アモーレ・バッタリア! (さくらのみや・K)
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Disc.1 アモーレ&ドメスティカ
Act.1 プロローグ


チョキ、チョキ______

 

ハサミの音が、コンクリート造りの工場内に反響する。

 

『フフ……フフフ…………』

少女の口から笑いが漏れる。

その度に、髪飾りの黄色いリボンが揺れた。

 

目の前には、一人の少女が倒れていた。

白いブラウスもブロンドのツインテールヘアも赤く染まっている。

心臓には、別のハサミが深々と刺さっていた。

 

『フフ……あは……あはは…………ッ』

 

チョキ、チョキ、チョキ______

 

『キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ』

 

チョキチョキチョキチョキ______

チョキチョキチョキチョキ______

 

暗闇の廃工場の中で、少女の甲高い笑い声とハサミの音が響き渡る。

狂気に満ちた悪魔の笑い声だった。

 

『はぁーぁ……さて、またこの間みたいにお掃除しなくっちゃ!』

横たわる死体を足で揺さぶりながら、少女はなおも笑いが止まらない。

『何度でも言うけどさ、ほーんと馬鹿なんじゃないの?お兄ちゃんをお金で買収しようなんてさぁ』

答えられるはずの無い罵倒が、辺りに響いて消えていく。

『じゃ、とりあえずバラバラにして……』

 

その時だった______

 

二人…もう既に一人しかいないはずの廃工場で、するはずのない物音が聞こえた。

『なっ……!?』

音のする方を睨みつけながら、ピンク色のスカートに隠してあったベレッタのマシンピストルを構える。

 

だがそこにいたのは警察でも、死体の女の家族が雇った殺し屋でもない。

 

『お兄ちゃん______!?』

 

返り血塗れで銃を突きつける少女に言葉を失くし、その場に居合わせた少年は逃げ出した。

 

誤解を解かなきゃ______!

 

『待って!お兄ちゃん!!』

少女はベレッタとハサミをしまうと、全力疾走で少年を追いかけた。

 

 

 


 

 

 

『遂にこの日が来たのですね』

白衣を羽織った彼女は、複数のモニターを操作していた。

『そうだね』

メガネをかけた男は、彼女の言葉に答えながら、ベッドに寝かされた少女を見下ろした。

 

少女は何本ものケーブルに繋がれ、それらは全てモニターに繋がっていた。

『ようやく僕達の悲願、そして科学の跳躍への一歩が踏み出せるんだ』

少女に優しい微笑みを向け、そっと髪を撫でた。

 

『逢いたかったよ、咲夜』

少女は男の、腹違いの妹であった。

 

数年前______

 

少女は何者かに誘拐され、数日後に意識不明の重体で捨てられていた。

首から下をズタズタに切り裂かれ、悪魔の理髪師(スウィーニー・トッド)事件とマスコミがあだ名した通り、胸には散髪用のハサミが突き立てられていた。

 

男は、少女を自身が所長を務める研究所に搬送した。

そこに備わっている最高峰の医療設備と、医療業界で天才と謳われていた彼の外科医としての技術によって彼女を救おうとしたのだ。

それは彼等の祖父であり、日本有数の大企業“綾小路グループ”前会長の命令でもあった。

 

しかし、結果は無念なものだった。

 

だが彼は自らの孫達に、もう一つの計画を実行させた。

 

『各部アクチュエーター異常無し、クェーサーエンジン出力アイドル、回転数正常』

『タカマガハラ、モニター開始。触媒濃度、保温システム正常。脳波計異常無し』

『メインシステム、通信状態正常。A1へ受信ID入力』

『データリンクシステムのリミッターセットを忘れないでくれよ』

ベッドの周りにある数々の装置を、二人の男女がテキパキと操作していった。

 

嬉々とした表情で、彼女はモニターに表示されたボタンを押す。

『タカマガハラからのシグナル受信を開始します!』

 

《TAKAMAGAHARA, MAIN SYSTEM ONLINE》

《DATA LINK ACTIVATE》

 

電子音声による英語のアナウンスが流れる。

モニターには、少女の覚醒に至るまでの時間が緑色のバーで表示されていた。

 

『咲夜……起きてくれ咲夜っ……!』

 

愛する義妹が、遂にその目を覚ます時が来た。

綾小路……いや地球上のあらゆる科学の粋を集めたプロジェクトが花開く。

 

タカマガハラとのシンクロ率が100%となり、少女咲夜は覚醒する。

 

それは、この後続いていく数奇な運命の歯車が廻り始めた瞬間だった______

 

 

 


 

 

 

『ハァ……ハァ……』

少女は肩で息をしていた。

 

眼前には、大量の人が倒れている。

 

半分は金属のフレームが剥き出しになり、バラバラになった人型のロボット。

 

もう半分の、おびただしい量の血を流して倒れているのは少女達の仲間…正真正銘の人間だった。

 

身体がフラついたかと思うと、少女は膝から崩れるようにして座り込んだ。

『うぅ……』

両手から伸びた極細の糸が張力を失い、側に立っていた死神はカチャカチャと音を立てて倒れた。

 

頭から流れ出る血と涙で濡れた顔を上げ、目の前に倒れている女を睨みつけた。

 

ボブに切り揃えたブロンドに青い瞳、

多くの男達が釘付けになるであろう大きな胸、

彼女が身につける衣服のセンスは、常人には到底理解できないものだった。

 

その女の心臓には大きな穴が開いていた。

少女の操る人形が放ったとどめの一撃は、確実に女の息の根を止めた。

 

『どこまで狂ってるのよ、気持ち悪い……』

 

穴の断面からは、やはり金属の部品が見える。

彼女の周りに飛び散っている血液は、それを覆う人工的なものに過ぎないのだろう。

 

 

少女はわずかながら気力を取り戻し、なんとか立ち上がる。

 

『おねえちゃん……』

『な……』

 

血だらけの姉を見上げる、純粋で幼い緑色の瞳。

『アンタ………ど、どうして……』

『おねえちゃん、みんな…みんなどうしちゃったの?おこしても、おきてくれないよ……』

年端のいかない子供には、あまりに残酷な光景。

 

何かが割れたような音が聞こえた気がした。

 

『こわい……ねぇ、怖いよ……お姉ちゃん……』

『大丈夫、大丈夫……だから……』

心が壊れていく。

バラバラになっていく破片を掻き集めるように抱きしめても、その子の瞳からは光が失われていく。

 

その日、

その()()は家族を失った______

 

 

 


 

 

 

血塗れの両手には、母親が使っていたハサミとグロックの拳銃が握られていた。

 

目の前には黒いスーツを着た男が二人。

喉を掻き切られ、眉間は撃ち抜かれていた。

 

ハサミとグロックを投げ捨てると、少年はフラフラと歩き出す。

 

親子の住むアパートの部屋に辿り着く。

『母さん。終わったよ、母さん』

声をかけるが反応が無い。

『母さん……?』

部屋の中へ入り、横たわっていたはずの台所へ向かう。

 

『あれ……?』

 

そこには、力なく横たわる血塗れの少女が横たわっていた。

ついさっきまでは腹部の出血を手で押さえていたのに、今は両手はだらりと垂れ下がっている。

 

『母さん……母さん!』

飛びついて身体を揺するが、彼女は抵抗なくグラグラと揺れるだけだった。

『ううっ……クソ!せっかく、あいつら倒したのに……!』

涙が止まらない。

 

母親に抱きつき、泣き続ける少年。

しかしその手は、決して息子の頭を撫でることはなかった______

 

 

 


 

 

 

オホーツク海海上______

 

鉛色の海に浮かぶプラントは、炎と銃声に包まれていた。

 

ヘリコプターからプラントに降り立った彼女らを待ち受けていたのは、12.7mm機銃の一斉掃射だった。

それをなんとかくぐり抜けた先で敵の兵士に7.62mmの洗礼を受け、脅威的な身体能力を持つ相手にバラバラにされた。

 

千切れ飛んだ少女達の腕からは、チタン合金のフレームがのぞいていた。

 

撤退用のヘリコプターも撃墜され、応援を呼ぼうにもここは絶海の孤島。

灰色の空には大量のロケットと機関砲を積んだ、敵の大型攻撃ヘリが悠々と旋回していた。

 

『アルティメット・ナインは!?』

『はい、こちらに』

すぐに、ブロンドのボブヘアの少女が駆け寄る。

その両肩には、およそ人間が背負えるものとは思えない、巨大な兵装コンテナが突き出していた。

 

『敵の数はどれくらいだ』

『最低でも30から40、攻撃ヘリコプター(ハインド)まで動員しているところを見ると、プラント内に更に大勢控えている可能性も……』

『A8達のやられよう……我々が来ることを完全に知られていたようだな』

重火器メインの装備、類稀な戦術、どれも普通の傭兵がプラント警備に用いるようなものではなかった。

 

『……嵌められたか。完全に待ち伏せされたな』

『ええ……作戦は失敗です』

 

その時、すぐ側で爆発が起きた。

『クソッ!RPGだ!』

二人の居場所も知られている。

ロケットランチャーに続き、機関銃やアサルトライフルの掃射が始まる。

 

『このまんまじゃ俺達まとめてやられちまう……』

『そうですね、では……』

その時、男はH&Kのアサルトライフルに新しいマガジンを叩き込んだ。

ボルトの閉じる音が、少女の言葉をさえぎる。

『俺が囮になる。その間にガルガンチュアを叩き込め』

『な……っ!?いけません!今出るのは危険……っ』

『いくぞ!』

『ダメ!!出ちゃダメですッ!!!』

 

男は静止を振り切り、身を隠していたコンテナから飛び出した。

走りながらHK416を構え、目についた敵を倒していく。

 

『なんてことをっ』

嘆きながら、少女は兵装コンテナを敵に向けた。

左肩のコンテナから放たれたミサイルは空中で10発に分離し、敵の重機関銃や隠れている場所にそれぞれ命中した。

 

だが、少女のカメラセンサーは捉えた。

やぐら中央部の足場で、ドラグノフを構えたスナイパーを。

 

男は、完全に射線に入っている。

 

『マスターッッッ!!!!』

少女の声を耳にして、男が振り返る。

 

それは一瞬だった______

 

男の頭を、ドラグノフの弾丸が貫く。

 

『ユーっ……』

 

急に電源を切ったおもちゃの人形の如く、少女の主人は倒れた。

 

『い……いや……』

 

少女のAIが、完全に機能を停止する。

冷静な判断能力も何もかもかなぐり捨てて、今目の前に起きた惨劇だけが彼女のAIを支配する。

 

『いやぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!マスターッ!!!』

 

彼女に涙は流せない。

 

『マスターァァァァァァァァァッッッ!!!!』

 

それでも親鳥を殺された雛のように、

 

少女は泣き叫んだ______

 

 


 

 

 

Tokyo control, Vermilion 1006(バーミリオン1006便より東京コントロールへ). Now maintain 10000(現在高度10,000ft), Direct “Yosuga”(ポイント「ヨスガ」へ直行中)

 

深夜、関東上空。

新月の闇に包まれた空を、白と赤のツートンに塗り分けられた機体が飛行していた。

航空貨物会社“バーミリオン・エアカーゴ”の貨物機(フレイター )、ボーイング 777-200LRFは、旅客便の運行を終了した羽田空港へのアプローチを開始し始めた。

 

Vermilion 1006, Tokyo control(東京コントロールよりバーミリオン1006便へ). Leaving “Yosuga” and turn right heading 250(ポイント「ヨスガ」通過し右旋回で方位250へ)

東京コントロールの管制官の指示が出る。

『Roger, Vermilion 1006』

バーミリオンの副操縦士が了解し、コクピットでは着陸に向けた準備が始まった。

 

深夜の離発着が多い貨物便のパイロットにとって、暗い闇夜での着陸は決して難しいものでは無かった。

その日は月明かりこそないが天候は良く、風も2〜3ノットで穏やか。

そして高度に電子化された操縦装置を備える777Fは、適切な数値を自動操縦の装置に入力するだけで、パイロットの手を借りずに着陸も可能であった。

 

『ブリーフィング通りだ、ILSアプローチで行くぞ』

『了解。ILSアプローチをリクエスト』

操縦を担当する機長は、その777Fの高度な頭脳の手を借りることにした。

 

急遽日本からアブダビへ飛行し、貨物を載せてまた日本にトンボ帰りしてきた。

ゆっくり休憩する余裕はあまりなく、パイロット達は疲労していた。

大人しく、優秀な自動操縦に頼り、安全に着陸させる事にした。

 

『Tokyo control, Vermilion 1006. Request ILS approach runway 34R(滑走路34RへのILSアプローチを許可願います)

