【完結】さあ、振り切るぜ (兼六園)
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9.8秒、それがお前達の絶望までのタイムだ

Q.TS設定いる?
A.俺に質問をするな

Q.仮面ライダーアクセルですよね?
A.俺に質問をするな

Q.バクシンバクシンバクシーン!!
A.………………。


 ──日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園。試験を経てやって来た新米トレーナー・柏崎は、まだ見ぬウマ娘との出会いを求めて敷地内を歩いていた。

 

 が、しかし、待っていたのは殆どが他トレーナーとの契約を済ませてしまっているという事実。同期の桐生院トレーナーですら、隣にはハッピーミークなるウマ娘が立っている。完全に出遅れた。そう悟るのに時間は掛からなかった。

 

 とはいっても、未契約のウマ娘は居るには居る。だが広い土地でそんなウマ娘と出会えるかという運からも見放されたと、そう柏崎が独りごつその時、ベンチに座る彼女の体に影が差した。

 

「…………ぁえ?」

「いよぉーう、なにしてんだぁ?」

「──どぉわっ!? 誰!?」

「っおいおいおぉ~い! このアタシを知らねぇたあおめーさんどこ中だあぁん!?」

「ひぇえ」

 

 ベンチの背もたれに仰け反るように高身長のウマ娘から逃れようとする柏崎は、自然と眼前の少女を見上げる。芦毛の銀髪を腰まで伸ばし、愉快そうに口角を吊り上げるその少女は──

 

「アタシぁゴールドシップ様だ。あ、たこ焼き食う? たこ入ってねーけど」

「ただの焼きじゃん……」

「へっへっへ」

 

 ──そう言って、快活そうに笑った。

 

 

「──なぁるほど、会うウマ娘全員が契約済みだったと。脳を破壊されちまったな」

「いや元から寝取られてないし」

「ん~アタシとしても新米トレーナーを助けるべく契約してやらんこともないんだが」

「……えっ、ちょっ……なんですか?」

 

 ずいっ、と顔を近づけるゴールドシップが、柏崎の顔を覗き込む。

 

「噂を知ってっか?」

「う、噂?」

「そー。このトレセン学園にはな、怪物が居るんだよ。てなわけで」

 

 片方の眉を吊り上げてふぅんと鼻を鳴らし、それからよしっと意気込んで立ち上がった。

 

「これからおもしれーとこに連れてってやる」

「えっ──うぉおおっ!?」

「おいおい女の子がなんて声出してやがる……まあ落ち着いてたこ焼き食えよ」

「だからそれ焼きじゃん!」

「へっ、アタシのギャグもキレが落ちたな。焼きが回っちまったよ、たこだけに」

 

 ──このウマ娘はなんなんだ。柏崎は、小脇に抱えられながらそんな事を考えていた。

 暫くして柏崎が下ろされたのは、食堂に入ってからだった。ウマ娘たちが利用する食堂には多種多様、様々なウマ娘が出入りしている。

 

「……ここで何を?」

「あん? まあ待て、とりあえず座んな」

「はあ……」

「んで、適当に聞き耳立てとけ。あとはしぜぇんと行きたい場所が見えてくっからよ」

 

 ──そいじゃ、アバヨぅ! と言って、ゴールドシップは柏崎の方を向いたまま滑らかな動きでバックステップして出ていった。

 

「なんだったんだアイツまじで……」

 

 ちらちらと辺りから向けられる目線に羞恥を覚えつつ、やることも無いため柏崎は言われた通りに聞き耳を立てる。

 それから暫くして、彼女は、聞こえてきた言葉に目を見開いた。

 

 

 曰く、最速のウマ娘が居る。

 曰く、何度もトレーナーと解約している

 曰く、トレーナーを必要としていない

 

 曰く、曰く、曰く。

 

「────!!」

 

 言葉が聞こえてくる度に、興味がそそられる。トレーナーを必要としていない。それはつまり、誰とも契約していないということ。

 自分もまた必要とされないのではないか? そんな疑問が脳裏を過るよりも早く、噂の真偽を確かめようと柏崎の足は動いていた。

 

 

 

 

 ちょうどレースが始まるトラックに到着した柏崎は、観客席から出走ウマ娘を見渡す。

 

「あっ、柏崎トレーナーっ」

「……桐生院トレーナー」

 

 不意に聞こえる声に顔を向けると、パタパタと小走りするくだんの同期、桐生院葵が、ウマ娘──ハッピーミークを連れて駆け寄ってきた。

 

「ハッピーミーク……ということは、このレースには出ていないんですね」

「はい」

「柏崎トレーナーはどうされたんですか? もしかしてウマ娘と契約して早速レースに?」

 

 ……嫌味か貴様。等とは思っても言わないようにしつつ、柏崎は素直に理由を話す。

 

「噂の『最速のウマ娘』とやらを見に来たんですよ。桐生院トレーナーはご存じで?」

「ええ! そのウマ娘はあの子ですよ」

 

 ──ほら、あの子。そう言って桐生院が指差した先に目線をやると、そこには紺色の髪を伸ばし、一房だけ白いメッシュという不思議な色合いのウマ娘がゲート付近に立っていた。

 

「──『アクセルトライアル』、『逃げ』を得意とするポピュラーなスピード特化のウマ娘ですね。私もレースを見るのは初めてです」

「そりゃ私と同期なんだから今回が初めてでしょうよ……言っちゃなんだが普通ですね。最速と言うからには速いのでしょうが」

 

 噂の一人歩きか? などと考えていると、ふとアクセルトライアルの横に立っているウマ娘と目が合う。うげっ、とは柏崎の声だ。

 

 

「おん? ──おー、さっきのトレーナーじゃねえかー! おぉーい! ぴすぴーす!」

 

 ゲートに入ろうとする寸前で柏崎を見つけたゴールドシップが、観客席を見ながら両手で交互にピースサインを作って笑う。当然だが、これからレースというときにそんなことをされては困ると、スタッフが慌てて駆け付けた。

 

「あっ、おいこらっ離せちくしょー! アタシが何をしたってんだーっ!!」

 

 ──ゲートに入らないからですよ! 

 ──このやり取り何回目だよ!! 

 

 そんなスタッフの声がゲートの近くから聞こえてくる。どうやら頻繁に起きているらしいゴールドシップが羽交い締めにされてゲートに押し込まれる光景を前にした柏崎だが──

 

「……っ!!」

「────」

 

 バチリと、アクセルトライアルと目が合った。ゴールドシップの隣のゲートなのだから、騒ぎの元に目線を向けるのは当然である。

 黄色とオレンジの中間のような、暖色系の瞳が柏崎を見る。しかしレースが始まるからと、顔を逸らして前に向き直った。

 

 それから一拍間を置いて、ゲートが開放される。先頭に躍り出たアクセルトライアルの動きは、ごく一般的な、良く鍛えられている速いウマ娘のお手本のようなフォームで──

 

 

「……やはり、普通のウマ娘ですね」

「しかし、それなら何故『最速のウマ娘』などと呼ばれているのでしょう?」

「さあ」

 

 見栄を張りたい年頃なのでしょう。そう言って嘆息をもらす柏崎は、カッコつけたがるウマ娘はごまんと居ると思案する。

 そろそろフリーのウマ娘を探さなければ、そんなことを小声で呟いて踵を返そうとしたとき、ふと──疑問が湧いた。

 

「……逃げているにしては、ずっと先頭に居ますね、アクセルトライアル」

 

 ──そう、アクセルトライアルは常に先頭を走っている。いくら『逃げ』の作戦がずっと前を走り続けるものとはいえ、生き物は走れば疲れる。そしてレースの途中で誰かと並走したり、抜かれたりするものだ。なのに、アクセルトライアルは最終コーナーに差し掛かってもまだ前に居る。

 

 だが最後の直線、遂に『追込』のゴールドシップが、同じく『逃げ』のサクラバクシンオーが、『先行』のトウカイテイオーが追い縋る。

 徐々にアクセルトライアルに並ばんとするウマ娘達を観客席で見守っている客・トレーナー達は──ぞわりと、肌が粟立つのを感じた。ラスト、ゴール直前。時間にしてあと約20秒。

 

 とうとう追い抜かれるかと思われたアクセルトライアルの纏う空気が切り替わる。

 柏崎は、彼女が次の一歩を深く踏み込むのをなんとか視認し──ドンッ!!! という爆発かと勘違いするほどの音を耳にした。

 

「なっ……!?」

「……そんな馬鹿な」

 

 桐生院が、そして柏崎が驚愕する。

 アクセルトライアルは全力を出している。余力を残しているようには見えない。なのに、彼女は、()()()()()()()()()()

 

 後方から追い付かんとしていたウマ娘全員を引き離し、まるで一条の線のような残像を残してゴールする。ザザザッとブレーキを掛け、立ち止まったアクセルトライアルは、数秒の間を置いてゴールしてきたウマ娘に振り返り淡々と告げる。

 

 

「9.8秒、それがお前達の絶望までのタイムだ」

 

 

 おおよそ健闘を称えているとは思えないセリフに、しかして2着3着とゴールしてきたゴールドシップたちは苛立つ様子を見せない。

 何か会話をしているように見える動きを確認した柏崎は、アクセルトライアルが控え室に戻る通路に向かって走っていった。

 

「……あれっ? 柏崎トレーナー?」

「あの人なら走っていきましたよ」

「──そうですか」

 

 

 

 

 

 ──通路を歩くアクセルトライアルに追い付いた柏崎は、息を整える間もなく声を荒らげる。

 

「あ、アクセルトライアルっ!!」

「……なんだ」

 

 元々そういう喋り方なのだろうが、不思議と不機嫌に聞こえる声色。

 アクセルトライアルの声に一瞬怯みながらも、それでも柏崎が続ける。

 

「さっきのレース、見ましたっ……」

 

 深呼吸で息を整えて、更に話す。

 

「──私と、契約しませんか」

「……お前も俺の噂を耳にした輩か」

「『最速のウマ娘』、あの意味を、あのレースで理解しました」

「ならば『何度もトレーナーと解約した』という噂だって聞いているだろう」

 

 一歩近づき、アクセルトライアルは柏崎の顔をじっと見る。暖色系の瞳が、僅かに揺れた。

 

「俺は俺の足を理解している。どう訓練すればいいのかもわかる。俺と組めば一躍人気者に、などと考える浅い連中は、自分が必要とされていないとわかると勝手に失望して消えた」

 

「……それが解約の理由」

 

 そこでようやく、柏崎はアクセルトライアルの瞳が揺れた理由を察した。自分の足の速さしか見ない連中に勝手に期待され、勝手に自分は不必要だと察して失望される。辛くないわけがない。

 

 柏崎の頭の中にあった『あわよくば契約できればラッキー』と、先人トレーナーの浅はかな考えの、いったい何が違うというのか。

 トレーナーがアクセルトライアルに失望するというのなら、アクセルトライアルだって、トレーナーに失望するだろう。

 

「お前と組んで何になる?」

「……そ、れは……」

「……他にもっと、俺よりマシなウマ娘は居る。そいつと組んで、大会に出してやれ」

「────それだ!!」

「なに……?」

 

 僅かにアクセルトライアルを見上げる身長差の柏崎が、思い付いたように声を跳ねさせる。疑問符を浮かべた彼女に、柏崎は提案をした。

 

「アクセルトライアル、私と契約すれば、貴女は大会に出られる。練習レースで燻っている()()()()()()()()の貴女を、私なら名実ともに『最速のウマ娘』にしてやれる。どうかな?」

 

「──ふっ、なるほど。そう来るか」

 

「訓練は勝手にやればいい。『トレーナーと契約したウマ娘』という事実があれば、自主トレーニングとは比にならない質の高いトレーニング設備を自由に使うことも出来る」

 

 ──それはつまり、完全な放任主義。

 強いウマ娘を強くしたいなら、訓練方法を理解しているウマ娘本人に任せてしまえばいい。

 その間に他のウマ娘と更に契約してそちらに専念すれば、結果的に複数の強いウマ娘を輩出したとしてトレーナーの評価も上がる。

 

 まるで法の穴を突くような悪魔の契約。柏崎の提案に逡巡したアクセルトライアルは、愉快なものを見るような顔で頷いて見せた。

 

「良いだろう。悪魔(トレーナー)と相乗りしてやる」

「今とんでもない呼び方しませんでした?」

「俺に質問をするな」

 

 キッパリと断言するアクセルトライアルに困ったような笑みを浮かべ、柏崎と彼女は握手をしようと手を伸ばし────

 

「ぅおっしゃあ──! ゴルシちゃん、敵将討ち取ったりぃぃぃぃぃ!!」

「ぬわ────っ!?」

 

 柏崎が背後から麻袋を被せられ、一人のウマ娘──ゴールドシップに担ぎ上げられる。

 

「およ、()クセルじゃん。計算終わった?」

()クセルだ。それで、そいつをどうするつもりだ? 食べるのか?」

「流石のゴルシちゃんも人は食わねえよ」

 

 た、食べ!? と悶える麻袋に目線を向けるアクセルトライアルに、ゴールドシップは親指を立ててウインクすると言葉を返した。

 

「アタシたちでチーム組もうぜっ」

「……俺は今しがたその麻袋の中身と契約する寸前だったのだから構わんが、ゴールドシップ……お前は何がしたいんだ?」

「えっ……楽しそうだから?」

「────そうか」

 

 あっけらかんと言い放ち、柏崎を担いだまま外へと駆けて行く。

 ドップラー効果で遠退いて行く悲鳴に混じって、ゴールドシップの声が聞こえた。

 

「アタシの秘密基地で待ってるゼ──ット!」

 

 残されたアクセルトライアルは、重苦しいため息をついて、汗を払うように後ろ髪をばさりと持ち上げて扇状に広げる。それからポツリと低い声でしみじみと呟いた。

 

「馬の時とそう変わらんな、あいつ」

 

 

 

 

 

 ──拝啓、前世の俺へ。『お前、来世で馬と同じ名前の陸上選手と一緒に走ることになるよ』って言われたときの反応が見たいです。敬具

 

 ケモ耳っ子に生まれ変わったと思ったら陸上選手への道を強制されて十数年。

 トレーナーと契約したり解約したり足を肉体改造したりトレーナーと契約したり解約したり。

 そろそろ実家に帰ろうかなあなどと考えていた時、『契約だけするから勝手に走れ』とかいうクレイジーな発想に至るトレーナーをゴルシに取られまたしたとさ。

 

 馬のゴルシもウマ娘のゴルシも頭が良いからこその馬鹿さ加減を見せてくれて嬉しいよ。それはそれとして人のトレーナーを取るな。

 

「……チーム、か。アイツも呼ぶべきだが、受け入れられるかどうか疑問だな……」

 

 俺の『ラストに10秒だけ加速する足』を生み出したウマ娘も連れていった方が良いかと考えながら、俺はその場を後にした。

 尚、麻袋を抱えた変なウマ娘の行き先は簡単に知ることが出来たことは余談である。

 

 

 

 

 

 ──これは、自分を含め、ウマ娘というキテレツな生命体がなんなのかいまいちよく分かっていない、最速のウマ娘の話。




(なんで動物の馬と同じ名前のケモ耳っ子と一緒に走っているのか一切合切分からないので頼むから)俺に質問をするな


『アクセルトライアル』
・長所:マイル~中距離なら無敗
・短所:長距離は苦手(10秒加速込みで4~6着)
・10秒加速はとあるウマ娘と開発した
・前世の自分の記憶はほとんど無いが、流石に馬と同じ名前のケモ耳っ子陸上選手が居た覚えはないので別世界と捉えている。


(続か)ないです


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トレーナーの形をした知恵の輪

失踪するので疾走します。

※一部キャラに独自設定を加えております。お読みの際はご注意下さい


 何人かのウマ娘に話を聞き、麻袋を担いだ銀髪のウマ娘──ゴルシを探して数分。

 校舎から外れたところにポツンと置かれたプレハブ小屋を見付けると、俺の隣で電動の駆動音を奏でて動いているツレが口を開いた。

 

「それにしても、アクセルがまたトレーナーと契約したと聞いたときは驚いたものだが、まさか君の方が乗り気になっているとはいやまったく更に驚きだ。明日は槍でも降るのかな?」

 

「そんなに驚くことか」

 

「ああ驚くとも。元より酔狂なウマ娘だとは思っていたが、前回で6回目の解約だったのだぞ? 模擬レースで実力を示しているから私のように退学させられそうになることは無くとも、遂には人が寄り付かなくなっていたじゃないか」

 

 ウイ────ンと音を出して、俺の前に躍り出てバック走行をするツレ。

 

「酔狂に関してはお前が言うな。俺としても乗り気では無かったが……あのトレーナーは自分から『契約だけしてやるから勝手に走れ』と宣ったんだ、良くも悪くも他とは違う」

 

「ふっ、どうだか」

 

「──それに、大会に出走すれば模擬レースとは段違いの実力のウマ娘と走ることが出来るんだ。お前のデータ収集の効率も上がるだろう」

 

「……まあ、そうだけどもね」

 

 そう言って、俺と並走するツレ。或いは友人、或いは──共犯者。

 そんな彼女の代わりにプレハブ小屋の扉のノブを掴み捻ると、呆気なく開いた。

 

「おい、ゴールドシップ。人のトレーナーを何処にやっ……た……」

「──おやおやおや」

 

 中に入って辺りを見回すも、ゴールドシップは居なかった。その代わりに、床には──大量の縄で全身をぐるぐる巻きにされ、腕のある筈の位置から右足が伸び、背中から腕が生え、窮屈さにぐったりとしているトレーナーが落ちていた。

 

 ……いや、その……なにこれ。

 

「トレーナーの形をした知恵の輪……」

「…………いえ……知恵の輪みたいなトレーナーです……た、助けて……」

「これが例のトレーナーくんかい? なんというかまぁ、愉快そうな形をしてるじゃないか」

 

 愉快で済むかなぁ。

 ウマ娘特有の腕力にものを言わせて縄を引きちぎり、子供が遊んだあとのポテトヘッドのようになっていたトレーナーを救出する。

 

 おおよそ人体の構造の限界とは何かを考えさせられるような方向に関節が曲がっていたような気がするが、トレーナーは首の骨をボキボキと鳴らすだけだった。頑丈だなこの人……。

 

「何があったんだ」

 

「……ゴールドシップにここに押し込められて、逃げようとしたら縄でぐるぐる巻きに。(くだん)のあん畜生は『チームメンバー集めてくるゼ──ット!』とかいって出ていきました」

 

「おやおや、それはまた。災難だったようだねぇトレーナー7号くん」

 

「……えーっと、貴女はいったい? というか7号ってなんですか」

 

 トレーナーは、扉の横で()()()()()()()()()、こちらを見ながらくつくつと娯楽を観戦するように笑っているウマ娘に目線を向ける。

 

「私かい? ああなんてことはない。私はアクセルの共犯者、或いは友人、或いはツレさ。共に限界の先の最果ての向こう側を目指す、ね」

 

 パタパタと、袖を余らせた白衣の手元を揺らして、()()()()()()()()はそう言った。

 

「……あの、アクセルトライアル。7号ってなんの意味で言ってるんですか?」

「俺と契約したトレーナーがお前で7人目という意味だ。タキオンは今頃脳内で『お前がいつ契約を破棄するか』で賭けをしている頃だな」

「ネタバラしなんて酷いじゃないか」

「はあ……ちなみに最高オッズは?」

「当日」

 

 さらりと言い放つタキオンの顔を見て、トレーナーは恐らく察したのだろう。『過去に、当日に辞めたトレーナーが居た』のだと。

 

「まあ、その賭けは失敗に終わるのでいいとして、あー……タキオン? もウマ娘ですよね、その車椅子は、足に不調が?」

「それについては──全員揃ってからにするというのはどうかな?」

 

 ──へっ、と間抜けな声を漏らしたトレーナーだが、俺とタキオンの耳は外から何者かが走ってくる騒がしい音を聞き付けた。

 

「────ゴォォォォォル! 蟹──! 油──! 醤油──! 歯ブラシご──しご──しゴォォォォォシ!!」

 

 バァン! と扉を蹴破って、芦毛の少女が、見覚えのある麻袋を肩に担いで入ってきた。

 あらかじめ扉横に居たタキオンに当たることは無かったが……また誰か連れてきたなコイツ。

 

「……おっ、なんだよアクセルもう来てたのかよー。折角クリスマスプレゼント持ってきたのに、サプライズになんねーじゃーん」

「まだクリスマスではないが」

「ゴールドシップ! 人のこと縄で縛るとか何を考えてるんだお前は!」

「あーん? そりゃあ逃げようとする方が悪いってジュネーブ条約にも記されてるだろ」

「記されとらんわ!」

 

 あーよっこいせっ、と言いながら、ゴルシは麻袋を雑に床に置く。

 中から「きゃんっ!」と可愛い声が聞こえてきて、もぞもぞと声の正体が這い出てきた。

 

「……ぅ、うぅ……なんなんですの……」

「じゃーん、ドエレーウマ娘のマックちゃんだぞぉ。その辺うろついてたから捕まえた」

「散歩はうろつくとは言いませんのよ……!」

 

 ゴルシの芦毛に少し似ている紫の髪を垂らして、少女は恨めしそうにゴルシを睨む。この子は確か──メジロマックイーン。前世では、ゴールドシップの祖父に当たるウマ娘だ。

 

「ところでここは何処なんですの?」

「アタシとー、マックイーンとー、アクセルのー、チーム部屋?」

「アクセル……トライアルさん!?」

「メジロマックイーンだな。俺もお前のことは知っている」

 

 俺を見て驚いた様子のマックイーンに手を貸して立たせると、辺りを見渡して、トレーナーと……車椅子のタキオンに目線を向ける。

 

「では、貴女がアクセルトライアルさんとゴールドシップさんの……トレーナーさんでよろしいのですか?」

「私はアクセルトライアルと契約しようとしたんですがね、ゴールドシップにね、メジロマックイーンと同じ方法で拐われたんですよ」

「へへっ、よせやぁい」

「褒めてないが……?」

 

 自慢気に指で鼻先をこするゴルシだが、誘拐は犯罪である。そしてマックイーンは、タキオンに顔を向けて、一拍置いて話しかけた。

 

「貴女はアグネスタキオンさんですわね。レース場で練習中に足を壊したと聞きましたが」

「その認識で間違いないよ。まあ、元々爆弾を抱えていたんだ、いつかのどこかでこうなる危険性はあったのさ」

 

 はっはっは、と笑って左足を自分の手で小突くタキオンだが、その瞳は燃えている。燃え盛っている。狂気は衰えず、俺は、それが自分に伝播している自覚をしていた。

 

「──俺とタキオンは目標が同じだ。

 ウマ娘の可能性の果てに至る。そのために、俺は最速のウマ娘で居なければならない」

「何を隠そう、アクセルがラストに見せる10秒間の超加速は、私が開発したのだからね」

「……あの速さを、貴女が……?」

 

 マックイーンがタキオンの顔を見て、タキオンはドヤ顔で返す。

 

「そうとも。といっても、アレの原理は簡単だ。()()()()()()()()()()()()()()1()0()0()%()使()()。それだけの単純なモノなのさ」

「ノーミソってそんなポンポンリミッター外せるもんなのけ?」

「投薬やとても合法的な肉体改造で体を鍛えて、アクセルには意図的にオンオフを切り換えられるようにしてもらっている」

「そんな事をして、アクセルトライアルの体は耐えられるんですか?」

 

 ゴルシとトレーナーの疑問に、タキオンはさぞかしいい笑顔で答える。

 自分の研究と、俺という研究結果を自慢する、学校の発表会とでも思っているのか。

 

「ああ。耐えられるさ、10秒間までね」

「……やけに具体的ですのね、どうして10秒間までなら平気……と────っ!!」

 

 マックイーンが、何かに気づいた様子で口角をひきつらせて目を見開いた。

 その目線がタキオンの足に向いていて、トレーナーも全てを察し、あのゴルシですら表情を強張らせて呟くように答える。

 

「あんた、()()()()()()()()()のか」

「──ふふっ……そうとも。私と共に果てを目指すと言った酔狂なウマ娘に、私の(のろい)を押し付けて、何秒までなら脳のリミッターを外した運動性能を発揮できるかをカウントしたのだよ!」

 

 あっはっはっはっ! と笑いながら、その場でぐるぐると車椅子をドリフトさせるタキオン。それは、間違いなく、狂ったフリ。

 俺に非難が飛ばないようにとする、不器用な彼女なりの気遣い。

 

 ──俺は体内時計が正確で、0.1秒単位で精密に測ることが出来る。だからこそ、俺は……タキオンの足から11秒目で嫌な音が響き、12秒目で彼女の左足がぐちゃぐちゃになっていく光景を、最後まで見届けていた。

 

 

 ──故にこそ。故にこそ……トレーナーが現れないなら仕方がないと、データを集めるだけで満足していた過去の俺を殴りたい!! 

 

 

「……俺は、お前(トレーナー)と大会に出る。この10秒加速と俺の足で、他の鍛えられたウマ娘を全員置き去りにして最速を名乗ってやる」

 

 がしっと車椅子を掴んで止め、わしわしとタキオンの髪を掻き乱すように撫でる。

 なにを不安そうな顔をしているんだ、お前はもっと、自信満々でいろ。

 

「──俺とタキオンが果てに至る手伝いをしろ。嫌なら帰ってもらって構わん」

 

「……おいおいアクセルちゃんよぉ、ちっと水くさいんじゃねーのー?」

 

「まったくですわ。

 速さに貪欲なその姿勢、メジロ家のウマ娘として、見習わない理由がありませんもの」

 

 芦毛色の二人が頷き──その奥でトレーナーが俺とタキオンを交互に見る。

 

「私にはトレーナーとしての才能は無いかもしれません。アクセルトライアルの訓練に関してはそちらに任せることになるかもしれません。それでも尚、私のわがままが許されるなら──」

 

 こちらに踏み込み、ゴルシとマックイーンの背中を押して近づいてくると、トレーナーは自分の手のひらを下に向けて差し出して言った。

 

「貴女たちのトレーナーは、ファン1号は、誰がなんと言おうとこの私です」

「そーいうこったな」

「……ですわね」

 

 ゴルシが、そしてマックイーンが、トレーナーの手に自身の手を重ねる。

 つまりは、そういうことなのだろう。

 

「……アクセル……いいのかい?」

「ふっ──俺に質問をするな」

 

 片手でタキオンの白衣から手を引っ張りだし、三人の手に重ねて、その上に俺の手を置いて全員の顔を順に見やる。トレーナーが、ゴルシが、マックイーンが──タキオンが、俺と目線を交わし、力強く頷いて……ぐっと下げた手を、勢いよく天へと上げた。

 

 ──っしゃあ! フォワードは任せろ! と言ってサッカーボール片手にプレハブ小屋から出ていったゴルシを嵐が過ぎ去る様子を見るかのように見送り、それからトレーナーの方を見ると、マックイーンと何か会話をしているようだった。

 

「チーム・ファーゼスト、結成。ということで……あの、マックイーン?」

「よい名前ですわね。……それで、なにかしら? トレーナーさん」

「いや、その……結局このチームに入るってことで良いんですよね?」

「………………ちょっと家の者と相談してきてもよろしいですか?」

「まあ……はい、あとで難癖付けられたらたまったもんじゃないので」

 

 そういえば、彼女はゴルシに連れてこられた被害者だったな。なんか勢いでチームに混ざっていたが、メジロ家の者として、その場のノリでチームに入りましたーでは示しがつかない筈だ。

 

 ペコペコと会釈して出ていったマックイーンに同情しつつ、残された俺とタキオンとトレーナーは、微妙な空気に包まれている。

 

「外に出ないかい? 息が詰まりそうだ」

「そうですね、気分転換にそこいらを歩きましょう、車椅子押しますか?」

「いや、結構。気持ちだけ受け取るよ」

 

 俺が扉を開けて、すいーっと車椅子を走らせ外に出る。トレーナー共々この場をあとにすると、彼女は俺にあることを聞いてきた。

 

「アクセルトライアル」

「アクセルで構わん」

「ではアクセル、貴女はタキオンと共に果てに至ると言いましたが……一歩、いや一瞬間違えたら彼女と同じ道を辿る力を使うことが、恐ろしくないんですか」

 

 タキオンに聞かれないように小声で話しているようだが、トレーナーは少しばかりウマ娘の聴覚を甘く見ている。聞こえているぞ。

 

「俺に質問を──いや、そうだな。確かに恐ろしい。何せ俺は……タキオンの足が自分の筋力に耐えられずに潰れた瞬間を見ている」

 

「だったら──」

 

 トレーナーの言葉に被せるように、俺は、俺が一貫して想っている事を語る。

 

「……もっと才能を発揮できる機会があったにも関わらず、夢半ばで終わったう……マ娘を何人も見てきた。夢があって、やりたいことがあって、それでも──病気や怪我、運命のイタズラで全てが水の泡となった奴等を見てきた」

 

 トレーナーの隣を歩きながら、前を車椅子の低速で走るタキオンの背中を見て俺は続ける。

 

「タキオンが俺に夢を託したから走る。タキオンの夢を叶えてやりたいから走る。

 所詮力は力だ、10秒加速を命を奪う悪魔にするか俺のブースターとするかは俺次第。そして、俺は決して、判断を誤らない」

 

 力強く、二人を安心させるように、はっきりと言いきる。面食らったようなトレーナーの顔が、徐々に緩み、そうですかと笑った。

 

 

 

「……それでは最初の課題だ、俺というウマ娘の弱点はなんだと思う?」

「うーん……脇腹?」

「次間違えたらその都度奥歯から順に引っこ抜くぞ、レースの話だ」

「あっそっち?」

「いいや、アクセルの弱点は脇であってるぞ」




チーム結成!俺達のレースはこれからだ!
くぅ~疲れました、これにて完結です!


