最強ノ一振り (AG_argentum)
しおりを挟む

本編
#000000→#□□□□□□


ハッキリ言えば前置き

最後の方に少しだけのワートリ 要素があります


 昏い、不思議な世界で目が覚めた。

 

 

 この世界は例えるならば宇宙のような世界だった。

 

 ただ、この世界の景色はまさに“闇”そのものだ。光は一切感じない。先ほどこの世界を宇宙と例えたがここが唯一の相違点だ。

 宇宙なら太陽を始め、多くの星々が命を燃やしながら光を放っている。

 なのにこの世界ときたら一切光は感じ取れない。

 

 世界に、地球に物理的な光が届かない場所は無いといわれているのに。

 ホントかどうか知らないが少なくともここはどうも光が届いてない世界だ。

 

 だから自分はこの世界を“不思議な世界”と名付けることにした。

 

 

 ======

 

 “不思議な世界”での自分は──先ほどのこの世界は宇宙みたいなものという表現に乗っとれば──スペースデブリのようなものだった。

 

 地に足がついているような感覚はなく浮いているような感覚の方が強い。そもそも“不思議な世界”に地面がある気配は全くない。

 

 あと一つ。世界に変化があった。

 

 音が聞こえてきた、ものすごい小さい。ようやっと聞こえてくるような、そんな音が。

 

 少しでも意識が移ろえば聞こえなくなるような音でその上やけに規則的なリズムで聞こえてくる。

 

 この“不思議な世界”では今、自分とそのか細い音だけが存在していた。

 

 

 =======

 =======

 

 ただ漫然と時間が過ぎていった。多分、ではあるが。

 

 この世界で存在を主張する、微かに聞こえる音。何度か聞き漏らしたものの取り敢えずは100度ほど聞き届けててそれをもって時間が経過した、と自分で決定付けた。

 

(そういえばなぜ自分はこんな世界に居るのだろう)

 

 一瞬、思考がそれにとらわれると、先ほどまで聞こえていた音は耳に届かなくなった。

 

 今更ながらようやっと気づいた。この世界は気持ち悪い。理屈においても、本能的にも。とにかく気持ち悪かった。

 

 理屈で言えばこの宇宙みたいな世界にいるのはそもそもおかしい事だし。

 本能的なことでは気持ち悪いの一言で済むのだがあえて理屈をそこにつけるならこの昏さが怖い。そこからくる気持ち悪さだと思う。

 

 それに、だ。

 

 どうやらこんなことにも今まで気がついていなかったようだ。気がおかしくなりそうになる。はっきり言って今までの自分はどうしてこの“不思議な世界”で平然としていたのか理解できないぐらいに。

 

 この昏闇の世界と同化していて身体はまず見えない。そして()()()()。右手がここにある。胴体はそれに連なっていて、そこを超えると左手がある。それはわかる。それらの()()()は感じ取れる。

 

 だがそこまでだ。それ以上は感じれない。()()は確認できない。

 

 右手で左腕を握ろうと動かす。動いている。確かに自分は右手を動かしている。だが、握れない。触れれない。

 右手が左腕のある場所に至ってもまるで自分は幽霊なのか、手と腕は干渉しあわないように通り過ぎている。

 もう一度、今度は右手で胸に手を当てようと動かしてみる。

 しかし、先程と変わらないように右腕は痛みのないまま胸部を透過していた。

 

 要するに、手応えがない。感触というのを実感できなかった。

 体は闇に飲まれてて、見えもしないし、触れれもしない。これは存在すると考えていいのだろうか。

 

(なんだこの世界は。どういう理屈だ。何故ここに居る。いつからここに居る。どうやってここに来た。()()()()()()()()()()

 

 今更ながらに浮かんだ疑問の答えを見つけようと試みる。が、どれだけ時間を使おうとうまく考えがまとめられない。何かを思い出そうとしてももやがかかったみたいで浮かばない。ここで覚めた時から前が思い出せない。

 

 疑問に答えもそこに至るための過程も見つけれないままどんどん時間だけが過ぎていく。

 

 そして

 

(飽きた)

 

 答えの手掛かりすらみつからない問いに諦めを感じ、仕方ないからさっきと同じように...

 

(⁇。 ...。 !?)

 

 自分がなぜここにいるのを先程まで考えていた。それは覚えている。

 だがその前。

 

()()()()()()()()()

 

 思い出せない。何をしていたのか思い出せない。

 何をしていた。何かはしていた。だがその内容が思い出せない。

 この世界には何があった。何かはあった。自分の体のような不確かなものではない。確かに存在を主張していたものがあったはずだ。

 

 思い出そうとする。思い出すことを試みる。しかし。

 思考はどんどんと鈍くなる。沼に沈んでいくように思考は鈍化する。

 

(だめだ。眠ろう)

 

 鈍くなっていく思考の活性化には成功せず、気分に身を任せる。

 目を瞑るという実感こそやはり無いがこのまま意識を手放すようにしていけばいずれ眠りに就き、やがて夢をみれるだろう。

 

(ああ、なるほど。夢か)

 

 眠りに就こうとする前にしていたことは()()()()()()()()が、それの答えにはきっと『夢』という答えが当てはまりそうだった。そんな気がした。

 

 そして意識を完全に手放そうとした直前で

 

今寝ちゃ二度と起きれませんよ

 

 世界にノイズ()が響いた。。

 

(そうだ、音だ。音を聞いていたんだ)

 

 そして確かにそれを感じ取った。

 世界に奔った僅かなノイズ()。それが忘れかけていたものを思い出させる。

 自分は眠ろうとする前、どうしてこの世界に自分はいるのか、ここはどこかと悩み、さらにその前は僅かな音に耳を澄ませ聞いていた、ということを。

 微睡みかけていた意識は冷や水を浴びせられたみたいにはっきりと目覚める。

 

 そしてはっきりとした意識は確かに、この不思議な世界の変化を捉えた。

 

(光だ)

 

 真っ昏な世界に、まるで雨雲の間から陽の光が僅かに射すように一点だけ光輝いていた。

 

 そして自分の不確かな存在の手が、体が、意識がそこ()に向かって近付こうと試みる。

 

 そこに理屈はない。ただ光に近づく事こそがこの怖い、昏い世界から抜け出す(すべ)である。

 そう、先程のが教えてくれたような気がして、そう感じ取って。

 

 必死に、必死にそこへ近づく。 近づくにつれに光は大きくなっていく。

 

 近づいている、確実に。 近づくにつれ光は輝きを増していく。

 

 それと同時にこの世界に常に存在した音もそのボリュームを大きくしていく。

 

 そして光が眩しいと思えるほどの距離に近づいてようやっと...

 

 

 

 

 

 =======

 

「ああ、やっと起きてくれた」

 

 目蓋を開けた、という()()があった。

 視界はかなり霞んでいる。見えたのは白一色だ。

 匂ったのは鼻を突くような鋭さを持った薬品のような匂い。

 聞こえてきたのは、呼吸にあわせてなる電子音の規則的な音で。

 肌に触れたのはしっとりとした手触りの布の感触。

 

 それでなんとなくだが、あの世界から脱出したんだ、と思い込んだ。

 

「おはようです、響さん」

 

 そして(ノイズ)は自分の真横から。男の声ではっきりと聞こえてきた。

 

 声がした方向に首を捻る。人物は窓か扉かを背にする形で隣に座っているようで人物の後ろには白以外の色が見えてその方向からは肌をかすかに撫でる風が吹いているようだった。

 

 視界は未だに霞んでいる。だがその人物の容姿を少しばかり捉えることはできた。浅葱色よりも濃い服を着ており、レンズが一風変わった色合いの・・・サングラスだろうか、とにかくメガネの様なものが首元にある。髪型はサイドを残しつつも、前髪を後ろに持っていっている様に見えた。

 

 未だに顔の細部はぼやけて見えない。

 

「いや〜、大変だったんですよ。響さんが寝込んじゃってから太刀川さんの様子とか、ホント酷かったんですし、ザキもかなり泣いて。あ、今お医者さん呼びますね」

 

 声からして若いほうか。いや、もしかすれば自分よりも年上の人かもしれない。気さくな声でこちらに語り続けながらゴソゴソと自分の周りで動き回る。

 

 彼の顔はまだ少しだけ見えづらい。

 

「あ、あ、あ」

 

 

 声を出そうとしてみたが何故だか喉と舌が痛んだ。ヒリヒリするし、もつれそうだ。が、声を出すのにはギリギリ支障はなさそうだ。

 

 人物は自分が呻きをあげると先程とは打って変わって静かに、耳を傾けてくれて。この空間は自分が呼吸する度になる電子音だけが響く静寂から一歩だけはみ出た空間に生まれ変わった。

 

 だから気兼ねなく、ゆっくりと

 

「あな...た..だれ」

 

()()()()青年に自分、来栖(くるす)(ひびき)はそう問いを投げ静寂を更に遠ざける。

 

 ようやくはっきりとした視界には青年の驚愕に染まった相貌を確かに映していた。

 

 

 =======

 

 ── 昏い、昏い世界から。鮮やかな極彩色の世界へ。──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"Rip Van Winkle?"ー①

ここからある意味本編


「この未来は・・・想像してなかったな」

 

 青年、迅悠一は病室に備え付けのナースコールを押し終えた後、咄嗟に呟いてしまった。

 

 迅の目の前、病床に伏し、虚ろげながらもこちらを見ていた来栖から放たれた言葉は古今東西、()()状況の人間ならばまず一声がコレ、といったようなある意味ありきたりなものだった。

 

 突き付けられた言葉が副作用(サイドエフェクト)によって見えていた未来の持つ意味を変える。

 

 可能性が迅の鼓動を一気に速くする。ほぼ無音に近い病室ではいっそう自分の心臓の音が大きく感じ取れた。

 

(落ち着け、来栖さんはきっと京介みたいに冗談を言ってるんだ)

 

()()()()()()()。迅の知る来栖響は普段は飄々としていたが真面目な場面ではそんなつまらない言葉(ウソ)は発しない。迅はそれを嫌という程知っていた。

 

 それでも。

 

 それでも一縷の望みにかけて言葉を。そんな訳があることを。「何言ってんですかも〜」と発すればきっと彼は「あ、バレた?」などといってこちらの不安を取り除いてくれるだろう。きっと空気が読めずにそんなことを(うそぶ)いているんだと。でも、言おう。言おう。と、迅がどれだけ思おうと喉元のすんでのところで詰まってしまう。来栖からの返答がそうではなかった時のことを考えてしまって。

 

 やっと。やっと決心してそう言おうとしたところで自分と彼の向こう側にある入り口に闖入者は現れた。

 

「は〜い、どーされました・・・か。せ、先生〜〜!!!」

 

 先程押したナースコールによって担当の看護師が病室にタイミング悪く駆けつけて来た。

 その看護師は一旦病室に入ってすわ何事か、と2年間昏睡状態で眠り続けていた患者を見てみれば固く閉じられていた目蓋は僅かに開かれその奥からは黒が見えた。

 それだけで看護師は患者の急激な変化を感じ取りすぐさま担当医を呼びに声をあげながら慌ただしい様子できびすを返し走り出していく。

 

 まるで嵐のような看護師だ。そのせいで患者(来栖)は呆然としてしまい、迅は決心が折られてしまい担当医が来るまで一言も言葉を発することが出来なかった。

 

 迅の決心は折られ、今こちらに向かっているであろう担当医が来るまでの間、副作用(サイドエフェクト)によって見えていた可能性の一つ、泣き崩れている自身の未来が歓喜から絶望へとその在り方を変えた。

 

 

 =======

 

 白衣を着た医者と思わしき男性が慌てて部屋に入って来る。

 そして来栖を見るとまるで信じられないものを見たかの様な顔つきに変わった。

 

「来栖響さん、ですよね」

 

 医者はあえて確認する様に来栖へ質問をしてきた。

 

 来栖は声で応答しようとしたのだが先程声を出した時の喉のヒリヒリ感をまた味わう、というのは嫌だったので大変申し訳ないと内心思いながら横になったままで頷いてみせる。

 

 すると医者は大袈裟と思うほど、息を呑んだ。

 

「と、取り敢えずCTとMRI。あと車椅子も。準備頼む」

 

「は、はい!」

 

 途端、医者は一旦落ち着こうともせずに側にいた看護師に指示を出す。

 

 そして次にこちらの方を向いて来栖の隣にいる、医者にとっては奥にいる迅に向けて言葉を投げた。

 

「ああ、迅くん。久しぶりだね。悪いんだが基地への連絡はそちらに任せてもいいかい」

 

「ええ構いませんよ」

 

「あと済まないんだが色々と頼みたいんだが」

 

「ええ、分かりました」

 

 

 そんな会話が来栖に関係なく続いていたのだが。

 

 (やっぱり知らない人だよな)

 

 迅の名前を聞いて来栖はそんな風に思ってしまう。起きて早々、ぼんやりとしていたせいもあって隣にいた迅にかなり失礼な発言をしたという実感で来栖は自己嫌悪に苛まれていた。

 

 ただ来栖は口にこそ喉の痛みで出せないが言い訳がましく内にて多弁になっていた。

 まず”じん”という名前は苗字にしたって珍しそうな方だから一度会ったらきっと忘れそうなものでもない。そんな人物がいたかどうか来栖は記憶を遡ってみるがやはり思い当たる人間はいなかった。

 

 取り敢えず来栖は医者が呼んでいたのにあやかって”ジンさん”と呼ぶ事に決めた。

 

 (つーかなんで俺病院っぽいところにいるんだ?)

 

 白衣の医者に白色のワンピースを着込んだ看護師。清潔さを過剰に感じさせる白一辺倒なこの部屋。おまけに来栖の格好は着脱が容易な薄い青の甚平型病衣だし腕と胸元にはいくつか管が繋がれてその先には計測用のモニターらしき機器と点滴が吊り下げられていた。

 これだけの状況なら嫌でもここが病院だとは気づく。

 

 来栖にとっての問題はその次。なんでここにいるか、だった。

 

「それじゃあ来栖さん。用意ができたのでこちらに」

 

 来栖は声が掛けられたので思考にふけるのを中断して首をゆっくり左右に振って周りを見てみる。

 

 来栖が考え込んでいる間に医者の方も色々していたようだ。

 迅と医者のあの後来栖を挟んで続いていた会話はもう終わっていたし、指示を出された若い看護師ではない別の厳格そうな看護師が手押しの車椅子のハンドルに手をかけて病室の入り口にて待機していた。

 

 医者の手がベットと来栖の背の間に添えられて上体が起こされる。そして医者は素早くベットに取り付けられていた転落防止のベットガードを取り外し、看護師は押して来た車椅子を側に寄せた。

 

 医者は何も言わなかったが乗れ、ということらしい。

 

 来栖はバカにするなと思った。いつの間に病院で寝る羽目になっていたかは知らないがこれに乗るほどではない、自分で歩ける。とまずはベットから降りようと両手をついて体を捻る。が、しかし。

 

 どっと疲れた。全身、特に体重をかけた両手がこれまでに味わった事のないほどの疲労感とズキリと刺すような激痛に来栖は襲われる。思わず来栖は苦虫を噛み潰したような顔に変え、痛みが一際強かった腕を見てみれはすぐさましかめっ面から驚愕に早変わりした。

 

 今まで布団が被され、見えていなかったその腕は木の枝程の細さと例えても違和感が無いほど、下手にさわれば折れてしまいそうなものだった。

 

 何故自分の腕はこんな風になっているか、思わず来栖は車椅子に乗るのを待っている医者に向かって怪訝な顔をしてしまう。医者はそれになんの反応も返さない。ただただ来栖を観察するだけだった。

 

 来栖はこの疲労感・痛みと自分のプライドを秤にかけた結果。取り敢えず、納得はいかなかったが車椅子に甘んじさせてもらうことに決めた。

 

 

 =======

 

 来栖が車椅子に乗ってからは移動の連続だった。部屋については寝っ転がり機械に通され、終わってはまた別の部屋に行き機械に通される。そこに休憩は一切ない。

 

本当に疲れた

 

 来栖は誰にも聞こえないような小声で最後の検査を終え、担当医が来るのを診察室で待つ間呟いたが無理もなかった。

 

 来栖が車椅子に乗せられて病室を出てからおおよそ2時間。CTにMRI。視力検査に聴力検査。味のする紙を舐めさせられたり、匂いのする棒を嗅がされたりした。

 特に来栖が苦労したのはCTとMRIで検査台に登る際。看護師は手を貸してくれたが関節部は火傷してしまいそうなくらいの熱を持っていてとにかく全身至る所辛かった。また検査台から下りる際には自立できないほど膝が震えてしまいその様子は産まれたての子鹿そのもので、ギリギリ看護師が手を伸ばしてくれなければそのまま尻餅をついていただろう。

 

 

 来栖は連続する検査に疲れ切ってしまってさっさと眠りたかった。

 看護師さんに検査室の前で「次で最後の検査です」って言われたときはそれはもう感極まった。来栖の頭の中はほんとなんで病院にいつの間に居て、こんなめんどくさい検査をいくつもしなくちゃいけないのかといった疑問で埋め尽くされていたがまず終わる。そう来栖は思った。思い込んでしまった。

 

 最後の検査室から車椅子に乗って出た来栖は清々しい気分だった。例えるならば試験が終わった瞬間の開放感。山のようにあった大量の課題が終わった達成感。兎にも角にも晴れ晴れとした感情に満ち溢れた。

 

 ただ来栖の感動は看護師の一言で感情の空模様は晴天から鈍色に染め変えられる。

 

「それでは最後に診察室に向かいましょう」

 

「マジですか?」

 

「マジです」

 

 来栖は口許を引きつらせながら振り向いて看護師に問うてみたが看護師はこちらを一瞥もせず無表情で返答した。例えるならば追試を告げられた時の虚無感。終わったはずの課題が実はあと数ページあった時の絶望感。来栖は病院なのでやめたがクソッタレ! と天に思い切り叫びたくなった。

 

 これ絶対長いヤツですよね、勘弁してほしいとも来栖は思ったが今の自分はまな板の上の鯉ならぬ車椅子に乗せられた来栖響。

 拒否権は無く押されるがままにこうして診察室へと連れていかれた。

 

 そして目的地である診察室の前までたどり着けば扉の側で迅が待っていた。

 迅は車椅子が通れるようスライド式のドアを引き、来栖を乗せた車椅子が病室に入った後、外で待たず続くように入室する。

 

 来栖は何も言わずに診察室に続いた迅の気配を足音から感じ取り、苦言を呈そうとしたがちょっと待て、とギリギリ口に出すのを思い留まる。部外者であるはずの迅を看護師は咎めなかった。その為来栖は迅を病院の関係者かそれに近しい存在と判断し、口に出すのはやめておく事にした結果冒頭の発言に戻る。

 

「それでは問診を始めさせてもらいますね」

 

 医者に向かって待ち人来たると言うのはいささか不吉な言い回しだが奥から先ほどの検査で撮られたであろ資料をいくつか持って医者は来栖の前にある椅子に腰掛けた。

 

「ではまず自己紹介から。自分は三門市立総合病院、脳神経外科所属の狭間(はざま)黒男、と申します。申し訳ありませんが貴方のお名前と生年月日、年齢や身長等教えて頂けませんか」

 

 医者は胸元にぶら下がった写真付きの吊り下げ名刺を来栖に見せながらそう言った。

 

 来栖はその自己紹介を聞いてなんかスゲー名医っぽい名前してんなこの人、なんて思いもしてなんでそんな質問を、と疑問を抱いたが言われた通りに自己紹介を始める。

 

「えっと・・・。 名前は来栖響。生年月日は19XX年の9月9日生まれのおおかみ座。歳は16歳。身長は、確か171.1cm。体重は」

 

「ちょ、ちょっと待ってください」

 

「へ?」

 

 来栖は問題なくスラスラと言えていたはずの自己紹介にストップをかけられ首を傾げてしまう。特に問題と言えるようなものもないはずだ。

 

「申し訳ありませんがもう一度。生年月日からお願いします」

 

「はあ。19XX年の9月9日のおおかみ座。16歳で身長は171.1cm。体重が65.4kg、です」

 

 来栖が言い終わると狭間は息を呑んでいた。この人息飲み過ぎじゃないか? なんて呑気なことを考えている来栖とは対照的に真面目な声色で狭間は「来栖さん、落ち着いてお答え下さい」なんて前置きを置いてから患者(来栖)に話しかけてくる。

 

「どうして病院にいるか分かりますか?」

 

「いや、分かりません」

 

 それこそ来栖が起きてからずっと抱いている疑問だ。こっちが聞きたいと思ってしまう。

 

「“ボーダー"という名前に何か心当たりは?」

 

 境界(ボーダー)? なんでそんな英単語が急に出てくるんだろうかと来栖は思いもしたが首を振って否定してみせた。

 

「では昨日の日付は? 西暦何年の何月何日ですか?」

 

 なんだ? この意図の読めない質問は? 来栖の中に疑心暗鬼が生まれる。まるで嵐の前の静けさ。先程までに抱いていた呑気さを来栖は捨て去った。

 

「西暦20ZZ年。5月の・・・あれ?」

 

 そこで詰まった。日付が出てこない。

 

 

 来栖に焦りが生まれる。難しくない行為のはずなのに。昨日の日付なんてすぐに思い出せるはずなのに。それが遠い昔に感じる。全く思い出せない。来栖の焦りは加速する。思い返せば容易いはずの行為が全く出来ない。声を出す事も。立つ事、歩く事。そして思い出す事も。

 

 昨日まで出来てた行為が急に出来なくなっている。

 

 何故だ。何故できない。異常だ。こんなことは異常だ。焦りが焦りを生み、来栖の冷静さは焦りという名の重りによってどんどん沈んでいく。

 

 それにつられるよう知らぬ間に息がどんどん荒くなっていく。息を吸うなんて簡単な事なのに。今の来栖響(自分)にはそれすらにも疲労が伴ってしまう、苦しく感じてしまう。来栖は自分の肺辺りが燃えるように熱くなるのを感じる。

 

 来栖の体は吸い寄せられるように床へと近づいていく。来栖の視界はどんどん狭くなって、暗くなっていった。

 

「…………るすさん! 来栖さん! しっかりして下さい、来栖さん!」

 

 耳をつんざくような声で来栖は視界の光と広さをなんとか取り戻す。

 狭間の顔が来栖の真横にあった。狭間は前のめりになって倒れそうな来栖を全身で受け止めているという体勢だ。ゼーハーゼーハーと来栖の呼吸はわかりやすい程に荒れていた。

 

 そこから狭間は僅かに顔を離し来栖の肩を両手で引き続き支えながら視線を合わせ、落ち着き払った声で来栖に語りかけてきた。

 

「来栖さん。ゆっくりで構いません。ゆっっくり息を吸って下さい」

 

 狭間の指示に従って来栖はゆっくり息を吸う。そして、吐く。それを何度か繰り返した。

 そうすると長距離走りきった後みたいに肩を上下させていた来栖の呼吸のリズムは徐々に穏やかさを取り戻していく。

 

 来栖は徐々に息が整っていく中で水を飲みたいと思ってしまう。荒い息遣いのせいで喉が乾いてしまいマシだったヒリつきがぶり返した為だ。振り返ればあの病室からここに来るまでに一滴も水を口にしていない。喉を潤したいと来栖が渇望した矢先に救いは現れた。

 

「どうぞ」

 

 そんな声と共に来栖の真横にはペットボトルが差し出されていた。後ろに先ほどから控えている迅による行為だ。ペットボトルのラベルには”お〜い清水”と印刷されておりそれからは透明な、来栖がまさにいま望んでいた存在である水が封入されていた。

 

「いいですよね」

 

「構いません」

 

 迅は念の為に狭間に確認を取っていたが来栖はそんなことは全く気にも留めずに無理やりひったくるような形で迅の持っているペットボトルを掻っさらいタブを捻って飲み干すような勢いでがぶ飲みする。

 

 注がれた冷たい水は確かに、しっかりと来栖の喉を潤し、ペットボトルの容積が半分になったくらいで口を遠ざけた。

 

 来栖ははぁ、と満足感を表すよう息を吐く。ただの水にえも言われぬ感動を来栖は覚えてしまった。

 

「あっ、ごめんなさい」

 

「いえいえ、実力派エリートなのでお気になさらず」

 

 先ほどの礼を言わずのひったくり紛いな行動に対し来栖は体をよじって謝罪する。本来ならば向き合って、が筋だと思ったのだが車椅子に乗っている都合上、仕方がなかった。

 実力派エリート、迅は全く気を悪くした様子を来栖に見せず朗らかに笑って見せた。

 

「んんっ」

 

 狭間の咳払いだった。

 来栖はもらったペットボトルを手に持ったまま、姿勢を戻し対面する。

 

 そして先刻──息が荒れる前──と同じ声で狭間は質問してきた。

 

「来栖さん、ここがどこか分かりますか?」

 

「三門市立の総合病院」

 

「私の名前は?」

 

「狭間先生。狭間黒男先生」

 

「気分の方は?」

 

「もう、大丈夫です」

 

 狭間の気遣いが来栖に染み渡った。しかし来栖は迅からもらった水を飲んだおかげでだいぶ冷静さを取り戻すことができた。

 

「では来栖さん。色々不可解に感じているかも知れませんが一つ一つ、説明させて頂きます。気分が悪くなったりしたら遠慮なく仰って下さい。後日に変更しますので」

 

 了解のサインとして来栖は頷いてみせる。

 ようやくこの異常に説明がつけられる。来栖の中ではある種の安堵が訪れた。早く早く、と気が急く。きっと良いニュースではない。それでも来栖はこの違和感に決着をつけたかったのだ。

 

「ではまず、あなたがどうして病院にいるのかについて。あなたは今からおおよそ一年と半年ほど前に交通事故に遭い意識不明の状態でここに運び込まれました。身に覚えは?」

 

 交通事故? 来栖には全く身に覚えがない出来事だった為、首を振って否定する。

 

「てことは今俺、18歳、ってことですか?」

 

 事故があったのは20ZZ年の5月だとしてそこから足すことの一年半。計算すればおそらく自分は18歳になっているはずだ。与えられた情報を元に来栖は推測を口にする。

 

 しかし今度は狭間がかぶりを振ってそれを否定してきた。

 

「いいえ。貴方は現在21歳です」

 

 その回答に来栖は訳がわからなくなる。それでは辻褄が合わない。

 

「来栖さんが事故に遭ったのは20WW年の2月頃のことです」

 

「えっ。てことは」

 

 来栖の前提が狭間によって覆される。来栖のズレていた認識(辻褄)がピタリと当てはまる。20WW年の2月。その時の来栖の年齢は、

 

「つまり貴方が当時19歳の時に当院に運び込まれました。来栖さん。今日の日付は20VV年の9月17日なんです」

 

 目の前の狭間によって暴かれた。続けるよう狭間は事実を来栖響に告げる。

 

「来栖さん。今の貴方の状況は記憶の一部混濁が見受けられます。症状の病名としては解離性記憶健忘。俗に言う記憶喪失かと」

 

「はぁ?」

 

 来栖は知らずのうちに変な声がでた。

 




要するにな時系列整理

【挿絵表示】






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"Rip Van Winkle?"ー②

前話と同じやつです


【挿絵表示】


==

ー追記ー

いくつかの点を修正しました。


「はぁ?」

 

 来栖の後ろに控えていた迅はその情けない、戸惑いの声を聞き逃さなかった。

 

来栖の担当医。狭間黒男は患者(来栖)の反応を確かめる為に一旦そこで会話をやめる。

 

 そしてその患者(来栖)はというと迅の目からわかるほど先ほどの過呼吸ほど狼狽した様子ではないが背後から混乱しているのは十分伝わってきた。来栖はさっきから「はっ?」とか「えっ?」と当惑の声を漏らしている。

 

迅は来栖の反応を当然のモノだと考えた。

一体誰なら急にあなたは記憶喪失です、なんて事を言われて瞬時に平然と受け入れられるだろう。

 

 迅悠一は目を固く閉じ、彼ら──もうほぼ会話になっておらず狭間の安否を問う問いに来栖は相槌をうつのみになっていたが──の会話に聞き耳をたてながらもこれから選び取るべき未来を眺めていた。

 

 狭間は来栖が16歳のある時期からの記憶が抜け落ちていると会話の流れで診断した。そしてそれは迅も先ほどの問答の中で同じ結論に至っていた。

 理由は簡単。先ほどの問答で来栖は"ボーダー"に一切反応は示さなかったし、それ以前に病室で迅のことを一言だけであったがまるで自分を知らない人の様に接してきた。

 

迅は別に皮肉った訳ではないがある意味これは幸せな事かもしれないと思ってしまう。

何故なら今の来栖にはきっとあの、酷く(おぞ)ましい人災も忘れているのだろうから。知らぬが仏、というやつだ。

 

 だけどそれでも。いつかは知ってしまう。病院に長くいれば、退院してしまえば。外部から入ってくる情報からその事実を想像し、来栖はやがて辿り着いてしまうだろうと迅は判断する。

 

 彼の身の周りが今どうなっているかについて。両親ではなく、何故自分が来ているのか、その理由について。

 

 自身の副作用(サイドエフェクト)が未来を見せる。

 

恐らく1年以内に来るであろう大規模な近界民(ネイバー)による侵攻。その渦中で剣を振るう来栖の姿を迅は僅かに捉えた。 迅にとって来栖響は心強い味方だった。来栖がいるだけでかなりの被害が減らせるかもしれない。来栖の剣は未来を大きく書き換えてくれるかもしれない。もしかしたら誰も泣かない未来を創り出してくれるかもしれない。

 

 鮮明に見えていない未来に”かもしれない”という不確かな希望が迅の中で膨らんでいく。

 

 だけど。

 

ーー今の来栖さんに頼っていいのだろうか

 

 良心によって形作られた鋭利な針が希望で膨らんでいた風船を突き刺し萎ませていく。

 

 記憶喪失と言われて恐らく精神的にかなり参っている筈だ。そんな時に頼ってしまっていいのだろうか。それが来栖にとって最良の未来なのだろうか。自らの思う、未だそれが最良だと読めていない未来に来栖を巻き込み、新たな1歩を踏み出せるかも知れないこれから(未来)を踏みにじるような真似をしてもいいのだろうか。

 

 迅は思考に思考を積み上げる。

 

 そんな時にふと

 

『迅、お前に対処できない事があったら俺を頼れ。何せ俺はボーダー最強の一振りなんだからな』

 

 過去の、来栖の言葉が迅の心の内で反芻(リフレイン)された。

 

 都合が良すぎる。タイミングも良すぎる。迅は顔には出さなかったが苦笑いをしてしまいそうだった。

 その言葉を聞いたのはいつだったろうか。多分、来栖が事故に遭う直前だった気がする。その言葉は今の来栖の言葉ではない。ボーダーに在籍した過去の、ある意味ではあるが今の来栖からすれば未来の言葉だ。だけど。

 

 頼ってもいいのだろうか、再び。

 

 迅は固く閉じていた目を開ける。

 

 眼前には先ほどのようにうわの空だった来栖響はもういない。今の来栖の目はそれこそ迅のよく知ってる決意に満ちて、目的に邁進する”響さん”の目だった。

 

 彼はもう、今を受け入れて既に前へと進み出そうとしている。ならば自分も、彼の過去を取り戻す手伝いができるかもしれない。彼はきっと取り戻そうとするだろうから。これはもしかしたら自己解釈かもしれないと自嘲しながらも迅悠一は選びとる未来を選択した。

 

 過去を取り戻そうとすることは辛い未来になるかもしれないのに。彼がこうなってしまった事故の一端を自分は担ったというのに、彼に更なる困難を課そうとしている。

 それでも彼がその困難に打ち勝ってくれると信じて。

 

 ======

 

「それでは来栖さん、病室に戻りましょうか」

 

「はい、お願いします」

 

 狭間からの問診が終わり、診察室から車椅子を鉄仮面のような看護師に押されて来栖は廊下に出る。迅は付いて来ずそのまま居残り診察室で何か狭間と話す様子だった。

 

 廊下に出てみれば人っこ一人として居らず場はまさに静寂そのものである。

 そんな最中に来栖は看護師と二人きりという気まずさを少し感じたがそんな雰囲気に無視を決め込んで先ほどの狭間の話を振り返ってみた。

 

 まず話されたのは事故の詳細について。

 これについてはまあありきたりな方で車との接触ということらしい。接触と言われれば軽く聞こえたのだが事故った場所が最悪だったそうでどうやら工事現場の傍だったとの事。 

 

 接触、そのまま撥ねられた当時19歳の来栖響はその後工事現場にあった鉄パイプが右の大腿部にぶっ刺さり、更には右肩あたりから左腰にかけては現場にあった特殊器具とやらに抉られて太ももと胸部の両方から大量出血。更に更にで置いてあったガラスが割れて細々と体に刺さったとの事。それらにより自身は一時生死を彷徨ったそうだ。

 

 これを聞いて現在身体年齢21歳、精神年齢16歳の来栖響が思ったことは自身への賞賛だった。どれだけ思いを馳せようと他人の日記を読んでるようで今の自分には絶対に届きもしないものだがそれでもその生きようとする執念に我ながら感服した。

確かに検査台に登る時にチラリと上半身からだいぶ惨い傷痕がみえてビビってしまった為、来栖はあまり意識しないように努めていたが。

 

 来栖は病衣の(えり)を引っ張って改めて傷痕を直視する。

 

 やはりエグイ。見てて気持ち悪くなる。見なければ良かった、と好奇心に逆らわなかった自業自得とはいえ来栖は大層後悔した。

 確かに狭間に言われたよう、右肩の付け根。もしくは鎖骨辺りから左の腰の方へと傷痕は伸びていた。深さは大体5ミリ程度、幅は3ミリぐらいだろうか。傷は1年以上経った今でも存在感を放ち、最深部は肌の色ではなく緋色が見え、この傷痕が来栖響が事故に遭ったことを一番証明してくれた。

 

 続いて太もも。こちらは検査の時にも来栖には見えていなかった。ただもし見てしまえばまたさっきのように後悔するだろうから見るのはやめておこう、と来栖は一旦決断するがそうは言っても好奇心に似たソワソワ感。見るなと言われては見てみたくなってしまうのが人の性。残念ながらそれらを抑え切れず代わりに右手でここら辺かな、とあたりをつけて服の上から撫でてみることにした。

 

 その部位に触れた瞬間ゾワリ、と来栖の背筋が震えた。

 それのせいでか車椅子を押してくれている看護師がすぐさま車椅子を停めて

 

「大丈夫ですか!」

 

 と慌てた声と本当に先ほどの鉄仮面な人かと疑いたくなるような顔でわざわざ後ろからこちらにきて来栖の様子を確かめる。静かな廊下では一層声が反響した。

 

「アッ、ダイジョウブデス。ハイ」

 

などと来栖はカタコトになりながら謝罪をすれば看護師は元の顔に戻り不信感を抱いた様子ではあったが納得したのか戻って移動を再開してくれる。

 

 それを確認してからどうしようかなーと来栖は一考してみるが勇気を出して、どちらかといえばヤケになって今度は裾の方を捲し上げて確認してみるとソレは見えた。

 

もうヤダホント

 

 本日二度目、いや迅とのコンタクトを含め三度目の後悔が来栖を襲う。気分はもっとブルーになったし顔も真っ青になった。どちらにしたって風呂に入れるようになれば見ることになるのだからもういいと来栖は観念し、逸らした目を再び傷痕にあてがった。

 見えたそこにも胸元と同じような傷跡があった。鉄パイプが刺さったと聞いたので来栖は勝手に円形の傷を想像していたが違っていて傷の形は縦に大体3センチ、横は1センチにも満たない四角形状のものだった。

 

 ガラス片の方に関してはもう全身至る所にある。特に多いのは体の側面。傷に関しては多種多様で一々分析するのはやめておくことにした。

 

 次に狭間に話されたのはどうして記憶喪失かについて。

 

 これに関しては今日が意識を取り戻した初日のためはっきりとは言えないそうで。

 ただ胸部と大腿部の出血多量によるものが原因の一端らしくそこからくる出血性ショックから意識障害という流れは原因足り得るかもしれないとの事。

 事故当時の検査では脳波には異常が見られなかった為にどうしてこうなってしまったのかは医者でもわからないらしい。

 

 そして最後に来栖響の今から、と言うより過去。現在記憶の無い四年前の6月から一年前の2月までの記憶は戻るのか、という話をされた。

 

 結論から言えば可能性は有り。その時期の行動を聞いたり見たり、なんなら再現すればソレがきっかけで思い出すかもとの事。ただ、どうもその記憶のない時期の自分は狭間曰く特殊な生活をしていたらしい。その生活の中身について話せるかどうかは後々連絡するとの事だった。

 

 一体何をやってたんだ、過去の自分は。まさか、一般人をパンピーって呼ぶようなヤンキーになってたとかなどと言いづらい事、特殊な事と言われてまず来栖が思いついたのは、至って真面目ながらもそんなくだらないことだった。

 

来栖のそんな妄想をし出したきっかけはヤンキーと工事現場って切っても切れなさそうな縁がありそうだったから。鉄パイプがヤンキーの主装備みたいなイメージが彼の中で勝手に先行したからであったりする。

 

(ヤバイなーそうだったら。父さん達に迷惑かけまくってる事になるじゃん。入院代とかいくら位になってんだ)

 

「・・・・びきさん」

 

 もう既に来栖の脳内では “過去の言いづらい事=ヤンキー” の式が完成しており更には入院の費用についても勝手に勘定を始めていた。

 

(ヤバイ、金返せるかな)

 

 なんてことも想像してしまう。

 

「・・ぃ、響さんってば」

 

(直ぐに返せるのってマグロ漁船とかか。いやでもアレ体力だいぶいるって聞くし今の俺の体じゃ直ぐに返せない。病院でもやれる内職みたいのでコツコツ返していくのが無難か?でもそれだと時間かかりすぎる。だったら・・・)

 

「おーい、響さん。聞こえてますか」

 

「聞こえてるよ!なんだよこっち考え事してんだよって、おぉぉわぁ!」

 

 来栖が俯いていた顔をあげれば目の前には迅の顔があった。そのせいで素っ頓狂な声をあげてしまう。

 

 それよりもいつの間に病室着いていたのだろうか。周囲を見渡すとそこはもう廊下ではなく自分が一年以上世話になっている病室であり、一緒に居たはずの看護師は姿を消していた。

 

「あー、看護士さんなら今ナースセンターにいるそうですよ。何度も病室に着きましたよ、って来栖さんに言ってたらしいんですけど」

 

「あぁ、そう」

 

 どうやら考えこんでいる間に目的地へ着いていたようだ。来栖は周りに看護士がいなくなっていた事に納得する。

 

「えっと。改めてなんですが水、ありがとうございました。お陰であの時生き返りました、えーと迅さん?」

 

 唐突ではあったが問診中に出来なかった礼を来栖は迅に向き合って言う。言葉尻が疑問形になったのは判明していなかったフルネームについて聞き出したかったからだった。

 

 先ほどまで車椅子に座っていた来栖に目線を合わせてくれる為に床に片膝をついていた迅はついていない方を支えにして立ち上がり、来栖は迅を見上げる形に変わった。

 

 そこで来栖は小さな違和感を覚えてしまう。何故か胸を締めつけるような罪悪感にも似たそんな違和感を。

 

 だが来栖のその違和感を颯爽と払拭するように迅は右手の中指と人差し指を合わせて敬礼のようなポージングをしてから挨拶をした。

 

「ええ、お気になさらず。この実力派エリート隊員、迅悠一には造作の無い事ですから」

 

なるほど、と来栖は納得する。彼のフルネームは迅悠一とのこと。それよりも来栖が気になったことが一つ。

彼は自分が実力派エリートだと主張しすぎでは無いだろうか。今もそうだし、診察室でもそのフレーズは言ってたと記憶している。口癖か何かだろうか。

 そもそも。

 

ーー実力派エリートってなんだよ一体。

 

 率直な疑問。先の恩があるとは言え失礼なことを考えてしまって来栖の顔は怪訝と呆れが混じったものになってしまう。

 

 そんな来栖の顔を見て迅は「フフッ」と笑っていた。そんなにも変な顔だったろうか。そうだとしてもそれは少し失礼なのでは?と声には出さなかったが目を細めて抗議の視線を送る。

 

 懐かしむような、そんな声色でその目線に気がついた迅は釈明する。

 

「いやだって来栖さん。おれと初めて会った時と同じ反応したからつい、ね」

 

「何?」

 

 自分と彼とは初対面のはずだ。でも例外はある。今の自分には無い記憶。忘れてしまった記憶の二年間と半年が例外を可能にする。

 

「知りたいですか?過去の、あなたの事」

 

 訝しんでいた目は驚きによって見開かれた。

 すぐさま頷いてしまった。狭間から許可をもらっているのかとかどうして親じゃなくあんたが説明するのかなんて疑問は一瞬にして来栖の脳から消し飛び、ほぼ反射で動いていた。彼の言葉は今の自分にはとても誘惑的なものだった。

 

「それがたとえ、辛い事だとしてもですか」

 

 試すように自己紹介時の軽薄さは全く見せず迅は見下ろしている病人に表面上は冷たさを、奥底には優しさを伴った言葉を言い放つ。

 

 それを受け取った来栖は

 

「それでも、です。迅さん」

 

 ピシャリと、迅の優しさを感じ取りながらも一蹴してみせた。続けるように返答する。

 

「何が待ってるかはわからないけどそれでも、知ることから始めないと。知らなければ前に進めない。聞かされてどう感じるのかは今じゃなくてその時の自分に任せる。だから教えて下さい。俺の過去の事」

 

 数秒、睨み合いという名の意地の張り合いが無言で続く。

 

 そして、先に折れたのは迅の方だった。観念したという意志を伝える為にふぅーと天井を見上げながら息を吐く。

 

「それじゃあ...」

 

 神妙な心持ちで来栖は次の迅の言葉を待つ。それなのに、だ。

 

「屋上行きましょっか」

 

 来栖は肩透かしを食らった気分になった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

界境防衛機関”ボーダー”

ー追記ー

いくつかの点を修正しました


「それでも、です。迅さん」

 

 毅然とした声で来栖に返された。迅としては来栖にはできればここで「やはり良いです」と折れて欲しかった。

 

 告げられる彼も辛いだろうが告げる事になる自分もそれはそれで辛いのだ。しかしこの役を買って出た。

 

 診察室で狭間との話し合いでは「こちらが言いましょうか?」との意見も出された。それでも断った。()() はボーダーの隊員である自分が言わなければならないと、その責任があると思ったから。彼が味わった苦痛は偏に自分が非力であったからでありそれに対する非難も中傷も受け止めるべきものなのだから、と。

 だから話すのは自分でなければならない。

 

 目の前の病人は言葉を続ける。

 

「何が待ってるかはわからないけどそれでも、知ることから始めないと。知らなければ前に進めない。聞かされてどう感じるのかは今じゃなくてその時の自分に任せる。だから教えて下さい。俺の過去の事」

 

 なんとも迅の知る来栖響らしい言葉だった。

 

 それから数秒見つめ合う。来栖は迅を必死で睨んでいたが迅からすればハッキリ言って可愛げのある睨みだ。こんなの城戸さんの睨みに慣れてるこっちからすれば小動物のようなもの、何より彼の二年前の戦闘時の眼力を知るものとしては雲泥の差だった。

 

 おそらくこうなってはテコでも動かないだろう。もともと話す気はあったのだ。先ほどの質疑は来栖への確認でそれでいて迅自分が覚悟を決める為の時間でもあった。

 

 わかりやすく天井を見上げて息を吐く。覚悟は決まった。

 

「それじゃあ屋上行きましょっか」

 

 口頭で話せば与太か気が狂っているかと思われるだろう。道すがら話すにしたって百聞は一見に如かずというもの。

 

 車椅子を押す為に迅は来栖の背後に回る。

 

そういえばボーダーへの入隊動機もさっきみたいな感じだったな。車椅子を押し始めてすぐに迅はそんなことを思い出してしまう。

 

 4年前、ボーダーが表舞台に姿を現した最初期に来栖は入隊したが今のように面接官を雇える程の組織の規模では無かったし、重要な時期でもあった為林藤(ボス)や忍田さんが審査している後ろで常に自分は控えていた。

その人物がボーダーにとって有益か否か。それを視る為に。

 

その折に入隊動機も聞いたが確かそう。

 

近界民(ネイバー)がどんな存在なのかを知る必要があると思いました。そうじゃないと自分の気持ちに整理がつけれない。知らなければ前に進めない。だから唯一それができるこの組織への入隊を希望したんです』

 

『知ってどうするのかね』

 

『わかりません。それは今決めれる事では無いんで。知ってその時に、自分の在り方は決めてみせます』

 

確か当時の面接官は忍田だったろうか。だいたいこんな感じだった。随分昔の事なのにやけにスッと出てきた。そこまで印象が強かっただろうか。

ただ、変わらないな、と迅は思った。ある意味今の彼と年齢は同じなのだから当然のことか。

 

 車椅子を押していくうちに屋上へ上がる為のエレベーターの前に着いた。

 矢印が上を向いているボタンを押して到着を待つ。

 

さて、何から話そうか。まず切り口としては来栖も所属していた自分たちの組織についてだろう。

 

 =======

 

「界境防衛機関”ボーダー”。それが俺と響さんが所属している組織の名前です」

 

 エレベーターが来栖と迅を収容し終え、Rのボタンが灰色から橙色に変わってから迅の独白は始まった。

 

「ボーダーが表立った行動をし始めたのは今からおおよそ四年前。響さんが17歳になる直前に設立されました。組織の目的は取り敢えずひとつ、三門の市民を()()()()から守ること。後は取り敢えず屋上に着いてからで」

 

 それだけ?来栖が振り返って迅を見てみるが反応は一切無し。

 発言通り続きは屋上に着いてからなのだろう。迅は来栖を一瞥もせず無言で扉が開くのを待っていた。

 

 来栖は屋上に着くまで数秒とはいえ手持ち無沙汰なために与えられた情報で推察を立ててみる。

 まず狭間に「“ボーダー"という名前に何か心当たりは?」と質問されたがそれがこれだと来栖は合点がいった。

 

取り敢えずボーダーが組織の名前だということはわかった。でも組織名の前に付いている単語の意味が今度は分からない。()()()()()防衛とはなんなのだろうか。来栖は疑問符を浮かべる。

 

防衛は多分その”ある存在”とやらから市民を守るという意味なのだろうけど、かいきょうの意味が分らない。どんな漢字当てるのか?海峡、開教、開胸、戒経。あとどのような()()()()()があるだろうか? 来栖はウンウンと唸って考えるがそれ以上はなかなか浮かばない。

 

「さむっ!」

 

 推察に熱中しすぎていたようだ。9月のもう秋だと実感させる仄かに冷たい風が薄着な全身にぶち当たって来栖の意識を現実に引き戻す。いつの間にか自分たちは屋上に出ていて車椅子は転落防止のために設置された鉄格子の前で停止していた。

