GOD VEIN-ゴッドヴェインー (かり~む)
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1.外の世界
1:Welcome back.


「――――お帰りなさい」

 

 青年が目を開ける。

 

 一人の少女が自分を見下ろしていた。

 あまりに白すぎる肌。月のような銀髪。そして琥珀色の瞳。

 

 触れればガラス細工のように折れてしまいそうな。瞬きする間に空気に解けて消え去ってしまいそうな。そんな印象を与える少女だった。

 

 青年は自分の名前も覚えていない。少女が誰かも分からない。

 

 それなのに。

 何故だか、涙が出そうになった。

 

(ここ、は)

 

 青年は眼球を緩慢な動作で回して、少女とその周囲の景色を視界に収める。少女の背中越しには朽ちたビル群があった。どうやら自分は廃墟にいるようだ。もっと言うなら、少女に膝枕される格好で。白い少女は不安げに眉を寄せ、問いかけてくる。

 

「気分は、どうですか」

 

 乾いた唇を開く。何年も声を出していないかのように、擦れ、ざらついた声だった。

 

「……あぁ、悪くないよ。………イ…オ(・・)

 

 ―――イオ。その名前は自然と口に出せた。

 

 少女の名前を口に出した瞬間、青年の脳内に数多の単語とそれに付随する情報が、火花のように駆け巡る。欠損した記憶のピースが急速な勢いで埋まっていく。

 

 ―――大崩壊。

 世界は終わった。突如地面を突き破って現れた無数の審判の棘は、有史文明をズタズタに引き引き裂いた。

 

 ―――バケモノ。

 大崩壊の直後に現れた、そう呼称される謎の生命体により生き残った人々も次々と喰われていく。

 

 アポカリプス。世界の終わり。ノアの大洪水に続く、人類の2度目の絶滅。こうして、人類の命脈は、絶たれた。

 だが、ヒトはまだ生きている。

 

 それは神から与えられたノアの箱舟によってではない。神は祈りに応えなかった。故にこそ、人は自らの意志で知恵の実を齧り、サタンに魂を売ったのだ。

 

 ―――吸血鬼(レヴナント)

 次と次と降りかかる災禍を前に、人は人であることを捨てた。

 心臓にBOR寄生体を宿すことにより、人は不死身の怪物と成り果てた。そして、その力をもってして周囲のバケモノを駆逐した。

 

 ――――Q.E.E.N計画。クイーン討伐戦。赤い霧。ヴェイン。シルヴァによる統治。血涙。神骸の継承者たち。

 

 数多の記憶が青年の脳内を駆け巡る。その中には自分の名前もあった。

 

 ―――ナナシ。

 

 それが自分の名前だ。当たり前だが、本名ではない。

 

 ナナシは一度記憶の殆どを欠損し、自身の名すら忘れてしまったことがあった。その際、便宜的に名付けた呼び名が『ナナシ』だった。普通ならもっと洒落た呼び名を付けるのだろうが、生憎ナナシはその手のセンスが皆無だったし、当時のイオも「その名前は少し味気ないですよ」なんて言ってくれるような人間性は有していなかった。

 

 既に記憶の大部分は取り戻し、人間時代に名乗っていた本当の名前はちゃんと頭の片隅に入っている。

 

 しかし、気づけばナナシの方がしっくりきており、記憶を取り戻して以降もこの名前でヴェインでは通している。

 

(……いいや、それだけか? 俺がナナシって名前を選んだ理由は―――?)

 

「っ」

 

 余りの情報量に脳が悲鳴を上げたのか、ずきずきと頭の内側から痛みが響いた。眉を顰めたナナシを心配してイオが顔を寄せる。

 

 その動作で彼女の豊かな肢体が揺れ、青年はそれをつい目で追ってしまいそうになるが、何とか自制した。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない」

 

 嘘だ。

 体調は最悪だ。

 

 頭は痛い。喉は乾いた。身体は重い。思考は緩慢だ。恐らく『血』が足りていない。

 

 だけど、気分は本当に悪くなかった。イオとまた(・・)出会えたのだから。

 

(―――また?)

 

 自分の言葉に自分で疑問を持つ。しかし、その思考を深堀する前にナナシは急激に勢いを増した飢餓感に襲われた。

 

「っっ!!?」

 

(……血が、かなり枯渇しているな)

 

 吸血鬼は不死身の存在だ。人を超えた力を持ち、歳をとることもなく、心臓を潰されなければ死ぬこともない。食料すら摂る必要もない。しかし、代わりに人間の血を定期的に摂取しなければならなかった。

 

「こちらです」

 

 イオに支えられ、ナナシは立ち上がる。歩き出そうとするが、四肢は鉛のように重く、上手く力が入らなかった。同時に全身の血管を内側から針で刺されたような激痛が継続的に襲ってくる。

 

「大丈夫です。ゆっくりで、構いません」

 

 イオに支えられながら、ナナシは真っ白な木の元に導かれた。

 

 ―――血涙の泉。

 人の血の代替物である血涙を実らせる純白の樹だ。

 

 ヴェインの中で暮らす人間の数は限られており、自ずとヴェイン内を出回る血液の量にも限りがある。故に吸血鬼の多くは血涙でその飢えを満たすのだ。

 

 血涙の泉には、石榴にも似た形の木の実が幾つか実っていた。ゴム質の透明な外皮で作られており、中は血液そっくりの真っ赤な液体で満たされている。

 

 ナナシはそれを飲み干し、息をゆっくりと吐きだした。飢餓感が少しずつ落ち着いていく。

 

「大丈夫。わたしがついています」

 

 イオがそう、優しく告げる。ナナシはイオの膝の上で、ゆっくりと微睡に墜ちていった。

 

 

 再び目を覚ますと、やはりナナシは廃墟にいた。審判の棘が大地と建物を引き裂いた、ヴェインではありふれた光景。

 気分はだいぶ良くなっていた。思考は先ほどに比べるとずっとクリアだ。ナナシは傍らのイオに言う。

 

「……お前と初めて会った時を思い出すな」

「ええ」

 

 イオは抑揚の薄い声で答えた。しかし、決して感情がこもっていない訳でない。声のトーンと僅かな表情の変化から、イオも昔を懐かしんでいることがナナシは分かった。

 

「あの時は、貴方もわたしも、お互い何一つ覚えていませんでしたね。わたしが覚えていたのはイオという名前と貴方に寄り添う使命だけでした」

「ああ。俺は名前すら覚えていなかった。本当に、懐かしいな。遠い昔のように感じる」

 

 あれから、一体どれくらいの年月が流れたのだろうか。ナナシは思い出せない。

 

 吸血鬼の多くは人間であった時と比べ、時間の流れに対して鈍感になっていく。吸血鬼になると見た目が殆ど変わらず、またヴェイン内も風景の変化が乏しいせいだろう。

 

 ヴェインは変わらない。

 いつだっても渇ききっていおり、いつだって緩やかに滅びへ向かっている。

或いは大崩壊の日にとうに世界は滅んでいたのかもしれない。ヴェインはその滅んだ世界を無理やり繋ぎ留めているだけなのかもしれない。少なくとも、大崩壊以前の世界で暮らしてた人間をタイムマシンか何かでこのヴェインに連れてくれば、十人中十人が「世界は滅んだ」と断言するだろう。

 

「…何年経とうがここは廃墟ばかりだ」

「何処も皆乾いていますね」

「ああ。雨なんて何年も見ていない」

「雨?」

「……イオは見たことがなかったな。大崩壊前はよく空から水が降ってきていたんだ」

「それは…大変ですね。濡れてしまいます」

「だけど、雨のおかげで植物は育つ。ヴェインに草花がないのも雨が碌に降らないからだろうな」

「花……。それも見たことがありません」

「……そうだったか?」

 

 そういえば、とナナシはかつての上官であるジャックらと共にとヴェイン内に封印されたバケモノ退治に向かった時のことを思い出す。

 

(雷帝が封印されていた場所には少しだけど花が咲いていたな。地下水のお陰だろうか。あの時はイオはいなかった)

 

 そこでナナシは疑問を抱いた。

 

(……あれ。どうしてイオはいなかったんだ?)

 

 その時、地響きにも似た太く低い獣の咆哮が廃墟に響いた。それを聞いて傍らのイオが目を細める。

 

「イオ?」

「申し訳ありません…。思ったよりも時間がありません。そろそろ出発を。『ここ』を抜け出さなくては」

「ああ、もう体は十分に休まった。そろそろ行くか」

 

 言いながらナナシは立ち上がった。

 

(俺はここに来るまで何処にいた? 何をしていた?)

 直前の記憶は曖昧だ。

 自分について、世界についての知識もちゃんと思い出した。なのに、どうして今自分が此処にいるのかは思い出せない。

 

 まるで夢の中(・・・)にいるような浮遊感にも似た感覚は何だろうか。目の前のイオに尋ねれば、答えは分かるのか。

 

「………」

 ナナシは無言のまま、自身の武器である『女王討伐の片手剣』を手に取る。

 

 ナナシは胸中の疑問を飲み込んだ。聞けば、何かかが終わってしまう様な気がしたから。もう少し、夢に浸っていたかった。

 



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2:Good luck. I’ll see you later.

 かつては人の繁栄と営みの中心であり、今はその面影を微かに残すヴェインの『崩壊都市・市街地』。それに酷似した街並みをナナシとイオは歩いていく。

 

 乾いた大地、朽ちたビルを貫く審判の棘。それらを横目に見ながら、ナナシ達は足を止めた。

 

 ひび割れたアスファルトの上に捨て置かれた自動車、ナナシとイオと陰になる位置から獣にも似た唸り声が微かに聞こえる。

 

 

墜鬼(ロスト)がいますね」

 

 イオが囁くように言う。

 

 墜鬼(ロスト)――吸血鬼のなれの果て。人の血と血涙を長期間接種できなかった、或いは墜鬼(ロスト)の発する瘴気に飲まれた吸血鬼はその体を変異させ、理性なき墜鬼(ロスト)へと墜ちる。

 

 墜鬼(ロスト)は本当の意味で不死の怪物だ。吸血鬼と言えど心臓を潰されれば、灰となり死を迎える。しかし、奴らは違う。例え心臓を潰され灰となろうとも、長い時をかけながら、再びその体を再結合させ蘇る。

 

「ああ、迎え撃つぞ」

 

 ナナシは右手の『女王討伐の片手剣』の柄を強く握りしめた。1体だけではないだろう、恐らく6体か7体は近くに潜んでいる。自分たちは彼らの縄張りに入り込んでしまったようだ。

 

 ナナシはアスファルトの上を駆けだした。

 

 車の影に潜んでいた墜鬼(ロスト)を視界に収める。片手剣をもった墜鬼(ロスト)だった。肌はタールのように真っ黒だが、フォルム自体は比較的吸血鬼であった頃の原型を留めている。

 

 墜鬼(ロスト)がナナシに気づいて剣を振りかぶるが、既にナナシの剣は敵の胸元に叩き込まれていた。肩口から入りこみ身体を斜めに横断する、人であれば確実に絶命する一撃。いや、吸血鬼であっても致命傷となるだろう。

 

 しかし、墜鬼(ロスト)はまだ生きていた。

 

「グガァ!!」

 

 と吠えながらナナシに向かって剣を力任せに振り下ろす。ナナシは地面を転がり、剣をすり抜けるように回避する。ガァン!!と墜鬼(ロスト)の剣がナナシを空振り、アスファルトを砕く。

 

 ロストの再生力は吸血鬼を遥かに凌ぐ。

 

 生半可な攻撃は致命傷にはならない。

 例えダメージを与えたとしても、すぐさま傷を塞いでしまう。とはいえ、無限に再生する訳ではない。先ほどナナシが与えた一撃も見た目は綺麗に完治しているが、確かに再生力の残量を削り取っている。

 

 ―――如何に自分の心臓を守りながら敵の再生力を削り取るか。

 墜鬼(ロスト)との戦いとはそれに終始する。

 

 

 地面を転がり、墜鬼(ロスト)の攻撃を回避したナナシは、その背後に回り込む。

 

 墜鬼(ロスト)が振り向くよりも先に、その背中、正確には心臓がある位置に向かってナナシは手をかざす。

 

 バチイイ!!!と墜鬼(ロスト)の身体に赤い電流が奔り、その全身を痙攣させる。無防備な心臓に直接錬血を流し込み、その動きを止めたのだ。謂わば、電気ショックのようなものである。

 

 大きな隙を晒す墜鬼(ロスト)を前に、ナナシは自身の右腕の『吸血牙装:オウガ』を展開させる。

 右腕が数舜の内に黒い帯で覆われていき、敵を穿つ巨大な爪を形成される。勢いよく腕を振りかぶり、光を飲み込むような漆黒の爪をナナシは叩き込んだ。墜鬼(ロスト)の強靭な外皮を穿ち、その肉体の内側の心臓を握りこむ。

 

 バキメキゴシャァ!!

 骨の折れる音と血液の粘着質な音を響かせながら、ナナシは容赦なく心臓を握り潰した。

 

 ……当たり前だが、手足の十回二十回切り刻むよりも心臓に一撃大きなダメージを与えた方が、墜鬼(ロスト)の再生力を削ることができる。

 

 もっとも、墜鬼(ロスト)の固い外皮を貫くためには吸血牙装を直接心臓のある胸元に叩き込む必要があるし、その為にはこちらも大きな隙を晒す必要がある。事前に外皮の薄い背後から心臓に錬血を流し込み、その動きを止めなければ確実に回避されるだろう。俗に言う、バックスタブを行う必要があるが、どんな状況でも確実に成功できるわけではない。

 

「ガ、ガァァ!??」

 心臓を潰され、再生力をすべて削られた墜鬼(ロスト)は呻きながら燐光を放つ灰と消えていく。

 

 そんなナナシの背後に向かって、別の墜鬼(ロスト)が突進する。

 

 ナナシは振り向きもしなかった。

 イオが錬血ライトニングソーンを放つのが分かっていたからだ。大気を焦がしながら飛来する紫電の塊は墜鬼(ロスト)を飲み込み、一撃で灰と変えた。

 

 相変わらず凄まじい威力だ、とナナシは苦笑した。

 

「ありがとう」

「いえ。……増えてきましたね」

 

 ぞろぞろ、と街の影から数体の墜鬼(ロスト)が現れる。

 ナナシは眉すら動かなさなかった。ただ、作業のように墜鬼(ロスト)を処理していく。

 

 ナナシは歴戦の吸血鬼(レヴナント)だ。クイーン討伐戦の功労者でもあり、かつては血骸の継承者だった。その身から神骸は既にないが(・・・・・)、並みの吸血鬼や墜鬼(ロスト)とは一線を画す戦闘能力を持つ。

 

 イオもまたその出自故に、吸血鬼(レヴナント)としては最上位の力を持っている。『神骸の継承者』に寄り添う為、クイーンであったクルスの血英から産まれた彼女は『神骸の伴侶』であり、吸血鬼と言うよりはむしろ『干上がった海溝』の継承者が生み出した『守護者(ガーディアン)』に近い。

 

 そんな二人にとっては、この程度の墜鬼(ロスト)はものの数ではなかった。

 

(……待て、俺はもう血骸の継承者ではない、だと?)

 

 ナナシは自身の思考に違和感を覚える。

 

(………自分の身体から血骸が失われたという情報(・・)は覚えてる。だけど、その経緯が思い出せない。そうだ、俺は暴走したシルヴァを止めるために臨時総督府に向かって、それで?―――)

 

 イオと共に廃墟を探索するナナシの脳裏には別の光景が浮かんでいた。

 

 古城の如く変貌した臨時総督府。そこで出会った神骸の伴侶たち。その最深部、歪んだ血の牢獄。邂逅した変わり果てたシルヴァ、いや『髄骸の王』。その肉体を母体として、過剰な数の神骸が暴走して産まれた『再誕せしモノ』。それを鎮めるために、ナナシは自身の身体を人柱として捧げる筈だった。

 

 そして。

 

 

 そして。

 

 

 

 ――――『大丈夫』。

 

 そう囁いたのは、一体誰だったか。

 

「あのビルに入ります。屋上が貴方の目的地です」

「あ、ああ……」

 

 イオに促されるがまま、朽ちたビルの内部に入る。ビル内の墜鬼(ロスト)を処理しながら、屋上を目指す。階段を上り切り、鉄製の扉を蹴破って屋上に到着する。

 

 

「………は?」

 

 

 ――――世界が夜に変わっていた。ビル内にいたのは精々10分程度だ。明らかに時間の流れがおかしい。

 

「っなッ!?」

 

 

 間髪入れず、ビル群が砕けた。アスファルトが砂へと変わり、審判の棘がバラバラになりながら地の底に落ちていく。

 

 

 世界が崩壊していく。

 大崩壊さえ超える、世界の終わり。

 

 気づけばヤドリギに酷似した純白の樹の根で編まれた一本の道が、ナナシの目の前にあった。それは螺旋を描きながら天へと続いていく。

 

「どう、なっている? いくらヴェインと言っても、こんな…」

「……今は先に進みましょう」

 

 崩壊していく世界から逃げるように、イオと共に空へ空へと階段を駆け上がる。

 

 下を見ると、廃墟の街並みは殆ど塵へと変わっていた。螺旋階段の下方部分も、分解され始めている。

 

 そして辿り着いたのは、巨大な円形の空間。床にはやはり、ヤドリギに似た純白の材質だ。その円形の空間、ナナシ達の対角線上に一本の道が続いていた。その道の先に光が見える。

 

「アレが出口です」イオが言う。

 

「イオ……ここは……俺は、いやお前は……」

 

 ナナシはイオに視線を向ける。

 記憶は未だ、欠落している。だが、こうしている間にもナナシの脳内には多くの光景がフラッシュバックし続ける。

 

 ―――仲間たちと共に深層に封印されたバケモノに挑んだ光景。

 

 ―――カレンやアウロラの血涙増産計画に被検体として協力した光景。

 

 そこに、イオはいない。

 ある記憶―――臨時総督府で『再誕せしモノ』に挑んで以降、イオはそこにいない。

 

 いつだって、ナナシの傍らにはイオがいた筈なのに。彼女はナナシの『伴侶』だった筈なのに。

 

 イオは微かにほほ笑んだ。哀しい笑みだった。

 

「GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 獣の咆哮が響いた。

 地の底から翼を持った巨大な四足の獣が飛行し、ナナシ達の前に着陸する。

 

 獅子にも似た漆黒の身体。しかしその顔面は壮年の人間の男性のものだ。

 

「大崩壊のバケモノ……!」

 

 かつてミドウが棺の塔で見せたあのバケモノだった。

 姿形はかつてジャックらと共に対峙した封印されしバケモノ、雷帝に似ている。しかし、そのプレッシャーは雷帝の比ではない。

 

 何故ならば、

 

(これがヴェインの外で吸血鬼を超える進化を遂げた全てを喰らう本物のバケモノ、か!!)