アクセルトライアル
・体内時計が0.1秒レベルで正確。レース中に10秒加速が使えるのもこの正確さがあってこそ。
成り行きでアグネスタキオンの悲願を果たす約束を交わしており、彼女の覚悟もあって肉体改造を積極的に行っている。
自分の意思で脳のリミッターのオンオフを切り換えられ、10秒だけなら限界を超えられる。

10秒加速
・意図的に脳のリミッターを外すことで筋肉を100%酷使する、果てに至るための一手。
理論上はどのウマ娘でも使えるが、10秒以上の使用は足の筋肉への負担が致命的な為、レース終盤の極限状態でカウントしながら後続を気にしつつ走るという曲芸を実行出来る者は居ない。(その為、結果的にレース中でも正確に10秒数えられるアクセルトライアルの専用技となっている)

柏崎トレーナー
・たぶんもう一人の主人公。ゴルシにずけずけ言い返したりアクセルとルールの穴を突いた契約を交わしたりと、割りとクレバーな性格をしているが、内心では善意で接してくる桐生院を苦手としていたりと良くも悪くも人間臭い。


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限界の、その先の、最果ての向こう側

加速装置(アクセル)光速粒子(タキオン)の出会いと狂気の物語。
想いは重く、彼岸の悲願は果たされず。
されど光速の粒子は、加速する事に夢を見た。


「──ったくもー、今日も酷い目に遭った……ゴルシめ……私で黒ひげ危機一髪をするのがなんのトレーニングになるんだよ……っ」

 

 はーよっこいせ、と言って肩をゴキゴキと鳴らして席に座る柏崎は、チーム・ファーゼストの部屋と化したプレハブ小屋の中でパソコンを起動すると動画を再生する。

 

「さて……誰が録ったか()()()()()

 アクセルトライアルが最速と噂されるようになった切っ掛けのレース……か」

 

 かちりとクリックして、早速と内容を見る。

 柏崎がその動画越しのアクセルトライアルに、()()()()()()()()()を覚えるまで、あと5秒。

 

 

 

 

 

 ──その出会いを『何』と形容するべきか。それは、偶然。或いは必然。或いは……運命。

 

 たまたま歩いていた廊下で会長ことシンボリルドルフと誰かが話し合っていて、その相手が、アグネスタキオンだったのだ。

 

「……ん、君は……アクセルトライアルだったね。廊下の真ん中で話し込んでいてすまない」

「気にするな。それで……そっちは誰だ」

「私はアグネスタキオン。とはいえ、今回が最初で最後の挨拶になるだろうけどね」

「どうして?」

 

 不思議がる俺に、アグネスタキオンは卑屈そうにくつくつと笑い、目尻を緩めた。

 

「退学するんだよ。私が研究に没頭してレースに参加しようとしない、この学園の恥さらしだからさ。この前のレースも強制参加だったようだが、面倒くさいからとサボったらこの様だ」

 

「恥さらしとは言っていないだろう、それにレースに参加すれば免れた話じゃないか」

 

 アグネスタキオンの言う研究とやらは置いておくとして、シンボリルドルフは彼女の退学には反対なようだ。しかしレースをしないウマ娘がどうして学園に来たのだろうかと疑問を覚える。

 

「アグネスタキオンは研究がしたいのだろう。走らずとも、そちらの方面で結果を出せば退学の話くらいは突っ返せるのではないか?」

 

「それは『言うは易しだよ』君ぃ。なにせ、私の研究は実験体ありきなんだ。投薬も実験も相手がいないと意味がないんだぞ?」

 

「そうか。なら俺が実験体になってやろう」

 

 俺の言葉に、アグネスタキオンとその横のシンボリルドルフは、ポカンと口を開けた。

 

「アクセルトライアル、君は本気でアグネスタキオンの実験に付き合うつもりなのか?」

「乗り掛かった船だ。

 それに、研究をしているウマ娘とやらは初めて見た。その実験にも興味がある」

 

 ──それに、アグネスタキオン。彼女……否、前世では牡の馬だった彼は、実力を持つにも関わらず悲しくも屈腱炎により引退した馬だ。

 立ち方や制服の上からでも分かるくらいに体つきが実力者のそれなのだ。きっと、彼女自身も走ればかなりの速さを見せるはず。

 

 ──見てみたい。そんなアグネスタキオンの、研究とやらを。

 

「ふぅん。で、それが私になんのメリットとなるんだ? そもそもの話になるが、研究自体は、学園(ここ)じゃなくても出来るのだがね」

 

「だが……自慢じゃないが、速くて頑丈なウマ娘はここにしか居ない。俺を実験に使えるのは、今回が最初で最後かもしれんぞ?」

 

「──言うじゃないか」

 

 意趣返しのように、言葉の一部を先の挨拶から引用する。そんな安い挑発に、アグネスタキオンは面白いくらいに乗っかった。

 

「どうだ、会長。俺のサポーターとしてアグネスタキオンを雇えば、退学はさせられまい」

「……そうだな……そう言われては仕方がない。ただし、一つ条件を加えさせてもらうぞ」

 

 シンボリルドルフは、ぴっと人差し指を立てて、俺と彼女を交互に一瞥して続ける。

 

「アグネスタキオンの実験に付き合って、来週の模擬レースで1着を取れ。それすら出来ないなら彼女には出ていってもらう。どうだ?」

 

「──ふん、俺に質問をするな。1着など、そんなものは言われるまでもない」

 

 そう啖呵を切って、シンボリルドルフを見る。こうして俺は、アグネスタキオンの退学を阻止するためにレースに出る事となったのだった。

 

 

 

 

 

「──どうして私に構うんだ? アクセルトライアル、君に私の退学を撤回させる義理なんて無いはずだろう。疑問で仕方がないよ」

 

 早速とレース場に向かった俺の背中に、アグネスタキオンはそんな言葉をぶつける。

 確かにそうだろう、つい先程知り合ったばかりの俺が何故自分の味方をするのか不思議でならないのはごもっともだ。

 だが、俺が馬のアグネスタキオンを知っているから……と言ったところで理解はされないだろう。この世界に『動物の馬』は居ないのだ。

 

「そういうお前こそ、なんのために、そもそもなんの研究をしているんだ?」

「ウマ娘についての研究さ」

「……ウマ娘について……?」

「そう。人と同じ、だが人間ではない、我々ウマ娘という生き物の研究だ。

 不思議だとは思わないかい? 我々は人間の姿をしていながら、発揮するパワーやスピードが人間からは大きく逸脱している」

 

 なるほど確かに言われてみれば、俺ですら『まあそういう世界なんでしょ』と適当に結論付けて流していたが、ウマ娘ってなんなんだ? 

 

 ──そして、自分を含めた種族そのものへの疑問を抱けるアグネスタキオンは、いったいなんなんだ。これは恐らく、『人間が「人間とはなんなのか」という疑問を抱かないこと』に近い。

 

 人間のようだが人間ではない、見た目が近いウマ娘という種族だからこそ、彼女はそんな疑問を抱き、そして研究するに至ったのだろう。

 

「私はウマ娘の可能性を信じている。今でこそ車より速い程度のウマ娘だが、きっといつか、必ず──速さの果てに。限界の、その先の、最果ての向こう側へと行けることを信じている」

 

 そう言ったアグネスタキオンの爛々とした瞳には、狂気にも近い執念を感じた。

 そして──俺が()()に呑まれかけていることも、なんとなく自覚している。

 

 ──狂気は伝播する。それを理解したのは、くだんの模擬レースを3バ身差をつけての圧勝で終わらせた辺りからだった。

 

 

 

 ──アグネスタキオンの退学の件は、本人の研究と実験によって俺の実力が向上し、結果を出したという事実で捩じ伏せられた。

 どこかホッとした様子のシンボリルドルフの顔を見て、やはり退学の話は乗り気ではなかったのだと察することができる。

 

 しかしそれ以上に不思議なのが、アグネスタキオン本人だ。あれから何度も実験に付き合い、レース場を走る際の脈を測ったり速く走れるフォームに改善したりで共に居る機会が増えたことで、なんとなく見えてくる部分がある。

 

 まず、本人は走りたがらない。頑なに模擬レースには出たがらず、催促の知らせの書類なんかは即シュレッダー行きになっていた。

 

 そして、食生活があまりにも杜撰だった。今でこそ俺の作る弁当をムシャムシャ食っているが、以前までは最悪だった。あれでよく生きていたなと感心するほどだ。

 

「そういえばタキオン。お前はいつぞやに、何故自分に構うのかと質問をしたな」

「ん? ああ……そんな質問もしたかな。ついぞ君から答えを聞けなかったが」

 

 だぼだぼの白衣に身を包むタキオンが、研究室で弁当を食いながら返す。

 

「──例えば、才能を発揮できない奴が居たり、夢半ばで走れなくなったウマ娘が居るとする。そんな時、俺たちには何が出来ると思う」

 

「さあね。安っぽくて、ワゴンセールにでも並んでいそうな、お優しい言葉でも投げ掛けるのかい? ああいや、アクセルはしないか」

 

 わざとらしい、演技するような声色。俺の返答を待つタキオンは、キャスター付きの椅子に逆向きに座って背もたれに腕を乗せる。

 

 そんなタキオンに、俺は俺の持論を、俺のウマ娘への変わらない感情を吐露する。

 

「……俺はそいつの夢を背負う。

 そして、そいつの代わりに走り抜く。夢の共有──とでも言うのか。俺は、誰かのために走ったって良いと思っている」

 

「他人の夢を背負って、ねぇ。それで私を気にかけたと。それは同情と何が違うのかな」

 

「俺はお前の境遇を可哀想だと思ったことは一度としてない。ただ、もったいない……と思ったことなら、何度もある」

 

 シンボリルドルフが会長の座に居るように、前世の馬とこの世界のウマ娘は同じような才能と実力を持っている。ならば、アグネスタキオンにも、秘められた実力があるはずなのだ。

 

 ──そう、()()()()()

 

 

「……ふぅん。それなら……君は私の『果てに至る』という夢を共有してくれるとでも?」

「ああ、そうだ」

「────」

 

 その時のタキオンの顔は、今でも覚えている。驚愕と、呆れ。そして僅かばかりの()()

 この時の俺はどうしてタキオンがそんな顔をしたのかは分からなかったが──今なら分かる。

 

 タキオンはようやく、自分の夢を、願いを託せる相手を見つけたのだ。

 そんなタキオンがこんな提案をしたのは、表情を引き締めた直後だった。

 

「──アクセル、君は生物の脳の機能が1割程しか使われていないのを知っているかい? とは言っても、諸説はあるがね」

「……それがどうした」

「脳を経由した行動の際、人は無意識にブレーキを掛けている。もしこの機能をフルに使えたら、ウマ娘の運動能力はどうなると思う?」

 

 俺を見てそんなことを言うタキオンは、袖を余らせた白衣をパタパタと揺らす。

 

 ……脳の機能が1割しか使われていないという話は前世でも聞いたことがある。ただ、それにも理由があるのだ。人間が忘れることを能力の一つとしているように、何事にも限界はある。

 

 人間という生き物が脳のリミッターを外して筋力や情報処理能力をフルに使った場合どうなるか。ブレーキを無視して体を酷使すればどうなるかなど、想像に難くない。

 

「──そんなことをしてみろ、ウマ娘は確実に、自分の力に耐えきれない」

「そうかな? 我々は人間よりは頑丈な生き物だ、計算が正しいなら、数秒なら筋肉を酷使しても耐えられると踏んでいる」

「仮にそうだとして、ならば誰に実験させる? 失敗して足が潰れる可能性のあるテストをまさか俺や他のウマ娘にやらせるのか?」

 

 はは、そんなわけないだろう。そう呟いたタキオンの表情はどこか達観していて──

 

「当然私の足で実験する。そら、見たかったのだろう? 私の走りとやらを」

 

 ──挑発するように、タキオンは言う。

 狂気的な瞳が、愉快そうな顔が、俺に『そんな危険な真似はするな』と言わせることを阻む。俺は、タキオンが走る姿を見てみたい。

 

 ──脳のリミッターを意図的に外す為の投薬と肉体改造をして数日。遂にタキオンが実験のために走る姿を拝むことになるが、俺は彼女がレース場に立つ姿を初めて見ることになる。

 

「いいかいアクセル。私はレース終盤の直線で脳のリミッターを外す。十中八九走る速度から雰囲気まで変わるだろう。その瞬間から、君にはカウントをしていてもらう。質問は?」

 

「…………いや、無い」

 

「では始めよう。ああ、予め言っておくが──()()()()()()()()カウントを止めるなよ」

 

 ──なに? と聞き返す前に、タキオンはジャージ姿で駆け出す。……今でこそお互い乗り越えてはいるが、俺は今でも、この時タキオンを止めなかったことを悔やみ続けている。

 

 もっと早くに指摘するべきだったのだ。左足を庇うように僅かに重心が傾いている事について、俺は、一言タキオンに聞くべきだった。

 

 

 

 

 

 ──耳元で心臓が爆音を奏でているような気さえして、視界の端が目眩を起こしたように歪む。肺は破裂しそうな程に酷使され、ズキズキと左足から危険信号が発せられる。

 

 ──どうして走ってしまったんだ。いつ爆発するかも分からない左足の爆弾の起爆を恐れ、研究に没頭しているだけで良かったのに。

 

 ──退学だって問題なかった。だというのに、アクセルさえ通り掛からなければ。

 

 ──そう、全てはアクセルのせいだ。アクセルが実験を手伝うなんて言い出さなければ、こうして走ることも、足の痛みに怯えることも、彼女の無条件の信頼に応えたいとも。

 

 ──そして、自分以外の誰かに夢を託しても良いかもと思うことすらなかったのに。

 

 

 ちらりと、アクセルの顔を見る。ああ……あの顔だ。私が失敗するとも、私の研究が間違えるとも思わない、あの信頼を寄せる顔。あの顔が、あの表情が、私の心を狂わせるのだ。

 

 

 ──やってやろうじゃないか。もっと速く、もっと速く──もっと速くッ!! 

 

 ──足を動かせ、腕を振れ! 

 

 ──ウマ娘の脚に宿る可能性は! この肉体で到達し得る限界速度は! 未だ遥か遠くに存在する光へと追い縋れるのだから! 

 

 

 最後の直線、ここで私は、脳のブレーキを意図的に破壊する。刹那、普段よりも遥かに重く深く地面に踏み込む感触。空気の壁すら破れるのではないかという全能感。そして溶けて行く風景。

 

 そして、まるで堰を切ったダムから放水されるように、情報の濁流が溢れてくる。

 徐々に五感が鋭敏になるこの加速の中で、私は眼前に星の煌めきを見る。これが脳を100%使う者の目線かと考えて、視界が黒ずんで行き──私は自分の終わりを理解した。

 

 

 ──だが、まあ、問題ないだろう。なにせ、私なんかの夢を共有したがる、酔狂な奴が居るのだから。ああ全く、君は狂っているよ。

 

 ──ぐるんと視線が地面を向いて、そのまま私は芝の上を転がって倒れる。不思議と痛みは無いが、ただただ、左足の感覚が無かった。

 

 

 

 

 

 ──7秒、8秒、9秒。

 ぐんぐん加速して行くタキオンを見て、俺は肌が粟立つのを感じた。これがタキオンの実力。そして、運動能力を100%発揮した加速。

 

 そして、こんな力に、ウマ娘の足がいつまでも耐えられる訳がないという確信。

 

 ──続けて10秒目に到達。

 それから体内時計とストップウォッチのすり合わせでの正確な秒数が11秒を知らせたとき、タキオンの足から『ペキッ』とか、『ぶちっ』とか、そんな音が聴こえてきて。

 

 12秒目に、タキオンから力が抜け、カクンと膝が曲がり、受け身も取れずに地面を転がった。

 

 

「──タキオンッ!!」

 

 急いで駆け寄り、うつ伏せのタキオンを仰向けに起こす。右足はともかく、左足の状態が素人目からでも分かるくらいに酷かった。

 

「タキオン、意識はあるか?」

「づ、ぐ、ぅうっ、ぁぁ……!!」

 

 タキオンの表情が苦悶に歪み、激痛から脂汗を流す。ジャージの赤色とは違う別の赤色が、裾から垂れて芝を汚している。

 

「救急車を呼ぶより俺が医務室に運ぶ方が速い、抱き上げるが、痛むぞ」

「……もん、だ、いない、ゃれ」

 

 喉から絞り出すような声。俺は確実に痛むだろう足に優しく触れつつ、背中にも回してタキオンを横向きに抱き上げる。

 彼女は一際痛みを訴える呻き声を発し、息を荒らげながらも俺の持っていたメモ帳を奪うと、ボールペンで拙い文字を書き始めた。

 

「タキオン!」

「……騒ぐなよ……足に響く。アクセル、私は何秒まで耐えられていた? 体感では13秒位だったが、恐らく数秒誤差がある」

「っ……10秒だ。11秒目で骨と筋肉がやられて、12秒目で足が完全に潰れた」

「なるほど、10秒か。はははは、10秒までなら加速できる事が証明されたな」

 

 レース場を出て、学園に戻り、医務室に急ぐ俺へと、タキオンは尚も言葉を紡ぐ。

 

「私の足には爆弾があったんだ。酷くなれば走れなくなる可能性もあって……研究に没頭したのは、怖かったからという理由もある」

 

「──そうか、そうだったんだな。俺のせいか、俺が手伝いを申し出なければ……」

 

「ああ全くだ。でも、でもな、アクセル。君が夢を共有すると言った時……本当は嬉しかったんだ。初めてだった。自分の夢を託しても良いと思える相手が出来たのは」

 

 うつらうつらと船をこぎ、メモ帳に加速の計算をしていたタキオンの手が止まる。

 呼吸が浅くなり、ポタポタとジャージに染みた血が廊下に点々と跡を残す。

 

「タキオン、寝るな。起きろタキオン! なんでも良いから話せ、意識を繋いでくれ!」

 

「……ぅるさぃぞお、寝るだけだ。少し休憩、するだけだ。5分でいい。数分、だけで……」

 

 タキオンのまぶたが閉じ、動かなくなる。僅かに動く胸が、生きていることの証明となる。

 ──自分の心拍数が上昇するのを感じる。前世の記憶と結び付き、腕の中の少女と、馬のタキオンを同一視してしまう。

 

「──綺麗だったんだ。お前の走る姿は、俺が見てきた誰よりも、何よりも……!!」

 

 すれ違うウマ娘の悲鳴を聞きながら、俺は、医務室の扉を蹴破るように開け放った。

 

 

 

 

 

 ──あれから数週間後、訓練している俺の耳に入ってきた噂からして、タキオンは助かったらしい。元々頑丈な体のウマ娘ということもあって、彼女は快復したのだとか。

 

 であるならば、なぜ会長に呼び出されているのか。その理由を察せない程、俺は鈍くない。

 

「……失礼します」

「──やあアクセル、元気そうで何よりだ」

 

 最初に視界に入ってきたのは、側面に松葉杖が突き刺さっている電動車椅子に座るタキオンと、会長の席に座っているシンボリルドルフ。

 

「タキオン……」

「私が居ないときもきちんと訓練を続けていたのかい? 駄目だぞぉ、訓練はサボれば取り戻すのに数日掛かるのだからな」

「……何故お前がここに居る」

「それについては、会長が話してくれるさ」

 

 ちらりとシンボリルドルフを見れば、神妙な顔で俺を見返す。それから1枚の紙を取り出すと、その紙を俺に手渡した。それは──アグネスタキオンへの退学通知だった。

 

「──どういうつもりだ」

「私としても心が痛む。だが……分かるだろうアクセルトライアル。アグネスタキオンは走らないのではない、もう走れないんだ」

 

 ──話を聞くに、タキオンの足は筋肉断裂や複雑骨折が重なっていて、治せはしたが、左足に体重を預けたら激痛が走るらしい。

 

 走らないウマ娘への退学通知なら、実力を示せば撤回できる。だが……もう走れないウマ娘に、何が出来るというのだろうか。

 

「……アクセル?」

「どうした、アクセルトライアル」

 

 

 ──いいや、ある。タキオンには、タキオンにしか出来ないことが一つある。

 俺はタキオンへの退学通知の紙を手に取り、躊躇いなくビリビリと破り捨てた。

 

「……ほう?」

 

「タキオンは退学させない。彼女は俺の相棒(パートナー)だ、俺の走りを──俺がタキオンの代わりに果てに至る様を見届ける義務がある」

 

「それなら、どうするつもりだ?」

 

「タキオンとの実験と投薬、肉体改造で強くなった俺の実力を示す。簡単な話だが……今度はそれなりの実力者でなくては意味がないだろう」

 

 一拍置いて、俺はまるでこの流れを予期していたかのようなシンボリルドルフに提案する。

 

「──会長、いや、シンボリルドルフ。俺とレースで勝負しろ」

 

「──友のためにとその身を賭ける姿勢、私個人は敬意を表する」

 

 

 だが……と続け、おおよそ『会長』の立場に居る少女とは思えないような獰猛な笑みを作り、シンボリルドルフは俺に言った。

 

「少し速い程度で驕るなよ、加速装置(アクセル)

「それはこちらの台詞だ。皇帝(ルドルフ)

「ところで……私の意見は聞かないのだな」

 

 ……そういえばそうだったな。

 だが、俺の考えは変わらない。

 

「タキオンの特等席は俺の隣だ。それ以上にどんな理由が必要になる」

「………………それは単なる、君の我儘だろう」

 

 白衣の袖で顔を覆うタキオンと、一転して見守るような微笑を浮かべるシンボリルドルフ。果たして俺は、タキオンに居なくなって欲しくないという我儘を叶える為の勝負に挑むのだった。

 

 

 

 

 

 ──会長権限で貸し切ったレース場に並ぶ俺とシンボリルドルフは、観客席を埋め尽くす観光客やトレーナー、ウマ娘を見る。

 誰が聞いていたか、俺とシンボリルドルフが勝負をする話を広めてしまったのだ。

 

「……誰が見世物にして良いと言った」

「すまない、人の口に戸は立てられないんだ」

 

 申し訳なさそうに片手で額を押さえる彼女に同情しつつ、観客席の一番前を独占する車椅子の主であるタキオンに目線を向ける。

 そして──ウマ娘の聴力が、ざわつく中からタキオンへの陰口を聞き取った。

 

 やれ、走れないウマ娘には価値がない。やれ、ドーピングでもした後遺症なんだろう。やれ、レースに出ないからバチが当たったんだ。

 

「………………愚図共が」

「気にするな、アクセル。君がこのレースで、タキオンの研究の成果を見せつけてしまえば良いだけだ。私に勝てるかは別だがな」

「……ふん、今は、その挑発に乗ろう」

 

 そんな会話をしながら、二人でスタートラインに並ぶ。中距離で芝の一般的なレース場。

 俺もシンボリルドルフも、この距離を得意としている。故に互角──とはならない。

 

 彼女が皇帝と呼ばれる所以、その強さを、俺はレース終盤まで痛感させられることになる。

 

 

 

 ──背中を追う俺の脚は、間違いなく速い。あの七冠馬の皇帝(シンボリルドルフ)に追い付けているのだ、普通ならこれだけで十分だと褒められるレベルだろう。

 

 それだけ彼女は強く、速い。確かに驕っていたのかもしれない。俺の才能は、実力は、所詮は天才の域に至ることすら出来ないのだろう。

 

「……それがどうした……っ!!」

 

 だがそれは──タキオンから譲り受けた夢を、彼女の想いを、研究者の悲願を果たさないことには! 加速する事に夢を見た、光速の粒子(アグネスタキオン)に憧れないことには! 断じてならない!! 

 

 ──振り絞れ、全てを出しきれ。まだ足りないなら片っ端から吸い上げろ。

 今この瞬間シンボリルドルフに勝つためなら寿命を減らしたっていい。

 

 加速のタイミングはもうすぐ来る。ここで抜けなければ、俺はこの先きっと誰にも勝てない。体内時計をリセットして、思考を切り換えろ。

 

 ──最後の直線で、カチリ、と。頭の中で噛み合った歯車が回転を始めるような感覚。

 神経の末端、毛細血管の末端、骨の軋み、筋肉の収縮、その全てを感じ取る。

 

 じわりと灰色の絵の具を混ぜたように視界から色が薄れ、耳は心臓の脈打つ音だけを拾う。そして足の裏が芝をえぐり地面に深く足跡を刻むのを手に取るように理解して──自分にも聞こえていない声で、シンボリルドルフに向けて、言った。

 

「さあ──振り切るぜ」

 

 ────ドンッ!!! という衝撃。

 灰色の視界が歪み、シンボリルドルフを追い抜き、風景が一条の線と化す。

 心音と頭の時計で加速時間と現実時間のすり合わせを行いつつ脳内でカウントをする。

 

 やがて灰色から黒色へと視界が変わり、チカチカと、眼前に星が散らばる。

 

 これが、こんなものが、速さの果てだとは言わない。しかしそれでも──俺は、この光に追い付きたい。追い付きたくて、走って──9秒目で意識を切り換えて視覚を元に戻す。

 

 その直後にゴールのラインを越えて、俺は脳のリミッターにセーブを掛ける。色の戻った視覚と、音が返って来た聴覚が、静まり返る観客席の人たちの表情を鮮明に捉えていた。

 

 驚愕、恐怖、畏怖。

 あのシンボリルドルフを追い抜いてゴールした、俺という怪物への、恐れの感情。

 

 数拍遅れてゴールしたシンボリルドルフは、俺に対して何かを言おうとする。

 だが、口を開けては閉ざす。そんな彼女に、俺は敢えてこう言った。

 

「9.6秒。それがお前の、絶望までのタイムだ」

「ああ──そうだな、恐れ入ったよ。いやまったく……机仕事で足が鈍ったかな?」

「そうだろうな。後日同じレースをしたら、恐らく俺は負けるだろう」

 

 表立ってレースには出ないシンボリルドルフが、勘を取り戻したその時、俺はもう彼女に勝つことは出来ない。そんな予感があった。

 

「しかし、俺はこれからも速さを求める。タキオンのために、なにより俺自身のために、あの光を──最果ての向こう側を目指す」

 

「──ふふ、似た者同士、か。なあアクセル、君は鏡を見たことがあるか?」

 

「……なに?」

 

 額の汗を拭って、シンボリルドルフは俺の顔をじっと見ると、爽やかな笑みを浮かべて続ける。

 

「……タキオンと同じ瞳をしている。何か1つに全てを捧げた、狂人の目だよ」

「──それは、光栄だな」

 

 彼女が伸ばした手を、そっと握り返す。カメラに映り、モニターに出されたその映像を見て、我に返ったように──観客たちは手のひらを返して拍手喝采を俺たちに送る。

 

 当然だろう。恐怖が先に来たとしても、ここに居る連中は、男女・人間・ウマ娘問わず速さに魅入られた者たちだ。喉元を過ぎれば──後からやってくるのは、興奮と感動。

 

 

「タキオンっ!」

「……なにかね」

 

 気まずそうに、しかして頬を紅潮させ、この場の興奮に呑まれつつあるタキオンは、ぶっきらぼうに観客席から俺を見下ろしていた。そんな彼女に、俺は口角を緩めてそっと伝える。

 

「────勝ったぞ」

「……ずっと見ていたよ」

 

 ふにゃりと、気の抜けたタキオンの笑顔。

 ああ……ようやく、俺たちはスタートラインに立つことが出来た。

 

 タキオンへの風評被害は、俺への恐怖心は、簡単には消え去らない。だが──タキオンは考えることが、俺は走ることが出来る。

 限界の、その先の、最果ての向こう側に至るまで、俺の足が止まることは絶対に無い。

 

 ──タキオンの退学が取り消されたのは、このレースが終わった、翌日のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ──そんな話も今は昔。車椅子生活が板に付いたタキオンは、以前と変わらず我儘だし面倒くさいし可愛いげの欠片も無い。

 

「ア~ク~セ~ル~。お昼の時間になったじゃないかぁ~。私のお弁当を出したまえよぉ」

「食堂で食おうとは思わないのか?」

「嫌だよ。好奇の目に晒されるじゃないか。それに君のお弁当は栄養バランスが良い」

「そうなるように考えているからな」

 

 タキオンに昼食を任せると、食材をミキサーに掛けたおおよそウマ娘の食事とは思えないようなスムージーを出されるのだ。あれを飲むくらいなら生のキャベツを齧った方がマシである。

 

 

「……タキオンって、アクセルのことめっちゃ好きですよね?」

「はぁ? 何を言っているんだいトレーナーくん。逆だよ、アクセルが私を好いているのさ」

 

 プレハブ小屋に集まって昼食を取っている柏崎トレーナーの問いに、あっけらかんとタキオンがそんな風に答える。

 

「いやいや、好きでもない人の弁当なんて普通食べたがらないでしょうよ」

「……別に、アクセルに対する感情なんて所詮は実験体への愛着しか無いさ」

「そうか。なら明日から弁当は作らん。あの不味いスムージーでも飲むんだな」

 

 恐らくタキオンをからかってみたかったのだろうトレーナーからのアイコンタクトに応え、俺はタキオンへとそう言ってみる。すると、彼女は面白いくらいに狼狽えていた。

 

「え──っ!? そんな、困るよアクセル! そんなことは許されない! 君には明日からも弁当を作ってもらうからな!」

「……断る」

「やーだー! 作ってくれよぉ~っ!!」

 