 

 来栖は身勝手であるが寒さに負けてさっさと中に入りたいと思ってしまう。全身を震わす程ではないがこの寒さはかなり堪えた。だいたい何故わざわざ屋外に出る必要があるのだろうか。

 

しかし、来栖が一瞬ついた悪態は突如として遠方から鳴り響いたけたたましいサイレン音と鉄格子の隙間から見えてきた景色による驚きで瞬く間に消え去った。

 

 来栖は自分の目を疑った。幻を見ているのか。夢を見ているのか。それとも催眠にでもかけられたか。

 兎にも角にも目に映った光景は信じ難いものだった。

 

(ゲート)発生(ゲート)発生 座標誘導誤差6.91 近隣の皆様はご注意ください』

 

 風に乗って聞こえてきた音声と同時に何も無かった中空に黒い円の空間が生まれる。

 

そして突如発生したその空間から遠い屋上からでもわかる巨大な白い異形が五体、這い出るようにして地に降り立った。

 

 異形は着地の衝撃かで派手に土煙を上げ、近くの家屋を踏み荒らすかの様に動き始める。

 来栖は声が出なかった。その異形にただただ視線を送るだけ。あんな存在を自分は知らない。

 困惑とした来栖の思考は迅の呑気な声で更に加速する。

 

「おっ。今日の防衛任務の担当は嵐山隊か。さっさと終わりそうだし後でお礼言っとこ」

 

 なぜ平然としていられるのか。その前に逃げないと、そんな言葉を後ろの能天気()に来栖は言おうとしたが迅は遮る様に

 

「目、離さない方がいいですよ」

 

 来栖の回しかけた首に待ったをかける。迅のその声がやけに冷静で。来栖は何故か信用してしまった。

 

 来栖は言われた通り、視線を異形に集中させる。異形たちは相変わらず街中を横行闊歩していた。

 

だがその一角が。空間を裂いた二条の閃光によって貫かれ動きを止める。

 

 残った異形3体は突如知性が生まれた様な動きで砂糖に群がる蟻のように閃光の放たれた方角へと建物を壊しながら歩みを進め始める。しかしその内の1体が何故か崩れ落ち活動を停止した。残っていたはずの2体もまたほぼ同じタイミングでその場で動きを止めていた。

 

何が起きたのか。来栖には全くわからなかった。

 それからは呆然と異形の近くを見回してみる。そして気付く。あの周りに三つ、動き回る赤い粒がある事に。

 

しかし、来栖が目を凝らしてようやく見えそうだった粒の正体を突き止める前に迅が横槍を入れる。

 

「見せたいものは見せましたしあとは病室に戻って話しましょうか」

 

「あの、あれって何なんですか」

 

「それについても病室で」

 

 来栖の質問を迅は意にも返さず出て来たであろう屋上の出入り口へと車椅子を押していく。

 

 来栖は病室に戻るまでに思考は上手く回らなかった。

 

 ======

 

「さて、何から聞きたいですか」

 

 病室のスライドドアに鍵を掛け、カーテンを閉め終わり、病室が密室に生まれ変わったあと迅は「他の人に聞かれるとマズいんで」と理由を述べてから会話の火蓋を切った。

 

「だったら前置きとして聞いておきますけど、屋上で見せて貰ったアレは俺の過去に関係があるんですよね」

 

「勿論です」

 

「なら、あの白い怪物が出てきた黒い所とその怪物について」

 

「オッケーです。じゃあまず黒いほうについて。あれは(ゲート)と呼ばれるもの。異次元とこちらを繋ぐ扉の役割をしています。そしてあの白いやつは異次元からの尖兵であるトリオン兵と呼ばれるものです」

 

 迅はそこで一旦話を区切り、見舞い用のソファーに腰を掛けた。

 

異次元? 何を馬鹿な、と来栖は本来ならば一笑に伏す所だったがあんなものを見せられてはそうも言ってられない。なるほど。それならまあ理解はできなかったが納得はギリギリできた。続きをお願いします、と迅に促す。

 

「今からおおよそ四年前。三門市に響さんが見たものと同じ(ゲート)がいくつか開かれました。そこから出てきたトリオン兵は(ゲート)付近の地域を蹂躙。こちらの世界とは異なった技術(テクノロジー)で造られたトリオン兵に地球上の兵器ははっきり言って為す術がありませんでした」

 

「なら、どうやって倒したの?」

 

「それはココとこいつです」

 

 迅は右手で心臓近くをトントンと叩き、左手には握り易いように形成され、黒を基調とし()()線と円が彫り込まれている掌サイズの機械を見えやすいよう掌の上に置いていた。

 来栖が迅に見せてもらったそれには銃や剣のような殺傷力は感じられない。それなのに来栖は懐かしさや安心感のようなものを感じてしまう。

 

「先ずはココについて」

 

 来栖は迅の手元にやっていた視線を迅の胸元に移す。

 

「人間の心臓部の隣には見えない臓器が存在します。臓器の名前はトリオン器官。そしてその器官から生み出される生体エネルギー”トリオン”でこの”トリガー”を起動、そんで運用します」

 

そんなモノがあるのか?と今更ながら来栖は迅を疑った。

 

「見せる方が早いですよね」と迅はそう言いながらも手に持っていた”トリガー”と呼んだそれを懐にしまい込み、代わりに腰に下げていたホルスターから先ほどのトリガーに酷似したものを取り出しこう呟いた。

 

「風刃、起動」

 

 それを合図のように迅の手にしていた漆黒のトリガーから翠玉色の刀身が形成され、刃の根元からは刀身と同じ色の光の帯が数本うなりを見せる。

 

来栖は風刃の放つ独特の存在感と妖艶さに思わず見惚れてしまう。

 

「ハイ、見せるのおしまい」

 

 そう迅が言うと風刃の刀身は搔き消えホルスターに収まった。

 

「取り敢えず今見せたトリガーとかを使ってトリオン兵には対処してます。要するにボーダーはこのトリガーを用いて(ゲート)からくる近界民(ネイバー)から三門市を守ってるわけです。他に何か聞きたいことは?」

 

「えっと、じゃあ」

 

 来栖は口元に手を当て考え込むフリをして次の質問を投げる。

 

「あっ。あの家に住んでた人達。大丈夫なの? その、えっとトリオン兵に家踏み潰されてたけどへい、き?」

 

あれ?と思ってしまう。そこからちょっと待て。平然としていた思考は硬直してしまう。

 

来栖はそこからあることに気が付き脳内に三門市のマップを作り始める。

それからしたことは簡単だ。日本列島を思い浮かべ、東京と大阪にピンを挿して紐で結ぶみたいに今自分がいる病院と自分の家辺りとを結んでみる。

 

幼少から住み慣れた街だからこそいくつかの要所を経由して簡易マップはすぐに完成した。そして出た結論はというと。

 

(待って。あの方角に俺の家ないか)

 

 結んだ線の中間地点には先ほどのトリオン兵が暴れまわっていたエリアがある。

 

来栖は血の気が引いた。まさかそんなことはないよな、と嫌な思考が浮かんでしまう。しかし迅は先ほど言ってなかったか?

 

 あのトリオン兵たちが”(ゲート)付近の地域を蹂躙”なんて事を。

 

「今現在。あそこら一帯は警戒区域として廃屋になっていて人は誰もいませんよ」

 

 その一言で一つ来栖の心配事は減った。でも嫌な予感は未だする。

 迅はそこから繋げるように話を続ける。

 

「四年前。(ゲート)が初めて開いたのは東三門の辺り。当時のボーダーには今ほどの力がなかった。及ばなかった」

 

 嫌な予感がする。嫌な予感が加速する。なんだその物言いは。だって東三門には。

 

 迅の言葉は悲痛さを込めた声へと変化する。

 

(ゲート)が発生してから二日後。東三門は壊滅。その時にだしてしまった死者の数は1200人以上。行方不明者は400人以上。そしてその中にはひび「言わなくていい!言わないで!迅さん!」っ」

 

 来栖は喉の痛みなんてお構い無しに迅の言葉を遮った。

 

 やめてくれ。それは嫌な想像だけで終わらせてくれ。それを口にされたらきっと今の自分では耐えれない。自身の考えの甘さを呪ってしまう。

 異様な空気が病室に充満する。何を告げるべきなのか。何を尋ねるべきなのか。数秒、来栖にとっては永劫とも思えそうな沈黙が二人の間で生まれる。

 

 そこで迅は大きな舵を切った。

 

「響さん。今日貴方を伺ったのはお見舞いともう一つ。お願いがあったからです」

 

「お願い?」

 

「響さん。ボーダーに戻ってきてくれませんか」

 

 本当に唐突なお願いだった。

 




次で病院でのくだりはおしまいです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

理想への一歩

『君はボーダーで何を成すつもりだ』

 

 何を成すか。

 

『何を目指すかとも言える。君の答えを、聞かせて欲しい』

 

 何を目指すか。

 

 何も知らない、今もつ答えを聞きたいということだろうか。

 

 近界民(ネイバー)を全て排除する。違う。

 

 市民を近界民(ネイバー)から守る。これも違う。

 

 そして……。いや、それは絶対に無い。何で思いついたのか思わず自分をブン殴りたくなる発想だ。とにかくこれも絶対に違う。

 

 これらは在り方だ。これから定めるべき己の在り方の形。今の無知なる自分では定められ無いモノ。

 叶うならばこの組織に所属し、敵について知り、その上で定めると決めたモノだ。

 

 しかし何を目指すか。1つだけ、この組織の門を叩いた時に定めていた事がある。

 

 いうならばそれは在り方を成す為の目標。

 

 言葉という弾丸を己に込める。

 

 意志という名の引き金を引けば弾丸(言葉)は世界に放たれ、もう二度と。引き金を引く前の自分には戻れない。

 言うなれば、これは今までの自分を殺す儀式。銃口は額に向けられていて、これが己を殺す第一歩だ。

 

 目標とするソレは荒唐無稽と笑われるかもしれない。星に手を伸ばすようなものだと弄されるかもしれない。

 いや、どうだろうか。目の前の男性は硬派といったイメージがまず付随してきそうな人相だ。嘲笑うような真似をせず、こちらにそれは不可能だと諭してきそうだ。

 

 どちらにせよ関係ない。何を言われようと知ったことか。そんなのはわかっている。目指すモノが存在しない事、この世には在らざるモノである事など先刻承知だ。

 

 それでも。たとえ叶わぬ理想(ユメ)だとしても。幻想だとしても。だからなんだと生涯不可能()に手を伸ばし続けると冷たくなる両親の亡骸を抱いたあの日誓ったのだ。

 

 もう二度と誰にも涙は流させない。

 

 もう二度と誰も無力感に打ちひしがらせはしない。

 

 もう二度と壊れるかもしれない明日に絶望させはしない。

 

 

 舌が乾く。自分でも届くかどうかの理想(ユメ)を追おうとしているのだ。大きく唾を飲み込んで、わずかに潤いを取り戻す。

 

『強くなければ何も成せない』

 

 如何なる在り方を選ぼうと弱ければ、どれだけ高尚な在り方を示そうと何も成せない。

 強くなければ、かの暴虐に一矢報いる事すら不可能だ。

 

 意志(引き金)に指をかける。そして来栖響は世界に弾丸(言葉)を放った。

 

『だから俺は最強を目指します。誰をも(たす)けれる、そんな存在に。俺はボーダー(ココ)で、最強に成ってみせる』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

理想への一歩:Re

ー追記ー
ゆゆゆ03様、誤字脱字報告ありがとうございます

一部添加しました。

本当に申し訳ない。主題そのものを忘れるとかあるまじき失態です。


「響さん。ボーダーに戻ってきてくれませんか」

 

「……急、ですね。そのお願いは」

 

 荒れかけていた来栖の心は迅の一言で急激に冷める。いや、どちらかというよりは今も尚、来栖の心は荒れているが理性が迅の発言のせいでバグを起こしている、感情と理性がチグハグになっている。そんな感じだった。

 

 迅の話を冷静に聞く為に、来栖はこの今にも爆発してしまいそうな感情に蓋をして、今出来る限りの理性を総動員して対応する。

嫌な想像は早く消えて欲しいのに全くと脳裏から出ていかない。だから無理矢理別の事で頭を埋め尽くすことにした。

 

「急なのは承知してます。それでも聞いてくれますか」

 

「まずは話を聞いてから、です」

 

「恐らく、半年から一年以内に四年前とは比べものにならない程のトリオン兵と近界民(ネイバー)によるこちら側の侵攻があります」

 

 近界民(ネイバー)。さっきの会話でも確か出てきた単語だ。来栖は意味を聞くのをうっかり忘れていた。

 余りの未知の用語の多さに少しうんざりしながらも会話の流れについていくために質問する。

 

近界民(ネイバー)って?」

 

「一言で言うなら(ゲート)の向こう側に住んでいる異世界の人間。そして()()に関してはおれたちの敵です」

 

 ──人間? 今迅さんは人間と言ったのか? 

 

 狂気の沙汰とはこのことか。来栖は訳もなくオカシクなりそうになった。可笑しくなってくつくつと笑ってしまった。

 蓋をしていたはずの感情が吹き出してしまいそうになる。怒りと悲しみと苦しみと。ありったけのマイナスな感情が混ざり合って来栖は掠れ始めた声でボリュームを制御できずに喚いてしまう。

 

「それはなに、つまりは? その近界民(ネイバー)は⁉︎ 迅さんの言うようにトリオン兵と一緒にこっち側に攻めてくるってこと? 何で? 何でそんなことすんの⁉︎」

 

「トリオンです」

 

「トリオン?」

 

 半ば八つ当たりに近い来栖の激情を迅は受け止め返答する。迅の顔つきが更に曇りがかったが来栖はそれに気づけない程荒れていた。

 

「先ほど話したトリオンには個人差があります。トリオン能力が高い人間は生け捕りに。低い人間はトリオン器官だけを引き抜く。心臓横にある為結果として死んでしまいます」

 

「生け捕りにされた人。どうなんの」

 

「向こう側の兵士として使われます。トリオン能力の優劣は戦争、戦闘において直結すると言っても過言ではないので」

 

「何だよ、それ」

 

 聞かされた話がショッキングすぎて来栖は力なく項垂れてしまう。

 

「四年前よりは確実に抑えてみせます。そのためにおれたちは牙を研いできました。それでも、それでも犠牲者がゼロになる未来が視えないんです」

 

「視えない?」

 

 迅の悲痛な声が来栖に伝わる。それと同時に来栖にはある疑問符が浮かんだ。"犠牲者がゼロになる未来が視えないんです"? 何故そこで”予想出来ない”ではなく”視えない”を使う。

 

 それでは、まるで。

 

「おれには未来が視えます」

 

 なんだその戯言は。有り得ない、と来栖が一蹴した可能性と全く同じ言葉が迅から繰り出された。

 

 どうせつくならもっとマシな嘘をつけ。頭がメチャクチャになった自分ならば騙せるとでも思っているのか、こいつは。

 来栖は怒髪天を衝きそうな感情をそんな馬鹿馬鹿しい嘘をつく迅のことを嘲笑い鎮めようと項垂れていた顔を上げてみれば。

 真剣に、ただただ迅は来栖を見つめるだけ。先ほど見せて貰った風刃と同じ色の瞳が真っ直ぐに来栖を捉えていた。

 

 作っていた口角が沈んでいく。来栖はその目に圧倒されてしまった。

 荒んだ来栖の感情はその視線に耐えきれず冷静さを僅かに取り戻す。そして残ったまだ残っていたしこりを、まるで熱を放出するように息に乗せて吐き出し顔を誠意ある顔持ちに作り変えた。

 

「なんで見えるんですか」

 

「高いトリオン能力を有する人間は稀にトリオンの影響で五感。もしくは六感に変化をもたらす事があります。それによって発現する能力、副作用(サイドエフェクト)と呼ばれるものがあります。そしておれのサイドエフェクトは未来視と呼ばれるもの。目の前の人間の少し先の未来が見えるんです」

 

「仮に未来が視えたとして。だったら俺をわざわざボーダーに誘う理由は? ハッキリ言って今の俺は迅さんの知ってる俺じゃ無いんですよ? きっとその侵攻でも役には立たないと思うんですけど」

 

 未だに熱が抜けきらない語調で来栖は迅に言及した。

 来栖は迅の説明、副作用(サイドエフェクト)についてはいまいち信用できてなかった。しかしそうでは話が進まないので一旦受け入れ、その上で問うてみる。

 

 なにせ今の来栖は記憶喪失。ボーダーでどんな立ち位置だったか知らないが期待されたって無駄なのだ。

 迅も診察室に一緒にいたのだからそれくらいわかってるはず。迅の知る来栖響は今いないのだ。

 なのに。迅は自信を持って言ってみせた。

 

「いいえ。確実に響さんは未来をより良くしてくれます。おれのサイドエフェクトがそう言ってる。だから、ボーダーに戻ってきてくれませんか。響さん」

 

 頭を下げられる。来栖にはその姿はとても痛々しく見えてしまった。完全に熱が抜け切った弱々しい声で来栖は迅に質問する。

 

「もし俺がボーダーに戻ったとして、記憶を取り戻す可能性はあるんですか」

 

 入るにしたってそのメリットがあるかどうかはかなり重要だと思う。可能性のある無しは天と地ほどの差だ。来栖にとってそこは譲れない点だった。

 

「断言はできません。ですが可能性は十分だと思います」

 

「わかりました」

 

「じゃあ」

 

 下げていた顔が上がり迅はの顔がほころぶ。

 

 しかし悪いと思いながらも来栖はこう続けた

 

「一日だけ。時間をください」

 

 

 

 =======

 

「はぁ。疲れた」

 

 迅がいなくなって静かになった病室で来栖は独りごちる。

 カーテンで閉ざされていた窓からは夕陽が鮮やかに街を照らしているのが見えた。ついでに遠くの方から時折爆音が来栖の耳に届いていた。

 

 うん、やはりおかしい。爆音はおかしいだろ。来栖は頭を抱えた。廊下の方から

 

「今日もボーダーの子達は頑張ってくれてるみたいねぇ」

 

 なんてのほほんとした年配の患者らしき人の声が聞こえてきてこれもボーダー関連か、と思わずため息が出てしまった。

 

 やはりというかなんというか。改めて来栖は実感する。自分が眠ってしまっていた間に随分と我が生まれ故郷はその様、その在り方を変えてしまったらしい。

 

 思い返せば今日は人生で一・二を争う出来事の連続だった。知らぬ間に記憶喪失になっているし、地元(三門市)は大変なことに巻き込まれている。厄日だといっても過言では無いだろう。あとそれから……。

 

(いや、それは俺の悪い妄想だ。もう忘れろ)

 

 来栖は頭を切り替え、迅の言ってたことを全て信じるとして。近い将来にあのトリオン兵と近界民(ネイバー)によって三門市に死人が出てしまうとのこと。

 

 自分にはあずかり知らぬと無視を決め込める事が出来ればどれだけ楽だろう。それを考えると胸が忙しなく揺れ動いてしまう。揺れ動く度に迅が帰り際に残した余計な置き土産を来栖は思い出してしまった。

 

『響さんがどんな未来を選ぼうと何も言いません。戻るかどうかの未来は響さんの手の中にあるんで』

 

「未来が見えるんじゃなかったけ」

 

 何もない真っ白な天井に向かって毒を吐いてみるが返してくれる相手は誰も居ない。

 迅のサイドエフェクトは恐らくだがきっとそう都合の良いものではないのだろう。来栖はいつの間にか信じてしまっていたが、そう結論付けた。

 

 モゾリと考え無しに寝返りを打ってみる。

 

「うっ、んごおっぉぁ。わ、忘れてた」

 

 来栖は失念していたが一年以上動かしてなかった自身の身体はなまくらと化していた。

 全身が引きちぎられるような激痛が走り、涙目になりながらうめき声を上げる。

 体のこの感じ。今でもう既に痛いんだから明日はよりヤバい激痛に襲われるだろう。疲労度がピークに達してて眠れそうだったが眠るのが一気に億劫になった。

 

 億劫といえばもう一つ。迅との約束だった。あの後、縋り付くような真似はせず、「そうですか」と短い言葉を吐いて置き土産を頂いたわけだが、結局返事を後回しにしただけだ。

 

 だから今日中に回答を考えなければならない。

 断るにしたって当たり障りのない回答のほうがいいだろうし。

 

 今のところ断ろうとする方に来栖の天秤は傾いてる。もし「絶対に記憶が戻ります」とでも言われたのならば即決とはならないだろうが今頃天秤は逆に傾いてただろう。本当に迅は未来が視えているのか疑わしくなってきた。

 

 断ろうとする意志のウエイトの大部分は来栖の体の現状に寄るものだった。立つこと、歩くこと、息を吸うことにすら苦痛が伴う身体。この状態ではあんなデタラメな怪物にあの武器(トリガー)を持ってしても勝てる気はしない。

 

 今の来栖にはトリガーとは武器そのものであり、戦闘は生身で行うものと認知していた。

 ウエイトとなっている問題はトリオン体に換装すれば一発で解決する。しかし迅はあえてその存在を来栖に告げなかった。

 

 迅が来栖に求めたのは戦う力ではなく、戦おうとする意志。

 来栖が強かろうと弱かろうと構わない。彼の意志が放つ追い風は間違いなくボーダーを良き未来へ後押しする。

 

 勿論迅としても記憶が戻ってくれるのが一番嬉しく、最善の未来なのだが来栖はそんなことはつゆ知らず、さてどう断りを入れようかと思った矢先に

 

「来栖さ〜ん。入りますよ〜」

 

 何とも気の抜けた声で看護師が病室に入ってきた。ただ来栖はその顔に見覚えがあって確か自分が起きたての時に狭間先生を呼びに行った看護師だと思い出す。

 

「点滴の交換行いますね〜」

 

 看護師は用件を伝えるとワゴンからパックを取り出しスタンドにかけてから色々操作しているが一向に終わりそうにない。おいちょっと待て。この人今「やば」って言わなかったか。来栖は嫌な予感がして顔がわずかに引き攣った。

 

「にしても良かったですね〜。お目覚めになられて」

 

「え?」

 

 作業の途中。看護師は唐突に話しかけてきた。勘弁してほしい。医療ミスは御免被るぞ。

 そんな来栖の想いは届かず、気さくな看護師は会話を続ける。

 

「だって来栖さんの病室。毎月必ずボーダーの隊員さんが来ていらっしゃったんですから皆大喜びですよ、きっと」

 

 ボーダー。今最も来栖が気になっている組織の名前がここでも出て来た。

 

「色んな人が来てましたよ。来栖隊の皆んなや風間くん。二宮くんに加古ちゃん、嵐山くん! あと、さっき来てた迅くんはかなりの頻度で来てましたし一回だけ総司令さんも来てましたね」

 

「は、はぁ。え、風間? 風間ってひょっとして風間蒼也ですか」

 

 来栖は無難な相槌を打ったが今挙げられた面子の中に迅を除いて一人だけ知り合いらしき名前があった。

 

「下の名前まではちょっと」

 

「赤い目のチビでしたか?」

 

「ええっとぉ。……はい」

 

 間違いない。来栖響の知ってる風間蒼也だ。身体特徴が一致している。どうやら4年経っても尚、身長は伸びなかったらしい。

 

(あいつもボーダーに入っているのか。いやそれは早とちりか。風間は別にボーダーの人間じゃないかも知れなし)

 

 この看護師が知っているかどうかわからないが来栖は一応質問してみる。

 

「あの、風間もボーダーの隊員なんですか?」

 

「? 同期の隊員だってお聞きしましたけど。違うんですか」

 

(決定だ。あいつも入ってる。つか、同期かよ。仲良しかよ。いやクラスの中ではあいつとが一番仲が良かったとは思っているけど)

 

「風間くんが最後に見舞いに来てくださったのは9月の始め頃かな。何でも少し遠い所に行くからその前にって」

 

 旅行か何かだろうか。風間にそんな趣味はなかったと思うが。

 

「その後には来栖さんの部下だって人達も来て。確か名前は「あっと、その前に。あの少しいいですか?」はい?」

 

 来栖は看護師の会話を遮った。申し訳ないが部下とやらの名前を出されたってリアクションに困る。狭間先生の側に居た看護師さんと違う人だしひょっとして今の来栖響の現状を未だ知らないのではないのだろうか。三門市立総合病院(ココ)の報・連・相大丈夫なのかなんてことも思ったりしたが、何も言わなければ不自然だろうと気になっていた事を質問する。

 

「看護師さんにとってボーダーはどんな組織ですか」

 

 風間(アイツ)がいるのだ。多分邪な組織では無いはずだ、と来栖はボーダーを一先ず評価する。ただ調べれる物が手元にない今、頼りになるのは口伝しかない。

 知りたいのはボーダーの、迅のような在籍員からではなく外部の市民からの評価。

 今の来栖響は今の三門市を知らなさ過ぎる。

 

「どんな組織か、ですか」

 

 看護師は作業の手を止めて腕を組み考え込むそぶりを見せてから

 

「ヒーローみたいな組織、ですかね」

 

「ヒーローですか」

 

 来栖は回答に対しオウム返ししてしまう。看護師は「ええ」と一度頷いてから更に続ける。

 

「患者さんとか市民の中にはボーダーの活動に対して否定的な意見を持ってる方もいますけど私にとってはヒーローみたいな存在です。実は私、一回死にかけたんですよ」

 

「!?」

 

「多分三門市の人の大半……は言い過ぎかな。でもそれなりの人が四年前の近界民(ネイバー)の侵攻でそんな怖い経験をしてると思うんですよねきっと。もしボーダーがいなかったらもっと多くの人が死んでたと思うし、多分私も死んでた。家が壊されちゃたりもしましたけど命あっての物種ですからね。だから私はすご──く感謝してるんですよ、ボーダーの人達に」

 

 暗い話の裏腹に溢れんばかりの笑顔を看護師は浮かべた。

 

「なるほど、そうですか。わざわざお仕事中にすみません」

 

「いえいえ、ちょっとサボりたかったのでお互い様、というやつですよ。やっぱり気になったりするんですか? ボーダーの評判とか」

 

「ええ、まあ」

 

 サボる気だったのか。来栖は相槌の裏で少し困惑してしまう。

 

「よしっと!」

 

 時間がかなりかかっていたが看護師は作業を終えたらしい。ワゴンの向きを反転させ部屋を出て行こうとする。ただ、部屋を出る直前、もうスライドドアの敷居を跨ぎ終えた後、顔だけひょっこり覗かせて看護師は来栖にある種死刑宣告にも似た慈悲なき告知を行う。

 

「それじゃあ、来栖さん! 明日からリハビリ頑張ってくださいね!」

 

「へっ?」

 

 来栖は突然のスケジュール告知で鳩が豆鉄砲を食らったような呆けた顔をしてしまった。

 

 いや待ってほしい。今でコレ(全身疲労困憊)なのに更にリハビリ? 死ねる。死んでしまう。そんな来栖の慟哭は何とか現実に現れずただポツリと呟いた。

 

「勘弁してくれよ、マジで」

 

 ただ、そんな言葉とは裏腹に来栖は晴れ晴れとした顔つきに変わる。

 

 ──答えはたった今得た。

 

 

 =======

 

 

「ああっ、マジでエグかった」

 

 来栖が起きてから翌日。リハビリを終え、車椅子を押され病室に帰って行く途中に来栖は盛大に愚痴を吐き出した。

 

「ふふっ、お疲れ様。来栖くん。でもあと2週間、頑張ってね。そしたら退院出来るそうだから」

 

「イヤ、でもマジでエグいんです。起きた翌日にさせるトレーニングじゃないですよ」

 

「ん〜。取り敢えず来栖くんが寝てた間はマッサージとか電気を筋肉に流したりして筋肉ができるだけ落ちないようにはしてたんだよ」

 

「へ〜、そうなんですか」

 

 背後から車椅子を押してくれているのは昨日から来栖がお世話になっている気さくな看護師、先ほど名前を来栖が聞いて判明した新見さんが来栖に受け答えする。

 

「ケッコーそういうのってお高いんだけどね。ボーダーの役員さんがポケットマネーで出してくれてるみたい」

 

「えっ、そうなんですか」

 

 ここにきて来栖の知らない新事実。ひょっとして治療費とかもボーダーから出ているのではないのかと勘ぐってしまった。

 

「そうそうそれでね。って、あっ! 迅くん! 今日も来てくれたんだ」

 

 来栖は聞き取りやすいよう捻ってきた首をもとに戻し正面を見てみる。

 見ればもう自身の病室があるエリアまで戻ってきていて病室の扉の前には迅が待ち構えていた。

 

「うぃ〜す。響さん、それに新見さんも」

 

「えっと、すいません迅さん。時間過ぎてましたよね」

 

「いえいえ、さっき来たばっかなんで」

 

「どうぞ」と迅がスライドドアを開け、新見に押された車椅子はそのまま室内へと入って行く。

 

「それじゃあ来栖くん。あとで点滴変えにくるから」

 

「はい。有難うございます」

 

 新見は来栖が車椅子からベットに移ったことを確認してから病室から出て行った。

 それから数秒後、迅は昨日と同じようにスライドドアに鍵を掛け、カーテンを閉め始める。

 しかし迅は昨日のようにソファーには腰掛けず、来栖の真正面に移動してから話し始めた。

 

「響さん、リハビリお疲れ様です」

 

「迅さん、ひょっとして知ってました? リハビリあるってこと」

 

「まあ、一応」

 

「昨日教えてくれたらよかったのに」

 

 なんて事はない。ただの世間話のようなものだ、ここまでは。

 

 迅がふぅーと息を吐き出す。それは来栖と迅との間での合図のような物。

 迅は覚悟を決めて切り出した。

 

「響さん、昨日のお願いを憶えていますか」

 

「もちろん。それに対する答えも既に出してます。ただ、その前に1つ。改めて聞かせて欲しいんです」

 

「改めて?」

 

「そう、改めて。先に言っときますけどその答え次第でどうこうするとかは無いので」

 

 来栖はそこで一旦間を置く。

 

 ──怖い。とてつもなく怖い。されど、受け入れなければ前には進めない。

 

 先程の迅と同じように来栖も軽く眼を閉じながら短く息を吐く。

 視界を閉じた事によってか聴覚が鋭敏になり、鼓動の音が身体を伝う。

 

 ──これは決別だ。昨日の、覚悟の足りなかった来栖響との決別だ。今この時をもってそれを証明する。

 

 迅は何も言わない。ただ目の前の人間が発する言葉を待っている。

 来栖はゆっくり眼を開けた。迅の翡翠の瞳にピントを合わせてから口を開ける。

 

「俺の身内って今どうなってるの」

 

 それは昨日、来栖の遮った言葉の続きを求める問いだった。自分で遮っといて求めるとは来栖自身も失礼な話だと重々承知していたがそれでも迅に続きを求めた。

 

 迅はそれを予期、いや視えていたのか。一瞬だけ間を空けてから応えてくれた。

 

「ご両親は既に4年前に死亡。ただ、妹さんだけ行方不明との事です」

 

「ありがとう、迅さん」

 

 来栖は迅に二重の意味で深く頭を下げた。

 

 迅も、来栖と同じように昨日覚悟を持って話そうとしたはずだ。なのに自分のせいでそれを踏みにじる様な真似をしてしまった事。

 そしてそれでも尚、自分の都合に応じてくれた事。

 

 感謝の意を最大限に込めて頭を下げる。

 

 ──ああ、ダメだ。止まってくれ。()()は見せない。見せないと誓った筈だ。頼む、止まってくれ。

 

 視界一面に広がる純白のシーツが一部、灰色に変わる事に来栖は気づく。

 流すな、流れるなとどれだけ念じようと白のシーツを()()は霞んだ色へと変えていく。クシャリとシーツを握る手に力が篭り、シワができてしまう。

 

 決めた筈だ。どの様な答えが待ち受けようと、それを受け入れ耐えて見せると。

 

「流せる時に流しといた方がいいですよ。(ソレ)は」

 

 今も尚頭を下げている来栖に迅の優しい声が聞こえた。

 

「流せる時に流しておかないと、壊れそうになるんで。今の内に泣いておいた方がいい」

 

 嗚咽が思った以上に酷かったのか、はたまたシーツに落ちた(ソレ)を見られたのか。

 来栖が必死に見せまいとしていた感情は呆気なく迅に看破されてしまう。

 

 迅のそれがきっかけだった。

 必死になって押さえ込んでいた感情のダムは決壊する。必死に泣くまいと手に込めていた力は抜け、シーツにシワの華を咲かせ、涙は大粒に、止むことのない雨のようにシーツを濡らし、無理に押さえ込んでいた声は年甲斐も無く獣の遠吠えの様に叫んでしまう。

 

「その方がいい。その方が、響さんには合ってる」

 

 迅が小さく呟いたが、来栖はそんなこと気にも留めず涙が枯れきるまで流し続けていた。

 

 

 =======

 

「はぁ〜、ホントあり得ないくらい泣いた」

 

 あれからどれだけ時間が経ったのだろうか。

 来栖は腫れた目元を擦ったり、だらしなく垂れてきた鼻水をティッシュで拭ったりと悲しみの遺産を取り除きながら口にした。

 随分と他人()に無様を晒した訳だがそれでも来栖の心はスッキリとした。

 

 心が軽くなった来栖は先ほどまでの哀愁を一切感じさせないような明るい声で迅に宣言する。

 

「迅さん。俺、ボーダーに入るよ」

 

「えっ」

 

 それはまるで気心知れた友人に明日遊びに行こう、と誘うようなノリで。唐突の来栖の宣言に迅は一瞬困惑する。あれだけ待ち望んだ返答だというのに、だ。

 

「視えてなかったの?」

 

 来栖は僅かににやつきながら迅をからかうようなニュアンスで発言する。随分と調子のいいものだ。先ほどまで人に見せれないような顔をしていたくせに。

 

 ただ、迅はそれを指摘するといった野暮な真似をせず、まいった! といった具合に両手を上げて

 

「ええ、読み逃しました」

 

 なんて笑って言った。

 

「響さん」

 

「ん、何? 迅さん」

 

「参考程度に教えて欲しいんですけどボーダーでなにをするか教えてくれませんか」

 

「ん〜」

 

「何を目指すかとかでもいいです」

 

 来栖は上を向いて悩んでる素振りを見せてから誰にも言わないで下さいね、と一言前置きを置いてから語り始めた。

 

「弱くても、何かは為せる筈だから。誰かを、たった1人でもさっきみたいに涙を流さない様(たす)けれる、ヒーローみたいな存在に俺はなりたい」

 

 子供っぽいかな、と付け加え来栖は自虐の笑みを浮かべるが迅は眼を丸くしてしまう。そのあと迅は肩の力がストンと抜け、自然と含み笑いが漏れてしまった。

 

「笑わないでよ! 迅さん」

 

「いやぁ、バカにした訳じゃないですよ」

 

「ほんと?」

 

「ほんとほんと。響さんなら、絶対為せる」

 

それにね、と来栖は一言区切ってから更に続けた。

 

「やっぱりだけど記憶も取り戻したい。知らない自分がいるのはちょっと怖いし、何より興味があるから。ボーダーにいた俺がどんな風に過ごしていたのか、とか」

 

「それも響さんならきっと思い出せますよ」

 

「そこは絶対、って言ってほしいんですけどね」

 

 来栖の一言に迅は苦笑いを浮かべる。意地の悪いことを言ったかな、と来栖は思いもしたが先ほど笑われた仕返しだ。 

 

 迅がベットの側まで移動してくる。

 調子に乗りすぎたか?と少し身構えてしまったがすぐさま納得する。側まで来た迅は右手を来栖に差し伸べて来た。

 

「これからよろしくお願いします、響さん」

 

 伸ばされた手に来栖は筋肉痛で鉛を超えて白金の重さと化した右手を震えながらも何とか伸ばし、やっとの思いで迅の右手に掌を乗せるように握手を交わした。

 

「よろしくです。迅さん」

 

「ええ、後それから。早く特訓するためにもリハビリ頑張ってくださいね」

 

「うぅ、ハイ。頑張ります」

 

 迅の握る右手の力が僅かに強くなり、結局いい笑顔で嫌みを返された。




なんかいきなりお気に入りが伸びてビックリしました。

次からいよいよワートリ領域に本格参戦です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いざ!ボーダー…へ?

ー追記ー
白神 紫音様、minotauros様、誤字脱字報告ありがとうございます




「お世話になりました」

 

 三門市立総合病院の玄関口で来栖は世話になった担当医の狭間と看護師の新見に深く頭を下げた。

 

「来栖さん、改めて1ヶ月間リハビリお疲れ様でした。これで一応、日常生活は普通に過ごせるとは思いますが無茶はくれぐれもしないように注意してください」

 

「来栖くん、ボーダーでも頑張ってね!」

 

「はい。肝に命じておきますし、精一杯頑張りますよ」

 

 来栖が目覚めてからおおよそ1ヶ月。血の滲むようなリハビリを来栖は乗り越え、とうとう退院にまで漕ぎ着けた。

 

 青白く、肉が削げ落ち肌が骨に張り付いていた様な以前の来栖の細腕はしっかり膨らみを取り戻し、肌にハリとツヤを宿している。

 また、数分歩けば翌日全身針の筵状態、などという大変煩わしく苦痛であった筋肉痛はストレッチと湿布を併用してとにかく乗り切った。

 

 来栖としてはまだまだ過去の体つきと比べれば程遠いボリュームなのだが、それでも日常生活を自力で行えるだけありがたいと今では思える様になっていた。

 

「お〜い、響さん!」

 

 来栖は自身の名前が呼ばれた方に振り返って見てみればカーキ色の屋根付きジープの窓から迅が身を乗り出し、来栖に手を振っていた。

 迅を乗せた車は来栖の前で停止し、助手席に座っていた迅が降りてくる。

 

「お待たせしました、響さん」

 

「別に待ってないですよ、迅さん」

 

「それじゃあ来栖さん。私たちはこれで失礼します」

 

「あっ、はい。改めて一年半、ありがとうございました」

 

 再度、来栖は頭を下げ精一杯に感謝を伝える。

 本当に世話になった。リハビリの際、数えきれないほどの弱音を呟いたがそれでも頑張ってこれたのは彼らのおかげだ。

 

「来栖さん。あなたのボーダーでの活躍、楽しみにしていますよ」

 

 狭間は穏やかな笑みを浮かべ、来栖に短い激励を送る。

 

「それじゃ行きましょっか、響さん」

 

 後部座席のドアが既に開けられているジープに迅が来栖を促す。それに来栖も頷いてよろしくお願いしま〜す、と運転席にいる男性に挨拶をしてから席にそっと腰掛けた。

 

「よっ、久しぶりって言うべきか? 来栖」

 

 先ほどまで前を向いていた男性がゆったりとした動きで振り返り、来栖に一声かけた。

 

 久しぶり。それはつまり過去の来栖と面識のある人物であることを示していた。

 

「えっと。出来れば初めまして、でお願いします」

 

「ははっ。いや悪いな、何分記憶喪失の人間(お前)にどう接すれば良いのかこっちとしても手探りでな」

 

「ボス、出していいよ」

 

「おっ、じゃあ行くか」

 

 狭間達と少し立ち話をしていた迅が乗り込んできて、シートベルトを締め終えてから男性に発進するよう求める。

 男性はゆっくりと車を発進させ、三門総合病院の敷地内から少し出て初めて信号機に引っ掛かった交差点で来栖に話しかけてきた。

 

「来栖、悪いが煙草一本吸わせて貰ってもいいか?」

 

「あー、窓開けて換気してくれるならどうぞです」

 

「ボス、響さん退院したばっかだよ。それに前にゆりさんから口酸っぱく言われたんじゃなかったけ? 少しは控えろって」

 

「来栖本人がいいって言ってんだから良いだろ。それにこれが今日一本目だしな」

 

 迅がボスと呼ぶ男性は来栖の注文通り、ドアコンソールパネルを操作してジープの窓が自動で開きはじめる。

 病院の玄関口で感じていたものより僅かに冷たくなった空気が車内に入り込んできた。

 

 男性は全ての窓が下りきったのを確認してからすっと懐からライターを取り出し、信号が切り替わる前に素早く煙草に火を着け口元へと持っていく。

 

 男性が一度吸って吐き出す頃には信号は赤から青に変わり、車窓から外を見ていた来栖の景色が横へと流れ始めた。

 そしてすれ違っていく景色を眺める内に改めて来栖は時の流れを実感してしまう。病院の窓からは見ることのできなかった景色だ。

 

 あそこにあった老夫婦の飲食店の漢字で綴られていた庇テントが下されていたり、その隣の店の外装がまるっきり変わってしまっていたり。

 移ろう景色の中で新しく何かが出来ているというのはほぼ無く、反対にシャッターが下されていたり置き看板が置き去りにされ色褪せ始めていたりと退院できた喜びと共に随分と寂しくなったと来栖は思ってしまう。

 

「そういえば来栖」

 

「あ、はい。なんですか?」

 

「いや、名前。言うの忘れてたよな。俺の名前は林藤匠。一応(こいつ)の上司だ」

 

「来栖響です。えっと、迅さんみたいに俺もボスと呼んだ方がいいですか」

 

「あー。いや、やめとけ。取り合えず」

 

 林藤は紫煙を窓の外へ吐き出し、ドリンクホルダーに収納されている灰皿に吸い殻を落とす。

 

「? わかりました。よろしくお願いします、林藤さん」

 

「おう、よろしくな。来栖」

 

 この人がボーダーのトップ。迅の彼の呼称から来栖はそう判断した。

 

 来栖が窓の外を眺めている間に迅との話し声が聞こえてきたが林藤には随分と気さくなイメージを抱いた。来栖はボーダーという組織のトップはもっと厳格で規律を第一とするようなお堅いイメージを想像したのでかなり拍子抜けだった。

 

 再び窓の外へと視線を移す。

 いよいよだ。いよいよあの病院ではブラックボックスの状態であったボーダーに向かうことができる。

 

 退院の日取りが決まった時は狂喜乱舞したものだ。ベットの上ではしゃいでる姿を新見に見られて随分と気まずくなったがそれでも冷めない喜びようであったと思う。その後すぐに迅へと連絡をしてみたらこれもまた来栖には喜ばしい返答が返された。

 

 =======

 

『おめでとうございます! 響さん」

 

『ありがとう、迅さん! それで早速なんだけど俺を』

 

『ボーダーに入隊、いや復隊させて欲しい。ですよね』

 

「最後まで言わせてよ、迅さん』

 

『もう根回しは終わってます。退院当日に迎えに行ってボーダーに連れて行きますよ』

 

『さすが迅さん、実力派エリート! それじゃっ。当日よろしくお願いします!』

 

 =======

 

 

 あそこなら、自身の記憶を取り戻すことができるかも知れない。掲げた目標を為せるかもしれない。昨夜は胸に期待を膨らませ過ぎた。そのせいで寝るのが随分と遅くなってしまい、お陰で若干目蓋が重かったりする。

 

「あれ?」

 

 寝不足がたたったのだろうか。見間違いだと思って目元を擦る。

 

「あの林藤さん」

 

「どうした? 来栖」

 

「俺今日、迅さんにボーダーの基地に連れて行くって聞かされてるんですけど」

 

 そこで来栖は言葉を切って改めて窓の外を見て間違いない、と再度確かめてから話し始める。

 

「ボーダーの基地から離れていってませんか?」

 

 ボーダーの基地は巨大な黒曜石を四角に切り取ったような堅牢感漂う建物だ。

 そんな巨大すぎる建物は三門市においてはちょっとしたランドマークと化している。よほど入り組んだ道でもない限りあの特徴的な建物の一部を見失うのはこの街では困難となっており、それ故所在する方角も掴みやすい。

 

 しかし林藤の運転するジープはボーダーの基地の方角から明らかに逆走するような進路をとっている。

 ボーダーの基地を来栖がわざわざ振り向いて確認するほどに、だ。

 

「「…………」」

 

 迅も林藤もわざとらしく3の口を作って無視した。

 その顔を見て来栖の顔は引きつった。嫌な予感だ。すこぶる嫌な予感がする。そしてその予感は的中してしまう。

 

「あー来栖、残念だが今から行くのはあの()()じゃなくてウチの()()だぞ」

 

「え。えええええ!!

