英雄伝説 天の軌跡Ⅱ (十三)
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灰色の門出 ※

初めましての方は初めまして。そうでない方はお久し振りでございます。『十三』と申します。

軌跡シリーズ最新作『黎の軌跡』の発売された昨今、皆さまいかがお過ごしでしょうか。戦闘システムなどがかなり変わるらしく、不安もありますが、まぁとりあえず買おうとは思っています。一体シリーズ完結は何年後になるんでしょうか……(畏)

前作に引き続き、こちらの『英雄伝説 天の軌跡』を書かせて頂くことになりました。投稿頻度は遅れがちになってしまうと思われるのですが、御贔屓にしていただければこれ以上の喜びはありません。
 
主人公レイ・クレイドルと、彼の仲間や友や恋人たちと紡ぐ物語。どうか見ていただけると幸いです。




 

 

 

 

 

 

 真っ白い世界に、自分はいた。

 

 

 以前にも来た場所だ。何処までも広がる白の中に、黒の茨が大樹のように生えている。

 そこに向かって歩く。遠近感など無いに等しい。近づいているのか遠のいているのかすら分からないが、ひとまず歩き続ける。

 

 どれくらい歩いたのだろうか。数分かもしれないし、数時間かもしれない。誘蛾灯に群がる虫のように無意識のままに近づこうとしていると、不意に背中にトンと柔らかい衝撃が触れた。

 

 

「また死にかけたんだね、相棒。とうとう左腕が逝ったか」

 

「あぁ。師匠との修行で骨や内臓は何度もやられた事はあったが、何だかんだで四肢と首は繋がってたからな」

 

「そういう意味では”教え上手”だったという事か。身体の一部が丸々吹き飛んだ感覚はどうだい?」

 

「腕一本分の肉と骨と体液がなくなるだけで随分軽くなったぞ。居合がやりにくくなるし体のバランスが取りにくかったが……総合的に見てマイナスだな」

 

「本音は?」

 

「サラにもシャロンにもクレアにもクソ程叱られるだろうから怖い」

 

「素直でよろしい」

 

 ケラケラと笑う真っ白な存在。

 ボロ布のような粗末な服を身に纏い、しかしその上から封印されるかのように黒い鎖で縛られている。

 その為、肌が見えているのは両脚の膝から下と首から上のみ。その表情は、無垢な子供のように()()()()だ。

 

「それにしても、茨の数は随分と少なくなったじゃないか。以前の時はこう、もっと容赦ない感じに生えてたと思うんだけど」

 

「……まぁ、あの時から色々とあったからな。まだ中心には行けそうにねぇが」

 

 以前の時にはあった、茨の大樹の周囲に広がっていた防壁のような波が無くなっている。

 とはいえ、未だ大樹の方には近づけそうにない。そう分かると、レイは踵を返した。

 

「やめだやめだ。こんな所で油を売ってる暇はねぇや。戦いに行かねぇと」

 

「やっぱり、そんなになっても戦う事はやめないんだね?」

 

「当たり前だ。賽が投げられた以上、俺は足を止められねぇ。歴史が洪水みたいに流れている中でただ流されてやれるほど、俺は器用でも利口でもねぇからよ」

 

 そう言って隻眼隻腕の少年―――レイ・クレイドルはその右手を、隣にいた相棒の白い髪の上に置いた。

 

「そういう訳だ。まだまだ諦めるつもりはねぇから、よろしく頼むぜ相棒」

 

「分かっているよ、相棒。まだまだ長い付き合いになりそうだね」

 

 直後、その全身が輝き出し、その光が収縮すると、レイの右手に収まる長刀になった。

 その身長に近しい長さの得物。柄頭から刃の切っ先に至るまで、この世界との境目が分からなくなるほどの純白の色化粧。

 

 それこそは、レイ・クレイドルが長らくその手に携え、数々の死線を共にしてきた文字通りの片腕。

 正式名称《穢土祓靈刀(エドハラエノタマツルギ)布都天津凬(フツアマツノカゼ)》。嘗て結社《身喰らう蛇》の《執行者》に就任した際に、《盟主》より賜った不朽不毀の剣である。

 

 己の手足の延長の如く扱えるそれを右手に携え、レイは笑う。

 失ったものはあるが、まぁ悲観しきる程の事でもない。命は拾えたのだし、何より守るべきものは守れた。

 ならば後は、倒すべきものを倒すだけだ。そこまで達成して、初めて”守り抜く”事が出来る。

 

 ならば、彼が長刀を片手に為すべき事は唯一つ。

 

 

 

「さて、(いくさ)の時間だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 無機質な天井が目の前にあった。

 

 僅かに薄汚れた照明と、静謐に囲まれた部屋。鼻腔に感じるのは幾つもの薬品の臭いと、折りたたまれたシーツから出る洗剤の香り。

 体を起こそうと右腕を動かそうとしたが、針を通して繋がった様々な医療器具がそれを阻む。

 それでも、何とか手先だけを動かしてシーツの上をまさぐる。そうして出された衣擦れの音に反応して、一人の人物が顔を覗かせた。

 

「あら、お目覚めかしら。鈍痛とかは―――あっても貴方の事だから我慢してそうね」

 

 浅葱色の長い髪を一房に編んで纏めたシンプルな髪形。だが、それに反比例するように、服装はチグハグだ。

 カルバード共和国の東方街で見かける、スリットが入った派手な色の民族衣装の上に、清潔感のある白衣を纏っている。

 上背はそれ程あるわけではないが、女性としてのスタイルの良さは、ベッドの上から見上げる形でも良く分かる。街中を歩けば、必ずや異性の目を集める事だろう。

 

 しかし、彼女の正体と性格が知れ渡っているこの場所では、彼女に軟派な態度を取る輩はいないだろう。

 

「……おっす、アスティア。お久し振り」

 

「えぇ。お久し振りね、レイ君。お元気そう―――ではないのが残念だわ。久し振りに会ったと思ったら左腕が跡形もなくぶっ飛んでいたんですもの。流石の私も目を丸くしちゃったわ」

 

「そんな中でこうして適切な処置をしてくれたんだから頭下がるわマジで」

 

「まぁ、それが私のこの艦での役割だからね」

 

 そう言って軽くウインクをしてから、右腕に繋がれた機器を手際よく外していく。

 これでレイをベッドに縛り付けていた物は無くなったが、身を起こそうとすると酷い倦怠感に襲われた。

 とはいえ、その理由くらいは知っている。他でもない、自分の身体だ。

 

「かなり血を失っていたから輸血はさせてもらったわ。とはいえ()()()()()()()()()()()()()()、普通の血が馴染むまでは安静に、ね」

 

()()()()。どの道このザマじゃ達人として使い物にならねぇ。つーか、お前の忠告を無視する程アホじゃねぇよ」

 

 逆らったら何はともあれ一発ぶん殴られるしな、とは口にしなかったが。

 ともあれ、立ち上がる事を諦めたレイは再びベッドの上に背中からダイブする。その際、左腕部分だけがベッドのスプリングで跳ねなかった様子を見て、改めて実感する。

 あの時失くした自分の左腕は、もう戻ってこないのだと。

 

「人体欠損。自分で味わうとなると大分違うでしょう?」

 

 その心の内を呼んだかのように、アスティアはデスクで書類整理をしながら話しかけてくる。

 そこに、同情も憐憫もない。ただ純粋な質問として訊いている事が見て取れる。だからこそ、レイも特に憤る事なく答えた。

 

「あぁ、違うな。アマギを潰した時も、陛下と戦った時でさえ一応は五体満足だったってのに、遂にやっちまったって感じだ」

 

「《天翼(フリージア)》の《天撃(アルス・ノヴァ)》を真正面から受けたんでしょう? 片腕一本で済んだのなら儲けものだわ」

 

「それは、俺もそう思う。でも、なぁ。親父と母上から貰った身体を遂に吹っ飛ばしちまったって考えると、ちっと申し訳なく思う訳よ」

 

 左目を失った時でさえ、それなりの罪悪感を抱いていたのだ。腕一本となると、その感情も必然的に大きくなる。

 とはいえ、失ったことを後悔はしていない。あの時はああしなければならなかったと分かっていたし、その結果として多くの人達の命を救えたのだとしたら、悪くない代償だったとしえるだろう。

 

「それだけじゃないわ。全身に数十か所の擦過傷、筋肉は断裂してたし、右腕の骨は飛び出す寸前までへし折れていたわ。左脇腹は完全に裂けてて、あともう少しで(はらわた)飛び出してたわよ? 逆に訊くけれど何でこれで戦えていたのかしら? 患者にこんなこと言うのは気が引けるのだけど、やっぱり頭おかしいわ達人さん(あなた達)

 

「お前相変わらず動けない人間相手に容赦ないな」

 

「猟兵相手に治療してる身よ? そんなデリカシーがあると思って?」

 

 ないだろうなぁ、と納得しながら、氣の流れを操作して全身の簡易スキャンを行う。

 左腕の次に重傷だった左脇腹の深傷は、()()()()()()()()()()()()。そちらを重点的に回復させていたとはいえ、術後だというのに痛みどころか違和感もほとんどない。

 手術(オペ)を担当したのは、間違いなくすぐそこに座っている女性ドクターだろう。相変わらずいい仕事をすると思いながら、視線を他にずらした。

 

 

「……俺が運ばれてきてから何日経った?」

 

「一週間、ってところかしら? 現在地はイストミア大森林から南下した所にあるティレニア台地南部。ステルス状態で峡谷部に停泊してるわ」

 

「一週間か。領邦軍はさぞかし景気よく各地を蹂躙してるだろうな」

 

「参謀本部がほぼほぼ機能していない状態だからね。第一機甲師団(帝都ヘイムダル守備隊)第二機甲師団(帝都圏守備隊)は壊滅状態。第七機甲師団と第十機甲師団(帝国西部駐屯部隊)もかなり押し込まれている様子だし、このままだと年を越すまで保たないんじゃないかしら?」

 

 湯気が立ち昇るコーヒーを啜りながら、まるで大学の講義のようにつらつらと述べる。

 凡そ医療に関わる者とは思えない程に人の死を客観的に見ている物言いだが、彼女はというと言い淀む素振りすら見せない。

 それがアスティアという女だ。S級猟兵団《マーナガルム》の《五番隊(フュンフト)》が一角、《医療班》の班長という立場にある以上、その位の肝の太さは常備しておかなければならない。

 

「動くとしたら早めに、か。シオンからの連絡は?」

 

「そこまでは流石に知らないわね。後で団長が来た時に確認すると良いわ」

 

「……んで? 医者の見立てとしては俺は後どれくらいベッドの上にいればいいんだ?」

 

「さっきも言った通り、輸血の血液が貴方の身体に馴染むまで。とはいえ、貴方の体内呪力も大分戻ってきているから……そうね、3日ってところかしら」

 

 帝都で《天翼(フリージア)》と戦った際に生命活動に支障をきたすレベルにまで枯渇したレイの呪力も、一週間の間に上限にまで回復している。

 とはいえ、嘗て《結社》シオンを調伏した時、エルギュラを封印した時、そしてつい最近、励起しかけたエルギュラの魂をリィンの中に再封印した時。この三件に常時呪力を割かれている影響で、レイの体内呪力の上限値は本来の二割程度にまで減少している。

 アスティアの見立て通り、3日あれば輸血された血液を体内の呪力と混ぜ合わせて馴染ませる事ができる。

 逆に言えば、それまでは何があってもベッドの上の生活を()()()()()という事だ。

 

 体力や筋力諸々が落ちていくなぁ等と思いながら天井を見つめていると、扉を隔てた向こう側から段々と迫ってくる足音が耳に入る。

 尋常ではない足音だった。それと同時に何かを引きずるような音も。

 

 

『隊長‼ 待ってくれって隊長‼ 医務室ならともかく《医療班》の詰所に突撃はマズいっつーの‼ 俺まだ死にたくねぇよ‼』

 

『俺知ってんスよ⁉ この前《四番隊(フィーアト)》のアルドロがノック無しで入って新薬の実験台にされたの‼ ヤダー廃人になんかなりたくねー‼』

 

 悲鳴を挙げているのは大の男共だ。だが、そんな事は一切構わぬと言わんばかりに足音の進撃は続く。

 誰が来ようとしているのは大体想像がついた。あーあーどうにでもなれや(もう知ーらねー)と諦めて、上体だけを再び起こす。

 

 

「レイ様‼‼」 

 

 「押し入ってきた」という表現が最も正しいだろう。横にスライドすれば簡単に開く類の扉ではあるのだが、それを事もあろうに()()()()来た。

 塗りたての黒漆よりもなお艶やかな長い黒髪を振り乱し、《二番隊(ツヴァイト)》の隊長服を身に纏った美女がレイが横になっているベッドの傍らに駆け寄ってくる。……その両足にしがみついている副長と副長補佐(男共)を完全に無視した状態で。

 

「お加減は大丈夫ですか⁉ 痛みは⁉ 何か不便がありましたらこの私に言い付けて下さい‼ 必ずお役に立って見せます‼」

 

 爛々と光る紅い瞳はレイを捉えて離さない。右手を握り、まるで無二の大切な物を扱うかのように熱を分けていく。

 

「久し振りだな、エリシア。というかお前の足にしがみついてる二人をそろそろ気にかけてやれ。泣きそうになってんぞ」

 

「あ、はい‼」

 

 その明るい返事とは裏腹に、エリシアは片足ずつ高速で振り上げ、身長180リジュ越えの男二人を事も無げに振り払う。

 それぞれ別方向に吹っ飛ばされた二人は受け身こそ取れたものの、分かりやすく気落ちしていた。

 

「こんな事になるんなら食堂にキープしておいた高ぇ酒飲んでおくんだったなぁ……」

 

「ラウラぁ……ごめんなぁ……どうやら俺はここまでみたいだ……」

 

 この世の終わりを目の当たりにしたかのような惨状であったが、無論その様子もエリシアは無視。正直、同情はした。何故なら―――。

 

「何か食べますか⁉ 何か飲みますか⁉ 言ってくれれば私が食堂に行って―――」

 

「エリシア」

 

「?」

 

「後ろ」

 

 直後、詰所内に轟音が鳴り響いた。

 医療に関わる場所には余りにも似つかわしくない爆音であったが、その様子をレイは冷ややかなジト目で眺めていた。

 

「エリシア隊長? 重傷者が居る病室に扉を蹴破って押し入るとはどういう了見です? 死にたいんですか?

 

 先程までコーヒーを啜りながら書類作業をしていたこの部屋の主が、ペンを二丁のショットガンに持ち替えて言う。

 0.25リジュ口径という規格外の破壊力を持つそれを、体勢を全く崩すことなく二丁分同時に躊躇いなくぶっ放したアスティアであったが、幸か不幸かぶっ放された方も普通の人間ではなかった。

 

「いえいえ、死にたくなどありませんよアスティア班長。すみません、少し舞い上がってしまいまして」

 

 自分に向かって放たれた大口径のショットガンの弾丸を二発とも違わず()()()()()()エリシアは、自身の愛剣《シュルシャガナ》を構えたままアスティアに微笑みかける。

 傍から見れば一触即発の状況だったが、この二人の性格をよく理解しているレイはエリシアを小突いてそれを止めた。

 

「闘気を収めろエリシア。こちとら寝起きなんだぞ」

 

「あら、申し訳ありません。ですがアスティア班長とのこれは喧嘩とかそういうアレではなく、じゃれ合いみたいなものでして……」

 

「知ってる。それとアスティア、怪我人の近くでショットガン(そんなもん)ぶっ放すんじゃねぇ。幾ら散弾じゃなくて穿通型徹甲単弾(デルトルバレッド)だからって危ねぇモンは危ねぇんだぞ馬鹿」

 

「大丈夫よ。私がそこら辺の力加減を間違えると思って?」

 

「ショットガン二丁流の力加減って何なんだよ撃つか撃たねぇかの二択しかねぇじゃん」

 

 ともあれ、得物を収めた二人を見て、生を悲観していた男二人もスクッと立ち上がる。

 それでも僅かに戦々恐々とした表情を残している辺り、やはり今でも相当アスティア(この女)は恐れられているらしい。

 猟兵団《マーナガルム》が誇る強襲部隊《二番隊(ツヴァイト)》のNo.2とNo.3すらも恐れ慄く。それだけではない。たとえ団長であろうとも、平時であれば彼女の仕事場(聖域)を荒す事は許されていない。

 

 クルクルと、慣れたようにかなりの重量がある二丁のショットガンを回して(すさ)びながらデスクに戻るアスティア。

 常識的な観点から見れば、何でそんなものを医療関係者の詰所に常備してあるんだと思われるだろうが、後方支援部隊だからと油断しているとどこかしらか火器が飛んで来るのがこの猟兵団である。

 「守られるだけ」の団員はただの一人も存在しない。たとえ艦内に侵入者が来たのだとしても、撃退もしくは時間稼ぎが出来る程度には戦力と戦備が常に整っているのだ。

 

 とはいえ、それでもゴリゴリの戦闘員である筈の大の男二人が(形式上)非戦闘員である筈の女性一人に対してビビり倒しているのは異様な光景ではあるのだが。

 

「あーヤバかった。マジで心臓止まるかと思ったぜ……。よっ、大将。この前ヘイムダルに行った時はタッチの差で会えなかったが、思ったより元気そうだな」

 

「死ぬかと思った……。あ、無事で何よりっす、大将。ツバキ姐さんも心配してたっすよ」

 

 レイが《結社》時代、この猟兵団を預かった時から在籍していた古株の団員にして《二番隊(ツヴァイト)》の副長を務める屋台骨、アレクサンドロス。

 若輩の身ながら立派に隊長格の一人を務める、《二番隊(ツヴァイト)》副長補佐のライアス・N・スワンチカ。

 

 同隊の隊長であるエリシアに完全に尻に敷かれている身だが、それでも彼女が信頼する二人には変わらない。

 だからこそ、二人の隊服から僅かに香る硝煙の臭いが何を指し示すのか、レイにはすぐに理解できた。

 

「……小競り合いがあったのか」

 

「あー……まぁな。貴族連合側が雇った大小色んな猟兵団がそこら辺ウロチョロしていやがる。《フェンリスヴォルフ》の場所を悟らせないように適当な所でド突いてんのさ」

 

「それなりに鼻が利くA級猟兵団もチラホラいるっすからね。領邦軍の方は大半が練度も低い雑魚っすけど、ラマールの精鋭たちはかなり鍛えられてるみたいっす」

 

「あの辺りは《黄金の羅刹》が直々に鍛え上げた部隊ですからね。それには少し及ばないまでも、ウィトゲンシュタイン伯爵が率いる軍もそれなりに厄介ですか」

 

「南と東は、目立った所がないってか」

 

「ハイアームズ侯爵は四大貴族の中では穏健派ですし、(アルバレア公爵)の方は単に統率が取れてませんね。そこを考慮すると、粒が揃ってる西(カイエン公爵)と、全体的に練度が高い(ログナー侯爵)はなるべく交戦を避けたいところではあります」

 

「でも東から北にかけて《ニーズヘッグ》と《北の猟兵》の目撃情報がある。つまりはどこもかしこも火薬庫さ」

 

「こりゃあ盛大に燃えちまいそうっすねぇ」

 

 国内の軍隊同士だけではなく、外部の猟兵傭兵まで抱き込んでの大乱戦。内乱の規模としてはかなり大きい方だろう。

 地獄を見るのは大陸横断鉄道が通っている沿線上の街や村。どれだけのものが奪われ、失われ、貶められるのだろうか。

 

 どちらが勝とうか負けようが、どの道彼らは辛い思いをするのだ。レイとしては、明るい顔が出来るわけもない。

 だが、戦争とはそういうものだ。個人がどれほど厭おうとも、人間が人間である限りは決してこの世から根絶されない負の側面だ。

 そもそもな話、レイ自身が今まで散々人を殺し、その組織から逃げ出した後も猟兵団との関わりを断てなかった人間だ。どんなに戦争を嫌ったところで、否定する権利など欠片もありはしない。

 そんな事をしてしまえば、自分だけでなく、今まで戦場で生き抜いてきた《マーナガルム》の面々も侮辱する事になってしまうのだ。

 

「……《二番隊(ツヴァイト)》が周辺区域の索敵をやってるって事は、《三番隊(ドリッド)》はもっと遠くに行ってるのか?」

 

 本来、アリシアが部隊長を務める《二番隊(ツヴァイト)》は、前線に真っ先に飛び込んで行く強襲部隊。本来、戦闘状態に入る前の斥候等は、遊撃部隊である《三番隊(ドリッド)》の役割である。

 ならば、と訊いてみたところ、アリシアは黙って頷いた。

 

「ローグ隊長たちは出来る限り帝都の方へ近づいて様子を探っているようです。……とはいえ、今の段階ではあまり情報は得られていないようですが」

 

「帝都には《月影》の一人も潜ってるようだが、外部への情報がほぼ断たれているからまだ時間は掛かりそうだな」

 

 こればかりは焦ったところでどうにかなるわけでもなく、寧ろ焦れば事を仕損じる可能性が高くなる。そして仕損じれば、全ての計画が狂う事にも繋がるだろう。

 まぁ、その道に於いてプロである彼らが慎重を期さざるを得ない程に難しい状況であるならば、外野がとやかく言うのは筋違いというものである。

 

「まぁ、大将は今は完治させる事に全力を注いでくれや。それまでは俺らが出来る事をやっとくからよ」

 

「団長も、雰囲気はいつもと変わらなかったっすけど、大将が生きててほっとしてたと思うんすよ。……あ、これオフレコでお願いします。バレたら殺されかねないので」

 

「ではレイ様のリハビリは私が。今からスケジュールを練らせていただきますね」

 

 あまり考えすぎないように気遣ってくれる三人の気持ちが、今のレイには心地が良かった。

 思えば、《結社》に属していた頃、辛い事があった後は大体この団に来ていた。妹分(レン)には格好悪いところを見せたくなく、師匠(カグヤ)に至っては論外だ。本当に深刻な時はシャロンや兄貴分(アスラ)の所に行っていたが、大半はこの猟兵団の拠点で気の合う面々と馬鹿な事をやっていたと思う。

 

「また暫く世話になるよ」

 

 《結社》を抜けた時は、まさか自分がこの言葉を言う事になるとは思わなかっただろう。

 義姉が生きていたら何と言っただろうか、などと意味のない事を思っていると、不意にライアスが口を開いた。

 

「そういや大将、クロスベル方面も今エラい事になってるみたいっすけど、大丈夫っすか? トールズ卒業したらまたアッチ(遊撃士協会クロスベル支部)に戻るんでしょう?」

 

 ライアスからすれば、それも他愛のない雑談の一つだったのだろう。

 クロスベル支部という所が業務上相当ギリギリだという事は聞いていたし、アリオス・マクレインが遊撃士協会に辞表を提出したという話も耳にしていた。

 だからこそ、なんだかんだで面倒見が良いレイならば、色々な事が終わった暁にはまた元の職場に戻るのだろうと、そう確信した上でライアスは言ったのだ。―――だが。

 

「あー……」

 

 レイは、呆けたような表情を一瞬だけ見せた。

 それだけで、ライアスを含めてその場にいた全員が悟った。この話題は、軽々しく触れて良いものではなかったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

「遊撃士は、もうとっくに辞めたよ。トールズを卒業したら、俺は無職になり果てるって訳だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




■今回の登場人物

□アスティア
【挿絵表示】

 猟兵団《マーナガルム》の後方支援部隊《五番隊(フュンフト)》、その一つである《医療班》の班長を務める女性。

□エリシア 
【挿絵表示】

 猟兵団《マーナガルム》の強襲部隊《二番隊(ツヴァイト)》の隊長。

□アレクサンドロス 
【挿絵表示】

 猟兵団《マーナガルム》の強襲部隊《二番隊(ツヴァイト)》の副長。

□ライアス・N・スワンチカ 
【挿絵表示】

 猟兵団《マーナガルム》の強襲部隊《二番隊(ツヴァイト)》の副長補佐。



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月下に耽る追憶

 


 話を進めようとしたら、この話だけで一話使っていた。

 時系列的にはレイがクロスベルに行っていた時のガレリア要塞での特別実習でゴタゴタした後のことですね。





 

 

 

 

 

 

 ~9月某日、リベール王国王都グランセル城内部。

 

 夜も更けようというその日、リベール国軍将軍のカシウス・ブライトは軍務の一環でグランセル城に滞在していた。

 国軍の要職にして百日戦役時のリベールの英雄。一時期は軍を辞して遊撃士として活動していたとはいえ、その影響力は未だ健在。《リベールの異変》後に再び軍人として復帰した後もそれを支持する者が大半を占めたほどだ。そう遠くない内に、リベール国軍最高司令官にも任じられるであろう事がほぼ内定している男は、何故か案内された貴賓室で浮かない顔をしていた。

 

 先程行われたリベール王国女王、アリシア・フォン・アウスレーゼとの対談が上手く行かなかったというわけではない。先日起こったというエレボニア帝国のガレリア要塞でのテロ事件に際してのリベールの立場を話し合っただけであり、さして難しい判断を委ねられたわけでもなかった。……この一ヶ月後、その要塞が跡形もなく消滅し、実際に眉間の皺が戻らなくなるのだが、それはまた別の話である。

 

 豪奢な作りの机に放りだされた一枚の手紙。わざわざ封蠟までして()()()()()を装ったそれこそが、今のカシウスの心を僅かに曇らせていた。

 

 

『カシウス将軍にお手紙でございます。―――他のメイドではなく、(わたくし)がお届けに上がったという事で、察していただければ幸いです』

 

 それをこの貴賓室にまで届けたのはサシャというメイドだった。彼女の事をカシウスは良く知っており、知っていたからこそ開ける事を僅かに躊躇っている最中なのである。

 3年前にグランセル城に務める事になったメイド。言動、所作、容姿、性格に至るまで非の打ちどころが無いその彼女の「正体」を見破ったのがカシウスだった。

 

 S級猟兵団《マーナガルム》。その諜報部隊《月影》の諜報員サヤ・シラヅキ。あまりにも上手く「溶け込んでいた」為、最高位の”達人級”であり、『理』に至っていたカシウスですら、当初は半信半疑であったほどだ。

 だから、嘗ての自分の部下を使ってその正体を探らせた。元は王国軍の中で諜報部隊を率い、軍を辞してからは民間の調査会社を経営しているその男は、数ヶ月にも及ぶ綿密な調査の結果、彼女の正体を探り当ててきた。

 それを報告しに来た時の彼の焦燥しきった顔は今でも忘れる事は出来ない。王国軍内でも屈指の切れ者として知られていた彼が最初に発した一言が、「ようやく、ようやく尻尾を出しました」であったのだ。その後に可能な限りで労ってやったのは言うまでもない。

 

 逆に言えば、それ程までに彼女の「偽装」は完璧であったのだ。カシウス自身、百日戦役前は何人もの帝国軍のスパイを摘発してきたが、その経験を以てしても僅かな違和感しか抱けず、最も信頼する専門家が全力で調査してようやっと正体を掴めるレベル。

 

 とはいえ、彼女が属する猟兵団の事は良く知っていた。

 自分が散々節介を焼いた少年が嘗て率いた猟兵団だ。そこの団長を務める、《軍神》の異名を持つ女性がよもや女王陛下を害するなどという浅薄な目的で諜報員を送り込んできたとは思えない。

 その真意を訊くために問い質すと、サヤは思いのほかあっさりとそれを話した。

 

 元より彼女の潜入任務は、アリシアⅡ世女王陛下かカシウス・ブライト、このどちらかに正体が暴かれるまでを想定されたものであったという。この二人であれば、無用に事を荒立てはしないだろうと。

 そしてその目論見は正鵠を射ていた。彼女という一流の諜報員を《マーナガルム》に属させたまま此方側に引き込む事が出来れば、混迷を極める大陸情勢の情報戦に於いて優位になれる可能性が高い。そんなカシウスの提案をアリシア女王も承諾し、サヤ・シラヅキは未だに「サシャ」としてこの城でメイド業を続けていた。

 

 

 ―――そんな彼女が「諜報員」としての顔色を滲ませた状態で渡してきた手紙。どう転んでも普通のものではない。

 数分ほど置いてから封筒の裏側を見る。そこには「R」というイニシャルマークが一文字だけ。それだけで、差出人は理解できた。そして、内容も。

 

「……そうか。やはりこうなったか」

 

 悲観はしていない。寧ろこうなるだろうという確信はあった。

 封蠟を解き、中の手紙を取り出す。そこには、昔何度も見たしっかりとした文字が並んでいた。

 

 

『カシウス・ブライト殿

 

 聡明な貴方の事ですから、自分がこの手紙で何を伝えたいかはもうご存知の事かと思います。ヨシュアを逃がしてから《結社》を脱退し、色々なところに身を寄せながら逃亡生活をしていた自分を遊撃士に誘っていただいた事には、今でも感謝の念が絶えません。

 いくらヨシュアという前例があったとはいえ、元々大っぴらには言えない前歴があった自分を遊撃士に捻じ込むにあたって、カシウスさんには散々苦労をおかけしました。その恩に少しでも報いることができればと、ツァイスで色々と学ばせてもらった後、クロスベルという混沌極まる場所で馬車馬のように働いてきました。

 街の人は自分の事をアリオスさんとセットにして「クロスベルの二剣」などと呼んでいましたが、自分はそう大したものではありませんでした。正義感に燃え、ただ一心に困っている人々を助けるために任に挑んでいた先輩たちに比べて、自分はどこまでも空虚な存在であったことを今になって実感しています。

 「何のために人を助けるのか」。遊撃士にとって、実力以上に大切なその要素が、自分には欠けていました。「放っておいたら目覚めが悪くなるかもしれない」などという曖昧な感情で仕事をしていた自分に、「準遊撃士」という立場は相応であったのではないかと思っているのです。

 

 ですが、遊撃士として活動していた期間が楽しかったのも事実です。勿論楽しい事ばかりではありませんでしたし、どちらかと言えば胸の内にしこりが残るような仕事の方が多かったですが、「ありがとう」と言って貰える仕事に就けたのは、とても良い経験になりました。日陰の身として生きてきた自分でも、今まで散々人を殺し、復讐に生きた自分でも感謝されるものなのだとそう思える事が出来ました。

 

 ですが先日、自分は再び人を殺しました。

 貴方と約束したことを、破る羽目になりました。達人としてあってはならない程に動揺してしまったのも、それが原因の一端を担っていたのかもしれません。しかし、それを後悔はしていません。

 きっと自分はこれからまた人を殺すのでしょう。蛇の道は蛇と言います。そんな自分だからこそ、助けられる命もあるのだと思います。そうなるのであれば、自分は喜んでこの手を血に染めましょう。

 

 帝国は、恐らく内乱に陥るでしょう。

 自分程度が思いつく未来が貴方に見えていないとは思えないので、これはただの確認になります。暗躍する貴族派が《身喰らう蛇》と手を組んで、帝国国内を混乱に陥れる事になると思います。

 

 戦争。これに関しては自分よりもカシウスさんの方が詳しいでしょう。その悲惨さも、その残虐さも、身に染みて理解しておられると思います。

 そんな中に在って、「人を殺さずに己の道を生き抜く」という生き方がどれ程難しいか。少なくとも、自分にそれが出来るとは思えませんでした。

 

 身勝手な理由である事は重々承知です。この判断が「逃げ」である事も勿論。なので、どれ程誹られても嫌われても文句は言えません。

 ですが、他ならないカシウスさんにこの事を伝えるのは、自分に課せられた義務でもあります。面倒を見て下さった貴方にこれくらいしかできないのが申し訳ないのですが、この手紙でお伝えさせていただきます。

 

 

 自分、レイ・クレイドルは遊撃士を辞させていただきます。

 

 

 実際のところ、オリヴァルト皇子に誘われてトールズ士官学校に入る際に休職届を協会本部に提出した時から、この結末はある程度予感していました。

 それでも、カシウスさんに教えていただいた事は常に胸の内に留めておきます。どんな未来を歩むにしても、決して人心を失わないように生きて行きたいと思います。

 

 長くなりましたが、カシウスさんには本当にお世話になりました。

 リベールで遊撃士として、貴方と共に仕事をする道もあったのかと思いましたが、それももう詮無き事です。

 ヨシュアも、娘さんも、きっと良い遊撃士になるでしょう。リベールの人々に慕われる正義の味方になれる筈です。せめてその二人の笑顔を曇らせないような道を歩んでいきたいと思います。

 

 これから先、帝国から広がった波紋はリベールにも波風を立てるでしょう。カシウスさんにとっても気の休まらない時が続くかもしれませんが、どうかお体に気を付けて下さい。

 

 願わくば、また同じような場所で働けることを祈っています。

 

 

 

 

 

 ―追伸-

 

 レンの事も宜しくお願いします。彼女は中々に手強くあるでしょうが、カシウスさんと「親子」として接したがっているのも確かでしょう。

 大事なことろで素直ではないし、年齢に見合わぬ小悪魔っぷりで飄々と躱してくるでしょうが、めげずに接してあげてください。それは、自分にはできなかった事ですから。

 重ねてどうか、宜しくお願いします。

 

 

 

 

 トールズ士官学院一年 特科クラスⅦ組 レイ・クレイドル』

 

 

 

 

 

 「……不器用なのは相変わらずか」

 

 カシウスは、そう呟いた。

 自虐的な言葉が並んでいるかと思いきや、端々には隠しきれぬ自信が垣間見えている。

 そもそも、カシウスに彼を責める権利など無い。自分自身もS級遊撃士という地位を返還して再び軍人に舞い戻った身なのだ。元より、確たる目的の為に新しい道を歩もうとしている若者をどうして責められようか。

 

 無論、彼のそれは万人が受け入れられるような道ではないのかもしれない。

 どこまでも血が付きまとう道だ。どこまでも死臭が立ち昇る道だ。一歩間違えれば人の心を失い、修羅道に堕ちる綱渡りのような歩みだ。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()とカシウスは結論付けた。

 少し前に、トールズに遊びに行ったレンから聞いた限りでは、レイは良い学友に恵まれたようだ。彼の強さを目の当たりにしても、彼の過去を目の当たりにしても、何より―――彼の弱さを目の当たりにしても真正面から向き合ってくれる友らと出会えた。それは何物にも代えがたい経験であり、宝であった。

 このところ酒瓶片手に自分の執務室に忍び込んでくる()殿()が言うには、遊撃士を辞しても尚、お釣りがくるほどのものを得たのだという。世話と呼べるほどの世話もしていなかったが、自分が目を掛けた若者が掛け替えのないものを得られたというのならば、これ程嬉しい事も無い。

