速行きましょう」

 

 

 二人で高専の車に乗り込み、再度駅に向けて出発した。

 

 

*

 

 

 びっくりした。迎えの子が滅茶苦茶美人だった。スタイル良すぎる。凄い良い匂いする。無理。スクールカースト下層且つ恋愛弱者の俺にはキツイ。

 

 

「あー。禪院さんは呪術師…なんだよね?」

 

 

 こういう時、高専の車だから話題を選ぶ必要が無いというのはとても楽だった。横目でチラリと見た禪院さん…は高専を囲む山々を見つめていた。横顔凄い。Eラインすげぇ綺麗に出てる。

 

 

「真依、と呼んでください。これから禪院家に向かいますし、以為さんの所属する東京校には私の双子の姉がいますから混同してしまいます」

 

 

 顔をこちらに向けることなく真依ちゃんがそう話す。

 

 

「…はぁ…というか双子の姉?どうして分かれて学校に通ってるの?」

 

 

「姉が出奔したためです」

 

 

 ジロリ、と多少冷たさの残る視線を横目でよこした真依ちゃん。地雷踏んだんだが。ならこの話題はこれからも軽々しく出すべきじゃないだろう。一々謝る方が面倒な状況になりそうなため、軽く流して話題を変える。

 

 

「ふーん。色々あるんだね。で、真依ちゃんは学生だけど、呪術師として呪霊と戦ってるんだよね」

 

 

「はい。今は3級なのでそこまで危険な任務には赴きませんが」

 

 

「3級かー。1回伏黒君と一緒にいったなー。知ってる?伏黒君」

 

 

「えぇ。彼の父親は婿入りしたため姓が変わりましたが、禪院家の分家でしたので伏黒君は親戚に当たります」

 

 

「へぇ。やっぱり狭い世界なんだね呪術師の世界って。何だっけ。あの影の術。やっぱり真依ちゃんもあれ使えるの?同じ家だし」

 

 

 俺がそう問うと、真依ちゃんの目が更に細まった。

 

 

「いえ、禪院家相伝術式の十種影法術は私は使えません。というより、本家にすら現在十種影法術を扱える人間はいないので、伏黒君は貴重な人材になります」

 

 

 やべぇよ。また地雷踏んだよ。本家に扱える人間がいないのに分家にはいるって立場無いだろ。

 

 

「ほ、ほぉん。じゃぁ真依ちゃんはどんな術式を?」

 

 

「構築術式と言って、私は呪力で物質を無から生成することが出来ます」

 

 

「へぇ凄いじゃ――「ですが、生成できるのは精々日に銃弾が一発程度。ハッキリ言って無いも同然の術式です」

 

 

 もうやめてくれ。助けて五条さん。

 

 

「「……」」

 

 

 車内を重苦しい雰囲気が包む。心なしか運転手がミラーでチラチラとこちらを見てくる。前見て運転してくれ。

 

 

「……何故。この世界に?」

 

 

 突然、真依ちゃんが口を開いた。

 

 

「当主様――私の叔父から、貴方は数日前まで一般人として生きていたと聞きました」

 

 

「あぁ。そうだね」

 

 

「何故?普通に生きれたのですよ?少なくとも、呪霊との戦闘で死ぬ可能性は無かった。何故わざわざこの世界に来たのか、理解できません」

 

 

 …あぁ。そういうことか。

 

 

「戦うのは怖い?」

 

 

「当たり前です。私は強くない。3級呪術師なんて称号がありますが、私は3級でも底辺です。戦うたびに自分の命が脅かされるような感覚があるんです」

 

 

 自分の手を固く握りしめながら、拳を睨む真依ちゃん。その言葉を聞きながら少しだけ背もたれを倒して、シートに背中を預けた。

 

 

「そっか……。真依ちゃんはさ、甲子園って見たことある?」

 

 

「?」

 

 

「あの子たちって、17とか18歳であの舞台に立ってるでしょ。俺が何歳になっても毎年甲子園のニュースを見る度に大人だなぁって思うんだよ。俺が17や18の時とは比べ物にならない時間を過ごしているあの子たちを見て、いつも自分の過去と今を振り返って自分の人生の価値を考えた時があった。多分俺の人生の価値なんて君の人生の5年分の重みもあるかわからない。でも俺の人生がこの血のおかげで真面な重さを得ることが出来るかもしれない。つまりさ――俺にとって今の状況は充実してるんだよ」

 

 

「……死ぬかもしれないんですよ?」

 

 

「うん。まぁそうだね、実際死にかけたし。……その時も感じたけど、俺は無価値な人生を過ごして死に際に自分の人生に意味があったかなんて考えるのが怖い。というか、呪霊に殺されずとも自分自身に絶望して自殺することだってあり得たかもしれないんだ」

 

 

 背を預けたまま、目を閉じる。互いに無言の時間が、駅に到着するまで続いた。

 

 

*

 

 

「ここ?」

 

 

「えぇ」

 

 

 凄すぎないか。禪院家凄すぎないか。デカ過ぎないか。アニメとかでしか見た事ないぞこのレベルのデカさの和式家屋。通りかかる人も全員もれなく和服だし。つーかおれの恰好浮きすぎじゃないか。

 

 

「こっちです」

 

 

 迷子になるレベルで広い屋敷の中を歩き、一室の前で真依さんが膝をついた。

 

 

「叔父様。以為様をお連れしました」

 

 

 そう言い、丁寧に障子を開けた真依ちゃん。

 

 

「此方へ、以為殿」

 

 

 低く威厳のある声のままに和室の中へ入ると真昼間だというのに酒を呷っている老人がいた。叔父様と言っていた以上この人が当主になるのだろう。

 

 

「態々東京から疲れたであろう。そちらに」

 

 

 座布団がある位置を真依ちゃんに案内され、座ると真依ちゃんも少し下がった位置で正座をした。

 

 

「すいませんね。碌な育ちじゃないんで所作や作法がなってないと思いますが」

 

 

「構いますまい。ささ、よろしければ一献」

 

 

「はぁ、ありがとうございます」

 

 

 別の使用人と思われる方が酒器を乗せた膳を俺の前に置く。乗っていた杯を手に取り、酒を注いでもらう。互いに酒を飲むと、老人は酒の入った徳利を膳に乗せた。

 

 

「して……お初にお目にかかりますな。禪院家当主。禪院 直毘人(ぜんいん なおびと)と申します」

 

 

以為(いい)…じゃねぇや。以為 和貴(おもえらく かずたか)です」

 

 

「いやはや。以為家が滅んだと言われていたのは私が丁度貴方ほどの年齢でした。それがつい先日、血が絶えていなかったと聞き、心臓が止まるかと思いました。こんな冗談もこの年になっては冗談で済みませんがね」

 

 

「ふふ、真昼間から酒を呷れるのであればそんな心配はないのでは?」

 

 

「ふはははは!間違いありませんな!!――ささ、どうぞ」

 

 

 再び酒を注がれ、飲み干す。

 

 

「しかし、本当に以為殿の存在は呪術師界において僥倖と言えましょう。以為家相伝の術式は絶えるには惜しいと言うほかが無い」

 

 

「そこはまぁ、運がよかったのでしょう。自分に流れている呪術師の血は四分の一。五条さんも、兄弟もいない自分が相伝の術式を扱える身であったのはかなり運がいいと言ってましたから」

 

 

 俺がそう言うと、禪院さんの目が細まった。俺が術式を扱えるか確認したかったのか?

 

 

「ほぉ…それはそれは…。して、ここ数日は呪霊退治に赴かれたと聞きましたが?」

 

 

「えぇ、とはいっても高専の学生さんに助けてもらいながらでしたが」

 

 

「仕方ありますまい。右も左もわからぬ世界で生きていくには先達の知恵や手ほどきは必要でしょう。……そう言えば、真依はしっかりと案内役を務めれましたかな?」

 

 

「えぇ」

 

 

「それは良かった。これからも真依を通して以為殿の援助をさせて頂きますよ」

 

 

 随分と此方に甘いな。ここまで甘いと裏があると疑うどうせ裏があるんだろうけど。

 

 

「それは彼女に迷惑でしょう。私は今東京に身を置いていますので。一々彼女を京都から呼び寄せるなんてとてもとても」

 

 

「そこに関しては御安心を。真依は東京へ越しますので」

 

 

 ビクリ、と視界の端で真依ちゃんの肩が跳ねた。初耳か……。成程そういう事ね。

 

 

「……禪院さん。私は、全うな高校生活というもの送っては来ませんでした。文字通りの落ちこぼれです。だからこそ、真依さんにはキチンと高校生活を送って欲しい。援助こそはとても有り難い。まだ満足に一人で呪霊を払えない身ですから。ですが、私は召使いが欲しいのではないんです」

 

 

「……真依はいらぬと?」

 

 

 酒を飲みながらであったが、一段階禪院さんの声色が下がったように聞こえた。

 

 

「違います。禪院さんとの繋がりを保つのであれば真依さんとの関係は必須でしょう。ですが私は彼女の青春を潰してまでの援助は不要と言っているだけなのです」

 

 

「……」

 

 

「禪院さん。これからは何かあれば私が新幹線で京都に来た後、真依さんと合流して共に伺います。真依さんがわざわざ東京に来る必要、暮らす必要はありませんよ」

 

 

「……成程。わかりました。真依は京都に残しましょう」

 

 

 よし。これでいいだろう。これ以上いても面倒な事になりそうだしパパっと加茂家に行くか。

 

 

「では、これから加茂家の方と会って来る予定があるので失礼します」

 

 

 礼をして立ち上がり、和室を後にする。慌てて付いて来た真依ちゃんが出口に向かって先導してくれた。

 

 

「真依ちゃん、なんとなく俺は五条先生の言っていたことを理解したよ」

 

 

 真依ちゃんは俺の言葉に少しだけ目を細めた。周囲に禪院家の人間がいないことを確認しつつ、真依ちゃんの耳元で呟く。

 

 

「呪術師はクソってこと」

 

 

 真依ちゃんが目を瞬かせた。

 

 

「君、俺を誘惑しろとでも言われたでしょ」

 

 

「……いえ、そんなことは」

 

 

「嘘じゃないかな。だってさっき東京に越すって時驚いてたじゃん。なら君は何も話しを聞いてなかったことになる。禪院さんは君を使って俺を引き込もうとしてる。それはわかった。狙いは俺の中の血なのかな。で、綺麗な君が選ばれたって所かなー」

 

 

 高専の車に乗りながら、京都校へ向かう。次は加茂家次代当主らしい真依ちゃんの先輩と合流という事になる。さっさと終わらせてどこか良いホテルに泊まろう。

 

 

*

 

 

 呪術師はクソ、という言葉を脳内で反芻する。自分の中で、幼少の頃から当然のようにある呪術師という価値観。そしてその価値観に縛られてきた幼少期を過ごして来た私にとって、その価値観を容易く切り捨てる事ができるこの人の価値観が――羨ましく思えた。

 

 

「ふふっ」

 

 

 この人の中で、伯父様は碌でもない人間の範疇に入っているという事実に思わず失笑してしまう。高専の車の中、視界の端で以為さんがこちらを見たのを感じた。

 

 

「すいません。なんでもありません」

 

 

 そう呟きながら、再び窓の外へと視線を向けた。




真希ちゃんに比べて真依ちゃんの力って呪霊相手には厳しい気がする。ただ呪詛師相手と言っても父黒の例があるから真希ちゃんを越えれるとは思えないし、どう見ても不遇。


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第4話 加茂憲紀

短い。


 京都府立呪術専門学校は名前の通り東京都立呪術専門学校の姉妹校にあたる。京都だから東京よりも更に和の要素の強い校舎だったりするのかと思えばそんな事はなく、殆ど東京校と変わらない見た目だった。

 

 

「なんだろう。このそこはかとないがっかり感。こう、もっと清水(きよみず)感欲しかった」

 

 

「無茶言わないで下さい」

 

 

 真依ちゃん先導のもと、色々な建物を通り過ぎながら校舎に入り待合室へと向かう。板張りの廊下や、擦りガラスを嵌めた格子窓。古い蛇口の据え付けられた手洗い場。何処か大正や昭和初期を舞台にした映画の中に入ったような感覚に陥る瞬間がある。

 

 

「なんだろうね。この高専のジブリに出てくる学校の廊下みたいな感じ。エモいよね…使い方あってる?」

 

 

「ハァ……」

 

 

 真依ちゃんは俺の言葉に溜息をつきながら引き戸を開けた。待合室と思わしき部屋の中には、向かい合わせのソファの一つに若い男性が座っている。和の様式を取り入れた高専特有の特注の制服、公家顔と言うような細い目の特徴。恐らく彼が真依ちゃんの先輩の一人である加茂先輩とやらだろう。

 

 

「おまたせしました?」

 

 

 細い眼でこちらを見た加茂君は立ち上がり一度礼をし、ソファを示した。

 

 

「いえ、私も今来たようなものですので。おかけください」

 

 

 加茂君がソファに座るように促すのに従いソファに腰掛ける。真依ちゃんはソファには座らないようで、後方に立ったまま控えるようだった。

 

 

「改めまして、加茂家次代当主 加茂 憲紀(かも のりとし)と申します」

 

 

「どうも。以為 和貴(おもえらく かずたか)です」

 

 

「「……」」

 

 

 互いに自己紹介をした段階で、長い沈黙が部屋に訪れた。こういうのは相手から話し出すとかじゃないのだろうか。禅院家の時みたいに。そう考えて一度真依ちゃんの方へと振り返るも、真依ちゃんも肩を竦めるだけ。そこからさらに数秒したところで、加茂君が溜息をついた。

 

 

「正直……、私は(はかりごと)というものを好まない性分ですので加茂家の望む以為殿との関係というものを快く思ってはおりません」

 

 

 突然の言葉に一瞬、周囲の時間が止まる。なんというか、禅院家の時とはかなり毛色が違う。これには真依ちゃんも目を瞬かせた。

 

 

「……というと?」

 

 

 少しだけ姿勢を倒し、自己紹介の時とは少しだけ変わり砕けた態度を取る加茂君。加茂君は何かに呆れたようにこめかみを掻き、膝に肘をついた。

 

 

「加茂家は長い期間を経ての以為殿との()()()()を望んでいるのです。有り体に言ってしまえば金や知識といった援助を惜しまずに貴方をサポートせよ。そう私は加茂家に命ぜられています。そして……これが重要なのですが、その援助等の後に()()()()()で、我が加茂家の女性を娶って頂きたいということです」

 

 

 まぁ、そこは禅院家も同じようですが。そう言いながら加茂君は真依ちゃんを見た。真依ちゃんはただ正面を見たまま微動だにしなかった。

 

 

「以為殿、貴方はご自身の事をどう思われますか?」

 

 

「質問の意味がわからないけど」

 

 

 自分の事をどう思うと言われても、しょうもないとしか思わない。しかし加茂君は真剣な目つきで膝に手をついた。

 

 

「以為殿。はっきり言わせてもらえばただの呪術師として生きていくには以為殿の血と術式は貴重すぎる。これがぽっと出の呪術師であれば、我々も関与どころか関心を示す事も無いでしょう。だが今回はそういう域には無いのです。呪術のイロハも知らない貴方が、おいそれとこの世界に首を突っ込むというのは危険すぎる」

 

 

 まぁ確かに何も知識のない人間が銃を持たされて戦場に行くようなものだろうしな。そこまで考え、そこで、と加茂君が身を乗り出した。

 

 

「どうでしょう。呪術師としての修行も兼ねて、京都に来た際は私と幾つか任務をこなすというのは?」

 

 

「はぁ、任務、ですか」

 

 

 東京やらは伏黒君だとか任務を行えばいいが…京都は確かに手つかずではある。唐突な提案に目を瞬かせていると、真依ちゃんが一歩前に出た。その顔は少し不満気で、普段の棘棘しい雰囲気を増させている。

 

 

「加茂先輩。お言葉ですが、()()()()()()であれば私で十分です」

 

 

()()()()()()を任せられるか不安だから私がこう言っているのだよ」

 

 

 もう少し言い方は無いのかと言いたくなるくらいには、バッサリと真依ちゃんの言葉を切り捨てる加茂君。隠す様子もなく真依ちゃんは舌打ちをした。しかしその舌打ちにも表情一つ動かすことなく真依ちゃんを見据え続ける加茂君。メンタル強いな。

 

 

「敢えて言うが、表立っての君の役目は彼の呪術師としての生活基盤を安定させるまでのパイプ。彼を護り育てる事ではない。だが私であればその二つを両立させることが可能だ。準一級呪術師と、三級呪術師。その差を君は十全に理解していると思っていたのだが?……まぁ、伏黒君や君の姉君が同じ言葉を発したのなら私も考えたが、ね」

 

 

「……!」

 

 

 真依ちゃんの顔が歪んだ。だから言い方。

 

 

「さて、以為殿。どうされますか?」

 

 

 特に悪気も無さそうなあたり、彼は友達が少なそうだな。多分人に嫌われてもなんでだろう程度に考えるタイプと見た。まぁ、俺の考えは決まってるから別にいいけど。

 

 

「俺は真依ちゃんと任務に出るよ」

 

 

「……何故かお聞きしても?」

 

 

「俺の術式。知ってる?」

 

 

「結果術式。護ることに特化したものであるとは」

 

 

「わかってるじゃん。それだよ。俺からすれば、()()()()()()()()()()()()()だろ?」

 

 

「「……」」

 

 

 そんな何いってんだコイツみたいな顔しないで。恥ずかしいし。

 

 

「俺自身の護る術式は、必要としてる人間へ使いたい。俺がほんの少しだけ接してて分かったことがある。それは真依ちゃんが普通の女の子だって事。その辺りの女子高生となんら変わらない女の子。だから俺は彼女を護りたい」

 

 

 今度は加茂君が目を瞬かせた。

 

 

「………貴方は実力不足だ。呪術師になってから日が浅過ぎる。もし情報不足で二級や準一級の呪霊と当たれば死ぬでしょう」

 

「かもね。でもおんぶに抱っこで生きていけるほど軟な世界じゃないんだろ?なら俺は納得出来る方を進むかな」

 

 

 少しだけ唸りながら眉間を揉んだ加茂君は、溜め息をついた。そして懐から一枚のメモを取り出した。

 

 

「……わかりました。一つ、三級相当と思われる任務があります。そこで彼女と共に任務へ向かい、苦戦を強いられるようであればその時は再考して頂きたい。しかし、呪霊は常に情報通りとは限らない。状況によっては急激に力を増すものも有る。連絡先も書いています。何かあれば、こちらに連絡を」

 

 

「ありがとう。…まぁ連絡する必要が無いことを祈るよ」

 

 

 立ち上がり、加茂君に軽く礼をして部屋を後にする。メモの住所を調べると、住宅街のタワーマンションがマップに映し出された。調べれば出るわ出るわの曰く付きタワーマンションの事故物件レビュー。

 

 

「真依ちゃん。これどう思う?」

 

 

「えぇ……大丈夫です」

 

 

 ある程度事故物件サイトなどを真依ちゃんに見せるも、真依ちゃんは心ここにあらずといった感じで頷くだけ。……これは少しヘルプ出すべきか?