 

 下手をすれば歩道にいる人間にも聞こえそうな来栖渾身の叫びが車内に響いた。

 迅はなんとか両手で耳を塞いだが、両手が塞がれており防御できなかった林藤からすれば堪ったものではなかった。

 

「来栖、おまえなかなかいいリアクションするな」

 

 林藤が怯んだ様子を見せる。確かに運転中にやってはいけないような行為だった。来栖は「すいません! 林藤さん」と一言謝罪を入れてから迅の座る助手席を2・3回ゆする。もし車の中でなければヘッドロックをキメているところだった。

 

「騙しましたね迅さん! どーゆうことですか」

 

「あーいやでも別にウチの支部でも本部と同じくらいの特訓はできますよ」

 

「そういうことを聞きたいんじゃなくて!」

 

 来栖としては今日は割と楽しみにしていたのだ。過去の自分に一歩近づける。未知の自分を思い出せる手がかりがそこにある、と。

 期待していた分、裏切られた反動は大きくアクションも大きくなった。

 

「まあ待てよ来栖」

 

「なんですか!?」

 

 なおもゆすられる迅のことを気の毒に思ったのか林藤が助け舟を出した。

 

「正直、今のボーダー本部よりウチの支部の方が記憶を取り戻す可能性はあると思うぞ」

 

「えっ?」

 

 来栖は林藤の言葉に困惑する。

 どうゆうことだろかと、来栖は目線で訴えかけたところ林藤はするりと回答した。

 

「前提として記憶を取り戻す切っ掛けっつーのは病院の先生曰く以前のおまえの行動を見聞きしたり再現したりするのが手っ取り早い。これは間違いないな」

 

「はい、あってます」

 

「ならまずボーダーの特訓つーか訓練について説明すんぞ。つっても対近界民(ネイバー)を想定して基本ボーダーの隊員同士での対人戦だ。おまえがこのまえ屋上で見たようなトリオン兵との訓練も勿論あるにはあるがそれでも対人戦闘の方が圧倒的に多くやってる。もっと言えばおまえが在籍してた期間は対人戦しかなかったくらいだ」

 

「はあ、そうなんですか。とゆうか林藤さん。なんで俺が病院の屋上でトリオン兵(それ)見たことがあるって知ってたんですか?」

 

「悪いが迅から聞いたぞ。聞くのはまずかったか?」

 

「いえ別に。続き、お願いします」

 

 今日が初対面のはずの林藤が来栖自身の目的や行動についてやけに詳しかったので疑問を呈したが迅を伝って知られていたとわかり納得する。

 よくよく考えてみればそれも当然か。ボーダーの連絡系統がどのようなものかは想像できないが少なくとも林藤は迅の上司、恐らくだが報告するように命じていたのだろう。

 

「おう、それでなんだがな。その対人戦でおまえと張り合うことのできたやつは両手でかぞえれるくらいしかいなかったんだよ」

 

「え、マジですか」

 

「マジだ。ちなみに迅もおまえと張り合えたやつの内の一人だ」

 

「ボス、あれを張り合えたっていうのは忍田さんに失礼じゃない? おれや太刀川さんと違って実際勝ったり負けたりしてたわけだし。おれたちは一本取れるかどうかで必死だったんだから」

 

「そうか? 来栖本人がおまえは随分粘ってくれるから他のやつより歯ごたえがあるって昔言ってたぞ」

 

「たぶんそれかなり縛ってもらってだよ。グラスホッパーとか旋空。それに()()()()()()()()()()()とか」

 

「まあたしかに来栖と縛りなしのフルセットの状況で斬り合うことができたのは忍田くらいだがそれでも十分だろ」

 

「あのーお二方、俺をよそに話広げないでくれませんか」

 

 このままいけば確実に脱線する。そう危惧した来栖は無理やり二人のやり取りに終止符を打った。

 

「あー悪いな、来栖。つい話し込んじまった。どこまで話したっけ」

 

「俺と張り合えた人の一人が迅さんだったって話までです。あとこれ嫌味とかじゃないですけどさっきの話の感じだと俺迅さんより強かったってことですか? そんなの想像できないんですけど」

 

 話を止めておいて質問するのはどうかと思ったが来栖は聞かずにはいられなかった。

 本当に想像できないのだ。自身が迅に勝ち越す光景というものが。

 

 来栖はそもそも迅が戦う姿を知らなかったがそれでもなんとなくではあるが迅さんは強いんだろうな、と思い込んでいた。サッカー部に所属していた来栖に戦うという行為は明らかに埒外なものであるがそれでも迅の纏う雰囲気をはじめ、動作や目線。体運びなど注視しなければ気づけない自然さど行われるありとあらゆる点でがサッカーでの巧者を彷彿とさせるものだった。

 

「まっ、今のおまえからすればそう思っちまうのも無理はないな。それでも事実だ。なにせ以前のおまえはボーダーの一部の連中から“最強”なんてあだ名を付けられるくらいには強かったからな」

 

「それ悪ふざけとかじゃなく本気で言われてたんですか」

 

「本気だぞ」

 

「随分と大層なあだ名ですね、それ」

 

 自嘲気味に肩を落とした来栖から思わずため息が漏れ出る。過去の自分はそんなのになるまで強さに執着していたのか。今の自分ではたどり着けない境地だな、と若干呆れてしまうが自然と切なくなってしまった。

 

(多分だけど気持ちの差、なんだろうな)

 

 今の来栖響と過去の来栖響との差。

 技術云々を抜きにして大きく分け隔てているのはそこなのだろうと勝手に結論付けた。

 

 当然といえば当然だろう。今から四年前。リアルタイムで被害にあった自分と口伝で聞いた自分とでは感情の入力も出力も違うのは自明の理。

 過去の自分は何をもってその境地にまで至ろうとしたのか。今の自分では草の根分けて探そうとたどり着けない。迅をも倒したとされる捉えきれない過去の自分という山の高さに困窮してしまうがそれ以上に興味が湧いた。

 

(これは是が非でも思い出さないとな)

 

 "最強”という今の自分には不釣り合いな称号にある程度折り合いをつけ、志を再度確認した来栖である。あるのだが……

 

「来栖。考え事は終わったか」

 

「あ」

 

 絶賛会話の途中だった。もっと言えば何度か林藤の呼びかけを無視しているような形だった。

 

 ぶわっ、と来栖の全身から汗が噴き出す。そこからの行動は早かった。

 言い訳などせず、スプリンター顔負けの速度で謝罪を何度も口にする。林藤は気にするな、と言ってくれるがそう簡単には受け止めれない。

 

 やってしまった。来栖は頭を抱える。最近、というよりは目が覚めてからこの様に他人を無視してしまうような事をしょっちゅう起こしてしまう。悪癖であることは確かでどうにかしなければと何度も思っているのだが意識し忘れるとすぐこれだ。

 

「ほんとに気にするなよ来栖」

 

「本当にすいませんでした。林藤さん」

 

「いやいや逆に安心した。相変わらずのおまえだなってな」

 

「相変わらず?」

 

 どういうことか、と来栖が首を傾げてみるが返ってきたのは林藤の含み笑いだけだった。

 

「さて、話を戻すとだ。来栖」

 

 辛気臭くなった雰囲気を一変させるような林藤の明るい声が発せられる。

 

「うちの支部には今、おまえと張り合えた人間が迅を含めて三人ほどいる」

 

「それだったら同数か過半数かが本部に在籍していることになりますよね?」

 

「本来ならな。ただ今は実質二人しかいない」

 

「本来なら、ですか。つまり今は何らかの事情があると」

 

「そうゆうことだ」

 

「それに付け加えて、うちの支部には響さんの剣を知ってるかわいい弟子兼元部下もいますよ」

 

「部下、ですか。正直こっちも想像できないですね」

 

 確か病院でも新見から来栖隊なるモノの存在があると聞かされていたがやっぱり意外だった。

 自身の名を冠していることから、隊長かリーダー。兎にも角にもチームの長として自分が多数の人間を率いていたという事は何度頭をこねくり回そうと思い浮かべることはできない。

 

「まっ、うちの支部の強みはこんくらいだな」

 

「なら、本部の強みは何ですか?」

 

「ハッキリ言って広いだけ、だな。訓練は迅も言った通り支部でもできるやつしかないし修行相手も二人。おまけに一人は力加減ができないときてる。ちなみにおまえの知り合いの蒼也のヤツも今はその事情のせいでボーダーにはいないな。どうだ来栖、うちの支部に入ってくれないか」

 

 やばい。ボーダー本部の良いところが全く見いだせない。本部より支部の方が環境として良いなんてこれ本当か? と思わず疑ってしまう。それにこれほぼ脅迫まがいなのでは? 人目がなければ頭を抱えてるレベルだ。

 

 おまけに現状ボーダーでの唯一の知り合いらしき風間は謎の事情でボーダー本部にはいないときた。その事情も聞こうとしたが林藤と迅からは聞かないでくれというような雰囲気を出されたせいで下手に突っつけなくなっている。

 

 正にほぼ孤立無援の状態。暗にウチしか無いぞと言われている気がして疑心が生じ来栖は押し黙ってしまう。

 

「だったらよ、来栖」

 

 林藤は走らせていたジープを路肩に停め、ハザードランプを灯す。幸い周りを走る車は少なく、通行に問題はなさそうだった。

 

「これから話すことを聞いて、その上でウチの支部に入るか本部に行くか決めちゃくんないか」

 

「ちょ、ちょっと待ってボス!」

 

「黙ってろ迅。来栖が本部じゃなくウチに入るよう説得してくれって言ったのはおまえだ。大体、いきなり行き先を本部じゃなくて、ウチに変えろだなんて病院に着く前に言いやがって」

 

 慌ただしい反応を見せる迅を林藤は無視してもう先がほぼ無い煙草を灰皿に押し付けてから体を捻って後部座席に座る来栖を見た。

 その一言とメガネ越しに感じる眼光で来栖の身が引き締まった。

 

「今から話すのはさっきの真逆。ウチの支部の弱みみたいなところだ」

 

「弱み、ですか」

 

「おまえを勧誘するにあたってはな。本部にはあってウチにはないもの。確実におまえの過去を思い出そうとするには足を引っ張る」

 

 本部に広い以外の強みあるんじゃないですか。詐欺ですよそれは。

 

 なんて言えなかった。明らかに林藤は真面目なことを話そうとしている。しかも顔を見れば余り話したくはなさそうだ。苦悩がその表情からは見え隠れする。

 

「それを説明するためにもボーダーの内部事情について少し知ってもらわなきゃいけない。もし話の途中で本部に行きたいと思ったらそう言え。お前の意思は尊重するし、(こいつ)にも有無は言わせない」

 

「分かりました」

 

 迅も林藤と似たように悔しさを顔に滲ませている。しかし、林藤の言葉には理解を示しているのか文句の一つも付けるような真似はしなかった。

 

 来栖は気持ちを作り替えて傾聴する姿勢をとった。

 

「良し。なら話させて貰うぞ。今、ボーダーは大きく三つの派閥に割れている」

 

「派閥ですか? ボーダーも一枚岩では無いと」

 

「どこの組織もそんなもんだ。その輪を乱してるウチが言える事じゃ無いがな」

 

 何やってんだこの人ら。

 

 林藤は乾いた笑みを浮かべるが対称的に来栖の顔は曇っていく。

 流石にこのタイミングで本部へ、と言う度胸もなく口を一文字に結んだままだ。

 

「まずボーダーの最高司令官が率いる"近界民(ネイバー)は絶対に許さない”主義の城戸さん派。次に本部の隊員のトップ。さっきの話にも少し出てきた忍田が率いる"街の平和が第一”主義の忍田派。そして最後がウチ。"近界民《ネイバー》にも良いヤツがいるからなかよくしようぜ”主義の我らが玉狛支部派だ」

 

「近界民《ネイバー》と仲良くでっ⁉︎痛っう」

 

 意外を飛び越えあり得ない。そんな思想がある事に来栖は驚きを抑えれず車内にいることを忘れて勢いよく立ち上がり頭を打ちつけた。つむじあたりにジーんと痛みが残り、右手で抑え込んでしまう。

 

「まっ、その反応が当然だよな。おまえがいきり立つのもわかる。現にウチの派閥は異端もいいところ。裏切り者だなんて呼ばれる事だってある」

 

「その、城戸さん派。とやらにですか」

 

「考え方が正反対だからな」

 

「ちなみに俺はどの派閥にいたんですか」

 

「城戸さん派だな」

 

 林藤はそこで一息ついてから話を続ける。

 

「来栖。今回黙っておまえをウチの支部に連れて行こうとした事は謝る。それでも(こいつ)は意味のない行動はしないヤツだ。城戸さん派にいたおまえをウチに入れたいっつうのも余程の理由があると思ってる。どうだ、来栖。改めてウチに入ることを考えちゃくれないか」

 

 来栖はドカッと座席にもたれ掛かり口元を隠すように顎に手を当て、悩む素振りを見せた。

 

 まずボーダーの派閥について。これに関してはその様なものがあるとおおよそ理解ができた。そして三者が掲げる理念にもある程度納得がいく。

 

 最も共感できたのは忍田派と称される派閥だ。自ら定めた為す事。弱かろうと誰かを(たす)けたいと願うならばこの派閥こそぴったりだ。街の平和を第一に考えているのにも好感が持てる。

 

 次に一番理解ができたのは城戸派と称される過去の自分が所属した派閥。当然といえば当然だ。近界民《ネイバー》に実の両親を殺され、妹も連れ去られた。これを恨まずいられるだろうか。いられない。過去その場面に直面したわけでもなく、言葉だけで知らされただけだがそれでも恨みを捨てきる事は不可能だった。

 

 そして最も理解が及ばないのは最後の派閥。異端とされる玉狛支部だ。彼らが掲げるそれは理想論だ。はっきり言って現実的では無い。甘すぎる。なにより、わからない。どうしてそのような理想を掲げられるのか。

 

 何よりも。仮にその玉狛に所属することは過去の来栖響が辿った道ではなく、真逆の新しい道を歩むことになる。過去から遠ざかること。それは林藤の言うように弱みである事は明確だ。

 

 しかしそれならばさっさと本部連れて行ってくれと言えばいい。行動ではなく、心理の方向から過去の記憶へアプローチするなら断然本部だ。

 

 なのに開きかけた口をすんでのところでつぐんでしまう。胸をくすぶるこの違和感。わかっている。この違和感はきっと今の来栖響だからこそ持ててしまうものなのだと。

 家族との別れに一切立ち会えていない自分だからこそ持ってしまう過去の在り方への疑問が口を閉ざさせていると。

 

 だって。過去の自分の、城戸派のその在り方は。

 

 ──哀しい在り方ではないだろうか。

 

 もちろん今尚近界民《ネイバー》に対する怨讐の焔が内に燃え盛っている。簡単にこの焔は消せはしない。きっと過去の自分もこの焔を今以上に燃やしていたのだろう。それは想像に難くない。

 

 しかしその焔と同居するように家族を殺されて、悲しみを知ってまだ冷徹でいれてしまう凍てついた氷があった。

 

 そして玉狛のその在り方は。人によっては耳障りかも知れない。それでも心地好い在り方なのではないか。排除するのではなく、歩み寄ろうとするその理想(ユメ)を追う姿はかっこいいものではないのだろうか。

 

 わからない。目覚めてからわからないことだらけだ。胸に渦巻く葛藤に終止符を打てないでいる。

 

 だがわからないからといって立ち止まってはいけない。思考を止めることはしない。知らなければ、今の自分では前には進めない。

 

「迅さんも玉狛の派閥の人間ですか」

 

「ええ、そうです」

 

 迅のその発言に来栖の両手に力が籠った。心臓が早鐘を打つ。こんなに緊張するのは病院であの話を聞いた時以来か。

 

「先に謝っておきます。無礼を承知で、あなたの心に土足で踏み入るような真似を今から俺はする」

 

 鐘の音は止まらない。加速するばかりだ。

 

 迅は以前と同じように来栖の言葉を待つ。

 来栖はありったけの勇気と覚悟をもって口を開いた。

 

「迅さんは。玉狛にいる人は大事な人を失って尚その理想を掲げているんですか」

 

 悲しみを。苦しみを知らない人が掲げる理想論はただの現実から目を背けているだけの思想に過ぎない。そんな戯言に付き合うつもりはない。

 

 この葛藤を。俺が持っているモノと同等かそれ以上の悲しみを内に秘めて尚あなた方はその理想を掲げているのかと。来栖は迅にそう問うた。

 

「……。失った人はもう帰ってはこない。それでもおれたちはあの時見出せなかった方法を探し続けていますよ」

 

 秘めて尚その理想を掲げている。迅は暗にそう返した。

 

 来栖の固く握られていた拳が緩む。いつの間にか張ってた肩ひじもストンと落ちた。

 

「迅さん。俺に病院でした話、覚えてますか。俺が、俺の存在が未来をより良くするって言ったあの話」

 

「もちろん」

 

「改めてですが信じますよ。あの話も、さっきの言葉も。そして林藤さん」

 

 葛藤はまだある。これはそう簡単になくなるものではないだろう。

 そしてこの宣言は過去に抱いた何かを決定的に別つだろう。

 

「記憶を求める実利からじゃない。俺は今ある心に従って過去の自分から遠ざかる。その覚悟はできたつもりです。だから俺をどうか玉狛に入れてください。城戸派ではなく、玉狛派の来栖響として俺はボーダーで記憶を取り戻す」

 

 それでもこの道を歩むと決めた。

 

 来栖は頭を下げる。しかし林藤は一切反応はしない。それどころか我関せずといったばかりに新しい煙草に火を着けている。

 

「り、林藤さん?」

 

「響さん。気にしなくていいよ。ボスは単に照れかく痛ったぁ!」

 

「痛いわけないだろ迅。トリオン体だろうが」

 

「いやいや。心が痛むんだよ」

 

 迅の余計な一言に林藤はチョップをお見舞いした。

 

 煙草を開けられた窓の外へと吹かし、ハザードランプボタンを再度押し込みシフトレバーを“P”から“D”へと切り替える。

 

「今から行けば京介がまだいるかも知れねえ。急いで帰るぞ。来栖」

 

「それってつまり」

 

「ボーダーの玉狛支部長としておまえを歓迎する。たった今からおまえはウチの隊員だ。来栖」

 

「あ、ありがとうございます! 林藤さん、いや。()()!」

 

 =======

 

 アクセルを踏み込みジープを加速させる。

 浅く吸い込んだ煙草の味が今日はいつも以上に旨く感じた。

 そのせいかいつも以上に表情筋が緩んでしまう。

 

 幸いなことに後ろにいる来栖は迅の玉狛の説明に夢中でルームミラーを一切見ようともしない。

 自分でもわかるほどのにやけ面をたった今入ったばかりのウチの隊員に見られでもしてはボスとしての威厳もくそも無くなってしまう。

 

(にしても、()()か)

 

 一年半前では考えもつかなかっただろう。もしウチ(玉狛)と本部が戦争をやり合うことになればあちら側の実質最強戦力であり先鋒を務めたかもしれない来栖が自分のことをそのように呼ぶ日がこようとは。あの日の自分は夢にも露ほどにも思わなかったろうに。

 

『林藤さん、あんたらと俺はきっと分かり合えない。ただ、出来れば聞かせてくれ。あんたらはどうやってあいつらとわかり合うつもりなんだ』

 

 過去の来栖との記憶に思いを馳せてみればそんなことを思い出す。来栖が一時の眠りに就くその前日。ボーダーですれ違いざまに言われた言葉だ。

 

 あの時はうまく答えれなかった。当時のボーダーは少し特殊な状況に置かれており、それを踏まえての来栖の発言には閉口せざるを得なかった。

 

(けど、おまえとは本当はわかり合えたのかもな)

 

 たらればの話をしても仕方がないがあの時。もしも来栖を納得させる答えを持っていれば……。

 

 いやそれこそ詮無きことだ。

 

 走らせ続けたジープの左に川景色が見え始める。それはつまり目的地への到着が近いことを示していた。

 

 玉狛の連中が来栖を見ればどんな顔をするだろうか。来栖が目を覚ましたのを知っているのは俺と迅と忍田。そして忍田直属の部下である沢村のみである。本部の方はわからないが玉狛の人間には何も気づかれていないはずだから取り合えずドッキリに近い形になるのは明白だ。

 しかも当時の来栖の雰囲気とは随分とかけ離れているから予想は困難を極める。少なくとも俺の知ってる来栖響はあんな大声でリアクションをとったり、頭を天井に打ち付けるような人間ではなかった。何より確実に明るくなっている。

 

 小南やレイジはまず驚きそうだ。4年前の入隊初期の来栖を知っている分拍車がかかるだろう。

 陽太郎や宇佐美はどうだろうか。陽太郎が来栖とあったのはあいつが三歳になって少し経った後だったから憶えているかどうか微妙。しかし恐らく初めてできた後輩だと調子に乗ってはしゃぎそうだ。宇佐美の方は蒼也からの繋がりで若干面識があるだろうし、来栖の特訓にはあいつのやしゃまるシリーズが火を噴くだろう。

 

 そして最も心配なのがとりまる。元師匠で元隊長。一番反応が予想できない。最近レイジの仏頂面が移ってきて余計に読めないでいる。

 

「来栖、見えてきたぞ」

 

 なんにせよ。なるようになるはずだ。

 

 迅との会話を中断させ、煙草を持つ左手で目的地のある方向を指す。

 

「あれがこれからおまえが住むことになる玉狛支部だ」

 

 叶うならば、どうか来栖が記憶を取り戻せることを。

 そして戻った先でどうなるかはわからないが、それでも。

 

 こいつが悔いの残らない選択が出きることを大人として祈っておこう。

 




たった一文入れるかどうかに三日。おまけに結局没にしたし。

何よりワートリ本格参戦どころじゃないし。玉狛に行く下りだって3000字程度をイメージしてたのに1話丸まる使い込んでしまった。

まだまだ未熟ですがよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

B級19歳児とボーダーメガネ人間協会名誉会長(予定)ー①

『おまえが宇佐美栞か?』

 

 問いかけは唐突だった。昼食をとろうか個人ランク戦を観ようかとボーダーのラウンジを彷徨っていたところ、自分とほぼ背丈の変わらない男性が話しかけてきた。

 

『えっと。確か個人総合9位の』

 

 切れ長のガーネットのような瞳が印象的な男性だった。

 先日、防衛任務でオペレートを担当したが咄嗟のことに名前が出てこないでいる。

 

『風間蒼也だ。三日前にお前にオペレートしてもらったな。見事だった』

 

『ああっ! こちらこそ先日はどうもお世話になりました!』

 

『気にするな。おまえ、この後なにか急ぎの用事はあるか?』

 

 名前がすぐに出てこなかった事を咎められることはなく、風間さんはこちらに確認をとってきた。

 

『? ないですけど。アタシに何か御用で?』

 

『ああ。立ち話は何だからな。昼食代はこちらが出す。だから少し食事に付き合え。そこで要件は話す』

 

『おぉ~。ゴチになりま~す!』

 

 こちらの了解を得ると風間さんは私の横をすり抜けて食堂に歩を進め始める。

 私はカルガモの親子のように後ろへと続いた。

 

 にしても、先ほど見た感じではあるが。メガネが似合いそうな御仁である。

 

 ====

 

 風間さんとアタシは注文カウンターで注文した商品を受けとった後、手ごろなテーブルに腰かけ食事を開始した。

 ちなみにアタシはマルゲリータを。風間さんはカツカレーをだ。

 

 そしてアタシがピザを半分食べ終わったあたりで風間さんの口が開いた。

 

『最近開発された隠密(ステルス)トリガー、知っているな』

 

『カメレオンですよね。最近流行り始めてる』

 

『ああ。俺はカメレオン(それ)を主軸に取り入れた部隊(チーム)を来シーズンまでに作るつもりだ。そこでおまえには専属のオペレーターを務めてもらいたい』

 

『確か風間さんって長いことソロでやってましたよね。何か心境の変化でも?』

 

『最近うるさい奴が一人いてな。いい加減に黙らしたい』

 

『うるさい奴ですか?』

 

『ああ。早急に灸を据える必要がある。最近元の調子を取り戻し始めたとはいえだ』

 

『それって一体?』

 

『蒼也、おまえ何やってんだ?』

 

 ぽん、と風間さんの肩に手が添えられた。風間さんは振り向かずとも声でわかったのか主に対する興味を示す様子を一切見せない。

 

ただ一言だけ。噂をすれば、か。とやれやれといった表情になってみせる。

 

 アタシは風間さんから視線を外し、風間さんの肩から伸びる腕を辿って声をかけてきた人物の顔を見た。

 

 あっ、と声が漏れ出てしまう。この人はさすがに覚えている。接点こそ全くないが彼を知らない人間は今のボーダーではほぼいないだろう。

 

 唯一無二の強さ。一部では“最強”とまで言わしめられている攻撃手(アタッカー)・個人総合第1位。

 

 A級来栖隊隊長、来栖響。その人が居た。

 

(ひょっとしてこの人が?)

 

『その制服。もしかしてオペの子か?』

 

『どうも、宇佐美栞です』

 

 年上の、それこそ初対面のひとにおちゃらけた様子をみせるわけにもいかず風間さんと同じような態度で接した。

 

『宇佐美? ああ! ウチのオペが絶賛してたな。凄い子がいっこ下にいるって。てことはまさか。やっと火ぃ着いたってこと? 蒼也』

 

『いったん離れろ。今は交渉中だ』

 

 会話に水を刺されたことに苛立ってか風間さんは顔をしかめ、肩に置かれた来栖さんの手を振り払う。

 

『マジか。それは悪いことをしたな。いやでも。マジで楽しみにしてたからさ。お前の作るチームとバトれるの』

 

 来栖さんは申し訳なさそうな、情けない顔をしながら両手でごめんと、合掌する。その顔と様子とが以前ブースの特大モニターで見かけた戦闘中の顔とはかけ離れていてアタシは呆気にとられた。

 

『ああ、少し待っていろ。直ぐにA級に上がっておまえのその首を取ってやる』

 

 風間さんが随分と挑戦的なセリフを来栖さんに投げかけた。

 知らぬ間に冷や汗が出る。風間さんの暗殺者の様な鋭い眼光が、見ているこちらまで萎縮させた。

 

 それに呼応するように。来栖さんの表情は精悍なものへとみるみる変わっていく。

 ああ、この表情だ。以前見かけた、“最強”と謳われる人物の顔つきは。

 

 へえ、と来栖さんは一息入れた後、風間さんをこれでもかと見下ろし睨みをきかせ。

 

『言ってろ。どんな敵だろうと俺が先に斬る』

 

 ぶわり、と来栖さんの一言でアタシの肌が粟立った。戦闘員でないアタシでも解る。彼は間違いなく強者に類する人間だと。

 王者の風格。漠然としながらも圧倒的な存在感を彼は顕現させた。

 

 これがボーダートップランクの隊員たちが放つ空気。まさに一触即発。二人の間では目に見えない熱い火花が散っている。傍にいるこちらからすれば堪ったものではないし周りの隊員も固唾を吞んで見守るかそそくさと離れていっている。

 

 二人がにらみ合い続けて数秒。こちらではそれ以上に長い時間を経た気分になった。

 すると二人ともまるで示し合わていたかのようなタイミングでふっ、と笑みを浮かべ絶対零度を思わせた周囲の空気は一瞬にして霧散した。

 

『それじゃあ、交渉がんばれよ、蒼也。ライバルとして応援しとくぜ~』

 

 言いたいことを言い終えたのか来栖さんはアタシたちを一瞥してひらひらと手を振りながら離れていく。何というか嵐の様な人だった。

 

 その背が見えなくなったのを確認してから風間さんはわかりやすくため息をついた。

 

『はぁ、すまんな。俺の知り合いが迷惑をかけた。あとで奴には制裁を加えておこう』

 

『ほどほどにしてあげてくださいね』

 

 緊張していた筋肉が弛緩し、ピザを一切れ口に放り込む。

 

 残念ながらまだ気に充てられたままらしい。全くピザの味がしない。

 なんとか緊張をほぐそうと風間さんを見た。

 うん。何度見てもメガネが似合いそうな人だ。僅かながら気力が回復する。

 

『ひょっとしなくてもなんですが。来栖さんですか? その……』

 

 アタシはその続きを言い淀んでしまう。が、風間さんはバッサリと言ってのけた。

 

『ああ、あいつがうるさい奴だ』

 

『あちゃ~』

 

 まさかの予想通り。風間さんが見据える山はエベレスト並みの高き山らしい。

 

『最近ようやくもとの調子を取り戻したかと思えば以前より増して口数が多くなった。困ったものだ』

 

 風間はそういってはいるが本当の意味で困っているようには見えない。初対面であるにも関わらず喜びのようなものが見えた気がした。

 

『そうなんですか? 風間さん嬉しそうですけど』

 

 思ったままのことを口にすればクールなこの人らしからぬ柔らかい笑みを浮かべる。

 

『以前の奴と比べれば今の方が断然良い。それだけの話だ。それで話を戻すが』

 

『オペレーターの件ですよね』

 

 風間さんは表情を引き締め直す。

 

『ああ。すぐに回答は求めていない。だが快い返答を期待させてもらいたい』

 

『いやいやいや』

 

 アタシはやれやれといったように首を左右に振って大げさなリアクションをとった。

 

『ぜひともお手伝いさせてください。一緒にあの人を黙らしてやりましょうぜ!』

 

 アタシは力こぶを作るようにして風間さんに江戸っ子のような口調でおどけてみせた。

 

『あんな熱い場面魅せられたらもっと近くで見たくなっちゃうし、勝って欲しくなっちゃうじゃないですか。打倒ライバル! 燃える!』

 

 風間さんは流石に今回答を貰えるとは思っていなかったのか見ているのが面白いぐらい固まっている。

 

『ダメですか? そんな理由じゃ』

 

 初対面の人物にかましすぎたか。少し真面目な雰囲気を出す。

 

『いや。そう言ってくれるならこちらとしても期待に添わなければな』

 

 クールさを取り戻した風間さんがこちらに手を伸ばしてくる。

 

『改めてだが宇佐美。おまえの力が必要だ。俺の作る部隊《チーム》に来い』

 

『あいあいさ~! よろしくお願いします、風間さん!』

 

 伸ばされた手を握り返し、空いたもう片方の手でアタシは敬礼をしてみせた。

 

にしても、来栖さんもメガネ似合いそうだなぁ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いざ!ボーダー・玉狛支部へ

ようやく投稿できた。




「ここが玉狛支部……ですか」

 

 河岸から掛けられた橋の丁度真ん中に位置する三階建ての建物を見上げるようにして来栖は呟いた。

 

「元々は川の何かを調査するために建てられた施設をボーダーが買い取って基地にしたんです。どうですか、響さん。ウチの支部は」

 

 林藤の運転するジープの助手席から降りてきた迅が来栖へ基地の感想を求める。ちなみに林藤は今そのジープを収容しにここからは離れていた。

 

「ボーダーの支部っていうからもっとこう、黒色の建物ってイメージだったんですけど。ここは全然ですね」

 

 本部があのような独特な(なり)なのだ。恐らく支部もそれに準じているのだろうと勝手に思い込んでいた来栖からすれば玉狛の外見は拍子抜けすぎた。一言で表すなら平凡。立地が特殊で所々塗装が剥げてレンガがむき出しになっているが古めの建物として市街地に溶け込める外見だ。

 

「ボーダーの支部は此処を含めて六ヵ所ほどありますけど、どこも普通のビルを借りて運営してますよ。準備はいいですか? 響さん」

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 木製のドアに取り付けられたドアノブに迅は手を掛けながら、後ろに控えた来栖に確認をとり、来栖はそれに待ったをかけた。

 

 秋の暮の水辺で冷やされた空気が来栖の肌に染み渡る。それが気持ちいいと思えたのは自身の体温が僅かに上昇しているからだと理解するのには時間を要さなかった。そして何故体が火照ってしまっているのか。これも既に原因は分かっている。不安から来る緊張。それが来栖の鼓動を早めていた。

 

 一体どのような人物が待っているのか。自分を玉狛の人間はどう思っているのか。

 先ほどの林道の話では過去の自分とここの隊員とは派閥上、敵対する関係であった。だからこそ玉狛の隊員とうまくやっていけるのかと不安を抱いてしまう。

 

「大丈夫ですよ」

 

「えっ?」

 

 気遣われるほど顔に出ていたのか。唐突の迅の一言に来栖は呆気に囚われてしまう。しかし迅は気にせず言葉を紡いだ。

 

玉狛(ウチ)の連中は強いですから。来栖さんの心配することなんて容易に受け止めますよ」

 

 迅の優しい声に来栖は核心を的確に当てられたことに心臓が飛び出しそうになった。

 だがその発言が、来栖の心の不安を一瞬にして拭い去る。

 

 この人にはかなわない、と来栖は息を深く吐いた。世話になりっぱなしだ。これでは今後この人に足を向けて眠れないではないか。

 

 荒れた鼓動が落ち着きを見せ始める。

 そうなるまでに迅の言葉を来栖は信じ切っていた。

 

「おし!」

 

「気合いは十分、みたいですね」

 

「はい、大丈夫です」

 

 川のせせらぎに紛れそうな静かな、けれど覚悟を決めた来栖の声に迅は笑みを浮かべる。

 

「それじゃ、入りましょうか。ただいま~」

 

 迅は手を掛けたままだったドアノブを引き、続くように来栖が玉狛支部に入って行く。

 

 さあどんな人物がいるのか。来栖がはじめに発見した第一ボーダー玉狛支部隊員は何と……。

 

「カピ……パラ?」

 

 そう、カピパラであった。

 塗装もなされていないむき出しのコンクリート床の冷たさを堪能するようにカピパラが気持ちよさそうに寝そべっている。その上に年端もいかない幼子が一人、器用に鼻ちょうちんを膨らませて寝ていた。

 

 どうしてカピパラがここに? 飼っているのか? そもそも飼えるのか? そもそもなんでカピパラ? 普通飼うなら犬とか猫じゃない? 

 テレビの動物番組、もしくは動物園でしかお目にかかれないようなカピパラの登場は来栖に多大な混乱を与えた。

 

 そんな来栖の混乱をよそに迅がカピパラ&幼子へと近づいていく。

 

「おい陽太郎。もう昼前だぞ。さっさと起きろ」

 

「むにぁむにぁ。……ぬお、迅? おかえりだ」

 

「ただいま。昨日夜更かしなんてするからだぞ」

 

 迅は呆れた様子で陽太郎を軽くゆすり、膨らんでいた陽太郎の鼻ちょうちんはパン! と盛大に音を立てて弾けた。

 迅によって起こされた陽太郎はまだ少し眠いのか両目をごしごしとこする。

 

「陽太郎、今誰かいるか?」

 

「レイジとこなみはかいものにいったぞ」

 

「宇佐美と京介はどうした?」

 

「とりまるはばいとをしにまちへ。しおりちゃんはきがえをとりにいえへかえりました」

 

「京介とは入れ違ったか。それと陽太郎、昨日なんか読んだのか? しゃべり方が随分と芝居がかってるぞ」

 

「そうだぞ、こなみにももたろうをよんでもらった。やはりおれのらいじん丸はさいこうだな! ところで迅。そいつはだれだ? しんいりか」

 

 桃太郎の話のあたりで随分とテンションが上がった陽太郎が迅の後ろで控えている来栖と目が合った。

 

 来栖は膝をついて陽太郎と視線の高さを合わせてから口を開いた。

 

「えっと。初めまして、かな?」

 

「はじめましてだぞ。へんなしつもんをするな、おまえ」

 

 こんな小さな子なら以前会っていても憶えていないかな、とも思いつつ念の為に質問してみたが杞憂に終わる。この子は以前の来栖響とも面識がない様であった。

 

「こら陽太郎、年上だぞ」

 

「おぶっ」

 

 陽太郎のヘルメット越しに迅が軽いチョップを決める。

 微笑ましい様子に来栖はにっこりとほほ笑んだ。随分と仲が良いようだ。今の一幕だけでそう思える。

 

「なら、自己紹介をしないとね。俺の名前は来栖響。君の名前教えてくれる?」

 

「これはどうもごていねいに。おれのなまえはりんどうようたろう。はえある玉狛しぶのかくしだまだ」

 

「そっか、それじゃあこの子の名前は?」

 

 名前から察するに林藤の親族か。大した疑問も持たず来栖は納得し、自己紹介の流れで陽太郎が騎乗(ライド)している触り甲斐のありそうなカピパラを撫でようと手を伸ばすがその一歩手前で陽太郎が手を突き出し待ったをかけた。

 

「こいつのなまえはらいじん丸。おれのきょかなくあいぼうにさわることはだんじてゆるさん」

 

「ご、ごめん」

 

 すぐさま伸ばしかけた手と溢れそうな欲求を引っ込めて謝る。確かに迂闊だったと後悔する。飼い主の許可なく触ろうとしたのは完全に来栖の落ち度だ。

 

 でも仕方ないのだ。触りがいがありそうなこの雷神丸とやらの魅力が悪い。

 その昔、妹と共に父に犬を飼う事をせがんだが母が動物アレルギーであったためにその夢は実現しなかった。それ以来、来栖響は動物には目がないのだ。特に触りがいがありそうなやつには。

 

「改めてなんだけど触っちゃだめ?」

 

 両手を合わせながら飼い主たる陽太郎に頼み込んでみる。

 

「いいぞ」

 

「あっ、いいんだ」

 

 来栖のお願いにあっさりと陽太郎は頷いた。

 

 陽太郎は雷神丸に“伏せ”の姿勢を命じる。どうやら自分が乗っていたままでは撫でにくいだろうと雷神丸から降りてくれるつもりのようだ。雷神丸は渋々といった様子ではあるが飼い主である陽太郎の指示に従い、来栖が初めて雷神丸を見た時のように床に寝そべった。

 そうして床に降りた陽太郎はどうぞと言わんばかりに雷神丸へ掌を差し出す。

 

 それをもって来栖はやさしくゆっくりと雷神丸を撫で始めた。

 

「お、おぉ~」

 

 素晴らしい。思わず来栖は感嘆の声を漏らしてしまった。なんだこの柔らかさは。なんだこの温かみは。こんなにもカピパラは素晴らしい生物だったのか。これならば陽太郎が眠りこけたのにも頷ける。病みつきになりそうだった。

 撫でられたのが気持ちいいのか雷神丸の目がわずかにおっとりとし始める。来栖はその変化に目敏く反応し、さらにさらにと両手でモフる。

 

 陽太郎は自慢の相棒の横でそうだろうそうだろう、としきりに頷いていた。

 

 そして迅は来栖にこんな一面があったのかと驚いた様子を見せ、玉狛に入る前の緊張感は何処へやら。来栖のリラックスした表情からアニマルセラピーって凄いんだなと実感していた。

 

「あっ」

 

 そんな声を迅があげると同時に彼の額に冷汗が一粒伝った。視えてしまったのだ。あまり良くない未来が。先んじて言ってしまえば来栖が何故か落ち込んでいる未来が。

 

 まずい、このままではいけない。この人のそんな表情は見たくないのだ、と迅はすぐさまアクションを起こした。

 未来変更のポイントは恐らくではあるがただ一つ。この目の前で一心不乱に雷神丸を撫でまわしている人物を落ち着かせ、自然体に戻す事。そうすればこの未来は回避できる。

 

「あの響さん。そろそろ雷神丸撫でるのやめてませんか?」

 

「いや、もうちょっとだけ触らしてください。迅さん」

 

 任務失敗。声を荒げながら来栖は返答した。

 

 今の来栖にはそんな交渉は暖簾に腕押しのようなものだった。

 いや諦めるなオレ、と迅は再び来栖に交渉を試みる。

 

 大丈夫だ。未来の確定まであと一分程度は時間があるはず。こうなったら仕方がない。小南に後でウダウダ言われるだろうが背に腹は変えられないのだ。

 

「あの、響さん。いいとこのどら焼きがあるんですよ。良かったら一緒に食べませんか?」

 

「……」

 

 無視である。迅の文字通りの甘い誘惑に来栖は一切反応する事なく、雷神丸をモフリ続けている。

 

 迅は思わず叫びたくなった。

 これだからこの人の()()はタチが悪いのだ。

 

「じん! いいのかどら焼きをくっても! レイジに怒られないか」

 

「陽太郎、頼むから今は黙っててくれ」

 

 釣るつもりの無かった人間が釣れてしまう。

 こうなったら仕方がない。強硬手段に出るとしよう。

 

 そう決意して彼の元へ一歩踏み出そうと決めた時に先ほど迅と来栖が入ってきたドアが大きな音を立てて勢いよく開けられた。

 

「ちょっと迅! あんた昼過ぎまで本部に用事でいるんじゃなかったの。せっかく昼の当番変わってあげたのにどーゆうことよ!」

 

「帰ってきたぞ迅。林藤さんから聞いたが会わせたいというのは一体誰だ」

 

「たっだいま~。陽太郎、今日のおやつはいいとこのケーキだよ~」

 

「えっ?」

 

 大きな物音に来栖は雷神丸を撫でる手を止めてしまう。予想外の出来事に来栖の体はその姿勢のまま硬直してしまった。

 

 これか、と迅が天を仰いだがもう遅い。

 

 一番最初に入ってきた女性と来栖との目が合った。女性はえっと声をあげてからまるで狐に化かされたかのような、信じられないものを見るようにまざまざと来栖を観察する。

 

 そして一言。女性はお構いなしに来栖に言葉を投げた。

 

「うそ、来栖さん?」

 

 どうやら彼女は。来栖響の知り合いらしい。 

 

 =======

 

 見られた。初対面の人に。あんな恥ずかしい姿を。一応書類上は21歳の人間が我を忘れて動物をこねくり回している姿なんてキモイことこの上ないだろう。少なくとも来栖はそう思った。大体、モフラー、モフリストのような癖は他人にはひた隠しにすべきもの。そう妹から口すっぱく言われてたのに久し振りのモフりがいのある動物に胸を躍らせてしまったのが来栖の運の尽きだった。

 

 人目をはばかる必要がないのならば来栖は今すぐにでも頭をかかえてのたうち回りたかった。

 無論はばかった為、そのような気狂いは起こしこそしなかったが来栖は来客用のソファに頭を抱えながら腰掛けており、その真正面には先ほど遅れて入ってきた林藤によって紹介された木崎レイジ・宇佐美栞・小南桐絵らが来栖を珍しいものを見るかのように凝視していた。

 

 唯一来栖と多少面識がある迅は昼食づくりの真っ最中。ちなみに昼食はチキンカレーらしい。カレーのスパイシーな香りがここまで届いていた。

 

「まあなんだ、来栖。あんまり気にすんな」

 

「いや無理です。羞恥心で死ねます。つか死にたい」

 

「いやいやせっかく生きてたんだから死にたいとか言うな。ほんと」

 

 誰がどう見ても今の来栖は目に見えて落ち込んでいる。林道がフォローしてみるがあまり効果はなさげだった。

 

「しかしまさか記憶喪失とはな」

 

 来栖の隣に座った林藤によってここ1か月の来栖について説明がなされ終えた今、その目の椅子に座らずたち続けている木崎レイジが会話の火ぶたを切った。

 

「ねえ、ほんとのほんとに来栖さん? あたしの知ってる来栖さんってもっと怖いイメージなんだけど」

 

「はい。ほんとのほんとに来栖響です。えっと、小南さん。そんなに過去の俺のイメージとかけ離れてるの? 今の俺って」

 

「……。ねえうさみ。悪いんだけどほっぺつねってくれる? あたしなんか夢みてるみたい」

 

「大丈夫だよ~。夢じゃないから」

 

 とは言ったものの小南の隣にいる宇佐美が少し強めの勢いで小南の餅のように柔らかい頬を引っ張る。その痛みに小南が耐えきれなくなって目を細めたあたりで宇佐美は手を離した。

 

「痛い! てことはやっぱり本物! うそ⁉︎」

 

「本物だよ。どんだけ疑ってるのさ」

 

「だってあの! 強くなることにしか興味が無さそうなあの来栖さんが! 雷神丸触ってるなんて信じられないわよ!」

 

「ゔっ」

 

 小南の叫びは来栖のいま一番触れて欲しくないところに的確なブローを打ち込む。

 

「ん~。だけどアタシも来栖さんとはあんまり面識ないけどイメージとは違ってたな~。もっと来栖さんってあんなとこ見られてもノリで何とか乗り切っちゃうようなイメージだったし」

 

「いや流石に初対面の人の前でそんな太々しく居られないですよ。宇佐美さん」

 

「あはは〜、だよね。あっ、敬語の方が良いですか?」

 

「いや別にいいですよ。そんな気使ってくれなくて。むしろ俺が敬語使うべきですかね」

 

 宇佐美の態度に即座に来栖は首を振って遠慮した。

 

「それじゃああたしのことは小南先輩って呼びなさい! いいわね、えっと。ヒビキ!」

 

「小南、おまえ……」

 

 小南は急に立ち上がり、意気揚々と来栖へ指図するがレイジが呆れたものを見るような視線を向ける。

 

「な、なによ。レイジさん! だってあたしの方が来栖さんよりずっと前からボーダーにいるし、今の来栖さんからすればあたしの方が年上じゃない。それに……」

 

 途端小南がムキになるが徐々に弱弱しくなっていく。

 はぁ、とレイジはため息を一つ吐いた。

 

「来栖、小南のことはおまえの好きに呼べ。一応、以前のおまえは小南、と呼び捨てだった。俺のことも好きに呼べ」

 

「アタシのことも好きに呼んでくださいね。来栖さん」

 

「それじゃあよろしくお願いします。えっとレイジさんに宇佐美さん。それに、まあ小南先輩」

 

「まあ、って何よ! まあって」

 

「小南~! 騒いでるんだったらカレーの容器出すの手伝ってくれ」

 

「あっ、俺手伝いま~す」

 

 キッチンのほうでカレーを作り続けていた迅が騒がしくなった客間に一声かける。

 これ幸いと来栖は小南からの言及から逃げるために素早く立ち上がり、急ぎ足で迅のいるキッチンへと向かって行った。

 

 =======

 

「ねえボス」

 

 小南は来栖がキッチンに隠れ切ったのを確認してから口を開いた。

 

「来栖さんにはどれで伝えてんの?」

 

「……。1番で話は通してある」

 

「そっか。わかった」

 

「小南。宇佐美のいる前だぞ」

 

「わかってる。でも遅かれ早かれうさみにも口裏は合わせてもらわないと」

 

 小南はレイジの苦言にバツの悪そうな顔をしてしまう。

 小南らの発言に宇佐美は天を仰ぐような仕草でおどけてみせた。

 

「あちゃ~。やっぱり聞いてた話と違うからあれっ、て思ったけど」

 

「悪いな、宇佐美。黙って聞いてもらって」

 

 宇佐美の言葉に林藤は申し訳なさそうな顔をしてしまう。

 

「いえいえ~。でも、説明はしてくれるんですよね。ボス」

 

「ああ」

 

 宇佐美のいつにも増した真剣な声が言う。

 

 嘘は許さない。暗にそう告げていた。

 

「皆さ~ん。カレーの用意できました~!」

 

 キッチンのほうから来栖の声が聞こえてきた。

 

「宇佐美。昼飯終わったら俺の部屋に来てくれ」

 

「あいあいさ~。さっ、行こ!こなみもレイジさんも!」

 

 普段通りの明るい返事を宇佐美が返す。そのままの元気で宇佐美は二人を引き連れダイニングへと向かって行くが林道は向かわず、階段を上っていきそのまま姿を消していった。

 

 =======

 

 来栖はガラスのコップに入った水を盛大に飲み干しカラン、と入っていた氷が小気味良い音を立てた。

 

「ご馳走様でした」

 

 額についた汗を拭い、米粒がひとかけらも残ってないカレー皿に手を静かに合わせる。

 

 旨かった。抱いた感想はそれだけだった。

 何もカレーを初めて口にしたわけでは無い。記憶のあるこの16年間でもカレーは数えきれないほど食ってきたし、記憶のない2年半も食してきただろう。しかし旨いとこれほどまでに思えたカレーは初めてだった。病院の味気ない料理をしばらく口にしていたのも要因ではあると思うが。

 

 語ろうと思えばいくらでも語れる。

 ジャガイモのほくほくとした食感。ニンジンの仄かな甘み。チキンからあふれ出る肉汁の旨味。カレーのルーの鼻を突き抜ける辛味。それをマイルドにするホカホカ白米。添えられた福神漬けは自家製だろうか。市販では出せないような複雑な味わいだ。どれもこれも至高といって差しつかえなかった。

 

 可能ならばお代わりをしたかったのだがいきなりそんな量を食えば変調をきたすだろうとレイジに咎められ協議の結果。半皿分までなら良いとお許しを頂き、それも食し終え背もたれに体を預けていた。

 

「マジでうまかった」

 

 誰に向けたわけでもない。強いて言うなら今は此処にいない迅にだろうか。さらっと来栖から漏れ出た独り言は向かいに座っていた小南の顔を懐疑なものへと塗り替える。

 

「ねえ、ほんとに来栖さん? あたし来栖さんからそんな一言が出ることが信じられないんだけど」

 

「信じられないんならさっきの宇佐美さんみたく頬引っ張りましょうか。そも、小南先輩が過去の俺にどんなイメージ抱いてるか甚だ疑問です。普通に言うでしょ、旨いの一言ぐらい」

 

 ボスに用事があると言って食べ終わったら直ぐに2階にあるというボスの執務室へと迅と共に急ぎ足でいなくなった宇佐美の名を借りて提案する。

 

 にしてもボスももったいないことをする。こんな美味しいカレーを後で食べることになるとは。いや、ひょっとして自分が来たことで急ぎの用事が出来たとか? もしかして宇佐美さんや迅さんも同じ理由で? 