《Vermilion 1006, Cleared for ILS approach runway 34R(滑走路34RへのILSアプローチを許可します)

滞りなく許可され、バーミリオンは指示通りに飛行する。

 

何もかも順調な、通常通りの飛行だった。

 

 

爆発音______

 

 

『なんだっ!』

 

機体が激しく揺さぶられ、コクピット中の計器が赤く点滅する。

 

『自動操縦が切れた!機体を水平に……ッ』

 

すかさず、機長が操縦舵輪を押さえる。

機体は右へと傾いていく。

 

『どうなってる?』

『右翼内側フラップ、スポイラー、破損……右の主翼を中心に異常が発生してます!』

 

ENGINE FIRE RIGHT( 右エンジン出火) ENGINE FIRE RIGHT( 右エンジン出火)!》

 

『右エンジン出火!』

『エンジン停止!消火しろ!』

『スロットルオフ!右エンジンシャットダウン!消火装置作動!』

 

副操縦士はチェックリストに従い、右エンジンを停止させる。

なおも機体は水平にならない。

 

MAYDAY(メーデー ) MAYDAY(メーデー ) MAYDAY(メーデー )!Vermilion 1006 Right engine fire(右エンジン出火)!』

『コントロールも効かないと言えっ!』

Vermilion uncontrol(バーミリオン操縦不能)

 

機体の傾斜が止まらない。

機長と副操縦士は、必死で操縦舵輪を反対へと傾ける。

 

BANK ANGLE(バンク角注意)BANK ANGLE(バンク角注意)!》

『ああっ、クソっ!』

 

 

右主翼が千切れ飛ぶ。

 

777は炎に包まれながら、闇夜に散っていった____

 

 






破壊的でない進歩や飛躍はない

少なくともその強烈な瞬間においては

E.M.シオラン『崩壊概論』





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Act.2 二人の少女

ファミリーレストラン“バルティモラ”。

東京都内を中心に展開するファミレスチェーンで、この街にも数店舗展開していた。

その店舗の一つでは、昼時の目の回るような忙しさが過ぎ去り、落ち着いた空気が流れていた。

 

「休憩入りまーす」

アルバイト店員の如月 涼は、首の関節を鳴らしながら休憩室に戻る。

10時に開店してから、この時間まで休憩を取るタイミングがなかった。

入って2年以上が経ち、バイトリーダーがいない時は、その代わりとしてフロアの指揮を任されることも多かった。

 

涼が休憩室に入ると、そこにはペットボトルを両手で持った小さな少女がいた。

彼には気づいていない。

後ろからそっと近づき、上から彼女の顔を覗き込んだ。

「おいおい、何で巴さんがオレの紅茶花伝飲んでるんですかねー?」

「ふぇぇっ!?!?」

朝倉 巴は慌てて上を向き、瞳を白黒させながら涼を見つめた。

 

巴は数ヶ月前に入ってきた涼の後輩で、今は恋人同士だった。

新人として入った直後から、暇さえあれば涼に絡んでくる。

そもそも人懐っこく、誰とでも仲良くできる性格だったが、特に涼には「こいつと幼馴染だったのか」と錯覚させるほどに話しかけてきた。

そんな彼女に涼も興味を持ち始め、いつしかお互いに恋心を抱くようになった。

 

「だ…だって先輩… これ休憩所に置きっぱなしだったから、もう飲まないかなぁって思って」

巴は、上目遣いで涼を見つめる。

「だからって勝手に…つーか全部飲みやがったな、このぉ」

顔の小さな巴の柔らかい頬をつっつきながら、涼は空のボトルを取り上げた。

 

片手で空のボトルを弄びながら隣に腰掛ける涼を、巴は目で追っていた。

「あ、あはは…怒った?」

茶目っけと不安が混じった表情を浮かべる彼女を、涼はにやけそうになるのを堪えながら見つめ返した。

 

彼の眼に、巴の慎ましい胸が映る。

「おっぱい触らせてくれたら許してあげようかな~」

「それなら……ふぇ……え?……な、なあ!?」

何の前触れもなくセクハラ発言を吐いた涼に、巴はまたしても目を白黒させた。

 

みるみる顔が紅潮し、頬を膨らませる。

「そ……そういうのは……もうっ!何言ってんのこんなところで!バカぁ!エッチ!」

ポカポカと涼を叩く巴。

「嘘だって、怒らないで」

御目当ての表情と反応を見ることができ、涼は満足げに巴の制裁を受け入れていた。

「ふんっ!しーらないしーらない」

「あはは、ごめんて」

満足した涼は、背後にあるゴミ箱にペットボトルを捨てた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

夕方______

 

「おつかれーっす」

「おつかれさまです!」

シフトを終え、涼と巴はそろってバルティモラを後にした。

二人は並んで歩き出す。

身長178cmある涼と、150cmに満たない巴が並んで歩くと、遠目には親子の様にも見えた。

 

歩きながら、他愛のない話をする2人。

「そういえば先輩。先輩は、運命とかって信じる?」

ふと、巴はそんな話題を口にした。

「運命か……」

その言葉に、涼は自分の過去に思いを巡らせる。

 

「……運命は信じるよ、なんとなくだけど」

運命を否定する気は無い。

だが、いっぱいあった嫌な記憶が、どれも運命で決まっていたと考えるのは嫌だった。

 

「えぇー?なんとなくー?」

無論、涼が何を考えて答えたのか、巴は知る由もない。

曖昧な答えに対し、口を尖らせた。

「だって、巴ほど乙女じゃねえからさ」

「えへへ」

巴が照れ臭そうにする。

実際彼女は、最近では珍しいくらいに乙女な性格の少女だった。

私服も、フリルのついたものを好む。

 

「でもちょくちょく、ああ運命だなって思う時はあるよ」

「例えば?」

「そりゃまあ……巴に出会った時とか」

「ボクもだよ!ボクも、先輩と初めて逢ったときから、やっと運命の人を見つけられたって……ホンットに嬉しかったんだから!」

「〜っ、ありがと……」

巴は、割と感情を素直に表現する。

照れ臭くなることも構わず言ってのけ、涼をよく赤面させた。

 

「えへへ!他にはないの?運命を感じたこと」

「そうだなぁ。あとは、今のクルマ見つけたときと……あ、そうだ」

「なになに?」

考え込む涼を、巴は覗き込むように見上げている。

だが涼は、脳裏に浮かんだ人物を消し去るように、首を横に振った。

「いや、そんなところだ」

笑ってそう返した。

 

それから、涼は先日観たテレビ番組に話題を変え、2人はそれで盛り上がった。

 

 

駅が近づき、電車が発進するアナウンスが聞こえて来る。

帰宅ラッシュの時間帯で、人通りは多かった。

 

涼の自宅アパートはバルティモアから歩いて20分とかからなかったが、巴はこの街から数駅離れた自宅から通っている。

随分遠いところから通っているものだと涼は思ったが、理由も尋ねてもはぐらかされてきちんとした答えは返ってこない。

とはいえ、それくらい遠いところから通っている人間は他にもいるので、特段気にしなかった。

基本的に涼は、あまり細かいことは気にしないようにしている。

 

「ねぇ先輩」

別れ際、巴は話しかけた。

「今度、ボクの家に来ない?」

「巴んちに?」

「うん」

「いいのか?俺なんかが……」

 

巴は、姉と二人暮らしだったと聞いていた。

涼と同年代だが、アンティーク人形の職人として、店を切り盛りしている。

その界隈ではかなり名の知れた職人で、国内のみならず、海外にも多くの顧客を抱えている。

対して、単なるフリーターの涼。

細かいことや他人の目はあまり気にしない性格とは言え、さすがにフリーターだと恋人の姉に名乗るのは気が乗らなかった。

 

だが……

「うん!お姉ちゃんの仕事がひと段落つくから、今度連れてきなさいって」

どうも、向こうからの指名らしい。

そうなると、断る理由もなくなってしまう。

それに巴の懇願する眼を見てしまうと、断る気も起こらなかった。

「嫌がったら、ズダ袋に入れて連れてくからって」

「えぇ……まあ向こうが良いなら、俺はいつでもいいよ」

「本当!?じゃあ次の日曜日は?」

「いいよ」

話している間に、二人は駅の前まで来ていた。

 

「じゃあまた明日ね」

巴と涼は、明日もシフトが同じだった。

というより、気を利かせた店長が、なるべく二人同じになるように仕向けている。

「おう、じゃあな」

涼は手を振り、背を向けて帰路に着こうとする。

 

その時だった。

「あ……待って」

「ん?」

涼のパーカーの端を掴み、巴が涼を呼び止める。

振り返ると、エメラルド色の瞳を輝かせ、こちらを見上げていた。

「先輩……」

「ん?」

 

「あのメイドロボ……まだおうちにいるの?」

「…!?」

真剣な巴の声に、涼は思わず黙り込む。

心拍数が上がる。

「そっか、いるんだね」

背中がじわりと汗ばんだ。

まだ、夕暮れ時は涼しい季節のはずなのに。

 

数週間前の出来事を思い出す______

 

「巴。俺は別に……」

「ううん、気にしないで!ボクも、いつまでもわがまま言い続けるほど子供じゃないんだから」

おひさまのような笑顔だったが、涼の焦燥感は消えない。

「ただね、先輩……」

「なんだ?」

 

「ボクのことだけ…見ててね?先輩___」

 

巴の瞳は、混じり気のない宝石のようだった。

 

「分かってるよ…分かってる」

涼は、巴の頭にそっと手を置いた。

彼女の銀色の髪は、人形のそれのようにふんわりとしている。

まるでシルクの作り物のようだった。

 

やがて、巴が利用している路線のアナウンスが聞こえてきた。

「電車来たぞ。そろそろ行かないと」

涼は、ほっとため息を吐きそうになるのを堪えた。

「そうだね、急がなきゃ!」

そういうと、巴は小走りに駅の構内へ駆けていく。

「バイバーイ!また明日ね!」

「じゃあな!」

お互い手を振り合うと、巴は足早に中の改札の方へ消えていった。

 

巴の姿が見えなくなると、涼は大きくため息をついた。

首を左右に傾ける。

関節が鳴った。

「帰るか」

もう一度、大きくため息をつくと、涼は駅に背を向け歩き出す。

 

背後で、電車がゆっくりと走り出す音が聞こえた。

 

 

 


 

 

 

国内最大の機械メーカーである綾小路重工業が、人型ロボット“TYPE-SAKUYA”を産み出したのは、今から十数年前。

家事手伝い等の用途を想定した、通称“メイドロイド”の誕生は、世界中に衝撃を与えた。

 

高度な人工知能は人との自然な会話をもたらし、柔らかな人工皮膚に覆われたボディと組み合わされば多彩な感情表現が可能だった。

最初に発表されたA2型はまだ動きや受け答えが機械的であったが、初めて一般向けに発売されたA3、そして今年発売された新型のA6へとモデルチェンジしていくにつれ、ますます人間のような滑らかな動きと自然な受け答えができるようになっていた。

 

価格も年々リーズナブルになりつつあったが、1体で新車のフェラーリ1台分に相当した。

それでも人気は強く、富裕層向けの商品にも関わらず予約は最低1年待ち。

特に秋葉系の界隈での人気は異様で、「現実が二次元に追いついた」「AHIはアニメと現実を繋げる技術を持っている」と、発表当時は連日ニュースになるほど騒がれていた。

その用途は家事手伝いのみに留まらず、コンビニや飲食店のような人手不足に悩む企業などでも導入されている。

 

一方で高度過ぎるAI故に、いつか人類越されるのではないかという不安や、軍事転用されるのではないかという懸念の声も少なからずある。

近年盛り上がりを見せるAIに関する議論では、必ずTYPE-SAKUYAの存在が大きく取り上げられた。

 

 

そんな高性能で世界中から注目されているメイドロボは、街の一角にある古いアパートで肉じゃがを作っていた。

 

「ただいま、ユーミア」

アパートのドアが開かれ、涼が入ってきた。

「おかえりなさいませ、マスター」

菜箸を片手に、メイドロイドのユーミアが振り向く。

涼の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。

 

深い青色のメイド服に身を包んで夕食を作る姿は、人間のメイドとほとんど見分けがつかない。

ボブに切り揃えたブロンドからのぞく、銀色のヘッドギアが無ければ本当の人間の少女と、外見は全く変わりがなかった。

 

「良い匂いだな」

部屋中に満ちた肉じゃがの香りを感じながら、涼はソファの上に腰を下ろした。

「もうすぐできあがりますので、もう少しお待ち下さいね」

「はーい」

健気に料理をするユーミアの背中を少しの間眺める。

涼は立ち上がって、部屋の隅にあるコレクションラックのガラス戸を開けた。

 

