それは、とある仙人によって作られた、幻想大陸テイワットとは全く別に存在する空間を行き来できる不思議な壺である。
実際に行く方法はテイワット中にあると言われている『ワープポイント』と同じで、基本的には神の目を媒介として元素力を蓄えている人物しか出入りすることが出来ない。
なんの変哲も無さそうなその壺の中には、一人で使うには勿体ない程のだだっ広い空間が広がっており、現実世界と同様、朝には日が昇り夜には星が輝く。ただ一つ違うことは、いつも冒険者が頭を悩ませているヒルチャールや、何をしたいのか未だによく分からないファデュイの連中の干渉を全く受けないことだ。
──例外として、過去に何回かその幹部の青年が目を輝かせながら走り回っていた時があるが。
要するに、塵歌壺の中の空間は外よりも確実に平和な世界だ。故に、その持ち主兼管理人である旅人の空は、どうにかこの世界を有効利用出来ないものかと試行錯誤を繰り返した。
各々の敵との戦闘時に備え、気軽に訓練できる『鍛錬場』。とある岩神に協力してもらい、水を引いて島の中央に大きな湖を作って、様々な魚を投入して釣りを楽しんでもらう『釣り堀』。その湖を炎の元素力を持つ者たちの力を借りてお湯にし、中央に厳重な仕切りを立てて暖かいお湯を楽しんでもらうための『温泉』────。
そして遂に、空が『清玉の島』と呼ばれる島の全土を解放したことによって、それらの施設を全て設置することが出来たのだ。
中央にある一番面積の広い島は、管理棟と必死に建てた大きめの旅館が建造されており、『清玉の島』の中枢部を担っている。
その下を降りた所に位置する浜辺には、前回の問題点を踏まえた上で改良に改良を重ねた鍛錬場。弓の正確性や筋力の増強等、自己鍛錬に幅広く対応している他、実際に刃を交えることができるコートのようなものもある。
更に、その周囲に位置する二つの離島には、それぞれ温泉と釣り堀も設置した。
そのお陰で、初期の何も無い頃から驚異的に開拓された『清玉の島』はもはや『仙人の作った神聖な空間』では無く、『暇潰しにはもってこいの娯楽地』といった印象に変わってしまったが、同じく管理人のマルとしては塵歌壺が賑やかになるのは決して悪いことでもなく、むしろここまで豪華な場所にしてくれて感謝すらしているらしい。
しかし、その時の空は考えもしなかった。様々な物事の解釈が異なる、言わば『外国人』同士が接しやすくなることが、良い影響を与えるだけでは無いということを。
その例として挙げるべき出来事が起こったのは、つい先日のことだ。
塵歌壺は、空が通行手形を渡した者なら基本的に自由に出入りすることが出来る。そのため、騎士団の団長に悪事がバレてしまった少女や、強そうなカブトムシを探しに来る少年など、色々な目的でこの世界に訪れる。いざと言う時は宿泊することも出来るため、度々稲妻の少女たちが女子会をしているという噂も聞く。
そして、日が最も高い位置に昇る昼間にここへ訪れた、《白鷺の姫君》こと神里綾華も、とある目的のために旅館に足を運んだ。
入口の大扉を開け、不思議な匂いがする玄関に入り、すぐ左にあった受付窓にある鈴を軽く二回鳴らし、四六時中ここの面倒を見ている管理人を呼ぶ。旅館と言っても、無駄に部屋数の多い邸宅を改造しただけなので、本物に比べたら少し狭苦しいが、それでも数十人は入りそうな充分な広さを兼ね備えている。
内装は、旅人曰く璃月のとある旅館をイメージしたらしく、床の模様や家具、壁、天井、照明に至るまで全ての雰囲気を璃月に統一されていた。奥にある待合室を兼ねたソファには大抵巫女さんから逃げてきた早柚が寝息を立てて居るのだが、今日は誰もいない。
そろそろ『終末番』としての自覚を持って欲しい頃合ではあるが。
「──はいはい、おまたせしました!!」
と、奥から飛び出してきたのは見慣れた白い壺──では無く、その中にすっぽりとはまった鳥。
「これはこれは、神里綾華さん!お久しぶりです」
「こんにちは、マルさん。急に訪ねてきてしまって申し訳ございません」
「お気になさらず。つい昨日なんかは、モンド出身の吟遊詩人の方が急に押しかけてくるや否や、『ここに残ってるお酒全部出してもらおうか!』って厨房を荒らされましたから。それに比べればもう、全然」
「そ、そんなお忙しい時に....大丈夫でしたか?」
酔っ払いの襲撃にあったマルに同情の視線を投げかけると、「空さんがどうにかしてくれましたので!」と微笑む。確か管理人の彼に三度厳重注意された者は四ヶ月間の出入り禁止という掟があったはずだが、その吟遊詩人は大丈夫なのだろうか...と心配になる綾華に、マルは脱線しかけた話を戻した。