 

 大したものではない、と彼は自分を卑下していた。それに対して何を馬鹿な、とカシウスは苦笑した。

 

 数年前の帝国ギルド連続襲撃事件。偶然か必然か、クロスベル支部から書類を届けるためだけに来訪していたレイもその事件に巻き込まれていた。

 帝都のギルドに在籍していた高位遊撃士達は、”準遊撃士”という肩書きを持つレイの事を当初は侮っていたが、帝都のギルドを爆破した猟兵団の構成員を即座に捕縛し、救命活動に奔走するという功績を残した彼を侮り続ける程、彼らは無能ではなかった。

 少なくとも、あの時のレイが「目覚めが悪くなるから」などという理由で人命救助に奔走していたとは思えない。ギルド職員は元より、周囲の民間人を一人でも多く救おうと必死の形相で駆け回っていた。

 そんな彼がいたからこそ、カシウスはギルドを襲った猟兵団の一斉捜査の指揮に専念することができたと言える。あの時初めてカシウスは、「レイ・クレイドル」という少年の強さの真価を見たのだ。

 

 だからこそ、「猟兵団に囚われた一人の女性を救い出したい」というレイの望みにも、カシウスは笑って手を差し伸べた。

 攫われた軍人の奪還作戦に手を差し伸べる。普通に考えれば面倒な事になりかねないのだが、相手の素性が何であれ、助けを求めているというのならば救い出すのが『支える籠手』を掲げる者の義務であった。

 

 ―――今から鑑みれば、それらの行動も全て《鉄血宰相》の思惑通りだったのだろう。

 その女軍人は、彼自身が目を掛けていた存在だった。もしかしたら遊撃士が動かなくても彼女は自分自身の力で危機を脱していたのかもしれない。だがそれでも、レイは彼女を助ける事を選んだ。

 後に《氷の乙女(アイスメイデン)》という二つ名を預かる事になり、更に言えばレイの恋人の一人にもなった女性。今になってもその女性の有能さは聞き及んでおり、リベールを守護する軍人という観点から見れば、随分と厄介に育ったとも思えてしまう。

 

 しかし、一人の男の先達としては、レイの行動を高く評価していた。

 自分に好意を抱いてくれている女性一人助け出せずに何が男かと言わんばかりの覇気。それは今でもよく思い出せる。現に、あの時カシウスの賛同が得られなければ自分一人で猟兵団の潜伏場所に乗り込み、被害覚悟で暴れ回っていたと本人から聞いていた。

 そんな行動が出来る男が、「大したことない」筈がない。命を張ってヨシュアを託してくれた時と言い、遊撃士として懸命に活動していた時と言い、彼の本質は「困っている者、助けを求めている者の為に命を賭けられる存在」だ。

 ただし彼は人の善性の象徴とも言えるその在り方と、長い間裏社会で生き抜いてきた負の側面が混合している。人の正しい在り方を良しとしながら、その生き方で生きる事を許されなかった。

 

 そんな生き方の中で人としての在り様が歪まなかったのは、偏に教えた者の賜物だったのだろう。結果としてその倫理観と殺人剣の使い手としての腕前の間で思い悩むことになったのだが、厳しい言い方をすればそれも彼自身が選んだ道だ。

 それに答えを出せる者などいなかった。当人だけが、悩み抜いた末に辿り着くしかなかった。

 しかし、その猶予はそう長くは無かった。人生は有限であり、世情というのは一人の若者の懊悩を待ってくれるほど慈悲深くもない。そういう意味では、彼は時間切れ寸前で()()()()()()言えるのだろう。

 

 酷な話だ。「学生」という、本来であれば人間として成長する事に専念できる身分の者に、そのような拙速を強いるのは。

 大人として情けない事だと思う。無数の選択肢の中から「こうせねばならない」という道を唆すような真似をしなければならないのは。

 ただ、そんな中であっても己がこれだと定めた人生を歩み始めたというのならば―――それは祝福すべき事なのだろう。

 

 

「……歳を取ったな、俺も」

 

 時代が違った、などと老害じみた事を言うつもりはないが、カシウスは少し、自分が若かった頃を思い出した。

 とはいえ、彼ほど苛烈な半生を送ってきたわけではない。両親に愛され、国を護る軍人としての道を歩み、その中で大切なものを知り、そして大切なものを喪った。

 最初に何もかもが奪われたわけではない。身を焦がす程の復讐心を胸に生きてきたわけでもない。神の遺物をその身に植え付けられたわけでも、それでもなお人として生きるために己の全てを燃やして強くなったわけでもない。

 

 結局のところ、カシウス・ブライトにレイ・クレイドルという人間の全ては理解できない。

 だが、理解しきれないのならば、しきれないなりに導く事も出来る。彼もいずれ、そうして誰かを導く事になるのだろう。

 

 可能であれば、それを見届けてから死にたいものである。尤も、最低限孫の顔を拝むまでは死ぬつもりはないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

「感傷に浸っているところ申し訳ありませんが、よろしいですか?」

 

 ギギギ……という音が聞こえそうな程にぎこちない動きで後ろを振り向く。

 そこには、先程退室したはずのメイドが、感情を全て取っ払ったような目で此方を見ていた。

 

「……いつ頃からそこに?」

 

「カシウス様が手紙を読み始めた辺りからです」

 

「その表情は、一体どういう事を考えているんだ?」

 

「率直に申し上げまして滅茶苦茶キモくあらせられますね」

 

 机に顔をぶつける。この際油断していたとはいえ完全に背後を取られていたとか、それに気付かなかった事などはどうでも良い。カシウスにとっては、娘とそう歳が変わらない女性に冷たい表情と声で貶される方が精神にクるのである。

 

「いや、待て。待ってくれ。そもそも良い歳した大人は若い者からの手紙なんぞ貰おうモンならこうなっちまうんだ。これは絶対俺だけに限ったことではないはずだ」

 

「はぁ、そうですか。まぁそんな事は至極どうでも宜しいのですが」

 

「俺の尊厳的なものはどうでも良くないんだが……」

 

「別に変態的な行為をしていたわけでもありませんし、宜しいではありませんか。それよりも―――」

 

 サシャはそこまで言うと、ふぅと一息を吐き、ホワイトブリムを取る。その瞬間、彼女は「王家に仕えるメイド」から「諜報員」の顔になった。

 

「帝国に潜伏中の《月影》は暫く”潜り”ますわ。その意味、お分かりになりますね?」

 

「エレボニアの内乱の勃発が近い、という事だろう? 俺の予想だと二ヶ月以内くらいだと思うが、そちらの意見は?」

 

「……団長と隊長の意見としてはほぼ同じですわ。流石は《剣聖》。先見の目は全く衰えていらっしゃらないようで」

 

「誉め言葉と受け取っておこう。だが、何度も言っている通り、リベール王国はその内戦に干渉する気はない。帝国南部を治める現ハイアームズ侯爵は貴族派の中でも穏健派だと聞く。難民をリベール方面へは向かわせないだろう」

 

「それはそうでしょう。この内戦に干渉したところで、リベールに旨味はないでしょうから。リターンよりもリスクが上回れば、緩衝国としては傍観が一番ですわ」

 

「…………」

 

「もし難民がなだれ込んだとすれば、それこそ警戒すべきでしょうしね? 多数の一般市民の中に諜報員や工作員を紛れ込ませて他国で暴動を誘発させる事など、昔からよくある手口ですわ」

 

「本業に言われると猶更だな」

 

 苦笑気味に笑みを漏らし、カシウスは顎の髭を指でなぞった。

 

「カルバードも大っぴらには手を出せないだろう。今あの国は自国の経済問題にかかりきりだ。その状態で隣国への侵攻を開始するなど、野党と世論を敵に回すしかない」

 

「えぇ。()()()()には手を出さないでしょう」

 

諜報員(スパイ)を潜り込ませるにはうってつけの状況になるというわけだ。君達が同じことを考えているのならば、彼方も同じことを考えるだろう」

 

 どの道、その一件を機に帝国はガタつくだろう。あの《鉄血宰相》がそれを易々と許すとは到底思えないが、軍事大国としての岐路に立たされることは間違いない。

 そしてそれは、リベールの緩衝国及び調停国としての立場を再考させる事と同義になる。戦力に於いて帝国に及ぶべくもないこの国が、《百日戦役》と同じ状況に立たされたらもはや打つ手は限られる。そうなる前に上手く動かねばならない。

 

「なので、もう一通。どちらかと言えば此方が本命でしたが」

 

 サシャが差し出してきたのは、先程のレイのそれよりも上質な封に入った手紙。そこに押された封蠟の紋は、カシウスも良く知るそれであった。

 

「……承った。女王陛下にも渡しておこう」

 

「感謝しますわ。メイドとしての活動を許されたとはいえ、本来は私など、女王陛下に拝謁できる身分ではありませんもの」

 

「陛下はその辺りの事を気にはなさらないと思うが」

 

「私のような人間は、一度過剰に目立ってしまえばそれで終わりですわ。どこかでまかり間違って噂の欠片でも流れようものならば、3年に及ぶ私の任務も塵屑同然になりますの」

 

 その諜報員としての矜持に、カシウスは口を出そうとはしなかった。逆に、ここまで徹底していたからこそ、ここまで正体が暴かれる事なく任務をこなしてこれたのだろう。

 尊敬の念すら抱ける覚悟と執念を抱いているその女性は、その言葉を最後に再びスイッチを切り替えた。

 

「では(わたくし)はこれにて。黙って室内に入ったことについては謝罪させていただきます」

 

「まぁ、それについては気付けなかった俺の方も悪かったからな……あぁ、そうだ。謝罪代わりに一つ頼まれて貰えるか」

 

「伺いますわ」

 

「その、だ。もし君が娘と息子に会う機会があったとしても、今見た事は黙っていてくれないか?」

 

 親父のこういう姿は見たくないだろうからな、と気恥ずかしげに言うカシウスの姿に、サシャは思わず笑いそうになり、しかし直前でその感情を抑え込んだ。

 

「承りました。それではカシウス様、よい夜を」

 

 貴賓室の扉を開け、閉め、廊下を歩いていく。一見何でもない所作であったが、つい十数秒前まで「そこにいた」という跡形も、気配も、全てが消え失せている。

 プロとしてのその所業に改めて瞠目しながら、元から机の上に置いておいた、上物のワインのボトルに手を掛けた。

 本当ならば明日の拝謁後に飲むつもりであったが、窓から差し込む月光を見ながら、カシウスはそのコルクを抜いた。

 

 今日は少し酔いたい―――そう思ってしまうのも、仕方のない事だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 どうも、十三です。このところモンハンしかやってねぇ。数億年ぶりにフルフルとガチバトルした気がしますね。アイツやっぱキモいな。

 カシウス・ブライトという、原作でも随一の「もうアイツだけで良いんじゃねぇかな」枠の人間ですが、逆にこういう人間をどう扱うかで作品としての価値は変わるのだと思います。僕?扱えるわけねぇじゃねぇっすか。なんなんだあの親父。

 サシャちゃんことサヤ・シラヅキに関しては、前作「英雄伝説 天の軌跡」の「小悪魔仔猫の悪戯事情 Ⅳ」で詳しく書いてありますね。いや詳しいかどうかって言われると微妙ではあるんですが。


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”強者”を取り戻す道




■設定①
 猟兵団《マーナガルム》の実働部隊は《一番隊》から《四番隊》までと、諜報部隊《月影》の五つ。《五番隊》は後方支援部隊。

■設定②
 《五番隊》は《医療班》《整備・開発班》《兵站班》《経理班》の四つの班から構成され、それぞれの班に班長と副班長が存在する。

■設定③
 《一番隊》から《四番隊》までの実働部隊にはそれぞれ隊長と副長、副長補佐という役職が存在する。隊長がその隊の統括指揮を、副長と副長補佐がそれぞれ分隊を率いるという命令系統が通常となる。

■設定④
 《マーナガルム》の中で、諜報部隊《月影》だけは唯一団長が直轄する部隊となる(他は副団長の麾下扱い)。この諜報部隊は任務柄、旗艦《フェンリスヴォルフ》にメンバーが常駐していない。また、役職も隊長しか設定されていない。




 

 

 ―――私の力の原点は、”復讐”だった。

 

 

 他の事など何も考えずに、ただ大切だった者たちの怨嗟を背負って、その無念を晴らすために刃を振るった。

 それを果たす為に、どれだけの時間をかけたのかは覚えていない。気付けば自分は、仇たちが流した血の海の中で仰向けになっていた。

 

 その時、最早自分は”戻れない”のだと悟った。

 こうする為に、全てを捨てたのだ。きっと自分は煉獄に堕ちるのだろう。いや、堕ちなければならない。

 ここにいる者たちを殺し尽くしたから、ではない。守るべき者達に守られ、背を向けてしまった。こんな罰当たりは、死後報われることがあってはならない。

 

 

 そう思った時、握っていた刃の切っ先は自分の首元に向いていた。

 虚ろな目をしながら、このまま死ねたらどれ程幸せだろう、などと思っていたのを覚えている。何もかもを諦めて、このまま死神の誘いに耳を委ねてしまいたい、と。

 

 

 だが、小さな手がそれを阻んだ。

 素手で抜き身の刃を握っているというのに、血は一滴も流れていない。その時点で、彼の強さは理解できた。

 

 嗚呼、何と哀しく、強い瞳を持った人だろうか。

 

 私の顔を覗き込むその右目が、濁っているようにも見えたし、清く澄んでいるようにも見えた。

 この歳で、どれ程多くの絶望と希望を体験したのだろうか。その時は分かっていなかったが、ただ一つ理解できたことがあった。

 

 

 この少年も、”復讐”を成した者だ。

 たとえ成した先に待つのが虚無であったのだとしても、憎悪の感情を煮え滾らせたまま殺すべき者を殺したのだろう。

 

 

 それを理解した瞬間、私は手を伸ばしていた。

 何を求めていたのかも、今となってはうろ覚えだ。だが、充血した目でその人の視線を感じた瞬間、私は確か、笑っていたのだと思う。

 

 その時、比喩でも何でもなく死にかけていた私は―――。

 

 

 

 

 その人の強さに、救われたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

「……暇っすねぇ。ベルフッドさん」

 

「お前それ団長の耳に入ったらぶっ飛ばされるからやめとけ、ノアン」

 

 猟兵団《マーナガルム》拠点、《ウートガルザ》級強襲飛空艇Ⅱ番艦《フェンリスヴォルフ》。

 その四階層部分にある団長指令室の前には、二名の団員が常駐している。《整備・開発班》が作り出したD(防衛用)装備一式を纏って警備にあたるのは、《マーナガルム》の中でも拠点防衛を主任務とする《一番隊(エーアスト)》の面々であり、それはこの二人、ベルフッドとノアンも例外ではなかった。

 

「いや別に不満はねぇっすよ? ただ俺には現場仕事が合ってるかなーってだけで」

 

「これも立派な現場仕事だ。まぁ団長の執務室に許可なしで入ろうとする命知らずなんざいやしねぇだろうから、お前の言い分も分かるがな」

 

 ベルフッドと呼ばれた団員は、そう言って顔に刻まれた僅かな皺をなぞる。逆にノアンと呼ばれた団員は、まだ若い声で「そんなモンですかね」と応えた。

 二人一組。ベテランとルーキー。艦内で活動する際の《一番隊》は基本的にこの形で任務にあたる。隊長格だけは例外だが、お互いに不足している観点を補えるという点で、再結成時から採用されていた。

 

 

「……そういや、さっき団長がいつもよりキツい表情で出ていきましたけど、どこ行ったんですかね」

 

「キツい表情て……。まぁお前ももう少しこの仕事続けてりゃ分かるだろうが、あの表情の時の団長は決まって上機嫌だぞ」

 

「マジっすか」

 

「マジだ。大将のリハビリを見に行ったんだろ」

 

 大将。その言葉を聞いた瞬間、ノアンの表情が動いた。

 

「大将って、この間《三番隊(ドリッド)》のゲルヒルデ副長が担ぎ上げてきた子供っすよね。エリシア隊長、見てるこっちがビビるレベルでテンパってましたけど」

 

「あれでももう17……いや、18だったか? そのくらいの歳だった筈だがな。まぁ、お前の言わんとしてることは分かるぜ」

 

 この猟兵団に入って比較的まだ時間が経っていない若い面々であれば、往々にしてそういう反応になるだろう。

 訓練時は自分たちを徹底的にしごき上げ、戦場では圧倒的な力で敵を捩じ伏せる隊長格の面々が、揃って担ぎ込まれてきた瀕死の子供一人の姿を見て程度の差こそあれど狼狽えていたのだ。何事かと思う反面、面白くないと思う者もいるだろう。

 だがベルフッドのように、この猟兵団がまだ《結社》の駒でしかなかった頃から所属しているベテランたちはそういった感情を抱かない。

 

「大将が居なかったら、俺らは今こうやって(ふね)に乗って自分たちの意思で色んな戦場には行けてねぇだろうな。使い潰されて、今頃仲良く土の下だっただろうよ」

 

マーナガルム(ウチ)が前はヤベェ所の傘下だったってのは聞いた事あったっすけど」

 

「大将がそこの組織の実行部隊のトップ筋だったからな。大将がそこを抜ける時に無理言って俺らも引っ張り出したんだよ。その後はまぁ、団長がここまで拡大させたって訳だ」

 

「はー……。見た目あんなちっこい子供なのに気合入ってるんすねぇ」

 

「言っとくけど大将に「チビ」って言葉は禁句だからな。ああ見えても隊長格と互角以上に戦り合える正真正銘の”達人級”だ。デコピン一発で艦の端まで吹っ飛ばされるぜ」

 

 《マーナガルム》内に、”達人級”と呼ばれる人類の限界を超えた武人は4人いる。そのいずれもが馬鹿げた強さを持つことはノアンも知っていた。

 剣林弾雨の中を傷一つなく蹂躙する、自分とは違う世界の人間。その得物の一振り、拳の一撃が地を穿つ絶対者。そんな面々とあの子供が同じ境地に立っているとは、ノアンにはどうしても思えなかった。

 

 そんな事を考えていると、広い廊下の奥から顔馴染みの二人一組(バディ)がやってきた。

 

「よぉ”12(ツヴェルフ)”。交代の時間だぜ」

 

「”9(ノイン)”か。丁度良かった。今からコイツを大将ンとこに連れて行こうと思ってな」

 

「あぁ、そうか。お前ンとこの若いのはまだレイの大将に会った事なかったか。行ってきな。今ちょうど良いとこらしいぜ」

 

 そんな会話をして、警備が入れ替わる。一旦《一番隊(エーアスト)》の詰所に戻って銃を含めた装備を置き、簡易的な服に着替えてから互いに一服。

 

「つーかベルフッドさん。こんなゆっくりしてちゃマズいんじゃないっすか?」

 

「あー、大丈夫大丈夫。()()()()()()()()()()()()()()。そら、行くぞ」

 

「そもそも何処行きゃ会えるんです? リハビリって言ってましたし、医療室辺りっすか?」

 

「いやいやお前。達人連中のリハビリが医療室で満足にできるわけねぇだろう」

 

 揶揄うような声を出しながら、ベルフッドは吸い殻を机の上に置いてあった灰皿の上に押し付ける。一方ノアンの方は、ベルフッドの言葉がすぐには理解できず、灰の一部がポトリと机の上に落ちた。

 

 

 

「訓練場だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 体勢を、修正する。

 

 

 

 長刀を振り抜いた瞬間、身体が多少右に傾いた。氣力を右側に寄せてよろめきをゼロに。

 その一連の動作を行うのに掛かった時間は僅か0.07秒。普通の人間ならば瞬きをした程度の時間でしかない。だが、達人同士の世界ではそれすらも”隙”に成り得る。

 

 眼前に迫った赫刃の切っ先を直前で回避する。肌を裂かれることは無かったが、頬の産毛が更に細かく刻まれた。そこまでの接近を許す程に、レイの身体は()()()()()()()()()()()

 

 左腕を失った後に、蒼の騎神と相対していた時には気付いていなかった。四肢の一部を失ったことによる一部のバランス感覚の欠如。それに伴う反応速度と対処速度の乖離。そしてそれらが重なる事で一方的に隙を晒す事になる不利。

 だからこそレイはこの場所で、今自分が抱えている弱点の全てを()()しているのだ。

 

 そうしなければ、この先で待ち受ける戦いに打ち克つことなどできない。最低限、腕を失う前と同じ動きが出来なければ徒に負け恥を晒すだけだ。

 

 四苦八苦。その言葉が最も似合う今のレイを相手にして、しかし《二番隊(ツヴァイト)》隊長のエリシアは容赦なくその二刀を振るう。

 それは、少し前まで甘い声で彼に甘えていた女性の姿とは思えない程に冷淡な太刀筋であった。()()()()をしている者を相手取るにしてはあまりにも苛烈で、正確無比な斬撃の連続。いずれも直撃すれば致命傷は免れないレベルだ。

 だが、レイの動きがどれだけ鈍ろうとも、彼女は攻め手を緩めない。その紅い双眸に殺気を宿らせているのではと錯覚するほどに、鋭い斬閃が幾重にも重なっていく。

 それでも、レイがそれを緩めるよう頼む事はない。容赦なく迫りくる斬撃を躱し、弾き、切り返していく。

 

 その過剰とも言える「模擬戦」こそが、正真正銘彼のリハビリであった。

 ほぼ実戦と変わらない環境下で、生死の境を垣間見ながら感覚を取り戻していく。”準達人級”までならいざ知らず、一瞬でも衰えた”達人級”の感覚は死線の中でしか取り戻せない、というのは彼の師匠の持論だ。

 師の倫理観に関しては全く信頼していないレイだが、その指導方針には一定の理解を示している。とはいえ、これを他の人間に当て嵌めるのは流石に無謀だとも理解しているが。

 しかし、自身がこのとんでもない指導方針で”達人級”にまで叩き上げられた以上、そのやり方に一定の価値がある事もまた認めなくてはならない。

 少なくとも、レイ・クレイドルという人間は今現在その荒療治を行っていた。リスクは甚大だが、それに見合うリターンはある。

 

 

 

 あの後、《医療班》班長アスティアの要請通り、3日間はベッドの上で過ごした。

 輸血した血液は無事にレイが内包する呪力と適合したらしく、無事に立ち上がる事は出来た。だが、ただ歩く時にすら僅かな”揺れ”があったのだ。

 この状態では、《八洲天刃流》の基礎である歩法術、【瞬刻】すら満足に行えない。そう理解してからの彼の行動は早かった。

 最初の一日はただひたすらに足を動かした。始めは歩き続けるところから入り、それに違和感が無くなると走り続けた。

 10日間。筋肉が衰えるには充分過ぎる時間だ。体力も見るからに落ちていた。普通ならば、それを元通りにするには倍の時間が掛かると言われている。近道などは基本的に存在しない。

 そう。()()()()()

 

 翌日。レイの移動速度と持久力は、10日前のそれと同じ水準にまで戻っていた。

 やった事は、言葉だけで伝えるならば至ってシンプルだ。練り上げた膨大な氣力を全て自己回復に充てて、後はひたすら身体を限界以上に痛め続けるだけ。

 朝5時に起床して10日ぶりに地に足を付けてから日付が変わる19時間。休息を一切取らずに、ただただ体を動かし続ける。食事も摂らず、水も摂らず、身体の至る所が軋みを挙げるのも全て無視して、何かに憑りつかれたかのように動き続ける。

 日々隊長格に扱かれまくっている《マーナガルム》の精鋭隊員も、その様子を見て一様にドン引きしていた。

 求道者と呼ぶには、些か狂気が滲み出過ぎていた。傍から見ればただの手の込んだ自殺のようにしか見えない。事実、死の淵から蘇ったばかりだというのに、レイの身体はその一日で再び死にかけていた。

 だが、()()()()で死にかけるのであれば、未だ本調子には程遠いという事。自己回復能力のお陰でギリギリ死なない程度の鍛錬をこなした後、レイはベッドに戻って、5時間だけ泥のように眠った。

 

 超回復という用語がある。一般的には鍛錬後に48~72時間の休息を取る事で損傷した筋繊維や枯渇したエネルギーが回復し、以前の水準を上回るというものだ。

 とはいえ、それは継続してこそ意味があるもの。数日間だけ付け焼刃のように行ったとしても大した向上は見込めない。何も知らない医療関係者が見れば、レイの行ったそれはあまりにも馬鹿げた鍛錬法であり、好き好んで身体を壊す異常者にしか見えないだろう。

 

 だが、レイはこの馬鹿げた鍛錬方法を師に弟子入りした時から続けさせられていた。

 血が滲む、血反吐を吐く、などと言った言葉は比喩ではなく、むしろその程度で済めば御の字であった。ただ立っているだけでも凍死しかねない極寒の雪山や、灼熱の砂漠地帯などで延々と繰り返された地獄の日々。

 一日の終わりには必ず休息が割り当てられたが、冬眠し損ねた熊型の魔獣や、夜間に得物を狙う蠍型の巨大魔獣の目を上手く掻い潜って効率的に休める場所を自力で探り当てなければならない。そして休息の時間を一分でも過ぎれば、容赦なく師の剣が寝首を掻きに来る。

 殺すつもりですか、と何度も聞いた。すると師は決まってこう答えた。この程度で死ぬようならば、お前はどうせ何も為せん、と。

 

 それに比べれば、《フェンリスヴォルフ》という安全性が確立された場所で行う鍛錬など生温いとすら言えた。

 5時間たっぷり、意識を丸ごとシャットダウンするレベルで深く眠り、その間に昼間よりも更に高純度の自己回復能力をフル稼働させて、体内の組織を活性化させる。

 衰えた筋肉を、体力を、超短時間で元の水準に戻す。それは人の域を超えた場所に足を踏み入れた”達人級”の中でも、氣力を扱うことに長けた武人にしか出来ない芸当だ。

 

 無論、いつでもどこでも出来る芸当ではない。アスティアという医療技術のスペシャリストが休息時常に傍にいた事も大きいし、可及的速やかに回復しなくてはならない明確な理由もあった。

 

 Ⅶ組の仲間は、皆は無事なのだろうか。この程度の危機では死なないように鍛えたつもりではあるが、その懸念は消えない。

 自分が守らなければならない、などという傲慢な事を言うつもりはない。だが、今の帝国には危険な存在が多々うろついている。

 有力貴族に雇われた高ランクの猟兵団などが良い例だ。Ⅶ組という集団としてどれだけ鍛えたと言っても、Aランク以上の猟兵団の強さは一線を画する。

 一糸乱れぬ殺人のプロ集団。元々Sランク猟兵団の中で二つ名を得ていたフィーはその恐ろしさを心得ているだろうが、そういった経験に基づく知識というのは得てして、自分自身で体験しなければ分からない事だ。

 だが、戦場で悠長に経験を積む機会は存在しない。失敗は成功を生み出す一番有力な手段であるが、戦場での失敗は高確率で死を誘発する。

 

 死んでしまえば、終わりだ。同じ時間を歩む事も、笑い合う事もできない。

 Ⅶ組の誰かが物言わぬ屍になり、それを見下ろす事はしたくなかった。―――尤も、同じ釜の飯を食った一人を近いうちに殺そうとしている自分が言えた義理ではないのだが。

 

「そうやっていつも死に急ぐのは変わらないのね」

 

 アスティアのその言葉に、レイは苦笑交じりに「そうだな」と言うしかなかった。

 

 

 そうして一日だけの地獄の基礎訓練を行った後、本題に入った。

 模擬戦による実践訓練。体力は戻ったが、技のキレは戻っていない。それを戻す為には、実際に剣戟の中で掴まなければならない。幸いにも、その相手に相応しい人物が、この猟兵団には存在していた。

 

「エリシア、相手を頼む」

 

「お任せください、レイ様」

 

 エリシアは逡巡すらする事なくそれを了承した。

 ルンルンと、スキップすらしかねない程に上機嫌なエリシアと共に訓練場に赴き、少しの距離を置いて、向き直る。

 

 ―――そこに、笑みは無かった。

 そこに居たのは、一人の戦士。Sランク猟兵団《マーナガルム》最強の実戦部隊、《二番隊(ツヴァイト)》を率いる最も若き隊長にして、()()()()()()()

 副団長エインヘル・ガルドノートに次ぐ強者。戦闘センスに於いてはレイに勝ると言われ続けた紛う事なき天才。こと戦闘という一点に於いて、「強く在り続ける」という誓いを厳守する者。

 

 その二刀を抜いた瞬間から、逡巡という単語はエリシアの中から消えていた。

 踏み込んだ直後、一息でレイの懐に潜り込む。それは、レイも良く知る技であった。

 

 《八洲天刃流》歩法術【瞬刻】。しかしこれは、レイが手ずから教えたわけではない。

 足裏に氣力を付与し、それを瞬間的に爆発的に噴出させて強制的に加速。その後、進行方向とは逆方向に氣力を放つことで強引に停止するという、理屈だけ見ればかなり大味な技である。

 だが、瞬間移動にも見間違えるほどの速度を出すにはかなりの密度の氣力を練り上げる必要があり、強制停止した後にすぐに攻撃に移る事が出来る体幹力と足腰の強さ、そして何より、これを()()使()()できる頑強さが必須とされる。

 それほど多くの技量を必要とするのに、これは《八洲天刃流》の中では基礎中の基礎。まずこれを使えなければ修行にすら進めない。「思ったよりも覚えが早かった」と師に言わしめたレイですら、これを完璧にものにするまで2ヶ月を要した。

 

 それをエリシアが使えるようになった経緯と言うのは、さして複雑なものではない。()()()使()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()

 

 ”見稽古”と呼ばれる才能がある。

 他者が使う技を見て、それが才覚的に再現可能なものであるならば、即座にそれを自己に取り込む事が出来るというもの。つまりは武術に携わる者が持つ才能の最高位クラスに位置するものだ。

 それをエリシアは有していた。物心ついたころから武器を握って修行に明け暮れていたというわけでもなく、とある事件を契機に初めて武の道を志した彼女がここまで強くなることができたのも、この才能が強く起因している。

 

 とはいえ、”才能”だけで強くなれる程、この世界は甘くない。  

 

 

 レイに拾われてから、彼女はただひたすらに鍛錬を積み重ねた。

 今のようにレイに相手をしてもらう時もあれば、《マーナガルム》の古参組、《鉄機隊》の面々、果ては《執行者》にすら手合わせを頼んだ。

 特定の流派を習わず、彼女の剣術は完全な我流。だがそれは、あらゆる人物の武を全て取り込んだ上で昇華し、完成させたもの。猟兵として、戦場で斃した者の技ですら、彼女にとっては己を強くするための一角でしかない。

 

 故に、今のレイのリハビリ相手としては最適だった。

 《結社》を抜けた際に《マーナガルム》の面々とも別れ、一度だけクロスベルで再開してから数年。その数年でエリシアは更に強さに磨きをかけたのだろう。

 その全てに対処するには、並外れた集中力と判断力が必要になり、それを掻い潜って攻勢に転じるには押し通るだけの技のキレが要る。その全てが、今のレイに足りないものだ。

 

 

 数合打ち合うだけで、訓練場に居た他の団員たちから驚嘆の声が漏れた。

 そのいずれもが、レイ・クレイドルという人物を見た事がない新人の団員たちであった。自分たちが尊敬する団長が、隊長たちがああも気を掛ける人間がどんなものかと物見遊山気分で来たものの、たった数合、たった数秒で彼らはものの見事に魅せられていた。

 隻腕になったばかりだというのに、本気で放ったエリシアの数合を見事に()()()()()()。そして返すように放った斬撃は訓練場内の空気を震わせ、虚空に必殺の檻を作る。

 

 

 八洲天刃流【剛の型・散華(さんげ)】。

 

 残り続ける程の複数の斬撃を一瞬のうちに生み出すには相当の技量を要する。その際に片腕に掛かった負担は微々たるものであったが、両腕があった頃に比べると僅かに()()。加えて言えば、斬撃の速さも目に見えて遅くなっている。

 

 故に、エリシアには容易に躱された。まるで、この程度では使い物にはなりませんと言わんばかりに。

 それは、レイ自身が一番よく理解していた。こんな出来の技をもし師に見られでもしたら、少なくとも半殺しくらいは確定であろう。

 とはいえ、それが分かったところでやる事は変わらない。カウンターのように放たれた二刀の横薙ぎを伏せて躱し、その状態のまま右足を軸に独楽のように回転する。

 

 

 八洲天刃流【剛の型・薙円(なぎまどか)】。

 

 長刀のリーチの長さで全方位を攻撃するこの技は、多対一でこそその本領を発揮する。逆に言えば、軌道が読みやすく、予備動作が比較的分かり易い分、一定以上の実力がある存在が相手の際は効果が薄いという弱点がある。

 とはいえ、生半可なガードでは防げない程度の破壊力はある。だから一番安全な対処法は―――。

 

「ふっ―――」

 

 ()()()()()()

 跳躍し、刃の軌道から逃れる。僅かに上に逃げたところで、刃に纏った氣力で作った不可視の余波の餌食になる。それを理解しているエリシアは訓練場の天井近くにまで跳び上がった。

 

 

 八洲天刃流【剛の型・弦月(げんげつ)】。

 

 そこを追撃する。弦月の形をなぞるように、頭上を半円状に斬線が通る。

 この二つの武技を繋げる事で、大抵の敵は沈められるか、或いは隙を作ることができる。

 

「それも、見慣れた繋がり方ですね」

 

 空中で回避は不可能。だがエリシアは表情を崩す事も無く、斬撃と自分の身体の間に紅刃を差し込む。

 浅い角度で差し込む事で、斬撃に押し出されるようにエリシアの身体が更に浮かぶ。この一連の動作を彼女は苦も無くやってのけたが、実際は寸分狂えば身体の何処かが削がれていてもおかしくは無かった。

 だが、エリシアはそれをやる。例え自分の命が数秒後には絶えている()()()()()()としても、その方が次に繋げられるのであれば、顔色を一切変えずに()()()()()()

 

 天賦の才に裏打ちされた自信。直感と、弛まぬ鍛錬によって生み出された経験則がそれを可能にしていた。

 中途半端な天才性と実力では決して崩せない牙城。彼女を打ち崩すには、隻腕の状態で実力を十全以上に―――否、それ以上に磨き上げなければならない。

 