ミニカーや車系のグッズと共に、コレクションのカメラが占めていた。

元は色々なものが雑然と仕舞われていたが、ユーミアが綺麗に清掃して見事なショーケースにしてしまったものだ。

 

涼はその中から、小柄な一眼カメラを取り出す。

中古で買ったソニーα7Cに、同じメーカーの広角レンズを取り付ける。

フルサイズのミラーレスだったが、ボディが小型で、涼はいつも室内撮りに使っていた。

モニターが点灯すると、レンズをユーミアに向けた。

 

完成し、小さくガッツポーズするユーミアの後ろ姿をファインダーに捉える。

小さな電子音に続いて、電子音とシャッターの音が響いた。

 

「できましたよ、マスター」

ファインダーの向こうで、ユーミアが涼に微笑みかける。

「今からよそいますね」

「ありがと」

涼も微笑み返すと、もう一度シャッターボタンを押した。

ユーミアの瀟洒で、しかしどこか幼さが残る笑顔が写った。

 

涼はユーミアに見守られながら、ほかほかの肉じゃがを口に運んでいた。

「美味しいですか?味付けは濃いめにしてあるのですが……」

「うん。いつも通り、美味しいね」

「良かったです」

自分の手料理を食べ続ける主人を見て、ユーミアは微笑んだ。

コンピューターでプログラミングされたとは思えない、自然で素直な感情表現だった。

 

「マスター?」

「ん?」

「何か、悪いことでもございましたか?」

「……」

涼の、味噌汁に伸ばす手が止まりそうになった。

ユーミアの察する能力の高さには、毎度驚かされる。

「……鋭いなあ、ユーミアは」

「マスターの心のケアも、メイドロイドの大事な役目ですから」

ストレスフリーな状態と、どこかで悩みを抱えている状態では、脈拍や脳波にも違いが出るのだろう。

頭ではわかっているが、それでも涼は、彼女が自分が悩んでいるのを()()()くれているのだと思ってしまう。

 

だが人間同士の恋愛相談を、ユーミアにしても仕方がない。

「ま、いろいろあってね」

適当にはぐらかす。

「マスター」

だがユーミアは、まっすぐ涼を見つめた。

人間の瞳に似せたカメラセンサーだと分かっていても、真っ直ぐ見つめられるとドキリとする。

 

しばらく、涼はユーミアに見つめられ続けた。

「……いえ、分かりました」

そう言うと、ユーミアは席を立った。

「お風呂の用意を致しますね」

「うん、ありがと」

ユーミアの微笑みに笑顔で返すと、涼は残りの肉じゃがを平らげ始めた。

 

 

 


 

 

 

深夜______

 

涼のアパートは3階建てだった。

計4部屋だが1つの部屋は狭く、建物自体も小さかった。

1階には4つのガレージがあり、2階と3階に部屋がある。

 

そのガレージの1つに、赤いハッチバックのランチア・デルタS4が静かに佇んでいた。

4灯の丸いヘッドライトや、直線的に描かれたボディラインは、現行の乗用車に比べてはるかに古臭いデザインをしている。

そんなデルタS4の運転席に、涼はエンジンもかけず座っていた。

 

巴に告白された時。

涼は即座に了承し、その場で人目も気にせず抱きしめた。

後輩として慕ってくれていたころから、心のどこかで彼女を好きになっていた。

その気持ちが両想いだと知ったとき、涼は心の底から幸せだと思った。

 

ユーミアと出逢ったのもその頃だった。

街はずれの廃工場で、瓦礫と共に倒れていた。

ロボットとは言え、ボロボロの彼女を見捨てられず、涼は介抱して連れ帰った。

メモリーを損傷し、今も記憶を失っているが、それでも徐々に調子を取り戻している。

今は涼を主人(マスター)と認め、メイドとして懸命に尽くしてくれるユーミアを、涼は大切な家族として想っている。

 

だがそれらは徐々に、涼の悩みの種となりつつあった。

巴は、同居人であるユーミアを快く思っていない。

ユーミアも、巴のことを涼の精神的健康を阻害する存在のように言ってくる。

 

バルティモラでは巴に、

家ではユーミアに、

「そんな女とは距離を置け」と言われ続ける毎日。

涼は、なるべく話題を出さないよう気を遣い続けてきたが、最近ではそれも嫌気がさしてきた。

数週間前に起こした、巴との大喧嘩もそんな中で起きた。

 

だが、例えどんなに頭を抱えようと、涼は2人を愛していた。

恋人として、

あるいは家族として。

だからこそ悩むし、気を遣うのも苦痛になる。

大切な人のことを口にして、大切な人の機嫌を損ねることほど、悲惨なことは無い。

 

「二人に比べれば、お前は偉いよな」

スウェード巻きのステアリングを撫でて、涼は呟いた。

このデルタS4は、彼が巴やユーミアの次に大切にしている愛車だった。

相棒歴は彼女達よりはるかに長い。

この車を手に入れて、もう二年が経った。

 

ステアリングポストの付け根にあるシリンダーにキーを差し込み、捻る。

センターコンソールにあるスターターボタンを押すと、背中からアバルト製1759ccの目覚めの轟音と振動が伝わる。

デルタS4は見た目こそ3ドアのコンパクトカーだが、実際には運転席と助手席しかない2シーターだった。

本来後席とトランクがあるべき場所には、エンジンと2種の過給機が占領している。

 

ヘッドライトを点灯し、シフトレバーを1速に入れる。

重たいクラッチペダルをそっと戻すと、S4はスルスルとガレージを出る。

 

いつか、二人との問題にケリをつけなければならない日が来る。

それは分かっている。

それでも涼は、今は何もかもを忘れたかった。

 

涼のデルタS4はエンジン音を響かせ、アパートから走り去る。

 

 

遠ざかっていくその赤いマシンを、ユーミアはベランダから静かに見下ろしていた。

 

 



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Act.3 機械仕掛けの恋心

フェアリーロード______

 

涼達の住む街と巨大レジャー施設“フェアリーランド”を結ぶ、両端を木々に覆われた古い県道。

かつてはフェアリーランドへ向かう主要ルートだったが、数年前に首都高速道路の新ルートが開通し、今は混雑回避のための裏道となっている。

 

フェアリーロードは車通りはほとんどなく、民家もほぼない。

そのため、深夜にはスピードを楽しむ走り屋達が現れる。

涼もその一人で、フラストレーションが溜まると、よくこの道でデルタS4を走らせていた。

 

デルタS4の市販仕様(ストラダーレ)の最高出力は250馬力だが、涼はチューニングして100馬力ほど上げてある。

そのパワーを最大まで引き出して、曲がりくねったフェアリーロードを攻める。

 

当然、死と隣合わせの危険行為だった。

 

フルブレーキングしなければならないコーナーは少なく、スピードレンジは首都高の都心環状線(C 1)に近い。

だが老朽化した舗装はつぎはぎだらけで、スピードを出せば出すほど、路面が車体を蹴り上げる。

 

目の前に、右コーナーが迫る。

スピードメーターの針は、200に迫ろうとしていた。

 

涼はブレーキペダルを踏み、一気に減速する。

そのままクラッチを蹴り、右足を捻ってスロットルペダルを煽りながら、シフトレバーを4速、3速へと落としていく。

その度に回転数が跳ね上がり、背中のエンジンが咆哮する。

 

デルタS4は吸い込まれるように、右コーナーへ差し掛かる。

ピレリ製のタイヤが鳴き、必死に車体を粗いアスファルトに食いつかせた。

 

涼はアクセルを踏み続ける。

セオリー通りに減速すると、S4は曲がってくれない。

アクセルを踏んで曲げる、それがS4の走りだった。

 

コーナーの出口が見えると、涼はアクセルを床まで踏み込んだ。

2種の過給機の甲高い吸気音と、アバルト製エンジンの爆音が、背中から耳を貫く。

 

4輪が路面を掴み、4WDのデルタS4は蹴飛ばされたように加速した。

 

 

世界ラリー選手権(W R C)の王者となるべく生み出され、その過剰なスペックゆえに多くの悲劇を生んだ、グループBのラリーカー達。

その究極型と呼ぶに相応しいランチア・デルタS4が、何を望み、どんな走りを求めているのか。

五感を研ぎ澄まして車に向き合い、どういう性格なのかを理解し、その上でどういうドライビングをするか。

 

それは機械を操作するというより、対話だった。

 

涼がそれに気付き、S4を乗りこなせるようになるまで、2年近い歳月を要した。

それまで何度も死にかけた。

限界域でのコーナリングにおいて、S4は突然挙動が変わる。

半端のテクニックを持つ者に、この怪物は容赦なく喉元に牙を立てる。

 

しかし今では、エンジンに火が灯った瞬間から、涼とS4はシンクロできるようになった。

僅かな隙をも見逃さないモンスターマシンでありながら、まさに相棒として言葉を交わしているような気分だった。

 

物言わぬ車でさえ、2年もあれば分かり合える。

 

「そうだ」

焦ってはいけない___

 

一途に恋をする巴と、

感情を宿したロボットであるユーミア。

いつか2人が理解し合えるように。

そのためには、少しずつでも2人の本当の気持ちを理解しなければならない。

 

巴かユーミアか……

選ぼうと思えば、どちらかを選ぶのは簡単だった。

 

だが、選ばれなかった者がどうなるか______

 

涼の脳裏に、ユーミアでも巴でもない、一人の女の顔が過ぎる。

 

敗れて歪んだ恋心は、この世のどんな殺意よりも恐ろしい。

涼の記憶に、心に、そして遺伝子に刻みこまれた教訓だった。

 

猛スピードで走るデルタS4の前に、T字路が現れる。

それを超えると、フェアリーランドはすぐ向こう。

直前で折り返すのが、ここを走る走り屋達の暗黙のルールだった。

その先は民家やコンビニなどが増え、あまり走り回ると警察が出てくる恐れがあった。

 

シフトダウンをし、エンジン音を響かせながら減速する。

車体をスライドさせ、180度スピンターンを決めると、涼はアクセルを踏み込んだ。

 

4輪をホイールスピンさせながら、ロケットのようにデルタS4は加速する。

2速、3速とシフトアップしていく。

 

焦ってはいけない______

 

涼はもう一度、自分に言い聞かせる。

その言葉とは裏腹に、S4はぐんぐんスピードを上げていく。

 

深夜のフェアリーロードに、デルタS4のエンジン音が響き渡った。

 

 

 


 

 

 

フェアリーロードの途中に、未舗装の脇道がある。

そこを進んでいくと、何十年も前に閉鎖された廃工場があった。

今は無数の瓦礫が積まれた、廃材置き場と化していた。

 

今から半年程前______

 

涼はデルタS4をメンテナンスに出した帰り、その廃工場に立ち寄った。

買ったばかりのミラーレスを試したくなったのだ。

 

バッグから、カメラを取り出す。

パナソニックのルミックスS1は、中古でもかなりの高額で、寒さと重さも相まって手が震えた。

センサーを保護するカバーを外し、セットで買ったシグマの20-60㎜のレンズを取り付ける。

ストラップを肩にかけると、涼はS4を降りた。

 

敷地内に積まれた瓦礫の山を乗り越え、廃墟となった工場を抜けると、葉を落とした木々の合間から海がはっきりと見える。

涼はその風景がお気に入りだった。

汚泥にまみれ、瓦礫に埋もれた道を乗り越えた先に、穏やかで雄大な大海原が現れる。

この風景を幼い涼に教えたのは、今は亡き彼の母親だった。

 

身を切る寒さだったこの日も、海は変わらず穏やかだった。

 

『うわっ!?』

視線の先に、人影が見えた。

波が打ち寄せる砂浜に、若い女の子がぐったりと横たわっている。

涼は慌てて駆け寄った。

『大丈夫か!?』

側まで近寄った時、涼は少女の違和感に気づいた。

 

全身泥にまみれ、衣服はボロボロ。

だが、破れたスボンから覗く、鈍く輝く金属の脚。

こめかみに付けられた不思議な金属製の髪髪飾りと、円錐型のヘッドギア。

そして陶器のような白い肌に、美しいブロンドの髪の輝き_____

 

そこに倒れていたのは、一体のメイドロイドだった。

 

 

 


 

 

 

『綾小路重工製汎用メイドロイド“TYPE-SAKUYA A9”。個体識別名はユーミアです』

 

涼が拾った少女は、自らをそう紹介した。

しかし、ユーミアが覚えていたのはそれだけで、後はメモリーが損傷していたため何も思い出せなかった。

 