 

 途端に申し訳なさで来栖の胸がいっぱいになった。

 

「来栖。残念だが小南のそのイメージはあながち的外れとは言えないぞ。現に俺も以前はお前から旨いの一言が聞けるとは思っていなかったからな」

 

「え? どういうことですか、レイジさん」

 

 キッチンで皿を洗っている、あり得ないと思っていた人物からの援護射撃。過去の自身の事柄という事で自然に姿勢が前がかりになってしまう。

 

「一言でいうなら以前の、一時期のお前は食という文化に唾を吐いているようなものだった。週に二回程度はまともな食事を摂っていたようだがそれ以外の日は全て三食ゼリー飲料とサプリで賄う。旨さより効率性を重視したような生活だった。そんな人間から旨いの一言が聞けたときは随分と驚いたものだ」

 

「それは木崎さん流のジョークかなんかですか?」

 

「事実だ」

 

「事実よ」

 

 バッサリと、レイジと小南は来栖の発言を否定する。からかって言っているとは思えないほどの真剣さだ。

 

 ホントなのか? いやでもそんな人としての破綻しかけている人間がいたとすれば、来栖自身も先ほどの小南同様、信じられないといった言葉を発せざる負えないのではないのだろうか? 

 

 過去の自分はどんな人物だったのか? 来栖の胸中に不穏な影が芽生えた。

 

「来栖」

 

 熟考に入りかけた来栖にレイジが反射的に声をかける。このタイミングで声をかけなければこいつの癖が出てしまうだろう、と同年代で迅よりも元から関わりがあったことが功を奏した。

 

「今晩、お前の歓迎会をやろうと思っている。お前の好きな料理は何だ?」

 

「歓迎会ですか? いやっ、いいですよそんなの。わざわざしてくれなくても」

 

「気にするな。今晩の料理をどうするかと決めかねていたときにお前が来た。それだけだ」

 

 嘘だ。来栖は言葉にこそ出さなかったが断言した。

 陽太郎が買い物に行っていると言っていたのもあるし、聡明そうなこの人が今晩の献立を考えあぐねているとは到底思えない。

 

「くるす、焼肉だ。焼肉と言え」

 

「陽太郎、何。急に」

 

 カレーをやっと食べ終えた陽太郎が来栖の袖を引っ張り、こそりと自分の要求を告げる。

 

「むっ、くるすは焼肉が嫌いか?」

 

「いや嫌いじゃないけど。むしろ好物だよ?」

 

「なら決まりだな」

 

「え! いや待ってくださいレイジさん。そんな豪華なのは自分には勿体無いですよ」

 

「遠慮するな。おまえの退院祝いも兼ねればむしろ豪勢にいくべきだろう」

 

 どうやら今晩の料理は焼肉に決定らしい。隣にいる陽太郎が良くやったと言わんばかりにサムズアップでアピールする。

 

 やれやれ、今日は随分と豪華な取り合わせだ。抑えきれず来栖は笑みを浮かべる。

 

 その笑みにつられるようにレイジもまた口角が密やかに持ち上がった。陽太郎が食べていたカレー皿を洗い終え、いそいそと玄関へと向かう。

 

「買い出しに行ってくる。小南、陽太朗。来栖を頼んだ」

 

「うむ、まかせておけ。レイジ」

 

「ちょっとレイジさん! 頼んだって何すれば良いのよ」

 

 ドアノブに手をかけ後一歩の所でレイジの足が止まる。振り向かず、いつもの調子で言った。

 

「宇佐美に聞け」

 

「はぁ?」

 

「おっ待たせ〜。呼ばれた気がしたから降りて来たよ〜」

 

「後は頼んだぞ、三人とも」

 

 まるで狙い澄ましていたかのようにタイミング良く二階から宇佐美が降りて来た。

 それを横目で確認したレイジはそう言い残して玉狛を後にする。小南は依然とレイジの発言の意図を読めないでいたが宇佐美の次の言葉で察しがついた。

 

「ん〜。何やら良い予感がするけど先にこっちの要件を言うね。来栖さん、トリガーのセッティングが終わったから早速なんだけど訓練室に入ってもらって良いですか」

 

 玉狛に弱いやつはいらない。記憶を失ったこの来栖響(ヒト)がどこまでやれるのか。小南の闘争心に火が灯った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宇佐美栞ー①

ある意味蛇足です。ただ(蛇足といいつつ)今後のこの作品の核のようなものも入っているので読んでいただけると幸いです

ー追記ー
いくつかの点を修正しました


夢を、描いた。アタシたちの部隊とあの人達、最強を擁する部隊と雌雄を決する。そんな夢をいつか描いた。

 

うってぃーときくっちーが大変だろうけど周りを撹乱して。我らが隊長が最強に挑み、長い長い死闘を繰り広げ、斬り伏せ、そして勝利する。

 

あの時、風間さんと彼に見せてもらった時以上の熱い戦いを最も近くで、そして勝利をともに分かち合える。そう思っていた。

 

だけど夢は夢のまま終わった。せっかく登りつめたというのに目当ての人はそこに居なかった。

 

別に、風間さんは気にした様子はなかった。ただ淡々と。そうか、と一言。彼が居なくなった時そう呟いただけだった。だけどアタシはそこまで大人じゃなかった。どうして、となんで、の言葉の渦。口には出さなかったがそれだけが胸を埋め尽くした。 

 

彼のいた部隊。名前は変わり、宿しているエンブレムもまた変わった。

 

変わらなかったものを挙げるとすれば、一つ。動くたびにその主を追うかのようにはためく黒のコート。噂で聞いた話だが部隊設立当時、隊長であった彼はその隊服を渋々とだが着ていたらしい。

 

何が言いたいかと言うと、彼がそこに居た。と言う証はほぼ消え去ってしまったということだ。

 

 

颯爽とカレーを食べ終えたアタシはレイジさんに後は任せます、と一つお辞儀をしてからカレー皿をテーブルに残し、静かにその場から立ち去る。

 

残念ながら来栖さんにも気づかれた。せっかく美味しそうに食べていたのに水を差すような真似はしたくは無かったのだが気づかれた以上仕方がない。やはりカメレオンがなければそう簡単に隠密行動はできはしないというもの。もっとも、トリオン量が最低値しかないアタシにはそもそもセットできないので意味がない想像だ。

 

夢中に頬張る陽太郎を写真に収めたいとも思うが今はそれよりこちらを優先だ。

 

階段を登り、支部長(ボス)の執務室の前まで来て歩みを止めた。

 

先に食べ終えていたはずの迅さんがここにいないということは。つまりはこの扉の向こうで待っているということだ。

 

何を、この扉の先で言われるのだろう。わかっていることは軽々しく口外できる類ではないということ。

 

だってアタシは。アタシを含むボーダーの隊員は。今の今まで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と聞かされていたのだから。病院で昏睡状態だっただなんて一度も聞かされていない。

 

だから恐らくこれから聞かされるかもしれない話はボーダーでもごく一部しか知らされていないものなのかもしれない。今思えば、ひょっとしたら風間さんはこのことを聞かされていたからあれほどまでに淡白だったのかもしれない。予測に予測を重ねてしまう。

 

それに記憶のないあの人をわざわざ呼び戻すということは。彼の強さが必要な未来があるということだろう。

 

できれば早く来栖さんには記憶を取り戻してほしい。強さ云々もそうだし何より彼の周りにいた人々の為にも思い出してほしい。

 

そして叶うならば。

 

「失礼します、宇佐美です」

 

アタシは、夢の続きを見たいのだ。

 




新たに解釈違いが生まれそう。
ただ2つ前の話はこんなかんじのが書きたくてあげた節もあるから許してください。
次回、やっとだけど戦闘描写あり。頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

来栖響ー①

詰め込みすぎた気はしてる

ー追記ー

いくつかの点を修正しました。

白神 紫音様、誤字脱字報告ありがとうございます



「それで、うさみ? 一体何するのよ」

 

「まあまあ落ち着いてこなみ。一先ず来栖さんにトリガーについて説明しないと」

 

 宇佐美に同行する形で地下のオペレータルームまで来栖と共についてきた小南がウズウズとした様子で宇佐美に問い詰めるが宇佐美がどうどうと宥めた。

 

 宇佐美はそれからデスクに置かれたトリガーを専用の電気ドライバーで開けると中から七つのチップがセットされている電子板が顔を覗かせた。

 

「取り敢えず来栖さんがよく使ってたパターンにしといたんだけど。叢雲(むらくも)がうちに置いてなかったんだよね」

 

「叢雲?」

 

「ヒビキが使ってたトリガーの名前よ。あれが玉狛(ウチ)に無いのは当然といえば当然よね。そもそも量産されてないみたいだし」

 

 残念、と言った具合に宇佐美が首を左右に振るが小南がそれをフォローする。

 

「そんなことより説明するんでしょ。あたしこうゆうの苦手だからあんたに任すわ」

 

「オッケー。それじゃあ来栖さん、トリガーについて解説するよー」

 

「お願いします」

 

 そこからの宇佐美は能弁に語り始めた。

 現在来栖のトリガーホルダーには(メイン)に"弧月"・"旋空"・"シールド"。(サブ)に"弧月"・"グラスホッパー"・”シールド"・"バッグワーム"がセットされており、一つ一つの特徴を詳しく説明がなされた。

 

 

「一通り説明も終わったし次は起動してみよっか。来栖さん、はいどうぞ」

 

 電気ドライバーで絞めなおされたトリガーをポンと宇佐美は来栖に手渡した。

 

「起動って言われても」

 

 右手にあるトリガーを一瞥する。別にスイッチが取り付けられたわけでもないトリガーをどのようにして起動させるのか来栖には皆目見当がつかなかった。

 

「別に変にかしこまる必要ないわよ。起動するって意思を明確に示せば勝手に起動するから」

 

 何も難しくはないといった具合に小南は白色のトリガーを取り出し

 

「トリガー起動(オン)

 

 小南の体がトリオンで構成された戦闘体へと換装される。

 

「あっ、小南先輩。髪型も変わってる」

 

「戦闘体は体の一部をいじったりすることも出来るからね」

 

「へ〜」

 

 つくづくオーバーテクノロジーの塊であるトリガーを再度来栖は見やった。

 

「ほら、手本は見せてあげたんだからあんたもさっさとやりなさいよ」

 

「わかりました」

 

 促されるままに来栖は先ほど小南が見せてくれたようにトリガーを突き出し、口を開けた。

 

「トリガー、起動」

 

 [トリガー起動開始]

 

 [起動者 実体走査(スキャン)]

 [戦闘体生成 ]

 [実体を戦闘体へ換装]

 [メイン武装展開]

 

 [トリガー起動完了 ]

 

 どこか無機質な機械音が直接来栖の体に伝う。

 そして声が完了したことを告げたとき、来栖の体はその姿を変えていた。

 

 黒を基調とし、ひざ元まで伸びたロングコート。左右両腰に添えられた長短二種の刀。

 ここまでなら今来栖の目の前にいる二人もよく似た装いの人物を知っている。

 現A級・個人ランク1位。太刀川慶とほぼそっくりと言っても過言ではない。しかし。

 

「来栖隊の、エンブレム」

 

「京介君のデータからサルベージしてきた。やっぱり来栖さんならこうじゃないと」

 

「あの、エンブレムってひょっとしてこれのことですか?」

 

 来栖は小南の視線の向けた先、纏われた黒コートの肩に取り付けられたマークを引っ張りながら指摘する。

 

 上部は“A”と“00”とが表されており、下部には十字に交差した刀とその交差点で砕かれているように描かれている鎖があり、さらにそこからX状に細い線が伸びているのを大きな円が覆っていた。

 

「そう、それが来栖隊のエンブレム。ボーダーの精鋭部隊だけが着けれる特別な証なんだよ」

 

 宇佐美はどこか懐かしむような声でそう言った。

 来栖は自らの過去の残滓を凝視する。それこそ穴が開きそうになるほどに。しかし。

 

「だめだ。全然思い出せない」

 

 来栖は諦めたようにつぶやいてしまう。

 

 確かに宇佐美に似たように懐かしい気持ちにもなった。見覚えがある気もする。

 しかしそこまでなのだ。これだ、と明確に思えない。過去の自分との確かな繋がりを持てないでいた。

 

「ん~、そっか。隊服を見たらもしかしたら、って思ったけど」

 

「すいません、不甲斐なくて」

 

「ああ、いや。別に責めてる訳じゃないから!」

 

 宇佐美が発言の意図を釈明する。

 もちろん、来栖もその発言が善意に寄るものだとは理解していた。

 しかしそれでも来栖は申し訳なさで胸がいっぱいになった。

 

「……。ねえ、ヒビキの準備も出来たことだしそろそろ訓練始めてもいい?」

 

 どんよりとした二人の間にある空気を払拭するように小南が口を開けた。

 

「そう、だね。うん! そうしよう」

 

 小南の言葉に釣られるよう、若干から元気にも見える宇佐美が手元のキーボードを操作する。たたき続けられたキーボードがタンッと子気味良い音を打ち終えられた後、再度宇佐美は口を開いた。

 

「こなみ。1番の訓練室用意できたよ」

 

「わかった。ヒビキついてきて」

 

「了解です。それじゃ行ってきますね、宇佐美さん。あと……」

 

 小南の後ろに続き、訓練室に入ろうとする来栖が顔を見せないよう宇佐美に背を向けながら言葉を続ける。

 

「さっきはすいませんでした」

 

 まるで捨て台詞のようにそう呟いて訓練室へ続くエレベーターへと姿を消していく。

 その背を見送り、自分以外がいなくなったオペレータールームで宇佐美はか細い声でつぶやいた。

 

「別に、謝らなくてもいいのに」

 

 =======

 

 

 

「で、何するんですか? 小南先輩」

 

 訪れた訓練室の広大な空間にひとしきり驚いた来栖は小南にそう問いかけた。

 

「なぜ地下にこれほどの空間が?」と来栖が聞けば「トリオンのおかげよ」とコナミが返し、もう来栖は何も言えず、トリオンに不可能はあるのか? などと考えてしまう程思考が麻痺していた。

 

「何って訓練室に来たんだから戦闘に決まってるでしょ」

 

 小南は何をいまさら、と説明するそぶりを一切見せない。

 そんな様子に来栖は挙手し、疑問を一つ投げかけた。

 

「あの、俺医者に激しい運動NGって言われてるんですけど戦えるんですかね」

 

 少なくとも来栖は戦えるとは思わなかった。あくまで来栖は日常生活に支障をきたさないと判断されて退院している。なので走ったり飛んだりは圧倒的NGの行為だった。

 

「何言ってんのあんた。換装してる時点でそんなの解決済みよ」

 

「はい?」

 

 小南の呆れたような言葉に来栖は首をかしげてしまう。

 

「あんた迅から何も聞いてないの?」

 

「聞いてませんけど?」

 

 どういうことだ? と来栖は小南に答えを求める。

 

「まあ、言うよりやって貰った方が早いわね。ヒビキ、取り敢えずあそこまで走ってきなさい」

 

 小南は訓練室の壁を指差す。

 

「えっと、ジョギング(ジョグ)で?」

 

「いいわよそれで。ただこっちに帰ってくる時は全力で走ってきて」

 

「了解です」

 

 ストレッチを軽くしてから指示されるままに来栖は壁の方へと緩いペースで走り始めた。

 

 地面を踏みこむ度に体に訪れる反発感に走っているという実感と久しぶりに走れた感動を覚えた。そして来栖が壁際についた頃にはその感動は違和感に変化する。

 

 走ったのちに訪れるであろう爽快感と疲労感。その内、後者が全くと来栖は感じれなかった。

 

 ひょっとして、と来栖は一つあたりをつける。

 

 訓練室の壁に左足を押し付けるようにクラウチングスタートの構えをとり、勢いよくその左足を蹴りだした。

 流れるように右足、左足とを交互に入れ替え、来栖は今まで体験したことがないほどの風を全身で受け止めた。

 

 なおも感じない疲労にどこまでも走れそうな全能感を覚え自然と笑みが零れる。

 

「停まって! 来栖さん!」

 

「え? あっ」

 

 いつの間にか通り過ぎていた小南からの警告に気を取られ、狭くなっていた来栖の視野が一気に広がった。

 

 壁だ。風の、ではなくトリオンで構築された硬質感溢れる純白の壁へと来栖は突っ込もうとしていた。

 

 ヤバイ! と来栖は考えるまでもなく足先に力を込める。しかし走りながらの姿勢のまま、爪先でいきなり勢いを止めに行ったのが間違いだった。

 

 人外的な身体能力を得るトリオン体であってもそれこそトリオン体が生み出した圧倒的加速を瞬く間にその場に踏みとどまらせる事は叶わなかった。

 爪先の接地感が一気に消え、束の間の浮遊感を味わう。見える世界はゆっくりと上下反転しながらも小南の焦る顔が見えてしまった。

 

 来栖の体は前につんのめる程度では収まりきらず、体を半回転させ背中を壁で強打させた。

 

「ぐふぇ」

 

 肺の空気が無理矢理押し出され、カエルが潰れた様な声を出してしまう。そしてそのままズルズルと足を天井に向けたまま来栖の体は壁に添うようにずり落ちた。

 

「来栖さん!」

 

 狼狽とした様子で小南は来栖のもとへと駆け寄りその安否を確認する。

 頭を軽く打ち付けるように地面にたどり着いた来栖は問題ない、とへにゃりと笑って見せその顔に小南は安堵する。

 

「もう、心配させんじゃないわよ」

 

「いやほんとごめん」

 

{とまあこんな具合に戦闘体だと身体能力が大幅に向上するんだよ。大丈夫? 来栖さん}

 

 どこからともなく天の声、ならぬ宇佐美の声が訓練室に流される。

 

「ひょっとしてこの状態(戦闘体)だと痛みも緩和されるんですか?」

 

 打ち付けた背中からは激突した勢いからは想像を下回る痛みが感じられる。生身の時にせいぜい軽く転んだ程度の痛みだ。

 

{そうだよ。戦闘体だと痛覚の設定とかが出来て、なんだったらゼロにすることだってできるんだから}

 

 宇佐美の言葉にもはや来栖は驚かなかった。

 

{それじゃあ、そろそろ特訓はじめよっか。訓練用のトリオン兵を出すよ}

 

「まってうさみ。悪いんだけどモールモッド出して、プレーン体よ」

 

{ええ!? でも}

 

「いいから」

 

{も~。わかったよ}

 

 渋々といった具合に宇佐美は返答し、数秒後には来栖たちのいる訓練場にプログラムで構成されたトリオン兵が現れた。

 

 以前来栖が病院の屋上で見たトリオン兵とは明らかに違う。思わず来栖は目を細めた。

 

 それに加え来栖は胸のざわつきを覚えた。モールモッドと呼ばれるらしきトリオン兵を見れば見るほどその感覚は強まる。 

 

{来栖さん、用意はいい? }

 

 スピーカー越しに宇佐美から声が確認の声がかけられる。

 その声にざわつきは蜘蛛の子を散らすように消え失せた。

 

 先ほどのざわつきは何だったのかと思いつつも自分のもつ武器を確認していく。

 

 先程のダッシュでこのトリオン体()のトップスピードの感覚はある程度掴んだ。細かい加・減速は未だ無理だろうがこのダッシュは十分武器なはず。

 

()のほうも十分に冴えている。

 

 武器となる剣、右腰にセットされた弧月を左手で抜き放ち、落とさない程度に軽く握る。左腰にセットされた短い弧月は抜かないでおいた。来栖はそもそも両利きではなく左利きであり、剣を振るうという今の自分に馴染みの無い行為が右手では十全に出来るとは思わなかったためである。

 また構えは取らないでいた。剣の素人である今の自分に決まった型は張りぼて同然。そう判断したからである。

 

 ───だから。

 

 トンットンットンッ、と来栖は軽く、水滴が落ちるようにリズミカルに飛び跳ね始める。これが今の来栖が知る、一番速く動く為の型。いや、状態だった。 

 

 視線は一点、40メートル先にいるトリオン兵。

 より多くの情報を得るために来栖の眼は見開かれ、敵を捉える。奴より先に動く為。奴より先に此の手にある刃を払う為。

 

 来栖の思考は、ただ敵を切ることだけに()()する。

 

{訓練、開始! }

 

 宇佐美の合図と同時に来栖の脚が地面に接す。

 瞬間、来栖は全体重を右脚の五指に乗せ地面を掴み、弾けるように一歩踏み出した。トリオン体によって向上した脚力が来栖を一陣の風へと変貌させ、敵との間合いを一気に潰す。

 

 先ほどの様なミスはしない。二、三歩目で更に加速させた躰を続く四歩目で勢いを殺しに掛かる。

 膝を曲げながら地面に靴のラバーソールを横滑りする様に押しつけ、地面の摩擦で減速・停止を試みた。

 

 ───ズレた。

 

 そんな感想と共に来栖は未だ完全に制御しきれていない自らの身体操作能力の無さに苛立ちを覚え、内心舌打ちした。

 

 停止した敵との間合いは来栖が目指した距離から39センチ遠い場所。

 その距離、2メートル89センチ。

 

 半歩ばかり踏み出せば詰めれる距離だがその時間が惜しい。

 仕方ない、と割り切り眼前の敵を改めて注視した。

 

 トリオン兵の巨体が来栖の視界を埋め尽くし、その不気味さの象徴たる黄色い三つ目が妖しく来栖を見下ろした。

 

 カマキリの鎌を蜘蛛がその身に宿した様なトリオン兵、モールモッドは自らの領域に侵入した獲物を刈り取ろうと反りのある前足を振り上げた。

 

 しかし、遅過ぎる。

 

 振り下ろす気が目に見える。そんなわかりやすい動作を待っていてたまるか、と来栖は左足を軸にしてその場で半回転。トリオン兵を背にし、一気に正面から側面へと移動する。

 

 ガシィ、と硬質な音が来栖の耳に届く。

 先ほどまで自身がいた場所にはモールモッドの振り下ろされた爪が突き刺さっていた。抉られた地面がその威力と残虐さを物語っている。

 

 しかし来栖はお構いなく、脇目も振らずその場で跳躍しモールモッドのガラ空きの背中を確認する。

 

 ───獲った! 

 

 もはやモールモッドの刃が自身に届くことはないと決めつけた来栖は緩く握り込んでいた弧月を力強く握り直し斬撃を放つ為の体勢を空中でとり始める。あとはこの手に持つ弧月が敵へと振るえるまで落下を待てば良い事だ。

 しかし来栖は忘れていた。確信を得た時こそ人は最も油断するという事を。

 

「!?」

 

 まるで来栖の確信を嘲笑うかのようにモールモッドの背から格納されていたらしき刃を伴う節足が新たに展開される。

 そしてそれは空中という逃げ場なき場にいる来栖に襲いかかろうとしていた。

 

 来栖は驚きと共に自らの軽率さを呪い、また揺るがないであろうこの先に待つ自らの未来を察知する。

 

 それは敗北。手に持つ弧月は敵の体に届く事なく、この体はなす術無くあの鋭い刃に切り裂かれる。

 

 そう、諦めかけた時だった。

 

『何負けかけてんだよ、バカが』

 

 まるでその思考(諦める)に至った自身をなじるように。声が来栖の内から響いた。

 

 その声と同時に、来栖は体験した事のない感覚に襲われる。

 背をまるで押すようなその感覚は来栖の胴に襲いかかろうとしていたモールモッドの刃を所々掠める程度に留めさせ、自由落下していたスピードを僅かに早めた。

 

 結果、来栖はモールモッドの背に着地する。

 一連の出来事に来栖は呆気に取られながらも瞬時に判断する。今こそが真の好機であると。

 

「はぁぁああ!」

 

 らしくもなく声を上げながら来栖は弧月を振り上げ、モールモッドの体を横断するように振り下ろす。

 モールモッドの装甲は豆腐のように容易く断ち切られ機械的な断面を覗かせた。

 

「はぁはぁはぁ。はぁ〜」

 

 来栖は周りを見渡し、モールモッドの爪がどさりと力を失ったのを確認してからモールモッドの片割れの背に倒れこむようにへたり込んだ。

 

「まあまあの結果ね」

 

 遠くから見守っていた小南が来栖に近寄り声をかける。

 

{イヤイヤ、モールモッド相手に20秒だよ。それに初めてなら充分すぎるくらいだよ}

 

「あの、小南先輩」

 

「何、ヒビキ?」

 

「さっきの戦闘なんですけど。俺、飛んだ後何しました?」

 

 宇佐美の労りの声を余所に来栖は小南へ疑問を投げかけた。

 モールモッドの側面に移動し、跳躍したところまでは憶えている。

 しかしその後。あの背から飛び出た凶刃。悪く言えば油断がもたらした隙をどのようにして突破したのかわからないでいた。

 

「何ってグラスホッパー使ったんでしょ?」

 

 小南からあっさりと答えらしきものが提示される。

 

 グラスホッパー。

 来栖の(サブ)にセットされているトリガーの一つだった。

 

 宇佐美の説明では高速機動を可能とするジャンプ台を生成する、主にスピードを主軸に置く隊員に好まれ、空中での移動を可能にするトリガー。

 

 そして、来栖が一切使うつもりの無かったトリガーである。

 

 理由としてはグラスホッパーの使用感がそもそも未知数であった事。

 加えて宇佐美の説明ではグラスホッパーの発揮する弾性は独特であり、かなり慣れを要すると言われたからである。

 

 そんなものに手を出すつもりは毛頭、来栖には無かった。

 

 しかし、小南の言葉と。何より結果が雄弁に語る。

 あの局面を乗り切れるのはグラスホッパーただ一つである、と。

 

 思わず来栖は歯ぎしりをしてしまう。

 

「宇佐美さん、聞こえてますよね」

 

{聞こえてるよ。どうしたの来栖さん? }

 

「今のトリオン兵、もう一体出して下さい。リベンジマッチします」

 

{ええっ⁉︎来栖さん勝ったんだよ? }

 

「いいからお願いします!」

 

 奥底から湧いた感情のなすままに来栖は吐き捨てた。

 

 湧いた感情は怒り。自らがもたらした油断と、諦めるという思考に至った弱気な自分に怒り(それ)は向けられた。

 

「あー、こうなったら多分止まらないわよ。うさみ、さっさと出して上げたら?」

 

{なら折角だしアタシのやしゃまるシリーズのお披露目を! }

 

「止めときなさい」

 

 スピーカーから宇佐美の残念そうな声が漏れる中、先ほどと同じ位置にモールモッドが出現する。

 

「ねえヒビキ。あんたどうせ長くここに籠るんでしょ。あたし一通り説明したんだから外にいていい?」

 

「どうぞ」

 

「そっ。ならあとは頑張りなさい」

 

 二体目のモールモッドに来栖が挑みに行くと同時に小南はオペレータールームへと向かう扉へと歩を進め始める。

 

「これでも、思い出さないのね」

 

 大きな悔恨を、小さなその声に乗せて。

 

 ======

 ======

 

 

 雨が降っている。

 

 いつ止むのかわからないほどの雨が降り続けている。

 

『あっ』

 

 あたしがモールモッドの核に弧月を突き刺したと同時にその爪が引き裂こうとした男性が声を上げた。

 

 モールモッドの上に降り立ったアタシは彼を見下ろし、目が合った。

 

(また、間に合わなかった)

 

 彼の側には恐らく彼の両親らしき人が二人横たわっていた。

 その二人の胸元には雨で薄くなりながらもはっきりと分かる赤がある。

 

 何度こんな光景を今日だけで見たのだろう。

 少なくとも5回。そこから先は数えるのが嫌になって今だけでも忘れようと考える事にした。

 

『あっ、あの!』

 

 彼があたしに声を震わせながらも叫んだ。

 

『俺の、俺の妹知りませんか⁉︎美雨(みう)っていうんです!』

 

(ああ、またこれか)

 

 今日、何度もこれと似た台詞を投げ掛けられた。

 

 息子を知らないか、両親を探して欲しい、この子を助けてくれ。

 

 何も、ただ敵を切るしか出来ないあたしは心に鞭を撃つ。

 

 弧月の切っ先をある方向へ向けて口を開けた。

 それを見て彼の顔は希望が見えた様な顔に変わる。

 

 ごめんなさい。これからあたしは、貴方を裏切る。

 

『あっちは安全だからさっさと逃げて』

 

『そんっ、待って!』

 

 ごめんなさい。

 

『忍田さん、あたしは次どこに行けばいい?』

 

[小南か! すまない。ならポイントB-3に向かってくれ、砲撃型が街の破壊を開始した。急いでくれ! ]

 

『了解よ』

 

 耳に当てたインカムから次の命令を受け取り、彼の声から逃げる様あたしは次のポイントへと移動を開始する。

 

『待って! 頼む! 待ってくれ!』

 

 ごめんなさい。ごめんなさい。貴方の大切な人を(たす)けれなくてごめんなさい。

 

 あたしはもう彼と目を合わせるのが怖くなって、その場から全力で駆け出した。

 

 雨は、まだ止まない。

 

 ======

 

 ──たとえ何を言われる事になろうとも、あたしは貴方に思い出して貰いたい。貴方の声を聴くことを、貴方が目覚めるのを心待ちにした人がいると知っているから。たとえ思い出したその先に今度は赦しが無かろうとも──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

背番号18-①

ワートリ本編には関係が全くありません。
ただ主人公の個性を発揮させるために書きました。
専門的な用語は使わないようにしましたが何かあればお手数ですが感想の方にてご連絡下さい

また、この話を読んで「あれ、今までのあのフリなんだ?」って思われるかもしれませんが次の話“最強の片鱗”で解説しますのでそちらもよろしくお願いします。




『来栖、まだいけそうか?』

 

 暑い日差しが肌を焦がす今日、クーリングブレイク制度*1のお陰で一時ながらテントの陰で冷たい水とスポドリを腹が膨れない程度に飲んでいた俺に監督が話しかけてきた。

 

『今日はペース配分意識したんで最後までいけそうっす』

 

 飲み終えた俺は口元を拭ってから監督の質問に答える。

 

 1年生の夏、初めて経験するサッカー大会の1回戦はいよいよ終盤に差し掛かろうとしていた。

 

『とか言って次のプレーあたりでバテかけるのが来栖なんだよな』

 

『そうそう。これまでの試合でもペース配分考えず飛ばすからすぐガスっ欠になってさ』

 

 俺と同じように冷たい水を盛大に飲み干していく三年の先輩方がからかうように俺をこづく。

 そんな先輩の言葉にぐうの音も出ない俺は何とも言えない表情になってしまった。

 

『多分大丈夫ですよ。今日の来栖、いつもと違って要所でしか走ってないですし』

 

『それだといつも無駄な走りが多いみたいな感じですね』

 

『多いんだよ。ディフェンス下手くその癖にわざわざ戻ってきやがって。前で張っとけっていつも言ってんだろ』

 

 苦言を呈したのは俺の後ろでいつもディフェンスに奔走してくれている二年の先輩だった。

 

 だって申し訳ないじゃないか。奪われたボールを奪い返しに行かずただ待ち続けるなんて。

 

 そんな顔が明け透けに見えたのだろう。呆れるように先輩は言葉を続けた。

 

『お前の武器はその突破力だろうが。苦手なことに体力裂いて自滅とか笑いもんだぞ』

 

 ピィィィとフィールドから審判の甲高い笛の音が聞こえてきた。どうやらもう時間らしい。

 

よし! 残りの時間も集中してくぞ! 

 

『『『おう! 』』』

 

 三年のキャプテンの檄に負けじと声をチーム一同が声を上げる。

 

 さて俺も行こうか、とテントから一歩踏み出したあたりで後ろからのばされた手によってベンチへと引き戻された。

 

 来栖、と呼ばれる声に振り向いてみれば先ほどの二年の先輩が真剣な目でこちらを見ていた。

 

『先輩命令だ、残り20分で1点獲ってこい』

 

『あと20分でですか?』

 

『まだ20分ある、だ。大体おまえ今日2アシストしてるけどどっちもシュートいけただろうが』

 

 確かに。先輩の言う通り今のスコア。2-0は俺のアシストによるものだ。

 

 一応弁解しておくとシュートを狙わなかったのには訳があって、下手に撃ちに行くとスイッチが入って体力の配分が出来なくなるだろうからだった。

 

 無論、先輩も自分の悪癖は理解しておりそのうえで言っている。

 

『残り20分で2点獲ったら帰りはプロテインバー奢ってやる。その代わり……』

 

『ノーゴールだったら奢れ、でしょ。いつも思うんですけど横暴ですよね先輩のコレ』

 

『バッカお前。できると思ってるから言ってんだよ。それでどうする? のるか、この賭け』

 

 自身のプレーに左右されるものを賭けと呼んでいいのだろうか。ただまあ。

 

『わかりました。のりますよ』

 

 まだ入って半年も経っていない俺の事をそこまで買ってくれているのだ。ここで反るのは失礼というもの。それになんだかんだいってこの先輩は優しくノーゴールでも一度も奢らされたことは無い。

 

『よしよく言った! そんじゃ行くぞ』

 

 バシッと背中を叩かれその勢いで俺はフィールドに駆け出し、ハーフウェイラインを少し超えたサイド際についたところで深く目を閉じ試合再開の笛を待つ。

 

 試合再開は自陣深くスローインから。

 

 良いだろう、そこまで言ってくれるのなら残り20分でと言わず1プレーでまずは決めてやる。

 

 審判が全員がポジションに着いたことを確認したのだろう。再開の笛が鳴り響く。

 

 目を見開いて周りを見渡せば実感する。今日も目は冴えている、と。

 

 

 =======

 

 

『来栖!』 『18番来るぞ!』

 

 先輩からのロングフィードと相手監督の叫びが同時にフィールドに轟く。

 

 やってこい。そんなメッセージを込められたボールは相手ゴールに背を向けながらも俺の胸元に収まった。

 

 トンッ、と背中から圧迫感と存在感を感じる。

 相手ディフェンダーがもう何もさせないとばかりに体を密着させたきていた。

 

 鬱陶しいと思いながらも足元でボールをコントロールする。

 

 後ろのサポートを待つか? 

 

 一瞬だけボールから完全に目を切ってフィールドを見渡す。 

 やはり自陣からの急なカウンター。さらには体力が残り少ないということもあり前線、中盤ともに上がってくるのが遅い。

 

 ただそれは相手にも言える事であり、最終ラインのCB(センターバック)二人と俺についているこのSB(サイドバック)以外の計七人は俺の今いるポジションの後ろだ。

 

 後ろを待っている暇は無い。待てば待つ程相手の体制は整えられ、自分のゴールは遠のいていく。

 

 見切りをつけた俺はボールをわざと自陣の方へと少し進める。

 それに追従するよう相手ディフェンスもついてきているが……

 

(70センチ。これだけあれば!)

 

 相手と自分との間に生まれたわずかなスペース。俺は横目でそれを確認してから右のインサイドでボールに触れながらラインを背にする様に体を九十度回頭させていく。

 

 ディフェンスの目には焦って前を向こうとしているのだと思われたのだろう。足を出す様にボールを奪いに来る。

 

 しかし、一歩遠い。

 

 俺は右のアウトフロントを用いてボールを弾く。

 

『あっ』

 

 相手ディフェンダーがやられたことを自覚したのは自身の頭上をボールが通り過ぎかけた時だった。

 繰り出したテクニックの名はシャペウ。相手の頭上を綺麗に超えたボールは誰もいない広大なスペースで小さく跳ねた。

 

 相手は背後にあるボールを追いかけようとするが俺の方が速い。当然と言えば当然であちらはこれから反転からダッシュの2アクション。対してこちらはシャペウの動作で反転をほぼ済ませておりダッシュを既に開始していた。

 

 難なくボールを確保した俺はコーナーに向けてではなく中に切り込むようにドリブルを開始する。

 

 このままGKと一対一に持っていければ一番良いシチュエーションではあるがそうは問屋が卸してくれない。

 

 残っていた相手のCBの一人が少しでも俺の侵攻を止めようと目の前に立ちはだかる。

 

 ここでも尚時間はかけていられない。

 先程の理由に加え、今俺の後ろには一度抜いたSBが挟み込もうと画策しているだろうからだ。

 

 減速は不可。その上で突破する。

 

 右。左とボールを小刻みにリズム良くタッチしていく。その度に目の前のディフェンダーは重心の揺れ動きに耐えようと歯を食いしばりながら俺を睨み付ける。

 

 そして俺とディフェンダーとの距離が4メートルに入った瞬間、勝負の時は訪れた。

 

 仕掛けたのはこちら側。右のアウトフロントでゴールから遠ざかる、それも先ほどよりも僅かに大きなタッチを行う。

 

 相手ディフェンダーから極上の好機に見えたのだろう。足元から離れたボール。試合終盤に差し掛かる中、酸欠になり気味な思考はその好機に体を飛び付かせた。

 

 そんなアクションに俺はほくそ笑んでしまう。

 忘れてないか? 確信した時こそ人は最も油断するんたぞ、と。

 

 ボールと俺との距離は1メートル30センチ。

 あんたの脚では俺より先にそのボールには触れない!

 

 相手の足より先に俺の左の足裏(ソール)がボールに触れる。

 

 見るものによっては俺が無理に足を伸ばしたかのような体勢に見られるだろう。しかし問題ない。このテクニック、ルーレット の始動はそこにある事が切っ掛けなのだから。

 

 足裏で止めたボールを体の方へ引き戻し、ボールを軸に、体で相手を押させつけながら右の足裏で進行方向を九十度変更させ、そのまま相手ディフェンダーを置き去りにする。

 

 結果として起こったのはGKとの一対一。もう一人のCBもカバーに入ろうと走ってきているのが音でわかるがそれよりも先にキーパーとの一対一が成立する。

 

 ペナルティーエリアに俺が入った瞬間、相手キーパーは手を大きく広げるようにしてこちらへと距離を詰めてくる。

 相手との距離を詰める事で必然的にシュートコースは狭まり、それと同時にゴールの可能性は低下する。

 

 臆する事なくキーパーは距離を更に詰めた。これ以上の失点を許す事が守護神としては我慢ならなかったからだ。

 

 俺はシュートを打たなかった。キーパーが詰め寄る。それによりコースが狭まる。しかし同時に、距離を詰めるに比例するあるコースがその決定率を向上させる。

 

 俺は待った。そのコースが完全に光り輝くのを。

 

 何よりも信じたから。平凡なキック力。平凡なシュートコントロール。この場面で活かせない能力に頼るのではなく、()()()()()()()()()()()()()を信じた。

 

 キーパーがその距離を縮める。残り6メートル。ここだ! と俺は右足を踏み込んだ。

 

 ふわり、とボールが宙に舞う。左の爪先、足を滑り込ませるように蹴り上げたボールは嘲笑うかのようにキーパーの頭上を越えようとする。

 

 キーパーも、わかっていたのだろう。距離を詰める事によって生まれるリスク。シュートを打たない俺。そこから俺がチップキックによるゴールを狙っているのだろうと。

 

 その場で止まったキーパーは背面飛びのような姿勢でボールに触れようと試みる。

 

 しかし残念ながら。

 

『あんたの指じゃ6センチ届かない』

 

 指先に掠らせることも許さずボールは無情にもゴールラインをコロコロと転がりそして超え切る。

 

 昂る感情のまま、俺は左手を突き上げた。

 

 やはりFWはこの瞬間を求めてしまう。相手を突き崩し、ゴールをきめ、チームを勝利へと近づける。この時をFWとしての勝利と言わず何と言うのだろうか。

 

『ナイスゴールだ! 来栖』

 

『ウス! ありがとございます。ただもうあと1点、狙いにいきましょう!』

 

 一番近くにいた三年のCFの先輩が駆け寄ってきて、ハイタッチを行う。

 

『欲張りだな、お前。最後まで体力切らすなよ』

 

『勿論っす』

 

 あまり駄弁り過ぎると遅延行為としてカードを出されかねない。俺と先輩は早々にハーフウェイラインまで戻り、ポジションにつく。

 

 ディフェンスからのリスタートである為引き気味のポジションをとった俺に二年の先輩が近づいてきて話しかけてきた。

 

『おい来栖』

 

『あっ、先輩。ナイスアシストです』

 

『あれアシストつくのか? まあ、ナイスゴールだ。あと一点取って俺に奢らせてみろよ』

 

『なんならあと二点取ってきましょうか』

 

『言うじゃん。出来たらバーだけじゃなくてドリンクの方もつけてやる。だから残り時間集中してくぞ』

 

『ウス!』

 

 そう短く会話してポジションにつき直せば審判から試合再開の笛が吹かれた。

 

 そして熱い試合は幕を閉じ、六頴館(ろくえいかん)高校サッカー部は夏の大会一回戦を5-0で突破する事になる。

 

*1
ユース世代を対象に熱中症対策として採られる制度の一つ。3分程時間が取られ、またベンチで休む事が許可される




『お前あの短時間でハットトリックするかフツー?』

『モグモグ、美味いですね。最近のプロテインって』




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

“最強”の片鱗

ー追記ー

いくつかの点を変更しました。

白神 紫音様、龍流様、minotauros様、誤字脱字報告ありがとうございます。


「あれ? 小南もう上がるの?」

 

「さっきも言ったでしょ。ああなったら長いって」

 

 訓練室からオペレータールームに帰ってきた小南に宇佐美はドリンクを手渡し、小南はそれをちびちびと飲みながら訓練室の様子が映し出されたモニターを見て呟く。

 そこにはモールモッドの刃を歯を食いしばり必死の形相で避け続ける来栖が映しだされていた。

 

「凄いね、来栖さん。まだ二回目なのにモールモッドの攻撃を避けはじめてるよ」

 

「……」

 

「ねえ、こなみ」

 

「何?」

 

 避け続け、一向に攻撃の素振りを見せない来栖を食い入る様に見る小南に宇佐美は話しかけた。

 

「こなみから見て今の来栖さんってどんな感じ?」

 

「弱くなったに決まってるじゃない。モールモッド相手に20秒。それも損傷までしてる。無謀に突っ込むところなんてまるで入隊当初の来栖さんを見てるみたい」

 

「入隊したての来栖さん、か。ねぇ、その時の来栖さんってどんな人だった?」

 

「目を離せない人、ね。目を離せば、壊れちゃうんじゃないかって思うくらい無茶してた」

 

「そっか」

 

 小南の冴えない顔を見て宇佐美はそこから先を聞くのをやめた。どんな無茶をしていたのかは噂程度に聞いたことがある。宇佐美が入隊した時期には噂の鳴りは潜めていたらしいがそれにしても来栖が壊れてしまわなかったのが不思議と思える様なものだらけだった。

 

 二人の間に一時の静寂が訪れる。オペレータールームにはモニターから時おり漏れ出る来栖の苛立った声だけがやけに聞こえた。

 

 避けて、避けて、避け続ける。その来栖の危なっかしさに宇佐美はハラハラし、小南は対照的に厳しい目をしていた。

 

 避けて、避けて、避け続ける。宇佐美はそこでチラリと目線をモニター右上部に移す。映し出された表示にえっ、と小さな驚きそのままに口が開いた。

 

「長くない?」

 

 宇佐美が指摘したのは来栖とモールモッドとの戦闘時間についてだった。

 モニターの右端に映されている現在の戦闘継続のタイムでは80秒が経過しようとしている。これは攻撃手(アタッカー)による戦闘としては異例のタイムだ。

 

 依然として来栖の弧月の切っ先は下を向いており、モールモッドの猛攻を弧月で受けず、戦闘体に秘められた身体能力のみで器用に避け続けていた。しかしその顔には先ほどのような必死さは浮かんでおらず、危なっかしさもほぼ無くなり、モールモッドをじっくり観察しているようにも見えた。

 

「ひょっとして、もう慣れたの?」

 

 モールモッドと呼ばれるトリオン兵は現在ボーダーが確認しているトリオン兵の中でも近接戦闘に特化させられた戦闘用トリオン兵に分類される。

 俊敏な機動性と超硬質なブレードが武器であり、訓練生はおろかB級に上がりたての隊員でも一対一では苦戦することがある強力なトリオン兵だ。

 

 それの攻撃をたったの二回の戦闘で見切り始めている。あり得ない、と思いながらも宇佐美はその可能性を口にした。

 

「来栖さんはサイドエフェクトに加えて眼も良かったのよ」

 

 その圧倒的回避力の訳を知る小南が答えを口にする。

 

「サイドエフェクト。確か”集中力強化”だよね。さっき支部長(ボス)に見せてもらった資料に書いてあったけど眼もいいってどういう事?」

 

 宇佐美の疑問はもっともだった。トリオンで構成された戦闘体。これには身体能力の底上げのみならず痛覚の遮断、体内通信などの能力が備わっている。

 その一つとしてあるのが視力の回復。例え生身の時にどれほど視力が悪かったとしても戦闘体への換装を行えば眼鏡などの補助が無くとも遠くまで見る事が可能となる。

 よって一般的な”眼がいい“。つまり視力が良い、は戦闘体には関係の無い話である。

 

「うさみ、一回目の来栖さんの戦い。どう思った?」

 

「えっと、始めのスタートは良かったと思うけどその後かな。モールモッドのことを知らなかったのもあると思うけど前脚を振り上げた時に回避じゃなくて攻撃すべきだったと思うよ」

 

 

 唐突の小南の質問に戸惑いながらも宇佐美はサラっと答えて見せた。

 宇佐美栞は戦闘員ではない。しかし本部時代、風間隊のオペレーターとして培った闘いを観る目は一度目の来栖の戦闘での問題点を正確に言い当てた。

 

「あたしも同意見。あそこは回避じゃなくて攻撃するのが正解。でもあたしが言いたいのはそこじゃなくてあんたも言ったスタートの方。もしあたしが弧月を持ってたらヒビキと同じ距離か更に少し前で止まってた」

 

 小南はそこで言葉を切り、目を閉じてあの時を反芻する。スタートの合図から直線的なダッシュ。そこからのブレーキ。そして停止。自らの身に置き換えてもなお小南の中で結論は変わらなかった。

 

「あの距離なら後退も回避も攻撃も、全部ができる絶妙な距離」

 

「ひょっとして眼がいいっていうのは」

 

 そう、と小南は一つ前置いてから宇佐美の言葉に続ける。

 

「来栖さんは空間認識能力の中で特に距離感の把握力が異常に高いの。それこそ1センチ間隔で距離を測れるくらい」

 

「1センチ⁉︎」

 

 小南の言葉に宇佐美は目を見開いてしまう。

 

「今だってそう。ヒビキはきっとモールモッドが僅かに斬ることの出来ない距離で避け続けてる。さっきとは逆ね」

 

