中世農民転生物語 (猫ですよろしくおねがいします)
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中世農民転生物語

 土に生まれ、土に生きて、やがて土に還る。

 人によっては意味のない人生と見做すかも知れないが、己の生き方にさしたる不満は覚えなかった。

 

 気がつけば、農民の子供であった。

 転生を自覚した時も、別に劇的な出来事に遭遇したり、意識不明の事故から回復したからでもない。

 ただ単になぜか眠れぬ晩。冷たい風が吹きすさぶ夜、茅の天井をもぞもぞと見上げてる時に、なんとなく思い出しただけの話だった。

 それにしても明確に自我が一致していると言うよりも、視点は重なりつつも、普段は薄ぼんやりと思った方向に肉体を動かしてる感じであった。喩えとして適切な言い方かは分からないが、魂とこの肉体の関係は、言ってみればTRPGのプレイヤーとキャラクターなどに近いかも知れない。

 前世の記憶があると言っても、さほど知恵や知識に長けた人物でもなく。

 畑は広いとは言い難く、土も痩せているが、村の税はほどほどに抑えられている。

 食べていくだけであれば、今の暮らしに不足はなかった。

 

 冷え切った壺の底から、麦粥を掬って木皿へとよそった。昨晩作った大麦粥の残りに、指で摘んだ塩を振って味付ける。切り刻んだ蕪と玉ねぎのポタージュも悪くはない。

 薪は多用できない。温かい食事を取れるのは基本一日一度。昼食だけだ。ただ間食もそれなりに多い。

 量としては、朝は粥が一杯。偶にスープをつける。涼しいうちに野良仕事を行って忙しく働いた後は、昼食でたっぷりと腹を満たす。一刻ほどの昼寝の後に縄結や薪集めなどの家仕事。夕食はやや少なめだが、寒い季節には温めて体に熱を入れる。

 飽食の日本を記憶に引き継ぎながら、転生後は十年一日の同じ食事にも不思議と飽くこともない。ただもう少し、塩や火を贅沢に使いたいと考える時もあれど、塩は高価で切らした時には稲に似た植物の灰を塩の代わりに振りかける。一方で共有地の森が近い土地柄、薪には困らないものの持ち運びは嵩張る為にやはり節約するに越したことはない。

 

 村長から支給される塩もつい先日、他所から取引して仕入れてると知ったばかり。

 商人なり、村長なりが互いにどの程度の利幅を得ているかも一介の村の子供にはとんと分からない。

 そもそもが【文字】という概念すら、いまだ現世の脳髄には刻まれておらず、親の会話からぼんやりと推測するに至っただけに過ぎない。加えて村の暮らしを見るにこれから先、読み書きが必需な人生とも思えなかった。

 

 やや物足りぬと塩分を欲しつつも朝食を素早く腹に収めると、外も暗いうちに寡黙な同行者と共に野良仕事へと向かった。

 多分、父親であろう中年男と共に鍬を担いであぜ道を歩き畑へと向かう。

 畑を耕さねばならぬ。土をよく耕した畑はどうしたものか、不思議と作物がよく育つ。

 前世の知識と結びつけば、耕すことで嫌気性菌の繁殖を抑え云々、土中の微生物が活性化などと頭の片隅をよぎるが、ともかくも大地が応えてくれるようで、輓獣も使わぬこのきつい作業を嫌いではなかった。

 

 雪解け後の土は固かった。木製の軽い鍬では苦労する。由来、子供向けの農具など一々誂えるものでもなければ、畑仕事を手伝う農民の子は体に合わぬ大人用を使うしか無いが、土を割るにはいかにも力と重さが足りない。

 今は木鍬に振り回される体を怨めしく思いつつ、いずれ使いこなしてやろうと決心する。

 

 風土は西欧なり、日本の東北地方なりに近いのだろうか?北海道や北欧とまでは言わないが、気候は涼やかで自然は総じて手強い。やがて腕に引き攣れたような疲労が重たくへばりついてきた。畝に沿って畑を一通り耕せば、涼やかさな風が吹く初春にも拘らず、吹き出した汗に上着はじっとりと濡れている。

 

 いつの間にか、太陽が中天に近づいている。一息入れようと、あぜ道に面した平たい岩に腰を下ろして、手ぬぐいで顔を拭う。濡れた土と青草の強い香りが入り混じって辺りを漂っている。

 

 小腹が空いたので、荷から水筒を取り出して水を木皿へと注いだ。持ち歩いているずだ袋から取り出したえん麦と蕎麦パンを小刀(ナイフ)で削ると、部分を切り取っては水に浸し、時折、軽く炙った小粒のリーキを齧りながら鼻歌などを奏でる。

 

 春先には人も家畜も気分が浮き立つのか。若い娘がいる家などは、香り強い花束や薬草を軒先に干し吊るしているので、馥郁たる匂いが通りかかった村人たちを楽しませてくれる。

 精霊の加護を受けた四季の花は、悪霊や瘴気を退けてくれると古来より伝わっている。

 これを存外に迷信とも思わなかった。刺激の少ない単調な生活に、香り高い花々は気持ちを和らげ、家人の体調を整えてくれるだろうし、悪霊や瘴気が疾病の例えであれば実際に気持ち程度には効果もあるに違いない。或いはなにかしらの投影ではなく、真に悪しき存在がいるとすれば、人の手には負えそうにないとも頭の片隅で危惧を抱いてもいる。

 

 村の家は大概似たりよったりのあばら家で、茅葺屋根が主流なところなど東欧の古民家を想わせた。

 畑には主に大麦やえん麦、いくらかの雑穀に加えて豆、玉ねぎ、かぶらなどが植えられている。余裕のある家などは他に家畜を飼ってる場合も多く、囲いの内側では豚や鶏などが盛んに鳴き声を上げていた。

 生活様式は中世欧州にとても近い。なーろっぱかな?魂がふと抱いた想念は、唇から漏れることはなかった。

 或いは過去の地球かも知れぬ。中世初期だとフン族が荒れ狂う地域だったら、と考えて一人で勝手に怯えて憂鬱になる。騎馬民族恐い。

 丘の頂きから村を見下ろす一回り大きな石造りの家屋は、一帯の地主でもある村長一家の邸宅だった。村を切り開いた一族の子孫とのことで、今も村人はおよそ小作人であった。

 自作農も何世帯かは暮らしているが、孤立した村落の為か。地代は1割半から2割弱と随分と低く抑えられており、小作人も暮らしやすい。自作農の生活と比べてみてもさほど代わり映えしておらず、古くから村長に奉公している一家などとなれば、小作人でありながらも他の家より生活にゆとりがある節も見える。

 

 もっとも、その地代の比較対象とやらも前世知識の地球中世であって、転生後の世ではこれが当たり前かも知れない。旅人も滅多に見かけぬ事から推測するに、他所との繋がりも希薄な孤立した地ゆえ、長が村人の強訴を恐れての妥協したのやも、といささか意地悪い見方をしてみるも、考えてみれば、そも無学な農民としては他の村の暮らしすらまるで知らぬし、近隣に都市が形成されているかもよく分からない。

 前世の知識に拠れば、強固な農民の囲い込みは、中世も後半に差し掛かり、西欧の人口が著しく増大してからの話であったと記憶している。

 収穫に乏しい故に作付けは限られてるとは言え、農民が作った小麦をそれなりに口にできるからには、都市経済に組み込まれてはいないと憶測しているが、単に人口が少ない地域の特殊な事情かも知れない。或いは、辺境での開拓初期に指導者の人徳がゆえ幸運にも例外的に『優しい世界』が形成されたのだろうか。なにも分からぬ。

 

 いずれにせよ自分が暮らす土地の様相はこんなところだが、さほど村の内情に詳しいわけでもない。最低限の付き合いは別として、他所様の懐具合に踏み込む理由もなく、探ったとしても別に己が暮らしが豊かになる訳もなし。

 貧しいと言えば貧しいが、畑を耕せばともかくも暮らしてはいける。 現金も出回らぬ寒村の暮らしだが、皆が貧しければさほどに惨めさを覚える経験もなければ、見下されることもなく、日々は淡々と過ぎ去っていく。

 

 日が暮れる少し前に畑仕事を終えたあとは、共有地の井戸から水を汲んで家へと持ち帰り、底の見えてきた水瓶へと継ぎ足した。それから布で体を拭き、母の暖かな手作りポタージュと湯気を立てる麦粥を腹に入れてから、藁の寝床で兄弟とともに眠りに就いた。

 

 明日も一日、がんばるぞい。

 

 



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ある秋の夜

 忌まわしき巨人よ、今宵が汝の滅びの刻なり

 輝く剣を掲げたる人こそ、白銀のエイリク……

 

 ある日の秋の夕暮れ。竪琴を弾き鳴らしている詩人の音吐朗朗たる語り口に、大広間に屯っている聴衆は固唾を呑んで聞き入っていた。

 

 一日の作業が終わった後に、突然の家族揃ってでのお出かけである。初めて訪れた村長の館は思っていたよりは広かったが、それでも開放された庭地と地続きの大広間は群衆で埋まっていた。

 

 十年足らずの人生で初めての祭りめいた集まりに、わたしも興奮と好奇心を抑えきれず、物珍しげに周囲を見回している。木製のテーブルが庭地にいくつも並べられ、簡素だが美味そうな料理が並べられている。

 野菜と腸詰めを脂と牛乳で茹でた濃厚な塩味のポタージュが湯気を立て、焼き上げたばかりの柔らかなパンが濃密な甘い香気を放っている。

 陶器製のフラゴンから杯にりんご酒やスモモ酒が注がれ、庭の中央の巨大な篝火にはよく肥えた豚がまるごと焼かれていた。

 香ばしい匂いに歓声を上げる下の子たちを見ると口元からよだれが垂れている。だらしないにゃあ。言いつつ、わたしも垂れていた。

 

 ほつれもなければ、汚れもない厚い布服を着た長身の少年が村の子供達の前で腕組みしている。豚の一頭に近寄ると腰から吊るした大ぶりのナイフで肉を切り分けては手近な子供の皿へと入れていく。

 ははあ、これは村内の序列を定める儀礼だなと察しをつける。きっと村長一家の子供だろう。美味しい思いをしたければ、村長様の子供さまである僕さまに従えよという訳か。くっ、わたしが一切れの豚肉なんかで屈すると思うなよ!

 

 卑屈にお礼を申し上げつつ振る舞われた豚の炙り肉を一口一口惜しむように齧って味わう。結構な大きさの炙り肉で、滅多に食べられないご馳走だ。子供には一切れだが、時折、口にした栗鼠の肉などとは脂の量も食いでも違う。周囲では早くも食べ終わった他の子供が男も女も野獣の眼光でまだ食べ終わってない他の子の肉を狙っている。

 ちょっと待て、奪い取るの許されるのか?がん泣きしてる子もいるんですよ。

 

 困惑して大人たちを見つめるも、情け無用の子供らの乱戦を眺めて、村人たちは腹を抱えて笑っている。

 ああ、祭りの催し物の一部なのね。こういうのも。畜生め。

 奪われるのも癪(しゃく)なので盾とするべく弟妹たちの傍に避難すると連中、唇を脂で光らせながら、わたしが食べてる途中のお肉に遠慮なく手を伸ばしてくる。

 ブルータス、お前もか。

 血を分けた弟妹の裏切りに衝撃を受けつつ、しかし、大した税や地代も取らず村人に馳走を振る舞って、割に合うのだろうか、などと村長の懐具合に対して要らぬ心配を廻してしまう。

 子供たちの知らぬところで祭りの準備に村人たちが食料を持ち寄ったのか、それとも財産家の村長にとって饗宴を供するのはさしたる負担ではないか。

 年上パワーで肉を求める餓鬼どもを押しのけながら豚肉を食べ終わると、小さい子たちがこの世の終わりみたいな悲鳴を上げた。もうちょっと味わって食べたかったんだが。兎に角、塩と脂が美味い。たまらん。にく、うまかっ です……にく……ウマ。

 

 他に食べ物も振る舞われ、今日ばかりは子供にりんご酒も解禁されている。一杯きこしめた後は、いい気分で村長の家を探検し始める、と言っても入れるのは精々、庭地と厩舎に大広間までなのだが。

 召使いとおぼしき女性まで服地のいいドレスを着込んでいるからには、村長はどうやったか、相当な財貨を蓄えこんでいるに違いない。村で見かけぬ召使いたちの姿に加えて、皮服に小剣を吊るした男女の姿も見かけられた。

 館に一冬滞在するという客人が紹介されたのは、食事が終わって暫く後。竪琴を携えた痩せた男が、村人の呼びかけに応えて、体格に見合わぬ声量で物語を朗々と語り始めるや、観衆の大半は大広間に釘付けで吟遊に聞き入ったが生憎、わたしは普段入れぬ村長の家の構造の方に興味があった。

 

 通りかかった際に麓から見上げていた村長の家屋は、どうやら館の一部分に過ぎなかったようだ。普段見ない方角からの奥行きがかなり深く、木造の大きな厩舎に石造りの見張り塔まで備わっている。

 一角の頑強な石造りも相まって、村長の館は一見、まるで砦のような外観を呈しており、迂闊に歩み寄るに躊躇わせる威容を放っている。

 外部との取引の大半を担う庄屋であれば富裕に不思議はないが、村長というよりも貴族なり、族長に近い権威を持っていてもおかしくはなさそうだ。と、いや、早計に過ぎるな。

 一口に農民と言っても、豪農と貧農の富と役の差が大きいのは洋の東西を問わない。

 今まで俺が勝手に村長と翻訳していた単語が、実は貴族の意なんだろうかと疑問を抱くも、丘陵に近づくほどに村の家々は古びた感を増している。高台に聳える砦めいた農場の苔むした石垣からして多分に、村長の一族が先で、後から村人が土地に住み着いたのだろう。

 

 物心ついて初めて見かけた老若男女の姿も多く、村にこれほどの人が暮らしていたか、と望外の感に捕らわれつつ、物知らぬ肉体は口を半開きにしてぼうっと眺め続ける。

 遠目にも綺麗な服を着てると分かるのが、きっと村長に違いない。中庭へとやってきたやや腹回りが太い大男に気づいただろう一家の代表らしき大人たちが、次々と挨拶へと向かっている。

 巨大なナイフを巧みに使って豚の肉を皿に切り取っては、顔を寄せて陽気に言葉をかわし、冗談で笑い、酒を勧めては親しげに肩を叩く大柄な男性の姿からして、彼我の立場が貴族と平民ほどに離れているとは思えず、やはり村長は村長に違いあるまい。

 実際のところ、一介の農民からみれば村長も貴族も大した違いはないと思えるようになってきた部分もあるが。上位者の知識って生きていくのにそんなに必要かな?

 わたしの両親も村長に近寄って二言、三言、言葉を交わしたが……おや、あまり親しくはないのかな?

 あまり地位が高くないのか、距離をとっているのか。母がまだ村長夫人とおぼしき女性と話し込んでるにも拘らず、父はさっさと村長と離れて大広間へと戻ってきた。

 詩吟に聞き入ってる子供たちの背後に座ると、節くれだった手で子供らの肩を抱き寄せるように包み込んだ。

 子を見て穏やかな微笑みを浮かべているところを見ると、家族が大好きなのだろうか。考えてみれば、今生の父に手を上げられた記憶は殆んどないぞ。むむ、これは当たりの家族ですね。間違いない。俺は詳しいんだ。

 

 弟と妹。同居していて、わたしより体が小さいから多分、弟と妹なのだろう。

 詩人の一言一句を聞き逃すまいと齧り付きで詩吟に聞き入っているこれらは、伸ばされた父の腕を無情にもうるさげに振り払うと、いかにも夢中な様子に目を輝かせて詩人の朗々たる美声に聞き入っている。

 立派な農夫にも拘らず、我が家における父の権威が低いのは一体いかなる仕儀か。

 戻ってきた母が苦笑いした父にふっくらした体を預けると、仕方ないので私も懐に寄りかかってやる。父は穏やかに微笑んでから頭を撫でてきた。心地よくて安心する。

 

 詩人は、控えめに言ってかなり上手かった。節回しが上手く、人物の台詞には感情が移入され、区切るところを区切り、沈黙と間の使い方を熟知している。

 目を閉じれば、情景が浮かんでくるほどに言葉廻しとタイミングによる感情の呼び起こし方は称賛に値すると手放しで褒めた上で、しかし、正直言えば、わたし自身は詩吟にさほどの興味は沸かなかった。

 物語自体は、智勇兼備の剣士が人々を苦しめる魔法使いを退治するまでの、日本人からするとありふれた話で、だけど農村に暮らす人々にとっては、きっと初めて触れた娯楽らしい娯楽なのだろう。

 老いも若きも村人の誰もが詩人の一言一句を聞き逃すまいと耳を澄ませ、剣士の危機に手に汗握り、その恋に酔いしれ、勝利と栄光を我が事のように感じ入っているのが、手にとるように理解できた。

 これは凄い、と。僅かに身が震えた。一体、何年を修行して過ごせば、これだけの詩を吟すること適うのか。

 弟子になりたいとかそんな事は欠片も思わなかったが、単純に漫画やアニメよりは下と見ていた技術の奥深さに驚かされた。

 

 しかし半刻ほど過ぎると、詩人はゆっくりと朗読を終えた。

 エイリクの恋人が宿敵に攫われたところでの打ち切りである。いかにも不満げに騒いでいる聴衆を前に、客人は一冬滞在する、と村長の言葉。続きはまた明日、と言う訳だ。

 村人たちは誰もが顔を見合わせ、今度は興奮冷めやらぬ様子でざわざわと騒ぎ出した。

 実際には連日ではなく3日後。喉が詩人の商売道具であり、使いどころが肝要なのだろう。喉を酷使して使い潰すつもりは無いという事か。いかにも続きが気になる部分で区切ってくれるとはやるじゃあないか。

 冬の間、夕暮れの訪問を歓迎するとの村長の言に、村人の誰もが望外の喜びを隠しきれない様子でざわめいていた。本来、家に籠もらざるを得ない季節に思わぬ楽しみが出来た訳だ。

 退屈な冬に予想外の贈り物で大変、結構。だが、この村長の善意は、村の子供たちの間にちょっとした災厄をもたらすのだった。特にわたしに。

 

 




1話はそのうち少し書き直すかも知れない


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巨人殺しのエイリク

 村にはきっと外敵がいるのだろう。

 

 村の外に視線をやれば、遺棄されたと思しき畑の跡が目についた。修繕されないままに放置された廃屋も点在している。

 なにかしら耕地の拡大を妨げる理由があるとは気づいていた。水資源の限界に拠る制約なり、畑の広がりに伴う税負担の増大なり、或いは外敵の存在が阻んでいるのか。

 

 村を歩き廻れる年齢になって、ようやくに気付く事ができた。頑強な木製の柵が囲うように村全体に張り巡らされていた。一部では大人の身の丈ほどの高さの石壁が築かれている。家の周りと畑だけを往復する幼少期の日々を抜け出して、村を俯瞰するに至って確信した。少なくともこの地は戦乱と無縁ではない。

 時折、大人たちが柵の見回りを行っては修繕を行っている姿を目にする事が出来た。石積みや空堀を掘るのに費やされる資材や労苦、そして道具の損耗も鑑みれば、現実的な脅威が身近にあると考えないほうがおかしい。

 ただ一方で、村人たちからは切羽詰まった気配はそれほど感じられない。楽天的な気質もあるやも知れないが、どこか長閑な村の雰囲気からは、脅威はさほどに差し迫った問題でもなかろうと思えた。或いは脅威の人数なり、武装なりが、村人でも充分に対処可能な水準にとどまっているだけとも考えられるが。それとも、これは希望的観測に過ぎないだろうか。

 いずれにせよ、外敵に備える前に、わたしはまず内なる敵に対処しなければならなかった。

 

 

 鼻水を垂らしながら棒切れを振り回す近所の小僧の一撃を、手元の棒切れを斜めに構えて受け流そうとして失敗。手首に直撃した我が身は痛みのあまり、小さく悲鳴を上げて反射的にうずくまった。

 必殺の一撃で悪漢を仕留めた糞餓鬼さまは、誇らしげに剣を掲げて高らかと名乗りを上げる。

「我が名はエイリク!黒髪のヨハンセンを討ち取ったり!」

 

 目下のところ村の子供たちのうちに流行っているのはチャンバラ遊びである。みなのお気に入りは勿論、巨人殺しのエイリク役。

 一夜にして、村はエイリクだらけになっていた。鼻水垂らして棒きれ片手に駆け回る坊っちゃん嬢ちゃん。どいつもこいつもエイリクに成りきっている。あいつもエイリク。こいつもエイリク。僕もエイリク。君もエイリク。

 気持ちは分かるよ。前世でも、同世代で円谷さんちの光の巨人やら石ノ森謹製の仮面の改造人間に憧れた子供は多かった。わたしの場合は、胸に7つの傷を持つ世紀末な救世主だったけれども。

 

 実のところ、暴力も痛いのも嫌いなのだが、多分おそらく生涯に渡って村という手狭な世界で生きていかねばならぬ我が身としては、これに参加しないという手はない。というのも、現時点でチャンバラごっこでの強さ=村の子供内での序列という良からぬ方程式が成立してしまっているからだ。

 子供たちには、他の子への悪意も隔意もないが、それだけに遠慮も容赦もない。今のところ、見ているだけで気絶した子が4名、腕の骨を折った子が2名。頭にでかいコブを作ったり、鼻血を出した子となるともう把握しきれないデンジャラス極まりない遊びであるにも拘らず、農閑期の大人たちは時折、野良仕事の手を休めては微笑ましげに子供たちの戯れを眺めている。

 が、獣どもの生存競争に放り込まれた当事者としてはもう必死である。前世日本の小学生とか言う恵まれた身分のようにアホだなあと生暖かい目で見つつ、興味がないね。とかスカした反応なんぞ取った瞬間、村内子供ランキング最下位にまで転落するのは目に見えている。

 

 ところで問題が一つ。エイリクは金髪なのだが、わたしは黒髪。そしてエイリクの敵手も、また黒髪なのだ。

 はい、お前。敵役決定。異議は認めません。そういう訳で村における黒髪の子の地位は、僅か一夜にして昭和後期の蟹座の子なみに失墜した。おのれ、吟遊詩人。昨日までは黒髪が被差別階級という事もなかったのだが、英雄物語は深甚な影響を黒髪の子供たちの地位と精神衛生に与えたのだ。

 

 行くも地獄、退くも地獄。自作農の子も小作農の子も一緒に遊び、農奴も奴隷もおらぬ平和な村だと思いきや、思わぬ陥穽が待ち受けていた。序列を決めるのは、これより本人の立ち振舞次第。汝、自らの剣を以て最強を証明せよ。どうにも人間というのは、なにかと序列をつけたがる生き物らしい。

 

 

 遊び場は常に限られている。村の内側を除けば、村に面した草原を挟んだ小川の川辺り、そして近場の森。

 森で薪を拾い、小川では水を汲み、塩代わりの穂を草むらで刈るのは比較的、時間にゆとりのある子供たちの仕事だった。豚や山羊の放牧に関しては大人、少なくとも大人に準ずる若衆に任されている。

 だからわたしは、自由時間に森にやってきた。村の中は論外。小川の川辺りは、村に続く道から見通せる場所だけが子供の、或いは大人にも許されている安全な領域であるし、草丈の低い草ばかりの草原も安心して一人になれる場所ではない。

 

 早朝の澄んだ空気。森で見つけた手頃な空き地で棒切れを構えると、口を半開きして我が肉体は枝を振り下ろした。

 ……これは酷い。

 棒切れで打たれた傷がずきりと痛む。腕は紫に腫れ上がっている。なんとも荒っぽい遊びだが、終わる気配がない。

 だから、多少なりとも強くなるしかないと結論した。同時に、野蛮な遊びに嬉々として耽る村の餓鬼共を馬鹿じゃないのか、とも思う。

 

 怪我の一つ二つは仕方ない。そもそも、村の基準ではちゃんばらごっこは子供の遊びと見做されていた。

 幸いというべきか、わたしも死人が出ることはまずないと踏んでいる。人間なんて意外と頑丈な生き物だし連中、あれはあれで手加減をしている。虐めではないのだ。決着が付けば追い打ちを掛けることはない。相手を傷つける事が目的ではないから、未熟なり、野蛮なりにもルールがあるし、村での流行りもいずれは終わりを告げる日も来るに違いない。来るよね?よほど運が悪くなければ死ぬ程の怪我を負うことはない。

 

 なら何故、今、一人隠れて棒きれを振るうのか。実際、大した意味はなかった。

 しかし、不本意ながら認めざるを得ない。

 外敵はいる。我が肉体も言葉では耳にせずとも、それとなくは感じ取っていたのだろう。大人たちの反応に、戦う者を称える詩吟の調べ。暴力は生きるに必要不可欠な要素には違いない。

 

 とは言え、農民が一人で棒切れを振ったとてたかは知れている。わたしの見るところ、現世の肉体は甚だ非才の身であった。剣筋がブレブレだ。しかも、遅い。

 数ヶ月、数年、いや十余年を費やしたとて、さほどの技量にも至るまい。

 

 間違いなく凡才である。なにより暴力に対する反応が鈍いし、怯みやすい。攻撃を躊躇う。体幹が揺れている。敏捷さに欠ける。軸となる背筋も育っていない。付けてきた筋肉が戦う為のものではない。

 前世では、竹刀で飛ぶ蝿を叩き落とせた身が、なんと棒切れを振っただけで足元がふらついている。

 父母に愛されて育って、畑を懸命に耕してきた十年の結果が、武術の才能なんて欠片もないこの身と精神だとしたら、やはり農民として生きるべきだろうか。

 しかし、なにが在るか分からない土地と時代で、やはり最低限、身を守る程度の技は身につけるべきではなかろうか?