 車椅子を走らせて、俺が座るパイプ椅子に突撃し、腕を伸ばして掴みかかる。その様子を撮影しているトレーナーに呆れながらも、俺は冗談だと言ってタキオンを車椅子に座り直させた。

 

 これからも長い付き合いになるだろう相棒の焦りように小さく笑いながら、俺は自分の弁当のお握りを頬張る。

 当時の出会いからシンボリルドルフとの対決までを思い返しつつ、俺はこれからも、なんてことない時間をタキオンと過ごし、速さを追い求めて行くことになるのだった。




アクセルトライアル
・前世の記憶のせいで、悲劇で終わったり才能を発揮できずに終わった馬とウマ娘を重ねてしまうきらいがある。最初は、同情と気まぐれ。しかし、やがてその狂気に同調し始めた。
成り行きの関係が何時からか本気となり、アクセルはタキオンの『果てに至る』という夢を継いで走ることを決意する。
彼女の足を犠牲に10秒加速を使えるようになった後、タキオンの退学を賭けて観客・ウマ娘の集まる前でシンボリルドルフとの一騎討ちで勝利したことが切っ掛けで、アクセルトライアルは最速のウマ娘と噂されるようになってしまった。


アグネスタキオン
・退学寸前の時にトレーナーと出会わなかった世界線のウマ娘。元々はただ足が速く頑丈な肉体を持っている程度だったアクセルがどんどん実力を向上させて行く様を間近で見たが故に、『彼女になら夢を託せるのでは』という考えに至る。
足が潰れた事が原因の退学には流石に同意しようとするも、アクセルに止められて学園に残ることになる。本来はトレーナーを実験体とする関係が、アクセルとは相棒となっている。この改変は、タキオンの心に変化をもたらすだろう。
ちなみにアクセルの料理は美味とのこと。


10秒加速
・脳のリミッターを外して運動能力と処理能力が100%になるため、不必要な情報を排除しなければならない。使いこなせなければ、ただ感覚が鋭敏になっただけで終わってしまう。
視界は灰色が滲んだように染まり、耳は心音しか聴こえなくなる。やがて黒ずむ世界の中で、加速の果てに、星がごとき光へと追い縋る。
それこそがきっと、誰も観測出来ない、誰も追い付けない──超光速の果てなのだろう。


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「何処までも行ける」と貴女が言うんだ

 ──アクセルトライアルこと俺の朝は早い。

 

『人肌の温もりが古傷の痛みの緩和を云々』と言って、勝手に人の部屋にキングベッドを宅配して俺を抱き枕にして寝ているタキオンを引き剥がし、洗面台で顔を洗って眠気を飛ばす。

 

 それからジャージに着替えて朝練を……と考えた辺りで、そういえばと思い出す。

 

「……トレーナーからトレーニングを休めと言われていたんだったな」

 

 トレーナーとの契約によってより質の高いトレーニング設備を使えるようになってから、俺の訓練は以前より厳しくなっている。

 それに加えて、タキオンの実験と投薬にも付き合っている。今日くらいはレースから離れて体を休めろと、先日言われていたのだ。

 

 俺に関して放任することを決めているにしては、珍しく適当な指示だと感心する。

 ジャージを着ようとした動きを止めて、私服の黒いシャツを着込んでから上にエプロンを纏いキッチンに向かう。二人分の朝食と、タキオンの弁当を作らないといけないからだ。

 

 本人に自炊を任せるとヘドロのような粘質のスムージーが出てくるため、必然的に俺が作らなければならないのであった。タキオンの栄養バランスは、俺の手に懸かっている。

 

 

 

 

「──よし」

 

 朝食と平行して作った弁当をキッチンの机に置いてタキオンを起こしに寝室に向かうが、扉を開けようとした瞬間、部屋の奥から弱々しく俺を呼ぶ彼女の声が聞こえてきた。

 

「まったく……」

 

 それはまるで、親を探す迷子のよう。

 寝室に行けば、座り込むタキオンが寝惚け眼でこちらを見て、ずりずりとベッドの縁まで片足と腕で這ってきた。耳と尻尾が垂れている。

 

「あくせるぅ……私が起きるまでベッドから出るなって言ってるだろぉ……!」

「お前が起きるのを待ってたら朝飯も弁当も用意できないんだから仕方ないだろう」

 

 タキオンのこの腑抜けた態度は寝起きの朝だけだが──逆に言えば、最も心が無防備になるこの瞬間の態度こそが本音なのだろう。

 普段は気丈に振る舞っているくせに、やはり左足が動かせない……厳密には体重を乗せる、つまり歩こうとすると激痛が走る事への恐怖心があるのだ。元々爆弾を抱えていた以上、その恐怖と不安は常人より大きいことがわかる。

 

「どうせ明日の朝も同じような文句を言うんだ、さっさとトイレと洗顔を済ませてこい。車椅子はあとで近くに置いておくから」

「…………わかった」

 

 渋々といった様子で、タキオンは松葉杖で床を突いて、バリアフリー化させて凹凸をなるべく無くしている廊下を歩いていった。俺とタキオンが寮の一階で相部屋となってから暫く、これが、俺たちの朝のルーティンである。

 

 

 

 

 ──ホットサンドメーカーで焼いたシンプルなハムとチーズのサンドをザクザクと食べ進めるタキオンは、先ほどのふにゃふにゃとした腑抜け面はどこへやらといった顔で、耳と尻尾をパタパタと小躍りさせている。現金な奴だ。

 

「……んぐ。今日のアクセルはトレーニングも実験も無しか。退屈になるよ」

「俺以外にもお前に構う珍しい奴は居るだろう。ダイワスカーレットかマンハッタンカフェでも誘えばいいじゃないか」

「ああ……仕方ない、そっちで妥協しよう」

 

 サンドの欠片を口に放り込み、砂糖多めの紅茶を飲み干して、タキオンは退屈そうに長いため息を吐いていた。俺は休みでもタキオンは学園の方で研究をするため、とりあえずチーム・ファーゼストの拠点に送っておくか。

 

「そろそろ制服に着替えるぞ。白衣もアイロンを掛けたから、昨日脱いだ奴は着回すなよ」

 

 タキオンに腕を上げ(ばんざい)させて、寝間着のワンピースを脱がせると、俺の言葉に彼女はすっとぼけた様子で反論してくる。

 

「流石にそんなことはしないさ」

「前に俺が指摘するまで3日は着回しただろ」

「…………そうだったかな?」

 

 目線を斜めに逸らして、タキオンは俺の手から制服をひったくり、膝に乗せて制服とブレザーを順に着込む。そしてストッキングとスカートを穿いて、ふうと満足気に息を吐く。

 

「手慣れたものだな。以前までは俺が手伝っていたというのに……感慨深い」

「ふふん、そうだろうとも」

 

 タキオンはドヤ顔を披露しつつ、それからパリッとした白衣を羽織り、車椅子の電源を入れた。俺もまた、シャツの上に赤い革ジャンを着込んでから玄関を開ける。

 

「……相変わらず君の私服は派手だな」

「そうか? 親父のお古なんだが……」

「人は趣味やセンスも遺伝するのかねぇ」

 

 失礼なやつめ。

 そんな会話を挟みつつ、寮の出入口でタキオンに靴を履かせると、突貫工事で付け足されたスロープを伝ってタキオンと俺は寮を出る。

 

 暫く車椅子と並んで歩き、拠点に到着後。今日が休日だった事もあってか、中には先客──メジロマックイーンが居た。

 

「あら……アクセルさん、タキオンさん。おはようございます」

「ああ、おはようマックイーン。おや、トレーナーくんとゴールドシップは?」

「わたくしが来たときには既におりませんでしたわ。トレーニングをしているのかと」

 

 ウイ──ンと駆動音を奏でてマックイーンに近づくタキオンを置いて、俺は拠点から出て行く。最後に一度振り返り、彼女に言う。

 

「弁当は昼に食べるんだぞ。早弁しても俺は知らないからな」

「なあ、君は私を自分の子供かなにかだと思っていないかい?」

「ふっ……違うのか?」

「…………そんなんじゃないさ」

 

 むくれた顔をして、ジトッとした目を向けるタキオン。以前より表情が豊かになっている気がして、小さく笑ってから、俺は部屋を出た。

 

「……ふふ」

「なにかな、マックイーン」

「! ……い、いえ……」

「そうかい。ところで話は変わるんだけどね、こんなところに脚力が3倍になる薬があるんだが……さあ、ぐいっと一杯」

「話は変わっておりませんわよね!?」

「なあに副作用で腕力が5分の1になるだけだ」

「『だけ』の定義とは!?」

 

 

 

 

 

 ──休日だというのに、ウマ娘という生き物はやはり走ることが好きらしく、あちらを見ればトレーニング、こちらを見れば模擬レース。なんともまあ盛んであった。

 

「休日くらいは休んでもいいと思うが……」

 

 まあ、オーバーワークにならない限りはやらせるべきだろう。そういえば、明日にはまだ契約できていないウマ娘の次の選抜レースが始まるのだったか。確かマックイーンが足りない一枠に参加してレースに出るとか言っていたな。

 

 チームに所属しているウマ娘が参加するということは要するに、評価の基準として使われるということだ。チーム所属のウマ娘、それもあのマックイーンに追い付けるウマ娘は居るのか、或いは追い抜けるウマ娘は居るのか。

 

 そんなアピールの為に選ばれたのだ。どう転んでも残りのウマ娘も契約に漕ぎ着けるだろう、そう考えてその辺をぶらついていると。

 

「──何をやってるんだ」

「ん? ああ、おはようアクセル」

 

 グラウンドの一角で、柏崎トレーナーが、ゴールドシップと……あとは……確かサクラバクシンオーとハルウララだったか。その三人を連れて何かをしていた。なにか──というか、巨大なペットボトルを切ったり貼り付けたりしている。

 

 あのペットボトル、業務用のウマ娘用スポーツドリンクが5L入ってるやつじゃないか。

 

「おうアクセル! お前もやるか? イカ釣り用タイタニック号制作!」

「いえ、ペットボトルロケットです」

 

 ……見ればわかる。

 

「なぜこんなものを作っているんだ」

「…………なぜ……?」

 

 トレーナーとゴルシは顔を見合わせ、真剣に考え始めた。真剣に考えるような事か? 

 

「自転車とかに使う空気を入れる手押しのポンプあるじゃないですか」

「ああ」

「あれ結構体力使うでしょう?」

「そうだな」

「なら筋トレになるんじゃないかなーと思ったんで、どうせならペットボトルロケット作りたいなあなどと思ったんですよ」

「……そうか」

 

 ドヤ顔での力説に傍らで制作を観察していたらしいバクシンオーとハルウララが「なるほどー!」と言っていたが、参考にしない方がいいと思う。手押しなんだから鍛えられるのは腕だ。

 

 ……このトレーナーが妙にゴルシと相性がいい理由がわかった気がする。彼女は言ってしまえばバ鹿……アホ寄りのゴルシなのだ。

 

「ところで柏崎のトレーナーさん!! このロケット? はどうやって飛ばすのですか!?」

「声でけぇな……水を詰めて空気を送って、圧力を加えて飛ばすんですよ。分かります?」

「はい!!」

「それは分かってない人の『はい』ですね。仕方ない……ゴールドシップ!」

「ウェイ」

「サクラバクシンオーに説明しておやり」

「ウェイ」

 

 トレーナーがパチンと指を弾くと、ゴルシが制服の中から、明らかにサイズが服の横幅を上回っているホワイトボードを取り出して専用のペンでペットボトルロケットの構造を描き始めた。

 

「……で、これをウェイしてここをウェイするとロケットがウェイするって寸法よ」

「なるほどーっ!!」

「というか誰か手伝ってくれませんかね」

 

 さっきから見ている限り、言われてみれば確かにロケットの制作はずっとトレーナーがやっている。会話しながらの片手間での制作は普通に凄いし、ずっとウェイウェイ言ってるだけのゴルシの持つホワイトボードの解説は傍目から見ていても分かりやすい。もしかしてこの二人は、レースより教師の方が向いているのかもしれない。

 

 ……いや、駄目か。思考回路が教育に悪い。

 

 

 そろそろ変な噂が立つ前にお暇しようかと考えていたら、不意に俺の革ジャンを引っ張る手が横から伸びる。それは、さっきから黙っていたハルウララの手だった。

 

「どうした、ハルウララ」

「ねーねー、アクセルさんも明日のせんばつレースに出るの? ウララも出るんだよっ!」

「いいや、俺は出ない。うちのチームからは訳あってマックイーンが出るが」

「そーなんだあ、あっそうだ! あのね! このあいだの……もぎ? レースでね、すごい速いウマ娘が居たんだよ! 明日も出るのかな?」

「……そうなのか。それなら、明日のレースではマックイーンも危ういかもな」

 

 ──じゃあハルウララは何着だったんだ? とは、口が裂けても聞けなかった。

 一瞬だけ脳の思考速度を加速させてハルウララの体格や筋肉量を軽く視認するだけでも、レースで上位を取るに足らない地力と分かる。

 

 全戦全敗、出たレースの全てで負けた馬だった彼女もまた、()()なのだろう。

 

「……では、俺はそろそろお暇させてもらう。俺のトレーナーとそこの芦毛が問題を起こしたら、遠慮無く責任を負わせて良いからな」

「うん? ……うん! じゃーねー!」

「ああ。ハルウララも…………いや、なんでもない。気を付けるんだぞ」

 

 仮に馬ではない、ウマ娘という別の存在だとしても、応援するとして……俺の言う「頑張れ」の何処かに、慰めと同情が混じっている気がして──最後には何も言えず、その場を去るときに彼女の頭を撫でることしか出来なかった。

 

「おや? どうされましたか!! 柏崎のトレーナーさん!!」

「……なぁんか、アクセルって我々じゃない我々を見てるような気がするんですよねぇ……あー、うんにゃ、なんでもないです」

「ねーねー柏崎さん、なんでこーいうのの作り方とか知ってるの?」

 

 残された四人のうち、ハルウララが柏崎にそんなことを問い掛ける。うーん……と口ごもる柏崎は、まあいいかと呟いて返答した。

 

「幼馴染のウマ娘が居ましてねぇ。ガキの頃からそいつと遊んでたんで、自然とね」

「ほぇーん、トレーナーの幼馴染ね。そいつも中央(ここ)で走ってたのか?」

「そうだったかな。今はとっくに引退して、地元でチビウマ娘どもに勉強教えてるけど」

「教師ですかっ!! それは素晴らしい!!」

「うおっ……声の圧が……」

 

 

 

 

 

 ──模擬レースの会場近くでベンチに座る俺の機嫌は、恐らく誰が見ても不機嫌だと悟れるだろう。珍しく……それこそ俺がシンボリルドルフとレースをした時の観客のタキオンに対する態度を耳にしたときと同等かもしれない。

 

 原因はシンプル。ちょうど視線の先で終えたレースの、そこから出てきた観客の声だ。

 ウマ娘(なにがし)の連勝記録が遮られてガッカリだと。言うに事欠いて、勝者への称賛も無しに、ガッカリだと、空気を読んでくれと。

 

「…………ふぅ~~~っ」

 

 とはいえ、そう感情を荒らげるモノではあるまい。俺には関係のない預かり知らぬ話であり、入れ込んでいる相手の連勝記録が遮られれば、感情のままに憤るのも分かる。

 

 それ以上の問題として────

 

 

「っ、すん……うぅっ……ぐすっ」

 

 俺が座るベンチの背後にある木の裏から聞こえてくる泣き声が、かれこれ数分続いているのだ。ウマ娘としての聴覚が捉えるか細い声だが……聞こえてしまったからには無視するのも憚られる。

 

 うじうじと泣きじゃくられるのも少々好ましくないため、ベンチから降りて、俺は声の主の居るだろう茂みに手を突っ込み引っ張り出す。

 

「──ひゃああああああっ!!?」

 

 首根っこを掴まれた猫のように宙ぶらりんとする少女は、レースの着の身着のままだったのか赤いジャージを着込み、頭には青薔薇の装飾が付いた帽子を被っていた。

 

「ごごごっごめんなさい! お願いだから、らら、ライスをたべっ、食べないで……!」

「誰が食うか。……ん、ライス?」

 

 黒髪を揺らして動揺している少女の名前だろう一人称に、前世の記憶がチリチリと反応する。ライス、ライス……ライス────

 

「ライス、シャワー……か?」

「っ……は、はい……」

 

 ────こんなところで出会ったのは、淀に咲き、淀に散った馬の名を冠するウマ娘だった。

 

 

 

「……それで、出るレース出るレースの全ての悉くで、毎度のごとく他の連勝記録を止めてしまったのか。それはまあ、間が悪かったな」

「……はい」

「だがそれで不幸だとは言うべきじゃないな。ライスシャワーが強かった、それだけの話だ」

 

 そう、連勝記録を止めるほど強いというだけの話なのだ。だのに今の今まで誰とも契約してないという件に関しては、まあ……本人の性格も原因の一端なのだろう。

 俺がトレーナーだったら、こうもメンタルの弱いウマ娘とやっていくのは難しいと言える。

 

 加えて──印象が悪い。観客・トレーナー問わず、ライスシャワーへ向ける感情はお気に入り或いは狙っていたウマ娘を負かす者だ。

 

 あのときシンボリルドルフに勝った俺も向けられた恐怖や畏怖の感情が、そこから強いウマ娘への憧れに変わらなかったのが今のライスシャワーだ。つまり──善くも悪くもライスシャワーは気弱……いや、この子は優しすぎる。

 

「っ……みんな……ライスが勝っても、喜んでくれなくて……『なんであいつが勝つんだよ』って……『悪役は空気読め』って……!」

 

「そうか」

 

「ライス、もう……レースなんか出たくないよ……もう、やだぁ……っ!」

 

 ボロボロと涙を流すライスシャワーに、俺は──前世で見たあの姿を重ねている。レース中に骨折してそのまま生涯を終えた馬を、そして……今目の前で悲しんでいるウマ娘を。

 

 俺は……何を言ってやれる。どんな言葉が正しい。どうすれば──この子を救える。

 

「なら、学園なんて辞めてしまうか」

「…………えっ……?」

「憎まれ口を叩かれてまで続けるレースに、なにか意味があるのか?」

「…………それ、は」

 

 俺の言葉に、ライスシャワーは言い返せない。だが俺の言葉は、走ることが本能でもあるウマ娘に走るなと言っているに等しい。

 

 嫌だろう。苛つくだろう。『どうして自分がそこまで言われないといけないんだ』と思うだろう。だからこそ──子供心に本音が出る。

 

「っ──それは、いや、です」

「ふっ……嫌なんだろう、レースに出たくないんじゃなかったのか?」

「……確かに、あんなことばっかり言われて……そうまでして走る意味はあるのかって、何度も思ってきましたけど……」

 

 帽子に隠れた片目が、風に揺れてふと見える。その両目からは、尚も涙が溢れていて。

 

「……だからってここで辞めたら、走ることそのものまで嫌いになっちゃう、から……っ」

「────」

 

 そう言って、ライスシャワーは嗚咽を漏らす。──そうだったな。ウマ娘とは()()だった。

 

 走ることが本能的に好きな生き物、それがウマ娘だ。馬ではない。彼女はライスシャワーだが、ライスシャワー()()()()ではない。

 

「──ライスシャワー、お前はどうして走るんだ? ウマ娘の本能だからではない、お前なりの理由があるんだろう?」

「……えっと……やっぱり、走ると気持ちよくて、楽しいから……」

「なら、お前のするべきことは一つしかないんじゃないか?」

 

 面を上げてきょとんとした顔をするライスシャワーの、涙で濡れた顔をハンカチで拭い、俺は彼女と顔を合わせて更に続ける。

 

「──走るのが好きなら、それだけを求めて走ればいい。周りの声なんて聞こえないくらいに早く、速く、レースを駆け抜けてしまえ」

 

「……それで良いんでしょうか」

 

「いいさ。走るのはウマ娘の特権だ。大丈夫、お前の脚なら──何処までも行ける」

 

「──何処までも……」

 

 ベンチに座って空を見上げる俺に釣られて、ライスシャワーも上を見る。その顔には、もう、涙は溢れていなかった。

 

 

 

 ベンチを前に、暫く話し込んでいた俺たちはお別れの会話を交わす。

 

「……ありがとうございました。えっと……」

「アクセルトライアルだ。アクセルでいい」

「はいっ、私のこともライスでいいですよ」

 

 憑き物が晴れたような顔で、ライスは俺を見上げてふわりと笑う。そして、一拍置いて困ったような声色で疑問をぶつけてきた。

 

「アクセルさん、どうしてこんなにも、初対面のライスを気にかけてくれたんですか?」

「……ううむ、そうだな……」

 

 ……困ったな。

 何て言えばいいんだ、まさか『馬のライスシャワーがレースで骨折する様を中継で見ていたから応援したいだけ』とは言えるわけがない。

 

「────運命を感じたから、だな」

「………………ふぇっ」

 

 俺の人生という視点からしても、こうやって名馬と同じ名前の少女たちと共に陸上選手になっているのは運命、或いは奇跡と呼ぶ他無い。

 

「ぁ、ぁの、アクセルさん。それはつまり」

「──うん?」

 

 ライスの消え入りそうな声に反応した耳が、上から落下してくる何かに反応する。

 そして、見上げる前に、俺の頭に大きな物体が落ちてきてハデな音を立てた。

 

「あだっ」

「アクセルさ──ん!?」

 

 ゴンッと俺の頭に落下したそれは、まるでロケットのような形状のペットボトル。

 …………よりにもよって、ピンポイントに俺の頭に落ちてくるとは、()()()()

 

「あっ、アクセルさん! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫だ……犯人はわかってる……」

 

 地面を転がるそれを拾い上げ、俺はそう言って片手をライスの頭に置く。

 

「……明日の選抜レース、応援してるぞ」

「はいっ……あれ、どうしてライスが出るって知ってるんですか?」

「ふっ、俺に質問するな。俺以外にもお前のことを見ている奴はちゃんと居るということだ」

 

 ペットボトルを片手に、俺は踵を返す。背中でライスからのさよならを受け止めて、トレーナーたちが居た筈の場所に向かうのだった。

 

 

 

 グラウンドに戻った俺は、ゴールドシップに似た芦毛のウマ娘……平成の怪物・オグリキャップと鉢合わせていた。

 

「む……アクセルか」

「オグリキャップ、俺のトレーナーを見なかったか? 他にゴールドシップとサクラバクシンオー、ハルウララが居たはずだが」

 

 どこか天然気味のオグリキャップは、数拍置いて手元の紙を見せながら言う。

 

「アクセルのトレーナーかは分かりかねるが、私に焼肉食べ放題のチケットを渡して、『アクセルが来たら家に帰ったと伝えてほしい』と言いながら何人かと一緒に食堂に向かったぞ」

 

「そうか、教えてくれて助かった」

 

 トレーナー、お前は賄賂を送る相手を間違えたな。オグリキャップはそもそも、トレーナーからの賄賂を賄賂だと思っていない。

 

 焼肉っ、焼肉っと言いながら尻尾を振り回し小走りして行くオグリキャップを見送って、俺もまた食堂に向かう。食堂の方角から女性の叫び声が聞こえてくるまで、残り1分。

 

 

 

 

 

 ──後日、選抜レースから帰って来たマックイーンを迎えた拠点の中で、大袈裟に頭に包帯を巻いているトレーナーが彼女を労う。

 

「いやーあのレースも凄かったなあ。あのマックイーンが2バ身差で敗北とは」

「お恥ずかしい限りですわ……より一層の努力をせねばなりません」

「あのウマ娘、なんつったっけ。カレーライス? パエリア?」

「ライスシャワーですよ」

 

 ……そう、例の選抜レースで、ライスは圧勝した。清々しいまでの走りっぷりで見ているこちらも気持ち良かったほどだが…………

 

「あれが頑張ったウマ娘への態度かねぇ。なんだか既視感を覚えるよ、ねぇアクセル?」

「あれに関しては原因の何割かはタキオンにもあるがな……だが確かに、1着を取った者へ向ける空気ではなかった」

「あーいうの、なんつーんだったかな。……ああそうだ、ドン引き」

 

 ゴルシの言葉に、その場の全員が納得する。あれではきっと、トレーナーも契約したがらないだろう。周りに引かれるウマ娘を欲しがる者は居ない。結局のところ、人間は感情の生き物だ。

 

「──お、アクセル、来客みたいなので出てくれますか。ほら、私昨日ロメロスペシャル食らって全身バッキバキなので」

「ゴルシちゃんなんてパロスペシャルだぜ? ありゃあ世界を狙えるぞ」

「自業自得だろうが……」

 

 ペットボトルロケットの件は、俺以外だったら怪我していたかもしれないのだから甘んじて受け入れてほしい。加減したのだから骨は折れていないだろう。まったく。

 

 二人を一瞥してから、俺は来客に対応する。ガチャリと扉を開けた先に居たのは──

 

 

「……おおい、アクセル? どうしたんですか、どちら様だったんですかー?」

「……そうだな。ほら、入っていいぞ」

「──お、お邪魔します……」

 

 俺の後ろを着いてくる少女は、件のウマ娘──ライスシャワーだった。ライスは後ろから顔を覗かせて、トレーナーたちを見る。

 

「あら、ライスシャワーさん」

「おやおや、選抜レース1着の君がこんなところになんの用かな?」

「う、っ、その、えっと……」

「──ライスシャワー」

 

 トレーナーが近づいてきて、膝を曲げて目線を合わせると、ライスに問い掛ける。

 

「ゆっくりでいいですよ、話してみて」

「──その、トレーナーさん……ライスを、私、を……っ」

 

 詰まらせたように言葉を途切れさせ、そして、慣れないのだろう高くなった声で言った。

 

「ライスを、このチームに入れてください!」

「…………おやまあ、それは想定外」

 

 トレーナーはそう言って立ち上がり、うーんと言いながら顎に指を置いて思考する。

 

「おいおいライスよぉ、そりゃどういう風の吹き回しだ? このゴルシちゃんの目を以てしてもこの展開は読めなかったずぇ」

 

「っ、あの……私、昨日アクセルさんと話をしたんです。誰からも勝利を喜ばれなくて、走るのも嫌いになりそうになってて──でもアクセルさんと話して、走る楽しさを思い出したんです」

 

「……アクセルぅ、私は何も聞いていないぞぉ。そういうのは私に報告するべきだろう?」

 

「一々タキオンに誰と話したかなんて報告する義務は無いだろう。何を言ってるんだ」

 

 うぃ──んと車椅子を動かして、タキオンがムスっとした顔を隠そうともせず、そのまま座高故に目線が合っているライスと話し始めた。

 

「つまり君はアクセルに恩を感じたからこのチームに入りたいと言うのかい」

「……はい……」

「ふうん、そうかい。ふうん」

「タキオン、なんで怒ってるんだ」

「別に。それにアクセルと会話をしたって? そりゃあ元気にもなるさ、彼女の言葉にはどこか不思議な力がある。さぞや勇気が湧いたことだろうさ。ふーん」

 

 嫌味ったらしくネチネチと、まるで嫉妬でもしているかのようにライスに質問をする。大人げないぞ……と注意しようとしたその時、ライスが喜色満面で「はいっ」と元気よく返事して──

 

「アクセルさんには……『運命を感じた』って言われちゃいました……!」

「……は──っ!!? なん、はっ!?」

「うん、まあ、言ったな」

「なんだってぇ!?」

 

 俺の背中にしがみつくライスの言葉にタキオンは俺が弁当を作り忘れた時のような叫び声を出した。その後方では、何故かゴルシとマックイーンがニヤニヤと笑みを浮かべている。

 

「トレーナー君! 反対だ反対! 私はライスシャワーの配属なんて認めないぞ!」

「えーどうしよっかなー、許可を出す出さないは私の匙加減だからなー。そんな面白い反応されると許可したくなっちゃうな~」

「くっ……卑怯だぞ……っ!!」

 

 そう、結局はトレーナーが許可を出すか出さないか。タキオンがどうしてそう嫌がるのかはさっぱり分からないが、俺からすればタキオンとの出会いにも運命を感じているのだ。そこにいったいなんの違いがあるというのだろうか。

 

「タキオンパパー、認めてやれよ~」

「ウマ娘なら母ではなくて?」

「ええい私に味方は居ないのか!?」

 

 馬のタキオンは牡なのだからまあ、どちらかといえばパパではある。

 が、そんな光景を見て、トレーナーはにっこりと笑うとライスに言った。

 

「面白そうだからヨシ! ライスシャワー、ようこそチーム・ファーゼストへっ!」

「──ありがとうございます!」

 

 俺から離れて、ライスは行儀良くトレーナーに腰を曲げてお礼を言う。

 むがあああ!! といって白衣の袖で顔を覆うタキオンからは目を逸らしておくが。

 

「……あの、アクセルさん」

「どうした」

 

 ライスは俺を見て、手を伸ばして、改まってありがとうとお礼を言う。気にするなと言って──俺は差し出した彼女の手を力強く握った。

 

 

 

 

 

 

 ──周りの声も、評判も、何も怖いとは思わない。だって、私の脚なら何処までも行けると、貴女が言うんだから。




アクセルトライアル
・前世でライスシャワーのレース中の骨折を中継で見ており、ウマ娘である方のライスシャワーと出会ってからは特に気に掛けている。
『努力することも貶すことも誰であれ出来るが、努力を形に出来るのもまた才能あってこそ』と考えているため、タキオンの事もあってか文句ばかり言う相手は人間・ウマ娘問わず嫌っている。
当然だが『前世でお前の壮絶な最期を見た』とは言えず咄嗟にあんなことを言ったが、自分の発言が誤解を生んでいる事には気づいていない。
尚、大会で優勝したらライブで踊らないといけないが、その件については渋い顔をしている。