TYPE-SAKUYAシリーズは外出先でのトラブル発生時、すぐに持ち主(マスター)とメーカーに連絡されるようになっている。

それに内蔵GPSと連動し、機体の居場所もすぐにわかるようになっているという。

だが、損傷した記憶媒体に連動しているのか、それも機能しない。

高度な自己修復機能を備え、海辺で雨ざらしにされた機体の各所が新品同様に復旧していく中、ユーミアは元のマスターすら思い出せずにいた。

 

持ち主を早く見つけたかった涼は、困惑した。

無論、ユーミアを早く追い出したいとは微塵も思っていない。

早く元の家族のもとへ返してやりたい、

彼女を必死に探している家族がいるはずだと、涼は考えた。

数千万という価格を度外視しても、人間の少女そっくりなメイドロイドを、使い古した白物家電のように不法投棄する人間がいるとは思えない。

 

一方ユーミア本人は、機体がある程度修復するなり、メイドロイドとしての活動を開始した。

さすがは家事手伝い用のメイドロイド、料理に掃除洗濯その他諸々……家事と名のつくものは全て完璧にこなす。

そして涼がバイトから帰ってくると、お約束の『お帰りなさいませ』の挨拶と共に夕食まで用意して待ってくれていた。

涼が新しく買い与えた専用メイド服を身に付け、それが本能であるかのようにテキパキ働く。

 

その日も彼女の夕飯を食べ終えると、ユーミアはボロアパートの狭い台所で涼一人分の食器を綺麗に洗っていた。

その不釣り合いな様子をソファに腰掛けて眺めながら、涼は今後の事を考えていた。

すると……

 

『マスター……』

 

夕飯の片付けをすっかり終えたユーミアが突然、口を開いた。

涼は思わず左右を振り返り、その呼称が自分を指していることにしばらく気づかなかった。

 

メイドロイドは本来、持ち主として登録された人間以外を主人(マスター)として認識しない。

涼はそのことは調べていたし、ユーミアも先ほどまで“如月さま”と素っ気ない呼び方をしていた。

『俺のこと……今、マスター……って……』

だからこそ、ただのアパート暮らしのフリーターを“マスター”と呼んだことに、涼は驚いた。

『はい、マスター。今日からそう呼ばせてください!』

ユーミアはお淑やかに、しかしはっきりと笑みを浮かべた。

 

『あなたは、ユーミアの()の恩人です。ですから、メモリーが修復し記憶が戻るまでの間だけでも、マスターの身の周りのお世話をさせて欲しいのです』

 

センサーのレンズになっているはずの瞳でも、まっすぐ見つめられると胸に刺さるものだ。

この恩返しも、高度に組まれたAIによる演算の結果なのはわかっていた。

それでも涼は、ユーミアの健気な性格(・・)がそうさせたと思ってしまった。

 

『いいのか……?こんなボロくて狭い部屋に住み込むなんて……』

機械相手に遠慮する涼。

そんな彼に、ユーミアは優しい笑みを浮かべる。

『マスターのご迷惑でなければ、お願いします』

『えっ、あぁ……こ、こちらこそよろしく』

思わず立ち上がって頭を下げた。

 

その日から涼は、行き倒れたメイドロボのご主人様になったのだった。

 

 

 


 

 

 

新たに涼をマスターと認識したユーミアは、ますます奉仕の度合いを高めていった。

朝目が覚めてから夜寝床に着くまでの間、身支度の手伝いをし、美味しい料理をテーブルにならべ、忘れ物がないか何度も尋ね、バイトから帰ってくれば疲れた身体を気遣いながら、一日の出来事を親身に聞いてくれる。

涼の事をどんどん学習し、色々な好みや行動パターンを把握していった。

 

記憶を失い、メイドロイドに不可欠なマスターとはぐれたユーミア。

その穴を、涼との生活で埋めようとするかのように、彼女は深く深く尽くしてくれる。

その献身的で深い愛情こもった奉仕に、涼は亡き母の面影を見た。

優しくて、料理が上手で、家事をテキパキこなしてくれる。

幼い涼のどんな話も、面倒くさがらずにいつもニコニコと微笑んで聞いてくれた。

微笑みかけるユーミアの優しい表情は、その母の微笑みを思い出させた。

 

 

ある日、涼はTYPE-SAKUYAシリーズのムック本を手に入れた。

本には最新型メイドロイドの情報、メーカーである綾小路重工業(A H I)や一般に公表されているA2以降のモデルの解説、そして未だ全容が明らかになっていないA1型や次期メイドロイドA7の予想図など記載されていた。

 

『マスター、先程から何をされているんですか?』

ユーミアは涼に寄り添うように、ソファの隣に腰掛けた。

『ん……あぁ、何かユーミアに関する情報はないかなって。記憶を取り戻すためにも』

『記憶を……そうですか』

メイドロイドにもクルマ同様、同じ型式でもグレードや追加オプションなどがあり、そのバリエーションはクルマ以上である。

だからユーミアの外見やパーツを手がかりに、彼女に一体いくらかかっているのか……その価格帯が分かれば、どんな人間がマスターなのか絞ることができるのではと思った。

何体かリリースされている限定モデルであれば最高だ。

所有者を絞ることができる。

 

しかし本をめくっていくうち、一つの疑問に行き着いた。

『A6……A6……ユーミアの型式(カタシキ)って、確かA9だったよな?』

『はい、TYPE-SAKUYA A9です』

さすがに機械が自分の型式を間違うことはないだろう、確かに彼女はA9だ。

『でも、これにはA6以降のナンバーが無いんだよなあ。しかもA6出たのが……半年前。A9ってナンバーの機種はどこにも載ってないんだ』

『どういう……ことですか……?』

困惑しているのか、ユーミアは思わず聞き返した。

『存在しない……あるいは公表されてない型式だってことに……なるよな』

 

それから涼は、ネットでメイドロイドに関するありとあらゆるもの情報を漁ってみた。

考えられるのは、イレギュラーなモデルとして連番ではない数字を冠された説。

TYPE-SAKUYAシリーズにそのようなモデルがないか調べてはみたが、やはり1〜6の連番から外れた特別なモデルは見当たらない。

ユーミアのシステムエラーを疑い、ヘッドギアや脚部などに共通のパーツを用いているモデルがないか探したが、似てはいても同型のものはなかった。

 

『……やっぱり無さそうだな。ていうか、そもそも途中の7と8はどうなってんのって話よな』

涼は、ユーミアの方を向き直る。

『では、ユ……ユーミアは……存在しない機体(モノ)だということでしょうか……?』

彼女はAIで動いているとは思えない、悲しそうな表情を浮かべていた。

『あ、いや……ご、ごめん……』

例えAIのプログラムに従って作り出された飾りとはいえ、その表情は涼に自分の過ちを気付かせるのに充分だった。

『気にすんなって!現に今ユーミアは俺の前にいるじゃねえか』

『ですが……メイドロイドとして存在しないということは、ユーミアは……メイドロイドですら無い……ということに……』

 

メイドロイドではない_____

その事実は、人間を愛し、人間に奉仕するという彼女の存在意義をも奪った。

ユーミア……もとい機械にとって、自分の型式番号がどこにも載っていないというのは、自分の存在を否定されたも同然。

人間で言えば、戸籍がないのと同義なのだ。

 

『そんなん関係ねえよ!俺にとっては、ユーミアはもう大事な家族だ。だから……』

ユーミアがメイドロイドかどうかはどうでも良かった。

ただ、こんなボロアパートに住むフリーターにも、精一杯に尽くしてくれる。

涼の新たな家族になるには、それだけで十分だった。

 

『だから……こんな俺でよければ、ずっと側にいてほしいなって……』

『本当ですか? マスター! 』

その言葉に、ユーミアは頬に手を当て歓喜した。

『うれしい……マスターにお仕えするユーミアにとって、そのお言葉ほど嬉しいことはありません!』

下手な人間よりも表情豊かなメイドロイドのユーミア。

 

例え人工知能が作り出す機械仕掛けであっても、涼はユーミアの優しい笑顔を守りたいと思った。

 

 

 


 

 

 

深夜______

 

静かに寝息をたてる涼の枕元で、ユーミアは彼の寝顔を見つめていた。

日付を超えるまでフェアリーロードを爆走した彼女の主は、帰宅するなりベッドに潜り込んで寝てしまった。

 

“ユーミアはもう大事な家族だ”

“こんな俺でよければ、ずっと側にいてほしい”

 

涼のあの日の言葉。

それは、本来は機械である彼女に向けるようなものではない。

だがその言葉が、

その時の涼の声や表情が、

過去を失い、メイドロイドという存在意義すら揺らいだユーミアのAIに保存された。

 

空っぽになってしまった機械仕掛けの心を、涼という一人の存在が満たし続けている。

 

ユーミアはそっと、涼の頬に手を触れる。

白いオペラグローブ越しに伝わる柔らかさと温かさが、ユーミアは好きだった。

 

「マスター……」

ユーミアも、ずっとマスターのお側にいたい、

もっとマスターのことを知りたい、

そして叶うのならば、

マスターにとって唯一の存在になりたい……!

 

『ユーミアは例え何があっても、全力でマスターにお仕えしますね!』

あの日、ユーミアは涼に誓った。

その決意が、AIの本来の思考アルゴリズムから逸脱した“感情”の芽であるとは、その時のユーミアはまだ気づいていなかった。

 

だがその芽は着実に育っている。

 

メイドロイドにとっては、人間らしさを演出する“装飾”でしかない感情が、今のユーミアのAIを支配しつつある。

マスターに仕えるため、

マスターに喜んでもらうため、

マスターといつまでも一緒にいるため、

マスターにユーミアだけを見てもらうため______

 

ユーミアの思考アルゴリズムは徐々に、メイドロイドとしての本来の役目である“奉仕”から離れつつあった。

 

それでも、今のユーミアには関係ない。

公式には存在しない型式である彼女は最早、TYPE-SAKUYAのメイドロイドですらないのだから。

 

マスターにとって理想の、

マスターだけのメイドロイドであればいい。

 

そうですよね______

 

ユーミアだけの……マスター______

 

空いた窓から、涼しい夜風がふわりとユーミアの髪を揺らす。

その風は、拾われたあの頃より、はるかに暖かかった。

 



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Act.4 乙女のセグレート

「んふーっ!美味しいね、先輩!」

涼のアパートから車で30分ほど走らせた隣街のカフェで、巴はチーズケーキを満面の笑みで頬張っていた。

今日は二人とも休みで、特に出かける用事もなかったが、突如巴から呼び出されたのだった。

 

「それにしても、なんで急にケーキが食いたいなんて……」

アイスコーヒーを飲みながら、ケーキを食べる巴の可愛らしい仕草を眺めていた涼は尋ねた。

彼女が今堪能しているチーズケーキは別に期間限定でもないし、この店があと数日で閉店するというわけでもない。

人気度は高いようだが、店が開店していればいつでも食べれる。

「そんなの、ボクが先輩に会いたいからに決まってるじゃない!好きな人に会うのに理由なんか大事じゃないでしょ?」

「あっはは、そうだな」

涼は顔を赤くした。

巴はいつ何時でも、相手に好きという想いを伝えるのに何の躊躇もしない。

 

《御覧下さいこの青い海!まるでハワイを連想させるような……》

カウンターの壁に駆けられたテレビでは、アナウンサーがどこかのビーチをリポートしていた。

「どこだろう、沖縄かな」

「あ!ここ知ってるよ」

涼と違い、巴はこの映像がどこか見覚えがあるらしい。

「そうなのか?」

「うん!ここはね……」

《ここニライカナイは既に夏真っ盛り!今日はこのニライカナイをお得に満喫できる情報を皆さんに……》

画面が切り替わり、島内にある土産もの店やグルメ、クルージングなどのアクティビティの映像が、大きなテロップと共に次々と映し出された。

 

「ニライカナイか」

涼も、ニライカナイという島は知っている。

国内では有名なリゾート地の一つであった。

「いいなあ、俺もこういう島行ってみたいもんだ」

「ボクは行ったことあるよ」

チーズケーキの最期のひと口をフォークで突き刺して、巴は言った。

「というか、住んでたんだよねー。2年くらい」

その言葉を聞いて、涼はアイスコーヒーを啜ろうとした手を止めた。

「マジ……?」

「うん!色々あってさ、お姉ちゃんが“天聖院学園”に転校することになっちゃったんだ。それで家族のボクも一緒に」

今の巴の言葉が何を意味するのか、涼は知っていた。

 

ニライカナイ_____

 