 一度目の戦闘が敵に攻撃を与える事、弧月の間合いを主軸に考えているのなら今はその逆。来栖はこの戦闘ではモールモッドが斬れそうで斬れない、回避を主軸に置いた距離で戦っていた。

 

「多分そろそろ。ヒビキがモールモッドを見切るわ」

 

 その言葉とほぼ同時に、モニターではモールモッドの振りかざした刃を擦り抜けるように前進する来栖が映し出される。

 

 サイドステップ、ターン、バックステップ、スウェー。既にモールモッドの攻撃範囲に入っている筈であろう距離で来栖は一太刀も受ける事なく更に距離を詰め、そして一度目と同じように三つ目の前で停止。

 

 弧月を持った左手を弓を射るように腕を引き、全霊を込めるように放った刺突はモールモッドの核である目を確かに穿った。

 突き刺した弧月を引き抜き、ホッと一息ついた来栖が天に向かって問いかける。

 

 {宇佐美さん、今のどれくらいかかりました? }

 

「136秒だけど……」

 

 {二分超えたか。すいません。次、お願いします}

 

「少し休憩した方がイイんじゃない?」

 

 {いえ、今やらないとこの躰(戦闘体)の感覚を忘れそうなんで。お願いします}

 

「オッケー、ちょっと待ってね」

 

 キーボードのエンターキーを押せば新しいモールモッドは出現する。

 しかしあえて宇佐美はすぐにそうせず、来栖の戦闘体の状態を確認した。モニターに映し出された損傷率のステータスは0%(無傷)

 

 戦闘体での戦闘初日にここまでやれる人間がいるのか。それも一切防御らしい防御を行わず、回避のみでここまで。

 宇佐美はその異様さに戦慄を覚えた。

 

 あまり待たせるのも良くないと思って宇佐美はエンターキーを押す。

 訓練室で形骸化したモールモッドはキレイさっぱりいなくなり、また新しいモールモッドが出現した。

 

 {訓練、開始}

 

 訓練室から機械音声による合図がなされると来栖はモールモッドに向かって駆け出す。

 

 それを見届け、訓練室へのマイクをOFFにしてから宇佐美は小南に質問した。

 

「でも記憶喪失の来栖さんがどうしてその()事だけを憶えてるのかな」

 

「うさみ、あんた勘違いしてるわよ。来栖さんがボーダーに入ってから身に付けたのは剣の技術だけ。あの眼は入隊前から持ってたのよ」

 

「なんでそんな能力身につけてたの?」

 

「さあ? これがあると便利だったんだ、って言ってたわ」

 

「そうなんだ。でも何にせよ」

 

 宇佐美はそこで言葉を切り、モニターを見やる。

 

 {うっし!}

 

 {戦闘終了。記録、46秒}

 

「元からが規格外って事だよね。来栖さんは」

 

 控えめのガッツポーズを掲げる無傷の来栖に呆れながら宇佐美は呟いた。

 

 

 =======

 

「あー、疲れた!」

 

 訓練開始から一時間。来栖は溶けるようにオペレータールームに置かれている長椅子にうつ伏せた。

 

「お疲れ様、来栖さん。どうだった、初めての戦闘は?」

 

「まだまだですね。結局一番タイム良かったのははじめの20秒のやつですし」

 

「何言ってんのよ」

 

「あれ、小南先輩。上がったんじゃなかったんですか?」

 

 顔のそばに置かれたよく冷えたペットボトルが一足先に上がったはずの小南から来栖に手渡される。

 

「暇だったから見てたわよ。それとあたしからすれば一番最悪なのが一回目の戦闘よ」

 

 そうなのか? と来栖は貰った飲み物で喉を潤しながら首を傾げる。

「何でですか?」

 

「確かに倒す時間は短い方がいいけれどそれでも傷を負わない方がもっと重要。いくら緊急脱出(ベイルアウト)機能があるからってたかだかモールモッド一体撃破ってだけじゃ釣りに合わないわ」

 

緊急脱出(ベイルアウト)?」

 

 来栖はなるほど、と納得しながらもまた書き慣れない単語の出現に再度首を傾げる。

 

「あー、後でうさみに説明してもらって」

 

「ちょっとそこでアタシに任せるのは卑怯じゃないかなー」

 

「あの、それの説明は今度聞かせて貰うとしてなんですけど。小南先輩」

 

 二人が戯れている間にうつ伏せから姿勢を正した来栖は手をあげながら話を切り出す。

 

「何よ、ヒビキ」

 

「俺に今度でいいんで剣の事教えて下さい。今のままだと多分30秒切れそうに無いんで」

 

 お願いします、と頭を下げて来栖は小南に頼み込んだ。

 

「イヤよ」

 

「えっ何で⁉︎ そこは快諾する流れでは!」

 

 ガーン、と効果音が浮かび上がりそうなほど残念そうな顔をする来栖に小南はたじろがせながらもその続きを口にした。

 

「勘違いしないで。別に特訓には付き合ってあげるわよ。ただ、あたしは感覚派だから教えるのは無理だし何よりあんたにはもっと適任がいるわ」

 

「適任? ひょっとして俺の元部下って人ですか?」

 

 玉狛に来る際、林藤によって伝えられていた存在を来栖は口にする。

 

「そっか、とりまるくんは元々来栖さんの弟子だったね」

 

「そっ。今はだいぶとりまる風にアレンジしてるけど、元々の型は来栖さんの剣にそっくりだったから多分大丈夫だし、それにあいつは人に教えるの上手でしょ。きっとあたしより向いてるわ」

 

「確かに! 木虎ちゃんもとりまるくんの弟子だもんね」

 

「元部下で更に元弟子、ですか」

 

「何よ、言っとくけどとりまるは結構まあまあ強いわよ」

 

「結構まあまあ?」

 

「気にしないで、来栖さん。こなみは負けず嫌いなだけだから」

 

「って、俺が心配してるのはそこじゃ無いんですよ。大体支部長(ボス)から玉狛は本部に負けない位強い人しかいないって聞いてますし、強さに関しては疑問視してません」

 

「なっ、何よ。急に褒めたって何も出ないわよ!」

 

 クルクルと髪先を指で遊ばせ始める小南を見て来栖は初めてこの人チョロいのか? なんて思いもしたが、そんなことは捨て置いてその続きを口にした。

 

「俺が思ったのは、その。今の俺に幻滅しないかなって思ったんですよ。その、元部下の人が」

 

 記憶喪失で、弱くなった自分。それを果たして見知らぬ彼は受け入れてくれるだろうか。その不安を表すように来栖の声は萎れていくよう徐々に弱々しくなっていく。

 

 その不安をある程度予想していたのだろう。小南の返答はあっかからんとしていた。

 

「別に問題ないわよ、きっと。でも、泣かれる事ぐらいは覚悟しときなさい」

 

「えー、とりまるくんだよ。泣いたりするかな?」

 

「泣くわよ、きっと。ずっと待ってたんだから」

 

 絶対にね、と念を押す小南は自信に溢れていた。その様子に来栖は目を伏せながら呟く。

 

「そっか。泣かれますか」

 

 それならそれは嬉しいものだ。過去の自分とはいえ、それほどまでに思ってくれる人物がいるというのは有り難いものである。

 

「一応、その人の名前教えて貰っても良いですか?」

 

「烏丸京介よ。確か来栖さんは京介って呼んでたわ」

 

「京介。・・・。烏丸、京介。それが俺の部下の一人」

 

 小南から教えられた、元部下の名前を来栖は呟く。

 思い出は一切思い出せない。名前を呟いたが顔は一切出てこない。何かがフラッシュバックするわけではない。

 それでも。か細い感覚。デジャブにも似た違和感。これを実感していると言っていいのかわからなかったが。

 

「その名前を呼ぶのは、なんだか懐かしい気がしますね」

 

 懐かしさと温かみが胸の奥から湧くような感覚に浸った気がした。

 

「ならさっさと上がって焼肉の用意するわよ。きっと始まるくらいにはとりまるもこっちに来てるだろうし」

 

「あー、焼肉かぁ。レイジさん鶏肉多めに買ってくれてるかな」

 

 小南が夕食の話題を出すと、来栖の腹から空腹の合図が鳴らされる。

 

「来栖さん、鶏肉好きなんですか?」

 

「肉類は基本好きですよ。鶏はまあ、筋肉付けやすいから特に好きって理由なんですけど」

 

「ヒビキ。あんた、レイジさんと話合いそうね」

 

「あの筋肉は凄いですよね。今後いろいろ教えて貰いたいです」

 

「筋肉ムキムキな来栖さんは、ふふっ。ちょっと想像できないかな」

 

「流石に俺もあそこまで鍛えるつもりは有りませんよ」

 

 笑いながら三人は部屋を後にした。

 

 

 

 




今回の話で(と言いつつだいぶ前から仄めかしてましたが)とりまるが元来栖隊のメンバーだと明言化させて頂きましたが、原作改変の一つとしてボーダー入隊当時のとりまるは攻撃手ではなく銃手でのスタートという扱いで行かせてもらいます。

一応、とりまるが入隊当初攻撃手か銃手だったかは明言されてこそいませんが、レイジさんが師匠ということなので原作では(恐らく) 攻撃手スタート→レイジさんに師事→銃手を経験→万能手 といった流れだと予測されますが今作では先ほど述べたように 銃手スタート→来栖に師事→攻撃手を経験→万能手 という流れを取らせて頂きます。

また、来栖のサイドエフェクト。"集中力強化"の本質については後々書かせて頂きます。

今後ともよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前触れ

2カ月経つ前になんとかあげれた。
遅筆ですが許してください。

あとこれは嬉しい報告なのですがこの小説が日間ランキングに掲載されました。すげー嬉しい。

まだまだですがこれからもよろしくお願いします


ー追記ー

いくつかの点を変更しました。

minotauros様、誤字脱字報告ありがとうございます。


 俺は夕陽が沈みかかっている河川敷で足を止めた。

 季節はもう秋が本格的な10月下旬。夕陽が綺麗だ、としみじみ思っていた最中に迅さんから譲ってもらったパーカーのポケットに突っ込んでいた、今では周りから物珍しく見られるガラケーが規則的に震えた事に気が付く。

手に取って液晶画面を見てみるとやれやれ、と思いながら左上の応答ボタンを押し、俺は耳元に当てた。

 

「お疲れさまです。何ですか、小南先輩?」

 

 {ちょっととりまる、あんたまだ来ないの!}

 

「あと少しで玉狛(そっち)に着きますよ」

 

 止めていた足を再度動かし始める。

 事実、玉狛支部は目に入っていた。あと三分もしないうちに着くことは可能だろう。

 

 {そっ、ならさっさと帰って来なさいよ。今日焼肉だから}

 

「焼肉っすか」

 

 平静なトーンで受け答えするが心の中で小さくガッツポーズを決める。

 

「でもどうして今日なんすか。なんかあったすかね」

 

 焼肉をする様な祝い事が最近あったかと聞かれれば無いと言わざるを得ない。一応確か11月の始めに林藤支部長の誕生日があった気がするがそれをやるには早すぎる気もするし、そもそも今日だけでもこうして小南先輩から電話やメールがバイトが終わってから鳴らされまくりだった。 

 

 {ええっ! それはその……。良いことがあったのよ! 取り敢えず}

 

「……」

 

 怪しい。聞くからに怪しい。上擦った声と電話越しでも想像できてしまう小南先輩の慌てっぷりはその()()()()が何なのか興味を持つのには十分だっただろう。

 

「小南先輩、知ってますか。良いことがあった時に誰かに電話したらその内容を相手に伝えないと呪われるって噂」

 

 {ウソ? そんなのあたし初耳よ}

 

 聞くからに疑っている声色だ。ならばもう一押し。

 

「……。だといいんすけど」

 

 一旦間を置き、ウソの噂にリアリティーを持たせる。唐突な話題転換。明らかにウソだとわかる噂ではあるがそれに騙されるのがこの先輩だ。

 

 {だって言えないんだもん! その呪いって具体的に何⁉︎ねえ、とりまる? とりまるってばぁ!}

 

 騙せた。完全に小南先輩は狼狽した声をあげている。

 しかし言えない、ときたか。普段の先輩ならここら辺で音を上げる様に本当(ほんと)の事を言うのだが今日はやけに口が硬い。これ以上言ってもどうも口を割りそうには無い。観念してネタバラシをする。

 

 {とりまる⁉︎あんた聞こえてんでしょ! 返事しなさいよ! ねえとりま「すいません小南先輩」ふぇ?}

 

「ウソです。さっきの噂」

 

 {……。はぁ⁉︎}

 

「全部ウソです」

 

 {…………}

 

「…………」

 

 俺と小南先輩との間で静寂が続く。

 

 {だ……}

 

 だ? 

 

 {だましたなぁぁああああ!!}

 

 咄嗟に俺は手に持っていた電話を耳元から遠ざけた。それでも小南先輩の絶叫は耳に入ってくる。

 今日も相変わらずこの人の反応は面白い。

 

「すいません小南先輩。ウソついたことは謝ります」

 

 {ふぅー、ふぅー。まあ、いいわ。今日は機嫌がいいから許してあげる}

 

「良いことがあったからっすか?」

 

 {そうよ。とにかくさっさと帰って来なさい。来たらすぐにわかるから}

 

「了解です。では」

 

 右上の通話終了のボタンを押し込み、通話画面が待ち受け画面に変化する。そこには随分と前から変えられていない写真があった。

 

『京介、一位になった記念だ! 最後に写真撮っとくぞ!』

 

 なんて言われて、若干強引に撮られた写真。俺に出水先輩。国近先輩に太刀川さん。そして来栖隊長。

 狭い画面に全員が映り込むように身を寄せながらも、肩にあるエンブレムの上部にある“A”と“01”を強調する様に撮られたその写真はあの人が一年半前、病院で眠るようになってからずっと変えられないでいる。

 

「今度、見舞いに行くか」

 

 写真をじっくり見たせいか。ふと、そんな独り言を呟く。俺が最後に見舞いに行ったのは確か夏休み中。今は太刀川隊が遠征でいないから誰も見舞いに行けていないだろう。医者ですら打つ手が無いと言っている状況で俺が見舞いに行った所で容態が良くなるかはわからないが何かの足しにはなるはずだ。

 取り敢えず、林藤支部長に手続きをしてもらう必要がある。今日焼肉を食べ終わったら相談する事に決めた。

 

 そんな事を考えている内に目的地に到着する。どうやらまだ夕食は始めていないらしい。焼肉をするときは匂いが付かないようにと屋上を使う筈だが立ち昇るはずの煙も肉の匂いもしない。

 

 俺を待ってくれているのか、と申し訳ない気持ちになり逸るように木製のドアを引き開ける。

 

「お疲れ様っす」

 

 そして俺は一階にいる人に聞こえるよう少しばかり張った声で自らの存在を主張した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再会ー①

「お疲れ様っす」

 

「おっ、とりまるくんおかえりー」

 

「む、かえってきたか。とりまる」

 

 玉狛支部の扉を開けた烏丸を迎え入れたのは宇佐美、陽太郎。そして。

 

「バイトお疲れさん、京介」

 

 迅らが備え付けのソファーでテレビを見ていた。

 

「迅さん、珍しいっすね」

 

「おれが玉狛にいるのがか?」

 

 迅にも自覚があるのだろう。趣味を暗躍とし、席に着いていないこともある迅が食事時に玉狛にいることを烏丸は久しぶりに見た。

 

「そっすね。ひょっとして小南先輩の機嫌が良いのと関係してますか?」

 

 適当に、とは少し違うがあたりをつけて聞いてみる。

 

「あれ、なんでこなみ?」

 

「いや、バイトが終わってから電話鳴らされまくりだったんっす。そん時やけに機嫌が良くて。さっきもいつ帰ってくるんだ、って言われました」

 

「んもー。やめといたらって言ったのに」

 

 烏丸からの報告に宇佐美は呆れた様につぶやく。

 

「それで、何があったんすか。小南先輩もそこだけは口を割ってくれなかったんすよ」

 

「ふっ、しりたいかとりまる。じつはだな」

 

「あっ、陽太郎! ちょーっと黙ってようか」

 

「むぐっ。なにをするしおりちゃん」

 

 宇佐美は無邪気にも事情を話そうと得意げな顔をした陽太郎を抱き寄せながら口をふさぐ。陽太郎はもごもご、とどうにか言おうと抵抗を見せるがいくらわんぱく盛りの陽太郎といえど、流石に十歳以上離れていてはどうにもならず宇佐美に閉口させられてしまっていた。

 

 この二人のやりとりを見て、ますます烏丸は興味を強めた。いや、ここまでくればなぜ自分には小南も宇佐美も教えてくれないのか疑問にも思えてくる。それに先ほどの小南の電話では来たらすぐにわかる、と言っていた割には未だに分からずじまいだ。支部内部の様子はあまり変わった様には思えない。

 

「そうだな、うん」

 

 そんな疑問を知ってか知らずかソファーに腰掛けていた迅が立ち上がり呟いてみせる。その呟きは烏丸にはどこか覚悟を決めたものに思えた。

 

「京介、屋上に行こっか。おまえに会わせたい人が居る」

 

「会わせたい、人っすか?」

 

 そう、迅は真剣な面持ちで烏丸に提案した。

 

「ああ、ついてきてくれ」

 

 =======

 

 

 一階に宇佐美と陽太郎を残し、烏丸は迅に連れられて玉狛支部を移動し始めた。

 支部の隊員たちが寝泊りする二階の居住区を通り抜け、隊員たちがたむろするリビングやキッチンがある三階では一階で見かけなかった小南と木崎がいそいそと夕食の用意を行なっているのが烏丸の目に入った。

 

 烏丸は二人に一声かけようと前を歩く迅に先に行っておいて下さい、と告げてから足を止める。

 

「お疲れ様です。レイジさん、小南先輩」

 

「帰ってきていたか、京介」

 

「おかえり、とりまる」

 

 二人は一瞬だけちらりと烏丸を見ると、すぐさま作業を再開する。どうやら買ってきた肉塊と色とりどりの野菜を一口サイズにカットしているようだ。こんもりと二人の間には準備万端の肉野菜の山が出来上がっている。

 

「……。京介、屋上に行くのか?」

 

「そうすけど。なんすか」

 

 木崎は視線を手元から離さず、躊躇いがちにだが烏丸に話しかけた。

 

「いや。晩飯のことは気にするな、とだけ言っておく」

 

 いまいち脈絡のない、木崎にしては珍しい物言いに烏丸は僅かに困惑を覚え首をかしげる。一年以上この支部に所属してわかった事だがこの人は今みたいに言葉を濁すような言い方はしない。理路整然と言うべきことを確実に相手に伝える。

 

 どういうことか。そもそも会わせたい人とは誰なのか? 

 

 そう烏丸が口を開きかけた時、それに待ったをかけるよう木崎の横で黙々と、時偶肉の筋に悪戦苦闘しながら作業していた小南が手を止め、会話に割って入ってきた。

 

「いいからさっさと屋上に行ってきなさい。行けばわかるから」

 

「行けば、っすか」

 

「そうよ、行けばわかる」

 

 尚真意の掴みきれない一言に烏丸の疑問は更に深まった。

 ただ小南の一言でわかったこともある。言葉通りであるが屋上に行けばわかる、ということだ。

 

「なら、すぐ行きますね」

 

 止めていた足を再び動かし始める。階段の手すり上部からは迅が顔を覗かせていた。先に行っておいてくれと確かに言ったのだがどうやら意地でも一緒に行くつもりらしい。

 

「いいわよ別にちょっとぐらい遅れたって文句言わないわ。あんたも散々待たされたんだから

 

「なんか言ったすか。小南先輩」

 

「別に、気のせいじゃない?」

 

 歩みだした烏丸の背後で小南が呟くが残念ながら烏丸の耳には届かない。小南は何もなかったように止めていた手を動かし始めた。

 

 =======

 

「それで、誰なんすか迅さん。俺に会わせたい人って」

 

「大丈夫。すぐに分かるさ」

 

 階段の先を行く迅の顔は烏丸からは一切見えず、未だに誰に会わせたいのかは見当がつかない。

 三階から屋上へと続く階段を上り、もはや目前。屋上へと出るドアのノブに迅は手をかける。しかし。

 

「迅さん?」

 

 烏丸は前にいる迅に呼びかける。視界にはまるで石像のように固まり、微動だにしない後ろ姿が映った。

 

「何でもない、行こっか京介」

 

 数秒の静寂の後に言葉そのまま。普段烏丸が目にする顔つきで迅は振り向き、ドアを開け屋上に一足早く出る。

 

「えっ?」

 

 迅に続く形で屋上に出た烏丸は図らずそんな声を上げてしまう。

 

 迅の背中に隠れる形で先ほどまで見えていなかったが屋上には先客がいて、烏丸が訪れるのを待っていた。

 その先客を視界に入れた瞬間、烏丸の頭が真っ白になる。

 

 夢か。

 幻か。

 冗談か。

 

 いや、紛れもなくここは現実だし、彼の足元からは影が薄っすらと伸びている。そしてこれはきっと冗談ではない。

 

 しどろもどろとした足取りで前に立っていた迅を押し除けその人物へと近づいて行く。

 その姿が嘘でないように心で祈り。確認するように何度も見直しながら近づいて行く。

 

 そしてその男性の顔を見て烏丸は震える声で最後の祈りを込めて呟いた。

 

「来栖、隊長?」

 

 =======

 

 空の色が茜から黝に変わろうとする中、玉狛支部所長。林藤匠は屋上のパラペットに腰掛け煙草を空へと細く燻らせながら待ち人の片割れがくるのを待っていた。

 

 ガチャり、と屋上のドアが開けられる。

 

「おう、来たか。来栖」

 

「お疲れ様です、支部長(ボス)。言われた通り換装して来ました」

 

「連絡がきちんといってたみたいだな。とりあえず飯食って風呂入るまでは換装体(それ)でいてくれ」

 

 傍目から見れば来栖の姿は病院からこちらに来たときと同じ普段着。

 しかしその実態はトリオンで構成され、戦闘用トリガーなどの基本装備を取っ払った云うならば日常用の換装体になっていた。

 

「わかりましたけど、飯食べるときはずっと換装体(これ)でですか?」

 

「暫くの間はな。多分その状態なら飯もしっかり食えるだろうし肉も付けやすい。ただ満腹にはなりにくいだろうから食べ過ぎには気をつけろよ」

 

「おっしゃってる意味がよくわかんないんですが?」

 

「あーそうだよな。説明しねぇといけないんだよなぁ」

 

 林藤はメンドくさそうに煙草を持っていない空いた手で頭を搔く。一頻り悩んだ様子を見せてから煙草をひとふかしして口を開けた。

 

「トリオン体になってる時は生身のときと違って消化効率がすげーいいんだ。ついでに満腹中枢も刺激されにくい。以前のおまえと比べればやっぱ細いからたらふく食え、と言いたいんだが食い過ぎたら食い過ぎたでやばいからな。気をつけろって話だ」

 

「なるほど。つまり程々に食えってことですね」

 

「まあ、ざっくり言えば……。来栖、ちょっとこっち来い」

 

 林藤はその場から立ち上がり来栖を手招きする。

 

「どうしたんです、支部長(ボス)?」

 

「あっこにいるやつ見えるか? あれがおまえに会わせたいやつだ」

 

 林藤はそう言いながら河川敷を歩く、常人ならばまだ輪郭程度しか掴めないだろう人影を指差す。

 

 しかし今の来栖は視力も強化されるトリオン体。ボストンバックを肩に掛け、なにやら電話を片手にしている顔立ちの整った男性がはっきりと見えた。

 

「⁉︎」

 

 ドクン、と一際大きく心臓辺りが跳ねる音がした。

 そしてそれに呼応するよう身体中の血管が踊り狂うように暴れ出し、事故で負った胸の傷が熱を持つ。熱は伝播するよう全身に広がり、また頭部には狂いそうになる程痛みが走った。

 

 来栖は思わず手で頭部を覆い、その痛みと熱に耐えきれず側にいる林藤に寄りかかる。

 身体は熱せられる水のようにぐんぐんと温度を上げていく感覚に襲われ、頭部はまるで針を何千本と直に突き刺されているような激しく鋭い痛みを味わわされる。事故で負った胸の傷がやけに熱い。来栖は頭を覆っていない手で服の上から押さえつける。

 

 ──あっ、ヤバイ。

 

「おい、来栖⁉︎」

 

 林藤の叫びと重なるように来栖は視界が真っ暗となり、まるで糸の切れたマリオネットみたいにその場に倒れ込んだ。

 

 =======

 

 昏い、不思議な世界で目が覚めた。

 

 辺りを見回してああ、またか。と無感情にも思ってしまう。どうしていつの間にこの世界に来ているのかは知らないが、兎にも角にも来てしまっている。

 

 この前ここに来たのはいつだったろうか。暫くではあるがそんなことに頭を捻ってみた。

 

 けれどああ、ダメだ。うまく思い出せない。うまく頭が回らない。

 邪魔をするのだ。胸を何度も切り裂くこの痛みが。鐘を打つみたいに叩きつけられる頭部の痛みが。身体中を駆け巡るこの痛み、泣き叫んでしまいたいと思えるこの痛みが思考の邪魔をする。

 

 何より、気持ち悪い。この世界はやはり気持ち悪い。光の無いこの世界は気持ち悪い。

 この昏い世界が今にも自分を飲み込んで、自分という存在を消してしまいそうで気持ち悪い。

 

 痛みと気持ち悪さが考えることを邪魔し続けていた。

 

 けれど暫くすると痛みはまるで鎮静剤を打たれたみたいに薄らいでいく。

 勝手ながら安堵した。この気持ち悪さだけで堪えるというのにプラスアルファがあってたまるかと思っていたから。

 

 だがそれも束の間。痛みは別に消えた訳ではないとわかって安堵は絶望に変わった。

 

 指先が、足先が。文字通りこの世界に溶け込み始めていた。見えていた肌は徐々に世界に同化する。先ほどまであった感覚が無かったものになっていく。

 同化。もしくは消去。それが徐々に自分という存在になされていっていた。

 

 ああ、なるほど。と絶望する感情の裏で冷静に慌てふためくことなく理解する。

 

 先ほどまでの痛みは別に消えた訳じゃない。その形、作用を変えただけなのだ。

 激痛を与える毒から、侵食するみたいに自分の体をこの世界に溶け込まさせる毒に。

 

 絶望する。その毒に対する対処を知らないから。その毒から逃れる術を知らないから。

 何より、この絶望に対して立ち向かおうとする意思が自分にはないことに絶望する。

 

 ただただ侵され、死んでいく。

 

 この昏い世界から抜け出すためのもの、それを自分は忘れてしまっていたから。

 

 気づけば毒は既に自分の肢体を溶かしていて残すは胴体と頭だけ。

 

 嫌だ、と大して拒絶する訳でもないのに呟いた。もっともその呟きすらこの世界に溶けていってしまったが。

 

 毒が身体を蝕んでいく。胴体は世界と一体化を果たし、後はもう頭だけ。無情に世界は自分を消し去る。

 そう諦めた手前で世界に変化は起きた。

 

『俺はココで最強に成ってみせる』

 

 誰かの声が確かに聞こえた。残されていた耳がその声を拾う。

 

 それは救いの声だった。

 世界と同化、消失しかかっていた胴体と肢体が姿と感覚を取り戻させる。

 

『員、きみには』『んたは俺が堕と』『励めよ、来』『っけんなよ来栖テメェ!』『ました? オ』『れが君専用のトリガーだよ』

 

 一つ一つ唐突に。この世界で声はより鮮明に聞こえてきた。

 

 聞き覚えのない声。知らない声が無数に聞こえてきて、普通なら怖くなりそうなのに不思議と声に恐怖は抱けない。

 

『なに言ってんのよ。まだあた』『減にしろ、戯』『美栞です』『分かりました、頼』『りあえずおまえは飯を』

 

 言葉は中途半端に切り抜いたみたいに不完全で、意味を読み解く前に次の言葉が矢継ぎ早に聞こえてくる。

 

『こは俺が凌ぎます』『かせたぜ、来栖』『そのまま突っ込んでく』『栖さん! 後ろから』

 

 言葉は次第と光を帯び始める。言葉がこの鼓膜を打つ度に真っ昏な世界に小さな光がポツポツと出現し始めた。

 

 ああ、思い出せた。思い出した。

 

 なお増え続ける光は昏闇の世界で一筋の路を作り出す。

 五体満足。どこの感覚も欠ける事なく、光の路に自分の存在が接地する。

 

 ああ、思い出せた。思い出した。この光が自分を救ってくれたのだと。

 

『最強は、俺だ』

 

 この言葉は特別だったのかもしれない。

 

 光は一気に輝きを増す。世界はさっきの自分みたいに光に飲まれていく。昏闇が光に飲まれていく。

 

 やがて光が昏闇の存在を許さないとばかりに喰らい尽くした時。

 俺は、来栖響はいつかみたいに……

 

 

『また会おうぜ、来栖響』

 

 =======

 

「っはぁ!」

 

 夢から醒めるように意識が現実に浮上する。息も絶え絶え。溺れていた人間が助けられたように来栖は喘いでみせた。

 

「おい来栖! 大丈夫か⁉︎」

 

「はぁはぁはぁっ。林藤さん?」

 

 顔に息がかかりそうなほど寄せられた林藤の目と目が合う。その表情は酷く焦っているように見えた。

 いまいち状況がわからないまま来栖は息を整えてから林藤の名を呼んだ。

 

「大丈夫か? なにか体に違和感は?」

 

 同じ形相のまま林藤は来栖に尋ねた。来栖はそれと真反対の惚けた様子で質問に答えた。

 

「大丈夫、です」

 

 知らぬ間に屋上の地面で仰向けになっていた体の上半身をゆっくりと起こし、来栖は胸、頭。そして全身と触っていって異常を確かめていく。

 

「うん、大丈夫」

 

 来栖は思った事をそのまま呟いた。

 

「本当にだな。無理していないんだな」

 

 念を押さんとばかりに林藤は心配そうに聞いてきた。

 

「大丈夫ですよ。ただ、えっと。なにがあったか説明して貰ってもいいですか?」

 

「来栖、おまえ憶えてないのか?」

 

「いや、急にしんどくなったとこまではわかるんですけどその後が」

 

 来栖はお恥ずかしい、とばかりに頭をかく。

 

「倒れたんだよ。その場でふらっ、ってな。ギリギリのところで支えれたから良かったが頭とか打ってはいない、よな?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 朗らかに笑って来栖は答える。

 しかし座り込んだままでは説得力のかけらも無い。来栖は林藤を安心させようとその場で立ち上がろうとした。

 

「ほら、っ!?」

 

 しかし、来栖の気持ちとは裏腹に立ち切る前に膝から力が抜けてしまい、体は林藤にもたれかかるようふらついてしまった。

 

「おい! やっぱり無茶してるんじゃないのか⁉」

 

「いや大丈夫、大丈夫です!」

 

 半ば林藤を突き放すような形で来栖はそこから一人で立つ。

 

 来栖はそれから何度も林藤に。そして自分に言い聞かせるように大丈夫と言うが説得力は減る一方だ。なにせ来栖は何事もないように振る舞っているが林藤からは精一杯歯を食いしばって立っているように見えたのだから。

 

「なあ来栖。烏丸の件だが今日はやめておくか?」

 

 見兼ねた林藤が来栖にやさしく提案する。それは来栖の現状を見れば当然のものだった。

 体調が万全とは言えないこの状況はタイミング的に烏丸を来栖が見てしまったからだろう。見るだけでそうなってしまった人間に会わせるなんて行為はなにが起こるかわからない。だからこその提案だったのだが。

 

「いえ、今日会う必要がある」

 

 ときたまふらつく体を気力で無理やり静止させ、来栖はしっかりと強い口調と意思でそう告げた。

 

 予感がしたのだ。不確かで確証なんてこれっぽちもない、打算に近いものではあるが。今日彼に会えば何かを掴む。そして今日彼に会わなければ、二度とその何かは掴めない、逃してしまう。

 

「今日会わないといけない」

 

 林藤をにらむように。梃子でも動くつもりはないとその視線で主張して、来栖ははっきり言いきった。

 

「来栖……」

 

 林藤の顔には躊躇いが見えた。

 来栖とてわかっている。これは我がままであり正しいのは林藤の提案に乗ることだ。だけども。

 

「お願いします支部長(ボス)。彼と会わせてください」

 

 これがきっと未来を変える選択だと信じて。来栖響はそう告げた。

 

 =======

 

 屋内と屋上を隔てるドアのガラスに影が映る。

 

「来るぞ、来栖」

 

 隣の林藤のつぶやきに来栖はコクリと無言で頷いてみせる。

 胸によぎる不安を押さえ込んでそのドアが開けられるのを待った。

 

 影が映って数秒経ってから開けられたドアからはまず迅が屋上に足をつけた。

 そしてその背からは()が続くように姿を表す。

 

「えっ?」

 

 まるで鳩が豆鉄砲撃たれたみたいに彼は随分と情けない声を出す。

 

 彼は口元を震わせながら、ゆっくりと迅を押しのけるようしながら来栖との距離を詰めてきた。

 そしてその手が届きそうになる程近づいて彼はその口を開く。

 

「来栖、隊長?」

 

 ああ、君なんだ。と来栖は頭の中で符合させる。

 あの暗闇の中で聞こえた声の一つに彼の声はそっくりだった。

 

 そして彼のその呼びかけに来栖はドキッとさせられる。

 今の俺は(『来栖響』)ではないのだから。

 

『別に問題ないわよ、きっと。でも、泣かれる事ぐらいは覚悟しときなさい』

 

 大丈夫。後押しは既にして貰っている。

 決めた覚悟から逃げるな。逃げようとするくらいなら初めから会おうとするな。

 締め付けられる胸の苦しみに無視を決めて、あらかじめ決めていた言葉を発する。

 

「初めまし、って!?」

 

「初めまして」そう言うつもりだったがその前に烏丸が思い切り来栖の胸に飛びついた。

 来栖は烏丸の勢いに耐えきれず、あえなく押し倒されてしまう。

 

 突然の出来事に来栖は痛い、と言おうとしたが抱きついてきた烏丸の一言が来栖の口に蓋をした。

 

「本物、っすよね」

 

 烏丸は来栖の胸に顔を埋めるように呟いた。

 

「そう、だね。俺は来栖響だ」

 

 烏丸の問いに来栖は正直に答える。

 

「でも、俺は来栖隊長じゃない」

 

 そして戸惑いと覚悟を乗せて言葉を続けた。

 

 バッ、と埋めていた顔を烏丸があげる。

 どう言うことだ? と言わんばかりのその表情からは困惑が簡単に読み取れた。

 

 来栖は意を決して口を開こうとする。しかしそれを。

 

「もう十分ですよ、響さん」

 

 二人を見守っていた迅が遮った。そして有無を言わせぬと間を一切置かずに言葉を続ける。

 

「京介、大事な話がある。落ち着いて聞いてくれ」

 

 ゴクリ、と烏丸の息を呑む音が聞こえる。それが来栖にはやけに印象に残った。

 

 =======

 

「来栖隊長が記憶喪失」

 

 来栖が目覚めた九月からのあらましを迅から聞いた烏丸は未だその事実を飲み込めていないのだろう。大きく驚くわけでもなく、俯きがちにその事実だけを口にした。

 

 烏丸は迅と会話を始めてから来栖にずっと背を向け続けている。そのため来栖には一体何を烏丸が考えているのか。その背中からは及びもつかないでいた。

 屋上という空間に緊張が張り詰める。解放的な空間であるはずなのに来栖は息苦しさを覚えた。

 

「……。それでも」

 

 烏丸は振り返り、来栖へとその視線を向ける。

 

「それでも俺はあんたが起きてくれて嬉しいっす。ずっと待ってたんすから」

 

 目尻から一条の雨粒を流し、烏丸は静かに呟いた。

 

「おかえりなさいっす。来栖さん」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

烏丸京介ー①

 玉狛支部の屋上からは煙が立ち上っていた。

 無論火事などではなく、夕食たる焼肉が屋上で行われているからだ。

 炭で焼かれた肉が食欲を掻き立てる匂いを放つ。

 

 俺はいい感じに金網で火が通された肉を皿にのせ、レイジさん特製のタレにつけて噛み締める。

 口の中に大量の肉汁が広がり、舌鼓を打った。

 

 肉もさることながらやはりこのタレ。これがいい。醤油をベースに作ったのであろうこのタレは肉の味を邪魔することなくそれでいてまろやかな味わいだ。

 レイジさんの作るとんかつと焼肉。どちらを食べたいかと言われれば圧倒的前者だが、このタレがあるなら甲乙付け難い。

 

「どうだ、京介。楽しめてるか」

 

「迅さん」

 

 ごくん、と十分に味わった肉を胃に流しこみ、俺は肩に置かれた手に反応する。

 

「まあ、それなりに楽しんでますよ」

 

「それは良かった」

 

 俺は迅さんと目を合わすことなく、思った事をそのまま述べる。

 視線の先には小南先輩やレイジさん。そして陽太郎と談笑し、屈託の無い笑みを浮かべる来栖さんを俺は見ていた。

 

 随分と懐かしいものだ。

 一年以上寝顔だけを見続けたというが一番の理由だが、そもそもあんな笑みは片手で数えるほどしか見ていない。あの人が笑うようになったのは隊ができて随分と経ってからのはずだから。

 

「迅さん」

 

「ん? どうした」

 

 それはさておき。俺は聞かなければと思っていた事を迅さんを横目に口にした。

 

「来栖さんのこと、なんで太刀川さん達にだけでも伝えなかったんすか」

 

「ああそのこと、か」

 

 予期していたのだろうか。あるいは予知し(視え)ていたのか。

 迅さんはあっさりと返答した。

 

 来栖さんが起きたのが9月というのならまだ遠征には行っていないはず。 あの人達は、もしかすれば俺以上に来栖さんが目覚めるのを待っていたかもしれないというのに。なぜ俺には教え、太刀川さん達には教えないのか。

 

「京介の疑問はもっともだよな」

 

 迅さんは手に持つコップの中にある水に映った自分の顔を眺めるように視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。

 

「まず太刀川さん達は遠征までもう秒読みに入ってたし、教える事で良くない未来が増える可能性があったからっていうのが一番の理由かな」

 

 僅かだけどね、と迅さんは付け加えるが俺は迅さんの発言に目を細める。

 緊急脱出(ベイルアウト)装置に三門市以上の制限が掛けられる遠征先での良くない未来。

 迅さんは明言こそしなかったが、言わんとする事はわかる。

 

 なるほど、と理解を示す。たとえそれが僅かであろうとも、リスクは限りなく少なくするべきだ。それを増やすなんてとんでもない。

 

「それと」

 

 横目に見ていた迅さんに俺は目を引き寄せられる。

 

 迅さんの顔は怒りを堪えるようにしかめられ、続きを口にした。

 

「太刀川さん越しに城戸さんに来栖さんの存在を知られる可能性を少しでも下げたかった」

 

「どういう事ですか」

 

 思った疑問をそのまま口にする。

 確かに太刀川さん達は城戸総司令の派閥の人間だ。報告がいくかもしれない。

 

 そういえば、林藤さんも来栖さんについての報告は忍田本部長と側近の沢村さんにしかしていないと言っていた。

 

 何故そこまで城戸総司令に連絡されたくないのか。忍田本部長が良くて、城戸総司令が駄目なのか。

 俺にはそれが分からなかった。

 

「京介。来栖さんが起きる前からある未来が見え続けてた」

 

「どんな未来だったんですか」

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 屋上に一際強い風が吹いて、迅さんの声が消えかける。

 

「聞き間違いじゃ、無いっすよね」

 

 それでも俺の耳に届いた迅さんの言葉は思わず俺の目を見開かせて、合っているかどうか戸惑いがちに確かめてしまった。

 

「無いよ。京介の聞いた通りだ」

 

 迅さんの言葉に俺は恐怖を覚えた。

 そんな未来があるのか。いや、そんな未来があってしまうのか。

 

「そうなる未来の可能性は低い。けれど、城戸さんに会わせる訳にはいかない。多分だけどその未来にいく条件は響さんを城戸さんに会わせる事。だから万が一にも会うかもしれない本部の方に連れて行く事を支部長(ボス)にやめてもらった。ほんとは今日本部に連れてく予定だったんだけど、オレの中で踏ん切りが付かなくてドタキャンって形で断ったから忍田さんには悪い事をしたけど」

 

「そう、っすね」

 

 同意の言葉を呟く。と言うよりその言葉以外が思いつかなかった。

 

「京介。これは個人的な頼みだ。嫌なら断ってくれていい」

 

 迅さんは視線を上げて俺を見つめる。

 先程までの険しい表情は消え失せているが、その真剣味だけは残っていた。

 

「響さんを強くしてほしい」

 

 迅さんの発言に思わず面食らってしまう。いきなり話が飛びすぎだ。

 

「さっきの話と全然関係ないっすよね、そのお願い」

 

「ああ、さっきも言ったけどこれはオレの個人的な願い。オレの望んだ未来を叶える為だ。だから断ってくれても良い」

 

「そう言いながらも未来見えてんでしょ? 迅さん。わざわざ聞く必要ありますか?」

 

「わからないよ。未来は無限に広がってるから。それに」

 

 迅さんはそこで言葉を切って俺に背を向ける。

 

「たとえ見えてても、未来を動かすにはきっかけが必要だからね」

 

 迅さんの顔は俺からは全く伺えず、何を考えているのかは一切わからない。

 

「きっかけ、すか」

 

 俺は迅さんの発言をそのまま復唱する。

 

「良いっすよ。その話、受けます。ですから」

 

 未来を動かすにはきっかけが必要。

 さっき迅さんが言った言葉だ。

 

「必ず、いつか太刀川さん達に来栖さんの事を伝えてください。それが条件です」

 

 だから俺は未来を動かすきっかけになる。未来を動かすきっかけを得る為に。

 たとえ迅さんのいう未来が未来が待っていようとも、どうにかしてもらわなければ困る。あの人たちもまた待っている人なんだから。

 

「オッケー。この実力派エリートに任せとけ。絶対にその約束は守る」

 

 迅さんは振り返り、俺にそう言い切って見せた。

 

「迅さんそれに、えっと烏丸くん。ちょっといい?」

 

「ん、響さん」

 

 ずっと見計らっていたのだろうか。

 ちょうど話が終わったタイミングでさっきまで肉をつまんでいた来栖さんが俺たちに近寄ってくる。

 

「えっと、話。大丈夫ですか? 随分真剣な雰囲気だったんで」

 

「大丈夫ですよ。それより楽しんでくれてます? 歓迎会」

 

「ああ、はい! 楽しませてもらってますよ。凄いっすよね、レイジさん。このタレ手作りなんでしょ。市販品って言われても信じますよこれなら!」

 

 来栖さんは目を輝かせ、まくし立てるように感想を大声で述べた。

 視界の隅に映るレイジさんが心なしか笑顔になった気がする。

 

「なら良かった。それじゃあ、あとは二人でどうぞ」

 

 さいならー、と言ってここから迅さんが唐突に緊急脱出(ベイルアウト)する。

 やられた、と思った頃には遅かった。

 

 大方これも視えていたのだろう。来栖さんは俺に用があるようで、迅さんを追わずじっと側に立っていた。

 

「あー。気遣わせたかな?」

 

「大丈夫っすよ。いっつもあんな感じすから」

 

 小南先輩達のいる輪に入って行く迅さんを余所に俺は目の前の人に注目する。

 大人びた風格にどこか幼さを混じらせたような様子が俺にはなんだか不思議に感じた。

 

「あーそうなんだ。そっか。ふーん」

 

 来栖さんは何処と無く上の空で受け答えする。

 俺と視線はいつまでも合わず、むしろ意図的にそれしているようだ。

 

 けれどよし、と一言小さく呟いてようやっと目が合う。

 

「改めまして、なんだけど。来栖響です。よろしく」

 

 ああ、そういえば遮ったんだった。先刻こちらがバッファローの突進みたいに来栖さんに突っ込んだ事を思い出す。

 

「烏丸京介っす。よろしくお願いします。来栖さん」

 

 俺がそう言うと、なぜか来栖さんは悲しそうな顔をする。

 どうしたのか? そう俺が尋ねる前に来栖さんは答えを零した。

 

「ごめん。君の事を憶えてなくて」

 

 そんな事、と言おうと思ったが口に出なかった。

 たとえどんな形であれ、俺にはあんたが起きてくれただけでも嬉しいというのに。

 

 目の前の来栖響の目に圧倒されて俺は何も言えなかった。

 

「でも絶対に思い出すから。絶対に君のことも思い出す。だからそれまでよろしく頼む」

 

 先ほどのものからは想像できない、毅然とした顔でそう来栖さんは口にする。

 力強い目だ。それに懐かしい目。この目に、この言葉に宿る意思に何度過去の俺は助けられただろう。

 

 何も言えず閉口してしまう。その言葉の思いを。懐かしさを噛み締めてしまっていて。

 

「えっと、烏丸くん?」

 

 来栖さんは無反応な俺に反応を求める。

 大丈夫。聞こえてますよ、いつかのあんたじゃないんだから。

 

「京介。そう呼んでください。俺にはそっちの方が馴染みがあるんで」

 

「……。わかった、そう呼ばせて貰う。俺のことも好きに呼んでくれ、京介」

 

 ああ、久しぶりにあんたにそう呼んでもらえた。

 

『京介、あっちのトリオン兵やってくるからこっちの奴任せるぞ』

 

 思わず懐かしい記憶を思い出す。

 

 その思いを胸にしまいこんで、いつかそれがこれから先にも出来ると信じて。

 

「ええ、これからよろしくっす。来栖さん」

 

 俺は来栖さんを歓迎した。

 

 =======

 

 ──これで借りが返せるなんて思っちゃいない。あんたに受けた恩は大きすぎる。けれど俺が何かのきっかけになれるなら。喜んで俺はあんたを助ける。いつかあんたがそうしてくれたみたいに──

 




「でさ、早速なんだけどお願い事があってさ」

「ひょっとして修行付けてくれって話っすか?さっき迅さんに頼まれましたよ」

「え、もう!?迅さん仕事早いな。で、その。返答は?」

「勿論、いいっすよ。ただ、普通にきついすから頑張ってください」

「・・・。マジで?」

「マジっす」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

来栖隊ー①

いよいよこれを投稿した週末からワートリアニメ3期が始まりますね。多分ですがランク戦最後までやりそうですが個人的には弓場隊の活躍が楽しみです。弓場さんの「帯島ァ!」とか、早撃ちとか。他にもあるんですけど、語るのはやめときます。

取り敢えずですがこの話と後1、2話小話を挟んで原作への突入かな、と計画を立てています。初投稿から半年以上。牛歩のごとく遅筆ですが頑張っていきます。

ー追記ー

minotauros様、誤字報告ありがとございます。



『では以上で本会議を終了する。入口に近い隊員から退出してくれ』

 