 

 息を乱した肉体を休め、それから少し悩み、考える。そうして短時間の後、結論を出す。

「……打ち込む?樹を?」息を整えた肉体が不思議そうに呟いた。

 まずは剣を振るう感覚を育て、筋肉を身に付けさせる。同じ箇所に打ち込む訓練で、剣を振るう為の肉体へと作り変えていく。

 口を閉じて鼻で呼吸するように。鼻呼吸が苦しい?うわ、鼻くそが詰まっている。……全部、穿りなさい。手をよく洗う……水がない?葉っぱで拭きなさい。次からは河辺で洗おうね。

 きょろきょろと不審な動作をしていた我が肉体は、紆余曲折を経て、ようやくそびえ立つ樹木へと打ちかかった。先は長そうである。まあ、気長にやっていくとしよう。

 

 




 成長リソース

 スキル
・農作業  40%→30%
・基礎戦闘
 剣    なし→10%
・森歩き  10%

 ステータス
・技術点  なし→10%



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農民の子

 春は畑を耕す季節だった。わたしは大地に鍬を入れている。

 鍬を振り上げて、振り下ろす。ただそれだけの作業の繰り返しが、この肉体にはたまらなく楽しいらしい。飽くこともなく延々と畑を耕し続けている。

 

 ふと、農作業に剣術の動作を入れてはどうだろうか。と思いついた。

 耕す筋肉と戦うための筋肉は異なっている。されども、相手に対して切り込むことをイメージして農作業を行えば、多少なりとも戦う術と心構えが身につくのではないか。

 そんな思いつきが浮かんだ瞬間、肉体からこれまでになく強い拒否反応が返ってきた。

(いやだ……!!)と明確な拒絶の意思。魂からの欲求や提案に対し、肉体がここまで激しい拒絶を示すのは珍しい。と言うか、初めてであった。

 肉体の昂ぶった感情を宥めつつ、心中を読み取ってみれば、大地が応えてくれるようになって、ようやくに耕作が面白くなってきたところらしい。農民の血だな、魂の呆れたような感慨に、肉体は満更でもなさそうに微笑んだ。

 

 普通、十歳程度の年齢で農作業は手伝わない。鍬を振るうに子供の体躯と膂力では使い物にならぬので、他の仕事に廻されるのが尋常であった。

 だが、どうしたものか。この肉体は耕作を大変に好んでおり、おさな子の頃より見様見真似で父母と並んで鍬を動かしていた。剣術の腕は遅々として上達する様子を見せぬのに、鍬を持つ手ばかりは年齢の割に堂に入っているのが全く端倪すべからざるべき肉体の不思議とでも言う他ない。

 

 畑は深く耕すほどに作物の根が伸びやすく実入りも増えるが、土を細かく砕きすぎれば雨は地面に染み込んで土が固くなる。理屈は知らねど、土と向き合う者は、植物の喜ぶ丁度いい塩梅が理解できるようになるものか。

 昨年、一昨年と、手間暇掛けて特によく耕した畑の一部分は、例年に比して心なしかよく育っているように思えた。

 そう、畑の一部分である。肉体は親が任せてくれた分だけ全て耕したがったが、いつもの作業と比べるのだ、と魂が一部に留めさせた。

 どうして比べるのだ?と不満げに肉体が唸りを上げる。

 畑の出来を比べれば、耕し方を工夫できよう。と魂は告げた。

 それに農作業に全ての時間を取られても堪らん、とも魂は密かに考えていた。

 言うてる事がわからん。わたしは耕すのだ。肉体は、憤懣で爆発寸前であった。できるなら、怠け者の魂を肉体から放り出したいとさえ思っているようだった。

 愚か者の肉体め。此奴は収穫を得るために耕してるのではない。兎に角、野良仕事が好きなのだと理解して魂は匙を投げた。

 ええい。分からぬやつ。では好きにするがいいさ。と魂が喚くと、肉体はえたりと愉悦に体を震わせた。

 好きにする。今は畑の時間だ。

 

 日常生活の工夫やら知恵に関しては素直に従うくせ事、畑に関する限り、心底を納得させなければ肉体はけっして動こうとしない。一見、愚鈍にも思える程だ。肉体の態度は、昔話の頑固な農民そのものであった。しかし、両方わたしなのだ。

 

 どうにも乖離が激しいようだ。

 日没後の藁の寝床。魂はこれまでに抱いた不審と疑念を直截に肉体へとぶつけてみた。ある意味、これも一人芝居でもあろうか。

 家族が好きなようだ。それ自体は大変結構だが、どうやら肉体の方は前世のわたしの記憶を引き継がなかったのかな。と、皮肉っぽい魂の物言い。

 いや、わたしはわたしだぞ。と肉体は目を閉じながら異議を唱えた。

 家族が好きでなにが悪いのか?今生の父も母もわたしを口汚く罵ったりしないし、気を失うほどぶちのめしたりもしない。冬の夜に放り出したり、裸に剥いて嘲笑もしない。

 苦い記憶を思い出した魂は沈黙している。

 

 寒いと親子で抱きしめて眠るのだ。

 2つの人生で初めて親に撫でられたが、あれはいいものだ。

 肉体は淡々と述べてから、言葉を続けた。

 お前さんが穿ち過ぎなのだよ。我が事ながら、人間不信は大変なものだな。

 同情するような口調よりも、その上から目線の物言いに耐えきれず、今度は魂が憤懣やる方ないと激した口調で反論した。

 他人事のように言うのだな。わたしは親を大変に嫌ってたではないか。

 わたしが嫌っていたのは、前世でわたしを生んだ二人の男女に過ぎぬと知った。わたしは親を嫌っていたのではなく、子供のわたしを苦しめた大人の二人組みを嫌い、憎んでいたのだ。

 ……そうかも知れないな。しばしの沈黙の後、魂は不承不承と肉体の意見を認めた。

 喧嘩するものでもない。むしろ融合は進んでいるよ。

 肉体の日本語での思考に、魂は沈黙で応えた。肉体は気にする様子なく思考を続けた。

 前まではこれ程流暢に思考も出来なかった。依然として制約はあるが。

 いずれ前世の苦しみも、完全に癒える日が来るに違いないさ。

 その夜、肉体は、楽観的に魂にそう告げた。

 

 

 北の山脈からの雪解け水を含んだ流水は、身を切るほどに冷たかった。村とは丈の低い草原を挟んだ西の小川で、わたしは膝の半ばまで水に浸かりながら、棒きれを正眼に構えて岸辺の狼達と対峙していた。

 

 暗い木立の影から染み出したように姿を現した獣たちを前にして、この世界にも狼はいるんだな、とわたしは変な感慨を抱いていた。呑気な思考とは裏腹に、足の太腿の辺りが痺れてきた。

 対岸にも狼はいるし、深い場所は足を取られて渡れない。ただし、狼は浅い場所を知らない。

 今いるのは、川の真中で中洲のように浅い処で、周りは深い流れに囲まれている。

 いまだ子供たちが命を繋いでいるのは、狼がわたしの棒きれに怯んだからではなく、一重に地の利を得ていたからに過ぎない。

 わたしの後ろに幼い子供たちが固まっている。共に水汲みの仕事を割り振られた子供たちだ。

 この世界のわたしが実は巨人族に生まれていたり、小人族だったりしなければ、狼達の体長はざっと目測で4ft(フィート)といったところだろうか。大きい。明らかにコヨーテやシベリアンハスキーよりも力感に満ちている。冬を越えたばかりで、きっと空腹なのだろう。きらきらと底光りする輝く灰眼で私たちをじっと見つめている。獲物を諦める気配は毛頭なさそうだな、おい。

 

 

 それにしても、水源だけあって小川は村からさほど離れていない。今まで狼が出た話なんて滅多に聞かないんだが。ああ、でも春先は腹を空かせているから注意しろとは聞かされていたな。どう注意しろと言うんだ!畜生!(怒

 

 背後で子供たちがすすり泣いているのが聞こえて憂鬱になる。実のところ、大人が都合よく助けてくれる可能性とて無いわけではない。とは言え、水汲みついでに子供たちが河原で遊んでくるのはよく在ることだ。子供が集まっての集団行動で早朝の水汲みを行って、以降は昼か夕方までは他の水汲みとの時間はあまり重ならない。誰か、気まぐれな助けを期待しようにも少量であれば、村中心の井戸で事足りてしまう。ちょっと子供の姿が見えないからと言って、大人がすぐに探しに来るのはあまり期待できなかった。

 

 誤解しないで欲しい。村人たちは当然に子供を愛している。大半の村人は、我が子を失えば悔やみ、悼み、悲しんでようやく振り切る。多産多死の生活だからといって、愛はけして薄くない。

 それでも、子供はよく死ぬ。病気で死ぬ。事故で死ぬ。栄養不足で死ぬ。食べ物にあたって死ぬ。寒さで死ぬ。怪我の治療で死ぬ。森や草原で迷って死ぬ。毒を食べて死ぬ。

 

 私達が死ねば、両親は当然にきっと悲しむ。暫くは思い出して涙するだろう。だけど、やがては残った弟と妹の為に切り替える。切り替えて明日を生きていくのだ。でなければならない。

 何故、襲ってこないのか?水の深い場所では、万が一にも不覚を取る可能性があると察知したのか。

 しかし、冷たい水に晒されているわたしは時間と共に活力を失ってきている。川中に入り込んで四半刻は経っている。子供を弱らせるには充分で、村の大人が不審に思って探しに来るにはあまりにも短い時間。

 

 後ろの少女の唇が紫色になってきている。わたしの下半身にも痺れが這い上がってきていた。

 決断を迫られている。

 ……判断を誤ったのだろうか。初手、散って逃げるべきだったか?誰かが犠牲になるとしても、半数は逃げられた。子供のうちではわたしは比較的に年長で喰いでも在る。目をつけられて、この脚では、もう万が一にも逃げられないのでは?

 好機があったとしたら遭遇した最初に真っ先に……

 冷たい風が吹いて、体を震わせた。

 ハッと気づいて、祈るような気持ちで天を見上げる。無情にも、曇り。

 子供は皆、川中の浅い場所に固まって震えていた。曇天、雲の動きは東へと早く、分厚くなってきている。雨が降るかも知れない。

 空気の湿りを感じたのか、狼達が焦れてきている気配を見せた。一気に飛びかかってきても不思議はない。

 かぶりを振って堂々巡りをする思考を打ち切り、囁きかけた。

 叫んで助けを呼んでみよう。

 先刻から叫んでいるよ。

 そう呻いた子は、今にも涙が零れ落ちそうだった。

 もう一度……今度は全員で一斉に叫んでみよう。大丈夫、きっと大人が助けに来るから。

 泣きそうな後ろの子を力づけるように、わたしは優しい口調で話しかけ続けた。

 




  冬 → 春
  15週経過

・ジョブ/農民の子

・スキル
 ・基礎戦闘     獲得/週  累積   獲得必要
 ・剣   10% +0.2技能点/3.1技能点/100.0技能点

 ・森歩き 10% +0.2技能点/28.2技能点/100.0技能点

 ・農作業 30% +0.6技能点/71.8技能点/100.0技能点

 ・剣   酷い!君の剣術はまるで酔っぱらいのダンスだ!
 ・森歩き 森は危険だから、あまり深入りしない方がいいだろう。
 ・農作業 君の耕す畠は、他より少しだけ収穫が多いかも知れない。

・ステータス
 ・技術点 10% +0.1鍛錬点/1.8鍛錬点/2.0鍛錬点
  06点 ☆☆

 ・筋力  10% +0.1鍛錬点/0.2鍛錬点/1.0鍛錬点
  03点 ☆  → 05点 ☆


  技術点 0.3/2.0に+1.5鍛錬点 あと0.2点で技術点が7に上昇
  筋力  0.7/1.0に+1.5鍛錬点 4ヶ月で筋力が2点上昇

・ これは平均的な農民の子のステータスだ!



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季節風

 巨大な暖炉に太い薪が惜しげもなく次々と放り込まれる。焚き上げられた炎が踊るように大きく燃え上がった。大広間の温度は既に蒸し風呂さながらで、忙しく立ち働く者たちの額には汗が吹き出していた。

 

 東へと吹き抜ける季節風が救いを求める子供らの声を村へと届かせた。もとより村の水源として小さな草原を挟んだだけの手近な小川であった。

 真っ先に駆けつけたのは村の牧童。投石器から放たれた石は虚しく狼の傍らの地面を叩くに留まったが、狼達が怯んだのは、吹き鳴らされた角笛が間もなく大勢の人間を呼び寄せることを知っていたからか。それでも村人たちが駆けつけた時には、冷水に晒され続けた子供の、特に幼い幾人かは、もはや歩くことすら覚束ないほどに弱りきっていた。

 助け出された時の子供たちが一塊となって固まっていたのは、互いに少しでも体温を融通することで生き延びる為の必死の行動だった。兎も角も、わたしたちは助かった。

 

 子供らを背に負ぶさるや否や、村人たちは一気呵成に草原を抜けて村長の館へと駆け込んだ。それでも、ぐったりとしている幼い子供たちが、元気を取り戻せるかはまだ分からなかった。願わくば、全員が助ければいいのだが。

 

 村長の館では気前よく火が焚かれている。息苦しいほどの熱気の中、誰の指示かは分からないが、湯を盛んに沸かしては、熱い布で体を拭い、お湯で四肢の先を温め、乾いた布で皮膚を盛んに擦っていた。民間療法だが、それなりに的確な治療を施しているようだ。

 

 子供たちは全員、濡れた服を脱がされた。わたしの目の前では、大人の女が裸となって子供の冷え切った体を抱きしめていた。一際小柄な女の子の唇に温めたワインを垂らしていた老人が、今度は必死に頬を叩いて話しかけているが反応は鈍い。

 

 狼も空腹ではあったろうが、春の森には他にも獲物がいて、きっと追い詰められてはいなかった。でなければ、助かった理由が分からない。餓えた狼が相手であれば、助からなかった、そんな思いもする。

 それでも運が良かったと言うべきだろうか?わたしには分からなかった。

 

 

 比較的に元気を残した者には、安堵の涙をこぼして親に縋り付いている者もいる一方で、ぐったりした子供の親は、冬眠しそこねた熊のように落ち着かない様子で歩き回る夫婦やら、ヒステリーに喚いている若い農婦もいた。数人の大人たちは狼に関して相談しているようだが、炉端で毛布に包まると、うとうとと強烈な眠気が襲ってきた。もう眠くてならない。今なら、眠ってももう大丈夫だろう。まぶたを閉じると、一瞬で深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 衰弱しきった幼い我が子に、母親だろう農婦が必死の形相で呼びかけている声で目が覚めた。胸が痛いが、わたしになにが出来る訳でもない。見ないように、つい顔を逸らした。

 わたしも無事では済まなかった。目が覚めた途端に頭痛に襲われた。体はガチガチと歯を鳴らして震えている。おまけに全身が痛い。きっと気絶したほうが楽に違いない。

 

 頑強な肉体だと思っていたが、頭痛と悪寒がひかない。日常の栄養状態が悪いというのがこれ程に響くとは思わなかった。餓えたことは一度もないが、四六時中腹を空かせていた。なるほど、これは中世で疫病などが流行れば、バタバタ人が死ぬ訳であるなどと他人事のように思った。体に溜め込んだエネルギーというのは馬鹿にならない。近所の怠け者めがあっさりと回復している一方、わたしは結構やばかった。喉も痛い。死ぬのはいやだ。わしはまだ死にとうないんじゃ。

 

 そうして、わたしも含めた子供たちは、なんと最長で半月ばかりも村長の家で世話となった。村長も大概、お人好しなのか。或いは、対価を取っているのか。村内で完結している社会では、財貨よりも恩や義理に重きがなされているのだろうか。現代の貨幣経済で考えると理解し難いかも知れないが、貨幣と権威の重きに関しては、それ自体は社会制度における単なる信用の比重の違いに過ぎず、どちらの方が発達していると言う訳でもない。

 

 兎も角、数日間はわたしも頭痛と体の痛みが続いた。幾日かは意識も朦朧としていたが、神か、悪魔に祈りが届いたのか。或いは、手厚い介抱が功を奏したのか。どうやら、快方に向かってくれた。現代日本とは栄養状態が比較にならないから仕方ないとは言え、冷水に浸かっただけで死にかけるとは恐ろしい時代だにゃあ。

 

 10日ほど大広間で寝込んだ。2日は、ひたすらに眠った。目覚めては眠りに落ちるその連続で、多分3日目から4日目に掛けては酷い頭痛に襲われてろくに眠れなかった。5日目は頭痛がマシになった代わりに全身がかなりの痛みを発していた。7日目でようやく動けるようになったが、ひどく疲れやすくなっていた。体内のエネルギーを使い果たしたような疲労感と強烈な空腹感が、いつまでも尾を引いている。

 

 途中、何人かの子供が運び出された。回復したのか、それとも亡くなったのか。敢えて知ろうとは思わなかった。余裕もなかったし色々と削れて辛かった。

 

 家に帰宅してからも、調子は良くなかった。とは言え、表面上はもうすっかりと元気になっていたのだが、母が念の為もう1日様子を見るべきだと主張して静養する事と相成った。寝床で大人しくしてるのは肉体にとって退屈でたまらず、一度だけ畑の様子を見に行こうとしたのだが、父に捕まってそのまま寝床へと連行された。下の子達が休んでるわたしを羨ましがってまとわりついてくるのが煩かった。

 

 復調してから、村外れの墓地を訪れた。墓石が増えた様には見えない。皆も助かったのかな、とやや怪訝に思いつつもホッと息をついたが、栄養状態の低い時代の子供の脆さに気付かされた。一度、疫病が発生したら、そりゃあ大惨事だね。誰もが飽食できる時代とでは、体の抵抗力が違う。現代日本とでは、人の命の価値が違うと骨身に沁みて思い知らされた。

 兎も角、わたしは日常へと返り咲いた。中世の旅人にとって、狼が最大の脅威だったと聞いたことがあったが、魂で理解できた。狼殺すべし、慈悲はない。生態系とか知ったことかYO!人間様の叡智を見せてやろう!そのうちにな。

 

 ところで、わたしの腕には、さっきから年下の小さな女の子が縋り付いていた。小川でずっと背に張り付いて互いに体温を分けあっていた女の子だ。

 先日まで火の傍で看病されていたが、元気を取り戻した途端に飛び跳ねるや村を駆け回って探し回り、わたしを見つけるやいなや駆け寄ってきた。

 それからは、けして離すまいぞ、とばかりに爛々と目を光らせて、はっしと腕を絡ませてくる。顔立ちはちょっと子犬に似てる。整ってるとは言い難いが、愛嬌のある子だ。それが今は母猿にしがみつく子猿の形相で必死に抱きついてきて、寸時も離れようともしない。ちょっと恐い。

 惚れられたな。と魂が言った。冗談はよせ、肉体がそう呟き返すと、魂はなにやら面白そうに含み笑ったような気配を出した。

 

 




 小イベント『狼との遭遇』を生き延びた。

 10冒険点を獲得 

 冒険点  累計:0 →10点


 危機的状況からの脱出と、知恵を絞っての作戦で思考力が向上

・ステータス
・知識 4 +!1d2 2点増加 4→6点へ上昇 
・知識 4 →6

 体の貯めた栄養分が不足しているので、暫くの間、体力点と耐久度が低下します。

・体力点 3 →2(3)点
・耐久点 4 →3(4)点

・状態 栄養不足


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森の浅瀬

※浅瀬というのが本来、水深の浅い部分の意であるのは承知の上だが、縦深のある領域において、危険が少ない手前の場所という意味でこれ以上に相応しい言葉が思いつかず、書き記した。



 東の空で曙光が夜陰の衣を打ち払い、茜色の輝きが緩慢な野火のように稜線に広がりつつあった。 

 

 大きさの合わない木靴……と言っても、つま先と踵の部分が厚いだけの木の板なのだが。に柔らかくした藁と葉を詰め込んで履き心地を調整する。次に足に靴下代わりの布を巻いて靴と足を紐で軽く結んで脱げないようにしてから、わたしは棒きれを背負って森へと向かった。

 酷い代物だが、靴を履かないという選択肢はなかった。

 他に靴と呼べる代物がないし、土中に破傷風菌、もしくは類似したなにかが存在していることを、常に裸足で過ごしていた友人が身を以て幼少期に教えてくれた。

 森に出向くのは、日課の鍛錬の為だけではない。足取りはしっかりしているが、実際のところ復調しているとは言い切れなかった。畑仕事をすると息切れを覚える。なんとも辛い。なによりあれ以来、耐え難い空腹に襲われている。体が栄養不足を訴えているのが分かる。体力が落ち、それに伴って抵抗力も弱っている。次に病気をしたら、少し拙いだろう。

 

 そういう訳で森でなにかしら食べられる花や草、木の実などを探そうと思い立った。畑を広げたいとも考えたが、容易くは行えない事情も幾つかあった。

 

 村の家々は、不思議と裏庭で野菜を作っている。聞いてみれば、昔からの慣習でなんでも裏庭で作る野菜には税が掛からなかったそうだ。移住してくる前に暮らしていた出てきた故国の法なのか。或いは、村を支配していた国が崩壊してしまったのかまでは、聞かなかった。いずれにせよ今現在、村長が野菜に税を掛けている訳でもなんでもないのだが、習性というのは恐ろしいもので、村人たちはいずれも揃って、裏庭で野菜畑を作っている。なんとも世知辛い習い性であった。

 

 一方で表に面した村内の主要な土地はと言えば、共有地にあぜ道、木立と既におおよそが割り振られていて、空いている土地がないでもないが、村社会の話し合いで使いみちが決まるので、そうそう畑を広げられそうもない。

 我が家に至っては、家と土地を買った際の代金。祖父の代からの五十年払いの年賦がまだ残っているらしく、村内の土地を買い求めようにも先立つものすらないと言う悲しい現実を先日、母から聞かされたばかりであった。そもそも、わたしの代で払いきれるのかしらん。

 

 

 兎も角、村の傍の小さな森へとやってきたわたしは、どうにも鍛錬する気にもなれず、切り株に腰掛けつつ考え込んだ。こういうところで初志一徹出来る人が人物になれるのだろうけど、どうにもわたしは凡骨のようだ。

 

 さて、凡骨は凡骨なりにやれる事からやってやろう、と言いたい処だが、本当に動く気になれない。そもそも運動すると腹が減る。自然の摂理だよなぁ。

 

 どうやら中世農民の身では、体を鍛える事すら一種の贅沢、とまでは言わないが、多少の余暇と余裕がなければ成立しないようだ。まず基盤となる食糧事情を改善しなければならぬ。しかし、畑を広げるのは諸事情でやや難しそうだ。ちょっと挫けそうですよ、これは。泣いてもいいかな?