 《結社》時代に嫌と言う程味わった実力。それを再認識したところで、レイはニヤリと笑った。

 

 

「時間はあまり残されていない。とことんまで付き合って貰うぞ」

 

 鈍色の闘気を練り上げながらのその言葉に、エリシアは二振りの紅刃を擦り合わせた。

 それは、彼女なりの闘心の示し方だった。まるで己の鎌を研ぐ蟷螂(カマキリ)のように、赤色の闘気が研ぎ澄まされていく。

 

「勿論です。何時間でも、何日でも、お気の済むまでお相手致しましょう」

 

 その笑みを見た事が無かった者達は背中に尋常じゃない量の汗をかき、見た事がある者も口元をヒクつかせた。

 それは、エリシアがレイにしか見せない種類の笑顔だ。互いに打ち合う鍛錬の末に見せるその笑顔の意味は、たった二文字で表す事が出来る。

 

 『狂乱』。それが今の彼女の心を占める感情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――*―――*―――

 

 

 更に苛烈さを増していく二人の鍛錬を、上層階から見下ろす視線が二つ。

 

 一つは小柄な少女の見た目の団員。東方風の黒の着物の上から改造団服を羽織ったその人物は、耳元まで伸びる黒髪を掻き上げながら、隣に立つ人物に声をかける。

 

「如何ですか、団長。兄上の仕上がり具合は」

 

 その名はツバキ。《マーナガルム》の諜報部隊、《月影》を率いる隊長であり、れっきとした猟兵団の幹部の一人である。

 閉じた鉄扇で口元を隠しながら問うと、重量感のある声が跳ね返るように飛んできた。

 

「使い物にならんな」

 

 そう言って、紫煙を吐く長身の女性。

 腰まで伸びたくすんだ金髪。今まで潜り抜けた死線の数を証明するように顔の右半分を覆う火傷跡の隙間から除く眼光は、今も鋭くレイの姿を見下ろしていた。

 吐き捨てるようにして言ったその評価は、逡巡も衒いも何も含まれていない。ただ単純な、彼女の中での現状のレイ・クレイドルの評価である。

 

「あのままでは達人共とは死合えんだろう。無様に死んで恥を晒すのがオチだ」

 

「まぁ、団長ならそう仰ると思いました」

 

「貴様こそ、言い方はどうあれ私と同じ感想だろう?」

 

「本当に言い方がアレですけれどもね。隻腕になったばかりとは言え、今のままの兄上をこの艦から降ろすわけには行きません」

 

 レイを「兄上」と呼び、慕うツバキだが、実のところはエリシアと同じくその行動の全てを肯定しているわけではない。

 兄が再び「強さ」を求めて研鑽をするのならば、その評価に妥協をするつもりはない。

 

 紛いなりにも諜報部隊を率いる身である為、その危険性は充分に理解している。

 現在のエレボニアは混沌の坩堝と言っても差し支えはない。恐慌状態に陥っている共和国の方でも暗黒街では暴力と暗殺が珍しくもなく横行しており、また移民団と現地人の間で多数の死者が出る暴動も頻発しているが、エレボニアのそれはまた違う。

 

 基本的には貴族派の領邦軍と革新派の正規軍との戦争だ。だが、貴族派が各人で雇い入れた猟兵団が帝国国内の”荒らし”を加速させている。

 猟兵団もピンキリだ。基本的に高位の猟兵団になればなるほど、任務の関係でなければ現地民を害する事は少ない。下地のしっかりした活動資金の出所がある場合、山賊のような真似をするのは団の信頼を徒に貶める事に繋がるためだ。

 だが、ならず者の集まりのような下位の猟兵団や、猟兵崩れの集団は違う。自警団程度の戦力しかない小規模の集落や村を襲い、略奪を行う事など日常茶飯事。そういった事が、今の帝国では散見されている。

 特に酷いのは西部の地方部だろうか。オーレリア・ルグィン伯爵が率いるラマール領邦軍本隊は規律を保った精鋭部隊だが、地方に散在する練度の低い駐屯軍や、地方領主が雇った質の低い猟兵たちは違う。正規軍を一方的に押し込んでいるのを良い事に、領民たちは酷い目に遭っている。

 

 とはいえ、その程度の事しか出来ない低俗な者達など最初から眼中にすらない。放っておけばいずれ領邦軍本隊に粛清されるか、正規軍と戦うことなくいずれ逃げおおせる事だろう。

 ツバキが注視しているのは下手に多方にちょっかいをかけない高位猟兵団の方だ。そういった面々は、幹部連中に”達人級”の武人がチラホラと混じる。

 そう言った者達と相対する可能性が非常に高くなるのだ。隻腕だからと情けを掛ける者達は皆無。彼らを上回る強さを得られないのならば、殺されるだけだ。

 

 そしてもう一つ。直近に迫った懸念事項がある。

 

「……ツバキ、後は任せる。貴様の目線で調整にどの程度掛かるか、後で報告しろ」

 

「おや、”依頼主”から漸く仕事が来ましたか」

 

「あぁ。どうやら我々をとことんまでコキ使う算段らしい。その程度の気概が無くては面白みが無いがな」

 

「団長にそこまで言わせるのならば、きっと初手から面倒臭い仕事を振ってこられたのでしょうねぇ」

 

 クスクスと上品に笑ってから、ツバキはスゥっと目を細める。

 

「そうですね。4()()といったところでしょうか。今の状況から鑑みるに、その程度の時間があれば兄上は仕上げられるでしょう」

 

「貴様の見立てにしては随分と余裕を持たせるな」

 

「エリシア隊長だけでは偏りが出ますからね。シヴァエル隊長やエルベレスタ隊長、それと、エインヘル副団長にも手伝っていただこうかと」

 

 《マーナガルム》が誇る”達人級”四人衆。その最高個人戦力たちを余すところなく利用しようとする諜報隊長を見て、団長―――ヘカティルナ・ギーンシュタインは不敵に笑った。

 

「分かっているとは思うが、貴様にも馬車馬のように働いてもらうぞ、《折姫(オリヒメ)》」

 

「何を今更。いつものように上手く使い潰してくださいな、《軍神》」

 

 S級猟兵団の団長と、その直属の部下。

 その二人の間には、奇妙ながらも確かに繋がる信頼感が存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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神狼、前進せり


■設定⑤ 
 《マーナガルム》の拠点である大型強襲艦《フェンリスヴォルフ》は、結社の《十三工房》の一つ、《ユングヴィ工房》で造られたウートガルザ級艦の二番艦。
 因みに一番艦が《ウートガルザ》、三番艦が《ヨルムガンド》、四番艦が《ヘルリッヒ》となっている。

■設定⑥
 《マーナガルム》に存在する”達人級”の実力を持つ団員は4人。
 副団長エインヘル、《一番隊》隊長シヴァエル、《二番隊》隊長エリシア、《四番隊》隊長エルベレスタ。
 
■設定⑦
 《マーナガルム》の団章は『月喰みの狼』。団の名は「月を喰らい、陽を陰させる伝説の神狼」より取られている。
 
【挿絵表示】


■設定⑧
 結社《身喰らう蛇》時代の《マーナガルム》の旧称は『独立遊撃強化猟兵・第307中隊』。《マーナガルム》という名称自体は結社に取り込まれる前から存在していたが、レイと出会うまではその名を奪われたままだった。




 

 

 

 

 

「それじゃあ、ここでお別れだ」

 

 共和国辺境の山岳地帯。3000アージュ級の山々に囲まれ、数えるほどしかない先住民族が点々と存在しているだけの厳しい土地。

 遥か昔、空の彼方より飛来した隕石によって抉り取られた山の中腹に、紅と黒で塗装された大型艦が、魔力式反重力浮遊装置(グラベルフロート)の影響で僅かに浮いた状態で佇んでいる。

 

 その近くに立つのは、一人残らずボロボロの団員達。命に関わる怪我をしている者は1人もいないが、恩人の門出を祝うにしては些かみすぼらしい風貌であったが、そんな事を気にするような少年ではなかった。

 

「いやー、ヤバかったヤバかった。ザナレイアのクソ野郎が、最後まで俺らの邪魔してきやがって……次会ったら絶対に殺す。ついでに嗾けてきやがったイルベルトも絶対殺す」

 

「……でしたら、レイ様も私達と一緒にいらっしゃってください」

 

 右腕に痛々しく包帯を巻きつけたエリシアが、どこか弱弱しい声でそう欲した。

 

「我々が貴方をお守りします。《冥氷》も、《蒐集家(コレクター)》も、貴方の”眼”を狙う教会の連中も全部退けてみせましょう‼ ですから―――」

 

()()()()

 

 そんな彼女を諫めたのは、当時の《二番隊(ツヴァイト)》隊長、アレクサンドロス。

 

「ここまで来たんだ。駄々こねるのはやめようぜ。俺達の役目は、ここで笑顔で大将を送り出す事だろ?」

 

「でも……‼」

 

「今まで面倒な(しがらみ)に囚われてきたんだ。俺達ゃ人殺しで居続ける道を選んだが、大将はそうじゃねぇ」

 

 矮躯の少年は苦笑していた。組織に属していた頃の罪悪感や後悔を忘れているわけではない。むしろ現在進行形で彼の心を蝕み続けている。

 それでも彼は、一人で旅をする事に決めた。傷を舐め合う事も無く、誰と慰め合う事も無く、自分が自分の意思で根を張りたいと思う場所が見つかるまで、あてもなく彷徨う事にしたのだ。

 

「エリシア。次に会う時は俺よりも強くなってるかもしれないな。というか、近いうちに隊長の座を奪われるんじゃねぇか? アレク」

 

「勘弁して下せぇ大将。俺だって薄々そう思ってます。つーか個人戦闘力なら既に俺より上です」

 

 拙いとはいえ《冥氷》を相手取れる武人なんて、ウチにもそうそう居やしません、と。

 実際に数年後に二人の立場は逆転し、以後の関係は知っての通りとなるが、それでもエリシアにとってアレクサンドロスという古参の団員は、自身に戦術論などの”率いる者”に必要な教育を叩き込んでくれた人物であった。

 

 

「まぁ確かに、《結社》に居た時は胸糞悪ぃ時もどうしようもならねぇ時もあったけどさ、お前ら(マーナガルム)と一緒にいる時は楽しかったんだ。だから、まぁ、お前ら連れて逃げ出したのは俺なりの恩返しっつーか……もしかしたら迷惑だったのかもしれねぇけど―――」

 

それ以上は言うな、この馬鹿者が

 

 レイの言葉を遮ったのは、狼の名を冠する猟兵団の団長。この夜明けを以て自由を手に入れた組織の首領。

 

「一度しか言わんからよく聞け。私達が今此処にいるのは、貴様がいたからだ」

 

 その言葉に、他の団員達も頷く。

 この場所に辿り着くまでに、彼らと共に幾つかの地獄を潜り抜けてきた。その中で、見知った何人かは斃れて行った。

 それでも残った者達が今までついてきたのは、この女傑が内包するカリスマと力が絶対的であったことと、そして何よりこの少年の存在が大きかった。

 

 年若く、身体も小さいというのに、その身の丈に合わぬ長刀を携えて常に先陣を切っていく。どれだけ傷ついても、どれだけ失っても、その眼は常に前を向いている。

 膝をつくことがあっても、立ち止まる事があっても、決して逃げはしなかった。ただの駒として使い捨てられる運命しか待っていなかった自分たちを掬い上げてくれた恩人が、あらゆる痛みを受けながら歩みを止めずに進み続けたのだ。

 

 それに着いて行こうとするのは、至極当然の事だとも言えた。

 それは、ヘカティルナ(軍神)とはまた別種のカリスマ。”率いる”のではなく、”連れる”。

 彼の師は言った。「アレは軍の指揮者には向いていない」と。仲間の死を飲み込む事は出来ても、()()する事が出来ない。

 しかし、だからこそ作り出せるものもある。

 

 

 

「猟兵団《マーナガルム》()()()団長、ヘカティルナ・ギーンシュタインが此処に告げる‼」

 

「我ら神狼を冠する者共の名に懸けて、縛鎖を千切った者への恩義は決して忘れぬ‼ 月を喰らい、陽を陰させ、天と空を血に塗れさせようとも、この(あぎと)は貴様の敵を狙い続けよう‼」

 

「祝砲を鳴らせ‼ しばしの別れだ、我らが朋友よ‼」

 

 

 

 銃声が虚空に鳴り響く。山間を流れる寒風に硝煙が攫われて行き、そこに残ったのは、送り出す者達の笑顔だけ。

 

 そうしてこの人間たちは別れた。

 その後《マーナガルム》は本格的に戦場に出没するようになり、たった数年でその価値を最上級にまで引き上げた。

 誇り高き狼の牙は、同じ戦士のみを噛み砕く。弱き者の血を啜るは戦場に対しての不敬である。―――そう言い切れるだけの練度が彼らにはあった。

 

 対して、様々なものを捨てた少年は、その言葉通り数年を放浪に費やした。

 東ゼムリアから西ゼムリアへ、聖遺物のその左目を狙う七耀教会の暗部達をあしらいながら、ひとところに留まらず旅を続けていた。

 その内に追手は手強くなっていた。従騎士から正騎士へ。そして遂には、《守護騎士(ドミニオン)》が。

 だが、最終的に《紅耀石(カーネリア)》すら引きずり出す状況になっても、レイは嘗ての朋友たちに助けは求めなかった。

 何故ならば、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。誰を巻き込むわけにも行かなかったからだ。

 

 結局のところ、この時の彼はまだ人の手に縋るやり方を知らなかったのだ。

 「迷惑を掛けるわけにはいかない」「自分が何とかしなければいけない」。死の淵に立ってまで、彼はどこかその思想に囚われたままだった。

 

 ()()()()()、ヘカティルナは彼を一切の(わだかま)りなく送り出した。

 「人殺ししか出来ぬ我らが、その心情を説く事はできない」。それもある意味では、諦観であったのかもしれない。

 いずれ彼の強さも弱さも、その全てを受け入れてくれる者が、受け入れてくれる者達が現れる。我らに出来るのは、そんな彼がもう失わないよう足掻く手助けをする事だけ。

 

 一人の少年の人生の岐路に立ち会わない事を選んだ者が出来る事など、その程度でしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

荒く息を吐く。

 何度も何度も息を吸っては吐き、そうして呼吸を整える。それを一分ほど繰り返して漸く、身体の調子が整い終わった。

 立ち上がると、軽い眩暈が起こる。エリシアと()()()()を始めてから、相手を逐一変えて早4日、確かに睡眠時間は3時間未満程度であったと記憶しているが、とは言え()()()()で眩暈を起こすとは、やはり修業時代に比べて些かハングリー精神に欠けていると言わざるを得ない。

 

 常時氷点下の気温で吹雪が吹き荒れる峻険な山に放り込まれて一か月間生き延びろと言われたあの時。木の実どころか雑草すら碌に生えていないあの場所で食料を確保するために、片っ端から魔獣を狩ってはその血肉を食らい、凍死を防ぐために数分単位での意識のシャットダウンと覚醒を意図的に繰り返していた。

 そして不定期に差し込まれる、身を潜めた師からの必殺の一撃。もはや安らかに安堵する暇すらなく、否が応にも常在戦場という言葉を理解させられた。

 

 それに比べればまだ優しい。基礎訓練も含めてリハビリを始めてから5日、確かに自分を追い込みはしているが、それはあくまでも自分が認識している範囲内での事だ。()()()()()()()()()()()()()()

 可能であればこの状況下でもう一度そこに至りたかったが、身体がどうにもいう事を聞かない。自分が思っていた以上に、肉体は疲弊していたらしい。

 

 左腕が無い状態。その状態でのバランスの取り方は既に熟知した。当初の目的を鑑みれば、リハビリは成功したと言ってもいいだろう。

 ひとまず、()()()()()になる事だけは避けられる。”達人級”のプライドみたいなものに固執しているわけではないが、勝たなければならない勝負に、対策不足で負けたとあっては煉獄の底で永遠に後悔する羽目になる。

 真剣勝負の死合いの中では、隻腕だろうが隻眼だろうが変わらない。倒すか、倒されるか。死ぬか、殺されるか。

 

 最低限安全が約束された学生生活は楽しかった。それは本当だ。

 何てことない平和な時間を仲間たちと共に過ごし、笑い合いながら、時に喧嘩して、切磋琢磨していく。

 青春とはこういうものなのかと思いながら過ごした半年間。そこでレイが学んだものは掛け値なしに掛け替えのないものだった。《結社》では勿論、遊撃士時代にも知り得なかった経験のオンパレード。

 「こんな日々が続いたら」などと思ったのは一度や二度ではない。永遠には無理だとしてもせめてあと一日、あと一ヶ月と、心の中でどんどんと貪欲になっている自分がいた。―――それが、どだい無茶な願いだったのだとしても。

 

 結局のところ、レイ・クレイドルという人間は戦いから逃げる事が出来ないのだ。

 それを不幸だとは思わない。元より力を付けたのはこういう時の為だ。エレボニア帝国という、特大の爆弾から伸びた導火線の近くにある火種が燻ぶっていた、あまりにも危険な場所に飛び込んだのだ。最初からこうなる事など分かっていた筈なのに。

 それでも一抹の希望を求めてしまったのは失態だったのだろうか。始めから「こうなる」と決めつけて動いていれば、今よりも多少はマシな「現在(いま)」を受け止められていたのではないだろうか。

 

 首を軽く横に振って、そんな靄を振り払う。

 過去は変えられない。変えられる過去など、塗り替えられる後悔など、所詮は()()()()だ。そんなもの、悪魔と取引したって手に入れられない。

 

 だから、「未来(これから)」を変えていくために為せる事は全てやる。こんな自分を頼ってくれている者達に、後悔をさせないためにも。

 

 

「相変わらず、背負い込むのが好きだな君は」

 

 不意に、視界に缶飲料が入ってくる。

 視線を上げてみれば、20時間前まで鍛錬に付き合ってくれた人物が自動販売機で購入した飲み物を差し入れに来てくれていた。

 その声色は、聞いただけでは冷ややかに感じる。とはいえ、それ自体はいつもの事だ。統括する部隊の特徴上、彼に求められるのは堅実性と強固な理性、そして冷徹さ。

 

 猟兵団《マーナガルム》実行部隊《一番隊(エーアスト)》隊長、シヴァエル。

 顔の下半分を黒のガスマスクで覆ったその男は、座り込んだまま缶を受け取ったレイに手を差し出して立ち上がらせた。

 

「追い込むことに関しては何も言わないが、君に触発されて無茶な事をやらかす団員がいないとも限らないからな」

 

「自分で言うのもなんだが、これがこなせたら即隊長格行きだろうよ。()()()に掛けてみるのも一興じゃねぇか?」

 

「組織の練度というものは基本的に底上げの連続だ。君のは完全に悪い例と言わざるを得ないな」

 

 それもそうか、と納得するレイ。 

 ふと視線を他にやってみると、比較的若い団員が一様にドン引きした様子で彼の事を遠巻きに見ていた。

 彼らも決して楽ではない、厳しい訓練を乗り越えてきた精鋭である事に間違いはない。だが、日々のそれらが褪せてしまう程に、ここ数日の光景は異様だったのだ。

 

「団長がお呼びだ。疲れているとは思うが、私と一緒に来てくれ」

 

「へいへい了解。てっきりエルベレスタ辺りが引率役かと思ったんだがな」

 

四番隊隊長(アレ)は今《三番隊(ドリッド)》の連中を乗せて帝都近郊地域を偵察中だ。君と手合わせしてからどうにもテンションが高くて気持ち悪かったぞ」

 

「それ俺の所為じゃなくね?」

 

 立ち上がったレイは鞘入りの愛刀を背負って、先を歩くシヴァエルの後ろを着いていく。

 

 この猟兵団の拠点である艦は、4階層構造になっており、先程までレイがいた訓練室は3Fにあり、団長執務室は4Fに存在する。

 はて、《結社》時代に大型任務達成の報酬としてこの(ふね)を《十三工房》の一つからブン取った際はここまで大きくなかったような気がすると首を捻りながら廊下を歩いていると、とある扉の前に到着する。

 

 とりたてて豪奢というワケではない、無機質な白の扉、プレート部分には形式上だけと言わんばかりに主の役職名が刻まれている。

 その扉の両脇に佇む二名の部下に一声をかけてからシヴァエルが入室する。レイがそれに続くと、背後で護衛役の二人の隊員が「先輩、アレが例の……」「そういうこった」と自分の噂をしているのを聞いてしまったが、レイは無視する事にした。

 

 部屋の奥に設けられた執務机の椅子に座する部屋の主。

 彼女と相対する時は、常に一定の緊張感が纏わりつく。重苦しい、という程ではないが、脳の中にピリッとした電流に似た何かが走るのだ。

 彼女が笑う姿を見たのは、果たして何年前の事だろうか―――そんなどうでも良い事を思い出していると、その思考を読まれたのか、その視線が一層鋭くなる。

 

「私を前にしてその緊張感のなさ。貴様は良くも悪くも変わらんな」

 

「昔からこんな感じだったもんな。ヘカテのその睨みも慣れたモンだぜ」

 

「数日前まで死にかけていた者が良く言う。馬鹿は死なねば治らないというが、貴様は死にかけても矯正の余地はなさそうだな」

 

「馬鹿でも何でも大いに結構。―――お陰でもう一度戦えるようになった。ありがとう」

 

 頭を下げる。レイにとって、この場所で受けた恩はこの程度で返せるようなものではなかったが、それでも形にはしておく。

 その様子を見た《マーナガルム》団長ヘカティルナは、目を伏せて息を一つ吐き、傍にあったペンの蓋を強く指で弾く。ペンの蓋は高速で飛んでいき、レイの頭頂部に正確にヒットした。

 

「……(いて)ぇんだけど」

 

「礼など要らん。それが私達と貴様との”契約”だ。我々はそれを遵守する。貴様は為すべきことを成す。それだけの事だ」

 

「礼くらいは言わせてくれ。命張ってる代償がその程度じゃ割に合わんけどな」

 

「だから無用だと言っている。そもそも今回の作戦行動の報酬は既に依頼者(クライアント)から貰っている。我々はそれに相応しい働きをするだけだ」

 

依頼人(クライアント)、ねぇ」

 

 驚くような事ではない。猟兵団は依頼人(クライアント)から報酬金(ミラ)を受け取り、戦場に赴く戦争請負人である。

 ミラが無ければ彼らは動かない。慈善事業で命を張れるような狂気を彼らは持ち合わせていない。プロの働きに相応の対価を払うのはこの世の常識とも言えるが、彼らはそれを徹底する。高ランク猟兵団であれば猶更だ。

 

 現在レイの《マーナガルム》での役職は『特別顧問・相談役』。とはいえ、形だけの役職であり、彼自身この猟兵団の方針に一切口出しをしていないし、するつもりもない。

 そもそもそんな役職に就けられていた事すら、数ヶ月前に初めて知ったのだ。一応は団長と同程度の権限を持っているらしいのだが、船頭が複数存在する組織などいずれ必ず瓦解する。誰に何と言われようと、レイはこの艦の中では「部外者」として振舞うつもりだった。

 

 《結社》時代からいる団員にとってレイは恩人に他ならないが、《マーナガルム》に属する以上、絶対なのはヘカティルナ・ギーンシュタインの命令である。レイ・クレイドルの言葉では、この猟兵団を本当の意味で動かす事は出来ない。

 レイは嘗て、諜報部隊《月影》隊長ツバキを通してヘカティルナに「協力」を要請した。それに応じるように今まで幾度か隊長格を含む数名が動いていたが、ヘカティルナにとってそれは、所謂「試験期間」の範疇であった。

 

 依頼人の目に留まるように自分達の腕を売り込む。その思惑は功を奏し、今こうして妥当な報酬金の上で彼らは命を張っている。

 ヘカティルナにとっては目論見通りになった事だろう。()()()()()()

 

「そろそろ依頼人(クライアント)から追加のオーダーが来る頃合いだ。我々に対してと、貴様に対してのな」

 

「コキ使う気満々じゃねぇか」

 

「その通りだ。使えるものは何でも使う。貴様の力だからこそ推し通せる状況もある。片腕が無くなった程度で楽が出来ると思うなよ?」

 

「楽がしたかったら俺は今もベッドの上で惰眠を貪っていただろうさ」

 

 それが軽口である事は、今までの彼の行動が証明している。

 帝国の現状を憂いたわけではない。ただ、今もどこかで戦い続けている仲間や恋人たちを横目で見ながら自分だけが腐っているなど()()()()

 それは師の教えというわけではない。かつて母が目の前で魔獣に食い殺された時に、義姉が自分を庇って死んだ時に、何もできなかった己を身が焦げる程憎悪したが故のこと。

 

 寄り掛かる何かを見つけ出すのは成功したようだが、やはり根本自体は変わらなかった。

 いや、そこは変わらなくてよかったのかもしれない。このくらいの狂気が無ければ、彼が守ろうとしているものは守れない。

 

「大陸随一の軍事大国の内乱だ。我々も小国の内乱に駆り出されたことはあったが、それとこれとは話が全く違う。状況の移り変わり方も、流れる血の量も、何もかもだ」

 

「分かってる。そもそも首都のど真ん中に新兵器を直降下させての宣戦布告だ。見誤ったらその瞬間に()()

 

「貴様の快復に一週間使った。これ以上かかるようならば置いていくつもりだった。……その程度の自覚はあったようだがな」

 

 そう言うと、ヘカティルナは執務机の脇から何かを取り出した。

 卓上に置かれたのは、頑強な琥曜石(アンバール)で設えられた小箱だった。促され、右手でそれを器用に開ける。

 

 そこに入っていたのは、新品の戦術オーブメント。だが、以前使っていたARCUS(アークス)とは形や色合いが異なっていた。

 華美な装飾のようなものは一切ない。触ってみた限りではかなり頑丈に作られているように感じられ、裏面には《マーナガルム》の団章である”月を喰らう大狼”の紋章が刻まれている。

 

「《整備・開発班(ラボラトリ)》が作った団の専用オーブメントだ。ベースにしたのはエニグマ(型落ち品)だが、戦闘用に特化させた分、ARCUS(アークス)にも引けを取らん」

 

 それがどれ程とんでもない事か位は流石に理解できる。

 そもそも戦術オーブメント自体、エプスタイン財団を主軸に各国の最先端の技術を持つ最大規模の工房が共同開発をしてようやく完成にこぎつけられる代物だ。基軸(ベース)が既に存在していたとはいえ、それの改良を行って次世代型に迫る性能を得られるなど、本来であれば考えられない。例えそれが特化品であったとしてもだ。

 とはいえ、である。《マーナガルム》の後方支援部隊、《五番隊(フュンフト)》。その中の《整備・開発班(ラボラトリ)》は、傍から見ても生粋の変態の集まりである。頭のいい馬鹿の集まりと言い換えてもいいかもしれない。

 

 レイが《結社》に居た頃も部隊の原型自体は存在していたが、3日に一度は何かしらの爆発事故を起こしていた。

 一度野外で盛大に爆発したせいで、たまたま傍を通りがかったヨシュアに大量の土砂が降り注ぎ、マジギレされて追いかけ回されたのも今となっては良い思い出……かどうかは微妙な所である。

 

 だが、変態集団ではあっても腕は確かだ。そんな彼らが”完成品”を作り出したのならば、レイにその完成度を疑う資格はない。

 

「……俺に渡したって事は、専用チューニングも既に済んでるって事だよな。つっても俺今片腕だぞ? これを操る余裕までは無ぇって」

 

 刀を振るうので精一杯。流石にこの状態で戦術オーブメントの発動は難しいだろう。

 とはいえ、そこのところを考慮に入れていない筈がないだろうと思っていると、その思いを見透かしたかのように口を開く。

 

「その辺りも問題はない。詳細は後で詰所に行って聞いて来い。―――さて、そろそろ良い時間か」

 

 《天翼》戦で破片以下の消し炭になった代替品をじっくりと見つめていると、徐にヘカティルナが手元の端末を起動させる。すると、執務室の壁に嵌め込まれた大型ディスプレイが動き出した。

 果たして何が映るのやら、などと暢気にしていると、次の瞬間画面いっぱいに”紅”が映り込んだ。

 

 

『む、失敬。どうやらカメラの位置を間違えたようだ。もうちょっと、そう、もうちょっと引きで撮ってくれたまえ』

 

 ―――聞いた事のある声だった。

 聞き覚えがある、という程度の話ではない。去年から今まで、何度も聞いた声だ。

 だからこそレイは、不敵に笑った。

 

 

「何だ、遂に放蕩を終えたか。馬鹿皇子」

 

『そうだね。いい加減大人になる頃合いだ。遊び足りないかと問われれば、即答は出来ないけれどね』

 

 現時点での《マーナガルム》の依頼人(クライアント)。恐らくは莫大な金額で雇ったであろうその男はいつも通り掴みどころのない微笑を浮かべながら、しかし巫山戯るような雰囲気は掻き消えている。

 思わず息を呑むのを抑えたほどだ。目の色も表向きの声色も変わっていないというのに、覚悟だけがスイッチを切り替えたかのように全く違う。一年と少し程度の付き合いという中で、それなりに彼の人柄は理解しているつもりだったが、その変わりように戦慄しかけてしまった。

 

 つまるところ彼―――オリヴァルト・ライゼ・アルノールは、此処に至って道化の仮面を取り外したのだ。

 

「俺への仕事は何だ。こちとら病み上がりだ、出来ればそれなりに軽いモノを寄越してくれるとありがたいんだがな」

 

『聞いているよ。とはいえ、思っていたよりも元気そうじゃあないか。片腕が吹っ飛ぶというのは、僕の考えでは重症も重症だと思うんだがね』

 

「その価値観は大切にしておけ。お前の身体の一部がもし吹っ飛ぶようなことがあったら数ヶ月は療養に費やす事だな」

 

『ご忠告痛み入るよ。背筋が一瞬寒くなってしまったがね。―――だが残念だ。僕は病み上がりの君に、酷な仕事を告げねばならない』

 

 知っていた事だ。わざわざ自分をご使命という事は、普通の人間では到底不可能な仕事を回されるという事である。

 とはいえ、レイも素人ではない。《執行者》として活動していた時も無茶振りはされていたし、遊撃士をやっていた時は誇張表現も比喩表現も抜きで三日三晩働きづめだったこともある。……それを差し引いても面倒くさい事になりそうだという嫌な予感はするが。

 

 そして見事、その予感は当たった。

 

 

 

 

『帝都郊外、カレル離宮に赴いて、僕の弟―――帝位第一継承者であるセドリック・ライゼ・アルノールを()()してきて欲しい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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作戦名:ナハト・オイレ作戦 前篇


■設定⑨【スワンチカ家】
 《マーナガルム》の《二番隊》副長補佐、ライアス・N・スワンチカの生家。
 《獅子戦役》に於いて《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットと共に最後まで戦った一族であり、アルゼイド家と共にサンドロット家に仕えた忠臣の一族であった。

■設定⑩【ツバキの性別】
 《マーナガルム》諜報部隊《月影》の隊長であるツバキは、少女に寄った外見をしているが、その本当の性別を知る者は少ない。本人は「兄上(レイ)が望むのならどちらでも」という妖しい言葉を残している。

■設定⑪【レイの専用戦術オーブメント】
 士官学院在籍時は、「呪力を扱い、魔力というモノを元々有していない」レイの為に、オリヴァルトがリベールの《ZCF》に依頼して、専用の戦術オーブメントを用意していた。レイは貴重なサンプルとして使用データなどを逐一《ZCF》及びラッセル家に送っていたが、先の《天翼》フリージア戦の際に欠片も残さず消失。


ベルグ1(レイ・クレイドル)よりフギーナへ。ポイントαに到着。15分後に潜入を開始する」

 

フギーナ(四番隊通信分隊)よりベルグ1へ。報告了解。離宮内の防諜対策を懸念して以後の通信を禁止します。―――ご武運を』

 

 短い通信を終え、レイは戦術オーブメントを閉じる。

 現在潜伏している場所は、首都ヘイムダルより僅かに離れた、舗装された森林保護地帯。つまりは意図的に植え付けられた自然の一画。

 とはいえ、そんな状態で向こう100年も経とうものならば、それはもう立派な自然地帯だ。11月の寒風が木々の間を通り抜け、肌に刺さる。

 だがそんな事は問題ではない。現在この近辺を守護しているラマール領邦軍の《近衛隊》の目を掻い潜ってこの一画に辿り着いてから、はや30分。

 時刻は既に22時を回っている。冬期である事を鑑みても、周囲には点々と設けられた七耀灯の光しか存在していない。

 だが、夜目の慣らし方はこういった界隈に身を寄せている場合義務教育レベルである。僅かな光源を頼りに、周囲の状況を把握する。

 

 12時間前にこの作戦を依頼してきたオリヴァルト(アホタレ)曰く、貴族連合による帝都占領から9日が経とうとしている今、指揮系統が徐々に纏まりつつあるらしい。

 つまり、これ以上この作戦の開始タイミングを先延ばしにすれば、現在重要度だけで言えばバルフレイム宮よりも高いこの場所の警備が更に堅牢になる可能性が高い。それこそ、鼠一匹通さない厳重体勢。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。機械人形を駆使しての警備体制と、人海戦術を駆使しての警備体制。一見隙など何処にも無さそうに見えるが、どんなに詰めても確実に”穴”はできるのだ。

 

 オリヴァルトよりデータ化して渡されたカレル離宮内の見取り図と、想定できる警備体制を組み合わせて作戦を練る。

 侵入ルート及び作戦実行ルートは何通りか思い浮かんでいるが、その内の幾つかは十中八九()だ。敢えて分かり易い隙を何個か作り、そこに鼠を誘い込む。重要人物を囲っているこの状況でそんな警備を敷くというのは諸刃の剣だが、少なくとも今離宮内にいる最高戦力はその危険性を埋めることができるだろう。厄介極まりなかった。

 

「あのアホ皇子……遠慮なくコキ使いやがってよぉ」

 

「どうするッスか、大将。《処刑殲隊(カンプグルッペ)*1仕込みの潜入術持ってる大将と違って、俺ァこういうのあんまり得意じゃないんスけど……」

 

 茂みに身を潜めるレイの背後でそれなりの長躯を屈ませているライアンが、僅かな不安を滲ませた声でそう言った。

 《二番隊(ツヴァイト)》の副長補佐。それに求められるのは、強襲部隊の指揮能力だ。時には自ら先陣を切って敵部隊に殴り込みをかける。つまり、潜入任務そのものの経験が少ないのである。