 忍田さんの一声で長かった会議が終わりを告げ、出席者は三者三様に行動を取り始める。大きく伸びをする者。隣の者と会議の内容について軽く雑談するもの。いそいそと資料を取りまとめ退室の準備を始める者。

 

 そんな中で俺、来栖響はそのいずれもせず椅子に腰掛けたまま会議室から人がいなくなるのを待っていた。

 

 俺としては早く帰りたいのだが、そうは問屋が卸してくれない。

 いや、この場合問屋ではなくこいつの好きなものにかけて餅屋というべきか。そんなくだらない、ジョークにすらなっていない事を考えてると奥の席からやってきた二宮が俺の隣の人間に侮蔑的な視線を送った。

 

 うん。ほんと、そうだよな。同年代にこんな奴がいるんだったら俺だってそんな目するよ。

 

 しかしながら同意しようにも何も言えない俺は二宮から目を逸らし、さっさと出ていってくれるのを切に願う。

 それが伝わってくれたのか、隊長の東さんが二宮を急かしてくれた。

 

 はぁ、と一つ大きな溜息をついてから会議が始まってものの数秒で船を漕ぐどころか突っ伏しやがったバカの体を揺らす。

 

『おい太刀川、起きろ。会議終わったぞ』

 

『っん。終わったか? 来栖さん』

 

『ああ、終わったよ。会議は、な』

 

『は?』

 

 含みを持たせた俺の一言に未だ目が開ききってない太刀川は疑問符を浮かべる。そうこうしないうちに太刀川の背後にいる人物がぽん、と肩に手を乗せた。

 それだけで今自分が置かれた状況がわかったのだろう。太刀川はまるで錆びたブリキの人形みたいにぎこちなく首を捻った。それに伴うように俺も体ごと振り返る。

 

 そこには予想どうり、静かに怒る虎。こいつの剣の師である忍田本部長がいた。

 

『慶。後で私の部屋まで来い。説教だ』

 

『げっ! 忍田さん』

 

 忍田さんの鋭い眼光に晒されて、太刀川はガタリと椅子を揺らしながら飛び起きた。

 

 はー、とまたため息が漏れてしまう。

 どうして自分はこの人と同じような威圧感が出せないのか。

 出せれば会議で眠りこけるこの太刀川(バカ)をソッコーで跳ね起きさせることができるのに。

 

『た、助けれてくれ! 来栖さん! また正座と餅抜きはもう嫌だ!』

 

 会議中に眠るというなんとも自業自得な太刀川が俺の裾を引っ張りながら助けを求める。思わず俺は頭を抱えてしまった。

 

 ふざけるな、と縋り付いてくるこいつの手を振り払ってやりたい。なんならこいつを贄にしてさっさとここから逃げ出したい。

 普段ならば『きっちり搾られてこい』と見捨てる所だが。あぁ、今日はそうともいかない。

 

 なんで今日定例会議があんだよ、と僅かに呪いつつ、ゴミを見るような視線を太刀川に一旦向けてから忍田さんにそのまま移す。

 

 ほんと勘弁して欲しい。わざわざ忍田さん()の尾を踏むような真似を誰が進んでやるものか。

 当たり前だが会議中に粗相を起こしたこいつの管理不足ということで今すぐに俺にも説教が飛び火するかも。というか以前したのだ。

 

 一応今日はこいつを起こそうと何度もアクションを起こしたから俺も説教。とはならないだろうが所詮それは俺の希望的観測にすぎない。

 大体なぜ翌日定例会議があるとわかっていてこいつは国近主催の徹ゲーに朝まで付き合うのか。

 やるなとは言わないが加減を覚えろ。もうお前高三だろうが。

 

 意を決して口を開く用意をする。誰かこの役回り変わってくんないかな。

 いつの間にか()()しかいなくなった会議室で情けないことを思い浮かべる。

 

 先にも言ったように今日は本当にダメなのだ。最低でも説教は翌日以降にしてもらわなければ俺は後々針の筵に晒される。

 

『あー忍田さん、申し訳無いんですけど今日こいつを説教すんのは勘弁して貰えませんか? ウチの隊、夜から防衛任務なんですよ』

 

『しかしだな来栖』

 

『わかってます。帰ったらこいつには正座はさせますし、ペナルティもしっかり受けさせます。こいつの監督不行き届きに対する自分の処分も受けますから今日はどうか勘弁してください。お願いします』

 

 椅子から立ち上がり、頭を九十度下げて懇願する。

 横から『来栖さん』だなんて情けない声を出す奴がいるんだがお前のせいなんだよな。お前も頭下げろよ。なんなら土下座してくれ。

 

 それに、と俺は頭だけをゆっくり上げてから言葉を続ける。

 

『急にスケジュール変更なんてしたら調整する沢村さんに面目が立ちません』

 

『……!!』

 

 そう。ボーダー本部長補佐、沢村さんに迷惑が掛かるのだ。

 先ほどまで忍田さんの後ろで顔を青くしていた沢村さんが笑みの花を顔に咲かせる。

 

 ほんとすいません、沢村さん。ウチのバカと俺が迷惑かけてほんとすいません。

 

 沢村さんの変わり様に心の中で必死に頭を下げる。

 そう、何を隠そうこの沢村さん。今日の終業後に忍田さんを食事に誘う事を画策しているらしい。数十日前から今日に照準を合わせ綿密なスケジュール管理を行い、そしてその成果がようやっと実りそうなのだ。

 それを、このバカと俺は台無しにしようとしている。このバカを忍田さんが説教するということは即ち沢村さんが必死に捻出した時間を潰しかねないということだ。

 

 俺の責任でもあるんだけどそれははっきり言って不憫だし、何よりあちこちから嫌味を言われるのは此方としても勘弁だ。主にオペレーターたちなんだけど。意外と多いんだね、沢村さんの恋を応援する人って。

 

 そういうことなので必死に今日の説教を回避する。

 今日さえ凌げればそれでいい。後日沢村さんが報復とばかりにきっちりと説教用の時間を確保するはずだから。

 安心しろ。沢村さん。このバカの尻はしっかり俺が拭うからさっさと忍田さんのハートをゲットしてくれ。

 

 そんな事は一切知らない忍田さんはううんと唸ってから口を開いた。

 

『まあ、来栖がそこまで言うなら今日は止めておこう』

 

『ありがとうございます』

 

『ただ後日時間を設けて説教する分には構わないな』

 

『ええ、そこに関しては』

 

『ちょっ! 忍田さんに来栖さん⁉︎』

 

 説教回避成功、と安堵していた太刀川がバン! と勢い良く立ち上がる。

 

『あ? 文句あんのか。太刀川』

 

 再度ゴミを見るように太刀川を睨み付ける。

 これ以上話を無茶苦茶にするな。それにこれ以上は妥協できない。いっぺん三途の川渡ってこい。しっかりその後こっちに連れ戻してやる。

 

 こちらがいつも以上にキレている事を察したのか太刀川は口をきゅっと噤んで見せた。そうだ、それでいい。

 

『それじゃあ忍田さん、沢村さん。失礼します。会議の内容を部下とこのバカに伝えないといけないんで』

 

 バカ、の部分を強調して頭を下げる。

 

『俺もあんたの部下だろうが!』

 

『うるせぇ。さっさと帰るぞ』

 

『ぐぇっ! おい来栖さん! 襟ひっぱんな。引っ張んないでくれ!』

 

 俺は太刀川の首襟を掴んで無理やり歩かせ、会議室を後にする。

 

 全くこいつは。戦闘以外ではほぼ無能だからこちらとしても頭が痛い。なんで高校にはいってdangerをダンガーなんて読み方をするんだ。思い出すだけで頭が痛くなりそうだ。

 

 全く、流石に会議で眠られると上層部の視線が痛いからマジで止めて欲しいのだが。林藤さんはクツクツと堪えながら笑っていたが城戸さんの視線がヤバイ。怒ってんのかどうかわかんねぇんだから。冷やかな目でこっちを一瞥してからスッっと目をそらすし。

 

 今度の会議からこいつじゃなくて出水でも連れてこようかな? なんて後ろで喚き散らす太刀川の声を無視しながら俺はボーダーの長い廊下を歩き始めた。

 

 =======

 

『なあ、来栖さん』

 

『なんだ? バカ』

 

『……。頼む、寝てたことは反省するから名前で呼んでくれ』

 

 流石に連呼されるのは太刀川とて嫌なのだろう。随分としおらしいトーンで俺に謝ってくる。

 

 謝るならはじめからしなければいいのに、と言いたい所だがやってしまったものは仕方ない。

 何よりこちらとしてもそんな蔑称を使い続けるのには心が辛かった。

 

 はぁ、っと気持ちを切り替えるために溜息を吐いてから俺は太刀川に問うた。

 

『で? なんだ太刀川』

 

『いや、さっきの会議の内容教えてくれって』

 

『ああ、それか』

 

 全くこいつは。一個間に取り留めのない会話のクッション入れるなりなんなりして、こっちの精神衛生を気にしてはくれないだろうか。

 今会議の事を思い出させられると、忍田さんとのやり取りも連想させられて鳥肌が立ちそうだ。

 

 まあ、それを言っても仕方がないので伝える事にする。

 

『いつも通りのシフト管理とかを省いて言えば今回の会議は色々あったぞ。来シーズンからのランク戦はかなり変わりそうだ』

 

『例えばどんなのだ?』

 

『まず来シーズンのランク戦から専用の観覧席が設けられるらしい。しかも正隊員とオペレーターによる実況、解説付きで』

 

『なんだそりゃ』

 

『なんでも最近入ってきたオペレーターの子が上層部にプレゼンしたそうだ。実況解説があればボーダー全体の戦術レベル底上げに繋がるって』

 

『へ~。そりゃいいな! 東さんの解説とか聴きごたえありそうだ』

 

『確かにな』

 

 太刀川の意見に同意するよう頷いてみせる。

 

 以前ランク戦のログで東さんの動きを追ってみたのだが、不可解な点が多く悔しながらも本人に聞きに行ったら懇切丁寧に指導してもらい、おまけに課題まで出してもらった。あれはほんとにわかりやすかった。

 

 最もそれを元にランク戦に挑んだら裏をかかれるという失態をしてしまったのだが。

 ついでに指導の時、東隊の加古の手作りチャーハンを出されて死にかけた。死ぬのは堤と二宮と太刀川だけで十分だ。もう勘弁願いたい。

 つかなんで蒼也の奴はまだはずれ(三割)引いてないんだよ。確率的にもう無理だろ。堤なんか何回も死んでんだぞ。その運分けてやってくれ。ついでに俺にも分けろ。

 

 そんな苦い。そしてエグイ思い出を記憶の奥底に押し入れて俺は口を開く。

 

『あとはチーム数についてだな』

 

『なんだ? ランク戦のチームひょっとして増えんのか?』

 

『いや、逆だ』

 

 ふるふると首を振って太刀川の言葉を否定する。

 

『来シーズンから玉狛が除外される』

 

『はあ⁉︎なんだよそれ!』

 

『おい、声の大きさ気を付けろ。一応正式発表はまだなんだから』

 

 会議などが主に行われている今のフロアなら問題ないかもしれないが誰に聞かれているかわからない。

 目で太刀川を制すと冷静さを取り戻したのか声量を抑えて太刀川は言葉を発する。

 

『なんで除外されるんだ?』

 

『理由は一応あいつらの使用する専用トリガーがチームランク戦の公平性に問題をきたす為ってことらしい。玉狛のトリガーは規格外すぎるからな』

 

 そう、規格外。この一言に尽きる。

 

 木崎の"フルアームズ"に小南の"双月"。

 戦闘員が今はもう二人しかいないのに現在のボーダー精鋭によって結成された部隊と渡り合うどころか昨シーズンのランク戦は常に上位。最終的には首位をかっさわれたのだから全く規格外と言わざるを得ない。

 

 俺の隊や東隊、ギリギリで嵐山隊くらいならなんとか鍔迫り合いに持っていけるがそれ以外の隊からは力及ばず押し切られてしまうのだから可哀想の一言だ。

 

『それに多分だが』

 

 俺は太刀川に前置きを一つ置き、周囲に人が居ないのを確認してから続ける。

 

『派閥的な事も絡んでるだろうな』

 

『ああ〜』

 

 太刀川も納得といった表情を浮かべる。

 

 今から半年前、ボーダー本部はより迅速に近界民(ネイバー)を討伐できるように、と警戒区域円周上にいくつかの支部を設立することを決定した。

 そしてその先駆けとしてできたのが旧ボーダーの本拠地であったらしく、設備がすでに整っていた小南や迅、木崎が在籍する玉狛支部だ。

 

 そうしてボーダー初の支部が誕生したわけだが、これがきっかけでボーダー内では近界民(ネイバー)を絶対悪とする城戸派閥。市民の安全を至上とする忍田派閥。そして近界民(ネイバー)を悪とせず、場合によっては歩み寄ることを良しとする玉狛派閥。といった概念がいつの間にか誕生していた。

 

『でも普通ここまでやるか?』

 

『……やるしかないんだろ。これ以上玉狛に存在感を城戸さんは出させたくないんだ』

 

 現在のボーダーに所属する多くの隊員は俺も含め近界民(ネイバー)に対する恨みつらみを動機として入隊した人間ばかりだ。それを土台として今のボーダーを創り上げた。

 

 しかし今も含めこれから先、そのような人間ばかりが入隊するとは限らない。街を守りたいと正義感に駆られる者。資金稼ぎのためのいわゆるバイト感覚で入隊する者。

 ボーダーの規模が大きくなるに連れ、その理由は多岐に渡っていくだろう。

 

 そしてその中で現れるはずだ。現状を、近界民(ネイバー)に対し防戦一方である現状を根本的に解決すべきだと考える人間が。

 そしてその手段の一つとして玉狛の思想は大いに有り、と言える。

 

 しかしそれを城戸派は良しとしないだろう。正反対の思想だ。土台を揺るがしかねない。最悪、組織を二分するかもしれない思想だ。

 だからこそ、その芽を今摘む。摘まなければ組織として崩壊の可能性もあるのだから。

 

 しかしもし、将来組織が変わるきっかけが起きたならば俺は。

 

『おーい来栖さん?』

 

『っ!? お、おう。どうした太刀川?』

 

 太刀川の声で俺はハッとさせられる。

 いけない。いつの間にかまた入り込んでしまっていたらしい。

 

『いや、他にはまだあんのかって、聞いたんだが?』

 

『ああ、あとはだな』

 

『あとは?』

 

『あー待て。丁度いい』

 

 口を開こうとした直前で自分たちのいる場所に気が付く。こうやって自然に目的地に着けるというのは随分とここに馴染んだんだなと実感させられた。

 

『その話は全員に話すぞ』

 

 目の前の部屋。来栖隊のドアパネルに触れながら俺は太刀川にはにかんだ。

 

 ======

 

『おーす、ただいま』

 

 一週間前に掃除を行ったばかりだというのにもう魔窟化しはじめている隊室の一角に向かって俺は帰ってきたことを告げる。

 

 どうやら格闘ゲームに興じており、国近と出水が現在対戦中。京介は順番待ちといった様子だ。

『おかえりなさーい』と国近と出水はテレビからは目を離さず、手に持つコントローラーをカチャカチャと音が聞こえてくるほど動かしていた。

 

『お茶入れてきます』

 

『あんがとな、京介』

 

 こちらに来た京介がありがたい提案をしてくれる。茶を入れてくれている間に俺もやることをやっておこう。

 

『おい、国近。さっきの会議のことで色々やんなきゃいけない事あるから手短に済ませてくれ』

 

『オッケ〜来栖さん。それじゃ、いざいざ〜』

 

『ちょ、待って柚宇さん。それひょっとして確殺コンb。ってああ!!』

 

 御愁傷様、と出水の断末魔を耳に挟みながら、次なる仕事へと身を移す。具体的には……。

 

『そんで太刀川、お前は正座だ』

 

 会議中にやらかした部下への制裁だ。

 

『いや! おれさっき反省したって言っただろ来栖さん!』

 

『ダメだ。忍田さんにもお前を帰ってから正座させるって条件で見逃してもらってる以上正座はしてもらう。あと、帰り道でのあんな一言で許すと思ったのかコノヤロー』

 

 勘弁してくれよ、とぶつくさ文句を言っているが後々忍田さんに正座から逃げたことを報告されるのを嫌ったのだろう。最後の抵抗を諦めたのか太刀川は隊室の固いタイルに膝をつき正座を始めた。

 

『ひょっとしてまた太刀川さんやったんですか? 会議中に居眠り』

 

 給湯室から盆に急須と湯呑みを乗せて京介がいつもと変わらない様子で尋ねてくる。

 

『ああ、やりやがった。しかも最速記録だ。開始1分きってたったの40秒で眠りやがった』

 

『会議が始まってすぐ寝ちゃうなんてダメな学生みたいだね。太刀川さん』

 

『うるせーぞ国近』

 

 正座しながら威厳も何もない太刀川が、一瞬で出水を屠ったらしい国近に毒づくが迫力は一切ない。早くも正座に苦しみ始めているようでなんとか痛みを紛らわそうと体を左右にもじつかせていた。『怖くないよ太刀川さん』と国近が笑いながら言うが全くもってその通りだ。

 あと国近、さっきの一言は割と俺にも刺さったぞ。

 

『ずるいんじゃないすか、柚宇さん。あのコンボ禁止って約束でしょ』

 

『仕方ないよ〜出水くん。隊長の命令なんだから』

 

『やることやったらまたリベンジすればいいだろ。ほらさっさと座れ』

 

 トボトボと悔しさを滲ませながら歩いてくる出水を俺はソファに座らせ、俺含む四人とやらかした奴一人が聞く姿勢を整えてくれたのを確認してから口を開く。

 

『よし、それじゃあ早速なんだが会議の内容報告だ。まずはじめに来月のシフトについてなんだが……』

 

 =======

 

『とーまあこんな感じだ。何か質問とかあるか?』

 

『いや特におれは』

 

『わたしも無いよ〜』

 

『俺も大丈夫です』

 

 ひとまず太刀川に帰り道に伝えた内容を更に細かく伝えてみたが全員理解してくれたみたいだ。

 

『それじゃあラスト。実は』

 

『あの来栖さん』

 

『ん? どうした出水』

 

 最後の議題に突入しようとした手前で出水がスッと手を上げた。

 

『太刀川さんが限界っぽいです』

 

 出水はテーブルの横で最早正座とは呼べないほど姿勢を崩している太刀川を指差した。

 

『ああ、知ってるが?』

 

 ちょくちょく『来栖さん、頼む。許してくれ』って小声で言ってるのは聞こえていた。それでもわざと無視していたが。

 

『大体まだ正座開始から三十分しか経ってない。一緒に絞られた時は確か一時間くらいさせられただろ。もうあと半分だ、頑張れ』

 

『あんた鬼か!』

 

『うっさい』

 

 思わずイラついたので腹いせに太刀川の痺れているだろう脚を突っついてやった。

 そうすると盛大に呻き声をあげて、陸に打ち上げられた魚みたいにビクビクと体を震わせる。

 

『はあ、もういい。太刀川。一分だけだ、姿勢崩していいぞ』

 

 つくづく甘いと自覚はしているが、こうしなければ話が進められなさそうだ。

 ややぞんざいにだが、一時的に許可を与える。

 

 その言葉を待っていましたとばかりに太刀川は素早くあぐらをかいた。

 全く現金なやつだ。

 

『一分だけだぞ』と再度念を押してから、最後の話題に突入する。

 

『さっきの続きだが、実は来年の二月に備えてボーダーは隊員の階級制度を今年中に刷新、新しくすることが決まったんだ』

 

『階級制度?』

 

『今のところ訓練生と正隊員で分けてるだろ。アレのことだ』

 

 現在ボーダーは入隊してから4000ポイント、訓練生同士での戦闘訓練で得点を得るまでを訓練生。それ以上を正隊員としている。狙撃手(スナイパー)の連中は勝手が違うらしいがそこまでは知らん。

 

『ああ、それのことすか。そういえばこの前おれと同じクラスのやつが正隊員になったからバトらせろって言ってきたんすよね』

 

 何のことだ、と国近が首を傾げたが俺の一言で出水と京介も理解してくれたらしい。

 思い出したかのように出水は最近あったであろうことを口にした。

 

『ほー、一応聞いとくが結果は?』

 

『正隊員に上がったからって言っても流石に負けないですよ。10ー0(ストレート)です』

 

『流石はウチの射手(シューター)。よくやった』

 

『流石っすね。出水先輩』

 

『さすがだね~、出水くん』

 

『流石だな出水。だからこれ(正座)変わってくんない?』

 

 自慢げに、というわけではないが当然といった具合に出水は結果を報告し、俺たちはこぞってそれを褒めちぎった。

 

『えと、あざっす。あと来栖さん一分経ちました』

 

『そうだな。太刀川、正座』

 

『出水お前!?』

 

 唐突の褒めラッシュに照れたのか出水は顔を俺たちから逸らし、余計なことを言った太刀川を絶望に叩き落とした。

 ホントは二分くらいおまけしてやろうと思ってたのに。馬鹿な奴である。ほらさっさと正座しろ。

 

『そんで最近ボーダーってだいぶにぎやかになってきただろ』

 

『そうっすね。この前の九月の入隊式も過去最多って聞きました』

 

『わたしも~。オペレーターの人だいぶ増えたなーって思った』

 

『だから上層部は考えたんだろうさ。今やってる選抜チームランク戦をさらに大規模でやろうって』

 

『『『『!!!』』』』

 

 俺の一言で部下達が一斉に驚く。

 

 正座している人間は本来ならもう知ってる筈なんだけどな。

 こいつ俺が風邪とかで居ない時どうするつもりだ? 

 

『また新しく選抜チームを作るんすか?』

 

『いや、そうでもないらしい。今後は誰でもチームを作って良いそうだ』

 

 京介の質問を俺はすぐさま否定する。

 

『今行われている選抜チーム戦は上層部()がまず俺や東さん。嵐山みたい人間をまず隊長に指定。その後隊長が部下を選ぶって形を取ってた。だけど今後はそうせず隊員達だけで部隊を設立することを許可するとのことだ』

 

『なら結局玉狛の抜けたランク戦の穴は埋まるって事か? 来栖さん』

 

『いいや、少なくともすぐには埋らない。それにここでさっきの階級制度の話が出てくる。いきなり今ある選抜ランク戦に希望した奴ら全部隊を混ぜてみろ。玉石混交、ワンサイドゲームになり兼ねない』

 

『ぎょくせき、こんこう?』

 

 あーもう。と太刀川の一言に本日二度目。頭を抱えてしまう。

 そんな難しい四字熟語か? これ。

 

『言い方が悪いが選抜ランク戦に弱小が紛れ込む可能性があるって事だ。それを避けるために選抜ランク戦に一つ下の区画を設ける。それが“B級ランク戦”だ』

 

『B級?』

 

『今までは訓練生、正隊員の二分だった階級を今後は訓練生のC級。そこから昇格した正隊員のB級。その中から部隊を編成し、B級ランク戦を行ってA級。今の選抜部隊に組み込むって運びだそうだ。要するに三分割。だから今やってる選抜チームランク戦は今後“A級ランク戦”って名前になるらしい』

 

 ちなみに俺たちはA級スタートな、と付け加える。

 が、しかしなにやらイマイチ反応がよろしく無い。何故か皆思案顔だ。

 

 ……なんとなく皆が何をそんなに考えているか大体予想は付くがとりあえず無言を貫く。

 そんな中、代弁するように口を開いたのは俺を除けば最年長の太刀川だった。

 

『来栖さん。それ俺たちに関係あるか?』

 

『ないな、ぶっちゃけ!』

 

 皆が太刀川に同意するよう一斉に首を縦に振るがいい笑顔で言ってやる。

 A級でスタートするのだ。関係ない話である。でも。

 

『でも、ここからは関係ある話だ』

 

 顔を真面目モードに作り直して、会議で貰った資料に目をやる。

 

『これまで正隊員と俺たち選抜隊員を隔ててた点は給料体制を除けばこの隊服しか無かったわけだが……』

 

 そう言いながら俺はトリオンで構成されている黒のロングコートをつまみ、ひらひらとさせる。

 

『今後は部隊が増えていく。そうなるとその隊用の隊服ができるわけで必然的に俺たちはその中に紛れるって事だ』

 

 これまでは隊服が選別部隊の証として成立していた。しかし今後はさっき言ったように紛れてしまう。

 

『紛れますかね? 少なくとも隊長は紛れないと思いますが。いい意味でも悪い意味でも

 

『聞こえてんぞ京介』

 

 コツン、と軽くこずいてやる。最近こいつ物言いがお茶目になってきてないか? 

 

『まあ、そうなるのを根津さんとか広報部が勿体無いと思ったんだろうな。A級ならではの特典。って言っていいのか分かんないが、その証みたいなのを作りたいらしい。具体的にはその隊独自のエンブレムを作成しろ、とのことだ』

 

 俺は会議で渡されたA4サイズの紙をテーブルに置く。

 既に決められた枠組みには選抜、A級隊員であることを示す“A”の文字と、シーズンの順位が組み込まれる部分に“XX”の文字が上部に、その下にはエンブレムを書き込むであろう空白があった。

 

 さて、何か案は出るだろうか? 

 

『先ずは国近』

 

『ええ〜。わたしこーゆうの苦手かも。出水くんと京介くんは思いついた?』

 

『いや、いきなり言われてもそうすぐには出てこないですよ柚宇さん。京介、おまえは?』

 

『俺も同意っす』

 

 うーん、やはりそうすぐには出てこないか。わかっていた事ではあるが難航しそうである。

 

『太刀川、お前はどうなんだ。こんなの得意だろ』

 

『そう簡単に思いつくかよ。あとなんでそう思ったんだ』

 

『だってお前だろうが、ウチの隊服考えたの』

 

 黒を基調とし、ガーネット色のラインをアクセントに取り入れたロングコート。はじめの頃はどうでもいいと思っていたから気にしていなかったが改めて見てみるとまあ、カッコいい。

 ただこれを来年もこれを着ているとなると少しばかり気恥ずかしい思いもあるのだが。

 

『忍田さんのをパクっただけだ』

 

『パクってたのかよ』

 

 確かに前の留め具の感じとかよく見ればそっくりかも。

 

『そんだけ言うなら来栖さんはどうなんだ? アイデアあんだろうな』

 

 口を尖らせながら太刀川が俺に文句を垂れる。

 

『一応、あるにはある』

 

 それに対し俺はやや声を小さくして自信なさげに返答した。

 

『あるんだ。ねえ来栖さん! 描いて描いて』

 

 テーブルの紙とは別の紙と何処からか出てきたペンを国近は俺の方に差し出した。

 四人の視線が少しばかり痛い。どんなエンブレムを描くかと期待しているようでキラキラさせているように見えた。

 

 ええい。どうにでもなれ。

 そう俺は決心してペンを握り、紙の上に走らせ始めた。

 

 しかし。

 

『うわ』

 

『マジか来栖さん』

 

『これは』

 

『逆にすげーな』

 

 クソッタレ。線を一本一本描くごとに周りでそんな声が聞こえてくる。

 

 なんでだ。なんでこういう時に限って俺のサイドエフェクトは発動しない。

 羞恥心に耐えながらも俺は書き続けた。

 

『……出来たぞ』

 

 そうして最後はヤケクソ気味に描いたものを皆に見えるよう差し出す。

 ……さあ、笑うがいいわ! 

 

『来栖さん。絵心無いね』

 

 グサッ!? 

 

『いや、これはその。無いっすね』

 

 グサグサッ!? 

 

『下手くそだな』

 

 グサグサグサッ!? 

 

 マジか。笑われるどころか憐れまれている。俺に突き刺さる視線はさっきから可哀想なものを見る目だ。

 そんな中。

 

『まあ、味があっていいんじゃ無いっすか』

 

『きょ、京介。お前』

 

 まさに救いの手を京介は俺に差し出す。

 有難いものだ。このように出来た部下を持って俺は幸せである。

 しかし俺はその手を……。

 

『世辞はいい。はっきりと言ってくれ』

 

 振り払うことにした。俺は京介の肩に手を置いて忌憚の無い感想を求める。

 

 だって。だって痛いんだよ! その優しさ。こぞって酷評されてる中での優しい言葉は逆に辛いんだよ! だってさ。これ単純に下手だろ! 線ガッタガタだし、丸もどっちかって言えば楕円だし! 十字に描いたつもりだけど左に縦のが寄ってるし。なんかもう、全体的にとにかく下手!! 

 だからさ、頼む。いっそのこと一思いに殺してくれ。

 

 そんな俺の思いを理解してくれたのか京介は分かりました。と一言前置きしてから言葉を放つ。

 

『ぶっちゃけ。うちの弟、妹の方がうまい絵描くっす』

 

 グッッッッッッッサッ!? 

 

 マジで? え、マジで? 京介んとこの弟と妹らって小学生だったよな。それよりも!? 

 余りのショックに頭を垂れる。

 

『おいとりまる。お前言い過ぎだろ。来栖さん落ち込んだじゃねえか』

 

『太刀川さんだって下手って言ってたすよね』

 

『トドメ刺したのお前だろ』

 

 俺が意気消沈する中でガヤガヤ騒いでる気がするが、無視だ無視。

 これ以上何か言われたら立ち直れる気がしない。

 

『京介。お前これ清書してやったらどうだ。来栖さんの絵が下手なだけで普通に描けば良くなるかもしんないぜ』

 

『確かに〜。京介くん器用だからなんとかなりそう』

 

『いいっすけど隊長。これ、何かモチーフとかあるんすか』

 

 ん? と顔を上げるとどうやら京介が俺の描いたエンブレム(笑)を描きなおしてくれるらしい。グサリとさりげなくオーバーキルされた気がしたがペンを手に取り俺のことを呼んでいた。

 

『あー。コンパス、だな。モチーフってかイメージは』

 

『コンパス? あの丸描く道具の?』

 

『すまん。俺の言い方が悪かった。方位磁針だ、もしくは羅針盤』

 

 俺の発言に国近が疑問を投げかけるが直ぐに訂正する。

 

『羅針盤。てことはこの丸はその外枠っすか。んでこの東西()にあんのは?』

 

『鎖だ。ああ、京介。真ん中、わざと壊しといてくれ』

 

 俺は背もたれに大きくもたれ掛け、笠木に頭を乗せて天井を見上げる。

 俺は暫くの間、こいつらに面を向ける自身が無かったからだ。

 

『了解っす。それで南北()に交差してんのは剣で合ってるすか?』

 

『合ってるよ』

 

『ねえ、来栖さん。この二つってどんな意味で描いたの?』

 

 了解っす、と小さく呟いた京介がペンをスラスラと走ら始めた矢先、国近が当然の質問を俺に投げかける。

 俺はその質問に視線はそのまま、ゆっくりと答え始めた。

 

『……横にある鎖が意味するのは、近界民(ネイバー)。そんで縦にある剣が意味すんのは』

 

『あんたの、叢雲か?』

 

 いつの間にか立ち上がった太刀川が俺を見下ろしながらそう告げる。

 

 今の顔を見られたくないから上を向いていたというのに、こいつはそれを御構い無しに無視してきた。

 真剣な顔で俺を凝視し、そこからは目を逸らすな、隠すな、と言わんばかりだ。

 

『……んな訳無いだろ』

 

 俺はその太刀川の言葉を否定する。

 

 そしてややあって全員の顔を見つめた。

 いつの間にか京介はその手を止め、他の三人は俺に視線を集めている。

 

『二年前、近界民(奴ら)はこっちに攻めてきて、多くのことをしてくれた』

 

 ポツリと零した俺の言葉に、誰も驚かない。

 俺はそのまま言葉を続ける。

 

『あいつらは鎖だ。多くの人の人生(これから)を、踏みにじった。多くの人の、人生(これから)を縛り付けた』

 

 俺も、その一人。家を失い、そして家族を失った。決してもう戻らない、大切な存在を永遠に失った。

 

『だからこそ、もう二度と繰り返させはしない』

 

 あの日の誓いを思い出す。

 

 もう二度と誰にも涙は流させない。

 

 もう二度と誰も無力感に打ちひしがらせはしない。

 

 もう二度と壊れるかもしれない明日に絶望させはしない。

 

『その為に、俺たち(来栖隊)は剣になり、そして針になる。近界民(ネイバー)の目指す未来の行き先を断ち切る為に。俺たちの目指す未来を、もう二度とあんな出来事を繰り返させない未来を目指す為に。俺はこのエンブレムにその想いを託したい。それが俺がエンブレム(これ)込める意味だよ』

 

 赤裸々に、俺の想いを吐露する。

 こいつらに俺の想いが伝わったのだろうか? 

 その疑問だけが俺の中で渦巻いた。

 

『いいんじゃ無いすか?』

 

 幾ばくかの時間が流れた後。

 最初に口を開いたのは京介だった。

 

『そっすね。来栖さんがそこまで熱弁してくれんならおれもそれでいいっす』

 

『うんうん。そこまで来栖さんが熱く語ってくれたならね』

 

 それに出水、国近が続く。別にからかった声というわけではないのだが、何故か普段よりも声が弾んでいる様な気がする。

 そして最後に太刀川が締めた。

 

『あんたがその剣を俺たちだって言ってくれんなら文句は無えよ』

 

 太刀川のその言葉に思わず俺は薄笑みを浮かべる。

 こいつ、どうやら前のことをまだ根に持っているらしい。

 いや、今振り返れば完全に俺が悪いんだが。

 

『以前の俺ならいざ知らず、今の俺は来栖隊の人間だ。その剣は叢雲じゃない。俺たち自身だよ』

 

『なら、いい』

 

『よし、出来たっすよ。隊長、太刀川さん』

 

 俺と太刀川が少し揉めてる間に京介がエンブレムを完成させきる。

 その絵は俺が求めるものに瓜二つだった。

 

『お〜かっこいい!』

 

『来栖さんのとはすごい違いっすね』

 

『これで良いのか、来栖さん』

 

 完成されたエンブレムのデザインを見て、皆が思い思いの感想を述べる。

 

『ああ、これで良いよ』

 

 太刀川の最後の問い掛けに俺は肯定する。

 

『よし! 後はこれを開発室の連中に持っていけば一先ずお仕事完了だ』

 

『開発室? 根津さんあたりからの命令なんだろ。なんでだ?』

 

『開発室のデザイン担当が仕上げてくれるそうだ。相変わらずイかれてるな、ボーダーのあそこは』

 

 ワーカーホリックの巣窟である開発室だが、まさかこんなのも請け負うとは。頭が下がるばかりである。

 あいつらに出来ないことってあんのか? 

 

『う〜〜ん終わった。ねえ来栖さん、夜の防衛任務まで皆んなでゲームしよ』

 

 国近が大きく背伸びをして、普段より少し長かった報告会が終わりを告げる。

 部屋の雰囲気が一気に弛緩した。

 

『良いけどお前と太刀川今度のテスト大丈夫なんだろうな。泣きついてきても知んないぞ』

 

 俺は毎度のテストで赤点スレスレな二人を少しばかりからかった。

 

『大丈夫だよ、大丈夫。まだテストまで三週間はあるし』

 

『おう、俺も大丈夫だ。多分な!』

 

 ……凄い不安。これは早めに勉強会開くか? 

 はあ、と俺は頭によぎった不安を押し出して、気持ちを切り替える。

 

『分かった。何やる? さっきの続きで格ゲーにするか?』

 

『そうだね〜。今日は』

 

『あっ! 太刀川、お前そういえば正座。いつの間にサボってんだ!』

 

『げ、バレた』

 

『バレたじゃねえよお前。確信犯か!』

 

『あっ、知ってか来栖さん。確信犯って実際はそうやって使うんじゃ無いらしいぜ』

 

『知ってるよ! 揚げ足取りはいいからさっさと正座組め!』

 

 そういえば立っている太刀川を怒鳴りつけた俺は、来栖隊のメンバーと共に防衛任務の時間までの暫しの時間、ゲームを楽しむことにした。

 

 ======

 ======

 

 長い、夢を見ていたような気がする。ゆっくりとだが、目蓋を開けた。

 起きたての頭は意識がまだ朦朧としていて、視界は霞み、耳もよく聞こえなかった。

 

 何処かの部屋で寝ていた筈なのに髪を踊らすほどの風が吹く。それに揺らされて視界が上を向いた。

 見上げた先に天井は無く、不気味と言える程に昏い空。狂おしいほどに光を放つ月と星が散りばめられていて、仄かに流れる雲がそれを見え隠れさせていた。

 

「■麗だ」

 

 見えた景色の感想を胸に留めきるつもりだったのに、中途半端に壊れたスピーカーみたいに口から言葉が漏れ出ていた。と言っても舌が固まっているのか、それとも耳が正常に動いてない故か言葉は半壊している。

 

『そ■か、■前■は綺■に■■るんだ■』

 

 ふらっと、いつの間にか。まるで幽霊みたいにそこには『誰か』が立っていた。霞んだ視界と雲が作った影が相まって、誰かまでは解らない。

 ただ何と無く、何とか聞き取れた『彼』の呟いた言葉からは哀しみが宿っている気がした。

 

『■せる■■り■無■った。■も、■っ■■が今■は■すぎ■。だ■ら漏■出たん■ろうな。■の持■、■憶がさ』

 

 口元を何度も動かすが、息が詰まって声が出ない。さっきは呟けた筈なのに、『彼』の視線がそれを許してくれなかった。

 

『ああ、■れでい■。■とお■とはそ■方が■いんだ』

 

 『彼』はそれだけ呟いて背を向ける。先の見えないほどの昏い影へと歩み始めた。

 

 待ってくれ、と『彼』の背を追いかけようとする。しかしそれを“この世界”は許してくれなかった。

 脚が石になったように動かない。手を伸ばそうにも枷がついたみたいに上がらなかった。

 

『良か■た。まだ、こ■までは出来■らしい』

 

 『彼』はこちらを一瞥して、動けない事を確認してから再度昏い闇へと進んでいく。

 

 『彼』が自分から一歩遠ざかる毎に、まるで麻酔でも打たれたみたいに眠気が増してきた。それでもそれに耐えようと気力を振り絞って目を開ける。

 

 雲がわずかに流れて、月明かりが『彼』を照らす。

 

『さ■■■だ、来栖響。■うならもう■■■会■ない事、こ■に■ない事を■っとくよ』

 

 最後に見えた、『彼』の背中に背負った身の丈を越えそうな程の抜き身の刀が来栖にはやけに印象深く思えた。

 

 =======

 

 目蓋を開けた、という実感があった。視界には昨日一度しか見ていない玉狛の客間の天井が鮮明に映り込んでいた。

 

 締め切っていたはずのカーテンの隙間から射し込む太陽が来栖を照らす。

 

「来栖ー、入るわよー」

 

 上体を起こすと同時にドアの向こうから声がして、返答を待たずに小南が入ってくる。

 

「何だ、起きてたの? あんたが起きないから起こしに来てあげ……。ねえ、どうしたの。あんた」

 

 呆れた物言いだった小南が来栖を見た途端、心配といった声をかけてくる。

 いまいちその意味がわからず、来栖は首を傾げた。

 

「何のこと?」

 

 敬語も忘れて、砕けた口調で来栖は尋ねる。

 

「何ってあんた、何で泣いてんのよ」

 

 小南の言葉で、自分の頬に手を添える。

 そうしてやっと冷たい涙が流れ出ている事を自覚した。

 

「何で、だろう」

 

 訳の分からない涙に来栖は困ってしまう。

 ただ、胸を渦巻く思いそのまま来栖は呟いた。

 

「悲しい夢を、見た気がするんだ」

 




部隊エンブレム解説

来栖隊のエンブレムの意味=「一刀両断」

解説:デザインのモチーフは話中にも語ったようにコンパス(羅針盤)
描かれた剣と鎖はそれぞれ「こちら側が目指す未来」と「ネイバーが目指す未来」を示す針をイメージしており、後者を断ち切る、というのを来栖はイメージしています。
なお、京介はこの時期弧月を持っているかはまだ未定なのですが、ブレードトリガーを確実に入れていない出水からは来栖の演説を聞いて、「構わないっす」とのことでした。

ちなみにどっかの天然スーツさんとは違って来栖はだいぶ患ってるな、と自覚はしています。

===

今回、この作品内で初の本格的な過去話を投稿させていただきました。時期としては来栖が19歳の誕生日を迎えた後の十月中旬。
様々な独自設定を盛り込み、説明も十分したと勝手に思い込んでいますが、もし不明瞭な点、作者が脳内で補完してしまっていそうな設定などがありましたら遠慮なく感想欄の方までお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

特訓ー①

久しぶり!(クソデカ迷惑ボイス!!)

いやほんとにごめんなさい。
コメ欄で『年内には原作突入』みたいなこと言った人間誰だよ。俺だよ。

言い訳をさせて頂くならばですね。年末に体調崩したとか、ワートリ三期がやばすぎて何度も見直してる内に満足して書く気が起きなかったとかなんですよ。

とりあえず三期の感想。
ヤバない?まじで。何なんあれ。
カゲ&ゾエVS 鋼&来馬先輩の暗黒室内戦。めっちゃカッコいいですやん。
鋼から生えたエスクードを空閑がスコピで蹴るとこの音。あんな軽い感じの音なん。
チカオラ。もうギャグやん。奥寺のあの情けない声よ。

最終戦。
イコさん。あんたアニメであること存分に生かして笑いとりに来てますやん。(試合前)
ヒュースよく耐えれるな。
弓場さん。あんた走るシーンだけでこっちをときめかせるな。何だあの回し蹴りソバット。
二宮さん。実はあんたのあの追尾弾の軌道が二つに描き分けられてたことに俺は感動を覚えたよ。(製作陣の拘りすご!)
空閑。お前のSEの表現もやばいし、相棒のこと完全信じてますやん。
チカちゃん。撃ったね。ついに。これには犬飼ってない人もにっこりだ。
そんで修。やったなお前。勝ったなお前。隠し弾キッチリ刺さってるんだから冷や汗かくな。何だあの追尾弾の軌道。めっちゃ綺麗に打ち抜いてるやん。

はい感想終わり!

とりあえずどうぞ。期間だいぶ空いてるから、どんな話だっけ?って人もいるだろうけど前話の最後あたりだけ読み直していただければOKです!




