少年とウマ娘たち - ススメミライヘ - (ヒビル未来派No.24)
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第1R「ヤクソクと約束」
fragment /○○られて始まる俺のトレーナー生活


 

 夢を見ることがある。

 

 それはとてもとても日常的な夢。

 

 その夢の中で出てくる少年はアニメや可愛いキャラが好きな普通の高校生で……何気ない日常を送っていた。

 

 でもそんな時、少年はあるゲームを見つけた。

 

 最初はバカにしていたが、やる度にどんどんハマっていき、そのゲームは少年の日常になるレベルになった。

 

 少年は元から創作心があり、自作の小説をとある賞に出すくらいはしていた。

 

 だからこのゲームからさらなる妄想を広める。

 

 そして少年は書き始める。

 

 賞に出す小説とは別に……二次創作の作品を……。

 

 輝かしい未来へ進む主人公と少女たち。

 

 物語は始まる……!

 

 そこでいつも夢は終わる。だからその少年が死んだのか、又は人生を全うしたのかは俺には分からない。

 

 でもその少年は最後まで「次は平凡じゃない世界に生まれたいな」と口癖のように言っていた。

 

 

   ***

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。

 

 それは憧れの舞台に立つために、全国からウマ娘たちが座学を学びつつレースに出るためのノウハウを学ぶために設立された中高一貫校である。

 

 ここでは毎日、様々なウマ娘たちが切磋琢磨時に励まし合い、時にぶつかり合いながら成長している。

 

 特にトレセン学園の名を広めた皇帝『シンボリルドルフ』と怪物『マルゼンスキー』の功績はこれからも続くことだろう。

 

 

 さて、与太話は終わりだ。

 

 トレセン学園は皇帝シンボリルドルフが爆誕する年より前から、ある学科を作ることを発表していた。

 

 それがトレーナー学科。

 

 確かにウマ娘たちは早い……だがレースに出るためにはトレーナーの存在は必要不可欠になる。

 

 さらにウマ娘たちが活躍したことにより『ウマ娘を支えたい!』という人がわんさか出始めたのだ。

 

 しかしそれを学べるところはごく一部であり、仮に入学したとしても実践レベルの教養がついていなかったりとあまりにも微妙だった。

 

 さらにそんな事態に拍車をかけたのが、ある事件。

 

 そこまで知識を持っていなかったトレーナーが、ウマ娘にオーバーワークをさせてしまい、そのウマ娘を故障させてしまった。

 

 これによりトレーナーの圧倒的知識量の無さはいづれ、多くのウマ娘たちに悪影響を与える。

 

 そう考えたトレセン学園は一人前のトレーナーを育てることに目的を置いたトレーナー学科の設置を決めた。

 

 トレーニングセンターは中高一貫なのに対し、トレーナー学科は高校しかない。

 

 トレーナー学科で学べることは、ウマ娘に関すること以外にもレース出場のノウハウやダンスレッスン、さらに心理学にも近いようなことを学ぶ。

 

 そして俺、谷崎玲音もそんな一人前のトレーナーになるため、ここトレセン学園に足を踏み入れた。

 

 

 

 ……なのに、なのにだ。

 俺は今絶賛、誘拐されているのだ。

 

 

 

 SHRが終わり、担任の先生から見習いでお世話になるチームを決めるため、なるべく早く見学しておくようにと言われてグラウンドに訪れてみた。

 

 グラウンドには多くの人だかりができており、その理由はチーム・リギルの練習を見学するためだろう。

 

 リギルはトレセン学園で1番力をつけていると言われているチームで、シンボリルドルフやマルゼンスキー、さらにはナリタブライアンやヒシアマゾン、タイキシャトルなど数多くの有名なウマ娘を育て上げて来たチームだ。

 

 チームトレーナーの東条ハナさんもレースの指導はもちろん、その後のウィニングライブのダンスのレッスンも日本一と言ってもいいくらい指導レベルが高い。

 

「やっぱリギルかなぁ……レベル高いし、学べることも多くありそうだ」

 

 そう考えながら寮に帰ろうとすると、前を見ていなかったからか誰かにぶつかってしまった。

 

「すみません、少し考え……ご……と……」

 

 俺の思考はそこで止まってしまった。いや、誰もこんな状況見れば固まるに決まってる。そうに決まってる。

 

 だって目の前にいたのは……黒いサングラスを掛けてマスクをつけている謎の人(いや、ウマ娘か?)だったのだから。

 

 そして両端にも同じ格好をした謎の人がいたのだ。

 

 そうしてポカーンとしていると目の前の謎の人物が声を上げた。

 

「スカーレット、ウオッカ、やっておしまいなさい!」

 

 そう目の前の人物が声を上げると両端にいた2人がこっちににじり寄る。

 

 そしてその1人はなにやら袋みたいなものを持っていて……やばい、これ逃げないと!

 

 そう考えた瞬間、俺は体育でやったサッカーのようにサイドステップで3人衆を交わし、そのまま寮の方へ全速力で走る!

 

「ちょっと! 逃げるんじゃないわよ!!」

 

 だがウマ娘、さらに3人もいるとなると逃げ切るのは絶望的に無理なことだった。

 

「あぐっ!?」

 

 結局俺の方がバテて地面に倒れてしまい、そのまま流れるように袋の中に入れられてしまった。

 

「心配すんなって、別に取って食おうって訳じゃねぇから」

 

 そしてえっほえっほという掛け声共に、俺は担ぎ込まれる。

 

 俺……これからどうなるの?

 

 そんなことを考えてるとガチャと何やら扉が開く音がしたと思ったらすとっと降ろされた。

 

 誰かが袋に手をかけて、そして勢いよく袋を取る。

 

 視界が開けて、その眩しさに目が少し眩む。

 

 そして徐々に目が慣れてくる……そして目の前にいたのはさっき俺を拉致った3人衆だった。

 

 というか、やっぱりウマ娘だったのか。

 

「「「チーム・スピカへようこそ!!」」」

 

 こうして俺のトレーナーへの第一歩は拉致から始まったのだ。

 

 ……いやどうしたらそうなるんだよ。

 

 

 

 

 



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ようこそ、チーム・スピカへ!!

 前回のあらすじ:玲音、スピカ名物に遭う。


 小学校、または中学校の頃に防犯講座をやったのを俺は不意に思い出した。

 

 そこで習ったのは見知らない人・マスクやサングラスをつけた人にはついていかないというものだった。

 

 でもこう思ったことはないだろうか……”俺には関係ないと”。

 

 おい……数年前の小学生の俺、お前を殴ってもいいか?

 

 実際に起きたぞ……拉致事件。

 

「チーム・スピカへようこそ!」

 

「……」

 

 落ち着こう谷崎玲音、こういう時こそ周りの状況を把握するんだ。

 

 目の前にいるのは俺をさらって来た張本人たち、白毛に赤毛に黒毛のウマ娘。

 

 周りを見てみるとプレハブみたいなところ……彼女たちの発言から考えるに、ここはチームが持っている部室みたいなものなのだろう。

 

 そして何より……俺の後ろの方、出口の扉に背を預けながらこっちを見ている黄色い服を着た男。その服の袖には赤いバッジ……トレーナーである事を証明するトレーナーバッジを付けている。

 

 つまり後ろにいる男こそ、目の前のウマ娘たちのトレーナー。

 

 とりあえず……ここは素直に思っていたことを口にするとしよう。

 

「何の真似ですか?」

 

「おいおい、そんな敵対心を向けるなよ、このゴルシちゃんが話しかけているんだぞ? もっと気楽になれよ〜」

 

「ごめんなさい、痛くはなかったかしら?」

 

「にしてもトレーナー、新しいウマ娘ならまだしも、トレーナー学科からこいつを拉致ってこいってどういう事だよ?」

 

「あ〜、それには深い訳があってだな」

 

 そう言いながらトレーナーらしき男は俺の正面に立つ。

 

 するとポケットから折った紙を取り出し、それを広げる。

 

 ……そういえば、この人を俺はどこかで見たことがある。

 

「谷崎玲音、年齢16歳、都立〜〜中等学校を卒業」

 

「っ! そうだ……」

 

 思い出した。この人は俺が入学試験を行った際、面接官になっていた先生だ。

 

 他の面接官がスーツ姿なのに対し、この人だけ私服だったので印象が深く残っていた。

 

「志望理由として君は『幼かった頃の約束を守りたい』って答えたな……?」

 

「……はい」

 

「俺は一応、他の奴らも対応したが……そんな志望理由を言ったのはお前が初めてだ」

 

「……」

 

「他の奴らは『立派なウマ娘を育て上げたい』『業界に名を残すトレーナーになる』など具体的な目的がある中、君はあまりにも曖昧な答えを出した。はっきり言って……君は学園に不必要だ」

 

「えっ?」

 

「んっ? それってつまり〜……どういうことだ?」

 

「お前たちで言うなら、トゥインクル・シリーズを目指さないって言ってるもんだ」

 

「おいおいそれって……」

 

「無計画ってこと……?」

 

 目の前が暗転しそうになる。それくらい俺にとっては衝撃的な事実を突きつけられた。

 

 確かに筆記試験も少し自信はなかったし、面接も上手くいったかも自信がない。はっきり言って試験後に後悔していたレベルだ。

 

 でも、待てよ……じゃあなんで俺はーー

 

「トレセン学園に入れたのか……だろ?」

 

 俺が考えるよりも先に、トレーナーが俺の考えを読んで口にする。

 

 そして合っているので、俺は弱く頷くしかなかった。

 

「それは俺が……いや、チーム・スピカが君を見ることにしたからだ」

 

「「「えっ、そうなの(か)!?」」」

 

 おそらく、このチームのウマ娘たちはその事を知らされていなかったのだろう。

 

 部室内にウマ娘が驚く声が反響する。

 

 それでも俺は、そんな声などもう聴こえていないに等しかった。

 

「なんで……そんなことを?」

 

「あの時の君の顔は本気だった……それに感動しただけだよ」

 

「トレーナー、年寄りの涙もろさってやつだな!」

 

「うるせぇぞゴルシ、俺はまだそんな歳は取ってねぇよ!」

 

「……」

 

「ごほん……この世界では常に結果が優先される。どんなに才能があるやつでも最終的には勝負の結果が全てだ。そしてそれに埋もれてしまう才能は多くいる……それはトレーナーにも言えることだ」

 

「あっ……っ……」

 

「学校側からしたら君……いや、お前は不合格だった。だけどうちで見ることを条件に入学を許可してもらったんだ」

 

 と言うことは……俺はこの人のお陰でトレセン学園に入れたってことなのか?

 

 ……。

 

 なんだよそれ。

 

 つまりあれか? 俺は自分自身の力ではこのスタート地点にも立ててもいなかったのかよ……。

 

 あの時の約束を守るために……一番叶えられそうなここに行こうって思ったのに……。

 

 自分自身があまりにも哀れに感じてきて、少しずつ目頭が熱くなって……ツーっと温いものが頰に流れ落ちる。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 

「おいおい、どこに泣く要素があったんだ……?」

 

「だって……約束を守れていない……」

 

「なぜそう言える?」

 

「だってそうだろ!? 俺はあの子と約束をした! でも自分自身の力では約束は守れなかった!! そんなの……守っていないのと同じーー「自惚れるな!」

 

「っ……!?」

 

「お前のその言葉は、自分自身にトレーナーの素質があると勘違いしている言葉だ!」

 

「あぁそうだよ! だからーー」

 

「だから俺はお前に約束する。お前を約束が守れるくらい力のある……いや、きちんとした一人前のトレーナーにしてやる! だからチームに入れ、谷崎玲音!!」

 

「……」

 

 俺は一回、燃え上がっていた感情を落ち着かせる。

 

 ここは冷静に考えなければいけないことだ。

 

 俺はこの男を信じても良いのだろうか……一人前のトレーナーにしてやる。その言葉は正直言うと学生トレーナーからしたらとても嬉しいものだ。

 

 トレーナー学科の試験を受ける時、俺はある程度のことを調べていた。

 

 その時に分かったのが……入ったからといってトレーナーに絶対成れるとは限らないということだった。

 

 実際合格率は85パーセント。

 

 その理由はチームによって得られる物が違うからである。

 

 例えばリギルみたいにウマ娘の脚質や性格にあった指導のやり方を教えるチームもいれば、脚質など関係なく超スパルタの調整でウマ娘の限界を引き上げるような指導を教えるチームもある。

 

 だから自然に知識の格差という物が出来てしまう。

 

 だからこのチーム選びというのは、簡単に言ってしまえばこの学園の最初のターニングポイント。軽率には決められない。

 

「一応言うが、この誘いを受けるか受けないかはお前次第だ。だが、学園内のチームの多くはお前を下に見るだろうな、意思がない奴を取るほど暇じゃない……まぁ逆境からみんなを見返すんだったら、茨の道を進むのも良いだろう。

 

 でも、俺はお前に約束する。お前を一人前のトレーナーにするとな……!」

 

「っ……俺は……」

 

 俺はもう一度、俺のために声をあげているトレーナーの方を見てみる。

 

 トレーナーの瞳には俺が映っていた。その瞳は真っ直ぐでどんなものでも貫きそうな鋭さと真っ赤に燃えた炎の熱さが混じっているような目だった。

 

 その真剣みがあるトレーナーの姿に……俺は……。

 

「俺……なりたいです。一人前のトレーナーに! だから……俺をこのチームに入れてください!!」

 

 その時の俺は多分、今まで生きてきた人生の中で一番声を大きく出した。

 

 目を強く瞑り、勢いよくお辞儀をする。

 

 すると……すっと目の前に手が差し出される。

 

 顔を上げるとトレーナー、そしてウマ娘たちもこっちに手を伸ばしていた。

 

 そして……こう言ってくれた。

 

『ようこそ、チーム・スピカへ!!』

 

「歓迎するぜ」

 

 こうして俺はチーム・スピカでお世話になることになった。

 

 ……それが思いもよらない再会のピースになるなんて、その頃の俺は思いもよらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




・トレーナーがちょっと熱い男すぎるかな?

・次回にメインのウマ娘の1人が一瞬だけ出てくるはず。


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夕日の方へと駆けて行った風

 前回のあらすじ:玲音、チーム・スピカに入る!


 

 俺がチーム・スピカに入った次の日、俺は終業のチャイムを聞くとダッシュで教員室へ向かった。

 

 今日から本格的にチーム・スピカでトレーナーのノウハウを学ぶことができる。

 

 それにあんなに力強く『君を一人前のトレーナーにする』と言ってくれたんだ。心の中にウキウキとした感情が出てきても仕方ないだろう。

 

 ちなみに他の人たちはどのチームにしようか悩んでいるらしいが、俺はもうスピカに決まっていたので、寮に帰った後そのまま紙を書いて朝のホームルームの時に担任の先生に提出した。

 

 どうやらこの紙は早く出せば出すほど良いらしく、そうすることで学べる時間が増えるらしい。

 

 だから担任の先生は予想よりも早くてびっくりしていた。

 

「失礼します!」

 

 スピカに入った後、早速明日からよろしく頼むと言われた。

 

『放課後になったら俺のところに来い、入り口に教員の席を記した紙があるから場所は分かるはずだ』

 

 昨日先生(好きに呼んでいいと言われたので先生と呼ぶことにした)が言ってた通り、入り口には席を記した紙が貼ってあった。

 

 ……そういえば先生の名前、教えられていない。

 

 そう思って一瞬焦ったが、上の方に担当しているチーム名が書かれていたのですぐに場所は分かった。

 

 にしても先生の名字って『沖野』って言うんだ……。

 

 そんなことを考えながら、俺は窓際の先生の席に近づく。だがそこには先生の姿はなかった。

 

「あれ?」

 

 その代わり机上にあったのはホチキスで止められた数枚の紙。

 

 そして1ページ目(いや、目次? タイトル?)には『これに沿ってやるように!』と書かれていた。

 

 ……。

 

「えっ?」

 

   ・ ・ ・

 

「……と言うことで、トレーナーは失踪しました」

 

 いや待てよおい、昨日言っていたのは何だったんだ!?

 

 あんなにも情熱的に説得されたのに……放置ってどゆこと!? 説明プリーズ!!

 

 まぁ2ページ目に『これくらいは教えなくても大丈夫だろ? 腕の見せ所だぞ』と書かれていた。

 

 うん、確かに3ページ目からはこの3人のプロフィール、全体でやる練習など細かく書いてあった。

 

 それでもさ? 入ったばっかりの、しかも学生の俺に大切なウマ娘を任せるか、普通?

 

「あ〜またか〜」

 

「ここ最近よね〜」

 

「えっ、最近?」

 

「あぁ、この時間帯にはトレーナーはこねぇよ? あと数時間……場合によっては来ない時もあるしな」

 

 えぇ……ちょっとそれって、トレーナーとしてどうなの?

 

 練習の時に練習を見ないトレーナーなんて……この世にいたのか!?

 

「まっ、来なかった時にはこのゴルシ様が問答無用でラリアット食らわせるけどな」

 

 そう言ってゴールドシップは指をポキポキと音を鳴らす。

 

 そして近くにいたダイワスカーレットとウオッカはうんうんと頷く。

 

 可哀想……いやそれくらい妥当か?

 

「それよりも早く走りに行きましょうよ! オレ、今走りたくってうずうずしてるんです!」

 

「そうね。玲音さん、いない人を気にしても仕方ないですよ。早く走りに行きましょう?」

 

「……だな」

 

 まだ違うけど、俺はトレーナー。

 

 だったらウマ娘のことを考えて行動する方がいい。

 

「うっしやるか! 新人、何をやればいいんだ?」

 

「まずはウォーミングアップでグラウンドを走って、その後この紙に沿ってそれぞれ練習を言い渡します。今日一日、よろしくお願いします!」

 

   ・ ・ ・

 

 その後、俺は先生が用意していた紙に沿ってスピカの練習を指示したが、先生が練習場に現れることはなかった。

 

 それでも、俺はあのトレーナーがすごいということを身に染みた。

 

 この用意されていた紙、ウマ娘一人一人の特徴を把握している。

 

 しかも新人の俺でも分かりやすいように、詳細に指示が書かれている。

 

 正直言って……楽しかった。

 

 『俺……今トレーナーをしているんだ!』って、気分が高揚した。

 

 あの人について来て正解だったかもしれない……でも練習に来ないっていうのはどうなんだろうか。

 

「あの人……優秀なのか怠け者なのか……どっちなんだ?」

 

 そんなことを考えながら俺は学園の近くにある川沿いを歩いている。

 

 寮に帰った後、窓を開けてみると心地良い風が入って来て、綺麗な夕日が自分の瞳に映ったので外に出たくなったのだ。

 

 実際外に出てみると心地がよく、自然と足が動いていた。

 

 トレセン学園がある場所は都会ではあるが、ここはそんなに人がいない。

 

 聞こえるのは風によって木々の擦れる音と近くで流れている川のせせらぎ。

 

 そして見えるのは沈みかけている夕日と綺麗な夕焼けと頭上には輝き始めている1等星・2等星の星々。

 

 ……そういえば、幼い頃に見た夕焼けはとても綺麗だったなぁ。

 

 隣にはあの子がいて……あの子、元気にしているかな。

 

 もうずっと会っていない……顔や声も、もうほぼ霞みがかっているけど……あの約束だけはーー。

 

 そう考えた瞬間、後ろから風が俺を追い越した。

 

 でも、それは自然の風ではなかった。

 

 とてつもない速さで……何かが俺の横を駆け抜けていった際に起きた風だった。

 

 そして一瞬、その一瞬だけ……世界がスローモーションになった。

 

 そこで分かったのは……走って揺れている明るめの栗毛の長い髪。

 

 それしか分からなかった。

 

 世界はすぐに元の時の流れに戻って、その風は一瞬にして俺の元から去っていった。さっきまで俺が見ていた夕陽の方へ向かって……。

 

「……」

 

 俺はその風が見えなくなるまで、ずっとその後ろ姿を目で追いかけていた。

 

 

 

 

 




・ウオッカとダスカは後輩、ちゃんと敬語で喋ってくれそう。

・ゴルシはゲームだと???。一体何歳なんだ。

・というかウマ娘の学年設定が難しいんじゃ(´;Д;`)


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自由に走ったその先に……

 前回のあらすじ:玲音、初めてのトレーナーのおしごと! 

・通算UAが2000超えました。本当にありがとうございます。


「おっ、帰って来たな」

 

 俺は手に持っていたストップウォッチを押す用意をする。

 

 俺から見て左からやって来たのは、今俺がチームに欲しいと思っているウマ娘だ。

 

 本当はリギルに所属しているウマ娘だが、あのリギルのトレーナーであるおハナさんが固すぎるせいで、こいつの脚質や個性を最大限活用できていない。

 

 彼女が真横を通り過ぎたところでストップウォッチを止める。

 

「おいおい、嘘だろ……」

 

 思わず笑みが漏れてしまう。何せそこに示されていたタイムはエグいタイムを叩き出していたのだ。

 

 やっぱり俺が合っていた。彼女は逃げ……それも最初から一気に引き離し最後まで先頭を譲らない大逃げスタイルが彼女には合っている。

 

 いやそれでも、このタイムは異次元すぎるだろう。

 

「どうしましたか?」

 

「いや何、面白いものが出てきたんでね……どうだ自由に走ってみて?」

 

「……」

 

「”スズカ”、お前は逃げに向いている。自分ではそうは思わないか?」

 

「……それでも、トレーナーの言うことは聞かないといけません。それがリギルの原則ですから」

 

「本当にそれでいいのか?」

 

 はっきり言っておハナさんは指導力はある。だが、勝つためのレースに拘り過ぎているんだ。

 

 結局走るのは彼女で、ターフの上では彼女の判断が最終決定になる。

 

 それに前回の香港国際カップの時、彼女は逃げでレースに負けた。だがあれは体調が良くなかったからだ。

 

「いいんです。それで私の見たい景色を見れれば……それだけで」

 

「大逃げでそれが見られるとしてもか?」

 

「えっ?」

 

「想像してみろ? 君は先頭だ。そして目の前には誰もいない。誰もお前に追いつけないんだ」

 

「誰も……追いつけない……」

 

「そうだ、そしてその先にお前が見たい景色……世界が待ってるんだ」

 

「見たい……景色……」

 

 ……そろそろ限界かな。

 

 でも、これで彼女には『自由に走る』という選択肢が生まれた。それだけでも儲け物だ。

 

「明日、もう一度レース場で会おう。その時にお前の素直な気持ちを聞かせてくれ」

 

「……」

 

 サイレンススズカ……あいつはいいウマ娘になる。

 

 でもそのためには自分の走りを貫いて貰わないといけない……。

 

 さてさて、明日はどんなレースになるか……楽しみになってきたな。

 

   ***

 

「……今日もか」

 

 今日も終業のチャイムと同時に教室を出て教員室に訪れたが先生の姿はなく、また紙しか置かれていなかった。

 

 内容は昨日とは違うみたいだが……いやいや冷静に考えるな俺!

 

 流石に二日も来ないのは普通に考えてトレーナー失格だろ! 何を考えているんだあの人は!

 

 しかしそう先生の愚痴を心の中で叫んでいると、用意された紙に一枚のメモ帳用紙が挟まれていた。

 

 俺はそれを手に取り、その内容を確認する。

 

 そこには『仲間を増やしてくる』と簡潔に書かれていた。

 

 仲間を増やす……つまり、誰かをスカウトしに行っているってことか?

 

 スカウトの交渉をするために長い間チームを留守にしてた……そう考えればウオッカやダイワスカーレットが言っていた「また」とか「最近」という言葉と辻褄が合う。

 

 でも交渉ってそんなに長くやるものなのかな……それも自分のチームの練習を見ないで……。

 

「まっ、いっか。今日も1日頑張りますか!」

 

 ・ ・ ・

 

「玲音先輩、今日もありがとうございます!」

 

「本当すみません、うちのトレーナーがいなくて……」

 

「いやウオッカとスカーレットが謝る必要はないよ。それに紙に書いている事は的確で分かりやすいし……ちょっと楽しいからさ」

 

「まっ、トレーナーなんてものは知識より経験。習うより慣れた方が良いからな。んじゃ片付けよろしくな〜新人」

 

 そう言うと真っ先にゴールドシップが部室に出て……行かず、部室の入り口のところで立ち止まってしまった。

 

「あら、どうしたのゴールドシップ?」

 

 スカーレットが呼びかけるが全然反応がない。少し心配になり俺も「ゴールドシップ?」っと呼びかける。

 

「……何なんだ。この感情は……」

 

「えっ、どうしたの急に?」

 

「う……うおおおおおおおぉぉ!! 聞こえる、アタシの心の中にある小宇宙(コスモ)が! 運命を感じている!!」

 

「「「……はあ?」」」

 

 急に変なことを言い出すゴールドシップに、俺とウオッカとスカーレットは思わず声が被ってしまう。

 

「運命はあっちの方か! うおおおおお待ってろ運命!!」

 

 そう叫ぶとゴールドシップは颯爽とこの場を後にした。

 

 あまりにも急な展開すぎて、俺たちはポカーンと唖然とするしかなかった。

 

「……あれ、いいの?」

 

「「……まぁ、ゴールドシップ先輩ですから…‥」」

 

「えぇ……」

 

 まぁ、なんか変な事はあったが今日も無事に練習を終えられた。

 

   ***

 

「……」

 

 私は自由に走った。

 

 最初から先頭を譲らない……あのトレーナーが言っていた通り大逃げ(私は先頭を譲りたくないだけなんだけど、レースとしてはそう言うらしい)でレースを走った。

 

 その結果かなりの差をつけて一位になった。

 

 そして何より……走っていて気持ち良かった。

 

 でもその代償として、私はリギルを脱退することになった。

 

 私はどうすればいいんだろう……そう思っているとスピカのトレーナーが近づいてきた。

 

 ……なぜだかお腹をさすりながら。

 

「いてて……おハナさん容赦無く腹パンするな〜……」

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「あ〜平気平気、慣れてるから」

 

「慣れてる?」

 

「いやでも慣れているのは顔の方だったな、流石に腹は食らった事はないな」

 

「は、はぁ……」

 

 私はどうすればいいのか分からなくて、少し吃ってしまう。

 

「まぁそんな事はどうでもいいんだ。どうだった、今日のレースは?」

 

「……とても気持ち良かったです」

 

「そうか……スズカ、お前うちのチームに入らないか」

 

「えっ……」

 

「大逃げを指示し、そして脱退に追い込んだのは俺の責任だ。だから俺は責任を取る。お前がやりたい走り方でレースに勝てるようにしてやる」

 

「私の……やりたいように……」

 

 正直言ってこの人がいなかったら……私は苦しみながら走る方法で今日を走っていた。

 

 でも私はこの人の言葉で……自由になった。

 

 私はもっと走りたい……それを叶えてくれる場所が欲しい。

 

 なら、答えはもう決まっている。

 

「トレーナーさん、私をチーム・スピカに加入させてもらえませんか」

 

「もちろんだ、歓迎するぜサイレンススズカ」

 

「はい!」

 

 トレーナーさんが差し出して来た手を握る。

 

 ここから私はまた始めるんだ……そしていつか、あの約束をーー。

 

「スズカ、早速で悪いんだが俺と一緒に来てくれないか?」

 

「今からですか?」

 

「あぁ、どうしても会わせたい奴がいるんだよ」

 

 そう言うとトレーナーさんは握手を解くと、ポケットから携帯電話を取り出し何か操作をして耳に当てる。

 

「あぁ”玲音”? オレだけど……いや詐欺じゃないからトレーナーだから、今どこにいる? はぁ? まだ部室なのか……まぁいいや。お前そこで待機な……なんでって、紹介したい奴がいるんだよ。そっメモ帳のな、そう言う事だからよろしく」

 

 少し長めの電話を終えて、トレーナーがこっちを見る。

 

「よし、じゃあ行こうか」

 

「はっ、はい……」

 

 そう言うとトレーナーさんは出口の方へ歩いていく。

 

 でも私の足は動かなかった。

 

 レースで疲れたという訳ではない。

 

 私は震えていたのだ……トレーナーさんが言った言葉に対して……。

 

 まさか……まさか本当に……でも私の記憶のあの子の名前は二文字のはず。

 

 いや、三文字だった? 確か向こうも私を二文字で呼んでいた……。

 

 うそ……嘘でしょ……。

 

「どうしたスズカ〜? 早くしないと帰るの遅くなるぞ〜?」

 

「は、はい……!」

 

 トレーナーさんがだいぶ先に行っていたので、私は駆け足で寄る。

 

 落ち着こう私……まだ決まったわけじゃない。

 

 変な期待はしない方がいいって……ずっと前から言い続けてきたんだから。

 

 

 

 

 




・ウオッカってゴルシのことどう呼んでたかな……分かる人いたら教えてくださると嬉しいです。

・サイドストーリとはちょっと違う展開です。

・メインウマ娘の一人はサイレンススズカさんでした〜。

・次回は主人公とスズカが再会する予定。


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再会 - 幼なじみ -

 前回のあらすじ:スズカ、チーム・スピカに入る。そして話はその頃の玲音視点に移る。

・前回の誤字の指摘ありがとうござました。(スペカって……某同人シューティングゲームに出てきそうですね)

・スピカが使っている小屋って、部室でいいのかな?


 ウオッカとダイワスカーレットが部室を出た後、俺は部室の片付けをし、そしてスピカの部室で課題をやり始めた。

 

 そして課題が終わったのは45分後くらいだったのだが……一番苦手な数学の課題で頭をいつも以上に使ったからか、眠気が襲ってきた。

 

 寮が近いからすぐに帰ろうと思ったが、残念ながら俺の体はその場で睡眠を所望だったらしく、結局課題で使った机に突っ伏して仮眠を取った……。

 

   ***

 

 久しぶりにあの子の夢を見た。

 

 それはまだ幼い頃の断片的に残っている記憶・思い出だ。

 

 俺とあの子はいわゆる幼なじみというものだった。

 

 生まれた都道府県も町も……そして病院も時期も一緒だった。

 

 俺が4月30日に対して、あの子は5月1日。

 

 さらに偶然の連鎖は続くもので、俺とあの子のお母さんは同じ病室で同じ日に退院、そして家も道路を挟んで向かいにあり、俺とあの子のお母さんは馬があったのか分からないが親睦を深めていた。

 

 そしてあの子……『スズカ』って言う子ーー俺はさらに縮めて『スズちゃん』と呼んでいたーーとも仲良くなっていった。

 

 基本どちらかの家にいることが普通で、それこそ俺とスズが別々になる時はどちらかが旅行に行く時くらいで……それくらい俺がスズカの近くにいることは俺の中では当たり前を通り越して、自然なことだった。

 

 そんな俺たちを見て、俺とスズカのお母さんたちはにこやかに会話していた。

 

「まるで本当の兄妹みたいね」

 

「きょ〜だい? きょ〜だいってなに?」

 

「玲音くん、兄妹って言うのは仲が良いって言うことなんだよ」

 

「そして玲音はスズカちゃんの近くにずっといて、守ってあげるの」

 

「まもる……?」

 

 俺はとても幼かったので、お母さんたちが言っている意味が全然理解できない。

 

 でも本能的に俺は守ると言う行動が分かったのか、俺はスズカのことを見て……そして手を握った。

 

「これは……まもる?」

 

「ええ、ずっと近くにいてあげること……それが守るってことよ」

 

「うん! ぼく、スズちゃんのちかくにいる!」

 

 ぎゅっと握っている手に力を入れる。

 

 すると、スズカの方も手の力を強めたのだった。

 

「スズちゃん?」

 

「わた……しも、ちかくに……いる」

 

「うん! ぼくとスズちゃんはずっとちかくにいる!」

 

「うん……!」

 

 そう言って、笑みを浮かべてくれるスズカ。

 

 子供だったから細かいことは分からなかったけど、一つ確かなことがあった。

 

 それはスズカの笑顔を見ると、こっちも笑顔になって心がドキドキ……満足感や幸福感で満たされるということ。

 

「本当……仲睦まじい子たちね。このまま結ばれちゃったりして」

 

「そうですね。そうなると息子がウマ娘の子と……喜ばしいですね」

 

「さ、流石に冗談ですよ。仮にそうだとしてもまだ早いですよ」

 

「そんなことありませんよ、10年や20年なんて私たちおばさんからしたら早いですよ……ゴホッ! ゴホッ!」

 

「あらあら大丈夫ですか? お水持ってきますね」

 

「はい……ありがとうございます……」

 

   ・ ・ ・

 

 そうして少しずつ俺とスズカは成長していったが……俺はある日からスズカにどう接せればいいのか分からなくなってしまった。

 

 その理由として、心身の成長……それにより”考える”という事をするようになったからだ。

 

 そして俺は……考えてしまった。

 

 なんで俺とスズカは容姿があまりにも違うんだろうって……。

 

 スズカには長い耳があった。長く自由に動く尻尾があった。

 

 俺とスズカは全然似つかない……そのことに戸惑いを起こしていた。

 

 そして何よりずっと一緒にいたのに……そのことに気づかなかった自分自身に一番困惑していた。

 

 そんな風にお母さんに聞いてみると、ベッドに腰をかけながらこちらを向いて話してくれた。

 

「玲音、スズカちゃんはね、ウマ娘なの」

 

「うま……むすめ?」

 

「そう、彼女たちは走るために生まれてきたの」

 

「走る……それだけ?」

 

 幼稚園でも駆けっこなどで走ったりはする。

 

 だけれど走っても何にも楽しくない。だけどスズカちゃんはすごく楽しそうに走ってた。

 

 まるで……走れることこそがスズカの生きがいみたいにも見えた。

 

 そういうところを見ていれば、お母さんが言っていることも分かるような気がする。

 

 でも……なんで走るんだ?

 

 走って……一体何になるんだ?

 

「ウマ娘の走りはね、私たちに感動を……奇跡をくれるの」

 

「きせき……」

 

 ”かんどう”という言葉は知らなかったが、”きせき”という言葉はスズカのお母さんから言われたことがあったので意味が分かった。

 

 きせき……それは不可能を可能にする不思議な力。

 

 それをスズカがあげることが出来るのかと……。

 

「スズカちゃんはいずれ、多くの人に奇跡を与える子になる……でも、玲音にはもっと簡単な言葉があったわね」

 

「なに?」

 

「玲音はスズカちゃんのお兄ちゃんでしょ」

 

「っ! そうだった……」

 

 そうだ。別にスズカで悩む事は無かったんだ。

 

 だって俺はスズカのお兄ちゃんなんだ。スズカが何であろうと関係ない。

 

 俺は……スズカの近くにいて、守ればいいんだ。

 

「ね? 簡単だったでしょ?」

 

「うん! ありがとうおかーさん!」

 

「どういたしまして」

 

「おかーさんも、早くげんきになってね!」

 

「……えぇ」

 

 そう言って、お母さんは少しか細く笑みを浮かべた。

 

 

 ーー数ヶ月後、お母さんは帰らぬ人となったーー

 

 

 お父さんは俺が生まれる前に死んでしまい、母子家庭だった。

 

 だがお母さんが死んでしまい家族がいなくなった結果、俺は親戚に引き取られることになった。

 

 そしてそれは……スズカと生まれ育った町を離れていくということだった。

 

   ***

 

 何かが震えるような感覚がして、目が覚める。

 

 その感覚の方に目を向けてみると、俺のスマートフォンに謎の電話番号から呼び出しがかかっていた。

 

「……」

 

 知らない電話番号の電話は取らない方が良いというのは分かっている事だが、何故だかこの電話だけは取らないといけない気がした。

 

 俺は通話ボタンを押して、電話を耳に当てる。

 

「もしもし?」

 

『あぁ玲音? オレだけど?』

 

 あっ、これ詐欺か。

 

「すみません、オレオレ詐欺はちょっとーー」

 

『いや詐欺じゃないからトレーナーだから、今どこにいる?』

 

 あ〜トレーナーだったか。

 

 ……いやトレーナーなんで俺の電話番号知ってるの!?

 

 って、今いるところ?

 

「スピカの部室ですけど……」

 

『はぁ? まだ部室なのか……まぁいいや。お前そこで待機な』

 

「えっ、なんでですか?」

 

『なんでって、紹介したい奴がいるんだよ』

 

 紹介……そういえば、先生は確か今日誰かのスカウト交渉に行ってたんだよな。

 

 もしかしてその人かな……そう先生に聞いてみると合っていた。

 

「そう言う事だからよろしく」

 

 ツーツーと、向こうの方から電話を切った。

 

 ……さてどうするか。

 

 俺はここで待機は確定。つまりやれる事は限られる。

 

 まっ、スマホで時間を潰しておけばいいか。

 

 そう考えて俺はスマホに入れている、馬という架空の4つ足の動物を育成し、レースに参戦するゲームをやり始める。

 

   ・ ・ ・

 

 そして……30分くらい経ったところトレーナーから再び呼び出しがかかった。

 

『着いたから校門に来てくれ』

 

 そしてすぐに切られる電話……俺はカバンを持って校門の方に向かって歩く。

 

 それにしても、トレーナーが1日……いや、長い間ずーっと交渉しているウマ娘ってどんな子なんだろう?

 

 すごくやる気があるとかかな。脚が良いウマ娘ははっきり言って、スピカに入ることはないと思うんだよなぁ。

 

 そういう子はリギルとかがマークしている気もするけど……なんて考えると校門のど真ん中でトレーナーがポケットに手を入れながらこっちを待っていた。

 

「来ましたよ先生……で、スカウトした子は?」

 

「そう慌てるな……”スズカ”、こっち来い」

 

「えっ……はっ?」

 

 今トレーナー……なんて言った?

 

 いや、いやいやいや……そんな訳ない。

 

 幻聴が聞こえただけ……そうに決まってる!

 

 トレーナーは校門の外の方に視線を向けている。

 

 自然と俺もその方向に顔を向ける。

 

 やがてカツカツと足音が聞こえ……ゆっくりとその子は姿を現した。

 

 学園の街灯に照らし出されたのは……明るめの栗毛の長い髪。

 

 そして耳につけている緑のカバーアクセサリー。

 

 俺は言葉を失い……呼吸は荒くなっている。

 

 心臓はすごい早さで鼓動を打っている……全身から汗が噴き出してくるのが分かる。

 

 落ち着け俺……そんな訳が無い。

 

 あぁくそ、考えが重複してしまう。

 

 でも俺の中には信じられない俺ともう一人、”今度こそ”信じたい俺もいる……だから、勇気を出してこう言った。

 

「スズ……ちゃん?」

 

「えっ……レオ……くん?」

 

 間違いない……彼女は言った。レオって……。

 

 それはあの子が使っていた……俺の愛称。

 

「玲音、紹介する。こいつはサイレンススズカ……明日から正式にうちのチームに加入する子だ」

 

「あっ……あぁ……!」

 

 それは……ずっとずっと期待し続けてきた……幼なじみとの再会だった。

 

 

 

 

 




・これはスズカ、キャラ崩壊になるのか?(個人的にはセーフ)

・タグどうつけるべきか悩む。

・今度こその意味は次回に。


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スズカという名前

 前回のあらすじ:玲音、幼なじみと再会……しかし。

・前回の誤字の指摘ありがとうございます。スズカが急に玲音のお兄ちゃんになってました。

・1話2話3話を現在の書き方に修正しました。(名前消すだけですけど)

・前回都道府県と書きましたが、北海道と東京と書かせていただきます。

・UAが3000(約4000も)を超えました、皆様ありがとうございます。


「……」

 

 俺は寮のベッドに力なく倒れていた。

 

 今日(いや、0時を回ったから昨日なのかな……)起きた事を心の中で何度も再現させる。

 

 でも……何なんだろう。このやり場のない気持ちは……。

 

 俺はずっと願っていた幼なじみと再会できたっていうのに……どうしてこんなにも感情がぐちゃぐちゃになるんだろう。

 

 もちろん嬉しいという気持ちもある。じゃあこの苦しさの感情は何なんだ?

 

「……」

 

 そんな感情に悩みながら……俺はずっと目をうっすら開けて、自分の部屋の白い壁をぼんやり見つめる。

 

 するとそこには映画のスクリーンのように、さっきのことが映し出されている。

 

   ・ ・ ・

 

 先生は言った……明日から正式にチームに入る子だって……。

 

 名前はサイレンススズカ。

 

 俺はもう『スズカ』という名前しか覚えていないが、この特徴的な明るめの栗毛は……時々夢に出てくるスズカと同じ髪の色だ。

 

 声はだいぶ大人しい感じだけれど、それでも聞いた瞬間に確信した。

 

 ……なのに、何で疑っているんだろう。

 

「レオ……くん。やっと……」

 

 スズカがこっちに近寄ってくる。

 

 再会のハグでもしたかったのだろうか、ゆっくりとこちらの瞳を見ながらある程度近づくと両手をこっちに差し出してくる。

 

 そしてゆっくりと……俺の体が本当に存在するのを確かめるように手を背中に回し……優しく抱きしめて来た。

 

「会えた……ね……」

 

「……」

 

 こんな時、どう声をかければいいのか分からない。

 

 いや違う。今の俺には目の前の彼女は映っていなかった。

 

 こんなに決定的なことがあっても俺は……まだ疑っている。

 

 だから俺がしてしまった行動……それは、スズカの肩に手を置いてそして引き離す。

 

 それは言わば、拒絶だ。

 

「レオくん?」

 

「……ごめん」

 

 そう言って俺はこの場から離れた。

 

 そして一瞬だけ見えた……スズカの驚きと悲しみが混じったような表情。

 

 先生が俺を見て、怒りを露わにしているのを。

 

   ***

 

 そう、俺はスズカを拒絶したんだ。

 

 なぜなのかと言われたら……分からないとしか言えない。

 

 ……いや、違うな。

 

 心当たりはあるはずだ……それはずっと昔から俺の心にある一つの思い。

 

 ーー奇跡なんて起きるはずがないーー

 

「……」

 

 そうして俺はずっと目を開けて……白い壁に映るさっきの出来事をずっと見る。

 

 意識がなくなり目の前が暗くなったのは……部屋に朝日が刺した頃くらいだった。

 

   ***

 

「玲音先輩……大丈夫なのかな」

 

「朝、寮の廊下で倒れてるのを発見されたのよね……でもただの疲労だってトレーナーは言ってたし……」

 

「ってことは仕事を押し付けたトレーナーがクロだな! よしトレーナー、ちょっと腰貸せ!」

 

「貸さねえよ、てかなんだその某カプコンの格ゲーに出て来そうなプロレススタイルのキャラみたいな構えは!?」

 

「このゴルシ様が編み出した、スクリューパイルドライバーを最初に味わうことを光栄に思え!」

 

「やめろ! ってなんか吸い寄せられ……!? ぐああああああ!!」

 

「……」

 

 私はチーム・スピカに入ると決めた次の日、部室に来て自己紹介をした。

 

 後輩のウオッカとスカーレット。そして多分年上のゴールドシップさん。

 

 リギルみたいな少しピリピリとした緊張感はあまりない……とても賑やかなところ。

 

 でも私の感情はそんなに賑やかではなかった。

 

 その理由はもちろん、昨日のこと……レオくん(あっちがスズちゃんと二文字で呼んでいたから、真似して私もレオって呼んでいた)が私との再会を喜ばず……何かに怯えるようにしていた。

 

 私はあの後考えた。

 

 何でレオくんはあのまま去ったんだろうって……。

 

 もしかして、私と再会するのがそんなにも嫌だったのかな。

 

 そう考えてしまうと、気持ちが落ち込んでしまう。

 

「いてて……ゴルシお前本当に容赦ないな……」

 

「あの……トレーナーさん」

 

「何だ……って言っても要件は分かる。玲音のところに行かせてくれだろ? 悪いがそれは許可はできない」

 

「どうして……」

 

「あいつにも考える時間が必要だろう……特にお前のことになるとな」

 

「えっ、スズカ先輩、玲音さんと知り合いなんですか?」

 

「……えぇ」

 

 知り合い……とは言っても、もうずっと会っていなかった者同士。

 

 もしかすると、あの約束を覚えていて守ろうとしていたのは私だけだったのかもしれない。

 

 なら私はレオくんの知り合いだって、そう言えるほどの人なんだろうか。

 

「まっ、スズカは俺と来い。そしてゴルシ・スカーレット・ウオッカ、お前たちにはこれをやってもらう」

 

 そうやってトレーナーさんが取り出したのはずた袋。

 

 何でずた袋?

 

「あぁ? また誰か拉致るのか〜?」

 

「あぁ、時が来たらメールで知らせる。それまでいつもの練習内容をやっておくように」

 

「また基礎練かよ、そろそろオレもデビューレースに向けて本格的な練習がしたいぜ」

 

「文句言わないのウオッカ、レースも土台がないと勝てないんだから」

 

「いやでもよ〜……」

 

 そう話し合いながら、ウォッカとスカーレットは部室から出て行く。

 

 ゴールドシップさんは部室を出て行かず、トレーナーの方を見る。

 

「んっ、どうしたゴルシ?」

 

「あいつ、本当に大丈夫だろうな?」

 

「大丈夫だろ……それにこんな程度でくたばっているようじゃ、この世界ではやっていけないからな」

 

「……」

 

 そうしてゴールドシップさんもずた袋を持って部室を出て行った。

 

「んじゃ、行くかスズカ」

 

「……はい」

 

 私もトレーナーさんの後ろをついて行く。

 

 着いた先は……私が少し前まで練習してたリギルのメイントラック。

 

 そこには何人かのウマ娘たちがリギルのトレーナーさんの前に列を作って並んでいる。

 

 そういえば今日は入団テストって少し前から言われていたっけ。

 

「俺はここであの子らを見ているから、スズカは適当に周辺走っててくれ」

 

「適当……ですか?」

 

「そう……まぁ、レースの翌日だからな、休息も兼ねている。そしてあの子らの中に見て欲しい奴がいるんだ」

 

「見て欲しい子?」

 

「そう、ショートカットで前髪が白色。背丈はお前よりちょっと小さめのやつだ」

 

「は、はぁ……じゃあ少し流して来ますね」

 

「おう」

 

 トレーナーさんの返事を聞いて、私は走り始める。

 

 しばらくするとさっきの子達がゲートに入って行くのが見えたので、トラックの近くに行ってみる。

 

 するとちょうどゲートが開いて、一斉に走り出す。

 

 先頭にいるのは……なんだろうあれ、覆面マスク(?)をつけている子が最初から大きく差をつけている。

 

 他はぼちぼち……いや、一人だけ大きく遅れている。

 

 ……あれ、あの子……トレーナーさんが言っていた特徴と一致している。

 

 私はその子を見てみる……するとその子も私の方を見た。

 

 すると次の瞬間、その子は加速した。

 

 次々と他の子たちを抜かしていき……そして2着でゴールした。

 

 それが私が一番最初に見た。スペシャルウィーク……スペちゃんの走りだった。

 

   ***

 

 あれ、もう1日終わっていたのか?

 

 この感覚は夢を見るときの感覚……そういえば最近よく夢を見るようになったなぁ……。

 

 

 俺は小学校3年生までは北海道にいた。

 

 だから夏休みや冬休みを使って地元に帰ることができて、その際はスズカとたくさん遊んだり、お互いのことを話したりした。

 

 でも小学校4年生の時、叔父さんの急な転勤が決まった。

 

 その結果、俺たちは北海道から東京に急遽引っ越すことになった。

 

 しかもそれは本当に突然決まったことだったため、スズカちゃんに伝えることもできないまま、北海道を離れてしまった。(電話番号は分かっていなかった)

 

 そして夏や冬になるたびに北海道に行こうと提案したが、叔父さんがあまりにも忙しかったため、それは叶わなかった。

 

 でもどうしてもスズカに会いたかった俺は小学校6年生の時、一人で北海道に行くと叔父さんたちに告げた。

 

 叔母さんは却下したが、叔父さんは面白そうだと全面協力してくれた。

 

 ……最悪、向こうに着いたらスズカのお母さんのお世話になればいい。そう思って、僕は東京から北海道へ向かった。

 

 そして懐かしい我が家の前まで着き、俺は向かいの家のチャイムを鳴らした。

 

 ……でも、出てきたのは全く知らない人だった。

 

 その人から前の住民は引っ越しをしたというのを聞いた。

 

 幸い我が家はまだ買われていなかったため、持ってきた鍵で我が家に入った。(あらかじめ叔父さんが大家さんに話してくれた)

 

 さらにお金もまあまあ持たせてくれたから、近くのコンビニで適当なコンビニ食を食べれたので、食べる物に困ることはなかった。

 

 でもスズカやその家族がここにいることを大前提にしてた俺にとって、これは計画の総崩れだった。

 

 だけどスズカには会いたい。そう思った俺は駅で情報を集めることにした。

 

 今思えば無謀だけど、当時の俺はそんなことは考えなかった。

 

 次の日、駅で情報を集めた。

 

 もちろん多くは「知らない」の一言で遇らわれたが、数人は聞き覚えがあると言ってくれて、その度に俺は心の中で狂喜乱舞していた。

 

 そして会えると思い、スズカが居そうなところを回った。

 

 ……でも。

 

『君は誰かな?』

 

『うちの子に何か用?』

 

『お父さんとお母さんはどうしたの?』

 

『お母さん、こいつすごく変! 気持ち悪い!』

 

『すみませんが、お帰りいただけますか?』

 

 そこで会ったのは『スズカノローディー』や『ディージースズカ』など、名前に『スズカ』と付くウマ娘の子たちで……。

 

 そこに俺が会いたいと思っていた『スズカ』はいなかった。

 

 そして……俺は分かってしまったんだ。

 

 俺はもうスズカには会えない。だって……本名を知らないんだから。

 

 本名が分からなければ、俺はスズカとは会えない。

 

 でも、それを調べる術は俺は持っていない。

 

 だからもう二度と会えない。

 

 奇跡の再会なんて信じてはいけない……お母さんに奇跡が起きなかったように、スズカとの奇跡の再会なんて起らないって……。

 

 

 

 

 




・トレーナーのHPは高そう。某ひぐらしのK1といい勝負するんじゃ?

・競走馬でスズカって名前は結構多いことを調べて知ったので、その事をネタとしました。

・次回、残っているメインウマ娘2人の1人、中2の頃の子を出す予定です。


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初めて食べたお粥

 前回のあらすじ:トレーナー、ゴルシのスクリューパイルドライバーを受ける。そしてスズカ、スペシャルウィークの走りを見る。

・誤字の指摘ありがとうございます。ウオッカがアルコール度数40度のお酒、または某コナンに出てくる黒ずくめの男の1人になってました。



 あ〜、くそ……嫌な夢を見た。

 

 なんで今になってあの頃の夢を見たんだろう。

 

 もしかすると、俺の心の奥にある何かが忠告や戒めとして、無意識に夢に出してきたのか。それとも本当に拒絶しているかのどちらかだろう。

 

 とりあえず、あの時の俺はスズカを拒絶した……そしてそれはこの後も尾を引くだろう。

 

 あ〜もう、何であの時の出来事をあの場で思い出してしまったんだろう。

 

 あの出来事さえ思い出さなければ、あのまま感動の再会で終わったのに……。

 

「はぁ……穴があったらそこで生き埋めになりたい」

 

「寝ながら、それもわたくしの前で不謹慎なことは言わないでもらえませんか?」

 

 深いため息と共にうっかり漏れてしまった独り言に対して、冷静にツッコミを入れる声が俺の耳に入ってきた。

 

 俺はその声を聞いて、うっすらと目を開けて見る。

 

 そして俺の視界に移ったのは紫の長い髪とぴょこぴょこと動くウマ耳とこっちを見てくる髪と同じ色の瞳。

 

「大丈夫ですか、玲音さん?」

 

「……マックイーン?」

 

 俺の隣にいたのは……メジロマックイーンだった。

 

 数々の優秀なウマ娘をこの世に出してきた名門メジロ家に生まれた、いわゆるお嬢様。

 

 彼女と俺の出会いは……まぁ、今はいいか。

 

 今はなんか頭がぼーっとする……ちょっとズキズキもしているかな。

 

「今おしぼりを冷やしますわ」

 

 そう言うとマックイーンは俺のおでこに乗せていたおしぼりを取って、すぐ近くにあった桶に浸けてから水を絞る。

 

 そして絞って冷やしたおしぼりを俺のおでこに乗せてくれる。

 

 すーっとおでこに溜まっていた熱が冷やしたおしぼりに吸収されていくのを感じる。

 

「どうですか、気持ちいいですか?」

 

「あぁ最高だよ……でも、なんで俺はマックイーンに看病されているの?」

 

「あなたは寮の廊下で、人差し指を寮の階段の方を指しながら倒れていたんですわ……それは覚えていますか?」

 

「いや……全然……」

 

「その噂がわたくしの耳に入ってきたんですわ……まさか本当とは思っていませんでしたけど」

 

 なるほど……俺はなぜだか知らないけど人差し指を階段の方を指して倒れていたのか。

 

 うん、イメージ的には希望の花 -フリージア- が咲いて、止まるんじゃねえぞっていう言葉が合いそうだな、うん。

 

「それでわたくしは学校が終わった後、すぐこっちに来たということですわ」

 

「……そっか、ありがとな」

 

 そう言って、俺はマックイーンの頭を優しく撫でる。

 

「ちょ、ちょっと……やめてください……」

 

 そうは言っているが、ウマ耳は少しずつ横の方を向いていっている。

 

 つまり落ち着いているということだ。

 

 しっぽもさっきよりブンブン左右に振っているしな。

 

「……あれ、そういえば服も変わっているけど、これもマックイーンが?」

 

「いえ、流石にそれは破廉恥ですので……私の主治医に」

 

「主治医です」

 

「うわっ出た」

 

 部屋の扉が開かれたかと思うと、そこにいたのはメジロ家の召使いである主治医さんだった。

 

 主治医さんは部屋に入ってくると、懐から体温計を取り出し、それを俺に差し出す。

 

 体温計を受け取った俺は少し体を起こして、体温計を脇に挟む。

 

 1分くらい経つと体温が計測される……36.8度。平熱より少しだけ高い体温だった。

 

「安定はしたようですね、明日には治るでしょう。このまま今日は安静にしていてください」

 

「はい、ありがとうございます。主治医さん」

 

「いえ、では私はこれで……」

 

 パタンと扉を閉めて、主治医さんは部屋を出て行った。

 

 そして部屋にはマックイーンと二人っきりだ……。

 

 そんな事を考えると「ぐ〜」となんとも間抜けな音が部屋に響いた。

 

「ごめんマックイーン……ちょっとお腹減ってて……」

 

「無理もありません……朝から飲まず食わずなのでしょう?」

 

 そう言うとマックイーンはカバンから、タッパーみたいなものを取り出し、俺の方に突き出す。

 

「ですから、これをどうぞ……」

 

「……これは?」

 

 そう言いながら受け取り、そして開けてみる。

 

 そしてタッパーに入っていたのは……水分を多く含んだ米……いや、これはお粥だ。

 

 黄色っぽいものもあるけど、これは溶き卵だろうか。

 

 そして全体に散りばめられているのはシラスと小口ネギ。

 

「これ……メジロ家のシェフさんがーー」

 

「違います! これは……わたくしが作りましたわ!」

 

「えっ、そうなのか?」

 

 マックイーンは顔を少し赤くして、真っ直ぐにこっちを見ている。

 

 だけどウマ耳は少し自信がなさそうに伏せている。

 

 つまり、本当に作ってきてくれたんだろう。

 

「ありがとう……いただきます」

 

「め……召し上がれ……」

 

 俺はスプーンでお粥を掬って、自分の口に運ぶ。

 

 ……うん、美味しい!

 

 ご飯がだし(多分白だし)をちょうどいい具合に吸っていて、卵とネギとシラスがちょうどいいアクセントになっている。

 

「ど、どうですか? お口に合いましたか……?」

 

「美味しいよ」

 

「ほ、本当ですか……!」

 

「ほんとほんと、俺が食べてきたお粥料理で1番美味しいよ!」

 

 とは言うがお粥を食べたのは人生でこれが初めてだ。

 

 小さい頃は風邪をひいても、いつものようにご飯を取るか、本当にひどい時はうどんを食べていた。

 

 だからお粥は食べたことはなかったんだが……まさかマックイーンが作ったのが初めてになるなんてな。

 

「もう……お世辞はそれくらいでいいですわ」

 

 そう言うマックイーンは顔をさっきよりも真っ赤にして、しっぽとウマ耳を忙しなく動かしている。

 

 それを見ていると、心なしかほんわかした気分になる。

 

 あれだ……ネコに甘えられているような、そんな感覚だ。

 

「……なんですの、その温かな目は……?」

 

「マックイーンに癒されているだけだよ」

 

「っ! ……知りませんわ」

 

 そう言って、ぷいっとマックイーンはそっぽを向いてしまったのだった。

 

 

 

 

 




・メインウマ娘の2人目はメジロマックイーンでした。お嬢様(?)口調が難しい……。

・ほのぼの〜。

・マックイーン星3持ってないんじゃあ(´;Д;`)

・次もマックイーン(出会い)回、スズカは次々回の予定。


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あなたの優しさ

 前回のあらすじ:メジロマックイーン登場、そして玲音の初めてはマックイーンだった。(お粥を生まれて初めて食べて、その作った相手がマックイーンだっただけ)

・UA5000・お気に入り数100件を突破しました。皆様、誠にありがとうございます。


「幼なじみと再会したのですか!?」

 

「あぁ……」

 

 初めてのお粥を堪能した後、俺はメジロマックイーンからなぜ俺は倒れていたのかと問われた。

 

 倒れた記憶は正直、覚えていないが……でも昨日(いや今日とも言えるか?)はずっと目を開けて、スズカとの再会を脳裏に思い浮かべていたから、寝不足になって倒れたんだろうと勝手に想像した。

 

「なるほど、以前から幼なじみの存在は教えられてきましたけど……本当に存在したんですね」

 

「いや存在してるよ、俺の妄想とかじゃ無いから……!」

 

「それで? ずっと念願にしていた幼なじみとの再会で気分が上がり……昨日は眠れなかったと?」

 

「……」

 

「何ですか玲音さん、そんなにこっちを見て」

 

「マックイーン、なんで怒ってーー」

 

「怒ってませんわ」

 

 いや怒ってますやん……現に鋭いツッコミしているし、ウマ耳は後ろの方に耳を倒してるおこ耳だし……。

 

 それに顔も明らかにさっきよりも厳しさを増している。

 

 にしても、気分が上がり眠れなかった……か。

 

 むしろそっちの方だったら、どれだけ良かったことか。

 

「……玲音さん?」

 

「……」

 

 マックイーンに打ち明けたら、どうなるだろうか。

 

 飽きられるか、それとも幻滅されるか。

 

「何か話したいことがあるのでしたら、わたくしで良ければ話を聞きますわよ」

 

「……ありがとう」

 

 そうして俺はスズカとのこと、小6のあの嫌な出来事、そして再会した際にしてしまった過ちをマックイーンに打ち明けた。

 

 マックイーンは耳をこちらの方に向けて……静かに俺の話を聞いてくれた。

 

「それって本当のことですの……?」

 

「……あぁ」

 

「……」

 

 ある程度喋ると、マックイーンは黙ってしまった。

 

 ……やっぱり幻滅されたかな。

 

「ごめんな……こんな話しても、だから何って感じだよな……ははっ!」

 

 少し暗くなってしまった空気を少しでも和ませようと笑ってみるが……明らかに引き攣っているし、声も裏返っている。

 

 本当に俺は何がしたいんだか……。

 

 自分が惨めに思えてくる。

 

「……ほら、一応俺は風邪ひいてるからさ、風邪がうつる前にマックイーンも帰ってーー」

 

「玲音さん……わたくしたちが出会った時のことを覚えていますか?」

 

「……えっ?」

 

 早く帰ってもらおうと思ったが、マックイーンが突拍子もなくそんなことを言ってきたので、少し困惑する。

 

「そりゃ、覚えているけど……」

 

「わたくしは小学校5年、そしてあなたは中学校2年の時です。わたくしが通っていた小学校では林間学校が、あなたが通っていた中学校では野外活動がありましたわ」

 

   ***

 

 中学校2年生の時、俺の学校には野外活動があった。

 

 目的としては生徒たちの信頼関係や友情関係の向上、そして自然に触れるといったところだろう。

 

 でもまぁ、そんなに苦だとは思ってなかった。

 

 自然とは言っても、朝・晩ご飯は施設の食堂で食べれるし、お昼も施設が用意してくれる。

 

 小説やその頃やり始めたSNSでは「炊飯活動たのしー!」とか書いてあったけど、うちの学校は「炊飯活動、何それ美味しいの?」という感じだった。

 

 そんな初日の晩ご飯の時だった、メジロマックイーンと出会ったのは……。

 

「……」

 

 視線を感じて隣を見てみると、そこには紫色の髪のウマ娘がこっちを見ていた。

 

 しっぽをめっちゃぶんぶん振って、耳をぴこぴこ動かしている。

 

 そしてその目は俺……ではなく、お皿に乗せられたみかん・いちごタルトの方を見ていた。

 

「……」

 

「……(ソワソワ)」

 

「……食べる?」

 

「っ! いいですの……!」

 

 俺は答える代わりに皿の上に置いてあるタルト2つを目の前の子に渡す。

 

 するとしっぽをさっき以上にぶんぶん振りまくって、顔はまるで向日葵でも咲いたかと思うくらい笑顔になっていた。

 

 まぁ、喜んでもらっているし……これっきりだろうから、ちょっと良い事をした気分になっていた。

 

 ……でも、次の日に開催された肝試し大会でその子と再会したのだった。

 

 俺は他の2人と3人ペアで動いていたのだが、ある辺りに差し掛かると誰かが啜り泣く声が聞こえたので辺りを見渡した。

 

 そして見つけたのが……先日デザートをあげた子だった。

 

「はぐれちゃったのかな……かな?」

 

「ぐすっ……うぅ……」

 

「どうするんだ玲音?」

 

「どうするって……一つしかないだろう……」

 

 俺は泣いているその子に近づいて、目の前で隠し持っていたアメを取り出す。

 

 その子は少し困惑していたけど、そのアメを受け取って口に入れる。

 

 そしてなるべく自然に……優しく語りかけるような口調と表情を意識して、言葉にする。

 

「一緒に行こうか……ここはちょっと危ないからね」

 

「……うん」

 

 そうして手を繋いで、俺たちは彼女の先生を探した。

 

 幸いにも俺らの学校で設定されていたチェックポイントと、彼女の学校が設定したチェックポイントが同じだったので、そこら辺に行くと彼女の学校の先生、そしてはぐれていたであろうグループの子たちもいた。

 

 泣いて喜んで再会している姿を見ていると……良いことをしたと俺たちは思った。

 

 そしてそこにいた小学校の先生に何度もお礼を言われて……そしてあの子もお礼を言ってくれた。

 

 でもまさか……別の形で改めてお礼を受けるとは思ってもいなかったが……。

 

   ***

 

 なんでいきなり、そんな昔の事をマックイーンは話しているんだろう。

 

「わたくし、知っていますの。あなたが本当に優しい性格をしているという事を……それはもうわたくしが何度も実感していますわ」

 

「……」

 

「だからあなたが一度の過ちを犯したとしても……あなたなら大丈夫ですわ」

 

 一度の過ちを犯しても……大丈夫……?

 

 流石にそれは綺麗事すぎないだろうか。

 

 その一度の過ちが時々大きな溝を作る事だってあるはずなのに……。

 

「そんなに過去のことが気になるなら、忘れてしまえばいいんですわ」

 

「えっ?」

 

 それは……彼女らしからぬ言葉だった。

 

 だっていつもは「メジロ家の令嬢であるこのわたくしが〜」と、挑戦的・不屈的な言い方をしているマックイーンが……忘れるという後退するような言葉を使ったから……。

 

「だって、今のあなたはあなたです。昔のあなたではないんです」

 

「それは……どういうこと?」

 

「そこまでは言えませんわ……それは自分で見つけてこそ価値があるものですから……」

 

 そう言うと、マックイーンはカバンを持って椅子から立ち上がる。

 

「では、ご機嫌よう玲音さん」

 

 そう言って、マックイーンは部屋から出て行った。

 

「過去のことを忘れる……」

 

 一度呟いてみたが……やっぱりしっくり来なかった。

 

   ***

 

 スペシャルウィークさんがスピカに入った後、私は結局……トレーナーさんに黙ってレオくんが住んでいるトレーナー寮に訪れた。

 

 トレーナーさんにはあんな風に言われたけど……でも私はレオくんと話したい。

 

 そして……レオくんの本当の気持ちを知りたい。

 

 そんな風に考えていると……廊下にウマ娘の子が向こうから歩いてきた。

 

 あれ……ここは確かトレーナー寮、ウマ娘が入るには寮長さんの許可を取らないといけないはず……。

 

 まぁ、いい。今はレオくんのお見舞いに……リンゴがお見舞いにいいんだよね。

 

「少しよろしいですか?」

 

「えっ?」

 

 さっき廊下にいたウマ娘の子が私の前で立ち止まっていた。

 

「あなたがサイレンススズカ先輩で間違いないですか?」

 

「は……はい、あなたは?」

 

「わたくしはメジロマックイーンと申します。玲音さんのお見舞いに来たのですか?」

 

「は……はい」

 

 なんでこの子……レオくんの名前知っているんだろう。

 

 もしかして、レオくんの知り合い?

 

「あの人、ずっとあなたの事で悩んでいます。ですから彼を解放させてあげてください」

 

「えっ……?」

 

「わたくしからはそれだけです、ではご機嫌よう」

 

 そう言って、メジロマックイーンと名乗った子はトレーナー寮から出て行った。

 

 それよりも……レオくんが私のことで悩んでいる。

 

 それは……どっちの意味で悩んでいるんだろう。

 

 分からない……怖い……でも、私は知らないといけない。

 

 彼の本当の気持ちを……だから私は覚悟を決めるように一歩一歩踏み締めて、レオくんの部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




・マックイーンの親愛度はだいぶ高めです。

・やっぱりお嬢様口調は難しい。(書いたことがない)

・次回はレオちゃんとスズちゃんが交わした約束のお話の予定。


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レオとスズちゃんのヤクソク

 前回のあらすじ:メジロマックイーンとの出会いの経緯。そしてスズカは玲音に会いに行く。

・UA6000・7000を突破しました。皆様、誠にありがとうございます。

・今回はちょっとだけ長めです。


 

 ーーあの日、君とヤクソクを交わしたーー

 

「やだぁ……やだよぉ!!」

 

「スズちゃん……」

 

 お別れの時、スズちゃんは自分から離れなかった。

 

 一応、同じ北海道だから夏と冬は遊びに来ると言ってはいるけど、それでもこんな状態だ。

 

 それに幼いとは言ってもウマ娘であるスズカの力は想像より強く、後ろでスズカのお母さんが離れさせようとしているが苦戦している。

 

 こういう時……どうすればいいんだろう。

 

 そう思っていると、一つ思いついた事があった。

 

「ねぇスズちゃん。ユビキリしよう?」

 

「ぐす……ユビキリ?」

 

「うん、ぼくはスズちゃんの近くにいる!」

 

「……ほんとう?」

 

「ほんとう! ヤクソクする!」

 

 そうして小指をスズカちゃんの方に差し出す。

 

 するとスズカもおずおずと小指を出してくれる。

 

 俺はその指と自分の指を絡ませる。

 

「「ゆ〜びき〜りげ〜んま〜ん、ウ〜ソついた〜らハリセンボンの〜ます!」」

 

「「ゆびきった!」」

 

   ***

 

 メジロマックイーンが去った後も、俺はマックイーンが言っていたことの意味を考えていた。

 

 過去は忘れてしまえばいい……つまり嫌なことは忘れてしまえばいいってことか?

 

 でもそんなことって許されるんだろうか……。

 

「……」

 

 ダメだ……もしかすると風邪で頭が回らないのかもしれない。

 

 ちょっとだけ寝よう……そして考えよう。マックイーンの言葉の意味を……俺がスズカにどう対応すればいいのか……。

 

 そう思い、俺は布団に手をかけた……その時、コンコンと自分の部屋の扉がノックする音が部屋に響いた。

 

「はい……開いてますよ」

 

 そう言うと少し間があってから、扉が開かれる。

 

 その瞬間、理解した。

 

 彼女が……スズカが来てしまったのだと……。

 

「す……スズちゃん……」

 

「こ、こんばんわレオくん……具合はどう?」

 

 スズカは多分、俺のお見舞いに来てくれたのかな……そして手に持っている紙袋にはおそらく果物が入っているのだろう。

 

 そしてスズカのウマ耳は少し伏せ気味になっている。

 

 やっぱりスズカも……昨日の俺のことを考えているのか。

 

「明日には治っていると思うよ」

 

「そう……よかった」

 

 そう言うスズカは安堵のため息をつく。

 

「あの……よかったら、リンゴの皮を剥くけど……」

 

「じゃあ、お願いしようかな」

 

「っ! うん!」

 

 そう言ってスズカは紙袋からリンゴを一つとペティナイフを取り出し、そのナイフでリンゴの皮を剥き始める。

 

 シャッシャッとリズミカルに軽快な音が部屋に響く。

 

 昨日、俺はスズカを無意識的に拒絶してしまった。

 

 それでも今この瞬間、スズカは俺に近づいてくれている。

 

 ーーならさ谷崎玲音……お前にできることって、もう限られていると思わないか?ーー

 

「よし剥けた……! はいどうぞ」

 

 そう言ってスズカは皮が剥かれて8等分くらいに分けられたリンゴをこっちに差し出してくる。

 

 俺はそれを受け取って……食べる。

 

 うん……シャキシャキしていて美味しい。

 

「ありがとう、スズちゃん」

 

「ううん、このくらい礼を言われるほどでもないよ……昔はこうしていたでしょ?」

 

「うん……そうだね」

 

 あの出来事が尾を引いているなら……今からでも、少しだけでもスズカと仲良くする。

 

 それが今の俺にできることだ。

 

   ・ ・ ・

 

 その後、俺とスズカはお互いの事を話し合った。

 

 そして聞いた感じ……スズカは以前よりも走る意欲が上がっている気がした。

 

 そう言えば教則本のパラパラ読みで見た程度だけど、ウマ娘の走りたくなる欲求は思春期が主な時期で、さらに言えばトレセン学園に通っている期間、これはウマ娘にとって一番ポテンシャルが高い時期と言われている。

 

 とは言っても、スズカは元々走るのが好きだったから、そんなのは関係なさそうだけど……。

 

「ねぇ……レオくん。一つ聞いてもいい……?」

 

「うん、何かな……」

 

「昨日のこと……なんだけど」

 

 何かなとは言ったが、スズカが何を言うかはなんとなく分かっていた。

 

 そりゃ気になるよな……なんで拒絶したのって。

 

「何に怯えてたの?」

 

「……えっ?」

 

 怯え……てたのか? 記憶を遡ってみるけど、少し冷たく接してしまった以外なかったはずだ。

 

「もしかして、私に怯えていたの?」

 

「そんなことは! ……ない……はず」

 

 スズカの言葉を俺は強く否定しようとしたが、語尾が弱くなってしまう。

 

 本当に怯えてなかったかと言われると……あまりにも微妙だから。

 

 目の前のスズカが、幼なじみのスズちゃんじゃないかもしれないと考えたのは、紛れもない事実だから……。

 

「聞かせて、レオくんが怯えている。その原因を……」

 

「……分かった」

 

   ・ ・ ・

 

 俺はスズカに、マックイーンに説明したように小6の出来事を話した。

 

 すると、スズカはその頃も話してくれた。

 

 どうやらスズカは小学校6年生の春に北海道から離れていたらしい。

 

 なるほど……道理で北海道を探しても見つからなかった訳だ。

 

 そしてそれを聞いていたスズカは……ずっと俯いていた。

 

 失望したか。そりゃそうだ、スズカの知らないところでこっちが勝手に傷つき、そしてこっちの勝手で拒絶したんだから……スズカにとっては理不尽の何物でもないだろう。

 

「ごめんなスズちゃん……もうこの話はーー」

 

 やめようと言おうとした瞬間、スズカは僕を包み込むように優しく体を抱いた。

 

 そして頰には涙が流れており……パジャマの左肩に生温い水が染み込む。

 

「スズ……ちゃん?」

 

「ーーってくれてた……!」

 

「えっ」

 

 なんと呟いたか、少し聞き取れていなかったが……スズカのウマ耳は横を向いている。

 

 なんで心が落ち着いているんだ?

 

「レオくん……あの時の約束、覚えてる?」

 

「覚えてるに……決まってる」

 

 それは俺があの町から……スズカから離れる時に交わした約束。

 

 近くにいる……約束。

 

「小4の時から……急に来なくなって、私のこと嫌いになったのかなと思っていた。でもレオくんは守ろうとしてくれてた……約束を……」

 

「……」

 

 俺は……約束を守っていたのだろうか。

 

 静かに啜り泣くスズカの声が俺の耳に入ってくる。

 

 スズカのその言葉は……俺からしたら、許しに近いものだ。

 

 ……でもやっぱり、俺の心の奥にいるナニかが、あの時のことを忘れるなと囁いている気がする。

 

「だから、今度は私が約束を守る番……そうすれば、レオくんは救われるから」

 

「……」

 

 その時、なぜその言葉を思い出したかのは分からない。でも俺は、マックイーンが言っていた言葉を今ここで思い出した。

 

『そんなに過去のことが気になるなら、忘れてしまえばいいんですわ』

 

 それはその出来事そのものを忘れてしまえばいいと言っているんだと思っていた。

 

 だけど……それは違う。

 

 今俺が考えついた"忘れる"が、本当にマックイーンが言っていた"忘れる"なのかは分からない。

 

 でも、その忘れられない過去というのが俺……そしてスズカにもあり、それがお互いの仲に溝を作っている。

 

 つまり、俺だけが忘れるだけじゃダメなんだ。

 

 スズカも忘れないと……真に俺たちは前に進めない。

 

 お互いが縛り合っているものを……忘れない限り。

 

 俺はスズカの近くにいられなかった。

 

 そしてスズカは約束を破られたと勘違いしてしまった。

 

 正直、そんなお話はこんな風に打ち明けないと分からなかった。

 

 だから分かった……俺がどう言えばいいのか。

 

 だって俺は今の俺だから……。

 

 そしてスズカも今のスズカだから……忘れなければいけない。

 

 そして俺はスズカの肩に優しく手を置いて、体を俺の正面に持ってくる。

 

 でも、それは昨日の拒絶した時の行動ではない。

 

 これは……スズカに俺の覚悟を見てもらうための行動だ。

 

「レオ……くん?」

 

 スズカは怯えているような顔になっている。

 

 きっと昨日のことを思い出し、今から何を言われるのか分からないからだろう。

 

「ごめんスズちゃん……いや、スズカ。その約束は守らなくていい」

 

「っ! どうして……そんなことを……」

 

「俺は守れなかった……一度でも大きく離れてしまえば、それは約束を守れなかったのも同然なんだ。だから、もうその約束は守らなくてもいい」

 

「そんな……私はーー」

 

「だから!! 俺はレオくんとしてじゃない……谷崎玲音として俺は! もう一度、君と約束を交わす!!」

 

「……えっ?」

 

 あの時の約束が俺たちの中に残っている限り、俺とスズカは前に進めない。

 

 なら、上書きをすればいい。

 

 あれははっきり言ってしまえば、子供と子供がその時に交わした約束だ。

 

 でも、俺たちは成長している。世間からしたらまだ俺たちは子供だが……それでもあの頃の俺たちではない。

 

 だったら、俺とスズカ……谷崎玲音とサイレンススズカとして約束を交わせばいい。

 

 それが俺の考えた……過去を忘れるということ。

 

「君が例えどこへ行っても、どこか遠くに走って行ってしまったとしても! 俺は君に追いついて、君の近くにいる!! もう黙って君を置いて行ったりもしない!!」

 

 俺のこの宣言がスズカにどう響くかは分からない。

 

 でも次の瞬間にはスズカも声をあげていた。

 

「っ……私も約束する! もうレオくん……ううん、玲音を信じる! もう迷わない……私は玲音の近くにいる!!」

 

 俺たちは約束を交わしあった。

 

 ならその約束を確かなものにするために、最後にするべきこと……それは……今でも昔でも変わらない……ずっと前から行われてきたこと。

 

「スズカ……指切りをしよう」

 

「うん……うんっ!」

 

 そして俺とスズカはお互いの小指を絡めて、しっかりと掴む。

 

「指切り拳万」

 

「嘘ついたら」

 

「「針千本飲ます……指切った!!」」

 

 この先、この約束がどれほどの効力を持つかは……今の俺たちには分からない。

 

 どこかでまた、あの過去の約束を思い出してしまうかもしれない。

 

 それでも俺は……なんとなく分かった気がした。

 

 この瞬間から俺の心は確かにーー未来へと進み出したのだとーー。

 

   ***

 

「どうやら……杞憂だったみたいですね」

 

 わたくしはあの後気になって、玲音さんの部屋の扉で聞き耳を立てましたが、どうやらあの人はちゃんと理解なさったらしいですわね。

 

 まぁ、その結果ライバルが一人増えましたけど、玲音さんが苦しみから解放されるならそれで構いませんし、それに……わたくしはメジロ家の人間、どんな人が相手でもわたくしは必ず、あの人の隣に居座るつもりですわ。

 

「今からが楽しみですわ」

 

 そう一言呟き、わたくしはトレーナー寮から出て行った。

 

 

 

 

 




・もうこれただの告白だよなぁ(KONAMI感、本人たちはそう思ってない様子)

・指切りはぱかライブTVのイベント先行CGでキタちゃんとサトちゃんがやっていましたね。

・実質、次がこの作品のプロローグ的なやつの最終話だと思ってます。


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星観ル君ノ隣デ/初めまして!

 前回のあらすじ:玲音とスズカは過去を忘れるため、新たな約束を交わす。

・UA8000突破しました。ありがとうございます。




 あの後、俺とスズカは寮の屋上へとやってきた。

 

 約束を交わした後、お互い感情が熱くなっていたので、気持ちを落ち着かせるために夕涼みへ行こうと提案したのだ。

 

 屋上へ着くと冬のヒンヤリとした夜の空気が肌に刺さる。

 

 ……流石に部屋着一枚は寒かったか?

 

 それに一応俺は病み上がりなんだから、そんな夕涼みとか言わずにベッドで休めばよかったものを……。

 

 なんて思っていたけど、空を見上げた瞬間……そんな思いは吹っ飛んだ。

 

「わぁ……綺麗……」

 

「あぁ……本当に……」

 

 空には……星空が広がっていた。

 

 雲ひとつない。この都会の空で3等星よりも暗い星が見えそうだ。

 

「ねぇ、レオくん」

 

「なんだ? って、呼び方戻っているし……」

 

「やっぱりレオくんはレオくん呼びの方がしっくりくるから」

 

「なら、俺もスズちゃんって呼ぼうかな?」

 

「それはちょっと……後輩もいるし」

 

「確かに、なら親しみを残してスズとか?」

 

「う、うう〜ん。それはそれでもっと恥ずかしいような……」

 

 からかうような俺の言葉に、少し苦笑・羞恥しているスズカ。

 

 うん、こんな感じでいいんだよな。

 

 にしても呼び方に関しては、自分も正直スズかスズちゃんしか考えられないから、2人きりの時は今のまま、人の前ではスズと呼ぶことにしよう。

 

「んで、何言いたかったんだ?」

 

「あっうん……レオくんはさ、あの町の夜空って覚えている?」

 

「覚えているよ」

 

 あの町は、このトレセン学園や俺が住んでいるところよりは田舎なので、星はここよりも綺麗に見えてた。

 

「小学校3年生の時に山に二人で行って、星を見に行った事があったよね」

 

「……あ〜、確かにあったなぁ」

 

「その時約束した事覚えてる?」

 

「約束? ……何かあったっけ?」

 

 と俺はとぼけたが、本当は何となく覚えている。

 

 ほんと、子供は何であんな恥ずかしい約束を簡単に口にできるんだろう。

 

「あの時レオくん、私にプロポーズしてくれたんだよ?」

 

「えっいや、そっちが確かしてきた気が……あっ」

 

 矛盾を指摘してから気づいた……スズカがニコニコ笑っていることに。

 

「やっぱり覚えてた」

 

「は……嵌められた……」

 

 してやられたと……俺はその場に寝転がる。

 

 ヒヤッとした感覚が背中に伝わる。

 

 すると……スズカが俺の横に座った。

 

 そして俺たちは頭上にある夜空を眺める。

 

 それはまるで、あの時の再現……。

 

「ねぇ、レオくん。聞いてもらってもいい?」

 

「……なに?」

 

 スズカの目を見てそれが真剣な話だと分かり、彼女の顔を見て彼女の言葉を待つ。

 

「私は……見たい景色があるの」

 

「……」

 

「だから私は走る……だから、その姿を見てて欲しい」

 

「当たり前だ。スズカが例え速すぎて異次元に行ったとしても、ちゃんと見つけてやる」

 

「流石にそこまでにはならないと思うけど……でもお願い」

 

「あぁ!」

 

   ・ ・ ・

 

 次の日、俺は放課後になった後教員室に訪れた。

 

 理由は先生に昨日風邪で休んだ事を謝りに、そしてスズカのことを言いに来た。

 

 先生はあの夜、間近で俺とスズカを見ていた。

 

 そして拒絶した俺を見て……先生は怒りを露わにしていた。

 

 だからもう仲直りしたことを伝えておいた方がいいと考えたのだ。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「はい、風邪も……そしてスズカのことも大丈夫です」

 

「そうか……」

 

 そう言って、先生はそれ以上何も言わなかった。

 

 多分、こっちで解決したことだから、もう口を挟まなくてもいいと思っているんだろう。

 

「それはそうと先生、一つ聞きたい事があるんですけど……」

 

「何だ?」

 

「何で俺とスズカが知り合い同士って分かったんですか?」

 

「あ〜簡単な話だ。スズカのデータを調べたら出生地がお前と同じだって分かってな……もしかしたらって思っただけだ」

 

「そうなんですね……」

 

 俺は……この人のお陰でこの学園に入れた。

 

 そしてそれだけではない……スズカと再会するための場所を作ってくれた。

 

 そう思うと……俺はこの学園に入ってから、この人にすごくお世話になっている。

 

「先生……いやトレーナーさん、ありがとうございます。俺をこのチームに入れてくれて……スズカと再会させてくれて……」

 

「お礼を言うのはまだ早いぞ、これからどんどん学ばせて行くからな!」

 

「はい!」

 

「よし、じゃあこのメニューを先にやっててくれ、俺は後から合流する。後、新しい奴が入ったから挨拶はしておくように」

 

「分かりました!」

 

 元気よく返事をし、俺は教員室から出て行く。

 

 よし、ちゃっちゃと部室に行くか!

 

   ・ ・ ・

 

 校舎から部室までずっと走って来た。

 

 部室の扉の前で一度止まると、さっきまで感じなかった肺のキツさが襲ってくる。

 

 なので一回深呼吸……やっぱもう一回深呼吸……あれ、もう一回……。

 

「なにやってるの、レオくん?」

 

「うわっ!? す、スズちゃんか……やべ焦った。いやちょっと走って来たから呼吸を整えてて……」

 

「走って来たんだ……気合い入ってるね」

 

「うん……よし、行くか!」

 

 そして俺は扉を開ける。

 

 そこにはウオッカにスカーレット、ゴールドシップ……そして初めて見る子がいた。

 

「あっ玲音先輩! こんにちわです!」

 

「玲音さん、もう風邪は大丈夫なんですか?」

 

 俺が入ってきた瞬間駆け寄ってくる後輩2人……ちょっと距離が近いかな。

 

「うん、心配かけてごめんね2人とも」

 

 2人に声を掛けると、2人の後ろにゴールドシップが仁王立ちをしてこっちを見ていた。

 

「新人、私は信じてたぞ。こんなところで終わる奴じゃないってな」

 

「もちろん……ここで終わるつもりはない」

 

 ふっと、ゴールドシップが笑みを浮かべて、その場から横にずれる。

 

 そしてそのゴールドシップに隠れるようにして……その子は立っていた。

 

「あなたがみなさんが言っていた人ですか!」

 

 そう言う彼女は数歩俺に近づく。

 

「私、スペシャルウィークって言います! 夢は日本一のウマ娘になることです! 今後ともよろしくお願いします!!」

 

 その元気すぎる自己紹介に、少し俺は驚いて気持ちが半歩後ろに下がる……が、ここまで元気よく自己紹介されたら、返さない訳にはいかないよな……!

 

「初めましてスペシャルウィーク! 俺は谷崎玲音!! いつか一人前のトレーナーになるために、このチームにいる男だ!!」

 

 みんなの前で大きな声で……俺は高らかにそう宣言した。

 

 あぁ、俺は絶対に……一人前のトレーナーになってみせる……いや、なってやる!!

 

 

 

 

 




・2期13話はマジで泣いた。

・トレセンに入ったキタちゃんとサトちゃん可愛い (*´д`*)ハァハァ

・これでススメミライへ、プロローグのような何かに該当するお話は終わりです。

・少し間を開けます。次の投稿は4月3日にする”予定”です、どうぞお楽しみに……。


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第2R「初めて見るウマ娘のレース!」
トレーナーを目指す者同士/トレーナーができること


 前回のあらすじ:スペシャルウィークとの出会い、そして玲音は一人前のトレーナーになると高らかに宣言した。

・UA9000・10000を突破しました。読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。


 トレセン学園トレーナー学科は、名前こそはトレーナーになるために専門的な事を学ぶ場所のように聞こえるが……実際は少し違う。

 

 トレーナー学科と言っても、高校卒業の資格は取るために高校レベルの教育は行われる。(それも普通の高校よりもスピーディーに授業が行われるため、なかなか付いていくのが難しい)

 

 そこにトレーナーになるための技術がほんの少しだけ教えられるだけだ。

 

 それも実践的というよりかはデータや歴史に関する授業が多い……理由としてはウマ娘はまだ分かっていないことの方が多いためだ。

 

 例を挙げるなら、人間は鍛えれば筋肉がつくのに対し、ウマ娘はぷにぷにと筋肉が柔らかくなるとか。ウマ娘は文字通りなぜ女の子しか生まれてこないのかとか……とにかく様々だ。

 

 だからこの前も思った事だが、お世話になるチーム選びは大切になってくる。

 

 それは所属するチームによって、得られるものは変わってくるからだ。

 

 少しずつだが着々と周りのクラスメートたちもチーム選びが決まってきている。

 

 普通だったらこの時期に志望書を提出して、その後定員が割れるなら入団試験をしてお世話になるチームが決まる。

 

 その時期が大体4月の終わり……だから今の時期にチームの練習に入れている俺はある意味特別な存在だと言える。

 

「んで、谷崎はどこに志望したんだよ? リギル? アスケラ?」

 

 話しかけてきたのは偶々隣同士になったクラスメートの尊野(みことの)だった。

 

 短髪の茶髪、いわゆるギャルゲーの友人枠でいそうな感じの容姿だ。

 

 あっ、ちなみに俺自身はギャルゲーをお父さんがやってたところを見てただけでやったことはない。

 

「俺はもう決まってるから」

 

「えっマジで!? どこどこ?」

 

「えーっと、スピカってところ」

 

「スピカ〜? ……そんなチームいたかな?」

 

 尊野はチーム一覧表を取り出す……でもまぁ、見つからないだろう。

 

 確か詳しくは知らないけど、指導できるチームになるにはある程度の実績と年月、そしてウマ娘が何人以上かいないといけないらしい。

 

 だからスピカは当てはまってない……ほんと特別だな、俺。

 

「まっ、俺はアスケラを希望したぜ」

 

「へ〜尊野くんはアスケラなんだ……ワタシはやっぱリギルかな」

 

 そう横から横やりを入れてきたのは俺の後ろの席のクラスメートの道だ。

 

 肩よりも長く伸ばした紺色の髪、体型もスラーっとしていてモデルと言われても、多分多くの人が信じるんじゃないだろうか。

 

「でもよリギルって倍率高いんだろ、大丈夫かよ?」

 

「そこはまぁ……その場で分かることかな。それよりも谷崎くんはスピカに入ったの?」

 

「あぁ、まぁ……」

 

「よくあんな看板を作ったチームに入ったね」

 

「……看板?」

 

 道が話してくれたが、なんかウマ娘の寮に向かう途中にウマ娘3人がダートコースに生き埋めにされている看板があるらしい……多分ゴールドシップが悪ふざけで提案したんだろう。

 

 そしてスカーレットとウオッカ……災難だっただろうな。

 

 心の中で合掌をしておく。

 

「でもまぁ……入って良かったと思ってるよ」

 

「そっか。ワタシも早くチームに入りたいな〜……」

 

「俺も俺も! ぜってぇアスケラに入るぜ!」

 

「2人とも、頑張れ」

 

 そんな一人前のトレーナーを目指す者同士の何気無い日常会話だった。

 

   ・ ・ ・

 

 そして放課後になり、俺はスピカの練習にいつものように参加、そして初めて最初から先生が練習に参加していた。

 

 そしてそれにも理由があり……。

 

「1週間後いきなりデビューレースですか!?」

 

 チームのみんながターフで軽いウォーミングアップで走りこんでいる時に、俺は先生から衝撃的な事実を告げられた。

 

 その内容は入ってきたばっかりのスペシャルウィークのデビューレースを約1週間後に行うというものだった。

 いや……1週間後って……えぇ……。

 

「お前スペじゃないだろ、あいつとほぼ同じリアクションだぞ?」

 

「いやだって、彼女はこの学園に転入してきてまだ日が浅いですよ?」

 

「別に出るのが早いからってダメって訳ではないだろ」

 

「そうですけど……」

 

 そんないきなり走って大丈夫なのかな……しかも調整は1週間って……。

 

 スペシャルウィーク、今どんな気持ちなんだろう。

 

「なぁ玲音、お前に一つ訊く。ウマ娘が走るために俺たちトレーナーができる事は何だと思う?」

 

「……」

 

 俺は考えてみる。

 

 トレーナーにできること……それはやっぱり目標のレースに向けて、そのための練習メニューを考えること。

 

 そう先生に言ったが……返事としては……。

 

「ダメだな」

 

「えっ」

 

 必死に考えたことはスパッと切られてしまった。

 

 練習メニュー以外に……何かあるか?

 

「俺たちにできる事……それはコンディションを整えてやることだ」

 

「同じ意味じゃ?」

 

「違うな、お前が言ったのは一方的に与えるだけだ。対してコンディションは状態、条件、そして体調を整える事を言うんだ」

 

「……」

 

「もちろんお前が言ったことは状態を整える事の一つだが、それ以外にも気の迷いや悩み、些細な違和感や怪我をケアし、レースに集中させることもトレーナーがやることだ」

 

 なるほど……要するにウマ娘と親身になれってことだろうか。

 

 昨日聞いたがスペシャルウィークはスズカの走りに憧れているらしい。

 

 だったら今のスペシャルウィークはレースの迷いより、デビューへの期待の方がでかいのだろうか。

 

 少しでもスズカに近づく……そのためにレースする……それが条件を満たすこと。

 

 そして体調が良くなければ、そのレース云々関係なくなるってことなのかな。

 

「体調は調子以外にも、体調管理……特に減量に関することには注意するんだ。トレーナーに黙って減量するやつも多いからな」

 

「なるほど……」

 

 確かに減量でダイエットして、それで栄養失調を引き起こしてしまったら、それはそれで本末転倒だよな。

 

 逆も然り。アスリートにプレッシャーでご飯を食べすぎる人がいるが、そうなると本来のパフォーマンスを発揮できなくなってしまうよな。

 

 うん……先生が言っている事を俺はちゃんと理解できてる。

 

「腑に落ちたって顔だな……じゃあお前に問題だ。今、俺たちがスペシャルウィークにできることは何だ?」

 

「……」

 

 俺たちが……できること。

 

 俺は不意にスペシャルウィークの方を見てみる。

 

 その顔に……不安などない。ただ目の前のことを一生懸命にやろうとしている。

 

 だったらできることは……。

 

「スペシャルウィークにレースへの不安を与えないこと……ですか?」

 

 そう言うと今度も先生は間髪なく言葉を言った。

 

 でも表情はさっきの期待違いだったという表情ではなかった。

 

「正解だ……!」

 

 俺は内心でめっちゃガッツポーズをする。

 

 いや、ガッツポーズじゃ済まない。もう全国模試で一位を取ったくらいに大声で「いよっしゃああああぁぁ!!」と叫ぶ。

 

 ……まぁ、取ったことないけどな。

 

「そんなお前にお使いだ」

 

「もともとさせる予定でしたよね?」

 

「ゴルシのロッカーの上に置いてある物を取って来てくれ」

 

「……分かりました。どんなやつですか?」

 

「あ〜底の浅い箱っぽいやつだ。色は赤っぽいやつな」

 

「分かりました」

 

 そう答えて、俺はトラックから離れて部室の方へと駆け足で向かった。

 

 

 

 

 




・我、ウマ娘のガチャ運が無さすぎて枕で泣きたい侍。

・尊野と道の出番はちょくちょ来ます。(多くはないけど)

・次回は明日投稿する予定です。


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何で俺まで……

 前回のあらすじ:玲音、トレーナーから大切なことを教わる。

・UA11000を突破しました。ありがとうございます。


 俺は部室に着くと、先生が言っていたゴールドシップのロッカーの上を見てみる。

 

 するとそこにあったのは……いや待て待て。

 

 本当にこれで良いんだよな……でもこれって確か。

 

「ツイスターゲーム……だよなぁ」

 

 そうロッカーの上にあったのはパーティーゲームの定番、ツイスターゲームだ。

 

 何でこんなところにこんな物が……そして何で先生はこれを持ってくるように言ったんだ?

 

 あれかな、何か勘違いしているとか?

 

 でもロッカーの上を見てみても練習に使えそうな物は置いていない。

 

 俺はどうも腑に落ちない気持ちで先生とチームのみんながいるトラックに駆け足で向かった。

 

   ・ ・ ・

 

「次、右手青」

 

 ……ドユコト。

 

 何で俺たちは普通にツイスターゲームをしているんだろう。

 

 いや、やっているのは俺ではなくてウオッカとスペシャルウィークだけど……。

 

 スペシャルウィークは明らかに困惑顔、そしてウオッカも似たような顔をしている。

 

「お〜面白そうだな! トレーナーアタシもやりてえ!!」

 

 なお、ゴールドシップだけは異様にテンションが高い模様。

 

「ねぇ、これ意味ないでしょ」

 

 そしてスカーレットは俺が言って欲しいことを代弁してくれた。

 

「意味はある!」

 

 だが先生はスカーレットの言葉に対し、異様に自信があるようにそう言った。

 

 このゲーム(練習)に何の意味が……正直そんな練習をしているチームなんてうちだけなんじゃないか?

 

「スペ、今度のデビュー戦、この前の入団テストとは訳が違う」

「レースは格闘技だと思え、相手が体をぶつけてくる時もある。だからレースでも負けない体幹を鍛える必要がある」

 

 確かに言っていることは最もっぽいけど……でも……。

 

「ツイスターゲームじゃなくてもいいのでは……」

「ツイスターゲームにする意味はあるのかしら……」

 

「「あっ」」

 

 考えが被っていたのか、スカーレットとセリフが被った。

 

 でも、これがコンディションを整えるという事に当てはめるなら、練習を楽しくしてデビューへの不安を感じさせない工夫なのだろうか。

 

 なんて考えていると、スペシャルウィークがバランスを崩してウオッカが下敷きになってた。

 

「おいスペ〜、流石にだらしないぞ〜? そんなんでレースに出るつもりか〜?」

 

「うぅ〜、だって……こんな事おかあちゃんとやった事ありませんも〜ん……」

 

 少し涙目になっているスペシャルウィークとウオッカに俺は水を渡す。

 

「あ、ありがとうございます玲音さん」

 

「ありがとうございます玲音先輩……」

 

 その後、スカーレットとゴールドシップもやったが……あんまり続かなかった。

 

「お前らそんなもんか?」

 

「だって……これ、見た目以上にキッツイ……」

 

「だな……このゴルシちゃんも……流石に少し疲れた……」

 

 俺とスズカ、そして先生以外のみんなはターフの上で疲れ倒れている。

 

 この状況を一言で表すのなら死屍累々……ヤ無茶しやがってだろう。

 

「は〜……これはお手本を見せないとな。スズカ、玲音」

 

「はい」

 

「えっ?」

 

「お前ら2人でこの練習やってみろ」

 

「はい」

 

「……はい?」

 

 スズカはあっさりと承諾したが、俺は困惑せざる得なかった。

 

 いやだって、俺はトレーナー(仮)で……ウマ娘の練習に参加するなんていいのか?

 

 いやいやそれよりもスズ……というよりウマ娘だって女の子だ。

 

 女の子とツイスターゲーム? それは人間として、男としてやってはいけないのでは?

 

「……レオくん?」

 

 声のした方を見ると、スズカは腕を伸ばしながらツイスターゲームで使うシートの近くに立ってこっちを見ていた。

 

 え〜、なんか俺の幼なじみやる気満々なんだけど……。

 

「え〜っと……スズはいいの?」

 

「別に気にしないよ?」

 

 えぇ〜それは年頃の女の子としてどうなの?

 

 ていうかその提案した先生も先生だ!

 

 睨みつけるように先生を見たが……あまり効果はなかった。

 

「どうした、早くシートの前に立てよ」

 

「……ええいままよ!!」

 

 もう俺は知らない!

 

 このゲーム……本気で勝ちに行ってやる!

 

   ・ ・ ・

 

「次、右足青」

 

「っ……!」

 

 俺とスズカがこのゲームを始めて……何分くらい経ったんだろう。

 

 分かる事はさっきより太陽が傾いている事と、さっきまで死屍累々してたスピカのみんなが立ち上がって俺とスズカのツイスターゲームを見ている事。

 

 それだけでだいぶ時間が経っている事が分かる。

 

「やっぱりすごいですね、スズカさん!」

 

「でも玲音先輩もすごい……まだ粘ってる……」

 

「あぁ、正直もうギブアップしてもおかしくないはず……」

 

「やるじゃねえか新人!」

 

 周りがガヤガヤ言っているが……まぁ、今は目の前に事に集中だ。

 

 スズカも冷静な顔をしているが、筋肉の震え的に疲れてきているはず……。

 

「次、左手緑」

 

「っ……」

 

 でも流石にそろそろ俺も限界だ……。

 

 そう思っていると先生がパンパンと二回手を叩いた。

 

「よ〜しそこまで、2人ともよく頑張った」

 

「「はぁ〜……」」

 

 俺とスズカはほぼ同じタイミングでシートに身を委ねる。

 

 あかん……これ、明日腹筋と背筋が筋肉痛になりそうだ。

 

 ……ていうかトレーナー、なんで俺にやらせたんだ?

 

「やっぱすごいなスズカ、そして玲音も」

 

「ありがとうございます」

 

「なんで俺まで……やる羽目に……」

 

「そりゃあ運動できるやつが運動しない訳にはいかないだろ?」

 

 そういうトレーナーは異様にニヤニヤ笑っている……まるでこっちの事が全部つつ抜けているぞと言わんばかりに……。

 

 ゾゾゾっと背筋が凍るような感覚が俺に突き抜けた。

 

「っ!? 先生! あんたどこまで知ってるんですか!?」

 

「んっ、どうゆう事だ?」

 

 ゴールドシップが先生に対して質問する。俺はすぐに先生の口を塞ぐ……いや、もうラリアットでも決めたかったのだが、今の俺はツイスターのシートで倒れ伏すこと以外できなかった。

 

「玲音は卓球で市内一になった男なんだ」

 

「「「えぇ〜!?」」」

 

「ほう、只者じゃないとは分かっていたが……そういう事だったか」

 

「……卓球?」

 

 先生が言ったセリフに対して、スペシャルウィーク・ウオッカ・スカーレットは驚愕の声をあげて、ゴールドシップは何故か納得したように首を縦に振り、そしてスズカの頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。

 

「はぁ……先生、ほんとよく見てますね。新手のHENTAIですか?」

 

「新聞は見るからな、名前は覚えていたんだ」

 

「……」

 

 ほんとこのトレーナー、抜け目ないというか目が良すぎるというか。

 

 そんな一時期ポンっと小さく載った新聞のことをよく覚えていられるなぁ。

 

「あのレオくん、サッカーはどうしたの?」

 

「……サッカー? どうゆう事だ玲音?」

 

 ……あ〜、もうこの際全部ぶちまけようそうしよう。

 

「あ〜自分、北海道にいた時はサッカーやってたんです。まぁまぁ強いところのサブでしたけど……でも北海道を離れて小中一貫校に転校したんですけど、そこにはなかったんですよサッカー部が……だから代わりに卓球をやり始めたって事です」

 

「いや卓球は知ってたがサッカーもやってたとは……それは盲点だった」

 

「玲音先輩すげぇ……」

「玲音先輩すごい……」

 

「お前、結構芸達者なんだな……アタシには及ばないけど」

 

 そんな自分の以外な一面が暴露された日だった。

 

 まぁ卓球に関しては本当、実力者が棄権とかして運が良かっただけだし、サッカーに関してもサブばっかで公式試合で得点は取ったことがない。

 

 そんな羨ましがられる様な事はほぼ無い。

 

 ということを正直に話した。

 

 すると先生とゴールドシップは落胆、後輩3人とスズカはそれでもすごいと言ってくれた。

 

 確かに中途半端な俺だけど……この仕事だけは中途半端にしない。

 

 俺はそう心の中に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・玲音の一コマ…玲音はキャプ翼の松山に憧れイーグルショットを再現しようとしてた。

・僕は小・サッカー、中・吹奏楽、現(高)茶道です。みなさんはなんの部活に所属してましたか?


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蜂蜜アイスコーヒーと公園で会ったウマ娘

 前回のあらすじ:玲音、スズカとツイスターゲームをする。

・UA12000・13000、お気に入り200件突破しました。誠にありがとうございます。

・あらすじを少し変更しました。あと新キャラが出ます。(唐突)


 早起きは三文の徳ということわざがあるが、それは人によりけりだと思っている。

 

 別に起きるのが遅かったとしても、その分休息ができているということだからそれが減るのが徳かと言われれば少し微妙だ。

 

 しかし人間の脳が活発になるのは起きてから2時間後と考えられていて、その時に仕事や勉強をするのが良いと言われている。

 

 じゃあ俺はどっちなんだ? と訊かれたら……間違いなく後者、つまり早起き派だ。

 

 理由としては活発になる点もあるが、一番の理由としては……。

 

 そう考えながら、は自室内に響くゴリゴリという音と軽快な音と、全体に広がってくる甘い香りを嗅覚や聴覚……そして触覚で楽しむ。

 

「……よし、こんな感じかな」

 

 今俺は何をやっているのか。それは……コーヒーを淹れているのだ。

 

 中学校1年生の頃だろうか。自分の恩師が職員室でコーヒーを淹れているところを見て、真似したくなったのが全ての始まり。

 

 そしてそれ以降定期的にコーヒーを淹れるのにハマってしまった。

 

 最近は入学したてだったり、スズカの事やスピカの事があったりとドタバタしていて時間がなかったが……流石に心にゆとりができ始めていたので、今日からまた再開することにした。

 

「お湯は88度、蒸らしを60グラムのお湯で1分……蒸らしを含めた1:1:2で計300グラムっと……よし!」

 

 コーヒーを淹れ終わって、少しだけカップの中に注いで淹れたてを味わう。

 

 よく飲まれている缶コーヒーやペットボトルコーヒーは苦味が強いものが多いが、実際の淹れたてのコーヒーは豆によっては甘さを感じるくらい甘いやつもある。

 

 そして何より……香りがすごくいい。

 

 THE・コーヒーと言うよりはフルーティー・フローラルな香りだ。

 

「うん、いい感じ」

 

 さて、ここからが本番。

 

 あらかじめ用意していたコーヒー用の水筒に氷をたっぷりと入れる。

 

 そして……まだ熱めのコーヒーを水筒に注ぐ。これでアイスコーヒーが出来上がる。

 

 こうすれば学園のどこでもアイスコーヒーが飲める。

 

 でも俺はこれで満足しない……水筒の横に置いてあった瓶の蓋を取って、瓶の中身をスプーンで掬う。

 

 そして瓶の中身は……蜂蜜。それも普通のハチミツではなくてコーヒー蜂蜜。

 

 そう! 俺が作っているのは蜂蜜アイスコーヒー!!

 

 コーヒーを淹れ始めて1年くらい経った時に、あるお店で飲んだ蜂蜜アイスコーヒーが物凄く美味しかったのだ!

 

 だからこうやって水筒に蜂蜜アイスコーヒーを淹れて、授業や学校で疲れた時に飲むのにハマってしまったのだ。

 

 この蜂蜜アイスコーヒーは豆やその焙煎度を細かく調整し、50以上の蜂蜜を試して一番合うと思った玲音ブレンドのコーヒーだ。

 

   ・ ・ ・

 

「うわっなにこれ美味っ!?」

 

「ほんとほんと、甘くて……でもスッキリしている。うん……美味しい!」

 

 お昼、俺と尊野と道は3人で食堂でお昼を取る。

 

 んで、その時に蜂蜜アイスコーヒーを2人に振る舞った。

 

 ちなみに俺自身水筒に口をつける行為自体がそんなに好きじゃないので、紙コップは持参しているのでそれに注いでいる。(でもペットボトルや缶・ビンの飲み物は口つけるのは大丈夫なんだよなぁ)

 反応としては上々だった。

 

 放課後になって部活の途中、俺はちょくちょく蜂蜜アイスコーヒーを口にしていた。

 

 そしてその匂いが先生にも届いたのか「少し一口くれるか」と言われた。

 

 紙コップにコーヒーを注いで先生に渡すと、先生はコーヒーを一気飲みする。

 

「お〜こりゃ〜いい。オハナさんといい勝負じゃないか?」

 

「おハナさん?」

 

「知らないか? リギルのトレーナーのオハナさん。あの人も豆から淹れるのが好きだからな……」

 

「へぇ〜……」

 

 ……ちょっと待て? チームトレーナーにはそれぞれ別々の個室が用意されているはず……なのになんでスピカのトレーナーである先生がリギルのトレーナーのところに行っているんだ?

 

 ……これ以上考えるのはやめとこう。

 

   ・ ・ ・

 

 練習後にもチームのみんなに振る舞ってみた。

 

 蜂蜜が使われているから、疲労回復にも良いだろうと思ったからだ。

 

「プハー! 玲音先輩、これ美味しいですよ!」

 

「ちょっとウオッカ、あんた普通に飲めないの? あっ、美味しいですよ玲音先輩」

 

「うわぁ……私コーヒー飲んだの初めてですけど、こんなに美味しいんですね!」

 

「……美味しい。レオくん、会っていない間に良い趣味見つけたんだね」

 

 チームのメンバーにもまずまずの印象。

 

 でもなぜだかゴールドシップはコーヒーを飲もうとせず、代わりにキンキンに冷えたお湯(つまり常温水)を飲んでいた。

 

 なんで飲まないんだ? って聞いても「それは調べてみろ」と言われてしまった。

 

 寮に帰ったら調べてみるか。

 

   ・ ・ ・

 

 練習の後、俺は学園の近くにある公園に訪れた。

 

 そしてそこのベンチで蜂蜜アイスコーヒーを飲む。

 

 目の前には遊具で子供たちがわいわいと元気よく遊び、走り回っている。

 

 その光景が……何となく俺は好きだ。

 

 子供っていうのは良くも悪くも純粋無垢で穢れがない。

 

 癒しになる……そう言った方が良いだろう。

 

「えぇーそんなー!!」

 

「ブウウゥゥー!!」

 

 と、耳が劈かれるような誰か叫び声が俺の耳届き、俺は某探偵物語の主人公みたいに飲んでいたコーヒーを噴き出す。

 

「ケハッケヘ……な、何だ?」

 

 俺はベンチを離れて声のした方に行ってみる。

 

 そしてそこにいたのは……1人のウマ娘だった。

 

 その子は地面に膝を付けながら、目の前の虚空を見ていた。

 

「Funny Honeyが今日やっていないなんて……ボクはどうすれば……」

 

「……あの〜、大丈夫?」

 

「えっ……あっ、大丈夫だよ」

 

 そう言うと、そのウマ娘は立ち上がってこっちの方を向く。

 

「ごめんね、ちょっといつもやってる蜂蜜ドリンク屋がやっていなくてショックだっただけだから……」

 

 ……蜂蜜ドリンク屋?

 

 最近若者の間ではタピなんとかドリンクが流行っているって言うのは耳にしたことはあるが……。

 

 にしても……蜂蜜か。

 

 ふと俺はカバンの中に入っている水筒を見る。

 

「迷惑かけてごめん、それじゃーー」

 

「あのさ……蜂蜜コーヒーならあるんだけど、よかったら飲む?」

 

「えっ?」

 

「……」

 

 俺、なんて事を口走ったんだろう。

 

 まださ、クラスメートや先生・チームのみんなに振る舞うのは良いだろ? だって見知らぬ仲じゃないしさ。

 

 でも……目の前にいるこの子は今初対面した見知らぬウマ娘だ。

 

 俺はともかく……彼女からしたら不信極まりない人がなんか変な事を口走っているようにしか聞こえないよな……うん。

 

「……あれ、その制服ってトレーナー学科の?」

 

「んっ? あぁ……」

 

「ふ〜ん……じゃあ貰おうかな、そのコーヒー」

 

「……んっ?」

 

 なんか……会話が成立していないような気がする。

 

 何でトレーナー学科だったら貰おうって事になるんだ?

 

 そう思っていると目の前のウマ娘は一番近いベンチに腰掛ける。

 

「どーしたの、キミも座りなよ」

 

「あ、あぁ……」

 

 俺もベンチに腰掛けて、紙コップにコーヒーを淹れて隣にいるウマ娘に渡す。

 

 ちなみにこれが最後の一杯だ。

 

「あっ、これ美味しい」

 

「そう? ならよかった」

 

 とりあえずお口に合ったみたいでよかった。

 

 そして隣にいるその子はゴクゴクとコーヒーを飲み干した。

 

「ご馳走さま、ありがとね」

 

「どういたしまして」

 

 コーヒーを飲み干し、こっちに笑顔を向けてくれるウマ娘……そろそろウマ娘って心の中で言うのも億劫になってきた。

 

 この際、名前を聞いてみようか……いや、それは失礼じゃないか?

 

「キミはボクの名前を知っているよね? トレーナーなんだし」

 

「……すまん、分からない」

 

 と言うかトレーナーじゃないだし、初対面だから分かる訳が無い。

 

「えぇ〜ボクのこと知らないの? ボクはトウカイテイオー! 夢はカイチョーみたいなウマ娘になること!」

 

「かいちょー……シンボリルドルフのこと?」

 

「そうそう! カイチョーのことはもちろん知ってるよね!」

 

 その後俺はトウカイテイオーに『シンボリルドルフ会長の素晴らしいところ』を長々と聞かされた。

 

 でもただのファンではなく……尊敬していて、そして同じところに立とうとしている覚悟が垣間見られた。

 

 こういう子が……伝説を生むんだろうな。

 

 そして何でトレーナー学科という理由で飲んでくれたのかトウカイテイオーに聞くと、彼女は俺のことをスカウトしに来た人だと思っていたらしい。

 

「えっ、じゃあスカウトしに来た訳じゃないの?」

 

「……あぁ」

 

「じゃあ何でボクに声を掛けたの?」

 

「いやまぁ……なんかほっとけなかったというか……自分でも分からないんだよな」

 

「なにそれ、変なの」

 

 そう言うとトウカイテイオーは「よっ」と声を発しながら勢いよく立ち上がる。

 

「それじゃボクはそろそろ家に戻るよ、またね」

 

「うん、トウカイテイオーさんも気をつけて」

 

「さんは付けなくていいよ、気軽にテイオーって呼んで!」

 

「分かった……じゃあテイオー、またな」

 

「うん、またコーヒーご馳走してね〜!」

 

 そう言いながら、テイオーはこの場を走り去って行った。

 

 さてと、じゃあ俺は寮に戻るかな。

 

 

 

 

 




・新キャラはテイオーでした。(あらすじ、出会ったウマ娘)

・タピなんとかは一回も飲んだ事ないです。

・僕はカフェオレ・ラテが好きです。

・次回はマックイーン回の”予定”。(甘々むずい)


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甘えるお嬢様

 前回のあらすじ:玲音、トウカイテイオーと出会う。
・UA14,000・15,000を突破しました。ありがとうございます。

・なお今回、ウマ耳以外にもヒト耳が出てきますが、僕はウマ娘にもヒト耳があると思っている人間です。(理由としてはメガネなどヒト耳に掛けるアクセを使っている。時々ヒト耳が映る特にマックイーン)


「ただいま〜」

 

 寮に着いて自分の部屋に入った後、癖のようにその言葉を言ってしまった。

 

 別にこの部屋には家族や他人はいないのに……長年やってきた帰宅の習慣はなかなか抜けないものだな。

 

 ……そう思っていたのに。

 

「おかえりなさい」

 

 返事が……帰ってきた。

 

 俺は咄嗟に声のした方に顔を向ける。

 

 そして俺の目に映ったのは……紫色の髪……見覚えのある子がそこにいた。

 

「……何でここにいるの、マックイーン」

 

「あら、わたくしがここに来てはいけない理由があるのですか?」

 

「いや……ないけどさ」

 

 そこにいたのはマックイーンだった。

 

 俺のベッドに腰をかけて、読書をしていたのか膝に本を置いている。

 

「あなたこそどこに行っていたのですか? もう待ち続けてかなり経つのですが……」

 

「……ちょっと世間話していただけだ」

 

 そう言いながら俺は勉強机にカバンを乗せて、マックイーンと対面になるようにイスを移動させ、イスに腰掛ける。

 

「で、何しに来たんだ?」

 

「玲音の部屋に遊びに行きたくなった……ただそれだけですわ」

 

 特に悪びれることもなく、ごく普通にそれが当たり前だと言うようにマックイーンはそう言った。

 

 ただ……俺には分かる。

 

 マックイーンの左のウマ耳だけが異様にぴこぴこ動いているのだ。

 

 これは……俺に隠し事がある時のマックイーンの癖みたいなもの。

 

「んで、本当の理由は? 昔から左耳の癖直ってないよな」

 

「くっ……」

 

 今更感が拭えないが、マックイーンはウマ耳を両手で抑える。

 

 早く本当のこと言えばいいのに……。

 

「れ、玲音の淹れたコーヒーが飲みたくなったのですわ……パティシエが新作のマドレーヌを送って来てくださったので、玲音のコーヒーと一緒に食べたいと思いまして……」

 

「最初から素直に言え……ちょっと待ってろ?」

 

 俺はコーヒー豆を取り出しミルにセット、電動ポットのスイッチを入れてコーヒーを淹れる準備をする。

 

   ・ ・ ・

 

「やっぱりあなたが淹れるコーヒーは、わたくしの執事が淹れる紅茶と同じくらい美味しいですわ」

 

「恐縮です、お嬢様」

 

「むっ……お嬢様と呼ぶのはやめてくださいと何度も言ってるでしょう?」

 

「ごめんごめん」

 

 俺が淹れたコーヒーとマックイーンの家のパティシエさんが送ってくれたマドレーヌを飲み食いしながら、マックイーンと話す。

 

 ちなみにマックイーンは俺にお嬢様と呼ばれるのを嫌っている。理由としては「それでは他人みたい」とのこと。

 

 ちゃんと名前で言ってほしいとずっと前から言われているが……お嬢様と言った時のマックイーンが少し可愛い顔をするので、ちょっと悪ふざけで言う時もあるのだ。

 

「そういえばマックイーンはチームはもう決めたのか?」

 

「いえ、まだ決めてませんわ。意外とチーム数が多いですし……悩みますわね」

 

「……」

 

 俺は一瞬考えてしまった。マックイーンをスピカの一員にできないかと。

 

 マックイーンは幼い頃からメジロ家で練習を積み重ねて来た。

 

 数回俺もその走りを見たことがある。

 

 正直言って、彼女の走りは素晴らしい。

 

 その姿は美しくもあり勇ましさもある。

 

 そんな彼女がスピカに入れば、間違いなく活躍してくれるに違いない。

 

 でも彼女の性格を考えると、あのチームは合わない気がする。

 

 それにトレセン学園にはスピカよりも断然実力のあるチームが多くある。

 

「玲音さん?」

 

 ……いや、それはマックイーンが決めることだ。

 

 もちろん入ってくれたら嬉しいけど……でも彼女の未来を縛る訳には行かないよな。

 

「玲音さん!!」

 

「うおっ!? な、なんだマックイーン……」

 

「さっきから何度も呼びましたのに、返事一つもありませんの!」

 

「ご、ごめん……」

 

「まぁいいですわ。玲音さん、いつものアレやってもらえません?」

 

「……アレを? この学園でもか?」

 

「自分自身でやってみたのですが、やはり難しくて……」

 

 そう言いながらマックイーンは近くに置いていたカバンに手を突っ込み、中から何かを取り出した。

 

 それは……耳かき棒だった。

 

 俺たちがさっきからアレと言っているもの、それは耳かきだ。

 

「オーケー、タオル用意する」

 

 そして俺はタオルを取って、さっきコーヒー入れるために使ったお湯(温くなってる)で少し湿らせる。

 

 俺がマックイーンの耳かきをする様になったのは今から2・3年前くらいだろうか。

 

 自分は両親に耳かきをしているとマックイーンに言ってみたら「わたくしにもやってほしい」と言われてやり始めたのがきっかけ。

 

 それまでは耳鼻科で使うような機材を使って耳掃除をしていたらしいが……それも御役御免になったらしい。

 

「ほい準備完了、いつでもどうぞ?」

 

「……失礼しますわ」

 

 俺はベッドに腰掛け、膝をぽんぽんと手で叩いて催促をすると、マックイーンは少し遠慮気味に俺の膝に頭を乗せた。

 

 まずは湿らせたタオルで表面を拭きながら、ヒト耳とウマ耳をマッサージするように優しく揉む。

 

 体は動かないが、さっきから尻尾がソワソワとせわしなく動いている。

 

「今日はどっち? ウマ耳、ヒト耳、それとも両方?」

 

「りょ、両方……お願いしますわ」

 

「りょーかい、ヒト耳の方からやっていくからな」

 

「えぇ……お願い」

 

 ゆっくりと耳かき棒をマックイーンの耳に入れる。

 

 少しビクッと体と尻尾が跳ねたが……その後は比較的動かないでいてくれる。

 

 最初やった時はだいぶビクビクと動いていたから痛くしないか心配だったけど、今ではもうすっかり慣れてくれている。

 

 マックイーン自身もウマ耳を横に向けてリラックスしてくれている。

 

「ほい、ウマ耳の方をやっていくからな」

 

「……はい」

 

 ウマ娘にはウマ耳があるが、基本ヒト耳と対して耳かきは変わらない。

 

 ウマ耳は通常時は前の方を向いて直立しているが、ヒト耳と違い自由に動かすことができるので、横に向けてもらえれば普通の耳かきとほぼ同じ形でできる。

 

 でもウマ耳はヒト耳よりもさらに繊細なので、かなり集中しないといけない。

 

「……よし、マックイーン反対向いて」

 

「……」

 

 マックイーンは返事をしなかったが、のっそりとした動きで逆を向いてくれる。

 

 ……ちょっと息がお腹に当たってくすぐったい。

 

 反対の方も両方の耳を耳かきし、最後に梵天で仕上げる。

 

(よし終わりっと……マックイーンは)

 

 途中から全然喋らなくなったので、もしかしてと思いマックイーンの様子を見てみる。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 マックイーンは俺のお腹に顔を埋めて、寝息を立てていた。

 

「ありゃりゃ、寝ちゃったか」

 

 こうなると仕方ない……このまま眠らせよう。

 

 ウマ娘たちが使っている寮の門限はうちと同じだから……うん、まだ時間は余裕がある。

 

 あ〜でも、これだと俺も一歩も動けないなぁ……それに夕ご飯だってまだだし。

 

 まぁいいや、明日多めに食べればいい。

 

 前は耳かきしてもうつらうつらする程度だったが、今回は久しぶりの耳かきだったから寝てしまったんだろう。

 

 ……。

 

「はる……てん……じろの……すぅ……」

 

「……」

 

 マックイーン、夢の中でも春の天皇賞のこと……メジロ家としてプレッシャーを背負っているのか。

 

 彼女がどれだけ春の天皇賞に想いを馳せているのか、俺は1年と少しの間で見てきた。

 

 そしてそれはメジロ家も望んでいる事……でも……。

 

「夢の中くらい好きな夢を見ろ……スイーツ食べ放題とかさ」

 

 そう独り言を呟きながら、彼女の頭を優しく撫でる。

 

 するとどうだろう……彼女の寝顔が少しだけ穏やかになった気がした。

 

   ・ ・ ・

 

「すみません執事さん、こんな夜分にお電話してしまって」

 

「いえ大丈夫です谷崎様。マックイーンお嬢様がご迷惑をおかけしました」

 

 結局あの後、門限の30分前くらいになったのでマックイーンを起こそうとしたが起きなかった。

 

 んで俺自身もマックイーンに膝を貸していて動けなかったので、近くに置いていた携帯を取ってマックイーンの執事さんに電話をかけてお迎えに来てもらった。

 

「迷惑なんてそんな……俺もマックイーンといて楽しいですから」

 

「そうですか、お嬢様があなた様のその言葉をお聞きなさったら大変喜ばれるでしょうな」

 

「さすがに恥ずかしくて言えませんよ」

 

「左様でございますか。マックイーンお嬢様は私が責任を持って寮にお送り致します」

 

「はい、お願いします」

 

 執事さんは俺の膝を枕にしているマックイーンをひょいとお姫様抱っこし、この部屋から出て行った。

 

 

 

 

 




・マックイーンは可愛い(森羅万象の理)

・次回はスペシャルウィークのデビューレースのお話の"予定"です。


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初めてのレース、初めて見るレース〈前編〉

 前回のあらすじ:玲音、マックイーンに耳かき&膝枕をする。

・UA17000・18000、お気に入り300件突破しました。誠にありがとうございます。

・”予定”なので変更もあります。(前編と後編に分けます)

・馬はバと表示します。(点が二つの馬も実装してくれ(泣))


 あの驚きの1週間調整宣言から5日が経過した。

 

 スペシャルウィークはデビューレースに向けて日々練習に明け暮れていた。

 

 スズカから聞いたが、練習の後は必ずと言っていいほどベッドにダイブするらしい。

 

 俺もサッカーや卓球をやっていた時はそうなったので、今のスペシャルウィークがどれだけ本気で練習に取り組んでるのかが伝わってくる。

 

 実際、最初はぎこちなかった走りが少しずつ綺麗になっている気がする。

 

 そして……今日の朝刊でスペシャルウィークが走るレースの出バ表が公表された。

 

「連下二つ……か」

 

「おっお前も見たのか今日の朝刊」

 

 今日も俺はチーム練習に参加している。

 

 その際、今日見ていた朝刊の数値と今のスペシャルウィークの走りを見て独り言を漏らした。

 

 ただ先生には聞こえてしまってたらしい。

 

「思ったより期待されてないんですね……あんなに頑張っているのに」

 

「そりゃ転入したばかりでデータが少ないからな……不満なのか?」

 

 不満……そう言われればそうかもしれない。

 

 スペシャルウィークは頑張っている。一週間という少ない期間で驚くくらい成長している。

 

 新米にもなっていない自分だが……彼女には素質、才能があると思っている。

 

 それこそ彼女が言っていた『日本一のウマ娘になる』というのも、不可能とは言えないだろう。

 

「まっ、気にすんな……それにその連下すら貰えないウマ娘もいる。それはお前も見ただろ」

 

「……はい」

 

「この業界(せかい)はそういうものなんだ、どんなに努力しても認められないやつもいる……それを覚えとけ」

 

「はい」

 

 そう話していると、トラックを回っていたみんなが戻ってきた。

 

 俺は用意していたスポーツドリンクとタオルをみんなに配る。

 

「はいスズ」

 

「うん、いつもありがとうレオくん」

 

「今俺にできるのはこれくらいだからな」

 

 俺は確かにトレーナーとしての知識を少しずつだが付けてきてはいる。それは自分でも自覚している。

 

 だがチームでやっていることはトレーナー業というよりはマネージャー業だ。

 

 でも別に苦ではない。これでもみんなを支えているということだから。

 

 それにこういう下積みの経験がいつかトレーナー人生で活かせると俺は思っている。

 

「よ〜しお前らストレッチが終わったら部室に集まれ!」

 

   ・ ・ ・

 

「えー、ここからスタートしてぐるっと回ってここがゴールだ」

 

 スペシャルウィークのデビューレースの会場である阪神レース場の見取り図をホワイトボードに書き、レースの大まかな流れを先生はスペシャルウィークに教える。

 

「あっはい」

 

「んで、スペ先輩の作戦は?」

 

 ウオッカの言葉に対し、スカーレットは逃げ、ゴールドシップは追い込みを提案する。

 

 しかし先生は静かに首を振った。

 

「いや、作戦は……なし!!」

 

「「はぁ?」」

 

 そう不満な声をあげた後、ウオッカは先生の首を絞める……いわゆるチョークスリーパーを決めている。

 

 ……でもちょっと待てよ、トレーナーがこんな大切な時に意味のないことを言うだろうか。

 

 もしかして……。

 

「無いのが作戦?」

 

 俺が思いついた言葉を、スズカが話してくれた。

 

「そうそれ……だはぁ……!」

 

 スズカが言った言葉に肯定の返事した後、ウオッカはチョークスリーパーを解いた。

 

「無いのが作戦って……どう言うことですかトレーナー?」

 

「それは……玲音、答えられるか?」

 

「そこで俺に振るんですか!? ……えーっと」

 

 考えろ谷崎玲音、さっきはスズカと同じ答えに至ったんだ。ならもう少し考えればその意図が分かるはず。

 

 ……そう言えば、トレーナーはどんな練習をスペシャルウィークにさせて来た?

 

 ハードルを使った腿上げダッシュに走り込み、スクワットなどのフィジカル練習。

 

 併走に……あれ、そう言えば先生が出していた練習ってかなりバランスが取られている。

 

 つまり、トレーナーは……。

 

「スペシャルウィークの好きなように走らせる……ってことですか?」

 

 そう、先生は脚質特性に合わせたトレーニングをしていない。

 

 逃げ、先行、差し、追い込み……ウマ娘にはそれぞれにあった脚質がある。

 

 だから普通チームのトレーナーはそのウマ娘にあったトレーニングを作る。

 

 だが先生がやっていたのはスタミナやスピードなどの身体能力を上げる練習しかしなかった。

 

 それは……スペシャルウィークの走りを縛らないために……そうしたのだ。

 

 っというのが、俺の考えた先生の意図だ。

 

「そうだ。スペシャルウィーク、駆け引きしようなんて思うな……好きなように走れ」

 

「好きなように……」

 

「前方だろうが後方だろうがどこでもいい……自分が、ここだ! っていう気持ちのいいタイミングでスパートをかけて、先頭のウマ娘を抜け!」

 

 確かに言っていることは分かる……でも、それはスペシャルウィークからしたら、かなり無責任なことを言っているようにも聞こえるだろう。

 

 そのせいか、少しだけスペシャルウィークの顔が曇った。

 

「っ……ここだって分かるかな……」

 

「まぁ、それは経験もあるし、生まれ持ったセンスもあるし……やってみないことには……な?」

 

「……」

 

   ・ ・ ・

 

「……」

 

 俺は寮に戻った後もスペシャルウィークのことを考えていた。

 

 もうすぐレースなのに……あんなに暗く曇った顔でいいのだろうか。

 

「っ……あ〜、気になって眠れない……」

 

 そう言う俺の手には携帯があった。

 

 その画面に映っているのはある場所の電話番号……栗東寮の固定電話の電話番号が入力されている。

 

 そして俺の親指は何度も何度も、通話ボタンを押そうか押さないかと指を動かす。

 

 正直今の時間から掛けると寮の人に迷惑だろう。でもスペシャルウィークのことも気になる。

 

 ……いや、大丈夫だろう。

 

 だってスペシャルウィークのルームメイトはスズカなんだ……きっとスズカなら、スズちゃんならスペシャルウィークの悩みを晴らしてくれるはず。

 

 そう思って俺は寝る準備を始めた。

 

   ・ ・ ・

 

 そして数日後……ついにスペシャルウィークがデビューする日……俺は……Zzz……。

 

   ***

 

「遅いな玲音のやつ……朝に駅で集合って言ったろ……!」

 

「もう新幹線出ちゃいますよ!」

 

「ったく新人! 何やってるんだよ!!」

 

「どどど、どうしましょうスズカさん!」

 

「れ、レオく〜ん……」

 

 レオくん、何で集合時間に来てないの〜。

 

「っ……仕方ない。俺たちは先に阪神に行くぞ。少し遅れてもパドックには間に合うだろ」

 

「ちょっとトレーナー、それはあまりにも無責任じゃ」

 

「1人のために全員を遅らせる訳にはいかない。行くぞ」

 

「ちょ、おいトレーナー待てって!」

 

 トレーナーが改札を通っていったので、私たちはトレーナーを追って改札に入る。

 

 レオくん……早く来てね、私は信じているから。

 

 

 

 

 




・やらかしてしまいましたな〜玲音(他人事&そうした張本人)

・移動はバスや車よりは、電車などの交通機関を使ってそう。(個人的解釈)

・次回は後編、玲音移動・スペのデビューレースです。


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悪夢か……現世か……

 前回のあらすじ:玲音、まさかのスペのデビューレースの日に寝坊。

・UA19,000・20,000・21,000を突破しました。ありがとうございます。

・後編書いてたらあまりにも長くなったので、一つ玲音パート挟みます。後編(レースパート)もすぐ出す予定なので……みなさん、お許しください!(チャー研風)


 俺は……いつも通りの時間に起きた。

 

 そう……”いつも通り”に起きてしまった。

 

 今の時間は7時00分。

 

 平日は早起きの俺だが、その代わり休日の寝起きは遅めなのだ。

 

 そしてその時間にいつも時計をセットしている。

 

「……」

 

 身体が震える……心なしか肌寒くもなってきた。

 

 とりあえず枕元に置いてある携帯のアラームを止める。

 

 そしてそれと同時に浮かび上がる……夥しいほどの不在着信……。

 

 その名前のほとんどが『先生』だった。

 

「っ!」

 

 すぐに不在着信の一つをタップして、そのまま先生に電話を掛ける。

 

 ワンコール、ツーコール、流れて……。

 

「お掛けになった電話番号は現在電波の届かない場所かーー」

 

 そりゃそうだ……今日は6時30分に東京駅集合だったんだ。もうスピカのみんなは新幹線に乗って阪神に向かっている。

 

 1時間くらいだから……もう熱海くらいか? あそこら辺は確かトンネルが多かったはず。

 

 あ〜もう! 考えるな!! 考える暇があったら動け!!

 

 着替えは予め椅子の上に置いていた、着替えるのには1分で十分!

 

 今から走って駅に向かって……乗り換えて……のぞみで向かう!

 

 ちゃんと財布は持った……よし走るぞ!!

 

   ***

 

「……チッ、ここらじゃあダメか」

 

 今俺たちは新幹線に乗っている。だがトンネルが多いこの区間は圏外になりやすい。

 

 それにしても……まさか玲音が寝坊するとはな。

 

 一応時間には余裕を取ってあった、だから今から向かえば玲音は間に合う。

 

 だが問題は……急ぐ事に意識が行ってしまい、事故を起こす可能性。

 

 玲音……こういう時こそ冷静になるんだ。急がば回れってやつだ。

 

 って言いたいがその手段がない。

 

「……何も起こすなよ、玲音」

 

   ***

 

「はぁはぁはぁ……よし、何とか乗れた」

 

 走ってギリギリだったが、何とか特別急行に乗れた。

 

 今から終点の新宿まで乗って、そこからJRに乗り換えて品川、んでそこで新幹線に乗って……。

 

「大丈夫、スペシャルウィークのレースには間に合う」

 

 ここで一息つこう……どうせ電車内は急いでもどうしようもない。

 

   ・ ・ ・

 

 駅内はダッシュしたらダメだ……周りの客に迷惑をかける。

 

 でも階段は一段飛ばしで少しでも時間短縮……んで、ここから新幹線……乗り場どこ?

 

 えっ? えっ? 何このパレスというかダンジョンというか迷路は? いやどれも同じ意味だけど。

 

 これ、どうやって行けばいいんだ?

 

   ・ ・ ・

 

 な、何とか新幹線に乗れた……。

 

 だけどのぞみは指定席orグリーン車、しかもグリーン車しか空いてなかったから、俺の財布の中にいた諭吉さんが1人余裕でグッバイしてしまった。

 

 一応領収書は印刷したが……これは学園が負担してくれるのかな。でも遅れたから自腹の可能性があるな……グッバイ僕の普通の食生活。ウェルカム・マーチもやし生活。

 

 まぁ、それはいい。

 

 後は2時間ずっと座っているだけだ……。

 

 あっ、そうだ、今ならまだ圏外にならないはず……よし、先生に向けてメールを送信。

 

 連絡番号からメールも出来るなんて、いい時代になったものだ。

 

 ……あれ、なんか眠くなって……いやダメだ、これは寝過ごしたら博多まで行ってしまう。

 

 でもそんな俺の意思とは裏腹に俺の瞼はゆっくりと閉じた。

 

   ***

 

 ガタンガタンと言う音と共に揺れる体……俺は電車に乗っていた。

 

 あれ、俺って確か……新幹線に乗っていたような。

 

 ここはどこだ?

 

 そう辺りを回してみると、不自然なところが一つあった。

 

 ……誰も乗っていないのだ。

 

 今日は平日、ここまでガラッとしているのはおかしい。

 

「まもなく仁川〜仁川〜、お出口は〜ーー」

 

 そう考えてると車掌アナウンスが流れた。

 

 仁川駅というと、阪神レース場の最寄駅だ。

 

 もう着いたのか……電車が駅のホームに入り、徐々にスピードを落としていく……停止し、ドアが開いた。

 

 俺は電車から降りる……すると、また不思議なことが起きた。

 

 改札を通ったつもりはなかったのに、もう駅の外に出ているのだ。

 

 なぜだ? とは思ったが時間がないので細かいことは考えないようにする。

 

 スマホのナビを起動して、阪神レース場に向かって全速前進DA☆

 

 俺はそう思い、阪神レース場に向かって走りだーー

 

 ……その瞬間、何が起きたのか分からなかった。

 

 何で俺は今吹っ飛んでいるのか……理解したのは1秒後。

 

(俺……トラックに轢かれたのか)

 

 何かバキバキと聞こえてはいけない音が俺の身体中のあちこちで鳴り響く。

 

 グサグサと身体中が何かに刺されたかのような痛みが襲う。

 

 パンッ! 自分が生きるために必要な大切な何かが破裂した音が耳に届く。

 

 そして理解したのは2秒後。

 

(あっ……こっちにまた突っ込んでくるな、これ)

 

 俺を轢いたトラックはそのままスピードを緩めずにこっちに向かってくる。

 

 まぁ、でももう最初に轢かれた時点で助からないと思うが……。

 

   ・ ・ ・

 

「次のニュースです。昨日お昼頃、仁川駅にてトラックが暴走、制御不能になり空き店舗に突っ込みました」

 

 トラックの運転手は脳梗塞により意識不明になり、アクセルが踏みっ放しになり暴走、数十メートル先で人を轢きながら空き店舗に突っ込んだ。

 

 この事故により10代男性とトラックの運転手が病院に運ばれたが、10代男性は死亡、トラックの運転手は両足の骨折するなどの重症を負った。

 

 そんなニュースが……俺の脳裏に浮かんでくる。

 

 その時、誰かが俺の名前を呼んだ。

 

 大事な物を失くして、それが帰って来て欲しいと懇願するように強く……泣き叫んでいる。

 

 アノ声ハ……ダレダ……?

 

   ***

 

「まもなく、新大阪です。東海道線と地下鉄線はお乗り換えです。今日も、新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました。」

 

「……」

 

 新幹線の自動車内アナウンスで目が覚める。

 

 新大阪って言うと……俺が降りる駅だ。

 

 いや……でもそれよりも……。

 

「っ、なんて夢を見ているんだ……俺は……」

 

 いくら夢とは言えど……縁起が悪過ぎる夢だ。

 

 とりあえず……降りる準備をしよう。んで降りたら一回先生に電話しよう。

 

 

 

 

 




・専用通路は? と分かる人は思う人もいるでしょうが、玲音は専用通路の存在を知りません。ですので駅から出てそのまま阪神レース場に向かうと思っています。

・後編もお楽しみに。


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初めてのレース、初めて見るレース〈後編〉

 前回のあらすじ:玲音、不吉な夢を見る……でもそれは夢か?

・今回は長いです。

・UA22,000・23,000を突破しました。ありがとうございます!


 ポケットに入れていた携帯が振動した。

 

 俺はすぐに取り出してその連絡主の名前を見る。

 

 ……玲音だ。

 

 俺はすぐに通話ボタンを押す。

 

「玲音か、今どこだ?」

 

「今は新大阪です」

 

 新大阪か……となると後40分くらい……スペのパドックには間に合うな。

 

 合流したらどうしてやろうか。怒る? いや、それは俺のキャラじゃないな。

 

 ……そう言えばそろそろお昼だよな。

 

 遅れた罰は……お昼ご飯の買い出しにさせるか。

 

 でもまぁ今はそう言うよりも重要なことがある。

 

「なぁ玲音、遅れたからって急ごうと思うな」

 

「えっ?」

 

「急がば回れってやつだ……お前に万が一の事があるなんて、学園的にもウチ的にも個人的にも良くないからな」

 

「っ……はい」

 

 そう言う玲音の声は……どこか不安げだった。

 

 どうしたんだ玲音のやつ……こんな声をするやつだったか?

 

 ……するやつか、うん。

 

「仁川に着いたらまた連絡してくれ、まぁ専用通路が駅から繋がっているから迷う事はないだろ」

 

「えっ……専用通路? 何ですかそれ?」

 

「知らないのか?」

 

「レース場に行くのも初めてなんで……」

 

「そうか……まっ、行けば分かる。じゃあな」

 

 そう言って俺は電話を切った。

 

 んじゃあいつらを安心させるためにも報告と、パシらせるためにもあいつらに昼飯は何がいいか聞いておくかな。

 

「お〜いお前ら、あと40分くらいで玲音は来るらしいぞ」

 

「んて事は……スペのレースには余裕だな!」

 

「はぁ〜……よかった〜」

 

「何だよスカーレット、玲音先輩のこと心配だったのか?」

 

「べ、別にそう言うことじゃないわよ! スペ先輩の大事なデビューレースに遅れるなんて、いくら玲音先輩でも許せないって思ったのよ!」

 

「またまた〜素直じゃねぇな」

 

 ウオッカとスカーレットとゴルシは玲音が間に合う事に安堵している。

 

 ……だが。

 

「……」

 

「どうしたんですか、スズカさん。何で不安そうな顔をしているんですか?」

 

 そう、スズカだけはこの報告を聞いても安心したり、笑おうとはせず、むしろ逆に不安げな表情を浮かべていたのだ。

 

 どうしたんだスズカのやつ、あいつが真っ先に喜びそうな報告なのに……。

 

「……ううん、何でもない」

 

「どうしたスズカ、お前がそんな表情をするなんて……らしくないぞ?」

 

 流石の俺も不安になって、スズカが暗くなっている理由を聞き出そうとする。

 

「……胸騒ぎがするんです」

 

「胸騒ぎ?」

 

「何か……不吉な予感が……」

 

 そう言うスズカの声音は……真剣だった。

 

 本気で怖がっている……こんなスズカを見たのは、初めてだった。

 

   ***

 

 新大阪から色々乗り換えて、最後の乗り換えを終える。

 

 これで俺何回乗り換えたんだ? そう思って携帯の画面を見てみると乗り換えは6回と書いてあった。

 

 うわ〜、そんなに乗り換えたのか……これ携帯が無かったら終わってたな。

 

 さて、これで後3駅乗ればお目当ての仁川駅だ。

 

   ・ ・ ・

 

「これが……先生の言っていた専用通路か……」

 

 仁川駅の改札を通り、先生が言っていた専用通路を探した。

 

 分かりにくいところにあるかと思ってたが、そんな事はなかった。

 

 「阪神レース場へようこそ!」とでかでか描かれていた看板があったので分かりやすかった。

 

 なるほど……阪神レース場に直通している地下通路なんだな。

 

 てっきり駅を出た後にそのまま歩いて向かうのかと思ってた。

 

 自慢ではないが俺はそこまで方向感覚がいい方ではないので、これはめちゃくちゃ助かる。

 

 よし、そうと決まればこの専用通路を通って阪神レース場に全速前進DA☆

 

 そう思いエスカレーターに乗った瞬間、どこからか「ドンッ!」という轟音が聞こえた。

 

 少し気になったが……今は阪神レース場に急ごう。

 

 ……にしてもまさか、遅れた代償がお昼を買ってこいなんて……俺の樋口さんが犠牲に……とほほ。

 

 えっと、ゴールドシップは大盛りカレー、スカーレットとウオッカはたこ焼き……スズカはーー。

 

   ・ ・ ・

 

「おっ、ちゃんと着いたようだな」

 

 阪神レース場に無事に着き、先生から言われたお使いを済ませて、俺はチームのみんなと合流した。

 

「すみませんでした、先生」

 

「これから気をつけろ……ともあれ無事でよかった」

 

「そんな……大げさですよ」

 

「……こいつはそう思ってなかったみたいだけどな」

 

「……こいつ?」

 

 先生はそう言うと、少しだけ横にずれる。

 

 するとそこにいたのは……スズカだった。

 

 先生と被っていて俺の視点からは離れていたらしい。

 

 ……ん? なんだ、このスズカの表情。

 

 どこか暗い……もしかして、遅れた事に怒っていらっしゃる?

 

「す、スズちゃん? どうしんだ?」

 

「……」

 

 俺はスズカが怒っている理由を知りたかったが、スズカは何も答えてくれない。

 

 その代わり、スズカはこっちを見ながら無言で近づいてくる。

 

 あっ、ぶたれる。

 

 そう思い、俺は目を強く瞑った。

 

 すると次の瞬間、胸辺りを優しく……それでいて力強く抱きしめられた。

 

 ……へっ?

 

「す、スズちゃん?」

 

「……よかった」

 

 そう言うと、スズカは俺の胸に顔を押し付け……静かに嗚咽を漏らしていた。

 

 えっ、えっ、待ってくれ待ってくれ……なんでスズカは泣いているんだ?

 

 今見てみると、ウマ耳も前の方に垂れていて弱気になっている。

 

 そして俺が欲しい答えを……先生が言ってくれた。

 

「スズカはな、お前の事をずっと心配していたんだ」

 

「えっ、どうして……」

 

「俺も分からない。でもスズカはな、「胸騒ぎがする」ってずっと言ってたんだ」

 

「……」

 

 俺の胸の中で泣いているスズカの頭を……俺は優しく撫でた。

 

 ビクッと体が震えたが、ウマ耳は横に向いていく。

 

「大丈夫だスズちゃん、俺はここにいるよ……心配してくれてありがとな?」

 

「……うん」

 

「お昼ご飯買ってきたからさ、みんなで食べよう……な?」

 

「うん……!」

 

 スズカはその後も俺の胸の中で泣いたが、しばらくすると泣き止んだので、俺たちは他のみんなと合流した。

 

 その後ゴールドシップにヘッドロックかけられたのはまた別のお話。

 

 そして時間は少し過ぎ……スペシャウィークのガチガチ緊張パドック後。

 

 先生はスペシャルウィークにゼッケンを渡し忘れており、それをスズカと俺で届けてやれと先生に言われた。

 

 スズカはなんて事なく「はい」と答えたが、俺は先生がわざと渡さなかったんじゃないだろうかと考えている。

 

 でもそれだったらスズカだけでいいはず……そう思ったが携帯のメッセージ欄に「レース前の緊張をほぐすのもトレーナーの役目だぞ」と書かれていた。

 

 ……何を言えばいいんだろう。

 

「元気にやってこい」とか「楽しんでいけよ」とかか?

 

 無難ではあるんだけど……微妙にプレッシャーを与えるような気がするなぁ。

 

「気負いせずに行けよ」「いつも通りにな」とかはどうだ?

 

 いや、緊張が無さすぎるのも考えものか……。

 

「2人のお母様と作った、目標への一歩目なんですよね。怖がっていたら損ですよ。楽しまないと……ス、スペちゃん」

 

「っ! スズカさん……はい!」

 

 ……なんて悩んでいるとスズカはスペシャルウィークを励ませたらしい。

 

 さっきまで不安そうな顔をしていたが、目つきが変わった。

 

 よしならこれだったら俺が何かを言わなくてもーー

 

「レオくんも何か言ったら?」

 

「……ソウダナ」

 

 うん、まさかスズカが催促するとは思わなかったよ。

 

 や、やめろスペシャルウィーク、そんな輝いた目で俺を見ないでくれ、多分言うことはスズカよりも平凡な事だから〜……。

 

「……俺、ウマ娘のレース見るの、これが初めてなんだ」

 

「そうなんですか?」

 

「あぁ……正直、テレビでしか見ていなかった。だから俺、今ワクワクしているんだ。スペのデビューレース……本当のウマ娘のレースを!」

 

「っ、はい!」

 

「行って来いスペシャ……いや、スペ! 俺を……ここに来ているみんなをあっと言わせてやれ!」

 

「はい! 行って来ます玲音さん!!」

 

 そう大きな声で言うと、スペはターフの方へと駆け足で向かって行った。

 

 これで良かったのかな。正直プレッシャーを与えたような気がするけど……スペが元気そうに走っていったからいいのかな、うん。

 

 でもそれも、スズカが先にスペを励ましてくれたお陰だ。

 

 だから、俺はスズカにお礼を言う事にする。

 

「ありがと、スズちゃん」

 

「えっ、なんでお礼を言うの?」

 

「俺の励ましが滑らなかったのは、スズちゃんが先に励ましてくれたからだよ」

 

「……そうは思わないよ」

 

「えっ?」

 

「レオくんは良いことを言ったと思うよ」

 

「……そうかな?」

 

 幼なじみに褒められ、ちょっとだけ照れ臭くなる。

 

 そうして俺とスズカは足早にチームのみんなと合流した。

 

   ・ ・ ・

 

 スターターが旗を振り、阪神レース場にファンファーレが響く。

 

 ファンファーレに合わせて、観客のボルテージが上がっていく。

 

 実際、ファンファーレに合わせて俺の鼓動も徐々に早くなっていく。

 

 始まるんだ……レースが!

 

 ファンファーレが終わり、ウマ娘たちが続々とスターティングゲートの中に入っていく。

 

 そして最後にスペが入り、入り口が閉められる。それと同時に……阪神レース場全体が沈黙に包まれる。

 

 1秒、2秒と短くも長く感じる時間が……過ぎていく。

 

 そしてゲートが開き……レースが始まる。

 

「っ、出遅れた……!」

 

 スペのスタートは今回走っているウマ娘の中で一番遅かった。だが自慢のポテンシャルで一気にスピードを上げ5番手くらいに位置つけ、スタートの遅れを取り戻す。

 

「スペ先輩、先行の位置ね」

 

「あぁ……」

 

 先行……簡単に言えば、最初から前に付けて粘り強く先頭を取る作戦。

 

 先生は作戦なんか出していない。ということはあれがスペの自然な走り……スペは先行型ってことか。

 

 最初は特に展開が変わったりしなかった……だが、スペの後ろに付いていたグリーンベレーが少しずつ加速している。

 

 そして……スペに対して、体当たりしてきた。

 

「あそこまで露骨にやるのか……」

 

「それがレースだ。勝つためには手段は選ばないってやつだな」

 

「……」

 

 俺はスペ……そしてグリーンベレーの動向を注意深く見てみる。

 

 すると第3コーナーに通過した辺りで、グリーンベレーの足の力の入れ方が変わった。

 

 まるで、蹄鉄をターフにめり込ませるように踏み込んでいるのだ。

 

 そう考えていると、グリーンベレーは後ろに勢いよく足を振り払った。

 

 あのウマ娘……わざと土を飛ばしているのか。

 

 あぁいうのもレースにはあるのか……。

 

 しかしスペは飛んできた土を最小限の動きで避けた。

 

「すごい……あれって避けれるのか?」

 

「お母ちゃんとの練習の成果ね」

 

「……お母ちゃんの?」

 

 スズカが独り言で何かを呟いたが……まぁ、今はスペのレースに集中しよう。

 

 第4コーナーを回り、最後の直線……最初にスパートをかけたのはグリーンベレー。

 

 しかし少し遅れて……スペもスパートをかけた……!

 

 1人2人3人、一気に3人を抜かして2番手、グリーンベレーを射程圏内に捉えた!

 

 少しずつ、少しずつ……グリーンベレーとの差が縮まっていく!

 

 ラスト数十メートル……グリーンベレーの手の振り方が変わった?

 

 いや、これは……体当たりをするつもりだ。

 

 しかもさっきみたいな抜く際に少し当たる程度ではなく、ガッツリと相手を転ばせるためにやる……サッカーの反則タックルみたいな強い体当たりをしようとしている。

 

 腕の角度がそれを物語っている!

 

 それにこんな速さでそんな体当たりを喰らえば……まずいことになる!

 

「躱せ、スペ!!」

 

 俺は声を上げた……それと同時にクイーンベレーはスペに向かって体当たりをする。

 

 それをスペは……前傾姿勢にすることによって躱した!

 

 クイーンベレーは完全にバランスを崩し、スピードが出ない。

 

 それに対して、さらに加速するスペ……誰が見ても、結果は明らかだった。

 

「いっけええええぇぇ! スペエエエエェェ!!」

 

 そして今……スペは両腕を大きく広げて、ゴール板を通過した。

 

 その瞬間、阪神レース場が歓喜の嵐に包まれた。

 

   ・ ・ ・

 

「どうだった? 初めてのレースは……」

 

 レースで熱くなった感情を冷やすため、レース場の芝生席で先生と2人で訪れた。

 

「なんて言えばいいか……ただ、すごく心が熱くなって、目の前のことしか見えなくて……なんか、すごかったです」

 

「確かに、チームの中で一番声を出していたからな、玲音は」

 

「うぐっ……わ、忘れてくださいよ〜」

 

 ははは! と大笑いする先生。

 

 うぅ……叫ぶのは自分のキャラじゃないのに……。

 

 でも、それくらい……自分を忘れるくらい、レースに夢中だったって事だよな。

 

 俺、やっぱりこの業界(セカイ)に足を踏み入れてよかったと……心の底から思う。

 

「それにしても、まさか初レースだけじゃなくて、初ライブもスペで見られるなんて思いませんでしたよ」

 

「……んっ? ライブ……?」

 

「先生なにをボケているんですか! ウィニングライブですよ! ウィニングライブ!!」

 

「ーー」

 

 はしゃいでいる俺に対し、先生はなぜだか顔が青ざめている。

 

「どうしたんですか先生?」

 

「……やっべ」

 

「えっ、なんて……」

 

「ウィニングステージの練習、マジで全然やってなかった……!」

 

「……」

 

 ……。

 

「……ゔえあ!?」

 

 その後、1着を取ったスペシャルウィークがウィニングライブの時、ステージ場で棒立ちになっていたのは、また別のお話。

 

   ***(オマケ)

 

「次のニュースです。今日のお昼頃、仁川駅にてトラックが暴走、制御不能になり空き店舗に突っ込みました」

 

 今日のお昼、仁川駅近くでトラックが暴走し空き店舗に突っ込む事故が起きました。

 

 トラックの運転手は脳梗塞により意識不明になり、アクセルが踏みっ放しになり暴走、数十メートル先の空き店舗に突っ込みました。

 

 この事故によりトラックの運転手が病院に運ばれましたが、両足の骨折するなどの重症を負いました。

 

 事故当時、多くの人が仁川駅にいましたが……幸いにも誰1人轢かれる事はありませんでした。

 

 ……そんなニュースが阪神の一部のテレビ局で取り上げられたが、玲音たちはそのニュースを知らない。

 

 

 

 

 

 

 




・マジで今回疲れた……トマルンジャネェゾ……(キボウノハナー)

・ゲームだとデビュー戦もファンファーレがあったのである扱いにしました。(競馬はどうなのかは知りません)

・これ1期12Rまでやったら何話くらいになるんだろう……。


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第2.5R「日常と忘却とスカウト」
スワットとステイヤー


 前回のあらすじ:スペのデビューレース、若干キャラ崩壊した玲音。

・UA24,000・25,000、お気に入り400件突破しました。皆様、ありがとうございます。

・誤字の報告ありがとうございます。グリーンベレーが女王様になってしまいました。


 スペシャルウィークのデビューレースから夜が明け、次の日の朝。

 

 俺は学園の近くの駅で1人、人を待っていた。

 

 正直スペのデビューレースに昨日行って疲れがあったが、寮にいるよりも誰かと出掛けたいと思ったので、今日の朝携帯に来ていたお誘いは喜んで受けた。

 

 んでちょっと準備して今に至る。

 

 そろそろ来る頃だろうから携帯内に入れてる競馬ゲームを止める。

 

 そしてやめたのと同時に、メッセージが届く。

 

『もう少しで着きます』

 

「はいよ〜っと」

 

 そう返信をして、携帯をポケットにしまう。

 

 ちなみにその待っている人物はマックイーンのことだ。

 

 マックイーンとは月一くらいである目的のために出かける事が多かった。

 

 ただ最近は行っていなかったので、久々のお出かけになる。

 

 ……そんな事を思っていると、突然視界が暗くなった。

 

 まるで垂れ幕が掛かったかのように……あ〜いや、これ指だな。

 

 って事は、これは……。

 

「だ……だーれだ?」

 

 やっぱり、目隠しされていたのか。

 

「……う〜ん誰だろうな〜?」

 

「っ……本当に分かりませんの?」

 

「う〜ん、多分だけどメジロ家の令嬢で、誰よりも春の天皇賞に思いを馳せていて、プライドは高いけど甘いものには目がないところが可愛くて、でも誰よりも頑張ってーー」

 

「も、もうやめてくださいませ! は、恥ずかしいですわ……」

 

 ちょっとからかってみたが、想像以上にマックイーンには効果があったらしい。

 

 マックイーンの方から手を離して、今度は逆に自分の顔を手で隠していた。

 

 でも頬が紅潮して、しっぽがぶんぶんと忙しなく振り回しているのを見ると、満更でもない様子だ。

 

「おはよ、マックイーン」

 

「うぅ……朝から熱いですわ……」

 

 俺はあははと笑って返答して、携帯で今の時間を見てみる。

 

 待ち時間よりも10分近くに着いた……まぁ、都会は電車の来る間隔が狭いのであまり変わらないと思うが……。

 

「んじゃ、行きますか……お嬢様?」

 

「ですから! その言い方はおやめ下さいと言っているでしょう!?」

 

 バシッとマックイーンは俺の手を掴んで来たかと思うと、ギューとめちゃくちゃ強い力で痛い痛い痛いイタイイタイイタイ!!

 

「痛い痛い! 悪かった! 悪かったから!! 潰れる潰れる!!」

 

 俺が必死に声を上げると、マックイーンは少しづつ握る力を弱めていった。

 

 ま、マックイーン……マジで自分の手を握りつぶされるかと思った。

 

「もう、これに懲りたらお嬢様呼びはやめてください」

 

「あ、あぁ……」

 

 流石にこの年で片手は失いたくないので、マックイーンが言ったことに肯定的に返事する。

 

 でも多分、数週間後にはまたお嬢様って言うんだろうなぁ。

 

 だって必死になってる時のマックイーンって、かなり可愛いし……。

 

 そう思いながらマックイーンの方を見る。

 

「っ? どうかなさいましたか?」

 

「いや、なーんでマックイーンはお嬢様呼びが嫌いなのかなぁ〜って考えてただけ」

 

「そんなの決まってます。貴方には相応しい言い方があるからでしょう?」

 

「マックイーン呼びが好きなのか? だったら執事さんにも言っといてやろうか?」

 

「あの人は恐れ多いっと言って断りますわよ。それにマックイーン呼びは貴方が言うから意味があるのです」

 

「……そっか」

 

 その後俺たちは電車に乗って、目的の駅まで移動した。

 

 握られた手はそのままで……。

 

   ***

 

 俺とマックイーンはなぜ電車で出かけたか。

 

 それは2つ理由がある。

 

 その1つ目が……今やっていることだ。

 

「はぁ……はぁ……中々やりますわね」

 

「そりゃ、何年も付き合ってるからな……ちょっとのブランクなんてどうって事ないさ」

 

「でも貴方も随分疲れてるのでは? 足がガクガクしてますわよ?」

 

「それは……お互い様だぜ……」

 

 俺とマックイーンは睨み合う。マックイーンの瞳には闘志が宿っている。

 

 だがそのマックイーンの瞳に反射して見える俺自身も闘魂の火は消えていない。

 

「さぁ、行くぜ!!」

 

「望むところです!!」

 

 動きを制止し、目の前の事に集中する。

 

 俺の手の中にあるのは……小さな白いボール。

 

 それを転がし、集中の波が整うのを待つ。

 

 ……。

 

「ーーーーっ!」

 

 手の中に収めてたボールを高く垂直に上げる。

 

 ボールは高くあがり、やがて重力によって下に落ちてくる。

 

 そして俺はタイミングよく、右手に持ってたラケットを振った!

 

 カコンッと少し腑抜けた音が俺の耳に届いた。

 

 打ったボールは右下回転をしながら、マックイーンのコートに向かっていく。

 

 ……俺とマックイーンは今どこにいるか。

 

 それは、卓球場だ。

 

「っ!」

 

 俺が放ったサーブの回転に逆らわないように、マックイーンは優しく撫でるように、繊細にレシーブする。

 

 そのボールは俺が立っていた位置とは真逆の方に飛んでいく。

 

「っ……」

 

 足に限界が来ていた事もあり、反応が少し遅れてしまい返しが甘くなってしまう。その隙をマックイーンは見逃さなかった。

 

「はぁ!!」

 

 渾身の一撃、そのスマッシュはスパンッ! と俺の横を通り過ぎていく。

 

 やがてボールが壁に当たるが、回転が残っているのかその場でまだ回り続けている。

 

 そんな様子を見た瞬間、さっきまで固めていた何かがふにゃんと崩れていく。

 

「やりましたわ! 勝ちましたわ!!」

 

「だーくっそ〜! もうちょっとだったのに〜!!」

 

 そう叫び俺はスコアボードを見る。

 

 8-11、13-11、そして今の14-16。

 

 あともう少しだったが、そのもう少しが出せなかった。

 

 やっぱりブランクがあったか……いや、ブランクのせいにしてはいけない。これが今の実力だ。

 

 ……マックイーンと卓球を始めたのは、メジロ家に招かれて2回目の時だ。

 

 マックイーンの部屋でくつろいでいると、マックイーンが「運動しませんか?」と言われたのが始まり

 

 とは言っても普通の人とウマ娘では身体能力の差がある。それが例え年の差が3つ離れていたとしてもだ。

 

 さらにその時、執事さんたちは用事があって2人しかいなかった

 

 だから運動するって言われても何をするんだと俺は聞いた。

 

 するとマックイーンは「付いてきてください」と言ったので、俺はマックイーンに付いていった。

 

 すると遊戯室という部屋があり、そこにあったのが卓球台と卓球道具1式だった。

 

 確かに卓球なら人間とウマ娘の身体能力の差はそこまで関係ないだろう。

 

 ただ……これでも一応卓球部だったので、別のやつを提案しようとしたが、マックイーンはなぜか自信満々で「大丈夫ですわ!」と言って、ラケットを構えていた。

 

 そして実際にやってみると……惨敗だった。

 

 俺が取れたのは情けで与えられた泣きの一点だけ。(しかもマックイーンのわざとサーブミス)

 

 完全にズタボロにされた俺は、メジロ家に行く度にマックイーンに再戦を申し立てた。

 

 今では二回に一回と互角になっているが、前は5点取るのもやっとだった。

 

 ……まぁ、マックイーン以上に強い、執事さんという裏ボスがいたのだが……。

 

 少し前に先生が俺のことを「卓球で市内一になった男」と言っていたが、あれは運もある。

 

 だけど、少なからずマックイーン……そしてマックイーンの執事さんと試合をして、普通に選手としてもレベルが上がっていたのもあると思う。

 

「ずっと寝てますけど……立てます?」

 

「あぁ……大丈夫だ」

 

 マックイーンが手を差し伸べてくれたので、俺はその手を掴みゆっくりと立ち上がる。

 

「いやぁ〜、やっぱマックイーンのドライブはきついわ……市内でもそんな回転かけれる奴はいないぞ」

 

「あら、市内一の選手に褒められるのは悪い気分ではありませんわね」

 

「しかもステイヤー……ラバー貼りラケットでよくそこまで出来るな」

 

 マックイーンが持っているラケットはステイヤーというラバー貼りラケット。

 

 卓球のラケットは本体のブレードとラバー・スポンジの2つ(ラバーは裏表があるから3つか)で出来ているが、ステイヤーはそれがセットになっている。

 

 えっ、なら良くね? と思うがそれは違う。

 

 ラバーは基本消耗・交換品なので変える必要がある……でもラバー貼りは最初から付いており、そして剥がせない。

 

 つまりラバーだけ捨てて、ブレードは使い続けるというのは出来ないのだ。

 

 ……まぁ、その分安いんだけど。

 

 俺が使っているのはスワットという初心者や中級者が使っている7枚木材のラケットだ。

 

 ……部活に入った時にこのラケットを買って、ほかのラケットを買ったが合わなかったので、結局戻して使ったのが今の2代目スワット。

 

 こいつで俺は市内一に輝いた。

 

「結局、卓球は道具ではありませんのよ。己の力が全てですわ」

 

「左様でございますね……」

 

 マックイーンは勝者の余裕を見せると、バッグからタオルを取り出してこの建物にあるシャワー室の方へと向かっていった。

 

 ……自分もシャワーを浴びることにしよう。なにせこの卓球はあくまでお膳立て。

 

 本当のお出かけの目標はこの後にあるのだから……こんなべっとりとした体じゃあ楽しめない。

 

 俺もシャワー室へと向かったのだった。

 

 

 




・スワットはVICTAS、ステイヤーはバタフライのラケット。

・マックイーンが使っていたラケットのブレードの色を見て、ステイヤーだと思ってますが、違うかもしれません。

・次回もマックイーン回の予定。


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卓球をした本当の目的

 前回のあらすじ:玲音、マックイーンと卓球をする。

・UA26,000・27,000・28,000を突破しました。ありがとうございます!

・僕の相性がいいウマ娘はスーパークリークらしいです。なんか納得。(トレンドになってましたね)


 こんなことを言うのもアレだが、俺は体重は軽い方だ。

 

 身長は大体162cm(地味にウオッカとスカーレットに負けてる……あの子ら本当に中学生か?)で、体重は42キロとだいぶ軽い。

 

 じゃあ俺が少食だったり、ダイエットをしているのかと言われれば答えはNoだ。

 

 むしろ自分自身不思議なのだ……なぜあんなに食べていてここまでしか体重が付かないのか。

 

 俺ははっきり言ってかなり食べている方だと思う。

 

 牛丼やラーメンを頼む時は基本大盛りだし、回転寿司に行けば20貫くらいは食べるし、さらにそこら辺の女子高校生以上にスイーツとか食べている。

 

 なのに、全然体重が増えない。

 

 それに対し、マックイーンは真逆だ。

 

 これこそデリカシーがないことだが……マックイーンは少しの食事でかなり体に影響を受けるのだ。

 

 それこそちょっとのスイーツで1・2キロ増えると本人は言っている。

 

 だからマックイーンは普段の食事にかなり気を遣っている。

 

 でも、そんなマックイーンだが……俺以上にスイーツが大好きだ。

 

 ダメだと分かっていても、手を出してしまうくらい。メジロ家の令嬢が〜という自分自身を鼓舞させるための言葉もスイーツの前では無力になるレベルでスイーツが好きだ。

 

   ・ ・ ・

 

「さぁ、もうすぐですわよ!」

 

「分かったからそんな引っ張らないでくれ……いつつっ」

 

 卓球場に併設されているシャワー室で卓球で流した汗をさっぱり洗い流して、身も心もスッキリした後、俺たちはまた別のところに訪れていた。

 

 場所としては卓球場の最寄り駅から数駅移動した駅前……俺はマックイーンに手を引っ張られていた。

 

 確かにこの時のために卓球で体を動かしたが……正直かなり久々だったので普通に足首が痛い。

 

 それに対してマックイーンはもうテンションがマックス。しっぽもいつも以上にブンブン暴れております。

 

 ……まぁ、俺も楽しみではあるんだけどね。

 

 俺とマックイーンが今向かっている場所……そこはーー。

 

「玲音さん、着きましたよ!」

 

 そこは駅から歩いて十数分……最近出来たばかりのドーナツショップ『Mr. Coffee and Mrs. doughnut』だ。

 

 そう、マックイーンが卓球をしたのはこの時のため。

 

 新しく出来たここのドーナツ屋でドーナツを食べる……今回のお出かけの1番の目的だ。

 

 まぁ簡単に言えば、摂取するカロリー以上に運動してカロリーをプラマイゼロにすればいいじゃない……という事だ。

 

「あぁもう! 店の前なのにバターの香ばしい匂いとコーヒーのアロマがここまで漂って……」

 

「久々のスイーツだから仕方ないかもしれないけど……流石によだれは拭こうな?」

 

「はっ……わたくしとしたことが……」

 

 じゅるりと垂らしていたよだれを拭き取って、いつもの淑女なマックイーンになる。

 

 でもしっぽだけは本当に正直でぶんぶん横にも縦にも振っている……横にいて少ししっぽがさわさわと当たって少しくすぐったい。

 

「では……参りましょう!」

 

 そう意気込みながらマックイーンは俺の手を取って、お店に入る。

 

 どうやらこのお店はドーナツは自分自身で取るか、店員に注文して揚げたて・焼きたてかを選べるらしい。

 

 置いてあるドーナツはチョコやストロベリーなど表面にコーティングされているドーナツやクリームなどを入れるジェリードーナツなど置いてあり、揚げたては普通のドーナツやオールドファッション、パイ系の商品が選べる。

 

 なるほど……揚げたてっていうのはちょっと珍しいかも。

 

 さらにこのドーナツ屋はコーヒーにもこだわりを持っている。

 

 豆はスペシャルティコーヒーというコーヒー豆のグレード最上位の豆を使っていて、ストレートから店特有のブレンドと様々。

 

 カフェラテやカフェオレなどのコーヒー、さらには紅茶(茶葉も最上位グレード)なども用意しているらしい。

 

 特にカフェラテは店主がイチオシしており、長年ずっと研究して最高の味になった(現在も日々研究中!)と書かれている。

 

 俺は少し悩んだが……チョコレートリングドーナツと揚げたてオールドファッション、そしてカフェラテを注文。

 

 マックイーンは揚げたてドーナツにモンブラン風ドーナツ、ストロベリーツイストドーナツとアッサムストレートティーを注文した。

 

 内装は黒と白と木を基調として、温かい照明を使っているので、少しレトロチックな感じだ。

 

 空いている席に向かい合うように座り、先に持ってこれたドーナツを食べることにする。

 

「「いただきます」」

 

 俺はチョコリングドーナツ、マックイーンはモンブラン風ドーナツを手に取って、ほぼ同じタイミングで食べる。

 

 うん……美味しい。

 

 チョコは甘さ控えめ……だからこそ小麦の本来の甘みが際立っている。

 

「美味しいですね……」

 

「あぁ……そっちのやつも美味しそうだ」

 

「一口食べてみます? その代わりそっちのも一口もらいますが」

 

「うん、そうするか」

 

 俺とマックイーンはドーナツを皿に置いて、お互いの皿を交換する。

 

 そして俺はモンブラン風のドーナツを一口。

 

 こっちも美味しいな……甘いというよりは栗の風味を強く出している感じ。

 

 これは紅茶と相性が良さそうだ。

 

「このチョコも美味しいですね」

 

「こっちも美味しいなぁ……紅茶に合いそう」

 

 また皿を交換して、俺はチョコリングドーナツを全部食べる。

 

 大きさとしては大きくもなく小さくもない……本当にちょうどいい感じの大きさだ。

 

 そんなことを思っていると、店員さんが揚げたてドーナツと飲み物を持ってきた。

 

「お熱いので火傷に注意してくださいね」

 

 出された揚げたてドーナツは普通に湯気が出ていた。

 

 指でオールドファッションを掻いてみると、カリッとした感触を感じた。

 

 なるほど……これはカリッカリのオールドファッションだな。

 

 ただあまりにも熱すぎて手で触れれないので、その前にカフェラテを飲むことにする。

 

 カフェラテを口含む……次の瞬間、コーヒーの風味が一気に口いっぱいに広がった。

 

 最初に酸味が来て、グッと味に吸い寄せられ、その後やんわり来る甘味と苦味が程よいバランスだ……。

 

 これは長年研究されているのが納得できる。

 

 マックイーンも紅茶を飲んで、どうやらご満悦しているらしい。

 

「かなりレベルが高いですわね……紅茶もしっかりとしています」

 

「まぁ、ちょっと高めだけど……だからこその味だな」

 

 ドーナツのチェーン店やコンビニのドーナツに比べると明らかに高いけど……定期的に通ってもいいくらい美味しいから、上手くお小遣いを調整しようかな……。

 

 そう考えながら揚げたてオールドファッションが手でも持てるくらいになったので、それを食す。

 

 カリッ! という軽やかな音が耳に届く……やべぇ、めっちゃ美味い!

 

 普通のオールドファッションってかなりしっとりしているものが多いけど……このオールドファッションは真逆だ。カリカリでサクサク……揚げたてだからバターの芳醇な香りが広がってすごく美味しい!

 

「美味い!」

「美味ですわ!」

 

「「……」」

 

「はは……」

 

「ふふ……」

 

 マックイーンも同じことを思っていたらしく……お互い微笑みあった。

 

 その後、世間話をして……店を後にした。

 

   ・ ・ ・

 

「本当に奢ってもらってもよかったのか?」

 

「あれくらいでしたら、別に構いませんわ」

 

 そうは言っているが、値段としては野口さん2人……スイーツにしては高すぎる。

 

 しかしマックイーンもマックイーンだ……支払いはなんとあのブラックカードで払ったんだから。

 

 まぁメジロ家の令嬢だから、当たり前っちゃあ当たり前なんだが……いつも俺が奢っていたから、ちょっと衝撃的だった。(実際店員さんも驚いていた)

 

 ちなみに昨日使った移動費は学園の方でその分を出してくれることになったが、少し時間がかかるので後2日はもやし生活だ。

 

 まぁそれをマックイーンに言ったらシェフを用意するとか言いそうだから「今月少しピンチで〜」と言った。

 

「まぁ、また今度奢るよ」

 

「別にわたくしが奢ってもいいのですよ?」

 

「年下に奢られるってのもな……」

 

「ーーーーですわ……」

 

「んっ? なんか言ったか?」

 

「な、なんでもないです!」

 

 少し顔を赤くして、顔を背けるマックイーン。

 

 本当に何を言っていたのか分からなかったので、マックイーンがなぜ顔を赤くしているのか全然分からない。

 

「それではわたくしはこっちですので……」

 

「あぁ、じゃあまたな」

 

「えぇ」

 

 そうして俺とマックイーンはそれぞれの寮の方へと足を向けた。

 

   ***

 

「……」

 

 なんてことを……口走ってしまったのでしょうか。

 

 玲音さんの目の前で……あんな……。

 

『大人になれば3年の差なんて誤差ですわ……』

 

「ーーッ〜〜っ!!」

 

 恥ずかしい……恥ずかしいですわ……。

 

 落ち着きなさいメジロマックイーン。玲音さんのあの反応は聞こえてなかったと捉えていいはず。

 

 そしてわたくしはメジロ家の人間……どんな時も優雅で気品に振る舞い、常に冷静でいる……それがわたくし。

 

 それに……まだですわ。

 

 急がなくともあの人は……わたくしへ近寄ってくれるはずですわ。

 

 ですから、わたくしが焦ることは……ありませんのよ。

 

 そう自分の心に言い聞かせながら、わたくしは寮に戻りました。

 

 

 




・マックイーンが来ない……(´・ω・`)

・書くときはドーナツ、言う時はドーナッツ。僕はオールドファッションが好きです。みなさんはどんなドーナツが好きですか?

・ドーナツ屋の名前は自分の好きなバンドの曲を文字りました。(来年で35周年アニバーサリー不動のメンバーロックバンド)

・次回はメインウマ娘の最後の1人の回想シーンの"予定"。


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〜ある日消えた年下の兄〜

 前回のあらすじ:玲音とマックイーン、ドーナツを満喫。

・UA29,000・30,000を突破しました。ありがとうございます。

・今回最後のメインウマ娘が出ますが、正直言って年齢的設定がガバガバです。予めご了承ください。(主人公より一つ年上だと思ってください)


 昔々……と言ってもほんの少し前、ーーが小学校2年生だった時、レクリエーションが開かれたことがあった。

 

 その内容は入学したばかりの1年生と遊ぶーー本当の目的は学校への不安をなくす事なんだろうけどーーというものだった。

 

 でもーーは馴染めなかった。

 

 元々人見知りというのもあったけど……担当したクラスが自分たちのクラスより人数が少なかったの。

 

 だから数人1年生と触れ合えないという事態になってしまった。

 

 でもそんな子は仲のいい子の近くに行って、2人や3人で1年生の子と遊んでいた。

 

 このクラスに仲のいい子はあんまりいなかったから、教壇に座っていた。

 

 そんな時だった……彼が隣に来たのは……。

 

「きみ、1人なの?」

 

「えっ? えっ?」

 

 明らかに1年生の子だと思うけど、でもその子はまるで同年代の子と喋るように気さくなに話してきた。

 

 ……もしかして背が小さいから同年代だと勘違いされている?

 

 

「ぼくはれおん、きみは〜……ーー?」

 

「あっうん……ーーです……」

 

 左胸に貼ってあるガムテープで出来た名札(と言ってもガムテープに名前が書いてあるだけ)を見て、ーーの名前を呼ぶ

 

「なんでーーはみんなと話さないの?」

 

「それは……ーーはじゃまだから、みんなとちがうから」

 

「ウマむすめだから?」

 

「っ……うん」

 

 その時、ーーは周りを見てみた。

 

 そう……自分たちのクラスでウマ娘なのはーーだけ、他のウマ娘はみんな他のクラス。

 

 そしてこの1年生のクラスにもウマ娘の子はいない。

 

 ウマ娘はこの学校にも大勢いるはずなのに……ーーのクラスだけはーーしかウマ娘がいない。

 

 別にイジメとか仲間はずれにされているって訳じゃないけど……でも、どこか壁があるような感じはする。

 

「じゃあぼくとお話ししようよ! 同じ学級なんだし!」

 

「えっ……あの……えっと〜……」

 

 一応、上級生なんだけど……そう言いたかったけど、目の前に男の子の顔があまりにもキラキラしていたので言い返せなかった。

 

 彼は最近こっちに引っ越してきたらしく、全然この町を知らないらしい。

 

「だから、仲よくしてくれるとうれしい!」

 

「……うん、いいよ。ーーがれおんくんのさいしょの友だちになってあげるね」

 

「だから、くらいかおをしないでーーちゃん」

 

「えっ?」

 

「ぼく、お兄ちゃんだから、だからーーちゃんもぼくをお兄ちゃんだと思っていいよ!」

 

「えっ? ……えっ??」

 

 この日なぜだか分からないけど、ーーに年下の兄(?)ができた。

 

 そんな彼はその後も……。

 

「いっしょにあそぼ!」

 

「なに読んでるの?」

 

「へ〜、そんなことがあったんだ〜」

 

 というように本当の同級生のように接してくれた。

 

 ……2年生や3年生になれば上級生だって分かるような気もするけど、彼は気にならなかったのかな。(多分分かってたんだろうけど、そのまま兄宣言を貫いてた感じなのかな)

 

 でも一個下とは思えないくらいしっかりしていて、なんだかちょっと大人びている弟ができたみたいで、ーーもちょっと楽しかった。

 

   ・ ・ ・

 

 ーーが4年生、彼が3年生の時、二分の一成人式というのがあった。

 

 成人は20歳、その折り返し地点・そして昔の日本なら10歳は立派な大人というジンクスがあったというところから開かれるこの式。

 

 その中でクラスの代表の1人が同級生・保護者の前で「これからの自分」を語るというプログラムがあって、ーーは生まれながらの”不運”でその代表に選ばれてしまった。

 

 ……その事を彼に話した。(ここでも彼は気づかなかった)

 

「いいじゃん! どんな事を書くの?」

 

「えっと……それはまだ、決まってなくて……」

 

 いや違う、決まってはいた。

 

 昔からずっと見ていた絵本……その本に出てくる魔法使いみたいに、自分の力で誰かを幸せにする事。

 

 でも……それを子どもが言うのは、どうなんだろうか。

 

「……あるよね?」

 

「えっ、な、何が?」

 

「夢やなりたい自分」

 

 彼はまるで、なんでもお見通しと言うように……そう言った。

 

 そして彼の瞳はーーの瞳の奥を見ていて、本当に見透かされているような気持ちになる。

 

「そんなの……ないよ」

 

 それでもーーはしらばっくれる。彼が当てずっぽうで言った可能性もあると信じて……でも、

 

「聞かせて、ーーちゃんがなりたい。本当の自分を……」

 

「っ……」

 

 ーーは……話した。

 

 自分は……絵本で読んだ魔法使いみたいに、自分の力で誰かを幸せにできる人になりたい。

 

 ーーは……目を瞑りながら、彼の顔を見ないようにしてそう言った。

 

 なんでそうしたか……だって、怖かったから。

 

 一番親しい……彼の失望した顔や嘲笑っているところは見たくなかったから。

 

「……」

 

 でも、彼は何も言わなかった。

 

 ーーは目を瞑っているせいで彼がどんな顔をしているのかも分からない。

 

 だけど目の前にいる……風に乗って彼の吐息が聞こえる。

 

 しばらくの無言の沈黙……それを破ったのはザッザッと砂が何かに擦れる音。

 

 その音は前の方からこっちに近づいてくる。

 

 そしてある程度近づくとその音は消え……その直後に優しくかつ温かい何かがーーの身体を締めた。

 

 同時に頭を撫でられた。

 

「……玲音くん?」

 

 ーーは目の前の彼を見るために目を開ける。

 

 ……目と鼻の先に彼の顔があった。

 

 そしてその顔は……微笑んでいた。

 

「いいと思うよ、ぼくは……」

 

「……そうなのかな?」

 

「うん、ーーちゃんに合ってるよ!」

 

「で、でもなんでーーの頭を撫でるの?」

 

「うれしかったんだ。ーーちゃんが隠さずに本心を言ってくれた……そのことに……」

 

「……」

 

 ーーは彼にしばらくの間ずーっと頭を撫でられた。

 

 元々西に傾いていた太陽が地平線上から姿を消して、空が青暗くなり始めた頃に彼のーーを撫でる手は止まった。

 

「発表まで何日なの?」

 

「多分2週間くらいかな……ねぇ玲音くん。しばらく会うのはやめない?」

 

「……なんで?」

 

 今思えば、なんでこんな提案をしたのか分からない。

 

「発表終わったら、玲音くんにも聞いてほしい。ーーの夢を……ここで」

 

「……うん、分かった。それならいいよ。あっでも学校で会った時の挨拶くらいいいよね?」

 

「そ、それはもちろんいいよ!」

 

「よーし、ならはい!」

 

 そう言うと彼はーーに向かって小指を差し出す。

 

「……っ? なに?」

 

「指切りげんまんしよ」

 

「……なんで?」

 

「大事な約束事にはこれが1番! スズちゃんとも一回してるんだ〜」

 

 スズちゃんと言う名前は彼の話の中で時々出てくる幼なじみだったはず。

 

 つまり、彼にとって指切りという行為はすごく大切なことが詰まっているんだろう。

 

 そう思ったーーは自分の指を彼の指に絡める。

 

 ーーーー指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます!

 

 ーーーー指切った!

 

  ・ ・ ・

 

 その後ーーはみんなの前で発表するために、そして彼に聞かせるために原稿を書いた。

 

 先生に一度見てもらうと、とてもクオリティーが高いと褒めてくれた。

 

 そのはず、ーーにはこのお話を聞かせたい人がいるから、その人に褒めて喜んでもらいたいから……魂を捧げるつもりで書いたのだから。

 

 それでも表現など文字のミスなどを先生に指摘してもらいながら、どんどん原稿を良くしていく。

 

 廊下で彼と会うたびに、早く聞かせたい……そんな気持ちになる。

 

 そして二分の一成人式当日……いつもはクラスの発表でも少し自信を無くしてしまうーーだけど、この日だけは何故だか自信に溢れていた。

 

 発表も噛むことなく、変に声が裏返ることも無く……拍手が体育館全体に響いた。

 

 遠くに見えるお父さんとお母さんも泣いているのが分かる。

 

(やった……これなら玲音くんに聞かせても!)

 

 家に帰った後、ーーはすぐに彼が待っているであろう公園にダッシュで向かった。

 

 公園について、いつも座っているベンチで彼を待つ。

 

 一応彼の前で噛まないように原稿もしっかり読んで復習しておく。

 

 これを言い終わった後に頭を撫でてもらう……そう考えるとしっぽの自制が効かなくなる。

 

 まだかな……まだかなと……ずっと待ってた。

 

 ーーーーでも、彼は来なかった。

 

   ***

 

 あの日からの記憶はどこへ行ったのだろう。

 

 俺はそう時々考える時がある。

 

 俺は小1の時は北海道、そして小4の時に東京にいた。

 

 その理由は単純、叔父さんが東京に戻りたいと言ったから。

 

 元々取材のために北海道に在住していた叔父さんだったが、冬の不便さに耐えれなくなって東京に戻ると言ったのだ。

 

 それは覚えている。

 

 夏と冬の長期休暇にスズちゃんに会いに行った。

 

 それも覚えている。

 

 ……じゃあ、俺は小1から小4の間、何をやっていた?

 

 学校で学んだことは覚えているが、俺はその間にどんな行事をこなして、どんな友達を作って、どんな学校生活を送っていたのか。

 

 それが分からない。

 

 俺には空白の4年間があるのだ。

 

 どんなに思い出したくても思い出せない。思い出せないのが当たり前なんだろう。

 

 さらにもっと不思議なのが、水滴の落ちる音を聞くと……なぜか心が苦しくなり、嫌な汗が流れ、鳥肌が立つようになっていた。

 

 俺の小1から小4の間の思い出の記憶はどこへ消えたのか。

 

 ……まぁ、いい。過去を振り返りすぎるのは自分の悪い癖みたいなものだ。

 

 多分、嫌なことがあったんだろう。

 

 だったら忘れるに限る。

 

 そしていつもその考えに行き着き、俺はまた今日を始める。

 

 

 




・朝はお米よりパン派のあの子。

・ブアメード。

・次回は玲音とーーが再会する予定。


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記憶消えても思いは……

 前回のあらすじ:ーーの回想、玲音の空白の4年間。

・UA31,000・32,000・33,000を突破しました。ありがとうございます。


 もし、願いが叶うなら、また彼に会いたい。

 

 そして聞かせたい。いつもポケットに入れているこの原稿を……彼の前で……。

 

 でも、そんなことはもう無理だっていうのは、理性では分かっている。

 

 だから時々、泣きたくなってしまう。

 

 そんな時は原稿を取り出して、当時の彼を思い出す。

 

 そして笑顔になった彼の顔を見て、ーーは希望を捨てないでいる。

 

 彼と再会する……そんな希望を……。

 

 そうして高等部に上がって1年が過ぎた時、奇跡が……起きた。

 

 彼が……この学園に来たのだ。

 

 背は当時より大きくなっていて、一人称も変わっていて、顔も大人っぽくなっていた。

 

 だけれどーーは確信していた。彼が……今の彼だってことに……。

 

   ***

 

「……」

 

 昼食を尊野と道の3人、食堂で取っていた時、俺はふと視線を感じて辺りを見回す。

 

 ……まただ。

 

 最近に入ってからなんか視線をこの学園で感じるようになった。

 

「っ? どうしたの谷崎くん? そんなにキョロキョロ周りを見て?」

 

「なんか悪いことでもしたのか? それとも、CBIやFBIに追われているとかか?」

 

「いやそれはないけど……最近視線を感じるんだ」

 

「へ〜、どんな感じにだ?」

 

「どんな風にって言われても……形容し難い感覚だな」

 

 なんというか、行動を全部見られているというか……本当に形容し難い感覚だからどう言葉にすればいいか分からない。

 

「まっ、そんなの気のせいだろ」

 

「谷崎くん、例えそれが本当だとしても意識しない方がいいよ。意識し過ぎて疑心暗鬼になるのは心に毒だからね」

 

「うん……ありがとう道さん」

 

 うん、そうだよな。

 

 俺はそんな誰かにストーカーされるくらい顔がいいなんてことはない。

 

 多分、俺の勘違いや気のせいだろうな、うん。

 

 そう思い、俺はトレーを持ち上げながら席を立って、返却口にトレーを置きに行く。

 

   ・ ・ ・

 

 次の日、俺は授業が終わるといつものように足早でスピカの部室に向かおうとしていた。

 

 まだ誰もいない昇降口で上履きを脱いで、外履を取り出そうと靴箱を開けた……その瞬間、一つの紙がヒラヒラと舞い落ちた。

 

 一瞬、ポカンとしてしまったが俺はそれを拾い上げる。

 

 そして俺は考える。

 

 放課後の学校、靴箱に手紙……俺の記憶から考えるなら、これはもしかして……ラブレターなのでは!?

 

 いや落ち着けまe……いや俺の名前は谷崎玲音だ馬鹿野郎!