 

 

 漆黒のバケモノが動いた。

 その爪をナナシは正面から受け止める。悪手だったことにすぐに気づく。バケモノの怪力により、バキバキイ!!と足場が凹む。バケモノと力比べをするべきではなかった。

 

 イオがライトニングソーンを放ち、注意を逸らす。バケモノの頬に紫電の塊が激突し、力が緩んだ瞬間、ナナシは脱出する。バケモノの股下をすり抜けるように地面を転がりながら、すれ違いざまにバケモンの後足を剣で切り払うが、ダメージは薄いようだった。

 

 バケモノはその巨体に見合わぬ運動性で方向転換し、背後のナナシをその黒爪で叩き潰そうとする。咄嗟にそれを回避するが、爪の切っ先が肩の肉を抉り、思わず舌打した。

 

「ちぃッ!!

 

「時間がありません……!」

 

 イオが焦ったように言う。もとよりナナシも時間をかけるつもりはない。

 

(そうだ。前回(・・)はこのバケモノ相手に様子見を選択したせいで敗北した。血を失い、ジリ貧となって、最期は心臓を貫かれ(・・・・・・)谷底に落とされた)

 

 同じ轍を踏むつもりは、ない。

 

 しかし、

(反撃のタイミングが無い! この巨体で何て速さ!)

 

 バケモノは鋭利な翼をまるで刀剣のように振るう。空間自体を断裂するかの如く、広く鋭い斬撃。それを態勢を低くして避けながら、ナナシはバケモノから距離をとった。

「イオ!」

 

 ナナシの意をくみ取った間髪入れず、イオが前に出てバケモノの相手を担当する。お互いの位置を入れ替える。これで僅かに時間が確保できた。

 

 

 ナナシは自身の胸に手を当てた。

 

 

「――――ラスト、ジャーニー」

 

 ドクン!!!!!!と、ナナシの内側で何かが跳ねる。自身の中心…BOR寄生体とそこから流れ出る血流、細胞の一片一辺が悲鳴を上げながら限界を超えて駆動し始める。

 

 

 ナナシは地面を蹴った。

 先ほどとは比べ物にならない、まるで地面を滑べるかのような疾走。

 

 一瞬でバケモノの眼前に躍り出ると、顔面に強烈な一閃を放つ。バケモノは呻きながら、ナナシを攻撃するが、そこには既にナナシはいない。逆に攻撃後の隙を晒したバケモノの肩口を切り刻む。

 

 バケモノは堪らず空中へと逃げ出した。紫電の雨を大地に振らせるがナナシはそれら全てをステップで避けながら距離を詰める。着地したバケモノにステップの勢いを利用した更なる追撃を加える。片手剣の切先がバケモノの喉へと深々と突き刺さった。

 

 先ほどまでとは、比べ物にならない速度と膂力。

 これこそがナナシの錬血:ラストジャーニーの力だ。

 

 心臓のBOR寄生体を限界を超えて駆動させ、自身の能力を飛躍的に高める。濁流の如き勢いで流れる血液は通常時とは比べ物にならない速度を実現し、無意識化のリミッターを外した筋肉は吸血鬼の枠を超えた膂力を成立させる。

 

 勿論そんな無茶をすれば血管は裂けるし、筋肉は断裂する。数秒動いただけで戦闘は続行不可能となるだろう。ならば、異常駆動したBOR寄生体により傷ができる前から治癒すればいい。

 

 当然リミットはある。

 

 一分。

 それがラストジャーニーの限界。

 

 一分を超えると、BOR寄生体は自己保存機能によりナナシの身体を霧散させ、その生存を図る。

 

 

「お、おおおおおおおおお!!!」

 

 

 ここが攻勢と見たイオも距離を詰め、斧槍を振るう。

 

 

 切り刻む。

 

 

 

 切り刻む。

 

 

 

 切り刻む。

 

 

 その度にナナシの脳内には様々な光景がフラッシュバックする。

 

 

 ―――『大丈夫』

 ―――『私は貴方の傍にいます』

 ――ー『私の心の中に貴方がいるように』

 

 

「GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」

 

 

 ――『だから』『さようなら』

 

 

 最後の足搔きとしてバケモノは、巨大な黒爪をナナシに振り下ろす。

 

 

 それを展開したオウガで受け止め、バケモノの体勢を崩す。パリィの成功だ。ラストジャーニー中ならば、ナナシの膂力はバケモノに引けをとらない。

 

「これで、終わりだ……!!」

 

 大きな隙を晒したバケモノの醜悪な顔面に向かって、ナナシはオウガを叩き込む。固い外皮を穿ち、貫き、握りつぶす。

 

 そしてバケモノは沈黙した。その体躯は霧散し、崩壊する世界に溶けていく。

 

 

「………」

 

 ナナシは全てを思い出した。

 

 なぜある記憶を境にイオは傍にいないのか。自分は『誰』の意志を継いで、外の世界を救おうとしたのか。

 

 答えは決まっている。

 

 ―――イオは、もう、いない。

 

 だからこそ、自分が彼女の意志を継ごうとした。ヴェインの外の世界に足を踏み出した。そして、漆黒のバケモノに敗北し、心臓を貫かれ谷底に落とされ死亡した。

 

 ならば、今ここにいるナナシは何だ? この世界は?

 

 全てはナナシが死の淵で見ている走馬灯のようなものなのか。それもある意味答えに近いだろう。

 

 だが、正解ではない。

 

 ここは、きっと

(俺の血の中、記憶の世界だ)

 

 本来ならば、ナナシは死んでいた。血骸を失った自分に、かつての再生能力はない。

 

 だが、ナナシにはイオから受け取った琥珀色の血涙がある。あれは神骸に極めて似た素材と力を有しているとアウロラたちが言っていた。だからこそ、こんな現象が起こったのか。

 

「間に合いましたね。流石です」

「……ああ。お前のお陰だ。イオ」

「ありがとうございます」

 

 イオは視線で出口を指示した。きっとあそこは外の世界に繋がっている。イオのいない外の世界に。

 

「行こう」

 ナナシはイオの手を握って、歩き出した。

 

「あっ……」

 しかし、イオの手は道の道中ですり抜ける。

 

「花、いつか見たかったです」

「イ、オ…」

 

 ナナシはイオが自分で手を放しのだと思った。だが、違った。ナナシとイオの間には見えない透明な壁があった。ナナシはその壁を通り抜け、イオは壁を弾かれた。

 

「なんだ、これは…! クソっ!?」

 

 ナナシは拳を叩きつけるが、壁はびくともしない。

 

 生者と死者を分かつ彼岸の如く。決して覆せない摂理がそこに横たわっていた。

 

 イオは微笑んでいた。

 

「……わたしは覚えています」

 

 哀しそうに、だけど、微笑んでいた。

 

「貴方と一緒に初めて外に出た時に感じた、胸のざわめきを。眠っている貴方を一目見た瞬間、胸が暖かくなったことを。貴方と共に過ごした時間は決して永くはありませんでしたが、私にとっては忘れることのできない…大切な思い出でした」

 

「……俺も覚えている。俺にとってもそうだった…!」

 

「良かった。本当に良かったです。良い、答え合わせですね」

 

 ナナシの頬に触れるようにイオは手を伸ばす。しかし、それは叶わない。2人の間には決して超えることのできない壁がある。

 

「そして、また貴方と会えた。ほんの短い間でしたが、また言葉を交わし共に戦うことができた。私にはそれで充分です」

 

「……本当にもう無理なのか。ここから2人で出る方法はないのか…っ!」

 

「ごめんなさい」

 

「やっと、また、お前と会えたのに……」

 

「大丈夫。私はいつでもそばにいます。どうか忘れないで」

 

 イオのすぐ背後の足場も崩れ去ってきていた。時間はもう残されていない。この崩壊に飲まれると、自分は本当に死ぬのだろう。

 

 

 己の為すべきことは分かっている。その意思もある。

 

 でも、だけど。

 

 少しだけ、歩き出すまでの時間が欲しかった。

 

 ナナシは目を細めた。

 

 目の前の少女の姿を決して忘れぬように。何度死しても記憶から取りこぼさないように。イオの微笑みを脳裏に刻み付ける。

 

「ああ、行ってくる」

 

 ナナシは踵を返した。光に向かって歩いていく。光が自分を飲み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その吸血鬼(レヴナント)は心臓を穿たれていた。

 

 

 死の一歩手前。身体が灰となる数秒前。

 

 

 突然、胸元が輝いた。

 

 その吸血鬼(レヴナント)がある意味己の命以上に大切にしていた琥珀色の血涙だった。それは砕け、粒子となり、心臓に入り込み、破損したBOR寄生体を埋め合わせる。バケモノの翼を介して毒のように体を侵していたオラクル細胞すらも駆逐する。

 

 

 

 ドクン……ドクン、ドクン、と心臓が再び鼓動を刻む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、ナナシは瞼を開けた。

 

 白い少女はいなかった。ただ、荒廃した世界があるだけだった。

 

 

 それでも、ナナシは聞こえた気がした。幻聴かもしれない。気のせいかもしれない。

 

 

 

 

 

『―――ええ、いってらっしゃい。ナナシ』

 

 

 ナナシ。

 

 イオは自分をそう呼んだ。だからこそ、彼は己の名をそう定めた。

 

 

 

 刃毀れした『女王討伐の片手剣』を地面に突き刺す。

 それを支えとしてナナシは立ち上がる。

 

 軋み、震え、悲鳴を上げる身体に鞭打って。血反吐を吐きながら、立ち上がる。

 

 

 

 生きろ、死して尚。

 

 いつか世界(みんな)を救うために。いつかすべてを覆すために。

 

 

 

 そして―――闇の住人は蘇る。

 

 

 




これでプロローグは終わりです。
次回からGEの物語に合流します。

次回「3:蒼穹の月」。


感想・アドバイスはすごーく励みになります。お気軽にどうぞ。


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3:蒼穹の月

 ―――神薙ユウはよく空を見る子供だった。

 

 

 空が好きな訳ではない。

 ただ、世界を見たくないだけだった。

 

 だって、目線を下ろして世界を見渡すと、そこは『食い残し』だらけだから。アラガミによって世界は食われたが、彼らは決してお行儀よく食事をした訳ではない。

 

 この『贖罪の街』のビル群を見れば一目瞭然だろう。虫食いのように、ビルには丸い穴がいくつも空いている。

 

(いっそ、全部食べてくれたら良かったのに)

 

 中途半端に残っているからこそ、どうしようもなくかつての繁栄を思い起こさせる。もっとも、神薙ユウはアラガミ出現以降に産まれた子供であるため、『食い残し』のない完全なアーカイブでしか世界を知らないが。

 

 そんな子供たちの大多数は、アラガミに食い残された世界を見てもなんとも思わない。彼らはそんな世界で産まれ、そんな世界で育った。虫食い状態の世界こそが子供たちにとっては、当たり前の日常だった。

 

 ただ、神薙ユウは少し違った。

 

 ―――このビルにはどんな店が入っていたんだろう。

 ―――店にはどんな人が働いていたんだろう。

 ―――彼らの性別は? 人生は? どんな最期を迎えた?

 

 そんなとりとめのないことを考えて、少しだけ、悲しくなる。

 

 とどのつまり。

 神薙ユウは他より少しだけ『感じやすい』子供だった。

 

 そして、それを自分でも分かっているから、神薙ユウは空を見る。

 

 青い空。

 白い雲。

 

 『食い残し』なんて何処にもない、何万年も変わらない空。それを見てると、頭が空っぽになって落ち着く。

 

「新入り、リラックスしてるみたいだな」

 

 声の方向を見る。

 

 二十代半ばの黒髪の青年、雨宮リンドウが神機を携えてこちらに歩いてきていた。リンドウは神薙ユウが配属されたフェンリル極東支部第一部隊隊長、つまりユウの直属の上司にあたる。

 

「うん、よろしく」

 

 言った傍から、ああ失敗したなぁ、とユウは思った。

 

 ユウの口は性能が余り良くない。

 

 凡その場合、自分が言おうとした言葉よりもぶっきら棒で短い言葉が発せられる。今だって、本当ならもっと丁寧な言葉遣いをするつもりだった。

 

 まあ、表情筋はちゃんと仕事してくれたので良しとしよう。

 

「お、若者らしい良い笑顔だな新入り! さーて、今日は新型2人とお仕事だな。足を引っ張らないように気を付けるんで、よろしく頼むわ」

 

 ユウの傍らの少女が口を開く。

 

「……旧型は旧型なりの仕事をして頂ければいいと思います」

 

 ユウと同じフェンリル極東支部に配属された新型新規使いのアリサだ。アリサの新人にしては不遜な物言いにリンドウは快活に笑って返した。

 

「はっは! ま、精々期待に応えられるように頑張るさ」

 

 ポン、とリンドウはアリサの肩を叩く。

 

「きゃあ!?」

 

 と、アリサは大きく飛びのいた。

 

「おうおう、随分と嫌われたもんだなぁ」

「す、すいません…」

「ふ…冗談だ。んー、そうだなぁ。…よし、アリサ」

 

 と、リンドウは頭を掻きながら言う。

 

「混乱しちまった時は空を見上げるんだ。そんで動物に似た雲を見つけてみろ。落ち着くぞ。それまで、此処を動くな。これは命令だ」

「な、なんで私がそんなこと…」

「いいから探せ、な? なにせ、新入りもやってる。効果はお墨付きだ。お陰でこいつの成績は新入りの神機使いとは思えないほど高い」

 

 な?、とリンドウはユウに目配せしてくる。

 

 ユウは頷いた。

 別にユウは動物に似た雲を探している訳じゃないが、よく空を見上げて気分を落ち着けているのは事実だ。

 

 空を見上げて雲を探すアリサを置いてユウとリンドウは先に任務に向かう。『贖罪の街』を歩きながらリンドウが話しかけてきた。

 

「……アイツのことなんだが、どうも色々訳アリらしい。まあ、こんなご時世、皆いろんな悲劇を背負ってるちゃあ、背負ってるんだが…」

 

 極論、この世界で何も失っていない人間なんていないだろう。誰だって、何かしらの不幸を背負って今を生きている。そして、それを比べ合うことに意味はない。

 

 心に余裕がある者が、ない者のフォローをしてやればいい。恐らく、ユウはアリサに比べればある方だ。

 

「同じ新型のよしみだ。あの子の力になってやれ。いいな?」

「うん、任せてよ。ボクにできることはやってみる」

 

 正直、アリサと仲が良いとは言えない。向こうの態度も頑なだし、ユウにも責任がある。ユウも決して弁が立つ方ではないのだ。対人関係においては聞き役に回る方が多い。

 

 それでも、自分にできることはやっていこう。

 

「そうか、ありがとうな。俺もまー、アイツがアナグラに馴染めるようにできることはやっていくが、歳の近いお前のほうが色々できることも多いと思ってな」

 

 立派な人だな、とユウは思う。

 雨宮リンドウは強い、だけではない。大人なのだ。

 

 自分は今16歳だが、10年後今のリンドウを同じ年齢になって、彼のような人間になれるとはとても思えない。

 

 

 数日後、ユウはソーマ、コウタ、サクヤと共に『贖罪の街』にミッションに出ていた。

 

 

「なに?」

 ソーマが、彼には珍しい困惑の声を上げる。

 

 ユウたちの前方からリンドウとアリサが歩いてきていた。

 

「同一区画に2つのチームが……どういうこと?」

「考えるのは、後にしよう。さっさと仕事を終わらせて帰るぞ。俺たちは中を確認。お前たちは外を警戒。いいな?」

 

 ユウは恐らくかつては教会として使われていただろう建物には入っていくリンドウ達を見送る。

 

(……なんとなく、嫌な予感がする)

 

 

 

 

 そして。

 

 

「パパ!? ママ!? やめて、食べないでぇッ!!??」

 

 

「アジン、ドゥワ、トゥリー……」

 

 

 

「そ、空を…見る?」

 

 

 アリサは天井に神機を向けた。

 何が正しいのかも分からない。頭の中はぐちゃぐちゃだった。ただ、仲間に銃を向ける行為は、間違っていることだけは分かった。

 

 

 銃型に可変させた神機から弾丸が発射される。

 

 その直前、轟音と振動が響いた。

 

 それによりアリサは体制を崩す。結果としてオラクル弾は天井ではなく、教会の壁に当たった。

 

 

 