ライスシャワー
・淀に咲き、淀を愛し、淀に散った馬の生まれ変わりがごとき孤高のステイヤー。
他人の不幸は自分のせいと考える臆病かつ気弱な性格。ミホノブルボンなどの実力者に勝利する力はあるのだが、本作では模擬レースでの連勝記録を何度も阻止した事が原因でその勝利を喜ばれず、空気の読めない悪役とまで呼ばれてしまう。
もうレースに出たくないと草葉の陰に隠れていたが、偶然にもアクセルに発見されてしまい、ライスは胸の内を吐露するも、アクセルとの会話で走ることの楽しさを思いだし、実力を信じてもらい、思い直してマックイーン共々次のレースに出走する決意をする。そして、アクセルへの恩からチーム・ファーゼストに所属することを決めた。
ちなみにアクセルの『運命を感じた』という言葉は何時までも頭に残り続けている。子供には、些か刺激の強い発言だったのだろう。


アグネスタキオン
・タキオンは激怒した。必ず、かの親切善人の鈍感ウマ娘を問いたださなければならぬと決意した。タキオンにはアクセルが分からぬ。タキオンは、研究者である。計算し、検証を重ねて実験してきた。けれどもアクセルを中心とした人間関係の変化には、人一倍に敏感であった。


柏崎トレーナー
・賢さG


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柏崎トレーナーの憂鬱

※柏崎掘り下げ&幼馴染のオリウマ娘メイン。
アクタキは実家に帰省中なので出ません。


 ──トレセン学園の校門の前に、アッシュグレーの髪を揺らす女性が立っていた。

 右手には杖を持ち、そして右目には、斜めに顔の半分を覆うような帯状の眼帯が。

 

「ふっふっふ……帰ってきたわよ麗しの母校。さぁ~てザキちゃんは何処に居るのかしら」

 

 閉じられた重く頑丈な門をトンっと軽やかに跳躍して飛び越えて、女性は中へと侵入する。

 踏み込んだのだろう地面には──くり貫いたかのような深い足跡が刻まれていた。

 

 

 

 

 

 ──チーム・ファーゼストの活動拠点に使われている校舎裏のプレハブ小屋で資料を纏めていたトレーナー・柏崎は、ぶるりと身震いさせて一つ大きなくしゃみをした。

 

「ふんぶふっ!!」

「と、トレーナーさん、大丈夫?」

「……ええ、大丈夫ですよ。パソコンの画面がとんでもないことになってますが」

 

 チームメンバーの一人、ライスシャワーに心配されながらも、柏崎はティッシュで飛沫まみれの画面を拭き、丸めたそれを捨てる。

 

「しっかしデケェくしゃみだな。花粉か? 埃か? それともマックイーン粒子?」

「なんですのわたくしの粒子って」

「別にそういうのではないんですがね……噂されてんのかな。はは、まさかね」

 

 ゴールドシップがガスマスクを付けながらそんなことを言い、マックイーンに呆れられる。その様子を見ながら、柏崎はかぶりを振った。

 

「そういえばトレーナーさん、アクセルさんとタキオンさんは来てないんですか?」

「あー……あの二人は連休を使ってアクセルの実家に一時帰宅してますよ」

「タキオンさんも着いていってますのね……足の事があるとはいえ、分かりやすいこと」

 

 柏崎がつい、と指を壁に指し、その方向を見たライスシャワーが、カレンダーの曜日に目をつける。三連休となっている部分に、『アクセル・タキオン帰省中』と書かれていた。

 

「去年は一回も帰ってなかったらしく、顔見せと現状報告の為に外泊許可を取ったそうで」

「この流れでタキオンを連れて帰るの、親に変な勘違いされそうだよな」

「変って、何がですか?」

「チャーハンにはまだはえーよ」

「ライスです」

 

 同じ米だろォ──っ!? と言っているゴールドシップに全然違いますよ──っ! と返すライスシャワー。なにやってんだかと呆れ顔の柏崎がパソコンに目線を戻そうとして、まるで何かに怯えるかのようにその場から立ち上がる。

 

「────ッ!?」

「あら、トレーナーさん。どうされまして? お顔が怖いですわよ」

「──何か……ヤバいモノが来る」

「……何か、とは?」

 

 固唾を飲む柏崎がそれは──と呟き口を開いた直後、バァン! と音を立てて、鍵をかけていた筈の扉が蝶番ごと剥がされて床に倒れた。

 

 そんなことを仕出かした犯人は、腰まである長いアッシュグレーの髪を揺らして仁王立ちしている。だが、左目だけで部屋の奥に居た柏崎を捉えた瞬間、彼女は破顔して高らかに言った。

 

「──ザっっっキちゃ──ん!」

「ゲェッ、お前っ……デカ女!? なんでここに来てるんだよ学校があるだろ!!」

「……トレーナーさん?」

 

 真ん中のテーブルを挟んで取り乱した様子で声を荒らげる柏崎に、マックイーンたちは違和感を覚えた。どうにも語気の荒さが目立つのだ。そしてデカ女と呼ばれた女性は、その頭頂部に髪と同じ色の長い耳を2つ備えている。すなわち、彼女はどう見てもウマ娘であった。

 

「なんでって、連休でやることなかったんだもん。折角だから会いに来ちゃった」

「帰れ!」

「やーだよっ」

「は──っ!?」

 

 ビキビキと額に青筋を立てる柏崎は、普段の飄々とした、どこかゴールドシップに似通った真面目にふざける雰囲気を纏っていない。

 ライスシャワーは『怒っている』と感じ、マックイーンは『余裕がない』ように見え、ゴールドシップは『化けの皮が剥がれた』と悟った。

 

「チッ……脱出!」

「およ、追いかけっこかな?」

(ちげ)────よ!!」

 

 即座に窓を開けて外に飛び出した柏崎が、学園の方角に駆けて行く。それを追って、眼帯の女性もまた、踵を返して出ていった。

 残された三人は互いに顔を見合わせて、再度破損した扉に顔を向ける。

 

「あれ、誰が直すんですの?」

「理事長に報告で良いだろ。それよかあのウマ娘、どっかで見たことあんだよなぁ~」

「調べてみる、とか? トレーナーさんのパソコン借りられないかな」

「ま、いいんじゃね?」

 

 とりあえず破壊の痕跡は見ないことにして、三人で柏崎のノートPCを立ち上げる。しかし当然だが、パソコンにはロックが掛かっていた。

 

「あっ、パスワード……」

「メモが貼られていたりは」

「じゃ、パスワード」

「……えっ?」

「だから、パスワードだよ。そのまんま『password』って打ち込んだら開くんじゃね」

 

 ゴールドシップに言われた通りにタイピングしたライスシャワーは、あっさりと解除されたことに目を丸くする。隣で覗いていたマックイーンが呆れたように顔を手で覆って言った。

 

「ず、杜撰……!!」

「……と、あーほらやっぱり。あのウマ娘どっかで見たことあると思ったんだわ」

「この人──って」

 

 合点がいったゴールドシップの隣で驚愕する二人。画面には、これでもかと、先程の灰色の女性が検索結果の画像で写っていた。

 

 

 

 

 

 ──荒々しく開け放たれた扉の奥に座っていたウマ娘・シンボリルドルフとエアグルーヴが、柏崎の汗の浮かんだ顔に疑問符を浮かべた。

 

「貴様……ノックくらいしろ」

「ぜっ、はぁっ……そ、そんなこと言ってる場合じゃ……っ」

「……柏崎トレーナー、だったかな。どうしたんだ? なにか用でも──」

「か、会長! 何も言わずに匿って!」

 

 バタバタと駆け寄ってきた柏崎が、シンボリルドルフの座る机の陰に座り込む。

 疑問符を浮かべる二人は、突如として乱入してきたもう一人の気配に肩を跳ねさせる。

 

「やっほ~~~」

「っ──貴女は」

「……この学園で会うのも久しぶりですね。どうされたんですか? アポは無いですよ」

「お忍びだからねっ。連休だから幼馴染に会いに来たんだけど逃げられちゃって」

「事前に言わないからではないかと」

「言ったら予め逃げちゃうし……」

 

 あたりめーだろ!! とツッコミを入れたらバレる為、柏崎はシンボリルドルフの傍らに座り、口を押さえて吐息すら漏れないようにする。

 近づいてくる女性に対し、それとなくシンボリルドルフは柏崎の襟を掴んで、机の下の椅子を仕舞うスペースに引っ張り込んだ。

 

「ザキちゃん……じゃなくて柏崎ちゃん。何処に居るか知らない? この辺で見失ったのに匂いだけは残ってるのよ」

「ふむ……いや、申し訳ない。私とエアグルーヴはさっきからずっとここに居たのでな。見掛けてすらいないんだ、すまない」

「ふ──ん」

 

 がばっ、と身を乗り出して、シンボリルドルフの足元を覗き込む。

 隠れる場所を変えなければ見付かっていたと、柏崎は無言で冷や汗を垂らす。

 

「……んもぅ。ザキちゃんったら……どこに行ったのかしら」

「すまないが、先輩、我々も仕事があるのだ。この辺りで手心を加えてほしい」

「──ん、ごめんね仕事中に。また今度長い休みの時に遊びに来るわねっ」

「はい、お待ちしております」

 

 じゃーねーっ、と言って女性は扉を閉める。それから少しして、おずおずと柏崎が机の下から這い出てきた。呼吸を荒らげながらも、汗を拭ってシンボリルドルフにお礼の言葉を話す。

 

「会長は命の恩人です」

「はは、大袈裟……でもないのだな」

「ええ……あいつの相手は骨が折れるので……あとは帰るのを待つだけか。私はチームの拠点に戻りますので、それでは」

 

 はーやれやれ、とげっそりした顔で柏崎が生徒会室から出て行く。念のためにとゆっくり扉を開けて左右を見渡した柏崎は、安心した顔で廊下に出て──()()()()()()()()()彼女に捕まった。

 

「ザキちゃんみーっけ!」

「ぎゃ────っ!!?」

「ほらほら~、あの小屋に戻るわよっ」

「だ、誰か──! 会長助けて!」

 

 杖を肩に乗せ、片手で米俵を担ぐように、女性は柏崎を持ち上げて廊下を駆けて行く。エアグルーヴでも良いからァ────!! という悲痛な叫び声を、二人は無言で受け止めていた。

 

「…………むごい」

「すまない柏崎トレーナー、私に先輩を止める力は無いんだ……無力ですまない……」

 

 

 

 

 

 ──あえなく女性に捕まった柏崎は、苛立ちを隠さないまま、プレハブ小屋の中でパイプ椅子に座る女性の腕の中で微動だにしていなかった。でーですね。と言って柏崎は口を開く。

 

「こいつは一撃強襲(ストライクアサルト)。シンボリルドルフ会長より前にこの学園に所属していて、色んなレースを総なめにしたとんでもねえ化物ウマ娘です」

「やぁん褒められちゃった」

「褒めてねーよデカ女」

 

 柏崎の後頭部に顔をうずめて甘える女性──ストライクアサルトに、先んじて調べていたゴールドシップたちは驚きつつもピンと来ていない。当然だろう、アサルトが現役だったのは10年近く前の話で、彼女たちはまだ子供だった。

 

「つまりトレーナーは……20代後半!?」

「あとに響くレベルで強めに叩きますよ」

 

 まだ前半です。まだ。と小さく呟いて、柏崎はアサルトの腕の中で悶える。

 

「それで、その……ストライクアサルトさんとトレーナーさんは、どのようなご関係で?」

「アサルトで良いわよ~。私とザキちゃんはねぇ、なんと幼馴染なんです!」

「かれこれ20年以上の付き合いなんで、腐れ縁ですかね。苦労の方が多いですが」

 

 ゴンゴン、と容赦なく手の甲でアサルトの顔を叩くが、彼女は柏崎の拳など意に介しない。

 

「このアホ垂れは少しばかり特殊な体質をしていましてね。ほら、筋肉って、筋繊維が束になって出来ているのは知ってますよね?」

「ええ、まあ」

「こいつの場合、筋繊維の密度と量が異常なんですよ。ざっと計算して約5倍。

 おまけに頑丈さが……例えるならゴムじゃなくてワイヤーみたいと言いますか」

 

 その言葉に、相槌を打ったマックイーン含め三人が思い返す。

 柏崎が地獄の鬼ごっこを繰り広げていた裏でアサルトについて調べていたとき、その異常な筋繊維の密度や、それに伴うレースでの凄まじい脚力を、当時の映像を見返して確認していたのだ。

 

 当然だが、ただ足が速いだけなら並のウマ娘とそう変わりない。ストライクアサルトの武器は、通常の5倍もある筋繊維で発揮する怪力と、その才を発揮できる膨大なスタミナ量である。

 

「お陰で最高速から転けても怪我一つしないとかいうわりとふざけた体をしてるんですよ」

「ねーねーザキちゃーん」

「うるせーな。なんだよ」

「この子達にはちゃんと敬語使うの、なんかものすごい気持ち悪い」

「は……!?」

 

「……正直、その辺りは私も気になってました。トレーナーさん、タメ口の方が自然?」

 

 代表してライスシャワーが小さくそう言って、アサルトがうんうんと同意する。

 

「いいですかライスシャワー。貴女がたにはこいつが凄いウマ娘に見えるのでしょうけど、このアホが私に何をしてきたと思います?」

「さ、さあ……」

「わかった、ジャグリング!」

「ぶん投げられて屋根まで飛んだことならありますよ。まあつまりはそう言うことです」

 

 ──こいつ、バ鹿力をちゃんと制御できないんですよ。アサルトと再会してからグズグズと疼いている左腕の手術痕を、服の上から押さえながら、柏崎は言った。

 

「うっ……め、面目ありません……」

「反省なら犬でも出来るわ。お前、まさかとは思うけど、学校でチビ共とじゃれた拍子に頭陥没させたりしてないだろうな」

「してたらここに来られてないよ!?」

 

 反論しながら、アサルトは思わず腕に力を入れる。案の定力加減を失敗して、腕の中で柏崎が鈍い痛みに呻き声を上げた。

 

「うごごごごごぉっ……それをやめろっつってんだろうが……っ!!」

「ご、ごめんねっ」

 

 ミシミシと肋骨辺りから嫌な音が響くのを感じ取り、なんとかアサルトの腕を振りほどく。

 

「ガキの頃の時点でこいつとじゃれたら『ポキッ』、小突かれたら『ペキッ』。ぶっちゃけると、中等部に上がった時にこいつを中央に行かせたのは、私が生き延びるためですからね……」

 

「でもこっちでも2年くらいは備品破壊しまくっちゃったよ。お陰で今では……その……テンション上がったりしなければやらないし」

 

 ほんとかよ……と呟く柏崎に、ずっと黙っていたマックイーンが袖を引いて聞く。

 

「トレーナーさん、アサルトさんの眼帯は……病気かなにか、なのですか?」

「うん? あれはですねぇ……おいアサ」

「はい!!」

「その眼帯、確か交通事故に巻き込まれた時の怪我だったか」

 

 アサルトは、柏崎から愛称(アサ)で呼ばれて元気よく返事をする。それから当時のことを思い返して、うん、と言って続けた。

 

「これねぇ、何年も前、一通りレースが終わって暫くした頃に帰り道で車に撥ねられちゃった時の怪我なんだよね~。ほら、何も見えない」

 

 ぐいっと帯状の眼帯を指で捲り、その奥の顔を露にする。左目の碧眼とは反対に、右目は焦点が合っておらず、瞳は白く濁っていた。

 

「車にぶっとばされてコンビニに頭から突っ込んで……まあ体に怪我は無かったんだけど、こう……割れたガラスがグサッとね」

 

 ゴムで出来た帯の眼帯をパチンと戻し、アサルトはそれでもなお朗らかに笑う。

 

「片目を失明した状態でレースに出たら危険と判断されて渋々引退した、ということで~す」

「厳密には『ふらついたお前にうっかり接触したらそいつがぶっ飛んで大怪我するから』が正しいけどな。妥当だろうよ」

 

 ゴールドシップからノートPCを返してもらい、柏崎が立ち上げて検索する。何故か検索履歴にストライクアサルトの名前があったことについて小さくため息をつきつつ、画像を検索して──

 

「……そういや、アサって昔は髪短かったよな。伸ばしたのは最近からか?」

「……う、うん……だってザキちゃんが女の子らしくした方が可愛いって、引退したあと言ってくれたから……伸ばしたんだよ?」

「えぇ、ンなこと言ったっけ?」

「────!?」

 

 ガーン! といった音がアサルトから聞こえてきて、彼女はわなわなと唇を震わせた。

 

「言ったもん! ザキちゃんに言われたことなんて()一回も忘れたことないもん!」

「おい……その歳で『もん』はかなりキツいからやめた方がいいぞ」

「うるさ──い! ザキちゃんのバ鹿! 僕もう帰ります! 扉壊してごめんね!」

 

 肩に杖を担いで、ずんずんと大股で小屋から出て行く。

 チッと舌を打って、ガリガリと頭を掻いてから柏崎は鈍く痛む肋骨を押さえながら扉があった場所から外に向かう。

 

「はぁ……ちょっとアサを送ってくるので、理事長に扉の破損に関する書類を用意しておいてください。ゴールドシップ、やっといて」

「しょうがないにゃあ……」

 

 筆跡を真似る程度は簡単にやれるゴールドシップに自分の書かないといけない書類を任せて、柏崎は駆けていった。

 

「……トレーナーさん、肋骨を痛めているのではなくて?」

「あとで保健室に連れていかないとね……」

 

 

 

 

 

 ──アサ! と言って、ぐすぐすと鼻水を啜る音を奏でながら校門に向かうアサルトを呼び止めた。柏崎は呆れた様子で後頭部をゴンと叩く。

 

「いって……相変わらず筋肉以外も固いんだからなお前は……」

「……ザキちゃんのバ鹿」

「さっきのは嘘だっつの。いい歳して幼馴染と約束がどうとか、私からしたら恥ずかしいんだよ。……悪かったな」

 

 グシャグシャと髪をかき乱すように撫でると、隣から覗き込んだ表情はパッと明るくなる。

 

「んもぅ、しょうがないなあ。ザキちゃんに免じて許してあげる!」

「本人に免じて本人を許すなよ……」

 

 校門をガラガラと開ける柏崎は、ふと、幼い頃のアサルトにされたことを思い出す。

 

 

 ちょっとした喧嘩のつもりで、幼いアサルトに腕を思い切り握られた柏崎は、自分の腕の骨がバキバキと砕けるのを感じ取っていた。出血多量とショック状態で意識が朦朧としながらも、この世の終わりのような顔をするアサルトに、柏崎は言う。

 

『ザキちゃん、ザキちゃん! ごめんなさいっ! ごめんなさい! 死んじゃやだっ、ザキちゃん! 死なないで……ザキちゃん……』

 

『……だから、手加減しろって言っただろうがよ……泣いてる暇があったら……訓練しろ。傷付けるなら……私だけにしろ。私なら……なにがあっても……居なくならないから……』

 

 

 それから柏崎は、腕に古傷を残しながらも快復した。アサルトもまた、必死に加減を覚えようとしていた。幾つものトレーニング道具を壊しながらも、柏崎の手を借りて、徐々にレースの才能まで伸ばし始めて──そして、ストライクアサルトには今がある。

 

「ねっ、ザキちゃん。どうして大怪我までさせた私と、友達で居てくれたの?」

「親まで手加減の教育を投げ出したお前から目ぇ逸らしたら、今度こそ独りになるから」

「……ザキちゃん」

 

 門で向かい合い、柏崎は恥ずかしそうに頬を桜色に染めて、絞り出すように声を出した。

 

「アサ。言い忘れてたけど……まあ、あー、その……教師に就任したの、おめでとう」

 

 友情は続き、絆は途切れない。アサルトは感極まり、柏崎に思い切り抱きつく。

 しかし身構えた柏崎は、来るだろう痛みが来ないことに目を見開いた。

 

「ザキちゃん、だ──いすき」

「…………さっさと帰れ。年末には、流石に帰るだろうから、それまで待ってろ」

「うんっ」

 

 アサルトは風に揺れる灰色の髪を手で押さえ、左目の碧眼で柏崎を見て──ふわりと破顔して、花のように柔らかく笑っていた。




一撃強襲(ストライクアサルト)
・十数年前に中央のトレセン学園に所属していた数々のレースの優勝者である元ウマ娘。通常のウマ娘の5倍以上もの筋繊維がある先天性の異常な怪力の持ち主だが、幼少期から力加減が出来ずに何度も柏崎の骨を折ったりヒビを入れている。
しかし優勝から数年後に交通事故に巻き込まれ、その際右目を負傷し失明。片目を失ったうえでのレースは危険とされ引退。一線を退いてからは、地元で初等部のウマ娘にレースの基礎知識を教えたり簡単なトレーニングを仕込んでいる。
幼馴染であり20年以上の付き合いになる柏崎のことをザキちゃんと呼び親しみ、今でもなお親愛以上の感情を向けている。昔は一人称が「僕」で髪も短かったが、引退後は髪を伸ばして一人称も「私」にしている。その理由は、何年も前に柏崎から『女の子らしくした方が可愛いと思う』と言われ、その言葉を鵜呑みにしていたから。


柏崎
・柏崎が中央に来た理由は地元で教師をしているアサルトから逃げるためが7割、学生では当時中等部のアサルトのトレーナーにはなれない過去があったからというのが3割。
幼少期から何度もアサルトに骨を折られている為、力の受け止め方と逃がし方が卓越している。親すら投げ出した力加減の覚えさせ方を学ばせる為にと様々な遊びに付き合わせた思い出が、結果的に彼女の才能を延ばしたと言える。
ウマ娘と話すときの意図的な敬語は、アサルトを相手にするときの強い口調が癖になっている事が原因のため、本人が居ると崩れてしまう。別にアサルト本人が嫌いというわけではない。



アクセル
・なぜ布団が1つしかないんだ……!

タキオン
・ふぅ~~~~~ん…………


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大事なんだ、全部

聞こえだけはいいけれど


「────うん?」

「どうしたんだいアクセル」

 

 地元の駅を出て実家に向けて歩く途中、俺は聞き覚えのある声を耳にして振り返る。

 

「いや、トレーナーの悲鳴が聞こえてきたような気がしたんだが……」

「距離的に聞こえるわけないだろう。非科学的(オカルト)な話はやめたまえよ」

 

 歩道で車椅子を走らせるタキオンが、そう言って隣を歩く俺を見上げてきた。

 

「しかし、君の故郷もいい所じゃないか」

 

 そよそよと凪ぐ風が髪をくすぐり、垂れた髪を横に分けるタキオン。その格好は普段の制服ではなく、紫の私服を着ている。

 

「──着いたぞ」

「ほぉ~ここが……大きくないかい」

「トレセン学園よりは小さいだろう」

「アレを引き合いに出せばそりゃあ大抵の建物は幼児向け玩具レベルだろうさ」

 

 タキオンはポカンと口を開けて俺の実家を見上げる。木造の小規模な屋敷。俺の実家は、数年前まで何人もの使用人が居た筈だが、今では二〜三人がローテーションで数日置きに来ている程度だ。

 

「事前に連絡はしてあるから、さっさと入ろうか。……タキオン?」

「……ああ、いや」

「──親父は仕事で居ないからなんとも言えんが、母さんはお前を見て同情するような人ではない。大丈夫だ、ほら、おいで」

 

 玄関の手前で動きを止めたタキオンに呼び掛けると、彼女はおずおずと車椅子を走らせ近づいてくる。それからインターホンを鳴らすと、奥から人影がやってきて、扉をがらりと開けた。

 

「お帰りアクセル。あら、その子がタキオンちゃん? 娘から聞いてるわよ~」

 

 中から出てきたのは、俺の紺色より明るい青──瑠璃色の髪を後ろで束ねた女性。

 一般的な女性よりもゴツゴツとした手が差し出され、タキオンは母さんと握手をした。

 

「どうも初めまして。アグネスタキオン……です。アク……娘さんとは、良き関係を築かせていただいてます。はい……」

「あーもう、そんな固くならなくていいのよ? 気軽にお義母さんって呼んでちょうだい」

 

 ……何を言ってるんだか。

 

「は、はあ……」

「ほら、さっさと上がっちゃって。ごめんなさいねぇ、うちバリアフリーじゃないから、車椅子で上がれないでしょう」

「いえ、大丈夫です。松葉杖があるので」

 

 側面に取り付けてある松葉杖を二つ手に取り、タキオンは「よいしょ」と言って立ち上がる。左足を庇う立ち方に、母さんは目敏く視線を向けていた。それから車椅子の電源を落として、玄関の隅に寄せて車輪を固定しておく。

 

 居間に通されて杖を傍らに置いて座るタキオンの隣に腰を掛けると、母さんが咳払いを一つに改めて自己紹介を始めた。

 

「私はゴコクパラディン。

 由緒正し……いかは分からないけど、代々ボディガードをやってた家系でね。昔は中央のレース場の警備員なんかもやってたのよ」

 

「ボディガードに、警備員……走らない仕事が主なウマ娘だったんですか」

 

「そうそう。んでもって旦那が当時設立した犯罪防止の特殊部隊に抜擢されちゃってね~、タキオンちゃんは『騎バ隊』って知ってる?」

 

「────」

 

 一瞬、静寂。再起動したタキオンが、凄い勢いで俺を見ようと首を曲げる。その顔は驚愕に染まっていたが、それもそうだろう。『凶悪犯罪防止部隊・騎バ隊』とは、走らない道を選んだウマ娘の膂力を国防に利用せんと作られた部隊だ。

 

 そして当然だが、この部隊を作ったのは警察である。とどのつまり、母さんの旦那であり俺の親父とは、現役の警察官なのだ。

 ついでに言えば、母さんも立ち位置的には元警察のウマ娘だったりする。

 

「アクセル……初耳なのだが」

「言ってないからな」

「君、警察の娘だったのかい?」

「そうだな」

「……私は警察の娘に度重なる実験をしていたということになるわけだね?」

「まあ、そうなるな」

 

 小声で俺に耳打ちするタキオンはどことなく怯えている。なるほどつまり、安全に配慮しているとはいえ、俺を実験体に使った事が相当不味いのではないかと考えているらしい。彼女はおもむろに、俺のシャツの袖をつまんで言った。

 

「つ、通報しないでくれたまえ……」

「自分で選んだのにするわけないだろう」

「親の前でイチャイチャしないでよー」

 

 しがみついてくるからとあやすようにタキオンの髪を撫でていると、母さんが指摘しながらテーブルに肘をついて退屈そうにしている。

 

「あっそうだ、騎バ隊時代の映像残ってるんだけど見る? てか見て。自慢したい」

「む……じゃあ、折角なので」

「ちょっと待ってねー」

 

 懐から携帯を取り出して、母さんはデータを漁ると動画を再生してこちらに見せた。

 

「大きな盾だね。武器の類いは携帯していなかったようだけど……」

「ああ、騎バ隊の武器は防弾性能に特化させたライオットシールドだけよ。警棒なんかで殴ったら大抵の人は死んじゃうし」

 

 あっけらかんとした顔でそう言い放つ母さんに、なるほどと返しながらもタキオンは口角をピクピクと痙攣させている。

 

「……ところで、なぜ訓練の映像で犯人役が5メートル以上吹き飛んでいるんですか?」

「そりゃ、訓練こそ本気でやらないと。まあ警察は仕事が無い方が良いに決まってるけどね」

 

 携帯のムービーでは、犯人役の男性が当時の若い母さんのライオットシールドにぶん殴られて、遥か後方のマットに落下していた。

 確かに警棒なんか必要ないわけだ。この力で殴られたら仮に生きていても後遺症が残るのだろうし、それなら防弾性能をとにかく向上させた頑丈で重い盾を使わせた方がいい。

 盾で殴られても最悪死ぬのでは? と思ったが、深くは追及しないこととする。

 

「……と、そろそろご飯作らないとね。アクセルが居るときは必ずカレーを作るんだけど、タキオンちゃんは辛口でも平気?」

「…………はい、平気です」

「じゃあ、お手伝いしてもらおうかしら」

「へ?」

 

 たっぷりと間を置いて答えたタキオンは渋い顔をしているが、母さんの言葉にすっとんきょうな声を出した。母さんはにっこりと笑って言う。

 

「働かざるものなんとやら。立ってるのが辛くても、皮剥きなら座りながら出来るでしょ?」

 

 母さんは立ち仕事が出来ないことを気にしているのだろうと判断したのかもしれないが、タキオンが渋る様子を見せた理由は違う。

 

「無理をするなタキオン。母さん、タキオンは甘口のカレーじゃないと食べられない」

「アクセル」

「あと、自炊も出来ない。ヘドロのようなスムージーしか作れないんだ」

「アクセル」

 

 あらそうなの~と言っている裏で、俺は執拗に松葉杖でどつかれていた。嘘をつく方が悪い。

 

 

 

 その後は恙無く料理を終え、カレーを食べ終えた。ウマ娘はニンジンが大好物なので、自然と具材の割合は7割がニンジンを占める。

 ほぼニンジンカレーとなっているそれを空にして、台所で皿を洗っていると、ふと隣で洗われた皿をタオルで拭う母さんが口を開く。

 

「あの子の足のこと、聞かない方がいい?」

「……そうしてくれ。おおよそ普通の感性の人に理解されるような話ではない」

 