東京から南に約1200kmの太平洋上にあるリゾートアイランド。

1年を通して温暖で穏やかな気候に恵まれているこの島は、シチリアの旧市街のような古いヨーロッパ風の建築物を模した観光街、近代的な高層ビルなどが立ち並ぶ商業エリア、他にもビーチや歓楽街など、様々な施設が充実している。

 

そんなニライカナイは、島全体が巨大な人工島になっている。

大正から昭和初期にかけて建設され、その後も埋め立てを繰り返して現在の大きさになった。

しかし最初期で既に、関西国際空港やドバイのパーム・ジュメイラの面積を大きく上回っており、現在は東京23区に匹敵する630平方kmを誇る。

そんな世界最大の人工島が国内にあるのも驚愕だが、それですらニライカナイを特徴付ける要素の1つに過ぎない。

 

ニライカナイ最大の特徴は、島全体が“天聖院学園”の所有する学園都市であるということだ。

島の総人口約60万のうち学園生と職員が85%を占め、島中に学園の関連施設が点在し、自治運営は学園生徒会を中心とした生徒自身によって行われている。

そしてその生徒達のほぼ全員が、“能力者”と呼ばれる者達である。

 

魔力霊力妖力いった超自然能力の使い手、驚異的な身体能力を持つ者や妖怪や妖精のような人智を超えた生物の血を引く者……

その他ありとあらゆる、一般庶民にとってはファンタジーの中でしか見たことがないような特殊能力を持つ者を、この世界では能力者と呼んでいる。

その中でもより素質のある世界中の若き能力者を集め、彼らの能力向上を目的としているのが天聖院学園だ。

生徒達は特殊なカリキュラムを組まれた学園生活を送り、日夜自身の能力の研鑽に励んでいる。

その特殊性ゆえ、観光客をはじめとする島外の人間の滞在期間は、原則1週間と制限があった。

 

天聖院学園へ入学する資格を持つ。

それは巴の姉、朝倉 奏が能力者であることに他ならない。

 

そして______

 

「巴も……能力者なのか?」

涼が尋ねた。

多くの場合、特殊能力は遺伝することが多い。

兄弟や姉妹がいれば、彼らも能力者であると考えるのが自然だった。

「うーん……まあね」

「どんな能力なんだ?」

それに対し、巴はフォークを空になった皿の上に置くと、複雑な表情を浮かべた。

「ごめんね、それはちょっと言えなくて……」

一般社会における能力者の割合は非常に少なく、無用なトラブルを避けるために、自身が能力者であることやその能力を公言したがらない者も多い。

「そっか……言えないなら良いんだ。悪いな」

「それに、一応能力者だけど……ボクは、お姉ちゃんみたいに才能が無いんだ。ちょっと真似事ができるくらい」

「だけど、ニライカナイには行けたんだろ?」

「ボクは特例で住むのを認められただけなんだ。あの時はまだ小学生だったし、預けられる家族も親戚もいなかった……だから、学園には入れたわけじゃないんだよね」

巴の声は沈んでいた。

それを聞いて、涼は少しデリカシーが足りなかったと後悔した。

 

実は巴の両親は、彼女が幼い頃にこの世を去っている。

死因は交通事故だと、涼は聞かされていた。

死後、巴はたった一人残された肉親である奏に育てられてきた。

部外者の島の滞在を1週間に制限している天聖院も、さすがに幼い子供を一人東京に残させるのは酷だと判断したのだろう。

 

「……ごめんな」

ところどころで気遣いが足りない。

そういうところが、巴とユーミアの余計な軋轢を生んでしまうのだろう。

「ううん!気にしないで!大丈夫だよ!」

巴は慌てて、こちらに両手に振り出して否定した。

「こっちこそごめんね、そんなつもりじゃなくて……それに、能力が言えないのはお姉ちゃんの言いつけなんだ。色々事情もあるから……ボクは、先輩なら話してもいいなぁとは思うんだけど」

彼女のたった一人の肉親である奏の言いつけは、例え涼が相手でも絶対なのだろう。

それはもちろん当然のことで、涼は教えてくれなかったと幼稚な嫉妬心など抱かない。

 

だがそれは、巴と姉の奏の持つ能力が軽々しく口にできない類のものだということを意味する。

アンティーク人形の専門ショップを切り盛りし、同時に人形劇師としても名を馳せていると、涼は度々巴から聞かされていた。

いつもは他愛のない姉自慢だと思って聞いていたが、今加わった天聖院というキーワードが涼の記憶のセンサーを刺激した。

 

人形遣いが、何の能力を認められたのか______

 

古い記憶の棚の中身をひっくりかえして、整理しようとする自分がいた。

 

そんな涼を、巴の言葉が遮る。

「ボクが先輩のお嫁さんになったら、教えられるね!んふふっ!」

昔取った杵柄……というより過去の栄光と表現するのが相応しい、心のつかえを大きくするだけのもの。

涼は巴の笑顔を見て、そんな思考と記憶を再び棚へ押し込んだ。

 

 

ケーキを食べ終え、グラスの飲み物も残りわずかだった。

「そういえば先輩は、いつからアルバイトで生活してるの?」

「前の仕事やめてから。だから……2年以上か」

今のボロアパートに移り住み、ファミレスの面接を受けてからもうそんなになる。

自分で数えて、少しため息が出そうになった。

 

「前は何やってたの?ビジネスマン?」

涼は首を横に振った。

「一応、自衛隊にいたんだ」

おおっ、と巴は目を丸くしてみせた。

「さすが先輩!それで、どんなことしたの?銃持って走ったりとか?」

「まあ……そんな感じ」

巴の問いに、涼は曖昧な返事を返す。

「なにそれー」

「防衛機密ってやつでね、あんまペラペラ喋れないんだ」

本当は色々違うのだが、やはり軽々しく口にできるものではない。

「巴達の能力の話ができるようになったら、俺もカミングアウトするかな」

それにこの件に関して、涼には色々思うところがある。

平和な今の生活を送る上で、そこに至るまでの記憶はあまり引っ張り出したくない……というのが正直なところだった。

 

「気にしないで、先輩」

「ありがとう」

涼はアイスコーヒーの最後の一口を飲み干した。

巴は既にいちごオレを飲み干している。

「帰ろうか?」

「うん!」

二人は席を立った。

 

 

 


 

 

 

二人分の勘定を払い、ドライブがてら少し遠回りをしてから、涼は巴を自宅まで送ってあげた。

AntiqueDoll“ASAKURA”の看板が掛けられた1階のドールショップはまだ営業中で、ショーウィンドウの中では素人眼にも精巧で華やかなアンティークドール達がライトに照らされている。

 

ウィンドウ越しに、こちらに気づいたエプロン姿で接客中の巴の姉……朝倉 奏が手を振る。

「お姉ちゃーん!」

「わぶっ」

巴が涼の方へ身を乗り出して手を振り返した。

デルタS4は左ハンドルなのでこうなる。

 

「今日も楽しかったよ!先輩、急に誘ったのにありがと」

「俺もだよ。また行こうな」

巴の急な思いつきで出かけるのは、今日に限ってのことではない。

これも、彼女の可愛い一面だった。

「今日はお互い、秘密があることが分かったね」

「そうだな。まあしょうがねえよ、生きてればそういうこともあんだろ」

付き合い始めてまだ日は浅い。

下手をすれば日常生活すら脅かす秘密を語り合うには、涼と巴の関係はまだ足りない。

だが、もし互いの秘密を明かすことができるほどの関係になれば、彼女のユーミアへの想いも変えられるかもしれない。

 

「でもボクは、もっと大事な先輩の秘密を知っているから……」

「え?」

巴の言葉は、後ろから遠慮なく響くエンジンのアイドル音にかき消された。

「……何?」

「ううん、何でもないよ!それじゃあまた明日、バイトでね!」

そういうと巴はドアを開け、ひょいとS4から舞い降りた。

「まいっか……」

涼は運転席のスライドウィンドウを開く。

 

「バイバーイ」

涼は店の前でニコニコと手を振る巴に振り返すと、ギアを1速に入れてS4を発進させた。

 

 

 


 

 

 

 

その日の夜___

 

《久し振りに声が聞けて安心したのだ!》

スマートフォンの向こうで、少女が喜ぶのが聞こえる。

電波越しにもわかる、ハツラツな声色だった。

「ボクも鬼火ちゃんの声が聞けて嬉しいよ!それで、そっちの様子はどう?」

癖のある黒いショートヘアは、エメラルド色のカチューシャと髪飾りで彩られていた。

少女の()()()華奢な身体はオフィスチェアに預けられ、ライムグリーンの瞳は複数の液晶モニターが映し出す多数の画像に向けられていた。

 

《忙しすぎて大変なのだ……仕事は難しいし、いつもいつも副会長に怒られて、アタイもう泣きそうなのだ〜っ》

ふにゃああと弱音を吐く親友に、少女は口元を緩めた。

「でも尊敬しちゃうな〜。あの麗華さんの跡を継いで、天聖妃になっちゃうなんて。ボクは、いつか鬼火ちゃんがなるって信じてたんだよ」

《でも勝ち取ったわけじゃないからなー。あれだけ強いのに、天聖妃だけじゃなくて生徒会長の仕事も完璧にこなしてたなんて……悔しいけど、麗華には敵いそうにないのだ……》

学園……そしてニライカナイの頂点に君臨する栄光の、その裏にある様々な雑事への不満と、それを涼しい顔でこなしていた先代への尊敬を混ぜ、少女はため息をついた。

 

《そっちはどうだ?お兄ちゃんとか、みんな元気にしてるかー?》

「うん。結人兄ちゃんもお姉ちゃんと仲良くしてるし、お店も引っ越してからもいい感じ。お姉ちゃんは、結人兄ちゃんと家遠くなったのが不満みたいだけど……」

《にんぎょーねーちゃん、お兄ちゃんのことだとヤバイ目になるからなー。大丈夫?暴れてない?》

「うーんまあ、災害は起きてないよ」

昔の話に花を咲かせながら、彼女はモニターに表示される画像を一枚一枚眺めていた。

そこに写るのはどれも同じ、愛する人の日常の風景だった。

 

《ところで巴ちゃん。その……“運命の人”とは上手くいっているのかー?》

鬼火は話題を切り替える。

運命の人……彼女の恋人である如月 涼の話題を出され、彼女は頬を赤くした。

「うん……やっぱり間違いなかった。先輩こそ、ボクがずっと探してた運命の人だったよ」

数百枚と撮った写真のうち、最もきれいに撮れた一枚を眺めながら、恍惚の表情を向ける。

 

涼と付き合うずっと前から撮り貯めた、

朝倉 巴の大事なコレクションだった_____

 

鬼火はうんうんと頷いた。

《アタイは間違いないと思ってたぞ。巴ちゃんがそんなに入れ込むぐらいだからな。だって“前世で誓い合った恋人同士”なんだろー?》

「……うん。一緒に戦って、一緒に世界を救った運命の人。その話……よく覚えててくれたね」

《親友だからな!試験の範囲は忘れても、アタイは親友の話を忘れたりしないのだ!》

誰にも理解されず、家の外ではひとりぼっちだった巴。

 

初めてで、そして一番の理解者でいてくれた親友の力強い言葉に、巴の目頭が熱くなる。

「ありがとう、鬼火ちゃん。ボク、これで自信がついたよ」

《……エルシオンの前世を、思い出させるのか?》

「うん。暗黒神の魔の手が、エルシオンのすぐそばまで来ているんだ。その前に、ボクが……この“ティア=ラティーナ=ルーネイト”が守ってあげなきゃいけないの!」

スマートフォンの向こうで、鬼火が数秒考え込んだ。

《そうか……そうだな!巴ちゃんにはアタイが教えた格闘技もあるし、どんな奴がきてもへっちゃらなのだ!》

「ありがとう!そう言ってくれると嬉しいよ」

《第59代天聖妃、鬼住山 鬼火が認めたのだ!自信を持つといいぞ!》

文字通り力強い鬼火の励ましに、巴は意思を固めた。

 

《でも一つ、約束して欲しいのだ》

「ん?なに?」

鬼火は、少し考えるように間を空けてから、口を開いた。

《絶対に、誰も傷つけちゃダメだぞ。ん〜っ、なんで言えば良いか難しいけど、きっと巴ちゃんの周りには、悪い人はいないと思うのだ》

「……そうかな」

《間違いないのだ!それに、巴ちゃんが誰かを傷つけたら……あたいも、麗華も、お兄ちゃんも、みんな悲しんじゃうのだ。巴ちゃんの恋人も》

「……」

珍しく真剣な鬼火の声に、巴は思わず黙り込んでしまった。

 