 二度(・・)の轟音により異変を察知したユウたちは教会の中に飛び込む。

 途中、アリサが倒れていた。意識はあるようだが目が虚ろだ。神機を誤射したのか、教会の石壁が抉れていた。

 

「アリサ!」

 

 衛生兵であるサクヤがアリサに駆け寄る。

 

「皆は先にリンドウの所に行って!」

 

 サクヤの声に従って、更に教会の内部に向かう。

 

 ステンドクラスにより太陽光が虹色に輝く長方形の空間。

 かつてはここで人々は神に向かって祈りを捧げていたのだろう

 

 現在そこには世界を喰らう神が横たわっていた。人間の女性の顔をもったヴァジュラ神族、プリティビ・マータだ。

 

(死ん、でる? 流石、リンドウさんだ。この短時間でマータを倒すなんて)

 

 と思考した次の瞬間、ユウは気づく。マータの腹にはブラスト型神機の一撃を受けたかのような大穴が空いていた。この傷によってプリティヴィ・マータは息絶えたのだろう。

 

 

(この傷は明らかにリンドウのブレード型神機による傷じゃない。誰、が―――)

 

 

 ザリ、と誰かが身じろぎした音がした。

 

 

 

 ユウは眼球を右に動かす。

 

 

 アラガミたちが獣道として使う教会の上方部分、割れたステンドグラスを背にしながら。

 

 

 ――――男が立っていた。

 

 

 

 男は満身創痍だった。

 

 黒を基調とし赤色のアクセントが加わった燕尾服にも似た衣服は、各所が擦り切れている。背骨を模したかのような片手剣は血で汚れ、刃毀れしている。栗色の髪は乱れ、泥に塗れている。

 

 それでも男には貴族の気品とでも言うべき不思議な雰囲気があった。

 

 口元を覆い隠すマスクで、その容貌の全ては伺えない。

 しかし、その冷ややかな目元から相当な美男子であることは予想しえた。

 

 

(目が、赤い)

 

 

 飲み込まれるような深紅の瞳とユウの視線が交錯する。

 

 

 ―――神機使いと吸血鬼は、そして出会った。

 




ナナシの容姿と装備は公式PVの主人公と全く同じです。

3話はもしかしたら加筆するかもしれません。

ゲーム本編と被っているところは今回のように割とダイジェスト風味にしていこうと思うのですが、飛ばしすぎたか?と思わないでもないのです。



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4:撃退、そして血の香り

 神薙ユウは目を見開いた。

 

 青年の衣服を彩るアラガミの血液。それよりも尚鮮やかな深紅の瞳と視線があった瞬間、まるで魅入られたかのように、思考が空白で染まる。

 

 赤みがかった瞳の持ち主は珍しいが、極東にも僅かながらいる。第一部隊のサクヤだってそうだ。

 

 だけど、違う。

 男の瞳は、何かが違うのだ。

 

 

 傍らのリンドウが口を開く。

 

「お前さん、一体…。腕輪がないってことは神機使いじゃないんだろうが」

「……」

 

 その言葉で初めてユウは男の腕元を見た。確かにリンドウの言うように、神機使いであることを表す赤い腕輪はない。男の持つ武器もユウ達の神機に比べれば余りに細く、貧弱だった。

 

 異質。

 

 余りにも青年は異質だった。その武器も。燕尾服を模したその衣装も。何よりも青年の纏う雰囲気が違う。

 

(まるで、別の世界からやってきたのような―――)

 

「リンドウ、無事なの!?」

 

 項垂れるアリサの腕を肩に回して支えながら、サクヤが近づいてくる。アリサは意識があるのかないのか、虚ろな目でぼんやり床を眺めていた。四肢には殆ど力が入っていないようだ。

 

 

「ああ、リンドウ、良かった…」

 

 サクヤはリンドウの姿を視界に収めると大きく安堵の息を吐いた。

 

 と、間髪入れず

 「っ! サクヤ!」

 片手をあげて応えようとしたリンドウが声を張り上げる。殆ど同時にユウも叫んだ。

「サクヤさん! 後ろだ!」

 

 サクヤの背後から新たなアラガミが迫っていた。二体目のプリディヴィ・マータだ。サクヤは咄嗟に回避しようとするが、アリサを支えた状態ではそれをできない。

 

 プリディヴィ・マータの鋭利な爪がサクヤとアリサに迫り―――。

 

 

 

 鮮血が舞う。

 

 

 サクヤの血ではない。アリサの血でもない。

 

「GAOOOッッッ!!!」

 

 

 プリディヴィ・マータが甲高い悲鳴を上げた。気づくと青年は、サクヤたちとマータの間に割って入るかのように移動しており、眼にもとまらぬ神速の斬撃をマータに叩き込んでいた。

 

 

 アラガミの血をその身に浴びながら、正体不明の赤目の男は更なる斬撃を加える。たまらずアラガミはバックステップで距離をとり、唸りながらこちらの様子を伺い始めた。

 

 

「た、助けてくれた?」

 

 コウタが呟く。赤目の男は答えない。

 

(今、どうやってサクヤさんの所まで? まるで瞬間移動したみたいな…、いや、まさか)

 

 そんなことをユウが思っていると、

 

「まずい、入り口を塞がれたぞ! 囲まれてやがる…!」

 ソーマが叫んだ。

 

 現れたプリディヴィ・マータは1匹だけではなかった。合計3匹のマータが教会の狭い空間に殺到しようとしていた。狭い空間内で複数のアラガミを相手取る行為は自殺行為にも等しい。

 

 そして、最悪は止まらない。

 状況は更に悪化の一途を辿る。

 

 重苦しい足音が響いた。

 

「GOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 大地を振るがすかのような獣の咆哮が、耳をつんざく。

 

 ユウは振り返る。

 その姿形はよく見覚えがあった。

 

「黒い、ヴァジュラ?」

 

 極東支部の新米ゴッドイーターにとっての登竜門、ソイツを倒して初めて神機使いは一人前も皆に認められる。

 

 しかし、目の前のソイツは色が違う。顔が違う。

 

 何よりも、

 

(ヴァジュラはこんな重く吐き気をもようすようなプレッシャーじゃない!)

 

「GAOOOO!!!!!」

 

「ひっ、ま、まずいよ、こいつ!!」コウタが悲鳴のように叫んだ。

「ひっっ!?パパ、ママ!?いやぁ!?助けて食べないでぇ!!」

 

 更には先程まで殆んど何も反応を返さなかったアリサが、狂ったように叫びだす。

 

 状況は最悪だ。

 

 ユウの心臓が早鐘のように鳴る。脂汗と冷や汗が止まらない。

 

 

「ちいっ!!」

 ソーマがバスターの一撃をマータに叩き込もうとしたが、別のマータにそれを邪魔される。大きく舌打ちした彼の額からは血が流れていた。

 

「くそ、どうすればいいんだよ!!」

 コウタは半ばパニックになりながら上ずった声と共にオラクル弾を打ち込むが、この狭い室内ではむしろそれは仲間の動きを阻害していた。

 

「ママ、ママぁ!!!」

 アリサは半狂乱だ。彼女を落ち着かせようと抱き寄せるサクヤと合わせて戦力外と言ってもいい。

 

「いよいよ不味くなってきたなぁ。…こいつら、まさか、支部長の仕込みか?」

 後半部分は何といったかユウには聞き取れなかった。だが、漆黒のヴァジュラの攻撃を捌くリンドウの表情は険しく、頬に幾筋もの汗が垂れているのをユウは見た。

 

 

 赤目の青年もマータの相手で手一杯のようだ。

 

(ボクは死ぬのか?)

 

 マータ達が氷の杭を形成し、それらをユウたち目掛けて射出する。

 

 ソーマは避けた。アリサとサクヤはリンドウがシールドを展開してフォローする。

 

 逃げ遅れたコウタをユウは蹴り飛ばして回避させ、ユウ自身はシールドを展開してガードする。氷の棘を防御している間に、別のマータがユウの下半身をはたくかのように、墓色の巨爪を地面に滑らせて攻撃する。

 それをジャンプで空へ回避しながら、ユウは天井を見た。

 

 灰色の土の空。

 

 

「空が、ない」

 

 落下の際に得られる重力を生かして銅色の神機、ブレードの切っ先をマータの顔面に叩き込む。そして腹に潜り込み、銃形態に切り替えマータの装甲に覆われていない腹にオラクル弾を無茶苦茶に打ち込む。

 

 そのまま捕食形態に移行しようとして―――。

 

 

 バチイイイイイ!!!!!

 

 

 全身に針を突き刺されたかのような激痛が襲う。弛緩し、倒れる身体。仲間を傷つけられ、怒り狂った黒いヴァジュラの紫電だった。

 

 

「新入、り…!!」

 

 黒いヴァジュラの相手を担当していたリンドウは壁に叩きつけられ、口から血を垂らしていた。右足が歪な方向に曲がっている。命に別状はないだろうが、回復錠を使って足の傷を治している間に、恐らくユウは死んでいるだろう。

 

(……死ぬ? 本当に?)

 

 

 まだ何も為せていない。まだ世界の真理の一欠片とて知り得ていない。

 

 神薙ユウは多くの命を背負ってる。

 

 救えなかった命。

 救いたかった命。

 

 世界で余りにもありふれていて、だけど神薙ユウにとっては、世界の何よりも重たい悲劇を背負っている。

 

 

 神薙ユウはまだ、何も、報えていない。

 己が生き残った意味も、己が為すべき役割も、何一つ得られないまま死んでいく。

 

 

(だめ、だ)

 

 黒いヴァジュラがユウに近づく。その大口を開けて、ユウを飲み込み、嚙み砕こうとしている。

 

 

(それは、だめだ…!)

 

「ボクはァっっっ!!!!」

 

 

 

 

「―――ブラッドコード:イシス」

 

 低い、だがよく通る声だった。

 

「プラズマロアー」

 

 傍らに赤目の男が立っていた。剣を持っていない左手を黒いヴァジュラに掲げると、巨大な紫電が発生し、黒いヴァジュラを襲った。

 

(神機を使わずに生身からオラクルを出した!?)

 

 驚愕しながらも、ユウはその場から飛びのく。

 視界にマータの死体が見えた。この短時間で赤目の青年が屠ったのだろう。だからユウを助けることができたのだ。

 

 

「っ!! 危ない!」

 

 怒り狂った2体のマータとヴァジュラが男に殺到するが―――、男の姿が消えた(・・・)

 

「シャドウリープ」

 

 まるで瞬間移動したかのように後方に一瞬で移動する。間髪入れず、先ほどまで男がいた場所を中心に衝撃波が発生し、アラガミたちを吹き飛ばす。

 

(今、間違いなく姿が消えた…! ステップじゃない!)

 

「お前さん、とんでもないな! よし、アラガミが怯んだ今のうちに教会内から抜け出すぞ! ここは地の利が悪すぎる!」

 

 身体の負傷を回復錠と治したリンドウが声を張り上げる。

 

「退却するぞ! ソーマ退路を切り拓け! サクヤ、アリサを頼んだ! コウタとユウはソーマのサポートを回れ! 自分の命を第一に考えろよ! 俺は殿を務める!」

 

 リンドウは赤目の男に視線を向けた。

 

「アンタ、察するに敵じゃあ、ないよな? 悪いんだが、もう一度助けて貰っていいか? 礼はアナグラでたっぷりさせて貰う! 俺が溜め込んでおいた配給のビールを全部やろう!」

 

 コクリ、と小さく男は頷いた。

 

 

「よし、行くぞ! 全員生きてアナグラに戻れ! これは命令だ!!」

 

 

 そこから始まる命からがらの逃走劇。

 アラガミはユウたちが教会内から逃げ出しても、執拗にユウたちを追ってきた。

 

 2体のマータをユウ、リンドウ、コウタ、ソーマで相手取り、黒いヴァジュラを赤目の男が抑え込む。仲間たちとの連携の元、何とかマータを倒したユウ。ユウたちは男のフォローをしようと、彼の元に駆ける。

 

 

 黒いヴァジュラから翼が生えていた。それを刀剣のように振るっている。

 男はそれをまるで、かつて見た(・・・・)かのように躱している。

 

 

(凄い。だけど、武器が……)

 

 男には決定打がなかった。

 

 男の剣は神機ではない。何かしらの偏食因子の技術を用いているのか、僅かにダメージを与えられているものの、傷は浅い。

 

 先ほど繰り出したオラクル攻撃ならば話は違うのかもしれないが、黒いヴァジュラも警戒しているのか、常に距離を詰め男が大技を繰り出す暇を与えない。

 

 

「ブラッドコード:エーオース」

 

 

 男の内側で何かが変わった。

 

 

「栄光の架け橋」

 

 ヴァジュラの攻撃を躱し、短く呟く。

 

 

「ストライクライザー」

 

 

「オーバードライブ」

 

 

「フォースオーバー」

 

 

 その度に、男の存在感が膨れ上がる。

 

 

「シフティングホロウ」

 

 

 青年の姿が掻き消える。

 赤い燐光を纏いながら、黒いヴァジュラの眼前に躍り出ると剣を構え、

 

 

「ブラッドサーキュ、ラーァァァ!!!!」

 

 

 ガリガリガリガリガリガリ!!!!ともはや鋸の如く刀身が刃こぼれした片手剣の連撃を、黒いヴァジュラに叩き込む。

 

 ここで武器が壊れても構わないという男の意思をユウは感じ取った。一撃では終わらない。片手剣は黒いヴァジュラの右眼を切り裂き、そして半ばから折れ、その役目を終える。

 

「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!????」

 

 

 右目を潰された黒いヴァジュラは悲鳴を上げる。

 忌々しそうに赤目の男を睨みつけると、やがて逃げ去っていく。

 

 

「追い返しやがった…」

「はぁ。助かった、のか?」

 

 ソーマとコウタが呟く。

 

 

「……わ、私は、いったい…」

 

「やっと落ち着いたようね。もう大丈夫よ、アリサ」

 

「は、はい…ありがとう…ございます…?」

 

 

 赤目の青年は黒いヴァジュラが去った方向を見つめていた。踵を返し、ユウたちを向き合う。青年はユウたちを見て何を思ったのか目を細めた。口元を金属質のマスクで覆っているため、微笑んでいるのか睨んでいるのか、判断できない。

 

 

「ぐ、ぅぅ!!?」

 

 男は突然、胸を押さえて苦しみだした。その拍子にマスクが外れ、カランと地面に落ちて音を立てた。

 

 

「だ、大丈夫?」

 

 身体のバランスを崩して倒れそうになる男をユウは支える。男と至近距離で目が合う。真っ赤な瞳の焦点は定まっていなかった。

 

 

 ユウの背中に腕が回された。

 血と泥、そして大人の男の臭いがユウに包み込む。嫌いな臭いではなかったが、アリサが顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

 

「ど、ドン引きです!!! は、初対面の女子(・・)に抱き着くなんて! 軽薄です! チャラ男です! 何様ですか!」

 

 ユウは女の子である。

 髪は短めだし一人称も男っぽいが、これで花も香る16歳の乙女である。なのでアリサの言うことは正しいのだが……。

 

 お前が言うなとユウは思った。

 

 お前の軽薄をロケットで飛び越えたような凄い服装はなんだなんだ。そのプロポーションは何なんだ。いや、別に他意はないのだが、ほんとなんなんだ、何カップだお前。そして何様って言うなら命の恩人様である。お前が寝ている間に頑張ってくれた人である。お前にとっても恩人様である。

 

 と、まあそんな感じ言葉を視線に乗せてアリサを睨むがうまく伝わっていない。アリサはぎゃんぎゃん吠えていた。国の違う異文化コミュニケーションの壁は厚いようである。

 

 なんてユウは一人納得する。

 

 ぬるり、と首筋に熱い感覚があった。

 首に口づけされた、と一拍遅れて気づく。

 

 赤面する暇もなかった。

 首筋に鋭い痛みが奔る。

 

 

 ユウはその首に牙を突き立てられていた。

 

 

(血を、吸われてる)

 

 

 意識が遠のく。

 

 

 

「新入り!!」

 

 

「ユウ!!!?」

 

 

「お前、ユウに何しやがった!!」

 

 

「ちっ、全員構えろ!!!」

 

 

 

 

 ――――待って、ストップ、とユウは言いたかった。

 

 男の行為は多分あまり関係ない。

 吸血が最後の一押しだったのは間違いないが、元々生死を懸けた極度の緊張上にあって、ようやくそこから解放されたのだ。何かの拍子……例えばリンドウが気軽に肩を叩くだけで、ユウは緊張の糸が解けて気を失っていただろう。

 

 それに。

 

 目に正気が戻った青年の瞳が揺れていた。明らかに、自分の行為に後悔していたし、傷ついていた。

 

 

 それが、本当にそこら辺にいる普通の人のようで、少しユウは笑ってしまった。

 

 ――――気にしないで、事故みたいなものなんでしょ。

 言おうとしたがそれもやはり言葉にならない。

 

 

 やがて、ユウの意識は闇に落ちていった。血と泥の香りに包まれたまま。

 

 

 




リンドウは第一部隊隊長を継続・神薙ユウの性別は女の子なルートです。


読んで下さりありがとうございます。
ブクマやら感想やらはすごーく励みになります。


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5:敗北者たち

 ヨハネス・フォン・シックザールは敗北者だ。

 

 救いたかった命は何一つ救えない。練りに練った計画はいつも頓挫する。運も才能も、己の求めるものには遠く及ばない。

 

 己の息子であるソーマや一部の者たちは、ヨハネスが世界で起こる全ての悲劇の黒幕にいて、彼は全てを見聞きし、全てを手玉に取っているかのように思っているがそれは大きな誤りだ。