 頬を伝った雫が一つ、ベットの上に落ちる。

 涙を流していると気づいた来栖は目元を雑に拭った。 

 

「おはようです、小南先輩」

 

 拭ったらそれっきり。目から涙は溢れてこない。

 来栖の涙は嘘のように止まっていて、胸に宿った想いは霧散していた。

 

「わざわざありがとうございます。今起きますね」

 

 来栖は起こしに来た小南にお礼を言っては、大きく天井に向かって両手を伸ばす。

 

 来栖は何もなかったようにベットから抜け出そうとする。

 それを先ほどまでドアの側にいたはずの小南が来栖の両肩を掴んで阻んだ。

 

「待って」

 

「わっ!?」

 

 しかしその小南の勢いが強かった為に雪崩れるように来栖をもといたベットに押し倒してしまう。

 ベットを背に、小南が来栖に覆い被さるような状況だった。

 

「あの、小南先輩?」

 

 急にどうしたのだ、と言いたげな来栖は小南に向かって口を開く。

 まつ毛の本数まで数えられそうな程近づけられた小南の顔のせいか来栖は血液が顔に集中し始めているのを感じた。

 

「本当に?」

 

「えっ?」

 

「本当に大丈夫なんでしょうね?」

 

 そんな来栖の照れなど知らないと無視するように小南が語気を少し強めて呟いた。肩を押さえつけられた来栖の身がベットに少し沈みこむ。

 色白な小南の顔は来栖とは対照的に全くと朱に染まらず、肩を超えるほど伸ばされた明るい茶髪が来栖の顔の周りをカーテンのように囲んだ。

 

 嘘は許さない、と小南が真剣な目つきで来栖に主張する。

 

「体のことですか?」

 

「諸々よ」

 

「別に何ともないですよ?」

 

「嘘じゃないでしょうね」

 

「嘘なんかついてません」

 

 小南の矢つぎ早の言葉に来栖は答える。

 

「本当に? 胸の傷が痛いとかじゃなくて?」

 

「いや別にそんなことは」

 

「それとも脚の方?」

 

「大丈夫です。それよりも」

 

 今のこの体制の方が不味い。

 そう思った来栖は状況の打破に乗り出した。

 

「とりあえず退いてもらって」

 

 いいですか。

 そう来栖は続けようとした。しかしそれは思わぬ声によって遮られる。

 

「こなみー。来栖さんまだ起きないの? ご飯冷めちゃ……あ」

 

 来栖を起こしに行ったきり、なかなか戻ってこない小南を呼びに来た宇佐美がドアから顔を覗かせる。

 

 来栖は小南の髪の隙間からではあるが宇佐美と目がばっちりと合った。

 途端、来栖はさっきまで熱かった顔が急転換し青ざめていくのを感じる。

 

 不味い。

 来栖は何か弁明を、と口を開こうとするがそれは残念ながら叶わず。

 

「ご、ごゆっくり」

 

 宇佐美は顔を俯けながら、ぎこちなくその場からゆっくり姿を消していく。

 部屋から完全に見えなくなってからは物音を気にせず走るような騒音が来栖達の耳に届いた。

 

「ま、待って宇佐美さん! ちょっと小南先輩どいてマジで!」

 

 焦った来栖は身を捩らせ、小南の包囲網からの脱出を試みる。

 それでもなお、手にかけられた小南の拘束は解かれなかった。

 

「本当にね」

 

 まるでさっきの宇佐美の登場を気にも掛けず、小南は先程と同じように来栖に問を投げた。

 

「本当です。身体はどこも痛くありません」

 

「なら、なんで泣いてたのよ」

 

「変な夢見たんですよ。どんな内容かは思い出せないけど」

 

 正直に、来栖は現状を語った。

 どんな夢を見たのかは思い出せない。それでも、悪夢とは違う。何か悲しいものを見た気がする。

 

「…………」

 

 それに一応納得したのか、小南は来栖を押さえつけていた手をゆっくりと退ける。

 来栖は解放されたことに胸を撫で下ろした。

 

「扉の外で待っててあげるから、さっさと着替えなさい。朝ご飯できてるから」

 

「了解です。けどどうしましょう。さっきのやつ、明らかに変な勘違いされてますよ」

 

「大丈夫よ。あんたにされたって言うから」

 

「それ俺が大丈夫じゃないですよね!」

 

 何よりあれは小南がしたものだ。

 来栖がそう文句をつける前に小南がヒラヒラと手を振りながら部屋の外へと退場する。

 

 なんなんだ一体。

 来栖はこの後色々聞かれるであろうことをどうやって躱そうかとゆっくり考えながらその背を見送った。

 

 =======

 

「さて、全員食べ終わったところで本題に、と言いたいところなんだけど……。来栖さん、いいですか?」

 

「いいですよ、迅さん。さっさとお願いします」

 

 朝食を取り終えてから少し。

 来栖はややげんなりしながら迅の声に応えた。

 

 結局、今朝の騒動については朝食のさなかに宇佐美の好奇の目に耐え切れず、いい弁明も浮かばなかったのでありのままの出来事を話した。

 それで騒動は解決。かに思えたがそれを聞いた木崎らに小南と同じかそれ以上の圧で気遣われた。

 

 何度も大丈夫だと来栖は申したのだが、本当かと聞き直され、果てには病院へ行くかと思い切りの良すぎる行動に出ようとする者もいた。

 最終的には実力派エリート迅の大丈夫という鶴の一言で玉狛のメンバーは安心したのか騒動はお開きとなったのだが。

 

「おつかれだな。くるす」

 

「お願いしますって言っといてなんですけど迅さん。視えてたならもっと早く言ってくれても良かったじゃないですか?」

 

 陽太郎の一言に来栖はあいまいな笑みを浮かべてから苦言を漏らす。

 

 様々な人間の未来が視えるという迅のサイドエフェクトならば、そもそも今朝の騒動を起こさせないことだって可能であったはずだ。

 

「いや、この方がいい未来に繋がりそうだったんですよ」

 

「いい未来?」

 

 来栖は迅の一言を怪しんだ。

 

 そんな来栖を優しい目で一瞥した迅は気を取り直したかのように玉狛の面々に告げる。

 

「とりあえず、おれは昼から。レイジさんと京介は夕方から防衛任務だから小南。おまえが来栖さんに特訓つけてくれ」

 

「あたし!?」

 

 迅の言葉にソファで不貞腐れていた小南が驚いた声を上げる。

 

 何故不貞腐れているのかというのも今朝の出来事を来栖が暴露したせいで小南の大胆ともいえる行為もまた面々に知れ渡ってしまっていた。

 嫁入り前の子がそんなことしちゃダメ、と宇佐美をはじめ、お小言を貰った小南の機嫌は降下し、このような態度を取っている。

 

「時間が勿体ない。本部に行くぞ。京介、宇佐美、陽太郎」

 

「はーい」

 

「うっす」

 

「うむ」

 

 レイジが一言、そう周囲に告げると烏丸と宇佐美がその背に続くようこの場を後にしようとした。

 

「え、まって! うさみあんたも行くの!? オペならここでもできるでしょ」

 

 宇佐美も居なくなることが予想外だったのか。小南は驚きを露わにする。

 

「ごめんね、こなみ。今日中に本部に出さなきゃいけない報告書とかがあってさ。あっ! 訓練室の設定はしてあるから心配ないよ」

 

 一瞬振り向いて両手を合わせ、申し訳なさそうにする宇佐美は必要なことだけ言い残し姿を消していった。

 

 部屋に残されたのは迅、小南、来栖。そして何故か陽太郎だけだった。

 

「……。迅、あんたの今日の防衛任務変わってあげてもいいわよ」

 

 小南はまるで苦虫を嚙み潰したかのような苦悶の表情で迅に提案する。

 それを迅は風に揺れる柳のように受け流した。

 

「別にいいよ」

 

「変わってあげるって言ってあげてんのよ!」

 

 勢いよく立ち上がった小南が迅に提案(脅迫)する。

 

「頑張れよー。あっ、来栖さんちょっと」

 

 そんな小南の怒鳴り声を無視して迅は逃げるように階段を降りようとしたが、その手前で来栖を手招きした。

 

「何ですか迅さん」

 

今朝の事なんですけど。許してやってくださいね。あいつなりになんですけど来栖さんの事心配してるんで

 

 迅はそう耳打ちすると本当に逃げるように階段を下りて行った。

 その一言に来栖は呆気に取られてしまう。

 

 迅の後ろ姿を見送った来栖は残された小南を見つめるとありありと不機嫌である、ということがその顔から伝わってきた。

 

 さてどう切り出そうか、と来栖は迷ったが思いもよらない援護によってきっかけは作られる。

 

「どうしたこなみ、くるす。くんれんしつにいくんじゃないのか?」

 

 本部について行くはずであろう陽太郎が不思議そうに聞いてきた。

 

「「……」」

 

 その一言に二人とも黙ってしまう。

 沈黙はそう長くは続かなかった。

 

「はぁ、わかったわよ」

 

 小南はまるで怒りを吐き出すように大きくため息をついてからバツが悪そうに来栖の方へ歩み寄ってきた。

 

「あの小南先輩」

 

「行くわよ、訓練室。あと」

 

 小南はそっぽを向いて。

 

「今朝、悪かったわね。話ちゃんと聞かなくて」

 

 悪びれながら来栖に謝罪する。

 

 その様子がどことなく来栖には面白く思えてしまって、知らずのうちに口の端が吊り上がってしまう。

 それに気づいた来栖を見上げながら、睨みつける。

 

「な、なに笑ってるのよ!」

 

 小南が来栖に指摘して、やっと笑みを浮かべてると来栖は自覚した。

 

「いや、その。なんていうか」

 

 迅の一言を思い出す。

 

「なるほどなって思っただけです」

 

 これが彼女の、小南桐絵なりの心配の仕方なのだ。

 出会ってまだ少ししか過ごしていないが彼女の優しさを来栖は垣間見た気がした。

 

「? どういうことよ」

 

「そういうことですよ。それよりも小南先輩はどんな特訓つけてくれるんですか。俺楽しみなんっすよ」

 

「ふ、ふーん⁉︎ そう、楽しみにしてたの。なら安心しなさい! あんたのことビシバシ鍛えてあげるから!」

 

 さっきまでの事が嘘みたいに小南はテンションを上げ、意気揚々と訓練室へと向かっていった。

 

 その変わり様に来栖は少し呆れてしまった。

 

「陽太郎。さっきはありがとう」

 

 取り残された来栖は小南との仲を取り持ってくれた陽太郎に感謝を述べる。

 陽太朗が居なければ、気まずい沈黙は今尚続いていただろう。

 

「フッ、きにするなくるす。おれはデキルおとこだからな」

 

 陽太郎は当然の事をしたまでだ、と手で来栖を制するがその顔はドヤ顔である。出来るオトコというのを隠せずにいた。

 

「陽太郎。レイジさんをあまり待たせたら申し訳ない。お前も早く行けよ」

 

「うむ、それとだ。くるす」

 

 雷神丸に乗り込みながら陽太郎は来栖を呼ぶ。

 なんだ? と来栖が腰ほどの高さにいる陽太郎を見下ろした。

 

「こなみはつよいぞ」

 

 陽太郎は先程のドヤ顔に負けないくらいに、口元に大きな弧を描いて呟いた。

 

 =======

 

 {9−0 小南リード}

 

 アナウンスが淡々と事実を伝えてくるのと同時に損傷していた部分が再構築される。 

 

 小南が来栖に提案した特訓方法は至ってシンプル。

 戦って、戦って、戦いまくる。その後で、反省してまた戦うの繰り返し。

 

 その提案に来栖は異を唱えるような真似はせず、形式はボーダー内ではスタンダードとされる一セット十本で執り行われることとなった。

 

 そして小南と来栖による一セット目は最後の一本を迎えようとしていた。

 

 ──彼女は強い。

 

 様子見とばかりに待ち構えていれば、その可憐さからは明らかにかけ離れた、野生的で目にも止まらないスピードに来栖は瞬く間に仕留められた。

 そらならばと詰め寄った二本目も一太刀振るうと同時に首を刎ねられた。

 そこから結局、抵抗の手段をいくら講じようとも、それを上回る剣技()()で小南は来栖を圧倒した。

 

 よくある時代劇の殺陣みたいに剣を重ねる()()()()になんてものにはなりもせず。一方的な蹂躙が繰り広げられた。

 来栖が振るった弧月は小南に掠る事すら出来ず、逆に小南が両手に握りしめた小型の斧。双月を振るえば確実に来栖へ致命的なダメージを与えてくる。

 

 つまりは結果、内容は共々散々なもの。来栖は小南に文字通り手も足もでなかった。

 

 {十本目 開始}

 

 無機質なアナウンスの声が戦闘を行える環境は既に整ったことを伝える。

 

 だというのに来栖は正面にいる小南に対し間合いを詰めることは出来なかった。

 

 別に戦闘を放棄したわけでは無い。

 その理由はとても単純で、どうすれば勝てるかがわからなかったから。

 

 これまでの九本。来栖は暗中模索で小南に挑み続けた。そして、その全てが悉く通用しなかった。

 

 勝ち筋が見えない。

 多くの要因を孕みながらもその言葉に帰結する現状は見えない鎖となって来栖の脚をその場に縛り付けており、それを断つ武器を来栖は持ち得ていなかった。

 

 

 そもそも今の自分に勝ち筋(それ)があるのかと来栖は疑ってしまう。

 けれどもそんな状況で。

 

ほんと、どうやって勝とうかな

 

 自らの可能性を疑いながらも、知らずの内、想いが口から漏れ出る。

 せめて一矢、なんてものではない。この一本を勝ち取りたい、と。

 

 手に持つ弧月を力強く握り締める。

 それは来栖の勝利への渇望をそのままに体現していた。

 

 その思いが烏滸がましいものだと来栖は自覚している。

 四年、いやそれ以上ネイバーと闘ってきた小南に昨日初めて剣を握ったような自分がそのような思いを抱いている事は小南に対する侮辱にも思えた。

 

 しかしそれでも結果を求めてしまう。勝利を求めてしまう。

 

 どうしようもないくらいに来栖は負けず嫌いだった。

 それこそ、一縷の望みが。勝利に至る光が見えたならば短慮と言えるほどに飛びつくくらいには。

 

「何、あんた。あたしに勝つつもりだったの?」

 

 目の前の小南が僅かに睨みを利かせる。

 

「聞こえました?」

 

「聞こえるわよ、この距離よ」

 

 聞かれたことに若干の恥ずかしさを覚えた来栖は小南から目を逸らしたくなった。

 しかし今は仮にも戦闘中。来栖は何とか羞恥を堪えて小南を直視し続けた。

 

「言っとくけど、あたしは迅より前からボーダにいるの。昨日トリガー使ったばっかのあんたが勝てる訳ないでしょうが」

 

 小南の言葉に来栖は少し驚いた表情を浮かべる。

 

 てっきり迅は誰よりも先輩としてボーダーに所属していたものだと思っていたからだ。

 

「それにあんたの今の戦い方じゃ絶対に無理だから」

 

 あっさりと断言された小南の一言に、来栖は目を見開いてしまった。

 まるで雷に撃たれたみたいな衝撃が来栖を襲う。

 

 何故、と来栖が口を開く前に小南が続ける。

 

「今のあんたは、全くの素人。剣であたしに勝てるわけないでしょ。あんたは、あたしと()()()()()()()を間違ってる」

 

 その一言に、来栖はハッとさせられる。

 なんでそんな簡単なことに気づけなかったのだろう。 

 

「小南先輩」

 

「なによ」

 

「アドバイス、ありがとうございます。それと申し訳ないんですけど」

 

 小南の言葉が来栖の脚を縛り付けていた不可視の鎖を切断する。

 そしてその言葉は。

 

「最後の一本(これ)。勝たせてもらいます」

 

 間違いなく、来栖を"最強"に近づける言葉だった。

 

「生意気」

 

 =======

 

 馬鹿げている。

 

 もし誰かがこの戦闘を目にしたならば間違いなくその一言が飛び出るだろう。

 少なくとも彼を知らない者ならばそう言う筈だ、と小南は思った。

 

 小南が流れる様に双月を振るう。それは苛烈であらゆる方向から降り注ぐ流星のようだった。

 しかし目の前の相手は紙一重でそれを回避してみせた。

 

 小南に刹那の隙が生まれる。

 当然だがいかに小南といえど、攻撃を放てばは隙は絶対に生まれるもの。

 本来ならば相手の行動に対する対応、回避や防御といった選択肢を頭の中によぎらせるべきである。がしかしそれを小南はあえてせず、更なる攻撃を浴びせるという選択を下した。

 

 薙いで、突いて、振り上げ、振り下ろす。

 

 しかし相手は一向に回避を続けている。

 と言うよりかは。そもそも彼にはその選択肢しか()()()()()

 

 何せ目の前の相手、来栖は()()()()()()()

 来栖のメイン武器である弧月はその腰に収まってはいない。文字通りの丸腰状態。防御もましてや攻撃も出来ない体勢だ。

 

 小南の体感時間にしておおよそ2分。

 この一方的な戦闘にて、小南は未だに致命的なダメージを来栖に与えれないでいた。

 

 小南はボーダーの攻撃手(アタッカー)において、トップクラスに位置する人間だ。個人ランク戦にて一万ポイントを超えている猛者である。その猛者たる小南が、これだけの猛攻をもってしても倒せない。

 本来ならば、そのプライドを原因にして小南は苛立つはずだった。

 

 しかしそれとは逆と言えるほどに、小南の表情からは笑みが零れている。

 こみ上げてきた小南の感情は、勝負が成り立っていることへの嬉しさ。そして在りし日の懐かしさだった。

 

 先ほど前の九本までは戦闘とは名ばかりの一方的な蹂躙だった。

 

 それがこの十本目においては戦闘として成り立っている。

 そして勝負が成り立っているのには理由は当然存在した。

 

 それは小南が口にしたように来栖が勝負するところを変えてきたのだ。

 

 言わずもがなであるが。人間にはどの分野においても短所と長所が存在する。

 

 身近なものでいえば勉強という分野。計算が得意で暗記が苦手。その逆もまた人間には存在する。

 そしてそれは戦闘という分野にも当然として存在し、来栖響という人間にも長所と短所が存在した。

 

 記憶喪失(現在)の来栖の短所・弱点。それは戦闘経験の少なさと、剣術の圧倒的技量不足である。

 

 その逆として。来栖の長所は昨日のモールモッド戦で発揮された回避力。

 小南の双月を紙一重で回避することを可能にする空間把握に優れた眼力。それを実現させる敏捷性(アジリティ)俊敏性(クイックネス)

 そしてサイドエフェクト、集中力強化。

 ランクこそ強化五感(C)にあたるものであるが、この才があるからこそ、無茶な回避は実現させられている。

 

 そして九本目までの来栖は短所の一つである剣術の圧倒的技量不足で小南に挑み続けていた。

 だから当然として来栖が小南に勝てるわけないのだ。

 

 そんな当然のことに気づかないのか、と小南は言いたいところだったがぐっと堪える。

 

 恐らくだが来栖の副作用(サイドエフェクト)のせいだろう。

 過去の来栖から聞いた話だが、使い方を誤ると一気に視野狭窄へと陥ってしまう。危うい副作用(サイドエフェクト)だと口にしていた。

 

 こういうことがあるのだから、本人に自覚させるべきなのになぜ迅は来栖に話していないのか。

 小南は迅に文句を言おうと固く決意した。

 

 そう考えると、自発的に止まってくれた十本目開始時は助かった。そのおかげでアドバイスができ、こうして戦闘は成り立っている。

 

 つまるところ、来栖は戦闘の形式を戦闘経験の少なさと、剣術の圧倒的技量不足(弱点要素)で戦わなければならない斬り合いから、回避・集中力(強力な要素)で戦う先日のような回避からの奇襲戦に切り替えていた。

 

「っ!」

 

 小南の双月が来栖の身を掠める。

 

 今のを避けるのか。

 決めにいった筈の斬撃は来栖を仕留めるに至らないが、裂いた来栖の戦闘体から煙の様にトリオンが漏れ出ていく。

 

 ならば更に追撃を、と小南が双月を浴びせようとしたがあり得ないスピードで来栖が追撃できる距離から後方へ遠ざかった。

 

 その理由を小南はすぐさま理解する。

 独特の跳弾音と来栖の手元に浮かび上がっている水色の球体。

 

「グラスホッパー、ね」

 

 小南は来栖の用いたトリガーを呟いた。

 

 高速かつ立体的機動を可能にするジャンプ台トリガー、グラスホッパー。

 それを一枚展開した来栖は小南の攻撃から一瞬にして離脱してのけた。

 

 面白い、と小南は思う。

 来栖の回避力にグラスホッパーが加われば攻撃を当てるのはほぼ不可能。まさに至難の技となる。もっとも使いこなせれば、というのが前提ではあるが。

 

 勝負は確かに成り立っている。しかしそれでも小南が優位であるという点は変わりなかった。

 今の来栖はあくまで蹂躙から戦闘にへとしただけだ。

 

 現状には勝利へと続く道はない。小南に損害をもたらす武器を身に着けていないのだ。今のままでは来栖は小南を倒せない。

 

 だが故に、その道が開かれるのは来栖が弧月を手にした瞬間である。

 

「さあ、来なさいよ。ヒビキ」

 

 小南が双月を持ちながら手招きするように来栖を挑発する。

 それに触発されるように来栖は全力で小南に向かって駆けだした。

 

 ======

 

 動けている。

 

 来栖は小南の決めにいった斬撃を回避し、グラスホッパーで離脱してからの小休止でそんなことを考えた。

 

 来栖は回避という一択。防御と攻撃という大別すれば戦闘における行動選択のこれらを切り捨てて、それのみに()()していた。

 回避することだけに集中すれば、思考が晴れ渡った空のように澄んでいき、小南の攻撃を避ける為の道筋を弾き出す。

 

 掠める時は基本来栖の体がその思考に追いついていない時だけだ。

 

 問題は攻撃。小南と同じ認識を来栖もまた抱いていた。

 

 息を小さく吐き捨て、状況を来栖は確認する。

 

 戦闘は何とか成り立っている。尤もそれは小南がこちらへと攻め入ってくれているからだ。もしあちらが待ちの、つまりは防御重視の選択を採ったならば一気に状況は瓦解するだろう。

 

 これまでの回避は、おおよそ成功。小南の六撃目までなら躱しきり、七撃目で怪しくなる。八撃目がこちらを襲う前になんとか距離を取っているからわからないが、もしその時点に小南の攻撃可能な距離に身を置いていたならば勝敗は決するだろう。

 

 また、斬り合いは行えない。その瞬間、戦闘は蹂躙へと名を変え、抵抗する間もなく自らの戦闘体は分断される。

 切り結び合うような状況になれば来栖は絶対に負けるし、それを凌いで回避に移ろうにもその前に小南は確実に自分を仕留めるだろう。

 

 つまり求められる攻撃は一撃、一振りで小南に致命傷を与えるもの。小南に次を与えない攻撃だ。

 二撃目に仕留める剣では小南は倒せない。それはこれまでの九本で実証済みだ。

 次を与える事。それはつまり蹂躙を、来栖響の敗北を意味する。

 

「さあ、来なさいよ。ヒビキ」

 

 小南が来栖を挑発する。

 

 勝負は一瞬。

 タイミングを見誤ってはならない。

 

 来栖は小南へと距離を詰め、再び回避のみを開始する。

 

 視認し、判断し、実行する。

 

 この眼が見せる、小南の双月の間合いを読み切って。

 脳裏によぎる、覚えの無い経験則に従って。

 途轍もない身体能力を備える戦闘体で舞い踊る。

 

 そして、絶好の機会は訪れた。

 ほんの僅か、ほぼ差は無いと言えるがそれでも僅かに小南の攻撃が遅れたのを。

 

 来栖はその身を翻し、体で隠しながら弧月を右腰に生成する。

 

 そして回避運動に紛れ込ませるように、来栖は右手で逆手に持った弧月を鞘から振り抜いた。

 

 狙うは首。

 来栖の弧月は一直線に小南の喉笛を目掛け軌跡を描いた。

 

 来栖の視界が鈍化する。来栖の瞳に飛び入ったものは二つ。

 

 緩やかに動いていく自らが振るった弧月。

 そしてそれを冷ややかに見つめる小南だった。

 

「そうくると思ってたわ」

 

「っ!」

 

 来栖が小南の言葉に驚愕すると共に視界が加速。

 

 意図的に釣られた。来栖が悟る頃には、下から突風が突き上がった。

 突風の正体は小南の双月。風を起こす程の斬撃は弧月を持った来栖の右腕の肘を的確に切断した。

 来栖は回避の際とは比べ物にならないくらい肘の断面から吹き出るトリオンを目の当たりにする。

 

 そしてその次の瞬間。

 目の前の小南が来栖に終わりを告げるべく、来栖に向けて双月を振り下ろした。

 

 =======

 

「顔に出すぎ」

 

「はい」

 

 一旦訓練室からオペレータールームに戻った来栖と小南は反省会を行っていた。

 来栖は肩を落としながら小南からの総評に耳を傾ける。

 

「攻撃する気が見え見え。大体あそこであたしが攻撃を緩める必要なんて無いんだから。もっと疑いなさい」

 

「はい」

 

 小南の指摘が加わる度、来栖の頭は深く垂れ下がっていく。

 完全に迂闊だったと来栖は反省する。

 小南の言う事は尤もだった。

 

「あとせめて弧月は抜いときなさい。カウンターする気っていうのが丸わかりよ」

 

「はい、です」

 

 小南からの容赦ないダメ出しの連発に来栖は耐えれなくなりつつある。

 そもそも、どうやって戦えばいいのか。それを提示したのは小南であり、来栖がどんなフィニッシュを決めにくるかは当然ながら理解していたのだ。

 

「ただ」

 

 そこで小南の声色が少しばかり変わり、言葉を続けた。

 

「回避に関しては悪くなかったわよ」

 

 照れているのか、今朝みたいにそっぽを向いて呟いた。

 さながら来栖に飴を与えるようだ。

 

「で! も! あんたはもっと剣での戦い方を知りなさい! 今のあんたなんてちょっと避けるのが上手い雑魚と一緒よ!」

 

 なかなか手厳しい評価を小南は来栖に告げる。

 その言葉に来栖は思わず苦笑いを浮かべた。

 

「だから今日、とりまるが帰ってきたらじっくり教えて貰いなさい。良いわね」

 

「了解です」

 

「はぁ、にしても」

 

「小南先輩?」

 

 反省を締めくくったと思えば、小南はうつむきがちにため息をついた。

 物憂げで、はっきり言って小南には似合わないような表情。

 

 そこに来栖はなぜか朝の小南を想起してしまった。

 

「何でもないわ。休憩終わり。もう十本いくわよ」

 

 顔を上げた小南の目は来栖を捉える。先ほどの表情は消え去って、来栖の知る顔になっていた。

 

 余計なことを聞くべきではないか。

 そう判断した来栖は、明るい声で小南に言葉を返す。

 

「オッケーです! 今度は一本取りますよ!」

 

「言うじゃない。今度もあたしがストレートよ」

 

 互いに互いを挑発するような発言をする。自然と笑みをこぼしながら、二人は再度訓練室へと入っていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小南桐絵−①

実はこれ、前話からの続きものです。
本来なら前話と同時に投稿するべきだったのですが、投稿期間の空きがやばかったのであちらだけ先に投稿しました。

もう一つ。作者個人としても今回のは解釈違い、と言われてもそうかもな、としか言えない話です。
でも、きっと、こんな過去があったはずだ。
そう思いながら書きました。


 一陣の風が、あたしの横を通り過ぎた。

 

 過ぎ去った風はあたしの背後でその身を止めている。動く気配は全くと感じられなかった。

 

 何をしているのか。

 教えるまでも無く知っているはずだ。戦闘中、その場に留まるほど愚かな行動は無いと。

 

 訳の分からない行動に苛立ちは一層増した。

 

 振り向きながら弧月で薙ごうとする。

 攻撃というよりは牽制という意味合いで。とにかく距離をとらせたかった。

 

 けれども、それは叶わず。腕は意思に反するよう、一切反応しない。

 

 それと共に変化が訪れる。

 視界がぐらついて。ぐらついて、傾いて。傾いて、世界は上下に反転した。

 

 その変化を以って遅れながら理解する。

 彼の立ち止まった理由はなんて事はない。つまりはそういう事なのだと。

 

 反転した世界の視界の端で彼の横顔が垣間見える。

 その表情はあたしには初めて見るもので。どこか安堵しているようだった。

 

 無機質な電子の声が宣言する。

 

 {戦闘体活動限界}

 

 ああ、やはり。瞼に残る光景は幻ではなかった。

 

 なんて事はない。

 つまりあたしは。小南桐絵は。

 

 初めて来栖さんに一本取られたのだ。

 そう理解をしたと同時に今日初めての浮遊感に襲われた。

 

 =======

 

『上手いことやられたな』

 

 玉狛の基地への帰り道。

 復興が進み始めている街の様子をジープの窓越しに眺めていると林藤さんがあたしに話しかけてきた。

 

 何を言いたいのかはよくわかる。きっと今日最後の模擬戦の見ていたのだろう。

 

 あたしは言葉に反応する気が全く生まれず、ただただ横目に変わり果てた街を。いや、変わり果てさせてしまった街を眺め続けた。

 

『あいつは回避が得意ってことはこの一月でよくわかってたつもりだったが。流石にお前も予想外だったか? あの行動は』

 

 林藤さんの言葉にコクリと頷いて同意する。

 

『そうか。まあ、そうだよな』

 

 わたしが頷いたのを感じたのか林藤さんは重ねて同意する。

 

『急に武器を消すなんざ、普通考え付かねぇもんな』

 

 予想外の発端。模擬戦で突如と来栖さんが行った行為を口にする。

 瞼を閉じれば、あの模擬戦が鮮明に思い出せた。少なくとも、今日スッキリと眠りにはつけそうにない。

 

 事が起こったのは本日五十本目の模擬戦。

 それまでの四十九本はどれを取ろうとあたしの勝利だ。このまま完全勝利(ストレート)と思い込んでいた。

 

 が、五十本目が始まるや否や来栖さんは武器である弧月を両手に持とうとはしなかった。それどころか腰にすら身につけない。所謂丸腰状態だった。

 

 距離を詰めてあたしの身長に合わされた弧月で仕掛けようにもただ躱すだけ。

 弧月をどれだけ振ろうにも当たらない。当たらない。当てられない。

 風に吹かれて共に揺れる柳の葉みたいに来栖さんは避け続ける。

 

 あたしはずっと前から戦ってきたのだ。なのにたった1ヶ月の人間に躱されるはずはない。そんなことは無いはずだ。

 ましてや、負ける事なんてあり得ない。 

 

 そんな自信とは裏腹に迫りくる不安をかき消すように強く思う。

 その思いに応えるよう、強く弧月を振りぬいた。

 

 そしてそれと同時に突風が横を通り過ぎ、順手で振り抜くよりもわずかに動作が少なくなる逆手で振り抜かれた弧月が戦闘体の急所である首を刈り取った。

 まるで暗殺者がたった一瞬のすれ違いの間に手際よく仕留めるようだった。

 

 こう言ってはなんだが鮮やかに首を刎ねられた。その事実が余計にあたしの胸をざわつかせる。

 

来栖(あいつ)が怖いのか?』

 

 隣からの一言があたしを戦闘の記憶から現実の世界に引き戻す。

 

 びくり、と訳も分からず肩を揺らしてしまった。

 返す言葉がうまく思いつかなくて、ただただどうしてそう思ったのか? と目で林道さんに訴える。

 

『お前との戦闘中を見ててよ。そうなんじゃねえかって思ったからだ。後は』

 

 そこで一拍。言葉を切るように、林道さんは吸っていた煙草の煙を窓の外に吐き出した。

 

『俺があいつと訓練するときにそう思うから、だな』

 

 驚きだ。この人がそんな事を言うことにもだし、この人からすれば年下の来栖さんを怖がっているという事実に目が丸くなる。

 

『……怖いの、来栖さんが?』

 

『怖いな。あいつの戦い方も、その先に目指す姿も。鬼気迫るあいつの姿が俺にはどうも、()()()()と重なって仕方がねぇ』

 

 唐突に出てきたその名前に今度は目を見開いてしまった。

 

『来栖さんがあの城戸さんに似てるってこと?』

 

『ああ。来栖がボーダーに入るにあたって少しあいつのこれまでを調べたんだがな。あいつはよく、笑う奴だったそうだ』

 

『……そう、なんだ』

 

 だった。と過去形になったその事実にあたしは胸が痛くなる。

 あたしが知るあの人の顔はあの雨の中で見た。あの泣きじゃくった顔とボーダーに入ってからの怖い顔だけだ。

 

『あの人も、城戸さんも昔はよく笑う人だった。それが今じゃなりふり構わず組織を大きくすることに心血を注いでる。全く笑わなくなってよ』

 

 知っている。1年前。アリステラでのあの戦いがあってから城戸さんは怖い顔になって、あたしたちと違う道を選んだ。

 

『来栖もだ。あいつはただ強くなることだけ考えて突っ走ってやがる。俺にはそれが城戸さんとダブって見えて怖いんだわ』

 

『……』

 

 ひとしきり、林道さんの話を聞いて納得する。

 確かに、林道さんの言ったことと同じような理由でもあたしはあの人を怖がっている。

 

 だけど。だけどあたしが本当にあの人の事が怖いのは()()()()()()()()()

 

 ちらり、と横で運転を続ける林道さんの横顔を見る。

 

 あたしが来栖さんを怖がっている理由。それの答えははっきりとわかっている。言葉にする事はきっとできるだろう。

 でもそれをこの人に告げていいのかと、ずっと、どうしようもないくらいに迷ってしまっている。

 だってこの答えはきっと、林道さんを困らせるはずなんだから。この人も、同じものを抱えているはずだから。

 

 だというのに。

 

『小南。遠慮すんなよ』

 

『え?』

 

『おまえはまだガキなんだから、大人に気なんか使うな。言いたくないなら別にそれでも良いが、俺なんざに気を使ってるんならさっさと口に出しとけ。その方が、きっとラクだからよ』

 

 ポンと、林道さんはあたしの頭の上に手を乗せる。

 

 乗せられた手は随分と無骨なくせに温かみがあった。

 なんでそんな事を言うのだろう。言ったってきっと林道さんを困らせるだけなのに。

 

『ねえ、林道さん』

 

 それがわかっているはずなのにあたしは我慢できずに口にしてしまう。

 それと同時に熱いものが頬を伝った。

 

『あたしは来栖さんに……。どう、思われてるのかな?』

 

 それが涙と分かるまでに、時間はほぼ必要なかった。

 

 ========

 

 ──あなたが悪いんじゃない。守れなかったあたしが悪いのだ。それなのに──

 

 




次回、作者の心が変わらなければ原作手前の話を投稿です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

門の向こうからー①

ようやっと、ここまで来た。


 ただ彼は、知りたかった。

 

 自らの父が生まれ育ったという故郷。

 多くの()()を渡り歩いてきてなお未知に溢れたこの異邦の地を見渡したくて。

 

 彼はこっそりと、ここ一帯で一番高いと言えるようなビルの屋上にいた。

 屋上に人が訪れることを一切考慮していないそのビルには安全のための金網なんてものは無く、高所であるが故に吹く強風は彼を容赦無く襲う。

 

 しかしそんなものに物怖じる事なく彼は屋上の端へと歩いて行く。

 風が背を押してここから落ちてしまった時の恐怖なども無く、いたって平常に目に映る世界を見渡した。

 

「ふむ、()()()の世界は凄いな。夜だっていうのに随分明るい」

 

 先に広がる光景に彼は感動を覚えた。

 これまで渡り歩いて来た世界の中で最も煌びやかな世界かもしれない。

 

「それはこの世界がトリオンに依存しないエネルギー系統を有しているからだろう。ユーゴの遺した記録によれば”電気”と呼ばれるエネルギーでほぼ全てを賄っているらしい」

 

「ほほぅ、でんき」

 

 隣に浮いている相棒から教えられた情報に彼はいまいちピンとこなかったが、それでもこの世界が豊かなのにはその”でんき”のお陰なのだろう。そう彼は解釈した。

 

「それで、あれが」

 

 相棒にも分かるようにある一箇所に指を差す。

 明かりに溢れるこの街で、彼の指差したその辺りは。違う世界のように黒ずんでいた。

 

 彼が指差したのは、その違う世界にある。夜の世界に紛れそうな程の黒い巨大な建築物だった。

 

「やっぱ見えないな」

 

 彼は残念だ、と肩を落とす。

 

 彼がここを訪れた目的にはその建築物を見ることも含まれていた。

 しかしながら、その全貌は朧げにしか見えず。はっきりと見ることは叶わなかった。

 想定内だったといえば想定内だが、それでも見れなかったのは残念だった。

 

「朝になれば日も出る。そうなればよく見えるはずだ。しかしユーマ。明日には”学校”を控えている。今日は家に戻って身支度を整えておくべきだ」

 

「そうだな。今日のところは帰って朝に基地は見に行こう」

 

「それとだユーマ」

 

「分かってる。トリガーの扱いは慎重に、だろ」

 

 相棒からの提案と忠告を聞き入れると、彼は僅かに足に力を込めた。

 

 踏み出すように彼はビルから跳躍する。

 彼の跳躍した先はさっきまでいたビルより僅かに背の低いビルだった。

 屋上へと見事に着地し、間を置くこと無く更に別のビルへと跳躍する。

 

 彼はこれを繰り返して、最終的には人気のない裏路地に着地した。

 そして服に付いた汚れを払いながら相棒に問いかける。

 

「でもレプリカ。本当に今も潜伏していると思うか」

 

「それはわからない。確かに奴は長期的な潜伏は好まない、とこれまでの情報から推測できるが念には念を入れるべきだ」

 

「それもそっか」

 

 彼は相棒の言葉を肯定し、多くの光によって照らされる表通りへと歩き出す。

 

「できれば戦いたくないもんな。()とは」

 

 白髪を揺らしながら彼、空閑遊真は呟く。

 そして空閑は、最近住み始めた住処へと帰り始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

運命は動き出す

待っててくれた人が何人いるかわかりませんが、とりあえず。恥ずかしながら戻ってまいりました。

んでもって、遅らせばなのですがお気に入り登録者が1000人を突破しました。登録してくれたみなさん、本当にありがとうございます。

色々、言いたいことあるのですが長くなるしここには書きません。詳しくは活動報告に上げさせていただきます。

そして最後に。こっから4話、ワートリらしからぬ話が展開されます。
仕方ないんです。主人公の特徴柄。

よければ読んでいってくれたら幸いです。

それではよろしくどうぞ。


 肺にあった心地よい紫煙を吐き出す。

 だが、耳から聞こえてきた提案には、それを打ち消すのに十分な破壊力が備わっていた。

 

「正気か?迅」

 

{正気だよ、支部長(ボス)。まあ、正気を疑う提案だって自覚はあるけど}

 

 顔の見えない通話越し。話し相手の声はいつも以上に軽々としている。

 されど、表情はきっと。泣きそうになっているような、それでも渦中の人物に期待を寄せるような、ないまぜなものなのだろうと予想がついた。

 

 いくつか、思考が巡廻する。

 既に示された、提案を受けることによるリスク及びメリット。それに予防策。

 利益と損失。その後の立ち回り。

 大人が背負うべき多くのしがらみとを天秤に乗せていく。

 

「本当に、いいんだな?」

 

 自身の中の天秤は既に傾いた。

 それでも再度、確認をとる。

 

{うん。これが多分、最善の未来になると思う}

 

「…………」

 

 言葉を聞いて、ぐっと、吐き出しかけたため息を抑えた。

 

 最善の未来。

 

 未だ成人すら果たしていない、まだ子供と言うべきあいつから聞くこの言葉。

 この言葉を聞くたびに、全くと背負えない大人たる自分の無力さにいつも嫌気が差しかける。

 

 だが、それは決して表にだしていいものではない。

 

「わかった」

 

 子供ながらに背負おうとしている責任を大人が放り出して良いわけがない。

 全くと背負えないながらもせめて、命令を下す責任は大人である自分が背負うべきだ。

 

「レイジに話を通す。そんで何かあった時の責任は俺が持つ。命令だ、迅。任務を遂行しろ」

 

{…………実力派エリート了解。支部長命令により、任務を遂行します! }

 

 

 ======

 

「くるす、たい焼きが食いたいぞ」

 

 のどかな昼下がり。といっても来栖が今いる地下の訓練室には窓といったものが一切ないため感じることはできないが、ともかくそんな昼下がり。

 来栖が一旦休憩と訓練室から出てくるや、膝下から聞こえてきた声に視線を落とした。

 

「急にどうした。陽太郎」

 

「みろ! くるす」

 

 玉狛支部のお子さま、林藤陽太郎は持っている一枚のチラシを来栖に突き出した。膝を折った来栖はデカデカとチラシに書かれた文字を読み流していく。

 

「鯛餡吉日、新フレーバー登場キャンペーン?」

 

「そうだ」

 

「この新フレーバーを食いたいと?」

 

「そうだ!」

 

 でかでかとレイアウトされたたい焼き。

 なんとなく察した来栖の問いかけに陽太郎は大きく頷き、語気も強まる。

 

 陽太郎の見せたチラシの店は、玉狛支部から歩いてちょうど良い距離にある鯛焼きの店だ。

 安価な割に味はしっかりとしており、玉狛支部でも時々おやつとして出されている。

 

「くるす!このかみをもっていけば50えんもやすくなるんだぞ!」

 

 満面の笑みでチラシの一部を指差す陽太郎は店の経営戦略と思われるクーポンにまんまと釣られている。

 かなりの期待。目を輝かせる陽太郎の頭は既にたい焼きで一杯一杯のようだった。

 

「あー、でもな。陽太郎」

 

「む。どうしたくるす?」

 

 陽太郎の期待に溢れた視線を受けながら、来栖が中途半端な顔をする。

 買ってやりたいのは山々、と随分と甘いと来栖は自覚したが、色々問題があるのだからいまいち歯切れも悪くなった。

 

 困り果てて、八の字に吊り下がった眉をなんとか戻しながらを来栖は「よし」と小さくつぶやいた。

 

「とりあえず、支部長(ボス)と迅さんに確認してからだな。上行くぞ、陽太郎」

 

 諸々の問題を解決するためには、来栖の独力ではどうにもならない。買いに行くにしろ行かないにしろ判断を仰ぐ必要がある。

 とりあえず来栖は、執務室で絶賛仕事中であろう林藤を尋ねることを決めた。

 

 ======

 

「失礼します、来栖です」

 

「おう、いいぞ」

 

 二、三回ほど執務室のドアをノックして、室内へと入る。

 

 相変わらずと言うべきか。

 初めて会った時同様、デスクで仕事をこなす林藤の口にはタバコが咥えられていた。

 

「どうした? 来栖」

 

「すいません。当日の連絡で悪いんですけど、市内への外出許可って貰えますか?」

 

 言葉にしておいてなんだが、妙な気持ち悪さが生まれる。

 聞く人によってはなぜそんなことを言うのかと思われそうだ、と他人事のように来栖は思いながら口を開いた。

 

「迅次第じゃあるが、おれの方は問題ないぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 咥えていたタバコを灰皿にねじ込みながら林藤が平然と許可を出し、来栖も感謝を告げた。

 

「悪いな、不便をかけて」

 

「まあ、仕方ないことだって割り切れてますから」

 

 林藤が新しいタバコに火をつけながら、来栖に向けて申し訳なさそうな顔をする。

 それに来栖は事情が事情だから気にしないでくれと手を横に振った。

 

「市内に何しに行くんだ?」

 

 世間話のように林藤が来栖に話題を振る。

 

「陽太郎が鯛餡吉日の新作が食べたいって言うのでまずそこに買い物へ。あと、茶請けのどら焼きが切れていたのでそれも買いに行こうかと思ってます」

 

「そうか」

 

「あと」

 

「ん?」

 

 ひとまず今組み上がっている予定を口にした来栖は、そこから少し俯いた。

 

「迅さん次第ですけど、少しだけ市内を見て回ろうかと思います」

 

 ボソリとこぼしたような来栖の一言に林藤は変わらず「そうか」と返した。

 

「ま、気ぃつけて行ってこい。最近危なっかしいからな」

 

「何かあったんですか?」

 

 危なっかしいと言う林藤の言葉に来栖が疑問を投げる。

 林藤は一息紫煙を吐き出してから口を開いた。

 

「広報部が民衆のパニックを避けるためにまだ発表を控えてるが、最近警戒区域外でイレギュラーな(ゲート)が五件以上発生している」

 

「ボーダーの誘導装置に何かあったんですか?」

 

 怪訝な顔をした来栖の言葉に林藤が肩をすくめる。

 

 (ゲート)が発生するのは警戒区域と決まっている。

 この決定事項はその前提として、ボーダーが開発した(ゲート)を一定地域に誘導する装置によって成り立っているが、その理論が破綻してしまっている以上、誘導装置の不備をまず疑ってしまった。

 

「一応システム上の問題(バグ)は見当たらないんだがな。この問題を放置するわけにもいかない。おれも今日は本部に出向だ」

 

 エンジニアとしての顔も持つ林藤がゲンナリとした様子でぼやく。

 背もたれに体を預けた林藤は両手を頭の後ろに持っていきながら言葉を続ける。

 

「一応、トリガーは持ってとけ。むやみに市内で使われると困るけどな」

 

「一応、気をつけます」

 

 ======

 

「えーと、たい焼き買った。どら焼き買った。あと生活用品も買ったな」

 

 来栖は買ったものの入った紙袋を肘に下げながら、指を一つずつ折って確認する。

 

 ふと、その場で立ち止まり小さく息を吐いた。

 

「ちょっと歩き疲れたな」

 

 疲労感を感じた来栖はその場で大きく伸びをする。

 

 当然といえば当然のこと。

 昼下がりから夕方までずっと三門市内をあっちこっちと歩いたのだ。

 加え、数ヶ月まで昏睡状態で最低限のリハビリで日常生活に復帰した来栖には常人よりも余計に疲れやすくもある。

 息切れを起こすまでとはならずとも、心臓はうるさかった。

 

「やっぱり、結構な部分が変わってるんだな」

 

 しんみりと、見回った景色を思い出しながらつぶやく。

 

 街のありとあらゆるところにある、十七歳の来栖(今の自分)でも有する過去の記憶。

 ここにはアレがあった。あそこではこんなことをした。

 

 それを振り返りながら、今の自分にはない既視感を探していた。

 

 病院の先生曰く。記憶喪失した人間が、記憶を取り戻すきっかけによくなるのは、既視感を見つけることらしい。

 玉狛支部で行う戦闘訓練もその一つだが、記憶を失った二年間の行動を追うことはそれだけで脳に刺激を与えてくれるらしい。

 

 だがそうは言っても。

 

「いつになったら思い出せるんだろうな?」

 

 いくら市内を巡っても、記憶に関しては箸にも棒にもかからない。

 思い出すことが本当にできるのか、来栖の気持ちが沈んでいく。

 

「おっと」

 

 マイナスになりかけた来栖のメンタルを襲うように強風が吹く。

 来栖は風でめくり上がったパーカーのフードを顔を隠すように深く被り直した。

 

「危ない危ない」

 

 まるで指名手配された犯人が、警察から身を隠すためにとったような行動。

 思わず来栖はフードの中で苦笑いをした。

 

「全く、バレたら困るんだから。勘弁してくれよ」

 

 意志のない風に向けて、ヒヤヒヤさせるなと文句を垂れる。

 顔を矢面に晒したくないわけではない。

()()()()事情が来栖にはあった。

 

 その事情とは来栖の現状と立場に起因する。

 

 本来来栖は病院から退院する際、その身元をボーダーの本部に預けるはずであった。

 しかしそれを急遽、迅のサイドエフェクト(未来視)により玉狛へ預けることになった。

 

 その理由こそ来栖は迅から聞かされていないが、林藤が当時言ったように余程の理由。来栖本人にも話せないほどのものがあると来栖自身何と無くではあるが感じ取っている。

 

 問題はここからだ。

 

 来栖は本部に身を預けるはずであった。

 その際、自身が昏睡から目覚めたことなどはボーダー上層部のごく一部にしか伝えていなかったらしい。

 

 これによって現状、来栖について未だ昏睡状態であると認識している人間と、既に目覚め玉狛で過ごしていると認識している人間が組織内に生まれてしまった。

 

 仮の話。例えばボーダー隊員からの報告により、来栖が既に目覚めていることが伝えていない上層部たちに伝わった場合。

 高確率で来栖は本部に移送される。

 

 それでは本末転倒。

 迅があの日、強引な形で何らかの未来を回避した甲斐がなくなってしまう。

 

 それを回避するために来栖が外出する際は迅による許可と、林藤の許可。加え、最低限の変装を来栖にさせていた。

 

 一応、林藤たち側もここまで無理を強いては来栖側から何らかの反感がくるかと予想していたようだが、来栖がそれを割り切っているからさして問題になっていない。

 

 そんなわけで来栖は最低限の変装として、市内では顔を隠すようにフードと、地毛である黒髪を隠す金髪のウィッグを被っていた。

 これでいけるのか、と初めて外出した時は不安に思えたが、人はそもそも一個人にそこまで意識を裂かない。来栖はこれまで、身バレすることは結局なかった。

 

「そろそろ帰るか」

 

 陽もかなり落ちきており、街を歩く人々にもちらほらスーツを身に纏ったサラリーマンらしき人物も増え始めている。

 

 今日の夕飯当番は誰だったかな。

 そんなことを気軽に考えていた来栖の思考は、わずかに聞こえた放電音を無視できなかった。

 

「えっ?」

 

 一度なった放電音はさらに大きくバチバチと音を立て、夕空の一部に不自然な黒を生む。

 

 脳の片隅にあった。最悪の事態が現実になろうとしていた。

 

 {緊急警報。緊急警報。(ゲート)が市街地に発生します。市民の皆様は直ちに避難してください。繰り返します。──}

 

 けたたましく、不快に感じれるほどのサイレンが耳を打つ。

 

「なんだあれ。訓練室で見たことないぞ」

 

 来栖は(ゲート)から這い出るトリオン兵を見上げながら、ボソリと小さくつぶやいた。

 侵略者は魚のようなヒレを揺らしながら悠々に空を泳いでいる。

 

 群衆は一瞬、何が起こっているのかを受け入れられずにいたが、誰かが上げた悲鳴によってパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように走り始めてた。

 

「ちょ、あっ!」

 

 未だ立ち止まったままの来栖と、懸命に走る見知らぬ市民の肩がぶつかり合う。

 衝撃に耐えれなかった来栖は肩に下げた荷物の中身を地面にぶちまけた。

 

「あー、っくそ!」

 

 呑気に地面に落ちたそれを拾おうかと、場違いなほど迷いかけたが、来栖も市民同様避難しようとする。

 

「えっ?」

 

 ただそれに待ったをかけたのは、聞こえてきた音だった。

 

 ヒュー。高所から、質量を持ったものが、空気を裂きながら鳴らす騒音。

 

 来栖が見上げた途端、今度は爆発と言えるような空気が爆ぜる音がした。

 

 目の前にビルの瓦礫が落ちてくる。

 さっきまで小綺麗だったビルは一瞬にして跡形も無くなっていた。

 

 ガラガラと、倒壊の影響が周囲に連鎖される。

 落ちてきたコンクリートが地面にぶち当たり、衝撃で粉塵が舞った。

 舞った粉塵が火の元になった。

 火は、炎に変わり黒煙を空に昇らせる。 

 

 鼻に焼け焦げたような嫌な匂いがつく。

 聞こえてくる悲鳴。

 新たに生じた危機から生き延びようとする市民の決死の逃走は、爆撃もの影響も相舞って地面が揺らされているような錯覚を覚える。

 

「や、ばい。逃げ、ない、と」

 

 来栖が呟くが、どうしても足と声が震える。

 走り去る市民は、誰もそんな来栖に構っていられず、足を止めない。

 

 足の震えが伝播していき息を荒くする。

 

 体が勝手に震える。

 聞こえてくる全てに吐き気を覚える。

 肌に感じる全てに、恐怖が宿る。

 

 これまで感じたことのないに、頭痛がする。

 

 身に覚えのない経験のはずなのに、記憶にないはずなのに。

 この経験を、この恐怖を、「来栖響」は知っている。

 

「は。うゔぉえ」

 

 崩れるように膝を地面につける。

 うずくまったまま来栖は地面に嘔吐した。

 

「ゔぉ、は。は、あぁ」

 

 吐き出すものがなくなって、口の中に胃液の強い酸が広がった。

 

 周りを見渡しても、その場には来栖しか残っていなかった。人の気配も一切ない。あるのは、崩れてしまったビルの残骸だけ。

 

 遠くに聞こえる爆撃音。音のする方角の空には尚、トリオン兵が存在している。

 

 だが、空気を裂く騒音は聞こえない。

 

 同時に強い頭痛が治まり始めた。

 

「ああ、っ」

 

 それに安心感と安らぎを覚えてしまった来栖は、自然と意識を落とした。

 

 ======

 

 緊張が続く状況の中、それでも周囲にいる市民から安堵の声と歓声が漏れる。

 

 ボーダーC級隊員(訓練生)、三雲修は倒壊した建物内に閉じ込められた市民を救助し終え、ひとまずの息をついた。

 

「急いで避難堂(シェルター)に避難をお願いします!」

 

 救助された市民は口々に修へ感謝を告げるが、状況は好転しきっていない。

 告げられた感謝に生返事を返しながら、周囲の人間へ避難を促す。

 

 中学生の身である修が、大の大人もいるこの状況で率先と避難の指示を出すことはある種異常な事態であったが、肩に飾られたボーダーのエンブレムがそれを容易にした。

 

「誰か、他に逃げ遅れた人をご存じではありませんか!?」

 

 一応、ここ一帯の救助は済んだかと修は判断し、次の場所へ移ることを思案する。

 大声での修の問いかけに、一人市民が声を返した。

 

「そういえば、商店街に男の子が! 多分怪我したんだと思う!」

 

「!? わかりました。すぐ向かいます!」

 

 市民から得た情報に修はすぐ行動を起こす。

 決して足の速い方ではない修ではあったが、それでもトリガーによって変わった肉体はあっという間に人の気配がない場所まで辿り着いた。

 

「レプリカ。多分ここら辺だと思うんだがどうだ?」

 

 {3ブロック先に反応がある。取り残された市民とはこれのことだろう}

 

 小さい。それこそ豆粒サイズの黒い物体が、修の首襟から抜け出して顔のそばに浮かぶ。

 

 今この場にはいないが、先日修のいる学校に転校してきた一風変わった転校生。その正体は近界民(ネイバー)だという空閑遊真から借り受けた自律型トリオン兵”レプリカ”。

 その子機が修の問いかけにすぐさま答えた。

 

「あれか!」

 

 言われた通りの場所に向かうと、道の真ん中に横たわった男性を発見する。

 

 岩のように散乱する周囲の瓦礫を避けながら、修は男性のそばに駆け寄った。

 

 目立った外傷は見当たらない。ただ地面には恐らく男性がしたであろう嘔吐物が残っていた。

 男性の顔はフードに隠されよく見えなく、強いていうならこぼれ出た髪の毛から彼が金の髪色であることがわかる。

 

「大丈夫ですか!? ボーダーです!」

 

「…………」

 

 肩を揺らすなどして男性の反応を伺うが、気を失っているのか男性の反応が返ってこない。

 

 どうするべきか? 