 

 とにかく落ち着こう……まずは手紙の内容を見るんだ。

 

 そう思い、俺は手紙の封を開け……中に入っている紙の内容を見てみる。

 

『今日の放課後、屋上で約束を果たします。必ず来てください。ライスシャワーより』

 

「……」

 

 俺はその手紙を見て……不思議に思った。

 

 普通のラブレター(俺の知っている限りの)はもっと簡単な言葉でほぼ一文で書くはずだ。

 

 しかし、この手紙は違う。

 

 特に気になったのは『約束を果たす』という文。

 

 どういうことだ? 俺は何かを約束していただろうか……この手紙を書いたライスシャワーという人と……。

 

 俺は記憶を遡ってみるが……約束を交わしたのはスズカだけだったはず。

 

 そもそも、ライスシャワーなんていう名前に心当たりがない。

 

「……誰かの悪戯か?」

 

 ふと俺はそう口にしていた。

 

 そう口にすると、なんかスッと腑に落ちるような感覚がした。

 

 俺は読んだ手紙を制服のポケットに入れて、上履きを靴箱に入れて外靴に履き替えようとした……その時だった。

 

 あの感覚が……誰かに見られるような感覚が急に後ろの方から現れたのだ。

 

 その感覚に気づいた瞬間、俺は反射的に身体を後ろの方に向ける。

 

 そして、俺の視界は捉えていた。

 

 靴箱を使って身を隠している黒髪のウマ娘。

 

 そのウマ娘は俺が振り向いた瞬間、脱兎の如くその場を後にした。

 

「待ってくれ!」

 

 俺はその子の後を追った。

 

 とは言っても、人とウマ娘では明らかに能力的な差がある。

 

 だから見失ってしまった。

 

「はぁ……はぁ……畜生……」

 

 肺が苦しくなり、俺は走りを止めてしまう。

 

 なんだ……なんだこれ……。

 

 俺はあのウマ娘とは会ったことが無いはずなのに……なんでこんなにも焦っているんだ?

 

 まるでもう1人の俺が「あの子を見失うな」と言っているみたいだ。

 

 それにこの胸の鼓動……走ったのもあるけど、それとは別に……変な感情が混ざっている。

 

 それこそ……形容し難い感情、味わったことのない感覚。

 

 見ず知らずのウマ娘になぜここまで執着してしまうのか、自分自身でも分からない。

 

 でも、俺のナニかが叫んでいる。

 

 あの子を見捨てるな、1人にするなって。

 

「あら……玲音さん。こんなところで何をしているのですか?」

 

「っ! マックイーン! さっきそっちの方に黒髪のウマ娘が走ってこなかったか!?」

 

「えっ? えぇ……確かに走っていましたけど……」

 

 てことは、この奥にある階段を上がったってことか。

 

 確か手紙には屋上に……って書かれていた。

 

 なら俺が向かうべき場所はこの先の階段を上がったところの屋上。

 

 そう考えた瞬間、俺はまた走り出した。

 

「えっ、ちょ……玲音さん!?」

 

 マックイーンが急に走り出した俺に対して驚きの声を上げたが、俺は無視してそのまま屋上に向かって走る。

 

 階段は一段飛ばしで駆け上がる。

 

 一階、二階、三階と上がり……屋上に繋がる扉を開ける。

 

 開けた瞬間に風が吹きつける。

 

 そしてその風によって、長い黒い髪がユラユラと揺れている。

 

 さっき昇降口で俺を見ていたウマ娘は、俺に背を向けていた。

 

「……」

 

「……」

 

 1秒、10秒、1分と無言の時が過ぎていく。

 

 辺りに聞こえるのはトレーニングを始めた他のウマ娘たちの掛け声と強く吹きつけている風の音だけ。

 

 俺は彼女に近づこうか、少し悩んだ。

 

 そんな時だった……彼女が振り返り、声を発したのは。

 

「私のささやかな祈り 4年〇組ライスシャワー」

 

   ***

 

 ライスは……心を込めて読む。

 

 今まで会えなかった分……ずっと伝えてきたかった感情を全て乗せる。

 

 再会、喜び、悲しみ……様々な感情が声音に移る。

 

 今、彼はどんな思いで聞いてくれているんだろう。

 

 一番はそれでライスのことを思い出してくれることだけど、多分それは願わない願い。

 

 それよりもライスが恐れているのは……忘却。

 

 彼がライスのことを忘れていたら? そんな不安が頭の中で何度も横切った。

 

 でも、その時はその時。またあの時みたいにゼロから始めればいい。

 

 そのためにライスは昔交わした約束を……今果たすんだ。

 

   ***

 

「だから私は、みんなを笑顔にできる……そんなウマ娘になりたいです」

 

 ライスシャワーと名乗ったウマ娘は原稿を読み終わったのか、原稿を折って制服のポケットに入れる。

 

 そしてこっちに向き直って、こう言った。

 

「久しぶり、玲音くん」

 

「っ……」

 

 その声を聞いた瞬間、自分の心臓は大きく鼓動を打った。

 

 そしてなんなんだ……目の前にいる彼女を愛おしいと思ってしまう、この感情は……。

 

 ……だけど、俺は今の素直な気持ちを口にする。

 

「ごめん……俺たち、どこかで会ったことあったかな?」

 

 そう、どんな感情が身体中に巡っていたとしても、俺とこの人は初めて会った"はず"なんだ。

 

 ……はずってなんだよ、俺と彼女が初めて会ったのは紛れもない事実だ。

 

 ……事実の”はず”なんだ。

 

 なのになんで、俺は”はず”って考えてしまうんだ。

 

 そんな自分自身の考えに戸惑いながらも、目の前の彼女の様子を見てみる。

 

 彼女は……口を両手で押さえながら、身体を震わせていた。目尻には涙が溜まっており、それがツーっと頬を濡らした。

 

 誰が見ても目の前の彼女がショックを受けているのは分かるだろう。

 

「……ごめん、なさい。人違いでした……」

 

 そう言って、弱々しくライスシャワーは俺の横を通って扉の方へ歩いて行こうとする。

 

 その背中はあまりにも哀愁を漂わせていて、どう言葉を掛ければいーーーー。

 

「えっ? ……玲音くん?」

 

「ーーーー」

 

 俺は……何をしているんだ?

 

 彼女を……ライスシャワーを後ろから抱きしめている。

 

 そして同時に頭を撫でている。

 

 そして撫でた瞬間湧き上がってくる知らない感情……こんなの知らないはずなのに……。

 

「(なんでこんなにも……懐かしく感じるんだ)」

 

「どうしたの玲音くん……いきなり抱きついて……」

 

「……俺は、君と会ったことはないはずなんだ。なのに、なのに……ずっと、こうしたかったって思うんだ……」

 

 今俺の中で駆け巡っている感情がどういうものなのかは……全然分からない。

 

 だけど……心の奥で俺はずっとこうしたかったんだ。

 

 その気持ちに、思いに……嘘はない。

 

   ***

 

 後ろから、ギュッと抱きしめてくれた。

 

 頭をなでなでしてくれた。

 

 正直、それだけで……嬉し涙を流れそうだった。

 

 でも、ライスが嬉し涙を流したのは……その後、「ずっと、こうしたかったって思うんだ」という言葉。

 

 これはライスからしたら、こういう解釈ができた。

 

 ーーーー玲音くんは完全には忘れていない……彼の心の奥にはまだ記憶が残っていると。

 

 ーーーーライスは忘れ去られていなかったんだと。

 

 だからライスは彼の方に向き直り、彼に頭を撫でられながら、彼の胸の中で嬉し涙を流した。

 

 

 

 




・ということでメインウマ娘最後の枠はライスシャワーでした。

・年下系兄を書きたい(願望)。

・次回もライス回(というより玲音回?)の予定です。


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遅刻の罰/はちみー

 前回のあらすじ:玲音、ライスシャワーに初めて(?)出会う。

・UA34,000、お気に入り500件突破しました。ありがとうございます。

・ライス・玲音回はまたの機会に……。



「んで、何か言い訳はあるか?」

 

「……」

 

 ライスシャワーというウマ娘に会い、そして頭を撫でた後……俺はスピカの部室に行った。

 

 そしてそこで待ってたのは……仁王立ちをした先生だった。

 

 そうだ……俺って遅刻していたんだった。

 

 あの屋上でいろんなことがあったから……すっかり忘れていた。

 

 ていうか、スペのデビューレースで寝過ごすは今回遅刻するわ……最近の俺たるみ過ぎ?

 

 確かに屋上に呼ばれたけど、それでも「遅れます」とか先生にメッセージを送っておけばよかった。

 

「……屋上に呼び出されて」

 

「ほ〜屋上に? 青春だな〜?」

 

「……」

 

 青春……ってあれは言えるのだろうか。

 

「それで、返事はどうしたんだ?」

 

「いや、そういうのじゃなくて……いや、いいです」

 

「おいおいそんな恥ずかしがることじゃないだろ? おじさんに今の高校生の青春を話してくれよ」

 

「……面白くないですよ」

 

   ・ ・ ・

 

「会ったことがないのに懐かしく感じた。んで、その子の頭を撫でたと……」

 

 先生に屋上で会ったことを全て伝える。

 

 分かっていたことだが、先生は困惑した顔をしている。

 

 そりゃそうだ、俺自身も分かっていないんだから。

 

「んまぁ、事情はわかった……お前も苦労してるんだな」

 

「自覚がないのが、1番辛いですけどね」

 

「まっ、そうは言っても遅れたからには、その分罰を受けてもらうがな」

 

 そう言うとトレーナーは手に持っていた紙をこっちに差し出してくる。

 

 そこにはウマ娘らしき記名とスピード、伸び、姿勢といった様々な項目が書かれている。

 

「明日の放課後にまだチームが決まっていない子たちによる合同練習と模擬レースが行われる。そこで玲音には逸材の子を見つけてきて欲しい」

 

「……それが罰?」

 

 罰っていうレベルだからもっとこう……部室の部屋掃除を1週間とか、しばらくチームとの合流禁止とか、そんなものを覚悟していた。

 

 でも実際言い渡された罰はかなり軽かった。

 

「罰って言っても別に運動をする部活でもないし、それに数年しかないんだから無駄な事をやってる暇はないぞ」

 

「……はい」

 

「それにある意味これは責任重大だから、ある意味罰とも言える」

 

「責任……重大?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋は自然とまっすぐになる。

 

「そうだ。今のスピカはスペやスズカ、スカーレットにウオッカやゴルシなど、はっきり言ってかなり強い面子が揃っている」

 

 それはなんとなく分かる。

 

 今のスピカに入っているみんなは底知れない伸び代がある……特にスペ。

 

 それは練習を見ていればなんとなく分かる。

 

「だが今だけが揃っててもいけない……チームは続いてこそ意味があるものだ、そのためには次の世代を担える力がいる」

 

「……新戦力を見つけるって事ですか?」

 

「そうだ」

 

 俺はこの瞬間理解した。

 

 先生が俺にどんな罰を背負わせたのかを……そして同時に不思議に思う。

 

 この人は正気なのかと。

 

 もともとウマ娘を素人の自分に任せたりとかはしていたが……まさかここまでの事をするなんて……正気じゃない。

 

「俺は、お前が新戦力を見つけれるくらい観察力があると思っている。現にこの前のスペのデビュー戦、お前は叫んだだろ?」

 

『躱せ、スペ!!』

 

 確かに俺はそう言った。

 

 でもあれは観察力というより、スペにタックル躱して欲しいがために全力で叫んだだけだ。

 

「……でも、あれは偶然でーー」

 

「偶然であんなぴったしタイミングが当てはまるか、普通?」

 

「……」

 

「とにかく、遅刻の罰はそういう事だ。しっかり見て来いよ」

 

   ・ ・ ・

 

 チームの練習も終わって、そのまま解散した俺は……公園に来て蜂蜜コーヒーを飲んでいた。

 

 理由としては……まぁ、気分転換だ。明日は集中する日だから今日はもう何も考えたくなかった。

 

 だから癒されるためにここに来た。

 

 最近知った事だがこの公園にはネコが住み着いている。

 

 そしてそのネコが俺の座っている横で毛繕いをしている。

 

 あ〜……癒されるわ〜。

 

 やっぱ動物はいい。特に犬やネコ、もこもこしている感じの動物は見てるだけで癒しだ。

 

 そしてそんな癒しを見ながら飲むコーヒーは格別だ。

 

「は〜……ずっとこのままでいれたらいいのに……」

 

 でも時間というのは勝手に過ぎていき、やがて明日が来る。

 

 ……いや待てよ? よく考えてみれば、合同練習や模擬レースは何もこの一回だけではない……それにガチでだめだったとしても、先生は何か策を考えてくれるんじゃないか?

 

 流石に素人に全て任せる訳ではあるまいし……俺が少しオーバーに解釈しているのかもしれないな。

 

 でも、先生が信じてくれているんだ……期待には応えたい。明日の練習、しっかり見てーー

 

「あれ、玲音じゃん!」

 

「……テイオー?」

 

 俺の目の前に現れたのはジャージ姿で少し汗を流したテイオーだった。

 

「やっほ久しぶり! 隣座ってもいい?」

 

「あぁ」

 

 俺がそう言うと、テイオーはひょいっと俺の左横に座る。

 

 よく見ると手には何やら黄金色のドリンクを持っている。

 

 そしてその黄金色のドリンクを、テイオーはすごく美味しそうに飲んでいた。

 

「どうしたの玲音、こっちを見て?」

 

「いや……その飲み物はなんだろうなぁって」

 

「これ? これはね〜、Funny Honeyのはちみつドリンクだよ。よかったら一口飲んでみる?」

 

 そう言ってテイオーははちみつドリンクの容器をこっちに差し出す。

 

 気になった俺はそれを受け取り、一口飲んでみる。

 

 ……次の瞬間、どろっとした感触ととてつもない甘味が俺の舌を襲った。

 

「……おおっ、こ、濃い……!」

 

 なんだろう……子供の頃、家の冷蔵庫にあった蜂蜜をチューと吸った時の味より何倍も濃かった。

 

 俺はテイオーに容器を返して、すぐに水筒の中に入っているコーヒーを飲む。

 

「え〜? そんなに濃いかな?」

 

「濃いよ! すごく濃いよ!! あまりにも濃すぎて舌の上に蜂の巣ができたのかと錯覚したよ!!」

 

「それは流石に言い過ぎじゃない?」

 

 そうして少し不貞腐れるような表情をしながら、はちみつドリンクを飲むテイオー。

 

 まじか……あんな濃いものを……。

 

「やっぱこれくらい普通だと思うな〜」

 

「……すごいな、テイオーは……」

 

「ん? それはもちろん! だってボクは無敵のテイオー様だからね!!」

 

「……」

 

 そういえばテイオーって、明日の合同練習って出るのかな。

 

「なぁテイオー」

 

「ん〜? なに?」

 

「明日の放課後にさ、チームが決まっていないウマ娘たちの練習・模擬レースがあるよな」

 

「うん、確かにあるね」

 

「それにテイオーって……出るのか?」

 

「もちろん出るよ! だってそこでしかチームにアピールできないからね……なんでそんなことを聞くの?」

 

 俺は罰ということは隠して、テイオーに明日新戦力を見つけるため、その練習を見に行くことを話した。

 

「へ〜、玲音が見に来るんだ」

 

「まぁ、他のチームのトレーナーも見に来るとは思うけど」

 

 新戦力の話は何もスピカだけの話なんかではない。

 

 むしろ学園に登録されている全てのチームに言えることだろう。それがリギルなどの強豪だったとしても……。

 

「よし、分かった!」

 

「……何が分かったんだ?」

 

 急にそう叫び、勢いよく立ち上がったテイオーに俺は少し困惑する。

 

 それでもテイオーは純粋で真っ直ぐな瞳でこっちを見て、こう言う。

 

「明日の模擬レース、ボクが一番目立ってみせる……楽しみにしてて玲音!!」

 

「……」

 

「じゃあ今日はこの辺で、バイバ〜イ!!」

 

「あぁ、気をつけてな」

 

 そうしてテイオーは寮の方へと駆け足で去って行った。

 

 あの綺麗で真っ直ぐな瞳で言われると……少し期待してしまう。

 

 明日の練習・模擬レースが……少しだけ楽しみになった。

 

 

 




・トウカイテイオーのタグもつけました。

・メジロマックイーン(スカイ)がやってきたー!(感極まりうまぴょい伝説した)

・次回は合同練習と模擬レース回。


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”テイオー”の走り

 前回のあらすじ:玲音、初めてのはちみー。

・UA35,000・36,000・37,000を突破しました。ありがとうございます。


「……やっぱ人多いなぁ」

 

 次の日、放課後に先生が言っていたグラウンドに来るとそこには50人くらいのウマ娘たちと、トレーナーバッチを付けているチームトレーナーが十数人いた。

 

 どのトレーナーも真剣な表情で、自分自身で用意したであろうウマ娘のデータが書かれた紙とそのウマ娘を直に見ている。

 

 そしてそんなトレーナーの皆様方が俺の足音に気づいて、こっちを向く。

 

 恐らく、トレーナーの皆様方はこう思っているだろう。『なぜここに学生がいるんだ』と。

 

 ここにいるのはトレーナーバッチを持ち、学園がトレーナーと認めた人だけだ。

 

 そんなところに制服姿の学生が現れれば、それはそれは目立ちに目立ちまくる。

 

 耳に意識を向けると「なんでこんなところに学生がいるんだ?」と細々と聞こえる。

 

 そんな声を無視して、俺はグラウンドの方に目を凝らす。

 

 すると、ジャージ姿でポニーテールのウマ娘がいたが背中しか見えないので分からない。

 

 ……と思ったら、ちょうどいいタイミングでテイオーがこっちに振り返った。

 

 俺の姿を見て手を振っているテイオーに対して、こっちも手を振る。

 

「そこの君、少しいいかしら?」

 

 君というのはおそらく、俺の事だと思い視線をグラウンドにいるテイオーから声の方向へと移す。

 

 そこに立っていたのは灰色のスーツを着て、トレーナバッチを付けた紺色の髪の女性……というか、俺はこの人を知っていた。

 

 この学園で1番強いと言われるチーム・リギル。そのチームを統率している敏腕トレーナー……東条ハナさんだ。

 

「っ? 君って確かあのバカの……」

 

「はっ、はい。チーム・スピカで見習いトレーナーをしてます。谷崎玲音です」

 

「なんで見習いトレーナーの君がここにいるのかしら、あなたの担当トレーナーはどうしたの?」

 

「チームのメンバーの調整をしています。来週にレースらしいので……」

 

「……まさか君が新戦力を見に来たのかしら?」

 

「はい」

 

 そう即答すると、東条さんは眉間辺りを抑えてはぁとため息をついた。

 

 まぁ確かに東条さんのこのリアクションはあながち間違いじゃないと思う。

 

「あのバカ……一体何を考えているんだ……」

 

「……あの、間違ってたら申し訳ないんですけど、東条さんはうちのトレーナーと知り合いなんですか?」

 

「……えぇ、そうよ」

 

 やっぱり、先生は東条さんの事を「おハナさん」と親しげに呼んでいたし、なぜだか東条さんの趣味も知っていた。

 

「私とあいつのことはどうでもいい。君はあいつの指示でここに来たってことでいいのね?」

 

「はい」

 

「あいつから何か資料とか渡された?」

 

「いえ……自分の目で見ろって……」

 

「(……あいつ、この子を育てる気が本当にあるのかしら……)」

 

 東条さんが何かを呟いた瞬間、グラウンド全体にホイッスルの音が鳴り響く。

 

 どうやら練習が始まるらしい。

 

 さて、しっかり見ないとな!!

 

   ・ ・ ・

 

 練習を開始して1時間少し、トレーナーの皆様方はずっとグラウンドにいるウマ娘を見ている。

 

 もちろん、俺もそうだが……今俺の目には1人のウマ娘しか映ってなかった。

 

「次、坂路ダッシュ!!」

 

「はい!」

 

『は、はい……』

 

 ほぼノンストップで練習が続き他のウマ娘はヘロヘロな中、1人のウマ娘はまだハキハキしていた。

 

 そのウマ娘の名は……トウカイテイオー。

 

「あのウマ娘、まだ余裕がありそうですね!」「これは次の新戦力が決まったかな……」と、周りの人たちもテイオーの話で持ちきりになっている。

 

 実際、テイオーは疲れるどころか、とても楽しそうに笑顔で練習に励んでいる。

 

(すごいな、テイオー!)

 

 もしスピカに彼女が入ったら……と思ってしまう。

 

 いやでも、今俺の隣にいるリギルのトレーナーの東条さん、そして他のチームのトレーナーも彼女を狙うはず。

 

 特にリギルはシンボリルドルフがいるから、シンボリルドルフが好きな彼女は憧れの人が入っているチームに入る……な〜んて可能性もあるよな。

 

 そう思いながら、俺はずっとテイオーを見ていた。

 

 ……すると彼女もこっちを向いた。こっちに向かって笑顔でピースサインを送ってくる。

 

 俺も一応サムズアップで答える。

 

 サムズアップは「古代ローマで、満足できる、納得できる行動をしたものにだけ与えられる仕草」……って、某特撮ライダーで言っていた。

 

 ただ一部の国では侮蔑の意味になるので注意だが……。

 

 数分後、グラウンドに再びホイッスルの音が響いた。

 

「今から模擬レースを行います。紙を配るのでそれに従いブロックを作ってください」

 

『はい!』

 

 練習は終わり、トレーナーにアピールするための模擬レースが始まる。

 

 第1、第2レースと次々とウマ娘たちが走り競う。

 

 トレーナーたちは持っていたストップウォッチを押したり、持ってきていたタブレットや紙に何かを書いている。

 

 ……正直、どうすればいいか全然分からない。

 

 先生は一応項目をつけてくれているが……俺って一応、数日前に初めてウマ娘のレースを見た新参者なんだけどなあ……。

 

 先生、なんでこんなことを俺にやらせようと思ったんだ?

 

 いや、あの人ならこう言うな。

 

『経験が大事、何事も経験あるのみ』って……。

 

 とりあえず1着だった娘、途中までリードしていた娘、坂でグンッと順位を上げた娘という風に付けてみる。

 

「次、第5ブロック、スタート位置につくように!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、トレーナーの皆様方の目がさっきよりも更に鋭くなる。

 

 それもそのはず、第5レースはこのレースの最終レースであり……大本命が走るレースである。

 

 トウカイテイオーが……スタート位置に着いた。

 

「位置に着いて、よーいどん!」

 

 バッと旗が振り下ろされると、一斉にウマ娘たちが走り出す。

 

 トウカイテイオーは……少し前で詰まってしまった。

 

 前に出た娘に上手く塞がられ、最初の加速が思うように上手くいかなかった。

 

 第1コーナーを通過し、テイオーは6番手に位置付けている。

 

「トウカイテイオー、スタート上手く行きませんでしたね」

 

 そんな言葉が俺の耳に届くが、それは違うと俺は心の中でツッコむ。

 

 テイオーはわざとスピードを落とし、後ろの方に着いたのだ。

 

 もしあのまま加速していればあの集団に突っ込んで行き、最悪垂れウマが出てきた時に捕まる可能性がある。

 

 だからテイオーは後ろのスペースがあるところに位置つけて、様子をじっくり見られるポジションに着いたのだ。

 

 もしあれを考えて……いや、無意識にやっていたとしても、テイオーにはレース脳がある。

 

 向こう側のストレートで外から他の娘が抜き、テイオーは7番手……だが、テイオーは笑っていた。

 

 テイオーはあるところを見ていた……俺もその視線の先を見てみる。

 

 ……第4コーナーだ。

 

 テイオーはずっと第4コーナーを見ている。あそこで仕掛ける気なのだろう。

 

 そして少し経ち、第4コーナーに入った。

 

「来る……」

 

 俺がそう言ったのと同時にテイオーは仕掛けてきた。

 

 1人、2人、3人と抜かし……先頭にいた2人も外から抜こうとする……最終ストレートに入った瞬間、テイオーの前には誰もいなかった。

 

 この時を待っていたと言わんばかりに、テイオーは更にスピードを上げスパートをかけた!

 

 1バ身、2バ身とどんどん差をつけていく……!

 

 彼女を追えるものは……もう誰もいない。

 

 4バ身という圧倒的な差をつけて……トウカイテイオーはゴールした!

 

   ・ ・ ・

 

「どうだった〜玲音? ボク、すごかったでしょ?」

 

 あの後テイオーはトレーナーの皆様方に「うちに入ってくれ!」「私と一位を目指しましょう」とスカウトを受けまくっていた。

 

 あまりの多さで少し困惑していたテイオーだったが、丁寧に全員の話を聞いていた。

 

 そうして言ったセリフは……。

 

『すみません、もう少し考えさせて下さい』

 

 これにはトレーナーの皆様方は豆鉄砲を食らった鳩みたいな反応をした。

 

 俺も聞いていたが、条件としては全然悪くないものばかりだった。なのにテイオーは選ばなかった。

 

『ボクは……会長を超えるウマ娘になりたいんです。ですから、チーム選びは慎重に選びます』

 

 テイオーのその真剣な顔と宣言に、トレーナーの皆様方はそれ以上何も言おうとしなかった。

 

 俺もそれを聞いて帰ろうと思ったが、テイオーに「あの公園で集合ね!」と言われたので、公園に来て今に至る。

 

「すごかったよ、スタートミスったと思ったけど、あそこまで差がつくなんてな」

 

「一番目立ってたでしょ?」

 

「あぁ、そりゃあもちろん」

 

 やったーとはしゃいではちみつドリンクをちゅーと吸うテイオー。

 

 ちなみにはちみつドリンクは俺の奢りだ。

 

「ぷは〜、やっぱレース後ははちみつドリンクに限るね!」

 

 笑顔ではちみつドリンクを飲むテイオーの横顔を見ながら、俺は悩んでいた。

 

 ……テイオーをスカウトするか。

 

 正直言って、テイオーは今回練習に参加していたウマ娘の中で一番素質があった。

 

 もしテイオーがチームに入ってくれたら……そう思う。

 

 いや、思うじゃない。

 

 俺はテイオーに入ってほしい……感じるんだ、テイオーはすごいウマ娘になると。

 

 そしてその姿を……近くで見てみたい。

 

「っ? どうしたのさ玲音、そんなにボクのことを見て? もしかしてボクにほーー」

 

「テイオー」

 

 俺はテイオーの言葉を遮ってしまう……だが、俺は続けてこう言った。

 

「チーム・スピカに入らないか?」

 

「えっ……スピカに?」

 

「嘘偽りなく言う……俺はテイオーの走りが好きだ。その脚だったらいいところまで行くと思う」

 

「……」

 

「俺は……テイオーの物語を近くで見たい。だから、スピカに入ってほしい」

 

「……」

 

 テイオーは……黙っていた。

 

 それでも一度も視線を外すことはなく……俺を見てくれていた。

 

「……ごめん、今すぐには返答はできないや。玲音だけを贔屓って訳にはいかないからね」

 

「……だよな」

 

「でも、ありがとう玲音。すごく嬉しい言葉だったよ!」

 

 そう言うとテイオーは立ち上がって公園の出口まで駆けて行く。

 

「またね玲音!」

 

「あぁ、気をつけてな」

 

 公園で1人になった俺は……テイオーの姿が見えなくなるまで見送った後、携帯を取り出し、先生の連絡先をタップする。

 

『どうした玲音、報告だったら明日ーー』

 

「見つけましたよ、先生」

 

『……何をだ?』

 

「次の世代を担ってくれる……そんな娘が…‥!」

 

『ほ〜う? 名前はなんて言うんだ?』

 

 その問いに対して、俺は誇りに思うように……彼女の名前を口にした。

 

 

 

 




・今回のレースは、テイオーの新馬戦を見て書きました。

・次回は……11バ身のお話になる予定です。


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第3R「春風吹く、ウマ娘の大一番」
サイレンススズカという名のウマ娘


 前回のあらすじ:玲音、トウカイテイオーをチーム・スピカに勧誘する。

・UA38,000・39,000を突破しました。ありがとうございます。



 トウカイテイオーをチームに勧誘し、やんわりと断られた(いや、保留っていうのかな?)その週はチーム・スピカが本格的にトゥインクル・シリーズに参入した週になった。

 

 まず初めにスペシャルウィークがトゥインクル・シリーズ通算2度目の勝利を半バ身差で勝ち取った。

 

 それに続くようにウオッカ・ダイワスカーレットがメイクデビューをそれぞれ3バ身半、約2バ身で華やかに飾った。

 

 さらにチーム・スピカの(おそらく)最年長であるゴールドシップが阪神レース場で2バ身半つけて1着を取った。

 

 そうして……その次の日、最後のスピカのメンバーがレースで走る。

 

   ・ ・ ・

 

 その日、中京レース場のパドックには多くの人が集まっていた。

 

 スペやスカーレット、ウオッカのデビューレースも人はまぁまぁ入っていたが、今のこの人数を見るとあれでも少なかった方なんだなと思ってしまう。

 

 そんなことを考えていると、場内の実況者のテンションが上がっていると分かるくらいの声でこう言った。

 

「さぁ、いよいよやって参りました! チーム・リギルから脱退し、チーム・スピカに入った彼女はどこまでやれるのか! また、前回見せたあの大逃げは見られるのか!! 5枠5番サイレンススズカ! ファン投票は一番人気です!!」

 

 実況者がそう言うと、パドックに用意されたランウェイにスズカが現れる。

 

 とても落ち着いた様子で1歩、2歩と進み……立ち止まる。そしてジャージの襟部分を握ると、勢いよくジャージを後ろの方に投げ飛ばした。

 

 バサッと舞い落ちるジャージ、それと同時に現れた調整のいい体つきを見て、パドックにいた全員は感嘆の声を上げる。

 

「スズカさん……やっぱりかっこいいです!! 玲音さんもそう思いますよね!!」

 

「そりゃもちろん、いつもの表情とは違って凛々しくてかっこいいな」

 

 スズカのパドックパフォーマンスを見て尻尾をぶんぶん振りまくっているスペに俺は素直な気持ちを伝える。

 

 スズカはある程度歓声を受けた後、自分自身で投げたジャージを拾ってランウェイを後にした。

 

「そういや新人、あいつの走りを見るのは今日が初めてなんだよな?」

 

「あぁ、そうだけど」

 

「でしたら、今日は忘れられない日になりますよ!」

 

「スズカ先輩を逃げさせたら右に出るものはいませんからね!」

 

 興奮気味にスカーレットとウオッカがそう言う。

 

 この2人がここまで言うのだから、本当にすごい走りを見せてくれるんだろう。

 

 ……そういえば、さっきの実況者が言っていたことで気になることがあった。

 

 だから隣にいる先生に訊いてみることにした。

 

「先生、スズは元々リギルにいたんですか?」

 

「んっ? そうだが?」

 

「なんで引き抜けたんですか?」

 

 チーム・リギルはもう頭の中で何度でも思っている事だが、学園1のチーム。

 

 そこを脱退してまで、スズカはスピカに何を求めて入ったのだろうか。

 

「それはーー」

 

「リギルのトレーナーがスズカ先輩の本当の走りを知らなかったからですよ!」

 

「……ウオッカ、俺のセリフ取るなよ」

 

 はぁ、と先生はため息をついた。

 

 そして俺は考えていた。チームって言うのは担当するウマ娘を見て、レースに勝つために支えるものではなかったか。

 

 なのにそのトレーナーが……スズカの走りを知らない?

 

 そんなことがあるのだろうか……。

 

「玲音、確かにリギルは学園1のチームだ。だがチームによって方針が大きく違うことも知っておけ」

 

「方針?」

 

「サッカーだって同じチームでも監督が違えば、ガラリと戦術を変えるだろう? そんな感じだ。俺はウマ娘のポテンシャルやコンディションを完全にして、あとは好きにしてもらう放任主義。それに対しおハナさんはレースに勝つことだけに拘り、スパルタ指導を行う完璧主義って言えばいいかな」

 

「……完璧主義」

 

「スズカがしたかった大逃げは勝ちの定石では無い。定石を貫きたいリギルとは相性が悪かったんだ」

 

「……」

 

「あいつが本当にやりたかったこと……それが今日見れるんだ」

 

 トレーナーがそう言った瞬間、中京レース場にファンファーレが鳴り響く。

 

   ・ ・ ・

 

 走者のゲートインが済み、中京レース場は一時の静寂に包まれる。

 

……自分の鼓動が早くなるのを感じる。

 

(始まれ、早く始まれ!)

 

 そう思っていてもまだゲートはまだ開かない。たった数秒が十数秒以上に感じる。

 

 まだか……まだなのか。

 

(--ガコン!)

 

(ワーー!!)

 

 ゲートが開いた瞬間、中京レース場は歓声や雄たけびで包まれる。

 

 スズカは……完璧なスタートを切った。一気に先頭に躍り出る。

 

 ーーーその時だった。

 

 中京レース場に……いや、スズカの周りに風が纏ったかのような幻覚を見る。

 

 スズカはさらにスピードを上げる。

 

 上げる、上げる……もっともっと早さを求めて、他のウマ娘たちには目もくれずにスズカは前に出る。

 

 俺は……何を見ているのだろうか。

 

 レース? いや違う……これは……独壇場(どくだんじょう)だ。

 

 このレースはもう、彼女の独壇場。そしてここにいる人たちはみな、彼女しか見ていない。

 

「先頭のサイレンススズカ、ペースを上げてきました! 10バ身くらいリード!」

 

 第4コーナー前でもスタートからのスピードは衰えない。

 

 いや、衰えるなんてものじゃない。さらに加速している。

 

 スズカが最後の直線に入る……その時だった。中京レース場は拍手に包まれた。

 

 それは誰もが目の前で走っている彼女の勝利を確信し、スタンディングオベーションをしたからだった。

 

「100m独走だ! サイレンススズカ!! 2連勝です! 2連勝、チーム・スピカに入ってからは初の重賞勝利!!」

 

 実況者も興奮気味にスズカの勝利を確信する。

 

 そしてスズカはそのまま速さを殺さずに、トップスピードでゴールした!

 

「サイレンススズカ圧勝! 10バ身近いリードがありました!!」

 

「あ、圧勝……」

 

「2着と11バ身、あいつの速さは本物だな……」

 

「……」

 

 俺は……言葉が出なかった。

 

 スズカは確かに素質があるとはトレーニングを見てずっと思っていた。だけど、まさかここまでの実力があるなんて……。

 

 本当にあれが……俺の幼なじみであるスズちゃんなのか。一瞬疑ってしまったが、すぐに俺は思い直す。

 

 あれが……俺の最高の幼なじみなんだって。

 

 そう思うと心がゾクゾクしてくる。

 

 そうなると俺は言っても立ってもいられなくなる。

 

「スズちゃーーん!! いい走りだったよーー!!」

 

 俺が急に大声を出し、先生は咄嗟に耳を塞ぎ、チーム・スピカのみんなはビクッと尻尾を動かしながら驚いていた。

 

 そんなことに気付かないで俺はスズカの方を見る。

 

 すると声が聞こえたのか、スズカがこっちに振り返る。

 

 そして俺の顔を見て……笑ってくれた。

 

   ・ ・ ・

 

「スズカさん! 今日のレースすごかったです!!」

 

「ふふ、ありがとうスペちゃん」

 

 トレセン学園へと続く帰り道、スペはずっとスズカにつきっきりで話をしている。

 

 そんな姿を見ていると、なんだか姉妹のように見えてくる。

 

 もしかして本当に血の繋がった姉妹なんじゃないか? そう思えるくらいにはウマが合っている。

 

「どうだった? 今日のレースは……」

 

「そうですね……」

 

 今日のスズカの走りはトゥインクル・シリーズの歴史で見ても、快挙と呼べる走りだった。

 

 そんな走りを……俺の幼なじみはやってのけた。

 

 それは……とても誇りに思う。

 

 でも同時に……。

 

「うかうかしていられない……そう思うレースでした」

 

「それはどうしてだ?」

 

「幼なじみは快挙を成し遂げた……だったら、自分も負けていられないなって」

 

 それは……この前した約束。

 

『俺は君に追いついて、君の近くにいる!!』

 

 スズカは一つ先の世界へと足を踏み入れた。

 

 なら俺も……ここで足踏みをしている場合じゃない。

 

 俺ももっとトレーナーとして成長して、スズカの隣に追いつく……幼なじみとして相応しい人間になる。

 

「そうか……まっ、後数年は学習だがな」

 

「お願いしますよ、先生」

 

「へいへい、任されましたよ」

 

   ・ ・ ・

 

 ある程度歩くとみんなが暮らしている栗東寮とトレーナー寮の別れ道に着いたので、これで今日はみんなとはさようならだ。

 

 ……と思ったけど、スズカと話したくなった。

 

 そう思い、声を上げようとしたが……向こうも同じことを考えていたらしい。

 

「ごめんなさいみんな、ちょっとレオくんとお話ししたいから、先に寮へ行っててくれないかしら?」

 

「そうですか……分かりました!」

 

 スペがそう返事する他のみんなも各々返事し、栗東寮の方に向かう。

 

 ……あっ、先生がゴールドシップのドロップキック食らってる。

 

 すごい自然に栗東寮に行こうとしていたもんなぁ。

 

 なんて思いながら、俺はスズカが話しかけるまで待つ。

 

「レオくん……今日のレースどうだった?」

 

「最高、スズちゃんの幼なじみでよかったって本気で思うくらい」

 

「さすがに言い過ぎじゃ……」

 

「いいや? 別に言い過ぎじゃないよ」

 

「……ふふっ」

 

 微笑んでくれるスズカ……あの時の凛々しい姿はどこに行ったのか。

 

 今ここにいるスズカは俺が知っている。幼なじみのスズちゃんだ。

 

 でもあのターフの上にいたのは……サイレンススズカと言う名のウマ娘だった。

 

「……追いついてみせる」

 

「……何に」

 

「君に……君がいるところに……絶対に……!」

 

「……うん、待ってる」

 

 そう答えるスズカの顔は……サイレンススズカだった。

 

 今日のこの出来事は二度と忘れないだろう。

 

 そしてここで生まれてきた感情が……この先の俺に力を与える。

 

 そんな予感がした。

 

 

 




・1998年金鯱賞の実況・レース映像を聞き取りながら書きました。

・ゴルシウィークマジで、ありがてえ……ゾックゾクにガチャができやがる! サンキューゴルシ。

・次回はカラオケ回の”予定”です。


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カラオケに行こう!

 前回のあらすじ:スズカ、重賞を大差で勝利する。(そしてお誕生日おめでとう(書いてる日が5月1日)。スズカの誕生日回はしばらく後にやる予定です)

・UA40,000・41,000・42,000を突破しました。ありがとうございます。




 トレーナー学科で学ぶことは何もウマ娘に関することだけではない。

 

 最近のトレーナーはウマ娘にレースに勝った後のウィニングライブのためにダンスや発声も指導する人が多い。

 

 まぁ、そこはトレーナーで完結させるか。それかちゃんとした講師を雇うかで派閥が別れるが……。

 

「1、2、3、4」

 

 講師の先生のカウントとメトロームの音が部屋に響く。

 

 今いるここはスタジオA、文字通りダンスの授業の際に使う教室だ。

 

 そこで俺と尊野、そして道はステップを刻んでいる。

 

 ある程度踊っていると講師の先生がパンッと大きく手を叩いて練習終了を知らせる。

 

「はい、今日はここまで。今日もお疲れ様でした」

 

『ありがとうございました!』

 

 俺たちは後ろの方に行って各自持って来た飲み物を飲む。

 

「ぷっはー! やっぱダンスの後のアクエリは最高だ!!」

 

「俺はポカリで十分かな……」

 

「ワタシも普通の水でいいな〜」

 

「おいおい、そんなんじゃ2人とも塩分不足になるぞ?」

 

   ・ ・ ・

 

『あーあーあーあーあー……』

 

「もっと口角を意識して声は腹から出してください……尊野くんは少しズレてますよ」

 

「は、はい!」

 

 ダンスの後は発声練習、こっちの講師の先生は少し厳しい。

 

 だが教えるのはとても上手く、入学当初マジで音痴だった尊野と数人を基準レベルまで持っていったすごい先生だ。

 

 実際、生徒からもかなり人気がある。

 

「はい、では今日はここまでにしましょう。谷崎くん、号令をお願いします」

 

「気をつけ、ありがとうございました」

 

『ありがとうございました!』

 

「はい、ありがとうございました」

 

   ・ ・ ・

 

 発声練習授業のあと、俺たちはそのまま食堂に向かう。

 

「今日の日替わりランチは何だろうな?」

 

「昨日がブリの照り焼きだから、今日はお肉系じゃないか?」

 

「いやでもこの前魚2日連続もあったから、そう考えるのは安易じゃないかな?」

 

 そう話しながら、食堂が見えて来た……というところで、ポケットの中に入っている携帯が震えた。

 

 携帯を出してみると、画面には「先生」と表示されていた。

 

 先生? 何で先生が学園にいる時間帯で俺に連絡してくるんだ?

 

「んっ? どうしたんだ玲音?」

 

「ごめん、ちょっとチームのトレーナーから電話が来ていて……先行ってて」

 

「うん、分かった。じゃあ場所取りだけはしておくね」

 

「うん、お願い」

 

 2人は食堂に、俺はすぐ近くにある渡り廊下まで移動して電話を取る。

 

「もしもし?」

 

「おう玲音、今いいか?」

 

「何ですか?」

 

 わざわざ学園の時間帯に電話してきたんだ。何か緊急な用事なんだろう。

 

 そう思い、俺は少し身構える。

 

「今日の練習なんだが、ちょっと行ってもらいたいところがあるんだ」

 

「行ってもらいたいところ?」

 

「あぁ、放課後になったら学園の正門前であるやつを待ってほしいんだ」

 

「……待ってほしい?」

 

 なんか先生の話を聞いていると……これ別に緊急ではないのでは?

 

 これくらい別にメールでいいのに……。

 

「……誰なんですか、その待ってほしい人物は?」

 

「テイオーだ」

 

「……んっ?」

 

 今この人、なんて言った?

 

 テイオー? テイオーって、トウカイテイオーのことだよな?

 

 何でトウカイテイオーの名前がここで出てくるんだ?

 

 チームの練習とテイオーの名前が上手く結び付かずに、俺は少し困惑する。

 

「何でテイオーなんですか?」

 

「いや、ほら……うちのチームって確かに順調ではあるんだが……その後が色々とあれだろ?」

 

 先生のその言葉を聞いて、俺は昨日か一昨日くらいに出された新聞の内容を思い出す。

 

『チーム・スピカ、レースには勝ってもこの有り様……』

 

 その字面と共に掲載されていたのは、棒立ちするスペシャルウィーク、ダンスで転ぶダイワスカーレット、途中でひっくり返ったウオッカ、そして何故だか急にブレイクダンスを踊り始めるゴールドシップの写真。

 

 そしてそれは新聞だけには留まらず、SNSでもスピカ=ライブ下手と言うイメージが固まりつつあった。

 

(ちなみにゴールドシップは初めてブレイクダンスを踊ったことにより、SNSでは『ゴルシ伝説』というワードがトレンドになっていた)

 

「つまりその汚名を返上するために、ダンスと歌の練習をするってことですか?」

 

「そうだ」

 

「でも何でテイオーなんですか?」

 

「あいつはこのトレセン学園に在学しているウマ娘の中でもかなり踊りと歌が上手くてな……まぁ本当はチームに誘ったんだがあやふやにされて、そうして向こうから来たと思ったらダンスのレクチャーならしてもいいってあいつから言ってきてな」

 

「……なるほど」

 

「まぁそういう訳だ。頼んだぞ」

 

「えっ、あちょ……!」

 

 俺はまだ聞きたいというか言いたいことがあったが、先生はそのままブチッと電話を切った。

 

 ……一つ聞きたいけど、俺が行く意味ってあるのかな。

 

 でも先生にもそう言われたし、テイオーもそういう事で約束しているだろうから……放課後になったらすぐに正門前に行こう。

 

「……さて、昼飯食べるか」

 

 そう呟き、俺は食堂に向かった。

 

   ・ ・ ・

 

 帰りのSHRが終わった後、俺はすぐに正門前へと向かった。

 

 ……のだが、そこには俺よりも先に正門前に着いて、俺を待っているテイオーの姿があった。

 

 テイオーはこっちに向かって来る俺を視界に捉えると少しムッとした表情になる。

 

「遅いよ〜! 玲音!!」

 

「えぇ……SHR終わってすぐに来たんだけど……」

 

「それでもお〜そ〜い! このテイオー様を待たせるのはジューザイに値するんだよ!!」

 

「え〜……」

 

 明らかにご機嫌斜めテイオーをどう機嫌を取ったらいいのか、俺は考える。

 

 だけど……テイオーは突然笑い出した。

 

「冗談だよ! ボクはそんなに怒ってないよ」

 

「え、えっ?」

 

「そんな難しい顔をしなくてもいいって事だよ、それよりも早く行こう?」

 

 テイオーは俺の腕を掴むと「しゅっぱーつ!」と言いながら、足を進める。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! どこに行こうとしているんだ!?」

 

「それは、着いてからのお楽しみだよ!」

 

 テイオーの華奢な手は俺の腕を絶対に離すまいと言わんばかりに、少し強めに握られており、解くことは無理そうだ。

 

 結果、俺はテイオーに腕を掴まれながらその場所に行くことになった。

 

 途中、通行人に何度もすれ違ったが、その度に視線が刺さったので恥ずかしかった。

 

 そんなこんなで俺とテイオーが訪れたのは……駅前のカラオケ屋さんだった。

 

「フリータイムで、人数は2人ですけど後から数人来るので部屋は大きめの部屋をお願いします」

 

「はい……では357ルームをご利用ください」

 

「はーい、行くよ玲音」

 

「あ、あぁ……」

 

 俺は初めて来る大きなカラオケ屋さんに少しビビる。

 

 一応、俺自身はカラオケは初めてではない……だが、ここまでビル一つが全部カラオケ屋というのは俄には信じられない。

 

 自分が知っているカラオケ屋はもっと地下にあって、一階や二階もないワンフロアなイメージだった。

 

「何でそんなにビビってるの?」

 

「いや……初めて来たから……」

 

「あはは、ただのカラオケ屋さんだよ? そんなにビビるものでもないでしょ」

 

「そ、そうだよな……」

 

 テイオーが357ルームの扉を開ける。

 

 内装はとてもシンプル。ソファーにテーブル、大きなディスプレイにカラオケ用のスピーカー、そしてカラオケの本体。

 

 シンプルイズベスト、この内装は行った事のあるカラオケ屋とほぼ一緒だ。

 

「それじゃ、早速歌おうかな」

 

「えっ、歌うのか?」

 

「だって今日はダンスのレクチャーが目的だし、そこまで歌う時間はないだろうからね」

 

 そう言いながら、テイオーはログインを済ませ、曲名を検索し、そして予約をする。

 

 さっきまで広告が流れていたディスプレイには予約曲が映されていた。

 

 曲名は……恋はダービー?

 

「これ、ボクの十八番の曲なんだ〜」

 

 テイオーがそう言うと、予約し始めた曲が流れ始める。

 

 ……なんだろうこの弦楽器? 名前は分からないが弦楽器がまるで一つの生き物みたいに鳴っている。

 

「よ〜し、いっくよ〜!」

 

 そうして歌い始めるテイオーの歌声は……とてもよかった。

 

 そしてテイオーはダンスを踊っている。

 

 結構普通に歌っても難しそうな曲なのに、テイオーはそこに細かいステップや身振り手振りを入れている。

 

 これは確かに先生が言っていたように上手い方に入るだろう。

 

 少なくとも、テイオーのこの歌と踊りで俺は興奮を覚えた。

 

「恋は〜ダービー☆ 胸が〜ドキドキ〜♪」

 

 高音もとても綺麗に出している。それなのに踊ることは全然忘れない。

 

 ……っと、サビに入るくらいのタイミングで部屋の扉が開かれる。

 

 そこにいたのはチーム・スピカのみんな。

 

「「「て……テイオー!?」」」

 

 スピカのみんなが入ってきたが、テイオーはそのまま入ったサビを歌い続ける。

 

 こんな急に人が来ても動揺しないのか……本当にテイオーは踊り慣れているらしい。

 

「明日? やだね、今すぐ! Step it!」

 

 テイオーはサビを歌い切ると、まるで足を弾ませるかのように独特なステップを刻む。

 

「これが噂のテイオーステップか!」

 

 そう言いながら、ウオッカが感心する。

 

 実際彼女のそのステップに……俺も心を奪われていた。

 

   ・ ・ ・

 

 そうして始まったテイオーの歌とダンスのレッスン。

 

 スペは主に基礎のステップを、スカーレットは振り付けを、ウオッカはリズム感覚を、ゴールドシップは……何で座禅しているんだ?

 

 そんな練習背景を俺と先生、そしてスズカはソファーに座って見守っている。

 

 ……時々、スズカが合いの手を入れるかのようにタンバリンを叩いている。

 

 その無邪気な幼なじみの姿に俺は少し微笑んだ。

 

 そんなこんなで1時間強くらい経った頃だっただろうか。

 

 レッスンを受けていたみんなが休んでいる時、テイオーが俺と先生の方を向いて、こう言った。

 

「そういえば気になったんだけど、トレーナーと玲音はどれくらい歌とダンスが上手いの?」

 

「「えっ……?」」

 

 テイオーのその言葉に俺と先生は嫌な予感が頭の中に横切る。

 

「っ! そうだそうだ! アタシたちのことを傍観しているんだから、さぞ上手いんだろうよ!」

 

 予感は的中し、ゴールドシップがそう叫ぶとカラオケリモコンをピピピッと操作する。

 

 いやいや待て待て、先生はなぜテイオーに講義を頼んだ? それは先生には教えるノウハウがなかったからだ。

 

 だからテイオーに頼んだのに……実際先生は鼻の付け根を押さえてちょっと唸っている。

 

 しかしゴールドシップはそんなのは無視して曲を入れる。

 

 そしてマイクをほいっとトレーナーに渡す。

 

 そして流れた曲は……イントロがファンファーレから始まる独特な曲だった。

 

「はっ!? この曲を歌えって!?」

 

「ほらよく言うだろ? うまぴょいから逃げるなって」

 

「……だーもう! こうなったらやけくそだ!」

 

 先生はどこか吹っ切れたかのように……その曲を歌いきった。

 

 振り付けとかはぎこちなかったが、掛け合いを全て1人でこなしていたのでみんなは普通に称賛していた。

 

 ただゴールドシップだけは「面白くねぇな」みたいな顔だった。先生が派手にミスるところを見たかったのだろう。

 

 そしてみんなの視線は……俺に向く。

 

 先生もなんか「お前だけ逃げれると思うなよ?」みたいな感じでジリジリと近づく。

 

「さぁ、お前もやるんだ……」

 

「無理です! 無理ですって!! あの曲知らないし、自分が知っているのはもっと昔のーー」

 

「うっほほーい! んじゃあこの曲を〜ポチッとな!」

 

 そうしてゴールドシップは先生がさっき歌っていた曲を入れた。

 

 ……結果、自分のうまぴょいは大失敗で終わったのだった。

 

 普通にゴールドシップにめっちゃ笑われて、他のみんなは同情の言葉を俺に言う。

 

 そうしたら……なんか自分もどこか吹っ切れた。

 

 ゴールドシップが持っているカラオケリモコンを奪い取ると、ある歌手名を検索し、曲を見つけ予約する。

 

 その後の記憶はほぼないが、一つ言えることは……あの時俺の体にはキング・オブ・ポップの魂が憑依していた。

 

 

 




???「キング……この私の出番のようね!」(但し出走予定無し)

・ムーンウォーカーネタはアニメのゴルシもやってましたね。

・テイオーとカラオケ行きたい(願望、恋ダビ1日に一回は口ずさむレベル)

・次回は空白の4年間の"予定"です。


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空白の4年間 明

 前回のあらすじ:ポウ!(カラオケに行った玲音がムーンウォーカーの魂を憑依させた)

・UA43,000突破しました。ありがとうございます。

・長くなったので明と暗で前後編分けました。(同時投稿です)



 あの出来事を伝えると……どうなるんだろう。

 

 彼は困惑するのかな、それとも恐怖で縮こまってしまうのかな。

 

 ……流石にそんなことはないかな。

 

 でも今日ライスが伝えようとしているのは……かなりショッキングな真実。

 

 彼の『空白の4年間』。そのきっかけとなったとある事件。

 

 彼の言動を聞いていると、彼はあの事件を忘れている。

 

 それはそれですごく幸せなことなんだろう。

 

 ……だけど、彼はトレセン学園の屋上でこう言ってくれた。

 

『教えてくださいライスさん。俺の……空白の4年間を……』

 

 彼は自分自身の過去と向き合おうとしている。

 

 だったらライスはそれを応援したい。

 

 だから……少し待ってほしいと言った。

 

 彼に真実を伝える……それなら当時の新聞や雑誌などがあった方が現実味がある。

 

 そしてその資料たちはライスの実家にあった。

 

 だからお母さんに頼んでその資料と、彼とライスが一緒に写っている写真が入っているアルバムをこっちに送ってもらった。

 

 久しぶりに内容に目を通してみたけど……やっぱり苦い何かが口の中に広がるような……そんな錯覚に陥ってしまう。

 

 だってこの事件は……ライスが彼と約束しなければ起こらなかった。

 

 起こったとしても、被害者は彼ではなかったかもしれないから。

 

「……よし、行こう」

 

 ライスは資料とアルバムをバッグの中に入れて……部屋を出た。

 

   ***

 

 ーーー空白の4年間ーーー

 

 それはどんなに思い出したくても思い出せなかった……俺の小学校1年生から4年生までの記憶。

 

 ただ空白とは言ってもその時期に学習したことは覚えているし、夏・冬休みの時にスズカに会いに行ったことも覚えている。

 

 だから空白になっているのはほんの一部。

 

 その時の私生活や学校の出来事の記憶だけだ。

 

 小学校5年生になった頃にはすでに東京の新しい自宅の自室で眠っていた。

 

 叔父さんや叔母さんに自分の4年間の記憶がなくなった……と言ってみても「そんなことある訳ないだろ?」「それより新しい学校に早く慣れなさいね」と信じてくれなかった。

 

 いや、信じてくれなかったというよりは、はぐらかされたと言った方が正しいんだろう。

 

 俺はずっとこの空白の4年間にモヤモヤしながら、今に至る約6年間ずっと生きてきた。

 

 しかし、ライスシャワーさんと出会ったことによって、そんなモヤモヤに終止符が打たれるかもしれない。

 

 ライスさん曰く、彼女は俺と友達として接していて……俺の空白の4年間のことを知っている。

 

 そして……自分がその4年間の記憶が抜けている原因も知っていると言っていた。

 

 俺はライスさんに空白の4年間と、そうなってしまった原因を教えてほしいと言った。

 

 すると少しだけ待ってほしいと言われて、その週の土曜日は大丈夫ですか? と言われたので了承した。

 

(ついに……空白の4年間が分かる)

 

 お昼時、駅前に俺はライスさんを待っていた。

 

 いつもだったらアプリゲームで時間を潰すが……出かける理由が理由だから、そんな気にもならない。

 

 しばらく待っていると……ちらっと見覚えのある帽子が人混みの間から見えた。

 

「お、お待たせしました〜……」

 

 頑張って人混みの間を縫って、ライスさんが現れる。

 

 さすがウマ娘、かなりの人混みでも誰にも当たる事なく、綺麗に躱してここまで来た。

 

 こういう練習……もしかしたらチームの練習に活かせるかもしれない!

 

 ……んな訳ないか。

 

「ううん、俺も今来たところなんで……じゃあ行きましょうか」

 

「う、うん!」

 

 俺とライスさんは近くにある格安イタリアンレストランに向かう。

 

 そこで昼食と空白の4年間の話を聞くっていう訳だ。

 

   ***

 

 ついに……ついに来ましたわ……この日が!

 

 今日わたくし、メジロマックイーンは上機嫌で外出している。

 

 それはなぜか……それは今日、行きつけのスイーツのお店に限定商品が追加されたから!

 

 その名もキウイパフェ!

 

 わたくしの行きつけのスイーツのお店は毎月一週間、旬の果物を使ったパフェを期間限定で販売している。

 

 今の季節としては3月に入り、旬の果物といえばリンゴやイチゴなどがあるが、そのお店の店主はあえてキウイを選んだ。

 

 そしてわたくしはこの時のために必死に食事管理を徹底しました。

 

 これならパフェ一つ食べてもギリギリ大丈夫なはずですわ……。

 

 本当はまた玲音さんと一緒に卓球をしたかったが、少し前に付き合ってもらったばかりで、しかも今はラケットのスペアがなかった。

 

 だから今回はかなりギリギリに追い込んだ。

 

 全ては……キウイパフェのために!

 

 ああっと行けません、わたくしとした事がよだれを垂らしてしまうなんて……メジロ家の人間として相応しくないですわ。

 

 メジロ家はいつも冷静でーーー。

 

 しかし、その景色を見たわたくしは冷静にはなれなかった。

 

 わたくしが何を見たか……それはわたくしが大好きなあの人の姿。

 

 そしてその人が見知らないウマ娘と一緒にイタリアンレストラン入って行くのを……目撃してしまった。

 

「えっ……玲音さん?」

 

 自然と漏らしたその声は……周りの環境音によって掻き消され、彼の耳には到底届かなかった。

 

   ***

 

 店に入ると店員さんに「お好きなところにどうぞ」と言われたので、俺たちは窓際の隅のソファー席に座る。

 

 このお店のお水はセルフサービスなので、俺は自分とライスさんのお水を持って行くことにする。

 

「お水持って来ますけど、氷何個にしますか?」

 

「じゃあ……二つでいいかな?」

 

「分かりました」

 

 グラスに氷を入れて水を入れ、グラスを持って席に戻る。

 

 戻るとライスさんは何を頼もうかメニューを見て悩んでいた。

 

 まぁ、自分はもう決まっているんだが……このお店に来た以上、お値段300円の超安価格のドリアを食べる以外選択肢はない。

 

「注文取っていいかな」

 

「うん、いいよ」

 

 そうして俺は呼び出しベルを押して店員さんを呼び、各々で注文する。

 

 ……にしてもライスさんめっちゃ多く注文するなぁ。

 

 そう言えばウマ娘って普通の人と比べると食べるご飯の量って多いのかな。

 

 ウマ娘は大体時速70キロくらいで走り、中には長距離で3000m……つまり3キロ走る子もいる。

 

 仮にウマ娘が普通の人と同じエネルギー効率だとしたら、普通の食事では絶対栄養不足だろう。

 

 だがトレセン学園の食堂にいるウマ娘を見ていても、普通の食事を取っている子の方が多い。

 

 山盛りにしている子も数人はいるが、特にこの前会った白髪の子は本当にすごかった……それも秒で食べ終えておかわりもするんだからまぁ……。

 

 まぁその辺りもまだ研究中だから、ウマ娘ってまだ未知の存在なんだなぁってつくづく思う。

 

   ・ ・ ・

 

 店員が持って来たドリアを食べ終え、俺はライスさんが食べ終わるのを待つ。

 

 いや本当、よくこんな小さな身体にこれほどの量のご飯が入るもんだ。

 

 ラージライスにコーンポタージュ、にんじんサラダ、ハンバーグにマルゲリータピザにデザートのプリンとティラミスのセット。

 

 ……流石に頼みすぎじゃ? と思っていたがドリアが来る間に3分の1食べられており、俺が完食した頃には3分の2以上食べていた。

 

 ライスさん……食べるだけじゃなくて、その早さもすごかった。

 

「っ? ライスに何かついてる?」

 

「あ〜いや、美味しそうに食べているから幸せそうだな〜って」

 

「……女の子がご飯を食べるところを見るのは、少し失礼だよ?」

 

「あっ、そうなのか」

 

「でも今日はいいよ……数年ぶりのランチだから」

 

「……」

 

 それにしてもずっと思った事があるが……俺とライスさんってどれくらい仲が良かったのだろうか。

 

 俺からしたら初対面に等しいが、ライスさんは結構な近さで接して来る。

 

 それに時々、ライスさんの笑っている姿を見ると……どこか安心するというか、なんか不思議な感情になる。

 

 多分俺は忘れてしまっているが、深層心理の奥にはきっと彼女との記憶がまだ残っているんだろう。

 

「あっ、良かったらこれ見てみる?」

 

 ライスさんはバッグから何やら厚めの本みたいなやつを取り出す。

 

 表紙には『PHOTO ALBUM』と書かれていた。

 

「玲音くんとライスが一緒に写っている写真があるから」

 

「……へぇ」

 

 俺はアルバムを受け取り、ペラっと捲ってみる。

 

 するとそこに写ってたのは……カメラに向かってピースサインをしている男の子と少し恥ずかしそうに俯いている女の子。

 

 なんとなくだけど、それが自分とライスさんだと思った。

 

 ていうか俺、こんなに幼かったのか……。

 

 叔父さんと叔母さんとは旅行に行くが、写真は撮っていないので小学校の頃の写真はほとんどない。

 

 だからこうして他人のアルバムに自分の幼い頃の姿が写っているというのは……なんか変な感じだ。

 

「どう、何か思い出したかな?」

 

「……ごめん、何も思い出せないや」

 

 ただこの写真を見ても……特別何かを感じるわけでもなかった。

 

 小説とかではこういうのを見ると、昔の記憶がフラッシュバック……なんて事もあるが、俺には起こらなかった。

 

「……そうなんだ」

 

 そう言う彼女の声音は弱々しく、ウマ耳は前の方に垂れてしまう。

 

 こう言う時、嘘でもいいからポジティブなことを言えばいいのだろうか。そうすれば、こんな悲しそうな姿は見ないで済んだんだろうか。

 

 でも嘘をついたからってどうなる?

 

 俺と彼女はどこまでかは分からないが関係を持っていた。(友達って言ってたからそんなに深くないと思うが……)

 

 下手な事を言えば、彼女を傷つける可能性だってあるかもしれない。

 

 だったらここは素直に言うのが一番……なはずだ。

 

「……本当にごめん」

 

「ううん、玲音くんは悪くないよ……ーーーーだから」

 

 最後はボソボソしていて、何を言っているのか分からなかった。

 

 ただ、時々ひしひしと……彼女の言葉に何か暗い感情が乗っているような感覚は伝わった。

 

「……じゃあ玲音くん、今度はこれを……」

 

 そう言うと彼女はバッグの中から雑誌みたいなものを取り出す。

 

 それを俺の方に置くと、何枚かの新聞の切り出しをテーブルの上に置く。

 

「これが……空白の4年間の原因だよ」

 

「……」

 

 俺は雑誌を手に取って、その表紙にデカく書いてある文字を言葉にした。

 

「『1人の子どもが起こした最悪の放火ーー』」

 

「えっとそっちじゃないよ……こっちだよ……」

 

 俺は彼女の指差した少し小さな文字を口にする。

 

「『〇〇市、児童誘拐事件』」

 

 俺は雑誌の目次からその事件のことが書かれたページを開き、そして読み始める。

 

 

 




・暗に続く。


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空白の4年間 暗

 前回のあらすじ:玲音、昔の自分の姿をライスシャワーのアルバムで見る。

・今回は軽い残酷描写付きです。予めご了承ください。



『〇〇市児童誘拐事件〜精神異常者が実行した狂気の実験〜』

 

 20XX年1月XX日、北海道〇〇市で児童の誘拐事件が発生した。それにより1人の男子児童の命が奪われようとされていた。

 

 この誘拐事件の犯人である粟宮柚須流はR大学に通っていた大学2年生だった。

 

 粟宮は周りから精神異常者と言われており『嬉々として虫や小動物などを殺し、それを楽しむ』『周りの人を下等といつも罵り、怪しい実験を行う』など常識が抜けていたと粟宮の同級生はインタビューで答えた。

 

 さらに大学でも問題を起こしており、夏頃に行っていた実験により同大学に通っている男女数人を精神疾患になるまで追い詰めた。

 

 その出来事がきっかけになり、粟宮は退学処分を受けた。事件が起きる1年前の出来事である。

 

 粟宮はその後フリーターとして働くが、ある日を境に部屋に引きこもってしまう。

 

 警察の取り調べで分かったことだが、その際粟宮は様々な人体実験に関する本や記事を読み漁っていた。

 

 そして粟宮の興味を特に引いてたと思われる実験の本もそこにあった。

 

 粟宮の机の上には被験者の拉致の方法の模索や実験の仕方などが記されたノートも見つかっている。

 

  ……

 

 粟宮は12時頃に自宅を出ると、監禁場所として用意した使われていない山小屋に生活品や実験で使う器具を置いた後、〇〇市の適当な公園に訪れ、一人でいるひ弱そうな人間……小学生などがいるかチェックしていた。

 

 そうして4つめの公園に訪れた際、一人でいる小学生を発見し拉致。

 

 被害者は〇〇市内の小学校に在学している小学3年生の男子児童。

 

 粟宮は男子児童を山小屋に設置していた手錠付きベッドに横たわらせ、実験を始めた。

 

 その実験は1883年のオランダで行われた『ブアメードの血』を模倣した非人道的な実験だった。

 

 手順としては以下の順である。

 

・被験者に目隠しをし、被験者の指にメスを当てて親指を少し切ったと報告。

 

・水を一滴一滴部屋に落とし、被験者に嘘の出血量を報告。

 

・これを致死量になるまで報告を続ける。

 

  ***

 

 その後も、粟宮という男が行った実験の全容が書かれていた。

 

 実験はそのまま続き、間も無く致死量に到達……そんな時に警察官が山小屋に押し入り粟宮を現行犯逮捕。男子児童は病院へと搬送された。

 

 ……読んだ限りではそんな感じだろう。

 

 そして俺は……嫌な汗が流れていた。

 

 俺はまさかと思い、ライスさんに質問することにした。

 

「ライスさん」

 

「……」

 

「この男子児童って……俺のことですか」

 

「……(こくり)」

 

 ライスさんは真剣な顔で静かに首を縦に振る。

 

 そして……全部は思い出せなかったが、一つだけ噛み合ったことがある。

 

 それは……自分が水滴の音が苦手なこと。

 

 これはこの実験によって死にそうだったということを、心の奥でまだ残っていたということなんだろう。

 

 ……はっきり言って思った以上だった。

 

 自分はどれだけ大きな事件に巻き込まれていたんだ。

 

「……ありがとうライスさん。こんなに資料を用意してくれて……」

 

「どう……だった?」

 

「はっきり言ってリアリティーがないというか……なんかよく分かりません。でも……心の奥がざわついているような、そんな感覚がありますね」

 

「……そうなんだ」

 

 まだはっきりと分かったことではない。

 

 だけれど自分の空白の4年間に関する大切な出来事をライスさんは教えてくれた。

 

 それに関しては……ライスさんに感謝しないといけない。

 

「本当にありがとうライスさん。これで少しだけ……空白の4年間のことが分かりました」

 

「うん……玲音くんの役に立てたなら、ライスも嬉しいよ」

 

「まだ完璧には思い出せていないけど……ライスさんさえ良ければ、また仲良くして欲しいです」

 

「もちろんだよ、玲音くん……!」

 

 そう言って少し微笑むライスさん。

 

 ……やっぱり、彼女の笑顔を見る度に言葉にし難い感情が心の深くに現れる。

 

 この感情が何なのか分かる日はいつか来るのだろうか。

 

「それじゃ、そろそろ出ましょうか。今日は奢りますよ」

 

「い、いいよ! 自分の分は自分で払うから!」

 

「いえいえ、今日のお礼として奢らせてください!」

 

   ***

 

「……」

 

 玲音さんはライスさんと呼ばれている人と一緒にこのレストランを後にした。

 

 わたくしはあの後、あの人の後を追ってこのお店に入った。

 

 そうしてウマ娘の聴力を使って、あの人とライスさんの話を盗み聞きしていた。

 

 最初はあのライスさんという人とはそういう関係なのか探るためだったが……そのお話はほとんど聞けなかった。

 

 だけどその代わり、以前からずっと話してくれていた空白の4年間に関する話が聞けた。

 

 そしてあの人は……想像以上に重い過去を持っていた。

 

 わたくしは……これからどう接すればいいのでしょう。

 

 ここまで重い話を聞いて、あの人の前でいつもと変わらずに話せるか……正直不安で仕方ない。

 

 わたくしはポケットの中に折り畳んで入れていた紙を一度取り出して広げる。

 

 それは……来月に行われるわたくしのお誕生日会の招待状代わりとなる直筆の手紙。

 

 あの人と次2人っきりになったら渡そうと、常日頃から持ち歩いている。

 

 しかし……今のわたくしに、これをあの人に渡す資格はあるのでしょうか。

 

「……玲音さん」

 

 またあの人の名前が自然と口出してしまう。

 

 ……落ち着なさいメジロマックイーン、貴女は弱音を吐いたらダメ。

 

 態度も見せてはダメ、マイナスな思考を考えるな……前を見るのです。

 

 いつかあの人の隣に立つためにも……弱気になってはダメ。

 

 ……この手紙は今すぐに渡すべきと、わたくしは考えた。

 

 なぜそんな考えに思い至ったのかは分かりません。ですがそう考えた頃にはわたくしの足はお店の出口に向かっていた。

 

 

 




・天皇賞・春、見てて楽しかった。

・アプリ、中々B+の壁が超えれない……。

・次回はマックイーン回の”予定”。


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キウイパフェ/話が始まった場所

 前回のあらすじ:玲音、空白の4年間の原因を知る。そしてマックイーンもそれを盗み聞きしていた……。

・UA44,000・45,000を突破しました。ありがとうございます。

・誤字報告ありがとうございます。消し忘れが最近多いです……。


 イタリアンレストランを出た後、俺はライスさんと別れてそのままトレーナー寮に帰ろうとする。

 

 時間としてはおやつの時間、今から帰ってコーヒーを淹れてのんびりと本を読みながら1日を過ごそう。

 

 それに明日はスペの弥生賞、早めに寝てちゃんと時間に間に合うようにしないとな。

 

 スペの仕上がりは素人の俺が見ても完璧に等しい。

 

 ただ弥生賞の舞台である中山レース場には最終コーナーを抜けた後の急傾斜な坂がある。

 

 一回自分だけで中山のレース場に行ってみたが(先生に頼まれて写真を撮っていた)……正直普通の人間だとかなりキツそうな傾斜だった。

 

 スペにとっても、あの傾斜は未体験だろう。

 

 坂路ダッシュをしているとはいえ、あの坂を一発本番で登り切ることが出来るだろうか。

 

 ……いや、スペは大丈夫だ。

 

 弥生賞にはもちろん、その先にある皐月賞に向けてもコンディションを整えてきている。

 

 だから皐月賞の前哨戦である弥生賞を取れば、もっと気分が乗るはずだ。

 

 ……次の瞬間、ドスッと衝撃が身体に走った。

 

「きゃっ!?」

 

「うわっ!?」

 

 明日のことを考えていて前をちゃんと見ていなかった……この衝撃は恐らく誰かとぶつかったんだろう。

 

 そのまま俺は腰から地面に着地する。

 

「あ゛い゛っ゛」

 

 結構痛くて変な声を出てしまうが、俺はすぐに立ってぶつかってしまった人に対し謝ろうとする……って、あれ?

 

 そこにいたのは見知った子だった。

 

「マックイーン?」

 

 なんでここにマックイーンがいるのか一瞬考えたが、そんなことよりもまずは謝罪しよう。

 

 親しき仲にも礼儀ありだ。

 

「ごめんマックイーン! 前の方全然見てなかった……どこか痛んでないか?」

 

「え、えぇ……大丈夫です」

 

 マックイーンは俺が差し出した手を掴みながら、ゆっくりとその場に立ち上がる。

 

 ……うん、どこか特別に痛んでいる様子もない。

 

 それにしてもドジを踏んだ。考え事で前が見えなくなっていてぶつかるとか……これが車だったらこの程度ではすまなかっただろう。

 

「……偶然ですわね玲音さん。今日はどこか出掛けておられたのですか?」

 

「あ〜うん……まぁ、そんな所。マックイーンは?」

 

「わたくしの行きつけのお店で今日から期間限定で食べられるキウイパフェを食べに来たのですわ」

 

 いつものように会話を交わす。

 

 だが俺の視線は彼女の顔ではなく、ウマ耳の方に向いていた。

 

 それはなぜか……それは左のウマ耳がぴょこぴょこ動いてたいたからだ。

 

 つまりマックイーンは今の会話のどこかで嘘をついた。

 

 そして考えなくても嘘をついたところは分かる。

 

 きっとマックイーンとここで会ったのは偶然ではないのだろう。

 

 それじゃあなぜわざわざそんな嘘をつく? そこが分からない。

 

 まぁマックイーンは恥ずかしがり屋だから遠くから俺を見つけて、正面から話すのは恥ずかしいから一芝居を打ったって感じかな。

 

 この前みたいにウマ耳が動いていることを指摘しても良かったが、今日はやめておこう。

 

「そうですわ玲音さん、もしお時間がよければ一緒に行きませんか?」

 

 確かにいつもだったら是非と答えていた。だが今の俺はお昼ご飯を食べてから30分くらいしか経っていないので、正直お腹の空き具合は微量な所だ。

 

 スイーツは別腹……なんて言葉があるが、あれが許せるのは一部の人間であり、俺はその一部の人間ではない。

 

「ごめん、今日はもうお腹いっぱいで……また今度ーー」

 

「今じゃいけませんか?」

 

「……えっ」

 

 マックイーンは真剣な顔をしてそう言った。

 

 なんでマックイーンはこんな顔をしているんだ?

 

 スイーツに誘っているだけなのに……なぜそんな真剣な顔になるんだろう。

 

 俺は彼女の顔を見ながら考えようとするが……その真剣な顔に負け、おやつを一緒に食べることになった。

 

   ・ ・ ・

 

「こ、これがキウイパフェ……」

 

「うわぁ、これはやばいよやばいよ」

 

 マックイーンの行きつけのお店に着き、マックイーンが楽しみにしていたキウイパフェが席に届く。

 

 そしてそのキウイパフェは……超特大サイズだった。

 

 なるほど……これは確かに真剣な顔になるわ。

 

 だってこんなに食べたら、圧倒的カロリー過多だ。

 

 だからマックイーンは一緒に食べてくれる人が欲しかった訳だ。

 

「ではいただきましょうか」

 

「そうだな」

 

 俺とマックイーンはお互い両手を合わせ、いただきますの挨拶をする。

 

 さてさてと俺はパフェで食べる時に使うあの細いスプーンで輪切りにされたキウイをうまくパフェから剥がして、落とさないように手を添えながら口元まで持っていく。

 

 そしてパクりとそれを食す。

 

 うん……酸味が効いてて美味しい。正直キウイの違いなんて実が黄色いか緑色かくらいしか分からないが……。

 

 ただこのパフェに使われているクリーム、これが意外と甘さ控えめになっており、キウイの酸味を殺さずに甘さが仄かに広がるという上手いバランスを作っている。

 

「美味しい……流石マックイーン行きつけのお店だな」

 

「気に入ってくださったならよかったですわ」

 

 そう言いながら食べる手は止めないマックイーン。

 

 そしてその表情は「まさにこれこそ至高……」と言わんばかりに少し恍惚としている。

 

 本当、マックイーンは甘いものが好きなんだなと再確認する。

 

「ど、どうしましたの? そんなにニヤニヤしながらこっちを見て……?」

 

「いや、マックイーンが幸せそうで自分も満たされていただけだよ」

 

「っ……そ、そうですか」

 

 そう言って少し頬が赤くなるマックイーンを見て、俺はやっちまったと軽く後悔する。

 

 別にあんな言い方をしなくても、もう少しマイルドでもよかったのにと。

 

 少し考えればめっちゃ恥ずかしいことを言っているのに、なぜ言う前にきづかないのだろうか。

 

 もう少し考えてから発言する癖をつけよう……。

 

 そう思いながらキウイパフェを食べる。

 

「……」

 

 ふと視線を感じて顔を上げてみると、今度はマックイーンが俺のパフェを食すところを見ていた。

 

 しかし俺みたいにニヤニヤするのではなく……どこか不安そうにウマ耳を前の方に垂らしてこっちをチラチラと見ていた。

 

「……なぁマックイーン」

 

「な、なんでしょう?」

 

「俺に何か隠していることはないーーー」

 

「ありません!」

 

 食い気味に否定するマックイーン。

 

 その時点でだいぶアレだが……もっと決定的になった部分がある。

 

 だから俺は自分自身の頭、頭頂部よりちょっと左のところを指でトントンと叩く。

 

 彼女は最初は分からなかったが、自分自身でその行動をすると……顔を青くした。

 

 ……自分自身の左のウマ耳を触りながら。

 

「さっきも動かしていたよ……偶然会ったって言ったけど、本当は偶然じゃないんだろ?」

 

「っ……」

 

「言ってマックイーン……本当のことを……」

 

「……分かりましたわ」

 

   ・ ・ ・

 

 マックイーンはちゃんと話してくれた。

 

 俺とライスさんが駅で会っているのを見たこと、そしてレストランで盗み聞きをしていたこと……。

 

 まさか……マックイーンに聞かれていたなんてな。

 

 でも別に驚いている訳でもないし、ましてやその事で怒っている訳でもない。

 

 問題は……その後だ。

 

「なんで嘘をついたんだ?」

 

「……」

 

「1回目はまだいい……でも2回目はなんでだ?」

 

「……」

 

 マックイーンはずっと俯き黙っていた。

 

 一応声音は責めているようには聞こえないようにしたつもりだったが……でもあまり意味はなかったらしい。この言い方だとどうしても人は考えないといけない。

 

 そしてその考えの答えは思ったより浅いところにあるが……一度冷静にならないとそれは深淵の闇にもなる。

 

 なら手法を変えるまでだ。

 

「……言い方を変える。マックイーンはそれを言って俺に怒られると思った?」

 

「……」

 

 マックイーンは俯いてたままだったが、小さく縦に首を振った。

 

「それは盗み聞きを怒られる……暗い話を聞いたから怒られると思った?」

 

「…………違い、ますわ」

 

 喋ってくれた……それと同時にマックイーンは涙を流し始める。

 

 堰き止めていた感情が……言葉を発した事により漏れ出して行く。

 

「わたくしは……気づけませんでした。玲音さんがそんなに苦しい過去に遭っていたことを……苦しんでいるあなたをわたくしは気づけなかった!」

 

「……」

 

 そう言い始め、ポツリポツリと泣き言を零すマックイーン。

 

 ただ……マックイーンの言っていることはほぼ支離滅裂だった。

 

 その泣き言一つ一つは確かに自分を責めているが……多分頭の中で出てきた言葉をそのまま口にしているから、話がまとまっていないのだろう。

 

 それでも自分自身を責める言葉は次々と出てくるのだから……居た堪れない気持ちになり、俺は席を立ち彼女の隣に移動する。

 

「玲音……さん?」

 

 俺はマックイーンのおでこ元に右手を持っていき、中指を親指に引っ掛けて力を溜め……一気に解放する。

 

 するとパチンッと軽快な音がお店の中に響く。

 

 お〜、我ながらすごいいいデコピンができた……。

 

「な、なんなのですのいきなり!?」

 

「あのな〜マックイーン、少し考えてみろ? もし今言ったことを俺に当て嵌めたらなぁ……俺はマックイーンの過去のことも知っていないといけないんだ」

 

「……」

 

「だが、俺はマックイーンの過去は何も知らない。俺が知っているのは野外活動で出会った時から今の間だけだ」

 

「今……ですか?」

 

「疑問符にするほど難しいことじゃないよ。俺とマックイーンの話が始まったのはあの野外活動と林間学校の時、その前の話なんて俺たちには関係ないんだよ」

 

「林間学校が始まり……」

 

 そう、俺は野外活動より前のマックイーンのことなんて知る由もない。

 

 でも野外活動の後のマックイーンなら、俺は知っている。

 

 そしてそれはマックイーンも同じなんだ。

 

 ……なんかこの前もこんな結論に達したような気もするが、今回は状況が違う。

 

「マックイーン、君は大人びているけどまだ中2だ。もっと物事は簡単に考えよ?」

 

「……そうですわね、もっと簡単に……」

 

 マックイーンはそう言うと、ポケットから何か折り畳まれた紙を出した。

 

 そしてそれを俺に差し出す。

 

「これは……?」

 

「来月に行われるわたくしのお誕生日会の招待状です……今後ともよろしくお願い致します玲音さん」

 

「えっ? あ、あぁ……」

 

 正直今の言葉でマックイーンの事が解決したのか全然分からない。

 

 だけどまぁ、ここまで笑顔になってくれたなら……解決したって事にしていいのかな。

 

   ***

 

 簡単に考える……あの人はそう言いました。

 

 そう、もっと簡単に考えれば良かった。

 

 目の前にいる人は……わたくしが好きな人だっていう事を……。

 

 そこにはメジロ家やお互いの過去は関係ない……わたくし個人の思いなのだから。

 

 そう思うと……心が軽くなった。

 

 だから今、わたくしは渡した。

 

 祝って欲しいから……大好きなあの人に祝って、笑って、その時は側にいて欲しいから。

 

 そしてわたくしはもうこの事で迷いませんわ……だってわたくしはその人が大好きだから……。

 

 ーーー1ヶ月後、メジロ家で行われたお誕生日会。そこには一日中幸福感で笑顔になっているわたくしと、それを見て微笑んでくれるあの人の姿がありました。

 

 

 

 

 

 




・現時点でですが、これで玲音の闇パートはほぼ終わりです。(暫くは明るめの話が多くなる予定)

・最近、SDキャラの可愛さに気付いた……くっそカワイイ!(わかルマーン風自問自答)

・次回はテイオー加入の”予定”です。


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テイオーの決意

 前回のあらすじ:マックイーン、玲音との話が始まった時を再確認する。

・UA46,000・37,000を突破しました。ありがとうございます!

※アニメではスペの祝勝会は弥生賞の後に行ってますが、こっちでは次の日にします。予めご了承ください。


 次の日、中山レース場にて……スペのGⅡ弥生賞がスタートした。

 

 ゲートが開いたのと同時に先頭に立ち、そのまま逃げ切ろうとするセイウンスカイをスペが追う形となった。

 

 第4コーナーを抜けた時点でスペの順位は3着につけている。

 

 そしてやってきた……中山レース場名物、ラスト200mにある心臓破りの坂。

 

 実際スペの前に2人先にこの坂を登ったが、その1人は完全に意気消沈、1着のセイウンスカイも明らかに登り慣れていない。

 

 そんな坂をスペも登り始める。

 

 明らかに苦しそうな顔を浮かべたが、それでも必死に登るスペは1人を抜かして坂を登りきり最後の直線に入る。

 

 そしてそんなスペの背中を押そうと、チーム・スピカのみんなは大声で「登れ登れ登れ登れ!!」と鼓舞する。

 

 坂では差が縮まらず先にセイウンスカイが直線に入っていたが、先の坂で一杯(バテて失速する事)になっている。

 

 それに対し、スペは足をためていた。

 

 そのためていた力を……この直線で解き放つ。

 

「後ろから猛烈な勢いで追い込んでくるスペシャルウィーク!」

 

 後ろから迫るスペ……懸命に逃げようとするセイウンスカイ……どちらが勝つのか、観客やチームのみんなは固唾を吞みながら2人のウマ娘の勝負の行く末を見守る。

 

 そしてラスト数十メートルのところで……スペがセイウンスカイをかわした!

 

 それに気付きセイウンスカイも負けじと腕を振るが、坂で燃え尽きた脚は思ったより前に行かない。

 

「スペシャルウィーク……ゴールイン!!」

 

 スペは1着でゴール板を通過した……その瞬間、歓声が湧き上がる中山レース場……スペシャルウィークは重賞を初めて勝利したのだった。

 

 スズカと俺以外のみんなは、走り終わったスペに賞賛の言葉を贈るためにスペの方に駆け寄っていった。

 

「今夜は祝勝会だ!」

 

「いやいや待てゴルシ、そんなすぐには用意できねぇよ……明日、盛大に祝うからなスペ!」

 

「っ……! はい!!」

 

 どうやら明日は祝勝会が行われるらしい……お腹は空かせておかないとな。

 

「……」

 

 そういえばさっきからテイオーがかなり黙っているなあと思って、テイオーの方を見てみると……テイオーはレースに勝ったスペの方を見ていた。

 

 そしてこれは……なんて言えばいいんだろう。新しいおもちゃを見つけた子どもみたいな……期待を含んだ目をしていた。

 

   ・ ・ ・

 

 次の日のお昼……俺は教室の自分の席で購買で買ってきたサンドウィッチと、今日の朝淹れて持ってきた蜂蜜アイスコーヒーを食し飲んでいた。

 

 ちなみに尊野はチーム・アスケラの集まり、道はチーム・リギルの面接で今日は2人とも居ないのだ。

 

 でもまぁ問題ない。俺自身そんな多くの人と一緒にいたいと思う人間ではないから、こんな風に1人でも別に寂しくも何ともない。

 

 それに……お昼1人で楽しむコーヒーというのも、悪くはない(渾身のイケボ)

 

 さて、今日のコーヒーの淹れ具合はかなり上位の方に入るからな……口に多くコーヒー含んだ後、舌で転がすようにしてコーヒーの芳醇なアロマを最大限に楽しみーーー。

 

「やっほー! 玲音いるー?」

 

「ブウウゥゥーー!?」

 

 教室の扉がいきなり開いたことにかなり驚いたが、それ以上にここにきた人物に驚き、さらにその人は俺の名前をノンストップで言ったのにとても驚き……俺は某ライダーWの左の人みたいにコーヒーを吹き出すのだった。

 

「えっはえへ……な、なんでテイオーがトレーナー学科の教室にいるんだ……」

 

「うわ、玲音汚いよ〜」

 

 自分自身で吹き出したコーヒーをタオルで拭き取った後、俺はテイオーの近くに寄る。

 

「んで、本当にどうしたよ?」

 

「ちょっとね、付いてきて欲しい所があるんだ〜!」

 

 そう言うとテイオーは俺の右手首をガシッと掴み、「しゅっぱーつ!」と言って、俺の手を引いて歩み始めた。

 

「ちょっと待って! どこに連れて行くつもりなんだ!?」

 

「それは、着いてからのお楽しみだよ♪」

 

「それこの前も言ってたことおおぉぉ!?」

 

 俺の魂の叫びが廊下に反響するのだった。

 

 そしてテイオーの華奢な手に俺の手首を掴まれながら、俺の後を付いて行く。

 

 階段を一階分上がり……また少し歩くとテイオーは手を離してこっちを振り向く。

 

「ここだよ」

 

 そう言われ、俺は目の前の部屋のプレートを見てみる。

 

 そこには『生徒会室』と書かれていた。

 

「玲音にはね、見てもらいたいんだ……ボクの勇姿をね」

 

 テイオーはそう言うと扉をノックし、こう言った。

 

「ーーー失礼しますっ!」

 

「……失礼します」

 

 テイオーが入った後、俺も挨拶をし生徒会室に入り、両手でテイオーが開けた扉を閉める。

 

 そこにいたのは……1人のウマ娘。

 

 チーム・リギルに所属しており、クラシック3冠・有記念を2勝・天皇賞(春)・ジャパンカップ制覇の計7冠を達成し、皇帝と呼ばれるウマ娘……そしてテイオーの憧れでもあるシンボリルドルフだ。

 

 そんな彼女はテイオーの訪れに少し驚いている。

 

「テイオーか……君が扉をノックするなんて珍しいな。それにそちらの方は?」

 

「おr……チーム・スピカで見習いトレーナーをやっています。谷崎玲音です」

 

「スピカの……なるほど、だいたい理解した。立ち話もなんだ、そちらのソファーに腰掛けて話をしようじゃないか」

 

 シンボリルドルフにそう言われ、テイオーと俺はソファーに腰掛ける。

 

 座ると「お茶を出そう」と言われたが、流石にそこまではと思い遠慮したが、遠慮はいらないと言われて俺とテイオーの前にお茶が出された。

 

 そしてシンボリルドルフが俺たちの対面に位置する場所に座った。

 

「聞こうじゃないかテイオー、君はここに何しにきた?」

 

「ボクは……報告をしに来たんだ」

 

「ふむ……して、君はなぜここにいるんだい?」

 

 その質問はテイオーにではなく、俺に向けて言われた言葉だった。

 

 そして俺はどう返答しようか悩んでいた……だって、勇姿を見て欲しいと言われただけでテイオーの真意はまだ全然分かっていない。

 

 だけど、あの時のテイオーの表情は……凛々しいものだった。

 

 それだけ……テイオーは覚悟を決めているということだろう。

 

「彼女の勇姿を……覚悟した姿をこの目で見るためです」

 

「うむ……だが君は見習いトレーナーの立場。ならここにいるべきはチームのトレーナーではないか?」

 

 確かにシンボリルドルフが言っていることは正しい。

 

 だけど……そんなことは関係ない。俺は自分自身の素直な気持ちを言う事にした。

 

「見習いかそうではないか以前に、俺は彼女の走りに魅了されたファンの1人です。そしてそんな彼女から勇姿を見て欲しいと言われた……なら俺は彼女の勇姿を見守るだけです」

 

「……そうか」

 

 シンボリルドルフは少し微笑むと自分自身で入れたお茶を一口飲む。

 

 俺も釣られて……そしてテイオーも釣られてお茶を飲む。

 

「では改めて聞こうテイオー……君は何を報告しにきた?」

 

「……」

 

 テイオーは一回深呼吸を入れ、シンボリルドルフの顔を真っ直ぐ見てこう言った。

 

「ボクは……スピカに入る事にしたよ」

 

「スピカに入る……リギルじゃなくていいのか?」

 

 テイオーは力強く頷いてから、言葉を続けた。

 

「いろいろ考えたんだけど……ボクはやっぱり楽しい方が好きだから。それに……ボクは会長と闘いたい!」

 

「……」

 

 少々脚色していると思うが、俺から見たその光景は……かの皇帝にテイオーが宣戦布告したかのように見えた。

 

 しかしテイオーは自信に満ちた顔をしており……皇帝もどこか安心しているような顔をしていた。

 

 しかしすぐに威厳のある顔に戻るシンボリルドルフは言葉を口にした。

 

「楽しいだけじゃやっていけない……叶えるべき目標があるならば……次に続く言葉、分かるだろテイオーなら」

 

「っ……はい!」

 

「強くなったら共に走ろう……約束だ、忘れるなよ」

 

「はい……!」

 

 その時のシンボリルドルフの顔は……どこか慈愛に満ちた顔をしていた。

 

 まるで親離れしていく子どもを喜んで応援する親みたいだ。

 

「さて、私は君に……一つ頼まなくてはならないな」

 

「……」

 

テイオー(その子)を頼んだよ谷崎玲音くん……彼女の勇姿を、君が見てあげてくれ」

 

「……はい!」

 

「まあ玲音は見習いトレーナーだけどね〜」

 

「うるさいぞテイオー……見習いでも俺はチームの一員だ。夢を手伝うことくらいできるわ」

 

「にしし! そうだね!!」

 

 そう言うとテイオーはひょいっとソファーから立ち上がる。

 

 俺も生徒会室に立て掛けられている時計を見て、そろそろ時間だと思い立ち上がる。

 

「そろそろ行きます……仲間の祝勝会があるので」

 

「ボクもそれに出るから、じゃあね会長!」

 

 俺とテイオーは生徒会室を後にした。

 

 そしてその後開かれた祝勝会で、テイオーはスピカの加入を宣言。

 

 何も知らない先生は飲んでいた飲み物を吹いていたが……テイオーの決意を受け入れてくれた。

 

 こうして……チーム・スピカにトウカイテイオーが入ったのだった。

 

 

 




・推しウマの寝息ASMRを見つけて、わい歓喜。

・新人賞の小説も順調×2

・次回はチーム・スピカの練習風景かお花見をする”予定”です


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練習を考えよう!

 前回のあらすじ:テイオー、スピカに入る。

・UA48,000・49,000、お気に入り件数600件を突破しました。みなさま、ありがとうございます!

・前回の誤字報告ありがとうございます。

・前回、ルドルフの有マが馬になっていたので、ウマ娘の世界で使われるに変更しておきました。



 それはテイオーが入って数日後のお昼の事だった。

 

 いつも通り尊野と道とでご飯を食べようとしたが、携帯に先生の呼び出しメッセージが届いていたので、俺はご飯を食べる前に教員室に向かった。

 

「失礼します」

 

 教員室内に入り、先生の席まで歩く。

 

 いつもなら誰もいないその席に……今日は先生がいた。

 

「よっ、悪いな」

 

「要件はなんですか?」

 

 この前のテイオーのこともある……意外と先生はそこまで大切な用事じゃなくても呼び出しをする人だ。

 

 だから今回もそこまで大切な用事ではないだろう……そう思っていた。

 

 先生は事務机の引き出しを引き出し、一枚の紙を取り出してそれを俺に差し出す。

 

 俺はその紙を受け取り、その内容を見てみる。

 

 ウォーミングアップにストレッチ、走り込みに直線ダッシュや併走トレーニング。

 

 これは……練習メニューだろうか。いつも行っている基礎練が書かれている。

 

 そして……最後の部分が空白になっている。5行くらい空いているだろうか。

 

 何でこんなのを渡したんだろう……そう思っていると、先生が喋り始める。

 

「玲音、お前には今日やるトレーニングを一つ考えて来てほしい」

 

「えっ……俺に?」

 

 確かに見習いトレーナーがお世話になっているチームの練習を考えるというのはよく行われていることだ。

 

 だが……それはチームに完全に浸透し、信頼を得られた後のこと……時期にすれば1年以上先のことだ。

 

 そんなことを……まだチームに入って1ヶ月くらいの俺が?

 

「は、早くないですか……まだ入って一月くらいですよ!?」

 

「玲音、お前は一人前のトレーナーになるんだろ? なら、早いとかそんなのは関係ない。俺は玲音に機会を与えるだけだ……安心しろオーバートレーニングかどうかはちゃんと見てやるから、好きなようにやってみろ」

 

「……はい」

 

   ・ ・ ・

 

「では第二段落を丸読み、それじゃあ16番のから鈴木くんから読んでもらいましょうかねぇ」

 

「はい……『モノが移動していた工業化時代の資本主義にはーーー』」

 

「……」

 

 練習を考える……と言っても、どんなことをすればいいのだろうか?

 

 一応俺はチームに入ってから練習風景を何度も見てきたから、行う練習がどんな効果を得るのかは何となく分かる。

 

 でも全てを分かっている訳じゃない……それに俺にはまだウマ娘を観察する力はないに等しい。

 

 このウマ娘にはどんな練習をさせるべきかとか……そんな細かいことは分からない。

 

 それにこの紙を見る限り、これはチーム全員で行う練習になっている。

 

 スペは少ししたら皐月賞……なら坂路ダッシュとかにするか?

 

 でもキツすぎると入ったばかりのテイオーや面白くないことはやりたくないゴールドシップは文句を言うかもしれない。

 

 ……あれ、結構難しいなぁ。

 

 何とかみんなが納得するような練習方法はあるだろうか。

 

 ……そういえば、サッカーやっていた時のトレーニングに何か様々なことを練習で収めるのがあったような……。

 

 何だっけ、アストンマーティン? アルパインスターズ? スピードウェイ? ツインリング? なんか近いような遠いような……。

 

「……んっ、おやおや〜? 谷崎く〜ん、続きを読んでくださ〜い?」

 

 ……サーキット。

 

 そうだ、サーキットだ!

 

 2チームに分かれて1チームは用意した障害物を越えながらずっとトラックを回る。そしてもう1チームはずっと短距離ダッシュを行う。

 

 あれって結構きつかったけど、楽しかったんだよなぁ……あれをみんなの基準に合わせれば、楽しくも少しキツイ、ちょうどいい練習になるはずーーー。

 

「谷崎く〜ん?」

 

「えっ……ア゛ッーーー」

 

 目の前にいたのは……すごくニコニコしているが、目が笑っていない国語の先生がいた。

 

「谷崎くん、今は授業中ですよ〜? 教科書191ぺージ9段落目から読んでください……それとも私の授業はつまらないですかぁ? んっふっふ〜」

 

「いえ、読ませていただきます! に、『日本市場が閉鎖的だと非難されたのはーーー』」

 

   ・ ・ ・

 

 放課後、チームのトレーニングが始まった際に考えてきた練習メニューを先生に見せる。

 

「なるほど、サッカーでやっていた練習をウマ娘用にしてみたのか」

 

「はい……ミニハードルで腿上げ、1.5m間隔で置いたコーンの上を踏み抜いてロングストライドのリズムを身につけ、置いたマーカーを避けるようにしてレースで必要なステップを、そして最後に坂路ダッシュ。もう1チームは20秒の100mインターバルダッシュです」

 

「……見た感じ、オーバートレーニングはなさそうだな。よし、これをやってみるか!」

 

「っ……はい!」

 

 みんなが先生の用意した練習をこなしている中、俺はサーキット練習の準備を進めた。

 

 ただ、サッカーだったら精々数十平方メートルくらいの大きさで済んだが、ウマ娘が走るこのトラックでやるとなるとかなりの広さになる。

 

 だからサーキット練習の準備が終わった頃には、俺はかなりの汗をかいた。

 

 正直、ここまでトラックが広いとは思っていなくて……すでに満身創痍だ。

 

 そりゃそうだ……普通の学校のグラウンドの大きさは大体一周200〜300mくらいだもんな……その10倍は疲れるに決まっている……。

 

「はぁ……はぁ……お、終わりました……」

 

「お、おう……お疲れ様」

 

「ど、どうしたのレオくん……そんなに息を切らして?」

 

「あぁ大丈夫……ちょっと準備に疲れただけだから……」

 

 スズカに心配されながら俺は息を整える。

 

 そして息が整った後、今日みんなにやってもらうサーキットトレーニングの説明をする。

 

「つまり10分で交代して、ダッシュと障害物の二つをやるってことですか?」

 

「そう、苦しくなったら障害物の方で歩いてもいいよ」

 

「何それちょっと楽しそう!」

 

「あぁ、そんな練習他の連中もしているところ見たことねえからな! 面白そうじゃねぇか!!」

 

「じゃあ適当に今並んでいるところで真っ二つにして、スズ側がインターバル走、テイオー側がサーキットの方でまずはやってくれ!」

 

『はい!』「おうよ!」

 

   ・ ・ ・

 

 そうして俺が考えたサーキットトレーニングをやった結果……スズカ以外のみんながターフの上で満身創痍になってしまった。

 

「ぶえぇぇぇ……玲音、結構これキツイよぉ〜……」

 

「俺もやり始めた頃はそんな感じだったけど、慣れるもんだよ」

 

「た、確かにこれはスタミナ鍛えれそうっすね……」

 

「サーキットは内容を変えれるから、応用も効きそうですね……」

 

 ……いや、まさかここまでキツイトレーニングになるとは俺も思っていなかった。

 

 むしろサッカーやっていた時は結構楽な方に入るトレーニングだったから、ちょうどいいと思っていたが……。

 

「……やりすぎましたかね?」

 

「いや、最初だから慣れていないだけだろ? 俺はかなりいいと思っている……今後もこの練習を入れていくからな玲音」

 

「っ……! あ、ありがとうございます!」

 

「よかったね、レオくん!」

 

「あぁ!」

 

 この日、少しではあるけど……一人前のトレーナーに近づけた様な気がした。

 

 オマケ(元々やろうとしてたやつの名残)

 

 練習の後、チームのみんなはストレッチを行っていた……その時である。

 

「わ〜、テイオーさんすごい体が柔らかいんですね!」

 

 スペが声をあげていたので、テイオーの方を見てみると……テイオーは前屈を行っていた。

 

 そしてその手は靴の裏側まで回っていた。

 

「すごいなテイオー……」

 

「えへへ……前屈は得意なんだ! 実はボク〜前屈の記録をも持っているだよね!」

 

「へぇ……」

 

 前屈の記録……身体測定で学年一とかそんな感じだろうか。

 

「柔らかいのはいいことだ……可動域が広がるからパフォーマンスが良くなり、かつ怪我の防止になるからな」

 

「そこは他のスポーツと同じなんですね」

 

 意外とウマ娘には、他のスポーツの知識も応用できることがありそうだ……。

 

 そんなことを思っていると、テイオーがちょいちょいと俺を手招きしていたのでテイオーの近くに寄る。

 

「どうした?」

 

「今から開脚やるからさ、玲音が背中を押してくれない?」

 

「あぁ、別にいいぞ」

 

「やったー! じゃあよろしくね!」

 

 その後、俺はテイオーの体の柔らかさをこの身で実感したのだった……やべえよ、あの柔らかさは……。

 

 

 




・ぶえぇぇぇ……、ネタ分かる人いるかなぁ。(夏の青さを、覚えていた)

・マックイーンの寝息ASMRが最高……。

・次回はチームのみんなでお花見をする"予定"です。


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チーム・スピカでお花見に行こう(前編)

 前回のあらすじ:玲音、初めて練習を考える。

・UA50,000・51,000・52,000を突破しました。ありがとうございます。



「花見に行こーぜ!!」

 

「……花見?」

 

 それはスペの皐月賞まで残り1週間に迫っていた土曜日の午前練習が終わった後の事。

 

 いつもみたいにみんなが練習後のストレッチをしていた時にゴールドシップが急に立ち上がり、そしてそう言い出したのだ。

 

 確かこの前ニュースで開花宣言がされていたが、まだ満開にはなっていなかったはず……。

 

 花見なら満開にやればいいのでは……そう思っていたが、ゴールドシップは俺が何かを言う前に説明する。

 

「花見=満開だって言うのは誰でも考えることだろぉ? そうなれば花見を楽しむ前に人混みとダンスっちまう」

 

「あぁ……だから人が少ない間にってことか?」

 

「察しがいいな新人、そういう事だ!」

 

「お花見か〜、確かに面白そうかも!」

 

「私、お母ちゃん以外とお花見行くの初めてです!」

 

「そうなの? ならいい思い出になるねスペちゃん」

 

「はい!」

 

「お花見と言えばお団子が必要よね!」

 

「はぁ? そこは桜餅だろ?」

 

 ゴールドシップの一言により、チーム全体でもう花見に行くことが決まっている様な空気になっている。

 

 だが……その中で1人、渋い顔をしている人がいた。

 

 それはポケットから取り出した財布を覗き込んでいる先生だった。

 

「どうしたんですか、先生?」

 

「……去年、同じように花見を開いたが……その時の出費がすごく多くてだなーーー」

 

 そう言いながら、先生は財布をひっくり返す。

 

 するとポツンッと何やら小さな小銭一つが出てきた……その額は5円。

 

 えっ、待ってくれ。この人5円しか持っていないの?

 

「先生……まさかそれが全財産ってことは……」

 

「今は訳あって金欠なんだ」

 

「……」

 

 この人、一体どうやって1日を生きているのだろうか……。

 

 しかしそうとなると、花見はかなり難しいのではないか?

 

 各自でお金を持って行くようにするとかか? まぁ、それが一番無難ちゃあ無難だが……。

 

 もしくは自分たちで作って持って行くとか? でもそうなると食材を用意しないといけないし……トレーナー寮の部屋は1Kだが、ウマ娘が住んでいる寮はワンルームでキッチンはなかったはず。だから食材を仮に用意出来たとしてもどこで調理すればいいのだろうか……厨房とか? 勝手に使っていいのかな……。

 

「ゴールドシップ、お花見のお供とかはどうすればいいかしら?」

 

「そこなんだよなぁ、トレーナーの顔を見ると金欠そうだし……作るにしても場所がなぁ……」

 

「……」

 

 ゴールドシップが花見のお供の事で唸っている時、俺はある考えを思いついていた。

 

 だがそんな私的な用事のために……”あの人たち”を動かしてもいいのだろうか。

 

 いや、その前に一つ提案してみようか……。

 

「なぁゴールドシップ、一ついいか?」

 

「んっ、なんだ?」

 

「俺の知人で1人誘いたい子がいるんだけど、その子も花見に参加してもいいかな?」

 

「別にいいけどよ〜誰を誘うんだ?」

 

「メジロマックイーンって言うんだけど……」

 

「ぶーー!! ちょ、おま玲音! 今なんつった!?」

 

 自分の言葉を聞いていた先生が突然飲んでいたスポーツドリンクを吹き出すと、凄まじい速さで俺との間を詰める。

 

 えっ……俺そんなに変なことを言ったか?

 

「えっと……メジロマックイーンって言う子を誘ーーー」

 

「なんでお前の口からメジロ家の令嬢の名前が出てくるんだ!?」

 

「……妹みたいなものだから?」

 

「ーーーー」

 

 俺の言葉を聞いて驚愕の顔を見せる先生。

 

 ……そんなに不思議なことだろうか。確かにマックイーンはメジロ家の令嬢ではあるが、正直ずっと近くにいたから先生のこの反応は流石にオーバーだと思ってしまう。

 

 そんなトレーナーを無視して、俺は携帯を取り出しマックイーンの連絡番号をタップし出るまで待つ。

 

 2コールに入ったあたりで電話がつながる。

 

『はい、もしもし?』

 

「あぁマックイーン? 玲音だけど、今いいかな?」

 

『えぇもちろん……何の御用ですか?』

 

「明日チーム・スピカで花見をしようってことになっているんだけど……よかったらマックイーンも一緒に行かないか?」

 

『えっ……でもそれはチームでやることなのでしょう? 赤の他人であるわたくしが入るのはどうかと思うのですが……』

 

「聞いてみたけど大丈夫だってさ……それに毎年行ってるから、今年も一緒に行きたいなぁ〜なんて思ってたり……」

 

『……ーーーーーーのに……』

 

「んっ?」

 

 マックイーンは何かぼそぼそ言っていたが……全然聞き取れなかった。

 

 ただ、マックイーンの声音が少し寂しさを帯びているような感じがした。

 

 俺……何か癪に障るようなこと言っちゃったかな。

 

 このまま断られると思いながら、マックイーンの言葉を待つ。

 

『……明日特に予定はありませんでしたので、お言葉に甘えますわ」

 

「っ! 本当か!」

 

 俺は心の中でガッツポーズを取る。よかった……無言になっていたのはスケジュールを確認していたためだったんだな。

 

 てっきりマックイーンの機嫌を損ねたのかと思い、内心すごくヒヤヒヤしたが……どうやら杞憂に終わりそうだ。

 

『集合時間と場所はどこですか?』

 

「あ〜それはまだ決まってない。うちのチームの一員が今さっき言って決まったことだから……詳しいことが分かったらメッセージ入れておくから」

 

『分かりました。では御機嫌よう』

 

 ツーツーツーと鳴り、電話が終了する。

 

   ・ ・ ・

 

 その後、チームのみんなでどこに行くかを話し合った。

 

 話し合いの結果、場所は最寄り駅から急行で数駅行って、乗り換えた先にある少し大きな公園で花見をすることになった。

 

 それに伴い、集合場所も学園の最寄り駅、時間は7時半という事になった。

 

 そうしてそのまま「また明日〜」とグラウンドで解散した後、俺はトレーナー寮に戻らずに学園の外に出て、携帯を取り出しある電話番号をタップする。

 

『はい、メジロ家です』

 

「ご無沙汰してます執事さん。谷崎です」

 

『これはこれは谷崎様……本日はどのようなご用件でしょうか』

 

「実は……お願い事をしたいんです」

 

 俺がゴールドシップの話を聞きながら考えていた事……それはメジロ家の力を借りる事。

 

 実際、毎年マックイーンと花見をする際お弁当を持って行くのだが……その時はメジロ家の人たちが用意してくれたお弁当を持って行ってた。

 

 だから今回も……と思ったが、流石に2人と大勢では用意する量も、それに掛ける時間も全然違う。

 

 自分でも思う……これは図々しい願い事だ。

 

『マックイーンお嬢様と谷崎様の他に数名分のお弁当を用意してほしいと……』

 

「俺のは無くていいです……できますか?」

 

『ーーー』

 

 執事さんから深いため息がスピーカー越しに聞こえてくる。

 

 そりゃダメに決まってただろ……そんな寸前になって願うとか。

 

 それに……多少だったらお金はある。みんなのお腹を膨らます事ができるかどうかは分からないが……楽しんでもらうくらいにはーー。

 

『おーほっほ、いいでしょう……用意しておきましょう』

 

「えっ……?」

 

 執事さんからえらく朗らかで柔らかい高飛車が聞こえたと思ったら……なんかすごい事を言った。

 

 えっ……『用意しておきましょう』?

 

 空耳じゃあ……ないよな?

 

『実は今夜予定されていた晩餐会が無くなってしまいまして……材料を多く余らせていたのです』

 

「そうなんですか?」

 

『ですから先程からずっとシェフ達が頭を抱えていましたが……どうやら解決しそうですな』

 

「……」

 

 無理だと思っていたのに……なんて事だ。

 

 そんな奇跡あるか? 晩餐会が中止になって、材料が余っているとか……。

 

 

『出来ましたら花見をするところまで配達致します。場所はどこでしますか?』

 

「……△△公園です」

 

『分かりました。要件は以上ですか?』

 

「はい……あの、執事さん!」

 

『何でしょうか?』

 

「ありがとうございます」

 

『いえ……では失礼します』

 

「はい、失礼します」

 

 俺は通話終了ボタンをタップして電話を切る。

 

 そして俺は自分自身のほっぺを握る。

 

「……いふぁい」

 

 やっぱり……夢じゃない。

 

 俺はそのことを再確認して……栗東寮の公衆電話に電話をかけた。

 

 そして出てきたゴールドシップにこう言った。

 

 お供の用意が出来たと……。

 

 

 




・超ご都合主義でございます。

・次回はお花見後編です。(同日に出せればいいなぁ……)


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チーム・スピカでお花見に行こう(中編)

 前回のあらすじ:ゴルシの提案により、チーム・スピカは花見に行くことになった。そしてマックイーンも誘う玲音。

・想像以上に長くなったので中編も作りました。

・後編はできたら0時、出来なかったら次の0時に投稿したいなぁ……。



 ーーーピピピッ、ピピピッ、ピピッ!

 

「……ふあ〜」

 

 目覚ましの音で起きてベッドの上で一伸びした後、ゆっくりと床に足をつける。

 

 季節としては3月の下旬と春だが、朝の自室の空気は流石にまだ冷たい。

 

 だが目を覚ますには、それくらいがいいだろう。

 

 足の裏にジワーッと冷たさが伝わってくる……その感覚が全身に巡っていき脳にも達する。

 

 あ〜いや、実際の感覚は感覚神経から中枢神経を通ってから脳に行くから今の説明はちょっと違うのだが……俺からはそう感じ取れるってことだけだ。

 

「……よし!」

 

 今日は精一杯楽しもう……そう思い、俺は外出の準備を始めた。

 

   ・ ・ ・

 

 集合場所は最寄り駅……と決めているが、俺とチームのみんなはこのトレセン学園から出るから、実質先生との集合場所って言った方がいい。

 

 そして同じトレセン学園から出るからーーー。

 

「あっ、おっはよー玲音!!」

 

「おはようございます、玲音さん」

 

「おはようテイオー、マックイーン」

 

 集合する前に合流できる可能性もあるのだ。

 

 実際、弥生賞の時はスペとスズカに会ったりしてた。

 

 もちろん誰とも会わない時もあるが……やっぱり誰かがいた方が安心できる。集団心理、みんなでいれば怖くないみたいな感じだろうか。

 

「えへへ〜、今日は楽しみだねマックイーン!」

 

「えぇ……ただ食べ過ぎないようにしないといけませんわ」

 

 ちなみに昨日知ったことだが、テイオーとマックイーンは顔見知りだったらしい。

 

 何でも何回か練習をお互いにやって、練習後にすれ違うっていうことをやっていたらいつの間にか2人の間に友情が育まれていたらしい。

 

「にしても玲音はどうやってボクたちのお供を用意したの?」

 

「それ、わたくしも気になってました……あの人数のお供を用意するには費用も時間もかかると思うのですが……」

 

「それなんだけどな、先にマックイーンに謝っとく」

 

「なぜですか?」

 

「実は今回、メジロ家の力を借りたんだ」

 

「メジロ家の?」

 

 俺は昨日執事さんが言っていたことを2人にも伝える。

 

 マックイーンは「あぁそういうことでしたか」と言って納得していたが、テイオーは不思議そうに俺の方を見ていた。

 

「……玲音ってメジロ家とどういう関係なの?」

 

「関係かぁ……」

 

 多分テイオーは、俺が普通にメジロ家と関わっていることに驚いているんだろう。

 

 とは言ってもただ仲良くしてもらっているだけで、別になんか特別な待遇があるわけでもない。

 

 強いていうなら……。

 

「マックイーンの友達……だからテイオーと変わらないかも?」

 

「いやいや、ソンナハズナイデショ!?」

 

「それに今回はすごく運が良かったのもあるから……多分もうこんなことできないと思う」

 

「まぁ、晩餐会が中止になること事態、5.6年に一回あるかないかですし……」

 

「そーなんだ……」

 

「だから今日は存分に楽しもうぜ」

 

 今日のみたいな偶然は……多分もう起きない。

 

 あの時ゴールドシップが花見を提案して、誰も否定したり予定がなかったから花見をすることになった。

 

 あの時先生が金欠だったから、俺はメジロ家にお願いしようと思った。

 

 そして……あの時に晩餐会が中止になり、食材が余っていたから……お供を用意できた。

 

 どこか一つが欠けていたら……こんな結果にはならなかった。

 

 ならこの多くの偶然から生まれた機会を……全力で楽しむ! それが俺たちにできることだ。

 

「うん、そーだね!」

 

「わたくしも、今日は羽目を外しますわ」

 

   ・ ・ ・

 

「あっ、レオくん」

 

「おはようスズ……スペもウオッカもスカーレットもおはよう」

 

「「「おはようございます」」」

 

 時間としては集合時間の10分前、後来ていないのが先生とゴールドシップだが……。

 

 そう思いながら待つこと5分くらい、ポケットに入れていた携帯が震えた。

 

 先生からのメッセージか? と思い画面を見てみるが……そこにはメッセージではなく、写真が送られていると書いてあった。

 

 携帯のロックを解除して送られてきた写真を見てみる。

 

 そしてそこに写っていたのは……桜の前でなんか変なポーズ(右足のみで立ち、握った手を猫のように構えている)を取っているゴールドシップの写真だった。

 

 その写真に呆気に取られていると追加のメッセージが届いていた。

 

 周りのみんなも自分の携帯の画面を覗き見る。

 

『金欠だから車を使って先に取っておいたぜ! お前らも早く来いよ!』

 

 先生の名前でメッセージが送られているが……まぁゴールドシップが打った文なんだろう。

 

 それにしても先生……電車にも乗れないくらいお金に困っているんですか?

 

 そう聞きたいが……まぁ、大人には大人の理由ってものがあるんだろう。

 

「よし……じゃあみんな、電車に乗って行きますか!」

 

『お〜!』

 

   ・ ・ ・

 

 学園の最寄り駅から特急で2駅、その後3回乗り換えをして△△公園の最寄り駅に到着する。

 

「へえ、地下を走っている電車もあるんですね!」

 

「スペ、流石に地下鉄は北海道にもあると思うよ……てかある」

 

「えっ、そうなんですか!?」

 

 なんか地下鉄に異様に興奮していたスペ……周りの乗客の目線がすごく痛かった。

 

 というかスペって俺と同じ北海道出身だよなぁ……あ〜いやでも北海道も広いからな、ガチな田舎で育っていたらそれくらいになるもんかな。

 

 実際俺も引越しするまで地下鉄とか知らなかったしな。

 

 そんなことを考えながら〇番出口に繋がる階段を登る。

 

 〇番出口から出ると、その先は人混みと多くの車の音で騒々しかった。

 

「うわぁ、これみんな花見客か……?」

 

「違う人もいるとは思うけど……そのほとんどがそうじゃないかな?」

 

 朝からここまで人が多いってなると……もしゴールドシップや先生も電車で来ていたら場所取りが出来たか怪しかったな。

 

 とりあえず人混みの流れに従い、出口から見て左の方に歩く。

 

 正直△△公園なんて来た事がないから、どう行けばいいのか分からない。

 

 確かゴールドシップからは『桜の庭』というところにいるってメッセージに入っていたが……桜の庭ってどこだよ。

 

「ここまで人が多いと逸れてしまう可能性がありそうですね……」

 

「じゃあマックイーンはボクと手を繋ぐ?」

 

 そう言うとテイオーは隣にいるマックイーンに手を差し出す。

 

 マックイーンは少し恥ずかしそうにしながらも……その手を掴む。

 

 やっぱ仲が良いんだな……あの2人。

 

 なんて思っているとテイオーは俺の右手を握って来た……Why?

 

「テイオー? 何も俺の手を握らなくても……」

 

「別にいいでしょ、こうすればほぼ逸れないし!」

 

「いや流石にこの人混みで逸れることは……まぁ、いいか」

 

 そう言って、テイオーの手をしっかりと握る。

 

 テイオーは「にしし」と嬉しそうに笑っている。

 

「スズカさん、私たちも手を繋ぎましょう!」

 

「えっ……でも並列すると周りの人に迷惑が……」

 

「テイオーさんや玲音さんがやっているように縦に並べば大丈夫ですよ!」

 

「……そう、ね」

 

 そして隣のスズカもスペ、そしてそれに続いたウオッカっとスカーレットの列ができていた。

 

 これ、側から見たらどんな光景なんだろうな……。

 

 そして俺は片方空いている手を見た後、スズカの空いている手を見る。

 

「……ねえスズ」

 

「なに、玲音くん?」

 

「俺たちも握らないか……手を」

 

「……」

 

 スズカは少し頰を赤くしたが……スッと手をこっちに差し出してきた。

 

 俺はその手をしっかりと……そして優しく包むようにその手を握った。

 

   ・ ・ ・

 

「おーい! こっちだー!!」

 

 公園の案内板を見て、桜の庭の場所を知りそっちの方に歩いていると聞き慣れた声が聞こえ、声が聞こえた方を見てみる。

 

 そしてそこにいたのは腕をブンブン振っているゴールドシップと手を少し上げている先生の姿。

 

 俺たちは他の花見客の邪魔にならないように避けながら、先生たちの方に向かう。

 

「おはようございます先生」

 

「おう、おは……ってお前ら、いつの間にそんな仲良くなったんだ?」

 

『えっ?』

 

 そう言われお互いの姿を見てみる。

 

 そして分かった。自分たちは今手を繋いでいるのだ……それもみんなで。

 

 確かに周りから見たら少し変な光景かもしれない。

 

 でも、別にそれでいいと思う。だって仲がいいのは事実のはずだから……後逸れないようにという正当な理由もある。

 

「元々仲は良いですし、それに逸れないためですから」

 

「そっか……まぁ別に良いか」

 

「……」

 

 なんか視線を感じて俺は先生の隣にいるゴールドシップの方を見てみる。

 

 ゴールドシップは……俺の先にある何かを見ていて心を打たれているような顔になっていた。

 

 俺はゴールドシップの視線を追うように後ろを振り返ってみる。

 

 そこにいたのは……マックイーンだ。

 

 マックイーンもゴールドシップの視線に気付いたらしい……ゴールドシップの方を見て、少しキョトンとしている。

 

 そして2人とも硬直した後……ゴールドシップの方から動き出した。

 

 ゆっくりと……芝を踏みしめるように……マックイーンの前まで歩く。

 

「えっ……えっ……?」

 

 その瞬間、マックイーンはなにをされたのか理解が追いつかなかった。

 

 そして側から見ていた俺らもゴールドシップがなぜそんなことをしたのか分からなかった。

 

 ゴールドシップは……マックイーンを抱きしめたのだ。

 

 強く……強く……それはなんだか、久しぶりに会った友達と熱いハグを交わすかのように……。

 

「あ、あの……何なんですのいきなり……」

 

「お前……アレだな……じいさん家の部屋みたいな匂いがするな」

 

「は、はぁ……?」

 

 ……何か変な事があったが、こうしてチーム・スピカ with マックイーンのお花見が始まった。

 

 

 




・回収は遥か先……。

・後編もお楽しみに。


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チーム・スピカでお花見に行こう(後編)

 前回のあらすじ:花見の開始! ゴルシ、マックイーンを抱きしめる。

・UA53,000・54,000を突破しました。ありとうございます。



「うっしゃー! 宴じゃ酒をを持ってこーい!!」

 

「お前はまだ未成年だろうが!!」

 

 こうして始まったチーム・スピカのみんなとマックイーンのお花見会。

 

 執事さんからはまだ連絡がなかったので、俺はこの日のために用意してきたコーヒーをみんなに振る舞う。

 

 ちなみに今回振る舞っているのは蜂蜜アイスコーヒーではない。

 

 かっこよく言えばコールドブリュー……平たく言えば水出しコーヒーだ。

 

 水出しコーヒー……それはお湯で2〜3分掛けてドリップする普通のコーヒーとは違い、水からドリップし何時間も掛けて抽出する方法で作ったコーヒーのことだ。

 

 普通のアイスコーヒーは温かいコーヒーを氷で急速に冷やすため苦味などは普通のコーヒーと変わらないが、水出しコーヒーではゆっくりじっくりエキスを抽出するため、コーヒーの苦みや渋みの成分であるカフェインやタンニンが溶け出しにくくクリアでまろやかな味になりやすい。

 

 だからコーヒーが苦手な人でも飲める……缶コーヒーで慣れている人が飲むと「これがブラックコーヒー!? 苦さが足りん!!」となるとは思うが……。

 

「あっ、美味しい!」

 

「はちみつじゃないのは残念だけど、これも美味しいからいいや!」

 

「やはり玲音さんの淹れるコーヒーは美味しいですね……」

 

 1ヶ月前くらいに蜂蜜アイスコーヒーを振る舞った時と同じように、今回のコールドブリューコーヒーも評判はよかった。

 

 まぁ水出しは蜂蜜コーヒーとは違い、グアテマラの豆をストレートで使って基本放置するだけだからそこまで作るのが難しいって訳じゃないから、蜂蜜アイスコーヒーよりは嬉しさは半減だけど……でもみんなが美味しそうに飲んでくれてるんでOKです。

 

 その後はコーヒーを飲みながら談笑をした。

 

 最初はなぜトレセン学園に入ったとか、これからの目標など少し肩苦しいことを喋っていたが……話す内に打ち解けあったのか、最近やっているドラマの話や美味しかったケーキ屋、個人の趣味など楽しい話が多くなっていた。

 

 そんな頃に胸ポケットに入れている携帯が震えた。

 

 画面には1通のメールが受信されていると表示されており、そのメールの差出人は執事さんからだった。

 

 メールを見てみると長々と色々書かれていたが、簡潔に言えば「お供が用意できたので取りに来てください」とのことだった。

 

「お供が出来たらしいんで、ちょっと取ってきますね」

 

「あっ、わたくしも行きますわよ」

 

「いやいいって、マックイーンはみんなと談笑してて……」

 

「んじゃあ俺がついて行くか?」

 

「助かります先生……お願いします」

 

 俺と先生はシートから立ち上がり、メジロ家の人たちが用意してくれた花見のお供を取りに行った。

 

   ***

 

 レオくんとトレーナーさんがお供を取りに行っている間、私たちは談笑を楽しんでいた。

 

 とは言っても私はそこまでドラマとか見る方じゃないから聞く方が多かったけど……それでもスペちゃんや他の子が笑っているところを見ていると、私も釣られて笑ってしまう。

 

 そしてふと思ってしまう……あのままリギルに居続けていたらどうなっていたんだろうって。

 

 走るのが全てだと思っていた……だからトレーナーさんの言う通りに走っていた。

 

 速くなったという自覚はあった……だけど少しずつ、走ることを楽しめなくなった。

 

 どんなに走っても追いつけない背中、レースに入着しても欲しいのは1着のみ。まるで何かに縛り付けられながら暗いところを走っている……そんな感覚だった。

 

 でも今のトレーナーさんに会ってから……全てが変わった。

 

 大逃げをすることで誰も前がいない景色が見られた。自由に走られるという快感があった。そして……走ることが楽しいと再び思えるようになった。

 

 そしてもう一つ……それはレオくんと再会できたこと。それによって今まで囚われ続けた過去を振り払えたこと。

 

 学園は同じだからいつかは会っていたと思う。

 

 だけど同じチームだったからこそ……あの約束はできていたのかもしれない。

 

『もう黙って君を置いて行ったりもしない!!』

 

 その言葉は……私に力を与えてくれる。

 

 どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあったとしても……大切な人が見守ってくれるという安心感。

 

 それが自分の自由をさらに広げた。

 

 だから……こう思う。

 

「このチームに入って……よかった」

 

「スズカさん? なんか言いましたか?」

 

「……なんでもないわ、スペちゃん」

 

 危ない……ついうっかり声に出ていたらしい。

 

 私は冷静を装いながら、少しコーヒーを飲んで心を落ち着かせる。

 

「そう言えばスズカ、ずっと聞きたかったんだけどさ、なんでスズカは玲音のことを『レオくん』って呼ぶの?」

 

「あっ、それアタシも気になってました」

 

「オレもです……確か玲音先輩も『スズ』って呼んでますよね?」

 

「えっと……産まれた頃から幼なじみだから?」

 

「産まれた頃から……なのですか?」

 

「え、えぇ……小4の時から少しまで疎遠だったけど……」

 

「んてことは……新人の面白い昔話とかもあるのか?」

 

「あるにはある……けど」

 

「なにそれ面白そー! ねぇねぇ話してよスズカ!」

 

「ウソでしょ……」

 

 ごめん、レオくん。

 

 そう心の中で思いながら……私はレオくんの過去のことを話し始める。

 

 本当にごめんね、レオくん。

 

   ***

 

「何だよ……結構重いじゃねぇかぁ……へへっ……」

 

「れ、玲音? お前顔真っ赤だけど大丈夫か?」

 

 執事さんが持ってきてくれたお弁当……その量は凄まじいものだった。

 

 自分初めて見たよ……重箱が何段にも重なっているの……。

 

「シェフの皆様が張り切り過ぎてしまいまして……」と執事さんは言っていたけど、限度があるだろこれは……。

 

 しかも執事さんは賞味期限が切れそう(まだ3日もあるのに)だったからという理由で、花見用のジュースも用意してくれていた。

 

 だから先生はジュースの方を持ち、オレは重箱の方を持つが……まじで重い。

 

 だが言い出しっぺの俺がキツイ方をやるのは必然ってもんだ。

 

「俺は……チーム・スピカの……谷崎玲音ですよ……こんくらいどうってことないですぜ……」

 

「いや……キツイならーーー」

 

「いいから行きますよ! みんなが……待ってるんです。それにミ〇、やっと分かったんだ……」

 

「いや誰だよ……」

 

 自分自身でボケながらも、俺は全身全霊の力で重箱を運ぶ。

 

 正直言ってガチでキツイ……これ何キロあるんだろう。

 

 でもそんなことは関係ねぇ。

 

 俺は止まらねえ……進み続けた先に……彼女たちの笑顔が待っているんだから……。

 

(だからよ……止まるんじゃねえぞ! 俺の足ぃ!!)

 

 そうずっと自分を鼓舞して、桜の庭まで重箱を運んだ。

 

 もう少しだ……もう少しでゴールできる……。

 

「れ、レオくん……大丈夫?」

 

 前方からスズカが近づいているのが分かる……自分の顔を見て少し心配になったのだろう。

 

 いやでもここまで運んだのだ。自分自身で運びたい。

 

 そう思い声を出そうとしたが、全然声が出ない。

 

 そうしてスズカが持ってくれる……その瞬間、さっきまでめっちゃ重たかった重箱が紙切れになったかのように軽くなった。

 

「えっ……」

 

「これみんなのところに運べばいいかな?」

 

「う……うん」

 

 そう言うとスズカは俺が持ってきた重箱を軽々と持ってみんなのところに向かった。

 

 ……。

 

「……」

 

 ◯カ……やっと分かったんだ。

 

 ウマ娘は普通の人とは身体スペックが違う。だから普通に最初から頼めば良かったんだ。

 

 そして……俺がここまで持ってきた意味はあったのだろうか。

 

「あっ、レオくん……ありがとう、こんな重い物をここまで運んでくれて……」

 

「……」

 

 スズカは振り返った後にそう言い……そして今度こそみんなのところに向かった。

 

 俺は……桜をバックに微笑んでいた彼女の笑顔が脳裏から離れなかった。

 

   ・ ・ ・

 

 お供が着いた後、花見はさらに盛り上がった。

 

 というかウマ娘ってやっぱりすごい……あんなにあったおかずがどんどん減って行くんだから。

 

 特に一番食べていたスペなんか、お腹がなんかすごく膨れて出っ張っていてもまだおかずを食べている……あの小さな体のどこにあの量のおかずが入っているんだ?

 

 それにスズカやマックイーン、他のみんなも俺や先生よりは多く食べている。

 

 あと……時々ゴールドシップが俺の方を見てニヤニヤしていたんだけど……何か付いていたのだろうか? そう思って自分自身の姿を見てみるが……特に変わったところはない。

 

 そしてなぜだかスズカが申し訳なさそうにこっちを見ている……本当に何があったんだ?

 

 まぁそんなことはあったが……そのまままた談笑したり、ゴールドシップと先生の一発芸などで花見は過ぎて行き……太陽は西に傾き、空は茜色になりつつあった。

 

「じゃ、お前らの門限もあるし、今日はここでお開きだな」

 

「え〜! まだ居ようぜ〜!」

 

「ここは夜のライトアップはやっていないから、遅くまでいても意味ないぞ」

 

「あぁそうなんだ……んじゃ帰るぞトレーナー」

 

「はいよ……って、帰りも送るのか!?」

 

「当たり前だろ〜今日金持ってねえし」

 

「は〜……分かった。今日だけな」

 

「うっし、んじゃあお前ら、また明後日な!」

 

 そう言って、ゴールドシップとトレーナーは駐車場の方に歩いて行った。

 

 一応念のため残ったメンバーでごみがないかを確認する。

 

「じゃあ、俺たちも帰るか」

 

『はい!』

 

 俺たちは来た道を引き返すようにして駅に向かう。

 

 ちなみに行きは俺とスズカが先導する感じだったが、今は中学生組が先導している……いや、楽しかったから足が弾んでいるって感じかな。

 

 実際今日楽しかったことをみんなで話している……そんな楽しそうなみんなを見ていると、なんかこっちもほわほわした気分になる。

 

「今日は楽しかったね」

 

「……あぁ」

 

 隣にいたスズカの問いに俺は答える。

 

 今日はとても楽しかった……まぁ今回は色んな偶然が重なったからこそ、素晴らしい花見になったんだと思う。

 

 だからもうここまで豪華で楽しい花見はないかもしれない。

 

 ……でもこう思ってしまう。

 

「来年もやりたいな……花見……」

 

「やれるよ……春は、来年も来るんだから……」

 

「うん……そうだね」

 

 今年よりは劣るかもしれないが、来年もこのメンバーでわいわいと楽しく花見がしたい……そう思ったのだった。

 

 

 




・ガチャが爆死ン爆死ン爆死ーン!(やっぱ辛えわ……)

・次回は勝負服のお話をする”予定”です。


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勝負服に込められた別世界の残滓/マ子にも衣装

 前回のあらすじ:チーム・スピカとマックイーンは楽しくお花見をした! そして玲音はまた来年もみんなでやりたいと思うのだった。

・UA55,000・56,000・57,000・58,000を突破しました。ありがとうございます!

・1話と2話のUAが10,000以上突破していました。本当にありがとうございます。



 スペの初めてのG1……そして三冠ウマ娘になるための初戦、皐月賞まで残り数日になった。

 

 スペは弥生賞から1ヶ月間、さらに成長した。

 

 今回特に多めに行ったのは走行フォームの徹底……鏡や動画など色んなものをフルに活用し、スペの走行フォームを固めた。

 

 その時はスズカも一緒も付きっ切りで指導してくれたこともあり、スペの走りは弥生賞の時とは見違えるくらいに良くなった。

 

 さらにしっかりと走り込んでいるのでスタミナやスピードも申し分ない……今のスペは最高の状態に仕上がっていると俺は思う。

 

 でもそれはライバルたちも同じだ。

 

 特に弥生賞では勝てたセイウンスカイ……この前先生に頼まれて偵察に行ったが、彼女もかなり状態はいい。

 

 特に坂路ダッシュの速さは弥生賞と比べるとかなり早くなっている……走るリズムが変わったような気がするが、まぁそれは気のせいだろう。

 

 そして忘れてはいけない娘がキングヘイローだ。

 

 彼女もおそらく皐月賞のために仕上げて来ているはず……実際この前刊行された日刊ウマ娘では「キングヘイロー調整は万全!」と書かれているレベルだ。

 

 それに弥生賞では4バ身差とはいえ3着に入ったのだ……その実力は偽物ではない。

 

   ・ ・ ・

 

「でぇわぁ、これで終わりますぅ……ごおおぉおれえぇえい」

 

「起立、気をつけ、礼」

 

『ありがとうございました』

 

 ふぅ……と息を一回ついて、俺は自分の席に再び座る。

 

 やっぱり数学って難しい……苦手な教科だから時間の進みも遅く感じる。

 

「よっしゃ! お昼だ!! 早く食いに行こうぜ谷崎!」

 

「どうした尊野、やけにテンション高いな……」

 

「尊野くん、この前激辛担担麺を頼んで食べきれなかったでしょ? あのリベンジに燃えているんだって……」

 

「あぁ……」

 

 道の言葉を聞いて、俺は最近トレセン学園の食堂に現れたランチメニュー、超激辛担担麺のことを思い出す。

 

 それはある辛いものが好きなウマ娘が「もっと辛い料理が欲しいデース!」と食堂の人たちに言ったことがきっかけと言われている。

 

 食堂の人たちは最初そのウマ娘に一番辛くしている麻婆豆腐では辛さが足りないか聞いてみた。

 

 するとそのウマ娘は全然足りない、後数十倍は辛くして欲しいと答えた。

 

 食堂の人たちは頭を抱え悩んだが……そこに1人、自ら名乗り上げた人がいた。

 

 その人は昔、超有名な中華料理店で働いていた元料理人であり、また同時に激辛の巨匠と言われるくらい激辛料理を作るのを得意としていた。

 

 そんな人が……十数年ぶりに本気を出したのだ。

 

 四川唐辛子、糸唐辛子、山椒をたっぷりと使い、時間が経てば経つほど麺が特性スープを吸いこの世とは思えない辛さになる。だからと言って早く食べようとすると唐辛子と山椒のダブルコンボで口の中が大火事状態になってしまう。

 

 しかしそこで水を飲んでしまうと舌が洗われてしまい、次の一口が数倍辛くなるという罠もある。

 

 そして尊野はまさにそれをしてしまい、食べ切る前に再起不能(リタイア)になった。

 

 ついでに「そんなに辛いのか〜?」とふざけ半分でスープを飲んでしまった俺と道も地獄を見た。

 

 なんか1人の老人と1人の若い女性がいるベル何とかルームって言う空間に飛ばされて、そこでタロット占いをしてもらう夢を見るレベルだった。

 

「あれをまた食べるのか……あいつは永夢ゥ! なのか?」

 

「なんでそこだけ強調? まあでも、Mなんじゃないかな……」

 

「お前ら何コソコソ言っているんだ? さっさとイクゾー!」

 

 そう言って尊野は教室から出て行き、先に食堂に向かった……でももうあいつ1人でいいんじゃないかな。

 

 まあそういう訳にもいかないから、俺と道は尊野を追うように教室から出たが、俺は出た瞬間に足を止めてしまった。

 

 その理由は……柱に体を預け腕を組んでいるうちのトレーナーが居たからだ。

 

「おっ、やっと来たか」

 

「先生……どうしたんですか?」

 

「いやあ本当はメールでも良かったんだが、携帯のバッテリーが切れてな……だから口頭で伝えに来たんだ」

 

「……それで、用件はなんですか?」

 

 俺は道に先に行っててと言おうかと思ったが、道は少し離れたところでこっちを待っている。

 

 それだったら早く用件を聞いて、道を待たせないようにしよう。

 

 だが最近の先生の用件は結構重要な用件であることが多い。だから俺は少し体を強張らせる。

 

「実は……お前に今日行って欲しいところがあるんだ」

 

 そう言いながら先生はポケットから何か小さな紙を取り出し、それを俺に差し出す。

 

 俺は受け取ってその紙を見てみると『Good-by Weak Self 予約No.19950502 』と書かれていた。

 

「……あの、これは?」

 

「玲音、一つ問題だ。ウマ娘がGⅠレースに走るに至って、必要なものはなんだと思う?」

 

「えっ……?」

 

 俺は先生の問いの答えを考えてみる。ウマ娘に必要なもの……それはやっぱりスピード・パワー・スタミナ・やる気とかだろう。

 

 でも先生は”GⅠレース”でと指定している……じゃあそういう身体的なものではなく、もっと具体的なものなのだろうか。

 

 ……ダメだ、全然分からん。

 

「は〜い時間切れ〜……GⅠレースで必要なもの、それは勝負服だ」

 

「……勝負服?」

 

 ……そういえばスペやスズカ、チームのみんなが出ていたレースは基本体操服だったが……トレセン学園のHPに乗っている殿堂ウマ娘の一覧に載っているウマ娘はなんか独特な服を着ていたな……もしかしてあれのことか?

 

「GⅠレースでは勝負服を着ることが常識だ……そしてスペはまだそれを持っていない」

 

「じゃあその紙って……」

 

 俺は何となくだが、この紙がどんな紙で……そして先生が俺にさせたいことが何なのかが分かった。

 

 つまり、スペが着る勝負服の受け取りを俺に任せたいのだろう。

 

「頼めるか?」

 

「はい……!」

 

 俺は強く頷く、先生はそれを見て教員室の方へと戻って行った。

 

 そして俺は道と一緒に食堂に向かったのだった……辛さでキボウノハナー状態になっている痙攣した尊野がそこに居たのだった。

 

 あ〜、やっぱり今回もダメだったよ……。

 

   ・ ・ ・

 

「え〜っと、確かここら辺のはずなんだけど……」

 

 放課後、俺は先生に言われた通り勝負服を受け取るため、電車に乗って少し遠く(だいたい30分くらい)の町へとやってきた。

 

 この町は高級住宅街として有名であり、近くにはとても有名な大学が建っている。(まぁ、東京は有名な大学が多いが……)

 

 そんな高級住宅街にあるお店……一体どんなお店なんだろう。とても気品に溢れているのだろうか。

 

 そんなことを思いながら高級住宅街を歩く。結構高級住宅街って静かなんだなぁ。

 

 だけど時々前からやって来る車や停めてある車は外国の高級車だったり国産のハイグレードの車だったりと……いつもセダンや軽自動車しか見ていない俺からすると、ここは別世界だ。

 

「……あった」

 

 看板に書かれていたロゴと紙に印刷されているロゴを何度も確認して確信する。

 

 ここが『Good-by Weak Self』……青を基調とした落ち着きのある建物……ショーウィンドウにはマネキンが飾られており、そのマネキンは様々な勝負服を着ていた。

 

 フリルがあって可愛いものもあれば、マントみたいなものが付いていて勇ましそうなものもある。

 

「へ〜……勝負服って結構凝っているんだなぁ」

 

 気がつけば俺はショーウィンドウにへばり付いて食い入るように見ていた。

 

 だが、本来の目的も忘れてはいけない……俺はお店に繋がっている扉を開ける。

 

 カランカランっとドアベルの音が軽快に鳴り、前を見ると……そこにはウマ耳の生えた女性がカウンターに立っていた。

 

「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

「あの、勝負服の受け取りに来ました」

 

 そう言いながら俺はポケットに入れていた予約の紙を取り出して、カウンターにいる女性に渡す。

 

 女性はカウンターに置いてあったパソコンでその予約番号を入力する。

 

「スペシャルウィークさんの勝負服ですね、少々お待ちください」

 

 女性はそう言うと店内の奥に入っていた。

 

 ふと気になるものが視界の端に映ったので、俺はそっちの方に体を向けた。

 

 それは恐らく、このお店で勝負服を頼み……そしてレースに勝ったウマ娘の写真。

 

 その中で俺は……人差し指・中指・薬指の3本の指を空に向かって高々と掲げているウマ娘の写真に目を奪われた。

 

 そして写真の下には『〇〇・三冠達成』と書かれたプレートがあった。

 

 三冠……それはもうすぐ、スペが挑むものだ。

 

「……」

 

 俺は想像してしまった……スペが次の皐月賞を取り、続けて日本ダービー、そして菊花賞を優勝していく。

 

 勝つ度に空に向かって掲げる指が増えていき、最終的に3本になるという想像……いや未来を想い描く。

 

 正直に言えば、練習や調整は先生がやっているから、俺がスペの夢を手伝えることはあまりない。

 

 だからこそ、こういう小さなことでもスペの夢に関われることはとても嬉しい事だ。

 

「お待たせ致しました……こちらがスペシャルウィークさんの勝負服になります」

 

 写真を見ていると奥から女性が手にスペの勝負服を持って、店の奥から出てきた。

 

 折り畳まれ透明な袋で包装されているその勝負服は、白を基調にしアクセントとして濃い紫と薄い紫を使っている。見た瞬間としては可愛らしいと思った。

 

 だがそう思うのとは別に俺は一つの疑問が浮かんだ。

 

「……あの、少し良いですか?」

 

「何でしょうか?」

 

「……ウマ娘たちはこんな走りにくそうな服で、ちゃんと走れるんでしょうか……」

 

 自分は一応スポーツに精通している。だからこそ浮かび上がってきた疑問を……店員の女性に問いかけてみる。

 

 スポーツなどでは動きやすい素材・デザインのユニフォームを着るが、このウマ娘の勝負服はそういう走りに向いているような服じゃない。むしろ逆、ズボンではなくスカート……それにフリルも付いている。

 

 普通に見たら、これはとても走りずらい服だ……だがショーウィンドウに飾られている服に速さや空気抵抗を追求したような服はなかった。

 

 つまりこれくらいが勝負服としては普通なんだろう。

 

「……あなた、トレセン学園のトレーナー学科の生徒よね?」

 

「は……はい」

 

「教えて上げる……勝負服がどんなものかね」

 

 そう言うと女性はカウンターから出てきて、ショーウィンドウの方へと向かう。

 

 そして話し出す……勝負服のことを……。

 

「GⅠと言う晴れ舞台っていうのもあるけど……勝負服にはね、不思議な力が込められているのよ」

 

「不思議な……力?」

 

「あなたはウマ娘がどんなものか知っているかしら?」

 

「えっ? ……ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る娘たちのこと……です」

 

 自分で言っときながら不思議に思った。

 

 別世界の名前と共に……っと言われているが、別世界なんてあるのか?

 

 その言葉が本当だったら一部の人はこの世界以外の世界を認識しているってことだが……あんまり深く考えてはいけないのかな……。

 

「そう、彼女たちは別世界の名前を受け継いで走っている……でもね、その別世界ではトレーナーとはまた違うパートナーが居たとされているの」

 

「パートナー?」

 

 ウマ娘は当たり前のことだが、1人で走っている訳ではない。チームのみんなで切磋琢磨し、そしてレース前にはトレーナーがその娘の調整を行う。

 

 だがトレーナー以外のパートナーとなると、どんな存在なんだろうか……全然想像できない。

 

「その別世界ではね、そのパートナーと一緒にレースに出て、二人三脚で勝利を目指すのが当たり前なの」

 

「……」

 

「勝負服にはね、そのパートナーの魂の残滓が込められていると言われているの……そして彼女たちの心の奥に眠っている別世界の自身の魂も共鳴し合い、いつも以上の力が発揮できる……それが勝負服よ」

 

 そう言いながら、女性はマネキンに着せている勝負服を撫でた。

 

 別世界のパートナーの魂の残滓……それがウマ娘たちにとって大きな力となる。

 

 勝負服というのがどれだけウマ娘にとって大切なものか分かり……そしてその受け取りを行うというのはとても重要なことだという事に今俺は気付いた。

 

 もしかして先生、これを分からせるために俺を受け取りに行かせたのか?

 

「良いことを教えて上げるけど、学生の見習いトレーナーがここに来ることなんて滅多にないのよ」

 

「そうなんですか?」

 

「勝負服の受け取りはトレーナーやそれを着る娘にとっても大切なこと……それを任されるなんて、あなたがお世話になっているチームのトレーナーさんはよほどあなたの事を信頼し、そして経験を積ませているわね」

 

「……」

 

「その勝負服、ちゃんと届けなさい」

 

「はい……ありがとうございます!」

 

「またのご来店お待ちしています」

 

   ・ ・ ・

 

 俺はスペの勝負服を持ってお店を後にし、トレセン学園へと戻った。

 

 俺は勝負服をトレーナーに渡し、いつもみたいに練習に混ざり、そして解散し……そして次の日、皐月賞がいよいよ明日に迫っていた。

 

「さあ明日はついに皐月賞だ」

 

「はい!」

 

「GⅠレースは最高峰のレース。だから普段とは違って、勝負服で走る事になる……特注だぞ、さぁ着てみろ?」

 

「わぁ……! わ、私のために? ありがとうございます!」

 

 練習が終わった後、先生はみんなを部室に集めスペに勝負服を渡した。

 

 それを見てウオッカとスカーレットは「いいな〜……」と羨ましそうな目を向けるのだった。

 

 さらにその場でスペに着替えてもらった。あっ、着替えの時はもちろん部室から出ましたよ? 先生はゴールドシップに「お前も出てけよ」と言われるまで全然出て行こうとしなかったが……。

 

「お〜いいね〜!」

 

「「いいな〜……」」

 

「似合ってるじゃねぇか!」

 

「マ子にも衣装だな」

 

 各々がスペの勝負服姿を見て感想を言う。

 

 俺も何か言おうとしたが、その前に気になった言葉が出てきたので、俺は先生に聞いてみる。

 

「あの、先生……『マ子にも衣装』ってどう言う意味ですか?」

 

「あっ、私もちょっと気になってました」

 

 どうやらスペもその言葉の意味について知りたかったらしい。

 

「知らないのか? ウマ娘の子供のように可愛らしいものに衣装を着せれば完璧だという意味だ。近いものなら「鬼に金棒」みたいなものだな」

 

「……確かに、その通りですね」

 

 マ子にも衣装の意味が分かったので、俺は体をスペの方に向け、素直な感想を言う。

 

「似合っているよ、スペ」

 

「あ、ありがとうございます! すごく嬉しいです! ……っ?」

 

 スペは感謝の気持ちを言った後、なぜだか手を後ろ回している。

 

 それになんか……ブチッという音が聞こえたような……まっ、気のせいか。

 

 そしていよいよスペの夢の最短ルート、三冠ウマ娘になるためのクラシック初戦が……幕を開ける!

 

 

 




・お店名はキングさんの母の名前+α、予約番号はスペの生年月日です。

・タウラス杯、オープンで出てAグループに進出できました。

・オークス楽しみですねぇ……。

・次回は皐月賞のお話です。


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憧れがいるから 〜皐月賞・前編〜

 前回のあらすじ:玲音、勝負服の意味を知る。

・UA59,000・60,000・61,000・62,000、お気に入り700件を突破しました。皆さま、ありがとうございます!

・途中、本編では行っていない会話が入りますが、目を瞑って下さると有り難いです。


 皐月賞……それはクラシック三冠競走の初戦にあたり、満開の桜が少しずつ葉桜になり始めていく4月上旬に中山レース場で開かれる芝2000mのレース。

 

 レース名は「皐月」と昔の日本の暦では5月という意味だが、これは俺らが生まれる前は5月にレースが開催されており、そのときの名残が残って皐月賞という名前になっている。

 

 そしてこのレースは「最も速いウマ娘」が勝利を掴み取ると言われている。

 

 実際この皐月賞で好走したウマ娘は短距離路線や三冠路線関係なく一定の成果をあげている。

 

 だから多くのウマ娘にとってこのレースは、今後のレース人生を左右するとも言えるくらい大切なレースになる。

 

 殆どの栄光への歩みは……ここから始まる。

 

   ***

 

「うげ……ミスった〜」

 

 俺はいつも通り朝起きて、モーニングルーティンであるコーヒードリップをする。

 

 ただ今日は珍しくドリップをミスってしまった。そのせいで酸味がエグい……。

 

 しかもこのコーヒー豆は特別な日にしか飲まない、言わば勝負メシならぬ勝負ドリンクなのだ。

 

 なのに失敗してしまった……嫌なことが起きる前兆ーーー

 

「な〜んちゃって! 酸味がエグいならミルクを入れればいいじゃない!!」

 

 そう言って俺は冷蔵庫からジャージー牛の牛乳を取り出す。

 

 ジャージ牛とは簡単に言ってしまえば国内では珍しい牛だ。

 

 色はよく見る黒白(ホルスタイン種ってやつ)とは違い、茶色……そしてジャージ牛が出す牛乳はホルスタイン種が出す牛乳よりも栄養成分が多く、濃厚な風味とコクが味わえる。

 

 ちなみにコーヒーに牛乳を入れるとカフェオレになるのだが、比率としてはコーヒーと牛乳を1:1が一番美味しい気がする。

 

 人によっては「それってコーヒー牛乳じゃねえか!」と言われそうだが……元々コーヒーっていうのは砂糖やミルクを入れることを前提した飲み物であり、それをブラックで飲み始めたのは紛れもない日本である。

 

「……うん、美味い!」

 

 こんなにカフェオレが美味しいんだ……今日はいい日になりそうだな。

 

 そうしてカフェオレを飲みながらトーストなどの朝食を食べ終え、俺は出かける準備をした。

 

   ・ ・ ・

 

 今日は誰と会うのか……それとも会わないのか……俺は少し辺りを見回すように歩きながら集合場所の駅を目指す。

 

 今日は日曜日ということもあってか、平日より人は多い。バードウォッチングを楽しむ人たち、ランニングや愛犬の散歩をしている人たち。

 

 そんな中、見知った後ろ姿が俺の視界内に入った。

 

 俺は走ってその後ろ姿に追い付こうとする。

 

 少しずつその背中は大きくなっていく……これで似た容姿の別人だったら恥ずかしいにも程があるな。

 

 そして向こうはこっちに向かってくる足音に気づき、足を止め振り返った。

 

「あっ、レオくん」

 

 こっちを見ながら小さく手を上げるスズカ、俺はそれに応えるように走りながら大きく手を上げる。

 

「はぁ……はぁ……お、おはよう、スズちゃん……」

 

「おはようレオくん、そんなに急がなくてもよかったのに……」

 

「スズちゃんの後ろ姿見つけたらさ、走らずにはいられなくてね……ははっ」

 

 全力で走ってバクバク鳴っている心臓を落ち着かせるため、ゆっくり歩きながら息を整え酸素を身体中に巡らせる。

 

 スポーツはしていたとはいえ、やっぱ全力疾走は疲れるなぁ。

 

「ふぅ……それじゃ行きますか」

 

「うん」

 

 そうして俺とスズカはまた歩き出す。

 

 なんか話そうと思ったが中々話題が出てこず、結局そのまま無言で隣を歩くだけになってしまった。

 

 でもそれだけで心が満たされるというか、無理に話さなくても隣にスズカがいるだけで気持ちが晴れやかになる。

 

 そして向こうも同じことを思っているのか、ウマ耳が少し横に向いて、しっぽも大きくは無いものの左右上下にゆらゆらと揺れている。

 

 そんな感じに時間が過ぎていき、集合場所の駅が見えてきた時にふと思ったことがあった。

 

「そういえばスズちゃん、スペはどんな感じだった」

 

「気合が入ってたわ……今日だって同室である自分を置いて外に出たくらいだったから……」

 

「ははっ、それなら気合の心配はなさそうだ」

 

 てっきりスペのことだから、緊張で体がガチガチになっていると思っていたが、違うなら大丈夫そうだな。

 

 あれでも、いつもは寝すぎでよく遅刻しそうになっているってスズカから聞いたことがあるが、そんな早く起きしてしまうのはある意味皐月賞に緊張しているからなのだろうか……。

 

「そう言えばスズちゃんの皐月賞ってどんな感じだったの?」

 

「……」

 

 それはとても自然で、そこまで差し障りのない話題を選んだつもりだった。

 

 しかしその思惑とは裏腹に、スズカは暗い表情を浮かべて俯いてしまった。

 

「……出たことないの」

 

「……そっか、ごめん」

 

「ううんいいの……自分でもあの時のことは不可解なことだったから」

 

「不可解な、こと?」

 

 俺がそう言うと……スズカは静かに自分の過去を喋り始めた。

 

「リギルに入った後、私はトレーナーさんから三冠ウマ娘を目標として、その前哨戦の弥生賞に出走した……でも自分のゲートインが済んだ後に、私はゲートをくぐってその場から逃げ出した……」

 

「えっ、逃げ出したって……なんで……?」

 

「当時の自分にとって、レースの緊張感というのは今までに感じたことのない負の感情の塊だった。緊張感によって呼吸が乱れ、世界は歪んで見え、自分が今自分の足で立てているのか平地に足を着けているのかさえ分からない……その感覚が怖くなって、私は逃げたくなった」

 

「……」

 

「スペちゃんはここまで逃げずに来れたのだから……スペちゃんの方が私よりすごい」

 

 そう言うスズカの声音はどこか自傷を厭わないような冷たいものだった。

 

 自分はそこまではなった事ないが、何と無く分かる。

 

 サッカーをやっていた時、初めてベンチメンバーからスタメンに選ばれ「活躍しなければ」という思いが体を巡ったが、それが却って体の自由を失くした。

 

 卓球では一生に一度であろう市内の決勝戦、会場は相手選手を応援し自分は完全に孤立、熱気や歓声もあり今いる場所がどこなのか分からなくなったことがあった。

 

 スズカはそれらよりも重いプレッシャーに責められたのだ……それがどれほどの苦痛なのかは想像だけはできるが、その想像など上回るくらいの苦痛を負ったのだろう。

 

 だけどスペがすごいのは……緊張に強いとかそういうところではないと思う。

 

 きっと、それは……。

 

「それは違うよスズちゃん」

 

「違うって何が?」

 

「スペが強いのは……スズちゃんがいるからだよ」

 

「私がいる……から?」

 

「まぁ、日本一になるっていう大きな夢を持っていることも理由の一つだろうけどな」

 

 そう言いながら、俺は弥生賞の時のスペシャウィークの言葉を思い出していた。

 

 「スズカさんには言わないでくださいね!」と釘を刺されているが、別に言われても刺されたりはしないだろう。

 

「弥生賞の地下バ道で話してくれたんだけどな、スペはスズちゃんの走りに憧れて走っているんだってさ」

 

『初めて行ったレース場でやっていたのがスズカさんレースだったんですけど……そこで見たスズカさんはすごくキラキラと光っていて……私、あんなウマ娘になりたいんです!』

 

 俺は弥生賞でスペが言っていたことを(記憶で覚えている限りできるだけ正確に)口に出す。

 

「スペちゃんがそんなことを?」

 

「あぁ……だからスズカは今のままでいいんだよ。今は誰も寄せ付けない最速のウマ娘だろ?」

 

「さ、最速は言いすぎな気が……でも、ありがとうレオくん」

 

 先ほどよりは明るい顔になったスズカ……そしてそれと同時に集合場所に着いた。

 

 そこには既に先生とゴールドシップ、テイオー・ウオッカ・スカーレットが集まって……って、あれ、スペは?

 

「おはようさん……ってなんだ? お前らスペと一緒じゃなかったのか?」

 

「えっ、スペちゃんまだ来てないんですか?」

 

「あぁ……てっきりお前らと一緒だと思ってたんだがなぁ」

 

 あれ待てよ……スペはスズカよりも早く寮から出て行ったんだよな。

 

 なのに遅くに来たスズカ(ついでに俺)よりも遅いなんてことあるのか?

 

「……まさか、何か事件に巻き込まれーーー」

 

「すみませーーん!!」

 

 不吉な予感が頭の中を過ぎり、その事を口に出し欠けた瞬間、俺たちが来た道の方向から声がした。

 

 その方向に体を向けると……そこにいたのは人参を口に咥えながら超全速力でこっちへ走ってくるスペの姿だった。

 

「「スペ(ちゃん)!?」」

 

「はぁ……はぁ……お、おはようございます皆さん」

 

 そう言うスペは明らかに息を切らしていた。

 

 ウマ娘が息を切らすということは、相当な距離を相当な速さで走って来たってことだ。

 

「スペ……お前走り込みを行ってたのか?」

 

「は、はい……皐月賞のことを考えてたら体を動かさずにはいられなーーー」

 

「バカ野郎!!」

 

 ここにいるチーム全員、そして周りを歩いていた通行人が先生の怒号を聞き先生の方を見る。

 

 俺ももちろん驚いていた。なにせあの先生がここまで大きな声を出すというのは初めてのことだったから。

 

「今日は大切な日なんだぞ、もし関係ないところで故障をしたらどうするつもりだったんだ?」

 

「そ、そんなドジは踏みません!」

 

「交通事故や足を挫くのはドジを踏まなくてもなってしまうものだ……それに集合時間に遅れるのも悪い」

 

 いつもはほんわかしている自分のチームのトレーナーが、見たことのないくらい真剣な顔で自分を叱り付けている。

 

 スペは自分がどれほどいけない事をやってしまったのか、トレーナーの声音で分かったらしい。しっぽとウマ耳が元気をなくし垂れ下がっている。

 

 そして先生はゆっくりとスペの方に近づいていき……スペの方に手を伸ばす。

 

 スペは叩かれると思ったのか、咄嗟に目を瞑る。

 

 しかし襲って来たのは何かを叩くような強い衝撃ではなく、何かが優しく頭の上に置かれたような感覚だった。

 

 目を瞑っていたスペはゆっくりと目を開ける。

 

 先生はというと……スペの頭をぽんぽんと優しく叩いていた。

 

「と、トレーナーさん?」

 

「気持ちは分かる。お前にとってはこれが初めてのGⅠレース、心と体が落ち着かないのは仕方ないことだ。だが、誰にも言わないでかつ時間に遅れることはもう無いようにな……またやりたいなら、俺に相談しろ?」

 

「は……はい!」

 

「まだ足はちゃんと残っているな?」

 

「もちろんです!」

 

「なら結構だ……チーム・スピカ、中山へ殴り込むぞ!」

 

『お〜!』

 

「お、お〜……」

 

 そして俺たちチーム・スピカ一行は隣の県にある今日の舞台、中山レース場に向かうのだった。

 

 

 




・「(厩務員さん……どこ?)」ってなっている弥生賞のススズを知り、もしウマ娘の世界でゲートくぐりを再現するとしたらどうなるんだろうと考え、書いてみました。

・次は後編の皐月賞レース編です。


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夢 8991 914 〜皐月賞・後編〜

 前回のあらすじ:チーム・スピカ、中山レース場に殴りこむ。

・UA63,000・64,000を突破しました。ありがとうございます!

・途中『馬』と言う漢字が出ますが仕様です、予めご了承下さい。


 俺たちチーム・スピカは学園の最寄り駅から中山レース場を目指して出発した。

 

 乗り換え数としては大体3回くらいで、途中新宿や秋葉原などを経由した。

 

 その道中、車内の案内表示装置で流れていた皐月賞の宣伝を見たスペが嬉しそうに尻尾を動かしており、その毛先が自分の手の甲にさわさわと触れてメチャクチャくすぐったかった。

 

 まぁ、そんな事は置いといて、俺たちは最後の乗り換えを済ませ、後は最寄り駅である西船橋まで座っているだけだ。

 

 ……と行きたかったのだが、座席に座れなかったのだ。

 

 それはなぜか……だって今この車内はかなりの鮨詰め状態だからだ。

 

「こんなに人来るとか……聞いてませんよ先生〜!」

 

「GⅠはこれくらいが普通だ。入場者数は10万は行く」

 

「「10万!?」」

 

 俺の隣にいたスペもその入場者数を聞いて驚きの声を上げる。

 

 だってテレビでよく聞く「〇〇ドーム何個分」っていうフレーズが使われるあの野球ドームでも確か55,000人くらいだったはず……その約2倍の人たちががレース場に集まるのか!?

 

「確か去年の日本ダービーが過去最高の18万人を記録していたな」

 

「「じゅ……18!?」」

 

 またしてもスペと声が被りながら驚きの声を上げる。

 

 あの東京レース場に18万の観戦客が……俄には信じられないが、先生が言っているなら間違い無いだろう。

 

 それにしても、スペはそんな大観衆の前で走るのか……すごいな。

 

「私、今日そんなところで走るんですね……」

 

「確かにプレッシャーはあるだろうが、お前の夢は日本一なんだろ? だったら早く観衆に慣れたほうがいい」

 

「は、はい」

 

 そう言うが、話を聞いてから尻尾を両脚の間に挟んでいるスペ……確かウマ娘がこうする時は恐怖や緊張している場合だったはず。

 

 しかし無理もない。急に10万人の前で走れなんて普通は萎縮するに決まってる。

 

 そんな様子を見て、俺はスペを励まそうと声を掛けようとするが、中々言葉が浮かんでこない。

 

 自分が心の中で頭を抱えながら考えていると、スペを挟んで反対の方にいるスズカがギュッとスペの左手を握っていた。

 

 スペは急に手を握られて少し動揺していたが、少しだけ自分自身も握る手に力を入れる。

 

「大丈夫よ、スペちゃんはあんなに頑張っていたんだから……自信を持って走って……!」

 

「スズカさん……はい!」

 

 ……どうやら自分が声をかける必要はなさそうだ。

 

 確かにスペはスズカに憧れているし、声を掛けるならスズカが適任だな、うん。

 

「レオくんも何か言いたいことがあるんじゃないの?」

 

「……この流れ前もあったな〜」

 

 ほらスペもなんか期待するような目で見て来るよ……やめてくれ、そんな純粋無垢でピュアな目で俺を見ないでくれ、言うこと全然頭に入っていないから……。

 

「そうだな。スズカの言う通り、スペは練習を頑張ってきた……それは俺が近くで見てたから分かる」

 

「……」

 

「だけど俺は別に『勝ってこい』とか』『ぶっちぎってやれ』とか言う気はない」

 

「えっ? じゃあ何を言ってくれるんですか?」

 

 確かにここはスペを鼓舞するような、あのメイクデビューの時みたいな熱い言葉でもいいかなとは思ったが、それは今の俺が本当に言いたい言葉ではない。

 

「勝っても負けても……悔いのないレースをやれ」

 

「悔いの……ない」

 

「後でこうしてば良かったって言い訳をしないように、自分自身の力を限界まで出し切れって事だよ」

 

「つまり……全力でやれって事ですか?」

 

「Exactly!」

 

 某ホラー映画に出て来るピエロ風に声を変えて俺はそう言う。

 

 まぁネタが古い&マイナーだったこともあり、スペやスズカは全然気付かなかったが……。

 

   ・ ・ ・

 

 中山レース場の最寄り駅である西船橋駅に着いた後、臨時バスで中山レース場に向かう。

 

 ここではスペだけ座席を取れ、レース前にちょっとでも体力を温存をさせる。

 

 それにしても、ここまでバスの中がぎゅうぎゅうなのは中々ない経験だな……ちょっと息苦しいかも?

 

 叔父さんの家は東京の中でも田舎の方にあたる街にあったから、人混みって言うものとはほぼ無関係な人間だった。

 

 だからちょっとだけ、人混みに酔っているかもしれない……。

 

「レオくん……顔色悪いけど、大丈夫?」

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

 とは言うけど、ちょっとキツイかも……。

 

 そう言えばバスもあんまり得意ではなかった。しばらく乗っていなかったから忘れていた。

 

「れ、玲音さん。席座りますか?」

 

「いや、いいよ……スペはレースがあるんだから、ちょっとでも体力は温存させないと……」

 

「……いえ」

 

「っ? うおっ!?」

 

 スペがなにか小さく呟いたのが気になり、体をスペに近づけたその瞬間、スペは俺の右手首を掴みながら席を立ち、座席に押し付けるようにして無理やり俺を座らせた。

 

 俺は慌てて席を立とうとするが、弱った体は思った以上に力が入らない。

 

「やっぱり玲音さんは休んでください……ちゃんと見てもらいたいですから……」

 

「……分かったよ」

 

 スペの尻尾とウマ耳が元気がなさそうに垂れ下がっていたので、本気で心配されているんだと分かった。

 

 だったらこれ以上心配させないためにも、今の俺がする事はスペの言う通りにして少しでも体調を良くすることだ。

 

「ふぅ〜……」

 

 自分は深く息を吐き、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

   ***

 

「(ガコンッ!)」

 

「(ワーー!!)」

 

 後ろの方からゲートが開く音と有り得ないくらい大きな歓声が聞こえて来る。

 

 俺は後ろを振り返るが……見えるのは真っ白な背景。

 

 そんな時だった……辺りがまるでイラストがその場で描かれていくかの様に背景が描かれ始めたのだ。

 

 シャーペンや鉛筆みたいなもので周りの輪郭が出来ていく。

 

 そこで分かったのは、周りには人がおり、その手には紙みたいなものを持っており、みんなある一点を見つめていた。

 

 俺もその方向を見てみる。

 

 そこにいたのは墨で描かれた四足歩行の謎の生物……それが十何頭も走っており、走る度に墨が飛び散っている。

 

 そんな不思議な光景を見ていると……その生物たちがレース場で言う第4コーナー辺りに差し掛かった。

 

 そしてその瞬間から、世界が色付き始めた。

 

 まるで絵の具を塗るかの様に……謎の生物がゴール板に近づく度にその周辺は色が付き始めている。

 

 ターフの綺麗な緑、晴れ晴れとしているコバルトブルーの空、観客たちの様々な色の服。

 

 これは……現実なのか? そう思えるくらいの色だった。

 

『さぁ先頭はセイウンスカイ! 2馬身のリードをキープ!』

 

「いけぇ! セイウンスカイ!!」

 

「来るな来るな来るな!!」

 

「キングヘイロー!! まだ行けるぞー!!」

 

「……」

 

 四足歩行の謎の生物に向かって観衆は声を上げる。

 

 というか待て、セイウンスカイに……キングヘイロー?

 

 あの四足歩行の生物があの娘たちと……同じ名前?

 

 じゃ、じゃあまさか!

 

 一つの可能性を考える内にセイウンスカイと呼ばれている謎の生物はゴール板まで残り200mを切っていた。

 

『キングヘイローがその差1馬身に詰めてきた! ”スペシャルウィーク”は3番手! セイウンスカイ粘って粘ってゴールイン!!』

 

「(ワアアアァァーー!!)

 

「うおっしゃああ!! 当たったぞおお!!」

 

「どおおして! そこで粘らねえんだよクソが!!」

 

「……」

 

 なんだ……これは……?

 

 レース場に似た場所、紙を片手にあの娘たちと同名の謎の四足歩行生物を見守る観衆たち、頭上にばら撒かれる紙屑。

 

 そして何より……ウマ娘のレースとは違う。あの観衆たちの視線、声、仕草。

 

 まるでその生物に人生を賭けているかのような……そんな気迫。

 

 泣いて喜ぶ人も居れば、絶望で泣き叫ぶ人もいた。

 

 この世界は……なんなんだ?

 

   ***

 

「ん、ん〜……あれ、俺は……」

 

「よっ、目ぇ覚めたか?」

 

「……ゴールドシップ?」

 

 なんでゴールドシップの顔がこんな近くに……てか、俺何をしていて……。

 

 そう思い、俺は辺りを見渡す。

 

 ……俺はゴールドシップにおんぶされてた。Why?

 

「お前、あのバスでそのままグッスリ眠っちまったんだよ。だからこの優しいゴルシちゃんがお前を背負ってやったって訳よ」

 

「眠って……っ、今何時くらいなんだ!?」

 

「安心しろ、丁度いいタイミングで目が覚めたからな」

 

 ゴールドシップがそう言った瞬間、中山レース場にファンファーレが鳴り響く。

 

 って事は……丁度出走時間って訳か。

 

 ゴールドシップは俺を地面に下ろしてくれる。

 

「大丈夫そうか?」

 

「あぁ、ありがとうゴールドシップ」

 

「お代金はゴルシちゃん呼びで許してやるよ!」

 

「それは安いな」

 

 俺がそう言うのと同時にファンファーレは終わり、徐々にウマ娘たちがゲートに入っていく。

 

 スペは……大外か。

 

 ゲートインが完了し、中山レース場に一時の静寂が訪れる。最近、この静寂も楽しめるようになってきた。

 

 まだか……まだか……気持ちだけが先行する。

 

「(ガコンッ!)」

 

「(ワーー!!)」

 

 ゲートが開かれ、レースがスタートした!

 

 スペは後ろから4番手くらいに着き、足を貯めている状態だ。

 

 この流れとしてはこの前の弥生賞と同じ形になる……が、俺が視界に捉えていたのはスペではない……その前、今のところ先頭集団にいる2人のウマ娘、キングヘイローとセイウンスカイ。

 

 あの夢を信じる訳じゃない……だけど、あんな偶然があるのだろうかという思いがずっと俺の心の中で彷徨っている。

 

 実際、今日のあの2人は調子が良さそうだ。

 

「弥生賞と同じような展開だな」

 

「って事は坂を登った後の直線勝負ね!」

 

「ねぇ、またあの追い込みが見られるのかな玲音?」

 

「……」

 

「あれ、玲音?」

 

「……レオくん?」

 

 レースは後半、第4コーナーに差し掛かる頃だ。

 

 仕掛けるとしたらそろそろだが……スペの顔を見ると仕掛けようとしている。

 

 だが、それよりも先に動いた娘がいた。

 

 ーーーセイウンスカイだ。

 

 坂に入る残り数十mのところで一気に外に広がる事で前を開け、スパートをかけた。

 

 先に仕掛けられたスペは続くように仕掛ける。

 

 そして2回目となる心臓破りの坂だが……セイウンスカイは全然スピードを落とす気配は無かった。

 

 いや、むしろ早くなっている。

 

 スペもその事に気付いたのか、視線をセイウンスカイの後ろ姿から登った先のターフに変える。

 

 前と同じように坂を登り切った後の直線で勝負するつもりだ。

 

 順位は1番手セイウンスカイ、続いてキングヘイロー、そしてスペシャルウィーク……。

 

 ついさっきまで見てた夢と……同じ。

 

 そんなことを思っているとスペが坂を登り切り、スパートを掛ける……が、追いつけない。

 

 前のセイウンスカイはここで一杯になっていたが、今のセイウンスカイはちゃんと足も残っている。

 

 そしてそれは2番手のキングヘイローにも言えることだった。

 

 スペは歯を食いしばり、目をきつく瞑り、腕を大きく振る……が、それでもスペのスピードは上がらずセイウンスカイどころかキングヘイローにも届かない。

 

『セイウンスカイ! 粘って粘ってゴール!! 2着はキングヘイロー! スペシャルウィークは3着に敗れました!』

 

 この瞬間、スペの初めて敗北……そして、三冠ウマ娘の可能性はなくなった。

 

 チーム・スピカのみんなはウマ耳を垂れ下げ、先生は静かに目を瞑るのだった。

 

 

 




・オークス、楽しみですね。

・キャラガチャが爆死ン……。

・次回はレース後の話をちょろっとする予定です。


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皐月賞の後、2人の決意

 前回のあらすじ:スペシャルウィーク、皐月賞3着に敗れる。


 皐月賞が終わった後、俺とチーム・スピカのみんなはスペを励ますために地下バ道へ向かった。

 

 しかし、その時点で1人その場にいなかった。

 

 それは……先生だ。

 

 いつ離れたのかは分からないが、地下バ道についた後ゴールドシップが気付いた頃にはもういなかった。

 

 スペにとっては初めての敗北だった。普通だったらチームのトレーナーが励ましたりとかするだろうに……なんで先生は消えてしまったんだろう。

 

「惜しかったな、スペ」

 

「最後まで諦めない姿はかっこよかったです!」

 

「……ありがとうございます」

 

 笑顔を作ってそう返事するスペだが、その声はとても弱々しい。

 

 ウマ耳と尻尾も明らかに元気がない。

 

「スペ……」

 

「玲音さん……私、負けちゃいました!」

 

「……」

 

「やっぱりセイウンスカイさん、そしてキングちゃんもとても速くて……全然敵わなかったですね」

 

 笑顔で、空元気をしていたスペだったが、その瞳には少しだけ涙が溜まっていた。

 

 俺はどう言えばいいのか、分からない。

 

 自分が卓球やサッカーをやってた頃……最初負けた時ってどんな気持ちだったっけ。

 

 正直に言ってしまえば勝ちよりも負けの方を多く経験している……俺の感性からしたら負けることは至極当たり前のことなのだ。

 

 だから負けた人に対して、何を言えばいいのか分からない……。

 

「……スペちゃーーー」

 

「あっ、すみません。私ウィニングライブの準備があるので失礼しますね!」

 

 そう言うと駆け足でウィニングライブの控え室の方へと向かうスペ。

 

 その後行われたウィニングライブにより中山レース場はかなり盛り上がったが……笑顔のどこかに悔しさを醸し出しているスペの表情を見ているとそんな気持ちにもなれなかった。

 

   ・ ・ ・

 

「……」

 

 帰りの電車では席に座ることができたので、俺は携帯のテレビ機能を使い、今の時間に行われているニュースを耳で聞く。

 

 

「続いてスポーツです。本日行われた皐月賞、栄光に輝いたのはセイウンスカイでした」

 

「……セイウンスカイ」

 

 テレビでやっていたのは7時に流れるニュースだったが、後半は基本スポーツのことが放送される。

 

 そしてそのスポーツの内容の中でも、今日行われた皐月賞はトップニュースになっている。

 

 ……そういえば今日見たあの夢でも、確かセイウンスカイが1着、スペシャルウィークは3着だったよな。

 

 あの夢と今回の皐月賞のレース結果が一緒……そんなことありえるのか?

 

 予知夢と言えば確かに予知は出来ているが……いや、あれは偶然だ。そうに決まっている。

 

 それとも俺はあの2人を偵察していた時点であの2人が勝つと……スペが負けるって、思っていたのか?

 

 もしそれが原因だとしたら……俺はチームの一員には相応しくない。

 

 仲間の勝利を……心の底から信じていなかったなんて……。

 

 いや、俺は信じていたはずだ……スペは今日勝って、その次もその後も勝って三冠ウマ娘になって、日本一と言われるくらい有名になるって俺は信じていたはずだ。

 

 なのに、あんな夢を見てしまった……。

 

「っ……くそ」

 

 俺は自然と手に力が入る。手のひらに食い込んで微かな痛みを覚えるが、それでも力は弱まらなかった。

 

 ……なんてしていると、突然ポスッと横から何かが小突いてくるような感触がした。

 

 俺はそっちの方向に顔を向けてみると、スペが目を瞑り寝息を立て、俺の肩を枕の代わりにしていた。

 

「すぅ……すぅ……」

 

「……」

 

 寝ていたのか……そりゃそうか。レースで全力を出し切って、最後までお客さんを楽しませるために精一杯踊っていたもんな。

 

 前まで棒立ちしていたのに、今ではちゃんと歌って踊っている。

 

 ほんと……よく頑張ったな、スペ。

 

 ……あっ、そっか。これをあの時に言えばよかったんだ。

 

 すごい簡単な言葉なのに、あの場で考えられなかったとか……自分もまだまだだな。

 

「……おかあちゃん……ってなかった、よ……」

 

「スペ……」

 

 寝言と一緒に浮かべた……悲しそうで、悔しそうな顔。

 

 寝ている時ではあるけど、自分に初めて見せた……スペの本当の表情。

 

 ツーッと溜まっていた涙が……頰に滴り自分自身の手の甲に落ちた。

 

 それを見た俺は……優しく、スペの頭を撫でる。

 

 そして、こう言った。

 

「ごめんな……スペ……」

 

   ・ ・ ・

 

 その後、俺たちは学園の最寄り駅に着いて、歩いて学園を目指す。

 

 スペはまたみんなを心配させないようにまた空元気になっている。

 

 そしてそれを分かっているからこそ、チームのみんなもいつも通りに接している。

 

 側から見ればウマ娘たちが楽しく学園に戻っているように見えるが、あの表情を見た後だと、非常に傷ましい光景に見えるのだった。

 

 そんなことを考えていると、別れる場所まで来てしまった。

 

「それでは玲音さん! また明日練習の時に!」

 

「またな、スペ、他のみんなもまた明日」

 

 俺はチームのみんなの後ろ姿が見えなくなるまで見送る。

 

 そしてその後ろ姿が完全に闇夜に紛れて見えなくなったので、俺はトレーナー寮に向かって歩き出す。

 

 ……と、その時だった。見覚えのある顔が俺の前に現れたのは。

 

「よっ」

 

「先生? ……あんた今までどこでーーー」

 

「話は後だ、それより着いてこい」

 

「着いてこいって……どこに?」

 

 先生は俺の隣を横通り、そして顔だけをこっちに向けた。

 

 その目は……見たことがないくらい真剣なものだった。

 

「スペが行きそうなところだ」

 

   ・ ・ ・

 

 結局、俺はあのまま先生の後をついていく。

 

 夜の学校というシチュエーションも初めてだし、中庭もあまりいかないところなので、なぜスペが中庭に行くのか理解ができない。

 

「2ヶ月前、俺がお前に言ったことを覚えているか?」

 

 2ヶ月前ってことは俺がチームに入ったばかりのことだよな。

 

 なら最初に教わったこと……。

 

「コンディションを整える……ですよね」

 

「そうだ、そして今スペは負けた事によって心がへし折れていると言ってもいいだろう」

 

 先生の言っている事はもっともだが……だったらなんで先生はあの地下バ道にいなかったんだ。

 

 言葉では出なかったが、目がそれを語っていたのか……自分の意思を汲み取った先生は言葉を続ける。

 

「あの時に声を掛けてもよかったが、あいつは人思いなやつだからな……大丈夫ですの一点張りになるだろう」

 

「……」

 

「だから、あいつの気持ちが素直になるタイミングの方があいつにはいい」

 

 そう言って先生はその場に立ち止まり、ある方向を見つめる。

 

 俺も先生の側に立って、先生が見ている方向に視線をやる。

 

 そこにいたのは……1人、中庭にある切り株の前で佇むスペだった。

 

 ……いや、ただ佇んでいるだけじゃない。

 

「うわあああああん! はあぁぁああああん!! ……っ……うぅ……!」

 

 ……泣いている。

 

 この中庭中に響くくらい……大きな声で泣きわめいている。

 

「弥生賞の時みたいに走ったのに! おかあちゃんに勝ったところを見せてあげたかったのに!! ……っ、私はぁ! 調子に乗ってたんだああぁぁ!!」

 

「……スペ」

 

 俺は今、初めて見たのだ。

 

 スペシャルウィークの本当の感情……あの電車内で覗いたちょっとの感情ではなく、悔しいという気持ちが体中に駆け巡り、自分自身で自制ができなくなる。

 

 これが……スペの本当の素なのだ。

 

 だからこそスペがどれだけ悔しかったのか……どれほど勝ちたかったのかがひしひしと伝わってくる。

 

「あいつは日本一になると生みの親と育ての親に誓ったんだ。だから日本一への最短ルートだった三冠ウマ娘達成が叶わなくなって、思った以上に心にダメージを負っている……それをケアするのが、俺たち、トレーナーの仕事だ」

 

 先生はそう言うと、スペの方にゆっくりと近づいていく。

 

 泣きわめいていたスペが先生に気づき、なぜこの場所にいるのか問う。しかし先生は無言でスペに近づき……。

 

「くっっっそおおおおぉぉ!! 俺の指導不足だああああぁぁ!! くそおおおおぉぉ!!」

 

 切り株に向かって大声でそう叫んだ。

 

 スペは自分のトレーナーが急にそんな事をしたので、少し困惑している……だが、先生は叫び切るとスペの方に向き直り、真剣な声と視線でスペに接する。

 

 スペとトレーナーが何かを喋っているが、遠くてあまり聞こえない……だけど、最後の言葉は聞き取れた。

 

「日本ダービーでセイウンスカイに勝つ……! 負けを知って強くなれ……いいな?」

 

「……はい!」

 

 そう言うスペの目はとても真っ直ぐで……力強いものに変わっていた。

 

 

 




・オークス良かったですねぇ……来週は日本ダービー!

・次回はたい焼きのシークレットの話(第4R)をする”予定”です。


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第4R「夢を叶えるために」
玲音の叔父


 前回のあらすじ:スペ、日本ダービーへの決意を固める。

・UA65,000・66,000・67,000・68,000を突破しました。ありがとうございます!