 

「今まで何度も鉄火場潜ってきたっすけど、コイツぁ飛びぬけて厄ネタ案件っすよ」

 

『グチグチ文句言うんじゃありませんよ、ライアス』

 

 その声は、レイの口から出たわけではない。するとレイは、現在存在していない筈の()()を地面に降ろす。

 直後、その左腕がバラバラに分解されていく。それを構成していたのは骨と肉ではなく、特殊な紙の集合体。レイの”左腕”に擬態していたそれは、一度完全に分解されてから再びヒトの形を取る。

 

「そもそも貴方の派遣を決定したのはヘカティルナ団長です。貴方に拒否権は元々ありません」

 

「どストレートに正論叩きつけないで下さいよぉ……ツバキ姐さん」

 

 緑の中に溶け込むにはあまりにも不適切な、しかし闇夜に紛れるには最適な黒の和服と同系色の外套。その気配の消し方は堂に入ったものだった。

 得物としても使う鉄扇を開き、口元を隠しながらライアスの脇腹を肘で突く。矮躯から繰り出されているとは思えないその威力に咽せかかるが、何とか寸前で飲み込む。

 

「そんじゃ、始めるぞ。事前打ち合わせ通りに動け。……ま、打ち合わせって言う程のモンでもねぇけどな」

 

 

 

 時間は、5時間前まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

「アホ皇子からカレル離宮の内部図が送られてきた」

 

 バサリと《フェンリスヴォルフ》の作戦指令室の机の上に設置されたホログラムビジョンには、本来皇族及びその場所の警備を司る者以外には不出である筈の見取り図が映し出されていた。

 

 カレル離宮。エレボニア帝国の歴代皇族たちが主に避暑地に使っている場所であり、帝都ヘイムダルの近郊にありながら、緑豊かな自然に囲まれた建物だ。

 年に数度、帝都庁主催でツアーが組まれ、一般市民にも開放される場所ではあるが、当然ながらその時に見学できるのは極一部の区画だけだ。離宮の警備担当か世話役でもなければその全域を知ることは無いだろう。

 

 とはいえ、庶子である事を差し引いてもオリヴァルト・ライゼ・アルノールは皇族の一人だ。加えて人たらしの性格であれば、こういうものを調達する事自体は難しい事ではないだろう。―――問題はその重要機密事項を作戦成功の為とはいえ、ただの猟兵団に流しているという事なのだが。

 

「この作戦が終わったら破棄してくれとは一応言われてるけど……うん、()()()()()()()()()()()()()

 

「あぁ……ミランダ姐さん(経理班班長)がメチャクチャ目を輝かせてたのってそういう……」

 

「流すところに流すなら軽く二桁億ミラは捥ぎ取れるでしょうからねぇ」

 

 大国の皇族避暑地、及びヘイムダル中心地で大規模のテロ事件等が起こった際の皇族の避難地区であるという事を考慮すれば、その情報がどれ程重要であるのか、想像に難くない。

 とはいえ、そこはこの猟兵団の金回りの一切を管理する《経理班》の面々の良心を信頼するとして、本題はここからだった。

 

 現在この指令室にいるのは、レイ、ヘカティルナ、ライアス、ツバキの四名。その中で、マップの隅々にまで目を通していたヘカティルナが口を開いた。

 

 

「まず、今作戦の勝利条件を答えてみろ―――レイ」

 

「第一に、依頼にあったセドリック・ライゼ・アルノール皇太子の身柄の保護。()()()()までは依頼内容になかったが……まぁ普通に考えて大国の皇族を不必要に痛めつける必要もねぇだろ。来る意志があるんなら普通に連れていくさ」

 

 それは逆に言えば、たとえ拒んだとしても無理矢理連れてくるという事。

 今回の作戦は、事が発覚した時点で成功させるしか道はない。最悪の事態は幾らでも考えられるが、最高の結果を掴み取る道筋はかなり細い。

 

「第二に、離宮警備部隊を()()()()()()。不殺を貫いてどうにかなるほど甘くはないだろうが、それでも皇族を守る部隊の人間を()るってのはリスクが高すぎる」

 

 正直な話、皇太子を拉致するというだけでも一族郎党極刑ものの大罪ではあるのだが、「帝都ヘイムダルを武力で占拠した挙句、皇族を不当に監禁している」という尤もらしい言い分をオリヴァルト側が表明すればまだ何とかなる。

 だが、皇太子奪還時に「殺害」というプロセスが加わるとその立場が揺らぐ。そちらも所詮は武力行使で皇族の利権を搔っ攫おうとしているだけだろうと、強制的に同じ土俵に立たされてしまう。

 こうした極秘作戦に於いて、「殺害」という手法は大きな意味を持つ。暗殺及び工作任務であればその方法を厭わないが、様々な立場で縛り付けられている状態では迂闊な行動一つが容易く最悪なシナリオへの一本道を作り出してしまうのだ。

 

「第三に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう。ここまで条件を整えて、()()()()()()()

 指示したのがオリヴァルトであるという事はすぐに勘付かれるだろう。だが彼には正当性がある。今の貴族派はどう取り繕おうとも、首都の中心地に最新鋭の兵器を大量に投入し、市民に少なくない死傷者を出したという結果を残してしまっていた。

 そんな面々に監禁されている今、皇位第一継承者であり、何より腹違いであるとはいえ自らの弟が危険に晒される可能性が高いという()便()を用いれば「理由」にはなる。

 

 だが、当然ながら《マーナガルム》にはその理由が適用されない。そも、オリヴァルトが自ら率いる部隊で奪還を成し遂げたのならまだしも、事もあろうに猟兵団に依頼して為したとあれば風聞が悪くなる。

 貴族派に属する者達が独自に猟兵団を雇って暴れ回っている現状で何を今更、と思うかもしれないが、「正義」を成そうとする側であるのなら、痛くない腹を突かれる要因と言うのは一つでも多く潰しておかなくてはならない。

 他の戦闘で《マーナガルム》に戦闘を要請するのならいざ知らず、今回の任務ではオリヴァルトは可能な限り《マーナガルム》との繋がりを隠しておきたいのだと思われる。

 だからこそ、通常の依頼料とは別に「カレル離宮の見取り図」という、外患誘致に抵触しかねないというか限りなく真っ黒に近いダークグレーのような情報を寄越したのだろう。

 

「キッッッッッツ‼」

 

「まぁ確かに難易度は高いですね。そこら辺の木っ端兵士が警備しているならともかく、相手にしないといけないのはあの《皇室近衛隊》ですから」

 

 《皇室近衛隊》―――それは文字通り皇室の警護をする貴族部隊の中でも、最精鋭と謳われる部隊。皇族個人の守護を仰せつかったヴァンダール家とは異なるものの、その練度は勝るとも劣らない。

 構成人数そのものは20名と少しでしかないが、全員が”準達人級"以上の武人であり、総隊長と副長に至っては”達人級”に至っている。

 真正面から斬り合うような場面であれば勝機を生み出す戦い方が出来なくも無いが、今回のような隠密が大前提の作戦では正直かち合いたくはない。

 

「接触は避けては通れない。そこを工作する程の時間は無いからな。そうだろうツバキ」

 

「仰る通りです団長。如何に《月影》といえど流石にエレボニアの皇族の周囲に諜報員を配置する事はできていません。……まぁ共和国側に人員を結構割いているのが原因ではあるんですけどねー」

 

「共和国側のマフィアやらギャングやらは勢力図が滅茶苦茶すぎるし、そこに政府組織やらも絡むと毛細血管並みに複雑怪奇だからな……」

 

 《月影》に属する諜報員も、勿論多くはない。そして秘匿性が高い場所に潜り込むのならば、その危険性に比例して潜伏期間も長くなる。

 リベールのグランセル城にメイドとして潜伏しているサヤなどがそのいい例だ。ましてや軍事大国であるエレボニアの秘匿の中心部に潜るとなれば―――それこそツバキが自ら入り込むくらいしかない。

 何せ、一度は皇城バルフレイム宮内にあるオリヴァルトの私室に誰にも気づかれることなく侵入し、部屋の主が来るまでソファーに寝転がって悠々と雑誌を読み耽っていた前科がある。

 

「潜入、工作、保護、脱出。その全てを闇に紛れて行わなくてはいけません。ただ闇雲にやるだけでは難易度は最高レベルですね」

 

「……ツバキ姐さんをして”最高レベルの難易度”っすか」

 

「んー、工程(プロセス)が多いんですよね。保護するものが無機物とかならまだしも、人間一人を無傷で連れ出せという命令(オーダー)と、相対する組織の練度の高さを加味するとどうしてもこういう判断を下さざるを得ません」

 

 それでも”不可能”と言わない辺りにプロとしての矜持が垣間見えたが、「限りなく難しい」と見て間違いはないだろう。

 そしてそれを聞いて、ヘカティルナが判断を下す。

 

「ライアス」

 

「はい」

 

「この作戦、貴様が()()()()()()()()()()()()()に掛かっていると思え」

 

 その言葉に息を呑み、冷や汗が首筋を伝う。

 《二番隊(ツヴァイト)》の副長補佐に任命されて約一年。一歩間違えれば確実に死ぬような危機を何度も潜り抜けてきたが、これは今までのどれとも違う危険度がある。

 だが、彼は猟兵団《マーナガルム》という組織の中で上からの命を受けて動く人員の一人。それが命令であるならば、異論を挟まず実行しなくてはならない。

 

 ―――()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、口から出かかったその疑問を寸前で飲み込んだ。

 自分の力が必要とされているのならば、それに応える。ぐうの音も出ない程に完璧に。それが猟兵というものだ。

 

 そんな事を考えていると、作戦指令室の外からドタドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 

 

「クソがクソがクソが‼ あンのクソアマ、ネチネチネチネチ文句垂れやがってよォ‼ 死ね‼ 動力部の中心に濡れ手突っ込んで感電して死ね‼」 

 

 聞くに堪えない罵倒と共に指令室に入ってきたのは、小柄なツバキよりも更に頭一つ程背が低い赤毛の少女だった。

 背丈だけで言えば、まだ日曜学校に通っていてもおかしくない程の年齢に見える。ブカブカな白衣は完全に()()()()()()()()感が否めず、違和感の塊でしかないが―――それでもそこには有無を言わせない迫力があった。

 バリバリと、その身に宿ったストレスを発散するように口内に入れていた某付き飴を齧り砕く。

 

「久し振りだな、メルド。相変わらず怒りまくってんな」

 

「―――ッチ。ンだよテメェかよ。相変わらずムカつく面してやがる。高度100セルジュから自由落下して死ね‼」

 

「いくら”達人級”でもさすがに死ぬやつだ……‼」

 

「やかましいンだよライアスよォ‼ 今からおっ死ぬ生贄みてぇにウジウジしやがって。目障りだから死ね‼」

 

「死に方すら省略されんの嫌すぎるんすけど⁉」

 

 つらつらと流れ出でる罵詈雑言。誰がどう見ても教育に良い存在ではない。

 だがこの少女―――マーナガルム《五番隊(フュンフト)》・《整備・開発班(ラボラトリ)》所属にして、『新規戦術データリンク開発プロジェクト』リーダーを務めるメルドという研究者は、眉間に皺を寄せたまま、理性を失わずに言葉を紡ぐ。

 

「テメェから死にに行く大馬鹿野郎どもに、整備・開発班(変態一同)から差し入れってやつだ。―――どこかで失くしたらスパナでドタマぶち割ってぶっ殺すからな?」

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 カレル離宮最上階、皇族専用室。

 通常であれば日々の政務や重責から解き放たれた彼らに一時の安らぎを提供するための場所だが、現在その場所は重苦しい空気に支配されていた。

 皇帝陛下、皇妃殿下、そして皇子殿下。三名はそれぞれ別の部屋に押し留められ、部屋内と扉の外に常時一名以上の《皇族近衛隊》の隊員が”護衛”に付いている。

 

 無論、それは半分本音で半分建前だ。

 《皇族近衛隊》の面々は、貴族連合の実質的なトップ、クロワール・ド・カイエン公爵より「皇族の方々を混迷極まる帝都の喧騒から確実にお守りしろ」との命を受けており、それはつまり「誰一人としてこの静謐の牢獄から出すな」という命と同義であった。

 故に、皇帝皇紀夫妻であっても別室に隔離されており、家族が共に在れるのは日中の僅かな時間しかない。普段であれば不敬極まる処遇であるが、緊急事態であるが故、やむを得ないというのが貴族連合の決定であり、ユーゲントⅢ世もこれに同意した。―――それが本心からのものではないという事は、誰の目から見ても明らかであったが。

 

 皇帝も皇妃も、勃発してしまった内乱の中で虐げられ、傷つく民の事を深く憂いていた。それと同時に、未だ行方不明である皇女のアルフィンと、長兄オリヴァルトの事も心の底から心配していた。

 行動力の化身とも言える長兄オリヴァルトに対しては、以前に正体を隠してリベールに赴き、現地の友らと共に西大陸を揺るがす事件を解決に導いたという経歴から頼もしく思ってはいたが、それでもその身を案じてしまうのが親心というもの。 皇妃プリシラからすればオリヴァルトは自身の腹を痛めて産んだ子ではないが、それでも彼が皇族の長兄として妹や弟を可愛がっているのを知っていたし、家族の一員として信頼していた。

 だから、だろうか。やはり娘のアルフィンの方を第一に心配してしまうのは。

 

 彼女もオリヴァルトに似て好奇心が強く、行動力が高い。皇族という使命に縛られながらも、せめて幸せに生きて欲しいという両親の願いの下、天真爛漫に育った彼女だが、こんな状況下で行方不明ともなれば最悪の事態を考えてしまうのは仕方のない事だろう。

 そして、そう考えているのは両親だけではない。

 

 

「(兄様……アルフィン……どうか、どうか無事で……)」

 

 自室のソファーに座り、俯いたまま、皇位継承権第一位のセドリックはひたすらに女神にそう祈っていた。

 それしかできない事を、彼は知っていた。幾ら皇族の一員とはいえ、この場に於いて自分が行使できる権力など無いに等しい、と。

 事実、それはその通りであった。セドリックが警備を担当している隊員に頼めば、望むものはある程度用意してくれるだろう。だが、決して自由に外を出歩かせてはくれない。

 普段から強くなりたいなどと願っていても、所詮はその程度でしかなかった。帝都が戦火に包まれた際も、何もできずに恐怖心に震えながら、ただ為す術無く《皇室近衛隊》の面々に警護されながら離宮に避難していた。

 父と母は、その間も民を案じて出来るだけの事をしようと尽力していたというのに、自分はと言えば比喩でも何でもなく”何もできなかった”のだ。

 

 それを情けないと感じているのは男の性というものだろう。

 今こうやって、祈る事でしか兄と姉の無事を案じる事ができないというのも拍車をかけていた。

 

 

「殿下……」

 

 そんなセドリックに、声をかける人物が一人。

 部屋内で警護に当たっている近衛隊の隊員ではない。セドリックの隣に座っていた、同年代の少年であった。

 髪色は、青みがかった銀。セドリックのように、彼もまた中性的な顔立ちをした美少年だった。

 

「大丈夫です、殿下。皇子殿下も皇女殿下も、きっと生きておられます」

 

「……うん、そうだね。そうだよね。二人とも、僕なんかよりずっと立派だから……」

 

 元気づけようと声をかけたが、それが実のところ逆効果であった事を察した少年は、顔を伏せてしまった。

 どうすればいいのだろう、と思考を巡らせるが、あらゆる言葉が浮かんでは消え、絡まり合いながら沈んでいく。結局は、無力を嘆く若者が二人になっただけだった。

 

 窓の外に目をやっても、真っ暗な暗闇が広がるだけ。今夜は新月。帝都中心部であればこんな夜でも街灯などの灯りがポツポツと見えるものだが、ここには視界を補うにはあまりにも心細い星の灯りがあるだけだ。

 恐らく明日になっても明後日になっても同じ日が続くだけ。この国が良い意味でも悪い意味でも落ち着いた時に、連行されるように再び皇城に戻されるだけ。

 

 ()()()()()()()()()()()()。毒にも薬にもならないというのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこに考えが至った時、形容し難い悪寒が全身を駆け巡り、その細腕で自分の身体を抱いた。帝国の至宝などと持て囃されているが、一部の貴族からは「軟弱」と揶揄されている事も知っている。

 そんな自分を変えたくてギリアス・オズボーンに憧れていたというのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 であれば、今のこの顛末は必然だ。どうすれば良かったかという言葉を投げかける人物は、今この場には存在していない。

 

 どうしたら―――焦燥感にも似た複雑な感情を濁らせた時、ふと視界が部屋の隅を向いた。

 何があったというわけでもない。焦りが視界を移ろわせただけだった。しかしその気紛れが、一つの違和感を見出した。

 

 通常、この皇族専用の一室は、内装全てが煌びやかだ。故に生活感というものは極力排除されている。

 だがこれらの部屋には、皇族家というこの国で最も高貴な一族を守るために、非常用の隠し通路というものが存在していた。

 普段は巨大な絵画に隠されている通路であり、セドリックは幼い頃にも同じ部屋をあてがわれた事もあり、父からその通路の存在だけは知らされていた。

 その絵画が、僅かに()()()()()()()()()。その奥には綺麗にくりぬいた様な石造りの道のようなものが見えて―――否。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「‼ 何者ッ―――」

 

 その違和感を護衛役の隊員も察したのか腰に佩いた剣の柄に手を掛けるが、時既に遅し。

 

「悪ぃな。ちっと眠っててくれ」

 

 小さな黒い影が、隊員の背後に一瞬で回り込み、右手の掌にあった札を鼻と口に押し付ける。

 隊員は僅かな時間呻き藻掻いたが、完全に羽交い絞めにされていた上に関節を決められており、ものの数秒で意識を失った。

 あまりにも見事な動きで”準達人級”の実力を持つ隊員を無効化したその人物の脅威を感じ取ったのか、少年がセドリックを庇うような形で前に出る。

 武器は没収されて久しいが、それでも少年はセドリックを護るためにここにいた。であれば、たとえ勝ち目があろうがなかろうが、立ち塞がるのが道理であり、忠義であった。

 しかし侵入者は、おどけたように軽く両手を挙げてそれ以上近づこうとはしなかった。

 

「あー、待った待った。別に暴れようなんて思ってねぇよ。なぁ、セドリック」

 

「あっ、その声は―――」

 

 その声をハッキリと聞いた時、セドリックの顔に笑みが零れた。

 忘れない。忘れるわけがない。何せそれは、気弱な自分が初めて作った友の声だったから。

 

「レイさん‼」

 

「元気そうで何よりだ。あと声は抑えてな。幾ら防音仕様とはいえ、外の隊員に気付かれる」

 

 全身を覆う漆黒の外套を脱いでその姿を現した若き”達人級”の少年は、右の人差し指を自らの唇に押し当てた。それを見て、セドリックは高揚感を抑えて口を閉じた。

 

「殿下? えっと、お知り合いですか?」

 

「う、うん。前に話したことがあったでしょう? 兄様がスカウトした元遊撃士の人だよ」

 

 それを聞いて少年も思い出す。セドリックの護衛に選出されて少し経った頃、初めて出来たという友の存在を。

 それならば、と警戒を解こうとしたが、いや、と思い直す。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。仮に本物であったとしても、自らの主を害さない保証もない。

 とはいえ、ほんの少しばかり感じる、底の見えない深い感触は確かに達人のそれだ。父や母と同じ、自分などとは遥かに格が違う闘気。

 

 状況としては完全に、虎を睨みつける子鼠といった有様だ。だがその勇気を見据えて、レイは口元に笑みを浮かべた。

 

「そりゃそうだ。お前さんは正しい。従者として、ここで警戒を解くのは失格だ。―――あぁ、成程。ミュラーさんから聞いてたわ。お前さん、ヴァンダールの家の(モン)だろ」

 

「…………」

 

「ま、今はそんな事は良いか。それよりも、ホレ」

 

 レイは懐から出した封蠟入りの手紙を、手首から上の動きだけで投げ、それは緩やかな軌道を描いた後、セドリックの手の内に収まった。

 

「これは?」

 

「お前の兄貴からお前への手紙だ。それを信用状代わりだと思ってくれ」

 

 はしたなくある事は知りつつ、セドリックは封の一部を強引に千切り、中の手紙を取り出した。

 広げて、そこに書かれていた文字を見る。それは確かに兄の筆跡であり、早急に上から下まで流し見た。

 そこに書かれていたのは、ある意味セドリックにとっては最大の試練にもなりうる内容であった。

 

「……殿下、拝見を、させていただいても?」

 

 不敬な行動である事は知りつつも、少年は恐る恐るセドリックの手から手紙を受け取る。

 

 始めはただの近況確認だった。弟であるセドリックに対して、こんなことに巻き込んで済まないという謝罪も添えられていた。

 オリヴァルト(自分)は元気であり、今はエレボニアに広がってしまったこの戦火を収める為に動いている。アルフィン()に関しても、ひとまず無事である事を確認している、と。

 

 その上で、セドリックにも帝国の混乱を鎮めるために、一緒に戦ってほしいと。

 

 

「信じるか信じねぇかの判断は任せるよ」

 

「……いえ、これは間違いなく兄様からの手紙です」

 

 セドリックには分かる。筆跡などもそうだが、昔からよく皇城を開けていたオリヴァルトと手紙のやり取りをしていたセドリックにしか分からない文章の癖や文字の開け方など、その全てが偽造などではなく本当の兄からの手紙であるという真実を雄弁に語っていた。

 

「で、どうする?」

 

 レイのその言葉は、先程とは違い、妙に冷え切っていた。

 セドリックにも何となく分かっていた。これは、()()()()()()()である事を。

 

 だが、言葉を紡ぎだせるはずの喉が鳴らない。それどころか、肺から抜ける筈の空気も妙に引っ掛かる。

 プレッシャーに圧し潰されそうになる、という経験をあまり有していないが故に、その二択の選択にすら、軽い呼吸困難を伴い始めていた。

 

 兄の偉大さ。それはここ数年で身に染みて分かっていた。名を変えてリベールに赴き、危うく隣国を巻き込む事になりかねなかった大事件を解決し、つい数ヶ月前には皇帝の名代としてクロスベルで開催された通商会議に出席した。

 庶子である事を理由に皇帝の座は頑固として拒否しているが、エレボニアに住まう民たちは兄が皇位に就く事を望んでいるのかもしれない。或いは、自分よりも民に好かれることができるアルフィンの方が、と。

 とはいえ、そこに嫉妬の感情などは無かった。そこにあったのは、「自分程度の存在がこのような大国を統べる事などできる筈がない」という諦観。

 何か切っ掛けが無ければ、セドリックは恐らくこういった極大のプレッシャーに晒されることなく、目の前に差し出された冠を手に取る事になったのかもしれない。エレボニア史上最も軟弱な(おう)という不名誉を払拭できないまま。

 

 だが今、兄の手助けをできるようになれば?

 気弱で、貧弱で、優柔不断な自分がここで足を踏み出す事が出来れば、何かが変わるかもしれないのならば?

 

 喉元からせりあがってくる軽い嘔吐感を飲み込み、セドリックは前を見据える。

 

「行き、ます。僕を、連れて行ってください」

 

 その声は、情けないものであったのかもしれない。震え、怯え、目尻からは緊張感の末に流れた涙もあった。

 だが、レイは決してそれを嗤わなかった。覚悟の発露。この段階でオリヴァルトが一番見たかったであろうものを見たレイは静かに頷いた。

 

「承った。お前を無事に、オリヴァルトの下へと送り届けよう。―――それとお前」

 

「なん、でしょう」

 

「お前も着いてこい。セドリック以外を連れて行くなんて契約にはないが、まぁここでセドリックを誘拐した犯人の素性を近衛の連中に漏らされたら任務失敗なんでな」

 

「僕が、殿下の邪魔になると?」

 

「見たところそれなりに覚悟キマってるようだが、相手が()()()()()ような連中だと厄介なんでな。なに、250年前からデカい事を成そうとする皇子の傍にはヴァンダールの剣士がいるものなんだろう?」

 

 そう言われると、口を噤む事しかできなかった。

 エレボニア史上最大の内乱、《獅子戦役》。その乱を制し、後に《獅子心皇帝》と呼ばれたドライケルス・ライゼ・アルノールがノルドで挙兵した際から彼と共に在ったという絶対の忠臣。それが現在のヴァンダール家の先祖、ロラン・ヴァンダールであった。

 その伝説をなぞるなど、今の自分には恐れ多い事であったが、それでもその話を持ち出されれば行かないわけにはいかない。

 

「そういえば、名前は? ちなみに俺はレイ・クレイドルという。よろしく」

 

「……クルト・ヴァンダール。一応、よろしくお願いします」

 

 不承不承、という体ではあった。

 この時点で、彼はレイ・クレイドルという存在を何も理解していなかった。それでも、敬愛する主が友と呼ぶ人ならばという点だけで協力する事にした。

 その心情をレイもよく理解していたのか、見透かしたような笑みを一瞬だけ見せて、しかしすぐに目の色を鋭くする。

 

「よし、なら今すぐ二人ともこれを付けろ」

 

 そう言うと、肩から吊り下げていたバッグの中から、それなりにゴツい帽子のようなものを二人に手渡す。見慣れない物の存在に、セドリックは緊迫した雰囲気の中で思わず呆けてしまった。

 

「あ、あの、これは……?」

 

「まぁとりあえず装着しろ。そんでもってそのスコープを目の位置に合わせて調節して、っと―――よし、間に合ったな」

 

「ちょ、ちょっと‼ 説明くらいしてください‼ これは一体何なんですか⁉」

 

「あんまり大きな声出すなって言ってんだろクルト。説明する時間はねぇんだ。一先ずこれで、お前ら二人のここからの視界は確保できたからな」

 

 クルトの尤もな疑問を容赦なく受け流し、レイは部屋内にあった時計で時刻を確認する。その一連の動作を行ってから、再び二人の方に向き直る。

 

「さて、早速だがこれから第一の試練を行う。二人とも、捕まりたくなかったら力の限り全力で逃げろ」

 

「えっと……」

 

「まさか……」

 

「これまでの人生で一番過酷な”鬼ごっこ”の始まりだ」

 

 その瞬間。

 

 

 

 離宮全域が、完全な闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
処刑殲隊(カンプグルッペ)》:結社《身喰らう蛇》執行者No.Ⅴ《神弓》アルトスクが率いる誅伐部隊。主に《結社》を脱退し、その後情報を漏洩した者。《結社》にとって不都合とされる者の暗殺を担当する部隊の名称。



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作戦名:ナハト・オイレ作戦 中篇

■設定⑫【皇室近衛隊】
元より領邦軍には皇室を守護する守護部隊が存在するが、《皇室近衛隊》はその守護部隊の中から選び抜かれた精鋭中の精鋭。属する隊員全てが”準達人級”以上の使い手であり、総隊長と副長に至っては”達人級”に到達している。

■設定⑬【《鉄機隊》予備役】
結社《身喰らう蛇》第七使徒《鋼の聖女》アリアンロード麾下の実行部隊《鉄機隊》。その隊士を育成する際の見習いが属する部隊名……というわけではない。実のところ、これはアリアンロードを含め、《鉄機隊》の面々が見込み有りとして拾ってきた武人の卵たちを匿う場所。基本的に男性禁制の部隊だが、レイやライアスなど、例外的に属する者もいる。

■設定⑭【整備・開発班(ラボラトリ)】
《マーナガルム》の《五番隊(フュンフト)》に属する後方支援部隊。班員は極一部を除いて一見協調性の欠片もない癖の強い面々ばかり。それを何とか繋ぎ止めている苦労人が存在する。その中には国の最高学府に属していた者達もおり、あまりにも尖り過ぎたせいで学会を追放されたり厄介者扱いされて見放されたり、まぁそんな人物たちが珍しくもなく属する変態の巣窟。






 

 

 ―――その人に対する第一印象は、良かったとは言えなかっただろう。

 

 

 

「あぁ、君がアリアンロード卿が保護したっていう……僕はレイ・クレイドルって言うんだ」

 

 

 昔は俺もそれ程背は高くなかったけど、当時のその人は今よりも更に背が低かった。

 そんな人が俺の事を誰かの”付属品”としか見ていなかった事に気付いた時、妙に苛立った感覚があった。

 生意気だとすら思っただろう。既に亡き父から、物心ついた時には武術の稽古をつけて貰っていた。だから、()()()()に力を付けている方だと思っていたのだ。

 

 そう、()()()()()()()。錯覚だと言い換えても差し支えはなかった。

 井の中の蛙とはまさにそういう事を指すのだろう。自分が何もかも未熟で、弱かったから全てを失ったのだという事を理解していなかった。

 

 否、あの時は目を背けていたのだろう。

 ハーメル村の虐殺劇。その責任を押し付けられる形で冤罪を被り、秘密裏に処刑された父。その一部始終を、ただ泣き喚きながら見ている事しか出来なかった自分。

 無力は罪であると散々理解したはずなのに、その理解を憎悪が上塗りした。

 

 形容し難い虚無感。今ですらそれを思い出すと寒気がする。

 そんな俺を見かねたあの人―――《鋼の聖女》アリアンロード卿はこの人に引き合わせたのだろう。

 

 近々《執行者》に任命されるという。《結社》における実行部隊の頂点に成ろうという一人。そこに至るだけの強さを持ちあわせた子供。―――そんな子供に”自分”が正しく認識されていないという事実が堪らなく悔しかった。

 逆恨みもいいところだ。お前のような強い存在に俺の気持ちなど分かる筈がないと、醜い駄々をこねた分からず屋(クソガキ)の戯言である。

 

 だが、そんな嫉妬心丸出しの俺に対して、あの人は良くしてくれた。事あるごとに《鉄機隊》の詰所に顔を出しては、話しかけてくれたり、他の《執行者》から貰ったという菓子などを差し入れてくれた。

 当時のあの人は、師より課せられた修行と、《執行者》に任ぜられて以後は任務をひたすらにこなす日々だった。心の余裕など有る筈もなく、俺のような人間に構っている暇などもっとない筈だった。

 

 数年後、その時の事について聞いたことがある。何故そのような事を、と。

 するとあの人はキョトンとした後こう言った。「あの時のお前が、師匠に助けられた時の俺と似ていたから」と。ただひたすらに復讐の為に強くなる事しか頭になかった自分と照らし合わせて、どうしても放っておけなかったと。

 

 だからだろう。出会ってから2ヶ月後に、手合わせをしてくれという俺の頼みに逡巡する事すらなく頷いてくれたのは。

 父から手ほどきを受けたスワンチカ流槍斧術と、《鉄機隊》の戦乙女(ヴァルキュリア)が一人、アイネス師匠に教わった戦闘術があれば、この歳下の武人にも少しぐらいは喰いつけるのではないか。それが出来たのならこの組織を早く抜け出して”彼女”の下へ―――などという浅はかな考えは、ものの数秒で打ち砕かれた。

 

 手も足も出なかった。当時の俺の付け焼刃に毛が生えた程度の実力は、その虚栄心と共に粉々に打ち砕かれた。

 あの人がその頃から携えていた長刀は刃を鞘から抜く事すらなく、八洲の技すらも使わずに俺を容易く沈めた。

 未熟者だからと言って侮ったわけでもないだろう。あの人はその辺りを師から嫌なくらいに徹底的に叩き込まれていた筈だから。となれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と判断しての事だったのだろう。

 

 まぁ、それが一番効果的であった事は俺が一番理解している。

 それ以降、俺はあの人にも教えを乞うようになった。勿論、得物が違えば戦い方も違うのだから、手合わせを繰り返すというだけのものだったが。

 その頃にはあの人は、既に八洲の剣術の奥義の一つを取得していた。そんな人と継続的に手合わせを行い、アイネス師匠との修行も絶え間なくこなした。

 

 全ては強くなるため。だが、復讐を成そうとは考えていなかった。

 何故ならその時既に、父を貶めた貴族連中は残らず粛清の憂き目にあっていたからだ。―――2年前に帝国宰相に就任した、ギリアス・オズボーンの手によって。

 振り上げた拳を振り下ろす先を見失った。だが今帝国に戻ったところで、父の所業を冤罪だと知らない貴族共によってどんな目に遭うかも分からない。そうなれば、本当にもう二度と”彼女”に逢えなくなるかもしれない。……そう言った心情を、ある時あの人に吐露していた。

 

 その話を、あの人は真剣な眼差しで最後まで聞いてくれた。そしてそのお返しとばかりに、自分が《結社》に流れ着いた経緯を教えてくれた。

 ……今思い出しても吐き気を催す内容だ。母君を目の前で食い殺され、拉致された組織で人体実験を受け、死ぬ直前まで追い込まれた。

 不幸に貴賤はない。自分の身に降りかかった不幸は自分だけのもの。誰かと比べて優劣をつけるのはナンセンスだ。だが、その時の俺はこう思ってしまった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 そう思ってしまった直後、俺は自分で自分の頬を殴っていた。それは、自分を庇ってくれた父に対しての侮辱だった。一瞬でも他者と己を比べてしまった自分が恥ずかしくて堪らなかった。

 そんな俺の様子を見て、あの人は長刀を握りしめたまま「それで良いんだよ」と言った。

 

 

「僕にとって母上はこの上なく大切な人だった。君にとっての父君も同じなんだろう? なら僕たちは大切な存在を失った者同士だ。もう失わないために強くなりたい事の何がおかしいんだ」

 

「特に君には、守りたい人がまだいるんだろう? ならその人とまた会った時に、何があっても守り切れるように強くならなきゃ。―――その為の修行なら、僕は幾らでも付き合うよ」

 

 

 その言葉を、俺は今でもたまに思い出す。

 自分が力を付けたのは何の為か。強くならなければと思い、あの人が立て直した猟兵団の一員となり、《結社》を抜けて数多の戦場を駆け巡るようになっても、戒めのように思い出す。

 

 戦場は好きなわけではない。暴力の余波を受けた誰かが必ず泣いている。お前は根本的に猟兵には向いていないと、団長に面と向かって言われた事すらある。

 ただそれでも、俺は()()への恩義を忘れたことは無かった。俺が”準達人級”の階梯に至れたのは師匠と大将のお陰で、大将はトールズ士官学院に入学してから、偶然にも同じクラスに属するようになった”彼女”の様子を逐一教えてくれた。

 