 

 しかし、自治村の自由農民の子でこれだ。税だって随分と低い。強欲な領主やら地主の土地の小作人やら農奴からすれば、お前ふざけんなよって話かも。それでも土地があるだけマシなんだね。中世の闇は深いぜ。チート欲しす。

 

 転生先がランダムとしたら平均よりそこそこ良いところに当たってると思える所存、特に理由なく殴らない親は最高だな、などとつらつら考えながら、億劫そうに立ち上がって食べられそうな代物を探してみる。しかし、生憎と山菜などにさほど詳しくない上、これちょっと関東地方と植生違いすぎませんか?森を見渡すと見慣れぬ植物、いやシラカバの低木くらいは知ってるけど、雰囲気がやはり欧州っぽい。なにが食べられるか全然、見当つかないんですけど。口元を抑え、濁った瞳で独り絶望にひたる。

 肉体の記憶を探ってみても、父ちゃんが持ち帰ってきたのはキノコや木の実などで、タラの芽とか蕗の薹とか一回も見たことない。このままじゃ天ぷら食べられそうにないの。助けて家康公。

 

 天ぷらの守護聖人に祈りを捧げて、しばし待ってみるが、奇跡が起こる瑞兆は欠片もない。神聖術はどうやらなさそうなので、次は魔法を試してみるべきか。 

 

 木々の根本や枝先、茂みなど覗きながらつらつらと歩き廻ってみるが実際にヘーゼルナッツは秋。コケモモも秋。ベリー類は夏。辺りの森だと、意外と春先に食べられるものが少ない。

 

 周囲に視線を走らせながら、森の浅い領域を進んでいく。

 狼が出たら?死ぬよ。

 真面目な話、こんな杖一本じゃなにも出来ない。

 できたらスリングスタッフを手に入れ、それでも遭わないに越したことはない。

 人間にとって熊やら狼やらが単なる駆除対象に転落したのは産業革命以降の事で、火器の普及までは狼狩りは相応の犠牲を払わざるを得ない危険な戦いであったし、それ以降も度々、街道にまで出没して旅人を脅かし、酷い時には大都市にまで入り込んで多数の人々を殺傷することすらあった。

 

 だから、転生後の今生きている世界がファンタジーではない方が望ましい。だって、現実の狼でさえ長く人々の恐るべき脅威であったのだから、魔獣やら龍やらが存在していたら、人類社会の富と知識の蓄積が遥かに困難な事になりそうだもの。そもそも人類が生き延びられるかさえ分からない。

 

 人類、飛躍できるかな?それ以前にわたしが頑張れるかな?うーん、駄目かな?駄目かも。

 すっかり腑抜けてしまった肉体が今、腰掛けている切り株は、それでも狼も猪もまず近寄ってこない人の領域の真中であった。村人たちが木材の補充に来る度、木々に小便を掛け、大便を捨てに来ている。

 

 汚いと言うなかれ。それで人の匂いが木々や大地に染み付き、野生動物たちも他所様の縄張りと認識して敬遠する、いわば結界であった。

 子供なら兎も角、斧や投石杖(スリング・スタッフ)で武装した大人たちが手強きことは肉食獣とて知っていよう。

 人間の集団は、狼や猪にとっても(恐ろしいとは言えないまでも)警戒すべき生き物であることに違いなく、子供もある程度は安心して滞在できるいわば森の浅瀬であった。

 かと言って過度の油断は禁物だろう。餓えれば人とて危険を承知で他者の領分を侵すは珍しくない。野生動物とて敢えて死中に活を求めないとは言い切れない。

 

 まあ、一口に森と言っても、普段から出入りしている浅い領域は、ほぼ村の共有林の延長なのであるが、しかし、それでも侮ってはならない。中世の人々にとっての森の深さと暗さは、おそらく現代人の想像を絶している。

 

 よく手入れされた雑木林から、一歩見知らぬ奥まで足を踏み入れれば、そこは完全に人界と隔絶された異なる世界であった。

 風がそよぐ度に木漏れ日の中で影は怪しげに踊り、草木のざわめきがおぼろげな気配を醸し出す。古代人が森の影に怪しく潜む妖精や小人を想像し、森に異界の存在を感じた訳が理解できる。いや、むしろ、目に見える世界が間違っており、理性の薄皮一枚剥いで感じている妖しい異界の方が正しいのではないかとすら思えてくる。

 文明の届かない人跡未踏の深部領域は、さながら異界の森そのものであった。

 

 深部からの肉食獣の侵入を防いでいるのも、かなりの程度、匂いの効果であって、結界の維持は、村人たちの努力の結果でもあった。

 なれば俺とて、結界を維持するにこの身を削らねばなるまい。なにやら格好よさげな思念を発した肉体が、用を足そうと両手でズボンを下ろしかけたが、そこで魂より制止が掛かった。

 ちょっと待った。

 なんだよ。急に声を掛けられたから引っ込んじゃったじゃないか。と、肉体の不満げな文句。

 それは僥倖。呟いた魂が、続けて鋭い思念で警告を発する。

 尻丸出しの間抜けな死に様を晒したくないなら、大樹を盾に今すぐ構えろ。

 

 背後で茂みが、物音を立てて揺れていた。結界が野生動物の接近を防ぐとは言え、それはあくまで人間の匂いで嫌な気分にさせ、警戒させる程度の代物でしかない。

 餓えたる獣には必ずしも効くと限らず、村の者たちも森に立ち入るのはあまり好まぬ様であった。

 故に子供が単独でやってくるのは、仮令森の浅い部分でもいい顔をされない。

 

 茂みをかき分けて顔馴染みの少女が現れた時、だから私も困った顔を浮かべて困惑するしかなかった。

 

 どうやら、村から後をつけてきたらしい。

 戸惑うわたしに、何故か得意げな顔をしてみせる少女。

 危ないぞ、と渋い顔で注意すると、上げる。と返した少女が差し出してたる手に揺れるのは、白く可憐な花だった。

 サクラソウ、サラダにも使われる季節の花であった。おなかすいてるでしょ、と花弁を指に摘みつつ、んふーと得意げな表情を浮かべている少女の頬がやや痩けているような気がした。心なし、以前はもう少しふっくらとしていたような気がしたが、気の所為だとも思いたかった。

 

 本人もあまり食べてないのではないかな、という感慨に、気持ちを無にするのも悪いかな、という感情が混ざり合って、ありがとうと礼を言ってから、

 じゃあ、はんぶんこにしよう。提案してみる。

 気恥ずかしそうに照れている少女を引き寄せると、一緒に切り株に腰掛けた。

 此処で何かをお返しできれば、きっと、格好良かったのだろうけれど。

 生憎と森で糧を得られるだけの知恵や経験もなく、貧しい農民の倅に与えられるものもなく。

 何処となく痩せた少女に微笑みかけると、一緒に冬を越えられたらといいな、思いつつ、嬉しそうな少女とともに、ほのかな味のサクラソウを口にした。

 




人里近くの森の浅瀬
遭遇判定 !1d100 結果 074 遭遇なし ※半月に1度
     ※毎日、出かけても、大型動物との遭遇は数年に一度の確率。

食糧事情 :やや不足~○やや貧しい~不足
     ※不足の下に、貧しい、足りない、空腹、飢え、飢餓が在る。



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春の備え

 畑を少し広げる事となった。麦畑ではなく裏庭の野菜畑である。無論、独断ではなく両親と話し合っての判断だった。

 

 無理をしない範疇で畑を広げたい。野菜なら手入れは麦ほど手が掛からぬ。また仮に失敗したとて、麦ほどには大きく生活に影響せぬ。損なったとしても精々、わたしの草臥れ儲けで済むだろう。

 

 裏庭の畑仕事の休憩中、訥々とした口調で提案したところ、なんと両親、あっさりと頷いてくれた。曰く、作付を増やすのは考えたが、今までは手が足りなかったとの事だ。時折、母が裏庭の手入れをするのを目にしていたが、やはり野菜畑を広げたいとは思っていたのだろう。

 

 両親の言葉は全く道理であって、大地を拓いて農地とするには、畑の手入れとは別種の手間暇が必要となる。幼子たちの面倒を見つつ、畑を広げるなど中々やれる事ではない。曲がりなりにもわたしが働き手と数えられる年齢に達したことで、ようやくに畑も広げられる目算もついた訳だ。誠に結構な話である。

 

 しかし、元より考えが一致していたとは言え、子供の拙い提案に曲がりなりにも耳を傾けてくれたのは、やはりありがたい話である。十かそこらの子供では、何を言おうが殴りつけて黙らせる親も村に幾らかはいて、時代的にはさほど酷い扱いでもないのだから、穏やかに話を聞いてくれる父には頭が上がらぬ思いであった。それとも、これは現代人が持つ所謂偏見であって、人の本質は何時の時代もそう変わらず、中世でも子供と対話する親はかなりの割合でいたのかも知れぬと、つらつらどうでもいい事に思いを馳せたりもする。

 

 作るのは人参や蕪など寒さに強く、多少、土が痩せていようとも育てやすい野菜が主体で、仮に鳥や獣に荒らされたり、多少の虫が湧いたとしても、それなりの収穫を期待できる。

 秋以降は、食糧事情も多少改善されるだろう。具体的には、税を納めても日々のスープの具が一人頭3~4口は増えそうだ。少ないと思うなかれ。我が家は五人家族で一年は365日も御座るのだ。

 

 とは言え、畑を広げるにも元手となる種や苗も必要だし、予め入念に土壌の手入れをしなければならぬ。裏庭の空いてる場所を一気呵成に全て畑に、と言う訳には中々いかない。

 無論のこと労働量も増える。野菜が育つには水が必要不可欠で、毎日の水汲みも増える。水は重たい。言うまでもなく、相当の重労働である。村の幾つかある井戸には滑車すらない。中世かと思ってたけど古代なのだろうか?

 

 生える雑草やら湧く虫やらも間引かなければならない。1日たりとも気が抜けない。農作業とは、まったく根気が必要、かつ実に手間ひまがかかるもので、事前の入念な計画と弛まぬ努力が不可欠な上、臨機応変の判断まで要求される。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ。美味い食事を思えば、苦にならないとは言え、もう少し楽をしたいと思うのも人情であった。

 

 まずは裏庭に蔓延る雑草を刈り取るところから始めよう。土中の根を断つのに使うのは片刃の鶴嘴に似た不格好な掘り棒で、金属製どころかなんと石器であった。当然だが、これが大変に使い勝手がよろしくない。前世で家庭菜園に使っていた五本指のピッチフォークが如何に洗練された工夫の産物であったかを思い知らされる日々である。

 

 ともあれ、これから僅かばかりとは言え畑を広げる予定も立ち、かなり食糧事情は改善する見込みとなった。秋まで生き残ることができれば、冬もなんとか乗り越えられるだろう。

 

 

 

 

 村道を歩いている最中、空腹の余りか。腹時計が、ぎゅおうと子狼のように鳴いてみせた。このままでは秋まで持たないやも知れぬ。

 わたしの事ではない。隣を歩いている少女の話である。

 畑仕事に休日はないとは言え、軽い作業だけで済む日もある。そうした日は、大人には大人の楽しみがあり、邪魔をしないように子供は子供だけで遊んでも構わない。

 家に拠って異なる日も多いが、時には集団作業で一斉に働き、一斉に休む日もある。

 昨日は石垣の修繕という村の大きな作業が行われており、今日は皆が一斉に休んでいる。

 

 祭りの日、という程でもないが、一仕事済んだからか。なんとはなしに浮き立つような雰囲気が村の大人たちを包んでいた。大人たちは、エールを片手に村の広場に集っていた。森にも、草原にも、村人は殆んどいない。だから子供たちも、大人の目の届く村の中で逆に大人しく遊んでいる。

 

 手狭な村社会の交友関係はあれども、やはりお気に入りの相手という者は誰しもいたりする。前世の記憶に覚醒してより、一緒に遊べば愉快とは言え、同年代の子と若干、話が合わぬ部分が生じている。

 人から遠ざかった分、顔を合わせるのも敢えて踏み込んでいる者か、特に親しい者だけで自然、一緒にいるのもいつもの顔ぶれとなっていた。

 

 ややゆっくりと歩調を合わせつつ、少女の横顔を見つめた。顔色が芳しくない。

 子犬みたいなしまりない笑顔を浮かべて見せる少女は、しかし、親はあまり食べさせてないのだろうか。年頃の子にしては痩せて来ている。ほんの時折、小さく咳き込んでいる。

 病気かとも思ったが、始終腹を空かせているところを見るに、単に栄養不足だろう。

 病ではないことを幸いと言っていいのかどうか、わたしには分からない。

 

 この子の家の事情を、わたしは何も知らない。

 家の場所くらいは肉体も知っているかもしれないが、魂が目覚める前は万事を漫然と過ごしていた。なにかしらを注意深く観察した覚えもない。一度、見に行く必要があるかも知れない。

 

 自作農だろうか。小作農だろうか。単純に小作だからと言って、貧しいとは言えない。

 むしろ古くから村長一家に属している家など、下手な自作農の家より豊かにも見える。

 しかし、それは村の中心に近い家に暮らす小作農一家の話だろう。

 

 貧しい小作農もいるのか、それとも自作農で生活が苦しい事があるのか。この村の随分と安い税率や地代で?

 自作農の子がいつも腹を空かせているのも妙な話だけれども、生活が苦しいのだろうか?

 それとも兄弟姉妹が多く、食事時の競争に負けがちなのか。

 

 家の事情を知ってどうする?と魂が声なき声で告げた。やや冷笑に近い響きが含まれていて、肉体は立ち止まって目を閉じる。

(……黙れ)苛立たしげに歪められたわたしの表情を、少女が戸惑ったように見上げていた。

 

 なんでもない、そう微笑みかけてから、わたしは再び少女と連れ立って歩き出した。

 前世で見なかったweb小説を読みたくなった。あの手の話の転生者は大概、生まれてすぐに魔術が使え、叡智に満ち、時には大地に豊穣をもたらした。

 あれが読みたい。貧しさにも、苦しさにも、過酷な自然にも負けず、己の力で周囲を幸せにできる話はよい話だとも。幸せになりたい。不安に苛まれたくない。恐怖と不幸よ、どうか消え去ってくれ。

 神様でも、魔法でもよかった。

 切実に願う。今すぐに麦よ、目の前に山のように積み上がれ。と。

 

 しかし、なにも起きなかった。

 手のひらを目の前に突き出したわたしを見て、少女は不思議そうに、なにしてるの?と尋ねてきた。

 

 照れたように笑って、再びわたしは歩き出した。魔法は無いようだ。少なくともわたしが容易く使えるものではない。薄々と分かっていた。それでも縋り付きたくなった。転生があるのなら、なにかしら不可思議な力もあるのではないか、と。

 そうして現実のわたしは平凡な農民の子に過ぎない。金持ちでもなければ、魔法使いでもない。

 小なりとは言え、自由民の自作農。働き者で愛情深い両親。五体揃って頑強な肉体。 いずれ畑を継ぎ、ささやかだが幸せな生涯を過ごせよう。それ以上、何を望む事がある。

 

 なにもない。自分一人の事であれば。

 隣を歩いている少女をちらりと眺めた。片手をわたしと繋ぎ、片手で枝を振り回し、幸せそうに鼻歌を歌っている。

 

 少女の着ているのは腰を縄で結んだだけの簡素な貫頭衣だった。袖が擦り切れているし、布地に汚れが目立つが、育ち盛りの村の子など、一部例外を除けば誰もがそんなものである。わたしの服とて、大差な……あった。

 なんだ、これ。わたしの衣服、よく見れば、随分と布地の目が細かい。冷えやすいお腹周りには羊毛で包んだ布地を内側に当ててあるし、破れやすい部分は継ぎ接ぎを頑丈に繕っている。

 信じられない事だが、初めて気づいた。今までおのれの服装に目を向けたことすらなかったのだ。肉体めは。

 素材は同程度に見えるが、掛けられている手間暇が少女の衣服とは目に見えて違う。

 ……かあちゃん、と思わず呟きを洩らして、感じ入ったように震えを抑えられなかったのも宜なるかな。

 

 親の情けが身に沁みる。だが、いや、今は自分の事ではない。この子の事だ。さて、どうするべきか。

 揺れる指先が、ずだ袋に入っている軽食用の葱と朝食で残したパンに迷うようにそっと触れた。

 

 自分の食事を分け与えるつもりか?両親が額に汗して作ったパンを恵んでやるのか?

 随分といい御身分だな。貴方様は豪農の息子かなんかですか?

 大体、毎回、言い訳してパンを残すつもりか? 家族一緒に食べるのに?

 一度や二度なら誤魔化せても、いずれは破綻するぞ。

 

 餓えを無視できる割に、絡んでくるものだな。と苛つきを隠しきれず、肉体は魂に向かって噛み付くように思念を飛ばした。

 と、気づいてないのか?と訝しげに、だが、何処か面白がるように魂が反応を返してきた。

 わたしは何も言ってない。先刻からの相反するその二つの思考は、共にお前一人の悩みに過ぎない。

 肉体はハッとしたように思考を沈黙させた。

 

 朝の澄んだ空気の中、遠い空に雲雀が飛んでいる。弓でも使えるエルフに生まれたなら。意味のない妄想に浸るわたしの視線が、遠い鳥の影を追いかけていた。

 



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湿地帯

 針葉樹と落葉樹の混在した森の中で、わたしは静かに深呼吸をした。

 土地の気象と植生は、伝え聞いた北ヨーロッパに酷似している。と言っても、現地に足を運んだ訳でもなく、ヒストリーチャンネルで見ただけなのだが。

 

 それで……あの少女のために危険を侵す覚悟は在るか?

 その魂の問いかけに対し、肉体はただ無言の侭、頑固そうに口の端を曲げた。

 ……愚問だったな、と魂は静かに笑った。

 

 北の森を越えたところに湿地帯が在ると、父から聞いた覚えがある。

 魂の囁きに、覚えている、と肉体が応えた。

 魂から頷いたような波動が伝わってきた。目には見えぬが、なんとなく分かるのだ。

 絶対に行くなと下の子たちに念を押していたな。わたしには言い聞かせる必要などないと考えたのだろう。と記憶を振り返ってわたしは小さく呟いた。

「信頼を裏切ったのかな」

 しばし瞑目した後、わたしは小さなため息と共に首を振るった。

「いや……それが必要なら、誰がなんと言おうとやるしかない」

 

 

 能う限り足早に、しかし同時に最大限の慎重さをもって、わたしは森の道なき道を歩んでいた。踏破した経路の最中では目印としてこまめに枝を折り、小刀で幹に道順への矢印を刻み込み、時折、振り返っては、前方から見た後ろの地形を再確認して脳裏に叩き込む。

 

 時に手頃な目印がない地形では、辿ってきた道を後戻りし、また地面に石を並べ、慎重に慎重を重ねつつ経路を進むのは、森とは見る方向によって全くその様相を変貌させてしまう土地であることを熟知しているが故だった。

 

 進んできた筈の経路が、ふと振り返ってみれば、まるで見覚えのない道に見えるのも森では当たり前に起こることで、特に朝と夕刻、日中と日没後などは、森林はその印象を変えてしまうだけでなく、気配から匂いまでもを一変させてしまう。

 

 気配と言っても湿気や土の香り、風の匂いや音、それら微小な変化を感じ取れるが故に惑わされるのだから、小さな森とて油断は出来ない。慣れぬ者が惑えば、僅かな距離さえ抜けられず、遭難死することすらあり得るのだ。

 

 故にわたしは慎重を期した。森奥に踏み込んだのは此処最近だけでも七度目であった。前回までの六度は、森の地図を作るのに費やしてきた。

 一度として道に迷った訳ではない。森の踏破だけでなく帰還も確実なものとする為、念には念を入れて経路を確認し、往路復路共に移動を確実なものにするには、それだけの手順が必要だったのだ。

 一度で覚えられると判断しても、なお、独自の印や番号を木々に刻んでから撤退し、家に戻っては、置いた粘土板に記憶に在る限りの分かれ道や目印と成りうる木石を記し、拙いながらも湿地帯へと繋がる経路への地図を作り上げてきた。

 

 

 ……八。灰色の岩を右手に。反対の道は深い藪。

 

 ……九。背の高い針葉樹が並んでおり、似たような風景に見分けが付きにくい。曲がりくねった大木の根っこ。3本巻きつけた縄が目印。

 

 ……十、ちょっとした段差。少し崖を登る。蔦で道を作っておこう。帰り道用の目印として枝を折って、十字に吊るしておく。

 

 ……十一、ハシバミの一群。

 

 流れてくる空気に水の匂いが混じってきた。変化に気づいて、わたしは少しだけ脚を早める。時折、水を含んだ地面が先を遮り、木製サンダルだと走るのも辛いが、体重の軽さが幸いしたか。泥濘にも足を取られることは殆どなかった。

 

 茂みをかき分け、木立を踏み越えた瞬間、鬱蒼とした森が唐突に途切れた。まるで世界が切り替わったかのように、一気に視界が開ける。

 抜けたか。と魂が呟いた。

 澄んだ水と青々しい草をたたえた美しい湿地帯がわたしの目の前に広がっていた。

 色鮮やかな羽虫が飛んでいる。あれは蜻蛉の一種だろうか?

 呆然としている肉体に対し、底なし沼に留意しろ。と魂が警告してくる。

 うなずきつつ、肉体はそっと足を一歩進めた。

「……湿地帯だな」

 目のクリクリとした小さな両生類が水の上を飛び跳ねていた。

 いたぞ、やっこさんだ、とお目当ての生き物を前に魂がそっと囁いた。

 

 ……Moor frog。ヌマガエルだ。と魂。

 綺麗な水に生息し、藻と虫を食べている。

「思ったより小さいな」肉体の感慨は声に洩れた。

 ウシガエルは北米原産。と鼻を鳴らすように魂が告げた。

 鼻はないだろうに存外、器用だな、と、どうでもいい事を思う肉体に、魂が思念で言葉を続けた。

 それでも、北ヨーロッパ種なら多分、食べられるはずだ。

 毒ガエルは大抵が赤道付近か、アフリカ南部に生息しているから。

「多分、か?」肉体の唸りに、魂が渋い声で応じた。

 多分、だ。と皮肉っぽく魂。

 

 わたしはしゃがみ込むと、その可愛らしい小さな飛び跳ねる両生類をじっと見つめた。

「それにしても……カエルか」

 声に応じて魂が聞かれてもいない薀蓄を語りだした。

 中国やフランスでは食用とされている。日本では根付かなかったが。

 同じ知識を持ってる筈だが……忘れたのか?

「どうにも記憶が歯抜けになってる、それよりも……」と肉体が呟いた。

 なんだ?

 素早く撥ねている蛙を鋭い眼で見据えた肉体が、小さく舌打ちする。

「思ったよりも素早い。寝ぼけているようには見えないな」

 容易く掴まえられるようには見えなかったのだ。

 

 ……生息地を見つけるのに思ったよりも手間取ったのも確かだ。と魂が告げる。

 とは言え、雪解けから既に一ヶ月が過ぎている。春も半ばとなって、わたしも些か焦りを隠しきれない。

「……森や草原でも蛙は時々、見つかる。

 態々、取りに来る必要もなかったんじゃないのか?」

 おやつにするなら一匹、二匹でも丁度いいな。

 だが、人一人を食べさせるなら偶然見つかるだけでは足りない。と魂。

「蛙は何時まで採れる?」天を睨みながら、肉体は低く呟いた。

 ……分からん。餌の少なくなる、冬の直前だと思うが。

「頼りないな……所詮、わたしか」魂の答えにそう呟いて肉体は苦く笑った。

 

 好き好んで森へと入り浸るのは、狩人を除けば、孤独を好む変わり者か、特に畑に気を使っている農夫しかいなかった。

 わたしとて独りになりたい時はあるのだが、森に赴いた際は、多少でも必ずいくらかの腐葉土を袋に詰めて持ち帰るようにしていたら、それが目的と思われたようで、いつの間にか骨身を惜しまない働き者と目されていた。

 村の他の子など、勝手に森に赴こうとすると大人から拳骨をもらうのだから、日頃の行いとは馬鹿にならないものである。

 

 

 さあ、手を動かせ。時間がない。魂が発破を掛けてくるが、今さら言われるまでもない。

 森と違って、湿地帯なら太陽の位置から時間を割り出すのも難しくない。

 此処に来るまでに半刻は過ぎた。帰りも同程度掛かるとなると、上手く言っても恐らく3時間。いつもの滞在時間よりも、大分長い。親が心配するだろう。

 

 上半身裸の下半身下着一つで浅い水場に駆け込んで、棒を振り回して必死に蛙を追いかける。

 一匹掴まえては、頭陀袋に入れて入り口を縛り、再び湿地に駆け込んでいく。

 正直、効率がいいとは言えないが他に方法がない。虫取り網を自作するべきだろうか。

 

 それでも十匹程は、掴まえただろう。暗闇に放り込まれた蛙の一団は抗議するように激しくゲコゲコと鳴いていた。

「……そろそろ切り上げ時か」

 手近でのんびりしていた蛙は大体掴まえた。乾いた布で体を拭きながら、太陽の位置を見上げた。今日は少し、森に長居しすぎている。毎日という訳にもいかないだろう。

 

「上手くいったな」

 ホクホクと袋を持ち上げると、ずっしりとした重みが手に返ってきた。嬉しくて袋を抱きしめていると、魂が、うむ、と呟きつつも、緊張した雰囲気を発していた。

「なにか気になるのか?」

 周囲に人が居ないのは確認済みで、他者に尋ねるような物言いをする。

 一つ……結界から、かなり離れている。魂が冷静に呟いた。

 そして恐らく、冬眠から目覚めた直後の寝ぼけた蛙は、他の生き物にとっても捕まえやすい貴重なタンパク質かも知れない。

 

 冬眠明けは、熊や狼も気が立っていると注意を受けていた。狼は冬眠しないが、腹が空いているには違いない。いや、異世界の狼は冬眠するかも?異世界なのかな?星座よく知らない。

 兎も角、わたしは静かに頷いた。はしゃいだ気持ちが霧散していく。

 わたしは湿地帯を見回した。葦の間を吹き抜けた暖かな春風が、無人となった湖面を静かに揺らしている。

「長居は無用だな」呟いたわたしは、沼の畔で急いで服を着込むと、ずだ袋を担ぎ上げ足早に湿地帯を立ち去ることにした。さあ、腹がはち切れるくらいに、たっぷりとあの娘に蛙を食べさせてやろう。

 

 




 湿地帯  遭遇率 6%  95以上で遭遇(ダイスは高いと遭遇)

 遭遇判定 !1d100 結果 04


 不確定名:小さな飛び跳ねる可愛い両生類 → 沼ガエル


 採集判定 !1d60 結果 029(Webサイコロ) 成功!