 

 居城と言える極東支部ですら、完全に手中に収めているとは言いがたい。

 

 事実、己の盟友であるペイラー榊が何の研究をしているか、全くヨハネスは知らない。予想はつくが、それは単にヨハネスが榊との付き合いが長く、彼の性格や嗜好を把握しているだけだ。榊の研究施設が位置するブロックは、ヨハネスのあらゆる支配と干渉から切り離されている。秘密裏に仕掛けたハッキングは全て無残に失敗した。

 

 繰り返すが、ヨハネス・フォン・シックザールは敗北者だ。

 

 だからこそ、失敗することには慣れていた。

 リンドウが五体満足のままアナグラに帰還したことも、そう驚きはしなかった。

 

(そもそも確実性に欠ける計画ではあった)

 

 心理的に刷り込みした新人の神機使いにリンドウを殺害させる。余りにも回りくどい。故に足は着きにくくはあったが。

 

(計画は失敗した。雨宮リンドウの飼い主はフェンリル本部だ。そして、本部は私の動きが怪しいとは思いつつも、何を企んでいるかまでは分かっていない。分かっていれば、リンドウを密偵にして探るだなんて悠長なことはしない。しかし……)

 

 ヨハネスは眉を顰めた。

 

(雨宮リンドウはエイジス島内に侵入し、ノヴァの母体を見ている。アレを本部に報告されれば、アーク計画の全貌に気づかれる恐れがある……。まあ、それはいい(・・・・)

 

 極論、リンドウとフェンリル本部はどうとでも対処できる。

 

 極東支部はヨハネスの手の内だ。ペイラー榊の居住区画には流石に手が回らないが、逆に言えばそれ以外の場所は全てヨハネスに筒抜けとなっている。

 

 故にリンドウが本部がどんなやり取りをしているのかはすべて把握している。リンドウは他人を巻き込みたくないのか、誰にも本部に与えられた密命のことを漏らしていない。

 

 これならば、いくらでもフェンリル本部とのやり取りを改竄して時間稼ぎできる。そもそも手段にさえ拘らなければ、神機使い一人程度、処理する為の手段はいくらでもあるのだ。

 

 よって、ヨハネスの心を今悩ませるのは、雨宮リンドウとは別のことだった。

 

吸血鬼(きゅうけつき)、か。……まるで映画の世界だな。いや、アラガミが跋扈する世界こそが映画のようなものか)

 

 ヨハネスは極東支部のエレベーターを降り、新型神機使いの適合試験場を見下ろせる部屋に立つ。適合に失敗してアラガミ化した場合に備えて、適合試験会場は過剰なほどに堅牢な造りとなっている。また、アラガミ化した神機使い候補を速やかに処理するための設備も備わっている。

 

 そこに、一人の男が捕らえられていた。

 

 雨宮リンドウを葬ることに失敗した要因。計画になかったイレギュラーにして謎の生物。

 

「彼は人間か? それともアラガミか?」

 既に部屋にいたペイラー榊に尋ねる。

 

「分からない」

「ほう、君でも分からないことがあるのか」

 

 ペイラー榊は苦笑しながら肩を竦めた。

 

「流石に時間が足りないよ。ユウくんの血を啜りを気を失ってアナグラに運ばれて、まだ数時間だ。確実に言えることだが、彼は只の人間ではない。身体の中心、心臓部にオラクル由来の物質が埋め込まれている。コアらしきものもあるが、まだ何とも言えないね」

 

 おや、と榊はモニターを見た。

 

「そろそろ鎮静剤がきれる時間だ」

 

 ややあって、拘束された青年がうめき声をあげた。瞼が開かれ、赤い瞳がヨハネスたちを見上げる。ヨハネスはマイクのスイッチを入れた。

 

「目が覚めたようだね」

「………こ、こは?」

 

 呂律がいまいち回っていなかった。視線もヨハネスの周囲をさ迷っている。バイタルを見る限り、青年はまだ半分夢見心地なのだろう。尋問にはそちらの方がむしろ好都合だった。

 

「フェンリル極東支部、通称アナグラだ。悪いが君を拘束させて貰った」

「……アナ、グラ」

「君には今容疑がかかっている。アラガミではないかという容疑だ」

「……アラ、ガミ? なんだ、それは…?」

 

 ヨハネスは顔を顰めた。

 

 アラガミを知らない?

 そんなこと、あり得る筈がない。しかし、今のバイタルの状態で嘘を付くという考えが思い浮かぶとも思えなかった。

 

「アラガミだ。我々人類の敵だ」

「……アラガミ。分からない、覚えていない…」

 

 青年はゆらゆらと頭を振る。

 

「…君は一体どこから来た」

「……ヴェイン」

「君は一体何者だ」

「……吸血鬼(レヴナント)

 

 聞きなれない単語ばかりが出てくる。

 ヨハネスの頭の片隅に、この青年は狂っているのではないかという考えが浮かんだ。

 

「ならば、君何の目的をもって此処に来た。何の為に?」

 

「―――何の、ために?」

 

 その質問で、虚ろな表情に初めて色が宿った。

 

ああ(・・)そうだ(・・・)

 

 声に、感情が乗る。

 ヨハネスたちをはっきりと見上げながら言う。

 

「俺は世界を救いに此処に来た」

 

 そんな骨董無形な言葉を聞きながら。

 

(この男、何処かで見たな)とヨハネスは思った。

 

 例えば朝、顔を洗う時鏡の前で。例えば雨の日、水たまりの上で。例えば真夜中、ふとガラスに目を移した瞬間。

 

 己の目に、彼はそっくりだった。だから分かった。

 

(嘘、だな)

 

 

 この男は嘘つきで、敗北者だ。



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6:禁足地から来た男

 赤目の青年はナナシと名乗った。

 

 明らかな偽名。

 そんな自身を偽った男の話す物語は余りにも骨董無形なものだった。

 

 アメリカ大陸北東部に位置する血の牢獄ヴェイン。そこで産まれた人ならざるもの、レヴナント。青年はヴェインからやってきたレヴナントだという。

 

 子供の法螺話のようだが、それを嘘偽りと簡単に断ずることはできない。

 

 何故ならば、ヨハネスもペイラーも知っている。赤目の青年が漆黒のヴァジュラを撃退したことを。明らかに青年の肉体は只人のそれではなく、オラクル的な処置を受けていることを。

 

 何よりも青年の目には理性があり、その語り口は理路自然としていた。

 

 そもそも仮に青年がフェリンル本部の密偵かフェンリルに敵対する組織のスパイだったとしても、素性を偽るならば、もっとマシな嘘をつくだろう。

 

 ということは、逆説的に青年の言うことは真実だと考えられる。

 

「ペイラー。どう思う?」

「嘘を言っているようには見えないけれどね」

「私もそう感じた」

 

 青年への尋問をひとまず終え、ヨハネスはペイラーと共に支部長室で彼から聞き出した内容について話し合っていた。ヨハネスはペイラーに問いかける。

 

「レヴナント、か。彼の心臓に巣食うBOR寄生体はアラガミか?」

「話を聞く限り、可能性は非常に高いね。人間の血への偏食傾向をもったアラガミだろう。それも恐ろしい程の再生能力を持った、ね。もし、その存在が僕らの世界に知られていたら、不死者(ノスフェラトゥ)なんて呼び名がつけられていたかもそれない」

 

「ロストはさしずめ、アラガミ化が進んだ神機使いか」

「ロストは心臓部、つまりはそこに巣くうBOR寄生体を破壊してもいずれ蘇るそうだ。コアを破壊しても、やがて別の個体として再構成されるアラガミの性質に余りにも似すぎている。偶然と片づけることはできない。まあ、今の段階じゃ何ともね。推測以上のことを述べることは出来ない」

 

「まさか、禁足地の内側がそのような魔境になっているとはな」

 

 アメリカ北東部のとある地域は『禁足地』と呼ばれていた。近寄る人間に苦痛を齎し、遠隔操作のドローンも使用不可になる赤い霧に覆われたその地は、フェンリルの支配から完全に外れており、その内がどうなっているのかは誰一人知らなかった。

 

「実に興味深いね」

 

 ペイラー榊は研究者の好奇心のまま微笑むが、ヨハネスは顔を顰めた。

 

「支部長は考えることが多くて大変だ」

「変わるか?」

「お断りするよ」

 

 もっとも、ヨハネスは『支部長』として、というより『アーク計画の主導者』として顔を顰めたのだが。きたるべきノヴァによる終末捕食は、禁足地を飲み込めるのか。ヨハネスが気になったのは、そこだった。

 

「……ペイラー。レヴナントは、危険すぎるな」

「それには全面的に同意しよう」

「レヴナントとなる為の条件が、余りにも緩すぎる。人の血液さえあれば偏食因子の投与は必要ない。これでは神機使いのように、大規模な組織が手綱を握ることは困難だ」

 

 現状、野良の神機使いという存在はほぼ存在しない。

 

 理由は2つある。

 1つは神機への適合者が総人口に対して、余りにも少ないから。

 もう1つは偏食因子の投与と神械の整備といったメンテナンスは、個人で行うには技術的・設備的ハードルが非常に高いからだ。

 

 世界に広がるフェンリルだからこそ、大規模なパッチテストで数少ない神機使い候補を発見することができる。

 高い資本と技術を持つフェンリルだからこそ、デリケートな偏食因子の投与と神機の整備が可能となる。神機使いはフェンリルから離れて生きていけない。

 

 仮に離反したとしても、行きつく先は、アラガミ化による人としての死だ。自由の代償は余りにも重い。

 

 フェンリルは元は一企業であり、その重役たちは神機使いではない只の人間だ。

 そんな只の人間が、人を超えた存在の手綱を握ると言う矛盾。その矛盾を成立させている理由が、それだった。

 

 しかし、レヴナントは違う。

 

 彼らは、組織に己の命を預ける必要がない。血さえあれば、何処ででも生きていける。武器の構造は大量生産の必要性から限りなく簡略化されており、結果として長期間の使用にも耐えうる堅牢性をもつ。最悪、武器がなくとも錬血は使える。

 

 レヴナントは少人数でも生きていける。いや、極論、たった一人でも戦える。

 

 ナナシが、単身で極東にやってきたように。

 

「仮に、レヴナントの技術が何の枷もなく野に拡散すれば……フェンリルの統治は崩壊するだろう」

「じゃあ、どうするつもりだい? ヨハネス。まさか彼を……」

「処分はしないさ。彼は第一部隊の命の恩人だ。それに、レヴナントは人材不足の神機使いの現状を打破できる可能性もある存在と言える。しかし、本部にはまだ秘しておきたい。このデリケートな問題を、本部の高官共の権力闘争に使われるのは、御免こうむりたいのでね」

 

 嘘ではない。

 しかし、ヨハネスの本音でもなかった。

 

(フェリンル本部から疑いの目を向けられている現状、これ以上本部からつつかれる理由を作りたくはないからな)

 

「…ペイラー、君にはナナシの観察・計測をお願いしたい。レヴナントという存在を解き明かしてくれ。レヴナント、そして禁足地…いいや、ヴェインというのだったか。我々はレヴナントとヴェインに対して、余りにも無知だ」

「わかったよ」

「苦労をかけるな」

「エイジス計画を主導する君ほどじゃないさ」

 

 その後、幾つかの打ち合わせをしてペイラーは支部長室から退出していった。

 それを見送ったヨハネスは息を大きく吐く。

 

 疲労が体に溜まっている。時計の針を見ると深夜4時を示していた。昨晩は早急に仕上げなければいけないタスクがあって、殆ど眠れていない。老け込むような年齢ではないが、二十代三十代のような活力はない。

 

 仕事はまだ溜まっているが、少しだけ仮眠をとるとしよう。

 

 ヨハネスは瞼を閉じる。

 

 闇があった。

 子供の頃は眠るのが怖かった。この黒色に飲まれ、そのまま目が覚めなかったらどうしようかと、不安になったものだ。

 

 闇の先には死者の国があって、自分はそこに連れさらわれてしまうのではないか。そんな子供らしい空想が頭にこびり付いた幼年期が、ヨハネスにだって存在したのだ。

 

 勿論、その闇の向こうには何もないことを、今のヨハネスは知っている。死の先には、何もない。

 

 愛する妻を実験で失い、その絶望に耐えかねて睡眠薬での自殺を図り、無様にも生き残ったあの日。

 

『死の先には何もなかった。闇があるだけだった』

 

 心の何処かで、期待していた。死の先で亡くなった妻に会えるのではないかと。数秒間、ヨハネスの心臓は停止していた。間違いなく彼は僅かの間だが、死んでいたのだ。

 

 だけど。

 

 何もなかった。死者の国なんて影も形もありはせず、目が覚めるとただの現実(じごく)があった。

 

 そんなヨハネスに対して、友は言った。

 

『君が生き残ったのは、きっとやるべき役目があるからだ』

 

 役目。

 世界よりも大切だったアイーシャのいなくなった世界での役目。妻の次に大切だった、愛するソーマの為にできる役目。この地獄のような現実で己ができること。

 

 その日から。ヨハネスの生きる道は定まった。

 当時は、終末捕食もノヴァの事も、微塵も知りはしなかったけれど。確かにあの日から、この冥府魔道は始まって、今この日へと繋がっている。

 

 

「私は世界を救う。アイーシャの、全ての犠牲に報いてみせる」

 

 その為に、この地球に地獄を創る。地獄を創って、現実(じごく)を壊す。

 

 そんな何万回目かの決意と共に、ヨハネスの意識は闇に墜ちていった。

 



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7:アナグラ

 ナナシの意識は覚醒した。この目覚めの瞬間が一番恐ろしい。

 

 レヴナントは死の度に記憶を欠損する。

 

 そしてヒトという個は記憶と人格によって創られる。ならば記憶を欠損した己は、欠損する前の己と本当に同一人物と言えるのか。死を挟んだ目覚めを境に、何かが決定的に変質しているのではないか。

 

 ナナシがレヴナントとなって長い年月を経たが、未だにそんな冷たい疑念が頭を過ぎる。恐らく、これはレヴナントという存在ならば誰も逃れることのできない呪いのようなものなのだろう。

 

 もっともナナシは知っている。

 

 かつて記憶の全てを失った時でさえ、『自分は自分』だったということを。()と罪悪感からは逃れられず、自分は結局のところ自分だった。

 

「手荒な真似をして悪かったよ」

 

 ふいに光が差し込んだ。鋼鉄の扉が開かれ、一人の男が入ってくる。

 

 眼鏡をかけた和装の男だった。白髪の癖毛と猫のような糸目が目を引く。歳は四十か五十か、そこら辺だろう。

 

「ペイラー榊だ。昨晩ぶりだね、よく眠れたかな?」

 

 声には聞き覚えがあった。ガラス越しに見下ろした自分に様々な質問を投げかけていた2人の男、その片方だろう。

 

「はい」

「はは、肝が太いね。寝心地の悪いベッドだが良かった」

 

 言いながら、ナナシの拘束具を外していく。

 

「…俺の身柄は、これからどうなるのですか?」

 

 ペイラー榊と名乗った男は微笑んだ。

 

「とりあえず自由の身だ。ようこそ、アナグラへ」

 

 

 これから彼らの拠点、通称アナグラを案内するらしい。その前にナナシは別の小部屋に通され、簡素な白シャツと黒のパンツに着替える。ナナシの元着ていた服はボロボロだったからだ。

 

 一人になったナナシはつい安堵の息を吐いた。

 

(とりあえず、問答無用で処分されることは回避できたみたいだな)

 

 レヴナントという存在は外の世界にとって、間違いなく脅威だろう。ルイもそう言っていたし、ナナシ自身もそう思う。

 

 実際、ヴェイン内ではレヴナントによってバケモノを駆逐することができたが、その後はレヴナントこそが災厄を振りまくことになった。

 

 だからこそ、シルヴァは赤い霧でヴェインを封じたのだ。レヴナントの血への飢餓と大量発生したロスト。それらを解決しないまま、外の世界と繋がることをジルヴァは認めなかった。

 

 QEEN計画を主導した者としての責任感があったのだろう。或いは実の娘に端を発する悲劇を、これ以上広げる訳にはいかないという親心が一番の理由かもしれない。

 

 ヴェイン内に住まう全てのヒトを緩やかな破滅に誘うその政策にナナシは思うところはあれど、当時それ以上の良策を考え付けと言われれば、黙るしかない。

 

 ともかく。

 レヴナントが危険な存在だという見解は、大抵の者が賛同しているということだ。

 

 だからこそ、ナナシは大きな安堵に包まれた。

 

 世界を救いに外の世界に出たはいいが、逆に外の世界の住人に殺される。そんな結末は十分に在り得る未来だったのだ。

 

(これから俺はどうなるんだろうな。こうして一応の自由を与えられたんだ、倫理を無視した惨い扱いにはならないとは思うが……いや、そもそも俺は必要か?)