 ──『速さを追い求めたウマ娘は、自分の夢を託してその足を潰しました』。理解される筈がない。頭の病院を紹介されて終わりだ。

 キュッと蛇口の栓を閉めた俺は、瞼を細めて俺を見る母さんと視線を交わす。

 

「──ああ、道理で私が昔ボコボコにして捕まえたカルト宗教の信者みたいな目をしてる訳だわ。アクセル、あんたあの子に狂信してるのね」

 

「……狂信、か」

 

「元警察関係者としては放っておけないんだけどねぇ、娘の友達なら信じるのが親の仕事なのよ。だからまあ……法には引っ掛からないでよ?」

 

 パチリとウィンクをして、母さんは締めくくった。俺は頷いて返し、時計を見て行動する。

 

「──と、風呂に入らないとな」

「そうねえ……って、タキオンちゃんはどうするの? 松葉杖を風呂に入れるわけには……」

「俺が入れるから問題ない」

「────なんて?」

 

 タオルで手を拭い、俺は台所から戻ると居間の隣の自室から着替えとバスタオルを取り出す。タキオンもまた着替えを荷物から取り出して、慣れた動きで俺に向かって腕を伸ばした。

 

「んっ」

「持ち上げるぞ。──よっ、と」

 

 背中と膝裏に手を差し込んで横向きに抱き上げ、タキオンの腹に着替えとタオルを乗せて浴室に向かう。俺のウマ娘の聴覚が──

 

「……み、見せ付けられている……!」

 

 という母さんの声を拾っていた。

 

 

 

 

 

 ──寮とは違い二人で入っても余裕のある檜風呂に、俺とタキオンは横並びに足を伸ばしていた。長い髪を頭の上で纏めるのも習慣づいてきたが、幼少期の頃は湯船に髪を浸しては母さんに痛むからやめろと怒られていた。

 前世が男だったんだから仕方ないだろう。

 

「いいお湯加減だねぇ~」

「顔が蕩けてるぞ、タキオン」

「檜風呂なんて贅沢極まりないよまったく……寮に欲しくなるじゃないかぁ」

「タキオン用に一階に部屋を移してバリアフリーの工事もしてるからな……檜風呂まで用意したら流石に怒られるから無理だな」

 

 ……しかし、風呂に入る度に思うが、ロングヘアーって不便だな。

 頭が水気を帯びた髪の質量でずしりと重い。俺でこれなら、シンボリルドルフやビワハヤヒデなんかは大変なのではないだろうか。

 

「……タキオン、風呂から上がったらお前の左足を母さんに見られるだろうが、言いたくないことは言わなくていいからな」

「私の足については話しているのかい?」

「事故で負傷した、とだけ。俺たちが危険な方法で走っていることは話していない」

「……ま、それが妥当だろうねぇ」

 

 ──私としても、レースを禁止されては困る。

 そう言って、タキオンは俺の肩に頭を預けて力を抜く。お湯の中でぐにゃぐにゃと屈折して見える彼女の左足、そこだけに、夥しい手術の痕があった。

 

 あのときの、脳のブレーキを外した無意識の力加減すらしないでの全力疾走。

 内側で骨と筋肉に掛かった負担がどれ程のものかなんて想像すら出来ないが、事実としてタキオンは走れなく──否、歩けなくなった。

 

 タキオンの夢を叶える事こそが俺の夢であり願いだ。きっと、母さんたちに仮に禁止されたとしても、俺は無理矢理にでも走るだろう。

 

「……上がるか。これ以上はのぼせる」

「そうだねぇ」

「タキオン、お前もう限界だろう」

 

 そうだねぇ、そうだねぇ、そうだねぇ。としか返さないタキオンを抱き上げて、俺は風呂を出た。檜風呂が珍しいからって、なにも茹でダコになるまで我慢しなくてもいいだろうに……。

 

 

 

「タキオンちゃん、足のマッサージしたげるからこっちおいで」

「えっ……ああ、はい」

 

 クーラーの効いた居間で涼むタキオンは、おもむろに声をかけられ、片足と両腕で畳の上を滑るように移動する。母さんの隣に来ると、ぐいっと左足を掴まれ、反射的に体を震わせた。

 

「掴まれると痛い?」

「っ──い、いえ」

「じゃあ……これくらい握ると?」

「……大丈夫、です」

「嘘。このくらいね。そうすると……問題は骨と筋肉、血管は無事。神経も大丈夫かしら。酷い怪我ねぇ、片足だけダンプに撥ねられでもしないとこうはならないわよ?」

 

 ぶつぶつと呟いて考察する母さんは、そんなことをタキオンに問い掛ける。

 

「……あー、まあ……そんな感じです」

「──なら、そういうことにしておくわね。お布団敷いておいたから、寝るならそっちよ」

「そこは俺の部屋なんだが」

「寮でも相部屋なら問題ないでしょ」

 

 そういう話ではない……が、初めてのお泊まりで疲れたのか、タキオンはのそのそと言われた通りに寝室へと向かった。

 ──俺も寝るか、と考えて部屋に向かおうとすると、俺だけが母さんに止められる。

 

「はいアクセルはストップ」

「…………なんだよ」

「あんたの歩き方、重心が変わってるのよ。あの子の怪我と何か関係があるんでしょ?」

「──わかるのか」

 

 大人しく腰を下ろし、襖が閉じられているのを確認して小声で会話を再開する。

 

「ねえ、言っちゃなんだけど、あの子の何があんたをそこまで駆り立てるのよ」

「あいつの代わりに速さを求めて走っているだけだ……他のウマ娘の夢を応援することは、そんなに変なことなのか?」

「それでアクセルまでタキオンちゃんみたいに足を潰したら世話ないわね」

 

 肘を突いて淡々とそう言った母さんに、俺はぐうの音も出ない。

 だが、それでも──俺の根底にあるタキオンへの想いは、決して軽くないのだ。

 

「……大事なんだ、タキオンの全部が」

「──あらまあ、惚れ込んじゃって」

「別に惚れた腫れたの話では……」

「問題ないんじゃない? だってあんた、精神(なかみ)はわりと男寄りでしょ」

 

 ──バレている。隠しているつもりも無かったが、こうも的確に言い当てられると、どうしても負い目が無くともドキリとしてしまう。

 

「大事なら、手放しちゃ駄目よ。ああいう子は、ふら~っとどこかに消えちゃうから」

「…………ああ、わかってる」

 

 改めて寝ようと立ち上がると、俺の背中に母さんが言葉をぶつけた。

 

「もしかしてウマ娘同士だと問題あると思ってる? 大丈夫よ~、私も騎バ隊に居たとき好みのウマ娘に手を出そうとしたことあるから」

「親の駄目な大人エピソードを聞かされた娘の気持ちを考えたことがあるか?」

 

 そういう話じゃないんだよ……!! 

 

 

 

 

 

 ──まったく、と内心で憤りながらも、何故か一つしかない布団の半分を占拠したタキオンの隣に体を滑り込ませる。

 

「タキオン……もう寝たのか?」

 

 なんとなく声を掛けるが、反応は無い。再度問うが反応は無い。無いのか。

 

「……なあ、タキオン。お前がどう思っているかとか、気になることは色々とあるが」

 

 右半身を下にして背中を向けるタキオンに、後ろから腕を回して、うなじに顔を近づける。

 

「──俺はお前を手放すつもりは無い。離れる素振りを見せたら、俺は必ず引き留める」

 

 腹に手を回して、首筋に鼻を押し当てる。

 彼女の体温を確かめながら、俺は瞼を閉じて意識を暗闇に落とし──二つの心音だけがドクドクと鳴り続ける世界に入り込む。

 

 

「……こちらの台詞だよ、バカ」

 

 

 

 

 

 翌日、俺を見下ろすようにじっと座っていたタキオンの顔が真っ赤だったのは、寝づらかったからなのだろうと、勝手に解釈しておいた。




ゴコクパラディン
・アクセルの母で、古くから続いていたボディガードの家系。パラディンもまた中央(トゥインクル・シリーズ)のレース場の警備員をしていた経験があり、その後はのちに夫となる警察官の元で『凶悪犯罪防止部隊・通称:騎バ隊』の一員として働いていた。

アクセル父
・警察官。階級は警視。アクセルの赤い革ジャンは父のお下がりで、人並み以上に頑丈。



柏崎
・肋骨数ヵ所にヒビ、全治3週間。


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笑う門にはフクキタル

『──お嬢ちゃん、そっちに行くのはやめとけ』

 

『……そっちに、お前の捜し物は無いぞ』

 

『ほら、おいで。お父さんとお母さんの所に、連れていってやるから』

 

『あ? シラ……なんだって?』

 

『はぁ、お導きねぇ。胡散くせーなぁ』

 

『──なら、いつか、私を探してみろよ』

 

『必ず……トレセン学園で待ってるから』

 

 

 

 

 

「────んがっ」

 

 ピピピピ、というアラーム音で目が覚めた女性──柏崎は、まだ僅かに痛む肋骨からの信号に顔をしかめながらも上体を起こす。

 ベッドの上で数分ボーッとしてから柏崎はのそのそと着替え始め、ポツリと一言。

 

「……なんの夢見てたんだっけ」

 

 

 簡単に作った朝食を取りながら朧気な夢を思い出そうとするも、何も浮かばない。

 

「ガキの頃の記憶はなぁ……アサルトのせいで碌な想い出が無いからなぁ」

 

 無意識に左腕の手術痕をさすり、重いため息をついて、それから席を立ち着替え始める。

 

「……近所の裏山がホラースポットだったんだよな。霊感のせいで嫌だったもんだ」

 

 そう呟いて、柏崎はふと灰色のウマ娘(ストライクアサルト)とは違う、幼い少女の顔を思い浮かべる。

 眉をひそめ、ぼやけた輪郭と顔を脳裏に過らせ、柏崎は──襟を整えながら独りごちた。

 

「──アイツ、誰だったか」

 

 

 

 

 

 レース場を見下ろせる坂の上、舗装された道に立つ柏崎は、気だるげに他トレーナーの担当ウマ娘のレースを観察していた。

 

「マックイーンとライスシャワーとゴールドシップは長距離レースの模擬戦、アクセルはタキオンと一緒に研究室……暇ですねぇ」

 

 自分がいなくともトレーニングをこなしてくれる担当ウマ娘たちには、頭が上がらない。君臨すれども統治せずとはこの事だろうか。

 

「……もしや、私トレーナー向いてない?」

 

 凡人である自覚はあったが、担当ウマ娘の天才足る部分を見せられては、無い自信が失われるのを覚える。そうしてレース場を走る名も知らぬウマ娘たちを眺める柏崎の耳に、濁点の混じった妙な叫び声が迫ってくるのを察した。

 

「──あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! ようやく見つけましたよぉ゛ぉ゛ぉ゛!!」

「うおっ……な、なにか用ですか」

 

 横を見ると、栗毛のウマ娘が目を輝かせて迫ってきていた。

 眼前で急ブレーキを掛けた少女は、足から顔へと柏崎を見上げて興奮気味に声を荒らげる。

 

「や・は・りっ、アナタは間違いなく! 探し求めた私の運命の人です!」

「……あー、すみません。マルチの勧誘は基本お断りしているんですよ」

「まるち……? いえ! トレーナーの勧誘です! 是非とも私のトレーナーになって欲しいんですよぉ! お願いします!」

 

「ちょっと待ってください、情報量が」

 

 片手で鼻根の辺りを押さえつつ、柏崎は少女の言葉を反芻して理解する。とどのつまり、彼女は自分(トレーナー)と契約をしたがっているのだ。

 

「契約はさておき……その、運命の人……というのは私を指しているんですよね?」

「はいっ! あれは今日の朝、シラオキ様からお告げを与えられた時のことです」

「シラタキ?」

「シラオキ様です!」

 

 訂正する少女は怒りつつも咳払いを一つに、柏崎へと回想するように語る。

 

「……私が悩むとき、何時だって正しい道を教えてくれるシラオキ様が告げたのです。『レースを見ながら黄昏れているトレーナーこそが、お前の探していた人物である』と! ですので探しに来たのですが、やはり、間違いなくアナタは、シラオキ様が遣わした運命の人なのですよぅ!」

 

「へぇ~~~~~…………」

 

 雑な相づちをしながらも、柏崎の頭は少女の『ヤバさ』に対して危険信号を発していた。なんとかこの場をやりすごして逃げられないかと思案していると、がしりと手を握られる。

 

「シラオキ様のお告げは絶対。なにより私自身、約束を果たしに来たのですからっ!」

「はあ……あ? 約束?」

「顔はわかりません。けれども声は覚えています、アナタは間違いなく、あのとき私を助けてくれたお方。そして約束しましたでしょう? 『トレセン学園で待ってるから、探してみろ』と」

 

「────」

 

 どこか熱に浮かされた、キラキラと輝く瞳。自分を見上げるそれは、柏崎にとって、いつぞやに見覚えのある輝きであった。

 

「10年前、山で迷子になり途方に暮れていた私を助けてくれた包帯のお方がそう約束してくれたんです。そして今日、ようやく巡り会えたっ。間違いなく、アナタがあのときのお方! これを運命と言わずなんと呼ぶのでしょう!」

 

「10年……包帯…………あ」

 

 二つのキーワードが、柏崎の古い記憶をこじ開ける。そういえばと、徐々に掠れていた思い出が鮮明になってゆく。

 

「──ああ、君はあの時の迷子でしたか。昔のこと過ぎて忘れていました」

「!! ──では、私のことを……このマチカネフクキタルを思い出したのですね!」

「……はい。お久しぶり、ですねぇ」

 

 パっと表情を明るくする少女──マチカネフクキタルに、柏崎は微笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「ということで、新メンバーのマチカネフクキタルです。はい拍手~」

「よろしくお願いします!」

 

「トレーナー、色々と質問はあるが……唐突に結論から話を始めるのはやめろ」

 

 タキオンを研究室に預けて暫く、チームの拠点に戻ると、何故かメンバーが増えていた。

 ゴルシたちが居ないのは長距離レースの模擬戦をしているからだったか。

 

 ともあれ、俺の目の前でトレーナーに懐いているマチカネフクキタルがチームに入ること自体は別段反対ではない。ないのだが。

 しかし……フクキタルか。『アレ』が『こう』なるのはなんとも不思議なものである。

 

「しかし、その包帯怪人とトレーナーが同一人物というのは事実なのか?」

 

「誰が怪人ですか。そうですねぇ、あれは10年前、幼馴染の躾の際に蓄積されたダメージが疲労骨折となり階段を転げ落ちて全身打撲と診断され、その後二週間ほど経過した辺りの話です」

 

「疑問を解消したかったのに更に謎を増やすのはやめてくれないか」

 

 いや、まあ、トレーナーの幼馴染のウマ娘が俺とタキオンの帰省中にここに来たという話は聞き及んでいるし、その幼馴染のせいで度々骨折とヒビを負わされていたのも既に聞いたのだが。

 

「別に自慢する話でもないので黙っていたのですけど、私は多少の霊感がありましてね。しかも、よりにもよって近所の裏山がホラースポットなのも相まって昔は最悪だったのですが……」

 

 言葉に間を開けて、トレーナーはちらりとフクキタルを見ると続ける。

 

「当時遊びに来ていたらしいご夫婦が『子供が居なくなった』と騒いでおりまして、嫌な予感がして山に向かったら案の定……この子がまあ、()()()()()()()()になっていたんですよ」

 

「連れていかれそう……とは、誰に?」

 

「それ聞きたいんですか?」

 

「……いや、やめておこう」

 

 霊感と言われれば普通ならバ鹿にされそうなものだが、俺もまた平行世界に転生している以上、トレーナーのそれも事実なのだろう。

 

「とまあ、それでこの子を保護し、無事送り返せたというわけです。途中、分かれ道で悩んだ時は肝を冷やしましたがね……」

 

 ちゃんちゃん。と締めくくり、トレーナーは隣でぼんやりと話を聞いていたフクキタルの頭を優しく撫でる。まぶたを細めてされるがままの彼女はどことなく妹のような雰囲気を出していた。

 

 ──いや、事実として妹なのか。馬のフクキタルは確か、兄を亡くしていた。

 もしやこちらでもフクキタルは……と邪推するが、それ以上に、部屋の奥に鎮座している巨大な風呂敷を見つけて困惑する。

 

「……トレーナー、その風呂敷はなんだ」

 

「それは私の荷物です! 中には半生掛けて集めたありがた厳かな開運グッズが入ってるんですよ! 寮の部屋から溢れそうだったのでこちらに持ってきたんです、飾ってもいいですか?」

 

「中身によるが……トレーナーはいいのか?」

 

「私は構いませんよ、この部屋も殺風景ですからねぇ。これを期に模様替えしましょうか」

 

 ぱん、と手を叩いてそう提案するトレーナーを横目に、フクキタルは早速と風呂敷を広げる。しかし中から出てきたのは、プリンのカップ。

 

「ゴミじゃないか」

「なにをおっしゃいますか! これは私が初めてぷっちんしたプリンのカップですよ!?」

「いやぁ、これはゴミですよ」

「トレーナーさんまで!?」

 

 いざ中身を拝見してみればその殆どは分別するべきゴミばかり。

 どうやら占いなども嗜むらしく、開運グッズと言い張って多種多様の残骸をかき集めていた。木屑を巣に持ち込むハムスターか何かか。

 

「……まずはゴミの分別からだな」

「ですねぇ」

「あ゛────っ!! 百点の答案用紙だけは勘弁してくださいよぉ゛──っ!!」

「ゴミ屋敷を生成する奴は往々にしてそう言うんだ、諦めろフクキタル」

「むぎゃお────!?」

 

 

 

 

 

 ──さめざめと泣きながら渋々持ち込んだグッズの処分をしているマチカネフクキタルの傍らで、柏崎は招き猫の置物を眺めておもむろに口を開くと、あっけらかんとした口調で問いかけた。

 

「フクキタルは、お姉さんとか()()()?」

「…………はい、()()()()よ?」

 

 それがなにか? そう言って小首を傾げるフクキタルは、トレーナーを見上げる。

 

「──ああ、いえ。なんとなく妹っぽい雰囲気をしていたものですから」

「え~、なんですかぁそれ~」

「……それより、早く分別を済ませないと、アクセルに持ってきたやつ全部捨てられますよ」

 

 つい、と指差した方を見ると、部屋の掃除のついでとばかりにどんどんゴミを袋に纏めて行くアクセルの後ろ姿が目に入る。

 

 慌てるフクキタルを見て口角を緩める柏崎だが──その脳裏には、ようやく鮮明となったかつての記憶が甦り、映像を再生するようにしてその思い出を想起していた。

 

 

 

 

 

 ──幼いウマ娘を探すべく、ちょっとした善意から怪我をしている体に鞭打って山中を歩く柏崎は、正しく運命の分かれ道に差し掛かる。

 

『クソ、どっちに居るんだ……?』

 

 嫌な雰囲気の山中、選択肢を間違えれば────そうして悩む彼女は、ふと分かれ道の中間にある木々の暗がりに人影をみる。

 まさか件の迷子かと目を凝らし、違う──否、そもそも人間ですらないと無意識に察した。

 

『……なあ、()()()だ?』

 

 栗毛の少女に柏崎は問い掛ける。

 杖を片手にズキズキと痛む全身からの危険信号をよそに、急かすように睨み付け──少女が向けた指の方角を見て、疑う余裕もなく駆け出す。そんな柏崎の横顔を見て、少女は笑う。

 

 その顔は、今にして思えば、どことなく──フクキタルに似ていた気がした。

 

 

 

「──置き土産のつもりかよ」

「どうしかましたか?」

「……いえ、なんでもないです。ほらほら手を動かして、アクセルにどんどん開運グッズが捨てられていきますよ」

「あ゛──!! そのアイスの当たり棒を捨てるのはおやめくださいぃいいい!!」




柏崎
・霊感があるのに近所の裏山がホラースポットという最悪の立地に実家がある。

マチカネフクキタル
・シラオキ様のお告げにより柏崎と再会したウマ娘。実力はあるが運ありきの結果と考えており、勝つも負けるも運次第と捉えている。柏崎に対しては恩人であり姉のような感覚がある。

アクセルトライアル
・実はコーヒー派で、マンハッタンカフェと仲が良い。掃除から料理まで一通りこなせるため、一部からはタキオンの母親扱いされている。


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決意を胸に、想いを脚に

繋ぎ回なので短いです


 早いところで、俺のレースはもうじき一区切りつくというところまで来ていた。

 これからもまだまだ続いて行くとしても──URAファイナルズの決勝戦で勝てるかどうかは、俺の今後に大きく響くだろう。

 

 ──ふと、校内のベンチで黄昏れる俺の隣にすとんと座る人影が声をかけてきた。

 

「──アクセル」

「トレーナーか」

「……もしかして、緊張してます?」

「そんなところだ」

 

 へぇ、と呟いて、トレーナーはくつくつと喉を鳴らして微笑を浮かべる。

 

「……なんだ?」

「いえ、いつも余裕のある顔をしているから、緊張とは縁がないのかと思っていました」

「まさか。俺はただ──少しばかり、人より心の成熟が早かっただけだ」

 

 前世の記憶と経験があるというアドバンテージは、思春期の少女が抱えるだろう将来への漠然とした悩みや恐怖を消していてくれた。

 だからこそ、心と体のズレが少しずつ無くなってきている今、俺は──そう、まさにそんな思春期の子供のような不安感に襲われている。

 

「俺は……トレーナーにURAファイナルズに誘われるまで、恐らく漠然と走っていたのだろう。タキオンの代わりに、タキオンのために、最速でいようとしていた」

 

「はい」

 

「今ならよく分かる。俺が勝つということは、誰かを負かすということだ。天皇賞に出て、菊花賞に出て、有馬記念に出て──何度も何度もあらゆる感情をぶつけられてきた」

 

「……はい」

 

 さわさわと風が吹き、紺色の髪が揺れる。トレーナーはただただ、淡々と相槌を打つ。

 

「URAの前の、最後の目標で有馬記念に出たとき……1着を取ったあとにすれ違うウマ娘一人一人が、言葉にせずとも顔が語っていた。『うらやましい』『妬ましい』『どうしてお前ばかり』……同じ立場なら、俺でもそう思うだろう」

 

 ウマ娘の競争はスポーツであり、戦いなのだ。己の全てを懸けて勝たなければならない。負ければそこで終わりだ。

 

 負けても得るものはあると、わかったような言葉を向けられることもあるだろうが、そんなものは綺麗事だ。俺は────俺は、何人ものウマ娘から夢を奪い走っている。

 

「俺が負かしてきたウマ娘たちの思いを踏みにじってきた以上は、なにがなんでも勝たなければならないが、このレースはもはや俺とタキオンだけの戦いでは無くなった」

 

「そうですね」

 

「だが、この力……10秒加速だけで勝てるほどURAの参加者は弱くない。勿論、俺が今まで競ってきた相手も強敵揃いだった」

 

 カチリと頭のなかでスイッチを切り替えれば、辺りの景色がスローになる。

 タキオンとの研究で開発した10秒加速──のための、脳のブレーキを外す自己暗示。

 

 ()()を用いた運動能力の100%運用は、タキオンの足を犠牲に判明した『10秒以上の使用は厳禁』という絶対のルールがある。

 この加速を最後の直線で使うというのは、とどのつまり通常よりも速い末脚だ。それならばもっと、手前から速さを確保したい。

 

 しかし、そうすると『どうやって10秒以上足に力を入れるか』という問題が発生する。だが──そういえばと、不意に思考が逸れる。

 

 

 ──10秒しか走れないのは、あくまでも()()()()()限界ということになるのではないか。

 

 そこまで考えて、カチリともう一度意識を切り替え思考速度を元に戻す。

 

「──セル、アクセル?」

「……ああ、いや、大丈夫だ」

 

 

 ──限界を超えた先に、速さの果てがあるのだろう。俺はベンチから立ち上がり、トレーナーを見下ろして拳を突き出す。

 

「トレーナー、俺は勝つ。必ず勝つ。タキオンのために、チームのために、そして────俺を誘ってくれた貴女のために勝つ」

 

「──私は契約したあの時からずっと、アクセルトライアルの勝利を信じていましたよ」

 

 目尻を緩めて出来る限りの笑みを作った俺に、トレーナーは拳を突き出して返す。

 セミロングの髪を風に揺らして微笑む彼女は、そのまま手のひらを広げた俺の手を掴んで立ち上がると、ああそうだと質問を飛ばした。

 

「ところでURAのウイニングライブの練習はしてるんですか? 何でしたっけ、なんとか伝説」

 

「その話はよせ」




次回、URAファイナルズ決勝戦


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Leave all Behind

 控え室の椅子に体を預ける俺は、蒸したタオルを顔に被せて天井を見上げていた。

 

 URAファイナルズ決勝戦──ジュニア、クラシック、シニアの3年を駆け抜けた者が集う、今の世代でトップクラスの実力者たちの決戦場。

 

 そんなところに俺が居るのは、間違いなく実力あってこそだ。しかしてそれも偶然の産物なのではないかと、自分を卑下してしまいたくなる時が、不定期に訪れるのだ。

 

「──いかんな」

 

 もうすぐレースが始まるというときに、このネガティブは不味い。タオルを取り、席を立って体をほぐすと、俺は勝負服に着替える。

 この場に、俺以外は誰もいない。タキオンにすら、観客席で見ていろと伝えている。

 

 そして薄い装甲のような、鮮やかな蒼に白い装飾のライダースーツを前を開けて着込む。

 ばさりと服の下に入った後ろ髪を外に広げて、それから控え室を出て地下バ道を進み、ウマ娘の集まるターフに躍り出る。

 

 ──刹那、ワッという歓声。音の壁と言っても過言ではないそれが、ビリビリと鼓膜を刺激する。全員が俺を一瞥して、ゲートへと入って行く。距離2400mの中距離、天気は快晴、バ場状態良。俺のゲートは1枠、そして1番人気。

 

 ここまで露骨では作為的なモノも感じるが──そこまでお膳立てされては仕方がない。

 

「1枠1番が1着を取る。それだけだ」

 

 ──ざわ、と、横のゲートの奥に居るウマ娘全員から、これでもかと殺意が飛んでくる。ああ……ウマ娘の聴力を舐めていたな。

 

 

 

 

 

「アクセル、大丈夫なんですかねぇ」

 

 最前列の手すりに腕を乗せ、体重を預けながらトレーナー・柏崎が独りごつ。

 

「ハッピーカムカム……シラオキ様ぁぁぁアクセルさんに勝利をぉおおお……!!」

「神頼みもよろしいのですが、アクセルさんってその手の願掛けはするのかしら」

 

 じゃらじゃらと数珠を鳴らして唱える、根本的に何かを間違えているマチカネフクキタルの隣で、メジロマックイーンがポツリと溢す。

 

 そんな彼女の言葉に、車椅子の座高を上げて観戦しているアグネスタキオンが答えた。

 

「願掛けはしないが、神の存在は信じていたな。確か──『俺がこんな事をやっている原因、という意味なら、神は居るんだろうさ』とかなんとか言っていた記憶がある」

 

「なんですかそれ」

 

 眉をひそめた柏崎に、タキオンはさぁねぇと返す。ゴルシ焼きそばの販売に付き合わされているライスシャワーは元気にしているだろうか……と内心で心配していると、その隣に人影が立つ。

 

「──とはいっても、最後に頼れるのは、結局のところ己の肉体のみなのだがね」

「貴女は…………何してるんですか」

 

 ──会長。と続けて、柏崎は自分の横に立つウマ娘、生徒会長・シンボリルドルフを見た。

 耳を隠す帽子と尻尾を隠すロングスカートに、顔には珍しく眼鏡をかけている。

 わざわざ変装をして最前列に来て何をしているのかと、柏崎の顔が暗に語っていた。

 

「どうせなら最前列で観戦したくてね。ああ、ここでは私のことは単なる観客と──「あらルナちゃん、なにしてるの?」……ううむ」

 

「……うげ、アサ」

 

 ──やっほー、ザキちゃん。

 そういってのそりと背後から現れたのは、ルドルフの先輩にして柏崎の幼馴染。『元』最強・ストライクアサルトだった。

 

 180cmの巨躯が最前列に居ては後ろの邪魔になるため、柏崎が屈めと手を下げるジェスチャーを行う。彼女は手すりに寄りかかって前屈みになると、灰色の髪の上にある同色の耳がピクピクと揺らしてゲートに向かうアクセルたちを見た。

 

「……ルナって、会長の名前ですか?」

「それは昔のアダ名みたいなものだ」

「なるほど。……それで? アサはなんでここに居るんだよ」

「親友の教え子の大事なレースだから、気になって見に来ちゃった」

 

 ──ぶい! と言って、アサルトは右目を覆う眼帯の隣にピースサインを添えた。

 

「ウザ。いい歳してそれはやめろ」

「ザキちゃん前より切れ味増したね」

 

 抗議するようにぺしぺしと尻尾が柏崎の太ももを叩く。──それにしても、とアサルトは一拍置いて口を開いた。

 

「いい殺気ねぇ。昔を思い出すわっ」

「先輩の世代は──まあ、殺伐としていましたからね。ウイニングライブも、ちょうど我々の少しあとくらいから出来た文化ですし」

「アサの世代か……盤外戦術からレース後の乱闘までありゃあ派手だったな」

 

 柏崎とアサルトが見てきた、実際に体験してきた()()()()()レース。そしてルドルフが走り抜けたレース。それらが反面教師となって、ようやく今の()()()()レースが生まれたと言える。

 

「ただまあ、今も昔も……レースなんてやることは1つしかないだろ」

 

 アサルトの隣で手すりに肘を突き、ゲートが開き一斉に走り出したウマ娘を──アクセルトライアルを見て柏崎は言った。

 

(はしり)で全員ぶちのめす。……勝つのはうちのアクセルですよ、ねえ、タキオン?」

「うーん、まあ……そうだねぇ」

「……どうしました?」

「ああ、いや、アクセルなんだが」

 

 言うべきか言わざるべきかで悩む素振りを見せ、無意識に左足をさすりながら続けた。

 

「アクセルは、10秒加速を使わないらしい」

 

 

 

 

 

 ──最終コーナー、俺は遠心力で外へと弾き飛ばされそうな体を内側に押し留めて走っている。体の重さが普段よりも顕著に感じられ──10秒加速の恩恵を身に染みて味わわされていた。

 

 10秒加速、厳密には脳のブレーキを緩めた、脚への負担度外視の加速法。

 理論上は誰でも使えるが、10秒以上の利用は確実に脚が砕けるため、俺のような精密な体内時計を持たない者には使わせられない。

 

 そんな、()()()()()()()()()()使()()()()()で1着を取ることが、最速を証明することになるのか? 否、寧ろ逆だ。

 10秒加速を使った俺の脚を超える走りを実行してこそ、観客に、トレーナーに、タキオンに俺が最強最速のウマ娘であると証明するのだ。

 

 俺は俺を超えなければならない。故にこそ、10秒加速は自主的に封じた。

 されどタキオンと共に考え、実践し、修正してきた走り方は体に染み付いている。

 

 あとは俺の問題だ。俺は、いままでずっと、タキオンの為に走ってきた。

 それが間違いだとは思わないが、それでも……酷く視野の狭い行動だった。

 

 ──俺が勝つということは、誰かが負けるということ。それに気付いて、それでも尚、俺は俺のわがままを貫き通す事を決めた。

 ──1着を取りたいのだ。他の誰でもない、俺が1着を。全員をぶっちぎって、俺が……ッ! 