 地元の森 +15 採集目標(冬眠越えのカエル)+10 季節/春 +20

 採集数 !2d6 +03 結果 6+2 +03 11匹

 スキル     獲得/週  累積   獲得必要
・森歩き 30% +0.6技能点/31.0技能点/100.0技能点
・採取  20% +0.4技能点/01.6技能点/100.0技能点


――リザルト―――――――――――――――――

・湿地帯までの踏破に成功
 冒険点 +20ポイントを獲得

 所有冒険点 10 →30点


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腹の虫

 村に戻ったわたしは、その足でまず少女を探しに出る。その際に蛙を入れたずだ袋は一旦、家へと置いておいた。腹を空かせた弟や妹に狩りの獲物が見つかっては、碌なことにならないのは確実であるから、彼らの手が届かないよう家の梁にぶら下げておく。

 

 敵は下の子たちだけではない。村には腹を空かせた悪童共がうろうろしている。幸運にも美味しそうな木苺やらベリーやらを見つけた子は、すぐさま食べなければならない。おやつを取っておくとか言う呑気な生き方は許されない。隣りにいた友人が一瞬後には、野獣の眼光を宿して襲ってくるかも知れない。涙を零してからでは遅いのだ。

 

 ちょっと言い過ぎかも知れないが、あながち冗談でもないのだ。無論、村は弱肉強食の無法の地ではなく、一定の不文律や許されない領域はきちんと存在している。例えば、貴重な小刀を奪ったり、他家の畑の作物や家畜などを盗みだすなどは、子供間であってもけして許されない。これらの行為は窃盗として厳しく罰せられる。

 そこらへん見極めをつけられないお馬鹿さんは、村の顔役たちから締められる。

 

 現代でも村社会は中々に煩いものだが、中世自治村での顔役たちは比較にならないほどに恐ろしい立場だった。何故なら、自治村では村の構成員こそが警吏であり、また刑吏であるからだ。

 幾度かの警告を受けても一向に行状を改めなかったり、窃盗品を持ち主に返還しない乱暴者などに対しては、時として棒叩きの刑などが行われる事例もある、らしい。

 

 らしい、というのは、少なくとも魂が覚醒してからのわたしが、咎人に対する刑罰の執行などを目にした事などなく、悪いことをすれば裁かれるよ、と親に言い含められていたからなのだが、しかし、伝え聞くところでは、刑の執行時には村人のほぼ全員が立ち会わなければならないそうだ。例外は妊婦と重い病人だけで、子供も老人も集まらねばならない。外から見れば、全体主義だの恐怖政治だのと嫌悪を抱く人もいるかも知れないが、実際には刑の執行に際しては、村人の大半の合意と納得を必要とするからだろう。これはこれで合理的かつ民意を尊重しているのだと、中で生きるわたしには納得できた。

 

 

 隣人の所有物を盗んではならない。これは共同体を存続させる為に不可欠な慣習法であり、かつ村人たちにとっての共通認識であった。

 しかし、この掟には、二つの命題がある。一つは誰までを隣人と見做すかだが、これは比較的に単純に解決できる。村に住む者が隣人である。気に食わなくとも、没交流であろうとも、兎に角、村人は村人から盗んではならないのだ。

 

 

 ちなみに某巨大宗教の有名な戒律にも、汝の隣人を愛せ、と言う言葉が存るが、ここで言う隣人とは同じ民族、同じ宗教を信じる者たちを指している。少なくとも十字軍の時代までの解釈は、隣人の範囲は斯くの如しというのが当時の常識であった。

 

 これを偏狭というのは簡単だが、しかし、当時の西欧においては同民族、同宗教の内部でも絶えず争いが起きていたが故に、せめて隣人だけでも愛せよ、との訴えかけの意味を持っている。

 

 隣人を愛せ、とは隣人以外は愛さないでも良いという意味ではないが、イベリア半島をイスラム勢力が制圧し、ブリテン島をノルマン人が脅かしていた当時の状況を鑑みれば、西欧人にも西欧人が生き残るための見解が在るのだろう。わたしも含め、人とは万事をおのれに都合よく解釈する生き物だ。

 

 話が逸れた。隣人の定義が村人だとして、もう一つの問題は何処までを所有物と見做すかである。家畜や畑、家、家財は財産であり、誰の眼にも明白な私有財産である。しかし、一方でまだ誰のものでもない土地や天然資源、所有権の定かでない拾い物に関しては、かなり緩い曖昧な側面があった。

 

 結論を言えば、野原で見つけた食べ物を奪ったくらいでは罪には問われない。厳密に言えば、慣習法でも罪となるのだが、仕留めた鹿やら建材に具合のいい倒木を巡っての大人同士の言い争いなら兎も角、子供が拾った木の実に関して一々、大人が介入したりはしないのだ。

 結果、一定のルールが定められた上で、自力救済ではないにしても、村の子供界隈では日夜、食べ物や小物を巡って、仁義なき戦いが繰り広げられる事と相成った。大人しい子や善良な子も、かなりの頻度で喧嘩に巻き込まれる。

 まさに、万人の万人に対する闘争。混沌と無秩序の領域である。

 無法地帯かな?と思わないでもない。他にも理由はあれど、これがわたしが蛙の産地を秘密にしつつ、少女だけを密かに呼び出そうとする理由である。

 

 

 

 村道を歩いていたわたしを先に見つけたのは、少女の方であった。

 此処しばらくの間、相手をしていなかったからか。歩み寄ってくると物凄いふくれっ面を見せながら、拳でパシパシと胸を叩いてきた。

 森の探索の準備で忙しかったのだが、そんな事は少女は知らない。

 しばらく好きにさせてみたものの、一向に収まる気配がない。仕方ないので、海賊が村娘を浚うように小柄な体をひょいと肩に担ぎ上げた。

 今度は不満げに手足をジタバタさせ始める。あまりにも暴れるので、お尻をぴしゃんと叩いたら、今度はきゃうきゃう叫びながら、強く抱きしめてくる。勘違いではないよ?この子、ほっぺたを甘噛みしてきたり、わたしの匂いを嗅いで陶然としてるもの。

 

 俺のことを好き過ぎない?ニヤついている肉体の思念に対して、魂は死ぬほどどうでも良さそうに、お、そうだな、と相づちを打ってきた。

 

 

 担いでいる最中、大人しくさせる為にあらかじめ少しだけ焼いたリーキの欠片を口に咥えさせる。甘さを残す春葱はお気に召したようで、無言でモゴモゴと口を動かしてる少女を担いだまま家に帰還すると、母が昼食の粥とポタージュを作っていた。お帰り、言いかけた母が、担がれている少女を眺めてから、担いでいるわたしを見て、困ったように首を傾げるが、わたしの家までやってきた事に気づいた少女の方は、降ろされた途端、わたしの背に隠れて、母に対して頬を真っ赤にはにかんでいる。

 下の子達がいないのは好都合であったから、わたしは二人の視線を気にせずに梁から袋を下ろすと口を開けた。

 袋の底でけろけろ鳴いているくりくりした沼ガエルたちを見て、可愛い、と少女が顔を輝かせた。

 

 一匹だけ紐に結んで少女に手渡すと、くれるの?と、手のひらに乗った姿を眺めてご満悦の表情を浮かべている。

 えっと、どうしよう。贈り物に照れてる少女の前。さらに二匹を掴まえ、わたしが小刀を取り出すと、少女は愕然とした様子で、食べるの?など聞いてくる。

 美味しいんだ。また胸をパンパンと叩いてくる。女の子は面倒くさい。

 一匹だけ飼っていいよ。真剣に選びつつ、少し泣きそうな少女に、食べるために取ってきた、と手元の2匹の上半身を容赦なく切り落とした。上半身とモツは裏庭に堆肥用の深い生ゴミ穴にポイと。下半身はブナと思しき木材の串を水に浸してから突き刺すと、塩代わりの灰を少し擦り込んでから直接、火で炙ってみる。

 

 

 いきなり肉を食べさせたりはしない。十匹は勿論、一匹だって、もしかしたら胃がびっくりするかも知れない。リーキを先に食べさせたのはそれもあった。普段から余り食べてない子に腹一杯の肉を摂らせるのは健康に良くない上、出し惜しみした方がありがたみも増すというものだ。

 古の軍師マキャベリさんも言っておられる。与える時に全てを一度に与えてはならない。恩寵は小出しにするほうが感謝も長続きするのだ。

 恋愛と戦争では手段を選んではならない。とは英国の格言だ。恋愛は駆け引きである。好いた相手だからといって必ずしも手の内をさらけ出すより、時には恩と利で絡め取ったほうがよかろうなのだ。もっとも、物で釣ってばかりいると相手に比べる癖がついて、与えるものがより大きい相手に惹かれる可能性も増すので、心のドキドキも大事である。

 

 焼けてくる肉に目を丸めている少女の横顔をじっと見つめる。派手さのある顔立ちではないが、愛嬌のある顔立ちだった。動物に例えると、たぬきに似てるかな?ころころ変わる表情が魅力的で、笑い転げる姿もなんとも愛らしい。愛着が生じるとともに独占欲も湧いてきているようだと、自分の心の動きを分析する。少年のように否定もしないし、かと言って青年のように情熱に飲み込まれるつもりもない。二重の意味で少女を失わない為には、冷静さを維持する必要がある。最優先は、この子を生かす。第2目標が、心を掴み続ける事。

 

 香ばしい匂いが周囲に漂い始める。生唾を飲み込んでる少女の姿に計画通り、と密かにほくそ笑む。逃さん、お前だけは。焼け上がった肉の串を差し出すと、呆けたように見上げてから、おずおずと受け取った。

 

 蛙の串焼きがよだれを垂らしていた少女の胃の腑に収まるまで、およそ2秒。

 少女は何故か愕然とおのれの手にした串を見つめている。

 ……消えた。などと驚愕の表情で呟いているが、君が食べたんやで?

 

 あらあら、まあまあ、などと言い出しそうな顔で微笑んでいる母の眼前、先刻まで可愛がっていた蛙ちゃんを怪しげな目つきでじっと見つめている少女。蛙ちゃんの先は長くないかも知れない。仕方ないので自分の蛙の足半分をくれてやると、今度はよく味わうようにしてチビチビと齧りだした。

 

 美味しかったぁ、と深々とため息をついたはいいが、食べ終わるや少女の胃の腑が凄い勢いで鳴り出した。本人もびっくりした様子で、おのれのお腹に手を当てて抑えてる。

 よほど腹が空いていたのか。栄養が足らず、病人に近い状態だったと見える。好きなだけ食べさせてやりたいとも思うが、一匹で体がびっくりしているのでは無理である。やはり時間を掛けて改善したほうが良さそうだ。

 

 庭に生えた樹の枝に、縄を使って袋を高く吊るし、蛙の半分を隠した。裏庭の隅に埋めた壺に水と若干の藻を入れ、掴まえてきた蛙の残りを解き放ってから、土をかぶせて隠すと、少女の手を引いて家を出る。

 

 し、死んじゃゆの?心配と不安からか、言葉を噛んでる少女を連れて道を歩く。少女の顔色は良くない。死なない、絶対に。と言い切る。俺が死なせない。

 

 でも、体が変。虫が入ってたかも。言い募る少女は涙ぐんでいる。

 淡水魚や豚を食べる文化であり、寄生虫の事は悪い虫として知られている。無論、蛙は入念に炙っておいた。

 無智な農民よ。と魂が憐れむような口調で偉そうにのたまった。わしらも農民なのだが。思念を返すと、取り敢えず少女の不安を鎮めるために隣家へと向かう。

 

 死にたくないよぅ、とべそをかいてる姿も可愛い。頭がおかしくなってる自覚はある。不安そうな少女をなだめようと、あの蛙は大丈夫だよ、試してみた。と言い聞かせる。

 

 

 

 隣の農家の庭に入ると、わたしに気づいた飼い犬が吠えだした。家の子供と年中、一緒に遊んでいる間柄なので、気軽に敷地に入っても互いに咎められる事はない。小さな農村のいい処である。

 試す?訝しげな少女に頷いた。

 あの犬に蛙を3匹やったけど、今の処はまるで異常がない。

 ちぎれんばかりの勢いで尻尾を振ってるわんこをじっと見つめてから、恐ろしいものでも見るような顔をして、わたしを見つめてきた。

 

 失敗したかしらん?口は災いの元。居心地の悪さを誤魔化す為にしゃがみこんで犬を撫でてると、気持ちよさそうに地面に転がって目を細めてきた。ここか?ここがええのんか?よだれを垂らして転げ回る犬畜生。動物にとって人間様の十本の器用な指で撫でられることは触手十本にマッサージされる気持ちよさだと誰かが言ってた。少女の方は恐る恐る、しかし、興味津々に犬を見つめている。「一緒に遊ぼう」声を掛けると頷いた。

 やはり子供は可愛い動物に弱かった。一瞬、不信感を抱きかけたようだが一緒に犬と遊ぶうちに忘れさったのか。鼻を犬に舐められて、きゃっきゃうと楽しげに笑い出している。

 

 余計な邪魔者。自称英雄エイリクな隣家の子が棒を背負って近づいてきたのはその時である。遺憾ながら一番遊んでいる幼馴染であった。

「お!なんか餌やったんか?ありがとな!」

「あ……うん」良心が咎めて少しだけ言葉を濁した。

 前々から、食べられるか微妙なところの野の食材をお宅のわんちゃんで試していました。ごめんなさい。ちなみにネギ類は上げてない。お陰で懐かれるし、なんだか凄い犬好きだと思われてる。とは言え、犬好きなのも本当である。

「しかし、犬好きだな!」

「まあね。飼いたいけど、余裕がなくてねぇ」

 これは本当である。わんこ一匹分のご飯を賄うのも大変なのだ。

 愚痴るように呟いてから、焼いた蛙の食べ残しを袋から取り出すと、遊び終わったわんこに向かって投げてやる。

 肉ぅ!?驚愕の叫びをあげた英雄殿が、肉を奪わんと己が飼い犬に飛びかかったのは次の瞬間の出来事であった。

 

 



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肉の滋養

 怒れる兄の拳が、下の子たちの頭に炸裂した。罪状は蛙泥棒。

「にいちゃが殴ったぁああ」

 びあびああと泣く弟と妹だが情けは無用であった。

「人の食料を食べてはいけません」

 兄の言葉は、悲しいかな。道を踏み外した獣たちには届かないようだ。

「たくさんあったのにぉー」

「お腹すいたんだもん」

 喚く下手人たちを前に、諭すように言い聞かせる。

「自分で掴まえなさい。野原を探せば幾らでもいるから」

「だってー」

「だって、じゃない」

 渋い顔にならざるを得ない。こやつらめ、小狡い知恵を働かせて1匹、2匹と僅かな量を掠めていたのだ。

 

 外に対する偽装は、ほぼ完璧であったと思う。持ち帰る際には細心の注意を払っていた。

 森で調達した腐葉土を運びつつ、蛙はついでとでも言うように腰に吊るした袋などに入れて家へと運び入れていた。

 まず村の悪童めらも蛙に気づき難く、気づいても手出ししにくい真面目な畑仕事の手伝いをカモフラージュに、誰にも妨害されなかったのに。まさか身内に足を引っ張られようとは。

 と、そこで内職で羊毛を紡いでいた母が笑いながら

「反省しているみたいだし、そのくらいで、ね」

 取り成すような母の言葉に渋々と矛を収めるも、下の子達はなおも不満げにブツブツと呟いている。本当に反省してるのかしらん?

「前はくれたのにー」

「あの蛙はあたしのなのー」

「ケチケチのケチー」

 いつの間に、記憶が改ざんされている?

 わたしは天を仰いで嘆息した。食欲旺盛な小悪魔たちに隠しておよそ一ヶ月。一つ屋根の下での秘密はまあ持った方かも知れない。想定していたより少し早かったが、いずれにせよ時間の問題ではあったのか。これからは保存場所に関しても工夫する必要がある。さて、どうしたものだろう。

 

 兎にも角にも、日課の菜園弄りをこなすべく、わたしは木製シャベルを担いで森へと向かった。

 春も半ばであった。暖かく気持ちのよい日が続いている。空はやや曇っていたが、どちらかと言えば、この土地では晴天の日の方が珍しかった。

 夏は短く、冬は長い。白夜が起きるほどではないが、きっと高緯度なのだろう。

 

 寒冷な土地だ。日照りや干魃に悩まされる事は滅多に無いが、代わりに少日射や冷害で作物が患う日もある。自然、寒冷な土地に向いた農作物。小麦よりも大麦、燕麦よりもライ麦を作付してると思いきや、小麦は根強く作られているし、大麦は兎も角、ライ麦よりも粥にしやすい燕麦が好まれている。

 

 どうにもちぐはぐに思える。他所との連絡が乏しいのは、村が文明地から孤立しているのか。それとも地域全体が自然災害なり、異民族の侵入やらで衰退しているのか。

 そもそもわたしがライ麦やら小麦やらと当たりをつけてる現世の穀物とて、前世のライ麦や小麦と同じとは限らない上、中世欧州の農業を少々耳齧ったからと言って村人たちより賢いと胸を張れる筋でもない。寒冷な気候に強いライ麦や大麦に切り替えた途端、温暖な気候に戻ったりしたら、目にも当てられない。間違っていたらごめんでは済まないのだから、軽々しく口を挟む気にもなれなかった。

 

 ふと、村人たちは温暖な土地から移住してきたのでは、と思い至った。もっと過ごしやすい土地から引っ越してくる理由などないようにも思えるが、戦争なり、異常気象なりで追い立てられる事例も歴史上には侭在るし、或いは単なる飢餓や貧困を理由として、土地を求めて北方へと移住してきた放浪民の末かも知れない。

 いずれにしても、半世紀は昔の移民の理由などもはや知る由もなく、仮に知ったとて農民の子の暮らしがなにか変わろう筈もない。詮索好きの知りたがりは、村では余り好かれないのだ。

 

 

 十年一日、具合の良さそうな腐葉土を探し求めて森を彷徨うわたしは、やがて森の少し奥まった箇所の地面に袋を置くと、木製のシャベルで地面を掘り始めた。

 腐葉土は素晴らしい肥料だが、麦畑は広大に過ぎて焼け石に水であった。故に用いるのは、裏庭の菜園に限られている。一心不乱に穴を掘って黒土を袋に入れる。逃げようとするミミズをゲット。ふふ、君にはこれから我が家の裏庭に移住してもらうよ。ある程度、溜まったら袋を担いで村へと帰還する。腐葉土は裏庭の隅に貯めておく。小山となった腐葉土に藁屑やら野菜の芯を混ぜ合わせてさらに肥料とする。できれば鶏糞も欲しいところだが、生憎と我が家は肥料に使えるほどの鶏は飼っていない。前の飢饉の時に食べてしまったそうだ。いずれは卵を毎日、食べられる身分となりたいものだと、心のなかで野心を滾らせる。

 

 2度、3度と森と村を往復して裏庭の腐葉土の山を高くしていく。今のわたしの目には、この腐葉土が食べ物の山のように写っていた。全く悪くない。いい気分である。体は疲れも知らずに意気軒昂に動き続けていた。しばらく前の少し動けば残息奄々であった病人の体とは、まるで別人のようである。

 

 僅かな蛙肉を摂取するだけでこれ程に体調が回復しようとは思いもよらぬ事であったが、考えてみれば、現代人とでは肉体の持っている栄養の備蓄が違う。毎年を文字通りに食い繋いで生きている中世の住人であれば、肉食は命を頂いたようなもの。劇的に回復しても不思議ではなかった。小さい子たちの気持ちも分かるのだ。体が肉を求めるのだろう。江戸時代に牛肉が滋養強壮の薬として膾炙していたのもさもありなんと思いつつも、そう言えば、蛙やらイモリの黒焼きも滋養強壮の薬として漢方薬になっていた気もする。それにしても肉とは凄いものだと驚くばかりであった。

 

 

 さて、しばらく前まで、わたしは半病人同然であった。急激な寒気に襲われて、ただただ震え続ける夜半もあれば、頭の芯が重くなり、頭が働かなくなる日中もあった。

 

 思考は、実は贅沢品だった。体が餓えると脳みそは働くのを止めてしまう。なにも考えられなくなるほど頭の芯が重くなり、考え事すら億劫になる。事実として、食事の直後が一番頭が働くのを実感している。食べると眠くなる?食べすぎて、胃にエネルギーがまわる?中世人ですから、そんな贅沢、一度も味わったことがないです。脳みそは大喰らいで、理性は余裕の産物だと身に染みて気付かされたのが、狼の襲撃で得られた最大の教訓かもしれない。切実に糖分が欲しいです。

 

 いずれにしても、体の栄養状態が回復してきたのか、幾ら動いても疲れない。そういう訳で鍛錬を再開しよう。

 

 さて、鍛錬と言っても以前のような激しい反復運動は止めておく。激しい運動は、それだけ体を消耗させる。筋肉を発達させるかも知れないが、同時にひどく腹が空く。いずれ再開したいものだが、現状の食糧事情では望ましくない。此処で無理したら本当に死んじゃうかも知れないので、食糧事情を安定させるのが先である。

 

 なので現状行うべきは、かつてのような武術めいた鍛錬などではなく、体幹を育てる為の緩やかな運動が主体とすべきだろう。屈伸したり、背筋を伸ばしたりと、準備運動として体操もよく行っておく。

 前世の知識として完全ではないが、体が気持ちいい、みたいな行動をさせているので、なんとなくそれらしい体操となっている。入念に繰り返させる。筋肉を解し、関節を柔軟に保ち、体幹を育ててくれる。しかも、体力を消耗しない。素晴らしい。

 

 使ってない筋肉が無理せずに気持ちよく伸ばされているのを感じますぞ。本当に気持ちがいい。後はこれから倒木の上を、両腕をやじろべえしながら渡り切ったり、小さな崖を登ったり、降りたり、これ、他の子が遊んでいるのと同じだな。

 

 森にも春の恵みは息づいていて、びっくりしたのか。土中から飛び出してきた小さな蛙を素早く手で捉えると、袋に入れる。これは下の子達の土産にしてやろう。だけど、あの子らも自分で蛙を掴まえに来ればいいのに。と、そこで手を止める。狼事件以来、小さな子が子供らだけで遠出するのは、村人の、特に老人たちにいい顔されなくなっていた。偶に暇な大人や年長者が野原に連れて行ってやるが、あまり長く遊ばせてやれる訳でもなし。わたしとしても近くの森だから大目に見られているのであって、実は北の沼地まで遠出してましたなどとバレてしまったら老人たちにそれは小五月蝿く小言を言われるに違いないのだ。

 

 思えば、あまり兄らしい事をしてやった覚えもない。稀には森に連れてきてやるかな、と落葉樹の幹に寄り掛かりながら、ふと呟いてみた。

 




  春 → 春
  4週経過

・ジョブ/農民の子

・スキル
           獲得/週  累積   獲得必要
 ・森歩き 10% +0.2技能点/31.7技能点/100.0技能点
 ・農作業 20% +0.4技能点/75.1技能点/100.0技能点
 ・採取  10% +0.2技能点/02.3技能点/100.0技能点

 ・剣   諦めたのは賢明だ。君は剣士に向いていない。
 ・森歩き 用心深く行動したまえ。森にはまだ君の知らぬ事もある。
 ・農作業 君はいい農夫になれるだろう。

・ステータス
 ・体力点 10% +0.1鍛錬点/0.7鍛錬点/1.0鍛錬点
  03点 ☆

 ・器用点 10% +0.1鍛錬点/0.3鍛錬点/2.0鍛錬点
  08点 ☆☆

 ・敏捷  10% +0.1鍛錬点/0.4鍛錬点/3.0鍛錬点
  11点 ☆☆☆

 ・栄養不足は解消された!いまや君は健康体だ!
  耐久点 03(04)→05!
  体力点 02(03)→03!

 ・もう少し手先が器用なら、日常生活に役に立つだろう。

 ・悪戯した犬に尻を噛まれない程度には、逃げ足は早いようだ。



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アスパラガス

 アスパラガスは、春の恵みでも格別であった。その程よい歯応えと言い、ほろ苦さを孕んだ甘い風味と言い、特別のご馳走として扱われている。

 

 現代人にはそんなに美味いものだろうかと疑問に思うかも知れないアスパラガスだが、実は現代の野菜は、そのほぼ全ての品種が長年に渡って品種改良されてきたものばかりで、平成や昭和後半の野菜でさえ、昭和初期生まれの人たちや大正生まれの老人たちが食べると、こんなに野菜が甘いなんて!と感動するほど別物だったという話が残っている。

 

 本来、人の手が入らぬ野菜とは、総じて苦くて固くてエグみが強いのだ。そんな野菜が美味しくない世界に、最初から現代と殆んど味わいの変わらないアスパラガスちゃんが君臨しています。そう、アスパラガスちゃんこそ春の野の女王。あの古代ローマの名君アウグストゥスもアスパラガスが好き好き大好きで特別に船団を仕立てて遠方から取り寄せていた(実話)くらいに、中世な世界では特別の珍味なのだ。

 

 ちょっとおしっこが臭くなりすぎる事を除けば、柔らかくて美味しくて食べやすいアスパラガスちゃんは特別なご馳走であるのだが、採れるのは春のうちでもごく短い期間なので、初春の季節になると、若い男女や夫婦がこぞって河辺や野原へと赴いてアスパラガス狩りに励む姿を目にすることが出来た。

 

 さて、危険な森を普段から彷徨いている村の小僧が此処に一人。何時ものお供に少女。村でも指折りの山菜採りの達人として、森や草地を探し回る他の子たちを尻目に、滅多に手に入れられないアスパラガスちゃんを鱈腹食べるのが例年の行事であったが、今年は少しばかり事情が違った。

 

 春の初めに雪解け水にて病を患い、ようやっと動ける程度に回復した頃には哀しいかな。アスパラガスの旬はほぼ過ぎ去っていた。それから直後に探せば或いは見つかったかも知れないが、北の沼地への遠征と蛙狩りに精力を注いでいたが為、今年は一本とて春の珍味を食していない。

 

 春も終わりになって、ふと気づいたのだ。そう言えば、アスパラガス食べてない、と。

 アスパラガス食べたいと必死になって探し回るも、今さら見つかる筈もなかった。

 北の湿地帯であれば或いは見つかるやも知れぬが、幾度赴こうが沼沢地が子供に取って危険な領域である事になんら変わりはない。

 

 辺りに細心の注意を払い、いつ何時でも遁走に移れるよう備えながら、なお神経を削る森の深部である。怪しき気配を感じた際には、蛙が取れようが取れまいが、死にものぐるいで村近くの森まで駆け戻ったも1度や2度ではない。

 踏み入るも常に命がけな農民の子としては、深き沼地で呑気に春野菜を探すなどありえなかった。

 

 それでも春というのは妙な季節で、人を普段では考えられないような浮ついた気持ちにさせる事もある。思い返すに、その日のわたしは、ちょっと頭がおかしくなっていたのだ。

 

 アスパラガス食べたいよぉ。一本くらい俺のために生えてきても罰は当たらないだろ!野菜なんだから!今すぐ生えてきてよ!