「大丈夫、ボクは……ボクには分かるから」

《巴ちゃん……》

「ボクは、運命に従うだけだよ。前世からの______」

巴は、自分の前髪の毛先を触りながら答えた。

目の前に、黒い髪の毛がちらつく。

 

楽しい会話に終わりを告げ、鬼火とニライカナイでの再会を約束した巴は、パソコンのあるデスクを立った。

6畳の部屋の入り口であるドアには、姿見用のミラーが設置されている。

キャミソール姿の巴は、見た目以上に幼げの残る自身の姿を写し、歯ぎしりした。

 

どうしてボクは______

こんな姿で転生してしまったんだろう______

 

自分と姉の持つ能力なんかは、誰に知られてもさして気にはならない。

だが巴には、今はまだどうにも変えられない秘密がある。

それを抱えたままでは、大好きな先輩を迎えることすらできない。

 

「まずは先輩の……エルシオンの記憶を取り戻すところから、始めなくちゃね」

見つからない賢者を探すより、運命の人の記憶を取り戻し、この事態を説明する方が早い。

「だけどもう時間がない……」

巴は、ベッドの下に仕舞ってあったモノを取り出す。

 

短剣_____

 

鞘から引き抜いたそれは複雑な形状をしており、刀身は紅く輝いていた。

 

もう時間がない。

暗黒神の魔力にエルシオンが呑まれる前に、

どんな手を使ってでも、ボクは先輩の記憶を取り戻す。

 

 

そしていつかは、

 

女の子の身体に_____

 

 

巴は親友の励ましと涼への愛を胸に、紅いフランベルジュを鞘に納めた。

 



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Act.5 食わず嫌い

『いい加減にしてよ!!』

 

駅の入り口の前で、巴の怒号が響く。

あまりに大きな声と剣幕に、周囲の通行人が思わず振り向いた。

『お、おい。声でかいって……』

『先輩はボクの恋人でしょ!?なのにユーミアユーミアって、最近ずっとあのメイドロボの話ばっかりじゃない!!』

たじろぐ涼や騒然とする周りなどお構いなしに、巴は大声で迫る。

 

事の発端は単純だった。

 

庶民には高根の花のメイドロイド。

それを拾ったのだから、つい誰かに話したくなるものだ。

とは言え、誰にでも話せるような内容でもないのも事実。

下手に言いふらして、ネコババだなんだと騒がれてはたまらない。

 

ユーミアを保護してから、涼は巴に彼女を拾った時のことや、家事の手際の良さや料理の上手さを事あるごとに話していた。

涼は巴が、ユーミアの話を、高性能なお掃除ロボットなどと同じような感じで聞いていると思っていた。

これまでも彼が巴にしてきた話は、クルマかカメラの話がほとんど。

だから新しい話題ができた程度に思っていたが、巴の不満は日に日に募っていた。

 

そして______

 

『メイドロボの型番が分からない?だからなんなの!?そんなの知らないよ!!』

 

付き合ってから1ヶ月と少し。

その日、ついに巴の怒りが頂点に達した。

 

『悪かったよ、わかったから……』

涼は必死になだめようとするが、爆発した怒りは収まらない。

『ボクのこと好きだって、大好きだって言ってくれたじゃない!それなのに……ボクよりそんな機械の方が良いの!?』

『そういうんじゃねぇよ。だけど……』

『……ねぇ先輩、ボクのこと一体何だと思ってるの?一緒に帰る時も、デートも……結局ボクから誘ってばっかりだし、LINEもほとんどボクからしてるし……先輩から何かしてくれたこと、付き合ってから何かあった?言ってみてよ!!』

『……』

『ねぇ!ボクのこと見てよ、ちゃんと!目を逸らさないでっ!!』

『……ごめん』

 

正直に言えば、友達の延長線のような気持ちで付き合っていたところはあった。

何も言い返せない、何も言い訳できない。

ただ謝るしかできなかった。

 

『さっさと捨てちゃえば良いのに……』

 

巴のポツリと漏らした、そのひと言を聞くまでは。

 

『……あ?』

涼の声色が変わる。

それを感じ取り、巴は一瞬たじろいだが、踏みとどまって噛み付いた。

『だ……だってそうでしょ!?どうせ捨ててあったんだから、電源切っちゃえばただの家電じゃないか!』

『ふざけんな!!』

遂に涼は声を荒げた。

 

『……っ!』

『ユーミアのこと何も知らねえくせに、好き勝手言いやがって……そっちこそいい加減にしろよ!』

涼の脳裏に、捨てられていたユーミアを見つけた時の光景が蘇る。

 

誰かに必要にされ、奉仕という形で人々に笑顔届けるために生まれたはずのメイドロイド。

それなのに、瓦礫や不法投棄のゴミと共に捨てられ、記憶すらどこかへなくしてしまったユーミアの悲しみ。

それを思うと、涼の胸は痛んだ。

そして、そんな彼女の気持ちも考えず、わがままを叫ぶ巴を、例え恋人といえど許すことはできなかった。

『捨てろは言い過ぎかもしれないけど、先輩にはボクがいれば充分でしょ!?』

『それとこれとは別の問題だろ!自分のわがままばっか言ってんじゃねえぞ!』

火が付いたら止まらない。

 

それからはお互い、自分の怒りをぶつけあい……

『先輩のバカ!!!もう知らない!!!』

最後はそう吐き捨て、巴は涼に背を向けて走って行ってしまった。

『勝手にしろよ、クソ……』

巴の姿が見えなくなるまで、涼は立ち尽くしていた。

なんでこうなるのか、自己嫌悪に陥りながら。

 

 

 


 

 

 

その日、涼はとぼとぼと帰宅した。

 

『お帰りなさいませ……どうかされたのですか?マスター』

ユーミアは落ち込んだ涼を見るなり、心配そうな表情を見せた。

『色々あってね』

『……例の恋人の方についてですか?』

涼はユーミアに、以前から巴について色々話していた。

当然恋人同士であることも知っていた。

『もしかして、仲違いされたとか?』

『そこまでではない……と思うけど、ちょっとケンカになっちゃってさ。大したことじゃないよ』

『とてもそうは見えません。何があったのですか?ぜひユーミアに話してください』

ほっといてくれ……と言っても引き下がってくれる感じではなかった。

 

涼は事の経緯を話した。

『デリカシーのなさっていうか……人の気持ちに対して鈍すぎたよな』

自嘲気味に言いながら、2本目の缶ビールを開けた。

『まあ俺が悪かったよ。ちゃんと謝らなきゃ……』

『悪いのは朝倉 巴さんではないのですか?』

『え?』

落ち込む涼に、ユーミアは整然と言ってのけた。

 

『マスターに一切の非があるとは思えません。マスターはただ、朝倉 巴さんに日々の日常をお話ししていただけでしょう?』

『それにマスターは、捨てられていたユーミアを保護してくださいました。誰が見ても、その行為は称賛されこそすれ、批判をされる要因など一切ないと推測いたします』

『……』

 

涼は面食らった。

それまで、ユーミアがここまで反論してくることなどなかったからだ。

 

『すべての非は朝倉 巴さんにあります。マスターは何も悪くありません』

『ユ、ユーミア……』

『自分の感情のみを押し通し、気に入らなければい恋人相手に癇癪を起す。アルバイトが許可される年齢の女性の行動とは到底思えませんが?』

仮にも人間に奉仕するためにプログラムされたメイドロイドから、ここまで誰かを批判する言葉が吐き出されるとは思いもよらなかった。

 

そして______

 

『マスター』

『な、なんだ?』

 

『朝倉 巴さんとは関係を断絶して下さい』

『!?』

 

毅然とした態度に言い放つユーミアに、涼は驚愕した。

『このままでは、マスターの健全な生活に悪影響を及ぼすと考えられます』

『お……おい!何言ってんだよ』

『朝倉 巴さんのことを考えてらっしゃる際、マスターの精神状態は、健全な状態とはかけ離れてしまっています。このままでは、身体にも悪影響を及ぼしてしまいますよ』

優しく、丁寧な、しかし無機質なユーミアの発言に、俺は言葉も出なかった。

 

『マスターにとって、朝倉 巴は有害です……!』

 

ユーミアも、巴のことが嫌いだった_____

 

 

 


 

 

 

古いアパートの一室______

 

幼い少年は、母親の腕に抱かれていた。

二人の前にあるテーブルには、写真をまとめた分厚いアルバムが開かれていた。

『あ、お父さん!』

少年は、写真に映る少年を指差す。

どこにでもいそうな、普通の高校生だった。

その瞳は、カメラの方には向いていない。

 

1ページずつ、母と涼はアルバムをめくる。

どの写真にも、映っているのは彼が父と呼ぶ少年。

カメラの方を向いている写真は少なかった。

 

『ねえお母さん』

少年は母の顔を見上げた。

網戸から吹き込むそよ風が、桃色の髪を揺らす。

『お父さんはどこにいるの?』

純粋な瞳が、母を見つめる。

『大丈夫よ……大丈夫』

母は、ぽんと涼の頭を撫でた。

 

『いつか必ず帰ってくるから。だって“お兄ちゃん”は私のこと、好きだもん』

彼を正面から捉えた写真を、恍惚とした表情で見つめる母。

その感情を理解するには、涼はまだ余りに幼い。

 

『お母さん』

少年も同じ写真を見ながら、母に尋ねた。

『好きって、どういうこと?』

母が時折口にする言葉。

少年は子供ながら、その真意を知りたがった。

『……』

母は悩む。

彼女にとってその感情は、言葉で表すにはあまりに大きく複雑だった。

 

しばらく考えた母は、そうね……と口を開いた。

 

『誰かを好きになるとね、何をしてでも自分のものにしたくなっちゃうの』

『好きな人のためなら、どんなことでもしてあげたい』

『居ても立っても居られなくなって、気がついたら身体が動いてるの』

 

フフフと、母の口から笑いが溢れる。

そんな彼女を、幼い彼はぽかんと見つめていた。

『いつか、あなたにも分かる日がくるわ』

母は、我が子を抱きしめた。

 

『きっとね。だってあなたは、私とお兄ちゃんの……愛の結晶なんだもの』

少年の頭を撫でながら、母は自分に言い聞かせるようにそう言った。

 

 

 


 

 

 

 

「ふぁ〜あ」

バルティモラの休憩室で、涼は大きく欠伸をした。

「眠そうだね」

隣に腰掛ける中年の男が、ノートパソコンを操作しながら言った。

このバルティモラの店長だった。

「また夜遅くまで走ってたのか?」

「まあね。それだけが楽しみなんスよ」

涼は涙目をこすり、紅茶花伝のキャップを開けた。

 

眠たい理由は、それだけではなかった。

久しぶりに観た夢が、涼の二度寝を妨げる長考をさせたためだった。

 

店長は40代になったばかり。

バルティモラ本社に中途で入り、この店に配属されて何年か経っていた。

見かけ通りで、中身もお人好し。

気の弱い性格だったが、人望は厚く、誰からも好かれるタイプだった。

 

涼と店長は店だけでなく、クルマ好きという共通点からプライベートでも付き合いがある。

店長の愛車は、87年式のアルファロメオ・アルフェッタGTV6。

涼のデルタS4と同年代のイタリア車だが、度々レッカー車の世話になっている、言うなれば“イタ車らしい”ポンコツだった。

「そう言う事いうなよ、朝倉さん怒るぞ」

そう言うと、二人は店内の方へ耳を傾ける。

 

「いらっしゃいませー!二名様でよろしいでしょうかー!」

「お待たせ致しました!こちら小籠包とチョコレートサンデーになりまーす!」

「牧田さーん!会計お願いしまーす!」

テキパキと働く、巴の元気な声が聞こえてきた。

入ってから間もないが、今や古株の涼やバイトリーダーの立場が危うくなるほど、巴は仕事ができた。

とにかくリーダーシップに優れている。

知り合ってから驚いた、巴の意外な特技だった。

 

その元気な声をひと通り聞くと、涼はため息をつく。

「女の子って、自分以外を見てもらわないとやっぱ怒るもんなんかね?相手が家族だろうと……」

「どうしたんだ?急に。もしかして……またケンカでもした?」

店長はキーボードを叩く手を止めた。

来月のシフトが書かれているエクセルが、画面に表示されている。

 

以前、涼と巴と大ゲンカした際、間に入って仲直りさせたのが店長だった。

親身になって二人の主張に耳を傾け、お互いにすべきことを示してくれた。

それ以来、彼は涼の良き理解者になっている。

涼の家にユーミアがいることと、その経緯も知っている、数少ない一人だ。

 