・たい焼きの前に一つ挟みます。



「自転車の用意……ですか?」

 

「そうだ」

 

 皐月賞から一日経ち、チーム練習を見守っている最中、先生に「自転車を明後日までに用意してほしい」と言われた。

 

 唐突なことで驚いたが、理由を聞いてみると学園の外を出てランニングを行おうと考えており、ウマ娘の足に着いて行くなら自転車があったほうがいいだろうと言われた。

 

「まさか、自転車を持っていないとかそんな事はないよな?」

 

「それはありませんけど……でも」

 

 そう、一応自転車は持っているのだ。

 

 ただ、その自転車っていうのが、普通の自転車ではなく……。

 

「ロードバイクなんですよね……持っているの」

 

 元々太り気味の叔父さんが健康のためにサイクリングをしようと思い、街中の自転車ショップで買ったが、三日坊主で飽きていたので俺が貰ったのが、今持っているロードバイクだ。

 

 ただ、この学園に来るに至って、そんな遠くに行って遊ぶわけでもなく、仮に遠くに行くにしても電車で事が足りるのでロードバイクはこっちに持ってこなかったのだ。

 

「別にロードでも大丈夫だぞ、なんだったらバイクでもいいしな」

 

「そうですか……ちょっと抜けますね」

 

 俺はトレーニングをしていたトラックから一回出て、ポケットに入れていた携帯を取り出し、ある電話番号に電話をかける。

 

 この人に電話するのはかなり久々だし、仕事で携帯の電源をオフにしている可能性もあるが……まぁあの人基本は暇だからいいだろう。

 

『はい、東蜜です……』

 

 5コールくらいした後、気怠くて眠そうな声をした中年の男性の声がスピーカー越しに聞こえて来る

 

 東蜜と名乗った男性は俺の叔父さんである。本当の名前は鞍安徹夫と言うが、東蜜って言うのは叔父さんが仕事で使っているペンネームみたいなものだ。

 

 ちなみに叔父さんの仕事はマンガ家である。昔一回描いていたマンガがアニメになった事もあるらしい。(見た事はないが)

 

 ……この人、またワインを飲んでいたのかな。

 

「叔父さん、俺です、谷崎です」

 

『んっ……玲音くんじゃあないか。どうしたんだい? 君から電話するなんて珍しいじゃないか』

 

「確かに……叔父さんにお願いしたい事があるですけど、自分の部屋に置いてあるバイクを点検に出して、明日くらいに持ってきてほしいんですけど」

 

「随分と唐突だね、どうしてだい?」

 

 俺は叔父さんに明後日までに自転車を用意して欲しいと言われた事を叔父さんに話す。

 

 叔父さんは最初唐突過ぎるという事で少々渋っていたが、なんとか分かったという言葉を言わせる事ができた。

 

『そういえばメジロのお嬢様とはどうなんだい?』

 

「マックイーンとは普通に仲良くして貰っていますよ」

 

『そうかい……あともう一つ』

 

「なんですか?」

 

『”あの子”には会えたのかい? 君はあの子と会うためにトレセンに行っただろ?』

 

「……」

 

 叔父さんが言っているあの子というのは、スズちゃんの事だ。

 

 元々トレセン学園に行った理由は……あんだけ走るのが速かったスズちゃんなら、中央に行っているはずだと勝手に思っていたからだ。

 

 もちろん、それは俺の勝手な考えで、必ずそこにスズちゃんがいるという保証はどこにもなかった。

 

 中学3年で進路を聞かれた時、トレセン学園に行きたいですというと周りは強く反対した。

 

『トレーナーなんて夢を見るのはやめろ』

 

『普通に進学しなさい』

 

 それでも俺はトレセン学園に入りたくて、必死に勉強をし、叔父夫婦を説得を試みることにした。

 

 学力や周りを納得させたとしても、トレセン学園は普通の高校よりも学費が多く掛かる。

 

 だから親の説得は一筋縄では行かないだろう……そう思っていたが……。

 

『いいんじゃないかい?』

 

 そうあっさりと言われて、トレセン学園の学費をポンッと払ってくれたのだ。

 

 もし叔父さんが払ってくれなかったら、スズちゃんとの再会はなかった。

 

「会えましたよ……数年ぶりに」

 

『そうかいそうかい……良かったね玲音くん』

 

「いえ、叔父さんがトレセン学園に行かせてくれたからですよ」

 

『あはは……さて、明後日までに用意すればいいんだね?』

 

「はい」

 

『今日は近くの自転車ショップは閉じてるから、明日出して、明後日に直接受け渡すって感じで良いかい?』

 

「はい、大丈夫です」

 

『それじゃ、また明後日に』

 

 叔父さんがそう言うとプツッと電話が切れた。

 

   ・ ・ ・

 

 叔父さんに電話してから二日が経ち、俺は学園の外で叔父さんの到着を待つ。

 

 周りではスピカのみんなが各々準備体操やストとレッチを行っており、自分のバイクが来たらすぐに外周できるように調整している。

 

 ……そんな中異様にずっとお腹を触っているスペの姿が視界に入ったのだから、なんでだろうと不思議になった。

 

 でもそんな不思議を解明しようとする前に、叔父さんの車が見えた。

 

 叔父さんが乗っているのはイギリスの有名メーカーの乗用車、渋い緑色が遠くから見ても目立つ。

 

 そしてそんな緑色の車が俺たちの近くに止まり、ドアを開けて叔父さんが出て来る。

 

「やあ玲音くん、待たせたね」

 

「叔父さん……忙しいのにわざわざすみません」

 

「いいよ全然。ブツは後部席にあるよ」

 

「分かりました」

 

 自分は緑色の車体に取り付けられているドアを引っ張り開け、その中にあったバイクを引っ張り出す。

 

 ハンドルやサドル、フレームの色は基本黒だが、サドルに向かって行くに連れオーシャンネイビー色のグラデーションが施されている。

 

 確か叔父さん曰く、「ただの市販車では詰まらない」と言う理由でメーカーの公式から受注できるカラーオーダーをしたらしく、このカラーは市販では売っていない。似たような色なら何度か見たことはあるが、ほぼこれは世界に一つのバイクと言っても過言ではないだろう。

 

 俺は車からバイクを引っ張り出した後、スタンドをかけてからタイヤの空気圧チェック、ブレーキのチェックを行う。

 

 うん、大丈夫そうだな。

 

 さて、改めて叔父さんにお礼を……と思ったら、さっきまでそこにいた叔父さんがぽっかり居なくなっていた。

 

 あれ? と思い、俺は腰を上げて辺りを見回してみる。

 

 そして見つけたは見つけたが……うん、あれは止めた方が良さそうだ。

 

「おー! 君はゴールドシップだね、ジュニアでは2着を2回、そして昔君が見せてくれた皐月賞の追い上げはとても素晴らしいものだったよ! まさか稍重のバ場状態だった中山レース場で他の子たちが外を走る中、君だけは内を走り抜き、1着を見事に勝ち取るなんてね。いや〜、あの時は面白いものを見せてもらったよ。記念に握手してもいいかな?」

 

「な、なんだこいつ……トレーナー、こいつ蹴ってもいいか?」

 

「いやダメに決まっているだろう」

 

「ウマ娘の蹴りか……マンガの表現で何回かやったことはあるが、この身では一回も受けたことがなかったな……よし、ゴールドシップどんと来い!」

 

「やべぇ、こいつトレーナーと同レベルの変態だ……」

 

「おい俺が変態ってどういう事だよ」

 

「そしてそこにいるのはスペシャルウィークだね、いや〜皐月賞は惜しかったねぇ。でもこの先にはまだ日本ダービーや菊花賞、他の重賞レースもあるんだから気を落とさないようにね。君はとても素晴らしい脚質を持っている、特に弥生賞の坂を登り切った後のラストスパートは目を見張るものがあったよ。あんな走りをまた見せてね」

 

「は……はい。ありがとうございます」

 

「そして君はーーー」

 

「ストップ叔父さん、ウマ娘に興奮するのはそこまで」

 

 俺はスズカの方に移動してきた叔父さんの襟を強く引っ張る。「ぐえっ」と小さく言った叔父さんは俺の方に振り返って何かを言っているが、そんな重要な事ではないので聞き流す。

 

 まぁ叔父さんのこの発作はある意味ウマ娘とヒトの恋愛マンガなどをよく描いている叔父さんの職業病みたいなものだ。

 

 ある時は引退したウマ娘に直接アポを取ったこともあるし、もっと若い時にはトレセン学園の門の前でずっと張り付いていたという伝説を残しているとかないとか……。

 

「す、すまないね玲音くん。止めてくれて助かったよ」

 

「全く、叔父さんのその病のせいでウマ娘の子たちが怯えたりとかしたらどうするんですか」

 

 実際スズカは叔父さんに滲み寄られてた時、恐怖を感じてか耳を垂れ下げていた。

 

「本当に申し訳ない……それでこの中には玲音くんが会いたがっていた子はいるのかい?」

 

「……まぁ、居ますけど」

 

「ほ〜う、誰なんだい?」

 

 俺は別に言わなくてもよかったが、この人の場合スズちゃんを特定するまで学園に居座りそうだから、他の人に迷惑をかけないためにもすっととスズカの隣に移動して、手をスズカの方に向ける。

 

「この子だよ、サイレンススズカ。自分はスズって呼んでるけど」

 

「……」

 

 その時のおじさんの顔はあっけらかんな表情を浮かべていた。そして次に口をぽか〜んと開ける……これがマンガだったら、顎も伸びていただろう。

 

 きょろきょろと俺とスズカを交互に見た後、乾いた笑みを漏らす。

 

「嘘だろ……あの時の可愛い娘がサイレンススズカだったなんて……」

 

「えっ、叔父さんスズにあったことあるんですか?」

 

「一回だけね。君たちが3・4歳のくらいの時に姉さんに用事があって、その時に仲睦まじい兄妹のような子が居たのを覚えている」

 

 へ〜と俺は声を漏らす。

 

 俺なんか3・4歳のことなんてスズカと仲良していた以外の記憶は全然ない。

 

 だから叔父さんの記憶力に素直に感心した。

 

「そうかい……君があの時の子か。大きくなったねぇ……」

 

「は、はぁ……」

 

 スズカからしたら、全く面識のない男性に訳も分からず感心させられているという意味不明な状況であり、どう反応すればいいのか戸惑っていた。

 

 だけど叔父さんはスズカの方へ体を向け……そして静かに腰を折った。

 

「お、叔父さん。一体何を……」

 

「スズカちゃん、これからも、玲音くんの事をよろしくお願いするよ」

 

「えっ? えっと……」

 

 叔父さんに急な頼み事をされ、スズカは困惑していた。

 

 だけど、おじさんの真剣な顔を見てそれに感化されたのか、スズカも真剣な顔になって。

 

「はい……」

 

 と返事をしたのだった。

 

 そして叔父さんは帰って行き、チーム・スピカは外周トレーニングをし始めるのだった。

 

 

 

 

 

 




・テストも終わり、文化祭が今週にあるんですよね。うちはカジノをやる予定です。CMの編集係になってタヒぬかと思った。

・日本ダービーも楽しみですねぇ……。

・マヤちゃんと女帝様のウェディングドレス姿、可愛い&ふつくしい……。

・次回はたい焼きのお話の”予定”です。


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知識以外に必要なもの/シークレット味のたい焼きはやめておけ…まじで

 前回のあらすじ:玲音の叔父さん登場。

・UA69,000・70,000を突破しました。ありがとうございます。

・ゴルシが「うけ」という言葉を使いますが、意味としては『食(うけ):食物、食もつの神』という意味で取ってます。ニュアンスとしては「飯だー!」みたいな感じだと考えてます。



「ふっ……ふっ……」

 

『1、2! 1、2!』

 

 叔父さんが持ってきてくれたロードバイクの乗り心地を肌で感じ、同時にロードバイクの乗り方を思い出していくかのように漕ぎ続ける。

 

 走って30分くらいしたが、なんとか慣れてきた。

 

 ただウマ娘の走るスピードは普通の人よりも早いので、置いて行かれないようにするので精一杯だ。

 

 まぁレースで走るほどの早さではないが、それでも自転車くらいのスピードが出ているからな。

 

「玲音、すごいキツそうだけど、大丈夫?」

 

「心配すんなテイオー……今は乗り方を思い出しているだけだっ……何せ、半年ぶりくらいに乗ったからな」

 

 自分としてはそんなに苦悶の表情を浮かべていたつもりはなかったが、どうやら自然と浮かべてしまっていたらしい。テイオーがわざわざ速度を落として、俺の隣で併走している。

 

 そしてそれに気づいた先生はテイオーに元の場所に戻るように大声で言って、テイオーをみんなの中に戻し、スピードを落として俺の前まで移動し、後ろを振り向きながら声を上げる。

 

「どうした玲音? もうくたばったか?」

 

「別に……こんくらいどうって事ねえっすよ」

 

「口調変わってるぞ」

 

 あ〜くそ、周りに疲れているように見られているって自覚した瞬間から、足がすごく重くなっている。

 

 呼吸も少し浅くて、汗もぶわっと出てくる。

 

「玲音、トレーナーには戦略や知識以外にも必要なものがある。それは何か分かるか?」

 

「さぁ……信頼性とか、ですか?」

 

「それも大切だが、もっと簡単でかつ大事なものだ」

 

 信頼性以上に簡単で……大事なもの。

 

 そう言われて考えてみるが、うまく思考が回らない。

 

 思考に頭を使ってしまうとただでさえ不安定なロードバイクなのに、バランスを崩してしまいそうだ。

 

「トレーナーに必要なもの……それは”体力”だ!」

 

「た、体力……?」

 

 確かに先生が言った事は簡単な事だったが……なぜ体力が大切なんだ? むしろそれを大切にするのはウマ娘の方だと思うんだが……。

 

 そんな風に疑問に思っていると先生が答えてくれる。

 

「ウマ娘の練習を考えるのはトレーナーの仕事だ。だがそれに付き合うための体力と根気もトレーナーには必要だ」

 

「根気と体力……でもトレーナーは指示しているだけでいいんじゃないですか?」

 

「まぁそこは意見が割れるところだが、俺は必要だと思っている」

 

 先生曰く、トレーナーには2つのタイプが存在している。

 

 一つは俺が考えていたように、担当のウマ娘に合ったトレーニングを用意し、それを担当ウマ娘に連絡しその後は任せる傍観主義。

 

 もう一つは先生のように担当のウマ娘のトレーニングメニューを出してあげ、それにトレーナーも付き添いトレーニングを共にする同伴主義。

 

 他にも異なる方法でトレーナーをしている人もいるが、大まかにはこう分けられる。

 

 ただその説明を聞いても、俺はピンと来ないどころか新たな疑問が生まれた。

 

「その同伴主義っておかしくないですか?」

 

「なんでだ?」

 

「だってサッカーや卓球……他のスポーツでも、”監督”は選手たちの練習には参加しませんよね?」

 

 そう、どんなに優れたチームの監督でも、練習の内容は指示するが監督自らが練習に加わる事なんて中々……いやほぼない。

 

 だから同伴主義って言うのはある事自体がおかしいんじゃないだろうか?

 

「そこだよ玲音」

 

「えっ……どこっすか?」

 

 俺は辺りをキョロキョロと見渡す……しかし先生は自分のボケを無視して話を続ける。

 

「今玲音はトレーナーは監督だって言ったよな?」

 

「っ? え、えぇ……」

 

「そこが違うんだよ。俺が考えるにトレーナーっていうのは、監督と言うより”マネージャー”に近いと思ってる」

 

「……マネージャー?」

 

 マネージャーって言うと、ユニフォームを洗ったりとかボール拾いとかスコア記入などの雑務を行ってくれる人だよな。

 

「監督はチームを広い目で見る。だがマネージャーは競技者とほぼ同じ視点で競技者をサポートをする事が出来る」

 

「……同じ視点で、支える……」

 

 そう言えばこのチームに入って来てから俺がやって来たのは基本雑務が中心だった。みんなのためにスポドリを手渡したり……勝負服の受け取りだって、部活の買い出しとほぼ同じと見てもいいだろう。

 

 そう思うと、トレーナーの仕事は結構マネージャーに近いものがあるのかもしれない。

 

「一応言っておくが、これは俺はこういう派っていうだけだからな。実際最強のリギル様は傍観主義。だが、同伴主義はウマ娘の側で練習を見られる。だからトラックで遠目でみるより、ウマ娘の状態などが把握しやすくなるんだ」

 

「なるほど」

 

「そしてそのウマ娘の練習について行くには体力や根気が必要って事だ」

 

 ここで初めて先生が言った事が理解できた。

 

 なるほど、トレーナーは監督ではなくマネージャーに近い……その考えは自分のトレーナーという職業のイメージをひっくり返すものだ。

 

 やっぱり、先生からは色んな事が学べる。

 

「よーし、そこの公園で休憩!」

 

『はい!』

 

   ・ ・ ・

 

 チームのみんなが近くの公園に入っていき、先生と俺も遅れてその公園に入り合流する。

 

 ひょいとバイクを降りて、一息ついて太ももや脛辺りをマッサージする。

 

 やっぱり久々のロードバイクだったという事もあり、もう脚がパンパンである。

 

「今日は控えめにしておくが、次からまた距離を増やすからな?」

 

「は……はい!」

 

 中学生や小学生の時の俺が今のセリフを聞いたら「勘弁してくれ!」と思っていたが、今は自然と声が出ている。

 

 これも全て、一流のトレーナーになるため……そのためには如何なる苦難も乗り越えてみせる!

 

 ……とりあえず最初は自室で出来るスタミナトレーニングから始めるとするか。

 

「あー!」

 

 ゴールドシップが突然、叫んだので俺たちは一斉にゴールドシップの方を向く。

 

 特にウオッカとスカーレットは真後ろにいたので、突然の大声に驚き尻尾とウマ耳がビクッと跳ねた。

 

「急に大っきい声出すなよ!」

 

 しかしゴールドシップは謝ることなく、人差し指をある方向へ向けていた。

 

 俺たちはその指の先を視線で追ってみる。

 

 するとそこにはキッチンカーが停められており、周りに『たい焼き』と書かれた幟が立てられていた。

 

 今気づいたが皮の焼ける香ばしい匂いが、ここまで風に乗っかって鼻腔に届いている。

 

「たい焼き屋さんか……」

 

 自分がそう言った瞬間「ぐ〜〜」とひょうきんな音が聞こえ、みんなその音がした方に振り返る。

 

 その音の正体はスペがお腹を空かせて鳴らしていた音だったらしい。少しお腹を手で抑えている。

 

「しょうがねぇな〜、奢ってやるよ」

 

「わーーい! うけーー!!」

「おおおおおお!!」

「「わあああ! やったーー!!」」

 

 トレーナーのその言葉を聞いた瞬間、一斉にたい焼き屋さんの方に走って行く。心なしかランニングしていた時よりも速い様な気がする。

 

「あいつらまだ元気じゃねえか……」

 

 残された俺とスズカ……そしてスペも先に行った4人の後を追う。

 

「俺ウィンナーマヨ!」

 

「はぁ? たい焼きと言えば白あんでしょ!」

 

「……どっちも違うような……」

 

 ウオッカとスカーレットは「それが当たり前!」と言うように言っているけど……まだ白あんは分かる。ただウオッカのウィンナーマヨってそれはたい焼きに入るのか?

 

 まぁ今のご時世タコの入っていないたこ焼きや、鰻の代わりにナスを使った蒲焼きとかもあるから、形さえ整っていれば〇〇! って言うのはあるのかもしれない。

 

「ボクはね〜……カスタード!」

 

 よかった、ようやく普通の味が出てきた。

 

 そう言ったテイオーは両手をちょこちょこと動かしてそわそわとたい焼きを待っている……その仕草が餌を待っているネコみたいで、ちょっと可愛らしい。

 

「おっちゃ〜ん、シークレット10個」

 

「(えっ?)」

 

 声にはなっていない……が、先生はゴールドシップから出てきた言葉に驚いていた。

 

 たい焼きはおよそ180円……それが10個ってことは1800円。オマケに先生はそこまでお金が無い方だ。

 

 先生……ドンマイです。

 

「私はこしあん一つ……レオくんは?」

 

「えっ……」

 

 俺は先生の顔色を伺うように先生の方を向く。

 

 ゴールドシップが10個買って想像以上の出費のはず……自分は食べない方がいいんじゃ無いかと。

 

 だが先生は俺の視線に気づくと……サムズアップを返してくれた。

 

 これは……大丈夫ってことなのかな。

 

 なら、お言葉に甘えよう。

 

「俺は粒あん一つ、スペはどうする?」

 

「私は……大丈夫です」

 

   ・ ・ ・

 

 その後、俺たちは近くのベンチに座って、たい焼きを食べ始める。

 

 みんなは頭から食べているけど、俺は尻尾から食べる。

 

 ……うん、美味い。

 

 皮がパリッとしていて、かつ中はしっとり……中に入っている粒あんもそこそこの大きさで甘さは少し控えめである。

 

「んでどしたスペ、なんでたい焼きを食わないんだ?」

 

「それは……その……ットです……」

 

「んっ? もう一回言ってくれるか?」

 

「ですから! ……ダイエットです」

 

「ダイエット〜?」

 

 なるほど……彼女だって年頃のウマ娘だ。そう言う体重とかを気にするのは至って普通なことだろう。

 

 でもいつもあんなにお腹を膨らませるくらい食べていたスペが急にダイエット……失礼かもしれないが、ちょっと意外である。

 

「はい……皐月賞、勝負服のホック留まらなくて……だからかなって……」

 

 ふと皐月賞の前日……勝負服を受け取った時のことを俺は思い出す。

 

 そういえばあの時、スペは服の後ろの方に手をやっていた。それに気のせいだと思っていたがブチッて言う音も聞こえた。

 

 あれは気のせいではなく、ホックが外れた音だったんだな。

 

「そう言えばパドックの時も、スペ先輩手を後ろの方にやってましたね。もしかしてあの時も?」

 

「う、うん」

 

 スペは少し申し訳なさそうに、小さくウオッカの問いに答える。

 

「……スペ、体重が増えるのは悪いことじゃ無い。早く走るための体が出来上がってきた証拠だ。強くなるためにはどんどん食って、筋肉量を上げた方がいい」

 

 先生の言い分を聞いていると、サッカーや卓球をやっていた時も同じことを言われたな〜と俺は物思いに耽っていた。

 

『ご飯は2杯は食べろ』『間食を入れて5食食べろ』『バランスは取れ』と色々言われたものだ。

 

 実際、スポーツは食べる才能も必要とされている。とある格闘家は『体を作る時に何が一番辛かった』という問いに対して「食事が辛かった」と言った。

 

 それくらい食とスポーツ(体)は密接に関係している。

 

「でも! やっぱり私は少しでもやれること全部やってみたいんです」

 

「納得行かないってことか」

 

「……はい」

 

 でもレースは軽ければ軽い方がいい……そのための無駄な肉はいらないとスペは考えているらしい。

 

 だからちょっと蛇足かもしれないが、俺は自分が知っている事をスペに言おうとスペの方に体を向ける。

 

「スペ、一応言っとくけど、脂肪と筋肉だったら、筋肉の方が重たいんだ」

 

「そうなんですか?」

 

「体重が増える=太ったって訳にはならない。むしろ筋肉が出来た方がもっと重たくなるんだ」

 

「重たく……」

 

「体重ばかり気にするな、それよりも体脂肪率を減らして筋肉量を増すんだ」

 

「……」

 

 俺の話を聞いたスペは少し俯いてしまう。

 

 まだ体重を減らした方がいいという考えと筋肉量を増やせばいいという考え、どちらを取ればいいのかまだ悩んでいるんだろう。

 

「まぁ玲音の言う通り、筋肉量を増やして体重を落とす事自体は悪い事じゃ無い」

 

「でも……」

 

 先生はなぜだかその場から立ち上がり、スペの真正面に向く。

 

 そしてその場にしゃがみこんだ。

 

「特に脚は……」

 

 そう言いながら両手をスペの足に伸ばしている。

 

 この人……なんでナチュラルに女性の脚に触れようとしているんだ!? それってセクハラだろ!?

 

「ちょ、何をしようとして……!」

 

「「「「こーーらーー!!」」」」

 

 ズバーン! とえげつない音が辺りに響く。

 

「どうわああああああ!?」

 

「なーにまともらしい事を言って、エロい事をしようとしてやがるんだ!」

 

 ウマ娘4人の……それも本気の強さで蹴られた先生はまるでサッカーボールのように宙に浮き……勢いよく墜落した。

 

 うわぁ……あの体勢から落ちるのは、ちょっと勘弁したいなぁ。

 

 ……てか、本当に大丈夫か? あれ。

 

「……ナムアミダブツッ」

 

 とりあえず全然ピクリとも動かない先生の方を向いて、某ニンジャアニメのナレーターのような口調でそう言っといた。

 

 そんな事をしている間に、チームのみんなはスペのダイエットに全面協力することになったらしい。

 

「みんな……ありがとう!」

 

 チームのみんなの好意を受け取って……そう言うスペは笑っていた。

 

 明日から……忙しくなりそうだ。

 

「ねぇ、シークレットってなんだったの?」

 

 スカーレットのその言葉を聞いて、そうだと思い出した。

 

 実はシークレット味が気になっていた俺氏、ゴールドシップに一口分けてもらおうかと思ってたんだった。

 

「なぁゴールドシップ、よかったらなんだけど、一口くれないか?」

 

「いやだ」

 

「……えっ?」

 

「言い方が違うだろ?」

 

 言い……方?

 

 もしかして、めちゃくちゃ丁寧にかつ尊敬するように言わないとダメなのか?

 

 ゴールドシップ様とか? ……なんだろう、あんまり言いたくない。

 

「皐月賞の時、言っただろ?」

 

「……ゴルシ呼び?」

 

「……」

 

 そう言えばおんぶしてもらったお礼はゴルシ呼びでって言っていたような……でもあれって寝起きの思考だったし、ゴールドシップなりのジョークだと思っていたが……違うのか。

 

「ゴルシ、シークレット一口いいか?」

 

「ほい」

 

 今度は普通にたい焼きを差し出してくれるゴルシ……俺は指で一部を千切って一口分をもらう。

 

 千切ってみると、中に黄色いソース見たいなものが入っている事が分かった。

 

 黄色い……レモン味とか柑橘系かな?

 

「ゴルシゴルシ! ボクにも一口ちょうだい?」

 

「んっ」

 

「「はむっ」」

 

「「……」」

 

 うん……どうやら甘い系ではなさそう。

 

 咀嚼を続けると口内、そして鼻腔を駆けていく……fs&$(%’ヂェ*wクァy>¥おlp(その次の瞬間、強烈な辛味が俺の口内を支配した)!?!?!?

 

「オ゛オ゛エエエ゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

「ヒョウエエエ゛エ゛エ゛!!」

 

 玲音とテイオーの発狂を見て、スカーレットとウオッカはドン引きしていた。しかしそれと同時にシークレットの中身が何なのか益々気になってしまい、差し上げた張本人に聞いてみる事にした。

 

「な……なんだったの、そのシークレットの中身」

 

「カラシ、もぐっ」

 

「「えぇ〜……」」

 

 この2人の困惑は二つあった。

 

 一つはたい焼きにカラシを入れるという常軌を逸する事をやっていた、たい焼き屋さんへの困惑。

 

 そしてもう一つは……2人が発狂するくらい辛いたい焼きなはずなのに、それを涼しい顔でパクパクと食べているゴールドシップへの困惑だった。

 

 

 




・文化祭が延期になってしまった(´;ω;`)

・4Rを見ながら書いたんですけどやっぱゴルシ「うっけ−!」としか聞こえない……みなさんはどう聞こえてますか? あとテイオーの悲鳴も。

・次回はスペの減量計画の話の”予定”です。


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ダイエット! 1日目・2日目

 前回のあらすじ:みんなでスペのダイエットに付き合う事に、レオテイ・発狂。

・UA71,000・72,000を突破しました。ありがとうございます!

・独自解釈のタグを入れることにしました。(勝負服の魂の残滓とかは、ウマ娘の公式の文を自分自身で想像して、独自に解釈しているものだからです)



 次の日、昨日宣言した通り、チーム・スピカ全員によるスペのダイエット計画が始まった。

 

 ちなみに先生はこの週は地方への出張が入っていて、トレセン学園から離れる事になった。

 

 だからチームで行う練習(先生が用意してくれた紙を元にだが)と2日に一回の義務報告を任された。

 

   ・ ・ ・(1日目)

 

「……どうした?」

 

「いえ、何でもありません……」

 

 そうは言っているが今日のスペはどことなく元気がない。

 

 なんか小さくなっているというか、悲しみに満ちているというか、絶望しているかのような……なんか分かりにくい表情をしていた。

 

 今日は先生に渡された練習をやろうと思っていたのに、どうしてこうなっている?

 

「今日の担当は……スカーレット、スペに何をしたんだ?」

 

「特に特別なことはやっていませんよ、ただ欲を封じただけです」

 

「……欲?」

 

 何でも聞いてみると、今日の朝突然スペの部屋に訪問してきたスカーレットは、早速自己流のダイエット方法を実施したという。

 

 その方法は封じ込めダイエット。

 

 スペは食べるのが好きだ。その中でもにんじんはスペにとって……いや、全国のウマ娘にとって大好物の一つである。

 

 そのにんじんをダイエットの間は封じる。そして目標を達成した時それは解禁する。

 

 こうする事で目標が達成した後の幸福を求めて体が動き、体重を減らしていくのだという。

 

 確かにいい方法ではありそうだ……だが……。

 

「あのさ、それってリバウンドのこと考えてる?」

 

「リバウンド……ですか?」

 

 ダイエットの時に食欲を封じて、終わった後に解放する。それは別に悪い事ではないが、でも解放した瞬間というのは禁じる前よりも欲望が高まっている状態であることが多い。

 

 つまり簡単に言えば……”前よりも食べる量が増えてしまう”ということだ。

 

 そしてそれによってまたダイエットを始めて、封じて、また解放して……。

 

「こうなると結果、無限ループにハマると思うんだが……」

 

「あっ……」

 

 スカーレットは意表を突かれたような表情をしている。

 

 それはそうだろう。何せスカーレットは完璧を求めている性格があり、その完璧だと思っていた方法に実は決定的な穴があった事を指摘されたのだから。

 

「確かに……そこまでは考えていませんでした」

 

「まあ俺自身ダイエットにそこまで詳しい訳じゃないから、何とも言えないけど……」

 

 そう言いながら、俺は横目で元気がなさそうに体操をしているスペを見る。

 

 なんかもう体の軸がよれよれである。

 

「はぁ……にんじん……はぁ〜……」

 

「す、スペちゃん。本当に大丈夫?」

 

「にんじんです……はぁ〜……」

 

「あの状態のスペを、今後も見られるか?」

 

「それは……そうですね」

 

 それにまぁ、にんじん1本くらいだったら流石にすぐ太りはしないだろ。

 

 という事で、1日にんじん一本は許し、その代わり食べるものは低糖質のものに変えるようにした。

 

 寮の栄養士さんに相談してみたが、結構あっさりと要求を承諾してくれた。

 

   ・ ・ ・(2日目)

 

 今日はウオッカがスペのダイエットを手伝う日だ。

 

 今日は体育館でやりたいとの事だったので、学園から使用許可願いを出して、体育館の鍵をもらった。

 

 いつもならここは雨でトラックが走れない時に走り込みを行ったり、大人数によるウイニング・ライブの練習の時に使われる。

 

 そこを自分とスペ、そしてウオッカのたった3人で独占できるんだから、何だか罪悪感と愉悦感が浮かんでくる。

 

「失礼しま〜す……」

 

 っと、先にやって来たのはスペのようだ。

 

 ここまで広い場所にほぼ誰もいない状態だと「ここで本当にあってるのかな?」と遠慮がちになってしまうのは人の本能的に仕方ないものがあるだろう。

 

「よっ、スペ」

 

「あっ、玲音さん……ここで合ってますよね?」

 

「あぁ、合っていると思うけど」

 

 しかしそこにはウオッカの姿はなかった。

 

 まぁ待ち合わせの時間まで後10分もあるから、大して気にする事ではないが……。

 

「そう言えばスペ、低糖質メニューはどんな感じだ?」

 

「すごく美味しくて、『これ本当に食べて太らないのかな』って思ってしまうくらいです」

 

「そうか……ならよさそうだね」

 

「はい!」

 

 そうスペが返事をした瞬間、体育館の扉がガラガラと音を立てながら開く。

 

 そしてそこに立っていたのは……竹刀の弦を肩に乗せながら片手で勢いよく扉を開けたウオッカだった。

 

 ……なぜに竹刀?

 

「すみません! 少し遅れました!」

 

「いや、約束の時間は過ぎてないよ」

 

「いえいえ、こう言うのは後輩が先に来るべきものですから! あっ、玲音先輩場所の貸し出しありがとうござます!」

 

「お安い御用だよ」

 

 そうは言って平然を装うが……やっぱり気になってしまう。

 

 その竹刀は一体何なのだろうと。

 

 そしてそれは隣にいたスペも同じことを思っていたらしく。スペは恐る恐るとウオッカが持っている竹刀指差し、声を出す。

 

「ウオ、ウオッカちゃん? その竹刀は一体……?」

 

「やっぱダイエットをするなら、素直に運動するのが一番です」

 

「そ、そうだね……竹刀って事は剣道かなにかーーー」

 

「スペ先輩! オレ、心を鬼にします!!」

 

 そう言った瞬間、ウオッカの雰囲気が変わったように思えた。

 

 なんかスイッチが入ったような……そんな幻聴も聞こえた。

 

 ウオッカはバシンッと勢いよく竹刀を振り下ろす。

 

 その音によってスペはビビってしまい、体勢を崩してしまう。

 

「さあ、地獄の筋トレ行くぞ!」

 

「えぇ〜!?」

 

 いつもはスペに対しては敬語を使っているウオッカが、スペに対してここまでキツめの言葉使いを使うなんて……それほどウオッカは本気って事なんだろう。

 

 メニューとしては結構普通の筋トレだった。

 

 腹筋、背筋、腕立て、腿上げを各100回ずつをほぼノンストップで行うというものだった。

 

 これくらいならまだ中学校の卓球で無理矢理やらされてたから、自分からしたらかなり普通の筋トレだが、あまり本格的に筋トレをやった事がないスペにとってはかなりキツイものなんだろう。

 

 1セット終わった時点でかなり汗だくになっている。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「どうしたどうした! そんなものか!!」

 

「ま、まだまだ!!」

 

「ようし、もう一回腹筋100回から! あと9セット!!」

 

「ええええぇぇ!?」

「それはやりすぎだ!」

 

 4種類を100回してそれを10セットって……それ計4000回じゃねえか。

 

 流石にそれは筋トレに慣れていないスペからしたらオーバーワークだ。

 

 流石に10セットはやりすぎだから、3セットに、かつ休憩は多めに調整した。

 

 ウオッカは「少ないですよ!」と言ってきたが、実際やってみると2セットの腕立てからスペは見るからにスピードを落としていた。

 

 ウオッカ……なんかの熱血マンガに影響されたのかな。

 

「あっ、玲音先輩もそろそろですよ?」

 

「……そろそろってなnーーー」

 

 何が? と言おうとした瞬間、バンッ! と大きな音を立てて体育館の扉が開かれる。

 

 その音はウオッカが開けるよりも……そしてさっき叩いていた竹刀よりも大きな音だったので、俺とスペはビクッと体を跳ねた。

 

 そして何事かと入り口の方に体を向ける。

 

 そこにいたのは……柔道着らしい白い服を着た凄くがたいのいい漢がいた。

 

 そのがたいのよさは、幾度ともなく死闘を繰り広げ、そして生き残ってきた強者のモノだと思ってしまった。

 

 マジでキック一つで何トンか出るんじゃないかな。

 

 俺は少し近づくのが怖かったが、それでもあの人がなぜここに用があるか聞かないといけないだろう。

 

 だって一応この時間貸し出しを希望していたのは俺らだけである。

 

 それにトレーナーバッジを付けていないし、そもそもあんな人学校に居たっけ……。

 

 そして扉の前で仁王立ちしている男に近づいて行く度に、俺の中に恐怖心が出てきた。

 

 だってなんかオーラ見えるんだもん……鳥肌がめっちゃ立ってて、この人には近づくなと俺の本能が警鐘を鳴らしている。

 

「あ、あの〜、もしかして体育館を使いますか? で、でしたらもう少し優しく開け閉めをーーー」

 

 次の瞬間、男は凄まじい速さで自分の服の襟首を掴み取った。

 

 ……そして、

 

「は あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 独特な掛け声と共に、俺は宙を舞った。

 

 そして次の瞬間、腰と背中に強い衝撃が走る。幸い、サッカーで散々転んで受け身は自然に取れる体になったから、最小限の衝撃で済んだと考える。

 

 しかし、油断する暇もなかった。

 

 俺を背負い投げした漢は、そのまま倒れている俺の左腕の脇の下に手を通し、襟元の右の方を掴み、空いた手を首に回し襟元の左の方を握られ……そして引っ張られる。

 

「おりゃあ!」

 

「っ! かはっ……」

 

 自分は必死に締め技を解こうとジタバタとするが、漢の手はまるで接着剤で着いたかのように離れない。

 

(や、やばい……意識……が……)

 

 目の前が暗くなる……その瞬間に漢の絞める力が弱まり、解放感が体全体を包む。

 

 漢は俺の目の前に仁王立ちをして、見下している。

 

「若者よ、真剣に取り組んでいるものがあるか、命がけで打ち込んでいるものがあるか……! ウマ娘プリティーダービー! 指が折れるまで、指が折れるまで!!」

 

 そう言って、漢は体育館から去って行った。

 

 そのまま体育館の床に仰向けに倒れながら、放心状態になり……こう呟く。

 

「何だったんだよ、今の……」

 

「あれは伝説のトレーナー、トレナ三四郎ですよ! たまたま会ったんでお願いしたんですよ」

 

「訳わかんねぇよ……」

 

   ・ ・ ・

 

「……以上が昨日と今日あった出来事です」

 

 あの謎の漢の襲撃があった後の夜。

 

 俺は自室で義務報告をしている。

 

「そうか、スペの食事は低糖質にしたのか」

 

「はい、寮の栄養士さんと調理師さんに相談したら快く承諾してくれました」

 

「何つーか……結構お前って行動力あるんだな」

 

「……スペにはダービー、勝って欲しいですから」

 

 俺は素直な気持ちを先生に言う。

 

 トレーナーはコンディションを整えてあげるのがお仕事、なら俺は俺が最大限できることをする。

 

 ……まぁ、栄養士さんと調理師さんが優しかったっていう偶然もあるけど。

 

「そう言えば先生、トレナ三四郎って知ってますか?」

 

「トレナ三四郎……確か非番の先生だな」

 

「普段はいないってことですか?」

 

「あぁ、時々ウマ娘の教官をやっているな」

 

「……マジすか」

 

 あんな突然投げ技を投げてきて、絞め技を掛けてくる人が教官……当たってしまったウマ娘は身体を壊すんじゃないか?

 

 ……なんて思ったが、あの人の功績はすごいらしく、数々の重賞、GⅠを勝ち取り、優駿を何人も世に送った伝説のトレーナーだという。

 

 いや、すごさは分かったんだけどさ……それでも背負い投げと絞め技は勘弁していただきたい。

 

「そういや、明日も明後日もやるんだよな? ダイエット」

 

「えぇ、明日はテイオー、次にゴルシですね」

 

「そうか、まぁやり過ぎないようにちゃんと見とけよ」

 

「えぇ……では」

 

「おう、また明後日な」

 

 プツッと電話が切れる。

 

 電話が切れた携帯を机の上に置いてあくびと体を伸ばす。

 

 まだ少し腰の辺りがズキズキとしているが、これくらいなら大丈夫だろう。

 

「……自分も考えてみるかな」

 

 チームのみんながスペの為にあれこれ考えているんだ。

 

 俺も少しは考えてみよう……そう思って俺は携帯のロックを解除し、ネットを開いた。

 

 

 




・せがた三四郎ネタ伝わるのかな……シロは幼稚園の時よくやってました。

・100回筋トレは吹奏楽でやってて、いつもキボウノハナを咲かせてましたw

・次回はテイオー・ゴルシのダイエット計画の話の”予定”です。


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ダイエット! 3日目・ゴルシデイ

 前回のあらすじ:ダスカ・ウオッカのダイエットを実施。

・UA73,000・74,000を突破しました。ありがとうございます。



 3日目

 

「うぅ〜……まだ其処ら中の節節がズキズキしてます……」

 

「最初はそんなものだよ」

 

 今日はテイオーがスペのダイエットを手伝う日だ。

 

 テイオーからはダンスができそうな部屋を用意して欲しいと言われたので、スタジオA……ではなく、スタジオFの一部を貸してもらった。

 

 ウマ娘はレースもそうだが、その後のウィニングライブのためにダンスレッスンも併行して行う。

 

 だから何だかんだでダンススタジオは使われる日が多い。

 

 そして大体が使う日の数日前に申請を出すものだったが、なにせテイオーに言われたのが朝一番の昇降口だったので、空いているところはどこもなかった。

 

 だからお昼休みにA〜Fの貸し出しを申請していたチームのトレーナーに直談判しに行った。

 

 まぁ、ほとんど断れたりスペースがないと申し訳なさそうに言われたりして、なかなか上手くいかなったが……最後に行ったスタジオFのチームトレーナーに一部だけならと条件付きで許可が取れた。

 

 そのトレーナーは、上半身にジャージみたいな服を着て、前を開けていて鍛えられた腹筋が見えてて、黒色の帽子を被り、赤色のサングラスを掛けていて、そして顎に立派な髭が生えていて……会った瞬間、ヤ◯ザと思ってしまった。

 

 めっちゃ見た目が怖くて俺はびびってしまったが、話してみればいい人だった。

 

 やっぱ人を見掛けで判断してはダメだと、改めて思った。

 

 そんな事を思っていると、向こうからトレーナー……黒沼トレーナーがこっちに近づいてくる。

 

「今回だけだ、次からないようにな。それとこっちの邪魔をしないように」

 

「はい、ありがとうございます。黒沼トレーナー」

 

 黒沼トレーナーは自分が担当しているウマ娘たちのトレーニングを始める。

 

 ……さて、そろそろ時間だけど、テイオーがやってくる気配がない。

 

 ただ限られた時間を浪費するのは勿体無いと思ったので、俺はスペのストレッチを手伝うことにした。

 

「どうだ、こんくらいか?」

 

「もう少し強めても大丈夫です」

 

「ほい」

 

 半月前くらいにテイオーのストレッチを手伝ったことがあるが、それと比べてみると、スペの体は少し固めだ。

 

 いや、あれはテイオーの柔らかさが化け物っていったところだな、スペも人並み以上には柔らかい。

 

「スペって、体を柔らかくするストレッチ行ってたの?」

 

「う〜ん……おかあちゃんがよくストレッチをやれって言われて背中を押してもらってました」

 

「スペのお母さん?」

 

「はい! 私を日本一のウマ娘にするために色々してくれたんです!」

 

「へえ……どんなお母さんなの?」

 

 スペは話してくれた。自分の2人のお母さんのことを。

 

 1人は育てのお母さん。スペが日本一になれるように幼い時から練習を考えてくれて、そしてスペの練習にずっと付き合ってくれた。雨の日も風の日も、いつも隣には育てのお母さんがいたのだと言う。

 

 そしてもう1人は産んでくれたお母さん。スペを産んだ後に亡くなったのだと言う。

 

 そして亡くなる前に育てのお母さんに遺言を残した。「この子を……立派なウマ娘に……」と。

 

「ですから、私は日本一のウマ娘になるって、2人のおかあちゃんに誓ったんです」

 

「……」

 

「だから、次のダービーは……負けたくない」

 

 この時、俺は初めて知った。

 

 スペシャルウィークというウマ娘にとって、日本一のウマ娘になるという目標がどれだけ重たいもので、それがスペにとってどれだけ大切なことなのかを。

 

 そしてそれと同時に、俺は思い出した……自分の母さんのことを。

 

『玲音はスズカちゃんのお兄ちゃんでしょ』

 

 あの言葉が、お母さんが俺に残してくれた遺言だった。

 

 ……あぁ、そうか。スペは俺と似ているんだ。

 

 託された想いを……必死に叶えようとしているんだ。

 

 なら、俺が掛けるべき言葉は……。

 

「大切な人の想いを叶えたいっていう気持ちは、俺にも分かる」

 

「玲音さん……?」

 

「必ず勝とう、ダービー」

 

「……はい!」

 

「ごっめーん! 日直だったから少し遅れちゃった!!」

 

 スペとダービーへの決意を高めたのと同時に、テイオーがスタジオFの扉を勢いよく開けた。

 

   ・ ・ ・

 

「ほらほら! もっとしっかり背筋を伸ばして! これができないと軸がブレて楽しくダンス出来ないよ!! 出来るまで特訓! 特訓!!」

 

「だあああああ!? やっぱり厳しい!?」

 

 テイオーが提案してきたのはダンスによるダイエットだった。

 

 確かにダンスは意外と激しい運動だからダイエットにもってこい。さらにウィニングライブの練習としてももってこいだ。

 

 ただ……テイオーのレクチャーは想像以上にハードなものだった。

 

 いつも行っているウィニングライブは基礎はあるが、基本振付やステップを基調としたものだったが、テイオーが行っているのは、いわゆるバレリーナの基礎の姿勢。

 

 そしてお手本をテイオーが見せてくれたが、テイオーの姿勢は素晴らしいものだった。

 

 だが、スペがやってみると(まぁ、初めてやったって事もあるけど)軸がブレブレだった。

 

 最初は「違うよ〜」といったように、少しふざける様にスペの姿勢を正していたが、今では鬼教官と化している。

 

 この怖さは俺や尊野たちを担当をしてくれているダンスの先生よりも怖いものがある。

 

 ……そして、言いたい事がもう一つ。

 

「なんで……俺も、やらされているんだ?!」

 

「玲音、もっと顔を上げて! 軸もズレてきてるよ!!」

 

 その後、一時間以上ずっとバレリーナの姿勢を続けたのだった……いや、軸足に感覚がまぢでね゛ぇ゛……。

 

   ・ ・ ・(ゴルシデイ)

 

 今日はゴールd「ゴルシな」……ゴルシがスペのダイエットを手伝う日だ。

 

 てか、えっ? 今の何?

 

 なんか自分の頭の中に直接ゴルシの声が聞こえてきたが……気のせいだと思おう、うん。

 

 そしてこの日は色々訳わかんない出来事の連続だった……たった今起きてたけど。

 

 朝、俺はいつも通り寮を出て昇降口で外靴を脱いで上履きに履き替えようとして靴箱の扉を開けた。するとそこにあったのは張り紙。

 

 ガムテープで張り止めていたので、俺は覗き見るようにしてその張り紙を見る。

 

『今日の放課後、スペのダイエットのためにプールの貸し出しを申請よろしくなー! P.S この張り紙は未来のゴルシちゃんが剥がしに来るからそのままにすること。水着もついでに置いていくからな』

 

「……なんだこれ?」

 

 思わず口に出してしまったが……まじでナニコレ。

 

 いや、言いたいことは分かる……プールの貸し出しの申請をしといてといことだろう。

 

 このトレセン学園には年中使える室内プールがある。

 

 4月の下旬の今は温水だが、6月辺りになると冷水になる。

 

 そしてスタミナを鍛えるのに水泳はよく行われるので、基本プールには人が集まる。

 

 ただし体育館やダンススタジオみたいに許可を取る必要はなかったはず。

 

 ゴルシ……分かっていないのかな?

 

 それよりも……P.Sの文、どういう意味?

 

 未来のゴルシが剥がしに来る? 何をバカげた事

を言っているんだ?

 

 まぁ、ゴルシは時々意味分からない言動をするからな……これくらい普通だと思ってしまう俺がいる。

 

 ……なんて思っていると、横から物音がしたので音がした方を振り向いてみる。

 

「えっ……?」

 

 そこにいたのはゴールドシップだった。手にはビニール袋を持っており、こっちにゆっくりと近づいてくる……”後ろ歩き”で。

 

 なんだこれ……なんでゴルシは後ろ向きで歩いているんだ? ていうかなんでこんなことをしているんだ?

 

 いや、それを目の前にいる彼女に答えを求めるのは間違っているのかもしれない。

 

 だって、彼女は本当に自由奔放なのだから。

 

 後ろ向きで俺の靴箱に近づいてきたので、俺は距離を取る。

 

 するとゴルシはビニール袋を置いた後、俺の靴箱を開け、ポケットからガムテープを取る。

 

 そして靴箱に手を入れてガサガサしている……そして出された手には張り紙が握られていた。

 

 ……えっ? なんでガムテープを出したのに張り紙が剥がれているんだ?

 

 そんな風に思っていると、ゴルシはガムテープをポケットに入れてまた後ろ歩きで去っていく。

 

 あれだ、動画の逆再生を見ているようだ。

 

「っ、待てゴルシ!」

 

 俺は後ろ歩きで右の方に曲がって行ったゴルシの背中……いや、お腹を追う。

 

 ……だが、その先には誰もいなかった。

 

「……いない?」

 

 えっ、いやいや待て……こんな短時間で消えれるもんか?

 

 俺は他のクラスの昇降口を覗いて見たがいなかった。

 

「……ゴルシのやつ、一体どこにーーー」

 

「このゴルシちゃんを呼んだか!!」

 

「ウゲェ!?」

 

 突然後ろから首を絞められ、耳に入ってくる聞き馴染みのある声。

 

 目線だけ左に向けると……そこにはゴルシがいた。

 

「新人がアタシを探しているなんて珍しいな、どうしたんだ?」

 

「いやいや、さっきも会っただろ……なんであんな逆行世界みたいな動きをしていたんだ?」

 

「……なんだって?」

 

 ゴルシは俺の言葉を聞くと、絞める力を弱めたので俺は脱出する。

 

 そしてゴルシの顔は……真剣なものになっていた。

 

「逆行のーーー。まさかーーーーーーが……」

 

 ゴルシは何かをぶつぶつと呟いている。

 

 なんなんだゴルシ。自分自身で演技しておいて……まぁ、レベルは高かったけど……。

 

「あとゴルシ、プールだったら許可なく使えるよ」

 

「なるほど、そういう訳か……」

 

「っ?」

 

「新人、アタシが許可を取ってほしいのはプールの方じゃない」

 

 プールの方じゃない……って、何かプール以外にあったか?

 

「ーーーーの方を許可して欲しいんだ」

 

「……えっ?」

 

   ・ ・ ・

 

 放課後になって、俺は男子更衣室で水着に着替えていた。

 

 ていうかマジかよ……ゴルシの渡してくれた水着サイズぴったりなんだけど、一体いつ俺の水泳着のサイズを知ったんだ?

 

 まぁ、いいや……そう思い、俺はプールの方へと向かう。

 

 プールの室内に入った瞬間、プールの独特な塩素の匂いが鼻に付く。

 

 そしてその先にいたのは……目隠しをさせられたスク水姿のスペと同じくスク水姿のゴールドシップだった。

 

「やあスペ……って言っても分からないよな……」

 

「その声、玲音さんそこにいるんですか?」

 

「あぁ……」

 

「れ、玲音さ〜ん……私何をするんですか?」

 

 視界が奪われている上に今からやることを何も知らされていないスペは足が震えて、ウマ耳と尻尾は元気がなく垂れ下がっている。

 

 そんな姿を見ていると、今からやろうとしていることを実行してもいいのかと少し思ってしまう。

 

「ゴルシ、本当にやるのか?」

 

「なんでやらない新人が悩むんだ? まぁ、安心しろウマ娘は普通の人と比べて頑丈だからな、ちょっとやそっとじゃ怪我しねぇよ」

 

「あと……これって、ダイエットに関係あるのか?」

 

「いやない」

 

「即答かよ……」

 

 俺は眉間にシワを寄せる……これは許してもいいだろうか。

 

 一応今の俺は先生の代わり……スペのことを思うんなら、止めた方がいいーーー。

 

「あっ、もちろんトレーナーにも話は通してるからな」

 

「……マジすか」

 

 先生が許可しているんだったら、いいのか? いやでも、やっぱ個人的にスペが可哀想とも思っているし……どうすればいいんんだ。

 

「新人、ウマ娘には度胸もいる。だからこれはレースに勝つためにやることだ」

 

「勝つために?」

 

 そう言ったのはさっきまで元気がなさそうだったスペだった。

 

 そしてスペはゆっくりとこっちに近づいてくる。

 

「玲音さん……私やりたいです!」

 

「スペ……」

 

 その時、スペは目隠しをしていたので目は見えなかった。

 

 しかし俺には闘志を燃やし、覚悟を決めた瞳をしているスペが見えた。

 

「……分かった、やろう」

 

 俺はスペの手を引いて……飛び込み台の方へと足を進めた。

 

   ・ ・ ・

 

「れ、玲音さ〜ん……今いるのってプールですよね?」

 

「そうだな」

 

「なのになんで私たちは階段を登っているんですか?」

 

「気をつけろよ、濡れているからちゃんと踏むように」

 

「は、はい……」

 

 ピトピトと音を立てながら、俺とスペは飛び込み台の階段を登っていく。

 

 まぁスペからしたらなぜ階段を登っているのか分からないと思うが……。

 

 ちなみに本当は真ん中の飛び込み台にしようと思ったが、ゴルシがもっと上にいけとジェスチャーしたので、一番高い飛び込み台を使うことに。

 

 というかこの学園すごいな、室内プールはともかく飛び込み台も建っているなんて……やっぱこの学園ってかなりのお金を掛けているんだなと改めて思った。

 

 最後の1段を登りきり、俺は飛び込み台を見下ろしてみた……瞬間、鳥肌が立ったのが分かった。

 

 えっ、待って……何この高さ? ここから落ちたら余裕であの世に行けないか?

 

 元々飛び込み台に足を踏み入れること自体俺は初めてであり、ましてやこんな高さからプールを見下ろした事もなかったので、俺は今までに感じたことのない恐怖感に襲われている。

 

「よーし新人、スペの目隠しを取ってやれ」

 

 ゴルシの指示通り、俺はスペの目隠しを取ってあげる。一応パニックにならないように正面に立ってから目隠しを取ってから右にずれる。

 

「ひっ……えええええぇぇ!?」

 

 大きな声を上げてその高さに驚くスペ。うん、これは無理もない。

 

 しかし血も涙もないゴルシは拡声器越しに声を出す。

 

「ウマ娘は度胸! ドーンッと飛び込め!!」

 

「これってダイエットや勝負になんの関係があるんですか!?」

 

 スペは左右に備え付けられている柵を両手でがっちりと掴みながら、ゴルシにこの飛び込みの意味を問う。

 

 しかしゴルシは「ねぇよんなもん」と言わんばかりに手を横に振った。その動作を見てスペはさっきと同じくらいの声を上げた。

 

 と、その時だった。この飛び込み台に1人のウマ娘が現れた。

 

 水色の短い髪……菊の耳飾りを付けていているセイウンスカイだった。

 

「スペちゃんが行かないなら、お先に行かせてもらうよ〜」

 

「「セイウンスカイ(さん)?」」

 

「いざという時は度胸が大切〜……ほっ」

 

 なんとも緩い感じの掛け声と共にセイウンスカイは飛び込み台から飛び降りた。

 

 それを見下ろして見守ったが……彼女のフォームはとても綺麗だった。

 

 一回転前回りで回ってから着水したが、水しぶきはそこまで上がらず「この子、飛び込みやってたんじゃないか?」と思えるほどだった。

 

「こらスペ! 負けてらんねぇだろ、飛べ!!」

 

 それをスペは傍観していたが……ゴルシに怒鳴られ、恐る恐る飛び込み台の端に近づく。

 

 そして……下を見てしまった。

 

「やっぱ、やっぱ無理〜!!」

 

 そう言って、近くにいた俺の手を手に取った……その瞬間だった。

 

 スペが……右足を滑らせたのだ。

 

「「へっ?」」

 

 足を滑らせたスペはバランスを崩し……プール側の方へと徐々に近づいていく。

 

 そして俺はスペに手を握られていて、それに釣られてしまう。

 

 これが普通に人同士だったら、俺が引っ張って事なきを得ることは出来ただろう。しかしスペはバランスを崩し、プール側に引っ張っているのも同然。普通の人とウマ娘では力はウマ娘の方が上なので、俺がスペの方に引っ張られる形になる。

 

 そしてスペのいる方はプール。

 

 瞬間、聞いたことはないはずなのに何処かで聞いたことがある天の声が聞こえた。

 

 ーーー神は言っている、ここで死ぬと。

 

「「うわあああああああああぁぁ!!」」

 

 スペが最初に滑り落ち、そして俺も続けて落ちた。

 

 水面がどんどん近づいてくる……何となく世界がスローモーションになっている気もする。

 

 しかしそんなことはなく……俺は背中から水面に落ちた。

 

 背中に強い衝撃が走り、周りには水泡がいくつもできて、自分の体は沈んで行っているのに対して、水泡は水面に上がっている。

 

 その光景が何となく綺麗だと思い、俺は手を伸ばす。

 

 しかし自分の体は沈んでいっているため、その水泡や水面に手が届かない。

 

 やがて俺の体はプールの底に着き、背中に不思議な感触が発生する。

 

 ……そろそろ水面に顔を出さないと息が持たない。そう思って俺はプールの底を勢いよく踏むようにして立ち上がる。

 

 ここは飛び込み用のプールだから水深が深い。

 

 少しずつ肺に空気が無くなっているのが体感で感じる。

 

 俺は少し慌てるようにして手足を動かし、水面を目指した……そして視界に映ってた青の世界が一気に開ける。

 

「ぷはっ! はぁ、はぁ……」

 

 水面から顔を出した瞬間、俺は今まで我慢していた空気をめいいっぱい吸った……体の中に空気が入っていくのがよく分かる。

 

 ある程度は肺が空気で満たされた後、スペはどうしたんだろうと、俺は左右を見回した。

 

 するとスペは少し離れたところで仰向けにぷかぷかと浮いていた。

 

 その時のスペの表情は……めちゃめちゃ不満そうな顔だった。

 

   ・ ・ ・

 

「……以上が、昨日と今日の出来事です」

 

 プールで溺れかけた後の夜、俺は先生に義務報告をしている。

 

 先生は黙って聞いていたが……今日の出来事を話し始めた頃から溜め息を吐き続けていた。

 

「ゴルシ……何を企んでたかと思えば、そういうことだったのか」

 

「企んでって……先生が許可したんですよね?」

 

 ゴルシは確か、先生に話を通しているって言っていた。

 

 だから俺は先生が許可しているならと思い、今回の飛び込みを許可した。

 

「いや、あいつからは「ちょっと刺激的なことをするけどいいよな?」って言われただけだ。飛び込み台なんて聞いてない」

 

「えっ」

 

 ……あぁ、そうか。ゴルシは「話は通している」と言っただけで「許可を取った」とは一言も言っていなかったのだ。

 

 やばい、これは俺の完全なミス……先生に確認を取ればよかったんだ。

 

「まぁ、あいつには明日キツーく叱っておくとして……どうだ、スペは?」

 

「はい、順調だと思いますよ。見た感じは……」

 

「そうか……これで少しはスペも息抜きもできたか」

 

「息抜きというより……ダービーへの想いが一層高まった感じですかね」

 

 スペは少しずつではあるが、ダービーへの想いを固めつつある。それは近くで見てきたから分かる。

 

「それじゃ、これで報告は終わりだ。また明々後日にな」

 

「はい」

 

 そう言うと、先生の方から電話が切られて通話が終わる。

 

 俺は一回ベッドにダイブした後、携帯を操作して明日のスケジュールを確認する。

 

 頭の中で何度もシミュレーションして、そして明日に備える。

 

「……早めに寝ておくか」

 

 そう思い、俺は充電アダプターを携帯に挿した後、自室の照明を常夜灯まで落とす。

 

 そして明日の事を思いながら……俺は深い眠りについた。

 

 

 




・ゴルシはなんかの映画に影響されると、その映画の再現とかやってきそう。

・花嫁姿のドーベルさん可愛すぎませんか?

・最近のGⅠ競馬、接戦が多くてすごいですね。見てて手汗握るレースがほんと多い。

・次回は玲音のダイエット計画の話の”予定”です。


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Let's Hiking !! / 日本一

 前回のあらすじ:テイオーとゴルシのダイエットを実施

・UA75,000・76,000・77,000を突破しました。ありがとうございます!



 次の日、俺は目覚ましが鳴る前に目が覚めた。

 

 体を半分起こして、伸びを一回して布団から出て、今度は軽いストレッチをする。それと同じタイミングで携帯の目覚ましが鳴った。

 

 俺は目覚ましを止めて少しネットで調べ物をしていると、メッセージが届く。

 

 メッセージを送ってきたのはスペだった。

 

『玲音さん、おはようございます!』

 

 短い朝の挨拶の後に「おはよう」と書かれたスタンプも送られてくる。

 

 ちなみにメッセージは一応、チームのメンバー全員のIDを登録している。

 

『今日は8時からですよね?』

 

「あぁ、ちゃんと動きやすい服で来るんだぞ?」

 

『わかりました!』

 

 スペからの返信を確認して、俺はいつもやっている朝のドリップコーヒーを入れる。

 

 あっ、後今日のために作った水出しコーヒーも水筒の中に入れておかないとな。

 

   ・ ・ ・

 

 時間が近くなり、俺は寮から出ていく。

 

 気温としては少しずつ暖かくなって来ていて、今から運動するからTシャツとシャツの二枚着で十分だろう。

 

 スペの待ち合わせはレースの時みたいに駅ではなく、トレセン学園の校門前で集合という事にした。

 

 そうすれば遅れる事はほぼ無いだろうし、何より歩きなどで今日の体調チェックができる。

 

 ……一応スペ、昨日飛び込みをミスって腹から水にダイブしていたから、少しだけダメージが心配なのだ。

 

 とは考えても自分の背中はそこまで痛く無いので、普通の人より治癒力が高いウマ娘のスペなら大丈夫なのだろうが。

 

「あっ、玲音さーん!」

 

 後ろから声が聞こえて、声がした方に体を向けてみる。

 

 するとそこに居たのは手を大きく振ってこっちに走って来るスペの姿だった。

 

 結構距離があったはずだがスペは十数秒くらいで俺の近くまで寄って来る。やっぱりウマ娘って通常時に走っても速いんだなと、当たり前の事を再確認した。

 

「おはようございます! 今日はいい天気ですね!!」

 

「おっ、おう……すごい元気だな、スペ」

 

「なにせお出かけですからね! それも玲音さんと一緒にですから!!」

 

「そ、そうか」

 

 スペはとても明るい声でそう言った。実際、尻尾はブンブンと勢いよく振っているから楽しみなのは本当らしい。

 

 ここまで喜ばれると自分もネットで調べて考え、提案してみた甲斐があるってもんだ。

 

「よし、じゃあ行こうか」

 

「はい!」

 

   ・ ・ ・

 

 学園の最寄り駅から大体50分くらい、二回乗り継いで目的地に到着する。

 

 周りの人たちも俺たちと目的が一緒らしく、一斉に電車から人が出て行く。

 

 自分たちは立っていたため、自然に生まれたその人波に流され、逸れそうになったが、姿が見えなくなる事はなかったので改札で改めて合流した。

 

「すごい人ですね……」

 

「まぁ、皐月賞ほどでは無いけど……いや、感覚が狂っているだけで、ここも人多いな」

 

 俺たちが今日来たところ。それは山である。

 

 都内で登れるお手軽な山……俺はスペのダイエットの案の一つとして、ハイキングを考えてみたのだ。

 

 ウマ娘は基本管理されている綺麗な芝(ターフ)の上で走ることもあれば、ダート・コースを走ることもある。

 

 そのため多くの練習は平地で行う。(坂路やダートもあるが)

 

 だからスペがあんまりやってなさそうな事で気分をリフレッシュ、アンドダイエットするのはどうだろうかと考えてみたのだ。

 

 これだったら楽しくかつ痩せる事も出来る……今のスペにとってはかなり条件が揃っているはずだ。

 

「結構登山ルートがあるんですね、どこから行くんですか?」

 

「今日はダイエットも込みだからね、このコースにしようかなって」

 

 案内板の前に張り付いて、俺とスペは登山ルートを確認する。

 

 俺が指差したのは一番左に書かれている登山ルートである。元々は林道で他のルートと比べて整備されていない所が多いので、この山で一番キツイ登山ルートとされている。

 

 途中には東京を見下ろせる展望台や登山ルートの名前の由来になった旭稲荷という神社(とは言っても小さな祠)がある。

 

 一応他のルートには猿園とかお寺などもあるが、遊び目的では無いのでそちらの方には行かなくてもいいだろうと考えた。

 

 ちなみに周りの人たちは自分が考えているように歩いて山を登ろうとする人もいれば、少し行った先にあるケーブルカーやエコーリフトに乗って、途中まで登った後に山頂を目指したり、その周辺にある施設や食べ物屋を楽しむ人もいる。

 

 俺とスペはそのルートに入り、ハイキングを始めた。

 

 実際歩いてみるとそこまでキツイって訳では無い。ほんの少し歩きづらいなって感じる程度だった。

 

「こうやって山歩きしていると、おかあちゃんとよく近くの山を登ってた事を思い出します〜」

 

「へ〜、じゃあハイキングはスペの方が慣れているのかな?」

 

「ハイキングとして登るのは今日が初めてですけど、山登りなら多分慣れてます」

 

 確かにスペの姿勢は頭と背中が真っ直ぐになっており、インターネットで調べたハイキングの基本姿勢を自然に取っており、歩幅も小さく、靴裏と地面が付く時も全体を踏むようにしている。

 

 疲れない歩き方を体が覚えているのか……自分も少しずつ慣れていこう。

 

   ・ ・ ・

 

「ふぅ……っ」

 

 登り始めてから40分……はっきり言って油断していた。

 

 まさかハイキングが……ここまで苦しいものだったとは……。

 

 俺はかなり息を切らしていた。それに対しスペは5m先を先行している。

 

 時々スペがこっちを振り返り「大丈夫ですか?」と言われる度に「大丈夫だ、問題ない」と爽やかな笑顔で返事するという循環が生まれていた。

 

 いや、確かに登山ルートの写真とかは色々見て、どれくらい整備されていないのかは分かっていた。が、見るのと実際歩くのでは全然違った……。

 

 これは完璧に山を舐めていた自分の自業自得だ。

 

「あっ、玲音さん、もう少しで展望台ですよ」

 

「おっけ〜……俺は止まんねえからよ……」

 

 まるでそこが最終目的地かのように残された最後の力を振り絞る。

 

 ……なんでだろう、背中が銃弾で撃ち抜かれたような幻覚が起きる。辺りはなぜだか夕日色に染まっているように見える。

 

「お前が進む限り……俺も進み続けるぞぉ!」

 

 あっ、足がガクンってなった。

 

 少し硬めの地面に身体が横たわる。

 

「だからよ……止まるんじゃーーー」

 

「あっ、玲音さん!」

 

 最後のセリフを言おうとした瞬間、スペが大きく声をあげた。

 

 俺は何だろうと思って、顔だけを声がした方向に向けて見る。

 

 俺の視界が捉えたのは屈んでいるスペの姿だった。

 

 スペは茂みの方に体を向けており、手でちょいちょい手招きをしている。

 

 ……何をしているんだ? そう思って俺は体を起こしスペの方に近づく。

 

 そしてそれと同時に草むらから出てくる小さな影があった。

 

 その影はスペの目の前で止まる。そしてその影に対して両手を差し出す。影はスペの差し出された両手の上に乗った。

 

「あっ、来た来た」

 

 スペは立ち上がり、両手に乗せている”モフモフ”の小動物を慈しむような目で見ている。

 

「……リスか」

 

 スペの両手の上に乗っていたのは……尻尾がモフモフしているリスだった。

 

 ……って、待て待て。えっ、リス? なぜスペの両手の上にリス? リスってそんなに人懐こかったっけ?

 

「可愛いですねこの子、地元で見てきた子とはちょっと違います」

 

「……もしかして、北海道でもそんな風に動物と?」

 

「はい! 私が育った場所って結構田舎の方だったんです。だから友達は同世代の子よりもこういう子たちの方が多かったんですよね」

 

「へ〜、そうなんだ……もっと聞かせてよ、スペの地元のこと」

 

「えっとですね、かけっこの時には鳥さんとーーー」

 

 そうしてスペは地元のことを話してくれた。

 

 楽しそうに地元のことを話してくれるスペの顔を見ていると、疲れが少し和らいだ気がした。

 

「それでですね、その草原には……わあ〜! なまら綺麗な光景べさ!!」

 

 いつの間にか展望台に着いており、目の前には展望台から見える景色が広がっていた。

 

 ずーっと先に見えるあそこは……大体どこらへんなのかな。東京に住んで5年目くらいだけど、この都を全部知っている訳じゃないからな。

 

 携帯で調べてみると、どうやら新宿方面を向いているらしい。確かに新宿といえば新宿……やっぱ分からないな、これ。

 

「あそこに人がたくさんいるんですよね……」

 

「そうだな、そして普段は自分たちもあそこにいる」

 

 自分自身で言っときながら、不思議なことである。

 

 そこにいれば、見えるのはビルに囲まれた箱庭みたいな光景なのに、少し違う場所から見てみれば、そこはジオラマみたいに小さなオブジェクト。

 

 意外と自分たちが見ているそれは、とても小さな世界なんだろうな。

 

 んと、そうだったそうだった。この光景を楽しむためにわざわざ水出しコーヒーを水筒に入れてきたんだった。

 

 俺はショルダーバックから水筒と紙コップを取り出し、水筒に入れている水出しコーヒーを紙コップに注ぐ。もちろんスペの分もちゃんと用意している。

 

 コーヒーが注がれた紙コップをスペに差し出す。

 

「ありがとうございます!」

 

 展望台で用意したコーヒーをスペと飲む。

 

 ここまでほぼ水分補給はしなかったのと身体が疲れていたこともあり、いつもより風味と甘味が感じられた。

 

   ・ ・ ・

 

 あの後ちゃんと休憩を取り、頂上を目指して登山ルートを進む。

 

 展望台を出た後はなだらか道が続いたが、少し狭目の道や割とキツかった高低差のある道などを通っていった。

 

 もちろん、疲れも溜まって来ていたが、スペと会話して紛らわせたり、途中聞こえた沢の音で気持ちが癒された。

 

 だから山頂までは後一息だった……そう、後一息なのだ。

 

 この目の前に見える上が遥か遠くに見える階段さえなければ、一息だった。

 

「……嘘やん」

 

 俺はがっくしと地面に膝と両手を着け、絶望する。

 

 恐らくここに来るまで3キロ(高低差あり)くらい歩いて来たはずだ。なのに最後の最後にこの階段って……はぁ……。

 

 正直、もう足がパンパンなんだよな……どうしようかな。

 

 今からでも下山を始めて……いや、それじゃあスペのダイエットにはならないな。

 

 そんな風に俺は四つん這いになりながら考える。

 

「玲音さん!」

 

 あれこれ考えていると、スペが声をかけてきた……そしてすごい提案をしてきたのだった。

 

「スペが……俺を負ぶってこの階段を登る!?」

 

「はい!」

 

 いやいやと、俺はまず否定した。

 

 だって自分は体重としては45キロくらい……決して軽いという重さではない。

 

 それにそんなに負荷を掛けたら脚や腰に悪いのではないだろうか。

 

 そう言って断ろうとしたが……スペは食い下がった。

 

「大丈夫ですよ! 幼い時からお母ちゃんをタイヤに乗せて引っ張っていたこともありましたから……」

 

「いやでも……周りの視線というのが……ってうわ!?」

 

 スペはひょいと軽そうに俺を背負うと、階段の方へ足を進める。

 

 やばい……周りの登山客から「なんだあれ」みたいな顔で見られている。

 

「す、スぺ……やっぱりーーー」

 

「大丈夫です! 全然へっちゃらですから!」

 

 そう言ってとんとんとリズム良く階段を登るスペ、その速さは途中に登ってきたどの階段の時よりも速いものだった。

 

 もしかして……俺がいなかったら、スペはこの速さで登れていたのか?

 

 その事が分かった瞬間、自分自身が情けなく思ってしまう。

 

 スペのダイエットのために誘ったのに、俺がスペの邪魔になるなんてな……先生からもスタミナを鍛えるように言われていたし、もっと鍛えないといけないんだろうな。

 

 なんて考えている間もスペの歩みは止まらない。もう階段の3分の2を登っている。

 

「もう少しですよ……玲音さん」

 

「……あぁ」

 

 もうこの際、周りの視線とかいいや。

 

 ここはスペの厚意に甘えるとしよう……。

 

 ……おかしいな、疲れ過ぎて幻聴でも聞こえるのかな。

 

 すごく遠くで、ぱからぱからというなんとも軽やかな音が辺りに響いていた。

 

 そして音が遠くなっていったところで、スペは最後の一段を登りきる。

 

「はぁ……着きましたよ、玲音さん」

 

「ありがとう、スペ」

 

 俺はスペの背中から降りる。

 

 足は……うん、これはもう棒ですわ。少しだけ足を揉みほぐす。

 

 さてと、俺はスペのお陰で山頂にたどり着いた。

 

 そしてここは……その山頂にある展望台である。どうやら自分たちが通ってきた登山ルートは、この展望台の近くに繋がっていたらしい。

 

「……玲音さん、あそこ」

 

 スペがある方向に指差していたので、俺はスペの指先を視線で追ってみる。

 

 そこにあったのは、緑が生い茂る様々な山々……そんな山々の中に一際異彩を放ちながら聳え立つ山があった。

 

 その山は周辺の山々とは違い、雪が積もっていた。

 

 そしてその山の名前を知らない日本人はほぼいないだろう。

 

「「富士山……」」

 

 そう、そこで見えていたのは、日本一高い山・富士山だった。

 

 この展望台から見れば周りの山々と同じ標高に見えてしまうが、それは遠近法による錯覚であり、本当は3,776mもある。

 

 そしてその知名度は日本だけではなく、世界にも名を馳せている。

 

 ……ふと、言葉が浮かんだ。正直、自分でもなんでこんな言葉が浮かんだか訳分からないが……俺はその言葉を口にする。

 

「なぁ、スペ……お前は日本一のウマ娘になりたいんだよな」

 

「……はい」

 

「だったらさ、あれくらい有名にならないとな」

 

「富士山くらい……ですか?」

 

「あぁ……誰もがスペの名前を知っていて、その名前は世界にも轟く……日本一っていうなら、それくらい目指してみようぜ」

 

「……できますかね、私に」

 

 スペは少し不安そうな顔をした……だが、俺は間髪入れずに自らの思いを口にした。

 

「できるさ、絶対に……先生と自分が、必ず導いてみせる」

 

「玲音さん……はーーー」

 

 スペが返事をしようとした瞬間、「ぐ〜……」となんとも拍子抜けな音が響いた。

 

 その音を聞いた俺は目を丸くし、スペは音がした部位を両手で抑えて、少し赤面しながら申し訳なさそうにこっちを見る。

 

 そのまま5秒くらい経った後、俺は微笑を浮かべながらある提案をする。

 

「さっきのお礼って事で、下山したらここの名物のとろろそばを奢るよ」

 

「あはは……はい、ご馳走になります」

 

 その後、俺たちは無事に下山し、下山した先にあったお店でとろろそばを食べた。

 

 ダイエット中だから大盛りは頼まなかったが、とろろそばを啜って笑顔になるスペを見ていると、今日の疲れが吹っ飛んだ気がした。

 

 

 




・模試がサヨナラー。

・セイウンスカイ可愛すぎる……全然出てくれないけど。

・スペの正ヒロイン力を改めて実感した一週間でした。

・次回はライスシャワーとゲーセン回の”予定”です。


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思い出すために

 前回のあらすじ:玲音とスペ、ハイキングに行く。とろろそばが美味しかったらしい。

・UA78,000を突破、第5話のUAが10,000を超えていました。本当にありがとうございます。

・このライスシャワー回は前編と後編で分けます。



「……これでいいかな」

 

 クローゼットの中に入れてあった私服に着替えて、鏡の前で髪の毛を調整する。

 

 その様子を同室のゼンノロブロイちゃんに見られている。

 

 ライスが出かける事自体はそこまで珍しいことではないんだろうけど、ここまで鏡の前で髪を気にしているのは珍しいので、どうしたんだろうと気になっているのかもしれない。

 

「ライスさん、どこか遊びに行くんですか?」

 

「うん、ちょっと街の方に……」

 

「……その、こんなことを聞いてしまうのは失礼だと思うんですけど、もしかしてデートとかですか?」

 

「え、えっと……」

 

 確かに普段ここまで髪を弄っていないライスを知っているロブロイちゃんが今のライスを見たら、そう思ってしまうだろう。

 

 そしてデートっていう言葉は悪くは聞こえなかった……でもそれと同時に、少しだけ何かが違うような気もした。

 

 だって、今からやろうとしていることは……デートよりも重いものだろうから。

 

「デートとは……ちょっと違うかな。お出かけって言うならそうなんだけどね」

 

「あっ、もしかして前言っていた再会したお兄さんとですか?」

 

「……うん、じゃあ行ってくるね」

 

「はい、どうぞお気をつけて」

 

 ライスは自室……そして美浦寮を出てトレーナー寮の方に足を進めた。

 

   ***

 

「いてて……これは完璧に筋肉痛ですわ、もう動けませんわ、パクパクですわ(?)」

 

 目を覚ました瞬間、下半身に刺すような痛みが駆け巡った。

 

 そりゃそうだ、あんなに歩いていれば、筋肉痛の一つや二つ起きるもんだ。実際、卓球やサッカーやっていた時も最初の一週間は筋肉痛地獄に遭っているからな……。

 

 んまあ、特に出掛ける用事とかないから、今日は部屋の中で安静かな。

 

 筋肉痛の時は余計に体を動かせって卓球部の顧問に言われたことがあるが、ネットで調べると超回復は48〜72時間のスパンが必要であり、それまで体は動かさない方がいいと書いてあった。

 

 でも部活動だったから休むわけには行かなかったんだよな……でも今なら休むのも自由、ほぼ縛られていないから気楽な物である。

 

 そうだ、この前電子書籍で話題のマンガとかを買い溜めしていたんだった。今日はそれを読みまくるかな。

 

 う〜ん……トニカクカワイイウマ娘のお話か、地方最強のウマ娘のマンガだったら、どっち見ようかな……。

 

 トニカクカワイイ方は最近ヒロインのウマ娘が不老不死だってことが分かってきたところだし、地方最強の方は地方から中央に殴り込みして来たところだし……う〜んどっちから見ようか。

 

 ……なんて考えていると、自室に設置されている固定電話が鳴った。

 

 俺は重たい腰を起こして、固定電話を取る。

 

「もしもし?」

 

「谷崎くんかな、寮長の未浪です」

 

「あっ、お世話になってます」

 

 自然と俺は姿勢を正していた。

 

 というか、寮長さんから電話が来るのってかなり久し振りな気がする……滅多なことがないと電話しないからなぁ。

 

「実は谷崎くんに会いにきたって子が寮の受付に来ていてね、通しても大丈夫かな?」

 

「俺に会いたい子……ですか?」

 

 わざわざ休日に自分の部屋に来たい子……か。

 

 うん、マックイーンだな。スズカの可能性もあるけど、高確率でマックイーンだな、なんなら2ポンド賭けてもいい……誰に?

 

「分かりました、通して大丈夫です」

 

「分かったよ、お嬢ちゃん通っていいよ。それじゃ私はこれで」

 

 プツッと電話が切れる。

 

 俺は受話器を固定電話に戻して、マックイーンが来るのを待つ。

 

 というかマックイーン、用事があるんだったら携帯に電話くらいすればいいのに……まぁ、最近は連絡無しで来ることが多いけど。

 

 また耳かきかな……耳かき棒を用意しておくかな。

 

「え〜っと、耳かき棒は〜……」

 

 そんな風に耳かきを探していると、コンコンと自室の扉がノックする音が響く。

 

 もう来たか……待たせようかと思ったけど、耳かきじゃない可能性もあるから先に出ておこうかな。

 

「はい、今開けます〜」

 

 俺はさっさと扉の前に移動して、ドアノブを捻りながら扉を押し開ける。

 

 そしてそこにいたのは紫がかった髪……ではなく黒髪と、他のウマ娘よりも少し大きな黒いウマ耳だった。

 

 そして少し視線を下げて見ると、そこには少し俯き気味だが上目で自分の方を見ているベージュ色の服を着たライスシャワーさんがそこにいた。

 

「あっ、あの……おはよう、玲音くん」

 

「ら、ライスさん?」

 

 てっきりマックイーンが遊びに来たんだと思った俺は、意外の人の登場で少しだけ頭が真っ白になる。

 

 なんでここにライスさんが……そう困惑しているとライスさんが「あの!」と少しだけ語気を強めてある提案を口に出した。

 

「今から……ライスとお出かけしませんか?」

 

   ・ ・ ・

 

 一時間後、俺とライスさんは駅前に来ていた。

 

 本当はさっきから昨日のハイキングで出来た筋肉痛の痛みが足を襲っているが、それでも今日は出かける価値があると思って今ここにいる。

 

 ライスさんに提案された案……それは俺の空白の4年間に関することだった。

 

「あの、ライスさん。今日はどこに行こうとしているんですか?」

 

「着くまで秘密だよ。あとさん付けじゃなくて呼び捨てで、敬語も無しだといいかも」

 

「あっそっか、自分たちは仲が良かったんですよね」

 

「うん……あと……その……」

 

 ライスさんは少しモジモジと体をくねらせて、少し頬を赤くしている。

 

 俺はその様子を見ながら、彼女がなんて言うか黙って待つ。

 

「玲音くんのこと……お兄さまって呼んでもいいかな?」

 

「えっ?」

 

 うん、待ってくれ。なんでお兄さま?

 

 ライスさんと自分はそんなにも深い関係だったのか? つまり今覚えている自分とスズカみたいな……。

 

 いやでも、ライスさんの方が一つ年上だよな? それだったら俺がライスさんの事をお姉さまと呼ぶんじゃ……『ライスお姉さま』あっ、なんかしっくり来る。

 

「えっと……逆なんじゃないの? ライスお姉さま……一応そっちが年上だよね?」

 

「ううん、ライスは玲音くんの事を『お兄さま』って呼んで、玲音くんはライスのことを呼び捨てで呼んでいたの」

 

「えぇ……」

 

 詳しく聞いてみると、俺は最初にライスさんの事を同世代と勘違いして「俺をお兄ちゃんだと思ってもいいよ!」と言ったんだという。

 

 やべえな……覚えてはいないが、スズカの兄として浮かれていた当時の自分だったら、ガチで言いそうである。というか想像できる。

 

 ていうか一つ違ったら行事とかで同じ学年じゃないってすぐ分かりそうな気がするけど……何をぼーっとしていたんだ、昔の俺は……。

 

「これも全て、れお……お兄さまに記憶を思い出してもらうためだから」

 

「……」

 

 そう、このお出かけは、俺の空白の4年間を少しでも思い出させようと、ライスさんが考えて来た事である。

 

 この前、空白の4年間の原因となった事件を知った時、俺は恐怖心に駆られた。

 

 記憶は忘れているが、俺の心と体はそれを覚えている……そうライスさんは考えた。

 

 そしてライスさんは一つの案を思いついた。

 

 その案とは、昔やったことを追体験することで、記憶を思い起こさせるというものだった。

 

「……分かったよ、ライス」

 

 俺も、できることなら空白の4年間を思い出したい。

 

 だから俺はライスさ……ライスの提案を受け入れ、体に鞭を打って外に出ているのだ。

 

   ・ ・ ・

 

 歩き続けて十数分、ライスが足を止めたので目の前にあるこの施設が今日の目的地だと察する。

 

 そしてその施設は……映画館だった。

 

 多分日本一有名な、あの丸くて赤いロゴがトレードマークの映画館だ。

 

「映画を見に来たの?」

 

「確かにここは映画館も併設されているけど、今日は違うよ」

 

 そう言って入り口に入っていくライス。俺もライスの背中を追うように施設の中に入った。

 

 どうやらここは複合商業施設みたいだな……食べ物屋さんもあれば、色んなジャンルのお店が並んでいる。

 

 しかしライスはどこにも目を呉れずに、人混みをひょいひょいと避けながらエスカレーターに乗る。

 

 どうやらその目的の場所はB1Fにあるらしい。

 

 そしてエスカレーターに乗った瞬間に、何やら騒々しい音楽や機動音が聞こえてきた。

 

 一瞬なんだろうと思ったが、すぐにその音の正体が分かった。

 

 そして分かったのと同時にエスカレーターから降りる。

 

「ここだよ、お兄さま」

 

 

 




・後半へ続く〜(ちび◯子ちゃんのナレ風)


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トウ/Recall the memory

 前回のあらすじ:ライスシャワーと玲音、ーーーへ行く!

・UA79,000・80,000・81,000を突破しました。誠にありがとうございます!



「なるほど……ゲームセンターか」

 

 目の前に広がっていたのは様々なクレーンゲームの音楽が入り混じっているゲームセンターだった……てかうるさい!?

 

 自分は一応、ゲームセンターに行ったことは何度かある。だけどここまでうるさいゲームセンターは初めてだ。

 

 なんでこんなにうるさいんだと思っていると、俺は店前にデカデカと書かれている文字を見て理解した。

 

 そこに書かれていたのは「祝ギネス認定!」と「世界最多級のクレーンゲーム数!」の文字だった。

 

 なるほど、それは確かにうるさいわな。

 

「ここに来たってことは、俺とライスはゲーセンによく行ってたてことか?」

 

「うん、結構な頻度で行っていたから、体はよく覚えていると思うの……」

 

「そうか……んで、何をやるんだ?」

 

「こっちだよ」

 

 ライスがゲームセンターに入っていくので、自分も付いていく。

 

 流石世界最多級のクレーンゲーム数……奥に行っても左右みんなクレーンゲームだ。

 

 しかしライスは真っ直ぐとその筐体に進んで行った。

 

 ライスが選んだ筐体……それはレーシーングゲームだった。それも普通のレーシングゲームではなく、某配管工のおじさんたちが出てくるゲームのレース版のゲームだ。

 

 実際、今は4台あるうちの2台で小学生らしき子たちが遊んでいる。

 

「懐かしいなぁ……もしかして向こうでも俺たちはこれをやってたのか?」

 

「うん、ゲームセンターに来たらほとんどこれをやっていたから」

 

 そう言いながらライスは空いている筐体のシートに座る……どうやらこれをやることが今日の目的みたいだな。

 

 俺も空いている筐体に座って、100円を取り出して投入口に入れる。

 

 これは幼い頃やったことあるなぁ……。覚えている限り小一以来だけど……ライスさんの発言が正しいってなると小一以降もやっていたんだな。

 

「スピーカーは後ろに、シートは調整可能、画質は俄然よくなっている……ほんとすごいなぁ」

 

 全然やっていない間に筐体が凄まじい進化を遂げていることに感心しながら、十何年ぶりにハンドルでゲームを操作する。

 

 操作キャラはとりあえず、そのシリーズの主人公である赤い髭のおっさんにしておいた。

 

 あっ、写真撮られた……そしてその写真の枠に用意されたフレームが用意されていて、俺はMと描かれた赤い帽子と鼻髭が、ライスは頭にちょこんとティアラが乗っていた。

 

 時が経っても、この最初の撮影は行われているんだな。

 

 さて、今はコース選択(グランプリエントリー)だが、ライスはどこのカップを選択するのか。

 

「お兄さまはどこのカップをやってみたい?」

 

 と思ってたら、自分にカップを選ばせてくれるらしい。俺は2P側扱いなので、コース選択の決定権は1P側であるライスにある。

 

「ん〜……無難にここら辺で」

 

 俺が指差したのは左から二番目に表示されていたグランプリだ。難易度は「ふつう」と書かれているから、そこまで難しいコースではないだろう。

 

 こういうゲームの「かんたん」っていうのは本当に簡単過ぎるから、「ふつう」くらいが丁度いいだろう。こういうキャラ物のレースゲーではないが、レースゲームは経験者だからな、キャラゲー系でもこの玲音、容赦せん!

 

 ライスがそのグランプリを選択すると、少しのロード時間があった。だが断然昔よりもロード時間は早かった。

 

 さらにその後に出てくるコースの簡単な全体図が出て来たが、それを見ただけでもかなり細部まで作り込まれているのが分かった。

 

 視点が自分のキャラに移り、雲に乗った本来は敵のキャラがシグナルを知らせる。

 

 3……2……俺はここでアクセルを踏む。確かこのタイミングでスタートダッシュが決まったはずだ。

 

 そしてその感覚は当たっており、STARTの文字が出た瞬間に自分のカートはターボを吹かしスタートダッシュを決めた。

 

 スタートダッシュを決め、順位は1位……これが普通のレースゲームだったらここをキープするように立ち回るが、このゲームはビリから1位に返り咲くのは難しいことではない。

 

 第一コーナを通過し、初めてのアイテムボックスを取る。出たのはバナナの皮……最低限の防御手段は確保できた。

 

 さて、向こうのアイテムは……なんだあれ、金色に光る……甲羅?

 

 緑や赤だったらよく見るけど……このゲーム限定の色の甲羅なのだろうか?

 

 そんな風に思っているとライスが一つ甲羅を投げる。見た感じ直撃コースだったので、俺はバナナを生け贄にして事を得る。

 

 ……と思ったら、もう一つ甲羅が飛んで来ていた。なるほど一つ目はブラフだったか。

 

 でもまぁ一つ当たっただけなら、リカバリーは可能だがーーー

 

 ーーーどかーん!

 

「……へっ?」

 

 何が……起きた?

 

 金色の甲羅がカートに当たった瞬間、広範囲の爆発が起こった。

 

 いや待て待て、確かにこのゲームにはボムソルジャーという爆弾みたいなアイテムはあるけどさ……甲羅が爆発するってどういうこと?

 

 爆発を喰らい、俺はかなり下位に落ちてしまった。だがまぁまだ大丈夫だ。レースはまだ始まったばかりだ。

 

   ・ ・ ・

 

 レースもファイナルラップに突入し、順位は3位。2位にいるのはCPU、そして1位にライスのキャラである。

 

 ライスとの差は大体8台くらいだろうか……その間にCPUがいる感じである。

 

 最終コーナーまで、残り3コーナー。その間はアイテムボックスが一つだけで後はテクニックの差が物を言う。

 

 そして隣を見てみると、先にアイテムボックスがある場所に辿り着いていたライスが引き当てたのは防御系のアイテムだ。それに対しCPUもアイテムを引く。そして引いたのは赤色の甲羅だった。確かあの色の甲羅の性能は前にいるカートに自動追尾するものだったはず。つまりライスは必ずあの甲羅を防ぐために防御アイテムを使ってくるはず。

 

 そうなれば自分のアイテム運次第だが、一位に返り咲くことができるはず……さぁ、アイテムCome on!!

 

 ……しかし俺が引いたのは、バナナの皮だった。

 

『ナムアミダブツ! なんて滑稽な状況か!』

 

 ゲーム内のアナウンサーもこれでもかと言うくらい煽るようなセリフを……待って、さっきまで元気はつらつ系の声だったのに、なんでニンジャの世界線のナレーター=サンに変わっているんだ?

 

 しかしこの状況は確かに不味い。こうなってしまったらこのまま3位でチェッカーを受けるか。

 

 ……いや待てよ? この後はコーナーが続く……ドリフトターボによって加速を何度も繰り返せばCPUの後ろは取れる。そしてそのままトウ(スリップストリーム)を受けれる事が出来れば、最後の直線でライスに並べる可能性が出てくるはずだ。

 

(……よし、いくぞ!)

 

 俺は集中をした。ドリフトに入るタイミング、ハンドルをリバースするタイミング、加速のタイミングを完璧にし、極限までタイムを縮める。

 

 そして少しずつ、前との差は縮まっていき……最終コーナーで2位のCPUの真後ろを取れた。

 

 最終コーナーを回ったところで、ライスは5台先を行っている。そしてCPUの真後ろを取る俺はぴったりと相手のカートギリギリまで自分のカートを近づける。その時、自分のカートの周りに風のエフェクトが現れる。

 

 2秒……3秒……次の瞬間、自分のカートは驚異的な加速を見せた。

 

「スリップストリーム……!?」

 

 隣で独走しかけていたライスは自分の急加速を見て、大いに驚いていた。

 

 さっきまで遠くにいたライスが操っているキャラのカートが一気に近づく。しかしそれと同時にゴールラインも残り僅かである。

 

 届くか……届かないか……!

 

 最後の数メートル、俺とライスのカートは横に並んだように見えた……そしてそのままの状態でチェッカーフラッグを受けた。

 

 どっちが勝ったかは肉眼では分からなかったが……音楽とゲームのアナウンサーのセリフが先のレースの順位を物語った。

 

「……2位か」

 

 自分は惜しくも2位だったらしい。しかしライスの方も余裕はなかったらしく「ふ〜」と一つ深い息を吐いた。

 

 いやぁそれにしても、まさかあそこから並べるなんて……やっぱトウはすごい。

 

 ゲームだからここまでオーバーに表現しているが、実際のレースも後ろに入る事によって空気抵抗を減らし、直線の速度を稼ぐ。まぁ、ダウンフォースが無くなるから全然曲がらなくなるんだけど。

 

 ……ふと、思考の隅でこの前の皐月賞のレース場面が浮かんだ。

 

 あれ、あの時セイウンスカイ……後ろからぬるりと来ていたよな。

 

 もしかして、あの時セイウンスカイはトウを得ていた?

 

 確かマラソンとかでも風除けのために選手の後ろに着くことはある。そしてウマ娘のレースは基本時速60〜70kmは出る。モータースポーツほどではなくても、スリップストリームの効果は出るのではないのだろうか?

 

 ……気になる。セイウンスカイがどう動いていたのか……気になる。

 

「あ、あの〜お兄さま? 次のレースに行かない?」

 

「えっ、あぁごめん!」

 

 考え事をしていたせいでゲームの方を完全に忘れており、ずっとリザルト画面を開きっぱなしだった。俺はハンドルを操作して、次のレースに備える。

 

 しかし次のレースはさっきの事をずっと考えていながら走っていたので……

 

「ぎゃあああああ!?(巨大化したCPUに踏みつけられる)」

 

「えんだああああ!?(無敵になったCPUにぶつけられる)」

 

「あべし!?(自ら置いたバナナに引っかかってスピン)」

 

 とまぁ色々あり、ビリになってしまった……。

 

   ・ ・ ・

 

「今日はありがとう、ライス」

 

「うん……ライスも楽しかったよ、お兄さま!」

 

 あの後も俺とライスは太鼓の音ゲーやシューティングゲーム、エアホッケーなど様々なゲームを行った。

 

 とても楽しくて途中から昨日の山登りの筋肉痛はどこかに行ってしまった……が、肝心な事はと言うと。

 

「それで……そのお兄さま。何か思い出せた?」

 

「……」

 

 そう、今日ライスがゲームセンターに誘ってくれたのは、自分の空白の4年間を思い出すためだ。

 

 しかし、その目的は……全然果たせていない。

 

「ごめん……どうしても思い出そうとしたんだけど、無理だった」

 

「っ……そう、なんだ……」

 

 俺の返事を聞いて、ライスは少し苦しそうな……悲しそうな顔を浮かべた。

 

 その表情を見た瞬間、俺は声をかけようとしたが、なんて言えばいいのか分からない。

 

「”玲音くん”は……今日楽しかった?」

 

「えっ? ……はい」

 

 実際楽しかったのは事実なので、俺は素直な気持ちをライスさんに伝える。

 

 思い出せなかったのは……本当に申し訳ないが……。

 

「玲音くんが楽しかったなら、ライスはとても嬉しいかな」

 

 そう言いながら少し前を歩き始めるライスさん。

 

 そんな彼女の背中を俺は黙って見ていた。

 

 ……あれ、ライスさんが一瞬、横に顔を向けた。

 

 何か気になるものがあったんだろうか……俺も釣られてそっちの方向を見てみる。

 

 そこにあったのは一台のクレーンゲームだった。中の景品は……クロワッサンや食パン、メロンパンなど、様々なパンが象ったスクイーズ。

 

 それを見た瞬間、俺はポケットに手を入れて、残りの小銭の数を確認する……3枚か。

 

「ライスさん! ちょっとこのクレーンゲームやっていいですか?」

 

「いいけど……玲音くん、それが欲しいの?」

 

「いえいえ、あげるのはライスさんにですよ」

 

「えっ……?」

 

 困惑しているライスさんを余所に、俺はクレーンゲームに100円を入れる。

 

 起動音と共に音楽が鳴り始める。これは左右前後好きなように操作できるタイプのやつだ。

 

「ライスさんはどれが欲しいですか?」

 

「えっと……じゃあメロンパンのを……」

 

「WILLCOM、やってやりますよ」

 

 俺は一番取れそうなメロンパンに標準を定める。ちょんちょんとコントローラーを倒してアームの微調整をして……決定ボタンを押す!

 

 アームは勢いよく降下して行き、メロンパンを掴む。そしてメロンパンが上空に持ち上がるが……アーム自体がぐわんぐわんと揺れており、とても不安定である。

 

 結果、メロンパンは運ばれている途中で落下してしまった。

 

「あっ、落ちちゃった……」

 

「大丈夫です、まだありますから」

 

 そう言いながら、俺は2枚目の100円玉を入れる。

 

 しかし今度は掴むこともなく、アームは虚空を掬い上げた。

 

 隣で少し心配そうにこっちを見てくるライスさんを尻目に、俺は最後の100円玉を入れる。

 

 これで最後……しかしさっき落っことしてしまったメロンパンはもう取れないことが2回目で分かった。だから狙うのはまだ少し他の景品に埋れているメロンパンだ。

 

 1回目と同じように……いや、それ以上に微調整を行い、決定ボタンを押す。

 

 勢いよく降下して行ったアームは埋れている景品をガッチリとホールドする。問題は掴みあげるのがメロンパンかどうかだが……上手く行った、アームはメロンパンを掴み、上空に持ち上げた。

 

 しかしさっきと同じように左右にふらふらと揺れている。

 

「落ちないで〜……落ちないで〜……!」

 

 横にいるライスさんも……そして俺も静かにメロンパンが受け取り口に入ることを祈る。

 

 そして最後までメロンパンを運び切ったアームは、最後の最後でメロンパンを滑り落とす……受け取り口に。

 

「や……やった〜!」

 

 隣で飛び跳ねるライスさん……そんなライスさんを落ち着かせるためにも、俺は受け取り口に落ちたメロンパンのスクイーズを手に取り、隣のライスさんに差し出す。

 

「どうぞ、ライスさん。今日のお礼みたいなものです」

 

「う……うん!」

 

 ライスさんは差し出されたスクイーズを両手で包み込み、それを胸元まで寄せる。

 

 目を瞑り、頭も少し下を向いており……まるでお祈りを捧げているみたいだった。

 

「……玲音くん」

『……お兄さま』

 

 そして目を開け、こっちの瞳を見てくるライスさん……その時だった。ライスさんの隣に背の低い黒髪のウマ娘の子が現れた。その顔は幼いが……ライスさんにすごく似ている。

 

「『ありがとう……ライスのために取ってくれて』」

 

「……いえ、お安い御用ですよ」

 

 そう行った瞬間、幼いウマ娘の女の子はパッと消えて、俺の目の前にいるのはライスさんだけだった。

 

 いや、それでも……今のライスさんって、もしかして幼い頃の……俺が覚えているライスシャワーという女の子なのか?

 

 今日のことは……無駄じゃなかったのか。

 

「……ライスさん、またどこかに行きましょうね」

 

「っ? うん、別にいいよ?」

 

 ライスさんからしたら「また一緒に遊ぼう」という意味に聞こえただろう。

 

 でも、このままやっていた事を追体験すれば、いつかはあの空白の記憶を思い出せるような……そんな気がした。

 

 

 

「あっ、そうだ、ライスさんがよかったら、これからはライスお姉さまって呼んでもいいですか?」

 

「そ、それは恥ずかしいからやめて欲しい……かな?」

 

 

 




・ドーナツの真ん中を開けるバイトがあったのでやってみたが……あれは無になりますわ。

・次回のお話は未定です、お楽しみに。


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気づいた事/学友の新たな一面?

 前回のあらすじ:玲音とライス、ゲーセンを楽しむ。その際、空白の4年間の記憶が……?

・UA81,000、お気に入り件数800件、3話のUA10,000を突破しました! 皆さま、本当にありがとうございます!!



「……やっぱり、そういう事だったのか」

 

 ライスさんとゲーセンに行き、そして別れた日の晩。俺はネットでURAの公式HPにアクセスし、今日からちょうど一週間経った皐月賞のハイライト動画を視聴している。

 

 そして分かった事だが……やっぱりセイウンスカイは上手く他の娘たちの後ろに位置付けて、最後の坂まで極力空気抵抗を減らして体力を温存していた。

 

 セイウンスカイ……普段はおっとりしていると聞いているが、レースの知識やセンス、そして仕掛けるタイミングの良さは他の娘と比べて見ても頭一つ抜けている。

 

 とりあえず、この事を先生に言ってみよう……先生は俺と違ってプロのトレーナーだからもう気づいているだろうが。

 

   ・ ・ ・

 

 次の日、4時間目のチャイムが鳴り、お昼ご飯を道と尊野と一緒に取った後、俺は先生がいるであろう教員室に訪れたが……先生はいなかった。

 

 だが現在地表と書かれた黒板に、先生の名前が書いてあった。どうやら先生が今いるところはトレーナー室というところらしい。

 

 俺は知らなかったので近くにいた教員の先生に聞いてみると、チームを持っているトレーナーにはそれぞれの個室が用意されるのだという。

 

 その先生からチーム・スピカのトレーナー室の場所を聞いて教員室を出る。

 

 教えられたトレーナー室は普段の学園生活では寄らない別の校舎の2階にあるらしい。

 

 というか……こんなところがあったんだな。この学園に来てから一年と少しが経つが、こんなところがあるなんて知らなかった。

 

 俺は校舎の中に入る。入った先に各チームのトレーナー室の場所が記されている掲示板があったので分かりやすかった。

 

 階段を上がり2階へ……廊下を歩き、部屋に付けられているルームプレートを見て確認する。

 

 この階にはスピカの他にリギルやカノープス……あと黒沼さんのチームのトレーナー室もあるらしい。

 

 そしてスピカのトレーナー室は一番端っこにあった。俺はドアをノックする。すると「どうぞ〜」と中から先生の声が聞こえたので、俺はドアを開けトレーナー室に入る。

 

 入った瞬間に先生はイスに座っている事に気がついた。その視線は机の上に乗せられているノートパソコンに向けられている。

 

 先生は一度こっちを軽く見た後、またノートパソコンの方を見直した。

 

「どした玲音、お前がここに来るのは初めてじゃないか?」

 

「えぇ……こんなところがあるとは思いませんでしたよ」

 

 俺はそう言いながら先生が見ているノートパソコンを覗いて見る。そこに映っていたのは坂を駆け上がっているスペ……の足元だった。

 

 もう一つのタブにはセイウンスカイの足元が映っていた。

 

「先生、その映像って……」

 

「あ〜、これはなーーー」

 

「足フェチなんですか?」

 

「ちげえよ!」

 

 バンッと机を両手で強く叩きながら勢いよく立ち上がり、自分に詰め寄る先生。

 

 うん、まぁ……ほぼ冗談で言ったつもりだけど、正直言って先生、変なところでHENTAIなところもあるからなぁ……スペの足をこの前触ろうとしていたし。

 

「……ちょっとこれを見てみろ」

 

 そう言って、先生はノートパソコンを俺の真っ正面になるようにずらした。

 

 そしてスペースキーを押して、動画を再生させる。

 

 するとさっきまで止まっていたスペとセイウンスカイの足が動き始める。

 

 中山レース場にある最後の坂を登っている時の映像だろう。だけど走っているだけでどこもおかしなところはないような……。

 

「何か気づくことはあるか?」

 

「いや……此れと言って変なところはないような」

 

「2人の足の着地点とテンポを見てみろ」

 

「……テンポ?」

 

 先生に言われたところを意識して、もう一度さっきの映像を見てみる。

 

 ……心なしか、セイウンスカイの歩幅が狭くて、素早い?

 

 スペは第4コーナーの出口で走っていた歩幅でそのまま心臓破りの坂に入っている。それに対しセイウンスカイは一気に左の空いたスペースで加速していった歩幅と坂に入った時の歩幅に違いがあった……ような気がする。

 

 その事を先生に言ってみると……先生はゆっくりと首を縦に振った。

 

「レースで使われる走法は、大きく分けて二つある」

 

 先生はレースで走法の事を話してくれた。

 

 まず先に先生が言ったように走法には大きく分けて二つに分けられる。

 

 一つはストライド走法と言い、これは距離(ストライド)を大きく取って走る走法、簡単に言えば一歩一歩大きく踏み出して走ること。

 

 この方法で走るともう一つの走法と比べて加速力は劣るが、その分最高速度に達した時の速度を維持することができるのだという。さらに体力の消費は抑えられ、長い時間ロングスパートを掛けられる。

 

 そしてもう一つの走法がピッチ走法と言うらしい。

 

「ピッチ走法はストライド走法とは逆で、ストライドを減らす代わりに脚の回転力を上げて走る方法だ」

 

「ストライドを……つまり、加速が早くなる?」

 

「そう、だがそれ以外にもダートや重馬場の芝、そして坂路で多く使われる」

 

「……坂路」

 

 そう言えばうろ覚えだけど、2位だったキングヘイローも歩幅が狭かったような……。

 

「あいつらは一年前から走っている。そこの経験値の差と俺の指導不足が……あの時の敗北に繋がってしまった」

 

 その時の先生の顔は……本気で悔しい思いをした人がする後悔の表情だった。

 

 そして微かにだが、先生の瞳は燃えていた。

 

「……そう言えば玲音、お前も何か気づいた事があったからここに来たんじゃないか?」

 

「っ、そうでした。ちょっと拝借しますね」

 

 俺は先生のノートパソコンを操作して、セイウンスカイがトウ(先生には伝わらなかったからスリップストリームと言った)を得ていた事を先生に説明した。

 

「お前これ、自分で考えたのか?」

 

「……いえ、ただ友達と一緒にフォーミュラーのレースをテレビで見ていたら思いついて」

 

 流石にゲーセンに行って、そこでやったゲーム内で思いついた……なんて正直な事は言えない。

 

 でもまぁ今考えた理由もかなり自然な理由になるだろう。それにトウ自体は本当に知っていた事だ。

 

「そうか……だが思いついてそれを自分の目で確かめた。それだけでもトレーナーを志す人間としてはいい事だ」

 

「……はい!」

 

 先生に肩をポンッと軽く叩かれる。それを俺は「引き続き頑張れよ」という激励の言葉の代わりとして受け取る。

 

「んで、ここからが本題だ」

 

   ・ ・ ・

 

「……」

 

 放課後のチャイムが鳴った後、俺はチームの部室には行かず、そのままトラックの方へと移動した。

 

 手にはメモ帳とシャーペンを持っていて、目の前で練習しているウマ娘たちの観察をする。

 

 ”いつもは”スピカの練習に参加しているからこそ、”別のチーム”の練習を見るって言うのはかなり新鮮だ。

 

「……あれ、谷崎くん?」

 

 聞き覚えのある声が聞こえ、声がした方に体を向ける。

 

 そこにいたのは……学園の指定ジャージ(紺色)を着て、手にペンとクリップボードを持った道がそこにいた。

 

 ……ダンスの授業やその他の授業でも見慣れているはずなのに、なんでこんなにも違う人のように見えるんだろう?

 

「どうしたの? ”リギル”の練習なんか見にきて?」

 

 そう、今俺がいるのはチーム・リギルがトレーニングしているトラックだ。

 

 なぜ、スピカの見習い学生である自分がリギルの練習を見に来ているのか……俺は先生から出されたある宿題のことを道に言う。

 

「リギルメンバーの誰かと……そっちの娘で模擬レース?」

 

「あぁ」

 

 スペに足りないものはレース上で使える知識、そして経験ということはあの昼休みで分かった。

 

 だから仮に俺や先生がそれを口で教えたとしても、恐らくスペは分からないだろう。

 

 そこで、先生は一つの案を考えていた。簡単に言ってしまえば「経験がないならレースをすればいいじゃない」と言うものだった。

 

『スペとリギルメンバーの一人で模擬レースを行う。レースでしか得られない”感覚”っていうものがあるからな』

 

 それを聞いて不思議に思った。先生ってリギルのトレーナーとラインが繋がっているのかと。

 

 まぁ、一回東条ハナさんと話した事があるけど、その時も先生の事知っていそうだったしな。

 

 それにスペにとってもリギルの誰かとレースというのは貴重な体験になるだろう。

 

『でも先生、そうするにしても、誰とやらせるんですか? リギルってかなりの数のウマ娘がいたような気がしますけど』

 

『誰とやるかは決めてない……が、決めてもらうつもりだ』

 

「その模擬レースの対戦相手を、谷崎くんが観察して決めてこいってこと?」

 

 そう、俺がここにいるのは模擬レースでスペと対戦する相手を確認するためだ。

 

 正直に言ってしまえば「あぁ、またか」みたいな感情が大きかった。

 

 観察に関しては皐月賞の前にセイウンスカイやキングヘイローで行っていて、そこまで毛嫌いするものでもなかった。

 

 しかし「またか」という思いはすぐに消えた。それよりも「スペのコンディションを整えたい」という気持ちが大きくなった。同時に「スペの役に立ちたい」という思いも湧いた。

 

「そっ、それが俺がここにいる理由で、観察しているのはその為……邪魔になるんだったらどこかに行くけど」

 

「う〜ん……一応東条さんに確認を取ってみてーーー」

 

「いや、その必要はないよ橘くん」

 

 後ろからどこかで聞いたことがある声が聞こえ、俺と道は振り返る。ちなみに橘は道の名字である。

 

 そしてそこにいたのは……茶色の髪と特徴のある三日月に近い白色の前髪を靡かせながら、腕を組んでこちらを見ている。学園指定のジャージ(赤色)を身に纏ったシンボリルドルフがそこにいた。

 

「し、シンボリーーー」

 

「シンボリルドルフさん!? dddどどどどうしてこちらに!?」

 

 んっ? なんか隣にいる道がおかしい。いつもはお淑やかというか淑女みたいなタイプなのに……今の道はなんかこう、推しが近くにいてパニックている人みたいな挙動をしている。

 

 道の知らない顔を知った……そして本人もそれは不味いことだったらしく、一回こっちを見た後咳払いをして、いつもの冷静そうな表情にも戻る。

 

 何だろう……なんか既視感があるな、どこでこれを見たんだっけ……。

 

「生徒会の仕事が終わって練習に行こうと思ったら、見知った顔がここにいると分かってね。それで少し挨拶でもと思った訳だ」

 

「そんな……わざわざこちらまで顔を出さなくてーーー」

 

「”谷崎”、あんたシンボリルドルフさんと面識があるの?」

 

「あ、あぁ……あるけど……み、道? なんか怖いんだけど?」

 

 なんか呼び方変わっているし……瞳にハイライトが宿っていない気がする。普通に怖いですお願いです助けてください。

 

「ーーして、どうしてどうしてどうしてどうして!! リギルのメンバーでもないあんたがシンボリルドルフ様と!!」

 

「うぐえ!?」

 

 自分の襟元を掴み、前後に頭を揺らされる……てか道ってこんなキャラだったのか、なんか意外だな。

 

 そう何度も揺らされながら思った……ちょっと気持ち悪くなってきたかも。

 

「……ふふっ、君たちは本当に仲がいいんだな」

 

「えっ……そ、そうですね」

 

 道はシンボリルドルフの問いに答えながら、襟元を掴んでいた手を放す。

 

 た……助かった。

 

「谷崎玲音くん。君は我々の練習を観察したいんだな、なら存分に観察してくれ。我々は皆戮力協心(りくりょくきょうしん)し、常日頃の練習を切磋琢磨し合っている。その姿を是非君の目で見て欲しい」

 

 そう言うと、シンボリルドルフはトラックの方へと降りて行った。次いでその後を道も追って行った。

 

「……りくりょくきょうしんって、何なんだ?」

 

 まぁいい。シンボリルドルフから許可が下りたんだから、お言葉に甘えて存分に観察しよう。

 

 ……あっ、そうだ。さっきの道の顔どこかで既視感があると思ったら、スイーツのことになって少し暴走した時のマックイーンに似ていたな。

 

 

 




※戮力協心……全員の力を集結させ、物事に取り組むこと。

・B+しか育てれない奴にグレードリーグは無理やったんや……。

・この作品書いてると、小4でやってた体験乗馬を思い出します。

・次回はリギルのトレーニングのお話をやります。(リギルメンバーの一人と玲音との交流もやる”予定”です)


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チーム・リギル/未知なる栗髪のウマ娘

 前回のあらすじ:トレーナーは模擬レースを予定、その対戦相手を玲音が見て決めることに……。

・UA82,000・83,000・84,000を突破しました。ありがとうございます!

・この話でウマ娘の学年が出てきますが、これは自分がアニメやアプリのプロフ、他の考察している人も参考にしているため、正しいものとは限りません。予めご了承ください。



「次、トラック周回! 併走する者はこちらで指示する、では始め!」

 

『はい!』

 

 シンボリルドルフから許可を得てから1時間くらい、俺はリギルのトレーニングをずっと見ていた。

 

 そして思ったことは……やはりみんなすごい。東条さんの指導に熱が入っているのはもちろん、メンバー一人一人の意識がとても高いと感じた。

 

 返事をしっかりやり、カウントに合わせて体を動かす。誰一人たるんでおらず、誰もがその時にできる精一杯の事をやっている。

 

 スピカも別に練習に集中できていないチームとは思っていない。だがよくゴルシがふざけ始めたり、ウオッカとスカーレットが闘争心に剥き出しになって勝手な勝負をしたりする。

 

 今のリギルとスピカの練習風景を比べていると……極端に言ってしまえば、同じ部活でも強豪校と弱小校くらい違うものだと言える。

 

 そこは恐らく、チームトレーナーの意向というものもあるのだろうが……それでもここまで違うものなのかと思った。

 

 東条さんの近くには道がいる。そして東条さんが言っている事を一生懸命にメモしている。

 

 自分は雑用や実際に触れて見る事でトレーナーとしての経験を高めているが、リギルはどうやら理論とか知識を中心に教えているらしい。

 

 まぁリギルは道以外にも数人の見習いトレーナーがいるから、実戦で行うのはかなり難しいんだろう。そう考えるとスピカは自分一人しか見習いはいないのでマンツーマンになるから、そこは恵まれている所なんだろう。

 

 ……さて、観察に戻ろう。

 

 リギルのメンバーは縦2列でトラックを回っている……その列はとても綺麗に揃っており、コーナーを回っても乱れる様子はない。まるで自衛隊の隊列移動を見ているかのようだ。

 

「オペラオー、ブライアン!」

 

 東条さんの声をかけたのと同時に2人のウマ娘が加速を始めた。

 

 俺は咄嗟に先生が用意してくれたチーム・リギルの簡単なプロフィールを見てみる。

 

 オペラオーと呼ばれたのはテイエムオペラオー……メイクデビューはまだ済んでおらず、まだ未知数なウマ娘。しかし先生の分析では彼女はいい脚を持っており「将来前人未踏の功績を上げるかもしれない」と最後に書かれている。

 

「はーはっはっは! ボクの走りをとくと見たまえ!!」

 

 ただ俺から見たテイエムオペラオーは……生粋のナルシストだ。

 

 そういえば年齢としてはウオッカやスカーレット、マックイーンと同じ中学2年生なんだよな……中二が厨二を患う。うん、全然ダジャレになっていないな。

 

   ***

 

「むっ?」

 

「どうしましたか、会長?」

 

「エアグルーヴ……いや、どこかでダジャレを考えた生徒がいたような気がしてね」

 

「……会長、この学園にダジャレを考える人は会長以外はいないですよ」

 

   ***

 

 テイエムオペラオーがある程度先行しているとそれを抜くように──が更に加速した。

 

「っ……!」

 

 テイエムオペラオーがある程度先行していると、それを抜くようにリギルに所属しているウマ娘が更に加速した。

 

 まだ実績は上がっていなく名前もわからないが、坂路に差し掛かった時足元を見てみたが、どうやらこの娘ははストライド走法で坂を登っているらしい。それでも加速や速度が落ちていないのは恐らく先輩の意地とプライドがあるんだろう。

 

 スぺとやらせてみてもいいかもしれない。

 

「次、マルゼン、フジ!」

 

 マルゼンスキー……その走りからスーパーカーという異名があり、現在ではトゥインクルシリーズの更に上のシリーズ、ドリームトロフィーリーグで数々の実績を残している。

 

 トゥインクルシリーズでは8戦8勝……GⅠなどでの勝利はなかったが、参戦したレースの2位との着差を全て足すと61着差になるらしい。

 

 マジか……平均で約8バ身の差を毎回つけていていたのか。

 

「うふふ、今日は可愛いお客さんがいるから、もう一つギアを上げるわよ!」

 

 自分が居るところでさらに加速した……さっきのでもかなり早かったのに、まだ加速する余裕があるのか……最初はそう思った、しかしすぐにその考えはできなくなる。

 

 その理由は……その加速について行くウマ娘がいたからである。

 

 そのウマ娘の名前は……フジキセキ。チーム・スピカのみんなが暮らしている栗東寮の寮長を務めているウマ娘だ。

 

 そしてこちらもドリームトロフィーリーグで実績を残している優駿である。トゥインクルシリーズでは4戦4勝、うち重賞は2勝、クラシック級では三冠を期待されていたが、治療に1年かかる怪我を発症しクラシック級での出走はできなかった。その足の良さと怪我のことから「幻の三冠ウマ娘」とも呼ばれている。

 

 そしてそんなフジキセキは怪我を治した後、シニア級で復帰するかと思えばドリームトロフィーリーグへの参戦を表明……フジキセキは人を楽しませるのが大好きなエンターテイナータイプのウマ娘であり、これも全て人を驚かせ、楽しませるものだったと思われる。

 

 しかし口だけではないのがフジキセキというウマ娘、しっかりと成績も残している。

 

「簡単には振り切らせないよ、マルゼン……!」

 

「あら、やはり貴女と走ると心地がいいわね、フジ!」

 

「……」

 

 マルゼンスキーとフジキセキの併走は……なんか、異次元の世界に踏み入れた人たちの領域に達していた。

 

 ……この人たちとスペをぶつけるか? いや、これは教わる前にぶっちぎられて惨敗を味わうような気がする……。

 

「次、エアグルーヴ、アマゾン!」

 

 エアグルーヴ……現在トゥインクルシリーズで重賞を5勝しており、うち2つはGⅠレースを制覇。その凛々しい走りと普段の佇まいから「女帝」と言われている。

 

 スズカと同じ学年であり、次に出るレースはおよそ1ヶ月後にある宝塚記念とされている。

 

「うっし、タイマンだエアグルーヴ!」

 

「ふっ、望むところだ!」

 

 ヒシアマゾン……現在トゥインクルシリーズで重賞を7勝、うち2つはGⅠレースを制覇。同じチームであるナリタブライアンとは去年の有記念で競い合ったライバルである。

 

 また栗東寮とは違う寮である美浦寮の寮長もしている。

 

「次、ルドルフ、エル!」

 

 シンボリルドルフはトゥインクルシリーズで7冠を達成しており、その走りから皇帝と言われている。そしてこのトレセン学園の生徒会長でもある。

 

 それはほぼ一般人に近い俺でも知っていた……だが、実際の皇帝の走りを見るのは初めてだ。

 

 しかし先に加速したのはエル……覆面レスラーがするようなマスクを着けたウマ娘が加速したのだった。

 

「世界へ羽ばたく怪鳥! エルコンドルパサーとはアタシのコトデース!!」

 

 なんかすごい大きな声で自分自身の名前を言ったので、俺は手元にあったプロフィールを見てみる。

 

 エルコンドルパサー……どうやらスペと同期らしく、同じクラスでもあるらしい。

 

 ジュニア級ではそこまでレースに参加しておらず、その代わり万全な調整に成功し、クラシック級に入ってから重賞を二回勝利している。

 

 ウマ娘にしては珍しく、三冠ウマ娘を狙わずに目標としているのは、クラシック級でのジャパンカップ制覇、その後の世界進出である。

 

 次に出走されると思われるレースはNHKマイルカップ。現時点で無敗であることから、世間では「ターフを舞う怪鳥」と呼ばれている。

 

 ……そして先生の予想では、今度の日本ダービーにも出走する。つまりスペが越えなければいけない壁になるだろうと書かれている。

 

 実際エルコンドルパサー の走りを見ていると、それは”駆ける”というよりは”飛んでいる”かのようにターフの上の走っている……怪鳥と言われる理由が少し分かったかもしれない。

 

「流石だエルコンドルパサー、これが並みのウマ娘なら君には追いつけないだろう……だが……!」

 

 その瞬間、このトラック周辺の空気がピリッと張り詰めたような気がした。どこかで雷が落ちたような音も聞こえた気がした。それはなぜか……皇帝が動くからだ。

 

「我は皇帝、何人たりとも我の前には出さん!」

 

 皇帝が……加速を開始した。その時に激しい衝撃が俺に襲って来る……こ、これは一体?

 

 俺はその衝撃が最初何なのかは分からなかった。しかし少し経ってからそれが何なのか理解した。

 

 それは皇帝から発せられているオーラとプレッシャーだ……何と無くだが分かる、皇帝の周りには電撃が迸っていた。

 

 あれは……何なんだ? 人やウマ娘から電撃が出るなんて……これが、皇帝の実力から出るオーラなのか?

 

 シンボリルドルフはその圧倒的な加速とスピードでエルコンドルパサーを抜いた。そして差もどんどん離している。

 

「っ……流石会長、次元が違いマース……けど!!」

 

 エルコンドルパサーもさらに加速する……少しずつだが、着実に背中に近づいている。

 

 だが一周回った時、着差は3バ身くらい離れていた。

 

「……すごい」

 

 素直な感想が口から漏れてしまう。

 

 ここまでレベルが……迫力が違う、そしてそれが全員にあてはまる。やはりリギルは学園一のチームだということを改めて認識させられた。

 

「次、タイキシャトル!」

 

「OK! Here we Go!!」

 

 タイキシャトル……アメリカから来た留学生徒であり、そのポテンシャルはとても高い。実際前年の短距離GⅠであるマイルチャンピオンステークス・スプリンターズステークスを制覇している。

 

 次に出ると明言しているGⅠレースは6月にある安田記念としている。

 

 そして俺が見て一番いいと思ったのは……坂路の登り方がピッチ走法だ。そしてとても速い。

 

 今回のスペの模擬レースの目的は坂路でのピッチ走法、そしてスリップストリームをレースの中で覚えさせ、ハンデとなっている経験の差を縮めることだ。

 

 そう考えればタイキシャトルは相手にとってはいいかもしれない。

 

 だがそう思うのと同時に、もっと上の世界にいる人と戦わせてみたいという俺自身の好奇心もある。

 

(……そういえば、なんでタイキシャトルは一人だけなんだ? リギルには現在10人のウマ娘がいるって道から聞いてたが……)

 

 俺は今トラックにいるウマ娘を確認した後、プロフィール表をもう一回見てみる。

 

 ……この子か、名前は……。

 

「グラスワンダー……」

 

「お呼びしましたか?」

 

「……えっ?」

 

 横から声がしたので、俺はその方向に振り返る。

 

 そこにいたのは、お淑やかに佇まい、トレセン学園指定の制服を着ている栗髪のウマ娘……俺はプロフィールに目を落とし、再びそのウマ娘と目を合わせる。

 

 そして確認するように……声を出す。

 

「君が……グラスワンダー?」

 

「はい、お初にお目にかかります。私はグラスワンダーと申します」

 

 会ってまだ1分にも満たないが、グラスワンダーは自分に自己紹介をしてくれた。

 

 姿勢や礼の角度……その動作一つ一つがとても洗練されている。この様子を四字熟語に当てはめるなら大和撫子……その言葉が相応しいだろう。

 

 挨拶を相手がしたならば、こちらも返すのが礼儀だ。古事記にも書かれている。(書かれていません)

 

「これはご丁寧に……どうもグラスワンダーさん、谷崎玲音です」

 

「やはりそうでしたか。スペちゃんからお話は何度も伺っていたので、もしかしたらと思って声をかけてみたんです。人違いではなくて安心しました」

 

「ってことは、グラスワンダーさんは──」

 

「グラスで構いませんよ? 谷崎さんの方が上級生ですから」

 

「そう? じゃあ、グラスはスペの友達なの?」

 

 プロフィール表にはスペと同じ学年、同じクラスだって事は書かれている。だが先生も流石にウマ娘一人一人の人間関係までは把握していないだろう。というか把握したらそれはそれでどうなんだろう?

 

「はい、同じ釜の飯を食う……と言う程ではありませんが、学業と昼食は一緒にいる事が多いですね」

 

「そうか……あっ」

 

 ふと視線を下に向けた時、俺の目はあるものを視界内に捉えた。

 

 それはグラスの右腿に巻き付けられている包帯だった。

 

 そして俺の視線が右腿に行っていることをグラスワンダーは感じ取ったらしく、その怪我した右腿を自分自身で優しく撫でた。

 

「これ……気になりますか?」

 

「あっ、いや……その……」

 

「大丈夫ですよ……これは私の落ち度が招いたものですから」

 

 グラスワンダーはメイクデビューした後、オープン、GⅡ、そしてGⅠレースを制覇し、去年のジュニアチャンピオンの称号を獲得している。だからクラシックへの社会の期待もすごく大きかった。

 

 だからこそ、彼女にとって怪我をしたという社会の重圧はどれほど重いものだったのだろう……。

 

「……谷崎さん。もしかして私の事を考えてくれてますか?」

 

「えっ……」

 

 グラスワンダーは優しく微笑みながらそう問いかけてきた。まるで「考えてる事はお見通しですよ」と言われているみたいに。

 

 俺はどう返事するか悩んだが、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「心配してくださりありがとうございます。ですが怪我は怪我……『走れば躓く』何事も急ぐ時ほど慎重にならなければいけません」

 

「……グラス」

 

「ですから私は、己が今出来る最大限の事を実行するだけです」

 

 そう言うグラスワンダーの語気は……とても強く真剣なものだった。

 

 そして俺は見えたような気がした……彼女の瞳に宿っている、静かに闘志を燃やした青い焔を……。

 

 

 




・現時点でグラスワンダーのタグはつける予定はありませんが、ちょくちょくお話に出すつもりです。

・最近ウマ娘を愛でるためだけにログインする日々が増えている……。

・次回は宝塚記念の前には出したいなぁ……。(願望)


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ビロードの部屋

 前回のあらすじ:玲音、チーム・リギルの練習を観察。グラスワンダーと出会った。

・UA85,000・86,000を突破しました。ありがとうございます! またあらすじを大幅に変更いたしました。

・今回の話は脱線(趣味全力ゼンカーイ!)回となっております。そして今回ウマ娘は出ません。「本当に申し訳ない」(ブレイク博士)



 ここは……どこだろう。ていうか俺は何をしていた?

 

 確か昨日の夜までずっとスペの対戦相手はどうするか悩んで……そうしてたら寝落ちしてしまって。

 

 その後また考えた後に携帯のカレンダーを見て用事を思い出して、気分転換に街へ一人で訪れた。

 

 そうして駅前に着いたら……突然目の前に奇妙な扉が現れて……。

 

 そんな風に冷静に今までの状況を思い出していると……徐々に霞がかっていた風景がクリアになってくる。

 

 周りは青っぽい……そして、なんか揺れている?

 

 そんな風に考えていると……二つの人影が浮かび上がってきた。

 

「ようこそ、我が『ビロードの部屋』へ」

 

   ***

 

「ん〜……どうするかなぁ……」

 

 そう独り言を呟きながら、右手に持っているシャーペンを頭にコンコンとぶつけながら体も前後に揺らす。

 

 今、俺はとても悩んでいる……何に困っているのかと言われれば、それはスペとの模擬レースに一体誰を走らせるかである。

 

 とりあえず候補として外したのは同期のエルコンドルパサーとメイクデビュー前のテイエムオペラオーだ……しかし決まっているのはそれだけである。

 

 個人的な考えとして、俺はドリームトロフィーに進んでいるウマ娘……つまりシンボリルドルフやマルゼンスキー、フジキセキとやらせてみても面白いかもと考えている。

 

 ただ今回の模擬レースの目的として狙っているのは、経験を重ねるだけではない。ピッチ走法やスリップストリーム(トウよりもこっちの方がウマ娘の業界だと普通らしい)の感覚を養うという目的もある。

 

 だがそれとは全く関係なく俺が心配にしていることが……もし圧倒的な敗北を味わった時、スペはどうなってしまうのだろうか?

 

「……」

 

 スペは負けるはずがない、そんな事は分かっている。

 

 だが元々スポーツをやっていたから思ってしまうのだ……負けを何度も味わうと足元が泥が纏わりついたかのように重くなって、目の前が真っ暗になり、自分が今何をしているのかも分からなくなる。あの嫌な感情。

 

 あれをもしスペが味わう事になったら……ウマ娘がレースで生きていくのがどれほど難しいか痛感してしまったら、その先はちゃんと走れるのだろうか。

 

 そんな風に考えていると……ある一つの案も浮かんできたのだ。

 

 それは……模擬レースをしない、若しくは先生に判断を委ねるというものだ。

 

 いやいや、何を考えているんだ俺は! スペを勝たせたいんじゃないのかよ!!

 

 もちろんスペには勝ってほしい……だけど、俺のこの判断によってスペのコンディションを完璧に崩してしまった時、俺はどうすればいい?

 

 スペの覚悟、お母さんの想いを果たそうという意思を知った。

 

 だからこそ、俺が全てを壊してしまったら?

 

 俺は誰に謝ればいい? スペか? 先生か? 周りの人たちか? それとも北海道で活躍を期待している育てのお母さんにか? はたまたあっちの世界でスペを見守っている産みのお母さんにか?

 

 ……自分自身でこれがとんだ自害妄想だっていうのは、心の奥では理解している。だが俺はまだ高校生……その重圧に耐えられるほど大人にはなっていない。

 

「……でも、先生は自分にやらせようとした」

 

 恐らくこれもトレーナーになるための一つの試練なのだろう。自分自身で決定・申告したものには、しっかり自己で責任を取れというトレーナーになってからは当たり前になる事。

 

 だったらここを超えなければいけない……一人前のトレーナーになるためにも。

 

「……ちょっとリフレッシュするか」

 

 俺は一度席から立って冷蔵庫から飲むヨーグルトを出して、それをコップに入れる。

 

 一口飲むと飲むヨーグルト特有のどろっとした(サラサラしているやつもあるが、これは少しどろっとしている)感覚が口内に広がり、飲み込むとそれがゆっくりと食道を通っているのがはっきりと分かる。

 

 そんな風にしてヨーグルトを飲み干した辺りで携帯が独特なアラーム音を発した。それは普段目覚ましで使っているアラームとも、メッセージアプリのメッセージを受信した音でもない。

 

 不思議に思いながら、俺は携帯を取り出してみる。真っ暗な画面からロック画面が映し出された時、日付が書いてある少し下のところに白帯が出ていた。

 

 そこに書かれているのは「5/1 誕プレ」という文字だった。

 

 そしてそれを見た瞬間に、これは一週間前に記入しておいたリマインダーだという事と、今日俺は元々何をするつもりだったのかを思い出す。

 

 今日は……スズカの誕生日プレゼントを選ぼうとしていたんだった。

 

 スズカの誕生日は俺が覚えている限りは5月1日……今日から数えればちょうど一週間後だ。

 

 この学園に来てチーム・スピカに入った結果、奇跡的に再会できたのだ……今まで祝えなかった分、素敵な誕生日プレゼントを贈りたい。

 

「……よし!」

 

 ここでうじうじしているくらいなら、気分転換に街に行こう。そしてスズカに何を贈るかゆっくりと考えよう。その後にこの問題を考えればいい。

 

 そう考えて、俺は外出の準備を始めた。

 

   ・ ・ ・

 

 駅に着いた時間帯としてはちょうどお昼ぐらいだったので、適当に駅前の牛丼屋さんで昼食を取った。

 

 ちなみに頼んだのはネギ玉牛丼の大盛りだったが……自分の両隣に座ったお客さんはなんか特殊だった。

 

 一人はそのお店一番のサイズであるキング牛丼を食べていた。そういえばあの白髪のウマ娘、トレセン学園で見たような……まぁいいか。

 

 そしてもう一人は入店してすぐ牛丼並と生卵をメニューを見ずに注文した。その頼み方から慣れている人なのだろうと思ったが……なんか動きがそわそわしていた。

 

 そして頼んだものが到着すると、その人は慣れた手つきで生卵を牛丼にびゃっと入れた。そして丼とスプーンを手に持ったかと思ったら、凄まじい早さで牛丼を掻き込んだ……そして口の動きは全然咀嚼せずに喉だけを動かし牛丼を飲み込んでいたのだ。

 

 そして体感時間1分くらいで食べ終わるとそそくさと会計し出て行った……何だったんだろう、あれ。

 

 まぁそんな事はあったが、その後は普通にご飯を食べ終え店を出た。

 

 さて、スズカの誕生日プレゼントは何にするか……俺の記憶が正しければ、最後スズカに誕生日プレゼントを渡したのは小学校3年生の時、図工で作ったスノードームをプレゼントした時のはず。(本当は小2の時に作ったやつだが、5月まで保管していた)

 

 まぁでもあの日から約8年くらい会っていなかったから、スズカの好きなものとかも変わっているのかな……。

 

 だったら万人受け……つまり差し支えないものをプレゼントにしようか。

 

 そうなるとやっぱり文房具系、シャーペンかボールペンが無難だろうな。

 

 そうと決まれば近くの文房具屋さんにーーー。

 

 その瞬間、俺の意識はぷつりと途切れた。

 

   ***

 

 遠くから……音が聞こえてくる。

 

 それはどんな音かと聞かれたら、どう表現すればいいのか分からない。

 

 カタカタと何かが地面に擦れている音、ぱからぱからと何かがリズム良く歩いている音。

 

 横を見てみると覗き窓があったので覗いて見るが、霧に覆われていてどこを走っているのかは分からなかったが、水滴が横に流れていくのを見てこの乗り物は俺から見て右の方向へ真っ直ぐに進んでいる事が分かった。

 

 覗き窓から頭を離して周りを見てみる。下には紺色の絨毯が敷かれており、周りの壁も青色一色である。

 

 不思議なところだなって思っていると、ある方向から人の視線を感じ、俺はその方向に振り向く。

 

 そこにいたのは……二人の人だった。

 

 一人はとてもひょろっとした体格と長い鼻が特徴的で髪色が白髪になっているところから老人という事が分かる。

 

 そしてもう一人はその老人の隣で立っており、青い修道服みたいな服を着た背の小さな女の子だ。

 

「ようこそ、我が『ビロードの部屋』へ。ここは、夢や現実。物体や精神などは一切関与できない”形而上”にある場所」

「申し遅れましたな、私の名前はクレンペ。以後お見知り置きを……そしてこちらが」

 

 老人は右手をすっと女の子の方に向けて、自己紹介を促す。

 

 女の子もそれが分かったのか背筋をピンと真っ直ぐにして、胸を張る。そして大きく息を吸って。

 

「我は神である!」

 

「厨二病?」

 

「厨二病でもなああああぁぁい! 我は本当に神であるんじゃぞ!?」

 

 自らを神と自称する女の子……俺はどう反応すればいいんだろう。

 

 しかも厨二病? って聞いた瞬間めっちゃ叫んでその場で地団駄踏んでいる……この乗り物全体がすごく揺れる。

 

 その時隣にいたクレンペが深い溜め息を吐いた。

 

 そしてそれを聞いた自称神の女の子はしゅんと大人しくなった。

 

「大変ご無礼を……彼女の名はサフィー、ちゃんと挨拶しなさい」

 

「は、はい……我はサフィー、神じゃ♪」

 

「神の設定は変わらないのか……」

 

「設定とか言うなあ!!」

 

 すごく可愛い声で自己紹介したかと思ったら、汚い声で突っ込むサフィー……まぁ神だって言うんだったら、そう言うことにしておこう。

 

 まだ若そうだからな、この子……いつか分かる時が来るだろうな。

 

「度重なりの無礼失礼を……彼女はまだ経験浅く、貴方が初めて担当する客人なのです」

 

「は、はぁ……」

 

 そうは言ってもまだ状況が飲めない。

 

 ここはどこなんだ……いやビロードの部屋とか言っていたが、なぜ俺はここにいる?

 

「ここは何かの形で契約された者か私が招いた場合でしか入れない部屋……私が貴方をこの部屋へ招いたのです」

 

「……それは、どうして?」

 

「貴方には運命を見る力がある……しかしそれは大きな変革をもたらす場合がある。私があなた様をここへ招いたのは忠告をするためなのです」

 

 運命を……見る力?

 

 いやいや、何を言っているんだこの老人は……なんか変な人たちみたいだからここから出ようそうしよう。

 

 そう思い俺は近くにあった扉の取っ手を手に取った。

 

「待つのじゃ、お主ここから出るつもりなのか?」

 

「あぁ……だって君といいそこの爺さんといい、怪しさ満載じゃないか。俺は変な勧誘はお断りしているんです」

 

「ほう、我々を変な勧誘とは……今回の客人はなかなか面白い方のようだ」

 

「あんまりここから出るのはおすすめしないぞ?」

 

 胡散臭い爺さんと自称神が何かを言っているが、そんな事は関係ない……俺は扉を開けた。その瞬間、扉が謎の力で引っ張られ一気に外側に持ってかれた。そしてそのドアの取っ手を俺は握っていたので俺の体は外に飛び出てしまう。

 

 ……と思ったが、何かが俺を逆側に引っ張って飛び出すのを阻止してくれた。そしてその引っ張った人物はあの神を自称した女の子だった。

 

「だから言ったじゃろ、この”駅馬車”は通常の世界の5倍……つまり時速55キロくらいで走っておる。そこから飛び降りるなど自殺行為に等しいものじゃぞ?」

 

「ーーーー」

 

「それにここはお主の精神の在り方そのものを反映しておる。つまりこの駅馬車はお主そのものじゃ」

 

 サフィーは軽々と俺を引っ張り、設けられていた座席に俺を置いた。

 

 正直俺は今生死の狭間を通ったから、心ここに在らずである。

 

   ・ ・ ・

 

「落ち着きましたかな?」

 

「えぇ……まぁ」

 

 あの後、俺はクレンペさんからこの部屋について細かい説明をしてもらった。

 

 簡単にまとめれば、ここは自分の夢ということであり、現実の俺は外で棒立ちしているのだという。

 

 ……うん、結構街中だし急に棒立ちになったらめっちゃ目立ちそう。

 

 ある程度の話を聞けばこの状況も納得……いくはずがない。

 

「あの、さっき運命を見ることが出来るって言ってましたけど、俺にそんな能力はありませんよ?」

 

 というかそんな能力があったら、自分自身で驚くわ。

 

「お主に自覚はなくても、その力は実際に発動しておる」

 

「そう言われても……」

 

「現にお主は普通だったら一回死んでおる」

 

「……は?」

 

 サフィーが何か戯れ言を言っている……いや、戯れ言でも誰かの死を思わせるような発言はダメだ。

 

 ここは人生の先輩として注意をしなければ……そんな風に思っているとサフィーはどこからか分厚い本を取り出し、あるページを開ける。そしてそのページを自分に見せた。

 

 そこに映っていたのは……俺だった。とても急いでいる様子で全力疾走で何処かへ向かっている。

 

 そして交差点を渡ろうとした……その時だった。自分の方へトラックが突っ込んできたのだ。そして俺の身体はいとも簡単に吹っ飛んだ。さらに吹っ飛んだ先には壁、トラックがさらに加速しその壁にぶつかる。俺の身体は壁とトラックにサンドイッチされ、身体の至るところから赤黒い血が大量に噴き出ていた。

 

「……冗談はよしてくれ」

 

「冗談などではない、これはどこかで起きた紛れもない出来事なのじゃ。実際記録に残っておる」

 

 なんかの冗談だよな? あれは超凄腕のCG班がトラックと俺を合成して事故った様に見せかけただけだよな? いや誰に需要があるんだよんなもん。

 

 おかしい……あれは自分じゃないはずなのに悪寒が体全体を駆け巡る。

 

 自分の手を心臓部に当ててみる……大丈夫、脈はある。ちゃんと今俺は生きているんだ。

 

 じゃあ何なんだよ今のは、いたずらにしては度が過ぎてるぞ。

 

「お主はこの世界で一度は死ぬはずじゃった。じゃがお主は”夢”という形でこの未来を予知し、事故を事前に避けたのじゃ」

 

「……夢?」

 

 そういえば……スペのデビューレースの日に遅刻した時、俺は新幹線内で夢を見ていた。

 

 なんて悪夢だって思ったが……あれが予知夢?

 

 偶然の文字で片付けられるのか、これは……。

 

「もう一つはあの……さつきしょー? の時じゃ、あの時は特に運命が変わらなかったが、お主は夢で既にレース結果を知っておったじゃろ」

 

 皐月賞の時ってなると……あの変な4足歩行の生き物たちが十数頭競い合っていた夢か。

 

 確かに今言われてみればあの夢のレース展開や結果と、その後にあったスペのレース展開と結果は瓜二つだった。

 

 あれも偶然だと思っていた……だが、今の話を聞いてからだと、それも偶然って言えるのか分からなくなる。

 

「ただ気掛かりなのが、死の運命を避けたのはともかく、勝敗のビジョンは”馬”に見えたことじゃ」

 

「……何を言っているんだ? あそこにはウマ娘はいなかったじゃないか」

 

「ウマ娘じゃなく馬じゃ、見たじゃろあの4足歩行の生物」

 

 うま……ウマ娘のことじゃないのか。

 

 でも”うま”なんて生物はいただろうか? いや、いないはずだ。

 

「なぜあちらの世界の住人であるお主が、向こうの世界である生物のビジョンが見えたのか……それをクレンペ様は気になさったのじゃ」

 

「左様……」

 

 クレンペさんは頷くと目の前にあるテーブルに何かカード状のものを置き始めた。

 

「占いは信じますかな?」

 

「えっ? ……いや、あんまりです」

 

「占いには運命を縛る力も、ましてや操る力もありませぬ……ですが、この世には占いを信じている人がいる。それはなぜだか分かりますかな?」

 

「……いえ」

 

 そうは言ってもクランぺさんはカードを並べている……あとこれどこかで見たことがあるなと思ったら、タロットカードか。昔中学のクラスメートの一人がはまっていたことを思い出した。

 

「それは原動力……何かしらの刺激を欲しがっているからなのです。例えば「仕事で成功をするでしょう」と言われた星座の方はそれを糧に「自分は上手く行く」と自己催眠をかけ、あたかも占いの結果通りだと錯覚し、それが占いを信じることへ繋がるのです」

 

「逆も然りじゃ、「仕事が上手くいかない」と言われた星座の人間は「そんなことはない」と意地を張る。じゃがそれが空回りすれば、それは占いが当たってしまったと錯覚する。まあこれは自然と防衛機制が働いて、ミスを占いのせいにしているところがあるんじゃがな」

 

「貴方のその力はまさに占いそのもの……それがいい方に進むこともあれば、それによって傷つく可能性もあるのです」

 

 ある程度並べ終えたのかクランぺさんは一度顔を上げ、こちらを見る。

 

「貴方の未来を少し覗いてみましょう」

 

 そう言いながら、クランぺさんはテーブルに並べたカードを一枚めくった。

 

「ほう……近い将来を示すのは”力”の逆位置。どうやら貴方は貴方自身の無力さを痛感する時が来るでしょう」

 

「……無力さ」

 

 これは近い将来に起きること……そしてそれには心当たりが一つある。

 

 だからこそこの占いをバカにできない……してはいけないと別の俺が俺に問いかけた様な気がした。

 

「そんな身構えなくても大丈夫じゃ、近い将来と言ってもそれは数ヶ月後かもしれぬ。じゃが無力さをいつかは痛感するじゃろうが」

 

「……」

 

「これサフィー、客人を不安がらせるような発言を無闇にするでは無い」

 

「も、申し訳ありませんクランぺ様……」

 

 クランぺさんはサフィーを叱りつけると、再びテーブルに並んだカードを一枚めくる。

 

「その先の未来を示すカードは”吊るされた男”の正位置。試練・努力などの意味を持つカードですな。貴方は、この先無力感に苛まれるでしょう、しかしそれを乗り越える試練を成し得る時、今までの苦労は報われるでしょう」

 

「努力が……報われる……」

 

 それはつまり……トレーナーになれるって事なのかな。

 

 そんな風に考えていると……急に目の前が白んできた。

 

「時間のようですな……では、再び相まみえる時まで、御機嫌よう」

 

 そこで意識が遠くなる……しかしその寸前、サフィーの声が聞こえた。

 

『今お主が抱えている問題……周りの知人に相談するのじゃ』

 

 

 




・「どうした急に」→私にも分からん(但し、交通事故の話(16話)を書いた時からビロードの部屋は考えていました。イメージは某RPGのベルなんとかルームです)

・次回は幼馴染の誕生日プレゼントを買う・相談する幼馴染”たち”の回です。


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相談……幼馴染たち

 前回のあらすじ:ようこそ、我がビロードの部屋へ。

・UA87,000・88,000を突破しました。ありがとうございます。



 朝、私は寮の食堂でスペちゃんと朝食を取っています。私はパンを主食とした洋食プレート、スペちゃんはご飯を主食とした和食膳を選んでました。

 

 そしていつものように二人でいただきますの挨拶をする。そうして私はパンをちぎり取って口に入れる……うん、美味しい。

 

 このトレセン学園の全ての食堂には、栄養管理士と調理師がいる。だから私たちは食からもレースの管理を万全にされています。

 

 それにこのパンだって北海道の小麦粉100%使用して、学園で発酵させ寮の窯で焼いているので味も抜群です。

 

「ん〜……はっ」

 

 向かい側に立っているスペちゃんの瞳が時々閉じかけます……手にはご飯の入っているお椀とお箸を持っているので少し危なっかしいです。

 

 その事を指摘するとスペちゃんは慌ててご飯を食べて、味噌汁を手に取ろうとしましたが、その際に指を味噌汁に入れてしまいました。

 

 「熱っ!?」と大きな悲鳴を上げ、瞬時に指を引き上げます。

 

「だ、大丈夫スペちゃん?」

 

「へ、平気です……ふわぁ……」

 

 眠そうなスペちゃんを心配しながら、私は紙ナフキンをスペちゃんに差し出す。スペちゃんは「ありがとうございます」と言って自分の指に付着した味噌汁を拭き取った。

 

 ……ここ最近、スペちゃんはいつもこんな感じです。

 

 多分昨日も夜遅くまで自主練をしていたからその疲れだと思うけど、そんな生活をもう一週間半くらい続けている。

 

 最近では学校から帰るとそのままベッドにダイブして、そのまま眠り落ちてしまいそうなところを私が起こすという日々が当たり前になっている。

 

 なんでそんな必死になれるのか……昔の私だったらそう考えていた。でもここにいる私はスペちゃんがどういう思いでこの学園に来て、どれほど皐月賞で悔しい思いをして、そして次のダービーにどれだけ信念を燃やしているのか……私は知っている。

 

「っ? スズカさん、私に何かついてますか?」

 

「……えぇ、ちょっとじっとしてて」

 

 自然とスペちゃんの方を見ていたらしいです。ちょうどスペちゃんの頰にご飯粒があってよかった。

 

「ありがとうございます、スズカさん」

 

「ご飯はゆっくり食べましょ?」

 

「はい!」

 

   ・ ・ ・

 

 朝ご飯を寮の食堂で食べた後、私たちは自分たちの部屋に戻った。

 

 スペちゃんは学園で出た宿題を今日中に片付ける予定らしいです。そんな中私は勉強机の上に置いてある卓上カレンダーを手に取る。

 

 そして今日の日付に赤ペンでつけた丸……そしてその数日後に書いてある2つのバースデーケーキの絵を見て、改めて確認する。

 

 このバースデーケーキたちは何を表しているか。それは自分の誕生日とレオくんの誕生日だ。

 

 最後に祝ったのはだいぶ前だから、何年前の事かは分からない。

 

 だけど一つだけ覚えている。レオくんの誕生日は自分の誕生日の1日前だってことを。

 

 だから子どもの頃は、二日間お互いの家で誕生日パーティーを開催していた。

 

 ……懐かしいなぁ。レオくんの家がイタリアン料理、うちはアメリカン料理を出していた。そしてお互いプレゼント交換していた。

 

 ただしレオくんのお母さんが亡くなって、レオくんが親戚の叔父さんに引き取られ、町から離れてしまった後は5月の初めの一回だけの開催になってしまった。

 

 ある日お母さんが「ーーさんのイタリアン料理を食べないと4月が終わった気がしないわね」と言っていたが、まさにその通りだと当時の自分は思っていた。

 

 でも小学校4年の頃からレオくんが来なくなり……うちの家族だけで行われる誕生日パーティーになってしまった。その時の誕生日パーティーは……正直記憶に深く残っていない。

 

 そして成長していくにつれ、パーティーも催さなくなり、レオくんとの思い出が消えていくような錯覚も起こしていた。

 

 だからこそ少し昔から決めていたのだ……もし奇跡的に再会できたら、今まであげれなかった分の誕生日プレゼントをあげようって。

 

 そしてその機会が……この年にやってきた。

 

 ……だけど、どんなものをあげればいいのだろうか。昔とは違い、レオくんは大人に近くなっている。だから好きなものとかも変わっていると思う。

 

 もちろん、ここ数日どうしようか悩んだ……だけど中々答えは出ませんでした。

 

 だけど一昨日、私の知人が悩んでいる自分を見て、相談に乗ってくれると言ってくれたのんです。

 

 そしてその相談日が今日という事だ。

 

「……よし」

 

 私は外出の準備を始める。服が擦れる音が耳に入ったのか、スペちゃんの片方のウマ耳がこちらを向いている。そして間も無く体もこちらに向けてきた。

 

「スズカさん、どこか出かけるんですか?」

 

「えぇ、ちょっと近くの公園に……」

 

「あの、迷惑じゃなかったら私も一緒に行ってもいいですか?」

 

 いつもの感じだったら私が「大丈夫よ」と言ってスペちゃんもついて来る事の方が多い……だけど、今日は相談をしてもらうために公園に行くのだ。

 

 だから今日は一人で行かないといけない……。

 

「今日は友達と約束しているの……ごめんね」

 

「あっいえ、大丈夫ですよ! 気をつけて行って来てください!」

 

 そう元気よく言うスペちゃんだったけど、耳は少しだけ正直らしく耳がほんの少し垂れ下がっていた。

 

 そして視線も落とした……だからこそ気付いたのだろう。自分が持っているカレンダーに書かれた絵を。

 

「あの、スズカさん。30日と1日に誕生日ケーキみたいなものが描いてありますけど……もしかしてスズカさんのお誕生日ですか?」

 

「えぇ、そうよ?」

 

「わ〜! 私、プレゼント用意しますね!」

 

「ありがとう、スペちゃん。でも無理はしないでね」

 

 スペちゃんは私にどんなものをくれるんだろう……大好物のニンジンとかかな?

 

「あ、でもどっちがスズカさんのお誕生日なんですか?」

 

「5月1日の方よ」

 

「じゃあ……その前の日は誰の誕生日なんですか?」

 

「レオくんね」

 

「えっ、玲音さんも今週が誕生日なんですか!?」

 

 スペちゃんはとても驚いていた……確かに知人二人の誕生日が近いっていうのは普通に驚くものなんでしょうね。

 

 スペちゃんは椅子から立ち上がって、かばんを漁る。そして財布を取り出して自分のお金を確認する。そして明らかにずーんと表情が暗くなり、尻尾に元気がなくなった。

 

 多分、そこまでお金がなかったのかしら。

 

「大丈夫よスペちゃん。スペちゃんにもらったってだけでレオくんは喜んでくれるわ」

 

「そ、そうですかね……」

 

 っと、腕につけている腕時計で時間を確認すると、約束の時間が近づいていた。

 

 ちなみにこの腕時計はお母さんとお父さんがトレセン学園の入学お祝いで買ってくれたものだ。緑色の文字盤に皮色のベルトとシンプルなデザインです。

 

「それじゃあ行って来るね、お昼頃には戻ると思うから」

 

「はい!」

 

 そうして私は栗東寮を後にした。

 

   ・ ・ ・

 

 休日ということもあってか、目的地である公園は少し賑やかだった。

 

 広場では子どもたちが走り回ったり、家族とサッカーやバドミントンなどをしている。私も昔はこういうところで遊んでいたなあと、懐かしい気持ちに浸る。

 

 そしてそんな広場の一角に……そのお店はあった。

 

 そのお店は集会や体育大会で使いそうなテントに青い幕を張っている。そしてお店の入り口にある看板には「表はあっても占い」と書かれている。

 

 事前に聞いた名前と一致していることを確認すると私は店の入り口を見てみる。店の入り口に垂れ幕はかかっておらず、人の気配もない。

 

 というよりなんでここから中が全然見えないのだろう? もう一枚布を被せているのかな……。

 

 そしてこれはどうやって入ればいいんだろう……そんな風に考えているとテントの中から人が現れる。

 

「お〜スズカさん! そろそろ来ると思っていました!」

 

「こんにちわフクキタル、客足はどう?」

 

「順調です、スズカさんの前にもう10人は占っていますから!」

 

 マチカネフクキタル……私のクラスメートで最初に仲良くなった友達。まぁ自分から仲良くなった訳ではなくいきなり「あなたに邪気が漂っています!」といきなり言われ、その後事あるごとに占いを強要して来るから、正直めんどくさい子だと思っていた。

 

 だけど走るのが怖くなってスランプになっていた時、何度も何度も相談に乗ってくれた……とても頼りになり、優しい友達だ。

 

「立ち話もなんですし、中へ入ってください。あっ、そこの立て札を裏返しといてくださいね」

 

「えぇ、分かったわ」

 

 そう言うとフクキタルは店の奥に消えてった。私も立て札を「占い中です!」と書かれた面に向け、店の奥に入って行った。

 

   ***

 

「ーーさん……ーーさん!」

 

 遠くから声が聞こえて来る……さっきまで感じていた揺れももう感じない。

 

 ただ、肩をたった今ゆさゆさと揺らされているってことは分かる……って事は、誰か俺に触れている?

 

 重たい瞼を……ゆっくりと持ち上げる。

 

「玲音さん、大丈夫ですか!?」

 

「……マックイーン?」

 

 目の前にいたのはマックイーンだった。とても心配そうにこちらの瞳の奥を見ている。

 

 というか周りを見てみると通行人数人の視線がこっちに向いていた。

 

「何度も大声で呼んだのに全然反応がなくて……どこか悪いところでもあるのですか?」

 

「……いや、大丈夫」

 

 そういえばクレンペさんは言っていたな。あの部屋に訪れる時は夢を見ている状態になるって。んで外の俺は棒立ちになっているって。

 

 何分くらい経ったのだろうか……携帯を取り出して、現在の時間を確認する。

 

 12時15分……牛丼屋さんを出たのが10分で、恐らく3分も歩かずに意識が途絶えたから、だいたい2分くらい棒立ちしてたことになるのかな。

 

 うん、それは嫌でも目立つわ……。

 

「ほっ……良かったですわ」

 

「ところでマックイーンはなんでここに?」

 

「わたくしは本の買い出しです……この方知っていますか?」

 

 そう言ってマックイーンは右手に提げているビニール袋から何冊かを取り出す。

 

 その全てに女性のキャラのイラストが描かれていた。どこか幻想的に感じる色彩、光彩であり、タイトルを見れば「最後にーー」や「閃光のーー」などシンプルな感動系の物やウマ娘を題材にした作品などがあった。

 

 ちなみにマックイーンがオススメしてきている作者はウマ娘と一般人の恋愛モノを中心に書いており、今回は御令嬢ウマ娘と一般人の男性の恋物語らしい。

 

「……あれ、その大きめのものは?」

 

 自分は袋にまだ入っている本(いや、これは雑誌か?)を指差す。

 

「今日発売された映画の総評雑誌『Scene』の最新刊です……あっ、あの、本当はもう少し先に言おうと思ってたのですが……来週、予定はありますか?」

 

「……いや、特にないけど」

 

「でしたら30日に行きませんか?」

 

「あぁ、いいよ」

 

「本当ですか!! ……(やりましたわ!)」

 

 嬉しそうな顔をしてくれるマックイーン……5月1日はスズカの誕生日だから無理だが、自分の誕生日だったら空いているから大丈夫なはず。

 

 そんな風に考えているとマックイーンは「ご機嫌よう」と言って、トレセン学園の方へ足を進めていた。

 

 ……その時、ビロードの部屋から現実世界に戻る前に聞こえたサフィーのセリフを思い出した。

 

『今お主が抱えている問題……周りの知人に相談するのじゃ』

 

「マックイーン! ちょっと待ってくれ!!」

 

 俺は駆け足でマックイーンの近くに寄る。

 

 マックイーンは声を聞き取ってくれたのか、その場で止まってこっちに振り返った。

 

「なんですか玲音さん?」

 

「……折り入って、頼みたい事があるんだ」

 

 俺は強くガシッとマックイーンの肩を掴む。ビクッと体が小さく跳ねたのが手の感触で分かった。

 

「れ、玲音さん!? そ、そんないきなり……!」

 

「スズカにあげる誕生日プレゼントを一緒に考えて欲しいんだ!!」

 

「……」

 

 おかしい、街中なはずなのに……めっちゃ周りが静かになった。

 

 というか、気温がめっちゃ下がったような気がする。

 

 そしてマックイーンは……キレていた。ウマ耳を後ろに向けて完全に威嚇状態である。

 

「ま……マックイーン? なんで怒ってるの?」

 

「知りませんわ! この朴念仁!!」

 

 そう言って一歩一歩力強く踏み、寮に帰ろうとする不機嫌なマックイーンを俺は必死に説得(マックイーンの好きなスイーツを奢るという条件)したのだった……。

 

 

 




・宝塚はすごかったですねぇ……。クロノジェネシスまじでつおし。

・ウマネスト……なかなか面白い。

・次回は占い&買い出し回をする”予定”です。


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特異点/込められている思い

 前回のあらすじ:スズカはマチカネフクキタルに、玲音はマックイーンに相談をする。

・UA89,000・90,000を突破しました。ありがとうございます!



 店の奥に入ると、そこにはフクキタル……そしてよく隣にいるメイショウドトウさんがいた。

 

 メイショウドトウさんは少し引っ込み思案な子であり、フクキタルの占いの助手をよくしている。

 

 なんでも「自分を変えたい」と未来が上向きになるきっかけの一つとして、この占いの助手をしていると言っていた。

 

「こ、こんにちわサイレンススズカさん……」

 

「こんにちわメイショウドトウさん」

 

「さあさあそちらへ座ってください!」

 

 フクキタルに言われたので、私は近くにあったイスに腰を掛ける。

 

「さて、本日はどのようなお悩みをお持ちですか?」

 

 フクキタルはよく占いで使っているガラス玉(本人は水晶玉と言っているけど)を布で拭きながら自分に問いかけてくる。

 

 ……でも別にこんな占いじゃなくてもいいのよね。個人的には少し相談に乗ってくれれば良かったし。

 

 だけどフクキタルはこの形でしか相談してくれない……そこが彼女のアイデンティティーなんでしょうけど。

 

「実は……小学校の頃に別れた幼なじみと再会できたの」

 

「お〜! それは良かったですね!」

 

「あ、あの……それってこの学園でですか? それとも学園外ででしょうか?」

 

「この学園でです」

 

 メイショウドトウさんがこういう細かいところを掘り下げてくるのがいつもの流れ。そしてそれをフクキタルにも聞かせる。

 

 恐らく、この細かい状況説明が占いでは濃く影響するんだと思う。

 

「それで、今まで祝えなかった数年分のお誕生日プレゼントを贈りたいんだけど……どんなものにすればいいのか分からないの」

 

「ほうほう……つまり恋愛相談ってことですね!」

 

「違うからね?」

 

「つ、つまり……その幼なじみさんにあげるプレゼントがどんなものがいいか占って欲しいってことですね……」

 

「え、えぇ……」

 

 本当はただ相談してもらいたいだけなんだけど……まぁいいかな。

 

 ただメイショウドトウさんは少し考えるような仕草をしている。そして少しするとおずおずと手を上げながらこっちに視線を送ってきた。

 

「あ、あの……それでしたらいっその事、その幼なじみさんと選べばいいんじゃないでしょうか……?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「お出かけして、反応を見たりお話ししながら相手が欲しそうな物を買うんです……ど、ドラマとかでやってるのを見てます」

 

 なるほど……そういう方法もあるのね。

 

 私は自然にサプライズ志向の方に思考を働かせていたけど、確かにそういうのもありなのかもしれない。それにその方法だったら、レオくんとお出かけもできる。私にとってもかなり好条件。

 

「ではでは、そこら辺も含めて占ってみましょう……行きますよ〜!」

 

 フクキタルはガラス玉に両手をかざし、「むむむ〜っ!」と手先に力を入れる。

 

 その様子を私とメイショウドトウさんは見守る。

 

 そして次の瞬間、ガラス玉が急に光出し、天から声が聞こえてきた……ということもなく、突然フクキタルが背筋をピンッと立て「舞い降りてきました!」と大声を上げた。彼女が信じている神様・シラオキ様からのお告げが舞い降りたのだろう。

 

「まずメイショウドトウさんが言っていた「幼なじみさんと出かける」という方法ですが……これはあまり良くないみたいです」

 

「それはまたどうして?」

 

「実はその幼なじみさん、今日に誕生日プレゼントを決めるみたいです」

 

 そう……なんだ。もしかしてレオくんも私の誕生日覚えてくれてたのかな……。

 

 もちろんこれは占いという曖昧な根拠ではある。それでも少し嬉しい気持ちになる。

 

「そして渡した方が良さそうなプレゼントですが……それはズバリ、ブレスレットです!」

 

「ぶ、ブレスレット?」

 

 なんかすごく意外な物をおすすめされた……高校生でブレスレットが誕生日プレゼントってどうなんだろう?

 

 なぜブレスレットがいいのか、私は尋ねてみる。するとフクキタルは教えてくれた。

 

「幼なじみさんは体に身に付ける物をスズカさんにあげるそうです。ですから似たような物を贈ることで、幼なじみさんとの繋がりをさらに深くすることができます!」

 

「……なるほど」

 

 フクキタルが言ってくれた言葉はとても興味深い物だった。

 

 繋がりが深くなる……つまり置いて行かれることがなくなる。

 

 私とレオくんには交わし合った約束がある、だから繋がりは以前よりも強固な物になっているはず。

 

 それでも、私はもっと確かな物にしたい……もう離れたくないから。

 

「でも、私そういう装飾品には疎くて……」

 

 一言にブレスレットと言っても、この世の中には様々なブレスレットがある。

 

 お母さんが高級レストランに行く時に綺麗なブレスレットを身に付けているのは見たことはある。

 

 だけどお母さん以外の人が身に付けているところはあまり見たことがない。

 

 と言うよりも……男性の人ってブレスレットってするものなのかしら?

 

「それでしたら誕生石を使ったブレスレットをオススメします!」

 

「……誕生石?」

 

 誕生石って言うと確か、1月はこの鉱石をあげるといい……みたいな感じで店前のポップによく書かれているものだったはず。

 

 あれってなんかルーツとかあるのかな……。

 

 なんて考えているとメイショウドトウさんが少し厚めの本(ノート?)を持って、あるページを開いて、話し始める。

 

「誕生石のルーツは旧約聖書でユダヤ人の高僧が、宝石があしらわれた胸当てを着けていたという記述があったからと言われています。それにちなんでヨーロッパでは1300年前から『12種類の石を保有して、月替わりで相応しい石を身に着ける』という文化が広がったんです」

 

「へぇ……結構奥深いルーツなんですね」

 

「はい……しかし12種類の石を全て保有するのは普通の人にはほぼ無理です。そこで『自分の生まれた月に当てはまる石を身に着ければ、幸運が訪れる』と考えるようになり、現在の誕生石が誕生しました」

 

「誕生石だけにですね!!」

 

「「……」」

 

「……こほん、メイショウドトウさんが話してくれたように誕生石は月によって種類が変わります。誕生日がある月に対応したものを身に着けることによって厄災から守ってくれたり、幸運を招くと言われています!」

 

「厄災から守り……幸運を……」

 

 その言葉を聞いた瞬間に「これしかない」と直感が告げた。

 

 今まで祝えなかった数年分の思い……そしてこれから続いて行く私とレオくんの物語が簡単に終わらないように……。

 

「……ありがとうフクキタル、いい参考になったわ」

 

「いえいえ〜お安い御用ですよ! あっスズカさん、一つ聞きたいんですけど、その幼なじみさんの誕生月はいつですか?」

 

「4月だけど……」

 

「で、でしたら誕生石は、ダイヤとキュービックジルコニア、そして水晶ですね」

 

「3つもあるんですね……どれがいいのかな……」

 

「その中で選ぶんでしたら、水晶をオススメします! 水晶は全てを浄化し潜在能力を引き出し、魔除けの石で災いを断ち運気上昇へ導くなど、あらゆる力が宿る石なんですよ!」

 

 なるほど……トレーナーを目指しているレオくんにとって、これでもかと言うくらいベストな効果だ。

 

「だ、ダイヤでもいいんですけど、ダイヤはーーーーーーですから、むやみに上げない方が良いと思います……」

 

 メイショウドトウさんのダイヤの説明を聞いたその時……私は少し頰を赤らめてしまった。

 

 ……だけど、同時にーーー。

 

「……」

 

「あと、スズカさん。もう一つ占ったことがあるんですが……言ってもいいですか?」

 

「……もしかして、例の?」

 

「はい」

 

 例のと言うのは数ヶ月前、年が明けた三学期にやってくれたフクキタルの初占いで言われたこと。

 

 元々やってもらうつもりは無かったけど、クラスのみんな全員フクキタルの占いを受けていて「スズカさんもやってもらいなよ!」みたいに周りの人たちがグイグイと占いを勧めてきたので仕方なく受けた。

 

 そして言われたことは……今年の私の運勢は凶だということ。レース人生を左右する災難が待ち構えていると言われた。

 

 でもそれだったら大凶では? と思ったけど、多分そこはレオくんと再会できた幸運があるからだと考えている。

 

「もう一回占ってみたんですけど……ちょっと困ったことがありまして」

 

「困ったこと?」

 

「この前スズカさんを占った時は破滅への道筋しかありませんでした。ですけど今は……何本も道ができていて、未来が予測できないんです」

 

「……未来が、予測できない?」

 

 フクキタルの占いはよく当たると学園の生徒……そして常連の人たちからも言われている。それこそ、彼女に占えないものは”あんまり”ないと言われるくらいには。

 

 そんなフクキタルが……私の未来を予測できない?

 

「多くて6つ……少なくともこの前より2つは増えています。そして前まで見えていたその先の未来に霧が掛かって見えなくなってしまっています」

 

「霧が……」

 

 その言葉を私はこう捉えました……私の未来はとても不安定なものなんだと。

 

 先が見えない道を歩くほど怖いものはない……一寸先は闇か、それとも光か、はたまた穴か、階段か、それかも分からない。

 

「そしてその霧と多数の道の出現……その理由は再会したスズカさんの幼なじみさんにあると考えられます」

 

「レオくんが……理由?」

 

「これは本人を占ってみないと分かりません……ですが一つ言えることは、幼なじみさんは特異点(シンギュラリティ)の可能性が高いということです」

 

   ***

 

「誕生日石の……ぶ、ブレスレット!?」

 

「そうです……あふぁ(あら)ほふぉファンフェーキふほふおいひいへふは(このパンケーキすごく美味しいですわ)

 

 俺はあの後、マックイーンを必死に説得し、駅前のすごく値段の高いパンケーキ屋さんの一番高いパンケーキを食べてもらいながら、俺は相談に乗ってもらっている。

 

 そして単刀直入に何が良いかと訊いてみたが……その答えが誕生石のブレスレットなのだ。

 

 いや……えっ? 誕生石の装飾品って関係が近い人間……つまり恋人同士の人たちが渡し合うものなのでは?

 

 俺とスズカは別にそんな関係でもない……どっちかと言うと家族に近い存在だ。だから流石にそれは誕生日プレゼントとしてどうなんだ?

 

「んくっ……別に良いではありませんか。玲音さんは今まで祝えなかった分の誕生日プレゼントを用意したいのですよね?」

 

「あ、あぁ……」

 

「でしたらそれくらい重くても大丈夫でしょう」

 

 重いって自分自身で言っちゃったよこのお嬢様……あっ、またマックイーンの耳が威嚇モードになった。そしてあの鋭い目つきは「今度お嬢様と心の中で言いましたら、メジロ家直伝のドラゴンスープレックスを決めますわよ?」と言っているものだ。同時に漂ってくる殺気で鳥肌が立ってきた……。

 

 それにしても、誕生石のブレスレットか……。

 

 やっぱり一人の一般男子高生が、一人の女子高生に贈るプレゼントとしては少しハードルが高いような……というか貰ってもスズカは困惑しそうだな。

 

 さらに言ってしまえば自分は女性の装飾品どころか、自分が着る服もとりあえずウマクロの安いやつを買うくらいファッションやアクセサリーなどに無関心な自分が、スズカに合うブレスレットなんて選べるのか……。

 

 ……ここはマックイーンに聞きながら選ぶか。

 

「あの、マックイーンよかったら今からーー」

 

「すみません……午後からドーベルたちと会う約束をしているんです」

 

「あ〜そっか、分かった」

 

「本当にすみません……」

 

 ドーベルたちと言うのは、恐らく同じメジロ家のウマ娘であるメジロドーベルとメジロライアンのことだろう。よくマックイーンと一緒に居るのを見かける。

 

 それに一応メジロ家に何度か訪問しているので、何度かは会ったことはある。ドーベルは男嫌い、自分でも2mしか近づけないが、マンガの話では結構打ち解け合う。ライアンは筋肉大好き、会った瞬間に筋トレをめっちゃ勧めてくるが、その筋肉はとても美しい。

 

 ……マックイーンの協力を直接得られないのは残念だけど、でも相談に乗ってくれたのはとても有難いことだった。

 

「ありがとうマックイーン……ちゃんと悩んでみるよ」

 

「いえいえ、でもその方がスズカさんも喜んでくれると思いますよ。幸運を祈りますわ」

 

   ・ ・ ・

 

 マックイーンとお店の前で別れた後、俺は近くの装飾品店に足を踏み入れた。

 

 正直、普通の高校生が入るのはどこか妨げられるような雰囲気があったが、意外とすんなりと入れた。

 

 そして色々とショーケースを見ているが……マジで種類が多い……。

 

 こんなに種類が多いとは……想定外だった。そしてお値段もバカ高いものから学生にとってありがたい値段もあったりと様々だ。

 

 一応、1万円と数千円を昔から貯金していたからお金には多少の余裕はある……だがだからこそ、選択肢が多くなってしまう。

 

 どうしようかと悩んでいると、店員さんがこっちの様子を見て近寄ってきた。

 

「何かお探しですか?」

 

「あっ、えっと……その……た、誕生石のブレスレットを探していまして……その……」

 

 やばい初めての場所ということもあるのか、めっちゃコミュ障を発動してしまっている。動きもどこかぎこちない。

 

「誕生石でしたらあちらのコーナーにありますよ」

 

「えっ?」

 

 店員さんの後をついて行ってみると、そこには堂々と『誕生石アクセサリーコーナー』と書かれたポップがあるショーケースがあった。

 

 灯台下暗し……いや、ただ単に見えていなかっただけか。

 

「ありがとうございます」

 

「いえ、何か気になった事がありましたらお気軽にお申しください」

 

 そう言うと店員さんは元のポジションに戻った。

 

 さて……ポップを見てみると、どうやらこのショーケースには4月と5月の誕生石アクセサリーがあるらしい。

 

 5月の誕生石は何なのか見てみると、どうやらエメラルドと翡翠らしい。

 

 翡翠っていうとあれだよな、確か縄文時代から祭祀品の勾玉を作るために使われている鉱石のはずだ。実際勾玉は昔の人にとっては厄除けのお守りであり、嫌なものから守ってくれる。

 

 ウマ娘は怪我のするリスクが高い……だったらそういう意味を含めた物をプレゼントするのは悪くないな。

 

(そう言えばエメラルドってなんか意味を持ってたりとかしてるのかな?)

 

 そう思い、俺はエメラルドの項目を見てみる。

 

 なになに〜? 『生命と再生・叡智を象徴するといわれおり、ダイヤモンドと並ぶ世界四大宝石のひとつで、エジプトの女王クレオパトラも愛したとされています。変わらぬ愛を願う時のお守りにおすすめです。意味は恋愛・結婚』

 

(あ……愛!? 結婚!?)

 

 やベぇこれ……下手な知識を身に付けてエメラルドを買っていたらめっちゃ恥ずかしいやつだったじゃないか!

 

 いやでも確かに結婚指輪でエメラルドの指輪をはめている人とかみたことあるな……危ない危ない、もしスズカにエメラルドのアクセサリーを渡していたらとんでもなく気持ち悪いやつになっていた。

 

 とりあえずそれが回避できただけでもヨシッとしよう……。

 

 えっとそしてお値段としてはこれもまた様々だな……某海外アニメのネコみたいに目玉が飛び出るくらいの値段のやつもあれば、自分が買えるギリギリの値段のやつもある……というか一万円以上は当たり前だった。

 

 とりあえず自分で買えるものはこの一万円レベルの本翡翠を使ったブレスレットだけなので、これを買おう。

 

(あっ、自分の誕生月である4月はどんな石があるんだろ?)

 

 そう思い隣に置いてある4月の誕生石のポップを見てみる。

 

 ん〜と、4月の誕生石はクオーツにダイヤモンド、そして名前がなんか長えやつ。

 

 へ〜、ダイアーさん……じゃなくて、ダイヤが4月の誕生石なんだ。

 

 えっと……『不屈の精神や勝利・正義の象徴とされています。また、15 世紀にオーストリアのマクシミリアン1世が婚約者に贈って以来、永遠の愛の代名詞になっています。意味は恋愛・結婚』

 

 んまぁそうだよな、結婚指輪といえばダイヤ、ダイヤと言えば4部……じゃなくて結婚指輪だもんな。

 

 ただ不屈の精神や勝利、そして正義の象徴って言うのは知らなかったな……まぁでも誰かにダイヤをもらうことなんてないと思うが……。

 

「……よし、じゃあ買いますか!」

 

   ***

 

 あの人は……気付いてくれるでしょうか。

 

 今年わたくしが用意したソフトシリコン製のカラーオーダーイヤホン。その右耳のイヤホンにはすごく小さなジュエリーがさりげなく埋められている。

 

 そのジュエリーの種類は……ダイヤモンド。

 

「どうしたのマックイーン、急に頬を赤らめて?」

 

「いえ、なんでもありませんわドーベル」

 

「風邪引いた? 具合が悪かったらすぐに言ってね?」

 

「大丈夫ですわライアン、心配してくれてありがとうございます」

 

 

 




・お父さんのデータでライス育成しました……なんか他の子よりボリュームがあってお兄さまになれました。

・次回は……そうだな〜、スペと付き添いの子のプレゼント探しの回の”予定”にしますかね。


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会ってまだ数ヶ月だけど

 前回のあらすじ:スズカはフクキタルに占いをしてもらい、玲音は翡翠のブレスレットを買った。

・UA91,000・92,000、6話のUAが10,000を突破しました。みなさま誠にありがとうございます!

・読者様から「スペのタグも増やしたら?」と提案されたので、”スペシャルウィーク”のタグをつけました。貴重な提案、ありがとうございます。



「ふふふん、ふふふん、ふっふっふ〜ん♪」

 

 自分の寮の部屋で上機嫌に、いつも飲んでいるはちみつドリンク店のCMソングを口ずさみながらボク、トウカイテイオーは着替えをしていた。

 

 ちなみに同室のマヤノ(トップガン)はまだ寝ている……平日休日ではあるけど、流石に寝すぎなんじゃないかな?

 

 でもまぁ寝る子は育つって言うし、このままでも多分大丈夫だよね!

 

「……んっ、テイオ〜ちゃん?」

 

「あっ、マヤノ……起こしちゃった?」

 

「んん〜、だいじょ〜ぶだよ……」

 

 すごく眠たそうな声を出しながら、ゆっくりと体を起こすマヤノ。小さく可愛らしいあくびもした。

 

「あれ、テイオーちゃんどこか出かけるの?」

 

「うん、ちょっと街にチームの先輩と買い出しを手伝うことになってね」

 

「そうなんだ……気をつけてね〜」

 

「うん、行ってくるね!」

 

 そう言ってボクは寮の部屋から出る。あっ、そうだどうせだったらこのままスペちゃんの部屋まで行こうっと。

 

 なんて思ってたけど……向こうから見知った顔が現れた。

 

「あっ、テイオーさん!」

 

「やっほースペちゃん、今からそっちに行くつもりだったんだ〜」

 

「私も準備できたんで呼びに行こうと思ってたんですよ!」

 

 へえ、スペちゃんもボクと同じこと考えていたんだ……なんだかボクたち、

 

「私たち気が合いますね!」

「ボクたちは気が合うね!」

 

「「あっ」」

 

 なんともまぁ面白いタイミングにハモったから、ボクとスペちゃんはその場で少し笑った後、寮を後にした。

 

   ・ ・ ・

 

 ボクたちがやって来たのは駅前……って言っても、何か買おうとか考えると行くところはここくらいしか無いんだけど。

 

 それでもボクはここよりも田舎に実家があるから、今でもこの都会特有のうるささと空気は慣れない……なんて思ってたらこの地域って東京の中でもまだ比較的田舎な方と知った時、ボクは叫びそうになったけどね。

 

 ちなみに今日のお出かけはスペちゃんの買い出しの手伝いだ……同室にはスズカがいるらしいけど、今日は少し遠くまで出かけているらしい。

 

 ……そういえば、スペちゃんは今日何を買うんだろうか?

 

「ねぇスペちゃん、今日の買い出しの目的ってなんなの?」

 

「えっと、実は今週の土曜日の30日って、玲音さんのお誕生日なんですよ。ですからプレゼントを作るための毛糸と道具を少々……」

 

「ちょっと待って!? えっ、玲音って今週誕生日だったの!?」

 

「そうらしいですよ? 私もこの前の休日にスズカさんに聞いただけですけど……」

 

 そうなんだ……玲音、あと数日で誕生日なんだ……。

 

 それだったら言ってくれたっていいのに〜……いやでも、自分から自分の誕生日を教えてプレゼントを要求するっていうのは中々に図々しい態度になっちゃうのかな? それにまだ会って数ヶ月の人にプレゼントを貰っても普通は困惑するよね。

 

 そんな風に考えているとスペちゃんは駅前にあるビルの中に入る。そしてエレベーターに乗って5階のボタンを押す。

 

 5階には確か……あぁなるほど、スペちゃんが行きたいところが分かった。

 

 なんて思っているとエレベーターはあっという間に5階に到着して扉が開く。そして目の前にあったのは超有名な100円ショップ。

 

 確かここのフロアの半分以上が100円ショップだったはず。

 

「ここが全ての商品が100円のお店なんですね!」

 

 隣にいるスペちゃんは初めて遊園地に来た子どものように興奮していた……めちゃくちゃ尻尾を振りまくっているけど……もしかして。

 

「スペちゃんって100円ショップ初めてなの?」

 

「はい! 私の住んでた地域はかなり田舎で100円ショップなんて無かったんですよ。その代わりなんでも屋さんみたいなものはありましたけど」

 

「へぇ……」

 

 100円ショップがないって、どれだけ田舎なんだろ? ボクの実家は東海地方の田舎と言える方だったけど、普通に100円ショップがあったけどなぁ……。

 

 まぁでもあそこよりも田舎なところはこの日本にはたくさんあるよね、ボクの実家の地域で運行しているバスは1時間に一本だけど、1日に三本しか来ないところもあるって聞いたことあるし。

 

「それでも全てが100円なんてすごいですね! わぁ! この食器も100円!? わぁ……すごい」

 

 スペちゃんは棚に並べてあった食器を手に取って、そのクオリティーの良さを体感している。

 

 確かに100円ショップの商品ってかなり高クオリティーだよね……お店とかでもそれっぽいものとかあるし。

 

「スペちゃんは食器系を買うの?」

 

「いえ……でも一つは買っていこうかなぁ、でも寮だと使い道が……」

 

 スペちゃんはそこでむむむっと悩んでいたが……食器を棚に戻して、代わりにその隣にあった小洒落たコップを手に取った。

 

 確か寮の食堂って紙コップはあるんだけど、自分で持って来たコップで飲む子も多いんだよね、スペちゃんもそっち派なのかな?

 

「えっと、100円ショップって毛糸も売ってますかね?」

 

「普通にあると思うよ。あの奥に手芸って書いてあるからそっちにあるんじゃないかな?」

 

 そう言いながらボクは手芸コーナーの方に進む、後ろからスペちゃんもついてくる。

 

 そして手芸コーナーに足を踏み入れてすぐにスペちゃんの目的の物である毛糸があった。スペちゃんは迷わずにベージュ色と灰色の毛糸を取って、その横にあった長い竹でできた棒(棒針というらしい)ととじ針、そして糸を切るためのハサミを買い物カゴに入れる。

 

「スペちゃん、もしかして手編みのプレゼントを送るの?!」

 

「はい! スズカさんにはマフラーを、玲音さんには手袋を上げる予定です」

 

「えっ、今から作るの?」

 

 というか玲音だけじゃなくて、スズカも誕生日だったんだ……。

 

「よく実家で手袋とかマフラーとかの編み物とかはよくやってたんですよ。お母ちゃんと作りあってその季節はそれをお互い着けていたなぁ……」

 

「へぇ……お母さんと仲が良いんだね」

 

「これくらい普通じゃないですか?」

 

「……ううん、そんな事ないよ」

 

 そう言って、ボクは実家にいるパパとママのことを思い出す。

 

 別にボクと両親は仲が悪いって訳では無いと思う……だけどここに入る時は少し揉めた。

 

『レースで生きていけるウマ娘はごく少数だぞ、なぜ険しい道を進もうとするんだ?』

 

『分かってあげてテイオー、お父さんはあなたのために言っているのよ?』

 

 もちろんパパが言っている意味も、ママがパパの意見を重んじている意味もボクは分かっていた。

 

 だけど、それでもカイチョーみたいなウマ娘になりたいという想いは当時のボクは変わらなかった。それにボクはエレメンタリークラス(小学生のウマ娘が出るレース)では良いところまで行ったことがある……だから中央でもやっていけると思っていた。

 

 最終的には入学は認めてくれたけど……でも、最後までパパの顔は浮かないものだったなぁ……。

 

「テイオーさん? 急に暗くなりましたけど、具合でも悪いんですか?」

 

「えっ……あぁ大丈夫大丈夫」

 

「そう言えばテイオーさんは誕生日プレゼントは贈らないんですか?」

 

「いやいやスペちゃん……一応ボク、スペちゃんに今日教えてもらうまで2人の誕生日知らなかったから」

 

 前もって知っていれば用意していたかもしれないけど、今持っているお小遣いはなし。寮に戻れば幾らかはあるけど、誕生日プレゼントとしては相応しいのが買えれるか微妙な金額なんだよねぇ……。

 

「スペちゃんは何で2人にプレゼントを贈るの?」

 

「スズカさんと玲音さんには日頃からお世話になっていますから……その感謝の気持ちです。これ買ってきますね!」

 

 そう言ってスペちゃんは会計の列に並んで行った。

 

 それにしても、スペちゃんって本当にすごいなぁ。会ってまだ数ヶ月の人にプレゼントを贈れるなんて……それも年上の人と異性の人。

 

 それが普通なのかな……いや、そんなことは無いんだろうな。

 

   ・ ・ ・

 

「今日はありがとうございました、テイオーさん!」

 

「ううん、スペちゃんお買い物ができて楽しかったし、お昼もご馳走になっちゃったからね」

 

 ボクたちはあの後同じビルの8階にあるレストランエリアでお昼を取った。何でもオムライス専門店というもので、ボクはホワイトオムライス(卵が白っぽく、掛けられているソースがホワイトソースで、中のご飯はチーズリゾットみたいになっていた)、スペちゃんはキャロットオムライスなるものを食べた。結構美味しかった。

 

 そしてお昼を取って、ボクたちは他愛の無い世間話をしながら、トレセン学園の帰路についている。

 

 ……ふと車道の向こう側にある施設がボクの視界に入る。

 

 その建物は……ゲームセンター。

 

 よく休日とかにダンスゲームとかをやりに行くボクのお出かけスポットの一つ……でも今日はダンスゲームの方ではなく、その奥のクレーンゲーム筐体に目がいった。

 

「……ねぇスペちゃん。今200円って借りても良いかな?」

 

「えっいいですけど……なんでですか?」

 

「やっぱボクも……玲音とスズカのプレゼントを調達しようかなって」

 

 横断歩道で向こう側に渡り、ボクたちはゲームセンターに訪れる。

 

 スペちゃんがなんかぼーっとした目でゲームセンターを見ている……もしかしてゲームセンターも初めてなのかな?

 

 まぁいいや、ボクは店の奥に行ってあるクレーンゲーム筐体の前で立ち止まる。

 

 そのクレーンゲームで取れるのは……イルカのぬいぐるみだ。両手に収まるくらいの大きさで色はピンク・水色・黄色・白・そして黄緑色……二つくらいシャチのような柄の子もいる。

 

 ボクは結構クレーンゲームは得意な方だ……だからクレーンゲームで誕生日プレゼントを獲得する!

 

 早速ボクは100円を投入口に入れる……その様子をスペちゃんは隣で見守る。

 

 狙うのは黄緑色のイルカ……スズカのトレンドカラーっぽいし、耳に緑色のカバーを着けているから丁度いいと思う。

 

 ボクは場所を見極めて……ボタンを離す。

 

 ゆっくりと降りてくるアーム……そのアームはヌイグルミを掴み取る事はなかった。

 

「あ〜……惜しかったですね」

 

 スペちゃんは残がっているが……本番はここからだ。ある程度降下が終わったアームは一回閉じる。その時閉じたアームの先っちょがイルカのヌイグルミのタグに引っ掛かったのだ。

 

 そしてアームが上がると……ぬいぐるみも持ち上がった。

 

「えっ!? なんでそれで取れるんですか!?」

 

「クレーンゲームのスキルだよ、ボクは裁縫や編み物はできないけど……クレーンゲームならかなり極めているから」

 

 そう言っている間にもアームはヌイグルミを運んでいき……そして落とす。

 

 まずは一個……スズカの分は確保完了。スズカには何かと練習でお世話になっているから、日頃のお礼っていう事にもなるよね。

 

 そして玲音には水色を……っと思ったけど、男子にイルカのぬいぐるみをあげるのもどうなんだろうと思って、ボクは一旦筐体から離れて周りを見てみる。

 

 そうだなぁ……無難にお菓子系とかにしてみようかな?

 

 そう思っているとスペちゃんがある方向に体を向けているのが目に入った。ボクはスペちゃんの視線の先を見てみる。

 

「テイオーさん、あれって何ですか?」

 

「あれは『ぱかプチシリーズ』だよ、重賞を何度か勝ったウマ娘がぬいぐるみになるんだ〜」

 

「へぇ……じゃあ私もぬいぐるみになったりとかするんですかね?」

 

「なるんじゃないかな?」

 

 そう言いながらボクはぱかプチに近づく……すると、ある事が分かった。

 

 それは……新しいぬいぐるみとして『ミニサイレンススズカ』が登場しているというものだった。

 

 そして実際、そのクレーンゲームの中にはたくさんのミニサイレンススズカがあった。

 

「わぁ……! スズカさんがいっぱいです!」

 

 そういえばスズカは玲音の幼なじみって言っていたよね…………スズカのぬいぐるみをあげたら、玲音貰ってくれるのかな?

 

 あまり男子にぬいぐるみを渡すっていうのは聞いた事ないけど……多分大丈夫だよね。

 

 そう思ってボクは100円を投入口に入れる。

 

 このぱかプチシリーズのクレーンゲームは少し特殊であり、ぬいぐるみにタグなどがなく、普通のクレーンゲームで使えるようなスキルは使えない。

 

 ではどうやって取るか……それは単純明快、ぬいぐるみをガッチリと掴み取って、あとはアームの確率機を信じるだけ!

 

 アームはミニスズカの体をがっしりと掴み、持ち上がる。

 

 落ちるな……落ちるな……とずっと心の中で願う。それが伝わったのか分からないけど、アームの確率機はどうやら当たりを引いたらしい。ミニスズカはそのまま取り出し口の真下まで運ばれ、アームが開いてぬいぐるみが落ちる。

 

 にしし……これで玲音の誕生日プレゼントも取れた。さて、これを持って帰るとしよう。

 

「あっ、スペちゃん200円貸してくれてありがとう! お陰でいいプレゼントが取れたよ……今度ちゃんと200円返すーーー」

 

「あの、テイオーさん! お願いがあるんですけど……」

 

 そう言って、スペちゃんはポケットから数百円を取り出し、こっちに差し出してくる。

 

「もう一個……ミニスズカさんを取ってくれませんか?」

 

「ん? スペちゃんもミニスズカ欲しいの?」

 

「はい、結構可愛いので……お願いできますか?」

 

「もっちろん! お安い御用だよ」

 

 その後、3回くらいチャレンジしてスペちゃんの分のミニスズカもゲットした。そのぬいぐるみを両手で優しく抱えながら幸せそうな顔をして帰路に着いたスペちゃんだった。

 

 ……正直言って、何でいきなりプレゼントを用意しようと考えたのかは、はっきり言ってボク自身理解していない。

 

 スペちゃんが言ったように『お世話になっている感謝の気持ち』のためなのか……それか別の理由なのか。今のボクにはまだ分からない。

 

   ***(おまけ)

 

「えへへ〜……スズカさ〜ん……Zzz」

 

「(す、スペちゃんが私にそっくりなぬいぐるみと一緒に寝ていて、しかも寝言で私の名前を呼んでいる……私じゃないって分かっているのに、どうしても耳と意識が反応しちゃう……)」

 

 次の日、スズカは授業中にも練習にもアクビが止まらなかったらしい。

 

 

 




・期末オワッター!\(^o^)/(二重の意味で)

・学校の昼休みに試しでしっとりテイオーを書いていますけど、難しいですねぇ。

・次回は模擬レースの相談回の”予定”です。


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違う視点の思考/決断

 前回のあらすじ:テイオーとスペは玲音とスズカの誕生日プレゼントを用意した。

・UA93,000を突破しました。ありがとうございます!