 

 深紅の腕輪を付けた機械仕掛けの武器を操る集団。

 

(まさか外の世界に、あれ程までの武力を有した戦士たちがいるなんてな)

 

 ナナシは正直、かなり驚いていた。彼らがいるなら、自身はもう必要ないのかもしれない。世界は『救われている途中』であり、そこに自分が入り込む余地がないのなら―――。

 

 そんなことを考えていると、小部屋に設置されていた鏡が視界に入った。鏡の前に立つ。栗色の髪。やや青白い細身の顔つき。切れ長の目に収まった赤い瞳。ここ十年ほど、一切変化していない容貌が映る。

 

 次いで、はだけたシャツの胸元に視線を移した。

 

 胸の中央には、大きな傷跡が残っていた。傷跡はどういう理屈か琥珀色に煌めいている。それを、ゆっくりと指でなぞる。

 

「イオ……」

 

 夢での邂逅はナナシの記憶にしっかりと残っていた。あれは決して夢幻でも妄想でもない。自分はまた彼女に救われたのだ。

 

 今も脈打つ心臓の中には、琥珀色の血涙が形を変えてあるのだろう。彼女は今は心臓(ここ)にいる。

 

「…俺のやることは変わらない。そうだよな」

 

 ―――世界を救う。彼女の意思を継ぐ。求められるかどうかなんて、必要かどうかなんて関係ない。ナナシはそう決意を新たにして、小さく微笑んだ。

 

 

 手持無沙汰に部屋で待っていると、ふいにノックされる。

 

「どうぞ」

 

 ドアを開けて現れたのは、黒髪の二十代半ばの青年だった。

 

 微かに見覚えがある。現実の世界で漆黒のバケモノと再戦した際、共闘した一団のリーダーだった男だろう。もっとも、血の飢餓で意識は朦朧としていた為、記憶はかなり朧気だが。

 

「よお、お前さんのアナグラ見学のガイド役を頼まれた雨宮リンドウだ。よろしくな」

 

 リンドウは快活な笑みを浮かべた。

 

「ああ、よろしく。ナナシだ」

 

 ナナシ、という名前を聞いてリンドウが僅かに眉を顰める。

 

「まあ通り名みたいなものだよ。深くは気にしないでくれ」

 

 ナナシは早口で補足した。

 ヴェインではこの名前に突っ込まれることも、殆ど無かった為、ナナシは少しだけ意外に思う。

 

(いや、本来ならこんな名前はおかしいと思うよな。大崩壊前の社会なら、あり得ない名前だ)

 

 ナナシという名前がヴェインに溶け込めていたのは、結局の所あそこの文明が破壊され、変質していたからだろう。21世紀のルールや常識なんてものは残骸程度にしか残っていなかった。有体に言って、コミックの世紀末世界だった。

 

 ならば、逆説的に『ここ』はヴェインよりも遥かに文明的で、かつての世界の面影を残しているのだろう。

 

 そんなことをナナシは思う。

 

「成程な。ええっと、そういえばアンタ見かけによらず結構歳食ってるんだっけか? 支部長とかと同年代ってレジュメには載ってたが…、敬語使った方がいいか?」

 

「いや、そのままで大丈夫だよ。堅苦しいのは苦手だ。それに寝てた期間が長いから、実際はそこまで年長者って訳でもない」

 

「良かった、俺もお堅いのはニガテだ」

 

「……何処まで俺のことを聞いてる?」

 

「とりあえず、お前さんはレヴナントっていう神機使いの兄弟みたいな存在だってこと。あと、ヴェインってとこから来たこと、くらいだな。……ほんとは色々書かれたレジュメを支部長に渡されたんだが、部屋に忘れてきちまった」

 

「……何というか、平然としているんだな。俺はお前たちから見て異物じゃないのか?」

 

「お前さんは、恩人だからな。お前さんが駆けつけてくれなきゃ、俺たちはどうなってたことか…。俺たちを助けてくれて、本当にありがとうな。そして悪かった。俺たちはお前に神機を向けちまった」

 

「謝るのは俺の方だよ。血の枯渇で意識が朦朧としているといえ、人の血を同意なく啜るなんて。やってはいけないことをした」

 

「じゃあ、お互いに手打ちといこう」

 

 リンドウはニヤリと笑った。

 

「とりあえず、少し遅いが朝飯食い行くか」

 

「俺は……」

 

「食事は必要はないらしいが、別に食えないって訳じゃないんだろ? 折角長旅をしてきたんだ、極東の名物でも食っていけ。……まぁ、正直大概は質より量で味はアレなんだが」

 

 リンドウは苦笑しながら頭を掻いた。

 ナナシは既にこの青年のことを好きになっていた。他人を引きつけるカリスマと言うか雰囲気があった。

 

「行こうか、楽しみだ」

 

 食事についての感想は、まあ……なんというか、美味しいものはあった、という感じだ。極東のソウルフードらしい味噌汁は文句なしに美味しかった。

 

 だが大抵は大雑把な味付けだった。特に野菜は味が薄く歯ごたえも悪い。繊維が太いのだろう。大崩壊前の飽食の時代の食事と比べるべくもない。

 

「フェンリル十八番の遺伝子改良さ。瘦せた土地でも多くとれるが、味がな…」

「いや、久しぶりにこんなに野菜を食べたよ」

 

 本音だった。大袈裟に言うならナナシは感動していた。

 

 ヴェイン内では食料は殆ど流通していない。臨時総督府の農場の作物は大抵が人間の為に作られており、レヴナントに食べる権利はない。ナナシがヴェインを出立した頃に、やっとレヴナントの為の農場がつくられ始めていた。

 

 食事の後はリンドウの案内の元、アナグラを見て回る。やはり、リンドウは人望があるのだろう、よく声をかけられていた。

 

 ピンクの髪をした生意気な顔つきの少年もその一人だった。

 

 

「あ、リンドウさん! 今日は休みかよ! 良いよなぁ!」

「馬鹿野郎、神機が破損して出撃できないんだよ。シュン、お前は今から出撃か?」

「ああ。今から稼いでくるぜ!」

 

 

 少年の手首には赤い腕輪があった。リンドウの手元にあるこれが外の世界の戦士、神機使いの証なのだそうだ。

 

「ん、こいつは?」

「あーーと、フェンリル本部の重役の息子さん、ミハエルさんだ。極東には親父さんの代わりに視察にきてる。極東は初めてでな、仕事の後も暫くアナグラに留まるかもしれん」

 

 ナナシの現在の表向きの身分はそういう設定になっているそうだ。

 

「はーん。つまりはボンボンか。むかつくなぁ。まあ、よろしく」

「ああ、よろしく」

 

 そんな具合に、時たま出会った人に挨拶しながらアナグラを見物していく。

 

 

「ここはラウンジ。酒が美味いぞ。高いけどな」

 

「ここはロビー。ここでクエストを選ぶ。最近禁煙になった。きついなぁ」

 

「ここは神機格納庫な。触るなよー、食われるぞ」

 

 リンドウの解説は適当だったが、ナナシが質問を投げれば的確な答えを返してくれた。

 

 ナナシはこの外の世界がフェンリルと言う巨大企業に統治されていること。外の世界ではバケモノを荒ぶる神になぞらえてアラガミと呼んでいること。そしてアラガミに対抗できるのは、神機を操る神機使いだけであることを知った。

 

 時間は早いもので、気づけば夕方になっていた。

 

 ナナシとリンドウはアナグラの屋上から、極東の街並みを見下ろしていた。対アラガミ防壁と呼ばれる高い壁で囲まれた円形の街。その中には人の営みがあった。

 

 壁に囲まれて暮らす人間。そこだけ見れば臨時総督府の人間保護区と大して変わらない筈だ。だが、ナナシには両者には大きな違いがある気がしてならなかった。

 

「良い景色だろ? 俺はよくここに来るんだ。自分が何の為に戦ってるかってことを思い出せる」

 

「ああ、良い景色だ」

 

 夕日の眩さに目を細めながらナナシは頷いた。

「良い場所だな、ここは」

 

「そうかい、良かったよ。此処は俺の故郷だからな。褒められて、悪い気はしない」

 

 リンドウは頭を掻いた。

 

「少しトイレに行ってくる」

 

 何年かぶりに飲んだ缶コーヒーの安っぽい味を楽しみながら、ナナシはもう一度極東の街並みを見下ろした。

 

 極東の街並みは雑多だった。埃と油と生ゴミの臭いが、レヴナントの鋭敏な鼻孔を満たす。

 

 仕事帰りの男たちや遊び疲れた子供たち。家の中ではきっと母親がそんな夫と子供のために夕食を作っているのだろう。人々の生活の匂いと景色。

 

 ふいに理解した。

 

 

「……ああ、そうか。ここは終わってしまった世界の続きじゃないんだな。人の歴史が今でも紡がれている…」

 

 言語化は難しいけれど、何となく外の世界に来てよかった。ナナシはそう素直に思えた。

 

 




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8:極東での暮らし

「あ」

 ふいに、鈴のなるような可憐な声が響く。

 

「ん?」

 

 声の方向に目を向けると、ナナシと似た色合いの栗色の髪の少女が立っていた。任務から帰ったばかりなのだろう。銅色の神機を携えている。

 

 屋上はヘリポートとしても使われているらしい。車では近寄れない遠方地や切り立った地形に用がある際はヘリで移動するそうだ。

 

「君は……」

 

 少女の顔を忘れる筈もない。

 ナナシがその血を啜った少女だった。名前は事前にリンドウから聞いていた。

 

 第一部隊、つまりリンドウの部下の神薙ユウ、というそうだ。

 

 首筋に注目する。ティーンエージャー特有のきめ細かく生命力に溢れた傷一つない肌だった。

 

「傷、残ってないんだな。良かった」

「うん、神機使いは傷の治りが早いから」

「そうか。……すまなかった。償いはどうすればいい?」

「いいよ、別に。ワザとじゃないんでしょ。よくわからないけど。なら、いいよ。ボクは気にしてないから」

 

 神薙ユウは顎を搔きながら言った。

 

 そして、

(ボクはどうして年上の人に溜口を聞いているんだろう?)

 

 と気づいて落ち込んだ。相変わらず彼女の舌と口は性能が余り宜しくなかった。

 

 もっともそんな彼女の内心は外界へは一切現れない。

 

 それがプラスの感情であれマイナスの感情であれ、心の内の思いが外に出にくいタチなのだ。そんな彼女の長所とも短所ともつかない特徴は、一種の超然さとして周囲に捉えられていた。

 

「……むぅ」

 ナナシは唸った。ユウ本人は気にしてないと言うが、自分の気が済まない。

 

「まあ、どうしてもって言うなら冷やしカレードリンクでも奢ってもらおうかな?」

「冷やし、カレ? なんだって?」

「冷やしカレードリンク」

「本当にそれでいいのか? うん、まあお安い御用だ」 

 

 意気揚々と屋上の自販機に歩いていく。そして自販機の前で立ち止まった。10秒、20秒、と時間ばかりが過ぎていく。

 

「…………」

 

 どうしたのだろう、と神薙ユウはナナシの顔を仰ぎ見た。

 

 研がれたナイフ、それも職人が精魂込めて創ったものではなく、最新技術の粋を集めて生産された量産品を思わせる無機質な顔つき。ナナシはそんな鋭利な美貌のままな言った。

 

「すまない。……俺はここの通貨を持っていない」

「………」

「本当にすまない…」

 

 気まずい沈黙が流れた。

 

 ぽんぽん。大の大人の背中を慰める十代少女の姿がそこにあった。二人とも、色々な意味で悲しかった。

 

 そんな嫌な空間を切り裂く救世主が現れる。

 

「お、ユウ。今帰ったか!」

 

 トイレから帰還した雨宮リンドウだった。道中で会ったのだろう、黒髪の女生と茶髪の少年が後ろにいた。

 

 黒髪の女性が唇を開いた。

 

「あら、この人は……」

「昨日の謎の人!」

 

 茶髪の少年がナナシの顔を見て叫ぶ。

 

「お、いい感じに第一部隊が揃ってるな。ここで説明しとくか。……ソーマ! 一人で帰ろうとするな! こっち来い!」

 

 リンドウは彼らから少し離れた位置にいた青いフード付きのコートを着た少年に声をかける。褐色の肌と銀髪、そして剣呑な瞳が特徴的だ。

 

「……ちっ」

 

 第一部隊の面々を集めたリンドウはおどけた調子で言う。

 

「えーと。こちらアメリカから来られたナナシ君だ。仲良くするように。でも、こう見えて俺より年上だから失礼のないように」

 

 大学のクラスで一人だけ周りより年上だったみたいな気分を味わいながら、ナナシは礼をした。

 

「あと、昨日の戦いぶりで分かってるだろうがナナシは普通の人間じゃない。レヴナントっていう、まあ俺たち神機使いの親戚みたいなもんだ」

「マジでぇ!!!!! すっげええ!!! そんなのあるんだ!!」

「ちなみにこのことは上層部と第一部隊だけの秘密だ。周りにバラしたら厳重な処罰を降りるから注意しろ」

「だったらこんなとこで言うなよ……」

 

 ソーマが至極全うなツッコミを入れる。

 

「てか、腕輪もないんだ!」

「それはちょっと羨ましいわね。これのせいで着れる服が大分制限されるから。……でも、偏食因子の投与はどうなってるのかしら」

 

(ああ、だからそんなに露出の多い恰好をしているのか)

 

 と、ナナシは納得した。

 

 よくよく考えれば、イオだってとんでもない恰好をしており、自分は彼女を着替えさせようともしなかった。

 

 心の何処かで、「アリだな。ムーブメントを感じる」なんて考えていたからだろう。そんな自分が黒髪の女性のファッションについてとやかく言う資格はないと思う。

 

 そんなこんなで、ナナシは第一部隊の面々と顔合わせを済ませたのだった。

 

 

 ナナシがアナグラにやってきて5日が過ぎた。

 その5日を一言で表すならばニートである。ロクに労働をしていない。

 

 1日に2、3時間程度は支部長であるヨハネスや技術者であるペイラー榊に呼ばれて、レヴナントやヴェインについて語るが、それ以外は殆ど自由時間だ。

 

 勿論、ナナシはその自由時間を無為に過ごしていたわけではない。

 与えられた部屋の情報端末からアーカイブに接続し、外界の知識を収集していたのだ。

 

 お陰で、このフェンリルが統治する世界についてはある程度の常識を身に付けることができた。

 

 煮詰まったら部屋を出て、アナグラ内を散歩する。自由気ままな生活だった。

 

 彼はアナグラでの行動を一切制限されていない。

 流石に神機格納庫などの一部の重要な区画には入ることを許されていないが、それでも破格の待遇と言えるだろう。

 

「あ、ミハエルさん。お疲れ様です」

 

 て廊下の自販機で缶コーヒーを買っていると(この世界の通貨であるフェンリルクレジットを支部長から支給された)、オペレーターの竹田ヒバリとすれ違った。

 

 5日も過ごしていれば、アナグラでも顔見知りも増えるし、それなりに馴染んでくる。幸いなことに、フェンリル本部の重役の息子ミハエルという設定は、極東の人々に違和感を抱かれることなく受け入れられた。

 

 彼女も自販機で飲み物を買いに来たそうだ。プルタブを開けながら、ヒバリは尋ねる。

 

「今日もお部屋でお仕事ですか? 大変ですね」

「別に一日中仕事をしてる訳じゃない。休憩も結構とってるよ。急ぐようなレポートじゃないから」

「へえ。お暇な時は何を?」

「映画見たり、あとはアーカイブで極東の昔の本を読んだりとかかな」

「本?」

「ダザイとかサカグチアンゴとか。欧州のアーカイブには入ってないんだよ」

「おお、高尚ですね……!」

 

 流石はフェンリル本部の重鎮の息子は教養が高い!みたいな尊敬の視線でヒバリはナナシを見てくる。

 

 ナナシは面映さと罪悪感を抱いた。真っ赤な嘘だったからだ。一応、学生時代にジャパンの文学に軽く目を通したことはあるが。

 

「……まあ、大体レポートの方も形になってきた」

「では、もうすぐ欧州の方にお帰りに?」

「いや、レポートをメールで父に送った後も暫くは極東に滞在するよ。俺はここが気に入った。良い場所だな、極東は」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 そんな会話をヒバリと行っていると、神薙ユウが廊下の向こう側からやってきた。

 

「ユウ、今日もあの子のお見舞いか?」

「うん。今からアリサのとこ」

「偉いな、ユウは」

「アリサは仲間だからね」

 

 何でも、同じ舞台に所属するアリサと言う少女は、先の任務以来ずっとベッドで臥せっているらしい。

 

 ユウの背中を見送りながら、ユウは傍らのヒバリに尋ねる。

 

「仲間……か。ヒバリさん、アリサって子はそんなに悪いのか?」

「……傷自体はもう治っているんですが、メンタル面に大きな乱れが見られるそうです」

「……アラガミと戦える力を得ても、まだ十代の子供だもんな」

「はい…。少しずつでいいので、回復に向かっていって欲しいですね」

 

 しんみりとした空気が流れる。

 そこで男性の快活な声が響いた。

「おーい! ヒバリちゃん!」

 

 真っ赤なジャケットを纏った黒髪の男性が廊下の向こう側から、こちらに向かって手を振っていた。アナグラをアラガミから守る防衛班の班長である、大森タツミだった。人好きしやすい性格らしく、何度か短い会話をしたことがある。

 

「あ、ヒバリちゃん! 任務行ってくるよ! 終わったら約束通りデート頼むよ!!」

「タツミさん!! そんな約束してないでしょう!!」

 

 ヒバリが真っ赤な顔をして声を張り上げる。

 

「班長、早く行くぞ。少し遅れ気味だ」

「おお、分かってるってブレンダン。ヒバリちゃんまたねー!!」

 

 精悍な青年に背中を押されながら、名残惜しそうにタツミは去っていった。

 

「まったく、あの人は…。違いますからね、ミハエルさん…!」

 

 何が違うのはよくわからないが、

「分かってる分かってる」

 とナナシは頷いた。にっこり笑って言う。

 

 「若さってのは眩いな」

 微笑ましいものを見た気分だった。

 

「何おじさんみたいなこと言ってるんですか。ミハエルさん、多分サクヤさんたちと変わらない年齢でしょう?」

「そう見えるか? 若作りが上手いからな、俺は」

「……何歳なんですか?」

「秘密だよ」

 

 そう言いながら、飲み終わった缶コーヒーをゴミ箱に入れ、ナナシは自室に帰っていく。

 

 ―――アリサは仲間だからね。

 

 脳裏でユウの言葉が響いた。

 

(仲間、か。……ルイ。ヤクモ。ミア。ムラサメ)

 

 ヴェインで共に戦い、共に外の世界へ旅立った大切な仲間たち。

 

(記憶が、欠損している。赤い霧を仲間と共に抜けたところまでは覚えている。そこから先の記憶が……ない)

 

 レヴナントは死の度に記憶を欠損する。殆どの場合、大したことのない記憶ばかりだが、時には重要な記憶を失うこともある。そして、まずその事実には気づけない。

 

 しかし、

 

(ここまで綺麗になくなっていれば、いい加減気づくさ。違和感を抱いてから確信を持つまで数日かかったが……)

 

 かつてナナシは血骸の継承者となりジャックに心臓を穿たれた際、記憶の殆どを失ったことがある。今回の状況はそれによく似ている。

 

(だから、か? 死の淵をさ迷うほどのダメージを負ったから大規模な記憶の喪失が起こった? それともあの漆黒のバケモノと戦う以前から、俺は記憶を失っていた? そもそも俺はどうして極東にいる? その手段は? 陸路を西に横断するのではなく、わざわざ海を越えて島国にやってきた理由は?)