 ……狂を発したか?

 呆然とした魂がなにやら言ってたが、切羽詰まった肉体にはまるで聞こえない。

 丘陵の湧き水、川の畔、森の泉、村の周りの草原。目につく処は軒並み探してみるも、しかしほぼ全てのアスパラガスが取り尽くされていた。

 

 少しは他人の為に残しておかなきゃ駄目でしょ!優しさってもんがないよ!

 毎年、他人を出し抜いては食べ散らかす自らを完全に棚に上げ、アスパラガスを取り尽くした貪欲な村人たちに肉体は怒りの矛先を向けていた。

 

 激高するも、しかし元より田園の農村。山菜採りの名人なども掃いて捨てるほど、とは言わねど、少なからぬ数が転がっている。

 村では身分/定職と言うほどには定まってはおらねど、よく役割をこなす者はやはり居て、常より野山を流離う牧童の青年や薬師の娘は言うまでもなく、森に入り浸るが仕事の木こりの老人に豚飼いの雇い人らなども、春の訪れをいち早く察知するや、早い者勝ちとばかりに素早い初動でアスパラガス狩りに乗り出してくる。

 腹を好かせた村の子供らに暇にあかした怠け者の農夫らも競い合うように野を駆け巡るとなれば、数ばかりは侮れずに先を越される事もしばしばとあった。

 

 体調が万全でも連中を出し抜くには一方ならぬ苦労を強いられるものを、出遅れた身で貴重な春野菜を見つけられようはずもない。 

 これだから、食い意地の張った田舎者は!少しは他人の気持ちを思いやれないのか!

 自虐かな?魂が呟いた。

 自虐だぞ。自分で言うのはいいが、他人に言われたら許さないのだ。

 憤懣を湛えつつ、なおも半日も野を彷徨った肉体であったが、遂に見つからないことに心折れたのか。

 夕日が落ちる寸前、泥まみれになって家に帰り着くと、そのまま力なく土床へと崩れ落ちた。

 

「アスパラガス……アスパラガス食べたい、アスパラガスぅ……」呟きながら、ボロボロと涙を零している農民の子。

 長閑な田園地帯の幼い少年とすればさほど珍しい光景でもなかろうが、脳の原始的な部分が感情を支配したのか。アスパラガス欲しさに泣いてる兄をなにやら不気味なものでも見たかのように下の子たちが何とも言えぬ表情で眺めている。

 

 そんなに食べたいのか……アスパラガス。魂の淡々としたつぶやきに、肉体は態々、裏庭の隅まで行ってから爆発した。

 食べたい、今すぐ食べないと死んじゃうぅう。美味しいもの食べたい。世の中で唯一、美味しいものなのぉ。

 肉でも食べろよ。うまい、うまいって食べてただろ。魂の返答に、肉体が分かってないとばかりにさらなる狂態を示す。

 違うのぉおお!お肉は旨いッ!って感じで、アスパラガスは、美味しいぃいい!って感じなの!美味しいものが食べたいのぉおお!

 

 アスパラガス欲しさに、遂に発狂したか。藁の山に飛び込んだ肉体は、踊るように手足をジタバタと動かし続けていたが、半刻(1時間)ほどすると流石に疲れたらしく、ようやくに静かになった。

 

 ふぅ、と肉体は、星空を見上げながら嘆息した。沈黙した魂に向かってポツリと思念ではなく声に出して言葉を送った。

 ……人間。偶に欲求を素直に出さないと狂いそうになるな。

 先刻までの狂態と打って変わって、肉体の声はそれなり落ち着いていた。

 ……落ち着いたか?

 魂の問いかけに小さく頷くと、水瓶に歩み寄って木のコップで水を飲んだ。

 

 大分……落ち着いた。ついさっきまで、アスパラガスを食べたい衝動が凄かったけど。

 素直になった欲求がアスパラガスなのは、まあ、平和なのかな。魂の音なき言葉に、肉体は深々とため息をついた。

 自分でも少し驚いた。兎に角、今朝方は我慢が効かなくてね。毎年、この時期に食べてたなと思い返した途端、本当に。猛烈にアスパラガスが食べたかったのだよ。

 理性としては見つからないと考えていたが、下手に抑え込んだらどうなるか。此処は好きに探させたほうがいいと思ったんだ。

 まあ、案の定空振りしたが、偶には子供っぽい我儘も悪くないよ。お陰で今はひどく気分がいい。

 それは何処か他人事のような口ぶりで、藁の山に座り直した肉体の想念に魂は無言だった。

 肉体は肩をすくめて、さらに思念を続ける。

 ……思うに、偶には好き勝手言うのもいいだろう。脳自体は未成熟な子供のものだし、感情が爆発するのも仕方ないのかも。

 その発言の意図を推し量るように魂はしばらく黙考した。

 ……その心の爆発は、体の本来の持ち主の感情だと思うか?

 やや深刻な魂の問いかけに対して、藁を咥えた肉体は、笑いを浮かべて首を振った。

 分からん。今のわたしの意識が元日本人のものか。それとも君の記憶や意識の影響を受けた農民の子供のものか。そんな事すら分からん。

 藁にもう一度、寝転んでから、肉体は投げやりにつぶやいた。

「それにどうでもいい」

 そも、意識さえ、明確に理性と感情を区切れるものなのかな。

 空を見上げながら、そう思った。しばらく返答を待ったが魂の返答はなかった。

 肩をすくめた肉体は、やがて襲ってきた眠気に抗わずに静かに目を閉じた。

 

 

 あくる日の正午、水汲み、水やり、野菜の虫取りに畝作りと畑仕事を終えたわたしは、果たして再び少女と合流していた。

 アスパラガス、とやる気満々の表情で木製スコップを背負っている少女に対して、わたしは思わずフッと笑った。

「いや……アスパラガスはもういいよ。どうにも難しそうだ」

 首を傾げる少女の前で空を見上げて呟いてから、改めて少女に手を差し伸ばしてわたしは告げた。

「それよりなにか、腹に溜まるものでも探しに行こう」

 目を瞬いた少女が、やがて満面の笑みを浮かべた。

 

 




畝は中国で紀元前6世紀に発明され、ヨーロッパには1712年ごろに導入された技術であるらしい


【1712年】(゚ω゚ ) ?!!


     ( ゚ω゚ ) ……




まあ、似たようなものは在るやろ(震え声で
げ、原始的な類似品とか


なかったら、転生チートということで(震え声で



アスパラガス探索ダイス 低いと発見 3以下

96 (1D100)

31 (1D100)


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貧者のパン

 野原にやってきたわたしと少女は、恐らく7フィートはあろう植物の周囲を木製のシャベルで掘り続けていた。

 やがて、根っこまで完全に掘り返し、肩で息をしているわたしの前に、少女が泥だらけになって何かを差し出してきた。

 

 アンジェリカの根である。正確に言うなら、地球のアンジェリカに似ている花の根っこであった。アンジェリカとは、寒冷地に自生する巨大な草本植物で、その植生はアイスランド、ラップランド、グリーンランドにまで到達しており、根、茎、葉から種子に至るまでを食用、或いは薬用とすることの出来る有用な植物としてそれなりに有名である。ラップランドのサーミ人も、根を食用としており、また茎からはフルートを作り出している。十字軍の王2という北欧製ゲームでフィン族プレイのついでに知った雑学であった。

 

 ところで、アンジェリカの根は美味しいのだろうか?腹を空かせた少年少女は私たちだけではないのに、彼方此方に自生しているアンジェリカが見過ごされているところでお察しください。とは言え、やや苦味があるが柔らかな肉質はけして悪くない。偏屈で知られる村の老人が根を好んで食べていた。わたしたちがこの根を食べても死ぬことはあるまい。

 

 前日、彼方此方と野原を探し回ったお陰で、アスパラガスは見つからなかったものの、幾つかの食べられそうな植物に目星をつけられた。

 

 一口に近くの森と言っても、村から見渡す限りの四方が森林であった。僅かな草地を除けば、村は森に包囲されている。わたしを始めとして、村の西側に暮らす村人が普段うろついているのは、主に村から西の野原と北の森で、村近くでも慣れぬ場所に関しては、普段からほぼ踏み込まないようにしてきた。

 

 

 人の入らぬ森は、異界の気配を濃厚に漂わせている。見知らぬ森は尚更だった。少し奥まった箇所まで踏み込めば、連なる木立に見通しは利かず、空を見ようとも枝葉で遮られている。森は闇に包まれている。そして、森で迷えば、人は容易く死ぬ。

 北の森では、半刻(1時間)奥へと歩こうが戻ってこれた。見知った森であれば、栗など食べ物や木材の自生地、獣からの逃げ道やら水場まで熟知しているが、他の森では100を数える程度でも奥に踏み込んだら、生きて帰れる自信はなかった。

 そんな処では獣も遥かに恐い。北の森ならやり過ごす手段も経路もなんとか思い浮かびそうだが、獣の縄張りでは逃げ切れる気もしない。見知らぬ森はそれほどに危険で、村の周囲だけでも、森の全てを知り尽くすには何十年の歳月を費やしてもきっと足りない。

 

 だけど、春の今の時期。そして浅い部分に限れば、普段はあまり行かない森に行くのも悪くはなかった。雪解けの野原には武装した村の牧童たちがちらほらと見掛けられて、これが彼らが狼に太刀打ちできるかと言えば、怪しいところでもあったのだが、とは言え、草が青々と茂る春から夏に掛けての時期。他に丸々と太った兎や鹿などを獲物に期待できるとなれば、狼も手強い犬と人間に守られた羊を敢えて襲う気配は見せずに、為にわたしたちも、あくまですぐに逃げ帰れる場所に留まりつつだが、見知らぬ森を探すことで意外な実りを見つけられた。

 

 兎に角も、アンジェリカと、他に幾つかのアブラナと思しき植物を見つけたのは僥倖であった。

 果たして、このアブラナに似たアブラナもどきの根は食べられるだろうか?見た目だけなら、大根の親戚に見えなくもないのだが。それなりに美味そうですらある。見当はつかねど、村では豚が飼われてる。豚は雑食である。

 

 試しに与えてみれば、食べた。

 

 豚が食べるものならおおよそ人も食べられよう。しかし、水気がなく全然美味しくなかった。兎も角もアブラナの根も食べられた。食料確保である。

 

 自生していたアンジェリカとアブラナの根、そして農民の子にも調達できる僅かばかりの雑穀の粉を使い、いよいよ料理の時間である。作るのは、パンだ。

 

 

 さて、古来より欧州において主食として重視されていたパンであるが、基本的には保存食であり美味いものではない。特に麦パンなら兎も角、これから作る雑穀に木の実や根、幹まで混ぜたパンはけして旨いと言えるものではない。ないが、まあ、偶には悪くない。

 パンは、お粥に比して日持ちする。火種を作るのも、料理するのも大変な時代だからね。まとめて作るのが効率的なんだ。お粥のほうが美味しいのにパンが流行った理由である。

 

 まずは小川から水を汲んでくる。狼に襲われた記憶がまだ残っているのか、少しばかり少女も怯えていたが、大人の豚飼いや牧童らの移動に合わせることで清水を確保できた。わたし?勿論、平気だよ。と言いたかったが、少しだけ足が竦んだかな。

 井戸の水でも良かったのだが、春も終わりに近づいている。欧州で井戸水は飲むなとも聞くが、危ないのは基本夏で、寒冷な秋から春までは、まず大丈夫。夏場になると時折バクテリアが発生して井戸水が痛むことが在る。であれば、北の山麓からの雪解け水を使うべきだろう。折角のパンなのだ。できるだけ清潔な水がいい。

 

 釣瓶に水を運びつつ、何処で料理をするかと頭を絞る。安全なら、我が家の裏庭。他人の邪魔を拒むなら北の森の浅い場所。これにも色々と悩んだが結局、家の裏手であまり人が来ない空き地で作ることにした。

 

 少し起伏があって木々と茂みにも囲まれた他所から見えにくい隠れ家。ここなら炊煙も見えにくかろう。下の子と隣のエイリクなんかは、よくやってきたりするが、よその子はあんまり来ない。多分、わたしたち以外は誰も知らない。

 

 元々、村は丘陵地帯に建てられている。彼方此方に起伏の在る地形が残っているのは当然で、土塁めいた形の土手では、よく城塞に見立てて、子供たちが城攻めごっこやら、穴に入り込んではゴブリンごっこやらをしてる。

 ちなみに城という概念は、吟遊詩人の言葉に拠ってもたらされた。見たこともあるまいに、子供の想像力は凄いものだが、村長の館の延長を想像しているのだろうか。農民の子から見れば、あれも立派な城塞であった。

 

 さて、秘密の隠れ家へと少女を案内した。幸いというべきか、誰の姿もない。一度だけ見慣れぬ若い二人の男女が逢瀬しててびっくりした。その時は、何故かこちらが怒鳴られて拳骨食らった。なんと理不尽な若者たちか。まぁ、分からないでもないが苦い思い出である。ぼくたちの隠れ家とんないでよぉ!

 

 数日前から料理の準備だけはしてあった。積み上がるは、枯れ枝と薪の束。自分で採ってきたのだが、四方を森に囲まれていて薪には困らねど、金属の斧が未だ貴重品で、伐採と薪割りが重労働であることに変わりはない。纏まった薪を揃えるだけで、中々に苦労を強いられた。

 仮に他所の子に見つかったら、持っていかれるのは確実な不用心さで薪の束は放置してあった。持っていく子供も、言いつけられた薪集めを楽に済ませる事が出来た!なんて調子で、他人の物を盗ったという意識すらほぼあるまい。なので、普段から迂闊に秘密基地に置く訳にもいかない。勿論、盗みは許されないが、薪の山を誰の場所でもない共有地にずっと放置しておくような真似をすれば、盗られる方が悪いのである。

 

 

 雑穀に水分と切り刻んだ根を混ぜ合わせ、おやつの豆も投入。少女に捏ねるように頼む。ふんふんと鼻息も荒くうなりながら粉を捏ねている少女を他所に、わたしは火打ち石と藁屑で火を付ける。Cの形に盛り上げた土の上に、水洗いした平らな石を置いて、充分に熱したところで粉を垂らして円状に塗りつける。

 

 パンの種?村にもなくはないけど使わない。何日か放置したお粥が種になる。

 それを食べられるように焼いたら人類史上初のパンになったって寸法さ。村の昔話では、ズボラな農民が発明したとか言い伝えられている。

 

 竈代わりと言ってはなんだが、土器の壺を逆さにして被せる事で熱を逃さぬようにする。待つこと、農夫とトロルを歌う事2回。およそ3~4分くらい。少女と同時に歌い終わって、蓋代わりの壺を開けると、そこにはこんがりと焼けた見た目パンっぽいなにかが。

 わぁい。中世で言う貧民のパンだ。美味しそうだぞぉ(そんな筈はない)

 

 調味料は、ほんの僅かばかりのお酢と塩。贅沢だね。

 

 湯気を立ててる不味そうなパンをじっと見つめる少女。先に差し出すと、何も言わずに食べ始めた。無表情であった。何時もみたいに、はしゃぐ様子もない。わたしも焼けたパンを食べる事にする。やはり大して美味しくない。なんかボソボソしてる。大麦のお粥やら、麦のパンやらとは比べ物にならない。一つしかない木椀で代わる代わる余った水を飲みながら、無言で焼け上がったちょっと苦いパンを貪り続ける。

 

 僅かばかりのお酢と塩には、遂に出番はなかった。

 ゲフッと少女がゲップを洩らした。3枚目を食べ切って腹一杯になったらしい。動けない様子で膨れた下腹を撫でている。わたしは5枚目で入らなくなった。

 

 食べすぎたのか気分が悪い。ドテッと横になる。下の子たちに持ち帰る分を焼こうかと思うが億劫で動きたくない。なんとも気だるい気分だった。

 パンだねぇ。少女がつぶやいた。パンだな。言葉を返した。それだけでまた暫く沈黙した。

 恐らくは生まれてはじめて味わうであろう満腹感に身を浸しながら、わたしたちは、ただ空を見上げ続けていた。

 




じゃがいもが貧民のパンとか呼ばれてたらしいが、本物の貧民用レシピのパンも当然あった。

こんなものが貧民のパン?

明日、もう一度来て下さい、本当の貧民のパンをお見せしますよ


材料……木の根っこ、木の皮、豆、雑穀


フランスなどは食料供給は安定していて、貧民ですらたっぷりと黒麦パンを食べられた。上の貧民のパンは、普段は家畜に食べさせていた。


……中世は豊かな時代だった?(書いたり調べてるうちに頭がおかしくなってくる)


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空より

 春も終わりに差し掛かる頃、我が家の菜園もそれなりに形となっていた。

 畝の上に綺麗に並んでいる人参やキャベツの苗を眺めてみれば、達成感もひとしおに沸いてくる。風にそよぐ青々とした麦畑に比べても、やはり整った菜園は壮観だった。これから夏を経て、秋に収穫し、そのうち幾らかは交換し、幾らかは長い冬を越えるために保存する。常に心に伸し掛かってきた冬の重みが、今ばかりは少しだけ軽くなったように思えて、気が早いと知りつつも、今年の秋の収穫が楽しみであった。

 

 畝の形を整えながら、ふと両親についての想いが頭をよぎった。考えてみれば、年端も行かぬ小僧に、よくも好き勝手に菜園をいじらせてくれたものだ。物心ついた時より暇さえあれば手伝っていたとは言え、よくぞ信頼してくれた。

 なにくれとなく質問攻めする奇妙な子供であった。父は知らぬことに見栄を張らず、一緒にやってみようと試みる人であった。母は色々な話をしてくれた。

 手伝うさながら、対話を重ねられたとは言え、恵まれた家族であり、家族関係だとも思えた。これで多少なりとも日々の恩を返せただろうか。

 

 

 数日後の夜明け、わたしは怒りのままに咆哮しながら、薄明の菜園を駆け回っては棒を振り回していた。別に発狂したわけではない。他人が見れば、発狂したと取るかも知れないがべつにどう見られようが構わない。

 

 なんで鳥さん、人の育ててる人参食べるん?思わず幼子に退行して問いかけるも、ムクドリさんからの答えは返ってこない。此方の手の届かない距離に降りると、つぶらな瞳でじっとお野菜さんを見つめている。分かってるよ。お前のこと。俺が姿を消したら、すぐに菜園に舞い戻るんだろ?駆逐してやる。お前ら野鳥共を、絶対に!一匹残らず!怒りのあまり、血管が切れそうになる。

 

 ただ、野鳥を駆除したい、その一心であった。頑張ったのだ。しかし、頑張っただけだ。願望で終わってしまった。投げた石は見事に命中して、成長途上のキャベツを押し潰した。一羽も、捕れませんでしたぁ!笑えよ。

 

 農業をした人でなければ、この身を焼くような悔しさは理解できまい。想像してご覧?家族を食べさせる為、来る日も来る日も額に汗して頑張って水を撒いて、雑草抜いて、虫取って、1年以上も寝かせた堆肥を撒いて、土を耕して、ちょっとした畝まで作った。ほんとに大変だった。まあ、畝といってもちょっと土を盛り上げただけだけど。それを空から鳥が舞い降りてきて、お、こんなところに野菜が生えてるやんけ。ちょっと摘んだろ、うまぁ……ムクドリこそ邪悪と欲望の化身。よく分かんだね。

 

 怒りに任せて石礫を放ったが、そうそう当たるものではない。憎きムクドリめは、せせら笑うように鳴き声を上げながら飛び去った。神様に射撃チートもらったら、世の全ての鳥を絶滅させていた処だった。運が良かったな!俺にチートが無くて。

 

 まさか、ムクドリに生活を脅かされる日が来ようとは。菜園を大きくした弊害だろうか。連中、明らかに裏庭に狙いを定めてやがる。まさか、ムクドリネットワークとかあって、あっちの家の人参は拙い。あそこのうちのキャベツは美味しいよ。わあ、それならあたしも行ってみようかしらん、とかおしゃべりしてるんではなかろうな。

 くそ、ムクドリたちめ。俺がなにをしたっていうんだよぉ。やめたげてよぉ。キャベツさんが死んじゃうよぉ!十歳の子の無垢な叫びは、一向に鳥類に聞き入れられることはなかった。

 

 

 おかしい。明らかにうちに……うちの野菜が狙われてる。なんぜ?FXで溶ける、全てが……みたいな顔してたら、気の毒に思ったのか。たまには遊んできなさい、言いながら父に外へと放り出された。

 

 そうした訳で、いきなり朝から暇である。畑仕事を涼しい午前のうちに済ませるのが我が家の流儀であるので、遊ぶのはいつも午後からであった。他の家とて似たようなものだろうが、顔見知りに会えないか気ままに村をぶらぶらしていたら、約束もしてないのに土手の上に少女が現れた。

 愛かよ。

 

 わたしを視認した瞬間、土手を駆け下りて突っ込んで来た少女を抱き止めると、勢い余ってくるくると回転する。受け止めなかったら怪我したんじゃないか。信頼が深すぎてちょっと恐い。犬のように匂いをふんすふんすと嗅ぎあっていると、井戸へと向かう途中なのか。洗濯物を抱えた村の姉さんたちが笑い声を上げながら通り過ぎていった。

 

 ところで、なんで、他の家の野菜は狙わないで、うちの野菜に群がるの?、他の家なにやらムクドリ対策でもやってるのかしらん?

 

 暇にあかして、他所の家の菜園を観察させてもらうとキャベツがしおれていた。否、しおれたキャベツを育ててた。あからさまに水が足らない。遠目だが、土の具合もなんとなくよろしくない感じを受けた。多分、堆肥は殆んど使ってないんじゃないかな。畝もなければ、整然と列となってる訳でもない。無秩序に穴掘って種を植えた感。うちの野菜よりだいぶ手を抜いてるようだ。食えりゃあいいんだよ!って感じである。

 

 誤解しないで欲しい。手を抜いたとしても、野菜は所詮、副菜で主食には成りえない。キャベツをいくら真面目に作っても、麦が不作だったら餓えて死ぬ。

 そして農作物の出来不出来は、現代ですら、その年の気象に大きく左右されている。努力はけして無駄ではないけれど、同時に人力ではどうしようもない側面が農業には確かにあった。作物の出来を粘土や亀の甲羅を焼いて占う卜占も、湿気や温度で微妙に割れ方が異なったりする。現代人は迷信と呼ぶが、自然の微細な徴候を読み取れる繊細な感受性の持ち主を、古代人は霊感と言い、巫女と呼んでいたのかも知れない。

 

 だから、野菜づくりに手を抜いていたとて、必ずしも怠惰とは言えないし限らない。まあ、紛れもない怠け者も村には幾人かいるけど、それも生き方だろう。あまり近づかないようにしてる。軽蔑してる訳じゃないよ。

 

 兎にも角にも、ムクドリさんが我が家の裏庭を襲う理由はなんとなく了解した。そっかぁ、うちの野菜美味しいんだ。見る目あるじゃんか。鳥頭のくせに。とは言え、ムクドリは滅びるべきである。

「ところで目玉焼き食べたくない?」

「食べゆぅうう!」少女が叫んだ。

 

 午前中の狩りの成果は上々で、青々とした不気味な卵が10と3つ。ムクドリは、かなり多くの卵を生む。それと雛を8羽ばかり捕まえた。

 

 ムクドリは、春から夏に掛けて繁殖する。まさしく今の時期であった。そして連中の帰巣する位置と方角には、既に見当がついている。村の概要図と各戸の位置を記した粘土板に、ムクドリの姿を見掛けた方角を重ね合わせるだけですんだ。

 村内の木や岩、家屋など、必要な目印は既に割り当ててあるから、村内。少なくとも近隣に設けられた巣のおおよその場所を割り出すのは比較的に簡単であった。兎も角、近所のムクドリの巣の排除は時間の問題だと見込んでいる。虫を食べるから全ては間引かないし、間引けるとも思わないが、鳥害も多少はマシになるだろう。ならなければ順次、遠い巣も間引くだけだが。文字が書けないからと言って、農民の子供も馬鹿ではないのだ。

 

 家への帰り道。丁度、山羊を連れていたエイリクと遭遇。交渉の末、卵4個と壺半分の山羊の乳を交換する。ちゃんとお袋さんに届けろよ。一人で喰うなよ?念を入れて釘を刺す。よだれを垂らしながら、エイリクはうなずいた。これがベリーなどであれば、なにを言おうが家に持ち帰るまでに消滅してるのは間違いないが、今日の手土産は焼かないと食べられない卵であった。サルモネラ菌は80度で死ぬ。そしてエイリクに、目玉焼きなどと言った料理を作ろうと考える脳みそが在るかは、怪しいところであった。恐らく卵は無事に届くであろう。うちに持ち帰る分も十個ばかり在る。下の子たちも喜ぶだろう。

 

 昼食時の我が家へ少女を連れ帰って、下の子らとも引き合わせる。

 少女に向けて誰だ、こいつ、みたいな視線を向けていた下の子たちも、膨大な戦利品を目の前にすれば、秒速で破顔した。卵!卵ぉ!と酔っ払った犬みたいに部屋を跳び回っている。不審者の存在は脳裏から吹っ飛んだらしい。焼き鳥もあるぞ!ひなだから軟骨が美味しいんだ。

 

 母の横に並んで、料理を手伝いながら、ムクドリさんの歌を歌う。

 

 酷いよ、ムクドリさん。汗を垂らした野菜を食べないで。

 ごめんなさい。農民さん。お詫びにわたしの家に案内します。

 さあ、ひなをご馳走。卵もあります。さあ、たくさん食べて元気をだして。

 そういうことなら承知した。わしの野菜を齧ってもいいよ。

 ムクドリさん、わっはっは。農民さん。わっはっは。

 