「それで、今回は宿泊の要件で宜しいでしょうか?」
「あ...いえ、そうでは無く。今日はその空さんとの待ち合わせで」
「なるほど。お部屋はご利用になられますか?」
「はい、一室だけ」
綾華の話を聞き終えると、即座にマルは手帳を取り出して書き込んでいく。
彼は『すぐ終わるから』と言っていたが、他人にはあまり聞かれたくない内容らしいので、念の為にわざわざ一部屋借りることにした。ここが常に満室になる超人気旅館なら多少遠慮する所だが、この旅館の部屋が埋まることはほとんどない。こう言った点では、やはり現実世界より優れているだろう。
その後、大まかな利用時間や所持品検査を行い、一通り手続きを終えた綾華はマルから『二〇三号室』と記された鍵を貰った。
「ではごゆっくり。ご退出なされる時は、またお呼びください」
「ありがとうございます」
丁寧に挨拶し、鍵を持ってその部屋に行こうとしたその時、綾華の背中にマルはこう言った。
「頑張ってくださいね!!」
「...?.........!ち、違いますよ!!??」
長い廊下を歩きながら、何となく今日呼び出された件について考える。
思えば、今まで空がこうやって直接綾華を呼び出すことは無かった。彼女の日頃の激務を考慮してのことだろうが、それ以前にそこまでして綾華と一対一で話したい事が無かったのだ。
それなのに、今になって何故───?
ふと、先程マルから投げかけられた言葉が脳内で甦る。
『頑張ってくださいね!!』
「........」
頑張って、というのは、所謂男女間の恋愛を応援するという意の頑張って、ということだ。
つまり、そういうことなのだろうか。
「...もしかして、ほ、本当に空さんが私を.....っ」
耳まで赤くなっていることに気付かず、綾華はついに立ち止まってしまう。
仮に...仮にそういう話だとしても、綾華は断らなくてはいけない。いくら大切な友人と言えど、そこはちゃんと友人と割り切って線引きをしなければいけない。そもそも、トーマや綾人が許可したとしても、得体の知れない旅人と結ばれたという事実は神里家として不名誉以外の何物でもない、と思われる筈だ。
「...私、なんて変なことを」
暴走しかけた妄想に自分でうんざりした、その瞬間。
『──ほら、早く横になれ』
そう聞こえた。
男性のものだろうか。咄嗟に辺りを見渡しても、周囲には誰の姿も見えない。綾華を驚かせようと潜伏している気配も無いし、そんなくだらないことをする者もいない。
『...よい、しょっと。これでいい?』
今度は女性の声が聞こえ、その声は右隣の部屋から漏れていることに気付いた。成程、今日は一人だけだと思っていたが先客がいたらしい。
礼儀を重んじる綾華は、当然その姿勢を稲妻以外でも崩すつもりはない。ましてや隣の部屋の盗み聞きなど、神里家として恥ずべき行為だ。
ここは聞かなかったふりをして、早く自分の部屋へ───
『では始めるぞ。....』
『んっっ.....う』
『...あまり動かないでくれるか?』
『ええ....だ、だって....きもち.......んっ』
───などという考えが消し飛ぶ程、綾華にとってその会話は鮮烈だった。
思わず声が漏れそうになり、慌てて両手で口を塞ぐ。小声程度なら隣の部屋には聞こえないのだが、今の綾華はそのような細かいことを考える余裕など皆無だったのだ。
...以前、家で学んだことがある。
『殿方と姫君の交わる時、それが新たな命の誕生の時である』と。
具体的に『交わる』とはどういうことなのか、まだ幼かった綾華は理解しかねていた。大人たちに聞いても帰ってくるのは抽象的な答えだけ。
そして二年後、綾華は『交わる』についてトーマから初めて具体的に教わった。あの時の『結局いつかは知ることになるから』と苦虫を噛み潰したようなトーマの顔は今も脳裏に焼き付いている。
そしてまさに今それが行われているのだと、綾華は直感した。
実際の現場を抑えたことがある訳では無い。が、そんなものよりも確実な証拠になるものが、直接耳に飛び込んできたのだ。
「────っ!!」
先程の妄想時よりも二段階ほど赤さが増した顔全体を必死に抑える。落ち着こうと幾度となく深呼吸を重ねるが、心臓の鼓動を早くなるばかりだ。鈍る頭で打開策を考える。
まずい。非常にまずい。この状態をもし誰かに見られたら、他人の行為で興奮する変態令嬢などという野蛮なイメージがついてしまう恐れがある。