 

 

「……そう?結構口コミが最近になる度に酷くなってってるようにみえるけど」

 

 

「大丈夫です。いきましょう」

 

 

 念押しすると、少しだけ迷った素振りを見せた真依ちゃんだったが今度は何かを決心したように前を歩き出した。

 

 

「……」

 

 

 メッセージで五条さんにヘルプを送っておこうかな?……来れるかは別として。簡単に情報を纏めて五条さんの連絡先に送り、スマホをしまい込む。加茂君の連絡先も念の為に登録しておいた。

 

 

「よし、行こう」

 

 

 タワーマンションへの道程を検索する。これでオッケー。気を引き締めていこう。

 

 

 

*

 

 

 

「……」

 

 

 彼等の居なくなった応接室で深く深呼吸する。なんてことのない名披露目になる筈だった。だというのに、思い掛けない程重く彼の言葉が突き刺さった私は未だに席を立てずにいる。

 

 

「護りたい人を護る…か…」

 

 

 それが出来なかった私には、その言葉の難さが身に沁みている。言うのは易し、行うのは難し。幼い私には出来ぬ事だった。仕方のないことなのだろうと理解できる。……だが、今はそれができないのだろうか。よくよく考えてみれば、なぜ今までその事を考えなかったのだろうか。

 

 

「……便りを出すか」

 

 

 そうだ。そうしてみよう。だとすると家を通すのは難しいか。ならば東京校の教師を通してみよう。せっかく彼を通して出来た東京校との繋がりだ。少しくらい私も利用してみよう。

 

 

「……」

 

 

 席を立ち引き戸を開ける。小さな子供が感じるような、家の門限を少しだけ、それもわざと破った時のような小さな高揚感。一つの事で手一杯だった幼き過去とは違う。私はもう次代当主。これくらい、片手間にこなしてみせる。なにせ、文字通り片手で手紙を書くだけなのだから。

 

 

「フッ…」

 

 

 ふと、笑みが漏れた。漏れてからその笑みを自覚し、少しだけ驚いた。笑うこととは、こんなにも簡単だったか。

 

 

「感謝しなければ。久しく…本当に久しく忘れていた感覚だ」

 

 

 少しだけ、明るく見えたいつもの廊下を歩く。あの日の空によく似ている。あの人も、同じ空を見ていてくれているはずだ。




漫画だと加茂家の情報が少なくて書きにくい。


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第5話 術式

 大阪にあるタワーマンション。駅から近く、ショッピングモール等主要的な施設も付近に多い住宅街にそのタワーマンションはある。周囲のタワーマンションとの違いはその賃料の安さ。異常とも言えるくらいには安いのだ。それもそのはず、そのタワーマンションは曰く付きの物件として事故物件サイトに載っているくらいに有名だから。

 

 

「ここですか」

 

 

 真依ちゃんがタワーマンションを見上げる。敷地の何箇所かには幾つか花束が置かれていた。スマートフォンを取り出し、軽く纏めたメモを読み上げる。

 

 

「一年前、このタワーマンションで火災が起きた。その時このタワーマンションは工事の為に数時間程度の断水を行っていたことでスプリンクラーは作動しなかった。結果消火作業が遅れて10人の住人が死亡。俺はテレビあんま見ないからその事は知らなかったけど、今でも当日の事は報道されるみたいだね」

 

 

「火災で……辛かったでしょうに……」

 

 

 真依ちゃんが側に置かれていた花束に手を合わせる。やっぱり、普段の口調とは裏腹に優しい子だ。だから…この先は黙っていた方が良いだろう。

 

 

 「……行こうか」

 

 

 この火事で亡くなった人間は全員、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。当然、野次馬達もその地獄絵図を見ている。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に掛かった人間もいるだろう。それこそ英語ででも検索を掛けたなら……SNSに上がったその映像を見る事ができる。

 

 

 マンションの自動ロックの番号をメモに書かれていた通りに打ち込み自動ドアをくぐって中に入る。当時の事など知らぬような綺麗なエントランス。廃墟になっていないのが面倒だが、火災の起きた階から上の上層階は曰く付きであることから住人がいないというのが救いか。

 

 

「準備は大丈夫ですか?」

 

 

 真依ちゃんが回転式拳銃(リボルバー)を抜き、弾倉を確認する。よほど使い慣れているであろうその動きに淀みは無い。

 

 

「いや、全然?」

 

 

 俺のその言葉に、真依ちゃんは毒気を抜かれたかのように顔を呆けさせた。だって本当に何も準備出来ていないのだから。そんな俺を少しだけ呆れた目で見ながら、真依ちゃんは人差し指と中指を立て、親指を開いた。

 

 

(やみ)より()でて(やみ)より(くろ)く、その(けが)れを(みそ)(はら)え」

 

 

 何度か見た事のある術。この帳は自分の知る以為家の術と同じ文言を使うようだが、短い節で切るのが特徴。五条さん曰く、家の術との違いはこういう所だそうだ。上層階を包み終えた帳を確認した真依ちゃんはさっさとエレベーターに乗り込み、曰く付きの誰も寄り付かない上層階へと昇る。上層階へと着き、エレベーターの両扉が開いた瞬間呪力を感じる事が出来た。呪霊が居る事は間違いない。ごくり、と真依ちゃんが隣で喉を鳴らしたのが聞こえた。

 

 

「……。今の内に探しちゃおうか」

 

 

 頷いた真依ちゃんが銃を胸の前で保持しながら前を進み、その後ろをついていく俺が周囲を確認する。一つ一つの部屋の玄関を事前に準備したマスターキーで開き、中の部屋を確認していく。それこそ戸棚の一つ一つまで。そうして一つの部屋、ワンフロアと規模を拡げ上へ上へと登っていく。

 

 

「……おかしい」

 

 

 真依ちゃんが屋上手前まで登った所でそう呟いた。

 

 

「何が?」

 

 

「三級程度の呪霊ならばここまで巧妙には隠れません。そもそも隠れても呪力を隠すのが巧くは無い。ですが微かに感じる呪力の規模と、隠れる巧さが釣り合わない」

 

 

 屋上へと辿り着いたが、やはり呪霊は見当たらない。真依ちゃんは溜息をつきながら銃を下ろした。

 

 

「居住する人間がいなければ行動しない……?しかしそれならば廊下や階段で物音がしたりすることは無い。ということは……」

 

 

 ブツブツと考える真依ちゃん。スマートフォンを取り出し、帳を張る以前に五条さんから届いたメッセージを確認する。車の中でメッセージを流し読み、添付された動画を確認した為ある程度はこの呪霊がどういった存在かはわかっている。ただ、この予想は外れていて欲しかったというのが事実だった。しかしこうなった以上は、五条さんの予想が正しかったということだろう。

 

 

「ねぇ真依ちゃん、もし俺が加茂君を応援で呼ぶと言ったら?」

 

 

「っ!拒否します!この程度の任もこなせないとなれば……私は……」

 

 

 即座に、俺の言葉を否定した真依ちゃんは俯いて肩を震わせた。

 

 

「東京の先生曰く、この呪霊は情報とは大分違うよ。三級では括れない強さだと思う。それでも加茂君は呼ばない?」

 

 

「……っ」

 

 

 ……そうだよな。この子は多分後が無い。俺とのパイプを失えば、この子は辛い立場に置かれるのだろう。さもなくばそもそも俺の世話係なんてやらされないだろ。

 

 

「よし」

 

 

 バチッ、と軽く頬を両手で張り気合を入れる。真依ちゃんがこちらを驚いた様子で見るのを他所に真依ちゃんに向き直る。

 

 

「俺に考えがあるから、手伝って貰える?時間と手前がかかるから」

 

 

 真依ちゃんがパチパチと目を瞬かせるのを他所に、内容を話していく。一通りするべき内容を説明し終えた段階で二人で屋上から最上階のフロアへと戻った。

 

 

「さて、準備始めるよ。あまり時間を掛けたくないし」

 

 

「……」

 

 

 真依ちゃんが頷き、互いに一つずつ周囲の窓を締めて鍵をかけていく。転落防止の為に窓が殆ど嵌め殺しの頑丈なものなのは救いか。周囲の玄関ドアも開かずに鍵を掛けられている事を確認し、最上階から一つ一つフロアを降りていく。

 

 

「よし、こんなもんかな」

 

 

 そこから更に時間を掛けて上層階全ての部屋と廊下の窓、扉を閉め切った。

 

 

「覚悟は?」

 

 

「大丈夫です」

 

 

 

 真依ちゃんが銃を抜き、保持するのを見て最後に出火元となった部屋の中の畳にマッチを一本火をつけたまま投げ入れる。畳に小さな火が灯ったことを確認し、部屋を出てその部屋だけは窓にのみ鍵を掛けて廊下に出た。息を吐き、吸い込む。

 

 

 詠唱開始。

 

 

(ヤミ)ヨリ()デテ(ヤミ)ヨリ(クロ)ク、ソノ(ケガ)レヲ(ミソ)(ハラ)ウ―――(シカ)シテ(ワレ)退(シリゾ)カズ、(シカ)ラバ()(モノ)退(シリゾ)カセズ。」

 

 

「これは……」

 

 

 黒い液体が足元、更には周囲の窓や扉の枠全てから溢れ出す。その液体は重力すら無視して周囲の壁や窓を這いずり、包み込んでいく。

 

 

(とばり)……だけど、私達の扱うものと比べて遥かに展開が速い」

 

 

 真依ちゃんが先程張ってくれた帳。その帳の数十分の一、数秒で周囲が薄黒い膜に包まれた。

 

 

「まぁ帳はこれの機能を削ぎ落とすことで誰でも扱える簡易なモノになってる。その分、条件を付けたりするのは難しくなるらしいけどね」

 

 

「…先程の文言は?」

 

 

(うち)特有の縛りを付けたんだよ。俺は相手を祓わない限りこの帳から出ることは出来無い。そして外から誰も入る事は出来ない。ただその代償に何があっても相手はこの帳を出る事は出来ない」

 

 

 俺の開示した条件に真依ちゃんが息を呑んだ。

 

 

「ではもし危険な事態に陥った場合……、誰も救援に来れないではありませんか」

 

 

 目が泳いでいて、狼狽えているのがよくわかった。不安なのだろう。正直俺だって不安だ。でも……。

 

 

「俺が死ねばその限りじゃない。だから、怖くなったら俺の背中を撃てばいいよ。直ぐに脱出出来るから。その後、加茂君を呼んでこの呪霊を斃して欲しい」

 

 

「な――」

 

 

 ごめんね真依ちゃん。俺だってこんな危険な方法は取りたくない。だとしても……ここに向かう途中に見た()()()()()()()()()、君が恐れる以上にこの呪霊を許せない。

 

 

「始めるよ」

 

 

 パチン、と火災報知器のボタンを押し込み非常ベルを鳴らす。

 

 

「ッ――」

 

 

 ジリリリリリリ!!というけたたましい音に反応するように、ズ!と先程とは比べ物にならないほど重く呪力がのしかかった。

 

 

「五条さんの情報通りか……」

 

 

五条さん曰く、呪霊の中には特定の条件でのみ姿を表す者がいる。そしてそのタイプの呪霊は、特定の条件下に於いては非常に強力である事が多い。この呪霊はある特定の条件を揃えない限りは多少のポルターガイスト程度の呪いしか行えないのだろう。だから曰く付き程度の霊障を見測りそこねた高専の協力者はそこだけで判断してしまい三級程度の任務として回ってきたというところか。だが、この呪霊を祓うには恐らくその条件を揃えないと姿を表すことは無い。だから――。

 

 

「事前に連絡をして高専名義で断水工事を行った。出火時間も……うん、ほぼピッタリ。暦も同じ。これで条件は揃った」

 

 

 当時の再現を行った。これならば、高い確率で姿を表す筈だと思うから。

 

 

「以為さん!このレベルは3級なんて生易しいものじゃない!間違いなく準ニ級、下手をすればニ級のモノです!」

 

 

 周囲を見回した真依ちゃんがエレベーターへと走り寄る。

 

 

「エレベーターから離れて、俺の側に来て」

 

 

「以為さん!!帳を解いてください!!」

 

 

「もう来るよ」

 

 

 ズドン!と言う爆発音と共に鍵を掛けなかった最後の部屋の鋼鉄製の玄関扉が吹き飛んだ。呪力と共に周囲に漂う悪臭と熱。ズル、ズル、と玄関から出てきたものは人の形だが、その見た目はまさに今もなお業火に身を焼かれている人間のもの。咄嗟に真依ちゃんが銃を構え、銃弾を撃ち出すも弾丸は空中で溶けて消え去った。

 

 

「ッ――!」

 

 

 数歩、たたらを踏んだ真依ちゃんは踵を返し、ダッ、と上階へと逃げようとした。咄嗟にその真依ちゃんの腕を掴み、自分の背後へと押しやる。

 

 

「火は下から上に登る!君がここから上へ登れば登るほど!アレは君の恐れを呑んで大きく強くなる!」

 

 

「どういうつもりですか!?死にたいの!?」

 

 

 真依ちゃんが胸倉を掴んで揺さぶってくる。

 

 

「いいや、死んでもアレを祓うつもりなんだ。だからここで、この階でアレを祓う。あの呪霊は火事から産まれた呪霊のはずだ、なら今この瞬間が()()()()()()

 

 

「簡単に言わないで下さい!私の銃弾が掻き消された今!あの呪霊は軽く見積もって準ニ級以上は確定している!」

 

 

「だから……こうするんだ」

 

 

 懐からチョークを一本取り出し、しゃがみこんで廊下を寸断するように真依ちゃんとの間に線を引いた。

 

 

(ナカ)分割(ワカツ)。然シテ我ハ退カズ、故二彼ノ者ヲ退カセズ」

 

 

 キン、という音と共に生まれた廊下を寸断する隔たり。とん、と隔たりを指で確認して指を滑らせた。これで俺は彼女に干渉出来ない、そして彼女も俺に干渉出来ない。これで、二重の縛りが出来た。そのまま指で字を書く。

 

 

「結界が破れたら、下に下に逃げるんだ」

 

 

 指を眼で追い、意味を理解した彼女が隔たりに手を触れた。何か言葉を発したようだが声は届かない。それを確認して再びチョークで内側に線をまた一本引いた。

 

 

(ナカ)(ワカ)ツ。然シテ我ハ退カズ、故二彼ノ者ヲ退カセズ」

 

 

 この結界は真っ黒に染まった。これで彼女と俺も互いの状態を知る事はできない。三重(さんじゅう)の縛り。一枚目は外からの救助、二枚目は彼女からの援助、三枚目は世界(カノジョ)と己とを別ち、世を捨て死地に進む為のもの。これでいい。熱の籠もった空気を吸い込み、息を吐き出す。

 

 

「……俺の言葉は分かるか?」

 

 

 呪霊に話し掛けるも、呪霊は何を言うでもなくゆっくりとこちらに歩み寄るだけだ。それだけなのに、強大な呪力とプレッシャーが熱と肉の焼けた悪臭と共に近付いてくる。五条先生曰く、特級は人間の言語を解する者もいると聞く。ならこのレベルでも特級ではないのだろう。まぁ、特級だったらもう死んでるか。

 

 

 互いに一歩ずつ歩を進める。火災から生まれた呪霊の特性か、恐らく火災と同じく生まれた当初は動きも鈍いのだろう。

 

 

 「動画の一つに、お前が映ってた」

 

 

 動画とは、海外の闇サイトで広まっていた当時の火事の動画の一つ。先程五条さんから送られた動画で、車の中で見たものだった。

 

 

 「親子が死んだ。あの火災で母親が赤子を抱えて飛び降りたんだ」

 

 

 落下した親子は、衝撃で人の形を保つ事はなかった。バラバラになった死体を見て撮影者が吐く映像と、野次馬の悲鳴と発狂。

 

 

 「お前に表情があるようには見えないが、愉しんでいたんだろ。言わなくてもわかる。それがお前等だからな」

 

 

 呪霊はゆっくりとこちらに歩み寄り手を伸ばす。チョークを左手に持ち替え、右手の指で輪を作り、呪力の膜を張る。

 

 

 「呪術師としてなら、()()()()()と言いたい。だけど、一人の人間として言わせろ」

 

 

 膜に息と呪力を吹き込み。呪力の(あぶく)を幾つも生み出して漂わせる。ふわふわと、数十の泡が周囲に漂った。

 

 

 

 「お前は死ね」

 

 

 

 ふぅ、と息を吹き緩やかな風を送る。ふわり、と漂った泡が、呪力の火に炙られても弾けることなく呪霊に触れ――弾けた。

 

 

 

 

*

 

 

 体力強化の為の走り込みを行い、一段落ついた休憩中。同じように一段落ついた釘崎がドリンクを両手に持って近付いてきた。片手を伸ばしドリンクを受け取ろうとすると、釘崎は顔をしかめてドリンクを抱えた。

 

 

「予備よ。あんたの分じゃないから」

 

 

 じゃあ思わせぶりな持ち方すんな。そう考えながら自分でドリンクを買いに行こうとしたところで釘崎が舌打ちをしながらドリンクを投げよこす。投げるな。

 

 

「伏黒。あんたあの……なんだっけ、あの人。最近呪術師になったあの人……えーっと、おもてあげ?さん」

 

 

「……以為(おもえらく)さんな。何だその時代劇みたいな姓は」

 

 

 確かに初見で読める事はほぼないわかりにくい姓だと思うが、どういう間違いだ。釘崎は特に気にする訳でもなく側のベンチに座り込んだ。

 

 

「あの人と何度か任務してるんでしょ?どんな感じなの?」

 

 

「どんな感じ、ってなんだよ」

 

 

「そんなの色々あんでしょ、強いとか、弱いとか、色々。これから呪術師としてやってけるの?」

 

 

「……」

 

 

 何度か低級の呪霊を祓いに出た任務の時のあの人を思い出す。

 

 

「正直、本人の能力は多分然程高くはない。まだ呪術師になってから日が浅い事もあるしな。レベルで言えば四級〜三級の下位くらいだろう」

 

 

「ふぅん。だとするとこれから宿儺が受肉した今、危険じゃない?」

 

 

「……確かにな」

 

 

 両面宿儺が虎杖の身体に受肉した今、呪霊の全体的なレベルが上がっている感覚は確かにある。彼だけで無くとも、危険に晒される呪術師は多くなるだろう。釘崎はドリンクのボトルを弄びながらベンチの背もたれに背を預ける。

 

 

「五条先生もなんで勧誘したのかなぁ。死んじゃうかもしれないのに」

 

 

「術式だよ」

 

 

 釘崎が目を瞬かせた。

 

 

「あぁ、あの護ることに特化した結界とかそんなの?呪霊退治に使えんのってかんじだけど?」

 

 

「……何回かあの人の術式をみて思ったことはある」

 

 

「へー。便利そーとか?」

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 くすくすと笑う釘崎が俺の言葉に呆けたように目を瞬かせた。確かに、護ることに特化した術式だとか、結界術式の大家だとか言われた一族の術式だ。なんとなくその言葉だけでどういう術式を用いるかは想像はつく。だが……実際に見て実感した。何処が()()()()()()()()()()()だ。そんなものはあの術式に付随した()()()()()()()()。あれの極致は…。

 

 

 

 ()()()()()()

 

 

 

*

 

 

 パチン、と泡が弾けた泡から放出された呪力が呪霊を吹き飛ばして壁に叩きつけた。

 

 

「昔から、俺は呪霊ってものを見たことが無かった。何で最近になって見えるようになったか五条さんに聞いたことがある。聞けば、五条さん曰く俺には()()()()()()が既に掛かっていたらしい。――でもだとすると、あの日土砂崩れが起きたあの日になんで呪霊を初めて見たのかが矛盾するだろ?」

 

 

 周囲に漂った泡、その泡に向けて手を振り空気を送って呪霊の方へと飛ばす。

 

 

「お前は知らんだろうが、人間には昔から親から教えられる事ってものがある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とかな。つまり俺はその日、()()()()()()()()()()()()()()という教えを破ったんだ」

 

 

 その時、一つの厄祓いの術式を自らの意思で破った。誰かを助けなければという考えの元に。

 

 

 再び、弾けた泡が呪霊を吹き飛ばす。

 

 

 

「鍵を掛ける事で泥棒や悪漢等の悪意を持った人間の侵入を防ぐ。知らない人についていかない事で攫われることを防ぐ。危ない場所や物を避けることで危機を避ける。簡単な事だ」

 

 

 その一つ一つの行動こそ、術式発動の鍵だった。以為家の術式の幾つかは言葉を唱えるように、何気ない普段の行動が術式発動の鍵となる。鍵を掛ける事で家の中の内界と家の外の外界を隔絶して内界の安全を保ち、外界からの侵入を防ぐといったように。

 

 

「そうするように教え込まれた。確かに子供の頃から、家は狭いのに玄関やら窓やらの施錠は頑丈だと思ったよ。オートロックだったりな」

 

 

 家は裕福ではなかった。なのにオートロックのエントランス付きのマンションに、玄関扉に三つも鍵を付けて窓にはシャッターまであった。学校の友達にはおかしいとよく言われたのを覚えてる。

 

 

「俺の親も、ばあちゃんからそう教え込まれてた。地震に強い構造、頑丈な鍵、そういう家を選べってな」

 

 

 母さんは俺とは違ってばあちゃんの事を知っている。だから家の事や呪霊の事もある程度知っていたのかもしれない。俺に対しては意図的に黙っていたのかは知らないが。

 

 

 泡をまた幾つか作り出して周囲に漂わせ、廊下の踊り場に座り込む。

 

 

「さて、そうすると何で低級の俺が準ニ級だかニ級だかのお前にここまで戦えてるか不思議にならないか?」

 

 

 パチン、パチン、と泡が弾けて呪霊がピンボールのように弾き飛ばされ続ける。当然答えは帰ってくることはない。

 

 

「答えは()()()()()ってやつらしい。呪術は自分にとって不利になるような事を敢えてすることで己の力を増させる事が出来るんだとさ。俺の言いたいことわかるか?……言葉がわからんならわからんか」

 

 

 この結界がその縛りの答えだ。鍵を掛けるという行為は、裏を返せば簡単には出られないという事になる。結界を幾つも掛けるという事は、裏を返せば簡単には解けず、逃げれないと言う事になる。三重の結界はそれだけ外界と内界を隔絶し、外からの脅威を排する。そしてそれだけ己を閉じ込めて逃げられなくしてしまう。だがそれが呪術による縛りとなって、己を強くする。

 

 

「掛ければ掛けるほど外からの侵入を防ぐ。そして内界では己の力が強くなる。わかるか?俺が言いたい事。護ることに特化、なんざ護られた人間が流布した評判に過ぎないんだよ。実際はな――」