「俺が選ぶんだったら誰を選ぶかって?」

 

「はい」

 

 昼休み、俺はご飯を食べた後また別校舎にあるトレーナー室に来ていた。

 

 その理由は単純明快、先生がスペの模擬レースをやるんだったら誰を選ぶのか聞くためだった。

 

「……」

 

 しかし先生はすぐに答えようとせず、真剣な顔で立ち上がり、俺に近づいてくる。

 

 その目には……少しだけ怒気を含んでいるような気がした。

 

「お前……ちゃんと見て、自分自身できちんと考えたのか?」

 

「もちろんです、ちゃんとリギルの練習を見て、過去のレースも確認しています。でも、俺には経験値が少ないんです。どうしても全員がいいように見えてしまう。ですからプロの視点で考えた場合どうなのか参考に聞きたいんです」

 

「参考……か」

 

 先生はポリポリと後頭部を掻きながら深いため息をつく。

 

 この行為は……ある種先生の期待を裏切るような行為なんだろう。でもサフィーが言っていた、誰かに相談するということ。それは単なる知人だけではなく、こういうプロなどの意見も聞いて様々な方向から物事を考えることだと俺は考えた。

 

「まぁ、ちゃんと考えがあるならいいか……俺が模擬レースをやるんだったら、俺は……こいつを選ぶ」

 

 先生は自分が持ってきていたリギルメンバーの名前や特徴が載っている紙を掴み取って、あるページを開く。

 

 そのページにいたメンバーは……赤味がかかった金髪のウマ娘、確か名前は……。

 

「タイキシャトル……ですか?」

 

「そうだ、マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスを制覇、さらにピッチ走法がとても綺麗だからスペのお手本になる。俺が考えている限り、こいつが一番理想の相手だ」

 

 そうやって聞くと、確かにタイキシャトルはとてもいい相手に聞こえる。

 

 だが一つ問題なのは……タイキシャトルは短距離・マイル適性、スペは中距離・多分長距離の適性だ。適性が違うウマ娘が同時にレースをするというのは……あまりよろしくないのではないだろうか。俺はそう先生に聞いてみた……すると先生は、

 

「今回は模擬レースだ、だから脚質は考えない。それが模擬レースのいいところだ。それに少しではあるが、スペにもマイルの適性はあると考えている」

 

「なるほど」

 

 そうか、これは公式レースじゃないから普段ならありえない夢のカードも切れるのか。

 

「んで、お前は一体誰を今のところ考えているんだ?」

 

「俺が今考えているのは……この娘です」

 

 俺は先生に紙を返してもらって、あるページをめくる。

 

 そこに写っていたのは……いや、この学園に関わる者なら知らない人は絶対にいない。

 

「シンボリルドルフか」

 

「はい、彼女は三冠を達成している……つまりスペにとっては憧れの存在の1人です。ですから三冠の強さをその身で体験してみるというのもいいのではと思いました」

 

「確かに模擬レースだからな、それくらいやってもいいだろう。だがあいつはストライドで力強く坂を登るのが得意だったはずだ。そこのところはどうなんだ?」

 

「俺が悩んでいるのはそこです……」

 

 先生の言う通り、シンボリルドルフはロングストライドで豪快に坂を駆け上がるタイプだ。

 

 今回の模擬レースの目的としては経験値を増やし、レース脳を鍛える事だ。だったらいつもとは違う走法をするウマ娘と走らせたほうがいいのかもしれない。

 

「玲音、決められるか? もし無理そうならーーー」

 

「いえ、やらせてください」

 

 俺は課題を放棄する気はもうなかった。

 

 誰かに相談をする事……それは自分自身の固定概念をぶち破るために行われるものだと分かった。数日前の自分がずっとうじうじと考えていれば、俺は諦めていたかもしれない。

 

 ……とても不思議な夢だったけど、サフィーには、そしてその事をすぐに教えて(勝手に教わった)くれたマックイーンには感謝しかないな。

 

「……そうか、分かった。だが待てるのは練習終了時までだ、分かったな?」

 

「はい」

 

   ・ ・ ・

 

「オペラオー、もっと腕の振りを意識しなさい! 左右のバランスが崩れているとその分スピードが殺されるわよ!!」

 

「はい!」

 

「なるほど、腕の振りにはそういう意味が……」

 

 放課後、俺はリギルの練習を見に来ている……って言っても、ここ数日はずっとこっちにいるのだが……。

 

 今日も放課後になった瞬間、リギルのトレーニング場に行こうとしたけど、テイオーが教室の出口にいて「今日こそ来てよ!」と言われた。

 

 でもまぁどちらにせよ今日で最後なので「あと1日だけ我慢してくれ」と言いながら頭を撫でたら不満はありそうだったが納得はしてくれた。

 

「エル、今の走りを忘れないように! NHKマイルではその走りが必要になってくる!!」

 

「わかりました!」

 

 このリギルの観察は得るものもかなり多い。さっきの腕の使い方などの基礎的な知識を得るのもあるし、スペのライバルであるエルコンドルパサーの状態も把握できる。

 

 一つデメリットを挙げるとすれば、道以外の見習いトレーナーたちが俺を見て露骨に嫌な顔をする事だろうか。一回面と向かって「落ちこぼれがなんでリギルの練習に来るんだよ、失せろ」とも言われた。

 

 でもそう言われたからって「はい分かりました」とは言わない。それにリギルのトレーニングは見ていると言っても一応トラックの外だからあんたらが気にする事ではないだろと言おうとしたが、そう言うと流石に問題になりそうだったからやめといた。

 

「今日も勉強熱心ですね玲音さん」

 

「やあグラス」

 

 自分の隣に現れたのはリギルに所属している栗髪のウマ娘、グラスワンダー。学校指定の赤いジャージを着ていて、その額には少しの汗、そして手にはタオルと補強トレーニング用のマットが握られている。

 

 現在脚を怪我している彼女は今トラックにいるチームメンバーとは別メニューを行っている。そのメニューはウォーキングとエアロバイク、そして補強トレーニングだ。

 

 そして彼女はウォーキングとエアロバイクを終わらせたんだろう……俺は足元に置いといた新品のスポーツドリンクを彼女に渡す。

 

「ありがとうございます」

 

「どう、脚の調子は?」

 

「ウォーキングやエアロではもう大丈夫ですけど、やはり走るってなると痛みがありますね……」

 

「そっか……今日もここで補強トレーニングをするの?」

 

「はい、そのつもりですよ」

 

 そう言いながらグラスはマットを近くに敷き、その上に仰向けで寝た。そしてそのまま足を浮かせて、腹筋を始めた。

 

 ここ最近、グラスは自分の隣で補強トレーニングをすることが多い。理由を聞いてみたけど「細かいことはいいじゃないですか」とうやむやにされた。

 

 まぁ別に理由とかはなくてもいいけど……それに……。

 

「28……29……30……」

 

 腹筋を続けるグラス、その体幹は30を超えても崩れることなく、とても綺麗だ。

 

 流石は前年のジュニアチャンピオンっと言ったところか……体幹がしっかりしている。

 

 走りを見た訳ではないけど……彼女は走れる。もし彼女が怪我しなくてそのままクラシックに参加していたら、スペの前に立ちはだかる強いライバルになっていただろう。

 

 ……見たかったな、2人の勝負。

 

「……っ? 私に何か付いてますか?」

 

「あっいや……なんでもない」

 

 いかんいかん、いつの間にかグラスの方を見ていたようだ。グラスに気持ち悪い思いさせてないといいけど……。

 

 というか脚が治れば見られるだろう……それこそ有記念とか……適性あるかは分からないけど。

 

「そういえば、そろそろですよね。模擬レースの相手を決断するのは」

 

「うん、今日の練習の後が締め切り、だから今日でこの観察は最後かな」

 

「そう、ですか……寂しいものですね」

 

「いやいや、むしろ視界の外に映る害虫が消えるだけだよ。それにあの人たちの視線に合わなくて済む」

 

 そう言いながら、俺はリギルの見習いトレーナーの生徒がいる方を見る。するともともとこっち向こうはこっちに視線を向けていたので目があった。

 

 あっ、今絶対あの女子舌打ちしたな。

 

「でもこうやって補強トレーニングに付き添ってくれる人はいなくなりますね」

 

「そこまで気にすることじゃないと思うよ、グラスはしっかり出来ている。それは俺が保障する」

 

「そこではないですけどね……ありがとうございます」

 

 そう言って斜め腹筋をやり始める。

 

 ……そういえば、グラスだったら誰を相手として考えるんだろう。

 

 俺や先生が考えている事は、結局トレーナー視点での考え方。しかしウマ娘にはウマ娘にしか分からないものもあるのではないのだろうか。

 

「『私だったら誰をスペちゃんと競い合わせるか……』とか、考えていますか?」

 

「あっれ〜なんで分かったの?」

 

「顔に出ていますよ」

 

「ん〜、そっか」

 

 自分って結構顔に出る人間なんだな……知らんかった。まぁそんなの見れる機会自体がないけど。

 

 グラスはゆっくりと立ち上がって、自分の隣に来る。

 

「そうですね、私がスペちゃんと走って欲しいと思っている人は……あの人です」

 

 そう言って、俺はグラスワンダーの視線の先にいるウマ娘を見る。

 

 ……なぜグラスは彼女を選ぶのだろうか、そんな風に思っているとこっちの思考を察してかグラスは話してくれた。

 

「スペちゃんは日本一、特に三冠ウマ娘になる事を誰よりも望んでいました。ですが敗北、その苦渋は必ずしもどこかに残っているものです」

 

「……そうだな、でもそれと彼女の走りに繋がりはーーー」

 

「あの人の走り、どこか違うと思いませんか。他のメンバーとは違う何かを……」

 

「……」

 

 そう言われて俺は注意深くそのウマ娘の走りを見てみる。

 

 そのウマ娘は加速した……さらに加速、もっと加速……彼女の加速は止まらない。しかし重要なのはそこではない。

 

 ……笑っていた。

 

 口角を上げて微笑み……楽しそうに走っている。

 

「すごいですよね、あれだけのスピードで笑えるなんて……」

 

「そうだな……流石リギルのーーー」

 

「そうではないです……今のスペちゃんに必要なのは、楽しさを……走ることへの楽しさを思い出すと言う事だと思うんです。これは、スペちゃんの友人としての考えです」

 

「楽しさを思い出す……」

 

 そう言いながら俺は再びトラックにいる彼女の走りを見る。

 

 ……ふとそこに、スペの姿が映し出された。

 

 スペは彼女に追いつくために必死に腕を振り、脚を前に出す。しかし加速で距離を離される。しかしスペも加速して彼女にまた追いつこうとする。

 

 そんなレースが繰り広げられるんだ。

 

 ……先生は言っていた。これは模擬レースだと。

 

 だったら、夢のようなカードを切っても文句は言われないはずだ。

 

「ありがとうグラス……すごく参考になったよ」

 

「お役に立てて何よりです」

 

   ・ ・ ・

 

「よし、今日はここまで! しっかり体のケアをするように! あなたたちは少しトレーナー室に来なさい」

 

『はい!』

 

 あれから1時間ちょい過ぎ……空が青紫色になり始めた頃にリギルのトレーニングは終わった。

 

 俺は一回あくびをしながら上空を見上げる……一等星がチラチラと瞬いていた。

 

 ……さて、行くか。

 

 そう思って俺はスピカの部室がある方へ脚をーーー。

 

「もう行くんですか?」

 

 まさか声を掛けられるとは思ってもいなかったので、俺は内心驚きながらもグラスの方に振り返る。

 

「うん、チームのトレーナーに言ってこないと」

 

「そうですね、誰を選ぶのかとても楽しみです」

 

 俺は再び、グラスの方に歩み寄る。そしてグラスの目をしっかりと見つめて声を出す。

 

「しばらくの間、本当にありがとう、グラス……学園で会った時は挨拶してくらいしてくれると助かるかな。ははっ」

 

「……」

 

 自分は少し笑えるような言葉を選んだが……グラスは少しも微笑まずに、少し俯いていた。

 

 っ? なんか俺変なこと言ったかな……。

 

 何も言わないで俯いているグラスを静かに見守っていると……ゆっくりと顔を上げ、口を動かした。

 

「君や来し、われやゆきけむ、おもほえず、夢かうつつか、寝てかさめてか」

 

「……えっ?」

 

 グラスが言った言葉が理解できない……だけど、何となく分かる。これは、和歌か?

 

 だけど正直に言おう、自分は古文が苦手である。それこそ1年の一学期に赤点を一回取ったレベルである。

 

「いい歌ですよね……昔の人が考えた歌には、今にはない趣きがあると思うんです」

 

「あっ、あの俺はーー」

 

「私も楽しかったですよ、この数日間……今度、お茶をお点てしますね」

 

 そう言って微笑んだ後、グラスは静かに一礼をして、その場から去っていった。

 

   ・ ・ ・

 

「さぁ玲音、約束の時間だ……お前の答えを聞かせてみろ?」

 

 スピカの部室にいると、そこには先生が練習道具の片付けをしながら待っていた。他に人はいないから、多分チームのみんなは寮に帰ったんだろう。

 

 俺は持っているリギルメンバーの紙束のあるページをめくって、先生へ「くらえ!」と言うように(実際は言わないけど)そのページを”つきつける”。

 

「俺が選んだのは……この人です!!」

 

 スペには思い出してもらおう……レースの楽しさを……!

 

 

 

 ……遥か遠くから、何かが崩れ落ちるような音が聞こえた。

 

 それが何の音だったのかは”この俺”には分からない。

 

 しかし何か、予め決まっていた何かが壊れた。そんな音だと”認知できない俺”は思った。

 

 

 




・グラスさんが玲音に好印象を得ているように見えますが、2人はこの瞬間に親友になりました。(タグ追加の予定はありません)

・僕現在茶道部なんですけど、いつかグラスと玲音のお点前回とかもやってみたいですねぇ……。

・次回はスペとーーーの模擬レース回の”予定”です。


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昔のウマ娘 / 変えるべき点

 前回のあらすじ:玲音はグラスに和歌を贈られた。そして玲音はトレーナーに模擬レースの対戦相手を伝えた。

・UA94,000・95,000・96,000を突破しました。誠にありがとうございます!

・お久しぶりです。模擬レースは次回に回します。すぐに出しますのでお許しください!



「ほら若いの、もっとテキパキ動け〜!」

 

「は、はい!!」

 

 二日後……俺は早朝からトレセン学園の中にある一つのトラックに訪れていた。

 

 先生にスペの対戦相手を告げて、昨日先生はリギルのトレーナー、東条ハナさんに直談判しに行った。その結果、交渉は成立、スペの模擬レースが晴れて決まった。

 

 しかしそのために先生は学園の理事長に許可を取りに行っていたらしいのだが、その際一つの条件を提示された。

 

 その条件が……トラックの手入れを手伝うというものだったらしい。らしいと言うのは俺が直接聞いたわけではなく、先生からそう伝えられたのだ。

 

 そしてその条件を守るために俺は先生に渡された”手書き”の紙の指示通り、こうして早朝のトラックで中腰になって芝を植えていた。

 

 予め芝が入っているバケツがあり、その近くには紙があり、今回やることが書かれていた。

 

 簡単に言ってしまえば、前日コースをウマ娘が走って芝生が剥がれてしまったところをこのバケツの中に入っている芝生で埋めてほしいとのことだった。

 

 それくらいなら……と思っていたが、実際やってみると意外とキツい。さっきからほぼ中腰体勢なのでこの歳で腰痛が出て来ていた。

 

 そんな頃だった、謎のおっさんが現れたのは。頭にはバンダナの様なもの、その口には葉巻が咥えられている。但し火はつけてない。

 

「ほらほらそこのところ埋め方が曖昧だぞ、もっと一回いっかい丁寧にやるんだな……ちょっと俺のやり方を見とけ」

 

 そう言うとおっさんはバケツから芝を取って剥がれている所を芝で埋めた。繊細な動きかつ埋める力は強くとても慣れている様子だった。

 

 俺も負けじと芝で隙間を埋める。

 

「なぁ若いの、お前は昔のウマ娘たちを知っているか?」

 

「どうしたんですか急に」

 

「いいから、知っているか?」

 

「……いえ、そこまで知らないです」

 

 今思えば、俺はあまりウマ娘には詳しくない。知っているのはこの学園に入ってから身につけた知識だけ。

 

 しかし仕方ないだろう、俺はマックイーンと会うまでレースとは無関係だったし、トレセン学園に入る事を決意したのも中3の夏くらいだったしな。

 

 分かりやすい風に言うなら、全然車に乗ってこなかった自転車乗りがある日ドライバーになるようなもんだ。(それで成功してる人もいるけど)

 

「今ではこんな風に整備するようになったが……昔はそんな事はなかった。それどころか、走る事を強要されていた時代もある」

 

「そうなんですか? そんなの耳に入ったことも、ましてや歴史で習ったこともーー」

 

「多くの国ではウマ娘の人権を尊重するためにその事を隠蔽している。しかし一部の国ではそう言う歴史があった事を公にしている」

 

 おっさんはウマ娘の歴史を話してくれた。ある国ではウマ娘は普通の人よりも身体能力が良いことに、優秀な労働力としてこき使われていたこと、またある国ではウマ娘を競わせてその勝ち負けで賭博したりしていたなど、俄かには信じられないような話だった。

 

 しかしおっさんのどこか真剣な声音で話しており、その話が本当であると何と無く雰囲気で感じた。

 

「日本もかなり昔からレースをやっていてその歴史は200年にもなる」

 

「200年!?」

 

 想像以上の歴史の厚さに俺は素直に驚いてしまう。

 

 ていうかなんでこの人は隠蔽されているはずの情報を持っているんだ?

 

「だがこんな風に整備されるようになったのは、つい最近のことなんだ」

 

「そうなんですか?」

 

 おっさんは胸ポケットから少し古そうな写真を取り出し、それを俺に渡してくる。

 

 俺はその写真を受け取る、どうやら少し前のカラー写真のようだ。勝負服を着ているウマ娘が”茶色”の地面でレースをしている。

 

 ダートのレースなんだろうか?

 

「これは数十年前の”有記念”の光景だ」

 

「……えっ、有?」

 

 有記念って確か、中山で行われるレースだよな……そもそも芝のコースのはず。

 

 でも写真の中山レース場は茶色い。

 

「なんで茶色いか分かるか?」

 

「……いえ」

 

「それはな、芝が枯れているからだ」

 

 芝が……枯れている? そんなことってあるのか?

 

 学園のトラックの芝は俺が見ている限り、年中緑が生い茂っているはずだ。

 

「昔の娘たちはとても走るには酷な環境で走っていた。しかしURAが設立されて野芝の上に洋芝のタネを蒔くオーバーシート、各レース場のコース整備、エクイターフの開発・導入するなどをして、今の娘たちは良い環境で走れるようになった」

 

「エクイターフ?」

 

「簡単に言ってしまえば根が深く、芝が密でちぎれにくく、クッション性に優れ、成長も速く、反発力がある芝だ。導入してからタイムが大幅に早くなっている」

 

 なるほど、普通の芝だと思っていたけど地味に違うものきだったのか。

 

 でも確かに公園やサッカー場の芝とは何か違う感覚だった気がする。

 

「沖野の坊主はお前に知ってもらいたかったんだろうな、レースにはウマ娘とトレーナーだけで作っているものではない。影で支えている奴もいるってな」

 

「……そうですね」

 

 自分は今日まで知らなかった。ウマ娘が毎日ああして満足に走れるのは、この人みたいな人たちがいるから。レースはトレーナーとウマ娘だけでやっているわけではない。たくさんの人たちに支えられているからこそ、出来るものなんだ。

 

 ……ん? なんか今のおっさんのセリフに違和感。

 

 なんで先生の名前がこの人から出て来るんだ?

 

 そんな風に思っているとトラックの外を行き交うウマ娘の生徒が多くなっているのが見えた。

 

 さらに携帯で確認してみると時刻は11時を大きく過ぎたところだった……模擬レースは確か12時に行うと言っていたはず、だったらそろそろ人が入ったりスペや先生たちが来てもおかしくない時間帯だ。

 

「そう言えば若いの、お前さんは模擬レースを見に行かなくてもいいのか?」

 

「えっ? いや、模擬レースってここでやるんじゃ?」

 

「何を言っているんだ、ここは今日は誰も使わないトラックだぞ?」

 

 ……んん? ちょっと一回整理をしよう。

 

 昨日先生は模擬レースを行うことを理事長に伝えた。そして了承を得た代わりにこのトラックの整備を頼まれたはず、なのにおっさんが言うにはここを使う人(チーム)はいないと言う。

 

 まさか先生、この整備をやらせるために嘘の情報を伝えたんじゃ……。今思えばその条件は理事長から直接聞かされた訳じゃない、それに理事長と言う学園の最高権利者が手書きの紙で指示なんてするか?

 

 そんな風に思っていると自分の携帯が震えた。俺はすぐに取り出す。すると先生からメッセージが送られてきた。

 

『そろそろ切り上げて、第〇トラックに来い』

 

「……」

 

 うん、これ確定だわ。先生にハメられたわ。

 

 俺は「はぁ〜」と深いため息を立てながら、まだ痛む腰を上げる。

 

「あのすみません、そろそろ行かないといけないところがあるので失礼してもいいですか?」

 

「おおもう行くのか? 沖野の坊主によろしくと言っておいてくれ」

 

   ・ ・ ・

 

 少し足早に先生がメッセージで言っていたトラックに向かう。

 

 この学園はかなり広くて時々迷いそうになるが、今回は迷うことはなかった。というのも制服を着ているウマ娘の生徒があるトラックに集まっていたからだ。だから何となくそこが目的のトラックだと直感が囁いた。

 

 そして訪れてみれば……ビンゴだった。

 

 ただ一つ意外だったのは……。

 

「今日どっちが勝つと思う?」

 

「そりゃーーーさんでしょ〜?」

 

「でもでもスペシャルウィークさんっていう人も結構最近調子良いらしいよ?」

 

「まさかーーーさんのレースを見られるなんて……神様仏様シラオキ様ありがとうございます!」

 

「言い過ぎじゃあ……というかシラオキ様って誰?」

 

「(ワイワイ、ガヤガヤ!!)」

 

「……わーお」

 

 この模擬レースを見に来ている人がとても多かったということだ。それこそウマ娘はもちろん他のチームのトレーナー、学園関係者、そしてマスコミの人も見える。

 

 その多さはゆうに1000は超えているだろう。

 

「あっ、来た。レオく〜ん!」

 

 スズカの声が聞こえて、俺はその方向に体を向ける。するとこちらに手を振っているスズカの姿が見えた。近くにはテイオー・スカーレット・ウオッカもいた……あれ、ゴルシは?

 

「ふぅ……結構売れたぜ〜!」

 

 なんて思っていると俺の横に並んだのは法被を着て「特性焼きそば」と書かれたプラスチック製のバットを肩に下げているゴルシだった。

 

 ……何で焼きそば?

 

「お〜新人か、どうだ? あの野郎に騙されて芝の整備をした感想は?」

 

「芝整備は楽しかった、だが先生てめーだけはぜってえ許さねぇって感じだな」

 

「なるほどな……焼きそば食うか、美味いぞ」

 

「……サンキュ」

 

 そうやって売れ残っている焼きそばを取ろうとすると……ゴルシに手を叩かれた。

 

 少し困惑していると、ゴルシは叩いた手のひらを向ける。

 

「400円」

 

「……金取んのかよ」

 

「そりゃそうだろぉこちとら商売でやってるんだ。でもまぁ今日はおめえの誕生日だから心優しいゴルシちゃんの奢りでいいぜ」

 

「そりゃどーも」

 

 あれ、ゴルシに俺の誕生日って教えたっけ……まぁいいか。

 

 俺はゴルシから焼きそばを受け取って、スズカの隣に立つ。

 

 スズカの顔はずっと一方向を向いていた。その先にいるのはスペだ、その近くには先生もいる。

 

 スペを見ているスズカの目には、明らかに不安な気持ちが乗っていた。

 

「……心配?」

 

「うん……やっぱり今回の模擬レースはやらない方がよかったとまだ私は考えている」

 

 スズカはこの模擬レースに否定的だった。でもそれは一回走れなくなる事を経験した彼女だからこそ考える不安だと思う。

 

 それにスズカの気持ちは分からない訳ではない……俺も一回そう考えた口だから……。

 

「何でレオくんはこんな提案をしたの……最初から勝ち目がないこのレースを……」

 

 そう、今からスペと一緒に走る相手は経験、実績、キャリア、全てを引っくるめても完全に上だ。はっきり言って、スペが勝てるところなど、たった3・4歳違う若さだけだろう。

 

 それでも俺は対戦相手に相応しいと思って、あの人を選んだ。

 

「理由は二つある。一つはレースの楽しさを思い出して貰うこと」

 

「……こんな勝てないレースで、スペちゃんは楽しめるの?」

 

「スズの言うことはごもっとも。だけど俺はいいと思っている」

 

「……どうして?」

 

「スペは幼い時にその人の走りをテレビで見ているらしいんだ。だからテレビで見た憧れの人と走れることが出来たらスペは楽しんでくれるかなって」

 

「……それでも勝たなければ意味はない。もしこれで負けたらーーー」

 

「そこなんだよ、二つ目の理由」

 

 俺はスズカの言葉を遮るように真剣な声で言った。言葉を遮られてスズカは驚いていた。

 

「スペは確かに負けた……だけど、スペには変えてもらわないといけない認知がある」

 

「……認知?」

 

 スペに変えてもらいたい認知……それは、速い走りだ。

 

 スペはこの前の皐月賞を含めて参加したレースは3回、そして前回の皐月賞はGⅠで、そのレースでスペは負けた。

 

 だから今スペが追っているのは……皐月賞で一位だったセイウンスカイの背中だ。

 

 でも、それはいけないことだと思った。

 

 それはスペの夢が、日本一のウマ娘だからだ。

 

 こう言うのはあれだけど、セイウンスカイの走りが日本一の走りという訳ではない。だけど敗北で目の前しか見えていないスペはあの走りを日本一だと無意識に考えている可能性がある。

 

 それはこの後のダービーを制覇したとしても、その認知は奥深くまで残る……少し時が経てばもっと強い相手と当たる、それこそ同期のエルコンドルパサーやグラスワンダーなど。

 

 だからこの認知は一刻も早く直さないといけないと考えた。

 

「それが……理由……」

 

「心配し過ぎと言われてもいい……俺はスペの夢を叶えるために、一番出来ることをやるだけだ」

 

「……」

 

 俺は向こうにいるスペを見る……あれ、先生と向かい合って何をやっているんだ?

 

 なんて思っているとポケットに入れていた携帯が震えた。

 

 取り出してみると先生表示で電話が来ていた。俺は出てみる。

 

「もしもし先せーー」

 

『玲音さん! 私です、スペシャルウィークです!!』

 

 

 




・改めてお久しぶりです。高校生として文学賞に出す小説を書き始めたり、文化祭の準備・本番があったりなどでかなり遅れてしまいました……人前で歌ったりしたのが夢のようです。HR展のカジノもかなり盛況でしたし、とても楽しい文化祭でした。さらなる報告になりますが、第28回電撃大賞の一次選考を通過しました。

・最後に温泉旅行に行ってから通算60回……温泉旅行券が出ない! _:(´ཀ`」 ∠):_

・次回こそ模擬レース回です。(今日中、もしくは明日0時に投稿予定)


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模擬レース 〜 ひとっ走り付き合っちゃう? 〜

 前回のあらすじ:玲音は昔のウマ娘の事情を知った。

・章のタイトルを変更しました。



 受話口から聞こえてきたのはスペの声だった。多分先生の携帯を借りたんだろう。

 

『いつもみたいにアドバイスしてください!』

 

 アドバイス……あぁ、そういえばよくスペにはレース前にアドバイスしているっけ。まぁあれをアドバイスかって言われたら正直微妙なところだけれど。

 

 でも困ったな、いつもの事ながら何にも考えてねぇ……。それに今回は勝つとか負けるとか関係ないレースだからな、もちろんあわよくば勝ってほしいけど……この前みたいなアドバイスにしてみるか。

 

「……今日のレースは勝つことは考えなくてーー」

 

『あっ、今日はやる気の出るようなアドバイスでお願いします!』

 

「……マジすか」

 

 う〜ん、どうやって言おうか。

 

 俺は少し受話口を耳に当てながら考える人のポーズをして考えたが……だめだ、全然浮かばない。

 

 こうなったら読んだことのある本や。やったことのあるゲームからセリフをパクろう。何かいいやつはないかな。

 

 ……そう言えば叔父さんがおすすめだと言ってくれたシューティングゲームに、誕生日と勝利に関する”無線セリフ”があったな……確か英語だけど、そこまで難しい言葉じゃないから理解できるだろう。

 

 確か……。

 

「Today is my birthday. A victory sure would be nice!」

 

『……へっ? い、イエス?』

 

 何で疑問形なんだろ? まぁいいや、そのまま俺は電話を切ろうとする。

 

『わっ、”マルゼンスキー”さん!?』

 

『ごめんなさい、ちょっとその携帯貸してもらえるかしら?』

 

『も、もちろんです!』

 

 ……どうやら、電話は切らない方が良さそうだ。

 

 俺は改めて背をまっすぐ伸ばす。

 

『は〜い谷崎くん、数日ぶりね』

 

「……お世話になっています、マルゼンスキーさん」

 

 受話口から聞こえて来たのは今日のスペの対戦相手。そして俺が指名したウマ娘。

 

 ドリームトロフィーリーグの前線で活躍しているウマ娘、マルゼンスキーだ。

 

『もう、親しくマルゼンで良いってずっと言っているのに』

 

「先輩ですから、親しき仲にも礼儀ありってやつですよ」

 

『もう……つれないわね』

 

 ちなみにこの前の観察でかなり長い間(とは言っても数日だけだが)リギルに居たのでチームメンバーの一部とは仲が良くなった。マルゼンスキーもその1人だ、きっかけは車の話。

 

『それで、どうして私を名指しで指名してくれたのかしら?』

 

「それは至極単純です。速く走れてかつ楽しそうに走れるのは、マルゼンスキーさんしかいないからですよ」

 

『へぇ、嬉しいことを言ってくれるじゃない。それじゃあ本気を出しても文句は言わないわよね?』

 

「もちろんです。マルゼンスキーさん、今回は俺のワガママを受けてくれて、ありがとうございます」

 

『えぇ、最高の走りを見せてあげる!』

 

 そうマルゼンスキーさんは言うと、電話を切ったのだった。

 

「あの、レオくん」

 

 振り向いてみると、スズカが少し顔を赤く

 

「んっ、どうしたスズ?」

 

「あのね、こう言うのもあれなんだけどね……スペちゃん、英語赤点取りそうなくらい苦手なの……」

 

「……ゑゑゑ!?」

 

   ***

 

 マルゼンスキーさんが電話で玲音さんと話している中、私は玲音さんに言われた英語を理解しようと頭を捻らせていた。

 

 トゥデイは今日、マイバースデーは自分の誕生日……その後だ、その後が全然聞き取れなかった。最後は何となくナイスって言っていた気がする。

 

「う〜ん、う〜〜ん……!」

 

 だめだ、全然分からない。今日は自分の誕生日だから何なんだろう?

 

「A Victory、sure would be nice……直訳すれば『勝利は確かに良いものだ』だが、おそらくここでは『勝利をプレゼントしてくれ』と言う意味だろうな、というかあいつ今日が誕生日だったのか」

 

「……つまり」

 

『今日は俺の誕生日だ、勝利をプレゼントしてくれ!』

 

 こういう意味になる……なるほど、確かにこれはやる気のあがるセリフだ。

 

 何でだろう、徐々に心が熱くなって来る。今から戦う相手はテレビでしか見たことのない私の憧れな人なのに。

 

「(ーー勝ちたい!)」

 

 通話が終わったらしく、マルゼンスキーさんはトレーナーさんの携帯を耳から離した。それを確認したのと同時に私は今日の対戦相手……マルゼンスキーさんに近づく。

 

 大丈夫、怖くない……私には応援してくれる人がいるんだ!

 

「あの!」

 

 想像よりも大きな声を出してしまった。向こうもいきなり大声で呼ばれて驚いたのか、少しきょとんとした顔をしている。

 

「こんにちわ、スペシャルウィークです! 本日はよろしくお願いします!!」

 

「マルゼンスキーよ、よろしくね後輩ちゃん」

 

 差し出された手を、私は握る……誰かと握手をしたのはこの学園に来てからは2回目……ウララちゃんと学園に来たばかりの時にした時以来かな。

 

 でもウララちゃんとはまた違う、力のある握手。マルゼンスキーさんの闘志がこっちの心まで伝わってくるようだ。

 

「スペ、マルゼンスキーはお前とは違い、スズカのように最初から先頭を取って引っ張る逃げが得意だ……だがな、今日は模擬レース、そんな細かいことは考えるな! ただあいつの後ろをついて行け、そしてよく見るんだあいつの走りを! そして盗めるものは全部盗んでこい!!」

 

「っ……! はい!!」

 

 そうだ、こんな機会もうないかもしれないんだ……このレースで学び、そして楽しもう!

 

「スペシャルウィーク、マルゼンスキー先輩、用意はいいですか?」

 

「私はいつでもオーケーよ!」

 

「私も大丈夫です!」

 

   ***

 

 向こう側にいるスペとマルゼンスキーさんが『スタート』と書かれた看板のところで横一列に並んでいた。

 

 すると向こうでスターターを務めてくれるエアグルーヴさんが観客スタンドの方に向けて赤旗を振った。

 

「ただいまよりチーム・スピカ所属スペシャルウィーク、チーム・リギル所属マルゼンスキーの模擬レースを行う!」

 

「(キャーー!!)」

 

 観客スタンドの熱気はピークに達していた。しかしトラック全体に響くホイッスルの音でそのざわめきは収まる。

 

「位置について、よーい」

 

「(バサッ!)」

 

 エアグルーヴが蓋を大きく振り下げた瞬間、2人とも抜群のスタートを切った。

 

 しかし流石ドリームトロフィーリーグで活躍しているウマ娘……スタートだけで差が付いている。

 

 だけどスペも負けじと半バ身程度の差で喰らい付いている。正直、逃げが作戦の相手に差し(それか追い込み)が得意なスペが立ち往生できるか不安だったが……どうにかなりそうだ。

 

 ……それにあれくらいなら、恩恵を受けれるはず。

 

「ねえ玲音、スペちゃんあんなに後ろにくっついて大丈夫なのかな?」

 

「テイオー、あれはスリップストリーム、別名トウ。ああやって後ろにぴったり付くことで空気抵抗を減らすんだ」

 

「へえ……」

 

「あれはウマ娘だけじゃなく、陸上競技、車や自転車のレースでもよく使われる」

 

 説明をしながら、俺はレースの流れを見る。

 

 この直線はいい。でも問題は……その後に待っている坂路だ。

 

「あっ、スペ先輩とマルゼンスキーさんが坂路に差し掛かりました!」

 

 先にマルゼンスキー、そしてスペと続く……だが、やはり予想していた展開になった。

 

 少しずつ少しずつ、マルゼンスキーとの差が開いていく。

 

「あぁ、坂路に入った瞬間にスペ先輩が離されている!?」

 

 ウオッカが驚いて目の前の光景を見ているが、この光景はおそらく多くの人が描いていた光景だろう。

 

 そりゃそうだ、デビューして間もない主な戦績が皐月賞3着のウマ娘と現在進行形で活躍しているスターウマ娘のレースだったら、どちらが勝つかは一目瞭然だ。

 

 この中でスペの勝利を信じているのはチーム・スピカのメンバーだけだろう。

 

 そして双眼鏡で見るに……スペは苦しい表情をしていた。

 

 今、スペは何を思って走っているのだろう。

 

 走るのが辛い……離れていく背中に絶望……自分は何をやっているのだろうと自暴自棄……色々考えられる。

 

 だけどスペ……何がなんでも諦めるな。他のスポーツだってそうだ、諦めなければ負ける可能性もあるが同時に勝つ可能性も生まれる。しかし諦めればそこでThe End。

 

 それに……大勢に見られている・憧れの存在とのレースによる極度の緊張、先生と自分の言葉による心のリラックス、そして負けているというストレス……要因は全て揃った。

 

「スペちゃん……このままだと大差で負けちゃう」

 

「ーーいや、来る」

 

「えっ?」

 

 当たり前のことを言うが、ウマ娘は身体スペックが高いのと特徴的なウマ耳と尻尾があるだけで、構造は普通の人と全然変わらない。

 

 つまり、スポーツの知識が直に活かせるのだ……そして俺はある経験を基にこの要因を揃えた。

 

 人間というものはとても不思議なもので、極度に緊張している時は思考に靄がかかってしまうが、ある一定の緊張を超えると突然冷静になるところがあるのだ。そしてその状態になった人間は疲労感がない、宙に浮いているような感じ、無意識、直感的、自動的に動作を行った感じ、時間がゆっくり、または止まったように感じるようになる。

 

 知っているだろうか……人間が可能な超集中力状態『ゾーン状態』又の名を『フロー状態』と言う言葉を……。

 

「やってみせろ、スペ! 何とでもなるはずだ!!」

 

 その瞬間、スペの坂路を駆け上がるスピードが速くなる。

 

 足元を見てみると、さっきよりもスペの歩幅は狭くなっており、その代わり足の回転量が上がっている。これが坂を早く駆け上がるための手段の一つ、ピッチ走法だ……スペ、この短時間で上手く見て盗み取ったな。

 

「それだ……行けるぞ、スペ!!」

 

「行けるって、どう言うことですか?!」

 

「スペ先輩負けているのよ?」

 

「待ってウオッカ、スカーレット、スペちゃんの足をよく見てみて」

 

 テイオーに言われ、スカーレットとウオッカはスペの走りをよく見てみる。

 

「「歩幅が狭くなっている?」」

 

「そう、それがーー」

 

「ピッチ走法ってやつだ」

 

「わっ、先生いつの間に……」

 

 俺の隣に現れたのはさっきまでスタート地点でスペを見送った先生。

 

 ……ちょっと待ってくれよ、この人なんでもうここにいるんだ? スタート地点からこの観客席までかなり距離があるはずなんだけどなぁ。

 

「それにお前、やってくれたな」

 

 そう言いながら、先生は携帯を取り出し画面をこちらの方へ向けてきた。

 

 そこに表示されていたのはトレセン学園のホームページ、そこには『4月30日12時00分 第〇トラックにてスペシャルウィーク・マルゼンスキーに夜模擬レースを開催』と書かれている。

 

「これ、やったのお前だろ?」

 

「……なぜ自分だと?」

 

「模擬レースは昨日決まったことだ、だがこいつは昨日の深夜10時に張り出された。風の噂で模擬レースの事が生徒に少しは広がっていたが、ここまで知れ渡ったのはこいつが原因、そして模擬レースを知っているのは一部の人間……だがそんな事をしても利点なんかほぼない。ただ1人を除いてな」

 

「それが自分って事ですか……そうですよ、人を集めるためにHPに貼らせてもらいました。方法聞きます? 結構簡単ですよ」

 

「なんというか、恐ろしいやつだよ……お前は」

 

 スペをゾーン状態にするには極度な緊張になる何かがないといけない。だから用意した、多くのギャラリーを……。

 

 ドリームトロフィーに出ているスターウマ娘の走りが近くで見られると知ったら、見に行かないウマ娘・マスコミの方々はあまり居ないだろう。

 

「レオくん、どうしてそこまで……」

 

「言ったでしょスズ……夢を叶えるためだ」

 

 だが、俺が用意したのは緊張の要因だけ……ここからは実力が物を言う。

 

 スペとマルゼンスキーの差が少しずつ縮まって来る……その差は1バ身まで近付いてきた。

 

 しかし、俺は確認した……マルゼンスキーが笑ったのを……。

 

 これは恐らく、ギアチェンジの合図。

 

 俺がそう思うのと同時に2人とも坂を登りきり、最後の直線になる。

 

 その直後、マルゼンスキーはさらに加速した。それは今まで3速だったギアが4速、5速と上がっているように見えた。

 

 残りの直線は大体半分、その時点で4バ身ほど開いており、観客のほとんどはマルゼンスキーの勝利を確信して黄色い声援を飛ばす。

 

 近くで見ているテイオー・ウオッカ・スカーレットは固唾を呑みながら両手を合わせ、勝利を願う。

 

 隣で見ているスズカは心配そうにスペを見つめる。先生も似たような感じだ。

 

 そして俺は……驚いていた。

 

 それはなぜか……それは4バ身という圧倒的な差が付けられているのに、スペは笑っていたからだ。

 

 レースであんなに笑顔のスペ……俺は見たことあったか?

 

 思考を巡らせていると、スペが加速した。また差が縮まって来る。予想して居なかった展開にギャラリーは驚きの声を上げる。

 

「っ!」

 

 後ろを振り返ったマルゼンスキーはその驚異的な追い上げを見て驚いていた……しかし同時に面白そうに笑みも浮かべた。

 

 逃げ切るか、それとも差し切るか……観客は声を上げ声援を送りながら、レースの行方を見守る。

 

 そして今……ゴール板を切った。

 

 勝者はーーマルゼンスキーだった。スペはおよそ1バ身半後ろに付けてゴールする。

 

 熱狂した空気がスタンド……いやトラック全体を覆う。多くはマルゼンスキーの走りを讃える声が多かった。

 

 しかし圧倒的有利だと思われたマルゼンスキーに、着差1バ身半というレースを見せたスペシャルウィークの健闘を讃える声も少なくはなかった。

 

 

 




・登場人物が変われば展開も変わる。そう思い、タイキからマルゼンに変更しました。

・ナリタブライアンのメインストーリーめっちゃ良い……。AC04ネタ分かる人いるのかな。

・次回はレースの後のやりとりの回の予定です。


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第5R「夢見て 夢見ているダービー」
模擬レースの後に 〜 Birthday Present 〜


 前回のあらすじ:スペシャルウィーク、模擬レースでマルゼンスキーに1バ身半で敗れるが……。

・UA97,000・98,000・99,000を突破しました。ありがとうございます!

※アニメではスズカたちは制服ですが、ここではジャージ姿という設定です。



「はぁ……はぁ……っ……」

 

 足に力がなくなり、私はそのまま地面に倒れる。いつもとは違うウッドチップの感覚が背中全体に現れる。

 

 ……あ〜あ〜、また負けちゃったなぁ。

 

 せっかく玲音さんのお誕生日だったのに、玲音さんは私に勝利をもらうのを楽しみにしていてくれたのに……私は勝利をあげることは出来なかった。それどころか1バ身以上は差を付けられたから、ほぼ完敗かな。

 

 でも、何でだろう。負けたはずなのに……悔しいはずなのに……。

 

「(楽しかった……)」

 

 最初の直線で抵抗が無くなったあの感覚、坂路でマルゼンスキーさんの走り方で真似てやってみたあの走り方、そしてマルゼンスキーさんのあの驚異的な加速と、それに追い付こうと必死でその背中を追いかける……その時が苦しいと思わずに、私は心の底から「楽しい」と思ってしまった。

 

 何でこんな気持ちになるんだろう……分からないや。

 

 そんな風に思っていると……聞こえてきた。観客の皆さんの拍手が……多分、私じゃなくてマルゼンスキーさんの走りを見て感動したから拍手しているんだろうなぁ。でも、本当にマルゼンスキーさんはすごかった。

 

「よかったよ〜! スペシャルウィークちゃーん!!」

 

「ナイスファイト! スペシャルウィーク!!」

 

「……あれ?」

 

 いま明らかに、私の名前が呼ばれた気がする。マルゼンスキーさんの名前ではなく、私の名前が……。

 

 なんで? 私はこてんぱんにやられてしまったのに……何で私に声を掛けてくれるんだろう。

 

「みんな、あなたの走りに惚れたのよ」

 

 不思議で観客スタンドの方を呆然と眺めていると、マルゼンスキーさんがこっちの方へ近づいて来た。ある程度距離を縮めると手を差し出してくれる。多分お互いの健闘を讃える握手をしたいだろうと思って、私はその手を握る。すると観客スタンドからさらに大きな拍手が聞こえて来た、指笛を鳴らしている人もいる。

 

 ……それよりも、私はマルゼンスキーさんが言っていた言葉が気になっていた。

 

「今日は大変勉強になりました! でも私の走りに惚れたってどういうことですか?」

 

「言葉通りよ、貴女は最後まで諦めなかった……その走りに観客は惚れたのよ」

 

「……そう、なんですか?」

 

 確かに諦めはしなかったけど……でも諦めない走りってそんなにも人を魅了するものなんだろうか?

 

「本当はね、私はあの直線で一気に差を付けて勝つつもりだった……いつもはそれで諦める後輩ちゃんが多いからね。でもあなたは諦めなかった……最後まで笑って、勝負を心の底から楽しもうとする姿勢がこっちまで伝わって来た」

 

「勝負を、楽しむ……」

 

 今になって分かった。何で負けたはずなのに、悔しいはずなのに、こんなに心が清々しいのか。

 

 それはレースを楽しんでいたからなんだ。言われてみればメイクデビューや弥生賞の時も、こんな感覚がゴールを駆け抜けた時に現れたっけ

 

 でもあの時と違うのは……負けているのに、感覚が現れていること。

 

 その理由はすぐに思い付いた。

 

 私がこの人の走りに追いつきたいと心の底から思ったからだ。誰かの背中を”抜く”のではなく、その背中に”向かって走る”事を、今回初めて楽しめたんだ。

 

 もしかして、玲音さんやトレーナーさんはこれを狙っていた?

 

「それにしても……似ているわね」

 

「っ? 何にですか?」

 

「トレセン学園に入ったばかりの私にね」

 

「私が、マルゼンスキーさんに似ている?」

 

「えぇ……勝負は勝つか負けるかだけではない、楽しむものでもある。それを心が分かっているのなら、貴女はこの先もっと強くなれるわ」

 

「……はい!!」

 

 そう言うとマルゼンスキーさんはトラックから出て行った。それと同時に玲音さんがトラックに入って来て、こっちに近づいてくる。その手にはドリンクを持っている。

 

「お疲れ様スペ、これスポドリ」

 

「ありがとうございます玲音さん、でも、すみませんでした……玲音さんに勝利をあげる事は出来ませんでした」

 

 私は少しだけ申し訳なく思い体を縮ませる。ウマ耳と尻尾も私の意思に関係なく、弱々しく垂れ下がってしまい、顔も少し俯いてしまう。

 

 そうして私は玲音さんの言葉を待った。すると自分の頭にぽんっと何かが置かれる感触がした。そしてその置かれた何かは私の頭の上で左右に動かされている。

 

「(この感覚……前にもされた覚えが……)」

 

 あれはいつだったっけ。確か、皐月賞の前だった気がする。

 

 じゃあこれって……そう思いながら少し視線を上げてみる。すると玲音さんが右手で私の頭を撫でていた。その表情は、とても柔らかい。

 

「いいんだよ、マルゼンスキーにあそこまで食らいついたんだ。胸を張ってもいい、とても熱くなれるレースだった……!」

 

「本当……ですか? なら、よかったです!」

 

 私は笑顔でそう答える。目的は達成できなかったけど、玲音さんが喜んでくれたのならよかった。

 

   ***

 

 場所はチーム・スピカの部室、俺たちは先のスペのレースの反省会を開いていた。

 

 何でも「レースに出ていなくても、学べることはある!」と言うことらしく、こうしてレースがある時は反省会を開き、まずは先生がレースの全体的な解説や改善点を説明、その後走った本人の感想と反省点、そしてそれを見ていた他の人で今回の走りの感想と改善点を言い合うということが行われる。

 

 そしてその反省会は澱みなく終わった。

 

「よし、それじゃあ今日はここまで! この休日、スペはしっかりとクールダウンする事、もちろん走っていないお前らもな」

 

『はい!』

 

「よーしそれじゃあ解散!」

 

 先生がそう言うと、スピカのみんなはイスから立ち上がって部室から出て行く。ジャージ姿だから更衣室で着替えてくるのだろう。

 

 さて、俺は特に用事はないし、マックイーンと一週間前に約束した映画に出かけるという用事もあるし、早めに戻ってシャワーでも浴びて、外出の準備をーー。

 

「あっ、玲音! ちょっといいかな?」

 

 部室のドアをバーンと開けて顔をひょこっと出したのはさっき出て行ったばかりのテイオーだった。

 

「テイオー、どうしたんだ? なんか忘れ物か?」

 

「ううん違うよ、ちょっと渡したいものがあるから校舎前の噴水で待っててくれるかな?」

 

「ん、分かった」

 

「絶対待っててね〜!」

 

 そう言いながら、足早にテイオーはその場を去って行った。

 

 何だろう……まさか誕生日プレゼント?

 

 いやいや、それはないだろう。だってこの世で俺の誕生日を知っているのは叔父夫婦にスズカとマックイーン、あとはライスさんも知っているのかな。だけどテイオーには一言も言っていない。

 

 じゃあ何だろう……分かんないや。

 

   ・ ・ ・

 

 テイオーに言われた通り、俺はが校舎前にある噴水の前に訪れて、その噴水の縁に腰を預けている。

 

 ここら辺は平日、ベンチや芝生の上に座ってお昼ご飯や昼休みの談話を楽しむ生徒たちの憩い場だが、今日は土曜日なので誰もいない。辺りに響くのは噴水の水の音と鳥の鳴き声だけだ。

 

 ……ふと顔を上げてみると、目の前でネコがこっちを見ていた。黒色の体毛だが、顔の部分は白い。

 

「(ここら辺に住み着いているネコかな?)」

 

 そう思いながら重たい腰を上げ、ネコに近づく。近い付いてもネコは逃げるどころか、逆にこっちに近寄って来て膝辺りに体を擦りつけた……どうやら人に懐いているみたいだ。

 

 背中を撫でてあげると嬉しそうに喉を鳴らす。毛並みがとてもツヤツヤしていてふわふわしているから、おそらく飼いネコだろう……というかこのネコ、よく見かけるような気がする。どこだっけ……確か、学園のどこかで……。

 

「あっ、学園長の頭にいつも乗っているあのネコか」

 

「にゃ〜」

 

 まるで正解と言っているかのように一鳴きするネコ……これって触らない方がよかったやつ?

 

 ん〜……でもまぁ、撫でるくらいなら大丈夫でしょ……多分。

 

 そんな風に思いながら、背中から頭にかけて撫でているとゴロンと寝転がりお腹を見せてくる……いやいや、流石に心許し過ぎじゃない?

 

 ネコがお腹を見せるのは基本信頼しているという心情の表れだ。なのにいきなり会った人にお腹を見せるとか、人懐っこ過ぎるというか無警戒すぎるというか……自分が動物虐待する人だったらどうするつもりなんだ。

 

「んにゃ」

 

 ネコは撫で撫でに満足したのか、立ち上がって一回背中を伸ばして、そのまま学園の校舎の方へ去って行った。

 

 そして奥を見てみると靴を変えて、こちらに向かって来ているテイオーとスペ……そしてスズカの姿が見えた。

 

 テイオーだけだと思ってたけど、まさかスペとスズカも一緒に来るなんて……マジで何なんだ?

 

 向こうもこっちの姿が見えたのか、駆け足でこっちに寄ってくる。

 

「お待たせ〜玲音、待った?」

 

「ううん、そんなに待てないよ。それで渡したい物って?」

 

「それはね……はい、これあげる! 誕生日と日頃のお礼!」

 

 テイオーは肩に掛けていた学園指定のカバンから何かを取り出す。これは、緑と白の服を着たスズカにそっくりなヌイグルミ?

 

 何でテイオーがスズカのぬいぐるみを? ていうかスズカにそっくりなヌイグルミなんてあるのか!?

 

「何で、俺の誕生日を?」

 

「スペちゃんから教えてもらったんだ〜、ゲームセンターで取った景品だよ」

 

 スペが……教えてくれた?

 

 自分の口からスペには言っていないんだけどな。まさかスズカが教えたとか? 同じ部屋のルームメイトだから知る機会は多そうだな。

 

 それにしても……日頃のお礼、か。

 

「俺、あんまりテイオーにやれている事は少ない気がするけどな」

 

「ううん、そんな事ないよ。だってボクがスピカに入ったのは、玲音があの公園でスカウトしてくれたからだよ」

 

 スカウトって言うと、数ヶ月前にテイオーをチームに誘ったあの出来事か。

 

 確かに俺はテイオーをスカウトした。そしてスピカに入ってくれた……だけど、何でだろう。それは別に俺が誘ったから生まれた結果ではない。テイオーがスピカに入る事は運命のように決まった事なんじゃないかって思うのだ。

 

「別に俺が誘わなくてもテイオーはうちに入っていたんじゃないかな。ほら、うちのトレーナーはしつこそうだし」

 

「確かにそうかも、ボクのことをすごくしつこく追いかけて、蹴り返しても何度も説得しようとして来ただろうね」

 

 あぁ、何故だろう。実際はそうなっていないのに情景が目に浮かぶ。

 

「でもボクは玲音のセリフに惹かれたんだよ、だから入ったんだ」

 

「あ、あれは……地味に黒歴史だから掘り起こさないでくれ……」

 

 何であの時の俺あんなに恥ずかしいことを言ったんだろう。物語を近くで見たいって普通にむず痒いセリフだな、おい。

 

「や〜だよ〜だ! 玲音、ありがとね。ボクをスカウトしてくれて……ボクはメイクデビューまでまだ一年あるけど、絶対最強のウマ娘になるからね!」

 

「……あぁ、楽しみにしてるよ」

 

 自分は癖のように、テイオーの頭を撫でる。だがテイオーも満更でもない笑顔を浮かべた。

 

 ……視線を感じて視線をそっちへ向けるとスペとスズカがその様子を見守っていた。

 

 俺は撫でている手を離す。少しだけテイオーが物悲しそうな顔をしていた気がするが、多分気のせいだろう。

 

「あの、玲音さん! 私からのプレゼントも受け取ってください!」

 

 そう言ってスペが差し出したものは、銀のリボンが付いている青色のラッピングバックだった。

 

 俺はスペからそれを受け取る。持った感じ、そこまで重くない物みたいだ。

 

 開けてみてもいいかと聞いてみると「大丈夫ですよ!」と言ってくれたので、俺はリボンを解いて、ラッピングバッグから物を取り出す。

 

 それは……灰色の手袋だった。それにこれ、タグがついていない。

 

「もしかしてこれ……手作り?」

 

「はい!」

 

 えっ、すげぇ、クオリティーたっか。

 

 肌触りがとてもいい……右手だけ手袋を嵌めてみるが、ナニコレトテモアタタカイ。

 

「これからどんどん暑くなりますけど……よければ大切にしてほしいです」

 

「うん、大切にするよ! これは冬に有難いなあ……」

 

 まさか2人から誕生日プレゼントが貰えるなんて……意外だったなぁ……大切にしよ。

 

 うちの叔父夫婦も誕生日は祝ってくれるが、くれるのは現金一万円だったので誰かに誕生日プレゼントを貰うのは、一体いつぶり何だろう。

 

 それこそ、母さんがいなくなる前くらいになるの、かな。

 

 あっやばい、なんか涙が出て来そう。でもここで流すのは流石にかっこ悪い。ちょっとあくびをして誤魔化そう。

 

「あの……レオくん」

 

「ふわぁ……あっ、ごめんちょっとあくびが……」

 

「ううん、大丈夫。それで……あの……」

 

 スズカは一回深呼吸をする。そんなに重要なことなのかと思い、俺は少しだけ背筋を伸ばす。

 

「明日の夜……私のお母さんたちと久しぶりに会わない?」

 

「……えっ?」

 

 

 




・暑すぎて……ウマになってしまったわね(?) オリンピックまさかAC5のFirst Flightが流れるとは思わなかった……。

・キャンサー杯はオープンでしか勝てねえ……。

・次回はマックイーンとの映画鑑賞回です。


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白金の戦闘機 -プラティナムクラフト -

 前回のあらすじ:玲音、テイオーとスペからプレゼントをもらう。スズカはーーー。

・UA100,000、総合評価が1,000ptを突破しました! 誠にありがとうございます!!

・第5Rのタイトル・32話の最後のシーンを修正しました。



 スペとテイオーからプレゼントを受け取り、スズカの提案を聞いた後、俺は寮に戻って芝埋めでかいた汗をシャワーで流してさっぱりする。

 

 やっぱり汗をかいた後のシャワーは心地よい……水道代がかかってしまうというのは分かっているが、実家ではシャワーを長く使いすぎて怒られたこともある。

 

 「そんなにシャワーするなら湯船に貯めなさい!」とも言われたことがあるが、シャワーにはシャワー独特の気持ち良さというものがあるから、中々辞められないのだ。

 

 っと、流石にそろそろ出ないと用意する時間がなくなるな。俺はハンドルを回して水を止める。

 

 タオルで体を拭きながら、お昼ご飯をどうしようかと考える……適当にパスタでいいか。

 

 そう思いながら、俺は鍋に水をびゃっとたくさん入れて火にかけた。

 

   ・ ・ ・

 

 約束の時間まで残り5分、俺は少し足早で駅前を歩いていた。

 

 まさか靴下が全然ペアになっていなくて、思った以上に時間を取られたのは想定外だった。

 

 ここから走っていけば間に合うだろうけど、休日ということもあり、人で混んでいる。だから走ると誰かにぶつかってしまう可能性があるから、走ることはできない。

 

 となると5分くらい遅れちゃうかな。マックイーンって結構時間に厳しいから、ちょっと面倒なことになりそうだが、それは自業自得だからあるがまま受け入れよう。

 

 っと、そんなことを考えているうちに集合場所に着く。しかしそこにマックイーンの姿はなかった。

 

「あれ?」

 

 マックイーンが時間に遅れるなんて珍しいなぁ……なんかあったのかな?

 

 少し心配になり、俺はポケットから携帯を取り出しマックイーンに電話しようとした……その瞬間、人混みからマックイーンがひょっこりと出てきた。

 

「も、申し訳ありません! す、少し遅れました」

 

「いや、全然いいよ。俺も5分くらい遅れたし、来たのもついさっきだし」

 

「そ、そうですか……」

 

 マックイーンは少し息を整えている……そんなに急いで来たのかな。

 

「ふぅ……では行きましょうか」

 

「うん……あれ、マックイーンそんな服持ってたっけ?」

 

 マックイーンが今着ているのは黒色のレースが付いた長袖のブラウスに、グラデーションがかかった緑色のミディスカート(腰から先にかけて濃くなる)、黒色のブーツを履いている。

 

 ブーツは確かにあんなの持ってた気がするけど、ブラウスとミディスカートは絶対初めて見た。

 

「今日のために買ってみたんです。どう、ですかね?」

 

「似合ってる」

 

「そ、即答ですか!?」

 

「だって似合ってるんだもん、ちょっと大人びているけど」

 

「そ、そうですか」

 

 俺は何回かマックイーンと何回かお出かけをしているが、その中で学んだのだ。素直に思った感想はそのまま口にした方がいいと……まぁ、マックイーンが似合わない服を着て来たことなんてないが……。

 

 それにしても、本当に似合った大人びたコーデだ。

 

「……んっ?」

 

 マックイーンから何かいい匂いがしたので、俺は自分自身の鼻をマックイーンに近づける。

 

「ひゃああああぁぁ!? な、なんなんですの!?」

 

 急に顔を近づけたからか、マックイーンは大声を上げながら尻尾も真っ直ぐにピンッと伸ばす。

 

 けど俺は気にせずに(いや、気にするけど)匂いを嗅いでみる。なんだろう、甘い……優しい香りがする。

 

「……マックイーン、もしかして香水か何かしてる?」

 

「へっ!? は、はい……ちょっと挑戦でつけてみました。でもまさかこんなすぐに気がつくなんて……」

 

「3年も近くにいれば変化は気づくよ……薄いけどネイルもしてるね」

 

「そ、それも見抜いて……」

 

 そう思うと今日のマックイーンって、全体的に大人っぽいなぁ……別に香水やネイルをしなくても可愛いのに……。

 

 まぁマックイーンももう2年生、そういう大人向けのファッションに興味が湧くのも別に不思議なことではないだろう。

 

 それにマックイーンはもともと周りには大人びた態度で接することが多いから、別に違和感はない。

 

「どうした? 早く行こうよ」

 

 戸惑って足が止まっているマックイーンの手を掴んで、俺は映画館に向かおうとーーー。

 

「あ、あの! 今日はそちらの映画館ではないです!」

 

「……ハズカシ」

 

 握っていた手はいつの間にか握り返されていた。

 

   ・ ・ ・

 

 マックイーンに連れられてやって来たのは有名な映画館……ではなく、ビルの一角にある見るに小さな映画館だった。これはいわゆる……個人経営の映画館?

 

 マックイーンよくこんなところ知ってたな。というかまだ個人経営の映画館ってあったんだ。

 

 不思議に思いながら俺はマックイーンの背中を追ってビルの中に入る……暖かい色の照明が俺たちを迎えてくれる。

 

 少し狭目のロビー。その隅っこにチケット売り場と書いてあるところがあり、そこには1人の老人がいた。

 

 マックイーンは慣れたように売り場の前まで来る。

 

「お久しぶりです、義之さま」

 

「お〜マッちゃんじゃないかぁ、久しぶりだねぇ」

 

 どうやらこの老人とマックイーンは知り合いらしい……聞いてみると、この人は昔メジロ家で専属トレーナーをしていたが引退、その後メジロ家の支援を受けて個人経営の映画館を開いた。

 

 今日はそこまで人は来ていないが、いつもは一定の人は入るらしい。

 

 そしてマックイーンは幼い時からよくここで映画館を見に来ているらしい。つまりここはマックイーンの思い出の場所?

 

「お〜お〜そちらの美男子が、マッちゃんがよく話してくれる玲音くんって子かい?」

 

「はい、義之さまは会うのは初めてですよね」

 

「えーっと、美男子というより微男子だと思いますけど……谷崎玲音です」

 

「どうも義之です、いつもマッちゃんがお世話になってるねぇ」

 

「あぁいえ! こちらもお世話になってます!」

 

「礼儀の良い子だぁ……これならメジロ家も安泰だねぇ」

 

「義之さま、流石に気が早いですわ!」

 

 その後少し雑談する。元トレーナーということもあるから、何か良いことが聞ける機会だと思ったが、何せ昔のことだということであんまりトレーナーに関しては聞けなかった。

 

 だが、昔のメジロ家の強さは話してくれた……やはり名門、昔からとても強い。あまりメジロ家に関わっている人からメジロ家の話は聞けないから、とても興味深いお話が聞けた。

 

「っと、長話し過ぎたのぉ……今日はどれを見るんだい?」

 

「こちらでお願いします。どうぞ」

 

 そう言ってマックイーンは野口さん2人を財布から取り出す……個人経営だから1人の料金が高めなのかな? そう思い、俺は財布から2千円を取り出す。

 

 しかし義之さんが出したチケットは高校生・中学生チケット2枚分だった。

 

「いやいや、自分の分は自分で払うよ」

 

「玲音さんは誕生日ですから、今日は私に奢らせてください」

 

「おや、玲音くんは誕生日なのかい? じゃったらドリンクは2人とも無料にしよう」

 

「義之さま……いいのですか?」

 

「2人分のドリンク無料するくらい平気平気」

 

 なんか申し訳なさが後をたたないけど……今日は好意に甘えよう。

 

「私は紅茶を……玲音さんは何にしますか?」

 

「じゃあ、コーラを」

 

「◯プシとコカ・コー◯、どっちがいいんだい?」

 

「◯プシで」

 

 どっちも似たような味もするが、炭酸そのものを楽しむならコカ・コー◯、泡を楽しむなら◯プシだと考えている。

 

   ・ ・ ・

 

 座席に座って上映を待つ……赤い座席で普通の映画館よりもフカフカだ。

 

 マックイーンが選んでくれた映画のタイトルは『白金の戦闘機 -プラティナムクラフト -』と言うものらしく、原作は小説。こういうところで上映されているから昔の作品かと思ったら、今年、しかもつい3日前から上映開始された新作らしい。それも駅前にある映画館でも普通にやっているらしい。

 

 そういえば1週間前マックイーンは映画の雑誌を見ていたな……それで知ったのかな。

 

 それにしても最新作も扱っているって、この映画館すごいな。

 

「あっ、始まるみたいですよ」

 

 照明が暗くなり、上映前の禁止事項説明、そしてこの映画館の紹介ムービーを流した後、本編が始まる。

 

 戦闘機とタイトルがついているから、てっきりT◯P GUNみたいな戦闘機ものだと思っていたけど、どうやらウマ娘と高校生主人公の恋愛ものみたいだ。実際最初のシーンはある駅のホームで主人公がヒロインのパスケースを拾って渡してあげるというシーンだった。

 

「ふわぁ」

 

 あれ、俺いまあくびした? おかしいなぁ、昨日しっかりぐっすり快眠で寝たはずなのに……。

 

 あぁ……そっか、午前は草むしりとかしたし、快眠って言ってもそれは急ピッチでHPに掲示を作っていたから、そのまま疲れてぐっすりだったんだ。

 

 やばい……ガチで……眠……い。

 

 いや、ダメだダメだ! マックイーンが奢ってくれたんだぞ!? 義之さんがコーラを無料にしてくれたんだぞ!? それにこの話だって普通に面白そうじゃないか、ほら今ヒロインが「えっ……この前、駅のホームでパスケースを拾ってくれた……」って同じ高校で主人公と再会しているじゃねえか! 王道のパターンじゃねえか!!

 

 いや落ち着け俺、こういう時はコーラを飲むんだ。炭酸で眠気が目覚めるはず。

 

 そう思って俺はコーラの容器に手を伸ばした……しかし、自分はその前に意識がぷつりと落ちた。

 

   ***

 

 カチカチと……機械式の時計が動く音が部屋に響いている。

 

 私はその音を聞きながら暗い部屋で椅子に背中を預けてゆっくりとするのが私は好きだ。しかし私はただただゆっくりとしている訳ではない。目を閉じ、意識を集中させ……香りを堪能しているのだ。

 

 その香りは簡単に言ってしまえば甘い……とても優しい香り。私はその香りを感じる事で幸福感を得ている。そして昔に想いを馳せるのだ……素晴らしかったあの日々のことを。

 

 いつから私はこんな風にするようになったのかは分からない。だがわたしはこの時間以外で幸福感を感じられることは無くなった。私の娘が進学・進級・高校大学合格した時も、私に孫が出来た時も私は幸福感は訪れなかった。

 

 私はあの時からすでに無であり、有に戻れる懐かしきこの香りこそが私の心を唯一満たす物なのだ……今などどうでもいい。

 

 ーーコンッコンッ

 

 私が香りを堪能していると時計の音とは全く違う音が響く。この音は私の部屋の扉がノックされた音だ。私は少し億劫になりがらも「どうぞ」と入室の許可をする。少し間があり、ゆっくりと扉が開かれる……その瞬間、少し懐かしい香りが扉の方向から感じられた。その時私は目を閉じていたので思いがけず名前を口に出してしまった。

 

 しかし私の部屋に入ってきた少女は「違う」とだけ申し訳なさそうに言う。そうだこの部屋に入ってきたのは彼女ではない。私は目を開けて少女を見る。栗色の髪だが前髪の一部分が白髪になっている。

 

「ーーーかい、いらっしゃい」

 

「こんにちはお祖父ちゃん。また本を借りに来たよ」

 

「もう読み終わったのかい? まぁいい……ちょっと待ってなさい」

 

 少女は本が好きだ。理由としては「退屈が凌げるから」と言う理由らしい。少女は一応もう中学生と年頃の女性であるが、他の同級生や友達とは遊ばないのだろうか。そうは言っても自分も同級生と遊んだ記憶は薄いが……。

 

 さて、隣にある書庫に入った私は顎に手を当てながら考える。この前はイギリスの推理ものとアメリカの連続殺人犯もの……次は生物ものや雑学ものを渡してあげよう。そう思い私は本棚から5冊くらい取り出して自室に戻る。その時、少女は私の自室に設置されている机の上に置かれていた物を手に取っている。私は一度本を机に置く。

 

「ーーー、何をやっているんだい?」

 

「あぁお祖父ちゃん。いや、ずっと気になっていたの、この部屋の匂いの正体が何なのか……この香水だったんだね」

 

「……」

 

「教えて、お祖父ちゃん。この香水は女性向けの香水……誰が使って”いた”の?」

 

 少女はあえてこっちに答えを求めるようだ……もう答えは分かっているだろうに、私から口にさせたいらしい。

 

「”ーーー”、知らないとは言わないな」

 

「……やっぱり、そうなんだ」

 

 少女はそう言うと手に持っていた香水を机に置き、私が持って来た本を持ってそのまま扉の方に向かう。

 

「自分が知っているお祖父ちゃんの香りは、見た事も会った事もない”お祖母ちゃん”の香りなんだ……」

 

 少女は出る前、こっちを振り返らずに、しかしこっちへ聞こえるくらいの声でそう言葉を漏らし、そして出て行った。

 

 ーー少女は自分の祖父の部屋から出た後、ずっと祖父のことを考えていた。出る前にあんな事を言ってしまったが少女は祖父のことが好きである。だからこそ今の……暗い過去から立ち直られていない、ありもしない空想に囚われている祖父を救いたいと考えている。だからこれまで様々な本を読んで来た。様々な人に相談もした。しかし自分自身の力だけではどうしようもない。いや、本で得た知識もあの祖父に対しては無力に等しい。

 

 祖父を救うにはーーその暗くなる未来を丸ごと変える……それくらいの改変が必要だと、少女は考えていた。

 

 

 




・水谷さんと伊藤さん金メダルおめでとうございます!! いやぁ、すごかった! もうすごかった!!(語彙力)

・キャンサー杯はとりあえずオープンのAグループは行った……。

・次はマックイーン視点から始まる予定です。


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大好きな人の誕生日と目的

 前回のあらすじ:玲音、マックイーンとデート(側から見ればデートだよな、うん!)

・UA101,000・102,000を突破しました。ありがとうございます!!

※後生寮……学生トレーナーの寮。(元ネタは公正寮)



 なるほど……こう言う展開できますのね。

 

 わたくしはこの作品に関しては原作を読んでいるので、結末は知っていました。しかし、この映画と原作の終わり方は全然違うものでした。

 

 原作ではいわゆるバッドエンドという形でしたが、映画ではハッピーエンド……と言うかどうかは分かりませんが、娯楽映画としては万人受けする最後という感じでした。

 

 まとめてしまえば、普通の日常を過ごしていた主人公・カナミとヒロインウマ娘・プラティナムクラフト、しかしある日カナミの妹が死んでしまう。悲しむ主人公だったが、その後過去に戻れる能力に目覚める。だが全然妹の死を改変することができない。何度も、何度も繰り返し、その度に妹の死を間近で目撃し、精神は疲弊していった。

 

 それを心配するヒロインだったが……ある日、主人公の口から妹を救うために過去に戻っていることを伝えられる。そして諦めることも伝える。ヒロインと主人公の妹は本当の姉妹のように仲がよく、何より精神が疲弊している主人公をこれ以上苦しめたくはなかった。

 

 ヒロインは主人公からどうやって能力を手に入れたか聞いた。そしてその方法(というよりシチュエーション)を知ったヒロインは能力に目覚めさせようとした……が、ダメだった。精神的にも肉体的にも疲弊したヒロインはその場にばたりと力無く倒れる。

 

 そしてーー目覚めた時、ヒロインは何十年前に飛んでいた。

 

 親切な人にお世話になりながら帰る方法を模索するヒロインだったが、その際主人公の父タツキと自分自身(つまりヒロイン)の母シルバークラフトと出会う。それも意外なことに付き合っているのだと言う。意外に思いながらも個人的に仲良くなっていく。しかし過去に戻ることができずに5年経っていた。その頃だった、タツキとシルバークラフトが結婚したのは……この時、ヒロインには疑問が一つ浮かんでいた。「私はどこで生まれてくるの?」と。そんな疑問を抱く中、2人の間には双子の兄妹が産まれた。それこそヒロインが大好きなカナミだった。

 

 しかしその時に知ってしまったのだ、シルバークラフトが浮気をしている……その相手はヒロインの父だった。だがこれはヒロインにとっては都合の良いことだった。何せ、その2人が結ばれなければ、自分はこの世に産まれてこないからだ。

 

 タツキはトレーナー業をしており、夜帰るのも遅く、少しずつ2人の間の愛情は冷めていった。このまま行けば離婚は確実……自分には両親がいるという当たり前のことが未来を物語る根拠になった。しかしその時、ヒロインにある考えが浮かんだ。それは離婚を阻止すれば未来が変わり、主人公の妹が助かるのでは無いのか。だがそんな事をしてしまえば、今の自分は存在しないことになる。彼女は悩むことになる。

 

 そしてヒロインはあった未来を確実に葬るため自分の父を殺す。消える前にヒロインは大好きな人の未来を夢見た。

 

 ここまでが原作の流れ、しかしこの映画はさらにここから展開がありました。

 

 父を殺そうと考えるヒロイン、しかし育ててくれた実の父になる人を殺すことは無理だと悟った。なら、どうすれば自分が産まれない、離婚しない未来を確実なものにするか。ヒロインはまた悩む。そんな時泊めてくれている親切な人に言われたのだ「ならもっとラブラブにさせちまえ」と。

 

 そうしてヒロインはタツキとシルバークラフトの仲を修繕するためにデートプランを考える。最初は順調だったが問題があり、しかしそれはヒロインが予定していた計画とは違う結果で成功する。そして未来が変わり体が白み始めるヒロイン、見られないようにその場を去るが……その際ウマ娘の少女が道路を飛び出しているところに出会す。そしてすぐそこには明らかに法定速度を超えた乗用車がいた。ヒロインは咄嗟に身を挺してその少女を助ける。

 

 意識が遠退いていく時、助けた少女が泣きながらお礼を言ってきた。ヒロインは少女の名前を聞こうとする。すると少女は泣きながら名前を名乗った。さらに向こうも名前を聞いてきた。そうしてカメラアングルはヒロインの口元をアップし、口パクで名前を言う。ーーそこで意識が途絶え、プラティナムクラフトの存在はこの世から消えた。そして少女が小さく呟こうとし……そこで画面は暗転し、タイトルが表示される。そしてエンドロール。

 

 2時間半でしたが。とても内容が濃く、ストーリー的にも満足できるところが多かった映画でした。

 

 わたくしは残った紅茶を飲みながら、隣の玲音さんを見てみる……作中、時々スクリーンから視線を外して彼を見ていたが、とても集中しているのか瞬きせずにずっと同じ姿勢で映画を見てました。玲音さんって、案外集中して映画を見る人なんだなと意外な一面が知れました。

 

 でも……エンドロールまで真剣に見るのは珍しいですね。

 

「……そうですわ」

 

 ここまで集中していれば、さり気なく手を握ったり肩に頭を乗せてもバレないのでは? いや、バレないのはそれはそれで少し寂しいですけど。

 

 そう思いながら、わたくしはそっと彼の手に自分の手を置こうとする。その瞬間、彼の体がびくりっと大きく跳ねた。

 

 わたくしは突然動いたので、びびって手を引いてしまう。

 

「あ、あれ……ここは……」

 

 彼は何か呟いていたが、わたくしのウマ娘の聴力を以ってしても何を言っているのか聞こえませんでした。

 

 急に動き始めて驚いてしまいましたが、問題ありません。また手を握ろうとすればいいのですから。わたくしは彼の手を握る。すると少し遅れて、彼も握り返してくれる。

 

 エンドロールが終わり、そろそろ立ち上がろうかと思った時、場面が切り替わり病院の病室みたいなところが映される。そしてそこには男性とウマ娘の夫婦らしき人たちが同じベッドに座っていた。どうやら産まれた子どもの名前を考えているようだった。するとお嫁さんの方がずっと考えていた名前があると旦那さんに言った。旦那さんにどんなのかと訊かれると、お嫁さんはふっと優しい笑みを浮かべその名前を口にした。「プラティナムクラフト」と。なぜその名前なのか理由も聞いたが、何と無く、だけどこれがいいと曖昧な理由だった。

 

 しかし呟いてみると……どこか懐かしさを感じたらしい。旦那さんの方もその名前を気に入った。そして二人で名前を呼んだ。その瞬間、視点が子ども視点になる。すると目の前にいた男性がカナミだとその子どもが分かった。さらに子どもの心の声が消えたプラティナムクラフトのものだった。

 

 これはつまり、ヒロインは主人公の娘として転生した……ということでしょうか? 考察しているうちに新しい場面となり、桜が咲いている川の土手。無邪気で楽しそうに走り回るウマ娘の子と、両親……その少女は見るからに幸せそうだった。両親に両手を引かれながら女の子はその場を歩いて去る。そして「FIN」の文字が浮かび、映画が終わった。

 

「……マックイーン、なんで涙を流してるの?」

 

「えっ……あっ、すみません」

 

 いつの間にか涙を流していたらしく、ポケットに入れていたハンカチを取り出して涙を拭う。わたくしは映画を観ると色々と感化されてしまう人間ですが、今回は特にヤバかったです。原作では殺して願う事しか出来なかったヒロインが手を汚す事もなく、自分自身の幸せも掴むという終わりは……原作を見ていたからこそ感動が大きいですわ。

 

   ・ ・ ・

 

 わたくしと玲音さんは映画館を出ました。時間としては18時半、ちょうど夕食の時間です。

 

 今日は玲音さんの誕生日、ですからこのお出かけプランはわたくしが考えました。しかし彼を祝うのとは別に、わたくしはこのお出かけ……いえ、デートにはある目的があります。

 

 それはわたくしと縁が深いところに彼を誘うということ。さっきの映画館はわたくしがメジロ家に入った頃から何度もお世話になっている場所、そして今からディナーとして行くところは、わたくしがメジロ家に入ることが決まった場所……現在のメジロマックイーンの原点と言えるところです。

 

「ディナーはフレンチって言っていたけど、俺こんなラフな姿でいいのか?」

 

「大丈夫です、それにそれくらいでしたら、スマートカジュアルになっているでしょう」

 

 彼が来ているのは紺色のシャツに白色のTシャツ、そして黒色のチノパン。服装に関しては何も言っていないはずですが、自然とカジュアルな服装を選んでますね。

 

 なんて考えていると目的地であるフレンチ料理店『Charlotte』が見えてきました。

 

 一応何回かは二人で外食はした事もあり、お互いメジロ家で開かれる晩餐会に参加した事もあるのでテーブルマナーなども分かっていますが……流石に未成年だけで入るのは緊張しますね。

 

「へぇ、意外とシック……ビルの高層階にあるようなイメージだけど」

 

「それはテレビでよく紹介されるのが、ビルにあるフレンチ料理店が多いっていうのもあると思いますけどね」

 

 そう言いながらわたくしは店の扉の取っ手を引く。

 

 中に入った後、店員さんに予約していた名前を言うと指定された席に案内される。店内は木材そのものを基調とした床やテーブル、イス。暖かい色の照明も相俟って、クラシックな雰囲気が漂っています。

 

 注文に関しては予約の時点で済ませているので、あとは料理が来るまで待つだけです。そうですね、無難にさっきの映画の感想を言い合いますかね。

 

「玲音さんは白金の戦闘機のどこが面白かったですか?」

 

「えっ……」

 

 えっ?

 

「「……」」

 

 な、何なのでしょう、この空気。暖かい照明で包まれているはずなのに、すごく冷えた空気に変わったような……それに冷や汗をかかれている気が……。

 

 まさか全然、見ていなかったってことは……。

 

「えっと……ひ、ヒロインが過去に戻って、それでハッピーエンドになったところかな?」

 

「っ! えぇ! そうですよね!! そこが良かったですよね!!」

 

「(あ、合ってた……)」

 

「どうしました、玲音さん?」

 

「いや、何でもない!」

 

 少し心配してしまいましたが、流石に映画で眠ってしまう人はいませんよね。その後はずっと感想を言い合っていました、とは言ってもわたくしが一方的に感想や考察などを言っただけですけど。

 

 そうしてしばらく時間が経ち、料理が届く。

 

 まず運ばれて来たのはオードブル「帆立貝柱とサーモンのマリネ 紅白仕立て」メニューには書かれていませんが、周りにはいくらも添えられています。

 

「それではいただきましょうか」

 

「あ、あぁ……」

 

 わたくしたちは手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

   ・ ・ ・

 

 その後、わたくしたちはフランスコース料理を堪能しました。その後に運ばれたのは魚料理「牡丹海老と白身魚のワイン蒸し 赤ワイン風味のクリームソース」。メインの肉料理「牛フィレ肉のソテー 野菜添え マスタードソース」、そして今はデザートの「スペシャルガトーとグラスの盛り合わせ」を戴いている。彼はブラックコーヒーも頼んでいる。あっ、コーヒーフレッシュと砂糖を入れましたね。

 

 時々「これっていくらするんだ……」と呟きながら食べていましたが、魚料理辺りでもう諦めたのかフランス料理を存分に楽しんでいました。やはり奢るんでしたら、喜んでいてくれた方が払う側はとても嬉しいものです。

 

「あっごめん、ちょっとお手洗いに行って来るよ」

 

「分かりました」

 

 そう言うと玲音さんはお手洗いの方へ消えました。それを確認した後、わたくしは足元に置いていたレザーバッグから包装された箱を取り出す。

 

 その箱の中に入っているのはイヤホン……それもただのイヤホンではなく、カラーオーダーのソフトシリコンを使ったモニターイヤホンというやつです。そして何より、右耳の方には……0.05カラットのダイヤが嵌められている。

 

 そして玲音さんはこの前、誕生石のことを知った。幼なじみのスズカさんの誕生石を調べたのでしょうが、おそらく自分自身の誕生石も調べているはず……。

 

「今回で、絶対意識させてみせます……!」

 

 彼はわたくしのことを妹のようにしか見ていません。でもそれではいけないのです、だってわたくしは彼が大好きなのだから。

 

 この国に生きている以上、年齢制限というのは守らなければいけませんが、それもたった2年だけ……なら、今からアタックしても早くはない。

 

 ……そろそろ彼が戻って来そうですので、わたくしは一度プレゼントをレザーバッグに戻します。

 

「ごめん、じゃあそろそろ出ようか」

 

「そうですね、ですけど少しお待ちを」

 

 彼は何だろうと不思議そうな顔をしている。その顔が喜びに変わった後、次はどんな顔をするのでしょうか。以外と赤面したりするんですかね。

 

 そう思いながら、わたくしはレザーバッグから包装された箱を取り出し。テーブルの上に置いた後、両手でそれを持ち、彼の方へと差し出す。

 

「玲音さん、お誕生日おめでとうございます」

 

「ーーっ、ありがとうマックイーン! 開けてみてもいいかな?」

 

「もちろんです、どうぞお開けください」

 

 彼は包装を丁寧に取ると、箱のフタを開ける。

 

「へえ、イヤホンか……けどシリコンのイヤホンなんてあるんだね」

 

「プロのミュージシャンもライブで使っているモニターイヤホンです。イヤーピースも玲音さんの耳に合うようになっています」

 

「……いつ耳型摂取したの? あっ、やっぱ言わなくてもいいや」

 

 そう言いながら、彼は早速イヤモニを着けてみせる。青と白のマーブル模様はかなり彼に合っている。

 

「どうかな、マックイーン?」

 

「えぇ! とても似合ってーー」

 

 その瞬間、わたくしは絶句してしまいました。

 

 それは何故か……それは彼が右耳側を見せてくれた時、そこにあるべきものが……嵌められているはずの小さなダイヤの輝きが無かったからです。

 

   ***

 

「……」

 

 マックイーンとお出かけをして夕飯を食べて、プレゼントをもらって、その後二人でトレセン学園に戻り、栗東寮と後生寮の別れ道で別れて、そのまま後生寮に戻ってきた。

 

 そしてマックイーンにもらったイヤモニで早速音楽を聞いている。流石プロミュージシャンも使っている物、とても音の粒が揃っている。

 

 ただ……俺はずっとプレゼントをくれた後のマックイーンの顔がとても気になっている。

 

 なんて言えばいいのだろうか……とても泣きたいことがあったのに、それを我慢して無理に笑顔で乗り切っているような、そんな感じだった。

 

 大丈夫かと聞いてみても大丈夫の一点張りだったし、とても心配だ。気のせいだったらいいのだが。

 

「……あれ、何だこのくぼみ?」

 

 一度休憩で右耳のイヤモニを取って偶然見つけた……そのイヤモニには一部だけ凹んでいるところがあったのだ。まるで何かがはまっていたかのような……。

 

 でもこういう仕様だという可能性も信じられる……確か箱に詳細書があったはずだ。俺はそう思い机上に置いてあるプレゼント箱に近づく。

 

 次の瞬間、箱の中で何かが輝いた気がした。俺は不思議に思い、ゆっくりと箱を机の上でひっくり返してみる。するとカランカランと何か小さな輝いている石みたいなものが机の上に転がった。

 

 俺はそれをつまみ取り、見てみる……あれ、この輝きどこかで見たような。というか部屋の明かりでここまで光が反射するものか?

 

 俺は記憶を遡り、この石に近い何かを探す……そして一つのある物にたどり着いた。

 

 それは1週間前に見たダイヤモンド。その輝きと一致している。違うのは俺が今摘んでいる石はとにかく小さいというところだが……これくらい小さいダイヤも普通にあるだろう。

 

 そして何となくだが、マックイーンが何故あんな顔をしていたのか納得がいった。

 

 つまりこれはあのイヤモニに嵌められていたジュエリーで、しかし俺が着けた時にはそのジュエリーがなかった。

 

 でもそれだったらあそこまで気持ちが沈むのだろうか……なんて一瞬しか考えなかった。

 

 ダイヤは永遠の愛の代名詞、そして誕生石に込められた意味は恋愛・結婚。

 

 マックイーンは恐らく……そういう意味でこのジュエリーをイヤモニに嵌めた。しかし自分には自然に気付いて欲しかった。だから自分からジュエリーが紛失していることを言えなかったのだ。

 

 はっきり言うが、マックイーンは自分が好きだってことは、もう1年前から分かっている。だが、ダイヤを送ってくるくらい好感度が高いとは思ってもいなかった。

 

 もちろん、俺はマックイーンが好きだ。ただその好きはLoveよりはLike……家族愛に近いものだ。

 

 自分は向き合えるのか、マックイーンと……いや、多分その判断をするにはまだ俺は幼な過ぎるのだろう。答えを見つけたくても、もやもやとした考えが頭の中を埋め尽くすだけだ。

 

 だったら、今の俺に出来ることはただ一つだ。

 

「接着剤でいいのかな……それとも瞬間接着剤? とりあえず、新しく買わないとな」

 

 マックイーンは妹分みたいなものだ。妹分が悲しんでいるなら、それを払拭させるのは兄分である自分の使命だ。

 

 ……それにしても、

 

「(映画で眠ってしまった時のあの夢……あれは一体何だったんだ?)」

 

 

 




・フランス料理は北斗星のフランスコース料理が元ネタです。

・水着スペちゃんのポニテが可愛過ぎる……_:(´ཀ`」 ∠):_

・次回はスズカの誕生日パーティー回の”予定です”。


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いにしえの夢

 前回のあらすじ:マックイーン、自分に縁の深い場所に玲音と訪れる。

・UA103,000・104,000を突破しました。ありがとうございます。

・今回ちょっとだけキャラ崩壊……かも?(恋愛成分多めかも?)

・誕生会は次回です。



 200◯年 5月1日

 

 ここは、どこだろう。なんか頭がぼーっとする。体を起こして辺りを見てみる。棚の上にはスーパー戦隊シリーズのロボのおもちゃに仮面ライダーの変身ベルト、ウルトラマンの変身グッズ。

 

 間違いない、”ぼく”の部屋だ。

 

 自分が着ているパジャマはじゅーけん戦隊とデンオーの光るパジャマ……うん、普通だ。でも、何でこんなにも不思議に、懐かしく感じるんだろう?

 

「……おかーさん?」

 

 本当に何でだろう……急にお母さんに会いたくなった。別に別れてしまった訳でもないのに、心がとても苦しくなった。

 

 そう考えると、ぼくは自分の部屋から出て壁に手を添えながら階段を降りる。いつも降り慣れているはずなのに、まるで十数年ぶりに降りるようだった。

 

 とた……とた……と一段一段踏みしめて降りる。フローリングのひんやりとした感触が足の裏全体に伝わる。

 

 階段を降りて一階に辿り着くと……リビングの方からいい香りと水が流れる音が聞こえた。

 

 ぼくはその音と香りがする方へ足を進める。そしてその先にあったドアを開ける。

 

「おっ、おはよう玲音。もう目が覚めたのね」

 

 そこにはぼくのお母さん……谷崎琥珀が朝食を作っていた。その瞬間、ぼくの目から暖かい水の滴が溢れてくる。その滴はやがて重力に従って頬を伝い、そして床に落ちた。

 

 ぼくは……泣いているの?

 

「あれ、どうしたの玲音、そんなに涙を流して……」

 

 部屋に入った途端に泣き始めたから、お母さんは心配になってぼくのもとに近づいてくる。

 

 でも近づくたびに涙が次々と溢れる……悲しい気持ちもないし、どこも痛くないのに、むしろ幸福感を感じているのに。

 

「分からない……何で涙が出るか、分からないよ……」

 

 むしろ原因不明で溢れている涙が少し怖くなってきて、そっちの方がとても気になってしまう。

 

 すると……優しい香りと感覚が、ぼくの頭を包む。

 

 これは……お母さんに抱きしめられている? それに頭をポンポンと撫でられている。

 

「よしよし、きっと悪い夢でも見てたんだね……大丈夫、泣き止むまでこうしてあげるから」

 

 そうしてお母さんはぼくが泣き止むまで、ずっと、ずっと、優しく頭を撫でてくれた。

 

 よく撫でられているはずなのに……とても懐かしい、忘れていたことを思い出したような感じがして、ぼくは中々泣き止まなかった。

 

   ・ ・ ・

 

 なんとか泣き止んで、お母さんが作ってくれた朝食(トースト・スクランブルエッグ・サラダ・ソーセージ)を食べた後、ぼくはリビングにあるテレビで録画しているウルトラマンを見ていた。

 

 ぼくが見ているのはウルトラマンメビウス、そして話数は第34話「故郷のない男」。昭和ウルトラマンであるウルトラマンレオが出てくる回だ。

 

 ぼくは昭和ウルトラマンもあらかた見ていて、その中でも特に好きなのがレオだった。その理由は単純、ぼくと名前が似ているから……というのもあるけど、人間ドラマと主人公の成長がとても心にグッと来るものがあるからだ。

 

 同世代の子たちとかはウルトラマンが戦うだけのシーンで盛り上がることも多いが、ぼくは戦うシーンよりも防衛チームと主人公(ウルトラマン)の掛け合いがとても好きだ。だが知っている人はいると思うが、レオはウルトラマンの中で防衛チームが壊滅した作品。過去のウルトラマンと比べても多くの喪失や別れ、苦しみを味わっている。

 

 だからこそ戦い抜いた主人公の言動の一つひとつには、心を動かされるものがある。

 

 そしてそんなレオが客演しているのがこのお話だ。

 

 地球にやってきた新人、つまりメビウスが地球を守るのに相応しいか拳を交わし合い確かめる。その後人間態のミライの姿に戻るメビウス、その時悔し涙を流す。そんなミライにレオの人間態、ゲンが言った。

 

『お前の涙でこの地球が救えるのか!?』

 

 困難な目に遭い、そして辛い修行を乗り越え、そして死闘を繰り広げたゲンだからこそ、中途半端な力では何も守れないことを知っている。だからメビウスに喝を入れるのだ。

 

 メビウスのお話の中でも、このお話は片手の指に数えられるくらい好きなお話だ。もちろん、メビウスは全体を通してもすごく面白い。仲間と主人公の成長はこの作品で語らずにはいられないところだろう。

 

 そして何よりメビウスという単語だけでもうかっこいい。行っている幼稚園でも「チーム・メビウス」という遊び集団をぼくたちは結成している。

 

「我が息子ながら、よくそんな難しいお話を見るね〜」

 

 ちなみにお母さんはウルトラマンや仮面ライダーなどには詳しくない、単語を知っているのとスペシウム光線を知っているくらいだ。

 

 お母さんが言っていたけど、こういうヒーロー物はお父さんの方が大好きだったらしい……それも遺伝だったのか、あるいは男の子の運命というべきか。

 

「あれ、おかしいなぁ……」

 

「どうしたのおかーさん?」

 

「ちょっとお誕生日パーティーに必要なものが見つからないの。切らしちゃったのかなぁ」

 

「……誕生日パーティー?」

 

「そうよ、ほら去年も行ったでしょ、スズカちゃんと玲音くんを祝った集まり」

 

 そう言われて、ぼくは記憶を辿ってみる。一年前の出来事だったら最近の事で覚えているはずだけど……なんでだろう、すごく記憶に靄がかかっている。

 

「何が足りないの?」

 

「オリーブオイル……あれがないと料理ができないし……」

 

「じゃあ買って来るよ?」

 

「えっ……いいの? はじめてのおつかいの撮影はしていないよ?」

 

 お母さんは『はじめてのおつかい』という番組が好きで、よく観ている。その番組ではぼくと同じくらいの子たちがおつかいに行くというもの。まぁ、それを見てもぼくは何も思わないけど……。

 

「大丈夫、車に気をつければいいんだよね?」

 

「悪い人たちにもね……でもやっぱ心配だなぁ」

 

「大丈夫だよ、今おかーさんはネコの手も借りたい状態だよね」

 

「そんな言葉どこで覚えたの? でも、そうだね。ちょっとお願いしようかな」

 

 そう言うとお母さんはおつかい代とスーパーの場所が記されている手描き地図、買うものリストを渡してくれる。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい、気をつけてね!」

 

 いつも言っている言葉なはずなのに……また酷く懐かしく感じた。

 

   ・ ・ ・

 

「(オリーブオイルとパーティー用のジュースを入れた……のはいいものの)」

 

 ぼくは今、窮地に陥っている。

 

 それはリストに書かれたものをほぼ入れ終えて、最後の食品が売られている棚の前に来たのだが……『チーズ』としか書かれていないのに、一体どれを買えばいいの!?

 

 そこには30……いや、60種類くらいはある大きなチーズ売り場があった。

 

 バリエーションとしてはおやつとかでよく食べているベビーチーズやさけるチーズなどよく見るやつもあれば、なんか変な英語……いや英語にもなっていない商品もあったりと……あ、頭が混乱する。

 

 そしてそこで20分くらい立ち往生していると、声をかけて来る人がいた。ぼくは振り返るが……だれ、このお姉さん?

 

 そこにいたのは茶褐色の髪の毛で、ウマ耳が生えた女性だった。

 

「やっぱり玲音くんだ、こんにちわ」

 

 ……誰?

 

 こんな美人さんの知り合いいたっけ? でもなんかえらく懐かしい感じもする。

 

「あ、あら〜、ほぼ毎日会っているはずなのだけど、もしかしてまだ名前覚えられていないのかしら……いつもスズカのお母さんって呼んでいるものね」

 

 自分が不思議そうな顔をしていると、目の前の女性が少し困ったような顔をする。

 

 ……ん、スズカのお母さん?

 

 ぼくはその女性を凝視してみる……そういえば、どことなくスズカに似ているような……。

 

「スズちゃんの……おかーさん?」

 

「そうよ、名前はワキアって言うの、よかったら覚えてね……それで玲音くんは何をしているのかな?」

 

 目の前の女性がスズカのお母さんだと言うことが分かり、ぼくは立ち往生している理由をスズカのお母さんに話す。

 

 すると、スズカのお母さん……ワキアさんは一緒に考えてくれた。ワキアさんは去年のお誕生日会でうちのお母さんがイタリア料理を振る舞ったこと、そして今カゴに入っている食材と持たされたお金からちょうど良さそうなチーズを選んでくれた。

 

「あの、ワキアさんはなんでここに?」

 

「今日の誕生日会でティラミスを持って行こうと思っていてね。ほら去年持って来たらスズカと玲音くん気に入ってくれたでしょ? だから今年もティラミスのバースデーケーキにしようかなって考えてるのよ」

 

 そう言うとワキアさんは買い物かごの中身を見せてくれる。ホットケーキミックスにココア、無塩バター、クリームチーズ、生クリーム、インスタントコーヒー。この中にある以外にも家にある卵やらなんやらを色々すると、ティラミスができるらしい。

 

 そうしてお話ししながら、ぼくはレジで精算する。店員さんがレジ袋に商品を入れ、ぼくはお金を払ってレジから離れようとしたが……レジ袋が想像以上に重かった。なんとか上に持ち上げようとしても引きずってしまう。

 

 そんな様子を見てワキアさんが「よかったら送ろうか?」と言ってくれたので、ぼくはお言葉に甘えて車に乗せてもらった。

 

   ・ ・ ・

 

 買い物から帰って、ぼくはお母さんにレジ袋を預けると、そのまま二階の自室に行き、そのままロケットベッドダイブした。

 

 成長して来たとはいえ、まだ子ども……片道30分の買い物はかなり体力を消費していたのだ。だからぼくは泥に沈んでいくかのように意識が途切れた……………………少しずつ意識が覚醒していると、かちゃりと部屋の扉が開く音が聞こえる。そして誰かの足音が少しずつ、こっちに近づいて来る。

 

 その足音はぼくの近くまで来ると、ぼくの体を優しくゆさゆさと揺らす。しかし自分が起きないと分かると、耳元まで顔を近づけて来る。そして優しい声音で語りかけるように囁いた。

 

『レオくん?』

 

   ***

 

 時刻としては17時を回ろうとしている頃、私はレオくんがいる後生寮の方に足を進めていた。

 

 昨日レースが終わった後、私の家族に会う……というよりも私の誕生日会に参加しないかと提案しレオくんはそれを受け入れてくれたけど、集合場所や時間など全然知らせていないと気づいて、早朝にメッセージを送った。

 

 しかしお昼を過ぎても送ったメッセージが既読になる事はなかった。部屋の中で何度も何度もメッセージアプリを開いてはため息を漏らしていたので、同居しているスペちゃんにとても心配された。

 

 そして約束の1時間前になっても音沙汰がなかったので、私はこうして自分自身の足でレオくんのところに向かっている。

 

 それにしても、こうしてレオくんの部屋に訪れるのって、あの約束を交わした日以来かもしれない。

 

 そうやって考えると結構久しぶりなので、意識した途端に緊張してきた。昔は家が向かいにあって、どちらかの家に必ずいるというのが当たり前だったからこそ、この距離感はまだどうにも慣れない。

 

 他人に戻った……とは言っても、やっぱり私とレオくんの距離感はまだあの頃のままだ。いや、もしかすると会っていなかった分、もっと短くなったかもしれない。

 

「はあ……ふう……よし」

 

 私は寮の扉で深呼吸をして、扉の取っ手を引く。寮に入って目の前に設けられている寮長室の窓口の前まで歩み寄る。

 

 そこでしばらく立っていると、奥からおじいさんが現れた。この寮の寮長を勤めている未浪さんだ。

 

「はい〜お待たせしました〜……って、あんさんはいつぞやの」

 

「あっ、はい。サイレンススズカです。お久しぶりです」

 

「そう〜そう! スズカちゃんだ! ひっさしぶりだね〜元気にしてたかい?」

 

「はい」

 

 私は未浪さんに今日ここに来た理由を簡単に話す。

 

「そうかい、朝から音信不通……そういや今日は谷崎くんを見てないね〜」

 

「ですからこうして直接来たんです」

 

「事情は分かった……ちょっと待ってておくれ」

 

 そう言うと未浪さんは部屋の奥へ行き、施錠棚から小さな鍵を取り出し、それをこっちへ持って来る。

 

「はい、谷崎くんの部屋鍵。分かっていると思うけど30分を越えたら様子見で開けるからね」

 

「分かり……あれ、でもこの前は普通に30分以上経ってた気がするんですけど」

 

「まぁ、一応見に入ったんだけどねぇ……十数年ぶりの再会に水を差すのも間が悪いと思ってね。この前のは特別だよ」

 

 嘘でしょ……あのシーンを他の人に見られていたの……?

 

 でも、それでも空気を読んでくれた未浪さんにはお礼を言わないといけない。

 

「ありがとうございます、未浪さん」

 

「いいっていいって……ほら、早く行ってやんな」

 

 私は未浪さんの言う通り、その場を去って階段(奥に螺旋階段が設けられている)でレオくんの部屋がある階層まで登る。

 

 レオくんの部屋は確か1番奥の右側だったはず。私はその部屋の前に立つと一度ノックをしてみる。そして扉に顔を近づけウマ耳を立ててみるが、何かが動く音はしなかった。

 

「(……何かあったのかな)」

 

 少し心配になり、私は未浪さんからもらった鍵を使って部屋を解錠し、ドアノブを捻りながら扉を引く。

 

「お、お邪魔しま〜す」

 

 玄関で靴を脱いでレオくんの部屋にあがる。レオくんがいる……にしては、とても静かだ。

 

 どこかに出かけたのかなと思ったけど、未浪さんが言っていた。今日は見ていないと。つまり外にも出ていないということになる。

 

 それじゃどこに……そう思って辺りを見ると、どこにいるのかすぐに分かった。それはベッドの上、布団が不自然に膨らんでいて、上下に膨らんだり縮んでいる。

 

 私はベッドに近づく……そこにいたのは壁の方に向いて寝息を立てているレオくんがいた。体勢は横向きで両手を顔の前に置いている。

 

「すぅ……んっ……」

 

 レオくん……結構、可愛く寝るんだ……じゃなくて!?

 

 私は乱れそうになった心を落ち着かせるために一回深呼吸……私自分の寮からここに来るまでどれくらい深呼吸したのだろう。

 

「レオくん?」

 

 一度声を掛けて体をゆさゆさと揺さぶってみるが……反応は特に無い。

 

 こんなこと、前にもやったような……確かあれは十数年前の私の誕生日パーティーの時。確かレオくんの家に言った後、レオくんのお母さんである琥珀さんに「レオくんはどこですか?」って言って、そうしたら上の階にいると教えてくれて……それで階段を登って、レオくんの部屋に入った。

 

 すると寝息を立てているレオくんがいて、私は起きて欲しくて何度も何度も揺さぶって呼びかけた。それでも目覚めることはなくて……。

 

 諦めようかなって思ってたらごろんと寝返りを打って、いわゆる仰向けの状態になって、寝息を立てている唇がどうしても気になって……それで……そぉれぇでえええ!?

 

 私、キスをしちゃったんだ……童話でよく読んでたキスで目覚めるシーンを真似して……。

 

「ーーッ〜〜っーーッ〜〜っ」

 

 なんでそんな恥ずかしいことをこのタイミングで思い出しちゃったの私!?

 

 声にならない悲鳴をあげながら悶える……するとのっそりとした動きでレオくんが寝返りを打った。

 

「……っ!」

 

 その姿勢は仰向けになっており、私の視線は彼の唇に集中する。

 

 そしてあの時の記憶を思い出してしまったのと、今のシチュエーションはあの時とほぼ同じだったこともあり、私の思考は少し昔の考えで埋め尽くされる。

 

「(……レオ、くん)」

 

 おそらく今唇と唇を重ねても……レオくんにはバレない。

 

 私はゆっくり……ゆっくりと自分の唇を彼の唇に近づける。

 

 そしてお互いの唇が残り数センチまで近づいて……私はーーーーーー。

 

 

 




・もう8月なのか……(絶望)ワクチン打ちましたけど、二日間くらい打ったところが筋肉痛になりましたわw

・キャンサー杯でオープン一位取れた……いよっしゃあ!!

・次回こそスズカの誕生日会のお話です。


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2日目のバースデー / 多くの人に支えられて

 前回のあらすじ:玲音は夢で昔の夢を見る。スズカは玲音の部屋に訪れる。

・UA105,000を突破しました。ありがとうございます!



 ……なんか、柔らかいものが俺の唇に当たっている気がする。

 

 その感触が気になり、俺はうっすらと目を開ける。そしてそこにいたのは、スズカ(のぬいぐるみ)だった。

 

「……おはよう?」

 

「うわああああぁぁ!?」

 

 俺は某苗木くんくらい叫ぶ……だって目の前にぬいぐるみがいたりしたら、誰でも驚くよね? というかそんなことあってたまるか!? それにスズカのぬいぐるみが、スズカの声で喋ったんだぞ!? キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!! 状態だよ?!

 

 俺は驚いて、布団から飛び起きる。

 

「きゃ……!?」

 

 しかしそれによって驚いてしまった子がいた。というかなんでそこにいるの?

 

 そこにいたのは栗色の長い髪に緑色のウマ耳カバーを着けた女の子、サイレンススズカが部屋の床に尻もちをついていた。そしてその手にはこの前テイオーからもらったスズカのぬいぐるみを持っている。

 

「す、スズちゃん!? だ、大丈夫?!」

 

「え、えぇ……平気よ」

 

 俺はスズカに手を差し出す。スズカは自分の手を取るとひょいと立ち上がる。

 

 なんか今思ったけど、自分の部屋ってよくウマ娘(というか知人)がいつの間にか入っているような気がする。マックイーンといい、今日のスズカといい。

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

「えっと、昨日お出かけを提案したけど、場所や時間は伝えてなかったからメッセージを送ったんだけど……全然既読が付かなかったから、少し心配になって」

 

 スズカはぬいぐるみを元のところを戻しながら、この部屋に来た理由を話してくれる。

 

 そう言われて俺は枕元にある携帯を手に取って、ロックボタンを一押しする。すると携帯の画面に表示されたのは画面いっぱいに広がる未読メッセージ、その時間帯を見るとほぼ早朝。なるほど、これは確かに心配するな。

 

 というか自分スズカが来るまでずっと寝ていたんだな……いや寝すぎだろ、俺。あっやばい、意識してから少し頭痛が……。

 

「なるほど……わざわざありがとう」

 

「ううん、大丈夫……それに……」

 

 そう言いながら、スズカはある方向を見つめる。その方向にあるのはスズカに似たぬいぐるみだ。

 

 なんであれを見て……あっ、尻尾が少し揺れている。あの揺れ方は確か、マックイーンが内心嬉しい時に表情には出さない時にする仕草だ。

 

 そういえばスズカのぬいぐるみが起きた時に顔元にあったんだよなぁ……でも確かその前に顔を近づけーー。

 

 あれ? あれは夢の中の出来事だよな? あ〜いやでも、夢を見ていたのは何かを終えて眠ってたところまで……あれ、その後のアレも夢? あれ、あれれ? 時間が経っているからか夢がぼんやりとしている。

 

 なんか分からなくなってきて、自分は頭を抱える。

 

「レオくん? 頭を抱えてどうしたの?」

 

「あぁ〜……いや、なんか懐かしい夢を見てた気がして……」

 

「懐かしい、夢?」

 

「そうそう……夢の内容はもうぼんやりとしちゃったんだけど、久しぶりに、お母さんに会えた気がするんだ」

 

「琥珀さんに……そう、なのね」

 

「「……」」

 

 なんか少しだけしんみりとした雰囲気になってしまう……いやいやダメだ、今日はスズカの誕生日。こんな暗いテンションじゃダメだ。

 

 それにきっと、あっちにいるお母さんもこう思ってくれるはず。「ちゃんとスズカちゃんの誕生日を祝ってあげなさい」って。

 

 しんみりとしていた雰囲気を破るかのようにパンッと手を叩く。

 

「さっ! 俺は私服に着替えるから、扉の前で待っててくれるかな?」

 

「えぇ、分かったわ」

 

   ・ ・ ・

 

 学園の最寄り駅から特別急行で30分くらいかけて終着駅の新宿に到着。この駅に来るのは皐月賞で乗り継ぎで使った時以来かな。今日はここで降りるらしいけど。

 

 流石東京の中心地と認識されている街、うちの町とは全然世界が違う。同じ都なはずだけど、ここまで違いがあるんだな。まぁ、叔父夫婦が住んでいるところも多摩の方だからそんな都会の方ではなかったから、むしろ田舎な方が合っているんだろうな。

 

 ……それにしても、スズカの着こなしめっちゃかっこいいなぁ。キャラメル色のカーディガンに緑色のブラウス、そして黒色のロングスカートととても落ち着いた、それでいて緑を上手く活かす服になっている。(個人の感想……デス!)

 

 実際、街を行き交う人々の一部はスズカの姿を見て二度見したり、振り返ったりと周りから見てもかなり美しいと思われているらしい。

 

 しかしウマ娘はみな容姿端麗であり、別にスズカが特別容姿が綺麗って訳ではない。まぁ可愛いし綺麗だけど。

 

「確かここら辺に……」

 

 駅を出てビルとビルの間にある狭い道路を歩き、携帯の地図案内を頼りにスズカは今日行くお店を探している。

 

 駅前はThe都会みたいな感じだったのに、こう言う細かい所に入ると飲み屋などがかなり増える。あまり直視できないお店とかも時々目に入るが、スズカは携帯の地図に夢中だったから気付かなかった。

 

 帰り道は、ちょっとだけ遠回りするように誘導するか。

 

「あっ、あった。多分ここね」

 

 スズカはお店の扉をを一指しした後、その扉をゆっくりと開けて中に入る。自分も後に続く。

 

 店内は昨日入ったフレンチ料理店Charlotteとは全然違い、こっちは個室タイプ……それも照明は暖かい色を越えて、真っ赤な照明。なんか全然入ったことのない感じのお店だ。

 

「お母さんたち、もう少しで着くから、さきに飲み物とか頼んでていいって」

 

「そう? じゃあ……すみません!」

 

 俺は店員さんを呼び、カプチーノ、スズカはイタリア大手の微炭酸みかんジュースを注文した。

 

 カプチーノはカフェラテと違い、蒸気で温めたスチームミルク(ラテでもこっちは使っている)と蒸気で泡立てたフォームドミルクの二種類を使ったイタリア発祥のコーヒー。見た目は泡立ったミルクにより、ラテよりも苦味はまろやかなように見えるが、実際はカプチーノの方がエスプレッソを多く入れるため、意外とビターなのだ。

 

「あっ、美味しい」

 

「この飲み物も美味しいよ、一口どう?」

 

「んじゃあお互いに一口ずつってことで」

 

 俺は持っていたカップをソーサーに戻し、そのままソーサーをスズカの方に押す。こうすればスズカはそのまま左手で持って飲めば、自分が口をつけた所には口を付けない。つまり間接キスは回避できるのだ。

 

 スズカもこっちにコップを向けてくる。当然ストローは一つしかないが、これはまぁ仕方ない。だったらコップに口をつければいいだけ。間接キスっていうのは液体を介してだと成立しないからな。

 

 ちなみにスズカが差し出してくれたジュースは普通に炭酸のオレンジジュースといった感じで普通に美味しかった。

 

 自分はコップをスズカに戻し、スズカが戻してくれたカップの取っ手を右手で摘み”180度反時計回りに回し”カップを上げてカプチーノを飲む……んっ、ちょっとビターなのがまたいい。

 

「あっ、どうやら来たみたい」

 

 個室のドア前に人影が見え、その人影が個室のドアを開ける。

 

 そこにいたのは黒色のジャケットを着た眼鏡の男性と茶褐色の長い髪の毛を持ったウマ娘……あれ、この姿どこかで。

 

「や〜や〜悪いね、ちょっと仕事が忙しくて」

 

「久しぶり玲音くん、10年ぶりくらいになるのかしら」

 

 そこにいたのは十数年ぶりに見たスズカのお母さんであるワキアさんと、その旦那さんがいた。

 

   ・ ・ ・

 

 スズカの家族が全員揃い、スズカの誕生日会が始まった。

 

 自分はマルゲリータピッツァにシーザーサラダ、スズカやワキアさんたちは記念日用のディナーコースを食べていた。別に自分も同じものでいいと言われたのだが、誕生日という家族水入らずな出来事に関係ない自分がいる。さらに昨日フレンチのコースを食べたのもあり、遠慮した。

 

「それにしても、元気そうでよかったわ」

 

 向かいにいるワキアさんがこっちに向かって話しかけてくる。ちなみに場所はスズカが自分の隣に来ている。

 

「スズカから玲音くんと再会したって聞いて、一度会いたかったのよ」

 

「そんな……こちとら普通の男子高校生ですよ」

 

「それでもトレセン学園、それもあのトレーナー学科……こんな偶然があるなんてね」

 

 まぁ確かにそこは本当に奇跡みたいな出来事だ。

 

 それに普通だったら、俺はトレセン学園には相応しくない人間……あそこに通えている時点で本当に奇跡なんだよな。

 

「それに、よかったじゃないスズカ。諦めないでトレセン学園に残って……」

 

「そうそう。いや〜一時期はどうなるかと」

 

「お、お母さん! お父さん! その話はあんまりレオくんの前じゃ……!」

 

 珍しいな、スズカがこんなに取り乱すなんて。

 

 何だろう。少しだけ興味が出てきた。まぁ、なんか勝手に話し始めようとしているけど。

 

   ***

 

 あれは2年前。ある日突然、スズカがこっちに帰ってきたことがあったのよ。

 

 急に帰ってきたものだから聞いたのよ、どうしたのって。

 

 そうしたらスズカはねこう言ったの「走るのが怖くなった、だからトレセン学園から逃げてきた」って。

 

 最初は私たちも驚いたわ。うちの娘は走ることだけに楽しさを見出すような娘だった。そんな娘が走るのが怖い、走るのが嫌だと言った。数日は泊めてあげて一回は帰ったんだけど、また帰って来た。

 

 今度はいつ戻るかと思っていたら「もう戻らない」って言って、そのまましばらく家に滞在した。

 

 学力の差を出さないため通信学習などをさせたけど、私たちに出来るのはここまでだった。

 

   ***

 

 走るのが怖い……それってもしかして、皐月賞の時に話してくれた弥生賞の時の話か。

 

 あの時のスズカにはレースの緊張が、感じたことのない負の感情の塊だったって言っていた。それはレース後も……とは思っていたが、まさかそんなに長続きしていたなんて。

 

 てっきり明るめの話が来るかと思っていたから、予想外の真実に開いた口を閉じられなかった。

 

「スズカの友人やチームの人たち、学校関係者やカウンセラーの人たちが家に来て説得して、ようやく戻った頃には中3の二学期」

 

「……」

 

 一学期の何割か休んだってことになるのか。

 

 そんなバカな……なんて言わない。スズカにはそれほど苦しいものだったのだ。

 

 そしてワキアさんはそのまま、スズカが今に至るまでの話をしてくれた。

 

 中3の二学期からトレセン学園に復学したスズカはその後元々いたチームをやめて、走ることからも遠ざかり、中3は勉学に励んでいた。しかしそれだったら高校生に上がる時に他の学校に行くことを勧められていた。しかしスズカはトレセン学園に残った。その理由はワキアさんにも分かっていない。

 

 と思ってたら隣で聞いていたスズカが説明してくれた。

 

「私の友達にフクキタルっていう子がいてね。その子は占いが趣味で『このままトレセン学園にいた方がいいのか』占ってもらったの。そうしたら残った方がいい、そしてまた走った方がいいって言われたの」

 

 そうしてスズカは高校生に上がってもトレセン学園に残り、その時にチーム・リギルの入部テストがありそれに合格。GⅡで2着を取った後、マイルCS、天皇賞・秋を目標としたが思うように走れなかった……ということらしい。

 

「正直、私たちは途中退学も考えた、それでもスズカの意思を尊重したわ。その結果が、今ではトゥインクル・シリーズで快挙を成し遂げるウマ娘になるなんてね……以前に言ったかもしれないけど、スズカ」

 

 自分の名前を呼ばれて少しだけ体を跳ねさせ、強張らせる。

 

「あなたは、私たちの誇りよ」

 

「……うん」

 

 スズカは少しだけ恥ずかしそうに、それでも嬉しそうな表情を浮かべながら尻尾を振っていた。

 

「玲音くんもありがとうね、スズカの近くにいてくれて」

 

「……はい」

 

 自分は本当に近くにいるだけだ。スズカの役に立ったことはないし、それだったら先生の方がスズカに転機を作ったりしている。

 

 だけど俺もいつか必ず、スズカの役に立てるようになりたい。 

 

 ……今、俺のショルダーバッグの中に入っている翡翠のブレスレット。その石に込められた石言葉は「飛躍」。

 

 これは厄除けで渡すのもあるが、これは自分の意思表示の表れなのかもしれない。

 

 俺はショルダーバッグから黒い手のひらサイズの箱を取り出し、そのままスズカの前にそれを出す。

 

「レオくん、これは?」

 

「ハッピーバースデー、スズちゃん。開けてみれくないかな?」

 

 そう言うとスズカはその黒い箱を両手で持ち上げて、ゆっくりと箱の蓋を開ける。

 

 そして中に入っていた翡翠のブレスレットを右手の指で掬い取るようにして取り、自分の目元まで持って来る。

 

「綺麗……」

 

「翡翠って石でさ、弥生時代から厄除けのお守りとして使われているんだ」

 

 そう説明しても、スズカはずっと翡翠のブレスレットに目を輝かせている。

 

 とりあえず気に入ってくれたらしいので、そこはよかった点だと思おう。

 

「ありがとうレオくん、大切にするね。……」

 

 感謝の言葉を言ってくれるスズカ、しかし少し俯いて何かを考えている。

 

 一体何を考えているのかと思って聞こうとすると、スズカは翡翠のブレスレットを俺の右手に乗せた。そしてすっと、自分の左手をこっちに向けてくる。

 

「……スズちゃん?」

 

「よかったら……レオくんに着けてほしい」

 

「へっ? 俺に?」

 

 それってつまり、スズちゃんの手にこの翡翠のブレスレットを通すってことだよな?

 

 なぜそんなことをするんだろう……なんか意味があったりするのかな。まぁスズカそう言って満足してくれるんだったら、喜んで引き受けよう。

 

 俺は少し困惑しながらも、左手でスズカの左手を支えるようにして下から持つ、そして右手に置かれた翡翠のブレスレットをスズカの左手に通す。

 

 うん、やっぱりスズカに合っていると俺は心の中で思う。

 

 スズカは左手首に付けられたブレスレットを眺めている。その頬は微かに紅潮していた。

 

「私も、お返ししないとね」

 

 そう言うとスズカは持ってきていたポーチから白い箱を取り出す。そして中に合ったものを取り出す。それは透明色の数珠ブレスレットだ。

 

 スズカは俺の右手を自分の左手で支えるように下から持って、そのブレスレットを俺の右手首に通してくる。

 

「……これは?」

 

「水晶のブレスレット、潜在能力やエネルギーを高めてくれるって言われているの……誕生日おめでとう、レオ……ううん、玲音!」

 

「……ありがとう、スズカ!」

 

 俺もスズカがやっていたように右手首に着けられたブレスレットを見る。その純粋無垢で穢れのない透明……それを見て俺は思った。

 

 俺のトレーナー生活も、これくらい穢れのないものにしてやるって……。

 

 俺とスズカは互いのブレスレットを触れ合うように、手を交わした。

 

「(……ねぇ、これって)」

 

「(あぁ、あれみたいだね)」

 

「(指輪の交換みたいよね)」

「(指輪の交換みたいだね)」

 

 にやにやしているワキアさんたちに、俺たちは気づかなかった。

 

 

 




・スズカと玲音の年齢を合わせるために、少しオリジナルの時間軸を創作しました。(二人は高2という設定)

・余談ですが学年はテイオー・中1、ダスウオマック・中2、スペ・中3、スズレオ・高2、ゴルシ・???です。

・次回の話は未定(第5Rに入るか、NHKくらいにするか)です。


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ダービーへ向けて

 前回のあらすじ:玲音とスズカ、お互いブレスレットを贈った。

・UA106,000・107,000を突破しました、ありがとうございます。



『エルコンドルパサーだ! エルコンドルパサーだ! 一気に先頭に立った!』

 

 テレビのスピーカーから聞こえてくる観客の歓声、興奮気味な実況……その視線はあるターフを舞う怪鳥に集中していた。

 

 今日はNHKマイルカップの日……俺たちチーム・スピカは部室に置かれているテレビでそのレースを観戦し、イメージトレーニングをしていた。スペに対してはライバルの走りを目に焼きつかせるという意味もあるだろう。

 

 レースの内容としては最初好スタートを切った逃げの二人のウマ娘に対して、エルコンドルパサーは馬群に捕まってしまったが最終コーナー前には3位に位置付け、最終コーナーを抜けた後の直線で急加速、そのまま逃げていた二人を交わし、そのまま1バ身以上は離した。

 

『エルコンドルパサー! 無傷でGⅠ制覇!!』

 

「「「「「「「おお〜」」」」」」」

 

 その走りにチームの全員が感嘆のため息を漏らす。スペに至ってはその走りが素晴らしかったのか「すごいすごい!」と言いながらテレビ越しにエルコンドルパサーへ拍手を送り、先生は静かに「お見事」と賞賛した。

 

 ファンに手を振ったりとファンサービスをしたりした後、コースから地下バ道に戻り、インタビューを受けるエルコンドルパサー、その隣にはチームトレーナーのハナさんもおり、ハナさんは次走は日本ダービーだと強く宣言した。

 

 それに対して先生は「やっぱりこうなるかと」少し面倒臭そうな口調で言った。

 

「ワタシ! ダービーでも勝ちマース!!スペちゃん! ガチンコ勝負デース!! 待っててくださいネー!! でも勝つのはデスよ! イイですか? 聞いてますカー??」

 

 テレビ越しに映るエルコンドルパサーは、今見ているであろうスペに語り掛ける……なんてものを越して瞳を覗き込むかのようにしてカメラに顔を近づけている。

 

 これはスペに対する宣戦布告だ。この部室にいる誰もがそう感じただろう。各々表情は違うが、全員スペの方を向いていた。

 

 スペは少し困惑しているようだ……だからちょっと背中を押してあげようと思った。

 

「宣戦布告されたな、スペ……どうだ、今の心情は?」

 

「えっと、急で少し困惑してますけど……わ、私……1着取ってみせます!」

 

 そう言ったスペは多分、腕をグッと胸元に振り上げようとしたのだろう。しかし右手は机にぶつかってしまった。

 

 なんとも締まらないけど、でもスペっぽいなと全員が思った。

 

   ・ ・ ・

 

 ”エル”がNHKマイルカップを制覇した次の月曜、俺はいつものようにトレセン学園に向かっていた。

 

 また辛い学業生活……そして楽しい見習いトレーナー生活の一週間が始まる。

 

 このトレセン学園、ウマ娘やトレーナーを育て上げるのを表面に出しているが、実際蓋を開けてみたら他の中学や高校と変わらず学業に励むことが本業だ。

 

 そして今の時期……5月の中旬には中間試験というものがある。これに合格しなければ追試はもちろん、学生トレーナーはチーム練習の参加禁止、ウマ娘の生徒には練習禁止に加え、合格するまでレース参加も禁止なのだ。

 

 そういうことで、昨日は苦手な数学の基礎問題と英語の英単語暗記をずっとしていた。正直この2教科は諦めているに等しいので簡単に取れる問題だけを解くという手段を取ろうとしている。そうすれば赤点回避はできるだろう。

 

「玲音さーん!」

 

 後ろから誰かに呼びかけられ、俺は声のしたへ体を振り向かせる。

 

 そしてそこにいたのは覆面レスラーが着けるようなマスクを着けた黒茶色の長い髪の毛を持ったウマ娘がいた。

 

 リギルの若手……そしてこの前のNHKマイルCに勝った張本人、そう、彼女こそ世界を駆ける怪鳥! エルコンドルパサーだ。

 

「おはようエル」

 

「おはようございます! 玲音さん!」

 

 なぜリギルに所属しているエルコンドルパサーが俺に声を掛けてくるのか。その理由は単純、グラスやマルゼンさんみたいに観察中に仲良くなったのだ。

 

 きっかけは趣味を聞いた時格闘技観戦と聞いた時、某SEGAの格闘ゲームの知識で話をしてみると、意外にも意気投合し友達になったのだ。

 

 まぁもう一つあるが……それはまた今度。

 

「玲音さん玲音さん! 昨日のレース、見てくれましたか!!」

 

「あぁ見てたよ。4戦無敗でGⅠ制覇本当におめでとう」

 

「ありがとうございます! お祝いになでなでして欲しいデス!!」

 

「ここは人多いからダメ」

 

「ケッ!? そ、そんな〜!!」

 

 ガガガーン! というSEが聞こえてくるくらいオチコンドルパサー……そんなにがっかりすることなのかな。

 

 その後は他愛のない世間話でトレセン学園まで一緒に登校する。あっ、そうだ、少し気になっているところがあるからちょっと聞いてみよう。

 

「エル、次のレースって日本ダービーに出るんだよな?」

 

「ハイ! そのつもりデース!」

 

「じゃあ”中間試験”も自信があるってことだよな」

 

 その言葉を言った瞬間、エルの体はまるで石になったかのように固まった。

 

 ……少しツンツンとつついてみたが、その感触はまさに石そのものだった。

 

「……チュウカンシケン? アタシニホンゴワカリマセーン」

 

「あらあら〜、なら私が英語で訳してあげましょうか? midterm examって」

 

「ぐ、グラス!? お、おはよう……」

 

「おはようエル。玲音さんもおはようございます」

 

 いつの間に近くにいたのはエルのチームメイトであり、クラスメートであり、ルームメイトでもあるグラス(ワンダー)だ。

 

「おはよう、グラス」

 

「中間試験のお話ですか?」

 

「そう、グラスは大丈夫か」

 

 まぁ、グラスだったら大丈夫だろう。普通に中3の時の俺よりも学力はあるだろうし、アメリカから日本へ留学してきたって事はその分勉強もできるという事だろうしな。

 

「私は大丈夫ですけど……そこにいる娘とスペちゃんが心配ですね」

 

「まんま次の日本ダービー注目株じゃねえか……」

 

 いやいや、まさかその二人が赤点で日本ダービー不参加なんて事、ないよな?

 

「大丈夫ですよ、玲音さんが今考えている事にはならないように、ちゃんと対策しますから」

 

「た、頼りにしてマース……」

 

 まぁ、こっちはグラスに任せて大丈夫だろう……教えてあげられたらいいんだけど、自分自身で精一杯だからな。

 

「そうデス! 玲音さん、アタシに勉強をーーー」

 

「エールっ?」

 

「ぁ痛ぁい!? ぐ、グラスっ!? 偶然にしてはいいツボを抓りましたよ今!!」

 

   ・ ・ ・

 

 放課後になり誰よりも部室に来ると、部室に置かれた机の上に置手紙が置かれていた。

 

 そこに書いていたのは一言、「今日はここで練習!」と書かれており、裏にはその練習場所が記された簡単な地図が手描きで書かれていた。

 

「ここって……神社か?」

 

 携帯でその辺りを検索してみると、そこにあったのは神社だった。詳細を調べてみると、都内でも屈指の長さの階段があるらしい。

 

 つまりこれは……階段で特訓をするのかな。なんか少し前に流行ってた学女子高生アイドルアニメでも神社の階段で階段ダッシュしていたなぁ。あんな感じでやるのかな。

 

 とりあえず学園からは距離があるので、そこまでランニングで全員来るようにという事らしい。

 

 ランニングってなると、自分はロードバイクでここに行くことになるな。そうなったら部室前に置いている自転車を整備しておこう。

 

 そう思い部室に出る……するとその先にゴルシがいた。

 

「おん? どうしたんだ新人?」

 

「あぁゴルシか。いやな? 先生が新しいところで練習するって紙に書いてあってな、そこまでランニングで行けって指示だから自転車を準備しようと思って」

 

 そう言いながら、ゴルシにその紙を渡す。裏面を見た瞬間、面倒臭そうな表情を浮かべるゴルシ。

 

 そんなゴルシを横目に自転車の油差しやブレーキチェックを行う。うん、問題はない。

 

 あとはいつも通りの装備をくっつけてっと……。

 

「なぁ、お前いつもそのマフラーを着けてるよな?」

 

「えっ、あぁ……これ?」

 

 俺の首元にあるのは確かにマフラーのように見えてしまうが、これはマフラーではない。自転車に乗りには必要不可欠なあるものだ。

 

 そうそれは……ヘルーー。

 

「いや待て、当ててやる。んー、その形状、何処と無く近代的だな……首に自転車、つまり脊髄か頭部を……よし分かった」

 

 は、早い……ゴルシっていつもふざけているけど、こういう時変に頭が回るのが早いよなぁ。

 

「頭部だけ爆発する小型爆弾だな!」

 

「何がどうしてそうなるんだよぉお!?」

 

 何をどうやってとち狂えば、小型爆弾を首に装着しているって結論に至るんだよ!?

 

「冗談ジョーダン、トーセンジョーダン! ヘルメットだろ?」

 

「……まぁ合ってる」

 

 叔父さんがロードバイクを三日三晩で飽きた時、同時にこのエアバッグヘルメットをもらった。

 

 調べてみるとスウェーデンで研究・開発が行われ、普段はマフラーのように装着していざと言う緊急事態の時は頭を覆うようにエアバッグが作動してくれるのだ。

 

 まぁ一回も立ちゴケしたり、事故にあった事はないので本当に作動するかどうかは分からないが、センサーが一定の速度を察知するとか役の爆発によってエアバッグが作動する。エアバッグは普通のヘルメットの3倍の衝撃吸収性能がある。

 

「はぇ〜、最近のヘルメットも進化しているんだな」

 

「まぁ、数年前の技術だけどな」

 

 そんな風に話していると、他のチームメイトも合流した。

 

   ・ ・ ・

 

「ようし、ちゃんと来たな」

 

 紙で記されたところまでランニングすると、そこにいたのは飴を咥え、腕を組んで仁王立ちしていた先生だった。

 

 そしてその後ろにはえげつない長さ・高さの階段が見える。

 

「と、トレーナーさん。後ろにある階段は一体……」

 

「今日から定期的に、ここで階段ダッシュを行う」

 

 あ〜……やっぱりそう言うパターンか。

 

「スペ、この前のマルゼンスキーとの模擬レースで何を学んだ?」

 

「えっと、誰かの後ろにつくと空気抵抗が少なくなるのと、坂だと歩幅が小さくすると走りやすくなる……とかですかね」

 

「そうだ。スリップストリームに関しては併走トレーニングをすれば身に付けられる。だが坂でのピッチ走法を身に付ける方法は坂路でのダッシュしかない」

 

 先生はまだ話を続ける。

 

 坂でのピッチ走法は坂路でしか取得できない。だが坂路ダッシュができるほどの坂があるトラックは三つしかない。しかし学園は多くのチームがあり、坂路があるトラックは予約が埋まっている。仮に今から抑えると早くて中間明けかそれより先か……しかしそれだとスペの日本ダービーには間に合わない。

 

 そこでこの神社の都内屈指の長さを誇る階段を利用することによって、ピッチ走法を身に付けるらしい。さらにここまで距離があれば、普通にダッシュしても他のみんなも持久力がつくと一石二鳥……と言うことらしい。

 

「普通にやるよりも面白そー! ねぇねぇ、まずはボクにやらせてよ!」

 

「あーずるい! アタシもやりたい!!」

 

「オレが先だ!!」

 

「……」

 

「待て待て順番だ、階段は逃げねえよ……玲音、お前はこっちでスターターをやってくれ」

 

 スターター……あれか、50m走を測るときに「よーいどん!」って言って旗を振るやつか。

 

 あれって50m走一回走った後引き受けると時間が潰せて結構楽なんだよなぁ……じゃなくて。

 

「分かりました……旗の代わりはこのタオルでいいですか?」

 

「分かりやすければなんでもいいぞ。んじゃ向こう着いたら早速始めるからな、お前ら! ちゃんとウォーミングアップしておくように」

 

『はい!」

 

 先生がゆっくりと階段を登っている間、みんなは念入りにストレッチをしている。

 

「スズカさんはこういう練習したことってありますか?」

 

「いえ……むしろランニングや観戦以外で学園を離れること自体初めてかも」

 

「ってことは……リギルでも行ってねえ練習ってことか! ウッヒョー! 面白くなって来たぜ!!」

 

 みんなすごく楽しみにしているらしいが……俺には分かる。これ絶対数分後死屍累々な情景になっているんだろうな。

 

 何せツイスターゲームをやっただけでダウンしていたレベルだしなぁ。

 

「ようし! まずはテイオーとゴルシ! 次にスカーレット・ウオッカ、最後にスペとスズカだ!」

 

「ふっふ〜ん、無敵のボクならこれくらいヨユーだよ! 見ててね玲音!」

 

「ははっ、張り切りすぎるなよ」

 

「行くぞー! 位置について、よーいドン!」

 

   ・ ・ ・

 

 夕焼けの空にカラスの群れの影ができ始めた頃、スペとスズカが最後の階段ダッシュを走り切り、先生がこっちへ登って来いというジェスチャーをした。

 

 俺は少しの駆け足で階段を登るが……少しの駆け足でもかなり登るのが大変だ。

 

 そんな坂をみんなは何本も全力で走ったのだ、かなり疲労が溜まるだろう。

 

 そう思いながら息を少し乱れさせながら階段を登り切ると……そこで待っていたのは地に力なく倒れているスズカ以外のチームのみんなの姿だった。

 

 そしてスズカも少しだけ息を切らしている……なんだかんだスズカがここまで息を切らしているのはサーキットトレーニングでも見た記憶がない。

 

「これ、は……かなり脚に来る……」

 

「今後はこの練習を多く取り入れる。明日もやるから休養はしっかりな、あと勉強も忘れるなよ」

 

 そう言いながら階段を降りていく先生……えっ、この状況で俺に振るの?

 

 ど、どうしようかな、これ。

 

「あうっ……これ、玲音が考えたトレーニングの数倍はきついよぉ〜」

 

「まぁ初日だからな、いずれ慣れるさ……多分」

 

「確かにキツいですけど……それでも、ダービーを取るにはこれくらいしないといけませんよね!」

 

 地面に倒れてはいるが、どうやらスペの心は燃えているらしい。

 

 いやでも燃えているのはいいけど、この死屍累々している人たちを一体どうやってトレセン学園に戻らせるんだ?

 

 あれこれ考えていると、先生からメッセージが届いた。

 

『あいつらなら俺の車で送れるぞ』

 

 どうやら心配はなさそうだ……あっ、俺自転車だから自転車で帰らないといけないやん……。

 

「みんな! 先生が車用意しているってさ」

 

「おお! トレーナーの野郎気が利くじゃねえか!」

 

「でもレオくんは? 確か自転車だったよね」

 

「俺は自転車で帰るよ、だから今日はここでお別れ」

 

「そう……帰り道気をつけてね」

 

「あぁ、みんなもまた明日ね!」

 

『お疲れ様(でした)!』

 

 そうして俺はそのまま神社からトレセン学園まで自転車で帰った……って言いたいところだった。

 

   ・ ・ ・

 

「……ココドコ?」

 

 谷崎玲音、高2で道に迷いました。

 

 

 




・レースの日に寝坊したり、道に迷ったりと……玲音は意外と間抜けみたいです。

・次回は迷子回をやる”予定”です。


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ーーを知っている男

 前回のあらすじ:日本ダービーに向けて神社での階段ダッシュが練習に加わる。

・UA108,000突破しました。ありがとうございます!



 ーーコンッコンッ

 

 スペちゃんと一緒に練習の疲れを取っていると、寮の部屋の扉がノックされた。

 

 今の時間としては20時……こんな時間に誰がこの部屋をノックするんだろう。

 

 そう思いながら私は扉を開ける。そこにいたのはここ栗東寮の寮長、フジキセキだった。

 

「フジキセキ? どうしたのこんな時間に」

 

「実は後生寮の未浪さんから、電話が来ていてね。ちょっと出て欲しいんだ」

 

 未浪さんから電話? 一体なんなんだろう?

 

 私は一階に降りて、ウマ娘専用電話機の前に立つ。この電話機を使うのはかなり久しぶりになる気がする……最近はスマートフォンの普及によってスピーカー会話が普通になったからね。

 

「はい、サイレンススズカです」

 

「スズカちゃんかい、後生寮の未浪です! お時間いいかな?」

 

「は、はい……?」

 

 受話器越しから聞こえた未浪さんの声はいつもの温和な感じではなく、どこか切羽詰まっているような声だった。

 

「実はね、こっちに玲音くんが帰っていないんだよ。何か知っているかな?」

 

「……えっ?」

 

 未浪さんのその言葉を聞いた瞬間、私は受話器を落としてしまう。その音を聞いてか未浪さんがこっちを心配して大声を出す。

 

 私は受話器をゆっくりと拾い上げて、再び耳に当てる。

 

「すみません、気を取り乱してしまって」

 

「いいよいいよ……その様子だと、スズカちゃんも分かっていないのかい?」

 

「はい」

 

 落ち着こう……こういう時は焦っても仕方ない。

 

 確か最後にレオくんと別れたのは練習の後、私たちはトレーナーさんの車でトレセン学園に戻ってきたけど、レオくんは自転車だった。なのに戻ってきていない。

 

 この時点で私は真っ先に最悪なシチュエーション。つまり、交通事故を思いついてしまった。

 

 いやいやダメ……こういう時変な方向に考えてしまうとそれが現実になる事だってある。あんまりそういう方向の事を考えてはいけない。

 

 とりあえず私は自分自身で知っている事、最後にレオくんと別れた場所を言い伝えた。

 

「そーかい、あの神社に……少し車を出すかね。情報提供ありがとうなスズカちゃん」

 

「はい」

 

 そう言うと、電話が切れる……私は早足で自分の部屋に戻り、机の上に置いてある携帯を取って、レオくんにメッセージを送る。

 

 反応がない。じゃあ今度は電話を。

 

『おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かない場所にあります』

 

「……やっぱりダメ」

 

「あの、スズカさん。どうかしたんですか?」

 

 事実を話すか話さないか少し悩んだけど、私はスペちゃんにレオくんがトレセン学園に戻っていない事を話した。

 

「た、大変です!? 早く探しに行かないとーー」

 

「待ってスペちゃん。私たちはあそこの土地勘は全くない……行っても行方不明者が増えるだけよ」

 

「そんな!? じゃあ私たちはどうすればいいんですか!?」

 

「何もしない。私たちはレオくんが無事だという事を祈るしかないの」

 

「……」

 

 そう、私たちに出来ることは、レオくんの無事を祈る……それしかできないのだ。

 

   ***

 

「じいや、その話は本当ですか?!」

 

「はい。谷崎様のGPSが更新されなくなっています」

 

 わたくしは今日、玲音さんに耳かきをしてもらおうと後生寮に赴き、受付をしようとした。

 

 しかし後生寮を管理しているおじいさんから、玲音さんが帰っていない事を知らされました。最初は玲音さんの部屋で待っていましたが……一時間経っても玲音さんが来る気配はありませんでした。

 

 ですから一度携帯を取り出し、じいやに連絡を取ってみました。そしてGPS反応を調べてみると……更新が途絶えていると連絡が来ました。

 

「位置としてはトレセン学園からかなり離れたところです。時間としては1時間半前から更新が途絶えています」

 

「そうですか……そうなると、捜索も難しいですね」

 

「念の為消息を絶った付近で緊急搬送があったか調べましたが、特に無いようです」

 

 つまり、大事では無いということ。それが知れただけでもよかったです。

 

 ……いえ、まだ安心はできませんね。事故以外にも要因はあるのですから。

 

「どうしましょうか、一応私が付近を見ておきましょうか?」

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 玲音さん……本当にどうしたのでしょう。

 

 まさか迷子になったとか? 確かにメジロ家の屋敷内で一迷子になったことはありますけど……でもその時とは洒落になりませんね。

 

 わたくしも探しに行きたいですが……わたくしが行ったところでわたくしも迷子になるのが目に見えてますわ。それは昔メジロ家の屋敷内で学びましたわ。

 

「玲音さん……無事を祈っていますわ」

 

   ***

 

 神社を出て数分後、自転車のリアタイヤがパンクした……普通に帰っていたら何かをリアタイヤが踏んだ。その瞬間「フシュー」と何かが抜ける音がしたので慌てて路肩に止めて降りて確認してみると、デカいビスが深々と刺さっていた。

 

 そんなことってあるのかって思った。ほんと運がいいのか悪いのか……直そうと思ったが、もうタイヤ自体がダメになっているので、これは応急処置じゃどうしようもないだろう。

 

 だがしかし、俺は別に焦ることはなかった。今からでも連絡すれば先生に拾ってくれるだろう。うん、やっぱり携帯(スマートフォン)と言う名の文明の利器はもう現代のマストアイテムだな。

 

 さて電話を……そう思いながら、ホームボタンを押したが……んっ? あれれ〜おかしいぞぉ? なんか画面が真っ黒のまんまなんだけど。

 

「……」

 

 うん、落ち着こう。とりあえず……。

 

「動けこのポンコツが! 動けってんだよ!!」

 

 サイドボタンをずーっと押しているが、画面が明るくなる兆候はない。その代わり画面に移されたのは乾電池みたいな枠に少しの赤く点滅しているもの、そしてその下には充電ケーブルのコネクタっぽいものが表示されている。

 

 多分、スマートフォンを持っている人なら必ず誰もが見たことのある……「充電してください」の画面だ。

 

 あ〜、これはあれだわ。

 

「人生オワタ \(^o^)/」

 

 いや落ち着け、まずは『素数』を数えて落ち着くんだ。『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……人に勇気を与えてくれるってどこかの神父さんも言っていた。

 

 1、いや1は違うだろ。2・3・5・7・⑨……ダメだ全然分かんねえ。

 

 だけどそんなバカなことをやって少し頭が冷静になって来た。さて、状況を整理しよう。

 

 まず荷物を確認だ……って言っても学園指定の紺色のジャージのポケットに入っている充電切れのスマートフォンと練習で使ったタオルくらいだが。

 

 そして路肩にはリアがパンクした自転車。直そうにも修理キットはないし、お店は見当たらない。というか仮に店があったとしてもお金がないので多分門前払いだろう。

 

 そしてここは土地勘がない見知らぬ場所……うん、これ詰んでるな。

 

 そもそもお金がない時点でほぼ詰みだろ。公衆電話で電話しようにも金ないし、軽食取ろうとしてもマネーないし……クッソ! 結局この世は金が全てなのか!!

 

 だが本当にどうする。ここまで自転車でかなりの速さで30〜50分の間ずっと漕ぎ続けていたから、歩いたら何分……いや、何時間かかるか分からない。

 

 別に歩いてもいいけど、流石に夕飯も食べれない今何時間も歩くのはある意味命の危機……それに5月の上旬だから深夜はかなり冷えるだろう。

 

「(ぐ〜)」

 

 おまけにもう空腹状態になっているし……これはやばいか?

 

 いや、とにかく食は諦めるとして、寒さを凌げるところを探さないと。ここら辺だったらどこになるんだ?

 

「やばい……漫喫くらいしか思いつかない」

 

 家出とかだったら漫喫は王道の場所だけど……迷子で無一文ってなるとマジでどこに行けばいいんだ?

 

 交番に行くか? って言ってもここから見てもそれっぽいところは見当たらない。

 

「いや待て、確か先生の手描き地図が!」

 

 スマホの地図アプリほど正確ではないかもしれないが、ある程度トレセン学園への帰路は分かる。

 

 そう思い俺はポケットに入れているであろう地図が描かれた紙を……いや待て、ポケットの中はさっき調べたけどなかったじゃないか。

 

 じゃあ紙はどこへ行ったのか。落としたか? いや、落としても結構気付くはず。

 

「……あっ、スマホの地図アプリ使って来たんだった」

 

 なるほど、これが文明の利器に慣れてしまった人の成れの果てか……ゴルシに見せた後、俺はそのまま紙を預けてスマホで調べて神社までナビで来たのだ。ついでに言うと走行中に地図は見られないから音声を聞いて判断していたから、そんなに道のりは覚えていない。

 

 ……これ、トレセン学園に帰れるのか?

 

 道路の看板などを見てみるが、どこにも府中の文字はない。そしてそばに書かれている土地名もどこだよって感じだ。

 

「はぁ……」

 

 頭をぽりぽりと掻きながら思考を巡らせるが……あまり良い考えが浮かばない。

 

 なんか立つのも疲れて来たので、自転車の隣で膝を抱えて座る。こうすれば暖も取れるだろう。

 

「もう良いや、明日になれば誰か見つけてくれるだろ……寝よ」

 

 そう言いながら俺は目を瞑る。

 

 大丈夫、人間は食べなくても数日は生きられる。水は公園とかで補給すればいい。

 

 そうだ明日は駅を探してみるか……駅近辺なら交番もあるし線路沿いで歩いて行けば学園の最寄り駅に着くだろう。

 

 なんだ、ちょっと冷静になって考えたら結構簡単なことじゃないか。さっきまでは全然冷静じゃなかったんだな。

 

「君、どうしたんだい?」

 

 君って自分のことなのか? でも今は太陽が完全に沈んでいて月が空に上がっている時間帯……こんな時間に話しかける人がいるのか?

 

 そう思いながら、俺は顔を上げて声がした方を向いてみる。そこにいたのは4・50代くらいの男性だった。

 

「その服は確かトレセン学園指定のジャージだよね」

 

「……はい」

 

「どうしてこんな離れたところに? もしかして道に迷っていたりとかしているかな」

 

 少し悩んだが、俺は今の自分の状況をその男性に伝えた。

 

 怪しい人だとは思ったが、そんな事よりも助けてくれるかもしれないと淡い期待で頭の中が支配されてしまった。

 

「そうかい、それは災難だったね……よかったら僕の家に来るかい?」

 

「いいんですか?」

 

「このまま置き去りにする訳には行かないよ、ほらこっちだよ」

 

   ・ ・ ・

 

 男性の後ろを付いて行き、男性の自宅らしきところに着いたのだが……そこは一般人が持つにしてはかなりデカい豪邸だった。周りは大理石の塀で囲まれており、玄関だと思った扉はまさかの門、そしてその門を抜けると車庫に洋風の佇まいの家があった。

 

 一応豪邸には慣れているつもりだったがメジロ家の多識以外で豪邸は見た事がなかったので開いた口が塞がらなかった。

 

 玄関を通されてリビングへと招かれるが……何ここ、異国かな?

 

 リビングの広さは簡単に見積もってみても10……いや、15畳くらいはある。

 

 なんかよくお金持ちの家で見るシーリングファンもある、暖炉もある。テレビもかなりデカい。ソファも座りご事がとても良いし、なんか高そう。

 

 この男性……本当に何者だ?

 

「ごめんね、今妻がいないからこんな簡単なものしか作れないけど」

 

 そう言って男性がテーブルに置いたのは明太子スパゲティーだった。

 

 正直食事にありつけるとは思っていなかったので、俺は男性に感謝のセリフを述べてスパゲティーを頬張る。

 

「あぁ、美味い……」

 

 よっぽどお腹が減っていたのか、いつも食べるようなスパゲティーがとても美味しく感じた。

 

 空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ……もうこんなシチュエーションは懲り懲りだが……。

 

「ご馳走様でした。とても美味しかったです」

 

「お口に合ったならよかったよ……そうだ、よかったら家か寮まで送ってあげようか?」

 

 なんて至れり尽くせりなんだろう……断る理由も特にないので、俺はその男性の好意に甘えることにした。

 

 そうして車庫へと移動したが、そこにあったのは某ドイツの高級外車ブランドの電気自動車。値段としては約900万くらいだろうか。

 

「寮暮らしかな?」

 

「はい」

 

「じゃあ後生寮かな。着くまで寝てても大丈夫だよ」

 

「あぁいえ、むしろEQCに乗れる機会なんて滅多にないのでむしろ起きてます」

 

「そう? 分かったよ」

 

 そうして俺は高級電気外車の乗り心地を堪能する……もうシートの乗り心地が最高。横を見れば超スタイリッシュな運転席もあるからマジで見てて飽きない。

 

 だけどやっぱり気になる。何をしていたらこんな良い車に乗れてあんな豪邸に住めるのか。

 

「あのすみません、質問いいですか?」

 

「んっ、何かな」

 

「えっと、職業は何をしていらっしゃるんですか?」

 

「色々だよ。簡単に言ってしまえばウマ娘の専門家だけど、レースの解説やアドバイザー、他にも様々な事をしているよ」

 

「なるほど……」

 

 そう言えば部屋にもウマ娘の写真がたくさんあったな。あれは確かスーパークリークとナリタブライアン。あとは分からなかった。

 

 そうしてまた車内は静寂に包まれる。特に聞きたい事はないし、このまま寮に着くまで沈默が続くと思っていた。

 

 だけど赤信号で車が止まった時、男性はこっちを向いた。

 

「そうだ、僕からも質問いいかな?」

 

 俺は驚いた。だってウマ娘の専門家が俺に質問をするなんて考えていなかったから。

 

 少し困惑しながらも俺は「いいですよ」と応える。

 

「次のダービー、スペシャルウィークとエルコンドルパサーが走るっていう事は知っているよね」

 

「はい……スペとエルが競うなんて、とても複雑な気持ちですけど、でもスペに勝って欲しいですかね」

 

「そうだね、”普通だったら”スペシャルウィークが勝つだろうね」

 

「えっ?」

 

 俺は再び驚いた……だってウマ娘の専門家が、今乗りがいいエルを差し置いて、スペが勝つと言ったのだから。

 

 でもなぜ? スペは確かに強いが、現時点ではエルの方が世間的には強いとされているはず。

 

 だからこそ気になった……普通という単語。俺は何と無くだが違和感を感じていた。

 

「君はスペシャルウィークとエルコンドルパサーが同じレースに走ることをどう感じるかな」

 

「……別に普通じゃないですか? エルは世界を狙っている。だからこそクラシックで一番の舞台であるダービーに出ることで次のレースに繋げる。結構理に適ったことだと思いますよ」

 

 俺は素直に考えたことをそのまま口にした。男性は少し無言でこっちの目を覗き込んでくる。

 

 しかし信号が青になると男性は前を向き、車を発進させる。

 

「ごめんね、変なこと聞いて。今の質問は忘れていいよ」

 

「は、はい……」

 

 そう言われても自分の心の中には、さっきの質問が深々と印象に残ってしまった。

 

   ・ ・ ・

 

「着いたよ」

 

 外を見てみるとそこは後生寮の前だった。そして寮の玄関の扉の付近に未浪さんともう一人、マックイーンらしき人影が見える。

 

 俺は車のドアを開けて、男性に向かってお辞儀をする。

 

「すみません、お世話になりました」

 

「今度から気を付けてね」

 

「はい!」

 

 俺はドアを閉め、学園の門の前に行こうとした……しかしその時、後ろから声が聞こえた。

 

「次のダービーは史実と違う……僕にも結果は分からないよ」

 

「えっ?」

 

 どういう意味か問い出そうとしたが、男性はそのまま車を発進させた。

 

 最後のセリフって……どう意味だったんだ。

 

 その言葉の意味の真意をその場で考えようとしたが、それはやめた。

 

 俺は寮に近づく、するとマックイーンがこっちに気がついたのか、その場から走ってくる。これは受け止める用意をした方が良さそうだ。

 

 俺は左足を少し後ろに下げて、衝撃に備える。

 

「玲音さん!!」

 

 マックイーンは勢いよく自分の体にしがみつく。その衝撃はかなりの物だったが予め備えていたので転びはしなかった。

 

 そして胸で泣きじゃくるマックイーンの頭を撫でながら、俺は謝罪する。

 

「ごめん、マックイーン心配かけたね……ただいま」

 

「うぅ……ぐすっ……」

 

「おかえり玲音くん」

 

「はい、未浪さん。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 

「いいってーーー」

 

「いいんです。あなたが無事に帰って来てくれた事が……一番ですわ」

 

 言葉を遮られて調子が狂ったような未浪さんだったが、マックイーンの言葉を聞いて正にその通りみたいな表情を取った。

 

 この後、未浪さんに迷子になっていた事を報告し帰ってくるまでの事情を説明した。その後未浪さんからスズカに電話をかけた事を伝えられたので栗東寮に電話してスズカに無事を報告、その時隣にスペもいたのかめちゃくちゃ泣きながらも自分の無事を喜んでくれた。さらに部屋に戻った後はマックイーンの耳かきをして、彼女を栗東寮に送ると時間はもう次の日になっていた。

 

 部屋に戻った後、もはやジャージ姿から着替える気にもなれず、俺はそのままベッドにダイブして深い眠りについた……。

 

 

 




・地元39度ってマジすか……マスク熱中症には皆さんもお気を付けて。

・男性の名はMr.T、EQC乗り

・次回は現時点ではライス回かなぁ……(変わる可能性あり)


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迷子になった次の日

 前回のあらすじ:道に迷った玲音だったが、心優しい男性がトレセン学園まで送ってくれた。

・UA109,000・110,000、お気に入り件数900件を突破しました! 本当にありがとうございます!!

・今回は短めです。


 長い長い月曜日が終わった後、世界はいつものように火曜日が始まる。

 

 俺はいつもより早めに目を覚ました。そして自分が着ている服に違和感を感じた。

 

 なんで自分の部屋なのに学園指定のジャージを着ているのか……昨日のことはかなり簡単に思い出し、俺は完全に理解した。

 

 マックイーンを栗東寮に送った後、そのまま力尽きて寝てしまったんだ。

 

「……荷物どうしよ」

 

 俺が一番最初に思ったことは昨日部室に置いてきた鞄や学園指定のブレザーのことだった。

 

 トレセン学園には当たり前のことだが、指定された制服が用意されている。それはトレーナー学科にも当てはまる。

 

 ウマ娘の生徒が来ている制服はセーラー服調だが、トレーナー学科の生徒は男子はブレザー、女子はいわゆるセーラーブレザーというやつだ。

 

 そして登校・下校、廊下での移動の際、男子はブレザーを着る事が校則で決められている。

 

 だからこそ今日をどう乗り越えるか……下はこの時期は冬服のズボンを穿いているが、冬服と夏服のズボンはデザイン的には全く同じものなので、問題ない。だが上に関してはブレザー、そして学年別のネクタイ。この二つは替えがないものであり、着けていないと校則違反になる。

 

 事情を言えば許してくれるかな……というか、それしか方法がないだろう。

 

 今から学校に行って事情を説明……いや、先生だったら教員室かトレーナー室にいるはず。朝のうちに部室を開けてもらって荷物を回収、そして着替えてSHR前に教室に入る……完璧ではないか!!

 

「そうなったら、早速行くか」

 

 俺はとりあえずワイシャツ、夏制服の灰色のズボンに着替えて寮を出る。いつもは肩に学園指定のカバンがあるが、それもないので変な違和感に襲われる。

 

 さらにかなり早い時間に出たのは確かだが、その時間帯くらいに登校してくる生徒は少なからずともいる。チームによっては朝練習を行なっているところもあれば、ただ単に朝早くに来るのが好きな人もいたりと理由は様々だ。

 

 そしてそんな人たちはすごい奇怪なものを見たような目でこっちを見てくるのだ。その視線で俺の心は確実にダメージを負っている。

 

 俺は少し歩くスピードを速めて、なるべく周りと視線を合わせないようにして昇降口……そして教員室前までやって来た。

 

 ドアをノックしていつも通り教員室の中に入る。生徒が入ったくらいでは教員はこっちを向かない。だが一度前を通れば嫌でも注目されてしまうだろう。だから入り口辺りで先生がいるかいないかを見る。身体を限界まで伸ばせばギリギリ見える位置になっているからな。

 

「うぐぐ……先生は〜」

 

「何をしているんだい、君は……」

 

 後ろから声が聞こえ心臓が大きく飛び跳ねた後、俺は反射的に振り向く。

 

 そしてそこにいたのは制服を着たシンボリルドルフだった。

 

 あかん……会いたくなかった生徒ランキング上位の人とエンカウントしてしまった。

 

「どうしたんだいそんなコソコソと……それにブレザーとネクタイは? 分かっていると思うが君は校則違反を二つ犯している」

 

「実は……」

 

 自分は一昨日の長い長い夜のお話を一行に凝縮して説明した。

 

「なるほど、それは災難、そしてよく無事に戻って来てくれたね。だが今日はハナさんとそちらのトレーナーは放課後まで居ないんだ」

 

 オーマイガー……それってつまり放課後までこの格好のまま?

 

 あぁいや落ち着け、先生は基本部室の鍵を事務机の引き出しに入れていたはず。

 

 仕方ない……先生にもちゃんと事情を言ってーーー。

 

「待て、今日は火曜日、試験1週間前だ。鍵は恐らくトレーナー本人が持っているだろう」

 

「あっ、そうか」

 

 トレセン学園はテスト1週間前になると自主練習期間……形式としては試験勉強に集中する期間に入る。ただし今週のレースに出走する(例としてはマイルCS)娘はトレーナーと練習してもいいようになっている。

 

 さらに部室の鍵は基本チームトレーナーが手中で管理するもので、練習がない日は基本持ち帰っているトレーナーも多い。そしてそれは先生も当てはまる。

 

「となると今日はこのままか……」

 

「残念ながらそうなってしまうな、だがちゃんと話せば教員たちも理解してくれるだろう」

 

「それはそうなんですけど……道や同期に理由を聞かれた時に迷子になったからと言うのも少し恥ずかしいというか」

 

「別に本当の理由はぼやかしても大丈夫だと思うがな……それに道くんはそんな人ではない。それは君も知っているだろう?」

 

「……そう、ですね」

 

 シンボリルドルフの言う通りだ。尊野と道とはもう一年以上の付き合いになるが、あいつらは誰かの失敗や恥ずかしい経験を話の出汁に使ったりはしないし、バカにするような言動も取らないはずだ。

 

 その事を気が付かせてくれたシンボリルドルフに俺はお礼を言おうとしたが、次振り向いた時にはシンボリルドルフはそこにいなかった。

 

 俺はとりあえず学年主任や今日教えてくれる教員に迷子と制服のことを話した。「高校生で迷子か」と揶揄されてしまったが、先生が出張に行っている事もあり、許可を出してくれた。

 

 そしてそのまま教室に行くと道が居て、なぜネクタイとブレザーが無いのかを聞かれたので少し事情があると話したら、それ以上は聞いてこようとはしなく、後に来た尊野も最初少し揶揄ったくらいで後は普段通りに接してくれた。

 

 そうして一日を乗り越え、先生が戻って来た時に部室の鍵を開けてもらってブレザーとネクタイも回収した。これでめでたし、めでたし……。

 

   ・ ・ ・

 

 次の日、ウマ娘の教室でウマ娘の生徒に土下座をしているトレーナー学科の生徒が一人いた。

 

「勉強教えてください!!」

 

 

 




・深夜テンションで物語を書くと……次の日に困惑する時がある。電撃大賞は二次落ちでした。

・次回は勉強回(スズカ・ライス)の予定です。


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喫茶店で英語を

 前回のあらすじ:部室に忘れたブレザーとネクタイを回収。

・UA111,000、7話のUAが10000を突破しました。ありがとうございます!

・ライスお姉さまは次回に回します。ユルシテ…ユルシテ……



「……あの、えっ? きゅ、急にどうしたのレオくん?」

 

「勉強を……英語を教えてください!」

 

 ブレザーとネクタイを回収した次の日、俺は帰りのSHRが終わった後すぐにダッシュして幼なじみのスズカがいる教室に訪れた。

 

 同年代とはいえウマ娘しかいない教室……そんなところにトレーナー学科の、それも男子が急にやって来て、いきなり土下座を繰り出したものだから、周りの生徒たちは奇怪な目で俺を見てくる。

 

 だがそれでも構わん、男にはやらなきゃいけない時がある。

 

「英語を?」

 

「うん」

 

「別にいいけど、なんで土下座を?」

 

「(見たことあるマンガでは衣服を脱いでたけど)裏表のない誠意を表明するためだよ」

 

「そ、そう……」

 

 よし、ご教授をなさってくれるということらしいので、俺はゆっくりと立ち上がる。

 

 一応使われている教科書はウマ娘とトレーナー学科で違いがないと言うことは確認済みだ。

 

「勉強は図書室でやるの?」

 

「いや、この時期は図書館が混雑するのは分かっているから……ここに行く」

 

 そう言いながら俺は携帯を取り出し、画面をスズカの方に向ける。

 

「……喫茶店ユリイカ?」

 

「そっ、こっちだったら集中してできると思うんだ」

 

 勉強場所として提案した場所は自分がトレセン学園に来た頃に見つけた近場で穴場な喫茶店だ。

 

 ここの店主がハンドドリップで淹れるブレンドコーヒーはとても美味しく、店主が手作りしているフレンチトーストも中々美味しい。

 

 さらにトレセン学園からだとかなり近いのに全然ウマ娘やトレーナーの生徒、そして学園関係者が訪れない。少し前に行った時黒髪のウマ娘が一人いた程度だ。

 

「おい待て貴様、下校時の寄り道は校則で禁じられているぞ」

 

 スズカの横にすっと現れたのはクラスメートで元チームメイトのエアグルーヴだった。

 

 なんで彼女がと思ったが、そう言えば同じクラスだって言うことをリギルの観察中に言われたことを思い出す。

 

 さらに彼女は生徒会にも所属しているので、寄り道を提案しているようなセリフを聞いていたので堪らず声を掛けたのだろう。

 

「大丈夫だよエアグルーヴ。寮に帰った後に行けばただのお出かけだ」

 

「だが男女二人で出かけるというのは学生としてどうなんだ」

 

「大丈夫よエアグルーヴ。これは勉強を教えるというちゃんとした目的があるし、それに私とレオくんは幼なじみ……ほとんど肉親みたいなものよ」

 

「むっ、言われてみればそう、なのか?」

 

「よかったらエアグルーヴも来る?」

 

「いや、私はこれから図書館で後輩に勉強を教える予定がある」

 

 エアグルーヴはとても面倒見がよく、後輩のウマ娘にとても慕われている。

 

 実際観察期間でもかなり多くの後輩ウマ娘がエアグルーヴに相談したり協力を得ているところを何度も目撃している。そして自分自身も手伝ったので彼女の性格は理解しているつもりだ。

 

「おっと、そろそろ行かなくては……またなスズカ」

 

「またねエアグルーヴ」

 

 エアグルーヴはスズカに手を振ると教室を出て行った。

 

 俺も教室にカバンを置いてこの教室に来たので、先に寮に戻っていてと伝え、集合場所を決め、俺たちは一旦別れた。

 

   ・ ・ ・

 

 カバンを回収し適当な衣類に着替えた後、俺は集合場所に着いた。しかしそこにはスズカの姿はなかった。

 

 どうしたんだろ……まぁ、女の子は準備に忙しいって叔父さんの描いているマンガに書いてあったけど。

 

 メッセージを送ろうか悩んでいると遠くにスズカが見えた。スズカは俺の姿を見つけた後少し駆け足で近づいて来る。駆け足とは言っても自分の全火力全開のダッシュ並みの速さだが。

 

「ごめんねレオくん、お待たせ」

 

「ううん大丈夫、それじゃあ行こうか」

 

 そうして俺とスズカは喫茶店ユリイカに向かう。

 

 何気ない会話をしながら歩いていると、ある時俺の目は彼女の左手首に着けられた翡翠色のブレスレットを捉えていた。

 

「スズちゃん、その左手首のって」

 

「うん、貰ったんだからちゃんと使おうと思って……それにレオくんだって着けてくれている」

 

 そう言ってスズカは俺の右手首を指差す。そこにあるのは着けてきた水晶のブレスレットだ。

 

「結構気に入ったんだ。なんか不思議と力が出るというか……スズちゃんから貰ったからかな」

 

「嬉しい」

 

「俺もだよ」

 

 いつの間にかスズカの左手は俺の右手を掴んでいた。そして俺も右手の力を入れて優しく握り返した。

 

   ・ ・ ・

 

「『先週の日曜日にホテル出た』の場合、それは出ているという意味の原型 leave、さらに日曜日にと具体的な期間があるから現在完了形。つまり使うのは?」

 

「『過去分詞形』の……left?」

 

「うん、正解」

 

 喫茶店ユリイカに着いた後、俺はスズカに当初の通り英語の勉強を教えて貰っている。

 

 正直言って文法などがぱっぱらぱ〜な自分だが、スズカの教え方はとても上手でかなり分かりやすかった。

 

「レオくんは単語と複数になった時のスペルを覚えた方がいいと思う。見た感じ使う言葉は合っているんだけど、細かいスペルミスが目立つから……よかったら、これ」

 

 そう言うとスズカはカバンの中から英単語本を取り出し、それを俺に差し出す。

 

「私のお古だけど、使ってみて」

 

 よく見てみると学校で配られた教材とは別の出版社が出している英単語本だった。

 

 そしてところどころ傷などはある……しかしそこまで汚い感じはない。むしろ綺麗な方だ。

 

「ありがとう……使ってみるよ」

 

 その後英語を1時間やった後、今度は自分が教えられるところ……具体的に言うなら世界史を教えた。まぁ、スズカと俺の世界史の知識はちょっとだけ自分が上だけってだけだが……。

 

「レオくん、ちょっとこのページから問題出して」

 

「ほいっと……んじゃあ『フランス革命の後王権が停止、処刑された国王の名は?』」

 

「ルイ……17世?」

 

「惜しい、正解はルイ16世。マリーアントワネットを妻にしているから「処刑されたのは色男の16世」って覚えると分かりやすいよ。ちなみに17世は」

 

「へぇ……レオくんって世界史得意なの?」

 

「得意っていうか……叔父さんがそういう歴史の本を持っていたから暇な時に見たって感じかな。でも世界史や日本史が出来るよりも、英語が出来るほうがすごいよ。何かコツがあったりとかするの?」

 

「英語は特に基本となる5つの文法を覚えればいいの……それにーー」

 

 そこでスズカの言葉は止まってしまった。俺はその後に言葉が続くと思い、スズカが言葉を続けるのを待っていた。

 

 しかしスズカは首を横に振って、

 

「なんでもないわ……それより問題を出して?」

 

「……あぁ、じゃあ『ルイ16世の処刑後、ロべスピエールをーー』」

 

 スズカがさっき何を言いかけたのか。俺は少しだけ気になってしまい、その後の勉強は少し集中できなかった。

 

 

 




・作中から出題、『ルイ16世の処刑後、ロべスピエールを中心としたグループが革命反対派を処刑するなどして革命を進めた。これを何政治と呼ぶか』

・ウマ娘の寝息ASMR……あれ作っている人最高ですわ。毎日快眠ですわ!

・次はライスシャワー+αのお話の予定です。


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なぜ勉強をする? / 数学をお姉さまと

 前回のあらすじ:玲音はスズカに英語を教えて貰った。

・UA112,000・113,000を突破しました。ありがとうございます!

・尊野……お前出るの3ヶ月ぶりなんだな……。



「なんで俺らは勉強をしなければいけないんだ?」

 

「どうした急に」

「どうしたの急に」

 

 昼休み、いつものように道と尊野で食堂に行き、昼食を取っていると向かいで激辛坦々麺をばくばく食べている。ちなみに自分は豚の生姜焼き定食、道はいくらウニ丼を食べている。

 

 そんな尊野が突然、前触れもなく急に質問をぶつけてきた。

 

「いやマジでどうしたんだ急に、辛さで舌だけじゃなく頭もイかれたか?」

 

「別にこの担々にに辛さや痛みはないだろ」

 

 それはそれでどうなんだろうか……あの坦々麺は学生の罰ゲームで食べる定番メニューとなっているが、罰ゲームで食べた生徒は決まって5・6時限目は保健室にお世話になる事は免れない。

 

 ただ辛いものが好きな一部の生徒からは「ここ以外で最高の激辛を食べられるところはない」と熱狂的な人気がある。実際リギルのエルコンドルパサーは辛いものが大好きで、現在この坦々麺よりさらに辛い料理をリクエストしているらしく、夜な夜な厨房室の裏を通ると目がやられるという噂がある。

 

「いやさ、俺らってトレーナーになるためにこの学園へ入学しただろ?」

 

「セヤナー」

 

「だったら普通の授業を俺らはする意味がないんじゃないか?」

 

「セヤ……いやなんでだよ」

 

「だってさ世界史や地理ができたとしても、それはトレーナーには活かせないだろ?」

 

 あぁ、なるほど。尊野はこう言いたいのか。

 

 『勉強は無駄である』と。

 

 恐らく全国の学生を経験したほとんどの人が考えたことがあるであろうこの問題。

 

 例を挙げるなら「数学を足し算掛け算とかできればいいので、二次方程式や証明は習う必要はない」「日本に永遠にいるから英語は習う意味がない」など、まぁそういうものだ。

 

 そして尊野は世界史が苦手……まぁ簡単に言ってしまえば現実逃避だな。

 

「確かに世界史とかはトレーナーには意味ないかもしれないけど、歴史から学べることもある」

 

「例えば?」

 

「例えば今回範囲になっているフランス革命のルイ16世は民衆の声を耳に傾けずに好き勝手やった結果民衆に不満を募らせ処刑までお追いやられた。他にもこの後にやるアメリカ独立宣言ではーー」

 

「オーケーオーケー……もうお腹いっぱいです」

 

「えぇ、せめて世界大戦まで喋らせてよ」

 

「やめてくれよ……こっちの脳の記憶容量はもうとっくにゼロだよ……」

 

 尊野はなぜだか頭を抱え出した。そんなにキツいものなのか、尊野にとって世界史というのは。

 

「それに普通の勉強だってトレーナーに活かせる事は多いと思うよ?」

 

「……どう言う風に活かせるの、道?」

 

「例えば英語は担当ウマ娘が海外に行くことになって付き添いで行く場合できると楽だし、数学もできれば理論的な考えで指導することもできると思うの」

 

「……確かに言われてみれば」

 

「それにこの学園はアメリカやヨーロッパ諸国から留学するウマ娘も多いから」

 

「あぁ、失礼のないようにって事か」

 

「そっ」

 

 なるほど、尊野は世界史を習う理由を理解したようだ。

 

 まぁ……英語と数学が苦手な俺にとっては心に致命的なダメージを負ってしまったがな……。

 

「た、谷崎!? どうしたんだ口から血を吐いて!? まるでギャクマンガのキャラみたいじゃないか!!」

 

「ふっ」

 

「あっ、そうだ……谷崎くんって英語と数学が……」

 

 隣にいる道にそれを指摘した瞬間、俺の体と周りがセル画になったように真っ白になる。

 

 そして思考も停止する。

 

「谷崎、応答しろ! 谷崎! 谷崎ぃぃいい!!」

 

   ***

 

 お昼休み、ライスは学食でお昼ご飯を取っていました。

 

 本当は同室のゼンノロブロイさんと食べる予定だったけど、チームのミーティングが突然入っちゃって一人で食べることになっちゃった。

 

 でもでも趣味でソロキャンプとかしているから、別に寂しくはない。一人は慣れているからね。

 

 そんな訳でご飯大盛りにオレンジとオリーブ香るにんじんサラダ……にんじんハンバーグ、ウィンナーと目玉焼き。ビーフストロガノフとデザートのイタリアンプリンを平らげてトレーを返却口に戻そうとした。

 

 その時、聞いたことのある声が聞こえてきた。

 

「いいんだ、俺はどうせ赤点回避できればいいんだから」

 

「そんなこと言うなよ! お前は数学や英語が出来なくても立派なトレーナーになれるさ!」

 

「フッ、いい台詞だ。感動的だな……だが無意味だ (^U^)」

 

「あぁ、その言い方は逆効果だよ尊野くん……」

 

「くっ……ばっちゃが言っていた。人生は勉強だけじゃない。最終的に幸せになればいいんだと」

 

「アモスへは言っていた。人生は金が全てだと」

 

「酷いな!? てかアモスへって誰だよ!?」

 

 その方向に近付いてみるとそこに居たのはクラスメートらしき人たちと談笑している玲音くんが居た。

 

 ただその玲音くんの表情はなんと言うか笑っているけど目が笑っていないような……なんとも言えない表情をしていた。

 

 それにしても、玲音くん数学苦手なんだ……。

 

 そうだ……!

 

   ***

 

「えぇ……なんで答えと違うんだぁ?」

 

 放課後、俺は図書館で数学をしていたが……正直もう限界だ。

 

 何度もなんどもナンドモ試験範囲となる『式と証明』とくにその中の二項定理を解くが……全然答えと合わない。

 

「何でだ……必ず小さいところを間違えている。それも毎回別の場所が間違っている」

 

 一つを直したとしても、その後違うところが間違っており、それを直すとまた別のところを間違い。それのループだ。

 

 自分は英語よりも数学が苦手だ。その理由として「方式と答えが決まっている」と言う理由がある。

 

 英語や国語は簡単な言葉に逃げれたり、答えが複数ある。

 

 では社会系や理科系はどうかと言われれば、それはマンガや実験などで楽しくそして自然に学ぶことができる。

 

 しかし数学、そして理科の物理の計算などは地道に地道に数式を立てて行き、たった一つの答えを導き出す。その際ミスは許されないし、数式にバリエーションがあっても、答えは一つにならないのであんまり難易度が変わらない。

 

 つまり俺にとって数学はつまらないものなのだ。

 

 正直昼に尊野が言っていたみたいに、数学って何の意味があるのだろうか。三角比・集合・平方根・因数分解? それが出来て一体何になると言うんだ。

 

 まぁこんな風に言っても、周りから見れば変な奴扱いされるんだろうけど。

 

 さて次の問題を解こう。

 

「……」

 

「あっ、そこ間違ってるよ?」

 

「へっ?」

 

 指差されたところを見てみると、確かにマイナス記号でなければいけないところがプラス記号になっていた。

 

 いや、そんなことより、その間違いを指摘した声は顔見知りのものだった。俺は隣を向く。

 

「ライス……お姉さま?」

 

「えっと、その言い方は〜ちょっとね?」

 

「あぁごめんなさい。ライスさん」

 

 そこに居たのはライスさんだった。

 

 自分が来た時隣は空いていた……ってことは自分はライスさんが来たのに気づかなかったんだな。

 

「玲音くんは数学苦手なの?」

 

「えぇ……まぁ」

 

「よかったら教えてもいいかな?」

 

 自分にとっては願ったり叶ったりの提案なので、俺は「よろしくお願いします!」と心の中では学校中に響くように、実際は小声で囁くように言った。

 

 そして自分は問題を解き、隣でライスさんに教わりながら勉強をした。

 

 自分で解いている時と違って間違えた時点でライスさんが指摘してくれたのでどこが間違えやすいのかが分かりやすくはなった。

 

 ただ数学というのは今はいいにしても、必ず復習しないと頭に入らない。

 

 きっついなぁ……でも頑張らないとな、スペの夢を見届けるためにも。

 

「うん、これだけできれば大丈夫だと思うよ。あとは復習だよ」

 

「はい、本当にありがとうございました!」

 

 勉強道具を片付けながら俺は隣にいるライスさんにお礼を言う。

 

 そうしてそのまま図書館を出ようとしたが、俺の足は止まる。

 

「ライスさん、それって現代文ですか?」

 

「うん。ライスちょっと苦手だから勉強しようかなって思ってたんだ」

 

 へぇ、ライスさんって現代文が苦手だったんだ。なんかちょっと意外、本とか好きそうなのに。

 

「でもでも、今回は評論だから多分大丈夫だと思うけどね!」

 

「そうですか……ではお互い頑張りましょう」

 

「うん、玲音くんもふぁいと、お〜だよ」

 

 そうして俺は図書館を出て、昇降口に向かって歩き出す。

 

 はっきり言って今日はとても幸運だった。まさか数学も見てくれるなど思っていなかったからだ。

 

「絶対、赤点は回避してやる」

 

 俺はそう意気込みながら、寮に戻った。

 

 

 

 (作中関係無しオマケSS 〜高二現代文ライスさん)

 

「じゃあ6段落を……ライスさん読んでください」

 

「は、はい! えっと……『今から一年ほどーーーー人間が目を覚ました時、自分の口は』……う、うさぎさんの……ち、血にまみれ、あたりには……うさぎさんの毛が、散らばっていて……うぅ!」

 

「ら、ライスさん!? だ、大丈夫ですか?」

 

「すみません、すみません……でも、涙が止まらなくて……!」

 

「それじゃあ隣のーーさん、そこから読んで」

 

「分かりました。『これが虎としての最初の経験であった。ーーーー』」

 

「ライスさん大丈夫ですか?」

 

「ロブロイさん……うん、大丈夫。でも授業の小説で泣いちゃうなんて、イケないことだよね……」

 

「そんなことはありませんよ。泣けられるってことは感情移入していると言うことです。それにライスさんは優しいですからね」

 

「ロブロイさん……! あ、ありがとうございます」

 

   ・ ・ ・

 

「よ〜し、今日はいい点をとるぞー。がんばるぞー、おー!」

 

「よし席つけ〜テスト始めるぞ〜」

 

「(うん、漢字や授業で習ったところは大丈夫……問題は最後に出る小説。えーっと……)」

 

『街中でピアノを探しましたが、ここにしかありませんでした。私は明日発ちます、ですから最後に思いっきりピアノを弾いておきたいのです』

 

「……ぐすっ」

 

「んっ? どうしたんだライスシャワー、どこか悪いのか?」

 

「うぅ……すみません……すみません」

 

「(その後も涙が止まらなくて、最後の問題はあまり解けませんでした)」

 

 

 




・夏休み開ける前にダービー行けるかなぁ、無理かなぁ。

・ハーフアニバーサリーのロビーめっちゃかっこいい!(青系が好きな人間です)

・次回は試験後、スペと世田谷のある神社へ行く話の”予定”です。(変わる可能性あり)


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運を上げるためには? / 招き猫に招かれて

 前回のあらすじ:玲音はライスに数学を教わる。そして試験明け……。

・UA114,000・第8話のUAが10000を突破しました。本当にありがとうございます!



 日本ダービー……それは生涯に一度しか参加できないクラシック三冠の2戦目。

 

 トレセン学園に入る娘の中には、この大一番のためだけに入学し、参戦を願い勝利へ焦がれる娘もいる。それほど日本ダービーを勝利するという栄光は、全ウマ娘にとって特別なものなのだ。

 

 そしてこの日本ダービー、世間では「最も運のいいウマ娘が勝つ」と言われている。

 

 その理由としては昔、皐月賞や菊花賞と比べて大人数のレースになりやすく、その数は二十数人、最高は30人まで行ったことがあり、そんなレースで大外枠を取ってしまえば勝つことはほぼ不可能だった。

 

 ただし現在ではフルゲートは18人という制度が設けられ、前よりは運の要素は少なくなった。

 

 しかし完璧に無くなった訳ではない。枠番の内外はもちろんのことだが、レース場のバ場状態、天候などその全てが自分自身に有利になるように運を高める。そのために涙ぐましい努力を重ねる。

 

 ダービーとは強いだけでは勝てないレースであり、運を呼び込むだけの準備をして来られたウマ娘が勝つ……現在ではそう捉えられている。

 

  ・ ・ ・

 

「運を呼び込む方法……ですか?」

 

 試験が明け、ダービーに向けての練習が再開された。

 

 スペはあれから何度も何度も階段ダッシュを行い、ピッチ走法を体に沁み込ませながら、東京レース場の長い直線を攻略するためにロングスパートの練習もしている。

 

 そして練習が終わり、階段に腰掛けているスペにスポーツドリンクとタオルを渡しながら、俺はある提案をスペに出してみた。

 

「そっ、ちょっと見てみて」

 

 スペは俺が用意した紙の内容を確認する。ついでに隣にいたスズカと、ちょっと足を捻って背中で負ぶって運んでいたテイオーがその紙を覗き見る。

 

 そして段々と……3人の顔が何とも言えない微妙な表情になる。テイオーに関しては「えぇ〜」と声を漏らしている。

 

「ねぇねぇ玲音これって何なの〜?」

 

「運を上げる方法だけど?」

 

「えぇ〜これが〜?! これのどこが運を上げる方法なのさ!?」

 

 そう言ってテイオーは自分が書いたところをトントンと指で叩く。そこに書かれていることは、

 

・あいさつ

・ゴミ拾い

・部屋そうじ

・道具を大切にする

・職員さんへの態度

・プラス思考

・応援されるウマ娘になる

・本を読む

 

 この8つだ。

 

「すみません玲音さん。私もテイオーさんと同じでこれと運がどう結びつくのか分かりません……」

 

「私も……レオくん、これはどういうことなの?」

 

 まぁこんな風な反応されるのは予想していた。

 

 だから俺はポケットから携帯を取り出し、インターネットを起動しある記事を3人に見えるように見せる。

 

「この人知っているか?」

 

「この人って……確か最近メジャーに挑戦しに行った野球選手だよね?」

 

「そう。試験が終わった後に運を高める方法を調べていたんだけど、そうしたらこの人に当たってね。ちょっと詳しく見てみたんだ」

 

 運というのは辞書で引いてみると『その人の意思や努力ではどうしようもない巡りあわせ』と出るのだが、この選手はそう考えずに『努力によって引き寄せることができるもの……偶然の産物ではなく必然の産物である』と考えているのだ。

 

 実際その行動をしているところは野球中継のカメラや取材陣のカメラで捉えられている。そして日本でプロ野球選手になりメジャーへ挑戦しに行っている。

 

 つまり、効果はあるのだ。

 

「やらないよりかはいいと思うんだ……はいこれ」

 

 そう言って俺は寮から持ってきた本を取り出しスペに向かって差し出す。

 

 自分が卓球をやっていた時に読んでいたメンタル関係の本とポジティブシンキングに関する読みやすくかつ、書いてある事も理解しやすく、実践もしやすい。

 

 多分だがレースにも応用することができるだろう。

 

「えぇ〜スペちゃん、流石にこれは嘘臭いと思うよ〜?」

 

「そうですね……でもーー」

 

 スペは自分が差し出した本を両手で受け取る。

 

「やれる事は、やっておきたいです!」

 

 笑顔で……しかし真剣な眼差しでそう言うスペに、テイオーは何も言えなくなっていた。

 

 さて、目標のブツを渡せたし先生の車に向かおうか。そう思って先生にメッセージを送ろうとした……その時、メジャーリーグに行った日本選手の画像の下に出てきた広告に俺は目が止まった。

 

 そしてその広告をタップして別サイトへジャンプする。そこに書かれていた紹介記事を見て俺はピンッときた。

 

「なぁスペ、もしよかったらさ……」

 

 俺はその記事をスペに見えるように見せる。

 

「パワースポットにも行ってみないか?」

 

「エッ!?」

「っ……」

 

「ぱわーすぼっと、ですか?」

 

 自分が見つけたそのパワースポットは世田谷にあるお寺だ。

 

 なんでもそこは招き猫の発祥の地ということらしい。招き猫と言えば幸運の象徴、とても安直ではあるけど、昔から縁起物として扱われてきた物の発祥の地という事はかなりのパワースポットなんだろう。

 

「面白そうですね! 今週の日曜日にしますか?」

 

「そうだな、この前と同じ時間に駅で」

 

「はい、分かりました!」

 

 ……そういえばこの学園に入って誰かとお出かけしたのってマックイーンとスズカ、そしてスペになるのか。

 

 まぁそう言ってもまだ2回目だし、1回目に関してはダイエットというちゃんとした理由があるし、今回も日本ダービーのためだからお出かけとは少し違うと思うけど。

 

「ねぇレオくん、この前って前もスペちゃんとどこか出かけたの?」

 

「あ〜ボクもそれ気になる〜」

 

「スピカでスペのダイエットを手伝った時があったでしょ? その時に自分でもできるダイエットとしてハイキングに誘ったこともあるんだ」

 

「そうなのね……」

 

「へ〜そーなんだー」

 

 そういうスズカは少し物悲しそうな表情をし、テイオーはなんか不満そうな顔をしていた。

 

   ・ ・ ・

 

 そして次の日曜日、俺は学園の最寄り駅に先に来ていた……のだが。

 

「なんでここにいるの、テイオー」

 

 そこにいたのはテイオーだった。

 

 すごい自然とスペとの待ち合わせ場所に一番に来ていたのだ。

 

「だって玲音とスペちゃんだけお出かけするなんてずるいじゃん!」

 

「ずるいって……そんな子どもじゃーー」

 

 いや待てよ? テイオーって確か今は中学一年生だよな。てことは子どもに近いってことになるのかな。

 

 マックイーンが中2にしてはかなり大人びているから少し感覚が麻痺しているが、中1は一年前なんかまだ小学生だったんだ。テイオーのこの反応はある意味正しいのかもしれない。

 

「分かった、ただ交通費とお昼ご飯代は自腹だからな?」

 

「もう、それくらい分かってるよ!!」

 

 そう言うとテイオーはポーチから折りたたみ財布を取り出して、中に入っている樋口さんを見せてくる。

 

 まぁ五千円もあれば大丈夫だろう。それに一人二人増えたとしてもそこまで支障はないだろうし、スペからしたら男性と二人きりって訳じゃなくなるから心も楽になるだろう。

 

「玲音さーん!」

 

 そう考えているとスペの声が聞こえた。よしちょっと予想外だったけど、3人で世田谷へーー。

 

「おはよう、レオくん」

 

「……おはよう、スズちゃん」

 

 訂正、4人になった。

 

   ・ ・ ・

 

 まさか本当に2人増えるとは驚いたが、当初のスケジュール通りに俺たちは最寄り駅を出発した。

 

 スペとテイオーは座席に座っており、俺とスズカはつり革を使って立っている。

 

 スペは俺が用意した本を読んでいる。開いているページはもう半分になっている……結構読むの早いのかな。

 

 テイオーはずっと視線を窓の方に向けている。あまり電車に乗っていないのだろうか尻尾がゆさゆさと楽しそうに揺れている。

 

 そしてスズカは……ずっと無言でこっちをじーっと見ている。

 

「(えっ、なんで? なんでそんなじーっとこっちの顔を見てくるの?)」

 

 けど理由を聞いてみたいけど、直接言うわけにも行かないし……そう悶々しながら俺は車内ビジョンを眺めるしかなかった。

 

 そんな風にして車内ビジョンを見ていると今日行われているオークスに関する記事(ドキュメント?)が流れていた。

 

 なんでも過去のオークス特集ということらしく、そこに映っていたのは……メジロドーベルだった。それもどうやら去年のオークスらしい。

 

 東京レース場のラスト200mで3人横並びしていたが、ドーベルは加速して2人をぶっちぎった。

 

 ……そういえばトレセン学園に上がった時、ドーベルがマックイーンと一緒にやって来て「よかったら観に来てよ」って誘われたことがあったな。

 

 ただその時は『メジロ家の関係者』として誘われたので「自分はメジロ家との関係者ではないから」と断った。ただし、オークスは絶対に観に行くと宣言した。

 

 まぁその日は熱を引いてしまって、ただでさえ男嫌いで距離を取られていたのにさらに距離を取られて次のレースにも「あなたは来ないで!」って言われて実際に護衛に監視されてて観に行けなかったからなぁ。

 

「レオくんどうしたの? そんな遠くを見るような目をして」

 

「あぁいや、ちょっとね……」

 

『次は平大前、平大前です。お出口は左側です』

 

 俺たちが乗っていた電車は乗換駅に着く。ここから各駅で3駅乗った後に別の私鉄に乗り換えてまた3駅行ったところが今日訪れるお寺の最寄り駅だ。

 

 読書に集中しているスペと景色に夢中になっているテイオーに「そろそろ降りるよ」と伝える。

 

   ・ ・ ・

 

「私、お寺に来たの初めてかもしれないです」

 

「俺もあまりお寺には来たことないかな」

 

「えっ、そうなの?」

 

「そういえば北海道の地元にもあんまりお寺はなかったっけ……」

 

 お寺の最寄り駅に着いてお寺に向かって歩きながら軽い雑談を交わす。

 

 そういえばお寺だから神社とは参拝のルールが違ったりとかするのかな。

 

 まぁそんなに気にすることじゃないと思うが……そう思って携帯を取り出してお寺の参拝方法をネットで調べ……ようとしたのだがひょいと携帯を取られた。

 

 そして目の前には耳を後ろに倒して不機嫌そうにしているテイオー。

 

「もう、ボクやスペちゃんたちと一緒にいるのにスマホを見るってどういう神経しているの!」

 

「えっ、いや……お寺の参拝方法をーー」

 

「言い訳無用! 今日はスマホ禁止だからね!!」

 

 そう言ってテイオーは携帯を返してくれるが、ホームボタンを押しても画面が表示されない。どうやら電源を落とされたらしい。

 

 まぁお寺までの道のりならあっちこっちの電柱や旗などに招き猫が描かれているから大体の方向は分かるが……。

 

「どうしたんですか〜! 置いていきますよ〜?」

 

 先に進んでいたスペとスズカが後ろを振り返りかなり後ろにいる自分たちに声をかける。

 

 それを受けて俺とテイオーは少し駆け足で2人の後を追った。

 

   ・ ・ ・

 

 歩いて大体10分くらい、お目当てのお寺らしきものが見えて来た。

 

「昨日友達に聞いてみたんだけど、どうやらお寺と神社では参拝方法が違うらしいの」

 

「へぇそうなのか」

 

 スズカの話では門の敷居は踏まずに右足から入る。お賽銭を入れた後一礼・合掌をし、お焼香というものをする。神社では二礼二拍一礼をするが、寺院は合掌し祈願、そして一礼をするなど細かいルールが違うらしい。

 

 そうしてでっかい門の前まで来たのでさっきスズカが言っていた通りに右足から敷地を踏まずに境内に入る。

 

 そしてそのまま歩き香炉と呼ばれる線香を立てるところまで歩く。ライターと線香が用意されており、それで火をつけろってことなんだろう。

 

「ちなみにお寺によってお参りの仕方がかなり違うらしいわ」

 

「へぇ……」

 

 返事を返しながら線香を香炉に立てる。

 

 左にはご立派な三重塔、そして目の前にあるのは区の指定有形文化財にも選ばれた仏殿がある。そこで賽銭を入れて、祈願をする。

 

 そうだな……『何事もなくダービー……そしてこの一年が終わりますように』。

 

 まぁ、寝坊したり迷子になったり色々あったが……多分もうここまで不運なことは起きないだろう。

 

「玲音さんは何を祈願しましたか?」

 

「何事もなくダービーが終わりますようにって。スペはダービーで勝つとか?」

 

「はい!」

 

「ちなみにボクはカイチョーを越えるウマ娘になる! って祈願したよ!」

 

「テイオーらしいな……スズは?」

 

「私は……次に出るレースで最高の景色が見れますようにってお願いしたわ」

 

 なるほど……各々の祈願はちゃんと行われたようだ。

 

 ちなみにここは賽銭箱が建物の中にあるらしく、賽銭は小窓を開けて入れるみたいだ。結構違和感があるけど。

 

 そして俺たちは仏殿を離れて目的地である招福殿へやって来た。

 

「すっごーい! 招き猫がこんなにも!?」

 

「これ、一体どんだけの招き猫がここにあるんですか!?」

 

「一応約1000体って言われているな」

 

 そこにあったのは大小関係なくびっしりと置かれている(奉納されている)招き猫たち。

 

 1000体と言われてはいるが、多分それ以上あるんじゃないか? そう思うくらいには迫力があった。

 

 ちなみにこの招き猫たちは客人が買って、かけた願いが叶った時にこのお寺に返すのだという。そうすることでさらにご利益がいただけるといわれている。

 

「おっ、この招き猫ボクっぽい!」

 

「あっ、こっちにはスズカさんらしき招き猫さんが!」

 

「その隣はスペちゃんみたいね」

 

 などとはしゃいでいるが……招き猫ってほとんど同じ顔じゃないか?