 

 ナナシが忘れているだけで、彼は何か目的があって極東に来たのではないないか。疑問は尽きることなく、ナナシの内から湧いてくる。

 

 いや、それよりも。

 

(仲間たちは無事なのか)

 

 どうしてナナシはルイ達と行動を共にしていないのか。はぐれたのか。或いは、既に彼らは―――。

 

(……結論を急ぐな。そもそも結論を下すための記憶のピースがごっそり無くなっているんだ)

 

 ナナシは首を振った。

 悲観的になりすぎるな、と己を戒める。

 

 自分たちは不死の存在レヴナント。

 滅多なことでは死なないし、歳を取ることも永遠にない。ならば、生きてさえいれば、いつかは会える。

 

(そして、何処にいても俺たちは変わらない。お前はクルスの。俺はイオの意思を継ぐ。そうだろう、ルイ?)

 

 

 

 




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9:境界線に立つ

 ナナシはペイラー榊の研究室の診察台に横たわっていた。

 

「なんと、これは……ほう、成程…! 実に興味深いね…!」

 

 榊はモニターに映し出される数値に喜色に満ちた声を上げる。ナナシの身体は、彼の知的好奇心を大いに刺激する存在だったようだ。

 

 ある程度のデータを収集し終え、榊はナナシに会話を振った。今日はヴェイン内のアラガミについてだった。

 

 ナナシは基本的にヴェイン内の出来事については、包み隠さず榊に話していた。QUEEN計画や神骸については危険性を考慮して情報を伏せようかとも考えたが、最終的に情報を開示することにした。

 

 それらについて隠すとなると、ナナシの活動やヴェイン内に歴史についても多くのブラフを混ぜる必要性が出てくる。

 

 結果としてナナシの話に矛盾が生じ、彼らの信頼を損ねないとも限らない。

 

 外の世界の人々の信頼を得たいならば、まずナナシ自身が彼らを信じなければならない。そう彼は考えた。

 

「…それでヴェインの地下には原種に近いアラガミが封印されいたわけだね」

「ああ、その殆どは封印が弱っていたこともあり既に討伐されたが、一部のヤツはまだ生き残っているはずだ」

「ふむ、是非とも彼らのオラクル細胞を入手したい。アラガミは周囲の環境に応じ、常に進化し続ける存在だ。進化の袋小路に彼らが陥ることはない。君はサラブレッドと言う存在を知っているかい? 馬の一種でね。人の手によって極限まで進化した彼らの身体は、個体ごとの優劣はあれど種としてはもうあれ以上進化できなかったそうだ。……っと、君はアラガミ出現前の社会出身だったね。すまない、いつもの癖で」

 

 ともかく、と榊は続ける。

 

「アラガミは常に進化し続けるが、同時に現存のアラガミの殆どは、既にある程度の進化の方向性が決定づけられてしまっている。空を飛ぶことに特化したアラガミは、今更強靭な足腰なんて必要はしないし、逆もまた然りだ。だからこそ、我々の刺激によって何処までも柔軟に形を変える真っ新なオラクル細胞、いわばレトロオラクル細胞は、多くの分野で我々の研究にブレイクスルーを与えてくれる」

 

 ナナシの話はペイラー榊に多くの刺激を与えているようだが、同時にナナシにも多くの実りを与えてくれていた。まさか深層に封印されていたバケモノたちにそのような使い道があるとは思ってもみなかった。

 

 この数日で確信したことではあるが、基本的に外の世界の方がヴェインに比べて技術の水準は上である。

 

 ヴェインでは大崩壊から然程時を経ず、周囲のアラガミを駆逐してしまっていた。ヴェイン内にはアラガミはもはや居らず、故にオラクル技術の向上の必要性もない。

 

 加えてヴェインの統治者のシルヴァは、クイーン討伐戦以降は技術の進歩を忌避していたフシがある。娘を発端とした悲劇が彼の心に大きな楔を打ち込んだのだろう。

 

 外の世界は違う。

 

 無限に進化するアラガミとのイタチごっこに打ち勝つため、先に、先に、と技術を発展させる必要がある。レトロオラクル細胞もその一つだろう。

 

「深層のバケモノがその、レトロオラクル細胞を持っていると?」

 

「可能性はある。まあ、君の話を聞く限り、ある程度の不純物は混じっているようだがね。デミ・レトロオラクル細胞とでも言うべきかな。…そもそもレトロオラクル細胞が机上の空論だ。本当にあるかどうかも分からない以上、現状はヴェインのアラガミで我慢するしかない」

 

 加えて、とペイラーはその糸目を僅かに開いた。

 

「レヴナントを外の世界で産み出すにはヴェインとの交流が必要不可欠だろうね。君の心臓にBOR寄生体は完全に融合している。それを取り出すことは、君の死を意味するだろう」

 

「それは勘弁してほしいな」

 

 ナナシは苦笑する。

 

(外の世界とヴェインの交流、か。或いはそれが俺のやるべきことで、世界を救うことに繋がるのかもな)

 

「私だって頼まれたってやらないさ。…それに君はレヴナントの中でも特異な存在だ」

 

 診察室の大画面モニターに写真やグラフが映し出される。ナナシの胸部のレントゲン写真だった。グラフの数値は血中のオラクル細胞を示していた。

 

「君の心臓には大きな穴が開いている。致命傷…間違いなくそのままでは死亡していただろう傷だが、そこを埋める形で金色の未知のオラクル細胞が癒着している。その細胞は心臓から流れる血液を通して、微量ではあるが体の各所に運ばれている。君は確かにレヴナントなのだろうが、どうにも私にはその定義から半歩外れているような気がするね。とどのつまり、君個人という生物には大変興味をそそられるが、レヴナントと言う種の研究対象として見れば、君は余り相応しくない」

 

「まあ、そうだろうな。……博士、ここではっきりさせておきたいんだが、貴方たちはレヴナントという存在をどのように見ている? いや、どう扱うつもりなんだ?」

 

「……支部長の考えの全ては私では到底知ることはできないさ。……だが、この世界は神機使いだけで支えるには、余りに数が少なすぎるし課題も多い。神機使いの損耗率も依然として高いままだし、どんなに適合率が高い者でも十数年も経てば活動限界で引退だ。だけどレヴナントはその現状を打破できる可能性がある。とはいえ、問題点も多い。技術的問題……それに」

 

「倫理的問題、だろ。レヴナントは死体から蘇る存在だ。アーカイブで調べたところ、この世界は大崩壊前の倫理観を強く残している。レヴナントには、かなりの抵抗がありそうだよな」

 

 それに問題は他にもある。ナナシは榊に問いかけた。

 

「……レヴナントはアラガミか? 死者が生き返っているのではなく、生前の人格と記憶を持ったアラガミが産まれているだけで、その実、哲学的ゾンビに近い存在じゃないのか」

 

「……その質問には安易に応えることは出来ないな。哲学的な内容に入らざるを得ない。そちらは門外顧問だ。心が何処にあるのか、という永遠の謎にも近しいよ」

 

「言外に身体的にはアラガミに近いと認めたな」

 

 ずっと疑問があった。

 

 ナナシは他人のブラッドコードに適合できる特異体質だ。しかし、どうして深層のバケモノのブラッドコードまで取り込むことができたのか。

 

(簡単だ。レヴナントもバケモノも本質的には変わらない)

 

 ぽつり、と榊が言った。

 

「今の私と科学には明確な答えは出すことができない。どこまでがアラガミで、どこからが人間なのか。しかし、仮に、仮に君たちが『そう』だとして、君は悲しいのかい?」

 

 ナナシは首を振った。

 

「いいや、俺は……そうでもないな。人間だろうがアラガミだろうが、俺のやることは変わらない。ヒトとして(・・・)、やり通すだけだ」

 

 虚勢でも強がりでもなく、それは紛れもない本心だった。

 

 イオはイオの意思を貫き通した。

 

 どのような産まれであっても。

 どのような役割があっても。

 彼女自身の意思でヴェインを救い、白い樹となった。

 

 だからナナシも彼女に続きたい。

 

 その意思を継いで、世界を救う。

 彼女のやるべきだったことをナナシが為す。

 

 だけど、

 

「俺はよくても、同胞たちが、少し可哀そうだ…」

 

 ナナシの体験とそこから得た決意は彼だけのものだ。

 

 他のレヴナントは違う。

 

 訳も分からず墓から掘り起こされ、人間の為に戦って、取り戻したのは荒廃した世界と自分の命だけ。

 

 そして、実際のところ、自分自身すら失っていたとしたら。余りにも残酷が過ぎる。

 

「……神が人となるか、人が神になるか」

「?」

 

 榊が小声でつぶやいた。小さく笑いながら言う。

 

「私は友人とずっとそういう競争をしていてね。君たちレヴナントはその狭間に立っているのかもしれない。狭間にいて、どちらにも立っている。だからこそ、君たちの在り方、自分が人なのかどうかは自分で決めても良いのだと思うよ」

 

「…貴方は、ロマンチストなんだな。少し救われたよ」

 

 ペイラー榊は優秀な科学者であり、変人であり、優しい人間であり、何よりロマンチストだった。

 

 だから、ナナシは榊にあんな質問をしてしまったのだろう。

 彼ならば、きっと優しく希望のある答えを返してくれると期待して。

 

「友達にも、よく言われるよ」

 

 そう言って榊は肩を竦めた。

 



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10:化け物の居場所

 その日もナナシは自室に籠って、外の世界の情報を収集していた。

 

 しかし、人の叫び声や慌ただしい足音が気になった。部屋の中にいても聞こえるのだから、ただ事ではないだろう。廊下に出る。近くにいた職員を捕まえ、何があったのかと尋ねた。

 

「アラガミの大群が強襲してきて、防壁に取りつかれた!! 突破されるのは時間の問題だぞ!」

 

 半分悲鳴のような回答をしてくれた職員は仕事があるのか、速足でナナシの前から去っていく。ナナシは目を見開き、やがて何を決したような顔をして歩き出した。

 

 

 管制室にはアラートが鳴り響いていた。防壁周辺に設置された監視カメラの映像には、アラガミが防壁を破壊しようとする姿が映し出されていた。

 

 ナナシが管制室に入室した瞬間、オペレーターの竹田ヒバリが悲鳴を上げた。

 

「北側の外周防壁! 突破されました!」

「防衛班は! 手の空いている者は!」

 

 極東支部の第1から第2部隊までの指揮官を担当する雨宮ツバキが、声を張り上げる。

 

 アラガミがアナグラ、正確には外周防壁内の街並みを含む第8ベイブを目指して接近してくるのは、決して珍しいことではない。それらを撃退及び駆逐するために、第2部隊及び第3で構成される防衛班が存在する。

 

「第2部隊及び第3部隊の各員は防壁の南部、南東部および西部で北東部で現在交戦中! フォローは不可能です!」

 

 しかし、今回のアラガミの襲撃はイレギュラーな点が多々あった。

 

 複数の方角からほぼ同時に襲撃が発生したこと。

 また、アラガミ達の思惑はどうであれ、形としては種を超えた群れを組んでいること。

 それらの群れの多くは中型以上のアラガミで構成されていること。

 何より複数の群れは極々最近発生し、急激な方向転換と共に一直線に極東に向かってきたため、アナグラにとっては寝耳に水な襲撃であったこと。

 

 これら複数の要因によって、たった今アラガミ防壁の一部は突破されてしまったのだ。

 

「周辺地域に展開されている部隊を至急呼び戻せ! 第一部隊が既に任務を終えて帰投準備に入っているはずだ!」

「了解しま…そんな! 第一部隊…討伐対象外とのアラガミと接近、交戦状況に入りました! 支部への帰還は大幅に遅れるそうです!」

「っ!!」

 ツバキが大きく舌打ちした。頬には汗が一筋流れている。

 

「あ! 小川シュンさんが北東部のオウガテイル種の群れを駆逐! 北部、突破された防壁のフォローに回りました!!」

 

 とはいえ、小川シュンは苦戦しているようだった。元々、他の神機使いの陰に隠れて隙を伺うスタイルの男だ。複数の中型・大型のアラガミを複数相手にするには実力が足りていない。

 

「……俺なら、きっと救える」

 気づくと、ナナシは声に出していた。

 

 管制室の面々はその声で初めてナナシの存在に気づく。薄暗い部屋というのもあるが、皆モニターから一瞬でも気を逸らす余裕もなかったのだ。

 

「お前は…ミハエル」

「えっ、ミハエルさん? どうしてっ…?」

「俺の出撃許可を出してくれ」

「……」

 

 雨宮ツバキは唇を噛んだ。

 

 雨宮ツバキはナナシの正体を知る数少ない人間の一人だ。書類上で知らされたナナシの経歴やスペックについては半ば半信半疑だったが、ナナシ自ら進言する以上、この状況を打破するに足る戦闘能力は有しているのだろう。

 

 しかし、雨宮ツバキは口を噤んだ。

 

 ナナシの進言に是とも否とも言えなかった。『私にはその判断を下す権利はない』とも『責任はすべて私がとるから行ってこい』とも。

 

 何故ならば、この部屋にはアナグラの最高権力者がいるのだから。

 

 ヨハネス・フォン・シックザールがそこにいた。

 

 ナナシは雨宮ツバキの次にヨハネスに顔を向けた。彼は唇を引き締め、モニターに注視していたが、やがてナナシの方を一瞥して言った。

 

「……何をしている。失礼だが、君は部外者だ。君はフェンリル重役の息子だが、君自身がこの極東支部で何らかの役職を持っている訳ではない」

「そんな上っ面の会話は今は要らない」

「……もっと大きな視野を持ちたまえ。為すべきことがあって此処に来たのだろう。短慮はその妨げになるぞ」

「かもしれない。だけど、俺は彼女の意思を継いで此処に来たんだ。そして、イオが、此処に立っていたら、絶対に、必ず、見て見ぬフリはしない…!」

 

 ヨハネスは確信していた。目の前の男、自らの名前を捨てた男は『敗北者』で『嘘つき』だ。他者にその理由を説明しろと問われても、回答は難しい。言語化の不可能な直感、或いはシンパシーとも言うべき推測。

 

 ナナシは言う、『世界を救う』と。

 その言葉の余りに薄っぺらいことか。彼はやりたくもないことに生涯を懸け、信じることもできない大義に命を捧げようとしている。

 

 だけど、

「何より! 今ここで! 人が死のうとしている! 人は死ねば決して生き返らない、取り返しがつかない! それを覆そうとするのに、大層な理由なんか要りはしない!!」

 

 このナナシの言葉は『本物』だった。

 

「……っ」

 

 ヨハネスの脳内に数多の思考が駆け巡る。

 

(極論、複数あるアラガミ防壁の一番外部が突破されただけだ。このアナグラまで落とされることは、あり得ない。第一部隊もやがて帰還する。だが、ここで少なくない被害を出してアナグラの者たちやフェンリルからの評価を落とすのは、アーク計画の今後を考えれば避けるべきか?)

 

 意識朦朧とした状態で、ディアウス・ピターと名付けられた接触禁忌種を撃退する程の実力者。そのナナシを投入すれば、確かにこのアラガミの軍勢に対抗できるかもしれない。

 

 しかし、

 

(レヴナントの存在を白日の下にさらすのは、リスクがある。アナグラ内に少なくない混乱をもたらし、何より今以上にフェリンル本部に私が目をつけられるリスクを増やす。…いや、神機使いとアナグラ職員だけなら情報統制も可能か?)