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「…にしても杞憂だったな。三重(さんじゅう)までの縛りを掛けたのなら、未だに弱い俺でも準ニ級だかニ級までなら通じるらしい。にしても、少し火力が落ちてきたな?」

 

 

 メラメラと呪霊の炎が吹け上がるが、その炎では泡を割るには至らない。

 

 

「もしこれが、俺たちが最上階へ逃げた後だったならお前は一級くらいには行けたのかもしれない。でもまぁ、文字通り泡沫の夢ってやつか」

 

 

 パチン、とまた泡が弾けて呪霊を弾き飛ばし、更にまた別の泡が弾け、呪霊を弾き飛ばし、更にまた、と周囲の泡が連鎖して弾けて呪霊を吹き飛ばし続ける。

 

 

「……」

 

 

 弾き飛ばされる度にみるみる呪霊の火の力が弱くなっていくのがわかる。

 

 

「いい加減臭いが服に付きそうだ。終わろう」

 

 

 泡が全て弾け、静まり返った結界内で両腕で輪を作り一際大きい泡を作り出す。ボヨン、と出来た大きな泡を手の平に載せながら呪霊へと近づく。すると、呪霊の身体で燻っていた火が一気に燃え上がった。

 

 

「バックドラフト――ってほどじゃないな」

 

 

 するり、と泡の中に呪霊を取り込み、泡ごと呪霊を漂わせる。ふわふわと漂う泡の中で呪霊の炎が暴れ狂う。だがその泡は先程の泡とは違いさらに呪力と術を用いて作り出した泡。

 

 

抱抹(ほうまつ)

 

 

 パチン、と指を鳴らすと同時に泡もまた、パチン、という音と共に呪霊ごと弾けて消え失せた。

 

 

「……」

 

 

 パチン、パチン、と周囲に張っていた結界が弾けて消える。祓う対象が消え失せた為だ。チャッ!という金属音が背後でする。振り返れば銃を構えた真依ちゃんがこちらを見て銃を下げた。

 

 

「以為さん!」

 

 

「終わったよ」

 

 

 銃を収めた真依ちゃんが駆け寄ってくる。

 

 

「お怪我は!?」

 

 

「無い無い。帰ろっか」

 

 

 周囲の窓を開け放ち、新鮮な空気を取り込む。

 

 

「何か食べたいものある?」

 

 

 窓から吹き込んだ爽やかな風を浴びながら、背後の真依ちゃんへと問い掛ける。すると、数秒程した後に真依ちゃんが何かをボソリと呟いた。

 

 

「え?ごめん。聞こえなかった」

 

 

 少しだけ顔を赤くして俯きながら、再び真依ちゃんが呟く。

 

 

マクド……が、いいです

 

 

「マクド……?――あぁ!マックね!!って、そういうの食べるんだね」

 

 

 一瞬なんの事かわからなかったが、彼女がハンバーガーを食べたがっていることに少しだけ驚いた。

 

 

「あまり、昔から食べませんでしたから…」

 

 

「そっか。そういうのもあるか」

 

 

 思わず少しだけ笑ってしまう。すると恥ずかしそうに真依ちゃんは笑わないでください、とこちらを少しだけ睨んできた。

 

 

「ごめんごめん。じゃあ行こうか」

 

 

 エレベーターを降りてエントランスを出る。ふと、幼児用の玩具と共に供えられた花束を見つけた。

 

 

「……」

 

 

 その花束の前にしゃがみ込み、手を合わせる。信心深い生まれではないが、こういうのは大切なのだろう。数秒、目を閉じて黙祷を捧げる。

 

 

「おまたせ。行こう」

 

 

「はい」

 

 

 隣でまた手を合わせていた真依ちゃんと共に、日に照らされた道を進んだ。




常時ふるべってるような一族?


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第6話 七海健人

 大阪のタワーマンションでの任務からさらに数度の任務をこなした時、久しぶりに五条さんから招集がかかった。顔を出しにいけば次の任務は神奈川での任務となると言われ、任務の簡単な情報と集合場所を教えられた。話に聞いた集合場所へと向かえば、カフェの前で先に幾つか調査を行っていたらしい二人の男性が立っていた。アイボリーのスーツに小振りなサングラスの男性、そして高専のわかりやすい学生服に真っ赤なパーカーを着込んだ男の子。その二人はこちらが待ち合わせの相手だと気付いたらしく歩み寄って来た。

 

 

「店先ではご迷惑になります。このまま中で話しましょう」

 

 

 小振りなサングラスを直しながら、男性がそのまま店内へと入っていくのについていく。ここは神奈川の栄えた市街地から距離をおいた住宅街。さらにその住宅街からも少し離れた位置にあるカフェ。店内へと入った俺達3人でテーブル席を囲むと腰を下ろした男性は一度居住まいを正しこちらに向き直った。

 

 

「まずは挨拶を私から。七海 健人(ななみ けんと)です。呪術師としては一級呪術師になります。よろしく」

 

 

 サングラスの男性、七海さんがこちらに向き再び会釈をした為こちらも会釈を返す。すると今度はもう一人の学生服のインナーに赤いフード付きのパーカーを着込んだ男の子が手を上げた。

 

 

虎杖 悠仁(いたどり ゆうじ)でっす!よろしくおなしゃす!」

 

 

 今時の学生に珍しい明るい子だった。自分が学生だった時はここまで明るくは振る舞えなかったと思う。

 

 

「ご丁寧にどうも。以為 和貴(おもえらく かずたか)です」

 

 

 二人に挨拶と名前を教えた段階で七海さんがテーブルに据えられていたメニューを開いた。

 

 

「お好きな物を注文して下さい。どうせ高専から経費で落ちますので」

 

 

「マジっすか!流石ななみん!」

 

 

「ぶっ飛ばしますよ」

 

 

 もうある程度打ち解けているのであろう二人のやり取りを見ながらメニューに目を通す。七海さんと虎杖君がそれぞれカスクートとホットコーヒー、エビカツサンドにアイスコーヒーを頼んだ為、サンドイッチとアイスコーヒーを頼む。メニューを下げてもらった段階で七海さんが周囲を見回して誰もいない事を確認すると少しだけ身体を前に倒した。

 

 

「さて、では軽く今回の任務のおさらいをしましょう。事の発端は?虎杖君」

 

 

「高校生の変死事件」

 

 

「そう。その高校生の変死事件、これに未確認の呪術の残穢が確認されました」

 

 

 少し前に報道された男子高校生3人の変死事件。ニュースでは変死事件とだけ放送された為にネットでは薬物での中毒死などが噂されていた筈だ。だがその真実は呪霊と思わしき存在による呪術での呪殺。頭部が変形した事による脳圧上昇、脳幹麻痺による呼吸不全での死亡だ。

 

 

「これをまず私と虎杖君で調査した所、呪霊と思わしき存在からの襲撃を受けました。ただ……」

 

 

「呪霊ではなく、変異させられた人間だった……とまでは聞いてます」

 

 

「そうです。そこで幾つか調査を並行して行った所、ある人物が何らかの形で関与しているのではないかとわかりました。こちらです」

 

 

 懐から封筒を取り出した七海さんが中から数枚の写真を出した。かなり若い男性が写っている。片目にかかった髪が特徴的な虎杖君と同じくらいの歳の男の子だった。

 

「名は吉野 順平(よしの じゅんぺい)。高校生です。彼に容疑が掛かった理由としては被害者3人と繋がりがあった事と、事件発生当時同じ映画館にいた為です。もし…彼がそれこそ呪詛師として彼等を殺したとするならば動機は一致します」

 

 

「なるほど。それで動機とは?」

 

 

「いじめです。調査で彼はいじめを受け、現在は不登校になっていることがわかっています。そして今回の事件で死亡したのは、そのいじめの加害者です」

 

 

「……」

 

 

 確かに動機としてはいじめというのは大きい。だがどこか引っかかる気がしてならない。

 

 

「いじめの復讐に呪殺……というのはどうなんでしょう」 

 

 

 俺の言葉に七海さんがサングラスの奥の目を光らせた。

 

 

「というと?」

 

 

「人物像…といいますか、ドラマとかでいうプロファイリング?みたいなのに合わない気がするんです。いじめの復讐で誰かを殺す、それはわかります。ただ、その方法が呪殺というのがどうも…。例えば殺す手前で相手を呪い、身を守る事は出来なかったのかとかって考えてしまいます。呪いであれば少なくとも司法の観点から見ればノーリスクですし。まぁ怒りなどの突発的な感情で呪ってしまい、それが凶悪な術式であったという点もあるのでなんともいえませんが」

 

 

 七海さんは再び少年の写真を眺めると、息を吐いた。

 

 

「その可能性も考慮はしていました。なのでこうしましょう――」

 

 

*

 

 

「……虎杖君大丈夫ですかね?」

 

 

「彼なら大丈夫です。性格的にも、嫌われるタイプではないですから」

 

 

 七海さんの案として、まず件の少年が呪術に関わりがあるかという点から調査することになった。方法としては蠅頭(ようとう)という下級の呪霊を放ち、少年にけしかけるというもの。この蠅頭は人を殺めたりするほどの呪霊ではないのでけしかける程度なら問題はないとのことだ。この蠅頭を認識出来ないのであれば少年は白。認識しても対処が出来ないのであれば白。自らの力で蠅頭を祓ったのならば黒として拘束、事情聴取するというものだ。故にこの任務はコミュニケーション能力に長けた虎杖君が行うことになり、それ以外の俺と七海さんは残穢の調査を兼ねて地下の浄化槽を通して河川へと流れ込む水道に入り込んでいた。

 

 

「……」

 

 

 入り組んだ水道を二人で歩く。七海さんから残穢の見方を教わりながら奥へ奥へと進むと、薄暗がりで何かが蠢いていた。よくよく見れば、その何かは複数いるようで幾つも蠢いている。七海さんには、その影が何かわかっているようだった。

 

 

「可能な限りは私が引き受けます。ただ、数匹は漏らす可能性も考えて準備はしておいて下さい」

 

 

 七海さんの言葉でそれが敵である事を理解する。

 

 

「はい」

 

 

 正直、この手の場所は相性が悪い。水が流れている為結界を張る区切りをチョーク等で引けないからだ。一応方法が無いではないが条件が結構複雑になってしまう。

 

 

「来ますよ」

 

 

 指で輪を作り、呪力の膜を張る。ふぅぅぅ、と息を吹き込み幾つも泡を生み出して周囲に漂わせた。七海さんが横目で泡を確認したところで奥からペタペタといくつもの足音が猛烈な勢いで近付いてきた。

 

 

「っ」

 

 

 ドドッ、といくつもの塊が暗闇から飛び出してくる。話には聞いていたが、ここまでのものかと戦慄した。

 

 

「これが――」

 

 

「改造された人間です」

 

 

 女性だったのか、長い髪を振り乱しこちらへと飛び掛かってくる改造人間。右手は男の胴のように太いのに、左手は赤子のように小さく短い。肌の色も黄土色に変色し、顔もあらゆるパーツがねじ曲がり、狂った位置に在った。

 

 

「ぅぅお!」

 

 

 改造人間が振るう腕を泡を掴んで受ける。パン!という小気味良い音と共に泡が弾け中の呪力が解放された。泡から溢れた呪力と、改造人間の腕力では、こちらが弱いのか一瞬しか動きは抑えられなさそうだった。ほんの一瞬の膠着の後に迫る腕を掻い潜り距離を取る。

 

 

「七海さん!ちょっと応援は厳しそうです!」

 

 

「問題ありません。貴方はその改造人間の相手を。私はこちらを」

 

 

 七海さんがスーツの中から刀身を包帯のような物でぐるぐる巻にされた鉈を取り出した。よく見れば包帯には何らかの模様が刻まれている。

 

 

「私の術式は相手に必ず弱点を創り出すというもの。7:3、この位置に的確に攻撃を加える事でその部位を破壊する。そしてその部位の始点と終点は手足などではなく様々な部位部分に適用が出来る」

 

 

 5体の改造人間に囲まれた七海さんは淡々と術式の開示を行っていく。その口調や動きからは全く焦りなどは感じられなかった。七海さんはキュッ、と軽くネクタイを締め直し手首の腕時計を確認する。

 

 

「残業は御免なので、18時までにはこの仕事を終わらせましょう」

 

 

 ドッ!と5体の改造人間が七海さんに飛び掛かる。七海さんは一体の腕を掴みもう二体の改造人間へと叩きつけて吹き飛ばし、一体の腕を避けた。そして。

 

 

「そこ」

 

 

 バツン!と刀身を巻かれている筈の鉈なのに改造人間の両手を断った。そのまま攻撃を避けた改造人間の元へと疾走り、鉈を振り上げた。そこまで視界に入れれていたものの、目の前の改造人間が腕を振り上げた為咄嗟に横飛に避ける。

 

 

「うぉっと」

 

 

 泡を漂わせながら、改造人間から距離を取る。改造人間がこちらに来ようとするも、多数泡が行く手を阻む。一つの泡ならば抑えられずとも、塵も積もればなんとやら。事実泡が改造人間に触れるたびに弾け、改造人間の姿勢を崩した。

 

 

「抱沫」

 

 

 腕で輪を作り、一際大きな泡を漂わせる。これに取り込めればそのまま消す事が出来る。泡を手に乗せて、改造人間へと走り出した。

 

 

「マ…マ…」

 

 

 しかし、改造人間が立ち上がる瞬間に発した言葉にビクリ、と身体が硬直した。

 

 

「以為君!」

 

 

 七海さんの言葉に硬直していた身体が反応するも、ドスン!と立ち上がった改造人間が横薙ぎに振るった腕が脇腹にめり込んだ。ビキ、ゴキン、と体内に響く音を聞きながら地面を数度跳ねて壁際に叩きつけられた。

 

 

「かっ――っ!!」

 

 

 衝撃と痛みで呼吸が上手くできない。パシャ、という音を聞き顔を上げると、改造人間が目の前に迫っていた。改造人間は歪んだ目から涙のようなものを流しながらこちらへと手を振り上げた。そして――

 

 

「――」

 

 

 バチン!と改造人間の首が胴と別れて飛んだ。バシャン、と水の中へと落ちた首。

 

 

「立てますか?」

 

 

 崩れ落ちた改造人間の身体を跨ぎ、七海さんがこちらへと手を伸ばす。

 

 

「すいません…!」

 

 

 七海さんの手を取り、脇腹の痛みに耐えながらなんとか立ち上がる。

 

 

「いえ、こちらの不手際です。予め知能がある程度残存している事を教えておくべきでした」

 

 

「……っ」

 

 

 七海さんは首を飛ばした改造人間を見下ろしたあと、再び奥の通路を見た。

 

 

「いい加減、出てきたらどうです?」

 

 

 七海さんが睨みつける水道の奥へと目を向ける。すると、微かに薄暗い闇の中で何かがこちらへと向かってきているのが見えた。

 

 

「いやー。良かった良かった。弱すぎても実験にならないからさ」

 

 

 ペタペタと裸足のまま薄暗い闇から姿を表した男。長い銀髪に、青白い肌。身体のいたる所にツギハギのような傷が見える。

 

 

「七海さん…あれは……」

 

 

「呪霊ですね。言語を理解しているところを見るに……」

 

 

 特級でしょう。そう言った七海さんが腕時計を確認する。

 

 

「18時まで後30分。早くこの仕事を終わらせて治療に向かいましょう。来た道を戻って外へ、もうひと踏ん張りですよ以為君」

 

 

「はい…!」

 

 

 痛む脇腹を抑えながら、出口の方向を確認する。そしてアイコンタクトで七海さんにこの場を任せることを互いに確認したところで呪霊が首を傾げた。

 

 

「どんな実験だろうと、検体は多い方が良いよね」

 

 

 そう言いながら、呪霊は懐からごそごそと何かを取り出した。

 

 

「さっきはごめんね。たまに改造したのの……なんて言うんだろう、魂のカス?みたいなのが残っててああいう事を口走ったりするんだ」

 

 

 軽薄に、くすくすと笑いながら呪霊が取り出した何かを投げた。ポト、ポトリ、と地面に落ちたそれはむくむくと大きくなっていく。

 

 

「――」

 

 

 大きさは先程の改造人間程のサイズは無かった。ただ、それはあまりにも子供の姿に酷似していて、酷く息を詰まらせる。

 

 

「うーん。やっぱり魂が成長仕切ってないと再現性もいまいちだなぁ」

 

 

 ペタペタと二体の改造人間がこちらへ向けて走り出す。

 

 

「させません!――っ!!」

 

 

「よそ見してて良いのかい?」

 

 

 こちらへ援護に来ようとしたのであろう七海さんは呪霊に行く手を阻まれた。援護は来ない。なんとか身体を動かすも、脇腹が痛み足が上手く動かない。咄嗟に泡を幾つか作り出して周囲に巻いた。

 

 

「あぐっ!」

 

 

 泡の壁を突き破った改造人間に、ドスン、と体当たりされそのままバシャン!と浅い水の中へと落ちた。立ち上がろうとし力を込めるが、更にもう一体の改造人間が身体の上へとのしかかる。

 

 

「アそボ」

 

 

 ぎりぎりと、首が締め上げられる。ぽたぽたと、改造人間の頬から落ちた飛沫の一部が滴った。まるでそれは涙のように見える。

 

 

「以為君!!」

 

 

 七海さんの自分を呼ぶ声が遠くなり始めた時。

 

 

 ふわり、と作り出した泡が改造人間の目の前を漂った。

 

 

「しゃ…ボン…玉」

 

 

 その泡が改造人間の興味を引いたのか、するり、と首から手が離れる。二体の改造人間は泡へと手を伸ばし、掴もうとしていた。

 

 

 じわりと視界が滲む。

 

 

「ごめん……っ」

 

 

 腕で泡を作り出し、二体の改造人間を取り込む。俺にはもう、これしか出来ない。だから――せめて安らかに。

 

 

「泡沫」

 

 

 パチン、と二体の改造人間が消え失せた。ほんの一瞬、泡に触れ、楽しそうに手を叩きながら。

 

 

「……」

 

 

 パシャン、と水の中へ膝を着く。ポタポタと、滲む視界と共に水が顎から滴った。

 

 

「あらら、それくらいでぐらぐらに魂が揺れちゃうんなら呪術師に向いてないんじゃない?」

 

 

 視界の端で、七海さんの振るう鉈を避けながら呪霊がこちらを見つつ首を傾げた。

 

 

「何が……楽しくてこんなことを?」

 

 

「何って、なんだろうね。君は息をするのに楽しさを求めるのかい?」

 

 

「以為君。耳を貸す必要はありませんよ。コレは呪いです。私達の価値観を理解しようとはしない。そして出来な――っ!」

 

 

 七海さんがこちらへと視線を向けた瞬間、呪霊の姿が一瞬消えたように見えた。しかし実際は呪霊が物凄い速さで七海さんへ接近したためだった。先程まで七海さんが反応出来ていた速度よりもずっと速い。よく見ると呪霊の足の形が人間のものから馬や鹿のもののようなものに変化している。

 

 

 ドン!と掌底を七海さんの腹部に打ち込んだ呪霊はぷらぷらと手を降った。

 

 

「あー。君達は肉体に魂が付随するのか、魂に肉体が付随するのか、どっちだと思う?」

 

 

 ゴホッ、と七海さんが一度咳き込んだ。

 

 

「決まってるでしょう、前者です」

 

 

 七海さんの答えにクスクスと笑う呪霊。

 

 

「残念。正解は後者。魂に肉体が付属するんだ。だから俺みたいに魂の形を弄れるなら……こんなふうに色々遊べるんだ。本来なら触れただけで身体を弄れるんだけど…、流石に呪術師だね。無意識のプロテクトがかかってるのかな?一回だけじゃ干渉出来なかったよ」

 

 

 手先を人間のものから鋭く尖った一本の槍のように変化させた呪霊。

 

 

「でも俺自身結構実験をしたから、自身も当然だし他人もかなりイメージ通りに弄れるようになったよ。子供を何mまで大きく肥大化させれるかとか、むしろ長身の人間をどれだけ縮めれるかとかさ――って本当に魂ぐらぐらじゃん。大丈夫?」

 

 

 ……。

 

 

「七海さん。ここであれを祓う事は適いますか」

 

 

 呪霊に悟られぬよう、口を手で隠しながら小声で七海さんへと話しかける。

 

 

「――どうでしょうね。私とアレの実力は拮抗していると考えます。逃げに徹されたら逃す可能性は大きい。まぁ、そうされる前に祓うつもりですが」

 

 

「近くに広い場所はありますか」

 

 

「雨水を一時的に貯める場所があったはずです。そこならば、広いと言えるでしょう。位置はこの道を真っ直ぐです」

 

 

 七海さんが指し示した方向。微かに作業用の明かりが見えた。

 

 

「そこに誘導は?」

 

 

「可能です」

 

 

「準備に行きます。俺がアイツを可能な限り削りますから、トドメお願いします。準備出来たらワンコール入れます」

 

 

「……」

 

 