 即興の歌だったが、下の子たちは気に入ったようだ。巣を全滅させれば溜飲も多少は下がる。ちょっと寛大な気持ちになってムクドリを許す気分も湧いてきた。まあ、お互い様の気持ちってのは大事だよ。怒ってばかりだとストレスも溜まって、心にも体にも良くないからね。

 

 焼いた雛に塩を擦り込んだ焼き鳥を食べた少女が言葉を失って静止した。そんなに美味いか?いつか、豚肉を喰わせてやりたい。春と夏の間は、卵焼きと焼鳥食べさせてやるからな。覚悟しろよ。

 

 ともあれ、ムクドリは滅びるべきである。

 

 

 




 調べると、ヨーロッパだけでも降雨量は大きく異なっている。

 南欧 夏は雨が少なく、冬は雨が多い。季節の変化が大きい。
 北欧 一年通して雨が多い。     夏は雨が多く冬は少ない。
 東欧 一年通して雨が少ない。沿岸部は除く。夏は雨が多く冬は少ない。
 西欧 一年通して雨が振る。     季節の変化が少ない。

 気候と植生の辻褄を合わせると、
 イングランドから西欧北部に近い気候の沿岸部
 →中欧から東欧めいた内陸部。ということになった。

 お、フィンランドに近い土地かな。
 なんとかなるやろ。わいはムーミン好きやからな。(お目々グルグル

 いざとなったら「異世界ですから」で逃げるんだぞ


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狩りの仲間_前編(なお後編はない

今回はあまり気持ちのいい話ではないかも知れない


 村での時刻は朝、昼、晩の3時間に区切られている。

 他所との交流もない辺土での暮らしには、それで充分に満ち足りていた。

 誰かに仕事を頼むにも何日掛かるかはおおよそだし、人に会うにも村内の誰かであるから、時間を刻む必要はない。

 なにもかもが、ゆっくりと流れている。

 

 そもそも正確な時刻など、村の誰にも必要とされてない。にも拘らず、わたしが日時計を作ったのは、時刻を欲したからと言うよりも、不正確であっても、まずは方角を知りたかったからである。

 

 野原に小さな柱を建てるのだけで2年掛かった。日時計にするべく入念に仕上げた柱を、村内の知らないおっさんが勝手に持っていたのだ。

 中世で子供に人権はない。知ってた。

 

 人が表面を削り終わって満足している所に通りがかった謎のおっさんは、家を建てるのに必要だとか、助け合いだとか諭すような口調でほざきながら、泣きじゃくる子供を無理に引き剥がすと、表面を艶々に仕上げたばかりの柱を担いで持って行きやがった。 石鑿だけで削るのにどれほど掛かったと思ってやがる。畜生、俺の柱……今は、もう、村の何処かで見知らぬおっさんの家の一部になっちまったんだろうな。寝取られた気分!中世最初の洗礼であった。それ以来、わたしも価値のあるものは見せびらかさないよう、用心深く振る舞うようにはなった。

 

 

 兎も角、家の近くの小さな丘の頂きに小さな柱を建てると、まずは次の日の早朝。日の出の方角へと石を置き、それから四方へと順に石を配置した。

 起点となる季節?多分、夏だったと思うけど覚えてない。仕方ないんや。作った時は、半分以上が幼児の脳みそだったんだもん。

 ともあれ、これでおおよそ東西南北の基準が出来た。一日を八時間や十六時間に区切るのも簡単だったが、わたしだけが使っても意味もない。

 しかし、32時間に区切ると1時間が短すぎるし、16時間に区切ると長すぎる。24時間が丁度いいのだが益々、地球めいてきた。

 過去か未来の地球だな、間違いないぞ(確信

 

 それにしても村内に日時計無いのもおかしいと思う。村から旅に出る時、太陽の出る方角を目印にするだけでは不安だろうに。それとも道標や街道が在るんだろうか?

 

 閑話休題。方角が分かった後は、直角三角形と結び目の在る縄を使って、村の建物やら地形やらのおおよその位置を計測してみた。

 と言っても、実際は多分に目測も含まれた、かなりいい加減な代物である。普段は畑を手伝うし、暇な時はわたしだって遊ぶし、北の森の探索やら、畑の収穫量の記録に、それと粘土板も貴重品ではないにしろ結構、嵩張っている。

 それでも一応、見てみれば、地図らしい形にはなっている。

 

 わたしが刻み込んだ地図を覗き込んだ父は、感心した様子でうなずいていたが、村には似たような感じに、畑ごとの収穫量や作付の記録を取って比較しようと親に訴え、なぜか分からんが、拳で気絶するほどぶん殴られた子もいたりする。

 蛮族かよ。親の当たり外れは、現代でも人生を左右するんですよ。此処は現代じゃなりません。中世の村社会です。

 

 

 前世知識のお残りがあるわたしなどと違って、真っ白な脳みそで思いついたのだから、多分、それなりに頭の良かった子なのだろう。

 あまり殴られ過ぎたのか、今は受け答えも変になって白痴っぽくなってしまったが、幼い頃は本当に賢い感じの子供だった。

 もっとも、その子の両親は、我が子が真っ当な働き者に生まれ変わったと喜んでいたが。四六時中よだれ垂らして、常に無言で言われたとおりに動くだけの生き物が真っ当な働き者ですか。初期のゾンビ映画かな?此処はファンタジーだった?

 流石にそんな親は他にいないと思いたいです。かなり手を出すエイリクの親父ですら、顔を顰めて首を振ってたし、うちの父なんて初めて見る恐い顔でじっと折檻を睨んでた。母が腕を掴んでなかったら、割り込んでいたかも知れない。

 その子とその狂った家族に関しては、もう何も言いたくない。近所でも腫れ物扱いだし、正直、関わりたくもない。

 ただ、或いは死が四六時中、傍らに転がっている世界では、誰もが何処か狂っても不思議はないのだろうか。

 

 兎も角、遅々として進まなかった製図だが、ちょくちょく粘土版を刻んで、一応は、我が家を起点に西の主要な家屋と近隣のおおまかな地形をおおよそ網羅した。

 

 正直言えば、地図を価値の分からん人間。つまり父以外の大半の村人(偏見 やら、特に他の子供なんかには見せたくなかった。乾燥した粘土板だから落としたら割れてしまう。にも拘らず、我が叡智を秘匿する賢者の塔、と妄想してる納屋に他者を招き入れ、地図を見せざるを得なくなったのは、地理に関する共有が狩りの同行者に必要不可欠であり、もっと言うならば、我が不覚ゆえの自業自得であった。

 目を輝かせて地図を指でなぞっている彼奴を見ながら、それにしても地図の予備くらいは作っておけばよかったと後悔しきりである。

 

 

 その日の早朝であった。井戸の傍で水汲みに順番待ちをしていると、忌まわしき彼奴が語りかけてきたのだ。

「貴殿、肉を喰っているな」

 囁くような小声ではあったが、いかにも自信ありげな断定口調に、まったく動揺しなかったかと言われれば嘘になる。とは言え、わたしとて、驚きを素直に表に出すほど素朴な人間ではない。

「……あんだって?」

 口を半開きにしながら精々、愚鈍そうな態度で聞き返してみる。

「肉だよ」

「にくぅ?」

「おうとも。肉だ。喰ってるだろう?」質問者は、いかにも執拗だった。

 何処から洩れた?下の子たちか?他の子に兄の狩りを自慢した?

 だけど、あの子たちだって、狩りの場所の重要性は知っている。

 秘密が漏れれば、競争者が増えることは承知しているはず。

 腹を減らすような真似をするか?或いは、少女か?もっと有り得ないように思える。だが、3人共にまだ子供だ。迂闊に口を滑らせることがないとは言い切れない。

 

 確信有りげな言い方の質問者に、何処まで嗅ぎつけたか。推し量りながら、取り敢えずは誤魔化す方向で言辞を弄することにした。

「……肉、喰いてぇな。腹減ってきたよ」

「食えばよかろう。丸々太った蛙の串焼きとムクドリの雛。貴君の好物ではないか」

 空っ恍けるのは難しいか?ある程度の確証は得ているようだが……事実を認めながら、狩りの成果を矮小化する事にした。

 

「偶々にゃ……この間は、運が良かったで。今は中々、見つからんち」

 お裾分け出来るほどの量ではございませんよ。と、言外にそう告げた。

 どうせ吟遊詩人に影響を受けた程度であろうが、エイリクめ。ここ最近は、妙に物々しく、気取った言い回しをする時があった。完全に英雄物語の登場人物に成りきってやがる。

 まあ、こいつも確か十二歳。そろそろ邪気眼が疼き始める年齢だ。

 とは言え、言葉遣いを変えて知性が育まれるなら誰も苦労はしない。

 

 厄介なやつに嗅ぎつけられたか。内心、苦々しく思いつつも、まあ、所詮エイリク。そう侮る気持ちもないではなかった。この瞬間までは。

「ふぅん。知ってるだけで蛙の串焼きが7度、椋鳥の雛は9回……偶々にしてはいい腕だな」

 動揺を完全に隠し切る事は出来なかった。わたしの頬が微かに痙攣したのを、エイリクが目を細めて注視している。

 

 なんと……どうやら、完全に確証を掴まれていたようだ。しかし、どうやって?いや、ハッタリかも知れない。こいつが何処まで知ってるかが重要……いや、本当にそうか?

 表情一つ動かさずに精々、阿呆っぽくみえるように間抜けな笑みを浮かべる。

「あぁ~~、運良かったで、いひひ」

「ふぅむ、そらっ惚けるのだな」

 まあ、思ったより抜け目なかった幼馴染には多少、驚いた。人間は成長するものだな。英雄物語の人物になりきってるうちに機知や機転、多少の弁舌まで身についたようだ。しかし、それが何だというのだ?

 どうせ分け前を寄越せ、云々、意地汚い要求するつもりだろうが、わたしには何一つ後ろ暗い事などない。

 それで?だからどうした?狩りをして、ささやかな成果を得た、それだけである。

 エイリクがなにを言い張ろうが、譲るいわれなど欠片もない。

 

 

 相手の掴んでいる情報を何通りか想定し、質疑応答の流れとそれに伴う取捨選択を脳裏で整理しながら、なんと言われようが譲歩する必要はない。そう結論し、高を括った瞬間、エイリクが叫んだ。

「おぉい!腹ペコぉ!」近くの村道で遊んでいた頭の悪そうな小僧の一人を呼び寄せようとした。

「なんだよぉ」野太い声が応じた。

「こっちへ来い」とエイリク。

「どうしてだよ。イヤだよぉ」面倒くさそうな弱々しい返答をエイリクが怒鳴りつける。

「いいから来い!来ないと大変なことになるぞ!」

 物持ちの親父が家人に差配するのを幼少から見てきたからか、脅かし付けるエイリクの言葉に、小僧は渋々と従った。

 

 

 鼻水を垂らし、土煙を巻き上げながら、どたどたと駆け寄ってくる彼奴こそは、村に知らぬ者のいない『腹ペコ』。収穫祭の日、子供用の焼立てパン十人前を一人で食べ尽くした伝説の胃袋の持ち主だ。飢饉の際には、真っ先に森に捨てられてもおかしくない男として名を馳せている。

 

「ちょっ……おまっ!」

 袖を握る。腹ペコは洒落にならない。見ての通りに意地汚いのだ。他人が美味そうな物を食べてるとじっと見つめて、食う気がなくなる。他所で食おうとすれば、何処までも追いかけ回してくるし、仕方がないので食べてしまうと今度は大泣きして、こいつを溺愛している母親が、目の前で食べるとは何事だ!うちの子に意地悪するな!と怒鳴り込んでくる寸法だった。

 自分のものと他人の食べ物の区別がつかないモンスターを召喚したエイリクが、耳元で囁いた。

「あいつが知ったら、お前の後を付いて回るぞ。落ち落ち、彼女と逢瀬も出来ないな」

「お前、つい先日までもっと馬鹿だったろう?犬と骨を取り合ってたくせになにがあったんだよ」

「なんだとぉ」

 驚愕のあまりに突っ込むと、エイリク。一瞬、素に戻った

 

「……なにが望みだ」

 押し殺すようにわたしは尋ねた。

 彼奴は真顔で一言。肉。とだけ告げた。

 わたしはあからさまに舌打ちしてみせた。

「……お前の家には、鶏だって飼っているし、山羊だっているだろ」

「あれは親父のだ。俺の肉じゃない。それに滅多に食える訳でなし」

 歯軋りしつつ、しかし、脅しに屈するしか道は残されてないように思えた。

「……いくら欲しい。言ってみろ」

「上前撥ねようって訳じゃない」

 言いながら、エイリクは平然と真の要求を突きつけてきた。

「狩りに連れてけ」

 こいつ、狩場を奪うつもりか。カッと頭に血が昇った。

「……この薄汚い鼠野郎。騎士気取りの、寝小便垂れの……よくも、よくも……」

 頭に血が上っていてよく覚えてないが、その時のわたしは相当、口汚く罵っていたと思う。

「そう腹を立てるな。俺は役に立つし、犬だって連れて行く」

 損はさせない、などとほざいていたが、口だけならなんとでも言える。

 脅迫者の言など何処まで本当か、怪しいものだった。

 だが、やつは勝ったことを知っていた。それは間違いない。

 寛大な気分にもなれただろう。罵倒を受け流すと、にやり、と告げてきた。

「否か、応か」

 腹ペコのやつが、まるで地獄の入り口のように近くまで来ていた。

 腹ペコの阿呆面とエイリクの小憎たらしい笑顔を見比べてから、わたしは、呻くように答えを口にした。毎年、巣の場所が変わるとは言え、目星をつけていた狩場も幾らかは教えざるを得まい。

 

 

「……なんだよぉ」やがて、汗を掻きながらやってきた『腹ペコ』に、エイリクは済ました顔でこう告げた。

「お前、鶏のエサにしておいた雑穀、喰っただろう。親父さんが薪ざっぽう片手に探し回ってたぞ」

 ひぃ、と肥満した少年が顔を引き攣らせた。

「腹が減ってたんだよぉ」

 ブツブツ言いながら逃げ出した腹ペコを見送りながら、エイリクに問いかけた。

「今の話、本当か?」

「あいつにとっては、何時ものことさ」奴は澄まして言った。

 

 そうした理由で、わたしは奸智に長けたエイリクめと狩りに出ることになった。

 奴めを侮っていた。いや、甘く見ていたのは、奴の肉への執着か。

「さあ、一緒に狩りに出ようじゃないか、我が友よ。うん?」

 中世農村の、現実と空想の区別が付くかも怪しい子に屈せざるを得ないとは、返す返すも無念である。

 

 




 中世農村の十二歳にやり込められる転生者。恥辱の極み。




 次回も、どうなるかは、ダイス次第。
 


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密かな猟

 幸いというべきか、エイリクは口先だけの悪餓鬼ではなかった。

 運動神経もよく木登りも得意で、何より犬を連れていたのが大きい。

 

 以前にも、狩りに人手を連れてくることは考えた。だが、駄目だ。

 大半の子供は森に来ると、はしゃいで勝手に動き回るんだよなぁ。

 

 森で働く時に備えて、大人に引率された際の記憶を思い返しても、頼りになりそうな奴はろくに思い当たらなかった。季節の味覚を採りに来たはずが、何故かわたしまで駆け回る子供の面倒を見る羽目になったのを覚えている。

 

 お前ら、何時でも来れるだろ、と言い聞かせても無駄であった。奴らの脳みそには、目先の利益やその瞬間の楽しみしかインストールされてないのだ。冷静な一握りの子は大抵、大きめの家の子か、狩人一家なりで幼少から英才教育か、または、かなりの年上で、いずれも主導権を奪われかねない。

 

 当たり前の話だが通常、子供だけ森に入るのは禁じられているし、かつ、腹を空かせている子供はわたしや少女だけではなかった。と言うより収穫前の時節は、自由農民だろうが、分限者の家だろうが、村の子は誰もが空きっ腹を抱えている。それなりの家であるエイリクすら、肉欲しさに危険を侵そうとする程だ。

 

 日に数回摂っている軽食も、空腹を紛らわせる為の物でしかなく、腹を満たすには到底足りなかった。足りない栄養を狩りで補おうとの考えに到るのは、むしろ自然な帰結であろう。薪集めなどのついで、野鳥の卵を探すのなどは可愛い方で、どれだけの村の子が大人の目を盗んで森に忍び込んでいるかは知らねど、十や二十では効かないだろうとは見当がついている。

 

 とは言え、誰がどれ程に成果を上げているかはまるで分からない。時折、獲物の分配を巡っての仲間割れやら、餓鬼大将が上前を撥ねようとしたやらで、子供の間で喧嘩が起きた挙げ句に、大人に掴まる事例も侭あったのだ。

 

 だから、仲間を作ることに対して少なくない忌避感も抱いていたし、迂闊な相手とつるまずに、働き者の孝行息子としての評判を獲得しつつ、独りで森を探索していたのだ。べ、別にわたしがボッチとか、そういう訳じゃねえからよ。

 確かに独りでは出来ない事や踏み込めない場所もあって、気が進まないにしろ、エイリクが使い物になるのかと言う若干の危惧は、しかし、いい意味で裏切られた。

 

 過去の印象と異なり、幼馴染は意外にも冷静だった。骨惜しみせず動き、必要なら沈黙を守り、事前の質問は多いが、狩りの最中は無駄口を叩かずに指示に従った。最初の駆け引きで脅迫してきたのは無論、気に食わないが、思っていたよりは頼りになるようだ。少なくとも、他の子供を連れてくるよりはずっとマシなのだろう。

 

 そうして初日の成果は、卵13と雛9羽。私たちは計画通りにムクドリが棲むと思しき木立を探索し、午前中だけで5つの巣を見つけ出した。巣立ちの季節に近付いているのだろうか。初期よりも雛が孵っている割合がやや増えているのが気がかりではあった。ムクドリの繁殖期が終わりを告げるまでに、出来るだけ稼いでおきたいところだ。肉も、卵も、保存が利くものではないし、かと言って村での交換も難しいのが悩ましいところだが。

 

 契約は納屋で取り交わした。取り分は六四、わたしが六でやつが四。

「六:四?」不満げに鼻を鳴らすエイリクに、わたしは手を振って告げた。

「不満なら、この話は無しだ」

 強気は崩さない。ある意味、これから先の互いの力関係がこの交渉で決まるだろうという予感もあった。相棒となる人物がどの程度に考えているか、対話を通して互いに推し量っている。奴は犬を連れている事での安全の確保を訴えたが、わたしは数年間に渡る動植物の観察記録と狩場の位置、そして精確な地図の価値に関して譲らなかった。

 

 準備は入念に行う。出かける前には必ず打ち合わせする。狩りの間は指示に従う。目の前に美味そうな獲物がいても、危険だと思ったり、時刻が過ぎたら直ぐに引き返す。

 互いに語彙は少ないにしても、取り敢えず意味も通じた。提示した条件をエイリクは了解した。安全を確保するという鉄則を理解できる脳みその持ち主なら了承するべき条件であるから、これはそう意外ではなかった。当たり前の事つらつらと思うかも知れないが、その当たり前を理解できそうにない人間も、中世農村には案外、転がっているものなのだ。

 

 条件はもう一つ。どれだけ獲物が採れようが、或いはどれだけ採れなくても、片方だけが上首尾で、もう一人が空振りに終わっても、獲物は全て契約通りに分配する。そう告げる。

「片方が空振りに終わる日も、不調が続く日だって来るかも知れない。そういう時期が続いて、揉めてもつまらない。なので、予め言っておく。狩りの獲物は全てその日のうちに六:四で分ける」

「異論はない」

 ごねるかと思ったが、腕組みをしながらエイリクはそう呟いた。

 或いは、不満を覚えるなり、ノウハウと狩場を覚えるなりしたら、単独行動するか、別の相棒を探すつもりかも知れない。取り敢えず、エイリクは条件をすんなりと呑んだ。

 好ましくはないが、それはそれで構わない。わたしとしても、今年の冬さえ凌げれば、他に打てる手が無いわけでもないのだ。

 

 打ち合わせたのは向かう場所、必要な持ち物、狙う獲物、予定する時間。気づいたことに関しては互いに発言し、重要そうなら粘土板に絵文字で残しておく。(エイリクもわたしも文字を知らないのだ)

 わたしは手のひらにつばを吐いた。エイリクも自分の手のひらにつばを吐き、私たちは歯を剥き出しにしながら固い握手を交わした。そうして契約は成立した。

 

 

 

 犬を連れた私たちは、まずは手軽な近所の茂みや雑木林を廻ってから、西の森へと踏み込んだ。そうしてそこで手つかずのどんぐりや木の実、ムクドリの巣などを思う存分に収穫して廻った。ムクドリの巣は収穫されるべきものなんだよ。やがて季節が来れば、野生の果実やベリー、茸なども手に入るに違いない。

 

 ちなみに西の森は、狼が出没した場所でもある。六尺棒を背負った童二人に犬が一匹。狼、なにするものぞ。と思い上がった訳ではないが春のこの時期、後背の野原には武装した牧童たちが見掛けられた。大人の集団に対しては、狼も警戒するだろう。牧童のいる時間帯と場所を把握し、一気に駆け戻れる森の境界を見定めて慎重に行動すれば、狼とて凌ぎきれないものでもない。或いは、そう考えたいだけの願望かも知れないが。自分の思考や準備には意味があると思いたいだけの浅慮な子供かも知れない。もっと踏み込んでも生き残るかも知れないし、浅いところでもあっさりと死ぬかも知れない。人が小賢しい智慧でいくら計画を練り、予行演習を行おうが、究極的には運不運に集約されてしまう部分はあった。

 

 それでも、狼は恐ろしい。見つからないように幾度となく打ち合わせた。エイリクも、狼に対しては見栄を張ろうとしなかった。真剣に考えようが、死ぬ時は死ぬだろうが。備えは無駄ではないと、わたしもエイリクも信じたがっていた。

 

 夜の静寂を切り裂いて、彼方から響いてくる遠吠えが、森は人の領域ではないと夜な夜なに告げてくる。

 

 村は、柵に守られている。それでも村人は夜には出歩かない。春先や秋の月明かりの下、若い恋人たちが逢瀬の為、出歩く影だけを遠目の耕地に見掛けた事はあったけれども、それとて滅多に目にするものでもなく、出歯亀の趣味とてないので夜の小便を済ませた後には、わたしもさっさと家に戻ったものだ。

 

 人は脆弱な生き物に過ぎない。頼りない貧弱な柵を張り巡らせて、身を寄せ合って暮らしている。時に腹を空かせた狼は、防柵の目と鼻の先にも出没した。狂ったイノシシが柵を破って畑を暴走した日もあった。村内ですら、必ずしも安全とは言い切れない。それでも、広大な森を異界と見做して人が踏み込まない時代であれば、狼が村に入り込んで襲ってきた事例も、殆んど聞かないのも事実だった。

 

 兎に角、用心には用心を重ねた。子供と犬では、狼の群れには歯が立たない。しかし、同時に空腹感やら冒険心やらがどうしようもなく私たちを動かしていた。

 

 今まで恐くて近づかなかった西の森へと踏み込んで、一日に2時間から3時間。もっといけそうな時も、空振りの時もそれで引き上げた。現状、滅多に村人の姿を見ることはない。村の四方に豊かに森は広がっているが、しかし安全が確保された領域は、意外なほど狭かった。

 

 近隣の村人が訪れるのは大抵、北の森の一部で、どんぐりや薪、木材を調達している。東側の村人はあまり見掛けないが、また別の場所を縄張りにしているのかも知れない。

 いずれにしても、大半の村人は、用がなければ森には踏み込まなかった。

 

 西の森への途上では、人目を避ける様にはしていたが、ある程度は、畑仕事を行う村人たちにも視認されていたと思う。

 早朝ならば、薪集めなり、木の実拾いなりと遠出を誤魔化せても、長時間を森に入り浸れば必ず注目を引く。幾度も正午に帰還していれば、なにをしているんだと怪訝に思う大人が出るに違いない。

 それに、あまりに獲物を沢山採れば、村に帰っても他の子供に目をつけられかねない。自分で見つけた美味い狩場に、これ以上、他の人間を引き入れてもつまらなかった。

 

 そうした人間関係やら他者の動向に関しても、エイリクとは話し合った。

 時には、狩りをする時間よりも、対話の時間のほうが長くなった程だが、奴は納得した。少なくとも表面上は納得したようにわたしに見せた。他人の腹の中など分かるはずもないが深々と頷いて、空振りの日にも文句を言わずに撤収する態度からは、狩りの方針がおおよそ一致していると判断しても間違いではないと思えた。即ち、出来る限り長期的に狩場を独占したい。だ。

 

 

 木こりや牧童と思しき大人の姿は時折、ちらほらと見かけれた。視認されたとは限らないが、その後は必ず経路を変えたし、時に、近場の森で、大人しく薪やらどんぐりを集めて持ち帰る姿を見せもした。

 

 競争者となり得る村人の目を誤魔化す為だが、それは同時に、仮にわたしたちが西の森で遭難しても助けが来ない危険性も生み出してもいた。

 しかし、その点、打てるだけの手を打って、なお遭難した場合、多分に手遅れに違いあるまいとエイリクとわたしで結論は一致していた。

 

 自己保存と利益に関して、どちらに対しても万全な方策は思いつかなかった。幾度か話し合いを重ねた末に見出した利益と安全の妥協点に、わたしたちは。少なくともわたしは満足していたし、エイリクも腹の中は兎も角、表面上は満足しているように見せていた。