 大将は俺の幸せを取り戻してくれた。もう二度と失いたくない、大切な存在ともう一度引き合わせてくれた。

 だから今度は、俺が大将の幸せを取り戻すために戦う番だ。あの人から「頼む」などと言われてしまっては、俺としては断る理由など欠片もありはしない。

 

 

 

 その為だったら―――不得手な仕事だろうと何だろうと、最後までやり切ってみせるとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 ―――レイがセドリックと出会う5分前。

 

 

 

 ある意味でレイよりも難しい任務に挑んでいたライアスは、離宮の長い廊下を音もなく移動していた。

 作戦が始まる前は色々とぼやいていた彼だったが、実のところこういった隠密性を必要とする作戦に従事するのは初めてではなかった。

 

 《マーナガルム》において、こういった潜入工作任務、及び暗殺任務に従事するのは《三番隊(ドリッド)》の役割だ。

 基本的には”遊撃部隊”という役目を司る《三番隊(ドリッド)》。新たに団に迎え入れられた新人が最初に配属される部隊という事もあり、様々な任務を遂行する彼らだが、その中でも副長である《赫の猟犬(ロートシアス)》ゲルヒルデ・エーレンブルグが率いる特戦隊《フリムファクシ》は、そういった特殊な任をこなす、団きっての最精鋭部隊である。

 

 だが、先鋒部隊としていの一番に激戦地に赴く《二番隊(ドリッド)》にも似たような任務は舞い込んでくる。

 暗闇の中での市街戦などでは戦闘音を出した瞬間に敵に補足されるし、危険度が高い魔獣が多数生息する森を突っ切る際は、下手に奴らを刺激しないように切り抜ける技量などが要求される。

 無論、今回の任務はそれらよりも確実に難易度が高い。巡回している敵は誰も彼もが精鋭クラス。援護してくれる仲間もおらず、作戦の成否の半分は自分の行動の結果が握っている。

 しかし、その程度のプレッシャーで尻込みするほど、ライアスという男は柔ではない。若くともS級猟兵団の幹部クラス。圧し掛かる圧を散らす術位は心得ている。

 

 彼の今の装備は、レイも着込んでいた漆黒の外套と、伸縮機能が付いた山刀(マチェット)が後ろ腰に二本。彼の本来の得物はスワンチカ家に代々伝わる槍斧だが、こういった隠密任務に際しては邪魔になる。

 数多の戦場を駆ける猟兵である以上、場所によっては自分の得手とする武装が封じられるなどと言うのはよくある事だ。プロの猟兵はそういった状況を最初から考慮に入れて作戦に挑む。

 すると自ずと、戦闘スタイルも変わってくる。普段は長柄の得物を手に豪快な戦いをする彼だが、今はスムーズかつコンパクトな戦い方にシフトしている。

 

 巡回する近衛部隊の目を上手い具合に掻い潜りながら、目的の場所付近にまで辿り着く。

 離宮地下二階部分、外観を損なわないように地下に設けられているその部屋の扉の前には、一名の《皇族近衛隊》の隊員がいた。

 

 機を窺う。時間制限があるとはいえ、いきなり襲い掛かるのは愚策中の愚策。ましてや殺傷が禁じられている場面ともなれば猶更だ。

 成程、確かに精鋭らしく、その佇まいに隙は無い。客人や貴人の出入りなど無い場所だというのに、職務を怠るなどという思考そのものが無いかのように警戒を続けている。

 赤と白で彩られた、中世の騎兵隊のような制服。腰には騎士剣を佩いており、その鋭い眼光は常に周囲の気配を探っている。

 皇帝や皇妃、皇太子といったこの国で最も貴い人物を匿っている現在、このような場所に配置される隊員は恐らく経験が浅い方の隊員なのだろう。

 末席ですらコレだ。隊長クラスや、ましてや副総長、総隊長クラスともなればどれ程のバケモノであるのか。帝国の貴族兵によく見られる、己を顧みない根拠のない慢心などというものが欠片も存在していない。誰も彼もが、皇族という存在を守護する為ならば即座に命を捧げるような者達ばかり。

 

 思わず溜息を吐きそうになる。そんな奴らの隙を突くなど、ほぼほぼ不可能だろう。

 とはいえ、そのような弱音を吐けばどうにかなってしまう程現実は甘くない。隙が無いのなら、隙を作ってしまうしかない。

 腰のポーチから取り出したのは、先程離宮の外で拾った小石。陽動の役に立つかもと拾ってはみたものの、よもやこのような使い方をする事になるとは思っていなかった。

 

「(当たってくれよ……)」

 

 《三番隊(ドリッド)》に属する隊員の中に、カルバード共和国ではメジャーな武術の一つである《月華流》の使い手がいる。

 その隊員から教えてもらった、月華の小技。文字通り相手の視線を逸らす程度にしか使えないが、こういった状況に於いては使い道も生まれる。

 握った右手の親指部分に小石を乗せ、道の角から対象を狙う。そして、親指を一気に弾く。

 ”指弾(しだん)”と呼ばれる技だ。狙った場所に飛ばすにはそれなりの技量を必要とするのだが、ライアスが持つ戦闘センスがそれを充分に補った。

 

()ッ―――‼」

 

 弾かれた小石は隊員の左目付近にヒットし、張り詰めていた緊張感が一瞬だけ乱れた。

 それを見逃さず、一気に距離を詰める。マチェットを一本抜刀し、柄での強烈な一撃を首後ろに見舞う。

 息を吐き出し、前のめりになる隊員。しかし不意を突かれたとはいえ精鋭の”準達人級”。一秒後には体勢を立て直し、交戦体勢に入るだろう。そうなれば他の隊員を呼ぶ猶予を与えてしまうし、自力で押し切られる可能性も無くはない。

 それを防ぐためにライアスは、事前にレイから渡された呪符を一枚、隊員の口と鼻を塞ぐように張り付ける。

 レイ自身も使ったそれは、対象の意識を混濁させ、深い睡眠状態に陥らせる呪術が付与されている呪符である。

 

 呪術というものは、帝国では一般的には認知されていない。故に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事も認知されていないことが多い。

 更にこの呪符には、事前にレイが回復した呪力を可能な限り凝縮して付与させている。それこそ”達人級”程の存在でもなければ、例外でもない限り瞬時に昏倒させられるという優れものだ。

 だが、その分数を揃える事は出来なかった。”可能な限り交戦回数を控える”という条件下でのみ劇的な効果を齎す。ライアスはその有用性を最大限利用しただけ。

 

 とはいえ、成功した優越感に浸っている時間など無い。隊員を脇に退け、扉に張り付いて中の気配を窺う。

 気配は三。そのいずれもが大した覇気を感じさせない。武人ではない、素人だ。

 恐らくは離宮のただのスタッフ。この部屋の管理を任されている人員だろう。であれば、荒事で制圧すると下手な痕跡と遺恨を残しかねない。

 極力音をたてないようにドアノブを握り、回す。指が一本差し込める程度だけ開けると、ライアスはポーチから今度はスプレー缶に酷似した物を取り出した。

 《整備・開発班(ラボラトリ)》が開発した、睡眠ガススプレー。先程の呪符ほどの即効性は無い為、開けた場所での個人の制圧には不向きだが、密閉空間に流し込んで後遺症を残さず制圧するには向いている。

 スプレーをセットしてガスを流し込む事1分。簡易的な小型ガスマスクを装着して部屋に乗り込むと、椅子に座ったまま意識を飛ばしている三名のスタッフが目に入った。

 

 そのまま近づき、部屋一面に敷き詰められた機械に向き合う。

 ここは導力灯管制室。外縁部分も含めてカレル離宮に存在する全ての導力灯を制御する部屋である。ライアスに課された最初の任務は、この部屋の無血制圧と、()()()()()()()()()()()

 離宮全体が一瞬で暗闇に包まれれば、如何な精鋭部隊と言えども多少の混乱は齎せる。無論、すぐに立て直しに掛かるだろうが、今の自分達が欲しているのはその僅かな数分。

 

 内ポケットから、小さな機器を抜き取る。それはこの作戦前に《整備・開発班(ラボラトリ)》所属の激昂姫、メルドがライアスに渡したもの。

 部屋内を僅かに歩き回り、全てを統括するメイン機器を見つけると、そこに機器を差し込む。その工程を行ってから実行ボタンを押す。

 

 《整備・開発班(ラボラトリ)》に属する技術者の面々。それぞれ専門分野は異なるが、どれも一筋縄ではいかない天才たちだが、その中でも特に導力ネットワーク分野に長けたメンバーが数名いる。

 メルドはその中の一人だ。伊達に『新規戦術データリンク開発プロジェクト』などという、本来なら国家が総力を挙げて取り組むべき分野を統括している立場にいるわけではない。

 オリヴァルト皇子が寄越したカレル離宮の内部図の中には、この部屋の機器の配置、接続部分、導力伝達経路なども記載されていた。前もってその図を見せられていたメルドは、僅か20分程度でこの管制室の仕組みと導力ネットワークの脆弱部分を()()にした。

 

 『何も情報がないところから始めるならまだしも、コレだけ御膳立てされておいて()()()()()()()()()()()()だろうがクソが』―――とは彼女の弁だ。

 

 ()()()()()()()()()()()とその場で叫びそうになったのは秘密だ。そんな芸当が出来るのは、彼女が正真正銘の天才である事の証明。

 その脆弱部分に侵入し、管制システムそのものを一時的に全ダウンさせる導力灯ウイルス、ライアスが手にしていた小さな危機に詰め込まれていたそれを作り上げるのに要した時間は、これも1時間程度。

 たかだか1時間20分の逆転劇。彼女はいつも通り眉間に皺をよせ、罵倒を口遊みながらこなしたのだろう。まるでこの程度は当たり前だと言わんばかりに。

 つくづく惜しいと思う。そう言った頭脳がもしどこかの国家の為に使われていたのなら、と。まぁ、それを望まなかった変態たちが集まる巣窟でもあるのだが。

 

 部屋内の換気機能により、睡眠ガスの濃度が人体に効果を及ぼす規定値を大幅に下回る。

 簡易ガスマスクを外し、その代わりに暗視スコープを装着。その直後、離宮全体が暗闇に包まれた。

 

 ここからが”本番”だ。踵を返して走り出す。

 離宮の内部見取り図は全て頭の中に入っている。この場所からどのルートを踏破すれば”目的地”に辿り着けるのかも。

 

「ったく、人使いの荒い大将だぜ」

 

 何を今更、昔からそうだったじゃないかと苦笑し、ライアスは階段を駆け上がった。

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 セドリック・ライゼ・アルノールにとって、こういった経験は未知のものだった。

 ”前に進む為に逃げる”。見知ったはずの離宮の廊下も、今は全く違うものに見える。こんなにも辛くて、息苦しいものだとは。

 後ろめたさは多分にある。今ここで自分が逃げる事で、一体何人の人間が責任を取らされるのか。何人の人間に迷惑を掛ける事になるのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()、セドリックの長所であり、同時に欠点でもあった。

 

 現在、帝国の正規軍の指揮権のほぼ全ては帝国宰相の手にあるとはいえ、セドリックはいずれ帝国の頂点に座す者。その指示一つで数百、数千、数万の人間の人生を左右する事になる。

 故にこそ、己の為に在る者の不幸を顧みるようでは本末転倒。目的の為ならば時には轢殺する事も厭わないという精神性であるべき―――というのが一般論ではあるのだろう。

 

 その胸中の葛藤を推し量ったかのように、セドリックのすぐ後ろを走っていたクルトがそっとその背中を支えた。

 

「今はこの状況を切り抜ける事だけをお考え下さい、殿下」

 

 暗視スコープ越しには表情は分からない。それでも、振り返ったセドリックの表情に余裕がない事だけは理解できた。

 これから苦難を背負うであろう背中。その背を護る事こそが己の使命。―――未だ未熟の域にすら至っていないという自覚がある彼が承るにはあまりにも重い任。

 ただそれでも、ヴァンダールの家名を背負うからには否とは言えない。その武と命を以て皇族へと捧ぐ剣とならなければならない。

 故にクルトは、指先の震えを懸命に抑え込む。主の不安を慰める時に、従者がそれ以上に動揺しているなど以ての外。今はただ、先頭を走るあの男に着いていくしかないのだ。

 

 トールズ特科クラスⅦ組。その名は、何度もセドリックの口から興奮交じりに聞かされていた。

 貴族と平民が分かたれている士官学院に於いて、唯一その垣根を越えたクラス。その中で、あまりにも飛びぬけてその強さを知らしめている存在。

 ”達人級”。その武人の階梯はクルトにとって目指すべき頂の一つだ。父、そして母が至ったその領域は、とてもではないが生半可な努力で到達できるものではない。

 

 しかし、今自分たちを先導している少年、レイ・クレイドルは、自分たちとたった2歳しか変わらない。

 たった2年。だが、その2年の密度があまりにも違い過ぎる事は分かる。クルト自身、矮躯である事を気にしながらも鍛錬は怠ってこなかった。それでも目の前の存在は、まるでそれまでの努力をすべて否定するかのように静謐な闘気を漏らしている。

 悔しくないかと言えば嘘になる。だがそれ以上に頼もしいとも思っている。―――それが信用という言葉と直結するかと言えばそれも違うのだが。

 クルトが最優先するのはセドリックの命のみ。必要があれば、眼前の達人の前に立ち塞がってでも主を逃がさねばならない。

 

 

 そして、そんな複雑な感情が入り混じった視線を、レイも感じ取っていた。

 セドリックの不安は尤もだし、クルトの懸念も当たり前のものだ。それを早く払拭してやりたいという思いがあるのも本当だが、今暫くはこの地獄のような鬼ごっこに興じて貰わなければならない。

 

 レイが離宮に潜入する時に使った皇族専用の隠し通路。それが使えれば何よりも早かったのだが、長く放置されていたせいか少々厄介な魔物が少しばかり点在していた。

 レイ一人が逃げるだけならば何も問題なかったのだが、実力的に不安がある2名を引き連れての脱出となれば話は別だ。それに、皇族の隠し通路を把握しているであろう《皇族近衛隊》の精鋭が出口に待機でもされれば、それこそ死闘を演じなければならなくなる。今回の任務の成功条件を鑑みると、リスクの方が上回る。

 元よりレイが振るう《八洲天刃流》の剣術は、創り上げた人物の性格が色濃く反映されている為か、()()()()()()()()()()()()()()()()。あるのは如何に早く敵の息の根を仕留めるか、それだけである。

 

 だが、如何な精鋭とはいえ、流石に離宮全域の停電は予想外だったのだろう。あちらこちらを忙しなく動き回る気配が感じられ、その内の何人かはこちらの存在を認知させる前に軽く戦闘不能にした。

 このままならばそれほど苦労する事も無く目的地点に辿り着ける。―――そう思った刹那、背後から迫る殺気に超絶的な反応速度で対応した。

 

 弾ける火花。それは互いの姿を露わにする程のものではなかったが、レイにはその武の持ち主がすぐさま理解できた。

 最悪、ではないが悪い状況だ。遭遇する可能性は十二分にあったが、やはりその感覚を掻い潜るには至らなかった。

 

「(《煉騎士》―――ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタインですか)」

 

 右腕に擬態したツバキがレイの脳内にそう囁く。

 暗視スコープ越しにも分かるその恵体。年齢は50を越えて60に届こうという程だというのに、全身から漲るその覇気はあまりにも満ち満ちている。

 厚く、そして重い闘気だ。それに完全に吞まれてしまったのか、セドリックは足を止めてしまった。その様子を見て、レイはガラディエールの前に出た。

 

「……殿下、そこにいらっしゃいますな?」

 

 暗視スコープなど付けていない裸眼の筈なのに、ガラディエールは的確にセドリックの居場所を言い当てる。

 達人クラスともなれば、人体が発するオーラで個人を識別することも可能だ。なまじ己が守護すべき皇族のそれであれば尚の事。

 

「お戻りくださいませ。殿下を拐わかす者は、このガラディエールが悉く誅戮致しましょう。皇帝陛下、皇妃殿下も御無事でございます。さぁ、こちらへ」

 

 その言葉が示す意味。元より彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それを知った上で、セドリックに自発的に戻るように促している。……否、”促している”というには、あまりにも圧が強すぎる。

 一般人ならば、この時点で腰を抜かして放心してもおかしくはない。それだけの闘気が向けられている。

 

 事実、命を賭してでもセドリックを護らなければならないクルトすらも完全に呑まれていた。全身から汗が絶え間なく吹き出し、両脚はまるで石化したかのように重い。足を動かす事すらままならず、ただ死を覚悟していた。

 武を志す者ですらそうなのだ。病弱気味なセドリックがここでこの言葉に屈したところで責められる者はいない。

 だというのに―――。

 

 

「……い、いいえ、ガラディエール卿。それは、できません」

 

 震えながら、怯えながら、それでも未来の皇帝は言葉を紡いだ。

 

「僕は、行きます。今帝国で起きている事態を、僕は、ただ眺めているだけで終わりたくありません」

 

「……なりませぬ、殿下。殿下はいずれエレボニアを統べるお方。帝王学の一環としてご覧になるには、此度の戦はあまりにも危険すぎまする」

 

 しかしガラディエールも退かない。皇族の安全、という一点で見れば正論にあたる弁で返してくる。

 

「陛下も気を揉まれましょう。皇女殿下もおられない今、殿下が出奔されたとあっては皇妃殿下も御心配なされます」

 

「分かって、います。父上にも母上にもご迷惑をお掛けするでしょう。でも、それでも僕は、皇位第一継承者である僕だからこそ、この状況下で為さねばならない事があると思うんです」

 

「であれば、我々をお連れ下さいませ。ヴァンダールの者であればいざ知らず、そのようなどこの馬の骨とも分からぬ輩と共に在っては殿下のお命を保証できませぬ」

 

 その矜持は正しいものだった。傍から見ればただの誘拐にしか見えないこの状況を見逃す程生易しくはない。

 

「それでは、駄目です」

 

 だが、セドリックははっきりとそれを拒否した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。本心的には怖いのも痛いのも嫌だと思っているのだろうが、その大切さを直感的に理解していたのもまた確か。

 だからこそ、その返答には迷わなかった。それを聞けた時点で、レイの行動は決まっていた。

 

「(ツバキ、セドリックを先導してやれ。ライアスは上手くやってるはずだ。合流次第先に脱出していろ)」

 

「(……了解致しました。兄上)」

 

 即決で了承の意を示したツバキは、擬態を解いて人型の姿に戻り、セドリックとクルトの手を引いた。

 

「お二人とも、こちらへ」

 

 辛うじて耳朶に入る程度の小声で誘導すると、二人の腕に絡みついた式神が有無を言わせず前方へと引っ張り上げた。

 その一連の動きを、見えはしないでも感じ取ったガラディエールはその不届きものを斬り捨てんと、手にした大剣を振り上げる。

 

「―――っと」

 

 しかしその大剣の軌道は、不自然な形で逸らされた。

 一拍の声。聞こえたのはそれだけ。ただそれだけで、彼は先に相手すべき者を見定めた。

 

「貴様が、殿下を誑かした者か」

 

 答えない。声を元に個人を特定されない為だ。

 だが、この達人ならば理解しているはずだ。眼前に立ちはだかるのが、数ヶ月前に皇帝の御前で傅いていた者であろうという事は。

 

 ならば言葉は要らない。そうしてレイは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「(見せて貰うぜ。帝国最強の一角の実力を)」

 

 隻腕状態での本当の意味での初戦。相手にとって不足など無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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作戦名:ナハト・オイレ作戦 後篇

■設定⑮【侍従隊(ヴェヒタランテ)】
 結社《身喰らう蛇》にて、盟主自らが創り出した神造兵装。《侍従長(セフィラウス)》ことリンデンバウムを長とした、総勢11体の最終戦力。それぞれが突出して秀でた能力を持ち、たとえ《使徒》であってもその全貌を理解しているものは少ない。現在この部隊の全てを知るのは、盟主と第一使徒、そしてカンパネルラのみである。

■設定⑯【フリージア】
 《侍従隊》に属する神造兵器の一体であり、《天翼》の異名を冠する破壊狂(デモリッションモンガー)。常に小馬鹿にしたような態度を取り、人間を劣等種と呼んで蔑む。故に彼女は一々個々を区別することは無く、彼女に名を覚えて貰っている存在の方が少ない。《アマギ殲滅作戦》においては最後の”総仕上げ”をした存在であり、その時からレイに興味を抱いている様子。

■設定⑰【天撃(アルス・ノヴァ)】
 フリージアが使用する必殺技。正式名称、『神装侍従発令・対文明殲撃機能Ⅲ型《天撃(アルス・ノヴァ)》』。
 彼女が通常兵装として扱う光槍を限界ギリギリまで圧縮して放つそれは、本気の全力で放てば一撃で帝都を灰燼に変えられるというとんでもない破壊力を有する。しかも連射が可能。




 

 

 

 

 

 

 エレボニア帝国はその国の性質上、質の高い武人を輩出しやすい傾向にある。

 

 貴族の間には「帝国貴族たるもの強く在るべし」との風潮が長らく続いており、貴族の男子に生まれた者は宮廷剣術を始めとした武術を修める事が習わしとなっている。

 また、貴族でなくとも「帝国男子たる者」という言葉が示す通り、文武を問わず精進を重ねる事が素晴らしい事であるという暗黙の空気が広まっていた。

 無論、多様性が広まった現在に於いてはその風潮を「古臭い」と断じる者も少なからずいるが、それでも帝国で武が尊ばれているという国風は変わらなかった。

 

 約250年前の《獅子戦役》。混乱を極めたその時代。1000年の歴史を誇るエレボニアの歴史の中でも、特に綺羅星のような武人たちが互いに血を流した時代。

 《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットを始めとして、ドライケルスの朋友たるノルドの《十六勇士》。最期まで彼と共に在った《輝双剣》ロラン・ヴァンダール。そんな彼らの前に立ち塞がった勇猛果敢な武人達。

 多くの”達人”達が最も煌めき、そして散っていった最大規模の内戦。当時を知るレイの師である《爍刃》カグヤは当時を思い返しては口角を釣り上げる。「あの戦は良かった」と。

 

 その時代と比べれば、現在の武の価値は劣化している。その点は否めない。

 導力革命が起こり、戦場は銃を扱っての戦法が主力となった。生半可な実力の武人では、その銃弾の雨霰に耐えうることができない。古臭い戦い方は時間の流れと共に淘汰され、人々はより効率よく同種を駆逐する事に専念し始める。全ての兵士に平等に殺戮の権限を与え、殺意を具現化する方法を与えた。その結果、個々の武力に頼らない戦場へと変わっていった。

 

 しかしそれは、武人の時代の終わりを告げたわけではない。

 寧ろより洗練されていった。銃弾飛び交う戦場を笑いながら駆け回る者が生まれ、戦車や装甲車を魔力と膂力だけで叩き斬る化け物が蹂躙した。

 逆風の時代に呑まれ、揉まれながら、それでもなお研磨され続けた。古くからある流派は伝統と共に進化し、新たに生まれた軍隊武術は経験を吸い上げて昇華していく。

 

 その辿り着いた先。現在のエレボニア帝国には《四剣豪》と呼ばれる四名の”達人”が頂点として君臨していた。その称号は国から正式に与えられたものではなく、また当人たちもそれをひけらかす事が無い為に表立って呼ばれるようなことは無いが、それでも帝国に数多居る武人の頂点にこの四人が在る事は周知の事実であった。

 

 導力革命以前の帝国軍にて、敵からも味方からも魔王の如く恐れられた、《百式軍刀術》の達人にして中興の祖。《轟雷》ヴァンダイク。

 《槍の聖女》に仕えた副官の末裔にして、《アルゼイド流》歴代最強の総師範。《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド。

 帝国二大流派である《ヴァンダール流》の総師範であり、帝国でも指折りの豪傑将軍。《雷神》マテウス・ヴァンダール。

 

 そして、皇室最後の盾と称される絶対的守護神。帝国で最も秘匿された流派の伝承者。《煉騎士》ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタイン。

 

 

 昨今に於いては《黄金の羅刹》や《黒旋風》などを筆頭に若い実力者たちも増えているが、それでもこの四名の実力は未だ桁違い。

 上を目指す全ての武人が目的地とする極致に至った者達。武力のみならず、”理”に至った彼らは皆、程度や方向性の違いこそあれ帝国の未来を案じていた。

 ヴァンダイクは教育者として若き獅子達を育てる事に尽力し、ヴィクターとマテウスは門下の者や指南をした者達を正しく導かんと奔走した。

 

 そして、彼は―――。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 戦闘時間は5分。そうレイは己に言い聞かせた。

 天才導力ネットワーク科学者たるメルドが即興で作り上げた対ネットワーク管制システムウイルスの効果持続時間は最大30分。離宮スタッフの練度の高さを鑑みれば、システムが解除されるまで約15分。

 現在、セドリックと合流して総停電が起きてから、体感時間で8分といったところ。脱出の手間も考えれば、戦闘時間はその程度が妥当だ。

 だが、目の前の存在を相手にその誓約が通用するかといえば、甚だ疑問だと言わざるを得ない。

 

 とはいえ、今は互いに相手の姿すら見えない状況だ。

 ガラディエールは元より、レイも装着していた暗視スコープのスイッチを切っている。月明かりすらない完全な闇の中で達人同士が相対するというのは、ある意味で狂気の沙汰だ。

 曰く、人間は視界から取り入れる情報が全体の90%を占めるという。その情報源を自ら閉ざす事で、他の感覚器官を敏感に研ぎ澄ましていく。

 言葉にすると簡単だが、実践するのは至難の業だ。慣れてくれば暗闇の中を恐る恐る歩くことくらいは可能だろうが、その状態で音を置き去りにする程の高速戦闘を行うなど正気の人間がやる事ではない。

 

 だが、彼らはそれを()()

 視覚を自ら封じ、主に聴覚を自己強化する。移動の際の靴音は元より、服が擦れる音、果ては直前の音から次の行動を()()()()

 普通に考えれば視覚に勝る情報源などない。だが、この状況下では話は別だ。レイは暗視スコープを装着していたが、スコープ越しの視覚情報は僅かながら朧気だ。格上の達人と戦う際には、そういった僅かな視認誤差が致命傷になる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。極端な考えだが、そこまで尖らせなければ戦えないとレイは判断したのだ。

 

 

 とはいえ、レイも暗闇での戦闘が初めてというわけではない。《結社》の修行時代、ただでさえ視界が悪い夏の山中の、更に星の灯りすら届かない曇天の真夜中に師から死ぬほど稽古を付けられた。

 あの時の恐怖は今でも身に刻み込まれている。それを知っているからこそ、今ここで自ら視界を手放す事に躊躇いは無かった。

 

 

 横薙ぎに振るわれた大剣を、空気の揺らぎを感知して躱す。

 大振りな得物とは思えない攻撃速度。1を数える間に数撃は確実に叩き込んでくる。それ程の連撃が大質量を伴うのだから、触れることそのものが致命傷にもなる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。仮にも帝国最強の一角を担う武人が、それだけである筈がない。

 

 

 《八洲天刃流》―――【剛の型・散華(さんげ)

 

 目にも止まらぬ斬撃の雨。隻腕での抜刀術は、しかし嘗てのそれと同じ速度にまで戻っている。

 当然の事だった。地獄に足を踏み入れようという時に、以前より劣った状態で挑む馬鹿が何処にいる。

 腕一本分の肉と骨と血液。それらを失ったことで得られた体重の軽減をレイは敢えて良い方向に考えた。体重が軽くなれば攻撃も軽くなる事は武術の教えの間では常識だが、達人クラスともなればその弱点を氣力の循環と操作でカバーする。そうでなければ、僅か10歳という年齢で”達人級”などという領域には至れない。

 だが、デメリットが一切なかったかといえば、無論そんなことは無い。

 

 当たり前の事だが、人間の身体は四肢の全てが揃っているという事を絶対的な前提条件として活動しているのだ。その内の一つが欠けた時点で、当分は身体に異常をきたす事を念頭に置いてリハビリを行わなくてはいけない。

 だがレイは、超人的な生命力と氣の操作でその全てを()()()()()()。それが罷り通るほどの異常性が”達人級”の人間にはあるし、事実レイは今、表立った症状を一切抱えていない。

 しかしそれでも、()()()()()()()()()()()()というものは存在するのである。それを一切表情に出さない辺り、レイの矜持と我慢強さが見て取れた。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 

 

幻肢痛(ファントムペイン)っていう症状があるのよ」

 

 レイが動けるようになって模擬戦を繰り返していた時、《マーナガルム》の《医療班》トップであるアスティアは、好みである泥のように濃いコーヒーを啜りながらそう説明した。

 

「仕組みとしては単純でね。事故とかで四肢を失った人が、失った筈の手足にあるはずのない痛みを覚えるの」

 

 エリシアらと続けて模擬戦を行っている最中、レイは何度も左腕部分に激痛を覚えていた。既に失われたはずの左腕。まるでそれが捩じ切られたかのような痛みが、戦っている最中絶え間なく続いていた。

 しかし何分病み上がりである。()()()()()()()()()などと思っていたのだが、見かねたアスティアによって一時期だけ医務室に連行されていた。

 

「原因は何なんだ?」

 

「まぁ、突発的に手足を失ったという事実に脳が気付いていないって事ね。そこにまだ肉体が”有る”と認識していて、でも実際には身体の構成図は書き変わってるから、そこに齟齬が発生する。その取り違えが神経腫異常インパルスや神経細胞の易興奮性を引き起こして発症する()()()わ」

 

「『人間は死んでなきゃとりあえず治せる』が信条のお前にしちゃ随分と曖昧な理解じゃねぇか」

 

「医学界の進歩って言うのは脳の領域になるとどうにも遅くなるのよ。この幻肢痛のメカニズムを解明したのもレミフェリアの脳医学の権威って呼ばれている教授なのだけれど、あまり踏み込み過ぎると煩く口を出してくる連中がいるのよね」

 

「……七耀教会か」

 

「正解」

 

 人間の脳というものは、言うまでもなく全身で最も多くの情報を処理している器官である。故に古くから脳は人間が解明し尽くしてはならない”神の領域”とされ、深い研究がタブーとされている。

 大陸随一の医療先進国であるレミフェリア公国は、しかし七耀教会からの支援を強く受けている国家でもある。支援者(パトロン)の意向には首を縦に振るわなければならないのは、どの業界でも同じことだ。

 

「まぁとはいえ? これは時間が経てばいずれは解消される症状ではあるし、そもそも貴方たち”達人級”の武人なんて大抵の痛みには耐えられるでしょう? 幻肢痛の症状は慢性疼痛の中でもかなり重症度が高いものだし、基本的に鎮痛剤の投与も無意味だけど、()()()()()()()()()()()()()なら気にせず過ごせるはずだし」

 

「お前、根本的に達人(俺達)を誤解してねぇか?」

 

「妥当な評価だと思うけれど? 影響が出るとしても多少の不眠とかその程度でしょうし、貴方の師匠のシゴキと比べたらどちらが楽かしら」

 

「世界一無駄な質問だ」

 

「だから、まぁ。本題はここからなのよねぇ」

 

 コト、とマグカップを置く。瞳の奥の色が、細く鋭いそれに変わった。

 

「レイ君、貴方、左腕を失った経緯を忘れてはいないわね?」

 

「【代償奉納】だ。忘れるわけがねぇよ」

 

 《天翼(フリージア)》の必殺技、《天撃(アルス・ノヴァ)》を止めるためにレイが発動させた《天道流》呪術の神性封印術。その終局術式【天道封呪・四神】。

 四つのプロセスを経る事で魔王級の特級神性すら封印させることができる究極術式だが、その一つ一つの術を発動させるために、莫大な量の呪力を必要とする。本来は優秀な呪術師が命の危機に瀕する限界まで呪力を搾り取って成功するか否かというレベルのものだ。

 レイはそんな術を、特注ARCUS(アークス)の補助有りとはいえ、三つ同時に発動させた。必然的に呪力不足を引き起こし、発動キャンセルの瀬戸際にまで追い込まれた。

 

 そこでレイが下した決断が、【代償奉納】。

 倫理観に抵触しまくりの《天道流》呪術の中でも、特に禁術指定されているそれは、術者自身の”何か”を代償に捧げる事で不足分の呪力に変換するというもの。

 ただし、何を代償に捧げるかを術者自身が指定できず、最悪の場合その時点で命を落とす危険性がある。レイはその時、代償として左腕一本を持って行かれたのだ。

 

「【代償奉納】の仕組みは私も知っているわ。《結社》に居た時の《アマギ殲滅作戦》に同行した時に里の研究施設の資料をアズラ班長と一緒に興味本位で読み漁ったもの。……肝心なのはそのプロセスなんだけど」

 

 大陸東部のとある峡谷地帯に存在していた、レイの母であるサクヤの故郷でもある里。遥か昔に極東の島国を追放された呪術師一族が作り上げたそこは、とある理由により《結社》の標的となり、6年前に徹底的に滅ぼされた。

 《執行者》やその関係者の間では《アマギ殲滅作戦》と呼ばれたそれは、《使徒》や《侍従隊(ヴェヒタランテ)》らの間ではまた”別名”で呼ばれているのだが、それはまた別の話。

 そしてその作戦に、《マーナガルム》の前身となる強化猟兵中隊の医療スタッフとして参加していたアスティアは、その際にアマギ一族が手掛けていた禁術の内容を知ったのだ。

 

「元々どう足掻いても不足する呪力を自己の”ナニか”を犠牲にして補うのだから、失った部分には強い呪力を帯びるのよ。それもかなり()()なモノがね」

 

「悪性、ねぇ」

 

「元々あの狂った一族が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()禁じられたって事は、それに相応しい理由があるって事」

 

 するとアスティアは、傍らに備えていたサンプリングケースから、一つの細長い瓶容器を取り出す。

 その中に収められていたのは、赤黒い液体。それは傍目からでも、悪性の何かが含まれているような気配を感じさせた。

 

「コレ、君の左肩付近から採血した血よ」

 

「……」

 

「実際この血、それなりの呪力汚染を受けているのよね。まぁ君自身の耐呪耐性が高いせいで普段は全く問題はないのだけど」

 

 呪力汚染というのは、言葉の通り悪性の呪力による体内組織の汚染現象の事である。

 普段レイや他の呪術師の体内を巡る呪力は悪性を帯びていない、体組織に溶け込むモノであるが、強力すぎる呪術や、禁術と呼ばれる”魂を侵す”技を使用した際には、その体内呪力は一気に悪性へと傾く。