最悪のパターンは、その印象が真っ先に空に浸透してしまうこと。そして、今ここに来る確率が一番高いのも空。
故に、最も優先すべきなのはここからの脱出。
その結論に至った綾華は、予備動作無しで身体全体を床に沈ませ、同時に体内で氷元素を循環させる。完全に姿が見えなくなった綾華は、氷の霧を纏いながら猛烈なスピードで出入口へと向かった。
『神里流・霰歩』──綾華が独自で生み出したこの走行方法を、まさかこんな時にも使う羽目になるとは彼女自身も思ってもみなかった。
やがて階段に差し掛かった綾華は、『霰歩』状態を一時解除し、思い切って階段の最上段から一気に跳ぶ。
そのまま豪快に着地した綾華は、終末番もかくやという勢いで出口へと走り──
「....おお、誰かと思えば」
「!?」
あっけなく、近くの長椅子で寛いでいたとある浮浪人に捕まった。
「──ええっと、失礼を承知で伺いますが...とこがでお会いしましたか?」
息を整えつつ、堪忍してその少年に返す。
まだ赤面しているかもしれないが、今はまだ走った後だからという言い訳が通用する。何故旅館内で走ったのかと聞かれればそれで終わりだが、その場合は何とか誤魔化すしかない。
「そういえば、何気に顔を合わせるのは初めてにござるな。...拙者の名は楓原万葉。しがない浮浪人でござる」
「万葉さん、ですか。ここにいるということは、空...さんのお知り合いでしょうか」
「知り合いと称するには、些か寂しい。数々の修羅場を共に潜り抜けて来た、言わば盟友....戦友?と表現する方が適切でござる」
「──へえ、戦友....ですか」
大人しく『そうなのですか。では私は急いでいるので、ここで失礼致します』と適当に理由をつけて去ればいいもを、ここで綾華の負けず嫌いが出てしまう。
「申し遅れました。私の名は神里綾華。空さんとは、もう知り合って半年以上は経つかと」
「拙者が初めて会ったのは、璃月港のある船の上にござる」
「...一緒に、夜の散策に出かけたり、舞を披露したことも」
「稲妻に着くまでは大変だった...想定以上の乗員で、毎晩同じ布団に潜ったことも」
「ぐっ....あ、あとは....トーマと三人で鍋遊びをしたり....訓練という名目で刃を交えたことも」
「拙者も抵抗軍の合同練習で、何度か空と打ち合ったことはあるでござる。いい太刀筋であった」
「....え、えと...........」
「ああ、そういえば雷電将軍の『無想の一太刀』から空を護ったことも」
「───降参です...」
「な、何に?」
と、尽く空との思い出自慢対決に敗れた綾華は、当初の目的をすっかり忘れていた。
「...というか、貴方の私に対する接し方には驚きました。普通、稲妻人なら神里の名字を聞くだけで、畏まって固くなるのに....あ、いえ、強いている訳ではありませんよ」
「それは承知している。...当然、『白鷺の姫君』の名は存知していたし、自分とは格が違う其方に憧れを覚えてすらいた」
「では...何故ですか?」
不思議そうに首を傾げると、万葉はさも当然のように言った。
「だって、名字なんて所詮飾り物に過ぎないからでござる。いくら家系が豪華でも、そこに生まれてくるのは拙者と同じ人間。何を畏れることがあろうか」
「────」
瞬間、綾華はまたもや直感的に感じていた。『この人は、きっといい人だ』と。
「...そう、ですね。貴方の言う通りだと思います」
「ま、これは拙者個人の考えに過ぎないでござる。戯言として聞き流してくれて結構」
「とんでもない。その言葉、しっかりと胸に刻んでおきま───はっ!!」
突如として、今自分がどのような状況に立たされているのかを思い出した綾華は、こんな良い雰囲気で語っている場合ではないと気付く。
早い所、適当な理由をつけて退出せねば。
「そういえば、綾華殿もここへ泊まりに来たのでござるか?」
「えっ!?あっ、ま、まあそんな感じです!でも急に空さんに呼び出されてしまって!」
「ならここで待っているといい。拙者はこの後釣り堀にでも行こうかと考えている」
「い、いいですね釣り堀!私も先日遊ばせてもらったのですが、中々釣れなくて!特に苦鉄砲ふぐなんかはとても私の力では」
「...何故そんなに声が上ずっている?顔も赤い...風邪でござるか?」
心配そうに覗き込んでくる万葉に、綾華はますます紅潮する顔を背けながら、この場から逃れる方法を必死に模索する。
何なら彼を無視してこの場を突っ切るのも手だが、今初めて会った自分を心配してくれるような優しい人に背中を向けるのは何とも心苦しい。
どうにか誰も傷つけずに済ませる方法は無いものか...と悩んでいた、その時。