 

 

 狼の次に恐れていた他の子供だが、滅多に見掛けなかった。人の手の入っている北の森なら兎も角、西の森や南の森へと忍び込んでいる、しかも常習犯の悪童など、恐らく村でも、両手の指に足りない程しかいないではないか。

 西の森の途上、ごく稀にだが、遠目に動くそれらしき少数の小柄な影を見掛けたが、向こうも此方も敢えて近づかずに、人目を避けるようにコソコソと動いていた。顔を知られる面倒を嫌ったのは、あちらも同じだったのだろうか。

 

 これ見よがしに、森に入ったと自慢する不良青年たちではなく、きっと私たちと同じ、目端が利いて腹を空かせている少年少女の一団なのだろう。

 

 恐らく大半の子供は、手近な森の浅いところを巡っているに違いない。時には冒険を試みる不慣れな新参者が西の森に見掛けられたが、私たちはそんな闖入者の視線を慎重に避けるように経路を辿っていた。

 しかし、わたしたちの戦利品を知れば、真似する子供が必ず出てくる。それも私たちほどには準備も計画も練らないままに、狼が出没する西の森に乗り込んで来るだろう。そして向こう見ずな犠牲が一人、二人なら兎も角、連続して出るようになれば、流石に出入りも厳しく禁止されるに違いなかった。

 

 今の処は、エイリクも沈黙の約定をよく守っている。時折の狩りだけで、家族と少女に与えるに充分な肉と卵が入手できた。少なくとも、春の終わりまでは、全てが順調に進んでいた。

 

 




不穏な終わり方のモノローグやめちくり~




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犬子犬

 口内炎で更新遅れた。
 全然大した事ないんやが、文章書くのに集中できん程度の痛みで



 或る日の午前、西の森と草原の境界。

 わたしとエイリクは、地面に小枝と藁を積んでいた。

 これも森で見つけた火打ち石を使って、火花を散らして火種を大きくしていく。

 燃料となる薪は、森にやって来るたびに少しずつ集めて決めた茂みに蓄積していたものがある。狩りの際にちょっとした楽しみに用いてもよし。何かあった際は冬の薪にも転用できる。

 

 ひな鳥の肉が香ばしい香りを放ち始めた頃、わたしは相棒に呼びかけた。

「親父さんに話は通してくれたかね?」

 ひな鳥に手を伸ばしながら、エイリクが応える。

「一応な。だが、決めるのは親父だ」

「分かってる。話す機会をもらっただけで充分だ」

 森から少し離れた落葉樹の幹に寄りかかったわたしは、目を閉じてプリムラの花束の匂いを嗅いだ。

「また、女への贈り物か」

 焼き鳥を咀嚼しながら、エイリクが鼻を鳴らす。

「お前なら、他にもっと顔のいい……」

 無言でじっと見つめると、エイリクは口を閉じて手のひらを振った。エイリクは早熟なようだった。しかし、十歳と十二歳の会話ではないかも知れん。

 

 二匹目の皮を毟り、木に突き刺して焼いていると、対面のエイリクが草原の明後日に視線を転じていた。

 なにを見てるかと思えば、草原で飛び跳ねている兎だった。

「兎、か」

 一応、縄と布で作った投石器を携帯しているが、晩のおかずに転生してもらうには少しばかり距離が遠すぎた。

「美味そうだな。見ろよ、あの足」

 羊の胃袋の水筒を傾けたエイリクが、口元を拭いながら兎を熱っぽい目で見ている。

「もうムクドリに飽きたか?贅沢なやつだな」

 羊胃水筒を受け取りながら、わたしは鼻を鳴らした。

「ムクドリよりは食いではある」

 そう言って、エイリクは食べ終わったばかりのムクドリの骨を地面に吐き捨てた。

 

「巣立ちしてない雛鳥を掴まえるよりは難しいだろうな」

 わたしが淡々と告げると、苦い顔でエイリクは舌打ちする。

 エイリクの表情を見て、わたしは言葉を続けた。

「その顔は、もう試したか?」

「風早も、もう年寄りだからな」

 エイリクが吐き捨てるように言うと、傍らにいた犬が呼ばれたと思ったのか、のそりと身を起こした。

 風早は、エイリクの犬の名前だ。元々は違う名前だったが、吟遊で語られていた本家英雄エイリクの愛馬の名をエイリクのやつが気に入って自分の犬をそう呼び始めた。可哀想に、急に名前が変わって相当に混乱しただろう。

 

 エイリクの家は、大家族だ。数家族が集まって暮らしているだけに、それなりの耕地を持つエイリクの一族は、害獣対策の必要性から数匹の犬を飼っている。息子の好きにさせてるだけあって、風早は他の犬よりやや年嵩だったが、まだ年寄り犬という年齢ではない。獲物を取れなくなった老犬は処分されてしまうことも少なくないが、一方では看取るまで面倒を見ている飼い主も珍しくない。いずれどのような運命を辿るにせよ、無言で飼い主を見上げている風早は、取り敢えず今の境遇に満足しているように見えた。

 

 言うまでもなく風早はかなり大きめの犬種だった。寒冷地に適応して、上の毛並みは立ち上がるように真っ直ぐ、下の毛並みは熱を逃さないようにきめ細やか。ややふくよかな顔つきは、遠い縁戚である狼に似てなくもない。

 風早の頭と尻尾の付け根を撫でながら、動けなくなった雛を目の前に置くと、此方の様子を伺いながら尻尾を振り出した。可愛いやつだ。

「よし」

 風早が肉に齧り付いた。細かい骨ごと噛み砕いて食べ始める。生きた獲物を命令一つで八つ裂きに出来るのは、いい犬だ。番犬としても猟犬としても役に立つ。

 

「兎に角、兎は足が速い」

 飛び跳ねる兎を観察するようにじっと眺めていたエイリクがため息をついた。

 金色の髪を右手でかき回しながら、なにやら考え込んでいた。

「やるなら犬が3匹か5匹、それに人も五人か七人欲しいな」

「脚が早かろうがなんだろうが囲めば関係ない、か」

 元の世界の兎狩りから見てもエイリクの計算は正しいだろうが、眉を顰めて問いかける。

「随分と大掛かりになるな」

 へし折った枝を火に放り込みながら指摘する。

「連中、畑を荒らす。纏まった数を仕留めれば割に合う」エイリクが呟いた。こいつも色々と考えているようだ。

 

 わたしとエイリクは、互いに心を許しあっている訳ではなかった。わたしはエイリクが脅迫してきた事を忘れなかったし、その狡猾さを警戒してもいた。エイリクもエイリクで、農民の子供らしからぬ智慧を持つわたしを警戒している節があった。

 それでも私たちは多分、友人ではあったと思う。

 

 おかしな話だが、わたしはこの油断できない友人との付き合いに奇妙な面白みを覚えてもいた。或いは、エイリクもわたしと同じ気持ちであったかも知れない。

 

 確かに広い畑の持ち主にとって、兎は悩みの種だろう。我が家の菜園は兎を警戒せねばならぬほどには広くなかった。柵は頑丈で念の為に毎年、見回っては補強している。麦は多少の被害を被っているが、まだ頭を抱えるほどではない。

 そうした大掛かりな害獣駆除には、残念ながら。或いは、幸いというべきか。将来も関わることはないだろう。

 

「出来る事はしておきたいのさ」

 最後のひな鳥に手を伸ばしながら、エイリクが告げた。

 地面に枝で兎と、それを囲む犬の群れを描きつつ、わたしは呟いた。

「大人にならにゃあ、それだけの采配は出来んだろうよ」

「人手……さもなきゃ罠か」

「どんな罠だ」

「……それを考えてる」膝に顔を埋めながら、エイリクは唸った。

 獣への罠だと、まず第一に落とし穴だが兎には有効ではないだろう。

 個人でやるとすれば弓だが、鏃と訓練が必要。駄目だ。特に何も思い浮かばない。

 所詮は他人事だし、切羽詰まっているわけでもない。

 肩を竦めたわたしは、土を掛けて火を消した。

 

 

 

 

 

 一見、単調にも見える農村の生活だが、実際にはそこに自然との調和と先人の智慧が織りなす文明の本質が息づいている。

 

 まず朝起きて歯を磨いてから大麦粥を朝餉とし、軽く柔軟体操をして意識をはっきりとさせる。

 ついで裏庭の菜園で朝一番の涼しいうちに水やりをする。ついで軽く見回って、雑草や虫など取り除いてから、友人のエイリクとともに西の森に出かけて鳥の卵などを採取する日もあれば、北の森から薪や腐葉土を持ち帰る日もある。

 

 狩りにしろ、薪集めにしろ、午前中なのは森での作業中に集中を切らしたくはないからだ。滅多にあることでもないが、一日の最後に労働でクタクタになった体で狼と対面するのはゾッとしない。

 朝飯を喰った直後であれば全力疾走も出来ようし、そう容易く狼のご馳走にされることもあるまい。とは言え、走ったところで狼に敵うものかよ。むしろ、村には朝一番に誰かが動き回った後の森ならば、狼が出る事もあるまいと考える農夫もいる。午前と午後のどちらが正しいか、いずれ答えが出る日も来るだろう。或いは、両方とも不正解かも知れないのが、大自然の厳しいところである。

 

 森の作業を終えて午前のうちに村に戻ったら、涼しいうちに畑仕事を行う。麦畑を手伝う日もあるし、菜園を世話する日もある。午前中にも軽食は取るが、正午になったらしっかりと昼食を食べる。我が家は大麦に若干、燕麦を混ぜた粥が多い。これが、大麦の出来が悪い年になると、燕麦や雑穀(主にカラスムギ)が増える訳だが、足りないとは思いつつも飢えるまではいったことがないのは幸いであろう。

 時々はライ麦のパンも食べるし、稀ではあるが、収穫期の直後などは小麦パンが出ることも在る。とは言え、基本は粥である。普段の粥はそう旨いものでもないが、最近は肉や卵も増えているし、数日に一度はチーズや山羊の乳を混ぜた粥も食べられる。

 

 午後からは家の仕事なり、村の雑木林での薪集めやらを行うが、貧弱な防護柵は当てには出来ない。一応、村内であっても、春先の雑木林などではイノシシに遭遇することも在るので警戒は怠れない。

 

 狼に負けず劣らず、イノシシも危険な生き物であった。特に繁殖期を迎える冬には非常に好戦的になるし、春先も春先で子供連れで腹を空かせた猪が彼方此方に鼻面を突っ込んでくる。

 何処から入り込んだものか、時には猪の群れが農道を暴走して、突き飛ばされた幼い子供がそのまま貪り喰われた事故なども起きている。

 森に面して暮らしている村人たちは、自然の恵みとともに時にその災厄も受け入れながら暮らしている。

 

 家での仕事だが、流石に薪割りは父の仕事だ。他には屋内で縄を綯ったり、服を繕ったり、籐を編んだり、母の仕事も手伝っている。

 

 話をひな鳥と卵に戻そう。両者とも素晴らしい食べ物だ。栄養豊富で美味しく良質なタンパク質と脂質まで補給できる。

 

 狩りの成果は家にも持ち帰っている。複雑な顔をしてなにか言いたげな両親には申し訳ないが、危険には最大限に留意しているので見逃して欲しい。現金な弟と妹は調子よく兄を称えてくる。

 

 我が家の冬への備えはほぼ整っている。次の麦の収穫にも拠るが、諸々の交換用を除いても、飢えるということはまずあるまい。(足りるという事も、また、ないのだが)

 仮に急激な冷夏などが起きたとしても、種籾も古いライ麦パンも充分に貯蔵されている。また、気候には不作の徴候も殆んど見えない。あくまで順当にいけば、の話では在るが、今年の収穫もほぼ例年通りを期待できるだろう。

 

  さて、少女だ。どうにも、今まであまり肉や卵を口にしてなかったようである。

 食事のたびに美味しいと喜んでいたうちはよかったが、突然に泣き出した時には困惑を隠しきれなかった。泣き止むまで半刻(1時間)ほど傍らで寄り添っていたらようやくに落ち着いたが、幸せと呟くのはいいにしても、いつ死んでもいいとか言い出してちょっと参ってしまう。

 

 少女の家庭事情をわたしは知らない。分かるのは、野暮ったい格好をした彼女が四六時中腹を空かせていて、栄養失調の一歩手前になっていたことだけだ。村の子は誰でも多少の空腹は抱えているが、栄養不足で弱っているのとは違う。

 

 少女は嫌がっていたが彼女の家の耕地を一度、見に行った。当初は不作なり、或いは貧困なりが要因かと考えていた。他所の家の内情に通じている十歳など中々にいる者でもないが、畑やら家畜やらを見れば、台所事情にもそれなりの見当がつくものだ。

 

 意外にも、と言うべきか。少女の家はさほど困窮しているようには見えなかった。畑の広さに作物の出来を見るに、裕福とは言い難いにしても、大半の村人と似たりよったりな生活を送っているのではなかろうか。だけど、少女は腹を空かせていたのだ。

 

 分からん。単純に貧困や不作が原因でないなら、子供を飢えさせるにどんな理由があるのだろうか。

 ちょっと思い悩んでいるわたしの手を、少女が手を伸ばして握ってきた。この娘、暇さえあればわたしと一緒にいたがるが、特に誰かが探しに来たことはない。捨て犬の心細さで必死に縋り付いてきているだけだとしても、安心したように脱力してる少女の顔を見たその時、僕は決めた。

 

 家の事情など分からん。が、分からんものは分からんでいいのだ。大事なのは、一人の少女を幸せにすることだった。

 野暮ったい服装と木靴。食事の際の遠慮がちな、しかし、嬉しそうなへにゃりとした笑顔。綺麗な花を見た時の、輝いている丸い瞳。話しかけるたび、はにかみながらも素直に変化するあどけない表情。一緒に散歩しているだけで幸せにはちきれそうに溢れる歓びの歌。

 美人かと聞かれれば、子犬に似てるから可愛いと言えなくもない。頭がいいかと聞かれれば、素直な性格をしていると答えよう。

 この娘を失わない。食べさせて、生き延びさせる。それだけ出来ればいい。或いは、それは子供にとって無謀な試みであったかも知れないが、わたしはやると決めていた。

 

 知らないだけで、もしかしたら村には他にも似たような境遇の子供がいるのかも知れない。だけど、わたしが救いたいのは、まずは隣りにいる女の子だった。これから半世紀くらい、季節のたびに肉や卵を食べさせる予定なんだから、こんなところで昇天するなんて許さんぞ、覚悟しろよ。

 

 

 




 猪や狼については、色々と対策を練っている。
 熊については恐すぎるので、普段は考えないようにしている。


 熊の喧嘩
 https://www.youtube.com/watch?v=qmMBN8bpyzE
 夜、youtubeで音楽聞きながら寝ていたら、こいつが音楽リストに紛れ込んでいて、鳴き声だけであんまり恐くて小便ちびるかと思った。



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中世世界観での物価について

 中世から古代に掛けての物価は、現代と大きく異なっている。

 一応の相場は設定したが、説明を別に設けさせてもらった。 






 硬貨が不足しているか、実質的に存在していない時代と場所での物品の相場についての話。

 

 

 2021年現在の考古学で遡れる最古の硬貨は、紀元前2500年の昔、青銅器時代のメソポタミア文明に発祥した銀のトークンと言われており、これは麦との交換に使われていたと推測されている。

 古代、鉄器時代や青銅器時代を舞台とする物語においても、硬貨の存在は不自然ではないが、前提として管理通貨制度が確立されるまで、歴史を通じて常に貨幣の供給は不足してきた。

 

 また流通の難しい僻地、或いは孤立した居留地などでは、仮に貨幣が流通していても温存されやすい為、取引に占める物々交換の比重がより大きく、硬貨が補助的な役割に留まるのも一般的であった。

 

 いずれにしても貨幣の流通量が乏しい状況下においては、土地、牛・羊・山羊などの家畜、貴金属の装飾品、レバノン杉・黒檀など希少な木材に拠る家具など高価と見做される財産が同時に通貨としての役割も果たしてきた。

 硬貨が経済の主役となり、村落共同体における経済の血液として物々交換に取って代わるのは、欧州各地で銀鉱山が開発されて一定の供給がなされるようになった中世後期以降と思われる。

 

 

 

 ローマ時代。小麦100キロを収穫するに投下される労働力は300時間であった。これに対し、囲い込み以前の中世に必要とされる労働力はおよそ60時間とされている。

 

 高度な技術を保有していたローマに対して、幾つかの分野で劣っている中世であったが、しかし、農業分野における思想と技術は、これを明確な例外として古代に対して優位に立っている。農業技術が断絶に至らなかった理由としては、冶金や建築などの工学分野が都市インフラに拠る比重が大きいのに対して、農業技術を保有する主な実践者や継承者が大きく田園に拠っている事が影響したのは当たり前だよなぁ。

 

 古代から中世にかけての飛躍的な生産性の向上は、多分に農民層の広汎な役牛の保有と重量有輪犂と言った農具の発達に拠る効率化、三圃制農業の広がりに伴う地力回復の重要性の認知の広がりが要因と推測される。

 

 物語の舞台は冷涼な気候故に生産性がやや落ちるとしても、小麦の生産に必要とされる労働時間は、1キロ当たり3~4H。(より広大な土地は必要とされるだろうが、しかし、収穫量の維持に必要な労働時間は、必要面積ほどには比例しない)

 このうち20~40%が短期間の集中的な収穫と脱穀作業によって占められていると推測される。

 

 1ポンド(450g)は、おおよそ大人が1日に食べる麦の量を指している。

 つまり小麦1ポンド(1日分)を生産するのに、大人2時間分の労働を必要とする。

 

 山羊1頭から採れる乳は、一日あたり2~5リットル。1パイント(0.47リットル)は、大きな杯で1杯の量となる。

 

 中世に身を浸すとヤード・ポンド法凄く便利。

 なんでメートル法なんかあるのやろ?不便やな。あんなんいらんやろ。撤廃してヤードポンド法や尺貫法を復活させるのありと思います(中世脳 

 

 さて、中世世界の物価における参考資料は、例によって数多の記録が残されているイギリスを指標とします。

(※素人にも参照しやすいものとしてケビン・ロディ名誉講師のまとめたリストが有名)

 

 卵2ダースを1ペンス ※14世紀

 チーズ80ポンドが40ペンス(3シリング4ペンス) ※13世紀後半

(=チーズ1ポンドが半ペンス)

 

 つまり卵12個の価格が、チーズ1ポンドにおおよそ該当するのだが、しかし、13世紀イギリス農家におけるチーズ製造の工程の簡略化と大量生産の為の設備は大変に高度なもので、古代、もしくは中世初期を舞台とした物語において、チーズはさらに高価であると設定してもいい。

 

 山羊については、欧米人を著者とする複数のTRPGの物価表が、おおよそ羊の半額から2/3程度の価格としている。中世スキーであろうTRPG作者、頭良さげな現地人が複数名、近似の価格比を採用しており、羊毛を産する羊の生産性の高さを鑑みて、おおよそ妥当だと思えるので、この数値を採用とする。

 

 繰り返すが、山羊一頭から1日に採れるミルクの量は2リットルから5リットル。

 チーズ100gを作るのに現代の技術で牛乳1リットルが必要とされている。

 

 中世イングランド農村の整った設備に比して、発達してない農村でのチーズの価値はより高く、2倍から3倍(より質の高い)もあり得るだろう。

 

 

   さて、取引となる。

  主人公の家は、隣家から3日に1度、壺に一杯の山羊の乳を受け取っている。

 

 ・小麦1ポンドは(大人の労働力に換算して2~3Hの価値を持つ)

 

 ・山羊乳4パイントを3日に1度、隣家から受け取る契約を交わした場合。

  1年で480パイント(220リットル)※山羊100日分の乳

 

  これと引き換えに、収穫期の後に払われる小麦の量は、

  おおよそ10ポンド(大人労働にして20H、大人の10日分)の小麦となる。

 

  山羊一頭の100日分の乳と引き換えとして大人の20時間分の労働力。

  乳搾りと運搬の手間暇を含めれば、おおよそ妥当ではないだろうか。

 

 

  時代は異なるが

  チーズ40ポンド=20ペニーの価値≒山羊乳400パイント

  自由労働者の日当が2~3ペニーと食事。1日の労働時間6~10H

  

  つまり、小麦10ポンド≒大人の労働20H≒7ペニー≒14ポンドのチーズ≠480パイントの山羊乳 となる。

 

  小麦の相場/同時期の時間あたり賃金から割り出した労働単価/加工製品の値段/未加工の山羊の乳

 

 

  読者の中には「我こそは中世経済に自信ニキ(或いはネキ)なり!貴様の計算はまるで間違っている!所詮、ネコなど四足歩行の下等生物に過ぎぬわ!」とほざくサル……げふん、指摘する人類どもがいるかも知れないが、何卒ご寛恕いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

※2021年06月02日追記

 

(恐らく)13世紀の乳牛 1年に120~150ガロン(540~680リットル)の乳を産する

1ガロン(4.5リットル)あたり半ペニーで売れた

 

(ギースの中世ヨーロッパの農村の生活 P216より)

 

 

  現在の品種の搾乳量

 

 牛

 ホルスタイン種  20~30リットル/日 年間8,000kg強

 スーパーカウ       年間20,000~26,000kg

 山羊       2~5リットル/日  ←これは13世紀の乳牛の量に匹敵する

 

 当時との品種の違い

 

 山羊は品種改良されたか?

 野生種の山羊の乳の量は?

 山羊の品種は多岐にわたる。

 

 

 

 

 

下記のデーターは、全国山羊ネットワーク様のHPを参照させて頂いた。

                    拙いようなら削除します。

 

 

 山羊の品種

 ザーネン種   スイス

     体重 雄 70~90kg

        雌 50~60kg

     乳量 500~1000kg

   泌乳期間 270~350日

 

 ザーネン種は乳用種の山羊。

 体重が30kg~の小型食肉用の山羊種も多くいる。

 

 

 

 動物の乳は、1日あたり体重の1~1.5%?

 同じ体重でも大量の乳を出す動物もいれば、出さない動物もいるだろう。

 山羊は、体重の何%の乳を出す?

 上のHPでは、品種(?)に拠っては、体重の5%近い数字を出す個体も存在している。

 分からん。

 

 古代から中世初期における東欧の野生種に近い山羊がどの程度の乳量を産出したかは不明だが、初期設定よりは少ないことは確実だろう。

 しかし、乳の値段自体は想定していた価格とほぼ一致している。

 

 




  ちなみに中世フランスでは、小麦2リーブルのパン12個を1ドゥニエで購入できた。

 1ペニーで24ポンドの小麦パンを購入できたと言い換えても大体、合っている。
 ただし、フランスは大穀倉地帯で色々と例外なので参考にすると色々おかしくなる。



youtube
What Medieval Peasants Really Ate In A Day

2020年の動画 中世欧州におけるバターの重要性、ビールが水代わりに飲まれていた説と腐った肉に香辛料を使っていた説の誤りを示唆している。



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森と人と

 中世の農民にとって、植物の枝や蔦を編んで籠や魚篭を作るのは有り触れた日常の作業である。

 農村における家屋の建て方のひとつとして、ワトル および ダブ(ドーブ)様式(wattle and daub)と呼ばれる技法が知られている。

 ワトルとは編み細工であり、ダブは漆喰や泥などで壁を塗りつける作業を意味してる。丸太などで組み上げた家の骨組みに対して、木の枝や蔓を用いた格子状の壁(wattle)を嵌め込み、その上から土や粘土、動物の糞などを塗り込んで(daubして)壁を仕上げる建築手法である。

 言うまでもなく原始的、かつ資材の調達が容易な手法である為、さほど技術を持たない農民にとっても人手と時間、そして材料さえあれば、泥漆喰の家を建てるのはそれほど難しい事ではない。

 

 無論、ワトル&ダブの用途は家屋だけと限られてはいない。なにしろ材料は手近な泥と木材だけである。

 ちょっとした杭などを等間隔に地面に打ち込んで、白樺の枝などを編み込んで組み合わせれば、後は粘土なり、動物の糞なりを塗り込むだけでそれなりに頑丈な壁の出来上がりである。

 菜園などで小さな壁を作るにも、家畜の囲いを仕上げるにも重宝する技法で、様々な用途に用いられるのだが、一方で安易なだけにやや耐久性に欠けており、イノシシの突撃によって壊されたり、甚だしきは村から村への強盗団が壁をぶち破っての狼藉に及ぶなどの話も中世イングランドではあったそうな。とは言え、村人の大半は、古来より引き継がれてきたこの由緒正しい小舞壁に茅葺き屋根の掘っ立て小屋で暮らしている。

 

(掘っ立て小屋とは、基礎石を設置せずに柱を直接地面に打ち込んで作られた簡素な建物を指している。ちなみに北欧、北米、ロシアなど寒冷地帯にはシロアリは分布していない。つまり、柱を直接地面に埋め込む掘っ立て小屋でも、基礎の柱部分が腐食しない為に数十年も暮らせる)

 

 取り立てて裕福でもないが貧しくもない我が家も同様で、現代日本とは比較にならぬ生活とは言え、村でも一部の村人などは竪穴式住居にも似たあばら家に暮らしているのだから、我が家はまずまず立派な暮らしなのだ。

 

 なに?見た目で区別がつかない?違いが分からない?土壁があるのがワトル式民家。地面まで茅葺き屋根が届いてるのが竪穴式住居じゃ。覚えときんしゃい。

 

 生憎と硝子のような便利で綺麗な代物には前世以来とんとお目に掛かったことはないが、我が家ほどに文化的な生活を送っている家庭ともなれば、家に窓すら備わっている。単に壁に穴が開いてるようにも見えるかも知れないが、それは物を知らない人間の錯覚である。驚くなかれ、なんと木の板を嵌め込めば閉じられるようになっているのだ。これで雨の日や強風の日は窓を閉じられるし、気持ちのいい春の日などは風や日光を感じられる。

 

 おいおい。文化発達しすぎてロンドンを追い越しちゃったかぁ?ローマ人が見たら、気絶しちゃうんじゃないの?長安もビックリだね。庇?雨戸?知らない子ですねぇ。

 

 殆どの家々には扉もないし、一部の農具は石器である。そんな訳で、一時期のわたしは中世どころか古代通り越して鉄器時代入り口に生まれ落ちたかも知れん。あかん、もうお終いや、と些か深刻な不安に苛まれる日々もあったが、これ程に文化的な生活を遅れる……もとい、送れるのであれば、この地は間違いなく中世ですね。間違いない。そう今は揺るぎない確信を抱いている。

 俺は中世の人間だ。誰がなんと言おうがここは中世の農村なんだ。

 

 そう自らに言い聞かせる日々ではあるが、実際の中世とは諸々の制度や技術が発達した時代ではあるし、自治村の自由農民としてこうして文化的な生活を遅れてるのだから、そう悪い環境でもないはずだ。

 人口が薄すぎて、封建制が成立してないなんて事は無い。ましてや、領主がいないのは階級が分化するほどの富が生産されてないからなんて事は絶対にない。

 

 ほんとにぃ?ほんとに中世なのぉ?時折は、己の中からそう問いかけてくる声も聞こえてくる。

 だが、懊悩を超克した俺は揺るぎない自信を持ってこう応えよう。

 はぁ?中世ですけど?中々に文化的生活を送っていると自負する処であるんですけど。他の家は窓とかないんですけど?