 

 そう思いながら近くにある招き猫たちを見てみるが……うん、同じだ。

 

 というかこのお寺で売っているんだから個体差はあまりないと思うが。

 

「玲音によく似ている招き猫は〜」

「玲音さんに似た招き猫さんは〜」

「(レオくんに似ている招き猫……)」

 

「「「これ(です)!」」」

 

 どうやら3人は自分に似た招き猫を見つけたらしい。似てないとは思うが一応3人が指差している招き猫を見てみる。

 

 ……やっぱりどう見ても同じ顔だった。こういうのって女性の方が細かく感じ取れるものなんだろうか。

 

 あっ、だったらスピカの部室に置こうと考えていた招き猫、この3人に決めてもらおうかな。

 

 そう思い全員でこのお寺の事務所に寄る。ここで招き猫が売られていると昨日寝る前にネットで確認している。

 

 そして3人は一緒にどの子がいいか慎重に決めている。その様子をお寺の職員が見守っている。

 

「この子はどうですか?」

 

「おぉ! いいね!!」

 

「うん、いいと思う」

 

 どうやら決まったらしいので、俺はスペからその招き猫を受け取り会計を済ませる。

 

 そしてその子はスピカの守り神的な存在として部室に君臨するのだった。

 

   ・ ・ ・

 

「よし、じゃあそろそろお昼ご飯にするか」

 

「はい……あれ?」

 

 時間としては11時半を過ぎたくらいでお昼にはちょうどいい時間だ。

 

 招き猫をゲットし祈願も終了した自分たちがここに残る理由はないに等しい。

 

 しかしスペは振り返って、何も言わずにまた招福殿の方へと走って行った。

 

 俺たちは困惑したがすぐに後を追った。そしてそこにいたのは……セイウンスカイだった。

 

「セイウンスカイさん!」

 

「おや。おやおや〜? な〜んでこんなところにスペちゃんがこんなところにいるのかな〜……まぁ目的なんて一つだろうけど」

 

「セイウンスカイさんも祈願ですか?」

 

「そうだよ〜、次のダービーは運が肝だからね……私自身、猫が好きだからって理由もあるけど」

 

 なるほど、次のライバルの姿が見えたから走ったってことなのか。

 

 そしてこんな風に自らライバルの前に出たのだ。やることと言えば一つだろう。

 

「セイウンスカイさん、次のダービー、絶対に負けませんから」

 

「おりょ? スペちゃんが真っ向から宣戦布告だなんて……なんかあったのかにゃ?」

 

「次のダービーはトレーナーさんと玲音さん……そしておかあちゃんとの約束が掛かっているんです。だから、絶対に私が勝ちます」

 

 この時、セイウンスカイの顔はすごく涼しそうな顔をしていた。しかし実際は眉をピクリと動かし胸を自然と張っている。

 

 つまり同期の宣戦布告に対して……明らかな闘志に対してセイウンスカイは緊張しているのだ。

 

「へぇ、あんなに優しかったスペちゃんがこんなになっちゃうのか。やっぱり今年のダービーは簡単には行かなそうだね……」

 

 そう言うとセイウンスカイは一歩二歩とスペの方に歩み寄る。

 

 そして自分の手をスペに向かって差し出す。

 

「受けて立つよ、その宣戦布告」

 

 その言葉を聞いた瞬間、スペは差し出されたセイウンスカイの右手を同じく右手で握る。

 

 そしてお互い顔を向けあった……まるでお互いの瞳の奥にある熱い闘志の炎を見るめるように。

 

 そのまま時が30秒くらい経って、お互い手を解いた。

 

 そしてスペはこっちに戻ってきて、セイウンスカイは招福殿の方に歩き……またこっちの方へ振り返った。

 

「スペちゃん!」

 

「っ?」

 

「”セイちゃん”」

 

「……えっ?」

 

「もう出会って2ヶ月以上経つんだからさ、さん付けはやめてくれると嬉しいかな〜? 同期で、かつライバルでもあるんだしさ」

 

「……うん、分かったよセイちゃん!!」

 

「私はダービーもヌルッと一着取るからね〜」

 

 そう言うとセイウンスカイは招福殿の奥へ消えて行った。

 

 

 




・トウカイテイオーでAランク行ったり、ラインミュージックでウマ娘の楽曲(2021リマスター)が解放されていたり、MachicoさんのASMRが最高すぎたり……今週は最高だった。

※夏休みの宿題をするため投稿を少し開けます。31日に出せたらいいなと考えてます。(夏休み終わりにするタイプです)

・次回はダービーに挑むお嬢様を偵察するお話の”予定”です。


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偵察 〜 Where is the Halo ? 〜

 前回のあらすじ:玲音はスペ・スズカ・テイオーと世田谷にある招き猫の発祥の地であるお寺に訪れる。そこで偶然会ったライバル・セイウンスカイにスペは宣戦布告をした。

・UA115,000・116,000を突破しました。ありがとうございます!

・勉強\(^o^)/オワタ

※この作品ではキングはチーム・アスケラに所属している設定です。



「……なんだこれ?」

 

 いよいよダービーの週になったこの日、俺は早めにスピカの部室に訪れて掃除をしていた。

 

 しばらくすると先生が部室の中に入ってきた。そして入った瞬間にこの部室の違和感に気がついた。

 

 先生はロッカーの上を指差す。その指の先にあるものは招き猫だ。

 

 一昨日の土曜日まではなかったものが突然現れたのだ。そりゃ疑問に思うはずだ。

 

「あぁそれですか? この前スペとスズカとテイオーで世田谷行ったんですよ、そのお土産です。ちなみに名前はムギです、名前はあります」

 

「名前もう決めてあんのか……その名前の理由は?」

 

「スピカっておとめ座のα星の名前ですよね。そしておとめ座は麦を持っている……そこから取りました」

 

「意外としっかりと考えているんだな」

 

「自分の叔父がマンガ家なんでネーミング一緒に考えたりとかしてるんですよ」

 

 その癖が抜けないのか分からないが、ゲームとかで主人公の名前を決めるときかなり悩んで決めたりとかする。

 

 某アトラスのRPGとかは主人公以外にもヒロインの名前やクラスメイトの名前を決められたので名前決めで30分以上使ったのはいい思い出だ。

 

「えっ、お前の叔父さんマンガ家なの?」

 

「えぇ、東蜜甘江って言いますけど」

 

「えっ!? あの人が東蜜甘江さんだったのか!?」

 

 おっとこれはファンだった人の反応。生きている中で10人くらいは見てきた。

 

「『NOTE』や『ひこうき雲に導かれて』、『日食の娘』を描いてる?」

 

「あぁはいその東蜜です」

 

 先生が今取り上げた三つはそれぞれ初作品(人気No.1)・人気No.2・現在連載中のマンガだ。

 

 叔父さんはマンガ家としては普通に成功している人だと思う。アニメや実写映画(成功した、失敗もあるけど)も作られていて、持っている家が一軒家なのと乗っている愛車が外国車(イギリス製)であることが物語っている。

 

「まじか……今度サインもらっとこ」

 

「先生甘江を知ってるんですね」

 

「おう、初作品からずっと見てるぞ」

 

 ほ〜、初作品から見ているって人はこれで2人目だ。ちなみに1人目は中学校の担任の先生。

 

「っと、そんな事を話したいわけじゃなかった」

 

 こほんと咳払いをし、真剣な顔になるトレーナー。これはちゃんとしたお話だと思い、俺は一回箒を立て掛ける。

 

「お前には皐月賞の時同様、偵察を行ってもらう」

 

 やはりそうだった。ダービーまで1週間を切って、先生が真剣な顔をして頼んでくるのだからレース関係……そして前の偵察もこの時期だったのでまた偵察を頼むのだろうと予想はできた。

 

 ただこの前偵察した人物……セイウンスカイの偵察に関しては何というか、トレーニング6割、4割昼寝または猫と戯れるもしくは釣りに行くとか……はっきり言ってこれが皐月賞に出ようとしているウマ娘なのだろうかと内心すごく疑った。

 

 だけどそれがある一つの作戦だとうことを俺はある日に知った。

 

 息は切らしているがその額には汗をかいていなかったり、1人でいる時などに皐月賞やレースの話などは全然しなかった。

 

 詰まる所、セイウンスカイは俺という偵察がいる間、ずっと本気で走ろうとはしなかったのだ。それによりセイウンスカイのデータはなかなか取れず、この前みたいな結果に繋がった……つまり、自分の偵察不足だ。

 

 しかしそれは偵察がいる時は本気を出さずに初GⅠ、クラシックの初戦で本気を出すというセイウンスカイの策にまんまとかかってしまったと言ってもいいだろう。

 

 だから今度の偵察は……しっかりとやる。

 

「分かりました、またセイウンスカイですか?」

 

「いや、また行ったところでお前がいるところではあいつは本性を出さない。それに要注意人物だということはあの皐月賞でよく知れた」

 

 そうなるとエルだろうか……でもエルのすごさはリギルの観察の時に肌で感じている。

 

 成長スピード・レースセンス・基礎能力……彼女の口癖的に言うなら、全てが世界級だ。

 

「エルコンドルパサーも確かに強大なライバルになるが……玲音が今回偵察してもらいたいのは、こいつだ」

 

 そう言って先生は胸ポケットから一枚の写真を取り出す。そこには1人のウマ娘が写っていた。

 

 そしてそのウマ娘に見覚えがあった……いや、むしろ今回のダービー、エルやセイウンスカイで隠れてしまっているだけであって彼女も大きなライバルになるに違いない。

 

「キング、ヘイロー」

 

 弥生賞では3着、前回の皐月賞ではスペから逃げ切って2着……この結果だけ見れば、クラシックを戦うウマ娘としては申し分ない結果だ。

 

 むしろなぜ世間はキングヘイローに目が行かないのか。この前出ていた日刊ウマ娘で出されたファン投票では四位だった……正直、皐月で2着を取ったのにそこまで評価されていないのはなぜだろう。

 

「ただ、困ったことがあってな……」

 

「困ったこと……ですか?」

 

「キングヘイローはアスケラに所属しているんだが……最近チームの練習には参加していないらしいんだ」

 

「えっ、こんな大切な時にですか?」

 

 ダービーまでは残り一週間を切っている。それなのにチーム練習に参加していない?

 

 スペやグラス・エルと会う時、キングヘイローとセイウンスカイが基本セットになっているので、キングヘイローのことは分かっている。

 

 そこまで長く話した訳ではないが……普段のやりとりを見ているだけでも、キングヘイローという娘が練習を無断でサボるような性格ではないことは分かる。

 

 というかこれをそのままスペに話したら絶対信じないだろうな。それくらいキングヘイローはしっかりした娘だ。

 

 なんかの間違いなんじゃないか……しかし先生の表情を見るにどうやら本当みたいだ。

 

「だからお前に任せたいのは偵察というよりも調査だ。キングヘイローの現在の状態を確認して欲しい。

 

「それは……結構骨の折れる任務になりそうですね」

 

 とはいえ、やっぱり俺も気になり始めていた。

 

 あんなにしっかりとした子が練習をしていない……そんなことはあるのだろうかと。

 

   ・ ・ ・

 

「キングちゃんが今日学園に来ていたか……ですか?」

 

「そう、今日来てた?」

 

 とりあえずまずはキングにかなり近い存在であるスペに話しを聞いてみる事にした。

 

 スペはキングヘイローとはクラスメート……何か大きな変化があれば気付くはずだ。

 

「はい、来てましたよ?」

 

「どこか変わったところとかなかった?」

 

「別に普通でしたよ? というかなんで玲音さんがキングちゃんのことを問いかけるんですか?」

 

 俺は本当のことを言おうとしたが……すぐにその考えを捨てた。

 

 もし本当のことをスペに言ったらどうなるか。スペは間違いなく心の隅や頭の隅にキングヘイローが練習に参加していないという印象に残ってしまう。それはスペのコンディションを乱す要因の一つになる可能性がある。

 

 だから俺は先生にキングヘイローのことを調べて欲しいと言われたとだけ言った。

 

「あの、キングちゃんじゃないんですけど……グラスちゃんが少し悲しそうな顔をしているのは見ています」

 

「グラス……あぁ、そっか」

 

 グラスは脚を怪我している。同世代の中で走らないのはグラスだけなのだ。

 

 自分以外がダービーに出て、自分は外から傍観することしかできない……それはどれほど辛いものだろうか。

 

 まぁ、それを分かっていても俺に出来ることなんて何もない。悔しいことに。

 

「……そういえばキングちゃん、帰りのSHRが終わったらすぐに教室を出ていったような……練習熱心ですね、私もキングちゃんを見習って頑張らないと!」

 

 帰りのSHRが終わったらすぐに教室を出ていった?

 

 おかしい、キングヘイローはチームの練習には参加していないはず。なのに教室をすぐに出ていった?

 

 これは……ちょっと気になる矛盾点だな。

 

   ・ ・ ・

 

「では連絡事項は以上です。学級委員号令をお願いします」

 

「起立、礼、さようなら」

 

『さようなら』

 

 帰りのSHRが終わった後、俺はゆっくりと鞄を持とうとした。

 

 その次の瞬間、後ろかたドタンガコン! と何か大きな音が立ち俺はびっくりして反射的にその音がした方向に振り向いた。

 

 そしてその音の正体は……尊野が慌ただしくカバンを掴み取ってダッシュでこの教室を去って行く音だった。

 

「な……なにごと?」

 

 なんで尊野はあんなにもダッシュでこの教室を出たんだ?

 

 訳がわからないまま口をあんぐりと開けていると、隣に道がやってくる。

 

「今日もやったんだ、尊野くん」

 

「へっ? 今日”も”?? 昨日もやったの?」

 

「谷崎くんは帰りのSHRの時にお腹壊してお手洗いに行ってたから知らないと思うけど、昨日も尊野くんは同じようなことしたよ」

 

 マジか……確かに昨日はお腹を痛めたけど、でもこんなうるさいことを昨日も行っていたのか。

 

 尊野の入っているチームって時間に厳しかったりするのかな。いや、でも前まではこんな感じではなく、むしろ俺よりも教室に出るのが嫌だったはずだ。

 

「尊野くんも気合入っているのかな……私も頑張らないと」

 

「俺も……っつっても、偵察だけどな」

 

「えっ、谷崎くん偵察頼まれているの?!」

 

 すごい意外な事を聞いたというような表情をする道。えっ、何に驚いているんだ?

 

「偵察なんて3年の……それもトレーナーとして認められた生徒でもやらせてくれるかくれないかくらいの大仕事なんだよ!?」

 

 ……あぁ、なるほど。

 

 リギルの観察を行っていた時に同年代の生徒から嫌な目で見られていたのは、「2年生でもう偵察しやがって」って目だったのか。

 

「スピカとリギルの考え方が根本的に違うだけなんじゃないかな。うちは実戦と経験が第一と考えているし」

 

「確かにリギルは数値や理論の方が多めだけど……それでもすごいね、谷崎くん」

 

   ・ ・ ・

 

 今日はチーム・アスケラを視察しに来た。ちなみにチームトレーナーには視察に行くということはあらかじめ昼休みの時に言いに行った。

 

 アスケラのチームトレーナーは少し歳の取った優しそうな顔をしている眼鏡をかけたおじいさんだ。

 

「アスケラは主にGⅡやGⅢなど様々な重賞に積極的に参戦するようにしている。ここにいるのはみんな輝ける原石たちだ」

 

「GⅠもよく出ているんですか?」

 

「そりゃあ勿論、一戦に2人は出てるよ……キングさんと一緒に走っているのは、あの子だね」

 

 トレーナさんが指差したので俺はその先をずっと追って行く。そしてそこにいたのは茶褐色の長い髪に特徴的な白色の前髪、その娘の走りはかなり綺麗だった。

 

 トレーナーさん曰く、弥生・皐月賞では5着、その間に出走したGⅢでは2着となかなかの戦績らしい。

 

「正直、あの娘がチーム練習に参加してこないのは僕自身が驚いているんだ。どこで何をしているのか……」

 

「探しに行ったりとかしないんですか?」

 

「この老体じゃあ少しキツいねぇ」

 

 確かにキングヘイローがどこにいるのかも分からない。この学園の周辺かもしれないし、街の端っこかもしれない。

 

 その場合探しに行くのはかなり老体にはキツいものがあるだろう。だけど別に本人が探さなくてもいい。

 

「アスケラにいる学生トレーナーに頼まないんですか?」

 

「それも勿論考えたよ。けど、同じくして練習に参加していない者に頼むというのは無理なことだとは思わないかね?」

 

「……えっ?」

 

 トレーナーにそう言われて、俺はトラック全体をよく見てみる。そしてそこには尊野の姿は見えなかった。

 

 でも、それはおかしいはずだ。だって今日尊野は誰よりも早く教室に出て行ったはず。なのにここには来ていない?

 

 これはどういうことだ?

 

「そうだ、君は尊野くんとクラスメートだよね?」

 

「は、はい」

 

「練習に参加するように、君からも言っておいてくれないかな」

 

「……分りました」

 

 その後もアスケラのチーム練習が続いたが……キングヘイロー、そして尊野の姿が現れることはなかった。

 

 これは明日教室で問いただしてーーいや、待てよ?

 

 キングヘイローと尊野は同じチーム・アスケラの所属している。そんな2人が同じタイミングで練習不参加……これって関係性があるんじゃないか?

 

 それに尊野は練習に参加しないのにあんなに急いで教室を出て行った。普通にサボるだけなら別に急ぐ必要もない、なのになぜ急いで教室を出た?

 

 発想を逆転すれば、練習に参加しないから急いでいた……ならその用事は? 第一の前提として家の事情という可能性は低い、それならトレーナーに報告しているはずだ。

 

 新作のゲーム……違う、それなら1日でいい。2日休むようなことじゃない。

 

 それじゃあ残る仮説は……いや、下手に仮説を立てるよりかは実際にこの目で確認した方がいいに決まってる。

 

「(……明日、後をつけてみるか)」

 

 

 




・もう学校再開かよ。イヤダ…イヤダ……アツイヨ~。

・3rdライブ2日目めっちゃ楽しみですなぁ。

・次回は次の日の放課後、後編(扱い)のお話です。


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今まで通りってわけには行かないのよ

 前回のあらすじ:練習に参加しなくなったキングヘイローの調査をトレーナーから任された玲音は色んな人から話しを聞き、事実を確かめるためにクラスメートの尊野の後をつけると決める。

・UA117,000を突破しました。ありがとうございます!



 次の日、いつもの学校生活が終わりそのまま帰りのSHRとなる。

 

 そして昨日と同じく、尊野は誰よりも早く教室を出て行った……さて、俺も行くか。

 

 今日、本来であればダービーに出走するウマ娘たちのインタビューが行われて、それにスペが出るから付き添いでこの学園にいる予定だった。

 

 ただ今日は尊野の後をつけると決めたので、来れないと昼休みに先生へ報告しておいた。

 

「行くか」

 

 少し間を置いて俺はカバンを肩に掛けて、尊野を追うように少し駆け足で昇降口に向かう。ここでもし尊野が立ち止まっていて追いついてしまったとしても、今から練習に行くと嘘をつけばいい。

 

 ただそんなことはなく、そのまま外靴に履き替えて外に出る。目を凝らしてみると学園の門と後者の中間くらいのところに全力疾走している尊野の姿が見えた。こっちを振り向く素振りはない。

 

 俺は尊野の行動に気をつけながら早足で尊野を追いかける。しばらくすると尊野は学園を出て右に曲がった。こうなれば尊野は気づく可能性は絶対にないのでダッシュで学園の門まで寄る。

 

 さて、学園を出て尊野は右に曲がった。このまま追いかけてもいいが、俺は二つ保険を掛ける。

 

 第一の保険は服、昼休みにワイシャツの下に長袖のシャツを着込んでおいた。俺は着ていたワイシャツを脱いでシャツ姿になる、こうすれば「あれってうちの制服……って玲音!?」という可能性を減らせる。

 

 だが念には念を入れてカバンに入れてあった黒い帽子を深く被る。これが第二の保険だ。

 

「(さて尊野、お前はどこに行く?)」

 

   ・ ・ ・

 

 少し走っては休憩、少し走っては休憩を繰り返し30分くらい経った。

 

 ここまで来ると人影というのは少なくなって来ていて、人混みに紛れるのは難しくなって来た。だから電柱やダンボールに隠れながら尾行して来た。

 

「(それにしてもこんなところまで来て尊野は何がしたいんだ?)」

 

 そんな風に考えていると尊野は右に曲がった。俺は角に隠れながら顔だけ出すようにして覗いてみる。そこは坂になっていて尊野は全速力で駆け上がっている。しかしここで後を追うと流石にバレてしまうだろうから、尊野が上がり切るまで待機する。

 

 というか尊野、全然後ろを見ないんだよな。人の視線に疎いのか……でも横断歩道を渡る時も後ろを見ないのはどうなんだろうか。

 

 尊野が登り切って姿が見えなくなったのを確認して、俺は坂を登り始める。

 

 結構急勾配な坂だが、特訓で行っている神社の階段よりはキツくはない。

 

 坂を登り切ると、その先は下り坂になっていた。しかしその先に尊野の姿は見えなかった。急な坂になっているからここを走って下るのは危険だろう。

 

 つまり尊野は今自分がいる角を曲がった……そしてそこにはある建物があった。

 

「(ここは……廃校か?)」

 

 そこにあったのは寂れた小学校だった。門らしきところは錆びれており、道路のアスファルトは所々剥げている。

 

 尊野はこっちに行った可能性が高い。だがこんなところに来て尊野は何がしたいんだ?

 

 それに廃校とはいえ学校の敷地内へ勝手に入るのは建造物侵入罪になりそうだが……俺は錆びた校門に手をかけて乗り越える。

 

 尊野は建物の中か? いや、昇降口は開いていないし隙間もあるわけではない。どこかに隙間があるのかな、俺は校舎をぐるっと回るように歩く。

 

 後者の側面まで足を進めた時、音が聞こえた。

 

 ザッザッザッっと土の上を走るような音だ。音がした方向に俺は歩いてみる。

 

 そしてそこにいたのは……。

 

「(尊野……それに、キングヘイロー)」

 

 内心で俺はとても驚いた。だがこれは仮説していた結果の一つだ。

 

 同じチームのウマ娘と学生トレーナーが同じタイミングで休むのはあまりにも一致しすぎていると思っていた。

 

 それにスペはこう言っていた。

 

『……そういえばキングちゃん、帰りのSHRが終わったらすぐに教室を出ていったような』

 

 そして尊野も同じく帰りのSHRが終わった後、誰よりも早く出て行った。そんな不思議な行動を同じタイミングでするだろうか。いやしない。

 

 ただし、2人に共通の目的があるなら話は別だ。

 

「もう、いつまで私を待たせる気なの!!」

 

「だって俺そんなに体力ないし、これでも全力疾走だったんだよ……」

 

「言い訳無用! このキングを待たせることは極刑に値するわよ!」

 

「本当ごめんって!」

 

 2人が大声で言い合っている間に俺は木の影に隠れながら、できるだけ近くまで接近する。大丈夫、2人はお互い向かい合っているから自分の姿を視界内に入ることはないだろう。

 

「キング、昨日頼まれた”逃げ”を物にするトレーニングメニューのことなんだけど」

 

「(……何?)」

 

 尊野が言った言葉を俺は脳内で反芻させる。

 

 逃げを物にするトレーニングメニュー? 確かに尊野はそう言った。

 

 だが待て、キングヘイローは弥生・皐月では前側につく先行策を取っていたはずだ。

 

 なのに逃げ……これはもしかして、作戦の変更なのか?

 

 いやそうだとしても、なぜそれをトレーナーに教えてもらわない? 

 

「……」

 

「キング、どうしたの?」

 

「そこの木陰にいる人、大人しく出てきなさい!」

 

 その声の方向は明らかに俺がいる方向へ向けられている。どうやらバレたらしい。

 

 だがどうやってバレた? 視界内には入っていないし、音も大きな音は立てていないはず。下は草が生えているから足音は消えていた。

 

 しかしこうなっては元も子もないので、俺は黙って木から離れ姿を見せる。

 

「あなた、確かスペシャルウィークさんの……」

 

「……なんで分かったんだ?」

 

 そう訊くとキングヘイローは自分自身のぴこぴこと動くウマ耳を指差した。

 

 それで思い出した。ウマ娘というのは普通の人と違って聴覚がいいのだ。それこそ遠くの人間の声も聞き取れるくらい。ただいつも聞こえると騒音で苦しむことになるため普段は聴覚を絞り、意識を集中させることによって聴覚を研ぎ澄ませるのだと言う。

 

 そしてキングヘイローは自分が草を踏む音をその聴覚で聞いていたのだろう。

 

「谷崎!? 何でお前がこんなところに!?」

 

「キングヘイローの偵察をトレーナーから任されていてね」

 

 ここは素直に目的を言っておく、というか誤魔化しようがない。

 

「そう、私の偵察……ね」

 

「谷崎、悪いけど帰ってくれ」

 

 まぁそうなることは分かっていた。わざわざこんなところまでやってきて、チームトレーナーに頼らないという事は自分たちだけで特訓をしているという事なんだから。

 

 そして逃げという言葉……それがキングのダービーになる。それが分かれば今回の偵察は成功に等しいだろう。

 

 俺はその場から去ろうとする。

 

「待ちなさい……あなたにキングの練習を見る権利を与えるわ!」

 

「っ! キング、どうして!」

 

「一流のウマ娘はたとえ人に見られていても動じないものよ……さっ、トレーニングをやりましょ」

 

 そうしてキングヘイローはそのまま練習を始めた。

 

   ・ ・ ・

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 1人の少女の呼吸音が淡い風に乗っかって聞こえてくる。グラウンドに響くのは少女が地面を蹴る音だけ。

 

 そんな中、尊野はずっとストップウォッチ握っている。その横で俺がキングヘイローの走りを見る。

 

 この小学校のグラウンドを仮に300mくらいとしたら、日本ダービーはこのグラウンドを8周した時と同じくらいの距離を走る。

 

 しかし、この場所はあまりにも練習には不向きだ。

 

 まずは地面、トレセン学園のトラックやレース場の芝にはエクイターフが使われている。それによってウマ娘の脚に掛かる負担を減らしながら、早いタイムが出るようになっている。

 

 だがこのグラウンドは岩瀬砂……とてもさらさらしていて固い地面だ。こんなところで走ってしまえば脚に負担は掛かり、踏み込みの力は芝生よりも分散してしまう。

 

 さらにレース場は大きく一周するのに対して、このグラウンドは少しの直線の後にすぐコーナー、また直線、コーナーとなっている。

 

 それにより本番よりも悪いタイムが出ることはほぼ明らかだ。

 

 何よりこんなところで走らせるのはキングヘイローのためにならない。ダービーの前に負傷なんてしたら洒落では済まされない。

 

「はぁ! はぁ、はぁ……何分!?」

 

「……とても口に出せない」

 

「っ、もう一回、行くわよ」

 

 そう言うとキングはスタンディングスタートの姿勢を取る。そして尊野はストップウォッチを取る。

 

「位置について、スタート!」

 

 そしてキングヘイローは走り始める。ただいくらウマ娘といえど慣れない走法、走るに適していない地面、そして本番さながらの距離を走ってすぐに走り始めれば疲労も溜まる。現にフォームが乱れている。

 

「……走らせすぎじゃないか」

 

 キングヘイローがグラウンドを5周走った時くらいに俺は思ったことを口に出した。

 

 これでキングは5本目……普通のメニューで考えても2400m×5本はオーバーワークに入るだろう。

 

「キングが走ろうって言っているんだ。俺は彼女の意思を尊重するだけだ」

 

「だけどこのままじゃ彼女の脚が壊れるぞ! 土のグラウンドは脚を痛める、それにレースが芝の上で行われる。彼女がここで練習をする意味なんてどこにもーー」

 

「彼女はここで終わってはいけない才能を持っているんだ!!」

 

 まるでこちらを射殺すかのように鋭い目付きでこちらを向き、大声を上げて怒りを露わにする尊野。

 

 そんな尊野の姿は一度も見てきたことがなかったため、俺は目を見開いて驚いた。

 

「ちょっと一真! あなた今タイムちゃんと計ってた!?」

 

「えっ、あっごめん!」

 

「もう! キングを待たせた挙句、走りも見ないとはどういうことよ!!」

 

 俺と尊野が話している間にキングヘイローは8周を走り終えていた。

 

 ウマ娘は最大で時速70kmで走ると言われている。残り3周などレースでは最後の直線、俺らが喋っている間に走り切るのは造作もないことだろう。

 

「キングヘイロー、悪い事は言わない。休憩は取った方がいい」

 

「……そうね、そろそろアレが始まるからついでに休むわ」

 

「「アレ?」」

 

「一真、スマホを出してくれないかしら?」

 

 そう言われて尊野は自分自身のズボンのポケットの中をまさぐる……しかしどうやら忘れていたらしく申し訳なさそうな顔をしてキングヘイローに謝った。

 

 すると今度は俺の方に顔を向けてきた。何となくそれが催促だと察して俺は胸ポケットに入れていた携帯を取り出す。

 

「ネットでトレセン学園のHPにアクセスして、多分トップに出ていると思うわ」

 

 そう言われて彼女の言われた通りに指を動かす。すると学園HPのトップに『日本ダービー 記者会見』と書かれていた。

 

 恐らくこれだろうと思い、その表示をタップする。

 

 すると学園HPから動画配信サイトへと飛んだ。そしてそこに映ったのは緑と白のツートンカラーのバックボードが映し出されていた。白色の四角の中には日本ウマ娘トレーニングセンター学園の校章と略称であるJUTの文字が、緑色の四角の中にはトゥインクル・シリーズの公式ロゴが描かれている。

 

『ただいまより、記者会見を始めます。まず初めにこの会はーー』

 

 そうして進行役と思われる男性の記者会見でのマナー説明が行われる。

 

 特に気にすることでもなかったので、俺はキングヘイローの顔を横目で窺ってみる。

 

 キングヘイローは……唇を少し噛んでいた。

 

『初めにNHKマイルカップ制覇し、今回事前ファン投票で1番人気を得ましたエルコンドルパサーさん、前へお願いします』

 

 そう言うとチーム・トレーナーの東条ハナさんと一緒に現れるエル、その瞬間会場はフラッシュの光とシャッター音で包まれる。

 

 1ヶ月前にあったGⅠのNHKマイルCで1着、さらに事前ファン投票でも一番人気を取っているのだから、記者やマスコミたちにとってはエルが一番の目的なんだろう。

 

 ある程度記者たちの動きが静かになってきたところで、日本ダービーへ向けてのエルの現状を東条さんは話す。

 

 そうして3・4分くらい話し終わると今度は質疑応答になる。

 

『エルコンドルパサーさん、今のお気持ちはどうですか?』

 

『快調デース! だってワタシ、ターフを舞う怪鳥って呼ばれてますから!』

 

 小洒落た? ダジャレで場を和やかなにするエル。きっとどこかのリギル出身の会長も喜んでいるだろう。

 

 その後、いくつかの質問に答えてエルは出て行く。

 

『続きまして、皐月賞ウマ娘であり事前ファン投票3番人気を得ましたセイウンスカイさん、前へお願いします』

 

 続いて出てきたのはセイウンスカイだった。

 

 エルの時と同じくチームトレーナーがセイウンスカイの現状を話す。どうやらいつもみたいにサボる日もあるらしく日本ダービーへ向けて心配ないがそこだけは玉に瑕だということらしい。セイウンスカイも苦笑いを浮かべており、記者たちも笑っている。

 

『セイウンスカイさん、今の心境を一言!』

 

『皐月賞勝ったのに3番人気か~。じゃあ勝ったらビックリ!? あ、そうでもない?』

 

 そもそも3番人気でもかなり期待されているので勝ったとしてもびっくりとはならないだろう。

 

 だがこの発言はある意味自分がダービーに勝てると自負しているからできることだ。少なくとも俺はそう受け取った。

 

『続きまして事前ファン投票では番人気を得ましたスペシャルウィークさん、前へお願いします』

 

『は、はい!!』

 

 他の2人とは違い大声を出したスペ、その動きもどこかぎこちない。というか右足と右手が同時に出ていないか?

 

 あっ、先生がスペに何か言っている。と思ったら歩き方が自然になった。どうやら指摘されたそうだ。

 

 バックボードの前までやってくるとスペは胸に手を置いていた。なんかめっちゃ緊張しているみたいだ。

 

 俺は心の中で「頑張れ」と応援する。

 

『スピカのトレーナーです。スペシャルウィークは日本ダービーへ向けてーー』

 

 先生がスペの現状を話す。内容としては日本ダービーへ向けて減量を行い、坂路の対策と体力の向上を中心に練習を実施しコンディションは過去一良いと公言した。

 

 そしてスペへの質疑応答に移る。

 

『スペシャルウィークさん、今度のダービーはずばり勝てそうですか』

 

 記者さんの問いに対してスペはどう答えようか悩んでいる……そんな時だった見覚えのある帽子を被った薄灰色の髪のウマ娘が、なんかカンペみたいなものを持って記者たちの間をすり抜けている。

 

 スペもその人物に気が付いたのか視線を下げる。

 

『えぇー!! ボケるのー!?』

 

 おそらくそのカンペには「ボケろ!!」みたいな無茶振りな指示が書かれていたんだろう。くっ、俺が今日そっちにいれば事前に防げたかもしれない。

 

 突然のボケる発言に笑う記者さんたち……スペのウマ耳は元気なさそうに垂れ下がり、その頬は紅潮している。顔も俯いてしまった。

 

 その姿を見たからか、先生は右手を顔に当ててため息を吐いた。まさかゴルシが乱入するとは思っていなかったんだろう。

 

『あー、すみません。スペシャルウィークへの質疑応答はこれでーー』

 

『待ってくださいトレーナーさん!』

 

 顔を俯かせていたスペが大きな声を発してトレーナーの言葉を遮る。

 

『……あの、ボケることは私にはできませんけど!』

 

 そうして顔を上げたスペ……その瞳はとても力強いものなっていた。

 

『おかあちゃんと約束したんです。日本一になるって。だから今度のダービーはーー絶対に勝ちます!!』

 

 スペの発言によって、会場は記者たちの感嘆のため息で包まれた。後ろにいる先生も微笑んでいた。

 

「母親との、約束……ね」

 

「どうしたんだキング?」

 

「一真……なんでも無いわ。さっ、逃げの練習を続けましょう」

 

 キングヘイローは大きく伸びをした後、スタート位置でスタンディングスタートの構えを取る。

 

 ただ、俺はそんなキングヘイローの前に立つ。

 

「……どういうことかしら? 走ろうとしているウマ娘の前に立つなんて、あなた正気?」

 

「キングヘイロー、俺は君に一つ聞きたいことがあるんだ」

 

「何かしら?」

 

「君はどうしてそんなに逃げにこだわるんだ」

 

「……」

 

 キングヘイローは先行策を今まで取っていた。それはスペのレースを通して見てきているから分かる。

 

 だが、ダービーという大舞台でわざわざ逃げの作戦へ変える理由が全然思いつかない。

 

「…… 今まで通りってわけには行かないのよ」

 

 そう言うキングヘイローの表情は……とても悔しそうな顔をしていた。

 

「今まで通りやっても、GⅠに勝利しているエルさんやスカイさん、そしてこのダービーに想いを馳せているスペさんに勝てるわけない……このダービーでは確かな変化が必要なの、とても大きな変化が!」

 

 その言葉を聞いて俺はある人物を思い出した。それは中学校の時卓球部で一緒だったやつ。

 

 そいつは大きな大会に負けてしまいとても落ち込んでいた。しかししばらくすると部活に復帰した……のだが、帰って来たそいつは戦型を変えたのだ。

 

 つまり、大きく変化を得ることで流れがいい方向になるようにしたのだろう。

 

 ……だけど、それをウマ娘でやるのはどうなのだろうか。

 

 ウマ娘の脚というのはどう足掻いても脚質適性というものがある。学園にいるトレーナーはその脚の適性を見極めてレースの作戦や戦い方を考えるものだ。

 

 時々全ての適性を持っているウマ娘もいるが、基本は二つ。それも逃げと先行、先行と差し、差しと追込みと言ったように似たようなもの同士が多い。

 

 そしてキングヘイローは差し寄りの先行だ。だから逃げというのは本来の適性には合わないはずなのだ。

 

「あなた、今こう思っているでしょ。「何でそんなことをするのか」って……そんなの簡単、勝つためよ」

 

「……勝つため?」

 

「そう、私が考えた、私なりの勝利への活路よ」

 

 そう言うキングヘイローの視線は目の前の自分ではなく、もっと先……ダービーを見据えていた。

 

 その真剣な瞳を見て……俺は何も言えなくなった。

 

   ・ ・ ・

 

 数時間後、俺は寮に戻りベッドの上でずっと今日のことを考えていた。

 

「(適性が合っていなくても練習をし、それを実践する)」

 

「(わずかな可能性だけど、奇跡を起こそうとしている)」

 

「(だけど、逃げに関してはセイウンスカイに勝てるのだろうか)」

 

「(それにやっぱり練習をするにしてもあの地面はダメだ……逃げをこの短期間で習得するにしても、その前に彼女の脚が壊れてしまう)」

 

「(彼女の脚が壊れて出走取り消しになった場合、困るのは彼女自身……そして恐らくスペもその事に気が取られる可能性がある)」

 

 そう思ったところで、俺は胸ポケットから携帯を取り出してある施設の詳細を調べ始める。

 

「(これはキングヘイローのためじゃない、スペが本気を出せるようにするだけだ)」

 

 

 




・3rdライブめっちゃ楽しかったぁ……まさかトレーナVerのうまぴょいから入るとはw

・二学期かぁ……ツライ。

・ライスのサポートカード、あれは引かなければこちらも無作法というもの。

・次回も次の日(朝)、そして第5Rに絡む話の”予定”です。


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「なんとなく」の感情

 前回のあらすじ:急いで教室を出る尊野の後をつけた玲音は寂れた廃校でキングヘイローを見つける。そしてキングヘイローはそこでダービーへ勝つための準備を進めていた。

・UA118,000・119,000を突破しました。ありがとうございます!



 次の日、俺は教室で自分の席に座りながら尊野を待っていた。その理由は昨日調べたことを伝えるためだ。

 

 昨日の夜に俺が調べたこと……それは芝で練習できるところだ。

 

 この社会は普通の人間とウマ娘が共生している。

 

 それ自体は当たり前のことであるが……ウマ娘の多くは中学・高校時代にレースに出走する娘たちが多い。

 

 ここのトレセン学園は確かに大きな学園で唯一中央レース……つまりトゥインクル・ドリームトロフィーシリーズへの参加権利を持てるところではあるが、トレセン学園は地方にも存在している。そしてそこで走っている娘ももちろんいる。

 

 だから結論としてウマ娘の多くは走ることが習慣となっている。いや、むしろ走らないとストレスがかかってしまうのだ。

 

 まぁそれは普通の人と同じ方法……ランニングなどをしてストレスを解消する。

 

 しかしウマ娘は本気で走れば時速70kmは出る生物だ。そんな生物が普通に公園や道路でランニングレベルで走ったら、軽くでも時速20キロは達するだろう。

 

 そうなると普通の公園や道路では走るのは難しい……仮に走れたとしてもランナーや歩行者、自転車など気をつけることがかなり多く、地面に関してもアスファルトを蹴り上げるのは脚を痛めるなど問題点多く、普通の道で自由に走ることはほぼ不可能だ。

 

 だがウマ娘にはこう思っている娘もいる……「レースのように本気で走りたい」と。

 

 そして俺が昨日調べたのは、そんなウマ娘のために用意された施設だ。

 

 その施設はいわゆる屋内型の小さな芝のトラック(距離としては400mあるか)だ。

 

 ここならレース場や学園のトラックほどの上質な芝ではないが、土のグラウンドで走るよりは脚を痛めることはないだろう。

 

「あっ」

 

 教室の扉が開き、そこへ現れたのは尊野だった。

 

 俺を見た瞬間にばつが悪そうな顔になる。

 

「おはよう尊野」

 

「あ、あぁ……おはよう」

 

 尊野は俺に挨拶しながら席に座る。その時視線が外れることはなかった。

 

 まぁ昨日俺は普通にストーカー紛いなことをしたんだ。そんなことをすれば誰だって警戒するに決まってる。

 

 それにただのストーカーならまだよかった(いやよくないけど)が、俺はキングヘイローと尊野が秘密裏に行なっていた練習を見てしまったのだ。せっかく考えたダービー勝利への手段がバレてしまったのだから、気が気では無いだろう。

 

「なぁ尊野、昨日にことだが……」

 

「な、なんのことかなぁ〜。俺は昨日、駅前の超激辛スープを食べに行ってたんだが? そうだ谷崎、よかったら今日いかねえか? 一緒に地獄みにいこうぜ!!」

 

「それは勘弁だ」

 

 俺は首を振りながらポケットの中に入れていた紙を取り出し、それを尊野の机の上に置く。

 

 尊野はそれを見て訝しげな表情を浮かべるが、俺は真顔のまま首を動かして手紙を取るように催促する。

 

 自分の意図が伝わったのか、尊野は置いた紙を手に取ってそこに書かれていることを読む。

 

「……谷崎、これって!」

 

「一般のウマ娘でも利用ができる施設だ。あの土のグラウンドで走るよりは足は疲れないだろ?」

 

「調べたのか? なんのために……まさか昨日のキングを見てーー」

 

「勘違いするなよ、これはスペのためだ」

 

 きっと尊野の頭の中では、俺は昨日のキングヘイローの必死な姿を見て感化・同情をしたと思っているだろう。

 

 でもそんなことはない。俺はキングヘイローのことなんか考えていない。むしろこっちからしたらライバルが減ったのも同然なんだから俺の内心は多分嬉しく思っているんだろう。

 

 だけど……なぜだか分からないが、彼女の脚は壊してはいけない。

 

 それはスペが気になってしまって走れなくなってしまうことを懸念したからというのもあるんだろう。だが、一晩経ってそういう理由じゃないような気がしてきた。

 

 じゃあなぜかと言われたら……「なんとなく」としか言葉が出てこない。

 

 でもキングヘイローがこのダービーで逃げることは……必要なことだと思うのだ。それももちろん何と無く。

 

「そっか……でもありがとな谷崎、これで少しは……」

 

「言っとくけど使用料は取られるってことだけは頭の片隅に入れとけよ」

 

「分かってるって!」

 

 尊野がそう言うと朝読書の時間を知らせるチャイムが鳴ったので、俺は席に戻り読書を始める。

 

 まぁ、これで俺がダービーへ向けて出来ることはほぼ無いだろう。あとはスペがどこまでやれるかだ。

 

 そんな風に考えながら読書をしているとうちの担任の先生がこっちに近づいて来る。

 

「尊野くん、◯◯トレーナーが昼休みにトレーナー室へ来るようにって伝言を受けてます」

 

「あっ」

「(あっ)」

 

 そうしてそのまま朝のSHRが終わり、号令をした後俺は自分の席に座らずに後ろを振り向いてみた。

 

 そこには真っ白に燃え尽きたみたいに自分の席に座っている尊野の姿があった。

 

「あ、Are you OK?」

 

「No……なあ谷崎、俺どうすれば良いと思う?」

 

「……笑えばいいと思うよ」

 

「笑うは笑うでも自嘲になりそうだな……ははっ」

 

   ・ ・ ・

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「いってら」

 

 4限目が終わり昼休みになると尊野は力なく歩き、ゆっくりと教室の扉を開けて教室を出て行った。

 

 考えてみればそうだった。アスケラのチームトレーナーは尊野がこの学園にいることは知っている。だったら呼び出せばいいだけのお話だよな。

 

 尊野……無事に帰ってきますように。

 

 さてと俺は……寝るかな。

 

 昨日は施設調べでいつもより1時間半くらい遅く寝たので朝からとても眠い。しかし授業で寝るわけにもいかないので、なんとかエナジードリンクを二本くらいキメて今まで乗り切ったのだ。

 

 お腹はもちろん減ってはいるが、空腹よりも今は睡眠だ。

 

 そう言うことで俺はイヤホンを耳に入れ、腕を組んでその上に覆い被さるようにして外界の明るさをシャットアウトする。

 

 そしてそのまま微睡みの中へ深く落ちてーー。

 

「玲音いる〜?」

 

 ……微睡みの中に落ちたかったが、どうやらまだ寝られないみたいだ。

 

 俺はその声がした方向を向いてみる。そしてそこにいたのはテイオーだった。

 

 テイオーは自分の姿を確認すると教室へ入ってきてこっちに近づいて来る。おいここ高校生のしかもトレーナー学科の教室なんだけど君中等部だよね、なんで普通に上級生の教室に入れるの? メンタルが鬼なの?

 

「何しているの玲音?」

 

「寝ようって思ってたんだよ……んで、なんか用かテイオー」

 

「あぁそうだった。ねぇ玲音、マックイーンがスピカに入るように説得してくれない?」

 

「なんだって?」

 

 テイオーが言った言葉を理解するのに時間が掛かった。

 

 というかなんでテイオーからマックイーンの名前が出てくるんだ?

 

 確かに二人は繋がりがあると花見の時に知ったけど……でもなんでテイオーがマックイーンをスピカに入れたいんだ?

 

「……理由は?」

 

「知らないよ……ただゴルシが「連れて来ないとパイルドライバーを食らわすぞ!」って脅してくるんだよぉ〜」

 

「はぁ?」

 

 もっと訳ワカメなことになった。

 

 なんでゴルシがマックイーンを連れて来いって言うんだ? あの二人ってなんか接点あったか? いや、無いはず。

 

 あぁでも、なんか花見の時二人があった時、ゴルシはなんか変なことを言ってたな……なんて言っていたか忘れたけど。

 

「まぁいいや。もうマックイーンには言ったのか?」

 

「うん、だけど他のチームも見たいからって断られてる。今日も断られたよ〜」

 

 まぁそうだろうな。この学園には多種多様なチームがあるんだ。1日では見て回れないだろう。

 

「分かった、自分からも練習見てもらうように頼むよ。あとついでにゴルシも叱ってやるよ。「後輩になにパシリをさせているんだー!!」ってな」

 

「お〜! 玲音すごく頼り甲斐がある!!」

 

「おう、だから今日はもう戻っとけ。今から言って来てやるから」

 

「うん、お願いね!!」

 

 そう言ってテイオーは教室から出て行く。

 

 さて、あんな風に啖呵を切ってしまったんだから、昼寝する訳にはいかないよな。

 

 そう思いながら俺は席を立ち一回大きく一伸びした後、教室を出る。

 

「(……そういえば、ゴルシってどの教室にいるんだ?)」

 

 まぁ、スペよりは年上だろうし、そこら辺の教室周辺で立っていればばたりと会うだろ。

 

   ・ ・ ・

 

 しかし、その昼休み中にゴルシと会うことはなかった。

 

 

 




・学校始まった……がんばるぞ、お〜。

・最近YouTubeでウマ娘の怪文書を書いてる……たのちい。

・次回はマックイーン・ゴルシ回の”予定”です。


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あいつはこのチームに入らねえといけないんだよ

 前回のあらすじ:尊野はチーム・アスケラのトレーナーに呼び出しを食らう。玲音はテイオーからゴルシがマックイーンをスピカに入れようとしていることを知る。

・UA120,000を突破しました。ありがとうございます!



 チーム練習が終わった後、俺は後生寮の自分の部屋でくつろいでいた。

 

 あのお昼休みでゴルシと会わなかったがチーム練習に会えるだろうと思っていた。だが結論としてゴルシはチーム練習にも顔を出さなかった。

 

 先生曰くゴルシは急用で休みとのことらしい。

 

 あのゴルシが急用? って思ったが、練習が終わった後に「私の中の小宇宙が運命を感じている!」とか言って突然去って行くとか訳分からないこともするのでそこまで変だとは思わなかった。

 

「(あっ、そうだ。マックイーンに電話するか)」

 

 テイオーにマックイーンを説得するようにと言われたことを思い出し、俺はポケットの中から携帯を取り出してマックイーンの連絡番号をタップする。

 

 プルルルルッと耳元のスピーカーからコール音が鳴り響く。

 

 いつもだったら2回くらいコール音が繰り返した時くらいに電話が繋がるが……おかしい、5コール繰り返しても出ることはなかった。

 

 そして待ったが……電話は繋がらなかった。

 

 まぁマックイーンにも電話が出られない時だってあるだろうし、そこまで急ぐことでもないか。

 

 けど改めて思う、なんでゴルシがマックイーンをスピカに入れようとしているのか。

 

 5限目辺りからずっと考えていたけど……やっぱり分からない。

 

 ゴルシは実はメジロ家と関わりがある人なのかと気になり、爺やさんに電話して聞いてみたが「そんな方は存じ上げません」とあっさり言われた。つまり関係者の線は消える。

 

 そして後残った可能性としては……マックイーンに惚れているとか?

 

 それだったら急に抱きついたり、マックイーンに執着する理由も納得できるが……。

 

 ーーコンコンコン

 

 色々考えに耽っていると、部屋の扉がノックする音が部屋中に響く。

 

「はーい」

 

 俺は返事をしながら玄関まで歩き、玄関の扉を開けた。

 

 そしてそこにいたのは、マックイーンだった。

 

「こんばんわ玲音さん、部屋入ってもいいですか?」

 

「あ、あぁ……別にいいけど、なんで?」

 

「ちょっと匿って欲しいんです」

 

 そう言いながら寮室の中へと入っていくマックイーン、自分は少し困惑したが玄関の扉に鍵を閉めて、マックイーンの背中を追うようにして部屋の中に戻る。

 

「それで、なんで匿って欲しいんだ?」

 

「実はある人に追われていて……あっ、ついでに耳かきもお願いできますか?」

 

「別にいいよ」

 

 俺は耳かきに必要な小道具を用意する。

 

 あっそうだ。この前道からアロマオイルの使い方を教えてもらったんだ。なんでも香りなどによって肩こりや腰痛、目の疲れに効くのだという。んで実際にこの前やったが、気持ち楽になった。

 

 マックイーンにもやってあげよう。

 

 一回浴室に行って桶にお湯を貯める。

 

 そしてその桶にアロマオイルを3滴くらい落とす。

 

 タオルをたるませるように入れ、水分と精油分をしみこませたら精油を含む面が内側になるように折りたたんで軽く絞る。 

 

 ちなみに今回使っているアロマオイルはフレンチラベンダー、道が言う限りでは目の疲れによく効くらしい。

 

「玲音さん? なんですかそのタオル」

 

「ちょっと香りのいいアロマを含ませたタオルだよ。ほら、こうやって顔に被せれば」

 

「あっ、いい香りですね」

 

「これならリラクゼーションの効果もあるかなって。はいマックイーン、お膝にどうぞ」

 

 マックイーンは失礼しますと言いながら自分の頭を俺の膝に預ける。

 

 マックイーンのヒト耳・ウマ耳を順番に見る。ヒト耳の方はあまり汚れはない。ウマ耳もない訳ではないがほぼ綺麗だ。

 

「今日はウマ耳の方だけやっていくよ」

 

「お願いします……」

 

 マックイーンはウマ耳を器用に横に向けて耳掃除を受け入れる態勢を取る。

 

 まずはお湯で湿らせたタオルで耳周りをマッサージするように揉みながら拭く。

 

「耳かき棒を入れるよ〜」

 

「はい……」

 

 ウマ耳に耳かき棒を入れるとマックイーンの体がびくりっと小さく動く。

 

 だが耳掃除をしていない方のウマ耳が前に二回ぴょこぴょこ小さく動いているため、お気に召しているらしい。

 

「そういえばマックイーン、誰かに追われているって言っていたけど……誰に追われていたんだ?」

 

「んあっ……ゴールドシップさんですわ」

 

「……ゴルシ?」

 

 ゴルシは確か急用で練習を休んでいたはず。なのにマックイーンはゴルシに追われたと言っている。

 

 それって……その急用がマックイーンを追う事だったのか?

 

「追われただけなの?」

 

「いえ、なんか「練習を見に来い」ってしつこく言ってましたわ……明日お伺いしますって言っても「そんなにちんたらしていられないんだよ!」って言って無理矢理拉致しようとして来たり……」

 

「それってここ最近もそんな感じ?」

 

「はい……なんであんなにしつこく纏わり付いてくるのか、理由が全然分かりませんわ」

 

「メジロ家の遠い親戚って訳でも無いんだよね?」

 

「もちろんです。わたくしとゴールドシップさんは、あの花見で初めて会ったはずですけど」

 

 こうなってくると、ゴルシがマックイーンのことをつけているみたいになってくるな。

 

 でも練習を休んでまでマックイーンを追う理由はなんなんだ?

 

 確かにマックイーンは同年代のウマ娘たちと比べても頭一つ抜けている存在だ。

 

 だけどトレーナーならともかく、一人のウマ娘でしかないゴルシがなぜそこまで執拗に追うのか。

 

 ……やっぱり本人に直接聞くしかないか。

 

「玲音さん。わたくしは明日、スピカの練習を覗いてみようと思います」

 

「へぇ意外……そこまでしつこいと行きたくないって言うと思った」

 

「もともとどの日にどのチームに行くかは予め決めているんです。それにテイオーからのお誘いもありましたから」

 

 そういえばテイオーはゴルシに脅されていたっけ。

 

「それに……(好きな人もそこにいますし)」

 

「んっ、マックイーン今なんて言った?」

 

「いえ、何でもありませんわ」

 

 顔にタオルを被せているということもあり、マックイーンの言葉が上手く聞き取れなかった。

 

 その後、マックイーンは耳かきが気持ちよかったのか、幸せそうな顔をしながら寝てしまい、また爺やさんにお迎えに来てもらうことになった。

 

   ・ ・ ・

 

 次の日の昼休み、自分は昼食を食べ終えた後、すぐにウマ娘の生徒が集まる教室の前の廊下に陣取ってゴルシが来ないか監視していた。

 

 トレーナー学科の生徒がウマ娘の教室の前にいるのは珍しいのか、知人(主にスピカ・リギルメンバーやライスお姉さま)はもちろん、他の初めて会うような娘にも話し掛けられた。

 

 だが、多くのウマ娘は来ても目的の人物であるゴルシには会えなかった。

 

 そうして昼休みが終わり放課後、俺はチームの部室で色々な準備をしていた。

 

「にしてもゴルシ……あいつ本当にトレセン学園にいるのかってくらい会わないなぁ」

 

 昨日だけだったらまだしも、今日も会えないなんて……まさかゴルシってトレセン学園に在籍していない?

 

「いやいや、まさか……」

 

 それだったらこのチームに入っていること自体おかしいじゃないか。

 

 でもチームメンバーは全員受け入れている。スカーレットやウォッカも先輩として認めているし、ゴルシはチームの中で最古参のメンバー……会わなかったのだってやっぱり偶然だろう。

 

 そう思いながら俺は机の上に置いたカバンから紺色の学園指定ジャージを取り出す。そしてカバンを持ってそれを自分のロッカーの中に入れようとロッカーの扉を開けた。

 

「わはぁ……」いるいるいるいる

 

 俺は反射的にバンッと勢いよくロッカーの扉を閉めた。

 

「え? どういう事?」なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?

 

 俺は右側頭部を右手で掻きながら、これからどうするべきか考える。

 

 ここは一回外に出て外の空気を吸ってからまた開けるべきか? いや、それだと何も変わらない。

 

 てかなんで制服姿のゴルシが俺のロッカーの中に隠れていたの? 伝説の傭兵なの? ジャック・ザ・リッパーなの??

 

 とりあえずここで外に出ても何も状況は変わらないだろうから、俺はもう一回ロッカーの扉を開ける。

 

「わはぁ……」

 

「……なにやっているんだゴルシ」

 

「いやよ? ここでずっと待っていれば驚くかなって思ってな」

 

「うん、めっちゃ驚いたよ。思わず周りに「いる」と「なんで?」と書かれたスタンプが浮かび上がったわ」

 

「なんだそれ? ……まぁいいや、よっと」

 

 ゴルシは俺のロッカーから出てくる。ゴルシって結構体格がいいはずだけど……どうやってロッカーに入っていたんだろう。

 

 大きく伸びをしているゴルシを見ながら、俺はテイオーの約束や昨日のマックイーンが言っていたことを思い出し声を掛けることにする。

 

「なぁゴルシ、ちょっといいか?」

 

「んっ、なんだ? マグロ漁船の乗り方を教えて欲しいのか?」

 

「んなもん乗りたくねえよ……昨日テイオーから聞いたんだが、マックイーンをスピカに入れようとしているんだって?」

 

「おん? それがどうしたよ?」

 

「そして昨日ゴルシはマックイーンを追っていた……単刀直入に言う、なんでそんなにマックイーンに拘るんだ?」

 

「……」

 

 ここで初めて、ゴルシの表情は固いものに変わった。

 

 そんな彼女から発せられている空気は……とても独特な冷たさを持っていた。

 

「それを聞いて……何になるんだ?」

 

「気になるんだよ。マックイーンは俺にとって妹みたいな存在だ。だから妹が変な奴に絡まれているって聞いたら放っておけないんだよ」

 

「おいおい、その変な奴ってまさかこのゴルシちゃんのことじゃねえよな?」

 

「逆にお前以外に誰がいるんだ?」

 

「まっ、いねえよな」

 

 あまりにもあっさりとマックイーンを追っていたことを自白するゴルシ。まぁ、それはもう分かっていた。

 

 俺が聞きたいのはただ一つ、なぜマックイーンをスピカに入れたいか。ただそれだけだ。

 

「……分かったよ。どうせいつかは言わないといけねえことだからな、先に言っちまった方が自分のためになるか」

 

「なんだその言い方、まるでマックイーンを入れたい理由が、深刻な理由だったりするのか?」

 

「……」

 

 自分はもっとふざけた理由だと思っていた、だから少し戯けるように発言をした。

 

 しかし直後にゴルシが浮かべた真剣な表情から、決してバカに出来ないことだということを俺は直感で感じた。

 

 唇を少しきつく結び、しっかりとゴルシの瞳を見る。そして彼女から言い出すのを待つ。

 

「あいつは……このチームに入らねえといけないんだよ」

 

「それは……理由になっているのか? そもそもなんでマックイーンがーー」

 

「なぁ玲音……もしアタシがーー」

 

 次の瞬間、外では非常に強い風が吹いた。

 

 それによりプレハブみたいな構造になっている部室はドンドンッと大きな音を立てる。取り付けられている窓にも強風が当たり、うるさい音を立てている。

 

 その結果この部室中がうるさい音で充満し、ゴルシの言ったことが聞き取れなかった。

 

「……悪いゴルシ、もう一回言ってくれないか?」

 

 ゴルシならもう一回言ってくれるだろうと思った……だが、ゴルシは首を横に振った。

 

「いや、やっぱいい。ここで話したこと全部忘れてくれ」

 

「はっ? いやいや、何を言ってるんだよ。俺はマックイーンを入れたい理由をーー」

 

「玲音は何も見なかった。何も聞かなかった。何も話さなかった。ゴールドシップというウマ娘ともここでは会っていない」

 

 そう言いながらゴルシは俺の方に近づいてくる。

 

 瞬間、俺の本能は警鐘を鳴らした。ここから逃げた方がいい、今すぐここを離れた方がいいと。

 

 しかし本能の考えとは裏腹に、体はびくりとも動かなかった。

 

「次に目覚めれば、またいつも通り……アタシがマックイーンを入れたい理由も適当な理由になり、玲音はそれを信じる」

 

 そうしてゴルシは俺の目と鼻の先まで近づき、立ち止まる。

 

「悪りぃ……ちょっとくすぐったいぞ」

 

 そうゴルシが呟いた瞬間、頭全体に強い衝撃が走る。

 

 俺の体はその衝撃に耐え切れず崩れ落ち、意識が遠退いていく。

 

 意識が完全に彼方へと行ってしまうその時、俺は見た……悲しい顔に笑いを浮かべて涙を流しているゴールドシップを。

 

 しかし次目覚めた時、俺は彼女の表情を覚えていない。

 

 そして意識が……完全に闇に落ちた。

 

 

 




・「いる」と「なんで?」のネタ分かる人いるかな。

・学校から帰るとYouTubeでスズカの怪文書を書くのがルーティンになってますw

・アオハル杯マジでたのちい。

・次回は第5RのAパート終盤のお話の予定です。


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それもまた才能の一つ

 前回のあらすじ:ゴルシがマックイーンをスピカに入れようとしていることを知った玲音は部室でーーーー玲音は早めに部室に行き、練習の準備をするが途中で意識を失ってしまった。

・UA121,000・122,000を突破しました。ありがとうございます!

・なんか前回の話でUA112,000と書いていました……。



「ぐっ、あっ……」

 

 頭がズキズキと痛む……ゆっくりと俺は頭を起こし、右手で頭を押さえる。

 

 俺は何をしていた? 見渡してみるとそこはスピカの部室だった。

 

 なんで自分は部室にいるのだろう。確か魂が抜けたように真っ白になっている尊野に「ドンマイ」って言って、それで俺は確か早めに部室に来て何かをしていた。

 

 でもなんでだ……その何かを全然思い出せない。

 

 それになんだか、忘れてはいけないことがあったような気がする。

 

 だがそれはなんだ?

 

「(くっそ、頭がズキズキして思い出せねえ……)」

 

「おっ、目ぇ覚めたか?」

 

 後ろからゴルシの声が聞こえてくる。振り返ってみるとゴルシが机に頬杖をした状態でこっちを見ていた。

 

「ゴルシ? なんでここに……」

 

「そりゃアタシはこのチームの一員だからだろ」

 

 いやまぁそうか、俺は何を当たり前のことを聞いているのだろうか。

 

 なんて思っていると俺は足元に何かが落ちているのを見つけた。

 

 それはバナナ、それも食べ終わった後の皮だけの状態だった。

 

 俺はそれを拾い上げる。

 

「いやー、にしても新人にはビビったぜ。まさかあんな事になるなんてな」

 

「はっ? あんなこと?」

 

「お前覚えてないのか? まぁ、あそこまで盛大にやっちまえば無理もないか」

 

 ゴルシは立ち上がってこっちに近づいてくる。

 

 そして俺が持っていたバナナの皮をひょいと掴み上げると、そのままゴミ箱に向かってシュート。

 

 バナナの皮は綺麗な弧線を描いてゴミ箱にそのまま入る。ゴルシの方を見てみるとゴルシは大きくガッツポーズをしていた。

 

「んで、俺は何をやらかしたんだ?」

 

「それはもう某内村チェンのコケ芸バナナ式みたいに見事な滑りっぷりで頭から床にぶつかっていたな」

 

「こけ……芸?」

 

「まぁ要するにバナナでツルーンって滑って頭を打ったってこった」

 

 なるほど、だから足元にバナナがあったのか。

 

 というかバナナの皮で滑って頭を打つなんて、そんなマンガみたいな展開が本当にあるんだな。

 

「とりあえず目立った外傷はねえし、気絶はしたけどそこまで強い衝撃じゃなかったみてぇだな」

 

「……あれ?」

 

 頭を押さえてみると、自分の頭には包帯が巻かれていることに気がつく。そしてゴルシが頬杖していた辺りのところに包帯が置かれていた。

 

 もしかして……ゴルシがやってくれたのか?

 

「っ! 新人大変だ! 今すぐ40秒で支度しな!」

 

「ど、どうしたんだ急に!?」

 

「アタシの専用人工衛星『120BY』がマックイーンに近づく不審者の影を発見した! こうしちゃいられねえ、すぐに神社に向かうぞ!」

 

 ゴルシがまた変なことを言い始めた……いや、マジでこれは何言っているんだか分からない。

 

 まぁ、またいつものおふざけだろうけど

 

「ちんたらすんなって! あーもう行くぞ!!」

 

「えっちょ、待っーー!?」

 

 ゴルシはしびれを切らしたのか俺を赤子のように担ぎ上げて、そのまま部室を出た。

 

 そういえばスピカに最初来た時もこんな風に担がれていたっけ……などとゴルシの肩の上で揺れながら冷静に考えていた。

 

   ・ ・ ・

 

 ウマ娘は本気で走ると法定速度を守っている車よりも早く走ることができる。

 

 そんなのは当たり前のことだが、こうして担がれて車が視界の後ろから現れ距離が離れていくのを見ると、改めてウマ娘は早いんだなということを再認識させられる。

 

 というか運転している人たちが信じられないものを見るような目で俺を見てくる。結構恥ずかしい。

 

 ……あっ、そうだ。ちょうどゴルシといるんだから、ずっと聞きたかったことを聞いてみよう。

 

 というかゴルシ、昼休みは学園のどこにいるんだろう?

 

「なぁゴルシ」

 

「なんだ? 下手に喋ると舌を噛むぞ?」

 

「ゴルシって昼休みどこにいたんだ?」

 

「……どうしたんだ急に?」

 

 自分はゴルシに聞きたいことがあって昼休みにずっと学園中を探し回ってたことを話した。

 

 今思えば、チーム練習に参加していれば基本参加するんだから探し回らなくてもよかったな。実際昨日は来なかったが今日来ているわけだし。

 

「今日は学園の木の上で昼寝してたけど……もしかして新人、アタシに惚れーー」

 

「そんなことはない」

 

 俺はゴルシのセリフを遮るようにはっきりと否定した。

 

「まっそうだな、なったらなったらで色々問題になるしな……」

 

「んっ? なんか言ったか?」

 

「なんでもねーよ。もうちょっと飛ばすぞ」

 

 そう言うとゴルシはもう人段階スピードを上げた……それにしても自分を掲げ上げているのに走るフォームが全然ブレないのは地味にすごいことなんじゃないか?

 

 まるでカメラのスタビライザーでブレ修正を行っているのかと思うくらい軸が綺麗だ。

 

「あ、あとゴルシ、なんでーー」

 

「マックイーンを入れたい理由はただ一つ、それは運命だからだ!」

 

「う……運命?」

 

 自分はもうちょっとふざけた理由があるんだろうと思っていたが、意外とシンプルな理由だった。

 

 にしてもゴルシってそんな運命とか信じるんだな……それに走ってて分かりにくいが、尻尾もさっきよりぶんぶん振っているため本当のことのようだ。

 

 その後5分くらいで神社に着くが……流石に段差は揺れるに揺れる。お腹がごすごすと上下に揺らされて地味に痛い。

 

「くっ、聞け新人、不審者はマックちゃんの足が目的だ! そしてもう射程圏内に入ってる!」

 

「あ、脚!?」

 

 そんな高度な変態がこの世にいるのか……あれ、待てよ。その変態に覚えがあるような……。

 

「今からお前を投げる! だからなんとかしてそいつを吹っ飛ばせ!」

 

「ふ、吹っ飛ばすってどうやって!? てか投げるってなんだ!?」

 

「とにかくライジングインパクトでも火龍蹴撃破でもいいから止めてこい!」

 

「いやなんでそんなに仮面ライーー」

 

「うらああああぁぁ!!」

 

「だああああああああああぁぁ!?」

 

 その瞬間、何が起きた分からなかっった……だが俺は激しい向かい風と下に流れている神社の階段を見て自分が空を飛んでいる(と言うよりは斜め上に吹っ飛んでいる)ことを理解した。

 

 人一人投げ飛ばせるなんて……ウマ娘のパワーやべえな。

 

 なんて思っている間に俺の体は階段を登り切る……そして場面を一瞬で理解した。

 

 そこにいたのはテイオーとマックイーン……そして先生だった。

 

 しかし二人は立っているのに対して、先生は座っていた。さらに言ってしまえばマックイーンの真後ろで座っていて両手をマックイーンの脚の方へ伸ばしていた。

 

 そういえば思い出した……先生は脚フェチだった。かなり前にもスペの脚を触ろうとしていた。

 

「アンタって人はァ――!!」

 

 俺がそう大きな声を出すと3人とも俺の方に振り返った。

 

「「玲音(さん)!?」」

 

 マックイーンとテイオーは驚きの声を上げ、先生は呆気に取られるような表情をした。

 

 そりゃそうだ、人が空を吹っ飛んで入れば誰だって呆気に取られるだろう。

 

「って、うわっ!?」

 

 突然、俺の体は不安定になった。声を大きく上げたことによって体の軸がブレたからだろうか……なんとかバランスを取ろうと手足をバタバタと動かす。

 

 しかしそんなことをしている間にも俺の体は先生に近づき……俺が右手を突き出したタイミングで先生とぶつかる。

 

「どはぁ!?」

 

「ぐえっ!?」

 

 先生は自分のパンチもどきで吹っ飛び、自分は地面に腹から着地しその痛みに悶える。

 

 でもここが神社の整地された道でよかった……運が悪ければ角がある石の上に着地していた可能性もあった。

 

「れ、玲音さん……大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫だ、問題ない」

 

「すごいね玲音! 今のどうやったの!?」

 

「ゴルシに頼めばできるぞ」

 

「あっ……や、やっぱり災難だったね」

 

 ゴルシ=災難とでもテイオーは思っているのだろうか……まぁ合っているけど。

 

 ただマックイーンがセクハラされる前に阻止できたんだから、そこはゴルシに感謝しよう。

 

「Yo buddy, You still alive?」

 

「誰が相棒だ……いてて」

 

 俺はお腹を押さえながら、立ち上がる。

 

 ちなみに先生はその後、マックイーンにセクハラをしようとした罰として、ゴルシから関節技を決められていた。

 

   ・ ・ ・

 

 そうしてそのまま練習が再開した。

 

 先生は最初こそは痛そうにしていたが、数分もすればケロリとしていた。

 

 先生曰く「こういうことは慣れている」とのことらしい。いや痛みに慣れているってどういうことだよ。

 

 でもウマ娘4人の本気のキックを食らっても数分後にはピンピンしているような人だから、常人よりも丈夫なんだろうな。

 

「ダービーを本気で制したいなら40秒は越えろ、スペ!」

 

「はい!!」

 

 そうしてスペは何度も階段ダッシュを行っている。だが回数が増す度に脚の動きが鈍くなっている。

 

 しかしスペは弱音を吐かずに走り続けている。

 

「今のは何秒だったんだ?」

 

「41秒9でした……なかなか越えれないですね」

 

 スペは自嘲するように笑ってそう言う。

 

 そしてその顔色には疲労というものが溜まっているのが見て取れた。

 

「……スペ、ちょっと休憩しようか。せんせー! スペをちょっと休ませてもいいですかー!」

 

「あー? わかったー! 5分休憩しろー!」

 

 上にいる先生に許可を取って、スペを休ませる事にする。

 

「どうしてですか、私まだまだやれます!」

 

「疲れっていうのは集中している時ほど気づかないものなんだよ……いいから休めって」

 

「……分かりました」

 

 スペは不機嫌そうな顔をしながら耳を後ろに倒して怒りを露わにしているが、自分が言った通りに休憩を取った。

 

 自分はスペにスポーツドリンクを渡し、スペの隣に座った。

 

「あの、玲音さん。一つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 

「んっ、なんだ?」

 

「玲音さんは……限界を超える方法って知っていますか?」

 

「……限界、かあ」

 

 スペのその問いに俺はどう返答するか悩んでいた。

 

 確かスペに貸した本には「自分の限界を超えろ」みたいなメンタル面な本も入っていたはずだ。

 

 だが……自分に発言する権利なんてほぼない。

 

「目の前にニンジンでも置いてみたら?」

 

「えー!? 玲音さんも同じことを言うんですか!?」

 

「玲音さんもって、他の人にも言われたの?」

 

「はい、昨日スズカさんにも同じことを言われました……」

 

 スズちゃんも同じこと言ったのか……やっぱ幼なじみだから思考が似ているのかな(暴論)

 

「うぅ、玲音さんもスズカさんも私のことどう思っているんですか……私は真剣なのに」

 

「ごめん、ごめん。だけどねスペ……俺にはそれを教える義務はないんだ」

 

「どういうことですか?」

 

「俺は……どうしても限界を超える前に休んでしまう人間だからさ」

 

 サッカーをやっていた時も卓球をやっていた時もそうだった。

 

 自分が限界を超えたことがあるかと言えば、答えとしてはNoになる。もちろん、本気を出して限界を超えたいと考えたことはある。

 

 だが限界を迎える前に足が重くなり、動きが鈍くなってしまう。

 

「こんな俺が言うのもあれだけど、限界を超えるっていうのは誰でもできることではないと思うんだ」

 

「誰でも……できない?」

 

「それこそ才能によるもの……この世で限界を超えられる人なんてほんの一部なんだ。自分たちが限界だと言って区切っているそれは限界なんかじゃない。それは上限ってやつなんだ」

 

「……」

 

「だけど、スペは限界を超えることができる娘だよ」

 

「えっ?」

 

 この前のマルゼンスキーとの模擬レースで……彼女はゾーン状態に達している。

 

 ゾーン状態はある意味、限界を超えた人が発症するものだ。

 

 だから、ここであえてスペに助言を言うなら……。

 

「スペ、この前のマルゼンスキーとの模擬レースは楽しかったか?」

 

「えっ? は、はい?」

 

「だったら俺から言うのは一つだけ……楽しめ、そうすれば自ずと限界は超えられるよ」

 

 そう言いながら俺は立ち上がり、階段の上を見上げて肺に息を入れる。

 

「スズーー!!」

 

 大きな声でスズカを呼ぶと、スズカがひょいと姿を現わす。

 

「ちょっとスペと併走してもらいたいんだけど、いいかなーー?」

 

「分かったわーー!」

 

 そう言いながらこっちへ降りてくるスズカ。そして隣で座っていたスペは慌てて立ち上がって自分の腕を引っ張る。

 

「ちょ、ちょっと玲音さん! 何をやっているんですか?!」

 

「レースは競い合うもの、別におかしくないだろ?」

 

「そうですけどー!」

 

 なんて言い合っているとスズカがこっちに降りてきた。

 

 そして腕をグッグッと伸ばして、走る準備を整えている。

 

「よろしくね、スペちゃん」

 

「は、はい! よろしくお願いします!!」

 

「スペ」

 

 憧れの存在を前に緊張しているスペに俺は声を掛ける。

 

「スズは憧れの存在なんだろ? だったらいつかはその背中を追い越さなければいけない!」

 

「背中を……追い越す……」

 

「必死に食らいつけ! 背中を追いかけろ! そして楽しめ、この勝負を!!」

 

「玲音さん……はい!」

 

 スペはそう笑顔で返事をする。

 

 そうしてスペとスズカは横一列に並ぶ。上を見ると先生がストップウォッチを持ってこっちを見ていた。

 

「じゃあ、始めるよ」

 

「はい!」

 

「えぇ!」

 

「位置について、よーいドン!!」

 

 俺は大きく声を出しながら、持っている旗を上から下に勢いよく振り下ろす。

 

 次の瞬間、二つの風が俺の髪を揺らす。

 

 上を見てみると、そこには先行しているスズカと少し後方に位置つけているスペが見えた。

 

 確かにスズカの方が早いが……特別早いって訳でもない。むしろその差はごく僅かだ。

 

「だあああぁぁああああ!!」

 

 残り半分を超えた時、スペは大きく声を上げた……それは必死に食らいついて行こうという声ではない。

 

 絶対に負けたくないという闘争心から来る……本気の表れだ。

 

 そしてそれに否定してか、スズカとスペの差が縮まってくる。

 

 残り4分の3バ身……半バ身……4分の1……クビ差……!

 

 あともう少しというところで二人は階段を登り切った。直後、俺は左手に持っていたストップウォッチを止める。

 

「……ほら、やっぱり楽しんだ方がいい」

 

 俺が止めたストップウォッチには……38.40と表示されていた。

 

 自分が楽しめって言った直後にここまでタイムが良くなる。言動とか行動、周りに影響されやすい娘なのかもなスペシャルウィークというウマ娘は。

 

 でも、それもまた彼女の才能の一つなのかもしれない。

 

 

 




・YouTubeがだんだんウマ娘の怪文書を書くところみたいになってる。(自分も書いてるけど)

・アオハル杯のコツ掴んだ。そしてAランクが行くようになった!

・次回はこのお話の数分後からのお話の予定です。


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四つ葉のクローバー

 前回のあらすじ:玲音、トレーナーにライダーパンチを食らわした。そうしてスペに限界を超える方法をアドバイスした。

・今回はほぼオマケみたいな感じです。



 スペとスズカが階段で併走した後、二人がこっちに降りてくることはなかった。

 

 恐らく次の練習になったんだろうと思い、俺は階段を上がる。

 

 それにしても改めて思うけど、この階段ってただ急ってわけではなく、石でできており、それも綺麗な階段ってわけではなく、歪な階段で登りにくい。

 

 そんな階段を40秒以内に登り切れるすごさもあるし、全然引っ掛からない正確さもある。

 

 ある意味先生はそこも狙っているのかな?

 

「流石にそれはないか」

 

 階段を登り切るとそこにはマックイーンがいた。

 

 鳥居に座り込んで、見た感じ俺を待っていた感じだ。そして自分の姿を視界内に捉えるとウマ耳をピンッと立てて、尻尾をブンブンと振っている。顔は凛々しいのに、ほんと態度は正直に現れる娘だなマックイーンは。

 

「玲音さん、お疲れ様です」

 

「あぁ、マックイーンも今日はありがとうな」

 

「いえ、今日は有意義のある時間が過ごせました……流石に玲音さんが空を飛んだ時は驚きましたけど」

 

「あはは……いつもはあんなんじゃないよ?」

 

「分かってますよ、あれがいつもだったらカオス過ぎですよ」

 

 マックイーンはクスクスと笑いながらそう言うが……俺は苦笑を浮かべながらマックイーンの言葉を流した。

 

 実際、このカオスさが時々混じるのがこのチームなのだ……ある意味、マックイーンが言っていることも否定はできないのだ。

 

「どうだった、チーム・スピカの練習は?」

 

「他のチームは規律などを守ってますけど、ここは結構自由にやっているんですね」

 

「そうだね、基本ウマ娘の意思を尊重するのが先生のやり方だな」

 

「ウマ娘の意思をする……ですか」

 

「リギルとかは確かに練習の精度も規律性もある。だけどあそこはトレーナーがそのウマ娘に合ったレースを決めて、そこに向かって練習をするってやり方を取っている。だからマックイーンとはある意味相性が悪いチームになるかも」

 

「……そう、ですね」

 

 俺はマックイーンが小学生の頃から背負い続けているメジロ家の悲願を背負っていることを知っている。

 

『天皇賞制覇』それがマックイーンが背負っているものだ。

 

 そしてその悲願に向けてマックイーンが小学生の頃からトレーニングに励んでいるのも知っている。マックイーンは同世代の中では比較的早熟なステイヤーだ。

 

「先生だったら、多分天皇賞・春に向けたプランを考えてくれると思うよ」

 

「そうですか……選ぶ基準の一つにしますね」

 

「ちなみに今はどれくらい入りたい気持ちがある?」

 

「そうですね……まだ見ていないチームもいますからまだ分かりませんけど、6割くらいですね」

 

「あら、意外とお高い」

 

「何ですか、その口調は……ふふっ」

 

 そんな風に笑い合っているとマックイーンはふいに自分の隣を見た。

 

 それに釣られて俺もそっちの方向に目を向ける。

 

 すると見えたのは……草むらに向かって手を伸ばしているスカーレット、ウオッカ、ゴルシ、テイオーの姿があった。

 

「あなたたち……何やってますの?」

「みんな……そこで何してるんだ?」

 

「あっ、玲音とマックイーン。ちょうどいいや、ちょっと一緒に探してくれないかな?」

 

「探すって……何を探すんだ?」

 

「四つ葉のクローバーだ」

 

 俺とマックイーンがテイオーの問いに困惑しているとゴルシがそう答える。

 

 四葉のクローバーって、あの幸運の象徴で有名なクローバーであろうか? いやそれ以外はないか。

 

 もしかしてあれかな、日本ダービーは最も幸運なウマ娘が勝つと言われている。だから幸運の象徴を渡して験担ぎにしようとしているんだろうか。

 

 なんと単純……いや、幸運=招き猫と考えた自分が言えることではないな。

 

「まぁ理由は新人が考えた通りだ」

 

「勝手に俺の思考を読まないで?」

 

 なんで自分の考えたことがゴルシに筒抜けなんだよ、ゴルシだからか(?)

 

「でも意外だな、ゴルシのことだからもうちょっと凝ったことをするかと思ってた」

 

「こういうのはシンプルな方がいいって爺ちゃんから学んでいるからな」

 

「へぇ、いい爺さんだな。大切にしろよ」

 

「おう……」

 

「あの玲音さんにゴールドシップさん? 二人で勝手に話を完結されてもわたくしは何が何だか分からないんですけど……?」

 

 マックイーンにうちのチームにいるスペシャルウィークが次のダービーに出ること。そしてダービーは最も幸運なウマ娘が勝つと言われている、そのため運気がアップする四つ葉のクローバーを探して欲しいということを伝える。

 

 そうして俺とマックイーンも混じってクローバー探しをするが……俺はある一つのことを指示する。

 

「そんな隅を探してもクローバーは多分ないぞ?」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「でも四つ葉のクローバーって見つかり難いんですよね?」

 

 スカーレットは驚き、ウオッカが質問をしてくる。

 

 確かにウオッカが言っていることは正しい。四つ葉のクローバーが見つかる可能性は確率的には1万分の1と言われている。

 

 だがここで勘違いしてはいけないのは、四つ葉のクローバーは決して遺伝による物ではないのだ。

 

 四つ葉のクローバーは三つ葉のクローバーが生長中に何かが原因で芽が傷つき、その傷から分裂して起こる奇形なのだ。

 

 だからスカーレットとかが探していた隅っこ過ぎるところにはなく、逆に俺とマックイーンが立っているような人が踏みそうなところに生えていることが多いのだ。

 

 さらに四つ葉が生えた辺りには三つ葉と四つ葉が混合していることが多い。

 

 その事を説明するとスカーレットとウオッカは納得してくれたらしく、こっちの方に来て四つ葉のクローバーを探す。それを聞いていたゴルシ、テイオーもこっちに来て草むらに手を突っ込み隈無く探す。俺とマックイーンも探す。

 

 それにしても、スズちゃんやライスさんのために身に付けた知識がこんなところに役立つなんてーー。

 

 あれ、俺今何を思った?

 

 スズちゃんや……ライスさんのため?

 

 いや待て待て、なんでそこでライスさんが出てきた? 俺とライスさんは四つ葉のクローバーなんて探しに行ってなーー。

 

『わぁ……本当に四つ葉のクローバーがあった!』

 

『ヘヘっ、だから言ったでしょ? 兄に任せとけって!!』

 

 また、この感覚……この前ゲームセンターで幼いライスさんが視界内に現れたやつだ。

 

 俺は彼女のために四つ葉クローバーを探したことがある。確かその理由は誕生日プレゼントで使うからだった気がする。

 

 だが、どうにも現実味がない……前はライスさんと一緒にいたから本当の記憶だと思ったけど、今回は自然に思い出したからだろうか。

 

 ただ一つ言えることは、自分の記憶は着実に埋まってきているということだ。

 

「みなさん! ありましたわ!!」

 

 マックイーンが声を上げたので俺たちは全員マックイーンの側に歩み寄る。するとそこにあったのは三つ葉に囲まれた一つの四つ葉のクローバー。周りを見てもそれ以外の四つ葉のクローバーはなかった。

 

「うっしゃ! でかしたぞマックイーン!! 今度駅前のパフェ奢ってやるからな!!」

 

「なんで貴女がわたくしの大好物を知ってますの!?」

 

 

 




・次回はダービー回です。


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それぞれが抱えるもの 〜 日本ダービー・前編 〜

 前回のあらすじ:最も幸運なウマ娘が勝つと言われる日本ダービー。スペの験担ぎとして四つ葉のクローバーをダスウオゴルテイレオ、そしてマックイーンで探し、見つけた。

・UA123,000・124,000を突破しました。ありがとうございます!

・ゼブラはロバ系統だから、ウマ娘の世界にもいるのでは?(ロバもウマ科だろ……)



 谷崎玲音の夢 8991 7060 whiteout

 

 不思議な感覚に体が包まれている。これは浮いているのかそれとも沈んで行っているのか。よく分からないが、心地いいということだけは分かる。

 

 そんな風に不思議な感覚に浸っていると……急に視界内が真っ白になる。

 

「……ここは」

 

 俺は確か前にもここに来たことがある。あれは……そうだ、皐月賞の時だ。確かあの時もこんな真っ白な空間に飛ばされていた。

 

 つまりこれは夢だと理解する。そして記憶が正しければーー。

 

「(ガコンッ!)

 

「(ワーー!!)」

 

 皐月賞の時のように周りからは多くの歓声が聞こえてくる。そして真っ正面を見てみるとそこにもあの夢と同じ謎の四足歩行生物がゲートから出て来た。

 

 ただこの前と違うのはゲートが観客席側になっており、日本ダービーと同じような位置関係になっている。

 

 さらにこの前は墨で描かれたようなフォルムだった謎の生物が今回は最初から水彩画で描かれたように色が付いており、それに伴って周りの人たちや風景も色が付いていた。

 

「いけースペシャルウィーク! 今日こそ1着を取ってくれー!!」

 

「皐月みたいな逃げ期待してるぞセイウンスカイ!!」

 

「おいおい……キング逃げてねえか?」

 

 そして観客の言葉を聞く限り、この前と主要メンバーは同じようだ。

 

 それにしてもこの夢は一体なんなのだろうか。皐月賞の時もこんな夢を見たが、その時の結果は現実の皐月賞とリンクし、そのレース展開も全く同じだった。

 

 ある意味これは予知夢というものなのだろうか。

 

「……あまり見たくないもんだな」

 

 ここでスペシャルウィークが負けた場合、それが現実世界のスペに影響する……まだ一回しか実証されていないけど、その一回がとても重たいことだったのだ。

 

 だから俺はこのレースは見たくなかった。だが、夢の覚め方なんて全然知らない。仮に調べていたとしても夢を見ている時の脳がそこまで鮮明に覚えれているのか……。

 

 とりあえず俺は周りの人たちの喧騒を静かに聞き流しながら目の前で走っている謎の生物のレースを見守る。

 

 先頭にいるのは緑のメンコを被っている……あれはキングヘイローだろうか。その後ろにセイウンスカイ……そしてかなり後ろにスペシャルウィークがいる。

 

 そういえば今気づいたけど、あの四足歩行の生物の背中に人みたいなものが跨っている。手には……綱みたいなもの握っており、片方の手に何やら棒状のものを持っていた。

 

 ウマ娘のレースとは違って、あの生物自信が自分たちで動くのではなく、あの跨っている人が生物をコントロールしているという感じだろう。

 

 あと謎の生物謎の生物って俺は言っているけど、あれだって生物なのだろうから名前はあるだろう。見た感じゼブラっぽいけど。

 

 俺は近くにいる人に聞いてみることにした……が、これはもともと俺が見ている夢なのだから自分が知らないものが夢の中で知れるわけないだろうと冷静に心の中で突っ込む。

 

「……っ? あれは、なんだ?」

 

 色鮮やかなこの世界に一つだけ、ポツンと歩いた部分だけが真っ白になっている。あそこは確か……現実の東京レース場だと大欅があるところだ。

 

 なんであそこだけ真っ白なのだろう。俺はその真っ白になっているところを注意深く凝視してみる。

 

 すると輪郭のようなものが見えた。その形は今まさにレースを行っている謎の生物たちと同じだった。

 

「(なんで他の奴は色がついているのにあれだけなんで?)」

 

 なんて思っている間にもレースをしている生物たちは大欅に差し掛かる。と、その時だった。真っ白な生物はそのレースの最後方に位置付けるとレースをしている生物のように走り出した。

 

 そして、この世界から色が奪われていく。真っ白な生物が走ったところはまるで消しゴムで消されたかのように真っ白になっていた。

 

『あーっと!? ここで見覚えのない競走馬が乱入してきたぞ!?」

 

 どうやらあの生物は『きょーそーば』というらしい。そしてここ東京レース場にいる観客たちはみな驚きを隠しきれていなかった。レース場全体がざわめきで包まれる。

 

 さらに遠くを見てみると、その真っ白なきょーそーばに追い付かれた他のきょーそーばは輪郭も分からないくらい真っ白になっている。

 

 しかし前とは違う展開に困惑しながらも、俺はその真っ白なきょーそーばの走る早さに目を奪われていた。

 

 さっきまで最後方だったのに、もう中団のポジションを取っている。そしてその先にいたのがスペシャルウィークと呼ばれているきょーそーばだ。皐月賞と同じ服なので多分同じ子だろう。

 

 つまり現在先頭に着けているのがキングヘイロー、その後ろがセイウンスカイだろう。

 

 そしてレースは終盤戦、第4コーナーを抜けて最後の直線になる……が、ここでキングヘイローは失速し、一気に順位を落としていく。

 

 セイウンスカイがそのまま先頭になる。しかし中団からスルリとバ群から抜け加速してくるスペシャルウィークがセイウンスカイを交わし、どんどん距離を離していく。

 

 残り200mでセーフティーリードができ、このままならスペシャルウィークが勝つだろう。

 

 しかし途中から乱入してきた真っ白なきょーそーばがスペシャルウィークに迫ってくる。後ろにはただただ真っ白な風景があるだけだった。

 

 そして左を見てみるとレース場の観客席も白に飲み込まれている。

 

 周りは白が迫って来ていることにパニックになっているが、どうせ夢だと分かっている俺はそのまま二頭のレースの結果を見守る。その差は半バ身……アタマ差……クビ差……どんどん迫り、二頭はーー。

 

 ドタンッ! と大きな音が俺の耳に入って来てそれと同時に背中に強烈な痛みが襲ってくる。

 

「あだっ!?」

 

 ヒリヒリと痛むところを右手で抑える。最悪な目覚めだった。

 

 その後3分くらい悶絶した後にゆっくりと身体を起こす。

 

「あーもう……朝から散々な目にあった……」

 

 今の時間を知るために俺は立ち上がり、枕元に置いている携帯のホームボタンを押して時間を見る。

 

 時刻はちょうど8時だった。これが京都や中山のレース場だったら遅刻案件だが、今日は東京レース場なので集合時間は遅めだ。

 

 それにしても……。

 

「あの夢は一体何だったんだ?」

 

   ***

 

 朝の5:30から10:00までやっている朝の番組『グッモーニンサンデー』。最初の5:30から1時間と7;00から1時間は真面目なニュースをやっているが、その後は流行の動画やトレンド、人気芸能人によるグルメ紹介や幅広いスポーツコーナーなど様々な要素を4時間半の間に詰めている。

 

 そしてその幅広いスポーツコーナーの間にはトゥインクル・シリーズ。そしてもう一つのリーグであるドリームトロフィーリーグに関するコーナーが設けられている。

 

「いや〜ここからですよ! ここから一気にぐーんと加速して他の娘たちを置き去りにしてますよ!!」

 

 1ヶ月前に行われたNHKマイルカップの映像を見ながら、一人の男性タレントが興奮している。

 

 他のアナウンサーやタレントの人たちはその映像を見ながら「お〜」と感嘆の声を漏らす。

 

「改めて見てみますと、やはりエルコンドルパサーは圧倒的な強さを持っているようですね」

 

「それにこの娘ってまだクラシック級なんですよね? そう考えるとシニアなど年上が多い中でここまで結果を残せるのはかなりすごいことですよね」

 

「彼女の走りを見てファンや雑誌では『ターフを舞う怪鳥』と呼ばれていますからねぇ! その走りは”走る”というよりも”飛んでいる”と表現しても過言ではないですよ!!」

 

「確かに彼女の走りは今年のクラシック級の娘たちの中でも目を見張るものがありますねー」

 

 今日はダービーの日である。今日のこのコーナーはダービーに出走するウマ娘特集になっている。

 

 1番人気であるエルコンドルパサー、3番人気であるセイウンスカイ、そして3番人気であるスペシャルウィークの過去のレースを見て、各々がコメントを出す。

 

 エルコンドルパサーが終わると進行役がセイウンスカイが勝ったレース……皐月賞の時の映像が流れている。

 

「この娘はですねぇ、ちょっと特殊なタイプの娘なんですよね」

 

「と言いますと?」

 

「待ってください……ここですここ。セイウンスカイがここからこっちに移動して来ましたよね? これって後ろにいる娘からかなり体力を削られてしまうんですよ」

 

「えっ、そんなに削れるんですか?」

 

「ウマ娘のレースというのは空気抵抗が少し変わっただけでもスピードが出ている分、変化が大きくなるんですよ。そしてセイウンスカイはそれを最大限に利用して勝つという策士な娘なんですよ」

 

「ファンからはトリックスターと言われているそうですよ」

 

「トリックスター! なんかすごくかっこいい響きだ!!」

 

 今日のゲストである売れっ子ウマ娘俳優が目を輝かせている。それに合わせて周りのタレントやアナウンサーはわははと大きな声で笑う。どうやらカメラには写っていないがディレクターやカメラマンの笑い声もマイクに拾われている。

 

 ある程度軽いお話をすると、次はスペシャルウィークに注目される。テレビで映し出されたのはさっきの皐月賞の映像とその前のレースである弥生賞の映像が上下分割で出されていた。

 

「スペシャルウィークは今年編入したばかりでそのままトゥインクル・シリーズに参戦したそうです」

 

「へ〜あんなに速いのにまだ半月も走ってないの? すごいね〜……」

 

「スペシャルウィークははっきり言って経験不足ですねぇ。エルコンドルパサーやセイウンスカイは去年から走っていますから、そこの経験の差が大きいでしょう。実際彼女の追い込みはかなり素晴らしい。それが顕著に現れたのが弥生賞の結果でしょう」

 

「つまり……ポテンシャルはあるということですかね?」

 

「そうですねぇ」

 

「あとスペシャルウィークといえばこの前の記者会見! あれはネットで話題となりましたよね〜」

 

 男性タレントがそう発言すると場面が切り替わり、数日前に行われたダービーの記者会見の映像は流れる。そこはスペシャルウィークが日本一になると宣言し、ダービーに勝つと決意を表明したシーンだった。

 

「そうそうこれこれ、お母さんの約束を守ろうとする……泣けるお話ですよね」

 

「この記者会見によって、スペシャルウィークを応援したいと思った人は少なくないはずですよ」

 

「ファンに応援してくれるっていうのは想像以上の力をもらえるので、スペシャルウィークさんはいつも以上に力を出せるんじゃないかな」

 

 そうして、このコーナーは終わりが見えて来た。

 

「では最後に……細江さん。今日の注目ウマ娘は誰でしょうか?」

 

 進行役のアナウンサーが向かい側にいる青い服を着た女性に対して問いを投げる。

 

 その問いを答えるのは解説者である細江という人だ。

 

 スタジオにいる全員の視線が細江解説者の方に集まる。

 

「私が注目しているのは……この娘です」

 

 そう言いながら細江解説者はあるウマ娘の写真が貼られたポップを足元から取り出し、机の上に立てる。

 

 そこに写っていたのは……緑色のウマ耳カバーと緑を基調としたドレス型の勝負服を着たキングヘイローだった。

 

「おぉ、キングヘイローかぁ……細江さんは何か期待しとんのか?」

 

「セイウンスカイやエルコンドルパサー、そしてスペシャルウィークがいることで存在が薄いですが……彼女の脚、特に末脚は眼を張るものがあります。いつもと同じく冷静に、自分自身の走りを貫けば結果は分からないと思いますよ?」

 

   ***

 

 みなさん、ご機嫌よう。私の名前はキングヘイローよ。

 

 私は今日の午後から、日本ダービーという生涯で一回しか走れない大切なレースに出走するわ。日本ダービーで勝てばダービーウマ娘の称号を手に入れられる。そうすれば私が目指している一流のウマ娘に一歩近付く。

 

 そして走ることに反対ばかりを押し付けるお母さまに認めさせるの……『あなたはそこで走りなさい』『流石私の娘だわ』ってとにかく褒める言葉を口から出してもらうんだから。

 

「……おかあちゃんとの約束、ね」

 

 私はこの前のスペシャルウィークさんの記者会見でのインタビューを思い出していた。

 

 私とスペシャルウィークさんでは……共通点があっても走る理由は全く真逆だ。

 

 あっちは母親の約束を叶えるために走る。こっちは母親に認めさせるために走る。

 

 ……こう言葉にして考えてみると、私の走る理由がとんでもなく幼稚だと思ってしまう。

 

 世間からしたらこんな私より、立派な理由を持っているスペシャルウィークさんが勝った方が喜ぶのではないだろうか。

 

「(だめ、こんなことを考えちゃ……レースに影響してしまうわ)」

 

 私はぶんぶんと頭を横に振ってネガティブな思考を振り払い、ベッドの枠組みのところに置いている時計を見て時刻を確認する。

 

 時間は6:20を表示していた。暦が6月になり、前と比べると寮の部屋に入ってくる朝日の光彩は多くなっていた。

 

「(……ちょうどいいわ。このまま気持ちを悶々としても仕方がない)」

 

 そう考えながら、私はゆっくりとベッドから離れて立ち上がる。フローリングの床が冷えていて、足裏が一気に冷たくなるがそれを無視してクローゼットの前まで歩み寄る。

 

 そしてクローゼットからジャージを取り出し、それに着替える。

 

「えっへへ〜……ひとがいっっっぱいだああぁぁ〜……Zzz」

 

 ルームメイトであるハルウララさんを起こさないように静かに着替えて、寮室から出る時もなるべく音を立てずに出ることを意識する。

 

 誰もいない廊下を渡り階段を降りて、靴箱で運動靴を履く。つま先をタイルにトントンと軽快に突っつくとその音がエントランス中に響き渡る。

 

 外に出るとさっきまでの暗い気持ちが嘘のように思えるくらい清々しい空気が私の体全体を包んだ。

 

 もう暗いものは私の中にはない……大丈夫。

 

 私はいつも走っているランニングコースを回ろうとウォーミングアップした後、走り出しーー。

 

「こんな時間に何やってんだ?」

 

 後ろから声を掛けられて私の尻尾は一瞬驚きでピンッと立ってしまう。

 

 しかし脳内でその声の主を認識した後、私はゆっくりと振り返る。

 

 そこにいたのはアスケラの学生トレーナーである尊野さんだった。彼にはここ数日お世話になっている。

 

「あら尊野さん、おはようございます」

 

「おはよう、んでキングはこれからランニングか?」

 

「えぇそうよ。この時間に走るのが私の日課なの」

 

「そうか」

 

「そうよ……じゃあそろそろーー」

 

「だけど今日走らせる訳にはいかない」

 

 尊野さんはそう言うとこっちに近づいてきて、私の二の腕をがっちりと掴んできた。

 

「……どういうこと?」

 

「今日は日本ダービーなんだから、体力は温存しておけ」

 

「これは私のルーティンなのよ? やらない方がパフォーマンスを低下させーー」

 

「俺はキングに最高の状態で、自分自身が納得する走りをしてほしいんだよ!!」

 

「っ……」

 

 彼の声音はとても力強いものだった。

 

 いつもの私だったらこう言ってもいつものように「このキングの邪魔をするの!?」とか反論していただろう……だけど、今の私は大人しく彼の言葉に従うのだった。

 

 

 




・40分授業楽や〜^

・福引券……ネイチャのように三等しか出ねえw

・次回、日本ダービー 後編 出走


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夢みたいなダービー 〜 日本ダービー・後編 〜

 前回のあらすじ:玲音は皐月賞みたいな夢を見た。

・UA125,000・126,000を突破しました! ありがとうございます!

・前回の誤字報告ありがとうございます。言い訳させていただくと、参考資料として使っているサイトで『細井』と書かれていたので何も疑わずに書いてしまいました。次の朝、誤字報告を受けてアニメを見るとちゃんと『細江』になってたのでミスったと思いました。大変申し訳ありません。

※アニメで使われたウマ娘の名前が出ますが、耳で聞き取ったので間違っている可能性もあります。



 時刻は大体10時の半ばを指していた。俺は自室でパジャマから学園指定の制服に着替えて後生寮を後にする。

 

 そうして弥生賞や皐月賞にの時にも使った学園の最寄駅まで繋がっている河川敷の土手を歩く。

 

 今日は日曜日ということもあり、河川敷には子ども連れの家族たちやランニングを楽しむ人たちなど多くの人がいた。

 

 その中にトレセン学園の制服を着た栗髪のウマ娘と茶色じみた黒髪のウマ娘が並んで歩いているのが見え、俺はその2人の方へ走り始める。

 

 近づけば近づくほど、その2人が知人だと確信が強くなる。

 

 残り15mくらいになった時、2人のウマ耳がこっちに向いた。ウマ娘は聴力がいいので自分が走っている音に気づいたのだろう。ゆっくりとこっちに振り返った。

 

「あっ、玲音さん! おはようございます!!」

 

「おっはよスペ、スズもおはよう」

 

「うん、おはよう玲音くん」

 

 そこにいたのはスペとスズカだった。皐月賞の時、スペは時走り込みをしていたから、こんな風に3人で歩くのは花見を行った時以来になるだろうか。

 

 そしてスペに会って俺は驚いた……なんとダービーまで残り5時間と迫って来ているのに、スペのウマ耳は横を向いていた。これはいわゆるリラックス状態になっているということだ。

 

「おぉどうしたんだスペ、えらく緊張してないみたいだけど」

 

「それがですね……ちょっといい夢を見たんですよ」

 

「いい夢?」

 

「スペちゃん、夢の中でもう一人のお母さんと会ったらしいの」

 

 スズカがそう言うとスペは照れ臭そう顔を赤らめ、少し笑っている。

 

 もう一人のお母さんというと……生みのお母さんのことだろう。自分は前にスペの口から生みのお母さんと育てのお母さんがいること。そして二人のお母さんに日本一になると約束していることも話してくれた。

 

 それが確か……ダイエットを始めた3日後くらいだったかな。

 

「……とても不思議な夢でした」

 

   ***

 

 目を開けてみると……辺りは真っ暗でとても冷たいところでした。

 

 凍えそうになりながら私は歩いたんです。ずっと、ずっと……。

 

 でもある程度歩いていると少しずつ……少しずつなんですけど、周りが暖かくなっていて。目の前を見ると一筋の光が見えたんです。

 

 その光に向かって走っていると、突然暗かった世界が色鮮やかになったんです。そこは野原が広がっていて、上を見ると青い空に流れる雲、そして私がいたところは丘みたいになっていて下を覗いてみると……白いパラソルの下に木の椅子に座った生みのおかあちゃんが読書をしていたんです。

 

 私はその瞬間に涙が出ちゃって、そのまま全速力で走っておかあちゃんに抱きつきました。

 

 おかあちゃんはかなり困惑していましたけど、私の頭を優しく撫でてくれました。

 

 しばらくして泣き止んだ私はおかあちゃんと今の生活のことをお話ししました。学園のこと、チームのこと、スズカさんのこと、玲音さんのこと、皐月賞のこと……そしてダービーのこと。

 

 おかあちゃんは静かに相槌を打ちながら私の話を聞いてくれました。

 

「知っているわ、全部ね」

 

「えっ?」

 

「だってずっと見守っていたもの、皐月賞も胸がドキドキしてたわ」

 

「見てて……くれてたの?」

 

「えぇ、だって自慢の娘の晴れ舞台なのよ? 見ないわけないじゃない」

 

「……そう、なんだ。見て、くれてたんだ」

 

「レースの時だけじゃない。私はあなたをいつも見守っているわ……次のダービーも頑張ってね」

 

「おかあちゃん……うん!」

 

   ***

 

「そこで私は目が覚めました」

 

「……」

 

「ただの夢ですけど、本当のおかあちゃんと会ったみたいで……とても心の中がスッキリとしているんです」

 

 スペのお話を聞いている時に、俺は少し前に見たお母さんの夢を思い出していた。

 

 俺の場合は夢に溶け込んでいたから、お母さんと久々に会ったというわけではなかったけど……それでも死んでしまった人に会える喜びというのを俺は知っている。

 

「変……ですかね?」

 

「ううん、全然変じゃないよ……今日は頑張ろうな」

 

「っ! はい!!」

 

 その後は普通の世間話をしながら3人で集合場所である駅に向かった。

 

 集合時間までは10分くらいあるが、そこにはすでにスカーレットとウオッカ、テイオーにゴルシ、そしてチームの一員では無いがマックイーンも集合場所に来ていた。

 

 昨日の練習の最後にマックイーンも見に行くと言い出したのだ。その理由としては多分、チームの実力を見たいのだろう。

 

「あっ、スペちゃんにスズカー! おっはよ〜!」

 

「テイオーさん! おはようございます!」

 

「よっ、スペ。調子良さそうだな!」

 

「ゴールドシップさんもおはようございます!」

 

「「スペ先輩おはようございます!!」」

 

「スカーレットちゃんにウオッカちゃんもおはよう! マックイーンさんもおはようございます!」

 

「おはようございますスペシャルウィークさん……今日のダービー、拝見させてもらいますわ」

 

 全員で挨拶を交わす……だが、そこにいなければいけない人がいなかった。

 

 そう、先生だ。先生がこの場にいない。

 

 まぁ、集合時間まで数分はあるけど……。

 

「うっし、じゃあ移動するか」

 

『えっ?』

 

 ゴルシが言った言葉に対して俺たちは全く同じタイミングで同じ反応で驚いた。

 

 いや、えっ? 先生は?

 

「あいつ最近金欠でな……運賃払えないらしいんだ」

 

「「「ウソでしょ?」」」

 

 俺、そしてスズカとスカーレットは口を合わせてそう言った。

 

 いや電車の運賃が払えないって……先生どんだけお金に困っているの??

 

「まっ、嘘だけどな」

 

「嘘かい!!」

 

 俺は大声でツッコむ……いやこれは全然ありえそうと思ってしまった俺が悪いのか?

 

 ゴルシが言うには一回別件があるので、そちらを終わらせてから車で東京レース場に向かうとのことだった。

 

 ということで、俺たちは全員東京レース場の最寄駅に向かった。

 

   ・ ・ ・

 

 東京レース場に着いて指定された観客席に行くとそこには先生がいた。

 

 特に変わった様子もなく、自分たちもスペが準備するまではその日行われている第3Rから第8Rと様々なレースも見た。その間に昼食も取った。

 

 ただしスペは第8Rのむらさき賞は見ずに、自分の準備をするためにみんなとは別に動いた。

 

「よっし、そろそろスペのパドックの時間だろう。お前ら行くぞー」

 

『はい!』

 

 全員で返事をして、チーム・スピカ一同はパドック会場に向けて足を進めた……のだが、俺は少し違うことになりそうだ。

 

 その瞬間、生理現象に襲われてしまったのだ。

 

「あの先生、自分手洗い行ってからパドックに向かいます」

 

「んっ? おぉそっか。パドックにはちゃんと間に合えよ」

 

「もちろんですよ」

 

 んて事で、自分はみんなとは別れてトイレへ行く事にする。

 

 まだ大本命のレースは始まってはいないが、現時点でこのレース場は多くの人が入っている。だからトイレもまぁまぁの列になっているに違いない。

 

 そしてそれは見事に当たって、実際数分並ぶ事となる。幸いにも「膀胱が破裂しそうなくらいヤベエェーイ!!」って訳ではなかったのでそこまで焦ることはなかった。

 

「(さて、早くパドック会場に向かうか)」

 

 そう思い足をパドック会場の方へと向けた時、前に見覚えのある顔の男性がいた。自分が認識したのと同時に向こうも俺の存在を認識した。

 

 流石にこのまま去るのは失礼だと思い、俺は男性に歩み寄る。

 

 その男性とは……この前自分が迷子になった時にお世話になった人だ。

 

「やぁ、元気そうだね」

 

「どうも、この前はお世話になりました」

 

 俺は深々と頭を下げる。男性は申し訳なさそうな顔をして謝罪するのをやめてほしいと言った。だが色々パニックになっており、しっかりとお礼を言えてなかったので、ちゃんとお礼を言う。

 

 俺は頭を上げると、その人がスーツを着ており、首に報道関係者と書かれたカードホルダーを掛けていた。

 

「あぁ、これ? 今日のダービーは僕が解説をするんだ」

 

 確かこの人はウマ娘の専門家でレースの解説やアドバイザーなど、様々なことを行なっていると聞いた。

 

 つまり本業として呼ばれているのだ。なんの不思議なことでもない。

 

 なのになんでだ? この人からは何か変な気を感じる……それにこの前の質問も気になっている。

 

『君はスペシャルウィークとエルコンドルパサーが同じレースに走ることをどう感じるかな』

 

 その質問の理由……なぜあんなことを聞いたのか知りたい。

 

 それにこの人は普通だったらスペシャルウィークが勝つとも言っている。

 

 もしかして……エルがこのダービーに出ること自体がイレギュラーなことなのか?

 

「(なんて……な)」

 

 ここにいても疑問だけしか出てこないみたいなのでここは立ち去ることにする。

 

 そうして断りの言葉を考えていると……その男性に近づいてくるまた新たな男性が現れた。

 

「こんなところにいたんですねユタカさん」

 

「やぁ、来てくれたんだね」

 

「正直言って結構悩みましたよ。なにせ遥か昔の黒歴史を掘り下げられる訳なんですから」

 

「そんなこと言わないで……このダービー、何が起こるか分からないよ」

 

「そうですね、エルコンドルパサーが出ている時点で向こうとは違いますからね」

 

 この解説の人、ユタカさんっていうんだ。そういえば名前を聞いていなかったな。

 

 多分字としては『豊か』こうやって書くんだろう。まぁ、由多加とかもありえるかもしれないが。

 

 ……それにしてもユタカさんとこの男性の会話、なんか少しおかしくなかったか?

 

『遥か昔の黒歴史』『向こうとは違う』。普通の人では絶対言わないような言葉をこの人は言っている。

 

 ……その時、俺の頭脳は一つだけ、ある可能性を導き出した。しかし自分自身で考えても、それはありえることなのだろうかと考えてしまう。自分自身の単なる戯れ言や厨二思考だけなのかもしれない。

 

 だけど、聞いてみたい。

 

「あっ、ユタカさんこの子がこの前行ってた迷子の子ですか?」

 

 どうやらユタカさんは自分のことをこの人にも伝えるみたいだ。

 

「ど、どうも……高校生で迷子になったしがない者です……」

 

「あはは、本当に災難だったね。ユタカさんがそこら辺を散歩してなかったらどうなったか」

 

「それはそうですね、本当に拾ってくださったのは大変幸運なことでした」

 

「困っている人がいれば助けるのは当たり前じゃないかな」

 

 そう言いながら優しく微笑むユタカさん。やっぱり迷子になってお世話になった時も思ったが、この人は本当に優しい。そんな人の知人なんだから後に来たこの男性も優しいだろう。(こっちは完全に主観だが)

 

 だからこそ……自分が血迷ったことを言っても笑って過ごしてくれるだろう。

 

「あの、お二方に聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 

「何だい?」

「何かな?」

 

「……ウマ娘は、別世界の名前を受け継いで走るって言われていますよね」

 

「そう言われているね」

 

「もしかして、あなたたちはその別世界の住人じゃありませんか?」

 

「「……」」

 

 俺がそう本気で聞いてみると……ユタカさんは真顔になり、もう一人の男性は驚いたような顔を浮かべた。

 

 恐らくチームに入る前に俺だったらそんなことは考えなかっただろう。だがスペの勝負服でお店の店員さんに聞いた『勝負服に込められている別世界のパートナーの魂の残滓』。そして俺が二回見たあのきょーそーばの夢、そこにはきょーそーばに乗ってコントロールする人間がいた。

 

 自分の夢はともかく、他の人が別世界線の存在を認めている。

 

 そしてこの二人の言動……まるでこのダービーを行われている・知っているような言葉。それによって俺はそう結論を出した。

 

 周りは観客が喋り歩いていてガヤガヤとしているが、自分たちのいる空間は嫌に静かだった。

 

「そうだね……否定はしない、とだけ言っておこうかな」

 

 そう言ってユタカさんはその場から去って行く。近くにいた男性も少し遅れたユタカさんの後を追いかけた。

 

 否定はしない……ということは、自分が言ったことは合っていたのだろうか。

 

 でも今はそんなことを考えている時間はなかった。もうすぐスペのパドックが始まってしまう。俺はユタカさんが去った方に走り出して、ユタカさんの背中を追い越してパドック会場に向かおうとしたが。

 

「あぁ、そうだ。これは最後に言っておくよ」

 

 横を通り過ぎようとした瞬間、声を掛けられたので俺は足を止めてユタカさんの方に振り返る。

 

「サイレンススズカ……彼女に無理はさせないようにね」

 

「えっ?」

 

 そう言うユタカさんの表情は……やけに固いものだった。

 

   ・ ・ ・

 

 スペのパドックに間に合いちゃんと見守った後、俺たちは地下バ道でスペを見送った。

 

 その際、ゴルシが手作りしたであろう四つ葉のクローバーのお守りをゴルシはスペに投げ渡した。

 

 いつもだったらスズカが励ましの言葉を言ってそれに自分も続くと言う流れだが……今回に関してはスズカに全部言われてしまったので「頑張れ」としか言えなかった。

 

 そしてみんなで観客席に戻ったのと同時にウマ娘の本バ場入場が始まっていた。

 

『まずは弥生賞3着、皐月賞2着。いざ頂点へ、キングヘイロー!』

 

 このダービーのために逃げという新たな武器を作り上げて来たキングヘイロー。見た感じ緊張はしてはなさそう。比較的落ち着いている。

 

 だけど、この大舞台で初めての作戦を実践できるのだろうか。気持ちが昂ぶって掛からなければいいが。

 

『皐月賞の屈辱は果たせるのか! 奇跡を起こせ、スペシャルウィーク!』

 

 一方こっちは皐月以上に入っている観客に圧倒されている。だが目は楽しそうに輝いている。緊張の心配はなさそうだ。

 

 それに皐月賞の後はしっかりとダイエットを行い、成功している。今回は期待できるだろう。

 

『皐月賞ウマ娘、悲願の二冠へ! トリックスター、セイウンスカイ!』

 

『貫禄が増しましたね』

 

 次に現れたのはセイウンスカイ、大勢の観客の前に立っても顔色一つ変え……いや、よく見てみると口角が上がっている。

 

 やはり生涯に一度しか戦えないダービー……心の尻尾が踊り出すものがあるんだろう。

 

 そして今の声、ユタカさんだったな。

 

 そうして次々と日本ダービーへ出走するウマ娘たちが本バ場入場してくるが……観客の多くは大本命を待っていた。

 

 まだか……まだか……観客たちは地下バ道の出入口に視線を集める。

 

 次の瞬間、東京レース場は観客の歓声と拍手に包まれる。その理由は単純明快、マスクで素顔を隠した怪鳥がこの東京レース場に舞い降りたからだ。

 

『さぁ、最後にやって来ました! 1枠1番! ここまで5戦5勝! 負けを知らない無敵の怪鳥、エルコンドルパサー!!』

 

 名前を言われた瞬間、完成はさらに大きくなる。彼女の名前を呼ぶ観客もいる。

 

 その堂々たる入場に多くの人たちは彼女に魅入っていた。そして素人の自分でも分かるくらい、彼女は闘志に溢れていた。

 

『堂々の1番人気です!!』

 

『今日は気合が漲っていますねぇ……!』

 

 出走する全員が揃い、後は出走を待つだけになった。そわそわする者、予想を立てる者、応援を送る者、様々な人たちがいる。

 

 そしてうちのチームトレーナーである先生は……。

 

「スペが小さい……」

 

「……先生、それ逆ですよ」

「……トレーナー、逆ですけど」

 

 自分とウオッカが指摘すると、双眼鏡を真逆に見ていたことに気がつくトレーナー……いや、どんだけ緊張しているんだ。

 

 と思ってたら呆れたようにスカーレットが自分が心の中で思ったことを言ってくれた。

 

 でもまぁ、気持ちは分かる。

 

 だって……始まる前から胸がドキドキしているんだ。始まったらどうなるんだろう。

 

 いかんいかん、自分も気持ちが昂ぶってきてしまった。

 

『さぁ準備が整いました! 日本ダービーのファンファーレです!』

 

 そう実況者が言ったのと同時に東京レース場にファンファーレが鳴り響く。

 

 低音楽器と打楽器はレース場を揺らし、高音楽器は天高く劈くような音が鳴り響く。

 

 ファンファーレが終わるのと同時に東京レース場は拍手と歓声でまた包まれる。

 

 そして出走ウマ娘が次々とゲートインしていく。

 

『ウマ娘の祭典! 日本ダービー!! 今ーー』

 

『ガタンッ!』

 

『スタートしました!!』

 

 ゲートが開いた瞬間、18人のウマ娘が一斉に並んでスタートダッシュを切る。観客たちのボルテージはマックスに等しい。

 

『さぁ誰が先頭に躍り出るのか! まずはセイウンスカイか? いや内からキングヘイロー! ヤスナリチキータも来た!! 激しい先行争いだ!!』

 

 先頭では3人のウマ娘が先行争いをしている。その中にはキングヘイローの姿がいた。

 

 どうやら本当に逃げを選んだようだ。心なしかセイウンスカイは驚いているようにも見えた。だが彼女は頭がいい、だから今彼女の頭の中では終盤の立ち回りのことを考えているだろう。

 

「いけー!」

 

「いけー! スペちゃん!!」

 

 第2コーナーを回り、先頭に立ったのはキングヘイローだった。これには実況、そして観客の多くは驚いていた。当たり前だ、この大きな舞台で前走と違う作戦で走るなど普通は滅多にしないからだ。

 

 ただ、なんだろう。今のキングは視野が狭まっているようにも見える。セイウンスカイは2番手についている。

 

 スペは中団に控えていた。よく見てみると他の娘の後ろにぴったりとついている。あれはマルゼンスキーとの模擬レースで身に付けたスリップストリームだ。

 

「特訓の成果、出てるみたいだな……!」

 

「そうですね!」

 

 スペの少し後ろにエルがいる……最後の直線まで脚を溜める作戦だろうか。

 

 レースは第3コーナーを回り、いよいよ後半戦。先頭は変わらずキングヘイローだった。

 

 しかしキングヘイローの表情は明らかに苦しそうだった。

 

 そしてレースとしてはセイウンスカイや他の娘が仕掛けてもいい頃だ……そう思うと、1人……いや、2人仕掛けた!

 

『ここでセイウンスカイが先頭に立った!! キングヘイローはここまでか……先頭はセイウンスカイ!』

 

 その1人はセイウンスカイ、スピードを上げてキングヘイローを交わす。キングヘイローも負けじと食いつこうとするが、彼女に余力はもうなかった。

 

 交わした瞬間、観客は大きな歓声を上げる……しかし次の瞬間、多くの人は歓声をやめた。

 

 その異変に気付いたセイウンスカイは後ろをチラッと見る。

 

 そこにいたのは……スペだった。

 

『スペシャルウィーク! スペシャルウィークがやって来た!!』

 

「よし、来た!!」

 

「いっけー!!」

 

 俺とテイオーは思わず声を上げてしまう。

 

 レースは残り400m。この先は急な坂が待っている。だからこそセイウンスカイは『皐月賞の時のスペ』を思い出しているだろう。スペは坂に弱い。このまま坂で振り切れば最後の直線でも追いつけないだろうと。

 

 しかし、セイウンスカイの予想通りにはならない。なにせ、あの階段ダッシュはこの時のために用意していたものなのだから!

 

 スペは坂に入る前と入った後で歩幅を狭めた。

 

「坂だ!」

 

「出た、ピッチ走法!!」

 

 ピッチ走法によって坂によるスタミナ消費を削減、回転力を上げる事によって加速力を維持する。

 

 前回のスペはこの知識がなかった……だけど今回はある!

 

「(坂は……!)こん、じょおおおおぉぉ!!」

 

 坂の半ばでスペはさらに加速した。そしてどんどんセイウンスカイとの差が近付いてくる。

 

『おーっと! スペシャルウィークがセイウンスカイにーーーー並ばない、並ばない! あっという間に交わした! スペシャルウィークだ!!』

 

 スペとセイウンスカイの差はどんどん開いていく。その光景を見た観客は大いに興奮していた!

 

 ……しかし、その興奮はスペだけのものではなかった。

 

『おおぉっと! 内から凄い脚! やはり来た、やはり来た!!』

 

 そのウマ娘はセイウンスカイを簡単に抜き去り、驚異的な追い上げでスペに迫って来る。

 

 赤いコートを風にたなびかせて、マスク越しに見える瞳はゴールを見据えている。そう、そのウマ娘の名はーー。

 

『飛ぶように走る怪鳥! その名はッ! エルコンドルパサーだー!! 迫る迫る! スペシャルウィークに迫る!!』

 

 1番人気の登場により、観客たちは興奮を超えて狂喜乱舞している。

 

「くっ、簡単には行かないか!」

 

「メチャクチャハヤイ!?」

 

 テイオーが素直な感想を述べる……だが、本当にテイオーの言う通りなのだ。

 

 エルは早い……ラスト200mの前からスペを追い越し、一気に2バ身は離した!

 

 その圧倒的な力に実況や観客……そして実際に対峙しているスペは驚きを隠しきれていなかった。

 

「っ……! ぐっ……!」

 

 ここまでスペが苦しむ声が聞こえたような気がした……無理もない。ここまで離されてしまえば、巻き返すことなどほぼ不可能だからだ。

 

 だけど、それでも!

 

 スペはまだ諦めていない。それはお母さんとの約束……日本一になるという夢があるからだ。

 

 柵を掴む手が自然と力んでしまう……その時だった。自分の左手が誰かの手に包まれた。

 

 俺はその手を包んだ本人と目が合う。そうして、俺たちは以心伝心した。

 

 俺は大きく、息を吐いた後……お腹に空気を入れて叫ぶ。

 

「スペちゃあああああん!!」

「スペエエエエエエェェ!!」

 

 周りのみんなは俺とスズカが大声を出した事に驚く。だがこれくらいじゃないといけないのだ。これはスペの耳に絶対に届かせないといけない応援なんだ。

 

 見るとスペはこっちを向いて……。

 

「うわぁぁぁあああ!!!!」

 

 吠えた。今まで出したことのないような大声を出しながら……目をきつく瞑り、残りの力を全て出し切る。

 

 その気迫のある声にエルは驚いていた。

 

『スペシャルウィークが巻き返してきた!!』

 

 そしてどんどん、差を縮め……残り10mで追いついたようにも見えた!

 

『ダービーを取るのは……どっちだぁーー!!』

 

 そうして……2人はほぼ同じタイミングでゴール板を駆け抜けた!!

 

 その直後、スペは勢いよく転倒した。レースの早さの勢いで転倒なんてしてしまえば……最悪怪我をするかもしれない。

 

 そう思った俺は結果を見ずに柵を乗り越え、倒れたスペの元へ駆け寄る。

 

「はぁ、はぁ……スペ!!」

 

「っ……玲音さん」

 

「すごい勢いで転んだけど、大丈夫か!?」

 

「は、はい……あの、結果はどうでしたか」

 

「……それがーー」

 

 判定中だと言おうとした瞬間、東京レース場に歓声……いや、困惑した声が聞こえてきた。

 

 何を困惑しているんだと思って、俺は確定板の方を向いてみる。そこに表示されている単語を俺は何も考えずにそのまま口から漏れた。

 

「写真……?」

 

「えっ?」

 

『今年の日本ダービーは写真判定! 写真判定となりました!!』

 

 写真判定……それはあまりにも接戦だった時に行われる判定方法。

 

 だけどGⅠ、さらに日本ダービーという大舞台で1着を決める写真判定なんて聞いたことがない。

 

「スペちゃん!」

 

 声がした方に顔を向けてみると、スズカが柵を乗り越えてスペの元へ駆け寄ろうとしていた。

 

 自分はスペに肩を貸して、ゆっくりとスペを立たせる。

 

 そしてスズカがスペを抱きしめる。その瞬間、脚が崩れるかのように力を無くす。

 

「スズカさん、玲音さん。私、限界超えました……?」

 

「えぇ……!」

 

「あぁ!!」

 

「っ……私にとってのニンジンは……スピカの皆さんでした」

 

 その言葉を聞いて、俺とスズカは笑った。

 

 次の瞬間、東京レース場が再び騒がしく……いや、健闘を讃えるような賞賛の声が聞こえてきた。

 

 俺たち3人は一斉に確定板を見上げる。

 

「同……着?」

 

「同着!?」

 

 エルが驚いて、スペが素っ頓狂な声で言ったその単語と目の前に見えている単語……思考がショートして最初は理解できなかった。

 

 しかし思考が落ち着いてくると『同着』の意味を思い出してくる。

 

 てことはだ……今年の日本ダービーを制したのは。

 

『信じられません! ダービーを制したのは2人!! エルコンドルパサーとスペシャルウィークだ!!』

 

 その瞬間、観客席から拍手が送られる。

 

「や……やったー!! スズカさん、玲音さんやりました!!」

 

 そう言った瞬間、スペは俺とスズカに抱き着いた。

 

「あぁ! おめでとう!!」

 

「ダービー優勝、おめでとう!」

 

 めちゃくちゃ喜ぶスペをスズカの2人で相手する。まぁ俺も興奮しているからちょっと変なテンションになっているけど。

 

「エルも、ダービー制覇おめでとう」

 

「玲音さん……はい」

 

 ……アレ、なんかいつものエルと違う?

 

 変な違和感を覚えながらも、エルはスペの前まで歩み寄る。

 

「スペちゃん、ありがとう」

 

「えっ?」

 

 いつもと口調が違うエルに少し困惑した表情をするスペ。

 

 しかし、彼女の顔を見た瞬間、すぐに気づいたのだ。『こっちがエルちゃんの本当の素顔なんだ』と。

 

「ワタシ、今まででいっちばん楽しいレースでした!」

 

「っ……! 私も! エルちゃん、ありがとう!!」

 

 そう言うとスペはエルに抱き着いた。それを見ていた東京レース場の観客たちは2人へ大きく温かな拍手を送った。

 

 ……その後、スピカのみんなや先生たちもトラックの中に入ってきて、若干暴走気味になっていた先生からスペを守るのが地味に大変だったのは、また別のお話。

 

 

 




・ダービーの出走時間に合わせるつもりだったのに2時間も遅れて申し訳ありません。(想像以上に長くなった……)

・デジたんが実装だってよ!! (石を溶かす)覚悟はいいか? オレはできてる。

・次回はダービーを終えてのお話にする予定です。


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栄光の影に 〜日本ダービーを終えて〜

 前回のあらすじ:日本ダービー、その結果はエルコンドルパサーとスペシャルウィークが同着という結果で幕は閉じた。


 頭が真っ白になった。

 

 呼吸する声がうるさい……ターフで走る音がうるさい。

 

 私は必死になって脚を動かす。しかし私の体は思考と行動が追いついていなかった。

 

 だけど第3コーナーを回って、私は1番手……このまま行けば私は1着を取れる!

 

 ……なんて、夢のまた夢だったのだ。

 

 第4コーナーに差し掛かった辺りでスカイさんが外から加速してきた。それを見た私はもっと脚を動かそうとするが、思考に追い付けてない体では本気のスカイさんに届くはずがなかった。

 

 そのままスカイさんとの距離が離れていく。でもそれだけならまだ大丈夫だ。日本ダービーで2着は十分な成績だ。

 

 そんな甘えが頭の中で無意識的に浮かんでしまう。その直後だったスペシャルウィークさんが私を交わしたのは……いや、彼女どころでは無い。エルコンドルパサーさんに中団で脚を溜めていた多くのウマ娘たちが外から私を交わす。

 

「(嘘だ……うそだうそだ嘘だっ!!)」

 

 私は無我夢中になって脚を動かそうとする。なのに私の脚は思考とは裏腹にどんどんスピードを落としている。

 

 第4コーナーを回り、私は横目で後ろを見てみる。すると後方で様子を見ていた娘たちが一気に追い上げているのが見えた。

 

 逃げたい……なのに脚は動かず、私は外側でウマ娘たちが抜いていくのを眺める事しか出来なかった。

 

 ふとあるウマ娘と目が合った。それは私と同じチームの娘だった。その娘の瞳はまるで信じられない物を見ているかのように私を見ていた。

 

「(あぁ……あぁ……!)」

 

 私は最後まで顔を上げて走り続けた。顔を下げてしまえばいよいよ負けを認めてしまうという事だからだ。

 

 そしてゴールまで残り100mの時、観客席から歓声が聞こえてきた。実況を聞いてみる考えるにスペシャルウィークさんとエルコンドルパサーさんが同じタイミングでゴールインしたのだろう。

 

 そんな他人の歓声を受けながら……私はゴール板を切った。

 

「(私は……何着だったの?)」

 

 もう何人に抜かれたのか覚えていない。後ろを見ても、他の娘たちもゴール板を駆け抜けており、自分が何着なのか分からない。

 

 いつもみたいに確定板を見上げる……だが確定板は5着までしか表示されないことをその時だけは忘れていた。

 

 そして私はその確定板に書かれている文字に驚きを隠せなかった。

 

「同……着?」

 

 それはつまりこのダービーを制したのは2人という事になる。

 

 ……スペシャルウィークさんとエルコンドルパサーさんが1着。スカイさんは4着。

 

 その事を事実として受け入れた私はきつく目を瞑り、天を仰いだ。

 

   ・ ・ ・

 

「いやーまさかあそこで抜けられるなんて思わなかったよ〜」

 

「はい! この日のためにしっかりと練習を重ねたんです!」

 

 エルコンドルパサーさんとスペシャルウィークさんの1着が決まった後、私はスカイさんと一緒にスペシャルウィークさんにお祝いの言葉を贈っている。

 

 確かにスペシャルウィークさんの迫力は皐月賞とは全く違うものがあった。それは抜かれた時に思った。

 

「トレセン学園に来てまだ数ヶ月で、ここまで走れるなんて……本当に尊敬するわ」

 

「キングヘイローさん……ありがとうございまーー」

 

「キングよ」

 

「えっ?」

 

「これからはキングでいいわ、スペシャルウィークさん」

 

「……分かったよ、キングちゃん!!」

 

「ちゃ、ちゃん!?」

 

 こうして勝者にお祝いの言葉を贈るのは一流のウマ娘にとっては当然な事だ。今までだってそうして来た。

 

 ……なのに、私の奥底にいる自分自身はこの場から離れたくて仕方なかった。

 

「あっ、スペシャルウィークさん! 週間トゥインクルの相木です! 今取材は良いでしょうか?」

 

「えっ、あ、あの今はみんなとーー」

 

「いいわよ、勝者は素直にインタビューを受けておくものよ。じゃあまた明日、教室で会いましょう」

 

 そう言いながら私は堂々とその場を去る。スペシャルウィークさんとスカイさんが私に何かを言っていたような気がするが、それは気のせいだと思いそのまま地下バ道まで歩く。

 

 あの週刊誌の記者さんが間に入って来てくれたお陰であの場を去るちゃんとした理由ができた。勝者であるスペシャルウィークさんとエルコンドルパサーさんはもちろん、皐月では1着だったが4着だったセイウンスカイのインタビューをあの記者の方は取りたいだろう。

 

 逆に言えば10着にも入っていない私をインタビューする価値などない。

 

 ……今の私は価値のないウマ娘だからだ。

 

「自分自身で改めて考えると……結構心にくるモノがあるわね」

 

 自分自身の控え室まで戻り中に入ってゆっくりと扉を閉めた後、私は部屋の隅に移動して壁にもたれかかりながらそのまま座り込む。

 

 あぁ、ようやく1人になれた。

 

「うっ……ぐすっ……あぁ……!」

 

 私の瞳から大きな温かい水の雫が溢れてくる。その雫はいま着ている勝負服のスカートを濡らす。

 

 私は一体、何をしているんだろう。

 

「(今日は生涯に一度しか出られないダービーだったのよ……なのになんなのよ! この体たらくは!!)」

 

 ダービーに勝つため? これが最善の一手?? あの時会った谷崎さんにはそんな大それたことを言った。

 

 だけど私は怖れていただけなのだ。自分は一流なんかではなく、平凡なウマ娘……それを認めるのがイヤだっただけなのだ。

 

 作戦を逃げにしたのだって、結局は自分の本当の走りというものから逃げた結果なのだ。

 

 でも、いよいよ認めないといけないのかもしれない。いや、認めてしまった方がこの先の人生が楽になる。

 

「(私は……一流なんかじゃーー)」

 

「キング?」

 

 自分自身の愚かさを認めようとしたその瞬間、前から声を掛けられた。

 

 私は顔を上げてその声の主……尊野一真の見上げる。彼には今回のダービーに向けて色々とお世話になった。

 

 いつもだったらこんなはしたない姿を見られるなんて死んでもイヤなことだが……今は何のリアクションも起こせない。

 

「部屋のノックくらいしなさいよ」

 

「したよ。だけど何も返事がなくて……泣いているのか?」

 

「……えぇ、悪い?」

 

 私の口は今や考える前に言葉が漏れてしまっている。だからこそ私が言っていることに私自身が情けないと思ってしまう。

 

 一流なら、もっと考えて発言しなさいよ。

 

 なんて思っていると控え室内に携帯の着信音が鳴り響く。

 

 私はゆっくりと立ち上がってバッグの中から携帯を取り出す。

 

 そこに表示されていたのは……『お母さま』の文字。

 

「(慰め……いえ、きっと逆ね)」

 

 そうは分かっていても私は通話ボタンを押した。

 

『……もしもし?』

 

「……ごきげんよう、お母さま」

 

 そう言うと尊野さんは驚いたような顔をしている。

 

『ダービー見ていたわ……まさか2人も制するなんて誰が想像したんでしょうね』

 

「……そうね」

 

『スペシャルウィークさん、そしてエルコンドルパサーさん。同期にあそこまでずば抜けた存在がいるとはね』

 

「……えぇ」

 

『ーーでも今日の走りはどういうことかしら?』

 

 それを聞かれるのは当たり前のことだろう。

 

「……分からないわ」

 

『分からない? 自分自身の走りが分からない者にターフで駆ける権利なんてあるかしら?』

 

「……ないわね」

 

『なら、その身に染みたんじゃないの。『もう諦めるべきだ』って』

 

「……」

 

 入学当初からそうだった。お母さまは私をレースで走る事を忌み嫌っている。初めて重賞レースを走った時もこうして電話をし辞めるように言ってきた。皐月賞の時も「もういいでしょ?」的な物言いもされた。

 

 だけど私はそんなお母さまを認めさせたくて必死になっていた。

 

 でも、ここで折れれば……楽に終わる。

 

「そうね……」

 

『……その物言い、諦めるってことね』

 

「そうよ」

 

 今まで言いたくなかった……でも今なら素直に言えそうな気がする。

 

 重たかった枷が外れたように思える。

 

「私は、一流なんかじゃーー」

 

「違うッ!!」

 

 尊野さんが……そう叫んだ。

 

「キングは一流だ! その素質だって才能だって、努力できる力もある!!」

 

『……そこに誰かいるの?』

 

 ウマ娘はヒト耳はあるが退化していてあんまり使いものにならない。聴覚を担っているのはウマ耳の方だ。

 

 しかしヒト耳とは違ってウマ耳は頭より上にある。だから普通の人みたいに携帯のスピーカーを耳に当てるのは肩を痛める。なので電話は基本スピーカー通話にするのだ。

 

 つまり今のお話を尊野さんは全部聞いているし、お母さまも尊野さんの声を聞いている。

 

「俺は尊野一真! 彼女が所属しているアスケラの学生トレーナーです!!」

 

『学生トレーナー? 担当が付いていない分際で何をほざいているのかしら?』

 

「確かに俺はまだ学生トレーナーです。だけど彼女の才能を貶すことは親であるあんたでも許さない!!」

 

『じゃあ今日の走りをどう説明するのかしら? 14着で才能を持っているというのかしら?』

 

「今のキングは自分を見失っているだけだ! それを見つけてあげるのが、俺たちトレーナーの仕事だ!!」

 

 彼はそう言いながら私に近づき、私が手に持っていた携帯を奪い取る。

 

「キングはこれからも走らせますよ。あんたが止めようと関係ない」

 

 そう言うと彼は通話終了ボタンを押した。

 

 その後、この控え室に静寂が訪れる。

 

 私は何かを言おうとしたが、上手く口が動かない。

 

 自分の体が思ったように動かないことに悶々としていると、彼は私の目を真っ直ぐと見つめた。

 

「キング、正直言って今日は……君の走りは見えなかった」

 

「っ……分かっ……てるわ」

 

 それは私自身が痛いほど自覚している……だからもうーー。

 

「だから、また見つけよう……1からもう一回」

 

「……1、から?」

 

「そうだ。それは途方も無い時間を費やすことになると思う……だけど、約束させてくれ」

 

 彼は大きく深呼吸をして、強い眼差しで私の瞳の奥を見て言った。

 

「俺は絶対、キングの近くにいる……だから走ってくれ、これからも」

 

「……」

 

 ーーその言葉で何が変わるというの?

 

 いえ、何も変わらない。だけど変わらないのはこの今だけよ。

 

 ーーその言葉は価値ある言葉かしら?

 

 そんなの分かるわけないわ。少なくともこうしてうだうだしている今はね。

 

 ーー一流じゃない男の言葉に耳を傾けるのかしら?

 

 いえ逆よ……私は一流じゃない。彼も一流じゃない。ならなればいい、2人で一緒にね。

 

 ーーその先は茨の道が待っているわよ、楽にならなくていいの?

 

 それもいいかもしれないわね……でも、一流になろうとするウマ娘は道を選ばないわ。

 

 それに……この人と抗ってみるのも、案外面白いかもしれないわね。

 

「……分かったわ」

 

「っ! 本当か! よかーー」

 

「ただし!!」

 

 すぐに喜ぼうとする尊野さんを制止させて、私はある要求を提案……いえ命令する。

 

「あなたもキングと一緒に一流になりなさい! そして一緒に高みを目指す権利をあげるわ!! おーっほっほっほ!!」

 

 いつもしているような高飛車な笑い声を上げる……なんか久しぶりにした気がした。

 

「ははっ、やっといつものキングになった……分かった、俺も一流になるよ!」

 

 私の名前はキングヘイロー……一流になるウマ娘よ!!

 

 さぁ始めましょう……また1から、一流を目指す旅をッーー!!

 

 

 

 

 




・デジちゃん可愛い……出てくれてありがとう。

・ヨウツベ怪文書が400くらいハートつけられた……わお。

・次回から第5.5R、スズカを中心としたお話の予定です。


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第5.5R「ドリームレースと新加入と夏本番」
幼なじみがいる / 宣戦布告


 前回のあらすじ:ダービーを惨敗してしまったキングヘイロー、一時は走ることをやめてしまいそうになったが、尊野の説得によって再び一流を目指すことを決意する。

・UA127,000・128,000を突破しました。ありがとうございます!



 ダービーが終わり季節は6月の中旬に入った。いつもだったら朝はコンビニで買っているパンといちごジャムで朝食を済ませているが、ダービーに向けて練習の方に石が向いていたため、すっかり買うのを忘れていた。

 

 だから今日は後生寮の寮食を取っている。

 

 とは言ってもここの寮食はその美味しさとからはとても考えられないくらい安い値段なのだ。

 

 簡単に言ってしまえば某コメダの朝食セットがもっと安く食べられるような感じ……いやあれは朝食自体は無料だけど……。

 

 ともかく、ふわふわなトーストバターに小豆ペーストを乗せてその甘じょっぱさを楽しみながら、コーヒーを啜るという優雅な朝食だ。

 

 食堂に備え付けられているニュースでは東海、関東は今日梅雨入りを宣言したと言っている。

 

 確かに今日は雨が降っていたが……なるほど、今日から梅雨なのか。

 

 チーム・スピカに入って大体3ヶ月。なのに梅雨になるまでが遅かったような……実際は3ヶ月しか経っていないのに体感的には半年くらい経っているような気分だ。

 

 でもそう思えるのは多分……毎日が楽しい(もちろんきつい時もあるけど)からなんだろう。

 

 でも、やっぱり一番は……。

 

「(スズちゃんに会えたから……だよな)」

 

 きっとチーム・スピカに入っていたとしても、スズカがいなかったらこんな事にはならなかったと思う。

 

 多分スズカがこの学園に居なかったら、彼女の走りに憧れてスピカに入ったスペとも関係を持たなかった可能性もある。

 

 本当、スズカと再会してから人生がクルリと変わってしまった。

 

「(スズちゃんには、感謝しかないな)」

 

 なんて考えていると俺はトーストとコーヒーを食べ終わっていた。

 

   ・ ・ ・

 

 雨が好きか嫌いかと言われたら、俺はどっちもというだろう。

 

 好きなところは傘をさしている時のパラパラという雨が傘の布に当たる音だ。この音を聞くと何故だか心が落ち着くような気がする。

 

 雨の独特な匂いというのも好きなところだ。つい雨が降っているとスンスンと鼻で匂いを嗅いでしまう。

 

 嫌いなところはシンプルに雨で服や髪の毛で濡れるところだ。靴下や制服のズボンの端っこはどう足掻いても濡れてしまうし、シャワーと違って髪の毛は雨で濡れるとカピカピになってしまう。そこは嫌いなところだ。

 

 あともう一つシンプルにこの時期は梅雨前線が発達して強い雨が多くなる。強すぎる雨は心地よいを通り越してただのうるさい音なので豪雨は普通に嫌いだ。

 

「(そういえば今日……というかこの梅雨の間の練習ってどこで行うんだろう?)」

 

 普通の季節でも雨はもちろん降る。そんな時は基本ジムや体育館、サブアリーナなど様々なところでやっていたが梅雨はそんな風にやるのだろか?

 

 もしくはこの雨を最大限に利用して重バ場状態の練習をするのだろうか。

 

「(いやぁ、流石にこの雨で走らせたら風邪をひくか? でもレースによっては雨が降っている中でもやんないといけない時もあるし……)」

 

「玲音くん」

 

 あれこれ考えていると雨の音の間からもう聴き馴染んだ声が聞こえてきた。

 

「……やっぱりレオくんだ」

 

「おはようスズちゃん」

 

 振り返るとそこにいたのはスズカだった。緑色の布の傘を刺していたので栗色の髪の毛がいつも以上に映えている。

 

 さらに言うとスズカは夏服を着ていた。

 

「よかったら一緒に学園に行こ?」

 

「別にいいよ」

 

 そうしてスズカは自分の隣まで近づき、俺たちは並列しながら歩く。

 

 こうやって2人で並んで歩いて学園に向かうのはもう何回目何だろうか……10回超えた頃からもう数えるのは辞めた。

 

 横目で見てみるとスズカは嬉しそうに微笑みながら、ウマ耳を横に倒し尻尾をユサユサとリズミカルに揺らしている。

 

「昨日のスペすごかったな」

 

「えぇ、まだ学園に入って半年も経っていないのにあの走りはすごいわ」

 

「あぁそっか、まだ半年も経っていないんだな」

 

 昨日のスペの走りは入学して3ヶ月の走りではなかった。

 

 俺と同じ時期にチームに入ったはずなのに、向こうに先を行かれてしまったな。

 

「あんなにすごい走りを見せられたんだから、次のレースは私も魅せないといけないわね」

 

「そういえばスズちゃんって次はどのレースに出るの?」

 

 スズカは前回の重賞レースで11バ身という歴史的快挙を成し遂げた。

 

 世間から見ればリギルからスピカに移ったスズカは今までの走りとは全く違うというのが注目されているはずだ。

 

 なら次はGⅠのレースが定石通りだが……。

 

「宝塚記念よ」

 

 宝塚記念……それはウマ娘のファンたちによる投票によって出走ウマ娘が決まるレース。

 

 スズカは前回の重賞レースで素晴らしい走りをした。その走りを見て投票が決まったってところだろう。

 

「去年の今頃だったら考えてもいないと思う。自分がそんな大舞台に立てるなんて……だけど今は走る理由がある」

 

「スペ……追いかけてくれる存在か」

 

「えぇ」

 

 トゥインクル・シリーズに現れた新人のウマ娘とチームを変え劇的な進化を遂げたウマ娘。

 

 要するにスペとスズカ……この2人は相性がいい。

 

 スズカに憧れて少しでも近づこうとスペは必死になって背中を追いかける。その迫ってくる影にスズカは追い付かれないように更に先を目指す。

 

 その関係は簡単に言ってしまえば師匠と弟子、そして1番のライバル関係。

 

 もしどちらかが欠けていたら、スペやスズカは今ほど強くはなかったかもしれないな。

 

「……でも、それだけじゃない」

 

「えっ?」

 

 スズカが小さくそう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。するとスズカはその場に立ち止まる。俺もそれにつられて足を止めスズカの方に顔を向ける。

 

「今はレオくんが……走りを見て欲しい大切な人がいる」

 

「……」

 

「だから、次のレースも私の走る姿を見て欲しい」

 

「……そんなの、当たり前だよ」

 

 自分は少しだけ嬉しかった……今や遠くの存在になってしまいそうなスズカが自分の事を考えてくれているのが……。

 

 でもそう考えてしまうのは、俺がまだトレーナーとして未熟だからだ。

 

 もっとチームから……先生から学ばないとな。

 

 そう考えながら俺は幼なじみと一緒にトレセン学園に向かうのだった。

 

   ・ ・ ・

 

 時間は放課後、チーム練習の時間。今日は雨が降っているということもあり、室内での練習になるのだが……俺たちが集合するように言われたのは体育館やサブアリーナではなく、普通にいつも使っている階段だった。

 

「なぁトレーナー、今日は何するんだよ?」

 

「一応来たけど……ここってやっぱり階段よね?」

 

「悪いが体育館やサブアリーナは人が多くてな……ここで練習することになった」

 

 階段で室内練習というと……やっぱり階段ダッシュだろうか。

 

 超王道だけど、それってこの階段に普通の学生やウマ娘が出た時に危なくないか?

 

「今日お前らにやってもらうのは……うさぎ跳びだ」

 

『うさぎ跳び??』

 

 その場にいる全員が先生が言った言葉を復唱した。

 

 なぜわざわざうさぎ跳びにするんだろう。

 

 というかうさぎ跳びって確か見た目以上に効果はないって聞いたことがある。

 

「ちょっと待てよトレーナー」

 

「なんだゴルシ?」

 

「うさぎ跳びは一見下半身を重点的にやっているように見えるが、実際は効果はない……むしろ怪我のリスクを高めるって言われてるぞ」

 

 流石雑学に強いゴルシ。そこら辺のお話もしっかりと知識があるらしい。

 

 そして俺も思っていたことだったので俺は心の中でゴルシに礼を言う。

 

 しかし先生は右手で頭をぽりぽりと掻きながら、口をもごもごと動かし飴を舐めている。

 

「それは普通の人の場合だ」

 

「「普通の人の場合(ですか)?」」

 

 俺はスペとセリフが被ってしまう。だが普通の人の場合とはどう言うことだろうか。

 

「スペ、玲音。お前ら、クラウチングスタートって知っているな?」

 

「は、はい」

 

「陸上競技とかで使われている、屈みながらスタートするやつですよね?」

 

「ウマ娘のレースでそれを行ったやつは見たことはあるか?」

 

 先生にそう言われて俺は過去に見たことあるレースを振り返ってみる。とは言っても自分が見たことあるのはスペのメイクデビュー以降のレースだけだから、数的には8つくらいしか参考になるレースがない。

 

 ただそんな少ない数の中でも……クラウチングスタートでレースを始めたウマ娘はいなかった。みんなスタンディングスタートだったはずだ。

 

「人とウマ娘は構造は似ているがその実態はかなり異なる。実際人は下半身が圧倒的に弱いがウマ娘は下半身がしっかりしている。しかし人は低い姿勢から蹴り出したときの反発力はウマ娘よりも上だ。逆に一部のウマ娘を覗いてウマ娘は通常姿勢から蹴り出した時の反発力の方が強いんだ」

 

「な、なるほど……でもそれとうさぎ跳びになんの関係が……」

 

「意味はないがそれだけ人とウマ娘で違うってことだ。そしてここから意味はあるが普通の人の下半身はかなり脆く出来ている。だからうさぎ跳びをすると怪我をしやすいが、ウマ娘は下半身がしっかりしているから意味があるんだ」

 

「そう、なんですね……」

 

 先生が言う人とウマ娘の違い……なんか言われてもパッとしない。

 

 それはやっぱり人とウマ娘が似たような容姿しているからだろう。まぁその身体能力の差は歴然としているが。

 

「……アタシは結構クラウチングスタートも好きなんだけどなぁ」

 

「お前はまた別だゴルシ」

 

   ・ ・ ・

 

 その後チーム・スピカのみんなは階段うさぎ跳びを実践した。

 

 最初の数回はみんな余裕そうだったが、4回目くらいから悲鳴を上げるようになった。そりゃそうだ、うさぎ跳びって見た目は地味だが、練習としてはかなりキツい方なのだ。

 

 卓球の時罰ゲームでやった事あるが……あれはマジで生き地獄だ。

 

 ただこのうさぎ跳びでもかなり性格というか個人差が出ている。

 

 特にそう思えたのは……テイオーだ。

 

「おいテイオー! まだお前に5段跳びは早い!!」

 

「ヘーキヘーキ! こんなのヨユーヨユー!!」

 

 そう言うとテイオーはひょいと5段分跳び上がる。

 

 他のみんなは3段とか4段なのに、そして一番学年が下なはずなのに、さらにもう7回とかしているはずなのに……テイオーは疲れた顔を見せず、最初よりも動きがスムーズになっていた。

 

 テイオーがチームに入る前、他のウマ娘たちも交えた練習会が行われてそれを俺は見ていたが、その時もテイオーは他の娘よりも頭一つ……いや、体一つ分くらい抜きん出ていた。

 

 やっぱりテイオーはセンスがある……なんかとんでもないウマ娘になりそうだな。

 

「あんたには負けないんだから!!」

「てめえには負けねえからな!!」

 

「ウオッカ、スカーレット! 階段で横並びになるな!!」

 

 そして中2コンビは相変わらず2人で勝負している。

 

 いつも思うけど、なんで2人はあんなにも競争心を燃やしているんだ? ライバルがいる事は互いの成長にとって良いものだが……それでもここまで執着するのはかなり珍しいと思う。

 

『分かります分かります!! あれは絶対ライバル以上の……でゅふふ……』

 

「っ!?」

 

 なんか脳内に変な声が聞こえた……幻聴だと思っておこう。

 

「ふっ、ふっ……!」

 

「す、スズカさん……すごい集中力です……」

 

「あぁ、もう何本も跳んでいるはずなのに1回目とフォームが変わってない」

 

「やっぱりスズカさんは……すごいです!」

 

 そう言って目を輝かせるスペ……スペはほんと、スズカに夢中だな。

 

「……私に何か付いてます?」

 

「いや、いい関係だなって思って」

 

   ・ ・ ・

 

 階段うさぎ跳びを終え、先生は体幹トレーニングを指示する……そして。

 

「なぜ俺も!?」

 

「体幹トレーニングだったら普通の人でも出来るだろ? ウマ娘の練習メニューを肌で感じる事は大切だぞ」

 

「だったらあんたもやれよ!?」

 

「まぁまぁレオくん……背筋が曲がってるよ」

 

 そう笑顔で言いながらなかなかキツいことを言うスズカ……というかすごいな、この練習でウマ耳って横に倒れるものなんだ。スペは元気なさそうにウマ耳を前に垂れさせているのに。

 

 まぁでも体幹トレーニングは別にやっても損はないものだ。基礎代謝は上がるしお腹は引き締まるし、怪我の予防にもなる。

 

「よーしプランク終了! 休憩は5分な」

 

 先生の終了の合図を聞いた瞬間、俺とスペはばたりと力を抜き床にべたーんと床に這いつくばる。

 

「(うぅ〜お腹が……背中が……地味に痛え……)」

 

「はいレオくん、スポーツドリンク」

 

「ぬぐっ……あ、ありがとう」

 

 なんとか腕を使って体を起こし、俺はスズカからボトルを受け取って本体を握って中にある液体を口の中に運ぶ。

 

 いつもは真逆の立場だけど、こうやって練習で疲れている時にスポドリを渡されるのってなんか嬉しいなぁ……?

 

 サッカーをやっていた時も卓球をやっていた時はマネージャーという存在はいなかったから、なんか新鮮だ。

 

「あっ、レオくん私もいいかな?」

 

「うん? 分かった」

 

 そう言ってスズカにボトルを渡す。

 

 そしてスズカは俺と同じようにボトルを握って中のスポドリを口の中に入れる。

 

 こういう握り出す系のボトルって口を付けないで飲めるってところが素晴らしいな。

 

「んっ? お前は……おハナさんのところの」

 

 先生がそう言う声が聞こえて俺とスズカは先生がいる方に体を向ける。

 

 そしてそこにいたのは……。

 

「「エアグルーヴ?」」

 

 そこにいたのはチーム・リギルに所属しており、世間からは女帝と言われているウマ娘エアグルーヴだった。

 

 彼女もスズカたちと同様赤いジャージを着ているので、チーム練習の休憩中に来たってところだろう。

 

「どうしたのエアグルーヴ、リギルの方は?」

 

「今は休憩中だ、練習終わってからでも良かったんだが、今言った方がいいと思ってな」

 

「……言った方が?」

 

 エアグルーヴは瞳を閉じて……とても優しい笑みを浮かべて、語り始める。

 

「スズカ、私はお前が再びターフの上で走ってくれていることを……とても嬉しく思う」

 

「……」

 

「だからこそ……サイレンススズカ。私はお前に宣戦布告する」

 

「っ……!」

 

 エアグルーヴのその言葉を聞いたスズカは顔を強張らせる。

 

 それにしても宣戦布告とは……なかなか粋な事をするな。

 

 でもまぁリギルの練習を見ていた時も、エアグルーヴはチームをまとめたり指示を出したりとしていた。彼女の真っ直ぐな性格を考えれば、こういう事をするのも納得だ。

 

「次の宝塚記念……勝つのはこの女帝・エアグルーヴだ!」

 

 堂々とエアグルーヴはそう言う。その台詞はとてもシンプルだが、これ以上に闘争心を滾らせるている事を表す台詞はないだろう。

 

 そしてその言葉を受け取ったスズカは……エアグルーヴの目をしっかりと捉えていた。

 

「……私は去年まで、走る理由を見つけることが出来なかった」

 

「……」

 

「でも、今はある」

 

 そう言いながらスズカは俺の方に顔を向ける。しかしすぐにエアグルーヴの方に向き直る。

 

「宝塚記念……私も負けないわ。たとえエアグルーヴでもね」

 

「ほう、おもしろい……!」

 

   ***

 

 エアグルーヴがサイレンススズカに宣戦布告している同時刻、雨が止んだ重バ場のトラックのターフの上で駆けているウマ娘がいた。

 

 そのウマ娘は昨年のオークス・秋華賞を制しダブルティアラの称号を得た。

 

 そして今回の宝塚記念にも出る……出走するメンバーには自分が尊敬しているエアグルーヴも出る。だから彼女のモチベーションはとても高かった。

 

 ”メジロ家”のウマ娘として、シニアの最初のGⅠに参戦するそのウマ娘の名はーーメジロドーベルーー

 




・BUCK-TICKの新シングル……最高……。

・デジたんのストーリーが最高すぎる……。

・次回はメジロ家のパーティーに呼ばれる話の予定です。


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メジロ家のパーティー / 自分には……何もない?

 前回のあらすじ:梅雨の雨により学園の階段でうさぎ跳び・体幹トレーニングをするチーム・スピカ一同。(玲音もついでに)そんな休憩中チーム・リギルに所属しているエアグルーヴがスズカに宣戦布告をした。

・UA129,000を突破、第9話のUAが10,000を突破しました! 本当にありがとうございます!!



「メジロ家主催のパーティー?」

 

『はい、今週の日曜日に行われるんです』

 

 俺は自室のベッドでゴロゴロとしていたが、マックイーンから電話があった。ただ耳に当てるのが面倒臭かったのでスピーカーをオンにしている。

 

 要件としてはメジロ家が主催するパーティーが今週の日曜日に行われるという。

 

 メジロ家ではGⅠレースに出走するメジロ家のウマ娘がいる時、激励会と称してメジロ家の中でパーティーを行う。そのパーティーにはトレセン学園のトップ……いや、トレセン学園を支援しているURAの幹部レベルの人や他の有力な家柄の人たちが参加する。

 

 そんなパーティーに一生徒である自分が参加するなんて普通ならあり得ないことなのだが、マックイーンと関係を持っているので誘われる事があるのだ。

 

 ただまぁ、今回は見送るとしよう。理由? 疲れる。

 

 いやもっとちゃんとした理由を言うなら……あのパーティーに行くとマジで胃がキリキリするのだ。あれは中学校の合唱祭よりも緊張する。

 

 ということで断りを入れる。

 

『えっ? 今回のパーティー、玲音さんは強制参加ですわよ?』

 

「……ゔぇ? なんで??」

 

『今回の主役が玲音さんを絶対に呼ぶって言っていたんです』

 

 俺を絶対に呼ぶ? 一体誰が……それに今回の主役って誰だ?

 

 なんて思っているとコンコンコンと、寮室の扉がノックされる音が部屋に響いた。

 

 俺は少し困惑しながらも扉の前まで歩み寄り、ゆっくりと扉を開けてみる。

 

 そこにいたのは……左のウマ耳にターコイズグリーンのリボンを付けている茶髪のウマ娘がいた。そして俺はそのウマ娘の名前を知っている。

 

「ど、ドーベル……?」

 

「こんばんわ、玲音」

 

 メジロドーベル……俺と同い年のメジロ家のウマ娘。彼女とはマックイーンと同じくらいの期間関わりを持っている。

 

 だが……俺は現在ドーベルに嫌われている。

 

 その理由は単純、去年のオークスで彼女の招待を断りレースを観戦しなかったからだ。

 

 それだけで? って思ってしまうところももちろんある。だがその事が彼女を傷つけた事には変わらない。

 

 秋華賞は絶対に観に行くと言ったが、それは彼女自身に止められた。

 

 あの時の怒り顔は……忘れたくても忘れられない。

 

 だからこそ、ドーベルがこうして俺の部屋の前に現れた事に困惑を隠し切れなかった。

 

「部屋、入ってもいいかしら」

 

「えっ、あっ、あぁ……」

 

 困惑して思考が上手く出来ないまま、俺はドーベルを部屋に入れた。

 

 ドーベルの尻尾は歩いているのにも関わらず一切揺れることはなかった。普通に歩けばちょっとは動くはずだが……もしかして緊張している?

 

 確か彼女は男性が怖い……いわゆる男性恐怖症だ。自分はまだ関わりを持っている分、心を許してくれているところがある。だがそれでも男と2人で同じ部屋にいるということは彼女にとっては怖いことなんだろう。

 

 だけどなおさら、なんでドーベルは俺の部屋に?

 

 ……分からない。ドーベルが考えていることが全然分からない。

 

「……アタシ、アンタの部屋初めて入ったわ」

 

「そう、だな。むしろ意外だよ、ドーベルが男性の部屋に入るなんて……」

 

「……そうね、お爺様以外の男性の部屋に入ったのはアンタが初めてね」

 

「それは光栄なことだな」

 

「……まぁ、それは別に関係ないこと。本題はこっち」

 

 そう言うとドーベルはスカートのポケットから、何やら紙みたいな物を取り出す。

 

 そして……ドーベルは俺に近付くと”手渡し”でその紙を俺に差し出した。

 

「(ドーベルが……手渡し!?)」

 

 ドーベルは男性恐怖症……俺もそれは含まれている。

 

 だからいつも物を渡す時は使用人を通してか、どうしても使用人がいない時は組み立て式のマジックアームを使って渡していたのに。

 

 そのドーベルが手渡しでこの紙を渡している事に、俺は大いに困惑する。

 

 けど俺の脳は思ったよりも冷静だった。

 

 手紙を渡す手が……震えている。

 

 それは力強く挟んでいるというよりも、今にも離れてしまいそうな指を微弱な力で挟んでいるという感じだった。

 

 つまり、やっぱりドーベルは怖いのだ。男性が、自分が。

 

 それを感じ取った俺は彼女の手に自分の指が触れないよう慎重に紙を受け取る。

 

 その紙は白紙だった。しかし裏返してみるとそこには『メジロドーベル 宝塚記念出走激励パーティー 本人招待状』という文字が書かれていた。

 

「今回の主役って……ドーベルなのか?」

 

「えぇ、そうよ。アタシは次の宝塚記念に出るわ」

 

「……本人招待状って、俺のこと招待するのか?」

 

「当たり前でしょ、そのための招待状なんだから」

 

「……」

 

「もしそれに出てくれるなら……オークスのこと、許すから」

 

「えっ?」

 

 ドーベルが言った言葉を脳は理解する……しかし俺が聞き返す前にドーベルは部屋から出て行った。

 

 混乱している俺はしばらく部屋のど真ん中でぼーっと突っ立っていた。

 

『どうやら、今渡されたそうですね』

 

 ベッドの方からマックイーンの声が聞こえて、俺は意識をハッと覚醒させる。

 

 そっか……マックイーンと電話している時にドーベルが来て、そのまま電話を切らずに放置したからマックイーンも今の話を聞いていた事になるのか。

 

「あぁ……今度の日曜日に予定を作らなかった過去の俺を褒めてやりたいところだ」

 

『なんですかそれ……もちろん参加しますよね?』

 

「そりゃもちろん……オークスのこと結構心の奥でずっとモヤモヤしていたからな、出て許されるなら喜んで参加するよ」

 

『それは……ドーベルに失礼じゃありませんか? オークスの事を許すって言わなかったら参加しなかったんですか?』

 

「そんな訳ないだろ」

 

 俺はいつもより語彙を鋭くして言うが、マックイーンからしたら結構下衆な事を言っていると思う。

 

 だけど仮にオークスのことを言われなくても、俺は今回のパーティーには参加していた。

 

 男性恐怖症であるドーベルが勇気を出してこの招待状を渡してくれた。それにドーベルには勝って欲しいと思っている。

 

 ただ、そうなると俺はある問題を抱えないといけない。

 

『……そうですね、玲音さんはそんな下衆な事を考える人ではないということは、わたくしが一番知っていますわ』

 

「信頼してくれてありがとう」

 

『では、こちらでドレスコードを用意してーー』

 

「いや、いいよ学園の制服で」

 

『ちょ、ちょっと待ってください!? メジロ家のパーティーに制服で来るんですか!? それに玲音さんに来て欲しいタキシードがたくさんーー!!』

 

 ポチッと通話終了ボタンを押す。あのまま興奮したマックイーンのお話を聞いていると彼女の熱情で断ることができなくなりそうだからだ。

 

 まぁでもあのパーティーに制服で行くっていうのは自分自身で言ってて非常識だとは思う。

 

 でもあそこでドレスコードを選ぶことはある意味の死を意味するのだ。

 

 マックイーンはまだいい、ちゃんとかっこいいタキシードとか用意してくれるから。問題はあるメジロ家のウマ娘……自分よりも歳上で俺はその人には逆らえない。

 

 やばい……思い出しただけでも悪寒が……。

 

「とりあえず、明日に向けて寝るか」

 

 ……自分がこのパーティーに参加する資格はあるのだろうか。

 

   ・ ・ ・

 

 次の日の夕方、俺はマックイーンの爺やさんが運転する黒塗りの高級車に乗ってメジロ家の豪邸へと向かっている。

 

 自転車で行くことももちろん考えたが……流石にあそこを自転車で行くというのはなんか、言葉にはできない恥ずかしさがある。

 

 電車に乗って最寄駅から歩こうにもそもそもどこが最寄駅なのかも分からないし……なんて思っていたらチャットでマックイーンが爺やさんに送迎をお願いしたと送ってくれてたので、言葉に甘えてこうして爺やさんの運転する車に乗っているといことだ。

 

「谷崎様はその格好で参加するのですか?」

 

「えぇ……自分はマックイーンやドーベルたちと関係があるだけで、メジロ家の人って訳ではありませんから」

 

「マックイーンお嬢様、そして”アルダンお嬢様”はとても楽しみにされておられましたが?」

 

「……男とかそんなの無視されて着せ替え人形にされる気持ちが分かりますか?」

 

「心中お察し致します」

 

 なんて話し合っていると車はメジロ家の豪邸前の門で停車する。爺やさんが車から一度出て行くと門の近くに行き何かを動かす。するとマンガやアニメの世界で見ないような大きな門は、金属同士が軋む音を立てながらゆっくりと開いた。

 

「では行きましょう」

 

 爺やさんが再び車に乗ってそう言うと車は4気筒エンジン特有のパワフルな音を立てて敷地内に入る。

 

 そうしてまたしばらく走る。というかここ入ってから出るまでの距離長すぎだろ……豪邸とはいえ日常では絶対こんなに長い道必要ないだろ。

 

「谷崎様、到着しましたよ」

 

「ありがとうございます爺やさん」

 

「いえいえ、ではまた後で会いましょう」

 

 俺は爺やさんにお礼を言いながら車のドアを開けて外に出る。ドアを閉めると車は駐車場の方へと去っていった。

 

 そしてエントランスホールまで歩くと受付の使用人さんがいたので招待状をポケットから取り出し、使用人に見せる。

 

 すると許可されたので案内係の使用人について行く……どんだけ使用人いるんだろう。

 

 なんて考えている間に案内役の使用人が「この部屋です」と言いながら扉を開ける。

 

 すると目の前に広がったのは天井にはシャンデリア、床はレッドカーペットが引かれており、辺りには白のテーブルクロスが引かれた大きめの丸テーブルが並べられている。

 

「ほんと……いつ見ても夢の中にいるみたいだ」

 

 自分は一呼吸して、その会場に入る。

 

 入った瞬間張り詰めた空気が俺を襲う。見た目はとても華やかで楽しそうなパーティーだが、なんでもない一般人の俺からするとここは世界が違う。

 

 少し遠くを見てみれば、トレセン学園の運営を行っているURAのトップとその奥さん。

 

 その隣を見ればメジロ家に並ぶ名家の家主とそのウマ娘。

 

 少し手前を見てみればトレーナーを目指す人なら知らない人はいないトレーナーの名家の御曹司とその親。

 

「(うん、もう帰りたい!)」

 

 マジで胃がキリキリと痛む……なんでこんなにも有名な人しかいないところに一般人の自分がいるんだろう。

 

 いやまぁ叔父さんは一応そこそこ有名なマンガ家だから普通の人とは少し違うと思うが……次元が違いすぎる!!

 

 こんなところで粗相なんて起こしてしまえば様々なところに敵を作ってもおかしくない。

 

 だから俺はいつも以上に警戒心を高めていた。

 

 いつもより広く視野をーーなんて思っていたせいか、1番近くの人を見落としてしまった。

 

「うわっ!?」

 

「おーっとと」

 

 終わった……俺はトレーナーにはなれなかった。

 

 しかし夢が破れたわけでは無い。

 

 彼女たちが走り続ける限り、1ファンとして背中を推し続けようと誓うーー。

 

「あれ、君は……谷崎くんかい?」

 

「えっ……あっ」

 

 自分は人生を終えてしまったと思ってしまったが、まだ終わらないようだ。何せぶつかってしまったのは一応知人とも呼べる人だったから。

 

「郷巳さん……お久しぶりです」

 

「谷崎くんも久しぶり……前々回前のパーティが最後だったから、大体2年前ぶりかな?」

 

 目の前にいるのは郷巳さん。メジロ家と同じくアスリートウマ娘を育てることを重んずる新家・サトノ家の家主だ。

 

 郷巳さんは元々は資産家だったがウマ娘の走りに魅入られ大金を叩いてウマ娘の育成に力を注いでいる人だ。

 

 主な成績としてニュージランドカップや中日新聞杯など、新家の中ではかなりいい成績だ。

 

「谷崎くんは無事にトレーナー学科に入れたんだね。チームはどこに所属してるの?」

 

「スピカです」

 

「スピカって確か、この前ダービーを制した娘が所属しているチームじゃないか! 凄いところに入ったね!!」

 

「あぁいや……むしろ拾われたって言った方が正しいかもです」

 

「それでもノリに乗っているチームトレーナーの近くで学べるなんて滅多にないことだ。しっかり技術を盗むんだよ?」

 

「もちろんです!」

 

 あぁ、やっぱり郷巳さんと話すとここが実家のような安心感を覚える。

 

 マックイーンとかメジロ家のウマ娘が話してくれる時もあるけど、それだと周りからはメジロ家の関係者として見られるからなぁ。

 

「あぁそうだ……これ見てみてよ」

 

 そう言うと郷巳さんは携帯を取り出して、何かを操作した後その携帯をこっちに差し出してくる。

 

 するとそこに写っていたのは郷巳さんと、幼い亜麻色の髪の毛のウマ娘。その横には「入学式」の文字が書かれた立看板があった。

 

「最近小学生になった私の娘、サトノダイヤモンドだ。どうだ? 可愛いだろ??」

 

「……えぇ、確かに可愛いですね」

 

 それは別にお世辞などではなかった。実際に可愛いとは思うし……というかこういう小学生は男女問わずみんな可愛いような気がする。穢れがないというか、純真というか。俺には持ってないものをこの年代の子たちは持っているからな。

 

「最近、メジロマックイーンの走りを見せてね。そうしたらこの子「マックイーンさんみたいになりたい!」ってはしゃいでいたよ」

 

 マックイーンは別にレースに勝っている訳でも、ましてやメイクデビューをしている訳でもない。

 

 だが、彼女は小学生の頃から天皇賞に向けてトレーニングしている。その結果、同年代のウマ娘の中ではマックイーンは頭一つ抜けている存在だ。

 

 それにマックイーンの走りはとても綺麗だ。それこそ女優と言われてもおかしくないくらい。

 

「こういう子が未来のスターウマ娘になるんですかね」

 

「そうなったら、担当は君になるのかな?」

 

「そんなまさか……」

 

「ありえない事ではないと思うよ? 今ダイヤは小学生だから中学に上がる時、君はチームを作っているだろう?」

 

「……どうなんですかね」

 

 正直自分の数年後なんて全然考えていない。今が必死というのもあるけど……やっぱり俺は数年後にはトレーナー資格を取って、先生みたいなチームを作っているのかな。

 

 昔スペには一人前のトレーナーになるって言ったけど、どこまでが一人前なんだろうな。

 

「なんだい、作るつもりないのかい?」

 

「いえ……ただ、数年後の自分なんて今の俺には分かりませんよ」

 

「トレーナーはそんな甘い考えじゃやっていけない」

 

「えっ?」

 

 俺は顔を上げ、郷巳さんの顔を見る。その顔はとても険しいものだった。

 

「あの学園には全てを掛けている人間だっている。そんなところに中途半端に首を突っ込むなら、今すぐ退学しなさい」

 

「っ……」

 

 郷巳さんの言っていることはご最もだ。あの学園には自分よりも素晴らしい目標を持っている学生が大勢いる。

 

 本当だったら自分は学園に入っていない人間、それがたまたま面接官が先生だったから拾ってくれたもの。

 

 でも俺は必死になって、スズカの隣に立っても恥ずかしくない人間に……!

 

「(……あれ、ちょっと待てよ?)」

 

 もし仮に……ここにスズカのことを入れないとしたら、俺には何が残る?

 

 分からない。スズカのことを除いたら俺には何が残るんだ??

 

 探せ……探せ……! 何か一つはあるはずだ。

 

 そう思いながら必死に思考する。だけど、そんなものない。

 

 ないのだ……自分がトレーナーを志す理由が……。

 

「あっ、あぁ……」

 

 その事をひどく痛感し、俺の足は力が抜けた。

 

 膝からレッドーカーペットに崩れ落ち、右手に持っていたガラス製のグラスはスルリと滑り落ち、コトンッと鈍い音を立てて落ちた。中に入っていた水が自分のズボンの膝下を濡らす。

 

「た、谷崎くん?! 大丈夫かい?!」

 

 まさかこんな事になるとは思ってもいなかったのだろう。郷巳さんは持っていたグラスをテーブルに置いて、膝を曲げて俺の方に触れようとする。

 

 だがその瞬間、会場の照明が次第に落とされていった。しばらくするとある会場の中央にスポットライトが当たる。

 

「皆様、本日はお忙しい中、メジロ家主催の激励パーティーにお越しいただきまして誠にありがとうございます。ただいまより、宝塚記念に出走されますメジロドーベル様が皆様へ感謝の気持ち、そして今回のレースの意気込みを述べます」

 

 そう言うと進行役は去り、しばらくするとドレスを着たメジロドーベルが姿を現わす。

 

 その姿は昨日とは全然違う……とても凛々しいものだった。

 

「皆様、本日は私のためにこの会を開いていただき、そして集まってくださり誠にありがとうございます」

 

「宝塚記念は私がずっと出たいと思っていたレースです。メジロ家として……ということもありますが、宝塚記念はファン投票によって選ばれます。ここで走るということは全国のトゥインクルシリーズの多くのファンに求められているということであり、ここで勝つことは私に入れてくれたファンの人たちに恩返しする事にも繋がります」

 

「さらに今回、私がお世話になったエアグルーヴ先輩もこのレース参加します。ここで勝つということは私自身が強くなったという恩返しをエアグルーヴ先輩にあげることができる絶好の機会です」

 

「だから私は宝塚記念で必ず……1着を取ってみせます」

 

 そう言い、ドーベルは深々とお辞儀をする。そして次の瞬間、会場は拍手で包まれた。

 

 ……ウマ娘とかトレーナーとか関係ない。

 

 あそこに通っている人たちは全員何かしら持っている。それは夢だったり、使命だったり、憧れだったり、約束だったり……形は様々だ。

 

 でも俺はどうなんだ? ただ再会したかったがためにこの学園に入った。いるかも分からなかったのに……でも会えた。

 

 だがそれだけだ。

 

 その先は? 俺は会って終わりだと思っている。でも実際はそうじゃない。そこで終えてはいけない。新しい目標を立てないといけない。

 

 だからスズカに並べるようなトレーナーにって思っていた……でもそれは目標でも何でもない。ただ縋り付いているだけだ。

 

 俺は無意識にスズカを中心に考えている。そんな俺にスズカを除けば、残るものは何もない。

 

「(郷巳さんが言っている事は……至極当然だ)」

 

 そう思った俺は会場の出入り口まで進み、静かに扉を開け足早に会場を出た。

 

「……」

 

   ・ ・ ・

 

「ははっ……何やってんだろ、俺」

 

 会場を出た後、俺はそのまま中庭に出て芝生の上に寝転がり夜空を見ていた。会場辺りは明るいがこの中庭の部分は夜電気を付けないことを知っていた。

 

 だから3等星くらいの明るさだったら普通に見られる。

 

 せめてドーベルに励みの言葉を言ってから去れば、まだここまで心がモヤモヤする事はなかったのだろうか。

 

 いや、今の自分にはドーベルを応援する資格なんてないな。

 

 空っぽだということもあるし、それにもう一つ。

 

 俺はスピカ……いや、俺個人的な願いとして、スズカに勝って欲しいと思っている。

 

 それは裏を返せばドーベルには負けて欲しいと思っているということでーー。

 

 いや、違う。そんな事を本気で考えている訳ではない。だがレースというのは勝者は一人だけだ。この前のダービーは偶然にも同着で二人制した事になったが……そんなの滅多な事がない限りあり得ない。

 

 この疑問自体は昨日から考えていた事だ。だけど考えた上で俺はこのパーティーに参加した。

 

 でも郷巳さんに真実を言われて……俺はますます分からなくなってしまった。

 

「……爺やさんに電話して、車を出してもらうか」

 

 そう考えた俺は体を起こし、ズボンのポケットに入れていた経緯たいを取り出してメッセージアプリを起動し、爺やさんのトークルームを開いた。

 

 それと同時に、芝生を踏む音が自分の耳に入ってくる。

 

 俺はその音がした方向に顔を向ける。そこにいたのは今日のパーティーの主役。

 

「こんなところで何してんの」

 

「……さぁ? 自分でも分かんないや」

 

「せめて主役には一声くらい掛けなさいよ」

 

「そうだね、そこは非常識だと思っている」

 

 何でドーベルがわざわざこんなところに……なんて考える力は今の俺にはない。

 

 でもちょうどいいや、ここで一言言って、帰る事を告げよう。

 

「次の宝塚、アンタの幼なじみも出るってマックイーンから聞いたわ」

 

「……そっか」

 

「大方、どっちを応援すればいいか分からない……だから居た堪れなくなってここに来た。違う?」

 

「……その通りだよ」

 

 俺とドーベルはマックイーンと同じくらい長い付き合い……俺の性格をよくご理解している。

 

 でもまさかその本人に面と向かって言われるとは思わなかった。ドーベルの言葉の一つ一つが俺の心に食い込む。

 

「応援しなくていいわ」

 

「……えっ?」

 

「アンタはその幼なじみの応援をしていればいい……アンタの応援が無くても私は勝てる。それに……その方が私の走りを脳裏に焼き付ける事ができるでしょう?」

 

「っ……!」

 

 そう言うとドーベルはその場を立ち去った。

 

 俺はしばらくの間、中庭で立ち尽くすことしかできなかった。

 

   ***

 

「少し棘がありすぎではありませんか?」

 

「マックイーン……いたんだ」

 

「玲音さんが会場を出て、続くようにドーベルも出ていったので何事かと思って後をつけたんです……それで、なぜあんな言い様を?」

 

「マックイーンから話を聞いてて思ったけど、今のアイツにはトレーナーを目指す理由がない」

 

「……どういう事ですか?」

 

「アイツは幼なじみを除いてしまうと何も残らないのよ、その事を教えるために仲の良い郷巳さんに協力してもらった」

 

「あぁ、だから郷巳さんは玲音さんといたんですね。それにしても玲音さんの事よく見てるんですね」

 

「当たり前よ、好きなんだから」

 

「えっ!? す、すっ!?」

 

「言っとくけどマックイーンみたいな好きじゃなくて、家族愛や兄妹愛の方だからね」

 

「そ、そうなんですね……少し取り乱しました。でも理由がないっていうのは至極普通のことではありませんの? むしろわたくし達みたいに使命を持っていたり、最初から夢を持っている人の方が少ないと思いますが……」

 

「マックイーンの言う通りだと思う。でもアイツは目標が無いとダメになる。今のままだとマックイーンがクラシックに出る前に終わるかそれくらいだと思う」

 

「そんなに……ですか?」

 

「……正直、私が勝って解決するような問題じゃ無いのは自分自身で分かってる。でも、少しでも可能性があるなら……私はサイレンススズカさんにも、エアグルーヴ先輩にも負けない」

 

「(ドーベル、そんなに玲音さんの事を……わたくしに今できる事は、何があるんでしょうか……)」

 

 

 




・また少し主人公が暗くなりマース。

・YouTubeで書いた怪文書……pixivかハーメルンに出そうか検討中。

・次回は宝塚記念、そこで会う意外なウマ娘とのお話の予定。


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空虚と過去の栄光

 前回のあらすじ:メジロ家のパーティーに参加した玲音、しかしそこで玲音は自分自身の愚かさに気付かされる。

・UA130,000を突破しました! ありがとうございます!



「「ま た あ い つ 遅 刻 か よ !?」」

 

 時刻は7時、今日は私の2回目か3回目になるGⅠレース、宝塚記念の当日だ。

 

 そしていつものようにチーム・スピカは学園の最寄り駅で集合だったが……そこにレオくんはいなかった。

 

 今の季節は暦が7月に変わり、陽射しが強く朝早くでもあちらこちらからセミ達の合唱が聞こえてくる。

 

 そんな最寄り駅でトレーナーさんとゴルシ先輩の声が響いた。あまりにも大きな声だったので駅にいた人たちはこっちを見た。

 

 それにしても、またレオくんが遅刻するなんて……それも私のレース当日にだなんて……。

 

 だけどこの頃のレオくんはどこかおかしかった。前よりも輝きがなくなったし、声にも生気が宿っていなかった。

 

 そして何より……誰が見てもレオくんは寝不足だった。

 

 そのつけが今日出てしまったのかな。

 

「玲音ってここ最近、すごく体調悪そうだったよね?」

 

「はい……でも玲音さんは大丈夫って言ってましたし、大丈夫なんじゃないですかね?」

 

「それでもあの表情は少し心配だぜ」

 

「えぇ……まるで何かに苦しんでいるようにも思えたわね」

 

 チームの全員がレオくんのことを心配している。

 

 本当にレオくんに何があったのだろうか……幼なじみで一番レオくんと近いはずなのに、何も出来ないのがとても心苦しい。

 

「また寝坊か……今度という今度は許さねえぞ」

 

 そう言いながらトレーナーさんはスマホを操作する。多分、レオくんの携帯に連絡を掛けるのだろう。

 

 すると先生のスマホから呼び出し音が流れる。どうやらスピーカー音声にしているようだ。

 

 2回コール音が繰り返されると、プチッと音がした。

 

『……はい』

 

 先生のスマホのスピーカーから聞こえて来たのは酷く低い声のレオくんの声……そして何か”シュンシュン”と変な音も聞こえる。

 

「玲音! お前今回は起きているんだな!? じゃあ今どこにいる!」

 

「おい新人てめえ二回も遅刻しやがって! このゴルシちゃんの筋肉ドライバー食らわせてやるから場所を言いやがれ!!」

 

『どこって……新幹線の中ですよ』

 

「「「「……えっ?」」」」

 

「「えぇー!?」」

 

   ***(3時間前)

 

 目が覚めた……だが周りはやけに暗かった。

 

「(もう、何日この光景を見ればいいんだろう)」

 

 最近、自分は寝られなくなった。

 

 病院にも行って診察を受けた結果、過度なストレスによる不眠症とのことらしい。

 

 その過度なストレスにはもちろん自覚はあった。自分自身のトレーナーに関することだ。

 

 ちょっと前まではとても楽しかったトレーナー生活。しかし今となってはただただ苦しいだけだった。その苦しみさえも楽しさに変えていたと言うのに……。

 

「(……寝れない)」

 

 なんとか頑張って眠ろうとしたが全然眠れそうにない。医師から処方箋をもらい薬剤師に睡眠薬を処方してもらったが、効果は最初の三日三晩で効かなくなった。

 

 どうせこのままゴロゴロとしていてもただただ体力が削れるだけだと思った俺は起き上がって、携帯をつけて今の時間を見る。すると時刻は3時半と表示された。

 

 どうやら昨日よりは8分くらい長く寝られたらしい……やっぱり睡眠薬の効果はいくらかあるのだろうか。

 

「今日は……確か7時集合だな」

 

 つまり今から3時間は起きていないといない。はっきり言ってだいぶキツい。

 

 昔、夜にゲームをやりすぎて眠くなってしまったことがあるが、あんなのとは比べ物にならないくらい疲れる。人間は寝ることで疲労を回復する生物……いや生物全体に共通している習性の一つだが、それを奪われるというのは生物からするととても辛いものだ。

 

 もちろん寝たいという気持ちはある。でも体は言うことを聞いてくれない。その結果ますますその事に不安とストレスを感じるという悪循環。

 

「もう、やだ……」

 

 そもそもなんでこんなに苦しむ必要があるんだよ。自分には確かにトレーナーを志す理由はないけど、こんな苦しむためにトレーナーを目指している訳ではないことは嫌でも分かる。

 

 ……じゃあトレーナーになろうとするのをやめればいいのでは?