 

 そんなことを考えていると。

 ヨハネスの瞳に再びモニターの映像が映った。

 

 やはり、外壁内部に侵入してきたアラガミから逃げ惑う人々の姿が映し出されていた。

 

 何でもない家族がいた。

 妻と父親、赤子の息子を抱えてアラガミから逃げていた。

 

 

 

 

「……ペイラー。ナナシの装備は?」

『こんな事もあろうかと、修理はとっくに終わっているよ』

「ありがとう、支部長」

 

 ナナシが管制室から走り去っていく。

 

「支部長、あの人は一体?」

 竹田ヒバリの疑問にも答えず、ヨハネスはため息を吐いた。

 

 最後の一推しは、彼の良心だった。或いは、感傷と言い換えることもできる。

 数多の人生を歪めてきた。数多の命を奪ってきた。

 

 それでも、

(人が死ぬのは、悲しい、か)

 

 何たる惰弱。何たる偽善。

 

 アーク計画の為に冷徹な計算の元ナナシを動かしたなら、別に構わない。だが、先ほどのヨハネスはナナシの言葉とモニターに映るありふれた家族に心を動かされた。

 

 いまだに人の心を捨てきれない。そんな己を自嘲する。

 

 

(私は、弱いな。アイーシャ…)

 

 

 ―――失敗した。

 

 小川シュンは神機使いの崇高な使命とやらに命を懸けるタイプではない。何事も、自分の命あっての賜物だと素面で言えるタイプの人間だ。

 

 神機使いという肩書に対しても、多少のリスクと引き換えにこの世界のおける上流の暮らしを満喫できる『職業』だと捉えている。

 

 故に、単身突破されたアラガミ防壁に駆け付けたのも、別に命を懸けて人々を守ろうとした訳ではない。

 

 自分に割り当てられた箇所にやってきたのはオウガテイル種のグループであり、他の防衛班が戦っている中・大型の軍勢に比べると遥かにラクだった。

 

 最初は適当に力を抜いて流して戦っていたが、途中で思い直した。

 

 ―――これでは他の防衛班に比べて評価が下がる、報酬も期待できない。

 

 だからこそ、小川シュンは突破された防壁部分に評価と報酬を求めて駆け付けた。

 

 すぐに悟った。失敗した、と。目算が余りに甘かった。

 

 そこにいたのは、コンゴウ、シユウと言った中型アラガミ。そしてヴァジュラといったといった大型アラガミの群れだった。北側はアラガミの攻撃が一番激しい箇所だった。

 

 

 ―――こんなところで死ぬなんて、嫌だっ。

 

 コンゴウの剛腕に吹き飛ばされ住宅の壁に叩きつけられる。

 

 ゲホゲホとせき込んでいる間にオウガテイルがすぐ傍まで迫っていた。その大口が開かれ、シュンを噛み砕こうとする。神機は殴られて時に手放した。足の骨が折れているのか、動くこともできない。

 

 そこに赤と黒の影が割り込んだ。

 

 栗色の髪。その瞳は血のような赤。燕尾服にも戦闘服を纏っている。

 

 

「アンタは? 確か、ミハ―――」

「―――ナナシだ」

「アンタ、腕っ!?」

 

 シュンの身代わりとなってナナシの片腕はオウガテイルの牙を受けていた。ナナシは空いている手に持っていた片手剣を振るう。

 

「はあっ!!」

 

 オウガテイルはその斬撃で吹き飛ばされ、霧散した。

 

「神機使いには回復錠が支給されているんだろう? 一人で大丈夫か?」

「あ、ああ」

「よし。俺は周囲のアラガミを駆逐する。余裕があったら、お前も加勢してくれ」

「お前、何なんだよ!? というか腕、折れてるぞ!?」

「問題ない」

 

 言いながらナナシは胸に手を当てて、簡易的な錬血を使って心臓のBOR寄生体に刺激を与えた。BOR寄生体が駆動し、腕の傷を治していく。回数こそは限られるが、レヴナントはBOR寄生体の回復力を応用して己の傷を治すことが可能だ。

 

「え、お前なんで傷治って……」

「せあっ!!」

 

 間髪入れず、ナナシは剣を振るった。翼を生やした人型のアラガミ、シユウが滑空しながら攻撃してきたのだ。ナナシはすれ違いざまにシユウに斬撃を叩き込むが硬質の翼に阻まれ、ダメージは薄い。

 

(オウガテイルのような小型のアラガミならまだしも、中型以上には神機ではない俺の武器ではやや効果は薄いか。なら、錬血を叩き込んでやる)

 

 とはいえ、

(ここに来るまで交戦で冥血は全て消費してしまった…!)

 

 肉質が比較的柔らかい首元に片手剣を当て、その動きを止める。その間に変形させた吸血牙装オウガでシユウの首を掴み、勢いよく地面に叩きつけた。

 

(榊博士は装備の殆どを修理してくれたが、マスクの修理は間に合わなかった)

 

 故に今のナナシは攻撃により、冥血を回復することは出来ない。あれは攻撃の度に武器に付着した敵の血が、マスクを通して口内に運ばれる仕組みだ。そもそも、マスクがなければ成り立たない。

 

(背に腹は変えられない、か…)

 

 鬼の手に如く変形したナナシの左手に拘束されたシユウは激しく抵抗する。

 

 そのシユウの首元、女王討伐の片手剣によって傷つけられた部位に向かってナナシはかぶりついた。暴れるシユウを力づくで無理やり押さえつけ、牙をその首元に突き刺す。

 

(深層のバケモノの血でも冥血は回復した。だったら、コイツでも問題ないはず…!!)

 

 滴る血を飲み干した。

 

「ア、アラガミを食ってるっっ!?」

 後方の小川シュンが悲鳴を上げるのが聞こえた。

 

「ぐ、が!? マスクで濾過してないと中々にキツいがっ…!!」

 

 身体の内側から焼かれるような感覚。しかし、確かに冥血のストックは回復した。

 

「ブラッドコード:イシス」

 錬血に優れたブラッドコードを選択する。

 

「プラズマ・ロアー」

 ほとばしる稲妻を生成し、標的に放つ。

 

「インドアコイル」

 狙いを定めた敵の足元に強力な雷の柱を三連続で解き放つ。

 

「竜公の杭」

 血を巨大な杭に変質させ標的を貫く。

 

 苛烈な錬血の連続技をその身に受けたシユウはコアを消し炭にされ、霧散した。

 

「……傷は勝手に治る。アラガミを喰う。バレッドみたいなよくわからないやつを出す。……お前、一体何なんだよ…」

 

 シュンの口から零れた疑問にナナシが応えることはなく、彼は疾風の如くシュンの前から去っていった。シュンが理解できたのは、自分の命は助かった、ということだけだった。

 

 ナナシは街を駆けていた。

 

「早く逃げろ!」

「は、はいっ!!」

 

 逃げ遅れた人々を救い、目につくアラガミを片っ端から切り刻み、錬血で屠っていく。

 

 とはいえ、ナナシも無敵ではない。傷が少しずつ増えていく。BOR寄生体の再生力で傷を治すが、やがて使用限界が訪れる。

 

 血だらけだった。骨が軋む。視界がぼやける。

 

 BOR寄生体は自己保存の為、次の瞬間にはナナシの身体を霧散させようとしている。ナナシはそれに抗った。

 ここで霧散する訳には行かない。

 今自分が居なくなれば、誰がアラガミと戦うのだ。

 

 無数に剣を振るい、無数に錬血を放ち。やっとナナシは安堵した。

 

「第一部隊…」

 

 リンドウ。ユウ。コウタ。サクヤ。ソーマ。

 ナナシの見知った顔がこちらに駆けていた。彼らが帰投して援軍に来てくれたのだ。

 

「また会おう」

 

 だからナナシは安心してヴァジュラの牙を喰らうことができた。命の終わり、絶命の瞬間はレヴナントにとって慣れ親しんだ感覚だった。

 

 

 極東支部にはヤドリギがないため、当然何処で復活するかは選べない。そういった場合、BOR寄生体は宿主が安全だと判断し直近に訪れた場所で復活させる傾向がある。

 

 故にナナシが復活した場所はアナグラの管制室だった。

 

 管制室は静まり返っていた。

 きっと彼らには、モニターのナナシが絶命し、それから大した時間を置かず、突然虚空から現れたように見えただろう。

 

「……ただいま」

 声を返す者は、いなかった。

 

 ◆

 翌日、ナナシはロビーに足を運んだ。いっそ部屋に引きこもろうかとも考えたが、現実逃避のようだから却下した。

 

 レヴナントのこと、ヴェインのこと、ナナシのこと、これらの大まかな概要は既に極東支部の全ての神機使いと多くの職員に知れ渡っている。

 

 ナナシが未知の力を使ってアラガミと戦った姿は管制室のモニターを通じて多くの職員に知れ渡っており、一切の説明を行わないということは不可能だったからだ。昨晩の内に上層部から直々に説明があったらしい。

 

 流石のナナシも周囲の人々の反応がどうなるかは予想がつかない。柄にもなく心臓が跳ねていた。

 

 ナナシの姿を見た人々は、しんと静まる。ロビーに静寂が流れた。

 

(こう、なったか…)

 落胆はしない。予想通りだ。

 

 レヴナントは異物である。神機使いよりも更にアラガミに近く、人の血を啜る化け物である。更に今回はアラガミから直接冥血を取り込む姿や、死から復活する瞬間も見られた。彼らの常識から照らし合わせれば、きっと己は恐ろしい存在なのだろう。

 

 ふいに、ナナシの前に小柄の人影がでてきた。桃色の髪の生意気気な顔つきの青年。小川シュンだった。ロビーの全ての人間がシュンとナナシに注目する。ただでさえ静かだったロビーが冷たいくらいの沈黙に包まれた。

 

 彼は不機嫌そうに唇を尖らせて言った。

 

「お前、ミハエルって名前はウソだったのかよ」

「ああ、すまなかったな。ナナシと呼んでくれ」

「お前、人の血を飲むんだってな。アラガミの血も飲んでたし」

「2つの血で用途は違うが、何も間違っていない」

「死んでも身体が霧散して、アラガミみたいにまた蘇るんだってな…! 化け物じゃねえか…!」

「……ああ、小川シュン。お前の言ってることは全部正しい」

「はっ! そうかよ!!」

 

 シュンは吐き捨てるように言った。そして踵を返して、ナナシから去っていく。その途中でナナシに何か投げてきた。ナナシはそれをキャッチする。

 

「これは…」

「血しか飲めねえわけじゃないんだろ! 普通に飯とか食ってたしな!」

「あ、ああ…」

「だから、缶コーヒー! やるよ! 毎日飲んでたろ! それと、それと……助かった。さんきゅな……」

「声が小さいわよ、シュン」

 近くにいた眼帯の神機使いが苦笑しながらシュンの肩を叩いた。

 

「うるせえ! さんきゅな! だからってそっちから話しかけてくんなよ、吸血鬼野郎!!」

「……、ああ」

 

 胸が少しだけ軽くなった。自然と口元がほころんだ。

 

「あ、ナナシさんだ! すげえ! ほんとにアナグラに戻ってる! 傷一つない!話には聞いてたけど本当に不死身なんだ!」

「傷も残らないなんて羨ましいわね」

「ナナシのお陰で助かったよ」

「そうだな。またお前さんに助けられちまった。ありがとな」

 

 そこに第一部隊の面々もロビーにやってくる。リンドウは気軽にナナシの肩に腕を回し、彼の活躍をねぎらった。

 

 そしてわあっと堰を切ったように一気に職員たちが集まってくる。

 

「そ、の、ありがとうございました! 俺、実家が外壁の近くにあって、貴方が来てくれなかったら母もどうなっていたことか!」

「私あの日外で外壁の点検をしてたの! 貴方がいなきゃ、アラガミに食われてたかもしれないわ!」

「お兄さんイケメンだけど彼女とかいる?」

「ねえ、禁足地から来たんだろ!? あの中ってどうなってんの!? すごい気になる!!」

 

 彼らは怖かったのだ。ナナシが、ではない。周りの人々が、である。

 

 彼らは皆ナナシに感謝していた。だけど、ナナシが客観的に見てレヴナントと言う異形の存在だと理解しているから、自分から話しかけることは出来なかった。周囲の人々に、白い目で見られることは避けたかった。

 

 しかし、小川シュンという神機使いの問題児は、彼なりの方法でナナシを受け入れた。本来ならば、シュンの性格上ナナシを表立って排斥する側の人間だったかもしれないが、今回は違った。

 

 そして神機使いのエースとでも言うべきリンドウが所属する第一部隊の面々は、親し気にナナシと接している。その光景を見て、やっと人々は安心して、ナナシに歩み寄ることができた。

 

 彼らを意気地なしとも責めることもできるだろう。彼らを風見鶏だと詰ることもできるだろう。

 

 だけど、ナナシはそうしなかった。何故なら彼らは、本心からナナシを受け入れてくれたのだから。

 

 レヴナントは異物である。

 神機使いよりも更にアラガミに近く、人の血を啜る化け物である。

 

 けれど。

 異物であっても。化け物であっても。

 

 外の世界に居場所が得られない訳では、決してない。

 

 

 

 そしてナナシは夢を見る。

 生と死の狭間の世界。空は満点の星空。

 

 そこに少女がいた。

 銀の髪。白い肌。琥珀色の瞳。

 

 彼女は巨大な純白の樹の根元に座ってナナシを待っていた。ナナシは彼女の横に座る。少女は微かな笑みを浮かべたまま、黙している。ナナシの言葉を待っているのだろう。

 

「……俺はさ」

 

「本当は多分、世界のことなんてどうでも良かったんだと思う」

 

「この世界を終わらせたくなかった。俺は、皆の…イオ……お前の生きる世界を終わらせたくなかったんだ。その為なら自分の命だって懸けれた」

 

 だけど、本当に大切な者(イオ)は守れなかった。彼の世界はそれ以降、不完全なものになってしまった。

 だから、あの日から彼は『敗北者』になった。

 

「ヴェインの外なんてどうでも良かったよ。でも、イオ、お前は本当は外の世界の人も救いたかったんだろう? その意思を継いでやりたいと思った。生き残った俺の役目だと…。それは間違いなく俺の本心だ」

 

 だけど、世界を救いたいと思ったことはなかった。何故なら彼の救いたい世界とは、イオのいる世界だった。彼女が笑い、涙し、生きる世界だった。

 だから、あの日から彼は『嘘つき』になった。

 

「でも、何だろうな……」

 

「たった、数日、いただけなのに…」

 

「俺は極東(ここ)が凄く好きになってたんだ…。屋上から街並みを見ただけなのに、廊下で少し会話しただけなのに…。少しだけ、受け入れてもらえただけなのに。今は、こいつらの為に戦いたいって、そう思う。おかしいか?」

 

「―――いいえ。貴方は優しい人ですから。目の前の人の為に戦える、そんな貴方だから私は犠牲にしたくないと思いました」

 

「そうか。それじゃあ、俺はもう少し、頑張ってみるよ。イオ」

 

「――――はい。いってらっしゃい、ナナシ」

 

 

 

 琥珀色の笑顔を焼き付けて、ナナシの意識は覚醒した。

 

「あ、起きた」

 ユウが自分を覗き込んでいた。

 

「……すまん、寝てた、みたいだな」

 ナナシは眠気眼を擦る。どうやらロビーのソファでうたた寝していたようだった。

 

「そろそろミーティング始まるよ」

「そうか、すまんな。探しに来てくれたのか」

 

 ソファから立ち上がりユウと共にミーティング室を目指す。

「……いい夢だった?」

「ん?」

「すごく幸せそうな顔で寝てたから」

 

 ナナシは目をぱちぱちして、小さく笑った。

 

「ああ、そうだな。良い、夢だった」

 

 その続きを、自分は生きる。




1章はこれで終わりです!次の章はシオも出てきて、物語が加速します。

ブクマが急に増えててびっくりしました。ランキングに載っていたようですね。
これもひとえに読者の皆様の応援のお陰です。ありがとうございます。

感想・アドバイスは励みになります。お気軽にどうぞー。


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2.蓮の華の物語
11:バケモノ討伐の片手剣


 ナナシが極東に来て一月が経とうとしていた。

 

 『黎明の亡都』。図書館、湖、植物園、かつての人類は憩いを求めてこの場所を訪れたのだろうが、今ではアラガミくらいしか寄り付かない。そんな場所にナナシはいた。

 

 右手にあるのは光を飲み込む闇夜の如き黒色の片手剣。

 

 『女王討伐の片手剣』をベースとしながらも、ペイラー榊が改良を加えたレヴナント用対アラガミ近接兵装、新たに授けられた名は『バケモノ討伐の片手剣』。

 

 ヴェイン固有の鋼材と外の世界の鋼材が合わさった闇色の刃は鋼鉄を難なく引き裂く。

 

 しかし、神髄は堅牢な刃ではない。強靭なアラガミの細胞は鋼鉄よりも更に堅い。それを切り裂くため、この片手剣にはある機構が取り付けられている。

 

 ナナシは眼前のアラガミ、オウガテイルを見据える。

 オウガテイルは牙を向き大口を開け、ナナシに迫る。ナナシは右手の『バケモノ討伐の片手剣』の柄を握りこむ。ナナシもまた、大地を蹴りオウガテイルとの距離を詰める。2つの影が交錯した。

 

 

 一閃。

 アラガミは神機でなければ倒せない。この世界の常識。

 

 ―――しかし、ここに例外が存在する。

 

 何故ならば。彼は異物である。彼は化外である。彼は世界の常識の外(ヴェイン)からやってきたのだから。

 

 血風が舞う。立っていたのはナナシだけ。『バケモノ討伐の片手剣』はオウガテイルの身体を真っ二つに引き裂いた。

 

「ひゅう」

 

 背後で見守っていた雨宮リンドウが口笛を吹く。

 

「すげーなぁ。並みの神機よりもずっと切れ味が良いぞ、こりゃ。そこに錬血も加わるんだろ?」

「ああ、いい感じだ。以前は斬っている時にかなり引っ掛かりがあった。木材を鋸で無理やり切り裂いているような。今は違う。…博士の技術力は凄まじいな」

 

 言いながらナナシは剣を振るう。

 黒色の刀身、オウガテイルの外皮と接触した部分を覆うように、薄く赤色の血晶が形成されていた。

 

「『装血(そうけつ)機構』。俺の身体を流れる血液を片手剣内で濃縮し、一定以上の剣速や衝撃を刀身に加えた際、刃を覆うように血晶を発生させる、らしい」

 