 痛む脇腹を抑えながら、立ち上がる。チョークを手に取り、歩き出した。

 

 

「へぇ…!殺意で魂ガチガチじゃん!面白そう!」

 

 

 ドッ、とこちらに走り出そうとした呪霊へと向け七海さんが鉈を振り下ろす。仰け反るようにして七海さんの鉈を躱した呪霊は退屈そうに首を鳴らした。

 

 

「行かせませんよ。今度は貴方が足止めされる番です」

 

 

「もー。邪魔しないでよっ!」

 

 

 バキィン!と七海さんの鉈と呪霊の変化させた腕が打ち鳴らされた。

 

 

 

*

 

 

 

「何を考えてるんですか」

 

 

「何って?」

 

 

 相変わらず五条さん(このひと)は飄々とこちらの問を躱す。言いたいことなんてわかってるはずだというのに。

 

 

「以為君とやらを虎杖君に接触させる意味です。虎杖君の生存は最も秘匿されるべき事だというのに、それをふらっと現れた以為君と接触させる。筋道が通ってません」

 

 

「そうかなー。そうでもないよ?」

 

 

「虎杖君と現在組んでいるのが私である以上、任務の遂行に支障が出かねないので隠し事は無しでお願いします」

 

 

 はぁ、と溜息をついた五条さんは降参だと言わんばかりに両手を上げて腰を側の椅子に落ち着けた。

 

 

「そもそもさぁ。何で以為家があそこまで有名になったかわかる?」

 

 

「?……皇家の守護を担っていたからでしょう」

 

 

「じゃあ、皇家の守護を担うに至った理由は?」

 

 

「結界術式の開発やその術式の強力さでは」

 

 

「残念。ちょっと違う。その答えは――宿儺にある」

 

 

「……?」

 

 

「簡単だよ。過去に以為家は宿()()()退()()()()から。どんな方法、術式を用いたかは良く分からない。でもその事実はあるとされている。だから宿儺への対抗策の一つとして彼を置いておきたいんだ」

 

 

「……もし宿儺が虎杖君の身体を乗っ取ったら殺されますよ」

 

 

「だから鍛えるんだよ。呪術師見習いから、本物に」

 

 

*

 

 

 ふと、五条さんとの会話を思い出した。以為君の先程の表情や言葉に込められた感情に当てられたためだろう。いいでしょう。何か策があると言うのなら、やってみなさい。

 

 

「?――俺と遊んでるのに他の事考えるなんて余裕だねっ!」

 

 

「何を馬鹿な事を、こちらも必死です」

 

 

 鋭く変化した腕の刺突を紙一重で躱し、鉈を強制的に作り出した弱点へ向け振るう。しかし呪霊もまた紙一重でこちらの鉈を避ける。

 

 

「ねー。そろそろ行っていい?何か企んでるんでしょ?」

 

 

「何も企んでなんていませんよ」

 

 

「ぷはっ!嘘下手!!っていうかさっきの奴の魂の変化でこっちになにか仕掛けようとしてるのバレバレだから。ってことで!じゃーねー!」

 

 

「っ!しまった!」

 

 

 ドン!と脚を変化させた呪霊はその場から大きく跳躍し頭上を大きく飛び越えて行った。まだコールは掛かってきていない。つまりまだ彼の言う準備が出来ていないということだ。即座に駆け出して呪霊を追った瞬間、胸元でスマートフォンが震えた。……間に合いましたか。

 

 

 五条さんが虎杖君同様、あそこまで買うのならば自分も少しは期待しても良いのだろう。お願いしますよ、以為君。

 

 

 

*

 

 

 

「おー!何これ準備面倒くさそう!」

 

 

 七三分けを置いて来て先程の奴を追ってきたら、少し開けた場所に出た。確か地上に雨水が溜まらないようにこの場所に一時的に雨水を貯める場所だったか。プールよりも大きく広いその中央に先程の奴……おもえらく?だかが立っていた。周囲には数m間隔で彼を囲うように3つの円が書かれ、その周囲には幾つも呪言が記されている。

 

 

「七海さんは?」

 

 

「置いてきたよ。あのままやっててもダラダラ長引くだけだし。で、これどんな術式なの?」

 

 

「……結界術式だよ。お前を逃さない為のな」

 

 

「へー!結界!いいね面白そう!やってみてよ!」

 

 

 以為のいる位置まで跳び、数m手前の位置に降り立つ。彼は俺が止まったのを見て、溜息をついたあと詠唱を開始した。

 

 

(ヤミ)ヨリ()デテ(ヤミ)ヨリ(クロ)ク、ソノ(ケガ)レヲ(ミソ)(ハラ)ウ―――(シカ)シテ(ワレ)退(シリゾ)カズ、(シカ)ラバ()(モノ)退(シリゾ)カセズ。」

 

 

「おお」

 

 

 一秒……もかかってないな。そんな早さで一番大きな円をなぞる様に結界が張られた。この早さなら不意打ちで閉じ込められてたかもしれない。結界に触れてみるも、硬く、それでいて弾力があるような不可思議な感触が跳ね返ってくる。

 

 

(ナカ)分割(ワカツ)。然シテ我ハ退カズ、故二彼ノ者ヲ退カセズ。」

 

 

 次の円をなぞる様に結界が張られる。面白いな。重ねて掛けることで術式の威力が上がったりするのだろう。

 

 

(ナカ)(ワカ)ツ。然シテ我ハ退カズ、故二彼ノ者ヲ退カセズ。」

 

 

 最後の一番狭い円が結界で閉じられる。やはり重ねて掛けることで効果が上がるのだ、先程に比べてずっと彼の纏う呪力の圧が上がっている。

 

「でもそれだけじゃ俺には届かないな」

 

 

「俺の役目は削りだからな」

 

 

「嘘だね。鏡見たら?」

 

 

「………お前を殺したらゆっくりと見る」

 

 

 ふぅぅぅ!と以為が指の輪へと息を吹き込むと周囲に無数の泡が漂う。この結界の中の狭さと、泡の数から考えると全て避けるのは不可能だろう。よく考えられた術式の組み合わせだ。

 

 

「まぁ、無駄なんだけど!」

 

 

 自身の魂を弄り、手の形を変化させる。鋭く、枝分かれさせ、四方八方へ伸ばす。幾つもの先端が泡に触れ、泡が弾けていく。

 

 

「うひゃー」

 

 

 ドドドド!!っと泡に込められた呪力が結界内で暴れまわる。確かに威力は上がってるのかもしれないけど、まだまだ弱い。

 

 

「でも足りないよ!」

 

 

 更に生み出される泡を無視してそのまま腕を伸ばす。咄嗟に避けようと身体を捻った以為。だが先程のダメージの為か腕と肩の当たりに腕の先が刺さった。

 

 

「あぐっ!」

 

 

「もう少し楽しみたかったけど、これ以上何もなさそうだしこれで終わりっ!」

 

 

 腕を刺したまま、距離を詰めて掌底を打ち込む。

 

 

 

「無為転――え?」

 

 

 

 違和感。その違和感に気を取られた瞬間、以為が大きく息を吸い込んだ。

 

 

「ん゛ん!!!」

 

 

 目の前で再び泡が吹き出される。至近距離での炸裂は威力こそダメージになるものではないが、大きく身体が仰け反った。さらにそこを蹴られ距離を離される。

 

 

「はっ…はっ…」

 

 

 バタバタと以為の左腕から血が流れ出している。動脈……じゃないな。ただ無視できる出血量じゃない。このまま止血もせず放っておけば死ぬ出血量。だがそんな事はどうでもいい。

 

 

「どういう事だ?」

 

 

問題はあいつの魂だ。さっきの七三分けは普通の人間以上に魂が守られていた。無意識だろうがその守りはずっとずっと頑強だった。

 

 

 だがこの男の守護はその比にもならないくらいに強い。さっきの七三分けが恐らく数度触れれば魂に干渉出来るのだとしたら……数十…数百…?……途轍もない回数触れ、罅を入れないと干渉出来ない強さの守護に包まれている。専売特許……というわけではないだろうが、魂に干渉する事ができるのは俺だけだ。なら魂を守護する術式が開発されてるとは思えない。こいつの魂に何が起こっている…?

 

 

「………いや、別にいい。無為転変で仕留めれなくてもこっちで殺せばいいんだから」

 

 

 再び手先を変化させる。

 

 

「あー…っ!痛ぇっ!…くっそ……っ!これだけ血を出せば良い条件は整ったか…?」

 

 

 

「……?」

 

 

 ガリガリと頭を搔き、こちらを睨みつける以為は無事な右腕を上げ、パチン、と指を鳴らした。

 

 

決壊(ケッカイ)

 

 

 パチン、と周囲に漂っていた泡が消え失せた。以為はそのまま再び指を鳴らす。

 

 

結解(ケッカイ)

 

 

 パチン、と今度は周囲の結界が全て弾けた。再び元の開けた空間が顕になる。視界の端に七三分けがいるのが見えたが、すぐさま指が鳴らされる。

 

 

血海(ケッカイ)

 

 

 ザザザッと以為の腕から流れ落ちていた血が意識を持っているかのように周囲へと薄く円を描き広がっていく。この段階で初めて以為は七三分けを見た。

 

 

「七海さん、出来るなら早めに治療出来る人お願いします」

 

 

 その言葉を最後に再びパチン、と指が鳴らされた。

 

 

 

 

血界(ケッカイ)

 

 

 

 

 瞬きをする間もなく、周囲が赤黒い帳に包まれた。ふぅ、と以為はだらりと腕を下ろして息をつく。

 

 

 

『簡易領域――ムソウ・ウタカタ』

 

 

 ズン、と周囲が重く息詰まるような圧に包まれた。

 

 

「時間は掛けれない。この中じゃあ俺の血がそのまま泡になっていくから出血量が増えれば増えるほど死に近づく。まぁ……それだけ泡が増えるんだけど」

 

 

以為の顔や、腕に付着していた血液がぷくりと膨れて泡となり周囲にふわりと漂った。よく見れば先程貫いた傷口からもぷくぷくと泡が生まれ、ふわふわと空中へと飛び立っていく。同じ泡ではあるが、先程までの透明な泡とは比べ物にならないほどの()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「っ!」

 

 

 ゆらゆらとこちらに漂ってくる泡。不気味さを覚え、腕を刃の様に変化させ泡を切り裂こうと振るう。

 

 

「――」

 

 

 しかし次の瞬間、パクン、と泡に触れた部分が泡の形そのままにごっそりと消え失せ、失せた先から血が吹き出した。

 

 

「この泡はさっきまでの泡とは違う。そのままそっくり触れた部分を取り込む。泡が弾ければ、中の取り込んだ物も弾けて消えるんだ。だから……」

 

 

 ふううぅ!と大きく息を吹き込み、大きな輪を作り出した以為。

 

 

 「このサイズならお前の胸から上をごっそり消し飛ばせる。頭が無くなれば流石に死ぬんだよな?」

 

 

 周囲に漂う赤黒い無数の泡。狭く張られた脱出困難な結界。これは――。

 

 

「良い!!良いよ!!楽しくなってきた!!」

 

 

 上手い。本当に上手く組まれた術式だ。胸元から改造人間を取り出し、周囲に撒く。大きくなった側から泡に呑まれて消え失せていくが、別に問題ない。泡を消費させ避けるための盾になれば十分。

 

 

「こっちもストックあんま無いからさ!短期決戦で行こうか!」

 

 

 改造人間を足蹴に飛び上がり、別の改造人間を盾に距離を詰める。以為が改造人間を大きな泡でまるっと取り込んだ隙に首元を切り裂こうと刃と変化させた腕を振るう。が、以為は腕と首元の直線上に泡が来る位置へと首を動かした。パクン、と首元へと当たる腕の部分だけが泡に取り込まれ、キレイに泡とともに消え失せた。どちゃり、と失せた場所から先の腕が地面に落ちた。

 

 

「あー!惜しい!」

 

 

 即座に腕を再生させ、タン!と着地をした瞬間、ズルリと足が滑って尻餅をつく。視線を下ろせば足首から先がいつの間にか消え失せている。よく見れば以為から流れ出て地面に溜まった血の一滴一滴が膨らみ、細かな泡の塊となっている。

 

 

「やるね…!」

 

 

ズ!と即座に魂の形を弄って足を作り直す。俺自身の呪力の総量を鑑みれば身体を変化させる程度ならまだしも自身の身体を何度も作り直すのはあまり得策じゃないだろう。

 

 

「よぉし!」

 

 

 改造人間を再び撒く。

 

 

「縦一列!前進!」

 

 

 四体の改造人間を縦に並べて以為へと突進していく。まず一体が2秒と持たずに穴開きチーズの様に穴だらけにされたあと泡の波に呑まれて消え失せた。後の二体目も似たようなものだ。三体目でやっと数歩の前進。四体目で以為の目前へと迫った。大量に出血するような攻撃はこちらも危険になる。ならば狙うは即死。心臓か頭…!

 

 

 懐から五体目の改造人間を自分そっくりに作り変え、飛び上がらせる。案の定釣られた以為は上空の改造人間を泡を生み出し消し飛ばした。その以為の意識が上へと向いた瞬間、四体目の背後に隠れたまま四体目の身体ごと貫いて以為の顔面へと変化させた腕を刺突する。そして枝分かれさせたもう一方は胸部の正中線、心臓の位置へ。

 

 

「っ!」

 

 

 一度息を吐ききっていたからか、新しく生み出される泡は数が少ない。これならばゴリ押し出来る。切っ先が消されていく側から切っ先を作り、再生させていく。そして――。

 

 

「「――」」

 

 

 ザクン!と切っ先に重い感触が残った。四体目の身体で見えないが、刺さった感触もかすり傷なんかじゃない。深く突き刺さっている。確実に致命傷、即死の深さだ。

 

 

 

「ふう…!俺の勝ち…!」

 

 

 瞬間、パクン、と右腕の感覚が消え失せた。

 

 

「あ…?」

 

 

 またパクン、と足の感覚が消え失せ尻餅をついてしまう。

 

 

「よく見てみろ…。お前が貫いたのは…俺じゃない…」

 

 

 倒れた四体目の改造人間で見えなかった正面。以為の目の前に別の改造人間がいた。さっき盾にした改造人間の一体。大きな泡で包まれた一体だった。

 

 

「一体消さずにそのまま取り込んで漂わせていたんだよ。お前が盾にしたようにな。こんな手は……使いたくなかったけど……」

 

 

 ズルリ、と以為がすでに事切れた改造人間を離し、泡で取り込んだ。

 

 

「泡沫」

 

 

 片手で合掌の形を取りながら、パチン、と泡ごと改造人間が消え失せる。

 

 

「終わりだ」

 

 

 ふぅぅぅ、と再び泡がこちらへと生み出された。足を作り直す……時間はないな。

 

 

「ははっっ」

 

 

 腕を伸ばし、泡へとそのまま腕を突っ込む。泡ごと腕が消えていく側から可能な限りの呪力で再生させる。手先が消え、肘が消え、肩が消え、泡が眼前へと迫る。

 

 

「っ―!」

 

 

 瞬間、目の前で泡が弾けた。

 

 

「――?」

 

 

 数度瞬きをすると、赤く染まっていた周囲が元のコンクリートの色へと戻っていた。結界が解けた…?ということは…。

 

 

「……はははっ」

 

 

 以為が倒れている。出血が限界を迎えた。まだ身体が動いてるのを見るに死んではないが、意識が限界だった。だから術式を保てなくなった。間に合った。勝ったんだ。

 

 

 

 

「覚悟は宜しいですか?」

 

 

 

 

 低く、響くような声が背後で聞こえた。

 

 

「正直、彼が特級相手にここまで立ち回るとは思っていませんでした。以為君、もうすぐ家入さんが到着します。我々の勝ちです」

 

 

 飛び退こうと即座に再生させた足を鉈で断たれる。姿勢が崩れ、地面に倒れ込んだ。あーあ。

 

 

「終わりかー。もう少し楽しみたかったんだけどなぁ。」

 

 

「その通りで――っ!!」

 

 

 ドン!と側の地面が抉れた。何が起きたのかと隣を見れば、全身が疱瘡に覆われた人形の呪霊がいた。こいつは確か――。

 

 

「っ!」

 

 

 ドッ、と七三分けは状況を判断したのか以為の身体を抱え即座に元の道へと走り出した。一瞬で遠くに離れていった二つの魂を確認して、息をつく。

 

 

「……あー。助かったー」

 

 

 どさり、と仰向けになり、深く息を吸う。

 

 

「ぎりぎりだったね」

 

 

 足元の方から袈裟を来た男がこちらへと歩み寄ってきた。男は七三分けが逃げていった方向を眺めたあとこちらへと視線を下ろした。

 

 

「ありがと夏油」

 

 

「随分苦戦したみたいだけど。そんなに強かった?」

 

 

「んーなんて言うんだろう。強いというか上手く型に嵌められたってのが正しいかな?」

 

 

 俺の言葉に少しだけ夏油が溜息をつく。

 

 

「自分の型に相手を嵌めれる呪術師を強い呪術師っていうんだよ。覚えておくといい」

 

 

 嫌味な言い方ー。

 

 

「はいはい。あー!悔しいなぁ!次はあの泡攻略してやる!!」

 

 

「……泡?」

 

 

 ぴくり、と俺の言葉に夏油の動きが止まった。

 

 

「んー?そう。なんか泡とか結界とか使う奴がいた。そいつがヤバかったね」

 

 

「その呪術師の名前……以為 和貴(おもえらく かずたか)と言っていたかい?」

 

 

「確かに名字はそんな感じだったけど……。何?そいつの名前知ってるの?」

 

 

 目を細め、再び七三分けの逃げていった方向を眺める夏油。少しして息をついた夏油は歩き出した。

 

 

「いや、何でもないよ。こっちの話。行こうか」

 

 

「えー。立たせてよー」

 

 

「嫌だよ面倒くさい」

 

 

「夏油のけちー」

 

 

 危なかったけど、結局今俺は生きている。ならまた勝負が出来る。次勝てばそれでいい。改造人間のストックも尽きたし、また新しいのを調達しないといけない。

 

 

「繁華街でもいくかー。夜なら適当なのごろごろしてるし」

 

 

 万全の準備で、アレを攻略してやる。面白い玩具はいっぱいある方がいい。

 

 

 

 

 

 「………生き残りがいたのか」

 

 

 

 

 「……?……なにか言った?」

 

 

 ふと、夏油が何かを呟いたような気がしたが、特にそんなことはなかったらしい。

 

 

 「いや、何でもないよ」





おまたせしました。

呪術廻戦はキャラにイメージソングというのがあるのを以為和貴のキャラを思いついてから知りました。

因みに以為和貴のイメージソングというか、考えていた時に聴いていた曲はKing Gnuの「泡」です。命知らずな術式の感じはここから来てます。



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第7話 吉野順平&凪

「何よ和貴君飲んでないじゃなぁ〜い。飲みなさいよ〜」

 

 

 少しアルコールの臭いを漂わせながら、女性がしだれ掛かってくる。

 

 

「飲み過ぎじゃないですか凪さん……?」

 

 

 返事の代わりに、ドン、と500ml缶の缶ビールが目の前に置かれた。既にテーブルの上には何本も500mlサイズのビール缶やチューハイの空き缶にウイスキーやらスピリッツの瓶があるのに。

 

 

「別に良いのよぉ。どうせ一人で飲むものだったし、どうせなら他の人と飲むのもいいじゃない?」

 

 

「そんなもんですかね…」

 

 

 ビールを手に取りプルタブを起こす。正直ビールは最初だけ美味しいという感覚が強いからもういらないんだけど。

 

 

 特級呪霊との戦闘の後、俺は家入さんに治療をしてもらい戦線に復帰した。気だるさは残っているものの、痛みや傷は残っていない。

 

 

 だとしても、治療してすぐ任務再開とかブラック過ぎるんだよな…。悠仁君と合流しようとしたらしたで何故か吉野順平君の家に呼ばれることになるし。母親の凪さんのお酒に付き合わされるし。

 

 

「あの、以為さん…?嫌になったら飲まなくても良いんですよ?」

 

 

 缶を傾けて然程美味しさを感じなくなって来たビールを飲み込んでいると、隣のソファで悠仁君と共に映画を見ていた順平君が声を掛けてきた。

 

 

「大丈夫大丈夫」

 

 

「そうよぉ。お子ちゃまはお子ちゃまどうしジュースでも飲んでなさぁい。こっちは大人どうしよろしくやるんだから」

 

 

「もー。止めてよ恥ずかしい…」

 

 

 溜息を付きながら順平君はソファへと戻った。そんな順平君の背中を見た凪さんが一つ小さな息をつく。

 

 

「……」

 

 

「順平君ですか?」

 

 

「えぇ。あの子、多分学校でいじめられてたのよ。昔から自分の意見とかを主張するのが苦手だったし、私に迷惑を掛けたくないって考えてるのか学校に言う事もなかったみたい。今は登校をしてないけど…これからどうさせてあげたらいいのか…」