「───あ」
彼女の頭の中で、ある一つの案が思い浮かんだ。
「...万葉さん、少々お時間頂いてもよろしいでしょうか」
「ん?...まあ、別に構わないでござるが」
「貴方に確認して欲しいことがあります。着いてきてください」
それだけ言い残すと、綾華は顔を見せず落ち着いた足取りで再び二階への階段をのぼり始める。
その様子に少し不信感を覚えつつも、万葉はその後を追った。
やがて問題の部屋の前に到着すると、ようやく後ろを振り向き人差し指を口に当てる。
「ここでは、あまり大きな声を立てないよう用心してください」
「う、うむ...それで、拙者に確認して欲しいこととは...」
肝心の確認内容を聞かれ、咄嗟に顔が赤くなる綾華。
『大丈夫、さっきので慣れたから大丈夫...』と自分に言い聞かせながら、更に一段階ボリュームを落とした声で言った。
「...........恐らく、ですが....ここの二〇五号室にいる御二方は...その、今まさに....男女の契りというものを...」
「──ま、まさかその言葉を綾華殿の口から聞くことになるとは。人生、何が起こるか分からないでござるな」
「からかわないでください...!本当なんです、先程声を聞いたので間違いありません」
軽口を挟んだ万葉に綾華が怒っていると、少年は再び真剣な面持ちで綾華に耳打ちした。
「...では、拙者も声を聞いてその是非を確かめろ、と?しかし、ここの旅館の掟では他部屋の盗聴行為は禁止だと」
「それ以前にいかがわしい行為をすることも固く禁じられています...!この際、仕方なのないことです!後で空さんには私から謝っておきます、ですから、早く!」
「...本当に信じていいのでござるな?」
最後の警告の意で聞き返す万葉に、綾華は何の躊躇いもなく頷く。
それを見た万葉は、やがて綾華の異常な熱意に押されたのかしゃがんで聞き耳を立て始めた。
同じく綾華自身もドアにピッタリと張り付き、中の様子を窺う。
『.....ふぅ.......あー、そこそこ.......違う、もっと右の方』
『ここか?....にしても、かなり溜まっているな』
『ちょー!女の子にそんな事言わないでよ!』
「...ただの推測に過ぎないが、この男性は女性に対してに『まっさーじ』というのをしているのでは無いか?」
「まっさーじ....」
以前、空に教わった言葉だ。身体全体を揉みほぐし、蓄積した疲労を取り除く健康的にも意味がある行為。
確かに、『右の方』や『溜まっている』といった言葉がその『まっさーじ』中に出てきたものでもおかしくは無い。
「なんだ...私、早とちりしてしまったみたいですね」
「みたいでござるな。まあ、揉め事に発展しなくて何より」
単なる勘違いということで話が丸く収まりそうになった、その直後だった。
『痛っ!ちょっと、もう少し優しくしてよ〜!穴が広がっちゃうでしょ〜』
『そうは言っても...元々こういうのはあまり経験がない。この棒も長い割に意外と...』
『挿し入れする時はもっと慎重に──』
「───あぁ、うん、黒でござるな」
何かを悟ったような顔をした万葉がそう呟いたのは。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
とある偵察騎士の想念
それはとある日の昼下がり。
「そっ、そこのハトー!!待ちなさぁぁぁぁぁい!!」
「ちょっ...アン、アンバーっ!待って!」
彼女の甲高い声が森の中に響き渡る。足場の悪い木々の中を縦横無尽に駆け巡るその姿は、勢いよく跳ねる『兎』のようだ。
「あっ、ズルい!ついに飛んだわね!!だったら私も容赦しないわよ!!」
空に飛び上がる鳩に向けてそう叫んだ彼女は────
「────────それっっ」
崖に足をかけ、そのまま思い切り地面を蹴り鳥の如く背中から『風の翼』を広げた。その機動力、体力こそが取り柄であり、彼女が偵察騎士として誇りを持っている所以でもある。
鳩の足に引っかかっていた青光りする指輪を指で掠め取った後、その騎士は殆ど足音を立てずに着地した。
「はい、これ。今度は無くさないようにね?」
「あ...ありがとうございます!!」
そう言って手渡された指輪を、茶髪の男性は嬉々として受け取る。これで緊急依頼は完了、後は報酬品を受け取るだけだ...と浮かれていると、男性は一つ頭を下げそのまま去っていった。
「...え?何もなし?」
その男性の背中を見届けたまま大袈裟に肩を落とす俺に、アンバーは苦笑気味に答える。