 これは魔力でも同様の現象が確認されており、呪力に限った話ではないのだが、呪術は魔法よりも魂の真髄に近しい術だと言われている分、汚染の深度は身体の不調に直結していく。

 

「ただそれでも、戦闘とかで昂揚した場合は話が別。感情の昂ぶりと共に呪力は励起していくから、悪性呪力の励起による幻痛は、従来の幻肢痛の比ではないわ。君が一合打ち合うだけでも、常人なら失神しかねない程の激痛が走るでしょう」

 

 症状を告げるその声に、悲壮感は欠片も籠っていない。

 どうにもならない、と諦めているわけではない。むしろその逆である。

 

「まぁそんな状態で戦闘行為を行おうなんて言うなら頭おかしいわね。……で? どうするの?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もはや食い気味に、レイは言葉を挟んだ。

 

「頭おかしいなんて達人(俺ら)にとっちゃ誉め言葉だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 激痛程度で止まれるような精神であるならば、とうの昔に諦めているか死んでいる。立ち止まって振り向く事はあっても、引き返す事は許されない。それがレイ・クレイドルの生き方であるからだ。

 呪い上等。そんなものはとうの昔に背負い込み過ぎている。《結社》時代から一体、どれほどの怨嗟と憎悪を受け止めてきたのやら。

 実際に、《アマギ殲滅作戦》の前線で戦っていた時は、少なからずの呪詛を受けていた。確かにそれは1000年に渡る怨讐が積み上げたに相応しい悍ましさはあったが、結果的に彼の足を止めるには至らなかった。

 で、あるならば、今のこの状況はその時に比べれば軽微だ。禁術を発動させたのも、左腕を失ったのも自業自得。故に、()()()()で泣き言など言ってはいられない。

 

「体力を戻す過程で痛みに体を慣らす。その後エリシア達と戦いながら感覚を取り戻していく。なぁに、あるのは痛みだけなんだろ? 失血死を考えなくていい分むしろ楽だ」

 

「簡単に言うわね。……とはいえ、流石に君といえど影響をゼロにする事は出来ないわ」

 

 精神的な面では、我慢強さという点であれば確かに激痛を無視する程度の事は可能だろう。ただ、事はそう簡単な事ではなかった。

 

「君ならば隻腕のハンデも、幻肢痛の激痛も飛ばす事が出来るでしょうけれど、肉体と密接に関わっている呪力の楔は抜けきらない。戦闘時間―――極度の昂揚状態が長時間続けば、それに比例して激痛の度合いは増していく。次第に幻痛である筈のそれが君の神経帯すら犯して、壊していく。最悪指一本すら動かせなくなるわ」

 

 つまるところレイはこれから、隻腕状態であるが故の戦闘技能の低下、悪性呪力が引き起こす特異幻肢痛の絶え間ない激痛、そして身体機能停止の可能性―――それら全てを克服しながら戦っていかねばならないのだ。

 ハンデどころの騒ぎではない。これらを抱えながら”達人級”らと渡り合わなければならないなど、苦難を通り越して馬鹿の所業だ。

 

「……こちらとしても君のその状態をただ放っておくわけにはいかないわ。既に《整備・開発班(ラボラトリ)》のアズラ班長を中心に君専用の特殊義手を作成中よ。流石に今すぐにとはいかないでしょうけれど、それまでは何とか持ちこたえて頂戴」

 

「爺さん直々の作品か。そいつは期待が持てそうだ。義手技術なんて、軍事大国のエレボニアですらまだ発展途上だってのによ」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、それこそ表の世界では向こう数十年は開発できないでしょうね。神経接続型義手というだけでもRF社で現在開発段階。そこをすっ飛ばして達人の反応速度に合わせられる代物を作ろうとするなんて、流石は爺様と言ったところだわ」

 

 とはいえ、とアスティアは話を区切る。

 

 

「最上級の達人と相対する時が会ったら特に注意なさい。0.001秒の判断力が差を分けるような超高速戦闘において、幻肢痛が引き起こすラグはあまりにも重い。―――ま、私が言わなくてもその程度の事は分かっているでしょうけどね」

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 一つ、息を吐く。

 

 その数瞬の間すら待たず、剣閃が首を薙ぎに来る。戦闘状態に入ってから約1分、ある筈のない左腕がまるで存在を主張するかのように激痛を全身に走らせる。

 だが、それらを完全に意識の外に飛ばす。痛覚だけを麻痺させる処置というのは可能と言えば可能なのだが、真っ当な達人連中はその処置を行わない。

 何故ならば痛覚とはアンテナなのだ。自分が今何を為し、何を受けたのか。それが一切理解できないというのは、例えるなら水の塊を相手に永遠に修練しているようなもの。何も掴めないし、何も成長できない。

 一般人からしたら狂気の沙汰だろうが、達人というのは多かれ少なかれそういうものだ。痛みが無ければ何も為せないという共通認識がある。

 

 故にレイも、激痛を意図的に散らす事はしても、無い事にしようとは思わない。

 それが例え、互いに身体の輪郭すら見えない暗闇の中で行われる死合いであろうともだ。張り詰めた神経が僅かな音と気配を拾い、限定的な未来予知のような反応を可能にする。

 大振りな攻撃は許されない。相手もそれが分かっているから、速さを基調とした技を的確に繰り出してくる。

 

 流石、という言葉を漏らしかける。姿は見えないがその行動すべてに隙が無い。まぁ意図的でもない限り隙など作らないのが達人というものだが、この男のそれは別次元だ。

 まるで超巨大な鉄鉱石に眼前を圧迫されているかのような堅牢さがある。それこそが《煉騎士》ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタインが最も得意とする戦闘。

 

 エレボニアには表立って、二大流派と呼ばれる武術の名門が存在する。《アルゼイド流》と《ヴァンダール流》だ。

 どちらも領邦軍、正規軍問わず修めている者が多く、武に関わった者が少なからず憧れる流派である。だがそんな者達でも知り得ぬ()()()()()があった。

 

 それは代々、《皇室近衛隊》の精鋭に選ばれた者しか修める事を許されない高貴な撃。ただひたすらに守護を突き詰めた武は、それだけで武人を攻略不可能な牙城と変貌させる。

 《フレイスヴェルグ流》―――そう呼ばれる、流出厳禁の武術流派。

 秘匿された流派と戦う機会があったというのは、一武人としては心躍るものがあるが、こんな状況では流石にそんな余裕もない。

 

 不幸中の幸いと言えるのは、この戦いが突破戦ではなく殿戦であるという事だろうか。

 現時点で、癪な事にレイはガラディエールを突破する策を見出せていなかった。今この場に於いてその策は意味を為さないと知っていてもなお、憤慨ものであった。

 「勝てないという事を認める」。それは武人にとって何よりの屈辱。己の武を限りなく究極に近づけた”達人級”であれば殊更だ。

 

 だが、それは個人の因縁。言ってしまえば我儘でしかない。

 現在優先すべきは任務の達成。セドリックらが無事に離宮を脱出するまでの時間稼ぎだ。

 欲を出してはならない。我を出してはならない。たとえ―――

 

 

「ふむ、若輩か。つまらぬ剣を振るうものよ」

 

 

 たとえ、安い挑発をされたとしてもだ。

 

「…………」

 

 去なし、弾き、また去なし、弾く。

 そこに必要以上の熱は込めない。”勝つ”事が前提条件でないのならば、凌ぎきる事だけに集中力を注ぎ込むのが最も正しい。

 

「貴様も一端の達人と見た。だというのにまるで柳の剣よ。覇気が感じられぬわ」

 

 それはそうだろう、とレイは心の中で自虐気味に笑う。本来であれば皮肉気味な一言でも投げかけてやりたいところだが、今作戦においてそれはご法度。

 ―――ピキリ、と頭の中で極小の火花が散った。

 

「貴様の師は柔な剣を仕込んだものよ」

 

 師を馬鹿にされる。―――それ自体に怒りを募らせることは無い。どうせ馬鹿にされたところであの人は呵々と笑うだけだ。まぁその後できっちりと報復はするだろうが。

 カグヤという超常の存在の強さは十二分に理解している。未だ自分がその域に達していないという事も。であれば、その言葉は全て自分に向けられたものだと言える。

 

 

「……いい加減そこを通してもらうぞ、小僧」

 

 轟、と大剣が唸りを上げる。

 それは死を思わせるには充分な破壊力を伴っていたが、レイはその一閃を身を翻して直前で躱した。

 

 《八洲天刃流》―――【静の型・輪廻(りんね)

 

 視覚に頼らない、聴覚と直感だけでの回避行動。普通であればここから相手の背後を取って仕留めに掛かるのだが、今回は違う。

 距離を取り、仕切り直し。……つまらない戦いをしているという自覚はあった。

 

 本当であれば、心行くまで立ち会ってみたい。無関係な人間を巻き込む戦争は心の底から嫌いなレイだが、武人として己より強き者と立ち会える機会を喜ぶ人間でもあった。

 この牙城の剣術を突き崩す方法を斬り合いの中で模索するのはどれほど楽しいだろう。帝国で最も秘匿されたその技の対策をその場で生み出す瞬間は、きっと素晴らしいに違いない。

 ……そんな欲望を、強くなってきた幻肢痛が消し去っていく。

 

「(さて……)」

 

 ()()()()()、と。

 息を一つ深く吐いてから長刀の柄を握り直す。そろそろ地下から戻ったライアスがセドリックらと合流し、”ポイント”に辿り着いている頃合いだろう。

 近衛隊の練度は高い。すんなり上手く行くわけはないだろうが、まぁ修羅場を潜り抜けるのは《二番隊(ツヴァイト)》の十八番のようなものだ。それすら凌ぐようであっても、ツバキがいる。

 防戦と騙くらかしに於いて、彼女は《マーナガルム》の中で最も長けた存在と言っても過言ではない。当人は斬った張ったの立ち合いは苦手だと言っているが、苦手なだけで出来ないわけではない。()()()を鑑みれば、此処まで作戦を詰めれば何とかするはずだ。

 であれば、後は自分が上手く脱出するだけである。ここでまかり間違って捕虜にでもなろうものならば、それこそ目も当てられない。

 

 しかし、引っ掛かる所はあった。

 ガラディエールは確かに忠義の騎士だ。元より皇族を護るためならば鴻毛(こうもう)よりも軽く命を捨てられる面々。その長ともなればその気概も人一倍だろう。

 帝国の次期皇帝。彼にとっては、皇帝陛下の次に、何としても守り切らねばならない存在だ。であるならば、このような挑発じみた問答をする意味も、どこか探るような剣筋で来る意味も無い。

 

「(あぁ、クソ。そういう事か)」

 

 レイは、その違和感が指す意味を理解した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と苦虫を嚙み潰したような表情を一瞬浮かべ、そして右足を一歩後ろに下げる。

 

 《八洲天刃流》―――【剛の型・常夜祓(とこよばらい)

 

 氣力を練り込んだ、紫色の可視化された斬閃。廊下の横幅ギリギリの範囲で放たれたそれを、ガラディエールは大剣で弾き消した。

 だが、足を止める事は出来た。この状態で逃げに徹すれば、何とかなる。―――そう思っていた。

 

 

「小癪‼」

 

 ”塊”が飛んできた。

 一瞬の足止めなど意味がないと言わんばかりに、半身になったガラディエールがその巨躯に似合わぬ速さで距離を詰めてきた。

 大質量の吶喊。意表を突かれたレイは、しかし呆けたのは一瞬。すぐに顔を伏せ、対応を練り上げる。

 

 《フレイスヴェルグ流》―――《鉄砕閃》

 

 《八洲天刃流》―――【静の型・桜威(さくらおどし)

 

 近距離から放たれた、飛空戦艦すら叩き斬ってしまいそうな威力の一撃を()なしに掛かる。

 避けたところで余波を喰らうと判断してのその選択だったが、その剣技の出力が思った以上に高かった。

 結果、綺麗に吹っ飛ばされた。出血を伴う傷こそないものの、技の圧力で肋骨が軋む音はした。だが、()()()()で済んだのなら御の字だ。無い筈の左腕から齎される激痛よりも遥かにマシである。

 

 《天道流》―――【幻呪・洸爛(こうらん)

 

 黒外套の下で戦術オーブメントを駆動させ、呪術を発動させる。

 術自体は至極単純だ。大仰な名を付けてはいるが、言ってしまえばただの目くらまし。瞬間的な閃光を生み出す、ただそれだけのもの。

 だが、これまでほぼ完全な闇の中で戦闘を行っていた者に対しては、これは特攻とも言える程の威力を発揮する。

 

「っ⁉」

 

 視界が焼かれる―――その危険性を瞬時に理解したガラディエールは反射的に両目を閉じた。

 だが、そうなってしまえばもう終わりである。レイは即座に踵を返し、【瞬刻】を以て窓に近づき、そしてそのスピードを保ったまま突き破った。

 

「……ノルドで列車から落ちた時の事を思い出すな」

 

 あの時は割と絶体絶命の状況だったが、今回は違う。

 自由落下の浮遊感を味わっていたのは数秒だけ。すぐに、自分のそれよりも太くがっしりと筋肉のついた腕に抱きかかえられた。

 

「無事っすか、大将」

 

「想像よりかなり強かったわあのオッサン。……ツバキ、全速力で離れろ。何してくるか分かったモンじゃないぞ」

 

「了解です兄上。殿下もクルト君も、しっかりと捕まっていて下さいね」

 

 レイたちが乗っていたのは、大型鳥の形を模した式神の上。ライアスと合流してカレル離宮の屋上まで行ったツバキは、高度を確保するためにそこから飛び、その途中でレイを拾ったのだ。

 既に眼下の離宮内ではあちらこちらで大騒ぎになっている。《皇室近衛隊》のみならず、近場に展開していた領邦軍までもが臨戦態勢に入っていた。

 しかし、皇子殿下が乗っているかもしれない飛行物体に発砲する事は出来ないのか、こちらを睨みつけるばかり。それでも、帝都一帯は既に索敵範囲内だろう。

 

「中型飛空艇でも出されると面倒だな。ツバキ、速度は出せるか?」

 

「お任せを。……しかしクルト君はともかく、殿下は少し心配ですね。僕の呪力の大半を()()()ぶっ飛ばしますので、時速3000セルジュくらいは御覚悟を」

 

「じ、時速3000セルジュ⁉」

 

「相当体に負荷がかかるだろうな。セドリック、クルト、すまんがちょっと寝ててくれ」

 

 そう言ってレイは、潜入作戦で使わなかった催眠呪符を二人の額に張り付けた。

 

「ぁ……ぅ……」

 

「殿……下」

 

 すぐに意識を失い、グッタリと項垂れる二人。セドリックをレイが、クルトをライアスが小脇に抱え、ツバキが張った防風結界の中で姿勢を整える。

 

「さて、頼むぜツバキ。思いっきりカッ飛ばしてやんな」

 

「承知致しました。目的地は西部エイボン丘陵東端。振り落とされないよう、ご注意を‼」

 

 瞬間的に呪力を纏い、加速する式神。全身に重力加速度を浴びながら、しかしレイとライアスはひとまずの作戦の成功に安堵の息を漏らすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




■《整備・開発班(ラボラトリ)》メルド イラスト

【挿絵表示】



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これから歩むその先に

■設定⑱【ノルド《十六勇士》】
 《獅子戦役》の折、ドライケルス・ライゼ・アルノールと共にノルドでの旗揚げに同行した16名のノルド戦士の呼び名。ちなみに16名の内10名が達人級という強者揃い。残りの6名も、内戦の中で3名が達人へと昇華した。
 それでも、戦役が終戦した後まで生き残ったのはたったの6名。ノルドに帰った者もいれば、そのまま獅子心皇帝への忠義を貫いて貴族になった者もいる。ガイウスやウォレス・バルディアスの先祖はこの生き残り。


■設定⑲【《輝双剣》ロラン・ヴァンダール】
 若きドライケルスの護衛であり、幼馴染であった人物。ヴァンダール一族の中興の祖と言われる。
 一言で言えば苦労人。基本的に気の赴くままに動くドライケルスのブレーキ役であり、矯正役であり、そして一番の理解者であった。
 武人としては”準達人級”の階梯で止まってしまっており、不甲斐なさをいつも嘆いていたが、ドライケルスの窮地を救うために身を挺し、戦死する。
 このすぐ後に邂逅したリアンヌ・サンドロットはドライケルスの口からロランの武勇伝をよく聞き、「一度お会いしてみたかった」と零していたという。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ふとある時に、自分は弱い人間なのだと理解した。

 

 

 大陸の二大大国の内の一つである帝国の皇族、それも皇位第一継承者という立場に生まれた者。父と母も優しく、少し意地悪だが活発で明るい双子の姉、そして年齢の離れた頼れる異母兄。そんな家族に囲まれた暮らしと、恵まれた環境を不満に思った事など一度も無かった。

 ただ、生来の病弱ぶりに関しては、物心がついたころから辟易としていた。

 

 しかし、その悩みを父や母に打ち明けたことは無かった。母を悲しませたくはなかったし、父を失望させたくもなかった。姉には話したことはあったが、「ムキムキになったセドリックを見るのなんて嫌よ」などと揶揄われて終わってしまった。

 

 彼にとって、”強い人間”というのは憧れだった。

 物語の英雄譚に綴られる、悪魔や竜と戦う戦士や魔術師。250年前の《獅子戦役》で、ノルドの戦士や《槍の聖女》らと共に内乱を収めた自らの先祖である《獅子心皇帝》を始めとした、強者を体現したような英雄たち。

 彼らの生き方に憧れた。その精神に、その強さに。それは「男として生まれたからには斯く在りたい」という、幼い少年が一度は夢見る願いであったとも言えるが、彼の立場がそれを夢のままで終わらせなかった。

 

 異母兄は庶子であり、当人も皇位は継がないと断言していた。となれば必然的に、次期皇帝を継ぐのは自分という事になる。

 であれば、()()()()()()()()()()。ある意味で脅迫的とも取られる焦燥感。彼自身に人並み以上のの責任感があったという事も仇となったのだろう。

 

 故に、彼の目標は自ずと決まっていた。

 《鉄血宰相》。貴族が幅を利かせていたエレボニア正規軍の中に突如として現れた”英雄”。武勲を挙げ、悪徳貴族を粛清し、そして宰相という位に就いて尚、雄々しさの具現ともいえる振る舞いを崩さない人間。

 灼熱のような生き様。不条理にも困難にも屈さない強靭さ。それは強さがあるからこそ辿れる道筋であり、だからこそ自分もそう在らねばならないと奮起していた。

 だが、その心は脆くも崩れ去る事になる。

 

 

 ”戦争”を見た。

 強大な力が、守るべき民を踏みつぶす瞬間を見てしまった。皇城から離宮に避難する間の一瞬の出来事ではあったが、彼にはそれが酷く恐ろしいものに見えた。

 強い者が弱い者を嬲り殺すなどというのは、戦場では特に珍しくもない光景だ。多く戦場に立つ者は、最初こそその光景に憤り、恐怖を抱くものだが、数をこなせばその感情は死んでいく。

 力を手にするという事は、そうした悲惨な光景を多く目の当たりにするという事。そして、己の正義感と上手く折り合いをつけていくという事でもある。

 どれ程強い者であったとしても、弱者の全てを救う事は出来ない。理不尽な目に遭う全てを守る事は出来ない。何かを救うために何かを切り捨て、何かを得るために何かを捨てる。そういった取捨選択の先にある自分なりの「最適解」を見つける事。それが為政者としての責務でもある。

 

 だが、彼は優しかった。()()()()()()()()()()()()()()

 かつて皇城内で飼っていた犬が寿命で死んだ時、一日中泣き腫らしたような心優しい少年が、どうして他者の犠牲を許容できようか。

 必要悪、最低限の犠牲。国を回す為にはどうしてもついて回るそれらを見据える事などできはしない。

 

 だから、皇帝ユーゲントは息子に息子に対して厳しく当たったりはしなかった。

 或いは、それが良くなかったのかもしれない。身体が弱く、心優しい息子を心優しいままで居させてしまったのだから。

 憧れはするが、手を伸ばせない。眩しくは思っても、それより前に出ようと一歩を踏み出そうともしない。

 

 『脆弱』―――その言葉を最も忌避しながら、その概念から抜け出す事が出来なくなった人間。

 それが分かっていたからこそ、情けなくて、情けなくて。たった一人で夜な夜なベッドの中で嗚咽を漏らす日々。

 異母兄はあんなにも行動的で、皇族の一員としての務めを果たしているというのに。双子の姉はあんなにも積極的に世を見て、親友を作り、自分に出来ないことは無いかと模索しているというのに。

 弱い自分にできるのは、国民や貴族の子女から「可愛らしい」と褒めそやされるだけ。これでは店先に並ぶ客寄せの人形細工とどう違うというのか。

 

 「強くなりたい」という思いは日増しに大きくなっていった。

 腹の内で渦巻くような感情。込み上げてくるそれが、正しいものなのかどうかすら分からない。

 離宮から少し離れた場所で起きている戦火が、オズボーン宰相の今までの手腕の果てに引き起ったものであるならば。それに倣った”力”とは果たして正しいものなのか?

 何が正しくて、何が間違っているのか。それすらも分からない堂々巡り。息苦しさと吐き気を催す程の精神的疲弊を覚えた時。

 

 

 

 ―――その人は、また僕の前に現れてくれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 目が覚めた時、感じたのは肌を劈くような寒さだった。

 身体が震える。吐いた息が白く濁り、差し込んだ朝日の中に消えていく。

 むくりと身体を起こす。寝袋に包まれてはいたが、寝転がっていたのは枯草の上だった。チクリと首筋を指す痛痒さが、セドリックの意識を現実に引き戻す。

 

 あぁ、と。自分がしでかしたことを思い出す。

 後悔は、していない。今更戻って釈明しようとも思わない。ただ、実感が薄かった。

 本当に自分が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「おや、起きられましたか。殿下」

 

 その声に反応し、顔を上げる。

 そこに居たのは、火の番をしていた青年だった。異母兄(オリヴァルト)にも負けない艶やかな金髪に、座っている状態でも分かる程の長身の恵体。

 離宮で出会った時は暗視スコープ越しであったために外見的特徴の幾つかは不明であったが、改めて見ると良く分かる。()()()()()()、と。

 

「御気分は如何ですか? ……といっても、優れてはいらっしゃらないでしょうが」

 

「あ、だ、大丈夫です。ちょっと頭がクラクラはしますが……」

 

「あれほど動かれた後です。もう少しお休みください」

 

 パチリ、と焚火の中の火種が弾ける音がした。

 セドリックにとって、こういった雰囲気を味わう事そのものが初体験であった。とはいっても、安全な山中でキャンプをしているのとはわけが違うのだが。

 

「ここは、どこですか?」

 

「帝国西部、ラマール州にあるエイボン丘陵です。イストミア大森林の東端辺りですね」

 

 そう説明すると、サイドポケットから小さな帝国地図を取り出し、現在位置を指さして教えてくる。

 

「この辺りはラマール州の中でも僻地ですからね。領邦軍の巡回ルートからも外れていますし、地形も入り組んでいますからまず見つかる事はありません」

 

「そう、ですか。……あっ‼ く、クルトは⁉ クルトはどこに⁉」

 

 友人でもあり、自分の騎士でもある少年。数ヶ月前に就任して以来、様々な場所を共にした彼は、気付けば自分の隣で未だに目を覚ましていなかった。

 とはいえ、その寝顔は苦しそうなものではない。小さい寝息を立てて横になっているその姿を見て、セドリックはほっと胸を撫で下ろした。

 

「良かった、です」

 

「手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした殿下。なにぶん()()荒い方法で撤退したもので」

 

 一時的とはいえ、軍用飛空艇すら置き去りにする速度で逃げ去ったのだ。特別な訓練を受けていない二人をそのままの状態で付き合わせれば、要らぬトラウマを刻むことになりかねなかった。

 だが、冬の寒空の中を超高速で飛行したのだ。低体温症寸前になっていた二人を回復させるのに、相当苦心したのは内緒である。

 

「あの、ありがとうございました。えっと、ライアスさん、でしたよね?」

 

 離宮を脱出する際、途中で合流した目の前の青年と一言だけ挨拶を交わしたが、それだけである。セドリックも皇族の一員として、一度聞いた名を忘れないように日々努力しているが、思わず聞き返すような口調になってしまったのは仕方のない事だと言えるだろう。

 

「はい。改めて自己紹介をさせていただきます。猟兵団《マーナガルム》にて《二番隊(ツヴァイト)》副長補佐を務めさせていただいているライアス・N・スワンチカと申します。無作法者故、このような挨拶になってしまい申し訳ありません。宜しくお願い致します、セドリック殿下」

 

 その挨拶は、彼が自称している”無作法者”とはかけ離れた、堂に入ったものだった。決して付け焼刃ではない、それこそ幼い頃から叩き込まれた習慣でもなければ滲み出せない、”貴い者”の雰囲気があった。

 その時、ふとセドリックは思い出す。幼い頃から何度も読んだ、《獅子心皇帝》の武勇を謳った英雄譚の中に、その家名があった事を。

 

 《槍の聖女》リアンヌ・サンドロットが最も信頼したという二名の副官。その内の一人であり、《鬼砕焔斧(ロムアルヴァス)》の二つ名で知られた剛毅英傑、ゼラルド・スワンチカ。

 アルゼイド家の英傑、シオン・アルゼイドと共に、ドライケルス皇子と聖女が歩む道を切り開いた忠臣。戦役を最後まで生き抜いたシオン・アルゼイドとは違い、ゼラルド・スワンチカの方は帝都での最終決戦の際に主を先に進ませるために寡兵で偽帝の軍勢を相手取って討ち死にしたと言われている。

 しかし圧倒的多勢を前にしても一歩たりとも退くことなく、その最期も数多の剣槍と矢をその身に受けながら尚、血塗れの仁王立ちのまま敵を睨み続けていたと綴られている。

 まさに豪傑。戦火の中にあって最後まで主の勝利を疑わず、その壮絶な死は敵である偽帝の将軍すら畏れさせ、追撃を思い留まらせたという。

 

 その後、《槍の聖女》は自らの家名である<サンドロット>の頭文字である<S>の字をアルゼイド家に受け継がせた。スワンチカ家はゼラルドの息子が継いだが、レグラムの街に余計な混乱を招きたくないという思いから、自らローエングリン城を後にした。しかし、その武勇と忠誠心を高く買ったドライケルスは皇帝就任後、現在の南部パルム市周辺の土地を恩賞としてスワンチカ家に与えたという。

 

 だが、250年経った現在、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()。それをセドリックが知らなかったというのは、ある意味で幸運だったと言えよう。

 彼の父を、そして彼自身の人生を大きく狂わせたのは、長い月日を経て腐敗した貴族の堕落した思想と思考。そして、セドリックの父であり、現皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールはその一連の事件に終ぞかかわることは無かった。

 後に起こった《百日戦役》も含めた以後の戦後処理を行ったのは全て、当時エレボニア正規軍准将であったギリアス・オズボーン。その際に、ライアスの父を嵌めた貴族を含めた多くの悪徳貴族が処罰された。

 

 ……正直、ライアスの中に皇帝陛下への恨み言が無いかと言えば嘘になる。

 諸悪の根源は自らの権益と大貴族への阿諛追従しか考えていなかったクズの地方貴族共。それは勿論理解している。だが、それら全ての頂点に立つ皇帝が、こういった暴走を止める事が出来なかったという事実。それに対しての憤りを未だに忘れていない自分もいるのだ。

 それは単なる恨みの転嫁。真っ先に憎悪をぶつけるべき相手が既に存在していないが為の感情であり、正当なものではない。

 それを理解しているからこそ、先程からのライアスのセドリックへの敬意は偽りのものではなかった。家は既に取り潰されているが、それでも父が存命であった頃に受け取ったものは忘れていない。

 皇帝家への忠誠。猟兵として人殺しの業に塗れた自分が何を馬鹿なという思いはあるが、この皇子の姿を見た時、自然とこのような態度を取っていた。

 ……同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その理由もまた理解できてしまった。

 

「(いやまぁ、確かに一番の近道ではあるんでしょうけど……なんつーかさぁ‼)」

 

 声にならない叫びを押し殺していると、セドリックはキョロキョロと辺りを見回し、やがてある一点で目を止めた。

 それは火の番をしているライアスの背後。それなりに樹齢が高い木に寄り掛かるようにして眠っている少年の姿を、セドリックは捉えたのだ。

 

「(へぇ……)」

 

 ライアスは思わず感嘆の声を心の中で漏らした。

 何故なら今彼の背後で寝ている少年―――レイ・クレイドルは、限りなく気配を消した状態で眠っているからだ。本人曰く、「屋外で睡眠をとる時はほぼ無自覚でこうしている」らしく、警戒心が強い魔物ですら存在を捉えられない程である。

 それを目で捉えた。振る舞いからして武術の経験など皆無に等しいだろうに僅かな気配を察知できたという事は、才能はあるのだろう。

 

「レイ、さん? なんで、左腕が……でも部屋で見た時は確かにあったのに……」

 

「あぁ、その時はツバキ隊長がこの人の左腕に”擬態”していましたからね。大将の……レイさんの左腕は、この内戦が始まったあの日、帝都で消失したんです」

 

 ”消失”という表現は間違いでも何でもない。あの時あの瞬間、レイの左腕は誇張表現無しでこの世界から消滅した。

 ライアスはその様子を直接見ていたわけではなかったが、壮絶な戦闘風景であった事は想像に難くない。何せあの滅茶苦茶な師に鍛えられ、《結社》時代に幾度も死闘を繰り広げて尚五体満足でいられた事を鑑みると、四肢の一つを犠牲にしなければ切り抜けられなかった事態というだけでも戦慄ものである。その場に居合わせたら確実に灰になっていた自信がライアスにはあった。

 

 ……実際、ダメージは今も彼の身体を蝕んでいるし、こうして眠っている時にも幻肢の痛みが全身を駆け巡っているはずだ。

 それでも意図的に痛みを散らし、意識を強制的に落とすようにして眠りについている。常人であれば数日で発狂する様な状況に置かれて、それでも何も問題が無いかのように振舞うその精神力は、まさしく異常と称する外にない。真に異常なのは、このような状態であっても闘気・殺気の類を感知したらコンマ数秒以下の反応速度で飛び起きるであろう事だが。

 

「ん……」

 

 珍しい事もある、とその時ライアスは思った。

 《結社》時代からよく行動を共にしていたせいでレイと野営を共にした事は数多くあったが、彼が睡眠中に声を漏らすという事は珍しい事であった。

 本来であれば夢すらも見ない程の深い深い眠りにつく事で、短時間で効率の高い休息を取るのがレイだ。だが、今その眠りは一時的に浅くなっているらしい。

 それだけこの状況に安心しているのか。それならば火の番をしている身としては嬉しい事だが、敢えて気付かないふりをしながら耳を傾けてみる。

 

 

「うぁ……ミリアム、テメェ……塩、入れすぎたからって……砂糖入れりゃいいってわけじゃ……ねぇぞクソッタレがぁ……」

 

 ん? と数秒固まった後、セドリックと目を合わせる。

 

「待てラウラ……それジュースじゃなくて調理酒……誰かあの馬鹿を、ぶん殴ってでも止めろぉ……」

 

「エマぁ……俺とリィン(ナマモノ)で変な本書くなって……言ったよなぁ?……ぶっ殺すぞテメェ……」

 

「マキアスぅ……お前いい加減ナス食えるようになれやぁ……」

 

 寝言とするには長すぎる言葉の羅列。しかしそれらは全て、半年以上共に生活してきた学友たちとの日常のそれだった。

 先に笑ったのはセドリックの方だった。それに釣られてライアスも笑う。

 他愛のない学友たちとの日常。それがレイにとってどれほど楽しいものであったのか。この寝言を聞けば充分に理解できるというもの。

 

 ……だからこそ、歯痒いものはある。本当は彼だって、その日常を続けたかったはずなのだ。例えそれが無理な事だと分かっていても尚。

 考えれば考える程、始まったばかりのこの内乱は多くのものを既に奪っている。レイも、セドリックも。だからこそ、()()()()為にこうしているのだが。

 

「リィン……そっちは……任せた、ぞ……」

 

 それは、本当に信頼している者に対してしか出ない言葉だった。

 誰も彼もを信頼しているのだ。出会ってからまだ半年と少ししか経っていないというのに、その全員が生きてまた会えると信じて疑っていない。

 羨ましいと、そう思わないと言えば嘘になる。自分もその中に居れば、少しはマトモな人間になれたのだろうかと。

 小さく(かぶり)を振った。意味のない事だ。自分は望んでこの場所に残る事を選んだ。それを否定する事は、自分を鍛え上げてくれた《マーナガルム》の人達全員を侮辱する事と同義になる。

 そんな邪念を追い出すように側頭部をトントンと叩きながら、レイの肩を揺らした。

 

「大将、大将起きて下さい」

 

「ん……ライアス、俺はどれくらい寝てた?」

 

「三時間くらいっすね。殿下もお目覚めになられましたよ」

 

 そうか、と短く返答して、レイはセドリックの方に向き直る。

 

「セドリック、お前の騎士を起こしな」

 

「え? く、クルトの事ですか?」

 

「他に誰が居るんだ。お前を本当の意味で、心の底から護ってくれるのはそいつだけなんだ。絶対に、それだけは忘れるな」

 

 それは言外に、()()()()()()()()()()()()()というレイからの忠告でもあった。

 最も近くに居る忠臣の言葉を信じ切れずに為政者を名乗ろうなど片腹痛い。この幼い次期皇帝陛下が今最も信じるべきは、未熟ながらも主を守る事に命を賭けられるこの若き騎士であるべきなのだ。

 

 そんな事を考えている内に、セドリックが肩を揺らしてクルトを起こす。そして状況を理解した若き騎士は、すぐさま己の得物へと手を伸ばしかけ、そこで動きを止めた。

 そも、彼は離宮で武器を携帯する事を許されていなかった。それは《皇室近衛隊》の意向であり、ヴァンダールの剣士たる彼にしてみれば屈辱的なものではあったが、それでもセドリックの傍に居ることができるならとそれを了承した。……まさかこのような事になるとは、思ってもみなかったが。

 

「流石に動きが良いな。若くてもヴァンダールの継承者か」

 

 コキコキと首を鳴らしながら、レイはクルトに賛辞を述べる。

 