 

「って、なにを考えているんだ俺……!?」

 

 そんな考えしちゃダメだろ!? ゲームやアニメだったらバッドエンドまっしぐらの発想だったぞ今のは……。

 

 やっぱり寝不足やそれによるストレスによって思考自体がグロッキーになっている。

 

「……」

 

 今の自分が、スズカの横に立てるだろうか、いや立てるわけない。それどころか今の自分は周りを心配させてしまう。

 

 それは……スズカ、そしてスピカのみんなに対して悪影響にしかならない。下手すると今日の午後からある宝塚記念に影響しかねない。

 

「……そうだ」

 

 俺はある事を思いつき、携帯のロックを解除して乗り換え案内のアプリを開く。

 

 そして出発地と目的地を記入し、出発時間を”始発”で調べる。

 

 すると4時59分の電車が一番早いみたいだ。

 

 それが分かった俺は身支度をして自室を出て、まだ照明が点いていない寮の廊下を携帯に備えられているライト機能で照らしながら後生寮を出て、学園の最寄り駅を目指した。

 

   ・ ・ ・

 

『新幹線の中って……それはマジなのか?』

 

「そうですよ」

 

 時刻は7時、そろそろ電話が来るかと思ってデッキで待っていると案の定電話が鳴った。

 

 出てみると先生とゴルシの怒鳴り声がすぐにやってきて鼓膜が破れるかと思った。

 

 寝不足で頭に響くということもある。

 

「黙って先に行ったのはすみません……でも、今は……」

 

『っ……分かったよ。この前みたいに遅刻じゃないだけまだマシだ。だが向こうでみっちり説教するからな、心の準備をしていくように』

 

「はい」

 

 そう言って俺は電話を切ろうとした。しかし向こうの方から「あっ、ちょ!?」と先生が慌てるような声が聞こえ、ガサガサと雑音がスピーカーから流れる。

 

 俺は切ろうか悩んだが……そのまま切らずに様子を聞く。

 

『レオくん?』

 

「スズ……ちゃん」

 

 スピーカーから聞こえてきたのは今日宝塚を走る幼なじみの声だった。

 

 正直、どんな声で話せばいいのか分からない。電話だと相手の感情や表情が読み取れないから、今のスズカが怒っているのか、それとも心配しているのか分からない。

 

 そして俺はスズカに今からなにを言われるんだろうか。

 

『気をつけてね、レオくん……また阪神で会おうね』

 

 スズカはそう言うと電話を切った。スピーカーからは通話が終了した事を知らせる電子音がしばらく流れていた。

 

「……やっぱ優しいな、スズちゃんは……」

 

 そう言う自分の声は……涙ぐんだ様な声だった。

 

   ・ ・ ・

 

 阪神レース場に行くのはこれで2回目、スペのメイクデビュー以来だ。

 

 ただその時は特に大きなレースとかもなく、人はそこまでいなかった。

 

 だが……今日は午後から宝塚記念がある。それによりこんな朝早くからも駅と阪神レース場を繋ぐ連絡通路はとても混んでいた。

 

「(こんなに混んでいるなんて……どんだけ人がいるんだ?)」

 

 ここにいるのが全員ウマ娘のレースを観に来ている。そして各個人が違う推しの勝利を願っている。

 

 そしてその中にはもちろんスズカの勝利を望んでいる人だっている。エアグルーヴの勝利を確信している人もいる。ドーベルの勝利を祈っている人もいる。

 

「宝塚記念は阪神で行われる2200m右回り芝のレースで、最初のスタートからコーナーに入るまで520m、その後急な坂路を2回登るからスタミナが多く消費され、小回りが利く様にコーナリングする能力も試される」

 

「どうした急に」

 

 なんか周りの人たちよりも一段と声の大きい男性二人組がいた。どうやら宝塚記念のことを話し合っているらしい。

 

 俺はなんとなく気になってその二人組のお話を聞いてみる。

 

「今回の一番人気のサイレンススズカは前回の重賞レースで11バ身というトゥインクル・シリーズの歴史的快挙を成し遂げたが、今回は200m距離が増え、さらに坂路が急であり回数も多い。それにGⅠ経験はエアグルーヴ、そしてメジロドーベルの方が上だ」

 

「つまりいかにGⅠのプレッシャーに押し潰されないかが今回の要になりそうだな!」

 

「あぁ!!」

 

「でもミナミ、まだレース場にも着いていないのに気が早すぎないか?」

 

「何言ってるんだよマスオ! 今から色々考えるのが楽しいんじゃないか!!」

 

 なるほど、トゥインクル・シリーズのファンの中にはこういう熱狂的なファンもいるんだな。

 

 それにしても……坂か。

 

 6月は雨が多く、室内練習が多めだった。だから7月で梅雨が明けた後は例の神社で階段ダッシュをしていた。

 

 先生があの練習を多く取り入れていたのはこの時のためだったのか。

 

「何より宝塚記念はファンが選んだウマ娘しか走らないレース! ここに勝利を嫌がられている娘なんていない!!」

 

「そうだな!」

 

   ・ ・ ・

 

 阪神レース場に入ると、だいぶ人が入っていたがまだ人が入りそうだった。

 

 とりあえずゴール板近くの席を取る。

 

「(……これって、スピカのみんなが入るスペースあるのかな)」

 

 まぁ今までも何回かレースを観に行ったけどその度良いところを先生は取るからそこまで心配することでもないだろう。

 

 レース場の方を見てみるとウマ娘たちが走っていた。宝塚とか出るような娘たちではなく、未勝利の娘とかが走っているようだ。

 

 それでもやっぱりウマ娘のレース、とても迫力があるものだった。

 

「「やっぱりすごいなぁ……えっ?」」

 

 自分の声に被る声、そしてその声には聞き覚えがあった。

 

 その声がした方に顔を向けてみるとそこにいたのは……ライスお姉さまだった。

 

「れ、玲音くん? どうしてこんなところに……」

 

「それはこっちのセリフですよ。なんでライスさんが阪神にーー」

 

「って、玲音くん! その目の隈はどうしたの!?」

 

 ライスさんは俺の目の辺りを指差してそう言う。

 

 そりゃこんな目の隈を見てしまえば誰でも心配になるだろう。毎朝顔を洗うために鏡を見ているが、今の俺ははっきり言ってゾンビとかに近い。

 

 某俺ガイルの主人公の初期の目の腐れ方とい勝負だ。

 

「あぁ、大丈夫ですよ。ただ寝れてないだけなんで」

 

「それって全然大丈夫なことじゃないよ……何かあったの?」

 

「……まぁ、あったと言えばありましたかね」

 

 観客席の席に座りながら、俺はその何かを脳内全体で振り返る。

 

 そもそも俺はスズカと会いたいが為にこの学園に入ったんだよな。つまりもう目標は達しているわけだ。

 

 さらに俺があの学園に行こうと思ったのは中3の夏休みからであり、その前まではトレーナーになることなどこれっぽっちも考えたことはなかった。

 

 ウマ娘の走り自体はマックイーンを見ていたから「すごいなぁ」と思っていたがそう感じるだけだった。

 

 そうして何日も苦しみ出して導き出した答え……それはとても簡単で残酷なものだった。

 

「え……えいっ!」

 

「うわっ!?」

 

 ライスさんの声が聞こえたかと思うと、俺はライスさんの胸の中にいた。

 

 えっ、えっ? ナニコレなにこれ!?

 

 パニックになっている頭で何とか状況を把握する。今ライスさんは自分の腕を回して手を俺の後頭部に添えて、優しく自分の方へ俺の頭を寄せた。

 

 そして俺の頭は重力に従ってライスさんの胸の中にダイブ、そしてギューッと優しい力でライスさんは後頭部を押さえている。

 

「ら、ライスさん……一体なにを?」

 

「昔ライスがこうやったらね、玲音くんは寝てくれたんだよ? 『ライスの心臓の音が心地良い』って」

 

 ライスさんが言った言葉によって自分の意識は耳に集中する。

 

 すると、ドクンッ……ドクンッと一定のリズムで鳴り響くライスさんの鼓動が聞こえてくる。

 

 それに何でだろう。この感覚……なんかとても懐かしいような。

 

「教えてくれないかな、玲音くんが今、何に苦しんでいるのか」

 

「……はい」

 

 自分はライスさんに包まれた安心感によってか、いとも簡単に自分の事情を話した。

 

 「自分はトレーナーになる理由が無い」すごく辛いことを言っているはずなのに、一人で考えている時は胸が裂かれそうなくらい痛いことなはずなのに……ライスさんに包まれていると全然辛くないし、痛くもない。むしろどんどん負の感情が落ちて行くような気がした。

 

 やっぱりライスさんは……お姉さまなんだな。なんてバカなことを考える余裕も出てきた。

 

「そうなんだ……玲音くんもライスと一緒なんだ」

 

「えっ?」

 

 つい何も考えずに素っ頓狂な声を漏らしてしまう。

 

 ライスさんと自分が……一緒? それは一体、どういうことなんだろうかと考えていると、ライスさんは話してくれた……自分の過去の栄光を。

 

   ***

 

 覚えてるかな玲音くん。あの屋上で言ったこと。

 

 ライスはライスの走りで誰かを笑顔にし元気づけ、幸せにしたい。

 

 ライスはね、実はクラシック級の時、菊花賞に勝ったことがあるんだ。

 

 その時皐月賞とダービーを制覇している二冠のライバルの娘が居てね、その娘に負けないようにたくさん練習して、たくさん知識を身に付けて、菊花賞に勝った。

 

 その娘はとても悔しがっていた。三冠ウマ娘は確実だと周りから言われていて、その娘自身もその結果を望んでいた。だけどライスが勝った。

 

 でもその娘は憎しみの言葉なんて言わなかった……むしろ逆、ライスを讃えるような言葉を掛けてくれた。

 

『流石ですねライスさん……それでこそ私のライバルです』

 

 あの時は私だけが一方的にライバル視しているだけだと思っていたから、それを聞いた時は全てが報われた気分になった。「あぁ、努力したのは無駄じゃなかったんだ」って。

 

 だけど……周りの観客はみんなライスのことをブーイングした。

 

『久しぶりの三冠を見れそうだったのになんで勝ったんだ』

 

 それが世間の人たちからの反応だった。

 

 新聞やテレビでもライスのことを悪く言うような言葉や文字が言われ、書かれた。

 

 その波は学園まで押し寄せてきて、ライス宛に脅迫文を送りつけたり、実際に会って罵詈雑言を言われることもあった。

 

 中でも酷かったのはネットの掲示板で自分をトゥインクル・シリーズや中央からどう追い出すかみたいなことが書かれていたもの。恐喝されたとか暴行されたとか適当な理由をつけたりするなど人道に反することをするなど色んなことが書かれていた。

 

 そんな扱いを長い事受けていたから、段々分からなくなっちゃった。

 

 本当にこの人たちを幸せにするためにライスは走っていたのかって。

 

 そしてライスは壊れちゃった。眠れなくもなったし、いろんな方向からいろんな人たちがライスの悪口を言っているような幻聴も聞こえた。今はかなり減ったけど、それでも時々聞こえてくる。

 

 さらに不運は続いた。ライスのライバル……ブルボンさんっていうんだけど、謎の病で意識不明になっちゃったの。

 

「謎の病?」

 

 うん……ウマ娘には他の世界の魂が宿ってるのは知ってるよね? でもごく稀にこっち……つまりウマ娘の意識がその魂に引っ張られる時があるの。それが夢現病。

 

 自分はその時ブルボンさんのために、ライバルとして走り続けようと……ううん、その時はブルボンさんのライバルとして走るのが走る理由になってた。でも現実はとても残酷でライスは走る理由を失った。

 

 そして予定していたレースにも出ずに、ライスは適当な重賞レースに出るだけの存在になっちゃった。

 

   ***

 

「だからね、ライスにも走る理由なんてないんだよ」

 

「……」

 

 ライスさんのお話を聞きながら、自分は一つ間違っていたことを確信した。

 

 理由がなくて困っているのは、自分だけではない。このトレセン学園……いや、日本中には自分のように悩んでいる人やウマ娘はいるはずなんだ。

 

 俺が今抱えているものは何も特別なものではない。

 

「その事自体は別に抱える事じゃない……それを誰と乗り切るかが大切なんだよ」

 

「……誰かと」

 

「ライスは”まだ”立ち直れていないけど……玲音くんの周りには良い人たちがいるでしょ?」

 

「っ……!」

 

 そうだ……俺は元々、ここに立っていたかも怪しい人間。

 

 そんな人間を拾ってくれた人が……あのチームにはいる。一緒に成長してくれる同期がいる。背中を見せて走ってくれる同世代がいる。互いに高め合う仲間がいる。

 

 今は無いにしても、みんなについて行けばいつかは見つけられるんじゃないか?

 

 何でこんな簡単な事に今まで気付かなかったんだ……最初から何かに縛られている人なんてむしろ少数、今から新しく作り上げて行けばいいじゃないか。

 

 無理由上等! むしろこれから作り上げた方がゲームやアニメみたいでおもしろそうじゃないか!!

 

「よかった、玲音くんの目の色少しだけ光が戻った……」

 

「いえ、ライスさんのお陰ですよ」

 

「そうだったら嬉しいな……でも」

 

 ふさっとライスさんは自分の頭を一定のリズムで撫で始めた。その瞬間、強烈な睡魔が俺を襲ってきた。

 

「やっぱりそうだ……こうやって抱き抱えながら頭を撫でると、玲音くんはいつも寝ちゃうんだ」

 

「そう……なん、ですか?」

 

「理由が無いことに気づけたことはいいけど、その先を考えるには体力がいる。だから今はここで寝よう?」

 

 ライスさんの優しい口調が耳から脳に伝わり、脳はリラックスできるような成分を出すように命令している。

 

 どこか体がふわふわするような……謎の感覚。辺りのざわめきは消え、ライスさんの声しか響いてこない。

 

「『〜〜♪』」

 

 聞いたことのないはずの鼻歌。しかし自分の心の奥にいる自分自身はこの歌の”祈り”を覚えていた。だからライスさん以外に声……いや、幼い時のライスさんの声も聞こえている。

 

 この前……確かゲームセンターでUFOキャッチャーした時も似たような感覚に襲われた。多分、今回もそれだろう。

 

 そんな祈りの歌を聴きながら安心感を覚えた俺の意識は静かに闇へと誘われた。

 

 

 




・わ〜いライス引きたかったけど貯めてた無償ジュエル15000個が一瞬で溶けたー \(^o^)/(天井するほどの金は学生にはねぇw 星3キャラ一人も出ないとかもはや笑えてくるw)

 →吸血鬼ライスシャワーのSSを出しました。(pixivに投稿)

・次回は説教後、宝塚記念です。


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翡翠に想いを乗せて 〜宝塚記念、出走〜

 前回のあらすじ:宝塚記念当日、一人だけ早く阪神レース場に行く玲音。しかし現地にはライスがいた。そこで玲音はライスに弱音を吐き、当たり前の事に気付いた後、ライスの胸の中で眠りについた。

・UA131,000・132,000を突破しました。ありがとうございます!



「ーーくん、ーーくん」

 

 誰かが自分の名前を呼んでいる。

 

 もう少し眠ろうか迷った。なにせ寝られたのなんて何日ぶりなんだろうと思うくらいだったから、このまま永遠に寝てしまうかとも思ってしまう。

 

 だけどここで起きないとなんか永遠に起きられないかもしれない。そう思った俺は沈んでいる意識を覚醒の水面下まで持って行く。

 

 ゆっくりと目を開けると目の前にいたのは、スズカだった。

 

「……スズ、ちゃん?」

 

「よかった、目が……覚めた」

 

 そう言った瞬間、目の前にいたスズカは自分に抱きついてきた。

 

 えっ、なして? よく見てみるとスズカの頰には涙が流れていた。

 

「よぉ、お寝坊さん……やっと起きたな」

 

 その横には先生が……ってあれ? ちょっと待てよ?

 

 なんで天井が見えるんだ……自分は確か観客席にいたはず。でもこの真っ白な光景、そして今自分は仰向けになっている。

 

 これは……ベッド?

 

「先生……ここってどこなんですか?」

 

「阪神レース場の救護室だ」

 

 救護室……もしかしてライスさんが運んでくれたのか?

 

 少しズキズキと痛む頭を気にしながらゆっくりと体を起こす……思っていたよりも体が重たい、まるで鉛をつけているかのようだ。

 

 俺の体は自分が思ってた以上に疲労を溜めていたらしい。

 

「というかお前、なんで菊花賞ウマ娘のライスシャワーと関わりがあるんだよ……メジロ家とも関わりがあるようだし、お前何者なんだ?」

 

「……普通の人だと思いますけど」

 

「普通の人はこんなに関わり持ってねぇよ!?」

 

 先生の叫び声が救護室内に響く。それを聞いた救護員みたいな人が鋭い目線を送り静粛するように示唆した。

 

 先生は「すみません」と救護員に謝り、咳払いをする。

 

「と、とにかくだ……玲音、お前なんで黙って先にこっちに来たんだ」

 

 その顔はとても真剣なものであり……同時に本気で心配してくれている顔だと見て感じた。

 

 俺は少し俯いて……申し訳なく話す。

 

「今の自分は、みんなの下にいる資格がありません」

 

「そんなことない……レオくんはーー」

 

「お前、気づいたのか……自分が空っぽだってことに」

 

「はい……先生はずっとそう思ってたんですよね?」

 

「あぁ、むしろなんで今まで気づかなかったのか不思議に思ったくらいだ」

 

「……ちょっと待ってください。レオくんが空っぽって、どういう意味ですか?」

 

 俺と先生の中では会話が繋がっているが間にいるスズカは話についていけていない。

 

「スズカ、こいつにはトレーナーになる理由がないんだ」

 

「……どういうことレオくん?」

 

「俺がこの学園に入ったのは、スズちゃんに会うためだった。だけど本当にそれだけだったんだ。自分にはトレーナーを志す理由がない」

 

 少し冷静に考えてみれば分かることだった。だが自分は幼なじみと再会してテンションがハイになっていた。だからこの前までそんな簡単なことに気が付かなかった。

 

 ……一年前、自分がトレーナー学科に入って初めてのロングホームルーム。みんなで自己紹介をする時間があった。そこではみんな将来どういうトレーナーになりたいかを語っていた。

 

 だが、自分には将来のビジョンが見えてなかった。だから普通の自己紹介をした。

 

 今思えばリギルを観察していた時、道以外の学生トレーナーに害虫を見るような目で見られた事があったが……あれは確か同じクラスの学生だった。

 

 周りの生徒から見て俺は……中途半端な存在として見られていたんだろう。

 

「今の自分自身を分析を出来たのは良しだ……だがなぁ」

 

 先生はそう言いながら俺との距離を縮める。そしてゲンコツを俺の頭に振り下ろした。

 

 「痛っ」とそう声を漏らし、ヒリヒリする頭を摩りながら先生の言葉を聞く。

 

「何も報告なく勝手な行動をするな。これはトレーナーとか関係ない、社会人としてのマナー、報連相だ」

 

「はい……すみません」

 

「あとお前は今回で2回目だからな? 仏の顔も何とやらだ……分かったな」

 

「はい」

 

「それに玲音、そこまで分析したなら気付いていると思うが、その問題を抱える人間やウマ娘は多い……だから、触れ合うんだ」

 

「触れ、合う?」

 

「そうだ! たくさんのウマ娘と触れ合って、そして知るんだ! ウマ娘との成長というのはとても尊いものであるということを!」

 

「ウマ娘との成長が……尊いもの」

 

「んじゃ俺は先に戻ってるからな」

 

 そう言って先生は救護室から出て行った。部屋には自分とスズカの二人だけになる。(いや救護員はいるけど)

 

 それにしても……ウマ娘と触れ合う、か。

 

 確かにトレーナーになる以上、ウマ娘とは切っても切れない縁になる。さらに俺が今通っているのはトレセン学園……多くのウマ娘が通う場所である。普通の生活でここまで現役のウマ娘と触れ合えることなど二度と訪れないだろう。

 

 それにチームにもウマ娘はいる。スズカはもちろん、スペやテイオー、スカーレットにウオッカにゴルシ……みんなと仲を深める事で何か新しいものを見つけられるかもしれない。

 

 そのためには……ちゃんとチームに復帰しないとな。

 

「……ねぇレオくん」

 

「んっ?」

 

「さっきレオくんは自分にトレーナーになる理由がないって言っていたよね?」

 

「あぁ……本当に恥ずかしい気持ちでいっぱいだよ。そんな中途半端な目的でこの学園に来てーー」

 

 自分が少し自嘲気味に話していると、スズカは再び俺に抱きついた。彼女のシルクのようにツヤツヤな栗髪が首元をくすぐった。

 

 ほのかにフローラルなシャンプーの香りもした。

 

「なら、私が理由になるのは……ダメかな」

 

「でも、俺はスズカと会うことだけしか考えてなくて、またスズカを理由にするなんて……」

 

「私の走りを見て」

 

「っ……」

 

「レオくんには誰よりも近いところで、私の走りを見て欲しい……そのためにトレーナーを目指すっていうのは、ダメかな?」

 

「……どう、だろうね。それを決めるのはもう少し考えてからかな」

 

「……そう」

 

 そう言うとスズカは明らかに哀しそうな表情を取った。ウマ耳も元気がなさそうに垂れ下がっている。

 

 そのままスズカは抱きつくのをやめ、ゆっくりと静かに救護室を出て行こうとする。

 

「待ってスズちゃん!」

 

 スズカの手がドアノブに掛かったその瞬間、俺はベッドから飛び起きてスズカとの間合いを縮める。

 

 そして、空いている左手を優しく掴む。

 

「レオくん?」

 

「今の俺には何が正しいかなんて分からない……でも数ヶ月前、スズちゃんがいるところに追いついてみせるって言った……あれは俺が今持っている本当の気持ちだ」

 

「……うん」

 

 そう、スズカが11バ身という歴史的快挙を成し遂げたレースの時、俺はスズカの走りに魅せられた。

 

 それと同時に近づきたいと……追いつきたいとも思った。彼女が見ている世界、そこは一体どんな世界なのだろうか。

 

 見てみたい……幼なじみが見ている景色を。

 

「レオくん……みんなのところに戻ろう?」

 

「あぁ! っとと……」

 

 寝不足と疲労が溜まっているからか、一瞬立ちくらみを起こしてしまう。

 

 だけどライスさんが寝かしつけてくれたお陰で、少しはマシになっている。

 

 俺はスズカと一緒に救護室を出て、チーム・スピカのみんなと合流した。

 

   ・ ・ ・

 

 しばらく時間が経って宝塚記念のパドックが終わり、俺たちはターフへ入場するスズカを見送るために地下バ道にいる。

 

 スズカは緑と白の勝負服を着ていた。その緑は彼女が駆けるターフの色。そして白色は北海道の地元の白銀世界を表現しているように思えた。

 

「スズカさん、頑張ってくださいね!!」

 

「ありがとうスペちゃん」

 

「スズカ、この宝塚記念で1番人気を得るということは全国のファンの多くがお前の走りを期待してるってことだ……だから今日はとにかく楽しめ!」

 

「はい……!」

 

 そうしてスズカはターフの方へ向かう……と思ったが、彼女は俺の方に近づいてくる。

 

 なんとなくスズカが何をしてほしいのか分かった。なので俺はスズカが近づく間にどんな言葉を掛けようか考える。

 

「レオくん……はい」

 

「えっ?」

 

 しかしスズカは言葉を欲しがってる訳ではなかった。その代わりスズカはある物を俺に差し出す。

 

 それは俺がスズカの誕生日の時、プレゼントとしてあげた翡翠のブレスレットと俺がスズカにプレゼントとしてもらった水晶のブレスレットだった。

 

「右手、こっちに突き出して?」

 

「あ、あぁ……」

 

 俺はスズカに言われるがまま右手をスズカの方へ突き出す。

 

 するとスズカは左手を支えるように添えて、空いた右手で水晶のブレスレットを手首に通す。

 

 それは数ヶ月前にプレゼントを渡した時と同じようなブレスレット交換。

 

 俺の右手首にブレスレットを通したスズカは、翡翠のブレスレットを俺の右手の中にひょいと置き、そのまま添えていた手をこっちに突き出す。

 

 つまりこの翡翠のブレスレットを俺に着けて欲しいということだろう。

 

 俺は一度翡翠のブレスレットを握り、そして左手を支えるようにスズカの左手に添え、ゆっくりとスズカの左手首に翡翠のブレスレットを通す。

 

 そして左手を通し終えて……俺は両手でぎゅっと包み込み、そこに自分の額を当てる。

 

 自分の勝って欲しいという想いを……このブレスレットに乗せる。

 

「「……」」

 

 それは恐らく10秒とかとても短い時間だったが、俺とスズカはまるで時が止まったようだった。

 

 俺は額を離して、ブレスレットを包んでいた両手をそのまま形を変えて、スズカの左手をギュッと握る。

 

「頑張って……行ってらっしゃい」

 

「うん、行ってきます」

 

 そう言うとスズカは走ってターフの方へと向かっていった。

 

 俺はさっきまでスズカの手を握っていた自分の両手を見つめ……そして強く握って瞼をきつく閉じる。

 

 ……今の俺は、確かに空っぽかもしれない。でも、目の前の幼なじみの勝利を祈る事はできる。

 

 そしてそれが今の俺にできる……最大限の事。

 

 俺は振り返る……するとなんだかチームのみんなは俺のことをじっと見ていた。

 

 スペ・ウオッカ・スカーレットは顔を赤くし、ゴルシ・テイオー・先生は呆れたような顔をしていた。

 

「えっ、何すかこの空気?」

 

   ***

 

 本バ場入場を終え、私はゲートの前まで来る。いつもは聞き流している観客たちの声が今日ばかりは全て耳の中の入って来るんじゃないかと思うくらい鮮明に聞こえた。

 

「スズカ」

 

 名前を呼ばれて私は振り返る。するとそこにいたのはエアグルーヴだった。

 

「どうだ久々のGⅠは……胸が高鳴らないか?」

 

「そうね……ちょっと怖い気持ちもあるけど、私はいつもの走りをするだけよ」

 

「そうか。変わったな、スズカ」

 

 そう呟くとエアグルーヴは自分の枠番のゲートの方へと去って行った。

 

「そろそろゲートインお願いしまーす!!」

 

 URAのスタッフさんがそう言うとゲートが開き、出走するウマ娘たちが次々と入っていく。

 

 私もそれに従い、大外である13番ゲートに入る。私が入ると後ろのゲートが閉まる音がした。

 

 ……昔はこの音がとても嫌だった。その音は私を狭いところに無理矢理入れられる音だったから。

 

 でも今は違う……このゲートを抜けるとそこに待っているのは広い広いターフの世界。

 

 だからこのゲートは少しの我慢、これを抜ければ私は自由に駆けることができる。

 

「(……それに)」

 

 私は右手首に着けられた翡翠のブレスレットを左手で包み、胸に押し当てる。

 

 私の走りを見て欲しい人がいる……だから今日のレースは、絶対に負けない。

 

『ゲートイン完了、出走の準備が整いました!』

 

 レース場のアナウンサーがそう言うと観客席は少し静かになった。それと同時に私の鼓動が自分自身でも感じれるくらい高鳴った。

 

 しばらくの沈黙……それはとても長く感じる数秒。だけど、私の心の準備は完全に整った。

 

「(さぁ、行こう……!)」

 

 そう思ったのと同時にガコンッという音が響き、前が開ける。

 

 そうして私は……ターフの世界へ足を踏み入れた。

 

   ***

 

『スタートしました! 13人、これからスタンド前に出てきますが……やはりサイレンススズカ! サイレンススズカが外からじわーっと内にコースを変えながら先手を窺います!』

 

 夢のドリームレース、宝塚記念が始まりスタンドに集まったファンたちは大声を上げ、出走を喜ぶ。

 

 そんな中俺たちチーム・スピカの全員は黙って勝負を見守る。

 

 見た感じスタートダッシュは上手くいき、あまりスピードを殺さずに一番手で内に入られた……俺からすれば最高のスタートに見えた。

 

 そしてそんなスズカの後ろにいるのは……3番ゲートから出走したドーベルだった。宝塚記念は最初の坂に入るまでの直線が長いがこの時点でスズカとドーベルの差は少しずつ開いて行っている。

 

 少し後ろを見てみると中団にエアグルーヴがいる。

 

 レースは第1コーナー、そして第2コーナーを回るが……この時点で1位と2位の差は3バ身ほど開いていた。

 

 そのことに不安がる観客の声も聞こえて来るが……スズカにとってはこの逃げが当たり前なのだ。

 

 誰にも追走を許さない……先頭の景色を譲らない走り、それがスズカが貫く走りだ。

 

 第2コーナーを回った後の直線……そこである変化が起きた。

 

 スズカがさらに加速した……さらに差は離れていき、その差はおよそ7・8バ身。

 

「スズカさん……やっぱりすごいですね」

 

「うん……GⅠでも、スズの大逃げは通用する! この宝塚……いける!」

 

「……それはどうかな」

 

「えっ?」

 

 先生が言った意外な言葉に俺は困惑を隠せなかった。

 

 今のスズカには”どこにも”心配なところなんてないはず……けどそう言う先生の額には汗が流れていた。

 

 それは暑さによるものもあったかもしれないが……それは冷や汗もあるのだろう。

 

「(先生は一体……何を心配しているんだ?)」

 

「あっ! スズカ先輩と中団との差が!?」

 

 スカーレットがそう叫んだのを聞き、俺はすぐにレースの方へ視線を向ける。

 

 レースは第3コーナーの中腹に差し掛かっているが……先頭を走るスズカと中団を引っ張っているドーベルとの差がどんどん縮まっていた。

 

 なんで……スズカの大逃げはここで追いつかれるようなものじゃないはず。

 

「前回の大逃げした時の距離は2000m。それ以上の距離をスズカは経験していない。だからスタミナが保つかどうか……」

 

 だから先生はあんなに階段ダッシュを中心的にやっていたのか……坂もあるが、スタミナを上げるためにも。

 

 第4コーナーに差し掛かったタイミングでスズカはチラリと後ろを見る。その差はおよそ4バ身ほどに迫っていた。

 

「スズちゃん!!」

「スズカさん!!」

 

 最後の直線、中団と後方はさらに加速してスズカとの差はぐんぐん縮まっていく。

 

 俺は手で目を隠そうとする……怖い、見たいけど見るのが怖い。

 

 それでも俺は覆いたくなる気持ちを必死に抑えて最後まで見守る。

 

『さぁサイレンススズカのリードが詰まってきた!! 外からキンイロリョテイ! ちょっとエアグルーヴは伸びない!!』

 

 最後の直線に差し掛かり、スタンドにいる観客たちは応援を走っているウマ娘に送る。阪神レース場へ来ている観客のボルテージは最高潮に達しそうだった。

 

 スズカの後ろにいるのは今回は7番人気だったキンイロリョテイがジリジリと差を縮めている……その差は2バ身ほどになっていた。

 

「はああああああ!!!!」

 

 さらに残り200mを越えると外からエアグルーヴがすごい勢いで上がって来る。あっという間に二人交わして、キンイロリョテイとスズカに近付く。

 

 逃げるサイレンススズカ、追うキンイロリョテイ、差そうとするエアグルーヴ……誰が勝つかと俺を含めた観客は瞬きを忘れてレースを見守る。

 

 しかし次の瞬間、さらにスズカが加速した。キンイロリョテイは差を縮めようとするがそれ以上は縮められない。

 

 逃げというのは普通、序盤で先頭に立ってスタミナのペース配分をしっかり考え、ゴール板を駆け抜ける作戦、普通の逃げならこの時点でスタミナはあまり残っていないはず。

 

 それでもスズカは加速した……あえて言葉にするなら、逃げて差す……そんな言葉が合っているだろう。

 

『サイレンススズカだ!! 先頭ゴオォルインッ!! 逃げ切りましたサイレンススズカ!!』

 

『(ワー!!)』

 

 夢の舞台を制したのは俺の幼なじみだった。その結果に俺は一瞬思考を止めてしまったが……口は勝手に動いた。

 

「「いやっっったあああああああ!!!!」」

 

 どうやらスペも同じことを思っていたらしく、俺たちは同じタイミングでスズカの勝利を喜ぶ。

 

「おわっ!? お前らがそんな声出すの久々だな……」

 

「でもこれくらい騒がしい方がスピカって感じもするけどな」

 

 先生とゴルシが何か言っているが、喜んでいるスペと俺はそんなセリフを気に留めようとはしなかった。

 

 するとスペが柵を乗り越えてスズカの方へ駆けていく……そしてそのまま抱き付いた。

 

 自分も後に続こうと思い柵に手をかける……その時、俺の視線内には確定板が映った。そうして俺はそこに書かれている番号を見て、はっと思い出す。

 

 5着には……ドーベルがいた。

 

 少し視線を外してターフの方を見てみると、息を整えながら顔を俯かせているドーベルの後ろ姿が見えた。

 

 そうだ……勝者は一人なんだ。

 

 スズカが勝ったのは嬉しい……でもその横で悔しさで拳を握り締める友人の前で他の娘の勝利を祝っていいのか? それはかなり失礼なことなんじゃないか?

 

 そう考えると俺は柵から手を離しーー。

 

「行ったらどうですか?」

 

「マックイーン……来てたのか?」

 

「わたくしはメジロ家の関係者ですから……それよりも、スズカさんに声を掛けに行かなくてもいいんですか?」

 

「見えるだろ。スズカは勝っていてもドーベルは勝っていない……これを素直に喜んでいいのか……」

 

「玲音さんは今日、誰を応援していたのですか?」

 

「……スズカだ」

 

 俺はレースが始まってから基本、スズカの事しか考えていなかったから、それが答えなんだろう。

 

「なら、自分の素直な気持ちに従ってみればいいじゃないですか。それにドーベルはもう地下バ道の方に行きましたよ」

 

 マックイーンに言われて、確かにドーベルがあのターフにいない事を確認した。さらにマックイーンは促すかのように俺の肩をポンッと叩いた。

 

 それに従って俺は柵を乗り越え、スズカのもとに駆けていった。

 

 だけど、今は喜ぶだけではダメだと心の奥でそう思った。

 

 

 




・1998年宝塚記念、JRA公式の実況より。

・YouTubeの怪文書チャンネルでスズカ怪文書が採用されて4分30秒尺を埋めてしまったw

・次回は宝塚記念の後のお話の予定です。


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かける言葉 〜宝塚記念を終えて〜

 前回のあらすじ:ウマ娘のファンたちのファン投票によって出走するウマ娘を決めるドリームレース・宝塚記念。そこでサイレンススズカは多くの夢を背負い、そしてゴール板を駆け抜けた。

・今回は短め。



「スズちゃん!!」

 

 大声で幼なじみの名前を呼びながら、彼女に近づく。

 

 すると向こうも俺の存在に気が付いたのか、こっちへ顔を向けてくれる。

 

「レオくん……!」

 

 そうして俺はスズカの側で立ち止まって彼女の瞳に視線を合わせる……今思ったけど、自分はスズカに何を言えばいいんだろう?

 

 確かにスズカがゴール板を抜けた時、俺は何も考えずスペと一緒に喜んだ。だけど冷静になってさっきのドーベルも見て、今の俺にスズカにかけられる言葉は一体どういうものだろうか。

 

 ……いや、”今は”ドーベルのことは考えないでスズカを祝うことだけを考えよう。

 

 でもどういう感じで言うか……褒めちぎるか? それともクールに言った方がいいのかな?

 

 なんて悩んでいると、スズカが歩み寄ってくる。たった1mしか空いていないのにも関わらずだ。

 

「スズちゃん?」

 

 そう困惑したような声を出してもスズカは足を止めることなく、お互いの顔が目と鼻の先まで近づく。

 

 あまりにも距離が近かったので俺は目を閉じてしまう。するとスズカは自分の腕を俺の首に回し、俺の肩に頭をひょいと乗せた。

 

 少し体が硬直してしまったが……俺も彼女の胴回りに腕を回してぎゅっと抱きしめる。

 

 そうして俺とスズカはしばらくの間、抱擁し合った。周りの音はさっきまでうるさかったのに、今は静かになっている。

 

「私の走り、どうだった?」

 

「……すごくよかった」

 

 耳元で優しく囁きながらスズカは俺に話しかけてくる。俺もそれに呼応するように囁きながら答えを返す。

 

 ふと、俺は昔の出来事を思い出す。

 

 それは幼稚園の運動会、スズカが駆けっこで1着を取ってこっちに駆け寄った時にこういう行動を取っていた。

 

 他にもお手伝いとかでワキアさんや俺のお母さんに褒められた時にわざわざ俺のところまで来て、その行動を取っていた。

 

 そしてそうした時に要求していたものは確か……俺はスズカの後ろ髪をぽんぽんと優しく数回叩いて、そしてその髪を撫でる。

 

「んっ……レオくん」

 

「本当にすごいよ、スズちゃん……また遠くに行ってくれた」

 

 今回のGⅠ勝利によって、ますますスズカと俺の差は開いてしまった……だけど、それを悲観的なものだと考える必要はない。

 

「レオくんは……いつか私に追いついてくれるよね?」

 

「当たり前だ。俺はスズちゃんの幼なじみで……お兄ちゃんなんだから」

 

「……うん!」

 

   ***

 

「ドーベル」

 

 わたくしは玲音さんを見送った後、地下バ道へ訪れる。

 

 そしてそこで水を補給しているドーベルの姿が見えたので声をかけた。

 

 水を飲むのを一回やめ、ペットボトルに口を付けながらわたくしの方を横目でちらりと見る。

 

「……マックイーン」

 

「宝塚記念、5着おめでとうございます」

 

「ありがとう……6番人気にしてはまぁまぁの結果だったわね」

 

「そうですね」

 

 そうは言っていってますが、その言葉の語気や垂れ下がっているウマ耳を見るに落ち込んでいることは明らかですね。

 

 メジロ家はアスリートウマ娘を育てる名家。メジロの看板を背負うウマ娘には目標とされるレースが設定されている。わたくしなら天皇賞制覇という目標があるように、ドーベルにはエリザベス女王杯制覇という目標がある。

 

 宝塚記念はドーベルの目標レースではありません……しかしそうは言ってもGⅠのレース、勝ちたかった気持ちはもちろんあったのでしょう。

 

「……アイツの様子どうだった?」

 

「スズカさんの勝利を喜んでました……でもドーベルが負けたことも気にしていたようですよ」

 

「何それ、私のことは気にしないでいいって言ったのに」

 

 そう言いながらも尻尾をうずうずとさせているドーベル。本人は隠しているつもりでしょうけど、尻尾はとても正直ですね。

 

 ……それにそろそろ来そうですね。そう考えながら私のウマ耳は地下バ道の入り口の方へ傾けます。するとこっちへ走ってくる一人の男性のブレス音が聞こえてきます。

 

「ドーベル!」

 

「れ、玲音?!」

 

 突然の玲音さんの登場で少し驚いているドーベル。いつもは冷静に振舞ってますけど、こういう想定外のことが起きると結構可愛い仕草を取ってくれます……まぁ、わたくしもそうみたいですけど。

 

「……応援しなくていいって言ったわよね?」

 

「うん。だから、二言だけ伝えようと思って」

 

「……二言?」

 

 そう言うと玲音さんは深呼吸して、ドーベルの瞳を真っ直ぐ見つめて言葉を発する。

 

「ドーベルの走り、カッコ良かった……だから次のレースはドーベルを絶対に応援する! そんだけ! んじゃ、また!!」

 

 そう言うと玲音さんは来た道を戻っていきました。

 

 なるほど……ずっと居ると次第にスズカさんの勝利とドーベルの敗北のことを考えてしまう。だったら言いたい事をあらかじめ決めておいて、スパッと言った後にすぐ去る。そうすれば伝えたいことだけを伝えることが出来て、心のダメージも少なく済む。

 

 ドーベルはあまりにも一瞬のことで目を丸くしている……しかしすぐにいつもの凛々しい目に戻って、小さく微笑みました。

 

「何よそれ……ばか」

 

   ・ ・ ・

 

 今回のGⅠの結果、そしてこの前玲音さんが言っていたチーム・スピカの特徴。

 

「(他のチームはかなり出るレースはトレーナーさんが決めていましたが、スピカはウマ娘の意思を尊重したプランを考えてくれる)」

 

 それは天皇賞制覇を目標にしているわたくしからしたらとても嬉しいことです。

 

 さらに言ってしまえば、あのチームにはテイオーというライバルもいて、目標を達成したところを見て欲しい……だ、大好きな人もいます。

 

「……決めましたわ」

 

「何がですかマックイーンお嬢さま?」

 

 わたくしの独り言を聞いてた爺やが質問をしてきました。だからわたくしはその決めたことを爺やに話しました。

 

 すると爺やは……とても嬉しそうに目を細めてました。

 

 

 




・FNS歌謡祭最高でしたなぁ……うまぴょい♪ うまぴょい♪

・次回は同期トレーナーの志し・スピカへ新加入するウマ娘のお話です。


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トレーナーを目指す同期たちの信念 / キャストは全員揃った

 前回のあらすじ:宝塚記念の後、玲音はスズカに祝いの言葉を送り、ドーベルに感謝の言葉を述べた。

・UA133,000・134,000・135,000、10話のUAが10000突破していました! ありがとうございます!!



 宝塚記念が終わると期末試験があったが、それは特になんの問題もなく終わり。俺たちは夏休みを待つだけの存在になっていた。

 

 授業の時間も短くなり、いつもより20分くらい早い昼食を尊野と道と一緒に食堂で取っている。

 

 尊野は相変わらず超激辛担々麺を食べている……昔は痙攣したりキボウノハナを咲かせていたのに、今ではどこかの麻婆神父みたいに汗を流しながらもその辛さを味わうようにして食べている。

 

 ちなみに道はサバの味噌煮込み、自分はハヤシライスを食べている。

 

「「トレーナーを志している理由?」」

 

「そう、なんかないかな?」

 

 トレーナーを志す理由が自分には無いということが分かり、俺はしばらくの間苦しんでいた。

 

 だけどライスさんが教えてくれて、この悩みは誰にでもあるということが分かった。志す理由は今から考えればいい。

 

 とは思ったものの、いざ自分で考えてみると意外と思いつかない。スズカがくれた理由以外全然思いつかない。

 

 だから相談してみることにしてみた……仲のいい友人たちに。ライスさんの一件から誰かに相談するということは心がかなり軽くなることを知ったからだ。

 

「いきなり言われても……どう言えばいいかな〜」

 

「というかどうしたの谷崎くん、急にそんな質問するなんて?」

 

「あっいや……これにはマリアナ海溝くらい深〜い事情があるんですよはい」

 

 尊野と道は少し困ったような顔をしたが、すぐに真顔になってくれる。

 

「ワタシはトレーナーの名家である橘家の人間だからって言うのもあるけど……やっぱり理由としてはシンボリルドルフ様と東条さんに憧れたからなかな」

 

「そういえば道ってシンボリルドルフのことが好きーー」

 

「谷崎? シンボリルドルフ様を呼び捨てするのは……ねっ?」

 

「アッハイ」

 

「橘こっわ……」

 

 そう言いながら担々麺を啜る尊野。そっか、尊野はこの状態になっている道を見るのは初めてか。

 

「……でもね、ワタシにもちゃんとした理由がある」

 

「……その理由って?」

 

 道は持っていた箸を箸置きに置いて、姿勢を正しこっちを見る。

 

 その行動を見た俺もスプーンを置く。尊野はズズッと麺をひと啜りする。

 

「ワタシはね、海外で活躍できるウマ娘をここから輩出させたいの」

 

「海外って……香港とか?」

 

 でも香港で活躍したウマ娘もかなりいるはずだがーー。

 

「欧米諸国でだよ」

 

「……オーベイ?」

 

「この日本で7冠を達成したシンボリルドルフ様……でも、越えられなかったものがある。それがアメリカ遠征したサンルイレイステークス」

 

「サンルイレイステークス?」

 

 海外のレースについては知らなかったので、道が丁寧に教えてくれた。

 

 サンルイレイステークスとはアメリカで行われているGⅠレースのことであり、それにシンボリルドルフは出走した。

 

 だが結果は6着と惨敗……皇帝と言われた彼女からしたら味わったことの無い屈辱を受けたことだろう。

 

「確かにここにいるウマ娘はすごい、でもアメリカやフランスで競い合えたウマ娘は一人いたかいないか。だからワタシは変えてみせる……このトレセン学園で欧米でも競い合えるようなウマ娘を育て上げてみせる!」

 

 そう言う道の瞳には信念が宿っていおり、遠くの未来を見ているようだった。

 

 ……正直驚いた。いつもお淑やか(シンボリルドルフ絡みだと暴走するが)な道にそこまで大きな理由を持っていたことに。

 

 おそらくこの学園にいる学生トレーナーの誰よりも目標が高いんじゃないだろうか。

 

「道はすごい目標を立ててるんだな、関心関心」

 

「お褒めの言葉ありがとう尊野さん……でも話し聞きながら麺を啜るのは失礼じゃないかな!?」

 

「仕方ないだろ! 二人のとは違ってこっちは麺がスープを吸うんだよ!!」

 

 そう言い争いを始める二人を眺めながらハヤシライスを食べ始める。

 

 だが道の目標を聞いてみると自分がどれだけ甘かったのかを痛感したため、さっきよりもスプーンを進める速さは少し遅くなっていた。

 

「そう言う尊野くんにはトレーナーになろうとする理由はあるんですか?!」

 

「あるに決まってるだろ! てかないとここにはいないだろ!!」

 

「ひでぶっ!!」

 

 尊野が言った言葉が俺の心の奥に突き刺さる。そうだよな、普通はあるものだよな、うん。

 

 と、というか尊野にもちゃんとした理由があるのか……。

 

 尊野はぽりぽりと後ろ髪を指で掻きながら、話し始める。

 

「俺は橘みたいにでっかいものじゃねえけど……埋もれてしまう才能を見つけたあげたいっていうのが理由かな」

 

「埋もれてしまう才能?」

 

「橘〜何も難しいことじゃないだろ〜? 谷崎は分かるよな、この前偵察してたんだから」

 

「……あぁ」

 

 それは恐らくダービー前の偵察の時一緒にいたキングヘイローのことを指しているんだろう。

 

 そういえばあの時の尊野はいつになく真剣だった。

 

「ウマ娘の中には家柄や血筋に囚われていたり、レースで成績を残せなくてそのまま自然消滅する娘はごまんと居る……俺はそんな娘を少しでも減らしたいって考えているんだ」

 

「……意外、結構考えていたんだね」

 

「まぁ、橘の理由ほど立派なものじゃねえけど……俺には俺の信念がある」

 

 同期、そして友達である学生トレーナーの尊野と道。二人にはそれぞれの信念があることが分かった。

 

 ……こんな空っぽな自分でも、理由や信念は見つかるのだろうか。

 

   ・ ・ ・

 

 お昼ご飯を食べ終えて、俺たちは教室に戻っていた。

 

 基本お昼を取った後は3人で世間話や雑談をするか、そのまま解散して読書か睡眠に勤しむが、今日は読書をすることにした。

 

 この前書店で「人生逆転最強メソッド」というものが売られていたのでそれを見ることにした。

 

 なんでもこれを読んで何かを書き込むと自分の目標が見えてくるのだという……しかも著者はかなり有名な弁護士らしい。

 

 今目標を持っていない自分からしたら、これほどタイムリーな本はないだろう。

 

 さて、どんなものかーー。

 

「おーい! 新人いるかー!!」

 

 バーン! と大きな音を立てながら扉を開けたウマ娘に教室にいた全員が視線を向ける。

 

 そこにいたのはゴルシだった。そして新人とか言っているからおそらく俺のことだろう。というかなんでゴルシは自分のことを新人って呼ぶんだ?

 

 なんて思っているとゴルシと目が合い、向こうがじりじりと近づいてくる。嫌な予感しかしない。

 

「そこにいるんだったらもっと早く反応しろよ、お前はナマケモノか?」

 

「……どうしたんだよゴルシ、用件がないならーー」

 

「マックイーンのことでちょっとな」

 

 そう言ってゴルしはポケットから何やら折り畳まれた紙を取り出し、それを机の上に広げる。

 

 その紙の上にはデカデカと入部届と書かれている。そしてそこには『目白魔苦院』と書かれている。

 

「めしろまくいん?」

 

 どこかの金爆の歌手だろうか。

 

「何言ってるんだ、メジロマックイーンって読めるだろ?」

 

「いやそうはならんやろ」

 

 当て字で苦しいとか使うって昔の暴走族総長か何かかな? というかこれ絶対ゴルシが書いただろ。

 

 でも書いている字はともかく、結構字が上手いな……なんか意外。

 

「んで、要件は?」

 

「それなんだけどよ、今日の放課後にマックイーンをここに待たせるから迎えに行って欲しいんだ」

 

 そう言ってゴルシは手書きの地図を出して「ここ」と言いながら指を差す。確かそこら辺は芝の広場だったはず……なんでこんなところに?

 

「てかなんで俺が行くんだよ、ゴルシが知っているんだからゴルシが行けば良いじゃないか」

 

「アタシはちょっと用があるから遅れるんだよ、それにお前が行ってやった方がアイツも喜ぶだろ? じゃあそう言うことでー!」

 

「あっ、おい!?」

 

 ゴルシは出していた紙を掴み上げるとそのまま教室を出て行った。

 

 そうしてその様子を見ていた尊野がこっちに近づいてくる。

 

「なぁ谷崎ってウマ娘の知り合い多いのか?」

 

「んっ、なして?」

 

「いや少し前にも別の子が入ってきただろ?」

 

「まぁチームに入っているし……別に普通じゃない?」

 

「あんまり他のウマ娘がこっちに来ることって珍しいけどな」

 

 ……言われてみれば他のクラスメートがここでウマ娘で喋っているところって見たことないような気がする。

 

 そもそもトレーナー学科の教室があるこの廊下を渡るウマ娘の数はそんなに多くない。

 

「谷崎って結構ウマ娘と近いよな」

 

「別に普通じゃないか? 一緒の学園に通っていて、チームメイトでもあるわけだし」

 

「そこがおかしいんだよ」

 

「へっ?」

 

「トレーナー学科の学生はチームやウマ娘たちと距離を取ることが多いんだよ」

 

「そんなこと……」

 

 ないだろと言おうとした時、俺はリギルを偵察していた時のことを思い出す。

 

 そういえばリギルを観察していた時、学生トレーナーもいたけど、基本練習に参加しているというよりは見学しているような感じだったな。

 

 自分は基本ウマ娘の練習の準備をしたり、時々一緒に混じっていたりしているから感覚が狂っているのかもしれないけど、もしかしてあの距離って普通のチームじゃありえないことなのか?

 

「まぁ谷崎が入ったスピカっていうチームは結構特殊そうだよな、ほんとどうやって入ったんだよ」

 

「……まぁ、色々とね」

 

 でもそうか……スピカのあの近さは普通の人からしたら普通じゃないのか。

 

 それに自分自身スズカという幼なじみ、マックイーンという妹に近い存在、そして記憶は薄いけどお姉さまだったライスお姉様と昔からウマ娘と関係のある日常を過ごしている。

 

 でもそれも普通の人からしたら普通のことではない……いや、メジロ家に関しては普通では絶対ありえないことだしな、うん。

 

「それにお前も幸せそうだな」

 

「えっ、なんでそう思うんだ?」

 

「だってウマ娘と話している時の谷崎って、すごく楽しそうだぜ?」

 

「そう、なんだ……そうなのか」

 

 尊野が言ったその言葉は……自分の心の隅っこに深々と刺さったような気がした。

 

   ・ ・ ・

 

 帰りのSHRが終わり、俺はゴルシが広げた地図に記されていたところに向かう。今回のSHRは少し先生の話が長かったので気持ち早めに歩く。

 

 するとそこには見知った薄紫髪のウマ娘が先に着いており、木の下に座りながら文庫本を呼んでいた。

 

 俺がゆっくり近づくとウマ耳がこっちに向く。人の存在に気づいたのか彼女は文庫本の文章を見ていた視線をこっちに向ける。

 

 そして目と目が合う。

 

「……玲音さん?!」

 

「やあマックイーン」

 

「どどど、どうして玲音さんが!? ゴールドシップさんが来るはずじゃ……」

 

「なんかゴルシは用があるらしいから代わりに行けって言われたんだ。マックイーン、スピカに入ってくれたんだね」

 

「……えぇ」

 

 俺はマックイーンの隣に座る。練習は今日は遅めにスタートするらしく、まだ時間はある。

 

 まぁ特にレースに出る予定はないというのもあるだろうし、ウマ娘というのは暑さに弱い子が多い。だから少し太陽が沈み始めてからということもあるんだろう。

 

「あの、玲音さん。一つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 

「んっ、何かな?」

 

「玲音さんはなんでチーム・スピカに入ったんですか?」

 

「あ〜それね、ちょっと特殊だけどーー」

 

 そうして俺はスピカに入った理由……というより先生に拾われた経緯を説明した。

 

 そういえば何だかんだ誰かに自分がスピカに入った理由を他人に話すのって初めてだな。いや、マックイーンは妹みたいなものだから、知人と言ったほうがいいか。

 

「そんな事情があったんですね……」

 

「そう、だから面接官が先生じゃなかったらここに入れなかったし、スピカに入ったからスズカと再会できて……チームのみんなとも会えたんだ」

 

「何にやら……運命的なものを感じますね」

 

「確かに確率としては本当に運命的だよなぁ」

 

 そう考えると人生というものはなんとも数奇なものだと考えてしまう。

 

 この学園に来てからほとんどいい事しか起こっていない。今はちょっと沈んでいるけど、でもそれはほんの一部だけ。

 

 俺は拉致られてスピカに入ったけど、今の俺なら「あいつらに捕まっとけ」って逃走を邪魔させるだろうな。

 

「スカーレット、ウオッカ! やっておしまいなさーい!!」

 

 そうそうこんな感じに……えっ?

 

「えっ、きゃあ!?」

「ゔぇ、うぎゃあ!?」

 

 次の瞬間、俺とマックイーンは何かに包まれる。というかこの匂いなんか懐かしいような。

 

 てかえっ、スカーレット? ウオッカ? それにさっきの声って……なんて考えていると俺たちは二人同時に担がられる。

 

 これってやっぱり、あの拉致だよな?

 

 なに? スピカに入る時の定番になってるのこのキッドナップ。

 

 まさかスペもやられてたいのかな……なんて冷静に考えてしまっている辺り、俺は結構このチームに浸透しているのかもしれない。

 

「な、何事ですの?!」

 

 俺の腹の上でパニックになっているマックイーン、まぁこれが普通の反応だよな。なんて思いながら俺は温かい目で見守る。

 

 しばらくすると部室の扉が開かれる音が聞こえ、俺とマックイーンは床に降ろされる。そしてバサッと勢いよくズタ袋を上に引っ張って部室の蛍光灯の明るさが俺の目を襲う。その明るさに少し目を細める。

 

 横目でマックイーンを見てみると腕を組みながらウマ耳を後ろに倒して明らかに不機嫌になっている。

 

「さっ、みんな挨拶だ」

 

『ようこそ、チーム・スピカへ!!』

 

 よく見てみると先生の隣にいるスペが「なんか見たことある……」みたいな顔をしている。

 

 先生はゆっくりとマックイーンに近づいていく。

 

「よろしくな!」

 

「……はぁ」

 

 先生が差し出した手をため息をつきながらも取ろうとするマックイーン。

 

 だが「んなぁ!?」と悲鳴を上げて、すぐに後ろを向く。するとそこにはマックイーンの尻尾にピンク色のリボンを付けているゴールドシップが、キュッとリボン結びをし、マックイーンにバレたことに気付いたゴルシは逃走を謀る。

 

 しかしマックイーンはガッチリとゴルシの尻尾を掴み、ゴルシが逃げないように強く引っ張る。

 

 ゴルシは「やめろー! 抜けるー!!」っと痛がっている。ウマ娘の尻尾というのはウマ娘の中でもとても敏感な部位であり、乱雑に扱うことはできない。でもまぁ、これはゴルシの自業自得だから助けるつもりはないが。

 

「また問題児が入っちゃったわね」

 

「あー! ちょっとまたってどーゆーこと!?」

 

「スカーレットそれお前が言うわけ〜?」

 

「はぁ!? あんただけには言われたくないわよ!?」

 

「なにおー!? オレだってお前にだけは言われたくねえよ!!」

 

 俺の後ろではスカーレットとウオッカとテイオーが何かを言い合っている。

 

 いうてみんな問題児ではない気が……ここで問題児ってゴルシと俺くらいなんじゃないかな。

 

 なんて思っているとスペが異様にニコニコしていたので、俺はスペに近付く。

 

「どうしたんだスペ、そんなに笑顔で」

 

「なんかあの二人、なんかとても仲良さそうでウマが合うな〜って」

 

「確かに二人とも仲良いよなぁ……いや、ゴルシが一方的に接しているだけか?」

 

「私、あの二人には運命的なものを感じます!」

 

 運命的かぁ……スペが言ったことを心の中で反芻させながら、マックイーンとゴルシを見る。

 

 確かにこうやって離れたところで見てみると、二人って結構似ているような……血縁関係者だって言われても全然違和感が無い。

 

 でも姉妹かって言われると……なんかそれも違うような気がする。

 

「……とまぁ、これがうちのチームだ。色々大変だと思うが、よろしくな」

 

「不安しかありませんわ……でも、わたくしはメジロ家のウマ娘。悲願達成の為にも……今後ともよろしくお願い致します」

 

 そう言いながらマックイーンは先生の手を取り、握手を交わした。その様子をチーム・スピカの全員で見守る。

 

「いてて……マジで取れるかと思った……」

 

「自業自得だろ、保健室行くか?」

 

「それほどじゃねえよ……(これで全員揃ったな)」

 

「んっ、なんか言ったか?」

 

「これから面白くなりそうだなって言っただけだ……よーし! なら早速着替えに行こうぜ!! 行くぜマックちゃーん!!」

 

「なっ、ちょっ!? そんなカバンみたいに持ち運ばないでください!!」

 

 ゴルシはマックイーンを脇に抱えて部室を出て行く。それに続くようにチームのみんなも出て行った。

 

「さて、俺たちも練習の準備をするか!」

 

「はい!」

 

   ・ ・ ・

 

「というかなんで俺はまた攫われたんだ??」

 

「はっ? んなもんノリに決まってんだろ??」

 




・ウオッカのところ本当は「言われたくなーい!」ですけど、アプリ版のウオッカを考えるとこっちの方がいいかなと思いました。

・ハロウィーンのライスブルボン尊い……アッ(尊死)

・次回は夏休みに入ってある娘と虫取り、そしてそこで運命の出会いが……。(予定)


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虫取りと新たな出会い?

 前回のあらすじ:玲音は同期が抱えている信念を知り、スピカにマックイーンが加入した。

・UA136,000を突破しました。ありがとうございます!!



「えーっと赤玉が5個青玉が4個白玉が3個で3個取る時の種類は12C3……それで……っ?」

 

 マックイーンが入ってから数日後、トレセン学園は夏休みに入った。

 

 外は本格的に夏になっていて、猛暑日になる日が多くなった。さらに熱帯夜でクーラー掛けっぱなしじゃないととてもじゃないが寝られない。

 

 夏休みというと普通の学校の運動部は練習が一日中あったり、ほぼ毎日埋まっていてオフの期間がないみたいなイメージがあるが……トレセン学園に所属しているウマ娘というのはその逆である。

 

 つまり簡単に行ってしまえば、練習は普段より少し減る。

 

 その理由として二つの理由があげられる。

 

 一つ目は多くのウマ娘は暑さに弱いこと。

 

 ウマ娘は気温の上昇による発汗は苦手としている。それは普通の人と発汗のメカニズムが違うからだ。ウマ娘が発汗するのは運動時の体温を下げる時時が多い。

 

 昔、運動部のように毎日一日中ずっと練習させていると、チームの大半の娘が熱中症で倒れて色々問題になったことがあると聞いたことがある。

 

 だから活動時間は朝から昼か、午後3時から午後6・7時。大井レース場のGⅠに出るウマ娘は夜に練習ができる。

 

 二つ目はこの期間が一番、勉強に集中ができる時期なのだ。

 

 トレセン学園は文武両道をモットーにしている。だからここに通う以上、ある程度の学力も有していないといけない。

 

 しかし普通の学生とは違って多くのレースに出るウマ娘……春・秋は学力が疎かになってしまうウマ娘は多い。

 

 だから空白期間である夏、そして冬は学力向上に向いている期間なのだ。そのため平日は週3日、土曜日の計4日間が練習できる上限だ。

 

 さらにその練習期間はチームのトレーナーたちがあらかじめ申請するものとなっており、夏休みに入った時にスケジュール表が配られた。

 

 正直サッカーや卓球など運動部にずっと所属していた自分からしたら、少なく思える。

 

「……んっ、電話?」

 

 机の上に置いていた携帯が震えており、手に取って表示されている名前を見る。それは叔父さんだった。

 

 通話ボタンを押し、耳に携帯を当てる。

 

「もしもし」

 

『やあ玲音くん、最近暑い日が続いてるけど元気かな?』

 

「どうも叔父さん、熱中症は気をつけてるんで大丈夫ですよ」

 

 電話を掛けてきたのは自分の叔父だった。

 

 こうやって叔父さんと俺は定期的に連絡を取り合っている。ただ高一の時は秋まで一ヶ月間に一回か二回だったが、高二になってからは3ヶ月に一回くらいだ。

 

『サイレンススズカにスペシャルウィークの活躍、しかと見届けたよ。すごいね今年のスピカは』

 

「そうなの?」

 

『スピカは去年まで名前が表に上がることは無かったからね……ゴールドシップもあの皐月賞以降走らなくて、チームの成績はそこまでいいものでは無かった。でもまさか玲音くんが入ったタイミングでーー』

 

「俺が入ったからな訳ないじゃないですか」

 

 おじさんの言葉を遮るように、俺は語気を強くして言ってしまった。

 

 つい反射的に否定してしまったが、叔父さんからしたらかなり不自然に思われてしまうのではないか。

 

『まあそうだね、一番の要因はリギルに所属してたサイレンススズカを引き抜けたことだろうね』

 

 あぁ、そうだった。この人はウマ娘を題材としたマンガを描くマンガ家であり、同時にウマ娘が大好き過ぎて不審者ムーブを引き起こす人だった。

 

 俺はこの人だけには自分がトレーナーになる理由を持っていないことを知られたくない。知られたら……最悪、退学になる可能性もあるからな。

 

『でもサイレンススズカと会ってから、玲音くんの声は少し明るくなったね』

 

「……目的でしたから、長年の」

 

『そうだね……あぁ、そうだ玲音くん。今年のお盆はお参り行くのかい?』

 

 俺はこのお盆の時期、必ず北海道に戻ってお母さんのお墓参りに行っている。そこで一年間で何が会ったかを天国にいるお母さんに報告する大切な用事だ。

 

 そしてその交通費・宿泊費を叔父さんに出してもらっている。

 

「もちろんですよ」

 

『でも大丈夫かい? チームに入ったなら合宿があると思うけど……』

 

 叔父さんに言われて思い出した。今から1週間とちょっとするとスピカ、というよりトレセン学園に所属しているチームの多くは夏の間に合宿に行くことになっている。

 

 確か海に行って、1日練習が認められる機会……って先生は言っていた気がする。

 

 俺は椅子から立ち上がって、壁に貼ってある部活スケジュール表を見てみる。

 

 ……最終日が13日になっている。

 

 いやでもまぁ、最終日なら残りのお盆は14、15があるので大丈夫だろう。

 

「大丈夫ですよ、よろしくお願いします」

 

『はい、じゃあ今日はそれを確認したかっただけだから、じゃあ』

 

 ツーツーと通話の切れた音がする。

 

 自分はそのままベッドまで移動して、一気にダイブする。

 

 それにしても夏合宿かあ……俺は卓球とサッカーをやって来たが、合宿みたいなものは行ったことがなかったので初めての経験となる。

 

 というかみんなは走ったり泳いだりするからいいかもしれないが、学生トレーナーである自分はずっと砂浜で立っているだけだよな。そうなると長時間日差しに当たってしまうことになる。

 

 となると汗はかくだろうし、熱中症対策や日焼け対策もちゃんと行わないといけなさそうだな。

 

 なんて思いながら枕に顔を埋めていると「ピロロロ」とメッセージアプリの受信音が携帯から発せられた。

 

 俺は公式アカウントの通知かと思い、携帯の画面が見える位置まで手を動かす。

 

 でもそこに表示されていたのは公式アカウントではなく、テイオーの個人アカウントだった。

 

『ねぇ玲音、今から駅前に来てくれないかな?』

 

『なるべく動きやすい格好でお願い』

 

『ねぇダメかな、せめて既読くらいはつけてよ……」

 

 いや、怖くね?

 

 こんなにメッセージを送るのって今の若者からしたら普通のことなのだろうか……。

 

 というかこのメッセージを見て考えるに……なんかテイオー落ち込んでいる?

 

 いや、そんなまさかあの元気でハツラツとしているテイオーが落ち込んでいるだなんてあるはずが……ないとも言えない。

 

「分かった、今からそっち行くから」

 

 俺はそうメッセージアプリに打って、そのまま寮を出てロードバイクに跨り、駅へ急いだ。

 

   ・ ・ ・

 

 駐輪場にロードバイクを置いて、駅前まで徒歩で移動しテイオーを探す。そういえば具体的な場所を聞いていなかった。

 

 どこにいるんだろうか……なんて思っていると俺の視界から突然手が生えてきた。そしてその手は俺の目を覆う。

 

「だーれだ?」

 

 その直後に聞こえてくる元気ハツラツな声……うん、これ落ち込んでもいないパターンやな。

 

 おそらく俺の後ろにいるのはテイオーだ。でもなんでわざわざあんなメッセージを送ったんだ? 声を聞くに何かに困っている訳でもないっぽいし。

 

「……ちょっと〜れお〜ん?」

 

「何やってんだテイオー」

 

 そう言うと視界が開けて後ろからテイオーがひょいっと現れる。

 

 そしてそのテイオーは……手に虫取り網、首に虫かごをかけていた。

 

「ねえ玲音、ボクと一緒に虫取りに行こうよ!」

 

「……虫取り?」

 

 テイオーから出た言葉はなんかとても懐かしい響きの遊びだった。

 

「というかちょっと待て。虫取りに誘うだけだったら、メッセージでそう伝えてくれればよかっただろ?」

 

「でもそれだと来てくれない可能性だってあるし……こう書けば絶対玲音は来てくれると思って」

 

「だからってあんな心配になるような書き方で送らないでくれよ……」

 

 自分は内心呆れながらも、ウマ耳を垂れさせて弱気になっているテイオーを見て悪気はなかったんだと認識する。

 

 それにしても、虫取りか。

 

 北海道にいた時は近くの山でよく虫取りに出かけたっけ……歳を取っていって虫取り自体はあまりしなくなったが、虫はそこまで嫌いじゃない。

 

「分かった、虫取りに付き合うよ」

 

「えっ、いいの?」

 

「せっかくこっちまで来たんだから、最後まで付き合うよ」

 

「玲音……ありがとー!!」

 

「うわっ!?」

 

 テイオーは俺に飛びついて来て、ギューッとハグをする。

 

 周りの人たちの視線がすこーし俺の心に突き刺さったが……俺はテイオーの虫取り網に付き合うことにした。

 

   ・ ・ ・

 

 学園の最寄駅から電車に乗って、乗り換えを二回してやって来ましたのは小田急・唐木田駅。

 

 正直小田急の多摩線自体乗ったことがなかったからなんか少し新鮮な感じだ。

 

 そして俺はここら辺は全然知らないのでテイオーの背中を追うだけの存在になっている。テイオーは全然立ち止まることもなく歩いているのでここら辺にあるのかと聞いてみたが、テイオーも来るのは初めてらしい。

 

 しかし事前にスマホのネット機能で調べており、事前に情報は確認済みとのことだった。

 

 昔はそこまで情報が確かじゃないからパンフレットを買ったり地図を見たりしていたが……なるほど時代は進んでいるってことか。

 

「わー! すっごいー!!」

 

「東京って結構自然多いんだなぁ……」

 

 しばらく歩くと木々が生い茂ったところに着き、様々なセミの声が四方八方から聞こえてくる。

 

 どうやらここはハイキングのコースにもなっているみたいで、所々に順路と書かれた看板が設置されている。

 

 そしてテイオーは目を輝かせながら木を見上げている。その視線の先には樹液に集まっているカブトムシやクワガタムシ……あっタマムシもいる!

 

 へぇ、ヤマトタマムシは初めて見たかも……やっぱアクセサリーやお守りとして昔から親しまれているだけあって、とても綺麗な色だ。

 

「ふっふっふ〜……ここまでいると虫取りハンターの血が騒ぐよ〜!」

 

「虫取りハンター? テイオーって虫取りが趣味なのか?」

 

「うん、そうだよ。地元に自然が多いところがあったから、子どもの頃はパパとママの3人でよく虫取りに行ったんだぁ〜。小学生になってから一人で行くようにもなったし、地域で開いていた虫相撲大会でも優勝したこともあるんだよボク!」

 

 へぇ、虫相撲って大会が行われるものなんだ。

 

 自分は確かに虫は好きだが戦わせるよりも観察するのが好きなので、存在自体は知っていたが俺にとってはゲームやマンガの中だけの存在だった。

 

「よかったら勝負してみる〜?」

 

「いや今日はいいよ。今日は純粋に虫取りを楽しむよ」

 

「ちぇ〜、でもまぁ急に誘っちゃったし強制する訳にもいかないや」

 

 そう言いながらテイオーは虫取り網を構える。いやでもここから虫が集まっているところまで結構な高さがあると思うが……もしかして伸縮性の虫取り網なのかな。

 

「はぁ!!」

 

 テイオーは脚に力を込めると……自分の身長と同じくらいの高さをジャンプした。

 

 そしてそのまま虫取り網を振り下ろす。見た感じ三匹くらい網の中に入っている。

 

「えぇ……」

 

 そして俺はテイオーのその取り方に少し困惑していた。

 

 いやうん、確かにウマ娘は普通の人よりも身体能力は高い。でも虫取り網でそれもあんなにジャンプして取る子なんて初めて見た。

 

「そういえばこれだと玲音が楽しめないね……はい、使っていいよ」

 

「いや、俺は別に網は使わなくていいよ……網は基本チョウに使うやつだからね」

 

「へっ、チョウ?」

 

 テイオーの発言を流しつつ、俺は手が届く範囲に虫がいないか見てみる。するといいところにアブラゼミがいたので、ひょいと右手の指で優しく掴む。

 

 掴んだ瞬間はジジジと鳴いたアブラゼミだが、空いた左手に乗せると驚くほど静かになった。

 

「へぇ、玲音も結構虫取り慣れてるんだ」

 

「俺がまだ小ちゃい頃はネットが発達してたわけでもないし、ゲームもやるけど外で遊ぶことが多かったからな……近くに山もあったし」

 

 しばらくするとアブラゼミは左手から羽ばたいて行った。その姿を追ってみると少し高めのところに止まった。

 

「そういえば網はチョウでしか使わないって言ったけど、どんな風に使ってるの?」

 

「そりゃ普通に飛んでいるチョウの飛行軌道を考えて、そこに置くようにして……んっ? どうしたんだテイオー、何もないところを見て?」

 

 テイオーは俺が話しているのに俺の方を向かず、そっぽを向いている。ただウマ耳をピンッと立てていることから何か気になる音が聞こえたんだろう。

 

 そしてテイオーは真剣な顔でこう呟いた。

 

「……泣いてる」

 

「えっ?」

 

 テイオーが発した言葉を俺は脳内で解析する。

 

 ないている……何か珍しいセミや虫が鳴いているのが聞こえたのだろうか。

 

 なんて考えているとテイオーは突然走り出した。

 

「ちょ、テイオー!?」

 

 俺は少し困惑しながらもテイオーを追いかける。

 

 これは本当に虫を見つけた時の反応か? いやそれにしては顔が真剣すぎる。

 

 ……まさかないているが、鳴いているじゃなかったら?

 

 そして鳴いている以外のなく……そんなの一つしかない! それに気付いた俺はさっきよりも速く走る。テイオーは遥か遠くにいるが姿を見失ってはいない。

 

 しばらく走っているとテイオーが立ち止まって、姿勢を低くしていた。俺はさらに速く走ることはできないが気持ちだけは前のめりにしてテイオーに追い付く。

 

 するとそこにいたのは……二人の幼いウマ娘、黒髪のウマ娘に亜麻髮のウマ娘だ。そして黒髪の娘は膝辺りをを出血していた。

 

「っ、ちょっとごめんね」

 

 俺はハンカチを取り出し、傷口に当てて……ゆっくりと力を入れる。直接圧迫止血法だ。高一の時に習った知識がまさか役に立つ日が来るなんて。

 

「っ、いたい!」

 

「ごめん。でも大丈夫だから、血を止めているだけだから、ほんの少しだけ我慢してね!」

 

 黒髪の娘は抑えられた痛さで苦悶の表情を浮かべる。俺は少しでも痛さを和らげるように必死に声をかける。

 

 そうしてある程度抑えたのでハンカチを離してみると……血は止まっていた。

 

「うぐっ……あっ、止まってる」

 

「でも一応……テイオーハンカチあるか」

 

「う、うんあるよ!」

 

 そう言ってテイオーはポケットからハンカチを取り出してくれる。俺はそのハンカチを受け取って黒髪の娘の傷口を覆うようにして結ぶ……これでできることはできたはずだ。

 

「あ、ありがとう……ございます」

 

「どういたしまして……とりあえずここから出ようか」

 

 俺は黒髪の娘に背中を向けておんぶするように催促する。それに気付いたのか黒髪の娘は俺の背中に近付いて肩を掴む。

 

 黒髪の娘の腿に手を回して……一気に持ち上げるってうお!? 幼いから大丈夫だと思ってたけど結構重い!? いや当たり前か、仮に小学校一年だったとしても20キロはあるだろうし。

 

「大丈夫、玲音?」

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

 それは問題のあるやつがいうセリフだが……まぁ大丈夫だろう。

 

 そうして俺とテイオーは幼い二人のウマ娘と一緒に駅を目指す……ってそういえば家族がいる可能性もあるんだった。それ聞かなかったらこれは誘拐とほぼ同じになってしまう。

 

「君たち、親はいないのかな?」

 

「ぱ、パパとママとはいっしょじゃない……」

 

「えっ? それまたどうして……」

 

「本にきれいな虫さんがいて……ここに行けば会えるって……」

 

 つまりこの娘たちは親とは一緒に来ていないって事なのか?

 

 じゃあ仮にこのまま運んだとしてもどうやって連絡を取るか……なんて思っていると背中に何やら柔らかい綿みたいなものが当たる感覚がした。

 

 それにテイオー俺の横を歩いている亜麻髮の娘も首に何かぶら下げている。それには「お守り」と書かれている。

 

「お父さんとお母さんとは連絡取れるかな?」

 

「それが……」

 

「スマホのでんちがなくなっちゃって……」

 

「じゃあそのお守りに番号とか書いていないかな?」

 

「うん、うらにかいてあるよ……れんらくっていうの」

 

 なるほどこれで大きな問題は解決できそうだ。

 

 まさか虫取りに付き合うだけではなく迷子の娘たちを助けるなんて……本当人生って何があるか分からない。

 

 でもそれ言ったらマックイーンだってこんな感じだったしなぁ……。

 

「ねぇ玲音」

 

「んっ、なんだテイオー。ハンカチなら後で新しいのーー」

 

「ごめんね、虫取りに無理矢理付き合わせただけじゃなく、ほとんど対応を任せっぱなしにしちゃって」

 

「いや、虫取りに行こうとしたのは俺の判断だし、テイオーが居なかったらこの娘たちは迷子では済まなかったかもしれない。君は二人の命を救ったのも同然だよ」

 

「……そうなのかな」

 

「誇ってもいいと思うぞ」

 

 その後テイオーは喋らなくなったが、少しだけ顔が緩んでいるのが横目で見れた。

 

   ・ ・ ・

 

「うおおおおおおおお、キタちゃああああああん!!」

 

「ぱ、パパ! 苦しいよ!!」

 

「俺はああああああ! 電話を聞いて本っっっっっっ当に!! 心配したんだからなぁ!!」

 

「ご、ごめんなさーい!!」

 

 数十分後、怪我をしていた黒髪の娘の父親が駅前にやって来た。

 

 そして熱いハグを交わして、親子で大声で泣いている。子は親に似るってやつなのだろうか。

 

 ある程度泣くと黒髪の娘がまたこっちに近付いて来た。

 

「おにーさん、おねーさん、ありがとう!!」

 

「「どういたしまして」」

 

「本当に感謝します。お名前を聞いてもよろしいですか?」

 

「ボクはトウカイテイオーだよ!!」

 

「俺は谷崎玲音です」

 

「テイオーくん、谷崎くん。私の娘を保護、そして応急手当てして感謝します。また日を改めてお礼へ行きます」

 

「お気持ちだけで大丈夫ですよ、親と再会させることができて俺らもほっとしていますから」

 

「いえいえそういう訳にもいきません……おっと、ではこれにて、キタちゃん行くよ」

 

「うん、ダイヤちゃんもバイバーイ!!」

 

 そう言われて亜麻髮の娘は手を振る。黒髪の……キタちゃんと呼ばれていた娘は父親にお姫様抱っこされながらこの場を去っていった。

 

 さて、あとはこの亜麻髮の娘だけだが……なーんかこの娘見たことがあるんだよなぁ。

 

 どこで見たんだっけ……2ヶ月? いや、1ヶ月以内で見たような……。

 

 なんて思っていると黒塗りの高級車が目の前に止まる。そして運転席から執事服を着た男性が出てくる。

 

「ダイヤ様、お待たせいたしました」

 

「えっ、キミってどこかのご令嬢なの??」

 

「はい、そうですよ?」

 

 予想外の執事登場に少し困惑するテイオー……いや、メジロ家で執事を見慣れている自分が少し狂っているのか。

 

 でも確かにこの娘がご令嬢だったのは意外だ。なんて思っていると亜麻髮の……ダイヤ様と呼ばれていた娘はこっちを向いて深々とお辞儀をした後車に乗り込み、その場を去っていった。

 

「……なんか今日とても濃い日だよ」

 

「あぁ、虫取りに迷子の子を助ける……確かに濃い日だな」

 

「でもなんだろう、ボクまたあの娘たちと会うような気がするよ」

 

「……そっか」

 

 そうして俺とテイオーの虫取りは終わりを告げ、近くのお店でハンカチを買い直した後、トレセン学園へ戻った。

 

 

 




・高校生対象の文芸コンクールで自分の作品が入選した……マジすか。

・中間テストがありますので、次は20日に出せたらいいなと。

・次回は夏合宿のお話の予定です。


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夢想の涙

 前回のあらすじ:テイオーと玲音は一緒に虫取りに出かけるが、その際黒髪と亜麻髮の幼いウマ娘が迷子になっていて、それを助けた。

・UA137,000・138,000を突破しました。ありがとうございます!



「服よし、財布よし、充電器よし、その他もろもろよし!」

 

 時刻は午前6時、俺は自分の部屋で荷物を指差し確認をしていた。

 

 今日からチーム・スピカは夏合宿を始める。だがそこでちょっとした問題が起きてしまった。

 

 それは移動の時、先生の車だと助手席も含めて7人しか乗れないのだ。チーム・リギルやアスケラなど部員数の多いチームはある程度まとまってバスで移動できるのだが、その上限は8人(トレーナー・学生トレーナーを含めない)ということになっている。

 

 だから俺だけ公共機関での移動ということになった。

 

 まぁ公共機関での移動は慣れているし、初めて行く場所でも携帯があれば迷うことはないだろう。

 

「うし、全て入ってるな……んじゃ行くか」

 

 俺は床に置いてたバッグを肩に掛けて、部屋を出て鍵をかける。しばらく使わないからだ。

 

 階段を降りてラウンジに行くと未浪さんが受付の窓を開けていた。

 

「おお谷崎くん、今日は早いねぇ」

 

「おはようございます。今日からチームで合宿なんですけど、車に全員乗れないから俺だけ公共機関で移動することになったんですよ」

 

「ありゃりゃ、そりゃご苦労様だねぇ」

 

 俺はポケットに入れていた部屋の鍵を未浪さんに見せるように受付の窓口のところに置く。

 

 こうやって長期間部屋を空ける時は未浪さんに鍵を預けるのだ。

 

「合宿の後そのまま北海道に行くんで、10日間空けますね」

 

「はい分かりましたぁ、貴重品とかはちゃんと持って行ってるね?」

 

「もちろんです。それじゃ行ってきますね」

 

「はい、気をつけてね〜」

 

 未浪さんに見送られながら俺は後生寮を後にした。

 

 まだ朝とはいえ太陽は高々と大空に上がっており、それに応えるようにセミたちが何十匹で合唱を奏でている。

 

 学園の最寄り駅まで歩くとすでに背中は汗で濡れていた。

 

 それを電車のクーラーで冷やして乾かす。終着駅である新宿まで少し時間があるので、俺は少しだけ目を閉じた。

 

   ***

 

 午前7時、私たちチーム・スピカのメンバーは校門のところでトレーナーさんを待っていました。

 

「私、合宿なんてしたことないんで楽しみです!!」

 

「ボクもボクも! 今から海に行くんだよね? だったら遠泳とかすごく楽しそう!!」

 

「アタシも初めてですね……でも海ってなると日焼けが……」

 

「なんだぁスカーレット、そんな小さいこと考えてんのかよ?」

 

「日焼けを甘く見ちゃいけないわよ!」

 

 こうしてお話を聞いているとこのチームは合宿初心者が多いみたいです。私はリギルやその前に所属していたチームで合宿は経験したことありますが、かなり厳しいものです。

 

 特に砂浜全力ダッシュとかはいま考えてもかなりキツいものでした。

 

「おめえら今から行くのは合宿だぞ? 遊びに行くんじゃねえ」

 

「そういう貴女が一番遊び行く格好をしていますわよね!?」

 

 ゴールドシップさんの言うことは正しいとは思うけど、マックイーンが突っ込んだように今のゴールドシップさんはシュノーケルを装備して、肩には浮き輪が掛けられていたり、手には水鉄砲が持たれていたり……どこから突っ込めばいいのかしら。

 

「アタシは金槌だから泳げねえんだよ!!」

 

「それでも水鉄砲やシュノーケルはいりませんわ! それに浮き輪だって今やってはただ大きいだけの荷物ですわ!!」

 

 マックイーンはそう言うとゴールドシップさんの無駄な物を取ろうとします。

 

 あっ、水鉄砲を取り合ってたらマックイーンの指が滑ってトリガーを引いてしまいました。水鉄砲から発射された水はそのまま一直線にゴールドシップさんの目に……。

 

「ぎゃああああああ!?」

 

「あら……でもそんなに痛くは……何ですのこの赤っぽい水?」

 

 そう言ってマックイーンは水を指に出して、ペロッとその水を舐めます。瞬間、耳と尻尾がこれでもかというくらい真っ直ぐ立ちました。

 

 私も気になってその水の匂いを嗅いでみます。すると何やら酸っぱ辛そうな匂いが香りました。タバスコとか……でしょうか?

 

 なんて思っていると、道路に止まる一台のミニバン。助手席側の窓が開き、そこから顔を出したのはトレーナーさんでした。

 

「待たせたなぁ……って、ゴルシどうしたんだ?」

 

「タチの悪いイタズラをしようとした罰です」

 

「またなんかやろうとしたのか……まぁいい、お前ら乗れ」

 

 トレーナーさんに言われて私たちは車に乗り込みます。ちなみに荷物に関しては数日前にお世話になる宿に宅配で送っています。

 

 リギルの時はバス移動で、かつ荷物は荷物置き場に置けたので宅配で送るのは初めてだったので、本当に宅配が送られているのかと少し心配になることはあります。

 

 ちなみに席順としては一番後ろがテイオー・スカーレット・ウオッカ。真ん中がマックイーン・スペちゃん・私。助手席は最後まで悶えていたゴールドシップさんが消極的に座ることになりました。

 

「よーしお前ら、ちゃんとシートベルト装着したな?」

 

『はーい!』

 

「じゃあ合宿場に向かって出発だ!!」

 

 そう言うとトレーナーさんはゆっくりとアクセルを踏んでミニバンを動かします。

 

 ウマ娘は時速70キロくらいで走れるのでここら辺の法定速度だったら自分の足で走る方が早いです。

 

 でも私は車での移動も結構好きなんです。いつもと違う心地良い揺れがあるというか、自動で景色が映り変わっていくこの光景は車でしか味わえません。自分の足で走っているとどうしても前の方に集中してしまいますからね。

 

「それにしても、玲音さんは大丈夫なんでしょうか」

 

「一人だけ公共機関でしたわよね……使いの者に迎えを出すって言ったのに断れてしまいましたわ」

 

「そこまで入り組んだところではないから、多分大丈夫じゃないかしら」

 

 とは言うものの私も少し心配です。何せ少し前に迷子になったりもしていたんですから。

 

「一応連絡は来てるから大丈夫だとは思うぞ」

 

「そうなんですね、少し安心しました」

 

 スペちゃんはそう言うと耳を少しだけ横に倒しました。それに釣られて私も少しだけ横に倒します。

 

 でも予定だと公共機関の方が遅く着くらしいので、会えるのはまだ少し先です。

 

 これから1週間はずっとレオくんと一緒なんだ。それも練習する時だけじゃなくて、朝から晩まで基本いつも一緒。そう考えると、少しだけ恥ずかしいようなでも嬉しいような……なんか不思議な感覚です。

 

「あの……スズカ先輩」

 

「んっ、どうしたのマックイーン?」

 

 隣にいるマックイーンから声をかけられて、私は少し驚きながらも彼女の話を聞く姿勢を取ります。

 

 そういえばあまりマックイーンとは話していません。

 

「一つ聞きたい事があるのですが……玲音さんのことを、どう思っていますか?」

 

「ん〜そうね……お兄さんみたいで家族みたいに大切な人、かしら」

 

「大切な人ってことは……好意はあるってことでしょうか」

 

「もちろんあるわ。そう言うってことはマックイーンはレオくんが好きなのかしら?」

 

「っ……! そ、そうですね……」

 

 そう言うマックイーンの顔はとても赤くなっていて、明らかにレオくんに好意があることが分かります。

 

 レオくん、会わない間に結構モテるようになったんですかね。他の人にレオくんがいい人っていう事が知られるのは、私にとってはいい事であり、同時に少しだけ寂しくなってしまう部分もあります。

 

「ちょっとマックイーン、今からテキサスポーカーするから一緒に混じってよ〜」

 

「ちょテイオー!? わたくしは今スズカ先輩と話しをーー」

 

「勝ったやつにはコンビニスイーツを奢るぜ!」

 

「スイーツですって!?」

 

「「マックイーンの目付きが変わった!?」」

 

 そうしてマックイーンも後ろの遊びに加わりました。私は……少し眠くなって来たので、瞼をゆっくりと閉じました。

 

   ・ ・ ・

 

「間も無く終点、新宿です。お降りの際荷物をお忘れないようご注意ください」

 

 終点のアナウンスと同時に俺は目を覚ます。

 

 寝ていたとはいえ、やっぱり終点が目的地だと安心感があるな。これで終点が違ったら意地でも寝ないように我慢しないといけないが。

 

 付けていたイヤホンを外して音楽プレイヤーを外してリュックの中へ。

 

「……んっ?」

 

 ふと気になり俺は指を目に近づける。

 

 するとそこには水の粒があった。それに気がつくと何やら頬がクーラーに当たるたび他の部位よりも涼しいことに気づく。

 

 その指を今度は頰に当ててみる。

 

「えっ、涙?」

 

 俺は涙を流していた。その事に俺は少し自分自身で困惑してしまう。

 

 なんでこんな涙を流しているんだ……なんか怖い夢でも見たのか? いや、俺自身に夢を見たという感覚はないはず。

 

「でもなんなんだ……この胸のざわめきは」

 

 少し右手で胸を押さえて、このざわめきを収めようとする。

 

 ……そういえば、かなり前に見た夢でこんな事を言われていた。

 

『どうやら貴方は貴方自身の無力さを痛感する時が来るでしょう』

 

 あれってどういう意味なんだろう……近い将来って言っていたから、おそらくその無力さというのは今のこの状態。つまり自分が空っぽの状態のことを表しているんだろう。

 

 いやでも……こうも言っていた。

 

『近い将来と言ってもそれは数ヶ月後かもしれぬ』

 

 そうだサフィーちゃんは言っていた、数ヶ月後かもしれないと。

 

 一応あの時から1ヶ月後は経ってから空っぽのことは気が付いた……だがその経った1ヶ月をわざわざ数ヶ月というのだろうか。

 

 そうしてそれが当てはまった場合、俺にはまだ無力さを知る機会があるということで……。

 

「(って、こんなこと考えても仕方ないな)」

 

 むしろこういうのは考えてしまうと逆に叶ってしまうんだ。

 

 なにごともポジティブに……そう、スマイル! スマイル!! 今やっている円谷プロの作品の主人公だってそう言っているんだ!!

 

 なんて思っていると電車は終点の駅に着いた。立っていた多くの乗客が流れるように乗降口から出ていく。そんな光景を少し見た後、俺は席から立ち上がって電車から出る。

 

「……暑っ」

 

 駅内とはいえ、ムワッとした独特の暖かい湿気が俺を襲ったのだった。

 

   ***

 

「ーーさーん、スズカさーん!」

 

 耳元で誰かに叫ばれているので私の意識は現実に戻されます。

 

 どうやら私は車の中で眠っていたそうです。目を開けて声のした方を見てみるとスペちゃんがいました。

 

 でもスペちゃんの表情はどこか浮かないというか……心配そうな瞳で私を見ていました。

 

「スペちゃん? どうしたの?」

 

「あの、スズカさん……どこか悪いんですか?! もしかして車酔いしましたか!?」

 

「ちょ、ちょっとスペちゃん? 急に詰め寄られても全然状況が把握出来ないんだけど……」

 

「だってスズカさん、泣いているじゃないですか!!」

 

「えっ?」

 

 スペちゃんにそう指摘されて、私は自分の指を目に近づけて少しだけ擦ってみる。

 

 すると私の指には何やら液体みたいなものが付いていた。

 

 それを認識してから頰に指を当てると……水の滴が垂れてきた。これは涙?

 

 私、なんで泣いているんだろう……特に心当たりがないからこそ、私は自分自身に起きている事に困惑してしまいます。

 

 そこにトレーナーさんもやってきます。

 

「ちょっと前からずっと泣いていたんだぞ? それに「ごめんなさい」ってちょくちょく謝ってるし……どんな夢見てたんだ?」

 

「えっと……すみません、身に覚えがないんです」

 

「まぁ涙を出すほどだからあまり思い出したくない夢だったんだろう……チェックインするぞ」

 

 そう言われたので私は手荷物を持って車から出ます。スペちゃんにまだ心配されているけど、涙はもう止まっていました。

 

 それにしても、なんで私はさっきまで泣いていたのでしょうか。

 

 必死に夢を思い出そうとしますが……そもそも見ていたのかも分からないくらい身に覚えがありませんでした。

 

「おっ、あいつから連絡来た……今バスに乗ったそうだ。後40分くらいで着くらしいぞ」

 

 トレーナーさんがレオくんの今の状況を教えてくれました。

 

 その時……私の無意識下ではありましたが、私はレオくんに早く会いたいなと思いました。

 

「スズカさん! 私たちが泊まる部屋見てみましょうよ!」

 

「す、スペちゃん、そんなに手引っ張らなくても……!?」

 

 そうして私はスペちゃんに手を引かれて自分が泊まる部屋を見に行きました。

 

 するとそこには私が宅配しておいた……大きめのキャリーケースが部屋の隅に置かれていました。

 

「スズカさんって結構大きめのキャリーケースなんですね……もしかして私って荷物少なすぎなんですかね?」

 

 そういうスペちゃんは少し大きめのバッグを持っていました。おそらくですが、合宿がある数日間なら余裕で足りる量でしょう。

 

「そんな事ないわ。私は少しだけ余分に持って来ているから」

 

「余分に? なんでですか?」

 

「……まだ了承してくれたわけじゃないんだけど」

 

 私はスペちゃんに荷物が大きい理由を話しました。

 

 

 




・中間オワタ\(^o^)/

・急に寒くなりすぎやろ……体調崩しかけたわ。

・次回はスピカの夏合宿練習編!(の予定)


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夏だ、海だ! でも海関係ねえ合宿!!

 前回のあらすじ:別々で合宿場所に向かうことになった玲音とスズカ。しかし同時期に玲音とスズカは眠りながら涙を流していた。

・UA139,000・140,000を突破しました。ありがとうございます!



「次はーー、○○に宿泊になるお客様はここでお降りください」

 

 ここで降りまっせ〜と思いながら、俺は降車ボタンを押そうとした。しかし実際降車ボタンは自分が押すよりも早く赤く点灯した。

 

 なんかはしゃぐ声が聞こえてその声の方に顔を向けてみると、そこには男の子が興奮気味にボタンをカチカチと連打していた。

 

「(あぁ、あの子が押したのか)」

 

 自分も子どもの頃、バスに降車ボタンを一番に押したくてあんな風に連打していたっけ。

 

 なんて10年前くらいのことを思い出しながら俺は降りる支度をする。

 

 しばらくするとバスが停車し、俺はイヤホンを外してリュックを持つ。

 

 ちなみにチームのみんなは宅配で荷物を宿に送っているが、自分は送れなかった。

 

 というのもお盆で北海道に戻る際一日泊まるホテルの方に荷物を送った。その結果、大きい荷物入れがこの今手に持っているリュックだけだった。一応出かける時はショルダーバッグを使っているが、あれに数日分の着替えを入れるほどの容量はない。

 

 ……まぁ要するに北海道の方に意識が行ってしまっていて、ただ単に忘れただけなんですけどね。

 

 少し段差になっている降車口を降りると辺りは森で覆われていた。東京ではアブラゼミがよく鳴いているが、耳を澄ましてもアブラゼミの鳴き声は聞こえない。その代わり東京ではあまり目立たないシャワシャワという鳴き声があっちこちから聞こえてくる。

 

 って、悠長にセミの鳴き声を聞き分けている場合じゃないや。

 

 さっさと宿の方にーー。

 

「レオくん」

 

 振り返るとそこにはスズカがいた。

 

 なんでスズカがこんなところに……先生と一緒にチェックインしたんじゃないのか?

 

 そう思いスズカがなんでここに居るのか聞いてみる。スズカが言うには「トレーナーさんから「迎えに行ってやれ」って言われたの」ということらしい。

 

 いや先生、どんだけ俺をバカにしているんだと言いたいところだが、先生は数ヶ月前に俺が迷子になった事を把握していたらしい。

 

「それに……」

 

「それに……?」

 

「レオくんに……早く会いたかったの」

 

「それまたどうして? いや、別に悪い気はしないけどさ」

 

「なんでなんだろうね……」

 

 そう言いながら困惑の顔を浮かべるスズカ。そして俺もその事に困惑するしか無かった。

 

 ただスズカの目を見ると少し腫れていて、頬には涙を流したような跡があった。

 

 そういえば京王線に乗っていた時、確か俺は涙を流していたよな。

 

「(なんかの偶然か?)」

 

 でもそんな二人して同じ夢を見ることなんてあるのだろうか?

 

 そもそも夢というのは本人の頭が寝ていても覚醒している時に見るものであり、自分の脳と他人の脳が繋がっているわけではないので、同じ夢を見ることはないはずだ。

 

 しかし夢を見るのがレム睡眠時だと明らかになったのは1950年代の時であり、夢の研究は遥か昔から行われているが夢にはまだ分かっていないことが多い。

 

「どうしたのレオくん、そんなにこっちの顔を見て?」

 

「いやなんでもないよ……行こうか」

 

「あっ、荷物持つ?」

 

「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

 そう言いながら俺はゆっくりと荷物を下ろす。するとスズカはひょいっとその荷物を持ち上げる。

 

 かなり重いはずだが、そこはウマ娘。赤子の手を捻るように持つ。

 

 そうして俺たちは宿に向かった。

 

   ・ ・ ・

 

 宿に辿り着くとそこには先生がいて、俺はチェックインの手続きを受ける。

 

 その後はお昼まで自由時間、そして昼になったら水着を着て砂浜に出るように……とのことだった。

 

 俺はいつも寮でしているみたいにベッドでゴロゴロしながら、適当に時間を潰す。

 

 ふと携帯から視線を外し、時計を見てみると時間は11時54分。そろそろいい頃合いだろう。

 

 俺はリュックから水着を取り出す。ちなみに学園指定の水着ではなく灰色のいわゆるサーフパンツというやつだ。この前amaz○nで安かったのでポチっておいた。

 

 まぁ特に泳ぐ予定もないし上は適当に速乾性のあるTシャツとか着ておくか。あとサンダルも履いてっと。

 

 鍵を受付に預けて、俺は宿から出る。

 

 遠くを見てみるとテイオー・マックイーン・スカーレット・ウオッカ・スペ・スズカの後ろ姿が見えた。

 

 まぁかなり遠くだから走って追いつくほどじゃないが……なんて思ってると、テイオーが振り返った。そして視線が合う。

 

 次の瞬間テイオーがダッシュでこっちに向かってくる。いやなんでわざわざこっちに向かってくるんだ?

 

「やっほー玲音!!」

 

「テイオー……わざわざこっちに来なくても良かったのに」

 

「えぇ〜だって移動は別々だったでしょ? ボクは早く玲音に会いたかったんだい!!」

 

「そ、そっか」

 

 まぁテイオーは中学校一年生。年上に甘えたいみたいな考えもあったりするんだろう。分からんけど。

 

 てことで、俺はテイオーと道を歩く。その先ではみんなが待っているので少し足早に歩く。

 

「ねぇねぇ玲音! ボクの水着の姿似合うかな??」

 

「男子高校生が女子中学生の水着を見るとかどんな変態野郎だよ……」

 

「別に気にしないよ〜。それでどうかな?」

 

 そう言いながらテイオーは器用に歩きながらターンを決める。

 

 ちなみにテイオーが着ているのは学園指定の水着であり、それは向こうで待っているみんなも着ているものだ。

 

 だからまぁ慣れているっちゃあ慣れてはいるが、こうして見てみるとテイオーってかなりスリムだな。

 

「スリムで似合ってる……それくらいしか言えないや」

 

「えぇ〜それだけ〜!?」

 

「そもそもスクール水着でどう褒めればいいんだよ……」

 

 ブーブーと文句を言うテイオーを聞き流して、俺はそのままチームのみんなと合流した。

 

   ・ ・ ・

 

 チーム・スピカのみんなで砂浜に来ると他のチームのウマ娘や学生トレーナーが砂浜や海の中でトレーニングなどを行なっていた。

 

 なるほど、海だから遠泳とかできるのか……なんて思いながら先生の姿を探す。

 

「お〜いお前らこっちだ〜!」

 

 先生の声が聞こえてきたので俺たちはその方向に歩き出す。すると黒の水着を着けた先生がいるのを発見する。

 

 そして先生の近くにはあるものが置かれていた。それは……。

 

「ねえトレーナー、なんで砂浜にバーベキューグリルがあるのかしら?」

 

「そんなの腹ごしらえをするからに決まっているだろ?」

 

 スカーレットが言う通り、先生の目の前にはバーべキューグリルと机、食材(主にニンジンと肉)が置かれていた。

 

 そう言えば今ってお昼時か……確かに腹ごしらえをするにはちょうどいい時間かもしれない。

 

「腹が減っては戦はなんとやら! 今はたっぷり食べて午後に備えるぞ!!」

 

『おー!』

 

 ということで俺(と他数人)の初めての合宿はバーベキューで幕を開けたのだ。

 

 先生が率先してニンジンとお肉を焼いてくれるので、俺たちはそれを頃合いを見ていただく。

 

 バーベキューグリルで焼いたニンジンは普通に食べるよりも甘みが強く出ており、肉たちは若干炭っぽくなっているところがあってそれがまたバーベキュー感を煽る。

 

「うらああああぁぁ!!」

 

「……(ひょい)」

 

 ゴルシがマックイーンの分をヘッドダイビングしながら奪い取ろうとしたが、マックイーンはひょいっと串を高く上げて避ける。

 

 するとそのヘッドダイビングした先にあったのはテイオーの串、その先端がゴルシの目に……なんていうちょっとしたハプニングが起きた。

 

 ちなみに本人曰く「大丈夫だ、問題ない」ということらしい。いや、あれは重傷になってもおかしくないだろ……やはりウマ娘の丈夫さ・治癒力は普通の人よりも高いんだということを改めて再確認した。

 

   ・ ・ ・

 

 その後……。

 

「熱ッ!? あっついですって先生!?」

 

「弱音吐くな玲音、お前だけだぞ熱いって文句言っているのは」

 

「というかなんで俺もこの練習に参加させられているんです!?」

 

 海が近くにあるのになぜだか砂浜で筋トレをやることになったり……。

 

   ・ ・ ・

 

「次、右手青」

 

「えぇ!? もうこれ以上複雑に出来ないよー!!」

 

「あ、あらテイオー? もうギブアップですか?」

 

「このボクに諦めるという文字はないんだよ……そういうマックイーンもきついんじゃな、い!」

 

「次、左足赤」

 

「なっ!? こ、この体勢から左足赤!? そんなの体の構造的に無理ですわ!!」

 

「へ、へぇ? マックイーンでも流石にこれは無理なんだね……じゃあボクの勝ちかな?」

 

「わ、わたくしはメジロ家のウマ娘。舐めたら足を掬われます……わ!」

 

「うわっちょっとそんな風に体を捻ったら!!」

 

「きゃあ!?」

「うわっ!?」

 

 マックイーンが無理な体勢から右足を赤に置こうとした結果、マックイーンはバランスを崩し、そのままテイオーを巻き込んで二人ともツイスターゲームのシートに倒れてしまう。

 

 今自分たちはツイスターゲームをやっている。砂浜で。

 

「なんで俺たちは砂浜でツイスターゲームをしているんだ」

「なんでアタシたちは砂浜でツイスターをしてるのかしら」

 

   ・ ・ ・

 

『問3:次に行われるクラシック三冠最後の一戦である菊花賞、現名称になったのは何年から?』

 

「(はぁ?)」

 

 砂浜にわざわざ勉強机と勉強椅子を置いて、砂浜で小テスト……って!

 

「全然海関係ないじゃーーん!!」

「全然海関係ねぇじゃねえか!!」

 

 自分が思ったことを大声で言うとテイオーも同じことを考えていたらしい。

 

 これってわざわざ海に来た意味ってあるのか? こんな調子で合宿って大丈夫なんだろうかと少し心配になる1日目だった。

 

 

 




・面接が〜近づいてる〜(白目)

・某怪文書チャンネルで書いたスズカの長文怪文書が400以上のいいねで優勝した……やったー!

・この前のタイトルホルダーはすごかった……。

・次回は学園主催の肝試しのお話をする予定です。


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肝試し

 前回のあらすじ:チーム・スピカは夏の合宿を始めた。

・UA141,000・142,000を突破しました。ありがとうございます!



「学園・生徒会主催の肝試し?」

 

 合宿が始まってからもう5日間が経過し、合宿の終わりが見えてきた今日この頃、俺はゴルシから学園が主催している肝試しが今日の夜、近くにある山で行われるというお話を聞いた。

 

 なんでも生徒会や数人の上級生が下級生のために開いてくれる催しなのだという。

 

「スピカは全員参加するつもりなんだけどよ、新人も一緒に行かねえか?」

 

「えっ、みんなってことはマックイーンも?」

 

「当たり前だろ?」

 

「ゴルシが煽ったりとかしてないよな?」

 

「……当たり前じゃねえか」

 

「おいなんだ今の空白」

 

 俺の記憶が正しければ、マックイーンって怖いものがかなり苦手だったような気がするんだけど……大丈夫だろうか?

 

 でも俺自身もそんなに怖いものが得意な訳ではない。で まぁ、ホラー映画とかは好きだが。

 

 それにやっぱりマックイーンが少し心配だな……いくら中学校2年生とはいえ、俺にとってマックイーンは可愛い妹みたいな存在。妹が困りそうだったら近くにいてあげるのが兄の役目だ。

 

「分かった。俺も参加するよ」

 

「そうこなくっちゃな! んじゃあ夕飯食ったら出かけるから用意しておけよ」

 

   ・ ・ ・

 

 チームのみんなで夕飯を食べた後、そのまま俺たちは宿から少し歩いたところにある山に向かった。

 

 ちなみにこの時点でマックイーンは怖がっているのか自分の後ろをピッタリとくっついている。いや、歩き難いったらありゃしない。

 

 そこまで怖いんだったら何か理由をつけて断ればいいのに……まぁ相手がゴルシだから上手く乗せられたのだろう。

 

「マックイーン、大丈夫か?」

 

「へっ、な、ナニガデスカ?」

 

「怖いの確かダメだったろ? 別に俺も得意なわけじゃないんだし、二人で理由をつけてもーー」

 

「えっ? マックイーン怖いの苦手なの〜?」

 

 そう煽ってくるのはゴルシだけだと思っていたが意外や意外、マックイーンを煽ったのはテイオーだった。

 

「そ、そんなわけないでしょう? わたくしはメジロのウマ娘……こんくらいなんてことありませんわ!」

 

 そう強気に言ってはいるが、自分の後ろにいる時点で少しカッコ悪いというか強がっているのがバレバレである。

 

 ……しゃあない。そう思いながら俺はマックイーンの左手を握る。マックイーンが怖がっている時は基本こうしているのだ。って言ってもまだ数回しかやったことないが。

 

「あっ、玲音さん……」

 

「せめて着くまでは手握っててあげるよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 そう言うとマックイーンは弱々しく俺の手を握り返した。

 

 そうしてそのまま20分以上歩くと、他のチームのウマ娘たちの姿やトレーナー学科の生徒の姿も見えてきた。

 

 そうなると自然とマックイーンと繋いでいた手は離れていた。

 

「チームで参加の人は集まるようにして、人数が多いところは四人一組になってくださーい!」

 

「よ、四人一組!?」

 

 そう言いながらウマ耳を垂れ下げるマックイーン。恐らく自分と離れることと、下手すると全ての元凶であるゴールドシップと組むことになってしまうことを危惧したんだろう。

 

「んじゃあここは公平にグッパで手取り早く決めようぜ!」

 

 ゴルシがそう言うとチーム・スピカ全員で小さな円を作って、手を前に突き出す。

 

「(玲音さん、グーですわ! グーを出すんです!!)」

 

 そしてマックイーンからすごい視線を感じる。まるで「今から出す手は分かりますわよね?」とでも言いたげな視線を送ってくる。

 

 いや、そんなアニメの世界じゃないんだからマックイーンの考えていることを読み取るなんて不可能だから。

 

『グッパでわっかれまーしょ!!』

 

 全員でタイミングを合わして手を振る。

 

 俺はパーを出した。そうすると俺を含めた五人がパーを出していた。

 

 ちなみにマックイーンはグーだった。

 

「ちょっと玲音さん、わたくしグーだって言いましたわよ!?」

 

「言ってないし、心を読み取るなんてできないからな!?」

 

「なーにワーワー言っているんだ、さっさと次行くぞ〜! はい! グッパでわっかれまー」

 

『しょ!』

 

 2回目のグッパ……それで組み合わせが決まった。

 

   ・ ・ ・

 

「次の組、どうぞー!」

 

「おうし! ゴルシ探検隊! アマゾンの奥地へ出発じゃーい!!」

 

「ま、待ってくださいゴールドシップさん!!」 

 

 グッパで二組に分かれて数十分後、いよいよ俺たちの番が回ってきた。

 

 ゴルシは意気揚々と暗い道を進んで行く。唯一の光源である懐中電灯は一人しか持てなく、それをゴルシは掻っ攫うように持って行ったので、ゴルシと一緒になっている娘たちはゴルシに付いていく。

 

 あっ、ちなみに俺はゴルシとは別の組み合わせになった。ゴルシと一緒になったのはスペ・スカーレット・ウオッカだ。

 

 つまり俺と一緒になっているのは……。

 

「あっ、今結構遠くで悲鳴が聞こえたかも」

 

「ひっ……て、テイオー! 不安を煽るようなことを言わないでください!!」

 

「いえ、今のは確かに聞こえたわね……」

 

「す、スズカ先輩まで……」

 

 俺、スズカ、マックイーン、テイオーがもう一つの組合わせだ。

 

 まぁマックイーンは自分と一緒になりたかったんだろうし、仲良さそうなテイオーもいるからマックイーン的には一番理想的なメンバーだろう。

 

「まぁ大丈夫だよマックイーン、肝試しって言っても学生が作るレベルなんだから、そんなにビビらなくてもーー」

 

「〇〇さん! 着いたよ!! ゴールに着いたよ!!」

 

「……(ガタガタガタガタガタガタガタ)」

 

 ゴール地点はこのスタート地点から少し離れたところにある。

 

 しかしその大声はこっちまで聞こえてきて、何事かとスタート地点にいた多くの生徒はその声の方に視線を向ける。

 

 そこには一人の学生トレーナーがウマ娘を負ぶりながら本部らしきテントのところに駆けていく光景が見られた。

 

 そして負ぶられているウマ娘は目は開いているものの心ここに在らずな感じで、ガタガタと某青鬼ゲームに出てくるタケシみたいに体を震わせていた。

 

「(えっ、待って……そんなにガタガタするレベルなの?)」

 

 どうせ学生が作るお遊び程度の肝試しだと思っていたが……これってもしかして結構ガチなやつ?

 

 マックイーンとは違って自分は怖いのは楽しめる方だ……だけどあんなものを見せられると「やばいのでは?」という感情が心と頭の中を満たしてくる。

 

「次の組、どうぞ〜」

 

「れ、玲音さん……」

 

 ぎゅっと自分の服を摘むマックイーン。その瞳には明らかに動揺と恐怖が宿っていた。

 

 ……俺がビビってどうするんだ。ここではスズカとは1日違いとはいえ俺が一番年上なんだ。それに妹が怖がっているなら、堂々として妹を安心させるのが兄としての役目だ!

 

 いやまぁ本当は無理させないのが一番なんだけど、マックイーンのプライドがそれを許さないだろう。

 

「よーし、三人とも行くぞー!」

 

「おー!」

 

「お、お〜?_」

 

「おー……ですわ」

 

   ・ ・ ・

 

 懐中電灯を持って山道を進んでいく。今日の月齢は三日月であり、月明かりで山道が照らされるなんてことはない。

 

 さらに言ってしまえば懐中電灯もLEDの眩しいやつではなく、そんなに眩しくない豆電球の物なのでずっと先を照らせる訳ではない。

 

『きゃああ!!』

 

『あ゛ぁ゛!!』

 

 そしてこの先に聞こえてくる悲鳴が俺とマックイーンの不安を煽る。

 

「れ、レオくんにマックイーン。足震えているけど、大丈夫?」

 

「大丈夫じゃない、問題だ」

 

「えぇ〜玲音怖いのってダメなの〜?」

 

「ホラー映画とかは好きだけど、自分が肌身で感じる系は苦手って感じだな」

 

「へぇなんか意外ーー」

 

 その後、多分テイオーの言葉が続くはずだったんだろう。

 

 しかしその言葉はぴとっ……と背中に何か冷たくぬめっとした物が当たる感触がしたことによって遮られる。

 

 ついでに俺の背中にも感触がーー。

 

「ピギャアアアアァァ!?」

「アビャアアアアァァ!?」

 

「ひゃあ!? な、なんなんですの二人とも! 急に大声を出して!!」

 

 急に大声を上げた俺とテイオーに怒るマックイーン。いやでもあれは誰でも声出るだろ!?

 

「冷たいものが当たったんダヨ!! こう、ピトッ……って!!」

 

「もしかして……これのことかしら?」

 

 スズカがあるところを指差しているので、俺はスズカの指差している先を見てみる。

 

 そこにあったのは……糸に吊るされたこんにゃくだった。

 

「こ、こんにゃく……だと?」

 

 アニメとかマンガなどの肝試しなどでこんにゃくを扱う主人公やそれに驚くキャラというシーンは見たことがある。

 

 『こんにゃくにある独特のヌメリやその安価さから使われていることが多いんだ』って叔父さんが教えてくれたことがあったけど、本当にこんにゃくで驚かされるとは思わなかった……。

 

 糸の先を追ってみると二人のウマ娘の姿が見える。一人は会釈すると会釈を返してくれ、もう一人は手を振ってくれた。

 

 正直序盤でここまで驚かされるとは……俺の精神は保つのだろうか。

 

 その後はまぁ様々なカラクリや驚かせに驚きながら、中間地点の青いリボンが結ばれた木までやってきた。

 

「やっと半分か……結構喉痛い」

 

「こ、これは……キッツイですわ……」

 

「ここまで大声出したの、いつぶりだろう……」

 

「三人とも、結構消耗してるわね」

 

 俺、マックイーン、テイオーは結構この時点で満身創痍なのに対して、スズカは結構涼しい顔をしている。

 

 スズカって結構怖いの怖くないんだな。昔はよくお化けとかに怖がっていたイメージだけど……それは幼稚園児の頃のイメージだからそりゃ変わるか。

 

「あっ、ここから先はこれを持って行ってくださいね」

 

 そう言って役員のウマ娘がマックイーンに渡したのは……お皿だった。

 

「これは……何に使うのですか?」

 

「それは言えません……が、これだけは言えます。

 

 絶 対 何 が あ っ て も 割 ら な い で く だ さ い ね 」

 

「エッ……」

 

 役員のウマ娘さんはあまりにも低すぎるトーンでその事を伝えると椅子に座り直した。

 

 マックイーンはおどおどしながらその役員のウマ娘に語りかけるが、役員のウマ娘は沈黙を続ける。

 

 仕方なくそのまま先に進む俺たち……しばらくすると何やら草むらが揺れた。

 

 風邪かと思ったが、今日は全然夜風がない……ってことはやっぱりこれは脅かしイベントか……さっきは人魂、さらにはのっぺらぼうや口裂け女……今度はなんだ?

 

 なんて思っているとその脅かし役はその場で大きく跳躍した。

 

「きゃああああぁぁ!?」

 

 マックイーンの悲鳴をあげる。それに合わせるようにソレは俺たちの前に着地した。

 

 そして俺たちの目の前に現れたのは……さっきまでのコスプレをしたような感じではない。まさに人外というのに相応しい造形をしたナニカだった。

 

 トカゲみたいに発達した足や腕に着いたヒレ、緑を基調にところどころに赤い線が走っている。

 

 そして何より特徴的なのは夜でも妖しく光る真っ赤な二つの眼。

 

「って待て待て、これってアマゾーー」

 

「キキー!! ケケケケーー!!」

 

 ソレは不気味な鳴き声を上げると再び跳躍して、草むらにまた隠れてしまった。

 

 いや……えっ? マジでどういうこと? なんでこの肝試しにライダーらしきものがいるの?

 

 いや確かにアレやアレの派生作品の造形って一般人から見たらライダーかと言われるとNoとは答えるだろうが……。

 

「あの動き……あれはヒシアマゾンね」

 

「えっ、あれってヒシアマさんなのか……結構役になりきってたな」

 

「役? あれはなんの妖怪なの?」

 

「いや違う、昭和ライダーのアマゾーー」

 

「あぁー! マックイーンマックイーン!! 手! 手の中!!」

 

「へっ? あっ……」

 

 テイオーが言った通り、マックイーンの手を見てみると……持っていた皿がパキリッと割れていた。

 

「や、やってしまいましたわ……!」

 

 ただ小皿の割れ方はかなり綺麗だ。線に沿っているみたいで、まるで割られることが前提みたいな……そんな割れ方だ。

 

「ねぇ待って、何か聞こえない?」

 

 スズカがそう言うと目を瞑って、ウマ耳に意識を集中させる。

 

 それを見てテイオーとマックイーンもウマ耳に意識を集中させる。

 

 自分も一応耳を澄ましてみるが……聞こえて来るのは草木の音だけだ。

 

 しかしスズカたちは何かを聞き取った様でウマ耳がピンッと立った……あっ、いやマックイーンは耳が垂れ下がって顔がこれでもかってくらい真っ青になった。

 

「どうしたんだマックイーン?」

 

「……チャキチャキと、音が聞こえるんです」

 

「チャキチャキ……あっ、それってもしかして」

 

「えぇ、恐らく」

 

「「お菊」」

 

 お菊……それは『番町皿屋敷』という日本の階段に出て来る怨霊のことだ。

 

 父と母を流行り病で失ったお菊は青山家という大きな家柄で女中として雇われ、美しく成長する。

 

 しかしある新年会の首席で使われた貴重なお皿を洗っていると、10枚中1枚がないことに気付く。どんなに数えても9枚しかない……その事を主人に報告すると「金目のものだと知って盗んだな!」とお菊の弁明を聞かなかった。お菊は右手の中指を切り落とされ、狭い女中部屋に放り込んだ。

 

 犯人は青山家に仕えていた古参の女中だった。さらに主人がお菊の手打ちを決めると女中は嬉しそうにお菊に報告する。

 

 そしてお菊は……古井戸に身を投げた。

 

 しかしその5か月後に出産した子どもの右手の中指がなかったり、深夜に怨霊が現れたりする様になったのだ。

 

「い、嫌ですわ!! 呪われたくないですわ!!」

 

「オーケー。じゃあマックイーン、そっちの皿こっちに渡して」

 

 俺がそう言うとマックイーンはすっと静かに真っ二つに割れたお皿を差し出した。

 

 そうして俺たちはまた歩き出す。しばらくすると、自分の耳でも微かに聞こえるくらいの音でチャキ……と皿と皿がぶつかり合う音が聞こえてきた。

 

 その音が聞こえた瞬間、俺の額に嫌に冷たい汗が流れる。

 

「レオくん本当に大丈夫? 少し顔が青いよ?」

 

「大丈夫大丈夫、多分ここが肝試しのピークだろうし……ネタが分かってたらそこまで怖くないよ」

 

 なんて言っていると、少し開けたところに出た。

 

 そしてその中央には……井戸みたいなオブジェクト。その近くには人魂と白い衣に身を包んだウマ娘がいた。

 

 そのウマ娘はカチャリと音を立てながら、近くにあるお皿を平積みしていく。「一枚……二枚……」とか細くもおどろおどろしい声でお皿の枚数を数えている。

 

「七枚……八枚…………九枚………………」

 

 最後の一枚がないことに気がつくと、そのウマ娘はゆら〜りと顔を上げ、こっちの視線

 

「あと一枚……足りなああああぁぁいいいい!!」

 

「「「きゃああああぁぁ!!」」」

 

 振り返ったその顔を見てみると片目が抉れていた……いや怖い怖い怖い!!

 

 えっ、待ってあれどうやってメイクしてんの? めっちゃお金掛けて特殊メイクしているこれ!?

 

 あまりにもリアル過ぎてガチで発狂寸前くらいの悲鳴を出してしまった……マックイーンに関しては腰が抜けているし、テイオーも流石にこの本気度にウマ耳を垂れ下げている。

 

 しかしこんなガチな特殊メイクを見ても動じていないのがスズカなのである。

 

「あら、エアグルーヴ?」

 

「むっ、スズカか。珍しいなこういう催しに参加するなんて」

 

「全員参加する流れだったからね」

 

 いやなんでそんなに普通に喋られるの? スズカの精神力恐ろしいな……。

 

 というかお菊はエアグルーヴだったのか……あぁ、冷静になって来ると確かにエアグルーヴだ。

 

「こんばんはエアグルーヴ、めっちゃ驚かされたよ」

 

「むっ、谷崎か……今年はかなり特殊メイクに力を入れているからな」

 

「それってどれくらい費用かけたの?」

 

「全体の費用は分からんが……私のこのメイクは100円ショップで立体傷口メイクシールというものがあったからな。血のりやファンデーション、水彩絵具などでメイクした。皿はこちらで回収する」

 

 へぇ、これが100均で揃えられるのか……最近の100均ってすごいな。

 

 というかスタート前に見たゴール地点でタケシ状態になっていたウマ娘はこれを見てあんなにもガタガタさせていたんだろう。

 

 いや、マジでこのメイクすごいな……改めて見ると本当に怪我しているみたいだ。

 

「あまりジロジロ見るな」

 

「あっ、ごめん」

 

「次もあるからな、ゴールはもうすぐだ」

 

 そう言うとエアグルーヴはお皿を片付けて、次の組を驚かすための準備に入った。

 

 俺たちは顔を見合わせて先に進もうとした……のだが、マックイーンが歩き方が少しぎこちなくなっていた。

 

「す、すみません……今ので少し力が入りませんわ……」

 

「まぁ今のは無理もないわな……背負うか?」

 

「……じゃあ、お願いしますわ」

 

 懐中電灯をスズカに渡して、俺は姿勢を低くする。するとマックイーンはゆっくりと体重を俺の背中に預ける。

 

 心の中でタイミングをつけて一気にマックイーンを持ち上げる。

 

 昔は結構ひょいとできたが、少しだけよろけてしまう。そりゃそうだ、マックイーンは数年成長しているのだから……俺はマックイーンの成長を背中で感じ取った。

 

 そうしてそのまま俺たちは順路を進んでーーブオオオオン!!

 

「「「へっ?」」」

 

 何やら後ろから変な音が……まるでなんかの機械が動くような音が聞こえて、俺たちはその音がした方向に振り返る。

 

 スズカがライトを当てるとそこにいたのは……チェンソーを持ったジェイソン。

 

「はっ!?」

 

 ライトが当たった瞬間、そのジェイソンは紐を引っ張ってチェンソーを起動させ……突っ込んでくる。

 

 それを見た瞬間、俺たちはダッシュで逃げる。

 

 いや、これって肝試しだよな!? なんでこんなに走らねえといけねえんだよ!?

 

 後ろを振り返りたいが振り返った瞬間にGAME OVERになりかねない。しかし俺は普通の人間、さらにマックイーンを背負っていることもあり、そんなに上手く走れない。

 

「(やばいやばいやばいやばい!)」

 

 とにかく必死に走る。肺が痛くなってきたがそんなの気にすることもできない。

 

 というかなんでジェイソンらしきヤツは俺を攻撃してこない? もしかしてこれも肝試し要素の一つ?

 

 いやでも肝試しで金曜日とか聞いたことねえぞ。というか本物のチェンソーを使うな!! ていうか本物は使ってねえよ!?

 

 なんて余計なことを考えてしまったせいか、俺は呼吸のリズムを完全に乱してしまいむせってしまった。

 

 その影響によって、俺は走ることをやめてしまう。

 

「レオくん!」

 

「玲音!」

 

「玲音さん!!」

 

 不味い……このままだとヤられてーー。

 

「結構驚いてくれたみてえだな」

 

「「っ!? そ、その声はまさか……」」

 

「ゴルシなのか!?」

「ゴールドシップさん!?」

 

「ピンポンピンポーン! ご名答〜!! そう、この金曜日の夜に現れた謎の仮面ウマ娘、その正体は〜〜このゴルシちゃんじゃーい!!」

 

 そう言いながら仮面を勢いよく取るジェイソン……ではなく、ゴルシ。

 

「いやぁ〜結構道具を借りた甲斐があったぜ〜! まさかここまで驚いてくれるな……んて……」

 

 調子に乗っているゴルシだったがその声はどんどん弱々しくなっていく。

 

 それは恐らく、俺の背中から感じるウマ娘の殺気と怒気を感じ取ったからだろう。

 

「玲音さん、下ろしてください」

 

「仰せのままに」

 

 マックイーンをその場に下ろすと、マックイーンはゆっくりとゴルシに近づいて行く。そしてマックイーンのウマ耳は完全に攻撃態勢のものだった。

 

 そして真顔のマックイーンから漂う殺気が俺にも感じ取れた。

 

 だからだろうか、ゴルシは少し耳を垂れ下げそうになっている。

 

「ゴールドシップさん……物事には限度というものがありますわー!!」

 

「ぎゃああああぁぁ!!」

 

 そうしてゴルシはマックイーンに脇固めを決めたのだった。

 

   ・ ・ ・

 

 しばらく歩くとスタート地点で見たゴール地点に辿り着いた。

 

「あぁ〜脇がすごく痛え……」

 

「「それは自業自得だ(ですわ)」」

 

「でも、中々楽しかったね!!」

 

「えぇ、結構楽しめたわ……ありがとうございますゴルシ先輩」

 

「良いってことよ!」

 

 まぁ、色々あったけど、なんだかんだチーム内の親密度が上がるようなイベントになったと思う。

 

「あっ、玲音センパーイ! こっちですよー!!」

 

 ウオッカの声が聞こえたのでその方向を見てみると、スカーレットにスペの姿も見えた。

 

 そうか、ゴルシが抜けたから三人で肝試しをやってたことになるのか……俺は少し駆け足で三人の方に寄る。

 

「三人とも、ゴルシが急に抜けたと思うけど大丈夫だった?」

 

「はい大丈夫ですよ、何せ……」

 

「玲音先輩がワタシたちを見つけてくれましたからね!」

 

 ……んっ?

 

「いやあ、順路に外れちゃって少し焦りましたけど、玲音先輩のお陰で助かりました!」

 

「アンタがいい加減な道を行くからでしょ! 何が「オレの勘がこっちだと囁いてるぜ!」よ!!」

 

「なにおう! そういうお前だって道間違えてただろうが!!」

 

「喧嘩は止めましょう! 玲音さんのお陰でここまで来られた、それでいいじゃないですか!」

 

「……それもそうだな」

「……それもそうですね」

 

 スペは俺の前まで歩み寄って来て、とても眩しい笑顔でこう言った。

 

「ありがとうございます玲音さん、私たちを見つけてくれて」

 

「えっ、あ、あぁ……?」

 

「そういえば玲音さん途中から居なくなりましたけど、どこにいたんですか? あっ、スズカさんたちと再び合流したんですね!」

 

 ちょっと待ってくれ……これって冗談だよな?

 

 俺、スペたちを見てなんかいないんだけど??

 

 でもスペたちに嘘をついているような、イタズラをしているような素振りもない。

 

 じゃあ……スペを見つけた俺って、なんだったんだ?

 

 その疑問が浮かんだ瞬間、ぞわぁと鳥肌が立つ感触がした。

 

「どうしました玲音さん?」

 

「い、いや……ナンデモナイヨ」

 

「……? そうですか」

 

 そうして俺たちは泊まっている宿に帰り、各々部屋に戻ったが……その晩、俺はスペが見たという俺の形をした何かが気になってあまり眠れなかった。

 

 

 




・いやぁ天皇賞・秋は素晴らしかった……。

・流鏑馬のブライアンとカイチョーすごくかっこいいし、奉納舞のシチー・カレンチャン・ユキノまじで綺麗で可愛かった。

・体育祭が終わり、高三は遠足。しかし他のクラスが県外の遊園地行くのに自分たちのクラスだけ県内でみかん狩りと座禅って……ハァ( ゚Д゚)?

・次回は合宿最終日、夏祭りに行く予定です。


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夏祭り

 前回のあらすじ:学園・生徒会が主催の肝試しに参加することになったチーム・スピカ一同。この夜、チームでの親密度が上がった代わりに玲音のSAN値が1減った。

・UA143,000・144,000を突破しました。ありがとうございます!!



「よーし、今日の練習はこれで終わりだ」

 

『ありがとうございました!』

 

 海が夕日に照らし出されて橙色に染まり始めた頃、チーム・スピカの練習は終わった。

 

 ここに来てから数日、最初は海関係ない練習が多く行なっていたが、日を重ねる度に少しずつ遠泳や遊泳、砂浜でのダッシュなど階段形式で実施するようになっていった。

 

 そんな合宿も残すところあと1日……いや、明日は午前中だけだから半日となった。

 

 真夏の太陽に砂浜というダブルコンボは正直唸るくらい暑くてキツいものだったが、幸いにも熱中症になるということもなく、メンバーの誰一人も体調不良を訴えなかった。

 

 さらに練習の合間にみんなで海で遊んだりして、とても充実ある数日間だったと思う。

 

 さて、今日も帰って宿の大浴場で汗を洗い流しますか!

 

「あっ、玲音先輩。今夜近くで夏祭りがあってスピカ全員で行こうと思っているんですけど、玲音先輩もどうですか?」

 

「夏祭りかぁ」

 

 俺の叔父さんの地元では夏祭りは何度かやっているが、自分はあんまり参加したことない。多摩川で花火大会がある時は花火目的で行くことはあるが。

 

 でもまぁみんなが行くっていうことなら俺も一緒に行こうかな。一応お金は結構余分に持ってきているし。

 

「そういうことなら行こうかな」

 

「それじゃあ18時に玄関前で集合ですよ!」

 

   ・ ・ ・

 

 18時になったので玄関前まで来た……だが居たのはトレーナーだけだった。

 

「あれ、先生も夏祭りに行くんですね?」

 

「そりゃな。スペとか隙を見せたらめっちゃ食いそうだし、こうして担当の性格や交友関係を知るいい機会だからな」

 

「なるほど……」

 

「でもあいつら、18時に集合だって言っていたのに誰一人も来ないとはどういうことだ?」

 

「まぁ、色々あるんでしょうよ。女の子ですし」

 

 なんてお話をしながら数分……。

 

「おう! 待たせたな新人、トレーナー!!」

 

 宿の方からゴルシの声が聞こえてきたので、ようやく来たかと携帯をポケットの中に入れて俺は声のした方に顔を上げる。

 

 そして……絶句した。

 

 それはなぜか……それは宿から出てきたのはスピカのみんなだったが、全員格好が浴衣姿だったからだ。

 

 赤、緑、紫、水色、黄色……様々な浴衣の色が俺の視界に入ってくる。

 

「お前ら……その浴衣どうしたんだ?」

 

「ゴールドシップさんが全員分の浴衣を用意していたんです!」

 

「それも全員サイズがピッタリなんですよね……」

 

「そりゃ着替えの時によくスタイルを見てるからな、全員の数値はこの頭に入ってるぜ! ちなみにマックイーンはこの前より○キロ増えーー」

 

「そういうことは言わなくてもいいんです!!」

 

「ぎゃあああああ痛い痛い! アイアンクローはやめてくれぇ!!」

 

 なんてさっきまでシーンとしていた空気が一気に賑やかになる。

 

 いやぁそれにしてもみんなよく似合っているなぁ……スズカの浴衣姿を見るのもマックイーンの浴衣姿を見るのも、俺の記憶が正しければ初めてだな。

 

 なんて思っているとスズカがこっちに近づいてくる。

 

 スズカが来ているのは黄緑を基調として牡丹が描かれている。

 

「あの、レオくん……この浴衣、似合っているかな?」

 

「うん、とても似合っているよ」

 

 そう言うとスズカは少しだけ恥ずかしそうに頬を赤くしながら、嬉しそうに尻尾をブンッと横に振った。

 

「よし、じゃあ全員着替えて来たってところだし、そろそろ会場にーー」

 

「何を勘違いしているんだ?」

 

「ひょ?」

 

「まだ新人の着替えが終了していないぜ!」

 

 まーたゴルシが変なことを言い始めたよ……なんて思っていたが、ゴルシがどこからか甚兵衛を取り出す。

 

「えっ、ま、まさかその甚兵衛って……」

 

「おう、新人のためにサイズ調整しておいたんだぜ!」

 

 いやいや待て待て、俺ってゴルシにサイズ教えていたっけ? いやまぁ男性のサイズってS・M・Lといったように、女性のサイズよりも結構簡素にできているからある程度の身長が分かればそれでいいんだろうけど……大分前にゴルシが俺の水着を用意してくれた時、サイズがぴったりだったこともあったし、これを偶然で片づけていいのだろうか。

 

 ……なんて深く考えても仕方ないか。ゴルシから甚兵衛を受け取り一度自室に戻ってぱっぱと着替えて再びみんなのもとへ。

 

 そして用意された甚兵衛のサイズは大きすぎることもなく小さすぎることもない。まさにジャストフィットと言えるサイズだった。ついでに用意された草履のサイズもだ。

 

   ・ ・ ・

 

 全員でしばらく歩いていると祭り囃子と人の楽しそうな声が聞こえてきた。

 

 匂いを嗅いでみるとソースや醤油などの香ばしい匂いもしてきた。

 

「祭りっていうのは、この入る前の空気感が堪らないなぁ」

 

「よく分かってんじゃねえかトレーナー! 学園祭とかも準備する段階の方が楽しいっていうしな!!」

 

「あ〜、なんとなくそれは分かるかも」

 

 まだ夏祭りに加わっていないのに、先生とゴルシはとっても盛り上がっている。他のみんなも、そして俺もその楽しそうな空気に当てられている。

 

 夏祭り自体も行くのも久しぶりだから、自然と心が踊っているのかもしれない。

 

 さらに少し歩くと屋台などが道の両端を埋めるようになっている。

 

 夜道から屋台独特の温かみを帯びた煌びやかな明かり。それはまるで日常が非日常に、現実世界から別の世界にきたような不思議な感覚。

 

 子どもの頃、まだ背が全然小さかった時、この明かりはとても大きく、そして綺麗に連なっているものだった。

 

 まるで光で出来た道やトンネルを歩いているみたいだと……思ったことがある。そしてその前にはーー。

 

 俺は顔を上げる。

 

「にんじんベビーカステラ……50個ください!!」

 

「す、スペちゃん? それはかなり多い気が……」

 

「大丈夫です! 皆さんで一緒に食べましょ!!」

 

 大量のベビーカステラを買っているスペに付き合っているスズカ。

 

「アンタ、型抜きなんて器用なことできるのかしら?」

 

「スカーレットこそ、手がプルプルに震えてるぜ?」

 

 パキッと音が立ち、二人の型抜きが砕ける。

 

「「あっ」」

 

「「……」」

 

「「おっちゃんもう一個!!」」

 

 常日頃からライバルとして競い合っているウオッカとスカーレットは型抜きで勝負している。

 

「わたくしにスイーツ関連で早食いを挑むなんて、あなたも肝が座ってますわね」

 

「ボクも結構自信あるよ? マックイーンとゴルシには負けないよ〜!」

 

「うっし、じゃあ行くぜ。レディー……ゴー!!」

 

 ゴルシがそう言った瞬間、テイオーとマックイーンは綿菓子に齧り付く。

 

 自分から見ても結構速い……だが、ゴルシはそれを上回った。ゴルシは棒に包まっていた綿菓子を手で引き抜くとそのまま両手で潰して一口サイズにして、それを口に含んだ。その間、わずか3秒のことだった。

 

 そしてそれを見たテイオーとマックイーンは目を見開いて口をポカーンと開けている。

 

「ふっ、3秒5ってところか。このゴルシ様も随分と腕が落ちてしまったな」

 

「いや十分過ぎるよ!?」

「いや十分すぎですわ!?」

 

 綿菓子の早食い競争を繰り広げて……いや結構虐殺されていたテイオーとマックイーン。そしてゴルシ。

 

 ……俺もあの時と比べて背が高くなった。同じ光なのに、今ではただの照明としか思えない。

 

 そして見える景色が全然違う……いつもは背中を見ているだけだったけど、今の俺はこうして辺りを見渡せる。そしてその周りには小さい幸せな時間がいくつもある。

 

「どうだ、お前もなんか食わねえか? 特別に奢ってやるぞ?」

 

「……そうですか。じゃあ焼きとうもろこしでも奢ってもらいますかね」

 

「おっ、定番だな」

 

 そして俺は先生にたこ焼きを買ってもらった。

 

 さて、夏祭りを楽しみますか!!

 

   ・ ・ ・

 

 その後、俺たちは夏祭りを楽しんだ。

 

 露店で様々な物を買ってそれで夕飯を済ませたり、時には対決もしたりした。結果、俺たちは両手一杯に色んな袋を下げて持っている。

 

 ちなみに想像以上の出費だったのか、先生は財布を見て顔を青くしていた。

 

 なので途中から自費出費になった。俺は自分のお金で買ったたこ焼きを頬張っている。

 

 隣にはスズカがいて、こちらも自分で出費したりんご飴を可愛らしく小口でちびちびと食べている。

 

「りんご飴って結構小さいんだけど、一個食べるにはちょっと甘過ぎるんだよなぁ」

 

「それはちょっと分かるかも……じゃあ交換しない? レオくんのたこ焼きと私のりんご飴。今ちょうどりんご飴半分くらいだから」

 

「そうだな、じゃあはい」

 

 俺は持っていたたこ焼きの容器をスズカに渡し、スズカはりんご飴をこっちに差し出してきたのでそれを受け取る。

 

 カプッとかぶり付くとりんごの酸味とシャクシャクとした食感。そして周りにコーティングされている飴の甘さがちょうどいい感じだ。

 

 やっぱりんご飴も夏祭りの定番だな。

 

 まぁこれ一個を丸ごと食べるのはちょっとキツいけど。

 

「あっ、このタコ結構大きい……」

 

「だよね、普通のコンビニで売っているたこ焼きのタコとは比べ物にならないよね」

 

「これくらい大きい方が満足感は強いかも……はっふ」

 

 そう言いながらたこ焼きをもう一つ頬張るスズカ。

 

 時間は経っているとはいえまだそんなに冷めたわけではないので、口に入れた瞬間少しだけハフハフと口を忙しく動かしてたこ焼きを冷やそうとしている。ちょっとその動きが可愛く思える。

 

「玲音さん、にんじんベビーカステラもどうですか?」

 

「んっ、にんじんカステラ? なんだそれ」

 

「さっきそこの露店で買ったんです。人参が散りばめられてて甘くて美味しいですよ」

 

「そっか……どれどれ?」

 

 俺はスペが持っていた袋に手を突っ込んでカステラを一つ摘む。そしてそれをそのまま口に放り込む。

 

 うん、ベビーカステラの本来の甘さににんじんの風味と甘味が効いていて結構美味しい。

 

 というかウマ娘の多くってにんじんが大好物だけど、なんでにんじんが好きなんだろう?

 

 まぁ、俺が食っても美味しいからいいけど……流石に生で食べるのはキツいんじゃないだろうか。

 

「っ? あの後ろ姿……グラスちゃん! エルちゃん!!」

 

 スペが声を掛けた先を見てみるとそこには私服姿のエルとグラスがいた。

 

「スペちゃん! それに玲音先輩もブエナス ノーチェス!」

 

「こんばんはスペちゃん、玲音さん。あら、お二人とも浴衣と甚兵衛を着てるんですね」

 

「チームメイトの一人が何故だか持って来ていたからな……二人もあると知ってこっちに?」

 

「はい。日本の夏祭りはいつ来ても楽しいものですから」

 

「見てくださいスペちゃん、玲音先輩! こんなに金魚取れたんデスよ! 部屋で飼うデース!!」

 

「エール? 私たちの部屋にはマンボくんもいるんですよ? それにペットは寮では原則禁止ですよ?」

 

「……マンボくん?」

 

「ぐ、グラス! その話は~……」

 

「スペちゃんと玲音さんなら大丈夫でしょう」

 

 そうしてグラスは話してくれた。

 

 マンボというのはエルが飼い慣らしているタカのことを言うらしい。

 

 結構自由奔放でエルもかなり困っているらしいが、外に遊びに行ってもしっかりと戻って来たり、寮長にはバレていないところから結構頭がいい子みたいだ。

 

 まぁ、能ある鷹は爪を隠すってことわざがあるくらいタカっていうのは頭のいい鳥だしな。

 

「そうデス! スペちゃんも玲音先輩もまた今度マンボに会いませんか?」

 

「えっ、でも寮ってトレーナーは出入り禁止なはずじゃ……」

 

「マンボはとても賢いデス。近くの公園に呼ぶこともできマス!」

 

「なるほどね……」

 

 その後、少し話してエルとグラスと別れた。

 

   ・ ・ ・

 

「「「あー! 楽しかったー!!」」」

 

「本当、楽しかったですわ」

 

「楽しかったですねスズカさん!」

 

「えぇ。レオくんも楽しかった?」

 

「もちろんだよ」

 

 数時間後、俺たちは射的や輪投げ、多くの食品露店をたっぷり楽しんで宿への帰路に着いている。

 

 いや、本当に楽しかった……この事は北海道の地元に帰ったらお母さんに報告しないとなぁ。

 

「……あの、レオくん」

 

「んっ、なにスズちゃん?」

 

「あのね、レオくんに……おねがーー」

 

「おいおい! お前ら何満足そうな顔をしてるんだよ!!」

 

『えっ?』

 

 ゴルシが突然声をあげて言った言葉に全員が頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

 

 いや、これで終わりだろ? もう帰って大浴場でひと風呂浴びて寝るだけじゃ……。

 

「夏祭りと来たら……これは欠かせないだろ!!」

 

 ゴルシはどこから出したか分からないが、たくさんのソレが入った袋を取り出した。

 

 そしてそれを見た俺たちは……海岸に移動するのだった。

 

 

 




・マイルCSのグランアレグリアすごかった……そして池添騎手に撫でられている時がとても可愛かった。

・推薦入試終わった。にんじん食して天命を待つ……です!

・次回はゴルシが提案したことをする玲音たちのお話の”予定”です。


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夏はこれがなくちゃ! / 夜の砂浜で伝える

 前回のあらすじ:チーム・スピカ全員で夏祭りに行くことに!! そしてチームのみんなは浴衣、玲音は甚兵衛姿になる。

・UA145,000・146,000・147,000を突破しました! ありがとうございます!!


 子どもの頃は当たり前のようにやっていたことが、今ではできなくなっている。

 

 そんなことはないだろうか?

 

 例えば公園で走り回ることだったり、春はたんぽぽの綿毛を飛ばしたり、夏はプールに行ったり、秋は紅葉でできた自然のカーペットの上を寝転がってみたり、冬に雪が積もったら雪だるまを作ったり雪合戦をしたり、雪が積もってなかったとしても霜柱を踏んでみたり……まぁ取り上げたらキリがない。

 

 でも年を取ってくるごとに、大人に近づいて行く度に……人は楽しみや興奮よりも疲れそう・面倒などネガティブな感情の方が勝ることが多くなってしまう。

 

 さらに昔は用意されていたからそれに従って楽しむことができたが、いざ自分自身で用意しようとすると費用がかなりかかったり、先に考えたように面倒臭いなどの感情が湧いて来たりしてしまい、次第と昔楽しんでいたことをしなくなるのだ。

 

 でもそんな時こそ、歳が経った今だからこそ……その遊びをした時の感動はとても大きいのだ。

 

 もちろん恥じらいだってあるかもしれない。でも一度やってみればきっと楽しさが勝つと思う。

 

 そう……今の俺みたいに。

 

   ・ ・ ・

 

「見てみて玲音! 必殺二刀流持ちー!!」

 

 そう言いながら細い棒のようなものを両手に持ちながら、クルクルと回りながら笑顔になっているテイオー。

 

 その笑顔はその棒のようなものから放たれている火花が彼女の水色の瞳をキラキラと輝かせている。

 

「こらこらテイオー、危ないから持ちながら動き回るのはやめとけー」

 

「え〜いいじゃーん!」

 

 なんてテイオーに注意しているけど、昔は俺もやってお母さんやワキアさんに怒られていたなあ。

 

 こうして見ていると昔のことを思い出して、ちょっと自分もやってみようかな? みたいな考えが頭を過ってしまう。

 

「そんな慌てんなよテイオー、まだ花火はたっぷりあるんだからよ!!」

 

 俺たちが帰路に着いている時、ゴルシが俺たちに出したもの……それは手持ち花火だった。

 

「夏といえば、やっぱり花火だろ!!」

 

「花火? ゴルシお前いつからそんなの持ってたんだよ?」

 

「祭りの景品であったからな、たんまり稼いできたぜ!!」

 

 そう言いながらこっちに向かってピースするゴルシ。どこか誇らしげだ。

 

「ん〜、でも今から花火か……」

 

 だが俺はどうも乗り気にはならなかった。

 

 それはやっぱり日中にやっていた練習の疲れとさっきまで夏祭りで人に揉まれていた疲れが溜まっているからだ。

 

 さらに言ってしまえば明日も午前中は練習があり、その後は北海道に移動しないといけない。

 

 時間としてももう21時くらいなのでお風呂に浸かってベッドの上にダイブして休息を取りたいという気持ちの方が強い。

 

 なんて考えていると自然とあくびが出てしまう。ゆっくりと吐かれた息が全身の力を緩めたようにも思えた。

 

 そうなるともっと眠気を自覚してしまう……あぁだめだ、やっぱ眠くなってきた。

 

「……確かに魅力的な提案だけど、流石に今からはーー」

 

「わー! 面白そう!! ねぇねぇ、やろうよみんな!!」

 

 そう言いながらぴょんぴょんと跳ねるテイオー。

 

 その仕草が小動物に見えてしまう。あっ、可愛いなこれ。

 

「そうね……夏祭りの余興としては十分ね」

 

「オレももうちょっと遊びたいと思っていたところだぜ!」

 

「わたくし、手持ち花火はあまりやったことがないので、少し興味がありますわ」

 

「私もです!」

 

「レオくん、一緒にやろう?」

 

 テイオーの一言からチーム全員は花火をやる雰囲気になっている。

 

 まぁ、花火なんてそんなに疲れないだろう。その場で火花が散っているのを眺めるだけなんだから。

 

「……じゃあ、俺もやろうかな」

 

「なんだなんだ? すっげえ眠そうな声じゃねえか?」

 

 ゴルシに指摘される。

 

 そりゃそうだ。実際眠いんだし……ただ結構抑えたつもりだったけど、思った以上に眠そうな声だったらしい。

 

「安心しろ、そんな眠気すぐに覚まさせてやるからな!!」

 

 そうして俺たちは海岸に移動した。先生はバケツとチャッカマンを借りに宿の方へ戻っていた。

 

 今回の合宿で日中の夜の砂浜というのはあんまり来たことがなかったので波の音と自分自身とみんなが砂を歩く音しか聞こえないというのはなんか不思議な感じだった。

 

 月明かりに反射して白波がキラキラと見えている。でもそれ以外の月明かりが当たっていないところはどこまでも続く暗闇で、このまま見続けていると吸い込まれるんじゃないかと突拍子もないことを考えてしまう。

 

「────」

 

「レオくん、トレーナーさん戻って来たよー」

 

「…………分かった」

 

 そう返事して俺はみんながいる方に戻る。

 

 戻ってみると各々気になる手持ち花火の袋を開けている。それこそ派手なフォントがあるものからシンプルに箱だけの物など様々だった。

 

 というか手持ち花火って結構種類あるんだな……。

 

「眠そうな新人はこれをやってみろ」

 

 そう言われて俺はゴルシから少し太めの手持ち花火を渡される……いやでかいな、まさか爆発とかするタイプなのか?

 

 ……ゴルシならそんなものを持っていてもおかしくないな。

 

「なんか失礼なことを考えていないか?」

 

「いや、眠すぎて何も考えれないよ」

 

「そうか? ならこれで少しは目を覚ませよ」

 

 そう言いながらゴルシはチャッカマンを俺が持っている花火に近づける。

 

「新人! カウントだ!!」

 

「えっ!?」

 

「ほら早く!!」

 

「え、えっと……3、2、1!」

 

 唐突に言われて咄嗟に思いついたカウントダウンに合わせてゴルシはチャッカマンのスイッチをカチッと押した。

 

 チャッカマンの先端から小さな炎が出てくる。そしてその小さな炎が手持ち花火の先端に当たる。そして次の瞬間、金色の火花が俺の目の前に広がった。

 

「……すごい」

 

 最後に手持ち花火をしたことなんて、一体いつの頃だっただろう。

 

 確かまだお母さんがいた時……だったら10年前くらいだろうか。

 

 でもあの時の花火の火花は……もっと小さかった。こんなに激しくはなかった。煌びやかでもなかったと思う。

 

 だからこそ、今俺の手の中にある花火の美しさに……俺は息を飲んでいた。

 

「どうだ? 目ぇ覚めただろ?」

 

「あぁ、すごいな最近の花火は……こんなに激しく、そしてこんなにも綺麗だなんて……」

 

「おっと、これで終わりじゃねえぜ?」

 

「えっ?」

 

 ゴルシの視線が手持ち花火の方に移ったので、俺は再び手持ち花火に視線を落とす。

 

 すると金色に輝いていた火花が突然、水色に変わった。

 

「色が……変わった?」

 

「おう、こいつは色が何度も変わるんだぞ」

 

「最近のやつって結構すごいんだな」

 

「いや、こいつは老舗が作っているやつだぞ。まぁーーっと、そんなことはいいんだ。ほらまた色が変わるぞー」

 

 ゴルシがそう言ったのと同時に火花が水色から緑色に変わる……花火って赤と橙色を混ぜたような火花しかないと思っていた。

 

 でもこうしてやってみると花火にも色んな色があって……こんなにも綺麗で……すごく楽しい。

 

 楽しい……まるであの時の思い出が少しずつ思い出してくるような、そんな感覚もしてきた。

 

「おいテイオー! こっち来いよー!」

 

「おっ、玲音のやつそろそろ消えそうだね。じゃあ火花もらうね!」

 

 そう言うとテイオーは手に持った花火を俺の花火に近付ける。

 

 しばらくすると俺の花火は燃え尽きた。それと同時にテイオーの花火が火花を散らす。

 

 そっか……花火ってこんな風に火をつけることも可能なんだっけ。

 

 テイオーは花火をつけた後、テイオーは「わーい!」と大声を出しながら砂浜を駆けていく。

 

 そうしてテイオーはある程度の距離を取ると両手に持っていた花火をブンブンと振り始めた。

 

 それを注意するが自分も子どもの頃にあんなことやっていたなと、少し懐かしい思いが蘇ってくる。

 

「アタシ、結構花火って好きなんだよ……さっきみたいに火花を分け与えることができるだろ? それはその気になればずっと続く……命のバトンに近いような感じがしてな」

 

「花火でそこまで考えるか? まぁそう言われたら、確かにそんな感じだろうな」

 

 なんか意外だった。

 

 ゴルシって結構ロマンチストなんだな。

 

 命のバトンとかよくそんな喩えが出てくるな……意外と本を読んだりとか映画を鑑賞したりとかしているのかな。

 

   ・ ・ ・

 

「あぁ!! 今度も負けたー!!」

 

「これでようやく10対10……並んだわね!」

 

「二人とも、何やってるんだ?」

 

 ウオッカ、スカーレットの方に近付いてみると二人は隣り合わせに並びながら花火を持っていた。

 

 周りが丸くなったり向かい合わせになっているのに、この二人だけ隣り合っていたので興味本位で近付いてみた。

 

 すると足元にはバケツが置かれておりその中には何十本もの花火の燃えカスが入れられていた。

 

「オレとスカーレット、どっちの花火が長く燃焼するか競っているんです!」

 

「同じ花火でも地味に燃焼時間が違ったりとかするんですよ」

 

「へぇ……でも同時に火をつけるにしても、若干つける時に差が出ないか? 片方がつくのが遅いとか……」

 

「えっ、そんな事ないですよ?

「えっ、そんな事ありませんよ?」

 

 そう言うと二人はほぼ同時にチャッカマンを取り出し……寸分の狂いもなく同時に火花が散り始めた。

 

 いやすご……寸分も狂いがないとか、この二人どんだけ息が合っているんだ?

 

「「今度は絶対に負けない!!」」

 

「ほ、ほどほどにな〜……」

 

   ・ ・ ・

 

「ひゃあ!?」

「うわぁ!?」

 

「ははは! どうだマックイーン、テイオー! これが鼠花火ってやつだ!! ってちょっと待てゴルシちゃんの方にぎゃあああぁぁ!!」

 

「鼠花火……?」

 

 マックイーンにテイオー、そしてゴルシが固まっていたので近寄ってみると何やら鼠花火というものを行なっていた。

 

 手持ち花火だったら一応何回かやったことはあるが……あんまり普通の花火以外をやった記憶はない。

 

 だからこそ足元でシュルシュルと音を立てながら回って、火花を散らしている鼠花火とやらに興味が湧いたのだ。

 

「ぜぇ……ぜぇ……んっ、なんだ新人。鼠花火を見るのは初めてか?」

 

「あぁ、それってどんなやつなんだ?」

 

「見ての通り走る花火だ。どっちの方向に行くのかが分からないからな、あんまりあたりが燃えそうなところじゃ出来ねえからこういう砂浜が一番適しているんだ」

 

「へぇ……」

 

「わたくしも存在は知っていましたけど、この目で見るのは初めてですわ」

 

「ボクもボクも、あんまり地元ではやっていなかったかな」

 

「はぁ……こうして伝統っていうのは消えていくんだろうなぁ」

 

 俺たちの会話を聞いてゴルシは伝統が風化していくメカニズムを知って何やら物思いに耽っている。

 

 それを鼠花火と繋げるのはかなり無理がある気がするが……なんて思いながら、俺は袋から入っている鼠花火を取り出す。見た感じ、導火線にみたいに伸びている紐……そこに火をつければ良さそうだ。

 

 さっき見ていた感じ、地面で走るような感じだろうから地面に置きながら導火線にチャッカマンの火を近付ける。少しすると導火線に火が灯る。

 

「すぐ離れた方がいいぞ、いつ暴れ出すか分からないからな」

 

「そっか」

 

「ってちょっと待ってよゴルシ! ナンナノその足元にいっぱいある花火は!?」

 

 テイオーが叫んだのでゴルシの方を見てみると、その足元には夥しい数の鼠花火があった。

 

 いや待って? そんなに多いとかなり地獄絵図になるんじゃ……。

 

 なんて考えている間にゴルシはどう点けたか分からないが、その夥しい数の鼠花火に火が灯る。

 

 そして少しするとシュルシュルと音を立てて、俺のやつも含めたそれらが辺りを走り回る。

 

「わ、わわっ!?」

 

「これどう収拾つけますの!?」

 

 鼠花火自体はそこまで大きくはない……でもあり得ないくらい量があればその小さな火花も大きな火花となる。

 

 ていうかこれって大丈夫なのか? なんかすごい火花の数なんだけど、夜の海岸なのにみんなの姿がはっきりと見えるんだけど……。

 

「ヒャッホー! 最高だなぁ!!」

 

「うおっ?!」

 

 砂浜を走っていた鼠花火が俺の足元まで迫って来る。

 

 俺は火が当たらないようにステップして避ける。

 

「……んっ?」

 

 俺はステップで避けるため、そしてまたこっちに来る可能性もあるためその鼠花火と他の鼠花火を見ていた。だからこそ気付いたのだ。

 

 その多くの鼠花火が同じ場所、簡単に言ってしまえばゴルシがいる方に向かって行っている。

 

「はっ? ちょちょちょちょちょ!?」

 

 ゴルシはその事にやっと気付いたが……もう遅かった。鼠花火たちはゴルシの四方八方を塞ぐように移動していた。

 

 そして次の瞬間、激しく燃えていた鼠花火たちが一斉に「パパパパパン!!」と大きな爆発音を立てた。

 

 一つだけだったらそこまで大きくない爆発音もその多くが同時に爆発すればかなりの音になる。

 

 さらにウマ娘はとても聴覚が優れている……同時に爆発した鼠花火たちの音は、ゴルシのウマ耳にとってはかなり苦しい音になってしまった。

 

「ぎゃああああぁぁ!!」

 

「……自業自得ですわ」

 

   ・ ・ ・

 

「わぁ! スズカさん玲音さん!! この花火色が変わりました!?」

 

「私も久しぶりに花火をやったわ……最近のやつはすごいのね。ねぇレオくん」

 

「んっ?」

 

「昔を……思い出すね」

 

「……そうだな」

 

 昔の事とはいえスズカと花火をやったのは薄っすらと記憶にある。

 

 確かあの時もこうやって二人で屈みながらお互いの花火を眺め合っていたっけ……そしてその周りには俺のお母さんとワキアさんやスズカのお父さんがいて……とても美味しい料理とかもいっぱい並んでいたっけ。

 

「でもまさかまたこうして、一緒に何かできるなんて……思ってもいなかった」

 

「何言ってるの、勉強とかだって色々したじゃないか」

 

「でも幼い時にやった事を今やるのはあまりなかったでしょ?」

 

「……確かに」

 

 そう言っている間にスズカの花火は火花を散らすのをやめる。スズカは立ち上がって、次の花火を用意する……のかと思ったが、スズカは俺の隣に来るとそのまま腰を下ろす。彼女の尻尾がふさっと俺の背中をくすぐった。

 

「こうやって、レオくんが花火をやっている姿を見ていた」

 

「……そうだね」

 

 しばらく、火花が散る音だけがその空間を支配する。

 

 いや、互いの呼吸音と自分自身の鼓動音も聞こえている。

 

「……ねぇ、レオーー」

 

「あっ、スズカさーん!」

 

 スズカが何かを言おうとした瞬間、スペがこっちに向かって大きな声を出す。

 

「ゴルシさんがそろそろ締めに入るらしいですよー!!」

 

「「……締め?」」

 

 花火で締めって一体何なんだ? 打ち上げ花火とかならスターマインとかがあるけど……俺はスッと腰を上げてスペの方に向かおうとする。が、すぐに踵を返して手を差し伸べる。

 

「行こう、スズちゃん」

 

「……えぇ」

 

 優しい笑みを浮かべた後、スズカは俺の手を取って立ち上がり……俺たちはみんながいる方へ向かった。

 

   ・ ・ ・

 

 締めっていうと何なんだろうと思っていたのはきっと俺だけではなかったはずだ。

 

 でもゴルシが取り出したそれを見て、俺らは納得したのだ。手持ち花火の締め……それは、線香花火。

 

「やっぱ最後と言えばコレっすよねー!」

 

「言っとくけど、線香花火でもアンタには負けないわよ!!」

 

「望むところだぜ!!」

 

「わー! なんでボクの花火はすぐ落ちちゃうの!?」

 

「テイオーはいちいち騒がしいんですよ。もっとお淑やかにすれば、そんなすぐ落ちる事なんてありませんわ」

 

「えぇ〜……でも確かにマックイーンのやつは長く保ってるね」

 

「もちろん、メジロ家たる者。常にお淑やかでーー」

 

「あっ、落ちた」

 

「な、何でですの!?」

 

「わぁ〜すごく綺麗……」

 

「本当に綺麗ね」

 

「私、おかあちゃん以外と花火したの初めてです」

 

「そうなのね」

 

「じゃあ俺たちが初めての相手ってことかな? なんかそれは光栄なことだな」

 

「っ! 私も! 初めてがスピカの皆さんたちで……本当によかったです!!」

 

「……あぁ」

 

 溢れんばかりの笑顔をこっちに向けてくれる。スペ、その瞳には線香花火の光が反射していた。

 

 線香花火……これもだいぶ久々にやったが、やっぱり風情のある物だ。派手さはないけどじっと見つめるからこそ、その火花の変化に気付きやすい。そして見ててとても落ち着く。

 

「なぁお前たち、知っているか?」

 

 ゴルシが何かを話し始めようとしているのでみんなはゴルシの方を向く。

 

 全員の視線が集まったことを確認すると線香花火を取り出し、火をつける。その灯火を俺たちは大事に見守っている。

 

「この花火は、昔はお線香のように、香炉に立てて楽しむものだったんだぜ」

 

「なるほどなぁ……その名残で線香花火って未だに言い続けてるんだな」

 

「線香花火の燃え方には、名前がついている」

「最初の玉になっている状態を『蕾』。その名の通り花の蕾に似ているところから来ている」

「蕾が溶け、火花が飛び出すようになると『牡丹』。美しく咲き誇るボタンの花に例えられているんだ」

 

 飛び散る火花が、さらに激しさを増し始める。

 

「これが『松葉』。火花が四方八方に飛び散る様子が松の葉によく似ているんだ」

 

 線香花火を見つめながら、みんな無言でゴルシの話に耳を傾けていた。

 

「勢いが衰えてくると『柳』。しだれ柳って知っているだろう? あれみたいに見えるんだ」

 

 そう言っている間にもゴルシが持っている線香花火の火花の勢いはどんどん衰えていく。その姿に、どこか哀愁を覚える。

 

「そして……火の玉が落ちる直前の、この状態。これが『散り菊』だ。菊の花は花びらを一片ずつ落としていくんだ。実際、綺麗だろ? こいつの散り際は……」

 

「あっ……」

 

 やがて少しの時間差で、みんなの火の玉が砂の上に落ちた。

 

 最後まで残っていたゴルシの散り菊をみんなで眺める。

 

「うちの爺ちゃんが言っていたんだが、線香花火は人生に見立てられているらしいんだ。『蕾』は命の宿りを。『牡丹』は若々しい子供の成長を、『松葉』は壮年の激しさを、『柳』は穏やかな家族との時間を。『散り菊』は思い出を見つめ返す晩年を……そう見てみると、この花火は特別な物に見えねえか?」

 

 みんな優しく微笑みながらもどこかしんみりとした空気になる。

 

 でも、この雰囲気も花火の一幕だ。

 

 波の音を聞きながら、昼間の熱を微かに残した風を受けーー火薬の匂いと煙の香り、火花が咲く音を聞いて……そして、ゴルシの線香花火の火玉は落ちること無く、そのまま静かに燃え尽きた。

 

   ・ ・ ・

 

 砂浜で片付けをした後、俺たちは再び帰路に就く。

 

「ゴルシ先輩! 今日はすごく楽しかったです!」

 

「とても貴重な経験でした!」

 

「はっはっは! このゴルシ様を讃えるがよいー!!」

 

「あんまり調子乗るなよ?」

「あまり調子乗らないでください」

 

 スピカのみんなは花火をやったからか、全員笑顔を浮かべている。もちろん、俺だって笑顔を浮かべている。

 

 この夏合宿、短いようでとても長く感じた……そんな合宿の最後が花火という美しいもので終わるのだ。とは言ってもまだ半日あるんだけど。

 

 よし……明日も頑張るか。

 

「あっ……すみませんトレーナーさん。ちょっと砂浜に忘れ物したみたいで……」

 

「お〜そっか……じゃあ玲音、お前付いていってやれ」

 

「分かりました。行こう、スズ」

 

「うん……」

 

 ということで俺はスズカの忘れ物を探すために、みんなと別れる。

 

 それにしてもスズカが忘れ物だなんて珍しいなぁ……なんか景品とかを砂浜に置いたまんまだったりしたのだろうか。

 

 なんて思っている間に砂浜に再び入る。そして俺は目を凝らして見てみる。だが何かが置かれている感じはない。

 

 あれ……その忘れ物って結構小さいのか? 結構これって長くなるか?

 

「あ、あの……レオくん!」

 

 いつもはそんなに大きな声を出さないスズカが、大きな声を出したので俺はびっくりしながらもすぐにスズカの方に体を向ける。

 

「ど、どうしたのスズちゃん? 忘れ物なら俺がーー」

 

「ご、ごめんなさい。忘れ物をしたって言うのは……ウソなの」

 

「えっ……なんでウソを?」

 

「本当にごめんなさい……でも、どうしてもレオくんと二人っきりになりたかったの」

 

「……どうしても?」

 

 スズカは一度、呼吸を整えるために深呼吸を行う。その間に砂浜で吹いていた風は段々と弱くなっていく。

 

 そして目をキリッと目を見開いて、スズカは言葉を発した。

 

「私も北海道に……レオくんのお母さんに会わせて欲しいの!」

 

 その瞬間、砂浜に強い風が吹く。その風によってスズカの栗色の髪の毛が激しく揺れた。

 

 

 

 

 




・コントレイル、ラストラン……あれは泣いた。

・テーオーケインズが強過ぎて……マジでやばい。

・エフフォーリア有馬人気投票一位はとても嬉しいです。

・11月は二つしか出せなかったので、12月はもう少し多く書きたいですね。大学は合格しました。


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合宿は終わり、2人は北へ

 前回のあらすじ:ゴルシの提案により手持ち花火を楽しんだスパナのメンバーたち。その後、スズカは玲音の母の墓参りに行きたいと言った。

・UA148,000・149,000を突破しました。ありがとうございます!



 次の日、合宿の最終日。チーム・スピカは最後の仕上げを行なっていた。

 

「おいスペ、ペース落ちてるぞ!! こんなんで京都の3000で戦えると思っているのか!!」

 

「す、すみません!!」

 

「今度は絶対決めたタイムで通過しろ! 分かったな!!」

 

「はい!!」

 

 現在スペが行っているのはトレーナーがタイムを設定し、その時間内に間に合うようにダッシュ。これを何十も上行い、後半のバテてきたところで10本以上そのタイムを切ることができれば終了というものだ。

 

 菊花賞は3000mと今まで走った中で1番長いであろう日本ダービーよりも600mも長い距離になる。だからこそ走り切るための体力が必要不可欠なのだ。

 

 しかしなかなか上手くいかず、これでもう10本目くらいだ。

 

「スペ先輩すごいわね……」

 

「もうあれで何回目なんだろう……トレーナーもトレーナーで結構スパルタだよねー」

 

「確かにあんなトレーナー、オレは初めて見たかもしれねぇ」

 

「でも……あちらもかなり凄いですわよ」

 

 そう言いながらマックイーンはある方向を見る。3人もその視線移動に釣られてその方向に向く。

 

 そこにいるのは玲音とスズカだった。

 

「いいよスズ、またタイムが縮んでいる!!」

 

「ほんと? まだまだ行けそうね」

 

 次のレースは毎日王冠に決定しているスズカはスペみたいに持久力ではなく、トップスピードを上げるような練習を実践している。

 

 その方法は至極単純、走ってタイムを出し、次走る時はそのタイムを更新する様に走るというものだ。

 

 そしてスズカはもう何回も走っているが……三回に一回のペースでタイムを更新しているのだ。もともと早いのにコンマ数秒、着実にタイムを狭めている。

 

 それもかなり走っているのにだ……そう考えてみるとどれだけ異常なことをスズカが行なっているのかが分かるだろう。

 

「やっぱりすごいねスズカは……ボクも負けていられないや!」

 

「わたくしも2月のデビューに向けて頑張りますわ!」

 

   ***

 

「あっ、スズ。ちょっと試したいことがあるんだけどいいかな?」

 

「……ねぇ、レオくん。ちょっといいかな?」

 

「んっ、どうした?」

 

「レオくんってみんなの前だと私のことスズって言うけど、それって私が後輩の前でちょっと……って言ったのが理由だよね?」

 

 今からもう5ヶ月くらい前のことになるだろうか。スズカと再会してから間もない時に後生寮の屋上で話し合った時に決めたスズカの呼び方。二人だけの時はスズちゃん、みんなの前ではスズと言うことを決めた……まぁそれはスズカ本人の前では言っていないけど。

 

「そうだけど」

 

「あの、よければだけど……みんなの前でも『スズちゃん』って呼んでくれないかな?」

 

 そう言うスズカはどこか不安げで……とても純粋な目をしていた。

 

 一瞬それが可愛いと思ってしまったが、すぐに理性で思考を戻して、俺はその理由を聞くことにする?

 

「別にいいけど……みんなの前でちゃん呼びはスズちゃんが恥ずかしくならない?」

 

「確かに私の周りにはちゃん呼びをしてくれる人がいないから少し恥ずかしい……でもね、やっぱり『スズ』呼びだとなんかどこか距離を置かれているんじゃないかって不安になるの」

 

「……そんな風に聞こえてたんだ」

 

「だから、スズちゃんで固定して欲しいなって……ダメ、かな?」

 

「ダメなわけない。スズちゃんがそうして欲しいって言うなら、俺はスズちゃんの意見を尊重するよ!」

 

「うん……ありがとう。それでレオくん、試したいことって何?」

 

「あぁそうだった……」

 

 俺はスズカに練習の提案を行う。

 

 その名も……パントキックショットガンキャッチ!

 

 かなり前にスピカのみんなの前でカミングしているが、俺は卓球以外にもサッカーもやっていた。

 

 そのポジションは定まっていなかったが、多くやっていたのはフォワードと言うポジションと……ゴールキーパーだった。

 

 ゴールキーパーは手でボールを持てるため、そのまま落として落下エネルギーを使ってそのままボールを蹴り上げることが出来る。これをパントキックと呼ぶ。

 

 パントキックは人によって様々だが、一般的なキックよりは飛距離が出る。

 

 ショットガンキャッチというのは投げたボールに走って追い付き、それをキャッチするというもの。元々は昔行われていた筋肉番付系番組で行われていた競技の一つらしい。

 

「つまりレオくんがパントキックしたボールを私が全力でダッシュして取ればいいのね」

 

「あぁ、じゃあ行くよ!」

 

「えぇ……!」

 

   ・ ・ ・

 

 ピーッ!!

 

 その後も時間は流れて行き、太陽は高々と南の方に昇っており燦々と日差しが照らしつけている。

 

 そんな頃に砂浜でホイッスルの音が鳴り響いた。

 

 それが集合の合図だと感じ取って俺とスズカ、そして少し離れたところで練習してたテイオー・ウオッカ・スカーレット・マックイーン・ゴルシもトレーナーのもとに集まる。

 

「よーし! それじゃあ夏合宿の練習はここまでだ!!」

 

『ありがとうございましたー!!』

 

 こうして数日間行われたチーム・スピカの夏合宿は終わりを告げた。

 

 みんな大きなパラソルの下に作られた日陰の下でストレッチを行っている。

 

「なんかあっという間でしたねー合宿」

 

「そうだよなー……オレはもうちょこっと走りたかったぜ!」

 

「あら、なら帰った後付き合ってあげるわよ」

 

「おっ、マジか! サンキュースカーレット!」

 

「わたくしはこの後はメジロ家に帰らないといけませんわ……近況報告もありますし」

 

「へぇ、名家ってそう言うことやるんだねー。ボクは今日ばかりは休養日かなー」

 

「私もですかねぇ……お母ちゃんに手紙を書かないと」

 

「おいおい練習するのはいいが俺が見ないからってオーバーワークするなよ」

 

「大丈夫ですよ、そこに関してはちゃんと注意していますから」

 

 みんなは学園に帰った後にやることを話し合っている。

 

 そんな中、俺とスズカは互いの目を見つめ合い、そして北の方を向いた。

 

 ある程度のストレッチが終わった後、俺たちはお世話になった宿に戻ってそこでお昼ご飯を食べる。

 

 メニューとしては地元の海の幸や野菜を使った天ぷらや刺身だ。

 

 俺はお昼ご飯を頬張りながら、時々時計を確認する。これで一本でも電車に乗り遅れてしまったら、予約していた便に遅れてしまうからだ。

 

 ご飯が食べ終わり、全員で合掌。ご馳走さまの挨拶を済ませて各自の部屋へ。

 

 俺は一応昨日の夜から荷造りをしていたから、もう後は部屋全体を見て最終チェック。つまり何か落し物とかないか部屋を歩き回る。

 

「うん、大丈夫そうだな」

 

 そう言ったのと同時に部屋のドアがノックされる。

 

「玲音、準備できたか?」

 

「はい先生」

 

 荷物を持って、出る前に一度頭を下げてから部屋から出る。

 

 そのまま階段で1階に降りてロビーから外に出る。するとすでにそこにはチーム・スピカのみんなが並んでいた。

 

 そして今だからこそ気付く……スズカはキャリーケースを持って来ていた。つまり最初から俺と一緒に北海道に行く気だったんだろう。

 

 俺が断るとか考えーーいや、俺がスズカの願いを断るわけないか。自分で言うのもなんだけど。

 

「玲音、喜べ! 実はおハナさんに話を通してな、空いている席にお前を乗せてもらえることになったんだ」

 

「エッ……」

 

「あと行きのバス代や電車代は帰ってから出してやーー」

 

「あ、あの〜大変言いにくいんですが……俺、このまま実家の帰るのでバスに乗らないと……」

 

「……なんだってー!?」

 

 先生の叫び声が響く。そりゃそうだよね、善意でやってくれた事をズバッと斬り捨てるような結果になっちゃったんだから。

 

 いや、これは本当に申し訳ないな……。

 

「ま、まぁいいか……って事は登戸の方に帰るのか?」

 

「いや、北海道の方です」

 

「おぉ……結構遠いな。そのまま行くのか?」

 

「えぇ」

 

「そうか、道中気をつけろよ」

 

 そう言いながら先生は俺の頭にポンッと頭を置いた。

 

「よーしじゃあ気を取り直して、みんなで学園に帰ーー」

 

「あ、あのすみませんトレーナーさん。私もレオくんと一緒に北海道に行くので、ここでお別れです」

 

「……えぇ!?」

 

 再びトレーナーの叫び声が響いたのだった。

 

   ・ ・ ・

 

 あの後、俺とスズカはバス停まで歩き電車に乗って乗り継ぎを何回もして東京国際空港。羽田空港に到着する。

 

 そして色んな手続きをした後、飛行機に搭乗し約一時間半のフライトを得て、北海道の空港。新千歳空港まで辿り着く。

 

「それじゃ、今日はここでチェックインしようか」

 

「そうね……ここからだとまだ遠いものね」

 

 俺とスズカが住んでいたところは新千歳空港から考えると約6時間も移動しないといけない。そして今の時刻は18時なので今日中に地元に戻る事は不可能だ。

 

 だから今日はここで一泊する。そして明日の長時間移動に備える。

 

「一応ホテルに問い合わせたら二人部屋が空いてたからそっちにしたよ」

 

「本当にありがとうね」

 

「いや、本当だったらスズカの分の部屋も取れればよかったんだけどね……流石にそんなに部屋は空いていないってさ」

 

「……私は、レオくんと一緒でも大丈夫だよ」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 空港近くのホテルでチェックインを済ませて、俺とスズカは近くの札幌ラーメン屋で夕飯を取る。うん、やっぱラーメンは味噌が一番だな。

 

 そうして腹ごしらえをして、ホテルの地下にある温泉をお互い満喫して部屋に戻り消灯する。

 

「おやすみー」

 

「おやすみさない」

 

 そうして俺は目を閉じる……すると視覚が機能しなくなった代わりに聴覚が敏感になる。

 

 するとどうだろうか。スズカの吐息や尻尾で布団をさする音などが結構鮮明に聞こえてくる。

 

「(おかしいな……昔だったら、こんなに意識しなかったのに)」

 

 何だかんだ。俺も男という事なんだろう。

 

 というかここまで自然と接して来たけど年頃の男女が同じ部屋で寝泊まりするのっていいのか? 普通にアウトなやつじゃないか?

 

 まぁそんな事を考えても仕方ないが……なんて思っていると、スズカの吐息の音がピタリと止んだ。そして何やら布団がめくれる音がして、俺のベッドが少し揺れ、ボスッという音を発した。

 

 俺はまさかと思って寝返りを打つ。するとそこには……スズカが寝転がっていた。

 

「す、スズちゃん? 何をしているの?」

 

「何って……昔みたいに一緒に寝るだけだよ?」

 

「いや待ってくれ、俺とスズカ、年頃の男女、OK?」

 

「……」

 

 スズカはうんともすんとも言わずにただ頰を膨らませる。そして絶対に出てやるもんかというかのように俺との距離をさらに縮める。

 

 さっき温泉で使ったであろうシャンプーの匂いが俺の鼻腔を擽る。揺れ動く尻尾が俺の脚をさわさわと擽る。

 

「……分かったよ、おやすみ」

 

「……うん」

 

 そうして俺はスズカが寝るまで彼女の頭を撫で続けた。そうしてスズカの呼吸音が寝息に変わったのと同時に、俺もゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 




・球技大会疲れた……全身筋肉痛3日間襲われた。

・第5章はスズカだと!? ほ あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!(歓喜の発狂)

・次回は玲音とスズカの地元帰りの予定です。


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二人の地元 / 未来へ進む

 前回のあらすじ:玲音とスズカは地元に帰るために北海道へ訪れていた。

・UA150,000・151,000を突破しました。ありがとうございます!



 新千歳空港の近くのホテルで一泊した次の日の朝6時、俺とスズカは快速電車に乗って移動を始めた。

 

 ここから約6時間は電車やバスに身体を揺らされる。

 

「スズちゃん、これ、酔い止め薬」

 

「あっ、ありがとう……久しぶりに地元に帰るから、もうどれだけ移動すればいいのか忘れちゃった」

 

「俺はほぼ毎年行っているから慣れているけど、まぁ結構キツイよ」

 

 ただでさえ電車で体力が削られるのに、そこからバスで移動。それも最初は山道なのでまぁ氏ねる。

 

 でもいつもと違うのは……隣にスズカがいる事。

 

 この隣には例年通りだったらおじさんかおばさんがいるか、空いている席に荷物を置いているかの二択だ。

 

「あれ、レオくんなにを聴いているの?」

 

「んっ? あぁ、これは俺が好きなバンドの曲で……」

 

 左耳に嵌めていたイヤモニを外して、スズカの左ウマ耳に嵌める。

 

 このバンドはツインギターだから、片方を外すとその魅力は半減してしまうけど……心のどこかでいつかはこうしたかったって思ってしまう。

 

「とても独特な旋律……でも、とても綺麗な曲。なんて曲なの?」

 

「えっと今のこれは……『形而上 流星』だね」

 

「歌詞も、歌声もとてもお洒落ね」

 

 こんないつもは聞くことだけしかできないこの時間も、スズカと一緒なら曲のことで話し合ったりできるからとても楽しい。

 

   ・ ・ ・

 

 新千歳から北海道の中央、札幌まで移動してそこから特急に乗り換えてまたここから2時間ずっと座りぱなっしである。

 

 車窓に映っている景色もビル街よりも住宅街の方が多くなってーー。

 

「あっ、レオくん。旭川って、確かこども園で行ったことあるよね」

 

「あぁ〜あったあった、確か動物園に行ったんだっけ」

 

「レオくん、そこのアザラシにモテてたよね」

 

「スズちゃんだってペンギンたちに好かれていたじゃないか」

 

 そう笑いながら言う。するとスズカも「そうね」と言いながら微笑んだ。

 

   ・ ・ ・

 

「う〜ん流石に電車での長距離は疲れるね……」

 

「まぁ中京とか京都、阪神に行く際に結構遠出したこともあるから、まだマシなんじゃないかな」

 

「それでもやっぱり二日連続の移動は結構体力を使うわ……」

 

 スズカはそう言いながらふわぁと可愛らしくあくびをする。

 

 確かにスズカのウマ耳や尻尾を見てみても、少し元気がなさそうに見える。

 

 この後はバスに乗るが……最初は山道を登る。今以上にさらに体力が削られるはず。

 

「あっ、そうだ。この辺り蕎麦が有名なんだ。腹ごしらえに食べないか?」

 

「そうだった……ここら辺って蕎麦が有名だったね」

 

「今から45分くらいは空きがあるから、そこの蕎麦屋で食べようか」

 

「えぇ」

 

   ・ ・ ・

 

 そうして腹ごしらえでここら辺のソウルフードになっている。蕎麦を食べた後、1時間に一本くらいしかないバスに乗る。

 

  ここから大体1時間走れば俺らの地元だ。

 

「あっ、ごめんレオくん……ちょっと仮眠取ってもいいかな?」

 

「あぁ別にいいよ、俺は起きているから安心して休んで」

 

「そうするわ……ふぅ〜……」

 

 スズカは深い溜息をつく。そして自分の頭を俺の肩に乗せてきた。

 

「ちょ、スズちゃん?」

 

「すぅ……すぅ……」

 

 いや寝るの早いな……結構疲れていたのかな。

 

 まぁ、このまま眠らせておいてあげよう。それにさっきまで元気がなさそうだったウマ耳が、今は横に倒れてリラックス状態になっている。

 

 つまりこのままの方がスズカにとってはいいのだろう。

 

 いや、違うか。俺自身がこの状況を変えたくないと思っているんだろうな。

 

 なんて考えているとバスは山道から平坦な道路を走るようになる。

 

 すると広がるのは……芝生の緑。建築物などはあまり見られない。ただただ青々と生えている芝生の緑色と空のコバルトブルーが広がるだけだ。

 

 普通ならただ何の変哲もなく面白くもない平原風景だが、東京はビル街や住宅街が多くここまでのどかな風景を見られるところはあまりない。

 

 だからこそこの前テイオーと遊びに行った時、かなり緑があって驚いたのだが……それでもやっぱりこっちの緑の方が、とても落ち着く。

 

 この風景を見るたびに……こっちに帰ってきたんだって自覚が持てる。

 

「次は、鷹樽別双樹園前、鷹樽別双樹園前です」

 

「(……着いたか)」

 

 俺はバスに備え付けられている降車ボタンを押す。

 

 そして隣で寝息を立てているスズカの体を揺する。

 

「んっ、んんっ……」

 

「おはようスズちゃん」

 

「レオくん……もうすぐ着くの?」

 

「うん、もうちょっとで着くよ……眠気覚ましにハッカ飴いる?」

 

「えぇ……んっ、スースーしてて美味しい」

 

「俺も……くぅ〜やっぱ美味いや」

 

 二人でハッカ飴を舐めながら降りる準備をする。

 

 そして数分経った頃にバスは停留所に止まる。

 

「ご乗車ありがとうございましたー」

 

 荷物を持ってバスから降りる。

 

 その瞬間から空気が全然違うことに気付く。

 

 何だろう……吸ってとても心が満ちるような、そんな空気。

 

 故郷の空気と言うのだろうか。一年に一回しか来ないからとても新鮮なものだと毎回思う。

 

「ん〜! こっちに来たのもだいぶ久しぶりね……とても懐かしい」

 

 スズカはそう言いながら大きく伸びをする。それに釣られて俺も伸びをする。

 

 しばらくずっと座り続けて固くなっていた筋肉がほぐされる感覚がとても気持ちいい。

 

「さて、んじゃあ行こうか」

 

「ん? どこに行くの?」

 

「俺とお母さんが昔住んでいた家って今は別の人が住んでいるんだ。でもご好意で空いている部屋をまだ使わせてもらってるんだ」

 

「え、えぇ……それって無関係な私が泊まってもいいのかな?」

 

「大丈夫、昨日確認はとってあるし、空き部屋ならまだあるからね」

 

「そう? なら大丈夫かしら」

 

 そうして俺たちは荷物を持って移動を始める。

 

 ギーーという本州ではあまり聞かないエゾゼミたちの合唱を聴きながら、歩道を歩く。

 

 スズカは久しぶりの鷹樽別を懐かしく思っているのか、キョロキョロと見渡している。

 

「ここってこんな感じだったかしら?」

 

「まぁだいぶ変わってると思うよ、ケーキ屋さんが出来たりね」

 

「ケーキ屋さん? 私が居た時はそんなのなかったな……」

 

「最近本州とかから北海道のこういう田舎に引っ越してくる人とかが多くなってきてるからね。多分俺たちが幼かった時よりも栄えているんじゃないかな」

 

「へぇ……あっ、レオくん、この建物って!」

 

 そう言いながらスズカは目の前にある建物を指差す。

 

 その建物は子供たちを預ける保育園みたいなものだ。ただ今は夏休みというのもあって園児の姿は見えない。

 

「やっぱり子ども園! 懐かしいなぁ〜……でもなんか内装が違う?」

 

「あぁ、つい2年前に改修を行って少し綺麗になったんだ」

 

「そうなんだ……何年も居ないと、町ってすぐに変わってしまうのね」

 

「……そうだな」

 

   ・ ・ ・

 

 しばらく歩くと俺の元実家に辿り着く。

 

 今そこには長井川さん夫妻が住んでおり、歓迎してもらった。

 

 特に夫さんはトゥインクル・シリーズのファンでありスズカのことを知っていたらしい。さらに昔はここに住んでいたことも言うととても興奮していた。

 

 そして長井川宅で15時のティータイムを楽しんだ後、俺たちは荷物などを置いて、必要なものだけを持って再び出かける。

 

 近くにある山に入って山道を歩く。しばらく登っていると少しだけ開けたところに出る。そしてそこには小さなお寺。それを素通りしていってその隣にある墓地に入る。

 

 入り口にある桶と柄杓を取って、桶には水を入れる。

 

 慣れた足取りで墓地内を歩く、その後ろをスズカがついてくる。

 

 そしてあるお墓の前で俺は立ち止まり、90度右に体を向ける。

 

「レオくん、このお墓が?」

 

「うん……俺のお母さんのお墓だよ」

 

 そう言い、俺は墓の前で一礼をする。スズカも遅れて一礼をする。

 

 そして持ってきた荷物を一回その場に置いて、足元の掃除……草抜きなどをする。

 

 草抜きの後は持ってきたタオルで石塔を拭いて、汚れとか苔を拭き取る。そしてある程度拭き終わった後、柄杓を使って墓石にお水をかける。

 

 お花を立て、供物をお供えして、ロウソクに火を灯し、お線香を二本取り出し、俺とスズカはロウソクの火でお線香をつける。

 

 数珠を取り出して、合唱。

 

「(ただいま、お母さん)」

 

 こうやって合掌をしていると、周りのセミの鳴き声や風で揺れる草木の音が少しだけ遠くなるような感覚になる。

 

「(今日はスペシャルゲストがいるんだ。お母さんは覚えてるよね、スズちゃんのこと。そうなんだ、トレセン学園で再会できたんだよ)」

 

 毎年、こうして合掌しながらお母さんに会っていない間の事を報告するのが通例になっている。

 

 それでもいつもは「元気にやってるよ」とか「勉強がキツイんだよ……」など、あまり具体的な事は言えない事が多い。

 

 でも今年は……たくさんある。

 

「(トレセン学園でスピカってチームに入って、スズちゃんとも再会ができて、とても充実した学園生活を送れてるよ。特に今年転入したばかりのスペシャルウィークって子がいて、その子はダービーを制覇したんだ。そしてスズちゃんも……11バ身で勝利したり、ドリームレースである宝塚記念でも1着を取ったり……俺の幼なじみは、とてもすごい子になっていたよ)」

 

 そう考えると、スペもスズちゃんもすごい偉業を成し遂げているんだなぁと改めて痛感する。

 

 そしてまぁ俺自身は……というと……。

 

「(俺自身、スズちゃんに会えればなんでもいいと思っていた。でも違った。あそこには夢を追うものや明確な未来へ進んでいる人しかいなかった。スズカに会うことしか考えてなかった俺は、今は空っぽだ。一体何のためにあそこに残ればいいのか、どうすれば俺は未来へ進めるのか……分からないや。実は夏合宿があってさ、チームメイトの一人が花火大会を開いてくれたんだけどさ)」

 

 瞬間に思い出すのは、あの夜の砂浜。そして広がっていた……闇。

 

『ーーーー』

 

 普通なら見ていると恐怖すら湧いてきそうな闇、実際、見続けていると吸い込まれそうだと突拍子もない事を考えていた。

 

 そしてあの時の俺はそれを、吸い込まれる事を望んでしまった。

 

 あの闇は確かに恐怖もあったが……同時に、優しく静かに、闇は俺を誘っているようにも思えた。何もない、そして気にすることなんていらないあの闇に。

 

 正直、あそこでスズカが……誰かが声をかけてくれなければ、俺はーー。

 

「(まぁ俺にはそんな度胸はないと思うけど……でも、終えるのも嫌だ。新しい目標を見つけることもできない。これじゃあ生きてるのか死んでるのか分からないよね。まぁ、この一年……というか、半年でだいぶネガティブになったよ。チームにも迷惑かけてばっかだし……もう、いいかなってーー)」

 

『何がいいのかな?』

 

「……えっ?」

 

「レオくん?」

 

 今……確かに聞こえた。

 

 いや、そんなバカな……だって、お母さんはもういなくなってーー。

 

『お盆は亡くなった人の魂が現世に戻ってくる……だったら、私の声が聞こえてもおかしくない。もしくは、玲音くんの幻聴かもしれないし、本当は終わりを迎えたいと思っている玲音くんと今の私の生死の境界が縮まっているから、私の声が聞こえるのかもね』

 

「……」

 

『でも、そんなことになって欲しくはない。私の声が聞こえないようにすること、それが今の私の目的……ねぇ玲音くん、生と終わりで悩んでいるんだったら、生に振ってみればいいんじゃないかな』

 

「(生に……でも今の”俺”はーー)」

 

『生に振るというのは……何も自分自身に振らなくてもいいんだよ。ほら玲音くん、目を開けて右を見てごらん」

 

「……」

 

 お母さんの声に似たその声に従うように、俺は目を開けて右を見る。そこには当たり前だけど、スズカがいる。

 

「……どうしたの?」

 

『いい? あなたの周りには生きている子がいる。そしてその子たちには希望・奇跡・伝説……様々な可能性を、未来を持っている。でもね、それだけではない。絶望・挫折・最悪な未来を迎える可能性だってある』

 

「最悪な……未来」

 

『あなたは導き、見届ける。彼女らが未来へ進むその姿をね』

 

「未来へ進む……その姿……」

 

 生きる事は、自分だけのためだけだと思っていた。

 

 それは、人間の命……いや、自分の命は自分だけのものだからだ。

 

 でも俺は自分自身に生きる意味を持てない……なら逆に考えてもいいんだ。自分自身のためではなく、生きとし生けるもののために……彼女たちのためにこの命を使ってもいいんだ。

 

 そしてそのために、俺は生きる。そうなれば俺が生きる意味も生まれる。

 

『そう。だから、あなたは生きーーーー』

 

 声は、聞こえなくなった。

 

 

 




・いや、第5章が神ストーリー過ぎた……自分の日曜日はいつになるのだろう。

・有馬はエフフォーリア! クロノジェネシスとディープポンドの凱旋門賞馬も素晴らしかった。

・次回はこのRの最終話……まぁ、そこまで長くするつもりはないです。


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星に願いを、君に誓いを

 前回のあらすじ:玲音とスズカは谷崎琥珀のお墓参りをした。そしてそこで玲音は実の母の声を聞いた。

・(短くするとか言っときながら3500超えてるし……)



 お墓参りが終わり、俺たちは帰る支度をしていた。

 

 そんな時、俺はさっきまで陥っていた謎の感覚を、お母さんの声が聞こえた事を思い返す。

 

 あれは一体何だったんだろうか。

 

 窮地に陥っている俺自身が見せた幻聴か、それとも本当にお母さんが霊として俺に話しかけてきたのか。

 

 いや……ここはポジティブに物事を考えたほうがいい。お母さんは、俺のことを見守っていてくれたんだ。

 

 そして俺に……生きる意味を、その方法を教えてくれた。

 

 まぁ、それは冷静に考えると、スズカを目的としていたのを、スズカも含めたみんなに割り振るっていう事だから、肝心な自分の問題点は全然解決できていないんだけど……それも生きてさえいれば、みんなといれば、いつかは見つかるかもしれない。

 

 先生だって言っていたじゃないか。『たくさんのウマ娘と触れ合って、そして知るんだ! ウマ娘との成長というのはとても尊いものであるということを!』って。

 

 尊いものかどうかは今の俺にはまだ分からない。でもスペが成長している姿を見るのは……とても楽しく、嬉しくもなった。

 

 だからこそスペのダービー制覇の時、まるで自分自身のことのように喜べた。

 

 今は……難しいことを考えずに、スペやスズカ……スピカのみんなと切磋琢磨しながら、勝利を共に分かち合う。それでいいんだ。

 

「よし、帰る支度も終わったし、帰ろうか」

 

「うん……また来ますね、琥珀さん」

 

「じゃあねお母さん」

 

 そうして俺たちは墓地を後にする。

 

 だいぶ長い時間滞留していたので、空の色は茜色と紫色が混ぜたかのような色になっていた。

 

 さらに良く見ると一等星辺りの星はもう見えるようになっている。

 

 これは早く帰らないとだいぶ遅くなってしまうな。

 

 そう思い、少しだけ早歩きで下山をする……だが、あるところでスズカは急に立ち止まった。

 

「どうしたのスズちゃん?」

 

「……」

 

 俺たちが立ち止まったのは別れ道。左に進めばそのまま山を下山し、町の方へと戻れる。

 

 そして右の方は……。

 

「ねぇレオくん。展望台で流星群を見ない?」

 

「……流星群?」

 

「うん、長井川の奥さんが言っていたの。『今日は流星群のピーク……今年はあまり月明かりもないらしいから、星たちが綺麗に見れるわよ』って」

 

「スズちゃんは流星群見たいの?」

 

「う、うん……」

 

 そう言いながら少し頬を赤くするスズカ。

 

 まぁスズカが望んでいるんだったら、俺の答えは一つだ。

 

「よし、じゃあ行こうか」

 

 そうして俺たちは右に進み、再び山を登り歩く。

 

 さっきのお寺や墓地に通ずる道よりも少し険しく、結構体力を使う。

 

 だが幼い頃この山を遊び場にしていたこともあるので、少し懐かしい気持ちになりながら登ったので思った以上にキツくはなかった。

 

「ふぅ……着いた」

 

「あぁ〜疲れた〜……やっぱ運動してた頃と比べるとだいぶ体力落ちたなぁ……」

 

「レオくんもランニングとかやってみたら?」

 

「ただただ走るのはちょっとな……球技とかだったら蹴るとか打つの動作があるから単純じゃなくて面白んだけど……」

 

「……私が併走したとしてもダメかな?」

 

「ははっ、確かにスズちゃんと一緒だったら楽しめるかもね」

 

 まぁそれ以前に全然ついて行けなくて、公園で倒れ伏して迷惑をかける俺が見えたけどな。

 

 なんて考えている間にも太陽は沈んで行き、辺りはさらに暗くなっていく。隣にいるスズカの姿や表情もなかなか見えなくなってきた。

 

 今俺に分かるのはスズカの影だ。

 

「レオくん! 上!」

 

「えっ……あっーー」

 

 スズカに上を見るように言われ、言われた通りに上を見上げた瞬間……俺は感嘆の息を漏らした。

 

 俺の視界に映ったのは……満天の星々が力強く光り輝いている夜空だった。

 

 その光景は、府中で見るような少し乏しく寂しい夜空とは全く違う。

 

 星々があちこちにあり、どこが星座の線なのか分からない。それほどの数多の星々が夜空を埋めていたのだ。

 

「……」

 

「綺麗……」

 

 しばらくの間、俺たちは言葉を交わすことなく星空を眺めていた。

 

 やがて立っているのも億劫になり、俺は地面に仰向けに寝転がる。するとスズカも続くように隣で寝そべった。

 

 聞こえるのは互いの呼吸音と風で擦り合っている草木の音だけ。

 

 そこまで無音で、じーっと星空を見ていると、心が少し落ち着いてくる。

 

 そんな時、俺の目の前に一筋の光が通り過ぎた。

 

「「あっ、流れ星」」

 

 同じものを見ていたのか、はたまた別のやつを見ていたのかは分からないが、俺とスズカは同じ言葉をほとんど同じタイミングで呟いた。

 

 俺とスズカは一度顔だけ向かい合って……笑った。

 

 そして再び、星空の方に顔を向ける。

 

 さっきまで気づかなかったが、流れ星というのはどうやら一つだけではないらしい。

 

 ぼんやりと広い視野で星空を見ていると、あちこちで光の筋が通過しているのが分かる。

 

 そういえば流れ星に願いを三度唱えると願うが叶う。なんていうルーツがあったよな。

 

 確か「金金金」と言えばそれだけで一番短く、かつ願いが叶うぞと浪漫のカケラがないことを叔父さんは教えてくれたっけ。

 

「レオくんが、平穏に暮らせますように」

 

「どうしたのスズカ? 願い事漏れてるよ」

 

「えっ!? あっ、つい……」

 

「俺のことじゃなくて、自分自身のことを祈って欲しいかな。叔父さんが言っていたんだけど、金かーー」

 

「ねぇレオくん。お墓の前から去る時に、琥珀さんの声が聞こえたって言ったら……おかしいと思う?」

 

「……えっ?」

 

 今スズカはなんて言った?