「今回は緊急依頼だからね。正式に依頼として本部に提出してないものは、報酬品管理なんかも依頼人に一任してるんだよ」
「だからって、そこが曖昧なままだったら冒険者協会はただの便利屋さんになるぞ。そういうのはちゃんとしないと」
現に、最近では協会に依頼するまでもないしょうもない事を一々報告してくる輩も居るそうだ。せっかく代理団長が張り切っているのに、この現状では威厳も何もあったものではない。
同じ心境なのだろう、彼女────偵察騎士アンバーも肩を竦めた。
「しょうがないよ、私達じゃどうにもできない事だし...それはそうとして、空。私の依頼に付き合わせちゃってごめんね」
「大丈夫だよ、俺もここら辺に用事があって来たんだし。...まあ、あそこまで全力疾走するとは思わなかったけど」
そう言うと、アンバーは「えへへ...」と申し訳なさそうに頬をかいた。
そういえば初めて会った時も、度肝を抜かれるレベルの身のこなしで華麗に登場していた。流石、飛行大会三連覇のチャンピオンなだけある。
「...そうだ、お礼としてはなんだけど空の用事にも付き合ってあげる!」
「そうか?じゃ、お願いしようかな」
これは手っ取り早い、と密かにガッツポーズをすると、アンバーはなぜか意地悪そうな笑みを浮かべる。
「あれ?普段は遠慮がちな空が断らないってことは、それ程面倒な事なの?」
「よ、よく分かったな...。実は俺も依頼で、アカツキワイナリーの周辺まで行く所なんだ。腕っ節偵察騎士が居てくれれば助かる」
無意識にからかうと、彼女は可愛らしく頬を膨らませて腰に手を当てた。
「腕っ節って失礼な!...あれ?もしかして褒められてる?」
「はいはい、どっちでいいから早く行こう」
そう言って歩き出す俺を、アンバーは特徴的なリボンを整えながらてくてくとついてきた。
近頃────特にモンド周辺でヒルチャールたちの動きが活発化しつつあると、昨日ガイアが嘆息を漏らしていた。
ヒルチャールというのは千年以上も前から生息していたと言われている種族で、五百年前に起きた『暗黒の災い』と呼ばれる天変地異をきっかけにテイワット大陸中に広まったと言われている。
特徴としては、変な模様の入った仮面、蛮族衣装、黒い角、そして...俺と同じく、『神の目』に頼らずとも元素を扱う、と言った点。
種類や階級ごとによってその差は変動するものの、正直単体としての実力は見習い騎士といい勝負をする程度のものだ。俺やアンバーのような現役は誰に頼らずとも簡単に倒せてしまう。
ただ、それは単体での話だ。
これも頼れるガイア先輩から聞いた話なのだが...つい先日、ヒルチャールのアジトに討伐に出向いた一人の兵士が消息を絶ったという。その兵士は団長に及ばずともかなりの実力者だったそうで、今までの同様の任務も難なくこなしてきた。故に、今回は悪い慣れが出てしまったのかもしれない。
そして彼が敗れたもう一つの要因────これがヒルチャールの怖い所でもある、
奴らは、基本的には俺ら人間を見つけると必ずと言っていいほど仲間を2、3人は連れて突進してくる。太古の昔はそのように頭を使ってはいなかったようだが、今や水と氷を操り氷漬けにしてくる厄介なシャーマンコンビも見かけるくらい発達しているということだ。
交渉は無駄、出会ったら最後どちらかの命が潰えるまで刃を振るうしか出来ない────少しの油断が命取りになる。
そして今回、俺が引き受けた依頼もその兵士と同じような討伐ものだった。ガイアの話を聞く前は一人でも余裕だと思っていたが、その話を聞いてしまった以上なるべくソロでの活動は控えたい。
よって、たまたま近くで走り回っていたアンバーの依頼を手伝い、逆に俺の分も付き合ってもらおうという寸法だ。
────少し性格は悪いかもしれないが。
「Nini zido!!」
相変わらず理解出来ない言語を話す戦士のヒルチャール。その鳩尾に愛剣を叩き込み、
「荒星ッッ!!」
吹っ飛ばされて倒れ込む小柄な身体に、俺は握り拳を作って相手に翳した。
直後、地盤の真底から岩元素と共鳴した岩石がその身体を突き飛ばす。黒い影に包まれ、同時に戦利品をそこら中に落とした。
これで近くの戦士たちは一掃できた。
「矢先...仮面...絵巻...と」
ざっと十五匹程度は倒したか。若干、シャーマンの水攻撃には苦戦したものの難なく予定通りにに全滅させることができた。
さて、あちらの方は...。
「────これで、終わり...っ!!」
その掛け声と共に天空から炎の矢が出現した。