 

 

 

 

「んー。普通に転校させればいいんじゃないですか?」

 

 

 

「え?」

 

 

「いや別に合わないなら合わないで学校変えれば良いんじゃないかなと。金払って学業受けさせてるんですし、不登校続けるなんてお金の無駄ですよ。――あ、どうせなら悠仁君の学校にでも転校してあげたらどうです?」

 

 

「えっと…」

 

 

「ものは試しってことで」

 

 

 スマートフォンを取り出し、五条さんに連絡する。数コールの後、何かを食べているだろう咀嚼音をさせながら五条さんが出た。どうせ甘い物だ。

 

 

『もひもひ』

 

 

「せめて飲み込みましょうよ。まぁいいです。以為ですけど、高専って転入とか出来るんですか?」

 

 

『……?ごめん全然話が見えない』

 

 

 嚥下したであろう音の後に数瞬の沈黙ののちやはり説明を求められた。まあそりゃそうだろうな。

 

 

「いえ、今七海さんとしてる仕事で出会った子が不登校になってるらしくてですね。悠仁君と結構気が合うみたいなんで、高専に転校させてあげてもいいんじゃないかなって」

 

 

『………難しいね』

 

 

 先程までのおちゃらけた声色が本来の呪術師としての声色に切り替わったのが電話越しに感じ取れた。

 

 

『不登校っていっても、いじめとか、多分そういうのでしょ?それで転校するってのはわかるよ。でもその転校先がウチってのは難しいでしょ。――出来ない訳じゃない。君がウチに転入させることを考えるんだから呪霊を視たり出来るんだろうし。ただ、()()()()()()()()()といわれたら首を傾げざるを得ない、というか普通にやめた方がいい。悠仁と気が合うという理由だけで呪霊との殺し合いに身を投じさせる訳にはいかないよ。自ら志願して来た君とは違ってね』

 

 

「ふむ……なら窓として育てるというのは?」

 

 

『確かにその手もあるけど、それこそウチでなくてもいいでしょ?。外部協力者なんて一般にもいるよ。悠仁と気が合うなら、外部の学校に通わせて後々窓として情報提供者になってもらうってのがいいでしょ。わざわざウチにこさせる必要はない。……これ以上無いなら切るよ?』

 

 

 情に訴えるみたいな事はあまりしたくなかったんだけど…。一つ、息をついてビデオ通話に切り替えた。

 

 

『――』

 

 

 五条さんが息を呑む。これなら、インカメ越しに五条さんにも見えている。ソファで俺が見たことない洋画を見ながら、談笑する二人の姿が。時たま映画そっちのけで悠仁君の細かすぎる映画ネタで大笑いする順平君は笑い過ぎて目尻に涙すら浮かべてしまっている。側で見守る凪さんも微笑みながらグラスを傾けていた。

 

 

「出会って数日で、ここまで笑いあえる友人を僕は持っていません。まして、今もそんな繋がりは無いんです。伏黒君や他の子とも彼なら仲良くなれます。前線に立てずとも、伊地知さんのような後方支援として育てれませんかね」

 

 

『………………本人の意志によるよ。もし来るとしても、生命の危険を伴うことを説明する必要がある。ここは譲れない』

 

 

「不可能ではないんですね」

 

 

『うん』

 

 

「わかりました。では――『あぁ』」

 

「もしこの話を本人に話すのならこれは呪術師というより、()()()()()()()()()()()としての言葉だけど……親友っていうのは、離れて初めて気付くものさ。だから離れ難いと少しでも思うなら、その繋がりを死んでも離しちゃ駄目だよ――って伝えといて。』

 

 

「えぇ。必ず」

 

 

 通話を終了し、凪さんの元へと戻る。

 

 

「今ちょっと電話してたんですけど、本人が望むなら悠仁君の高校に転入させれるみたいですよ。まぁ急な話なんで、本人の希望も何も取ってないんで、こんな話があるよって感じです」

 

 

「転入……」

 

 

「あくまでも本人の意志を尊重しますが、こういう選択肢も含めてこれからの事を考えるべきですよ。――っと、じゃあ自分もB級映画を見てきますね」

 

 

 ビール缶を片手に、ソファに座る二人の元へいきもたれ掛かる。

 

 

「ちょっ、重いっす以為さん!」

 

 

「うわわっ!」

 

 

「良いではないかー。って何見てんのこれ?glee?」

 

 

 二人の肩越しにテレビを見れば、海外の高校らしき場所で少年少女がミュージカルのように歌って踊っている。学園ものか?

 

 

「シャークVSエイリアンです」

 

 

「えぇ……」

 

 

 VSものでミュージカル要素入れる必要ある?というかサメ系なのに学校出す必要は?海じゃねぇの?。もう既に興味ほぼ0なんだけど。つーか主人公めっちゃ歌と踊り上手いな。

 

 

「携帯イジってていい?」

 

 

「いいんじゃないすか?始まって40分くらいですけどサメ出て来てないですし」

 

 

「サメ映画とは(哲学)」

 

 

「あはは」

 

 

 くすくすと笑う順平君。腰を落ち着けてポップコーンへと手を伸ばす。少しだけスマホをイジりながら横目で見たテレビの画面では、先程の学校が爆発していた。

 

 

 

*

 

 

「じゃあ、お疲れさん。また明日ね悠仁君」

 

 

「うっす。お疲れさまでしたー」

 

 

 お開きになった凪さんとのサシ飲み兼順平君達との映画観賞会を終え、車に乗る悠仁君を見送る。……さてと、始めるか。

 

 

 順平君の家の敷地の前へ戻り、敷地内へ入る。窓や扉を確認して全て鍵がかかっているのを確認する。――よし、きちんと鍵を締めている。

 

 

()(シノ)ビ、()(シノ)ブ」

 

 

 薄い、透明な結界が順平君の家を包む。これで朝日がこの家を照らすまでは俺以外の存在がこの家を知覚して意識する事はできない。この術の優れた所は残穢すらも知覚することが出来ないことだ。

 

 

「七海さんに連絡入れとこ」

 

 

 手っ取り早くメッセージを七海さんに入れる。既読の表示の後、すぐに返信が来た。

 

 

『何かあればすぐに私に連絡し二人を保護して下さい。戦闘になった場合は撤退を意識して時間を稼いで下さい』

 

 

「了解――っと」

 

 

 チョークを玩びながら、周囲の道路を横断するように線を引き区切っていく。

 

 

「……まぁ、俺の考えてる通りならいいんだけど」

 

 

 順平君は、あのツギハギ呪霊と繋がりがある。恐らくそれは尊敬や崇拝の念からくる繋がり。高校生の変死事件の犯人はあのツギハギ呪霊だ。改造人間の姿と変死事件の死体が酷似している為間違いないだろう。そして、その事件の現場に順平君は居合わせた。当時の防犯カメラを複数台、映画館以外の他店の物も含めて彼の動きを追えば自ずとわかる事だ。その結果、順平君は事件直後自ら呪霊に接触しに行ったとわかる。

 

 

「……」

 

 

 その際に順平君が生かされた理由はわからない。だが相手が呪いである以上ロクな理由じゃないのは間違いない。何かしらの理由で弄ばれているのか、利用されているのか…。どちらにせよ未だに接触を続けていたというのなら、呪術師に居場所をばれた今あのツギハギ呪霊は()()()にくる可能性がある。その危険性を鑑みるに前もってこちらで親子共々保護する。

 

 

「まぁ、杞憂だったとしても転校なり新しい環境には移してあげたいよなぁ」

 

 

 順平君の家を中心に、周囲の道路を区切っていく。こういう時にブロック塀などの直角が多い道などは区切りやすくて良い。文字通り区切りの良いところで作業を切り上げる。

 

 

 

 

「うん。やはり以為家の術式だね」

 

 

 

 静かに、背後から声がした。同時に、ドチャリ、と何かが落ちるような音がした。

 

 

「っ――!!」

 

 

 敵と判断して咄嗟に跳び込のいた自分を褒めてやりたくなった。ドクドクと跳ねる心臓を落ち着かせるように思考を回しながら振り返り、敵と自らの前に素早く線を引く。

 

 

 「はじめまして……と言っておくべきなのかな。以為 和貴(おもえらく かずたか)くん」

 

 

 街灯に照らされた互いの姿を確認する。お坊さんが着る袈裟を身に着けながら、その頭髪は肩を越して長く伸びた男。そしてその隣に手入れのされていない、バサバサの長い髪を下ろした女が立っている。女は血に濡れたボロ布を身に纏っていた。

 

 

「……何で俺の名を?」

 

 

「ふふっ。やっぱり、自分の事を何も知らないんだね。まぁ、だから姿を見せたんだけど」

 

 

 くすくす笑いながら男は女の足元に落ちていたモノを抱え上げ、撫でた。それが何かを理解した瞬間、全身が粟立つ。男は赤子を撫でていた。それもまだ臍の緒が繋がった、血に塗れた赤子。本物の赤子…な訳はないだろう。分かることはとても禍々しい呪力を放った存在だという事。

 

 

「僕の望みのため君の術式は厄介でね。今のうちに消しておきたいんだ」

 

 

 後ろ手にスマートフォンを起動するも、結界内では電波が遮断される事を思い出した。舌打ちをしながら、周囲を見渡す。

 

 

「じゃあ、始めよっか。あ、()()()()()()()()

 

 

 ズズ、と、男の側の空間が黒く歪み、中から巨大な手が姿を表した。

 

 

「あっ」

 

 

 そんな女の声を最後に、ドン!と車が衝突したかのような音と共に巨大な手が女を叩き潰した。バチャ!と女の血や臓物が飛び散り、結界にへばり付く。その光景を見て今の女は、本物の人間だったのだと理解した。

 

 

「――お前」

 

 

「ん?あぁ、()()は呪霊じゃないよ?本物の人間を飼ってたんだ。僕が用があるのはコッチ」

 

 

 そう言いながらバチャリ、と赤黒く染まった布を踏む男。男は抱えた赤子を撫で、その首に掛かった臍の緒を掴む。

 

 

袈裟丸(けさまる)っていうんだ。凄く簡単に作れる特級呪物だよ。ただ、下手をすると使用者本人が殺されちゃうから弱い呪詛師が作ろうとして死ぬ事も多い」

 

 

 男は臍の緒を掴んだまま、赤子を離した。ぶらぶらと臍の緒が首に掛かった赤子が揺れる。――瞬間、何かに首を強く締め上げられたかのように呼吸が出来なくなる。

 

 

「かっ――っあ――!!」

 

 

「……以為家の術式の根幹は隔絶、だったかな。その為に、領域を区切る結界術式を編み出し、その派生として泡を用いた術式を組み上げた。ただ、その泡は基本的に息と共に呪力を込める必要がある。だから、呼吸を止めてしまおうという話さ」

 

 

 淡々と説明をする男。首元に手を当てても、何も無くただ締め付けられた感覚が強くなっていく。

 

 

「っ――」

 

 

 手足の感覚が失せていくのと共に意識が暗く暗転していった。

 

 

 

*

 

 

 パチン、と周囲の結界が全て弾けた。まず間違いなく意識は途切れただろう。このまま適当な呪霊に身体を喰わせればそれで終わりだ。やっと一つ肩の荷が下りた、そう考えた瞬間――

 

 

 「?」

 

 

 ぴくり、と以為の指が動いた。

 

 

「特級呪物――袈裟丸だな。とすると、どうやら()()の戦い方を知っている呪詛師らしい。私達の術式を見せて逃した呪詛師はいない筈なんだが…まぁいい。」

 

 

 続けて、むくりと以為の身体が起き上がる。

 

 

「袈裟丸の欠点は呪う対象が赤子を見た者という無差別である点。そして一定の時の経過で効果を無くす点。分かりやすく言えば、呼吸が停止した赤子が脳死するまでの時間。」

 

 

 パン、パン、と衣服の埃を払いながら立った以為。もう袈裟丸は脳死して効果を失ったのだろう。袈裟丸を適当な呪霊に喰わせる。

 

 

「改めて自己紹介をしよう。知っているだろうが、以為 和貴(おもえらく かずたか)だ。」

 

 

 ……転生……憑依か?。

 

 

「あぁ、転生だとかではない。魂の相伝だ。連綿と繋がって来た以為 和貴(おもえらく かずたか)達の意識、魂を姓名(セイメイ)()()()()()()()という縛りを付与することで次代の生命(セイメイ)へと繋げてきたんだ。」

 

 

 因みに、と以為が指を立てた。

 

 

「本来はこのような形で意識が表層に現れることはないんだが、どうやら現代において他の以為 和貴(おもえらく かずたか)が死んでいるからかこの以為 和貴(おもえらく かずたか)()()が収束しここまで出る事ができたようだな。」

 

 

 さて、と以為が指を鳴らすと、カン、と周囲に結界が張られた。結界を確認した以為が身体を探り、溜息をついた。

 

 

「む……全く、日本男児(ヒノモトダンジ)ならば煙草の一つや二つ嗜まんか……。まぁいい。」

 

 

 以為は軽く拳を握ると、拳の輪に口をつけ、息を吹き込んだ。ふわふわと、周囲に無数の泡が漂う。呪力の総量が跳ね上がっている。真人との戦闘時よりもずっと強いだろう。

 

 

「して、袈裟丸を扱えるのならば一級以上の呪詛師と見たが、いかに。」

 

 

 この泡を対処するのは骨が折れる。即座に勝負を決めるに限る。

 

 

「……疱瘡神」

 

 

 疱瘡神を見た以為は、ほぉ、と感心したように数度頷いたが、姿勢を起こすと同時に顎に手を当て首を傾げた。

 

 

 

「――なるほど、呪霊操術か。そして疱瘡神……疾病、それも疱瘡への恐れから産まれたものを調伏しているのならば特級相当の実力と見た。――しかしわからんな、それほどの格と才を持ちながら何故堕ちた?貴様の力があれば大衆を救う事も適ったであろうに。」

 

 

 ざわり、と思考に靄がかかる。

 

 

「『黙れ』」

 

 

 己の意思に反して、言葉が漏れた。どういう事だ。再び以為は頷くと側のブロック塀に肩を預けた。

 

 

「まぁ聞け。人間というものは興味深くてな。人相がその人間の性格を表す事が多々ある。眉目秀麗であれば、その性格も良く正しい人間が多いのだ。逆に、醜い者はその性根も腐った者が多い。貴様は私から見たら前者に見える。―――当てようか。恐らくだが、貴様はその力を大衆の為にと用いていた。ふむ、そうだな。理由は……『力を持つものの使命、責務』…だとかそういうものか?……図星だな?。だがしかし、終わりの見えぬ死闘、仲間との死別、近代化しても尚差別と因習の消えぬ世と愚かな民草に救う価値を見出だせなくなり、嫌気がさした。違うか?」

 

 

 ぐらぐらと、視界が、揺れる。失せたはずの身体機能だというのに、吐きそうになる。

 

 

「『黙れ…!』」

 

 

「……。己の守るべきものと立つべき場所の距離を測り違えたな。世界を救おうなどと考えたら、神仏にでもなるしかあるまい。……まぁ、容易く思いつく方法を用いたらそのような存在は神でもなんでもないただの呪いそのものだが」

 

 

「『黙れと言っている…!!』」

 

 

 ぎりぎりと、頭が痛む。脳を摘出してもなお、身体が思考に反して以為の言葉に反応する。一つ言っておこう、と以為がブロック塀に預けていた肩を離し、こちらに歩み寄る。

 

 

「世界を救うと宣えば自らの側の者が死のうとも犠牲として括れるとでも?傲るなよ()()()。手の内の者も守れぬお前が、世界を救おうなど片腹痛い」

 

 

 あるはずのない映像が脳内に奔る。涙を流していた少女が微笑む瞬間、そして死んだ瞬間の映像。

 

 

 ――。

 

 

「『死ね』」

 

 

 疱瘡神が領域を展開する。取り込まれた領域の中に乱雑に建てられた石の墓と荒れた野原が広がる。

 

 

「……」

 

 

 以為はただ周囲を見回していた。その以為を対象に、疱瘡神は術式の棺に以為を取り込み、地中へと引きずり込む。これで、3秒の後にあの男は即死する。

 

 

『3』

 

 

『2』

 

 

「領域展開」

 

 

 微かに、以為の声が聞こえた。それとともにぞわり、と背筋に奔った寒気。

 

 

「――!!攫天狗(さらいてんぐ)!!」

 

 

 咄嗟に呪霊の一体の攫天狗で特殊な空間跳躍を行う。黒く大きな翼に包まれ、視界が黒く覆われた。

 

 

*

 

 

「……逃したか。こちらのものではないとはいえ、領域を超越して逃げることが可能な呪霊となると……神隠しの類か?厄介だな。まぁいい。()()()()()()()()良しとしよう。」

 

 

 そろそろ時間だろう。ふらふらと眠気の強くなる身体に逆らい、側の遊び場に置かれていた長椅子に腰掛ける。

 

 

「ふぅ……。次はもう少し鍛えておいて貰おうか。」

 

 

 この身体の持ち主は、未だに私達の術の使い方を理解していない。生来から呪術から離れ知識も途絶していたからだろう。だが、本当に護りたいものを護るためにも、知らなければならない。私達の術式は、敵を必ず殺しこそすれど、その根幹は己の護るべきものを護るためのものであるということ。そして、私達の姓名の真髄は領域にあるということを。

 

 

*

 

 

「……和貴君?」

 

 

「……?」

 

 

 聞き覚えのある声に、意識が覚醒する。座ったまま寝ていたからか身体の至るところが痛い。よくよく周囲を見回せば順平君の家の側の公園らしいことがわかる。

 

 

「ちょっと、こんなところで寝てたの?風邪引いちゃうわよ?」

 

 

「あ、凪さ――っ!!」

 

 

 ガタ!と立ち上がり周囲を素早く見回し確認する。ランニングをしに行くのだろうか、スポーツウェアに身を包んだ凪さんがこちらを見ていた。手元の時計は朝の6時を示している。

 

 

「順平君は……」

 

 

「えっと、まだ寝てると思うわよ?」

 

 

「わかりました」

 

 

 スマートフォンを取り出し、順平君に電話をする。5コールした後に順平君が眠たそうな声で電話に出た。

 

 

『はい…。吉野ですけど……以為さんどうされましたか?』

 

 

「ああ、ちょっと確認したいことがあってね。今から少し話せないかな?目覚ましのコーヒーくらいは奢るよ」

 

 

『話…ですか…?』

 

 

「うん。君のこれからについて、かな」

 

 

『これから……。わかりました。どちらに向かえばいいですか?』

 

 

「側の公園、コーヒー買って待ってるよ」

 

 

『はい、すぐに行きます』

 

 

 スマートフォンを戻す。ふと、身体を探り、何かが足りない気がした。

 

 

「?」

 

 

 カチリ、と凪さんがライターで煙草に火を付けている姿が目に入る。

 

 

「凪さん、一本頂いてもいいですか」

 

 

「え、えぇ。大丈夫だけど……」

 

 

 女性向けの、スリムタイプの煙草を受け取って咥える。続けて凪さんが付けてくれたライターの火に近づけて軽く息を吸う。

 

 

「……」

 

 

 初めてではある。だが、咽ることもなくこれこそが今必要なのだと腑に落ちるような感覚があった。白く濁った息を細く吐き出しながら、先の呪詛師との戦闘の報告含めどう七海さんに言えば良いのかを考える。

 

 

「まぁ、どうにかなるか……」

 

 

 取り敢えずは順平君達と話して、その後煙草を買いに行こう。




夏油君は素直すぎたんや。


オリジナル呪霊

袈裟丸:妊婦の胎内で胎児を扼殺し、堕胎させる。自然に起こる事故では袈裟丸は生まれず、呪いにて扼殺する必要がある。


攫天狗:神隠しの別名の天狗攫いより。要は神隠し。


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第8話 東京校一年生

この話書いてて気付いたけど、ちょっと時間軸が原作とズレてます。どういう事かといえば交流会の事前の打ち合わせのタイミングと順平の転校するタイミング等です。本来は交流会の打ち合わせ(東堂、真依が来る)→悠仁と順平が出会うとなるんですけど、今作ではそこが逆転してます。まぁ打ち合わせが後回しになったとでも考えといて下さい。


本気で言ってます?」

 

 

「うん。君二級になるから」

 

 

 順平君の転校手続き等を見届けた後1週間程のオフを経て五条さんに呼び出された俺は東京校に顔を出していた。待合室で腰掛けていた五条さんから聞かされた内容は先日の上水道でのツギハギ呪霊との戦闘について。その戦闘において七海さんが俺を二級術師に格上げするべきと進言をしたらしい。そしてそれは認められ俺は二級術師となったとのことだった。

 

 

「でも正直二級と言われてもピンときませんけど……」

 

 

「まぁ、する任務の幅が広がるとかかなぁ。上に行けば行くほど危険な任務も増える。危険度の割にお金少ない気もするけどねー」

 

 