 修は未だ空に存在する爆撃型トリオン兵という脅威を再確認し、反応が乏しい男性に視線を向けた。

 

 いずれにせよ、身動きの取れない彼をこのままここに放置することはできない。

 

「すいません」

 

 修は男性を横抱きにして立ち上がった。

 

「オサム! まずいぞ!?」

 

「えっ!?」

 

 剣呑な警告がレプリカから修に伝えられる。

 レプリカの言葉の意図を修は飲み込めないでいたが、次の瞬間。修もレプリカの警告の意味をすぐに悟った。

 

(ゲート)!?」

 

 修の目と鼻の先。

 異世界の出入り口は周囲の瓦礫を取り込みながら球状に広がっていく。

 

 先の見えない漆黒の門は、広がるのみに留まらず、奥からトリオン兵が這い出てくた。

 

「逃げろ、オサム!」

 

 端的に、レプリカが修に向けて最適解を提示する。

 それに言葉を返す暇もなく、修もトリオン兵に背を向け逃亡を試みた。

 

 敵トリオン兵は捕獲を主な目的とするバムスター。

 

 戦闘力そのものは大して高くはない。

 高くはないが…………。

 

「くっ、うう!」

 

 修は尚背を向け、逃げの一手を打つ。

 修は敵の撃破より、この抱き抱える男性の保護を優先した。

 

 目立った攻撃方法を持たないながらもバムスターは街路を踏み荒らし、時に修すら踏み潰そうとしながら迫りゆく。

 反撃を一切しない、敵にもならない存在は、バムスターにとってまさに格好の餌であった。

 

 散乱する瓦礫の間を縫うように逃げる修。

 それを無視し、直線で距離を詰めるバムスター。

 

 更に修の走る姿勢は決して全力で走れるものではない。

 どうしたって、距離が詰められるのは時間の問題だった。

 

 改めて、敵の撃破を目指す。といった考えが修の脳裏によぎる。

 だがそれは不可能だと、すぐに切って捨てた。

 

 武器を作るためのトリオン不足。

 昼過ぎにもあった別のイレギュラー(ゲート)による事件解決奔走の為、修は持ちうるトリオンのほぼ全てを使い切っていた。

 

「どうすれば、んなっ!!?」

 

 悩み思考する修。

 それはバムスター(捕食者)からすればただの隙でしかなかった。

 

 バムスターは、これから食らおうとする餌を抱きかかえていた修を巨大な頭部で払い除ける。

 

 衝撃で吹き飛んだ修は男性と共に地面を転がった。

 

「ぐううっ!」

 

「ん、んんっ」

 

 くぐもった声が修のそばから聞こえる。

 

「もしかして、気が! しっかししてください、近界民(ネイバー)がすぐそばに居ます! 早く逃げて!!」

 

 修が目がゆっくりと開き始めた男性に向けて必死に呼びかける。

 

 男性は非常事態であることを受け入れきれていないのか、呆然としていたが目の中の瞳。そこにトリオン兵が映されると盛大に表情を固めた。

 

「トリオン兵。バムスター、か」

 

「えっ?」

 

 それはまさに一瞬の出来事だった。

 流れるような動作で男性が胸元からあるものを取り出す。

 それは修にとっても見慣れたもので、この男性がそれを所持していることに唖然としてしまった。

 

「トリガー起動(オン)

 

 声と共に、男性の服装が変わる。

 黒のコートと腰に備わった二本の刀。

 

 見ただけでわかる、戦う事を目的とした装備。

 

 男性の目が鋭くなる。修のことなど眼中に無いよう、ただ目の前に映る脅威だけを見ていた。

 

 そして、これもまた一瞬。

 男性が腰の刀に手をかけたと同時に、男性の体が残像を残すよう修の視界から消えた。

 

 間髪入れず、地面を大きく揺らす衝撃。

 

 ──何が起こった? 

 

 一瞬も一瞬。

 修は短すぎる時間に起こった膨大な情報を処理しきれないままに、衝撃の震源地とも言えるような方向に目を向ける。

 

「なっ!?」

 

 目に見えた光景に、修は我慢できず口を開いた。

 修の目に入ったのは、消えたはずの男性とさっきまで修達を襲ってきていたトリオン兵。

 ただ襲ってきていたはずのトリオン兵が。あれほど脅威だったはずのトリオン兵が見るも無惨な、文字通りガラクタに姿を変容されていたことに修は驚きの声をあげる。

 

 ガラクタのそばから濛濛(もうもう)と砂埃が巻き上がる。

 そして、それを背にしながら、男性が刀を鞘にしまう動作を終わらせていた。

 

 その動作を見て、やっと。修の中で情報の処理が完結する。

 

 男性が、斬ったのだ。

 

 ほんの、一秒とも思えないあの時間。男性は飛び出し、トリオン兵をあの刀でガラクタに変えた。

 沈黙したままの残骸と、刀を鞘に収める動作こそがその証明。

 

 生気の抜けた、どこか眠たげな表情。目元に光が宿らないまま、男性が振り向き修に声をかける。

 

「そこのメガネ、怪我してない?」

 

 男性のセリフが、ある人物二人を修の中に想起させる。

 

『よう、無事か? メガネくん』

 

『よう、平気か? メガネくん』

 

 脳裏に浮かんが二人の姿に修は目の前の男性を重ねたが、それどころじゃないと慌てて首を振った。

 

「は、はい。あの」

 

「じゃあ俺、帰るから。後、任せる」

 

「え? でも、まだ!」

 

 空に新型のトリオン兵がいる。

 

 修がそう言いかけたが、それを一際大きい爆音が阻んだ。

 爆音のした方角に男性ともども視線を送る。

 

 空に見慣れないキノコ雲が上がり、薄く虹がかかる。

 

 {オサム、ユーマとキトラがイルガーの処理した。ひとまず合流をしよう}

 

 首元に潜んだちびレプリカが修にだけ聞こえるように結果を伝える。

 その言葉に、修は安堵をこぼした。

 

「よかった」

 

「何がよかったんだ?」

 

「!?」

 

「おい、引き止めたのはそっちだろ。何驚いてんだ?」

 

 男性が、トリガーを解除し元の服装に戻り終えてから、修の反応に首を傾げる。

 

「いえ、その…………」

 

 修が男性を引き止めたのは、新型トリオン兵が未だ破壊されていなかったからだ。

 それが空閑によって破壊されたと聞いて修の言葉が詰まる。

 

「お前、ボーダーの隊員?」

 

 喉に言葉が詰まったままの修に助け舟を出すように、男性が口火を切る。

 

「え、あ、はい」

 

 訓練生、という言葉がその前につくが、修は男性に答える。

 

 男性は修の答えに「そっか」と短く呟いては、何かを思い出すように頭を捻った。

 

「…………頭、回ってないな。見られたら、なんか、頼まないといけないはずなんだけど」

 

「あの」

 

「ん?」

 

「さっきはありがとうございました」

 

 言葉をはっきり口にし、修が90度腰を折る。

 修がトリオン兵を撃破してくれたことに感謝を伝えるが男性の態度はあっけらかんとした。

 

「ああ、いいよ。気にしないで。多分、お前のおかげで生きてたわけだし」

 

「えっ?」

 

「いや、運んでくれてたんだろ。バムスターに追われてる間さ。意識はまあ、なんとなくでだけどあの時もあったから覚えてる」

 

 男性はトリオン兵の撃破を気にした様子はなく、その前の修が男性に行っていた救助活動への感謝を返した。

 

「だから、ありがと」

 

「そんな、ぼくは当たり前の事をしただけで」

 

「なら俺も、ボーダーの人間として当たり前の事をしただけだ」

 

 男性はそう言い残し、踵を返す。

 そのまま修は見送りかけたが、すんでのところで叫んだ。

 

「あの、よければ名前を!」

 

 男性は首だけ捻って、修の質問に答える。

 

「来栖響。そっちは?」

 

「三雲、修です」

 

「三雲ね。覚えた」

 

 男性が改めて歩き始める。

「それじゃ」と小さく手を振って、男性の背中がどんどん小さくなっていった。

 

「よし」

 男性の姿が見えなくなって、小さく修がつぶやく。

 

「レプリカ、案内してくれ。空閑と合流する」

 

 {了解した。案内しよう}

 

 ======

 

「あ、やばい。名前、言っちゃった」

 

 修と別れてから少し。

 河岸を歩いている最中、ふと思い出したかのように来栖が独りごちた。

 

「しかもトリガー使ったし!」

 

 自身の存在をくれぐれも秘密にしなければいけないというのに、それを無自覚に破っていた事実にやらかした、とその場で頭を抱え込む。

 

 いや、仕方なかったのだ。

 いつの間にか、気を失っていて、起きたら目の前に見慣れた敵がいたのだ。脊髄反射と言ってもいい。胸元のトリガーを引っ張り出して、剣を抜かざる得なかった。

 それでも、名前を名乗ったことは完全に失念なのだが。

 

「とりあえず、ボスと迅さんに連絡しないと」

 

 なんて、言い訳を胸中に埋め尽くしながら、こうなった時の手順を冷静に実行に掛かる。

 とりあえず、手持ちのスマホを操作し電話をかけようとした。

 

「あ」

 

 来栖が持っていたスマホがするりと手を滑り、嫌な音が下から響く。

 

「ああ〜、やらかした」

 

 画面が割れていないだろうか。

 そんな事を思いながら、地面に落ちたスマホに手を伸ばす。

 

「あれ?」

 

 視界に映る、地面に伸ばされた自分の手。

 その様子が不自然で、首を傾げた。

 

「なんで、震えてるんだ?」

 

 盛大には震えていない。

 それでも、微かに、揺れ続ける自らの手。

 

「なんだ? これ」

 

 不気味にも感じる、無自覚の現象に疑問が浮かぶ。

 

「止まんない。なんでだ?」

 

 手が震える理由がわからない。止まらない理由もわからない。

 

「なんで、止まらないんだ?」

 

 来栖の声に、焦りが浮かぶ。

 

「なんで、止まってくんないんだよ」

 

 結局来栖が林藤に報告をしたのは、それから数分してからのことだった。

 

 ======

 

 切り終わり、山積みになった残骸の上に着地する。

 視えていた通りの未来。掛かってきた電話をノータイムで耳に当てた。

 

「はいはいもしもし」

 

{俺だ、迅。今大丈夫か? }

 

「大丈夫、ちょうど今片付いた」

 

 遠くから未だ爆音が聞こえるが、じきにあちらも終わるだろう。

 

「それで、どうだった? レイジさん」

 

{…………言われた通り、手は出さないで終われた。一瞬、肝が冷えたがな}

 

「怪我、してないよね」

 

{身体はな。だが…………}

 

 通話越しのレイジの声が止まる。言おうか言わないか。迷っているという感じだ。

 

 わかっている。

 言いたいことがあるのは当然で、こんな事を提案した自分には憤りだって感じているだろう。

 

{あいつもバカじゃない。お前の予知(サイドエフェクト)を知っている以上、確実に探りを入れてくるぞ}

 

「わかってる。だからしばらくは玉狛に顔を出すつもりはないから」

 

 来栖は、ボーダー関連の事情には疎いが、決して頭が悪いわけじゃない。

 レイジの言うよう、今回の件になんらかの作為があることに気づくだろう。

 

「改めて。ありがとねレイジさん。変な役目、押し付けた」

 

 電話越しながら精一杯の感謝を口にする。

 

 それにレイジは深く息を吐いてから淡々と今回の依頼を口にし始めた。

 

{来栖の身の安全を確保するために、周囲で警護をしろ。ただし、来栖がトリオン兵に実質的(最悪の)な危害が加えれられる(手前)までは手を出すな。改めて言うと馬鹿げた指令を出されたものだ。そもそも普段の来栖の外出の際にはこんな指令(もの)一度も出されなかった}

 

 再度レイジは深い息を重々しげに吐いた。

 画面の向こうには苦虫を噛み潰したかのようなレイジの顔があるのだろうと迅にはすぐに想像できた。

 

{この未来視えていたな。その上でお前と林藤さんは許容した}

 

「…………その通りだよ」

 

{ただ、お前と林藤さんが考えなく来栖の身を危険に晒したとは思えない。…………迅。どういった意図で、今回の件は差し向けた? 納得のいく解答を寄越せ}

 

 義憤が静かに沸く。

 やはり、聞かずにはいられなかったらしい。

 

 理由を口にしようとするが、再度、自分の人でなしっぷりに嫌気が差す。

 

 これで何度目だろうか。大切な人をこうして傷つけて。切り捨ててまで、不確かな未来(結果)を求めるのは。

 

「オレは別に来栖さんを認めていないわけじゃないよ。それでも必要だと思ったんだ。いつか来る出会いを、最悪のものにしないために。それにいつか来る戦いに、本気で向かってもらうために」

 

 電話越しに伝える。

 

 これこそが、運命を動かすに必要な一歩だったのだと。

 

 ========

 

 ──未来を、動かせ。最善のために──

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

岐路に立つ

 答えの出ない自問自答を何度繰り返したのだろう。

 

 時計の針が進む度冷えていく部屋で、眠れない夜を過ごす。

 瞼を閉じて寝ようとしても、その裏に浮かぶ光景が決して眠りに就くことを許さなかった。

 無理やりにこじ開けられる。

 

 そして、光景を思い浮かべる度に、震える手を見ざるを得なかった。

 

 微かに震える手。

 それと同時に襲ってくる、脳を刺すような痛み。

 

 悩ましい種なんてものではない。

 眠りには自発的につけず、体と精神が限界を迎えて漸く眠れる始末。

 日中だって上の空になることも多くなった。

 

 重くなって閉じられた瞼であってもフラッシュバックした光景が何度自分を飛び起きさせたことか。 

 

 瞼の裏を覗くたび見える悪夢のような光景。それは平穏な町中で。突如として異世界の門は開かれて。恐怖が人を襲う。

 

 震える手と、増していく痛みに耐えながら、浮かぶ光景をより鮮明にしていった。見たくて見たいわけじゃない。

 この震える手も、脳に加わる痛みも全くと心地いいものではない。

 

 ただ、この痛みを。どうでもいいものとして処理はできない。

 

「この痛みも、震えも。きっと──」

 

 きっと、今は記憶にない(過去の)自分が感じ、その上で飲み込んできたものだから。

 

 今の自分が少しでも過去に近づきたいのなら。思い出したいというのなら。

 避けては通れないものだ。

 

 そして何より。

 

「超えなきゃ、いけないんだ。俺が──」

 

 俺が、本当にどうなりたいかを決めるために。

 

 あの日。

 街に出たあの日。

 夕空を泳ぐトリオン兵が、空爆によって街を襲ったあの日。

 

 ただの、無慈悲に訪れる天災では無い。明確な、人によってもたらされる悪意を本当の意味で理解した。

 己の利の為に、他者を平気で踏み躙れる。まるで人を、人ではなく家畜として扱うかのような、極めて不快な悪意。

 

 思わず、吐き気を催した。

 悪意を持った人間が、こんなにも残酷なことに。

 いままでそれを直視しきれていなかった自分の愚かさに。

 

 本当は、わかっていた。それでも目を逸らしていた。

 

 今の自分には、過去の自分ほど、近界民(ネイバー)の危険を真に理解できていない事を。

 百聞であった今までと、一見した過去。

 

 どれだけ想いを積み重ねようとも、感じた現実には敵わない。どちらの理解が勝るかなんて言わなくてもわかる。

 

 それでも、わかった気でいた。

 大事な存在を失う悲しみも、辛さも、わかった気でいた。

 

 それでもあの時。本部か玉狛か選択を迫られた時、過去から遠ざかることになったとしても、本心に従って、玉狛(ここ)を選んだんだ。

 

 でも、近界民(ネイバー)の真の悪意を理解してしまった今は。

 

 以前と同じように心だけでは立っていられない。もう、迷ってしまった。

 

 俺は、この事実と向き合わなければならない。

 近界民(ネイバー)が振りまく悪意と。近界民(ネイバー)と手を取り合おうとした心に。

 

 折り合いをつけなければならない。

 

 葛藤が、胸を締め付ける。

 

 俺は、見つけれるのだろうか。

 手を取り合おうとする心を、揺らがずに目指せる理由を。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

見据えるは最善の未来ー①

「答えは、見出した」


「わざわざ、こんなところに、呼び出して。はぁ」

 

 階段を登りながら、息を切らしかけた来栖が文句を垂れる。

 

 登った階段の数は知れず。踊り場の壁を見るに七つの階をこの足で登っていた。

 

 エレベーターは使えない。

 ここ一体の地域の電力は既に止まってしまっている。

 

 ゆえに指定されたビルの屋上にいくには自らの足を使わざるを得なかった。

 

「はぁ、はぁ。やっとぉ、着いたぞ!」

 

 肩で息する来栖が屋上に続くと思わしき扉の前に立つ。

 

 年月の経過と整備不良で音がなるほど錆びついた扉を開けると風が一気に来栖へ押し寄せる。

 圧の強い風を全身に受け、一瞬仰反るがなんとか踏ん張り立て直した。

 

「お疲れ様です、来栖さん」

 

 風が止んで目を開けると、普段は首に下げているトレードマークのサングラスを今日は掛けた迅がいた。

 

 来栖が上がった息をゆっくり整えながら唇を尖らせる。

 

「もうちょっといい場所なかったんですか、迅さん」

 

「いい運動になったでしょう」

 

「過ぎた運動は却って体に悪いんですが」

 

 迅の笑いながらの皮肉に来栖は眉を寄せる。

 

 トリオン体なら話が大きく変わるだろうが、生身での階段昇降はかなりのハードトレーニングだ。それが二桁の階数となれば更に。

 

 来栖の元々の身体能力ならこの運動は地獄のようなものだった。

  

 ふくらはぎがピクピクと痙攣しかかっている。

 まるで生まれたての子鹿のようだ。

 

「勘弁してくれ、全く」

 

「来栖さん」

 

 迅のトーンが一つ落ちる。

 さっきまでの朗らかさは風に飛ばされたようにそこにはもう存在していなかった。

 

「何?迅さん」

 

 来栖も、迅に合わせるようにトーンを一つ落とす。

 

 いつもの飄々とした迅の雰囲気はなりを潜めた。

 こういった時の迅の話す内容は大抵決まっている。

 

 最良の為。迅悠一は暗躍する。

 

「未来の話を、してもいいですか?」

 

「いいよ、そういう覚悟でここには来てるから」

 

 大して驚くこともなく、来栖が答える。

 

「元からそのつもり、ですか」

 

「それはそうでしょ。こんなとこに、わざわざ呼び出しといて」

 

 来栖が手を広げて、大げさに振る舞う。

 

 人が一人もいなく、建物が朽ちていくのを待つだけの地。

 三門市においてそれが該当するのはたった一箇所。

 

 すなわち、警戒区域。

 

 今は旧と名がつくようになった弓手町駅付近にあるビル郡の一棟へ呼び出された時点で、誰彼に聞かれたくない話だということは簡単に察せれた。

 

「大変だったんですよ、小南先輩誤魔化すの。迅さんから呼び出されたって言ったら暗躍だーって騒いで」

 

「はは」

 

「まあ、レイジさんが止めてくれてる間に出てこれましたけど」

 

 自分の行動に騒ぎ立てる小南の姿を簡単に想像できたのか、迅は目尻に涙を浮かべた。

 

「ただその話をする前に、来栖さん。二つほど、質問させてもらってもいいですか?」

 

「ああ、大丈夫。何か聞かれるってことも、覚悟して来たつもりだから」

 

 迅はサングラス越しに来栖を見て、来栖も応えるように目を合わせた。

 

 来栖響に、迅の持つサイドエフェクト(未来視)は備わっていない。

 ただ、それでも。

 迅はこれからの為に何かを確認するであろうことはなんとなく連絡を受けた時から予想できてしまっていた。

 

 迅はさして来栖の反応に驚きもせず、「じゃあ」と質問を始めた。

 

「一つ目はこれから先、襲い来る近界民(ネイバー)と戦えますか」

 

「…………」

 

 来栖はあえて迅の質問に答えない。

 

 迅は二つ質問があると言った。

 その二つを聞き終えてから、答えを述べても大差がないだろうと来栖は判断したからだ。

 

 迅も、来栖のその意図を理解して続く二つ目を投げかける。

 

「もう一つは、来栖さん。それでも、近界民(ネイバー)と手を取りあえますか?」

 

「…………ふっ」

 

 ああやはり、と来栖は堪えきれず乾いた笑みを浮かべた。

 

 見透かされていた。もしくは視えていた。それか差し向けられていた。

 

 どれでもいい。

 兎にも角にも、迅は来栖の思考を読んでいた。

 

 二つ質問を投げかけられたが、おそらく本題は二つ目の方だろう。

 少なくとも来栖自身は、二つ目こそ今ここに呼び出すに足る問いだと思っていた。

 

「一つ目に関しては、病院で言ったものと変わらないよ。誰かを、たった1人でも涙を流させずに済むのなら、俺は全力で剣を振るう。そこに迷いは無い。襲い来る敵は誰であろうと斬ってみせる」

 

 一つ目の質問に答える。

 それは元より持っていた答え。

 言い淀む理由はなく、誓ったものを正々堂々と言葉に変えた。

 

「二つ目に関しては、最近やっと整理できた」

 

 目を伏せて、この悩みに思考を巡らせた夜を思い出す。

 

 いままで見ていたようで見れていなかった、言われたことの難しさ。

 

 昔の俺が背負っていたはずの、襲い来る存在への恐怖。

 それを簡単に背負えると思っていた今までの自分の傲慢さ。

 

 未だ、一分としかその恐怖を理解できていない自分が、どうすれば手を取り合うという理想を追えるのか。

 そもそも追うべき理想だと言えるのかどうか。

 

 深く、深く。今ある限りの苦悩を吐き出し、折り合いをつけて、ここに来た。

 

「俺は、玉狛の人間として。近界民(ネイバー)と手を取り合う。俺は──」

 

 閉じた目を開け、答えを詳らかにする。

 これこそが、今の自分が持つ理想であり、信念であると。

 目の前の、先達に向けて。

 

 ========

 

「それが、俺の答え。俺の目指す、理想」

 

 身の丈の全てを曝け出す。

 どれだけの時間、話したかわからない。

 

 来栖の答えに、迅は一切口を挟まずただ静かに聞いていた。

 

「きっと、迅さんからしたら、未熟もいいところなんだと思う。知るべきことを知らないで吐いている理想論なのかもしれない。それでも悪意を知って。悩んで、その上で行き着いた、俺の答え」

 

 来栖が自らを”未熟”と評したのは掛け値無しの本音であった。

 

 自らの経験と迅の。いや迅のみならず小南をはじめとした玉狛の面々とは明らかに経験したものが違いすぎる。

  

 はるか前からボーダーとして戦い、そして玉狛として歳月を経て来た迅と、状況を理解したった半年も経ていない来栖とでは当然に差が出ることは明白だった。

 

 そして知るべきこと。未だ近界民(ネイバー)と関わり合いを持てていない来栖の言葉は間違いなく理想論だった。

 

 それでも、と。

 今ある経験で、今至れる答え。

 

 それが先の発言の全てだった。

 

「……来栖さんのその答えは、険しい道のりになると思いますよ」

 

 迅は来栖を見る目を細めながら、そう口にした。

 

 視えているのだろうか。

 そのサイドエフェクト(未来視)に自分がどう映っているのかは理解できない。

 

「わかってる」

 

 ただ、既に迅の言葉が避けれない未来であることは予見できている。

 その答えに至った時点で、待ち受ける数多くの苦悩は今でさえ想像できた。

 

「さっきの答えの過程が、どんなものかはまだ想像できない。いつかは、本気で()()()()()()()()()()()()()()()()しれない。それでももう、迷わない」

 

 たとえその道のりがつらいものだとしても。

 

 選んだ選択を曲げないことを誓う。

 

「…………」

 

 出し切るべき解答は出し切った。

 後は迅がどんな反応を返すかだけが未知だった。

 

「──ーふっ」

 

 迅が細めていた目を穏やかなものに変え、口の端がわずかに吊り上がる。

 

「なら、未来の話を始めましょうか」

 

 ======

 

 渡された双眼鏡を構え、事前に指定されたポイントを覗き見る。

 

 いきなり双眼鏡を迅から渡された時は何故と首を傾げたが、視えた先の光景がこれであるならば、納得がいった。

 

 旧弓手町駅、その線路上。

 そこでは二対一の戦闘が繰り広げられていた。

 

 喧嘩などではない。

 繰り広げられているそれは到底生身でできる芸当のものではなく、一方が持ちうる武器からボーダーのトリガーが行使されての戦闘である事は明白であった。

 

 現状は、見知らぬ黒のスーツに身を包んだ白髪の少年が劣勢と言える。

 

 白髪の少年と対する二人組の立ち回りは上手い。

 数的有利を活かし、どちらか一方は確実に死角から攻撃を繰り出している。

 加え、白髪の少年が挟まれるのを嫌って、広い場所に出ようとしても──ー。

 

「っ、狙撃手(スナイパー)!」

 

 一瞬双眼鏡を走った閃光が、少年の左腕を弾き飛ばす。

 

 かなり遠距離からの狙撃。

 走った閃光は二つだったが、その二つとも少年が身を捩らなければ直撃していただろう。

 撃った側も避けた側もどちらも相当な実力者だ。

 

 少年が線路に着地し、弾かれた腕から漏れるトリオンを手で抑える。

 状況は依然として少年の劣勢。

 だが。

 

「なんでだ? 意図的に加減してる?」

 

 自分しかいないビルの屋上で、来栖が一人分析を行う。

 

 さっきから少年側からの攻撃が一切ない。

 攻撃するタイミングが全くないわけではないし、その素振りを見せる瞬間もある。

 ただそれでもなぜかその攻撃を躊躇う。

 

 理由をいくつか考察し、行き着いた答えを来栖は呟いた。

 

「撃退では無く、無力化を狙っているのか⁉︎」

 

 この状況で、そんな難易度の高いことを。

 来栖の中に驚きが生まれる。

 

 そしてそんな驚きを他所に戦況は動きを見せた。

 

 ボーダーの二人組が息の合ったコンビネーションで少年を挟みにかかる。

 槍の使い手の突きを少年が咄嗟に躱し、側面からもう一人、ハンドガンの引き金を引く。

 

 さっきまでの焼き回しだ。

 ハンドガンから放たれた弾丸は少年の展開する盾に──ー。

 

鉛弾(レッドバレット)!?」

 

 阻まれなかった。

 

 少年が構えた盾を弾丸はすり抜け、少年の体に着弾するとその効果を発揮する。

 

 少年の胴体から右腕までの計四箇所。六角柱の錘が生える。

 

 少年は錘の重さに耐えきれす、線路上で膝をついた。

 

「まずい!」

 

 来栖が叫ぶ。

 

 膝をついた少年にボーダーの二人組が襲い掛かる。

 

 そこからの光景は容易に想像できてしまった。

 少年の首は間違いなく絶たれる。

 

 ──ーどうすればいい! 

 

 来栖が頭を一気に悩ませるが、双眼鏡の光景は先の想像を大きく覆していた。

 

 少年の手から展開される、何重もの円。

 そこからボーダーの二人組に向け、黒の弾丸が発射された。

 

 襲い掛かった二人は躱し切れず、なすがままに弾丸を浴びる。

 そして浴びたそばから、少年と同じように錘が生え、地面に縫われるように伏した。

 

「すごい……」

 

 月並みな反応であったが来栖にはそれしか言えなかった。

 たった一手で戦況を変える。

 

「これが、(ブラック)トリガーの力」

 

 前衛の二人は戦えこそするだろうが、これまでのようなハイスピードの連携はもう無理だろう。

 そしてそれを活かしていた狙撃手(スナイパー)は間違いなく少年を捉え切れない。

 

 加えて。

 

「迅さんが出て来た。終わったな」

 

 さっきまで共にいた迅が仲裁に入る。

 

 詰みだ。

 結果は少年の勝利。

 それも相手の無力化という彼が求めていた最上の結果で終えている。

 

 仲裁に入った迅が地面に伏したままの一人と何か話しているようだがこの距離では当然会話の内容はわからない。

 

 来栖は双眼鏡を顔から離しながら一息入れた。

 

「あれが未来を動かす一人、(ブラック)トリガーの使い手」

 

 晴れ渡る、澄んだ青空を見上げながら来栖が呟く。

 

 ──ーここから、始まる。最善の未来への戦い。そして。

 

「そして俺が手を取り合えるかもしれない、近界民(ネイバー)……」

 

 ──ー玉狛の来栖響として、どう在るのか。それが試される未来の始まり。

 

「…………とりあえず、玉狛に帰るか」

 

 決意と、予感。

 二つが入り混じりながら来栖は登って来た階段を降り始めた。

 

 




「この階段、また降りなきゃいけないのか」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

交差する運命

連投の最終です。ご注意を。


 まだかまだかと体がウズく。

 尋ね人は未だ来ない。

 

 ただ連れてくるという結果だけを伝えられていた来栖にはそれが何時なのかわからず、興奮を抑え切れずにいた。

 

「ただいま〜」

 

 ──来た。

 

 無理に抑えていた興奮が爆発し、その場で勢いよく立ち上がる。

 

 初めに支部の扉を抜けた迅と来栖の目があった。

 途端、迅が手で口元を覆いながら笑みを隠す。

 

「大丈夫ですか、来栖さん。顔、すごいことになってますよ」

 

「えっ?」

 

 言われたことの意味が読み解けず、とりあえず手で顔に触れる。

 ペタペタと触りながら、なるほどと迅の言わんとすることを理解した。

 

 口の端が吊り上がっていることを自覚する。

 興奮は一見立ち上がったことで発散されたかに思えたが、その実まだ残っていたらしい。

 

「ごめん、気をつける」

 

「え、あなたは……!」

 

「ほー。ここが」

 

「お、お邪魔します」

 

 来栖が謝るうちに、迅に連れられて来た人間らが玉狛に踏み入る。

 そのうちの一人と顔を合わせ、来栖は驚きの表情を浮かべた。

 

「三雲!?なんでお前が」

 

「来栖さん!お久しぶりです」

 

 顔を合わせた修も驚くが、すぐに喜んだように笑みを見せる。

 

 先日の大空襲にて世話になった彼がここにいることに来栖は改めて驚く。

 なぜ件の少年と三雲が一緒にいるのかと疑問符が浮かぶが、タイミング的に恐らく……。

 

「お前、ひょっとしてさっき居たのか?」

 

「さっき?」

 

「駅での戦闘の時だ」

 

「えっと、ホームにいました」

 

 なるほど。

 

 来栖の疑問が解ける。

 見かけない修がどうしてこの白髪の少年と一緒にいるかと思ったが、戦闘時から共に居たらしく。

 来栖からはホームの壁が死角になって見えていなかったらしい。

 

「オサム、知り合いか?」

 

「ああ。この人は──ー」

 

 白髪の少年が修に話しかける。

 

 修と話す少年を来栖はジッと観察した。

 

 酷く違和感を覚える少年だった。

 

 見るからに幼い。身長差で言えば来栖の肩に頭がくる程度。

 ただ、その見た目に反する戦闘経験の高さ。旧弓手町駅での戦いぶりを見れば、あまりにも乖離が過ぎた。

 

「よお、近界民(ネイバー)

 

 修が出会った時のことを細かく話していたが、ぶった斬るように声をかける。

 修の声が止まり、少年の雰囲気が変わる。

 

 さっきまでの穏やかさから一変。

 分かりやすく腰を落とし、目を細める。

 それが警戒だとは簡単に見てとれた。

 

 ──ーいけないな。

 

 自らの行動を振り返って、来栖は反省した。

 

 高い戦闘経験に目がいって、”もしも”が脳裏によぎってしまった。

 そのせいで、こちらも警戒心丸出しで声をかけてしまった。

 それは相手にも伝わり、必然として警戒という形を返された。

 

 自らの警戒心を必死に解く。

 目の前にいるのは分かり合えるかもしれない可能性だ。

 

 両手を上げて、何もする気はないと伝える。

 

「悪い、警戒させた。初めまして、俺の名前は来栖響。玉狛支部の人間だ。よかったらお前の名前、聞かせてくれないか」

 

「空閑、遊真。背は低いけど十五歳だよ」

 

「そうか。よろしくな、空閑」

 

「悪いな遊真。来栖さんにとってお前が初めて会う近界民(ネイバー)なんだ。少し警戒してるのは許してやってくれ」

 

「……ふむ、そうなのか」

 

 迅の注釈を得て、空閑の態度が少し元に戻る。

 

 チラとこちらを見る空閑の視線が少し痛い。

 警戒の色は薄まったが、それでも無くなってはいなかった。

 ファーストコンタクトとしては最悪に近いものだろう。

 

 なにやらかしてんだ、とわずかに後悔した。

 

「あれっ、え? もしかしてお客さん⁉︎あ、来栖さんと迅さんも帰って来てる!」

 

 聞こえて来た声に全員が上を見上げる。

 玉狛の二階に資料の詰まった箱を抱える宇佐美がいた。

 

「ただいま、宇佐美」

 

「お疲れ様です、宇佐美さん」

 

「うんうん、おかえり二人とも。お客さんちょっと待ってね! すぐにお菓子用意するから!」

 

 忙しなく動き出した宇佐美の姿をみて修たちは少し呆然としていた。

 

 そしてそれを見た来栖はクスッと小さく笑ってから呟く。

 

「とりあえず席にかけておいてくれ。俺は宇佐美さんを手伝ってくる」

 

 ======

 

 そこからひとしきり出来事があって夜。

 

 来栖は地下の訓練室に空閑を引き連れて来ていた。訓練室のゲートを通り抜けると殺風景な空間に出る。

 

 空閑の立場を考えていざという時逃げ道のある屋上の方がいいのではないかと思ったが、既に本部による監視が入っているということから外から見えない地下室に移動することになった。

 一応後で迅も来る予定である。

 

「本当によかったのか? 玉狛に入んなくて」

 

 林藤の執務室での会話を振り返り、来栖が質問を投げかける。

 同席して聞いていた来栖からしても林藤の提案はそこそこ良いものだと思えたのだが。

 

「うん、悪いね来栖さん。でも決めたことだから」

 

「そうか。自分で決めたことなら、文句は言えないな」

 

「…………」

 

「…………」

 

 そこからしばらく静寂が続いた。

 どう接すれば良いのか、来栖には咄嗟に思いつけないでいる。

 

「そういえばさ……」

 

 そんな動きあぐねる来栖より先に、空閑が会話を切り出した。

 

「この前、オサムのこと助けてくれてありがとう」

 

「…………ああ。あれは、互いに助けて助けられただけだ。別に礼を言われることじゃ…………。待て、三雲から俺のこと聞いたのか?」

 

 なんのことかと一瞬眉を顰めたが、思い当たるのは一件だけなので答える。

 

 そして最後の質問には焦りが混じっていた。

 

 来栖の存在は機密事項。

 あの時の失念で何か重要なことが起きていたらそれはまずい。

 念を入れて林藤に大丈夫か確認していたが、やはり三雲から漏れてしまいかけているのでは!

 

 焦燥を浮かべる来栖だが、空閑は変わらない様子で質問に応じた。

 

「オサムからじゃないよ。俺の相棒から聞いた」

 

「相棒?」

 

「レプリカ」

 

 空閑が指にはめた黒の指輪に呼びかけると、その指輪から伸びるように物体が現れた。

 

「!?」

 

 物体はふわりと空閑のそばで浮かび上がり、そのまま宙に留まった。

 

{はじめましてクルス。私の名はレプリカ。ユーマのお目付役を担う多目的型トリオン兵だ}

 

「トリオン兵……!」

 

 初めて見るタイプだ、と来栖は思わず息を呑んだ。

 

{改めて私からも礼を言わせてもらいたい。あの時クルスがいなければ間違いなくオサムはバムスターによって食い殺されるところだった}

 

「だからあん時は、そもそも俺を三雲が助けようとしたからだろう?」

 

{それでもだ。ありがとう}

 

 会釈というべきなのだろうか。

 レプリカは、来栖に向けて前部を下に傾けた。

 

「んー、むず痒いな。そう言われると」

 

 頬を軽く赤に染めた来栖は照れ臭そうに頭を掻いた。

 

「ねえ。来栖さんはさ、近界民(ネイバー)嫌いなの?」

 

「急にどうして……。いや、会った時があれだからか」

 

 あまりに唐突な空閑の物言いに来栖はたじろいかけたがすぐに持ち直した。

 

 やはりというか当然というか。

 あのファーストコンタクトは最低だったと再度自覚する。

 

 ──敵意ありありだったからな。そりゃ当然に聞かれるよな。

 

 自分でしでかしたこととはいえ、後悔は募る。

 

 迅に今後の目標を語って、手を取り合うと決めたのに。自分から手を振り払っては目も当てられない。

 

「とりあえずあの時のあれは悪かった。もう一度謝らせてくれ」

 

 ひとまず、これがどこまで空閑に響くかわからないが謝罪を入れる。

 無論これは形だけのものなんかではなく、本気のものだった。

 

 来栖は空閑にきっかり九十度腰を折る。

 

「んで、さっきの問いの答えるなら…………。好き、とはいえないな」

 

 そしてその後に来栖は空閑の疑問に答えた。

 来栖の視線はどこか遠慮がちに空閑に向けられる。

 

 嫌いではないが好きとは言い切れない。随分濁したものだった。

 

「なら、なんで玉狛に?」

 

 空閑の疑問はもっともで、来栖も聞かれるだろうと思っていた。

 

 遠慮がちだった視線を空閑に合わせる。

 随分日本人離れした赤い瞳と、白髪が十分すぎるくらい目に入った。

 

「長いけど、聞くか」

 

「うん」

 

「ふはっ、即答かよ」

 

 空閑の即答に来栖は小さく吹き出した。

 

「興味あるからさ。クルスさんがなんで玉狛にいるのか」

 

 来栖を見る空閑の視線は、どこか浮世離れしている。

 純粋な疑問をぶつけてくるようなまるで子供のような視線だった。

 

 意識を完全に来栖へ向けている。

 それはどこか、来栖の心を奮い立たせた。

 

 ──分かり合えるだろうか。俺はこいつと。

 

 不安を抱えながら、舌を動かす。

 

「そっか。なら迅さんが来るまで話そうか。あの人のことだから話終わるまで来そうにないけどさ」

 

 ======

 ======

 

「そっか。それが来栖さんが玉狛にいる理由か」

 

「秘密にしといてくれよ。まだこれ迅さんにしか話してないんだ」

 

「わかった約束する」

 

「頼んだ」

 

 来栖はこれまでの会話の括りとして、そう約束した。

 

「迅さん、まだ来ないね」

 

「そんなことないさ。多分すぐ来る」

 

「うぃ〜す。お疲れ様です、来栖さん。遊真も、待たせたな」

 

「ほら来た」

 

 来栖の宣言通り、迅が狙ったように現れる。

 その両手には湯気立つマグカップが握られていた。

 

 来栖と空閑は迅から差し出されたマグカップを受け取り口をつけた。

 

「ん、甘いな!」

 

「ココアだな。初めてか?」

 

 一口飲んで目を丸くする様子の空閑。

 それを横目に見た来栖が説明を加えた。

 

「うん。()()()にも甘いものはあったけど、飲み物としてははじめてだ」

 

「そうか」と来栖が相槌を打ってココアを飲み進めていく。

 

 温かいココアが喉を伝って、体全体を温めた。

 リラックスした心が来栖の口を滑らかにする。

 

「なあ。遊真、よかったらお前の話も聞かせてくれよ。今までのお前と親父さんの話」

 

「そうだね。来栖さんの話だけ聞くのは不公平な気がするし。迅さんも聞く?」

 

「ああ、聞かせてくれ。おまえのこれまでを」

 

 そういって静かに空閑の独白は始まった。

 

 ======

 

 空閑の独白が終わる頃、既にココアは飲み干され、マグカップの底が見えていた。

 

 話を聞けば、壮絶だったという感想しか出てこなかった。

 

 戦争の折、瀕死となった空閑を助けるべく(ブラック)トリガーとなり、身を朽ちさせれ死んだ空閑優吾。

 指に嵌められた黒の指輪は空閑の父そのものであり、形見でもあった。

 

 空閑がこちらに来た理由も聞かされた。(ブラック)トリガーとなってしまった彼の父の蘇生。

 そしてそれがボーダーでは不可能なことを空閑と来栖は理解してしまっている。

 

「遊真、おまえこれからどうするんだ?」

 

 来栖が閉口したままであるなか、迅が空閑に話しかける。

 それは今後の進退を聞くものであった。

 

「俺は、向こうに帰るよ。来栖さんの話はすごかったけど、こっちだと肩身が狭いからさ。久々に楽しかった」

 

 白い歯を見せながら空閑が笑顔をみせる。

 

 その姿には彼が危険な存在であるとは微塵も来栖に感じさせなかった。

 

「…………そうか。これからもきっと楽しいことはたくさんあるさ。おまえの人生には」

 

 迅が空閑の持っていたマグカップを受け取り、訓練室を後にしていく。

 その後を追う前に来栖は一言空閑に告げた。

 

「よかったらさ。向こうのこと、後で俺に色々教えてくれよ」

 

「いいけど、後ででいいの?」

 

「別に今でもいいと思うけど」と空閑は続けるが、来栖は首を振って遠慮した。

 

「お前に用事があるやつが来てるからな。あいつの後でで俺は良い」

 

「オサム?」

 

 来栖が出入り口を指差すと、修がそこに立っていた。

 来栖は修の横をすり抜け際に声をかける。

 

「頑張れよ」

 

「はい」

 

 訓練室を隔離する扉が閉じ、オペレータールームに入ると迅が自分を待っていた。

 

 少し間をおいて、来栖と迅が一緒に歩き出す。目的地は林藤の執務室だった。

 

「あの二人と雨取ちゃんがチームを組むことになるんだよね」

 

「そうですね。彼らが()()()()だ」

 

「でも、その前に」

 

 来栖の視線が鋭くなる。

 迅も温和な雰囲気がなくなり、冷ややかなものに様変わりしていた。

 

「ええ、今確定しました。間違いなく遊真の(ブラック)トリガーによって本部との軋轢は悪化する。ビルで言った通りです」

 

「本部の、城戸派による襲撃」

 

 あらかじめ教えられていた未来について来栖ははっきり口にする。

 

「来栖さん、改めて聞きますが……」

 

「大丈夫。もう決めた」

 

 迅は気まずそうに足を止めたが、来栖が迷わず意志をはっきりさせる。

 

「戦うよ。本部の人たちと。たとえそれが俺の元部下であろうとも」

 

「空閑は俺と手を取り合ってくれる人間だ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。