その一つ一つが紅蓮の雨となり、ヒルチャールたちの脳天を衝く。悲鳴をあげる暇もなくその姿を黒い灰へと変えた戦士たちに、偵察騎士は特に疲れた素振りも見せず弓を背中にしまった。
今のは炎元素と彼女特有の矢の撃ち方を組み合わせ応用させたものだ。広範囲に攻撃出来る且つ相手を燃焼状態にもできる、使い勝手のいい技。
なるほど、偵察騎士の名も伊達じゃないな。
「お疲れ、アンバー」
冷水の入った小瓶を投げると、アンバーはそれを両手で受け取り「ありがと!」と言って口をつけた。
そのまま一気に飲み干した後、上品にハンカチで口元を拭い立ち上がる。
「この水、なんか酸っぱくて美味しいね」
「璃月のとある店で売ってたんだよ。ラズベリーの果汁と塩を溶かして作ったらしいよ」
あの店のシェフは料理の腕こそ確かだが、時々とんでもないハズレ料理を食べさせられることもある為、彼女の前で何でもホイホイと口に入れるのはあまりオススメしない。
「......」
と、隣に並んで立っている少女が、どこか寂しそうな目つきで辺りの残骸を見渡していることに気づいた。
「...疲れてるの?」
「───あ、いや。全然だよ!...ただ、何だか寂しいなぁ、って」
「寂しい...?」
「ん。...........ヒルチャールたちとの争いは、いつ終わるのかなって」
瞬間、俺は息を呑んだ。
ヒルチャールとの長い戦い。それは古くから人が抱えてきた問題であり、長年冒険者たちが頭を抱える導因でもある。
彼等との対話や和解を持ち掛ける心優しい人間も少なからずいる。しかし、それを以てしても、未だに人間とヒルチャールは敵対関係にあるのだ。
勿論それは、俺やアンバーを含む西風騎士団の者による殺戮行為も一つの原因だ。
だからといって、こちらに何の抵抗もさせず易々と殺される義務もない。奴らが襲ってきたら、殺す。それだけ。
故に────彼女は、少し複雑な心境なのだろう。この悪循環の環境下で、自分の気持ちに正直になれず任務をこなす。その過程でヒルチャールを殺すこともある筈だ。
「......」
ぶっちゃけ、個人的にはこの状況が一変し────例えば人間とヒルチャールの間に横たわる深い傷がたちまち癒え、種族関係なく手をとりあえるような────安泰な日々が訪れる、なんていうのは夢物語に過ぎないと思う。もしどちらか一方が手を差し伸べても、もう片方にとって自分たちの種族が被害にあったという事実は消える訳では無い。逆のパターンもまた然り。
そもそも、お互い守るものも目的も違うのだ。その時点で和解など希望的観測に過ぎないのだと、誰でも分かる。
...それでも尚、この少女は模索し続けているのだ。そんな希望的観測を現実に手繰り寄せる、何かを。
「...アンバーは、アンバーの好きにすればいいと思うよ」
「────え?」
暫く互いの間に気まずい空気が流れた中。唐突に口を開いた俺に、少女は思わず声を漏らした。
「まあ...俺はモナみたいな占星術師じゃないからアンバーの本心なんてよく分からないけど。でも、少なくとも、君の胸に在り続けるその思いは偽物じゃない」
周りの意見など、所詮他人が考えたものだ。聞く価値もない。
「正直...ヒルチャールとの和解なんて、俺は絶対無理だと思う。普通に考えて。...でもこれはあくまで俺の意見だ」
目を見開いたまま固まる少女と向かい合い、その双眸を真っ直ぐ見ながら。
「だから、その、要するに...」
「......ふふふっ」
肝心な所で言葉が見つからず、急にしどろもどろになる俺を見て、無言だったアンバーが不意に笑い声を上げた。
「もしかして...空、慰めてくれてる?」
「ま、まあ...そんな感じ」
すると、少女は────心做しか少し頬を赤らめ、照れるようにはにかんだ。
「うん。────ありがとう、もう大丈夫!」
すっかりいつもの調子に戻ったアンバーを見て、俺も「そっか」と息を吐いた。
彼女が抱えている問題の答えは、これから彼女自身が見つけるものだ。それがどのようなものでも、俺は一友人としてその過程を見届けるだけ。
と、二人の後方から何かが跳ねるような音が聞こえ、俺とアンバーは同時にその方向を向いた。
「......ん?」
鮮やかな薄紅色の花弁をつけた綺麗な一輪の花────否、それが頭から生えた白くて丸っこい物体。
...が、薄赤く明滅している。
────ん?
「.....っ、空、危ないっ!!」
そんな焦燥に駆り立てられた声と同時に何か柔らかいものが俺の胸に触れ、
直後、熱風が俺たちを包み込んだ。
..................。
............。
........。
...え、もしかして死んだ?