 

 琥珀さんの声が聞こえたと言った。確かにそう言った。

 

 つまりさっきまでのあのお母さんの声は……幻聴ではなかった?

 

「レオくんを見守って欲しい……そう最後に言ってた」

 

「そう、なんだ……」

 

「だから、星に願っていたの。レオくんが平穏に暮らせるようにって」

 

「ありがとう、スズちゃん」

 

 そっか……スズカも聞こえていたんだ。

 

 そうなればほぼ確定だ。あれはお母さんだったんだ。

 

 お母さんは言っていた。『私の声が聞こえないようにすること、それが今の私の目的』だと。

 

 そして俺はお母さんに励まされ、声は途中からぷつりと聞こえなくなっていた。

 

 それはつまり、俺自身が生きることを決めたから……生と死、お母さんとの距離が離れたから。

 

「……スズちゃん、ちょっといいかな」

 

「うん、なに?」

 

「宝塚記念の時に、先生と俺は言ったでしょ? おれにはスズちゃんっと会うという目的しかなかった。だから俺は空っぽなんだって」

 

「うん……」

 

「俺、ここしばらくずっと考えていたんだ。俺がトレセン学園でしたいことは何だろうって……でもーー」

 

「見つからなかった?」

 

 コクリと頷き、肯定を表す。

 

「だからさ、俺合宿場で砂浜で1人になった時考えたんだ。俺がここにいる理由なんて、もうないんじゃないかって……みんなと距離を離して1人のファンとして応援した方が幸せなんじゃないかって」

 

 その距離を離すというのは単純な距離ではなく、あの世と現世という意味なのだが、そこはもちろん伏せておく。言う必要も全然ないしな。

 

「でも今日お墓参りしてた時に、お母さんの声が聞こえたんだ」

 

「レオくんも……なんだ……」

 

「うん。そしてお母さんは教えてくれたんだ。自分自身のためではなく、他人……つまりスズちゃんやスペ、チームのみんなのために動いたらどうって……俺はその教えに従ってみようかと思う」

 

「……いいと思う。無理に今決める必要はない……私も最初と今の目標は全然違うし、最初から目標や夢を持っているのは、ほんの一握り。今から模索してもいいよ」

 

「うん……でもね、一つだけ変わらないことはある」

 

「……なに?」

 

 そう言うスズカの表情は真っ暗闇だったので見えにくかったが、とても優しい笑みを浮かべていた。

 

 何が変わっていないのかはスズカも分かっているんだろう。俺は一度、深呼吸をしてスズカの瞳を真っ直ぐに見つめて……言葉を発する。

 

「今は空っぽだし、夢もないから不安定な俺だけど……俺は、君に追いついてみせる……絶対に!」

 

「うん、何度でもそう言って……そして私はいつまでも待っている。どんなに長い時間がかかろうと、絶対に!」

 

 そうして俺たちは互いの手をしっかり握って……そのまま星空を眺めた。

 

   ・ ・ ・

 

「よぅしお前ら久しぶりだなぁ! 今日からまた練習が始まる、気を引き締めていくぞぉ!!」

 

『はい!!』

 

 数日間、地元で過ごして府中に帰ってきた次の日には練習が再開された。

 

 久しぶりに会うみんなの姿を見ると、気が引き締まる。

 

 スピカのみんなは準備体操を行い、ウォームアップのランニングを開始した。

 

 その間に俺は練習で使用する道具を用意する。

 

「どうした玲音、前よりもなんか顔つきが変わったじゃねぇか。北海道に戻って何かいいことでもあったか?」

 

「いいことはありましたよ。でも顔が変わったのはきっと……物事を難しく考えることをやめたからです」

 

「……そっか、お前がそれでいいと思うなら、それでいいだろう」

 

「はい……先生!」

 

「んっ、なんだ?」

 

「これからもよろしくお願いします」

 

 そう言いながら俺は先生の方に体を向けて、自分の手を差し出す。

 

 先生は一瞬戸惑ったが、すぐにキリッとした表情と笑みを浮かべると……俺の手を強く握った。

 

「あぁ、お前を立派なトレーナーにしてやるからな……覚悟しとけよ!」

 

「はい!!」

 

 こうして、俺の学生トレーナー二学期が幕を開けるのだった。

 

 

 




・東京や父親の実家にいます。ネコが二匹いて幸せです。(Twitterとpixivのアイコン)

・これで2021の書き納めとさせていただきます。2022年も『少年とウマ娘たち -ススメミライへ- 』をよろしくお願いします!

・次回第6R「蕾なり、花は咲く」(仮題)、ライス回の予定です。


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第6R「蕾なり、花は咲く」
ライスお姉さまとロールアイス


 前回のあらすじ:玲音難しく考えることをやめ、スズカやスペ、チームのために動くと心に決めた。

・UA152,000・153,000、14話のUAが10,000を突破しました! 本当にありがとうございます!!(マックイーンの耳かき回はpixivの方でも2021年の最多閲覧数でした)

・明けましておめでとうございます。今年一年もよろしくお願いします。



 いよいよ明日からトレセン学園の二学期が幕を開ける。

 

 そんな夏休みの最終日、俺は寮の自室に篭って般教をしていた。

 

 というのもやっていなかった宿題が朝に見つかったので急いでやり始めて、思ったよりも早く終わってしまったので、始業式開けて次の日にある夏休みの課題テストがあるのでそれに向けての勉強をする。

 

 そしてある程度集中していた時に……机の上に置いてある固定電話からコール音がなった。

 

 俺はシャーペンを置いてから3コールくらいしたくらいで受話器を取って耳に当てる。

 

「もしもし?」

 

『谷崎くんかい? 寮長の未波です』

 

「あっ、お世話になっています。どうされましたか?」

 

『この前こっちに来た黒髪の可愛い嬢ちゃんが、またこっちに訪れてるよ』

 

 黒髪の嬢ちゃんっていうと……ライスさんのことだろうか?

 

 何か俺に用事があるのだろうか……それとも、この前みたいに昔を思い出すためのお出かけをまたするんだろうか。

 

 となると、外出になることはほぼ確定だから……。

 

「分かりました。そこで待つように言っておいてください。5分すれば降りるとも」

 

『はい分かったよ……あぁ、あとこれは報告なんだけど、子どもとその親が君を訪ねに来てたよ』

 

「あっ、そうなんですか?」

 

『また機会がある時にって電話番号渡されたんだ。帰りでいいから寄ってくれないかな?』

 

「分かりました」

 

   ・ ・ ・

 

 自室で少し外出の準備をした後、部屋を出て階段を降りる。

 

 エントランスの方を見てみると、特徴的な大きな耳が視界内に入ってくる。

 

 しかしそれだけではなかった……この前はベージュ色の少し暖かそうな格好をしていたが、今回は……白のワンピースだった。

 

「あっ、玲音くん!」

 

 自分の姿が見えたからか、ライスさんは耳をピンッと真っ直ぐ立ててこっちに向かってくる。

 

 俺が階段を降りたのとほぼ同じタイミングで目の前にライスさんが立ち止まる。

 

「ライスさん、お久しぶりです」

 

「うん、宝塚記念ぶりかな?」

 

「あ、あぁ〜……そうですね……」

 

 ライスさんが宝塚記念という言葉を出した瞬間、つい1ヶ月ちょっと前の阪神でのやり取りを思い出してしまい、とても恥ずかしくなってしまう。

 

 今思うと、とても恥ずかしいところをライスさんに見られてしまったし、その後俺は……ライスさんの鼓動を聞いて……。

 

 あああああああぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

 

 心の中で悶絶しながら絶叫する。

 

 なに俺!? なんであんなに甘えちゃったの!? まぁまぁ歳取っている男子が恥ずかしくないのか!?!?

 

 ……なんて叫んでも、もうやってしまったものは仕方ないので、俺はなるべく顔に出さないようにその事に関して謝る事にする。

 

「ああの、こ、この前はぁ↑ご、ご迷惑をきゃけ、もも申し訳ありませんでしたぁ↑!!」

 

 いやおい待て、なんだこのかみかみな呂律に声の裏返りは!?

 

 流石に動揺しすぎだろ……。

 

「そんなに気にしなくても良いよ……それとも〜また甘えてみる、かな?」

 

「…………しばらくは、大丈夫です」

 

 おい何だよ今の間は? 俺は何を考えた?

 

 自分自身でもなぜ間を置いたのか、全然理解できない。

 

 自分の理性では考えられないところで、何か考えてしまったんだろうか……。

 

「……な、なんちゃってね? ご、ごめんね変なこと言っちゃって?」

 

「だ、大丈夫です!」

 

「ううん、大丈夫だよ……(ちょっと嬉しかったから)」

 

 何かライスさんは呟いていたが、上手く聞き取れなかった。

 

 その後、お互い俯きしばらくの静寂が訪れる。

 

「そ、そうだライスさん! 今日はどんなご用でこっちに?」

 

「あっ、そうだった……!」

 

 そう言いながらライスさんは肩に掛けていたポーチの中からスマホを取り出す。そして何かを操作した後、そのスマホの画面をこっちに向けてくる。

 

 そこに映し出されていたのは動画配信サイトのUIと何やら湯気みたいなものが出ている鉄板みたいなもの。

 

 そしてライスさんは動画を再生する。

 

 動画が再生されると、何やら生クリーム? 牛乳? みたいなものが鉄板の上に落とされる。

 

 すると店員らしき人は何やら鉄ヘラみたいなやつを両手で持って……なんか叩き始めた。あっ、なんかその牛乳見たいやつが落とされた中心にクッキーみたいなものが置かれている。それをヘラで粉砕しているのか。

 

「あのね、ロールアイスっていうらしいんだけど、少し興味があって……れ、玲音くんと一緒に行きたいなあって思って」

 

「えっ……つ、つまり今日は、俺の記憶を思い出しーー」

 

「ううん、違うの……ライスはね、今の玲音くんと、行きたいなって思ったの」

 

「……今の、俺と?」

 

 ライスさんが言った言葉に俺は少し驚いた。

 

 つまりライスさんは……普通にお出かけがしたいってことなのか? それとも記憶を思い出すなどを意識させないため?

 

「ライス、この前玲音くんを甘えて気付いたんだ。玲音くんは多分、ライスのことを覚えているんだと思う。だからあの時のライスを玲音くんは拒まなかった」

 

「単に病んでいただけだと思いますけど……」

 

「それに、この夏休み期間中ずっと考えて思ったんだ。ライスと玲音くんは、会えたこと自体が奇跡だった。だったら今は玲音くんと会えなかった数年間分の思い出を取り戻すことが大切なんだって……ライスは思うようになったんだ」

 

「……」

 

 ライスさんの気持ちはすごく分かる……いや、全ては分かっていないと思う。

 

 でも会いたい人と会えない苦しみと、奇跡のような偶然で会えた時の喜びは俺も知っている。でも俺とスズカは覚えていたけど、俺とライスさんは……俺が記憶喪失なせいで、理性ではどうしようもならない距離がある。

 

 なら、俺にできることは……一つしかない。

 

「分かりました、ロースアイス……食べに行きましょう!」

 

「えっ、本当にいいの?」

 

「はい! むしろあの時甘えさせてくれたんで、その時のお礼として奢らせてください!!」

 

「えぇ!? そ、そこまでしなくていいよ?」

 

「いや、俺が奢りたいんですよ! ほら早く行きますよ!!」

 

「わっ、わわっ!? 玲音くんどこに行くか分かってるの?!」

 

「分かりませんけど、とりあえず駅は行きますよね!」

 

 俺はライスさんの手を引いて後生寮から出て、府中駅に向かった。

 

   ・ ・ ・

 

 学園の最寄駅から急行で新宿まで乗り、そこから乗り換えて山手線に乗る。

 

 最近、山手線の新型車両ができた〜とか縦線だ〜みたいなニュースになっていたが、俺のイメージだとやっぱり山手線は横線だ。

 

 実際今来たのも横線だった。まぁ向かい側のホームは新型の縦線になっている山手線だったが。

 

 内回りで二駅、やって来ましたのは流行が溢れている町、原宿!

 

 駅を降りた瞬間にナウでヤングな若者たちが街路を歩いている。その一人の髪型や髪色、服のファッションセンスなど見ていて飽きない。

 

 正直上下を『ウマクロ』という庶民ブランドで済ましている俺からしたら、完全にアウェーだ。

 

「えーっと……あっ、あった」

 

 駅から大体4分くらい人混みに揉まれていると、ライスさんはあるお店の前で立ち止まった。

 

 『ハドソンロールアイスクリーム』お店の外観と外から見える内装はアイス屋さんというより小洒落たカフェみたいだ。

 

 本当にここなのか? と思ってしまったが、ライスさんは何も臆することなく店内に入っていたので、俺はライスさんの後に続く。

 

「いらっしゃいませ! ご注文はおきまりでしょうか?」

 

「あっ、えっと……このストロベリー&ベリーで」

 

「(えっ、もう決まってるの?)」

 

 いやまぁそりゃそうか。ここを知っているってことは、ライスさんはちゃんと下調べをしているんだから、メニューとかオススメの一品とか調べているよね。

 

 えっ待って何にしよう。こういう時自分って結構悩むタイプだから、まさかこんな早くに注文が回ってくるとは思ってもいなかった。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「あぁ……えっと……」

 

 なるべく脳をフル回転させてメニューを見る。見た感じベリー系とバナナ系、あとはクッキー系があるようだ。

 

 その中でもチョコバナナがいいかな? よし、決めたチョコバナナだ。

 

 そう思い言葉に出そうとした瞬間、俺はあるメニューに目が行った。それはチョコレートミント。

 

 これだ……と思い、俺はそれを注文する。

 

 店員はオーダーを受け取ると冷えている鉄板(コールドプレートと言うらしい)にオレオビスケットを置いて、そこにアイスの原液、ミントリキュールを入れる。

 

 すると店員は両手にヘラを装備して、動画で見たよう固まった液を剥がしたり、ビスケットを砕いたりしている。

 

 そして何回か砕いたり剥がすのを繰り返すと、ある程度アイスっぽいものが出来上がる。そこからヘラを使って鉄板の上にアイスを伸ばしていく。

 

 アイスは均一に長方形に広げられる。表面を均してから広げたものの上にチョコソースを掛ける。そして片方のヘラを置いて、長方形の隅からゆっくりと丁寧にヘラの先端部分を使って、広がって固まったアイスを巻いていく。

 

 そのアイスが巻かれている工程はなんか見ていて、少し気持ちがいいものだった。

 

 そうして出来上がった7つのロールアイスを紙のカップに並べ詰める。その上にプレーンビスケットを立てて、ホイップクリームが乗る。さらにオレオビスケットを盛り付け、ホイップクリームにミントリキュールとチョコソースを掛ける。そして最後にミントの葉を添えれば……。

 

「お待たせいたしました、チョコレートミントです。そちらのお客さまとお会計は同じでよろしいでしょうか」

 

「はい」

 

「お会計1700円になります」

 

「……わーお」

 

 いや待て、それってアイスでだよな?

 

 アイスで一つ850円は高い……というかメニュー表には値段がなかっーーってあったわ。レギュラーサイズ850円って書いてあったわ。さらにいえばスモールサイズあったんだ。そっちにすればよかった。

 

 自分の注意力のなさを痛感しながら俺はその値段を払ったのだった。

 

   ・ ・ ・

 

「「いただきます!」」

 

 二人で挨拶をしながら、ほぼ同じタイミングでアイスを口に頬張る。

 

 うん、やっぱりチョコミントは美味しい。このチョコのビター館と食べた瞬間に抜けていくこの爽快感はチョコミントでしか味わえない。

 

 一部の人からは歯磨き粉と言われているらしいが、そんなことは気にしない。

 

 それにこの爽快感を感じながら食べるオレオビスケットは結構美味しい。

 

「ん〜♪ このアイスに刻まれているイチゴの甘い風味とベリーの酸味がすごく合っててとても美味しい♪」

 

「ライスさんは満足しましたか?」

 

「うん、玲音くんは?」

 

「俺もよかったですよ……あまり行きそうにないお店でしたし」

 

 マックイーンと一緒だったらいく可能性もあるが……なにせお値段がお値段なので、これなら31とか、17でいいのでは? と考えてしまうのは、自分がその味で慣れているからだろうか。

 

 でも値段は高くても美味いっちゃあ美味いので、とても満足である。

 

「ふふっ、それならよかった」

 

『テレビの前のウマ娘を愛する皆さま、こんにちは! 今週も『みんなのAIBA』がやってきました!』

 

 ライスさんがそう言った瞬間、店内に設置されていたテレビからウマ娘のことに特化した番組が流れ始める。

 

 店内にいた数名はテレビの方に視線を移す。自分も目ではないが、耳はテレビの方に集中していた。

 

『今週はスプリンターズステークス、クラシック・ティアラ最終戦特集! 間も無く秋のGⅠが始まりますからねぇ。今波に乗っているウマ娘は誰か、皆さんと共に見ていきたいと思います!』

 

「そっか……そろそろ後半戦が始まるんだね」

 

「……そう、ですね」

 

「玲音くんのチームに確か、スペシャルウィークさんっていたよね。玲音くんはその子を応援しないとだね」

 

「……はい」

 

 俺は……見た。

 

 テレビに映っているアナウンサーの人が『クラシック・ティアラ最終戦』と言った瞬間に、ライスさんの耳がしゅんっと前に垂れ下がっていたのを。そして今もあまり顔色が良くない。

 

 確か、ライスさんは宝塚記念の時に話してくれた。自分の過去を。

 

 三冠が期待されていたライバルを最後に打ち負かしたライスさんは……多くのファンからヘイトを向けられた。

 

 だからライスさんにとって菊花賞は……トラウマの出来事。

 

 さらにライバルの娘は夢現病という病気を患って意識不明で、走る理由も、その気力も今のライスさんにはあまりない。

 

 ……俺にできることはないだろうか。たった一回とはいえ、ライスさんは菊花賞を制した。つまりポテンシャルは秘めている可能性があるということだ。それがこんな形で摘み取られるのは……ダメな気がする。

 

 でも多分、今の俺にはライスさんの手助けをすることはできないだろう。知識も、経験も、そして友好も、何もかも不足しているからだ。

 

 だけど、俺はいつか……ライスさんの支えになりたい。他人のために生きるというのは、別にスピカに限らなくてもいいお話だ。

 

 俺は……ライスさんが未来へ進む姿を見てみたい。そう思っていた。

 

「急に成長してきた蕾とずっと開花を待っている蕾……どっちの花が咲くか、楽しみ」

 

 

 




・はーい今日から学校でーす()

・ガチャは爆死ンでしたね()

・次回は学校再開のお話をする予定です。


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学校再開……ゔえ!?

 前回のあらすじ:玲音はライスとロールアイスを食べに行った。

・UA154,000・155,000を突破しました! ありがとうございます!

・お気に入り件数が1000人を突破しました! 読んでくださってる皆さま、本当にありがとうございます!!



 ーーピピピッ、ピピピッ。

 

「んっ……んんっ……」

 

 体を起こして、周囲を見る……まぁいつもの自分の部屋なんだけど。

 

 ベッドから降りて一回伸びをした後、俺は机の上に置いてあったドリップケトルを手に取って、水道まで行ってそのまま顔を洗ってケトルにも水を入れる。

 

 水を入れたケトルを電源プレートに挿して、温度を87度に設定する。

 

 よくコーヒーを入れる人がミスをする要因の一つとして、お湯の温度が高過ぎるというのがある。

 

 お湯が高過ぎると淹れている時に粉が暴れたり、高温過ぎるが故に苦味成分を多く出してしまうなど、とにかく沸騰したてのお湯でコーヒーを淹れるのは一番NGな行為だと思っている。

 

 この電気ドリップポットを買う前はコーヒーサーバーとドリップポットを交互に入れ替えたりして、上手く温度を調整したりしていたが、慣れていなかった時は手にこぼして火傷とかしたりもしたっけ……。

 

 でも電気ケトルは設定して淹ればその温度まで温め、かつ保温もしてくれるので有り難い。

 

 お湯を温めている間にコーヒー豆とそれを砕くためのコーヒーミル、あと豆の量を測るためのスケールを用意する。

 

「(20g豆を測ってっと……)」

 

 コーヒーミルの取っ手を持って、そのまま回して豆を砕く。

 

 ゴリゴリという豆を砕いている音と手のひらの感触、そして微かに香るコーヒー豆の心地いい匂いが鼻腔に届く。

 

 コーヒーを本格的にする場合、この工程が一番面倒くさいと思うかもしれないが、慣れればこの工程が一番楽しい。

 

 しばらくすると豆が全部挽けて、いい匂いが部屋に広がる。

 

 ミル部分を外してトントンと手のひらでコーヒー粉を均して、それを一度放置。

 

 少しすると「ピー」という機械音が鳴る。設定温度に達したのだ。

 

 ケトルの取っ手部分を握って、まずはドリッパーとサーバーを温める。こうしないと味がイマイチになってしまう。(もともとのサーバーやドリッパーの冷たさでコーヒーが冷めて味にムラができてしまう)

 

 温めたらドリッパーにコーヒーフィルター紙をセットして、そこに挽いた粉を落とす。

 

 少しドリッパーをトントンと叩いて均したら、いよいよコーヒーを淹れていく。

 

 まずは粉の中心にお湯を落とし、そこから徐々に円状に隅に広がっていくようにケトルを傾ける。この際使うお湯の量は大体60cc。

 

 ちなみにこれは蒸らしという工程で、コーヒーの粉に均等にお湯を行き渡らせて、コーヒーの味を引き出しやすくしているのだ。それを約40秒。

 

 蒸らしが終わった後、再び全体にお湯を落とす。そしてその時にドリッパーをそのまま揺らして紙に粉がつかないようにする。こうすることでコーヒーの味を細部まで逃さない。そしてこれも60cc。

 

 そして数十秒放置した後に180ccを一気に淹れて、このまま落ち切るまで放置する。

 

 こんな雑にやってて本当に上手くなるのか? と思う人もいるかもしれないが、昔とは違って今のコーヒー豆は結構品質がいい。だからこうして豆全体を均一に抽出できるこの方法が一番美味しく頂ける。

 

 ……って、世界のバリスタのチャンピオンが言っていた。

 

 なんて考えているうちにドリッパーに入っていたお湯が全て落ち切って、コーヒーの抽出が終わった。

 

 あらかじめ温めて置いたコーヒーカップーー中学の修学旅行で一目惚れして買った清水焼のコーヒーカップ&ソーサーを今も使っているーーにコーヒーを注ぐ。

 

 カップを鼻に近づけて淹れたてのコーヒーの匂いを嗅ぐ……うん、とても落ち着く匂いだ。

 

 ゆっくりとコーヒーカップの縁に口を当てて、コーヒーを一口。うん、やはり美味しい。

 

 ちなみに今回使ったコーヒー豆は、少し前に駅前で散策していたら見つけた、雰囲気が良さげな珈琲屋兼焙煎屋で買ったものだ。

 

 これが美味かった……。

 

「ふぅ……美味しかった」

 

 そう言葉を呟くが、サーバーにはまだ抽出したコーヒーが残っている。

 

 ここで俺は冷蔵庫から牛乳を取り出し、そのままサーバーにイン!

 

 俺はコーヒーはブラックでも行けるが、それはあくまで新鮮な豆で挽いた場合だ。普段飲む時から新鮮なものばかり飲むなんてできるわけない。そんな毎日飲むものでもないしね。(時間も余裕がないと作れないし)

 

 だから多くの場合は豆が新鮮じゃないことが多い。そんな豆で抽出したコーヒーは他の人が考えているような苦〜い味になってしまうのだ。

 

 でも新鮮じゃないからって消費せずに捨ててまた新しいにを……っていうわけには行かないし、そもそもそんなことをしているコーヒー飲みなんて誰もいないだろう。

 

 だからこうして牛乳を入れてミルクコーヒーにすることによって、その苦味を抑えるという効果もある。まぁ、今回の場合はブラックで飲んでもミルク入れて飲んでも美味しい豆を使っているので、味変みたいなものだ。

 

「は〜……やっぱ休みの朝はいい。さて、今日のニュースは……」

 

 そう言いながら、俺は机の置いてある携帯を手にとーーーーー。

 

「……んっ?」

 

 目が疲れているのだろうか……俺は一度パジャマの袖で、目を擦って再び携帯の画面をよく見る。

 

 そこには……9月1日と書かれている。

 

 そして俺の脳内がフル回転し、9月1日に何があったかを瞬時に思い出した。

 

 しかし思考がその結論に至った瞬間、俺の体はそのままフリーズした。

 

 永遠とも思えるかもしれない時間、それはたったの十秒間くらいの出来事だった。

 

「今日始業式じゃねえかああああぁぁ!!!!」

 

 そう叫びながら俺は残ったコーヒーたちを一気飲みする。これがいつもみたいに牛乳を温めていたら、火傷待ったなしだった。

 

 というかちょっと待て? なんで俺は完全に始業式の日にちを勘違いしていた? 

 

 いやもうそれを考えている時間なんてねぇ!

 

 壁に掛けていた制服を大雑把に着て、そのまま部屋を飛び出た。

 

   ・ ・ ・

 

「やばいやばい! あと何分だ!?」

 

 俺は走りながら携帯のホームボタンを押して、時計を表示させる。

 

 今が8時14分。そして始業時間は25分。

 

 学生寮から学園まではまぁまぁ距離はあるが、車に引っかかることなく、かつ全力疾走をやめなければギリギリ間に合う……はずだ。

 

 いや流石にここまでド派手に遅刻をしたことはトレセン学園で、ましてや小中学校でもしたことはなかったので、今まさに脳内がパニック状態なんだが。

 

 とりあえず今日は午前中だけなはずだから、朝ご飯は食べなくても大丈夫だろう。

 

 いやでも、いきなり朝からダッシュってすごくキツい。体の節々が強制的に動かされて軋んでいるような……とにかく体が痛い。

 

「……んっ?」

 

 息を整えるために少しだけ歩いていた時、俺の前に誰かがいるのが見えた。

 

 あの水色の髪に尻尾は……確か、セイウンスカイ?

 

 そう思ったのと同時に、前にいたウマ娘はこっちの方に体を向けた。そしてそのウマ娘……いや、セイウンスカイは何やらにやぁ…と悪戯顔を浮かべた。

 

「おやおや~? 随分と珍しい人がいますねぇ~?」

 

「……おはよう、セイウンスカイ」

 

 俺とセイウンスカイは一応顔見知りである。

 

 そのきっかけは皐月賞。先生の指示で彼女の偵察に行っていたのだが……まぁ彼女は俺の前では本気で走ることはなく、基本サボっていたのだ。

 

 だから俺は走る気がさらさらないんだと思ってしまったが……それは彼女なりの作戦で、まんまと騙された。

 

 まぁ、ここで話し合っていても遅れるだけだからな。そう思いながら俺はセイウンスカイの横を通り過ぎようとした。

 

「うぎゃ!?」

 

 次の瞬間、何かに手を掴まれて俺の右腕はピンッと伸びきって、痛みが腕全体を襲う。

 

 そして俺の手を掴んだのは……この場には一人しかいない。

 

「ちょっとちょっと、何そんなに急いでるんですか?」

 

「いや、早くしないと遅刻するー-」

 

「今からじゃウマ娘の脚力があっても絶対間に合いませんよぉ?」

 

 えっ、そうなの?

 

 普段歩いている時はそこまで意識していなかったけど、意外と遠いのか?

 

 目の前には一応トレセン学園の門があるが、セイウンスカイにそう言われた瞬間、その門がとっても遠くにあるように思えた。

 

 いや、実際に遠い。ここから走っても、多分半分くらいの距離で予鈴が鳴るだろう。

 

「それにここら辺は乗用車も普通に通りますし、急いで交通事故にでも遭ったら元も子もないじゃないですか」

 

「……たしかに」

 

「そうやって急いでる時ほど、注意力は散漫して思いがけないハプニングに出くわすかもしれませんよ~?」

 

 セイウンスカイが言っていることも一理ある。

 

 少ないとはいえ、ここも車は通るもんな。

 

 それに門までは間に合ったとしてもその後にも、かなり長いアプローチがあるから……うん、無理ゲー。

 

「こうやってセイちゃんとゆっくり歩いて、仲良く遅刻しましょー♪」

 

「言い方は嫌だが……間に合わないのは確定だしな」

 

「ではでは~ゆっくりとゆるりと学園に向かいましょー♪」

 

 そう言いながら、セイウンスカイは握っていた手を放して、スキップするかのように前に躍り出た。

 

 俺も少し遅れて、後に続いた。

 

 ……それにしても、こうして遅刻しているのに全然焦っていないっていうのは、なんか不思議な感覚だ。

 

 遠くで予鈴が鳴っているはずなのに、なんかすごく鮮明に聞こえて。足音一つ一つ、風で揺れる草木の音なども聞こえてくる。

 

 サボるって……こんな前向きというか、後ろめたい気持ちにならないでできるものなのか。

 

「そういえばさ、菊花賞に向けて調子はどうなんだ?」

 

「……」

 

 俺は少し軽い世間話をしようと思い、声をかけたが……セイウンスカイはその場に立ち止まってしまった。

 

 彼女の表情は……どこか拍子抜けていた。でも、すぐにいつもの悪戯顔になる。

 

「それはもちろん順調に決まってますよぉ?」

 

「やっぱそうか」

 

「えぇ~そりゃもちろん! 今回はいつも以上に大きなものを得ることができましたよ~」

 

「へぇ、どんなのなんだ?」

 

「そりゃもうこー-----んくらいでかいものですよ!」

 

 そう言いながら、セイウンスカイは手を大きく広げて、その得たもののでかさを表現……んっ? ちょっと待てよ、わざわざ大きさで表すものか? それって……。

 

「……なぁ、セイウンスカイ。それってまさか、釣果じゃないよな?」

 

「えっ? 最初から釣果の話では??」

 

「んがっ!」

 

 俺はその場でずっこけそうになる。

 

 おいおい、菊花賞に向けたお話じゃないんかい。というかなんでそんな大物釣っているんだよ。

 

「いや~あそこはすごかったですね~。良質なスポットにいい潮の流れ……合宿は最高ですね」

 

「お前は合宿場を水族館プロジェクトの舞台とでも思ってるの?」

 

「まぁ、基本”釣り”しかしていませんし」

 

 まぁ、別に驚くこともない。

 

 皐月賞の時だってそんな風にやられたのだ。また同じ手段を使ってきたか。

 

 流石に二回も引っかかるほど、俺は莫迦じゃない……と思いたい。

 

「まぁ、その釣りが菊花賞にどれだけ影響があるか分からないが……油断していると、スぺに差されるからな」

 

「…………そーですかー」

 

 変に間があったような気がしたが、そう言いながらセイウンスカイは両手を後頭部に当てて、口笛を吹きながら前を歩くのだった。

 

 

 




・18日現在で18歳になりました! これからも執筆頑張ります!!

・次回は登校した後のお話の予定です。


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身に覚えのない選択

 前回のあらすじ:優雅(?)にコーヒーブレイクを朝から過ごしていた玲音、しかし今日が始業式だと気付き、急いで向かおうとしたが……偶然遅刻していたセイウンスカイに会い、彼女に説得され、ゆっくりと学園に向かうことになった。

・UA156,000・157,000を突破しました。ありがとうございます!


 トレセン学園に入った後、俺は教員室に行き、遅刻カードというものを書いた。

 

 教員室にいた教員には「君が遅刻なんて珍しいねぇ」と笑われてしまったので、俺は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 

「また遅刻ですか!!」

 

 俺が教員に弄られていると、教員室内に怒号が響き渡る。

 

 自然と視線をそちらに向けると、そこには少し遅れてやってきたセイウンスカイがいた。

 

 またってことは……もしかしてセイウンスカイって、結構遅刻常連者なのか?

 

 なんかちょっと意外だな。セイウンスカイって、普段はゆったりはするけど、やるべきことはやる子だと思っていた。

 

 実際、数日間は近くにいたからある程度、性格は掴めていたはずだけど……やっぱ分からないこともあるもんだな。

 

「今日はいつもより早く来たじゃないですか〜。ちょっとくらいいいじゃないですか~」

 

「トレセン学園は文武両道、いついかなる時も学問と走りを両立させないといけません」

 

 すごく険しい顔で叱る教員に対して、セイウンスカイはニヤニヤとどこか余裕そうな顔を見せている。

 

 他人から見てみれば、完全に先生を舐め腐っている生徒だ。

 

 でもなんだろう。どこか威勢を張っているというか、なんか本性を隠しているような……そんな変な感じがする。

 

「まぁ、君も遅刻は今日限りにしなよ?」

 

「今後も態度が変わらない場合、クラシック申請の強制停止も覚悟してくださいね!!」

 

「はい……」

 

「…………はーい」

 

 俺とセイウンスカイはほぼ同じタイミングで踵を返して、教員室から出た。

 

 とりあえず教室に行くか……。

 

「……」

 

「~~っ♪」

 

 さっきまで怒られていたのに、今は機嫌がよさそうに鼻歌を歌っている。

 

 

 ……そんな呑気にしていられる場合なのかなぁ。

 

「あっ、トレーナー学科は向こうですね~。ではでは~♪」

 

「……ちょっと待ってくれ、セイウンスカイ」

 

「や~だでーす、ばいなら~」

 

「あっ、おい!」

 

 俺の静止を無視をして、セイウンスカイはウマ娘の教室の方へと向かっていった。

 

 俺は追いかけようか悩んだが、やめた。

 

   ・ ・ ・

 

「よぉ谷崎!」

 

「初日から遅刻……たるんでいるんじゃないの?」

 

「おはよう尊野、道」

 

 遅刻したからすごい奇怪なものを見るような目で見られると思っていたが……意外と気づいたのは数人の生徒、しかもみんな気さくに挨拶してくれたり、普通に無視だったり。

 

 結構みんな他人のことって見ないんだな。

 

「本当にどうしたんだ、今年どころか、去年も休んでいなかったのに?」

 

「まぁ……勘違いだよ」

 

 別にさらさなくてもいいけど、なんとなくのノリで全てを言ってしまう。

 

 すると尊野は大爆笑、道は深くため息をした。

 

「まぁでも、まだ初日でよかったじゃないか。どうせ数十分前に来ていても、やっていたのは一か月半ぶりの大掃除に、長ったらしいお偉いさまのお話を延々と退屈に聞くだけだったぜ」

 

「……ふーん、理事長の話の後のシンボリルドルフ様のお話も退屈だったって言うのかな? かな??」

 

「ちょ、橘? なんかキャラ変わってないか? ていうかなんでそんな負のオーラ全開なんだ!?」

 

「ふふふっ」

 

 そう言いながら笑う道。

 

 ……うん、これどこかで見たことあるなって思ったけど、これはあれだ。グラスがエルに対して静かに怒る時に浮かべる笑顔だ。

 

 

「……ま、まぁ! 会長様のスピーチは素晴らしかったな!!」

 

「……そうだよね! 特にー-」

 

 その後、道からシンボリルドルフが話したことを聞いた。

 

 『天高く、ウマ娘燃ゆる秋』。秋は空が澄みわたって高く晴れ、気候がよいので食欲も増進し、ウマ娘もよく肥え、走りの質が一段上がる。秋がさわやかで、心身ともに心地よい季節であることの形容だ。

 

 手紙とかでよく使われることわざだが、シンボリルドルフはこのことわざと秋に行われるレースのことを関連付けて話したらしい。

 

 流石生徒会長、他人の心を掴むのがとても上手い。そう思った。

 

 なんて思っていると「キーンコーンカーンコーン」と始業のチャイムが鳴る。

 

 まぁ、初日ということと先生がまだ来ていないということもあり、みんなはそこまで焦っていない。

 

 夏休みの宿題忘れたぁ!! と嘆いている生徒もいたが、宿題は基本明日やる課題テストをやり、そして最初の授業が始まった時に提出なので、何も焦る必要はない。

 

 そして数分経ち……担任の先生が教室に入ってくる。その両手には多くの紙が積み上げられていた。

 

「……なぁ、尊野」

 

「なんだ?」

 

「今日って大掃除と始業式と、あとLHR(ロングホームルーム)だけだよな? でもなんで先生あんなに紙を持っているんだ?」

 

「お前~やっぱ夏休み気分抜けていないだろ」

 

 やれやれと莫迦にするように首を振りながら、話を続ける。

 

「6月の終わりくらいに、二学期から始まる選択科目のアンケートを行っただろ?」

 

「……んぬえ??」

 

 尊野が言った言葉が理解できなくて、俺は変な声を出してしまう。

 

 6月の終わり……何かあっただろうかと、俺は頭の中で約2ヶ月前に遡る。

 

「……あぁ、そういえばそんなもの書いた…ような」

 

「まぁあの頃の谷崎って、結構病んでいたからな」

 

「あの時は迷惑をおかけしました……なにがあったっけ?」

 

「全部は忘れたけど……確か谷崎は英語発展を選んでいたな」

 

 それを聞いてピコンッと豆電球が光るように思い出した。

 

 そうだ、確かは英語を選択していた。

 

 というのも他の選択が「栄養管理科」や「鍼灸師科」、または「マッサージ師・整体師科」など、いわゆる専門職に関することが多かったのだ。

 

 だから仮に普通の大学になったり、トレーナーで成功して海外へ行く際に少しでも知っていた方が楽なのかな……と考えて、選択したのだった。

 

 ちなみに道も確か英語発展を選択していたはずだ。

 

「はーい、じゃあ今からアンケート冊子と実際に分かれる紙を渡すから、もらったら確認して、10分後には記述されている教室に移動してください」

 

『はーい』

 

 生徒全員が返事をすると、先生は番号順で紙を受け取るようにと言い、そして配り始めた。

 

 そして数分後に俺の番に近づいたので、席を立ち、そして先生のところに行き、紙をもらう。

 

 その場では読まずに、一度席に戻ってから紙を見てみる。

 

 さてさて、英語発展の教室はどこかなぁ〜……って、んっ……あれ?

 

 俺は目が腐ったのかなと思い、一度手で目のところゴシゴシと擦って、再びもらったアンケート用紙と、その授業教室の書かれている紙を見てみた。だがしかし、何回見ても「英語発展科」のところに丸が付いておらず、その代わりに「マッサージ・整体師科」のところに丸が付いていた。授業教室も整体師科になっている。

 

「嘘だ!?」

 

 俺は何度も何度も読み直して……挙げ句の果てには声をあげてその場から立ってしまう。数人の視線が突き刺さるが、今の俺にはそんな視線は痛くも痒くもなかった。

 

「ど、どうしたんだ谷崎?」

 

「いや……これ……」

 

 俺は尊野に、そして俺の声を聞いて寄って来た道にも俺のアンケート用紙を見せる。

 

「あれ……谷崎くんって、確か私と同じ英発……」

 

「だよね? そうだよね!?」

 

 なのに現実は、丸は整体師科のところに丸が付いている。

 

 そしてかなり細かいが、よく見ると……これは俺の字ではない。なぜなら、丸の始まりと終わりがしっかりとくっついて、綺麗な円になっているのだ。

 

 だが、俺は丸を書く際はかなり適当に書くので、基本線同士が繋がらなかったり、逆にオーバーして少しだけ飛び出る時とかもある。

 

 でも、ワンチャン心が病んでいた時に書いたから文字が綺麗になった説もあるよな……。

 

 全員の分が渡し終わると、先生は各教室に行くように指示を出す。

 

「……どうするの、谷崎くん?」

 

「うーん……まぁ、行ってみるかな。もしかすると間違いかもしれないし」

 

「それはそれで恥をかくんじゃないか?」

 

「でもまぁ、それが手っ取り早いよね」

 

 そんなお話を少しして、俺たちは別れた。

 

 紙に書かれた教室まで移動し、そしてそこに入ると十数人の生徒と30代くらいの女性の先生がたっていた。

 

「君は……谷崎玲音くんだね、君の席は窓際の一番後ろよ」

 

「(あっ、やっぱ自分このクラスなんだ)」

 

 先生に言われた通り窓際の一番後ろの席に座りながら、俺は確信してしまう。

 

 2ヶ月前の俺……完璧にやらかしたなと。

 

   ・ ・ ・

 

「……はぁ」

 

 学校自体は午前中で終了し、午後からはチーム練習になっていた。

 

 俺はみんなのタオルを洗濯して、部室の裏に用意されている物干し竿に干しながら……俺は今日のことを振り返っていた。

 

 まぁ、まさか朝遅刻しただけではなく、2ヶ月前にやらかしたことが今に響くとは思わなかった。

 

 いくら心が病んでたからとはいえ……これはあまりにも莫迦莫迦しいことだ。もはや笑えてくる。

 

「おうおうどうした新人? そんな2ヶ月前に買った宝くじが実は当たりだったことに今さら気づいたみたいな顔して?」

 

「……ゴルシ、練習は?」

 

「新人の仕事っぷりを監視するのも、先輩の役目だろ?」

 

「もう半年以上スピカにいるし、新人じゃないだろ」

 

「アタシにとっちゃ、まだ新人みたいなもんよ」

 

「はいはいそーですかー」

 

 急に現れたゴルシに驚きながらも、俺はゴルシと会話を交わす。

 

 というか例え方がめっちゃ的確すぎる……実際はいいことではなく、悪いことが判明したのだが……。

 

「いやさ、俺って英語発展を選んでいたはずなのにさ、なぜだか整体師に丸になっててさ……まぁ、あの時の俺は狂ってたから、手元も狂っただけかもしれないけど、あんな綺麗な丸を俺が書けるのかって、少しだけ疑問なんだ」

 

「お〜それはご愁傷様。同情するぜ……」

 

「……なぜだろう、全然同情されている感じがしない」

 

「まあ、別にいいんじゃねえか? 予期しないことが、意外といい方向に働いたりとかするぜ?」

 

「いい方向にって……具体的に何だよ?」

 

「…………知らね♪」

 

 なんか長い間妙な真剣な顔をしていたが、結局笑顔になって吹っ掛けるゴルシ。うん、ぶっ飛ばしたいその笑顔。

 

 でも、いい方向にか……今考えても、待っているのは授業についていけなくて詰む未来なんだが……。

 

『おいゴルシ!! お前どこに行きやがった!!』

 

「やっべ、トレーナーが来てーー」

 

「先生!! ゴルシはここにいまーす!!」

 

『そっちだな!! おいゴルシさっさと来い!!!!』

 

「おい!? ものの数秒で裏切りかよ!?」

 

「裏切りも何も、俺はサボりを許したつもりはないぞ」

 

「ぐっ……覚えてやがれ! いつかドロップキック受けてもらうからなぁ!!」

 

 そう言いながら、この場から去るゴルシ……そして遠くで聞こえるトレーナーの怒鳴り声。

 

 しかしそれは少しずつ遠くなっていって……聞こえるのはセミの大合唱だけ。

 

「……」

 

 本当……この先どうなるんだろうか。少し、不安だ。

 

 

 




・青春というものを……学校でのスイーツ作りを介して知りました。

・8日前にクソイナゴ曇らせチャンネル様で投稿された「自分のプチキャラにあった時のウマ娘怪文書」で、軽い賞をいただきました。

・次回は……現時点では、文化祭の打ち合わせのお話を予定しています。(もう少し執筆スピード上げたい……)


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あなたに告げる初めまして!

 前回のあらすじ:谷崎はなぜだか、マッサージ・整体師科を選択していた。……Why??

・UA158,000・159,000、13話のUAが10,000を突破しました。本当にありがとうございます!!

・文化祭回は次に……。





 あの衝撃的な始業式から大体三日が経とうとしている。

 

 まぁ、一昨日は課題テストだったため完璧に頭から抜け落ちていたが……次の日、普通の授業になった際に、選択授業があり、そこで整体師科の授業を受けて、俺がやってしまったことを改めて思い知った。

 

 でもまぁ……意外と整体師の授業っていうのは、意外と興味深いものだった。

 

「ウマ娘と普通の人って骨格が似ているように見えますが、細かいところで違ったりするんです」

 

 ウマ娘と普通の人の骨格の違いや、その動き方など今まで知らなかったことが多く知られた。

 

 ……ちょっと楽しい。

 

   ・ ・ ・

 

「んで、どうなんだ? 間違えて取った整体師科授業は?」

 

 お昼、尊野と道と一緒に食堂でお昼ご飯を取っていると、尊野から選択授業のことを聞いてきた。

 

 ちなみに尊野は相変わらず激辛担々麺を食べていて、道はキスの天ぷら定食、俺は海老と

トマトとモッツァレラチーズのパスタだ。

 

「うーん、まぁちょっと困惑していたけど、今はなんだかんだ楽しくやっているよ」

 

「へぇ、そうなんだ……私の方は結構難しいよ。先生がガチの外国人でオールイングリッシュでね……谷崎くんがやってたら、白目向いてたかもね」

 

「おーう、それは入らなくてよかった気がする……」

 

 自分は英語がそこまで得意ではない。でもまぁ、少しの英文ならできると思って選択(したつもり)だったが、そんな浅はかな考えだと後々後悔していたかもしれない。

 

 それだったら……意外と選択肢を受け入れてよかったかもしれない。

 

「俺は書道や清書書きだけど……まぁ、字を書くだけだよなぁ」

 

「「そりゃそれはねぇ~」」

 

「だけどさ、”キング”のレース登録とかで字が下手だと恥ずかしいじゃないか!」

 

「ん~、まぁそんなものか? 自分は別にいいと思ってるけど……」

 

「私も読み書きは子どもの頃からやっているから、今更感が強いかなぁ……」

 

「いいなぁ元々字が綺麗なやつは……」

 

「いや、俺はそこまで綺麗じゃないぞ?」

 

「それを普通みたいに言うのはおかしい思うぞ」

「それを普通みたいにいうのはどうかと思うよ」

 

「えぇ~?」

 

「……」

 

   ・ ・ ・

 

 その後、適当に5・6時間目をこなして、チーム練習も無事に終えた。

 

 チーム練習ではスぺは菊花賞に向けてロングランによる息の入れ方や、スタミナを切らさない脚の力の入れ方など、先生が密接に教えている。

 

 ただまぁ最近始めたばっかりなので、練習が終わるたびにスぺはすごい涙目になるのが通例だった。

 

「うぅ……痛いです」

 

「だ、大丈夫?」

 

「す、スぺちゃん……今日もする?」

 

「お、お願いしますぅ~……」

 

「じゃあレオくん、今日もいいかな」

 

「いいとも~」

 

 俺がそう言うと、スズカは肩に掛けていた学生鞄を俺に預ける。ついでにスぺのやつも俺はもらう。

 

 そして両手が開いたスズカは、スぺの方に背中を向ける。そしてスぺはその背中に自分の体重を預ける。

 

 まぁいわゆる、おんぶってやつだ。ここ数日はこれが当たり前になってきている。

 

「……3000m走行って、そんなに難しいんですかね?」

 

「まぁ、マックイーンは昔から走っているからね。それにマックイーンだって昔は痛がってたじゃん?」

 

「……そうですね」

 

「えっ、マックイーンお前もう3000m走るのか?」

 

「はい……? 一応小学6年生から走っていますけど……」

 

「ええぇ!? マックイーンお前すげえなぁ!!」

 

「ひゃあ!? ちょ、抱き着かないでください! 暑苦しいですわ!!」

 

 マックイーンが言った一言に驚くトレーナーとゴルシ、驚くのも無理はないだろう。

 

 普通のウマ娘はこの時期……正確には夏に入ったあたりからロングランの練習を行うが、マックイーンは初めて会った頃から2400や2500を走っていた。

 

 でも正直深く関わったウマ娘はスズカと記憶にないライスさんを除けば、マックイーンやドーベル、あと数人のメジロ家のウマ娘しかいなかったので、それが普通だと思っていたが……トレセン学園に入ってそれは違うことだと分かった。

 

「よぅし! このまま目指せトレセン学園主催フルマラソン大会優勝~!!」

 

「そんなものありませんわよ!? ……ありませんよね?」

 

「少なくとも私が入ってからはない……かな?」

 

   ・ ・ ・

 

 栗東寮まで荷物を持って、そして2人に鞄を渡して俺は自分の寮である後生寮に戻る。

 

「あぁあぁ谷崎くん、待っていたよ」

 

「未浪さん? どうしたんです?」

 

「さっき男性の人が君宛てに……これを」

 

 そう言いながら未浪さんは一枚の小さな紙を渡してくる。

 

 俺は受け取ってその文を見てみる。

 

 差出人は……三島喜多朗。誰?

 

『谷崎レオン様

 

 お久しぶりです。先日のお礼したいので、明日の15時○○へお越しください』

 

   ・ ・ ・

 

 次の日、俺は手紙に書かれていた場所に訪れた。

 

 そしてそこは……めっちゃお高そうな天ぷら屋さんでした。

 

 ちょっと待って……こんなお店入ったことないんだけど。

 

 てかあれだよね? 2ヶ月前に二人の幼いウマ娘を助けたこと……だよね? なのになんでこんなところで待ち合わせなんだ??

 

 俺、間違えた? てか間違えてるに決まってるだろ。そうだ、一回ここを離れー-。

 

「あれ、玲音やっほー!」

 

「えっ、テイオー?」

 

 聞き覚えのある声が聞こえたと思って振り向いてみると、そこには私服姿のテイオーがいた。

 

 ピンクのタンクトップに黄色を基準として白と緑の斜め線が入ったアウター、デニムショートパンツ姿だ。

 

「玲音ももしかして呼ばれたの?」

 

 そう言いながらテイオーは提げていたポーチから一枚の小さな手紙を取り出す。

 

 そしてそれは俺のもとに届いた手紙とほとんど同じだった。

 

 ただ、テイオーの手紙はなんというか……こう……子どもが何度も書き直して頑張って出したような感じがする。

 

 実際、紙は結構しわしわだ。

 

「そうだよ……でも、ここでいいのかな?」

 

「へっ? ……ぴぇ!? こんなところで食べるの!?」

 

「どうやらそうみたいなんだよね……まぁ、入ってみる?」

 

「う……うん」

 

 ということでテイオーと一緒にそのお店に入ることに。

 

 扉を開けてみると、和風な内装と暖かい照明が俺たちを包む。

 

「いらっしゃいませ、お2人様でよろしいでしょうか?」

 

「あぁ、いや……待ち合わせ、なんですけど」

 

 というか今思ったが、こんな高級店っぽいところで待ち合わせなんてできるものかな?

 

 喫茶店とかではよくやっている人はよく見るけど……。

 

「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」

 

 そう言うと店員さんは店の奥に入っていく。

 

 俺とテイオーはそのまま店員さんについていくと、個室みたいなところになっているところに通される。

 

「失礼いたします、待ち合わせのお客さまが到着されました」

 

 店員さんが襖を開けると、そこにはあの黒髪の子どものウマ娘と、その親が座っていた。

 

「おぉおぉ~来たかい」

 

「ど、どうも……お久しぶり、です」

 

「やっほーキタサンブラックちゃん!」

 

「っ! トウカイテイオーさん」

 

「うおととっ!! うーん元気だねー!」

 

 俺と親さんが挨拶を済ませている間に、キタサンブラックという名前だった子どものウマ娘がテイオーに勢いよく抱き着いた。

 

 その勢いが結構強くて少しよろついてしまうが、体幹がいいテイオーは倒れることはなかった。

 

 そのまま数分抱き着いているキタサンブラックちゃんを見守っていると、親が「そろそろ離れなさい」と言った。キタサンブラックちゃんは少し悲しそうな顔をし、ウマ耳をしゅんと垂れ下げて親御さんの方に戻っていた。

 

 俺とテイオーは二人の向かい側の席に座る。

 

「注文は勝手に頼んだけど、苦手なものとかあったりしたかな?」

 

「いえ、大丈夫です」

 

「ボクも大丈夫です」

 

 そうは言ったものの、やはりどういう料理があるのか気になるので、俺はメニュー表を見てみる。

 

「ぴぇ!? た、高すぎる!?」

 

 横からひょいっとメニューを見てきたテイオーが驚きの声を上げる。

 

 いやしかし、無理もないだろう。何せ値段が札一枚……もちろん諭吉さんの方だ。

 

 そして俺もぽかーんっと口をあんぐりと開けるしかなかった。

 

「はっはっは、今日は奢りだから安心してくれていいよ」

 

「いや、流石にこの値段はやりすぎですよ。一学生なんですから、こんなにご馳走しなくても……」

 

「固いことは気にしない、気にしない! 君たちはうちの娘を助けてくれたんだ。これくらいはお礼をさせてくれ。ドリンクも頼みたいなら注文していいからね」

 

「……分かりました」

 

 これ以上遠慮するのもそれはそれで失礼だと考え、俺は素直にコーラを注文する。テイオーもオレンジジュースを注文した。

 

 そうして持ってこられたドリンクを飲みながら世間話をしていると……ふとあることに気が付いて、俺は三島喜多朗さん(手紙の本人だった)にある事を聞く。 

 

「あの、すみません。この部屋4人が使うにしては広すぎると思うんですけど……」

 

「あぁ、今日はもう2人来ることになっているんだ」

 

「2人……もしかして、あの亜麻色の髪の子ですか?」

 

「ダイヤちゃんって言うんだよ!」

 

 キタサンブラックちゃんはとても嬉しそうにそう言った。あの時近くにいたから、きっと友だちなんだろうなぁ。

 

 ……んっ、ダイヤ?

 

 

 

 なんて思っていると、とんとんっと音が響き襖が開かれる。

 

「失礼いたします、待ち合わせのお客さまが到着されました」

 

 店員さんがそう言うと右の方からひょっこりと二つの人影が……あれ?

 

「郷巳さん!?」

 

「あれ、谷崎くん? なんでここに……」

 

 そこにいたのは郷巳さん……そしてその後ろには、あの亜麻色の髪のウマ娘。

 

 ……そういえば郷巳さん、メジロ家主催のパーティーの時に言っていたっけ。娘が小学生になったって……そして確か、その名前は……。

 

「ほらダイヤ、挨拶しなさい」

 

「はい……初めまして、サトノダイヤモンドです!」

 

   ・ ・ ・

 

「いやあまさか、ダイヤの友だちを助けたのが谷崎くんだったとはねぇ。妙な巡り合わせもあるものだね」

 

「はははっ、そうですね」

 

「おや、一くんはこの男の子と知り合いなのかい?」

 

「そうだね、ちょっとメジロ家との関わりでね」

 

 郷巳さんとサトノダイヤモンドちゃんが着くと、頼んでいた天ぷらが来たので食した。

 

 その味は……正直、言葉に表すのはとても難しい。噛んだ瞬間にサクッと爽快な音が耳に届き、衣の味と海老やイカ、野菜やキノコのうま味が合わさってとても美味しい。

 

 塩で戴いても、天つゆで戴いてもとても美味しかった。

 

 正直、こんな高級な天ぷら屋に行ける機会なんて、生きていて数回しかないと思うから、すごく大切に噛みしめた。

 

 そして食べ終わったのはいいが……。

 

「テイオーさん♪」

 

「おにーさん♪」

 

 なんかすごい懐かれた俺とテイオーだったのである。

 

 テイオーは上手く接しているけど、俺はおどおどするばかりである。

 

「それにしても、ダイヤも君にすごく懐いたようだね」

 

「ちょっと懐きすぎな気もしますけどね……まぁ、小1ならこんなものですかね」

 

「む~、子ども扱いしないでー!」

 

 そう言いながら頬を膨らませるサトノダイヤモンドちゃん。本当に子どもでしょって突っ込みたくなったが、まぁそこは言わない方がいいだろう。

 

 それにしても、本当に巡り合わせって不思議なものだな。

 

 あの時、テイオーが虫取りに誘ってくれていなかったら。あの時、俺が断っていたら。あの時、別のルートを通っていたら……この出会いはなかった。

 

 でも出会った……本当、すごい確率を引き当てているんだろうなぁ。

 

 だけどそれは、今まで会った全員に言えることなんだろうなぁ……。

 

「あっ、そういえばキタサンブラックちゃんー-」

 

「私はキタちゃんで大丈夫だよ!」

 

「……じゃあ、キタちゃん。足の方は大丈夫かな?」

 

「うん、大じょうぶだよ!」

 

 そう言いながら怪我をしていたところ見せてくれる。

 

 うん、痕はまだちょっとあるけど、それ以外はとくに問題なさそうだ。

 

「サトノ……いや、ダイヤちゃんも怖くなかった?」

 

「っ! ……うん、大じょうぶだったよ」

 

「そっか、それはよかったよ」

 

「うん!」

 

「……いいものだねぇ、こうやってトレーナーの卵が、私たちの娘と話しているのは」

 

「へぇ、彼はトレーナー志望なのか……なら、彼が担当になる可能性も十分ありえるだろうね、はっはっはっ!!」

 

 

 




・本当にリアルでも2ヶ月前くらいだ()

・今日から学校は自宅家庭学習習慣、まぁ実質の休みです! 頑張って作品を進めたいですねぇ……。

・次回は……多
分文化祭回に入ります。


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感謝祭の話し合い

 前回のあらすじ:玲音とテイオーはキタサンブラックとサトノダイヤモンドに再び会った。

・UA160,000・161,000を突破、11話、13話のUAが10,000を突破しました! 本当にあるがとうございます!!

・この男、またやりました……ウマ娘出てきません(本当に申し訳ない)

※お知らせします。この作品の時系列を考え、リギルに所属しているナリタブライアンの存在を変更。つまり現在はこの学園にいない、まだお姉ちゃん好きなロリという設定にしました。しかしそれでも時系列の矛盾はまだまだ改正はできてませんが、ご理解よろしくお願いします。(わたしの記憶ではリギル回でしか出してないと思いますが、それ以外にもあったら報告してくださると有難いです。リギル回も多少の変更を加えました。)


「ねぇ、秋の感謝祭って何をやるのかな?」

 

「前回はこの国の夏に国際的な祭典があったから、それをリスペクトした催し開いたよね」

 

 9月の中旬に入り、セミの大合唱が少しずつ小さくなってきた頃、トレセン学園ではとこころどころから「秋の感謝祭」という単語が聞こえてくるようになってきた。

 

 感謝祭……それはこのトレセン学園である『秋のトゥインクルシリーズ・ファン感謝祭』のことである。

 

 まぁ文字だけ見れば、なんかとても固いものに見えるが、簡単に言ってしまえば文化祭みたいなものだ。違うことは多くの一般人が入ること。

 

 一般の学校の文化祭というと家族やOB、もしくは招待を受けた人しか入れないというのが増えてきているが、トレセン学園は基本完全公開となっている。

 

 というのもこのファン感謝祭自体がトゥインクルシリーズを応援しているファンと

普段は関わることはないウマ娘とが触れ合うことができる、ファンにとっては一大イベントなのだ。

 

 まぁ、それは一部のレースによく出ているウマ娘にしか言えないことである。俺たち学生トレーナーにとっては全然普通の文化祭みたいなものだ。

 

「周りは感謝祭で話題が持ち越しだな」

 

「まあ、次の時間に何をやるかを決めるしな、話題に出ても不思議ではないだろう?」

 

 そう言いながら自分自身で今日のこの後の予定を思い出してみる。

 

 6限目の総合の時間、ここで感謝祭でやることを決めて予算を振り分けて、来週に買い物と準備を進めていくって感じだ

 

 なんて考えていると6限目の開始を知らせる予鈴が聞こえ、教室で散開していたクラスメートたちはそさくさと自分の席に戻っていく。

 

 そして黒板前には二人の生徒……クラスの委員長が出てきて、一人は紙を配布してもう一人は黒板にチョークで

何かを書いている。

 

 前の席の子から紙をもらって、その紙に書いていたことをさっくりとまとめると今年の感謝祭のテーマ・スローガン。クラス展の概要と注意事項などまぁいろいろと書いてある。

 

「ということで今から、私たちが今回やる出し物に関して考えたいと思います」

 

「前回は多くのスポーツを再現して大盛況だったが、今回は前くらいに……いや、前よりも面白くしよう!!」

 

『おー!!』

 

 クラスの委員長がみんなを上手く乗せる。

 

 こういう人間は本当にリーダーに向いている。そして多分、トレーナーにも向いているんだろうなぁ。

 

「じゃあ今から何人かに分かれてそこで意見を出していってくれ!」

 

 そう言うとクラスのほとんどが、自分と仲がいい生徒がいるところに移動する。

 

 そしてそのまま動かないでいると、尊野と道が近づいてきて、近くの席に座った。

 

「さて、どうするかねぇ」

 

「確かこの前の案は尊野の案だったよな」

 

「まさか選ばれるとは思わなかったけどな。その時寮のテレビでやっていたのを思い出して、そのまま言葉にして、そのままみんなが乗っかったってだけだ」

 

「まぁでも、それで大好評になったならいいでしょ」

 

「今度もお願いしますよー尊野」

 

「丸投げかよ……」

 

 そう言いながら、尊野は顎に手を添えてじっくりと考える素振りを取る。

 

 俺と道は他愛のない話をする。

 

「そういえばニュースで憲法が改正されるって言われているよね」

 

「あー、カジノ法案だっけ?」

 

「正確にはIR実施法案だな。カジノだけではなく宿泊施設や展示施設などをひっくるめた統合型リゾート施設を作る案だな」

 

「へぇ、詳しいな尊野」

 

「常識だろ?」

 

 当たり前だろという風に尊野は言うが、全然そこまで知っているわけではないので自分がおかしいのかと思い道の方を向いてみるが、道もどこか困った顔をしていた。

 

 自分だってニュースとかはちゃんと見る方だが、自分に関係ないことをわざわざ覚えるほどおつむはよくない。

 

「あっ……なぁ谷崎、今年のテーマってなんだっけ?」

 

「えーっと、未来。だな」

 

「……閃いたかも」

 

「おっ、なんだ? 聞かせてくれ」

 

 俺と道は尊野の方に振り向く。それを確認すると尊野は咳払いをすると、手を机にバンッ! と勢いよく机をたたく。その音に俺は少しだけ体をビクッと跳ねらせ、道は少しだけ目を見開く。

 

 周りにいたクラスメートの数人も尊野の方を向く。

 

「カジノっていうのはどうだ!」

 

「「カジノ?」」

 

 尊野から出てきた言葉をオウム返ししてしまう。

 

「あぁ、未来ではカジノ合法になる時が来るかもしれない。だから先取りして俺らでカジノをやってしまおう!」

 

「別にいいかもしれないけど。でも高校生が賭博って、学園は許してくれるのかな……」

 

「まぁ、大人の遊びの真似事だよ。そんな競艇とか競輪みたいに本当の金は払わねぇよ」

 

「だったらポイント制にして、そのポイントに合わせてお菓子をもらえるようにすれば、外から来る子どもたちにも楽しめるんじゃないないかな」

 

「おっ、そのアイディアいただき!!」

 

 尊野から案を聞いて、そうして道がその案をさらに現実に近いものにする。

 

 前回の出し物もそうやって決まった。

 

 そして俺は……。

 

「なら、トランプを使ってブラックジャックやポーカー。あとは手作りでルーレットやダーツを作れば結構本格的なカジノができるんじゃないかな」

 

「おっ、いいねいいね! カジノが現実的になってきた!」

 

 すごいまともそうなことを言っているように見えるが、これは少し話しあえば誰でも思いつくようなとても簡単なことだ。

 

 それを俺は自分の知識のように振舞っているだけだ。

 

 ……だからはっきり言って、この二人はとても優秀だと思う。

 

 まぁそもそも志も立派であり、自分と違い未来のビジョンが見えている。うん、やっぱ醜いな、俺。

 

 だけどそれを認めて進むことも大切だよな。それに逆に考えればいい人の例がここにいるんだから、ここから見て盗むこともできるんだよな。

 

「……よし」

 

「んっ、どうしたんだ谷崎?」

 

「なんでもない」

 

「あっ、そういえば今年ってどうなるんだろうね」

 

「っ? どういうこと道?」

「っ? どういうことだ橘?」

 

「だって、今年はチーム展もあるでしょう?」

 

 チーム展と言われえても全然ピンとこない俺と尊野。そのことを察したのか、道はため息をつきながらダルそうに教えてくれる。

 

「私たちはチームに所属している学生トレーナー。ならそのチームで行う出し物に私たち学生トレーナーが関わるのは至極当然なことだと思うよ」

 

「……チームで出し物ってするの?」

 

「するに決まってるでしょ!?」

 

 そう言いながら道はポケットの中に手を入れて、その中に入っていたスマホを取り出す。

 

 そうして何やら操作してから、俺らに画面を見せる。

 

 そこに映っていたのは…本格的なメイドの正装をしているシンボリルドルフやエアグルーヴ。その他のリギルメンバーの姿もあった。

 

「……なにこれ?」

 

「知らないの!? 去年のリギルはメイド喫茶をやったのよ!!」

 

「えっ、あのリギルが? よく許したな東条さん……」

 

「リギルは毎年ファン投票によって選ばれたものをやるっていうスタンスなのよ。だから私も頑張ったよ」

 

「んっ、投票で頑張る? それってどういう──」

 

「と、とにかく! 今年はチーム展があることは忘れちゃいけないからね!!」

 

「お、おう…」

 

 その後雑談も交えながら話しあって意見を固め、尊野が全員にその案を教えるとクラスのほとんどはその意見に賛成した。

 

 そうして残り5分前くらいになると先生が教室にやってきて、教卓の前に立つ。

 

 散らばっていたクラスメートたちはみな、自分の席に戻って話を聞く体勢を取る。

 

「みなさん、有意義な会議はできましたか? 君たちはチームに属していると思いますが、そちらの方でも出し物に関するお話があると思います。しっかりメモをして、こちらを手伝うことができる時間も、そしてこの感謝祭を君たち自身が楽しむ時間も、絶対に作ってくださいね。よろしいですか?」

 

『はい』

 

 クラスの全員が返事した瞬間、終業を知らせるチャイムが学園中に響き渡った。

 

 

 




・このお話は実際にわたしの学校の文化祭でカジノを提案した(採用された)時のお話を少し弄ったものです。

・二週間で3000文字、もっと早く書きたい。

・次回はスピカの出し物決め、買い出しのお話を予定しています。


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俺は夢のような場所を提供したい!!

 前回のあらすじ:玲音たちは出し物を決めた。

・UA162,000を突破しました。ありがとうございます!!



 クラスの出し物の話し合いを終えたその日のチーム練習の後、俺たちは片付けと着替えを終えた後、チームの部室に集まっていた。

 

 なんでも話したいことがあるらしく、ここで待つように言われたのだ。

 

「そういえばスぺ、長距離のペース配分の練習はどうだ?」

 

「うぅ~やっぱりまだ慣れませんね。でも前よりは遥かに感覚を掴めている気がします!」

 

「……そっか」

 

 改めて認識させられる、スぺのポテンシャル。

 

 いや、そうか。スぺはもう新人のウマ娘なんかじゃない。

 

 ダービーを制覇し、その名前はもう日本全土(は言い過ぎかもしれないけど)に響き渡っている。

 

 それに他の娘はデビュー期間とジュニア級を挟んでいる。そこに2月くらいから入ってきて、ここまで競うことができる娘は多くはないだろう。

 

 デビューして半年くらいとは到底思わないが、スぺは日本一になると2人の母親に固く誓い……そして皐月賞の後のあの切り株の前で、声を高らかに上げて宣言した。

 

「スぺは、すごいな」

 

「えっ、えっ!? どうしたんですかいきなり?!」

 

「どうしたも何も、今思ったことを素直に言っただけだよ」

 

「うっ、嬉しいですけど……ちょっと恥ずかしいです」

 

 そう言いながらも耳は少しだけ横を向けて、しっぽを大きくブンッと振った。その頬も少しだけ紅潮している。

 

 素直に言っただけだけど、まさかここまで照れるとは思ってもいなかった。ちょっと今度から何か言うときは考えてから言った方がよさそうだな。

 

「そういえば新人、お前って確か整体師科を取っていなかったか?」

 

「んっ、まぁ取っているけど…」

 

「ならそれをスぺにやってみたらどうだ?」

 

 ゴルシがそう言うと、ここにいる何人は「お~」と素っ頓狂な声を上げる。

 

 確かに俺は今は整体師科のマッサージの授業を受けている……でも、それは座学だけだ。

 

 実践するのは10月の上旬からと先生には言われているし、今自分にできることは何もない。

 

「まぁでも、実際にやるようになってからやってみるのはいいかもしれないな」

 

「わぁ! じゃあその時は──!」

 

「やめとけやめとけ」

 

 スぺが何かを言おうとした瞬間、扉を開けて先生が入ってきて、ゴルシの案(いや、賛成したのは俺だから俺の賛同に?)を否定する。

 

「プロがやるならいい。だがな玲音、お前はトレーナー学科の一生徒だっていうことを忘れるな。生半可な覚悟で、とても浅い付け焼刃な知識だけで動いて何かあったら……お前は責任を取れるのか?」

 

「っ……」

 

「まぁ、でもいつかは頼む時が来るかもしれないな」

 

「そう、ですか」

 

 俺がそう返事すると先生は一度大きく頷き、ホワイトボードの前まで行き、何かをキュッキュと書いている。

 

 そこに書かれたのは『感謝祭スピカ出し物……喫茶店』の文字。

 

 一通り書き終えると先生はすぐに振り返り、さっきまで書いていたペンの先でトントンと文字のところを叩いた。

 

「今年のスピカは、喫茶店を行う!!」

 

『……喫茶店?』

 

 先生たちが言った言葉に対して、俺たちはオウム返しを返した。

 

 その中で一人だけ、ウマ耳を後ろに倒して明らかに不満がありそうな表情をしている。

 

「おいおい待てよ! 今年はゴルシちゃんの特製焼きそばとマックちゃんのスイーツ弁当を配るって言ったよなぁ?!」

 

「うぐえ!?」

 

 ゴルシが叫びながら立ち上がるとそのまま先生にアイアンクローを決める。

 

 その光景を見てすぐに、マックイーンと協力をしてゴルシを抑えにいく。多分俺一人じゃ抑えられなかったが、マックイーンがいてくれたので助かった。

 

「いてて……確かに屋台もいいが、それじゃ儲からない」

 

「えっ? ちょっと待ってくださいよトレーナー」

 

「感謝祭って学祭だよな? あんまり売れることって考えちゃダメなんじゃねえか?」

 

 確かに学祭の出し物というと、そこまで儲かることを考える感じではない。

 

 どちらかというと配布とかに近いかもしれない。まぁ、食べ物系に関しては安かれ高かれお金を出していると思う。

 

 そもそもそういう儲けた金は学校の方に徴収されるとは思うが。

 

「確かに普通の学祭なら学校側が儲かった金を徴収するが……このトレセン学園ではそうはならないんだ」

 

「どういうことトレーナー?」

 

「この感謝祭での儲けはそのままチームの活動資金に充てることができるんだ」

 

『お~!』

 

「そこでたくさん儲けることができれば、スカーレットやウオッカの勝負服の費用に充てることができる」

 

「「ホント(かよ)!?」」

 

 なるほど、確かに儲けをチームの資金にすることができれば、かなり先生の自腹額が軽くなる。

 

 ……あれ、そういえばスピカって去年出店って開いていたっけ?

 

「あの、私はリギルだったんですけど……スピカは出ていましたっけ?」

 

「去年も参加はしたはしたが…その時は全然売れなかったよな?」

 

「そりゃカラシたっぷりの焼きそばなんて売れるわけないだろ!?」

 

「なんでだよカラシと焼きそば合うだろうがよぉ!!」

 

「合うのは普通はマヨネーズとかだろうが!! ……まぁいい、つまり去年は売れなかったってことだ」

 

 そのまま先生は話を続ける。向かいにいるゴルシがぶつぶつと「せっかくマヨとカラシを混ぜて改良重ねたのに……」と独り言を呟いている。

 

「だが今年は5人も人数が増え、さっき行われたチームでの教室使用権を巡る抽選も無事終わったからな」

 

 そう言うと先生はポケットから何か紙みたいなものを取り出して、ウィンクしながら真っ白な歯を見せる。

 

 その紙には「使用許可」と書かれていた。

 

「おっ、てことは今年は使えるんだな教室!!」

 

「そういうことだ。そして喫茶店は競争は激しいが、安定して伸びる……それに」

 

 そう言いながら先生は俺に視線を合わせた。それに釣られてみんなの視線がこっちに向けられる。

 

「えっ、俺?」

 

「玲音、お前は確かコーヒーを淹れることができたよな?」

 

「えっ? まぁ、趣味ですけど……」

 

「こんな逸材がいるのに喫茶店をやらない手はないだろ!!」

 

「そ、そうですか……?」

 

 なんでその発想に至ったのかが分からないが……まぁ、とりあえず自分がコーヒーを淹れることになりそうだ。

 

 でもコーヒーを淹れるだけでそんな売り上げなんて上がるのだろうか? むしろマイナスになるような気がするけど。

 

「でもでもトレーナー、喫茶店って言っても普通のことしてもそこまで売り上げ伸びないよね?」

 

「あー、そういえばリギルは去年はメイド喫茶したんだっけ?」

 

「エッ!? もしかして玲音も去年行ったの?」

 

「あー違う。クラスメートが行ったってだけ、俺は基本自分のクラスにいたから」

 

「えぇ~なにそれ~、じゃあ今年のやつは行こうね!」

 

「あぁはいはい、時間あったらね」

 

「確かにリギルみたいに全ファンたちが待ち望んでいるようなコンセプトもいいが……俺がやりたいのはこれだ!!」

 

 そう言うと先生は再び、ホワイトボードに何かを書き足す。

 

 その単語を……ここにいた全員は声に出した。

 

『勝負服?』

 

「そうだ!! 勝負服は普段GⅠレースの時でしか見られない。それがどうだ! この日だけコーヒーや軽食を楽しみながら傍で勝負服姿のウマ娘たちがウェイトレスしてくれる。そんな夢のような空間を! 俺は提供したいんだ!!」

 

『お~……』

 

 その先生の熱烈な演説に俺たちは感嘆の息を漏らし、自然と拍手をする。

 

 でもなるほど、夢のような場所を提供……か。

 

 そういう発想ができるのは先生がウマ娘のことを、そしてファンの人たちのことも考えているからこそだろう。

 

「いいですわね……ファンとの交流にもなりそうですわ」

 

「出ているのはスぺちゃんとスズカ、あとゴルシだけどね~」

 

「あら? わたくしは結構有名な方なんですよ?」

 

「ボクだってエレメンタリークラスなら、結構有名だよ?」

 

「「……」」

 

「わたくしの方が有名ですわ!」

「ボクの方が有名だよ!!」

 

「マックイーンもテイオーも何を言い合っているんだ……」

 

 なぜだかエスカレートしている二人の間に入って、俺は仲裁に入る。

 

 この二人もなんだかんだお互いをライバル視しているよな。

 

「ねぇトレーナー。アタシは勝負服持っていないんだけど、それはどうするの?」

 

「そこに関しては学園の方で保管されているライブ用の衣装を借りるつもりだ」

 

「げっ、ライブ衣装のやつってヒラヒラしてるあれかよ……あれで人前に出るのって結構恥ずかしいじゃねぇか」

 

「あら、そんなことで音を上げてちゃ、レースではアタシに勝てないわよ?」

 

「れ、レースとライブは違うだろぉ!!」

 

 まぁ、いろいろ個々が思うことはあるが……チーム・スピカの出し物は『勝負服喫茶』に決まったのだった。

 

 




・はぁ~祭りだぁ~!!

・筆が進まない……本当にすみません。

・次回は準備や買い出しなどのお話の予定です。


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喫茶スピカの準備

 前回のあらすじ:沖野トレーナーの熱烈な演説により、スピカは勝負服喫茶をやることになった。

・UA163,000・164,000・165,000を突破しました。ありがとうございます!!



 勝負服喫茶をやるということを決めた俺たちチーム・スピカは、出し物の準備を着々と進めていた。

 

 今回の喫茶店の場合、コーヒーを淹れれるのは自分だけだと自分が過労死してしまうので、ゴルシ、あとかっこよさそうっていう理由で立候補してくれたウオッカに教えることになった。

 

「コーヒーで大切なのはドリップポットの温度。沸騰したてのお湯でドリップすると粉が暴れて抽出されにくくなるんだ」

 

「すげぇ、これが大人の淹れ方!」

 

「基本に従順なだけだよ」

 

「なぁなぁ、暴れるってどうなるんだ? 粉がいきなり語り出して急な反省会やコントを繰り広げたるするのか!!」

 

「そんなボー○ボみたいなはちゃめちゃ展開はねえよ」

 

 とまぁ、なんか少しふざけながらになるが、二人にコーヒーの淹れ方をレクチャーしていく。

 

 二人ともとても筋がよく……とくにゴルシに関しては、ガチで淹れていたんじゃないかと思うくらい立ち筋がよかった。

 

「なぁ、ゴルシ」

 

「っ? なんだ?」

 

「コーヒー淹れたことあるのか? やけにお湯の注湯が上手い気がするんだが……」

 

「……そうか? これくらいできるだろ?」

 

「いやいやゴルシ先輩、これ少し傾けただけでも調整が──ああ! ミスったぁ!!」

 

「ウオッカはもう少し脇をしめることを意識したほうがいいかも。腕だけの力ではなく、体全体を使ってポットを扱うんだ」

 

 だけど、ゴルシの注ぎ方は……腕だけで扱う、初心者の次の段階の。

 

 いや、考えすぎか。それにゴルシってすごい器用なやつだから、一回見ただけで真似できるって言われてもふしぎではないな。

 

「やっぱコーヒーって奥が深いですね、これでもっと格好つけられるぜ!!」

 

「格好つけれるかは分からないけど、まあこういう趣味は持っていて損はないと思うよ」

 

「そうっすね!!」

 

「コーヒーももちろんいいですが……紅茶もかなり乙なものですよ」

 

 そう言いながら隣にいるマックイーンはティーポットに茶葉を入れて、お湯を注いでいる。

 

 マックイーンはスイーツを食べるのも大好きだが、それと同時に紅茶を淹れることも嗜んでいる。

 

 そのことを先生に伝えるとじゃあそれも使おうってことで、マックイーンも紅茶を淹れることになった。

 

「紅茶ってシンプルですけどかなり奥が深そうですよね」

 

「コーヒーみたいにお湯の温度までは管理しませんが、その代わりこの蒸らし時間と最後の仕上げの際の茶葉をおこす時に味が決まりますので、コーヒーと同じくらい繊細な作業が必要ですわ」

 

「確かに結構アタシのやつとマックイーンのやつって、かなり味が違うわね」

 

「それもトライアンドエラーですわ」

 

   ・ ・ ・

 

 今日は喫茶スピカで出す軽食をある程度試作することになっている。

 

 ので事前に借りた調理室でスカーレット、スぺ、そしてゴルシと先生もここに集まっている。

 

「簡単なサンドイッチくらいやパスタくらいなら、まぁ全員できるだろ」

 

「まぁ、俺も少しくらいなら料理はできますけど」

 

「私もおかあちゃんとよくやっていたので、一通りはできますよ!」

 

「アタシもできますね」

 

「おろ? ここって結構料理経験者は多いのか?」

 

「どうやらそうみたいだな……なら、ちょっとだけ凝ったものを作ってもいいか?」

 

「いやでもまぁみんなで作りますし、簡素な方がいいんじゃないですかね? というか先生って料理できるんですね?」

 

「んっ、なんだ意外か?」

 

「えぇ、結構」

 

 先生は料理ができるというよりは、カップ麺を作って「これが料理だろ?」って自慢気に言う料理ダメダメ人間側だと思っていた。まぁ完全に偏見だが。

 

 でもまぁ、最近の男性は料理もできた方がいいということなのだろうか。

 

 そしてここにいるみんなは料理ができるんだな。

 

 なら失敗とかはなさそう──。

 

「おぅし!! ならゴルシちゃん特製カラシ焼きそばを調理するぜぇ!!」

 

「「おいちょっと待て」」

 

 ゴルシの発言に俺と先生はほぼタイミングで突っ込む。

 

 そもそもコーヒーや紅茶を提供しようとしているお店に、焼きそばというのは合うのだろうか?

 

 普通そこはパスタとか洋菓子とかスイーツとか……そういう喫茶店っぽいものの方がいいんじゃないだろうか。

 

「焼きそばにカラシって、絶対に合わないだろ……」

 

「おいおい、それは食ってから……決めてほしいぜ!!」

 

 そう言いながらゴルシは前掛けをきつく縛ると、持ってきていた手提げ袋の中から豚肉、ニンジン、もやし、キャベツ、天かすなどの食材やソースや青のりなどの調味料を机の上に出して、そしてまな板・包丁を用意して──凄まじい速さで調理を始めた!

 

「えっ、なにあの包丁さばき?! 並大抵の動きじゃないわ!?」

 

「わぁ、すごい! ボウルに切られた野菜がどんどん重なっていきます!!」

 

「ゴルシ……お前伊達じゃないな……」

 

「包丁が二つに見える……やべぇ」

 

 俺らがそうやってゴルシの包丁さばきに対して感動している間にも、ゴルシは食材を切りきって今度は大き目なフライパンを取り出し、そのままコンロに火をつけて熱する。

 

 ある程度熱するとサラダ油を入れ、そのまま豚肉・野菜の順番に炒めてそれを一度皿に移して、その後中華麺を取り出して少々の水を加えて麺をほぐす。

 

 そしてさっき移した野菜炒めたちをフライパンに入れて中濃ソースを加えてから、また火にかける。

 

「おう新人! 今練習トラックにいる二人も連れて来いよ」

 

「えっ? あぁ、うん?」

 

「急げよ! 焼きそばは出来立てが上手いんだからな!!」

 

「お、おう!?」

 

 ゴルシに急かされて俺は調理室を飛び出して、なるべく全力ゼンカイの速さで普段通り練習しているスズカとマックイーンの元に駆け寄る。

 

「れ、レオくん? どうしたのそんなに慌てて?」

 

「まさか、ゴールドシップさんがまた何かやらかしたんですか!?」

 

 俺が着くや否や、スズカちゃんは心配。マックイーンは俺がゴルシのことで助力を求めていると思っているらしい。

 

 いや、俺が来た=ゴルシが何かをしたって決めるのって……ゴルシのこと信用しなさすぎじゃないか?

 

 ……でもまぁ、仕方ないのか? がっしゅくでもタバスコ入り水鉄砲とか持ってきていたし。

 

「いや、別にやらかしてないけどさ。ゴルシが二人のことも呼んで来いって……」

 

「ゴールドシップ先輩が??」

「ゴールドシップさんが??」

 

 二人とも疑問なりながらも、練習を切り上げて調理室まで着いてきてくれる。

 

 そして調理室の扉を開ける。その瞬間鼻腔に入ってくるソースの香り。

 

 さっきまで調理室にいたから鼻が慣れてしまっていたからそこまで感じられなかったが、一度離れた後だとソースの香りがとても鼻につく。

 

「なにかすごくいい匂いがするわね」

 

「確かにそうですね。ソース、でしょうか?」

 

「おっスズカにマックイーン来たな!」

 

 声がした方へ振り返ってみると両手、さらに手首のところに器用にもう一個乗せているゴルシがそこにいた。

 

 そしてその奥では焼きそばらしきものを頬張っている先生たちの姿が見える。

 

「さっさと座れ、冷めないうちに食っちまえ」

 

 そう言うとゴルシは目線を近くの机に向けて座ることを催促する。

 

 俺たちは困惑しながらもテーブル近くに設置されている丸椅子に座る。

 

「へい、お待ちどう!!」

 

 コトッと置かれたのは真っ白なお皿。その上には色鮮やかな焼きそばが乗っている……のだが、何やら変なものがかけられているように見えた。

 

 それはマヨネーズ……そして、黄色いナニカ。

 

「……なぁゴルシ、この黄色いものはなんだ?」

 

「カラシ」

 

「お前莫迦か!?」

 

 焼きそばにカラシってどういうことだ!? ていうかそんなのあるのか!?

 

 普通そこは紅生姜とかだろ!! なんで付け合わせがKA・RA・SHIなんだよ!!!!

 

 というかだいぶ前に食った時もシークレットでカラシ食っていたよな? どんだけカラシが好きなんだよ!?!?

 

「おいおいバカは言い過ぎだろ?」

 

「そもそも焼きそばはソースだけだろ!?」

 

「何を言っているんだこの世の中には何にでもマヨネーズもかけるやつもいれば、トマトケチャップもかけるやつもいるんだ。カラシくらいいいだろ」

 

「……これ、カラシ取れない?」

 

「無理」

 

「俺めっちゃ苦手なんだけど……」

 

「まぁまぁ、何事もチャレンジだぜ!」

 

「……はぁ」

 

 俺は深くため息をついて手元にある箸を取って、焼きそばをつかむ。

 

 はぁ……さて、今回も『オ゛オ゛エエエ゛ア゛ア゛ア゛!!』って叫ぶか。

 

 そうしてつかんだ焼きそばをそのまま口に運ぼうとした……その瞬間、手首をガッとゴルシに掴まれる。

 

「待て待て、これはな……こうするんだよ!!」

 

 そう大きな声を上げながら、菜箸を使って綺麗に盛られていた焼きそばのおかずたちをごちゃ混ぜにしてしまう。

 

「なっ!? 何をやっているんだよゴルシ!?」

 

「これでいいんだよ」

 

「これでいいって──んっ?」

 

 俺は無意識に匂いを嗅いでいた。だからこそ気づいたのだ、カラシの匂いがいつもとは違う……なんか、辛そうじゃない?

 

 むしろなんか……とても良い匂いが皿の上で広がっている気がする。

 

 そのことを認識すると「ぐ〜……」っと俺の腹の虫が小さくなる。

 

「さぁさぁ遠慮はすんな!」

 

 ゴルシから割り箸を受け取って、それを縦に真っ二つにする。

 

 そして箸で麺を持ち上げ……そして啜ってみる。

 

「──ッ!! これは!! 美味い!?」

 

 口に入れた瞬間香る辛子の匂い。しかし前回のカラシと違うのは、その味。

 

 ……辛くないのだ。匂いや香り(いや同じ意味だな)は完全にカラシなはずなのに、あの独特のツーんっとした味がない。

 

 いや、これは。

 

「マヨネーズの油分か?」

 

「おっ、舌が鋭いじゃねえか。油分っていうのは辛味成分を抑える作用っぽいものがあってだな。上手い比率で調合することによって、風味だけしか残らないようにしたんだ! これなら前回の辛いだけのカラシ焼きそばよりは売れるだろ?」

 

「……確かに、これは結構美味いな」

 

「カラシってこんなに美味しかったんだね、ボク知らなかったよ……あのたい焼きのイメージしかないから」

 

「料理は科学って……こういうことだったのね」

 

 他にゴルシ特製カラシ焼きそばを食べたみんなは各々の美味しいという感想を漏らしている。

 

 ウオッカとかはそのままガツガツ食べて二杯目を希望している。

 

「……まぁ、確かにこれなら喫茶の軽食にはなりそうだな」

 

「なぁいいだろトレーナー? これを生み出すためにゴルシちゃんは努力と試行をし続けたんだよ!!」

 

「……分かった」

 

「いよっしゃああああぁぁ!!!!」

 

「でも軽食の1メニューだからな、その他の軽食もちゃんと作れよ?」

 

「あったりめぇよ!!!!」

 

   ・ ・ ・

 

 ある日、俺と先生。そしてスズカとスペは練習終わりのトラック場に来ていた。

 

 先生は近くの柵に身体を預け、俺は手持ちのスマホスタンドにスマホを挟んで、それを二人の方に向けている。

 

 そして画面に映っている二人は、勝負服を着ている。

 

「なんかレース以外で着ると……ちょっと違和感があるね」

 

「分かります。でもやっぱりこれを着ると、少しだけ気が引き締まりますね!!」

 

 そういえばウマ娘の勝負服には向こうの世界線のパートナーの魂の残滓が宿っていると、皐月賞辺りで知った。

 

 今日はレースではなくても、やっぱりその影響は受けるものなのかもしれない。

 

「それで玲音、どんな風に撮っていくんだ?」

 

「えっと……二人とも、これを見て」

 

 そう言いながら俺は二人に一枚の紙を渡す。

 

 そこには下手くそながら絵が描かれており、左上には番号が振られている。さらに下にはスズカ・スペと書いてあり、そこに一言「走り抜ける」や「後ろ姿のアップ」など色々書かれている。

 

「ほぉ、絵コンテを持ってくるなんて、結構本格的じゃないか」

 

「二人にはこの紙に従ってもらうような形で今日は動いてもらうよ。まぁ、そこまで難しく考えなくてもいいよ」

 

「わぁ…これ全部玲音さんが? すごいです! すごいです!!」

 

「うん、すごく分かりやすい」

 

「二人ともありがとう。じゃあ、ちょっと時間が押しているから早めに行くよ!!」

 

「はい!!」

「えぇ!!」

 

   ・ ・ ・

 

「やっぱりまずは走る姿を撮ろう!!」

 

「えっと、『二人で併走してカメラ横を通り過ぎる』ですか!」

 

「普通に走ればいいんだよね?」

 

「うん、二人はあそこから走ってきてそれをこのカメラで捉えるから」

 

 そう伝えると、二人とも向こう側に行ってくれる。俺はしっかりとカメラを持ってその場に留まる。

 

 先生が「よーい、ドン!!」と言うとドドドドと地響きが地面越しに足へ、そして耳にその音が入ってくる。

 

 横目で二人を確認しながら、少しだけカメラの高さを調整する。

 

 そして次の瞬間、一つ…そしてまた一つ風が駆け抜ける。

 

 俺は動画を止めて一度確認し……二人にOKサインを出した。

 

   ・ ・ ・

 

「えっとじゃあ次は…尻尾から腰辺りのアップで」

 

「分かったわ、普通に立っていればいい?」

 

「うん、よろしく」

 

「「……」」

 

「うん、ありがとう」

 

「これくらい平気よ」

 

「じゃあ次は……スペ、真正面の足から脚までのアングルよろしく」

 

「は、はい!」

 

「……」

「……///」

 

「あれ、どうしたの?」

 

「い、いや…改めて思うと……これって結構恥ずかしいことしてるんじゃ……///」

 

「そうかな? ただ脚や服を撮っているだけだけど?」

 

「そうですけど……うぅ〜///」

 

「「(何をそんなに恥ずかしがっているんだろう?)」」

 

「(こいつら、自覚ないのか……)」

 

   ・ ・ ・

 

 撮影が続いていき、日がどんどん傾き、空が夕焼け色から青紫色に染まり始めた頃、ラストシーン一個前の撮影を始める。

 

「じゃあ、もう一回走ってもらうよ。でも今度は……俺の横を通過していって」

 

「通過? それって大丈夫かしら、もし万が一転んだりしたらレオくんが──」

 

「大丈夫、スズちゃんとスペならそんなことは起きない」

 

「……ありがとうございます。スズカさん、やりましょう!」

 

「……えぇ」

 

 そうしてスズカとスペは少し離れた(大体100m)くらい離れたところにスタンバイし、そしてスタートする。

 

 ……こうして見ると、ウマ娘の走りというものはとても力強いものだ。いくら当たらないとはいえ、その迫力とスピードには少しビビってしまう。

 

 でもなんとか震えを我慢して、二人が通り過ぎる瞬間を撮る。

 

「よし、じゃあ次は俺が後ろ向いてるから二人はその横を駆けてくれ」

 

「っ! なるほど、そう来たか」

 

 先生には自分が何をしたいのかが伝わったらしく、先生はニヤニヤしている。

 

 二人はそのまま俺の言う通り、ある程度距離を取ったところから走ってくれる。

 

 後ろから聞こえる走行音……見えないというのがどれほど恐ろしいものなのかが、今身を以て体験している。

 

 だけど俺は両手でしっかりと手持ちスマホスタンドを持って、その場に構える……のではなく、その場にうつ伏せになって、少しカメラが上を向くように設定している。

 

 そしてビュンッと風切り音がした瞬間、二人のウマ娘が夕陽に向かって駆けているように見えた。

 

 実はこの前のゴルシ焼きそばの時、この時間帯のこのトラックなら夕陽がいい感じに映り出すことに気づいたのだ。

 

 録画を止めて、一度再生してみると……俺が理想としていたアングルになった。

 

 よし、ちょっとジャージが汚れたけどこれくらいなら──。

 

「──うえっぷ!? 口の中ガァ!?」

 

 そりゃそっか……一回一回かなり地面が抉れているんだもの。土や芝が飛んで来てもおかしくないよね。

 

「だ、大丈夫レオくん!?」

 

「けへっ! かはっ!! ……あ、あぁ土食っただけだから大丈夫」

 

「それって大丈夫じゃないですよ!?」

 

「……玲音、これで最後か?」

 

「いや、あと一つだけどうしてもやりたいアングルがあるんですけど、まだ時間がかかりますね。あと、流石にその時間帯はトラックは使えないので……二人とも、寮の屋上って取れるかな?」

 

「多分、フジキセキ先輩の了承があればいいと思うけど」

 

「交渉お願いできるかな? 俺も入りたいって……」

 

「……分かったわ」

 

   ・ ・ ・

 

 そのまま解散して数時間後、スズカの方からメッセージが来ていて、「大丈夫」との一言が書かれており、その後に「21:00」とも書かれていた。

 

 俺はそのメッセージ通り、21時に栗東寮の方に行くとスズカとスペ、そして寮長のフジキセキがいた。

 

「やぁ坊やくん、今夜はポニーちゃんたちに何をするのかな?」

 

「フジキセキさん。実はこの星空をバックに二人を撮りたいんですよ。スピカやリギルはじめ、多くのチームは星がモチーフになっていますからね」

 

「なるほど、そんなロマンチックなことをしたいなら、私は大歓迎だよ」

 

「ありがとうございます!!」

 

 そうして俺は、栗東寮に入り階段で屋上へ目指す。

 

 普段トレーナーや学生が入れないようなところに入るっていうのは、ちゃんと許可を取っていても少し罪悪感というか後ろめたい気持ちが心の中にもやもやと募る。

 

 そして屋上へ着くと夜の湿った生温い風が肌を撫でる。それと同時に上空には疎らに輝いている星々が見える。

 

「それで玲音さん! 今からどんな方法で撮影するんですか?」

 

「星ってことは、上を向けて撮るんだよね?」

 

「うん……じゃあ二人とも背中合わせになって」

 

「「……背中合わせ?」」

 

 二人は何のことかは分からないが、とりあえず俺の言う通りに動いてくれる。

 

「んで、こうスズちゃんの左手とスペの右手を繋いで……目を閉じて、そしてターフを誰よりも早く駆けた瞬間を思い出して」

 

「目を閉じて……」

 

「誰よりも、早く……」

 

 そう言うと二人とも目を閉じて各々の思い描いている景色を見て、二人とも真剣で……でも笑みを自然と浮かべる。

 

 その二人を際立たせてくれるのは……上空の星空。

 

「……うん、最高のアングルだ」

 

 さて最高の素材は用意できた。

 

 あとは……これを仕上げるだけだ!!

 

 そうして俺は今夜、と休日を使って『勝負服喫茶・スピカ チーム展CM』を仕上げたのだった。

 

 

 




・あかん……めっちゃ期間開いた()

・選択チケットはライスにしました♪

・次回は秋の感謝祭1日目。勝負服喫茶・スピカのお話の予定です。


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勝負服喫茶スピカ 〜 ファン大感謝祭・1日目 前編 〜

 前回のあらすじ:玲音、そしてスピカのみんなはファン大感謝祭のための準備を進めた。

・UA166,000・167,000・168,000・169,000を突破しました。ありがとうございます!



 感謝祭当日、トレセン学園に通っている多くの生徒は午前7時と少し早い時間帯から学園にいた。

 

 というのも当日になってからの準備というものもあるらしく周りを見渡せば、おそらく長期間作り上げたであろう大きなモザイクアートや、パネル展示などを和気藹々としながら、設置している。

 

 そしてこっちはこっちで──。

 

「ガスコンロは準備できたか?」

 

「予備のガス缶、ここに置いときますねー!」

 

「や、やっぱこのステージ衣装フリルとか多くねぇか!?」

 

「あら、テイオーさんの勝負服姿かなり合ってますね」

 

「最後に着たのってだいぶ前だったんだけど、まだ着れてよかったよ〜。でもやっぱ本物の勝負服と比べるとかなりチープだね」

 

「そう…? テイオーの勝負服はとてもいいと思うわよ?」

 

「そうかな?」

 

「私はすごく好きですよテイオーさんの勝負服! まぁ、私はエレメンタリークラスのウマ娘さんは見たことないんですけどね……」

 

 などと準備でバタバタしながらも、雑談を楽しんでいる。

 

 去年もトレーナー学科の方でこんな風にぎゃーぎゃー言いながら準備していたから懐かしい気持ちになるが、同時にウマ娘の、それも仲のいい娘たちとこんな風に準備しているのは、なんか不思議な感覚だ。

 

「レオくん、どうしたの?」

 

「いやさ、なんか夢のようだなって……みんなと居れることも、自分の大好きなことをこうやって文化祭でできることもさ」

 

「……私も、半年前までは思ってもいなかった」

 

「頑張ろうか、スズちゃん」

 

「えぇ…」

 

 そう言った瞬間、ピンポンパンポーンと教室に備え付けられているスピーカーからチャイムが鳴り響く。

 

 しばらくするとザッという雑音の後に、ブレス音が聞こえ──。

 

『ただいまより、第○回。秋のトゥインクルシリーズ・大ファン感謝祭を、開催致します』

 

   ・ ・ ・

 

「イラッシャイマセー! お2人様でよろしいでしょうか?」

 

「ご注文、お伺いいたしますわ」

 

「レオくん、ブレンド二つ。ゴルシ先輩、ニンジンサンドとトマトサンドをお願いします」

 

「分かった!」

「おうよ!!」

 

 感謝祭開催の宣言がされて数分後、早速勝負服喫茶・スピカには人が入ってきた。一人、二人、一人とまばらに人が入ってきて…その波は収まることがない。

 

 気づけばスピカの前には、長蛇の列とまではいかないが、なかなか長い列ができていた。

 

 俺はコーヒー豆を挽きながら、周りに目を向けてみる。

 

 全員、洗練されたような動きだ。トレンチという食品を持っていく皿みたいなものがあるのだが、その持ち方もよく、こぼしたり、ひっくり返すことはない。

 

 一応念のため練習しておいたが、意味はあったようだ。

 

「なぁなぁ、ここのカフェやばくね??」

 

「あぁ、勝負服のウマ娘なんて滅多に見られねえのに、ここではさらに近くで見られるからな!」

 

「そもそも俺らからしたら、現役ウマ娘がこんな近くにいるだけでも奇跡に近いからな」

 

「ったく……H(orse)D(aughter)は最高だぜ!」

 

 など、結構称賛の声が多く聞こえてくる。

 

 先生もそれを分かっているのか時々こくこくと首を縦に細かく振っている。

 

「はい、ブレンド二つ」

 

「こっちもできたぜ!」

 

 トレンチにブレンドコーヒー二つとトマトサンドを置き左手で持ち上げ、空いた手でニンジンサンドを持っていくスズカ。その姿は、まさに喫茶店の店員といった感じだ。

 

 背筋もピンッとしていて、とても綺麗だ。

 

「ありがとうございます。こちらニンジンサンドとトマトサンド。ブレンドコーヒーです」

 

 そうして向こうに目を向けると、お客さんたちが「お~」と驚いていることに気づく。

 

 なんでだろう? っていう疑問は……すぐに消えた。

 

「ありがとうございま~す、はちみつサンドとカフェオレで~す♪」

 

 そう言いながらテイオーは食品を出しているが……出されたお客さんはぽかーんと口を開けていた。

 

 そのはずだ。だってテイオーは軽快なステップを踏みながらお客さんの前まで行っていたからだ。

 

 あのステップは……そうだ。いつぞやのカラオケ屋で見たテイオーステップってやつだろうか。

 

 ドリンクがある状態でステップなんて普通ならありえないことだが、見た感じテイオーは一滴も零していない。それどころか波打つカフェオレをそのバランス感覚の良さで受け止めている。

 

 見ていて、とてもかっこいいと思う。

 

「あ、あの玲音さん! だっちコーヒーお願いします!」

 

「りょーかい。あっ、それってガムシロップとミルクつけていい?」

 

「あっ……聞き忘れてましたぁ!!」

 

「落ち着いて、ゆっくり聞きに行って」

 

「は、はい……」

 

 そう言うとスぺはお客さんのところに戻って、確認を取る。

 

 そしてすぐに戻ってきたが……その表情は少し悲しそうで、かつウマ耳も力なく垂れている。

 

「…ガムシロップは入れてと、ミルクは要らないみたいです」

 

「分かった、ありがとねスぺ」

 

「うぅ…私、足引っ張ってばかりですね」

 

「いや、むしろスぺは頑張ってくれている方だよ。もっと自信持って?」

 

 そう言いながら俺はスぺの頭にぽんっと手を置いて、少し前後に動かして頭をなでる。

 

 心なしか、スぺも嬉しそうだ。尻尾もブン…ブンッと振る時に力がある。

 

「あっ、玲音先輩、ちょっといいですか?」

 

「んっ? どうしたウオッカ?」

 

「いや、なんかうちの生徒が玲音先輩の入れたコーヒーを飲んだ瞬間、『マスターを、呼んでくれませんか?』って言ってきて」

 

 えっ、なにそれ。俺何かやらかした??

 

 もしかして髪の毛が入っていたとか? いやそれだったら飲まないだろう。

 

 じゃあなんだ、ドリップをミスってえぐいコーヒーを提供しちゃったとか?

 

 俺はこんな風にコーヒードリップはできるが、そんなクレーム対応なんてできる訳がないてかやったことすらない。

 

 少し憂鬱になりながらも、俺はウオッカに着いていく。

 

 その席に座っていたのは、トレセン学園の制服を着た黒髪のウマ娘だった。

 

「あなたが…この二つのコーヒーを淹れたんですか?」

 

 そのお客さんの元にはカップとグラスが一つずつ。さらにグラスの方には空になったはちみつの容器があったので、このお客さんはブレンドとアイスはちみつコーヒーを頼んだってことだろう。

 

「は、はい……あの、どこか悪いところが?」

 

「この豆のブレンドはとても駅前の焙煎屋に似ています。ですがこっちのはちみつコーヒー、これは飲んだことのない素晴らしい味です……どういう比率なんですか?」

 

「……はい! こちらはグジG1と──」

 

 そうして俺はそのウマ娘にはちみつコーヒーで使っているブレンドの豆の比率を説明する。

 

  ……こういう共通の趣味を語り合え子は同じ年代ではなかなか探すのが難しいから、ちょっと長めに語ってしまった。

 

「…では、そろそろお暇しますね」

 

「はい、ありがとうございました!」

 

「いつかまた、飲んでみたいです…」

 

 自分は深々と頭を下げて、黒髪のウマ娘を見送る。

 

 その後も勝負服喫茶・スピカはなかなかの盛況だった。

 

   ・ ・ ・

 

「よぅし玲音、スペ、スズカ、そろそろ感謝祭楽しんでこい」

 

『はーい!』

 

 先生の指示を聞いて、俺は着ていたエプロンを脱いで制服を着る。

 

 スマホの方には『一階の昇降口付近の階段集合』と送られていたので、俺はそこに行って二人を待つ。

 

「……」

 

 それにしても、こうやって見ると様々な人たちが自分たちの学び舎にいるっていうのは、いつまで経っても慣れない感覚だ。

 

 まぁ一般人以外にもちゃんとうちの生徒もいるんだけど。みんな楽しそうに談笑として──あれ、意外とウマ娘接しているトレーナー学科の生徒って、少ないんだな……。

 

「レオくん、お待たせ」

 

「遅くなってすみません~!」

 

「いや、俺も今来たところだから。じゃ、行こうか」

 

「うん」

「はい!」

 

   ・ ・ ・

 

 数十分、俺とスズカ、そしてスぺは秋のトゥインクルシリーズファン大感謝祭を大いに楽しんでいる。

 

 トレセン学園のそれぞれの出し物はとてもクオリティが高く、本当にこれが学祭なんだろうか? と少しだけ疑問に思ってしまう。

 

 それほど出店一つ一つのアイデアとクオリティがとてもいい。

 

「そらっ!!」

 

 そして現に、自分も子どもに戻ったように輪投げなどを楽しんでいる。

 

 俺が投げた投げ輪は見事狙い通りのところに弧線を描いて、その棒に通った。

 

「おめでとうございます!! 獲得ポイントは100点ですのでこの中から好きなのどうぞ!!」

 

 そこには10点、20点、30点、50点と書かれた箱にお菓子が入っている。どうやら獲得したポイントの中なら好きな組み合わせで選べるタイプらしい。

 

 俺は50点のチップスターズと30点のきのたけの山里、そして10点のうんまい棒を二つ袋の中に詰める。

 

「わぁ、レオさんすごいですね!」

 

「あはは、たまたまだよ。たまたま」

 

「それでもすごいと思うよ、私はそこまでだったしね…」

 

「私も、参加賞の飴ちゃんだけでした……」

 

「ならさ、これシェアしない?」

 

「いいんですか?」

 

「こういうのは共有するのが醍醐味なんだよ」

 

「そうね、学祭はみんなで楽しんでこそ」

 

「っ! はい!!」

 

 そうしてきのたけの山里の袋を開けて共有し食べ歩きながら、適当に散策する。

 

 横目で見てみると、スぺの表情はとても楽しそうで陽気そうに尻尾をぶんっぶんっとリズミカルに大きく振っている。

 

 隣にいるスズカも優しい笑みを浮かべていて、そのウマ耳は横に向いていてどうやら心穏やかなようだ。

 

 まぁ多分、俺もウマ娘みたいにウマ耳や尻尾が同じようになっていると思う。

 

「……っ?」

 

「スぺ? どうしたんだ、急に立ち止まって耳をピーンッとさせて」

 

「今、大食いってキーワードが聞こえて」

 

「えっ? ……」

 

 俺も耳を澄ませてみるが、そもそも周りの喧騒や鉄板で物が焼かれる音などの雑音がごっちゃごちゃになっていて、そんな一つ一つの声など聞き分けることなどできる訳がない。

 

 ウマ娘の聴力はほんと、とても優秀ということか。

 

「っ、やっぱり聞こえます! あっちです!」

 

 そう言うや否や、スぺは俺とスズカの手を掴んでそのまま走り始める。

 

「「わわっ! スぺ(ちゃん)!?」」

 

 突然のことで少し驚きながらも、俺はなんとかスぺに手を引かれながら走る。

 

 多分ヒトである自分がいるからめっちゃ手加減してくれているんだろうけど、それでもかなり速い……全力疾走で着いていかないといけない。

 

『大食いグランプリはトレセン学園秋のトゥインクルシリーズファン大感謝祭の目玉の一つ!! その歴史は古く──』

 

 スぺに手を引かれ全力疾走して息をぜえはぁぜえはぁ整えていると、備え付けられているスピーカーからそう聞こえてくる。

 

 顔を上げてみるとそこは特設会場みたいなところであり、看板には『○○○○大食い対決』と書かれている。

 

『さぁて! 今回実況を務めるのはトレセン学園の江戸っ子! イナリワンでいっ!!』

 

『わー-!!」

 

 ステージ前に集まった観客たちのボルテージはかなり上がっているらしく、とても盛り上がっている。

 

 大食い競争って、こんなに熱くなるものだっけ。

 

『さぁ今回のチャレンジャーたちの──登場でいっ!!』

 

 実況のイナリワンがそう言った瞬間、ステージ上に垂れ下がっていた幕がばさっと落ちる。

 

 そしてその先には三人のウマ娘が立っていた。

 

『地方から中央へ現れた葦毛の怪物は大食いでも怪物と化すのか!! オグリィィィィキャップ!!』

 

「待ち遠しいな…今回は全力で楽しもう」

 

『難波のど根性、その電光石火の末脚は大食いでも炸裂するのか!! タマモォォォォクロス!!』

 

「っし! いっちょやってみようか!!」

 

『落ち着いた瞳に秘められているスタミナは大食いで通用するか!! スーパーァァァクリーク!!』

 

「うふふっ、頑張ります♪」

 

『そして今回、この三名を待ち構えるのが──こいつでいっ!!』

 

 ぶんっとぶん回されたイナリワンの腕の先にあったのは、なにやら背丈よりもでかいナニか。それが三人のウマ娘に前にも置かれる。

 

 そして一気にばさっと掛けられていた布みたいなものが取り外させる。次の瞬間、目の前に現れたドーナツの山を見て、ギャラリーたちは感嘆と驚愕が入り混じったような反応が返ってくる。

 

「美味そうだ……!」

 

「ちょ、ちょちょい! 明らかに大きさというか高さおかしいやろ?!」

 

「これは……一筋縄では行かなそうですね」

 

『チャレンジャーたちの反応も上々! これは熱い戦いが期待できるっ!!』

 

 その後、少しスピーチ(ドーナツ提供店の宣伝や各ウマ娘の説明など)をしたり観客の応援を受ける時間などがあり、そしていよいよ3人のウマ娘が挑戦席に座る。

 

 するとファンファーレが聞こえてくる。それはまるでトゥインクルシリーズのレース前のように。観客の一人が手拍子を始め、それが少しずつ広がっていく。そしてファンファーレが終われば、ステージ前は歓声に包まれる。

 

『第33回! 大食いグランプリ!! れでぃ~!!』

 

 そして次の瞬間、戦いのゴングが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 




・みなさま! 大変! 大変お久しぶりです! ヒビル未来派No.24です! 1ヶ月以上空いてしまい申し訳ございません。理由として、4月から大学の新生活。通学の2時間の電車移動の疲れ。trpgをやり始めて楽しすぎたなど。仕方ない理由としょうがない理由が入り混じってます()またゆっくりとですが、ちゃんと更新していきますので、よろしくお願いします!!

・次回は大食いグランプリとその後のお話の予定です。


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大食い対決!──そして、 〜秋の感謝祭1日目 後編〜

 前回のあらすじ:チームスピカが開いた勝負服喫茶はとても好評だった。また休憩時間になりスズカ・スペと一緒に感謝祭を楽しむ玲音。出店やクラス展示を楽しんでいるなか、スペについていくとそこで開かれていたのは『第33回大食いグランプリ』だった。

・UA170,000・171,000・172,000・173,000・174,000を突破しました。お久しぶりですが、本当にありがとうございます!!


 

『わぁああああー!!!!』

 

 観客のボルテージがどんどんと上がっていく。みながそれぞれ個々の推しにエールを送る。

 

 大食い大会選手権はいよいよ終盤戦に差し掛かるかというところだった。

 

 優勢なのはオグリキャップ。あとにスーパークリーク、タマモクロスと続いているが、2人と比べてみてもオグリキャップはその残りの量や食べるスピードも桁違いだ。

 

 片手で一度持ち上げてそのまま一口でドーナツをヒョイっと食べ、数秒後にはその動作を再び繰り返している。その表情も目を閉じてて一回一回ドーナツの味を楽しむ余裕もあるように見られる。

 

 それに対してスーパークリーク、タマモクロスの表情はまさに必死という言葉が合う。その両手にドーナツを持って、二口か三口で食べている。

 

『さぁ第33回大食いグランプリも大詰め!! 先頭はオグリキャップ! 続くはスーパークリーク!! 商品の大穴ドーナツ巨大ぬいぐるみを手に入れるのはどこのどいつだー!!』

 

   ***

 

 胃がキリキリと張り詰めるような感覚がしとる。長時間口の中が油とバターの匂いで充満していて、少し頭がふらつく。

 

 せやけど、ウチの目はドーナツへと向いとる。ウチの手だってその口にドーナツを入れようと動いとる。まだ、まだいける…! いけるはずや!!

 

 ウチは横目でイナリの横にある大穴ドーナツを見る。あんだけ大きなドーナツのぬいぐるみをあげれば、きっとおチビたちは喜んでくれるはずや。

 

 流石はオグリ、大食いに関してはウチでは歯が立たないかもしれへん

 

 でも、でもな!!

 

「(おチビたちのためにも! 絶対ここは──譲れへん!!)」

 

『おおっと!! タマモクロスここで加速!! ターフの上でも見せるような電光石火の稲妻のような末脚を!! ここでも発揮できるのかぁ!!』

 

「うらあああああぁぁぁああ!! 難波のど根性! 見せつけたるわああああぁぁ!!!!」

 

 動け! 動くんや!! めいいっぱいドーナツを掻き込むんや!!

 

   ***

 

 タマモクロスが一気に加速した!?

 

 あの小さな体の一体どこに、あの山盛りのドーナツを入れるスペースがあるんだ…?

 

 確かにウマ娘は普通の人間と比べて身体能力が高い分、消費エネルギーが激しい。そのため覚醒化したウマ娘は普通の人よりも多くのカロリーを必要とする。

 

 しかし、しかしだ。それでもあの多さのドーナツを処理できるものなのだろうか…?

 

 なんて考えている間にもタマモクロスがオグリキャップに追い付いた!

 

 観客全員、その事に興奮している。

 

 そして次の瞬間……オグリキャップとタマモクロスが同時に手を挙げる!

 

『おっと!? 同時に手を挙げたのはタマモクロスとオグリキャップ!!」

 

「ど、同着?」

「いや、オグリの方が早かったぞ」

「嘘、タマちゃんの方が早かったよ!!」

 

 観客がみなそれぞれ独自の見解を述べているが、俺的にはまさに同じタイミングのように見えた。それこそ、5月に行われたダービーのような…。

 

『おっと、ここで審査の札が上がったぁ!!』

 

「……審査?」

 

 イナリワンの視線の先を追うように俺、そして観客もそっちへ顔を向ける。

 

 するとそこには審判席があり、そこに座っていたグラスが『審議』という立札を上げていた。

 

 いや、大食い対決に審判も何もあるのかな??

 

『映像による判定を行います!』

 

 イナリワンがそう言うとステージ上からスクリーンが降りてくる。

 

 そしてそこにさっきまでの繰り広げられていた激闘が映し出される…しかし一体どこに審議の対象が?

 

 などと思っていた次の瞬間、タマモクロスの方を見ていたスーパークリーク。そして勢い良く取ったドーナツ。しかしそのモーションによって多くのドーナツがオグリキャップの方へ飛んでいった。

 

 これには観客全員が驚いていた。だってそれは数個なんてレベルじゃない。十何個以上のドーナツが皿の上に乗ったのだから。

 

 つまり…オグリキャップは2人よりも多かったのにタマモクロスと同じ早さでフィニッシュしたってことか!?

 

「確かにちょっと多かったが…」

 

『ちょっとじゃない!?』

 

 これに関しては会場にいた観客全員が同じことを叫んだ。いや、あの量をちょっとって正気の沙汰じゃないな。

 

『第33回大食いグランプリ、優勝は──オグリキャップ!!』

 

 パンッ! パンッ!! という音ともに紙吹雪が舞う。そして会場は歓声と拍手喝采に包まれるのだった。

 

「なんか…すごかったね」

 

「えぇ…これ歴代の猛者の戦い……」

 

 オグリキャップは優勝賞品の大きいドーナツぬいぐるみを受け取る。そのすぐ横では少し涙目になっているタマモクロス。

 

 タマモクロスは途中で急に加速した。つまり、あのドーナツを欲しがっていたのだ。さらに言えば、そうやって追い付いてそして同時に食べ終えた。だが、結果は同着ではなく、オグリキャップの圧勝だった。

 

 僅差の勝利が、大差の敗北となる。

 

 それは、どれほど辛いことなのだろうか。

 

 ……と、少しだけ感傷に思っていると、オグリキャップがタマモクロスの前まで歩み寄り、そして持っていたドーナツのぬいぐるみを手渡した。

 

『オグリ…? なんでや?』

 

『私はドーナツが食べたかっただけだ』

 

『お、オグリー!!』

 

 そう大声を出して泣きながらオグリキャップに抱き着くタマモクロス。それを受け止めるオグリキャップ。

 

 普段はお互い切磋琢磨しながら学校生活を過ごし、ターフの上では永遠のライバルである二人。しかし普段はとても仲睦まじい女の子たちなのだ。

 

 そのことを、ここにいる全員は理解する。

 

 気付けば興奮と歓喜で叩かれていた拍手は、2人を包みこむように叩く温かな拍手へと変わっていた

 

 ────ぐぅ~。

 

 っと、そんな中でも一際目立つ音。

 

 その方向を見てみると、少し頬を紅潮させてお腹を押さえているスぺが。

 

「……お腹減った?」

 

「は、はい……///」

 

「ちょうどいいし、何かおやつ食べようか。スズちゃんもそれでいい?」

 

「うん、いいよ」

 

「スぺ、好きな奴奢ってやるぞ」

 

「い、いいんですか!?」

 

「あぁ!!」

 

 そうして俺たちは会場を離れて少し行った先にある出店エリアに訪れる。よく見渡してみると焼きそばやたこ焼きなどの軽食と、ケーキやプリンなどのスイーツなどもあった。

 

「好きなの食べていいぞ、俺の奢りだ!」

 

「えっ、いいんですか!?」

 

「あぁ」

 

 俺がそう答えるとぴょんぴょんと飛び跳ねて笑顔で喜ぶ。何この体全体で喜びを表す子、可愛いかな?

 

「スズちゃんは何にする?」

 

「ううん、私はいい…レオくんに」

 

「俺がスズちゃんに奢りたいだけだよ」

 

「レオくん……じゃあこのベイクドチーズケーキ…いいかな?」

 

「んっ、俺もそれにしよ」

 

 そうして列に少しだけ並んで、ベイクドチーズケーキを二つ購入する。

 

 …そういえば幼稚園の時も、こうやってケーキを一緒に食べていたっけ。確かあの時食べていたのは俺の母さんお手製、クリームといちごをたっぷり使ったショートケーキだったかな。

 

 なんか懐かしい…。

 

「……あら、玲音さん?」

 

 後ろから自分を呼ぶ声がした。俺はゆっくりと振り返る。

 

 そこにいたのは二人のウマ娘。エルとグラスだ。

 

「2人とも、審判お疲れさま」

 

「うぅ、少し疲れたデース…」

 

「エ〜ル〜? そんな疲れたことしていないでしょう…?」

 

「でも退屈だったデースってアイタァー!?」

 

 グラスはエルの横腹を強く抓ったようだ。うん、一瞬でもかなり力強かったな、あれ。

 

「あはは…あ、そうだ。2人もご馳走しようか?」

 

「エッ! いいんデスカ!!」

 

「そんな、申し訳ないです…」

 

「いいのいいの、お仕事お疲れさまムードってことでさ」

 

「……でしたら、お言葉に甘えさせていただきますね」

 

 そう言うと一瞬だけだが、グラスはは尻尾を横にぶんっと素早く振った。

 

 エルも尻尾を小さく細かく横に揺らしている。

 

「なにを食べる? なんでもいいよ」

 

「チョコレートケーキがいいデース!!」

 

「では私は…いちごのショートケーキを」

 

「おっけー、すみませーん!」

 

 そうしてグラスとエルのケーキも注文する。値段としては野口さんが1人と小銭が何個か消えた。

 

 だがその代わり、ここのケーキは学校の文化祭とは思えないほどクオリティが高い。

 

 ぶっちゃけもう少しお金を取ってもいい気がする。

 

「…そういえば、スペちゃんはどこかしら?」

 

「あ、確かに…」

 

「あ、スペちゃんでしたらあちらに…」

 

 そう言ってグラスは腕をある方向に向ける。その腕の先を視線で辿ってみると、そこには列に並ぶスぺの姿が。

 

 一体なにに並んでいるんだろうと、視線をその列の最先端の方へ向けてみる。

 

『大ボリューム! トゥインクルパフェ!!』

 

「……わーお」

 

 これは……野口さん一人が旅立つなと感じた。

 

   ・ ・ ・

 

 パフェも買って合流し、俺たちはイートスぺ―スに腰掛ける。

 

「感謝祭、とっても楽しいですね…!」

 

「ここの文化祭、もとい感謝祭って区内で見てもかなり力を入れているところだからね。それこそ向こうには本当の営業店なども並んでいるし」

 

「私、地元の学校はとても小さくて、中学生や高校生と同じ教室で授業を受けたりしていたんですよ。だからうちの文化祭は町を興して盛り上がったんですよ!」

 

「へ~…」

 

 なんかスぺのお話を聞いていると、マンガなどを思い出す。

 

 実際にあるんだな、本当にそういう地域でのコミュニティ的なもの。

 

 こっちに来てからご近所とかの付き合いというのはあんまりなかったからこそ、ちょっと憧れるということもある。

 

「玲音さんの小学校の頃はどんな文化祭だったんですか?」

 

「俺? 俺は────」

 

 当たり前のように答えようとした瞬間、思い出す。

 

 そうだ、自分は小学校の頃の記憶があんまりないんだった。

 

「俺は、なかったかな…」

 

 とりあえず無難な答えにしておく。中高だと文化祭があるところは多いが、小学校の文化祭というのはなかなか珍しい気がする。

 

「え、なかったんですか?」

 

「私も…小学校はなかったかな?」

 

「私とエルはそもそも文化祭という文化がありませんでしたしね…」

 

「へぇ、向こうには文化祭みたいなものはないんだ…」

 

「そーですね。夏休み前に全員で夏休みの宿題を4・3階から投げて、誰が誰の課題か分からなくする…などの恒例行事? はあったデース」

 

 少し想像してみる…夏休みの課題を持って集まる生徒、そしてカウントダウンが0になったのと同時に課題が舞い、笑いながら生徒はそのまま学校を出る。

 

 うん、用務員さんの掃除がすごく大変そうだ。

 

「ここへ来てからは色々驚かされることばかりです。生徒の手で校舎を綺麗にする、多くの行事や、礼儀作法……日本へ来て、本当によかったと思ってます」

 

「エルもそう思いマース! いいライバルとも会えマシタ!」

 

「そうですね」

 

「うん、私もエルちゃんやグラスちゃんと会えてよかった!」

 

「「…仲いいなぁ」」

 

 そんな何気なく思ったことを呟くとスズカと被った。

 

 それを聞いて3人は笑う。それにつられてスズカも笑う。

 

 そしてそれを見て、俺も笑う。5人で笑っているからか少しだけ視線が向けられた気がした。

 

 ……そうしていると、ポケットの中に入れていた携帯が震える。

 

「ちょっと席を外すよ」

 

 俺は少し離れたところに行ってから携帯を取り出す。どうやら着信のようでその着信主は先生のようだ。

 

 通話ボタンを押し、スピーカーを耳に当てる。

 

「はい、もしも────」

 

『玲音お前今どこだよ!?』

 

「んぐぁ…」

 

 突然の大きな音に俺は少しだけ怯む。そして明らかに先生の声からは怒りと焦りが混じっていた。

 

『メッセ―ジ何度も送っただろ!!』

 

「……メッセ?」

 

 俺は一度スピーカーを話し、メッセージアプリの『LANE』を開いてみる。

 

『ゴルシがどっかに行ったんだ! 戻ってきてくれ!』

 

『お~い! 見てるかぁ!?』

 

『頼む返事してくれぇ!!』

 

 …なるほど、全然気づかなかった。

 

 というのも基本自分は消音モードをオンにしているから、全然メッセに気付かなかったんだ。

 

「分かりました、すぐ戻ります…!」

 

『頼むぜ…』

 

 俺は通話を切って、4人の元へ戻る。

 

「ごめんみんな、ちょっとチーム展に戻らないといけなくなったから俺は行くね」

 

「あ、なら私も戻るよレオくん」

 

「うん、助かるよ」

 

 そうして、俺とスズカはその場を離れようとする──ふと、三人の顔色がどことなく暗いような…そんな印象を浮かべた。

 

「三人とも、どうしたの?」

 

「い、いえ…」

 

「……」

 

 なんだろう、やっぱり元気がないような…いやでも今はそんなことを考えている時間ないか…。

 

「スぺちゃんはどうする?」

 

「わた…しは……もう少しいます」

 

「おっけ、それは俺から言っておく」

 

「お願いします…」

 

「じゃあスズちゃん、行こう」

 

「うん…レオくん」

 

 そうして俺とスズカはその場を離れ───。

 

「スズカ先輩!!」

 

 後ろを振り返るとエルが立ち上がっていて、そしてスズカの瞳を真っ直ぐに見つめていた。

 

「今度の毎日王冠、アタシも出走します!!」

 

「っ…本当?」

 

「エルの目標は世界制覇! そのためにもスズカ先輩、そしてグラスには勝ってみせます!!」

 

「そう、ならその日はよろしくね」

 

「ハイ!!」

 

   

      ・ ・ ・

 

 勝負服喫茶・スピカに戻っている途中、俺はスズカの姿を横目で見た。するととても優しく微笑んでいて、耳を横に向けていた。

 

「…なんかいいことあった?」

 

「うん…追ってくれる存在って、怖いけどとても大切な存在なんだね…」

 

「……追ってくれる存在か、あんまり俺には分からないや」

 

 俺はそう言って、あははと笑う。すると「もう…」とスズカも笑った。

 

 そして喫茶店に戻って、閉店までテキパキ働いたのだった。

 

 

 




スズ「あの、ヒビルさん?」
ヒビ「……」
スズ「宝塚、もう終わりましたよ?」
ヒビ「……」
スズ「この半年で……いくつ回が進みました?」
ヒビ「……第6Rの前半場面…」
スズ「前回の投稿から…いくつ経ちました?」
ヒビ「……2ヶ月です」
スズ「……第7R、リアルの方までに間に合いますか??」
ヒビ「…善処します」
スズ「あと、これあと何年かかるんですか…?」
ヒビ「……」
スズ「あと、私の快文書も書いてください…」
ヒビ「うん…」

・大変お久しぶりです() もう存在忘れられてたんじゃないかな。ヒビルです。執筆や快文書創作に全然熱が入りません…スランプですかね? ウマ娘ももうあんまりやっていません…とりあえず、第7Rはリアルの秋天までには間に合わせます(鋼の意志) 今後とも、ススメミライへのご愛読、よろしくお願いします。


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Welcome. 〜秋の感謝祭2日目 前編〜

 前回のあらすじ:大食い対決を見た玲音たちはその後、ケーキやスイーツを楽しんだ────が、スぺ・グラス・エルの様子が…?

・UA175,000・176,000を突破しました!

・この回の前半パートはhideさんの『PSYENCE』のPSYENCE(SE)を聞きながらお読みください。

・グラスの玲音の呼び方間違えてた~!!(訂正しました)



 

『──その日、学び舎の部屋は一つの魔法にかかる』

 

 次の瞬間、その教室が開く。そして光が収まっていくと、そこにあったのは赤と黒と淡い照明で彩られた空間だった。

 

 辺りからはムーディーなジャズが流れており、ダイスが振られる音、ルーレットが回る音、カードがシャッフルされる音などが聞こえ、ところどころから談笑が上がっている。

 

 場面は切り替わり、ディーラーがカードをシャッフルしているシーンが映し出され、そしてカード配られる。そこには4人のプレイヤーがいる。それぞれはカードとにらっめこしながら、手元にあるコインをかけている。

 

 そうしてゲームは進んでいく──ブラックジャック。

 

 視点は隣にあるルーレット、ダーツ、大富豪など多くのゲームへと向かっていく。

 

 そして支配人みたいな人間がお客に対して、お辞儀をしてお客さんは退席する。

 

 「楽しかったね~」とお客たちは会話をしている。

 

 その中の一人がもう一回行かないかと提案する。すると全員は賛成し踵を返してその教室へ戻る。

 

 しかし扉を開けてもそれは普段の教室だった。

 

『本日限りのオープン…ぜひお越しください』

 

 という字幕と共に暗転し、そしてうっすらと少しずつ文字が浮かび上がる。

 

 2〇HR─Casino・Futuro.

 

   ・ ・ ・

 

 感謝祭二日目、今日はクラス展示の方を行っている。

 

 とは言っても俺の仕事時間は最初の三時間くらいだから、昨日よりも忙しいという訳でもない。

 

 そう考えながら、俺は適当にカードをシャッフルしながら、イスに座って客を待つ。

 

 今回俺の役目はブラックジャックのディーラーだ。

 

 とは言ってもそんな本格的なルールを覚えているわけじゃない。とりあえず慣れないディーラー服を着て突っ立っているだけだ。

 

 なんでもこの制服、実家が服屋さんを営んでいる生徒が借りて来たらしいけど…なぜここまでサイズにフィットしているのか…という疑問しか湧いてこなかった。

 

 そして今現在、客は入っているが、ほとんどの人間はルーレットやダーツなどの方に流れていく。そりゃブラックジャックなんて結構地味な部類になるからなぁ。

 

「谷崎~そっちに三人入るからな~!」

 

「あ~い」

 

 暇をしていると入口で受付をしている尊野が声を上げた。自分は少しネクタイを直して、背筋を真っ直ぐにする。

 

「ようこそ、カジノ・フトゥールです。ここは────」

 

「おおおおおおお!! すっごい! 本ものだぁ!!」

 

 定型文を唱えている途中に大きな声でかき消される。そしてその大声にここにいる全員は気になったのか、視線がこっちに集まる。

 

「こらきみ、もう少し声をおさえろ…」

 

「だってだってこんなに本ものみたいなんてカンドーするでしょおおおお!!」

 

「…いいから、すわるよ」

 

「……」

 

 俺の目の前に現れたのは四人のウマ娘…それもかなり小さい。小学生、だろうか?

 

 なぜこんな子ども向けじゃないところに……っと思ったが、思い出した。

 

 今回の感謝祭は土曜日と日曜日に開催していて、一日目よりも来る人は多いと考えられる。だからこそ、二日目は保護者向けの説明会も行われるのだ。時間としては9時半、まず一回目の説明会が行われている時間だ。

 

 おそらくこの子たちは暇な時間を適当な時間で潰しに来たのだろう。

 

 そしてここはポイントによってお菓子の掴み取りができる。それに釣られて来たというのが妥当だろう。

 

 なら、接し方も少しは変えないといけない。

 

「こんにちは、4人はお友だちかな?」

 

「いいや? わたしたちはたまたま親がとなりドウシだっただけだ」

 

「…うん」

 

 そう言ったのは銀髪のとってももっこもこなウマ娘。その隣にはちょこん…っと長髪の黒髪のウマ娘が服の袖を掴んでいる。見た感じ、姉妹だろうか…?

 

「でもでもここにいるってことは、ここをめざしているんだよね!!」

 

 そう言うのはとてもスポーティーな格好をした短髪黒髪のウマ娘…とても声が大きいから印象に残りやすいな、これ。

 

「……まだ分かんないけどね」

 

 その隣にいた茶髪のウマ娘、よく見ると片耳にイヤフォンを挿している。

 

「改めてようこそ、ここはブラックジャックってゲームができるところだよ」

 

「ブラックジャックってなに!!!!」

 

「それを今からあたしたちに教えるんでしょこのおにーさんは…」

 

「え~っと、簡単にいえば数が21になるようにするんだ。越しちゃダメ、でも自分に負けないようになるべく高くしないといけない」

 

「ふむ、つまりカードばんのチキンレースだな」

 

「まぁそうだね」

 

 俺はシャッフルをして、三人(長髪の黒髪の子は、銀髪のもっこもこの子の近くにいる)に配る。

 

「これで数がいいならスタンド、一枚欲しい時はヒットと宣言して」

 

「ならヒットだね!!」

 

「おい、もう少し考えた方が…」

 

「ヒット!!」

 

 俺は短髪の子にカードを配る。

 

「おおぉ~!? 24でオーバーしたぁ!!」

 

「……言わんこっちゃない…あたしはスタンド…」

 

 茶髪の子はそのまま。手札を見ると19、まぁ妥当だ。

 

「さて、わたしはどうするか…16…」

 

「一応目安としては18より上か下かで変わるね。あとディーラーがバースト(21を超えること)する可能性もあるから、あえて少ない数で切り上げるのも一つの手だよ」

 

「むっ、そうか……14だからヒットだ」

 

 自分はカードを引いて、それをもこもこウマ娘の方に滑らせる。地味に練習したディーラー風の渡し方だ。

 

 これ教室の机だとめっちゃ滑るから、上手~く手加減をしないとカードが床に落ちてしまう。

 

「ふむっ、19か…」

 

「一応ヒットは何回でもできるよ」

 

「ならスタンドだ」

 

「OK, Open the Game.」

 

 俺は山札からカードを引いて、それを見せる……23、バーストだ。

 

「はい、2人の勝ち」

 

 そう言って、俺は賭けていた数の分と同じコイン数を2人に渡す。

 

 このカジノではゲームで獲得した時運ぬ「

 

「おぉ~!! 二人ともすごい!!」

 

「…おねーちゃん、わたしもやりたい…」

 

「んっ、ブライアンもやるか?」

 

「うん…さんすーはわかるから…」

 

「んじゃ、君も入ろう」

 

「……うん!」

 

   ・ ・ ・

 

 あの子たちとゲームを楽しんで、お菓子をわいわい選ぶ仲睦まじい光景を眺めて一時間後くらい。

 

 俺はあの後も何人ものプレイヤーたちとゲームを楽しんだ。シンプルなゲーム内容だけど、その分カードによって命運が決まるから、増やすか増やさないかを悩むプレイヤーを見るのはちょっと面白かった。

 

「玲音、そろそろ上がりだぜ」

 

「尊野…あぁ、もうそんな時間か」

 

「楽しかったか?」

 

「まぁね、なかなかできない貴重な経験だったし」

 

「よし、じゃあ次のや────」

 

 次の瞬間、扉がバーン!と開けられて、何事かとそっちに視線が集まる。それは俺も尊野も例外ではなかった。

 

 そしてその音の方に向いてみると、視界の中に捉えたのはゆらゆらと揺れる尻尾と、茶髪のポニーテール。

 

 あれは…。

 

「れ―――――おん!!」

 

「うわっと!?」

 

 その娘がトウカイテイオーだと分かった瞬間、テイオーが驚異的な跳躍でこっちまで飛んできた。

 

 あまりにいきなりなことだったから少し焦ったけど、俺は上手くテイオーを抱き留めながら、その衝撃が直接来ないように少しだけ自分も後ろに飛んで力を分散させる…背中から地面に落ちるけど。

 

「ぐぇ…」

 

「お~、玲音似合ってるね~♪」

 

「あ、あはは、ありがとうテイオー…ちょっと、身体起こしていい?」

 

「あ、ごめんごめん、はい…」

 

 そう言いながらテイオーはひょいっと体を起こして、自分の方へ手を差し出す。

 

 俺はその手を握って身体を起こして────。

 

「じゃあしゅっぱーつ!!」

 

「いやどこ──にぃいいいいい!?!?」

 

 そうして俺はそのまま手を引っ張られて教室を出る…というか普通の人もいるんだから走っちゃダメだろテイオー! っと叫びたかったけど、テイオーの速度についていくのに必死なのでそんな余裕はなかった。

 

 そのまま走り続けて40秒くらいでようやく止まってくれる…もちろんそんな短時間でもウマ娘のジョギングレベルで走られた自分は虫の息なんだけど。

 

「ぜぇ…ぜぇ…な、なんなのさ、急に…」

 

「えっへへ~、ここ玲音に紹介したかったんだ~」

 

 テイオーが指を指す。

 

 そこに書かれていたのは『執事喫茶・リギル』。

 

「……執事、喫茶?」

 

「そうそう! さぁ行くよ~!」

 

「いや、まだ息がっ…」

 

「む~、しょうがないな~。じゃあ落ち着くまで待ってるよ」

 

 自分は少しずつ息を整えていく。隣ではテイオーが俺の背中をさすってくれる。

 

 そしてその教室の扉を開く────。

 

『きゃあああああああああああ!!!!』

 

 開けた瞬間、人の声が空気と共に乗ってきて俺を殴った。ついでに耳が割れそうだった。

 

 な、なんだこれ…ファンコンサート??

 

 って、さっきまで隣にいたテイオーがいなくなってるんですけど?!

 

 どこだどこだと周りを見渡してみると。

 

「きゃー! カイチョー!! ねぇねぇカイチョーすごいよねぇ!!」

 

 と、お客さんたちに混じってシンボリルドルフさんが尊い~!的なことを、とても大きな声で叫んでいた。

 

 というか、リギルすごいな。ほとんど女子やんけ…それに普通に中学生とか高校生も見えるし、ファンの層が厚いんだなぁ。

 

 なんて思っていると横から視線を感じてそっちの方向を向く。

 

 するとそこにはグラスの姿が。

 

「こんにちは、玲音さん」

 

「グラス、こんにちは。とても盛況みたいだね」

 

「あぁ~…それが…」

 

「っ?」

 

 グラスは少し苦笑しながら、自分の流星を少し撫でている。

 

「実は、あぁやって外から見ている人が多いので、売り上げとかは普通なんですよ…盛況はいいんですけどね」

 

「あ~、なるほどね。ようするにCDは買わないけど、無料のアイドルのイベントを見ている的な?」

 

「そんな感じですね。まぁ、相手が相手なので会うのも一苦労なんでしょうね…」

 

「ん~…じゃあ今は空いてる?」

 

「はい、一つ席が空いていますね」

 

「じゃあ自分も飲もうかな、あっ、2人で。あの娘の分もね」

 

「ではカップケーキはいります?」

 

「ん~、じゃあもらおうかな」

 

「お会計が800円ですね」

 

「お~、なかなかの値段…」

 

「なかなかにいい茶葉と国産に拘りぬいたカップケーキですから、あっ、ちなみに作ったのは私なんですよ?」

 

「へぇ、それは楽しみ。はい、800円」

 

「ではご案内しますね、二名様入ります」

 

 グラスについていく…と思ったけど、テイオーはまだシンボリルドルフに夢中だ。

 

 なので、俺は首元を優しく摘まみ、そのまま持っていく。あれだ、いわゆる猫持ちだ。

 

「ぴぇ?! な、なにすんのさ玲音!!」

 

「はいはい、さっさと行くぞ」

 

「え、ドコに?」

 

「そりゃ、テーブルにでしょ…」

 

 そう言うとテイオーはぽか~んっと口を開けてフリーズ。

 

 そのままフリーズしたまま持ち運んで、席に座らせる。

 

「え、あれぇ??」

 

「へぇ~机とかイスもかなりいいな…」

 

「ちょ、玲音!? なんでボクたちここにいるの?!」

 

「いや、喫茶店なんだから普通でしょ…」

 

「でも、でもぉ!!」

 

 なぜだかいやいやと駄々をこねるテイオーを無視して、俺はグラスが用意してくれたお冷を飲む。

 

 ……地味にディーラーやっていた時は全然水分補給していなかったから、自分の喉がどれだけ乾いていたかが分かった瞬間だった。

 

「え、えぇ…いいのかなぁ」

 

「いやここ喫茶店だから、お茶を飲むところだからね?」

 

「そうだけどさぁ!」

 

 わーきゃー! 言っているテイオーを眺めながら、自分は紅茶とカップケーキが届くのを待つ。

 

 …っと、しばらくするとポケットに入れていた携帯が震える。

 

 取り出して見ると、そこにはライスさんからのLANE…と同時に、マックイーンからも連絡が。

 

『玲音くん…この後暇? だったらライスのクラスの展示、見に来てくれないかな?』

 

『あの玲音さん、もしお暇でしたらご一緒に回りませんか?』

 

 とそこには時間が書かれている。

 

 読んだ感じ、2人とも会えそうだな。 

 

 とりあえず時間をずらして二人に送信、すると程無くして返答が返ってくる。どうやら二人とも大丈夫そうだ。

 

「執事がいるのによそ見するとは、いけないご主人様だね」

 

「…フジキセキさん?」

 

 自分の横に立っていたのはフジキセキさんだった。

 

 その手にはトレンチとその上には紅茶カップとカップケーキが。

 

「ロイヤルアールグレイティーと、バナナのカップケーキです」

 

「うわぁ、美味しそう…ありがとうございま──」

 

 「す」と言おうとした瞬間、俺は手を引かれる。

 

「え??」

 

「そんなご主人様には、少し罰を与えないとね」

 

「え、え?!」

 

 そうして俺はそのままフジキセキさんに手を引っ張られて、喫茶店の裏側へと誘われる。

 

 そこにはカップケーキをトレンチに乗せたシンボリルドルフさんが…。

 

「おや、君も運びたくなったのか?」

 

「いや別にそういう訳では……フジキセキさん、なんでこっちに?」

 

「君にも執事になってもらおうと思ってね、ちょうどそれらしい服も着ているらしいし」

 

「エッ??」

 

「うむ、確かによく似合っていそうだ」

 

「え、え??」

 

 え、ちょっと待って理解が追い付かない。

 

 一体何をさせられようとしているんだ、俺?

 

「ほら、私がやるようにやってみるといい」

 

 そう言いながらシンボリルドルフさんはホール(仮)の方へと出ていく。自分は覗き込むように見てみる。

 

 するとそこにはめちゃくちゃ興奮しているテイオー…わぉ、あんなにも尻尾をブンブン振っている。千切れるんじゃないかと思うくらいだ。

 

 そして何より周りのギャラリーたちの反応がやばすぎる。あっ、誰か倒れた。

 

「シンボリルドルフさん、すごく人気がありますね」

 

「そりゃこの学園の顔でもあり、元々あるカリスマ性も高いからね」

 

「……あの~、この後に出るんですか??」

 

「うん、幸運を」

 

「えぇ…」

 

 俺は少し肩をガクッと落とす。いやだってあの人の後に行くとかなんの冗談かな??

 

 というか殺されない俺? ギャラリーにめっちゃ私怨を送られてきそうなんだが…。

 

 まぁ、入る前に見たけどここは執事服のレンタルも行っているらしいし、まぁいいのかもしれないけど。

 

 なんて思っているとシンボリルドルフさんが帰ってくる。

 

「どうだ、大体分かったか?」

 

「いや、むしろ元々ない自身がさらにサーッと無くなりましたよ…」

 

「……ふむ」

 

 そうシンボリルドルフさんは口元に指を当てて、少しだけ考えたようにすると──真っ直ぐとした目でこっちを見る。

 

「谷崎くん、君は自然に接していればいい。もっと肩の力を抜くんだ」

 

 そう言いながら、ポンッと両手を俺の両肩に置く。その手のひらはなんかとても温かいように感じた。

 

「…トレーナーになると、あぁいった人前に出ることは多くなる。こういった経験は、生徒の内はそんなにできない。いい経験だと思ってやってみるといい…それに」

 

「それに?」

 

「テイオーは、きっと君の執事姿に喜ぶぞ」

 

「……執事服ではなく、ディーラー服ですけどね」

 

 というか、自分で喜んでくれるものなのかな。

 

 シンボリルドルフさんがやった方が圧倒的に喜ぶ気もするけど。

 

「冗談が言えるくらいには心に余裕があるみたいだな」

 

 そう言いながら、シンボリルドルフさんは俺の後ろに回り、トンッと

優しく背中を押す。「行ってこい…」と呟いていた気がした。

 

 その押しに身体を委ねると、俺はホールに出ていた。横を見てみるとぽかーんとしているギャラリー、そしてテイオーも目を点にしていた。

 

 そりゃそうだ、さっきまで目の前に座っていた男が何故だかウェイターをしているんだから。

 

「えっと、玲音?」

 

「(あーもうこうなったらヤケだ…)」

 

 俺は少し背筋を伸ばして、テイオーを真っ直ぐ見る。手元にあるのは紅茶だけど基本腕を固定していればそこまで揺れることはない。

 

 テイオーに聞こえない程度に咳払いして……いや、ウマ娘の聴力だったら聞こえるか。

 

 少し深めに息を吐いて、右手でソーサーを摘まむ。

 

「お待たせいたしましたお嬢様、レディグレイです」

 

「えっ…あっ…」

 

 目の前に紅茶カップが置かれて、そしてそれを凝視し、そして今度はこっちを見上げる。

 

 どことなく、頬が紅潮しているように見えた。っと思っているとテイオーが吹いて笑った。

 

「玲音、顔真っ赤だよ~?」

 

「うっ、仕方ないだろ…」

 

「勝負服喫茶の時は普通だったのに~?」

 

「地味にコンセプト違うから…」

 

 なんて話しているとカシャッと音が聞こえた。ねぇ誰今撮ったの??

 

 と思っていると後ろからシンボリルドルフさんが現れる。

 

「今みたいにここでは一般人による執事体験も行っている。もしよければやってみてほしい。私たちが直々に教えよう」

 

 次の瞬間、ギャラリーたちが動き出す。

 

 私が、いや私が! とわいわい我先にとアピールしている。

 

「なんか、すごいことになったね」

 

「……そうだな」

 

 そう言いながら俺はテイオーの向かいに座る。

 

 まさかこんな恥ずかしい思いをするとは…。

 

「……食べよっか」

 

「…そうだね」

 

 そうして、俺とテイオーは紅茶とカップケーキを楽しんだのだった。

 

 

 




・そろそろ100話かぁ…長いような短いような。(いや期間開けてただろおめぇ)

・98話も投稿してから、初めてネタバレ注意喚起入れました(遅すぎ~!!)

・最近、hideさんにどハマりです。Everythin’POSE!(4歳時代の再来とも呼ぶ)

・次回は感謝祭2日目後編の予定です。


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諦めと噂と、廃れた線路と──── ~秋の感謝祭 後編~

 前回のあらすじ:玲音はクラス展でブラックジャックのディーラーをやった後、テイオーに引っ張られてそこで執事喫茶リギルを堪能した。

・UA177,000・178,000を突破しました。ありがとうございます!



 

「スズカさん! 次はあそこに行きましょう!!」

 

「もう、急ぐと転ぶわよスぺちゃん…」

 

 私はスぺちゃんと今日も同じように感謝祭を一緒に巡っています。

 

 昨日もそうだったけど、一つ一つのことにとても感動するようにリアクションするスぺちゃんを眺めるのは、なんかとても癒されるものです。

 

 この後はリギルに所属しているスぺちゃんの友だちであるグラスワンダーさんとエルコンドルパサーさんと巡る約束をしているようで、その後私は暇になる。

 

 エアグルーヴとタイキが確かその時間帯、空いているって言ってたからちょっと誘ってみようかな…。

 

 ……なんて当たり前のことのように考えたけど、少し前までの私はこんなことは考えることがなかったんだ。

 

 レースという厳しい環境を生き残るためには、独りの方がやりやすかった。

 

 だからリギルに所属していた時は全然友だち付き合いというのも最低限しか関わらなかったし、さらに言えば他人を突き放すような言動やオーラも出していた。

 

 でも、スピカに来てからは全く真逆だ。

 

 今ではむしろ、一人の時間帯というのが少ないかもしれない。いや、しれないんじゃなくて、ないんだ。

 

 スぺちゃんが積極的に傍にいてくれるのもある。そして、レオくん。

 

 ずっと会えなかったからこそ、今のこの距離というのがとても有難い存在になっているのかも。って、私はもう何回考えただろうか。

 

 ……ふと、左手首を見ていた。

 

 そこには、何もないはずだった。でもどこか翡翠色の何かが温かみを帯びてそこにある気がした。

 

「どうしましたスズカさん?」

 

「ううん、なんでもないわ」

 

「そうで──あ! あの屋台の食べ物美味しそうです~!!」

 

「ちょ、スぺちゃん!?」

 

 そう言いながら駆けていくスぺちゃん、私もそれを追おうとした瞬間、話し声がはっきりと聞こえて来た。

 

「えぇ~!? じゃあ花火の時は一緒にいるの!?」

 

「うん、だってこの学園のジンクスの一つなんだよ~?」

 

「え~? でもそんな子ども染みたこと信じるの~?」

 

「だって、本当に叶っているんだよ?」

 

「えっマジ?!」

 

「そうそう! 花火を──」

 

「スズカさん!!」

 

 お話を聞こうとした瞬間、横から声を掛けられて少しだけ驚く。

 

 そこにはたこ串を3つくらい持って、1つを頬張っている。

 

 そしてその一つをこっちに突き出す。

 

 多分、1つどうぞということかな。

 

 私はそれを受け取って、1つパクッと食べる。磯の香りが一気に口内に広がり、噛めばコリコリとした食感がとても楽しい。

 

 うん、とっても美味しい。

 

 ……それにしても、今のやつどんな意味なんだろう?

 

 多分、あれかな? ずっと仲良くいられるとか、そんな感じかな。

 

「(だったら……花火、レオくんと見てみようかな…)」

 

   ・ ・ ・

 

 あの後、普通にお茶をしてからライスさんの教室へと訪れた……のだが、俺は絶望しました。(自動翻訳感)

 

 だって、目の前にあった看板には『恐怖の部屋』と書かれていたのだ。

 

 あ~うん、これってあれですよね。お化け屋敷ってやつですよねそうですよね。

 

 なんて思っていると中から「「ぎゃああああああ!!??」」って声が。

 

 あ~うん、はい。

 

 す ご く 行 き た く な い 。

 

 え、てか本当にここなのかな?? ライスさんって怖いのって大丈夫なタイプの人だったのかな??

 

 …とりあえず列に並ぶ。

 

 一歩進む度に、悲鳴が聞こえて…う~ん帰りたい。でもまぁせっかくライスさんのクラスの出し物が見れる訳だし…。

 

 …あれ、そういえばライスさんって俺よりも年上、だよな?

 

 ってことは、高校三年生…だよな?

 

 つまり、つまりだ。

 

「(今年がライスさんの最後の感謝祭…?)」

 

 そのことに気づいた瞬間、辺りの喧騒が遠くなった。額に手を当てて俯く。

 

 つまりライスさんは、最後の感謝祭でやることを自分に見せたかったのだ。きっとあのLANEは真剣なものだった。

 

 だけど自分は二つ返事で返した…そのいい加減さに対して、自分自身少し怒りが湧いてくる…。

 

「次の方お願いしま~す!」

 

「あっ、はい」

 

「最後に謎解きがございますので是非挑戦してみてくださ~い」

 

 順番が来たらしく、通される。俺は一呼吸置いてから部屋に入った。

 

       ・ ・ ・

 

 部屋に入った瞬間、冷気が襲ってくる。一瞬、半袖で露出している肌を手で擦る。

 

 順路は当たり前だが一本道になっている。

 

「うひゃ…?!」

 

 っと、少し進むと突然上から水みたいなのを掛けられる。後ろを見てみると、そこには小さな四角い空間ができていた。そしてそのさきから薄っすらと笑い声みたいなものが聞こえてくる。

 

 なるほど、ここから手を出して霧吹きか何かで吹きかけているんだろう。

 

 文化祭の肝試しってこういうところに手作り感とかがあっていいんだよな。

 

 なんて思っていると今度は後ろからダンダンダン!! と金属を殴るような音がその音にびっくりして振り返る。

 

 すると上の方を見るとそこにはロッカーが。

 

 なるほど、あれを叩いているのか。限られた資源でここまで思考錯誤して人を驚かせれるのって普通にアイデアに脱帽だ。

 

 さらに進むと辺りが赤い照明で照らされている。そしてその先には、誰かがいた。

 

「あ、あの~?」

 

「(カキカキカキカキカキカキカキ…)」

 

 声を掛けてもロングヘア―の女性はずっと何かを書いている。

 

 それがなんなのかと俺は覗き見るように見る…するとそこには『呪』の文字が、何十にも何百回も同じように赤文字で書かれていた。

 

「うわっ…」

 

 俺は気味が悪くなり、その場に離れようとする。その瞬間、空いた左手が自分の右足元に勢いよく置かれる。いや、叩かれると言った方が正しいだろうか。

 

「っ!?」

 

 少しビクッとしてしまった。しかしそれ以上女性は何もしないでまた呪の字を書き始めた。

 

 とりあえず先へ進むことに。

 

 と思ったら、ここで終わりのようだ。

 

 ちょっと意外と思ったが、普通の教室の大きさなら十分なボリュームかな。

 

 そうして扉を開けようとしたが…開かない。

 

 なんで? と思った瞬間に入口で言われたことを思い出す。

 

『最後に謎解きがございますので是非挑戦してみてくださ~い』

 

 ってことは、どこかに謎解きがあるはず。

 

 そうやって周辺を探すけど…どこ?

 

 あ、あれ? おかしいな、全然問題がない…。

 

 なんで? 一応周辺全部見たような…。

 

 ……なんて思っていると、次の瞬間後ろから気配が──そこにいたのは…。

 

「う、うらめしや~!」

 

「────」

 

 瞬間、自分のありとあらゆる思考する力や様々なことを伝達する理性が吹き飛ぶ。

 

 そこにいたのは──白い装束を着て両手を少し突き出して、そしてとても恥ずかしそうに顔を赤面しながらもそう言う黒髪のウマ娘…ライスさんがそこにいた。

 

 ……と、ここでぴぴぴっと何かタイマーみたいなものが鳴る音が聞こえた。

 

   ・ ・ ・

 

「どうだったかな、ライスたちのクラスの展示は…?」

 

「えぇ、まぁ……はい──理性が飛びましたね」

 

 俺はライスさんと一緒に二つくらい隣のクラスの展示店(レモネードスカッシュやベビーカステラなどの軽食系)に訪れて適当に軽食を取っている。

 

「ふふっ、今年が最後だからね。ちょっと張り切っちゃった…ちょっと恥ずかしかったけど…」

 

 そう言いながら赤面しながらも微笑み、頬の辺りをぽりぽりと指で搔いている。

 

 あぁ、その一つ一つの行動がかなり可愛らしい。これが癒しというやつなのだろうか。

 

「…あぁ、やっぱり最後なんですね。今年が…」

 

「……うん」

 

 さっきまでの楽しい雰囲気は風のように過ぎ去り、エアコンの冷気が嫌に肌に刺さる気がした。

 

「レオくんは、まだ高2だよね」

 

「えぇ…そういえば、ウマ娘って卒業後ってどうなるんですか?」

 

「え~っと、主に卒業・進学かな…一応、この学園の大学コースなどもあるけど…それは、ある程度実績がないと…」

 

「……ライスさんの実績は…?」

 

「GⅠを一勝…それ以外はぱっとしないかな。一応他のGⅠは二着とかだったけど…」

 

「え、普通にいいじゃないですか?」

 

「でもドリームトロフィーリーグに進むには、もっと勝たないと────でも」

 

 ふと、ライスさんの瞳に光が消えた気がした。

 

 そして、またさっきみたいに口角を上げながら…しかしそこに笑みなんてなかった。笑っているはずなのに、笑ってない。

 

「ライスは、もう走らないよ…」

 

「…………え?」

 

「じゃあ、ライスは戻るね」

 

 そう微笑み言いながら、ライスさんは席を立ってそのまま教室を出ていく。

 

 俺もワンテンポ遅れてその場を立ったが、あまりのことで何を言えばいいのか分からず、俺はライスさんの方にある虚空に対して少し手を伸ばす程度だった。

 

 ライスさん、なんで……なんて考えても、彼女の考えていることなんか、ましてやその感情なんて分かる訳がなかった。

 

   ***

 

 予定より少し早めに集合場所に着いたわたくしはスマートフォンでメッセージを送る。少しもしないうちに返信が返ってきます。

 

 そうしてわたくしはポケットに入れた手鏡を持って前髪を整える。ふと顔を見ると少しだけ頬が紅潮していることに気が付きました。

 

 ただ会うだけなのに、なぜここまで心と尻尾が躍り出すのでしょうか。

 

 なんて考えていると玲音さんがこっちへやってきました。

 

「あっ、玲音さん」

 

「やぁマックイーン、ちょっと遅れたかな?」

 

「いえ、わたくしも今来たところです。では行きましょうか」

 

「あぁ…」

 

 そうしてわたくしは玲音さんの隣にひょいと移動し、そのまま歩き始めます。

 

 少し周りを見てみると、ウマ娘同士で感謝祭を楽しんでいるグループもいれば、外からやって来た家族連れ…そして、カップルで来ている人たちが目に入ってきます。

 

 …わたくしと玲音さんは、傍から見るとどう見えるのでしょうか。なんて突拍子もないことを考えてしまいました。

 

「っ? マックイーンなんか顔赤くない?」

 

「へ!? そ、そんなことありませんわ!」

 

「いやいや、9月中旬…下旬? でも結構暑めだし、まさか無理しているんじゃ…」

 

「だ、大丈夫です。それに自分の体調は自分が一番分かってますわ」

 

「そう言って、1年前くらいに走りすぎて脚壊しかけてたのはどこの誰だ?」

 

「ぐっ…」

 

 玲音さんのその言葉を聞いた瞬間、わたくしがあまりにも愚かだった頃のことを思い出してしまいました。

 

 わたくしはメジロ家のコースで走っていたのですが、玲音さんの忠告を無視して走り続けた結果ちょっとだけ軽い怪我をしたことがあります。

 

 あの時は玲音さんがすぐ医者を呼んでくれたので大したことにはなりませんでしたが、医者曰くかなり危なく下手をすると疲労骨折も考えられたと言っていました。

 

「マックイーンは集中しすぎたりプレッシャーが強いと自分の状態を軽んじるからなぁ…」

 

「も、もうあんなことは起こしませんわ。わたくしももう中学二年、残り数か月でメイクデビューなのですから」

 

「そのことにプレッシャーがかかってるんじゃないか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、わたくしの心の中にあるなにかのスイッチがONになるような音が聞こえた気がした。

 

 わたくしは肩にかかっている髪を一度払い上げるように手を上げる。

 

「わたくしは、メジロの者ですわよ? その程度のことでプレッシャーなんて感じませんわ。なにせ、わたくしの目標は春と秋の────」

 

 『天皇賞制覇』と言おうとした瞬間、突然頭に手が置かれる。

 

 そして、そのまま豪快にわしゃわしゃと頭を撫でられる。

 

「ひゃあ!? な、なんですの!? せっかくさっき整えたのに!!」

 

「マックイーン、俺といる時くらいメジロの人間だ~とか、そんなの考えなくてもいいぞ」

 

「……え?」

 

「マックイーンは俺に『お嬢様』と呼ばれるのが大っ嫌いだろ? それと同じでさ、せめて俺の前でメジロうんぬん考えるのはやめてほしいかな」

 

 そう言うと玲音さんはこっちの瞳を真っ直ぐ見て、真剣な面向きで言葉を発します。

 

「俺は、マックイーンとして君と過ごしたいんだよ」

 

「っ…!」

 

 瞬間、悟りました。

 

 あぁ、やはりこの人には絶対勝てないんでしょうねと。

 

 それはもちろん単純なパワーなどではなく、心や人間性。

 

 

 だからこそ、わたくしはこの人に惚れているのでしょう。

 

 ……最初はただのお礼と尊敬でした。あの林間学校の時に迷子になったわたくしにずっと付いていてくれた。そのお返しがどうしてもしたくて爺やに調べてももらって直接会い、そしてメジロ家の邸宅に招き入れました。

 

 普通なら、そこで終わりなはず。でもわたくしはまた会う約束をして、次も…次も…わざわざ遠くからやって来て、わたくしと触れ合ってくれました。

 

 するとどんどん、あの人がどんな人なのか分かって来て…いつしか気になるようになって……。

 

「そう、ですね……では…」

 

 そう言って、わたくしは玲音さんの右手をぎゅっと握ります。そして駆け出します。

 

「行きましょう!」

 

「うわちょ、少しは加減してぇ!?」

 

   ・ ・ ・

 

 わたくしたちが向かっているのはマチカネフクキタル先輩の占い部屋です。

 

「い、意外だな…マックイーンのことだからスイーツなどの方に行くかと…」

 

「わたくしをスイーツにしか目がない娘だと思ってます?!」

 

「え、うん」

 

「あんまりですわ!?」

 

 まさか玲音さんにそんな風に思われていたなんて…いやでも、実際そうではありますし…。

 

 う~、でも少し複雑ですわ…。

 

「まぁ冗談冗談、マックイーンって占いとか信じているんだなって、ちょっと思ってさ」

 

「少しだけ、ですが。しかし、ここはまた少し違うらしいですよ」

 

 これは同じクラスの方々に教えてもらったのですが、マチカネ

 

「玲音さんは占いって信じます?」

 

「まぁ、ぼちぼち? ニュースの占いとかは無意識ながらも確認しているし」

 

「そうなんですね、そちらも少し意外です…」

 

「まぁ完璧に信じているわけじゃないからねって、ここか」

 

 なんて話をしている内に『表あっても占い』に着く。

 

 っと、同時に誰かが出てきました。あれは……確かスペシャルウィークさんとクラシックを競い合っているキングヘイローさんでしたか。その隣にいる男性の方は学生トレーナーの制服を着ています。

 

「なかなか貴重な意見が聞けたわね」

 

「そうか? しばらくの運勢は下降気味で年明けから運が向いてくるって、結構誰にも当てはまりそうなこと言っているが」

 

「違うわよ。占いっていうものは全てを信じるのではなく、それを通して己を仮に知ることで、現状を変えさせるという働きがあるのよ……それに、このキングはそんな悪い運勢にも抗ってみせるわよ、おーっほっほっほ!!」

 

「やっぱキングはすげぇや」

 

 そう言いながら2人はその場を去っていきました。

 

「あれは尊野とキングヘイローか…おっ、今空いているみたいだよマックイーン」

 

「では入りましょうか」

 

   ・ ・ ・

 

「ようこそおいでくださいました! ささ、お座りください…!」

 

 入口から入ると、その先は薄暗く紫の照明が施されたなんとも不気味な部屋でした。

 

 目の前には水晶玉、そのすぐ奥に制服姿のマチカネフクキタルさんがいました。

 

「今日は何を占いますか?」

 

「今後のわたくしと玲音さんの運勢を占ってくれませんか?」

 

「分かりました…! シラオキさまのお伝えを聞いてみましょう…!」

 

 そう言いながらフクキタルさんは水晶玉に手をかざします。

 

 そして目を閉じながらその手を複雑に動かし「ふんにゃらぴ~ひゃら」など、なんかそれっぽい呪文を唱えます。

 

「むむっ! 見えました!!」

 

「結構早いな…」

 

「まず今日の運勢ですが、お2人とも凶です!!」

 

「きょ、凶ですって!?」

 

「それはまた運が悪い…」

 

「まずそちらの…えっと…」

 

「メジロマックイーンです」

 

「メジロマックイーンさん、あなたはこの後の時間がつぶれるでしょう。それも振り回されるような形になるでしょう」

 

 なんてことですの…まさか凶でしたとは。

 

 もちろん占いということなので、そういったことを言われるのは覚悟していましたが、いざ言われるとかなりショックを受けますわね。

 

 でも玲音さんもとは…少し意外です。

 

「そしてそちらの男性の方ですが、まさに今日イヤな予感がします…」

 

「嫌な予感って……なんだそのアバウトな言い方、そんなの誰でも当た───っ?!」

 

「……玲音さん?」

 

 玲音さんの表情を見ると、どこか顔が青くなっている気がした。

 

 なぜこんなに青くなっているのでしょう…。

 

「ま、まぁ分かった…注意しておく」

 

『運勢というのは自分だけではなく、その周りも含めますから気を付けてくださいね』

 

 あれ、なんかフクキタルさんの声が冷ややか…? それにさっきよりも目に光がないような。

 

 なんて思っていると目に輝きが戻りました。

 

「では今後ですが、メジロマックイーンさんに関してはメイクデビューまでは安全です。油断せずにそのまま行きましょう!」

 

「そうですか…まぁ、わたくしは油断などしませんわ」

 

「まぁ、マックイーンにそんなイメージはないけどね…だけど根を詰めすぎるのは玉に瑕だけどね」

 

「うぐっ…」

 

「そしてえーっと、谷崎玲音さん。でしたっけ?」

 

「あれ、自分フルネーム言いましたっけ?」

 

「スズカさんから聞いています! 10年ぶりの再会を果たした幼なじみだと…!」

 

「あ、あはは…少し恥ずかしいなぁ…」

 

 そう言いながら頬をぽりぽりと掻いて頬を少し赤くしている。

 

 恥ずかしいながらも少し嬉しそうです。

 

「──ですが、あなたには言っておかなければならないことがあります」

 

「……言っておかなければ、いけないこと?」

 

 すぅ…と一呼吸を置くと、フクキタル先輩は話始めました。

 

「まずあなたの運勢……というより未来ですが、これがすごく複雑なんです。本来、人の未来というのは一本の線路が引いてあるところにポイントが三つくらい用意されており、それに従うような形なんです。これが俗に言う運命というものですね」

 

「は、はぁ…」

 

「私の占い、というよりシラオキ様はその線路のポイントを見ることが可能で、それを私がお言葉としてみなさんに説明するんです」

 

「なるほど…かなり手が込んでいるんですね……」

 

「(よくできた設定だな~叔父さん聞いたらめっちゃ喜ぶかな?)」

 

「ですが、玲音さん。あなたの線路は確かに一本な…はずです」

 

「はず?」

 

「確かに今。とても近い未来の運命の線路は見えているんです、いえ、辛うじてと言った方がいいでしょう」

 

「辛うじて? でもさっきその、しらおきさま? って神様は見えるんじゃ…」

 

「そのはずですが…あなたの未来はとても不明瞭なのです。まるで霧がかかっているような。さらに言えば、その先の影には幾千の廃れた線路が見えて…その先は…完全に見えないんです」

 

 重苦しい空気の中、フクキタルさんはそう言い切りました。

 

 つまりこれは、簡単に言ってしまえば玲音さんの未来はない…ということになるのでしょうか。

 

「それはまた…随分、洒落にならない言い方だな…」

 

「もちろん死ぬってわけではない……ですが」

 

「やめてくれそこで合間を取るの。結構この前ま──」

 

 そこまで言うと、不自然に玲音さんの口が止まります。そしてなにやらもごもごしていると、再びその口が開きました。

 

「この前、地味に車に轢かれかけたんだからな?」

 

「おっと、それは危なかったですね…」

 

「まぁとりあえず、気をつけろってことでいいんだよね?」

 

「可能性があまりにも無限大過ぎますからね…それで大丈夫だと思いますよ」

 

「……」

 

 その言葉を聞いてから玲音さんはそのまま黙ってしまいました。

 

 というよりさっきの言い方と地味に違うような…本当に玲音さんが漏らしたことは、今のが本音なんでしょうか…?

 

「そこでお2人のラッキーアイテムですが」

 

「あっ、そういうのあるんですね」

 

「まぁ占いだからあるだろ…」

 

 そう玲音さんが突っ込むのと同時に、フクキタルさんはビシッとわたくしに対して指を指します。

 

「ズバリッ、あなたのラッキーアイテムは焼きそばです!!」

 

「や、焼きそば…?!」

 

 あまりにも意外すぎる単語がフクキタルさんの口から発せられたので、わたくしは思わずその単語をオウム返ししてしまいました。

 

 と、それと同時にカーテンが開かれました。

 

   ***

 

「……焼きそばの方から現れたな…」

 

 カーテンが開かれたと思うと、そこにいたのはゴルシだった。

 

 どうやら一人で焼きそば屋を開いていたらしいが、捌ききれなくなったようでマックイーンを探していたとのこと。

 

 んでマックイーンが何か訴えるようにこっちを見て、少し考えている間にゴルシはマックイーンを攫っていった。

 

「……なぁマチカネフクキタルさん」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「さっき『この後の時間が潰れる』とか言ってたよね? まさかこれのことじゃ…」

 

「……」

 

 そう無言で笑顔を浮かべるマチカネフクキタルの顔が俺にはとても恐ろしいものに見えた。

 

 さっきの、冷ややかな目と声。まるで別の誰かが乗り移ったような変な雰囲気。

 

 あれは一体、なんだったのだろうか…。

 

「あなたのラッキーアイテムはスマートフォンです……『絶対離さないように』」

 

「っ…わ、分かった」

 

「それでは、お気をつけて!!」

 

 そう言うと笑顔で手を振って部屋から見送ってくれるマチカネフクキタル。

 

 その笑顔が、やっぱり恐ろしいものに感じた。

 

「……適当に潰すか」

 

 部屋を出た後、特に何も予定を入れていない俺は適当にぶらぶらする。

 

 帰ってもいいけどどうせ一年に2日しかないお祭りだ。何もしないっていう選択肢はあんまりしたくない。

 

 まぁ、できることなんて喫茶店っぽいところを巡るってだけだけど。

 

 なんて考えながら、俺は歩き回りながら適当な教室に入って、飲み物を飲んで食品を食べて出てを繰り返し、時間を潰していく。全部とまではいかないが、ほとんどの喫茶店・軽食系は回っただろう。

 

 そして空が夕焼け色に染まり始めた頃、学園内のスピーカーから声が聞こえてくる。

 

『以上を持ちまして、『第──回トゥインクルシリーズ秋の大感謝祭』を終了させていただきます。どの方も、お忘れ物がございませんよう、気を付けてお帰りください』

 

 というアナウンスが学園中に響く。

 

 確か数時間後に打ち上げ花火が上がるはずだけど、正直誰かと見る訳でもないしなぁ…。

 

 スズカでも誘うか? いやでもスズカにも一緒に見たい友だちはいるだろうし。

 

 ……なんて思っていると、ポケットの中に入れていた携帯が震えた。どうやら誰かから連絡が来たらしい。

 

「もしかしてスズちゃん、だったりして」

 

 自分は微笑みながら独り事を囁いて、そして携帯を手に取り通話ボタンを押した。

 

   ***

 

「それではスズカさん、また学校で!」

 

「えぇ、スぺちゃん」

 

 そう言うとスぺちゃんは同期の子たちと一緒に去っていく。

 

 この場には私だけになってしまった。

 

「……さて」

 

 私は初めに考えていたように、レオくんに連絡をかける。

 

『prrrrr、prrrrr──おかけになった電話をお呼びしましたがお出になりません。ピーという発信音の後に、お名前とメッセージをお伝えください』

 

「……あれ」

 

 私は通話を切って、LANEを開いてレオくんの個人メッセージを開く。

 

『ねぇレオくん、もしよかったらなんだけど、一緒に花火を見ない?』

 

 そうしてしばらく既読が付かないかと待ってみるけど、反応がない。

 

 もう一回電話を掛けたけど、同じ結果だった。

 

 どうしたんだろうレオくん…もしかしてもう誰かと一緒にいるのかな…。

 

「……」

 

 私は学園の校舎から背を向けて、寮への帰路を辿り始める。

 

 実は栗東寮は感謝祭の打ち上げ花火が綺麗に見えるスポットなんです。私はいつも自室で一人ゆっくり部屋の窓から花火を眺めるのが毎年の恒例でした。

 

 ……今年は、ちょっと違うかもしれないと思っていたけど。

 

「そんなに変化が続くことなんて、むしろレアよね…」

 

 周りには私だけではなく、同じく寮に帰る生徒や一般参加客などが帰路を辿っている。

 

 ……ふと私は視線を上げて、前を見ました。

 

 するとそこにいたのは──顔を青白くし焦燥の表情を浮かべながらタクシーに乗ったレオくんが視界内に映ったのだった。

 

 私は──なにか、胸騒ぎがしましたが、その場を動けませんでした。

 

 

 




・これふつ~に二つにすればもっと早くに投稿できたのでは…?(困惑)

・メジロブライト…かわいい…。

・マックイーン来てよォ!!(悲しみ

・次回、その後のお話をお送りする予定です。


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心配はいらないよ。

 前回のあらすじ:なんか、色々ありました。(ざつぅ! だけど全部書くとエグイことになるので勘弁!!)

・UA179,000を突破しました。ありがとうございます!



 

『母さんが、倒れた』

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の血の気は引いた。

 

 視界がぐにゃりと歪み、呼吸が不規則になる。

 

 母さん……つまり、叔母さんが倒れたっていうことなのか。

 

 な、なんで…だって叔母さんは健康体そのもの。持病があるなんて聞いたこともないし、ましてや風邪を引いたところだって見たことがない。

 

 スピーカーで何か叔父さんが叫んでいるけど、何も入って来ない。

 

 だって今の俺の脳裏には──。

 

『おかーさん! おかーさん!! なんで! なんで!! ねぇ! ねぇ!!』

 

 動かなくなり、電子音が永遠に鳴り響く病室。

 

 そこには医者と小さな俺と、動かなくなった母さん。

 

 それに今の叔母さんの状況が重なる。

 

「叔父さん! 病院はどこ?!」

 

『あ、あぁ…○○病いn──』

 

 病院名が分かった後、俺は電話を切ってそのままタクシーを呼ぶ。

 

 しばらくするとタクシーが来て慌てて乗って、声を荒げながら病院名を伝える。

 

 その切羽詰まった声にタクシー運転手も驚いたのか、少し口を開けながらも「しっかりとシートベルトをお締めください」と言うと、法廷速度ギリギリで走って病院へと向かっていった。

 

 その間、俺は嫌な予感というものが頭の中に浮かび出ては振り払うというのを何度も何度も繰り返す。

 

 それでも胸が締め付けられる感覚はずーっと、続いた。

 

   ・ ・ ・

 

「ただの貧血よ」

 

「ひん……けつ?」

 

 病院に着いた後、一万円札をポンと出してそのまま飛び出るようにタクシーから出ていって、病院に駆け込む。

 

 叔母さんの名前を受付で言うと、すぐに病室を伝えられたのでダッシュをした。

 

 周りから「病院内は走らないように!」と言われるが、今の俺にそんな公共施設でのマナーを考える余裕はなかった。

 

『香菜葉さん!!』

 

 病室に着くと俺は勢いよく扉を開ける。

 

 そしてその先にいたのは──仲良く揃って俺の事を目を丸くして口をぽか~んと開けてい鞍安徹夫さんと患者服を着た妻、そして俺の叔母に当たる鞍安香菜葉さんだった。

 

 ──そして今に至る。

 

 俺の傍では正座をさせられている叔父さんが。

 

「あなた…ただの貧血なんだからそんなに大げさにしないの…」

 

「だ、だって急に倒れたから…」

 

「だからって玲音くんに誤解を招くような説明をしないの!」

 

「ハイ…スミマセン」

 

 そう言ってさらに肩身を狭くして小さくなる叔父さん。

 

 はぁっと叔母さんがため息を着くと、叔母さんはひょいとひょいと手招きをする。

 

 俺は椅子から立って叔母さんに近づく。

 

「ごめんね、玲音くん心配かけちゃって…」

 

「いえ…大丈夫です」

 

「……嫌な思い、させちゃったね」

 

「……」

 

 叔母さんは恐らく分かっているんだ。

自分がどんな気持ちでこの病院に来たのかを。

 

 自分が傍に寄ると叔母さんはさす…さすと俺の頭を撫でる。少しくすぐたかったくて目を閉じたけど、嫌な思いは一切しなかった。

 

 ふと目を開けると、真っ白でつやつやとした白毛の尻尾が、真っ白なベッドのシーツを撫でていた。

 

「私は大丈夫だけど、ちょっと検査しないといけないの…それでも三日くらいだけどね」

 

「うん…本当に大したことがなくて、よかった…」

 

「でもそこで小さくなっている人、一人になると何しでかすか分からないから…私が戻るまで近くにいてくれないかな?」

 

「……うん、分かった」

 

「いいのかい玲音くん? 学校もあるだろう?」

 

「大丈夫、ちょっと休んだくらいで進学できないとかにはならないよ」

 

「いやでも別に僕一人でも大丈夫──」

 

「「そう言って数年前に朽ち果ててたのは誰??」」

 

「……ハイ」

 

 叔父さんは確かにマンガを描くことに関してはとても高い技術力を持っている。

 

 だが、神様は叔父さんを作る時にマンガの実力しか入れなかったのだろうか。それ以外はからっきしダメなのである。

 

 高級車に乗ってるとはいえど基本法定速度の15キロ以下で運転し、家事はダメダメ。運動もはっきり言えばあんまりできない。50mをダッシュして半分くらいでペースを落とすくらいだ。

 

 そして叔父さんが缶詰めしている中、とある出来事で俺と叔母さんだけ一日出かけたのだが、そこにはぐちゃぐちゃになった家と倒れた叔父さんが……なんて、一種のホラーじみたこともあった。

 

「叔父さん一人ってシンプルにこっちも心配するから…」

 

「あはは…本音を言うと助かるよ…」

 

「じゃあ、よろしくね。玲音くん」

 

「えぇ、分かりました。香菜葉さん」

 

   ***

 

『──っと、いうことなんだ』

 

「そう、大変だったんだね」

 

『うん、でも心配することは何もないから』

 

「うん…」

 

 あのまま花火を見上げる時間を過ごしていると、私のスマートフォンに着信が来てました。

 

 取り出してみると『レオくん』と表示されていて。私はすぐに着信ボタンを押して電話に出ました。

 

 そしてレオくんの口から『叔母さんが倒れて家事をするから数日学園を休む』ということを教えられた。

 

「分かった、トレーナーさんにそのことを伝えておくね」

 

『助かるよ』

 

 その後は今日の出来事、つまりお互いがどんなことをしたのかみたいなことを世間話をしました。

 

 レオくんはクラス展示でディーラーをやっていたと教えてくれた。少し想像してみるけど、とても似合っていると思う。顔を出せばよかったな~っと少し後悔してしまいます。

 

 私はずーっとスぺちゃんと一緒にいて色んな展示物や食べ物飲み物を食べて過ごしたことを話した。

 

 レオくんはそれを聞いて『スぺらしいね』と電話越しに笑っていた。

 

『あ、そうだスズちゃん。一つ気になったんだけどさ』

 

「ん、なに?」

 

『LANEでなんか自分にメッセージを送っていた? 取り消しになっていたけど…』

 

「っ…」

 

 そう、私はあの後いつまで待っても既読にならなかったため、LANEで打ち込んだメッセージを送信取り消ししました。

 

 でもLANEのシステムとして、その取り消しのメッセージは残される仕様です。

 

「そ、れは…」

 

 私が何かを言おうとしていると……。

 

『あれ、なんか聞こえる…爆発?』

 

「え?」

 

 ウマ娘は電話の際は基本スピーカーです。だから周りの環境音なども拾います。

 

 だからこそ聞こえるのでしょう。近くで咲いている花火の音を。

 

「……今こっちはね、花火が打ち上がっているの」

 

『あぁ~、そういえば毎年打ち上がっていたっけ…ってことは今は外?』

 

「ううん、寮の自室。それでもとても綺麗に見えるんだよ」

 

『へぇ、なんかいいね』

 

「うん、とても綺麗」

 

『「……」』

 

 しばらく、沈黙が続く。

 

 その間、周りには花火が咲く音が響いている。

 

『「…行きたいなぁ」』

 

『「……え?」』

 

 あまりにも自然と発した言葉、その言葉は偶然なのか必然なのか重なりあった。

 

 しばらくの後、また沈黙が続く。

 

「(──今なら、言える。大丈夫、素直に言うだけ…)」

 

 私はマイクが拾わないくらいの小さな深呼吸をして、言葉を発する。

 

 少し、スマートフォンを持つ手に力が入った気がしました。

 

「ねぇ、レオ──」

 

『スズちゃん、10月のどこかにある花火大会に行かない?』

 

「……え?」

 

 スピーカーから発せられた言葉に、私は驚きを隠せません。

 

 確かに、私は似たようなことを言うつもりでした。でもそれは年内のことではなく一年後。つまり高三の時約束を交わそうと思っていました。もちろん時期尚早だと思っていたけど…。

 

「ら、来月?」

 

『うん、多分あるでしょ。花火大会』

 

「え、えっと…」

 

『まぁ、スズちゃんがよかったら…でいいんだけど…』

 

「……そう、だね。じゃあ毎日王冠が終わったら…いいかな」

 

『もちろん! こっちで計画は立てておくよ』

 

「うん、じゃあそろそろ切るね」

 

『うん、おやすみスズちゃん」

 

 そうして、レオくんからの電話は向こうから切られた。

 

 私はしばらく打ち上がる花火を見上げて、少し顔をを綻ばせ尻尾をぶんっと勢いよく振りました。

 

 

 

 

 




・L○NEのあの機能少し不安になりますよね…私だけ?