「……そこはどうでも良いですけど」

 

 

 五条さんが窓の外を眺める。そこには転校したばかりの順平君が釘崎さんや伏黒君と共に走り込みを行っている所だった。

 

 

「で、本題。もう一回君を先日襲った奴のこと教えて」

 

 

 五条さんは窓に向けていた視線を戻し、こちらを向く。その様子は普段のおちゃらけたものではなく、反射的にこちらの背筋がピンと伸びるほどの真剣さを含んでいた。

 

 

「……性別は男です。年は二十代後半から三十代前半かと。身長は190cm弱。身体付きはがっしりしていたように思います。肩を越す長髪、色は黒。服装はお坊さんが着るような袈裟?を着てたかと。後は……額に大きな傷痕がありました」

 

 

 少しずつ思い出しながら男の特徴を話していく。黙って聞いていた五条さんであったが、一通り聞き終えると懐から封筒を一つ取り出し1枚の写真を机の上に乗せた。

 

 

「コイツであってるかい?」

 

 

 写真には男が写っていた。先日見た時と違う事があるとすれば、それは男が高専のデザインと思わしき学生服に身を包んでいる事だ。

 

 

「はい、この男です」

 

 

 俺がそういうと五条さんは溜息をついて顔を揉んだ。

 

 

「あの、これ……。高専の制服ですよね?それに隣に写ってるの……」

 

 

 俺はあの呪詛師が高専の元関係者らしい事に驚いたというより、その男の隣に立つ五条さんと思わしき青年に驚いた。

 

 

「隣のは僕だよ。こいつは夏油 傑(げとう すぐる)。俺の同級生で、特級術師だった。ただ、問題なのは……()()()()()()()()()なんだ」

 

 

「え?」

 

 

「去年のクリスマスにね。コイツは大規模なテロをお越して非術師を皆殺しにしようとした。結果的には失敗して、死んだけど」

 

 

 ギシリ、と五条さんはソファの背もたれに背を預けて天井を仰いだ。

 

 

「その死んだはずの傑が生きている理由、君が意識を失った後に殺されなかった理由。わからない事が多い」

 

 

「正直それは俺も良く分かりません。俺の前に出てくるってことは生かして返すつもりはないから顔を見られてもいいって判断したからだと思うんです。それが、何故意識を奪ったのに殺さなかったのか」

 

 

「……まぁ君の家の事も含め少しずつ調べてみるしかないかな。こっちも家とかの文献で君の家と関係なかったか調べるから」

 

 

「お願いします」

 

 

 軽く手を挙げた五条先生に礼をして部屋を出た。確か近日中に行われる交流戦の事含め真依ちゃんもこちらに向かっていた筈だ。こっちも食事に行く予定だし顔を出しておかないといけないな。そう考えながら、一度順平君たちの元へ行こうと運動場へ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

*

 

 

「ふぅ……」

 

 

 ギシリ、とソファの背もたれにもたれ掛かりお茶菓子として置かれていたバタークッキーの個包装を開けて口に放り込む。

 

 

 今回の件は和貴には感謝しないといけない。傑に襲撃されたという事実を上層部じゃなく俺に最初に報告をしてくれた事を。

 

 

 最初和貴が傑に襲撃されたと電話で聞き、それでも尚無傷で帰って来たと聞いたときは和貴を疑った。悠仁が少年院での戦闘の後死亡して甦ったように、和貴もまた傑と縛りと契約を交わす事で生命の保証を得たのではないかと。

 

 縛りの内容は本人達の口から話されない限り他人が知る事は出来ない。そして縛りの内容に含まれるような事があれば、本人の記憶からも『縛りとその内容。縛りを結んだ記憶』すらも抹消が可能だ。生命の代価であれば、難しいものではない。だが――。

 

 

「二級術師…か…」

 

 

 ()()()()、これは()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 

 

 

『私は以為君を()()()()()()()しました。現状一級術師で彼を推薦しているのが私のみなので彼はまだ一級へ進むことはないですが、時間の問題ですからね』

 

 

 

 

 最初その話を聞いたとき、七海がトチ狂ったとしか思えなかった。だが、七海との任務を経て帰って来た和貴を見てその考えも間違いではないと感じた。男子三日会わざれば刮目して見よなんて言葉があるが、それに近しいものだとわかる。今回の件で出る前と帰って来たあとではかれの呪力量が桁違いに跳ね上がっているのだ。それこそ一級や準一級術師の呪力量と言われても納得出来る程に。

 

 

「……」

 

 

 和貴を見ていてよく思うことがある。それは和貴が何か殻のようなものに包まれているようなそんな感覚だ。そして出会う度にその殻が割れ、剥がれるように、羽化するように和貴の呪力量が増大し、呪術師としての格が引き上がっていると言う事。その原因は彼の家の術式によるものかとも考えたが、六眼でも見えないもののようだった。

 

 

 自分はとんでもないものを拾ってきたのかもしれない。そう考えるようになった。和貴の話では、以為の術式はシンプルなものだ。故に本人の想像力と発想次第で本人の力量は増していく。そして和貴はその能力を十全に利用して戦い、特級と相打ちに持っていこうとまでした。

 

 

『呪術師は皆多かれ少なかれ狂っている』

 

 

 その言葉通りに和貴もまた狂い始めているのか。それとも、自分が気付かなかっただけで最初から狂っていたのか。

 

 

「……」

 

 

 どのような形であれ、和貴には宿儺を抑える役割を担ってもらう必要がある。先達として、彼を呪術師として導く必要がある。

 

 

 

 

 

 

*

 

 

「ちょっとアンタ体力無さすぎじゃない?そんなんじゃ呪霊に殺される前に息切れておっ死ぬわよ」

 

 

「ハァ…ハァ…ごめん……」

 

 

 別に良いけど…。と言いながら、釘崎さんがスクイズボトルを手渡してくれる。飲み口を引きスポーツドリンクを一口飲む。

 

 

「どう?こっちの寮には慣れた?」

 

 

「うん。慣れたよ」

 

 

「そ」

 

 

 釘崎さんはそれだけいうとスポーツドリンクの入ったスクイズボトルを振り、溜息をついた。

 

 

「あー。切らしたわ。自販機で買い足しに行くけど来る?」

 

 

「うん。行くよ」

 

 

「俺も行く。そう言えば切れてた」

 

 

 丁度走り込みを終えた伏黒君が自分のスクイズボトルを持って歩いてきた。あれだけ走り込みをして殆ど息が切れてない。凄い体力だと感心してしまう。

 

 

「オッケー」

 

 

 三人で自販機へ向かって歩きながら、正直ここまで生活が変わるのかと思った。転校する前は学校に行くのは苦痛でしか無かったし行く意味すら見出だせなかった。でも以為さんの提案と、悠仁の言葉で高専に来ることに決めた。確かに母さんと会いにくくなるのは寂しいし、呪霊との戦いも死を想像すると正直怖い。でも確かに今、僕は充実している気がする。自分だけでは見つける事の出来なかった、隠れていた選択肢が僕の視界を開いたような感覚。

 

 

「ありがとう」

 

 

「?」

 

 

「何いってんの?」

 

 

「いや。何でもない」

 

 

 少し汗でへばり付いた髪を掻き上げる。少し前までは煙草を押し付けられた火傷の残っていた額も、今は家入さんという方が治療をしてくれたから跡もない。

 

 

「あんた髪上げたほうが似合うんじゃない?」

 

 

「そうか?俺は降ろしたほうが雰囲気にあってると思う」

 

 

 なんてことのない話をしながら、自販機でスポーツドリンクを買う。すると――。

 

 

「久しぶり〜。伏黒君」

 

 

 背後から女性の声がした。振り返ると、とても身体の大きい男性とチャイナドレスのようなスリットの入った制服を着た女性が立っていた。二人共高専のものと思われる制服を来ているのを見るに学生なんだろう。

 

 

「何でこっちにいるんですか、禪院先輩」

 

 

「嫌だなぁ伏黒君、それじゃ真希と見分けがつかないじゃない。真依って呼んで」

 

 

「コイツらが乙骨と三年の代打か」

 

 

 パチリ、と伏黒君に向けてウィンクをした女性。禪院先輩、と聞いた事と、二年生にいる禪院真希さんとよく似た容姿から噂に聞く双子の妹さんだろうということがわかった。

 

 

「貴方が心配で学長に着いてきちゃったの。同級生が死んだんでしょう?辛かった?それとも辛くなかった?」

 

 

 ぴり、と釘崎さんと伏黒君の気配が締まる。

 

 

「いいのよ?言いづらい事ってあるわよね?代わりに言ってあげる…。器なんて聞こえは良いけど、要は半分呪いの化け物でしょ?そんな穢らわしい人外が隣で不躾に呪術師を名乗って虫唾が走っていたのよね?死んで清々したんじゃない?」

 

 

 ぎち、と釘崎さんの奥歯が鳴り伏黒君の目が据わる。彼女の言う半分呪いの化け物というのが、悠仁の事だというのは直ぐに気付いた。こちらに転校する事になった日から、悠仁の置かれている立場や死を偽っている事情なども聞いた。だからこそ伏黒君達には悠仁が生きている事を未だに伝えれてはいない。

 

 

「ちょっと貴方言い過ぎですよ…!僕は事情を知らないですけど、亡くなった方をそんなふうにいうなんて…!」

 

 

 悠仁は化け物なんかじゃない、そう言いたい。けど、話す事はできない。だからこそ無知を装いながらも頭と常識を使って彼女を否定する。

 

 

「貴方……誰?一年生は二人って聞いてたけど?」

 

 

「先日、こちらに転校してきました。呪術師の方に誘われて」

 

 

 禪院さんはこちらを見てパチパチと瞬きをしたあと溜息をついた。

 

 

「誘われた……ね……。随分と性格の悪い呪術師ね。こんな世界に一般人を引き込むなんて」

 

 

 女性はくすりと笑いながら目を細める。

 

 

 

 

「ごめんね。性格が悪くて」

 

 

 

 

 しかし背後からした声にびくり、と女性の肩が跳ねた。見ればいつの間にか女性の数m後ろに以為さんが立っていた。

 

 

「以為さん!」

 

 

「やっほー。順平君、こっちは慣れた?」

 

 

「はい!おかげさまで!」

 

 

「そっか」

 

 

 僕がそういうと、以為さんは頷きながら自販機でアイスコーヒーを買いプルタブを開けた。

 

 

「あ、あの、以為さん。私……」

 

 

「何?」

 

 

 先程までの態度は何だったのかと思うほど狼狽える禪院さん。反応からして以為さんを知っているのだろうか。それよりも、以為さんが少し不機嫌になっているようにさえ感じた。禪院さんもその雰囲気を感じ取っているのだろうか、どう話し出せばよいかといった具合であった。

 

 

「えっと……その……」

 

 

「………今少し嫌な気分なんだ」

 

 

 溜息を付きながら以為さんが胸元から煙草を取り出した。

 

 

「俺が順平君をこっちに引き込んだのは事実だよ。性格が悪いってのもまぁ、自覚してる」

 

 

 女性はおろおろと目を泳がせる。

 

 

「いや、その…」

 

 

「でもその前だ。俺はそれが頂けないと思ったよ。宿儺の器になった子も好きでなったんじゃない。それをあんな言い方するのは、少し嫌だったな」

 

 

「っ……」

 

 

 ピィン、と特徴的なライターの音が周囲に響く。

 

 

「以為さん、ここ禁煙ですよ」

 

 

 伏黒君が以為さんの元へ歩み寄った。以為さんはごめんね、と一言いうとパチリ、と煙草とライターを胸元にしまい込んだ。

 

 

「真依ちゃん」

 

 

「は、はい…」

 

 

「死者を冒涜する事は当然許されない。もし君が彼等を煽るつもりだったのだとしても、それは許さないよ。二度としないように」

 

 

「っ……はい……わかりました……。少し…外します…」

 

 

 女性は俯きながら、歩いていってしまった。

 

 

「……個握のチケットが余っていたからついでに誘おうと思ったが、そんな雰囲気ではないな」

 

 

 やれやれと溜息を付きながら、大男が上着を脱いだ。

 

 

「だがだからこそ敢えて今!!男どもが雁首を揃えてる今この瞬間!教えてもらおう…!」

 

 

『どんな女が好み(タイプ)だ…!!』

 

 

 

「「「「は?」」」」

 

 

 彼以外の全員が同じ反応をした。

 

 

「因みに俺は…(ケツ)身長(タッパ)のデカい女が好みです…!!」

 

 

 数秒の沈黙を経て、伏黒君が息を吐いた。

 

 

「何で初対面のアンタと女の好みを話す必要がある」

 

 

「そうよ。ムッツリなこいつ等には厳しいわよ」

 

 

「黙ってろ…!ただでさえ面倒くさい状況が混乱するだろ…!」

 

 

 釘崎さんもまた溜息をついた。確かに、初対面のこの人と女性の好みについて話すというのはどうかと思う。それに今までそんな流れじゃなかっただろうに…。

 

 

「呪術高専京都校3年、東堂 葵(とうどう あおい)。これで初対面じゃないな。続けるが女の好み、詰まるところ性癖はその人間の本質を表す。性癖や好みが詰まらん男はその人間の本質も詰まらんのだ。だからこそ教えてくれ。お前達の好みのタイプを…!!」

 

 

「えぇ……ど、どうするの伏黒君…?」

 

 

「……話すわけ無いだろ」

 

 

 当然だよな、と考えて息を吐いた瞬間。

 

 

 

 

「え?話さないの?めちゃくちゃ面白そうな話題じゃん」

 

 

 

 

 ゴク、と以為さんがコーヒーを飲みながら立ち上がる。

 

 

「ちょっ…!」

 

 

「あー。わたしも少し気になるわ。アンタらの好み」

 

 

 パキ、と釘崎さんも買ったばかりのスポーツドリンクを開けて中身を飲んだ。

 

 

「因みに私は、金があって甲斐性があって頭が良くて清潔感があって私に尽くす男ー」

 

 

「執事喫茶にでも行ったら?」

 

 

「年上だからってはっ倒しますよ以為さん」

 

 

 ごめんて、と以為さんが笑う。

 

 

 「「……」」

 

 

 待ってくれ。これ本当に言う流れになってない?そう考えて伏黒君と視線を交わす。しかし伏黒君は首を振ったあと明後日の方向へと視線を外した。恐らく勝手に話題が変わる事を期待しての行動だろう。

 

 

「好みのタイプか……」

 

 

「おい吉野…?」

 

 

 だがそう言われればと自分の好みについて考える。胸が大きい女性、お尻が大きい女性、性的な魅力は確かに感じるのだろう。だけど、ソレかと問われると首を傾げざるを得ないと思う。そうすると……。

 

 

「……母さんみたいな人?」

 

 

 思いついた感覚を言葉に出して後悔した。これじゃぁマザコン男じゃないか。流石に釘崎さんもいるこの場でその発言はマズい。そう考えて釘崎さんへ視線を送る。

 

 

「……マザコンかよ」

 

 

 げぇ、と顔を歪めた釘崎さんがこちらをゴミを見るような目で見た。

 

 

「ちょっ、違うんだよ釘崎さん!別に母さんに性的な魅力を感じるとかそういうんじゃなくて…!!」

 

 

「性的な魅力感じてたらドン引きだわ」

 

 

 スゥ、と一歩釘崎さんが退いた。

 

 

「ぁああそういうんじゃなくて…!!」

 

 

 どう誤解を解くべきかと考えていると。大男が頷いた。

 

 

 

 

「成程な。母親のような女。悪くない……。現に研究等でも男は幼少期に見た母親の像に近しい女を愛するようになりやすいそうだ。――だが!!ありきたりだぞ級友(クラスメイト)よ!!そのままではお前は卒業後連絡も取らん赤の他人になりかねない……精進しろ……」

 

 

 

 

「クラスメイト?……何?……僕馬鹿にされてる?」

 

 

 伏黒君の方を見ると、知らんとばかりに肩を竦めた。

 

 

「これ俺も言う流れなのか?」

 

 

「僕だけ火傷するのは許さないよ?」

 

 

 もう釘崎さんの方を怖くて見れないけど、こうなった以上伏黒君も道連れだ。数秒考え込んだ伏黒君は溜息をついた。

 

 

「別に……好みのタイプとかはありませんよ。その人に確固たる信念と人間性があれば。それでいい」

 

 

 ずっ――

 

 

「――ズルいよ伏黒君!何その逃げ方!」

 

 

「逃げって言うな!」

 

 

「そりゃないわ〜伏黒君」

 

 

「なっ…!」

 

 

 やれやれといった顔で以為さんが溜息をついた。ここまで言われるとは思っていなかったのか伏黒君が狼狽える。

 

 

「まぁ妥当な所よねー。これで胸が大きい女とか言ってたらぶっ飛ばしてたわー。」

 

 

 だが釘崎さんが同意してくれたのかホッとしたようだった。

 

 

 

 

 

「やっぱりな………。退屈だよ…伏黒……」

 

 

 

 

 とはいえ、同じ男としては気に食わなかったのであろう。東堂君は溜息を吐いた。そしてズドン!と言う音と共に気付いたら隣の伏黒君が殴り飛ばされていた。

 

 

「ちょっ――伏黒君!?」

 

 

 数度地面を転がった伏黒君はゆっくりと立ち上がり東堂君を見据えて構えた。東堂君もまた首を鳴らしながら歩み寄る。

 

 

「見た目で相手を判断するのは失礼だ…。だから俺は必ずこの質問をするようにしてる。だけど……やっぱりお前は退屈だったな……」

 

 

「東堂……やっぱりあんた、あの東堂か。去年のクリスマスに起きた百鬼夜行の時の」

 

 

「……多分俺だろうな」

 

 

「そうか…」

 

 

 ズズズ、と伏黒君の影が広がる。

 

 

「鵺+蝦蟇……不知井底(せいていしらず)

 

 

 翼の生えた蛙が伏黒君の周囲に現れた。十種影法術…だったかな。絵になる術式だなぁといつも見て思う。

 

 

「やれっ!」

 

 

 伏黒君の号令と共に蛙たちが舌を伸ばし東堂君の手足を絡め取るが、東堂君はとてつもない膂力を持って蛙たちの舌を引き千切り、蛙たちを打倒していく。そして蛙たちの壁を突破した勢いのまま伏黒君をも殴り付け、弾き飛ばした。

 

 

「凄い……」

 

 

 見た目に違わぬ膂力。呪術師として修行を始めたばかりの自分では数年を掛けてもあそこまで到達することは出来ないと思う。だが、東堂君の動きに目を奪われていたのもそこまでだった。直ぐに東堂君が周囲の建物に衝突させるように伏黒君を引きずり回しているのを見て危険な段階になったのを理解したからだ。

 

 

「えぇ…。やりすぎでしょ…」

 

 

 流石にやりすぎだと思ったのか、同じ事を感じたのであろう以為さんは重い腰を上げた。

 

 

「ちょっと止めてくる」

 

 

 そういって懐から煙草とライターを取り出した以為さん。ピィンと鳴った小気味よい音、そしてジッと擦られた火打石(フリント)。チリチリと紙巻き煙草の先に紅い火が灯った。

 

 

「………」

 

 

 少し前まで煙草は嫌いだった。学校の不良達を思い出すから母さんが煙草を吸うのも止めてほしいしと思ったし、見知らぬ人間が近くで吸うのも嫌だった。だけど、以為さんは不良達とはもちろん他の人間とも違うように感じた。なんと言えばよいか難しいが、この人が煙草を吸う姿は時間の流れが変わっている感じがするのだ。忙しなく働いた時に生まれた隙間時間に吸う人々とは違う、ゆったりと流れる様な時の流れがこの人の吐き出す煙には見えた。

 

 

 

 

 この人の煙草を吸う姿は、少しカッコいいと思うようになった。

 

 

 

 

「行ってくるね」

 

 

 ふぅぅぅ、と白煙と共に幾つもの泡を周囲に撒いた以為さんは泡の一つを踏みつけ、思い切り駆け出した。

 

 

 パン!という泡の炸裂音と共に以為さんの身体が押されるように加速し、別の泡を足場に空中へとも駆け上がる。

 

 

「やっば……」

 

 

 隣で釘崎さんが感嘆の溜息を吐く。これで今年から呪術師になった人間なのだから末恐ろしいといえるものだろう。現に数秒と掛からずに以為さんは20m近い高さを跳び東堂君の元へとたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 「はい、そこまで」

 

 

 そう言いながら、結界を東堂君と伏黒君の間に張った瞬間。

 

 

『動くな』

 

 

 「あだっ!」

 

 

 

 という言葉と共に身体が動かなくなり、飛び上がった勢いを殺すことができないまま俺は地面に胴体着陸した。

 

 

 

 

 

 

「わさび……」

 

 

 ペコペコと頭を下げる二年生の狗巻君。しっかり話した事は無かったが、呪言師ということで語彙を絞っていると言う事は聞いていた事とみたままに謝っているのだろうというのは理解出来た。

 

 