「ん……ヴァンダールは伝統的に大剣を得物に扱う武人が多いって聞くが、お前の動きは()()()()()()()()。もっと小回りが利いて、機動的な得物……中興の祖、ロラン・ヴァンダールが使ってたっていう双剣辺りか」

 

「っ……‼」

 

 己の得物を見透かされ、更に警戒度を強める。だが、そんなクルトの気負いなど気にも留めず、眠気を完全に覚ますように一つ背伸びをして―――右腕を鋭く振り下ろした。

 

「えっ―――?」

 

 その行動の結果を目で終えたのはライアスだけだった。否、本音を言えばライアスも追いきれたとは言い難い。

 その目線の先、およそ30アージュ。木々が入り組んだその先で此方の様子を窺っていた狼型の魔獣二体の首に深く、それは刺さった。

 レイが常に服の袖の中に隠し持っている投擲用ナイフ。強敵との戦闘に於いては目晦ましにすらならないそれだが、こうした状況に於いては重宝する。それを二本同時に投擲し、放物線すら描かない最高速度を維持させながら魔獣の首元に届かせたのだ。

 無論、ただ徒に命を奪ったわけではない。当たった、という結果そのものには特に反応せず、あっけからんと言い放つ。

 

「腹減ったな。とりあえずメシにしようぜ」

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 カレル離宮最上階。山間からようやく差し込み始めた朝日が巨大な窓から室内を照らす。

 そして、その窓の傍から朝日を眺めている男こそ、現エレボニア帝国皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノール。そしてその背後に傅くのは、《皇室近衛隊》総隊長ガラディエール・ヴラウ・ウィトゲンシュタイン。

 

 局地的とはいえ、あれほど離宮内を騒がせた騒動から数時間。たった数時間で全てを収めた手腕が、そのまま近衛隊の練度の高さを反映させていた。

 騒動の中で気を失ってしまっていた隊員は、目が覚めた瞬間己の失態を悟り、それが皇太子の誘拐に繋がったと知ると自死を懇願した程であったが、他ならぬガラディエールがそれを止めた。

 彼は己にも他人にも厳しい人間ではあるが、今回に至っては失態を侵した部下を一人たりとも叱責するつもりはなかった。何故かと言えば―――。

 

「……済まなかったな、ガラディエール。此度の件、其方(そなた)に心労をかけてしまった」

 

「そのような事を仰らないで下さいませ。我ら近衛騎士団、皇帝たる御身からの拝命とあれば即座に命すら捧げまする」

 

 泰然自若としたその雰囲気に、しかしユーゲントは恐怖を覚えることは無い。

 この忠義の塊のような騎士とは長い付き合いになる。それこそまだ皇太子であった時分から、《雷神》マテウス・ヴァンダールと共に自身の守護騎士を務めていた男である。

 故に、その忠義心に偽りがない事は良く分かっているのだ。皇室に対して身命を捧げるその心はもはや病的とすら言ってもいい。その心があったからこそ、元々は爵位の高い貴族の武勲という名の箔を付ける場所でしかなかった《皇室近衛隊》という組織を、帝国最精鋭部隊にまで変える事が出来たとも言える。

 そして、そんな旧知の間柄とも言える男に対してとある命令を下さなければならなかった事に対して、ユーゲントは心を痛めていた。

 

「我が息子は、セドリックは無事に行ったか」

 

()()()()()。侵入した者も中々の手練れでございました。あの強さがあれば、殿下を御守りする事も叶いましょう」

 

「其方の目にも、適うほどであったか」

 

「真に賊であれば我が全てを以て斬り伏せましたが、()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()とあれば、それ相応の評価を下すは当然の事」

 

 全身を漆黒のローブで覆い隠しており、碌に姿も見えない闇の中での戦いではあったが、僅かに身体から漏れ出ていたその闘気を見間違えるほど耄碌はしていなかった。

 以前、皇帝陛下との謁見を許された士官学院生達。その中に在って、突出した氣を練り上げていた一人の少年。

 矮躯ではあったが、その佇まいは間違いなく達人のそれであった。願わくばこの少年が敵に回らない事をと祈ってはいたが、それは叶わなかった。

 しかし、落胆はしていなかった。相対の時間そのものは短くはあったが、隻腕の状態で見事に自分に喰らいついていた。恐らくは、皇帝陛下を保護という名の監禁から救い出すために再びこの離宮を訪れる事になるだろう。

 

 皇帝陛下を離宮内に留め置くというこの状況自体を、無論ガラディエールは好ましく思ってはいない。この状況に持ち込むことを提案したカイエン公爵の思惑など透けて見えるようだが、他ならぬ皇帝陛下が無意味な混乱を防ぐために提案を受け入れたのだ。

 であれば、ガラディエールとしては声を荒げる事すらできない。内乱がおさまるまで、守護任務に専念するつもりだった。

 だが、その憤懣やるかたない感情を払拭したのもまた、皇帝陛下からの命だった。

 

 

『オリヴァルト皇子より連絡があった。……セドリックを鍛えてやりたいとの事だ』

 

 その言葉自体には特に思うことは無かった。セドリック皇子は紛れもない次期皇帝候補。であれば鍛えすぎて困るという事も無い。

 問題は何故今なのか、という事。それを問うと、ユーゲントは少し言葉を詰まらせ、続きを話した。

 

『オリヴァルトが雇った者達にセドリックを()()()()との事だ。信頼に値する者達であると書いてあった』

 

 それはつまり、《皇室近衛隊》に()()()()()()()という命令であった。

 要は、セドリック皇太子を預けるに値する者達かどうかを見極めろという事だ。そして眼鏡に適うようであれば皇太子誘拐の罪を見逃せと。

 それは、皇室守護を旨とする近衛隊の在り方と真っ向から反する行為である。ガラディエールは皇室に絶対の忠誠を誓っているが、忠誠の在り方を見間違えてはいない。必要とあれば諫言もする。

 だが、ガラディエールはそれを口に出来なかった。その命を口にしたユーゲントの表情が、覚悟で満ちていたからだ。

 

 いつからだろうか、と思い返す。

 とある時期を境に、ユーゲントは達観する事が多くなった。否、諦観と言うべきだろうか。国政のほぼ全てを《鉄血宰相》に任せ、自身はそれで足りない部分をフォローするような形。何も国の王が万能である必要はないのだが、運命を受け入れてしまったかのような目をする事が多くなった。

 だが、今回は違う。眉間に皺を寄せながら一言一言に重みを乗せて話すその姿には威厳が滲み出ていた。

 

『余は愚王だ。民に苦しみを強要し、我が子らにも本当の意味で愛を注いでいたとは言い難い』

 

 そのような事は、とまで言いかけたところで、ユーゲントは言葉を挟んだ。

 

『特にオリヴァルトには苦労を掛けた。だがあれは、私の子とは思えない程に立派に育った。少々奔放すぎる衒いはあったが、人を見る目は確かであったのでな』

 

『リベールより帰った際。そしてあの隻眼の少年を士官学院に迎え入れた際。オリヴァルトは余に進言して来た。「父上の抱いておられる懸念を、私が払拭してみせましょう」とな』

 

 その言葉がただの虚勢の類ではないというのは理解できていた。

 何故なら彼の母―――アリエル・レンハイムもそういう人物であったからだ。己の言葉に責任を持ち、人を惹きつける魅力と共に理想の実現の為に尽力を惜しまない。

 トールズ士官学院在籍時、彼女は平民でありながら貴族生徒とも積極的に交流し、その一部とは身分の垣根なく友人関係を築いていた。今以上に身分制度の差別意識が強かった時代にその行動力は異常とも言えるものであり、学生時代のユーゲントも、彼女のそういった天真爛漫でありながら芯の通った性格に惹かれたのだから。

 

 そんな母親の血と性格を引き継いだ彼は、それに加えて貴族社会で生き抜くための狡猾さも身に着けた。人を惹きつける笑みを振りまきながら、その表情の内側では己が今何をすべきかの思考を止めない。

 多少フットワークが軽すぎる衒いはあったが、それらの行動も最終的には帝国の利になるように帰結していた。そも、若き日の衝動に任せた愚行で想い人とその息子を不幸の底に叩き落としてしまった自分が何か言えた義理は無いのだが。

 

 だが、それでもオリヴァルトの妹弟(かぞく)を想う気持ちは本物だった。己の母を殺した原因が、他の貴族子女と作った子など、本来疎ましい以外の何ものでもないであろうに。

 アルフィンとセドリック。幼い二人もすぐにオリヴァルトに懐き、オリヴァルトもまた兄として惜しみない愛情を二人に注いだ。

 しかしながら、その”愛情”は父である自分よりも厳しく、そしてまともなものであった。

 

 曰く、獅子は己の子を鍛え上げるために敢えて千尋の谷に落とすという。

 生まれつき身体がそれ程頑丈ではなく、どこか内向的に育ったセドリックを次期皇帝として擁立するには、()()()()()()は必要だと訴えてきたのだ。

 

『余が今惨めな心境に在るのは、恐らく何に対しても諦観的な姿勢でしか当たれなかった臆病者に対する罰であるのだろう。皇帝という立場にありながら、己の子一人の巣立ちすら見送る事が出来ん』

 

『だからこそ、セドリックには余とは違う道を歩んで欲しい。かの《獅子心皇帝》のように、国の危機に際して立ち上がる事の出来る者になって欲しいのだ』

 

 無論、それがただの理想の押し付けであるというのは理解している。己が成し得なかった理想を子に押し付けるなど、愚劣以外の何ものでもない。

 だが、それがセドリックにとって後々利に繋がるというのであれば、ユーゲントは悪魔に魂を売る覚悟すらできていた。結果的に、彼が信じると決めたのは煉獄に潜むモノ達ではなく、自身の嫡子であったわけだが。

 

 故に、ガラディエールはその覚悟にただ頭を下げる事で応えた。

 オリヴァルトが雇った者達がセドリック皇子を誘拐するのを見逃す。ただし、皇子を守るに値しないと判断した場合は容赦なく殺す。

 最終的に、ガラディエールはその実力を認めた。皇子を救出するルートを敢えて数ヶ所に絞り、そこからの襲撃を予想していたが、離宮全体の導力装置を一時的にとはいえ一斉停止させる導力ウイルスに、それを使用した実に速やかな作戦遂行能力。関わった誰もが一人残らず己の使命を全うし、決して()()()()()()はしなかった。

 何より元《執行者》の達人である《天剣》。実際に相対してみて分かったが、想像していたよりも()()。武の実力だけで全てを判断するのは愚かだが、情報局経由でひそかに流れてきた彼の10月までの活躍を併せると、ひとまずは「何とかできる」人材であろうとは判断できた。……忸怩たる思いが無くは無かったが。

 

 

 

「父上、陛下は何と仰せでしたか?」

 

 ガラディエールの嫡男であり、《皇室近衛隊》の副長も務めるギルガルド・ヴラウ・ウィトゲンシュタインは、皇族の間から退室した父にそう問う。

 

「変わらぬ。陛下は引き続き我らに任を全うせよとの仰せだ。―――ギルガルド」

 

「はっ」

 

「幾ら陛下からの命とは言え、皇子殿下の誘拐を許したとあれば四大貴族、とりわけカイエン公爵家からの突き上げは必至であろう。某に何かあれば、貴様が近衛隊を率いるが良い」

 

「父上……」

 

 父親に勝るとも劣らない恵まれた体躯に、背に負った二振りの騎士剣。厳粛そうな雰囲気を漂わせる武人であるが、今は父の言葉に耳を傾ける息子として此処にいた。

 

「無論、ただで引き下がるつもりはないがな。我らの主は四大貴族に非ず。皇家だ。その事を、貴様も努々忘れるな」

 

「承知しております。そして、有事の際につきましても了解致しました」

 

「うむ」

 

 如何に主に尽くすと言っても、彼らは騎士だ。政治家ではない。

 主が心底悩んでいるのであれば進言も諫言もしよう。だが、一度下された命には粛々と従うのみ。

 

 彼らは守護者。皇室が抱える最後の剣。

 二度目はない。次に相見える事があれば正真正銘、全身全霊を以て敵対者を排除するのみ。

 その宣言を胸に、二名の達人は静かに離宮の最奥を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 明けましておめでとうございます‼ どうか今年度も拙作を宜しくお願い致します‼

思えば去年の年末に「英雄伝説 天の軌跡」を完結させてから一年。一年間で執筆できたのがたったの7話分というのは文字通りの亀更新だと反省しております。

 2022年はもう少し投稿のペースを上げる事を目標に頑張っていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

 


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暗雲灯る拮抗



■設定⑳【カーティス・クラウン】
 エレボニア東部クロイツェン州に領地を持つクラウン伯爵家。その若き当主。
 眉目秀麗頭脳明晰、おまけに領民に対して善政を敷くなど、凡そ良い貴族の鑑のような人物であり、ルーファス・アルバレア共々若い女性からの人気も非常に高い。
 ラウラに対して執着心を示しており、事あるごとに交際を申し込んでいるが、当人からは半ば厄介者扱いされている。
 ルーファスとは幼馴染の関係でもあり、昔から大人相手に思考を巡らせた悪巧みをして遊んでいた。

【挿絵表示】


■設定21【スフィータ】
 カーティスの従者として傍に控えている銀髪の美女。しかし麗しいのは外見だけで、口は悪く、性格は好戦的な上に粗暴。勿論身の回りの世話などせず、常に気ままに過ごしている。主人である筈のカーティスにすら暴言を吐きまくるが、当人は全く気にしていない模様。その正体は……?

【挿絵表示】




 

 

 

 《白銀の巨船》と呼ばれる船がある。

 これは水上を移動する船舶を指す異名ではない。全長約250アージュという巨大な威容はまさしく大陸最大の飛行戦艦*1に相応しく、《四大貴族》筆頭であるクロワール・ド・カイエンの資産によって建造され、その建造費はエレボニア正規軍で採用されている主力戦車数千台分という莫大なもの。

 戦艦でありながら豪奢な内装と、贅を凝らしたもてなしを用意できる人材を内包するその様は、空飛ぶ宮殿と称しても何らおかしくはない。

 

 名は《パンタグリュエル》。貴族連合の旗艦でもあるそれは、現在帝都南部郊外トラヴィス湖上空付近を移動している。

 一見すれば貴族側の優勢を誇示するかのように堂々とした在り様を見せているようにも見える。だが、その内部では今、若干不穏な空気が漂っていた。

 

 張り詰めた空気。船内に常駐している貴族連合の参謀達も、それらを最大限サポートする使用人や技術者も、数日前まで漂っていた戦勝ムードが嘘のように冷え切った雰囲気にいたたまれなくなっている。

 そんな中、そのような空気感など些事だと言わんばかりに寛ぐ男がいた。

 

 帝都の一流ホテルのスイートルームもかくやと言わんばかりの部屋。しかし今、ソファーに深く座りながらワイングラスを傾けるその男は、部屋の煌びやかさに負けない高貴な雰囲気を醸し出していた。

 元々死を連想させる黒の衣装を纏いたがる貴族は少ないが、この男の一族だけは別である。当主のみが身に着けることができるその貴族服は、《四大貴族》の一角への服従の証。光を際立たせる為の影としての存在。

 つまりは鎖だ。伯爵という位も飾りのようなもの。公爵家が飼う貴族(ペット)として相応しい品格を与えられたというだけ。本来であれば、彼は常に主の傍に侍っていなければならない人間であるのだ。

 

 だが残念ながら彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「おい、愚図」

 

 その遠慮のない声は、その背後から生まれた。

 豪華なソファーの背もたれの向こう。一枚隔てた先に雲海を映し出す窓の縁に無遠慮に座る、侍従服を纏った銀髪の少女。

 だがそこに、淑やかさや(へりくだ)ったような趣は皆無だった。傍若無人という言葉が最も似合うような、見下す視線。

 しかし、それらを向けられながら男は―――カーティス・クラウンは、それでも一見柔和に見える笑みを崩しはしなかった。

 

「何かね、スフィータ」

 

「喜色悪い声を出すな。喰い殺してやりたくなる。―――来たぞ」

 

 その言葉が終わるや否や、部屋の入口の扉が開いた。

 緊急事態だというのに自室に籠って飲酒に耽溺している男を叱責する為の来室か? 否、それならばまだ分かり易かっただろう。

 

「やはり部屋(ここ)に居たか。私も一緒させて貰っても構わないかな?」

 

「おや参謀長殿。いやはや、大変な事態の最中にサボっていたのがバレてしまいましたか」

 

「構わないとも。元より()()()()()()()ではある。仕掛けるタイミングとしてはこの時期しかありえないからね」

 

 そう言いながら、貴族連合参謀長ルーファス・アルバレアは、カーティスに注いでもらったワインをゆっくりと嗜み始める。

 

 

 数時間前、帝都制圧後から皇族を匿っていたカレル離宮からセドリック・ライゼ・アルノール皇太子殿下が誘拐されたという情報が入った。

 これを聞いたカイエン公爵は目に見えて狼狽していた。とはいえその狼狽は、皇族の身を真に案じていたものではない事は既に理解している。

 尚、その焦燥感に駆られた表情を見た時、ルーファスとカーティスの両者は共に笑いを堪えるのに必死だったというのは誰も知らない事である。この二人、外見だけは見目麗しいが、普通に性格が悪い。

 

 とはいえ、貴族連合は今、帝都の制圧を終えて戦力を東西南北の四方へと分散させている。

 頭であるギリアス・オズボーンを叩いているとはいえ、各地に配属されている機甲師団は厄介極まりない。連合は名前こそ統一されているが、抱えている各領邦軍の練度はバラバラだ。

 最も練度が高いのが、《黄金の羅刹》が直接率いる西部ラマール領邦軍。次いで武闘派のゲルハルト・ログナー侯爵が率いる北部ノルティア領邦軍。この二ヶ所での機甲師団の動きは現状抑え込めていると言って良いだろう。

 南部サザーランド領邦軍は良くも悪くも凡庸と言ったところだろう。《獅子戦役》の英雄の末裔であるスワンチカ伯爵家が存在していた頃はそれなりに精強な軍だったが、大粛清の煽りを受けて弱体化を強いられた影響が今でも残っている。とはいえ、地理的な影響もあって戦力的には拮抗状態にあると言えるだろう。

 

 問題は東部クロイツェン領邦軍である。領邦軍の運営に関しては、ルーファスも手を加える事を許されていない。必然的に、ヘルムート・アルバレア公爵が実権の全てを握っていると言える。

 だが、クロイツェン領邦軍はお世辞にも精強とは言い難い。長らく機甲師団が双龍橋以東に勢力を伸ばし続けていた為、領邦軍が介入する余地がそもそも無かったのだ。要するに勢力を持て余していたのである。

 とはいえ、公爵家の抱える軍として、侯爵家のそれよりも規模が小さいなどという事があってはならない。更に言えば、カイエン公爵家にも後れを取るわけにはいかない。そういった”誇示”が弱体化を招いたとも言える。

 結果的に、兵力は多いが練度は低いという厄介な軍になってしまった。戦争は数だとよく言うが、それは一定の練度が浸透しているからこその言葉である。各部隊間ですらしがらみが燻ぶる軍では到底なしえるものではない。

 それでも、補給路を完全に断ったお陰で帝国最強と謳われる第四機甲師団を徐々に後退させる事が出来ている。その分、犠牲者数も多いのだが。

 

「西方の機甲師団の掃討は順調に進んでいるようですな。第十機甲師団辺りはかなり粘り強く抵抗しているようですが」

 

「まぁ、時間の問題と言ったところだろう。カイエン公としては制圧の手を止めてでも皇太子殿下の捜索に全力を注ぎたいそうだがね」

 

「クク、相も変わらず性格が悪くいらっしゃる。()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 隠す気も無く小馬鹿にしたような笑みを漏らすが、当のルーファスはといえば全く気にしていない様子で続けた。

 

「上手く逃げおおせられたし、《パンタグリュエル》の広域探索導力波にも引っ掛からないという事は、まぁ逃走した方角から推測してエイボン丘陵かティレニア台地か……どの道イストミア大森林付近ではあるだろうね」

 

「―――聞いたかね、スフィータ」

 

 カーティスがそう言葉をかけると、不遜な態度で窓辺に座っていた侍従は、その黄金の瞳を更に見開かせた。

 

「その皇太子とやら以外は全て殺すぞ」

 

「構わんとも。貴様に殺されるのならば()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 それを聞いて浮かべた獰猛な笑みは、まさしくヒトのそれではなかった。

 爆発的に漏れ出た殺意に、部屋の前で待機していた領邦軍兵士は一瞬でその異常に気付き、そして次の瞬間には意識を刈り取られていた。

 まさしくそれは暴力の権化。威圧感だけで背後の窓には罅が入り、繰り出された裏拳で粉々に砕け散る。最先端導力機構による気圧・風圧防壁術式が働いている為に船内への影響力は皆無であったが、そこに広がる光景は控えめに言っても異常であった。

 空中に舞い散る硝子の破片たち。キラキラと輝くそれに混じって、スフィータも背中から落下する。地上およそ8000アージュ。そこからの自由落下とあれば、通常であれば即座に低酸素症を発症して意識を失い、そのまま弾丸のように落下するだけである。

 だが、彼女はそうはならない。それを誰よりも理解しているカーティスは、その身を欠片も案じる事も無く、グラスの中に残ったワインを飲み干した。

 

「随分と信頼しているのだね」

 

 それが本心からの言葉ではないと理解していたからこそ、カーティスは失笑する。

 

「私とアレの間にそんなものは存在しませんよ。私はアレの()()()として餌の位置を教えてやったまでです」

 

「ふふ、私と君の仲だ。不敬罪で投獄するのはやめておこう。―――この一件、君に任せても良さそうかな?」

 

「承知しました、参謀長殿。怠け者なりに、きっと互いにとって益のある結果を残して見せましょう」

 

 恭しく頭を下げるカーティス。

 物心ついたころから他者の心を誘導し、唆す事を得手としてきた二人の悪巧み。それを解する者は、この艦には一人たりともいなかった。

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 それは、幼い頃より豪勢な食事しか口にして来なかった皇子にしてみれば未知の感覚だった。

 

 元々病弱気味であったせいか、食事に関しては他の兄姉に比べても一層気を遣われていたと言えよう。皇族家お抱えの超一流の料理人が厳選した食材と、鍛え抜かれた調理技術を以てして作り上げられた食事がテーブルに並び、これまたお抱えの皇室教師によって仕込まれたテーブルマナーを駆使してそれを食べ進める、というのが彼の中での食事の”常識”であった。

 

 だが、今目の前にある物は違う。

 眩暈がする程に暴力的な原始の香り。どう形容しようとも肉の塊としか言えないそれに、適当に調味料を振りかけただけの食べ物。常識とはあまりに乖離したものだというのに、何故だかその退廃的な見た目と匂いはセドリックを大いに魅了した。

 

 先程レイが服の裾に仕込んだナイフで仕留めた狼型の魔獣の肉。息絶えたばかりのそれを、レイとライアスは慣れた手つきで解体していった。

 血抜きをしたり、内臓を取り出したりといった光景は、今まで生き物の死というものに積極的に触れてこなかったセドリックにとってはあまりにもショッキングなものであり、思わず口元を抑えたのだが、不思議と喉奥から込み上げるものは無かった。

 それは、飼っていたペットが寿命で死んだ時に感じた感覚とは違うのだと本能的に理解した。

 自分たちが生きるために殺し、喰らう。それは人類が感じる最も原初の罪にして業。身体の底から震えあがるものはあったし、拒否反応も勿論あったが、セドリックはその一連の処理から目を離す事だけはしなかった。

 

 しかしながら、一度怖気に似た感覚を覚えてしまったそれに対して食欲を感じるかどうかと問われれば微妙な所ではあった。

 そんなセドリックの不安を他所に、レイは片腕とは思えない程に速やかに調理の下準備を済ませていく。とはいえ、超簡易的な野営の形である為、調理と言えるほどのものでもない。ライアスが所持していたサバイバルキットの中から小瓶に入った塩と胡椒を満遍なく肉に刷り込んでから焚火を利用して仲間でじっくりと火を通す。魔獣の種類によってはレアでも食べられるのだが、判別がつかない場合はちゃんと火を通すに越したことは無い。

 そんな調理過程が進むごとに火元から流れてくる匂いに、セドリックの食指がピクリと動いた。

 

 彼は元々少食だ。オリヴァルトは元より、アルフィンもあれで中々の健啖家であるのだが、精神的な面も関わってきているのか、満腹になるまで食事をすると胃の膨満感と吐き気で暫く体調を崩してしまう程である。

 そんなハンデを背負った身であっても、思わず小さく腹を鳴らしてしまうような魅力がそれにはあった。

 

「そら」

 

 レイはまず、焼けた肉の一つをクルトに投げてよこした。

 クルトはそれを受け取ると、懐疑的な視線を投げながらも、セドリックの方をチラリと見る。主より先に食事を口にするわけにはという罪悪感も、その視線には含まれていた。

 

「毒見のようなもんだ。この魔獣には体内に毒素を持つ器官は無ぇが、まぁその方がお前も信用できるだろう」

 

 その意図を、調理した本人が口にして説明する。

 それを聞いて、ようやくクルトが肉に齧り付いた。彼自身もそれなりに良い生まれではあるが、ヴァンダールの修行の一環で野営は何度もしたことがあったし、その際に食料を現地調達して喰う技術も仕込まれた。

 だから、一口齧っただけでその調理技術の高さに目を見張った。

 

 元より魔獣の肉というのは味の癖が強く、臭みもある。だからこそ基本的には野生動物の肉の方が好まれるのだが、魔力を含んだ魔獣の肉は滋養強壮に富むという長所もある。

 だが、味の癖と臭みが上手い具合に上書きされている。良い調味料を使っているという事もあるのだろうが、血抜きを始めとした解体の仕方が繊細かつ迅速であった事も大きな要因だろう。

 

 ふと気が付くと、渡された肉は骨だけになっていた。自分がどういう風に食べ進めたのかも思い出せない程に一心不乱になっていたらしい。

 それと同時に羞恥心が込み上げてくる。護衛たるもの、主の存在を気に掛けずに食事にかまけるなど言語道断。恥ずかしくてセドリックの方を見られなくなっていた。

 

 逆に、セドリックはその食べっぷりを見て喉を鳴らしていた。

 その流れで、レイが差し出してきた肉を受け取る。今まで学んできたテーブルマナーなど欠片もない、ただただ食いつくだけのはしたない形。

 それでも、忌避感は無かった。手指や口の周りを肉の油でベタつかせながら、初めての食感と匂いを堪能する。これまでこういった食べ物を通してこなかった胃腸が驚いている感じが伝わってくるが、今のセドリックにはその感覚は些事にしかならなかった。

 全てを飲み込んだ後、深く深く呼吸をする。冷たい空気が口と鼻から入り、つい先ほど熱を持ったばかりの喉を冷やし、肺に入る。

 

 それは確かに、”生きている”という実感だった。一回の食事でこのような感覚が得られるのならば、果たして今までの自分は何だったのだろうか。

 与えられる餌だけを食べて一生を終える籠の鳥。それが不満だったなどという贅沢な事を口にするつもりは毛頭ないが、今この瞬間に沸き上がった感情が”喜び”であったのも確かだ。

 

「美味かったか?」

 

 既に魔獣一頭分は平らげたのではないかと錯覚するほどの早食いを行っていたレイがそう問うと、セドリックは力強く頷いた。

 

「人間ってのは美味いメシ食ってちゃんと寝なきゃ何も出来ねぇんだ。これから何かを始めようって時には猶更な」

 

 常に潤沢な物資があるわけではなく、組織の中での統一性が求められる軍隊などではそうはいかないだろうが、生憎とそういったものに属した事のないレイの自論がそれであった。

 あえて精神を摩耗させて逆境心を目覚めさせ、鍛える方法もあるが、今のセドリックにそれは早すぎると判断した。遅かれ早かれそれを味わうのならば、今は満たす事の意義を理解すべきである。

 

「今の時間はさっきみたいに魔獣が彷徨いてる。陽が昇り次第移動するから、もう少し休んでおけ」

 

「は、はい」

 

「クルト、お前もだ。護衛役云々で思う所はあるだろうが、今の間はちゃんと寝とけ」

 

「い、いや、僕は――」

 

 尚も食い下がろうとするクルトの額に、レイは先程使ったものよりかは効果が薄い昏睡術式の札を投げつける。

 あまり多用はしない方が良いのだが、疲労感を抱いたままそれでも無理矢理動き続けようとする頑固者を強制的に寝かしつけるにはこの手が一番効く。

 

「真面目め」

 

「そこがクルトの良いところだと思います。……実際、彼が付いてきてくれなければ、僕は今よりももっと憔悴していたかもしれません」

 

「そりゃ頼もしいこった」

 

 そう言うとレイは立ち上がり、セドリックの目の前まで歩いてくると、目線を合わせる。

 

「さっきも言ったが、コイツの事はちゃんと大切にしろよ? 意見を違える事はあるだろうし、喧嘩も好きなだけすりゃあいい。でも、最後は絶対に信じてやれ」

 

 十年と少し。レイも、人生を語るには若すぎる年齢だ。

 ただそれでも、何度も何度も出会いと別れを繰り返してきた。自分が信じ切れなかったから生まれてしまった別れもあった。ならば、友人に同じ思いをして欲しくないと思うのは当然の事だろう。

 

「――はい。必ず」

 

 小さく、しかし力強い返事だった。

 今はそれだけでいい。この先彼はいくつもの試練や残酷な現実と向き合う事になるだろうが、ここでのこの約束さえ反故にしなければ、どれだけの目に遭おうともギリギリで踏みとどまれるだろう。

 

 その誓いを聞き、満足したレイは、右の人差し指の先をセドリックの額に軽く押しあてた。

 

「?」

 

「【傷つきし武士(もののふ)に癒しの一時を】」

 

 その短い詠唱は、《天道流》呪術の一角、【癒呪・爽蒼(そうそう)】を発動させるもの。

 効果は「対象の肉体的な疲労を回復させる」というもの。外傷に対しては効果を発揮しないが、今のセドリックにはこの術が一番効果的だろうという判断だった。

 実際それは効果的だったようで、次第にセドリックの瞼は落ちていき、数分経つ頃には小さい寝息を立て始めていた。

 それを確認したレイは再び立ち上がり、未だ更けたままの夜空を仰ぎ見る。

 

「ライアス、お前も少し寝ておけ。火の番は俺がやっておく」

 

「大丈夫っすよ、大将。二、三徹くらいは余裕でできるようにアレクさん達に仕込まれてるので」

 

「そういう事言ってんじゃねぇんだよ。疲労で少しでもお前の動きが鈍るとこの後どうなるか分かったもんじゃねぇ。幸いこの夜の間は何も起きねぇだろ。休める時に休めねぇ奴は半人前だってのも叩き込まれなかったか?」

 

「……まぁ、その通りっすね。それじゃあ大将、俺にも殿下と同じものをかけて貰っていいっすか?」

 

「あいよ」

 

 思えば《結社》時代はよくこういったやり取りをしていたなと思い返しながら、眠りにつくライアスを一瞥すると、先程まで自分が据わっていた場所にいつの間にか腰かけていた人物に声をかける。

 

「お疲れさん、ツバキ」

 

「えぇ、兄上。実際あまり疲れてはいないのですが、それを聞けただけでも頑張った甲斐はあったというものです」

 

 レイが隣に座ると、ツバキは甘えるようにレイの右肩にその頭を乗せてくる。

 その様子は、普段彼女にコキ使われている《月影》の部下が見たら目を見開いてフリーズする程の破壊力があったが、元々人目がない場所で二人きりになった時の彼女はこんな感じである。

 

「周囲の索敵を行いましたが、現在周囲を散策している貴族連合兵士はいません。エイボン丘陵東端までは流石に式神を飛ばせませんでしたが、ラクウェルから南には兵士の影は無いものかと」

 

【挿絵表示】

 

 

「といっても俺達が確保してるのはエレボニアの次期皇帝サマだ。連合にしてみれば血眼になって探してもまだ足りねぇだろ。サザーランド本線周辺はさぞお祭り騒ぎだろうな」

 

「えぇ。ここいらで足踏みしていれば、セントアークから増援が来るでしょうね。最悪イストミア大森林周辺を一掃されるかもしれません」

 

「ラマール領邦軍とサザーランド領邦軍が縄張り争いでギクシャクしてもらえば多少は時間が稼げるだろ。皇太子の身柄の保護なんて、出し抜けばどれだけのアドバンテージが拾えるか分かり切ってる事だ」

 

 特に連合の盟主たるカイエン公爵は絶対にその座を譲りはしないだろう。レイは直接会ったことは無かったが、かなり自尊心が高い人物だとは聞いている。

 イストミア大森林はその名前の通り広大だ。東端と西端はそれぞれサザーランド州の西端とラマール州に属している。離宮から逃亡した際、逃げた瞬間は確実に見られている為、最低限その方向は知られている。

 あの時は出来るだけ遠方に逃げる事を最優先にした為、飛ぶ方向を乱して攪乱するなどという高度な技は出来なかった。だから、可能な限り領邦軍の動きが鈍る場所を選んで着地地点にしたのである。

 

 まぁ、それはここを逃亡場所にした理由の一つに過ぎない。もう一つの理由が”本命”である。

 

()()()()()()()()

 

()()()()。これでも索敵能力には自信があったのですが、それでも確定には至れません。空間の狭間に上手く組み込んでほぼ完璧に隠してありますね。見事というほかありません」

 

「それでも”歪んでる”部分は探り当てたんだろう? 流石はツバキだ。ご褒美に今度お前のワガママを叶えてやろう。俺が社会的に死なない範囲内でな

 

「むぅ、強調されてしまっては仕方ありません。ではこんな下らないゴタゴタを早く終わらせて帝都にでも行きましょうか。久し振りに人目を気にせず買い物をしたいものです」

 

「……そうだな。こんな下らねぇ内戦なんかとっとと終わりにしたいモンだ」

 

 そう呟くと、レイは腰につけていた小物ポーチの中からペンダントの形に加工したとある宝石を取り出す。

 それは、七耀石のどの輝きとも違う、しかし決して異端ではない優しい青白い光を放っていた。

 

「エマから”通行証”を貰っておいてよかったぜ。これがないと永遠に大森林の中を彷徨うところだった」

 

「……少し忸怩たるところはありますが、そうですね。この中の誰もが資格を有していない以上、それだけが頼りです」

 

 行く場所は決まった。行く方法も決まった。であれば後は、陽の光を背に進むしかない。

 

 

 