・大学でキャンプ(登山)しています。めっちゃハードスケジュール()

・次回の内容は未定です。お楽しみに。


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近い存在だからこそ、できることは何か。

 前回のあらすじ:玲音は叔母が倒れたことを電話で聞いて駆けつけるが貧血だった。しかし家に居られない叔母の代わりに数日間は学園を休むことを決めた玲音。その日の深夜、電話越しで話し合う玲音とスズカは花火を見に行く約束を交わした。

・UA180,000・181,000を突破しました。ありがとうございます!



 

「えーっと、牛肉にじゃがいも。それに玉ねぎに…あ、砂糖切れていたな」

 

 叔母さんが倒れてから翌日、俺は鞍安家の専業主夫になっていた。

 

 朝から朝食を作って洗濯をこなし、空いた時間は勉強……ではなく、ゲームや過去のレースの動画などを見ていた。

 

 とくに今度はスぺの菊花賞などもあるから、ライバルたちの動きを確認したかった。まぁ何か月も経っているから全然違うとは思うけど。

 

 そしてまぁ、一番のライバルはセイウンスカイで間違いはなさそうだ。

 

 ダービーで競ったエルは凱旋門賞へ向かうため、それと同じ距離であるジャパンCへ向けて調整を進めてくるだろう。

 

 グラス…は正直分からないけど、それは次にある毎日王冠で分かる。まぁ、怪我明けになるからそこまで無理してほしくないけど。

 

 そしてキングヘイローだが…正直、菊花賞に出てくるのだろうか。個人的には出る可能性としては低いとは思うけど、キングヘイローがクラシックに掛けている情熱は誰にも負けないくらいだ。

 

 出ては…まぁ来るか。

 

 どこまでキングヘイローができるのかは、自分が一番気になっているし。

 

 …にしても、セイウンスカイ……か。

 

 最後に言葉を交わしたのは9月初めの遅刻が確定したあの時。それ自体は別にいいけど…。

 

「(なんか、どこかおかしいような気がしたんだよな…)」

 

 おちゃらける態度は皐月賞の偵察時に分かっていたけど…なんだろう。おちゃらけるっていうより、本当に諦めているような…。

 

 それに九月の最初にセイウンスカイと会ったけど…なんか元気がなかったというか、元気なフリをしているように見えていたというか……なんか分かんないけど、なんかモヤモヤする。

 

「……まぁ、今考えても仕方ないか…」

 

 とりあえず自分は目の前の夕飯の買い出しとその後の料理のことを考えないと…。

 

 てか、あっちにいると基本ウマ娘のこととかレースのこととか、色々考えてたけどそこまで考えることって無くなったなぁ。

 

「……数秒前の俺、ふつ~に考えてるじゃねえか。ははっ」

 

 なんか変な笑みが出た。

 

 なんて思っているうちにスーパーへ到着した。

 

 肉じゃがの材料に…あと刺身用のアジとサンマ、あと冷製パスタの材料なども購入。ついでに駅前のドーナツ屋さんでドーナツを購入する。

 

「んじゃ、そろそろ帰るかなっと」

 

 自分はママチリ自転車にスーパーとドーナツ店で買ったものを入れて、家までの帰路につく。

 

 それにしても、叔母さんは退院するまでって言っていたけど、そろそろ目処が立ったのだろうか?

 

 いくら向こうの生活を考える時間が減ったとはいえど、夜になるとスズカがLANEで今日習った一般高校教養教化のノートが送られてくる。

 

 ウマ娘とトレーナー学科の授業進行スピードはほぼ同じだということは、一学期の勉強を頼んだ時に把握している。

 

 だからスズカには今日習ったノートを送ってもらうように頼んでいるのだ。

 

 でも二学期からは選択授業のなんか…マッサージ?とかがあるから、そっちは遅れを取り戻さないといけない。

 

 ……というか、あの選択に見覚えのない事件はなんだったんだろうか。

 

 そこまで苦ではないけど、でも将来どっちが役に立つかって言われれば圧倒的に英語なはずだよな?

 

 まぁ、今考えても仕方ないこと────。

 

「ぬぁ!?」

 

「きゃ!?」

 

 建物の死角から何やら人影が突っ込んっで来たので俺は体を傾けなんとか回避する。

 

「ほわっ!?」

 

 …でも、現実は非常であり、結構急に避けたことによって自分はバランスを崩す。

 

 ガシャンッ!っと金属音が鳴り響く。即座に体に衝撃が走り、手のひらと脚周りに熱い何かを感じる。それと同時に痛覚が突き抜ける。

 

「いたた…」

 

「だ、大丈夫ですか…!?」

 

 飛び出して来た人影が声を掛けてくれる。横に倒れているので近寄ってくる足が見え──赤ジャージに、赤の運動靴?

 

 あれ、どっかで見たことが…。

 

「あ、あら? 玲音さん…?」

 

 あれ、どっかで聞いたことがある声…。

 

 俺はゆっくりと顔を上げてその人影の顔を確認する。

 

「……グラス?」

 

 そこにいたのはトレセン学園の指定のジャージを着て、額や頬に汗をかいていたグラスワンダーが…そこにいた。

 

   ・ ・ ・

 

「動かないでくださいね、沁みますよ」

 

「っつぅ──!」

 

 あの後、俺はグラスと近くの公園へ入ってグラスに消毒液や絆創膏を近くの薬局で買ってもらって、ついでにそのまま応急処置を受けている。

 

「はい、これで大丈夫だと思いますよ」

 

「あぁ…ありがとう」

 

 そう言うとグラスは応急用具を自分の買い物バッグに入れてくれた。

 

 幸いにもたまごとかガチで割れやすい食材はなく、トマトなども上の方に置いていたので少し土を被った程度で済んだ。

 

 ふぅと一息をつきながら、グラスが自分の隣に座ってくる。

 

 しばらく、遠くでツクツクボウシが鳴って、少し涼しい風が吹き抜け公園の草木が揺れる。

 

 横を見てみると目を閉じながらスポーツドリンクを喉を鳴らしながら飲んでいる。

 

 その姿が、なんか妙に美しいと思ってしまった。

 

「……私の顔に何かついてます?」

 

「あっ、ごめん…あっ、糸くずが…」

 

 本当はそんなことはないけど、とりあえず取るふりをしておく。

 

「ありがとうございます」

 

「いやいや……」

 

 その後またお互い正面を向いて無言の状態になる。

 

 ……気になる。

 

 なんでグラスがこんなところにいるのだろうか。ここからトレセン学園はとてもとても遠いはず。

 

「「あの…!!」」

 

「「あっ……」」

 

 話を聞こうと思ったら運がいいのかは分からないけど、グラスと発言が被ってしまった。

 

 グラスの方から話してもらおうとグラスの方を見ると、にこにこと笑顔を向けながら手をこっちに向けていた。

 

 こっちから話してほしいということだろう。

 

「……グラスは、なんでここに?」

 

「そうですね。自主的なランニングを行っていたら、ちょっと悩みごとがあって…ずっと頭の中で考えていたらいつの間にかここまで……って感じですね」

 

「そっか……いやでもここからトレセン学園ってかなり距離あるよね?? 脚とかシューズとか大丈夫なの?」

 

「いえ…12キロくらいでしたらウマ娘の脚力でしたら3・40分で────」

 

「でも地面はアスファルトだ。芝の上を12キロで走るのとは訳が違う……それに、グラスはまだ怪我明けだろ?」

 

「……」

 

 グラスは耳を少し後ろに倒して、明らかな不満な表情を浮かべていた。

 

 普段のグラスの性格や顔を少しは知っているからこそ、今彼女が浮かべている表情は初めて見たかもしれない。

 

「玲音さんも……そう言うんですね」

 

「も…? ってことは他の人にも?」

 

「先輩方のウマ娘さんや学生トレーナー、そしてチーム代表者である東条さんに」

 

「…つまりあれか。練習したいけど全然できないから勝手に自主練してたらここまで来ちゃったっと」

 

「……えぇ…」

 

 そう言うとグラスは目を閉じる。

 

 しかしさっきよりも忙しなく尻尾を動かしているのを見ると、かなり気が立っているように見える。

 

 さて、どうしようか…。

 

 正直、ここで怪我明けのことを叱って多分今日グラスに言われたことのくり返しだと思うし…はっきり言って自分がその事を叱るのはお門違いな感じもある。

 

 …なにより、彼女だってまだ中学三年。叱りの言葉は、反感を呼ぶかもしれない。

 

 でもこのままだとどこかに行ってしまう可能性があるし…。

 

 ……仕方ない。

 

「いてて…」

 

 俺は苦悶の顔を浮かべながら少ししか痛んでいない横腹を抑える。

 

「だ、大丈夫ですか…?!」

 

「ちょっとまだ痛んでてさ…よかったらなんだけど、家まで付き合ってくれないかな?」

 

「え、えぇ。分かりました…」

 

 本当はそこまで痛んでいないけど、これでグラスがこの場から去ることはなくなった。

 

 あとは家に着いた後だけど……夕飯に誘えば行けるかな…。

 

「あの、本当に申し訳ございません。私の不注意のせいで…」

 

「いや、あれは俺の前方不注意だからグラスが気に病むことはないよ。むしろごめん、そっちの脚は大丈夫?」

 

「え、えぇ…大丈夫です…」

 

 幸いにも、お互いほぼ怪我はなかったということだ。そのことに心の中で安堵の息を漏らす。

 

 歩いて数十分、叔父さん宅前までやってくる。

 

 そのまま鍵を開けて、グラスを先に入れて玄関側を自分の方になるように立ち回る。

 

「ありがとうグラス……かなり助かったよ」

 

「いえ、では私は──」

 

「あぁ待って待って! ここまで来たんだから夕飯食べていかない?」

 

「え、そんな申し訳ないですよ…」

 

「大丈夫大丈夫、二人分も三人分もあんまり変わらな──」

 

 「いから」と言おうとした瞬間、がっしゃーん!!っと何か金属音みたいなものが響く。

 

「「っ!?」」

 

 俺とグラスは玄関先から音のしたリビングの方に行く。

 

 そこにいたのは……なんか人差し指を突き出しながら倒れている叔父さんだった。

 

「お、叔父さー-ん!?」

「きゃああああああ!?」

 

       ・ ・ ・

 

「いやぁ帰りが遅かったからせめてパスタ茹でる用のお湯を用意しようかと…」

 

「まだお水で本当によかったよ…(というかこの人がガス使ったらガス中毒になってもおかしくない)」

 

「ところで…そこのお美しいウマ娘さんは…もしや?」

 

「ち、違いますからね? 私は──」

 

「グラスワンダー、チーム・リギルの新人ウマ娘の一人でエルコンドルパサーや、他チームのスペシャルウィークとの同期でジュニア級では最優秀賞ウマ娘。でも今季のクラシックでは脚を故障してしまって参加できなかった」

 

「っ…」

 

 流石叔父さん。チーム・リギルのウマ娘もちゃんと把握済みか…。

 

「というかなんで玲音くんリギルのウマ娘とも関係があるんだい??」

 

「まぁ、成り行きで…」

 

「そ、そっか…まぁグラスワンダー。ここで夕飯を食べていきなさい。寮長にはこっちで連絡しておくよ。そこでゆっくりしててね」

 

「え、あっ…」

 

 叔父さんはグラスの肩をぽんぽんと叩くと、こっちに視線を送った。

 

 まぁ、電話は自分の方がいいよな。叔父さんが連絡したらいよいよ誘拐だし、そもそもこの件を持ってきたのは自分だ。

 

 ということでリビングから出て美浦寮の電話へ……すると出てきたのはグラスと同じリギルのメンバーであり、同時に美浦寮の寮長をしているヒシアマゾンさんだった。

 

 一応、顔見知りではあるということ。そして今日のグラスの様子を分かっていたからこそ、話しはとてもスムーズに終わった。

 

『あんまり遅くにさせないこと…あと帰ってくる時は一応もう一回、こっちの電話で知らせてくれ』

 

「分かりました」

 

『……あの子のこと、よろしくな谷崎』

 

「えぇ」

 

 ぷつっと電話が途切れる。

 

 リビングに戻って寮長からの許可が取れたことをグラスに伝え、そのまま調理を始める。

 

 ちょうど今日買った牛肉は二人だとちょっと多いくらいだったのでむしろちょうどいい。適当に野菜を切って肉をほぐし、適当にちゃっちゃっと野菜と肉を炒めて調味料入れて水を入れてと、慣れた手つきで肉じゃがを作っていく。

 

「あの~玲音さん、やっぱり私もなんか作ります…」

 

「あぁ~…じゃあ味噌汁頼める? そこに豆腐、乾燥わかめ、しめじがあるから」

 

「はい…」

 

 俺は冷蔵庫からかぼちゃを取り出して、切って適当に調味料入れてレンチンしてカボチャの何か(煮てはいないけど、まぁカボチャ煮?)を作る。

 

 ……叔父さんはリビングの方でサブスクを使って外国のドラマを見ている。その端のキッチンで俺は知り合いのウマ娘と一緒にご飯を作っている。

 

 今冷静に考えてみると、結構不思議なことだなぁ…。

 

 誰かと料理なんて、家族以外とするとは思っていなかったし、今思えばこの叔父さん宅に誰かをあげたのも初めてだし。

 

「わ、わぁ!?」

 

「どうしたグラス?」

 

「いえ、いつも寮で見てるくらいのわかめを入れたんですけど…」

 

「……あ~…」

 

 小鍋を覗いてみるとそこには緑色の物体が鍋を覆いつくしている光景があった。

 

 あぁ、なるほど。グラスって確かアメリカからの留学生だっけ……あんまり増えるわかめというのに慣れていなかったんだろう。

 

「あぁ~これね、スプーン一杯で十分なんだよね」

 

「それだけでいいんですか…?!」

 

「うん、まぁわかめは多くても味噌汁は美味しいから大丈夫だよ」

 

「は、はい…」

 

   ***

 

『ごちそうさまでした』

 

 私は玲音さんの食卓で自分、玲音さん、玲音さんの叔父さまの3人で囲んで挨拶を交わす。

 

 そのことになんとも不思議な気持ちを浮かべながらも、談笑などを交わしながら夕飯を楽しむ。

 

 普段寮やアメリカに帰った時にやっていることなのに、ただ場所とシチュエーションが違うだけでこう気持ちが変わるものなんですね。

 

「玲音さん、皿洗い手伝いますよ」

 

「じゃあお願いしようかな」

 

 そのまま私は玲音さんと一緒に皿洗いを始める。

 

 玲音さんは洗剤で食器皿を洗って、私は乾きタオルで食器皿についた水滴を拭きます。

 

「どうだった、俺の肉じゃがは?」

 

「とてもじゃがいもがほろほろとしていてもなお、かつ程よい硬さで……そして味がとっても染み込んでいてとても美味しかったです」

 

「あはは! それはよかった!!」

 

 素直な感想を伝えると玲音さんは見たこともないくらいの笑顔を私に向けます。

 

 この人…普段から柔和な感じはするのに、こんなにも無邪気な笑顔を浮かべることもできるんですね…。

 

 ちょっと意外と言いますか…玲音さんの知らない表情が知れました。

 

「んっ? なんかついてる?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

 そうしてまたしばらく無言の時間が続く。でもそんな時間でもどこか安心するような……不思議な感じです。

 

 そのまま時間は過ぎていき、玲音さんが用意してくれたタクシーが到着し、私と玲音さんは玄関から出て外に出ます。

 

 タクシーに近づくと自動的にドアが開きます。

 

 私はタクシーに乗る────の、ではなく、踵を返して玲音さんに近づきます。

 

 そのことに対して少し驚いたのでしょうか、玲音さんはびくっと身体を震わせて驚いています。

 

 私は玲音さんの前で立ち止まります。

 

「玲音さん、今日はありがとうございました。怪我を負わせてしまったのに…」

 

「あ~、それなんだけどさ~実はそこまで酷い怪我じゃなかったんだよね」

 

「え?」

 

「……あ~、なんて言えばいいのかな~」

 

 そう言いながら玲音さんは後ろ髪をぽりぽりと弄っています。

 

 その時、Tシャツの袖から横腹が少しですが見えました。だからこそ分かってしまいました。

 

 彼の横腹が青く腫れていることを。でも目の前の彼はそこまで辛くなさそうです。

 

 …これが、谷崎玲音さんっていう人間なんだ。

 

 だからこそ、気になる。

 

「玲音さん、なぜ私を家に誘ってくれたんですか?」

 

「……自分が誘いたかったから…じゃ、ダメ?」

 

「ダメです」

 

「うそーん…」

 

 少し、意地悪でしょうか?

 

 ですが、私は知りたいです。彼を──。

 

「う~ん、意味ってわけでもないと思うけど。俺もさ、最初はあの公園でグラスが言われたようなことを言いそうになってたんだ」

 

「……」

 

「でもさ、それって超簡単に言えばさ、宿題をやれって言われるとやりたくなるあの現象と同じ…つまり反発するんじゃないかって。ていうか俺ならそうする」

 

「……玲音さんなら、ですか」

 

「そっ、それにさ」

 

 そう呟きながら、玲音さんは上を見ます。私も釣られて上を見ますが、そこには一等星の輝きしかありません。

 

「自分とグラスの関係は、多分トレーナーとウマ娘なんかじゃなく”生徒同士”だからさ。だから俺がすることは叱ったり、一般論を諭すんじゃなくて、親身に寄り添うことなんじゃないかって…ね」

 

「────」

 

 あぁ、そういうことですか。

 

 私は、あの時…初めて会った時、リギルにいた学生トレーナーとは全然違う雰囲気がしました。

 

 だからこそ私は、1人で座っていた彼に声をかけた。

 

 そうして少しだけど彼と交流する機会があって…その度にやっぱり他の学生トレーナーとは違うと思いました。でもその理由の核心は分からなかった。

 

 でも、今分かりました。

 

 彼は私たちを特別な存在を扱いしていない。

 

 ウマ娘は人間と同義とされていますがその身体能力の高さやその容貌の良さで、どこか距離を開ける人はいます。とくにここ中央のレースへ出るトレセン学園は特に。

 

 でも、玲音さんは普通の生徒として扱い、かつフレンドリーに接する。

 

 そこが、他の学生トレーナーとの大きく違うところ。

 

「……あなたのことが、少し分かった気がします」

 

「え?」

 

「ありがとうございました玲音さん。そして、お休みなさい」

 

「あ、うん。おやすみ…」

 

 そうして私はタクシーに乗り、トレセン学園へと帰りました。

 

 同室のエルにとても心配されましたが、私の様子を見たエルは必要以上に心配することはありませんでした。

 

 ……どこに行ってたかは、登戸とだけ行って玲音さんの叔父さま宅に行ったことは内緒にしておきました。

 

 いつものように就寝の準備をし、ベッドに横になります。

 

 最近は重圧や焦りなどでなかなか寝付けない日が多かったですが、今夜はぐっすり眠れる。

 

 そんな感じがして、目を閉じてしばらくすると────。

 

 

 




・お久しぶりでございます、ヒビルです。スランプに陥ってます。(確信)さらに大学も始まりますので遅くなりますね(多分)

・アヤベさんと温泉行けましたPEACE!……New育成ウマ娘が出ない(´;ω;`)

・次回も特に未定です。お楽しみに。


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蕾が実る時

 前回のあらすじ:叔父の家で学園やウマ娘と関わらない生活を過ごしていた玲音。しかし買い出しの帰りにグラスと出会う。そのまま夕飯に誘った玲音はグラスに親身に寄り添った。

・UA182,000・183,000を突破しました。ありがとうございます!



 

 ──10月に入り、潮風に少しの冷気が混じっている。地面に座っているけど、コンクリートの地面はとても冷たい。

 

 ──私の耳に届くのは、穏やかに流れている波の音。

 

 ──そして、隣にいる人間の呼吸音。その人は捕縛用のネットを持ちながらぼーっと前に広がっている海を眺めている。

 

 ──ここだけ、まるで静止画になったかのように時が止まっている。太陽が水平線の向こう側に沈み始めて空が黄昏る。

 

 ──何もしないという、普通では愚策なこと。でも、これでいいと思うんだ。

 

 ──だって…。

 

   ***

 

「いてて…」

 

 制服に着がえながら、横腹を少し抑える。

 

 季節はいよいよ秋が深くなってきた10月。学園側から衣替えの案内が出始めた頃に俺はトレセン学園へと戻ってきた。

 

 実はあの後横腹の痛みが治まらず悶絶したので病院に行くと、かなり酷い打撲だったことが判明したのだ。

 

 まさかあの時コケたのがここまで酷いものだとは思わなかった。そう思うのと同時に人間のアドレナリンやらなんやらの興奮物質の作用はすごいものだと思った。

 

 んで叔母さんは帰ってきた後も自分は通院して思った以上に休みが長くなってしまったのだ。

 

 んである程度良くなってから戻ってきた訳だが、その痛みは地味~にまだ引きずっている。

 

 まぁ、日常生活には支障をきたさないレベルだから大丈夫だとは思うが。

 

 でもそのせいでスズちゃん、そしてグラスが出た毎日王冠は応援に行けなかった。

 

 結果からすればスズちゃんが危なげなく勝った。でも応援できなかったことがあまりにも辛すぎる。

 

 それに…グラスは5着、自分が現地にいれば何か励ましの言葉でもかけられたんじゃないかと思ってしまう。

 

 いや分かってる。グラスはチーム・リギルのメンバーでその管轄は東条さんということは…。

 

 それでも──っと思ってしまうのは、俺の悪い癖だろうか。

 

「はぁ…」

 

「なーに久しぶりに来ていきなりため息ついているんだよ」

 

「あぁ、尊野。おはよう」

 

「おう」

 

「おはよう、谷崎くん」

 

「道もおはよ」

 

 数週間ぶりに出会うクラスメートを見て、『あぁ、ちゃんとトレセン学園に戻って来たんだな』ということを再認識する。

 

 来て早々、机の中には今まで出ていたであろうプリント類の山を見て少し絶望はしたものの、また普通の学生人生が始まるだろう。

 

「そういえばお前のところのサイレンススズカすごいな」

 

「特別オープンの2月から負けなしだよね、確か…?」

 

「……そっか」

 

「そっかって…谷崎が所属しているウマ娘だろ……」

 

 やれやれっと言った感じにため息をつく尊野。

 

 あぁそっか。俺にとってスズちゃんって自慢の幼なじみ! って感じだけど、周りの人から見ればかなり上の存在なんだ。

 

「でも確かにスズちゃんは世間から見たらすごい存在なんだろうなぁ……」

 

「「……ん??」」

 

「んっ?」

 

「ちょ待て谷崎、スズちゃんって誰だ??」

 

「え、まさかサイレンススズカのこと??」

 

「……あ、そうだ。あんま人前では言ってなかった」

 

 ということで軽くだけど自分とスズカの関係に関して説明した。

 

 すると、二人とも口をぽかーんっと開けて目を丸くしていた。

 

「いや…ここで再会って……」

 

「どこのライトノベル…?」

 

「んっ? 道ってラノベ見るんだ」

 

「あっ…」

 

   ・ ・ ・

 

 帰りのSHRが終わり、各々は自分たちのチームの部室へと向かう。もちろんそれは俺も例外ではない。

 

 すごい久しぶりの部室だということもあるし、何より今日ここに来てからチームメンバーの誰一人として姿をみていないからか、久しぶりに会えると思える反面どんな顔をして接すればいいのか分からない。

 

「……いつも通り、いつも通り…」

 

 そう唱えて少しだけ深呼吸してから部室の扉を開ける。

 

「っ! レオくん…」

「あっ、玲音さん!」

 

「戻ってきたみたいだな」

 

「おっせーぞ新人!」

 

 そこにはスピカのみんながいた。

 

 なんかたった数週間会ってなかっただけなのに、酷く懐かしい気持ちになってしまった。

 

「今日から復帰だが、保護者さんは大丈夫なのか?」

 

「はい、心配をお掛けしてすみませんでした」

 

「いや大丈夫だ…さて、復帰は嬉しいことだが、お前には早速働いてもらうぞ」

 

「ほんと早速ですね…なんです?」

 

 そう言うと、先生は持っていた紙をこっちに渡してくる。

 

 俺はそれを受け取りざっと見てみるが…どうやら次の菊花賞で出てくるウマ娘のデータみたいだ。その中にはキングヘイローのデータなどもあった。

 

「……あれ?」

 

 だけど、俺はこの中である違和感に思いついた。

 

 足りないのだ。菊花賞はフルゲート18人で行われるレース。なのに今俺が持っている紙束は17枚しかない。

 

「あと一人は、お前は…いや、お前たちは知っているはずだ」

 

 そう言って先生はもう一枚、紙を渡してくる。

 

 そこには、セイウンスカイの写真が貼られてあった。

 

 ──だけど。

 

「……白紙?」

 

 セイウンスカイのステータスやその他備考は完全に白紙だったのだ。

 

 これはどういうことかと、俺は先生に対して視線を送る。すると先生は瞼を一度閉じて一呼吸を置いた後、先生は話し始める。

 

「俺はこの前の合宿の状況、そしてここ近日の練習なども見てきてなるべく細かいデータを作ったつもりだ。だが、こいつは違った。……ここ数カ月、走りを見ていないんだ」

 

「走りを…?」

 

「そうだ。菊花賞まで残り1ヶ月を切っている。なのに練習に姿を現していない。それもかなり前からな」

 

「え、そうだったんですか…?!」

 

 次走が同じ菊花賞であるスぺは、大声を上げて驚いた。

 

 無理もないだろう。なにせライバルになるであろう友人が走っていない。練習していないと聞けば、勝ってクラシック2冠を取ろうと頑張っているスぺは驚くに決まっている。

 

「あれ、でもセイちゃんは普通に学校に来てますよ?」

 

「えぇ!? そ、そうなのか…!?」

 

「はい。それに誰よりも先に教室に出てますし…あっでも最近は休んでいる日も多いですね…」

 

「ど、どういうことだ…?」

 

「……」

 

 ふと、俺は始業式の時にセイウンスカイと会話を交わした時のことを思い出した。

 

『そりゃもうー-----んくらいでかいものですよ!』

 

『えっ? 最初から釣果の話では??』

 

『まぁ、基本”釣り”しかしていませんし』

 

「……まさか、本当に?」

 

 あの時、俺はいつもみたいに『本当はちゃんと走っていますけど、そう簡単には教えませんよ~だ~』という、皐月賞で偵察した時みたいな返しなどだと思っていた。

 

 でもそうではなく、本当に練習をしていないだけだった…?

 

「……」

 

「まっ、こういう訳だ。セイウンスカイに関する状況が、何一つとして分からない。そこでお前にミッションだ。セイウンスカイの情報、そして今の状態を探ることだ」

 

「……結構無理難題ですね。それ即ち探せってことですよね…」

 

「まっ、そういうことだな。んじゃ、練習行くぞー」

 

 そう言うと先生は部室から出ていき、スピカのみんなも続くように出ていく。

 

「レオくん、気をつけてね。そして頑張ってね」

 

「うん、ほどほどに頑張るよ」

 

「まっ、いきなり大変かもしれないが、頑張れよ新人!」

 

 ゴルシはそう言うとバンッっと俺の腰辺りを強く叩いた。

 

「っつぁ!?」

 

 …その手首が、痛んでいた方の横腹に当たっていた。

 

 いくら回復したとは言えど、まだ歩く度に若干痛みはする。だから体育はしばらく見学するようになど色々言われている。

 

 …ましてや、その辺りを叩くなど言語道断だ。

 

「れ、玲音くん。どうしたの…?」

 

「っっ…だ、大丈夫…」

 

「新人、お前まさか横っ腹怪我してんのかよ。なら早めに言えよな……わりぃ」

 

「いや、隠そうとしている自分の自業自得だから大丈夫…」

 

 俺はすっと立ち上がってその場で跳びはねる。ズキズキと痛むが顔には出さない。

 

 自分が元気そうな姿を見せると、二人は少し心配そうな顔をしながらも部室から出ていく。

 

「……さてと、とりあえずまずは手当たり次第探してみるか…」

 

 そうして俺は部室から出て、まずはトレセン学園全体を探してみることにした。

 

   ・ ・ ・

 

「……はぁ」

 

 机に突っ伏してため息をつく。

 

 先生に頼まれてから3日、全然セイウンスカイの尻尾が掴めない。

 

 本当にどこに行っているのだろうか…周りの人間やチームメイト、そして学園の関係者も彼女の動きは把握していないらしい。

 

 2日目からは河川敷沿いとかを自転車で周ってみたけど成果はなし。

 

 脚がまぁまぁにパンパンである…あと肩。

 

「どうしたよ谷崎、お前がため息なんて…結構してるな」

 

「うっせぇ…」

 

「まあ、お疲れってことでしょ…肩で揉もうか?」

 

「あぁ~…じゃあ頼むよ~」

 

「それじゃあ、じっとしててね」

 

 冗談だと思って軽い感じに返答したが、道は本気だったらしく肩がぎゅっと揉まれる。

 

 あんまりマッサージとかって受けたことはなかったけど、結構気持ちいいものなんだなぁ。

 

 もしかして俺が選択で習っているあのマッサージは、ウマ娘の疲労回復効果だけではなく精神のリラクゼーションも含めているのかな…。

 

 やる側じゃなく、やってもらう側になることで分かることもあるんだな…。

 

「結構凝ってるね、なにしてるの…」

 

「まぁ、色々とね…」

 

「ふ~ん…?」

 

 …それに、今日でこの捜索は終わると思う。

 

 ……背に腹は代えられない手段を取ったけど。

 

「ありがとう道、そろそろ行くわ」

 

「んじゃぁ俺らも行くか」

 

「そうだね、こっちも時間ないし…」

 

 そう言いながら二人は教室から出ていく。

 

 ……さて、俺も行くか。

 

   ***

 

「……釣れませんね~」

 

 釣りは忍耐が大事。それはずっとやってきているから分かってるけど~…やっぱボウズは心が落ち込みますな~。

 

 それにここ最近の釣果はあんまりよくないものなんだよな~。まぁそれは時の運もあるんだけど。でもアジの一匹や二匹は引っかかってもいいんじゃないかなぁ?!

 

 へっくしゅんっと、くしゃみをしてしまう。10月の中旬にも差し掛かればかなり外は寒くなる。さらに東京湾が間近にあるから潮風も吹いてさっむ~…。

 

 まっ、この程度で辞めたら釣り人失格ですけどね~。

 

「へっくしゅ…! う~、ますます冬に近づいたなぁ…」

 

「そりゃ、10月に入って夕方になればね」

 

「……え?」

 

 ただの独り言を言ったつもりだったけど、その独り言に対して返事が聞こえてきたので私は驚く。

 

 でもそれと同時に聞き覚えのある声だってので、私は振り返らずにそのまんま竿の方に目をや──おっと引いてる!

 

「よっと!!」

 

 取れたのは少し大きめのアジ。まぁまぁいいねぇ。

 

「おぉ、でっかい」

 

「すごいでしょ〜ってそうじゃなくて、なんでスピカの学生トレーナーである君がここにいるのさ?」

 

「先生から頼まれたんだよ、お前の偵察をしろって…まぁ、皐月の時と同じだな」

 

「いやいや、あの時は確かにトレセン学園に居たから偵察できたと思うけど、今回はトレーナーにも言ってないんだよ? なんで君が分かるのさ?」

 

「まぁ、人類の技術の勝利、かな」

 

「むぅ…?」

 

 そう言いながら、私の左横に彼は座ってくる。そしてそれと同時にポケットからスマートフォンを取り出して、何か操作している。

 

 すると次の瞬間、私が使っている学生鞄から音が発せられた。

 

 なにかと思い、その音がする方に手を伸ばす。すると触れたのは何やら四角っぽいツヤツヤとしたものだった。

 

 それを手に取って出してみると、そこには○pple Watchが…。

 

「え、これなんですか?」

 

「○pple Watch」

 

「いやそれは分かりますけど…なんでそれが鞄の中に?」

 

 私がそう言うと彼はスマホの画面を見せてくる。そこにはこの辺りの地図と手に持った○pple Watchみたいなアイコン。

 

「使っているデバイスなら、場所がある程度分かるっていう機能があってね。それで君を尾行出来たってわけさ」

 

「いやいやそれって普通にストーカーじゃありません!? 引きますよ普通に!?」

 

 私は右手をぶんぶんと払って少しだけ耳を垂れ下げてそう言う。

 

 でも彼は穏やかに笑っているだけで、だからこそ余計に意図が読み取れなかった。

 

「……まぁ、いいけど」

 

「いいんだ…我ながら結構引いている作戦なんだけどなぁ…」

 

「がっかりした?」

 

「んっ?」

 

 彼の話をぶった斬るように、私は今の状況を少し嘲笑しながら問いかける。

 

 恐らく彼は私の偵察のためにここに来た。それは彼が言っていたように事実なのかもしれない。でも、全ては無駄なんだ。

 

「ここに来ても、何も得ることはないよ。セイちゃんは最近はずっとこうして釣りをしているだけだからねー」

 

「……」

「9月の入学式のこと覚えてます? あれ本当に釣りしかしてなかったんですよねー。チーム練習もサボって、チームトレーナーに夜呼ばれて怒られても、何も響かなかったし…」

 

「なんで、釣りばっかりするように?」

 

「さぁ、なんでですかね〜。もう勝ち負けとか、勝敗に飽きた…いや、冷めたって言った方がいいんですかね〜」

 

「勝負に冷めた、かぁ…」

 

 その言葉をきっかけに彼はこっちではなく、海の方に目を向ける。

 

 それにしても学園からここまでってかなり遠いはずなのに、よく来る気になったなぁーっと私は思う。

 

 いくら位置情報で位置が分かったとしても、行くにはかなり億劫になる距離だと思うのに。

 

「あ、釣り手伝うよ。網でいい?」

 

「え? あ、はい?」

 

「〜〜♪」

 

 彼は鼻歌を歌い始める。確かこれは…Make Debut?

 

 懐かしいなぁ…この歌が全ての始まりだったっけ。

 

10月に入り、潮風に少しの冷気が混じっている。地面に座っているけど、コンクリートの地面はとても冷たい。

 

 私の耳に届くのは、穏やかに流れている波の音。

 

 そして、隣にいる人間の呼吸音。その人は捕縛用のネットを持ちながらぼーっと前に広がっている海を眺めている。

 

 ここだけ、まるで静止画になったかのように時が止まっている。太陽が水平線の向こう側に沈み始めて空が黄昏る。

 

 何もしないという、普通では愚策なこと。でも、これでいいと思うんだ。

 

 だって…これが私が望んでいたこと。

 

 普通に好きなことをして、のんびりと毎日を過ごす。

 

 隣に誰かがいるのはちょっと想定外──いや、小さい頃はこれが普通だったっけ。

 

 隣にはいつもおじいちゃんがいた。でもいつか私は一人で釣りをするようになった。

 

 でもそうなることは至極当たり前の通過点だと思っていた。実際、一人でも楽しいし。

 

 だけど今回分かった。

 

「ウキ沈んでるよ」

 

「あっ…っておも!?」

 

 やっ、やば!? 結構重い!?

 

 少し苦悶な表情をしていると、すっと…彼が私の持っている竿を握ってくる。

 

 驚いている私をよそに、彼は横目で私の瞳を見つめふと口角を上げた。

 

 なぜだろうか、私は彼の意図が少しだけ…いや、完全に分かった。

 

「行くよ! せーの!!」

 

「「ふんぬぅー!!」」

 

 私と彼は二人で息を合わせて竿を引く。

 

 ウマ娘の力に比べたら人間の力なんて微々たるものだとは分かってはいるけど、なんでだろう。彼が一緒なら大間のマグロでも、それこそカジキマグロでも、どんな大物でも釣れるような気がした。

 

 あぁ、なるほど。これが────支えてくれる人ってことなんだ。

 

「……あれ…」

 

 でも彼が必死になっている間にも、私は違和感を感じて力を弱める。

 

 確かに重い、重いは重いのだけど…向こうさん引っ張ってなくない?

 

 私は彼に軽いハンドサインを出して、離れる様に指示する。

 

 そうしてちょいちょいと動かしてみると…なんとなく察した。

 

「あぁ〜…これ引っかかってますなー…」

 

「わーお、マジすか…」

 

 こういうことは別に珍しくもないこと。釣りをやったことのある人ならなんとなくこの気持ち分かってくれると思う。

 

「つまり自分たちは地球っていう大物を釣ろうとしてたんだな」

 

「……ぷっ! あっはっはっは!!」

 

 彼が言った突拍子もない言葉に、私は大笑い。

 

 釣り系の道具とかでちょいちょい見かけるこの言い回しというか皮肉めいた言葉を、まさか現実世界で聞くとは思わなかった。

 

 彼の方を見てみると何に対して大笑いされているのか分からなくて困惑している。その間抜けな顔が私の笑いのツボをさらに刺激した。

 

 ……あーあー、なんかリズムが狂わされるなぁ…。

 

「……そろそろ帰ったらどうです〜?」

 

「んっ、なぜに?」

 

「いやだって私といるだけでも無意味な時間を過ごしているんですよ? それなら早く帰ってチームのみんなといた方が有意義ですよ?」

 

「今の俺の役割はみんなの近くにいるんじゃなく、君を偵察することだ」

 

「……諦めているのに、私に執着して何の意味が────」

 

「それは違う」

 

 ズバッと、まるで刀で斬りつけるかのように、彼は鋭い声音で私の言葉をぶった斬って、私の言葉を否定した。

 

「……君は、菊花賞を捨てていない」

 

「それ、目の前のこの状況を見て言えます?」

 

「まあ、この状況だけだったら無理だよ──でもね」

 

 そう言いながら彼は私に○pple Watchの画面を見せてくる。そこには『ワークアウト』と表示されている。

 

「これってさ、かなり万能で揺れ方や速さからなんのスポーツをしているか把握して、そして心拍数やスピードなどが走れるんだ……そしてこれは、純正ならウマ娘も対応している」

 

「……まさか…?」

 

「君は走っている。途中までは駅だけど、そこから菊花賞3回分を平均タイムとほぼ同じくらいにインターバルのように走り続けている」

 

「…最近の文明ってすごいですね〜そんなことまで分かるなんて」

 

「まぁ正直、これはこいつを確認するまで気付かなかったけどね……俺が気付いたのは、その前だ」

 

「その前?」

 

「見えたんだよ、○pple Watchを出す前にうっすらと……新品のトレーニングシューズが」

 

「っ…」

 

「ウマ娘のトレーニングシューズはウマ娘のことを考えて作られているから、ボロボロになることはそんなにない。それが学園指定のシューズならなおさら。それでも変えているってことは、それだけ走り込んでいるってことだ」

 

「……ほんと、敵いませんね〜…」

 

 あーあー、せっかく騙し通せると思ったのに。ダメだったかぁ…。

 

 仕方ない、ここは素直に話しますか。

 

「あ〜サボろうとしてたのは事実なんですよー……でも、なんだろうね────菊花賞って聞くと、心の奥が熱くなるっていうか。これだけは取りたい! って、別の私が叫んでいる感じがするんですよね…。それに当てられてかわざわざこんな方法で菊花賞の練習をしているわけですよ」

 

「……心が叫びたがってるんだ?」

 

「それなら心が走りたがってるんだになりそうだね」

 

「「……あはは!」」

 

 なんだろう、誰かにこの感覚を伝えたのは初めてだけど。

 

 とても心が安らいだ気がする……でも心の奥は次第に熱くなっている気がする。

 

「菊ってさ、蕾の期間が長い花なんだ」

 

「へーそうなんですね」

 

「でもさ、花って蕾が実らないと咲かないでしょ? 今のセイウンスカイはまさに蕾なんだろうなぁ…って、思うんだよね」

 

「なんですかそれ、口説いてます?」

 

「口説いてはいないよ…でも、長い間ずーっとために溜めて本番に解放するってところが、どっか似てるんだよなぁ…」

 

「……菊と私が、ねぇ…まっ、褒め言葉ときて受け取っておきますよ〜」

 

       ・ ・ ・

 

 次の日、私は久々にチームの方に顔を出した。久々の登場に全員が歓喜の涙〜ってなると思ったけどそんなことはなく、むしろなんで今戻ってきたの感が強かった。

 

 でもトレーナーさんは私の脚を見て、何か察したらしい。

 

 どんな花にも、必ず蕾の期間がある。

 

 菊の蕾がどんなに長かったとしても……私は絶対、咲いてみせる!!

 

 ────その意気込みに呼応するかのように、ナニカが遠くで鳴いている音がした。

 




・前回から色々開きましたが、私は元気です。どうもヒビルです。

・F1見に行きましたけど…まぁ雨でキツかったですねw

・3ヶ月ぶりくらいに新キャラが出てくれました!

・次回も未定ですが、お楽しみを!

スズカ「ヒビルさん…天皇賞・秋、間に合います?」
ヒビル「……ガンバビバス…」


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第7R「『  』の日曜日」
君と、あなたと、花火を見上げるだけ


前回のあらすじ:玲音はセイウンスカイの偵察を行い、その真意に気づいた。

・UA184,000を突破しました。ありがとうございます!



 

 カウントダウンが始まる。

 

 5…4…3…2…迫り来る時間、これから始まるんだという期待の鼓動。それに交わる不思議な鼓動。

 

 花火が打ち上がり、ヒュー…と音を立てて真っ直ぐ昇っていく光の筋がとても綺麗。一瞬、消えたかと思うと。

 

 夜空に一輪の花が咲いた。

 

 

 

 今、俺とスズカは東京駅のホームに来ている。

 

 少し前に花火を見に行こうという約束を果たそうと思い、計画を立てて2人で遠出をしているのだ。

 

 そのための新幹線を待っているのだが…俺たちはホームの端に来ていた。

 

 なぜなら、真偽を確かめるためである。

 

「あ、あった!」

 

 俺が指を指したのはとある自販機。とは言っても普通の自販機ではない。1○アイス以外の自販機っていう時点でだいぶ珍しくはあるが、これはもっとレアだ。

 

 なにせ、これは!

 

「シンカンセンスゴイカタイアイス!! スジャータが作っているすごく固いアイス! しかしそれには乳脂肪分が15.5%と非常に濃厚でかつ密度とても高くかつ! ドライアイスで冷やされているからとても冷たいからといった理由もあり、ネットでは『シンカンセンスゴイアイス食べようとしたらスプーン刺さったw』とか言われてまぁまぁ有名なあのアイスの自動販売機!!」

 

「どうしたの急に…」

 

「なんかやれって言われた気がした」

 

「えぇ…」

 

 バニラ味とストロベリー味を買ってベンチに腰掛ける。

 

「私、あんまりこういうの食べたことないかも」

 

「なら今日が初めてだね」

 

 蓋をパカっと開けて、フィルムを剥がし…そしてほぼ同じタイミングでスプーンを立てる。

 

 すると次の瞬間「キンッ」という効果音が聞こえるかの如く、アイスはスプーンを通さなかった。

 

 結構力を入れても、ようやく1mm食い込んだくらいだ。

 

「くっ…やっぱ固い……」

 

「そう?」

 

 横を見てみると、普通にスプーンを突き刺してたぱくりと一口分のストロベリー味のアイスを食べていた。

 

 なるほど、ウマ娘のパワーからしたらこんな固さは全然関係がないようだ。

 

「もしかして食べれないの?」

 

「いやまぁ数分おけばスプーンは通るようになるから…」

 

 そんな風に言ってアイスをベンチの横に置いた。するとスズカはなぜだか、そのバニラ味のアイスを手に取った。

 

 そのまま突き刺さってたスプーンをアイスに突き立てた。

 

「はい」

 

「はむっ…」

 

 差し出されたスプーンを俺は迷うことなく食べる。

 

 ドライアイスで冷やされたとても冷たいアイスが口の中で蕩けていく。するととても濃厚なバニラと牛乳の味が口いっぱいに広がりとても美味しい。

 

 ある意味、常人では食べられない領域の段階のシンカンセンスゴイカタイアイスを、俺は今味わっているのかもしれない。

 

「……なんかいつもより美味しい」

 

「んむっ…うん、バニラ味も結構美味しいね。レオくんはストロベリー食べる?」

 

「んじゃ、いただこうかな」

 

 そんな感じに、お互いのアイスをシェアしながら待ち時間を待った。

 

       ・ ・ ・

 

 まだお昼下がりではあるものの、その花火の会場にはまぁまぁのお客さんが入っていた。

 

 10月で少し肌寒くなり始めた頃だけど、花火を見に行きたいという人はかなり多いらしい。

 

 ただまぁ、東京都内で行われている花火大会よりは明らかにマシだ。

 

「場所は…まぁここでいいのかな?」

 

「そうね…うん、いいと思う」

 

 とはいっても初めてのところだから、どこでどんな風に見えるのかは分からない。

 

 とりあえず持ってきたレジャーシートを敷いて、荷物やもろもろを置いた後ゆっくりと腰を下ろす。

 

「だぁ~まぁまぁの移動でなんか色々抜ける~…」

 

「ねぇ玲音くん、なんでこっちにしたの? 近場なら確か神奈川とかもあった気がするんだけど…」

 

「ん~、一応全部の写真を見てさ。ここで見てみたいな~って思っただけだよ」

 

「本当は私と遠くに行きたかったんじゃない…?」

 

「……まっ、それもあるとだけ」

 

 あまりにも近場すぎると、学友や知人と出会うかもしれない。

 

 ただでさえスズカは社会的には上の存在に立っている。それに対して、自分はただの一般人。

 

 横に並ぶのは……チームメイトという肩書きがないと、少し厳しいかもしれない。

 

 それに……それでスズカにマイナスなイメージがついたら俺が嫌だ。

 

「……でもまぁ」

 

 聞き耳を少し立ててみる。するとひそひそとだが、「あれ、サイレンススズカ?」とかそういう声が聞こえてくる。ちらっちらっとこちらの様子を窺っている人もわずかながらいる。

 

 こういうところを見ると、隣にいる自分の幼なじみはすごいウマ娘なんだなっていうのを改めて認識する。

 

 ほんと、スズカの隣に堂々と立っていられる時なんて、来るのだろうか。

 

「……レオくん?」

 

「ん?」

 

「なんか、大丈夫?」

 

「え、大丈夫だけど…」

 

「レオくんってさ、なんか時々目が遠くなるよね」

 

「目が遠く?」

 

 スズカが言っていることを理解しようと目を瞑って「うーん…」と唸りながら考えてみる。

 

 でもその意味を読み取るよりも前に、俺は抱き寄せられる。あまりにも唐突なことに俺の体は少し硬直しながら重力に従ってバランスを崩す。

 

 ……なにか柔らかいものが、俺の頭に当たる。

 

 頭をフル回転させて今のこの状況がどういうことなんだろうかと理解しようとしたその時、さす…さす…と頭を撫でられた。

 

 その一定のリズムで頭を撫でられたことによって、少しずつ思考が落ち着いてきた。

 

 今俺は、スズカの膝枕で包まれながら頭が撫でられているってことに。

 

「レオくんはさ、近くに私がいるのに…なぜだか時々、遠くを見ている時があるの」

 

「……そう、なんだ」

 

「ねぇレオくん…私はもっと、ここにいる私を見てほしい……」

 

 そう言いながらスズカは優しく、慈しむように…頭を撫でる。

 

 するとなぜだろうか、不意に眠気が襲ってきた。いや、睡魔って言ってもおかしくはない。

 

「そう…だね……うん、分かっ────すぅ……」

 

   ***

 

「……」

 

 頭をなでなでしながら、レオくんに膝枕をして、もう何分が経ったんだろう。

 

 周りのお客さんは太陽が沈んでからさらに増えた。屋台の明かりがくっきりと視界に映るようになった。

 

 吹いている風はとても冷たい……しっかりと上着やブランケットを持ってきてよかった。もしもなかったらとっても寒い状態で花火を見ることになったと思う。

 

 ……でもその場合、レオくんと密着して温め合うのかな…。

 

 なんて、突拍子のないことを考えて私は少し笑みを溢しながら頬を熱くする。

 

「……────」

 

「……んっ?」

 

 今、レオくんが小さく何かを呟いた。

 

 ウマ耳が少しだけ捉えてくれたけど、でも言葉はよく分からなかった。

 

 いつもだったら別に気にならないただの寝言。それでもなぜだか、その言葉だけは、その一瞬だけ気になった。

 

 私は自分の顔とレオくんの顔を近づける。そして寝言を聞き逃さないようにウマ耳を口元に立てる。

 

「──君は、いったい…ダレだ?」

 

 擦れたとても小さな小さな声で、レオくんは確かにそう言った。そしてさっきは気付かなかったけど、瞳に涙を浮かべていた。

 

 そして、うっすらと目を開けた。

 

「……スズ、ちゃん?」

 

「おはようレオくん、そろそろ始まるよ」

 

「んっ、ありがとう…」

 

 ゆっくりとレオくんは体を上げる。太ももにあった温もりが次第と離れていき代わりに秋の夜のひんやりとした空気が、肌を刺激する。

 

 私は少しでもその温もりを逃がしたくなくてブランケットを膝に掛ける。なるべく深く…腰辺りまで。

 

 すると身体を起こした玲音くんが、のそのそとそのブランケットに入ってくる。きっと寒かったんだと思う。

 

 でもまだ寝ぼけてぼーっとしているのか、そのままぴとっと身体をくっつけてくる。さっきよりも明らかに広く、そして温かいぬくもりが、私の左半分を満たす。

 

 それでも右半分は寂しく、とても冷たい。だから私はもう少し彼にくっつく。これ以上くっつけないというかそもそももう密着しているというのはお構いなしに、くっつく。

 

 すると反発してかレオくんももっとくっついて、私たちは超密着状態になりました。

 

 そして瞬きもしない内に、ドンッっと真っ直ぐ、火の軌道が夜空に光る。

 

 その火の軌道は途中で消えて、数秒の沈黙……しかし次の瞬間その軌道は大きな花を描く。それと数秒遅れで聞こえてくる空気を引き裂く爆発音。

 

 花火大会が────始まった。

 

 

 

 

 ────君と、あなたと、花火を見上げる。

 

 ────それは、まるで夢のようにふわふわとしていて、とても煌びやかだった。

 

 ────でもそれ以上に、あなたの温もりを感じる。君の存在を。

 

 ────なんて…なんて素敵な、現実なんだろう。

 

 ────きっと、自分たちは…こんな思いを、一緒に何度も経験するんだと、どこかで思っていた。

 

 

 




・第7R、始まりました。

・最近嬉しいことがあったので、モチベありありのチョベリグ!!

・次回、スズカとカフェに行く。


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どこかもやもやして……むずむずして…

 前回のあらすじ:玲音はスズカと一緒に花火大会を見に行った。

・UA184,000・185,000・186,000を突破しました。本当にありがとうございます!



 

 ──夢を見た。

 

 それは、なんてことのない。普通の夢。

 

 自分の大切な幼なじみとただお出かけをする。そんな普通の夢。

 

 これからも何度も何度も行っていくであろう出来事の一つ。

 

 なのに、なんでだろう。

 

 その当たり前のことが、とても愛おしく感じる。

 

   ***

 

 花火大会から一夜が明け、自分たちは早めに府中に戻ってきた。

 

 あの会場辺りの騒がしさに比べるとこっちの騒音はまぁまぁうるさく感じてしまった。

 

「さぁってと、んじゃあそろそろ学園に戻る?」

 

「そうだね……えぇ、戻りましょう」

 

 いつも遠征の時から帰っているように、俺とスズカは二人そろって帰路に着く。

 

 ……でもまぁ、いつもとちょっと違うところっていうと。

 

 外を出た瞬間に、ザーッという音とシャーっとタイヤが水を弾いている音が聞こえた。

 

 ──雨だ。

 

 いつも、スズカと歩いている時は基本晴れていることがとても多いが、ここまで雨が降っているのも珍しい気がする。

 

 というかまさかこの時期にここまで土砂降りの雨が降るのは予想外だ…。

 

「じゃあ、行こう?」

 

「あれ?! いつの間にビニール傘を!?」

 

「さっきレオくんがお手洗い行ってた時に買っておいたの」

 

 そう言いながらバサッとビニール傘を開く

 

 やっぱスズカはすごいな。とてもしっかりしているというか、行動が早いというか。

 

 …あれ、でも傘は一つだけなんだ?

 

 まぁでも普通に一つの傘を2人で共有すればいいだけか。それにビニール傘なんてすぐに使わなくなるしね。理にも適ってるか。

 

 スズカが傘を差しながらこっちに振り返り視線を送る。俺はそのままスズカの隣に立って、そして傘の持ち手を握る。

 

 なるべくスズカが濡れないようにちょっと半分より右に自然と傘を傾けながら、俺らは歩き始める。

 

       ・ ・ ・

 

 ビニール傘に雨粒が当たる音が、少し軽やかで心地いい音だと思ってしまう。

 

 アスファルトの地面はところどころ水溜りになっていて、ぽちゃぽちゃと面白い音が耳に届き、近くの川はいつもよりも少し流れが速い。

 

「ねぇ、レオくん。ちょっと聞いてもいい?」

 

「んっ、なに?」

 

「レオくん、花火大会の前。寝ていたよね?」

 

「うん」

 

「あの時どんな夢を見ていたの?」

 

「……あの時かぁ…」

 

 俺は昨日の夜に見ていた夢を思い出す。

 

 夢っていうのは忘れることが多いけど、あの夢は覚えている。

 

 俺は一人、とても広大な草原に寝ころんでいた。

 

 それは故郷の北海道の、とても清々しい空気に包まれていた。緑と青がとても綺麗なところ。雲一つ一つがくっきりしていて、流れている様子を見ているだけで楽しかった。

 

 そうしてそのまま目を閉じようとした時、何か動物の鳴き声がした。

 

 俺は体を起こしてその声の方向の方に振り返ってみる。すると、何か四足歩行の何かがこっちに向かって走ってきていることが分かった。

 

 数か月前の自分だったら謎の生き物として避けていたかもしれない。でもそうはしなかった。

 

 なぜならその形が最近は見ていなかったけど、ダービー前に見ていたあの生物と瓜二つだからと分かったからだ。

 

 遠くで黒い点みたいなものだったその影が、少しずつ近づいてくると少しずつ色が分かってくる。

 

 それはとても綺麗な明るい茶色だった。走っている度にふさふさのロバよりも長いたてがみが揺れている。

 

 そしてなにより…大きい。

 

 自分よりも一回り、いや、4回りくらい大きいその巨体に思わず腰を抜かしそうになる。

 

 でもそんな巨体とは裏腹に、その瞳はとても……つぶらだった。

 

「……」

 

 自分はそのフォルムに、少し惹かれていたのかもしれない。

 

 じーっとこっちを見てくる。茶色の毛並みをしたロバを何回りも大きくなったような生き物。

 

 そんな生き物はこちらをじーっと見つめた後、かなり器用に脚を曲げてその場に座った。

 

 ブルルッ! とあんまり聞かないような鳴き声を発した。そしてもしゃもしゃと草を食べ始める。

 

 自分はそのまま、その生き物に近づく。レース場みたいなところでこんな生き物が……スペたちと同じ名前を呼ばれていたこの生き物が競っていることは見たことはある。だが距離があった。

 

 でも、今は目の前にいる。

 

 俺が一歩二歩近づいてもその生き物は、こちらをじっと見た後にまた草をもしゃもしゃするだけだった。

 

 草食系の動物…なのだろうか。なら襲われるリスクはない……いやそもそもここは夢の中だから痛くも死ぬ訳でもないけど…。

 

 でもこの草を踏む感触や空気は、現実に近いかもしれない。

 

 自分はその生き物に近づき、そしてもしゃもしゃ食べている姿を横で見つめる。

 

 本当にとても可愛い生き物だ。その耳の長さといいふさふさな尻尾といい、まるでウマ娘を本当に4足歩行にしたように思えてしまう。姿も顔も全然違うはずなのに。

 

 ふっと、俺はその長い首辺りをさすりっ…さすりっ……と、撫でる。

 

 するとその生き物はその大きく長い耳を横に倒した。その仕草がスズカやマックイーンがリラックスしている時のウマ耳の動きと類似していた。

 

 この生き物は一体なんなんだろう……なんて思っていると、その生き物は目を細めて顔をすり寄せてくる。

 

 ちょっと突然のことで驚きはしたけど避けることはなかった。この数分間でこの生き物には害がないということを認識したからだと思う。

 

 そうしてその顔が自分の額辺りにこつんっと当たる。

 

『───────かに! ────!!』

 

 そう、まるでスピーカーを通したような声が響き、脳内にあるイメージが浮かぶ。

 

 それは木だった。とても大きな木。その木がなんていう木なのかは分からなかった。でも、どこかで見たことがある。それだけは心の中で確信していた。

 

 それよりも、"かに"とはなんなんだ…?

 

 甲殻類のカニ…? でもイントネーションはなんか下がっていたような…。

 

 なんて気になっていると目の前の生き物はのそっと立ち上がり、そして背を向けて走って行ってしまう。

 

 そして──俺は気付けばに走っていた。

 

 全力で追いかけても、その後ろ姿はどんどん小さくなっていく。

 

『待って! 君は、一体! 誰だ!!』

 

 そう叫び、手を伸ばした────そこで目が覚めて、目の前にはスズカの顔がめっちゃ近くにあった。

 

 やっべ思い出したらめっちゃ恥ずかし…寝ぼけていたからまだよかった…。

 

「まぁ、普通の夢だったよ」

 

「そう…?」

 

「そっ、まぁ気にすることもないよ」

 

「……分かったわ」

 

       ・ ・ ・

 

 ビニール傘をちらりと見てみると、私側の方に傾けているのが分かる。

 

 横を見てみると平然としているレオくん、でもその私から見た反対側の肩辺りは雨で濡れている。

 

 きっと、私に濡れて欲しくないから、自然とそうしているんだと思う。そう思うとどこか大切にされているんだって実感がさらに湧いた。

 

 ……もう少し、一緒に居たい。

 

 いつの間にか私はそう考えていた。だから私は何かきっかけはないかと辺りを見渡した。

 

 すると視界の端に、ぽつんっと看板があった。

 

「あっ、レオくん。ちょっと、あそこ寄って行かない?」

 

「んっ…New Openのカフェ……Achille coffeeね。まぁ待ってたら雨が止む可能性もあるし、そうしよう」

 

「うん」

 

 私はぶんっと尻尾を大きく振って、その後も時々レオくんの太ももの裏に当たるように高々と尻尾をあげて振りました。

 

 レオくんはズボン越しでもその感覚が伝わっているのか、少しくすぐったそうにしていた。

 

      ・ ・ ・

 

 看板の通りに道を進んでみると、そこには白くて少し小さめな建物があった。白い塗装に小ぶりな十字枠窓、そして真ん中に設置されている木製のドア。

 

 立てかけ看板にはAchille Coffeeという文字にカップを持ったちょっと小太りなおじさんが猫と一緒にカフェタイムを楽しんでいるちょっと可愛らしい絵があった。

 

 入口辺りには屋根があり、近くに傘立てもあったので、レオくんはビニール傘をそこに立て入れる。

 

 ドアを開けるとからんっからんっとベルが鳴り、少し静かなジャズ曲が耳に入ってくる。

 

 内装は少し黒っぽい木材で作られいて、その明かりは少し温かみのある照明を使っている。

 

「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」

 

「「はい」」

 

「席へご案内いたします」

 

 店員さんに案内されて、ソファーのある席に案内される。

 

 そのソファーはまぁまぁふかふかでとても心地よかった。

 

「こちらがお品書き……あら、あなたは…?」

 

「んっ……あ、あなたはあの時の…」

 

 どうやら二人は知り合い…いや、私もその人は知っていました。

 

 金色の瞳に長い黒色の髪……確かこの人はファン感謝祭で喫茶店・スピカに来てくれた人だ。

 

 確かレオくんの淹れたコーヒーを褒めていたはず…。

 

「まさか、ここに来るとは…想定外でしたね」

 

「俺も意外でしたよ、こんな風に再開するなんて」

 

「私が言い出さなかったらここに来なかったもんね…」

 

 なんとも面白い偶然があるものです。

 

「ではご注文がお決まりになりましたら、お呼び────」

 

「すみません、この店員のおすすめで」

 

「あ、じゃあ私もそれを」

 

「はい。今の時間はモーニングでマフィンがつきますが、どうしますか?」

 

「「じゃあお願いします」」

 

 レオくんと一緒にそう言うと、黒髪のウマ娘さんはその場を離れます。

 

 ついついそのままレオくんと同じものを頼んじゃったけど、まぁいいかな。

 

 少し待っているとコーヒーミルでごりごりと豆が挽かれる音が聞こえます。するとレオくんが席を立ってそのままコーヒーを淹れているあの店員さんの方に歩んでいきます。

 

 私は少しそっちにウマ耳を立てて二人の会話を聞きます。

 

「へぇ~、淹れ方はオーソドックスなやり方なんですね」

 

「最近の豆は質がいいので全部に浸透させるやり方が流行っていますが、私はこのコーヒードームを作るのもコーヒーの醍醐味の一つだと思っていますから。それにこの方が酸味など特定の味を出したい時にはいいんですよ」

 

「なるほど…」

 

「それでも全部に浸透させる方法も、コクを引き出せるのでいいですけどね」

 

「うおっ!? こんなにドームって膨らむんですか?! まるで芸術だ…」

 

「コーヒーは飲んで、香って…そして見て楽しむものですからね。今使っているのはキリマンジャロをベースにブラジルで甘さと────」

 

 などと、ほとんどコーヒー経験者しか語れないようなとても難しい会話を交わしている。

 

 そして、とてもニコニコしている。

 

 …私も、コーヒー淹れてみようかなっと、ふとそんなことを思ってしまった。

 

 少しするとレオくんが戻ってくる。

 

「あれ、どうしたのスズちゃん…?」

 

「んっ? なにが…?」

 

「いや…ウマ耳が……」

 

 そう指摘されて、私は横にある窓ガラスに反射している今の私を見てみます。

 

 すると、そこにはウマ耳を倒して────怒っている時のウマ耳をしていました。

 

 それを認識した瞬間、私は手でウマ耳をぺたんと抑えて、少し下を俯きます。

 

 なぜでしょう…一体何に対して私は怒っているんだろう…。

 

「う、ううん。なんでもない…」

 

「そう? ならいいけど…」

 

 そう言いながらレオくんは向かいに座る。その顔はとても心配そうにしていたからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

 なんなんだろう…この気持ち、どこかもやもやして……むずむずして……。

 

 なんて悶々と考えている間に私の前にはマフィンとコーヒーが届けられていた。

 

 レオくんはカップを持って、ゆっくりとコーヒーを味わっている。

 

 私もゆっくりとカップを口に近づけて、チビッと飲む。

 

 ……とても酸味が効いていて、そこにふわっとほのかに香る甘味が後味に響いていてとても美味しい…。

 

 美味しい‥‥はずなのに、なんでだろう。

 

 酸っぱく感じる…。

 

       ・ ・ ・

 

「おっ、止んだら止んでる」

 

 食事を済ませて会計し喫茶店から出ると、雨は止んでいた。

 

 青空なんて見えないし、ましてや晴れ間も覗かない。虹がかかっている訳でもない空。

 

 だけど、そんな曇天な空にも…天から光が漏れ出ている。その光はまるで地上に伸びているように見えた。

 

 何かの記事か本で見たことがある。確かこれは……天使の梯子とも呼ばれているやつだ。

 

 その光が、私たちのいるこの道包んだ気がした。

 

「……ねぇ、レオくん」

 

「んっ、どうした? なんか忘れ物でも────」

 

「頼み事があるの」

 

「……頼み事?」

 

 私はその”頼み事”をレオくんに言う。

 

 その頼み事を聞いたレオくんは少し眉間にしわを寄せたけど、一度目を閉じるとゆっくり瞳を開け、こっちの瞳を見ながら微笑んでくれた。

 

 

 




・天秋…間に合いませんねぇ(´・ω・`)

・ブルーインパルスかっこよかったぁ~^

・最近、私のYoutubeがヤンデレ音声に占領されています(笑)

・次回はアニメ第7R前半のお話です。


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前とは違う / 裸足で茨の道を。

 前回のあらすじ:花火大会の後、府中に戻ってきた玲音とスズカ。帰り際に寄った喫茶店でお茶を楽しんだが…?

・UA187,000を突破しました。ありがとうございます!



 菊花賞があるということで、先生とスぺは京都の方に遠征していった。

 

 だからこそ不在の時は自分だけでしかチームを見ないものだと思っていた……だが、ちょっと面白いことが叶っている。

 

 それは────日曜日、トレセン学園の第3トラック。

 

「どうしたスピカ! お前たちのトレーナーはこうも堕落させているのか!!」

 

「「「ひぃ~!?」」」

 

 このトラックに響く声は自分の声でも、ましてや先生の声でもない。

 

 それはリギルのチームトレーナー、東条ハナさんの声だ。

 

 いつもとは違う、かなりハードな練習に悲鳴をあげるウオッカとスカーレット、そしてテイオー。

 

 そう、チーム・スピカは今、チーム・リギルと一緒に合同練習を行っている。

 

「おやおや! 君たちはもう疲れたのかい?」

 

「この程度で音を上げるなんて、まだまだデ────アイタァ!?」

 

「エール―? あまり他人を見下すのはよくないですよ?」

 

「だからってツネないでほしいデース!?」

 

「エル! グラス! オペラオー!! 私語は慎め!!」

 

「「「は、はい!」」」

 

 みんなが息を入れ直している時に俺はタオルとスポーツドリンクを配る。

 

 普段とやっていることは同じだけど、いつもメンバーが違うってだけでもかなり新鮮だ。

 

「あら、ありがとうね谷崎くん」

 

「学生トレーナーの、それも違うチームの君に渡されるというのは、中々に新鮮なものがあるな」

 

「まぁ俺にとっては至極普通のことなんですけどね」

 

 そう少し微笑んだ瞬間、後ろから殺気を感じた。

 

 あっ、うん…これ道のだ。振り迎えらなくても分かる。

 

「(シンボリルドルフさまにあんなに親しそうに…コロスコロス──)」

 

 なんか近くにいる学生トレーナーたちもすごい怖がっているし、これマジで殺されないよね?

 

「それにしても、この時期になっても向こうはずっとメモを取っているんですね」

 

「リギルは見て覚えろっていうスタイルなのさ、そっちのチームみたいにタイマンでっていうのも珍しいと思うぞ」

 

「へぇ…」

 

「それに他のチームもかなり雑用っていう意味合いが強いからな」

 

 ヒシアマゾン、そしてエアグルーヴのセリフを聞いて、なんとなく他のクラスメートとチームの関わり方を察する。

 

 そういえばかなり前に尊野が、俺はあの娘たちと距離が近いな的なことを言っていた気がする。

 

「でもまさか、玲音さんがリギルとの合同練習を組むとは思ってもいませんでしたわ」

 

「そうですね。こちらも結構驚いたことですから、きっとそちらはもっと驚いたんでしょうね」

 

「まぁ黄金世代の2人にとっても、こっちの2年・1年組にもいい刺激になるかなって思ってね。それにチーム1の練習はかなり参考になるだろうって思ってね」

 

 ちなみにこの提案したのは自分だ。

 

 というのもこの日先生はスぺに付き添うことが決まっていたし、俺一人でチームを纏めることはできないと客観的に考え、それでもスズカの天皇賞・秋前だから練習はしておきたいという考えから思いついた策だった。

 

 リギルが応じるかは分からなかったけど、先生が上手くやってくれたんだと思う。

 

「だが今はそっちの戦績もなかなかなものだがな」

 

 そう言いながら東条さんが近づいてくる。その声音と強面で少しだけ背筋がピンッとなる。

 

「それにしても、君はかなりあいつから信頼されているんだな。チームトレーナーがいないのに練習があるっていうのはかなり珍しいことだぞ」

 

「そうなんですね。でもそれが普通ですから…」

 

「それだったらよっぽど放任主義か…」

 

「それはないと思いますよ。先生は俺のことをかなり見てくれますし」

 

「先生…? あぁ、あいつのことか……よし、次はインターバル走だ!」

 

『はい!!』

 

       ・ ・ ・

 

 今回のこの合同練習。確かに下級生の子たちに先輩たちの走りを見せて、刺激を与えるっていうのも目的の一つではあるが、俺が狙った真の目的は一つ────エルコンドルパサーの偵察も込めている。

 

今回、俺は先生から誰か特定の娘をマークして偵察するのでは無く、自由に決めていいということだった。

 

 だが出走するウマ娘を見てみたが、今年の秋の天皇賞はかなりの優駿たちが集まっている。

 

 負けてはいるけど入着の範囲によく入っているキンイロリョテイを初め、どの娘をマークしようか俺は考えた。でも俺の浅知恵じゃ何が正しいか俺には分からなかった。

 

 そんな時、俺の頭の中にジョースター卿の声が聞こえてきた。(???)

 

『逆に考えるんだ…全て調べればいいさと』

 

 ということで俺は時間が許す限り、多くのウマ娘を偵察したのだ。

 

 そして残っていたのがエルだった。だからこそこの機会は中々に大きい。

 

 エルは、てっきりジャパンCに合わせてくるかと世間的には言われていたため、かなり俺も驚いているが、その仕上がりはかなりいいと言っても過言ではない。

 

「ふぅ、一息つくデース…」

 

「お疲れエル、はい」

 

「あ、ありがとうゴザイマース!!」

 

 そう言いながら俺はタオルで巻いた水筒をエルに投げ渡す。リギルのメンバーにスピカに所属している俺が水筒を渡すっていうのは、なんとも不思議な感覚だ。

 

「玲音先輩、単刀直入に聞いていいデスカ?」

 

「ん?」

 

 エルはこっちに一歩近づく。そして、その瞳はとても真剣なものだということが分かった瞬間、俺は固唾を飲む。

 

「玲音先輩から見て、アタシの走りはスズカさんい──世界に近づいていますか」

 

「……」

 

 少し意外というかなんともエルらしくない質問に、俺は少し目を丸くして驚いた後、瞳を閉じて考える。

 

「……あくまで、本当に走りを見ているだけなら。エルは世界を取れる素質はあるとは思う」

 

「……」

 

「だけどスズカに近づいてるかって言われたら、エルには悪いけど『それはない』って、はっきり言える」

 

 俺はありのまま思ったことことを、一言一句嘘偽りのない言葉を述べる。

 

 だけどエルが少し俯いて曇った顔をしたのが、俺には分かった。

 

 だからこそ……って訳じゃないけど「でもさ」と俺は言葉を続ける。

 

「エルにはエルの走りがある。無理にスズカを追い越さなくてもいいと思うよ」

 

「…そういう、ものなんですかね」

 

「あぁ、サッカーでもあこがれの選手はいるけど、自身のポジションやプレイスタイルが違うことなんて当たり前でしょ」

 

「……そう、デスね。はい、エルは自分の走りを信じま────」

 

 エルがそう言った瞬間、俺たちの横……トラック側から風が通り過ぎる。

 

 条件反射のようにそっちの方向を見てみると、スズカがいた。

 

 夕日と同じ色の髪の毛が揺れている。その影を自然と目で追ってしまう。

 

 スズカのその顔に疲労の文字は全く浮かんでこない。いや、むしろ逆だ。スズカの姿を見ていると「走りたい」っていう気持ちが伝わってくる。

 

「本当、スズカは変わったんだな」

 

「あ、エアグルーヴ先輩!」

「エアグルーヴ…」

 

 そうだ、そういえばスズカってもともとこっち(リギル)の方に居たんだよな。

 

 5月…スズカの誕生日の時にリギルの入団試験があって受かって走ってたっていうのは知っているけど、リギル時代のスズカってどんなのだったか知らない。

 

 でも今の一言で、明らかにリギルの時とは違ったんだろうと思った。だから俺は

 

「違うって、具体的に言えたりする?」

 

「……あぁ、そうだったな。お前はスズカの幼なじみか」

 

 少し顎に指を置いて何かを考えた後に、エアグルーヴは話し始める。

 

「スズカは…リギルでははっきり言って傑出したやつではなかった。むしろ平凡って言ってもよかった」

 

「スズカが…? そんなまさか…」

 

「事実だ。そしてあいつの走りはいつも苦しそうだった。まるで鎖か何かに首を絞めつけられ苦しんでいるみたいだった」

 

「……そこまで」

 

「だからこそ言える。今のスズカはリギルに居た時とは違う。鎖からも解放され、私たちが見えていない…ウマ娘が今見ている世界の数歩先の世界にいるとな」

 

「今のウマ娘より──数歩先…」

 

「ふぅ…こんなものかしら…」

 

 エアグルーヴが離し終わった辺りで、走って満足したのかスズカが帰ってきた。

 

「っ…お疲れ、スズちゃん」

 

「うん、そういえばなんか二人でお話していた?」

 

「いや……ねぇ、スズちゃん」

 

「ん?」

 

「走るの、楽しい?」

 

 そう聞くと、スズカは口角を上げて微笑みがら────えぇ。と答えた。

 

   ***

 

『最後の直線! 外を通って、外を通ってようやくスペシャルウィークが外を通ってきた! しかし逃げた逃げた逃げた!! セイウンスカイの逃げ切り!! 逃げ切った逃げ切ったセイウンスカイ!!!!』

 

『ワアアアアァァーー!!』

 

『38年ぶりの逃げ切りセイウンスカイレコード!!』

 

 京都競馬場は青い空と、そして多くの観客の声で包まれていた。

 

 セイウンスカイ…同期としてかなりすごい、クラシック2冠達成。きっと彼女は同期の中でも皇道を走っていくんだと思う。

 

 ────だけど、私は違う。

 

「はぁ…はぁ……」

 

 息を整えながら、私は電光掲示板を見上げる。

 

 その一番下には、私の番号────私、キングヘイローが5着だったという残酷な結果がでかでかと出ていた。

 

 …いや、分かってはいる。

 

 この5着より下には、番号すら読み上げてくれない子たちがいるのは多く分かってはいる。それにクラシック、生涯で一回しか出られないレースで入着は、同期の中ではいい成績だって言われることも分かっている。

 

 でも、これではダメ。

 

 キングはもっと、高みに立たなければならない。

 

「悔しいです~~!!!!」

 

 大声で瞳に涙を浮かべながら全身から悔しいという気持ちを露わにしているスペシャルウィークさん。

 

「えぇ、完敗ね…あの走りは中々に目を張るものがあるわね」

 

「うぐっ……ぐすっ…」

 

「でもね、スペシャルウィークさん。私たちの道は、ここでは終わらないわよ」

 

「え…?」

 

 涙ぐんでいるスペシャルウィークさんに対して、私は少しの悔しさと、そしてこれから進む道の清々しさを背にしてゆっくりと自分でも驚くくらい優しい口調で話し続ける。

 

「私たちはこの先、シニア級になってさらに多くのウマ娘たちと戦っていく。そこに先輩後輩なんて関係ないのよ。だから私たちは走り続ける限り、何度もでも物語を作り始めることができるのよ」

 

「作り…始める……」

 

 私の言ったセリフを反芻させているスペシャルウィークさんを見ながら、私は地下バ道の方に足を向ける。

 

 するとそこには拍手をしながら笑顔で迎える。所属しているチームの学生トレーナーの尊野さんの姿が見えた。

 

「どうだった? 最後のクラシック」

 

「……えぇ、完敗ね」

 

 そう言ったタイミングで尊野さん持っている上着のポケットに入れているスマホが震える。でも私はそのままその上着を羽織ってそのまま地下バ道を歩く。

 

「いいのか? 出なくても」

 

「えぇ、要件は分かっているわ。それにその答えは沈黙で答えるのが正解よ」

 

「だな…いいのか? こんなとてつもない茨の道を進むことになっても」

 

 そう言いながら、尊野さんは茶色く丸い、U型の銀の装飾が施されたバッジをひょい、ひょいとその場に投げてはキャッチしている。

 

 それの正体が"アレ"だと確信した私は、そのまま前を歩きながら思っていることを口に出す。

 

「私はお母さまに認めるために走っていた…周りもそうだと思っていた、私はいわば用意されたレールを走っていただけ…そんな自分は終わり。仮初のガラスのブーツは脱ぎ捨てて、自分の足で歩くことに決めたのよ」

 

「その踏み始めた道が、真っ直ぐにしか伸びていない棘だらけの道だったとしても?」

 

「一人なら怖いし痛いわね、でも────」

 

 私は横を向き、彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。

 

「あなたも一緒に飛び込んでくれるんでしょう? "トレーナー"」

 

「……だな」

 

「行こうじゃないの、裸足で茨の道を」

「行こうじゃないか、裸足で茨の道を」

 

 正直、この先どうなるかは分からない。

 

 でも、これで正しかったって。キングの道はこれが相応しかったと。茨の道はキングだけの皇道だったと…次のシーズンで、証明してみせるわ!!

 

「あ、でも5着だからウイニングライブはしっかりしないとな、ははっ!」

 

「もう! せっかくいい感じに〆めたのに台無しじゃない!?」

 

 

 




・今年の天皇賞秋やばかった…パンサラッサ…。

・なんかこのお話は書かなければいけない気がした。(使命感)

・一週間に定期落とし、食費落とし、自転車盗まれのやばい週間がありました()

・次回こそ、第7Rのプチ合宿のお話をやります。


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風になる / 繋がっている

 前回のあらすじ:チームスピカはチームトレーナー不在のため、リギルと合同練習を行うことに。そしてキングヘイローとその相棒は────。

・UA188,000・189,000・190,000を突破しました! ありがとうございます!

※アニメでは15時~18時となっていましたが、少し改変しています。


 

 菊花賞が終わり、いよいよ秋が深くなり始めたころ、俺たちチーム・スピカは校門前に集まっていた。

 

 金曜日で振替休日ではあるが、この時期の多くのチームは学園内でのトレーニングに勤しんでいる。

 

 そりゃそうだ。だってこの時期は秋華賞・菊花賞・天皇賞秋、一週開けてエリザベス女王杯とGⅠレースの繁忙期だからだ。

 

 だからこの時期に学園を出て練習するチームというのは、あまりいない。

 

 だけど。先生はそのあまりいない希少側の人間だった。

 

『玲音、土曜なんだが予定を開けてくれないか? あとそれをあいつらにも知らせて欲しい』

 

『別に大丈夫ですけど…みんなにも伝えるんですか?』

 

『その日は一日練習にしようと思ってな、帰るのが夜になりそうなんだ。だから遅くなるってことを寮長に報告してもらおうと思ってな』

 

『わっかりました~…』

 

 ということで、みんなに伝えたけど何をするかは俺にも分からない。

 

 というかその本人がここにいないって…。

 

「ねぇねぇ玲音、今日は一日中かかるんだよね~? でもなんでボクたちジャージなの?」

 

「多分走り込みとかだからじゃないかな…」

 

「えぇ!? 一日中ハシルノォ!?」

 

 テイオーは驚いた顔をして、そして周りのスズカ以外のみんなも少しだけ元気がなさそうにウマ耳を────。

 

「っ!? ちょ、スペ!? なんだその腹!?」

 

「えっ?」

 

 俺は周りを見たからこそ分かった。てかなんで今まで気づかなかったんだろ?

 

 あんまり女の子のお腹をジロジロと見るのはよろしくないのは分かっているが……スペの横っ腹が出るくらいお腹が膨らんでいたら誰でもそっちを見てしまうだろう。

 

「スペちゃん、最近菊花賞負けたから少し暴食気味だったのよね…」

 

「いや暴食だからってこうはならないでしょ…」

 

「だ、大丈夫です! 前から結構食べてもどうにかなっているので…!」

 

「う、それは羨ましいですわ…」

 

「いやいやマックイーン、そのお腹を見てそれが言えるのか?」

 

「だってわたくしスイーツを食べるだけでかなりその週は制限されんですわよ!? 一度でいいから好きなだけ食べても全然平気な身体が欲しいですわぁー!!」

 

 そう嘆くマックイーン。まぁ確かにマックイーンはかなりカロリーによる体重の浮き沈みが激しい。一時期はかなり無茶な減量を行っていたが、その時は流石に止めた。

 

 というかマジでスぺの丸々なお腹に目が離せない。マジでどんだけ食べたらあんなことになるの? 〇郎系ラーメン大盛りンカタカラメヤサイダブルニンニクアブラマシマシでも食べたんだろうか。

 

「玲音スぺちゃんのお腹見てる~やらし~」

 

「なっ、やらしくはねえだろ?!」

 

「「……」」

 

 ちょっと待ってなんかすごい殺気と怒気が二方向から感じる…え、二つ??

 

 一つは時々送られるマックイーンの視線だけど、え、もう一つの視線誰?

 

 …いやまぁスズカに決まっているか。そりゃそうだよね、だってスぺとは姉妹のように仲がいいんだから──いやスぺをやらしい目では見てないけどね??

 

「おー集まってるな」

 

「あ、先生。おはようございます」

 

 先生はあの合宿でも使っていた車に乗ってきた。

 

 となるとやっぱり走り込みなのだろうか。そう思うのと同時にテイオーは明らかに怪訝な顔をしているのに気付く。走り込みだと分かったからだろうなぁ。

 

 俺はぽんっとテイオーの肩に手を置いて同情の顔を浮かべる。だけどテイオーには逆効果だったらしくウマ耳を後ろに立てられた、激おこである。

 

「よ~しお前ら集まってるな、今日は超長ロングランを行ってもらう。いつ休むのか、どのルートで行くのかなど、チーム全員でお互いを見ながら話し合って決めるんだぞ」

 

「ロングランっつったって、ゴールはどこだよ?」

 

「あぁ、そうだったな。ほい、これゴールな」

 

「……」

 

 ゴルシが渋々と紙を受け取り、その紙を広げる。

 

 俺も含めたスピカのみんなはその紙を後ろから横からそれぞれ見る。

 

 するとそこに書かれていたのは…なんかくねくねと蛇のようになって「旅館ココ」って書かれている。

 

 うん、これもはや地図としての役割果たしてない。

 

「旅館はフジタヤってところな。玲音、助手席に乗れ」

 

「あ、はい…」

 

 俺は言われるがままに助手席のドアを開けて、そして先生の車に乗った。

 

       ・ ・ ・

 

 車に揺られながら外の景色を眺める。青空の下で動く白い雲や家屋たちは後ろに流れていく。

 

 横目で先生を見てみるが、先生は相変わらず飴を舐めながら余裕の表情で運転をしている。

 

「……あの、先生」

 

「ん、どうした? この曲のリピートは飽きたか?」

 

「いえ、別にNEXT FRONTIERを流すのはいいんですけど…今どこに向かってるんです? もう東京はとっくに出てますし」

 

「まぁまぁ、着いてからのお楽しみだ」

 

「そうですか…自分は少し寝ます…」

 

「おう、着いたらちゃんと起こしてやるから安心しろ」

 

 そう返事を聞いた後に俺は座席を倒して脱いでいた上着を上半身に顔も覆うようにして、目を閉じる。

 

 車内に流れる音楽の音量が少しだけ小さくなる。それを認識するのと同時に音は徐々に遠ざかっていった。

 

       ・ ・ ・

 

 目を開けると──俺は草原にいた。青い空に白い雲、そして奥まで広がっている緑色の草。その奥に、その子は確かにいた。

 

 栗毛の毛並みをしたその子は俺の存在に気づいたのか、4本足を器用に動かして立ち上がり、そして俺の方に向かってくる。

 

「やぁ」

 

「……」

 

 鳴いたりする代わりに、長い尻尾をぶんっと振ってウマ耳をぴょこぴょこ横に動かして返事をしてくれる。

 

 …俺はあれ以降、眠ると高確率でこの4足歩行の生き物(この子)と出会う夢を見るようになった。この草原で、この子に出会ってただ時間が過ぎていくのを感じるだけのなんにも変哲のない夢。

 

 でも不思議と退屈はしない。むしろどこか心地いい。まるで友だちといるかのような、そんな感じがするのだ。

 

 だから俺はその子が座ったのを確認すると、座ってその子の身体に体重を預けて青空を眺める。

 

『────カに! ────!!』

 

 時々こうしていると頭の中にアナウンスが流れてくる。カニなんていう訳の分からない単語を叫んでいるだけなので、もう慣れてしまった。

 

 後ろに手をやると少し片目のさわさわした毛並みが手のひらに伝わる。なでなでするたびに、少しだけ身体の表面が少しだけ盛り上がっている気がする。

 

この毛並み、現実の世界ではあんまり撫でたことのない感触だ。ドーベルマンを撫でた時の感触と少し似ているのかな。

 

 そんな風に考えていると「ブルルッ」と少し鳴いてその子は立ち上がろうとする。俺は退くとまた器用に立ち上がった。

 

 いつもだったらその子が向こう側に走って終わり────なのだが、今回は違った。

 

 その子はその場を走り去らずに、ただただその場で左回りでくるくると回り始めた。

 

「どうしたの?」

 

 そう言っても返事は返ってこない。というか返事が人の言葉で帰ってきたらそれはそれで怖いのだが。

 

 ────なんて考えていると、1つの光景が脳内に浮かんだ。

 

 それは、あのダービーの時に見たようなもの。

 

 人間が4足歩行の生き物に乗って颯爽と駆け抜ける姿。

 

 なぜそれが今の俺の頭の中に思い浮かんだのかは分からない。

 

 でもそれを認識した後にその子の方を向いてみると…その子には鞍と手綱みたいなものが付けられていた。

 

 さらに言うなら何か顔辺りにマスクみたいなものが着けられている。

 

「……乗れって、こと?」

 

 本当にそれが正しいのかは分からないが、俺はその子に近づいて何か足場になっているところから足を掛けて乗る。

 

 いつもの視界とは少し、いやだいぶ高めになっていていつも見ている夢なのに、どこか別の世界に来たみたいだ。

 

 なんて感心していると、とすっとすっとゆっくりその子は歩き始める。

 

「わ、わわっ!?」

 

 思った以上にバランスが悪く、落ちそうになるけどなんとか踏ん張る。

 

 心なしか、その子は自分が乗りやすいように地味に微調整しているようにも見える。

 

 そうしてしばらくすると、なんとなくだけどコツを掴んでくる。最初よりは座るところがズレて落ちかけるなんてことは無くなった。

 

「ブルルッ!」

 

「どうしたの? もしかして、もう少し早く走りたい?」

 

「……」

 

「いいよ、君の本当の速さ────見せて」

 

 そう囁いた瞬間、みしっ…と地面が抉れる音がした。そして、風が吹く。

 

 反射的に俺は姿勢を低くして、縄をぎゅっと握って振り落とされないようにする。不安定の足場に、揺れる接着部分。全てが不安定で、怖い。

 

 でも、その子はどんどんスピードを上げていく。俯いているからこそ、少しずつ下にある草たちが後ろに流れていく早さが上がっていることに気付く。

 

「(なんでこの子はこんなに…)」

 

 と、思った次の瞬間段差っぽくなっていたのかガタッと揺れる。それによりさっきまで俯いていた姿勢が胸を張るような感じになる。

 

 そして、自分は見てしまった。

 

 風を切り…草花、雲などあらゆるものが瞬時に後ろに流れていく。

 

 ふと、俺はこう思った。

 

 ────風になったみたいだ。

 

       ・ ・ ・

 

「おーい、着いたぞ~」

 

「ん、んんっ…」

 

 目を開けると、そこは車の中だった。隣には先生もいて、少しドアを開けている。

 

 リクライニングを戻してから俺は助手席側のドアを開けた。すると聞こえてくるのは近くで流れているであろう小川の音、そして鼻をすんすんっとしてみると、なにやらちょっと独特な匂いがこの周辺からすることが分かった。

 

 これは…温泉の匂い、だろうか。

 

「先に行ってるからな~」

 

 そう言いながら先生は目の前に立っている旅館であろう建物に入っていった。

 

 俺は不思議に思いながら、携帯を取り出して今の場所がどこなのかマップで調べる。

 

 すると、そこは隣県の温泉街のようだ。

 

「……いや遠くに来すぎでは…?」

 

「おーい、チェックイン終わったからこっち来い~」

 

 俺は訳が分からないまま、先生がいる旅館に入る。

 

 女将さんらしきおばあさんに案内されて、和室に通される。

 

 先生は持っていたバッグを置くと「ふ~…」とため息をつきながら、座椅子に座る。

 

「あの、先生…これは一体…明後日は”スズカ”の天皇賞なんですよ?」

 

「確かに明後日はスズカにとって大切なレースがある。だがだからこそ、休むことも大切だろ?」

 

「それは、一理あるかもしれないですけど…でもいくら何でも遠すぎでは?」

 

「ウマ娘から見れば、あんなのちょっとしたハーフマラソンみたいなもんだ」

 

「それは流石に言いすぎでは…」

 

「まっ、細かいことは気にすんな。せっかくここまで来たんだ、入らなきゃ損だろ?」

 

 そう言いながら先生は立ち上がって、腰に手を当てながら伸びをする。

 

「……俺、金ありませんよ?」

 

「安心しろ、俺の奢りだ」

 

「明日槍でも降るんです?」

 

「なんでそうなるんだよ!!!!」

 

       ・ ・ ・

 

 お出かけに誘われる頻度は少ない訳ではないが、温泉はあまり行ったことがない。

 

 というのも叔父さんと叔母さんと旅行やお出かけはあんまりしていないからだ。

 

 それはまぁ自分が他人だから、あーいう時は夫婦水入らずで過ごしてほしいという意味もあったのだが。

 

 多分最後に行ったのはマックイーンに誘われていったメジロ家の別荘の時だったかな…。

 

「はぁ~、生き返る~…」

 

「おっさん臭いですよ、先生」

 

 頭と体を洗った後、先生はそのまま温泉にどぶん。俺は手だけ入れて温度を確かめて、少し熱いなと思いながらとりあえず半身浴で温泉に入る。

 

「おっさんは酷いな…これでも日々の業務が忙しいんだよ」

 

「お疲れ様です」

 

 今思うと、俺は先生がどんな仕事をしているのか具体的には知らない。

 

 よく聞くのが『日本のウマ娘トレーナーは業務内容の割に賃金が合わない』というものだが、俺の業務内容のイメージは基本、コーチみたいなものと出走書類の提出くらいな気もするが…。

 

 まぁ、トレセン学園も組織。仕事が平等に振り分けられるんだろう。

 

「なぁ、玲音。一ついいか?」

 

「なんです?」

 

「お前は、スズカの隣にいたいか?」

 

「……急にどうしたんです?」

 

「いや、ただの興味本位だよ…昔の、大体2年前のことを思い出してな」

 

 二年前でこの時期…というと、俺が受験した時のことを言っているのだろうか。

 

「お前はあそこに来た意味を『幼かった頃の約束を守りたい』って答えたよな?」

 

「えぇ…そうですけど」

 

「つまり簡単に言えば、スズカと再会してずっといるってことだ」

 

「……」

 

「もし、もしだ。スズカが今の殻を破ろうとしている時に、お前は────邪魔になるって分かっても、ずっと傍にいるのか?」

 

「っ…」

 

 あまりにも真剣な声で問われたからこそ、俺は固唾を飲んだ。

 

 同時にこれが、「お前は遠い存在のスズカの隣にいられるのか?」という意味合いもあるのだと、自ずと理解した。

 

 確かに今の俺はまだ、トレーナーのノウハウを学んでいるだけのただの生徒。

 

 それに対して、スズカは今では日本中で話題の雲の上の存在。正直、自分なんて隣に立つ資格なんてないに等しいだろう。

 

 でも、だとしても───。

 

「……俺は、ただの幼なじみなんかじゃない。スズカの走りに魅了されている1ファンでもあるんです」

 

 だからと、俺は先生の瞳を真っ直ぐ見て、言葉を続ける。

 

「必要なら離れます。でも俺は常にスズカの隣にいて、逆もそうだ。俺たちは確かに繋がっている。そしてその繋がりをいつか周りの人たちにも見えるくらい、相応しい男(トレーナー)になるだけです」

 

「……そうか」

 

 そう一言呟きながら、先生は天井を仰ぎ見る。

 

「……すげえよ、お前は」

 

「なんか言いました?」

 

「なんもねえよ、露天行くぞ」

 

「行ってらっしゃいです」

 

「お前は行かないのかよ!?」

 

 たまには他の人と一緒に温泉に行くのもいいと思った。

 

 

 

 

 




スズカ「あの、ヒビルさん?」
ヒビル「……」
スズカ「秋天、終わりましたよ?」
ヒビル「はい…」
スズカ「年明けまで半月ですよ?」
ヒビル「だ、第7Rは…年中に()」

ということでお久しぶりです。ヒビルですそして申し訳ございません_:(´ཀ`」 ∠):_
大学生活が地味ーに忙しくて、あとシナリオ制作や小説大賞やら、やらやら()
ほんと年中には終わらせたいです、暖かい目で見守ってください…。(このお話もここまで長くなるのは想定外だった)

・次回はその後の合流シーンのお話です。


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ケセラセラ エレジー / 本音

 前回のあらすじ:チーム・スピカの練習のゴール地点へと最初に着いた玲音とトレーナー。温泉に入りながら玲音は先生に対し、自分が今思っていることを赤裸々に話した。

・今回は若干キャラ崩壊があります。前半はBUCK-TICK『ケセラセラ エレジー』という曲を聞くと玲音とスズカのシチュを追体験できます。


 

 日が沈み、道路に備え付けられた街灯が灯り始めしばらく経った後、暗闇の中から微かに動く影があった。

 

「おーい! みんなー!!」

 

 そう叫ぶとその影の速さが幾分か増した。その中でも一つだけ抜きん出て速い影が一つ。

 

 それが10mくらいになると街灯なんてなくても誰だか分かった。そう認識する間にも影は街灯の光に当たってその姿を現す。

 

「お疲れ、スズちゃん」

 

「レオくん」

 

「ここまでの道のりはどうだった?」

 

「うん、確かにとてもキツかった練習ではあったけど…でもそれ以上に嬉しいことが分かったの」

 

「……嬉しいこと?」

 

「私たちを応援してくれる…ううん、ウマ娘を応援している人たちは私たちが考えている以上に私たちを見てくれているってこと」

 

「そっか…結構ためになったんだね」

 

「うん」

 

 少しの間だけ、妙に長い静寂が訪れる。

 

 でもお互い視線を外すことなく、スズカは尻尾をぶんっと軽く、でも勢いよく振った。

 

 そしてそんな静寂を切り裂くようにドタタタッと音を立てて、みんなが一斉に到着する。

 

『あ〜! 疲れたぁ〜!』

 

 全員で息を合わせるようにその場に座り込むみんな。俺は用意していたタオルとスポドリをみんなに渡す。

 

「あ、玲音さん。ありがとうございます」

 

「お疲れスペ、キツかった?」

 

「そりゃもうなまら疲れたべ…」

 

「北海道の方言が出るくらいには疲れたんだね…」

 

「でも! 嬉しいこともあったんです!」

 

 そう言いながらスペはジャージのポケットにてをつっこみ、手を突っ込み、何か手のひらサイズのぬいぐるみみたいなものを取り出す。

 

 それはちょっと不恰好ながらも手作りでできていて、特徴的にスペをモチーフにしているように見えた。

 

「道端で会った女の子にもらったんですよ、「おねーちゃんおうえんしてる!」って!」

 

「…なるほどね」

 

 さっき言っていたスズカのセリフがよく分かった。

 

 同時に先生がなぜこのタイミングでこんな練習メニューを行ったのか理解できた。

 

 普段トレセン学園付近での走り込みというのは他のチームのウマ娘もいる。だからこそ川の土手で走っていたとしても、そこまで特別ではないというか、走るウマ娘が通るというのはごく普通の光景なのだ。

 

 だからこそあえて、こんな辺境の地まで走ることによって『応援してくれる人の身近さ』を認識させる。

 

 それがこの練習の目的なんだ。

 

 やっぱ先生はすごい…こんな認識を、このタイミングでみんなに教え込むなんてすご──。

 

「ぎゃああああああああああああ!!??」

 

「……」

 

 先生の方を見てみるとマックイーンがパロ・スペシャルを決めていた。

 

 というかマックイーン、キ〇肉マン知っているのか…。

 

 なんかあそこまで顔が怒り露わになっているマックイーンは初めて見た気がする。

 

「と、とりあえずお前ら、ここから先にある温泉入ってこい。疲れた身体に染みるぞ~」

 

『はーい』

 

「あ、あと玲音。お前は外で全員が出てくるまで外で待ってること」

 

「鬼ですか??」

 

 いくら10月の終わりとは言えど、日中は確かにまだ温かい。

 

 だが夜となれば話は別だ。夜は普通に冷えるし、なんだったらそこまで上着とか持ってきてないし…。

 

「一応、こいつらも中学生とかがいるからな、管理する人間は必要だろうよ」

 

「いや…まぁそっか」

 

 確かに忘れそうになるけど、テイオやウオッカ。スカーレット、スぺは中学生。高校生はスズカと…一応ゴルシ? しかいない。

 

 でもそうすると二人が温泉に入れなくなるから、必然として最初に温泉を楽しんだ俺がその役になるのはまぁ利に適っている。先生は慰労旅行の意味合いもあるだろうし、休みたいんだろう。

 

「分かりましたよ…」

 

「んじゃ、よろしくな」

 

   ***

 

 かこんっと桶が置かれる音が響きます。

 

 私は貯めたお湯を優しく汗のかいた身体に掛けます。

 

 外気で冷え切っていた体に熱いお湯がかかり、少し身体をビクッ!っと強張らせてしまいますが、それとほぼ同時に外から中へと広がっていく温かさが、とても心地いいです。

 

「わぁ…スズカさん、とても肌つやつや…それに髪の毛が本当に綺麗…」

 

「スぺちゃんこそ、いい肌をしているわ」

 

「わぁ…! ありがとうございます!」

 

 尻尾をぶんぶんと振るスぺちゃん。でもちょっと濡れているから水滴がこっちに飛んできてます。

 

「にしてもスピカのみんなでお風呂ってなんか新鮮だなー。ボク、パパとママ以外と行くの初めてかも」

 

「そうですわね、わたくしはメジロ家の者たちで入ることはありますが、その他の人とは初めてかもしれませんわ」

 

「あ、でもあれはありませんか? 小学校の時の自然学習とか修学旅行!」

 

「あ~それならオレ、京都でまぁまぁ心地いい温泉に入ったことあるぜ」

 

「あ~ボクは東海の方だったから修学旅行は東京だったんだよね…」

 

 そう喋りながら各々が温泉に入るために体を洗います。ゴルシ先輩はもうさっさと洗って露天風呂に入っていきました。

 

 私たちもある程度身体を拭き終えた後、温泉に浸かる。少し熱めの温泉が、冷え切った冷気で冷たくなった体を外から温めてくれる。無意識に「ふぅ~…」と自然と深い息を漏らしてしまいます。

 

 長距離走の疲れがその息からふわふわと出ていくように、とても穏やかな気持ちになります。

 

「あぁ~生き返る~」

 

「ちょっとあんた…少し男っぽいわよ…」

 

「きゃっ!? テイオーなにをしますの!?」

 

「にっしっし! テイオー様お得意のテイオー水鉄砲だー!!」

 

「きゃあ!?」

「ちょっ!?」

「うわぁ!?」

 

 中学1・2年組はとてもはしゃいでいる。横に視線を向けるとテイオーがやっている水鉄砲をやろうとスぺちゃんが手を動かしている。でもできなくて少しもどかしそうにしている。

 

「スぺちゃん、こうやるのよ」

 

 そう言ってお手本のように水鉄砲をやってみる。するとスぺちゃんは嬉しそうにそれを真似しています。

 

 そしてちょこんっと水が出ると耳を真っ直ぐに伸ばして温泉の中ですが、波がこっちに伝わってくるくらいにスペちゃんは尻尾を動かしています。

 

「おいおめえらここは温泉だぞ? もっと静かにくつろげよ…」

 

 そう言いながら外から戻ってきたのは、ゴルシ先輩でした。

 

 そしてそんな様子を見て、驚いている子が数人。

 

「あ、ありえませんわ?! ゴールドシップさんはむしろ温泉をプールのように泳ぐはずですわ!?」

 

「そうだよ! なんだったら水鉄砲を持ってきて、ボクたちを攻撃するよね!?」

 

「あたしを何だと思ってんだよ…。それよりいつまで中にいるんだ? おめえらもさっさとこっち来いよ」

 

 そう言うとゴルシ先輩はまた外の方に出ていってしまいました。

 

 他のみんなは少し困惑していますが、私はすっと立ち上がってゴルシ先輩が向かった外に向かいます。扉を開けると冬入りかけの冷たい夜風の寒さが、火照った私の身体を冷まします。

 

 そして目の前に広がったのは、少し欠けた月と星々が点々と光り輝く夜空。そして岩造りで作られている露天風呂。

 

 ゴルシ先輩の長く綺麗な白髪の長い髪が温泉の波によって微かに揺れている。こうして見るとゴルシ先輩はいつも不思議な言動をしているだけで、容姿端麗で生まれてくるウマ娘の中でもかなりの美人な気がします。

 

「お、最初はスズカか…」

 

「えぇ、隣いいですか?」

 

「ここは温泉だぞ? そんな改まる必要はねえだろ」

 

「……そうね」

 

 そう答えて、私は露天風呂に入ります。中にあった温泉よりも少し熱めの温度は、外気に触れて冷めた身体を再び温まる。

 

 しばらくするとスぺちゃんや他のみんなが中から出てくる。みんな早く温まりたいのか、小走りで近づいて、そのまま勢いよく浸かるという感じです。

 

「あ、星がすごく綺麗ですよスズカさん!」

 

「えぇ、本当ね」

 

 レオくんと北海道の地元で見た夜空ほど星は多くはないけど、温泉の中でみんなとこんな風に夜空を見上げてみる星も悪くないと思えます。

 

 全員でふ~っと息を漏らす────そんな時ふと、視線を感じました。

 

 その方向を向いてみると、ゴルシ先輩がどこか神妙でどこか真剣そうな面持ちで私を見ていました。

 

「なぁスズカ────高3になったら海外に挑戦するってマジなのか?」

 

「────」

 

 ゴルシ先輩の口から発せられた言葉に対し、私は言葉を失い、ただただか細い息を漏らすことしかできませんでした。

 

 そしてそんな言葉を聞いたスぺちゃんたちも、驚いた顔でこっちを見てきます。

 

「……どこで、それを?」

 

「あたし聞いちまったんだよな、偶然にも。その時はトレーナーに対して新しく生み出したゴルシスペシャルを喰らわすつもりだったんだがな…」

 

「そうですか…」

 

「え、じゃあスズカさん来年はこっちにいないってことですか!?」

 

「……そうね、この際話しましょうか」

 

 そうして私は2022年の2月から海外に行くかもしれないことを話す。

 

 もちろんそれはこの先の天皇賞・秋。そして次にあるジャパンCで成績を残せればといった感じですが。学園長やあの生徒会長からも勧められていて、年末にほぼ確定みたいなことになっていることも話しました。

 

「ってことは年末はアメリカってことですか…」

 

「わたくし、スズカ先輩の走り、もっと身近で見たかったですわ」

 

「え、いつまで向こうにいるのスズカ?」

 

「それは……分からないわ。一年で帰るかもしれないし、もっと長い間向こうにいるかもしれない」

 

「そう…ですか……」

 

 横を見てみるとスペちゃんがウマ耳を後ろに倒して、どこか悲しそうな顔を浮かべていました。元々秋天が終わったくらいに伝えるつもりでしたから、私自身がそこまで心の準備ができていなくて、だからこそその表情は私の心に深く突き刺さりました。

 

「……ジャパンC、ですよね」

 

「え、えぇ…秋天の戦績がよかったらって前提だけどね…」

 

「なら!!」

 

 ザバッ! とスペちゃんは音を立てながらその場から立ち、こっちを見ず…その目の前、いや、目の前のさらに先に見えているナニかを真っ直ぐに見つめながら、とても真剣な声色で言葉を続けます。

 

「私も出ます────ジャパンCに!!」

 

   ***

 

 道の近くにある岩場に座って、携帯を弄りながらみんなが温泉から上がるのを待つ。

 

 耳に挿しているイヤフォンからは自分の大好きなバンドのツインギターの音が両耳を叩き、ベースとドラムの音が体の芯を震わせ、男性ボーカリストの妖艶たる魅了される魔王ボイスが全身に貫かれる。

 

 いつ聞いても色褪せることはない。やはり何十年も続いているバンドは伊達ではないってことなんだと思う。

 

 なんて思っていると旅館浴衣が視界の端に映ったので、俺はイヤフォンを取ろうとする。

 

「えい」

 

 そんな掛け声が聞こえたかと思うと、右耳が解放感が訪れる。イヤフォンが片耳だけ外される。

 

 そのまま視線を向けてみると、スズカが自分のウマ耳にイヤフォンを挿して、自分の左に座って、同じ曲を聞いている。

 

『幻想の始まりだ 運命共同体 君と繋がって』

 

「……面白い曲ね」

 

「…ケセラセラ エレジーって言うんだよ」

 

「なんとかなる…悲歌?」

 

「面白いネーミングだよね、曲自体もかなりすごいけど」

 

「えぇ、確かにあまり聞かない感じね」

 

「…上がるの早いんだね」

 

「ちょっと温泉が熱くてね、早めに上がっちゃった」

 

「そっか…んじゃ、みんな待つ感じかな。スズちゃん先は戻ってていいよ」

 

「ううん、私も待つわ。涼みたい気分だしね」

 

「あまり体冷やしすぎないようにしなよ? 女の子なんだから」

 

「ふふっ、心配してくれるんだ」

 

「そりゃね、幼なじみだし」

 

『ほら 世界が回る 世界が 狂う ねぇ 止まんないだろう?』

 

 温泉上がりのスズカは、なぜだかいい匂いがするような感じがした。温泉自体は昼間に入ったのと同じなはずなのに。

 

 それに湯上がりでどこか髪の毛が煌びやかで、頬が紅潮していて…なんか妖艶な何かを感じる。

 

 そのまま二人で同じイヤフォンで同じ曲を聴く。そんな当たり前に思えるけどあまりない、ちょっとした非日常に対して、俺の心はちょっとうるさいくらいに鼓動する。

 

「……ねぇ、レオくん」

 

「んっ?」

 

「天皇賞・秋が終わったら…伝えたいことが、あるの…」

 

「……伝えたいこと?」

 

「うん…それで、さ…もし────」

 

『ほら 未来が揺れる 未来がユラユラ さあ 視えるか? 解るか?』

 

「……ううん、この願い事は、まだ胸の中に潜めておこうかな」

 

「…そっか、何をお願いされるのかちょっとドキッとしちゃったよ」

 

 軽い笑みを向けると、スズカも優しい笑みを返してくれる。

 

 そうして、俺たちは目を閉じてこの曲の最後のサビのフレーズを聞く。

 

『哀愁のparadise 進め未来へ I love you forever ケセラセラ エレジー』

 

       ・ ・ ・

 

「 お 前 ら 食 い す ぎ だ ぁ ! ? 」

 

 そんな悲痛な先生の声が部屋いっぱいに響く。目の前では今回のランニングで色々鬱憤が高まっていたのか。チームのほとんどが高いものを注文したり、にんじんを注文していたりする。

 

 というかやっぱウマ娘って結構食べるんだなぁ。まぁ人間のサイズであそこまで驚異的な身体能力が出るのだから、エネルギーの消費が普通の人よりは激しいんだと思う。

 

「おいおい新人、お前ももっと食えよ」

 

「いや…自分も楽してた人間だし」

 

「そんなつまんねぇヤツに育てた覚えはないぞ」

 

「ゴルシ…俺はお前の血縁者でもなんでもな────むぐっ!?」

 

 急に口元になにかを突っ込まれる。一瞬驚いたものの、舌の上から感じるほのかな甘みを感じ取り、咀嚼をする。

 

 噛むとそれが牛肉だと理解し、さらに口を動かす。噛めば噛むほど肉汁と脂の甘味が溢れ出し、口の中がこの牛肉でいっぱいになる。そしてそのまま、飲み込んだ。

 

「どうだ、美味いだろ?」

 

「……んまい…」

 

「店員ここにカツオのたたきにとちぎ和牛の盛り合わせ追加で~!!」

 

「玲音!! お前まで俺を裏切るのか!?!?」

 

 すごく悲痛な声が聞こえるけど────そっとしておこう。

 

 拒み続けたが、なぜだかゴルシは俺に食材を食べさせようとする…なんか楽しんでるのか?

 

「れ、玲音さん! このキスの天ぷらも中々に美味ですわよ!」

 

「玲音玲音~この時雨煮すごく美味しいから食べてみて~!」

 

「このニンジン! なまら甘いべさ~!!」

 

「えっと…レオくん、ニンジン食べる?」

 

「……いただくよ…」

 

 なんか流れは変だけど、まぁ楽しい夕飯になった…先生にとっては悪夢かもしれないけど。

 

 ……っと思ったけど、先生はどこか苦笑いながらも笑みを作っていた。

 

 案外先生はこういったわちゃわちゃが好きなのかもしれない。

 

「……あ、やべ」

 

「どうしました先生?」

 

「いや、玲音を乗せてきたあの車…助手席含めて7人乗りなんだよな…」

 

「え。それどうするんですか俺?」

 

「あら、でしたらわたくしの方で遣いの者を出しましょうか?」

 

「おっマジかマックイ―ン、助かる」

 

「ではわたくしと玲音さんは遅れて戻りますので、学園への報告はお願いいたしますわ」

 

「おう、任せておけ」

 

「……」

 

「スズカさん? どうしたんですか?」

 

「ううん、なんでもないわ」

 

       ・ ・ ・

 

 スズカたちと別れて少しすると、マックイーンの爺やさんがやってくる。

 

 そして俺とマックイーンは車に乗り、来た道を戻る。窓からは街明かりが高速で流れていく。

 

「あの、玲音さん」

 

「ん、どうしたの?」

 

「……スズカさんのこと、どう思っていますか?」

 

「え?」

 

 マックイーンの口から発せられたあまりにも唐突な質問に、俺は素っ頓狂な返答を返してしまう。

 

 しかしそのマックイーンの質問を少しずつ脳が理解すればするほど、逆に困惑してしまう。それも隣にいるマックイーンの表情が少し悲し気なのを認識すれば尚更だった。

 

「…実は、少し早めに上がったんです温泉。それで玲音さんのところに行こうとしたら…玲音さんと、スズカさんがいて……声をかけようと思ったんですけど、二人の空間ができていて…」

 

 ぼそぼそと、か弱い声で話すマックイーン。その声は高速を走る車の走行音でかき消されそうだった。

 

「…空間もなにも、”スズカ”は幼なじみだよ」

 

「呼び捨てで言うんですね、いつもはスズちゃんですのに…」

 

「別にいいでしょ…とにかく、俺とスズカは幼なじみ。10年間の空白の時間を、今埋めているだけだよ…」

 

「なら、わたくしのことはどう思っていますの」

 

「……え?」

 

 マックイーンが言ったことを今度は瞬時に理解する。だが、知ったからこその困惑の沈黙が自分の中で生まれてしまった。

 

 マックイーンの表情を見るとさっきとは打って変わってとても真剣な顔になっていた。

 

「どうなのですか」

 

「……」

 

 その真面目で真っ直ぐな瞳に当てられたのか、俺は何も考えないまま。口を動かし、本音を漏らし出す。

 

「マックイーンは、俺にとっては妹みたいな存在だよ…変わることは、ないと思う」

 

「……わたくしは、そんなことを聞きたいのではありませんわ。1人のウマ娘…いえ、女性としてどうなのかと聞いてますわ…」

 

「なら、もっと答えは単純。俺は君を、妹としてか見られない」

 

「っ…年齢が幼いからですか…わたくしに、スズカさんみたいな魅力がないからなのですか…」

 

「いいや…マックイーンはとてもいい女性だよ。夢に向かってひたむきに、天才と言われながらもその影は超努力家なのは、俺自身が見ている。でも、やっぱ俺にとってマックイーン…ううん、スズカも含めて、みんな妹分としか見られないんだ」

 

 それは多分、自分がとても小さい時に芽生えた俺を形成するものの一つ。

 

「俺の母さんが、死ぬ前に残してくれたんだ。『ウマ娘の走りは、人々に感動を、奇跡を与えるものだ』って。そして俺はスズカの兄みたいなものだった。妹に近くにいて守ってあげること。それが兄としての役割。その時はスズカだけだったけど、今はマックイーンや…他のみんなにも当てはまることになんだ」

 

「…そうですか」

 

 それ以上、マックイーン何か話しかけてくることはなかった。ただお互い、近い方の窓から流れる明かりを眺めていた。

 

 そして、そのまま高速を降りてトレセン学園前を通り、後生寮の前で車が停まる。

 

「爺やさん、ありがとうございました。マックイーンもありがとうね」

 

「いえいえ、夜中で道も少し暗いので足下にお気をつけて」

 

「……」

 

 マックイーンはこっちは見るものの、その場を動こうとはしなかった。

 

 俺は会釈をして、シートベルトを外し、車外に出る。

 

 11月に入ろうとしているこの時期の夜風は、とてもひんやりとしている。そんなことを思いながら俺は歩き出す。

 

「(残り2日…スズカの頼み事もあるから、早朝のために帰ったらさっさと寝ないと…)」

 

 なんて思っていると、後ろからタッタッタッ…と何かが走ってくる音が聞こえる。朝ならともかく、夜にこんな音は珍しく思った俺は振り返る────その瞬間、ポスッと少し強い衝撃が胸辺りから感じた。

 

「うぉ…マックイーン?」

 

 そうマックイーンだった。マックイーンが俺の方に向かって走ってきて、そのままシャツを握りしめながら顔を俺の胸に埋めている。

 

 よく聞けば、啜り泣くような声も聞こえた。

 

「やっぱり…イヤ、ですわ……わたくしはこれからもずっと、慕いたいですわ。それは妹ではなく、一人の淑女として…。

 

 玲音さん、お願いです。もしわたくしの悲願を達成したら────その時は…

 

 ────結婚、してください。

 

 

 

 




S「(尻尾地面にびたんっ…びたんっ…!)」
H「(正座)」
S「終わりませんでしたよね?」
H「はい…」
S「……1月には、終わりますか?」
H「終わらせ…たいです…」
M「なんなのですのこれはぁ!?」

・はい、明けましておめでとうございます。ヒビルです()第7Rは2022に完成させたかったです。(遠い目)そして新年一発目がこんなにも浮き沈みの激しい長めのお話で本当申し訳ございません()

・ケセラセラ エレジーはこの物語のサブタイトルの『ススメミライへ』の元ネタです。

・次回、

『────再び、お目にかかりましたな』

 ウマ娘は、出ません。


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試練 / スズカの頼み事

 前回のあらすじ:秋天まで残り2日、チームスピカは長距離トレーニングと温泉による疲労回復の二つを行った。



 

 身体が右に、左に、そして上下に揺らされるような感覚に襲われる。電車ほどは激しくはないが、しかし車と比べると圧倒的に揺れている。

 

 かたかた…とまるで木と何かがぶつかり合って擦り合っているような変な音が耳に入ってくる。

 

 そしてさらに聞こえてくるのは、ピアノの綺麗な音。

 

 そのピアノの音に釣られるように、俺はゆっくりと目を開ける。

 

 最初に入ってきたのは、青。

 

 真っ青な部屋の中央、テーブルを挟んで長鼻の老人が座っていて、その隣には青い修道服のようなものを来た少女の姿が分かる。

 

「再び、お目にかかりましたな」

 

 長鼻の老人は杖に添えていた両手の右側の手をこっちに手向けながら、こう呟く。

 

「ようこそ我が『ビロードの部屋』へ」

 

「お主、久しぶりなのじゃ!」

 

「……なんだ神か」

 

「なんだとはなんじゃなんだとは!!!!」

 

 少し記憶が曖昧だったが、だんだん蘇ってくる。

 

 確か目の前のひょろっとした体格と長い鼻が特徴的で髪色が白髪になっているところから老人はクレンぺ…そして隣にい──た今俺の目の前で『おうおう、やるんかわれぇ!』的な態度を取っているのはサフィーだ。

 

「サフィー、客人に無礼を働くではない」

 

「だって馬鹿にされたんだもーん!!」

 

 わーん! と泣くように叫ぶサフィー。しかしクレンぺの深い咳込みを聞いた瞬間、首元を掴まれた猫みたいに大人しくなる。

 

「……さて、今回呼んだのは他でもありません」

 

 そう言うと、クレンぺはテーブルに手を翳し、それを横に払う。

 

 するとどこからかタロットカードが出てきて、所定の位置に留まり、そして自然とめくられる。

 

 そこには力のカード…それが逆位置になったカードがそのテーブルの上に鎮座していた。

 

「お主にまもなく、試練が来るのじゃ」

 

「……え?」

 

 俺はサフィーが言った言葉に素っ頓狂な返事を返してしまった。

 

「待ってくれよ、試練ってもう終わったんじゃないのか?」

 

「ん? なにをほざいておるのじゃ?」

 

「いや、だって無力さはもうかなり痛感して────」

 

「アホか。あの程度で試練というなど、お主は幸せな愚者じゃの」

 

「こらサフィー、もっと言葉を改めなさい」

 

 二人がとやかく言っている間も、俺の心臓は鳴りっぱなしであまり話が耳に入って来ない。

 

 俺は夏、自分に何もないという無力さに気が付いた。だからかなりネガティブになっていたし、なんだったらあそこで絶つことも考えていた。

 

 でも道や尊野の信念や、チーム・スピカのみんなで駆け抜けた夏合宿。そしてスズちゃんとの地元帰りで、その無力さは自覚しながらも、未来には進もうと決心したはず。

 

「試練というのは己の心の中にあるもの…しかし時には外からの力による試練。これもまた生きているうちはあり得ることなのです」

 

「要するにお主はもともと持っていた試練…いや、未練を超えただけ。試練はまだまだこれからあるのじゃ」

 

「────」

 

 俺は深いため息を漏らしていた。あの時は短期間とはいえど、かなり辛い経験をした。だからもう二度とないように克服したはずなんだ。

 

 なのに、試練は今から? あれ以上に苦しいことなんて、一体…なにが…。

 

『───────カに─障──!!』

 

「ぐっ…?! ぁぁあああああああ!!!???」

 

 唐突に頭に響いてきた言葉、それを聞いた瞬間俺は頭と胸をぎゅっと手で抑え、その場に蹲り目を強く瞑った。

 

 そして全身に巡ってきたのは────恐怖だ。

 

 恐怖の感情が、今聞こえてきた言葉に対して、芽生えた。

 

 息が乱れる。動悸が激しい。視界が点滅する。頭が痛い。そして何より、胸が張り裂けるように痛い。

 

 そしてこの痛みを、俺は知っている。

 

 …誰かの死。大切な人が離れていって、己の無力さとこの世の残酷さともっと一緒にいればよかった、いたかったという後悔──そう言った負の様々な感情が俺に心をめった刺しにし、そしてその冷たく暗いものがずっと見にまとわりつくような…あの感触。

 

 母さんが目の前で亡くなった時と、同じだ。

 

「はぁ…!? はぁ…はぁ…」

 

「おぉ~帰ってきたな、ほれお茶じゃ」

 

 サフィーがそう言うと、テーブルの上に青色の飲み物を出される。

 

「ハーブティーじゃ、安心せい。毒ではないのじゃ。レモンは入れるかの?」

 

「…じゃあ…もらう」

 

「承知したのじゃ」

 

 そう言うとサフィーは、ひょいっとどこからかレモンの輪切りを取り出して、カップに入れる。

 

 すると青かったハーブティーが少しずつレモンを軸に色が変わっていき、最終的に青かったハーブティーはあでやかな紫色に変わっていた。

 

「おぉ~変わりよった変わりよった」

 

「……初めてやったの?」

 

「だって我は酸っぱいのは嫌いじゃからな♪」

 

「そ、そうか…」

 

 俺はサフィーの言葉を流しながら一口、そのハーブティーを飲む。

 

 …なんともいえない、でも美味しく華やかに香るその味は舌と喉奥に残るような感じだった。

 

 そう思った瞬間、視界が眩む…そして急に眠気がやってきた。

 

「どうやら時間のようですな…ではまた会う日まで、ごきげんよう」

 

 ────意識が、途切れた。

 

       ・ ・ ・

 

 ────ピピピ、ピピピ、ピピピ、ピピピピピピピピピピ。

 

 耳元で劈く、高い高い電子音。その音は俺の脳をフルに動かすには十分だった。

 

 俺は鬱陶しく思いながら、手をばたばた音のする方に動かす。しばらくすると止まる。

 

「……ふぅ…」

 

 俺は一度ごろんと身体を捩って、天井を眺める。そしてそのまま流れるように寝返りを打って再び寝ようとするが…体を起こす。

 

「……そうだ、今日も行かないと…」

 

 俺は布団から出て、その布団の上に乱雑に置いてあった。そこにはハンガーに掛かっている青いジャージがある。それに手を伸ばして、袖を通す。

 

 最近は毎日着るようになったからか、扱いが逆にぞんざいになりつつある。

 

 俺は部屋に、そして後生寮から出る。

 

「おぉ~谷崎くん、おはよぅ」

 

「未浪さん、おはようございます」

 

「今日も朝早いねぇ、また公園かい?」

 

「えぇ、だって幼なじみの頼み事ですから」

 

「いいねいいねぇ…青春って感じがするよ」

 

「あはは…」

 

「でもそんな毎日毎日走っててその幼なじみは大丈夫なのかい?」

 

「そこは自分も細心の注意を払っているので…」

 

「まぁ、気をつけて行っておいで」

 

「えぇ、行ってきます」

 

 寮長である未浪さんに軽い挨拶を交わしてから、俺は駐輪場からロードバイクを持ち出してそれに乗って公園に急ぐ。

 

 11月に入る一日前のこの朝の寒さは、息をする度に喉を冷やし、そして肺に突き刺さる。

 

 だがそんなことよりも、俺の頭の中は「待たせていたらどうしよう」という不安しかなかった。

 

 公園の入口に入った後、俺は少しだけ息を詰まらせてしまう。

 

 何とか息をと整えようとしていると…。

 

「大丈夫、レオくん?」

 

 そう、とても優しい声が横から聞こえてくる。

 

 顔をそっちに向けてみると、そこには同じく学園の指定ジャージを着たスズカがいた。

 

「ごめん、スズちゃん…ちょっと、遅れた…」

 

「ううん、そんなに待ってないから大丈夫。ゆっくりでいいよ」

 

「……分かった」

 

 スズカにそう言われた俺はゆっくりと深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。

 

 スズカはそんな様子をただ見るわけではなく、俺の背中をさすってくれている。さす…さす…と布と手がすれる音が耳の中に鮮明に入ってくる。

 

「ありがとう、スズちゃん…なんとか落ち着いたよ」

 

「ならよかった。でも本当にごめんね、毎日のように付き合わせちゃって…」

 

「ううん、スズちゃんのためだもん。それだったら俺は、喜んで協力するよ。まぁ遅刻した人間が言えることではないけどね」

 

「ふふっ…でも、それで今日で終わりだから」

 

「…そうだよね、明日だもんね──秋の天皇賞」

 

「えぇ」

 

 喫茶店でスズカに言われた頼み事、それは『天皇賞・秋まで、走り込みに付き合ってほしい』というものだった。

 

 恐らく、スズカ自身にとっても、この天皇賞・秋は特別な理由がある。

 

 なにせ、ここまで宝塚、いや2月から続くスズカの勝利の方程式。それが完全に証明される1800~2200mの中距離GⅠ…それが、天皇賞・秋なのだ。

 

「…………」

 

「んっ? どうしたの、スズちゃん?」

 

「ううん、なんでもないよ…行こうか、レオくん」

 

「あぁ、行こう」

 

 スズちゃんは走り始め、そしてそれに続くように俺もロードバイクを漕ぐ。

 

 普通、ウマ娘の走る速さは人間じゃ追い付けるものではない。だが走り込みなどのロングランだったら訳が変わる。ロードバイクや原付バイクなら、なんとか追い付けるレベルには速度は落ちるのだ。

 

 ……まぁ、そうは言っても80%くらいの力でずっと漕ぎ続けるみたいなものだけど。

 

 それでも…スズカと並走するこの時間帯は、とても好きだ。

 

     ・ ・ ・

 

「「はっ…はっ…はっ…」」

 

 その後数時間、いつもより長い時間。俺たちは走った。

 

 いつもだったら練習がない+休日ならもっと走るが、明日は大切な天皇賞・秋。だから正午少しで切り上げて、あとはリフレッシュということにしたのだ。

 

「お疲れ、スズちゃん」

 

「うん、着いてきてありがとうレオくん。飲み物買ってくるね」

 

「あぁ、分か────」

 

 ──ピキリッ…。

 

 

 ったと言い切る前に、スズカは自販機の方へ小走りに行く。

 

 だけど、俺はそのスズカに後ろ姿を目でが追わなかった。

 

 …ならなぜこんな風に言うかだって? それは、俺は彼女の左脚…一瞬、本当に一瞬だった。

 

 ぐらついたのだ。いつもしっかり地に足をつけている、その脚が。

 

 それに、確かにこれも一瞬だけど聞こえた。何かが、ひび割れる音。

 

「(なんだ、今の音…それに、さっきのぐらつき…)」

 

 嫌な、予感がする。

 

 冷や汗が止まらない。呼吸が浅く、早くなる。

 

「……故障…」

 

 俺は、今なんて言った?

 

 自分自身で発した言葉に対して思う疑問ではないが、それでも俺は自分自身何を言ったのか分からなかった。

 

「レオくん?」

 

「っ…!? す、スズちゃんか…」

 

「どうしたの? そんなに顔を真っ青にして、それに汗だく…」

 

「いや、なんでもないよ…うん…」

 

「そう? 無理はしないでね」

 

「あぁ…」

 

 そう返事すると、スズちゃんは俺の隣に座って飲み物を渡してから、ミネラルウォーターをごくごくと飲んでいる。

 

 俺は再び、スズカの足下を見る。

 

 やっぱり、少し気付きにくいけど、少しだけ筋肉が震えている。

 

「ねぇ、スズちゃん」

 

「んっ…? なにレオくん?」

 

 心配する俺に対して、曇りのない翡翠色の瞳をこっちに向けてくる。そんな表情を

 

「その左足、どうしたの?」

『あっ…いや、何でもない』

 

 …え?

 

 俺は確かに、スズカの左足を気にするような発言をした。

 

 いや、でも俺が本当に言いたかったのは、そして頭の中で反響したのは…なんでもないという意味を含めた言い方だった。

 

「なんか最近、ちょっと脚に力が入らない時があるだけ…流石に走りすぎかしら?」

 

「いや…そんなことはないと思うけど…」

 

 確かに最近は毎日走っているから、脚に疲れが溜まっているとは思う。

 

 だけど、力が入らない? そんなことがあるのだろうか。

 

「ねぇスズちゃん…ちょっと脚見せてくれない?」

 

「えっ?」

 

「自分さ、マッサージの講義なぜだか取っているんだ」

 

「なぜだか?」

 

「なぜだか。でもまぁ今は楽しく学んではいるんだ…んでまぁ、ちょっとの違和感くらいかもしれないけど…一応、触診しようと思って」

 

「そこまでする必要も────」

 

 多分、遠慮するような言葉を言おうとしたのだろうが、スズカは途中で唇を噛んでその言葉を遮って、顔を少し俯く。

 

 そして、しばらくすると顔を上げた。そこには微かな笑みを浮かべていた。

 

「じゃあ、お願いしようかな」

 

「うん…じゃあ、ちょっとベッドでやりたいから…俺の部屋来れる?」

 

「えぇ…でもここでもよくない?」

 

 そう言ってスズカは公園のベンチを指さすけど、俺はいやいや…と否定する。

 

「施術は確かに硬めなところが多いけど、流石にここだと人目がね…」

 

「私は気にしないけど…」

 

「俺が気にするの…」

 

 そう言って俺は手を掴んで…愛車のハンドルを片手で持ち、公園を後にする。

 

       ・ ・ ・

 

「烏龍茶でいいかな?」

 

「えぇ、大丈夫よ」

 

 後生寮に戻った後、俺はスズカを自分の部屋に通し冷蔵庫に入れていたパックの烏龍茶を開け、グラスに注ぐ。

 

 こぽこぽと、少々不規則な液体を溢さないように手元を集中させて、零さないようにする。

 

 注ぎ終わり、スズカの前に烏龍茶を置く。からんっと氷がグラスに当たる音が響く。

 

「ありがとう、レオくん」

 

「このくらいでお礼なんていらないよ」

 

 ふふっと笑いながら、俺はその烏龍茶を一気に飲み干す。

 

 サイクリングでまぁまぁ乾いていた喉が、一気に潤うような感覚がした。

 

 飲み干し、コースターにグラスを置く。カランっと氷が転がる音が鳴った。

 

 前を向き直ってみると、こくっ…んくっ…っと小さく音を出しながら、烏龍茶を飲んでいるスズカ。そんな当たり前の光景なのに、なぜだか目が離せない。

 

「んっ? レオくん。なにかついてる?」

 

「え? 別にそんなことないけど…」

 

「そ、そう…そんなに見つめているから、何かあるのかなって思ったの」

 

 そう言われて、自分はようやく視線を外すことができた。

 

 それと同時に、俺はとても無意識に、そして自然とスズカのことを見ていたんだと思うと、なんか恥ずかしくなる。

 

「そういえば、マッサージって言っていたよね。どんなこと習っているの?」

 

「ん~…普通に指圧によるマッサージやその他のマッサージ。あとウマ娘を中心に身体構造などを学んでいる感じかな。

 

「へぇ…結構本格的なのね。ちょっと興味あるかも」

 

「まぁわかっていないことも多いらしいけどね。んと、そろそろやろっか…」

 

「えぇ…ベッドに仰向けになればいいかしら…?」

 

「うん」

 

 そう言ってから立ち上がり、俺はベッドの方に行くが、スズカはなぜだかそのまま座っていた。耳が少ししゅんとなっており、だが尻尾はぶんっ…ぶんっ…と一定のリズムで振られている。

 

「あの…レオくん。先にシャワー、いいかな…?」

 

「え? あぁいいけど…」

 

「着替え…ジャージとかあるかな…?」

 

「あぁうん、アンダーシャツも多分あるよ」

 

「うん、お願い…」

 

 そう言うと、スズカはシャワー室の方に入っていった。

 

 俺はシャワーする音を確認してから、ジャージなどを置いておく。

 

 …そういえばマッサージする時はアロマを焚いておいた方がいいと授業の先生が言っていたことを俺は思い出す。

 

 一回使って以降、特に分からなかったアロマオイルを加湿器の受け皿に数滴たらしてみる。

 

 なんでもこれはウマ娘用のアロマオイルであり、嗅覚がとても敏感なウマ娘にストレスを与えないためにかなり薄めになっているらしい。

 

「……うん、ほんとちょっとしか分かんないな…」

 

 この程度でウマ娘ではかなり香る方らしい。

 

 出てくるまでもう少しかかりそうだと思い、俺は暖かい濡れタオルなどを用意する。

 

 がちゃりっと音がしたのでそっちの方を見てみると、そこには自分のジャージを着て少し頬を紅潮しているスズカが立っていた。

 

「シャワー、ありがとう…」

 

「ううん、全然。ほら、こっち来てよ」

 

「あっ、その前に髪の毛を乾かさなきゃ…ドライヤーある?」

 

「あぁ、それならそこに…なんだったらやろうか?」

 

「え、いいの?」

 

「あぁ、そのくらいお安い御用だよ」

 

「……じゃあ、お願いしようかな」

 

 俺はドライヤーを手に取り、スズカの髪を乾かす。

 

 女性の髪の毛っていうのはあんまりここまでべったりと触ることはなかったけど、スズカの髪の毛はとても絹のように柔らかいと思った。

 

「あれ、なんかいい匂いがする…」

 

「あぁ、ウマ娘用のアロマオイルを焚いてみたんだけど、全然分からなくてね」

 

「これはラベンダーの匂いね。私も存在だけしか知らなかったかも」

 

 なんて雑談をふつふつとしている間にも、スズカの髪の毛は完全に乾く。その柔らかく、とても艶のあり美しい髪の毛を見て、俺は少しばかりスズカの後ろ背をぼんやりと見た。

 

「ありがとう、レオくん」

 

「うん。じゃ、やろっか」

 

「えぇ」

 

 そう言うとスズカはとても静かに俺のベッドに腰かけ、そして身体をうつ伏せにゆっくりと倒す。

 

 ぶんっと尻尾が振られた後、ぺたんっと尻尾がベッドにくっつく。

 

「じゃあ、やって行こうか」

 

 

   ***

 

 身体を自分から倒して、そのままうつ伏せになる。

 

 …その瞬間私はなにか、『安心なナニカ』に包まれたような気分になります。

 

 この部屋はラベンダーの香りが広がっていますが、その前の匂いが好きでした。

 

 その前、つまり…この部屋に招かれた時です。

 

 それが薄れていて少し残念で、そして正体がなんだろうというもやもやが少しありましたけど、でも分かりました。

 

 これは、レオくんの匂いだったんだって。私の安心する匂いが、レオくんなんだってことに。

 

 ふと、クラスメートから聞いたお話を思い出します。ウマ娘用のアロマオイルにはウマ娘の敏感な嗅覚に向けに作られているのと同時に、人間の匂いを薄める効果があるらしいです。

 

 男性とウマ娘では身体能力が大きく違い、ウマ娘による傷害事件や拉致監禁などもあります。アロマオイルは、それの防止策の一つとも言われているそうです。

 

 そしてその気持ちが、ちょっと分かったかもしれません。

 

 本当に偶然ですけど、私は頭をレオくんが使っているであろう枕に頭を乗せました。

 

 その瞬間に頭がくらっ…ってなるような感覚と同時に、幸せな気持ちが溢れてくるような…ちょっと不思議な気持ち。

 

 少しずつ、安心して眠くなっていくような、理性がゆっくりと溶けていき、そして目の前の人しか考えられない。

 

 ……。

 

 びくっとした感触が、左脚から感じました。

 

 私は何事かと、顔だけを向けてみると、そこには私の脚を触ったまま──顔を青くしているレオくんでした。

 

「……どうしたの?」

 

「…い、いや…」

 

 そう言った後、レオくんはまた私の脚をマッサージします。しかし、その手つきはさっきとは違う。とても繊細…割れ物を扱うような、優しい手触りでした。

 

 さらに言ってしまえば、ただ優しいだけではなく。震えている。表情は、恐怖を含んでいました。

 

「……レオくん」

 

 私はゆっくりと身体を起こし、レオくんと向い合せになる。そしてそのまま両腕を伸ばし、彼の背中に手を添えて、そして自分の方へと手繰り寄せる。

 

「っ!? す、スズちゃん!?」

 

とても自然と、私はそうしていました。考えるよりも先に、身体が動いていました。

 

 でも、今のレオくんはなにかを怖がっている。再会してそろそろ8カ月くらいで期間が空いていたけど、昔からの幼なじみの勘が働いたのかもしれません。

 

「レオくんが今、何に怯えているかは分からない…でもね」

 

 ぽんっ…ぽんっ…と、優しく頭を撫でる。

 

「私は、ここにいるよ…」

 

「……」

 

「花火の時も言ってたけど、レオくんは遠くを見過ぎ…今は、今を見て?」

 

「……うん」

 

 その後も、私はレオくんの頭を撫で続け…そのまま解散となりました。

 

 脚の違和感は────少しだけ、”忘れられたような”気がしました。

 

 

 

 

 そして、11月の始まり。その初日の日曜日。

 

『東京レース場第11レース、1枠1番に入ります。1番人気のウマ娘、サイレンススズカ!!』

 

 彼女が左手首に着けた翡翠のブレスレッドが──輝いた気がした。

 

 

 




・大変…本当に大変お久しぶりです。ヒビル未来派No.24です。いや、本当に申し訳ございません。

・何か月ぶりなんですかね…ほんと。そしてスズカ、誕生日おめでとう。

・正直なお話をすると、この先のお話を書くのがとても怖かったです。しかしようやく決心がついたと思います。(遅すぎる)

・次回、天皇賞秋前編────────の予定です。


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向かう─── ~天皇賞秋・前編~

 前回のあらすじ:玲音はスズカの脚をマッサージした。





 

「おかーさん! おかーさん!! テレビ! テレビ!!」

 

「もうサラったら、ちょっと待ってなさい」

 

 とある普通の家。そこには夫婦二人組と一人の幼い仔ウマがいた。

 

 父親は「こらこらっ」と言いながら、目玉焼きと味噌汁など。朝ご飯に相応しいおかずを作っている。

 

 母親はテレビをつけると、「えーっとどれだったかしらぁ…」と言いながらリモコンの数字をぽちぽちっと押している。

 

「っ! おかーさん! これ!」

 

 ”サラ”と呼ばれている幼い仔ウマはある番組になると、テレビのリモコンをひったくった。

 

 その番組は朝の5:30から10:00までやっている朝の番組『グッモーニンサンデー』その一つのコーナーだった。

 

 そこに映っていたのは、緑のメンコに明るめの茶色の長い髪が、走行風によってたなびいている。

 

 そのウマ娘を認識した瞬間、仔ウマの尻尾はぶんぶんとはちきれんばかりに左右に大きく揺れ、ウマ耳はぴこぴこぴこぴこっと風圧を感じられるくらいウマ耳は動いている。

 

「サラは本当にサイレンススズカが好きね」

 

「うん! だいすき!!」

 

 テレビに映っていたのはサイレンススズカ。春に行っていた重賞レースのハイライトが出されていた。

 

 そのレースはサイレンススズカが大逃げし大差で勝利した、あの伝説的なレースだった。

 

「ここ見てくださいよ! ここでサイレンススズカは加速しているんですよねぇ!」

 

「去年の逃げ脚質のウマ娘と比べてもその加速度が全然違うことが分かりますね」

 

「サイレンススズカの走りは、今までの逃げの概念を根底からひっくり返していますね」

 

 と、各々がサイレンススズカの走りを絶賛している。テロップには『天皇賞・秋 一番人気』と少し派手に書かれていた。

 

「わぁ~!! すごい! すごい!!」

 

「もう何百回も見てるじゃない、ほんと好きねぇ…」

 

「僕はそこまでレースは知らないけど、この子がすごいことはよく分かるよ」

 

 実の娘の反応に対して、やれやれと思う妻と感心を持つ夫。そんなのはお構いなしに興奮が止まらない仔ウマ。とても仲睦まじい光景だと言えるだろう。

 

「ほらほら、そろそろ行くよ~」

 

「え、どこにいくの?」

 

「ふっふっふ~…それは行ってからのお楽しみ」

 

「っ?」

 

 夫婦はリュックサックを背負って、実の娘の両手をそれぞれの手で繋ぐ。そうして、電車を何本も乗り継いだのだった。

 

   ***

 

「…ついに、この時が来たね」

 

 カレンダーに何重にも丸をつけた今日の日付を、横目で見ながら。僕は部屋でため息をついていた。

 

 今日、この世界のサイレンススズカが出走する。秋の天皇賞に。

 

 僕は最後まで悩んでいた。少しでもサイレンススズカの出走をやめるように。直接ではなくても匿名で暗示させた方がよかったんじゃないか…っと。

 

 しかし僕は、”沈黙”を決めた。

 

 それはあの歴史が繰り返されることなのかもしれない──けど、それ以上に見てみたいのだ。

 

 この世界のサイレンススズカが、ゴール板を駆け抜けるその姿を。

 

 僕はあの世界では、彼に命を救われた。

 

 なら僕はこの世界で──彼の魂が入った彼女を救う番だと思っていた。

 

 でも、それは違うということを僕はあの時に知った。

 

 春頃、トレセン学園を訪問した時。人の少年がスズカの近くにいた。

 

 それを見て悟ったのだ。彼女を救うのは、僕じゃない。あの男の子にその役割が向けられているんだと感じた。

 

 その後接触したのは、ダービー前だった。迷子ということだったらしいけど、これは運命だと思い、僕は警告だけを出した。

 

 そして宝塚、レース運びは全て一緒だった。自分自身の走りは、自分自身が一番覚えている。

 

 大きく運命は変わっていないかもしれない。不安が今日に近づく度に大きくなっていった。

 

「…そろそろ、行くかな…」

 

 僕はスーツを着込んで、家を出た。向かう先は──府中競馬、いや、東京レース場だ。

 

   ***

 

「よぅし! 今日は全員いるなぁ!」

 

 先生がいつも以上の大きさで、ここにスピカのメンバー全員いることを確認する。

 

「いやマジでいつぶりだよ全員揃ったの!」

 

「あはは…」

 

「いやマジで新人いる日なんていつぶりよ?」

 

「多分、玲音と一緒に行くのはダービーぶりくらいじゃないかなぁ?」

 

「あながちそうとは言えないところが恐ろしいですわね…」

 

「まぁいいじゃねえか! 玲音先輩もいるし、スズカ先輩の夢舞台だし!」

 

「それはそうね、スズカ先輩。今日は頑張ってくださいね!」

 

「わ、私も! 応援しています!」

 

「ふふっ、ありがとう」

 

「おいおい、まだ電車にすら乗ってないぞ?」

 

 先生の言う通り本当に久しぶりの全員集合だったけど、その雰囲気は前より…いや、前以上に明るいものになっていたと思った。

 

 天気も晴れていて、不安なことなどほぼ何もない。

 

 …しかし、そのほぼが一番懸念しているところだ。

 

 俺は自然とスズカの左足を凝視してしまう。

 

「あぁ~玲音なんかスズカの脚じと~って見てる~」

 

「れ、玲音さん! 破廉恥ですわ!!」

 

「えぇ!? そこまで言われる!?」

 

「玲音、よく覚えておけ。この社会はウマ娘のモモを触るだけで痴漢扱いに──」

 

『いやそれはそうでしょ…』

 

「あれ全員から認識されてる?!」

 

「それはそうに決まってるだろ!!」

「それはそうと決まってますわ!!」

 

「ぐええええええええええ!?!?」

 

 マックイーンとゴルシのツープラトンを喰らう先生。それを呆れて見る俺や他のみんな。

 

 周りの人たちは「(なんだあの人たち)」とスルーしようとするが、その喧騒の傍らにいる人物を見つけてみんなわらわらと寄ってくる。

 

「サイレンススズカだ!」

「すげぇ本物がいる!!」

「今日頑張ってくださいね!!」

 

「はい、いつも応援ありがとうございます」

 

「やべぇ神だ…」

「俺今日死ぬかもしれん…」

「縁起でもないことを言うなよw」

 

「はいはーい!! 今からチーム・スピカ一行が通るんで道開けてくださーい!!」

 

 先生がそう言うとわらわらと集まっていた人たちは、駅の方を開けるかのように移動する。

 

 人波から駅の出入り口が見えたため、なんとなくモーセが海を割った伝承を思い出してしまった。

 

 そう考えると、チーム・スピカというのは全体的に見てもかなり人気のあるチームなんだということを、今初めて知ったかもしれない。

 

 まぁ、ずっと独りでレース場に行ったりしてたんだから当たり前か。

 

「どうしたのレオくん、そんなきょろきょろして?」

 

「あーいや、ここまで人が多いのに慣れていないって言うか、妙にこそばゆいというか」

 

「こういうのも慣れておけよ~玲音。一人前のトレーナーになるということは、日本を代表するウマ娘を背負うということだ。人の目線で弱ってたらこの先やっていけないぞ」

 

「そーだよ玲音! こういうのはもっと堂々とやるもんだよ!」

 

「テイオー…あなたはもう少し尊厳を持ってくださいまし…」

 

 どういうことさマックイーン!? とぶーぶー言うテイオーにそれをスルーするマックイーン。

 

 あぁ、なんかほのぼのするな。

 

「んっなにさ玲音、ボクの顔に何かついてる?」

 

「んなことはないさ…」

 

 そう言いながらテイオーの頭をぽんっぽんっと叩いた後に撫でる。

 

「絶対なんか考えてたよね!?」

 

「(う、羨ましいですわ…)」

 

「(……いいなぁ)」

 

       ・ ・ ・

 

 電車で数駅乗って、東京レース場の最寄り駅に着く。

 

「なぁトレーナー、少し質問いいか?」

 

「どうしたんだウオッカ?」

 

「なんでわざわざこっちでここに来たんだ?」

 

 ウオッカの言う通り、トレセン学園の最寄り駅からだと東京レース場の最寄り駅には実は遠回りだったりする。

 

 それならトレセン学園から徒歩で歩いて東京レース場に向かうのが早い。でも先生はそうしないでわざわざ遠回りの電車を使った。

 

 でも、俺にはなんとなく分かっていた。

 

「その答えは…玲音、分かるか? チームトレーナーからの問題呈示だ」

 

「スズカだけじゃなく、チーム・スピカとしての民衆への認知…ですよね。スズカとスぺは確かにスピカの中心になった…でも、この後にもウオッカにスカーレット、そしてマックイーンは二か月後からはクラシックに入っていく、テイオーもいよいよジュニア期に入る。だからこそ、チーム・スピカとしての認知度を高めて、次の子たちに繋げる…狙いとしてはこうですかね」

 

「え、そこまで考えられてたのかよ!?」

 

「ただの遠回りに、そんな深い理由が…!?」

 

「やはりここのトレーナー…只者じゃないですわね…」

 

「でもそれを考える玲音もすごいよ!!」

 

 俺は俺の中で思ったことを、そのまま口にする。間違ったことは言ってないと断言できるし、その答えにも自信があった。

 

 しかし先生は「よくやった」とか「正解だ」というシンプルな言葉を使わずに、口を少しぽかんっと開けて咥えていた飴を地面に落とした。

 

「いや、まさかそこまで深堀してくるとは、ちょっと想定外でな…」

 

「えっ?」

 

「確かにチームの認知度や来期からのこいつらの認知も周りからは必要だ。だが遠回りでも電車にした理由は、もっと単純だ」

 

「単純…?」

 

「距離だよ」

 

 その言葉を聞いても、自分は少しだけぽかんっと口を開けて、そのまま先生が言ったセリフをそのまま返していた。

 

「距離…?」

 

「お前は地下から国民的になったアイドルグループを応援するファンとして、地下の時と国民的になった時のメンバーたちとの距離はどうなると思う?」

 

「そりゃ…ライブの最低距離も遠くなって、触れ合いも減って…」

 

「ウマ娘たちにもそれは言えることだ。誰だって最初はメイクデビュー前の肥えウマ娘だ。そこからレースをして、ファンを増やし…同時にファンとの距離も遠くなっていく」

 

「……」

 

「勝負服喫茶の時もだったが、俺はファンとこいつらの距離間はなるべく今の距離を保ちたい。特別になり過ぎず、そして身近にいる一人の存在なんだということを、みんなに認識して欲しいんだ」

 

「なるほど…」

 

「トレーナーさん、すごいこと考えてますね…!」

 

「確かに、リギルの時とはファンとの距離間が近いかも…」

 

 っと、先生の想いに対して、各々の反応を返す。

 

 …でも、ウマ娘って別に特別な存在なのだろうか?

 

 確かに世間では容姿・身体能力によって、ウマ娘を上位の尊い存在と考える考え方もあるけど。

 

 でも、彼女たちも俺たちと同じ年ごろの少女で、自分たちとは、なんにも変わらない存在だ。

 

「──まぁ、こう諭さなくても、玲音は自然にできてるんだがな」

 

「え?」

 

「お前は自覚はないと思うが、ウマ娘で態度や距離も変えずほぼ対等な立場に立って物事を考える。これは例えチームで居たとしても、できるやつは限られている。お前にある良い特性の一つだ」

 

「良い、特性…」

 

 先生が言った距離間、そして俺の言い特性という単語を反芻しながら、そのまま東京レース場の方に足を進めた。

 

       ・ ・ ・

 

 東京レース場に着くと、もう人でごった返していた。

 

 横断幕には『天皇賞・秋』と大々的に広告されている。

 

「やっぱここの空気はいつ来ても慣れませんねぇ…」

 

「スぺちゃんも5月にここで戦ったのよ?」

 

「まぁ人の多さに慣れないっていうのは、俺も同情できるよ」

 

 右を見ても左を見ても人やウマ娘で溢れかえっている。今の時間帯はお昼前ということもあり、まぁまぁ出店が混んでいる。

 

「時間もちょうどいいし、お前らなんか食ってこい」

 

 先生はそう言うと、一人一人に1000円を持たせる。

 

 それを見たゴルシは、とても顔を青くしてこう言った。

 

「明日槍でも降るんじゃねえか?」

 

「失礼だなぁ!? たまの贅沢くらいさせてやってもいいだろ?」

 

「でもお前、二日前めっちゃみんなで食っててお金死んでなかったか?」

 

「確かに死んだが…あの後に給料日来たからいいんだよ」

 

「まぁ、だったらいいがよ…」

 

「ほらほら、蜘蛛の子が散るように行った行った。俺は受付とその他諸々済ませてくるからな」

 

 そういうと、先生はその場から去っていった。

 

 残された自分たちはお互いを見合った後、じゃあまた後で…といった感じにその場を別れた。

 

「……ねぇ、レオくん」

 

「んっ、スズちゃんどうしたの?」

 

「一緒に回らない? ちょっと人が多いのはやっぱ慣れていなくて…」

 

「あぁ、分かったよ」

 

   ・ ・ ・

 

「レオくん、はいあ~ん」

 

「あ~ん…んぐっ……んまっ」

 

「ふふ、揚げパンなんて久々に食べたわ」

 

「そうだなぁ…」

 

 レース場とは少し離れた位置。日曜日は多くの人が来るからこそ、多くのキッチンカーや出店などが並ぶ。俺はスズカにはあまり多くのものを食べさせない方がいいだろうと思い、出店などを中心にお昼ご飯を取っている。

 

「それにしても、ほんと不思議…つい数ヶ月前までは、お互い在学してたことも知らなかったのに…」

 

「ほんとなぁ…こうやって食べ合うくらいには、日常として溶け込んでいるんだもんね…」

 

「……それは日常なのかな…?」

 

「普通なんじゃない? 多分全国の幼なじみなんてこんなものでしょ」

 

「そうね…」

 

 もう少しで本番が始まるという大切な時間。しかしスズカを見れば、だ

いぶリラックスしているみたいだ。ウマ耳は横を向いて尻尾も力んでいない。ちょうどいい感じだ。

 

 …と、思っていたら、ぴょこっとウマ耳が驚いたような様子を見せる。

 

「っ?」

 

「スズちゃん? どうしたの?」

 

「誰か泣いている…迷子かも」

 

「マジか、どっち?」

 

「こっち」

 

 スズカが立ち上がり、その声がしているであろう方向に向かう。俺も後をついていく。

 

 少しずつ人が減っていき、メインの通りからは離れていく、そしてそこまでざわめきが減ってくると、どこかで「えーん!」と泣いている子どもの声が、確かに聞こえた。

 

 それを認識し、少し足早にその声に近づく。するとそこにいたのは、木の下で体育座りをしながら泣いている仔ウマの少女がいた。

 

「君、大丈夫?」

 

「おかあ~さ~ん…おと~さ~ん~~…え~ん…」

 

「これは、迷子かしら…」

 

「だろうね…」

 

 俺はゆっくりとその子に近づいて、腰を下ろし、肩をぽんっと置く。

 

「きみ、大丈夫かな?」

 

「ひぐっ…ぐすっ…おにーさん、だれぇ?」

 

「俺は玲音っていうんだ」

 

「私はサイレンススズカっていいます。あなたの名前は?」

 

 俺、そしてスズカは少女に対して名前を言う。これ自体は全然普通のことだ。

 

 しかし少女はスズカという言葉に対して、ウマ耳をぴょこっと動かし、スズカの方を見る。

 

「──すずかだ」

 

「へっ?」

 

「すずかしゃんだ~!」

 

 そう言った瞬間、少女はパーッと笑顔になり、そのままスズカに抱き着く。

 

 あまりにも唐突な出来事に、「わわっ!?」と驚きながら後ろへと態勢を崩すスズカ。俺は慌てて彼女の後ろに回り込んでその身体を支える。

 

「あ、ありがとうレオくん…///」

 

「いえいえ」

 

 そうして俺とスズカは女の子を迷子センターに連れていくために、ゆっくりと手を繋いで歩き出す。

 

 ふと横を見てみると少し顔を俯いて尻尾を一定のリズムで左右に振っている。こっちからだと顔色がよく見えないけど、なんか恥ずかしか思っているのは見て、あと雰囲気でわかる。

 

「んー…なんかおにーさんとすずかしゃん…パパとママみたい!」

 

「ふぇ!?///」

 

 女の子にそう言われた瞬間、かーっと顔が赤くなり、そして尻尾をぶんっ!ぶんっ!!と強く振っている。

 

「ぱ、パパとママって…俺とスズちゃんはそんなのじゃないよ」

 

「おにーさんもかおあかい!」

 

「えっ…?」

 

 女の子に言葉に素っ頓狂な反応を返してしまう。そして本当に偶然なのか…水たまりに俺の顔が反射する。

 

 …とても顔が赤くなっていた。

 

「っ…!?///」

 

「あ、おにーさんもかおあかーい!」

 

「ちょ、ちょっと暑いだけだから…」

 

「……///」

 

 ぶんぶんと顔を赤くしながら尻尾を振るうスズカに、同じく顔を赤くして制服の襟で無意味に口元を隠す俺…そんなのは他所知らずにるんるんっ気分の仔ウマの女の子…なんというか、とても、こう…。

 

 …言葉に表すのはとても難しいシチュエーションだった。

 

 そうして、俺とスズカは悶々としながら迷子センターにつき、場内放送で呼びかけをしてもらうと、すぐに親であろうウマ娘と男性が訪れてきた。

 

 そうしてそんな親を見て、すぐに女の子も、親のもとへと駆け寄る。

 

「よかった…」

 

「本当にな」

 

「ねぇねぇパパママ! すずかしゃん! と、おにーさん!」

 

「あら本当…」

 

「これはこれは…娘を保護してくださってありがとうございます…!」

 

「いえ、私たちも本当に偶然だったので」

 

「ほらサラ、ちゃんとお礼を言いなさい」

 

「うん! すずかしゃん! おにーさん! ありがとう!」

 

 その女の子のとっても明るい笑顔をしながらのお礼を受けて、俺とスズカは顔を見合わせて…ふっと笑って。

 

『どういたしまして』

 

 と、自然と言葉を揃えた。

 

 その後、親子が見えなくなるまで手を振り見送って、自分たちもそろそろ戻ろうとその場から離れ、一緒に歩く。

 

「…ねぇ、レオくん」

 

「んっ…?」

 

「…子どもっていいものだね…」

 

「……そうだな…」

 

 そんな言葉を交わし合い、きゅっと握る手の力を強める。

 

 その時の自分たちの顔は、言わなくても分かると思う。

 

       ***

 

 …控室で勝負服に、袖を通す。

 

 目を開けて、目の前の鏡を見てみると…そこには勝負服を着た私自身がいます。

 

 ごく当たり前のことですけど、一年前の私からしたら…あり得ないことでした。

 

 観客のプレッシャーや周りの期待の声に押し潰され、期待を裏切り拍子抜けだと言われて、走ること自体をやめた去年。私はもう、走れない…と思っていました。

 

 しかし半年前に今のトレーナーさんと出会い、自分がやりたい本当の走りを見つけて。

 

 そして、レオくんに十年ぶりに再会した。

 

 この一年、色んな事が…短い間隔で何度も何度も起こっています。少し前まで走らなかった私が、この大舞台に立てる。

 

 そう考えると、とても不思議な気分になります。

 

 …と、想ったその瞬間、ぱちっと音が響きました。その音の方を見るために視線を下に向けると、止めていた靴の金具が取れていました。

 

 ウマ娘はとても早いスピードで走るため、靴の不備は下手をすると大きな怪我に繋がる恐れがあります。…たしか、そのことからレース前に金具が取れる・紐が解けることは凶事の前触れ…と、フクキタルから聞いたことがあります。

 

 でも、そんなことは関係ない。私はただ、いつものようにあの景色を見に行く。一番前の開き切ったところより先にある…あの景色に。

 

「……」

 

 着がえを済ませて、控室からパドックを行った後、地下バ道へと足を進めます。すると、そこにはレオくんやトレーナーさんがいました。

 

「気分はどうだ、スズカ」

 

「とても落ち着いています。けど、早く走りたくて仕方ないです」

 

「それは結構」

 

 多くは語らないトレーナーさん。私の人生を大きく変えてくれた人。よくスペちゃんにセクハラ紛いなことをして、ゴルシ先輩を筆頭にいろんな人に蹴られているけど…でも、その多くを語らないで見守ってくれるスタイルが、私には合っていた。自由に走れたからこそ、あの景色を知れた…。

 

 そうトレーナーさんへの感謝を心の中でしていると、スペちゃんが後ろからひょっこりと身体を出して、こっちに近づいてくる。

 

「あの…スズカさん! これどうぞ!!」

 

 そう言いながら、スぺちゃんはなにやら手のひらサイズの何かを手渡す。

 

 それを見てみると、ダービーの時。スぺちゃんのためにみんなが作っていたクローバーのお守りでした。

 

「ご利益あるかな~…って」

 

「まっ、確かにご利益はあるだろうな」

 

「それにはスペ先輩だけじゃなく、ウオッカや全員の想いを乗せていますからね!」

 

「スズカ! 今日もあのびゅーん! って早いの見せてよね!」

 

「えぇ、もちろんよ」

 

 そうして…私の心の尻尾はどこかで待ち望んでいた。水晶同士が擦れる音が響き、私はそっちの方を見て、ポケットに入れていたブレスレットを目の前の人に手渡します。

 

 ……あの時もらった翡翠のブレスレット…そして、あげた水晶。あの時お互いが付け合う時にやったあのルーティン。いつの間にか、この地下バ道でやるのが当たり前になっていました。

 

 彼の少し細いけど引き締まった手首に、水晶のブレスレットを通す。擦れる音一つ一つが、耳に届いてきて…脈一つ一つがお互い同士で感じ取れるような錯覚にも陥ります。

 

 私が終わると、今度は彼がやってくれる。自分の手首を支えて…そしてゆっくりと翡翠のブレスレットを通してくれる。でも彼はそれだけでは終わらずに両手でそのまま私の手を握って、額をそこに当てる。

 

 じわーっと彼の温もりが手を通して…まるで天使の羽で私の体を包んでくれるような…そんな感覚がする。

 

 大袈裟と思われるかもしれませんが、私は全然そんなことはないと思っています。

 

 

「──行ってらっしゃい、スズカ」

 

「うん、行ってきます…!」

 

 そうして私は小走りで…レース場の方へと向かいました。

 

「玲音お前…よく俺たちのそんな恥ずかしいことできるな…」

 

「えっ? 別に普通だと思いますけど…」

 

「えぇ…」

 

「(あれやってもらうと、私もスズカさんみたいに早くなるのかな…? 今度玲音さんにお願いしようかな…?)」

 

「(スズカと玲音仲いいな~)」

 

 

「「((あ、あれが普通なのか(しら)…))」」

 

「(う、羨ましいですわ…///)」

 

「…………」

 

       ***

 

 運命がどうなるかは、ここにいる誰も分からない。

 

 些細なことが変わった時に、何が変わるか分からない。

 

 バタフライエフェクト──一匹のチョウのはばたきが、大嵐を起こすことをいう。

 

 そんなチョウのはばたきよりも大きい事が、今起こっている。

 

 見届けよう、この一瞬を……そして、信じよう、運命が変わるその瞬間を。

 

 そのために────……自分は。

 

 

『ゲートイン完了、出走の準備が整いました』

 

 "もう一度、ここへ来たんだ"。

 

 

 

 

 




・大変お久しぶりです。ヒビル未来はNo.24です。半年以上ぶりの更新ですね。大学が忙しかったといえばそこまでですが…私はこの物語を進めるのを、少し怖がっているというところがあるかもしれません。ですが、ススメミライへ。止まっていては何も始まらない。だからこそ、久しぶりに投稿しました。クオリティーが低くなっているかもしれないですし。もう忘れ去られているかもしれませんが…せめてこの章は、年内で終わらせることを目標とします。

・正直に言ってしまえばもうアプリやっていないウマ娘にわかになり下がってしまいましたが、私は私の世界を、彼と彼女たちのお話を紡ぎたいと思います。

次回、秋の天皇賞・後半

乞うご期待を。


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翡翠の輝き ~秋の天皇賞・後編~

 前回のあらすじ:秋の天皇賞が、始まる。




 世界がひっくり返る。

 

 その場にいた誰もが、絶句する。

 

 一瞬の沈黙と、そこから波のようにどよめきが広がっていく。

 

 あぁ、これが……これが、俺に課せられた────本当の試練だったんだ。

 

 それでも、俺は…声を上げた。閑静になったその場で、ただ…自分だけの声が響いた。

 

『─────────!!!!』

 

   ***

 

 出走まで残り数十分になると、外に行っていたであろう人たちが戻ってくる。自分たちもスズカを見送った後観客席に戻ると、そのタイミングで本バ場入場が始まっていた。

 

 エルコンドルパサーにヒシアマゾン、それにあれは…そうだ。メジロのウマ娘のメジロブライトだ。

 

 実は数週間前、宝塚と同じようにメジロ主催のパーティーがあったのだが、それは断った。ここしらばくはずっと、スズカに付きっ切りだったからだ。

 

「ブライト、膨れっ面になっていましたわよ」

 

「え、マジ?」

 

「『ドーベルの時は来たのに、わたくしの時は来てくれないんですねぇ…』と」

 

「…それ物まね?」

 

「……」

 

 ぺしっと尻尾でふくらはぎ辺りを叩かれてしまう。

 

「あだっ…」

 

「全く…一応同い年なのですから、参加すればよかったものを」

 

「まぁそもそも俺があそこに毎回いるのもおかしいでしょ…」

 

「そんなことはないと思いますけどね」

 

「…………」

 

 そんな風にわちゃわちゃ話し合っていると、誰かから視線を向けられていることに気づく。その方向に首をやると、先生がこっちを見て苦笑いなのだろうか。なんとも言葉には表せない微妙な顔をしていた。

 

「お前…メジロ家のパーティに出ないって…正気か?」

 

「え? いやでも参加自体は自由ですし」

 

「いや、そうだけどな? ほとんどのトレーナーや招待した人は蹴らねぇよ!?」

 

「そうなんですか?」

 

 微妙な顔をしていた先生の顔はやがて真っ青でどこか焦っているような物に変わってくる。

 

 確かにメジロ家はよく名家だとは聞く。でも俺からしたらメジロ家は仲良くさせてもらっている家…という認識だ。

 

 まぁ、そこら辺は確かに他人よりも感覚がおかしくなっているのかもしれないが…。

 

「…お前、ヘマするなよ?」

 

「ヘマ?」

 

「いくら仲良くしているからとはいえど、大人になれば社会の付き合いっていうものが生まれるんだ。そこに普段の仲などは関係なくなるんだからな?」

 

「難しいんですね、社会って」

 

 俺は視線を戻し、レース場を見てみる。

 

 そこにはちょうど…冬になりつつある風になびく茶色の髪と尻尾が視界に入った。

 

『さぁついにターフに姿を現してくれました! 一番人気、サイレンススズカ!』

 

 姿を見せた瞬間見えるところから歓声があがり、それがどんどん隣へ隣へと伝わっていく。やがてあまり見えないところからも歓声があがり、レース場全体が盛り上がる。

 

 それに対してスズカはゆっくりと全体を見た後、スピカのみんながいるこっちへ近づく。

 

「行ってきます」

 

 そう言いながら、腕をすっと上げる。そこには俺がさっき着けた翡翠のブレスレットがちらりと覗いた。

 

 みんなや先生もそれぞれスズカに声をかけている。何を言おうか、へそう悩んでいると真っ直ぐにスズカがこっちを見た。

 

「ゴールで待ってる」

 

 その言葉は、きっと周りの声も含めたらとても小さな声で、下手するとスズカには届いていないかもしれない。

 

 なんて、考えなかった。

 

 スズカは、ふっとこっちを見て笑いながら、そのまま去っていったからだ。

 

「やっぱり、君とスズカさんは」

 

 少し感傷に浸っていると、横から声をかけられる。その声は、数回聞いている男の声。俺は振り返ると、そこには武さんがいた。

 

 スーツに身を包んでいて、背筋がとてもピンっとしている。なんというか、すごく大人の見本のような立ち方だ。

 

「ん…武さん!?」

 

 そんな風に思っていると向かいにいた先生が、突然声を荒げる。

 

「おや、僕のことを知っていましたか」

 

「それは勿論! 以前出張した際の講演会でお話を聞きましたし…」

 

「それはそれは、聞いてくださりありがとうございます」

 

「いえそれはこっちこそお礼を言いたいです。というか玲音、どういうことだ? なんで武さんと普通に話しているんだ!?」

 

「え、縁があって」

 

「 ど ん な 縁 だ よ ! 」

 

 なんか先生の顔がすごいことになっているが、無視して武さんに向き直る。

 

 その視線は、ちょうど向こう側に行っていたスズカの背中を見ていた──いや、背中? 何か、もっと先を見据えているような気がする。

 

「君は、あの子を見てくれたかな?」

 

「はい」

 

 俺は武さんのその問いに対して、即答した。

 

「──そっか。なら見れるかもしれないね、先頭のその先の景色を…彼女は」

 

 そう言うと、武さんはその場を離れて行く。俺は何か声をかけようとしたが、何もかけれる言葉がなかった。

 

 いや、その背中が言葉というものを、ないものにしていた。なんて、訳の分からないことを考えてしまう。

 

『それでは、天皇賞・秋のファンファーレです!』

 

   ***

 

 どうしてでしょうか。遠くではファンファーレがなり、そしてエルコンドルパサーさんにライバル視され、そしてあなたを倒すと宣言されているのに。気持ちがとても落ち着いています。

 

 大舞台に慣れたから、なのでしょうか。いや、そういう感じでは、ないんです。

 

 もっとこう、長年の願望がついに成就するかのような、そんな静かな闘志が沸々と燃え上がっているような、そんな感じです。

 

「ウマ娘の皆さんはゲートに入ってください〜!」

 

 スタッフの人が、ゲートへ案内をする。私はすっとが入って出走準備が整うまで待つ。精神が統一され、音が──消えた。

 

 えっ…と、私は声にならない声を漏らす。宝塚の時に、精神が集中して音が遠ざかるなどはあった。

 

 でも、今のこの感覚は何かが違う。何も聞こえない、何も見えない…闇だけが、支配する。

 

 何、これ…。

 

 まるで、私が私じゃないような…この感触。さっきまで静かに燃えていた闘争心が、胸から出てきたかのように熱くなり。そしてその熱は上下へと広がって行き、私の左足を、右足を包み…体全体が厚い何かが広がる。

 

 ──勝ちたい、勝ちたい。絶対に勝ちたい…!

 

 いつも私は、先頭…その先にある景色を見るために走ってきました。誰もいない、私の走る音しか聞こえないあの世界。ただひたすら、それだけを求めて私は走ってきた。

 

 でも、今は違う。

 

 私は、このレースで勝つ。なんでそう考えるようになったかなんて、もう考えない。ただ、このレースをものにしたい。

 

 ガコンッと、ゲートが開く音がした。私はほぼ条件反射のように、走り出した。

 

   ***

 

「よし、いいスタートだ!!」

 

 出場するウマ娘タチが一斉に出てきて、レース場全体が歓喜の声で渦が出来上がっているようだった。

 

 その中で俺は双眼鏡でスズカの姿を見ながら、その姿がバ群を抜けいつもの加速を見せたことに安堵をし、同時にこのレースがいいものになることも確信する。だが、メジロのところの娘たちや、お花さんのところの娘たちもかなりスタートとしてはいい線をいっているため、油断はできないだろう。

 

 でもそう思うのと同時に、俺は別の意味でも安堵をしていた。それは、この大舞台に来れたということはもちろんあるが…もう一つ、俺の願いが叶いそうになっていることに、安心を覚えていた。

 

 …ここまで、長かった。戻ってくるまで…。

 

 ──俺は、一時期トレーナー業を離れたことがあった。

 

 十数年前、サブトレーナーから正式に新人トレーナーとして認められた俺は、若いなりに奔走していた。多くの雑務をこなす中、頑張ってチーム結成のためにウマ娘をスカウトなどをしていた。

 

 俺なりにはめっちゃ頑張ったつもりだった。だが周りからしたら俺は師である⚪︎⚪︎トレーナーの隣にいたというだけの新人。同期からも、そして生徒たちからも白い目で見られていた。

 

 チームの看板を背負いながら、公園のベンチで項垂れていた。そんな時に1人のウマ娘が声をかけてくれた。

 

『どうしたんですか?』

 

 その時に声をかけたウマ娘こそ、俺がトレーナー人生で初めて担当し、チーム・スピカに初めて所属になったウマ娘だった。

 

 その子は桜のように天真爛漫としていて、ある意味その時の俺とは全く真逆の性格だった。急に飴を渡してくれて、おじさんどうしたのって赤の他人だった俺に話しかけてきた。今考えればそのおじさん発言は、俺を振り向かせるための方法だったのかもしれない。

 

 最初はなんだろうと思っていた俺だったが、次の日も、また次の日。会わない日があっても必ず一週間に3回は、その生徒と公園であっていた。愚痴を聞いてもらったり、逆に学校生活のお話を聞いてあげたりなど何回か交流をし、俺とその子は親密になっていた。

 

 そうして会うのが当たり前になったのが普通になった時、俺はその子に将来の夢を語った。そして彼女も目標を語ってくれた。そうして分かったのだ。『あぁ、俺とこの子歯目指すところが同じなんだ』と。

 

 そう分かった瞬間、俺は拙い言葉ながらもその子をスカウトした。最初彼女は困惑したが、右耳に飾られた桜の耳飾りのように頬を赤くして、その誘いを受けてくれた。

 

 そうして駆け抜け始めたあの子とのトゥインクルシリーズはとてもあっという間だった。

 

 メイクデビュー初戦は1度は達成できず、リベンジによってデビューし、そこからプレオープンに出たが、結果は惨敗。お互いがまだ幼稚であることを叩きつけられた瞬間だった。

 

 だが、その悔しさがバネとなり。その後の重賞、そして皐月賞は他の追随を許さない圧勝で勝ち取った。その時の彼女の笑顔は、絶対に俺は一生忘れないと思う。

 

 しかし現実はそう甘くはなく、繋靭帯炎を患ってしまい、クラシック二冠目の日本ダービーへの出場は叶わず、長い長い療養生活を送った。もちろん、俺もリハビリなどに付きっきりで付き合って、彼女をサポートした。

 

 そうして、復帰のGⅠで…彼女は見事復帰を果たしてくれた。レース互換機のあまりターフからそのまま飛びついてきて抱きしめられたトレーナーなんて、俺だけかもしれない。

 

 その後の目標は年が明けた後のレースを目標とし、それに向けてゆっくりと調整を続けていった。

 

 だが──年末にある大一番のレース、有馬記念の人気投票で、彼女は一位になった。

 

 もちろん俺たちの目標は違ったため、出走する気はなかった。だがマスコミによる圧迫や上からの願い…何より、ファンのことを大切に思う彼女の一向によって、俺は有馬記念出走を決定してしまった。

 

 それが大きな過ちになるなんて、知る由もなかった。

 

 年末の東京レース場はとても人気があった。人はとっても入っていたし、何より多くが俺の愛バを見に来ているって思うと、心が踊らないわけがなかった。

 

『これが、私とトレーナーが見たかった景色、なんだね』

 

 学園から東京レース場に着いた時の彼女の第一声がそれだった。尻尾はぶんぶんと振られ耳はぴょこぴょこっと忙しなく動いている。

 

 そんな彼女の慌ただしい仕草が、なんとも可愛らしかった。

 

 そうして迎えたレース、無事にスタートをし、悪くない位置につけて、得意な位置でスパートを掛けた──その瞬間だった。彼女が突然、失速した。

 

 俺は、何が起きたか分からず…そのまま唖然と突っ立ていた。そのまま彼女は走り続けようとしたが、それは叶わず彼女はコース外脇の柵の近くで倒れ、そのまま転がりながら、スタッフが持ってきた担架、そして救急車に乗せられそうになったので、そこで初めて俺は動いて、付き添った。

 

 そして宣告されたのが──左脚繋靭帯炎断裂、そして足の指の脱臼。回復は絶望的だということだった。

 

 断裂だけでも選手危機、そこにさらに再発頻度が高い指の脱臼。それを伝えると、流石の彼女でも驚きと、絶望が隠せていなかった。だが、いつものように天真爛漫に振る舞って、またもう一度走るんだと笑ってくれた。

 

 そうして、俺もリハビリに付き合いなんとか治そうとした…だが、彼女の脚が良くなることはなかった。

 

 半年後、俺の目の前に──退部届けが出された。大事な話があると言われ、本人の手から直接だった。

 

『私、なんのために走っていたんでしょうね』

 

 最後まで彼女は笑っていた。だがその目は笑っておらず、涙を浮かべていた。

 

 その表情が、言葉が…トラウマになった俺はそのまま無断で休職、そのまま一度トレーナー業を辞めた。その後はとにかく虚しいものだった。どこかを放浪しては、お酒で全てを忘れるようにして…辛いことから全て逃げた。世間のニュースからも耳を遠ざけた。

 

 だけど、ふとある時俺は──諦めきれていない自分がいることに気づいた。

 

 俺には夢がある。それを叶えるためにずっと頑張ってきた。そうして強く挫折し、閉ざしかけていた。

 

 でもやっぱり、諦めれなかった。諦めたくなかった。でもあんなことにはもうなりたくない。

 

 だから俺は──ありとあらゆる知識を、もう一度学び直し、そして専門的な知識も多く身につけた。そして何より、今度は担当に寄り添い、そして守ってあげようという気持ちを強くし、俺は再度トレーナー試験を得て、復職した。

 

 そこからは世間というより周りの同業者からは冷たい視線を受けながらも、俺はチームを再建しようとした。

 

『お、なんだお前。面白そうなことしてんな、アタシも混ぜろよ!』

 

 なんていうのが、もう随分前の話だ。

 

『1000m通過のタイムは!! 57秒4!!』

 

「57秒4!?」

 

「っ! マジかよ!!」

 

「やっぱりスズカさんは、すごい!!」

 

 俺はびっくりしてそのまま声を上げてしまう。しかしそれと同時に多くの周りの観客も似たような言葉や驚きの小言を各々呟いていた。

 

 当たり前だ。そんなタイムはここ数年で聞いたことがない。コースレコードを悠々に超えている。スペも言っているが、やっぱスズカはすごい。ここにいる誰もが、彼女に釘付けだ。

 

 そう思っている間にも、スズカはさらに加速していく。逃げとは思えない超速度の大逃げ──それは、あの2回がまぐれではないことを示すには十分だった。

 

「行け、行け! スズカ!!」

 

 彼女の姿が、大欅で見なくなる。

 

   ***

 

 足がとても速い、ペースも乱れない。いい、すごくいい…! 体が羽が生えたかのように軽い。

 

 さっきまで暗闇が目の前を支配していたが、今はターフの緑が、空のコバルトブルーがとても映えている。後ろには私を追いかける娘たちの足音が聞こえるが、それは私の走る音とターフが捲れる音でかき消される。

 

 あぁ、いつもの景色だ。

 

 勝つことは確かだけど、この景色は誰にも見せたくない。私だけの世界。

 

 私はさらに加速する。もっともっと──そう思ったその瞬間、私自身が映った。

 

「(え?)」

 

 何が起きたのか分からない。だって目の前には走っている私。その隣には、東京レース場に生えた大欅の葉が真隣にいる状態でした。足元を見るとそこには足があったが、地面についていなかった。

 

 宙を、浮いていた。

 

 私はどういうことか分からず、手を見てみる。その先には、うっすらとターフの緑が見える。つまり、今私は透けている。

 

 そんな普通ではあり得ない状態に、私はとてつもない恐怖に襲われる。当たり前です、逆にこんなことになって冷静でいられる人などいるわけがない。そう思うのと同時に、何かが嘶くような声が聞こえました。

 

 その声は、下…つまり私の身体の方からしました。その方向を見ると…ザザッとテレビのノイズのようなものが視界に移った後、まるでゼブラのような姿をした4つ足歩行の動物がいました。

 

 

「(あれは…一体…)」

 

 私が不思議に思っている間にも、その動物は大欅を抜けます────…しかしその瞬間に、明らかにさっきの疾走感が無くなり、それに伴って心臓と左足に強烈な痛みが…。

 

 

「(っ!?)」

 

 あまりの痛さに私は浮いていることも忘れて、その場で身体を丸くし自分自身の左胸、そして左足を押さえつける。

 

 しかし足の痛みはずきっ、ずきっと…一定のリズムで刻まれるように襲い掛かってきます。その痛みは、今まで受けた痛みなんて可愛く見えてしまいます。

 

 そして、目の前の動物を見ると、とても胸が張り裂けそうです。強く脈を打ち、その一つ一つの鼓動が、確かに胸を中心として全身に張り巡らされている。

 

『サイレンススズカに故障発生!!』

 

 サイレンススズカ。確かに、そう聞こえました。

 

 なんで、私の名前が…? なんで、なんで…??

 

 痛みと自分の名前が呼ばれているという、少し気持ち悪い感覚が…私の正気を蝕んでいく。

 

 鼓動が更に早くなって、息遣いも不規則になっていく。

 

 浮いていたその身体が、少しずつ下がっていき…私は地面に倒れ伏します。

 

 目の前には完全に走ることをやめ、横たわっているその動物…その方向に、手を伸ばした。けど、その手が何かを掴めることはなく、むしろ、その景色は遠くなっていき、闇が私を包む。

 

 その時、一瞬見えた。

 

 何が…。

 

 ────……レオくんだった。

 

 暗闇が広がる中、レオくんの後ろ姿が…あった。同時に、チーンっと、何かが鳴る。

 

 私は痛む脚を抑えながら、さっき掴もうとしたその手をその後ろ姿に向ける。

 

 でも、レオくんがこっちを振り返ることはなく…その場で浮き始める。

 

「っ、待って!!」

 

 そう声を掛けたとしても、彼は何も反応を返さない。見向きもしない。ただ少し顔を上げて、腕の力を完全に抜かして、少し広げているようにも見えた。

 

 その背中を私は見上げる。なんで、こんなにも焦っているんだろう。なんで、こんなにも心が苦しいんだろう…。

 

 そんなことを思っている間にも、彼の背中はどんどん遠くなって行って────……。

 

「レオくん!!!!」

 

 限界まで伸ばし切った手…その先には、見知らぬ天井が広がった。

 

 嫌な汗が、背中…いや、全身にくまなく出ている。伸ばした手をゆっくりと胸の方に下ろして、荒々しい息を整えます。

 

「今までのは…夢? 一体、何が起きて…」

 

 ゆっくりと私は身体を起こす。

 

 その時、嫌でも映った…私の左足に、ぐるぐると巻かれた包帯があることに…。

 

「────えっ?」

 

『残念ながら、もう走ることは叶わないでしょう』

 

『そんな…どうしようもならないんですか! 先生!!』

 

『……』

 

「っ、頭が…」

 

 まるで流し込まれるかのように、入ってくる記憶。言葉…そして、過去。

 

「(そうだ…私はレース中に左足をやって……それで、それで…)」

 

 レースのことを思い出すのと同時に、目から何か熱いものが零れてきます。その零れたものが涙だということに気付いたのは、それが私の頬に伝い落ち、手の甲に溜まり、それが布団へ流れてシミを作った時でした。

 

 なんで、私はこんなにも泣いているのだろう。なんで悲しいんだろう。なんで、悔しいんだろう。

 

 もう走られないから? いや、違う…それは、恐らく。

 

 もう、約束を果たせないから。

 

『約束? いや、そんなのしていない…あの人は、ずっと前からいなくなって…』

 

 そんなことはない。あの人はずっと、半年前から一緒にいてくれた。

 

 私の隣に並びたいって、だから走ってって…でも、この脚じゃ…。

 

「目を背けるの?」

 

 

「……っ!?」

 

 明らかに、声が聞こえた。驚いた私は、目の前に視線を向ける。

 

 するとそこには、私自身が立っていた。月明りなんてないはずなのに、なぜだかはっきりと姿が見えている。でも、それは明かりとは違う…そんな感じがしました。

 

 

「あなたは重大な事から背けている」

 

「重大な、こと…?」

 

 私の言葉を聞いたその瞬間、自然に固唾を飲み、嫌な汗が出てきます。

 

 そして、私の姿をしたそれは…近づいてきます。本能が警鐘を鳴らしますが、足を吊り上げられている以上、その場でできるのは身じろぎくらいです。

 

 もう一人は、その手を私の額に伸ばし…つんっと、人差し指でつつく。

 

『次のニュースです。昨日お昼頃、仁川駅にてトラックが暴走、制御不能になり空き店舗に突っ込みました』

 

『朝から全生徒による集会に集まっていただき、誠に感謝する。────────昨日の昼時、本校在学の谷崎玲音くんが、交通事故で────……』

 

『そうか…君がスズカちゃん…。君のお話は玲音くんからよく聞いていたよ。大切な幼なじみだって…』

 

『ぁぁ…ぁぁぁぁああ…!!』

 

「っ…!? うっ…!!」

 

 体の中から込み上げてくるものを、必死に抑え込みながら、私は息を整える。

 

 何、今の記憶は…レオくんが、もういない? 嘘だ…そんなの嘘に…。

 

「大事な人も失い、生きがいも失い…他に何が残されているの?」

 

「違う…私は…!」

 

「貴女にはもう、なにもないの。過去の栄光はやがて、強者の踏み台になり…そしてこの古傷は永遠に癒えることのない────呪いなのよ」

 

「そんなんじゃ…」

 

 そう私が言った瞬間、ふかふかだった布団が泥のようになり、どぷっと身体を包みながら沈み込んでいく。

 

 唐突のことで、私は慌てて身体を動かそうとするが、上手く動かすことができない。左足を吊るしていた固定具が、音を立てて床に落ちる。

 

「いやっ、やめ…て…!」

 

「いいえ、あなただけなしなんてできない…"私"と同じ、負の運命へ導いてあげるわ…」

 

 闇色に近い泥が、私の上半身を包んでいき、首からどんどん這い上がってくるかのような感覚が身体全身に走る。

 

 やがて、首…頭に泥が侵食していく。耳に泥が覆いかぶさり、音が聞こえなくなる。私は涙を零した。それで、も必死に左手を上に伸ばす。

 

 口も塞がれている…それでも私は、願った。心の底から叫んだ────。

 

「(助けて、レオくん!!)」

 

 世界が、闇で満ちかけた…その瞬間だった。左手首につけていた翡翠が、きらりっと輝いたかのように見えた。

 

 そうして、左手首を誰かに包まれる…透明な、綺麗な真珠だった。

 

 

『スズカァァアアアア!!!!』

 

 

 

 一気に、世界が開ける。それと同時に、さっきまで聞こえていなかった…多くの人たちの声が聞こえる。

 

 目の前には、緑が…青空が広がっていた。でも、少し視界が暗い…足も悲鳴を上げているのが分かった。

 

「(それでも私は────……そこに、いるんだよね…)」

 

 脚を前に出す…痛みで意識が飛びそうになる。それでも私は失ったスピードを再び取り戻そうとすべく…さっきと…いや、さっきよりも早く脚を回す。

 

 少し後ろを見ると、誰かが近づいていた。明らかに今の私よりも早い。それでも関係ない。

 

「(動け、私の身体、脚。あの人が、待っているから!!)」

 

 何かが、隣で嘶いた気がした。まるで、力を貸してあげるよと言ってくれているかのように。

 

 心臓が破裂しそうなくらい鼓動を繰り返す。意識が一回一回飛びかける。それでも私は動かす。前へ、前へ…誰にも抜かせられないように。

 

 場内のざわめきがさらに大きくなる。実況も興奮気味で何かを言っている。でも、何を言っているか分からない。

 

 少しずつ、スピードが乗ってくる。カーブを抜け、最後の直線。

 

 いつもは、誰もいない景色を見るために走っていた。

 

 でも今は違う…すぐ横に誰かがいる。そんなのは関係ない。

 

 あの人が言ったんだ。あの人がいるはずなんだ。暗闇から救ってくれた、あの人が…。

 

「うぁぁぁああああああああああ!!!!!!」

 

 自然と声が出た。こんなこと、今までなかったはずなのに。

 

 さらにスピードが上がってくる。足の痛みなど感じない…いや、脚の感覚が完全に消えている。

 

 これは、奇跡なんでしょうか。それとも、必然なんでしょうか。

 

 分からない。でもこの力は、私をあの人の元へ導いてくれる。そんな感じがした。

 

 ──そう思っていると、きらりっと…何かが太陽に反射して輝いた。

 

 私はそれに向かって走る…残り数mになった瞬間、身体の力が一気に抜ける。あぁ、そうだ…私は、今日…ゴールで待っている人が、いてくれたんだ…。

 

 完全に身体を預けた私の身体は慣性の法則に従ってそのまま進む。しかし、その身体が抱きしめ止められる。衝撃が身体全身に走るが、関係ない。私は彼に抱き着く────……そうして、そのまま…意識は遠のいた。

 

 

 

 翡翠と水晶、二つの宝石がぶつかり合った瞬間。繋ぎとめていた糸を引きちぎり、散乱する。一つ一つが、太陽に反射して、鈍く、淡く、光る。

 

 それらは、綺麗に舞い散りながら…ターフの緑へと沈んでいった。

 

 

 

 

 




・明けましておめでとうございます。そして今夜20thを迎えたヒビルです。

・年内に完成、できませんでした!! 大変申し訳ございません。

・水着スズカお出迎えええええ!!!!(また少しずつやっていきます)

・次回は秋の天皇賞を終えて…をする予定です。


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