「良いよ別に、狗巻君も二人を止めようとしてくれたんでしょ」

 

 

「ツナツナ」

 

 

「まぁ位置的に上にいた俺が悪いし、もうこの話終わりってことで。で、もう満足したの東堂君?」

 

 

 狗巻君の肩を叩いて東堂君の方を見れば、東堂君は伏黒君から離れて自販機のある下へと向かう階段へと向かっていた。

 

 

「……まぁな。だが、この程度だというのなら乙骨か最低でも3年を連れてくる事だ。退屈で適わん……学ランどこやったっけ」

 

 

「さっきの自販機の所だよ。じゃあ、俺も真依ちゃんとご飯行く約束だから、伏黒君またねー」

 

 

 額から血を流している伏黒君だが、治療をすればどうとでもなるレベルの傷だ。わざわざ家入さんの所に肩を貸して連れて行く必要はないだろう。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

「お待たせー」

 

 

「あ、以為さん…!伏黒は…?」

 

 

 普段は気の強そうな態度を取っている釘崎さんだったが、俺と東堂君だけが戻ってきた事に不安を覚えたようだった。

 

 

「問題無いよ。家入さんの所に行けば治る程度の怪我だから」

 

 

 そういうと安心したように釘崎さんは溜息をついた。

 

 

「ごめんね真依ちゃん。待たせたね」

 

 

「いえ……」

 

 

 既に戻ってきていた真依ちゃん。先程とまでは言わないが、やはりまだショックを受けているのであろう真依ちゃんは少し俯いたままだ。

 

 

「真依ちゃん、さっきの事は――」

 

 

 確かに言い方がキツかったかもしれないとこちらも謝ろうと近付いた瞬間、ヂャッ、と真依ちゃんがこちらに向けてリボルバーを構えた。ギッ、と身体が硬直する。

 

 

「…真依ちゃん?」

 

 

「止まりなさい………()()

 

 

 背後へと向けられた言葉。よく見れば、真依ちゃんの構えたリボルバーの射線は微かにズレているように見える。ゆっくりと振り返ると、目の前に鞘に収められてはいるが薙刀の切っ先のようなものが突きつけられていた。

 

 

「お前が……以為和貴か?」

 

 

「そうだよ」

 

 

 真依ちゃんの銃口を降ろさせる。問いに答えるとギチ、と真希ちゃんが歯を鳴らした。

 

 

「真依に手を出してみろ。殺すからな」

 

 

 それだけを言い、切っ先を下ろして釘崎さんと歩いて行く彼女。………。

 

 

「………それは君が関与する事じゃないだろ?」

 

 

 歩いていく背中にそう声を掛けると、真希ちゃんはゆっくりと振り返った。

 

 

「あ?」

 

 

 ズンズンとこちらに近付いてきた真希ちゃんに胸元を掴み上げられる。無視するように溜息を付きながら、胸元から煙草を取り出し咥えた。

 

 

「君からすれば真依ちゃんは禪院家の都合で政略結婚に巻き込まれた可哀想な妹で、俺は憎き相手、ともすれば彼女を犯すかもしれないロリコン野郎かな?」

 

 

 だけど、と煙草に火を点ける。

 

 

「日本の現行法では真依ちゃんは既に結婚が可能な年齢だ。当然俺もね。結婚したとして、後々の生活もハッキリ言って安泰。禪院家の資金援助もあるし、俺自身今現在は二級術師までには成れたから。一級になれば禪院家の資金援助が無くても真依ちゃんを養える。子どもを授かるようなことがあればその子もね」

 

 

 パクパクと口を動かす彼女の手を払い、襟を正してネクタイを軽く締め直す。

 

 

「な……あ……」

 

 

「16歳の君にこんな事を言うのは酷かもしれないけどさ。君は家を出たんだろう?真依ちゃん曰く家出同然だと聞いた。その君が……()()()()()()()()()()()()()()()()、何故今更()()()()()()だと勘違いしているんだい?」

 

 

「それは!真依を巻き込まない為に…!」

 

 

 声を荒らげようとした彼女の前に手を出して制止する。

 

 

「現に真依ちゃんは呪術師を続けてるじゃないか。彼女と長く暮らしてた君なら分かるはずだろう。彼女が呪術師を辞めたがっていること、呪霊を恐れていること。会って3ヶ月も経っていない俺でも彼女の性格の大体は分かったつもり。で、君は彼女になにか出来たのかい?」

 

 

 真希ちゃんは押し黙ってしまう。

 

 

「……君はこうしたかったんだろ。家を出る事で禪院家の支援を受けずに己の力のみで階級を上げて一級にでもなって家を見返す。あまつさえ妹の処遇を改善させる。姉として。自分が禪院家の重要な立場になって彼女を解放する。好きに生活をさせて表の世界に送り出すってところかな?」

 

 

 溜息とともに薄く白濁した煙を吐き出す。

 

 

()()()()()()()()。そもそも君が禪院を名乗る限り君が結果を出しても、君を知らない人間は禪院の血縁だからと片付けるだろうね。血は一生纏わり付くんだよ。俺がこの世界に以為(いい)家としてではなく以為(おもえらく)家として戻って来たように」

 

 

 そもそも、と真依ちゃんへと視線をやる。

 

 

「彼女は遅かれ早かれ救われるよ」

 

 

 真依ちゃんが目を瞬く。

 

 

「何故かといえば俺と結婚するから。俺は彼女をこの世界から離れさせる。それは禪院家も承知だろ。これは俺の予想…というかほぼ確定だと思うけど、彼女はそもそも禪院家と以為家の繋ぎとして俺に宛てがわれた。御三家と言う拮抗した家々のバランスを、俺というカードで禪院家がリードする事になる。以為家の術式なら天皇家への守護を一挙に引き受ける事ができるからね。そんな俺の血と術式を、相伝の術式を持たない彼女を宛てがうことで得られるのなら安いもの、そう考えたんだろう。俺もそれを理解して尚彼女に禪院家との間を持ってもらってる。禪院家の政に利用されるのなんざ百も承知。ならなぜそれでも尚、俺が彼女と共にいると思う?」

 

 

 

『彼女の事が好きだからだよ』

 

 

 

「――え」

 

 

 

「俺は彼女程箸使いが綺麗な人を見たことが無い。所作が綺麗な人を見たことが無い。立ち振る舞いが綺麗な人を見たことが無い。顔立ちが綺麗な人を見たことが無い。スタイルが綺麗な人を見たことが無い。いつもは強がってるけど、ふとした時に弱さを垣間見せてしまう彼女を愛らしいと思ってしまう」

 

 

「な……」

 

 

「だから、俺は彼女をその内に娶るよ。絶対に彼女を幸せにする。何故なら野良犬同然の俺が彼女より素晴らしい人に生涯出会う事は無いだろうから」

 

 

「………」

 

 

「行こっか真依ちゃん。じゃあ、今度の交流会頑張ってね」

 

 

 呆気に取られた真希ちゃんを置いて歩き出す。

 

 

「何が食べたい?」

 

 

「え、あぁ……えっと……」

 

 

 オロオロと返答に迷う真依ちゃん、すると俺の俺の隣に東堂君が並んだ。

 

 

「誇れ。禪院。観衆の前であぁも言い切れる男はそう居ない」

 

 

「っ――!茶化さないで下さい!」

 

 

 顔を真っ赤にしながら真依ちゃんが東堂君を睨み上げる。普通にかわいい。詰められた東堂君は白々しい演技で肩を竦めた。

 

 

「おいおい、仕方無いだろう。帰り道が途中まで一緒なんだ。良い話の種になる。して、Mr.以為。貴方の好みのタイプとは?」

 

 

「真依ちゃん」

 

 

「ははは!無粋だったな!」

 

 

「もうっ!なんて人達!!」

 

 

 ニヤニヤと東堂君が問いかけて来たため、望んでいるであろう答えを返す。当然顔を真っ赤にしながら真依ちゃんは前をズンズンと歩いていってしまった。

 

 

「禪院にあのような顔があったとはな」

 

 

「東堂君?」

 

 

「おっと、安心してくれMr.以為。変な勘違いをしないでくれ。以外だったというだけの話だ。それに……俺には心に決めた女性(ひと)がいるからな」

 

 

「へぇ。どんな子なの?」

 

 

「ふふふ、それは――この子だ!!」

 

 

 そう言いながら東堂君はスマホの画面を見せて来る。何処かのブースで東堂君と女性が並んで写真に写っていた。これは仲睦まじい男女というより……アイドルとかのする撮影会みたいなものじゃないのだろうか?後ろめっちゃスポンサーの看板あるし。

 

 

「長身アイドルの高田ちゃんだ。俺は彼女こそ生涯の伴侶だと考えている」

 

 

「……おぉ……そうなの」

 

 

「ふっふ、どうだ?この後俺は高田ちゃんの個握に行くつもりだが、Mr.以為が暇なら来るといい。禪院の分もチケットは余りがある」

 

 

 ………。

 

 

「へぇ、少し面白そうだね。握手会とか無縁だったからなぁ。行くよ」

 

 

「よし、ならば後ほど連絡してくれ。流石に二人の間を割って食事に行くほど俺の面は厚くないのでな」

 

 

「了解」

 

 

 連絡先を交換して真依ちゃんの後を追う。因みに、この後の食事も普通に楽しかったし、高田ちゃんの握手会も二人の感想としては『悪くない』であった。



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第9話 姉妹校交流戦

 東京校の一室。この座敷に楽巌寺学長により京都校の学生全員が集められた。内容はつい先程東京校の五条悟が行ったサプライズという茶番で宿儺の器である虎杖悠仁が生きていた事が判明したからだ。それからというもの楽巌寺学長の機嫌が非常に悪い。重苦しい空気の中、楽巖寺学長が一度髭を撫でてから口を開く。

 

 

「交流戦というものにアクシデントは付き物だ。なぜなら敷地内に呪霊を放つのだからな。何が起こってもおかしくは無い。儂の言いたい事はわかるな?」

 

 

 ...まぁそんなところだろうとは思ってはいた。楽巌寺学長は呪術師の中でも生粋の保守派だ。両面宿儺の器である虎杖悠仁の死刑にも賛成していたし積極的にそうするべきだと発言している。故にこの交流戦で虎杖悠仁を殺せと、そう言っているのだろう。

 

 

「下らん」

 

 

 するとそう言って東堂先輩が部屋を出ていこうとした。だが加茂先輩が東堂先輩の前に立ちはだかった。

 

 

「待て東堂、どこへ行く」

 

 

「部屋だ。もうすぐ高田ちゃんがゲスト出演する番組が始まるからな」

 

 

 いつも通りの理由で、振り回されている私は慣れたものではあったが堅物を呪肉させたような人間の加茂先輩は納得できないのであろう、眉をひそめた。

 

 

「戻れ。番組は録画すれば良いだろう」

 

 

「リアタイと録画両方見るんだよ。何を企もうが勝手にしろ。だが…、俺の邪魔をしたら殺す」

 

 

 加茂先輩が正論を述べたものの、聞く耳を持たずに東堂先輩はそれだけを吐き捨て部屋を出ていった。

 

 

「良いんじゃない?東堂君はチームワークとかって柄じゃないし。私達は私達でやりましょう」

 

 

 東堂先輩を横目で見送った桃がわかっていたと言わんばかりに爪先のネイルを弄りながらそう言う。しかし――

 

 

「今回は私もパスするわ」

 

 

 私がそう言うと周囲の人間と共に桃はハッとした顔でこちらを見上げた。

 

 

「どういう事?」

 

 

「だってメリットが無いもの。皆はともかく私は宿儺の器、虎杖悠二を殺したメリットよりも遥かにデメリットの方が大きいから」

 

 

「以為殿か?」

 

 

 少しだけ思案したように加茂先輩がため息をついた。

 

 

「さっきのサプライズの時、和貴さんは当たり前のように虎杖悠仁と話してたわ。それに面識の無い筈の東京の新しい一年生も。つまり虎杖悠仁が生きていることを隠していたときにはもう親しくなってたんでしょう。だからパス。というかもし貴方達が虎杖悠仁を殺そうとするのなら私はそれを阻止させてもらうわよ」

 

 

 そう言うと、楽巌寺学長はこめかみを掻いた後溜息をついた。

 

 

「東堂だけならばまだしも、禪院までも反対というのならば仕方ない。お主らはそのまま交流戦に勝つ事だけを考えよ。先の話は忘れよ」

 

 

「そうですか。では失礼します」

 

 

 廊下を進む中でスマートフォンを取り出し、以為さんへ電話をする。

 

 

「和貴さん、少しお話したい事が」

 

 

 楽巌寺学長はあぁ言っていた。だがあの人がこの機を逃すはずは無い。必ず何かしらの手を使って宿儺の器を殺そうとするだろう。なら私はそれを阻止させてもらう。

 

 

*

 

 

「悠仁を守ってほしい……ですか?」

 

 

 交流戦前最後のミーティングの途中で和貴さんに呼び出された僕は、ミーティングを途中で抜け和貴さんと合流して校舎そばのベンチに腰かけた。

 

 

「そ。真依ちゃんからのタレコミでね?真依ちゃん曰く京都校でこの機に悠仁を暗殺しちゃおうぜ作戦が練られてるらしいんだ」

 

 

 真依ちゃん、と聞き少し前に東京校へと来ていた女性を想起する。だがそのあとの暗殺作戦という単語に正直言ってそこまでするのかとドン引きした。

 

 

「ですがそれを何故僕に?全員に知らせればそれでいいのでは?」

 

 

 そういうと少しだけ困ったように和貴さんは笑った。

 

 

「それも出来るんだけど、それで君達が初動から悠仁をガン守りしますシフト敷いちゃったら情報が漏れてることが京都校にバレちゃうでしょ?そうすると誰から漏れたってことになって、結果真依ちゃんが疑われちゃう。この場はそれで凌げても、その後の彼女の学校生活に影響が出ちゃう」

 

 

 確かに、手の内をバラした人間と仲良く出来るかと言えば絶対に出来るとは言い難い。後に聞いて驚いたことであったが、彼女は和貴さんの許嫁に当たる人であることから和貴さんも彼女のことを考えて行動しているようだ。

 

 

「ということは僕達は最初は真っ当に交流戦を行って途中から気付いた体で悠仁を守りにいって欲しいと」

 

 

「正解。最初は順平と悠仁で組んで欲しい。順平の澱月は攻守に優れてるし、他の式神も使おうと思えば撹乱に使えるでしょ。あ、一応毒を打ち込んじゃ駄目だよ?式神によっては京都校の子死んじゃうから」

 

 

 修行の成果から、僕は既に複数の式神を扱えるようにはなっていた。伏黒君のように同時に複数とはいかないが。

 

 

「そこは留意しておきます。毒性も弱めの式神を使います。しかし僕よりも伏黒君とかのほうが適任だと思うんですけど…?」

 

 

 正直毒を用いる僕の式神よりも走攻守に優れた伏黒君の方が適任だ。だが和貴さんは肩を竦めた。

 

 

「いいや、伏黒君には呪霊の索敵の役割がある。そもそもこの悠仁を守ろうぜミッションのクリア条件は悠仁が無事なままこの交流戦を終わる事。つまり、最速で呪霊を祓いきればそれだけクリアが近づく。事故を装って悠仁を殺すにはこの交流戦でしか不可能だろうし」

 

 なるほど。伏黒君の策敵能力を活かしてそもそもの根本的な危険性を排除するということか。

 

 

「わかりました。必要かはわかりませんが可能な限り僕が悠仁を守ります。でも動きがあったら早めに連絡を回しますからね」

 

 

「よろしく!俺は見学と脱落した子の回収要員になってるから、何かあればすぐ向かうね」

 

 

 そう言って和貴さんはスマートフォンを取り出し誰かに連絡しながら歩き去っていった。

 

 

「よし」

 

 

 前に伏黒君と戦った東堂という京都校の生徒を思い出す。あの人に勝つのは今の僕にはほぼ無理だろう。だが、勝たなくていい。時間を稼げば良いのならやりようはある。程なくして、東京校の生徒が集まる。もうすぐ試合開始だ。

 

 

 

「じゃあ和貴はそのまま回収よろしく」

 

 

「えぇ。了解しました」

 

 

 スマートフォンを懐にしまい込みベンチから腰を上げる。今回の対抗戦で俺は戦闘続行が不可能になった子達の回収要員として、モニタールームとは違う現場にすぐ迎える溜池のベンチにいた。

 

 

 順平は俺の要望通りの働きをしてくれた。戦況は呪霊を狩る試合から悠仁を護る東京校と害そうとする京都校の二者の戦いとなり、既に真依ちゃんは真希ちゃんと戦って敗北。三輪ちゃんが狗巻君の呪言で眠らされたらしい。さっさと回収しにいくかと煙草を揉み消して携帯灰皿の中へと落とし、蓋をした。

 

 

「あ?」

 

 

 すると、上空で帷が展開されたのが見えた。さて、どういうことかーーそう考えながら立ち上がるのと同時に遠くでとバキバキと樹木が意志を持ったかのように幾重にも重なり、うなりながら巨大な蛇の如くのたうち回っている。俺の記憶が正しければあんな術式を扱う生徒はいない。

 

 

 

「...」

 

 

 指示を仰ごうとスマホを取り出せば帳に被われたため圏外の表示。しかし、圏外になる寸前に届いていたのか、ピコ、と気の抜けた通知音と共にメッセージが表示された。

 

 

 

『たのんだ』

 

 

 

 たった一言だけ、だが変換すら惜しいと言わんばかりの一言のメッセージは五条悟から送られた絶対的な依頼。否応なくこの状況が高専の慮外の状況だとわかった。スマホを仕舞い目的地へと向け走り出す。目的地は、あの大蛇の如くのたうつ折り重なった樹木。

 

 

 

 

 

「急げ!」

 

 

 東堂さんの号令で走り出した僕と悠仁。元々開始早々に東堂さんの急襲を受けてそのまま戦闘に入っていた僕たち。視界の端に映った木々の濁流は、訝しんだ東堂さんが言うに京都校の誰の術式でもないことから何らかの異常事態を察するに十分だった。そうこうして現場へ向け急行している僕たちであるが、現状で問題なのはあのとてつもない物量攻撃を前にどうすればよいかわからないということ。

 

 

「どうしよう悠仁!」

 

 

「俺に言われてもなぁ!!おい東堂!お前なんかないのかよ!」

 

 

「落ちつけマイフレンド!俺に考えがある!」

 

 

「誰がマイフレンドだ!」

 

 

 少し前に東堂さんが東京校に来て僕や伏黒さんにした問答があってから何故かいたく気に入られた悠仁は、東堂さんからマイフレンドと呼ばれていた。

 

 

「お前達は俺が合図したら別々の方向に走れ!俺のIQ53万の頭脳が弾き出した計算によれば、この木を扱う術者は単独だが単独犯ではない。恐らく複数で動いている!」

 

 

 東堂さんの言葉に悠仁が訳がわからないと眉をひそめた。

 

 

「は!?単独だが単独犯じゃねぇってどういうことだよ!」

 

 

「多分!この木を操る術師は今一人だけど他の場所に仲間がいて!高専自体が襲撃されてるかもってこと!」

 

 

 僕がそう言うと東堂さんは頷いた。

 

 

「理解が早くて助かるぞ級友(クラスメイト)!帳を展開した理由、これが証左だ。帳で覆い隠しはするが、同時に攻撃は大規模であり著明。この明らかな矛盾。なにか隠された目的がありその目的を覆い隠したいが為の陽動と俺はそう見た。故に敵は複数犯、なら俺たちがすることは即座にこの敵を打ち倒すこと。そこで最初の別々の方向へと走れというところに行き着く。まず三人が別々の方向へと走り、敵を急襲し意識を割く。敵の攻撃が一人に集中したら残りの二人は迂回して木の根本へ向かい合流!術師を囲んでゲームセットだ!」

 

 

 パチン!と指を鳴らした東堂さん。妙に腹立たしい表情だが、話した作戦はマトモだ。この方法でいくしかないだろう。

 

 

「乗ります!」

 

 

「俺も!」

 

 

 僕たちの返答を聞き東堂さんが頷いた。

 

 

「進行方向を12時として俺級友マイフレンドで9時、12時、3時の三方向へそれぞれ別れて行くぞ」

 

 

「了解!!」

 

 

「おっけ」

 

 

「よし行くぞ。カウントダウン・・・3、2、1、今だ!」

 

 

 ドン!と各々がそれぞれ定められた方向へと向けて別れて走り出す。それと同時に術式を展開して澱月を召喚する。

 

 

「澱月!!」

 

 

 ズル、と澱月を漂わせて攻撃に備えつつ方向を変えてうねる木々の根本へと走り出した。距離にしておよそ100m程走ったところで既に東堂さんと交戦中の呪霊を視認する。開けた川原で拳を交える二人。そして、川原のそばで腹を押さえて踞る伏黒君や禅院さんがいた。

 

 

「・・・」

 

 