 

 

 

 ──最終直線に差し掛かり数人が前を走るなか、俺は自分の心音に耳を傾ける。

 

 それは炉心を起動するかのように。

 それは、心臓(エンジン)に点火するかのように。

 10秒加速の際の風景が遅れて見えるのとはまた違う感覚と共に、ようやく俺は──()()()()

 

「全て────振り切るぜ!!」

 

 眼前のウマ娘を含めた視界の中の景色が溶け、耳は風の叫び声だけが入り込む。

速度を向上(ブースター・アップグレード)』させた俺は、音に追い付き──時間を抜き去った。

 

 

 

 

 

「ゾーン……か」

「ゾーン?」

 

 ルドルフがポツリと漏らした言葉に、柏崎が反応する。一度うなずくと彼女は続けた。

 

「極限まで研ぎ澄まされた集中状態。

 ウマ娘が()()に成ると、言うなればピタリと歯車が噛み合ったような感覚を覚えるんだ」

「簡単に言うと、殻を破るようなものよ。アクセルちゃんは今この瞬間、()()()()のね」

 

 アサルトの補足にへぇと呟く柏崎は、ガタンと車椅子から飛び降りるように立ち上がり、手すりにしがみついて瞳を揺らすタキオンを見た。

 

「あれ、が、あれが……アクセルの、本来の走り方……だったのか……?」

 

 まるで親に突き放された子供のような、絶望と驚愕をない交ぜにした表情で、1人2人3人と瞬く間に追い抜くアクセルを見下ろす。

 

「筋肉の動きが10秒加速時と違う。あれは間違いなく……アクセル単体の運動性能だ。いや、だが……あの動きは……っ」

 

 左足を庇い片足立ちのまま、手すりに体重を預けてアクセルの走法をつぶさに観察する。

 腕の振り、ストライド、呼吸の全てが、独特でありながら──タキオンとの考案による動きを掛け合わせたようなモノとなっていた。

 

 一瞬、タキオンはアクセルから見放されたような感覚を覚えていた。あれが本来の実力であるならば、自分のしてきたことは、ただ彼女の邪魔をしていただけなのではないかと。

 

 しかし──アクセルは一度たりともタキオンを、タキオンの技術を見放した事はない。10秒加速は使わない、だがそれ以外の基礎は、応用は、知識は、その全ては最大限利用していた。

 

 限界まで過熱したエンジンのようにその体に熱を持ち、輪郭に沿って景色(ターフ)に歪みを生むアクセルは、ただ前を見据えて走り続ける。

 

「……走れ、アクセル……!」

 

 最後の1人に追いすがる凶悪な末脚を披露するアクセルに、恥も外聞も投げ捨てて──タキオンは喉が潰れんばかりに声を張り上げた。

 

「アクセル──ッ!! 走れぇぇぇぇぇ!!」

 

 ちらりと、アクセルは横目でタキオンの興奮し紅潮した頬を、自分の勝利を願い涙を浮かべた目を見て──目線を前に戻しながら獰猛に笑う。

 

 

「あーあ、もう逃げ切れない」

「アクセル……末恐ろしい奴だ」

 

 手すりに頬杖を突きながら、アサルトが。その隣で腕を組ながらルドルフが、誰にも聞かれない小さな声で独りごちる。

 

 眼前で4人目を追い抜き、尚も距離を広げ、誰も追い付けない程に遥か後方へと全員を置き去りにして──アクセルはゴールを過ぎ去った。

 

 遅れて着々と、白髪のウマ娘が、葦毛のウマ娘が、黒髪のウマ娘がゴールして、もはや意味を成していない順位を知らせる掲示板に無慈悲な数字がパッと点灯する。

 

 徐々に歩みを遅らせ、ようやく止まったアクセルは、胸の前でぐっと拳を握ると天を見上げて重く深く排熱するように息を吐いて──

 

 

「──証明完了」

 

 タキオンの頭脳と技術を自分の脚に組み合わせ、最速に至ったアクセルはしみじみとそう呟いた。冷たい空気で身体を冷却して、その身に爆発音を思わせる歓声を、恨みや悔しさ、祝福をぐちゃぐちゃに混ぜた視線を浴びながら。

 

 

 

 

 

「……ようやく帰れるな」

「いやはや、いいライブだったよ」

「勘弁してくれないか」

 

 ライブ会場を出て通路を歩く俺の横で、車椅子に座ってゆったりと動くタキオンはくつくつと喉を鳴らして笑みを浮かべる。

 

「ハッピーミークもオグリキャップもよくもまあ、あんな曲を真面目に歌えるものだな」

「センターの君も含めて『無愛想トリオ』とか呼ばれていたぞ。大人気だな」

「冗談はよしてくれ」

 

 車椅子の背嚢に『私の愛バ』とか『目線ください』とか書かれているうちわを突き刺すように仕舞っているタキオンに、俺はなんともいえない顔をする。誰の入れ知恵だ、ゴルシか。

 

 頭の片隅にこびりついている、タキオンの隣で鮮やかな黄緑に発光しながら仁王立ちしていたトレーナーを意識の外に押し出して続ける。

 

「俺も、タキオンがあれほど必死に声援を飛ばすとは思っていなかった」

「…………うるさいな。君こそ私にあの走りを黙っていたじゃないか」

 

 むすっとした表情は、まるで駄々っ子のようだ。自分の想定を外れた動きをされて、きっと裏切られたとでも思っているのだろう。

 

「──周りも、観客も、トレーナーもタキオンも、きっと『10秒加速ありきの俺』が最も速いと思っていた。だから俺の……その上を行く走りを土壇場で見せる必要があったんだ」

 

「……そうかい」

 

「だから、まあ……なんだ。別に俺は、タキオンが必要ないと思ったことは無いぞ」

 

 ──ふぅン、とため息混じりの声で返すタキオンだが、ピクピクと耳が上機嫌に跳ねている。

 

「……しかし、URA優勝はまだスタートラインに過ぎないからな。これから忙しくなるぞ」

「なあ、アクセル。君は私の頭脳を受け継いだに等しい知識も得ているわけだが、それでもまだ片足の使えない私と居るつもりなのか?」

「何が言いたいんだ」

 

 おもむろに車椅子の速度を落とすと、タキオンは声のトーンも落として項垂れながら言う。

 

「君の人生だ、もっと好きにしても良い」

「タキオン……」

 

 それはきっと、思春期の子供の重大な決断なのだろう。俺の優勝という節目をターニングポイントとして、自分が居なくても十分やっていける俺を突き放そうとしているのだ。

 

「そうか」

 

 ……俺は電動車椅子の電源に手を伸ばしてオフにすると、ハンドルを握って押して歩く。

 そんな行動に、顔を上に向けるタキオンはポカンとした面を晒した。

 

「──アクセルっ」

「俺の人生だ、好きにするとも」

「……良いんだな?」

 

 その言葉に返事はせず、ただただ、車椅子を押して歩く。背凭れに体を預けたタキオンの脚の横から伸びた尻尾が、ゆらゆらと揺れている。

 

 ──こうしてURA優勝という、1つの大きな目標は乗り越えた。だが、ここはゴールではない。あくまでもスタートラインだ。

 

 いつかは、俺の前世の記憶というアドバンテージは意味を成さなくなるのだろう。

 それでも──俺の隣には、いつまでもアグネスタキオンに居て欲しいのだ。今はひとまず、それだけでいいのかもしれない。

 

 暫くは休息、そのあとは、またレースの為にトレーニングを重ねよう。

 そんなことを考えながら、俺はタキオンの車椅子を静かに押すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──余談だが、俺が走ったURAファイナルズの生中継より、その後のウイニングライブの方が圧倒的な再生数を叩き出していたらしい。

 

『完』




本当の本当に最終回。
以降は不定期更新です。

完結したので高評価とお気に入り登録とファンアートください(強欲)


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孤独の縁故

 URAファイナルズ優勝から暫く、ようやく注目の的にされなくなってきた頃の休日、ふと校内のベンチに座る二人のウマ娘を発見した。

 

 一人は制服のシンボリルドルフだが、もう一人の私服姿は……初めて見るな。誰だ? 

 携帯を片手に唸っているルドルフに何か指摘しているウマ娘はどこか壮年の雰囲気を感じさせるが、纏う雰囲気は強者のそれである。

 

「会長、どうかしたのか」

「──ん、ああ。アクセルか……いやなに、少しばかりネットの洗礼を受けていてね」

「……アクセル? ああ、貴女が例の!」

「なに?」

 

 ルドルフの隣に座っていた鹿毛のウマ娘は、俺を見るや否や好奇心旺盛な表情をした。

 

「URA優勝おめでとう! 生配信のレース見てたわよ~。あっ、私は()()()()()()()……って言ってもわからないかしら」

「マルゼンスキー……()()()()()()か。驚いたな」

「──そう呼ばれてるのも知ってるって方に、私こそ驚いてるのだけど……」

 

 感心したような声色で、マルゼンスキーはポカンと口を開ける。寧ろ驚いたのは俺の方だ。マルゼンスキー、スーパーカー。

『速すぎて脚質がわからない』とされた──本人も周りもレースで不幸になった馬。

 

 確か、ライスシャワー含め(のち)の優秀な馬に血を残している筈だ。そんなマルゼンスキー……はともかく、俺が今気になっているのはルドルフの方だった。それで、と口を開いて俺は問う。

 

「会長は何をしているんだ」

「……君はウマスタを知っているかな」

「そうだな……嗜む程度には」

 

 ウマスタ──と言うのは、前世で言うところのインスタとそう変わらない。

 ベンチの横に立ち、ルドルフの携帯を覗き込むと、彼女のアカウントが映っている。

 しかしそこにあるのは……堅苦しい文章とレースやトレーニングの予定表のみ。

 

ううむ……メモ帳か何かか?」

「そうなのよっ! ルドルフったらウマスタに投稿しても業務連絡ばっかりなの!」

「しかし……私にはこう言ったアプリは向いていないよ。寧ろ今の今まで投稿が続いているだけマシだと思わないかい?」

「自分で言うな」

 

 本人の経歴と実力で盲目になっていたが……こいつもしかしてわりとポンコツなのか。でもまあ確かに、機械は苦手そうだものな……

 

「私としてはもっとナウなヤングにバカウケな投稿を増やすべきだと思うのよ」

「もうその時点で分からないよマルゼン」

 

 唐突なマルゼンスキーの古い言語に脳が一瞬理解を拒んだが、そういえばそうだな。彼女は70年代──バブル(あの)世代の馬だった。

 前世の俺はそれより後の世代だから翻訳に苦戦したが、今のは──

 

「──『今時の若者』という意味だな」

「どうして分かるんだ?」

「気にするな」

 

 俺としてはマルゼンスキーの言語センスの古さこそ気になるが……なんだ、もしや前世の年代でその辺の感性も変わるのか。

 

「フォロワーは沢山いるのに、投稿はたまにやる併走かトレーニングの予定表か行事の告知だけ。こんなのチョベリバだわ!」

「アクセル、今のは」

「『とても悪い』だ」

 

 こいつ……早速と俺を翻訳機扱いしているな。自分の言葉を理解している俺に対して、マルゼンスキーもどこか楽し気にしている。

 

「ねっねっ、アクセルはウマスタやってるの? まさかルドルフみたいに業務連絡しかしてなかったり?」

「いや。俺はウマスタはしていない。ウマッターならやっている。まあ、アカウントを作っただけでそもそも何も投稿していないが」

 

 自分の携帯を紅い革ジャンのポケットから取り出して、ウマッター──前世でいうツイッター──を起動して見せる。

 画面に映っているのは初期アイコン、初期ヘッダー、プロフィールには『アクセルトライアル(本人)』とだけ書かれていた。

 

 詐欺アカウントなら何らかの投稿をしていると思われているのか、フォロワーは……何故か6桁ほど居た。嫌な信頼のされ方だ。

 

「……貴女ももっとこう、何かしら呟いた方が良いんじゃないかしら」

「興味が無くてな」

「なんでもいいのよ。『お昼は何を食べた』とか、『今日はどのコースで走ったか』とか」

「そうか」

 

 そういうものか。この手のSNSは俺より向いている奴が居るだろうが……ファンにとっては数少ない交流の機会だ、URA優勝者としてのサービスも必要なのだろう。

 

「昼食か。なら、マルゼンスキーは何を食べたんだ。少し古い喫茶店でスパゲティか?」

「あら、よく分かったわね」

よりによってアタリか……

「やはり詳しいな、まるでマルゼン博士だ」

「冗談はよしてくれ」

 

 ルドルフにそう言われ、咄嗟に言い返す。なんとなくバブル世代っぽい食事のイメージそのままの昼食を取っていたマルゼンスキーにも完全に友好的に見られている。

 

「……それより、会長のウマスタに華がないという話だろう。携帯を少し貸せ」

「うん? ああ、壊さないでくれよ」

「握っただけで壊れるわけないだろう」

 

 からかうような言葉に眉をひそめながらも、俺はカメラモードを起動して、横向きにしてマルゼンスキーとルドルフのツーショットを撮影する。突然のシャッター音に驚くルドルフとさらっと彼女の肩に手を置いてウィンクするマルゼンスキーの写真を、ウマスタのアカウントに投稿してから本人に返す。

 

「……それだけで良いのか?」

「通知は切っておけ」

「えっ──わ、わっ」

 

 ブブブブブブッと、突如としてルドルフの携帯が何度も通知を知らせる振動を発する。驚いて落としそうになった携帯を掴んで、ルドルフはウマスタの通知が更新されて行く光景を見ていた。

 

 予定表の投稿だけでも『シンボリルドルフの投稿だから』というだけでそこそこ評価があるのに、そこにマルゼンスキーとのツーショットを投稿したのだ。校内のウマ娘や当時からのファンにとってはさぞや()()()()だろう。

 

「……あらら、劇毒ねぇ。じゃあルドルフ、ここにいたら囲まれちゃいそうだからそろそろ帰るわねっ。アクセルも来てくれる?」

「構わんが」

「いや、待て、ここまでしておいて放置するというのはどうかと思うのだが!?」

 

 安易に俺を信用したルドルフにも責任はある。オホホホホホ~と高笑いしながら走り去るマルゼンスキーの後を追って、俺は校則違反にならない程度に小走りしていった。

 

 

 

 

 

 ──ルドルフから離れて走るのをやめた俺に、マルゼンスキーがおもむろに声をかける。

 

「アクセルは、私のことを知っているの?」

「…………」

「ごめんなさいね、ただ──そう、貴女は今の世代の最速だから、きっと」

「──俺が孤独になるのではないか、と心配しているのか」

 

『……ええ』というマルゼンスキーの小さい声。マルゼンスキーは強い馬だったがゆえに、『マルゼンスキーが出るなら出ない』と出走を回避した馬が何頭も居たくらいだ。

 

 もしウマ娘であるマルゼンスキーも似たような境遇だったなら、『強すぎること』は不幸を生むことを知っているのかもしれない。

 

「私は走るのが好きで、楽しくて……ただそうしていただけ。速く走るのが気持ちよくて、楽しくて、それだけでよかったのに──昔の規定でね、当時の私はダービーに出られなかったの」

 

「────」

 

 悲しげに笑うマルゼンスキーを見て、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。そうか、ウマ娘はそこまで似てしまうのか。

 

 馬のマルゼンスキーは外国で交配して日本で産まれたいわゆる持込馬(もちこみば)で、あの年代のダービーは持込馬の出走が認められなかったのだ。

 出られていれば、というif(もしも)は、この世界でも叶うことは無かったらしい。

 

「もしもダービーに出られたら、なんてことを今でも考える。そして、私が楽しく走ることは、果たして孤独を生んだ。一瞬でも考えちゃったのよ、いつか貴女もこうなるんじゃないかって」

 

「マルゼンスキー……」

 

 湿っぽくなっちゃったわね! と言って、マルゼンスキーはからからと笑う。

 ──知りすぎていることを気味悪がられるかもしれないが、彼女の一生を知っている今の俺には、何も言わないということが出来ない。

 

 俺は、彼女の背に向けて口を開いた。

 

「──大外枠でもいい、賞金も要らない、誰の邪魔もしない。走らせてくれたら、誰が一番速いかがわかる……だったか」

 

「──!」

 

「ウマ娘が速く強くあることは孤独を生む。それはきっと間違いないだろう。だがな、マルゼンスキー。孤独であることがイコール不幸であるとは限らないんじゃないか」

 

 校門を出て、少しして、恐らくマルゼンスキーの私物だろう赤いスポーツカーを見つける。彼女の顔を見て、俺は言った。

 

「強いことが孤独になる条件というのなら、どうしてシンボリルドルフは孤独ではないんだ。それは、ああしてお前が傍に居たからだ。だからお前も、結局は孤独なんかではないんだよ」

 

「…………アクセル」

 

「俺も同じだ。隣に大事な奴が居る。だから──大丈夫だ、きっと孤独になんてならない」

 

「──そっか」

 

 そう言い終えて、俺は携帯を取り出してカメラを起動する。それに気づいたマルゼンスキーは、スポーツカーを背に──風に揺れる髪を押さえながら、憑き物が晴れたように笑っていた。

 

 この写真にタイトルを付けるなら、そう──『スーパーカー』、だろうか。

 

 

 

 ──などと考えていたのも数日前。俺は朝のベッドの上で、ファンに向けた面白い呟きについて悩んでいた。とことんSNSには向かない性格だと自己判断して、ふと、俺の横で眠りこけているタキオンの寝顔に意識が向く。

 

「……これでいいか」

 

 別にウマッターで呟けとは誰からも言われていないし、いちいち俺のアカウントなんて確認されないだろう。携帯のスピーカーから音が出ないように指で押さえながら、俺はフラッシュを焚かないようにしつつ、タキオンの寝顔を撮影した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、なんでアクセルのウマッターってタキオンの寝顔だけ投稿されてるんですか?」

 

「……アクセル? なんだいそれは? そんなの聞いてないぞ、アクセル? アクセル!?」




モブ「アクセルさんのウマッター、デジタルも見た?デジタル?デジ……し、死んでる……」



アクセル
・5%の確率でタキオンとの添い寝ツーショットを投稿するアカウントとして人気を博している。

柏崎
・定期的にゴルシとフクキタルをプロレス技で締めている動画が投稿されており、格闘技(そっち)方面のウマ娘からそこそこ人気。


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天然の逃亡者

 ──URAで優勝してからというもの、体を休める機会が増えた俺は、制服よりも私服の革ジャンに袖を通す回数が多くなっていた。

 

 電動車椅子を走らせて校内を闊歩するタキオンの隣を歩き、それから階段の前に立つ。

 

「タキオン」

「ああ」

 

 手慣れた動きで一度立たせると、俺は車椅子を畳んでから松葉杖で左足を庇うタキオンを片腕に乗せるように抱き上げ、片手で畳んだ車椅子を持ち上げる。両腕にずしりと掛かる重さを感じながら、研究室がある階まで駆けていった。

 

「ふっ、はっ……よっ、と」

「……時間をかければ一人でも上がれると言っているのに、君も献身的だねぇ」

「足を庇いながら車椅子を背負って階段を上がるのか。上りきる頃には老婆になりそうだ」

 

 車椅子を下ろして片手で広げ、車輪が動かないようにロックしてから座る部分にタキオンを下ろす。改めてロックを外して、電源を入れた。

 

「俺はその辺をぶらついているが、仲が良いからといってスカーレットを実験台にするなよ。それとカフェに薬を飲ませようとするな」

「ふん、スカーレット君にはしないさ。カフェはまあ、場合によるけれどね」

「……全く」

 

 悪びれた様子も無いタキオンはそう言って、レバーを倒して車椅子を動かす。

 今度カフェに詫びのコーヒー豆でも献上するか、と考えて、俺もその場をあとにする。

 

 

 

 

 

「──頚椎」

「けぺっ!?」

 

「……何をしているんだ」

 

 暇をもて余してチーム・ファーゼストの活動拠点に訪れた俺は、何故かトレーナーに気絶させられているゴルシを発見した。

 

「ああ、アクセル。いえ……ちょっとゴルシが部屋でロケット花火を点火しようとしていたので、少々乱暴ですが止めようと」

「そうか……それはこいつが悪いな」

「では私は、生徒会室に向かうので──部屋で待機させているお客の相手を頼めますか」

「客……?」

 

 お願いします、といってトレーナーはゴルシの襟首を掴んで引き摺っていった。

 

「……仕方ないか」

 

 暇なのもあってとりあえずと、俺は客の相手をすることにした。扉を開けて中に入ると──たい焼きを詰めた紙袋を抱えたまま左回りにぐるぐるとウォーキングしているウマ娘を見つけた。

 

「…………何をしているんだ」

「──あ、こんにちは」

「こんな敷地の端の方にある辺境に何の用だ? それとそのたい焼きはなんだ」

 

 ピタリと動きを止めて、栗毛のウマ娘は律儀に挨拶をしてくる。私服ということは体を休めているのだろうが、その腕にあるたい焼きが異質さを醸し出していた。

 

「たい焼き、食べます?」

「要らん……」

「そうですか。あ、私……サイレンススズカって言います。スズカと呼んでください」

「──────。そうか、俺はアクセルトライアルだ。アクセルでいい」

 

 サイレンススズカ──スズカは、俺が広げたパイプ椅子に腰かけると机に紙袋を置く。俺は、スズカの顔をじっと見て()()()()

 

 サイレンススズカ。俺と同じ逃げの馬。彼女──彼は異次元の逃亡者とまで呼ばれた、いわゆる短距離の速度で中距離を走れる馬だった。

 

 そんな馬……ウマ娘が、何故か、どういうわけか、チームの拠点でたい焼きを手にぐるぐると左回りに旋回し続けていたのである。

 

「突っ込みどころが多すぎる……」

「アクセル?」

「……さっきも聞いたが、そのたい焼きはなんなんだ。食べるのか?」

「いいえ? 実はフクキタルが朝、私に『たい焼きで、最高の景色を見せてくれる相手が釣れる』とお告げしていったの。でも全然駄目で……」

 

 ──それで、いっそ自分から相手の口に突っ込んでやろうと思い、紙袋に詰めて歩き回っていたら、俺たちの拠点にたどり着き、ゴルシが部屋でロケット花火を点けようとした現場に鉢合わせたと。聞いていたら頭痛がしてきたな。

 

「ところでフクキタルは元気?」

「ああ。最低でも2日に1回の頻度で愛しのトレーナーにプロレス技で絞められている」

「嘘でしょ……!? な、なんで……」

「フクキタルは通販で怪しい壺を買おうとしたり、風水がどうとか言って勝手に模様替えをしようとするからな……」

 

 この間もプールに投げ込まれていたし、懲りないというよりは、気を引きたいのだろう。

 

「いわゆるボディランゲージというやつだ。フクキタルはそうして愛情表現をしている」

「そうなのかしら……そうかも……?」

「──ところで、スズカは走りたくて相手を探しているんだったな」

「……併走してくれるの?」

「そうではない。……まあ、その、なんだ。やはり、1着を取りたいのか?」

 

 俺が相手になってくれるのかと勘違いして目を輝かせたスズカだが、質問に首を傾げ、少し考えるそぶりを見せてから口を開く。

 

「それもあるけど……私は、先頭の景色を私だけのものにしたい……のかな。ずーっと前を走り続けるのは、心地いいから」

「──そうか」

 

 どうやらこちらの世界では楽しく過ごせているらしいスズカに、他人事ながら俺はどこかホッとしていた。サイレンススズカという競走馬の──そのあまりにも悲痛な最期を知っているから。

 

 天皇賞秋で起きた左前脚の粉砕骨折──沈黙の日曜日と言われた凄惨な事故。

『故障の原因は分からないのではなく、ない』と語られたことから、馬としての限界を超えた速度を出したせいで脚がもたなかったのではと考察されていたが、真相は定かではない。

 

 ──もしかしたらこの世界でも足を……と心配してしまうのは、余計なお世話なのだろうか。

 

「──アクセル?」

「……なんだ」

「どうして、()()()()()()をするの?」

「────」

 

 ひた、とスズカの手のひらが頬に触れる。感傷に浸りすぎたのか、表情に出ていたらしい。

 

「……変なことを、聞くようだが」

「うん」

「今、お前は幸せか?」

 

 一瞬キョトンとした顔をしたスズカは、またも考え込む。俺の頬から手を離して、それから少しだけ眉を潜めて言う。

 

「──友人は、何人かいるし。レースも、沢山走れているし。こうしてあなたと話をするのも、楽しいから……うん、そうね」

 

 スズカは口角を緩めて、柔らかく笑う。

 

「私は今、幸せね」

「……そうか」

 

 あまり不思議な会話を続けていると、本当に勘のいいウマ娘辺りには俺の知識が前世由来だとバレてしまいそうだが、まあ……こうして心配するくらいなら、問題ないだろう。そこまで考えて──

 

「──あ」

「……どうしたの?」

「このたい焼きを全て処分できて、スズカの相手も集められるいい手段があるな」

 

 俺はそう言って、携帯を取り出した。

 

 

 

 

 

「……やってみるもんだな」

 

 中身が殆どない紙袋を傍らに、芝2000mの中距離を走るジャージ姿のウマ娘たちを見ながら俺は呟く。何故かスプリンターなのに参戦してバ群に埋もれたサクラバクシンオーをよそに、ぐんぐん後続と距離を突き放すスズカを見ていた。

 

「『サイレンススズカと併走してくれるウマ娘を求む。報酬はレース一回につきたい焼き一つ』……まさかこれで釣れるとは」

 

 紙袋を抱えたスズカを撮影してウマッターに投稿したところ、意外にもウケて、こうして何人もの挑戦者を連れてこられた。バ鹿とウマッターは使いよう、ということか。

 

「アクセル、あなたは走らないの?」

「そうだな、なら一本……本気でやるぞ」

 

 休憩を挟んでもう一本とやる気を出すスズカにそう言って、俺は着替えたジャージの前を閉める。スズカと他に数人、たい焼きに釣られていつの間にか参加していたマックイーンとライスを交えて──合図を聞いて走り出すのだった。

 

 

 

 なお、くだんのフクキタルは、また妙なグッズを買おうとしてトレーナーからアルゼンチンバックブリーカーを食らっていたらしい。



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愛娘、或いはブラックコーヒー

 とある日の研究室。カーテンを閉めきった薄暗い室内で、神妙な面持ちをしたアグネスタキオンの眼前に、湯気の立つ黒い液体の注がれたマグカップが置かれていた。

 

 それを手に取り、タキオンは決意したように生唾を飲み、そして──

 

「…………むんっ」

 

 一気に呷った。

 

「………………うえぇ」

 

 そしてえずいた。

 

「……あの、毎回人が入れたコーヒーを飲んでえずくのやめてもらっていいですか」

「たっ、タキオンさん! 大丈夫ですか?」

 

 パッと室内に電気が点き、文字通り苦々しい顔をしているタキオンに二人分の声が飛び交う。青鹿毛の暗い髪色をしたウマ娘が、タキオンに低い声で文句を言い、その隣でかなりの毛量をツインテールにしているウマ娘は彼女を心配する。

 

 別に入れていた砂糖たっぷりの紅茶を渡されたタキオンは、口直しをしながら返した。

 

「ありがとうスカーレット君。……そうは言うがねカフェ、きみは確かにこういった筈だろう? 『次は甘めのコーヒーを入れます』と」

「コーヒーのなかでは他より比較的甘味の強い豆を使いましたから、今までで一番甘いコーヒーですよ。きっと貴女の舌が砂糖漬けで麻痺してるんでしょう」

「い、言うじゃないか……」

 

 タキオンが残したコーヒーを代わりに飲み干して、青鹿毛のウマ娘──マンハッタンカフェはあっけらかんと辛辣に言い放つ。

 