「....え、縁起でもないこと言わないでよぉ〜...びっくりした...」
意識が覚醒した直後、凄く顔と近い場所から聞き慣れた声が聞こえ、俺はゆっくりと瞼を開ける。というかやけに身体が重い。
それに、先程から誰かの息遣いが顔にかかって...。
「────あ」
徐々にピントが合う視界に映し出されたのは...頬を赤らめるアンバーの顔。
謎の爆風から俺を庇ったアンバーが、そのまま俺に抱きつくように倒れ込んでいるということに気付くのに差程かからなかった。
「......ごっ、ごご、ごめん!!私ったら、つい...!!」
跳ね上がるように身体を起こし俺から距離をとる少女。
「あ、いや...こちらこそ。怪我とかない?」
「う、うん!大丈夫!この通り!!」
そう言って空中で体を捻り、綺麗な一回転を披露した。
「...にしても、なんだ今の爆発」
後ろを振り返ると、先程爆発が起きたと思われる場所には黒い焦げ跡が複数ついていた。元素視覚を通して見てみる限り、単なる炎ではなく炎元素のものだろう。
「うん...私の『ウサギ伯爵』が誤作動したのかと思ったけど、それにしては爆発が小規模すぎるし...それにこの数も」
見たところ、比較的小さめなサイズの爆弾がどこからともなく飛んできたようだ。衝撃こそ凄まじかったが、それでも彼女の言う通り、アンバーが愛用するあのぬいぐるみに比べれば少し優しめだった。
もしかしたら誰かに付け狙われているのかも...と危惧した俺はアンバーの方を振り返り、
「アンバーお姉ちゃん、栄誉騎士さんっ!大丈夫!?」
同時に向かいの草むらから小さな人影が飛び出してきた。その可愛らしい声を聞けば、もはや不審者だと疑う必要もなく────。
「あちゃー...クレー、また失敗しちゃった...」
赤を基調としたミニドレスに身を包むその正体は、冒険者協会本部の『反省室の主』こと《火花騎士》のクレーだった。
ちなみにその渾名は、今はモンドでお昼寝中のパイモンが最近勝手につけたものである。
「クレーちゃん...!あっ、もしかして今の爆発は...」
アンバーがわざとらしく腕を組んで軽く睨むと、クレーは「違うの!」と首を振った。
「えっと、その、...びゅーんって、ものすごい強い風が吹いて、飛ばされちゃったの!」
「...今日は風なんて吹いてないけど?」
悪戯な笑顔を浮かべ問い詰めるアンバー。
「...あの、急にこの子たちが言うこと聞かなくて!」
「クレーちゃんの小さな爆弾には、理性なんて宿ってないでしょ?」
なおも言い訳を続けるクレーに、アンバーは「クレーちゃん?」と言う。
「......嘘ついたら、ジン団長に言いつけて一日中反省室の刑に...」
「わーーっ!!それだけはやめてー!!」
ジン団長、というワードが出た瞬間血相を変えたクレー。
「...ご、ごめんなさい...。実は、ここら辺を散歩してる時につい落っことしちゃって...」
...やっぱり。
最近ヒルチャールの主没率が増えていると言ったが、それと同じくらいクレーによる被害の件数も増えている。
勿論故意的にやっている訳ではないのだろうが、時にこうやってクレーが不注意に落とした爆弾が冒険者の周囲にまで転がることがあるのだ。
ちなみにこうやって迷惑をかけた場合、団長の命令により反省室送りにされる。
彼女自身も、反省室がとれだけ退屈で無聊を託つような場所かは身に染みて感じているのだろう、多分。
...何やら最近は部屋の中からバチバチ音がするらしいが。
「お願い!ジン団長には秘密にしておいて!今日はちょっと、大切な用事があって...」
「うーん...いつもなら問答無用で団長に報告だけど...ふむ、大切な用事かー...」
考え込むように唸るアンバーは、不意にこちらに目を向け、
「じゃあ、空が許してくれたらいいよ」
「えっ」
ここでまさか、こちらに振ってくるとは。
クレーが期待の意を含んだ眼差しでこちらを上目遣いに見つめる。
「え、栄誉騎士さん...!」
「...うーん」
特に誰も傷つけていないし、本心からすれば二つ返事で許してあげたいのだが。ここでいい加減に許してしまえば彼女の為にならないのでは。
ジン団長も言っていた。「時には厳しく当たるのも、その人の為だ」と。
...........。
しばらく悩んだ後。
「...分かった。反省室は免除するように、俺から団長に言ってあげるよ」
「...!ありがとう、栄誉騎士さ────」
「でも」
顔に喜色を浮かべる小さな少女の眼前で、人差し指と中指をを立てる。
「条件が二つある。...一つ目。アンバーと一緒でいいから、ちゃんとジン団長に報告すること」