 初めての戦闘。恐怖を奥歯で噛み殺しながら、東堂さんと打ち合う呪霊を見た。白い肌と筋骨隆々な上半身を晒し、人間の目に当たる部分からは角のように木の枝のようなものが映えている。異様な見た目もあるが、なによりある程度距離が離れているというのにひしひしと伝わる呪力の圧。近づく程に呪霊の姿が大きくなっていくような錯覚すら覚える。およそ30m程まで接近したところで東堂さんと拳を交えていた呪霊の顔が一瞬だけこちらへと向けられた。

 

 

「うっ」

 

 

 ズン!と重圧がからだ全体にのし掛かる。まず間違いなく呪霊に気づかれた。だが下がる訳にはいかず、この期を逃すわけにもいかない。このまま攻撃する。

 

 

「澱月!!」

 

 

 澱月の触手を伸ばし、毒針を撃ち込む。しかし、ガチン!!という音と共に毒針が弾かれた。

 

 

「硬っ」

 

 

 澱月の毒針はコンクリート程度であれば抉る程度の威力はある。だがその澱月の毒針が弾かれるとなると僕の攻撃はかなり限定される。

 

 

『真人の育てた玩具ですか』

 

 

 出鼻は挫かれた。そう思っていた僕の脳内に響いたとてつもなく気味の悪い感覚。鼓膜に届いた音は全く意味がわからないのに、何をいっているのかが頭のなかに響いてくる。和貴さんや伏黒君から聞いていた、人間の言語を解する呪霊。そしてそれらの呪霊は総じて特級であるということだった。これが特級。身体の芯が冷えていくような感覚のなか、東堂さんはズン、と一歩呪霊に歩み寄った。

 

 

「級友よ。そのままその距離から隙を窺い続けろ。俺もいるし、マイフレンドもすぐに来る」

 

 

「・・・はい」

 

 

 まず間違いなく僕からしたら格上の呪霊であるが、東堂さんは堂々と特級呪霊の前に立ち構えた。素直に頼もしい。

 

 

『・・・仕方ありませんね』

 

 

 緩く呪霊が構えるのと同時に、東堂さんが呪霊に向かって走り出す。呪霊が東堂さんの突きを交わし、前蹴りを放つ。しかし東堂さんは体を捻り前蹴りを交わすのと同時に回し蹴りを放つ。ドン!と回し蹴りを防いだ呪霊の姿勢が崩れる。それを好機と見た東堂さんが攻めようと足を踏み出した瞬間、地面が隆起して木の根が東堂さんの喉元へと迫った。

 

 

『眠りなさい。人の子よ』

 

 

 避けきれない。澱月の触手も間に合わない。

 

 

「フンッ!!」

 

 

 そう思った瞬間、バキン!!と悠仁が木の根を蹴り折って二人の間に飛び込んできた。悠仁の姿を見た東堂さんがニヤリと口角をあげる。

 

 

「来たか」

 

 

 東堂くんの言葉に応えるように悠仁が拳をパン、と手のひらに打ち付ける。

 

 

「おぉ。この距離ならマトモにやりあえるぜ」

 

 

『宿儺の器・・・』

 

 

「奴は硬いぞマイフレンド。有効打は限られる」

 

 

「っつーことは」

 

 

「お誂え、アレをやる。いいなMBF、怒りを呪力に変えろ。だが感情に呑まれるな」

 

 

「あぁ」

 

 

 アレ、とは呪霊の奇襲を受ける以前に東堂さんが言っていた黒閃という攻撃のことであろう。というか実戦でいきなりやるのはすごいな。ゆっくりと構えた悠仁が目を見開いて呪霊を見る。呪霊もまた構えをとる。

 

 

『・・・』

 

 呪霊の身体が僅かに揺れた瞬間、悠仁の足が川辺の砂利を踏みしめた。

 

 

「  」

 

 

 ズドン!と巨大な鉄塊が衝突したような音と共に腕を畳んで悠仁の拳を防いだ呪霊の身体からギシギシという音が響く。バシャ!とたたらを踏んだ呪霊を見ながら息を吐いた悠仁だったが、東堂さんはそのまま悠仁へと近づくとその頬を叩いた。

 

 

「先の伏黒恵を見て、禪院を見て、怒りに呑まれたな」

 

 

 すごい威力に見えたが、東堂さんからすると先の攻撃は黒閃には至っていないということだった。

 

 

「もう一度だ。怒りを呪力に。もう一度」

 

 

「あぁ」

 

 

 再び悠仁が構えをとる。まるで呪霊の体内を見透かすように、あるいは呪霊の背後の遠くを見つめるように悠仁の目が広く呪霊を捉えた。タラリと悠仁の唇の端から涎が垂れて顎を伝った。

 

 

 ドン!と両者が同時に飛び出す。呪霊の足元から木の枝が飛び出し、悠仁の顔面へと迫る。しかし悠仁は顔を数度傾けるのみで紙一重で枝をかわして懐へと潜り込んだ。

 

 

「ッ」

 

 

 ドパン!と川原の水すらも衝撃で巻き上げるような一撃。その衝撃は防いだはずの呪霊の腕が折れ曲がり、だらりと力無く垂れ下がるほど。

 

 

『ッッツ!!』

 

 

 肩を押さえた呪霊が膝をついた。かなり効いたのだろう。

 

 

「成ったな。マイフレンド。だが時間がない。このまま一気に畳み掛ける」

 

 

 安心したように東堂さんが悠仁の肩を叩いた。呪霊はその顔を苦痛と苛立ちに歪めながらも立ち上がる。

 

 

 

 

「ごめん遅くなった」

 

 

 

 

 パシャ、と川原の水のなかに着地したのであろう。和貴さんがゆっくりとこちらへと歩いてきたのが見えた。

 

 

「和貴さーー」

 

 

 その姿を捉えた呪霊と僕たち。特に僕や東堂さん、悠仁の意識が和貴さんに向いた瞬間、呪霊はドン!と地面に手を着いた。

 

 

『領域展開』

 

 

 ゾクリとした悪寒が背筋にはしった。そして地震のような地面の揺れと共に周囲の地面が隆起し、木の枝や根がバキバキと折り重なり、周囲を覆って囲んでいく。

 

 

「しまった・・・!!」

 

 

 そういうのとほぼ同時に、周囲が木と葉のドームのようなものに覆われとても心もとない薄暗い木漏れ日のみしか明かりのない闇に包まれる。

 

 

朶頤光海(だいこうかい)

 

 

「やられた!!取り込まれた!」

 

 

 呪術に関する知識の浅い僕にもわかる。領域に取り込まれる意味。それが意味するのは必中必殺の攻撃を受ける間合いに入ったということ。つまり、ほぼ確実に死ぬということだ。

 

 

『これを使うのはこの場の生命達に忍びない。そう思い使わないと決めていましたが、貴方がこの場に来るというのなら話は別。貴方は必ず殺せと、そう言われている』

 

 

 そう言って呪霊は和貴さんを見た。だが当の和貴さんは周囲を見回すだけ。どういうわけかこの呪霊は先に痛手を与えた悠仁や東堂さんを既に放置して和貴さんにのみ最大の警戒心を向けている。それを好機と見たのか、悠仁と東堂さんが先手必勝と言わんばかりに呪霊へと向けて拳を振るった。

 

 

『無駄です』

 

 

 瞬間、グチュ!という音と共に二人の肩口から血が吹き出して花が咲いた。

 

 

「っ!!」

 

 

「うぅおおおお!?」

 

 

 グチャグチャ!血肉を掻き分けながら二人の肩を植物の根のようなものが巻き付いていく。

 

 

「くっ!」

 

 

 東堂さんも悠仁も植物を引きちぎった瞬間、今度は二人の背中や太ももから花が咲く。

 

 

『荒涼の大地から豊かな自然がなぜ生まれるか。それは小さな命が大地に根付き、枯れて新たな命が芽吹く源となり、また新たな命がその命を終えて新たな命の源となる。その輪廻の繰り返しの果てに豊かな自然は生まれる。領域、朶頤光海はその命の変遷を高速で行う。数百、数千という年月をかける植物の繊維は、僅か数秒で行われる。その際に必要な養分は、深くは語りません』

 

 

 周囲で様々な鳥や小動物が地面に落ちては、花が咲き、樹木が取り込んで大地に還った。ふと、違和感を感じて手を見れば手の甲を緑色の苔が覆っていた。そして次の瞬間には苔は茶色に変色し、鋭い痛みと共にグチュ、と植物が芽吹いて蕾を開いた。

 

 

「う、うわぁぁぁ!!」

 

 

 恐らく、この植物は生き物の肉のなかに根を張ってその血肉と呪力を養分とする。そしてその植物の基となる苔の胞子は恐らく空気中に漂っている。つまり、この場にいる限り全身からこの植物が生えてもおかしくはない。

 

 

極致(きょくち)ーー三代目(さんだいもく)相円奇円(あいえんきえん)

 

 

 パキ、と和貴さんが指の骨を鳴らした。

 

 

「この術の効果は領域の必中及び必殺効果の相殺。だからたぶんもう植物は生えてこないよ」

 

 

「か、和貴さん!」

 

 

 確かに自分の他の部位にも植物は生えていないし悠仁や東堂さんも既に植物を取り払っている。負傷はしたものの容態は落ち着いているようだった。

 

 

「だけどまぁ、これをそのままにしておくと術式効果の底上げもあるしじり貧だから俺達でさっさと祓おう」

 

 

「ぼ、僕もですか?」

 

 

「当然。呪術師なんだから。格上だけど、順平の術式なら相性自体は悪くないはずだ。勝てる勝てる」

 

 

 自分に出来るのかと些か不安ではあるが、この人が言うなら、賭ける価値はあるはずだ。

 

 

「・・・はい!」

 

 

『まさか領域の相殺手段を持っているとは・・・やはり真人達の言う通り危険な存在。全霊で討つ必要がありそうですね』

 

 

 パキ、バキ、と周囲の木々が意識を持ったように呪霊の元へと枝先を集めた。

 

 

「行ける?順平」

 

 

「はい!」

 

 

 

*

 

 

 

「ぶっちゃけさ、和貴からみて順平ってどう?呪術師として」

 

 

 唐突に一年生の体育の授業を抜け出していた五条さんが応接室のソファで横になりながら問いかけてくる。

 

 

「・・・どうとは?術式は扱えますが?」

 

 

「術式の有無じゃなくて、精神面的な話」

 

 

 その答えにやっと得心がいく。

 

 

「あぁ、そういった意味では呪術師には向いてはないんじゃないですか?大きな理由がない限り呪詛師とか殺せないでしょうし」

 

 

「認めるんかーい。じゃぁ何で此方引き入れたのさ」

 

 

「そこはまぁ認めた貴方も同罪です。というか別に呪術師なら人も殺せるとか、生き死ににドライであるべきとかそういう精神面は俺はどうでもいいと思ってるんですよね。大切なのは、呪詛師なら殺すと決めたときに殺せるか、呪霊なら祓うと決めたときに祓えるかでしょう」

 

 

 それいっちゃおしまいでしょ。そう言う五条さんはぐったりとソファの肘掛けに頭をのせた。

 

 

「俺はいいと思いますよ。順平。保守派の皆さんも順平の術式は好みだろうし」

 

 

「そりゃあね」

 

 

 高専での修行を経た順平は伏黒君の十種影法術のように新たな式神を扱えるようにまでなった。かなり尖った式神だが、その性能は破格。順平は、理由さえ与えれば呪術師として大成するはずだ。

 

 

「教師も悪くないかもな。資格ねぇけど」

 

 

「なに?先生なんの?ようこそ残業とストレスのこちら側へ」

 

 

「サボりまくってる貴方にストレスも残業もないでしょ」

 

 

*

 

 

仆術(ふじゅつ)看做死骸(みなしがい)

 

 

 ずる、と背中に巨大な巻き貝がのし掛かる。相変わらず重い。

 

 

「ふぅ」

 

 

 ずるずると背中を這う看做死骸を肩まで移動させる。毒性を高めるためか縛りの都合で看做死骸は5~6歳児程度の大きさになっている。そのため動かしづらく、扱いにくさが目立つがその代償に毒性はとても高い。基本的に召喚する澱月を大きく越える毒性は現状二級呪霊相手までなら祓えなかった相手はいない。問題は、特級呪霊にも看做死骸の毒が通じるか否か。

 

 

 

「いつ見ても見た目やばいよねそれ」

 

 

「え、可愛くないですか?」

 

 

 うへーと顔を顰めた和貴さんは柄シャツのボタンを一つ緩めると、袖を捲った。

 

 

「確実に毒を打ち込む為に俺が削るよ。東堂君、悠仁、二人は様子見で、行けそうなら援護よろしく」

 

 

「不甲斐ないなこれは」

 

 

 自嘲気味に笑った東堂君と悠仁が呪霊から距離を取るのと同時に和貴さんが懐から小さなカッターを取り出した。

 

 

「これ痛いんだよな」

 

 

 そう言いながら両の手の平を横一文字に切る和貴さん。

 

 

「あぁ、そうだ。以為家(うち)の術式なんだけど、基本的には自分の結界に相手を取り込んで殺すんだけどこうして相手の領域に敢えて入る事がある」

 

 

 何故か、と和貴さんが話すのと同時に切り傷から赤黒い拳大の泡が一つずつ現れた。和貴さんは泡を掴むのと同時に自身に迫った枝を蹴り折って打ち払った。

 

 

「それは一々何枚も結界を張る必要が無くなるからなんだよな。本来こいつを扱うには俺なら結界の重ね掛けと出血という縛りがいるんだけど、相手の領域という土俵。ウチがそれを利用しないわけがない。簡易領域ーームソウ・ウタカタは相手の領域内ならこうして簡単に扱える」

 

 

 指で作った輪に息を吹き込んでいつもの泡を周囲に漂わせると、樹木を殴り折りながら呪霊へと飛び込んだ和貴さんと呪霊が拳を交えた。和貴さんの突きを呪霊は払い、蹴りを放つ。和貴さんがその足を掴もうとした瞬間蹴り足を軸に回転し呪霊はさらに踵落としを見舞った。咄嗟に腕を差し込んでガードをした和貴さんはたたらを踏んだ。

 

 

「痛った!!...やっぱ殴り合いは得意じゃないなぁ...」

 

 

 苦笑しながら和貴さんはぷらぷらと腕を振るう。

 

 

『術式、体術。大体の実力は掴めました。確かに、その泡は脅威。しかし相性が悪かった。私なら近づかず、圧殺出来る』

 

 

 先程とは打って変わり和貴さんの眼前に無数の樹木が迫る。和貴さんの振るう腕から発生した赤黒い泡の物量を遥かに上回る物量。

 

 

 

 

「確かに貴様とMr.以為は相性が悪いようだな。ーーだが、俺とMr.以為の相性は最高だぞ」

 

 

 

 

 パン!と言う小気味良い音と共に無数の樹木の枝先の前から和貴さんが消え失せた。そして

 

 

『かっはっ...!!』

 

 

 バクン!と特級呪霊の左脇腹が大きく抉られた。いつのまにか呪霊の背後に立っていた和貴さんはそのまま拳大の赤黒い泡を掴み取り、呪霊の顔面へと振るう。ズブン、と咄嗟に樹木を和貴さんとの間に張った呪霊。樹木を抉った和貴さんはまたパン!と言う音共に呪霊のそばから東堂君のそばへと移動していた。

 

 

「俺の術式不義遊戯(ブギウギ)は手を叩く事で呪力を持つ物体と物体の位置を入れ替える!その対象に生き物や無機物の境はない!つまり!この領域内に漂うMr.以為の泡全てが俺の不義遊義の対象!そして!」

 

 

 パン!パン!と東堂君が手を叩く度に和貴さんが、悠仁が、僕が、位置が泡と入れ替わる。

 

 

「この場にいる全員も術式の対象!賢しいが故に今貴様がどの立場に置かれているか理解出来る筈!!卑怯とは言うまいな!!」

 

 

『ッッ!!!』

 

 

 和貴さんが赤黒い泡では無い普通の泡を周囲に巻く中、ほんの一瞬、こちらへとアイコンタクトを送った東堂君。意図を理解して構える。

 

 

『舐めるなッ!!』

 

 

 呪霊を中心に、ドドッと地面が隆起し、飛び出た樹木が津波のように泡を飲み込んでいく。パン!と言う音と共に、僕と呪霊の位置が入れ替わり、樹木の向こうからまたパン!というか音が聞こえた瞬間ズドン!と言う玉突き事故でもあったのかと言うほどの衝撃音何回も聞こえた。そしてーー

 

 

「看做死骸」

 

 

 パン!と言う音で呪霊の死角に移動した僕が看做死骸の毒針を和貴さんが抉った呪霊の傷口に撃ち込む。看做死骸は普段の移動速度は亀のように遅く鈍重だ。しかし、その代償に針を打ち込む速度と針の頑強さ、そして毒の強さを掛け合わせた攻撃力は澱月とは比較にならない。ドズッという音と共に毒針が呪霊の傷口に突き刺さる。

 

 

『ギッ!!ガハアアァ!!ガッ!!ゴエッ!』

 

 

 呪霊が飛び退いた後、数秒で呪霊の口からゴボゴボと黒ずんだ血液のようなものがバタバタと漏れ出る。即効性も高い看做死骸の毒は確実に呪霊の内部をグズグズに溶かし腐らせているはずだ。この様子なら直ぐに動けなくなるはずだ。

 

 

『貴゛ッッ様らぁ゛ぁぁぁ゛!!』

 

 

 しかし激昂したのか呪霊が腕を覆っていた布を引きちぎった瞬間、呪霊の肩から赤い蕾が覗いた。虚ろに開かれかけた蕾の中心の瞳と目が合った瞬間

 

 

「皆、お疲れ様」

 

 

 その言葉とパン!と言う音と共に呪霊の頭部を赤黒い泡が喰い千切った。呪霊の背後に移動していた和貴さんが呪霊の頭を消し飛ばしたのだ。力無く崩れ落ちていく呪霊の身体が灰が巻き上がるように燃えて消え失せる。続いてバシュン!と言う音と共に呪霊の領域も解かれて消えた。

 

 

「よし、特級討伐。やっぱ聞いてた通り東堂君の術式と俺の相性最高だったね。即興で合わせてくれて助かったよ」

 

 

 一つ大きな深呼吸をして和貴さんが伸びをした。

 

 

「このような術式があると分かれば利用しない手は無い。しかし敵の硬度を無視して消し飛ばすなんて末恐ろしいな。これで体術が伴えば優に一級を名乗れる」

 

 

 周囲を見渡して安全を確認したのか自身のハンカチを傷口に当てて止血を始めた東堂君は腕や身体の調子を確認しながら悠仁に手を貸して起こした。

 

「そこはこれから鍛えるよ。五条さんや七海さんていう文字通り一級品の手本がいるからね」

 

 

「え゛、即興だったのか...」 

 

 

 悠仁もまた自分のシャツを割いて傷口を縛った。

 

 

「ふ、IQ53万の俺の頭脳ならばこの程度造作もないさ。しかしマイベストフレンド、黒閃の記録更新だな」

 

 

「あぁ...だけどそこまで意識してねぇよ。身体が動いたっつーか、なんつーか説明しづらい感じだ」

 

 

 こうしてこの三人を見てると今回自分が必要だったのかと思う。というか...

 

 

「でも僕必要だったのかなぁ。なんか蛇足というかなんと言うか」

 

 

 そうごちた僕の肩を和貴さんがポンと叩いた。

 

 

「いや、なんだかんだであの呪霊はずっと俺を警戒してた。最後の最後、順平の毒の痛みで怒りに思考が流されるまでね」

 

 

「ふ、マイベストフレンドのような純粋な火力とは違う毒という特殊な攻撃。特級の行動すら阻害するその威力は見事だった」

 

 

「本当だぜ。俺が黒閃何回か打ち込んでも耐えた奴がお前の毒一発で血反吐吐いてたんだぞ」

 

 

「そ、そうかなぁ...」

 

 

 そこまで褒めてもらうと恥ずかしくなってくる。照れ隠しに頬を掻くと、帳が解かれたのが見えた。

 

 

「帳も解かれたね。じゃあ家入さんのところ行こうか」

 

 

 そうして僕たちは特級呪霊を討伐するという偉業を成した。しかしこのすぐ後に知らされたのは宿儺の指と別の特級呪物を複数奪われたという事。しかも、それは死者の状態からまず間違いなく真人さんの仕業だった。先に東堂君の言っていた特級呪霊は単独だが単独犯では無いと言う推察は正しかった。痛み分けーーと言うには幾分こちらが分が悪い結果になった。

 

 

 この事件を経て、和貴さんは予め受けていた七海さんと東堂君の推薦を得て暫しの準一級術師の期間を以って一級術師へと昇格することとなった。




黒閃、クソ強毒、ガー不という初見殺し×3が高速で位置替えされる。つまり花御は死ぬ。


花御の領域は名前だけ判明してるらしいです。設定は適当に考えました。


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