 ペイラー榊によれば、ナナシの血液は心臓のBOR寄生体由来のオラクル細胞に侵されており、微弱であるが捕食効果が認められるらしい。この『バケモノ討伐の片手剣』そんなナナシの血液を有効的に活用する装備だ。血を濃縮・血晶化させ捕食効果を神機並みに引き上げる。

 

 簡単に言えば、通常の斬撃の際にも簡易的な錬血を用いている、と言えるかもしれない。

 

 勿論、そんなことをすれば冥血のストックを恐ろしい勢いで消費する。しかし、片手剣および左腕のオウガの吸血機構も博士の手により遥かに強化されており、以前とほぼ変わらぬ感覚で錬血を使えそうだ。

 

 結晶を常時展開するのではなく、剣を振るった際や衝撃が加えられた際に限定するのは、少しでも消費する血液を節約するためだ。刃の全面ではなくアラガミの身体を実際に切り裂く一部分に発生させるのも同じ理由からである。

 

「お、現地の皆さんの歓迎だ」

 

 リンドウが笑う。

 

 2体のコンゴウがこちらに向かっていた。

 

「現地、か」

 

 ナナシは苦笑した。最早ここは人間の生活区域ではなく、アラガミの住処なのだろう。

 

「手早く片付けるぞ」

 

 ナナシは剣を振るう。その軌跡は仄かに黄金の燐光を放つ血の色をしていた。

 

 

 コンゴウを片付けたナナシとリンドウは車で帰路に着いていた。ハンドルを握るのはリンドウだ。

 

 見渡す限りの廃墟と乾いた大地。アナグラを出れば、そこにあるのはヴェインと余り変わらない景色だった。強いて違いを挙げるならば、地殻を穿つ審判の棘がない事だろうか。

 

 ヴェイン内では棘によって大地が裂け、建物が崩落し、或いは空に縫い留められる景色が良く見られたが外の世界ではそれはない。故に比較的建物がそのままの形で残っていた。代わりにアラガミによって、虫食い状態だったが。

 

 当然道路は舗装なんかされていないため、車はひどく揺れるがリンドウはどこ吹く風で片手で軽快にハンドルを回していた。ただ、その口元はもごもごしていた。ナナシは声をかけた。

 

「何か、話したいことがあるのか?」

 

「ん、ああ、いや」

 

「聞くよ」

 

「来週な。アリサが復帰する。…分かるよな? 俺たちとお前さんが会った時にいたロシア人のお嬢さんだ」

 

「ああ。…体は治ってもメンタル面に不安があるんだったか。ユウとの新型同士の感応現象によって大分持ち直したと聞いたが」

 

「アリサは小さい頃、目の前で両親をアラガミに食われたらしくてな。そんな経験をすりゃ、誰だってトラウマになる。極東に来たのも両親の仇がこっちに出たって噂を聞いたかららしい。少し硬すぎるきらいはあるが、将来有望な奴だよ」

 

 そこでリンドウは言葉を区切って、頭を掻いた。

 

「ユウとの感応現象がきっかけで、その後のメンタルテストで判明したことなんだが……あのお嬢さんは暗示を受けてた。俺のことを自分の親の仇だとを誤認する暗示だ」

 

 さらりと、衝撃的な告白をした。

 

「なんだって…!?」

 

 ナナシは眉を顰めた。

 

「ビビるよな。俺も驚いた。アリサは家族が亡くなった後、メンタルケアと投薬を続けてた。フェンリルに入るに従って、主治医は大車って野郎に変わったんだが、そいつがアリサに診療と称して暗示を与えてたらしい」

 

「大車…」

 

 ナナシはその名前を反芻する。確か黄色いバンダナを身に付けた中年の男だった筈だ。アリサの診察室の近くで何度か見かけたが、思い返せば最近その姿を見た覚えがない。

 

「そいつは今何処に?」

 

「バレたら尻尾巻いてフェンリルから逃げ出したよ。今は行方知れずだ。動機も今となっては分からん。そんなに人の恨みを買った覚えはないんだがなぁ。はははっ」

 

 リンドウは笑う。どこか乾いた笑いだった。

 

「…俺はまだこの世界に詳しくないから、よくわからんないんだが、そう簡単にフェンリルから逃げ切れるものなのか?」

 

 言外に裏切者がまだアナグラにいてそいつが逃亡の手引きをしたのではないかと問う。

 

「さてな。可能性は低い。が、全く不可能って訳でもない。フェンリルから離れて生きていくこともな。簡単じゃないが出来ないこともないぜ」

 

 ナナシは顎に手を当てて考え込む。

 

 そもそも、何故大車はアリサを使ってリンドウを抹殺しようとしたのか。私怨にしては確実性に欠け、回りくどすぎる。実際アリサはリンドウの殺害に失敗している。それにリンドウ自身が言ったように、彼が人の恨みを買うような人間とも思わない。

 

 ナナシは小さく首を振った。余りにも情報が少なすぎるし、元来推理が得意なタイプでもない。

 

 ナナシはリンドウの横顔を見た。

 自身の命を狙われたというのに余りにも飄々としている。

 

 本当は、この男は自分が狙われた理由を知っているんじゃないか?

 

 ふと、そんな考えか頭に浮かんだ。根拠のない只の直観である。

 

「アリサのことは心配するな。うちの医師のお陰で暗示は解けてる。というより、ユウとの感応現象でそこら辺の認識の齟齬は大体解消されてたそうだがな、ん?どうしたナナシ」

 

「……リンドウお前、危ない橋を渡ってないよな」

 

「…ああ、してないさ」

 

 その笑みからは真偽は判断できなかった。

 

 

 気づけば極東が目の前に迫っていた。

 アラガミ防壁に囲まれたその外観は威容を放っている。

 

 人は欺く。人は争う。自己の為、他者の為、世界の為に。

 

 当たり前の話だ。ヴェインの中でも、外でも決して変わらぬ原理がそこにあった。

 

 




次話からアリサが復帰します。


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12:復帰

 ナナシはロビーに設置されたターミナルの画面に視線を向けていた。ターミナルではデータベースにアクセスし、アラガミや各種用語の閲覧、装備の変更等を行うことができる。ナナシも極東支部の正式な一員となり、これらの機能を一般神機使いと同様に十全に使うことが許可されていた。

 

 とはいえ、ナナシが見てたのはアラガミの弱点属性でも偏食因子の概要でもない。自身のフェンリルクレジットの残高だった。

 

 ルビーのように煌めく瞳が訝し気に細められる。そのシャープな顎に手を当て、苦笑するように呟いた。

 

「―――ふっ…金がない」

 

 近くのソファに座っていたコウタがそれを見て言う。

 

「イケメンて得だよな。あんな情けないセリフでもなんかカッコいい気がするもん」

 

 横に座っていたユウが呆れた顔で言う。

 

「いや、カッコ良くないよ。流石に誤魔化されないよ」

「ふうん、やっぱ男は顔じゃなくて中身か! 良いこと聞いた!」

「そうは言ってないけど…」

 

 自身の発言を都合よく解釈したコウタにユウは呆れる。顔はやはり大事だと思う程度には神薙ユウの嗜好は普通の女子だった。

 おつかれさまでーす、とコウタがナナシに手を振る。

 

「ナナシさん、金欠なんっすか?」

 

「まあ、肯定か否定の2択ならば前者を選ぶしかないな」

 

「何でこの人素直に認めないの…」

 

「プライド高いんじゃない? というか意外とお金の使い方荒いんだね、ナナシって」

 

 意外にも歯に衣着せぬ言葉でナナシを切るユウ。それに対して、

 

「待て、理由がある。『バケモノ討伐の片手剣』だよ。装備の更新の費用が自分持ちなのは良いとして、何故初期装備にまで金がとられるんだ」

 

「ああー、確かに俺たちは初期装備はタダで貰いましね。そっからのカスタムは自腹でどうぞって感じだけど」

 

「コウタはツバキ教官の神機をそのまま貰えたから良いよね。ボクのは出来たばかりの新しい神機だからどんどん強化しないとアラガミの進化に置いてかれるよ」

 

「まぁーつまり最近新調した武器にお金を全部取られた訳なんすね」

 

「ああ。極東支部の正式な一員となったからにはその扱いも一般の神機使いと同様にあるべき、だそうだ」

 

「ん、でも確かにおかしいっすね。神機使いの初期装備は確か無償で支給されるはずっすけど。少なくとも俺たちはそうでした。同じじゃないじゃん」

 

 と、コウタが呟く。その先はユウが引き取った。

 

「多分初期装備は書類上は別の剣なんじゃない? 確か『女王討伐の片手剣』ってヤツ。実際数日前まではナナシはアレを使って戦ってたんでしょ。いまいちアラガミには効果が薄かったみたいだけど」

 

 でも、と続ける。

 

「確かに聞いてると酷い話だ。あの剣って元々はナナシが自分で持ってきた剣だよね。確かに榊博士が折れた剣を繋いで無理やり修復はしたけど、あれをフェンリルが用意した初期装備と言い張るのは、うん、酷い。ナナシにお金はらいたくないだけじゃないの」

 

 ユウには珍しいことに早口で長々と言う。小首を傾げてナナシに問いかけた。

 

「一緒に抗議する? 覆す(・・)?」

「いや、別に文句がある訳じゃないんだ」

 

 自分で思うのも何だがナナシはその出自故目立ちやすい。ここで抗議して周囲から余計な関心を買うのは得策じゃないだろう。それに人間と言うのは、苦労している人間を見ると安心し、地道にコツコツと努力する人間に親近感を覚える。金欠に悩み地道に金を稼いでる今のナナシの現状は、レヴナントという壁を壊し周囲に溶け込むには、悪くない状態だと言えるかもしれない。

 

「……とはいえ、金がないのはやはり応える。まさかこの時代になって貨幣経済に振り回されるなんてな」

 

 アラガミの出現以降、既存の宗教の神々は人の心から死んだが、唯一残った神がいる。それが金だ。正確にはフェンリルがそうなるように仕組みを整えた。

 

「何か手軽にお金を稼ぐ裏技でもあればいいんだが。例えばガラス繊維を行商人から買ってそれを売ると何故か手元のお金が増えている、みたいな」

 

「なんすか、そのえらく具体的な錬金術じみた金策は…」

 

「分からん。はるか昔にはそんな裏技があったような気がするんだが。記憶の欠損…?まあ、俺は食料を摂る必要がないからな。最悪金が無くても何とかなる。回復錠も俺には必要ないしな」

 

 神機使いは普通の人間に比べて非常に高い治癒力を持つが、アラガミとの戦闘時においては回復錠を投与してその回復力を更に高める。回復錠と銘打っているが実際の所は人体の偏食因子にエサを与え活性化を促すドーピング剤である。人体を一瞬だが意図的にアラガミに一歩近づけているともいえるかもしれない。

 

 故に一度の任務で携行できる数はフェンリルによって厳重に制限されている。因みにこの回復錠も自腹である。これに関して神機使い(特に傷の絶えない近接神機使い)からのクレームが激しいが、一向に改善される見込みはない。

 

 この回復錠であるが、ナナシは使用を禁止されている。レヴナントに使用した場合、どのような効果が現れるか現状正確には把握されていないからである。とはいえレブナントは自身の心臓部のBOR寄生体を刺激することで、神機使いを遥かに上回る再生力を発揮することが可能であるため、もとより回復錠いらずであり、ナナシはその分の経費を削減することができる。

 

「それはダメだよ」

 ユウが少し口を尖らせて言った。

 

「ん?」

「いくら食べなくても平気でも、人らしく暮らしをやめちゃいけないと思う。人の命は、生きてるってだけで宿るもんじゃないから。ただ生きてるだけじゃ、人じゃないよ。だからあげるね、これ」

 

 ユウは食べかけのチョコバーを差し出した。ナナシは目を細めた。

「いや、お前…」

 

 ティーンエージャーとの間接キッスに恥ずかしがるほどナナシは子どもじゃない。しかし、戸惑いはあった。いくら少女側が遠慮なく距離を詰めてきても、少なくとも大人側は倫理と理性を持って窘めるべきだと思う。

 

「はい」

 ユウの有無を言わせぬ迫力に結局負けたが。

 

「ありがとな」

 口元に突きつけられたチョコバーを受け取けとる。

(無自覚に距離が近いな、この子は)

 

 魔性の女の素質があるかもしれない。もしユウと同年代だったならば、危うかった。

 

「え、ちょ! え!」

 コウタが慌てる。その様子にナナシはおや、と思いながらも問いかける。

 

 

「人の命は生きてるだけで宿るものじゃない、か。良い言葉だな。ユウが自分で考えたのか?」

「ううん。友達が、言ってたんだ」

 

 ともだち、の四文字には強い想いが乗っていた。

 

「そ、それ男友達か!?」

 コウタが叫ぶ。

 

「若いって眩しいな」

 チョコバーを齧りながら、ナナシは笑った。片方は何処までも透明度が高い故の無自覚魔性ムーブ、片方はそんな少女に振り回されながら自身の想いに気づいてもいないようだ。いいや、まだ恋と言えるほど大きな感情ではなく、一番距離が近い異性にドキドキしてるだけか。

 

 ともかくナナシは笑いながら目を細めた。過ぎ去った青春を懐かしむように。

 

 

 

 その日の午後、ナナシはアナグラのある小部屋に足を運んでいた。室内には第一部隊が揃っていた。ミーティングである。ソーマだけは特務があるらしく、席を外しているが、逆にソーマ以外はいる、ということは当然この少女も部屋にいた。

 

「本日付で原隊復帰になりました。また、よろしくお願いします…」

 

 アリサ・イリ―ニチナ・アミエーラだった。銀髪のロシア娘は伏し目がちにか細い声で頭を下げた。

「いやあー! 復帰できてほんと良かったよ! すっごい心配してたんだ!」

 コウタが喜色の声を上げる。

 

 ナナシは右手を差し出しす。アリサはおずおずと握り返した。

 

「はじめて会うな。ナナシだ。書類上は第七部隊の所属になっているが、実質的には第一部隊で配属されている。よろしく」

 

「は、はい。お久しぶりです…!」

 

 言うや否やアリサは握手をほどき、自分の首周りに腕で回す奇妙なポーズをとった。

 

「なんだそのポーズ?」

 

 リンドウが目を丸くした。

 

「首を守るポーズだな」

 

 そういえば、とナナシは記憶を何とか復元する。ユウの血を啜った際、アリサはドン引きです!とか言ってた気がする。アリサの中ではナナシは婦女子の首元を狙うド変態になっていうのかもしれない。

 

(一応、レヴナントが血を求める情報は回っているはずなんだが…)

 

「アリサ…」

 ユウが咎めるように言う。アリサははっとして、ナナシに再度向き合った。

 

「は、はい。その、ユウからお話は聞いています。支部の人々を守るために一人で突破された防壁に向かって戦ったって。人々を守るために戦い、成果を出す。とても素晴らしいことだと思います。…私と違って」

 

 今度はいきなり卑屈になられて、ナナシは面食らった。

 

(なるほど。リンドウから厄介なことになっているとは聞いていたが…)

 

 ナナシが目配せし、リンドウが横から口を挟む。

 

「アリサ。ありゃお前さんのせいじゃない。悪いのは大車だ」

「は、はい…ごめんなさい…」

 

 目線を逸らしてアリサは謝るばかりだった。そんなアリサが混じった第一部隊のミーティングは腫物を触るような何とも言えない空気の中で終わった。

 

 他のメンバーが退出する中、ナナシはリンドウに声を掛けられる。

 

「ナナシ、ユウ。少しいいか? アリサの事なんだが。さっきのミーティングで言ったようにアリサは第一部隊の正式な任務には出さない。代わりに、しばらくお前たちはアリサと一緒にスリーマンセルで演習任務に出てほしい」

「ユウは分かるが、どうして俺…あぁ、いや分かった」

 

「話が早くて助かるぜ。お前さんなら人格・戦力的にも安心して任せられる。ユウがいるのは、アリサのメンタル面を考慮してだな。アリサはこのアナグラではユウを一番信頼してる。本当なら俺がアリサに着くべきなんだろうが、見ての通り完全に委縮しちまってな。俺に銃を向けたことが余程トラウマになってるらしい」

 

 確かに、あの緊張具合ではアラガミとの戦闘にも影響を及ぼすだろう。そして、リンドウはナナシならばアリサがアラガミとの戦闘中にどんなに取り乱しても、対処できると信頼してくれている。ならばその信頼に応えたい。

 

「まずは自信を取り戻させること。そして可能なら新型神機使いのノウハウも教導すれば良いんだな?」

 

 それが今回ナナシがアリサとユウに保護者に選ばれたもう一つの理由だ。

 

「ああ。新型神機は最近正式に配備されたばっかりで、戦術も教導マニュアルも正直どこの支部も手探りでな。俺が教えられるのは近接だけだしサクヤなら遠距離での立ち回りも指導できるんだろうが、これまでのユウの戦う姿を見るに、単純に2つを足して別個に戦うんじゃなく、近遠両方を融合させたまったく別個の戦闘ロジックが必要みたいだ」

 

 似合わねえ難しいことを言いすぎたな、とリンドウは頭を掻く。

 

「ともかく、遠近両方を素早く切り替えて戦うお前さんのスタイルは新型神機使いに近いと前々から思ってた。ユウ、これを機にナナシから色々学んどけ」

「うん、わかったよ」

「ユウ、これからよろしく頼む」

「アリサと一緒にお世話になるね」

 

 かくして、尋常ではない過去を背負った2人(・・)の少女とナナシは戦場を共にすることになる。

 

 

 

 



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