「いや……でも、結局ずっと現状維持っすからね。このままだったら、また同じことが起きるかもしんないし」

「まあ、そうなるだろうね」

「それに巴と話する時、ユーミアの名前出さないようにすんのが……ぶっちゃけ大変で」

「なるほど」

「しかも、ユーミアもそんな感じなんだよなぁ。機械が嫉妬するなんて、店長のGTVだけだと思ってましたよ」

「なっ……最近は機嫌良いぞ?先週マフラー落っこちてったけど」

「ダメじゃん」

ハッハッハと、店長は笑った。

 

それから店長は腕を組み、少しの間考え込む。

「そうだなぁ。まあ……一つ言えるとすれば、女の子ってのは恋愛にはめちゃくちゃ真剣だってことだ。俺らが思っている以上にな」

「どんな感じ?」

「誰かを好きになったら、その人を全てを知りたい、全てを自分のものに……自分だけのものにしたい」

「居ても立っても居られない……」

「そうそう、そんな感じだ」

涼は、脳裏にある言葉を思い出した。

 

“何をしても自分のものにしたくなっちゃうの”

“好きな人のためなら、どんなことでもしてあげたい”

“居ても立っても居られなくなって、気がついたら身体が動いてるの”

 

幼い頃、母が教えてくれた。

好きな人のためなら、手段を選ばない。

何が何でも自分だけのものに……

そう教えてくれた母親だったが、涼は母が誰よりも愛した彼の父の顔を見た事はなかった。

 

「……みんな、そうなのか?」

母の顔を思い出す。

優しくて、年齢より幼く見える可愛い顔で、家事も上手で……

ただこの世で唯一の息子に、異常とも言える愛情を注いだ。

幼少期の涼は、それ故に同年代の友達がほとんどいなかった。

 

深刻そうな涼の表情を察して、店長はポンと肩を叩いた。

「ま!今のは極端な例だよ。少なくとも朝倉さんは、そんな娘じゃあないさ。ただ、きっとものすごく一途なんだろ」

「そ、そうっすよね」

「でもいずれにせよ、どっちつかずはやめた方が良いな。人間てのは、何人も平等に愛せるほど器用じゃないからね」

「どっちつかず……ですか」

その表現が、涼の胸に引っかかる。

しかし、それを振り払い否定する言葉は思い浮かばなかった。

 

涼は紅茶花伝を手に取り、キャップを開ける。

「俺は別に、ユーミアも彼女にしたいわけじゃないですよ」

少しの間を置いて、涼は言った。

「ただ……せめて記憶が戻って元の居場所に帰るまでは、家族として面倒見てやりたいなって。それにここまで来て、今更出ていけなんて……」

ユーミアには記憶も、帰るところも、正規のメイドロイドであるという証明すらない。

A9という機番は、TYPE-SAKUYAシリーズには公式上は存在しないのだ。

「巴はもちろん恋人として好きですよ。だけどあいつと違って、ユーミアは天涯孤独なんだ。親も兄妹も友達もいないですからね」

巴にはこのバルティモアでのバイト仲間がいて、ニライカナイで出会った友達がいて、親代わりの姉がいる。

だがユーミアにはそれはない。

少なくとも今は、涼以外に頼れる者がいないのだ。

「メーカーのサポートだって効くのか分かんないし」

「サービス悪いからね、綾小路系のメーカーって」

店長は、以前店内にある空調設備の修繕で、綾小路系列の電気メーカーと一悶着起こした時のことを思い出した。

「それはともかく、如月くんはホント良い奴だな。朝倉さんみたいな可愛い子が、猛烈に恋しちゃうわけだ」

「それほどでも……」

涼は後ろ頭を掻いた。

 

それから店長は、無言で考え込んだ。

涼からの相談はこれが初めてではない。

しかし、たまには役に立つアドバイスでも……と考えた矢先、彼はあることに気付いた。

「そういやさ、朝倉さんとえっと……メイドロボちゃんは、まだ直接会ったことないんだよね?」

「あんな関係じゃあね」

ユーミアはほとんど外に出歩かないし、涼はまだ巴に自分のアパートの場所を教えていない。

そのうち部屋に呼ぼうと思っていたが、彼女のユーミアに対する気持ちを知ってから、それもできず終いだった。

「ならさ」

 

「あえて二人を会わせてみれば?」

 

「は……?」

店長の突拍子もない提案に、涼は面食らう。

 

「会ったこともないのに、君にとって朝倉さんやメイドロボちゃんが害する存在かどうかなんて、お互い分からないじゃないか」

「だからって……」

店長は人当たりもよく面倒見も悪くない。

が、稀に仕事でもプライベートでも“言うが易し 行うが難し”なことを、平然と言ってのける。

それが彼の短所だと、店長とある程度付き合いの長い者は皆理解していた。

 

「でも、どっちも……とくに巴は絶対敵意剥き出しで来ますよ。修羅場んなるに決まってんじゃないすか」

「そりゃあそうだ」

「そうだ、って……」

当たり前のように答える店長に、涼はため息しかでない。

店長が、自分を取り巻く事態の重さを、いまいち理解してないような気がしてしまった。

 

「だけどな」

しかし、店長の表情は真剣だった。

「どうせこのままじゃ、前以上の爆発が起きるぞ。またどんどん不満が溜まってから会うのと、早いうちに顔合わせしておくのじゃ、全然違うと思うんだけどな」

「……そりゃ、そうかも知んないすけど」

言っていることは正しい。

この先巴と関係を深めていく上で、この問題は解決しておかなければならない。

でなければ、もしユーミアが元の居場所へ帰る時が来ても、涼が巴に抱かせた不満や不信感は残り続けてしまうだろう。

 

それでも、二人を会わせるのは怖い。

会う前から深い亀裂が走っている関係に、とどめを刺すことになりかねない。

 

もしそれで、

巴の気持ちが涼から離れてしまったら______

 

それを考えると、店長のとんでもない案に素直に賛同はできない。

 

「いずれにせよ、決着は着けないと」

しかし、より良い対案があるわけでも無い。

結果がなんであれ、三人で話し合う以外、この問題を終わらせる術はないのも事実だった。

 

「……ユーミアは良い。でも巴にはなんて言えば良いんすか?多分嫌がりますよ」

腹をくくった涼は、店長に尋ねた。

会わせようと決心したところで、どっちかでもそれを拒絶してしまえばどうしようもない。

「簡単にはいかんだろうね。ま、そこは俺からもお願いするよ。言い出しっぺだしな」

店長はあっさりと言ってのけた。

「そうすれば、なんだかんだOKしてくれるだろう」

「……確かに」

巴は、店長のことを父親のように慕っている。

彼が言えばほぼ100%、首を縦に振るだろう。

 

「じゃ、決まりだ」

店長が手を叩く。

「はあ……」

だが涼は、やはり乗り気にはなれなかった。

 

「心配かい?」

「当然でしょ……もし会わせてダメだったとして、店長ならどっちを選ぶ?」

それを聞いて、店長は涼の方を向く。

「どっちを……俺がどっちか選んだら、如月くんはそれに従うのかい?」

「……」

店長は首を横に振る。

「そればっかりは、自分で選ばなきゃ」

「……そうっすよね」

涼は、店長の意見に頼り切ろうとしたわけではない。

 

ただ、心が追いつめられるほどの苦悩を、声に出さずにはいられなかっただけだった。

答えを出さなければいけないタイムリミットが、一気に迫ってきたのだから。

 

ぽんと、店長が彼の肩を叩く。

「……大丈夫だよ。朝倉さん、なんだかんだで誰とでも仲良くできる子じゃないか。メイドロボちゃんも、如月くんの話聞く限りじゃ素直そうな感じだし」

「それは間違いないっすね」

「まあ、一回会ったぐらいでハッピーエンドにはならないだろうけど、きっと分かり合えるさ。苦しいかも知れないけど、気長にな」

「そんな悠長な……」

「良いんだよ、そんな感じで。人生は長いんだし。メイドちゃんにとって如月くんは命の恩人だし、朝倉さんにとっては初めての恋人だろ?二人とも、過保護だったり嫉妬しちゃったりしてるだけだよ。自分の感情を、まだまだコントロールできてないんだよな」

「そんな……駄々こねる子供じゃねーんだから」

涼がそう言うと、店長はふっと笑う。

 

「みんな子供だよ。君も含めて」

 

優しく、どこか安心感を与えるその表情。

 

もし父親がいたのなら、きっとこんな感じなんだろうと、涼はふと思った。

 



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ACT.6 ショー・ダウン

深夜のフェアリーロード______

 

「あん?」

バックミラーに小さな光点が映ったかと思うと、どんどん大きくなる。

近づくにつれ、それが初期型のBMW M3が備える、丸目四灯のヘッドライトであると分かる。

「ちっ」

黒い初期型M3は、涼が誰よりも付き合いが長い知り合いの一人であり、誰よりも嫌いな走り屋の一人だった。

 

一気にアクセルを踏み込む。

ターボチャージャーとスーパーチャージャーが貪欲に大気を吸い込み、1.8LのATR18Sエンジンへと押し込む。

 

四輪が路面を掴み、S4は蹴飛ばされたように加速する。

涼のS4が勝るのは、このダッシュ時の瞬発力だけだった。

 

突き放されたM3が追いすがる。

ドイツツーリングカー選手権(D T M )のレーシングカーと同じ、360馬力にチューンアップされた2.5LのS14エンジンが鋭く吹け上がる。

 

ストレートが終わり、大きく回り込む右中速コーナーが迫る。

 

S4は減速し、コーナーへ飛び込んだ。

アクセルを踏み込む。

 

車体がズルズルと外側へ逃げていく。

 

更にアクセルを踏んでいく。

「……ッ」

ぐいと、鼻先が内側に入っていく。

 

リアタイヤが滑り出すギリギリでとどめ、一気にコーナーを抜けていく。

 

まさに綱渡り。

アンダーステアを出して外側の土手に乗り上げるか、

オーバーステアを出して内側のガードレールを突き破るか。

いつ破綻し、コントロールするか分からない。

 

M3が近づいてくる。

コーナーでのコントロール性は、後輪駆動のBMWに分がある。

 

「クッソ……近づいてくんじゃねえ」

車体をイン側に張り付かせ、M3が前に出れないようにする。

 

ブレイクするギリギリだった。

 

アドレナリンを含んだ汗が背中を伝う。

自分の命を、死の間際に晒すような走りが、逆に自分の生を強く浮き上がらせる。

生きることだけに必死になれる。

 

S4のアクセルを踏み込み、

タイヤがスキール音を上げている時だけ、

俺は何もかも忘れて夢中になれる。

 

コーナーの出口に鼻先が向く。

涼はアクセルを床まで踏み込む。

 

ロケットのように、S4が飛び出していく。

 

フェアリーロードの終点まで、残り1/3。

二台のマシンが、無人の一般道を駆け抜けて行った。

 

 

 

広大な駐車場の真ん中に、デルタS4とM3が並んで停まっていた。

 

「よオ」

M3のドアが開く。

薄紫の髪の男は、涼に笑いかける。

リムレスのメガネの奥で、三白眼が涼の方を向いている。

「またお前かよ」

「ここ最近で、お前とバトれるの俺ぐらいじゃねエか」

「お前と走るんなら一人で流してるほうが良いな」

「ひっでェ」

M3のドライバー、瞬はせせら笑いながら、ジーンズのポケットからウィンストン・キャビンの赤い箱とジッポを取り出す。

タバコを抜き出し、火をつけた。

ジッポーの心地良い金属音が、二人以外無人の駐車場に響く。

 

瞬はこのフェアリーロードを走り回っている、BMWフリークの走り屋の一人だった。

愛車は通勤用ストリートチューンのF80型M3、

サーキット仕様のフルチューンF82型M4、

そしてフェアリーロード用にチューンした、DTM仕様の初代M3のE30。

綾小路系列の警備会社の部長をしているとかで、クルマにかけられる資金は潤沢だ。

 

涼はこの金持ちムーブと、性格の悪さが気に入らない。

が、それでもなんだかんだよく一緒にいる。

 

二人がいるのは、フェアリーランドの第5駐車場。

ランドからは一番遠いが唯一無料の駐車場で、閉園後も特に閉鎖はされない。

そのため、週末は走り屋の溜まり場になり、治安は良くなかった。

二人の足元にも、誰かが愛車でドーナツターンをしまくってできたタイヤ痕が残っていた。

 

「最近、あんま来ねェよなお前。走る場所変えたか?」

瞬は大きく吸い込んだ煙を吐き出す。

「別に。まあ色々あんだよ俺にも」

涼は答えながら目を逸らす。

「さては遂にフラれたか?」

「……はあ、お前ならそう言うと思った」

涼はため息を吐く。

 