「行くか。魔女の領域――《隠れ里エリン》に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1





エルデンリングたのちい(小並感)


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魔の森、獣の遊興



■設定22【イストミア大森林】
 エレボニア帝国西部に広がる広大な森林地帯。東部ヴェスティア大森林と並ぶ帝国の自然地帯だが、イストミア大森林には古くから霊的な存在の御伽噺が絶えない。その一つに「イストミアには魔女が棲む」というものがあるが、その真偽を知る者は少ない。

■設定23【霊獣】
 元々長寿な獣が良質な霊脈に接続し、充溢な魔力を体内に内包する事で固有の特殊能力を身に着け、種類によっては物理的な枷からも解き放たれた上位存在。
 積極的に人界に害を及ぼす事は少ないが、霊脈の乱れなどで正気を失い、破壊衝動を抱える事になった際は各地の遊撃士協会や治安維持組織などが鎮圧に向かうのだが、遊撃士協会の場合、基本的にA級以上が出撃する緊急事態となる。




 

 

 

 

 

「あ、レイさん。ちょっといいですか?」

 

「ん? どうしたよ、委員長」

 

 遡る事数ヶ月前。レイたちがルーレの実習から帰ってきた後の事。夕食後の満腹感に浸りながら自室に戻ろうと寮の階段を上がっていた時、不意にエマに背後から声をかけられた。

 またフィーやミリアムの自習の手伝いをして欲しいとかいう頼み事かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。どことなく低かった声色が、真剣さを雄弁に知らせていたからだ。

 

 その日の夜空は良く晴れていた。雲一つなく、導力灯が無くとも視界に困らない程に、満月の光が地面を淡く照らし出していた。

 一説によると、満月の夜は魔力そのものが強く励起するらしい。内包する体内魔力という点では、Ⅶ組のみならず、在校生の中でも他の追随を許さないエマを見ると、その説が真実である事が良く分かる。

 

「随分と調子が良さそうじゃねぇか」

 

「そう、見えますか?」

 

「普段は溢れ出ちまう魔力を制御するためにその眼鏡をかけてるんだろう? 今はそれでも抑えきれてないぞ」

 

 失笑してしまう程に、その才能は大きかった。

 実際、内包魔力では姉であるヴィータにも引けを取らないだろう。否、もしかしたら勝っているかもしれない。

 あの魔女はそれに加えて、術の制御技術と応用技術の精度が頭抜けているのが、百年に一度の天才と言われる所以である。いつかエマもその域に達するかもしれないと考えただけで、僅かに闘争心が疼いてしまう。

 

 無論、そんな野暮ったい感情を表に出す程レイは素人ではない。恐らくは他の人間に聞かれたくはない事なのだろうと彼女を寮の外に連れ出し、トリスタの中心部から少し離れたところで足を止める。

 

「んで? セリーヌは影からご主人様の護衛ってか? 心配しなくても何もしねぇよ」

 

「……アンタはいつも癪に障る事を言うわねぇ」

 

 月光の影にあたるところから静かに姿を現した黒猫は、いつものように悪態をつきながらエマの足元に寄り添う。魔女の使い魔として気位が高く、容易く靡かない性格をしているが、好物であるらしい白身魚を猫が好む味付けで料理したものを食堂の近くに置いておくと、いつの間にかペロリと完食されている辺り、やっぱり猫なんじゃないかと思わなくもない。

 

「未だに警戒されてんのかよ」

 

「アタシみたいなのが居た方が良いでしょう? アンタの経歴を鑑みれば、そのくらいが妥当だと思うけれど?」

 

「違いない。元《執行者》の人間なんて早々簡単に信用するモンじゃあないな」

 

 たかが半年。本来なら人一人の半生を信用に変えるには短すぎる時間だ。

 更に言えば、旧くからエレボニア帝国の裏の部分を見つめ続けてきた”魔女”の一族である。大陸全土で暗躍している《結社》との相性はお世辞にも良くはないだろう。

 無論、レイの方からこの一族に何かをしようという意思は無い。長い年月をかけて古代魔法の全てを統べたと謳われる一族の”長”に会ってみたいという感情はあったが、叶わぬのならばそれでも構わない。

 だが、直後にエマが差し出してきたそれは、レイのその諦観をある意味で裏切るものだった。

 

「お婆ちゃん……我々一族の長から送られて来たものです。これをレイさんにと」

 

 青白く淡く光る宝石。触れずとも、それがかなりの密度の魔力を内包している事は察する事は出来た。

 通常、普通の人間が魔力を外部に晒して魔法を行使する際には大なり小なり”不純物”が混じる。それは大気に僅かに溶け込んでいる自然のマナであったり、体内を循環している氣力であったりと様々だが、ともあれ、純粋な己の魔力だけで魔法を行使する事は無い。

 だがこの宝石に込められているのは、ほぼ純度100%の魔力である。外部の影響をここまで排除した状態の魔力はここまで澄んだ光を放つものなのかと、感心すらできた。

 

「これは”通行証”のようなものです。私たちの生まれ故郷、魔女の眷属が住まう場所《隠れ里エリン》への」

 

「……存在自体は知ってる。ヴィータの奴から何度か聞いたことはあったからな。まさか行く機会が得られるとは思わなかったが」

 

 何故これを俺に? という問いに、しかしエマは申し訳なさそうな顔で首を横に振った。

 

「すみません。私も詳しくは聞かされていないんです。お婆ちゃんの使い魔が手紙と一緒にこの宝石を持ってきたのですが、手紙には『かつて《天剣》と呼ばれた男にこれを渡してくれ』とだけ」

 

 やや遠回しな言い方ではあるが、その特徴であれば自分に手渡されるのは必然であっただろうとレイは思う。

 問題は、何故このタイミングで魔女の長がこれを自分に贈ったのかという事だった。近いうちにエマという案内人抜きで里を訪れなければならない理由があるのだろうか。

 ……ともあれ、これを渡されたという事実だけは頭の片隅に置いておいて損はないだろう。

 

「まぁ、それなら貰っておくよ。あぁ、念のため言っておくけど、悪用はしねぇから安心しろ」

 

「あはは……。でもそれも大丈夫だと思います。レイさんの手に渡る事も考慮して、レイさんの呪力と混ぜ合わせる事で里への入り口の解錠認定となりますので。この状態だとただの綺麗な石でしかないですね」

 

「いや、ンなわけねぇだろ。こんなオーパーツじみた存在(モン)、見る奴が見たら古代遺物(アーティファクト)認定されてもおかしくねぇわ。嫌だぞ、また教会の連中にしつこく追われるのは」

 

 というかいつ自分の呪力の性質を抜き取られたんだと思い、チラリとセリーヌの方を見ると、彼女はプイとそっぽを向いた。

 

「(いやまぁ、別に減るモンじゃねぇからいいけどよ)」

 

 ご丁寧にネックレスの形に加工されたそれを、レイは無造作にポケットに突っ込んだ。

 ある意味では厄介物と言えなくは無いが、いずれ自分の身を助けてくれる品になる可能性もある。今でこそは御守り以上の価値は持たないが、肌身離さず持っていないと効果を発揮しないのであれば、下手な所に飾っておくわけにはいかなかった。

 

「話が終わりなら帰ろうぜ。俺は別に平気だけどよ、冬の夜に長く外に居てお前に風邪でも引かれたら俺が怒られちまう」

 

「ふふっ、そうですね。寮に帰ったら温かい飲み物で暖まりましょうか」

 

「お前も来いセリーヌ。シャロンがお前の寝床用意して待ってるってよ」

 

「アタシは良いわよ。魔女の使い魔は風邪なんて引かないわ」

 

「俺の式神も似たようなモンだが、平気で俺の部屋で酒盛りするし、気付いたら俺のベッドに潜り込んでくるから蹴り飛ばしたりしてるぞ」

 

「……アンタの式神って、相当高位の存在じゃなかったっけ?」

 

「ソレとコレとはまた別の話だ」

 

 何だかんだと言いながら付いてくるセリーヌを横目で見ながら、ポケットに突っ込んだ宝石に触れつつ帰路につく。

 

 

 

 

 ――この宝石が後々、自分とその同行者の人生の岐路に深く関わってくるとは、この時のレイはあまり予想していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 イストミア大森林は、凡そ一般的な「冬の森」とは全く異なる顔を見せる事で良く知られている。

 通常、樹木というものは栄養分が枯渇する冬季になると、樹そのものを生かし続ける為、末端に付けた葉を枯らして散らせる事で栄養を集中化させるのだが、この大森林では冬場でも青々とした葉を付けた木々が乱立している。

 その理由としては、この地の霊脈(レイライン)の豊富さにある。潤沢な高濃度の魔力は大森林の木々に栄養として行き渡り、結果として一年を通して変わらない景色を編み出しているのである。

 

 そしてそれが、レイがセドリックを引き連れて此処に逃げてきた理由の一つでもある。

 

 樹齢数百年を超えるような大樹が珍しくもなく存在するこの大森林の地表部分は、常に青々と茂っている影響で上空からの観測が困難であり、”身を隠す”という点ではかなりの好条件が揃っている。

 故に、この場所には憲兵に追われた犯罪者が逃げ込む事がある。だが、豊富な魔力に包まれたこの場所には、その恩恵を享受する高位の魔獣もまた多く存在する。大半は、数日も保たずに餌になる。そして、そんな魔獣らに対抗できる実力者であっても、時折発生する濃い霧に包まれて、二度と外へは出てこなくなる。

 その事例が重なり合い、今では伝説じみた言い伝えが数多く生まれ、近隣の街や村の子供たちは、何か悪事をする度に親に脅しの意も込めてこの大森林の伝説を吹き込まれる。

 だが、その伝統を継いできた親たちも、まさかと思う事だろう。――父や母、祖母や祖父から教えられたそれらの御伽噺が、それなりに真実味を帯びた話だという事は。

 

 

「ふぅ、ふぅ……はぁ、はぁ……」

 

 セドリック・ライゼ・アルノールは肉体的に脆弱だ。森林を本格的に進み始めて約30分、既に大きく息を切らしていた。

 従者のクルトはその身を案じて、なるべくその負担を肩代わりするような補佐を行っているが、あくまで補佐止まりである。

 

『セドリック、お前はお前の足で進め。誰かに助けてもらうのも良い。補佐してもらうのも良い。でも、進むときは自分の足で進め。そうしなきゃ、何の為に立ち上がったのか分からなくなっちまうだろうからな』

 

 レイはそう言った。セドリックの体力が貧弱な事を理解した上で、である。

 そして、セドリック自身も理解していた。今まで力に憧れ、仰ぎ見るしかできなかった自分が”立ち上がった”次にやる事は”歩き出す”という事。そしてそれすらも出来ないようであれば、今も民を苦しめ続けているこの事態を収める資格など無いという事を。

 

「殿下、お体の方は大丈夫ですか?」

 

「う、うん。大丈夫だよ、クルト。今まで君に助けてもらってたんだから、このくらいは自分でやらなきゃね」

 

 それはある意味で強がりではあったが、本音でもあった。

 クルト・ヴァンダールはセドリックを護るために剣の腕を磨いてきた少年だ。故にクルトがセドリックの助けになるのは当然であり、彼もそれを享受してきた。

 だが、懐刀に寄り掛かったままで良い事が為せるとも思っていなかった。そして鎖のような庇護からすり抜けた今、不謹慎であるとは分かりつつも、自分の足で”前”に進むのが少し楽しくもあったのだ。

 

「(兄上、僕は強くなってみせます。兄上ほどではなくとも、せめて皇座を継ぐ者として、恥ずかしくない程には)」

 

 決意を言葉にするのは勇気があれば誰にでもできる事だ。だからこそセドリックは、その決意と共に足を一歩前へ出す。

 その様子を傍目に見ていたレイは、セドリックに合わせて緩めていた歩みを止めた。そしてそのまま周囲を見渡す。

 

 本来であればこの辺りは、それなりの強さの魔獣たちが闊歩する危険地帯である。だというのに先程から魔獣どころか野生生物の一匹も姿を見せないのは、レイとライアスがセドリックとクルトに気付かれないように周囲に殺気を振り撒き続けているからである。

 今まで数多の闖入者を餌にしてきた魔獣たちも、歴戦の”達人級”と”準達人級”が容赦なく振り撒く殺気に対して前に出る程の蛮勇を犯す事は出来ず、傍から見れば半径十数アージュの範囲だけ凶暴性を持った生物がポッカリいなくなるという奇妙な光景が出来上がっていた。

 

 そんな光景を作り出している当人はと言えば、右手で通行証の宝石を持ったまま首を傾げていた。

 

「ライアス」

 

「どうしたんスか、大将」

 

「ちょっとコッチに来て魔力の流れを探ってくれ。体内に魔力が流れていない俺やツバキじゃこういうのは不得手だ」

 

「了解っす」

 

 そう指示を飛ばしたレイは、その後セドリックとクルトに少し休むよう伝え、ツバキにも周囲の警戒を命じた。

 そうして三人とは少しだけ離れた場所に移動したところで、ライアスが少しだけリラックスした様子で口を開いた。

 

「意外でした」

 

「何がだ?」

 

「大将、Ⅶ組の皆さんにはだいぶ厳しく教えてたみたいでしたから。てっきり殿下にもそうするのかと」

 

「……ようやく立ち上がることができるようになったばかりの雛鳥に、飛んで海を渡る方法を教えてもしょうがねぇだろうが。Ⅶ組(アイツら)は羽ばたけるだけの力はあったからな」

 

 つまるところ、()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 それは、彼の師であるカグヤの指導方針とは全く異なる。彼女の場合は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という前提条件の下様々な指導を行うので、最低限の加減は知っていても容赦というものを知らない。幸い倫理観を始めとした一般常識を義姉(ソフィーヤ)から教わっていたレイは、師のそういった所を反面教師にして今に至っている。

 

 そんなレイの目には、セドリックはまだ鍛えるに値しないと映った。しかしこれは非難しているわけではなく、今はその時ではないと冷静に判断しているだけに過ぎない。

 あのエリオットでさえ、トールズに入学するにあたって体力テストはクリアーしている。今のセドリックがこの域に達していないと判断した以上、下手に無理をさせて身体を壊してしまっては元も子もない。

 

「限界の上限値を少しづつ上げていくのが強くなる秘訣だが、それはそれ相応の上限値を作れてからの話だ。俺がアイツを鍛える事があるのだとしたら、それからだろうな」

 

「……ちゃんと考えてたんっすね」

 

友達(ダチ)が本気で強くなりてぇって思ってんなら、そりゃ真面目に向き合うさ」

 

 アイツらの時と同じようにな、と微笑を浮かべてレイは言う。

 

「それよりも、だ。早く魔力の流れを感知してくれ。俺じゃそこまでは分からん」

 

「つっても、俺だってそこまで魔法適正高いわけじゃないんすよ?」

 

「からっきしな俺よりマシだろ。なに、難しい事じゃねぇ。一番”濃い”なって思うところを指してくれりゃ良いんだ」

 

 現代魔法(アーツ)というのは、個々人で適正というものがある。

 例えばⅦ組ならば、エマ、エリオット、アリサ、マキアス、ユーシスは高い適性を持ち、逆にリィン、ガイウス、ラウラ、フィー、ミリアムなどは適性が低いと言える。

 ここで言うところの”適性が低い”というのは、内包している魔力量が比較的少ないというのもあるが、魔力を練り上げて魔法として撃ち出す際の過程(プロセス)を上手く組み上げられないという意味も含む。つまるところ、魔法を扱う事自体には問題が無くとも、魔法の威力や燃費は適性が高い人間には及ばないという事である。

 故に、魔力の感知能力も、適性が高い人間と比べれば一歩劣る。だが、ここまで魔力が充満している場所であれば、集中した状態であればその”中心部”を読むことくらいは可能である。無論、その感知方法を理解している必要はあるが。

 

 ライアスは地面に膝をつき、両手を地面に当てる。

 掌から流れ出した自身の魔力を霊脈の流れに乗せ、その流れ行く先を探り当てる。魔力の糸を切らせないように集中し続け、幾筋もの汗が頬を伝って顎先から垂れた後、地面から手を離してゆっくりと立ち上がる。

 

「っ――はぁっ、はぁっ」

 

「お前にそこまで息切れさせるか。存外難しかったか?」

 

「あー……霊脈の筋自体は流石に太いんですけどね。何だか意図的に捻じ曲がったり分岐したりしてたりして中心部を探り当てるのが大変でした」

 

「流石にその辺りは魔女の首魁か。それでもやり遂げる辺り、お前も随分腕を上げたんじゃねぇか?」

 

「はは。まだまだっすよ。ウチの戦術魔法分隊(TAS)に見られたら一喝されちまいます」

 

 そう言いながらライアスは少し移動し、少し木々が開けた場所の地面をトントンと踏み抜く。

 

「ここいらじゃ、ここが一番”濃い”と思うっす。つっても、俺が感知した感じ、ここいらに広がる霊脈を強引に曲げて集めてる感じがするんで、意図的に作られた中心点だと思いますけどね」

 

「……成程。この程度の感知も出来ねぇようじゃ里に入る資格も無ぇってか。厳しいこって」

 

 そうなると自分だけでここに来た場合はどうなっていたのだろうかとレイは思う。

 まぁ魔力の流れを読めないだけで、”そこに在るかどうか”くらいは分かるのだから、手あたり次第確かめれば良いのだが、そうなると面倒くさい上に時間が掛かる。

 

「まぁ、この場所で大将がその宝石(通行証)使って道を開けばいいんですね。じゃあ俺ツバキ姐さん呼んで来――」

 

「必要ありませんよ」

 

「うぁ、ビビったぁ」

 

 振り向いた瞬間音もなく目の前に立っていたツバキに対して本気でビビったライアスに、彼女は自前の鉄扇を突きつける。

 

「全く。魔力感知はそれなりになっても、気配感知はまだまだですね。貴方はこれからクルト・ヴァンダールと同じく帝国皇子の護衛役になるのですから、この程度は察知できないと話になりませんよ」

 

「うっ……精進します」

 

 いや諜報部隊隊長(お前)を基準にするのは流石に酷だろうというツッコミがレイの心の中で炸裂したが、敢えて声にはしなかった。

 もしライアスがそれを出来る領域に達したのならば、それは即ち自分と同じ階梯(達人級)に至ったという事でもある。そうなる事が目標の一つでもある以上、確かに()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、そんなツバキの背を追うようにして現れるセドリックとクルト。準備が整ったこと自体は彼女には筒抜けであったようで、呼びに行く手間自体は省けた。

 

「魔女の里、に行くんですよね?」

 

「そうだ。……皇家の方には、魔女の情報なんかはあったりするのか?」

 

「は、はい。といってもやっぱり御伽噺じみたものばかりで、小さい頃はアルフィンと二人でよく母上に読み聞かせて貰ってました」

 

 まさか本当に実在するとは思っていませんでしたけど……と呟くように言うセドリック。

 それもそのはずである。魔女は遥か昔からエレボニアという国を陰から支えてきた存在。始祖は調停者として国を治めてきたアルノール家とはある意味対極にある。

 それ故に、魔女の本質を理解している者は多くはない。セドリックもいずれ知る事になっただろう。それが少し早まったに過ぎない。

 

「それじゃあ、開くぞ」

 

 右手に握った宝石を、ライアスが示した場所に置く。

 手順としては非常に簡素なものだ。しかしそれで充分だったのか、非常に緻密に編まれた魔法陣が4人を囲むように展開する。

 転送用の魔法陣。それは直感的に理解できた。ここまで正確に展開できたのならば、ものの数秒で転移は終わるだろう。そうなれば当面の安全は保障される。そう、当面は。

 

 であるならば――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「行くぞ、ツバキ」

 

「はい、兄上」

 

 そう言って、レイはツバキと共に魔法陣の外へ出た。

 

「れ、レイさん⁉」

 

「大将⁉」

 

 驚愕の声を漏らす二人。クルトも声には出さなかったが、感情としては二人と同じものだっただろう。

 

「何やってんすか、大将‼ もう転移終わりますよ⁉」

 

「だーかーら、さっきツバキに言われたばかりだろうが。もうちょい気配張り巡らせてみろお前」

 

 何を言っているのか、と思いながら、ライアスは気配感知の氣を強く張り巡らせる。すると、僅かに引っ掛かった。荒々しく、暴力的な気配。それが遥か遠方から迫り来ている。 

 

「それなりにデカい氣だ。ここで全員で転移して色々探られたら面倒だ。ここで潰す」

 

「それなら俺も――‼」

 

「アホ言ってんじゃねぇ。皇子の伴回りを得物も持って無ぇクルトだけに任せるつもりか? とっととぶっ潰して行くから、小粋な会話でちょっと間を持たせておけ」

 

「任せましたよ、ライアス」

 

 具体的な命令をする間もなかった。未だに何か言いたげな三人は煌びやかな光と共に別次元へと転送され、その場にはレイとツバキだけが残る。

 静謐な空気に身を委ねるように一息。広域に展開した感知に、その存在は今も引っかかったままだ。

 

「兄上。この野蛮な氣には覚えがあります」

 

「ユーシス達やお前らがオルディスの地下で()ったっていう奴か。お前ら二人が連携して仕留めきれなかったのなら、やっぱり俺が出る案件だなこりゃ」

 

「……良いのですか? ここでライアスに経験を積ませるのも一つの案ではありますが」

 

「お前分かってて言ってるだろ。――それは時と場合によるもんだ」

 

 例えば今この場にレイとライアス、ツバキの三人しかいなかった場合。つまり多少しくじっても逃げる手段を如何様にも講じることができる場合であれば、格上に対して経験を積ませる案も生きてくる。

 だが今は違う。少しのミスが全滅に繋がりかねないのであれば、瞬時に最適解を選ばなければならない。

 

「ツバキ、可能な限りの広域に認識阻害の呪術を。転移術を使ったあの場所を特定させるな」

 

「了解です。加勢はした方がよろしいですか?」

 

「要らねぇ。……と言いたいところだがな。俺の稼働限界が来たら回収だけ頼む。それまでに最低限、追撃が出来ねぇ程度にはボコボコにしておくさ」

 

 ツバキにとっては、それだけの言葉があれば充分だった。瞬時に体内の呪力を励起させて、より広域に拡散させる形に練り上げる。

 

 

「【(うろ)の幻影 湖水の鏡面 霧に揺蕩(たゆた)薄羽(うすば)の舞姫 月に惑う旅人が明けぬ夜にて膝をつく】」

 

 

 ――【幻呪・白狭霧(しらさまぎり)

 

 

 ツバキを中心点にして円形状に広がっていく白い濃霧。効果範囲内に存在する生命体の感覚器官を乱し、正確な地形把握を困難にする呪術である。

 内包呪力こそレイに及ばないツバキだが、呪力の操作術に於いては勝るとも劣らない。故にこの術の効果範囲も広く、おおよそ半径100アージュといったところ。

 とはいえ、この効果範囲を維持するためには流石のツバキであっても並列して戦闘を行うのは厳しいところがある。それでもレイの為ならばと加勢を申し出たが、断られた以上、為すべき役割を為し切るだけである。

 

 

 

 

 地を踏み抜く音。

 それに反応して、レイは《天津凬》の鯉口を切る。一点の曇りもない白刃が、濃霧と同化して輪郭が朧げになる。

 その様子はまるで絵画のように美しいものであったが、残念ながら今ここには、その美しさに目を奪われる者はいない。

 

「――退()け」

 

「断る」

 

 交わされたのは一閃に非ず。力任せに振り抜かれた爪撃四連。それを余波すら抜かせず受けきる。

 なるほどこれはユーシス達(アイツら)が勝ちを拾うにはまだ早いなと、その重さからそう判断する。サラ単身で互角に持ち込めるかどうかといったところだろうか。

 

 その襲撃者はといえば、自身の攻撃が完全に受けきられたことに僅かに眉を顰めながら、ようやくここでレイと目を合わせた。

 

()()()()か、貴様。貴様を喰うのも良いが、今の私の獲物は別にある」

 

「悪いが、それを追わせるわけには行かねぇんでな。俺と遊んで貰うぞ、(けだもの)

 

「――どうやらその顔面から食い千切った方が良いようだな」

 

 思った通り、挑発に対する耐性はゼロに等しい。だが、その傲慢を貫くだけの地力はあると見ていた。

 身体能力の高さに身を任せた超接近戦。恐らくはそれを基準とした戦闘。それは先程の攻撃で読めた。だがそれだけならば、ライアスとツバキが組んだ状態で苦戦するわけはない。

 

 再度仕掛けたのも向こう側。身に纏う侍従服の長いスカートもお構いなしに繰り出される蹴撃。直撃すれば人間の頭蓋くらいならば粉々になるであろう威力のそれが、レイの直上を通過する。鋭すぎて大気ごと剪断したその攻撃は、レイの背後にあった大木をいとも容易く薙ぎ倒した。

 だが、それは彼女にとってはただの通常攻撃に過ぎない。大きく隙を晒す戦技ですらないのだから、すぐに次の攻撃がレイを襲う。

 

 それは、人が獣に対して行う”狩り”とは根本的に異なる戦い方であった。

 精神を律する術も、一撃で仕留めようと氣を伏せる術も、何もかもを無視して単純な”力”で全てを制しようとしてくる。

 それは、魔獣が群れの長を決める際に同族同士で行う殺し合いに似ている。純粋な力による蹂躙。それこそが絶対的な正義だと言わんばかりに。

 

「(だが――)」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 力によるごり押しが通用する程、達人の戦いは甘くない。もしそれを戦法として通用させるのならば、相当尖っていなければ話にならない。……であるはずだが。

 

 

 《八洲天刃流》――【剛の型・薙円(なぎまどか)

 

 

 相手の腰の辺りを狙って放たれる、水平の斬撃。

 下半身を狙ってくるそれを、防御するのは難しい。上半身に向かってくる攻撃を防御する場合、足腰を地面に縫い付けた状態で受け止める事が出来るので、多少の無茶は罷り通る。しかし踏ん張る力を減少させるような場所に飛んできた攻撃は、防御の強度自体が減少してしまう。

 従って、一定以上の身体能力を持つ存在の場合、この技に対する対応策は――

 

 

 《八洲天刃流》――【剛の型・弦月(げんげつ)

 

 

 ()()()()()()()()()。エリシアと手合わせした際にも同じような状況になり、その際にはこのコンボは通用しなかったが、基本初見状態でこの連撃は見抜けない。

 しかしながら、相手の身体を刻んだ手応えが無い。そう思った直後、直上から重力を伴った踵落としが炸裂した。

 

「言うだけはあるな、小僧。疾い技だ。良い戦士と見受ける。忌々しい程にな」

 

 反射的に飛び退き、躱す。ここ暫く雨が降らず、乾ききった土は衝撃で大量の土煙を巻き上げた。

 どうやって自分の技を凌いだのか。視認こそしていなかったが、何となく分かる。

 跳躍して【薙円】を躱した後、【弦月】の技の起こりを視認した直後に全身を捻ってギリギリで回避したのだろう。その捩りと重力を併せて反撃の威力を増大させた手腕は、敵ながら見事と言わざるを得ない。

 

「テメェも存外良い動きしやがる。こっちが今隻腕っていう要素を差っ引いても、今の連撃で肩肉くらいは削げると思ったんだがな」

 

 直情的な動きで迫って来たかと思いきや、絶妙なバランスで超常的な直感が働いている。そして、その直感をすぐに肉体運動に反映できるだけの身体能力がある。

 成程、厄介だ。難なく三次元的な戦闘を行ってくることもだが、動きを完全に読み切るまでに少しばかり時間が掛かる。加えるならば、その時間を取らせないだけの怒濤の攻めが得意と来た。

 

 オルディスでの戦闘では慢心していたのだろう。所詮は格下と侮って戦い、そしてマキアスに一泡吹かせられた。

 だが今、そのような様子は見られない。レイが最初の攻撃でその力を大体理解したように、あちらもまたレイの力量を本能的に理解したのだろう。

 

 本来であればじっくりとこの戦闘に身を慣らしたいところではあるが、今現在のレイにそんな余裕はない。

 戦闘開始からおよそ一分。戦闘状態に移行したことにより、氣力と共に、左肩口付近に根付いた悪性呪力も励起し始める。

 愛刀を一度振り抜く度に全身を駆け巡る痛み。その程度なら意図的に無視できる。だが、この状態が長く続けばいずれは神経帯まで侵食し、指一本すら動かせなくなる。――《医療班》班長アスティアの言葉が、何度も脳内で反芻される。

 結果として、戦闘の全てで短期戦を強いられるというのは厄介ではある。元々《八洲天刃流》という剣術そのものは超短期決戦を想定して作られたものではあるのだが、レイ個人の戦い方がそれと完全に噛み合っているかといえばNoだ。

 というよりも師が大抵の相手を一刀で倒せてしまうために、弟子がその煽りを食っていると言うべきか。

 

「(まぁ、それならそれでやりようはあるか)」

 

 それでも、勝ちを拾えないかと言えば首を横に振る。

 相手の直感が尖っているというのならば、それを利用すれば良いだけの事。

 

 

「スフィータだ。小僧、貴様の名前は覚えておいてやる。それだけの価値はありそうだ」

 

「レイ・クレイドル。なんだお前、動きはまるっきり獣のクセに、戦士の礼儀は心得てやがるのか」

 

「雑魚を喰っても多少の腹の足しにしかならん。貴様も日々口にする食い物の名前など気にも留めんだろう?」

 

「俺は違うと?」

 

「強い奴を喰う時は、名を思い出しながら牙で千切り、咀嚼する。それが私が母から教わった(ほま)れだ」

 

 地を蹴る音と共に、スフィータの姿が消える。周囲に無数に生える木々の全てを足場に、縦横無尽に駆け巡る。

 その戦い方に、レイはかつての親友(ヨシュア)を幻視した。こうした場合、先のカレル離宮での戦いとはまた別の意味で視界に頼るのは悪手になる。

 

 舞い散る木の葉に紛れて飛んで来る攻撃を凌ぐために長刀を振るう。傍から見れば防戦一方。攻勢に転じる隙すらないように思えてしまう。

 スフィータもそう捉えたのか、多方面からの攻撃で防御が追い付かなくなった隙を狙って一息に喉笛を掻っ切ろうと、大木の幹を蹴って超速の滑空を開始する。

 

「ッ――⁉⁉」

 

 しかしその直後、スフィータの敏感すぎる直感の琴線に、明確な”死”が触れた。

 思考より先に腕が動く。骨が軋む程の速さで無理矢理爪の攻撃を挟み込むと、何もなかった筈の虚空から刃の軌跡が飛び出し、スフィータの指間を斬り裂く。

 

「なに、をしたッ‼」

 

 激昂したスフィータは、しかし既に視界の先にレイがいない事を認識する。

 

「貰うぞ」

 

 背後からの白刃の一閃。その磨き上げられた刃は(あやま)たずその右腕を斬り落とした。

 レイとしては首を狙った一閃だったのだが、激昂してもなお、その直感は健在であったらしい。未だ血が迸る腕を剣線に挟み込み、腕を代償に即死を免れた。マジかよ、と思わず口にしそうになるほどに、その咄嗟の判断は見事だったと言える。

 

 

 《八洲天刃流》――【剛の型・影裂刃(かげさくば)

 

 

 この技を端的に表すのならば、”設置型の不可視の刃”である。

 通常攻撃の合間にこの技を虚空に忍ばせ、気付かず接近する対象を刻む。初見殺しという点では先程の【薙円】【弦月】以上であり、まず無傷のままで気付かれることは無い。

 とはいえ、理性と暴性が完全に同居している達人相手には気付かれることもあり、場合によっては自分の行動範囲を狭める事にもなり得るので、一定以上の存在を相手にする際はピンポイントで引っ掛ける時に打つ技である。

 

 あわよくばこの技で深手を負わせたかったが、予想通りそう上手くは行かなかった。だからこそ自分自身が振るう刃で戦いを終わらせようとしたのだが、それですら仕留めきれなかった。

 だが自分と同じように隻腕にしてしまえば流石に攻撃頻度自体は落ちるだろうと踏んでいたのだが――。

 

 

「……おいおい、マジか」

 

 ()()()()()。否、この表現は正しくはないだろう。どちらかと言えば()()()()と表すべきか。

 斬り落とした腕は今も地面に落ちたまま。しかし斬った右腕の断面から、数秒もしない内に無傷の腕が発光と共に現れた。

 

 普通の生物ではありえない現象だ。だが、マキアスに渡した魔獣特攻の『カースバレット』が突き刺さったという事は、彼女もまた人の形をしているだけの人外であるという事だろう。

 加えてこの場所に充溢する上質な魔力。それらが噛み合って表れた()()()()だとするならば、まぁ一応理解はできる。

 

 レイ自身、《結社》時代に常識では推し量れないトンデモ現象を幾つも体験してきた身だ。今更腕の一つや二つ虚空から現れたところで思考が止まる程驚きはしない。

 それよりも見るべきは、腕を斬り落とされてからのスフィータの様子だった。

 

フーッ、フーッ、フーッ

 

 果たしてそれ以上の怒りをぶつけてくるかと思ったが、まさか言語能力が吹き飛ぶほどであるとは思わなかった。

 とはいえ、である。元より精神的にこちらを揺さぶるような目的で口を開いていたわけではない。であれば、意思疎通の有無など今更意味を為さない。

 

GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――ッッッッ‼‼‼‼‼

 

「ハッ、正真正銘(けだもの)みてぇな咆哮だな。この程度で正気を失うなよ」

 

 天に向かって吐き出される音の塊。腰まで伸びた銀色の髪は逆立ち、当初から鋭かった金色の獣眼は更にその力強さを増している。

 その圧は、もはや大抵の生物を地に伏せさせるだけのものであった。生物の本能を殴りつけ、頭を垂れさせるだけの力があった。

 

 だが足りない。レイにはそれだけでは足りない。存在する位相すら異なる程の高位存在と殺し合う経験を経たのであれば、この程度の耐性は付くものである。

 戦いはここからが本番。斬った先から瞬時に欠損部分が”発生”するというのなら、このまま戦い続けたところでこちらのタイムリミットが徒に近づいてくるだけだ。

 で、あるならば――。

 

「(それじゃあ使うか。最後の奥義を)」

 

 【剛天・天羽々斬(あめのはばきり)】、【閃天・十束剣(とつかのつるぎ)】と並ぶ奥義。

 《結社》時代に使ったのを最後に封印していた極みの技を、開帳する瞬間がやって来た。

 

 

 

 

 

 



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