「というか、どうしてタキオンさんはそんなにコーヒーを克服したいんですか?」

「コーヒーが飲みたいなら砂糖なり牛乳なり混ぜれば良いでしょうに、なぜそこまでブラックや微糖に拘るんですか」

「……別にいいじゃないか、気分だよ気分。紅茶ばかりでは飽きてしまうからね」

 

 はーはーはーっ、とわざとらしい高笑いをして、タキオンは紅茶を飲み干すとコーヒーのカップ共々膝に乗せて研究室の流しに向かう。

 電動車椅子のレバーを操作して車輪を動かすと、カップをガチャガチャと流しに置いて水を張り、改めて二人のもとに戻る。

 

 茶髪をツインテールにしているウマ娘──ダイワスカーレットが、ふと口を開いた。

 

「そういえば、アクセルさんは紅茶よりコーヒー派でしたよね? このあいだ、食堂でブラックコーヒー飲んでましたし」

「……そうだねぇ?」

 

 すっとぼけた様子で斜め上に視線を向けるタキオンを見て、マンハッタンカフェは何かを察したのか、ああ……と言ってから続けた。

 

「なるほど、愛しのアクセルさんと同じ趣味を持とうとしたんですね」

「わっ、凄いロマンチック……!」

「…………ふぅン。いや、違うがね……?」

「なんでそれで誤魔化せると思ったんですか」

 

 呆れた様子でそう言って、マンハッタンカフェはかぶりを振った。

 タキオンは手をまごつかせながら、言い訳がましく二人に言葉を返す。

 

「まったく……なにが『愛しの』なんだ。逆だよ、逆。アクセルが私にゾッコンなんであって、私から向けた感情なんて、精々頑丈なモルモット程度さ。はっはっは」

 

「へぇ~、ちなみに自室ではどんなことをしてもらってるんですか?」

 

「あー……食事を作ってもらったり、着替えを手伝ってもらったり、風呂に入れてもらったり? あとは……まあ、色々だねえ」

 

「語るに落ちてますよ」

 

 ダイワスカーレットの問いに、タキオンはしれっと全てを話す。マンハッタンカフェの指摘に口をつぐみ、それからカフェが続ける。

 

「アクセルさん、ほとんど親ですね。わがままな子供がいて大変そうですよ」

「誰が子供だってぇ?」

「そうですよカフェさん! タキオンさんは立派な人じゃないですか!」

 

 タキオンを尊敬しているがゆえに若干盲目なきらいのあるダイワスカーレットが彼女を庇うが、その庇い方はタキオンに絶妙な罪悪感を与えるだけに終わっていた。

 

「……いや、まあ、スカーレット君。あんまりこう、無条件で持ち上げるのは……だね」

「あのタキオンさんが……良心の呵責に耐えかねている……!?」

 

 マンハッタンカフェは小声で驚愕しつつ、脳内の手帳に『タキオンさんの弱点:純粋な子』と書き加える。そうしていると不意に扉が開けられ、廊下から中へとくだんのウマ娘が入ってきた。

 

 

 

「──失礼する。タキオンは居るか?」

「タキオンさん、ママがお迎えに来ましたよ」

「誰がママだ。何の話をしている」

 

 マッドサイエンティスト──もといタキオンに反撃できるからか、珍しくマンハッタンカフェの口角は緩んで(にやけて)いる。

 頭に疑問符を浮かべながらタキオンたちのたむろしている奥にやって来た、カフェよりも暗い黒毛のウマ娘──アクセルトライアルは三人を見て小首を傾げながら言った。

 

「……タキオン」

「真っ先に私が悪いと睨むのはきみの悪い癖ではないのかね? 私は無実だよ」

「この状況を見た100人中90人は確実にお前が悪いと断じるだろうな」

「それは、ごもっともだねぇ」

 

 アクセルの言葉に言い返せないタキオン。その気安さを見て、ダイワスカーレットは二人の間にある信頼感に、言ってしまえば年頃の恋愛観から『キュン』と来ていた。

 

「それで? なんの用なんだい、トレーニングの時間ならまだなはずだけど」

「フクキタルとゴールドシップが、明らかにお前が作ったのだろう謎の薬品をトレーナーに盛ろうとして締め上げられていてな。説明してもらおうということで、代表で俺が呼びに来たわけだ」

「ふぅン。その薬品、何色だった?」

「鮮やかな蛍光ピンクだ」

 

 ぴ、ピンク……と呟く後ろの二人をよそに、タキオンはアクセルの言葉を聞いて顎に指を置きながら考えに耽る。そして、おもむろに口を開くと薬品の説明をした。

 

「それはたぶん、興奮剤の類いだねえ。ウマ娘に毒は効かないから無害だけど、人間には使ったことないから、チームの部屋の奥に仕舞っておいたやつだ。まさか見つけるとは……」

 

「なんてものを作ったんだお前は」

 

「ははは、ウマ娘には効かないと言っただろう。もう試したからね。

 人間で試すならトレーナーくんが適任だろうと思ったのだけど、なんというかほら、トレーナーくんって麻酔とか効かなそうなイメージがあるから薬品が効くか不安なんだよねぇ」

 

 からからと乾いた笑い声を上げて、タキオンはそう言い切る。当のウマ娘にウマ娘並の毒耐性を疑われるトレーナーを思い浮かべ、はぁ……とため息をついてアクセルは出入口の扉を指した。

 

「弁明は部屋で聞くから、そろそろ行くぞ。フクキタルは首から下を地面に埋められてるし、ゴールドシップも天井に頭が突き刺さってる」

 

「とてつもなく気になるワードが……ああ、すみません。長話してしまってて」

 

「いいや、気にするな。

 俺としてもタキオンに友人が多いのは喜ばしいからな、これからも話し相手になってくれ。実験には付き合わなくていいぞ」

 

「お、お母さん……」

 

「やかましい」

 

 ダイワスカーレットとの会話を区切り、タキオンを先に廊下に出して、それから最後にマンハッタンカフェと向き合い手短に会話を交わす。

 

「アクセルさんも、大変ですね」

「そうだな。まあ、悪くないが」

「そう言えるのは貴女くらいですよ」

「かもしれん」

「それと、そちらのトレーナー……柏崎トレーナーでしたっけ。あの人に、お祓いに行った方がいいと伝えておいてください」

「……理由は聞かんぞ」

 

 時折目線が誰もいない部屋の隅に向くマンハッタンカフェの助言に、渋い顔を作ってアクセルが了承する。それから全員が廊下に出て、タキオンが勝手に作った合鍵で研究室を閉めた。

 

「どうせならうちのチームと並走でもどうだい? よりアクセルの脚を速めるには、たくさんのデータが必要だからねぇ……」

「私はいいですよ」

「……ドリンクと称して変な薬を飲ませるつもりじゃないなら、構いませんよ」

「はっはっは……そんなことするわけ……」

 

 説得力のない返しをするタキオンを見て、アクセルは、まさにその通りの行動のせいで数回発光した過去を思い返して──黙っておくことにした。別に、犠牲者を増やそうとか、そんなことは考えていない。おそらく、断じて、絶対に。



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Episode if Urara


もしも、柏崎がゴルシに出くわさないことでアクセルのレースを見なかったら?

全4~5話(予定)


「……さてどうしたもんか」

 

 ウマ娘ほど鋭くないにしても、人間の耳にはあちこちから届く歓声が入ってくる。

 新人トレーナー・柏崎は、トレセン学園内を練り歩きながらふとそう呟いていた。

 

 未契約のウマ娘をスカウトする選抜レース──特に人気処の出ている中距離・長距離のレース場を背にして歩く彼女は、新入り故に完全に出遅れ、コンタクトを取る機会を逃していた。

 

新人(こんなの)を相手にする奇特な奴は──と」

 

 携帯にダウンロードした時間割を見て、次の選抜レースの時間を確認しながら歩いていると、学園内のグラウンドにある練習場を走る人影があった。それは──あまりにもお粗末なフォームでダバダバと走っているウマ娘だった。

 

「うわ……遅っ」

 

 整地された芝生の坂の上で見下ろす柏崎の目に映っているのは、鮮やかな桃色の髪を汗で濡らし、『はひはひ』と口で呼吸をしている少女。()()()()()()()()に、思わず口角をひくつかせた。

 

「──いや、それ以前に……」

 

 当然だが、他にも()()を見ている者は、柏崎以外にも大勢いる。そもそも練習場での併走なのだ、既にゴールしているウマ娘もおり──くすくすと、隠すこと無く、くだんの少女を貶すように笑っている。

 

 柏崎とは違う理由、恐らく短距離・マイルのウマ娘をスカウトしようとしているトレーナーも居るが、その殆どがウマ娘たちと同じ表情をしていた。嘲り、貶し、バ鹿にする顔。

 

「……わからなくはないが、露骨だな」

 

 とはいえ、柏崎も言わんとしていることは理解している。理由はどうあれ、遅い方が悪い。柏崎とてここまで足の遅いウマ娘が中央のトレセン学園に居るとは思ってもみなかった。

 

 坂を滑るように降りて、その輪に混ざることなく隣を通りすぎながら、彼女はようやくゴールして大の字に芝の上に倒れ込む少女に近付くとおもむろに声をかけた。

 

「お疲れ様です」

「はぁ、ひぃっ、だ、誰ぇ」

「トレーナーです。立てますか?」

 

 差し出した手を掴み返した少女を引っ張り立たせ、柏崎は飲み損ねた未開封のスポーツドリンクを学生が使うようなショルダーバッグから取り出してキャップを捻る。

 

 パキッと小気味良い音を奏で、開けたそれを少女に手渡す。瞳の奥にある桜の花びらを模した珍しい虹彩を輝かせ、少女は一気に半分ほど飲み干した。間を空けて残りを飲むと、空のペットボトルを柏崎に返して言う。

 

「ふはぁ~、生き返った~」

「それは良かった」

 

 キャップを閉め直してバッグに仕舞い、柏崎は少女に向き直る。走りきって疲れていたにも関わらず、スポーツドリンクを飲み干してすぐに元気を取り戻す。恐ろしい体力をしていると内心で感心するように独りごちた。

 

「あっ! 私ハルウララ! お姉さんはトレーナーなんだよねっ?」

「はい」

「練習で走ったの見てた? 私ね、この後選抜レースに出るんだよ!」

 

 元気いっぱいにそう言って、歯を光らせて笑う。そんな少女──ハルウララに、柏崎は平坦な声色で淡々と告げる。

 

「そうですか。それにしては……だいぶ酷い走り方でしたね。あれではスポーツを習っている普通の学生にも負けますよ」

「……ほ、ほんと?」

「皆そう思ってますよ」

 

 ひょこりと柏崎の奥に顔を覗かせるハルウララは気まずそうに顔を逸らす観客のトレーナーや併走していたウマ娘を見た。

 そんなトレーナーとウマ娘は『巻き込むなよ!』とでも言いたげに柏崎の背中を睨むも、本人は意に介さない。

 

「ところで、ハルウララは次のどの選抜レースに出るんですか?」

「1600mのマイルだよ。バ場は芝だけど走るの苦手なんだ~」

 

 ──じゃあなんでそれ選んだんだよ。と口を衝いて出そうになった言葉を飲み込み、柏崎は眉を僅かなストレスから痙攣させる。

 

「……貴女、勝つ気はあるんですか?」

「あるよ! あるけど……いっつも勝てないんだ~。でも走るのって楽しいんだよっ」

 

 ふにゃりと笑うハルウララを見下ろして、柏崎はマイルの選抜レースが始まる時間を確認して、小さくため息をつくと彼女に一言。

 

「……フォームの矯正と芝を走るコツ……みたいなモノは教えられます。選抜レースまであと二時間──やる気はありますか?」

「──! 良いのっ!?」

「乗り掛かった船というやつです」

「船? どこにあるの?」

「……置いていきますよ」

 

 脳裏に幼馴染のウマ娘を思い浮かべ、当時のレースでめくれ上がった芝を思い出す。

 怪力にものを言わせて芝を荒したヤツのせいで苦労した──という当時のウマ娘の記事を読んだのも懐かしく、それをハルウララのレースに応用させてもらおうと柏崎は画策していた。

 

 ──待ってよ~! と言いながらついてくるハルウララを尻目に、ばつが悪そうなトレーナーとウマ娘を一瞥して、そのままレース場の奥へと向かう。強すぎるウマ娘への妬み嫉みも、弱すぎるウマ娘への嘲りも、そう大して変わらない。

 

 ハルウララに向けたものとは別の、それでいて同じように呆れたがゆえに出てきたため息を、柏崎が隠すことはなかった。

 

 

 

 

 

 ──残り数十分、芝の上で行われている柏崎の最低限の指導は、なんとか形となっていた。

 

「……はい。フォームはそう、手の形は握り拳ではなく手刀のように、すこし力を抜いて……足は母指球で跳ねるイメージです」

「しゅとーってなに?」

「これです」

「いたぁい!?」

 

 ピシッと伸ばした手のひらでハルウララにチョップをする柏崎は、ウマ娘がどの程度頑丈かを知っているため強めに叩くが、思ったより強かったらしくハルウララがぐねぐねと悶える。

 

「さて、あとは作戦ですが……走るときは『差し』で行きましょう」

「さし? ……さし──っ!!」

「ぐえーっ。──そうじゃねえよクソガキ……

 

 お返しのごとく指を脇腹に突き刺してくるハルウララに、柏崎の本音が漏れた。

 幸いにも彼女には聞こえていなかったが、次余計なことをしたら平手打ちが飛んで来るだろうことはハルウララでも察することができる。

 

「それで、『差し』でどうするの?」

「簡単ですよ。芝で走るのが苦手なら、他のウマ娘が踏み荒した上をなぞればいい。だから、後方で待機する必要があるんですね」

「なるほど~。……これって作戦なのかな」

「鬼ごっこでタックルを食らわせるのを作戦と言い張れるならこれもそうですよ」

 

 

 

 ──ハルウララの疑問は、斯くしてレースを前に吹き飛んだ。後続でウマ娘たちの踏み荒した芝を作戦通りになぞる彼女を観客席で見ながら、柏崎は彼女たちのレースに圧倒される。

 

「流石は中央、選抜レースもレベルが違う」

 

 たかが選抜レース、されど選抜レース。そこには観客が居て、誰とも契約していないトレーナーが居る。そんなトレーナーは、現在ターフを走る少女たちを、言い方は悪いが品定めしていた。

 

 貴重な数年を共にするのだ。ウマ娘は使えないトレーナーとは契約したくないし、トレーナーもまた、なるべく足の遅いウマ娘とは契約したくない。誰だってそう考えるし、それは決して悪いことではない。何事にも、相性はある。

 

 ──そこまで考えて、柏崎は、隣でハルウララに声援を送る老年の男性らに意識を向けた。「うるせえなこいつ」と口に出さなかったのはせめてものプライドか、あるいは。

 

「すみません、もう少しボリュームを落としてもらえますか」

「あん? おう、悪い悪い! ウララちゃんを応援したくてなぁ!」

「はあ。ハルウララの。それはまた」

 

 珍しい、とは続けなかった。

 なにせ珍しいなんてものではない。

 耳に届く限りで、ハルウララを応援しているのは、眼前の──恐らく商店街かどこかの店主らしい男性たちくらいだったのだから。

 

「ところでお嬢さんはトレーナーなのかい」

「はい」

「じゃあ、誰かと契約するのかい?」

「そうですね」

「だったらあそこのハルウララちゃんなんてどうだい!?」

「急にセールスを始めないでくれますか」

 

 店主の男性からの言葉をのらりくらりとかわしつつ、柏崎はハルウララの動きを見る。端から見れば()()()()()()()最下位を、柏崎から見れば作戦通りに最下位を走っていた。

 

 そこから早くも最終直線。しかしてハルウララは、意外にもまだ体力を残している。

 踏み荒らされてでこぼこな、芝よりはマシな足場を走り、彼女は残した体力でスパートを掛ける。まさしく大逆転と言う他ないごぼう抜きに、一瞬の唖然ののち、爆発的な大歓声が湧いた。

 

「うおおおおおウララちゃ────ん!!!」

うるせえな……。さて、()()()()()で一勝と」

 

 ──やっぱりダート向き。芝は駄目だな……と考えた辺りで、柏崎は手すりに寄りかかりながら、隣の店主の怒号をよそに呟いた。

 

 

 

 

 

「これもしかして私が契約する流れですか」

 

 完走後にこちらへと手を振るハルウララを見下ろして、柏崎は表情を苦く歪めた。




柏崎
・パラレルの柏崎。アクセル√の方より若干心がパサついているため、ウマ娘に対する関心や愛情はほとんど無い。その辺の理由は、幼馴染(ストライクアサルト)へのコンプレックスを微妙に拗らせているから。
ハルウララに構ったのは周りの態度が気に食わなかったのが主な理由だが、関わってしまった以上は……として契約に及んだ。口調の悪さを無理やり敬語で押さえているのでやや荒さが漏れがち。

ハルウララ
・どの模擬レースや併走でも勝ったことが一度もない全戦無勝のウマ娘。商店街の人たちからは愛されているが、トレセン内では一部のトレーナーとウマ娘からダメなやつと小バ鹿にされている。
『笑われている』と『笑顔にさせている』の違いには今のところ気づいておらず、ただただレースで走れれば楽しくて満足と考えている。


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 クラシックも半ば、ハルウララを鍛えているトレーナー・柏崎は、どういうわけか──彼女の隣でランニングマシンを稼働させていた。

 

「ウララ、あと10秒でスピードが上がります。スパートをかけるつもりで走りましょう」

「はっ、はっ、はっ!」

「──2……1……走って走って走って!」

「う~~~っらら──!!」

 

 ハルウララが使っているランニングマシンが速さを増し、彼女も足の回転を速める。柏崎もやや速いランニング程度だが、かれこれ30分以上はハルウララに指示を出しながら走り続けていた。

 

 周りで別の器具を使ったトレーニングをしているウマ娘と、その指導をしているトレーナーから奇異の目で見られながらも二人は走り続ける。

 

 レースの最終直線で行うスパートと同じ速さで走らされているハルウララだが、徐々に足の回転が遅くなり、それを見越してか更にタイマーが作動して速度が遅くなった。

 

「そのままランニングマシンが停止するまで足を止めないように。この前のように最高速度のまま転んで壁まで吹っ飛びたくないでしょう」

「は、ひぃいぃ」

「……はい、お疲れ様です」

 

 完全に停止したその上で、ハルウララはぜえはあと大きく呼吸を繰り返す。

 隣で同じように稼働を止めた柏崎がマシンから降りて荷物からシェイカーを2つ持ってくると、鮮やかな橙色の方を手渡した。

 

「ウララ、人参スムージーです。プロテインを混ぜてあるので飲んでください」

「わっ、ありがとうトレーナー!」

 

 受け取ったハルウララは、シェイカーを開けて中身を煽る。冷やされていたプロテインで喉を潤しつつ、柏崎にタオルで顔の汗を拭われると、両手でシェイカーを握りながら問いかけた。

 

「ねえトレーナー、トレーナーがトレーニングする必要ってあるの?」

「さあ。別に良いのでは? そもそも学園から禁止されませんし」

 

 ──トレーナーはウマ娘の知識担当と言っても過言ではない。要するに、走るのは自分ではないからと運動不足になりがちなのだ。故に、トレーナーがウマ娘用のトレーニング器具を利用するのは、基本的に黙認されている。

 

 柏崎以外が使おうと思わないだけで、誰でも使えはする。ウマ娘用に調整されている器具でウマ娘相手に指示をしながら自分も走り込むことが出来るかと問われたら、話は変わるが。

 

「……次のレースはこれに出るとして、そこまで体を絞る必要もない、となれば」

「トレーナー? どしたの?」

「──ウララ、明日は休日なので、気分転換にお出かけしましょうか」

「──!」

 

 ぴんっ、と耳と尻尾が天を向いた。プロテインスムージーを飲み干して橙色のヒゲを口に生やしたハルウララは、桜模様の虹彩を輝かせて柏崎に飛び付──く直前で顔面を押さえ込まれる。

 

「おでかけ! いいの!?」

「おや。嫌ですか」

「嫌じゃないよっ!」

「では、決まりですね」

 

 ハルウララの顔面から手を離して、汗で蒸れたジャージのジッパーを下ろし、別のタオルで汗を拭いながらトレーニングルームを出る。

 その柏崎の後ろを着いていったハルウララだが、その背中を見ていたウマ娘たちの表情は、苦々しく歪んでいた。

 

「嫉妬半分、驚愕半分か」

「なにか言ったー?」

「……いえ、なんでもありませんよ」

 

 トレーニングをしながら感じていた周りの視線。それらが負の感情混じりであることを、柏崎はきちんと認識している。

 GⅢ、GⅡと着々とレースで結果を出してきているハルウララに向けた、『まさかあのハルウララが』という、嫉妬と驚愕の感情。

 

 ──なにもしてこないだけマシか。

 

 そう内心で独りごつ柏崎は、ハルウララとの外出のことにそっと意識を変えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ──翌日の昼、外出で気分が高まっているハルウララの左手を掴んで車道側を歩く柏崎は、周りからの視線に少しばかりげんなりとした顔をする。遠巻きに撮影してくる輩を見回しては、それとなく歩く位置と歩幅を変えてハルウララを撮ろうとする携帯やカメラに写り込んでいた。

 

「一言聞けば許可出すってのに。ったく」

 

 野次馬根性と言うべきか、赤信号は皆で渡れば怖くないと言うべきか。

『だって皆がやってるんだから』という心理状態は、いつだって人を大胆にするのだ。ハルウララの手を強く握って足を止めさせて、遠巻きから聞こえるシャッター音と彼女の間に体を滑り込ませながら、柏崎はそんなことを考える。

 

「──ウララ、そこのお店で帽子を買いましょう。気温が強くて、熱中症になりますから」

「帽子?」

「はい。ウマ娘用のモノなので、穴が空いているやつを買いましょうね」

「おー……!」

 

 ちょうど帽子も扱っている洋服店の前で足を止めた柏崎の提案に、ハルウララはよくわかっていないながらも楽しそうに頷く。()()()()()()()()ように先に入らせて、路地裏に繋がる歩道に一瞬視線を向けてから、店内へと入って行く。

 

「……めんどくせえな」

 

 重いため息をついて、店内のクーラーで体を冷やす。──見て見てトレーナー! という声のする方を向いた柏崎は、穴の空いたニット帽のようなものを被るハルウララに苦笑をこぼした。

 

「……それは目出し帽だろ」

 

 顔を隠せさえすればなんでも良いだろうが、目出し帽は『隠す』のベクトルが違う。無難にウマ娘用の麦わら帽子を選んだ柏崎に対して、ハルウララが何故かデフォルメされた人参のプリントされたベースボールキャップを選んでいた。

 

「ウララ、人参のマークを見て決めましたね」

「えっへへ、可愛いでしょ~!」

「はいはい。じゃあ、買ったらそれを被ってお出かけの続きをしますからね」

 

 呆れ混じりの微笑を浮かべて、ハルウララから帽子を受け取りレジに向かう。

 そのまま被るからと値札を切ってもらい、それから二人は夕方になるまで──柏崎だけが背後に視線を感じながら散歩を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 ──数日後、一週間後にレースを控えるハルウララの指導を続けていた柏崎が生徒会室に呼ばれていた。ノックを三回行い、それから入る。室内には、生徒会長のシンボリルドルフが待機していた。

 

「わざわざ会長が私を呼ぶということは、なにかウララが粗相をしたのですか」

「ふふ、自分の担当は信じてあげてほしいな。私が呼んだのは君自身に興味があったからだよ、柏崎トレーナー」

「さいですか」

 

 飄々とした態度で喉を鳴らして笑うシンボリルドルフは、柏崎の真っ先にハルウララを疑う態度に返答する。自分に興味──と言われて、柏崎は眉を潜めて、当然として警戒した。

 

「──あのハルウララの担当となり、彼女を勝たせるに至る。果たしてどう思っているのかな……と、少し気になったんだ」

 

「……ウララを勝たせるくらい、私でなくとも出来ますよ。走り方を矯正して、芝ではなくダートを走らせればいいだけですよ」

 

「謙遜するのだね」

 

「事実でしょう。()()()()()()()()()()()()

 

 ──ぴくりと、シンボリルドルフの眉が痙攣した。座る姿勢から柏崎を見上げる瞳と、後ろで自分の手首を掴む姿勢で立ちながらシンボリルドルフを見下ろす瞳がかち合う。

 

「私が初めて見た時点で周りの誰もがウララを舐めていて、私自身もウララが勝つイメージは持てなかった。()()()()()()んですよ」

 

「……ほう?」

 

「『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』と言いますよね。

『ウララが弱い』というのは、評価であって原因ではありません。『原因があって勝てないから弱いと評価される』んです」

 

 ──故にこそ、フォームの矯正と、適当な場で走らせるという最低限の努力が出来れば、あとは『不思議の勝ち』を引き寄せられる。

 そんなことは、柏崎でなくとも出来た筈なのだ。目先のハルウララという『弱いウマ娘など担当したくもない』と、誰も彼もが考えたから、自然と柏崎が担当するしかなかったというだけで。

 

「今さらになってウララを他のトレーナーに任せるつもりはありませんが、まあ……順当にダート・マイル路線で走らせて、URAファイナルズに出場させるつもりではありますよ」

 

「そうか。ファイナルズはシニアの12月のレースが終えてからだが……例えばそう、有マ記念なんて興味はないのかな?」

 

「はあ。会長も無理難題を仰る」

 

 ──無理ですよ、アレは。

 柏崎はあっけらかんとした顔で言う。

 

「……驚いたよ、ウマ娘の未来を担うトレーナーの口からそんな言葉が出てくるなんて」

 

「芝が苦手だからダートを、中・長距離なんて出来そうにない身体能力だからマイルを。

 ここまでやってようやく()()()()()()を拾えるようになったウマ娘が、いったいどうやって有マ記念で勝つというんですか?」

 

「信じてみるべきではないか」

 

「はて、何を。ゲート開放直後にウララ以外全員が転ぶことをですか?」

 

 ──なんでこんなムキになってんだ、と柏崎は脳裏に疑問を浮かべながら独りごちる。

 

「……会長がウララに何を期待しているかについては興味ありませんが、恐らく貴女の期待は、ウララにとって荷が重いモノですよ」

「──柏崎トレーナー、私は……」

 

 決心したようにシンボリルドルフが口を開いた──瞬間。遮るように聞こえてきたノックの音が聞こえ、あろうことか許可を取る前に何者かが入室してくる。その一瞬だけ、二人の思考は不快感という意味で合致していた。

 

「失礼しますぅ、アポ取ってた山城ですけども」

「──予定より10分ほど早いようだが」

「いやすんません、どうしても我慢できなくて」

 

 柏崎の耳に届く、些か人の神経を逆撫でするヘラヘラとした態度の声色。

 このままではシンボリルドルフか来客──山城と名乗った背後の男に手を出しそうだと自己判断して、彼女は会釈をして部屋を出ようと振り返る。そして、柏崎と山城の目が合った。

 

「────」

「…………」

 

 学園内見学許可証の札を入れたネックストラップとカメラを首に下げた山城の目が、柏崎の顔を見て一瞬硬直し、驚愕と苛立ちを見せる。

 柏崎もまた、刹那の内に覚えのある先日の視線を思い出し嫌悪と苛立ちを覚えた。

 

 そのまますれ違い、部屋を出ようとして──()()()()()()()を理解して再度振り返る。

 

「──山城さん。貴方は確か……現在活躍中のウマ娘の取材をしたい、とのことだったね」

「そうなんですわ、ほら……例えば期待の新星がおるやろ? なんやったっけ──」

 

 勿体ぶった演技で、額を指で叩いて、それから──背後の柏崎の地雷を無自覚に蹴り飛ばす。

 

「……そう、ハルウララとか?」

「────おい」

「……? なん──」

 

 ──や? と続けようとした山城の口が閉じられる。柏崎が左手で振り向いた山城の顎を掴み、万力のごとき握力で無理やり閉じさせながら、シンボリルドルフの使うデスクに体を押し倒す。

 

「ぐ、ぉ、ごぉおっ……!!?」

「っ──柏崎トレーナー!」

「その気色(わり)い視線を隠さないで、よくもまあ誤魔化せると思ったな、お前。どうした? ()()()()()()()()()()()()()直接乗り込もう、とでも思ったのか? 順序が逆じゃねえかよ」

「ご、こぁ──」

 

 反論するべく開けようとした口が開かず、唇の端から空気が漏れる。『盗撮』というワードを耳にしたシンボリルドルフが、机に山城を押さえつける柏崎を刺激しないように問いかけた。

 

「柏崎トレーナー、盗撮とはどういうことだ」

「休日にウララと出掛けたとき、コソコソ私たちを撮影しようとしてた奴が居ました。

 ウララだけは撮られないように体で遮ったり帽子で顔を隠したりしたんですが──」

「──あの動き、あれやっぱり気付いとったんか!? ……あ、やべっ」

 

 手の力が緩んだ隙にと口を開き、山城は見事に自爆する。バ鹿だろお前、という柏崎の呟きを最後に、改めて左手の握力が強まった。

 

「ぶぉごごごごっ!!!」

「盗撮出来ないからって堂々と取材を申し込むその図々しさは正直なところ尊敬するが……なんでそれで成功すると思ったんだよ」

「ぼぇっ、ぐぉお……っ!!」

 

 ミシミシミシミシ……と顎から嫌な音が響き、山城の額からぶわっと脂汗が滲み出る。眼前で行われている暴行に、一旦冷静さを取り戻したシンボリルドルフがようやく待ったを掛けた。