 

 

 

 そうしてわたしは、隣家のエイリクの家にお邪魔した時、絶叫した。

「ま、まどがあるぅ?!」

「わぁ、吃驚した」目をまん丸にして呟いたのは、居合わせたエイリクの妹である。

「なに驚愕してんの?お前」とエイリク。

 

 窓に歩み寄って調べてみれば、壁に打ち付けられた無骨な留め金は、鉛か、それとも鋳鉄製か。鈍く輝くそれが、片開き扉の木製回転軸を呑み込んで開閉できる仕組みとなっていた。

「ちょ、ちょうつがいもあるぅ?!」

「だから、なんで片言になってんの?なにをそんなに衝撃受けてんの?」

「まどがあるぅ」そう続けて叫んだエイリク妹が何が可笑しいのか、お腹を抱えてケタケタと笑い出した。

 

 

 

 エイリク家の広い居間には、石製の囲炉裏が設けてあり、炎が赤々と燃え盛っている。丸太を組み合わせた頑強な壁は、それだけで一族の富裕を示していた。

 わたしの申し出た取引は、思っていたようには運ばなかった。

 野鳥の卵と穀物。出来れば焼き締めたパンと交換したいと申し出たのだが、エイリクの父は明らかに気が乗らぬ態度で顔を顰めている。

 熊のような大男であった。粗いテーブルに載せた太い腕は古木のように節くれ立ち、口元は黒い髭で覆われている。

 大きな目でぎょろりと見据えて、交換した穀物をなんに使うのかと尋ねてくる。お前の親父とお袋は働き者だ。との指摘に思わず口籠るとエイリク親父の目に険が増した。

 

 拙い。それだけは分かった。理由は分からないが危ういと感じた。首の後の産毛がゾワゾワと逆毛立っている。エイリクの親父の不機嫌の理由が分からない。が、直感を信じる。

 兎も角、腹を割って正直に話そうと判断し「女の子がいる」とだけ告げるや、剣呑な雰囲気がやや薄まった。

 エイリクの親父が、続けろ、と唸った。

 

「あまり食べてない。冬を越えさせたい」

 そこで言葉を区切って、頭の中で筋道を組み立てる。

「今は良くても、冬には食べ物が足りなくなるかも知れない。足りない家が飢えるのは冬だから。うちにも食べ物を他人にやれる余裕なんてないけど。パンが幾つかあれば。上手くいけば……」

 エイリク親父が視線を転じると、父の態度にやや戸惑い気味のエイリクも頷いた。

「ああ、うん。そいつ、その子に入れ込んでる」

 しばらく押し黙ったエイリク親父。不機嫌そうな口調でそうぶっきらぼうに口にした。

「お前ら、どれだけ鳥を獲った」

 わたしとエイリクは、顔を見合わせる。数など数えていない。

 エイリクと一緒にやって、卵と雛でおそらく四、五十と言ったところか。少なめにそう答えるとエイリク親父、目を閉じてから低い声でこう告げた。

「森を損なえば、精霊の怒りを呼び覚ます」

 全く人間の想像力には限りがあると思い知らされた日であった。子供が信用できないなり、卵は充分に足りてるなり、そうした問答を想定していたのだが、斜め上を行く状況に、わたしは愚かにも狼狽えるだけであった。

 

 

 シュメール文明環境破壊説を聞いた事があるだろうか。知らずとも、森の神フンババを討ち取った英雄ギルガメシュの逸話に関して耳にした人は多いと思う。ティグリスユーフラテスの肥沃な沖積平野メソポタミアに発祥したシュメール文明は、人類最古の文明地帯として紀元前3300年には都市ウルクを築き上げるほどに繁栄していたが、人口増加はほぼ必然として大規模な自然破壊を伴う。灌漑農業に拠る水位低下と森林を伐採しすぎた事に拠って、穀倉地帯の保水力が低下。土壌も流出し、遂には塩害と洪水に拠る収穫量低下で、増えすぎた人口を支えきれずにシュメールは崩壊したという説である。

 元々、乾燥地帯のメソポタミアは意外なほどに降雨量が少ない。一度、衰えた自然復元力は今に至るまで回復せず、かつて豊かな緑の沃野であった筈のメソポタミアは、現在も砂漠地帯となっている。

 

 自然破壊に拠るシュメール崩壊説に、わたしはそれなりの説得力を覚えた。ギルガメシュが殺したフンババは、人々から森を守るために最高神エンリルに遣わされた森の守護者であった。

 何故、恐ろしい怪物であるフンババが最高神に拠って遣わされた森の守護者として神話に言い伝えられているのか。果たしてギルガメシュは、フンババを殺すべきではなかったのか?最高神エンリルの意図は、那辺にありや。

 

 だから、なんだ。と言う訳でもない。

 

 過度に森で動物を獲るべきではない、との警告にどの程度の意味と意図があるのか。エイリク親父の思惑を測りかねて、やや困惑したもののわたしは神妙に頷いた。神妙にするとは言ってない。

 

 親父さんとの実りない話し合いを終えて庭に出ると、取引の失敗にわたしは深くため息を漏らした。

「森の祟り神、ね」わたしの傍ら、エイリクは冷ややかに笑っていた。

 幼馴染だから分かる。こいつ、討ち取れば英雄になれるか、などと企んでる面だった。

 

「祟り神、か」わたしも呟いた。

 祟りなどと言われても、現代人の大半はさほど信じていまい。因習なり、迷信なりとしか思わないだろう。

 因習といい、迷信とも言う。しかし、時代と状況に拠ると前置きした上で論ずれば、因習が因習となり、迷信が迷信として扱われるのは、時代の変化についていけないからだろう。

 誕生した当時の因習は、生き延びる為に最適な生活の知恵であり、迷信が推察や経験知に拠って作られた最適解であった事も珍しくない。そして現状、正しいのは多分、エイリク親父の方だった。

 

 しかし、人にとって暮らしやすいかは兎も角、豊穣な森と沼沢地に囲まれた地で環境破壊を諌める口伝が言い伝えられているのは、些か妙に思える。環境破壊の傷跡がそれほど見当たらない。自然は厳しいが手つかずに思えた。或いは、他に魂の記憶を持つ者がいたか。それとも、他所の文明崩壊から逃げ延びてきた生き残りでもいたか。

 

 いや、考えすぎかな。自然の知恵として、森を荒らさぬよう言い伝えが残っているのであれば、過去に祟りと似たような状況が起きたかも知れない。

 

 森を切り拓きすぎて、餓えた狼や熊を村に招いた。保水力が衰えて、地下水や河川が枯渇、或いは氾濫した。

 餌となる動物を狩りすぎた為に、別の何かが繁殖したり、捕食者が数を減らし、最終的には手に負えないほどに害獣が増殖した。そうした経緯が言い伝えとして残っていても不思議ではないし、記憶が残っている以上、エイリク親父の反応も腑に落ちないものでもない。

 

 

 我々が暮らす大地は、乾燥はしてないが雨が少ない。深い森と沼沢地に囲まれ、岩石が広く分布している。果たして寒冷な大地はどれだけの許容力と復元力を持っている?いや、今はそれよりも先に考えなければならない事があるか。

 

 全て推測。推測に過ぎないが、しかし、村の大人たち。少なくともエイリク親父とうちの父は、けして愚か者ではない。現代人と比せば知識は無いものの、知恵も思考力もさしてわたしと変わらない。わたし程度ではあるが、それなりに柔軟で思考力もある二人の大人が揃っていい顔しないとなれば……参った。どうにも野鳥の卵と交換でパンを得るという当初の目論見は、上手くいきそうにない。

 

 わたしとエイリクは、自分たちが食べる以上に些か採りすぎてると見做されてエイリク親父から警告を受けた。村の顔役から釘を差された以上、狩りは幾らか減らさざるを得ないし、少なくとも他の大人に対しても取引など出来ない。完全なやぶ蛇だろう。

 

 祟り神。恐らくは自然破壊とそれに伴う環境変化の揶揄だろうが、しかし、実際に古代の獰猛な怪物が生き残ってるやも知れないし、未知の危険な種が森の奥深くに棲息してないとも言い切れない。どちらにせよ、飢えれば人を襲うだろう。果たして、幻想的なドラゴンは実在するかな?

 やや自棄気味になったわたしは、鼻でふんと笑った。いずれにせよ、牽制された事だけは確かだった。とは言え、諦めるつもりなど微塵もない。さて、どうしたものか。

 

「……畜生め」村の子では、交換する以前に取引する立場にすらなれなかった。思わず唇から漏れた苦々しいつぶやきは、誰に聞かれるともなく曇天の空に飲み込まれていった。

 

 




取引判定 !1d100 74 やや失敗

子供の立場 -15
簡単な取引 +5
村人同士  +10
知己の子  +5

      45で成功





 今回、書くにあたって調べたこと

・中世の建築手法
・大工道具
 ・ノコギリ・瀝青の産出・黒曜石・かんな
  建材の種類と性質は調べきれないので誤魔化した。
・窓の歴史
・ちょうつがい(ヒンジ)の起源。
 正確には蝶番ではないが、物語的にそう翻訳した。
・職人の仕事の仕方 
 ノコギリで丸太を綺麗な板に加工するのに片方は穴に入る?との記述。
 ちょっとよく分からないですね。
・北欧とメソポタミアの地質
・マヤ、イースター島、シュメールに関する資料
 気候、降雨量に拠る自然の再生力。地質。各種資源。

 色々と書いてるけど自分で試した訳やないんで、実際にワットル&ダブ工法で作った家に住んでるサクソン人の人とかいたら許してください。

 各種鉱物資源。特に古代における天然(地中に埋蔵されてるのではなく地表に露出)の分布や産出量が分からんので、古代文明の出たアナトリアとか多いやろ、地中に多いところは地表にも多いやろの精神で適当に異世界をでっち上げる。

(鉱物によって違う?分からん場合は書かんようにしとこ)
(主人公たち?北欧バイキングの製鉄は有名やし沼沢地から鉄採れるやろ)


「カヤ40年、麦わら15年、稲わら7年」
 茅葺屋根の寿命はおよそ15年と言われており、寒冷で湿気の少ない欧州では大体2倍と言われている。
 茅葺きの原料として、欧州ではライ麦が上等であり、他には葦、ヒース、スゲなどがよく使われている。ライ麦と小麦を混合して屋根を葺くこともあるようだ。




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採取

 人の手の殆んど入っていない原生林は、村近くの里山なんかとは様相がまるで異なっている。

 慣れない人が迂闊に緑深き樹海に足を踏み入れれば、異界に入り込んだかのように方向感覚を喪失し、仮に百数える程度の距離を適当に歩いただけであっても、戻る道を見失いかねない。そもそも分厚い枝や土中から飛び出した太い根が奇怪な蛇の如く絡み合う様には、人間は疎か、兎が通り抜ける隙間さえなさそうだ。まるで壁であった。

 比較的に往来しやすい箇所も、頭上に幾重と連なる枝は夏の陽光を僅かな木漏れ日へと変え、途方もなく樹齢を重ねた巨木が見通しを遮り、濃厚な苔や土の香りが混ざれば風の匂いまでもが変じて、挙句の果てには猪や狼が彷徨っている。

 辺土の狩人でも滅多に踏み込もうとは考えぬ森の深部を既に半日、木製シャベル背負って彼方此方とうろついてる農民の小僧。言うまでもなくわたしだ。知ってた。

 

 一見すれば森の道なき道を迷い子が当て所なく彷徨っているように思えるかも知れないが、わたしの目には入り口から人の通れる経路が連綿と続いているように映っている。住み慣れた我が家を歩き回るような気負わぬ足取りで大樹の捻れた根を乗り越え、段差となった地層を迂回し、四半刻歩いては、手頃な岩などに腰掛けて羊の胃の水筒を一口、二口と呷って息を整える。

 

 勿論、初見の場所ではない。何年も森を探索しながら少しずつ道を切り開いては、忘れぬよう記憶と体に刻み込んできた。物心付いた頃より森を探検してきた身であろうとも、慣れた道を少し外れてしまえば、そこは見知らぬ地形が広がっている。絶対に油断は禁物だった。

 

 縦え、他人の目には気楽に歩き回っているように見えようとも、森が人の領域ではない事をわたしはよく承知していた。特に新しい道を調べる時など、細心の注意を払っている。

 森で人が惑う最大の要因なのだが、森の道は見る方角の僅かな違いによってさえ、与える印象を全く異なるものへと変えてしまうのだ。少し歩いては目印を地面に置き、前後から見れば瞬く間に変貌してしまう景色を度々確かめつつ、こまめに引き返しては飽きるほどに幾度も往復して少しずつ地図を作り、粘土の地図と脳内の記憶、そして足の感覚が完全に一致するまで馴染ませ、そうして初めて、森は人が歩き回る事を許してくれる。

 

 だから、獣道を辿り、亀裂を迂回し、起伏を乗り越え、目印となる大岩や針葉樹の大木に刻んだ数字を確かめながら森を歩き回っているわたしは、今回の道行きで知っている道から一歩たりとも外れていなかった。

 

 朝起きては地図を眺め、夕飯前に地図を刻み、寝る前には指で粘土板をなぞり、そうやって森の概略図をそらで描けるようになるまで馴染ませた。指で粘土板の凹凸に触れれば、宵闇に包まれながらも地図を読むことが出来る。子供の記憶力とは侮れぬもので、努力の甲斐もあって、わたしは森の地形のおおよそを把握していた。勿論、踏破したのは西の森のさらにほんの一部であるし、細かい部分などは完全に覚えきっていない。兎も角、今回の遠征は、手のひらほどの持ち運びやすい小さな粘土板をかごに入れて持ち運んでいた。

 

 森においては、時刻を確認できる場所は案外少ない。時の経過に耐えかねた楡の枯木が崩れ落ちたるばかりの僅かな空き地で空を見上げてみれば、太陽は中天を回っていた。

 甘さに酸っぱさが残る瑞々しい野生プラムを齧りつつ、緑濃き初夏の森林を歩き続けていたわたしは、球形に咲いてる紫の花を見つけて足を止めた。

 紫色の可愛い花だが、愛でようなどという気持ちはない。プラムの種を吐き捨てると、容赦なく地面を掘り起こす。花は土中の根っこが食べられる根菜となっている。種類が違うのか、夏にも冬にも収穫できるのがありがたい。玉ねぎである。

 花が咲いた後は実が固くなっているが、食べられないことはない。汗が吹き出てきた。普段の農作業で固くタコが出来ている手のひらにとっても、地面を掘り返す作業は大変にきついものだった。本日、3回目ともなれば尚更だ。

 

 息を整えながら、土を払い落として玉ねぎを植物性の籠へと放り込む。近くの森で採れる物といえば、主なものだけで野生の玉ねぎに蕪、どんぐり、ローズヒップにえん麦、茸とかなり豊富に違いない。茸だけは、同じ種類でも季節に拠って毒を持ったり持たなかったりするので慎重に採取する必要があったが、他は一年を通していずれかを採取することが可能だった。

 

 寒冷な土地ではあるが、森の実りは意外にもかなり豊かで、暇な日に半日ほどを歩き回っただけで、わたしはどんぐりに季節外れの野生の蕪、人参などの幾つかの根菜とニンニク、蛙に野鳥の卵などを籠いっぱいに入手できた。

 

「38番、玉ねぎ」鋭い石のナイフを取り出すと、粘土板の小さな地図の裏面に数字と玉ねぎっぽい絵文字を書き込む。数字と言ってもアラビア数字ではなく、縦線と横線を組み合わせた独自の記号に過ぎない。

 幸いというべきか。村の数字は前世と同じ十進法であったので、意識もずれないで済んでいる。斜め線を3本に縦線7本、横線を4本の縦線の上に刻み込む。これで誰が見ても、立派な38である。

 地図上で目印となる大木の幹やら大岩やらに番号を割り振り、傍らに石を埋めた十字に折った枝を置いて、後日わかり易いよう工夫しておいてある。

 

 大量の根菜や木の実を入手したものの、しかし、悲しいかな。この身は痩せた子供であり、十数キロの荷を持って森を半日歩き廻るにはあまりにも非力であった。

 まあ、実際のところは大して疲れてないので、或いは平気かも知れないが森で体力の限界を試す真似はしたくなかった。なので、植物の蔓で編んだ籠に玉ねぎを入れ、目印となる大木まで戻ると縄を通して枝から吊り下げた。荷物は集積し、探索の帰り際に一気に回収して持ち帰るのだ。

 

 森の深い場所に放置しようとも他の村人に取られるなんて、まず有りはしないが、忘れてはならない。森で最大の脅威のひとつが、動物さんである。イノシシは貪欲でおおよそ人間の食べるものなら何でも食べてしまうし、森の王者の毛深い猛獣も同様。底なしの食欲で人間が採取すべき木の実や果実を悉く食べ尽くしてしまう。そもそもが狼などから見れば、人間の子供こそが美味しい獲物であった。もし下手に遭遇してしまえば、わたしなんておやつに転職しかねない。

 

 だからこそ、わたしは森をこそこそと這いずり回っている。ときに犬のように四つん這いになり、時に木に登り、地面の匂いを嗅ぎ、土に触れて違いを確かめ、耳をそばだてて音もなく地面を這い回った。なんかこういう感じの生き物、映画で見たな。水の匂いがするよ……いとしいしと、ゴクリゴクリ。

 

 狼やク……あれの縄張りと思える痕跡には近づかないように経路を計画した。遠出した時に見つけた大木の背丈よりも高い幹に刻まれた凶暴な爪痕は、名前も出したくないあの獣の縄張りの主張だと言い伝えられている。見た瞬間に下半身が縮こまった。絶対に会いたくない。マーキングにすら近づきたくない。心臓が嫌な鼓動を刻み込んでいる。臆病な小型の草食動物のように細心の注意と用心深さを欠かさず、常に逃げ道を確保してそっと移動し続ける。

 

 それでも生き残れるとは限らないけれども、獣どもの縄張りからは比較的に遠いと考えている場所を徘徊しつつ、小細工を施すのも忘れない。太腿に結びつけたる植物籠から取り出したるは乾燥した犬の糞。葉っぱに包んで持ってきたそれを手頃な枝に刺すと、縄張りの境界に聳えたる木々の幹へと擦り付ける作業も欠かさない。村でも若くて獰猛で特に馬鹿っぽい犬たちのうんこ。それを土壁を造る大工の要領でただ無心に幹に擦り付ける。潰すと当然だが、猛烈に臭い。これがどの程度の効果を持つか、分からない。しかし、肉食獣っぽい複数の動物の糞の匂いが漂うところに熊でも狼でも踏み込もうと考えるだろうか?実際の処、なんの意味もないかも知れない。効果があるのか。分からない。分からないが少しでも生き残る確率を上げたい為に行っていた。この作業中、村東の悪餓鬼たちが仕掛ける落とし穴にはうんこが転がっているなどというどうでもいい話が何故か脳裏を掠めていた。

 

 森での採取と縄張りの匂い付けは基本、別の日に行っているが、今回は既知の境界ギリギリまで出張るほぼ半日掛けての遠征であった。半ば狂気に近い心持ちで匂いに拠るマーキング作業を終えると、粘土板にうんこっぽい図形と場所の番号、日付(……と言っても此方は年度と季節くらいだが)をペン代わりの鋭い石片で刻み込んだ。半笑いの衝動が吹き出してきた。こんなのが本当に有効なのか、作業中に背後から熊に襲われたらどうしよう、死にたくないよぅ、とビクビク怯えながら犬のうんこを塗り終わると、枝を投げ捨てた。

 

 手を洗いたい。糞がつかないよう細心の注意を払ってきたが匂いがついている。水筒の水で軽く流す。本格的に洗うのは、森の中を流れる水場で補充してからだ。

 森の中には沼もあるが、ぬかるみの水は人が飲むにはあまり適さない。なので手近な小川へと向かった。流れがそれなりに速いので寄生虫は居ない……と思いたい。一口、二口程度なら大丈夫な水だが、慣れてないので大量に飲むと腹を下すかも知れない。手を洗ってから、土器の小杯で水をすくい上げて大丈夫、と思う程度に喉を潤し、その後は川べりの粘土を手に擦り付けた。

 

 それから数瞬、手についた灰色の粘土を眺めてから顔や腕など露出した肌に擦り付けた。獣の嗅覚は鋭い。どの程度に誤魔化せるか分からないが、匂い消しになるかも知れない。小川で採れた粘土には、特に毒性らしきものはないと思う。多分。

 今日、やれることはすべてやった。非効率的かも知れない。無駄に体力を使ってないか?死にたくない。もう帰ろう。いや、予定通り行動すべきだ。疑心暗鬼や迷い、切羽詰まった気持ちが偏執的にぐるんぐるんと胸のうちで渦を巻いている。知ったことか。人間なるようにしかならないんだ。蛮勇と自棄糞に身を委ねて兎に角、足を動かし続けた。

 

 わたしの脳髄には、西の森が入ってる。まあ、ちょっと言い過ぎかも知れない。

 それでも、村から間近な西の森林。その一部なりともわたしより詳しい者はまずいないと考えていいだろう。何故なら、歩いた痕跡がないからだ。より詳しい村人がいるならば、わたしが森の中で野生の人参だの新鮮なプラムだのを拾い放題に出来よう筈がない。

 

 季節は初夏。これから秋に掛けて畑や菜園は勿論、森や野山にも豊穣の実りがもたらされる。長いようで短かった半日ほどの森での冒険で、わたしは戦利品を背に担いで村への道を急いだ。

 

 家まで帰り着いたのは日没後。予定よりは随分と遅れたが、半ば想定通りでもあった。日中までに帰れぬと判断した時点で、敢えて日没後まで帰宅を延長した思惑もあった。冬から春に掛けては、食べ物が尤も少ない季節で、今の時期は腹を空かせてる子供が村中をうろついている。そして今日のわたしは、どう見ても誤魔化しようがないほどに大量の食べ物を背負っていた。

 

 人は、飢えれば何でもする。敢えて刺激するのは避けたいと思う。他者への優越感かなんか知らないが、これ見よがしに食べ物を見せびらかす子供もいて、そこから取った取られたと喧嘩している光景も珍しくない。食べ物の取り合いなんかに巻き込まれて溜まるかとも思う。それが村の子供の生活なのだとしても、今は手加減する余裕もなければ、取られて笑って済ませる分量でもなかった。

 

 秘匿して何度も往来するにも疲労の極地にあって考えつかなかった。頭の端を掠めたが面倒だった。自分に運があるかを確かめたかったのかも知れない。非論理的だが、そんな事は知ったこっちゃない。人間の小賢しい思惑を越えた勘働きと勝負運を欲していた。兎も角、誰にも見つからずにわたしは家へと帰り着いた。

 

 両親が迎え入れてくれると、床に倒れるように寝転んだ。下の子たちは既に寝入っているようだ。

「い゛ま゛帰ったよ」告げると、意図せずして声が掠れて震えていた。

 全身に疲労が重しのようにまとわりついている。吹き出した汗が気持ち悪い。

 

 天井を眺めながら、呼吸を整えて思考を走らせる。上手くいった。次回はどうする?修正の必要はあるか?否、だからこそだ。計画は分割しなければならない。無理して全てを持ち帰らず、森の外縁で枝に食べ物をぶら下げて、余裕のある日に水瓶などに隠して持ち帰っても良かったのだ。小手先すぎる気もする。誰かに見抜かれるのもつまらない。囮として、偶に少量の食べ物を持ち帰るのはどうだろうか?本命を隠す役割に。悪童を誘引しないか?巻き込まれたくない。色々と考えながら少しだけ目を閉じる。と、次の瞬間、何故か光に照らされたので訝しげに目を見開くと、夜明けの曙光が差し込んでいた。

 

 




森に行って食べ物採ってきた。の一文で済ませられる話


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