涼は簡単に事の顛末を話した。

「で、明日二人を会わせることにしたんだよ」

「いいなァ、まさに今は祭り前夜ってわけだ」

「チッ、死ね」

ニヤつく瞬を、涼は睨みつけた。

こんなクソ野郎だと知っていながら、話してしまった自分には呆れるしかない。

「おもしれえと思うんなら、なんかアドバイスでもくれよ」

「知らねーよ、てめェの痴情のもつれなんざ。ま、なんとでもなんじゃねェの?」

「聞いた俺がバカだった……」

涼は片手で頭を抱えた。

 

しばらくして、フィルターギリギリまで吸い終えた瞬は、吸い殻を足元に吹き捨てた。

「じゃ、がんばってくれよ。女たらし君」

「あばよ、成金野郎」

地面の吸い殻を靴でもみ消し、車に乗り込むとところを、涼は見送る。

 

レーシングマフラーの乾いた爆音が、だだっ広い駐車場に響き渡る。

走り去る黒いM3を、涼は少し笑みを浮かべながら眺めていた。

 

 

 


 

 

 

薄暗いその部屋は、様々なモニターや電子機器、それらに繋がるコード類が並んでいた。

響くのは冷却用電動ファンの唸りと、二人の男女の吐息だけだった。

 

「まだ……A9の消息は掴めないのですか?」

少女は、身じろぎするたびに揺れる胸の果実にブラジャーをあてながら、床の白衣を手に取った青年の背中を見つめていた。

「もう3年以上……手かがりも無し……か」

男は白衣に袖を通すと、無造作に脱ぎ捨ててできたシワをごまかそうと襟を伸ばす。

「しかし、実地試験の内容が紅蓮宮に漏れていたとは……日本からさっさと逃げ出したくせに、何を今更……」

丈の異様に短いメイド服に袖を通し、少女は毒突きながら大きめの丸メガネをかけた。

 

服装を整えると、男はため息をつく

「やれやれ……ここで()()のはよしてくれって言ったじゃないか。この部屋は……」

猫耳のついたカチューシャをつけながら、少女は彼の発言に首を傾げる。

「あら、何を恥ずかしがることがあるのですかぁ?」

ニヤリと笑顔を歪めて見せる。

白い肌、きらめく金色のショートヘアーにサファイアのような青い瞳。

だがその人形の如きを美しさも、絶望的なファッションセンスの前で全て掻き消される。

「このフロアは私達以外、誰も立ち入れないようになっているではありませんか。それに……」

彼女は部屋の中央を向く。

 

高さ2mほどのカプセルがそびえ立っていた。

何本ものコードやパイプに繋がれ、周りに並ぶいくつものモニターが計測機器の情報を映す。

青白いガラスのカバーを通して、一人の少女が穏やかな表情で眠っているのが見て取れた。

白いブラウスから細く華奢な白い腕がすらりと伸び、金色の髪は左右でそれぞれ結われていた。

「幾重にもかけられた封印で強制的にスリープモードに入っているのですから、私達のことは感知しようがありません。それとも、そういうプレイがお好きでしたっけ?」

「……」

男は返事をすることなく、黙って首を横に振った。

呆れの合図だった。

 

「いずれにせよ……」

メイド服の上から白衣を羽織り、絶望的なファッションセンスにとどめを刺す。

「A9は我が人工知能研究所における最強のカード……オールマイティーのジョーカーです」

「あぁ……そうだね……」

「それになにより、あの機体は……分身ですもの。絶対に取り戻して見せます」

 

少女は狂気に満ちた笑顔で男に微笑みかけると、オートロックのドアを開いて部屋を出ていった。

そのドアが自動で閉まり、ロックがかかった電子音が鳴るまで、彼はただ見つめていた。

 

 

 


 

 

 

「ん、わかった。じゃあ行くわ」

巴からの通話を切ると、涼はテーブルに放り出してあったS4のキーを手に取った。

 

「ふう……」

ため息が出る。

付き合ってから初めて、恋人を自分の部屋に招く。

本来ならその日の夜のことを期待し胸が高鳴るものだろうが、彼の心は憂鬱と不安で重く沈んでいた。

「大丈夫ですか?」

ユーミアが心配そうに声をかける。

「ああ、まあ」

涼は曖昧な返事をした。

 

今日は涼にとってのXデー。

ユーミアと巴を対面させる当日だ。

今日の結果次第で、二人との付き合い方が変わる。

 

「じゃあ行ってくる」

「分かりました。お気をつけて」

心なしか、ユーミアも緊張しているらしい。

表情が強張っているように見えた。

「はーいよ」

涼はドアを開け、外へ出た。

 

その時、高圧電流がショートしたような激しい音が部屋に響く。

《マスター……外ハ…………キケン……》

ノイズ混じりの電子音声と化した、ユーミアの悲痛な声が漏れる。

 

だが涼の耳に響くことはなく、部屋の扉は閉じられた。

 

 

 


 

 

 

このアパートに引っ越して数年。

今だかつて、ここまで重苦しい空気になったことはない。

 

巴とユーミア______

 

涼は向かい合って立っている二人を交互に見ながら、このアパートの一室が重圧に潰されないだろうか……などと考えていた。

 

「朝倉 巴です」

「ユーミアです」

不満や嫉妬を浮かべて見上げる巴を、ちょっと優越感を感じているような表情を浮かべるユーミアが見下ろす。

 

なんでちょっとドヤ顔なんだよ。

今んとこおっぱい以外勝ってる要素ないだろ。

 

涼は二人に気圧され、口を開けずにそんなことを考えたりしていた。

 

沈黙______

 

「あの!」

たまらず涼が口を開いた。

二人が同時に彼を見る。

「何?」

「ですか?」

「……とりあえず、座ってくれ」

最も背の高い涼だったが、今の彼の心境は二人を見上げる小人のような気分だった。

 

 

「さてと、それじゃあ……」

「へえ、本当にロボットなんだ」

向かい合わせに座らせるなり、巴がユーミアを睨みつけながら言った。

「お人形さんみたい……って、ある意味本当に人形だもんね」

「朝倉さんの方こそ、お話に伺っていた通りの方ですね。小さくて可愛らしい」

微笑みを崩さないユーミア。

いつもの慈愛の表情が、今日は不敵な笑みに見える。

「それはどういう意味かな?」

早々に地雷を踏まれ、露骨に苛立ちを見せる巴。

「誰かさんみたいに、身体だけ大人びてれば良いってものじゃないと思うんだけどなぁ?」

「身体がお子さまの方に言われても、ユーミアはへっちゃらですが?」

「なんだってえ……」

「コラ!ユーミア!巴も挑発に乗るんじゃない」

涼は、胃がキリキリしてきた。

 

巴は普段は明るい性格だが、案外気が短い。

昔いたパートの主婦に『小学生みたいじゃん』と言われ、大喧嘩した過去がある。

元々嫌われていた人間で、そのパートはそうそうにバルティモアを去ったが、特に体の小ささを責めると涼相手とて容赦はしない。

 

そして思った以上、ユーミアの煽り属性が高かった。

他人と、ほとんど喋らせたことは無かったので知らなかった。

のらりくらりと当たり障りのない受け答えをするかと思っていたのに、いざ言い合いをさせるととことん煽り出したので、涼は困惑していた。

 

このままだと、二人で掴み合いの喧嘩になるかもしれない。

それだけはマズイ。

涼は初対面の険悪さから、最悪の事態を想定した。

 

 

 

だが______

 

 

 

 

「わかる!先輩のほっぺた、意外とプニプニなんだよね」

「はい!ユーミアも、マスターがお休みの間につい……」

「何それずるーい。ボクなんてたまにしか触らせてもらえないのにー」

「……え、あれ?」

気がつくと、巴とユーミアは涼の話題で仲良くお喋りしていた。

ついさっきまで一触即発の雰囲気だったのに、すっかり友達のようになっている。

 

最初はいがみ合っていたが、段々共通点を見つけて話が合ってきた。

最悪、殴り合いのケンカになるのも覚悟していただけに、ほんの数時間で仲良くなった二人に、涼は喜びを超えて困惑していた。

 

「それじゃ久しぶりに、あ!前よりプニプニ!」

「そうなんです。ユーミアが来た頃より柔らかさが増しているのです」

「そうだよね!なんか先輩……太った?」

二人で涼を挟み、互いに頬を摘んで遊び始める。

「ちょっとユーミアさん?あまり美味しいものばっかり食べさせて、太らせようとしてるでしょ」

「ユーミアはマスターの健康管理には気を遣っています。巴さんこそ、マスターの好き放題に食べさせているのでは?」

「そんなことないもん!たまにスイーツとか食べてるだけだもんねー?」

「……まあ」

実際はこっそり買い食いしていたが、黙っておくことにした。

「……そういう巴だって、なんか最近重くなってねえか?」

「なっ……ちょっとぉ!体重の話は乙女に失礼だよぉ!?」

巴の、涼の頬を更に引っ張る。

「そうですよマスター。今のはデリカシーに欠けていると思います!」

ユーミアも更に引っ張る。

「い、いらい!ふ、ふひあへん!」

「全く」

「もう」

ユーミアと巴が手を離す。

ぺちんと、涼の頬が元に戻った。

 

「そうだユーミアさん!話は変わるんだけどね……」

急速に良い関係を築いていくユーミアと巴。

最初は困惑していた涼も、その姿に素直に安堵していた。

『会ったこともないのに、分からないじゃないか』

店長の言う通りだった。

実際は修羅場になるどころか、仲の良い友達同士になっている。

まさに、涼は肩透かしを食らったのだ。

 

 

 


 

 

 

「だけど……今日は、ユーミアさんに会えて良かったよ」

三人で他愛のない話で盛り上がり、気がつくと外は日が沈みかかっていた。

 

「ごめんなさい。ボク、ずっとユーミアさんのこと勘違いしてた。なんていうか、もっと無機質で融通が効かないって、勝手に思い込んでて……」

「良いんですよ、巴さん」

申し訳なく俯く巴に、ユーミアは優しく微笑んだ。

「ユーミアも、巴さんのことを誤解していたようです。てっきり、わがままでマスターを困らせてばかりいるのだとばかり……」

「ごめんな二人とも。俺も、もっと上手く話せればよかったんだけど」

涼も申し訳なさそうに言った。

 

イメージを植え付けた責任は、お互いの事を言葉づてに伝えていた自分自身にあった。

少なくとも、涼はそう思っていた。

 

とはいえ、なんやかんやで互いの誤解を解くことはできた。

 

これからは、三人で良い関係を築いていける。

「それに、お姉ちゃんに言われたの……」

しかし、巴の言葉でまた雲行きが怪しくなった。

 

「え……」

「ユーミアさんには……綾小路のロボットには近づくなって」

巴が頷く。

「このままじゃ、先輩にも良くないはずだから……だから、付き合っていたいなら、メイドロボを手放せって」

「そんな……」

ユーミアが気まずそうに俯いた。

「奏さんが?」

「うん」

「奏さん?」

「うん、巴の姉さん。世界的な人形職人、朝倉 奏」

涼はユーミアに奏の事を少し説明した。

 

「______っ!?」

 

その名を出した途端、電気がスパークしたような音と共に、ユーミアがうずくまる。

「ゆ、ユーミアさん!?」

「大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です……どうか、お気になさらず」

頭を押さえながら、ゆっくり立ち上がる。

 

「だけど、どうして奏さんが……」

「分かんない。理由はちゃんと話してくれなくて……でも、どうしてもボクは先輩と一緒にいたいから、だから、つい……」

 

あの日、必死になってユーミアを罵倒する巴。

ユーミアに涼を盗られたくないという感情より、家庭の事情で離れ離れになるのを、巴は恐れていたのだ。

 

「だけど、今日実際に会って決めたよ。ボク、ちゃんとお姉ちゃんを説得するよ」

巴は顔を上げる。

「もちろん、先輩の恋人はボク!だけど、先輩の家族を蔑ろにするのは、やっぱり良くないもんね」

「そうだね」

「だから、これからよろしくね!ユーミアさん」

その言葉に、ユーミアは満面の笑みを浮かべた。

「はい!ありがとうございます!」

二人は抱き合った。

「えへへ、今日はありがとう」

「こちらこそ」

 

抱き合う二人を、涼は優しく見守った。

 

しかし、三人の関係を改善する、その道のりがより険しいものだと涼は理解した。

 

愛する人のために、手段は選ばない。

そういう人間が、少なからずこの世界にはいる。

 

今の涼には、奏がそういう人間でないことと、その魔の手が伸びてこない事を祈るばかりだった。

 



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