 

「……柏崎トレーナー、彼が本当に盗撮をしていたのかどうかについての言及は我々の仕事ではないし、それ以上の暴行は君のトレーナーライセンスの剥奪に繋がってしまう」

 

「──命拾いしたな」

 

 渋々。本当に仕方ないといった態度でようやく手を離した柏崎と、支えを失いずるずると床に落ちて座り込む山城。顎が無事か触診する彼に、おもむろにシンボリルドルフが問い掛ける。

 

「……それで、山城さん。ウマ娘に対する取材とのことだったが──どうする?」

 

 ──ズンッと、凄まじい威圧感に目に見えて空気が重くなる。彼女の『どうする?』という質問は、今の山城には死刑宣告に等しかった。

 

「………………。いや、その……今日はもう、帰ります。はい」

 

 完全に萎縮した山城は、どこか調子づいていた勢いと心をへし折られる。

 彼は記者としては若手も若手。言ってしまえば、勢いでどうにかしてきたビギナーズラックの持ち主。とどのつまり──今回が初めての大きな失敗だったのだ。

 

 記者あるいはマスコミの類いの悪意を()()()()()()()柏崎と、その手の相手を散々してきたかつての七冠バことシンボリルドルフでは、流石に相手が悪すぎた。

 

 怯えるように体を丸める──無意識にカメラを守るようにした山城の敗走。

 そんな彼の背中を見て、柏崎は一拍置いて()()()()を思い付く。

 

「山城」

「ヒエッ……な、なんですか」

「ハルウララの番記者、お前がやれ」

「…………はい?」

 

 突然の柏崎が下した許可に、山城どころかシンボリルドルフですらポカンと口を開ける。

 

「えっ、いや……な、なんでなん?」

 

「ここまで警告されてもまだ問題を起こすような奴なら、最終的にお前が行くところは警察じゃなくて病院だからな。ウララの取材をさせてやるから、目の届く場所で大人しくしてろ」

 

「──つまり、事実上の飼い殺しやろ?」

 

「…………」

 

 柏崎は口ごもる。振り返った先で座るシンボリルドルフもまた、何も言わない。残念ながら当然、この場に山城の味方は存在しない。

 ちょっと調子に乗ったツケでとてつもない利子を押し付けられた彼は、静かに泣く。

 

「これからよろしく」

「…………はい」

 

 こうして柏崎は、新たな仲間を加えるのだった。



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「『ダートに咲いた桜、ハルウララはマイルの女王となれるのか!?』ねぇ。

 

 月並みだな、五点」

 

「それ百点満点中の五点やろ」

 

 バサッ、と机に雑誌を放り投げて、柏崎は辛辣な採点を下す。された張本人──山城は、眉をひそめながら、投げられたそれを回収した。

 

「しっかしウララちゃんも頑張っとるのぉ。もうURA出場の条件満たしたんやろ?」

「ああ。……あとはURAまで訓練を重ねるだけ──で終われば良いんだが」

 

 ちらり、と外を見る柏崎の視界には、年末のレースに向けた調整をしているウマ娘と、指示を出しているトレーナーの姿が映っている。

 

「──ふん、有マ記念か」

「あー、殆どはそっちを目指すんやったか。ウララちゃんは出ぇへんの?」

「今度はパワーボム食らいたいのか」

「……パイルドライバーで死にかけたのが半年前やぞ、勘弁してくれぇ」

 

 禁句やったか──と続けて呟いて、額に青筋を浮かべる柏崎からそっと目を離す。

 調()()()()()()()山城が柏崎に()()()()のも今は昔。通りすがりのマスクを付けたウマ娘が『ブエノ!』と称賛するようなパイルドライバーを食らい、彼は上下関係を叩き込まれている。

 

「まさか今日日逆らったら殺されるんじゃないかって攻撃をなんの躊躇いもなくしてくる人間がおるとは思わんかったわ」

「されるような奴が悪い。ったく、ちょっと外の空気吸ってくるから留守番してろ」

「へーへー、任されました」

 

 カメラを磨きながらそう言って、山城は柏崎の背中を見送った。

 

 

 

 

 

 ──ガコンと音を立てて、自販機の下から缶コーヒーを取り出す柏崎は、一口呷ると重いため息をついて自虐気味に口を開く。

 

「──ガキみたいにごねるなよ、私」

 

 ブラックコーヒーの苦味が、柏崎の思考を冷まさせる。周りが有マ記念1着を夢見るなか、頑なにハルウララに挑戦させようとしないのは、なにも彼女に適性が無いから──だけではない。

 

 内心でそうして纏めていると、不意に柏崎は自身の耳で電動の駆動音を拾う。

 自販機の横でコーヒー片手に佇んでいた彼女は、音の方向へと首を向け──

 

「おやぁ? どこかで見たことのある顔だ」

「タキオン、ふらふらと動くな──、ん」

「……あなた方は」

 

 そこに居たのは、車椅子に乗っている茶髪のウマ娘と、その隣に駆け寄ってきた長い黒髪に白いメッシュのウマ娘だった。

 その二人──特に片方は悪名高いため会う機会は無くとも知っている。それに、もう一人は、恐らく今世代最強と言っても過言ではない。

 

「……アグネスタキオンと、アクセルトライアル……ですよね。私になにか」

「──ふぅン。ほう、いい肉体だ。鍛えられている。君、私の実験に付き合わないかい」

「は?」

「こいつの言葉は無視してくれ。ああ……と、柏崎トレーナー、で良かったか」

 

 黒髪のウマ娘──アクセルトライアルが、傍らのアグネスタキオンの頭を軽く小突きながら言う。柏崎の欺瞞に満ちた顔を見て、彼女は咳払いを一つに話題を切り替えた。

 

「先に言っておくと、俺たちは敵情視察に来たわけでない。ただ、少しの好奇心はある」

「──私があのハルウララのトレーナーだから、ですよね。誤魔化さなくて結構」

 

 そうか、と言ってアクセルトライアルは少し歩いた先にあるベンチを指差して、向こうに行こうとジェスチャーしながら続ける。

 

「あの全戦全敗だったハルウララをデビューさせURAに出場させる……まるでシンデレラストーリーだと、学園内では言われているな」

 

「大層なお話ですね。ただウララの脚に合うレースに出させただけでしょうに」

 

「その『脚に合うレースに出させただけ』でここまで来られたのなら、それを才能と言うのではないのかねぇ。トレーナーくぅん?」

 

 車椅子に乗りながら、視線は低いのに妙な威圧感のあるアグネスタキオンからのそんな指摘に、柏崎は眉をピクリと反応させる。

 

「──そんなトレーナー君も、陰でこう言われているのは知っているだろう? 『有マ記念にハルウララを出走させるのか?』ってねぇ」

「────、はて」

 

 すっとぼけたように首を傾げる柏崎だが、アグネスタキオンを見下ろすその目は、一切笑っていなかった。

 

「なるほど、確かに、有マ記念はURA出場までの3年間を締め括るに相応しいタイミングのGⅠレースですね。──()()()?」

 

「おやおや、まるで、ハルウララ君に有マ記念優勝は無理だとでも言いたげじゃないか」

 

「ええ、はい。ウララは優勝出来ません。

 今までのデータを統合して冷静に考えれば、誰だってそう断じられます。根本的に、芝で走るのが苦手でおおよそ長距離を走りきれるだけの脚を持たない彼女は、確実に勝つことは出来ない」

 

 ベンチに到着して、アクセルトライアル共々そこに座る柏崎は、車椅子のアグネスタキオンと目線が合うようにしてから淡々と語る。

 

「向いていない、勝てない、走らせるべきではない。だというのに、誰も彼もが口々にウララの有マ記念出走を期待する」

 

 ──それで、苛つかないとでも? そう言って破裂しそうな程に青筋を立てる柏崎の、衝いて出た次の言葉にアクセルトライアルが反応した。

 

 

「生徒会長ですら()()なんですから、流石にそろそろ、文句の一つでも言いましょうかね」

 

「ん……? 待て、会長──シンボリルドルフも、ハルウララを有マ記念に出せと言ったのか?」

 

「……出さないのか、とは聞かれましたが、意味はほぼ同じでしょう。別に誰も、ウララに期待なんてしていませんよ。『有マ記念に出走したハルウララ』という話題が見たいだけ──」

 

 そこまで言って、柏崎は訝しむように思考に耽るアクセルトライアルを視界に納める。

 

「……アクセルトライアル、なにか」

「柏崎トレーナー、会長についてだが、恐らく貴女は勘違いをしている。会長は間違っても、レースを強要するような奴では無い筈だ」

「──勘違い…………、あ」

 

 柏崎はアクセルトライアルに言われて、そういえばと当時の会話を思い出す。

 あのとき、確かにシンボリルドルフは何かを言おうとして──そこに山城が割り込んできたのだ。顔を片手で覆って、唸るように息を吐く。

 

あいつやっぱり締めるか……ああ、はい。その件に関してはこちらの確認不足でした。ですが、まあ──やはりウララを走らせるつもりは「トレーナー君は、何に怯えているんだい」

 

 おもむろに口を開いて、アグネスタキオンがそんなことを柏崎に問い掛ける。

 

 アグネスタキオンの、爛々とした──妖しくもどこか惹き寄せられる瞳が柏崎を射抜く。まるで全てを見通されているかのような発言に、柏崎は閉じかけた口角をひくつかせた。

 

「──なに、を、言って」

 

「さっきから君の表情筋の変化を観察していたのだがねぇ、トレーナー君の表情から察せる感情は、『怒り』というよりは『怯え』だ。今までの会話から推測するに、トレーナー君は、ハルウララ君の出走を違う意味で恐れている」

 

「……それは、当然、ウララに向いていないレースを走らせることを、でしょう」

 

「いいや、もっと噛み砕いた意見を出せる筈だ。もっとシンプルに考えてみたまえ」

 

 アグネスタキオンは、ずいっと柏崎の心に踏み込む。妙な威圧感にさしもの柏崎でも気圧され、頬に汗を垂らしながら──ゆっくりと、噛み締めるように呟いた。

 

「私は……ウララに……」

 

 数秒の間を置いて、それから──胸の内を、柏崎はポロリと吐露する。

 

 

「──悲しんで、ほしくない」

「ふぅン、言えたじゃないか」

 

 すとん、と隙間が埋まったように、柏崎は自身の行動に合点がいった。

 つまりは、簡単な理由だった。自分の担当に、負けてほしくない。負けたことで、悲しんでほしくない。ただ、それだけだったのだ。

 

「柏崎トレーナー、貴女の杞憂はごもっともだ。誰が自分の担当の悲しむ姿なんて見たいと思う。しかしな……一つ、間違っている」

 

「────」

 

 アクセルトライアルは、アグネスタキオンから引き継いで口を開き、静かに──それでいて力強い口調で柏崎へと語る。

 

「──ハルウララがもし、次のレースのたった一回の敗けで走ることが嫌になるようなウマ娘だったら、最初からこの学園にハルウララの姿なんて無かっただろう」

 

「……っ!」

 

「何事も挑戦だ、あいつが出たがるようなら走らせてあげればいい。貴女が出させるべきと思ったなら、キチンと伝えればいい」

 

 アクセルトライアルがそう締めくくり、柏崎は、ベンチから立ち上がると言う。

 

「──敵に塩を送りましたね」

「はて、どうだかな?」

「……用事が出来たので、今回はこれで」

「ああ、早く行った方がいい」

 

 二人に頭を下げた柏崎は、踵を返してその場から走り去る。残った二人のうち、アグネスタキオンは『ふぅン……』とため息と声を混ぜて吐き出すと、アクセルトライアルに声をかけた。

 

「随分とまあ、気に入ってるようだね」

「俺からすれば、お前の方こそあのトレーナーに興味津々だったようだが」

 

 車椅子のレバーを動かして、柏崎の向かった方向とは反対に車輪を回して、アグネスタキオンは小さく笑いながら返す。

 

「あのポテンシャルは人間にしては素晴らしい。無所属なら実験台に欲し──じゃなくて、ぜひトレーナーに欲しかっただけさ」

 

「そこまで言ったなら言い切れ。

 ……しかし、俺たちのトレーナーに、か。──タキオンが俺のトレーナーになると言ったときは驚いたものだが、案外、柏崎トレーナーも悪くなかったかもしれんな」

 

「おやおやおやおや、私では不満かい?」

 

 ──まさか、と言って、アクセルトライアルはベンチから立ち上がって、黒髪を風に揺らして、頬を緩めて楽しそうに声を出した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()が、あったのかもしれないと思ってな」

 

 アクセルトライアルは、獰猛に笑っていた。



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「ねぇねぇキングちゃん」

「なにかしら」

「私、有マ記念に出たい」

「…………なんですって?」

 

 それは自室での会話。

 ベッドで枕を抱えながらあっけらかんとそんなことを口にしたハルウララに、相部屋の住人・キングヘイローはすっとんきょうな声を上げた。

 

「それは、その、っ」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 という、純然たる善意からの思考に、キングヘイローの理性がストップを掛ける。なぜ、自分は、()()()()()()()()()()? と。

 

「────、ふぅーっ」

 

 眉間を指で揉みながら、重いため息をついて、キングヘイローは改めて向き直る。

 

「……本気、なのね」

「うんっ」

 

 今までのハルウララであれば、その挑戦の言葉を『楽しそうだから』という理由で口にしただろう。だが、その顔に()()()()はなかった。

 

「どうして……そんな決意をしたの」

「……んーとね、トレーナーはたぶん、走らせたがらないから」

「???」

 

 小首を傾げるキングヘイローを見て、ハルウララは伝わっていないことを理解する。わたわたと両手を儀式でもするかのように上下左右に振り回して、必死に感情の言語化をしようとした。

 

「えーっと、んーと、トレーナーは……私に走ってほしくないんだと思うの。食堂とかで、私がみんなに有マ記念に出たら? って言われたって言うと、すごい顔するから」

 

 こんな顔! と言って彼女は眉間にシワを寄せていわゆる渋い顔を作る。キングヘイローとしても、その顔と感情には理解が出来た。

 

 

 ──例えばの話だが、運動会の100m走で一位になれたからといって、なら陸上競技の100m走で一位になれるのか? と言われたら、首を横に振るに決まっている。出来るわけがない。

 

 これは得意・不得意、得手・不得手の話ではない。そもそもの土俵が違うのだ。ダートのマイル戦を得意とするハルウララにとっての芝の長距離とは、()()()()()()を指している。

 

「私もね、自分が芝が苦手なのはちゃんとわかってるの。でも『じゃあ走らない』って、なんか違うな~って思う。キングちゃんは私がそう言ったら、がん……ぎん……げんめつ? するかな」

「──しないわ。するわけがない」

「……えへ」

 

 キングヘイローの断言に、ハルウララはふにゃっと笑う。つまるところ結局は、『自分が自分のその決断を誇れるのか?』ということだ。

 

「……だからね、私は、自分でトレーナーに『有マ記念に出たい』って伝えたい。ので…………」

 

「ので?」

 

「──早速トレーナーに伝えてくる!」

 

「えっ」

 

 ぐっ、と握り拳を作って、ハルウララは意気揚々とベッドの上で立ち上がりガッツポーズをする。そして、そのままの勢いで外へと跳ねるように飛び出していった。

 

「…………ただ応援するのが正しいとは限らない。けれどねウララさん、誰だって、みんな──勝ってほしいから応援するのよ」

 

 ハルウララのベッドがある壁を見ながらそう言って、キングヘイローは視線を上げる。

 そこには壁に取り付けられたフックに提げられている、麦わら帽子があった。

 

 

 

 

 

 ──寮の外に出たハルウララは、すぐそこまで駆けてきていた自身のトレーナー・柏崎を視界に納めた。珍しくも額に汗を浮かべて、相当急いでいたのだろう、しかしてすぐに呼吸を整えると、ハルウララと顔を突き合わせて声を上げる。

 

「ウララ、有マ記念に出ましょう」

「トレーナー、有マ記念に出たい」

 

「……ん?」「──え?」

 

 二人の声が被り、そして同時に疑問符を浮かべた。それから柏崎が、小さく笑う。

 

「……くくっ。ああ、そうですか。貴女が、他でもない貴女が、そうしたいと決めたのですね」

「うん」

「ならばよし。『誰かに言われたからやる』とか言うようなら強めに締め上げるつもりでした」

「えっ……」

 

 冗談ですよ。柏崎はそう言うが、ハルウララの目に映る彼女の瞳は全く笑っていない。

 それはそれして、と柏崎が咳払いを一つに、改まってハルウララを見下ろして言う。

 

「……私は貴女の実力をきちんと把握している上で、確実に勝てないと信頼しています」

 

「うん」

 

「走れれば楽しい、勝てなくても楽しい、そんなラインはとっくに超えています」

 

「……うん」

 

「──辛いですよ」

 

 

 ──()()()()()()()? 

 

 ハルウララは反射的に問いそうになった言葉を、ぐっと呑み込んで、そのうえで柏崎を見た。

 

「……出来うる限りのメニューをこなしつつ、芝を走る特訓もします。いいですね」

「──うんっ!」

 

 ここまで来れば、もはや、ただひたすらに特訓を重ねて来るべき日に備えるしかない。

 

 故にこそ、二人は、嫌でも無情さを味わうことになる。当然だろう、頑張ればどうにかなるのか? 努力は裏切らないのか? 

 もし、本当にその通りなら、きっとこの学園から去るウマ娘など一人として居ない。

 

 ──勝利の女神は、微笑むだけである。

 

 その微笑が誰に向けられているかは、文字通り、神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──レース場とを繋ぐ地下場道を、スニーカーで踏み締める人影が一つ。柏崎は、内心に激情を渦巻かせながら歩いていた。

 

「────」

「…………あ、トレーナー……」

 

 ざり、と足の裏を擦らせるようにして歩みが止まる。俯き気味の視界を僅かに上げると、そこには、全身から玉のような汗を流している、勝負服姿のハルウララが立っていた。

 

 その両足には、酷使した結果として、葉脈のように太い血管が幾つも浮き出ている。

 

「ウララ、4()()、おめでとうございます」

「……ふへ、ありがとぉ」

 

 ふらりと寄りかかるように、ハルウララはそう言いながら頭を柏崎の胸に預け顔をうずめる。

 ぐりぐりと甘えるように顔を擦り寄せて、たった一言呟いた。

 

「ごめんね、負けちゃった」

「────っ」

 

 柏崎の脳裏に、観客席で見ていた光景が浮かぶ。余裕そうな顔色で、そこに居るのが当たり前であるかのように毅然と立つアクセルトライアルと、その後ろでぜえぜえと呼吸を整える2着と3着のウマ娘。そして、更に後ろで、呆然と電光掲示板を見上げるハルウララの姿。

 

 ハルウララの割り振られた数字である『7』という番号が、掲示板の『4』の部分で輝いている。()()()()()()()()()()()、とは、観客席の誰の言葉だったのか。

 

 応援されても、頑張っても、負けてしまったら、じゃあ全ては無駄な努力だったのか? そんなことはない。ハルウララが負けたのは、ハルウララよりも更に努力したウマ娘が上に三人居たからだ。これは、誰が悪いという話ではない。

 

 ────()()()()()()()()()()()、という事実を突きつけられただけである。

 

 

「……たくさん、走っても、追い付けなくて……。ねえ、トレーナー」

 

 ハルウララは、柏崎の背中に腕を回して、堰を切ったようにボロボロと涙をこぼして。

 

「負けるって、すごく、胸の奥(こころ)が苦しいね」

「────」

「……ごめんね、トレーナー……っ、勝てなくてごめんね……」

 

 地下場道に、ハルウララの泣き声が響く。ミシリと左手が軋む程に力を入れて握り拳を作り、爪が食い込んで血が滴ってもなお力を入れ続けて、柏崎は──自分の胸元に顔をうずめるハルウララの後頭部を見下ろすように俯いて呟いた。

 

「──貴女に、こんな思いをしてほしくはなかった。けれどもその思いは、勝負事において、必ず必要になるんですよ」

 

 勝てたら嬉しい、負けたら悔しい。

 2着以下は全員が敗者となる世界で、ハルウララが覚えたその感情は、いつかのどこかで必ず味わうモノだろう。そして、ハルウララの()()()はここではない。

 

「……ウララ、URAでもうひと勝負と行きましょう。貴女の終着点はここではありません」

 

 

 それはきっと、有マ記念で大敗を経た二人の延長戦。例えばの話。例えば、例えば──感動のフィナーレは目前で、その上で時間を巻き戻せたら、柏崎はきっと、何度でも用意するだろう。

 

 ──完璧なハッピーエンドを。

 

 けれどもそうはならなかった。ならなかったのだ。果たしてハルウララは、試合(URA)に勝って勝負(有マ記念)に負けた。しかして冬は終わり、雪は溶け──季節は巡る。

 

 

 

 

 

 ──ハルウララの元に、四年目の春が訪れた。




次回、ウララ編最終回


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ハル

 全ての挑戦を終え、ハルウララがURAファイナルズのダート・マイル部門で優勝を果たしてから数ヶ月。()()練習用コースで走り込むハルウララを尻目に、柏崎は──

 

「まあ、つまりだな。私は……あなたとハルウララに期待していたんだ」

「はあ……さいですか」

 

 ──シンボリルドルフ生徒会長との会話を話し半分で聞き流していた。

 舗装された道からコースを見下ろすようにして並び立つ二人は、風で揺れる髪を分けながら、視界の端で舞う桜をよそに会話を続ける。

 

「元々ハルウララは面接枠なんだ」

「………………あー、はい」

 

 仮に実力テストや知識を図るテストなんかを出されていたら、確実にハルウララは学園に来ていないだろうという信頼感が柏崎にはあった。

 

「なぜトレセン学園に入りたいのか、入って何をしたいのか、何を目標に走るのか。

 そんな事を、私が直接聞くというのが面接枠の内容だった。他のウマ娘が私に気圧され当たり障りのない答えをしていったなか、ハルウララは私の問いに対してただ一言こう言った」

 

 

『──色んな人といっぱい走りたいから!』

 

 

「──私は()()()()()()。と思ったよ」

「────」

「『全てのウマ娘が幸福な世界』。

 諦めては捨てきれず、いつかと願っていた『私』じゃない幸せ。その理想……私の夢に一番近い場所に、ハルウララは立っていたんだ」

 

 見下ろした先の、ターフを駆けるハルウララを、シンボリルドルフは眩しいものを見るようにまぶたを細めて一瞥する。

 その隣で柏崎が()()()()()()、冷めきった顔をしている事には気づいていない。

 

「会長殿、今だけタメ口よろしいですか」

「──? 構わないよ」

 

 わざわざそんな事を聞いてきた柏崎。シンボリルドルフは、重苦しくため息をついた彼女の続けざまに放たれた言葉に目を丸くした。

 

 

「────お前やっぱりバカだろ」

「………………、うん?」

「あのとき生徒会室で何を言うつもりだったのかと思ったら……なんだ、()()()()()か」

 

 頭に疑問符を浮かべ、柏崎からの唐突な罵倒に困惑するシンボリルドルフにさらに続ける。

 

「勝手に自分と重ねて勝手に期待すんのは別にいいけどな、あいつ(ハルウララ)お前(シンボリルドルフ)じゃねえ。

 そもそも、あんなアホにそんな崇高な目的なんぞ似合わんわ」

 

「あ、アホ……」

 

 自分の担当にそこまで言うか──と返そうとしたシンボリルドルフだったが、小さくため息をついた柏崎が雰囲気を和らげて言う。

 

「ただ、まあ、会長の言わんとしていることはわからなくはないですよ。

 トレセン学園は才能ある者を拒まず、かといって挫折した者は追わない。そして走る意志の無い者を追い出す権利があり、逆に才能が無くとも諦めない者には何も言えない」

 

「────」

 

「だから、全戦全敗で、才能の開花を見込めない、誰からも笑われているウララに『いっそ辞めた方が良い』等とは言えなかった。

 貴女もさぞや苦しかったでしょう、ただ楽しいからここにいるだけのウララは、自分の理想に最も近い存在なのに、日の目を浴びる事が無いままいつか潰れるかもしれないと思った筈です」

 

 図星を突かれたのか、シンボリルドルフは目線を逸らす。その視線の先に長距離を想定したコースを走るハルウララが映り、隣の柏崎の声がすっと耳に届いてくる。

 

「……それでも、ウララが挫けることはなかった。そして私と契約できた。結果的にURAで優勝出来た。ただ、それだけで良いんですよ」

 

「それだけで……?」

 

「貴女は言いましたね、全てのウマ娘が幸福な世界が理想だと。それで、貴女の夢見る幸福な世界とは何を以て幸福と呼ぶんですか? 

 2着以下は全員が敗者の世界で、どうやって全てのウマ娘が幸福になるんですか。

 まさか、みんなでお手々を繋いで一緒にゴールしましょうとでも?」

 

「──それ、は」

 

 ──具体案の無さ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と柏崎が内心で評価したシンボリルドルフの夢のくだらなさはそこにあった。

 

「果たして今のウララは幸福ではないとでも? そんなわけないでしょう。ああして次の目標を決めて努力する姿が不幸である筈がない」

 

「……そうだね」

 

「私との契約を経て、想像さえ超えて、負ける勝負が楽しいものではないと知ってしまってもなお、あんなにも眩しく我々を照らす姿が──不幸である筈がない。

 シンボリルドルフ、貴女のそれはね、()()()()()()って言うんですよ」

 

「────」

 

 ──ぶわっ、と一際強い風が吹く。桜の花びらが風に煽られて散り、髪がひと房顔に貼り付いた柏崎が「んぶぇ」と間抜けな声を上げる。その隣で、バッサリと自身の理想を『余計なお世話』だと否定しきった彼女を見て、シンボリルドルフは──笑った。

 

「ふふ、はははは」

「……そんなに愉快でしたか」

「ああ、いや、違うよ。ただ……君は私の事が嫌いなんだな、と思っただけだ」

「──生意気なクソガキだなとは思っていますが、別に嫌いとまでは」

「ふっ、くくっ。そうか。クソガキか」

 

 ──あの七冠ウマ娘(シンボリルドルフ)にそこまで言う者は、人間・ウマ娘問わず居る筈もなかった。故にこそ、正直に嫌いな相手に嫌悪感を向け、反論もしてくる柏崎というトレーナーが、彼女の目には非常に愉快に映っている。

 

「余計なお世話、か。確かにそうだね、誰にも……ウマ娘たちの幸福を強制する権利は無い。私ごときが口出ししなくても、あの子達は、自分達の手できちんと幸せを掴み取れるだろう」

 

「まあ、それこそ、何がウマ娘にとっての幸福なのか? という疑問はありますがね。やはりGⅠレースで1着、とかですかねぇ」

 

「最終的にはそこに行き着くだろうけれど……そういえば、柏崎トレーナーとハルウララは、次は何を目標にしているのかな」

 

 ふとした疑問を柏崎にぶつけるシンボリルドルフに、彼女はああ……と口を開いて、それからおもむろに坂の下で走っている筈のハルウララへと視線を向け──

 

「あーっ! トレーナーと会長さんだ~」

「ウララ。模擬レースは終わりましたか」

「うんっ。芝で走るのも慣れてきた!」

 

 レースを終えたらしいハルウララが上がってきて、柏崎とシンボリルドルフに近づいてくる。柏崎が彼女の首に提げられているタオルの端を掴んで顔の汗を拭う姿をまぶたを細めて見るシンボリルドルフは、先程と同じ内容の話題をハルウララにも問い掛けた。

 

「ハルウララ」

「んぶぶ……んぇ、なぁに?」

「──君は、これからもレースに出るのだろう。いったい、何を目標に走るつもりなんだ?」

 

 その問いに、ハルウララは。

 

「……勝つために、かな?」

「──そうか」

「うんっ。前はね、走るのが楽しくて、勝つとか負けるとかそういうのはあんまり気にしてなくて……トレーナーと会うまでは、ずっとそうやって呑気な考えだったな~って思うの」

「…………」

「でもね、有マ記念で負けたときはすっごい辛かった。本気で、全力で走っても届かなくて、脚が痛くて、胸の奥が苦しくて。

 これが、『負けると悔しい』ってことなんだ~って、ようやくわかった」

 

 たどたどしく、しかしてハルウララは自分の中の感情を相手にも伝わるように言語化する。

 

「みんなこの思いを抱えながら走ってたって、やっと気付けたから──私は、これからは、勝つために走りたいの」

「……よく、わかったよ。やはり君は…………、ああ。すごいな」

 

 シンボリルドルフはまぶたを細める。それはハルウララを見るときの癖だったが、今なら自分の中でその理由を言葉に出来る。彼女は眩しいのだ。ハルウララにあった底抜けの明るさが、まるで磨かれた宝石のように更に魅力を持った輝きを放っている。

 

 敗北を経て精神と身体が成長し、それがハルウララというウマ娘の力として昇華している。勝つために走ると決意した彼女は()()()と、皇帝としての直感が脳裏で囁いていた。

 

 

 

 

 

 ──果たして四年目の挑戦となったハルウララのレース人生。柏崎が手に取った雑誌の記事に載せられている彼女の写真と共に、おもむろに視界に入ったフレーズが無意識に口から飛び出した。

 

「『春が来れば、始まり色』か。山城にしちゃあ、洒落たフレーズだな」

 

 窓の外では、新入生が校門を通る姿が目に映る。新たな出会いが、新たなウマ娘が、新たなトレーナーが現れるそんな季節。されど、柏崎とハルウララの目標は、たった一つのみだった。

 

 

 ──目標:有マ記念で1着

 

 

 

 

『完』



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