「う、うん...クレー、良い子だからできるよ...!」
その様子を見て、アンバーも微笑ましげに笑った。大なり小なり、自分の侵した罪を秘匿するような悪い子ではないと、俺もアンバーも知っている。
そしてもう一つ、これはこの件と全く関係ないのだが...。
「...で、二つ目は────そろそろ俺の名前、覚えて?」
実は意外と、クレーが未だに『空』と呼んでくれないのが悲しかったりするのだ。
「...ホントに元気だよねぇ」
「元気っていうか...まあ確かに、年に見合わない程エネルギッシュではあるけど」
スイートフラワーの咲き誇る道をたったか駆けていく少女の背中を二人で見ながら、呟くように言った。
元気すぎるせいで周りを振り回すことも多々あるが、それでも彼女の戦力的には西風騎士団の秘密兵器と言っても過言ではない。どんな種類であろうとヒルチャールたちを完膚なきまでに爆撃し尽くすその赫然たる姿は、どの冒険者にとっても頼もしい存在だ。
無論、その最中に迂闊に近寄った冒険者も完膚なきまでに爆撃されるが。
「────じゃあ、私ももう行くね。流石の私でもそろそろ追いつけなくなっちゃう」
「ん、そうだな。ちゃんと本部まで送り届けてくれよ」
その言葉に、アンバーはお馴染みの敬礼のポーズをして応えた。
「...空、あの」
少女は少し恥ずかしげにしてこちらを横目で見る。
「今さっき、私に言ってくれた言葉だけど」
「あ、ああ。それがどうかしたか」
「......私なりに考えてみようと思うよ。まだまだ時間はあるんだし!それに、私には頼れる仲間がたっくさんいるから!」
その仲間とは具体的に誰を指すのか訊ねたかったが、俺の表情を見透かしたアンバーは「ふふふっ」と軽く笑った。
「もちろん、空も頼もしい友達だよ!」
「いや別に、その心配はしてないけど...。でも良かった。もしかしたら、俺のせいで思い詰めさせたんじゃないかって心配で」
「まさか!...嬉しかったよ?」
よく妹やパイモンから『口下手』だと茶化されたものだ。自覚もある。
それでも、ちゃんと俺の思いを伝えられて良かった。
「...と、じゃあね、空!またどこかで!」
「じゃあなー」
と俺が手を振った時には既に、アンバーは翼を広げて飛び立っていた。
...しかし、ヒルチャールとの和解か。
璃月港への道のり、ヒルチャールたちの巣窟を岩越しに見張りながら俺はふと考えた。
今まで彼等との和解を考えたことは一度もなかった。
言い方は悪いが、彼女の甘えた部分もあるだろう。そんなことを今更言ったってどうしようも無いことも分かっている。
それでも、少女は自分自身に素直になっていた。理想の実現が不可能だとしても、それを可能にする為に日々最善の選択をしている。
それに比べ、俺は────。
「Nini zido!Kundala!」
と、そこで奴等の怒号が聞こえ、俺の思考はやむ無く中断させることとなった。
そうだ。俺自身が言った言葉ではないか。
アンバーは、ヒルチャールとの和解を夢見ている。だがそれは俺には関係の無いことだ。
俺は、俺の思うまま、信じたままにやる。
────────妹を、
「...は、馬鹿馬鹿しい」
そう独り言を漏らし、俺は愛剣の柄を握った。
「ねえ、クレーちゃん」
モンド城門の手前で、ふと立ち止まり前を歩いていた少女に声をかける。
「ん?アンバーお姉ちゃん、どうしたの?」
その小さすぎる背中には荷が重すぎる問いかもしれないが、それでも私は一人の騎士の考えを聞いてみたかった。
「クレーちゃんはさ...。ヒルチャールについて、どう思ってる?」
遅れながら、何とも抽象的な物言いだと悔いた。しかしクレーは困惑する様子も見せず、柔らかい声音で答える。
「ひるちゃーる?...んー、クレーにはよく分かんないけど...でもジン団長にお願いされたことはちゃんとやってるよ?」
「...そっかー...」
まあ、予想通りの返答だ。というか誰でもこのように答えるだろう。
私自身でさえ、本当の自分の気持ちに気づけないでいるのに。
「...どうしたの?」
「んん、何でもないよ。ただ─────」
確かに、あの少年の言う通りだ。
周りの評価や意見なんて気にしない、自分の存意を貫くだけ。
「私ももっと、強くならないとなぁって。身体も心も」
「???」
「ごめんごめん、意味わからなかったよね。忘れて」
取り敢えず、今は目の前のことをこなせるようにしよう。
まだ時間はたっぷりあるのだから。
「ちなみにアンバーお姉ちゃん...今さっき、栄誉き...空お兄ちゃんと何してたの?一緒にお昼寝してたの?」
「あっ...ち、違っ!あれは誤解で────────!」
目次 感想へのリンク しおりを挟む